フランス語の勉強?

ミッテラン死去から20年/久々のキソキソ

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L'hommage du président Hollande à François Mitterrand
Vingt ans après la mort de François Mitterrand, François Hollande sera le premier président à se rendre à Jarnac pour commémorer sa disparition.
Vingt ans jour pour jour après la mort de François Mitterrand et près d'un siècle après sa naissance, François Hollande se rend vendredi à Jarnac (Charente) pour se recueillir sur sa tombe avant de recevoir à dîner ministres et proches de l'ancien président à l'Élysée. En terres charentaises, le chef de l'État entend, selon son entourage, ≪ rendre hommage à François Mitterrand de la façon la plus simple, sobre et solennelle, dans le silence et le recueillement, là où il est né et là où il est enterré ≫.
François Hollande sera le premier président de la République en exercice à s'y rendre pour commémorer la disparition de celui qui présida la France pendant deux septennats, de 1981 à 1995. Il est attendu à 11 heures au cimetière de Grandmaisons, où il sera accueilli par la fille de François Mitterrand, Mazarine Pingeot, et l'un au moins de ses fils, Gilbert. Puis le petit groupe cheminera vers le caveau familial, où il rejoindra d'autres membres de la famille et des personnalités qui avaient profondément marqué les années Mitterrand. Sont attendus Jack Lang, Anne Lauvergeon, Pierre Bergé et Hubert Védrine, ainsi que le premier secrétaire du PS Jean-Christophe Cambadélis et des membres du gouvernement, Bernard Cazeneuve, Harlem Désir et Martine Pinville.
Après le dépot d'une gerbe et un instant de recueillement, François Hollande visitera la maison natale de François Mitterrand, dans l'intimité et à l'abri des regards. Puis il regagnera Paris, où un grand dîner réunira autour de lui de nombreuses personnalités, ministres et proches de François Mitterrand. Autour de la table : Laurent Fabius, Christiane Taubira, Najat Vallaud-Belkacem, Myriam El Khomri, Patrick Kanner, mais aussi des figures de la ≪ mitterrandie ≫ : Laure Adler, Robert Badinter, Dominique Bertinotti, Jean-Louis Bianco, Pierre Favier, Elisabeth Guigou, George Kiejman ou Louis Mermaz. La plupart des personnalités déjà présentes dans la matinée à Jarnac ont également été conviées.
Un bon président pour 59 % des Français
Vingt ans après la mort de François Mitterrand, les passions qui avaient marqué ses deux mandats se sont apaisées. Pour preuve, deux Français sur trois (65 %) disent garder un bon souvenir des années Mitterrand. Ils sont presque autant aussi (59 %) à estimer qu'il a été un bon président. Dans sa jeunesse, François Hollande a été le collaborateur de François Mitterrand à l'Élysée, en tant que chargé de mission pour l'économie. Frais émoulu de l'Ena et de HEC, il s'inscrivait plutot dans le sillage de Jacques Delors. Si bien, expliquera Jack Lang, que les deux hommes, s'ils ≪ ne se sont pas combattus, ne se sont pas séduits (et) n'ont pas établi de liens filiaux ≫. Les deux seuls présidents de gauche de la Ve République ont également partagé un rêve commun : ≪ changer la vie ≫ pour le premier et ≪ réenchanter le rêve français ≫ pour le second. Mais l'un comme pour l'autre se sont heurtés aux réalités économiques.
Interrogé sur l'héritage laissé par François Mitterrand, Hubert Védrine, qui fut son chef de la diplomatie, évoque les grands travaux et la politique culturelle, et Jack Lang, qui fut son ministre de la Culture, la libéralisation des ondes et l'abolition de la peine de mort. Parlementaire pendant trente-cinq ans, onze fois ministre sous la IVe République, président de la Ve durant quatorze ans, François Mitterrand reste aussi le symbole du renouveau du socialisme français et de l'union de la gauche. Le 17 mai 1995, épuisé par un cancer de la prostate diagnostiqué en 1981 mais tenu secret pendant de longues années, il laisse la place à Jacques Chirac et meurt sept mois plus tard. Dans la mémoire collective des Français, ses obsèques, le 11 janvier 1996, restent marquées par cette scène : Danielle, l'épouse du défunt, serrant dans ses bras Mazarine, sa fille longtemps cachée.
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フランス語の勉強?

ミッテラン大統領がなくなってから20年たつそうです.でもあまり記憶にありません.政治に興味関心はあったはずだけど,忙しい生活だったからかな?
久しぶりのキソキソでした.ちょっと難しいけどどうにか・・・というところでした.
山本太郎の北朝鮮決議、棄権についてでいろいろ考えています.

「震災犠牲者忘れないで」日本画を高校に展示
 宮城県美里町の南郷高(生徒171人)に、東日本大震災の犠牲者に対する鎮魂の思いが込められた日本画が飾られた。学校がある南郷地区の民家のヤマボウシが描かれている。
 作品の題名は「レクイエム」。大きさはF80号(縦1メートル、横1.5メートル)で、第78回河北美術展で東北電力賞を受賞した石川ちづ江さん(68)=大崎市鹿島台=が描いた。石川さんは「震災の前後に描いた。知人も含め、多くの人が犠牲になった震災を忘れてはいけないという思いで仕上げた」と説明する。
 「生徒に、芸術を身近に感じてほしい」という学校の意向をくんだ同校同窓会が、地域で日本画を描く石川さんを学校に紹介。遠藤吉夫校長が「生徒たちに震災を忘れずに、防災意識を高めてほしい」と作品を選んだ。
 作品は先月、校舎2階の職員室前廊下に展示された。生徒会長の阿部晴香さん(17)=普通科2年=は「絵の神秘的な輝きに言葉を失った。生徒で長く大事にしていきたい」と語った。


<防災庁舎>2031年まで管理 補修へ調査
 宮城県は7日、東日本大震災で被災した南三陸町防災対策庁舎の現地調査を始めた。県が2031年まで管理するため、腐食や傾きの現状を調べ、新年度に補修工事を行う方針だ。
 作業員5人が午前から庁舎の床や天井、壁の各部分の長さなどを測定。外側はクレーン車を使って調べた。8日まで鉄骨に発生したさびの状況や地盤の沈み具合も調査する予定。
 調査を請け負った設計会社ランドブレイン(東京)は2月中旬、調査結果を県に報告し、補修工事の方法を検討する。仙台事務所の現場責任者の男性は「被災直後の状態に戻す必要があり、さび止めを早急にしなければならない」と話した。
 震災で防災対策庁舎は津波に見舞われ、職員33人を含む43人が死亡、行方不明になった。震災から20年間は県が維持管理し、町は震災遺構として保存するか解体するかの結論を出す。


<気仙沼魚市場>復興へ一歩 荷さばき場着工
 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市魚市場に高度衛生管理に対応した施設を整備する起工式が7日、建設予定地であった。2017年3月にかけ、壁で囲まれた閉鎖型の荷さばき場2棟などを市が建設。衛生管理を徹底して水産物のブランド力を高める拠点にする。
 閉鎖型の荷さばき場はマグロ、サメ、メカジキ水揚げ用(延べ床面積1万7880平方メートル)とサンマ、カツオ、サバ用(1万130平方メートル)。ともにプレキャストコンクリート製2階で、既に復旧した魚市場の南側の岸壁沿いに建てる。
 鳥の進入や日光による変質を防ぐほか、マグロ棟内には入札中も鮮度が保てる15度前後の低温売り場1700平方メートルを備える。
 海が見えるクッキングスタジオや研修室、見学コースを設け、水産業と観光業の融合施設として多くの人に訪れてもらう。事業費は約190億円で、大半を国が負担する。着工時期は用地取得に時間がかかるなどしたため、予定より1年以上遅れた。
 起工式には市や水産業の関係者ら約100人が出席。菅原茂市長が「鮮度や衛生面で日本一の魚市場を目指す。観光客に見てもらい、交流人口の増加につなげたい」と述べた。
 魚市場を運営する気仙沼漁協の佐藤亮輔組合長は「産地間競争に勝ち抜く施設にする」と決意を示した。


<津波避難タワー>備蓄も万全 石巻に安心
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市魚町の水産加工団地で7日、市が整備した津波避難タワー2基の完成報告会があり、水産業者ら約30人が安全を確保する施設の完成を祝った。
 一帯には高さ5.4メートルの津波が押し寄せた。加工団地の東西2カ所に設置されたタワーは、ともに鉄骨造りで高さ約14メートル。地上約11メートルに約130平方メートルの居室を設けた。屋上と合わせ214人を収容できる。
 居室には災害時の備蓄品を収めるベンチを設置。飲食物や非常用簡易無線機などを備える。屋上の太陽光発電設備で3日間、照明用電源を得られる。
 タワーの二つの階段は扉を施錠。震度5弱以上の地震で自動解錠する容器を設置し、鍵を入れておく。鍵は水産業者にも預ける。
 総事業費は2基で約5億1000万円。国の復興交付金を活用した。
 市の調査によると、加工団地では約2570人が働く。中心部には市が認定した津波避難ビルが2社あり、今回のタワー整備で安全性がより高まる。市漁業協同組合の伊妻壮悦組合長は「海の近くで勤務をためらう人の安心感につながる。人材確保につながることを期待したい」と話した。


石巻市 在宅被災者実態調査へ
東日本大震災のあと被災した自宅で生活しているいわゆる「在宅被災者」の実態を把握するため、石巻市は、いまも全壊判定を受けた自宅に住んでいる世帯などを対象に調査を始めることになりました。
石巻市によりますと、震災で自宅が被災したものの金銭的な理由などから十分な修理を行えないまま生活を続けているいわゆる「在宅被災者」が現在も数多くいるという指摘が、市民から寄せられているということです。
ところが、仮設住宅などで暮らす被災者に比べてこうした人たちの正確な人数や現状が把握されていないということです。
このため石巻市は、住宅を修理するための国の支援金を受けとらずにいまも全壊判定を受けた自宅に住んでいる世帯などを対象に、12日から調査を始めることになりました。
調査は社会福祉協議会に委託して行われ、1軒ずつ回って自宅の修繕が完了しているかどうかや、生活で困っていることがないかなどについて聞き取ることにしています。
調査はことし3月までの予定で、石巻市福祉部は「経済的な問題や家族の事情など個別的な状況を把握したうえで、どのような支援が必要か検討していきたい」と話していました。


<復興印宮城流>3市 多様な分野で連携
◎(7)トライアングル交流(白石)
<震災支援で真価>
 三人寄れば文殊の知恵。あるいは、三本の矢。「3」の重要性を説く教えを一対一の直線的になりがちな自治体間の交流に応用し、東日本大震災以降、成果を上げている例がある。
 宮城県白石市が北海道登別市、神奈川県海老名市と進める「トライアングル交流」。1983年に登別、94年には海老名と姉妹都市になった白石が仲を取り持つ形で2010年4月、大規模災害に備えた相互応援協定が3市間で締結された。
 1年後の3月11日。白石は震度6弱の激しい揺れに襲われた。停電や断水、交通網のまひ、燃料不足に見舞われる中、「3」の真価が発揮された。
 翌12日。米軍ヘリが市役所近くの球場に着陸した。海老名が厚木基地に手配し、アルファ米や備蓄用パンを運んできた。登別も海老名に陸路での輸送を依頼し、救援物資を送り続けた。
 避難所で不足する仮設トイレ、壊れた屋根にかけるブルーシートなど、欲しい物が間を置かずに届いた。風間康静市長は「首都直下型地震や東海地震による海老名の被害を危惧したのが協定のきっかけだったが、震災で白石が大いに助けてもらった。両市の恩を思い出すと涙ぐみそうになる」と振り返る。
<商品開発協力も>
 3市がトライアングル交流宣言に調印したのは11年4月。宣言書には「家族 姉妹 兄弟 友達」のような関係を築き、さまざまな分野で交流を深めると明記された。登別と海老名も昨年、姉妹都市となり、全国的に珍しいトライアングル姉妹都市が完成した。
 有数の温泉地として名高い人口約5万の登別、東京・横浜のベッドタウンとして発展する約13万の海老名。そして約3万6000の平和な城下町、白石。3市のつながりは今、スポーツや青少年教育、産業といった分野で複層的に広がる。
 物産の相互販売にととまらず、特産品を生かした商品開発、インバウンド(訪日外国人客)の観光ルート、修学旅行の訪問先で協力し合うプランもある。白石商工会議所の斎藤昭会頭は「経済界からも3市の特長を生かし、経済効果がきちんと生まれる仕掛けを提案したい」と策を練る。
 住民自治組織、青年会議所も相互連携協定や姉妹関係を結び、トライアングルの絆は官民でしなやかに強まる。白石青年会議所OBの山田裕一市議は「東北、北海道、関東と風土や文化が異なる3市の交流だからこそ視野が広がり、面白さがあり、お互いの良さを見つけられる」と話し、議会間の提携を模索する。(白石支局・瀬川元章)
◎子どもたちに好影響
 3市の子どもたちの交流は互いに得るものが大きい。環境が違う地域での経験は本人の土台となり、将来は友好の懸け橋となることを期待している。5年後に向けては、スポーツに加え、文化面での充実を図るとともに、教員の交流にまで発展させたい。(白石市教育長 武田政春さん)


被災地へ研修旅行「災害人ごとじゃない」
 福岡県修猷館高(福岡市)の生徒が7日、東日本大震災で被災した宮城県名取市閖上や同南三陸町などを研修旅行で訪れ、震災の記憶と教訓を胸に刻んだ。
◎2年生408人 復興状況や当時の様子聞く
 研修旅行には2年生の希望者408人が参加し、複数班に分かれて被災地を見学した。閖上地区には約280人が訪れ、日和山周辺を歩き、犠牲者の冥福を祈って手を合わせた。
 笹かまぼこ製造「佐々直」の旧本店工場では佐々木直哉社長が震災当時の状況を説明。「津波は来ないという思い込みで多くの人が命を落とした。津波の恐ろしさは絶対に忘れてはいけない」と強調した。
 同校の庄野栞菜(かんな)さん(16)は「枯れた大地が広がるばかりで、まちがあったことを想像できない。災害を人ごとのように思っていたが、しっかりと備える意識を持ちたい」と話した。
 南三陸町では、志津川高生徒ら約30人から震災時の様子や避難所の状況を聞き取った。
 志津川高3年の西城皇祐君(17)は自分で撮った自宅の仮設住宅や復旧した新病院の写真を示して復興状況を説明。「福岡に帰ったら多くの人に伝えてほしい」と呼び掛けた。
 修猷館高の被災地の研修旅行は2012年に始まり、ことしで5回目。3泊4日の日程で、7日は仙台市、石巻市なども訪ねた。


復興支援のアイスショーへ練習
東日本大震災の被災地支援のため9日に盛岡市で開かれるフィギュアスケートのアイスショーを前に、参加する羽生結弦選手などが会場のリンクで練習しました。
「NHK杯フィギュアスペシャルエキシビション」と題したこのアイスショーは、震災の発生からことしで5年となる被災地の復興を支援しようと盛岡市で開かれます。
8日は、参加者が本番のリンクで練習し、仙台出身の羽生選手は、東日本大震災への思いを表現した「天と地のレクイエム」という曲をかけながら、4回転ジャンプを跳んだり、表現力のある演技を見せたりして氷の感触を確かめていました。
また、子どもたちと一緒に演技をするオープニングとフィナーレの練習も行い、音楽に合わせて滑る位置や振り付けを確認していました。
練習後の記者会見で、羽生選手は「少しでも復興のためになるように一生懸命に滑りたい。何かを感じとって大切に思ってくれたらうれしいです。感情を入れて作ったプログラムなので気持ちを込めたいし、希望や明るさいったところを見せたい」と話していました。
また、浅田真央選手は「心を込めて精いっぱい滑りたい。仙台の子どもたちと一緒に滑るので、希望の光であったり子どもたちの未来が輝くものになればいいです」と話していました。
アイスショーは、9日、盛岡市アイスアリーナで行われ、NHKでは、総合テレビとBS1で中継でお伝えします。


石巻市 在宅被災者実態調査へ
東日本大震災のあと被災した自宅で生活しているいわゆる「在宅被災者」の実態を把握するため、石巻市は、いまも全壊判定を受けた自宅に住んでいる世帯などを対象に調査を始めることになりました。
石巻市によりますと、震災で自宅が被災したものの金銭的な理由などから十分な修理を行えないまま生活を続けているいわゆる「在宅被災者」が現在も数多くいるという指摘が、市民から寄せられているということです。
ところが、仮設住宅などで暮らす被災者に比べてこうした人たちの正確な人数や現状が把握されていないということです。
このため石巻市は、住宅を修理するための国の支援金を受けとらずにいまも全壊判定を受けた自宅に住んでいる世帯などを対象に、12日から調査を始めることになりました。
調査は社会福祉協議会に委託して行われ、1軒ずつ回って自宅の修繕が完了しているかどうかや、生活で困っていることがないかなどについて聞き取ることにしています。
調査はことし3月までの予定で、石巻市福祉部は「経済的な問題や家族の事情など個別的な状況を把握したうえで、どのような支援が必要か検討していきたい」と話していました。


仮設で干支のサル人形作り
大船渡市の仮設住宅で、ことしのえと、サルの人形をつくる手芸教室が開かれ、お年寄りらが交流を深めました。
この手芸教室は、被災地の支援活動を行っているNPO法人が開いています。
大船渡市の蛸ノ浦小学校の校庭にある仮設住宅の集会所には、お年寄りなど5人が集まりました。
作ったのは、日光東照宮にある「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿をかたどった人形です。
参加者たちはNPO法人のスタッフに作り方を教わりながら、切り取った布に綿を詰めたうえで、丁寧に縫い合わせていました。
そして、ビーズなどで目や口をつけ、最後にサルの手を縫い付けて完成させると、それぞれ見せ合うなどして笑顔を見せていました。
この仮設住宅では集約化に伴って入居世帯が半数近くまで減ったということで、NPO法人は入居者が孤立しないよう支援活動を続けることにしています。
参加した80代の女性は「ここに来るとみんなに会えてとても楽しいです」と話していました。
また、60代の女性は「まずまずのできばえだと思います。仮設住宅のお茶の間に飾って、家を再建したら新しい家に飾りたいです」と話していました。


震災5年 県がアニメ制作
震災と原発事故からまもなく5年になるのを前に、福島県はいまも続く課題と復興の進み具合の両面を広く知ってもらおうと県内のアニメ制作会社とともに10本の短編アニメを制作することになりました。
これは8日、福島県三春町にあるアニメ制作会社の福島ガイナックスで、福島県の内堀知事や県のクリエイティブディレクターを務める箭内道彦さんらが発表しました。
それによりますと、福島県がいまも抱える課題と進んでいる復興の両面を伝えることを目的に実在する人物などをテーマにしたおよそ2分の短編アニメ10本を制作します。
制作は福島ガイナックスが担当し、震災で校舎の一部が壊れた伊達市の県立保原高校で美術部の生徒が校舎のがれきに花を描いたプロジェクトや避難指示が出された川内村の復興を支援しようと訪れた女の子が人々とふれあう物語などがテーマになるということです。
来月中旬から全国各地を巡回するほか、インターネットでの配信も検討しているということで、内堀知事は「完成したアニメを見て福島県を応援する気持ちを持ってほしい」と話していました。
また、福島ガイナックスの浅尾芳宣社長は「『メイドイン福島』のアニメを世界に発信するきっかけになる。海外の映画祭などにも出品したい」と話していました。


自然エネルギー支援基金設立へ
太陽光や風力など、自然エネルギーの普及を民間の力で支援しようと、県内の自然エネルギー事業者が中心になって、新たな基金を設立することになりました。
これは8日、自然エネルギーに取り組む県内の電力事業者や、環境問題の専門家など7人の発起人が記者会見して発表しました。
それによりますと、基金は発起人の代表を務める、会津電力の佐藤彌右衛門さんが自然エネルギー普及への取り組みを評価されてドイツの団体から贈られた300万円あまりの賞金を元に来月にも設立され、3月以降、ホームページなどを通じて、国内外の企業や団体、個人から寄付を募るということです。
寄付金は、太陽光や風力などさまざまな自然エネルギーの普及に関わる事業の支援にあてられるほか、原発事故で被災した人たちや子どもたちの支援にも使われます。
また、将来的にはエネルギー問題の大きな転換点となった原発事故の記録と記憶をとどめる記念館の建設も目指したいとしています。
実際の支援事業は来年1月から始める計画だということで、代表の佐藤さんは、「原発事故にあった福島だからこそ、自然エネルギーの普及に向け自ら立ち上がって前に進まなければならない。支援してくれる人たちの思いを形にしていきたい」と話していました。


避難者数10万人下回る
東日本大震災と原発事故の影響で福島県の内外で避難生活を続けている人の数が初めて10万人を下回りました。
県は、震災から5年近くがたつなかで帰還したり災害公営住宅に入居したりして新しい生活を始める人が増えていることが背景にあるとみています。
県や復興庁のまとめによりますと8日現在で震災と原発事故の影響で県内で避難している人は5万6463人、県外で避難を続けている人が4万3497人で避難先が特定できない人を含めてあわせて9万9991人となり、初めて10万人を下回りました。
これは、16万4800人あまりと最も避難者が多かった平成24年5月と比べると4割近く少なくなったことになります。
県は、震災から5年近くがたち、避難していた人たちが仮設住宅や借り上げ住宅などから元の自宅に戻ったほか、ふるさととは別の自治体で家を再建したり、災害公営住宅に入居したりして新しい生活を始めていることが背景にあると見ています。
一方、9万人を超える人たちがいまだに避難生活を続けていることについて、福島県は「引き続き避難している人たちに寄り添い、生活の再建や産業の再生など復興に向けた施策を進めていきたい」と話しています。


近代捕鯨110年 鮎川「鯨の町」の航跡(6・完) 固有の文化
 東日本大震災で鮎川は約10メートルの津波に襲われた。住民23人が犠牲になり、約700世帯のうち半数が全半壊。震災前に1400人ほどだった人口は現在、約940人まで減った。
 捕鯨産業の衰退に伴い、「捕鯨の町」から「捕鯨文化の町」へと姿を変えてきた鮎川。その歩みの象徴だった「おしかホエールランド」も津波で全壊し、多くの展示品が流失した。
町が博物館開設
 ホエールランドの前身は、旧牡鹿町が1954年に開設した「町立鯨博物館」。
 鮎川の写真を撮り続ける元大工の鹿井清介さん(84)は、町の依頼で鯨の木像を作った。詳細な資料などない時代。捕鯨関係者から特徴を聞き取り、マッコウやミンクなど11体を彫った。
 規模は小さかったが、鯨の標本や捕鯨の道具などをそろえた。博物館で説明員をしていた鹿井さんの妻の文子さん(79)は「珍しがって大勢の観光客が立ち寄った」と振り返る。
観光振興に威力
 学術的な資料が多かった博物館を観光施設に発展させたのが、90年に開館したホエールランドだった。映像や体験を取り入れた展示も充実させ、開館直後は年間10万人以上が来館。地域のシンボルになった。
 被災した施設は取り壊され、マッコウクジラの骨格標本など流失を免れた資料は仙台市博物館などで保管されている。
住民の意見反映
 石巻市は2018年度までに、牡鹿地区の拠点地域を鮎川に整備する計画。ホエールランドも観光物産施設などと合わせて再建する。市牡鹿総合支所は「規模は以前よりコンパクトになるが、住民の意見も取り入れながら機能を検討していく」と話す。
 祖父の代から捕鯨に関わり、鯨肉や工芸品を販売する「カクト商店」の和泉総一郎さん(68)は「地域の歴史を後世に伝える施設にしてほしい」と話す。
 被災したままのような風景が今も続く鮎川。住民からは、商業捕鯨の再開よりも、捕鯨文化の継承を望む声が多く聞かれた。
 「鮎川は捕鯨で成り立った町。捕鯨に関わる住民はほんの一部になったが、それでも『鯨の町』であり続けてほしい」。和泉さんはそう願っている。


“震災忘れてほしくない”
阪神・淡路大震災から21年になる今月17日、神戸市で行われる追悼の集いで、震災で母親を亡くした神戸市の42歳の女性が追悼のことばを述べることになりました。女性は8日記者会見し、「大きな節目として震災を忘れてほしくないという思いを伝えたい」と語りました。
毎年1月17日に神戸市中央区の「東遊園地」で行われる追悼の集いで、ことしは遺族代表として神戸市東灘区の山本広美さんがことばを述べることになりました。
山本さんは、21歳の時に震災で自宅が全壊し、当時45歳の母親・啓子さんを亡くしました。
8日、神戸市役所で記者会見した山本さんは、「遺族が抱える悲しみや苦しみは21年たったからといって変わらない。だからこそ、周囲の人が震災を忘れず、被災者を見守り続けることが大切だと思う」と述べました。
その上で山本さんは、「今でも震災がなければと思うが時間は前にしか進まない。私は21歳の時に母を亡くし私の人生と同じ時間が過ぎて、大きな節目として母が生きていた証しと震災を忘れてほしくないという思いを伝えたい」と述べ、追悼の集いに臨む心境を話していました。


【阪神大震災21年】 21歳のとき母を失った女性「私の節目…震災忘れないで」 遺族代表で追悼の言葉
 阪神大震災から21年となる17日、神戸市中央区の東遊園地で開かれる市の追悼集会で、遺族代表として追悼の言葉を述べる同市東灘区の自営業、山本広美さん(42)が8日、市役所で記者会見し、「21歳で母を失った私には21年が節目。震災があったことを忘れないでと伝えたい」と語った。
 専門学生だった21歳のとき、同区の実家が全壊。兵庫県姫路市の祖母宅にいたため無事だったが、実家の1階で寝ていた母、啓子さん=当時(45)=が下敷きになり亡くなった。
 祖母らとともに遺体安置所だった灘高校(同市東灘区)で啓子さんと対面した。「着くまで母が生きていると思っていた。なぜ母がここにいるのか、理解できなかった」
 震災の前日、神戸・三宮で啓子さんと買い物し、父親(73)も交じえて家族3人で食事をした。「いま思えば、家族全員での食事は母からの最後のプレゼントだったのかな」と目を潤ませる。
 これまで震災の講演などを依頼されたこともあったが断り続けた。あの日を直視できない日々が続いた。しかし昨年1月、震災遺児のケア施設「神戸レインボーハウス」で初めて体験を語った。「震災から20年で“心の成人式”をし、母への思いを伝えたかった」
 17日は長女(12)の中学入試にあたるため、遺族代表を引き受けるかどうか迷った。しかし、啓子さんが震災で亡くなったことを知って「地震、津波に負けない家をつくる」と建築家を目指し、工業高校に進んだ長男(16)らに励まされ、遺族代表を引き受けた。
 「これからは母と一緒に過ごせなくなった時間の方が長くなる。震災21年できちんと節目をつくりたい」と語る山本さん。当日は「今幸せだから心配しないでね」と、啓子さんに伝えるつもりだ。


借り上げ復興住宅 順次期限
阪神・淡路大震災で住まいを失った人に自治体が民間から借り上げて提供している復興住宅がことしは神戸市と兵庫県で借り上げの期限を迎えます。
この問題では、高齢でも住み続けることを認めない自治体の対応に批判の声が上がっているほか、転居した人が新たな環境で孤立することも懸念され支援が課題になっています。
借り上げ復興住宅は、兵庫県と神戸市、西宮市など5つの市が民間の住宅を20年契約で借り上げて提供しています。
このうち西宮市では去年、一部の住宅で期限を迎え、ことしは、借り上げ戸数が最も多い神戸市も今月末から期限を迎えます。
また12月には県の住宅でも一部で期限を迎えます。
しかし入居者の多くは高齢で、期限後も住み続けることを希望する人も多く、各自治体は年齢などに応じて引き続き入居を認めるかどうかを判断しています。
このうち神戸市は85歳以上、兵庫県は80歳以上など高齢の人や、重い障害のある人などには引き続き入居を認めていますが、そのほかの入居者には原則、退去を求めていて、神戸市の場合、60%以上の入居者が退去を余儀なくされます。
神戸市は先月、今月末に期限を控え退去を拒否する3世帯に、明け渡しを求める通知を送りました。
また西宮市は、原則として継続を認めず、明け渡しを求めて住民の提訴も検討していてこうした対応に批判の声もあがっています。
この問題では、すでに転居した人や、これから転居する人が、新しい環境でコミュニティを築けず孤立することも懸念され、高齢者の生活をどう支援するかも課題となります。


【阪神大震災21年】 追悼行事が昨年半減の59件に、主催者高齢化も 兵庫
 市民グループ「市民による追悼行事を考える会」は8日、阪神大震災から21年となる今月17日前後に兵庫県内で実施される集いや法要などの民間追悼行事が59件となったと発表した。昨年12月の集計から1件増えた。
 20年目だった昨年からはほぼ半減。過去10年間で最も少なく、主催者の高齢化などが背景にあるとみられる。
 同会が7日時点で集計した。事務局の松下良さんは「20年を節目に過去から未来に目を向けたいと追悼行事をやめる団体もあると聞いた」と話した。
 同会によると、集いやメモリアルウオークなどが29件で、コンサートなどが21件、礼拝などの宗教的行事は9件の予定。学校や幼稚園での追悼行事も20年時より約200校少ない1332校だった。


【阪神大震災21年】 神戸・長田の被災地を歩く 10日に「こうべiウォーク」
 阪神大震災から17日で21年となるのを前に、被災地を歩くイベント「こうべi(あい)ウォーク2016」が10日、神戸市長田区内で開かれる。参加者から1口千円の寄付を集め、NPO法人「しみん基金・KOBE」(同市中央区)を通じて社会貢献活動を行う団体に助成される。
 NPO法人「神戸まちづくり研究所」(同)など4団体でつくる実行委員会が平成11年からほぼ毎年、1月17日直前に開催。昨年は約150人が参加し、約17万円の寄付が集まった。
 当日は、JR鷹取駅近くの大国公園を午前9時半〜10時にスタート。事前に配られる被災状況などを説明した地図をもとに、若松公園やカトリックたかとり教会、六間道商店街や丸五市場などの28カ所を巡る。震災後の様子を知るガイドも随行するという。
 実行委は「ガイドの話を聞きながら、あの日に思いをはせてほしい」としている。事前申し込みは不要。問い合わせは、しみん基金・KOBE(078・230・9774)。


<全村避難>飯館の学校再開「時期尚早」の声
 東京電力福島第1原発事故で全村避難する福島県飯舘村の学校再開時期をめぐり、PTA会長らでつくる「村の子どもの将来を考える会」が7日、村が示した「2017年4月」は時期尚早だとして、20年4月以降に先送りを求める要望書を村と村教委に提出した。
 同会は、福島市や川俣町に移した村の幼稚園と中学校、小学校3校のPTA会長・副会長全12人が、メンバーに入っている。この日は4人が福島市の仮役場を訪れ、菅野典雄村長に要望書を手渡した。
 要望書では、学校の空間放射線量の低減が十分でないことや、除染廃棄物を処理する仮設焼却施設の稼働で交通量の増加を懸念。少なくとも現在の小学5年生以上が、避難先で中学校を卒業する20年4月以降の再開を求めた。
 村は帰還困難区域を除き、17年3月までの避難指示解除を目指す。菅野村長は「時期が遅くなると子どもの数も減り、学校は再開が厳しくなる。福島市内からも村に通えるよう対応する」と説明。同会の星貴弘さん(36)は「17年4月は帰村時期とほぼ同じで、あまりに早い」と異を唱えた。
 同会は村議会に対しても同様の趣旨の請願書を、保護者ら727人の署名を添えて提出した。


<福島第2>内堀知事、廃炉あらためて要求
 福島県の内堀雅雄知事は7日、東京電力の広瀬直己社長らと県庁で会い、東電が留保している福島第2原発の廃炉や、2017年以降の農林業に対する賠償方針の早期策定をあらためて求めた。
 内堀知事は「県内全ての原発の廃炉は県民の強い思いだ。知事として廃炉を強く求める」と語った。広瀬社長は「しっかり受け止める」と述べるにとどまり、従来と同様に方針を示さなかった。広瀬社長は会談後、第2原発について「福島復興の大前提である第1原発の廃炉に支障が出ないよう、ベストな選択をしたい」と記者団に話した。


最終処分有望地/時間をかけて丁寧な議論を
 丁寧な説明と幅広い議論が十分に行われるかどうか、早くも懸念されている。「核のごみ」の最終処分場の候補地の選定だ。国は科学的有望地を年内に提示する方針を決めている。
 核のごみは、原発の使用済み核燃料を再処理してプルトニウムなどを取り出した後に残る廃液を、ガラスと混ぜて固化体にしたものだ。極めて強い放射線を出すことから、「高レベル放射性廃棄物」と呼ばれる。国は地下300メートルより深い場所で、放射能レベルが下がるまで、約10万年にわたって隔離する地層処分を目指している。
 科学的有望地は、地質などの自然科学と土地利用の制約などの社会科学の両分野で検討して判断する。
 経産省の有識者会議は自然科学的観点での要件をほぼ固めた。火山や活断層の近くや、隆起、浸食が大きい地域などは「適性の低い地域」として除外する。軟弱な地盤や鉱物資源のある場所も除く。
 これらに該当しない地域を「適性のある地域」とし、中でも海上輸送に有利な海岸から20キロ以内などを「より適性の高い地域」に分類する。
 さらに社会科学的な検討を加えた上で、今年後半に適性を色分けした日本地図を提示する見通しだ。
 最終処分地選定で、政府は自治体に手を挙げてもらう公募制を断念した。かつて高知県東洋町が文献調査に応募したことがあったが、住民らの反対で町長が辞任に追い込まれ、応募を撤回した。公募では進展がみられず政府は昨年5月、国主導で処分地を選定すると方針転換した。
 共同通信社の最近の全国調査によると、最終処分の候補地に選ばれても、13府県は「一切受け入れる考えがない」と回答した。8道県も受け入れに否定的だった。方針を明確にしなかったのは宮城など24都府県で、受け入れに前向きな自治体はなかった。
 使用済み核燃料再処理工場のある青森県は「最終処分場にしない」という確約を国から得ている。地層処分の研究施設がある北海道も受け入れには否定的だ。原発や核燃料サイクル施設を受け入れていても、最終処分場は困るというのが自治体の本音だ。
 昨年、九州電力川内原発1、2号機が営業運転を再開した。関西電力高浜3、4号機と四国電力伊方3号機は、原子力規制委員会の審査に合格。原発再稼働の動きが強まっている。このまま全国の原発が次々と稼働していけば、使用済み核燃料の置き場がすぐに満杯になるのは目に見えている。
 地震が多い日本で地層処分が可能な適地があるのか、という疑問も根強い。科学者団体の日本学術会議は、最終処分自体への国民の合意が不十分で、科学的知見も足りないと指摘する。
 福島第1原発事故で、国民の間に原子力への拭えない不信感が広がった。最終処分地の選定は、廃棄物の押し付け合いになりかねない。有望地の説明が、国からの「一方通行」に終始してはならない。長い時間がかかることを覚悟し、丁寧な議論の積み重ねが必要だ。


京都・二条大橋、初の大規模改修へ 景観配慮で「お色直し」
 京都市の鴨川に架かる1943(昭和18)年建設の二条大橋で、市は初の大規模改修を始める。戦時中の物資不足の中で完成した橋だが、70年以上経過しても架け替えは必要なく、補修で安全確保できることが分かった。御影石の欄干を残すなど景観に配慮した橋にリニューアルする予定で、市の担当者は「先輩の技術には感服せざるを得ない」としている。
 市によると、二条大橋は少なくとも江戸時代には現在地に架けられ、35年の鴨川水害などで木製橋が何度も流された。市が戦時中、兵器製造に優先的に使われていた鋼材やコンクリートを確保して架橋した。
 橋は全長85メートル、幅約12メートル。2009年の調査では橋桁の腐食や橋脚2本のコンクリート剥落があったが、補修で耐震性を確保できることが判明した。ただ、現在では貴重な国産御影石の高さ1メートルの欄干が国基準(1・1メートル)に足りず、4基の照明では明るさが不足。欄干を10センチかさ上げするなど、景観に配慮しつつ「お色直し」をする。
 市は2016年度末の完成を目指し工事着手し、通行止めは夜間にとどめ、交通への影響を小さくする。
 市橋りょう健全推進課は「架け替えになれば多額の予算と市民の足に大きな影響が出るところだった。回避できたのは戦時中でも立派な橋を作った先輩方の功績で、感謝したい」としている。


安倍首相答弁 憲法軽視の反省見えぬ
 衆参両院での各党代表質問が終わった。野党側は安全保障関連法の成立強行や臨時国会見送りなど、憲法を軽視する安倍晋三首相の政治姿勢をただしたが、首相の答弁には反省が見えなかった。
 今年初の与野党論戦だった。首相の外交報告と麻生太郎財務相の財政演説に対する各党代表質問。二〇一六年度予算案提出後の一月下旬に行われる本格論戦の「前哨戦」だが、夏の参院選を意識して激しい言葉の応酬となった。
 野党側がまずただしたのは首相の政治姿勢である。
 安倍政権は昨年九月、多くの憲法学者らが憲法違反と指摘する安保関連法の成立を強行。十月の環太平洋連携協定(TPP)大筋合意と内閣改造の後、野党が憲法五三条に基づいて臨時国会を開くよう要求しても拒否し続けた。
 安保法について、野党側は「憲法違反の法律を絶対に認めない」(岡田克也民主党代表)「安倍内閣には憲法を守る意思がない」(松野頼久維新の党代表)「戦争法廃止、立憲主義回復を求める声が聞こえているか」(穀田恵二共産党国対委員長)などと追及した。
 これに対し、首相は「世界の多くの国々から強い支持と高い評価が寄せられている。決して戦争法ではなく、戦争を抑止し、世界の平和と繁栄に貢献する法律だ」などと成立強行を正当化した。
 臨時国会見送りについても「新年早々に通常国会を召集し、迅速かつ適切に対応している」などと突っぱねた。憲法の規定など、なきがごときである。
 首相の答弁からは、憲法と向き合う真摯(しんし)な姿勢は感じられない。首相ら国務大臣、国会議員などの公務員は「憲法を尊重し、擁護する義務を負う」(憲法九九条)にもかかわらずである。
 首相は年頭会見で「憲法改正はこれまで同様、参院選でしっかりと訴えていく。その中で国民的な議論を深めたい」と述べた。
 憲法改正は一九五五年の自民党結党以来の党是である。すでに与党で三分の二以上の議席を有する衆院に加え、参院でも「改憲派」で三分の二以上の議席を確保して憲法改正を発議できる政治的環境を整えたいのだろう。
 しかし、自分たちが変えたいと考える現行憲法は軽視する一方、新しい憲法をつくろうというのでは、あまりにもご都合主義だ。
 憲法は、国民が権力を律するためにある。その原則を忘れ、憲法を蔑(ないがし)ろにする政治家に、改正を発議する資格はそもそもない。


辺野古座り込み排除再開 国強行に市民反発
 【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設で沖縄防衛局は7日、米軍キャンプ・シュワブ内への資材搬入を再開した。年末年始の首都警備を終え5日に沖縄に再投入された警視庁機動隊も県警と共に、ゲート前で市民の座り込み排除を再開させた。大浦湾海上では大型クレーン船とスパット台船の計2カ所で掘削調査が行われ、移設に反対する市民らが船やカヌーで抗議した。年明け早々工事を進める政府の強硬姿勢に市民らは怒りの拳を上げた。
 この日は計23台の工事関係車両が基地へ入り、擁壁用コンクリート資材や砕石、砂利、重機などを搬入した。シュワブ内への資材搬入は昨年12月20日ごろから確認されていなかった。市民らも同月29日からことし1月3日まで抗議行動を休止し、4日から座り込みを再開していた。
 7日早朝は約100人の市民が座り込んで抗議を実施した。市民らは排除する警視庁機動隊には「東京に帰れ」と批判し、県警には「県民の立場になって」と訴えた。
 抗議行動は午後も旧ゲート前で続いたが、午後1時半と同3時半にも機動隊が市民を排除し工事車両が出入りした。
 今後も続く資材搬入を警戒し、オール沖縄会議は水曜日に加えて木曜日もゲート前大行動を展開する。
 昨年末から数十人規模で木曜日に結集しているうるま市島ぐるみ会議を中心に中部市町村で取り組む。うるま市島ぐるみ会議の伊芸佑得事務局長は「年が明けても権力で県民を服従させようとする政府に屈しないため、工事を止める日を増やしていく。多くの人の協力が必要だ」と語った。


仏週刊紙襲撃 1年 フランス国民、強くなった 元コラムニスト、パトリック・ペロウさん
 【パリで賀有勇】パリ同時多発テロの起きた昨年11月13日夜、パリ市内の病院の救命救急室で医師、パトリック・ペロウさん(52)は必死で負傷者の治療にあたった。ペロウさんは風刺週刊紙「シャルリーエブド」の元コラムニスト。編集長らが犠牲になった同紙襲撃事件から7日で1年を迎えたのに合わせ、インタビューに応じたペロウさんは「逃れられないかのように(テロの記憶が)よみがえってきた」と語った。
 ペロウさんは、襲撃事件当日、社外にいて無事だった。編集室のテーブルの下に隠れた同僚から電話で呼ばれ、駆けつけると、銃撃を受けた同僚が血まみれで横たわっていた。無我夢中で同僚らに現場で応急処置を施した。
 事件翌日の8日、仏テレビに出演し「困難はあるが(シャルリーエブドの)発行を続ける。さもないと同僚の死が無駄になり(テロの)愚行を勝利させることになる」と、むせび泣きながら語る映像が世界中に流された。
 事件後は心の整理が付かず、銃創や爆発によるけが人を診察するのを避けてきた。だが、事件から10カ月あまり経過した昨年11月13日、勤務していた救命救急センターに、同時多発テロで襲撃されたバタクラン劇場などから負傷者が続々と運ばれてきた。ほとんどは、銃創が喉や頭に集中し、手の施しようがなかった。
 ペロウさんは「今後もテロが起きる可能性は十分にあるだろう。しかしフランス国民は強くなった。困難な闘いとなるが、警備強化はもちろん(フランス生まれのテロリストを生み出さないためにも)幼少期の教育を見直す必要がある」と語る。
 事件後も同紙のコラムニストを務めていたが、昨年末で辞めた。「敬愛する仲間たちがいなくなった職場でなぜ自分が働き続けているのか分からなくなった。彼らの不在が耐えられなくなった」と、理由を説明した。
 シャルリーエブドが今も発行を続けていることについて、力強く述べた。「すばらしいことだ。彼ら(テロリスト)には止められなかったということの証しなのだから」

七草かゆ/腕時計と携帯忘れて/シャルリ・エブト事件から1年

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≪Non, on ne va pas reparler de Charlie Hebdo dans les classes aujourd’hui≫
Une directrice d'école de Seine-Saint-Denis explique la difficulté de reparler aux élèves des attentats de janvier 2015, moins de deux mois après le 13 Novembre.
L’attaque contre Charlie Hebdo se déroulait il y a un an, un mercredi midi, au moment où les écoliers terminaient la classe. Le lendemain, les enseignants ont dû gérer l’émotion des enfants, leurs questions, pas toujours simples. Que dire ? Avec quels mots ? Certains professeurs s’étaient sentis démunis, désarmés pour répondre, regrettant ne pas avoir été plus soutenus par leur hiérarchie. Des ressources pédagogiques ont depuis été mises en ligne, qui se sont avérées précieuses en novembre dernier. Quelques jours après les attentats de janvier, quatre enseignants s’étaient exprimés dans Libération, racontant les jours d’après. Anne (1), directrice d’une école privée en Seine-Saint-Denis, témoigne à nouveau, un an après.
Avez-vous prévu des commémorations, quelque chose de particulier dans votre école pour ce 7 janvier ?
Je n’ai donné aucune instruction à mon équipe. Chacun fera comme il le sent, mais je doute que les enseignants l’évoquent dans leur classe. La fin de l’année dernière a été tellement difficile avec les attentats de novembre. Jusqu’aux vacances, il y avait climat d’inquiétude au sein de l’école. Un élève m’a demandé de changer de place : ≪Je suis assis à côté de la fenêtre, j’ai peur des tirs dans la rue≫, m’a-t-il dit. J’ai essayé de le raisonner, de lui expliquer que la police était là pour nous protéger. Même si on y croit à moitié, on doit se montrer convaincant. Là, c’est le retour des vacances. J’ai l’impression que cela va mieux, les enfants ont des petites mines comme toujours après Noel mais ils semblent plus apaisés, moins inquiets. Alors, non, on ne va pas reparler de Charlie Hebdo aujourd’hui.
Comment avez-vous vécu cette année, au sein de l’école ?
Beaucoup de choses, bien sûr, ont changé depuis les attentats de janvier. En tant que directrice, je sens une plus grande responsabilité quant à la sécurité des élèves. Je fais en sorte, par exemple, d’être là tôt le matin avant l’arrivée du premier élève et jusqu’au départ du dernier. Je stresse aussi en pensant à ce mur séparant la cour de récréation de la rue et que n’importe quel fou pourrait escalader pour pénétrer dans mon établissement. Sans parler de toutes ces consignes de sécurité envoyées par le rectorat, qu’il faut être en mesure d’appliquer, et dont certaines sont très complexes.
Lors de notre entretien l’année dernière, vous évoquiez la difficulté pour les enseignants de trouver les mots justes devant les élèves.
Savoir que dire, et jusqu’où aller dans l’explication, c’est peut-être ce qu’il y a de plus compliqué. Car parler de religion, ca, on sait faire. Nous sommes un établissement privé catholique, avec une grande diversité de confessions parmi nos élèves. Chaque semaine, ils ont une heure et demie d’enseignement de ≪culture des religions≫, où nous les abordons toutes. La difficulté pour les enseignants face à ces attentats, c’est aussi de faire la part entre le rôle de l’école et celui des parents. Certaines familles ne parlent que très peu des événements à leurs enfants pour les préserver, d’autres au contraire regardent BFMTV en boucle à la maison. Ils arrivent en classe avec des niveaux d’information très différents. Entre les deux, l’enseignant doit trouver le juste équilibre. Ce n’est pas facile.
(1) Le prénom a été changé.
フランス語
フランス語の勉強?
コズミック フロント☆NEXT「思わず感動!最強の宇宙動画決定戦」
東京お台場の日本科学未来館でコズミックフロント☆NEXTの公開収録を実施。最高に感動的な宇宙動画を決めた。公開収録に先立ち、これまで宇宙の名場面を映像に記録した宇宙動画の中から25候補を選出。これらの候補をインターネットを使った投票で5つに絞り込み、公開収録ではそれぞれについて、秘められた感動ストーリーをたっぷり紹介。事前投票の結果と観客の投票によって最高に感動的な「宇宙動画」を決定する。
中川翔子,スギちゃん,武田双雲, 渡部潤一, 久保田祐佳,真下貴, 萩原聖人,守本奈実, 堀総士郎,玄田哲章

ザ・ドキュメント 生きること〜認知症の心に寄り添うバリデーション〜
かつて人は認知症の進行とともに記憶を失い、話すことができなくなった高齢者は感情を無くすと考えられていた。最新の研究では症状が進んでも感情は死の間際まで残ることがわかってきた。しかし介護施設の人手不足は深刻で、感情が置き去りにされることも多い。関西福祉科学大学の都村教授は日本に9人いる認定バリデーションティーチャーの一人。都村さんが認知症患者に正面から話しかけると、打てば響くような反応が返ってくる。都村さんは、認知症患者との意思疎通を図る手法「バリデーション」を取り入れている。 カメラはバリデーションが起こす変化を記録する。
都村尚子
真鍋俊永

BS世界のドキュメンタリー「わたしはシャルリではない」
シャルリ・エブド事件の実行犯が育った地域では若者の半数が失業し、犯罪が多発。彼らはフランス社会から疎外されていると感じ、自尊心を保つためにイスラム原理主義に関心を寄せるようになる。モスクでは過激な原理主義への傾倒をなんとか食い止めようとしているが、若者との溝を埋めるのは容易ではない。テロが生まれる深層に迫る。
〜2015年 ドイツ Zebra Production/WDR制作〜



神々の意志と人間の意志との相克と和解  Akemi
私は大学の教養科目で、ヨーロッパ文化の根源にあるものを知っておけという意味で、必ずギリシャ悲劇『オイディプス王』の話をすることにしていますが、文学を読むのが苦手という人は、まずこの里中満智子さんのマンガ版を読み、続いてピエル・パオロ・パゾリーニ監督の映画『アポロンの地獄』の映像を見て、概要をしっかりつかんだうえで、原文の訳本に挑戦するようにと勧めています。
里中版『オイディプス王』は、ソポクレスの原作を忠実に踏まえて、15分で読めるように簡潔にまとめており、しかも、原作の意図の理解が的確です。
わが国では、フロイトの本を一知半解に読みかじって、この偉大な古典の創作意図そのものが「男の子の心に潜在する抑圧された欲望」を描くことにあったかのようにみなす俗説が広まっていますが、神々の意志と人間の意志との相克と和解を終生追い続けたソポクレスが、「抑圧された欲望によってすべてが説明できる」などという世界観をこの戯曲で訴えたとはとうてい思えません。マンガ版の作者の里中さんも、解説を書いている西村賀子さんも、その点をよくわきまえていますから、この本は俗説を克服する上でたいへん有益です。


朝七草かゆを食べました.スーパーで売っていたもので特別なものではないのですが,これから健康に過ごせたらいいなぁと思います.とはいえ七草かゆのおかげで食べ過ぎになってしまいました・・・
部屋を出て腕時計をしていないのに気が付きました.もしや・・・と思ってみると携帯も忘れていました.ちょっと不便ですがたまにはそんな日もいいのかななんて思うことにしました.
あのシャルリ・エブト事件から1年です.

野蒜小 防災体験型施設に
 東松島市は6日、東日本大震災で津波被害を受けた旧浜市小学校と旧野蒜小学校の校舎について、民間企業に貸し出し、それぞれ植物工場と防災体験型施設として活用すると発表した。3月末までに契約し、年内の運用開始を目指す。市によると、震災の被災校舎を民間で活用するのは珍しいという。
 旧浜市小の校舎を植物工場として活用するのは、野菜や果物を生産販売する「V・プランニング」(東京都)。24時間LED(発光ダイオード)照明を使って、レタスやミニトマト、イチゴなどを栽培し、1日あたり計4000株の生産を目指す。売り上げは年1億9000万円を見込む。
 栽培した無農薬の野菜や果物を提供するレストラン、国内外の研修生を受け入れる「国際研修センター」も設ける。屋上や校庭には太陽光発電を設置し、植物工場で使う電気の大半をまかなう。災害時には停電しても蓄電池で電気を供給できるという。
 旧野蒜小の校舎は、自衛隊OBが経営し、人材派遣や介護などを手がける「J.M.S」(東京都)が利用する。子ども向けの防災体験型施設では、自動体外式除細動器(AED)の使い方などを学ぶことができる。
 映画館では津波からの避難方法を伝える映像を流すほか、震災当時の資料も展示する。校舎3階には宿泊施設も設ける。来場者は年1万8000人、宿泊者数は年2880人を見込んでいる。災害時には300人が避難できる。
 市は昨年11月、被災校舎の有効活用へ企業やNPOなどから事業提案を受け付け、各校に2社ずつ応募があった。
 両校とも10年契約で無償で貸し出されるが、災害時には緊急避難場所になる。両校で地元住民計33人を雇用する計画となっており、阿部秀保市長は「被災地の課題である雇用創出につながるよう、市として応援していきたい」と話した。


東松島市、旧校舎の活用企業公表 避難所確保、地元雇用
 東松島市は6日の定例記者会見で、東日本大震災で被災した旧浜市小と旧野蒜小の校舎、敷地の施設を利活用し、ビジネス展開を計画している企業名と事業内容を明らかにした。
 旧浜市小は最先端の発光ダイオード(LED)を活用した野菜、果物の生産・栽培施設、旧野蒜小は防災をテーマにした総合エンターテインメント施設として活用する。企業側はそれぞれ18人と15人の地元雇用を見込んでいる。
 市は「あくまでも(企業側からの)提案」とした上で、今後調整し最終決定する方針。
 旧浜市小で事業を行うのはV・プランニング(東京都世田谷区)。1階は施設内で生産、栽培した野菜、果物を提供するレストラン、国際研修センター、2階は研究開発室、コミュニティースペース、3階は避難スペースとする。メーンの野菜生産は屋内運動場で、レタスやミニトマト、イチゴの栽培を予定しているという。グラウンドにはビニールハウスの温室栽培施設を備えるほか、駐車場にする。
 旧野蒜小での事業はJ・M・S(東京都新宿区)が行う。1階に土産物を扱う物産店、食堂、2階は子どもたちの防災体験テーマパーク、映画館、資料室、3階は避難所施設としての機能を併せ持つ宿泊室、シャワー室、食堂を予定。グラウンドはキャンプ場、駐車場とする。
 阿部秀保市長は「本来ならどちらの校舎も解体だが、一時避難所としての地元からの要望もあり、保存する方向で庁内で検討を重ねてきた。安定した地元雇用にもつながれば」と期待を寄せた。
 市は両校舎とも長年にわたり地域に親しまれてきたことなどを重視。民間活力を生かした施設の有効利用へ準備を進めていた。
 条件として一時避難所としての機能を持ち、地元雇用の面でも貢献できる企業が望ましいとして、昨年11月に募集を開始。12月18日に選定委員会を開催し、審査の結果、両社が優先交渉権者となった。
 校舎の改修、維持管理費用などは企業負担で、市は2016年4月から10年間無償で貸し出す。
 記者会見ではこのほか、運転免許の失効に気づかないまま公用車を運転していた女性管理栄養士(33)を減給10分の1(3カ月)の懲戒処分、所属長ら4人を口頭注意としたことを公表した。


近代捕鯨110年 鮎川「鯨の町」の航跡(5) 寺に鯨の供養碑
 鮎川にある唯一の寺院・観音寺は1675〜77(延宝3〜5)年の建立と言われている。当初は金華山にあった大金寺の鮎川事務所のような位置付けで、島に渡る人が日和待ちをする場所だったという。
 捕鯨による町の盛衰を見守ってきた観音寺の境内には、鯨の供養碑が4基建つ。いずれも捕鯨会社が建立したもので、「千頭鯨霊供養塔」は1933年、当時の鮎川捕鯨が1000頭目の捕獲に合わせて建てた。
祭りでも霊弔う
 捕鯨に関わる住民は折々に鯨を弔ってきた。組織的な供養は大洋漁業が48年、観音寺で初めて実施。
 53年に始まった「鯨まつり」では、町の発展の礎となった鯨と海難者の供養も執り行われた。
 64年には現在も続くお盆の施餓鬼供養が始まった。東日本大震災で被災する前は、夜の浜辺に祭壇を設け、灯籠も流した。捕鯨関係者やその家族らが集まり、遠方から毎年姿を見せるかつての捕鯨仲間もいたという。
 観音寺の川村成美住職(77)は「この地域にとって、鯨は人間に奉仕してくれた存在。鯨の命に対する感謝と畏敬の念が息づいている」と話す。
 鮎川の住民は金華山を信仰し、捕鯨の大漁や安全も祈願する。金華山の対岸に当たる半島東側にもう一つ、捕鯨関係者が手を合わせる社がある。金華山の旧参道にあり、一の鳥居から海岸の渡し場へ下る終着点の「山鳥稲荷(いなり)神社」だ。
 海岸側から上ろうとすると、入り口に鹿の食害を防ぐ網が張ってあった。それを外して参道に入る。いくつかの鳥居が並び立つが、倒れたままのものあった。周囲は枯れ葉に覆われ、人の往来はあまり感じられなかった。
漁期に毎年参拝
 参道脇の住民によれば、近年は地元の人が元朝参りに訪れる程度だという。だが、地元の捕鯨会社は今でも毎年、漁期になると参拝に訪れる。捕鯨全盛期には、鮎川から歩いて何十分も掛け、毎朝参拝する捕鯨者の家族もいたという。
 引き返そうと社に背を向けると、参道の向こうに海と金華山が見渡せた。


フィギュア選手が被災地訪問
東日本大震災の被災地を元気づけようと盛岡市で開かれる「NHK杯フィギュアスペシャルエキシビション」に出演する選手らが大船渡市などを訪れ、地元の人たちと交流しました。
大船渡市と釜石市を訪れたのは、フィギュアスケートの全日本選手権の女子シングルを2連覇した宮原知子選手やトリノオリンピックの金メダリストの荒川静香さんなど9人です。
一行は、三陸鉄道南リアス線の列車に乗り、三陸鉄道の望月正彦社長から震災当時の様子や復興の状況を聞きながら、車窓から被災地の様子を見つめていました。
そして、大船渡市の陸前赤崎駅に到着するとホームに並んで、海の方向に向かって黙とうを捧げました。
その後、選手たちは釜石市平田地区の仮設住宅を訪れ、集会所で地元の人たちと交流しました。
選手たちは仮設住宅に住む人たちから「応援しています」とエールを送られ、記念撮影をしたり、握手を交わしたりしていました。
交流のあと荒川さんは「元気になる方が1人でも増えるような滑りを披露して、復興の力になりたい」と話していました。
また、宮原選手は「少しでも元気を与えられるよう笑顔ではつらつとした演技をしたい」と話していました。
震災の津波で自宅を流され、今も仮設住宅で暮らす70代の女性は「荒川さんたちに会えて夢のようです。メッセージを励みにこれからがんばって家を再建してきたい」と話していました。
宮原選手や荒川さんなどが出演する「NHK杯フィギュアスペシャルエキシビション」は9日、盛岡市のアイスアリーナで開かれます。
NHKでは、今回のスペシャルエキシビションを、総合テレビのサブチャンネルとBS1でいずれも1月9日の午後6時から生放送でお伝えします。


復興支援に貢献する人たち(6) 被災児童に居場所提供
◇NPO法人にじいろクレヨン代表・柴田滋紀さん(40)
 子どもの心のケアや子育て支援を行うNPO法人の代表。もともとは、日洋展の最高賞(日洋賞)を2年連続で受賞するなど新進気鋭の洋画家だった。
 東日本大震災を機に、絵描きとしての人生から、子どもの居場所をつくり保護者が交流する活動を後押しする団体のトップへ、生き方ががらりと変わった。
何とかしたい
 震災で自作の絵はもちろん、家も流された。絵を描く気にはなれなかった。そんな時、避難した石巻高の教室で、限られたスペースに身を寄せ合いながらじっと我慢している子どもたちを見て「何とかしてあげたくなった」という。
 10日後、「できることから」と考え、子どもに自由に絵を描かせることから始めた。校庭で鬼ごっこや縄跳び、ボール遊びも楽しんでもらった。
 石巻市生まれ。石巻高卒、日大大学院芸術学専攻科修了後、創作活動に専念。2004年、市内で絵画教室「ゴコッカン」を開設した。教室名は亡き祖父が開いた剣道教室「護国館」に由来する。父と共に週2度、剣道も教え、子どもと接するバックボーンはこの頃に育まれていた。
 活動範囲は、石巻高だけでなく、門脇中、万石浦中、渡波小などの避難所のほか、仮設住宅に広がった。市外にも足を運ぶ。東松島市、仙台市の10カ所の仮設住宅や集会所は、今も週ごとに回っている。
 常勤スタッフ10人と全国から集まるボランティアで運営している。「震災を契機に石巻に来る人はやる気、熱意など使命感があり、優秀な人材が多い。とても恵まれている」と目を細める。
ニーズ果たす
 メーン事業の活動の場は、避難所から仮設住宅、災害公営住宅へと移った。2月からは新たに石巻市新蛇田地区などの復興公営住宅で実施する。
 「子どもの遊び場づくりや親の子育て支援をNPO法人の仕組みの中で実施したい。団体として社会的ニーズを果たしたい」。
 絵描きとして高みを目指すという気概に代わって、人づくりの根底を担う子どもの基礎をつくるという自負が人一倍大きく膨らんでいる。
■NPO法人にじいろクレヨン
 2011年3月21日に前身のNPO団体「石巻こども避難所クラブ」を設立。同年9月、にじいろクレヨンに改称した。石巻市を中心に子どもの居場所づくりを目指した取り組みを行っている。事務所は石巻市大街道南4丁目。
「特定非営利活動法人にじいろクレヨン」http://nijiiro-kureyon.jp/


(3)避難の苦悩 聞き役…精神対話士
米同時テロ、児童殺傷 家族失った2人
 東京臨海部の再開発地区にそびえる36階建て国家公務員宿舎「東雲住宅」。東日本大震災の被災者約1000人が暮らすこのビルで、昨年12月上旬、心のケアのための相談会が開かれた。
 「困っていることはないよ」。原発事故で福島県を追われた60歳代の男性の声は明るい。ボランティアで訪れた精神対話士※の杉山晴美さん(50)と本郷由美子さん(49)を相手に世間話を続けたが、ふと本音も漏れた。「ここではいつも周りから見られている気がして、言いたいことも言えない」
 復興庁によると、震災や原発事故を受けて被災3県から県外に避難している人は、昨年末時点で約5万2000人。長期避難でストレスは高まり、疎外感を抱く人も多い。東雲住宅では2013年、避難者が孤独死しているのが見つかった。
 ただ、杉山さんと本郷さんは、男性の悩みに必要以上に踏み込まなかった。15年前にそれぞれの家族を奪われ、言葉はなくても寄り添ってもらえることが一番救われると知ったからだ。自分の身の上を話すことも、まずない。
 01年9月11日。杉山さんは、米ニューヨーク市郊外の自宅にいた。銀行員だった夫・陽一さん(当時34歳)が働く超高層ビルに、航空機が突入する映像をテレビで見た。「どうして、どうして!」。2人の子供を抱きながら叫び、泣いた。
 三男を妊娠中の体で、がれきになったビル周辺の病院などを捜し回ったが、安否はわからない。打ちひしがれて泣いていると、胸にボランティアの身分証をさげた女性がそっと肩を抱いてくれた。英語での励ましはよく意味が分からなかったが、その腕から「すごく気持ちが伝わってきて、ありがたかった」と振り返る。
 「自分も誰かを支える側に回りたい」。10年秋に精神対話士の資格を取得。翌11年3月に震災が起きた。同年8月、メンタルケア協会による支援活動で、宮城県塩釜市の離島を訪れた。
 津波で流されずに残った家に、黙ってがれきを眺める高齢の男性がいた。何日も通い、「みんないなくなった」「夜が怖い」といった言葉を聞き続けると、訪問を喜ぶようになった。
 本郷さんは、01年6月に児童8人が殺害された大阪教育大付属池田小事件で、長女の優希ちゃん(当時7歳)を亡くした。
 事件直後、学校側から専門家によるケアを打診された時に、学校まで来るよう言われたことに疑問を感じていたという。「事件現場でケアを受ける気にはなれなかった」からだ。
 そんな時、ケアを必要とする人のもとへ自ら出向く精神対話士の存在を知り、05年に資格を取得した。兵庫県に住んでいた時、阪神大震災でマンションが半壊。東日本大震災は人ごとと思えなかった。
 次女の進学で東京へ転居したのを機に、昨年6月頃から同協会による東雲住宅の支援に加わった。12年秋から同住宅に通い続ける杉山さんとは、ケアの現場でたびたび一緒になっている。
 2人は同住宅で戸別訪問も行うが、断られることも少なくない。「東北の人は、自分より大変な人がいるからと我慢しがち。つらい時はつらいと言える『避難所』に私たちがならないと」。杉山さんはそう話す。
 3・11の震災の際、杉山さんはニューヨークでの記憶がよみがえり、泣き崩れた。「忘れたと思っても、心の奥に入り込んでいるだけだ」と身にしみて分かった。だからこそ、避難者の心を支える活動はこれからが大切だと思う。
 本郷さんは「生きることの強さを優希から教わった」と言う。優希ちゃんの血痕の長さは、刺された場所から68歩分あった。最期まであきらめなかった娘を思いながら、ビルの中の被災者を訪ね続ける。
県外避難者85%が福島
 被災3県からの県外避難者の85%は福島県からが占める。同県が全国の支援団体に出した15年度の補助額は約3500万円と、ピークの13年度の半分未満に減少した。県避難者支援課は、「カウンセリングなどの需要は今も多いが、避難者が参加する交流会などが減っているため」と分析する。丹波史紀・福島大准教授(社会福祉論)は「支援団体は財源や人員不足で撤退、縮小を余儀なくされている。支援のノウハウを共有するなど連携を強化し、避難の長期化に対応する必要がある」と指摘している。(土方慎二)
※精神対話士 1993年に医師らが設立した一般財団法人・メンタルケア協会(東京)の民間資格。講習受講後に平均合格率15%の試験があり、現在の有資格者は約950人。


防災庁舎の劣化状況を調査 宮城・南三陸町
 東日本大震災の津波で町職員ら43人が犠牲になった宮城県南三陸町の防災対策庁舎で7日、建物の劣化状況の調査が始まった。建物は震災20年後の平成43(2031)年3月まで県が維持管理すると決まっており、補強対策や保存の方法を探るのが目的。
 宮城県から委託を受けた業者が2月末までに調査結果をまとめ、県に報告する予定。南三陸町は今後、震災遺構として恒久保存するかどうかを慎重に検討する方針だ。
 県地域復興支援課によると、調査は目視確認のほか、建物の建材の一部をサンプルとして採取するという。


<復興印宮城流>ごみを拾う正義の味方
◎(6)ご当地ヒーロー古代忍者遮鋼(多賀城)
<衣装はどんぶく>
 歳末の朝。宮城県多賀城市町前の国道45号と県道仙台塩釜線(産業道路)をつなぐ市道沿いに、そのヒーローはいた。どんぶく姿。手にはトングとレジ袋。沿岸の工場地帯に向かう通勤者に交じり、黙々とごみを拾う。
 「忘年会の季節だからか、たばこの吸い殻が多いね」とつぶやくヒーロー。すれ違う男性に「おはようございます」と声を掛けられると、そっと会釈した。
 郷土愛あふれるヒーローの名は「古代忍者遮鋼(しゃごう)」。コスチュームは東北で出土した遮光器土偶と忍者を模した。多賀城市の花のあやめ色を基調に手の甲とベルトには多賀城跡で出土した瓦を着ける。
 ラーメン店で修業中で店の近くのごみに気付き、仕込みの合間に掃除をする−との設定。扮(ふん)するのは近くでラーメン店を営む鈴木周さん(47)だ。
 市内で生まれ育った鈴木さんは元陸上自衛官。仙台、多賀城などの駐屯地で輸送や整備を担当した。東日本大震災で多賀城から南三陸町に派遣され、津波被災地に立った。「大事なときに家族のそばにいられなかった。悔いのない人生を送りたい」。2013年9月に自衛隊を退職し、14年3月にラーメン店を開いた。
<イベント登場も>
 市内随一の飲食店街だった町前地区は、一帯が津波にのまれた。被災に伴う工場の規模縮小で客足は遠のいたまま。道路沿いにごみが目立っていた。
 「きれいな道路なら歩きたくなるはず」と思い立ったが、1人では気が引けた。地元では先輩格のボランティアヒーロー「タガレンジャー」が活躍しており、自作のヒーローの姿で掃除に出ることにした。
 仕事の合間、市内外の催事にも登場する。昨年夏に大手コンビニなどが企画したご当地ヒーローのキャンペーンにも県代表でお目見えした。近くの農業鈴木那彦さん(71)は「ごみ拾いの姿を見ると、地域の復興に向けて共に頑張ろうと励まされる」と温かく見守る。
 昨年夏に一時体調を崩してからは週に1、2日とマイペースで活動を続ける。復興が一段落したせいか、街に元気がないのが気掛かりだ。
 「自分がヒーローだなんて、おこがましい。面白いやつがいるから見に行こうと思って多賀城に来てもらえれば十分」。あくまで控えめなヒーローだ。(多賀城支局・佐藤素子)
◎情報発信し継続応援
 町前地区を含めた中心市街地活性化は市の最重要課題の一つ。市民が自分のできる範囲で街を盛り上げようとする取り組みはありがたい。継続は力なり。数年後に大きな輪になってもらうためにも、情報発信などで応援していく。(鈴木良彦・多賀城市商工観光課長)


復興伝えるミニコミ誌「西原新聞」2月で幕
 東日本大震災からの復興を住民自ら伝えてきたミニコミ誌が、2月に終刊する。津波で被災した仙台市宮城野区蒲生の西原町内会の女性たちが発行してきた「西原(にしっぱら)新聞」だ。震災後の暮らしをきめ細かく取り上げてきた取り組みは、地区住民の再出発と町内会の解散に伴って一区切りとなる。
 「最終号は2月14日付にします」「あらー、バレンタインデーだっちゃ」
 最後の編集会議があった昨年12月13日、鶴巻1丁目東公園仮設住宅(宮城野区)の集会所が、女性編集委員6人の笑い声に包まれた。
 新聞は2011年11月創刊。A3判の表裏2ページで、ほぼ月1回発行してきた。280世帯、約700人が暮らしていた西原町内会の再生を願って各種会合で配ったり、みなし仮設住宅で暮らす人々に郵送したりしてきた。
 花見やお茶飲み会といった仮設住宅で開催されるイベントの情報を満載し、散り散りに暮らす町内会の人たちが集まりやすい環境をつくった。最新号では、3月に閉校となる中野小のメモリアルイベントで旧交を温めた様子を伝えた。
 仮設住宅に入居していた住民の多くが、新たな住まいに移る見通しとなり、町内会は3月に解散する。編集長の下山栄子さん(71)は「昔からまとまりのある町内会だった。町内会の解散も新聞の終刊も寂しいけれど、震災後、さらに絆が強まったのは良かった」と振り返る。
 最終刊の49号は、編集委員や町内会役員らのメッセージで埋め尽くす。
 創刊当初から新聞作りを支援してきたみやぎ連携復興センター職員の佐藤研さん(48)=仙台市青葉区=の言葉が、最後の編集会議を締めくくった。「節目となる50号は、皆さんが新たに生活を始める土地で、それぞれに作るのです」


<三陸道>仙台港北−利府中 4車線化完了へ
 2015年度中の4車線化が予定される三陸自動車道仙台港北−利府中インターチェンジ(IC)間(7.8キロ)の工事現場が6日、報道機関に公開された。道路建設はほぼ終え、中央分離帯移設や多賀城ICの新設が進んでいる。
 東日本高速道路東北支社によると同区間のうち、整備中の区間は仙台港北IC−利府ジャンクション(JCT)の4.7キロ。事業費約240億円で、12年4月に着工した。利府JCT−利府中ICの3.1キロは既に4車線化した。
 仙台港北−利府JCT間の上下4車線の運用は3月末以降だが、利府JCTに向かう下り線は3月中に前倒しして2車線での利用を始める予定。東北支社仙台工事事務所の大築正明所長は「この区間は朝夕に渋滞が発生していた。4車線化で利便性が高まり、復興にも寄与できる」と話した。
 三陸道の4車線化計画は仙台港北−桃生豊里間(52.6キロ)で進む。仙台港北−利府中ICの完成で、残りは石巻北−桃生豊里間(12.1キロ)となる。同区間は15年度内の完成予定だったが16年度に延期された。
<工事で一部通行止め>
 三陸道の4車線化工事のため、東日本高速道路東北支社は12日正午〜13日午前6時、仙台港−利府塩釜インターチェンジ(IC)間と、仙台北部道路利府ジャンクション−利府しらかし台IC間を全面通行止めにする。


県が復興支援助成金を拡充へ
宮城県は被災者支援に取り組むNPOなどを支えるための助成金について来年度から、地域住民の参加を促す提案をした団体を対象に、助成金を拡充する方針を決めました。
宮城県は、被災者支援に取り組むNPOなどの民間団体の活動を資金面から支えるため、「地域復興支援助成金」を設けていて、今年度は58の団体に、あわせて2億5000万円を支出しています。
県によりますと、こうした民間団体の活動は、被災地のコミュニティーづくりに成果をあげている一方で、運営を県外から来た人に依存していて住民自身が主体的に関われていないケースも目立つということです。
このため県は、来年度から「住民参画」をキーワードに掲げ、地域住民の参加を促す活動を提案した団体を対象に助成金を拡充する方針を決めました。
具体的には、これまで人件費や旅費などのソフト面に限られていた助成金を、空き屋や空き校舎の改修など活動拠点の整備費用にも広げ、より柔軟に助成金を活用できるようにするということです。
県は、こうした内容を来年度予算案に盛り込むことにしていて、「NPOの力を借りながらも住民自身が積極的に関われる仕組みづくりをしていきたい」としています。


ペットボトル灯籠 鎮魂の思い込め…1・17のつどい
 阪神大震災の追悼行事「1・17のつどい」で、今年の17日に並べることが決まったペットボトルの灯籠作りが6日、三田市の関西学院大神戸三田キャンパスで行われた。つどいを運営する実行委員会の藤本真一委員長(31)が講師役となり、同大の学生や中学生ら約10人が参加した。
 つどいは神戸市中央区の東遊園地で開かれ、これまでは竹灯籠を使用し、「1・17」の形に並べていた。藤本委員長は、新たにペットボトルの灯籠作りも提案した理由について「震災を知らない若い世代でも参加しやすい方法をと考えた」と説明。参加者は容量2リットルのペットボトルに、ペンで色を付けたり、「希望」や「1・17」の言葉を書き込んだりして、オリジナルの灯籠を作っていた。
 同大総合政策学部2年の高川穂野香さん(19)は「ペットボトルの灯籠なら私たちでも気軽に作れるし、若い世代が震災のことを考えるいいきっかけになる」と話していた。


尼崎の脱線現場、保存向け着工 JR西日本、慰霊碑建立へ
 JR西日本は7日、2005年4月に起きた尼崎脱線事故の現場マンション(兵庫県尼崎市)を一部保存し、慰霊碑を建立する工事を始めた。18年の夏ごろまでに完了する予定。
 JR西は9階建ての4階部分までを階段状に残す部分保存計画を15年3月に決定しているが、「全部保存」を求める遺族もおり、マンションの前では事故で長女を亡くした藤崎光子さん(76)ら3人が、横断幕を掲げて抗議した。
 午前11時15分ごろ、ヘルメットを着けた作業員5人が敷地に入った。電車が衝突した建物北側の1階駐車場付近に集まり、傷が残る壁の測量などの作業を始めた。


5野党、安保法廃止を要求 首相は拒否 国会論戦始まる
 安倍晋三首相の外交報告と麻生太郎財務相の財政演説に対する各党の代表質問が六日、衆院本会議で行われ、国会論戦が始まった。安倍政権が採決を強行し成立させた集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法について、世論の批判は根強く、野党三党は廃止を求めた。質問に立たなかったほかの二党も歩調を合わせ、五党は安保法廃止法案の共同提出を視野に入れる。首相は法律の必要性を強調し、野党の要求を拒否した。夏の参院選をにらみ、与野党の論戦が続く。
 民主党の岡田克也代表は「国民は安保法の採決強行を決して忘れていない。全国で抗議活動が続いている」と指摘。「憲法違反の法律を絶対に認めるわけにはいかない」と強調した。
 共産党の穀田恵二国会対策委員長は「憲法の精神をじゅうりんし、安保法の強行採決という暴挙を行った」と安保法の廃止を要求。維新の党の松野頼久代表は、安倍内閣は「憲法を守る意思がない」と断じた。
 首相は答弁で「国民の命と平和な暮らしを守るために必要不可欠な法律を廃止することは全く考えていない」と反論。「国民に理解いただけるよう丁寧な説明に努める」と述べた。
 代表質問した野党は、民主、共産、維新に加え、おおさか維新の会の四党。所属議員数の関係から社民、生活の二党は代表質問の機会がなかったが、安保法廃止を求めている。おおさか維新は、橋下徹前代表が「安保法廃止」を批判しているが、党のスタンスは明確ではない。
 民主は今国会に廃止法案を提出する方針。「駆け付け警護」を容認する国連平和維持活動(PKO)協力法改正案−などの三法案も出す方針。維新は「違憲の法律の廃止は同じ意見だ」と同調。ただ、自衛権の発動要件を一部拡大する「対案」も必要だとし、民主党と折り合っていない。
 共産は、民主の三法案に同調しないが、廃止法案で足並みをそろえる方針。社民、生活も「安保法廃止」を求めている。
 民主は他党と協議を進め、早ければ今月中にも法案を提出したい考え。五党は参院選で与党を過半数割れに追い込むことが安保法廃止に向けた一歩になるとして、候補者の一本化を進めている。 (横山大輔、宮尾幹成)


【「慰安婦」日韓合意】 ソウルの日本大使館前で大規模集会、水曜集会24年で「合意無効」を主張
 慰安婦問題をめぐり日本政府に抗議するソウルの日本大使館前での「水曜集会」が6日、問題が浮上した直後の1992年1月に始まってから24年を迎え大規模に開かれた。千人以上が昨年末の日韓合意の無効を主張した。
 集会ではソウル市内の区長や近隣の京畿道内の市長ら計約30人の連名で、慰安婦を象徴する大使館前の少女像撤去に反対し、同様の像の増設を支持する宣言文が発表された。
 一方、水曜集会に続き、合意受け入れに賛成し、日本に誠意ある措置を求める保守系団体の集会も大使館前で実施された。
 水曜集会は92年1月8日、当時の宮沢喜一首相の訪韓に反対して始まった。千回を迎えた2011年12月、大使館前に少女像が設置された。

ムスターファ/Banksy/ソルド始まる

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Nucléaire, Allemagne, BD... le point sur l'actu de mercredi matin
Nucléaire. La Corée du Nord a annoncé avoir mené son premier essai réussi de bombe à hydrogène, précisant qu'il s'agissait d'un engin ≪miniaturisé≫, ce qui marquerait une avancée importante dans son programme nucléaire s'il était confirmé. Séoul a qualifié cet essai de ≪défi grave≫ pour la paix mondiale et la Maison blanche a promis une réponse appropriée aux ≪provocations≫ de la Corée du Nord.
Travail. Le gouvernement va finalement éviter de plafonner les indemnités de licenciement. La mesure phare de la loi Macron 1, retoquée par le Conseil constitutionnel cet été, ne devrait pas refaire surface dans les mesures sur l'emploi en préparation.
Allemagne. Une centaine d'agressions sexuelles commises la nuit de la Saint-Sylvestre à Cologne (ouest) ont scandalisé l'Allemagne, dont le gouvernement a condamné les violences. Sans attendre, des personnalités politiques hostiles à la politique favorable aux réfugiés de la chancelière Angela Merkel ont récupéré l'événement. Pour l'heure, la police n'a fait état d'aucune arrestation spécifiquement liée aux incidents.
Charlie. Le numéro hommage de Charlie Hebdo a débarqué en kiosques aux aurores. Nous consacrons un long récit à l'état du journal satirique, un an après.
Justice. La présidente du Front national Marine Le Pen a été entendue hier en tant que témoin assisté par les juges d'instruction, sans être mise en examen, dans l'enquête sur des soupcons de surfacturation lors des campagnes électorales du parti d'extrême droite en 2012. Celle-ci a révélé un possible système frauduleux destiné à capter de l'argent public, avec plusieurs millions d'euros en jeu.
Bande dessinée. Le Festival de BD d'Angoulême a dévoilé hier les noms des 30 auteurs nommés pour son Grand Prix. Oui mais voilà, aucune femme n'apparaît dans la liste. Du coup, Riad Sattouf a décidé de se retirer de la liste, et des auteurs appellent au boycott du Festival.
Twitter. Le réseau social Twitter planche sur une fonctionnalité qui permettrait de rehausser le plafond des messages de 140 à 10 000 caractères, afin d'élargir sa base d'utilisateurs et d'attirer des annonceurs désireux de diffuser des messages publicitaires. Notre blogueur Vincent Glad se penche sur cette info.
Et aussi... les soldes d'hiver commencent aujourd'hui ; et les 8 Salopards de Tarantino débarquent dans les salles de ciné.
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プレミアムよるドラマ はぶらし/女友だち(1)<全8回>「予感」
真壁鈴音(内田有紀)は37歳独身の売れっ子脚本家。ドラマプロデューサーの柳井(尾美としのり)とは人目を忍ぶ不倫関係だが、互いに尊重し合える交際を続けていた。日々順調な人生だと感じている鈴音を、幼い子どもを連れた高校の同級生・古澤水絵(池脇千鶴)が突然訪ねてくる。鈴音は「一晩泊めて欲しい」と懇願する水絵を、20年ぶりの懐かしさもあって自宅に招き入れた。だがそれは鈴音にとって最悪な同居の始まりだった。
内田有紀,池脇千鶴,金子ノブアキ,尾美としのり,市川実和子,ダンカン,牧田哲也,手塚勇輝,佐倉星,替地桃子,河崎莉奈,早咲心結,梶谷桃子
近藤史恵, 横田理恵

NHKスペシャル「大予測! 2016世界はどうなる?」
国際社会は今、かつてない激動の時代を迎えようとしている。パリ同時テロなど世界に拡散するイスラム過激派組織ISの脅威。南シナ海への中国進出をめぐる混乱、武力でクリミア併合に踏み切ったロシア…。世界のパワーバランスが揺らぐ中、日本はどう激動の世界を乗り越えていけばよいのか。世界各地の最前線の現場を大越健介キャスターが取材し、世界の未来を予見する“知の巨人”たちにインタビュー。2016年を大予測する。
長澤まさみ,伊集院光,川上量生,萱野稔人,三浦瑠麗,
大越健介,小野文惠

クローズアップ現代▽“新たな隣人たち”(2)どう受け入れますか?外国人労働者
国内の外国人労働者数は、過去最高の78万7千人。中でもサービス・介護の分野では、さまざまな模索が始まっている。労働現場での“共生”。新たなステージへの道筋を探る
姜尚中,ヤマザキマリ, 国谷裕子

あさイチ「こどもがLGBT 親ならどうする?」
こどもがLGBT 親ならどうする?▽ピカピカ日本「こども羽根つき」(古原靖久)▽解決!ゴハン「照り焼きチキン弁当」
青木さやか,室井佑月,精神科医…針間克己,コウケンテツ,
井ノ原快彦,有働由美子,柳澤秀夫,駒村多恵,
古原靖久,中谷文彦,
杉山文野ほか

BS世界のドキュメンタリー「パリ 戦慄の3日間〜シャルリ・エブド襲撃事件〜」
2015年1月、パリで起きた新聞社シャルリ・エブドへの襲撃事件はどのように起き、どのような経過をたどったのか。1年が経った今、明らかになった事件の詳細を描く。
3日間におよんだシャルリ・エブド紙襲撃事件の全容が、関係者や治安当局、目撃者撮影の映像によって浮かび上がる。1月7日午前、カラシニコフ銃を持った2人のテロリストが新聞社の会議を銃撃し、11人を殺害して逃走。その2日後には、別のテロリストによってユダヤ人地区のスーパー襲撃が起こされ、被害はさらに拡大していった。被害者が撮影した携帯電話の映像等も交えて、テロの恐怖がパリを支配した緊迫の日々が再現される
〜2015年 イギリス Films of Record制作〜



COPの非科学性を暴き、近年のダイナミックな太陽−気象論を紹介する、すばらしい本だ  小倉光雄
6点つけたいほどだ。評者はそもそも、シミュレーション科学に懐疑的で、真の科学かどうかすら疑問を持ってきた。モデルにかかわる自然現象に関する全てのパラメーターを知り尽くすことはできないから、人為的な見込みでパラメーターを設定せざるを得ないので、最初から恣意的になる。また、実験科学でもないので再現性を試すことはできない。観測データが大事なのに、ごく近年のデータしか得られない。まともな科学者ならその限界には気がついているはずなのに、100年先の気候変動を予測できると豪語し世界の政策に影響力を行使しようとするIPCC(気候変動に関する国際パネル)はおかしな人たちだと考えていた。
その辺りを明確に指摘してくれるのは、金属物理の実際の研究者としての実績を持つ著者だ。これはちらほら報道されてはいたのだが、ここ16年は全く世界の平均気温は上昇せず、IPCCの予測モデルとの乖離が激しいにも関わらず、それを隠蔽しようとしているのがIPCCだ(P22、本書カラー口絵、これだけでも本屋で立ち見していただきたい)。人々が地球温暖化は2酸化炭素の人間活動による増加が原因だと思い込んだのは、それを示すグラフ、いわゆるホッケースティック曲線だが、なんとこれが大間違いなのだ。これはNature誌掲載だが(P57)、この雑誌は、まともな査読者が疑念を提示しても、編集者がセンセーショナルな結果を求めて無理矢理通してしまう事がある事で名高い、今回もまた---という訳だ。同誌の編集者は科学界のトレンドを決めることができるのだが、その出自はいっては悪いが、プロの研究者をあきらめたか、脱落した若者が多いのだ。
IPCCの気候学者たちが、いかに酷いデータ操作を行っていたかが3度にわたる意図的なメール漏洩で明らかにされている訳だが、日本の報道はごく軽い物だったと記憶する(クライメートゲート事件 P54)。著者によれば、欧米では一般市民を巻き込んで議論がされていると言う。そもそも気候学では、通常の作業として各種のデータ補正を行う必要があるので、そこから悪意あるデータ捏造に移行しやすい条件があるそうだ(P60)。地球温暖化が人的な原因によるとする決め付けから、IPCCが設立された経緯があり、世界に影響力を行使する快感でゆがめられた一群の人々がIPCCの学者たちだ。そもそも、自然科学には、とてもうまく行っている部分とどうしようもなく遅れた部分がある。それは研究対象の持つ特性に由来する。気候学は本質的に、多様でぶれ、誤差のある大量のデータを扱うので、まだまだ発展途上のはずなので、100年後の気候変動を確実に予測するのは無理なのだ。あまりに強い確信を持つ人は、信頼できる科学者ではない場合が多い。それに対して、本書で多く載せられているグラフの解釈は、信頼性が高い場合、低い場合に区別されて論じられており、しかも典拠がはっきりしており、さすがプロの研究者であると言った具合だ。また、多くの人々の実感する気候変動は、都市化によるヒートアイランド現象なのだ。
では、気候変動に太陽活動がどう関わるのか。銀河宇宙線が地球に降り注ぎ、低層で雲の発生の核になる物質の生成を促す。そして雲は太陽光線を跳ね返す。ところが太陽の磁場で銀河宇宙線が地球に到達する量が決められる。そして、太陽活動の結果としての磁場は周期的に変化するので気候変動に至るのだ。さらにダイナミックな説が紹介される。太陽は銀河系内を移動するのだが、その際恒星密度の濃い所があり、そこを通ると超新星爆発にであう確率が高い。すると地球への宇宙線強度が高まり寒冷化が起きる。100%確立された説ではないが、蓋然性は高そうである。非常に新鮮で面白い。太陽活動の変動と古気候学が明らかにした気候変動が見事に相関している様を眺めるのは、知的興奮を覚える。
最後に政策的提言が記されているが、著者の提示する考えを理解すれば、この方面には最適な人々がいるだろうから、これは本書の白眉ではない。最後にもう一度書いておこう、環境問題に興味を持つ全ての人が読むべき本であり、また広く読まれるべきである。


朝何気なくラジオを聞いていたらムスターファ♪という曲が流れていました.面白いなぁなんて思って調べてみたら坂本九の悲しき60才という歌だとわかりました.悲しい歌だったんですね.
図書館に行ってBanksyの本を借りました.もちろん英文ですが文章でなくて絵が大切なので関係ありません.こんな本が図書館にあるなんてビックリ.
今日1月6日からフランスではソルドが始まります.とは言っても日本にいてはどうしようもありません.フランス旅行の予定もありませんし・・・

今年初の震災不明者の捜索
東日本大震災の発生からまもなく5年になります。
県内の行方不明者の捜索で見つかった遺骨の数は去年以降、大きく減少していることが、警察のまとめで分かりました。
宮城県警察本部によりますと、警察や市民の捜索などで見つかった震災の犠牲者とみられる遺骨の数は▼4年前の平成24年3月11日からの1年間と▼3年前からの1年間はいずれも40、▼おととしからの1年間は大きく減って11でした。
また、去年の3月11日から先月末までに見つかった遺骨は3と、見つかるペースはさらに落ちているということです。
一方で宮城県警に届け出があった行方不明者は、先月11日現在で1237人となっています。
各地では毎月11日の月命日を中心に警察やボランティアなどが不明者の捜索を続けていて宮城県警察本部身元不明・行方不明者捜査班の今野芳弘検視官は「震災から時間が経つにつれて、捜索は困難になっているが、1人でも多くの犠牲者を見つけて遺族のもとにお返ししたい」と話しています。


<3.11と今>必要とされる大人に
◎子ども 成長の春(5完)梶原裕太さん
 久しぶりに帰省した宮城県気仙沼市の自宅のそばに、一戸建ての災害公営住宅ができた。一関高専5年の梶原裕太さん(20)=岩手県一関市=は「どんどん風景が変わる」と驚く。
 東日本大震災を経験した若者の中には、5年の間に地元を離れた人も少なくない。梶原さんもその一人だ。2011年3月、気仙沼市階上中を卒業。卒業生代表として読んだ答辞が全国の反響を呼び「文部科学白書」に掲載された。
 一関高専で5年間寮生活を送り、この春にゼネコンの小野田ケミコ(東京)に就職する。配属先は首都圏が見込まれている。
 「いま、自分が気仙沼に戻っても微力ですから。社会経験を積まないと」。まなざしを海に向ける。
 震災が起きたのは予定されていた卒業式の前日。自宅の被災は免れたが、小学校からの同級生1人が命を落とし、2人が行方不明になった。式を3月22日に延期して開くと知り、「3年生57人全員がそろわないうちは卒業式をやりたくない」と先生に直談判した。
 「それでもやる。これを読むのはあなたしかいない」。式の数日前、自分で用意していた答辞の代わりに、学年主任の国語の先生から震災を踏まえた新たな答辞の原稿を渡された。
 「生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません」
 「苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく」
 文章は、被災した人々の姿と重なった。避難先の階上中で、悲しみをこらえながら避難所運営を引っ張る大人たち。混乱の中、防災教育を受けてきた生徒も支援物資の運搬や食事の配膳などを率先している。
 3歳下の妹ら家族を残して進学することに迷いもあった。先生から渡された原稿の一部を自分の言葉に練り直し、何度も読み込み式に臨んだ。「何でこんなことになったのかと何度も思ったが、つらい出来事も受け止めて懸命に前に進む」。そう思えるようになった。
 高専に入るとプログラミングなどを学んだ。バレーボール部で休日も練習漬けの日々を送り、長期休暇の時だけ帰省した。
 就職先を決めたのは、昨春、高専で見た企業求人ビデオに気仙沼市での造成工事の様子が映し出されたことが大きい。プログラムより、人の生活の基盤をつくる仕事ができることに期待感を膨らませる。
 気仙沼市で10日、成人式に出席する。飲食店を営む父親に「将来は気仙沼に戻ってこい」と言われたが、今は確約できない。
 「人の役に立ちたいという思いがすごくあって、これからが本当の仕事。成長したら、やっぱり気仙沼と思うかもしれない」
 誰かに必要とされることは、誰かの希望になる。そんな社会人像を描く。(高橋鉄男)


【ブックレビュー】気仙沼ニッティング物語 いいものを編む会社
人のぬくもりと確かな手触りが伝わってくる
 なんとまぁ、ふんわりとした温かさに包まれていることでしょう。それでいて、どこかきりっとしたものを感じさせる一冊。
 ブータンの公務員として働いていた著者が、東日本大震災を機に、東北の復興に尽力すべきだとの思いに駆られて帰国。ふとした縁から、宮城県気仙沼市で編み物の会社を立ち上げることになり、やがてその社長に就任します。会社は初年度から黒字を計上し、市に無事納税を果たします。それまでの彼女の奮闘ぶりを記したのがこの本です。と一口に言ってしまうと、やり手女性企業家のサクセスストーリーかと思われがちですが、けっしてそんながさついた物語ではありません。
 “気仙沼発世界”という志で始めた会社の誇り高く心のこもった商品づくりと会社を軌道に乗せるための知恵と工夫、そして下宿先(なんと彼女は下宿しながら起業しました)のご家族や編み手の女性たちをはじめとする気仙沼の人々との人間味あふれる交流。会社経営の体験談ではありながら、そこにはもうけ主義とは対極の、優しさと人間らしさにあふれる姿がうかがわれるのです。しかも、それがそのまま起業や震災復興のあり方の見事なお手本ともなっているから素晴らしい。
 それだけではなく、彼女は震災後の人々の現状やそれを報道するメディアのゆがんだ姿勢もしっかりと見据えていて、わたしたちの目の曇りと心のわだかまりを晴らしてくれます。
 これは一人でも多くの女性に読んでもらいたい魅力的な本です。


近代捕鯨110年 鮎川「鯨の町」の航跡(4) 食文化継承
 「カレー、すき焼き、カツ。どんな料理でも肉は鯨だった。加工場で直接分けてもらうこともあり、お金を出して買うことはほとんどなかった」
 鮎川と隣接する十八成地区で鯨肉を加工・販売する一般社団法人「牡鹿半島 海のめぐみ協会」の及川伸太郎代表(66)は、捕鯨が栄えた時代を懐かしむ。
 海のめぐみ協会は2012年11月、鯨食文化を継承し、東日本大震災で被災した地域を活気づけようと住民たちが設立した。
商品を独自開発
 地元の捕鯨会社「鮎川捕鯨」から、調査捕鯨で捕獲したミンククジラや規制対象外のツチクジラ、輸入物のナガスクジラなどの肉を仕入れる。ブロック肉や缶詰のほか、独自開発したツチクジラの漬けや薫製も扱い、地元やインターネットで販売する。
 一般の流通が減った現在でも、石巻地方ではお盆や正月に鯨を食べる家庭が少なくない。市は調査捕鯨で捕獲した肉を買い受け、年2回の頒布会で市民に販売している。
贈答用にも人気
 地元では贈答に使う住民も多く、取材した年末はお歳暮シーズンの繁忙期。加工などを担当する工場長の木村武雄さん(73)は「作ったそばから売れていく。忙しいよ」と笑顔を見せた。
 購入に来ていた近くに住む後藤ハルエさんは(83)「生魚はあまり好きじゃないが、鯨は昔からよく食べた。ミンクは刺し身、ツチはみそ漬け。今でもよく親類に送る」と語った。
厳しさ増す環境
 しかし、鯨食を取り巻く環境は厳しさを増す。国際司法裁判所が14年3月、日本の南極海での調査捕鯨を国際捕鯨取締条約違反と認定した後、利用していたネット通販会社は販売中止を決めた。及川さんは「国内でも鯨食に反感を持つ人が増えるかもしれない」と不安を口にする。
 鮎川ではタダ同然だった鯨肉が、今や高級品になった。購入するのは高齢者が多く、50代以下で好む人は比較的少ないという。
 「食文化も地域の重要な歴史。次世代に継承するためにも、事業を継続していきたい」。及川さんは決意をにじませた。
※牡鹿半島海のめぐみ協会 http://uminomegumi.net/


復興支援に貢献する人たち(5) 質の高いリハビリ援助に力
◇一般社団法人りぷらす代表・橋本大吾さん(35)
 1月で設立3年目を迎えた「りぷらす」は、複合型リハビリテーション施設「スタジオぷらす」を運営する。代表として自ら、理学療法士の資格を生かして利用者のリハビリ援助などに力を尽くしている。
 茨城県鹿嶋市出身で、東日本大震災発生当時は埼玉県で働いていた。震災で実家も被災したが、東北地方が甚大な被害を受けたことを知り、2011年5月から宮城県などで支援に奔走。
 6月に設立された全国のリハビリ職有志を中心につくる「face to face東日本大震災リハネットワーク」の一員として、7月に初めて石巻市雄勝地区を訪れた。理学療法士の存在が被災者の生活を改善できる可能性を感じ、12月には石巻に移住した。
専門家が必要
 支援活動で河北、雄勝地区を回る中、震災で暮らしが変わった被災者の実情を聞いた。畑仕事ができなくなり、筋力が弱まって転倒を繰り返すようになった人、自宅は津波を免れたが近所の住民が引っ越し、お茶飲みなどの交流が無くなった人もいた。
 「体は生活環境に適応する。万一のことを予防する仕組みと、専門家による状態改善が必要。質の高い援助ができる場所をつくろう」と、りぷらすの設立を決めた。
協力者を育成
 14年8月末には、体操などを通して自身や家族、地域住民の健康を守る「おたがいカラダづくりサポーター(おたカラ)」の事業を始めた。これまでに42人のサポーターが誕生し、仮設住宅などで活動している。想像以上にやりがいを感じてもらっており、手応えはある。目標は17年度までに210人のサポーターを育成することだ。
 昨春には、地域住民が交流する憩いの場として「あいあいプラス」も始動した。ことし4月、介護による離職の予防事業という新たな試みの計画もある。
 石巻に移住し、早4年が過ぎた。野菜や海産物で季節が分かるようになった一方で、「寒さにはなかなか慣れません」と笑う。しかし、石巻への愛着は深い。
 「石巻にはすごい可能性が眠っている。日本を変える仕組みが生まれると思う。健康・介護を支えるモデルをつくっていきたい」と、意気込んでいる。
■一般社団法人りぷらす
 2013年1月、石巻市相野谷今泉に事務所を設立。同年5月、施設内に複合型リハビリテーション施設「スタジオぷらす」を開設。昨年3月には、登米市にも「スタジオぷらす登米」を開所した。
「一般社団法人りぷらす」 http://rilink.is-mine.net/


<復興印宮城流>新鮮な食材 戒律対応に
◎(5)ハラル食(石巻)
<和の風味生かす>
 東日本大震災で被災した水産加工会社など26社でつくる一般社団法人「石巻元気復興センター」(宮城県石巻市)は、地元の新鮮な食材を使った「ハラル食」の開発に力を入れ、販路を開拓している。
 千葉市の幕張メッセで昨年11月下旬の2日間、国内最大級のハラル食などの展示商談会があった。約80の企業・団体が参加。復興センターはイワシのすり身汁やカキのキーマ風カレーなど約15品を並べた。
 和の風味を生かしたハラル食は注目を集めた。イスラム教徒やバイヤー、ホテル関係者ら200人以上が入れ代わり立ち代わりブースを訪れ、複数の引き合いがあった。代表理事の松本俊彦さん(51)は「力を合わせて頑張ってきてよかった」と手応えを感じた。
 復興センターは2011年12月の設立。津波で被災した石巻市内の企業家らが再建に向け、連携したのがきっかけ。設立後は市中心部の仮設商店街に出店したほか、全国の物産展などで商品をPRしてきた。
<国外でも試食会>
 ハラル食市場への参入は13年夏、センターを支援する大手製薬会社の担当者が提案した。世界のイスラム教徒は16億人に上り、市場は60兆円規模とされる。
 「石巻のおいしい地場産品を食べ物に制限があるイスラム教徒にも味わってほしい」。復興センターの企業のうち10社が参加して14年5月、観光客らをターゲットに「ハラルチャレンジ事業」を始めた。
 商品開発では、原料や調味料に豚やアルコールが使われていないかを入念に調べ、試食を重ねた。
 追い風になったのが、日本イスラム文化センター(東京)の事務局長らを招いた15年1月の試食会だ。サバだしラーメンや海鮮おからギョーザなど約10品を提供し、「これはおいしい」と高く評価された。事業のメンバーは「イスラム教の戒律対応の商品だと示す『ハラル認証』に匹敵するお墨付きが得られた」と振り返る。
 同3月には、仙台市内のホテルで開かれた「国連防災世界会議」のレセプションパーティーでチャレンジ事業の3商品が振る舞われ、出席者の好評を得た。
 メンバーは国外にも目を向ける。月内には1週間、インドネシアを訪問。試食会やスーパーの視察などを実施し、商品が受け入れられるかどうか、可能性を探る。松本さんは「これからがスタート。今まで以上に石巻のおいしさを売り込んでいく」と力を込める。(石巻総局・水野良将)
[ハラル食]アルコールや豚肉の飲食を禁じられているイスラム教の戒律に従った食べ物。「ハラル」はアラビア語で「合法」を意味する。豚由来成分やアルコール成分を含む食品や調味料などは禁止されているが、宗派や個人で解釈は異なる。
◎挑戦重ね市場拡大を
 日本の水産物の市場が縮小傾向にある中、ハラル食のマーケットは成長する可能性を秘めている。さまざまなアイデアや知見を採り入れながら、石巻の食の良さを売り込む戦略を練り上げ、失敗を恐れずチャレンジを重ねてほしい。(須能邦雄・石巻魚市場社長)


東日本大震災 門脇の大看板、移設へ 「がんばろう!石巻」復興公園で保存 /宮城
 東日本大震災の津波で大きな被害に遭った石巻市で被災者らを励まし、追悼の場にもなった「がんばろう!石巻」の看板が、2020年度までに整備する市内の復興祈念公園に移設される。制作者は、5年ごとに子供たちと一緒に建て替えることで、震災の記憶を次世代に伝承していきたいと願う。
 看板は横約11メートル、縦約2メートルのベニヤ板製で、配管工事業、黒沢健一さん(44)の自宅兼店舗の跡に建つ。周辺地区には約4700人が住んでいたが、震災で津波と火災に見舞われた。市外で仕事中だった黒沢さんは翌日、地元に何とかたどり着いたものの「一面がれきの海」。行方が分からない家族や友人を心配し、誰もがうつむいていた。
 「みんなを励ますことはできないか」。高校時代の先輩らに相談し、津波で流れ着いた板や木ぎれで看板を作ることにした。震災1カ月後の4月11日にペンキでメッセージを書き終えると、通りすがりの人たちが足を止め、涙を流した。次第に手を合わせる人が現れ、花束も置かれるようになった。今も訪れる人が絶えない。
 周辺の復興工事のため看板を撤去する必要があったが、国や県は2015年夏、市内に整備する復興祈念公園への移設を決定。震災の記憶を伝承する役割を担ってほしいとの願いから、黒沢さんは、5年に1度、子供たちと一緒に建て替えることを発案した。
 16年4月11日は、看板が完成してちょうど5年。黒沢さんは、地元の市立門脇中の生徒たちと一緒に2代目を作る予定だ。2年生の小野寺遥奈さん(13)は「看板を見て、石巻に大変なことが起こったとあらためて知ってほしい」。
 「次世代を担う子どもたちが自分の手で看板に色を塗ることで、震災を語り継いでいければ」と黒沢さん。それまでに建てていた看板も、ずっと大切に保存するつもりだ。


東日本大震災 風景覆う11メートル防潮堤 唐桑住民から賛否の声 /宮城
 東日本大震災の被災地で、かさ上げと並ぶ復興の大事業が防潮堤だ。3県で総延長400キロ、1兆円規模の予算をかけた整備が着々と進む。大津波を防ぐため、十数メートル級の高さも珍しくない。
 「こんな大きさは想像できなかった」。高さ11メートル超の防潮堤が、美しい海岸線を覆う気仙沼市の唐桑町。近くの主婦(59)は「図面で見ても分からなかった。津波で町が壊され、今度は自然が壊された」と唇をかむ。
 別の女性(62)も「立派にしてもらったという気持ちもあるが、ここまで造る必要があるのか」と首をかしげた。一方で「これで安心して暮らせる」という住民もいる。
 地域では高齢化が進み空き家も増えた。一部の防潮堤は背後に住宅が数軒しかなく、農地も耕作放棄されて久しい。
 「後世にツケを残し、復興の名目で無駄遣いをしてないか。今ならまだ見直せる」。住民の伊東忠典さん(76)は、この先も維持管理に多額の予算がかかり続ける防潮堤が、地域の身の丈に合った施設なのか問い続けている。


<プロ野球>佐藤・平沢 宮城から羽ばたく
 昨夏の甲子園大会で、仙台育英高の26年ぶりとなる準優勝に貢献した平沢大河内野手(18)=ロッテ・ドラフト1位=、佐藤世那投手(18)=オリックス・同6位=の2人が宮城からプロ野球の世界へ羽ばたく。将来は球界を代表して世界を舞台に戦いたいと夢を持つ2人が、球団の入寮を目前に控えた心境や、高校野球の思い出、プロでの未来図などを語らい合った。(聞き手は佐々木智也)
◎間もなくプロ生活
<実感がある 佐藤/心強い同期 平沢>
 −間もなくプロ生活が始まりますね。この冬はどう過ごしていますか。地元の宮城を離れる不安もあると思います。
 佐藤「この時期になると、プロになるんだという実感はやはりすごくありますよ。プロ入りが決まってからは練習や行事で忙しかったけれど、時間をうまく使いながら目の前のことに取り組んできました」
 平沢「自分もプロに向かって準備しています。野球のことを一番に考え、球団からもらったトレーニングメニューをこなすなど入団に向けてしっかり練習を積んできたかな。運転免許を取るため自動車教習所にも通っていますが、それは二の次ですね」
 平沢「宮城を離れるのに少し不安はありますが、ロッテの同期に高校生が2人いるので心強いですよ。(高校は通学だったので)初めて親元を離れる寮生活は楽しみです」
 佐藤「甲子園大会の時にお世話になった方々が関西におり、(オリックス入りを)喜んでくれているので、不安はありません」
◎甲子園準優勝の快進撃
<成長できた 佐藤/大舞台喜び 平沢>
 −今、話が出た昨夏の甲子園大会を振り返りましょう。準優勝に輝いた快進撃から早くも4カ月以上が過ぎましたが、振り返るとどんな思い出ですか。
 平沢「決勝まで進めるとは思っていなかったので、大舞台で戦えてうれしかった。チームとして実力は飛び抜けて高くなかったものの、勢いに乗れば人は強くなると感じましたよね」
 佐藤「優勝を逃した結果だけを見れば、それは悔しいですよ。でもそもそも甲子園大会に出場できたのが幸せなこと。試合ではマウンド上で劣勢の状況になった時の気持ちの持ち方を学んだし、ピンチの場面で冷静に考える力も養えて、成長できました」
◎U−18W杯で準優勝
<大きな経験 佐藤/自信ついた 平沢>
 −続くU−18(18歳以下)ワールドカップ(W杯)では決勝で惜しくも米国に敗れましたが、準優勝に貢献しました。
 平沢「世界の選手たちの中で自分が攻守に引けを取っていなかったと思いますね。ベストナインにも選ばれてすごく自信になったし、木製バットにもうまく順応できました」
 佐藤「マウンドの雰囲気から甲子園大会とは違いましたよね。日本の打者とタイプが違い、大きな当たりを打たれそうで怖かったが、甘いコースに入らないよう一球一球に神経を使って投げました。その経験が大きな力になっています」
◎仙台育英高での3年間
<技術面飛躍 佐藤/仲間が一番 平沢>
 −仙台育英高での3年間は貴重な時間でしたか。
 平沢「いい仲間と野球ができて良かったです。育英の仲間が今も一番だと思っています。室内練習場で天井からつるした縄を上り下りするトレーニングを誰よりもしました。パワーが付き、打球の飛距離アップにつながりましたね」
 佐藤「入学した時に佐々木(順一朗)監督から『同学年で仲良くしなさい』と言われたのを常に意識しながら過ごしました。やっぱり、みんなで培ったチームワークが最後の夏の結果につながったと思いますね。技術面では自分に合った腕の振りでフォークボールを投げられるようになったのが大きかったと思います」
◎プロ1年目の目標
<精度高める 佐藤/開幕1軍を 平沢>
 −プロ1年目の具体的な目標を教えてください。
 平沢「やはり1年目は開幕1軍が目標。競争は厳しいと思うが負けないように頑張ります」
 佐藤「自分も開幕1軍は意識します。でも息の長い野球生活を送りたいっていうのもあるかな。先発でも中継ぎでも役割をこなせる選手になりたいですよね。課題としては直球やフォークボールの精度を上げなくてはいけないと思います」
 平沢「全ての面で上達するために、技術を磨く土台となる体づくりが大事ですよね。今のうちからと思って取り組んでいます」
◎将来の目標
<五輪を意識 佐藤/日本代表に 平沢>
 −ちょっと気が早いですが、将来の目標は?
 平沢「U−18W杯のメンバー同士でも話していましたが、縁があればいずれはみんな同じ日本代表に入って、高校生の時に米国に敗れた悔しさを晴らしたいですね」
 佐藤「自分も、将来は日本代表のユニホームを着てもう一度世界に挑戦したいというのは当然あります。2020年の東京五輪を意識して、(同じ世代の)みんなが目標にしていると思いますよ」
◎ともにパ・リーグ
<地元登板を 佐藤/対戦楽しみ 平沢>
 −今まで仲間だった2人も、プロではチームが分かれます。パ・リーグ同士なので、1軍ではライバルとして戦うことになります。
 平沢(佐藤を見つめて)「世那は(2年秋に)新チームを結成したころは直球ばかりの投手でしたが、フォークボールがよくなってどんどん頼もしくなっていたよね。投球は遊撃の守備で後ろからしか見てこなかったので、対戦が楽しみだよ」
 佐藤(平沢の方を向いて)「自分も対戦できる日が楽しみ。まずは大河のレベルに追い付けるよう、結果を出さないといけないけどね。それと地元のコボスタ宮城で登板する日を目標に頑張ります」
 平沢「そうだね。一日でも早く1軍に上がって、コボスタ宮城でプレーする姿を地元の人たちに見てもらえるようお互い頑張っていこう」
<佐藤世那(さとう・せな)>小学2年で野球を始め、秀光中教校では1、2年時に全国中学校軟式野球大会に出場。仙台育英高では2年秋から主戦を務める。3年夏の甲子園大会では最速146キロの直球とフォークボールを武器に決勝までの全6試合を投げ、チームの準優勝に貢献した。趣味は釣り。好きな食べ物は中トロの握り。仙台市出身。右投げ右打ち。180センチ、84キロ。
<平沢大河(ひらさわ・たいが)>小学1年に野球を始め、中学は七ケ浜リトルシニアでプレー。仙台育英高では1年秋から遊撃のレギュラーとなり、3年時に副主将を務めた。3年夏の甲子園大会では走攻守のそろった内野手として注目を浴び、3本塁打を放つ活躍を見せた。趣味は昼寝。好きな食べ物はふわふわしたオムライス。多賀城市出身。右投げ左打ち。176センチ、76キロ。
<平沢、佐藤両選手のサイン入り色紙を各1人にプレゼント>
 希望者ははがきに郵便番号、住所、氏名、電話番号、希望する選手名を明記し〒980−8660仙台市青葉区五橋1の2の28 河北新報社スポーツ部「平沢、佐藤色紙プレゼント」係へ。12日の消印有効。当選者の発表は発送をもって代えます。


宮城県が復旧・復興事業検証へ
宮城県は、東日本大震災の発生からことしで5年になることから、これまで行ってきた復旧・復興事業の検証作業を始めることになりました。
宮城県は復興までの期間を10年と定めて復旧・復興事業を進めていて、ことしで折り返し地点の5年になることから、これまで行ってきた復旧・復興事業の検証作業を始めることになりました。
具体的には大学などの研究機関と協力して、被災者や被災地で活動する団体、それにボランティアなどを集めた研修会を開催し、復興に関する意見の聞き取りを行うということです。
また、阪神・淡路大震災など過去の災害における取り組みとも比較を進めるなどして行政以外からも幅広い意見を取り入れて検証にあたりたいとしています。
県は今月から事前の調査として復興事業で実際にかかった費用のとりまとめなどを始め、来年度から本格的な検証を進めた上で、再来年度末までに報告書を取りまとめる方針です。
宮城県は「5年間の取り組みを検証することで被災地の課題を整理し、今後の復興事業に生かしたい」と話しています。


【復興の道標・作業員】身寄りなく尽きた命 顕在化する健康問題
 「医師が余命いくばくもないと言っている。亡くなったらどうすればいいのか」。2014(平成26)年5月、南相馬市にある病院の職員が市役所の社会福祉課を訪れ、入院患者について相談した。患者は60代の男性で、県外から来た除染作業員。家族はいなかった。
 重い病気を患っていた。数日後に亡くなり、市が火葬した。男性のわずかな所持金が葬儀に充てられたが、ほとんどの費用は行政が負担した。
 昨年2月、同課に今度は警察から連絡があった。県外から来ていた別の60代男性の除染作業員が、宿舎で亡くなった。脳の疾患と診断された。やはり家族はなく、市が火葬した。
 引き取り手がいない2人は「行旅(こうりょ)死亡人」扱いとなった。担当する市の女性職員(47)は「震災前、行旅死亡人は年に1人いるかいないかだった」と明かす。今後も増えることを見込んで市は本年度、行旅死亡人の火葬費用に関係する予算を2倍にした。
 熱中症対策など現場の環境改善が進む一方で、作業に直接起因しない病気を作業員が訴えるケースが相次いでいる。
 健康保険に未加入も
 「助けてください」。14年4月、南相馬市立総合病院の救急外来入り口近くに、ワゴン車が慌ただしく止まった。医師が車に乗り込むと、除染作業員が心肺停止状態だった。いったんは蘇生したが数日後に死亡した。免疫力が著しく低下した人がかかる病に侵されていた。
 同病院研修医の沢野豊明(25)は昨年、入院患者のうち、相双地方の外から来ている除染作業員34人の健康状態を調べた。全員男性で20〜66歳。糖尿病を患う人が8人、高血圧が20人いて、それぞれ半数以上が未治療だった。
 また、脳卒中を発症した5人のうち2人は健康保険に加入していなかった。3人は除染に携わって1カ月以内の発症で、作業自体よりも生活習慣が原因となっている可能性が高い。
 沢野は「糖尿病を発症しているなど就業前の健診で健康状態が悪いと分かっていて、人手不足を背景に採用せざるを得ないケースがあると聞いた。独り身の人が多いことも、不健康の原因の一つだろう」と指摘する。もともと全国各地にあった低賃金労働者の健康問題が、除染や廃炉のため本県に大量に労働者が集まったために顕在化したとみている。
 医師が宿舎に出向き、適切な食事や運動を促すなどの健康啓発を行えば、その効果は期待できる。沢野は、行政が対策に乗り出そうとしないことがもどかしい。「健康状態の悪い人が多いと分かっていながら何もできないのは医師として悔しい。復興のため集まった人たちなのに」
 南相馬市原町区にある真宗大谷派原町別院。引き取り手が現れない除染作業員の遺骨の箱が本堂に並ぶ。「後の世代の身内が引き取りに来るかもしれない。30年でも、40年でも預かる」。寺の代表を務める男性は今後こうしたケースが増えることを視野に、遺骨を並べる棚を設置することにした。(文中敬称略)
               ◇
 県内で除染や廃炉作業に従事する作業員は3万人を超える。本県の復興には欠かせない存在だが、県外からの例のない規模の流入が、これまでの日常生活を様変わりさせた。作業員の実情と、県民の思いを探る。


【阪神大震災21年】 「忘れない」「感謝」 竹灯籠に追悼メッセージ書き込み作業 神戸の市民団体ら
 阪神大震災から21年とな17日に神戸市内で開かれる追悼行事「1・17のつどい」で使う竹灯籠にメッセージを書き込む作業が6日、同市灘区の摩耶埠頭で行われた。つどいでは、会場の東遊園地(同市中央区)に竹灯籠を並べ、鎮魂の光を浮かび上がらせる。
 市民団体「神戸・市民交流会」のメンバーら6人が参加。大阪や京都から届けられた竹筒約80本を斜めに切り、内側に「忘れない」や「感謝」などのメッセージを書き入れた。
 竹灯籠は例年「1・17」の形に並べられているが、今年はメーンの文字を公募で決める方針。8日の実行委員会で決定する。
 市民交流会は高齢化のため3月に解散する予定で、今回のつどいが最後になる。山川泰宏事務局長(77)は「被災者の心の復興を目指して続けてきた。最後の奉仕と思ってやらせていただく」と話した。


【阪神大震災21年】 震災で壊れ行方不明だったこま犬、再び境内に 「震災の記憶伝えて」西宮神社
 西宮神社(兵庫県西宮市)で、平成7年の阪神大震災で壊れた後、行方が分からなくなっていた1対の狛犬(こまいぬ)が発見され、21年ぶりに据えられた。震災直後、がれきとともに境内に埋められていたとみられる。同神社は「震災の記憶を伝える存在になってもらいたい」としている。
 同神社によると、狛犬は寛政2(1790)年、酒の神などを祭る同神社境内の末社「松尾神社」が造営された際、地元の酒造家らが奉納した。
 松尾神社は震災で倒壊。狛犬も台座から落下、壊れた。西宮神社は安全確保のため、倒壊した松尾神社のがれきを境内の土の中に埋めた。その際、狛犬も一緒に埋められたようだ。
 平成27年春、倉庫を建設するため境内を掘り起こしたところ、狛犬を発見。1対のうち片方は頭の大部分がなくなり、もう片方は頭の一部と胴の下半分が欠けていた。西宮神社は「震災当時の様子を伝え、しのぶ存在になってほしい」として修復せず、27年末にそのままの姿で本殿までの参道脇に設置した。傍らには「震災の記憶として後世に伝える」と書かれた銘板も添えた。
 吉井良昭宮司(64)は「20年以上経って出てきたのは『震災を忘れないで』と言いたかったのではないか。震災を知らない若い世代を含め、1人でも多くの人に見てもらえたら」と話している。


多彩なステージで神戸を元気に 長江健次さん呼び掛け
 阪神・淡路大震災から復興の道を歩んできた神戸を元気づけようと、タレントの長江健次さん(51)が18日から、ライブハウス「チキンジョージ」(神戸市中央区下山手通2)で「長江健次カフェ」を開く。2年前から続くこのイベントには、音楽、落語家ら長江さんの幅広い仲間が集結。トークも交えたステージを繰り広げる。24日まで。(坂山真里緒)
 長江さんは1980年代の人気テレビ番組でデビューした「イモ欽トリオ」のメンバー。震災以降、「神戸が元気になるイベントをしたい」と思い続け、2014年、ライブ初開催にたどり着いた。思いに賛同する著名人が集まってくれる様子に、「この20年、寄付もしてきたが、お金以上に絆の大切さを感じた」と振り返る。
 今回も、スターダスト☆レビューの根本要さん、シンガー・ソングライター伊藤銀次さん、歌手の加護亜依さんらが駆けつける。22日には、落語家の桂ざこばさんとキャスターの宮根誠司さんが競演。「どんな話が飛び出すか楽しみ」と長江さんは期待する。
 昨年に続き、24日にはイモ欽トリオの山口良一さんと西山浩司さんも登場。「お客さんにもゲストにも、面白かったわぁと思ってもらえるステージにしたい」と意気込んでいる。
 18〜23日は午後7時半、24日は午後5時開演。前売り5千円、当日5500円。チキンジョージTEL078・332・0146


震災の記憶を紙芝居 母と弟亡くした語り部題材に
 阪神・淡路大震災後に生まれた神戸学院大の学生らが、震災で母と弟を亡くした小学校教師、長谷川元気さん(29)=神戸市東灘区=の姿を描いた紙芝居を作り、それを使った出前授業を小学校で始めた。長谷川さんにインタビューを重ね、半年がかりで8枚の絵と文章を作成。震災後の喪失感や夢を追う決意などの思いを、学生がバトンをつなぐように受け継ぎ、児童に伝えている。
(上田勇紀)
 同大で防災を学ぶ9人。震災の教訓を次の世代につなぐため、人と防災未来センター(同市中央区)などが進める取り組みの一環で、昨年7月に作り始めた。
 9人は兵庫県内で生まれ育ったが、震災については小学校の防災学習で短時間学んだ程度だった。同大で指導する舩木(ふなき)伸江准教授(38)が、長谷川さんが所属する震災の語り部グループで活動している縁で、学生も直接話を聞けた。
 長谷川さんは小学2年の時、住んでいた同市東灘区のアパートが全壊。母規子(のりこ)さん=当時(34)=と末の弟翔人(しょうと)ちゃん=同(1)=を亡くした。現在は同市兵庫区の市立明親小学校教師を務める。
 学生は昨年11月、2回にわたって計約6時間、インタビュー。長谷川さんは「大切な人が突然いなくなるかもしれない。後悔しないよう、感謝の気持ちを伝えてほしい」と強調した。同大2年の松本涼平さん(20)=赤穂市=は、高校2年の時に交通事故で意識不明の重体になったことがあり、「共感できる思いがあった」。
 作成過程では、長谷川さんが被災直後に座ったベンチの描写など細部まで話し合い、あの日からの日々を想像し合った。長谷川さんが担任の言葉に励まされ、教師を目指したことから、学生も夢を持つことの大切さを胸に刻んだという。
 学生はこのほど、神戸市垂水区の市立塩屋北小学校で、3年生に紙芝居を使った授業をした。松本さんは授業の最後、「周りにどんなに大事な人がいるか、考えてほしい」と児童に問い掛けた。藤原基行君(9)は「仕事頑張ってとか、ありがとうとか、家族に言いたい」と話した。
 今後も依頼に応じて小学校で授業をする予定で、「将来的には学校の先生が使える教材にできれば」と舩木准教授。長谷川さんは「自分が言いたいことを広く伝えられ、語り継ぎにつながる」と期待する。


心の復興支えて 1・17竹灯籠 最後の文字入れ
 阪神・淡路大震災から21年の追悼行事に向け、ボランティア団体「神戸・市民交流会」が6日、神戸市灘区の摩耶埠頭(ふとう)公園で、追悼に使う竹灯籠約80本に文字を書き入れた。
 竹灯籠は三宮・東遊園地で開かれる「阪神淡路大震災1・17のつどい」で約7千本が並べられる。これまで「1・17」の文字を形作ってきたが、今回は実行委員会が公募して決める。
 市民交流会は今年3月に解散し、別の団体に引き継ぐ予定で、2001年から続く作業は今回が最後となる。
 竹灯籠には、同市東灘区の書道家佐井麗雪さん(57)らが「祈り」「忘れない」などと筆を走らせた。これまでに竹を提供してきた県内外の約80の個人・団体名も記した。
 交流会の山川泰宏事務局長(77)は「心の復興を支えた竹灯籠が、多くの協力で成り立ってきたことへの感謝を込めた」と話した。(阿部江利)


学生らの死を忘れない 関学大で合同礼拝
 阪神・淡路大震災で学生15人、教職員ら8人が亡くなった関西学院大(西宮市)で6日、震災犠牲者を追悼する合同チャペル(礼拝)があった。参加した学生らは、震災の記憶をあらためて心に刻み、静かに祈りをささげた。
 震災の経験を伝えようと、1996年から毎年、合同チャペルを開いている。
 上ケ原キャンパス内の「ランバス記念礼拝堂」には、学生や教職員ら約100人が参加。震災時に神戸市内でボランティアをし、東日本大震災では仙台で被災したという神学部のジェフリー・メンセンディーク准教授がメッセージを語った。
 学生の中には当時生まれていなかった人もおり「忘れないということは一つの意思の表れ。犠牲者を追悼し、忘れないための営みを重ねていきましょう」と呼び掛けた。
 学生の代表がハンドベルを、亡くなった学生数と同じ15回鳴らす間、全員で黙とう。参加した商学部1年の川合紗千恵さん(19)は「祖父母が神戸で被災し、話を聞いていたので初めて参加した。震災があったことを忘れずに生活したい」と話していた。(吹田 仲)


寒の入りに梅ほころぶ 京都・北野天満宮
 6日は二十四節気の「小寒」。寒の入りを迎えたが、京都府や滋賀県は暖かい朝となり、京都市上京区の北野天満宮では梅の花が訪れる人の目を楽しませている。
 京都、彦根の両地方気象台によると、北からの寒気の流入が弱い影響で、京都市内の朝の最低気温は3月下旬並みの5・9度、舞鶴も5・0度だった。大津5・7度、彦根6・9度は4月上旬並みだった。
 ただ、気象庁は8日以降に冬型の気圧配置が強まって気温が下がり、平年並みの冷え込みになると見込んでいる。
 北野天満宮によると、梅は例年より1カ月近く早い昨年12月上旬に開花、年末年始にかけて暖かい日が続き一気にほころんだ。早咲きの寒紅梅と照水梅の紅白が境内を彩り、参拝客がカメラを向けていた。


2016年を考える 人口減少と経済 タブーにも「挑戦」の時
 アベノミクスが始まり3年がたつ。その「三本の矢」という処方箋の基となった経済診断は、長引くデフレのせいで低迷が続いている、というものだった。
 では、次のデータをどのように受け止めるべきだろうか。
 2000〜13年の経済成長率を、日米で比較したものだ。国内総生産(GDP)そのものの伸び率ではなく、働き手世代(15〜64歳)1人あたりで計算した成長率を比べると、米国の約11%に対し、日本は20%超もあった。国際決済銀行の報告書などで紹介されている。
現役世代の急減
 生産活動を担う現役世代一人一人のパフォーマンスは、米国をはるかにしのいでいたことになる。にもかかわらず、日本全体が伸び悩んだ背景には、この世代の数の急減があった。00年以降の13年、15〜64歳の人口は米国で12・9%増加したが、日本では8・5%も減少した。
 働き手世代は、消費の担い手でもある。この層が世界に類を見ない速度で縮小していくことにより経済が受ける影響は、専門家の間で指摘されてきたが、政府は正面から取り組んでこなかった。物価下落こそが病巣だとして、大規模な金融緩和やバラマキの景気対策を重ねた。
 だが安倍政権も、ようやく人口の側面に光を当て始めたようだ。将来にわたって1億人を維持するため、合計特殊出生率を現在の1・4程度から1・8に引き上げるという目標を、アベノミクス第2弾に掲げた。
 問題は、出生率1・8の達成が現実的か、そして、仮に実現した場合、それによって1億人の人口維持ができるのか、である。答えはいずれも「ノー」だろう。
 1・8は「希望出生率」と呼ばれるものだ。「結婚できたらいいな」「子どもは何人欲しいな」という希望が完全にかなうことを前提にしている。しかも、完全に希望がかなっても、1・8では1億人維持に足りない。14年2月に内閣府が発表した試算によると、出生率が30年に、第2次ベビーブーム期に匹敵する2・07まで回復し、維持できた場合で、60年の人口は9800万人だ。
 それがどうした、との声もあろう。総人口が1億人を大きく下回っても豊かな国はたくさんある、と。
 日本特有の問題があることを忘れてはならない。単に人口が減るだけでなく、人口の構造が変わっているのである。働き手世代が減る一方、高齢者の比率は増え続ける。現状のままだと、今の20歳が高齢者の仲間入りをする60年には、65歳以上の1人を現役世代1・3人で支えなければならない計算になる。
 今でも国の借金がGDPの2倍以上ある日本だ。借金を加速度的に増やす政策は、もはやとれない。女性の労働参加、高齢者の再雇用促進、少子化対策、ロボットなどの技術革新−−。全て追求すべきだが、それでも間に合わないだろう。
 大幅な社会保障の負担増に給付の削減といった手段もあり得るが、それでは働き手も高齢者も疲弊し、生活の質や経済の活力が損なわれかねない。少子化も一段と進むだろう。
 長年タブー視されてきた「政策としての外国人の受け入れ」という選択肢も視野に入れる時ではないか。
外国人の力を生かす
 外国人労働者や移民の受け入れには、批判や反対がいまだに根強い。日本らしさが失われる、犯罪が増える、さらに最近ではテロリストが入ってくる、といった不安が理由として挙げられよう。
 しかし、労働力不足が深刻化する中、現実には外国人の流入は徐々に進んでいる。「外国人技能実習生」が実際には低賃金労働力として利用され、失踪したり、不法就労者となったりするケースが頻発しているが、こうした現状を放置する方が、かえって地域社会とのトラブルや治安悪化につながりかねない。
 日本にも人口の16%以上が外国人という町がある。群馬県大泉町だ。
 同町など外国出身の居住者が多い自治体が集まり先月、浜松市で「外国人集住都市会議」が開かれた。外国人=出稼ぎというとらえ方ではなく、人口減少社会の中で「外国人市民の多様性をどう生かすかを考える段階に入った」(鈴木康友浜松市長)との発信がなされた。戦略的に政策を推進する司令塔として、国に「外国人庁」のような機関の新設を求める「浜松宣言」で締めくくった。
 働き手世代、特に若者の人口減少が問題なのは、社会保障制度が維持できなくなるといった負担の論理からだけではない。イノベーションの担い手として、新しい消費トレンドの先導役として、経済のダイナミズムの支え手として、彼らの層が厚くなることが極めて重要だ。人材は多様であるほど、可能性も高まる。
 「未来へと果敢に挑戦する1年とする」−−。年頭記者会見で安倍晋三首相は「挑戦」を連呼した。人口問題ほど、果敢な挑戦が求められているものはない。


マンガのこと <5>お坊さん ペンで導く
 「きれい事ばかりになってないか」「この用語の使い方はどうかな」
 昨年12月19日。古民家を改装した下京区の事務所で、法衣姿の僧侶らが、原稿を囲み、和やかに意見を交わしていた。
 雑誌「フリースタイルな僧侶たち」(フリスタ)の編集会議。若者に仏教への関心を持ってもらおうと、若手僧侶が宗派を超えて2009年から発行するフリーマガジンだ。
 議論の中心は、同誌の連載マンガ「お坊さん日和。」の次作。教義や僧侶の日常を、愛らしく、少し不気味な登場人物のやり取りを通して描く。
 作者で、真宗大谷派の現役僧侶・光沢裕顕さん(26)は「絵のタッチはシュール。でも、内容はいたって真面目なんです」とほほ笑む。
        ◇
 光沢さんは新潟県長岡市の寺に生まれた。小学6年で得度したが、仏の教えよりマンガに夢中になった。父親の反対を押し切り、京都精華大マンガ学部に入学。だが、在学中にマンガ家として芽が出ず、卒業後、仏教系の短大に入り直した。
 マンガ家と仏教の道で迷いながら、京都国際マンガミュージアムでアルバイトをしていた11年秋、フリスタの編集長と出会った。編集作業に誘われ、同年代の僧侶を取材したり、東日本大震災の被災地を訪れたりする中、仏教に、そして自分に何ができるのか考えるようになった。その頃、編集長に連載マンガを打診された。
 13年4月に連載を始め、隔月発行の同誌で16回を数える。「浄土」や「悟り」など重いテーマも、砕けた表現で伝える。仏教を敬遠していたかつての自分のような若者にも、仏教の役割をわかりやすく伝えたいと考えるからだ。
 今は同派宗務所に勤め、仏教の道に進む光沢さん。だが、街中でフリスタを読む若者を見かけると、胸が高鳴る。
 「マンガだから伝わることがある。僕のマンガが、読者の悩みや迷いの解決につながれば、こんなにうれしいことはない」
        ◇
 同派本山、東本願寺(下京区)には、マンガ「スラムダンク」の作者、井上雄彦さん(48)が宗祖・親鸞を描いた六曲一双(各縦2・1メートル、横約5・8メートル)の屏風絵がある。
 同派では50年ごとの親鸞の遠忌に合わせて芸術家に作品を依頼。700回遠忌には板画家・棟方志功(1903〜75年)により襖絵が描かれており、11年の750回遠忌に指名されたのが井上さんだった。屏風絵は普段は非公開。これまで8度の公開で6万7000人もの見学者が訪れた。
 同派は「屏風をきっかけに、親鸞聖人の生涯を知ろうとする人が増えた」と反響に驚く。
        ◇
 仏教とマンガ。その広がりを研究する曹洞宗・普門寺(広島市)の吉村昇洋副住職(38)は「昔から双方に親和性があった」と言う。
 「浄土宗などでは近世以前から来迎図や地獄絵を民衆に見せて仏教思想を分かりやすく伝える『絵解き』が盛んだった。現代は、マンガがその役割の一端を担っており、若者が仏教に興味を持つきっかけになっている」
 様々な分野で活用されるマンガ。その担い手の裾野も広がっている。
 ◆仏教界の実像描写
 手塚治虫の「火の鳥」や「ブッダ」を始めとして、仏教は何度もマンガのテーマになってきた。
 吉村副住職によると、1990年代以降に発行された仏教マンガは計103作品。90年代までは仏教系出版社から発行されるものがほとんどだったが、2000年以降は一般の出版社からの発行が増えており、特に僧侶らの実像を描く作品が目立っているという。
 ◇スラムダンク(1990〜96、井上雄彦)
 不良少年がバスケットボールと出会い、才能を開花させていく物語。2006年、文化庁「日本のメディア芸術100選」マンガ部門(90年代)で1位になった。


「密室2週間」実験、応募5日で2000人
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、国際宇宙ステーション(ISS)を模した閉鎖施設に2週間滞在する実験の被験者8人を年末に公募したところ、2000人以上の応募があったことを明らかにした。
 JAXAは20〜55歳の健康な男性を対象に、12月24日からウェブサイトで公募を始めたが、応募が殺到し、同28日で募集を打ち切った。しかし、その後も参加の問い合わせが多く寄せられたため、JAXAは選考体制などを見直し、1月4日に公募を再開した。募集は12日正午まで行う。
 JAXA広報部は「応募者数の多さに驚いた。宇宙への関心の高さを実感している」と話している。
 実験は、ISSに長期滞在する宇宙飛行士のストレスの検査方法を開発するのが目的。書類選考や健診などを基に、25日に被験者を決める。8人は2月5日から筑波宇宙センター(茨城県つくば市)の施設に14日間滞在し、決められた課題をこなし、血液などの医学データを提供する。


年のはじめに考える 新しい春の風よ吹け
 福島県の人口は十一万人減りました。その原因を忘れられるというのなら、私たちはどうかしています。風化の波をものともしない、新しい風よ吹け。
 加藤哲監督の「日本零年〜フクシマからの風第二章」(二〇一五年)は、難しい映画です。
 冒頭の十五分はドキュメンタリー。カメラは福島の“今”を淡々と記録します。
 「福島除染のために生涯かけて頑張ります 六十六歳」
 林間の小道にはためく黄色いのぼりは、そう染め抜かれ、村人たちの悲壮な決意を伝えています。
 あとの七十五分は、ドラマ仕立てになっている。
 都心で働くサラリーマンと福島生まれの妻がドラマの主人公。東京スカイツリーを仰ぎ見るマンションで、平穏に暮らしていた。それがある日、一変します。
 3・11からちょうど二年目のその日、妻が二歳の息子を連れて失踪してしまう。“なま暖かく何か金属のサビのような臭いのする風”に恐怖を覚え、妻は都会を逃げ出します。
 夫は仕事を放り出し、妻の郷里へ捜しに向かう。
 除染の土や廃棄物を詰め込んだ黒い土のうの山は、まるでピラミッド。四角い仮設住宅が積み木のように連なって、中では年老いた住人が健康診断を受けています。
 廃虚が海辺でうなだれて、砂浜には魚の死体が横たわる。
 そんな被災地の情景に、夫の独白が重なります。
 <そこは風景も時間も混沌(こんとん)とした止まったままの世界だった>
 変われない世界の片隅で、夫も妻も不穏な風におびえています。
◆被害者はいないんだ
 3・11から一年後、監督は原発周辺の農家に寄り添う記録映画を世に問うた。「フクシマからの風〜第一章喪失あるいは蛍」です。
 そのうちの一人、川内村の養鶏農家の言葉が今も、監督の頭の中を離れません。
 「(原発事故に)被害者なんていないんだ。(電力の消費者は)全員加害者なんだよね」
 こんなことも言っています。
 「チェルノブイリで気がつかないから、フクシマが起きたんだ。フクシマで気づかなければ、いつかまた、どこかで起きる」
 ところが新しい年を迎えるごとに、フクシマは意識の隅に追いやられ、摩耗していくように思えてなりません。監督は、そんな“もやもや”を主人公の姿を借りて吐き出すために「第二章」の大半をドラマ仕立てにしたようです。
 忘却の風にあおられて脱・脱原発への逆回転が加速しています。
 関西電力高浜原発と大飯原発再稼働差し止めの仮処分を認めない昨年暮れの福井地裁の決定は、その象徴ではなかったか。
 専門家の意見を尊重し、よほどの落ち度がない限り、安全審査の技術的判断には踏み込まない−。
 四国電力伊方原発訴訟で示された、一九九二年の最高裁判例へと逆戻り。自らの判断を回避した司法の責任放棄です。
 忘却は無責任の温床です。だが何度でも繰り返す。原子力規制委員会にも国にも司法にも、むろん電力会社にも、原発の安全など到底保証できません。過酷事故の責任などは負えません。
 都会の電力消費者も、原発立地地域の人たちも、多くはそれに気づいているはずです。
 なのに、暮らしのためにと割り切って、あるいは、仕方がないさとあきらめて、“もやもや”しながら日々を送っていませんか。
◆選択肢はちゃんとある
 「第二章」の終幕。激しい子どもの泣き声を背景に、謎めいた言葉が画面に浮かんできます。
 <変わることのない私たちは/いつか再び/復讐(ふくしゅう)されるだろう/そして救われるだろう>
 間もなく五年の春が来ます。四月には家庭用の電力小売りが自由化されて、電源を選べる時代が訪れます。本紙などの調査では東京都民の約六割が東電以外への切り替えを検討中。そのうちの三割近くが安さより、「原発のない電力会社」を選ぶと答えています。
 再生可能エネルギーには、世界中で新しい風が吹いています。
 私たちも当事者としてこの“もやもや”に向き合い、乗り越え、変わらなければなりません。
 「第三章」には「希望」という名がつくように。


政府機関の移転/看板倒れに終わらせるな
 人口減少の克服や東京一極集中の是正を目指す地方創生は、安倍政権の看板政策のはずだ。その本気度が疑われても仕方がない。
 首都圏に集中する中央省庁や独立行政法人の研究機関、研修施設などの地方移転について、政府は34機関を検討対象とすることを決めた。42道府県から要望のあった計69機関のほぼ半分である。
 兵庫県は全国最多の20機関の移転を求めたが、残ったのは、理化学研究所(理研)と観光庁の2機関のみ。検討対象になったとはいえ、いずれも他の道府県と競合しており、楽観はできない。
 34機関のうち、丸ごとの移転が検討されるのは、大阪府が提案する医薬基盤・健康・栄養研究所傘下の研究所だけだ。あとは組織の一部が候補とされ、省庁側の消極的な姿勢が際立っている。
 不可解なのは、職員が地方の大学や企業の研究員を兼任し、共同研究に取り組むケースも「移転」扱いにしていることだ。出向か派遣と呼ぶべきだろう。さらに、施設や人を移さない、研修や合宿の地方開催まで含めている。
 専門家を講師に招いて研修を開けば、地場産業の底上げなど一定の効果はあるだろう。だが、それを移転とするのはどう考えても無理がある。地方側には、数を稼ぐための「ごまかし」と映る。このままでは看板倒れに終わる可能性がある。
 背景には、政府機関側の強い抵抗があるとされる。中でも中央省庁は、国会対応、他省庁との連携への影響や、移転コストなどを理由に挙げ、あからさまに難色を示す。首都機能の移転や省庁の出先機関の移管などをめぐる過去の議論でも、繰り返されてきた対応だ。
 人、モノ、金が集まる首都東京が効率性、利便性に優れているのは当然だ。一方で一極集中がこのまま進めば、小規模自治体の消滅などが懸念される。首都直下地震が起きれば、東京だけでなく日本全体が機能不全に陥る恐れがある。
 そうした弊害や危機を回避するため、人の流れを東京から地方へと変えようというのが、地方創生の狙いではなかったか。
 政府は、3月末までに移転対象と移転先を正式決定する。「活力あふれた地方の創出」という原点を見つめ直し、前に進めるべきだ。


北朝鮮 水爆の実験実施を発表
北朝鮮国営の朝鮮中央テレビは、現地時間の正午、日本時間の午後0時半から「特別重大報道」として臨時ニュースを伝え、日本時間の6日午前10時半、北東部で初めての水爆の実験を行ったと発表しました。北朝鮮が核実験を実施したのは、2013年2月以来およそ3年ぶり、4回目ですが、水爆の実験を行ったと明らかにしたのは初めてです。
北朝鮮指導部としては、キム・ジョンウン(金正恩)第1書記の誕生日を8日に控えて新たな核実験に踏み切ることで、国威発揚を図る狙いがあると受け止められていますが、友好国の中国を含め国際社会からの強い非難は避けられないものとみられます。


ローラが「世界にたくさんいるお金がなくて勉強できない子供の役に立ちたい」 背景にある生い立ちと貧困体験
 来年公開予定の大ヒットシリーズ映画『バイオハザードVI』でハリウッドデビューを果たすタレントのローラ。しかも重要な役どころでの出演とあり、「ローラがミラ・ジョヴォヴィッチと肩を並べる日が来るとは!」といまから注目が集まっている。
 それもそのはずだろう。ローラといえば、タモリや黒柳徹子といった大物相手でも怯まずタメ口をきく、どこまでもマイペース、あるいは礼儀知らずな人というのが世間一般のイメージだったからだ。しかし、それは一面的な評価に過ぎない。そのことがよくわかるのが、「ViVi」(講談社)1月号に掲載されたロングインタビュー(公式ウェブサイトでも公開中)だ。
 じつは、このインタビューのなかでローラは、こんな「夢」を語っている。
「事務所に入った時に社長さんに話した夢というか、最終的な目標があって――。お金がなくて勉強できない子供たちってまだ世界にたくさんいて、その気持ちは私もすごくよくわかる。自分が苦労してきた部分でもあって、私にとってはすごく現実的なことだから。そういう人たちの役に立ちたいの。ずっとその想いは変わってなくて、これからはもっと積極的にやっていきたい」
 貧しさのために勉強や進学の機会を絶たれる子どもたちの役に立ちたい──。もちろんローラは、ハリウッドのセレブ女優を気取って慈善事業を口にしはじめたわけではない。それは彼女自身が語っているように、生い立ちにかかわる問題でもある。
 ローラはバングラデシュ人の父と、日本人とロシア人のハーフである母親とのあいだに日本で生まれた。ご存じの通り、父は13年に詐欺容疑で国際指名手配され、翌年、警視庁に出頭し逮捕されたが、ローラにとって父は優しく、大好きな存在だったようだ。そしてローラは1歳でバングラデシュへ渡り、6歳で帰国するが、当時のことを前述のインタビューでこう述べている。
「6歳の時にベンガル語しか話せない状態で初めて日本に来て、言葉が何も分からないまま小学2年生として学校に入ったの。だから、会話はジェスチャーで乗り切る。そんな感じだったのを覚えてるけど、不思議なことにまったく嫌な思い出はなくて、コミュニケーションを取れなくてすごく大変だったという記憶がひとつもないの。楽しかった!という記憶だけ。毎日ザリガニを取ったり、ドジョウすくいをしたり、神社に行って遊んだとか、たまごっちやリカちゃん人形で遊んでたなとか――」
 ローラはこのインタビューでは語っていないが、じつはこの間に父と母が離婚、その後、父は中国人の女性を妻に迎えている。「女性自身」(光文社)の記事によれば、ローラと双子の弟、継母と父のあいだに生まれた双子、継母の両親という家族8人でアパートに暮らしていた時期もあった。ローラは働く父と継母に代わって、小さな双子のきょうだいにごはんを食べさせたり、オムツを変えたりとよく面倒を見ていたという。
 突然、言葉が通じない教室に放り込まれ、一方で家族関係も複雑に。だが、そんな苦労を自らは語らない。きっと彼女にとっては「楽しかった!という記憶だけ」なのかもしれない。ただひとつ、彼女はこんなことを話している。
「中学2年の時に、友達にすごく一生懸命説明したのに『ちょっと何を言ってるのか分からなかった』って言われたのがすごくショックで、そこからかなり頑張って中3の頃には普通に会話も出来てたと思う」(前述インタビュー、以下同)
 そして、彼女が「転機」と語るのが、高校時代のアルバイトだ。
「高校生になって、家のことも支えなきゃと思ってアルバイトを始めたんだけど、それはひとつの転機だった気がする。人と接することがさらに好きになったの。老若男女、いろんな人がお店に来て、そういう人たちとかかわれることが楽しくて、そこから一気に大人になっていったのかな〜って」
 このときのアルバイトとは、地元のホームセンターのことだろう。実際、ローラは13年のブログでホームセンターへ変装して出向き、同僚と再会したことを報告。「うれしくて、なみだがとまらなかった。みんなだいすき」と綴っている。
 そうして渋谷でスカウトされモデルの世界に飛び込み、一躍“タメ口キャラ”でブレイクしたのは周知の通りだが、いまもローラには“もっと勉強をしたかった”という思いが強いのかもしれない。事実、ローラは地道に英語の勉強をつづけてハリウッドデビューを射止めたが、学ぶことが自分の可能性を広げるということを、彼女は身をもって知っているのだろう。
 家庭が貧しいために勉強ができない、進学できないという子どもたちの存在は、なにも発展途上国だけの話ではない。日本では6人に1人が貧困といわれているにもかかわらず、国立大は今後40万円も授業料を大幅値上げするといい、奨学金返済の金利は異常に高いままだ。だが、社会では「貧しいことを理由に進学できないと言うのは努力が足りないから」「貧乏でも努力をすればのし上がれる」などと自己責任論をぶつ人は相変わらず多い。
 しかし、子どものころから苦労を背負い、努力によって道を切り拓いてきたローラは、そんなことは言わない。
「今こうして私がここに居られるのは、差し伸べてくれる手があったり、諦めないでいてくれた人たちがいたから――。私も誰かのそういう手になりたいし、そのことを諦めたりもしたくない」(同前)
 貧困は社会全体の、わたしたち一人ひとりにかかわる問題だ。ローラの「貧しい子どもの役に立ちたい」という強い意志。この思いがもっと広く共有される社会になることを願わずにいられない。
(大方 草)


安保法廃止へ「野党共闘を」 「市民連合」が初の街頭活動
 今夏の参院選で、安全保障関連法の廃止を掲げる候補を支援しようと、市民団体などでつくる「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が五日、東京・新宿駅前で、結成後初めての街頭活動を行った。市民団体側が「一緒に前に向かっていかなくては」と呼びかけたのに対し、野党各党の議員らも「共闘を実現したい」と訴えた。
 市民連合は、野党に一人区での候補一本化を求め、統一候補とは安保法廃止などを公約とする協定を結んで選挙を支援する方針だ。
 新宿駅西口前に設けられたステージ前には約五千人(主催者発表)が集まった。市民団体のメンバーが「全国で野党共闘のうねりを」などと呼びかけると、拍手が湧いた。
 すでに発表された野党統一候補擁立にかかわった熊本県の市民団体「安保法制に反対するパパ・ママの会」に加わる滝本知加さんは、「必要なのは、平和の大切さを理解する議員。野党統一候補が、全国の多くの選挙区に広がってほしい」と訴えた。
 市民連合の呼び掛け団体の一つ「立憲デモクラシーの会」に参加する中野晃一上智大教授は、安保法成立を阻もうとした昨年の市民の動きに触れ「市民社会側は、お互いを尊重しながら、一緒にできる問題に手をつないでいくことができるようになった。新年になっても、まだ、野党共闘の枠組みはできていない、何をやっているのか」と議員側に早急な動きを求めた。
 市民連合は同会のほか、「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」など五団体が呼びかけた。


〈自分たちの言葉〉で東大の知をひらく。編集長より新年のご挨拶
 「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」という言葉をご存知だろうか。
昨年の3月に行われた教養学部の卒業式(正式には「学位記伝達式」)で、当時学部長だった石井洋二郎先生が紹介し、ネットやテレビで話題になった。
 この言葉がはじめて大きく取り上げられたのは、1964年のこと。今の東大生の親世代が生まれたころだ。当時の東大総長だった大河内一男先生が、卒業式の式辞で語った名セリフとして注目を集めた。
 しかし、石井洋二郎先生によれば、このセリフにまつわる話は間違いだらけだという。大河内元総長のオリジナルのように言われているけど、実はイギリスの哲学者・J.S.ミルの言葉から引用したものだし、ミルは正確には「肥った、痩せた」という言葉は使っていなくて「満足な、不満足な」という言い方をしている。しかも驚くべきことに、このフレーズは式辞の原稿には書かれていたけれど、本番では読み飛ばされていて、「大河内総長が卒業式で語ったフレーズ」というのはマスコミが広めたデマだった、と。
 石井洋二郎先生はこんな話を導入にして、晴れ着姿に身を包んだ教養学部の卒業生に穏やかな口調でこう伝えた。
健全な批判精神を持て、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証せよ。
何重にも媒介された情報をただ受動的に反復するのではなく、健全な批判精神を働かせて情報を吟味し、「自分だけの言葉」を語って欲しい。
その健全な批判精神こそが、君たちが卒業する「教養」学部に冠する「教養」の本質である。
僕もそのとき卒業した教養学部生の一人で、石井先生の式辞を思い出すと今でも背筋がピンと伸びる。
 昨年9月、溺死した3歳の男の子を写した写真が、全世界を難民受け入れの論調に染め上げた。かと思えばそのたった数ヶ月後には、「フランスのテロの実行犯が難民を装ってヨーロッパに入った」と聞いて、多くの人が彼らにしかめっ面を投げかける。ヨーロッパに逃れた14万の人に、たった2人の「テロリスト」が混ざっていたという情報が、世界中に難民排斥のうねりを生み出すのだ。そこに、難民ひとりひとりの顔は見えない。
 僕たちはついつい自分の目で見ること、直接話を聞いて確かめることを怠って、イメージに流されて生きてやいないだろうか。THE BLUE HEARTSなら「中身は無くても、イメージがあればいいよ」なんてうそぶくかもしれないけれど、それはそのイメージを超えて、もっと核心に近づきたいという思いの裏返しだ。「必ず一次情報に立ち返って、自分の頭で考える」こと。イメージに流されずに核心に迫るためには、石井先生の言う「健全な批判精神」を持ち続けなくてはならない。
・・・
 私たち東大新聞オンラインは、東大生や教授、卒業生のインタビューを通して、東大生が関心を持っていることを発信してきました。「東大の知をひらく」という標語には、「知りたいと思ったことを、実際に自分で聞きに(見に)行きたい。そしてそれを出来るだけフレッシュなままで発信したい」という思いが込められています。
 石井洋二郎先生が言っていたように、ネット上には真偽の不確かな情報があふれています。だからこそ私たちは、自分の頭と足で一次情報にアクセスし、一人の学生としてそこで見聞きしたことを「自分だけの言葉で」発信していきたいと考えています。「東大生が運営する、東大の情報を伝えるサイト」という特性を活かし、あふれる情報や無根拠のイメージに左右されることなく、今後も東大の生の情報をお伝えしていきます。
 2016年も東大新聞オンラインをどうぞよろしくお願い致します。
東大新聞オンライン編集長 須田英太郎


ミッテラン元大統領死去から20年
 【パリ=竹内康雄】2016年はフランスのフランソワ・ミッテラン元大統領の生誕100年、そして8日で死去からちょうど20年になる。8日にはミッテラン氏の生地、仏南西部ジャルナックでオランド大統領も出席して式典が開かれる。
 ミッテラン氏は死刑制度廃止のほか、企業の国有化や労働時間の短縮、社会保障費の拡大など左派的な政策を進めた。その結果、インフレ進行や失業率上昇に見舞われ、緊縮財政路線に転換。政権末期にはスキャンダルもあり、評判を落とした。だが独自のカリスマ性で、強いフランスの実現に奔走したミッテラン氏を「国父」として懐かしむ仏国民は多い。
 現政治体制下の第5共和制で、社会党(左派)出身の初の大統領がミッテラン氏、2番目がオランド氏だ。オランド氏はミッテラン大統領時代に経済問題担当として仕えたこともある。12年の大統領選時は、オランド氏はミッテラン人気にあやかり、しゃべり方や見た目をまねしたとされる。
 15年12月31日、オランド氏は恒例の国民向けテレビ演説で16年の優先課題としてテロ対策と失業率改善を挙げた。高い失業率に苦しむ姿はミッテラン氏と重なる。17年の大統領選に向けた選挙運動は今年から本格化。2期目に意欲を見せるオランド氏は正念場を迎える。

AKB岩田華怜が卒業/新年会/ツンデレ??

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2016

Japon: un thon rouge vendu 108.500 euros aux enchères de Tsukiji
Le patron d’une chaîne de restaurants de sushis a emporté mardi pour 108.500 euros le premier thon rouge de l’année aux fameuses enchères de Tsukiji à Tokyo, le plus grand marché aux poissons du monde qui doit prochainement déménager.
≪80 ans ont passé depuis l’ouverture de Tsukiji et le coeur plein de gratitude nous allons encore oeuvrer cette année≫, a déclaré le meneur de la vente vers 05H00 du matin (lundi 20H00 GMT).
Les enchères ont lieu presque tous les jours dans cet immense halle aux infrastructures vieillissantes, entourée d’un désordre de petite poissonneries et minuscules restaurants, et haut lieu touristique. Mais les premières de l’année sont prestigieuses et les acheteurs prêts à débourser bien plus qu’il ne faudrait.
Le prix de 14 millions de yens du thon géant (200 kg) d’une espèce surpêchée était cette année trois fois supérieur à celui de l’an dernier mais bien en decà du record de 2013: 155,4 millions de yens (1,2 million d’euros au cours actuel). Cette petite fortune avait été dépensée pour un poisson un peu plus gros par le même Kiyoshi Kimura, propriétaire de la chaîne Sushi Zanmai, mais après une apre lutte avec un restaurant de Hong Kong.
Le cours s’était effondré en 2014 (7,36 millions pour une bête de 230 kilogrammes) et était même tombé l’an passé à 4,51 millions de yens.
Le thon vendu mardi matin a été pêché au large de la ville d’Oma, dans la préfecture d’Aomori (nord).
Les Japonais sont de très grands consommateurs de thon rouge, qu’ils mangent essentiellement cru, sous forme de sushi ou sashimi.
Un sushi à base d’un morceau de la partie la plus grasse du ventre de la bête, appelée ≪otoro≫, peut valoir jusqu’à plus de 3.000 yens (23 euros) dans un restaurant haut de gamme de Tokyo.
La demande augmente aussi hors de l’archipel, ce qui inquiète les écologistes qui s’alarment de la diminution de la population de thon rouge du Pacifique.
≪La communauté internationale doit prévenir le gouvernement japonais qu’il faut agir davantage pour sauver cette espèce≫, a déclaré dans un communiqué Amanda Nickson, de l’organisation Pew Charitable Trusts.
Il devrait s’agir de la dernière enchère du Nouvel An à Tsukiji, marché qui doit être déplacé cet automne à quelques kilomètres de son emplacement actuel du sud de Tokyo, à Toyosu, dans la baie de la capitale, un déménagement prévu depuis des années mais qui a suscité maints débats et reports.
フランス語
フランス語の勉強?

AKBの岩田華怜さんが卒業,というニュースにびっくりです.
今日は新年会でした.お偉方のつまらない挨拶を聞いて,少しお酒を飲んで部屋に戻って本のコピーを取りました.
Shさんからは焼き鳥食べてカラオケに行ったというメール.別のメールではツンデレという言葉が.どういう意味?

<3.11と今>私が輝き希望の光に
◎子ども 成長の春(4)菊地里帆子さん
 昨年12月中旬、宮城県名取市内の公民館で、東日本大震災で被災した市内の児童や福島から避難中の子どもたち向けの行事「名取げんきっ子」があった。
 「分からないことは何でも聞いてね」。津波で壊滅的な被害を受けた名取市閖上に生まれ育った仙台二華高1年菊地里帆子さん(16)=仙台市太白区=が、笑顔で語り掛ける。
 仙台二華中3年だった2014年9月、同級生7人と「Realize Project(リアライズプロジェクト)」という再生支援の団体を設立した。代表を務める。
 お兄さんお姉さんの立場で被災した子の力になろうという取り組み。理科の実験や料理などの体験学習を通じ、震災で負った心の傷やストレスを和らげてもらうことを目指している。
 この日も活動の一環として行事に参加した。男子メンバー2人と一緒にクリスマス飾り作りを手伝ったり、「防災ゲーム」のルールを説明したりしながら、児童らと心を通わせた。
 「震災までの私は引っ込み思案で、周囲で起きた事実をそのまま受け止めることしかできなかった」。被災経験は、そんな自分に大きな変化をもたらした。
 震災当時、閖上小5年生だった。下校直前に襲い掛かった激しい揺れの後、いったん体育館に避難。「津波だ」との情報が入り、全校で校舎の屋上へ逃げた。
 屋上から閖上の街を見下ろした。そこにあるのが当たり前だった家々、「里帆ちゃん」と声を掛けてくれた地域の人たち…。さまざまな掛け替えのない存在が黒い津波に流された。「日常が明日も続く保障なんてない」と痛感させられた。
 自宅は流された。怖い夢を見て目覚める夜が続く。でも校舎の屋上で一緒に津波を見た3学年下の弟清史君(12)を心配させまいと誰にも打ち明けず、姉として気丈に振る舞った。
 惨状がまだ生々しい11年4月、再生に向けて一歩を踏みだす転機があった。
 6年生に進級し、同小に着任した先生へ児童代表として歓迎の言葉を述べた。被災としっかり向き合い、「もっといい街をつくれるように、精いっぱい生きていく」との思いを伝えた。
 この言葉がきっかけとなり同年7月に仙台で開かれた東北六魂祭のフィナーレを飾る被災者代表あいさつを任されることになった。
 あいさつには、被災地支援に携わってくれた人々への感謝と、つらい経験を乗り越える決意を盛り込んだ。「輝く太陽がなくなったら私が小さく輝けばいい。小さな私でも誰かの心の光、希望の光となるように一生懸命頑張ります」
 現在、17年に宮城県が主会場となる文化系部活動の祭典「全国高等学校総合文化祭」の企画委員としてパレードの準備を手掛ける。「宮城や宮城の高校生がここまで復興できたと、全国にPRする機会にしたい」
 同世代の仲間と手を携え、前を見据えて行動する。その一歩一歩が、被災地の未来を開くことにつながると信じている。(武田俊郎)


<りんごラジオ>被災地に赤ちゃん 喜び中継
 東日本大震災で大きな被害が出た宮城県山元町の臨時災害FM局「りんごラジオ」が、町内の新生児がいる家庭と生中継で結び、喜ぶ家族にインタビューする番組の放送を始めた。元気な声を届けて新年の被災地を明るくする目的で企画した。
 初回の4日は、同町坂元の会社員伊藤智哉さん(47)方から中継。昨年11月23日に誕生したばかりの長男奏翔(かなと)ちゃんら一家6人が出演し、スタッフのインタビューに答えた。
 奏翔ちゃんを抱いた母親のゆり子さん(42)は「地域に小さい子どもが少なく、年配の方が喜んでくれる」と笑顔で話した。姉になった長女の和奏(わかな)ちゃん(5)は「縄跳びを教えたい」と心待ちの様子。スタッフは奏翔ちゃんにもマイクを向け、泣き声を届けた。
 町は震災後の人口流出などで少子高齢化が加速している。FM局の関係者は「かわいい声は被災住民らを元気にする。新年にふさわしい明るい話題を伝えたかった」と意図を語る。今後も随時放送するという。


<復興印宮城流>地域が先生 古里を学ぶ
◎(4)南三陸わらすこ探検隊(南三陸)
<プログラム多彩>
 地域の大人が先生になって子どもに古里の魅力を伝える。東日本大震災前には当たり前だった光景を取り戻す取り組みが「南三陸わらすこ探検隊」(宮城県南三陸町)だ。復興を支援する一般社団法人「南三陸町復興推進ネットワーク」が運営する。
 わらすこは、子どもを意味する三陸地方の言葉。南三陸町に住む小学生が週末に海、山、里の自然や郷土の文化を体験し、その道のプロが手ほどきをする。震災翌年の2012年から海釣りや化石発掘、繭細工といった多彩なプログラムを展開する。
 昨年12月26日に同町入谷のさんさん館であった年内最後の活動は、そば打ち体験だった。住民でつくる「入谷手打ちそば研究会」のメンバー3人が講師役になり、9人に教えた。
 研究会の阿部宗則さん(72)が「入谷や歌津でもソバの実がとれるんですよ」と切り出すと、「へー」と驚きうなずく子どもたち。生地作りの途中、生地に穴が空いてしまっても阿部さんは「いいんだ、失敗しないと次に成功しないから」と優しく励ました。
 伊里前小4年の及川晃平君(10)は探検隊の常連の一人。「町のことをもっと知り、訪れる人に教えたい」。仮設住宅に暮らしており、探検隊で川や山で思いっきり遊ぶのが大好きだ。
 震災で町は深刻な被害を受け、子どもは遊び場を失った。スクールバスで学校と家を往復する日々。通学路で道草は食えず、自然の中で遊ぶ機会はほとんどない。仮設住宅は狭く、自宅でひとりゲーム機とにらめっこするのが習慣になる。
<延べ2200人超参加>
 子どもの置かれた状況を改善しようと、ネットワークの地元出身のスタッフが思い浮かべたのが「ふるさと学習会」だった。町教委が志津川地区で約40年続け、震災後は休止していた。学校の垣根を越えて町の自然や文化を学ぶ活動で、「あれをもう一度やってみたい」と意見を出し合った。
 12年6月に学習会を始め、13年9月に南三陸わらすこ探検隊に名称を変更。月2回のペースで計106回開催し、延べ2200人以上が参加した。
 小4と小2のきょうだいを活動によく参加させる同町の自営業西城裕一さん(35)は「なかなか仕事が忙しく、遊んでやれないので助かっている。子どもがいつも『きょうも楽しかった』と帰ってくるのがうれしい」と歓迎している。
 笑顔は、町の子どもたちに着実に広がっている。(南三陸支局・古賀佑美)
◎自主的な活動が理想
 5年後といえば町の復興が進み、地域コミュニティーが再生されている頃。わらすこ探検隊の形をとらずに、町民自らが先生になって自主的に近所の子どもと遊んでいてほしい。今はそのきっかけをつくっている段階だ。(南三陸町復興推進ネットワークの同隊担当者 高橋美妃さん)


<震災遺構>被災2小保存是非 2月に公聴会
 宮城県石巻市の亀山紘市長は4日の定例記者会見で、東日本大震災で被災した大川、門脇両小校舎の遺構保存をめぐり、市民を対象に公聴会を2月13日に開くと明らかにした。学校ごとに開催し、市長が出席する。保存の是非を本年度末までに判断するため、市民の意見を募る。
 公聴会では、事前に申し込んだ人の中から保存、解体各5人程度に意見を述べてもらう。時間は1人約5分。希望者が多い場合は当日に公開抽選する。
 申し込みに漏れた人も当日、3人程度は意見を言える予定。傍聴もできる。参加者の年齢や居住地区など制限は設けない。
 参加希望者は保存、解体の賛否、意見などを記入し、市復興政策課に郵送やメール、FAXで申し込む。期限は2月3日。市は寄せられた意見をまとめ、公聴会で配布する。
 公聴会は門脇小が午前10時に門脇中体育館、大川小は午後2時に飯野川中体育館でそれぞれ開く。市は今月15日付の市報やホームページで詳細を告知する。
 市は震災当時の在校生も対象に意見を聴取する。対象は両小で最大約300人だが、市外転出者を除く方針。今月中旬に通知を郵送し、来月まで受け付ける。
 亀山市長は「多くの犠牲者を出した教訓をどのように伝えていくか、広く意見を聞きながら判断したい」と話した。


命つなぐ物語「にいちゃんのランドセル」が歌に
 阪神・淡路大震災で7歳と5歳の子を亡くした米津勝之さん(55)=兵庫県芦屋市浜芦屋町=一家の歩みをつづった物語「にいちゃんのランドセル」をもとに、音楽プロデューサーの松本俊明さんが同名の歌を作詞作曲した。被災地でも薄れていくあの日の記憶。亡くなった人とともに歩んだ日々を、そして命ある喜びを歌詞に託した。昨秋から試作曲がラジオで流れ、年内にもCDで発売される予定だ。(阿部江利)
 米津さん一家4人が暮らしていた芦屋市津知町のアパートは震災で全壊。小学1年の長男漢之(くにゆき)君=当時(7)=と幼稚園児の長女深理(みり)ちゃん=当時(5)=が犠牲になった。地震の2年後、米津さん夫婦は次女英(はんな)さん(18)に恵まれ、5年後には次男凜(りん)君(13)が誕生した。
 「にいちゃんのランドセル」は、漢之君が10カ月しか使えなかったランドセルを凜君が使い、命をつないでいく物語。ノンフィクション作家の城島充さん(49)がまとめ、2009年に出版された。
 松本さんは歌手MISIAさんとの活動などで知られる。朝日放送のラジオ番組「堀江政生のほりナビ!!」(火〜金曜午後7〜9時50分)で司会を務める同局アナウンサー堀江政生さん(52)が番組を通し、松本さんと城島さんを引き合わせた。物語を読み、心動かされた松本さんが詞と曲を作り、歌手の歌う試作曲を同番組で流すようになった。
 もうここにいない君が でもここにいる君が つなげてゆく思いがたくさんあるんだ
 生きてゆくことは辛(つら)いけれど 生きてゆくかぎり 喜びはめぐってくる
 「自分は震災の非体験者だが、歌を通して語り手になれる」と松本さん。歌を通じて子どもたちが震災を語り継いでほしい、との願いを込めた。
 そのとき確かに 君が生きていたこと ありがとう
 震災発生からもうすぐ21年。米津さんは「『生きていたこと ありがとう』など短いがぐっと来るフレーズがある。歌の持つ力を感じさせられた」と話している。


阪神・淡路大震災復興基金 2017年度に枯渇
 兵庫県の井戸敏三知事は5日、阪神・淡路大震災の被災者の生活再建を担ってきた公益財団法人「阪神・淡路大震災復興基金」の基金が2017年度に底を突くとの見通しを明らかにした。基金事業で行う復興住宅での高齢者見守り活動は県の一般事業として存続させる考えも示した。
 同基金は1995年4月、県と神戸市の出資や貸付金で設立。基金規模は96年度末で9千億円に上り、運用益を中心とした約3700億円が約120事業に充てられた。
 主な事業は、被災者に最大150万円を支給する自立支援金(1415億円)▽民間、公社賃貸住宅の家賃補助(400億円)▽住宅ローンの利子補給(247億円)−など。直接税金を投じにくい分野で、個人への公的支援の役割を果たした。県によると、2015年度末の基金残高は約11億円を見込む。
 同基金理事長も務める井戸知事は5日の定例会見で、利子補給などの事業は20年度まで継続させる一方、それらの事業以外に使える約8億円は17年度に枯渇する見通しを説明。その上で、高齢化率の高い復興住宅などでスタッフが見守りに取り組む活動は「(枯渇後も)やめられない。一般事業として継続し、市との負担の在り方を検討したい」と述べた。(永田憲亮)


仮設住民に運動で活力 遊び取り入れ笑顔咲く
 東日本大震災で被災した岩手県大槌町の仮設住宅で、県教委が展開する運動支援事業が住民に活力を運んでいる。30分間の簡単な体操で運動不足を解消する。和やかなコミュニケーションの場としても定着した。心身を健やかにする一助となっている。
 「次は指の運動。両手を合わせてみて」。昨年12月17日に第16仮設住宅(同町小鎚)であった運動指導。県教委スポーツ健康課の高橋一男トレーナー(52)の指示に、参加した40〜90代の女性6人が一斉に手を合わせる。
 とっさに、最年長の女性が切り返す。「五郎丸だな」。ラグビー日本代表の五郎丸歩選手の独特のポーズをまねて場を盛り上げた。運動中は、こうしたやりとりが続き笑顔が絶えない。
 運動指導は同課の被災地支援活動として昨年始まった。同町小鎚にある2カ所の仮設住宅を月1回のペースで回る。激しい運動は一切しない。腕や脚、足首、股関節の曲げ伸ばしのほか、じゃんけんなどの遊びを取り入れたメニューなど、日常生活で気軽にできる運動を心掛けている。
 沢山スエさん(76)は「県教委に運動を教えてもらうようになって、自分なりに体を動かすようになった。以前は痛くて曲げられなかった膝が曲げられるようになった」と効果を語る。
 仮設住宅を出た後も通い続ける人もいる。倉田キミさん(84)は11月に町内の県営アパートに引っ越した。「この日を心待ちにしていた。新しい住居では、こういう機会がない。運動だけでなく、みんなと話ができる。楽しかった」と満足そうだった。
 県教委は仮設住宅の支援員に指導方法を伝え、地域で自主的に運動できる仕組みづくりも目指す。
 高橋トレーナーは「口も体も動かしながら楽しむことを目指している。今後も心身を元気にするサポートをしていきたい」と取り組みを進める。


おくりびと舞台の旧割烹 酒田市長が存続意向
 山形県酒田市の丸山至市長は4日の年頭記者会見で、映画「おくりびと」のロケ地として知られながら、老朽化で存続の危機にある旧割烹(かっぽう)小幡について「改修などを施し、残したい」と述べ、初めて保存、利用に前向きな姿勢を明らかにした。
 隣接する日和山公園と合わせた観光拠点として活用する方針を示し「酒田の観光に不可欠という市民の声を多く耳にした。新年度に市民参加のワークショップを開催し、広く意見を吸い上げた上で具体的な残し方を決めたい」と説明した。
 小幡は明治期の建設とされる木造2階の本館と、3階の洋館、土蔵で構成する。米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」で、主人公が働く「NKエージェントビル」として用いられ、一時は年間12万人近い観光客が訪れた。
 所有する市は、老朽化により2013年度で建物内の一般公開を打ち切った。修繕費は本館と土蔵だけで1億円超とみられ、市当局は改修に言及していなかった。


プレハブ仮設を民間譲渡 グループホームに活用
 宮城県は東日本大震災の被災者が退去したプレハブ仮設住宅のうち仙台、石巻、気仙沼3市の4棟計34戸について、譲り受けを希望した三つの社会福祉法人に無償で譲渡することを決めた。使い終わったプレハブ仮設住宅の有効活用策で、民間への無償譲渡は被災3県で初めて。
 無償譲渡するのは、仙台市の1棟7戸と石巻市の1棟9戸、気仙沼市の2棟18戸。いずれも、かつてグループホーム型の仮設住宅として活用され、希望した3法人が運営していた。市ごとに1法人に譲渡する。建築確認などを経てグループホームや倉庫に使われる。
 仙台と石巻の物件については移設する予定で、移設費用など再利用に掛かる経費は法人が負担。石巻の物件は今月中に県と法人が譲渡契約を結び、仙台と気仙沼についても本年度内に契約する。
 プレハブ仮設住宅の解体費用は、1戸当たり40万円程度掛かる見込み。県は経費削減と施設の再利用を兼ねて、市町村や社会福祉法人、自治会やNPOといった公益性のある団体を対象に譲渡先を募集していた。


暖冬で暮らしへの影響は
仙台市の市民の台所、仙台朝市では、暖冬によって近郊の畑などに雪がない影響で、露地物の野菜の出荷がこの時期でも続いていて、値段も例年より4割ほど安くなっています。
仙台市青葉区にある、市民の台所、仙台朝市では、5日がことしの初売りにあたり、早速、多くの買い物客が訪れました。
市場では、仙台特産の「曲がりねぎ」や「雪菜」、それに白菜などの露地物の野菜が、例年のこの時期に比べて4割ほど安く販売されています。
曲がりねぎは、1束3本で86円、白菜は大きな物が2個で400円で売られていました。
仙台市では、この冬、雪は降ったものの暖冬で積雪は観測されておらず、仙台管区気象台が大正15年に観測を始めてから最も遅い積雪の記録となっている昭和34年の1月2日を更新し続けています。
仙台市近郊の畑では暖冬によって雪がない影響で、例年だとすでに終わっているねぎや白菜など露地物の野菜の出荷がこの冬は続いているということです。
このため例年よりも出荷量が多くなり、値段も下がっているということです。
朝市の青果店の男性は、「20数年間、野菜を扱っているが正月明けのこの時期にこれほど安くなったのは初めてです。品質はいいのでたくさん買って食べてほしい」と話していました。
蔵王町では、冬の観光名物、蔵王の「樹氷」が、暖冬の影響で例年の半分程度の大きさにとどまっています。
蔵王町にあるスキー場、「すみかわスノーパーク」では、観光客を大型の雪上車に乗せて樹氷を鑑賞するツアーを先月から行っていて、5日は、県外や海外からの家族連れなど18人が参加しました。
参加者は、蔵王の刈田岳の山頂近くの、標高1600メートル付近に広がるトドマツの林を訪れ、樹氷の写真を撮ったり手で触れたりして楽しんでいました。
スキー場の担当者によりますと、ことしの樹氷の大きさは例年に比べて半分程度にとどまっているということで、樹氷のところどころにトドマツの葉の緑が見え隠れしていました。
樹氷は、氷点下10度以下で樹木に雪まじりの風が吹き付けると大きくなるということですが、5日正午の現地の気温は氷点下6度ほどでした。
スキー場のツアーガイドの女性は「樹氷は例年より小さいですが、その分、成長の過程を見ることができるので、訪れる人に楽しんでもらいたいです」と話していました。
仙台管区気象台によりますと、宮城県内の3月までの予想気温は、ほぼ平年並みの見込みだということです。
スキー場によりますと、樹氷は、来月半ばにかけて徐々に大きくなりピークを迎えるのではないかということです。


<初売り>競りも復興も威勢よく
 国内有数の水揚げ量を誇る宮城県気仙沼市魚市場で4日朝、新春恒例の初売りがあり、脂の乗ったメバチマグロやメカジキなどが次々と競り落とされた。
 この日の取引量は昨年より104トン多い137トンと、東日本大震災後で最多だった2014年(136トン)をわずかに上回った。仲買人は「幸先がよい」と真剣な表情で品定めしていた。
 競りに先立って約150人が手締めや乾杯をし、震災発生から5年を迎える被災地の復興や商売繁盛を祈願した。
 市場を運営する気仙沼漁協の佐藤亮輔組合長は「昨年はサンマが不漁となるなど水揚げ量が振るわなかった。ことしは量を増やし、道半ばの復興をけん引する年にしたい」と話した。


AKB岩田華怜が卒業発表
 AKB48の岩田華怜(17)が5日、東京・秋葉原のAKB48劇場で行われた春風亭小朝プロデュース『イヴはアダムの肋骨』の昼公演でグループからの卒業を発表した。卒業時期は未定。
 同公演の最後に岩田は「私、岩田華怜はAKB48を卒業します」と報告。泣き崩れるメンバーがいるなか、舞台女優を志望している岩田は、芝居の勉強に専念すると説明した。
 終演後、自身のツイッターでも「卒業発表させていただきました。突然の発表で驚かせてしまってごめんなさい」と報告。「前向きな卒業なので、最後まで応援して頂けたら嬉しいです!また夜、ゆっくり今の気持ちを書きます」と綴った。このあと夜公演にも出演する。
 元日には自身のGoogle+で「ことしは色んな意味で激動の年にしたいですし、確実に前に進める年にできたらいいなって思ってます!」と宣言していたとおり、新年早々、大きな決断を下した。
 宮城県仙台市出身。2011年3月には実家で東日本大震災の被害を受け、避難所生活を送った岩田は、同年4月にAKB48に12期研究生として加入。翌12年8月からはNHK総合で被災地支援番組『カレンの復興カレンダー』のナビゲーターを担当、同局のチャリティーソング「花は咲く」にも参加した。14年2月の大組閣では、SKE48移籍が発表されたが、家庭や進学などの都合でAKB48に残留していた。


<原発事故>双葉町長「東電は原因者」
 東京電力福島第1原発事故で大半が帰還困難区域となっている福島県双葉町の伊沢史朗町長は4日、新年のあいさつでいわき市の仮役場を訪れた東電の広瀬直己社長に「要求書」を手渡した。「激しい憤りを覚えている」と東電の対応を厳しく批判。町民への損害賠償の完全実施などを強く求めた。
 要求書は、第1原発の立地町で中間貯蔵施設を受け入れた双葉町が求める復旧・復興への貢献に関し「東電は誠意ある対応を一切取っていない」と抗議。「自社が原因者であり、加害者であることを忘れているのではないか」と指摘した。
 要求として(1)東電福島復興本社を第1原発の立地町へ移転する(2)避難区域再編後、東電の社宅・独身寮の使用を再開する(3)中間貯蔵施設予定地を含む町有財産の賠償方針を早期に示す−ことなどを挙げた。
 伊沢町長は会談後、「長期避難で厳しい状況に置かれている町民の気持ちを代弁した」と説明。広瀬社長は「厳しい言葉をいただいた。事故の原因者であることを忘れたことはない。しっかり最後まで取り組む」と述べた。


通常国会開会 辺野古と安保の強権を問え
 夏の参院選に向け、山積する重要課題の論戦が展開される第190通常国会が召集された。だが、遅きに失した感を拭えない。
 安倍政権は昨年、95日も通常国会を延長し、安全保障関連法を強引に成立させた。国民の多数が反対する中、安倍晋三首相は野党が求めた臨時国会召集を拒んだ。国民への説明放棄と憲法軽視の禍根を残した。
 安保関連法は、日本が直接攻撃されなくても他国を攻撃する集団的自衛権行使を補強する。参院選勝利による改憲を狙う安倍政権は、安保法が参院選で争点化することを避けるため、自衛隊の活動の具体化を先送りする構えだ。
 違憲の指摘が根強い安保関連法の3月施行を踏まえ、憲法を変えることで帳尻を合わせるのか。国民軽視が際立つ選挙最優先の姿勢に道義的責任が問われよう。
 安倍首相の会見や外交報告では、安保関連法や名護市辺野古への新基地建設がすっぽり抜け落ちた。
 沖縄の圧倒的な反対世論、名護市長選、県知事選、衆院選の沖縄4選挙区での新基地容認派候補の全敗という結果を一顧だにせず、安倍政権は本体工事着工に走った。
 さらに翁長雄志知事の権限を剥奪して埋め立てを推し進める代執行訴訟まで起こした。知事は法廷で「日本に地方自治や民主主義は存在するのか」と訴えた。
 2000年の地方分権一括法施行から16年。国の下請け機関と位置付け、自治体に担わせていた機関委任事務が全廃され、国と自治体の関係は主従から対等・協力に改められた。しかし、辺野古新基地をめぐって沖縄県に牙をむく安倍政権の対応は憲法が定める民主主義、地方自治を破壊しかねない危うさに満ちている。沖縄だけの問題ではないのである。
 米国追従の外交・安保施策に甘んじつつ、強権性を強める安倍政権の姿勢を今国会で徹底的に議論してもらいたい。
 消費税再増税時に導入される軽減税率の1兆円に及ぶ財源は決まっていない。首相が「1億総活躍社会」への第一歩と位置付ける補正予算案だが、低年金高齢者への3万円給付へのばらまき批判も付きまとう。環太平洋連携協定(TPP)はその全体像がまだ見えず、国会での審議は尽くされていない。
 めじろ押しの重要課題をどう追及するのか。野党は知略を尽くすべきだ。


マイナンバー開始 壮大な無駄としか思えない
 制度の必要性に対する疑念は膨らむばかりだ。国内に住む全ての人に番号を割り当てるマイナンバー制度のことである。
 日本世論調査会の全国世論調査で、マイナンバー制度に不安を感じる人は78%の高さに達した。年金情報の大量流出もあり、多くの人が不安を感じるのも当然だ。
 個人番号カードは申請すれば無料で交付するというが、「取得したいと思わない」も65%に及ぶ。制度の運用は今月始まったが、国民がこの制度を求めていないのは歴然としている。政府はいったん運用を止め、制度の必要性も含めてもう一度国民的議論を深めるべきだ。
 配達できず市区町村に保管が移った個人番号の通知カードは558万通に及ぶ。3カ月保管した後は破棄される可能性もある。一部地域ではカード未作成も発覚したが、破棄が始まれば混乱に拍車が掛かるのは火を見るより明らかだ。
 住民基本台帳カードは使い勝手の悪さから普及が進まず、普及率はわずか5%だった。その二の舞いとなるのではないか。
 マイナンバー法を提案した時点で、政府はこの制度に必要なシステム構築・改修費を2700億円と見込んでいた。それも制度の範囲を社会保障と税などに限った上での数字だ。安倍晋三首相は「(将来は)戸籍、パスポート、証券分野への拡大を目指す」と述べたし、銀行のキャッシュカードやクレジットカードとして使えるようにする構想もある。民間も含めれば必要額は兆の単位となろう。これほど莫大(ばくだい)な費用を投じてまで進める必要があるのか。壮大な無駄としか思えない。
 しかも範囲の拡大は情報漏れのリスクと背中合わせである。換金性を帯びるとなると、よからぬ輩(やから)が血眼になるのは必至だ。米国では番号の不正取得による「成り済まし」犯罪の損害額は年間約6兆円に達する。現代ではプライバシーは「覆水盆に返らず」である。ひとたびネット上に流出すれば、永久にサイバー空間を個人情報が漂うのだ。この制度は費用対効果という次元にとどまらず、危険過ぎるのである。
 利点と危険性が一体なのがこの制度の特徴だ。つまり、個人番号の利点を感じさせようと適用範囲を拡大すれば、情報漏れのリスクも飛躍的に増大するのである。それなら制度自体、必要なのか。問われるべきはまさにその点だ。


韓国「慰安婦白書」発刊へ 合意とは「無関係」
 【ソウル共同】韓国外務省報道官は5日、韓国女性家族省が昨年から準備を進めている「日本軍慰安婦白書」の発刊は、慰安婦問題での日韓合意とは「無関係」として予定通り出版されると述べた。
 岸田文雄外相と韓国の尹炳世外相は、昨年12月28日の会談後の共同記者発表で、日韓が今後「国連など国際社会で慰安婦問題について互いに非難、批判を控える」と強調しており、日本政府が合意違反と主張する可能性がある。女性家族省は英語や日本語、中国語の翻訳版も計画している。


東京が壊滅する日 ― フクシマと日本の運命
公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図で衝撃的な事実を提供し続けるノンフィクション作家の広瀬隆。『東京が壊滅する日 ― フクシマと日本の運命』は壮大な史実とデータで暴かれる戦後70年の不都合な真実を描いた大作。51の【系図・図表と写真のリスト】と公刊された科学的データで誰も知らなかった真実を掲載。本連載では、本書周辺の原発再稼働をめぐる問題や、今そこにある危機を紹介する。

沖縄3世帯に1世帯が貧困状態 子の貧困も全国最悪
 沖縄県内で必要最低限の生活を保つための収入がない人の割合を示す「絶対的貧困率」は、2012年に34・8%、また18歳未満の子どもがいる世帯の「子どもの貧困率」は同年で37・5%といずれも都道府県別で最悪、さらに伸びも全国平均を大きく上回ることが、山形大の戸室健作准教授の研究で4日、分かった。県内で3世帯に1世帯は貧困状態にあり、その層が急速に拡大していることが明らかになった。
 県内の貧困率34・8%は2位鹿児島県の24・3%と10・5ポイント、全国平均18・3%と16・5ポイント差で、伸びは07年から5・5ポイント(全国平均3・9ポイント)と急激に上がった。
 「子どもの貧困率」37・5%も、2位大阪府の21・8%と15・7ポイント、全国平均の13・8%より23・7ポイント高く、伸びも07年から6・8ポイント(全国平均3・8ポイント)増えた。戸室さんは「この20年間、沖縄は常に貧困率が最も高い地域。背景に、産業のぜい弱さや低賃金があるのではないか」と指摘した。
 また就業世帯のうち最低生活費以下の収入しか得ていない世帯(貧困就業世帯)の割合を示す「ワーキングプア率」も県内は25・9%と最悪で、2位の大阪府14・2%と11・7ポイント差と大きな開きがあった。
 研究は、12年の総務省「就業構造基本調査」を用い、世帯収入が生活保護費以下のデータを調べた。戸室さんによると、都道府県別の子どもの貧困率が明らかになるのは初めて。論文は、2月刊行の「山形大学人文学部研究年報」に掲載予定。(中部報道部・安里真己)

仕事始めだけど/年賀状でメールと写真/主催者は?

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Un Dieu assassin en une de ≪Charlie Hebdo≫

Un Dieu assassin en une de ≪Charlie Hebdo≫
Riss, le patron du journal, y signe un éditorial rageur, dénonçant les≪fanatiques abrutis par le Coran≫ et ≪culs-bénits d’autres religions≫ qui avaient souhaité la mort du journal pour ≪oser rire du religieux≫.
En mémoire de l’attentat du 7 janvier, Charlie Hebdo sort mercredi un numéro spécial avec en une un Dieu barbu, armé d’une kalachnikov et à l’habit ensanglanté, sous ce titre : ≪1 an après, l’assassin court toujours≫.
Ce numéro doit être tiré à environ 1 million d’exemplaires, dont des dizaines de milliers d’exemplaires expédiés à l’étranger.
Il comprend un cahier de dessins des disparus - Cabu, Wolinski, Charb, Tignous, Honoré- et des contributeurs extérieurs dont la ministre de la Culture Fleur Pellerin, des comédiennes comme Isabelle Adjani, Charlotte Gainsbourg, Juliette Binoche, des intellectuels comme Élisabeth Badinter, la bangladaise Taslima Nasreen, l’américain Russell Banks, et le musicien Ibrahim Maalouf.
≪L'éternité nous est tombée dessus≫
Le dessinateur Riss, patron du journal, grièvement blessé le 7 janvier, y signe un éditorial rageur pour défendre la laïcité et dénoncer les ≪fanatiques abrutis par le Coran≫ et ≪culs-bénits venus d’autres religions≫ qui avaient souhaité la mort du journal pour ≪oser rire du religieux≫. ≪Les convictions des athées et des laïcs peuvent déplacer encore plus de montagnes que la foi des croyants≫, dit-il. ≪En 2006, quand Charlie publia les caricatures de Mahomet, personne ne pensait sérieusement qu’un jour tout ça finirait dans la violence. (...) On voyait la France comme un ilot laïc, où il était possible de déconner, de dessiner, de se marrer, sans se préoccuper des dogmes, des illuminés≫, écrit Riss. ≪Dès cette époque, beaucoup espéraient qu’un jour quelqu’un viendrait nous remettre à nos places. Oui, beaucoup ont espéré qu’on se fasse tuer. TU-ER≫, poursuit-il, en rappelant la fragilité du journal, submergé de procès. ≪A l’issue de chaque année, nous nous émerveillions d’être toujours en vie≫, se souvient Riss.
≪Un mois avant le 7 janvier, je demandais à Charb si sa protection avait encore un sens. Les histoires de caricatures, tout ça, c’était du passé (...) Mais un croyant, surtout fanatique, n’oublie jamais l’affront fait à sa foi, car il a derrière lui et devant lui l’éternité (...) C’est l’éternité qui nous est tombée dessus ce mercredi 7 janvier. Ce matin-là, après le bruit assourdissant d’une soixantaine de coups de feu tirés en trois minutes dans la salle de rédaction, un immense silence envahit la pièce, raconte-t-il. J’espérais entendre des plaintes, des gémissements. Mais non, pas un son. Ce silence me fit comprendre qu’ils étaient morts. Et lorsque enfin un pompier m’aida à me relever, et après avoir du enjamber Charb allongé à mes cotés, je m’interdis de tourner la tête vers la pièce pour ne pas voir les morts de Charlie. Pour ne pas voir la mort de Charlie≫.
≪Comment faire le journal après tout ça ?  C’est tout ce qu’on a vécu depuis vingt-trois ans qui nous en donne la rage
, affirme-t-il. Ce ne sont pas deux petits cons encagoulés qui vont foutre en l’air le travail de nos vies. Ce n’est pas eux qui verront crever Charlie. C’est Charlie qui les verra crever.≫
フランス語
フランス語の勉強?
決定!第24回FNSドキュメンタリー大賞 『五島のトラさん〜父親と家族の22年〜』
大賞作『五島のトラさん〜父親と家族の22年〜』(制作:テレビ長崎)  長崎・五島列島でうどんの製麺業と天然塩の製造をする犬塚虎夫さん(通称トラさん)。1993年の取材から22年。親子の葛藤、喜び、哀しみ…家族の風景の軌跡を追った。長崎市から高速船で1時間半、五島列島の北部にある新上五島町。青い海、青い空、自然豊かな島である。しかし、若者は高校を卒業するとほとんどが島を離れ都会に出ていく。人口は減り続ける一方。それでも五島が好きで、島で生きていく術を考えながら豊かに生きている人がいる。トラさんの愛称で呼ばれている犬塚虎夫さん。名物の五島うどんや天然塩を家族で作り、生計をたてている。妻・益代さんとの間に子どもが7人。トラさんのモットーは「自分の子どもは自分で鍛える」…子育ては親の責任だと言う。子どもたちは毎朝5時に起きて約1時間うどん作りの手伝いをして学校に行く。家族が手伝うことで家計も助かり子どもの教育にも役立つのだ。学校では教わらないことをうどん作りを通して学ぶ、とトラさんは言う。お金を稼ぐことの意味、責任感、家族のコミュニケーションなど得ることは多い。トラさんはうどんの他、
天然塩の製造を県内でいち早く始めた。目の前のきれいな海から海水をくみ煮詰め、真っ白で純白な塩を造る。トラさんは島で生きる術を考え実践している。子どもたちにも五島の良さを知ってから島を出ても遅くないと力説する。

被災地からの声「震災5年目の今を伝える」
東日本大震災の発生直後から、NHK仙台放送局が東北向けに放送を続けている番組「被災地からの声」。被災地の方々に「いま一番伝えたいこと」をうかがい、撮影した方の「声」は全員紹介しています。最近の放送の中から、岩手県釜石市、宮城多賀城市、福島県大熊町の方々の「声」をダイジェストで紹介します。
クローズアップ現代「“新共生社会”(1)踏み出せますか?異文化との暮らし」
フランスのテロ以降、異なる文化に寛容な“共生社会”が試練をむかえる中、新たな道を探るシリーズ。一日目は、20か国の人が住み、外国人との接点が増えた団地などの模索
ハートネットTV ブレイクスルー File.46「ニートのカリスマ」
ネット上で「京大卒・日本一有名なニート」と呼ばれるpha(ふぁ)さん。8年前に会社を辞め、できるだけ生活にお金をかけず好きなことだけをして過ごす毎日を送り、その生き方は若者たちに大きな支持を得ている。今の“ゆるい”生き方にたどり着いた背景には、かつて会社員として働く中で、自分の幸せを犠牲にしてお金を稼ぐことの意味を見失った過去があった。「自分の幸せとは何か」を突き詰めたphaさんのブレイクスルー。

一応仕事始め.でも雑用ばかりで仕事進みませんでした.
Yaさんから年賀のメールが来ました.??と思うと私の住所を書き間違えていて,戻ってきたとのこと.一方Shさんからは写真入りですが,だいぶ若い女性でアレ??って感じ.似ていましたけどね.
神戸のイベントに参加するのに主催者が不明なので調べてみました.多分アヤシイ団体ではないのだと思いました.

初日に願い 野蒜で「多幸あれ」とたこ揚げ
 震災前に東松島市の野蒜海岸で海の家を営んでいた奥松島ビーチハウス組合(阿部祐介代表)は1日、同海岸に手作りの鳥居を設けて初日の出客を迎えた。5年ぶりにたこ揚げも行われ、嵯峨渓では初日の出クルーズが復活した。
 野蒜海岸は県内屈指の初日の出スポットであり、元日は朝日を浴びながらたこを揚げるイベントが恒例だったが、平成23年を最後に休止。同組合は復興に向かう地域の魅力発信で昨年から鳥居を立てており、今年は多幸を願う「たこ揚げ」も復活し、4連の連だこが空を舞った。
 日の出時刻の午前6時50分ごろ、一時的に吹雪のようになったが、朝日が昇ると雪もやみ、逆光の中に多くの人の影が浮かんだ。鳥居越しに拝む人もおり、それぞれに今年1年の健康や多幸などを願った。また気仙沼凧の会の協力によるたこ揚げも人気で、元気に遊ぶ子どもたちの姿もあった。
 初日の出に手を合わせた同市小野の熱海千寛さん(29)は「震災前は野蒜に住んでいたが、初めて初日の出イベントに来た。災いもなく穏やかな年になってほしい。子どもたちをディズニーランドに連れて行きたい」と話していた。
 野蒜海岸では甘酒や蒸しガキの無料提供もあり、多くの人が冷えた体を温め、東松島市を代表する冬の味覚を味わっていた。


<3.11と今>悲劇 繰り返させない
◎子ども 成長の春(3)/小国夢夏さん/旧大槌町役場庁舎を残し、防災を問い続ける場所に。
 大声でまくし立てる町政トップの真意が知りたかった。
 東日本大震災で被災した岩手県大槌町の旧役場庁舎の解体か保存かをめぐり、町が昨年11月17日に大槌高で開いた意見交換会。3年の小国夢夏(ゆか)さん(18)は、解体方針を掲げる平野公三町長に尋ねた。
 「町長ではなく一人の町民として、旧庁舎をどう考えているのかを聞きたいです」
 参加した生徒10人全員が保存を求めた。平野町長は強い口調で反論。生徒たちの意見は大人の受け売りであるかのような発言まで飛び出した。生徒たちがしゅんとなった直後、口を開いたのが小国さんだった。
 大槌中1年のときに震災に遭い、祖父母を亡くした。避難した高台から見えたのは、祖父母の家があり、自分も以前住んでいた赤浜地区が濁流にのみ込まれる光景。泣き叫んだ。別の地区にあった自宅も全壊し、いまも仮設住宅から大槌高に通う。
 意見交換会を前に、おととし夏に訪ねた北海道の奥尻島を思い出した。1993年の北海道南西沖地震で大きな津波被害に遭った島は、被災地区を公園にしたり、かさ上げしたりして、津波の痕跡がほとんど残っていなかった。
 大槌でも過去の津波を記した石碑は忘れられ、悲劇は繰り返された。「また津波が来て、お父さんやお母さんが流されたら嫌だ。二度と大勢の人が死なないまちにしなければ」
 旧庁舎を残し、防災を町民に問い続ける場所にする。自分で導き出した結論だった。
 町は昨年12月、旧庁舎を解体するか保存するかの最終判断を、新年度に先送りすることを決めた。
 震災から4年10カ月。町の復興は遅れ、移転先の宅地も完成時期がたびたび延びた。それでも新しい水産加工場が建ち始め、以前は暗闇だった夜の町に災害公営住宅の明かりが浮かぶ。
 「やっと、ここからが復興なんだ」としみじみ思う。
 震災で多くを失ったが、さまざまな人との出会いや新しいことに挑戦する機会もあった。
 先輩に誘われ、赤浜地区の仮設住宅でお年寄りの昔話を聞く会を5回開いた。元気づけるつもりが、盛り上がりに圧倒された。誰もが顔見知りで声を掛け合うつながり。温かな古里があらためて大好きになった。
 昨年3月、東京であった全国の高校生が地域課題解決のプロジェクトを競う大会に出場した。予選敗退だったが「上には上がある。被災地の外でも高校生が頑張っているのに、負けられない」と刺激を受けた。
 春には宮古市の県立大宮古短期大学部に進む。将来の夢は町職員だ。大槌高の生徒有志でつくる「復興研究会」の活動で町職員と接し、災害に強いまちづくりに直接携われる仕事だと考えるようになった。
 「多くのことを学び、大槌に持ち帰りたい」。被災者を支援するボランティアサークルに入ることも決めている。(東野滋)


<復興印宮城流>農家らを取材 魅力発信
◎(3)みんなの亘理(亘理町)
<地元の逸品紹介>
 北に阿武隈川が流れ、東に太平洋を望み、西に阿武隈山地がそびえる。亘理町の豊かな自然が育んだ山海の幸を「亘理ブランド」として世界に発信する試みが、ことしスタートする。
 町が2月に開設するインターネットサイト「みんなの亘理」。国の地方創生交付金を活用した事業費1800万円のプロジェクトの一環。地域活性化に取り組むNPO法人「元気な日本をつくる会」(東京)が受託し、会員企業の同町のパワフルジャパン宮城(横山英子社長)が運営を担う。
 サイトでは地元の農産物や商品約30点を文章や写真にまとめて紹介。郷土料理はらこめしの作り方や地域のイベントの様子などを動画で配信して町の観光もPRする。4月からは商品の通販も可能になる予定だ。
 開設を控え、社長の横山さん(53)をはじめ社員5人は出店予定の農家や事業所を回って取材を重ねる。生産者や事業主から話を聞き、商品に込めた思いをすくい取ろうとしている。
 昨年暮れ、横山さんは東日本大震災の津波被害を乗り越えて中南米原産のアセロラを栽培する農家伊藤正雄さん(64)方を訪問。約14アールのハウスで実る北限とされる果実を手に取り、伊藤さんに栽培方法などの質問を重ねた。
 「震災を乗り越え、加工品だけでなく果物として出荷する伊藤さんの取り組みには価値がある」と横山さん。生産者に取材を重ねる中で「いい物を地域の人々に届けようとコツコツと頑張っていることをあらためて知った」と印象を語る。
<発電施設 実験へ>
 横山さんと亘理の関わりは震災前にさかのぼる。NPOのメンバーとして6年前から町の活性化事業に携わる中で地域の逸品に親しむ一方、生産者らが積極的に発信しない様子がもどかしかったという。震災で大きな被害が出た地域経済の復興には新たな情報発信が欠かせないと考える。
 「震災から5年近く。メディアが被災地を取り上げる機会は大きく減り、これからが正念場を迎える。生産者自ら積極的にPRすることが大事で、その後押しをしたい」と強調する。
 その先にはさらに大きな夢を描く。農産物の捨てる苗や沿岸の被災農地で育てる牧草を使ったバイオマス発電の確立だ。今春には町内に置くコンテナ式の発電施設で実験を始める。
 「どんどん新しいことに取り組み、地域に貢献したい」と横山さん。亘理ブランドの価値に磨きを掛ける。(亘理支局・原口靖志)
◎地場産品認知度向上
 新たなサイトを通じて「亘理ブランド」として地場産品の認知度がはるかに高まることを期待する。被災地の復興支援という観点でなく、本来の亘理の良さが広まってほしい。ふるさと納税の返礼での商品活用も目指している。(吉田充彦・亘理町企画財政課長)


<成人式>中3で被災時の手紙 二十歳の私へ
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県双葉町の成人式が3日、いわき市で行われ、式後の同窓会で新成人に一通の封書が手渡された。双葉中3年の時、20歳の自分宛てに書き、成人式の日に自宅に郵送される予定だった手紙だ。当時の学級担任が帰還困難区域にある中学校で手紙を見つけ、「サプライズ」として新成人に贈った。
 自分宛ての手紙は2010年10月下旬、3学級あった3年生の74人全員が書いた。11年3月11日の卒業式の直後に東日本大震災と原発事故が発生。74人は全国に散り散りに避難し、町は立ち入り禁止になった。
 当時の学級担任で、同窓会に招待された双葉中教諭松本涼一さん(41)が手紙の計画を思い出し、許可を得て昨年12月、卒業式から時間が止まったままの双葉中に入った。別のクラスの担任だった高橋伸一さん(51)=南相馬市石神中教諭=の記憶を元に、施錠されたキャビネットを開け、手紙を発見。安全性を確認して持ち出した。
 成人式と同窓会には、全国から約60人が出席。卒業式の写真や今も残る黒板の寄せ書き、松本さんが手紙を見つけたときの映像が流された後、松本さんや高橋さんらが一人一人に手紙を手渡した。
 新成人は宛名も差出人も自分の名前が書かれた封筒を受け取ると「覚えていない」「字が汚い」などと言いながら手紙を読み、涙ぐんだり、笑ったりした。
 「親孝行するように」「不安もあると思うけど、頑張って」「涙はきっと君の明日になる」「彼氏はいますか」「髪を染めたい」「高校受験が不安」。将来の自分を励ます言葉や当時の気持ちがつづられていた。
 看護師になる夢を書いていた森藤伶佳さん(20)は「今、看護師を目指して東京で大学に通っている。手紙のことは忘れていたけれど、自分に励まされて、うれしかった」と話した。
 出席できなかった新成人には、町の協力を得て郵送する予定。松本さんは「手紙を渡せてほっとした。当時の気持ちや思い出を胸に、今後も前に進んでほしい」とエールを送った。


気仙沼の魚問屋 被災の蔵を私設資料館に
 東日本大震災で被災し修復された気仙沼市南町の老舗魚問屋の土蔵が、昭和の漁業に関する私設のミニ資料館として整備された。蔵は、かつて港町の繁栄を謳歌(おうか)した内湾地区に位置し、国の登録有形文化財。今も震災の傷跡が残る地域を、観光を通じて復興させるきっかけになればと地元の期待が集まる。
<漁具など50点>
 整備したのは小野健商店専務の小野寺健蔵さん(53)。蔵は戦後間もない1946年に建てられた2階建てで、外壁上部は白しっくい、下部は白黒格子状のなまこ壁。気仙大工の流れをくむ棟りょうと左官の名が記された棟札が残る。
 震災では2階まで津波をかぶり、外壁などに大きな被害があった。修復は多額の費用が掛かることから取り壊しも検討したが、国内や欧米の財団などの支援を受け、昨年5月ごろから資料館として公開している。
 館内には、創業した昭和初期から現代までの漁業関係資料(借り受けたものを含む)50点ほどを収める。
 魚を詰めて出荷するたるやガラス製の浮き、ランプ、お神酒を入れる器など、船にまつわるさまざまな道具が並ぶ。店が新年に全国の得意先を回り配ったちらし広告(拡大コピーパネル)には、えびすや日の出、飾り花といった絵柄が描かれ、目を引く。
 かつての水揚げ作業の写真やカツオ、サンマなど気仙沼を支える魚の漁法パネル、漁船の模型などもあり、水産都市ならではの文化を紹介している。
<韓国から来訪>
 昨年11月には国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)と韓国国立民俗博物館の、日韓の漁業文化に関する共同研究チームが訪問。視察して、漁船への総合的なサービスを提供する魚問屋について認識を深めた。
 小野寺さんは「公開は、国内外からの協力で蔵を修復できた恩返し。多くの人に、来て、見てもらえるよう工夫し、震災を風化させない」と話している。
 見学無料で、事前の連絡が要る。連絡先は小野健商店0226(22)3134。


仮設の魚市場で最後の初競り
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた南三陸町の漁港にある仮設の魚市場で初競りが行われました。ことし新たな市場が再建されるため仮設の市場の初競りは最後となります。
初競りが行われたのは津波で大きな被害を受け、震災後は仮設の建物で取り引きが行われている、南三陸町の志津川漁港にある魚市場です。
朝早くから関係者およそ100人が集まり、威勢のいいかけ声にあわせて、卸売業者などが水揚げされたタコやタラ、それにカレイなどを次々と競り落としていました。
志津川漁港ではことし5月に新たな市場が再建される予定で、仮設の市場での初競りはことしが最後になります。
魚市場によりますと、今年度は例年売り上げの4割ほどを占めるサケの漁獲が震災前の半分ほどに減っているということです。
サケは稚魚として放流された川に3年から4年で戻りますが震災後に放流が少なかった影響が今シーズン出ているということです。
一方、他の魚などは水揚げが徐々に回復しているということで、宮城県漁業協同組合志津川支所の佐々木憲雄運営委員長は「仮設の市場でみんなで頑張ってきて4年がたちました。今後、震災前と同じ水準に戻れるよう期待しています」と話していました。


古里題材に「なみえっ子カルタ」児童が作製
 東京電力福島第1原発事故で避難し、二本松市の仮校舎で授業を再開している福島県浪江町の浪江小、津島小の児童が、古里の歴史や文化を題材にした「なみえっ子カルタ」を作った。
 かるた作りは2012年度から、町の自然や伝統芸能を学ぶ「ふるさとなみえ科」の授業で取り組んでいる。本年度は授業のまとめとして、これまで作った約100点から46点を選んで初めて印刷した。
 読み札は浪江の風物詩や行事などを五七五にまとめ、絵札は絵本作家の指導を受けて描いた。<十日市 かならず買うよ わたあめを><大漁旗 請戸になびく 出初め式>など町の行事や、<またおいで となりのおばちゃん お友だち>と離れ離れになった友人を思う気持ちなどをつづった。
 300セット印刷し、卒業生や転校生に送付したほか、仮設住宅や町民交流館に贈呈。12〜15日には二本松市の仮役場に展示する。
 浪江小の遠藤和雄校長は「かるたを通して古里を思い出したり、子どもたちに町の歴史や文化を伝えたりするきっかけになればうれしい」と話した。


仕事始め 復興あっての五輪 被災地で首長ら誓い
 年末年始休みが明けた4日、官公庁や多くの企業は仕事を始め、2016年が本格的に始動した。通常国会も早速始まる。それぞれが課題や目標に向けて走り出した。
都庁
 2020年東京五輪・パラリンピックまで、あと4年となる年を迎えた東京都庁。舛添要一知事は幹部職員ら約700人を前にした新年のあいさつで「(東日本大震災の)被災地の復興なくして20年大会の成功はない」と述べ、国や被災自治体と連携して大会成功を目指す考えを示した。
 今年8月にはリオデジャネイロ五輪が開幕する。その閉会式には舛添知事が出席して、五輪旗を受け取る。その後は東京大会に向けた準備が加速することになる。舛添知事は「リオが終われば『次は東京』と全世界の目が集まる。努力した成果は、国際社会がちゃんと見ている」と呼びかけた。【飯山太郎】
被災地
 東日本大震災から5年となる年を迎えた被災地では、首長らが復興を誓った。
 津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市。野田武則市長は市役所の仕事始め式で「住まい、暮らしの再建が今年こそ正念場。最大限努力しスケジュール通りに達成できるようにしたい」と訓示した。
 同市は昨年、2019年ラグビー・ワールドカップの試合会場に選ばれ、橋野鉄鉱山が世界遺産になった。一方、仮設住宅で不自由な暮らしを強いられている被災者も多い。
 宮城県の村井嘉浩知事は4日、県庁の仕事始めで幹部職員を前に「一人でも多くの県民に復興を実感してもらえるよう、今日からギアをトップに入れてまい進したい」と抱負を語った。さらに「今なお約5万人が仮設住宅などで不自由な生活を余儀なくされている。一日も早く安定した生活を送れるよう、全力で職務にあたらないといけない」と語った。
 東京電力の広瀬直己社長は福島市の事務所で福島復興本社の幹部ら約40人を前に年頭訓示した。今年4月の電力小売り全面自由化を見据え「今年は新生東電のスタートになる。福島第1原発の廃炉に向けた技術開発や除染のほか、全面自由化後もお客さまに東電を選んでもらえるよう挑戦したい」と述べた。東京五輪・パラリンピックが開かれる20年に、汚染水の増加量ほぼゼロを目指すという。【中田博維、川口裕之、岡田英】
国会
 通常国会は仕事始めの日に召集された。例年は1月中下旬に召集されるが、秋の臨時国会を見送ったこともあり、今年の通常国会は異例の早期召集となった。
 衆参両院の事務局は対応に追われた。参院本会議の運営を担当する部署では、年末の休み前までに政府や政党への連絡などを終わらせたが、一部職員は3日に必要な機器が正常に作動するかどうか確認するため出勤したという。
 ある職員は「4日から始まると思うと、おとそ気分には浸れなかったですね」と話し、「初日からギアを入れていかないといけない。『召集日』という緊張感がある」と気を引き締めた。【樋岡徹也】
JR北海道
 3月26日に北海道新幹線(新函館北斗−新青森)の開業を控えるJR北海道は、島田修社長が札幌市の本社で年頭の訓示を行い「これからが開業準備の正念場。全社で開業を無事に成し遂げることが必要だ」と訴えた。
 同社は一連のレール検査記録改ざん事件以降もトラブルや不祥事が絶えず、昨年末にはトンネル火災で函館線深川−旭川間が2日間にわたり不通になり、帰省客ら約4万7000人に影響が出た。
 島田社長は幹部社員約220人を前に「安全対策の取り組みは道半ば。新幹線を無事開業させることが、当社の安全再生の証しになる」と呼び掛けた。【小川祐希】


<仕事始め>震災5年「復興加速」
 2016年の仕事始めの4日、仙台市内の官公庁と企業は、式典などを行い、新年のスタートを切った。3月11日で東日本大震災の発生から5年になる。組織のトップは年頭のあいさつで、復興の推進や課題の克服に向けて奮起を促した。
◎市民協働 新時代に/仙台市役所
 奥山恵美子仙台市長は市役所で幹部職員約280人に訓示した。5年間の市震災復興計画が残り3カ月を切ったことを踏まえ、「復興のトップランナーとして計画期間を走り抜ける」と決意を語った。災害公営住宅の整備促進や防災集団移転事業の加速を指示した。
 昨年7月に市協働まちづくり推進条例を施行したことを念頭に、看板施策の市民協働を充実させる考えも表明。「新しい時代の市民協働を新しい意欲と工夫で進める」と述べ、ごみ減量や地域防災といった市政課題に市民力を生かす姿勢を示した。
◎再生へトップギア/宮城県庁
 村井嘉浩宮城県知事は県庁講堂に集まった職員600人を前にあいさつ。「東日本大震災から5回目の新年となった。1人でも多くの県民が復興を実感できるよう、今日からギアをトップに入れてまい進してほしい」と述べた。
 村井知事は、3月末までに完了予定の三陸自動車道仙台港北−利府中インターチェンジの4車線化工事や燃料電池車の導入見通しなどを挙げ、「創造的復興の取り組みの成果が着実に見えてきた」と強調。「被災者の安定した生活のため、全力で職務に当たってもらいたい」と期待した。
◎部局越えて連携を/宮城県警
 宮城県警の中尾克彦本部長は県警本部で幹部職員約200人を前に訓示した。特殊詐欺やストーカー事案などの被害軽減といった課題を挙げ、「県民の体感治安は悪化している。部局を越えて連携し、安心安全な地域を実現させてほしい」と呼び掛けた。
 災害公営住宅の整備に伴い、新たな地域社会ができつつある点にも言及。「被災地の治安を支えるという気概を持ってほしい」と求めた。
 訓示に先立ち、本部前駐車場では初点検もあり、中尾本部長らが職員約140人の装備品を確認した。
◎販売自由化に対応/東北電力
 東北電力は、仙台市青葉区の本店で仕事始め式を開いた。原田宏哉社長が約600人の幹部らを前に「ことしは新たな競争のステージに入る転換点」と強調。4月に始まる家庭用電力販売の完全自由化を見据え「東北電の電気を選んでもらえるようスピード感を持って対応する」と語った。
 最重要課題に原発の再稼働を掲げ「全社を挙げて取り組む」と呼び掛けた。原子力規制委員会が活断層の存在を前提に審査を進める東通原発(青森県東通村)については「(活断層ではないとする)当社の見解の説明を尽くす」と述べた。


仙台積雪なし 最も遅い記録に
県内は正月三が日の間気温が高い状態が続き仙台市の3日の最高気温は4月上旬並みでした。仙台市中心部はこの冬のシーズンまだ積雪が観測されず、気象台が観測を始めて以来積雪の観測が最も遅くなることになりました。
仙台管区気象台によりますと県内は上空に寒気が入らず冬型の気圧配置が弱まった影響で正月三が日は気温が高い状態が続きました。
3日の日中の最高気温は▼名取市で14度▼丸森町で13度7分、▼亘理町で13度1分、となったほか仙台市でも12度5分と平年に比べ6度以上高く4月上旬並みの暖かさとなりました。
仙台市宮城野区にある気象台はこの冬、降雪は観測していますが、積雪はまだ観測していません。
気象台によりますと1926年の観測開始以来、仙台市で積雪の観測が最も遅かったのは1959年の1月2日で、今シーズンはこの記録を更新することになりました。
気象台によりますと4日も最高気温が9度と予想されるなど今週前半は平年より気温が高い状態が続く見込みだということです。


寝たきり芸人 同情はいらない、ただ笑って
 難病で全身がまひし、顔と左手親指しか動かせない熊本県合志市の阿曽太一さん(37)は、自身の障害をコントで笑い飛ばす「寝たきり芸人『あそどっぐ』」としてライブやネットでネタを披露している。24時間介護が必要な体だが、「障害は僕の武器。プロになってお笑いを続けていくには今年が正念場と思って頑張ります」と意気込みを語る。【取違剛】
 「アリバイ? 寝てたよ。そして今も寝てるの!」。30キロの金庫盗の容疑をかけられ、警察から事情聴取されるコント「取調室」。動画投稿サイト「ユーチューブ」には、他に「もしも寝たきり障害者が銀行強盗だったら」など約30本を投稿する。「笑っていいのか分からない。でも笑ってしまう!」「この人にしかできないコント」。コメント欄には視聴者の感想が並ぶ。
 佐賀県みやき町で生まれた阿曽さんは生後間もなく、全身の筋力が低下していく脊髄(せきずい)性筋萎縮症を発症。幼い頃から電動車椅子の生活で、福岡県筑後市の養護学校へ通った。
 生来の明るい性格で高等部1年の時に全校生徒の前でコントを披露し、好評だったのがお笑いへの第一歩になった。「皆が笑ってくれて気持ちよかった」。筋ジストロフィーを患っていた同級生の友人とコンビを結成。「2人でプロになろう」。本気で将来をそう思い描いた。しかし卒業後、友人は23歳で他界。ショックでネタ帳も全部捨てた。この頃から寝たきりになった。障害者年金などをもらっていたが、自分の力で収入を得ていく仕事がしたかった。芸人を断念し、貯金を元手に株取引などを始めた。
 転機は32歳の時。生活支援のヘルパーから動画サイト「ニコニコ生放送」を知らされた。パソコンがあれば全国にネタを放送できる。くすぶっていたお笑いへの情熱に火が付いた。ヘルパーに手伝ってもらって動画を撮影し週1本のペースでネタの投稿を始めた。
 以前は障害をネタにすることをしなかったが、ためらわず自分の武器にした。初回の視聴者はわずか7人。コメント欄には「つまらねー」と書き込まれた。しかし投稿開始から数カ月後、障害者がお笑いのネタを競うNHK・Eテレの番組「SHOW−1グランプリ」にネタのDVDを送ったところ、審査を通過し、準優勝を果たした。これを機に株取引をやめて自ら退路を断った。テレビやイベントの仕事を受け、ギャラとして月数万円を稼げるようになった。障害者年金などと合わせて、なんとか1人暮らしをしている。
 福岡市で毎月開催されるライブ「お笑い番長」にも1年以上出演する。主宰するお笑いタレント、篠原けんじさん(29)は「舞台では障害をも笑いに変えられる。彼にはその力がある」と評価する。
 ニコニコ生放送の視聴者は約100人にまで増えた。生放送への連続登場は今月19日で1年になり、大きな節目と位置付ける。「物心ついた時にはこの体。同情も感動もいらない。ただ笑ってほしい」。それが自分の生きる道と思っている。


家族と社会  多様性を包み込む政治こそ
 こんなクイズがある。
 父親と息子が同じ車に乗っていて交通事故に遭った。搬送先の救急病院で重傷の子どもの手術をしようとしたところ、外科医が子どもの顔を見てひどく驚き、とても手術などできそうにないと言う。なぜなら「この子は私の実の息子だからです」。さて外科医と子どもはどんな関係か−。
 母親と外科医の不倫でできた子。あるいは、一緒に事故に遭ったのは義理の父親(母親の再婚相手)で、遺伝上の父親は外科医だった。どちらもあり得るが、もっと単純な答えがある。「外科医は子どもの母親だった」
 外科医は男性だと思い込み、この答えにたどり着かない人が多いと、伊藤公雄・京都大教授(ジェンダー論)が著書に書いたのが13年前。今、その状況は少しは変わっただろうか。
 人口減少で働き手の確保が難しくなるなか、女性の活躍の場をもっと広げようとの機運が高まっている。政府は4月施行の「女性活躍推進法」を成長戦略の柱の一つに位置付けるが、何よりも女性一人一人の生き方の選択肢を広げ、本来の能力を発揮するための一歩としたい。それこそが、停滞した社会のどこかに風穴をあけることにつながるからだ。
 迫られる二者択一
 世界経済フォーラムが昨年公表した男女の平等度「ジェンダーギャップ指数」で、日本は145カ国中101位。この10年間でむしろ順位を下げている。経済と政治における女性の参画率が、途上国と比べても低いためだ。
 仕事と子育ての両立支援の制度は、育児・介護休業法をはじめとして一定程度整えられてきた。それでも管理職などの指導的地位への人材育成と登用は遅れている。地方議会や国会の議員も少ない。政府は先月、「2020年までに指導的地位に占める女性の割合を30%程度」としていた目標を断念し、大幅に下方修正した。
 参画率が上がらない最大の理由は、長時間労働を前提とした男性中心型の労働慣行が変わらないことだ。今なお多くの女性が「仕事か家庭か」の二者択一を迫られ、家庭を優先すれば離職や非正社員化、または「マミー・トラック」と呼ばれる昇進とは縁遠いキャリアコースを選ばざるを得ない。
 最近の朝型勤務や週休3日制も「多様な働き方」の一つではあるが、総労働時間の短縮にはさほどつながっていない。
 見えない壁の存在
 かつて高度経済成長を支えた性別役割分業と長時間労働は、今では社会のリスク要因だ。過労死やメンタルヘルスの悪化は男性を中心に深刻さを増している。職場の余裕のなさが、妊娠・出産で時短勤務をする女性への不当な扱い「マタニティーハラスメント」を生んでいる。フルタイムで働きにくいシングルマザーを低賃金に追いやり、その影響は子どもたちの育ちと学びにまで及んでいる。老親の介護と仕事の両立も厳しい。
 家族や社会のかたちが揺らぐなか、多くの人は自分を犠牲にしながら、懸命に周囲との絆や関係性を保とうとしている。政治がすべきことは「もっと頑張れ」と旗を振ることではなく、負担を分かち合い、誰の生き方も排除しない仕組みをつくることである。
 だが現実には、規範や伝統を重んじるなどの名目で、既存の型に人をはめ込もうとする同調圧力がないと言えるだろうか。自分たちとは異質なものの存在を指さし、見えない壁で隔てようとする空気はないだろうか。
 例えばそれは、選択的夫婦別姓や性的少数者(LGBT)をめぐる議論の中に見え隠れする。別姓制度の導入に関する世論の賛否は拮抗(きっこう)しているが、政界では保守派を中心に、同姓に基づく旧来の家族の在り方こそ望ましいとする意見が根強い。先月の最高裁判決を受け、議論の場は再び国会へ戻るが、改姓による不利益やアイデンティティーの喪失を訴える人々の声にどうこたえるのだろう。
 異質なものの可能性
 同性愛や性同一性障害などLGBTについては東京都渋谷区の同性パートナーシップ条例をきっかけに、差別解消を訴える声が若い世代を中心に広がっている。海外では同性婚を法的に認める動きが進むが国内では十分な議論がなく、昨年も複数の地方議員から差別発言が出るような状況だ。ネット上には偏見に基づく一部の市民の過激な書き込みもみられる。
 社会の多数派にとって自分と異なるものとの出会いは、確かに摩擦や葛藤を生みがちだ。けれども同時に、新たな道を開く可能性も秘めている。日本と同じく性別役割分業観の強かった欧米社会が1970年代以降に政策転換し、同一労働同一賃金の適用をはじめとする格差解消に動いた結果、少子化に歯止めをかけ、新産業創出にもつなげていることに学びたい。
 新年度から5カ年の「第4次男女共同参画基本計画」で政府はようやく男性中心型労働慣行の見直しを強く打ち出したが、またも掛け声倒れになっては困る。すでに人々の生き方や意識は多様化している。社会の変化に合わせて政治が変わる時だ。


原発事故に苦悩、母子追う 2月に京都で上映
 京都府向日市の福島支援グループ「ミンナソラノシタ」(ミナソラ)は2月5日、原発事故による被ばくをテーマにしたドキュメンタリー映画「小さき声のカノン−選択する人々」を、京都市南区のイオンシネマ京都桂川で上映する。
 同映画では、福島第1原発事故による被ばくから子どもを守るため、苦悩しつつも前向きに生きる母親たちの姿が描かれているほか、チェルノブイリ原発事故で被ばくしたベラルーシの子どもたちの現在も追っている。
 当日は午前10時から上映(上映時間119分)。午後0時15分からは監督を務めた鎌仲ひとみさんのトークイベントもある。
 1200円(前売り券は千円。関西への避難者は800円)。前売り券はミナソラのオンラインショップなどで購入できる。問い合わせは事務局携帯電話090(9705)1075かメールアドレスmail@minasora.org 


京都市役所 着物で仕事始め
官公庁や企業の多くが仕事始めとなる4日、京都市役所では、職員が和服姿で新年最初の業務に臨みました。
京都市役所では8年前から、有志の職員たちが和服姿で仕事始めに臨んでいて、ことしは、およそ500人が伝統的な装いで出勤しました。
産業観光局では、色鮮やかな着物姿の女性職員や羽織はかま姿の男性職員が新年のあいさつを交わしたあと、業務の打ち合わせなどにあたっていました。
毎年、仕事始めに和服を着ている女性職員は「帯は母親から譲り受けたものです。新年に着物を着ると身が引き締まる思いです」と話していました。
また、はじめて和服で仕事始めに臨んだ男性職員は「市の職員が率先して和服を着ることで、伝統的な和服の魅力を広く伝えていきたいです」と話していました。


担い手を育む/ここから民主主義を始めよう
 戦後の平和主義を転換する安全保障法制をめぐり、世論が二分された昨年夏、反対運動を引っ張ったのは大学生らのグループ「SEALDs(シールズ)」だった。
 根源的な問いは世代や立場を超えて人々の心を揺さぶった。安保関連法は成立したが、運動は全国に広がり、安保法廃止など新たな目標を掲げる動きにつながった。
 今夏の参院選は「18歳選挙権」が導入される。試されるのは若者だけではない。一人一人が民主主義の担い手として目覚めることが大切だ。
       ◇
 安保法成立から約2カ月たった昨年11月13日夜。関西を拠点とする「シールズ関西」は神戸市のJR元町駅前で久々に声を上げた。掲げたのは「辺野古への新基地建設反対」。
 昨年2月、沖縄県名護市辺野古を訪れた同志社大2年の野間陸さん(20)は「僕は気づかないうちに犠牲を押しつける側に加担しているかもしれない。それが気持ちが悪くてしょうがない」と思いをぶつけた。
 他のメンバーも次々にマイクを握った。「無関心でいることが、沖縄への差別そのものだと思います」「私たちが自分のいる所から声を上げないと現状は変わりません」。足を止めた聴衆の多くは、雨が降り出しても立ち去ろうとしなかった。
立ち止まり考える
 「異なる意見を否定するのでなく、自分の中の違和感を丁寧に言葉にしている。過去の運動とは明らかに違う」と神戸女学院大名誉教授の内田樹さん(65)は分析する。
 その言動は上の世代も動かしつつある。半世紀にわたり平和、人権活動を続ける「I(アイ)女性会議ひょうご」(神戸市)は昨年12月、学習会にシールズ関西とブラックバイト問題に取り組む「関西学生アルバイトユニオン」の大学生を初めて招いた。
 シールズの女子学生(22)は「いつまでも夏の思い出話に浸っていないで、次に何ができるか考えないと」と冷静に分析した。同ユニオンの男子学生(22)は「学生を安い労働力としか見ない風潮と、何となく安保法も沖縄の米軍基地も必要だよね、と思う空気はつながっている。他人のしんどさに目をつぶる社会を一緒に変えたい」と訴えた。
 連帯を求める発言は、問題を先送りしてきた大人たちにも行動を迫る。同会議の川辺比呂子さん(64)は「若い世代に希望を託すだけでなく、もう一度、自分にできることをやろうと意識が変わった」と話す。
 第2次安倍政権の発足後、合意形成や結果の検証よりも「変える」「決める」を優先する政治が加速している。「急すぎる変化を危ないと感じ、立ち止まって声を上げる若者の登場は政治の速度を正常に戻す復元力になる」と内田さんは期待する。
 この夏、約240万人の未成年者が有権者に加わる。初めての選挙を前に模擬投票の推進や高校生の選挙運動の可否などが取りざたされる。
多様な政治参加を
 だが「政治参加=選挙、投票」と矮小(わいしょう)化するのは危険だ。新たな票を取り込もうとする政党や政治家から見れば選挙の時だけの「お客さま」で終わりかねない。自立した主権者を育てる機会を逃してしまう。
 市民教育事業を展開する「シチズンシップ共育企画」代表の川中大輔さん(35)=尼崎市=は、中高生が子どもたちの居場所づくりなどの地域課題を見つけ、解決策を考え、行動するプログラムを尼崎や京都で続けてきた。今年は神戸で高校生による新たな政策提言プログラムを企画している。「若者の声を本気で政策に反映させる大人の姿勢が問われる」と川中さん。同時に「在日外国人など選挙権がない人も排除せず、共に生きる市民だとの認識を共有する必要がある」と指摘する。
 批判的な意見に対し「文句があるなら選挙で落とせばいい」といった政治家の物言いが横行している。
 選挙は政治参加の重要な手段だが全てではない。白紙委任せず、監視を続け、おかしいと思えばデモなどで抗議する。行政への政策提言や議会への陳情請願もある。少数でも一人一人がさまざまなやり方で民意を示し続けることが、選挙至上主義への対抗手段になるのではないか。
 どこからでも民主主義は始められる。「民主主義って何だ」「勝手に決めるな」と、路上で声を上げた若者たちの姿がそう教えてくれる。


メディア万華鏡 「夫婦同姓は合憲」とした最高裁判事10人の度量
山田道子 / 毎日新聞紙面審査委員
 「夫婦同姓は合憲」という横見出しで最高裁判決を伝える毎日新聞の昨年12月17日朝刊1面には、サッカー女子日本代表(なでしこジャパン)の澤穂希選手(37)の今季引退を伝えるニュースも載っていた。澤選手に関する社会面の記事には「もう一つ、引退への決断を加速させたのが今年8月の結婚だった」と書いてあり、“寿退社”ってこと!?とびっくり。最高裁判決と合わせて「なんだかなあ」と感じた。
 選択制夫婦別姓でさえ国会ではどうにもならないから最高裁に望みを託したのに、最高裁は再び国会にげたを預けてしまった。この状況を考えるに当たって、朝日新聞17日朝刊のオピニオン面[耕論]に載った識者談話が手がかりになった。
社会の中の少数派をどう考えるか
 自民党の国会議員らは「家族の絆を壊す」を理由に夫婦別姓に反対する。しかし、朝日紙上で泉徳治元最高裁判事は、国会で改正が進まないのはこの問題が少数の権利にかかわることで、政治家は常に多数を強く意識するから期待するのは難しいと指摘。そして、少数者の人権を守ることができるのは裁判所しかないのに、「今回の判決は、裁判所が果たすべき役割を果たしておらず残念」と批判した。
 同じ朝日紙上で、山田昌弘中央大教授は、別姓が原則の中国や韓国で家族が壊れているという話は聞いたことがないと「家族の絆を壊す」説を否定。そのうえで「夫婦別姓への反対は結局、理屈ではなく感情なのでしょう。その底にあるのは、社会の同調圧力です」「問われているのは、皆と同じにしないなら不利益を受けて当然、あるいは人と違うことを許容しない、という社会でこれからの日本は大丈夫なのか、ということです」と話す。
 泉氏と山田氏に共通するのは、社会の中の少数派をどう考えるか、どう扱うかだ。その意味で、毎日新聞が最高裁判決前の12月5、6日に実施した世論調査の結果は興味深い。選択制夫婦別姓に賛成は51%、反対は36%という回答だった。一方、夫婦別姓が認められた場合、夫婦で同じ名字を選ぶかどうか聞いたところ、「夫婦で同じ名字」は73%、「夫婦で別々の名字」は13%だった。
 だったら同姓でいいじゃないかとなるところだが、「夫婦で同じ名字」を選んだ人でも49%は選択制夫婦別姓に賛成している。全体でみると、約3人に1人は「自分は夫婦同じ名字にするけれど、夫婦別姓には賛成」なのだ。
 そのような人たちは、別姓を望む少数派の権利は守られるべきだと考えるだろうし、「皆と違うことは許容しない」という同調圧力からは自由だろう。
 直接関係はないが、同じ世論調査で選択制夫婦別姓に賛成の人の48%は「日本も難民を受け入れるべきだ」と答え、反対の人の58%が「受け入れるべきでない」と答えた。夫婦別姓は社会的許容度の指標かもしれないと思った。
「人と違うことを許容する」ことに消極的な裁判所や国会
 こうして考えてくると、「少数派を尊重する」「人と違うことを許容する」ことに関しては世の中のほうが裁判所や国会より先に行っていると思えてくる。
 最高裁判決を知った時、国政選挙が待ち遠しくなった。今年7月の参院選では、夫婦別姓に対する態度が候補者や政党の投票基準の一つになるだろう。
 衆院選と同時に最高裁判所の国民審査もある。罷免すべきだと考える裁判官の名前の上に「×」をつけるもの。夫婦同姓について今回、15人の裁判官のうち10人が合憲とし、3人の女性裁判官全員を含む5人が違憲とした。次回の国民審査の関心が高まるかもしれない。
 ところで澤選手。17日に引退記者会見をした。朝日新聞の18日朝刊によると、「8月に結婚を発表しての引退。関係あるか」と聞かれ、澤選手は「まったく、それはない。結婚しようがしまいが、引退の結論に関係ない」と断言した。毎日新聞の17日朝刊1面に載った二つのニュースは「なんだかなあ」でくくるものではなく、対照的なものだった。


人模様 沖縄また「捨て石」の危惧 潮平芳和・琉球新報編集局長
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設を巡って国と県が対立する中、潮平(しおひら)芳和・琉球新報編集局長(55)が福岡市で沖縄県人の思いを語った。
 潮平さんは、政府が安全保障関連法の下、米軍基地を固定化し、沖縄が再び「捨て石」にされる危惧を県民が抱いていると説明。反対の動きを紙面で手厚く扱っても本土ではなかなか反映されず、情報格差をどうなくすかが課題だとした。
 また、日米安保容認が大手新聞の世論調査などで8割に上る背景について、本土メディアが安保の是非を二者択一で問う傾向を挙げた。沖縄では平和友好条約なども含む複数の選択肢を示し、多様な安保論議の環境を整えているとして、普天間移設に「辺野古しかない」とかたくなな姿勢を崩さない政府を批判した。
 「このままでは子や孫に十字架を背負わせてしまう。自由、平等、人権が沖縄にあるのか」。民主国家・日本の中に、沖縄は含まれていないのではないかとの疑問を投げかけた。【林田英明】


安保関連法 国会召集の日 今年初めての大規模抗議集会
 通常国会が召集された4日、東京・永田町の国会周辺では、安全保障関連法の廃止を求める市民らの大規模な抗議集会が今年初めて行われた。市民団体「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催。
 昨年9月の安保法成立から3カ月以上になるが、この日も集会が進むにつれて参加者が増え、議員会館前の歩道を埋め尽くすほどの人だかりができた。参加者たちはプラカードや横断幕を掲げ、国会に向かって「戦争法はいますぐ廃止!」「安倍政権の暴走を止めよう!」などと訴えた。
 野党の幹部らもマイクを握り、共産の山下芳生書記局長は「国家の暴走で、個人の尊厳を踏みつぶす政治だ。真剣に誠実に国会論戦と野党共闘を努力する」、社民の福島瑞穂副党首は「戦争法を廃止するための国会にしていこう。戦争法を作動させないための闘いもやっていきましょう」と訴えた。
 民主の福山哲郎幹事長代理は「安倍政権は国民の声を聞かない、何でも問答無用に切って捨てる。安倍政権の姿勢を正していくために、さらなる市民の輪を広げていただければ」と声を張り上げた。【樋岡徹也】

仮設から引っ越しの年賀状/震災の番組

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Les rendez-vous les plus étonnants de 2016
LE FAIT DU JOUR. Des exploits, des avancées scientifiques ou des nouveautés technologiques : l'année 2016 devrait nous apporter son lot de sujets passionnants.
Adieu 2015 tragique. On espère que 2016 sera plus douce. Voici quelques rendez-vous qui devrait nous captiver en 2016.
Les robots débarquent
Les enfants adorent leur bouille sympathique, les personnes âgées s'amusent et se sentent stimulées par leur compagnie. De plus en plus utilisés dans les maisons de retraite, plébiscités par les petits et les ados, les robots débarquent en France ! Et cette fois-ci dans les magasins et les halls de gare. Les adultes, plutôt sceptiques pour l'instant, vont-ils succomber à leur tour ? Pepper, le premier robot humanoide agent d'accueil, testé depuis ces derniers mois, par la SNCF, dans trois gares en pays de Loire (Nort-sur-Erdre, Saumur et Les Sables-d'Olonne), ainsi que par Carrefour dans trois de ses hypermarchés, en est le parfait exemple. Pepper est capable d'accueillir les clients, grâce à son logiciel d'interaction verbale et sa capacité à ≪ trouver la bonne distance ≫. Son coût est assez peu élevé (1 500 €) pour des grandes entreprises.
Pour l'instant, les ≪ grands ≫ qui l'ont croisé le trouvent ≪ un peu lent ≫. Mais ≪ plutôt sympa ≫. Après Pepper, qui d'autres ? Beaucoup ! Car demain, ils seront de plus en plus présents dans notre quotidien assurent les spécialistes. 2016 sera à ce titre l'an I pour s'y préparer.
Sans parachute à plus de 7 000 m
Son odyssée ODYSSEE vertigineuse ne durera que deux grosses minutes... Mais quel frisson ! Au début de l'année, l'Américain Luke Aikins, 41 ans, légende de la chute libre, s'élancera d'un avion à 7 620 m du plancher des vaches... sans parachute ! Pour cette première baptisée Heaven Sent (tombé du ciel), le trompe-la-mort veut atterrir dans un filet carré de décélération de 30 m2. Pour ne pas rater sa cible, il sera guidé par un GPS distillant les informations dans ses oreillettes. Il saura alors s'il doit modifier sa trajectoire, s'orienter davantage vers le nord ou plus vers le sud. Il ne sera équipé que d'un masque à oxygène et volera à une vitesse maximale de 250 km/h.
Le saut sera retransmis à la télé, avec un léger différé en cas d'accident. Fou ? ≪ Je ne tenterai pas quelque chose dont je ne suis pas sûr à 100 % ≫, rétorque ce costaud qui touchera terre à très grande vitesse... Depuis le plongeon stratosphérique de l'Autrichien Félix Baumgartner il y a trois ans, c'est le saut le plus risqué tenté.
Des secrets de Kheops levés
Ce sont quelques-uns des plus grands mystères de l'archéologie qui vont peut-être enfin être élucidés dès ce début d'année. C'est à ce moment que seront révélés les résultats de la mission Scan Pyramids. Un dispositif sans précédent, impliquant des scientifiques du monde entier et lancé par la faculté des ingénieurs du Caire et l'institut français HIP (Héritage innovation préservation), qui a recours aux technologies les plus modernes.
Thermographie infrarouge, radiographie par muons (des particules cosmiques qui traversent tout) et reconstruction 3D sont sollicitées afin de littéralement scanner quelques-uns des plus gros objets du monde, quatre pyramides dont celles, mythiques, de Kheops et Khephren. Les premiers résultats, communiqués dès fin novembre, sont encourageants. Des anomalies de températures ont déjà été repérées à la surface des monuments, ce qui laisse supposer qu'il existe des creux, peut-être des pièces cachées.
Un nouvel ancêtre ?
≪ Je suis ton ancêtre ≫, semblent dire 1 500 ossements de quinze individus vieux de plus d'un million d'années, retrouvés dans la grotte de Maropeng (Afrique du Sud) sur le site archéologique du berceau de l'humanité. C'est, en tout cas, l'avis du paléontologue américain Lee Berger, auteur de cette découverte. Homo naledi, c'est le surnom qu'il a donné à ce qu'il estime être une nouvelle espèce humaine du genre hominidé, trait d'union entre les australopithèques et Homo erectus. Mais la science devra dire, en cette année 2016, si cette thèse tient ou pas. Certains chercheurs sont en effet sceptiques, comme le paléontologue Yves Coppens : ≪ Avec la petite tête qu'il a, il s'agit plutôt d'un australopithèque de plus. ≫
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ナイナイのお見合い大作戦!
1月13日(水)7:56からは『ナイナイのお見合い大作戦!』! 記念すべき30回目の舞台は…長野県 菅平高原! 昨年日本中にブームを巻き起こしたラグビーの聖地・菅平高原で、恋のトライ祭り勃発! 放送に先がけ、香川県 観音寺の花嫁から、記憶に残るストーリーをもう一度!
岡村隆史・矢部浩之(ナインティナイン)
要潤
おのののか・柳原可奈子
加藤紀子 佐藤B作

アニメ「境界のRINNE」一挙アンコール放送(2)第8〜13話
死神少年・六道りんねと、幽霊が見える少女・真宮桜が巻き起こす学園&霊界ラブコメディー!宿敵たちとのバトルシーン満載の8〜13話を一挙アンコール!原作:高橋留美子
りんねが通う高校で、学園祭がひらかれていた。喫茶店の仕事で桜と行動をともにするりんねだったが、霊的事件が発生し、楽しいはずの学園祭は思わぬ方向へと向かっていく。そして、ついに宿敵・だまし神カンパニー社長で父・鯖人(さばと)と対面を果たしたりんね。カンパニーの相続をめぐる、親子バトルが始まる!さらに、だまし神を憎むお嬢様死神・鳳(あげは)の登場によって、りんねと桜の関係にも変化が現れはじめる。
石川界人,井上麻里奈,生天目仁美,木村良平,柿原徹也,村川梨衣,徳井青空,洲崎綾,ゆきのさつき,山口勝平,玄田哲章
高橋留美子,
横手美智子,高山カツヒコ,柿原優子
菅原静貴

TOMORROW「孤立した仙台空港 脱出までの軌跡」
海からわずか1キロの仙台空港は、2011年3月の大津波で1階天井まで浸水。陸の孤島と化した。このとき空港にいたのは、旅行者、空港関係者、近隣から避難してきた地元住民ら、合わせて1700人。人々は、水道、電気、ガスのライフラインが途絶え、食料の備蓄もなく、小雪降る寒さの厳しい状況をどう乗り越えたのか。そこには、自ら臨機応変に助け合う人々の姿があった。孤立から本格的な脱出が始まるまでの軌跡をたどる。
ラッセル・グドール,ステュウット・ヴァーナム・アットキン

証言記録・東日本大震災 第47回 「宮城県 多賀城駐屯地」〜自衛隊員 遠い家族〜
宮城県多賀城市に位置する陸上自衛隊多賀城駐屯地。900人あまりの「第22普通科連隊」は、隊員の多くが地元・宮城県の出身者で占める「郷土部隊」としても知られている。震災発生後、被災地で不眠不休の活動を続けた隊員たち。自宅のすぐそばまで行きながらも、家族の安否を確認することが出来なかった。一方、家族たちは津波によって孤立し、食料のない中、子どもたちを守るため必死に闘っていた。番組では、家族への思いと救助活動のはざまで揺れながら、震災に立ち向かった自衛隊員と、その家族の思いを証言でつづっていく。
100分 de 名著「荘子」
制度を整え、競争を煽り、管理や罰則を強めれば社会はうまくいくという考えが主流を占める現代。その考え方に巨大な「否」を突きつける本があります。「荘子(そうじ)」。今から2300年前、中国の戦国時代中期に成立したとされる古典です。5月放送の「100分de名著」では、肩の力を抜き、自然体で生きる術を語ったこの名著を取りあげます。
「荘子」を書いたのは荘周。宋の国で漆園を管理する役人でしたが、やがて隠遁生活に入った人物です。卓越した才能を買われ宰相になるよう口説かれますが、世に出ることをよしとせず、在野の自由人として生涯を終えました。
その背景には「万物斉同」という根本思想があります。姿かたちはさまざまでも、万物はすべて「道(タオ)」と呼ばれる根本原理が変化したものであり、もとより一体であるという思想です。広大無辺な「道」からみれば、ものごとの是非や善悪、美醜、好悪などには本質的な違いなどありません。それなのに、世間の人々は自分の価値観を絶対視し、愚かな争いをやめようとしません。荘周はそうした愚かさから身を引き離して、全てのものをあるがままに受け容れ、「道」と一体化する自在な境地の素晴らしさを説き続けたのです。
社会が複雑化し息苦しさを増し続ける現代、「荘子」を読み解くことで、様々なしがらみから抜け出し自由になるヒントや、あるがままを受け容れ伸びやかに生を謳歌する方法を学びます。
第1回 人為は空しい
【ゲスト講師】
玄侑宗久(臨済宗妙心寺派福聚寺住職)
人間の小賢しい知識が生き生きとした豊かな生命を奪ってしまう「渾沌の死」、機械の便利さにかまけると純真な心を失ってしまうという「はねつるべの逸話」。「荘子」はいたるところで、本来の自然を歪めてしまう「人為」の落とし穴を指摘する。その背景には、「荘子」の「無為自然」の思想がある。人為を離れ、自然の根源的な摂理に沿った生き方こそ、人間の最高の境地だというのだ。第1回では、「荘子」の全体像を紹介しつつ、人間の小賢しい「人為」の空しさと、人為の働かない「無為自然」の素晴らしさを伝える。
第2回 受け身こそ最強の主体性
【ゲスト講師】
玄侑宗久(臨済宗妙心寺派福聚寺住職)
周囲に振り回されるマイナスなイメージがつきまとう「受け身」。だが「荘子」では、「片肘が鶏に変化してもその姿を明るく受け止めようとする男」「妻の死を飄々と受け止める荘周」といったエピソードを通して、「受け身」にこそ最強の主体性が宿ると説く。玄侑宗久さんは、こうした境地が「禅の修行」と共通性しているという。「荘子」では、主観や知のはたらきから離れて大いなる自然を受け容れ合一する「坐忘」という方法を説く。これは、坐禅により宇宙大に広がった「我」と「自然」が和した状態と共通するあり方、究極の「受け身」だ。第2回は、「荘子」が説く「全てを受け容れたとき人は最も強くなれる」という「受け身」の極意を禅と比較しながら明らかにする。
第3回 自在の境地「遊」
【ゲスト講師】
玄侑宗久(臨済宗妙心寺派福聚寺住職)
「荘子」では、自在に躍動する生き方の極意が説かれている。天理に従う無意識の境地の素晴らしさを伝える「牛肉解体の達人の逸話」。常識では全く無用の存在に豊かな意味を与える「無用の用」のエピソード。それらは、世間的な価値でははかれない「遊」の境地を教える。一見役立たずの大木も、舟遊びや昼寝といった「遊」の立場に立てば、一気に「大用」に転換する。それは「人の役に立つことで却って自分の身を苦しめる」状況からの解放だ。第3回は、「用」から「遊」への価値転換を説く「荘子」から、何物にもとらわれない自在の境地の素晴らしさ、伸びやかに生を謳歌する極意を読み解く。
第4回 万物はみなひとしい
【ゲスト講師】
玄侑宗久(臨済宗妙心寺派福聚寺住職)
万物を生み出しその働きを支配する「道」を根本原理ととらえた「荘子」。「道」からみれば万物は一体であり、人間世界の価値は全て相対的で優劣などない。「万物斉同」と呼ばれるこの思想は、世俗的な価値にとらわれ、つまらないことで争いを続ける人間の愚かさを笑い飛ばす。「胡蝶の夢」「道は屎尿にあり」といった卓抜なエピソードは「万物斉同」の思想をわかりやすく伝えるともに、あるがままを受け容れ真に自由に生きる極意を私達に教えてくれる。第4回では、これまで展開してきた全ての思想を支える「荘子」の要、「万物斉同」の思想を明らかにする。
こぼれ話。
わくわくするような「知の冒険」!
こういうと講師の玄侑宗久さんからは怒られてしまうかもしれません。「荘子」を書いた荘周さんは、人間の「知」というものにとても懐疑的な人でしたから。ですが、私は、今回の番組制作での体験が、類まれなる「知の冒険」であったと、あえていってみたいのです。
「知る」という経験は、自分をがんじがらめにしていた「常識」をこんなにもひっくり返してくれるものなのか! そして、こんなにも生き生きと自分を解放してくれるものなのか! それが「荘子」という名著を一読したときの私の第一印象でした。ですが、あまりにも常識を超えていて、私のようなちっぽけな「物差し」しか持ち合わせない人間にはどうしても理解できないところも多々ありました。そんなところに、ひょいと現れてくれた最高の案内人が玄侑宗久さんだったのです。
玄侑さんの解説の妙の一つは、「言葉が本来もつ意味」の「読みほぐし」というところにあると思います。「主人公」という言葉の読み解きはみなさんも驚かれたと思いますが、時間の関係でどうしてもご紹介できなかった解説を二つほどご紹介させていただきます。
一つ目は、「解釈」という言葉の語源について。実は、この言葉、第三回でご紹介した牛肉解体の達人、「庖丁(ほうてい)」のエピソードが元になっているという説があるのだそうです。これは玄侑さんに教えられるまで知りませんでした。
「解」という字、よくみると「牛」の体から「刀」を使って「角」を切り離す、という形になっていますよね。そして、「釈」は「分け取る」という意味なのだそうです。つまり、角を切り離した残りの部分から肉を分け取る。ここから「解釈」という言葉が生まれたというのです。エピソードにからめてちょっと深読みしてみると、「庖丁」のように、自然の筋目にすっと刀をいれるがごとく、無意識かつ自在の境地で行われるものこそが、本当の「解釈」なのかもしれませんね。私など、「100分de名著」のプロデューサーをしていながら、力技ばかりが先にたち、間違った解釈をしてばかりで四苦八苦しております(笑)。
二つ目は「天鈞(てんきん)」という言葉。あまり耳慣れない言葉ですが、第四回でご紹介した「万物斉同」の立場を表す言葉なのだそうです。「鈞」というのは金偏(かねへん)ですが、平均の「均」を使った箇所もあるのだとか。
玄侑さんによれば、「天鈞」は、天から見れば、全てのものは釣り合っているということを意味します。つまり、天の高さから眺めれば、区別や対立などというものはおよそちっぽけでつまらないものになるという意味です。この「天鈞」という見方を獲得して、余計な対立や差別を解消しようというのが、荘子が説こうとしたことでないかと玄侑さんはいいます。番組でもおっしゃっていましたが、まさに「宇宙的なまなざし」ですよね。
こうした例からもわかるように、玄侑さんと一緒に番組を作っていくことは、とんでもない「発見」と「驚き」の連続でした。企画を練っているとき、玄侑さんとの電話での話し合いを今でも思い出します。実は私の最初の企画書では、第四回「万物はひとしい」は、第一回の放送に位置づけられていました。この企画書を読んでくださった玄侑さんは「すごくよくできた構成だと思うんですが、『万物はひとしい』の回は、最後にもってきませんか? おそらくあまりにもスケールが大きすぎて、いきなりお話しても視聴者のみなさんがついてこられないのではないかと思うんです。ゆっくり各論を噛み砕いて理解を少しずつ深めていってからのほうがよいと思います」
記憶から再現していますので、一言一句同じではないのですが、こんな言葉を投げかけられました。その瞬間、ばあーっと視界が開かれるような気持ちになりました。私の意図は、まず最初に「荘子」の第一原理たる「万物斉同」をきっちり理解させ、各論に入っていくというものでしたが、今、考えると、私が最初に考えた順番は、逆に生き生きとした「荘子」という書物の「いのち」を殺すことになっていたと思います。まさに「渾沌を殺す」ことになっていたかも。「荘子」を知り尽くした玄侑さんならではの見事なアドバイスでした。
その打ち合わせの中で、とてもうれしいこともありました。再び記憶からたどって会話を再現します(細かいところは違うかもしれません。玄侑さん、ごめんなさい)。
A「全四回のどのテーマにもあてはまらないのですが、どうしても入れたいエピソードがあるんです」
玄侑「もしかしたら《あれ》じゃないですか?」
A「玄侑さんの《あれ》と合っているかどうかわかりませんが、『荘子』の冒頭に出てくるエピソード、北の果てにある海に棲む魚『鯤(こん)』が、数千里にも及ぶ巨大な鳥『鵬(ほう)』に変身して南海の果てに飛んでいくという《あれ》です」
玄侑「そうでしょ、そうでしょ! 《あれ》はいれなきゃいけません。で、《あれ》を入れるんだったらラストでしょ、やっぱり!」
二人のいう《あれ》が全く同じだったこともうれしかったのですが、私自身も《あれ》を入れるんだったら絶対ラストだと思っていたので、そこが一致したことも、とてもうれしかった。そして、できあがりは、皆さんが最終回でご覧いただいた通り。まさに私達の企み通り、司会の伊集院光さんは「これを第一回目で見せられたらついていけなかったかも。最後に見せてもらったおかげで、今回勉強したことを一気に味わわせてもらった感じです」とおっしゃっていました。
私が冒頭で、今回の番組が「わくわくするような『知の冒険』」と書いた意味、少しだけわかっていただけたでしょうか?

100分 de 名著「ブッダ 最期のことば」
およそ2500年前に誕生した仏教。創始者ブッダの死後まもなく、弟子たちによって編纂され、数ある経典の中で、ブッダ本人の死のありさまが最も忠実に記述されていると考えられているのが、古代インドのパーリ語で記された「マハーパリニッバーナ・スッタンタ」(「大般涅槃経」)です。直訳すれば「偉大なるブッダの死」という意味になるこの経典は、東南アジアでは基本経典の一つとして重要視され、国の異なる僧侶同士が会話する時には、今でもパーリ語が使われているほどです。
番組では、古代仏教史や戒律の研究者、花園大学の佐々木閑教授が「大般涅槃経」をわかりやすく解説します。佐々木さんによれば、ブッダの教えは単なる宗教ではありません。悩みを抱えている人が自分自身を見つめ、さまざまな苦しみを克服していくための「自己鍛錬システム」だといいます。とりわけ「大般涅槃経」には、自分が死んでリーダーが不在になった後も、このシステムが長期にわたって維持・管理できるような工夫や知恵が数多く記されています。これは他の宗教にはあまりみられない特徴です。
合理的な知恵によって心の本質を見極め、苦しみからの脱却を目指そうとしていたブッダ。彼が死の直前に私たちに残そうとしたメッセージとは何だったのでしょうか? 仏教を【自己鍛錬システム】ととらえる視点で、ブッダが最期の瞬間まで自らの姿を通して示した【人間のあるべき生き方】、長期に渡って維持・存続する組織の条件を問う【組織論】などを、「大般涅槃経」から読み解いていきます。
第1回 涅槃への旅立ち
【ゲスト講師】
佐々木閑(花園大学教授)
【朗読】
大杉 漣(ブッダ・パート)
【朗読】
音尾 琢真(アーナンダ・パート)
80歳を迎えたブッダは霊鷲山に滞在していた。身体の衰えがひどく自身の死期が近いことを覚ったブッダは故郷を目指して最後の旅に旅立つことを決意する。その大きな目的の一つは、自分の死後、これまで解き明かしてきた真理や修行方法などをできるだけ多くの人たちに教え伝えることだった。旅立ち前にまず行ったのは意外にも、隣国への侵略計画をすすめる阿闍世王への忠言。そこには真に繁栄する国の条件が示されていた。佐々木閑さんは、その裏に、自分の死後、仏教や教団が永く維持・存続するための教えが込められているという。第1回は「大般涅槃経」の全体像を概観しつつ、ブッダが「自己鍛錬システム」として説いてきた仏教の本質と、それをいかにして長く存続させるかというブッダの知恵を読み解く。
第2回 死んでも教えは残る
【ゲスト講師】
佐々木閑(花園大学教授)
【朗読】
大杉 漣(ブッダ・パート)
【朗読】
音尾 琢真(アーナンダ・パート)
ブッダは最後の旅において、自分の死後に指標となるような教えを繰り返し説き続けた。その代表例が「自灯明・法灯明の教え」。「私がいなくなっても真理の法は生きている。自らを灯明とし自らを拠り所としなさい。法を灯明とし法を拠り所としなさい」。この言葉は、自分の死後リーダーが不在になったとしても、修行を続けていける方途を示したものだ。いわば「教祖」のようなものを否定した画期的な教えである。またブッダは、遊女アンバパーリーの招待をすすんで受けるなど、貴賎の差を問わない絶対平等の立場で行動を続ける。自らの姿をもって弟子達に真理を教え続けたのだ。第2回は、旅の途上のさまざまなエピソードを通して、ブッダの死後も生き続ける「生き方の指針」を読み解いていく。
第3回 諸行無常を姿で示す
【ゲスト講師】
佐々木閑(花園大学教授)
【朗読】
大杉 漣(ブッダ・パート)
【朗読】
音尾 琢真(アーナンダ・パート)
ブッダの死因は、鍛冶屋チュンダが供養した食事だったとされる。しかし、ブッダは一切チュンダを責めることはしない。それどころか「涅槃に入る前の最後の施食は、ほかのどんな供養よりもはるかに大きな果報と功徳がある」と説き、チュンダの後悔の念を和らげようという深い慈悲を示す。またその直前には、まるで総決算のように、六つの町でこれまで説いてきた教えのエッセンスを、命を削りながら説き続けた。ブッダ最後の旅は、「諸行無常」という真理をわが身をもって示す旅でもあった。第3回は、最後の旅における説法を通してブッダの思想のエッセンスを紹介するとともに、最後の瞬間まで慈悲に貫かれたブッダの行為から、人間としてのあるべき姿を読み解く。
第4回 弟子たちへの遺言

【ゲスト講師】
佐々木閑(花園大学教授)
【朗読】
大杉 漣(ブッダ・パート)
【朗読】
音尾 琢真(アーナンダ・パート)
ついにブッダの死に死が訪れようとしていた。沙羅双樹の樹下に横たわったブッダは、弟子たちに向けて遺言ともいうべき言葉を語り始める。また臨終にかけつけたスバッダを、周囲の反対を押し切って弟子とし導いた。弟子たちに対しては「葬儀のあり方」「修行の大切さ」「時代にあわせて柔軟に戒を運用すること」を伝えるなど、最期の最期まで、自分の死後に残された人たちが困らないよう細かい心配りをするブッダ。それは、生涯をかけて積み上げてきたものだけが示せる荘厳な死だった。第4回は、ブッダの死が意味するものやそれを私たちがどう受け止めたらよいのかを考えるとともに、仏教やそれを支えるシステムが、ブッダの死後2500年以上も長きにわたって存続してきた秘密にも迫っていく。

100分 de 名著 「アンネの日記」
今回取り上げるのは、ナチスドイツ占領下のアムステルダムで、ユダヤ人狩りを逃れ隠れ家で暮らした日々を記録した「アンネの日記」です。著者はユダヤ人の少女、アンネ・フランク。ホロコーストの悲劇を象徴する一冊として名高く、聖書に次ぐベストセラーともいわれています。皆さんも、子供の頃、一度は手にとった人も多いかもしれませんね。
アンネが使った日記帳は、13歳の誕生日プレゼントでした。最初は、学校での先生や友人との出来事、厳しさを増すユダヤ人差別の状況などが書かれています。しかしすぐにユダヤ人狩りの手が迫り、2年間にわたる潜伏生活が記されることになります。
日記は戦後、唯一生きのこったアンネ・フランクの父オットーによって出版されました。その時オットーは、家族や同居していた人々への批判や、「性」についての記述を大幅に削りました。1991年、この削除されていた部分を復活させた「完全版」がまとめられました。「完全版」では、「性」と向き合い大人へと成長していくアンネの姿が赤裸々に表現されています。
案内役となるのは、作家の小川洋子さんです。小川さんは、アンネの関係者を訪ねた本も執筆していて、熱烈な「アンネの日記」ファンとして知られています。小川さんが最初に「アンネの日記」と出会ったのは中学1年の時でした。その時は難しくて意味がよく分からなかったそうですが、高校生になって読んだ時に、親への反抗心や、異性への憧れ、将来への希望や不安などが、手に取るようにわかったといいます。小川さんは、アンネの精神年齢の高さに驚くとともに、言葉とはこれほどまでに人の内面を表現できるものなのかと思い、作家になることを決意しました。また大人になって読んだ時には、親としての立場からアンネを見るようになり、その時も新たな発見があったと語っています。
番組では、小川さん独自の視点を通してアンネの日記を読んでいきます。また小川さんが会った関係者の証言も交え、潜伏生活がどんなものだったかにも迫ります。
「悲劇の少女」、「戦争中の貴重な証言」という視点からだけでなく、思春期の少女が、「日常のかけがえのない瞬間」を生き生きと描いた、稀有な文学作品としても味わっていきたいと思います。
第1回 潜伏生活の始まり
【ゲスト講師】
小川洋子(作家)
【朗読】
満島ひかり
ナチスから逃れてオランダに亡命したフランク一家。平和もつかの間、オランダもドイツに占領される。ユダヤ人迫害が日に日に厳しくなっていく中、アンネは13歳の誕生日に、父親から日記帳をプレゼントされる。アンネは、日記をキティと名づけ、まるで友達に語りかけるように日々の出来事を記し始める。しかしアンネの姉に出頭命令が届いたことから、一家は会社の隠し部屋に潜伏することになった。そんなつらい現実をアンネはユーモアたっぷりに描き出し、前向きに生きようとする。日記はアンネにとって心の支えだった。第1回は、「アンネの日記」誕生の経緯と、つらい潜伏生活を前向きに生きようとするアンネのひたむきさを描く。
第2回 思春期の揺れる心
【ゲスト講師】
小川洋子(作家)
【朗読】
満島ひかり
隠れ家にはファン・ダーン夫妻、歯科医のデュッセルら新たな住人も加わりにぎやかになった。しかし共同生活に摩擦はつきもの。思春期を迎えたアンネは、自分を子ども扱いする大人に腹を立て、衝突を繰り返すようになる。そこで父は、アンネが日記を思う存分書けるよう環境を整えた。傷つきやすいアンネの心を守ろうとしたのである。こうしてアンネは、日記を書くことに大きな自由を見いだし、思いのたけをぶつけた。アンネは、日記によって、大人たちとの葛藤を受け止めていったのだ。第2回は、思春期のいらだちと、それを見守る親の気持ちについて考える。
第3回 性の芽生えと初恋
【ゲスト講師】
小川洋子(作家)
【朗読】
満島ひかり
同居していたファン・ダーン夫妻の息子ペーターは、まだ16歳だったが、力仕事を手伝うなど、大人たちを助けていた。このころアンネは、日記の中で性について記すことが多くなっていた。そしてペーターに恋心を抱くようになる。ペーターはアンネが発する素朴な疑問に真面目に答えていた。その誠実さに心打たれたのだった。しかし、アンネは、感情にのみこまれ自分を見失ってしまうことに恐れをいだき、恋心にブレーキをかけてしまう。ペーターはそんなアンネを見守るしかなかった。第3回は、アンネの恋とペーターの孤独を見つめる。
第4回 希望を抱きながら
【ゲスト講師】
小川洋子(作家)
【朗読】
満島ひかり
アンネは、日記を通して、戦争とは何か、自分とは何者かを冷静に見つめるようになった。いつしか作家かジャーナリストになりたいという夢を抱くようになる。しかし、隠れ家に泥棒が入ったり、食べ物が日に日に劣悪になったりと、事態は悪化の一途をたどっていた。そうした時、待ち望んでいたノルマンディ上陸作戦が始まる。人々は驚喜するが、その2か月後、ついに全員が捕らえられてしまう。その直前の日記には「理想の自分になりたい」という願いが書き込まれていた。その願いもむなしくアンネは収容所でチフスにより死亡した。享年15歳。第4回は、生きる希望を失わなかった人々の姿と、アンネの成長、その最期を語る。
「アンネの日記」こぼれ話
「名著は必ず待っていてくれる」。今回講師を担当してくださった小川洋子さんの言葉ですが、この言葉に、名著と呼ばれる作品に共通するエッセンスが凝縮されていると思います。初めて読んだときにはさっぱりわからなかった本が、時を経て読み返してみるとすっと理解できたり、より深い意味を感じるとることができたりする。また、読む年齢やその人が経た経験によって、その本が全く異なった相貌を現すことがある。このように、名著には、幾重にも積み重なった多様な意味が層をなしており、読むたびに全く違った感動があります。名著は、読む人のことをいつでも待っていてくれるのです。
このことを何よりも痛切に体験させてくれたのが「アンネの日記」でした。少年時代に読んだのは確か教科書に掲載された抄訳や児童用にわかりやすく編集されたダイジェスト版。なんとなく、狭いところに閉じ込められてかわいそうな少女だ…というくらいの印象しか残っていませんでした。ですから、この歳になって「アンネの日記」を再読できたことの幸運をかみしめています。「アンネの日記」、待っててくれてありがとう!。

明日へ 支えあおう おだづもっこ の“復幸祭” 〜宮城県・女川町〜
津波によって町の8割が破壊された宮城県女川町。今官民一体となって再建計画を推し進め、住宅地や商店街の整備が始まっている。新たな町作りのアイデアを出しあい、特産の海産物を女川ブランドとして売り出すなど、再生を担うのは、水産加工会社や商店街などの若い世代。番組では、3月の石巻線女川駅の開業に向け、若者が一丸となって町づくりを進める現場に密着。大規模な“復幸祭”を開催して人を呼び集め、町に命を吹き込もうとしている若者たちの奮闘をみつめる。
「LIVE!LOVE!SING! 生きて愛して歌うこと」
福島の震災から避難し神戸で暮らす高校生・朝海(石井杏奈)は、恋人の教師・岡里(渡辺大知)を巻き込んで旅に出た。同行するのは寡黙な少年・勝(柾木玲弥)、ギャル風の少女・香雅里(木下百花)、そして、純朴な少年・本気(前田航基)。一行が目指すのは、原発事故の影響で立ち入りが制限された街、福島県富波町。母校の小学校にたどり着いた彼らは、長い旅の終わりに何を見、何を思うのだろうか。
石井杏奈 木下百花 柾木玲弥 前田航基 津田寛治 二階堂和美 皆川猿時 ともさかりえ 南果歩
一色伸幸

浅田真央 被災地への旅
震災から4年。浅田真央さんが被災地を訪ねた。子どもたちに笑顔を届けたいと、スケートを通じて交流する真央さん。ありのままの姿で被災地と向き合う姿を追った。
NHKスペシャル 震災ビッグデータ File.4「いのちの防災地図」
巨大災害から生き残るための教訓を探るシリーズ「震災ビッグデータ」。東日本大震災のさい避難生活を強いられた人は47万人。生活に必要な物資が不足する中で命を落とした人も少なくない。今回、NHKは避難生活にまつわるさまざまなビッグデータを入手し、その全貌の解明を試みた。物流が断絶した知られざる原因、人々が求めた意外なもの、そして次の巨大災害の時どのように避難先を確保すればよいのか、新たな知見が見えてきた
TOMORROW「鉄道と震災 乗員・乗客の選択」
東日本大震災では鉄道も大きな被害を受けた。しかし、列車に乗っていてケガをしたり亡くなったりした乗客、乗務員はいなかった。その背景には、安全を確保するために研究が続けられてきた「技術」と、現場で協力して的確な判断を行った乗務員と乗客の「人の力」があった。大きな揺れが到達する前に減速を始め、新幹線を無事に止めたシステムと、仙台と石巻を結ぶローカル鉄道に乗車していて自らの判断で生き抜いた人々を取材した。
ステュウット・ヴァーナム・アットキン

NNNドキュメント 3・11大震災 シリーズ(60) 2589 震災4年 あなたは、どこへ
テレビ岩手、宮城テレビ放送、福島中央テレビ
「2589」…これは東日本大震災により、いまだ行方不明の方々の人数です。まもなく震災から丸4年。被災地では町の復旧が進み、人々の暮らしも変わりつつあります。その一方で愛する人が見つからず、次に踏み出せない家族たちがいます。岩手県 釜石市で自慢の娘を捜す老いた母。宮城県女川町では、潜水士の資格まで取得して凍てつく海の中、妻を捜す夫。福島県大熊町では、福島の復興か、不明の7歳の娘の捜索か、選択を迫られた父…。震災 以来、放送を続けてきたNNNドキュメント「3・11大震災シリーズ」では、岩手・宮城・福島の3つの地元局の共同制作で、「今なお多くの行方不明者がいて、愛する人を探し続ける人がいる」という被災地の今を伝えます。
松野芳子


今日も100分de名著を見ました.アンネの日記が良かったです.
日曜日ですが,年賀状が届きました.去年は仮設に住んでいた人が,引っ越しました,というもの.喜んでいいのかな?とは思いますが,どうでしょう?
震災関係の録画してある番組を見て悲しくなってしまいました.

連凧で新年祝福、初日の出を拝む 東松島・野蒜海岸
 初日の出を見ながら新年を祝うイベント(奥松島ビーチハウス組合)が1日朝、東松島市の野蒜海岸で開かれた。約300人が、振る舞われた甘酒などで暖を取りながら元旦のひとときを楽しんだ。
 仙台と気仙沼の凧(たこ)の会会員たちが協力し、砂浜で「日の出凧」などの連凧4連を揚げながら新年のスタートを祝福。
 雪が降る中、午前6時50分すぎに水平線の一点が赤く染まると、集まった人たちは歓声を上げたり手を合わせて初日を拝んだりしていた。甘酒のほか蒸しガキや凧の無料配布もあった。
 石巻市蛇田から家族7人で来たという北條和也さん(28)は「家族が1年健康で暮らせるように祈った。凧揚げも見て、正月らしさを味わうことができた」と満足そうに話した。
 初日の出イベントは、東日本大震災前まで元旦に開かれていた「野蒜開眼多幸上げまつり」の復活を願い、組合が昨年から開いている。


再生託し連凧天へ 東松島で初日の出イベント
 東日本大震災で被災した東松島市の奥松島周辺で1日朝、新年を祝うイベントや初日の出を拝むクルーズの就航があり、多くの人が被災地再生や家内安全などの願いを託した。
 野蒜海岸では、奥松島ビーチハウス組合主催の初日の出イベントがあった。仙台と気仙沼の凧(たこ)の会会員が「日の出凧」などの連凧4連を揚げ、約300人が日の出を待った。
 雪が舞う午前6時50分すぎ、太陽が昇り始め、家族連れなどが手を合わせた。浜では甘酒や蒸しガキが振る舞われた。仙台市泉区から家族と訪れた主婦小島恵子さん(57)は「気持ちが引き締まった。連凧揚げもあり、楽しい1年の始まりになった」と話した。
 イベントは、震災前まで元日にあった「延びる開眼多幸上げまつり」の復活を願い、組合が昨年から開催。阿部裕介代表は「予想以上のにぎわい。まつりをまた定着させたい」と語る。
 東松島市の第三セクター奥松島公社は元日、6年ぶりに「初日の出クルーズ」を再開させ、参加者は遊覧船から初日の出を眺めた。


全町避難続く富岡照らす希望の朝日
 東日本大震災から5度目の新年を迎えた1日、被災地では住民らが初日の出に復興の願いを託した。東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県富岡町の富岡漁港には、避難先から約20人ほどが駆け付け、昇る朝日を見守った。
 雲間から太陽が顔を出したのは午前7時前。住民たちは明るくなっていく空を静かに見詰めたり、写真に収めたりした。「この辺りは良い海水浴場だったんだよ」。震災前の思い出を語る人の姿も見られた。
 津波被害を受け、鉄骨だけになった建物など爪痕が今も残る。背後には除染廃棄物などの仮置き場が広がる。その一方で漁港の復旧工事も進められ、重機や資材が置かれている。
 富岡町からいわき市に避難する会社役員塚越良一さん(51)は「周辺は寂しい風景だけれど、素晴らしい日の出だ。復興へ希望を持たなければ」と話した。


防波堤の建設着々 住民同意至らないケースも
 東日本大震災から5度目の新年を迎えた1日、被災地では多くの人々が、初日の出に復興の加速と生活再建の願いを託した。
 福島県楢葉町は昨年9月、東京電力福島第1原発事故による避難指示が解除された。海を望む高台の天神岬スポーツ公園には、5年ぶりに自宅で元日を迎えた住民や避難暮らしを続ける人たちが集まった。午前6時50分ごろ、雲間から太陽がゆっくり顔をのぞかせると、それぞれが手を合わせた。避難先のいわき市から訪れた主婦猪狩正子さん(62)は「早く古里の楢葉に戻ってきたい」とまばゆい陽光に目を細めた。


被災で閉校の小学校 児童ら思い込めかるた作製
 仙台市若林区の荒浜小(児童16人)の子どもたちが、東日本大震災で甚大な被害を受けた地元荒浜地区を題材にかるたを作った。59組の札に、復興途上にある様子や懐かしい光景、将来への思いと、古里の現在・過去・未来を盛り込んだ。
 同校校舎は震災で使えなくなり、児童は東宮城野小(宮城野区)の教室に通う。児童数減少からことし3月に閉校し、4月に七郷小(若林区)に統合される。かるたは、学校の節目を機に地域の今昔を知ろうと、3年生がクレヨンで絵を描いたり教師が撮った写真を使ったりして作った。
 冒頭の「あ」は<荒浜小学校 百四十二年 ありがとう>と学びやに感謝。「や」では<山がいっぱい これが かさ上げ道路になるのかな>と現状を表現。「ざ」の<ザブンと飛び込み もぐって泳いだ 貞山堀は みんなの宝>では、かつての遊びの様子を伝える。
 3年生は昨年12月中旬、荒浜地区の元住民が多く暮らす東通仮設住宅(若林区)を訪れ、できたばかりのかるたで入居者と遊んだ。安達董(ただし)さん(73)は「荒浜のことがよく分かる。いい出来栄えだ」と感心。3年の斎藤楓空(そら)君(8)は「荒浜の良さを多くの人に知ってほしかった」と話した。
 かるたは、前年度の3年生4人が原型となる46組を作製。本年度の3年生4人が「これからのことも盛り込みたい」と、札を作り直したり新たな札を加えたりした。<ずっとずっと ふるさと荒浜の思い出を 胸に>は自分たちの未来をテーマに作った札の一つだ。
 学校はかるたを500セット作製し、3月の閉校式で出席者に贈る。


<3.11と今>離れても故郷忘れず
◎子ども(2)柴 綾花さん
 津波と原発が自宅も友達も根こそぎ奪い取った。暗闇から助け出してくれたのは、古里に伝わる伝統の踊りだった。
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県浪江町。二本松市に身を寄せる高校3年の柴綾花さん(18)は、同町請戸地区に伝わる豊作祈願の伝統芸能「請戸田植踊」の踊り子だ。震災発生当時は中学1年生だった。この春、仙台市内の大学に進学する。
 2011年3月11日、海岸から2キロの自宅は津波で流され、翌日、原発が爆発した。南相馬市と川俣町、会津若松市の避難所を転々とし翌月、二本松市の借り上げ仮設住宅に落ち着いた。
 中学2年になった新年度、市内の中学校に転入したが、制服が間に合わなかった。避難所への物資支援でもらった私服を着て初登校した。クラスの視線が気になった。
 浪江は海に面し、二本松は山に囲まれる。土地柄の違いは気性や言葉遣いにも表れた。「私、浮いているな」。休み時間が苦痛でならなかった。
 浪江の友達とは満足にお別れできなかった。春休みは先生に隠れてゲームセンターで遊ぶはずだった。「会いたいな、どうしているかな…」。友達の自宅の電話番号は覚えていた。でも役に立つはずもなかった。
 ある日、妹の優花さん(15)が泣きじゃくって帰ってきた。同じようにクラスになじめていなかった。「泣きたいのは私なんだけど」。思わず、妹を責めた。
 「田植え踊り、もう一度やらない?」。11年7月、踊りの師匠で請戸芸能保存会の佐々木繁子さん(65)から誘われた。「友達に会えるかも」。二つ返事で参加した。
 1カ月後、いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」で浜通りの伝統芸能を披露するイベントに招かれた。「請戸田植踊」復活の舞台だ。衣装に袖を通すのは1年半ぶり。18人の仲間と共に約300人の観客が見詰めるステージに上がった。
 民謡に乗って踊り始めると、観客席が目に入った。請戸のお年寄りが、涙を流しながら一緒に民謡を口ずさんでいた。
 踊りは約300年前、地区が凶作に遭ったのを機に始まった。「こんなに感動を与えられるなんて…」。町民が故郷を感じられる大切な時間になった。13年5月には、60年ぶりに遷宮が行われた島根県の出雲大社で踊りを奉納した。
 高校では吹奏楽部の練習で忙しくなったが、踊りをやめようとは思わなかった。「踊り続けることで、自分の中で何かが消化されていく」。友人との仲を引き裂かれたつらい記憶が薄れ、町民が集う楽しい思い出が上書きされる。
 大学では保育士の資格取得を目指す。踊りの練習で年下の児童の面倒を見る中で、幼いころからの夢を強く意識するようになった。
 「踊りは正直、いつまで続けられるか分からない」と綾花さん。それでも「請戸を忘れないでという気持ちはずっと変わらない」(桐生薫子)


<復興印宮城流>風土味わうツアー企画
◎(2)こらいんツーリスト(丸森町)
<おせち作り体験>
 いい匂いとにぎやかな笑い声が調理場に広がる。レンコンや糸昆布など七つの具を使う「七福なます」にズイキの入ったお雑煮。だて巻きや芋ようかん、三色いり鶏。丸森町に伝わる素朴なおせち料理の品々がテーブルに並んだ。
 同町舘矢間まちづくりセンターで先月、地元の食生活改善推進員が講師を務めたおせち料理教室があった。町のグリーン・ツーリズム推進協議会と、町観光物産振興公社の旅行部門「丸森“こらいん”ツーリスト」の共同企画。仙台市や近隣市町から20人が訪れ、丸森の正月の味を堪能した。
 ツーリストは、公社が昨年7月に旅行業登録して設立した。所長の早川真理さんは「丸森の魅力を発信する面白いツアーを組んでいきたい」と話す。現在は早川さんを含めた女性スタッフ2人で運営している。
 これまで企画したツアーは、はらこ飯を船上で味わう阿武隈川舟下りや特産の干し柿「ころ柿」作り体験、岩岳トレッキングとヒマワリ畑や棚田巡りなど。どれも小回りが利く少人数のツアーで、利用客の反応も上々だ。
 ツーリスト立ち上げの背景には、東日本大震災後の深刻な観光客の落ち込みがある。町の観光名所の斎理屋敷や舟下りなどの来場者数は震災直後に半減。東京電力福島第1原発事故の風評被害に加え、町を回る大手ツアー客らが利用する相馬市の宿泊施設の津波被害も響いた。4年を経て徐々に回復してきたが、いまだ震災前の7割程度にとどまっている。
<新鮮な驚き提供>
 観光客を引きつける町の新たな魅力を探るのもツーリストの仕事だ。従来のグリーン・ツーリズムを深め、町内各地を巡る企画で人を呼び込めないか。伊達家ゆかりの城跡、蚕を守る猫神の石碑、廃校になった分校の名物桜など、地域に埋もれた観光資源に光を当てていくことが必要になる。
 早川さんは「町にあるものを最大限に生かしたい。子どもの頃に山里で過ごした人々が懐かしさを覚えたり、都会育ちの若い世代が新鮮な驚きを感じたりできる企画を考えていきたい」と意気込む。
 年明け最初の企画は、小斎地区で9日に行う餅料理と団子刺し体験(大人1500円、小学生500円)=連絡先は0224(72)6663=で、地元米を使った餅つきや正月の風習の団子刺しを楽しむ。
 春に仙南各地のひな祭りを巡るバスツアーも計画中で、さらに多くの人に丸森を訪れてもらうつもりだ。
(角田支局・阪本直人)
<集客の方向性も探る>
 丸森の魅力の原点は、自然と土地で暮らす人々の知恵。旅行業で収益を上げるのは厳しいが、新たな町の魅力を発掘して今後の集客の方向性を探るのもツーリストの役割。まずは震災前の水準に観光客を呼び戻したい。(佐藤勝栄・丸森町観光物産振興公社理事長)


<災害公営住宅>ペット飼い主の会、設立足踏み
 東日本大震災の被災者向けに仙台市が整備した災害公営住宅のうち、ペットと入居できる住宅に義務付けられた「飼い主の会」の設立が遅れている。ペットとの同居は一般の市営住宅では原則不可。市は特例として災害公営住宅で認めたことから、飼い主の自覚やマナー向上を目的に設立を求めているが、束縛や会務を敬遠する人が多い。
 ペット可の災害公営住宅12団地のうち、会が発足したのは若林西(若林区)田子西(宮城野区)あすと第3(太白区)霊屋下(青葉区)の4団地にとどまる。
 2014年4月に入居が始まった田子西は、4棟のうち1棟がペット同居者の専用棟。同12月に飼い主の会が発足した。会長の佐藤美智子さん(62)はペット可のみなし仮設住宅(民間賃貸住宅)を探すのに苦労した経験があり「安心してペットと暮らせるようになった」と喜ぶ。
 会として住宅周辺を清掃したり、ペット散歩時に防犯腕章を着けたりしているが、会員の認識には温度差があるという。佐藤さんは「活動を強制するなと言われたこともある。近隣には動物嫌いの人もいるだろうし、みんなで気持ち良く過ごすにはどうしたらいいか考えている」と語る。
 霊屋下では入居開始約10カ月後の15年12月20日に設立にこぎ着けた。会長に就いた狩野裕吾さん(54)は自治会長との兼務。「仕事の都合などを理由に誰も会務をやりたがらず、設立が遅れた。結局、自治会役員が引き受けることにした」と説明する。
 団地の全2棟がペット可だが、ペットがエレベーター内でおしっこをすることがあったり、鳴き声に苦情が寄せられたりした。狩野さんは「飼い方は世代や元の住居が一戸建てか集合住宅かでも異なる。互いに我慢することも必要だ」と強調する。
 ペット可の災害公営住宅は他の被災自治体にもあるが、飼い主の会設立と入会を義務とするのは仙台市のみ。市復興公営住宅室の担当者は「入居者は初めて会う人同士が多く、意見をすり合わせて設立するのに難しさはあるだろう。会規約のひな型を提供するなど継続的に協力したい」と言い、早期設立を望んでいる。


防波堤の建設着々 住民同意至らないケースも
 東日本大震災で巨大津波に襲われた岩手、宮城、福島3県の沿岸部で、住民の命を守る防潮堤の建設が着々と進んでいる。防災力の飛躍的な向上に期待が高まる一方、震災発生から5年が近づく今なお、住民同意に至っていない地区がある。景観や漁港の利便性に配慮し、当初の高さや位置の変更を迫られた例も多く、事業主体の県や市町に丁寧な対応が求められている。
 防潮堤の高さは2011年度、数十年〜百数十年に1度発生が予想される高さ(L1)の津波を防げるように設定された。地形や過去の被害程度を踏まえ海抜2.6〜15.5メートルで計画された。東日本大震災級(L2)の津波は防御できない。
 建設状況は表の通り。3県とも1割程度完成したが、ここに来て進行の度合いに差が生じている。
 岩手では全箇所で住民が同意済みで、18年度までに完成する見通しだ。県まちづくり再生課は「当初は用地取得が難航したが、国の制度改正もあって着工が進んだ。工期短縮の工夫を重ね、早期完成を図りたい」と説明する。
 福島では東京電力福島第1原発事故の影響で、原発20キロ圏内の災害査定が遅れていた。大熊町沿岸など帰還困難区域を除き、15年度内に全工事を発注できる見通しが立った。
 宮城は防潮堤建設に反発する住民と県・市町の間で話し合いが今も続く地区があり、工事完了のめどは立っていない。
 気仙沼市の魚市場前地区に県が建設を予定する海抜5メートル、長さ1.3キロの防潮堤計画には、水産関係者らが「市場への出入りが不便になる」と異議を唱える。市議会12月定例会でも市内各地の防潮堤建設の是非について質疑が交わされた。
 住民と協議を進める過程で計画が見直された例は少なくない。国土交通省によると、工事箇所のうち当初計画から高さや位置を変更した地区は岩手27カ所、宮城154カ所、福島1カ所に上る。
 岩手では釜石市鵜住居町の根浜海岸で14.5メートルから5.6メートルに下げ、原形復旧とした。大船渡市吉浜、大槌町赤浜でも当初より引き下げた。景観への配慮、防潮堤背後地の集団移転などを踏まえた。
 気仙沼市大島の浦の浜では7.8メートルから7.5メートルに下げつつ、傾斜を緩やかにして景観を保つように工夫した。住民との協議について宮城県河川課の担当者は「丁寧な説明を重ねながら、市町と一体となって安全なまちづくりを進めたい」と話す。


震災5年の節目へ/犠牲繰り返さぬ誓い新たに
 出会った人のうち1人でもいいんです。私の体験が伝わり、備えを真剣に考えてくれるなら、犠牲を1人減らすことができるかもしれない。
 だから、あの日のことをずっと語り続けたい−。
 石巻市の17歳、高校2年の女子生徒は、東日本大震災の「語り部」活動を始めた思いをそう話してくれた。
 東松島市野蒜小6年の時に被災し、自宅は全壊流失して祖父が命を落とした。自身が避難した小学校体育館は津波に襲われ渦巻く悲劇の場となり、多数の犠牲が出た。
 家族で普段から津波のことを深く語り合っていれば…、学校の避難先が高台も含めて複数考えられていたら…。数々の悔いがわだかまる。
 しばらくは震災の出来事が受け止めきれなかったが、3年、4年とたち高校生になって向き合うことが増え、風化も気になり始めたという。
 「多くの犠牲が忘れられてはいけない」「長く語り継いで、教訓を伝えられるのは私たちの世代ではないか」
 責務のような思いを胸に同級生仲間と手を取り、視察で現地を訪れる人たちに昨年5月から体験を語り続ける。
 被災地では、同じように当時児童生徒だった若い世代があの日のことを進んで語ろうとする動きが、4年を過ぎるあたりから目立ち始めた。
 直後は心の傷のケアが最優先されたが、気持ちを整理するためにも体験を思い返して語ってみてはどうかという働き掛けが最近は少しずつ受け入れられるようになった。
 ちょうど被災地が忘れられる懸念が身近に実感され、個々の記憶を心に刻み直して教訓として伝え残す意義が顧みられた時期とも重なる。
 あの日を深く語り合うにはそれだけの時の流れが必要だったとも言えるだろう。
 被災地は震災から5度目の正月を迎えた。3月には発生丸5年の節目が訪れる。
 これからの3カ月は政策や制度の是非も含めて復旧・復興の過程を徹底して検証し、その先を展望する重要な機会になるが、もう一つ忘れてはならないことがある。
 震災の本質である2万人近い犠牲が出た事実を直視し直すことであり、鎮魂を土台に犠牲の反省や教訓の掘り起こし、集約に努めることだ。
 高校生の語り部活動が象徴するように、歳月を経てようやく震災犠牲と正面から深く向き合える人たちが現れ、世代や地域の違いを超えて体験と教訓を共有し、発信に動く機運が芽生え始めている。
 震災と同じ犠牲を繰り返さない誓いを新たにし、すべきこと、できることを整理して次代につないでいきたい。
 それは被災地内はもちろん、南海トラフ巨大地震など全国や世界の次なる被災想定地域の未来につながる役割であり、何よりも犠牲者の無念に応える取り組みになる。
 語り部の女子生徒のように、一人一人が発信者になることで救える命があることを信ずる姿勢こそが力を持つ。
 大きな節目を控えた振り返りの機会を生かし、あらためて家庭や職場、地域のレベルから一歩を始めてみよう。
 震災の風化は内なる風化から始まるものと心得たい。


原発避難者
 阪神大震災では「最後の一人まで」を掲げてボランティアらが被災者支援に取り組んだ。20年を過ぎて支援はまだ途上という▼この3月で5年となる東日本大震災と福島第1原発事故はどうだろう。多くの被災者が全国各地に避難、復興庁は昨年12月で約18万2千人とする。ただ原発事故で自主避難した人もいて実数は分からない▼全ての避難者が困難を抱えて生活を続け、福島県は震災や原発事故が原因の体調不良などの震災関連死が2千人を超えたと発表した。一方で「避難者ゼロ」への動きは加速している▼政府は福島県楢葉町で避難指示を解除、南相馬市の一部などでも準備が進む。県は自主避難者の避難先の住宅無償提供を2016年度末で打ち切る方針だ。しかし「帰らない人は自立を」と言える状況だろうか▼昨年10月に東京、12月に京都で「避難の権利」を求める全国避難者の会の設立集会があった。福島市から避難し、現在は木津川市に住む共同代表の宇野朗子さん(44)は「避難者それぞれにさまざまな状況があって、全体像がつかめていない。一人でも多くの避難者とつながっていきたい」と訴えた▼「もう安全だから避難は自己責任」と言い切っていいのか。東京五輪で復興をアピールしても、それで原発事故が清算されるわけではない。

年のはじめに考える 社会の「壁」消える日へ
 ことし、障害のある人たちは歴史的な節目を迎えます。生きづらさが和らぎ、障害のない人たちと同じ地平に立てる社会へ、改革がはじまるからです。
 最近、サービス産業を中心にして急速に普及している民間資格があります。東京の公益財団法人日本ケアフィット共育機構が認定する「サービス介助士」です。
 食事や排せつ、入浴といった介護技術ではなく、外出先のさまざまな場面で、障害のある人やお年寄りの手伝いをする。車いすの移動や視覚障害者の手引き…。
◆おもてなしの感度を
 交通や小売り、宿泊、金融、外食などの幅広い業種に広がり、全国の資格取得者はおよそ十三万人に達しています。首都圏では全鉄道会社に導入されたそうです。
 「気づきの実践学」と、事務局長の高木友子さんは呼びます。
 「困っている人への想像力や共感力を培います。従業員のおもてなしの感度を磨き、顧客満足度の向上につなげる。地域貢献にと考える企業も多いようです」
 丈夫な人を想定して設計された社会は、障害のある人やお年寄りにとって不自由の度合いが強い。きめ細かな心遣いは、企業の生き残り戦略としても重要でしょう。
 もっとも、利潤優先の企業活動や、個人の良心やボランティア精神には移ろいやすい面があることも否定できません。こうした資格が注目されている背景には、四月から施行される障害者差別解消法があるのです。
 この法律は、国の行政機関や地方公共団体、民間事業者に対して障害を理由とする不当な差別的取り扱いを禁止しています。
 たとえば、車いすの人や盲導犬を連れた人の入店を拒んだり、精神障害があるとして入居を断ったり。「筆談をしている暇はないから」と、聴覚障害のある人の診察を後回しにするのも差別です。
◆同じスタート地点に
 もうひとつ。障害のある人のニーズに応じて、環境や条件、慣行の変更や調整を求めています。
 「合理的配慮」といい、過重な負担を強いられない限り、その提供をおこたると差別とされる。
 車いすが通れるようスロープを設ける。発達障害のある人が満員電車を避けて通勤できるよう、勤務時間を変える。知的障害のある人向けに漢字にルビをふり、絵図を用いる。そんな具合にです。
 国や地方の行政には「合理的配慮」の提供を義務づけ、民間にはさしあたり努力を促しています。
 障害の有無によらず、自立や社会参加の機会が等しく保障される共生社会を実現するには、差別事例を洗い出し、解消していくほかない。そのためにも、まずは障害者問題を知ることが大切です。
 法律のよりどころは、百六十カ国・地域が結ぶ障害者権利条約です。日本も二年前に批准しました。その理念は、四十年ほど前から発展してきた「社会モデル」という考え方に基づいています。
 いままでは、障害のある人たちが生きづらいのは、個人の心身の機能不全が原因で、克服するのは自己責任と考えられてきた。これを「医学モデル」といいます。
 「社会モデル」では、機能障害のある人たちを度外視してつくられた社会の仕組みにこそ、原因があると考えます。困難を招いている障壁を取り除く責任は、社会の側にあるというわけです。
 少数派をないがしろにする多数派の横暴、生産性の低い存在を費用とみなす傲慢(ごうまん)。民主主義や資本主義の欠陥もあぶり出しました。
 「私たちは、障害のない多数派の人たちが当たり前に過ごす日常と同じスタート地点に立ちたいだけです。特別扱いを求めているわけではありません」
 東京のNPO法人自立生活センター・東大和のリーダー海老原宏美さんはそう語ります。脊髄性筋萎縮症を患い、人工呼吸器を携えながらも、障害のある人たちの地域での暮らしを支えています。
 一緒に考えてみました。どうして非正規社員は正社員になりにくいのか。なぜ貧しい家庭の子どもは大学に進学しにくいのか。なぜ女性の管理職は増えにくいのか。
 無論、自助努力も大事です。けれども、そうした問題を生み出している根本原因は、明らかに社会の側にある。障害者問題の構造も同じでしょう。試されるのは、社会の包摂力だと思うのです。
◆未来のルールを描く
 人間が守るべき「正義」を論じた米国の哲学者ジョン・ロールズ氏(一九二一〜二〇〇二年)が発案した頭の体操があります。
 あなたたちがつくったルールですべてが動く未来社会に生まれ変わるとしたら、どんなルールをつくりますか。ただし、どんな境遇に生まれるかは分からない。
 その社会はきっと公平、平等に違いありません。さあ、あなたならどんな未来を描きますか。


2016年を考える イスラムと米国 融和と共生への知恵を
 1909年、韓国統監だった伊藤博文は、ロシアから来たイスラム教徒のアブデュルレシト・イブラヒムを別荘に招いた。遠来の客からイスラム教の話を聞き、一緒に「アラーの他に神はなく(預言者)ムハンマドは神の使徒なり」と朗唱もした。イスラム教徒にとって大切な「信仰の告白(シャハダ)」である。
 元宰相が入信したわけではないが、イスラム教の話に感じ入った伊藤は「なんということ! 承服できないことは一つもない。これは大変気に入った」「私もたえずこうしたものを追求してきました」と語ったという(イブラヒム著「ジャポンヤ」第三書館)。伊藤が暗殺される数カ月前のことだ。
憎悪と排斥は思うつぼ
 そのシャハダが昨年12月、米バージニア州で激しい論争と緊張を呼んだ。ある高校の教師がアラビア語で記したシャハダのカリグラフィー(飾り文字)を書き写す課題を出したところ、生徒の父母らが「子供をイスラム教に改宗させる気か」などと反発し、学校への脅迫状も舞い込んで、安全上の配慮から同じ地域の学校が一斉休校する騒ぎになった。
 今の米国社会と100年も前の日本の政治家の言動を同列に論じる気はないが、伊藤のおうような態度に比べると米国の殺気立った空気が際立つ。日本にもイスラム教を嫌う人もいるから一概には言えないにせよ、米国民が異文化への寛容さを失っているのは明らかだろう。
 米国では11月の大統領選に向けて2月から民主、共和両党の候補者を決める予備選が始まる。過激派組織「イスラム国」(IS)によるパリ同時多発テロ(昨年11月)以来、米国ではイスラム教徒への嫌がらせや犯罪が激増し、野党共和党の候補のうち不動産王のトランプ氏は「イスラム教徒の米国入国禁止」を唱えて拍手喝采を浴びた。
 だが、16億人のイスラム教徒一般への憎悪や排斥は世界の分裂を狙うISの術中にはまるだけだ。大統領選ではポピュリズムに陥らず、イスラムとの融和・共生など世界的な課題で超大国の知恵を競ってほしい。
 米国はあいまいな情報に基づくイラク戦争で多くの市民を殺傷した。戦争で倒れた旧政権や軍関係者がISの結成にかかわったともいう。イラク戦争との因果関係で今の中東情勢を論じれば、米国はシリア難民についても「我関せず」では通るまい。
 2001年9月11日の米同時多発テロの宿題に向き合うことも大切だ。首謀者の故ウサマ・ビンラディン容疑者は、レバノンやパレスチナにおけるイスラエルと米国の振る舞いに怒り、同じ苦しみを米国に与えようと思ったと語っている。
 テロリストに迎合することはないが、口実とされる不合理な現実は改善すべきだ。パレスチナでは9・11後もイスラエルの軍事行動でおびただしい血が流れている。米国の「イスラエル偏愛」「イスラム軽視」は15年前と変わっていないと思うのはイスラム教徒だけではあるまい。
溶解する国境と国家
 第二次大戦時、仏ビシー政府の国務大臣を務めた歴史家ジャック・ブノアメシャンは、アラブの部族社会を砂にたとえた。手の中に砂を握りしめることはできるが、一つ一つの粒が独立しており、ひとかたまりにはしにくい。握っている力が緩めば砂は指の間からこぼれて、またバラバラになってしまう、と。
 国民としての意識より血縁や地縁、宗派の結びつきが優先するという意味だろう。そんなアラブ世界での「握る力」とは、列強の植民地支配であり、各国独立後の強権政治であり、91年の湾岸戦争後に強まった米国の影響力だった。だが、独裁政権は民衆運動「アラブの春」で崩壊するか大きく揺らぎ、米国はアフガニスタンとイラクでの戦争に疲れ、「我々は世界の警察官ではない」として自ら存在感を薄めつつある。
 それ自体が悪いのではない。問題は、こぼれる「砂」が力と政治の空白を生み、テロ組織に都合のいい環境を作り出すことだ。内戦が続くシリアとイエメン、破綻国家とも呼ばれる無秩序状態のリビア。「他の国々でも中央政府の権力が及ばない領域が拡大し、中東では国境のみならず国家自体が溶解している」(防衛大の立山良司名誉教授)
 アラブ諸国が「合同軍」「軍事同盟」の結成へ動いたのは、そんな状況への危機感からだろう。だが、危機は他にもある。ISの時代錯誤的な思想宣伝、欧州の難民、ロシアのシリア介入に伴う東西新冷戦の恐れ。未曽有ともいえる複合危機だ。
 ペルシャ湾岸の石油を死活的利益としてきた米国ではシェールオイルの発見で中東の比重が軽くなったともいう。だが、今こそ米国は9・11以後の「テロとの戦争」の知識と経験、何よりも反省を生かし、幅広い連携を築いて指導力を発揮すべきだ。就任直後、「イスラムとの和解」をテーマに感動的な演説をしたオバマ大統領の本領を見せてほしい。


パレスチナ国家承認発効=バチカン
 【バチカン市AFP=時事】バチカン(ローマ法王庁)は2日、パレスチナを正式な国家と認めるパレスチナとの包括協定が今年に入って発効したと宣言した。バチカン、パレスチナ双方は昨年6月、包括協定に調印し、イスラエルは猛抗議していた。
 バチカンは声明を出し、包括協定について「パレスチナにおけるカトリック教会の活動に関する合意であり、中東における対立の平和的解決を支援するものだ」と強調した。

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Fig08

Au Japon, à cause d'Apple, les emojis n'ont plus rien de cool
Au pays où sont nées ces adorables icônes, l’iPhone a tout gâché.
Sous bien des angles, 2015 a été une année faste pour les emojis. Un professeur gallois les a qualifiés de langue à la croissance la plus rapide du Royaume-Uni. Le New York Times en a utilisé un dans un titre, et une grille entière a orné la couverture du New Yorker. Des avocats ont utilisé des emojis comme preuves dans des procès spectaculaires. Le président Obama a loué leur existence dans le jardin de la Maison Blanche, tandis que les autorités russes ont menacé d'interdire les emojis représentant des couples de même sexe. Pour couronner le tout, en novembre l’Oxford Dictionaries a couronné ≪mot≫ de l'année l’emoji qui pleure de rire.
Difficile aujourd’hui d’imaginer une communication en ligne sans emojis, même si leur popularité chez les anglophones n’a explosé qu’en octobre 2011, lorsque l’iOS 5 d’Apple a été mis à jour en donnant accès à ces petites icônes à des millions d’iPhones –Gmail permettait d’utiliser des emojis depuis des années, tout comme plusieurs autres applications d’autres entreprises, mais aucune n’avait déclenché leur adoption massive comme le fit la décision de les installer sur le clavier virtuel de l’iPhone. Devant un tel battage médiatique et une telle frénésie dans un laps de temps aussi court, on est en droit de se demander: sommes nous au milieu d’une bulle d’emojis? Et à quoi pourrait ressembler la vie après les emojis? Quelques réponses possibles nous attendent dans leur pays natal: le Japon.
En 1999, des figures monochromes
Les tout premiers emojis sont apparus sur un combiné téléphonique vendu par l’entreprise J-Phone (aujourd’hui Softbank) en 1997, que son prix élevé mettait hors de portée des citoyens moyens. Les ancêtres directs des emojis que nous connaissons et utilisons sont nés au japon en 1999. Et aujourd’hui? ≪Le boom des emojis est terminé ici, au Japon, expose Shigetaka Kurita, l’homme considéré comme l’auteur de ces adorables petites runes, dans son bureau de Tokyo. Ils sont toujours là, ils sont toujours omniprésents, mais ils ne sont plus une mode.≫ Lorsqu’Obama a évoqué les emojis dans le jardin de la Maison Blanche, ≪je soupçonne que la réaction de la plupart des Japonais a été: “wow, les emojis sont encore populaires là-bas?”≫ , avance-t-il.
Comprendre l’ascension et le déclin des emojis dans leur pays natal nécessite de faire un peu d’histoire. Lorsque le leader des télécoms japonais DoCoMo introduisit les proto-emojis en 1999, ils représentaient une fonctionnalité centrale du service i-mode de l’entreprise, la première du pays à proposer internet sur les téléphones portables. Comparé à nos standards modernes, les styles bruts à matrices de points de l’époque ressemblent à des versions numériques des organismes unicellulaires primitifs qui émergèrent un jour de la bouillasse originelle. Ces figures monochromes ne partagent pas grand-chose d’autre qu’un concept de base avec les smileys et autres figurines habilement conçues et subtilement ombrées que nous connaissons aujourd’hui. Et c’était Kurita qui dirigeait l’équipe qui les a conçues et mises en place.
L'oubli presque fatal d'Apple en 2008
Au départ, Kurita envisageait les emojis comme un moyen, pour les utilisateurs de téléphones portables, d’utiliser des images rudimentaires malgré les vitesses de connexion d’une exaspérante lenteur de l’époque. Mais les petits visages et autres petits cœurs ne tardèrent pas à être détournés par les jeunes Japonaises qui les trouvaient irrésistiblement kawaii –chou– et commencèrent à en parsemer leurs textos. Leurs petits amis leur emboîtèrent le pas et très vite, les emojis prirent une remarquable ampleur. Étonnamment, DoCoMo refusa de déposer la marque sur les dessins. ≪Le siège en discuta avec des avocats, raconte Kurita, et la conclusion fut qu’avec juste une douzaine de pixels, cela ne laisse pas beaucoup de place à l’expression individuelle.≫ Ce qui conduisit à l’adoption –d’aucuns diraient au vol– des emojis par les concurrents de DoCoMo, permettant aux fonctionnalités d’une seule et unique compagnie téléphonique de faire boule de neige et de se transformer en gigantesque phénomène à l’échelle du pays.
Les emojis prirent une telle ampleur qu’il s’en fallut de peu qu’ils ne coulent le lancement de l’iPhone en 2008 au Japon. Les ordinateurs de bureau et portables Mac se vendaient bien depuis longtemps au Japon, et ce même lorsque la marque traversait des périodes difficiles dans son pays d’origine. Chacun s’attendait à ce que l’iPhone, élégant et high-tech, marche au moins aussi bien. Or, il y avait un petit problème: zéro possibilité d’emoji. Contrairement aux consommateurs du reste de la planète, les Japonais boudèrent l’iPhone en masse. Peu importait que l’objet technologique soit de meilleure qualité que tout ce qu’on pouvait trouver dans les magasins du pays. Dans une tentative désespérée d’apaiser des clients potentiels rebutés par l’absence d’une fonctionnalité aussi populaire sur ces onéreux téléphones, Masayoshi Son, président de Softbank, revendeur japonais d’Apple, convoqua une conférence de presse en urgence où il annonça qu’il avait ≪convaincu Apple qu’au Japon, un mail sans emoji n’est pas vraiment un mail≫.
Tout simplement, pas kawaii
Ce dut être un sacré argumentaire de vente. Apple lança rapidement une mise à jour locale en ajoutant des emojis de base aux iPhones japonais. Et il ne s’arrêta pas là. En coulisses, Apple travailla en parallèle avec Google pour ≪traduire≫ en Unicode, standard universellement accepté pour coder du texte sur les ordinateurs du monde entier, les emojis des nombreux formats incompatibles utilisés par les télécoms japonais. Ce qui allait fournir aux emojis un visa leur permettant d’être largement utilisés hors du Japon. Ironie du sort, cette démarche allait également faire le lit du déclin des emojis dans leur propre pays.
≪La plupart des Japonais ne trouvent tout simplement pas le design de base des emojis d’Apple kawaii, explique Kurita. Ce style s’est éloigné de ce qu’étaient les emojis à l’origine.≫ Sa vision se rapprochait davantage de l’iconographie des panneaux de signalisation routière ou des étiquettes d’avertissement que de mascottes ou de personnages. ≪L’image que j’avais à l’esprit était quelque chose de proche du texte. Moins de e (image) et plus de moji (lettres). Pour que chacun puisse les utiliser comme des icônes, sans que le goût n’entre en jeu. Pour moi, il s’agissait de pictogrammes ou d’icônes. Pas des décorations, mais des outils de communication, les mêmes pour tous les utilisateurs quels qu’ils soient.≫ L’idée était d’éviter les fioritures stylistiques pour que les emojis soient aussi universels que possible.
Ambiguë par nature
Lorsque Google et Apple lancèrent dix ans plus tard la ≪localisation≫ des emojis qui leur permettrait d’être utilisés sur les ordinateurs et téléphones occidentaux, la technologie d’affichage avait dépassé les vieux écrans monochromes sur lesquels avaient été installés les premiers emojis de Kurita. La demande de graphismes plus vifs et d’imagerie plus détaillée obligea les designers occidentaux à ≪remplir les blancs≫ avec leurs propres interprétations, horrifiant parfois les spécialistes japonais des emojis au passage.
Une bonne partie du pop design japonais, et du design kawaii en particulier, est ouverte et ambigue par nature. Quelle sorte d’animal est Pikachu? C’est quoi, cette expression sur le visage d’Hello Kitty? Laisser ces choses ouvertes à l’interprétation permet aux personnages de trouver un écho dans un public aussi large que possible. Clarifier les motifs des emojis réduirait nécessairement le champ d’interprétation potentiel de chacun, tout en soulevant des questions de goût et de style, ce qui serait contraire au concept d’origine qui fut la cause de leur popularité au Japon.
La nouvelle tendance: Line
Il ne faut pas confondre le phénomène avec de l’impérialisme culturel. Les équipes ethniquement variées qui ont localisé les emojis l’ont fait avec un grand soin et un grand respect. Mais les emojis japonais avaient été élaborés en se basant sur une sensibilité unique de la culture pop, dérivée en grande partie de dessins animés et de bandes dessinées, iconographie pas nécessairement partagée par les habitants d’autres pays. (Nous avons nos propres versions de ce genre de symboles, comme une ampoule allumée au-dessus d’un personnage pour indiquer l’inspiration). Lorsque les départements de design occidentaux ont commencé à les bricoler et à leur ajouter leurs propres goûts et leur style à eux, le côté japonais de la chose s’est beaucoup perdu.
Les internautes japonais sont donc passés à autre chose. Aujourd’hui au Japon, c’est Line qui fait fureur. Il s’agit d’une application de messagerie gratuite extrêmement populaire comptant quelque 58 millions d’utilisateurs japonais, et quasiment inexistante à l’étranger. Sa principale fonctionnalité consiste à pouvoir envoyer dans tous les sens des ≪stickers≫, qui sont essentiellement des mascottes et des personnages de dessin animé. Les emojis diffèrent légèrement d’une plateforme à l’autre; ceux d’Android ne ressemblent pas précisément à ceux qui sont utilisés sur Apple ou Twitter ou Skype, et vice-versa. Mais étant donné que les utilisateurs de Line dépendent tous du même service, les images sont toujours les mêmes. Et beaucoup sont réglées de façon à apparaître automatiquement dans une fenêtre en fonction de ce que vous tapez, comme la saisie intuitive ou l’autocorrect. Les emojis existent toujours mais ils sont relégués au second plan plutôt qu’à l’avant-scène, quasiment éclipsés par les bien plus flamboyants stickers.
Un langage monétisé
Les stickers de Line ont aussi une bonne longueur d’avance sur les emojis d’un autre point de vue: celui de la commercialisation. La principale source de revenus de l’entreprise consiste à refourguer un éventail perpétuellement renouvelé de nouvelles images à ses clients, dont beaucoup sont conçues en collaboration avec de grandes entreprises qui vendent leurs lignes de produits. Line gagne beaucoup d’argent grâce à des produits dérivés en accord avec des entreprises et des célébrités; jusqu’à des centaines de milliers de dollars en fonction de la durée de la campagne. De l’autre côté, même une entreprise aussi nantie que Disney ne serait pas capable d’immortaliser Mickey, Dingo et le reste de la bande sous forme d’emojis. Le système des emojis n’est tout simplement pas fait pour la monétisation. Ce genre d’obstacle n’existe pas avec Line.
Au Japon, les emojis ont également accusé un choc venu d’un camp inattendu: celui des émoticônes, ces petites représentations d’expressions visuelles fabriquées à partir de signes de ponctuation. L’Occident a aussi des émoticônes et du text art bien sûr. La plupart des internautes anglophones connaissent bien l’omniprésent smiley :-) et le pas content :-( ainsi qu’une poignée d’autres. Mais les émoticônes japonais –appelés kaomoji, ou visages-textes– existent sous un nombre de formes vertigineux. Ce sont des mélanges compliqués de ponctuation, de kanas, de lettres étrangères et même de symboles scientifiques, créatures que le Dr Frankenstein aurait pu fabriquer s’il avait eu un diplôme en linguistique au lieu de jouer à Dieu le père. Peut-être le plus commun est-il キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! Prononcé kita, c’est la représentation d’un ≪d’accord!≫ ou ≪c’est parti!≫, utilisé sans fin sur le Twitter japonais et dans les forums. Le kaomoji exprime des émotions comme le font les emojis, mais il est composé de polices standard plutôt que d’être conçu par quelqu’un en particulier. Cela lui donne davantage d’ambigüité d’un point de vue du design, autre manière de dire qu’il est plus kawaii.
Bien plus populaires qu'ils ne l'ont jamais été
Donc, en gardant tout ce que l’on vient de voir à l’esprit, posons-nous la question: si les emojis vivent leur crépuscule dans leur pays natal, quelles sont les implications pour leur popularité à l’étranger? Allons-nous tout droit à l’emojipocalypse?
Plusieurs éléments obscurcissent le pronostic. Le premier est que les emojis sont bien plus populaires à l’étranger qu’ils ne le furent jamais dans leur pays natal. Même lorsque le Japon vivait ce que l’on pourrait qualifier d’apogée des emojis autour de 2008, personne n’a pensé à les sanctuariser dans le dictionnaire ni à la possibilité d’une surenchère entre studios pour réaliser Emoji: The Movie. Le deuxième est une simple question de démographie. La perspective de monétiser des emojis de la manière dont Line l’a fait pour ses stickers aurait de quoi appâter toute entreprise technologique, mais il est trop difficile d’imaginer une seule appli ou même un seul réseau social capable de dominer l’univers massif du texting en anglais de la façon dont Line domine celui du Japon. Et enfin, au Japon, la mode des emojis était principalement dirigée par des jeunes femmes. Ce genre de restriction de genre ou d’âge ne s’applique pas à l’étranger. Tout le monde, de votre mère à votre dealer, les utilise.
≪J’ai créé les emojis pour qu’ils soient utilisés au Japon, explique Kurita, mais où que vous soyez, dès lors qu’il y a du texte sur un écran, il faut un composant émotionnel.≫ Si l’on se fie au cycle de popularité des emojis au Japon, le plus probable est qu’un lent déclin va se produire. Un monde où les emojis ne seront qu’un moyen absolument banal parmi d’autres d’exprimer des sentiments en ligne et sur écran, sans qu’on y engage davantage de réflexion qu’en choisissant une police ou en appliquant des italiques. Ce qui, bien sûr, est exactement ce qu’imaginait leur créateur au départ.
Matt Alt
フランス語
フランス語の勉強?
シリーズ医療革命「腸内フローラ〜解明!驚異の細菌パワー〜」
腸内フローラ(腸内細菌の生態系)に、今注目が集まっている。私たちの腸内には100兆以上もの細菌が住んでいて、その菌が出す物質が全身の健康と深く関わっていることが分かってきた。美肌やダイエットなど身近な話から、がんや糖尿病、うつなどの病気まで。既存の治療だけでは限界のある病気に対する切り札として、腸内フローラが脚光を浴びているのだ。最先端の研究を紹介しながら、腸内細菌と人間の知られざる関係に迫る。
久保田祐佳

BS世界のドキュメンタリー選「永遠のABBA アグネッタの告白」
“ダンシング・クイーン”などで一世をふうびしたスウェーデンのポップスグループABBA。美しい歌声とセクシーさでどのメンバーよりも目立っていたアグネッタが、グループ結成から絶頂期までの秘話、その後の人生を語る。結婚、子育て、離婚−私生活は苦悩に満ちたものだった。長年メディアへの露出を拒んでいた彼女がソロ活動に踏み切った心境とは?ヒット曲の数々と二人の男性メンバーのインタビューが番組に彩りを添える。
濱田めぐみ
〜2013年 イギリス BBC/UNIVERSAL MUSIC GROUP制作〜

BS世界のドキュメンタリー選「スティーブ・ジョブズvs.ビル・ゲイツ」
今のコンピューター社会を作った立役者、スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツは同じ1955年生まれ。しかし得意分野も性格も対照的だ。ハードのジョブズにソフトのゲイツ。片やヒッピー、片やオタク。1985年、ゲイツがWindowsを発表し、それをジョブズが模倣だと批判して以来確執が続いたが、一度はアップル社を追われたジョブズが復帰すると再び提携。アップル社はiMacを始めとする革新的な商品を発表していく。
〜2014年 フランス Pulsations制作〜

BS世界のドキュメンタリー選「“超監視社会”に生きる」
現代社会においてプライバシーを守る方法はあるのだろうか?私たちのネット上の行動はすべて記録され、保存されている。一方で、政府や企業によるデータ収集は、民主主義と個人の自由を脅かすものであり、よりアクティブに自分たちの権利を守るべきだと主張する専門家も多い。元CIA職員、大手IT企業家、ハッカーなど、最前線にいる当事者たちの証言を交えてつづる。
〜2015年 フランス ARTE France/INTUITION Films & Docs/Les Bons Clients制作〜

100分 de 名著「菜根譚」
内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)に生まれた「菜根譚(さいこんたん)」。処世訓の最高傑作のひとつに数えられ、田中角栄、吉川英治、川上哲治ら各界のリーダーたちから座右の書として愛されてきました。
「菜根譚」が書かれた時代は、儒教道徳が形骸化し、国の道筋を示すべき政治家や官僚たちが腐敗。誰もが派閥争いにあけくれ、優れた人材が追い落とされ、ずるがしこい人物だけがとりたてられていました。「菜根譚」は、そんな生きづらい世相の中、何をよすがに生きていいかわからない人に向けて書かれました。それは既存の価値観がゆらぐ中で、とまどいながら生きている現代の日本人にも通じます。そこで11月の「100分 de 名著」では、混迷する時代の生きる指針の書ともいうべき「菜根譚」を取り上げたいと思います。
「菜根譚」は、明代末期に優秀な官僚として活躍後、政争に巻き込まれ隠遁したと推測される人物、洪自誠(こう・じせい)が著したものです。前集222条、後集135条の断章からなり、主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみを説いています。「菜根」という言葉は、「人はよく菜根を咬みえば、すなわち百事をなすべし」という故事に由来。「堅い菜根をかみしめるように、苦しい境遇に耐えることができれば、人は多くのことを成し遂げることができる」という意味です。辛酸をなめつくした洪自誠が「人は逆境において真価が試される」という思いをこめてつけたと考えられています。そこには、逆境を経験したからこそ生まれた「生きるヒント」が満ち溢れています。
「菜根譚」が時代をこえて読みつがれるのはなぜでしょうか。中国哲学が専門の湯浅邦弘大阪大学教授は、その理由を、「洪自誠が本流から外れて不遇をかこったからこそもちえた冷徹な視点があり、そこから時代を超えた普遍性、鋭い人間洞察が生まれた」と語ります。
番組では湯浅邦弘さんを指南役として招き、「菜根譚」の世界を分り易く解説。様々な言葉を現代社会につなげて解釈するとともに、そこにこめられた独特の【幸福論】や【交際術】、また、現代にも通じる【人格の磨き方】をひもといていきます。
第1回 逆境を乗り切る知恵
【ゲスト講師】
湯浅邦弘…大阪大学大学院教授
「菜根譚」には「逆境は良薬」「逆境は人間を鍛える溶鉱炉」など、本来ならマイナスにとらえてしまう「逆境」を前向きにとらえ、それをばねにしてさらに高みを目指す生き方が数多く示されている。そこには、政争に巻き込まれ隠遁せざるを得なかったと推測される著者、洪自誠自身の境遇が色濃く反映している。辛酸をなめつくしたからこそ、「逆境」を生かしきる珠玉の言葉を生むことができたのだ。単に「逆境」に対する姿勢だけではない。逆境にあって、力を蓄積することの大事さ、冷静に物事をみる方法等、「逆境をすごす方法」まで書かれている。人生、誰もが陥る「逆境」にどう立ち向っていくか?第1回では、逆境を乗り切る知恵を「菜根譚」から読み解く。
第2回 真の幸福とは?
【ゲスト講師】
湯浅邦弘…大阪大学大学院教授
明代末期は、それまで人々の価値観を支えていた儒教が形骸化し、何が幸福かがゆらいだ時代だった。「菜根譚」は、形骸化した儒教道徳に、「道教」や「仏教」の中の最良の部分を導きいれ、新しい命を吹き込む。あくまで現実に立脚しながらも、「富貴や名声によらない幸福」「欲望をコントロールすることの大切さ」「世俗を超えた普遍的な価値に身をゆだねることの重要性」などを説き、新しい「幸福論」を再構築しようとしているのだ。第2回では、儒教、道教、仏教を融合した「菜根譚」ならではの「幸福論」を読み解く。
第3回 人づきあいの極意
【ゲスト講師】
湯浅邦弘…大阪大学大学院教授
醜い政争に揉まれながらさまざまな人間模様を見続けたと推測される洪自誠は、人間洞察の達人でもあった。「菜根譚」には、「人づきあいの極意」ともいうべき交際術も数多く記されている。「家族との接し方」「友人との接し方」「組織人としての振舞い方」「人材育成法」……およそ人とかかわるあらゆる局面で、どう振舞ったらよいかを具体例とともに細かく指南しているのだ。第3回は、「菜根譚」から「人づきあいの極意」を読み解く。
第4回 人間の器の磨き方
【ゲスト講師】
湯浅邦弘…大阪大学大学院教授
晩年に達観の境地に至ったとされる洪自誠は、人格の陶冶には長い年月がかかると繰り返し述べその重要性を訴える。既存の価値観がゆらぐ現代、「どう生きれば人間的に成長できるのか」は多くの人たちの共通の課題だ。「菜根譚」は、「自分の心を見つめること」「ゆとりをもつこと」「中庸」「高い志」などを、人間的な成長に不可欠なものとして提示する。第4回は、「菜根譚」から「人間の器の磨き方」「人間力の高め方」を読み解く。
「菜根譚」こぼれ話
「菜根譚」、実はプロデューサーAも恥ずかしながらタイトルを知りませんでした。ところが、田中角栄、川上哲治、五島慶太、吉川英治といった錚々たる人々が愛読していたといいます。いったいどんな本なのか、楽しみに読みました。
一読して至るところに出てくる「逆境」という言葉が心に響き、「逆境を乗り切る知恵」を一つの軸にしたいと考えました。私自身が読み解いた「菜根譚」を一言でいい表すと「マイナスをプラスに転化する知恵」といえましょうか? 今あげた「逆境」もそうですが、「譲る」「待つ」「受け身」など一見マイナスにみえる価値を、見方を変えてプラスに転化する洪自誠の思想は本当に勇気を与えてくれます。
番組では時間の関係で全てをご紹介できませんでしたが、実は出演者全員が一番盛り上がったのは、最終回で「拙」という言葉を語り合ったパートでした。ちょっとご紹介させてください。
「拙」は「稚拙」「拙劣」「拙速」などの言葉からもわかる通り、「つたないこと」を意味します。どう考えてもマイナスな言葉を「菜根譚」は見事にプラスの言葉に転化します。「巧」よりも「拙」の方が力強く、そして無限の可能性をもっている、と。
伊集院光さんは、実は「ワッといわれて素直に驚く」といった、テレビが求めるリアクションが下手だということを痛切に自覚して、あるとき、そのうまさを追いかけるのをやめることを決断したそうです。伊集院さんがそこで見出したのが「リアクションができないなら、言葉をきちんと使って説明できるようになろう」という道でした。それが結果的にラジオの仕事につながり、自分の仕事が大きく開けていくきっかけになったとおっしゃっていました。まさに「拙の自覚」が大きな可能性を開いたのです。この番組でも、その能力をいかんなく発揮してくださっています。
また、こんな例を出されていました。目の不自由な方々だけがやっているエンターテインメント集団が、企業とコラボして「肌触りがとてもよいタオル」を開発したんだそうです。彼らにとって「目に見える情報」は苦手な分野、いわば「拙」です。ですがそれを逆手にとるんです。「目が不自由なだからこそ、逆に、肌触りの細やかさを感じる力は自分たちのほうがはるかに上だ」ということに気づき、それを最大限に生かして生まれたのがこの商品だったのです。まさに自分が苦手な分野、「拙」をプラスに転化して、新たな可能性を生かした感動的な例だと思いました。
わずか25分の番組ですから、こんないいお話もどうしても盛り込めないこともあります。私たちはそれを「拙」ととらえ、今後も「限られた時間」を最大限に生かせるような番組を心がけていきたいと思います。

100分 de 名著 太宰治「斜陽」
太宰治の代表作「斜陽」は、敗戦直後の混乱の中で没落しゆく貴族階級の人々の心情や人間模様を、情感豊かに描きだした作品です。出版当時「斜陽族」という言葉を生み出すほど爆発的なブームを巻き起こした小説ですが、今も多くの人に読み継がれています。現代の視点からみると、。「斜陽」からはどんなメッセージが読み解けるのでしょうか?
グローバル経済の席巻、ままならぬ東日本大震災からの復興、世界各地で頻発するテロ……現代という時代も、敗戦直後と同様、既存の価値観が大きくゆらぎ、何をよすがに生きていけばよいかわからない混迷の時代といえます。作家の高橋源一郎さんは、既存の階級システムが崩壊する中、時代に翻弄されながらも生きる道を探り続ける人物たちのあがきを描いた「斜陽」は、今を生きるヒントに満ちているといいます。
物語は、旧体制を象徴するような「最後の貴族」母と、その母を尊敬する娘・かず子の暮らしから始まります。つつましいながらも安定していたかにみえたその暮らしは、GHQによる急激な民主化政策によって基盤を奪われ、二人は時代に大きく翻弄され始めます。弟・直治の戦地からの復員、直治を退廃の道へ巻き込む作家・上原との恋、そして母の死。さまざまな出来事に遭遇する中で、やがてかず子は、既存の価値観を突き破り、「恋と革命」という一見無謀ともいえる生き方を選びとります。「戦闘、開始」という掛け声は、時代に押しつぶされそうになっていたかず子が、新しい生き方に向かって走り出す「のろし」でもありました。
この小説に描かれている人物たちは、太宰治自身の分身だともわれています。「滅びゆく階級」に身をおく母、かず子、直治。そして無頼の作家、上原。それぞれが運命に翻弄される中で、「既存の価値観と新しい価値観」の狭間で葛藤し、自分の生き方を見つけようともがき苦しみます。それは敗戦によっても、何も変わることがなかった「戦後社会」に違和感を持ち続けた太宰自身が、向き合わざるを得なかった苦悩でもありました。それは、激しい時代の変化の中で真摯に生きようとする現代人なら、誰もが直面する苦悩ともいえます。 番組では、作家・高橋源一郎さんを講師に迎え、「斜陽」を新しい視点から捉えなおし、時代に対する痛烈な批判、既存の価値観にとらわれない新しい生き方など、現代に通じるメッセージを読み解きます。
第1回 「母」という名の呪縛
【ゲスト講師】
高橋源一郎
…作家、明治学院大学教授。代表作「さようなら、ギャングたち」「優雅で感傷的な日本野球」など。
【朗読】
伊勢佳世
…俳優。映画「プライド」、ドラマ「チームバチスタ3」等に出演。
【ナレーション】
加藤有生子
あらゆる仕草が生まれついての優雅さをもつ「最後の貴婦人」と呼ばれた「母」。娘のかず子はそんな母を尊敬しながらも疎ましく思う心を芽生えさせていた。やがて「お母さまのお命をちぢめる気味わるい小蛇が一匹はひり込んでいる」と感じ始め、母に象徴される旧い価値観から脱出したいと願うようになる。太宰はこの「母娘関係」を通して何を表現しようとしたのか? 高橋源一郎さんは、かず子が母との葛藤の中で心の中に育てていく「蛇」が、社会が長らく抑圧してきた「女性原理」の象徴ではないかと読み解く。第1回では、太宰治の人となりや「斜陽」執筆の背景などを紹介しながら、「斜陽」に描かれる「母娘関係」を通して、女性たちの心のうちに潜む「蛇」の意味を読み解き、「斜陽」の現代性を浮き彫りにする。
第2回 かず子の「革命」
【ゲスト講師】
高橋源一郎
…作家、明治学院大学教授。代表作「さようなら、ギャングたち」「優雅で感傷的な日本野球」など。
【朗読】
伊勢佳世
…俳優。映画「プライド」、ドラマ「チームバチスタ3」等に出演。
【ナレーション】
加藤有生子
かず子は、母の死をきっかけに、「恋と革命」に生きることを目指して冒険を始める。その果てに、「古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きる」と宣言して、不義の子を産み一人で育てていくことを決意するのだった。最初は、常識も生活力もまるでなかったかず子は、大地を踏みしめるような暮らしを通して、誰かのいいなりになるだけの「人形」から「人間」へと目覚め始める。その飛躍のためにかず子は、古い道徳や常識をぶち壊すような「恋」を選び取った。そのかず子の行動の意味とは何だったのか? 高橋源一郎さんは、太宰が、時代や社会に苦しめられている人たちに対して、表面的な政治革命ではなく、人間のもっとも深いところからの「革命」とはどういうことなのかを伝えようとしたのではないか、という。第2回は、既存の価値観を突き抜けたかず子の生き方を通して、太宰が「恋と革命」に象徴させた「新しい倫理」を読み解く。
第3回 ぼくたちはみんな「だめんず」だ
【ゲスト講師】
高橋源一郎
…作家、明治学院大学教授。代表作「さようなら、ギャングたち」「優雅で感傷的な日本野球」など。
【朗読】
伊勢佳世
…俳優。映画「プライド」、ドラマ「チームバチスタ3」等に出演。
【ナレーション】
加藤有生子
かず子の弟・直治は貴族という生まれを呪い庶民に同化したいと願い続けた。そのためにあえて麻薬や酒に溺れようとする。しかし彼の願いは受け入れられず最期に「ぼくは貴族です」と書き遺して自殺した。一方、作家の上原は、社会に反抗するかのように退廃的な生活にひたり、札つきの不良として振舞う。一見「だめんず」とも見える二人の生き方には、太宰自身の必死の叫びがあると高橋源一郎さんはいう。自らの悪を白日の下にさらけ出す二人は、そうすることで、大きな罪や矛盾をごまかし見ないふりを続ける世間の欺瞞に対して、「ほんとうのこと」を突きつけようとしているというのだ。第3回は、直治と作家・上原の生き方を通して、太宰治自身の、時代や社会への痛烈な批判を読み解く。
第4回 「太宰治」の中にはすべてが入っている 
【ゲスト講師】
高橋源一郎
…作家、明治学院大学教授。代表作「さようなら、ギャングたち」「優雅で感傷的な日本野球」など。
【朗読】
伊勢佳世
…俳優。映画「プライド」、ドラマ「チームバチスタ3」等に出演。
【ナレーション】
加藤有生子
【スペシャルゲスト】
又吉直樹(お笑いタレント)
…小説「火花」で第153回芥川賞受賞。
現代でも太宰治の作品は多くの人をひきつけてやまない。時代を超えて愛され続ける太宰の魅力とはいったい何なのか? 高橋源一郎さんは、太宰が「世界で何が起こっているかを静かに聴くことができる耳」の持ち主だったからだという。だからこそ、太宰は、未来に起こることを全て知っていたのではないかと思わせるほどの鋭い洞察を、作品の中に込めることができたのではないかというのだ。第4回では、タレントで作家の又吉直樹さんを交え、「斜陽」だけでなく、「女生徒」「恥」「御伽草子」など、自分がひかれる太宰作品の幾つかを挙げてもらいながら、太宰治が今も多くの人達をひきつけ続ける理由や、太宰作品を現代に読む意味について語り合う。
こぼれ話。
一つの作品から何かを学び尽くすということはどういうことか?
今回、高橋源一郎さんと又吉直樹さんを番組にお招きし、お話を聞いて痛感したのはそのことです。
高橋さんとの一番最初の番組打合せに臨んだ際、実はとても困っていました。「斜陽」という小説がとても面白くて、何か現代に通じる深いメッセージを読み取れそうな予感をもちながらも、具体的にどう論じたらいいか、考えあぐねていたからです。高橋さんは、そんな私が書いた下手くそな「構成たたき台」にこめた思いをくんでくださり、見事に現代に通じる切り口からの解説案を提示してくださいました。「斜陽」を読み尽くしている高橋さんならではの新鮮な解釈でした。
又吉直樹さんとの打合せのときもそうでした。又吉さんならこんな話をしていただいたらいいかな…と、過去のインタビュー記事を読んで頭の中でおおまかな案を考えていたのですが、そんなちっぽけな考えはことごとく粉砕されました。お笑いライブの合間の短い時間の打合せだったにもかかわらず、太宰の一つ一つの作品について、丁寧にご自分の思いを語ってくださり、目から鱗が落ちまくりました。又吉さんは、単なる太宰の愛読者を超えて、太宰の作品を「身で読んでいる」と実感しました。
その二人の読みの深さは、第四回をご覧いただいた皆さんもお感じいただいたのではないでしょうか?
お二人の姿勢から感じたことは、「一つの作品から何かを学び尽くす」ことの素晴らしさです。又吉さんは、太宰作品を中学生のときに読み始めて以来ずっと、定点で太宰を読み続けているそうです。そして毎回違うところにひっかかるそうです。そのつど、発見があり、全く飽きることがないといいます。私には、ここまで徹底して、一つの作品に向き合うことがあっただろうかということを反省させられました。
「何かを学ぶこと」の素晴らしさ。それは役に立つ、立たないなどという次元を超えています。それがたとえば就職や実際の仕事に直接的に役立たないからといって無意味なことでしょうか? 私はそうではないと思います。
敗戦という極限状況の中で、死に物狂いで次の世代に何かを教えようとしていた人々、そしてそこから何かを学び取ろうとした人たちの感動的なエピソードを、哲学者の鷲田清一さんが著書の中で紹介されていました。少し長いですが、引用させてください。

劇作家であり美学者でもある山崎正和が敗戦後の満州で受けた教育のことである。外は零下二十度という極寒のなか、倉庫を改造した中学校舎は窓ガラスもなく、寄せ集めの机と椅子しかない。引き揚げが進み、生徒数も日に日に減るなかで、教員免許ももたない技術者や、ときには大学教授が、毎日、マルティン・ルターの伝説を読み聞かせたり、中国語の詩を教えたり、小学唱歌しか知らない少年たちに古びた手回し蓄音機でラヴェルの「水の戯れ」やドヴォルザークの「新世界」のレコードを聴かせた。そこには「ほとんど死にもの狂いの動機が秘められていた。なにかを教えなければ、目の前の少年たちは人間の尊厳を失うだろうし、文化としての日本人の系譜が息絶えるだろう。そう思ったおとなたちは、ただ自分一人の権威において、知る限りのすべてを語り継がないではいられなかった」(「もう一つの学校」、山崎正和『文明の構図』所収)。
ーーー鷲田清一「京都の平熱」より

極限状況にあった彼らが死に物狂いで伝えようとした「知」は、すぐに役立つ実学などではありませんでした。それは「マルティン・ルターの伝説」であり、ラヴェルの「水の戯れ」であり、ドヴォルザークの「新世界」でした。何かを教え、語り継がなければ、「人間の尊厳」も「文化としての日本人の系譜」も息絶えてしまうという死に物狂いの動機。こんな思いに支えられてきたのが本物の「知」ではないでしょうか?

翻って現在、私達が置かれている状況はどうでしょう? 「すぐに役に立たない分野は廃止を」「社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組め」等々の掛け声の下、教育機関の再編成が推し進められていると聞きます。旧態依然とした横並びから脱し、グローバル化や大学ごとの特色を出すために努力することは、私も大切だと思います。ですが、上記のような「教える情熱」「学ぶ情熱」を押し殺すようなことだけはあってはならないと思います。

高橋源一郎さんと又吉直樹さんのお話を聞きながら、そんなことを感じました。そして、私自身も「100分de名著」を、人々の「学ぶ機会」「学ぶ情熱」に応え続けられるような番組にしていきたいという思いを新たにしました。

100分 de 名著 ダーウィン「種の起源」
「自然淘汰により生物は進化する」という画期的な理論を、粘り強い観察と精緻な論理の積み重ねで築き上げた「種の起源」。著者チャールズ・ダーウィンは、この著作で既存の生命観を一変させました。自然観察や博物館見学などの機会が多くなる夏休み、科学や発見の面白さに満ち、自然を巨視的にみることを教えてくれる名著「種の起源」を取り上げます。
19世紀を代表する博物学者ダーウィンは、軍艦ビーグル号での世界一周航海の途上、各地で珍しい生物相をつぶさに観察する機会を得ました。帰国後、集めた標本を研究する中で「神が万物を創造した」という当時の世界観ではどうしても説明できない事実につきあたります。「生物が長い時間をかけて徐々に進化してきた」という前提に立てば、さまざまな現象がうまく説明できると考えたダーウィンは、20年かけてこつこつと秘密のノートに自分の考えをまとめ続けました。その集大成が「種の起源」です。
「種の起源」は現代生物学の基礎理論の一つともいえる「進化論」を打ち立てただけではありません。ダーウィンが「種の起源」で打ち出した生命観から自然をみると、全ての生物は「生命の樹」といわれる一つの巨大な連鎖でつながっており、人間もその一部にすぎません。そこからは、人間には他の生物を意のままに操る権利などはなく、互いに尊重し共存していかなければならない、というダーウィンのメッセージがみえてきます。
番組では、ダーウィンが「種の起源」によって解き明かした自然のあり方を解説しながら、【生き物たちの驚異】【生命の素晴らしさ】【科学的な発見の面白さ】などを考えていきます。
声優・水島裕さんからのメッセージ
はじめまして。今回、ダーウィンの声を担当している水島裕です。
「ダーウィンの声」を担当すると聞いて「え〜、あのヒゲもじゃのおじいさん?」と思い、少したじろいたのですが、彼が執筆したのは、およそ30代〜50代だそうで、若い気持ちで演じる事が出来ました。とは言え、幾度かは「あの、ヒゲもじゃのおじいさん時代」も出てくるので、その振り幅の大きさも楽しめました。今回は、ダーウィンという実在の人物なので、一字一句、資料通りに、でも、体温を感じてもらえるように演じたつもりです。
どうか、あなたにも楽しんでもらえますように。
第1回 「種」とは何か?
【ゲスト講師】
長谷川眞理子(総合研究大学院大学教授)
…行動生態学者・進化生物学者。ダーウィンや進化論に関する著書多数。
【ダーウィンの声】
水島裕(声優)
…代表作「一球さん」真田一球役、「銀河英雄伝説」ナイトハルト・ミュラー役。
【ナレーション】
墨屋那津子
生物の分類をくっきりと分ける「種」は、神が天地創世の際に創造したものであり、その創造以来、一切変化していないというのが19世紀当時のキリスト教的な世界観だった。だがその世界観では、同一の地層から「今は絶滅した生物の化石」と「現在もみられる生物の化石」が一緒に見つかるという事実がどうしても説明できない。ダーウィンは、人間が飼育栽培する動植物が、人為的な選択によって世代を追うごとに変異を累積し、同じ「種」とは思えないような変化を遂げていく事実に注目する。同じようなことが自然界でも起こっているのではないか? そうだとすると、「種」とは人間が便宜的に作った概念にすぎないのではないか? ダーウィンの疑問はやがて「進化論」という巨大な理論へと向かっていく。第一回は、ダーウィンが既存の世界観にどう挑んでいったかを明らかにしながら、「種の起源」で説かれる進化論の発想の原点に迫っていく。
第2回 進化の原動力を解き明かす
【ゲスト講師】
長谷川眞理子(総合研究大学院大学教授)
…行動生態学者・進化生物学者。ダーウィンや進化論に関する著書多数。
【ダーウィンの声】
水島裕(声優)
…代表作「一球さん」真田一球役、「銀河英雄伝説」ナイトハルト・ミュラー役。
【ナレーション】
墨屋那津子
同じ種の生物が世代交代を経るごとに変異を累積し、やがて当初とは大きく異なった種へと変貌していく「進化」。自然界でも飼育栽培と全く同じ現象が生じると考えたダーウィンは「そのような変化を推し進めていく原動力とは何か?」を解き明かす。これまで観察してきた事実をつきあわせながら、その原動力を「生存競争」「自然淘汰」といった概念を使って見事に説明したのである。生物の進化は、生物同士が同一環境でそれぞれに必要な資源を求めて熾烈な競争を行った結果、たまたまその環境に適した変異をもった生物だけが子孫を残すことができるために、結果として起こる現象だというのだ。そこには優劣の差もなければ目的もない。第二回は、「進化論」の基本概念をわかりやすく解説することで、生命の不思議さや驚異、そのあり方を科学的に解明することの意味を考えていく。
第3回 「不都合な真実」から目をそらさない
【ゲスト講師】
長谷川眞理子(総合研究大学院大学教授)
…行動生態学者・進化生物学者。ダーウィンや進化論に関する著書多数。
【ダーウィンの声】
水島裕(声優)
…代表作「一球さん」真田一球役、「銀河英雄伝説」ナイトハルト・ミュラー役。
【ナレーション】
墨屋那津子
ダーウィンは「種の起源」で単に「進化論」という自説を提示しただけではない。「考えられる限りの反論」や「進化論にとって一見説明できないような不都合なデータ」を一つ一つ検証し、自らの理論を徹底的にテストしている。「進化の途上にある中間的な種やその化石が発見されないのはなぜか?」「眼のような精緻な構造が果たして進化だけで生まれるのか?」「世界中で同じ種が同時多発的に生まれるのはなぜか?」 難問ともいえる反論に対して、ダーウィンの科学的思考は、自説を応用することで見事に答えていく。第三回は、反論に対するダーウィンの回答をつぶさにみていくことで、科学的思考の面白さ、大切さを学んでいく。
第4回 進化論の「今」と「未来」
【ゲスト講師】
長谷川眞理子(総合研究大学院大学教授)
…行動生態学者・進化生物学者。ダーウィンや進化論に関する著書多数。
【ダーウィンの声】
水島裕(声優)
…代表作「一球さん」真田一球役、「銀河英雄伝説」ナイトハルト・ミュラー役。
【ナレーション】
墨屋那津子
「種の起源」の中でダーウィンは、一つの巨大な生命観を提示する。全ての生物は「生命の樹」といわれる一つの巨大な連鎖でつながっており、人間もその一部にすぎないと説く。人間には他の生物を意のままに操る権利などはなく、互いに尊重し共存していかなければならないというのがダーウィンのメッセージだった。そして「種の起源」以降、ダーウィンは、その研究の対象を人間へと広げていく。それは現代の人間観にも大きな影響を与えている。一方で、「進化論」は「人種差別」「強者の論理」などを肯定するイデオロギーだという誤解も絶えない。果たして「進化論」が生み出した人間観とは何だったのか? 第四回は、「進化論」にまつわる数々の誤解を解くとともに、現代の人間観にとって「進化論」がどのような意味をもっているかを解き明かしていく。
こぼれ話。
「皆さん、誤解されているけど、『退化』だって『進化』なんですよ」
今回、講師を担当してくださった長谷川眞理子先生に最初にお話をうかがった際に、耳の奥に残った言葉でした。
「進化論」ってなんだか古臭い…というイメージってありますよね。さらには、スタッフでアイデアをもむ会議でも、「ダーウィンの進化論って『人種差別』『強者の論理』などを肯定するイデオロギーなんじゃないですか?」という意見が出されるくらい。ダーウィンくらい未だに大きな誤解にさらされている人もいないかもしれません。
ところが、長谷川先生への取材で、あっという間にこのような誤解がほどけていきました。それを象徴するのが「『退化』だって『進化』なんですよ」という言葉でした。
たとえば、「種の起源」にはこんな事例が出てきます。マデイラ島に生息する甲虫の多くは羽が退化して飛べません。せっかく進化の過程で手に入れた飛ぶ能力をなぜこの甲虫たちは失ってしまったのか? マデイラ島は孤島で吹きさらし状態にあるため、空を飛ぶと風に流され海に落ちて死んでしまいます。最初は、飛べる甲虫、突然変異等によってたまたま飛べる能力がない甲虫など、いろいろなタイプが共存していたのですが、長い年月の中で、飛べる甲虫の多くは海に落ちてしまうケースが多かったため、飛べない方の甲虫だけが子孫を残すことになったのです。それが繰り返されることで変異が蓄積し、マデイラ島の甲虫の多くが飛べない甲虫になったのでした。
環境に直接影響を受けて羽が退化したわけでもなく、使用しないから退化したわけでもありません。最初にたまたま生まれた個体差(飛べないという変異)が、「自然」に選ばれて、世代交代を繰り返す中でその個体差が蓄積し、新しい種ともいえるものが生まれたのです。
このように、生き物には、無限といってもいいほどの自然適応のやり方があるのです。大きいもの小さいもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、獲得した器官を失ったもの不必要な器官をもってしまったもの……自然界にはあらゆる形質をもつ生物が多様に存在しています。「強いもの」が生き残るのではなく、たまたま「適応したもの」が生き残るだけです。こうした状況は「弱肉強食」といった単純な図式では決してとらえられないのです(でも人間って、どうしても事を単純化してとらえようとしてしまうんですよね)。
悪名高いナチスの「優生主義」は、人為的に劣っていると判断された遺伝子を駆逐しようとしました。しかし、これはダーウィンの理論によればとんでもないことです。「優秀な遺伝子」なんて存在しないんです。あるのは、「ある環境にあって、たまたま有効であるかもしれない遺伝子」だけ。そして、常に変転していく自然環境の中では、生き物や「種」が豊かに、そして末長く存続していくためには、できる限り多様なパターンの形質や性質を抱えておく方が有利なのです。そのことは、番組でもご紹介した、特定の品種のジャガイモだけしか栽培しなくなったアイルランドにおいて、ある一つの病気の発生でジャガイモが壊滅し、100万人の国民が餓死したという事例をみてもよくわかるでしょう。
つまり、ダーウィンの進化論は、「優生主義」や「強者の論理」「弱者の否定」「人種差別」「障がい者差別」「性的マイノリティへの差別」等々に組みするどころか、それらを真っ向から否定します。それを「人間の倫理」の立場からではなく、「科学」の立場から見事に論証したところが、ダーウィンの素晴らしさだと思います。
ダーウィンほど、生き物の多様性や人間の平等性を愛した人は、19世紀の世の中にはいなかったでしょう。それは、ダーウィンが、身分や人種で人を判断せず、あらゆる人に平等に接したという記録からもわかります。
最近、ともすると「全てを一つの色に塗りつぶさないと気がすまない」、「異分子を排除しよう」、「自分と異なるものは劣っていると考える純血主義」……等々といった風潮が見受けられます。自分自身も陥りがちなこうした偏見や差別感情を、きちんと相対化してくれる視点をダーウィンは与えてくれます。
生命の多様性を何よりも尊重したダーウィン。私たちは、科学者としてのダーウィンだけでなく、人間ダーウィンにももっと学ばなければならないと思います。そして、そんな彼が到達した「人間観」、「生命観」にも学び続けなければと痛感しています。

100分 de 名著 小泉八雲「日本の面影」
「並外れた善良さ」「辛抱強さ」「素朴な心」「察しのよさ」……今や失われようとしている、私たち日本人がかつてもっていた美質。異邦人ならではの視点から、当の日本人ですら見過ごしていた日本の美しさ、精神性の豊かさを瑞々しい言葉で描き出してきた文学者・小泉八雲(旧名ラフカディオ・ハーン)。その初期の代表作が「日本の面影」です。7月の「100分de名著」では、優れた紀行文学であり、卓越した日本文化論としても読み解ける「日本の面影」を通して、「日本とは何か?」そして「異文化を理解するとはどういうことか?」をあらためて見つめなおしたいと思います。
小泉八雲が日本には到着したのは1890年(明治23年)。自らの居場所を求め続けた八雲が漂泊の果てにたどり着いた場所でした。時あたかも日本が西欧近代化に向けて邁進し始めた時期でしたが、地方にはまだ「古きよき日本」が色濃く残っていました。八雲はそうした「失われつつある日本」をこよなく愛し、それこそ日本の真髄だとして作品に書きとどめることで救い出そうとしたのです。
しかし、「日本の面影」は単なる日本礼賛の本ではありません。八雲は類い希なる感性で、あらゆる音に耳をすませ、全身で世界と共振しながら、自分とは全く異なる文化の深層を感じ取ろうとしました。この作品は、多様化し対立し合う現代の世界にあって、「異なる価値観」「異文化」を理解するための大きなヒントを私達に与えてくれます。小泉八雲の研究者、池田雅之早稲田大学教授は、八雲がそうできた理由を、「アイルランド人の父とギリシア人の母の間で自らのアイデンティティを引き裂かれながらも、世界中を旅することを通じて、どんな土地にでも溶け込んでしまえる『オープンマインド(開かれた心)』を獲得するに至ったからではないか」といいます。
番組では池田雅之さんを指南役として招き、小泉八雲が追い求めた世界観を分り易く解説。「日本の面影」を現代の視点から読み解いてもらい、そこにこめられた【日本文化論】や【異文化理解のヒント】【自分探し】など、現代の私達にも通じる普遍的なテーマを引き出していきます。
佐野史郎さんからのメッセージ
ラフカディオ・ハーン、小泉八雲ゆかりの地、島根県、松江を故郷に持つ俳優の私が八雲の作品を朗読するようになって久しい。朗読は、「語り聞かせる」という、俳優にとってとても重要な、基本となる表現である。松江では「ヘルンさん」として親しまれている八雲の作品を朗読することは、俳優修行であり、同時にまた、故郷への想いを強くする場ともなっていった。年に一度、松江と銀座で、定期的に小泉八雲の朗読会を行うようになって十年が経つ。
自分で八雲の作品を、毎回テーマを決めて構成し、シナリオを書く。それを、やはり松江の高校の級友でありギタリストの山本恭司に音楽を担当してもらい、二人で八雲の幽玄の世界、古き良き日本の面影を蘇らせる。「息を合わせる」こともまた表現の基本。同じ空気を吸ってきた二人ゆえ、それもまた楽しい。子供の頃から怪談や妖怪が好きだった。「怪談」で知られる小泉八雲を「ヘルンさん」と、身近に感じていたこともあり、朗読を重ねる度に、その親しみにも導かれ、奥底の深い世界観にのめりこむ。
今回、「100分de名著」にお誘いいただき、光栄だ。と同時に、永く小泉八雲の朗読を続けているだけに、責任の重さを強く感じた。番組で取り上げられた八雲の作品のほとんどは朗読してきたものだったし、その世界観を「頭で理解せず」に「身体で感じる」ように伝えることができるよう、神経を張りめぐらせた。プロデューサー、ディレクター、スタッフのみなさんは、それでもテレビメディアに求められる「わかりやすさ」を外すことなく、「説明がつく」ことと「説明をしない」ことを同時に成立させようと丁寧に現場を進めてくださった。百数十年前の「日本の面影」を「今」感じることで、視聴者一人一人のみなさんが、現在の、そして、これからの「日本の面影」に想いを馳せてくださるならばこれ以上のことはない。
第1回 原点を訪ねる旅
【ゲスト講師】
池田雅之(早稲田大学教授)
…比較文学者。小泉八雲に関する著書多数。
【朗読】
佐野史郎(俳優)
…小泉八雲の大ファン。世界各地で小泉八雲の朗読を行っている。
「人間は知識よりも幻想や想像力に依存する」。知識に偏重した西欧近代の価値観に反発した小泉八雲は、自らの人間観をそう表現し日本の豊かさをすくい上げるために知識で分析するような方法は一切放棄する。彼が異文化である日本を理解する方法は、庶民の暮らしに向き合うこと、伝承や神話に耳をすませることだ。その背景には、母を奪った父に代表される西欧社会への根深い敵意があった。日本を巡る旅は、母の記憶につながる原初の楽園的な世界を日本のうちに求めようという自分探しの旅、自らの原点を探す旅でもあった。第一回は、小泉八雲の人となりや執筆の背景を掘り下げながら、八雲が異文化日本を見つめた熱いまなざしに迫っていく。
第2回 古きよき日本を求めて
【ゲスト講師】
池田雅之(早稲田大学教授)
…比較文学者。小泉八雲に関する著書多数。
【朗読】
佐野史郎(俳優)
…小泉八雲の大ファン。世界各地で小泉八雲の朗読を行っている。
小泉八雲は、私たち日本人が当たり前のものとして見過ごしてきたものの中に、日本人の深層にあるものを見つけ出していく。八雲は、文献だけにたよらず、庶民の信仰や暮らしのただ中に分け入り、「盆踊り」の中に原初的な「大地の美しい叫び」を、「出雲大社」の中に日本人の「本能」「活力」「直観」を読み取る。それらには、太古から日本人を育み、豊かにしてきた文化の基層があったのだ。第二回は、目に見えない「霊的なもの」を感受する八雲独自の直観で探り当てた、古きよき日本の深層に迫っていく。
第3回 異文化の声に耳をすます
【ゲスト講師】
池田雅之(早稲田大学教授)
…比較文学者。小泉八雲に関する著書多数。
【朗読】
佐野史郎(俳優)
…小泉八雲の大ファン。世界各地で小泉八雲の朗読を行っている。
ささやかな音への感受性、悲しいときにも微笑む日本人のふるまい…小泉八雲は、西欧人たちには理解が困難だった日本人の特質に新たな光を当てる。悲しいときの微笑みは「究極の克己心にまで達した謙譲」や「他人への気遣い」のあらわれだと読み解いた八雲。なぜここまで日本人の本質に迫れたのか? そこには「五感を研ぎすませて対象に向き合う」「相手の立場になりきる」といった八雲の資質があった。池田雅之教授は、八雲の方法には、私たちが異文化に向き合う際のヒントが数多く秘められているという。第三回は、五感を駆使し、異なる声に耳をすませ続けた八雲の「異文化理解の方法」を明らかにしていく。
第4回 心の扉を開く
【ゲスト講師】
池田雅之(早稲田大学教授)
…比較文学者。小泉八雲に関する著書多数。
【朗読】
佐野史郎(俳優)
…小泉八雲の大ファン。世界各地で小泉八雲の朗読を行っている。
アイルランド人の父とギリシア人の母の間でアイデンティティを引き裂かれ魂に傷をおった小泉八雲。八雲はその魂の傷を癒すものとして日本の古い民話や説話を発見し「日本の面影」の中に採録する。やがて八雲は「再話文学」という方法を使ってそれらを「怪談」という傑作へと昇華していく。「怪談」の中には、自らの魂の軌跡や洋の東西を超えた普遍的なイメージ、近代への鋭い批判など、多様なテーマが見事に融合されている。それは「開かれた心」を持ち続けた八雲だからこそなしえた芸術作品だった。第四回は、「日本の面影」が傑作「怪談」に結実するまでの軌跡を追い、八雲が目指した「魂の理想」を描き出す。
こぼれ話。
異文化の声に耳をすます
小泉八雲が「異なる文化や価値観に向き合うときの姿勢」を一言で表現すると、この言葉に凝縮されるのではないか? 「日本の面影」を何度も読み直す中で、強く感じ続けてきたことです。番組第三回のテーマにこの言葉をすえたのも、八雲の精神をぜひ伝えたいという意図からでした。
西欧で生まれ育った小泉八雲は、あまりにも自分たちの価値観や感性と異なる日本文化に出会ったとき、おそらく初めはとまどったに違いありません。ですが、八雲はそこで思考停止しなかった。自らの五感を研ぎ澄まし、庶民の暮らしや文化と全身で共振し、徹底して相手の立場に立って考えてみる。常に変わらぬこの姿勢こそが、あそこまで日本の本質に迫る文章を生み出した極意だったのではないかと思います。
翻って、今の私達が置かれている状況を見つめ直してみるとどうでしょう?
「自分とは異なる意見や主張を蹴散らして平気な顔をする」「少数者の意見をまるでないもののように無視する」「異文化や異なる価値観に対して理解しようと努力せず、ひたすら嫌悪と憎悪をつのらせる」
小泉八雲が「日本の面影」の中で礼賛してやまなかった「自分とは異なる他者や異邦人をやわらかく受け入れる明治の日本人」とは、まるで正反対の行為や態度が横行していないでしょうか? 自分自身の反省も含めて強くそう感じますし、小泉八雲に対して恥ずかしくて顔向けができないとすら思います。
どんなときにも、異なる価値観や異文化の声に耳を澄まし、全力でそれを表現しようとし続けた小泉八雲。公共放送という仕事に携わる人間として、この八雲の姿勢を心に刻み続けたいと思います。

100分 de 名著 ソポクレス「オイディプス王」
未曾有の震災、テロリスムの蔓延、断ち切れない憎しみの連鎖……私たちは今、自分の意志だけでは動かしようのない「運命」のような現実を生きています。そんな「運命」に直面したとき、人はどう生きるべきなのか? 今から2500年近くも前、人間が運命にどう立ち向かうべきかを問うた一篇の戯曲が執筆されました。ソポクレス作「オイディプス王」です。6月放送の「100分de名著」は、人間にとっての「運命の意味」を、悲劇を通して描いたこの作品を取り上げます。
原因不明の疫病が蔓延し破滅の危機に瀕した古代ギリシア都市国家テバイ。名君として知られるオイディプス王はその原因を究明すべく神への神託を請います。神託の結果は「先王ライオスを殺害したものを罰せよ」。犯人探しに乗り出すオイディプスですが、真相が明らかになるにつれ、自分自身の出生の秘密が少しずつ明らかになっていきます。やがて、先王ライオスこそオイディプスの実の父親であり、オイディプスがその父を殺害し、実の母親を娶ったという事実が白日の下にさらされます。衝撃的な事実に直面し、母親は自殺。オイディプスは自分自身を罰すべく自ら目をつぶします。
この物語は、単に運命に翻弄される人々を描いただけではありません。「人が運命に直面したときどうふるまうべきか」をさまざまなキャラクターを通して描き出しています。また、「自分探し」を続けるオイディプスの姿を通じて、人間にとって「知るという行為」の意味や「知るという行為」がもたざるを得ない危険性を鋭く問うています。
さまざまな意味を凝縮した「オイディプス王」の物語を【運命の意味】【人間にとって「知」とは何か?】【人間存在の本質とは?】など多角的なテーマから読み解き、困難な時代を生きるための、普遍的なメッセージを引き出します。
小出恵介さんからのメッセージ
慣れない朗読にして、オイディプス王という大古典というまさかの二重苦ではありましたが、とても楽しくやらせていただきました。オンエアを観て、島田雅彦さんのとてーもためになるというか、また1つ角度の増える解説を聞きうっとりするあまりでございます。次は日本の文学や詩集などにも、機会があればぜひ挑戦したいと思っております。
第1回 運命とどう向き合うか?
【ゲスト講師】
島田雅彦(作家・法政大学教授)
…2008年『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
【朗読】
小出恵介(俳優)
…ドラマ「ごくせん」、映画「キラサギ」などに出演
「オイディプス王」では、運命に翻弄されながらも必死でそれにあらがう人々の典型が描かれている。我が子に殺されるという運命を避けるために、赤児の足を鉄串で貫きうち捨てるという残虐な選択を行ったテバイ王ライオス。逆に、父殺しという過酷な運命を避けようと、愛する両親から自らの身を引き離し放浪の旅に出るオイディプス。運命を認めようとせずそこから必死に目をそらせようとするイオカステ。しかし、誰一人としてその運命を避けることはできなかった。この作品は、人が運命と対峙したときどうふるまうべきなのか、運命を受け入れてなお主体性というものは成り立つのかを問いかける。第一回は「オイディプス王」成立の背景や全体像に迫りながら人間にとっての「運命の意味」を考える。
第2回 起承転結のルーツ
【ゲスト講師】
島田雅彦(作家・法政大学教授)
…2008年『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
【朗読】
小出恵介(俳優)
…ドラマ「ごくせん」、映画「キラサギ」などに出演
原因不明の災厄が襲いかかるテバイ。果たしてその原因は何なのか? オイディプス王が論理的思考を駆使して原因究明に突き進むストーリーは、見事なまでの起承転結の構造をなしている。島田雅彦さんはこの物語こそ「起承転結構造のルーツ」だと分析する。当時、ギリシア世界では自然哲学が勃興。科学的思考や数学的思考が萌芽し、混沌とした自然を合理的に説明しようという試みが盛んだった。ギリシア悲劇は、合理的な思考で荒唐無稽な神話を「構造」に落とし込み、人間の本質を描き出す芸術形式に高めるという、ギリシア的合理精神の表れの一つだった。それは、「知」によって世界を体系化するヨーロッパ的思考の原点ともいえる。第二回は、物語を読み解くことで、人間にとって「知るという行為」がもつ深い意味に迫っていく。
第3回 人間の本質をあぶりだす
【ゲスト講師】
島田雅彦(作家・法政大学教授)
…2008年『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
【朗読】
小出恵介(俳優)
…ドラマ「ごくせん」、映画「キラサギ」などに出演
古い秩序の象徴ともいえる父親を殺害し自らがその座を奪い取る「父殺しの物語」。自らを生み出した母なるものへ回帰しようとする欲望を描く「母子相姦の物語」。破滅をも恐れず自らの出自を確かめようとするあくなき探求を描く「自分探しの物語」。「カラマーゾフの兄弟」「スター・ウォーズ」に代表されるように、古今東西繰り返し描かれてきたテーマの全てが「オイディプス王」には込められている。ソポクレスは、これらのテーマを通して、人間のどのような側面を描こうとしていたのか? 第三回は人間の本質をあぶりだすさまざまなテーマを読み解き、現代に通じる普遍的なメッセージを引き出していく。
第4回 滅びゆく時代を生き抜く
【ゲスト講師】
島田雅彦(作家・法政大学教授)
…2008年『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
【朗読】
小出恵介(俳優)
…ドラマ「ごくせん」、映画「キラサギ」などに出演
作者ソポクレスは、最晩年、続編ともいうべき「コロノスのオイディプス」を執筆している。この作品には「オイディプス王」のようなドラマチックな展開は一切ない。描かれるのは淡々と運命を受け入れアテネを守る守護神へと変貌していくオイディプスの姿が中心だ。その背景には、戦争により疲弊したギリシア世界が黄昏を迎えつつあった時代状況がある。そこには、滅びゆく運命にあるアテネ市民に向け「運命を受け止めつつそれでも高貴に生きよ」というメッセージが込められている。島田さんは「オイディプス王」を「青・壮年期の物語」だとすれば「コロノスのオイディプス」は「老年期・晩年の物語」であり、今こそ読み直すべき作品だという。第四回では、両作品を読み比べることで、もはや右肩上がりなど望めない成熟期を迎えた現代に生きる術を学ぶ。
こぼれ話。
ギリシア悲劇「オイディプス王」と続編「コロノスのオイディプス」は、
「文明批評」としても読むことができる!
作家・島田雅彦さんとの打ち合わせを終えたとき、そのことに気づかされて、鳥肌が立つような興奮を覚えたことを今でも思い出します。
戯曲としてのエンターテインメント性をまとった両作品は、普通に読めば、とてもよくできた物語。少々言い回しは古くて読みにくいところも多いですが、当時の人々が熱狂的に観劇したんだろうなあということは予測できました。
しかし、まさかそこに、ここまで深い洞察と、鋭い「文明批評」「政治批評」が込められていたとは、島田さんに指摘されるまで全く気づきませんでした。
そのことに気づかされたとき、2500年も前の作品が一気に自分の身に迫ってきました。異なる文明同士、価値観を異にする国家同士が対立を深め、憎しみの連鎖を断ち切れない現代世界を見つめるにつけ、「コロノスのオイディプス」で描かれた醜い争いは、今の時代をそのまま映し出しているようにも見えてきます。
ソポクレスは、「老オイディプス」の姿や言葉を通して、エゴや国家間の利害関係にとらわれない、普遍的な視点をもつことの大切さを訴えているような気がします。
かなり自分自身の解釈が入りますが、ソポクレスは、いわば「悲劇」というメディアを通して、社会や時代をのありようを鋭く批判し、腐敗を告発し続けた古代ギリシア時代のジャーナリスト的な存在だったのではないか、そんなことを感じさせられるシリーズでした。
私もマスコミ人の一人として、ソポクレスの精神に学び続けたいと思います。

新春スペシャルドラマ 富士ファミリー
富士山のふもとにある小さなコンビニ「富士ファミリー」。鷹子(薬師丸ひろ子)、ナスミ(小泉今日子)、月美(ミムラ)は美人三姉妹と評判だったが、ナスミは他界、月美は結婚。今は鷹子とナスミの元夫・日出男(吉岡秀隆)、笑子ばあさん(片桐はいり)で店を営んでいる。年末のある日、死んだはずのナスミが笑子の前に現れ、あるメモを見つけて欲しいと言う。謎の言葉が残されたメモ、これをきっかけに大騒動が巻き起こる。
薬師丸ひろ子,小泉今日子,ミムラ,中村ゆりか,小倉一郎,マキタスポーツ,仲里依紗,片桐はいり,高橋克実,吉岡秀隆
木皿泉

100分de平和論
2016年はリオでオリンピックが開催されるオリンピックイヤー。実は近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵が「オリンピック開催中は戦争を休戦して大会に参加せよ」との理念を掲げたという事実は意外に知られていない。そこで「100分de名著」では、オリンピックイヤーにちなみ、さまざまな分野の専門家がスタジオに集まって「自分がおすすめする平和論」の名著を紹介し徹底的に討論する新春スペシャル番組を放送する。
田中優子,高橋源一郎,水野和夫,斎藤環,
伊集院光,武内陶子,
長塚京三,
大沼ひろみ


今日も部屋でのんびりです.録画していて見ていないのがたくさんあるので今日はそれを見ました。100分de名著をたくさん見ました.特にオイディプス王と太宰治「斜陽」が良かったです.実は斜陽は一度見ていますが,2度目なのにやはり素晴らしいという感じです.
昼からはネットラジオで方言クイズです.去年も聞いたのですが,なかなか難しいのですが面白いです.去年は「きどころね」が方言だとは知らなかったので,びっくり.今年は「たがぐ」,「むつける」,「おだずなよ」,「なげる」,「かます」とかが懐かしく感じました.

仮設店舗 70%で再建できず
震災で被災し仮設の店舗で営業を始めた事業者の70%あまりがまだ再建を果たせず仮設で営業を続けていることが県の調査でわかりました。このうちの3分の1は再建するかどうかも決まっておらず支援が課題となっています。
宮城県は震災後に国が整備した県内の12の市と町にある仮設商店街などの527の事業者を対象に再建状況や意向などについて調査しました。
それによりますと去年10月の時点で、再建した事業者は86、廃業などで退去した事業者が55で、全体の70%あまりにあたる386の事業者が仮設の店舗で営業を続けています。仮設で営業を続ける店舗に今後の意向をたずねたところ257の事業者が再建の意思を示しましたが、全体の30パーセントにあたる117の事業所は再建するかどうかも決まっていなかったということです。
仮設の店舗の撤去費用については5年以内に撤去する場合、原則として国が全額負担することになっていて来年度、期限を迎える商店街も少なくありません。
宮城県商工経営支援課は「かさ上げ工事などによる土地の整備の遅れや経営者の高齢化などで事業の見通しを立てられないケースが多い。引き続き再建に向けた支援を続けたい」と話しています。


ことし入居期限 最後の初売り
東日本大震災で被災した店などが入る気仙沼市の仮設商店街で初売りが行われました。この商店街はことしで入居期限を迎えるため、最後の初売りとなります。
初売りが行われたのは53店舗が入居する気仙沼市の仮設商店街、「南町紫市場」です。
はじめに、新年を祝って縁起物のもちが商店街の2階からまかれ、家族連れなどが歓声をあげながらもちを拾い久しぶりに商店街に活気が戻りました。
訪れた人たちは店舗をまわり、飲食店で地元の魚で握ったすしを食べたり総菜の店であげたてのコロッケを買ったりしていました。
南町紫市場はことし10月末が入居期限で、最後の初売りとなります。商店街の事業局によりますと入居する53のうち4分の3にあたる35の店で移転先がまだ決まっていないということです。
多賀城市から気仙沼市に家族で帰省していた40代の男性は「商店街がなくなるのは残念だが復興にむけてということで前向きに考えていきたい」と話していました。
また、この商店街でサメに関連した商品を販売している熊谷牧子さんは「1年のはじめということで気持ちを新たに頑張っていきたい。
移転先がまだ決まらず不安でいっぱいだが一日一日を大切に続けていきたい」と話していました。


恒例の「仙台初売り」
多くの景品がつくことで知られる恒例の「仙台初売り」が行われ店の前には大勢の家族連れなどが列を作りました。
このうち仙台市中心部の商店街にある老舗のお茶の店の前には開店の午前7時までにおよそ300人が列を作りました。
「仙台初売り」は商人の心意気を示そうと江戸時代から始まったといわれ多くの景品がつくのが特徴です。
このお茶の店は5000円以上の買い物をした先着100人に電気ポットやお茶、菓子などの景品が入った茶箱が贈られます。
先頭の人は仙台にいる孫に会うために愛知県から来た70代の男性で、店によりますとこれまでの初売りで最も早い3日前、去年12月30日の午前9時から並んでいたということです。
先頭の男性は「1番だったので縁起が良い1年になると思います」と話していました。
また茶箱を受け取った50代の女性は「地元ではまだ仮設住宅に住んでいる人がいるので復興が進む1年になってほしいです」と話していました。
一方、中心部にあるデパートも午前8時前に開店し並んでいた人たちは一斉にお目当ての福袋売り場に向かいました。
このデパートでは3万個の福袋を用意し、中には3月に開業する北海道新幹線で行く函館への旅行の福袋もあります。
50代の男性は「目当ての福袋が買えて満足です。去年は世界で悲しい出来事がたくさんあったので、その分ことしはいい年になってほしいと思います」と話していました。


【震災5年を語る】 「青葉城恋唄」の歌手、さとう宗幸さん 30年以上、数千回歌った名曲を避難所で…「みんなと一緒だよ」
 宮城県を中心に活動する歌手でタレントのさとう宗幸さん(66)。東日本大震災を経験し、未曾有の大災害の中で感じた「日常の大切さ」を胸に、歌い続けてきた。5年という節目を迎える被災地で、宮城や東北への思い、そして歌に込めた思いを語ってもらった。 (聞き手 上田直輝)
 平成23年の東日本大震災直後、約1千人が身を寄せる宮城県山元町の山下中学校の避難所で、自らの代表曲である「青葉城恋唄」を歌った。
 前列で聞いていた女子高校生が、涙を流しているのに気付いた。身内や友達を亡くした悲しみを重ね合わせ、涙しているのだろうか。それとも、曲自体の持つイメージに涙しているのだろうか−。
 歌う前は、震災を連想させるかもしれない、と考え、多少の抵抗もあった。しかし、目の前で涙を流す女子高校生の姿が、30年以上、何千回と歌ってきた曲に新たな命を吹き込んだ。
 「この曲を、大事に歌っていこう」
 そう改めて感じた瞬間だった。以来、「震災の中、自分もみんなと一緒にいるんだよ」という思いを込めて歌い続けている。
   ♪ ? ♪
 震災発生当時は、司会を務める地元テレビ局の夕方のワイド番組の収録に向かう車中だった。緊急地震速報がけたたましく鳴り、路肩に寄った途端、初めて体験する大きな揺れに襲われた。100万都市・仙台のすべてが音を立てていた。聞いたことも体験したこともない音だった。
 その日の夜には、高台にある自宅周辺から明かりが消えた。仙台塩釜港の仙台港区からは赤々とした炎が光り、見上げれば満天の星空が広がっていた。
 すべての光景を、今でも鮮明に覚えている。
 平穏な日々は一気に失われた。
 そんな中、数日後の早朝、新聞配達のバイクの音が聞こえた。忘れかけていた「日常」を感じ、「ほっとした。あの音は生涯忘れない」。被災地で活動していく上で、日常を大切に考えよう−。そう心に決めた。
 震災直後の不便な生活を強いられた「非日常」と対比するほど、日常、つまり生活に必要なものの大切さは明白だ。
 「今後、日本のどこかで同じような災害が起こるかも知れない。我々の経験したことは、強く語り継がないといけない」。そんな気持ちが芽生えた。
   ♪ ? ♪
 震災から約10日後、番組が再開された。震災には触れながらも、スタジオの雰囲気はなるべく震災前と同じような「日常」を作ろうと意識した。
 放送後、メールや電話が殺到した。
 「震災前の日常を思い出し、涙が出た」。そんなメッセージもあった。
 番組の中では、毎日1曲歌うことにした。
 「苦しみや辛さの中で、少しでも癒やしになれば」
 震災から2週間。3月下旬ごろからは避難所の訪問も始めた。
 毎日の番組終了後、要望があれば、可能な限り各地の避難所に足を運んだ。
 支援や慰問に来ているという思いは持たなかった。「がんばろう、応援している」などの言葉もあえて使わなかった。
 「行くだけで喜んでくれるなら、震災前と同じように接していこう」
 震災前と同じように、歌い続けた。
 「みんな『頑張れ、頑張れ』って言うけど、私たち頑張ってるんだよ。笑顔を作ってるんだよ」
 「本当に欲しいのはお金なんだよ」 
 避難所では、被災者からそうした本音を聞く機会も少なくない。仙台で震災を経験した自らが相手だからこそ、本音をこぼしてくれたのだろう。被災地にいる人間として「みんなと一緒だよ」という思いで通い続けた。
   ♪ ? ♪
 「東日本津波原発大震災」−。震災について触れるときは、こう表現するようにしている。
 震災から約半年後、愛知県の寺院に復興支援コンサートで訪れた際、住職と話す中で、東日本各地に大きな被害をもたらしたのは津波であり、いまでも多くの人が故郷に帰ることが出来ないのは原発事故の影響だと改めて実感した。それ以降、この呼称を使うようになった。
 震災後は「みやぎびっきの会」の「虹を架けよう」や、NHKの「花は咲く」など、数々の復興ソングにも関わった。
 被災地だけでなく、各地で行ったコンサートでも積極的に復興ソングを歌い、被災地への思いを発信してきた。
 「花は咲く」に「誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましている」の一節がある。このフレーズを歌うたび、ある出来事を思い出す。
 平成24年3月11日、女川町で開催された震災1周忌の追悼式で、地元の水産会社の専務だった男性が作った曲を地元の歌手とともに歌った。男性は中国人の研修生を高台に避難させた後、津波に襲われ行方不明となった。集まった町民がこの歌に涙を流す姿を見て、「歌の持つ力と情熱を感じた」という。
 3月には震災から5年の節目を迎える。
 さまざまな産業の復興状況をメディアが伝えることで、被害地以外の場所では「復興は着実に進んでいる」と思われがちだ。
 しかし、その裏では仮設住宅での生活が長引き、不安を抱えたままの人がまだまだいる。各地で続くかさ上げ工事は終わらず、新たな街の完成はいまだ見えない。
 これからも各地を訪れた際には、必ずそうした現実を伝え続けるつもりだ。
 「表に出てこない、そんな真実を伝える役割を使命だと考えている」
 被災地に身を置く歌手として、タレントとして、5年の節目に決意を新たにしている。
      ◇
 さとう・むねゆき 昭和24年、岐阜県生まれの66歳。2歳のときに宮城県古川市(現在の大崎市)に移り住む。大学卒業後に上京。翌年仙台に戻り、FMラジオのDJなどの活動を始めた。
 53年、ラジオに寄せられた詩に曲をつけた「青葉城恋唄」でメジャーデビュー。56年には、テレビドラマ「3年B組金八先生」シリーズの「2年B組仙八先生」に、宮城県出身の国語教師、伊達仙八郎役で主演した。
 平成7年、地元テレビ局の夕方ワイド番組で司会になる。以来、「宗(むね)さん」の愛称で県内外で親しまれている。27年10月には新曲「あ・り・が・と・う・の歌」を発売した。


恒例の「仙台初売り」
多くの景品がつくことで知られる恒例の「仙台初売り」が行われ店の前には大勢の家族連れなどが列を作りました。
このうち仙台市中心部の商店街にある老舗のお茶の店の前には開店の午前7時までにおよそ300人が列を作りました。
「仙台初売り」は商人の心意気を示そうと江戸時代から始まったといわれ多くの景品がつくのが特徴です。
このお茶の店は5000円以上の買い物をした先着100人に電気ポットやお茶、菓子などの景品が入った茶箱が贈られます。
先頭の人は仙台にいる孫に会うために愛知県から来た70代の男性で、店によりますとこれまでの初売りで最も早い3日前、去年12月30日の午前9時から並んでいたということです。
先頭の男性は「1番だったので縁起が良い1年になると思います」と話していました。
また茶箱を受け取った50代の女性は「地元ではまだ仮設住宅に住んでいる人がいるので復興が進む1年になってほしいです」と話していました。
一方、中心部にあるデパートも午前8時前に開店し並んでいた人たちは一斉にお目当ての福袋売り場に向かいました。
このデパートでは3万個の福袋を用意し、中には3月に開業する北海道新幹線で行く函館への旅行の福袋もあります。
50代の男性は「目当ての福袋が買えて満足です。去年は世界で悲しい出来事がたくさんあったので、その分ことしはいい年になってほしいと思います」と話していました。


震災後も続く伝統の獅子舞披露
仮設住宅に住む住民たちなどを元気づけようと、震災の津波で被害を受けたにも関わらず伝統を守り続けている東松島市の集落に伝わる獅子舞が披露されました。
東松島市の大曲浜地区は震災の津波に襲われいまは住む人がいなくなりましたが、この地区に住む保存会の人たちは伝統の獅子舞を絶やさず震災後も毎年1月2日と3日に踊り続けています。
2日ははじめに、地区内の場所を移して再建した神社とその脇にある300人あまりの犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑の前で獅子舞を奉納しました。
このあと獅子舞は地区の人たちが避難生活を続けている仮設住宅を回りました。
最高潮に達すると3人が組んで肩車の上にさらに肩車をして獅子頭を高く掲げ住民たちは無病息災を願って獅子頭に頭をかんでもらっていました。
住民の1人は「伝統の獅子舞を楽しみにしています」と話していました。
大曲浜獅子舞の保存会の伊藤泰廣会長は「ことしは仮設住宅を出て新たに住宅を建てた人からも呼ばれていて、復興が進んでいると感じる」と話していました。

映像の世紀/ウィーンフィル聞きに行きたい?

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赤軍集会

Un réveillon de combat pour les nettoyeurs des HLM de Paris en grève
Trois mois après le début de leur grève, les salariés d'OMS Synergie, sous-traitant du bailleur social Paris Habitat, cherchent des solidarités auprès de leurs collègues de l'hôtellerie de luxe. La mairie de Paris menace de ne pas renouveler le contrat d'OMS.
• Un réveillon de combat pour les nettoyeurs des HLM de Paris en grève
Après cent jours de combat, ils avaient bien le droit de décompresser un peu : les salariés en grève de la société de nettoyage OMS Synergie, prestataire du bailleur social Paris Habitat, ont organisé jeudi soir un réveillon solidaire devant la mairie du XIXe arrondissement de Paris. Musique, vin blanc et thiéboudiène accueillaient les personnes venues montrer leur soutien, ou simplement se renseigner pour prendre des nouvelles du mouvement, dont les principales revendications sont : de meilleures conditions de travail, un treizième mois et des salaires payés en temps et en heure.
≪On doit laver nos blouses nous-mêmes≫, rappelle à titre d'exemple Kadiata Fofana, qui travaille dans le XIIIe arrondissement, dans un des cinq lots dont OMS Synergie a la charge. Six immeubles dont il faut nettoyer chaque jour, de 8 heures à 16 heures et ≪sans tickets restaurant≫, les parties communes et le parking, le tout pour 1 200 euros par mois. Ce soir, elle a laissé ses enfants à la maison pour demander, à nouveau, la fin de ce blocage qui dure depuis le 21 septembre.
Trois mois de grève : la durée ne lasse pas d'étonner les grévistes eux-mêmes, désormais au nombre de 41 (sur 100 à 120 salariés au total, selon un syndicat) qui expliquent que leurs négociations avec la direction d'OMS Synergie sont désormais dans l'impasse. Et ce malgré la mise en place en novembre, sur ordre de la justice, d'une médiation. Le 3 décembre, une réunion avec le syndicat Sud-Nettoyage et la direction avait bien débouché sur un ≪pré-accord qui satisfaisait toutes les parties≫, selon Diop Assane, représentant du personnel, mais ≪Sud nous a lachés sans prévenir, et le patron n'a jamais rapporté le pré-protocole d'accord signé, sans qu'on sache pourquoi≫. Contactée jeudi, l'entreprise ne pouvait pas donner suite.
Le modèle des hôtels de luxe
Désormais, l'objectif est de faire entrer dans la lutte d'autres salariés d'OMS Synergie, et notamment ceux qui travaillent dans les hôtels de luxe. Avec l'appui de la CGT-hôtels de prestige et économiques, dont le leader Claude Lévy avait obtenu, en 2014, la revalorisation des salaires des sous-traités du Park Hyatt, les grévistes des HLM avaient organisé, jeudi midi, un rassemblement devant l'hôtel de luxe Peninsula, dans le XVIe arrondissement.
Là-bas, selon Claude Lévy, les problèmes des salariés sont les mêmes, mais l'issue est différente : ≪On a appris dans l'après-midi que la DRH a décidé d'internaliser le nettoyage à la suite de la manifestation≫, dit-il. Les quelques salariés concernés devraient donc avoir droit aux mêmes règles que les autres employés de l'hôtel, avec pour commencer un treizième mois et des indemnités de repas : ≪On chiffre de 20 à 30% l'amélioration de leur rémunération≫, dit Claude Lévy.
Une semaine plus tôt, une manifestation devant l'hôtel Marriott Saint-Jacques (XIVe arrondissement) avait elle aussi abouti à ≪dégager OMS, pour les mêmes problèmes≫, souligne le syndicaliste. Un nouveau prestataire devra être trouvé, qui reprendra les salariés présents sur le site depuis plus de six mois. Des exemples qui interpellent Claude Lévy, lequel relève que les hôtels de luxe s'effraient très vite de voir de l'agitation sociale à leurs portes. ≪A côté de ça, quand on voit que Paris ne réagit pas pour les HLM, on tombe de l'armoire.≫
Optimisme modéré
La situation pourrait toutefois se dénouer dans les prochains jours. L'adjoint à la mairie de Paris chargé du logement, Ian Brossat (PCF), a annoncé que Paris Habitat a notifié à OMS Synergie, le 28 décembre, que son contrat ne serait pas renouvelé en juin si la crise n'était pas résolue au plus vite. ≪Il est clair que ça a trop duré≫, dit-il par téléphone, en s'étonnant lui aussi que la direction n'ait pas signé le protocole d'accord.
Une nouvelle que les grévistes accueillent, ce jeudi, avec un optimisme modéré : ≪Il semble que Paris Habitat n'ait dénoncé le contrat que pour un lot du XXe arrondissement≫, expliquent les syndicats. Or, ≪il faut que ça concerne tous les lots≫. Et, dans l'idéal, que tout le marché soit réinternalisé par la mairie, et les salariés avec.
Frantz Durupt
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「映像の世紀」デジタルリマスター
1995年に放送し、大きな反響を呼んだNHKスペシャル「映像の世紀」。NHKでは、放送から20年がたった「映像の世紀」を、最新のデジタルリマスタリング技術によって、画質・音質も新たにハイビジョン版としてよみがえらせました。10月から放送予定のNHKスペシャル「新 映像の世紀」を前に、「映像の世紀」のデジタルリマスター版・全11回をBS1で下記の通りに一挙放送いたします。
【番組概要】
20世紀は人類が初めて歴史を「動く映像」として見ることができた最初の世紀です。映像は20世紀をいかに記録してきたのか。世界中に保存されている映像記録を発掘、収集、そして再構成した画期的なドキュメンタリーのシリーズ。活字とはひと味違った映像ならではの迫力と臨場感あふれる映像で20世紀の人類社会を鮮やかに浮き彫りにします。
【第1集】 20世紀の幕開け
第1集では王朝国家が終えんを迎える19世紀末から第一次世界大戦までを紹介。1900年のパリ万博をはじめライト兄弟による飛行機の発明や大英帝国・ヴィクトリア女王の葬儀、ロシア革命で処刑されるニコライ二世一家、第一次世界大戦の導火線となったオーストリア帝国皇太子暗殺事件当日の映像等々、激動の20世紀の幕開けをビビッドに描く。ルノアールやモネ、文豪トルストイも「時代の証言者」として登場する。
【第2集】 大量殺戮の完成
動く映像で記録された史上初めての戦争、第一次世界大戦。フィルムには、農業用トラクターを改良した1号戦車、最初の空爆、毒ガス兵器など大量殺りく兵器の誕生と、なすすべもなく死んだ兵士の姿が記録されている。また、若き日のマッカーサーやチャーチル、ルーズベルト、チャップリンなど、のちに世界を大きく動かすことになる人物たちも登場。第一次大戦ぼっ発からロシア革命、アメリカ参戦、そして終戦までを追う。
【第3集】 それはマンハッタンから始まった
戦争景気にわくアメリカが、国力を高め資本主義社会の基本スタイルを形成した1920年代。娯楽性の高い大衆文化、モータリゼーション、マスメディアの発達とその功罪、モラルの変化、スキャンダリズム、移民社会と排他主義、多様な犯罪、そして拝金主義と好景気の果ての経済恐慌。成熟社会の真っ只中にあるアメリカが経験するこれらの「光と影」をニューヨーク・マンハッタンを舞台に鮮烈に描く。
【第4集】 ヒトラーの野望
20世紀、最も巧みに映像を利用して大衆の心をとらえた権力者ヒトラー。国家がプロパガンダ映画を使い世論をリードした1930年代。ナチスが自ら制作した映像を通して、ヒトラーが熱狂的支持を得た背景や戦術を探る。大恐慌からの再建に苦しむアメリカ、資本主義社会への優越性を宣言するソ連、満州国の建設に踏み出した日本の姿を織り込みながら世界を戦争に巻き込むナチス・ドイツの狂気への道を映し出す。
【第5集】 世界は地獄を見た
第二次世界大戦は、非戦闘員である市民が攻撃された史上最悪の戦争であった。目的のためには手段を選ばず大量殺戮(さつりく)する戦略は、ナチスによるユダヤ人虐殺(ぎゃくさつ)やアメリカの原爆投下という地獄を生み出した。大量破壊兵器による徹底した破壊と殺戮(さつりく)、おびただしい屍(しかばね)、ホロコーストの実態などカメラが記録した衝撃の映像の数々。「人類の反省」の遺産ともいうべき映像である。
【第6集】 独立の旗の下に
アジア諸国は欧米列強に長く支配され、その後日本が支配権を競った。やがて日本が敗れるとアジアの人々は悲願の祖国独立に立ち上がる。インド独立の父・ガンジー、4億人の巨大国家中国を束ねた毛沢東、ヴェトナム独立の指導者ホーチミン等、アジアの指導者たちが持つ苦悩を含め、列強による植民地支配の実情や独立運動の変遷を半世紀に渡って描く。
【第7集】 勝者の世界分割
米大統領ルーズベルト、英首相チャーチル、ソ連首相スターリンによって開かれたヤルタ会談は、ソ連の対日参戦決定と日本軍捕虜のシベリア抑留、朝鮮半島の米ソによる分割統治の悲劇をもたらし、結果的に東西冷戦の始まりとなった。東欧では強引な共産化が推し進められる一方、アメリカではマッカーシーによる赤狩りが猛威を振るい、冷戦はついに朝鮮戦争で火を噴き、世界は二つの陣営に分割された。
【第8集】 恐怖の中の平和
東西冷戦は世界を二分し、国家や民族を引き裂いた。米ソのミサイル開発戦争は、一瞬で世界を壊滅させる核戦争の脅威に人類を追い込み、キューバ危機で緊張は頂点まで達した。フルシチョフが失脚後に録音した「回想録」で米ソの攻防をたどり、米ソのミサイル基地の爆発炎上事故、死の灰による犠牲者を出した米の核実験、韓国駐留米軍を慰問するマリリン・モンローの映像などを交え、冷戦の時代を映像で振り返る。
【第9集】 ベトナムの衝撃〜アメリカ社会が揺らぎ始めた〜
ベトナム戦争は、テレビがお茶の間に本格的に伝えた初めての戦争である。1960年代ケネディ大統領暗殺後、アメリカはベトナムに深入りする一方で、国民は繁栄の裏に巣くう貧困や権力者の欺瞞(ぎまん)に疑いの眼を向ける。ヒッピーなどのカウンターカルチャーが生まれた時代だ。ベトナム戦争で価値観が大きく揺らぎ始めたアメリカ社会の変貌とベトナム介入から撤退までの「アメリカ支配の終焉(しゅうえん)」を描く。
【第10集】 民族の悲劇果てしなく
冷戦終結、ソ連が崩壊した後、世界に再燃した民族紛争や内戦は、再び膨大な数の難民を生み出している。この難民問題は、植民地支配に対する民族運動の勃興(ぼっこう)、2度の世界大戦、社会主義国家の誕生と衰退などに端を発しており、20世紀始まって以来の最大の課題となっている。第10集では、今世紀初頭の映像を織り込み、国家に翻弄(ほんろう)される人々の絶え間ない民族対立の悲劇を伝える。
【第11集】 JAPAN 世界が見た明治・大正・昭和
20世紀、日本が国際社会の一員としての地位を確立した。日露戦争での勝利をきっかけに檜舞台に立ち、その後の韓国併合、シベリア出兵、満州国建国で孤立する。さらに太平洋戦争、敗戦、戦後復興へと至る日本の歩みは、世界にいかに伝えられたのだろうか。外国人のカメラマンが記録した明治末期から昭和20年代末までの日本の映像と外国人が記した記録を軸に世界が見つめた「JAPAN」を描く。


「映像の世紀」デジタルリマスターを見ました.第1集から第11集までが一気に放送です.第一次世界大戦の前あたりから映像が残っているというのはスゴい♪と思いました.映像の力を感じました.ただ日米制作ということで若干アメリカ寄りのようにも感じました.それに東京裁判ならヒロヒトの戦争責任についても一言あってもよかったと思うのですが.パレスチナ問題に関してもイスラエルのひどさを伝えていません.
メールがたくさん来ました.返事書くのがちょっと大変.ウィーンフィル聞きに行きたい♪というのですが,うーん.わざわざウィーンに行ってきくほど音楽好きではないです.テレビで見るだけでいいのですが・・・今年は映像の世紀で見ていたからウィーンフィルは見ていないんです.

まちびらき元年 東松島・野蒜北部丘陵地区宅地引き渡し5月から
 東松島市の七つの防災集団移転促進事業の最後を飾る、野蒜北部丘陵地区の宅地引き渡しがいよいよ始まる。ことし5月から11月にかけて行われ、住民が新たな市街地で生活の一歩を踏み出す。
 8月末にはJR仙石線野蒜駅近くに野蒜地域交流センターと観光物産交流センターも完成。
 市は宅地引き渡しが終了する11月から12月にかけて「まちびらき的なイベント」を検討中で、住民とともに街の誕生を祝う計画だ。
 宅地引き渡し時期は、東名駅周辺の西部エリアが5月末と9月末、野蒜・東名駅間に位置する中央エリアが5月末、9月末、11月末、野蒜駅周辺の東部エリアが11月末となる。
 整備戸数は全体で278戸。およそ1000人の居住が見込まれている。
 一方、170戸を整備する災害公営住宅は2017年6月から8月にかけて入居が可能になる。入居見込み数は400人前後。
新住居表示も決定
 昨年12月には東部の野蒜ケ丘1丁目、中央の2丁目、西部の3丁目といった新しい住居表示も決定した。
 このほか、各エリアの住宅内には公園や緑地をつなぐ歩行者専用道路を配置する。住民の散策や児童の通学路としても利用され、歩行者同士の交流の場を提供する。
 宅地の引き渡しや災害公営住宅の入居開始時期は、当初の計画より1カ月から3カ月早くなる見通しだ。野蒜北部丘陵地区の完成により、東松島市が計画している宅地整備(717区画)、災害公営住宅建設(1010戸)が完了する(追加分を除く)。
【野蒜北部丘陵地区】
・まちの全体像:安全で快適なことはもちろん、特別名勝松島の景観を維持するような自然環境や街並みなどに配慮したまちづくりを進めている。JR野蒜駅、東名駅の南側の緑地を残したのもその一つ。ドラッグストアや病院など生活支援施設を備えるコンパクトな街づくりを目指している。
・事業手法:土地区画整理事業
・全体面積(東松島市野蒜、大塚):91.5ヘクタール
・土地利用計画:公共用地66.5ヘクタール(道路14.8ヘクタール、公園・緑地51.7ヘクタール)宅地25ヘクタール(宅地5ヘクタール、保留地20ヘクタール)
・計画戸数:448戸(防災集団移転278戸、災害公営住宅170戸)
・計画人口:約1370人
・事業期間:2012年9月〜17年3月(精算期間を除く)
・総事業費:約442億円
■西部エリア/医療・福祉施設誘致に力
 東名駅前に集会所が建設される。市は病院などの医療機関や特別養護老人ホームといった医療、福祉系施設の誘致にも力を入れ、調整中だ。
■東部エリア/交流、観光2センター整備
 地域づくりの拠点、憩いの場となる野蒜地域交流センター(木造1部2階、延べ床面積約1050平方メートル)と、観光などの情報発信拠点となる観光物産交流センター(木造平屋約299平方メートル)が整備される。有事の際の住民の避難場所も兼ね、防災倉庫(45平方メートル)を併設する。
 両施設とも、県産の木材をふんだんに使用したぬくもりのある建物になる。太陽光発電に加え、ガスのコージェネレーション(熱電併給)も導入。自然環境に配慮した。周辺に整備される地域交流広場(700平方メートル)にはベンチ、駅前広場(2000平方メートル)にはタクシープールも整備する。
■中央エリア/宮野森小校舎、12月完成
 野蒜小と宮戸小の統合で誕生する宮野森小の校舎建築工事が進んでいる。木造平屋建て一部2階(約4035平方メートル)で、ことし12月に完成し、2017年1月使用開始の予定。学校近くには保育所や駐在所もできる。市は食料品や生活用品などをそろえたドラッグストアなど商業施設の誘致にも乗り出している。
◇3氏に聞く/立地の良さ魅力
 野蒜北部丘陵振興協議会の斉藤均会長(高台移転部会長)と斎藤剣一副会長(災害公営住宅部会長)にこれまでの取り組みと新しい町への期待、大塚地区などを含めた野蒜まちづくり協議会の斎藤寿朗会長に今後の交流などを聞いた。
−市内の防災集団移転促進事業の締めくくりとして、新しい町が誕生します。
斉藤均氏>野蒜北部丘陵振興協議会の高台移転部会、災害公営住宅部会が中心になって市や都市再生機構(UR)と何度も話し合い、やっとここまでたどり着いた。関係者に感謝したい。
斎藤剣氏>災害公営住宅はペットエリア、高齢者や障害者ら生活弱者の優先エリアの検討も年内に完了し、入居者の抽選を待つばかり。やっとめどがたって安心している。
−東日本大震災前で野蒜地区の人口は減少しました。
斎藤寿氏>今はJR野蒜駅があるだけだが、夏には地域交流センターと観光物産交流センターも完成する。医療機関や薬局、ミニスーパーもオープンする。石巻圏だけでなく、仙台圏にも目を向けられる立地の良さも魅力。町の様子が目に見えて分かれば人の動きも変わるはずだ。
−北部丘陵振興協議会は二つの部会だけでなく、住所表記検討委、施設環境検討委をつくり住民内で議論し、市などに要望しました。
斉藤均氏>街路樹の植栽、集会所の仕様など、その内容は多岐にわたった。住民自らが考え、意見し、より良い町を誕生させようと苦心した。
−新しい野蒜地区のコンセプトやテーマは、どう考えていますか。
斎藤剣氏>高齢者も子どもも安心して暮らせる町。地区全体で老人の孤独死ゼロ、子どもを犯罪から守ることを目指したい。高台に移ったことで、津波被害以外の災害でライフラインが寸断されたときの訓練も考えたい。
−野蒜地区には北部丘陵地区だけでなく、津波被災を免れた既存住宅もあります。地域交流はどう考えますか。
斎藤寿氏>亀岡自治会、東名自治協議会などが組織された。集団移転のメリットと震災前のコミュニティーを生かしながら地域交流を考えたい。
◇復興プロジェクト C・W・ニコル財団「森の学校」/夢をつくる場
 野蒜北部丘陵地区の背後に広がる東松島市所有の山林には、一般財団法人C・W・ニコル・アファンの森財団の「復興の森・森の学校」が誕生する。震災復興プロジェクトとして子どもたちの心のケアと地域の森の再生を目指し、市と包括協定を結ぶ財団が進めている事業。
 既にツリーハウス、馬のひづめ展望デッキ、サウンドシェルターアクティビティサイトは完成した。今後は森の中での発表会などが可能な森の劇場、宮野森小と森をつなぐ懸け橋となるキャノピーブリッジを備える予定だ。
 国内産の木材を使用したオール木造校舎の宮野森小と共に、森をイメージした街づくりが最大のセールスポイント。市や市教委は「子どもたちや市民の皆さんが夢をつくるきっかけの場になれば」「環境教育の拠点として積極的に活用したい」と意欲を示す。今後幅広いスタディツアーなどを企画し、PRにも努める考えだ。


<3.11あの日と今>混乱の夜 温かな奇跡
◎子ども 成長の春(1−上)/寺田春介ちゃん(4)
 東日本大震災から5年がたとうとしている。被災地で多くの困難に直面した人々は、震災が突き付けたものの意味を思い、災後の日々を重ねてきた。混乱を極めた時期から一歩ずつ再生の道を歩む5年間の時間軸の視座から、それぞれの心の軌跡をたどる。まずは子どもに光を当てたい。
この春、お兄ちゃんになるよ。弟か妹か、まだ分かんない。
 東京都杉並区の寺田春介ちゃん(4)。ママのおなかにいた石巻市で震災に遭い、翌12日に誕生した。
 仮面ライダーに妖怪ウォッチ、恐竜、お菓子が大好き。「ねえママ。食べさせて」。つい甘えてしまう。
 ママの雪さん(40)は最近、春介ちゃんの成長を感じた。駅の階段を2人で上り下りする時、歩くスピードを遅らせる。買い物では荷物を持つ。「身重の私を気遣ってくれる」
 2011年2月、雪さんは出産のため石巻市門脇の実家に戻った。近所の姉のアパートで昼寝中、地震に襲われた。姉と実家に駆け付け、父母と4人で2階に避難して津波を免れた。
 おなかに痛みが走った。予定日まで2週間。破水していた。道路が浸水して出られない。救急車を呼ぼうと何度通報してもつながらない。外は雪。布団にくるまり、無事を祈った。
翌朝、姉とパトカーで避難所だった山下小の保健室に運ばれた。午後3時ごろ、歩いて近くの民家の和室に通された。
 暖かくて心地よかった。避難所に居合わせた人たちが雪さんを不安にさせないよう準備していた。
 保健師さんらは消毒液などを手に入れ、お湯を沸かした。自らも被災し避難中だった助産師さんは分娩(ぶんべん)できる場所を探し回った。避難所の裏に住む女性が自宅を貸してくれることになった。
 午後6時12分。電気の通っていない室内に産声が響いた。懐中電灯で照らしてくれた姉は泣いた。助産師さんは避難所に戻って誕生を知らせた。お祝いの拍手に包まれた。
震災発生から4日目、東京から車で石巻に向かっていた夫好作さん(38)と連絡が取れた。赤ちゃんの写真を携帯電話で送る。「奇跡だよ」と返ってきた。
 雪さんが勤める美容室のホームページ。約400点の写真や動画で、春介ちゃんの5年間の歩みを紹介している。故郷の石巻に元気な姿を届けたいという思いもある。
 自宅を提供してくれた女性から毎年、春介ちゃんの誕生日にプレゼントが届く。新たな縁に感謝する。
 雪さんは震災から1週間分の新聞を自宅にしまっている。もう少し物心がついたら見せて語り掛けるつもりだ。
 「みんなの支えであなたはここにいるのよ。思いやりのある子になってね」(沼田雅佳)


<3.11あの日と今>成長と復興 合わせ鏡
◎子ども 成長の春(1−下)/馬場飛翔ちゃん(4)
「この日を選んだ子だから、きっと強く育つよ」。懐中電灯に照らされた赤ちゃんに皆がそう思った。
 身長47センチ、体重2414グラムだった小さな命は一日一日を懸命に生き、健やかに成長している。
 2011年3月12日午前1時10分、石巻市の民家で馬場飛翔(ひゅうが)ちゃん(4)は産声を上げた。暗くて寒い部屋。不安げな母綾菜さん(26)を励ましたのは、その日初対面の保健師たちだった。
 予定日から2日過ぎた11日夜、高台にある避難先の夫の実家で急に陣痛がきた。津波で浸水し、病院にたどり着けない。自力で産むことを覚悟した。
 そこへ近くの避難所で救護活動をしていた石巻市の保健師阿部清子さん(38)が看護師と駆け付けた。
阿部さんは布団に新聞紙とペット用シーツを敷き、飛翔ちゃんを取り上げた。へその緒は家庭の裁縫用具や常備薬で処理した。ナプキンとタオルでおむつを作った。
 大量出血が心配されたが、輸血の準備はない。雪をビニール袋に詰めておなかを冷やし、出血を抑えた。「母子を助けたい」との一心だった。
 寝返り(3、4カ月)
 ハイハイ(5カ月半)
 伝い歩き(6カ月)
 歩く(9カ月)
 母子手帳に順調な発育ぶりが記されていく。とても活発で足が速く、幼稚園の運動会は2年連続で1等賞だった。2歳上の兄一颯(いっさ)ちゃんの影響で空手を習い始めた。
 昨年8月、津波で石巻市の自宅が被災した馬場さん一家はみなし仮設住宅から災害公営住宅に移った。子ども部屋ができた。「ひろくてたのしい」とはしゃぐ飛翔ちゃん。
 「つなみってなに?」。まだ分からない。「大変な中で生まれてくれ、普通に生活できていることが大きな喜び。自由に育ってほしい」と綾菜さんは思う。
出産から約1カ月後、阿部さんは馬場さん親子と市役所で再会。一緒に出生届を書いた。乳幼児健診でも偶然の出会いが重なり、ずっと成長を見守っている。
 阿部さんも津波で自宅が被災し、知人たちを亡くした。震災で苦悩を抱え込んだ人々に接するとつらい。
 仕事机に置く「宝物」が力を与えてくれる。飛翔ちゃんと会うたびに撮りためた写真のアルバム。綾菜さんがくれた感謝の手紙も、手帳に挟みお守りにしている。
 「苦しい時、みんなで頑張った」と阿部さんは言う。「あの子の成長を見ると、石巻も復興に向かって進んでいるんだと思えて明るくなる。私の希望です」(坂井直人)


<復興印宮城流>訪れて味わう新名物に
◎(1)メカジキのしゃぶしゃぶ(気仙沼)
 東日本大震災からまもなく5年。震災で苦境に立たされた地域で、地域の元気を取り戻す試みが続いている。どれもが「MIYAGI WAY」(宮城流)。風土に根差した取り組みは、復興のけん引力になってくれるはずだ。
<「最高の食べ方」>
 気仙沼市と言えばカツオやサンマを思い浮かべるかもしれないが、メカジキの水揚げ量も生鮮で国内の7割を誇る。脂が乗った刺し身をしゃぶしゃぶにする新名物「メカしゃぶ」は、震災からの復興を担う味だ。
 「メカジキは生はもちろん、煮ても焼いてもおいしい万能魚」と、同市田中前にある「鮨智(すしとも)」の親方小野寺智之さん(47)。小野寺さんの勧める「最高の食べ方」はこうだ。
 昆布だしの鍋にユズの皮、水菜、ネギ、シイタケを投じる。その鍋に薄切りの身を2、3回くぐらせ、野菜をくるむ。特製のポン酢に浸して口の中に入れると、とろける食感と同時にじわっと甘みが広がる。脂はしつこくなく、高齢者も食べやすいという。
 同市の一般社団法人リアス観光プラットフォームの呼び掛けで、小野寺さんをはじめ地元の料理人6人が昨春に考案した。メカしゃぶと、すき焼きの「メカすき」の2種類がある。
 「分け魚」。万能魚のもう一つの呼称だ。気仙沼市は古くから近海はえ縄船の漁業基地として栄えた。三陸沖でマグロとメカジキの漁場が重なり、マグロは市場へ、メカジキは市民に配られ(分けられ)て親しまれてきた。
 「マグロの水揚げが減った今はメカジキが主役。なのに市外ではあまり知られていない」。産学官連携で被災地支援する「東北未来創造イニシアティブ」気仙沼スタッフの関沢太郎さん(33)は言う。
<魚価の安定にも>
 観光復興の目玉の一つにしようと昨年9月、気仙沼商工会議所がブランド化推進委員会を設立。関沢さんはPR動画や本の作成に関わる。同11〜12月に飲食店11店が催した「気仙沼メカジキフェア」も好評でメニューに定着している。
 近海はえ縄船は苦境にある。国の補助が昨年4月でいったん打ち切られ、船の老朽化や燃料高を背景に休漁する船が相次いだ。同12月に再び補助認定されたばかりだ。
 「メカジキのおいしさを広めることは、魚価が安定し漁業復興にもつながる」
 そう話す関沢さんは中外製薬(東京)からの出向職員。福島県浪江町出身で、気仙沼の水産業復興支援に約2年間奔走し、この年末に東京に戻った。
 「いい人といいモノがあふれる港町。大好きになった」。これからも、何度でも気仙沼を訪れて味わおうと心に決めている。
(気仙沼総局・高橋鉄男)
<魅力に気付く好循環>
 メカジキは地元ならではの食材。5年後にはメカしゃぶのほかに和洋中のメニュー開発が進み、観光客がメカジキを入り口にしてフカヒレなど多様な気仙沼の魅力に気付く好循環を期待する。地元住民の愛着も高まってほしい。(菅原昭彦・気仙沼商工会議所会頭)


被災の神社 初詣客が復興祈願
東日本大震災の津波で被災した気仙沼市の神社に、地元の人たちや家族でふるさとに戻った人たちが初詣に訪れ、1日も早い復興を願いました。
気仙沼市唐桑町の早馬神社は高台にあるにもかかわらず、5年前の東日本大震災で津波が押し寄せ、社殿が高さ2メートルほどまで水につかる被害を受けたため、およそ1年かけて修復されました。
1日は、地元の人たちや家族でふるさとに戻った人たちが初詣に訪れ、境内の鈴を鳴らして手を合わせたり、縁起物のお守りを買ったりして、家族の健康や1日も早い復興を願いました。
神社の境内には、震災の記憶を語り継ごうと津波の高さを示すとともに願いを込めた石碑が建てられています。
仙台から気仙沼の実家に家族で帰省した40代の女性は、「家族が心身ともに健康で生活していければと思います。実家近くにはまだまだ仮設住宅があるのでことしは、1人1人が復興を感じられる年になってほしい」と話していました。
また女性の息子で小学5年生の男の子は「ことしは小学6年生になり、中学生に近づくので勉強をしっかり頑張っていきたいです」と話していました。


かさ上げの自宅跡地で初日の出
東日本大震災の被災地で、漁港や市街地で大規模なかさ上げ工事が進む宮城県気仙沼市の鹿折地区では、津波で流されたあとにかさ上げされた自宅の跡地から初日の出を見る人の姿がありました。
津波で父親を亡くしたほか自宅も流された、菅野源一さん(37)は、日の出前のけさ6時半ごろに土が盛られて2メートルほど高くなった自宅の跡地を訪れました。
菅野さん一家は、震災が起きるまでは毎年、家族全員で自宅の玄関先から初日の出を見ていたということです。去年までは玄関があった場所で初日の出を見ていましたが、ことしは2メートルほどかさ上げされた自宅の跡地から望む初めての初日の出です。
午前7時すぎに気仙沼湾の奥にある山のりょう線から太陽が昇ると、菅野さんは独りで手を合わせて拝んでいました。
菅野さんは「ことしは震災5年という節目の年でもあり、かさ上げされて良い方向に向かっていると思います。スピードはゆっくりかもしれませんが、ことし1年、自宅の再建に向けて頑張っていきたい」と話していました。
菅野さんは早ければ今年中にこの場所に自宅を再建したいということです。


震災5年へ仮設集約で課題
東日本大震災の発生からことし3月で5年になります。
宮城県では住まいの再建が加速する一方で入居者が減少した仮設住宅を集約する動きがことしから本格化する見通しで移転を求められる被災者へのケアが課題となります。
復興庁のまとめによりますと宮城県では今年度末までに▼災害公営住宅は9927戸、全体の62%が完成する見通しです。
また、▼高台や内陸に移転する人たちに供給する住宅地は5278区画、全体の51%が完成する計画ですべてが完成するのは平成30年度以降になる見通しだということです。
一方、住まいの再建が加速するのに伴って被災地では入居者が減少する仮設住宅が各地で目立っていてことしから集約や閉鎖の動きが本格化する見通しです。
NHKが、県内の沿岸の13の市と町を調べたところ400ある仮設住宅団地のうち気仙沼市や七ヶ浜町、名取市など4つの市と町が来年にかけてあわせて29の団地を集約することを決めました。
また、石巻市や女川町など4つの市と町もことしの春までに集約計画を策定する予定だということです。
しかし、集約や閉鎖に伴って別の仮設住宅に移転を求められるケースもあり、こうした被災者へのケアが大きな課題となりそうです。


被災した寺で除夜の鐘
東日本大震災の発生から5年を迎えるのを前に、大きな被害を受けた気仙沼市の寺で、地元の人たちが、新年を迎えるのに合わせて被災地の復興などを祈って除夜の鐘をつきました。
気仙沼市階上地区にある「地福寺」では、大みそかの31日の夜は、午後11時半ころになると、家族連れなどが集まりました。
地福寺は、震災の津波で本堂の天井まで水につかった上、境内にある鐘が流されるなど大きな被害を受けましたが、震災のあと、流された鐘ががれきから見つかり境内に釣り下げています。
寺を訪れた人たちは、鐘を順番について、境内に大きな鐘の音を響かせていました。
孫を連れて訪れていた地元の65歳の女性は、「健康を第一に良い年でありますようにと願いました。
また、震災の復興や仕事が順調にいくことも祈りました」と話していました。
女性の孫で小学3年生の女の子は「ことしは学芸会がとても楽しかったです。来年は苦手な早起きを克服できるように頑張りたいです」と話していました。


被災の神社 初詣客が復興祈願
東日本大震災の津波で被災した気仙沼市の神社に、地元の人たちや家族でふるさとに戻った人たちが初詣に訪れ、1日も早い復興を願いました。
気仙沼市唐桑町の早馬神社は高台にあるにもかかわらず、5年前の東日本大震災で津波が押し寄せ、社殿が高さ2メートルほどまで水につかる被害を受けたため、およそ1年かけて修復されました。
1日は、地元の人たちや家族でふるさとに戻った人たちが初詣に訪れ、境内の鈴を鳴らして手を合わせたり、縁起物のお守りを買ったりして、家族の健康や1日も早い復興を願いました。
神社の境内には、震災の記憶を語り継ごうと津波の高さを示すとともに願いを込めた石碑が建てられています。
仙台から気仙沼の実家に家族で帰省した40代の女性は、「家族が心身ともに健康で生活していければと思います。実家近くにはまだまだ仮設住宅があるのでことしは、1人1人が復興を感じられる年になってほしい」と話していました。
また女性の息子で小学5年生の男の子は「ことしは小学6年生になり、中学生に近づくので勉強をしっかり頑張っていきたいです」と話していました。


被災地の復興 初日の出に願う
東日本大震災から5回目の元日を迎えました被災地では、多くの人たちが初日の出に復興を願いました。
【名取閖上地区】
震災の津波で大きな被害を受けた名取市閖上(ゆりあげ)地区では、丘の上から初日の出を見る人たちの姿が見られました。
津波で壊滅的な被害を受けた閖上地区を見渡せる丘の日和山には、日の出前から以前ここに住んでいた住民など50人以上の人が集まりました。
そして午前7時前に、太陽が昇ると、集まった人たちは海に向かって静かに手を合わせていました。
閖上地区で被災し、今も仮設住宅で夫婦で暮らしている70代の男性は、「かさ上げ工事が進んでいるがここまでなるのにだいぶ時間がかかったなと思い、さみしい気持ちで景色を眺めました。もう一息頑張って、みんなで閖上に戻りたい」と話していました。親せきを津波で亡くしたという30代の男性は、「ひとりひとりに震災での傷があると思いますが、きょうの青空みたいに、自分たちの心の中の青空を取り戻せるような1年にしたいと思います」と話していました。
【石巻 日和山】
石巻市の沿岸部にある高台には、初日の出を見ようと大勢の市民が訪れ、街の復興を願いました。
石巻市の沿岸部にある高台の日和山には、ことしも、元旦の初日の出を見ようと大勢の人たちが集まりました。
石巻市は晴れて、朝日が午前7時ごろに、太平洋に突き出ている牡鹿半島の後ろから上りました。
訪れた人たちは手を合わせて願いごとをしたり、写真に撮ったりしていました。
東日本大震災の発生からことし3月で5年がたちますが、日和山の海側にある住宅地だった地区では、かさ上げ工事が行われているのはまだ一部にとどまっています。
訪れた人たちからは、「復興が進んでいるところと、遅れているところの格差が出てきている。ことしは、遅れているところも復興が早く進むようになってほしい」とか、「ことしこそは、自然災害がないように願っている」とか話していました。


復興進む海岸で年初めに波乗り
東日本大震災の復興工事が進む仙台市の海岸では、初日の出を海の上で迎えようとサーフィンの愛好家たちが訪れ、ことし最初の波乗りを楽しみました。
仙台市宮城野区の蒲生海岸は、震災の大津波の被害を受けましたが、がれきが取り除かれたほか、周辺の駐車場などの復興工事が進められていて、多くのサーフィンの愛好家が訪れるようになっています。
午前7時前に、朝日が、沖合の雲の上から顔をのぞかせると、ドライスーツを着た愛好家たちは初日の出を眺めたり、ことし最初の波乗りを楽しんだりしていました。
また、海岸には多くの家族連れなどが集まり、朝日を背に写真を撮っていました。サーフィンに訪れた仙台市の30代の男性は、「海で迎える初日の出は最高です。まだ壊れている所もあるので、復興が進む1年になってほしい」と話しました。また海岸を訪れた仙台市の30代の女性は、「震災直後は、日常の生活に戻れることは想像していなかった。ことしは穏やかな初日の出を迎えられたので、家族が1年健康に過ごせるよう願っている」と話しました。


石ノ森萬画館 にぎわう
石巻市の観光施設石ノ森萬画館は、年末年始も営業していて、31日子どもたちなどでにぎわっています。
石巻市の石ノ森萬画館は、宮城県出身のマンガ家・石ノ森章太郎の作品が展示されテレビ番組にもなった仮面ライダーの実物大の模型や歴代の仮面ライダーのマスクも飾られています。
おおみそかの31日も、子どもを連れた人たちで賑わい、子どもたちは画面の中の仮面ライダーを自分の身ぶりで動かすことができるアトラクションを楽しんでいました。
訪れた人の中には、孫が帰ってくるといつも連れてくるという岩手県一関市の男性や、石ノ森章太郎のファンで以前から石巻市で年越しをしたいと思っていたという埼玉県草加市の親子もいました。
石ノ森萬画館は、年末年始も営業し31日は午後3時に閉館しますが、正月3が日は通常通り午後5時まで営業するということです。


統一ブランド「三陸」 世界に売り込め
 東日本大震災で被災した三陸地域の水産加工品を統一ブランドで売り込む動きについて、水産加工業界関係者は「三陸」のイメージを向上させる好機と位置付ける。広域連携で世界的な好漁場を発信していく試みが、人口減が進む被災地の活力につながるか、関係者は熱い視線を注ぐ。
 「ブランドの定着は時間がかかる。やらないで悔やむより、いまできることを進めたい」。八戸缶詰(八戸市)の野田一夫社長は強調する。
 同社はグループ全体でカニなどの和食素材を欧米にも出荷。野田氏は2015年6月、仙台市で初開催された東北の水産加工品展示商談会の取りまとめ役を務めた。商談会では、豊富な水産資源への買い付け担当者の注目度が高いことを実感した。
 野田社長は「取引先や消費者にいいイメージを持ってもらうには、三陸全体でまとまった方が売り込みやすい」と説く。北海道のように地域が一体となって取り組む姿勢を重視する。
 震災後、水産加工品の製造販売に力を入れる阿部長商店(気仙沼市)。阿部泰浩社長は「国内は少子高齢化が進んでおり、海外に目を向けなければならない」と危機感を募らせる。
 岩手、宮城両県が取り組む輸出拡大事業に参加したが、三陸全体で情報の共有やノウハウの蓄積がされていないと感じている。阿部社長は「(16年3月にも設置される)広域連携の協議会は成果を意識した取り組みが必要だ」とみる。
 支援する側も広域連携の重要性を指摘する。
 日本貿易振興機構(ジェトロ)仙台貿易情報センターは、石巻市の水産加工ブランド「日高見の国」などの海外展開を支援している。寺田佳宏所長は「強力な供給力を背景に窓口を一本化して売ることができれば、未来が変わる。将来的には、農産品も含めた東北の食品総合百貨店のような仕組みが求められる」と訴える。


<復興印宮城流>訪れて味わう新名物に
◎(1)メカジキのしゃぶしゃぶ(気仙沼)
 東日本大震災からまもなく5年。震災で苦境に立たされた地域で、地域の元気を取り戻す試みが続いている。どれもが「MIYAGI WAY」(宮城流)。風土に根差した取り組みは、復興のけん引力になってくれるはずだ。
<「最高の食べ方」>
 気仙沼市と言えばカツオやサンマを思い浮かべるかもしれないが、メカジキの水揚げ量も生鮮で国内の7割を誇る。脂が乗った刺し身をしゃぶしゃぶにする新名物「メカしゃぶ」は、震災からの復興を担う味だ。
 「メカジキは生はもちろん、煮ても焼いてもおいしい万能魚」と、同市田中前にある「鮨智(すしとも)」の親方小野寺智之さん(47)。小野寺さんの勧める「最高の食べ方」はこうだ。
 昆布だしの鍋にユズの皮、水菜、ネギ、シイタケを投じる。その鍋に薄切りの身を2、3回くぐらせ、野菜をくるむ。特製のポン酢に浸して口の中に入れると、とろける食感と同時にじわっと甘みが広がる。脂はしつこくなく、高齢者も食べやすいという。
 同市の一般社団法人リアス観光プラットフォームの呼び掛けで、小野寺さんをはじめ地元の料理人6人が昨春に考案した。メカしゃぶと、すき焼きの「メカすき」の2種類がある。
 「分け魚」。万能魚のもう一つの呼称だ。気仙沼市は古くから近海はえ縄船の漁業基地として栄えた。三陸沖でマグロとメカジキの漁場が重なり、マグロは市場へ、メカジキは市民に配られ(分けられ)て親しまれてきた。
 「マグロの水揚げが減った今はメカジキが主役。なのに市外ではあまり知られていない」。産学官連携で被災地支援する「東北未来創造イニシアティブ」気仙沼スタッフの関沢太郎さん(33)は言う。
<魚価の安定にも>
 観光復興の目玉の一つにしようと昨年9月、気仙沼商工会議所がブランド化推進委員会を設立。関沢さんはPR動画や本の作成に関わる。同11〜12月に飲食店11店が催した「気仙沼メカジキフェア」も好評でメニューに定着している。
 近海はえ縄船は苦境にある。国の補助が昨年4月でいったん打ち切られ、船の老朽化や燃料高を背景に休漁する船が相次いだ。同12月に再び補助認定されたばかりだ。
 「メカジキのおいしさを広めることは、魚価が安定し漁業復興にもつながる」
 そう話す関沢さんは中外製薬(東京)からの出向職員。福島県浪江町出身で、気仙沼の水産業復興支援に約2年間奔走し、この年末に東京に戻った。
 「いい人といいモノがあふれる港町。大好きになった」。これからも、何度でも気仙沼を訪れて味わおうと心に決めている。
(気仙沼総局・高橋鉄男)
<魅力に気付く好循環>
 メカジキは地元ならではの食材。5年後にはメカしゃぶのほかに和洋中のメニュー開発が進み、観光客がメカジキを入り口にしてフカヒレなど多様な気仙沼の魅力に気付く好循環を期待する。地元住民の愛着も高まってほしい。(菅原昭彦・気仙沼商工会議所会頭)


震災復興事業でずさん設計横行
 東日本大震災の復興事業で、異なる工事への同じ図面の流用や安全面での欠陥など、不適切な設計が横行していることが31日、分かった。設計会社などがずさんな設計をしても、発注主体の被災自治体が人手不足でチェックをできず、県、国も見抜けなかった。ことしは震災から5年となるが、巨額の国家予算を投じた復興事業で、作業員の安全が脅かされた上、追加工事で無駄な費用もかかる実態が浮かび上がった。
 工事に携わった複数の関係者によると、問題があったのは震災の津波被害を受けた宮城県南三陸町の漁港復旧工事や、仙台市の河川工事、同県沿岸自治体の土木工事。関係者は「氷山の一角で、ほかにもずさんな設計は多くあった」と明かした。「税金の無駄遣い」として会計検査院にも報告されたもようだ。
 南三陸町は2011年10月、被災した寄木漁港と韮浜漁港の設計をジャスダック上場の測量会社、川崎地質(東京)に約4800万円で委託し、13年11月、地元の建設会社を中心とするJV(企業共同体)が落札した。
 だが設計を精査したJV側が、漁港の海水をせき止める工事で土のうの数が極めて少ないなど安全面の問題を指摘。寄木漁港の図面に、被災状況が異なる韮浜漁港と同じ図面が使われていることも判明した。JV側は設計通りに工事できず、工法変更で予定より約2千万円余分にかかった。
 国土交通省の外郭団体、土木研究センターの了戒公利部長は「素人の設計で、作業員にも危険が及ぶ」と問題視した。
 川崎地質は「町の委託業務で、コメントできない」としている。工事主体の南三陸町の担当者は取材に対し、図面流用があったことを認め「(設計は)あくまで工事の参考資料としての位置付け」と釈明。「より安全な設計方法はあったと思う」と話した。
 宮城県が発注した仙台市の河川工事では、土手の斜面崩壊や増水の可能性など、安全面の検討が設計段階で考慮されていなかった。作業員の安全を守るため、業者側は想定外の工事を余儀なくされた上、数百万円の追加費用がかかった。県沿岸のある自治体の土木工事では、実際の工事範囲が設計上の面積より数倍広いことも判明。工事場所の地質についての事前説明もなく、工事変更で費用は予定より膨れ上がったという。


河北春秋
 いにしえの人はみちのくに憧れを抱いていたと思われる。名取川はよく歌枕に詠まれた。古今和歌集に<名取川瀬々の埋もれ木あらはれば いかにせむとかあひ見そめけん>。二人の間が知れたら恋はどうなるか。淡い心をまだ見ぬせせらぎに映す▼名取市をはじめ、東北に大きな爪痕を残した大震災からことしで5年となる。復興への祈りをテーマにした能『名取ノ老女』が、震災のあった3月に東京の国立能楽堂で上演される。人間国宝の観世流・梅若玄祥さんが演じる▼紀州熊野三社を信仰する名取の女性が年老いて参詣できなくなるという言い伝えに基づく。女性は住む地に勧請し、熊野新宮など三社を建てる。それは、ある山伏の励ましがあったからこそ。「道は遠く時は過ぎても共に歩もう」と歌を手渡したとされる▼海の方を指し、「あれが朝日昇る閖上の浜よ」など原典にない場面も加えられる。能を大成した世阿弥のおいが550年前に舞ったと伝わるだけ。往時のイメージを膨らませ、稽古に励んでいよう▼熊野三社はいまも丘陵地にあって古里を見守る。世阿弥の『風姿花伝』に「芸は種をまくようなもの。種さえあればきっと花は咲く。返す返すも初心忘るべからず」。たおやかな老女にあやかり、新しい年を希望へとつなげよう。

母校に埋めたカプセルを掘り起こそう 福島を再訪した女子高生らが見た物は…石井杏奈、ドラマを再編集した映画に主演して
 東日本大震災から5年。離ればなれになった小学校の元同級生たちが福島県の故郷を訪ねる「LIVE! LOVE! SING! 生きて愛して歌うこと 劇場版」(井上剛監督)が23日から全国で順次公開される。昨年3月にNHKで放送されたドラマを再編集したもので、主演の石井杏奈(17)は「福島と自分に向き合うことができた作品です」と語る。(岡本耕治)
 神戸に住む女子高生、朝海(あさみ=石井)のもとに、小学生時代の同級生、本気(マジ=前田航基)から「立ち入り制限区域の母校に埋めたタイムカプセルを掘り返そう」とメールが届く。同じ誘いを受けた香雅里(かがり=木下百花)、勝(柾木玲弥)、そして朝海の学校の教師、岡里(渡辺大知)の5人は福島を目指して長い旅に出る−。
 3月の放送では、揺れ動く5人の心情を巧みに描いた内容と被災地を新鮮な視点で捉えた映像で大きな反響を呼んだ。劇場版は、朝海以外の4人の背景についての描写が増え、より陰影に富んだ物語となった。
 撮影は平成26年に福島県南相馬市などで実施。阪神大震災を題材にした「その街のこども 劇場版」でも高い評価を得た井上監督はリハーサルをほぼ行わず、ドキュメンタリーのように俳優を追いかけた。
 石井は「ほとんどアドリブで、『言ってほしいセリフはあるけど、言いたいときに言えばいい』という感じ。朝海はあまりに自分の環境と違うので演じるのは不安だったけど、すごくやりやすくて、新鮮でした」と、撮影を振り返る。
 5人がショッピングセンターを訪ねるシーンがある。ねじ曲がった店舗、割れたガラス…。震災によって破壊されたままの商店を前に、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす彼らの衝撃が伝わってくる。
 「井上監督が私たちに『これから行くのは君らが昔よく遊んだ場所です』とだけ言って、カメラを回したんです。にぎやかな場所を想像しながら行ったので、みんな言葉が出てこなかった。テストをやっていたら、ああいう反応はできませんでした」
 撮影前は「福島の方に何を聞いたら大丈夫か、何を言えば傷つけるのかと心配ばかりしていた」という。
 「でも、みなさん、すごく前向き。現状は深刻だけど、時間がたって乗り越えた人もいる。それが分かってからは、涙を流すとか、自分の感情を素直に受け止めて、表現できるようになりました」と話す。
 「朝海になりきれた」と思った瞬間がある。彼女が真っ暗闇に沈む、かつての自宅を訪ねる場面だ。
 「この玄関を開けたら、にぎやかな家庭があって、みんなが『おかえり』と言ってくれて…と思えてきた。ドアを開けようとするんですけど、われに返ったら辺りは真っ暗なんです。開けたって誰もいるわけがない。苦しいくらいに涙が出ました。あの瞬間は朝海だったと思います」
 ドラマの放送を見た石井の小学生の弟が、作品に出てくる阪神大震災の歌『しあわせ運べるように』をよく歌うようになった。
 「弟はまだ震災のことを深くは考えられない。でも、多くの人に作品を通して、震災のこと、福島のことを身近に感じてもらえたらいいなって思います」と語った。


新春特別インタビュー さとう宗幸さん 「日常の大切さ」歌に込め 宮城
 ■被災地の「現実」を伝え続ける
 宮城県を中心に活動する歌手でタレントのさとう宗幸さん(66)。東日本大震災を経験し、未曽有の大災害の中で感じた「日常の大切さ」を胸に、歌い続けてきた。5年という節目を迎える被災地で、宮城や東北への思い、そして歌に込めた思いを語ってもらった。(聞き手 上田直輝)
                   ◇
 平成23年の東日本大震災直後、約1千人が身を寄せる宮城県山元町の山下中学校の避難所で、自らの代表曲である「青葉城恋唄」を歌った。
 《時はめぐり また夏が来て あの日と同じ 流れの岸》
 前列で聞いていた、女子高校生が涙を流しているのに気付いた。身内や友達を亡くした悲しみを重ね合わせて涙しているのだろうか。それとも曲自体の持つイメージに涙しているのだろうか−。
 《瀬音ゆかしき 杜の都 あのひとは もういない》
 歌う前は震災を連想させるかもしれない、と考えて多少の抵抗もあった。しかし、目の前で涙を流す女子高校生の姿が、30年以上、何千回と歌ってきた曲に新たな命を吹き込んだ。
 「この曲を、大事に歌っていこう」
 そう改めて感じた瞬間だった。以来、「震災の中、自分もみんなと一緒にいるんだよ」という思いを込めて歌い続けている。
                   ◇
 震災発生当時は、司会を務める地元テレビ局の夕方のワイド番組の収録に向かう車中だった。緊急地震速報がけたたましく鳴り、路肩に寄った途端、初めて体験する大きな揺れに襲われた。100万都市・仙台のすべてが音を立てていた。聞いたことも体験したこともない音だった。
 その日の夜には、高台にある自宅周辺から明かりが消えた。仙台塩釜港の仙台港区からは赤々とした炎が光り、見上げれば満天の星空が広がっていた。
 すべての光景を、今でも鮮明に覚えている。
 平穏な日々は一気に失われた。
 そんな中、数日後の早朝、新聞配達のバイクの音が聞こえた。忘れかけていた「日常」を感じ、「ほっとした。あの音は生涯忘れない」。被災地で活動していく上で日常を大切に考えよう−。そう心に決めた。
 震災直後の不便な生活を強いられた「非日常」と対比するほど、日常、つまり生活に必要なものの大切さは明白だ。
 「今後、日本のどこかで同じような災害が起こるかも知れない。我々の経験したことは強く語り継がないといけない」。そんな気持ちが芽生えた。
                  ◇
 震災から約10日後、番組が再開された。震災には触れながらも、スタジオの雰囲気はなるべく震災前と同じような「日常」を作ろうと意識した。
 放送後、メールや電話が殺到した。
 「震災前の日常を思い出し、涙が出た」。そんなメッセージもあった。
 番組の中では、毎日1曲歌うことにした。
 「苦しみやつらさの中で、少しでも癒やしになれば」
 震災から2週間。3月下旬ごろからは避難所の訪問も始めた。
 毎日の番組終了後、要望があれば、可能な限り各地の避難所に足を運んだ。
 支援や慰問に来ているという思いは持たなかった。「頑張ろう、応援している」などの言葉もあえて使わなかった。
 「行くだけで喜んでくれるなら、震災前と同じように接していこう」
 震災前と同じように、歌い続けた。
 「みんな『頑張れ、頑張れ』って言うけど、私たち頑張ってるんだよ。笑顔を作ってるんだよ」
 「本当に欲しいのはお金なんだよ」
 避難所では、被災者からそうした本音を聞く機会も少なくない。仙台で震災を経験した自分が相手だからこそ、本音をこぼしてくれたのだろう。被災地にいる人間として「みんなと一緒だよ」という思いで通い続けた。
                   ◇
 「東日本津波原発大震災」−。震災について触れるときは、こう表現するようにしている。
 震災から約半年後、愛知県の寺院に復興支援コンサートで訪れた際、住職と話す中で、東日本各地に大きな被害をもたらしたのは津波であり、いまでも多くの人が故郷に帰ることが出来ないのは原発事故の影響だと改めて実感した。それ以降、この呼称を使うようになった。
 震災後は「みやぎびっきの会」の「虹を架けよう」や、NHKの「花は咲く」など、数々の復興ソングにも関わった。
 被災地だけでなく、各地で行ったコンサートでも積極的に復興ソングを歌い、被災地への思いを発信してきた。
 「花は咲く」に「誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましている」の一節がある。このフレーズを歌うたび、ある出来事を思い出す。
 平成24年3月11日、女川町で開催された震災1周忌の追悼式で、地元の水産会社の専務だった男性が作った曲を、同じ被災地の歌手とともに歌った。男性は中国人の研修生を高台に避難させた後、津波に襲われ行方不明となった。集まった町民がこの歌に涙を流す姿を見て、「歌の持つ力と情熱を感じた」という。
                   ◇
 3月には震災から5年の節目を迎える。
 さまざまな産業の復興状況をメディアが伝えることで、被災地以外の場所では「復興は着実に進んでいる」と思われがちだ。
 しかし、その裏では仮設住宅での生活が長引き、不安を抱えたままの人がまだまだいる。各地で続くかさ上げ工事は終わらず、新たな街の完成はいまだ見えない。
 これからも各地を訪れた際には、必ずそうした現実を伝え続けるつもりだ。
 「表に出てこない、そんな真実を伝える役割を使命だと考えている」
 被災地に身を置く歌手として、タレントとして、5年の節目に決意を新たにしている。
                   ◇
【プロフィル】さとう宗幸
 さとう・むねゆき 昭和24年、岐阜県生まれの66歳。2歳のときに宮城県古川市(現在の大崎市)に移り住む。大学卒業後に上京。翌年仙台に戻り、FMラジオのDJなどの活動を始めた。
 53年、ラジオに寄せられた詩に曲をつけた「青葉城恋唄」でメジャーデビュー。
 56年には、テレビドラマ「3年B組金八先生」シリーズの「2年B組仙八先生」に、宮城県出身の国語教師、伊達仙八郎役で主演した。
 平成7年、地元テレビ局の夕方ワイド番組で司会になる。以来、「宗(むね)さん」の愛称で県内外で親しまれている。今年10月には新曲「あ・り・が・と・う・の歌」を発売した。


三陸鉄道 震災から5年 初日の出列車出発進行 岩手
 岩手県沿岸の第三セクター・三陸鉄道(本社・岩手県宮古市、三鉄)は1日、三鉄北リアス線で初日の出を拝む「2016お座敷列車初日の出号」を運行した。乗客31人やツアー客が三鉄社員ら地元の人たちと野田玉川駅(同野田村)で、震災から5年目の初日の出を拝んだ。
 列車は、夜明け前の午前6時11分に久慈駅(同久慈市)を出発。野田玉川駅のホームで、太平洋から昇る初日の出を待った。午前7時ごろ、雲の合間から太陽が見えると、太陽に向けて手を合わせ、乗客たちはカメラやスマートフォンのシャッターを夢中で切った。
 三鉄では開業以来、毎年初日の出を見る列車を走らせていたが、2011年3月11日の東日本大震災による地震や津波により、南リアス線全線と北リアス線の大半で合わせて300カ所以上も被害を受けて運行できなくなり、翌年は不通区間の線路の上で初日の出を見たこともあった。3年後の14年4月に、流出した北リアス線の島越駅(同田野畑村)が再建されて、全線での運行再開にこぎつけたが、昨年の初日の出は太陽が雲に隠れてしまい、ほんの少し見えただけだったという。
 三鉄の金野淳一運行本部長は「全線開通後2回目でようやく、美しいご来光を拝めた。今年は風もなくおだやかな正月で良い年になりそうだ」と笑顔を見せた。【米田堅持】


【東日本大震災】 被災地で初日の出 被災者らが復興祈る 宮城県名取市閖上地区
 東日本大震災の被災地は1日、震災後5度目の正月を迎えた。津波で甚大な被害を受けた宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区では、2つの神社が建つ「日和山」(約6メートル)に多くの人が集まり、初日の出に手を合わせていた。
 日和山の一帯は多くの家屋が流され更地となったが、震災から5年近くが経ち、周囲のかさ上げ工事が進むなど復興に向けた槌音が響く。


【東日本大震災】 初日の出に願う復興 被災地は5度目の新年
 東日本大震災の被災地は1日、5度目の新年を迎えた。船上や海岸から拝む初日の出や、郷土芸能の奉納行事に被災者が集まり、復興と新年の平穏を願った。
 宮城県東松島市の「奥松島遊覧船」では、震災の影響で休止していた初日の出クルーズが復活した。午前7時ごろ、太陽が赤々と昇ると盛岡市の会社員、岩上泰子さん(56)は「感激した。有名になって復興につなげてほしい」と笑顔を見せた。
 全町避難が続く福島県富岡町の漁港でも、避難先から集まった町民らが初日の出を拝んだ。同県いわき市に避難中の会社員、堀川信子さん(46)は「町は変わってしまったが初日の出はきれい。ことしは良い1年になりますように」。
 岩手県釜石市鵜住居地区では青年会のメンバー約15人が郷土に伝わる虎舞を鵜住神社に奉納。笛で参加した会社員、岩鼻金男さん(51)は津波で母と娘を亡くした。「虎舞で地元のみんなに力を与えられたらいい」と話した。


歴史の岐路に立って/未来の扉、開くのは私たち
 「未来との対話」を本格化させる幕開けの年と位置付けたい。誠実に歴史に向き合う「過去との対話」を大事にしつつ、抱える根本課題を見つめ、全ての人の命が輝く社会への地歩を固める、という意味である。
 戦後、経済優先の国造りで多くの成果を手にしてきた。ただ近年、経済のグローバル化を受けて効率や速さを極度に求める市場主義に傾斜。そうした思想が広範な分野に浸透し、公平・公正の確保が危ぶまれる状況にある。政治にまで及び、民主主義の土台がぐらついてもいる。
 歴史の大きな岐路に立つ今、価値観を問い直し、進むべき社会のありようを探らねばならない。主導する政治のありようもまた掘り下げねばならない。
 大方、既に気付いていよう。
 さらなる物的豊かさの追求が幸せを完全には保障してくれず、市場に最適の解を委ねた新自由主義経済体制の下、非人間的な働き方を強いられ、福祉や教育の格差を広げ生存基盤が脅かされていることを。極端な経済格差や宗教を含めた偏見・差別が国際社会の安定を損ね、国内に跳ね返りかねないことも。
 混沌(こんとん)とした社会が向かう先が見えず、生活防衛意識も加わり、旧来の価値基準、仕組みにしがみ付きがちだ。政治はむしろ、押しとどめるふうである。
 世界的な経営学者ドラッカーは指摘する。日本の成功体験が知識社会移行など、大転換期への対応を難しくしている、と。
 工業社会に適した従来の手法にこだわり、そのことが新たな成長の足かせになる理屈だ。
 現行の経済体制は社会を豊かにもし、ゆがめもする。政治が適正な管理を欠けば、自然と人間の破壊を招く。豊かさと貧困の二つの過剰が個人でも地域、国でもあらわになっている。
 意識は社会を規定する。手に余るとして思考停止に陥ってはならない。政治は成長に固執し制御を緩める方向にある。政治参加の質を高めていかなければ、社会的矛盾は温存され、持続的な安定と繁栄を築けまい。
 安倍政権は「1億総活躍社会」を看板政策に掲げる。ばらまきとハコモノ事業の予算化が目立ち、人への投資はもたつく。もう一つの看板「地方創生」も従来の発想の域を出ない。
 人口減少と所有欲求の減退という低成長の根本要因を直視せず、目先の企業利益に固執、個人や地方を二の次にして国際競争をしのごうとすれば、社会の基盤を崩すことになろう。
 いびつな発展に伴う人口移動で社会との縁が薄れ、雇用の変質で会社との縁も細る。家族の絆も揺らいでいる。分断から連帯へ、個人の存在欲求に応えた関係の結び直しが要る。自然や都市と地方もしかりである。
 希望の芽はある。一部の若者は政治意識を高め、NPOが市民権を得て、社会的な課題解決を目的にしたソーシャルビジネスも広がりだしている。哲学者の内山節立教大大学院教授が指摘する、市場原理を超えた半市場経済の動きである。
 財政学の神野直彦東大名誉教授は、人を手段から目的に位置付け直し、共生意識を基盤に据えた「人間国家」を提唱する。
 多様で豊かな生き方と参加が保障される社会の創造へ。成長から成熟に向かう未来の扉を押し開く時である。心奪われるスマートフォンを、ときに脇に置いて、私事から目を転じ、思索を深め、一歩、前へ、である。


2016年を考える 民主主義 多様なほど強くなれる
 18歳と19歳の若者が、今夏の参院選から初めて投票権を持つ。政治の新たな幕開けにあたり、民主主義とは何かを考えてみたい。
 昨年は、日本の民主主義の成熟度が試された年だった。象徴的なのが安全保障関連法をめぐる論議だ。国民の多くが「議論は尽くされていない」と感じていたが、安倍政権は選挙ですでに国民の信任を得ているとして、採決を強行した。
 民主主義とは選挙か、多数決か、少数派の尊重か、デモか。共通の答えを見いだせず、社会の分断は深まったまま、年が明けた。
社会の分断をどう防ぐ
 社会の分断をどう防ぐかは、グローバルな課題でもある。
 欧州では、難民の大量流入で、多文化主義が揺さぶられている。パリの同時多発テロが宗教間の憎悪をあおり、異なる価値観を否定する空気が各国で強まっている。
 昨年のクリスマス、英国国教会の最高位聖職者であるウェルビー・カンタベリー大主教は、過激主義者を「違いを憎む者たち」と呼び、多様性への不寛容さが欧州全体に広がることに警鐘を鳴らした。
 米国では、大統領選の共和党候補指名を争う実業家トランプ氏の極端に排外的な言動が世論を扇動し、社会に亀裂を生んでいる。
 ポスト冷戦後の21世紀の世界は、「モデルなき世界」である。欧州も米国も日本も、分断から融和への努力を怠れば、民主主義が漂流し、社会は危機に見舞われる。
 安全保障、原発、沖縄の基地、家族や地域共同体のかたちなど、私たちが直面しているのは国の行方を左右する、困難な問題ばかりだ。経済成長が矛盾を隠した過去の時代に、解決の手がかりはない。
 選択と決定の連続を、社会全体でどう乗り越えるか。それがこの先、問われているのである。
 全員が納得する決定はない。であるなら、可能な限り多くの人が受け入れ、不満を持つ人を減らす政策決定のあり方を模索しなければ、社会の安定は維持できない。
 だからこそ、選挙で多数を得た側の力は、相手を論破するためではなく、異論との間に接点を探るため使われるべきである。批判や反対にも十二分な検討が加えられた、と少数派が実感して初めて、決定は社会に深く根を下ろすからだ。
 国の未来に多様な選択肢が提示され、公平・公正な意見集約が行われる社会。その結果としての政策決定に、幅広いコンセンサスが存在する社会。それが民主主義が機能する強い社会と呼べるものだ。
 100年前の日本に、大正デモクラシーと呼ばれる時代があった。国民が政治の表舞台に登場し、本格的な政党政治が始まった。
 だが昭和に入ると、国際情勢の見誤りや経済政策の失敗もあり、民主主義は急速に衰退する。国民が自由に意見を言える社会ではなく、異論を認めない不寛容な社会になった。政党から闊達(かったつ)な議論が消え、日本は国策と針路を間違えた。
 社会が多様性を失えば、国が滅びることもあるのである。
二つの潮流の分かれ目
 日本の社会は今、二つの大きな潮流の岐路に立っている。
 一つ目は、政治でも経済でも、国が目標を掲げて国民を引っ張る、国家主導型の社会である。
 そうしたリーダーシップには、決断の正しさへの信念はあっても、国民への説明責任の意識は希薄になりやすい。国民が理解しなくても、歴史が評価してくれる、という独善に陥りがちな懸念がある。
 もう一つは、一人一人が自分で情報を集め、考え、発言し、決定に参加する社会を目指す流れである。それは、自律した個人の多様な声が反映される社会のことだ。
 民主主義を鍛え直すには、国民が決定の主役となる、後者の道を選びとるべきだろう。若者の政治参加もそのために生かしたい。
 メディアも、公平・公正な報道で民主主義の一翼を担う。
 民主主義に公平さ、公正さが欠かせないのは、政治的決定を社会に浸透させ、国論の分断を防ぎ、社会の融和を図るためである。
 従ってそれは、多数決ではなく、少数意見の側がその選択の過程に納得しているかどうかで測られる、とも言えよう。メディアの公平さ、公正さも、異論や批判を多様に吸い上げることで確保される。
 民主主義は、それ自体が目的ではなく、誰もが住みよい社会をつくりあげる手段に過ぎない。
 20世紀前半に多くの作品を残した英国の批評家・小説家のフォースターに、次の言葉がある。
 「民主主義には『万歳二唱』しよう。一つは、それが多様性というものを認めているから。二つ目には、それが批判を許しているからだ。この二つさえあればいい」
 「民主主義とは何か」の答えは、これで十分ではないか。


年のはじめに考える 歴史の教訓を胸に
 新しい年は、大きな変化の年になるのかもしれません。歴史の歯車は静かに回り続けます。しかし、私たちが忘れてならないのは歴史の教訓でしょう。
 忘れまいと言うのは、残念ながら人間は忘れやすいからです。
 そう思い返したのは、最近亡くなった横浜在住の生物誌家S氏の観察年譜を読み返していた時でした。彼の家の周りの記録です。こうありました。
 <一九六四年、東京オリンピック。このころ環境は最悪。七五年環境好転の兆しか、京浜一帯のキンモクセイが二十年近くの長い眠りから目覚め花をつけ始めた>
◆5年を経る原発事故
 半世紀ほど前の環境悪化とその回復。観察者の彼はともかく、その時代を生きた者として当時の公害を果たしてどれほど覚えているだろうか。
 今、花開き香りをふりまくキンモクセイを見て、私たちはその花の閉ざしていたころをどれほど思い浮かべられるだろうか。
 キンモクセイに限らず、今、当たり前に見ていることほどその悪かったことは思い出しにくいものです。
 ことしで五年を経ることになる福島第一原発事故。災禍は今も進行形です。もちろん誰も忘れてはいない。しかしどうでしょう。避難者の多くは帰れず大地は元には戻らない。
 逆に、夜を昼とするように都会は電気を使い、手続きを経たとはいえ原発は順次動きだす。福島から、また原発立地地から遠いほど、ある種の忘却のようなものを感じさせないわけではない。
 忘れたと言っているわけではありません。だがもしも忘却に似たものがあるのだとすれば、私たちは五年前変えようとしたことを変えもしないまま、再びあやまちを犯すおそれがあるのです。
◆シリア内戦重ね見る
 もうひとつ重要な、忘れてはならないことがあります。
 戦争です。
 戦争をしてはならないということです。
 先の大戦を体験した人は少なくなり、戦争を知らない世代は、妙な言い方ですが、忘れないために記憶をつくらねばならない。聞き知り学ぶということです。
 昨年、戦争を知る人たちの訃報が相次ぎました。
 哲学者の鶴見俊輔、漫画家水木しげる、作家野坂昭如の各氏や銀幕の原節子さんら。
 この中の鶴見さんはベトナム反戦運動でも知られますが、戦争を忘れないよう、仲間の評論家二人と三人でかわりばんこに八月十五日が来るたびに、頭を坊主刈りにしていたそうです。満州事変来の十五年戦争だから十五年は続けようと。坊主頭にしてのこのこ歩くのはちょっと恥じらいがある、生き残った恥じらい、と話しています(「日本人は何を捨ててきたのか」鶴見俊輔・関川夏央)。
 鶴見さんらしいユーモアにも思われるが、そこには忘れてはならないという決意が感じられます。八月十五日には一食を抜いたそうです。
 頭を刈るぐらい、一食を抜くぐらい、簡単なように見えますが、そういうことを思いつき、実行することは易しくはないでしょう。しかしやってみればむずかしくもないということに、この運動のおもしろさはあります。一人ひとりが考えるということです。行動できるということです。
 戦争を知らない世代は、戦争を覚え続ける人たちを知って記憶をつくらねばなりません。戦争とは人を殺したり、殺されたりすることだ、と。
 そういう創造的記憶のうえに、今のシリアの内戦、またテロを重ね見るのです。流血に過去も今もありません。
 人類はやっぱり戦争を繰り返すのかと思えば悲観的にもなりましょう。だが戦争やテロを減らすには武力よりも、むしろ教育の普及や格差の是正が有用だという世界認識が広まりつつあります。
 国際紛争を武力で解決しないという憲法九条の規定は、非現実的との批判をしばしば浴びてきました。だが、実は時代を経るほどに現実味を帯びてきているのではないでしょうか。人類の歴史は戦争史といわれますが、武力に勝る手段は過去にもあったはずです。外交はもちろん、戦争を起こさせない不断の努力です。
◆日本の目指す方向は
 これから世界を武力の方向に傾かせるのか、それとも教育や格差是正の方向へと傾かせるのか。
 どちらに向かうか。少なくとも日本が目指すべき方向は私たち国民が決めねばなりません。
 その場合、見てほしいのは現在はもちろんだが、過去も忘れてほしくない。時代が揺れるほど、歴史の不動の教訓を胸に抱いていたいのです。


新年を迎えて  暴力の連鎖、断ち切るために
 新しい年が明けた。今年こそは穏やかな1年であってほしいと願うが、世界を見渡せば、胸ふさぐ風景が広がるばかりだ。
 イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)などによるテロが深刻さを増し、暴力の連鎖の中で多くの命が奪われ続けている。昨年は日本人も犠牲になり、テロがもはや対岸の火事ではなくなった現実を思い知らされた。
 シリアの内戦などを逃れて難民が押し寄せる欧州では、排外主義を唱える極右勢力が台頭し、不穏な空気が広がる。この亀裂と混迷の時代に、私たちはどう向き合っていけばいいのだろうか。
 犠牲への不均衡な目
 130人の死者が出た昨年11月のパリ同時多発テロの後、一人の女性によって書き込まれたツイッターの日本語訳がネット上で静かな広がりを見せた。
 「敬愛するパリよ、貴女(あなた)が目にした犯罪を悲しく思います。でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。全世界が貴女の味方になってくれるのを、ただ羨(うらや)ましく思います」
 書き込んだのは、シリア出身でUAE(アラブ首長国連邦)在住のアナウンサー、シャハド・バッラードさん。世界の目がパリの悲劇に集中する一方で、シリアなどアラブ世界の犠牲者に及ばない現実へのささやかな抗議だった。
 振り返れば、パリの同時テロの前日にはレバノンのベイルート郊外でISによるテロが発生し、43人が死亡。さらにパリ同時テロへの報復として始まったフランス軍の空爆では、シリア北部のラッカの病院や学校が誤爆され、2週間で70人を超える死者が出たとの報道もあった。だが、こうしたアラブ側の現実は、日本でも関心の外に置かれがちだ。
 かつて文学研究者のエドワード・サイードは、中東などに向けられてきた西洋のオリエンタリズム(東洋趣味)のまなざしに、植民地支配と結びついた意識構造を読み取った。その意識は過去のものだろうか。テロをめぐる暴力の実相に目を凝らし、もっと想像力を働かせる必要がある。メディアもまた役割が問われている。
 ISの源流を探れば、2003年に米国主導で始まったイラク戦争に行き着くとの指摘は多い。フセイン政権崩壊を経て、米軍が撤退する11年までに戦闘やテロで犠牲になった住民は10万人を超えるとされる。この間、誤爆などで高まった反米感情が過激思想につながり、宗派や民族の対立、さらにシリア内戦にも乗じてISが登場した。そして今、米国中心の有志国連合やロシアによるIS相手の空爆の下で住民が傷つき、新たな憎しみを生んでいる。
 終わりのない「戦争」
 この負の連鎖をどうすれば断ち切れるのか。
 同時テロの後、パリ政治学院のフレデリック・グロ教授は共同通信のインタビューに答えて、対テロ戦争の特色を「拡散する戦争」と指摘した。世界中に脅威が遍在し、誰でも、どこでも、いつでも巻き込まれ得る戦争という意味だ。明確に勝者と敗者に分かれ、この日付で終わったと言うことが不可能な点も従来の戦争とは異なるという。そんなテロを軍事力だけで根絶できるとは思えない。
 パリ同時テロの実行犯の多くは、中東や北アフリカから渡った移民の2世で、ベルギーやフランスのイスラム教徒の多い貧困地区で育った若者だった。失業や犯罪などさまざまな問題を抱えた環境だったという。
 若者が過激思想に取り込まれていく貧困や差別の土壌を一歩ずつでも変えていかなければ、テロはなくせない。国際社会に求められているのは、そのための結束力であるはずだ。
 テロへの対処の仕方は、日本が今後、世界の中でどういう位置を占めていくかにも関わる。
 平和国家の役割重い
 昨年の安全保障関連法成立で自衛隊と米軍の一体化が進み、平和国家の在り方が問われている。「テロとの戦い」の後方支援などに加わることになれば、中東での平和国家としての信頼が傷つき、人道支援に努めてきたNGOがテロの標的にされたり、活動を阻害される恐れも出て来よう。
 菅義偉官房長官は、米軍への後方支援を「考えていない」とし、難民への食料支援など非軍事面の国際貢献に徹するとしている。その方針を堅持すべきだ。同時に中東地域などの貧困と差別の解消に向け、国際社会とともに積極的に動きたい。そうした在り方こそ、平和憲法を持つ国にふさわしい。
 そのためにも「難民鎖国」と呼ばれる閉鎖的な受け入れ状況を改めるとともに、国連人権差別撤廃委員会から再三勧告を受けている包括的な人種差別禁止法の制定も急ぐ必要がある。人権無視のヘイトスピーチ(憎悪表現)を許していては、差別解消を訴えていく資格はなかろう。
 今夏には、憲法改正の攻防となる参院選がある。テロの暗雲が垂れ込める時代にどう向き合い、戦後70年続いた「平和」をどう未来へつなぐのか。私たちの選択があらためて問われる年になる。


戦後の曲がり角/民主主義は機能しているか
 「戦後民主主義到来の日」と呼ばれる日があることを最近知った。
 1949(昭和24)年7月19日。今井正監督の映画「青い山脈」が封切られた日だ。前、後編で3時間の大作は、昨年9月に亡くなった原節子さんが主演し、大ヒットした。
 「古い上衣(うわぎ)よ さようなら…」。原さんらがさっそうと自転車で走る姿がまぶしかった。明るく軽快な主題歌とともに、封建的な考え方に対する戦後民主主義の勝利をうたい上げた。敗戦から4年、新憲法施行から2年。国民はまだ厳しい暮らしを強いられていたが、新しい時代を表現した作品は希望を与えた。
 戦後70年が過ぎた今、その民主主義が機能しているのか、民意はくみあげられているのか−。あらためて問い直す必要がある。
       ◇
 「民主主義って何だ」
 昨年夏、安全保障法制に反対し、国会周辺を埋めたデモで繰り返し叫ばれた。中心となったのは大学生らでつくる団体「SEALDs(シールズ)」だった。「何だ」の問い掛けに、「これだ」と応じる。
 「こうして声を上げる私たち自身が民主主義の中心だ。主権者だ」との思いを込めたのだという。
 一方、安倍晋三首相は、法案採決前に「決めるべき時には決めていく。これが民主主義だ」と語った。
 安全保障関連法は数の力による強行採決で成立した。特に参院特別委員会の採決時は委員長周辺で怒号が飛び交う混乱状態だった。議事録には「議場騒然、聴取不能」とだけ記され、発言は記録されていない。
 実質11本の複雑な法案で「説明不足」とする国民は多かった。日本の安全保障政策の転換となる内容だが、熟議とは程遠い国会だった。
 戦後70年の節目に、民主主義は無残な姿をさらしたといえる。
目立つ逆行の動き
 もう一度、映画「青い山脈」に話を戻したい。
 男女交際問題で孤立した女学生を救うため、原節子さんふんする教師が教室で発言する場面が印象的だ。「家のため、国家のためという名目で、個人の人格を束縛して、無理やり一つの型にはめこもうとする。日本人の今までの暮らし方の中で、一番間違ったことなのです」
 男女交際などもってのほかとの考えが残る町と学校を女性らが変えていく。その姿が「戦後民主主義到来」を感じさせたのだろう。
 個人を尊重する。憲法は国民主権、国民が主役とうたう。「国が第一、私は第二」などという考え方を転換する−。そんな民主主義社会を築く努力を重ねてきたはずだが、流れに逆行するような動きもある。
 一つは1年余り前に施行された特定秘密保護法だ。情報が政府の都合で隠され、「知る権利」が侵される恐れがある。「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」。国民はただ従わせ、説明する必要はない−という時代に戻りかねない危うさがある。
「日本が見えない」
 昨年12月、表現の自由を担当する国連の特別報告者が日本での現地調査を予定していたが、日本政府の突然の要請で延期された。「予算編成などのため万全の受け入れ態勢が取れない」との理由だった。これに対し「秘密保護法や、政府によるメディア介入が取り上げられるのを避けたのでは」との指摘があった。
 懸念の声が上がるのも無理はない状況がある。
 昨年6月、自民党所属国会議員の勉強会で報道機関に圧力をかける発言が相次いだ。報道番組の内容が問題として自民党がNHKと民放の幹部を事情聴取したこともあった。民主主義の土台である表現の自由や知る権利を揺るがす行為が目立つ。
 昨年、あらためて注目された戦没詩人竹内浩三の作品が思い浮かぶ。
 「日本よ/オレの国よ/オレにはお前が見えない」
 戦争末期に23歳で戦死した詩人は「自由でありたい」と願い、戦争の不条理、心の葛藤を表現した。
 その死から70年余り。日本は竹内が願ったような国になったのか。
 岐路に立つといわれる中、今年夏には参院選挙があり、選択の年となる。選挙権年齢は「18歳以上」に引き下げられ、若い世代が有権者として政治参加することにもなる。
 戦後71年目。日本の今を見詰め、民主主義、民意について考えたい。


[辺野古正念場]安保政策 根本から問え
 名護市辺野古の新基地建設問題は今年、最大の分岐点を迎える。
 米軍普天間飛行場を抱える宜野湾市長選が24日投開票され、6月には県議選、7月には参院選があるからだ。とりわけ宜野湾市長選の勝敗の行方は新基地建設に大きな影響を与えることは間違いない。
 市長選には現職で再選を目指す佐喜真淳氏(51)=自民、公明推薦=と新人の元県幹部職員、志村恵一郎氏(63)の一騎打ちが確実だ。佐喜真氏を安倍政権が、志村氏を翁長県政が推す構図である。
 世界一危険といわれる普天間飛行場の危険性除去という点では両氏の主張は一致する。
 佐喜真氏は前回選挙では「県外移設」を掲げていたが、今回は県外も、新基地の是非についても言及しておらず、分かりづらい。
 志村氏は新基地建設反対を明言し「移設を断念させ、返還を求めるのが早い」と主張する。
 危険性除去をどのように実現するのか。有権者に問わなければならないのはそこである。佐喜真氏は新基地への賛否を明確に示すべきだ。争点ぼかしはいけない。
    ■    ■
 米軍再編によって海兵隊は沖縄から撤退の過程に入っているのが実情だ。引き留めているのは日本政府である。
 沖縄が中国の弾道弾ミサイルの射程内に入り、沖縄に基地が集中するのはリスクが増すとの考えからだ。沖縄海兵隊の主力である第4海兵連隊はグアムに移ることになっている。第31海兵遠征部隊(MEU)もアジア太平洋地域で同盟国との演習などで、1年の大半は沖縄にいない。
 新基地は国有地となる。いずれ日米共同使用施設に移行するのは確実だ。
 米海兵隊が撤退しても日本政府は自衛隊の恒久基地として使用することを念頭に置いている。これでは中国をにらんだ軍事要塞(ようさい)化にほかならず、沖縄の位置付けは半永久的に変わることはない。
 住民は沖縄戦後、27年に及ぶ米軍施政権下の圧倒的な苦難の中で体を張って自治・自立・自己決定を求めてきた。
 私たちが生きる現在は過去の積み重ねの上にあり、未来を形づくる礎になる。
 徹底した非暴力の直接行動で抗(あらが)っている辺野古の市民運動は、日本の民主主義を問い返す現場となっているのである。反響は県内外のみならず、米国にも広がりをみせている。日本の民主主義の成熟度と米国への従属度が世界から問われているのだ。
    ■    ■
 戦後70年以上も、米国の軍隊が沖縄に集中しているのは世界的に見ても異常というほかない。異常と受け止める感覚がなければ安全保障のいびつさをただすこともできないだろう。
 米軍は地位協定・関連取り決めによって基地の自由使用が保障され、シビリアンコントロール(文民統制)も及ばない。これでは日本が「独立国」とはとうてい言えない。
 憲法に軍事条項はなく、日本の安全保障は最初から日米安保体制を前提にしている。事務方同盟といわれるように関連取り決めは双方の官僚が一方的に決め、国会のチェックも十分に働かない。おかしなことだ。
 安保をめぐるこのいびつな構造を根本から問い直すことが何より重要である。
 戦後の日本は安全保障を米国に委ね、基地を沖縄に押し込めることによって、国民は安全保障のコストを免れてきた。安保論議がいっこうに深まらないのはこのような現実があるからである。
 日米安保を支持する人の割合は8割を超える。
 だが、安保の「現場」にしわ寄せされる事件・事故や騒音、環境問題など日常生活を脅かす影響は現実感をもって受け止めることができない。政府にとってはこのような状態が米軍基地を維持する上では好ましい状態かもしれないが、一地域の半永久的な犠牲を前提とした安全保障政策が持続できるわけがない。
 日本が東アジアの平和と安定のためにどういう役割を果たしていくのか。緊張緩和のための将来像を示さなければならない。沖縄はアジアの懸け橋としての役割を果たすことができるに違いない。


かつての遊郭〜日本一のソープ街に異変が起きたって? 若い女性がちらほら散策
 吉原って、どこにあるんだろう…。ノンフィクション作家の井上理津子さんから、「いま吉原が人気で、週末は吉原神社に若い女性の行列ができている」と教えられ、のぞきに行くことにした。(永井優子)
 井上さんは、大阪の飛田遊廓をルポした『さいごの色街 飛田』(筑摩書房、平成23年刊)が評判となった。女友達にそこで働く「おねえさん」の面接を受けてもらい、一緒に「料亭」に上がり込むなど、体当たりの取材が痛快だ。同書は昨年、新潮社から文庫化もされた。大阪から東京に住まいを移した今は、今夏刊行をめざして、取材で吉原に通っているという。
 「吉原遊廓」は時代小説や時代劇でおなじみだが、地図を見ても東京に「吉原」という地名は存在しない。ソープ街として名高い現代の吉原は、大方の女性には無縁の場所。東京に住んでいても、これまで吉原に足を踏み入れたことはなかった。
 娼妓の治療を目的に設立された吉原病院が前身の台東区立台東病院のすぐ裏手に、吉原神社があるようだ。地名は同区千束。ソープ街は最寄り駅から離れている。普通に地元の子供や、町歩きの女性が通っているよ、と聞いたけれども、ちょっと心配…。
 その日はたまたま三の酉(昨年11月29日)だった。年末の風物詩になっている浅草・鷲神社の「酉の市」で、駅周辺はごった返している。屋台が連なる小道に紛れ込んでしまい、人込みで通行もままならない。いつの間にか、吉原弁財天に行き当たった。
◇  ◇  ◇
 いま「吉原」と呼んでいる場所は、「新吉原」のこと。明暦の大火(1657年)によって日本橋にあった吉原が焼失。江戸の人口増加に伴い浅草の外れに移転してきた吉原を「新吉原」、以前の日本橋の方を「元吉原」という。
 吉原弁財天がある場所は、かつての新吉原花園池(弁天池)の跡地で、弁財天の祠があった。関東大震災の際には、逃げ場をなくした娼妓ら490人がここで溺死、供養のための観音像が立つ。境内を囲む石柵に刻まれた寄進者名は、◯◯楼という遊廓が連なっている。
 ここは浅草名所七福神のうちの一社だが、「宝印授与は吉原神社で」という貼り紙がある。30メートルほど先の吉原神社社務所前に行列ができている。同社は新吉原にあった5つの稲荷と吉原弁財天を合祀して創建された。
 「御朱印がかわいいと有名。ずっと来たいと思っていた」と女子大生の2人連れ。ひらがなの「よし」がくねって蛇を表現し、ちいさく「わら」と書き添えられた吉原弁財天の御朱印は確かにユニークだ。
 千村義和宮司(68)に由来を聞いたところ、「蛇は弁財天様のお使いで、昔から女性を守るもの。浅草七福神が復活したときに、独特なものをやりたいと知恵を絞って考え出した。変な御朱印が出てるな〜とか他の神社に言われたりして、やめようかと思ったけれど、人気が出てやめるにやめられなくなっちゃった」。御朱印案内の書籍にも、「流れるような筆運び」「こうなると、もうアートだ」などと、大きく紹介されている。
 現在のような形の浅草名所七福神は昭和の初めに始まった。当時は吉原遊廓に力があり、当然のことながら吉原弁財天が選ばれた。昭和33年の売春防止法施行で、町は死んだも同然に。52年に七福神が復活したとき、戦前通りにやりたいから入ってくれと担当者から誘われたが、浅草の観音様(浅草寺)も入っているような格式ある中に、どうして吉原なんかが入るんだと批判もされたという。
 「お参りしても、吉原で働いた女性の悲運を背負わされてしまうと思われていたんでしょう。悲しい女性がいたのは確か。でも、歌舞伎や落語の世界を見てごらんなさい。吉原で生きがいを感じて幸せになった女性もいるはず」
 御朱印ブームや七福神の人気で、5、6年前から目に見えて参拝者が増えてきた。ここ数年は倍々ゲーム。週末は1日100人くらい、正月三が日は1日1000人くらいが訪れる。吉原神社に活気が出たことで、地元有志が復活させた吉原遊廓の芸能「狐舞い」や「俄(にわか)」などが近年、境内をはじめとした町内で披露されて、地域再生の機運ともなっている。
◇  ◇  ◇
 吉原神社の前の道をさらに進むと、仲ノ町通りと示す標識がある。ここからが、かつての遊廓、今はソープ街のメーンストリートだ。5分くらいでネオンは尽きて、「よし原大門(おおもん)」と書かれた道路脇の柱が目に入る。これで、吉原遊廓の裏門から表門へ通り抜けたことになる。一般の人出の多い祭礼日にソープ通いする客も少ないのか、それとも時間がまだ早いのか、閑散としている。
 仲ノ町通りの途中で、地元町会の人たちが酉の市の客のための道案内に立っていた。かつての吉原遊廓をしのばせるものはありますか?
 「吉原は火事が多くて、みんな焼け落ちてしまった。唯一残っているのはこの地形。何もないところにガラを積み上げてできた町だから、周囲より50センチ〜1メートルくらい高くなっている。怖くないから、昼間歩いてごらんよ」。そう言って、「新よしわら パワーすぽっと」と題した散策マップを渡してくれた。町会などが5年前に作成したものだ。吉原神社は女性加護、家内安全のパワースポットと紹介されている。平成24年にNHKの「ブラタモリ」で吉原編が放送されたのを機に作成された、立派な吉原ガイド冊子もあった。
 遊女が腕に刺青をして客に心中立てをしている姿、胸もたわわな遊女2人が富士を眺めて風呂に浸かっている姿。そんな手ぬぐいが額装されて民家の塀に掛けられている。隣に「粋な江戸土産 新吉原」の貼り紙。お祭りの屋台の軒が途切れるあたりで見つけた。
 「東京の浅草から少し離れた所にある吉原。江戸時代は遊廓としてさまざまな流行を生み出し、歌舞伎や小説などにも登場し、今では日本一のソープ街として有名。新吉原は、そんな艶っぽい歴史ある街から生まれた粋な土産物です」と説明が書いてある。
 横にたたずむ美女に尋ねた。ここは、手ぬぐい屋さんなんですか? 「いえいえ、お祭りの時だけここで販売しているんです」
 よく見ると、「新吉原」のブランド・ロゴは、おっぱいだった。遊女の等級を示す入山形(いりやまがた)という図案と組み合わされている。法被形にたたんだ手ぬぐいの中には、開けてのお楽しみ、春画が描かれている。絵札(千社札)やステッカー、団扇などもある。
 デザイナーの岡野弥生さん(36)が平成26年夏、「新吉原」ブランドを立ち上げ、デザインもすべて1人で手掛けている。千束で生まれ育ち、子供ながらに吉原をちょっと特殊な場所だとは感じていて、負い目に思ったこともあったという。
 でも、「ソープも減ってしまい、子供のころに見たキラキラ感が減って寂しい。吉原の歴史や位置を知らず、フィクションだと思っている人もいる。だから、ちょっとでも注目してもらえればうれしい」。
 「新吉原」グッズは、ネットショップのほか、浅草地下街や羽田空港の土産物屋で販売されている。洒脱で「ちょいエロ」な感覚が、吉原を毛嫌いしたり、逆に祭り上げたりするのではなく、おひざ元からの自然な眼差しらしくて新鮮に映る。
◇  ◇  ◇
 吉原は、南北に区画されていた江戸の町にあって、北枕を避けるため斜めに造成された。いきおい周囲の道との接合は複雑になってくる。吉原神社宮司の奥さんが言っていた。「五叉路が多くて、私もよく迷ってしまう。そういうときは、ソープランドの前に立っている黒服のお兄さんに道を尋ねると、すごく親切に教えてくれますよ」。地元と良好な関係を維持して、安心・安全な町をアピールしていくことは、風俗店営業にとって死活問題だろう。
 12月のある日、旧吉原遊廓の地形を確かめるため再び訪ね、ソープ街を歩き回った。かつて、お歯黒どぶに囲まれたところを境に、確かに少し上り坂になっている。
 黒服のお兄さんには、やっぱり話しかけられなかった。タクシーがよく通るのは、お客の送迎だろうか。働く女性の気配は感じられない。その中で繰り広げられる裸のやりとりのあれこれは、井上さんの著書の上梓を待つことにしよう。
 遊客が名残を惜しんで振り返ったという「見返り柳」の先に、スカイツリーが見える。東京の東地域が観光で注目を集め、その一環として吉原ブームもあるのかもしれない。人の流れは変わっても、都会の離れ小島のような風情は、やはり異界の面影をとどめている。

良寛とサルトル/あまちゃん録画削除

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Corée: des "femmes de réconfort" dénoncent l'accord conclu avec le Japon
Plusieurs centaines de manfifestants ont défilé à Séoul contre l'accord entre la Corée du Sud et le Japon sur les "femmes de réconfort", enrôlées de force dans les bordels de l'armée impériale durant la 2e Guerre mondiale.
L'accord sur les "femmes de réconfort" était dit "historique". Il ne satisfait pourtant pas toutes les intéressées et leurs proches. Plusieurs centaines de personnes ont manifesté, mercredi, devant l'ambassade du Japon à Séoul pour dénoncer l'accord "humiliant" conclu lundi.
Parmi les manifestants, plusieurs de ces Sud-Coréennes qui furent les esclaves sexuelles de l'armée impériale nippone pendant la Seconde Guerre mondiale et qui ont promis de continuer à se battre pour obtenir justice.
En vertu de l'accord signé entre Séoul et Tokyo, le Japon a offert des "excuses sincères" et un milliard de yens (7,5 millions d'euros) pour venir en aide aux 46 Sud-Coréennes encore en vie qui furent il y a 70 ans contraintes de se prostituer pour les militaires japonais.
Pour les manifestants, le Japon n'a pas endossé la responsabilité des atrocités
Mais nombre de ces femmes estiment que le Japon n'a pas réellement endossé la responsabilité officielle des atrocités commises par son armée. Tokyo a présenté en outre le versement d'un milliard de yens comme une aide, et non comme une compensation formelle.
"Nous continuerons de nous battre pour que le Japon endosse la responsabilité juridique afin de rendre justice aux victimes déjà décédées", a expliqué l'une de ces femmes Lee Yong-Soo, 88 ans, devant l'ambassade du Japon à Séoul, théâtre depuis des années de rassemblements hebdomadaires sur ce thème. Les manifestants ont notamment dénoncé l'engagement pris par Séoul de déplacer la statue symbolisant le combat des "femmes de réconfort" installée juste en face de l'ambassade. Selon un récent sondage, 66% des Sud-Coréens sont hostiles au déplacement de cette statue.
Les historiens estiment que jusqu'à 200 000 femmes, principalement coréennes, mais aussi chinoises, indonésiennes et ressortissantes d'autres pays asiatiques, ont été enrôlées de force dans les bordels de l'armée impériale. Le Japon a longtemps considéré cette question réglée en 1965 à la faveur de l'accord qui avait rétabli les liens diplomatiques entre Tokyo et Séoul.
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対談 瀬戸内寂聴×美輪明宏
作家・僧侶の瀬戸内寂聴さん(93)は、「戦争が人を一番不幸にする」と説き続けてきた。歌手・美輪明宏さん(80)は、自らの被爆体験、戦争反対への思いを音楽で表現してきた。“旧知の友”の2人が戦後70年の夏、長崎市で公開対談を行った。二人が語ったのは戦時中の体験から、文学、結婚、恋愛、老いまで。会場からのお悩み相談にも答えながら、2人が情熱的に語り尽くす。
瀬戸内寂聴,美輪明宏,
井芹美穂

科学アドベンチャー 西之島へ〜エンジニア達の熱き挑戦〜
未知の火山島“西之島”に挑んだ無人機のプロフェッショナルたち
本州から南へ1000km、太平洋のただ中に位置する西之島。
2013年11月から、2年間にわたり溶岩を噴き出し続け、人類の観測史上、最大の面積の島が生まれつつある現場です。
世界中の注目を集めていますが、大噴火を起こす危険があるので、島から4km以内に人が立ち入る事はできません。
そこでNHKは、科学者達と協力して、無人飛行機、マルチコプター、無人ヘリコプターといった、いくつもの無人機を駆使して、西之島にできるだけ接近して撮影や観測を行うプロジェクトに挑戦しました。
その様子は「日本列島誕生 〜大絶景に超低空で肉薄〜」(2015年1月2日放送)や「NHKスペシャル 新島誕生 西之島 〜大地創成の謎に迫る」(2015年8月23日放送)でお伝えし視聴者の皆様から好評をいただきました。
今回は、これまで番組では紹介しきれなかった影の主役“無人機をあやつるエンジニア達”の奮闘をお伝えします。
現場の状態が不明である西之島に、4kmも離れた海上から操作して無人機を近づけてゆくのは、どの機体にとっても、初めて経験する非常に難しい任務でした。しかしエンジニア達は、周到に準備を積み重ね、次々と現れる困難を、これまで培った知恵と工夫を総動員して乗り越えていきます。
太平洋のただ中で煌(きら)めいた技術者魂のドラマ。目が離せません。

100分de名著「良寛 詩歌集」
日本の僧侶の中で、お年寄りから子供まで誰もが知っている最も著名な人といえば、多くの人が良寛の名を挙げるでしょう。「子供たちと手まりをついて遊ぶ良寛」「粗末な草庵で自由気ままに暮らした良寛」といったイメージは誰しもの心の中に浮かび、「日本人の心のふるさと」と称える人もいます。しかし、いったい良寛がどのような思想を残したかとなると、ほとんど知られていないのが実情です。そこで「100分de名著」では、良寛が生前に遺した約500種の漢詩、約1400種の和歌の中から珠玉の名品を厳選し、そこから現代に通じるメッセージを読み解いていきます。
良寛は、越後出雲崎に町名主の長男として生まれ、後継ぎとして育てられました。しかし、見習いとして始めた仕事はことごとく失敗。大きな挫折を経験した良寛は家出し、やがて仏門に入ってしまいます。備中玉島の円通寺での厳しい修行を経て僧侶の資格も得ますが、寺の住職となることをよしとせず、七十四歳で生涯を終えるまで托鉢行脚の乞食僧として過ごしました。
いかなる組織にも所属せずホームレスにも似た質素な暮らしを続けた良寛でしたが、その人柄を慕い、悩み事を相談する人や心を通わせたいと訪ねる人は絶えませんでした。そんな人々に対して良寛は一切お説教をしないし仏教書を書くわけでもありません。良寛は、ただただ淡々となすべきことをなし徳の力を示しました。そして折にふれてその思いを託すように漢詩を作り和歌を詠むだけでした。
こんな良寛が多くの人々の心をとらえて離さなかったのはなぜなのでしょうか? 一見自由気ままに作られたようにみえる漢詩や和歌を深く読み解いていくと、その理由がわかってきます。「透徹した自己への洞察」「すがすがしいまでの清貧さ」「人や自然への温かいまなざし」「老いや死に向き合う強さ」等々……良寛の漢詩や和歌からは、全てをことごとく言葉で書き尽くすことで人生全体を修行の場にしていこうという生き方が伝わってくるのです。その生き方こそが人々の心を揺り動かしてやまなかったのです。
厳しい競争社会、経済至上主義の風潮の中で、気がつけば、身も心も何かに追われ、自分自身を見失いがちな現代。良寛の漢詩や和歌を通して、「命」や「自然」、「老い」「死」といった普遍的なテーマをもう一度見つめ直し、人生をより豊かに味わう方法を学んでいきます。
升毅さんからのメッセージ
良寛さまの回をやらせて頂きました升毅です。 面白い収録でした。朗読でもない、ドラマでもない、ドキュメンタリーのようでもあり、再現の要素もあり。この仕事をお受けする前は、達筆の良寛、というイメージくらいしかなかったのですが‥実際に良寛さまになりきって自分の作品を読み、少し達観しながら自分の作品解説をし、別人になって良寛さまを紹介していく。良寛さまを内から、側から、外から知ることが出来る。何ともお得な!良寛さまの人となりが身にしみていく、とても楽しい、そして心地よい体験でした。視聴者の皆様にも良寛さまのぬくもりが伝わりますように!
第1回 ありのままの自己を見つめて
【ゲスト講師】
中野東禅
…龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
【朗読】
升毅
…連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
良寛ほど「ありのままの自分」を見つめぬいた人はいない。ときに厳しく、ときに笑い飛ばすような批評眼を通して見つめた人間洞察からは、肩書きや名誉、金銭などは、本来の自己には何の役にもたたないのだ、という良寛のメッセージが伝わってくる。そして、ごまかしようのない自己を認めた時、何ものにも惑わされない「自由な生き方」も自ずと見えてくる。第一回は、自分自身を見つめる方法や何ものにも惑わされず伸びやかに生きるヒントを、良寛の漢詩と和歌に学ぶ。
第2回 清貧に生きる
【ゲスト講師】
中野東禅
…龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
【朗読】
升毅
…連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
「たくほどは風がもてくる落ち葉かな」。貧しく厳しい暮らしの中にこそ、奥深い楽しみや味わいがある……そんな良寛の心が見えてくるような和歌だ。良寛は、徹底して「もたない暮らし」を貫いた。だがそれは決してやせ我慢などではない。ともするとマイナスにもみえる「貧しさ」や「孤独」は、時に自分を見失わないための座標軸を与えてくれるのだ。そこにはモノや情報にあふれた現代人が忘れてしまった洞察がある。第二回は、良寛の清貧な暮らしの中に、私たちが生きる原点を見つけていく。
第3回 「人」や「自然」と心を通わす
【ゲスト講師】
中野東禅
…龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
【朗読】
升毅
…連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
清貧を貫いたからといって、良寛は決して超俗の人ではない。良寛の漢詩や和歌には、人々や自然への温かいまなざしが常に横溢している。子供と一緒に毬をつくことに没頭する幸せ、友人と酒をくみかわす楽しさ、質素な暮らしの中でこそみえてくる自然の美しさ。良寛の漢詩や和歌を読み解いていくと、人や自然と心を通わせ、全てを豊かに味わい尽くす達人の境地がみえてくる。第三回は、世俗とつかず離れずの批評眼に貫かれた、良寛の風流の真髄に迫る。
第4回 「老い」と「死」に向き合う
【ゲスト講師】
中野東禅
…龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
【朗読】
升毅
…連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
良寛は晩年、老いや病に苦しめられた。彼の漢詩や和歌にはその克明な状況すら描かれている。そこには、全てを言葉で表現し尽くすことで、「老い」や「病」「死」と対峙し、それを人生修行の場としようという良寛の強靭な精神がみえてくる。どんな苦境にあっても、自らを見つめ言葉で表現し尽くすこと。こうした並の表現者には真似できない旺盛な批評精神こそ、良寛の漢詩や和歌の真髄なのである。第四回は、良寛の表現活動を通して、「老い」や「病」「死」との向き合い方を学ぶ。
こぼれ話。
「言語化」の先にあるもの
良寛の和歌や漢詩、手紙などを読んで一番感じたことは、よくぞまあこんなことまで言葉に表現しているなあということ。私にとって良寛のイメージは、飄々と自由気ままに物事を楽しんでいる……というものだったので、老いについての嘆き、体の痛みについての訴え、病状のこまごまとした描写等々、負の部分も含めて、およそ表現していないことがないというくらい全てを表現しく尽くしていることに驚きました。伊集院光さんは、このことを「自分自身についての観察日記」と表現してくれました。講師の中野東禅さんは「実によい表現をなさいますね」としみじみおっしゃっていました。

良寛が出家して仏教を学んでいた時期は、禅宗の世界では、散逸していた道元の原稿などが収集・編纂され研究が旺盛に行われていた時期と重なり、先人たちの著作がまとまって読めるようになっていたと、中野東禅さんはいいます。いわば、「言語化」というものが大きな注目を集めていた時代。その渦中にいた良寛は、修行中に、この「言語化」というものに目を開かれていったのではないでしょうか? 約500の漢詩、約1400首の和歌という数多くの作品を遺した背景にはそんなこともあるのではないかと思います。

良寛は、「嘆き」や「愚痴」のようなものも含めて、まるで「観察日記」でもつけるように、一つ一つをありのままに書き留めています。そうすることで、「悲しみ」や「老い」、「病」、「死」までも冷静に受け止め、あたかも人生全てを修行の場としようとしていたようにも思えます。では、そうした「言語化」を通じて、良寛は何をしようとしたのか? 実はそれが一番大事だと思うのです。そこにあるのは、「自分自身」や「自分とは異なるもの」との徹底的な対話と、それらをより深く理解しようとする強靭な意志ではないかと思います。

今の世の中、インターネットやSNSの発達で、どんな人でも容易に表現活動ができる時代となってきました。ちまたには「自分自身」や「自分の意見」を語る言説であふれています。でも良寛のような「言語化」ができているのかというと、必ずしもそうでもないように思えます。全てを敵と味方だけに分けてしまう図式的な思考。自分とは少しでも異なる意見に対して「決めつけ」「レッテル貼り」をして排除してしまい、そこで思考停止してしまう態度。さまざまな意見に耳を澄まし、より深くその真意を知ろうとする意志をもたない怠慢さ……私自身の反省も含めて思うのですが、このような態度には、良寛のように「言語化」の先にみえてくるものがないように思えるのです。

良寛はこれらの態度とは真逆でした。どんな小さな声も聴き逃さない繊細さ、自分とは異なる人々への赦しと限りない慈愛、自然から豊かなものを汲み取ろうとする意志……良寛の漢詩や和歌からみえてくるのは、全てをありのままに受け入れながらも自分を決して見失わない「しなやかさ」です。それこそが、私たち現代人が学ぶべき「良寛の精神」ではないでしょうか?

100分 de 名著 サルトル「実存主義とは何か」
第二次世界大戦後の世界にあって、常にその一挙手一投足が注目を集め、世界中に巨大な影響を与え続けた20世紀最大の哲学者ジャン=ポール・サルトル。彼の思想は「実存主義」と呼ばれ、多くの人々に生きる指針として読みつがれてきました。そのマニフェストであり入門書といわれているのが「実存主義とは何か」です。
「実存主義とは何か」は1945年10月、パリのクラブ・マントナンで行われた講演がもとになっています。この講演には多数の聴衆が押しかけ中に入りきれない人々が入り口に座り込んだほどだといわれます。翌日の新聞には大見出しで掲載され大きな「文化的な事件」として記録されました。その後、この講演は世界各国で翻訳・出版され一世を風靡し、時ならぬサルトル・ブームを巻き起こしました。サルトルの思想はなぜそこまで人々を魅了したのでしょうか。
大戦直後のヨーロッパでは、戦前まで人々を支えてきた近代思想や既存の価値観が崩壊し多くの人々は生きるよりどころを見失っていました。巨大な歴史の流れの中では、「人間存在」など吹けば飛ぶようなちっぽけなものだという絶望感も漂っていました。そんな中、「人間存在」の在り方(実存)に新たな光をあて、人々がさらされている「根源的な不安」に立ち向かい、真に自由に生きるとはどういうことを追求したサルトルの哲学は、人間の尊厳をとりもどす新しい思想として注目を浴びたのです。
若い頃サルトル思想の洗礼を受け大きな影響を受けたというフランス文学者、海老坂武さんは、既存の価値観が大きくゆらぐ中で、多くの人々が生きるよりどころを見失いつつある現代にこそ、サルトルを読み直す意味があるといいます。サルトルの思想には、「不安への向き合い方」「社会との向き合い方」「生きる意味の問い直し」など、現代人が直面せざるを得ない問題を考える上で、重要なヒントが数多くちりばめられているというのです。
番組では海老坂武さんを指南役として招き、入門書といわれながらも難解で手にとりにくい「実存主義とは何か」を、小説の代表作「嘔吐」や後期思想を交えながら、分り易く解説。サルトルの思想を現代社会につなげて解釈するとともに、そこにこめられた【自由論】や【他者論】、【社会への関わり方】などを学んでいきます。
川口覚さんからのメッセージ
今回のお話をいただいてから、J.Pサルトルという人物と僕が頭の中で向き合うのですが、J.Pサルトルの物に対する着眼点や、想像力に圧倒されてしまいました。でもそれと同時に、とても興味深く、どんどん引き込まれている自分がいました。海老坂先生の解説とともに、ぜひJ.Pサルトルを知っていただきたいです。決して過去の人物ではなく、今の時代を生きる人たちの心を動かす何かがあるはずです。
第1回 実存は本質に先立つ
【ゲスト講師】
海老坂武(フランス文学者) 
…サルトル研究の第一人者。著書に「サルトル」(岩波新書)。
 サルトルの訳書多数。
【朗読】
川口覚
…俳優。蜷川幸雄演出による7代目ハムレットで注目を集めた若手実力派俳優。
第二次世界大戦という未曾有の経験によって、既存の価値観が大きくゆらいでいたヨーロッパ。人々は、たよるべきよすがを失い「根源的な不安」に直面していた。意味や必然性を剥ぎ取られ不条理にさらされたとき、人は一体どう生きていったらよいのか? サルトルは、その「根源的な不安」に向き合い乗り越えるために、「実存主義」という新たな思想を立ち上げた。「人間の本質はあらかじめ決められておらず、実存(現実に存在すること)が先行した存在である。だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ行為を選び取り、自分自身で意味を生み出さなければならない」と高らかに宣言した講演「実存主義とは何か」は、その後世界中で著作として出版され、戦後を代表する思想として広まっていた。その第一回は、「実存主義とは何か」が生み出された背景やサルトルの人となり、デビュー小説「嘔吐」も合せて紹介しながら、現代にも通じる「根源的な不安」への向きあい方を読み解いていく。
第2回 人間は自由の刑に処せられている
【ゲスト講師】
海老坂武(フランス文学者) 
…サルトル研究の第一人者。著書に「サルトル」(岩波新書)。
 サルトルの訳書多数。
【朗読】
川口覚
…俳優。蜷川幸雄演出による7代目ハムレットで注目を集めた若手実力派俳優。
世界や存在にはそもそも意味はない。だがだからこそ人間は根源的に「自由」なのだ。人間の根源的条件をそう考えたサルトル。だがそれは同時に人間に大きな不安を与えるものでもある。自分自身があらゆる行動の意味を決めなければならないからだ。そこには絶対的な孤独と責任が伴う。その状況をサルトルは「我々は自由の刑に処せられている」と表現した。人間はともするとこの「自由」に耐え切れず「自己欺瞞」に陥ってしまう。第二回は、「実存主義とは何か」や小説「嘔吐」から、人間にとっての「自由」の意味を読み解き、どうしたらその「自由」を本当の意味で生かしきることができるかを考える。
第3回 地獄とは他人のことだ
【ゲスト講師】
海老坂武(フランス文学者) 
…サルトル研究の第一人者。著書に「サルトル」(岩波新書)。
 サルトルの訳書多数。
【朗読】
川口覚
…俳優。蜷川幸雄演出による7代目ハムレットで注目を集めた若手実力派俳優。
決して完全には理解し合えず相克する「他者」との関係。だが、その「他者」なしには人間は生きていけない。「他者」と相克しながらも共生していかなければならない状況をサルトルは「地獄」と呼ぶ。こうした根源的な状況の中で、人は「他者」とどう向き合ったらよいのか? 第三回は、自分の「自由」の前に立ちはだかる「他者」という「不自由」を見つめ、主体性を失うことなく「他者」と関わりあうことがいかにして可能かを、サルトルの思想に学んでいく。
第4回 希望の中で生きよ
【ゲスト講師】
海老坂武(フランス文学者) 
…サルトル研究の第一人者。著書に「サルトル」(岩波新書)。
 サルトルの訳書多数。
【朗読】
川口覚
…俳優。蜷川幸雄演出による7代目ハムレットで注目を集めた若手実力派俳優。
人間は根源的に与えられている「自由」をどう生かしていけばいいのか。サルトルは「実存主義とは何か」で、「アンガージュマン」(参加・拘束)という概念を提唱し、人間は積極的に《状況》へと自らを《投企》していくべきだと訴える。社会へ積極的に参加し、自由を自ら拘束していくことが、自由を最も生かす方法だと主張するのだ。それは、サルトルが生涯をかけて、身をもって実践した思想でもあった。第四回は、「実存主義とは何か」だけでなくサルトルの具体的な実践や後期思想も交えながら、どんなに厳しい状況にあっても「自由」を生かし、「希望」を失わずに生きていく方法を学んでいく。
こぼれ話。
サルトルとともに…… 
あまりにも痛ましかったパリ同時多発テロ。犠牲になった方々のこと、そして、ご遺族の方々のことを思うと胸が張り裂けそうになります。とともに、非道な暴力に対する強い憤りを禁じえません。
今回取り上げたジャン=ポール・サルトルの活動拠点もパリでした。番組の最終回をあらためてかみしめつつ、今回の事件に対してサルトルだったらどのような発言をしただろう……という思いが去来しました。
講師の海老坂武さんは、サルトルについて「時代の対話相手だった」と語っていました。何か起こるたびに、サルトルは果敢に自らの主張を発信し、態度表明を続けました。彼に反対にするにしろ、賛成にするにしろ、人々は彼がどんな意見を述べるかに注目をしました。サルトルの思想は、ある時代の「座標軸」となっていたのかもしれません。そんな彼が今、生きていたとしたら?
サルトルほど戦争を憎んだ知識人は稀だったのではないか。そして、サルトルほど、傷つけられた人たち、虐げられた人たち、抑圧された人たちと連帯し、行動した作家は当時いなかったのではないか。学生時代、夢中でサルトルを読み続けた私の実感です。
そんなサルトルならば、おそらくまず何よりも、無辜の民を無差別に虐殺するようなテロリズムを断固糾弾したことでしょう。しかし、彼はそこにとどまらないような気がします。返す刀で我が身をも切り裂いたのではないか? テロリズムは絶対に赦されるべきではない。しかし、一方で、そのテロリズムが生み出される根本原因にメスを入れなければ何の解決も得られない。その原因の一端は我が身の内にある。西欧社会の側にもある。そういって、自らの血を流すような鋭い論評を行ったのではないか? 「シチュアシオン」という彼の膨大な発言集を紐解くと、そんなことを髣髴とさせる場面に何度もぶちあたります。
「民間人を巻き込んでしまうような空爆が果たして許されるのか」「テロリズムとどう対峙していけばいいのか?」「憎しみの連鎖はどうやったら断ち切れるのか」「難民の受け入れをどうしていったらよいのか」「民族間、宗教間の差別感情、憎悪の感情とどう向き合ったらよいのか」等々、今、私たちは、そう簡単には答えを出せない多くの問題に直面しています。
それでも、私たちは、問い続けなければならない。そして何らかの答えを見つけなければならない。そんなときに、サルトルの著作は、少なからずヒントを与えてくれるような気がします。
私は、今年九月、番組制作の報告をかねて、サルトルの墓前で手を合せてきました。
その場所で、思い出されてならない言葉がありました。番組でも紹介した、サルトルの最期の言葉といってもいい言葉です。
「世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これをつくり出さなければならない」
(対話「今、希望とは」より)
どんなに厳しい状況にあっても、サルトルとともに、「希望」を語り続けたいと思います。

明日へ ―支えあおう きっかけ食堂〜京都から東北へ〜
京都市上京区に、月に一度開かれる小さな食堂がある。毎月11日、気仙沼や釜石など被災地の食材を使った郷土料理やお酒を提供する「きっかけ食堂」。味をきっかけに東北を忘れずにいて欲しいという願いで立命館大学の学生3人が立ち上げた。名物は「きっかけタイム」。カードに東北について思う事を書き、席を交換しながら初対面のお客さんどうしが話すのだ。客の中で、何かちょっとした気持ちが湧きおこる。東北へいく事をためらっていた学生は、ホタテの味をきっかけに産地の漁師を訪ねることにした。学生たちも様々な悩みを抱えながらも、店を切り盛りするうちに少しずつ前に進もうとしている。被災地からはなれた街の食堂の小さな物語。
第66回NHK紅白歌合戦「ザッツ、日本!ザッツ、紅白!」〜NHKホール〜
テーマは「ザッツ日本!ザッツ紅白!」日本のエンターテインメントの決定版!松田聖子VS近藤真彦。嵐はスターウォーズとコラボ!小林幸子は進化形巨大衣装で降臨!アニメ紅白では人気キャラが大集合!紅白司会はミッキーと歌う。初出場はμ’s、乃木坂46ほか。SMAPもSPメドレー!福山雅治は超ベスト選曲!AKBイリュージョン!あさが来た特別編も!XJAPAN復活!森進一ラスト紅白。羽生結弦登場。金爆は!?
綾瀬はるか, 井ノ原快彦, 黒柳徹子,有働由美子,
有村架純,上橋菜穂子,大泉洋,堺雅人,土屋太鳳,所ジョージ,長澤まさみ,羽生結弦,又吉直樹,三宅宏実ほか
※副音声は紅白・ウラ トークチャンネル

N響“第9”演奏会
▽今、世界で最も活躍している指揮者パーヴォ・ヤルヴィが、この秋NHK交響楽団の首席指揮者に就任。N響に新風を吹き込み、注目を集めている。第9でどのような刺激的な演奏を聴かせてくれるのか期待が高まる▽ソプラノ森麻季、アルト加納悦子、テノール福井敬、バリトン妻屋秀和、合唱 国立音楽大学▽交響曲第9番 イ長調 作品125「合唱つき」(ベートーベン作曲)▽2015年12月22日NHKホール
指揮…パーヴォ・ヤルヴィ,管弦楽…NHK交響楽団,ソプラノ…森麻季,アルト…加納悦子,テノール…福井敬,バリトン…妻屋秀和,合唱…国立音楽大学

ゆく年くる年
2015年から2016年へと向かう「ゆく年くる年」。「笑顔のあすへ 希望の灯(ともしび)」をテーマに各地を中継で結びます。各地で紡がれるひとつひとつの年越しの風景に、誰もが笑顔で暮らせる平和な世の中への祈りや、ほのかにともる希望の光を見つめます。

テレビを見て過ごしました.100分de名著の良寛とサルトルがすごく良かったです.
京都のきっかけ食堂も行ってみたいなぁと思いました.
録画用のHDDの容量が少なくなってきたのであまちゃんの録画を削除しました.見たくなったらレンタルです.
大みそかはやはり紅白です.美輪明宏のヨイトマケの歌がサイコーでした.
お酒たくさん飲んだ一日でした.

復興の街 新たな輝き 5度目の大みそか
 再生を期す東北は東日本大震災から5度目の大みそかを迎えた。静かに暮れていく2015年の終わりに被災地のこれからを思う。
 12月下旬の夕暮れ時、石巻市で被災者向け集団移転用地の整備が進む新蛇田地区付近の上空から、市中心部方面を一望した。広大な敷地を弧を描いて囲むように、集合タイプの災害公営住宅が立ち並ぶ。
 仮設住宅から移り住む被災者の新たな暮らしの場だ。俯瞰(ふかん)した光景は復興に向けた地道な積み重ねが実を結びつつあることを象徴するかのようだ。
 ただし被災地全体を見渡せば、復興事業の遅れや構想とのずれが目に付く。大切な命を奪われた悲嘆は時がたてば癒えるというものではない。福島第1原発事故で住み慣れた土地を追われたままの人々は今も数多い。まだまだ道半ばだ。
 年が明けると、3月11日で震災から丸5年がたつ。国の集中復興期間は15年度で終了し、復興事業費の一部が被災自治体の負担となる。被災地は大きな節目を迎える。
 明日から16年。再生を願うみんなの心をつなぎ、「震災5年」の先にある未来を開きたい。


<5度目の年の瀬>孫に囲まれ腕まくり
◎2015被災地(11完)帰還の餅つき(福島県楢葉町)
 「あらら。そんなギョーザみたいな形じゃ、誰も食わねえよ」
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が9月に解除された福島県楢葉町。草野伝市さん(68)は張り切っていた。いわき市に避難する長男の子3人、埼玉県の長女の子2人。男女5人の孫が親を置いて泊まりにきている。28日は裏の畑のビニールハウスで餅つきだ。「技を教えないとな」
 妻たけ子さん(63)がせっせとコメをふかし、機械に入れる。長男と、たけ子さんの母もいわきから来た。合わせて9人。手始めに、あんこ入りを作る。
 「よく見ておけよ。肉まん、いや、あんまんみたいにすんだ」
 元日には長男家族5人、長女家族4人、千葉県に住む次男家族5人が顔をそろえる。草野さん夫婦を入れて総勢16人。避難指示が解けた町で気兼ねなく、にぎやかに新年を迎える。
 「楢葉のみんなが楽しく、豊かに暮らせるのが本当の復興。何年かかるか分からないが、まずは来年が明るい年になってほしいね」


河北春秋
 1972年12月、中米ニカラグアで巨大地震があり首都マナグアは壊滅状態になった。すぐさま支援に乗り出したのがプエルトリコ出身の大リーガー、ロベルト・クレメンテ。大みそかにもかかわらず救援物資を飛行機に満載し現地に向かった▼ところが、搭乗機が墜落してしまう。大リーグは彼の死を悼むとともに、その行動をたたえ、慈善活動に積極的な選手に与える賞に、クレメンテの名を付けるようになった▼今月、仙台市などの仮設住宅を訪問支援してきたNPO「ナルク宮城」が、約4年半にわたる活動に区切りをつけた。高齢者の相互扶助が目的の団体なのでメンバーは年配。「がれき撤去や泥出しは無理。茶話会なら」と始めたボランティアだった▼特にハンドマッサージをしながらの対話が好評で訪問は180回にもなった。代表の林茂さん(86)が、贈られた感謝状を手にして言う。「やめたら、かえって皆さんのことが気になって…」。それだけ一人一人の心情と日常に、長く深く心を寄せ続けてきた▼支えるとは相手を想像することだと思う。ことしはJR仙石線や石巻線が復旧した。宮城県女川町などで、まちびらきがあった。復興が形として見えた。来年で丸5年。見えにくい部分にも心を配りたい。さらに想像力を高めて。

ホームレス激減も実態は複雑 京都市調査
 京都市内の路上や公園で生活するホームレスが近年激減し、初めて調査した12年前に比べて2015年は2割以下となった。景気回復で仕事が見つかりやすくなったほか、市が整備した自立支援施設の効果も出ているとみられる。一方で高齢化が進み、複雑な背景を抱える人も増えている。従来の路上生活ではなく、インターネットカフェを泊まり歩くなど、若い世代で「ホームレス状態」になる人もあり、実態が把握しづらくなっている。
■若者にネットカフェ難民化
 市の調査は毎年、市職員らが公園や駅、河川などを歩いて確認している。今年1月時点で市内のホームレスは89人で、初めて調査した03年2月に比べて535人減った。
 京都府内のホームレスのうち、8割以上が京都市内に集中しているという。
 02年のホームレス自立支援特別措置法施行に伴う国の基本方針に基づき、市は入所型の緊急一時宿泊施設(シェルター)や自立支援センターを整備し、就労や生活の支援、健康相談などを行っている。シェルターで支援を受けたのは12〜14年度で2315人。うち896人が生活保護を受給し、居宅生活に移った。自立支援センターに入所したのは124人で、うち87人が就職した。
 高齢化も進む。12年1月時点の市内のホームレスは166人。60歳以上が71・9%で、07年と比べ24・3ポイント上昇した。路上生活を始めて5年以上の人は52・9%で、07年より23・6ポイント上昇し、長期化の傾向もみられる。
 ホームレスになる理由やきっかけも変化している。
 市によると、以前は不況によるリストラで路上生活を余儀なくされた人が多く、就労支援をすれば仕事が見つかり、自立できるケースが多かった。しかし最近は、親子関係が悪化した▽精神的な疾患や障害がある▽窃盗などの犯罪を繰り返して出所した−といった背景を抱えた人が増加している。非正規雇用の拡大で、仕事に関する経験や技術が不足している人もいる。
 市の自立支援センターを運営する公益財団法人ソーシャルサービス協会ワークセンター(南区)によると、シェルターの入所者のうち、路上生活の経験者は半数以下で、中にはインターネットカフェや友人の家を泊まり歩く人たちもいるという。
 同センターの木村祐子事務局長は「ホームレスになる人の傾向が変化し、生活のリズムや仕事の基礎ができていない人も増えた。これまでより長い期間での支援や、精神的なケアができる専門家の配置が必要だ」と訴えている。


戦後70年が終わる 過去と穏やかな対話を
 惨禍を極めた大戦の終結から70年という節目の年が間もなく暮れる。
 空前の数の人命を奪ったあの戦争はなぜ引き起こされたのか。戦争中に日本はどう振る舞ったのか。
 この1年、歴史の評価をめぐってさまざまな議論が交わされた。その多くで歴史はナショナリズムというよろいをまとわされ続けた。
 年初に私たちが最も懸念したのは、歴史認識の違いによって東アジアが際限のない「歴史戦争」にのめり込んでいく事態だった。
 実際に日中韓では摩擦が絶えなかった。それでも年末に日韓がたどり着いた合意は、対立を乗り越えようとする両国の強い意思を示した。負の連鎖を防ぐ上で重要な一歩だ。
日米離間を図った中国
 「さまざまな面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います」。天皇陛下は誕生日にあたってそう振り返られた。南太平洋パラオへの慰霊の旅や、昭和天皇の聖断が下された御文庫(おぶんこ)付属室の公開など、例年にも増して戦争の記憶と向き合ってこられた陛下の思いは、国民にも伝わったことだろう。
 過去との対話は本来、冷静かつ穏やかな態度でなされるべきものだ。たけだけしく歴史を語れば、もともと異なる国家のアイデンティティーを闘争へと駆り立ててしまう。
 1年を通して歴史問題が強い政治性を帯びたのは、国際的な政治秩序の変動期と戦後史の節目が重なったためだ。軍事・経済両面で驚異的に膨張を続ける中国と、安倍晋三首相の再登場以来進んだ日本政治の右傾化が相互に刺激し合った。
 とりわけ中国による歴史の政治利用は、周到かつ執拗(しつよう)だった。
 2月の段階で中国は、戦後70年にちなむ国連安全保障理事会の公開討論を提案した。そして「いまだに侵略の歴史をごまかそうとする者がいる」と日本をけん制した。
 5月の核拡散防止条約再検討会議では、世界の指導者に被爆地への訪問を促す日本提出の決議案を、中国が「日本が第二次大戦の加害者ではなく、被害者であるように歴史をゆがめる」との理由ではねつけた。
 9月には大々的に抗日戦勝記念式典を催した。10月には南京虐殺の資料をユネスコの世界記憶遺産に登録し、「国際社会公認の歴史的事実になった」と胸を張った。
 一連の中国のプロパガンダには、「戦勝国」中心の戦後秩序を強調することで、「侵略」と認めることに消極的な安倍政権と米韓両国とを離間しようとする狙いがあった。
 6月22日に国交正常化50年の節目を迎えた日韓関係も、和解の糸口を見つけられずに停滞が続いた。7月に「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された際には、朝鮮半島出身者の強制使役をめぐって双方が火花を散らせた。
 日本側の焦点は、安倍首相が8月に出した戦後70年談話だった。首相は戦後50年の村山富市首相談話に一貫して否定的な見解を示してきたため、戦前の日本を美化する「歴史修正主義」の談話になるのではないかと国際的な注目を集めた。
 談話の作成に向けて首相は2月に有識者会議を発足させた。会議の報告書は1931年の満州事変以降の大陸政策を「侵略」と認定した。ただし、実際の安倍談話では侵略の主体は明示されず、村山談話のキーワードを並べるにとどまった。
過ち直視する勇気こそ
 首相は11月の講演で「今や談話が話題に上ることはほとんどない。多くの国民が共有できる談話を作成することができた」と自賛した。
 そうだろうか。安倍談話の特徴は新たな摩擦を避けようとする防御的な表現にあった。中韓両国が抑制的に反応したのは、談話の内容ではなく、経済の減速に伴う中国の対外政策変更や、日韓の不和を懸念する米国の働きかけなどが絡んでいる。
 明治中期に渡米し、米エール大で日本人初の教授になった歴史学者の朝河貫一(あさかわかんいち)は、日露戦争後の1909年に「日本の禍機(かき)」を出版した。
 中国の「領土保全」と列国の「機会均等」を掲げて日露戦争を戦ったはずの日本が、戦勝後はロシア同様に南満州を「私曲(しきょく)」し始めたことに国際世論が険しい目を向けていると母国に警鐘を鳴らした著作だ。
 「戦前世界が露国に対して有したる悪感は、今や変じて日本に対する悪感となり、当時日本に対したる同情は、今や転じて支那(しな)に対する同情となりたり」
 朝河は、日本がアジアで背信を続ければ、いずれは日米が戦うとまで予言していた。日本の対中侵略は満州事変で突然始まったわけではなく、そのはるか前に素地が出来上がっていたことを知る必要がある。
 節目の年を過ぎても歴史問題はくすぶり続けるだろう。中国が対日政策を修正したとしても、歴史カードを手放すとは考えられない。日本の外交当局は中国が旧日本軍731部隊の世界遺産登録を目指すのではないかと警戒している。
 日本が過去の過ちに謙虚であることは「自虐」でも何でもない。むしろ、勇気を持って直視する姿勢こそが日本の道義性を高め、国際社会での立場を強くする。その先に東アジアの和解があると確信する。


激動の1年  平和国家の歩み、大きく転換
 戦後70年。節目の年が暮れる。振り返れば、この国のかたちが大きく変容した激動の1年だった。
 最も大きかったのは、歴代の政権が禁じてきた集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法が成立し、海外での武力行使に道が開かれたことだ。米軍との一体化が進み、自衛隊の海外活動の範囲は地球規模に拡大される。
 多数の憲法学者が「憲法違反」の疑いがあると指摘し、世論調査で8割もの国民が「審議不十分」とした。戦争への痛切な反省からつくりあげてきた戦後の平和主義を変質させかねない重要法案であるにもかかわらず、民意に耳を傾けることなく与党の数の力で半ば強引に可決したことは、憲政史に大きな傷を残す結果となった。
 問われた民主主義
 民意から目をそらす安倍政権の姿勢は、沖縄県・米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題でも顕著だった。
 県民の辺野古移設反対の意思は知事選でも衆院選でも明確に示されてきた。だが政府は「地元の理解」を何度も口にしながら、方針が受け入れられないとみると、翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しの効力を停止し、国による代執行を求めて提訴。そのうえ、辺野古周辺地区に直接、補助金交付を約束するなど、なりふり構わぬ強行策が目についた。
 「日本に地方自治や民主主義はあるのか。国民に問いたい」。翁長知事が代執行訴訟の意見陳述で述べた言葉は、この国の政治の質への重い問いかけだろう。
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からまもなく5年。新規制基準に合格した原発の再稼働は、日本のエネルギー政策にかかわる転換点となった。
 九州電力は川内原発1、2号機を再稼働、四国電力の伊方原発は地元知事らが再稼働に同意した。福井県の関西電力高浜原発は、運転停止を命じた福井地裁の仮処分が取り消されたため、1月にも再稼働する構えだ。
 火山災害の可能性、住民避難計画の実効性、免震重要棟の未完成など不安要素を抱えながらの再稼働に、惨事の教訓は生かされたのか。「安全神話」の復活への疑念は消えない。
 高速増殖炉もんじゅは原子力規制委員会から運営主体の変更を求められ、国が推進する核燃料サイクルの行き詰まりは明らかだ。しかし、国民の多くが願う脱原発の道は閉ざされたままだ。
 貿易を自由化し、投資や知的財産のルールを統一する環太平洋連携協定(TPP)交渉は大筋合意に至ったが、国内農業への打撃をどう抑えるかが課題だ。年明けの通常国会が注目される。
 企業への信頼揺らぐ
 相次ぐ偽装や改ざんで、企業や研究機関への信頼が揺らいだ年でもあった。
 東洋ゴムの免震装置や防音ゴムのデータ偽装に始まり、横浜市のマンション傾斜問題では、全国でくい打ちデータの改ざんが発覚した。化学及血清療法研究所の血液製剤の不正製造や記録偽造は、40年前から続くという信じがたい姿勢が明らかになった。日本を代表する企業の一つ、東芝が巨額の不正会計問題で苦境に陥り、監査法人にも厳しい目が向けられた。
 非正社員の割合が4割に達し、過労死や過労自殺が過去最悪になるなど社会のひずみも目立った。
 2020年の東京五輪・パラリンピックでは、メーンスタジアムの新国立競技場の建設計画と、公式エンブレムがいずれも選定をやり直す結果となり、関係者が責任を押しつけ合う醜態を演じた。
 茨城県など北関東地方が台風の影響で大規模な水害に見舞われ、鹿児島県・口永良部島の噴火で全島民が避難。箱根山や阿蘇山でも噴火が相次ぐなど自然災害も多かった。災害とともにいかに生きるかが問われている。
 未来への希望の光も
 明るいニュースもあった。
 ラグビーのワールドカップで日本代表は強豪南アフリカ代表を破り、「歴史を変えた」と称賛された。体操の世界選手権男子団体では日本が37年ぶりに王者に返り咲いた。世界最高得点を記録したフィギュアスケート男子の羽生結弦選手の演技も忘れられない。
 国際宇宙ステーションに物資を運ぶ補給機「こうのとり」は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が打ち上げ、若田光一さんが地上からの交信を担当、滞在中の油井亀美也さんがロボットアームでキャッチする「チーム・ジャパン」で成功させた。ノーベル賞では、大村智北里大特別栄誉教授が医学生理学賞、梶田隆章東京大宇宙線研究所長が物理学賞を授与された。2年連続の日本人受賞は快挙だった。
 過激派組織「イスラム国」のテロが続発して世界を揺るがし、南シナ海の管轄権をめぐって米国と中国の緊張が高まった。そんな中で温暖化防止への「パリ協定」採択と、日本と韓国の従軍慰安婦問題決着への合意は、未来に希望をつないだといえる。
 前途に難題は多いが、相手を尊重し、議論を尽くすことで、一歩ずつ前に進めることはできる。そう信じて新年を迎えたい。


安倍政治/1強が深めた民意との溝
 重要な問題が政権の思惑通りに決まっていく。第2次安倍政権発足から3年、安倍晋三首相による「1強政治」が加速した1年だった。
 戦後の平和主義を転換する安全保障関連法の成立だけではない。原発事故後の新規制基準に基づく原発再稼働、非正規雇用の制限を緩和する労働者派遣法改正、環太平洋連携協定(TPP)の大筋合意、消費税再増税時の軽減税率導入など、生活に直結し、さまざまな懸念が指摘される政策が大きく前進した。
 背景には、異論を排除する安倍首相の政治姿勢と、それを追認する自民、公明の巨大与党の力がある。選挙で得た衆参の多数議席で「決める政治」を押し進める安倍首相に対し、「多弱」状態を抜け出せない野党は力不足を露呈し続けた。
 その結果、置き去りにされた民意と政治の溝は深まっている。
 典型は沖縄の米軍普天間飛行場移設問題だろう。県民は知事選、衆院選など選挙のたびに辺野古移設反対の意思を示した。それでも国は埋め立て手続きを進め、県と国の法廷闘争になだれ込んだ。
 若者や市民による安保法案反対運動は成立後も続き、安保法廃止に向けて野党結集を支援する動きへと発展しつつある。
 政権内部の失態も相次いだが、いずれも甘い対応に終始した。首相補佐官が安保法制で「法的安定性は関係ない」と述べ、自民党若手議員からマスコミへの圧力発言が飛び出した。首相自ら野党にやじを飛ばし、外交優先で秋の臨時国会を見送るなど国会軽視は目に余る。閣僚らの政治資金問題も後を絶たない。1強への慢心ではないか。
 異論を封じる空気は自民党内にもまん延している。9月の党総裁選は異例の無投票で首相を再選した。軽減税率の与党協議では首相官邸が介入し、導入に慎重だった党税制調査会長の野田毅氏を事実上更迭した。
 安保法成立で下落した内閣支持率は3カ月で持ち直した。安倍政権の強引さを危惧しても歯止めをかける政党が見つからない。行き場をなくした民意の受け皿づくりが急務だ。
 来年夏の参院選は衆院選との同日選も取りざたされ、与党が圧勝すれば首相が悲願とする憲法改正も視野に入る。この国の岐路と1強政治にどう向き合うのか。2016年は有権者の選択が問われる年になる。


テロの拡散/力ずくの限界を見据えて
 世界が「テロ」に揺れた1年だった。数々の蛮行を振り返り、あらためて暗然とする人は多いだろう。
 フランスの風刺週刊紙襲撃を皮切りに、主な事件だけでも、日本人が巻き込まれたチュニジアの博物館での銃乱射、トルコ爆破テロ、エジプト発のロシア機墜落、年の瀬を前にしたパリ同時多発テロと続いた。
 テロの2文字に接しない日はなかったと言っても過言ではない。
 大きな要因として過激派組織「イスラム国」(IS)の浸透がある。シリア、イラクの一部を支配し、欧州などから加わる若者が絶えない。戦闘を経験した後、母国に戻ってテロの予備軍になれば重大な脅威になる。アフリカなどで活動する過激派に同調の動きがあるのも懸念材料だ。
 いつ、どこで、だれがテロに遭うか分からない。市民が集うカフェや劇場が襲われたパリ同時多発テロに、攻撃の対象が世界に広がってきた現実を意識せざるを得ない。
 この1年、ISにつけ入る隙を与えたシリア内戦は、膨大な数の難民を生んだ。ほかにも、経済破綻や紛争にあえぐ国は多い。国連機関の推計では、今年になって中東などから欧州諸国に流入した難民や移民は100万人を超えた。
 無差別テロの恐怖に加えて、急増する難民や移民への反発が反イスラム感情をさらにかき立て、反移民など過激な主張の極右勢力になびく風潮が強まっていく。欧州社会にのぞく「排除」の芽が気がかりだ。
 寛容さを忘れた排外主義は、ごく普通のイスラム教徒に新たな憎悪を生みかねない。社会の分断は、それこそ過激派の思うつぼである。不満の矛先を異質なものに向ける危うさが、もっと叫ばれていい。
 米中枢同時テロを受け、米国主導の「テロとの戦い」が始まって14年になる。力に頼って抑え込もうとする行動は何を生んだのか。制御が効かなくなったかのような2015年の混迷は一つの答えだろう。
 力ずくの限界を見据えた、多様な対応がいよいよ求められる。シリアなどの紛争を収め、国の再建がかなう環境づくりに向けて国際社会が結束したい。欧米の国々に移り住んだイスラムの若者らが前向きに生きられるようにする施策も要る。
 テロの拡散防止に本腰を入れないと世界の安定は大きく損なわれる。危機感を共有すべきときだ。


2015年回顧 民主主義問われた1年 諦めず、声を上げ続けよう
 戦後70年、戦争体験者が少なくなる中、あらためて不戦を誓った1年が暮れようとしている。
 沖縄戦の教訓である「軍隊は住民を守らない」。県民はそのことをよく知るからこそ、戦争につながる全てのことを否定してきた。
 そうした県民、国民の願いと逆行するように、安倍政権は辺野古新基地建設や安全保障関連法成立などで強硬姿勢をあらわにし、民意と強権の対立が鮮明になった。
内外に広がる民意
 辺野古新基地建設問題では、県内だけでなく全国メディアの世論調査でも政府に批判的な意見が多数を占める。5月の県民大会に約3万5千人が集まり、大学生でつくるSEALDs(シールズ)は全国一斉行動で沖縄との連帯を示した。辺野古基金に5億円を超す支援が集まり、県内の団体を幅広く網羅する「オール沖縄会議」も発足。海外の文化人109人も沖縄の民意に賛同する共同声明を発表した。辺野古新基地建設を拒否する民意はかつてない高まりを見せている。
 翁長雄志知事が国連人権委員会で「基地問題は人権問題」と訴えたことも国際社会への理解を広げた。民主主義と自決権を前面に掲げた沖縄の問い掛けが、これまで関心の薄かった本土、諸外国に広がっている証左といえよう。
 一方で「辺野古」をめぐる県と国の対立は激化している。翁長知事が前知事の埋め立て承認を取り消したのに対し、国は代執行訴訟などを起こし、県も抗告訴訟で対抗せざるを得なくなった。さらにはキャンプ・シュワブ周辺3地区へ直接交付金を支出する露骨な「アメとムチ」で国は沖縄を分断しようとする。この国の民主主義、地方自治とは何か、継続して問われることになろう。
 辺野古で民意を顧みない政権の姿勢は安保法成立でも示された。多くの学者が違憲とし、平和憲法を骨抜きにする悪法にもかかわらず、数の力で押し切った。政権への不信を象徴したのが沖縄の慰霊の日、広島、長崎での各式典だ。安倍晋三首相のあいさつに「帰れ」のやじが飛んだ。平和憲法の危機、戦争の足音が身近に迫ったことに危機感が噴出したといえる。
 戦争体験者が減り、ひめゆり平和祈念資料館では元学徒による講話が終了した。代わって同館では戦後世代による講話が始まり、県による戦争遺跡保護など新たな動きもある。日本の民主主義、平和憲法が危機にさらされる今こそ、「不戦の誓い」を次代へ継承する活動を加速させないといけない。
飛躍を継続的な力に
 経済では好調な観光を背景に景況感や有効求人倍率が過去最高を更新した。大型クルーズ船の寄港も過去最多だった。中国をはじめとするアジア客の増加に伴い、2016年も観光が県内経済を力強くけん引するだろう。基地跡地に大型商業施設がオープンし、個人消費拡大にも期待がかかる。
 大型MICE(企業の報奨旅行や国際会議)建設地も決まり、県のアジア経済戦略構想も固まった。自立経済実現へ一定の道筋が見えてきた。観光を軸とした勢いを維持できるよう官民一体で継続的な発展へつなげたい。
 一方でミスマッチによる人手不足は深刻だ。環太平洋連携協定(TPP)の大筋合意による県内農業への影響も懸念が残る。課題解決に向けた知恵を結集する必要もある。
 県民の思いやりが形になったのは米国で心臓移植を必要とする翁長希羽(のあ)ちゃんへの支援だ。年内で目標の3億2千万円に達する見込みだ。一日でも早く希羽ちゃんが沖縄の青い空を眺められる日が来ることを待ちたい。
 憲法や民主主義、地方自治の危機が視覚化された1年も、きょうで終わる。危機にあるからこそ分かったことは「諦めず、声を上げ続ける」大事さだ。基地問題などで国の強硬姿勢は続くだろうが、気概と誇りではね返したい。


おけら火くるくる、無病息災願う 京都
 京都の年越しの風物詩「おけら詣(まい)り」が31日夜、京都市東山区の八坂神社であった。厚手のコートやマフラーに身を包んだ多くの家族連れらが訪れ、新年の平穏を祈った。
 午後7時すぎ、境内3カ所の灯籠に種火が移されると、「商売繁盛」「財運上昇」などと参拝者の願いが書かれた木札が燃え上がった。参拝者たちは、炎に吉兆縄を差し出しておけら火を移し、消えないようにくるくると回しながら帰路についた。
 東京から帰省中の大学生瀧川翼さん(22)は、祖母の小谷政子さん(79)=左京区=と参拝し、2人は「新しい年も家族が健康に過ごせるよう、お願いしました」と話した。境内では、京都で新年を迎える外国人観光客の姿も目立った。
 おけら詣りは、薬草のおけらを燃やして邪気を払う行事。持ち帰った火で雑煮を煮たり、火を消した吉兆縄を台所にかかげたりして無病息災を願うとされる。

神戸越冬/生麩/ボウリングの予定が/赤ワインがおいしい

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箕面大滝

Au Japon, voici venue la saison des potions miracles anti-gueule de bois
A l'approche de la nouvelle année, les festivités battent leur plein au Japon, l'alcool coule à flot et les convives les plus prévenants font provision de breuvages au goût saugrenu, promettant des lendemains sans gueule de bois.
La saison des ≪bonenkai≫ (soirée de fin d'année) et ≪shinnenkai≫ (fête du nouvel an), où amis et collègues se réunissent autour de pintes de bière ou de verres de sake, est propice à ces potions magiques, dont le Japon offre une palette inégalée. ≪Je prends toujours ce type de boisson en prévention avant de sortir≫, raconte Makoto Yamauchi, 54 ans, organisateur d'expositions. ≪J'en achète dix fois par mois en moyenne≫, raconte-t-il, en se rendant à une fête arrosée dans le quartier tokyoïte animé de Ginza.
Le pouvoir du cucurma en tête des ventes
La première place au palmarès des ventes revient à ≪Ukon no Chikara≫ (le pouvoir du cucurma), qui se décline en versions or pour tous et rose plutôt pour les femmes et dont la recette à base de curcuma garantit une après-soirée sans tracas. Cette plante communément utilisée comme épice est censée avoir des vertus anti-oxydantes et anti-inflammatoires.
Mais on peut aussi opter pour des saveurs à la palourde, à la pastèque ou aux agrumes, ou même pour un mélange a priori peu ragoûtant d'herbes, curcuma, ginseng et réglisse. Le lendemain, rien de mieux qu'une soupe au miso (pâte de soja) ou des prunes rouges marinées pour éliminer les toxines et retrouver la forme.
Un marché qui pèse 162 millions d’euros
Le marché japonais de ces breuvages vertueux devrait atteindre quelque 21,44 milliards de yens (162 millions d'euros) en 2015, un chiffre conséquent bien qu'en déclin dans un archipel grisonnant. On peut désormais en trouver dans les ≪konbini≫, supérettes ouvertes 24H/24 présentes à chaque coin de rue dans les villes nippones.
≪C'est plus facile de se rendre dans un konbini qu'à la pharmacie≫, explique un porte-parole de Zeria Pharmaceutical, dont les comprimés et boissons Hepalyse agissant sur le foie sont vendus depuis quatre ans dans ces commerces multiservices de proximité. Grâce à ce nouveau canal de distribution, ≪la marque est mieux connue≫ et les ventes ont plus que doublé depuis 2011, se félicite-t-il.Les petites et délicates bouteilles, dont le prix va de 257 yens (près de 2 euros) à 450 yens (3,4 euros), s'arrachent en particulier au mois de décembre.
Les entreprises aux petits soins sur la santé de leurs salariés
Les entreprises japonaises, très soucieuses de la santé de leurs employés et de leur tour de taille, multiplient pourtant en cette période de fin d'année les conseils de modération. La maison de courtage Daiwa Securities a nommé un responsable santé pour éviter les dérives de ses 13.000 employés dans l'archipel. De nombreuses firmes appellent régulièrement à faire attention aux excès, par le biais de la messagerie interne ou de hauts-parleurs. Poussées par les pouvoirs publics, beaucoup encouragent leurs ouailles à surveiller leur poids, à l'image de l'électronicien Panasonic ou de l'équipementier sportif Asics.
Las, les ≪izakaya≫, des tavernes chaleureuses, se remplissent chaque soir de ≪salarymen≫, qu'on retrouve ensuite titubant dans le métro, au point que des messages mettent en garde contre une chute malencontreuse sur les rails. Les breuvages anti-gueule de bois ont encore de beaux jours devant eux, assure Shun Yokoyama, analyste du secteur au sein de la firme de recherche marketing Fuji Keizai.
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人生デザイン U−29「復興支援団体 代表」
今回の主人公は宮城・気仙沼市で復興支援団体の代表を務める加藤拓馬さん・26歳。東日本大震災の直後に会社を休職し、ボランティアとして気仙沼で活動していたが「復興半ばでは帰れない」と移住を決めた。被災地と外をつなぐ活動をしようと、この春、新たに団体を立ち上げ、観光客向けの漁業体験ツアーを企画。だが財源もノウハウもない加藤さんたちは大苦戦。はたして地元の期待に応えられるのか。
松坂桃李


三ノ宮の東遊園地に行ってみました.神戸越冬をしているので少しだけカンパしました.
そごうで生麩を買いました.金沢のものです.
ボウリングに行こうと思ってましたが,1時間待ちというのでパス.適当に時間つぶして元町のあたりで忘年会です.赤ワインがおいしいです.最後にマールmarcという食後酒.少しきついけど結構いいです.

<5度目の年の瀬>きれいな部屋で迎春
◎2015年被災地(10)仮設の大掃除(登米市)
 登米市南方町の仮設住宅には、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の町民約200世帯が暮らす。「頑張ろう東北」などと書かれた青いウインドブレーカーを着た20人が、バケツ片手に動き回っていた。
 兵庫県社会福祉協議会が募集したボランティアだ。要望に応じエアコンのフィルターのほこりを除去したり、換気扇のファンを外して洗ったりした。「高い所は掃除できない。本当に助かる」と住民の小野寺ツエ子さん(70)は感謝する。
 ボランティアで来た神戸市の中野誠三さん(66)は1995年の阪神大震災で家を失った。人ごとではなかった。「東日本大震災から4年が過ぎ、宮城の人はどう暮らしているのか」と気になっていた。「きれいな部屋で新年を迎えてほしい」。窓を拭く手に力がこもる。
 寒風が吹き込む狭い通りに明るい笑い声が響く。住民の三浦達之輔さん(73)は「遠くから来てくれてうれしい。世間話をして交流するのも楽しい」と言う。
 住民たちの表情は華やいでいた。


震災伝承施設が特別開館
東日本大震災の被害を伝えるために、石巻市の海岸近くに建てられ通常は週末だけ開館している施設が年末の休みで帰省する人や被災地を見に来る人のために特別に開館しています。
東日本大震災の被害を伝える展示施設南浜つなぐ館は津波で被害を受けた石巻市の海岸近くに11月オープンしました。
通常は週末しか開館していませんが、年末の休みで帰省する人や被災地を見に来る人のために、29日から31日までの3日間特別に開館しています。
訪れた人たちは、震災前の地域の様子を再現した模型や被災当時からいままでの変化を描いた映像に見入っていました。
茨城県龍ケ崎市から訪れたお年寄りの夫婦は「震災の前に三陸のきれいな景色を見に来ていて、それがどうなったのか自分の目で見たいと前から思っていた。大きな変化にことばもありません」と話していました。
施設を建てた「みらいサポート石巻」の中川政治専務は「何もなくなった被災地の様子と震災前の再現模型を比較して見てもらい、震災の被害を十分に理解してもらいたい」と話していました。


沿岸の市町 職員不足199人
震災の津波で被害を受けた宮城県内の市や町では復興事業などにあたる職員不足が続いていてその数はあわせて199人に上ることが宮城県のまとめでわかりました。
東日本大震災の被災地の自治体では復興に向けた業務量の増加などを背景に慢性的な職員不足が続いていて全国の自治体から応援職員を派遣してもらう状況が続いています。
宮城県が震災の津波で被害を受けた沿岸の15の市と町に必要な応援職員の数をたずねたところ12月1日現在あわせて1563人でした。
ところが実際に来ている派遣職員は1364人で不足している職員の数は199人に上ることがわかりました。
自治体別では、石巻市が70人と最も多く次いで気仙沼市が59人、山元町が18人などとなっています。
宮城県の市町村課は「来年以降は職員が不足している自治体に優先的に応援職員を派遣できるよう調整するなどして職員不足の解消を目指していきたい」と話しています。


<焦点>健康悪化不安増す 生活保護申請も
 東日本大震災で被災した国民健康保険(国保)加入者の医療費窓口負担の免除措置をめぐり、宮城県内の被災者支援団体などが危機感を募らせている。2016年度の継続が不透明で、市町村が打ち切った場合、健康の悪化が懸念される人が多いという。仙台弁護士会は今月、石巻市の男性への支援として、自己負担なしで医療を受けられる生活保護を市に申請した。
 仙台弁護士会は11月、石巻市の一般社団法人「チーム王冠」と協力し、県内の在宅被災者の聞き取り調査を始めた。訪問した約30世帯のうち、5世帯ほどは生活保護が必要と分かった。
 生活保護を申請した石巻市の無職佐藤悦一郎さん(71)は年金に頼る1人暮らし。震災時に倒れたタンスの下敷きになり、両膝の骨にひびが入った。今でも歩くのが不自由だ。内科など四つの医療機関にかかり、膝の痛み止めや降圧剤など約10種類の薬を処方されている。
 10月には大腸ポリープを切除した。「震災前はどこも悪いところはなかったのに」と佐藤さん。チーム王冠のスタッフは「震災のストレスや先を見通せない不安感が影響しているのではないか」と推察する。
 佐藤さんの年金収入は2カ月で手取り約14万円。生活費に使えるのは月3万円で、食事をインスタント食品にして切り詰めている。佐藤さんは「毎日野菜を食べろと言われたけれど、高くて買えない」とこぼす。
 宮城県が13年3月末にいったん、医療費の免除を打ち切った際は、通院回数を減らさざるを得ず、膝の状態が悪化した。
 自宅は1階が津波にのまれて大規模半壊。国の応急修理制度と貯金などで修繕したが、貯金は底をついた。「医療費免除がなくなれば、病院に通えない。死ねとでも言うのか」と嘆く。
 生活保護を受給すると医療費は無料になる。仙台弁護士会の宇都彰浩弁護士(42)は「在宅被災者の多くが健康に不安を抱えている。医療費免除がなくなると通院に支障が出るのは明らか。現状の救済策は生活保護しかない」と言う。
 生活保護については、持ち家や借金があると受給できないと誤解している人も多いという。宇都弁護士は「在宅被災者は家があるからと申請を諦める人もいる。制度を広く周知する必要がある」と語る。


<回顧みやぎ>指定廃調査2年連続の越年
◎(12)本記の解決策 今度こそ
<そのとき>
 「毎日、現地調査に来るようだ」。東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の最終処分場建設問題をめぐる取材の中で、こんな話を耳にしたのは10月初め。「国が本気になったのか」と思ったが、やがてそうではなかったと気づかされることになった。
 環境省は10月6日以降、県内3建設候補地のうち加美町田代岳で町が拒否する現地調査を連日試みた。当然、住民は猛反発。猪股洋文町長を先頭に毎回100人以上の住民が抗議に駆け付け、環境省職員と押し問答を繰り広げた。
 連日の現地入りは11月13日まで計20日間続いたが、音を上げたのは環境省の方だった。降雪時期が迫り、昨年に続き2年連続で調査入りを見送った。
 取材を通して環境省職員の一言が印象的だった。「調査に入れなかったとしても、環境省として努力した事実をつくる」。「誰に向けてのアピールか」といぶかったが、偽らざる本音だったのだろう。手詰まりの中で、打開策を見いだせずにいる現場の苦悩も透けて見えた。
<それから>
 最後の現地入りからちょうど1カ月後の今月13日。環境省は昨年8月以来となる県内市町村長会議を開いた。これまで調査容認だった他の候補地の栗原市と大和町も「これ以上我慢できない」と候補地の返上を申し出た。
 井上信治環境副大臣は従来通り3カ所で調査を進める方針を強調したが、3候補地が初めて「調査拒否」で足並みをそろえた以上、進展は望めないだろう。
 ではどうするのか。指定廃棄物に含まれる放射性物質濃度が時間の経過とともに低減し、基準値の1キログラム当たり8000ベクレルを下回るまで一時保管を続けるか。または約13万トンの指定廃棄物を抱える福島県への集約処理を目指すか。
 どれも反発は必至だ。県内最多の汚染稲わらを一時保管する登米市の布施孝尚市長は会議の中で「住民は『廃棄物が放置され続けてしまうのでは』と不安を募らせている」と憤りをぶつけた。福島集約論にも「さらに負担を押し付けるのか」との批判がある。
 誰もがすぐに首を縦に振れる解決策はないだろうが、知恵を絞り考え得る案を示すべきだ。問題解決に向け、環境省には今度こそ「本気度」を見せてほしい。(加美支局・馬場崇)
[メモ] 放射性セシウム濃度が1キログラム当たり8000ベクレル以上の指定廃棄物について、発生量が多い宮城など5県には国が最終処分場1カ所を設ける方針。県内では昨年1月に3候補地を選定した。現地調査の結果を踏まえ、最終候補地を絞り込む予定だったが、調査拒否を続ける加美町の反対で昨年に続きことしも現地調査に入れず、候補地の栗原市、大和町も候補地返上を表明した。


「意向聞かれず合意」 韓国高官説得 元慰安婦ら反発
 【ソウル=島崎諭生、上野実輝彦】日韓両政府が慰安婦問題の最終決着で合意したことを受け、韓国外務省の高官は二十九日、元慰安婦の支援施設二カ所を訪ね、合意内容を説明した。ただ、元慰安婦らは「合意は受け入れられない」と強く反発、説得作業は難航しそうだ。
 林聖男(イムソンナム)外務第一次官は、元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が運営するソウルの施設を訪れ、元慰安婦三人と面談。冒頭から「合意する前に被害者に会うべきじゃないか。年寄りだから無視したのか」と激しい口調でとがめられた。
 面談は冒頭以外は非公開で行われ、終了後に元慰安婦が取材に応じた。
 金福童(キムボクドン)さん(89)は「法的に名誉を回復してほしいというのが私たちの願いだ。私たちは妥結していない」と批判。李容洙(イヨンス)さん(87)は、挺対協がソウルの日本大使館前に設置した慰安婦の少女像について「私たち被害者の役割を果たしている」と述べ、韓国政府の撤去要請には応じない姿勢を示した。
 趙兌烈(チョテヨル)外務第二次官は、ソウル郊外の元慰安婦の共同生活施設「ナヌムの家」を訪問。「時間が最も重要だと考えた。百パーセント満足できなくても、日本政府の最高指導者から公式謝罪を受け、政府責任の認定を受けた意味を評価してほしい」と呼び掛けたものの、ここでも反発は強かった。
 金君子(キムグンジャ)さん(90)は「法的賠償を受けておらず、認められない。被害者は私たちなのに、なぜ政府が合意したのか」と非難。李玉善(イオクソン)さん(87)は「(韓国)外務省は被害者を売り払ったのではないか」と声を荒らげた。
 一方、韓国外務省と女性家族省は二十九日、会議を開き、元慰安婦を支援する財団を来年上半期中に発足するための準備作業に着手した。


慰安婦問題 少女像の移転反対66% 韓国世論調査
 【ソウル大貫智子】韓国の世論調査機関、リアルメーターは30日、在韓日本大使館前の慰安婦を象徴する少女像の移転についての世論調査結果を発表した。移転反対は66.3%に上ったが、賛成も19.3%と2割近くに達した。
 調査は28日の日韓合意を受け、29日に実施した。
 年齢別で見ると、若い世代ほど移転反対が強く、20代は反対86.8%に対し、賛成はわずか4.1%。一方、60代以上は、反対45.1%に対し、賛成も32.9%に上った。
 支持政党別では、与党・セヌリ党支持層は反対49.1%に対し、賛成32.9%。これに対し最大野党「共に民主党」(新政治民主連合から改称)支持層は反対79.7%で、賛成は8.0%にとどまった。支持政党なしでは、反対74.6%、賛成9.8%だった。
 少女像については、日韓合意に「韓国政府が関連団体との協議を通して適切に解決するよう努力する」と明記されたことで韓国国内に反発が出ている。朴槿恵(パク・クネ)大統領は自身の支持層には一定の理解が得られると判断し、合意に踏み切ったとみられる。

髪を切りました/生カキ/当事者不在の慰安婦「合意」

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les ≪ femmes de reconfort ≫, esclaves sexuelles

Accord entre Séoul et Tokyo sur les esclaves sexuelles de la Seconde guerre mondiale
Le Japon a présenté des ≪excuses sincères≫ aux ≪femmes de réconfort≫, ces Coréennes enrôlées de force dans les maisons closes de l'armée nippone. Cet accord historique ouvre la voie à une amélioration des relations entre les deux pays.
Nouveau tournant dans les relations diplomatiques entre la Corée du Sud et le Japon. Les deux pays ont trouvé un accord pour mettre un terme à leur contentieux concernant les ≪femmes de réconfort≫. Cet euphémisme a été inventé par l'armée impériale d'Hiro-Hito pour désigner le système de prostitution de masse qu'elle avait orchestrée durant la Seconde guerre mondiale où 200.000 jeunes filles de l'Asie colonisée, souvent adolescentes, ont été enrolées de force pour satisfaire les besoins sexuels des soldats - dans l'ordre, l'hygiène et la discipline.
Ce lundi, fait historique, le Japon a présenté ≪des excuses sincères≫ et offre un milliard de yens (7,5 millions d'euros) aux 46 esclaves sexuelles sud-coréennes encore en vie. De son côté, Séoul, en coopération avec les associations de victimes, s'est engagé à déplacer une statue symbolisant les souffrances de ces femmes qui se dresse en face de l'ambassade du Japon.
≪Nous ne permettrons jamais que ce problème soit transmis à la prochaine génération≫
Shinzo Abe, premier ministre du Japon

Peu après l'annonce de cet accord, le premier ministre japonais Shinzo Abe a déclaré: ≪Nous ne permettrons jamais que ce problème soit transmis à la prochaine génération≫, une remarque qui fait écho aux déclarations qu'il avait faites lors du 70e anniversaire de la fin du second conflit mondial le 15 aout dernier. ≪A partir de maintenant, le Japon et la Corée du Sud entrent dans une nouvelle ère≫, a-t-il ajouté devant des journalistes.
Le premier ministre a exprimé aux victimes ses ≪excuses et son repentir, du plus profond de son cœur≫, a martelé le ministre japonais des Affaires étrangères, Fumio Kishida. ≪Le système des femmes de réconfort (...) a existé du fait de l'implication de l'armée japonaise (...) et le gouvernement japonais est pleinement conscient de sa responsabilité≫, a déclaré Fumio Kishida, à l'issue de discussions à Séoul avec son homologue Yun Byung-Se.
Pour sa part, la Corée du Sud considérera que le contentieux est clos ≪de manière définitive et irréversible≫ lorsque Tokyo aura mis en œuvre les mesures promises, a dit Yun Byung-se lors de la conférence de presse commune. Dans une déclaration séparée, la présidente sud-coréenne, Park Geun-hye, espère que ≪l'effort fourni par les deux gouvernements pour parvenir à un accord, leur permettra de coopérer étroitement pour commencer à batir une confiance mutuelle et engager de nouvelles relations≫. De fait, encore récemment, la présidente présentait ce différend comme le ≪plus grand obstacle≫ à l'amélioration des relations bilatérales.
Un accord avant tout politique?
≪Les femmes, qui étaient absentes des négociations, ne doivent pas etre oubliées dans cet accord≫
Hiroka Shoji, spécialiste de l'Asie de l'Est à Amnesty International

Auprès de l'opinion publique coréenne, les réactions étaient toutefois mitigées. Yoo Hee-Nam, elle-meme contrainte de se prostituer par l'armée japonaise pendant la guerre, a affirmé que l'accord n'est pas suffisant mais qu'elle se plierait à la décision du gouvernement. ≪Les femmes, qui étaient absentes des négociations, ne doivent pas etre oubliées dans cet accord qui sent plus la politique que la justice≫, a déclaré Hiroka Shoji, spécialiste de l'Asie de l'Est à Amnesty International. ≪C'est un accord entre deux gouvernements, pas entre deux sociétés. Toute la question est de savoir si la société sud-coréenne l'acceptera≫, a mis en garde Kan Kimura, chercheur à l'université japonaise de Kobé.
De nombreux observateurs estiment que la Maison Blanche a fait pression sur Park Geun-hye pour qu'elle adoucisse sa position vis-à-vis de Tokyo.
L'accord a en tout cas été salué aux États-Unis. De fait, cette question empoisonne les relations entre ses deux plus grands alliés dans la région, depuis des décennies. Washington préférerait voir les deux voisins se concentrer ensemble sur la réponse à apporter aux ambitions grandissantes de la Chine dans la région, plutôt que de se déchirer sur ce contentieux. Par ailleurs, les tensions entre le Japon et la Corée du Sud ont jusqu'ici empeché les deux pays de signer un accord bilatéral de partage d'informations militaires sensibles. Un pacte trilatéral a été conclu il y a un an avec Washington qui se charge de jouer les intermédiaires.
200.000 femmes prostituées de force
La plupart des historiens estiment que jusqu'à 200.000 femmes, pour la plupart des Coréennes mais aussi des Chinoises, des Indonésiennes et des ressortissantes d'autres pays asiatiques, ont été enrôlées de force dans les maisons closes de l'armée impériale.
La position du Japon, qui a occupé la Corée de 1910 à 1945, était jusqu'à présent de considérer cette question réglée en 1965 à la faveur de l'accord qui a rétabli les liens diplomatiques entre Tokyo et Séoul. Le pays s'en tenait en outre aux excuses officielles formulées en 1993 et la reconnaissance de sa culpabilité dans l'exploitation de ces femmes. Un fonds avait alors été établi pour leur verser des réparations financières. Toutefois, ce fonds a été financé par des dons privés, non par le gouvernement japonais, au grand dam de Séoul.
La Corée du Sud estimait cela insuffisant et reprochait à Tokyo ses réticences à réparer son passé militariste. Séoul continuait à exiger un véritable repentir. Cette fois, le ministre coréen Yun Byung-Se se dit ≪très heureux de pouvoir annoncer, avant la fin de cette année qui marque le 50e anniversaire de la reprise des relations, la conclusion de négociations difficiles≫. Reste à savoir si la société civile partagera ce point de vue.
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恋する百人一首第4回 モテ女・和泉式部に学ぶ魔性テク大研究相手のハートをぎゅっとつかめ
まずは、和泉式部の極上の一首をどうぞ!
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
[作者]和泉式部
[現代語訳]わたしはもうすぐ死んであの世に行くかもしれません。思い出にせめてもう一度だけあなたにお逢いしたい!
●平安の魔性の女! 今回スポットを当てるのは和泉式部。情熱的で積極的で、ものすごくモテた女性です。人妻でありながら為尊親王と恋に落ちたため、夫からは離婚され、親からも勘当されました。ですが、為尊親王が早世したのち1年あまりで、今度はその弟・敦道親王と恋愛関係になります。恋に命を燃やした、まさに魔性の女です。 上の歌は、和泉式部が病気になり、死が間近に迫ったと自覚したときに相手(誰かは不明)に遣わせた歌と考えられます。「死ぬ前にもう一度あなたに逢いたい…」、ふつうの女性では言えないことをストレートにいう和泉式部の恋のテクニシャンぶり。この歌は、相手の心をぎゅっとつかむ最高の名歌といえるでしょう。
●和泉式部から学ぶ「恋のテクニック」
[1]自分から誘いをかける …新しい恋人との出会い
[2]寂しさを訴える …距離を置こうとする恋人に
[3]子どもっぽい無邪気さを出す …恋人を引き止めるテク

教えて!お天気キャスター 地球温暖化でどうなる異常気象
猛暑に鬼怒川決壊、エルニーニョと異常気象が頻発した2015年。井田寛子、森田正光、木原実の人気お天気キャスター3人が、地球温暖化と異常気象について分かりやすくプレゼン。▽パリ協定が採択されたCOP21のために世界の気象予報士たちが東京に集結!▽2050年の天気予報、温暖化の未来はどうなる?衝撃映像も▽そらジロー(日テレ)、Boona(TBS)、ななみも応援!冬ちゃんも!
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2015年 池上彰が選んだ重大ニュース総ざらい 年末特大スペシャル
今年あったニュースは歴史に残るのか!?過去のニュースと比べながら、今年はどんな年だったのかを池上彰が解説!…(1)今年は異常気象だった?それとも…?今年の台風・集中豪雨はどのくらいすごかったのか、これまでと比較しながら解説します!(2)今年大きなニュースになったエンブレムの「パクリ疑惑」や国立競技場建設の「白紙撤回」。これまでにもこんなことはあったのか?解説します(3)今年もたくさんあった少年少女が巻き込まれる事件、事故。子供たちが巻き込まれる事件は増えているのか、減っているのか、その理由は一体?!池上彰が解説します(4)今年多くの事件を引き起こした「イスラム国」。これまでのテロとは何が違う?そしてこれからどうなる?…その他今年の「あったあったニュース」も解説します!
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ぼくらはマンガで強くなった▽青春と恋愛とスポーツとあだち充【スポーツ・ラボ】
今週のスポーツ・ラボは「ぼくらはマンガで強くなった」▽あだち充の作品がアスリートをつかむ魅力を大特集!▽時代をこえて愛される名作の意外な秘密▽阪神・藤浪晋太郎投手が野球マンガ「H2」を語る▽三浦大輔投手も魅了する南ちゃん!▽野球解説者・里崎智也が「タッチ」の読み方指南?▽名編集者が明かすあだち作品の謎と不思議!▽巨匠アニメ監督が魅惑のコマを分析▽女子野球の星!片岡安祐美の大感動シーンとは?
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KOKOYAKYU〜アメリカ人が見つめた“甲子園への道”〜
甲子園を目指す日本の高校球児と彼らを支える人たちの姿を、アメリカ人の目を通して描いたドキュメンタリー。「高校野球はあくまでも教育の一環」とする大阪府立天王寺高校と「甲子園で優勝」を目標に掲げる全国屈指の強豪、智弁和歌山高校。個性のまったく異なる2チームが、2004年夏の甲子園出場をかけて地方大会で戦う様子に、試合中のベンチ内から私生活まで密着。ナレーションなしで、インタビューと現場音だけの感動作。〜プロジェクタイルアーツ社(アメリカ)制作〜
山本宗補 ‏@asama888
当事者の声を無視した政治的「妥結」3:朝日トップと政治面は安倍政権に迎合するかのように歓迎。社会面は当事者の声で別新聞のよう。「私たちの話なのになぜ私たちの話を聞かないのか。この問題を本当に解決したいのか」(ナヌムの家の李玉善さん)

お休みなので本を読んだりテレビを見たりして過ごしました.
でも髪を切りにいかねばなりません.意外に時間がかかったような気もしますが,まあいい感じかな?
ちょっと足を延ばして普段いかない少し遠くにあるスーパーに行ってみることにしました.
意外にいろいろ売っていました.近くのスーパーで売っていない生カキがあったので当然買い♪です.レモンも一緒にです.
メディアでは慰安婦問題で日韓「合意」を伝えていますが,当事者の意向を無視して政府が勝手に決めたものだと思います.元慰安婦の人にとっては納得できない気持ちも理解できます.最終的に解決した,ということができるのは元慰安婦の人たちなのに,政府が勝手にそれをいうのはおかしいと思います.

仙石線 復旧後初めての年末
東日本大震災で被害を受けた、宮城県の仙台市と石巻市を結ぶJR仙石線が、全線で復旧してから初めての年末を迎え、JR石巻駅には、5年ぶりに仙石線を使って帰省した人たちの姿が見られました。
JR仙石線は、東日本大震災の津波で大きな被害を受け、一部の区間を内陸に移して、ことし5月に全線復旧しました。復旧後、初めての年末を迎え、JR石巻駅では、午前中、仙石線の列車から大きな荷物を持った人たちや子ども連れの人たちがホームに降り立つ姿が見られました。子ども2人を連れて帰省したという男性は、「再び仙台市から列車で来ることが出来るようになって、便利になりました」と話していました。
また、一家5人で東京から帰省したという男性は、「少しずつ復興が進んできていると感じています」と話していました。
このほか、年末年始の休みを利用して被災地の様子を見に来た人やボランティア活動に訪れた人たちもいて、このうち、ボランティアに来たという男性は、「ことし最後の活動として、大掃除を手伝いに来ました」と話していました。


<5度目の年の瀬>心落ち着ける温もり
◎2015被災地(9)ペットの里帰り
 「モコ」と「ムック」。犬の親子が甘えてくる。木漏れ日が差し込む縁側。ふと、ふるさとの穏やかな光景に思いが及ぶ。
 福島県飯舘村の佐藤文良さん(83)と妻滝子さん(78)。東京電力福島第1原発事故で村を追われ、福島市で暮らしている。
 年末年始は特例で自宅に住める。愛犬を連れて年越しするのは5年ぶりだ。
 モコはムックを村で生んだ。2匹は原発事故が起きるまで8年近く、家族同然だった。
 仮設住宅やアパートでペットは飼えない。岐阜市のNPO法人「日本動物介護センター」にやむなく預けた。車に乗せられる間、2匹はしきりにほえた。
 一戸建ての住宅に移り、ことし3月、2匹を引き取った。「原発は落ち着かないけど、ワンちゃんがいると心が落ち着くね」と滝子さん。
 愛犬を預けた施設では、飯舘村などから引き取った犬18匹が、里帰りできる日を待っている。


<震災遺構会議>保存と解体 事業費を算出
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川、門脇両小校舎の遺構保存をめぐり、市震災遺構調整会議は28日、亀山紘市長に検討結果の報告書を提出した。保存と解体に分けて事業費を算出し、各校舎を保存する意義も盛り込んだ。保存の可否では市民の意見が割れており、優劣を示すのは避けた。
 報告書では、児童と教職員計84人が犠牲になった大川小の保存の意義について、犠牲者を悼む慰霊と避難の重要性を忘れないための場所として、教訓の伝承が重要と指摘した。
 門脇小は、東北の被災3県の建築物で唯一津波と火災の痕跡を残す上、校内の避難者が裏の日和山に避難できたことを後世に伝える必要があると記した。
 両校舎を保存、解体する場合の概算事業費は表の通り。部分保存は大川小4億1527万8000円、門脇小6億2126万2000円、全部保存は大川小6億1019万円、門脇小9億4582万円と試算した。門脇小は耐震補強が必要なため、不要な大川小よりも金額が膨らんだ。
 全部保存した際の維持管理費は、大川小が年間約2300万円、門脇小は約2000万円が必要となる。
 調整会議は、報告書で両校舎の活用策の優先度を示す方針だったが、最終的に撤回した。市民の立場などにより判断が分かれると述べるにとどめた。
 亀山紘市長は「両校舎とも震災の教訓を伝える重要な建物で、将来の子どもたちに残す意味がある。費用や市民の意見を踏まえて結論を出したい」と話した。亀山市長は年明けにも両小の卒業生らの意見を聞く場を設け、年度内に保存の是非を判断する。


<震災遺構会議>大川、門脇小の優劣つけず
 東日本大震災で被災し、宮城県石巻市の震災遺構候補に挙がっている門脇、大川両小をめぐり、市の庁内組織が28日に公表した報告書は保存、解体の方向性を示さず、両校舎の優劣にも触れなかった。客観的な課題を整理し、亀山紘市長が年度内に保存の是非を判断する際の基礎的資料にとどめた。
 庁内組織「市震災遺構調整会議」会長の堀内賢市・復興政策部長らが同日、報告書を亀山市長に手渡し「かえって市長を悩ませるかもしれない」と伝えた。亀山市長は「精査し、追加の判断材料を依頼することもある」と慎重に対応した。
 調整会議は6月以降、会合や現地視察を実施。一時は両校舎の優先度を示して亀山市長に報告する方針を確認した。だが、「報告書はフラットな内容が望ましい」という委員の意見などを踏まえ軌道修正した。
 報告書では両校舎の保存と解体の際の概算事業費を算出。「亀山市長が判断する上で掘り下げた方がいい点」(堀内部長)についてはケーススタディーで取り上げた。
 震災伝承を図る方法として、津波と火災の痕跡を残す門脇小は(1)解体し、火元となった壁などを残す(2)3階までを保存し、校舎を公開(3)2階までを保存し、校舎を公開−と分類した。
 津波被害の痕跡が残る大川小に関しては、全部保存を軸に(1)内部を公開せず、公園化など周辺整備にとどめる(2)1階の一部を横断できる通路を設け公開(3)内部を歩行するための通路を設け公開−を挙げた。
 亀山市長は「維持管理費は意外に高くないとの印象もある。遺構化については、報告書や保存の是非を市民に聞いたアンケートを検討したい」と述べた。


復興願い30年ぶり神楽復活 南相馬
 東日本大震災の津波被害を受けた福島県南相馬市原町区雫地区で、約30年ぶりに地元の神楽が復活する。地域再生の足掛かりにしようと、残された記録などを頼りに青年団が習得に努めてきた。来年の1月2日、地区内にある津神社で奉納を予定している。
 雫地区の神楽は、大きな獅子頭で荒々しく舞うのが特徴だ。戦後に一度途絶え、1970年代に復活を果たしたが、10年ほどで再び伝承されなくなっていた。
 今回呼び掛け人となったのは、雫青年団長を務める高田貴浩さん(34)。震災間もない2011年4月、不明者の捜索中、泥にまみれた獅子頭を地区の集会所で発見。「獅子頭が『もう一度神楽をやれ』と言っているような気がした」と振り返る。
 青年団有志の賛同を得て、13年から道具の準備に着手。家庭用ビデオに残された映像で笛、太鼓の拍子を研究した。経験者に助言を求め、動作や口上の技量向上を図った。
 指導に当たった青年団OBの高田光定さん(62)は「地域のために若者が立ち上がってくれたのが何よりうれしい」と表情を緩める。
 全域が浸水した雫地区では、青年団員を含む25人が犠牲となった。一部は東京電力福島第1原発事故に伴う避難区域に指定されている。市内の仮設住宅から練習に通う高野元一さん(29)は「震災で失ったものは大きい。わずかでも地域の財産を取り戻したい」と意気込む。
 青年団は楽譜、映像などによる神楽の保存を検討している。貴浩さんは「地元の文化は、分散してしまった住民の心のよりどころにもなる。長く、確実に伝承していきたい」と話している。


<回顧みやぎ>保存の在り方議論半ば
(11)山元・旧中浜小震災遺構化の検討
<そのとき>
 提言書を読みながら悩ましい思いになった。結論は妥当だが、実現するには困難が待ち構えていると予測されたからだ。
 東日本大震災の津波被害を受けた山元町の旧中浜小校舎。町震災伝承検討委員会は1月15日、町に提出した提言書で「震災の脅威を伝承できる建造物」と位置付け、内部の公開まで求めた。被災地で保存の可否の議論が続く震災遺構の中で、異例とも言える積極的な考え方だった。
 町は行政視察や防災教育が目的の希望団体に内部を案内している。取材で何度も同行した。津波で折れ曲がったサッシや破られた窓、児童らが一晩身を寄せた屋根裏の暗い倉庫など、映像や写真で伝えきれない惨状と備えの重要性を毎回、痛感させられる。
 一方で、吹きさらしとなった校舎内の部材の劣化は日を追うごとに進んでいる。壁に掛けられた時計の盗難や鍵が壊されるなどの被害も相次いだ。
 提言書では、現状を可能な限り生かし整備を最小限にとどめるよう促した。ある委員は「内部まで手を加えたら中浜小ではなくなる」との思いを語る。その通りだとは思うが、見学者の安全や緊急時の避難経路の確保には不安が残った。「保存の在り方」にはまだまだ議論が必要だと感じた。
<それから>
 町は本年度中にも保存の具体的な手法を固める。ただ、提言に沿った「ありのまま」に残す方針が壁になっている。建築基準法では施設内にスプリンクラーや消火栓など消防設備の設置が義務付けられる。町の担当者は「新しい設備が震災遺構になじむのか」と苦慮する。
 同校関係者は町の保存の決定を待ち望む。一夜を共にして助かった当時の教職員らは「3.11の会」を結成し、元児童や保護者らと定期的に校舎の花壇で花の植栽を続けている。
 当時の校長で同会代表の井上剛さん(58)=白石市福岡中校長=は「校舎がなくなれば地域の記憶まで消えてしまう」と語り、後世までの継承を願う。思いに応えるため、行政は柔軟に対応し、知恵を出し合ってより良い「保存の在り方」を導き出してほしい。
(亘理支局・原口靖志)
[メ モ]山元町沿岸部にあった中浜小は、津波で鉄筋2階の校舎が水没。児童や住民ら約90人は屋根裏部屋に逃げて無事だった。同校は2013年3月に閉校した。有識者や同校関係者らで構成する町震災伝承検討委員会(木村拓郎委員長)は震災遺構としての保存、活用策を討議。校舎内への学習機能設置の可否などで議論が割れ、最終的に最小限の整備でまとまった。


亘理復興の物語伝えたい 東北工大生が提案
 東北工大の3年生4人が、東日本大震災で大きな被害が出た宮城県亘理町に自分たちが考えた復興まちづくり策を提案した。仙台市内で開催される会合への参加者を誘致するツアーや電子広告を活用した情報発信など、若い感性を生かした大胆なアイデアで町職員らをうならせた。
 同町の悠里館で22日、町職員ら約70人を前に発表。仙台での学会やシンポジウムの参加者を対象に、特産のイチゴ狩りや亘理伊達家ゆかりの史跡巡りなど日帰り観光プランを提示した。電子広告「デジタルサイネージ」で首都圏などで町の物産の情報を発信し、販路拡大を図る方策も示した。
 発表した4人は目黒智也さん、神山拓也さん、新田勇斗さん、佐藤貴文さん=いずれも(21)=。県市町村自治振興センター主催の大学生による自治振興提案に応募し、今夏から町内の観光資源の調査などを続け、プランを練った。
 リーダーで同町在住の目黒さんは「地元にいる自分でも知らない魅力がたくさんあった。イチゴやアセロラなどの特産品で被災からの復興を遂げた物語も、広く発信すれば関心が高まると考えた」と意図を語る。指導した東北工大ライフデザイン学部の亀井あかね講師は「リアリティーを追究した提案だ」と評価した。
 亀井講師の研究室は同町の仮設住宅の子どもたちとの交流事業など復興支援に取り組んだ実績があり、その縁で研究対象に選んだ。町商工観光課の斎義弘課長は「多くの参加者が集まる学会や電子広告に目を付けた若者ならではの斬新な発想。ぜひ参考にして事業化を検討したい」と関心を示した。


宮城人口2年連続減 減少26市町
 宮城県が28日発表した県内の推計人口年報(10月1日現在)によると、総人口は232万4683(男113万2775、女119万1908)で、この1年で3310人減少。2年連続のマイナスとなった。
 市町村の増減率は高い順にそれぞれ表の通り。増加は9市町村で、増加率トップは大和町の1.97%(543人)。名取市1.54%(1166人)大衡村1.41%(79人)と続いた。
 減少は26市町。減少率が最も高かったのは女川町の4.31%(299人)。次いで七ケ宿町3.46%(52人)南三陸町2.78%(386人)の順だった。
 減少数の最多は石巻市の1146人(0.78%)。栗原市が1024人(1.45%)で続いた。増加数は仙台市が2788人(0.26%)で最も多かった。
 人口動態は自然増減が4647人減(出生1万8463人、死亡2万3110人)。社会増減は1337人増(転入11万6414人、転出11万5077人)だった。
 県推計人口年報は東日本大震災後の2012、13年と2年連続で増加。14年は3年ぶりに減少に転じた。


<国勢調査>岩手5万人減 減少率過去2番目
 岩手県は28日、東日本大震災後に初めて実施された2015年国勢調査(10月1日現在)の速報値を公表した。県全体の人口は前回(10年)より5万333人少ない127万9814人だった。減少率は過去2番目となる3.8%。1920年の調査開始以来、過去最大だった前回の4.0%から0.2ポイント改善した。
 前回と比べ人口が増えたのは内陸部の北上市、滝沢市、矢巾町の3市町のみ。北上市は沿岸被災者の転居、立地企業の雇用増が要因と推測。滝沢市、矢巾町は盛岡市周辺への人口流入効果とみられる。
 他の30市町村は減少した。このうち10市町は減少幅が縮小か横ばいだった。
 減少率が最も高かったのは大槌町で23.2%だった。次いで陸前高田市15.2%、山田町15.0%と、震災による犠牲者が多かった沿岸市町が続いた。沿岸12市町村での人口の減少率は8.3%で、前回比1.4ポイント増加した。
 県は「沿岸部での減少率の程度が思ったほどではなかった。復興作業員らが流入しているためとみられる」と分析している。
 内陸部では過疎化が進む自治体の減少率が高く、葛巻町13.2%、西和賀町10.9%、九戸村9.9%など。市部の盛岡、遠野、一関などは減少幅が縮小か横ばいとなった。沿岸からの避難者受け入れや、周辺自治体からの流入があったとみられる。
 男女別で男性は61万5576人で1万9395人減、女性は66万4238人で3万938人減だった。


<国勢調査>岩手沿岸 復興需要一時的下支え
 岩手県が28日に公表した国勢調査(速報値)では、東日本大震災の被害が甚大だった沿岸部で、復興事業に伴う作業員や支援者の流入による一時的な人口の下支えが起きている現状が明らかになった。県は復興需要が収束した後の社会減対策に力を入れる。
 沿岸12市町村の人口は、前回と比べ2万2761人減った。減少幅は7市町村で前回より拡大した。大槌町は15.7ポイント、陸前高田市は9.5ポイント、山田町は7.4ポイント広がった。
 逆に減少幅が縮小したのは5市町。宮古市は1.7ポイント、久慈市は2.5ポイント、釜石市は0.9ポイント縮小した。復興関連工事の作業員や各自治体からの派遣職員、NPOなどの支援者が流入し、大幅な人口減には至らなかったとみられる。
 前回の2010年国勢調査の結果を基本に住民票の異動から推計した県の人口推計速報によると、10月1日現在の県人口は127万2891人で、今回の速報値より6923人少ない。
 沿岸12市町村に限って見ると5319人の差がある。住民票を異動せずに一時的に滞在している人が、沿岸部に集中していることが浮き彫りになった。
 県調査統計課の佐藤和彦総括課長は「単純に考えれば、復興需要が一段落すると人口が約5000人減る。速報値は踏みとどまった印象はあるが、喜んでばかりいられない。社会減対策は急務だ」と話した。


<国勢調査>秋田の人口減少 過去最大
 秋田県は28日、2015年国勢調査(10月1日現在)の速報値を発表した。県人口は102万2839人で、10年の前回調査と比べて6万3158人(5.8%)の減となり、1920年の調査開始以来、過去最大の減少率となった。10年の調査と同様に、全25市町村で人口が減少した。
 男女別では、男性は48万178人で2万9748人(5.8%)減少し、女性は54万2661人で3万3410人(同)減った。世帯数は1515世帯(0.4%)減の38万8621世帯。1世帯当たりの人員は0.15人減の2.63人で過去最少となった。
 総務省の人口推計で県人口が最多だった1956年の134万9936人(男性66万584人、女性68万9352人)から約60年で24%減ったことになる。
 市町村別人口は表の通り。県北部の山間地域を抱える郡部ほど減少率が高く、男鹿、小坂、上小阿仁、藤里、八峰の5市町村で減少率が10%を超えた。減少率が最も低いのは秋田市。大潟村、秋田市のベッドタウンの潟上市と続いた。世帯数が増えたのは秋田市と潟上市だけだった。
 県総合政策課の湯元巌課長は「人口減が進んでいる状況をあらためて裏付けた。地域の雇用や教育環境の維持など、持続可能な地域づくりに一層努めなければならない」と述べた。


日韓慰安婦問題合意 「名誉回復を」高齢の元慰安婦ら沈痛
 慰安婦問題を巡る日韓両政府の合意を受け、元慰安婦らが28日、相次いで記者会見を開いた。元慰安婦10人が共同生活を送るソウル近郊の「ナヌムの家」で開かれた会見では、「政府の決定に従う」と受け入れる態度を示す元慰安婦がいる一方、「日本に公式の謝罪と賠償を求める」と述べ、日本が「法的責任」を認めない形で決まった合意を批判した元慰安婦もいた。
 韓国の女性家族省によると、政府に登録された元慰安婦は238人。高齢化が進み、12月現在で生存者は46人になった。平均年齢は89.2歳だ。
 1992年に仏教団体や市民の寄付金で作られたナヌムの家には現在、医療や生活支援を受けながら、元慰安婦10人が暮らす。
 元慰安婦らは日韓外相会談後の記者会見の模様を居間に置かれたテレビのニュースを通して見守った。柳喜男(ユ・フィナム)さん(87)は「法的解決(賠償)を待っていたので、合意に満足はできない」と残念な気持ちをのぞかせたが、「今年中に解決しようと努力した政府が決めたことに従う」と話した。一方、李玉善(イ・オクソン)さん(89)は「今回の合意内容は本当にやるせない。私たちはお金より名誉を回復したい。そのためには日本から公式の謝罪と賠償を受けないといけない」と沈痛な表情で語った。
 また、ナヌムの家の安信権(アン・シングォン)所長は外相会談の前に、韓国政府関係者が元慰安婦に意向を聞く機会は「なかった」と説明。「被害当事者を除いた韓日両政府による拙速な野合だ」と非難した。
 元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)はナヌムの家などと共同で声明を発表し、「被害者と国民の願いを裏切る外交的談合だ」と強く批判。聯合ニュースによると、挺対協の事務所で記者会見した李容洙(イ・ヨンス)さん(87)は、罪を犯した責任を取るには「補償」ではなく「賠償」が必要だと語り、「今回の合意内容全部を無視する」と述べた。【松井豊、ソウル米村耕一】


慰安婦問題の記憶遺産申請「不参加」 韓国が否定
慰安婦問題の合意に関連して岸田外務大臣が、中国が検討している慰安婦問題のユネスコの「記憶遺産」への申請に韓国が加わることはないという認識を示したことに対し、韓国外務省は日本とそうした方向で合意した事実はないとして否定しました。
28日の日韓外相会談で両国が慰安婦問題の最終的な解決で合意に達したあと、岸田外務大臣は記者団に対し、中国が韓国などに呼びかけて慰安婦問題を巡る資料を共同でユネスコの「記憶遺産」に申請するのを検討していることについて、「韓国が加わることはないと認識している」と述べました。
これについて、韓国外務省の報道官は29日の記者会見で、日本とそうした方向で合意した事実はないとして否定し、「慰安婦問題の被害者が記録したものを『記憶遺産』に申請することは、韓国内の民間団体が主導して進めている」と説明しました。ただ、この民間団体は韓国政府の女性家族省から委託された活動を行っており、今後中国の申請に加わる動きが具体化した場合、28日の合意で両国が「国際社会において慰安婦問題で互いに非難・批判することを控える」という考えを示したことに反するという指摘が出る可能性があり、韓国政府の対応が注目されます。


元慰安婦の女性たち 合意受け入れられない
日韓外相会談で両国が慰安婦問題の最終的な解決で合意したことを受け、韓国外務省の高官が、29日、元慰安婦の女性たちを訪ねて理解を求めましたが、女性たちは、日本が表明した取り組みは不十分だと批判し、合意は受け入れられないと強調しました。
慰安婦問題の最終的な解決で日本と合意したことを受けて、韓国外務省のイム・ソンナム(林聖男)第1次官が、29日午後、元慰安婦の女性たちが共同で暮らすソウル市内の住宅を訪ね、元慰安婦3人と面会しました。イム第1次官は、今回、日本と合意したことについて、女性たちが高齢になっていることを踏まえ、「皆さんの尊厳と名誉を回復することが政府の大きな目標だった」と説明し、理解を求めました。
しかし、女性たちは、「私たちにひと言も相談がなかった」とか、「安倍総理大臣がわれわれに直接謝罪し、法的な賠償をすべきだ」などと大きな声で批判し、合意は受け入れられないという立場を強調して、話し合いは平行線のまま終わりました。
また、話し合いのあと、女性たちは報道陣に対して、ソウルの日本大使館前の少女像に関して、国民が共有する象徴だとしたうえで、「手を触れることは許されない」と述べ、撤去を改めて拒否しました。
29日は、ソウル近郊にある、元慰安婦の女性たちが暮らす別の施設にも韓国外務省のチョ・テヨル(趙兌烈)第2次官が訪ねましたが、韓国メディアによりますと、やはり女性たちは「合意は受け入れられない」と反発したということです。韓国政府としては、今回の合意を確実に最終的な解決とするには、元慰安婦たちやその支援団体から合意内容への支持を取りつけることが重要な課題になっていて、28日夜は、パク・クネ(朴槿恵)大統領が国民に向けたメッセージを発表し、「大局的な見地に立って今回の合意を理解してほしい」と呼びかけています。


筆洗
 その兵隊は戦場で泥まみれになりつつ、亡き妹に宛てた届かぬ手紙を書き続ける。<僕は、兵隊は、小さくて、軽くて、すぐ突拍子もなく遠い所に連れて行かれてしまって、帰ろうにも帰れなくなってしまう感じから虫けらみたいだと思います>▼故・古山高麗雄(ふるやまこまお)さんの小説の一節だ。一兵卒としての経験を基に地を這(は)う視線で戦争を描いた古山さんは、慰安婦について<屈辱的なことをやらされている点では同じだ…彼女たちは同族だ>と書いた▼韓国・世宗(セジョン)大学の朴裕河(パクユハ)教授は労作『帝国の慰安婦』でこの小説を引きつつ、慰安婦が「性」を提供する立場であったなら、兵士は「命」を提供する立場。どちらも国家によって「戦力」にされていた−と論ずる▼巨大な手に虫のように弄(もてあそ)ばれ、今もその記憶にさいなまれる。そんな人々にとって、朗報となっただろうか。日韓両政府はきのう、慰安婦であった方々の名誉と尊厳を回復し、心の傷を癒やすことに取り組むことで合意した▼日韓や左右の分裂と対立によって生まれる苦痛は結局、元慰安婦たちが受け持つことになる。そう朴教授が指摘するように、彼女たちは戦時中だけでなく戦後も、国家や集団の論理に翻弄(ほんろう)され続けたのだ▼戦後七十年。その苦痛に終止符を打つ試みは政府間の合意で終わるものではなく、一人一人の様々な思いと向き合うことで始まるのだろう。

従軍慰安婦問題で合意 「妥結」の重さを学んだ
 日韓外相会談で、旧日本軍の従軍慰安婦問題を最終決着させると合意した。最大の懸案が解決に向かう。来年は対立から協力へと、流れを変えたい。
 岸田文雄外相と尹炳世外相はソウルで会談し、慰安婦問題を「最終的、不可逆的に解決する」と確認した。韓国政府は今後、問題を蒸し返さないという明確な約束である。
 元慰安婦を支援する財団を韓国政府が設立し、日本政府は財団に約十億円を拠出することで合意した。岸田外相は、安倍晋三首相がすべての元慰安婦に対し「責任を痛感し、心からのおわびと反省の気持ちを表明する」ことを明らかにした。
◆米国が背中押した
 韓国で初めて元慰安婦の女性が名乗りを上げてから二十四年。ようやく解決の道筋ができた。一九九〇年代に元慰安婦の支援事業として取り組んだ「アジア女性基金」や、民主党政権時代に提案された救済案など、これまで蓄積された日本の取り組みが実を結んだといえよう。
 日韓外相は「解決」「決着」という言葉を使ったが、一連の交渉経過を見れば、キーワードは「妥結」という表現ではないか。実は韓国語にも妥結(タギョル)という漢語があり、日韓の辞典を見ると「利害の対立する者が折れ合って、話をまとめる」という部分が共通している。両首脳は当初の主張を和らげ互いに譲歩した。国内の反対世論を説得する決断もしたということだろう。
 両政府とも妥結を急がねばならない事情があった。
 元慰安婦の韓国人女性は生存者四十六人、平均年齢は九十歳近く、交渉をずっと続ける時間的余裕はなかった。また慰安婦問題で関係が冷えこんだままでは、経済、安保など協力すべき分野が進まないという不満が、双方の国内から出ていた。
 日韓双方の背中を押したのは米国だった。オバマ政権は韓国に対し、歴史問題にこだわるばかりでは日米韓の共助体制が崩れていくと批判した。一方で、戦時下の女性に対する性暴力は深刻な人権侵害だとして、日本側に慰安婦問題の解決を迫った。
◆戦後70年談話が転機
 日韓両政府は当初、自説を強く主張していた。安倍政権は昨年、慰安婦問題で日本の官憲の関与を認めた「河野談話」の検証をしたが、国際社会は強い懸念を示した。河野談話の検証が慰安婦問題そのものを否定しかねないと見たからだ。
 大きな転機は、八月に安倍首相が発表した「戦後七十年談話」だった。首相は従軍慰安婦には直接言及しなかったが、「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた」と述べた。
 慰安婦問題は六五年の請求権協定によって解決済みというのが日本政府の原則的な見解だが、首相の談話は人道的な見地から救済の余地を示したものだ。韓国側に歩み寄ったといえよう。
 この日の外相会談で言及された安倍首相の見解には、女性の名誉と尊厳という七十年談話と同じ表現があったことに注目したい。
 朴槿恵大統領も妥結に向けて動いていた。慰安婦問題の解決に進展がない限り首脳会談には応じられないという立場だったが、今年に入り「歴史問題と経済、安保などの懸案は分けて対応する」と柔軟姿勢に変わった。
 両政府が歩み寄り、ようやく妥結にこぎつけたことを、重く胸に刻みたい。ここ数年、広がった「反日」「嫌韓」という不幸な風潮を変えていかねばならない。
 今後は両政府が国内世論をどう説得するかが重要になる。韓国の元慰安婦の支援団体「挺身(ていしん)隊問題対策協議会」は、今回の合意を評価せず、日本政府の法的責任を追及している。
 日本の世論調査でも、慰安婦問題で譲歩する必要はないとの回答が多数を占める。政府予算を使って救済を図るのは、事実上の賠償ではないかという批判が予想される。在ソウル日本大使館前に置かれた慰安婦問題を象徴する少女像についても、撤去する確約はなかった。
◆火種は残っている
 歴史問題での火種は消えたわけではない。戦中の元徴用工問題で六五年の請求権協定が違憲だとする訴訟で、韓国憲法裁判所は今月、訴えを却下した。しかし、徴用工問題では地裁、高裁で争いが続いている。
 韓国政府には日韓条約を尊重して、司法判断とは一線を画すよう望むが、日本側も、とりわけ政治家には歴史認識をめぐる発言に慎重さが必要だ。外相会談で弾みがついた関係改善の流れを止めないよう、日韓両国民の努力も求められる。


慰安婦問題 日韓の合意を歓迎する
 日本と韓国が慰安婦問題を最終決着させることで合意した。四半世紀にわたって両国間に突き刺さってきたとげだ。戦後70年、日韓国交正常化50年という節目の年に合意できたことを歓迎したい。
 岸田文雄外相と韓国の尹炳世(ユンビョンセ)外相が合意し、共同で記者発表した。日本が村山富市内閣時代に設立したアジア女性基金は韓国に受け入れられなかった。それを考えると、両国が知恵を出しあって合意に至ったことは画期的なことである。
 日本側は外相会談で慰安婦問題に関して「責任を痛感する」と表明した。日本はこれまで、1965年の日韓請求権協定で法的には解決済みだとして「道義的な責任」という表現にとどめてきた。
こじれた四半世紀
 一方で韓国は「反人道的な不法行為」である慰安婦問題は請求権協定で解決されていないという立場から「法的責任」を求めてきた。
 道義的か法的かを、あえて明確にしないことで双方が歩み寄り、決着につながった。
 日本政府が韓国の設立する財団に10億円を拠出する点も大きい。アジア女性基金は国民からの寄付金を軸にしたため韓国側が「政府の責任をごまかそうとしている」と反発した。公的な資金を出すことは政府の責任をより明確化させることになる。
 今回の合意について「最終的で不可逆的な解決」であることを確認したことは両国の信頼構築につながる。これにより、国連など国際社会での非難合戦という不毛な争いにも終止符が打たれるはずだ。
 慰安所が生まれ、定着したのは日中戦争の時期だ。兵士による強姦(ごうかん)事件の多発に頭を痛めた軍が業者に開設させた。軍は細かい規則を作って管理する一方、避妊具を支給したり、移動に便宜を図ったりしていた。
 貧困のために慰安婦とならざるを得なかった女性も多かったと言われる。93年の河野談話が指摘したように「意思に反して集められた事例が数多く」あったことは否定しがたい。慰安婦制度が女性の尊厳を踏みにじるものであることは明白だ。
 慰安婦問題が注目されたのは91年に初めて実名で証言する韓国人女性が現れてからだ。87年の民主化を機に日本の植民地支配の歴史を問い直そうとする機運が高まったことが背景にあった。経済や文化など多方面の交流が活発化する一方で、歴史認識を巡る摩擦は深まっていった。
 こうした流れを受けて、日本では村山談話やアジア女性基金によって和解を探ろうという動きが出た。
 しかし、安倍晋三首相はかつて河野談話見直しを公言していた。第1次政権だった2007年には、首相に近い政治家らが米紙に慰安婦問題に関する反論広告を出して米政界の反発を買い、日本を批判する米下院決議につながった。
 韓国側では、慰安婦問題での政府の不作為を「違憲」とした憲法裁判所の11年の決定が転機となった。時の李明博(イミョンバク)政権は慰安婦問題を対日外交の前面に出すようになった。13年に就任した朴槿恵(パククネ)大統領は慰安婦問題の進展がなければ日本との首脳会談に応じないという強硬姿勢を取るにいたった。
 合意の背景には、日韓共通の同盟国である米国から関係改善を求められていたことがある。それでなくとも日韓の連携は双方にとって自国の外交・安保政策に必須のものだ。
後戻りさせずに
 日韓両国内でも正常化以来最悪と言われる関係に「このままでいいのか」と懸念する声が出ていた。年間500万人が往来する両国関係が停滞したままでいいはずがなかった。
 合意を受けて安倍首相は「この問題を次の世代に決して引きずらせてはならない」と語った。朴大統領もその思いを共有しているはずだ。
 ただし、画期的な合意であっても不満を持つ人々は残る。そうした時に大局的見地から国内をまとめていくのが政治指導者の役割だ。
 韓国政府は、日本が強く問題視する在韓日本大使館前に建つ少女像の撤去にも前向きな姿勢を見せた。韓国で慰安婦問題の象徴になっているだけに簡単ではなかろう。真の和解につながる歴史的合意とするためには、まだ多くの作業が残っている。日韓両国が互いを信頼し、協力していかねばならない。
 日本は、解決策が最終的なものとなる確約を重視した。韓国政府が日本の対応をいったん評価してから、世論の反発を受けると一転して強硬姿勢に転じることを繰り返してきたという思いがあるからだ。アジア女性基金の取り組みを無視されたといういらだちもあった。
 ただ、問題を蒸し返してきたのは韓国側だけではない。政府間で前向きな動きがあっても、日本の政治家やメディアが植民地支配を正当化したり、元慰安婦を中傷したりしたことが、日韓関係をより複雑化させてきたことは事実だ。
 日本にとって韓国は最も重要な隣国である。外交はそもそも互いに譲り合わなければ成り立たない。今回の合意内容について、どちらが多く譲ったかの「勝ち負け論」に陥ることなく、日韓の新時代を切り開く基礎にすべきである。


慰安婦被害者・挺対協「少女像の移転は認めない」
政府の態度急変に怒り
 「慰安婦被害者のことを考えていないようだ。(交渉内容を)全て無視する」(イ・ヨンスさん)
 28日午後3時30分頃、ソウル鍾路区の政府庁舎で韓日外交長官会談が終わり、京畿道広州市退村面の「ナヌムの家」とソウル麻浦区の韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)事務室にいた被害者たちは鬱憤を爆発させた。 政府では「日本政府の責任を初めて明示した」という点に大きな意味を付与しているが、「法的責任」が明示されていないため合意案を受容できないということだ。
「被害者のことを考えていないようだ
金で解決しようとしている、受け取らない」
「韓国政府の外交は屈辱的」
 挺対協をはじめとする関連団体はこの日、韓日外相会談の結果として出された合意内容を逐一批判し、「日本軍“慰安婦”問題に対する被害者の、そして国民の、このような願いを徹底的に裏切った外交的談合」と反発した。 特に平和碑(少女像)撤去というあきれた条件を付け、その真意を疑わせた日本政府の要求を結局受け入れたばかりか、韓国政府が(最終的かつ不可逆的という表現を使って)今後、日本軍慰安婦問題を口にしないと言った」として「韓国政府の外交態度はまさに屈辱的」と強く批判した。
 合意案の内容のうち挺対協が最も強く反発した部分は、日本政府が「法的責任」を明確にしなかった点だ。 挺対協は昨年「第12回日本軍慰安婦問題解決のためのアジア連帯会議」の名で「日本政府に対する提言」を出し、日本政府に対して被害者中心の解決策が盛り込まれたこの提言に従うことを要求してきた。 提言は、慰安婦徴集について「誰が、どのように、加害行為をしたかを加害国が正確に認識し責任を認定」し、それを「曖昧でない明確な表現で国内的にも国際的にも表明」することを要求する内容を含んでいる。 また、日本政府が保有する資料の全面公開▽韓国内外の被害者と関係者の証言調査▽義務教育課程の教科書記述を含む学校教育などを後続措置として要求した。
 だがこの日出された両国の合意案は、被害者中心の解決策の水準に達し得なかったというのが専門家たちの評価だ。 ホン・ソンピル延世大法学科教授は「軍の関与を認めたことは進展だが、国際法が認定する奴隷化、人道に反する罪など、明確な法的責任の認定がないなら、これまでの遺憾表明と大差ない」と話した。
 慰安婦被害者支援のために韓国政府が設立する財団に、日本政府が10億円規模の予算を出捐することにしたことに対しても、挺対協は「その義務をこっそりと被害国の政府に押し付けて手を引く意図」と評価した。 慰安婦問題に対する責任を本当に認めるなら、日本国内で日本軍慰安婦犯罪に関する真相究明と歴史教育など、再発防止措置も合意案に盛り込まなければならないという主張だ。 イ・ヨンスさんは「先に天国に行かれた被害者たちに顔向けできない。(日本は)あくまでも補償でなく賠償をすべきだ。 金で解決しようとしても受け取らない」として涙まじりに話した。
 ナヌムの家のアン・シングォン所長は「厳然として被害者が生きているのに、こういう重大な合意事項について事前の意見聴取は全くなかった」と指摘した。 この日の発表に対する説明を聞けない状態でナヌムの家にいたユ・ヒナムさんは「不十分だ」と前提にしながらも「両国政府が努力したので政府の意に従う」と話した。
 今月5日に亡くなったチェ・カプスンさんをはじめ、今年9人の被害者が亡くなり、現在政府に登録されている慰安婦被害者は46人だ。
キム・ミヒャン、クォン・スンロク記者、光州/キム・キソン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )


アジア女性資料センター Asia-Japan Women's Resource Center
昨日の日韓外相会談を受けて挺対協から声明が発表されました。人権侵害を受けた当事者が不在の「合意」によって人権の問題を本当に解決することなどできるのでしょうか。
【以下、挺対協声明】
ーーーーーーーーーーーーーー
日本軍「慰安婦」問題解決のための日韓外相会談合意に対する挺対協の立場
今日、日本軍「慰安婦」問題解決のための日韓外相会談が開催され、その合意案が発表された。日本軍「慰安婦」被害者と国民は、光復70年を数日残して開かれた今回の会談が、正しく速やかな日本軍「慰安婦」問題解決に至るよう切に願ってきた。
今回の会談の発表によると、1「慰安婦」問題に対し日本政府が責任を痛感、2安倍首相の内閣総理大臣としてのお詫びの表明、3韓国政府が設立する被害者支援のための財団に日本政府が資金を一括拠出し、その後両国が協力して事業を行うというものだ。
やっと日本政府が責任を痛感したと明らかにはしたが、日本軍「慰安婦」犯罪が日本政府および軍によって組織的に行われた犯罪だという点を、今回の合意から見出すことは難しい。関与レベルではなく日本政府が犯罪の主体だという事実と、「慰安婦」犯罪の不法性を明白にしなかった。また、安倍首相が日本政府を代表し内閣総理大臣として直に謝罪しなければならないにもかかわらず、「代読お詫び」に留まり、お詫びの対象もあまりにあいまいで「誠意のこもった謝罪」だとは受け入れ難い。
また今回の発表では、日本政府が加害者として日本軍「慰安婦」犯罪に対する責任認定と賠償などの後続措置事業を積極的に履行しなければならないにもかかわらず、財団を設立することでその義務を被害国政府に放り投げて手を引こうという意図が見える。そして、今回の合意は日本内ですべき日本軍「慰安婦」犯罪に対する真相究明と歴史教育などの再発防止措置に対しては全く言及しなかった。
何よりこのあいまいで不完全な合意を得るため韓国政府が交わした約束は衝撃的である。韓国政府は、日本政府が表明した措置を着実に実施するということを前提に、今回の発表を通じて日本政府とともにこの問題が最終的および不可逆的に解決することを確認し、在韓日本大使館前の平和の碑について公館の安寧/威厳の維持のため解決方法を探り、互いに国際社会で非難/批判を控えるというものだ。小を得るため大を渡してしまった韓国政府の外交は、あまりにも屈辱的である。
日本軍「慰安婦」問題解決のための合意に臨みながら、平和の碑の撤去というあきれた条件を出し、その真意に疑問を抱かせた日本政府の要求を、結局受け入れるだけでは足りず、今後日本軍「慰安婦」問題を口にしないという韓国政府の姿に心底から恥ずかしく失望した。
平和の碑は、いかなる合意の条件や手段にすることができないことは明白である。平和の碑は、被害者と市民社会が1000回を越える水曜日を見守り日本軍「慰安婦」問題解決と平和を叫んできた水曜デモの精神を称えた、生きた歴史の象徴物であり公共の財産である。このような平和の碑に対し、韓国政府が撤去および移転を云々したり介入することはありえないことだ。また、被害者と市民社会が受け入れることのできない今回の合意で政府が最終解決の確認をすることは、明らかに越権行為であり、光復70年を数日残したこの重要な時期に被害者を再び大きな苦痛に追いやる所業だ。
この間、日本軍「慰安婦」被害者と支援団体、そして国民の要望は、日本政府が日本軍「慰安婦」犯罪に対し国家的で法的な責任を明確に認定し、それに従って責任を履行することで、被害者の名誉と人権を回復し、再び同じ悲劇が再発しないようにせよというものだった。しかし、今日の日韓両国政府が持ち出した合意は、日本軍「慰安婦」問題に対する被害者たちの、そして国民のこのような願いを徹底的に裏切った外交的談合に他ならない。
日本軍「慰安婦」問題は、日韓間の真の友好と平和のため解決せねばならず、被害者が一人でも多く生きているうちに解決すべき優先課題であるが、決して原則と常識を欠いてはならず、時間に追われてかたをつけるような問題ではないことを重ねて強調する。
2014年の第12回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議で各国被害者の思いを込めて採択した日本政府への提言、すなわち日本政府の国家的法的責任履行が必ず実現されるよう、私たちは今後も日本軍「慰安婦」被害者とともに、国内外市民社会とともに正しい問題解決のための努力をより一層傾けていくことを明らかにする。
2015年12月28日
韓国挺身隊問題対策協議会
* 한국정신대문제대책협의회/기독교대한감리회여선교회전국연합회/기독교대한감리회전국여교역자회/기독여민회/대한예수교장로회전국여교역자연합회/새세상을여는천주교여성공동체/여성교회/원불교여성회/이화민주동우회/전국여성연대/평화를만드는여성회/한국교회여성연합회/한국기독교장로회여교역자협의회/한국기독교장로회여신도회전국연합회/한국여성단체연합/한국여성민우회/한국여성의전화/한국여신학자협의회/한국여자수도회장상연합회/KNCC한국기독교교회협의회여성위원회
(20개 단체)
*(사)에코젠더/(사)한국전쟁전후민간인희생자전국유족회/(사)햇살사회복지회/4.9통일평화재단/KIN(지구촌동포연대)/간토(관동)대진재조선인학살진상규명을 위한
한일재일시민연대/감리교여성지도력개발원/고난받는이들과함께하는 모임/고등학생이함께하는소녀상건립위원회/국제앰네스티한국지부/극단고래/근로정신대
할머니와 함께하는 시민모임/기독교도시빈민선교협의회/기독교사회선교연대회의/기독교환경운동연대/깨어있는사람들/독도수호대/동학혁명실천시민행동/두레방/마포우리동네청년회
청년나비/목포평화의소녀상건립추진위원회/민족문제연구소/민주사회를 위한
변호사모임 과거사위원회/민주사회를 위한
변호사모임/민주사회를 위한
변호사모임미군문제연구위원회/민주주의국민행동/민주주의법학연구회/민주화운동정신계승국민연대/부산민족문제연구소/사도생활단
장상협의회/사회적기업 마리몬드/사회진보연대/새가정사/새시대목회자모임/생명선교연대/생명평화기독연대/생명평화마당/서산평화의소녀상시민추진위원회/성매매근절을
위한 한소리회/성북아동청소년네트워크/세월호를 기억하는
강서양천모임/수원평화나비/시민모임 즐거운
교육상상/아시아평화와역사교육연대/아이쿱소비자활동연합회/야스쿠니반대공동행동한국위원회/여성동학다큐소설작가팀(동학언니들)/연세의료원노동조합/영등포산업선교회/우리겨레하나되기대전충남운동본부/우리겨레하나되기울산운동본부/울산평화나비/의정부평화비건립위원회/인디학교/일본군‘위안부’ 기억의 터
추진위원회/일본군‘위안부’ 문제해결을 위해
날아오르는 희망나비/일본군'위안부' 연구회 설립추진모임/일본군위안부
피해 할머니와 함께하는
부산시민모임/일하는 예수회/장부연대/장준하부활시민연대/전국교직원노동조합/전국대학민주동문회협의회/전국여성연대(전국여성농민회
총연합,
경기자주여성연대,
성남여성회,
용인여성회,
하남여성회,
분당여성회,
광주여성회,
이천여성회,
남양주여성회,
구리여성회,
양주여성회,
고양여성회,의정부두레여성회, 부천여성회, 안양나눔여성회, 수원일하는여성회, 화성여성회, 평택여성회, 오산여성회, 안산여성회, 안성여성회, 경남여성연대, 창원여성회, 남해여성회, 양산여성회, 진주여성회, 사천여성회, 진해여성회,함안여성회,경남여성정치네트워크, 전국여성농민회 경남연합, 전국학교비정규직노동조합
경남지부,
경남민주행동여성위원회(참관), 광주여성회, 구로여성회, 부산여성회, 울산여성회, 천안여성회, 제주여성회, 서귀포여성회, 서울여성연대(준),관악여성회(준))/전국의료산업노동조합연맹/전북인권선교협의회/전북평화의소녀상건립시민추진위원회/정의당 중앙여성위원회/정의평화환경보존위원회/주한미군범죄근절운동본부/참교육을위한전국학부모회(중앙)/참여연대/천안평화의소녀상건립추진위원회/천주교정의구현전국연합(우리신학연구소, 천주교인권위원회, 한국카톨릭농민회, 천주교인천교구노동사목, 천주교정의구현목포연합,천주교정의구현상주연합,천주교정의구현전국연합, 한국카톨릭노동장년회)/청주평화비추진위원회/촛불정보방/태평양전쟁피해자보상추진협의회/평화나비
네트워크(서울 평화나비, 경기
평화나비,
인천 평화나비, 춘천 평화나비, 충청
평화나비,
진주 평화나비, 대구 평화나비, 부산
평화나비,
제주 평화나비) 가톨릭대 평화나비, 인천연합지부(인천대, 인하대, 경인교대, 가천대) 강원대
평화나비,
한림대 평화나비, 춘천교대 평화나비, 고려대
평화나비,
건국대 쿠터플라이, 동덕나비, 명지나비, 서울대 평화나비, 서울여대
슈터플라이,
성신나비,
숙명눈꽃나비,
이화나비,
중앙대 평화나비, 신촌 연합지부(서강대, 홍익대), 서울연합지부(경희대, 한국외대, 세종대, 서경대, 시립대, 서울여자간호대, 삼육대, 동국대, 성균관대, 덕성여대) 안양대
평화나비,
한신대 평화나비, 명지대 평화나비(용인캠퍼스), 경희대
평화나비(국제캠퍼스), 경기대 평화나비, 단국대
평화나비,
한국외대 평화나비(글로벌캠퍼스) 동서대 평화나비, 부산
연합지부(동아대, 영산대) 충북대 평화나비, 청주연합지부(청주교대, 꽃동네대, 청주대), 충남대
평화나비,
공주대 평화나비 경상대
평화나비,
경남과학기술대 평화나비, 진주보건대 평화나비, 진주교육대
평화나비,
제주대학교 평화나비, 제주한라대학교 평화나비/평화나비대전행동/평화박물관/평화어머니회/포럼)진실과정의/한국YWCA연합회/한국기독청년학생연합/한국기독청년협의회한국기독학생회총연맹/한국노동조합총연맹/한국노총서울지역본부/한국이주여성인권센터(충북, 전북, 전남, 대구, 경남, 부산)/한국정신대연구소/한국진보연대(노동인권회관, 민가협양심수후원회, 민족민주열사희생자추모(기념)단체연대회의, 민족자주평화통일중앙회의, 민주노동자전국회의, 민주민생평화통일주권연대, 민주화실천가족운동협의회, 전국농민회총연맹, 전국민족민주유가족협의회, 전국민주화운동유가족협의회(사),
전국빈민연합,
전국여성농민회총연합,
전국여성연대,
조국통일범민족연합남측본부, 통일광장, 평화재향군인회, 한국진보연대, 한국청년연대, 21세기한국대학생연합)/한국천주교남자수도회/한일시민선언실천협의회/해남평화나비/황해도굿보전전수회/ LA나비(Nabifund) (94개단체)


白井 聡
本件に関し、私は精通しているわけではないのですが、それでも少々言っておきたいと思います。
まず、多くの方々指摘していることですが、「最終的、不可逆的解決」を語れるのは、政府ではなく被害者の方々のみです(この論理を否定する立場は、自覚の有無にかかわらず国家主義であると私は思う)。それでは、被害者の方々は、何を基準に「解決とみなせる」と言っているのか。リンク先の声明によれば、「事実の認定、謝罪、賠償、真相究明、歴史教育、追慕事業、責任者処罰」です。今回の政府間「合意」は、後半四つの項目(真相究明、歴史教育、追慕事業、責任者処罰)に関し、何一つ言及がありません。この点で、今回の「合意」は致命的欠陥に冒されていると私は考えます。
ゆえに、残念ながら、日韓関係の棘であり続けてきたこの問題は、長期的にはまたもやさらにこじれることになるでしょう。合意内容によれば、今後の日本政府の義務は、10億円を払えばそれで終わりになります。例えば、教科書検定等を通じて歴史教育を放棄(より正確にいえば「禁圧」である)しても、文句をつけられるいわれはない、ということになった。他方韓国政府側は、「もう二度と蒸し返さない」ことを義務づけられた。特に難問は、ソウルの日本大使館前の慰安婦像の移動・撤去でしょう。支援者らがこれに抵抗すれば、強権的にやらざるを得なくなります。両国政府の負った義務の不均衡は明らかだと思います。
なお、「元慰安婦支援団体は韓国における極右的団体であり、彼らは〈反日のための反日〉を事としている」という見方があります。私の経験上、支援勢力の一部にそうした傾向があるということは、信頼できる(と私が思う)筋から聞いたことがあります。しかし、当たり前ですが、すべての支援団体がそのような勢力であるわけがありません。
思うに、日本における北朝鮮拉致被害事件をめぐる状況から推量が可能だと思います。同事件が表面化したとき、「救う会」は「北朝鮮政府を糾弾し、日本政府の不作為に抗議する」というそれ自体は真っ当な主張を展開しました。しかしながら、「救う会」が喧伝し始めたイデオロギーを見ると、「真っ当な主張」の動機が真っ当でなかったことが、明らかになりました。彼らの多くが、本当のところ被害者やその関係者の救済を望んでいるのではなく、一方的な被害者の立場を利用して思う存分ナショナリズム感情を満喫したいという動機に駆られているにすぎなかった。このことについては、蓮池透氏が様々な機会で告発しています。どの国でも、同胞が他国による著しく不正な行為の犠牲となったとき、こういうタイプの「愛国者」が必ず発生します。この現象を以って、「元慰安婦支援団体はみんないかがわしい」とする見方は、およそ公正ではありえないでしょう。
最後に、今回の合意に関してポジティブなことがあるとすれば、次のことでしょう。まず、安倍晋三氏は、「国家の関与は証明されていない」といった類の妄言を二度と口にできないであろう、ということ。このことは、この世の中から不快なことをほんの少しだけ取り除いてくれる。それからもう一つは、今回の「合意」形成の経緯から、「日本の歴史修正主義者が歴史を修正できる範囲は、アメリカが決める」という構図があらためて周知されたことかもしれません。自国の歴史もアメリカ様から与えてもらう「愛国者」! この惨めな現状がさらされたことは、一つの前進かもしれません。

年賀状投函/仕事納めで机の上を整理

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我が解体高橋和巳

Le Japon accepte de dédommager les ≪ femmes de réconfort ≫, esclaves sexuelles durant la guerre
La Corée du Sud et le Japon ont conclu un accord historique, lundi 28 décembre, sur l’épineuse question des ≪ femmes de réconfort ≫, un euphémisme désignant le système d’esclavage sexuel mis en place par l’armée nippone durant la seconde guerre mondiale et qui concernaient des dizaines de milliers de femmes asiatiques.
Le Japon a accepté de verser 1 milliard de yens (7,5 millions d’euros) de dédommagement aux quarante-six ≪ femmes de réconfort ≫ sud-coréennes encore en vie et reconnaît sa ≪ responsabilité ≫. Le premier ministre japonais, Shinzo Abe, a également exprimé aux victimes ses ≪ excuses et son repentir, du plus profond de son cœur ≫, a fait savoir le ministre des affaires étrangères japonais, Fumio Kishida.
Cet accord sera ≪ définitif et irréversible ≫ si le Japon met en œuvre les mesures promises, a prévenu le ministre des affaires étrangères sud-coréen, Yun Byung-se, à l’issue des discussions à Séoul avec son homologue japonais.
La plupart des historiens estiment que jusqu’à deux cent mille femmes, pour la plupart des Coréennes, mais aussi des Chinoises, des Indonésiennes et des ressortissantes d’autres pays asiatiques, ont été enrôlées de force dans les bordels de l’armée impériale japonaise.
Timide réchauffement des relations
M. Abe, et la présidente sud-coréenne, Park Geun-hye, avaient évoqué le sujet lors d’un sommet le mois dernier ; avant cela, Mme Park avait repoussé toutes les propositions de sommet bilatéral, arguant que Tokyo devait encore se repentir correctement pour son passé de guerre et de la domination coloniale de 1910 à 1945. Pour Mme Park, la question des ≪ femmes de réconfort ≫ était le ≪ plus grand obstacle ≫ à l’amélioration des relations bilatérales.
Le Japon estime quant à lui que les questions liées à la guerre ont été réglées en 1965 à la faveur de l’accord qui a rétabli les liens diplomatiques entre Tokyo et Séoul.
Les relations ont connu un réchauffement relatif lors de cette entrevue entre M. Abe et Mme Park. Ils se sont engagés alors à coopérer pour régler au plus vite des contentieux historiques qui, au grand dam des Etats-Unis, empoisonnent leurs relations depuis des décennies.
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NHKスペシャル 生命大躍進 第1集「そして“目”が生まれた」
なぜ人は今のような姿形で生きるようになったのか?壮大な進化の謎が、21世紀、私たち誰もがもつDNAの最新研究から解明され始めた!DNA、それは生命誕生の40億年前から途切れることなく受け継がれてきた「命の記録」。そこに記された古代生物たちの驚きのドラマを、臨場感あふれるタイムトラベルCGで体感!新垣結衣がナビゲートする。第1集は、5億年前の私たちの祖先に、なぜか「目」が突如現れた謎の大事件に迫る。
新垣結衣,
伊藤雄彦,久保田祐佳,
幸田夏穂,河本邦弘,樫井笙人

NHKスペシャル 生命大躍進 第2集「こうして“母の愛”が生まれた」
人が人となるための決定的な鍵を3回シリーズで描く『生命大躍進』。第2集は、なぜ人間の親と子はこれほど強い愛情で結ばれるようになったのか、その謎に迫る。最新研究から「母子愛」の意外な起源が明らかになってきた。太古、私たちの祖先は、壮絶な天変地異やウイルス感染による絶滅の危機に直面する中で、「母の愛」誕生につながる“思いがけないDNAの大事件”に遭遇する。新垣結衣さんと一緒に恐竜世界へタイムトラベル!
新垣結衣,
伊藤雄彦,久保田祐佳,
七緒はるひ,宗矢樹頼

NHKスペシャル 生命大躍進 第3集「ついに“知性”が生まれた」
シリーズ『生命大躍進』最終回は、なぜ私たち人間だけが、これほど賢い生き物に進化できたのか、究極の謎に迫る。最新研究から、祖先が知性への階段を昇りはじめたきっかけは、思いがけないDNAの事件によるものだった…。そして氷河期に絶滅した別種の人類ネアンデルタール人のDNA復元計画から、人が人となれた理由に迫る。新垣結衣さんが一人二役で演じる“姉妹”と一緒にタイムトラベル!マンモスや恐竜をリアルCGで体感
新垣結衣,
伊藤雄彦,久保田祐佳,
江原正士,河本邦弘,樫井笙人

あの歌に出会いたい〜シャーロットの 沖縄 歌探しの旅〜
「マッサン」のヒロインとして国民的な人気を博した女優、シャーロット・ケイト・フォックス。撮影の合間に動画サイトで偶然聞いた沖縄の民謡に心ひかれた彼女が、初めて沖縄に旅をする。沖縄音楽を代表する歌手、古謝美佐子さんや、三線作りの名手、歌を愛する漁師の皆さんなど、沖縄音楽を愛するさまざまな人との出会いを通して、シャーロットは自分の心を捉えて離さない沖縄音楽の魅力を体感する。また、自作の歌も披露する。
シャーロット・ケイト・フォックス,古謝美佐子

世界反米ジョーク集 (中公新書ラクレ)
早坂隆
中央公論新社
2014-07-11


風刺の面白さ カスタマー
 ジョークを通じてアメリカを〔笑い飛ばそう〕という本。昨今のアメリカの動向に対して多くの人が違和感を抱いている中で、思わず頷いてしまう内容だった。楽しく読めるだけでなく、いろいろと考えさせられる、風刺の利いた一冊。以下は中でも私が気に入ったジョーク。
 あるアメリカ人の人類学者が食人種の村を訪れて調査していた。ある日、彼はイラクで起きている戦争について村人たちに話をした。すると村人たちは眉をひそめ、口を揃えて彼に聞いた。
「そんなに大量の人肉をどうやって食べるのですか?」
 人類学者が苦笑いしながら答えた。
「アメリカ人はそんな野蛮なことはしません。殺した敵の肉など食べませんよ」
 村人たちはさらに驚いて囁きあった。
「食べもしない敵を殺すなんて、アメリカ人というのはなんて野蛮な人種だろう」


やっと年賀状を投函しました.元日に届くでしょうか?
今日は仕事納めです.ぐちゃぐちゃになっている机の上を整理です.4時まで,の予定でしたが6時近くでとりあえずマシになりました.たぶんほかの人から見たらまだまだなのでしょうけれど・・・

<5度目の年の瀬>津波の爪痕 祈りの場
◎2015被災地(8)旧役場庁舎(岩手県大槌町)
 あちこちで重機の音が響く。東日本大震災の被害が甚大だった岩手県大槌町の中心部。当時の町長と職員計40人が犠牲になった旧役場庁舎が、津波の爪痕を残したまま立ち続ける。
 8月、年度内解体を掲げた平野公三町長が町長選で初当選。震災遺構として一部保存が検討されてきた旧庁舎は一転、解体か保存かの論争が熱を帯びた。
 震災発生から5年目。時間がたち、解体から保存へと考えを変えた人がいた。復興需要の収束を見据え、被災地見学で人を呼び込む役割を指摘する声も出た。
 町議会は慰霊と鎮魂の場の整備、震災対応の再検証を優先するよう求め、平野町長は年度内解体を断念した。解体方針そのものは撤回せず、決着は来年度以降に持ち越された。
 各地の震災遺構が次々と姿を消す中、旧庁舎には今も県内外の人が訪れる。
 20日に友人と立ち寄った堺市の女性(44)は「あらためて震災を忘れてはいけないと思った」と静かに手を合わせた。


被災の集会所再建 善意の結晶
 東日本大震災で被災し使えなくなった仙台市若林区若林1丁目の築87年の集会所「松原公会堂」を、地元の若林中央町内会が再建した。建設費の工面に尽力し、住民や地元企業などの協力で集まった300万円以上の寄付金を不足分に充てるなどした。落成式を迎え、関係者は防災面の機能を強化した地域の拠点施設の新たな門出を祝った。
 公会堂は、古い建物を解体して同じ場所に建て直された。8月に着工し、今月17日に完成した。平屋建てで床面積は87.7平方メートル。集会室2室と町内会事務室の3部屋があり、縁側を設けた。
 落成式は20日にあり、住民ら約50人が参加。町内会の渡辺寿一会長が「新しい公会堂を核にして、先人の意志を継ぎ、次の100年も地域を盛り上げていきたい」とあいさつした。
 総工費は約1300万円。再建に向け、若林中央町内会は任意団体である町内会の法人化手続きをした上で市に補助金を申請。金融機関からも借り入れた。
 その後、市から約800万円の補助を受けたが足りず、4月から住民や地元企業に寄付を募ったところ、約320万円が集まった。さらに足りない分は集団資源回収の収入などで補った。資金調達に備え、本年度から資源回収の回数を増やしたことが生きた。
 町内会は今後、公会堂を夏祭り、将棋大会など地域の子ども会や敬老会が主催する行事に使う。防災倉庫の機能を担わせ、一時避難所としても使用する。
 公会堂は1928年4月、地元の農業者40人による生産組合が建設した。長く住民に親しまれてきたが、老朽化に加えて震災で床や屋根が破損。2013年6月に使用を中止した。


原発城下町で家屋解体進む 栄枯盛衰40年
 東日本大震災の津波で被災し、東京電力福島第1原発事故の影響で4年以上、手付かずだった富岡駅前商店街(福島県富岡町)で、国による家屋の解体が進められている。町の玄関口に40年近く店を構え、原発建設から事故まで激動の一時代をそばで見つめてきた1軒の小料理屋があった。(郡山支局・吉田尚史)
 店の名は「まどか(圓)」。青森県出身の小野伊津子さん(59)が、小さな店を引き継いだのは1976年。20歳の誕生日だった。
 「駅前はネオンもなく真っ暗。寂しかった」
 10年とたたないうちに町は好況に突入する。80年代までに福島第1原発の全6機が運転を開始。富岡町と楢葉町にまたがる第2原発の着工で人口が急増した。
 「駅前の平屋の木造店舗がビルへと様変わりし、ビジネスホテルも建った」
 料理修業の経験もなく、接客も苦手。追い風にも商売に身が入らなかった。「20代は目標もなく人生を悲観していた。辞めてもいいと思っていた」と苦笑いする。
 転機は35歳だった。「ママ、店つぶれちゃうよ」。下火になりかけた店に連日通い、支えたのは電力関連企業の若手社員たちだ。
 「逃げてもまた一から。富岡でやるしかない」と本気になった。時はバブル時代。「あの小さな町にパチンコ屋が立ち並び、活気に満ちていた。町は電力さんで変わった」と回想する。
 作業員や関連企業社員に親しまれ、東電幹部らも足を運んだ。後に原発事故対応の指揮を執った故吉田昌郎元所長もその一人。東電女子サッカー部マリーゼの選手も顔を見せた。関西出身者や地元の阪神タイガースファンが集う店として有名だった。
 開店から35年目の春。古里と思えるようになった町は避難区域と化した。店は津波で無残な姿となった。
 「一時は東電さんを恨んだ。もう生きていたくもなかった」と苦悩した。絶望の底に落ちた小野さんが顔を上げるきっかけは、亡くなった吉田元所長の存在だった。
 「何だお前、落ち込んで。今、何しているんだ」
 2013年夏。東京であったお別れ会に参列した時だ。にこやかな吉田さんの遺影が心に語り掛けた。
 「またママとして頑張っているよ、と言えるようにやるしかない」。翌14年2月、避難先のいわき市四倉町で「まどか」を再開した。
 原発城下町の栄枯を見続けた店舗や家屋約30棟は、年内にほぼ解体を終える。
 「寂しいけれど、町が生まれ変わる一歩。全てを受け止め、これまでの40年にありがとうという気持ちでいっぱい。廃炉の行く末と新しい時代を見守りたい」


JR山田線脱線/復旧への道筋早期に示して
 宮古市門馬のJR山田線で普通列車が崩れた土砂に乗り上げて脱線し、乗客と運転士の計16人が軽傷を負った事故から2週間が過ぎた。
 崩壊斜面の上部に亀裂が見つかり、新たな土砂崩れの危険があるため、復旧作業は中断している。地盤の強度を測るボーリング調査を続け、新たな土砂崩落を防ぐ対策を講じた上で、本格的な作業に入る見込みだ。
 脱線車両は止まったまま越年となる。JR東日本は復旧工事の着手について、来年4月以降にずれ込む見通しを示しており、復旧工程はさらに長期化する公算が大きい。
 内陸の盛岡と沿岸の宮古を結ぶ102.1キロの山田線は、沿線住民にとって重要な足だ。路線の復旧を急ぐべきことは言うまでもない。作業に向けた安全を確保した上で、一日も早く本格的な復旧工事に入ってほしい。
 岩手県内では、似たような事故が以前にあった。2010年7月に岩泉町の岩泉線で、普通列車が崩れた土砂に乗り上げて脱線。土砂搬出の開始は事故の2カ月後、車両撤去は3カ月半後だった。
 JR側は復旧工事費が約130億円に上り、乗客減少が続く状況に見合わないと判断。震災後の12年3月に復旧を断念した。県と沿線の宮古市、岩泉町は存続を要望したが、バスによる代替輸送となり、14年4月に廃線となった。
 山田線は震災で被災した宮古−釜石間(55.4キロ)で、ことし3月に復旧工事が始まった。復旧費210億円のうち140億円はJRが負担し、残る70億円は国の復興交付金を充てる。
 18年度末の一括復旧を目指し、運転再開後は第三セクター三陸鉄道(宮古市)に移管することが決まっている。約3年後、山田線で残るのは、今回事故があった盛岡−宮古間だけとなる。
 山田線の1日1キロ当たりの利用者を示す平均通過人員は、14年度で279人。1987年度は1119人で、その2割弱にまで落ち込んだ。JR東日本管内の在来66路線の中では、65位に位置する。
 この区間では、約100キロの復興支援道路「宮古盛岡横断道」の整備が進む。バス輸送がさらに便利になるとみられ、鉄道利用者の大幅な増加は見込めないのが実情だ。
 それでも、山間部に住む住民にとっては、身近な駅を通る鉄道が頼りになる。厳冬期は、交通手段を遅れがちなバスから定時性に優れる鉄道に切り替えてきた人も多い。
 脱線事故をきっかけに廃線となった岩泉線と単純に比較はできないものの、利用者の間では「山田線も将来、廃線になるのでは」という懸念が広がりつつある。
 達増拓也岩手県知事は「(山田線が建設された)原敬首相の時代にさかのぼって重要な路線。地元の足として観光ルートとして、重要な役割を果たしている」と強調し、JRに対し早期復旧を求めていく考えを示す。
 JRに望みたい。作業を精力的に進めて路線復旧の道筋を早期に提示。技術と経験を駆使して現場の安全を確立し、来年4月以降の復旧工程を固めることを、である。


気仙沼市 住宅跡地の受付終了
気仙沼市で、東日本大震災の津波で被災し住民が住めなくなった土地を市が買い取る事業の受け付けが28日に最終日を迎え、最後の手続きをする市民が訪れました。
被災した土地の買い取りの受け付けを締め切るのは、気仙沼市が県内で初めてだということです。
震災の被災地では、津波の被害を受け、住宅の建設が制限された「災害危険区域」の土地を持つ人たちに高台などに移転してもらうため、自治体が跡地を買い取る事業が進められています。
気仙沼市では、この事業の受け付けを12月いっぱいで締め切ることになり、最終日の28日は市役所の窓口で契約や相談をする人の姿がみられました。
気仙沼市によりますと、買い取りの希望があった土地、111.9ヘクタールのうち、11月までに買い取りが終わったのは96.3ヘクタールで、残る15.6ヘクタールは、▽手続きが続いていたり▽相続関係や抵当権の抹消などで受け付けをしていなかったりするケースだということです。
気仙沼市によりますと、買い取りの受け付けを締め切るのは、県内で初めてだということです。
気仙沼市用地課の金野政義課長は、「集中復興期間が終了する今年度で宅地の買い取りも終える方針で進めてきた。買い取りがまだの人たちには個別に対応していきたい」と話していました。
気仙沼市の受け付けは28日午後5時過ぎとなっています。


<回顧みやぎ>反安保の風 自民を翻弄
◎(10)宮城県議選
<そのとき>
 「高級店『グッチ』の前でマイクを握ることに被災地の復興を感じる」
 宮城県議選が告示された10月16日、仙台市中心部の街頭演説で自民党の茂木敏充選対委員長が青葉選挙区(定数8)の応援マイクを握った。能天気なあいさつの後は安倍政権が掲げた「新三本の矢」のアピールに終始。世論を二分する安全保障関連法には触れなかった。
 「『戦争法』でなく『戦争抑止法』だ」。同じ会場で保守派のベテラン候補は理解を求めた。有権者の反発覚悟で地方議員が本題に切り込む一方で、党幹部が何も語らないコントラストに違和感を覚えた。
 東日本大震災から4年7カ月で迎えた県議選は、震災復興の加速が最大争点だった。だが、直前の9月に成立した安保法制をめぐる与野党攻防も注目ポイントとなった。
 法案が国会審議中だった8月の仙台市議選では、党関係者は「強い逆風が吹いた」と口をそろえた。県議選は「平和安全法制を国民に丁寧に説明する」(安倍晋三首相)上で格好の舞台と思われたが、青葉区のベテランのような例はまれ。
 多くの公認候補は「あくまで県政が主軸」と争点化を避けた。国政の代理戦争で野党の攻勢を受け、語ろうにも語れないジレンマを抱えているようだった。
<それから>
 10月25日の投開票日。共産党が青葉選挙区のトップ当選をはじめ、反安保の世論を原動力に議席を倍増させた。消滅の危機もささやかれた社民党は護憲を旗印に、1議席を守り切った。
 自民は公認した34人のうち現職4人を含む7人を落選させた。反安保の風に翻弄(ほんろう)され、革新勢力に票を奪われたことが敗戦の構図の共通項として挙げられる。
 「苦戦の要因は有権者への説明不足に尽きる。逃げずに向き合わなければならない」。来年夏に迫る参院選を見据え、ある県連幹部は厳しく振り返った。
 国政課題をめぐる自民への攻勢は、改選後初の11月定例会中も続いた。東北電力女川原発(女川町、石巻市)再稼働反対を訴え、民主、共産などが超党派の議員連盟を組織した。
 こうした勢力が、数に勝る自民を後ろ盾とする村井嘉浩知事とどう対峙(たいじ)するか。来年もウオッチが欠かせない。(報道部・浅井哲朗)
[メモ]県議選(定数59)には前回より4人少ない86人が立候補。34人を擁立した自民党は27人が当選し、推薦の3人を合わせ過半数を確保。最大会派の自民党・県民会議に無所属議員2人を合流させ、改選前比1減の32議席とした。9人を立てた民主党は5人にとどまり苦戦。推薦や支持などの合流で10人の新会派「みやぎ県民の声」を発足させ、第2会派を維持した。共産党は4人から8人に躍進した。


なまはげさん力持ち
 大みそかに男鹿半島の各集落で行われる民俗行事「なまはげ」を前に、なまはげが27日、秋田県男鹿市船越の男鹿総合観光案内所で、帰省客や地元の親子連れなどと一緒に餅つきをした。
 一足早い年越し気分を味わってもらおうと、市観光協会が毎年企画。会場では「なまはげさーん」という呼び掛けに、ウォーと奇声を上げながら2匹が登場し、緊張が走った。なまはげは「泣いていると山さ連れてくぞ」「仲良くしろよ」と時に叱り、時に優しく声を掛けながら、子どもたちと一緒にきねを振るった。
 つき上がった餅はその場で振る舞われ、子どもたちはおいしそうに頬張っていた。


防衛費5兆円 納得いく説明がほしい
 2016年度予算案の防衛費が5兆541億円となり、初めて5兆円の大台を超えた。前年度に比べ740億円、1.5%の増加は、他の歳出と比べても優遇ぶりが際立つ。防衛費は安倍政権が発足して以来、これで4年連続の増加となる。
 中国や北朝鮮の情勢に対応するため、離島防衛や日米同盟の強化をはかるというのが現在の防衛力整備の基本的な考え方だ。それ自体は必要なことだが、精査は十分だろうか。
 防衛費は、装備品の調達内容や総額が5カ年計画の中期防衛力整備計画(中期防、14〜18年度)で決まっている。来年度の防衛予算案も、これに沿って編成されている。
 それにしても新型輸送機オスプレイ、滞空型無人機グローバルホーク、戦闘機F35A、新早期警戒機E2D、水陸両用車など、米国製の高性能で高額な装備品の購入が目立つ。
 主要装備の調達や工事は数年がかりのため、予算は分割払いされる仕組みだ。来年度に発注する装備や工事で、新たに再来年度以降に後払いが生じてくる額は2兆円を超える。
 後払いが膨らむだけでなく、高額な装備は維持費もかさむだろう。将来的に防衛予算を圧迫しかねない。
 例えばオスプレイは、今夏の概算要求の時点では12機をまとめ買いして経費を削減する予定だった。
 だが、米側から技術支援を受けるための経費などが、新たに約200億円必要になることがわかり、結局、来年度は4機の購入に変わった。
 来年3月末に安保法制が施行され、自衛隊の活動内容や範囲が拡大し、それに対応するための訓練が行われれば、必要経費は増すだろう。
 安倍晋三首相は、防衛費の総額は中期防で決まっており、安保法制に伴って防衛費が増えることはないと言う。だが、中期防には3年後の見直し規定がある。中期防3年目にあたる来年度の終わりごろには、見直し圧力が強まるかもしれない。
 在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)は、日米交渉が増額で決着し、前年度より21億円増の1920億円が計上された。
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設をはじめとする米軍再編経費も大幅増となった。
 政府が、移設に反対する名護市を通さず辺野古周辺3地区に直接交付する新設の補助金は、前年度より倍増の7800万円が計上された。防衛省によれば、具体的な使途は決まっていないという。いわばバラマキ予算だ。
 日米同盟の強化は重要だが、増額ありきで、チェックが甘くなっていないだろうか。年明け早々の通常国会では、政府は5兆円の中身について納得いく説明をし、野党は厳しく追及してもらいたい。


政活費の報酬化 非常識な前例を作るな
 あきれた議論である。地方議員に経費として支給される政務活動費(政活費)について、東京都千代田区の審議会は使い道に制限がない議員報酬に付け替えるよう答申した。
 多くの議会が政務活動費の透明化に取り組む中で、使途の報告義務がない報酬にしてしまう発想は常識から外れている。区議会はこんな改革への逆行に応じてはならない。
 「政務活動費に対する積年の課題に一石を投じることができた」。答申に盛られたこんな自画自賛の表現に強い違和感を抱いてしまう。
 千代田区議会の定数は25で、区議は月額15万円の政務活動費が支払われている。石川雅己区長の諮問会議である有識者会議はこのうち10万円分を議員報酬に付け替えるとともに、政務活動費は5万円に減額するよう答申した。実現すれば報酬は月額約72万円に増額する。
 政務活動費は元兵庫県議による多額の流用事件を端緒として、ずさんな使い道が厳しい批判を浴びている。今年も神戸市議会で会派のひとつが約3400万円を「陣中見舞い」などとして所属議員に配っていた問題が発覚するなど、議会の信頼を損ねる事態が後を絶たない。
 だからといって、政務活動費を報酬に回すような発想は理解できない。審議会会長の武藤博己法政大教授は「議員のなり手を増やすには報酬引き上げが必要だ。政務活動費は『政務活動』の範囲が不透明で使いづらい」と説明しているという。だが、労働の対価である報酬と、調査、研究活動など経費への補助金である政務活動費は区別して論ずべきだ。
 政務活動費について「制度そのものを廃止し、自分の報酬の中から自らの責任で支出する時代へと向かっている」と指摘した答申の見解にも賛成できない。
 地方議会の多くは領収書の添付を例外なく義務づけたり、事前に全額支払う方式を見直したりするなど政務活動費改革に取り組んでいる。
 報酬に付け替えれば、これまで批判が多かった飲食などに政務活動費分をあてていくことも自由になる。使い道をできるだけ透明にして、住民の理解を得ていく努力の放棄である。
 議論の進め方にも疑問がある。政務活動費は、地方議会自らがあり方を議論し、金額や公開方法を自律的に決めるのが原則だ。区長の審議会には区議OBも加わっているという。不自然な区側の主導に区議の多くから反発が出ているのは当然だ。
 答申を実現するためには条例改正が必要となる。首都・東京の中心の地方議会であしき前例を作らぬよう区議会は明確な反対姿勢を示し、区は条例案提出を見送るべきだ。


年のおわりに考える 歴史に学びたい寛容
 欧州では押し寄せる難民、テロの影響で、排外主義を訴えるポピュリズムが目立っています。今こそ歴史を振り返り、寛容さを思い起こすべきです。
 旧東ドイツ、人口約十万人の小都市シュウェリンで今年、難民申請するのは二千人を超えるといいます。カトリック系団体などが難民との交流会を開いています。シリアやアフガニスタンからの難民が戦火を逃れて祖国を出た経緯や、ドイツにたどり着くまでの苦労を話していました=写真、右が難民。企画したドイツ人男性(57)はこう言います。
 「この地域では戦後、住民の三分の一が(ドイツが失った東方領土から引き揚げた)難民だった。自分も難民になった気持ちで接してあげなくては」
 メルケル首相が積極的な受け入れを表明したことを受け、今年、ドイツに入国した難民申請希望者は百万人とみられています。各市町村は、人口や経済力ごとに割り当てられた人数を受け入れます。
 ベルリンでは空港跡、見本市会場、兵舎に仮設住居が設けられていました。連邦政府が費用を負担し、ベルリン市の委託で民間企業が運営。ボランティアも手伝い、衣類などの寄付も集まるなど、市民の総力を挙げた取り組みです。
 ナチス時代には人種主義を掲げたドイツですが、すでに多くの外国人が暮らしています。
 一九六〇年代の高度経済成長期、西ドイツはトルコなどから労働者を受け入れました。家族らも呼び寄せ、ドイツのトルコ系住民は約三百万人に上ります。
 これらトルコ系イスラム教徒の移民らに対し、ドイツ連邦銀行理事だったティロ・ザラツィン氏は五年前に刊行した『自壊しゆくドイツ』で、「積極的にドイツ語を学ばず、社会に溶け込もうとしない。ドイツ人に比べて出生率が高く、国の知的水準が下がる」などと差別的な批判をしました。
◆難民保護は国是
 こういった排外主義、反イスラム感情は、ドイツに根強くあります。パリ同時多発テロ後には偏見へとつながりました。冒頭のシュウェリン市では、支援団体事務所に嫌がらせのメールや手紙が匿名で送られてきたそうです。極右らによる難民排斥デモには約三百人が集まりました。
 しかし、ドイツでは極右政党は国政で議席を持つには至っていません。ナチスのユダヤ人迫害の反省を踏まえ、難民の保護が基本法(憲法)にも規定されている“国是”であることを、国民の大多数が自覚しているためでしょう。
 ドイツ政府も二〇〇五年以降、改正移民法を施行し、技能者らの滞在許可を得やすくする一方で、ドイツ語の習得を義務付け、移民らとの統合社会づくりを進めています。今回の難民申請希望者に対してもまず、ドイツ語の学習を勧めています。
 ドイツ一国だけでは、押し寄せる難民を支えきれません。欧州連合(EU)をはじめ、国際社会の分担と協力が必要ですが、イスラム教徒への警戒感が強まっている国も目立ちます。
 テロに見舞われたフランスでは、今月初めの地方選第一回投票でルペン党首率いる極右政党「国民戦線」が躍進しました。
 英国のキャメロン首相は、EU改革として、移民への社会福祉の制限を求め、EU残留か離脱かを問う国民投票を、来年にも実施する方針です。
 米国では、共和党の大統領選候補者、トランプ氏が「イスラム教徒入国禁止」を主張しました。
 しかし、イスラム教徒への差別的な扱いは反発や憎しみを招き、テロや戦争へとつながる悪循環ともなりかねません。
◆ローマ帝国の教訓
 ドイツの外交官に「難民問題の解決策はあるのか」と尋ねたところ、「(四世紀に始まった)ゲルマン民族大移動の際、異民族に不寛容だった西ローマ帝国はまもなく崩壊したが、寛容だった東ローマ帝国はその後、約千年続いた」との見方を示し、今回の難民問題でも寛容な対応がドイツのためになる、と語りました。東ローマ帝国は政府や軍の高官を、諸民族からも採用していたそうです。
 歴史の教訓に学んで寛容な気持ちを取り戻すこと。多様性、多文化主義の根底には、寛容な精神こそ求められます。


東電 除染費負担応じず…13年末以降の計画分
国、立て替え200億円
 東京電力福島第1原発事故に伴う除染の費用負担を定められている東電が、2013年末以降の計画分について環境省の請求に応じない姿勢を示していることが同省などへの取材で分かった。具体的な対象は、本格化しつつある帰還困難区域の除染で、福島県大熊町で今年着手した同区域の除染で同省が立て替える200億円超も完了後の請求が宙に浮く見込みだ。経済産業省は東電を支持する立場を取り、省庁間の意見の対立も浮上。最終的に誰が負担するか決まらないまま巨額の国費が投じられる異例の事態となっている。【関谷俊介、小林洋子】
閣議決定根拠に
 原発事故後の11年に成立した放射性物質汚染対処特別措置法は、除染などについて「(東電は)請求があったときは速やかに支払うよう努めなければならない」と定めている。一方、13年12月20日に閣議決定された福島復興指針には「実施済みまたは現在計画されている除染・中間貯蔵施設事業の費用は東電に求償(請求)する」とされ、その時点で計画がなかった除染などについては請求の可否が示されていない。
 環境省によると、帰還困難区域では閣議決定前、公共施設などで試験的な除染が行われ、東電は費用請求に応じていた。だが、同区域の主要道路などの除染は、閣議決定後に計画され請求の対象ではないとして支払いに応じていないという。
 取材に対し、同省除染・中間貯蔵企画調整チームの小野洋チーム長は「同じ特措法に基づく除染なのに閣議決定前後で請求できるかどうか区別されるのはおかしい。帰還困難区域の除染も請求できると考えている」と主張。一方、経産省資源エネルギー庁電力市場整備室は「閣議決定には計画外の除染を請求するとは書かれていない。東電には閣議決定に従うよう指導している」と話し、東電広報室は「特措法、原子力損害賠償制度、13年の閣議決定に基づき、(環境省などから)丁寧に内容を聞いた上で、関係省庁と協議しながら適切に対応していく」とコメントした。
 除染費用は東電の負担と定められているため、10年間で32兆円と設定された復興事業費には含まれず、東電が請求に応じなければ新たな財源が必要となる。財務省幹部は「環境省とエネ庁で話をして結論を出すことが必要だ」と話している。
 環境省はこれまで12回にわたり除染費用計3810億円を東電に請求。過去にも除染関連の研究開発や普及啓発費などの支払いに遅れが生じたことはあったが、東電は基本的に請求に応じ、計3505億円を支払った。放射線量の高い帰還困難区域での本格的な実施は大熊町が初めてで、今夏に始まり来年度完了予定の95ヘクタール分の事業費は200億円超。同町の残り305ヘクタール分のほか、双葉、浪江、富岡各町なども国に本格的な除染を要望している。
解説…「東電救済」省庁間で対立
 賠償や中間貯蔵施設事業を含め総額11兆円に達する原発事故の処理費用について、国がどこまで財政支援し、東京電力を“救済”するのか。関係省庁や与党内でもさまざまな意見のある支援の線引きをあいまいなままにしてきたことが、新たな難題を生じさせた。
 2013年11月、与党内で処理費用の東電任せを見直す提言がまとめられた。除染などについて新たに特措法を制定して国の財政的関与を打ち出すべきだという声も出たが、世論の反発を考慮し、最終的に「現在計画されている除染を実施した後のさらなる取り組みについては公共事業的観点から検討する」という表現に落ち着いた。だが現在も「取り組み」が除染そのものを指すのか、その他の環境整備を指すのか、提言に関わった議員の中でも認識が分かれ、「除染を公共事業としてやるべきだ」という議員がいる一方で、「除染は基本的に東電の責任だ」という議員もいる。
 提言を受けた形でその翌月に閣議決定された福島復興指針も、計画外の除染については記述がない玉虫色の表現となった。
 中心部が帰還困難区域となっている大熊町や双葉町では、除染の要望が強まっている。ある関係省庁幹部は「帰還困難区域の除染をどう考えるか議論せず、費用負担が宙に浮いてしまった」と話す。13年の閣議決定時点で計画中の除染が具体的にどれを指すかもそもそも明確でない。計画外の除染費用を東電に請求しないなら財源をどうするのか。議論を先送りにした国の責任は重い。【関谷俊介】
除染費用◇
 国直轄分、市町村実施分とも環境省が立て替え、実施後に年4回東京電力に請求する。東電は、国から資金投入されている原子力損害賠償・廃炉等支援機構の支援を受け、同省に支払う。機構は保有する東電株の将来の売却益で国庫納付するが、除染費用は来年度予算分を含めると総額2兆6321億円に上り、同省の2013年時点での試算2.5兆円を超えている。


河北抄
 「戦争について語ってきた野坂昭如さんや水木しげるさんが亡くなってしまったので、もういっぺん書いてみようかと思って」。先週の朝刊「声の交差点」で<大戦の犠牲 政府は直視を>と訴えた栗原市の菅原利男さんは92歳。
 71年前の1944年、出征してインパール作戦が展開されたビルマ、今のミャンマーに赴いた。悲惨な戦場だったという。記憶は今も鮮明で詳しく話す。
 「私が現地に着いた時はもう敗走が始まっていた。ジャングルの中でマラリアなどで次々に人が死んでいった」。目の当たりにした様子を自費出版した『パゴダの祈り』という本にまとめたが、「遺族の気持ちを思いやれば、あの本に書けないほどのむごたらしさだった」。
 「だから戦争は嫌だ」と言う菅原さんは安全保障関連法に異議を申し立てる。「後方支援というのは戦争参加と同じ。相手が黙っていますか?」
 本を出したのは敗戦から60年がすぎた年だった。それから10年。居ても立ってもいられなくなった菅原さんの言葉はいたく胸に染み入る。


日本軍「慰安婦」研究会設立準備会による声明「日本軍「慰安婦」問題、早まった「談合」を警戒する」発表
2015年12月28日に予定されている日韓外相会談に向けて韓国の研究者らの「日本軍「慰安婦」研究会設立準備会」より声明が発表されました。
(以下、声明)
日本軍「慰安婦」問題、早まった「談合」を警戒する
日韓国交正常化50周年である2015年の暮れに、日本軍「慰安婦」問題をめぐる日韓両国政府の慌ただしい動きがメディアの報道を埋め尽くしています。
日本の安倍晋三総理が岸田文雄外相に訪韓を指示し、日韓両国は12月28日に外相会談を開催し協議することにしたと伝えられています。また、この背後には李丙青瓦台秘書室長と谷内正太郎国家安全保障局長による水面下の交渉があったといいます。
すでに高齢である被害者たちが存命中に問題を解決することが最善であるという点については異議を差し挟む余地はありません。しかし時間を理由として早まった「談合」をするのならば、それは「最悪」になるでしょう。
1990年代初めに日本軍「慰安婦」問題が本格的に提起されてからすでに四半世紀が過ぎました。この長い月日に渡って、被害者たちと、彼女たちの切なる訴えに共感する全世界の市民たちが問題解決のための方法を共に悩み、それによって明確な方向が定まってきました。「事実の認定、謝罪、賠償、真相究明、歴史教育、追慕事業、責任者処罰」がそれです。このことこそが、これまで四半世紀をかけて国際社会が議論を重ねてきた末に確立された「法的常識」です。
日本軍「慰安婦」問題の「正義の解決」のために、日本政府は「日本の犯罪」であったという事実を認めなければなりません。この犯罪に対し国家的次元で謝罪し賠償しなければなりません。関連資料を余すところなく公開し、現在と未来の世代に歴史の教育をし、被害者たちのための追慕事業をしなければなりません。そして責任者を探し出し処罰しなければなりません。そうすることではじめて、日本の「法的責任」が終わることになるのです。
私たちは日本軍「慰安婦」問題に対する韓国政府の公式的な立場が「日本政府に法的責任が残っている」というものであることを再び確認します。韓国政府は2005年8月26日「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」の決定を通じ「日本軍慰安婦問題など、日本政府・軍等の国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定によって解決されたものと考えることはできず、日本政府の法的責任が残っている」という立場をはっきりと表明しました。また、これは2011年8月30日の憲法裁判所の決定と、2012年5月24日の大法院判決でも韓国政府の公式的な立場として重ねて確認されました。
私たちは1995年に始まった日本の「女性のためのアジア平和国民基金」が失敗したことは「日本の責任」を曖昧な形でごまかそうとしたためであることをもう一度確認します。国民基金は日本国民から集めた募金で「償い金」を支給し、日本政府の資金で医療・福祉支援を行い、内閣総理大臣名義の「お詫びの手紙」を渡す事業でした。しかし日本政府が「道義的責任は負うが、法的責任は決して負えない」と何度も強調し、まさにその曖昧さのせいで多くの被害者たちから拒否されたのです。
今、日韓両国政府がどのような議論をしているのかは明らかではありませんが、メディアによって報道されている内容は上述のような国際社会の法的常識と日本軍「慰安婦」問題の歴史はもちろん、韓国政府の公式的な立場とも明らかに相容れないものです。1995年の国民基金の水準さえも2015年の解決策とはなりえません。それ以下であるのならば、さらに言うまでもありません。何よりもそれはこれまでの四半世紀の間、「正義の解決」を訴えてきた被害者たち
の願いをないがしろにするものです。
今から50年前、日韓両国政府は「経済」と「安保」という現実の論理を打ち立て、過去清算問題に蓋をすることを「談合」しました。まさにそのために今も被害者たちは冷たい街頭で「正義の解決」を訴えざるをえなくなりました。50年前と同じ「談合」をまたしても繰り返すのであれば、これは日韓関係の歴史に大きな誤りをまたひとつ追加する不幸な事態になってしまうでしょう。
2015.12.27.
日本軍「慰安婦」研究会設立準備会


【日韓外相会談】 元慰安婦「すべて無視する」と反発
 【ソウル=藤本欣也】韓国の聯合ニュースによると、日韓両政府による慰安婦問題の合意について、元慰安婦の李ヨンスさん(87)は28日、「慰安婦被害者たちのために考えていないようだ」「(会談結果を)すべて無視する」と強い不満を表明した。
 元慰安婦が暮らす「ナヌムの家」の安信権(アン・シングォン)所長も「被害者たちを無視した政治的野合だ」と非難した。


元慰安婦、「賠償を」と反発 受け入れの声も
 【ソウル共同】日韓両外相が28日、旧日本軍の従軍慰安婦問題の決着で合意したことについて、元慰安婦の女性からは「野合だ」「賠償すべきだ」などと反発が相次いだ。一方「政府に従う」と受け入れる声も聞かれた。
 元慰安婦が暮らすソウル郊外の施設「ナヌムの家」で記者会見した柳喜男さん(87)は「満足はできない」としつつも、「政府が年内に解決しようとしているので、尽力している方々のことも考え政府のやる通りに従う」との考えを示した。
 ナヌムの家の安信権所長は、日韓合意に日本の「法的責任」が明示されていないと指摘、「被害者を除外した韓日両政府の拙速な野合だ」と批判した。


日韓合意 元慰安婦の女性は賛否両論
日韓両政府の合意について、元慰安婦の女性たちからは「受け入れたい」という声がある一方で、あくまで法的な賠償が必要だと不満の声も上がっています。
会談の結果を受けて、28日午後、ソウル近郊にある元慰安婦の女性たちが暮らしている施設「ナヌムの家」で記者会見が開かれました。
このうち、ユ・ヒナムさんは「これまで人間としての権利を持って生きることができなかったので、満足はできませんが、とにかく政府がことし中に解決しようと努力してくれたことも考え、政府に従いたいです」と述べ、合意を受け入れる考えを明らかにしました。
一方、イ・オクソンさんは「私たちは公式の謝罪を受けて、法的な賠償を受けなければならず、名誉が回復されなければなりません」と述べ、合意に不満を示しました。また、ナヌムの家のアン・シングォン(安信権)所長は「被害を受けた当事者を除外した韓国と日本の拙速な野合だというほかない」と述べて、元慰安婦の意見を聞かないまま両国の政府が話を進めて合意したとして、厳しく非難しました。

再び第九/年賀状印刷/今日こそTAYBEH Beer

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第13回部落解放同盟全国大会

Nouvelle manifestation à Ajaccio : ≪On est chez nous≫
Au lendemain du saccage d'une salle de prière consécutive à l'agression de deux pompiers et un policier, quelques centaines de manifestants ont repris la rue samedi dans la cité corse.
≪On est chez nous≫, ≪Arabes dehors≫, ≪On est toujours là≫, ont scandé samedi après-midi quelques centaines de manifestants venus protester pour la seconde journée consécutive dans plusieurs quartiers populaires d’Ajaccio contre l’agression de deux pompiers et un policier la nuit de Noël. ≪Je suis contente qu’ils soient là≫, a témoigné une habitante des Jardins de l’Empereur, une cité populaire des hauteurs de la ville, interrogée par l’AFP : ≪ça fait cinquante ans que je vis là et ce n’est plus possible≫.
Au lendemain du saccage d’une salle de prière musulmane en marge d’une première manifestation, un dispositif conséquent de gendarmes mobiles et CRS veillait à empêcher tout débordement dans ce quartier où les manifestants sont arrivés en milieu d’après-midi, avant de se diriger vers les quartiers voisins de Saint-Jean et Sainte-Lucie.
Les portes vitrées de trois halls d’entrée du quartier de l’Empereur ont été brisées à coups de pierre par un manifestant, a constaté une journaliste de l’AFP qui n’a noté aucune violence à Sainte-Lucie, où un fumigène a simplement été lancé.
Le cortège commençait à se disperser vers 18 heures.
≪Un véritable guet-apens≫, selon un pompier blessé
Ces manifestations visent à dénoncer les agressions dont ont été victimes deux pompiers puis un policier dans la nuit de jeudi à vendredi. Selon la préfecture, un incendie avait été ≪volontairement allumé≫ dans les Jardins de l’Empereur ≪pour attirer les forces de l’ordre et les pompiers dans un guet-apens≫.
Selon le témoignage de l’un des deux pompiers blessés dans cette agression, ils sont d’abord tombés sur cinquante à soixante individus qui se trouvaient autour d’un feu et leur ont lancé des projectiles : pierres, parpaings, barre de fer. Puis, alors qu’ils rebroussaient chemin, les pompiers ont a nouveau été pris à partie par un petit groupe : ≪Nous avons été pris dans un véritable guet-apens par une vingtaine de personnes armées de barres de fer, de battes de baseball, cagoulées. Ils ont essayé de nous porter des coups, d’ouvrir le camion, ils ont réussi à briser les vitres≫, a relaté le pompier sur i-Télé.
≪C’est un tout petit groupe de jeunes≫, a nuancé Mehdi, un autre habitant des Jardins de l’Empereur, âgé de 35 ans. ≪Les parents abandonnent, le problème c’est l’éducation. Mais nous, nous voulons tous vivre ensemble, sans problème.≫
≪Arabi fora≫, ≪On est chez nous !≫, ≪Il faut les tuer≫
Vendredi, une première manifestation pacifique de soutien aux pompiers et au policier a rassemblé quelque 600 personnes devant la préfecture d’Ajaccio mais, en fin de journée, environ 300 d’entre elles ont rejoint le quartier des Jardins de l’Empereur. Ces manifestants ont d’abord affirmé vouloir retrouver les auteurs de l’agression de la veille, scandant pour certains ≪Arabi fora (les Arabes dehors, ndlr) !≫ ou ≪On est chez nous !≫.
Une vidéo - non authentifiée - publiée sur Twitter fait aussi état de manifestants criant ≪Il faut les tuer≫ :
Un petit groupe s’est ensuite détaché pour saccager une salle de prière musulmane. Les casseurs ont tenté de mettre le feu, puis n’y arrivant pas, ont cherché à bruler une cinquantaine de livres, dont des exemplaires du Coran. Un restaurant kébab a été également dégradé.
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明日へ -支えあおう- 復興サポート 命を守るコミュニティーを作ろう 〜岩手・大槌町 Part2〜
全国から知恵ある専門家を被災地に招き、住民との話し合いの場を設けて復興への道筋を探る「復興サポート」。今回は、孤独死やひきこもりなどを防ぐための、住民同士のつながり作りがテーマ。大槌町では仮設住宅から災害公営住宅への入居が始まっているが、入居者の多くが一人暮らしの高齢者。見守り活動から見えてくる地域の課題やニーズをもとに、移送サービスや家事支援などを生み出し、安心して暮らせる地域を作るにはどうすればいいのか。阪神淡路大震災後に神戸で数々のコミュニティー事業を立ち上げ、住民が支えあう地域づくりを成功させた中村順子さんを迎え、住民や支援者などで話しあっていく。
明日へ -支えあおう- 復興サポート 今こそ 若い力でボランティア!
減り続ける東北へのボランティア。いま期待されているのが学生たち。マンパワーだけでなく、活動を後輩に引き継ぐことで“継続的な支援”につなげたり、若い世代が少ない地域にとっては世代間をつなぐ重要なパイプになることも。しかし参加方法が分からず二の足を踏む学生も多い。今回は大学生で女優の川島海荷さんがボランティア体験。参加する際の備えや注意点などを紹介。また宮城県仙台市の東北学院大学に学生が集まり、無理なく継続的に出来るボランティアのあり方を議論する。
サンデーモーニング年末SP「答えなき世界」〜行きづまりの時代に〜
今朝は7時から▽有志連合・イラク軍対「イスラム国」・最新情報▽高浜原発再稼働へ・その訳は▽40年ぶり原油輸出解禁・米の思惑▽スポーツ御意見番は張本勲&上原浩治 ▽今年一年の「喝!&あっぱれ」 ▽関口宏の「一週間」▽年末特集「答えなき世界」〜行きづまりの時代に〜▽「イスラム国」はなぜ生まれたのか▽格差が拡大するグローバル化▽実験で探る人間心理▽「混とん」社会の行方とは?
関口宏 ト
寺島実郎 姜尚中 中村桂子 安田菜津紀 岸井成格
橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美
張本勲&上原浩治
三枝成彰

NHKとっておきサンデー 増刊号〜2015 年末スペシャル〜
もう一度見たい!2015:今年は視聴者の皆さんからの再放送希望が最も多かったNHKスペシャル「腰痛・治療革命」をまるごとアンコール放送▽あさが来た一週間:今年最後の1週間分を20分のダイジェストで!ヒロインの波瑠が後半の見どころを紹介▽とっておきチェック:総合テレビ・Eテレ・BS・ラジオに分けて年末年始のおすすめ番組の魅力を詳報。
篠山輝信,豊田エリー,與芝由三栄

ガリレオX「MRJ 失われた50年からの飛翔」
2015年11月11日に悲願の初飛行に成功した国産旅客機MRJ。戦後初の国産機YS11の初飛行から50年目のフライトだった。日本は自動車、鉄道、造船産業の分野においては、世界トップの技術力を誇ってきたにもかかわらず、航空機産業だけは立ち遅れたままであった。果たして、その理由とは? 飛行を成功させたMRJの最新技術とともに、「失われた50年」とも呼ばれる日本の航空機産業における国産旅客機復活の軌跡を追う。
鈴木真二さん 鈴木一義さん 大貫武さん

教科書が変わる!?日本人のルーツをさぐる旅
人類は1万5千年以上前の旧石器時代に初めて日本列島に現れ、縄文時代にかけて各地に定住を始めたとされている。そんな「日本人の原点」とも言えるご先祖さまの人骨が、沖縄や富山で大量発掘!しかも骨からなんとDNAまで取り出され、その最新分析から、日本人の太古のご先祖さまたちが「どこからやってきた、どんな人たちだったのか」という謎が解明され始めている。教科書には書かれていない驚きの“ご先祖さま像”に迫る!
天野ひろゆき,壇蜜,
篠田謙一,小林達雄,
森公美子,クリス松村,阿部祐二,
チョー,谷口恵美

NHKスペシャル 証言ドキュメント▽永田町・権力の興亡 “安倍一強”実像に迫る
戦後70年の節目を迎えた2015年、日本政治は「安倍一強」とも呼ばれる状況になっている。その状況は、なぜ、いかにして生まれ、何をもたらそうとしているのか。国論を二分する中で成立し、最大の政治テーマとなった安全保障関連法をめぐる攻防、そして無投票に終わった自民党総裁選の水面下でのせめぎ合い…。今年の政治をめぐる「攻防・葛藤・決断」のドラマを政治家たちの証言から浮き彫りにし、日本政治の行方を探る。
豊原謙二郎

ドキュメンタリーWAVE▽若者の声を政治に届けたい〜スペイン議会選挙 新党の挑戦
スペインで、若者たちが中心となって2年前に結成した新政党ポデモス。彼らは全国各地で、就職や住まい、医療など、身近な問題について、繰り返し議論する中から新たな政策を提案し、急速に支持を拡大してきた。その勢いは、首都マドリードの市長選で、ポデモスが応援する候補を当選させるほど。若者の声を政治に届ける新たな回路として注目を集めてきた。ポデモスが初めて挑んだ国政選挙、12月20日のスペイン議会選挙を追う。
教えて!生命の不思議 プレゼンスタジアム2015 前編
サイエンスzero今年で3回目となる日本科学未来館での公開収録。若手科学者6名が自らの研究について熱くプレゼンするZEROの一大イベントだ。今年のテーマは「生命の不思議」。生命の本質は何なのか? 地球外生命体はいるのか? コンピューターはどこまで生命体に近づけるか? 最強の生物は何なのか? など、謎多きテーマに若手科学者たちが熱いプレゼンで挑む! 観客の“科学心”を揺さぶり、プレゼン・キングに輝くのは果たして誰か!? 前編となる今回は3名が登場する!
これが宇宙の種を取る材料?/ 宇宙に生命の種を取りに行く(横浜国立大学 癸生川陽子准教授)/ 進化の“ビックリ!”お見せします!(名古屋大学 鈴木麗璽准教授)/ クマムシから学ぶ生命の不思議(慶應義塾大学 堀川大樹特任講師)/ 開幕!サイエンスZERO プレゼンスタジアム2015。今年のテーマは「生命の不思議」。 6名の若手研究者が熱いプレゼンを繰り広げた。いつものスタジオを飛び出しての公開収録。/ 前編となる今回はまず3名が登場。宇宙から”生命の種”有機物が地球にやってきたことについてプレゼンする横浜国立大学准教授の癸生川陽子さん。/ コンピューター内に仮想空間を作り、生物の進化の過程を探る名古屋大学准教授の鈴木麗璽さん。/ 最強生物”クマムシ”の秘密に迫る慶應義塾大学特任講師の堀川大樹さん。/ 伊集院 光

21世紀の第九
[指揮]ケン・シェ
[管弦楽]日本センチュリー交響楽団
[合唱]京都バッハ・アカデミー合唱団
[ソプラノ]上村智恵
[アルト]山田愛子
[テノール]松本薫平
[バリトン]キュウ・ウォン・ハン
ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 「合唱付」 op.125


12月で三回目の第九です.2・3月にも聞いているから今年だとかなり聞いていることになります.今日の第九の指揮者はいつもより若い感じです.30代かな?今回はトライアングルの響きがとてもよいと感じました.予備の?ヴィオラが謎ですが・・・
夜になってやっと年賀状を印刷しました.でも何かメッセージ書かないとダメですよね?明日投函します.
昨日買ってきたパレスチナのタイベビールを飲みました.日本でも色々なお店で販売しているみたいです.

映画「泣がぃん」舞台の気仙沼で上映会
 気仙沼市を舞台にした地域発信型映画「泣がぃん」が23日、同市本吉町のはまなすホールで上映された。菊池清嗣監督や主演のあべこうじさんらの舞台あいさつがあり、訪れた市民約200人は地元での初公開に大きな拍手を送った。
 大手芸能プロダクション・よしもとクリエイティブエージェンシーが制作し、市民で組織する「気仙沼・鮫(フカ)イイ映画制作実行委員会」が協力。多くの市民が出演した。
 会場では、あべさんら出演した芸人によるライブなどに続き「泣がぃん」を上映した。題名は地元の言葉で「泣きなさい」の意味。観客は、東日本大震災からの再起を誓う涙と笑いがあふれた内容に引き込まれた。
 仙台市や遠野市で少年時代を過ごした菊池監督は「今の気仙沼を背伸びせず描きたかった。5年後、10年後の記録映像にもなる」とあいさつ。主人公と心を通わせる少年役の気仙沼市松岩小4年宮井伯武(ともたけ)君は「撮影の時は寒かった」と振り返った。


<5度目の年の瀬>変わらぬ味覚 食卓へ
◎2015年被災地(7)セリの収穫(名取市)
 鮮やかな緑が水面に映える。名取市下余田で地元特産「仙台セリ」の収穫作業が最盛期を迎えている。
 腰まで水に漬かり、30〜40センチに伸びたセリを3〜4把ずつ収穫する。「茎が折れないよう、水に浮かせるように優しく持ち上げるのがこつ」とセリ農家大内繁徳さん(52)が言う。
 名取のセリ栽培は江戸時代初期に始まり、約400年の歴史がある。現在は下余田と上余田で2組合、計約60軒の農家が栽培する。
 シャキシャキとした歯触りと香りの良さを支えているのは清らかで豊富な地下水だ。地中からくみ上げる水の温度は年間を通じて10〜13度に保たれ、安定した生育を可能にする。
 東日本大震災時は沿岸部の排水設備が津波で壊れたため下流に水を流せず、セリの洗浄ができなかった。組合は苦しみながら栽培を続け少しずつ出荷量を回復した。
 その年末、仮設住宅にセリを配った。住民の声で苦労が吹き飛んだ。「雑煮にはやっぱり仙台セリが欠かせない。ありがとう」
 近づく正月も、変わらぬ味で食卓を彩る。


「閖上まちカフェ」で餅つき交流
 東日本大震災で被災した名取市閖上地区の交流拠点「閖上まちカフェ」で26日、復興支援で贈られたもち米を使った餅つきがあり、被災者ら約120人が交流を深めた。
 閖上を視察に訪れた福井県坂井市と長野県小諸市の住民が「閖上の住民に元気になってほしい」と計45キロのもち米を寄贈。地域情報紙「閖上復興だより」のスタッフが餅つきを企画し、仮設住宅の住民らに参加を呼び掛けた。
 釜でもち米をふかした後、大人と子どもが代わる代わるきねを振り下ろした。出来上がった餅は、あんこやきな粉、納豆などをまぶして振る舞われた。
 参加者は支援に感謝しながら餅を頬張り、「おいしいね」「軟らかいよ」などと声を弾ませた。


コーヒーで被災地を元気に
 東日本大震災で大きな被害が出た宮城県山元町に、従業員たった一人の小さなコーヒー焙煎(ばいせん)工場が稼働している。東京のNPO法人「高麗(こうま)」(高麗恵子代表)が東北各地で取り組む被災地支援の一環として開設。エチオピア産豆の深みのある味わいで、じわじわ人気を広げる。将来的には事業を拡大して被災地の雇用を増やし、復興を加速化させる大きな夢を描く。
 工場は10月にオープン。被災農家が同町山寺に設立した農業生産法人「山元いちご農園」の敷地内にある。特産のイチゴの大型栽培ハウスが立ち並ぶ脇に、広さ6畳ほどの小さなプレハブが立ち、小型の焙煎器や作業スペースがある。
 NPOは2000年ごろから貧困に苦しむエチオピアの支援として、野生のコーヒー豆を輸入、販売する事業を展開している。加工は専門業者に委託していたが、高麗代表が農業による復興に取り組む農園の岩佐隆社長(60)に共鳴。「夢と希望のある仕事づくりを被災地で行いたい」(高麗代表)と敷地内に自前の工場を開いた。
 スタッフは小沢広祐さん(31)のみ。生まれ育った東京から近隣の亘理町に転居して工場に通う。ピアノ音楽が流れる工場内でエチオピアとタンザニア産の良質な豆を丁寧により分け、じっくり焙煎して袋詰めする。営業や販売も一人でこなす。
 小沢さんは「エチオピアではコーヒーが胃腸薬などとして飲まれている。雑味はなく深みがあり、体に染み渡るような味わいが特長」と胸を張る。東北各地の飲食店のほか、町内のケーキ店「プチット・ジョア」で飲むことができる。豆は農園内のカフェで販売している。
 高麗代表は「工場を東北の新たな拠点と位置付けている。ゆくゆくは工場の規模を拡大し、未来への希望がある雇用の場をつくりたい」と話す。岩佐社長も「両法人が手を携えることが復興につながると思う。いずれはコーヒーとイチゴのコラボ商品を開発できたら面白い」と協力を惜しまない。


<あなたに伝えたい>ずっとそばに 帰り待ってる
◎佐藤信行さん(気仙沼市)しなをさん、才子さんへ
 信行さん 震災からしばらくして、あの日、おふくろと妻が高台にいたと聞きました。明治三陸大津波を想定した避難場所です。もっと高い津波を想定できていたら。遺族会が高台に建てた慰霊碑に「大地が揺れたらすぐ逃げろ より遠くへ…より高台へ…」と刻みました。
 おふくろは農漁業の家で子ども5人を育てました。朝から晩まで働き詰め。でも授業参観はもんぺ姿で必ず来ました。私が栃木県で農業研修をした時、体調を心配して手紙をくれたことが忘れられません。
 小中学校の同級生の妻は地元青年会で仲良くなり、20歳で結婚。2男1女をもうけました。夫婦で稲作やイチゴ栽培に励み、ノリやワカメの養殖も手掛けて休みなしの日々でした。優しい妻は愚痴も言わずに支えてくれました。
 長女が18歳の時に難病を患い、一番心配していたのも妻です。その長女にことし2月、女の子が生まれました。危険を伴う出産でしたが、男親は何もできない。「妻がいてくれたら」と何度思ったことか。
 自宅は災害危険区域に指定され、11月に集団移転団地の宅地を引き渡されました。震災発生の当日におふくろや妻がいた高台や自宅の近くです。津波をかぶった場所なので「なぜ」と言われますが、愛着のある集落、自宅のそばで、妻の帰りを待ちたい。
 震災後に農業を継いでくれた次男家族と一緒に家を建てます。苦労ばかり掛けた妻に「結婚を後悔していないか」と問い掛ける日々でしたが、今は、いつもそばにいると思えています。
◎慰霊碑近くで次男家族と一緒に再建
 気仙沼市波路上杉ノ下で農業佐藤信行さん(64)は母しなをさん=当時(87)=、妻才子さん=同(60)=、長女(35)の4人で暮らしていた。あの日、信行さんは市街地に出掛けていた。しなをさんと才子さんは避難場所に指定されていた海抜11メートルの高台に避難したところを津波にのまれた。約1カ月後にしなをさんの身元を確認。才子さんはいまも行方が分かっていない。


<検証 制度>父親子育て 孤立防げ
 東日本大震災では父子家庭が孤立する現状が浮き彫りになった。地方では男性が助けを求めづらい風土も残る。こうした現状を踏まえ、子育て中のパパたちが気軽に地域や仲間とつながれる環境づくりを模索する取り組みが、被災地で始まっている。
 岩手県陸前高田市の高田大隅つどいの丘商店街で20日、戸羽太市長と父親ら約10人が「子育てをしやすい街づくり」をテーマに話し合った。戸羽市長は震災で妻を亡くして父子家庭になった。
 企画したのは商店街で子育て拠点施設を運営するNPO法人きらりんきっず。震災翌年から「パパデー」と称して父親対象のイベントを定期的に開く。伊藤昌子代表理事は「お父さんが積極的に地域や子育てに関わっていける街にしたい」と狙いを語る。
 市内では震災で1759人が死亡、行方不明となった。被災直後から犠牲者の情報は人づてに広まり、子育て中の妻が命を落とした父子家庭の存在も次々と聞こえてきた。
 ただ、支援が必要といった問題意識はあっても近寄りがたいのが現実だった。伊藤さんは「何かしたくても、大変な気持ちが痛いくらい分かるから、逆にどう接していいのか分からなかった」と振り返る。
 被災地支援に入ったNPO法人新座子育てネットワーク(埼玉県新座市)の坂本純子代表理事も「支援者がお父さんたちを心配そうに見ている状況だった」と指摘する。
 同ネットワークは震災後、日本ユニセフ協会(東京)のプロジェクトで父子家庭を中心に支援を開始。最初に母親とは勝手が違う父親支援の浸透に取り掛かった。当事者ではなく支援者の研修に重点を置いた。
 不慣れな家事や育児、仕事との両立の難しさなど父子家族を取り巻く知識やデータ、支援窓口をまとめたハンドブックを作製。岩手、宮城、福島3県で保育士や民生委員らの研修会を20回以上重ねた。
 ことし夏でプロジェクトは終了したが、陸前高田市のように父子家庭も参加しやすい場を絶やさない活動が各地で続けられている。
 坂本さんは「自然災害は性別に関係なく誰の命でも突然奪う。ひとり親になった場合は地域とのつながりが孤立を防ぐ。支援者側はたとえ人が集まらなくても地道に活動を続けることが大切だ」と訴える。


愛媛の子から届いた善意 被災集落で餅つき
 東日本大震災で被災した山元町の牛橋地区で27日、愛媛県の子どもたちから贈られたもち米を使った餅つき大会があった。2012年から復興支援として町内の各集落で続く行事。1200キロ離れた子どもたちからのエールがことしも被災者を喜ばせた。
 同県伊予市などの小中学校13校の児童生徒が水田14アールから収穫したもち米100キロを使用。各校の教職員で同県教育研究協議会伊予支部のメンバーやその家族34人が、車で牛橋区民会館まで運んだ。
 メンバーらはきねと臼で餅をつき、ぜんざいや雑煮にして住民に格安で提供。児童生徒が丸め、メッセージを添えた鏡餅も贈った。
 同支部は5年計画で山元への支援を続け、ことしで4回目。支部長で同県松前町松前小の渡辺聖校長(59)は「児童生徒は被災地の子どもたちに元気になってほしい思いから活動を続けている。喜ぶ住民の姿を戻って伝えたい」と話した。
 地元の復興支援に携わるNPO法人「未来に向かって助け合い」などが主催。焼きホタテの販売やカラオケ大会もあった。


ホヤを食べ、少し大人に…巨大かるた作製
 1949年制作の「宮城県郷土かるた」を手本に、巨大かるたを作るワークショップが26日、塩釜市杉村惇美術館で開かれた。歴史や地理、文化を題材にし、郷土愛を育むきっかけにしようと美術館が企画した。
 子どもから大人まで約40人が参加。12月初めのワークショップで考えた読み札を基に、山形市の画家浅野友理子さん(25)=多賀城市出身=の指導でA2判の用紙に絵を描いた。
 「ホヤを食べ/少し大人に/近づいた」「笹かまぼこ/たき火でやくと/おいしいよ」など宮城ならではの読み札に合わせ、46枚の絵札が出来上がった。
 郷土かるたは、塩釜ゆかりの洋画家杉村惇氏(1907〜2001年)が手掛け、2011年に復刻された。美術館の担当者は「震災後の今だからこそ、宮城の姿を残したい」と話す。来年1月9日、かるた取り大会を開く。


<回顧みやぎ>堤防決壊 水禍まざまざ
◎(9)宮城豪雨(大崎市)
<そのとき>
 豪雨の一夜が明けるのを待って、江合川へ車を走らせた。居着きのハクチョウが羽繕いをする岸辺も、河川敷のテニスコートも濁流の下だった。脇道で車が何台も水没していた。
 鳴瀬川に水位観測の大きな標柱があるのを思い出した。美里町経由で大崎市三本木の鳴瀬川を目指す。
 写真を撮り終えて空を仰ぐ。ヘリコプターが旋回しているのは北西の方角だ。「あそこで何かが起きている」と直感した。国道4号に上がったが、渋滞の車列が動く気配はない。
 来た道をとって返し、古川署に飛び込んだ。交通課の署員が「午前3時すぎに国道4号を通行止めにした。渋井川の堤防が決壊し、濁流が4号を横断している」と教えてくれた。
<それから>
 気仙沼市から大崎市古川西荒井に引っ越してきたという会社員女性(52)に話を聞いた。彼女は東日本大震災の被災者だった。海の近くはこりごりと移住した内陸部で水禍に遭い、再び家財を失った。
 「津波はね、土煙を上げてごう音とともに迫ってきたの。今度の洪水はね、闇の中を音もなく押し寄せてきたのよ」。未明、脱出を決意して外に出たところ、水の壁が路上を生き物のようにうねっていたという。
 農家の苦悩も深かった。転作作物の大豆は壊滅。12日午後、視察に訪れた国会議員らに、農家の人たちは口々に訴えた。「機械力で強制排水してほしい。今なら水没した稲を救える」
 ポンプ車による排水が実行され、鏡のような水面から稲穂が顔を出した。9月25日からの等級検査では、西荒井産米が全量、1等米と判定された。農家も、検査員も笑顔を輝かせた。私も思わず、「おめでとう」と声を上げていた。
 あの日から4カ月近くが経過したが、いまだ生活再建を果たせずにいる人は多い。「家財道具どころか、家には床板もない。新年は娘宅で迎える」と、60代の女性がため息をつく。
 堤防の強化という課題も残る。県は年明けに強化方法を地区住民に示す。地元の相沢孝弘市議(64)は言う。「渋井川だけ強化してもだめだ。鳴瀬川、江合川の水系全体を見直さないと。いずれ、どこか弱い所がまた決壊するだろう」
 渋井川が与えた課題に、来年も向き合わなければならない。(大崎総局・野村哲郎)
[メ モ]
茨城県で鬼怒川を氾濫させた9月の大雨は、県内にも爪痕を残した。10日夜から11日未明の激しい降雨により、栗原市で2人が死亡。大和町では吉田川が氾濫して中心部が孤立状態に陥った。大崎市を流れる鳴瀬川支流の渋井川の堤防が3カ所で決壊。古川西荒井などで700戸が浸水被害を受け、2700ヘクタールの農地が冠水した。避難所生活を余儀なくされた市民は一時、2300人に上った。


河北春秋
 師走に入ってから、東日本大震災の被災地で災害公営住宅の完成が相次いでいる。宮城県七ケ浜町でも、整備を計画した5地区のうち、残り2地区で住民に鍵が渡された▼「何とか、正月に間に合ってよかった」と町の担当者は心底ホッとしたよう。4人の子どもを持つ女性は「自分の部屋ができるとみんな喜んでいます」と話す。震災から5度目の正月を新居で過ごし、餅を食べながら談笑する一家の様子が目に浮かぶ▼以前の地域社会、身を寄せ合った避難所、長期間暮らした仮設住宅、そして災害公営住宅へ。その場、その場で培ったコミュニティーは、暮らす場所が移るたびに壊れた。住民の生活再建は災害公営住宅に入居して終わりではなく、まさにそこから始まる▼気になる記事があった。仮設住宅で暮らす被災者のうち、仮設を出た後の恒久住宅の再建計画が決まっていない世帯が宮城県内で3297世帯に上るという。安心のすみかを得られる日はいつ来るのか。不安を抱えたまま新年を迎える人もおられよう▼塩釜神社が2日、JR本塩釜駅前に巨大な絵馬を据え付けた。来年のえとにちなんで、さるの親子が描かれている。神職はこう思いを込めた。「災いが去る、運が開く年に」。来年こそは復興を実感したい、と願ってやまない。

閖上朝市 年末大売り出し
東日本大震災で被災し、平成25年に再開した名取市の「閖上朝市」で、恒例の年末大売り出しが行われ、正月用の食材を買い求める人たちでにぎわっています。
名取市閖上漁港の「閖上朝市」は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けましたが、平成25年におよそ50の店舗で本格的な営業を再開しました。
27日は恒例の年末大売り出しが行われ、正月用の食材を買い求める人たちが朝から大勢訪れて、通路がすれ違えないほどにぎわっていました。
朝市では三陸沖でとれたカキやホタテのほか、子持ちのなめたがれい、それに、鍋の具材として人気のせりなど新鮮な食材が市価よりも安く販売されていました。
地元閖上から来た60代と40代の女性の親子は「毎年、年末は必ず来ます。ことしは復興を頑張って、みんなに笑顔が戻ってきたのがよかった」と話していました。
閖上朝市の年末大売り出しは29日から31日にかけても行われ、新年の初市は1月10日に開かれます。


身元不明者の捜査困難に
東日本大震災で亡くなった人のうち宮城と岩手ではいまも75人の身元がわかっていません。
生前から身よりがなかったとみられる人の確認が難航していて、身元の特定は年々困難になっています。
東日本大震災で今月11日までに警察によって死亡が確認された人は▽宮城県が9541人、▽岩手県が4673人、▽福島県が1612人でこのうち、▼宮城県で16人、▼岩手県で59人の合わせて75人の身元が分かっていません。
身元の特定はDNA鑑定などをもとに進められていて、▼3年前から去年にかけては、多い月で1か月に数人から数十人の身元が判明したのに対し、▼ことしに入って確認されたのは▽宮城県で6人と▽岩手県で5人の合わせて11人で、作業は困難になっているということです。
これについて警察は、生前から身よりがなかったとみられる人の場合、犠牲者本人の骨や髪の毛などからDNAを採取できても、照合する試料がなく、情報提供も寄せられにくいためだとしています。
このため、宮城県警ではことしから震災前後の生活保護の受給記録を手がかりにするなど、身よりがない人に特化した捜査も進めています。
宮城県警察本部の金野芳弘検視官は、「身元の特定は警察にしかできないので最後の1人まで遺族のもとに返せるよう、今後も丹念に捜査していきたい」と話しています。


イスラム敵視 悲しき暴走 仏デモ隊、礼拝施設襲撃
 【パリ=渡辺泰之】フランス南部コルシカ島の中心都市アジャクシオで二十五日、デモ隊の一部が暴徒化し、イスラム教の礼拝施設に侵入し、聖典コーランを燃やすなどする騒ぎに発展した。先月のパリ同時多発テロ後、仏社会ではイスラム系住民と非イスラム系住民の亀裂の深まりが懸念されており、政府は同様の騒ぎが拡大することを警戒している。
 AFP通信によると、きっかけは二十四日夜(日本時間二十五日午前)から二十五日未明に起きた消防士らへの襲撃事件だった。覆面姿の複数の男が火災現場に臨場した消防士二人に重傷を負わせ、さらに警察官一人にもけがを負わせた。二十五日には負傷した消防士らへの連帯を示すデモが県庁前で行われ、約六百人が参加。その後、デモ隊は事件が起きた地区に移動し、一部が暴徒化したとみられる。
 暴徒らはイスラム教徒の礼拝施設の部屋の窓ガラスを割って侵入し、コーランに火を付けるなどした。「アラブ人は出て行け」などと叫んでいたという。
 事件を受け、バルス首相はツイッターで「受け入れ難い冒涜(ぼうとく)だ」と非難。カズヌーブ内相も「差別主義と排外主義を思わせる堪え難い行為」と、暴徒を批判する声明を出した。国内のイスラム系団体は冷静な行動を呼び掛けた。
 イスラム系団体によると、同時テロが起きた先月十三日からの十日間でイスラム教徒に対する暴力や暴言などは三十四件に上っている。中にはベールを身に着けた女性がナイフで切りつけられた例もあり、イスラム教徒への攻撃の激化が懸念されていた。
◆米で憎悪犯罪 3倍に
 【ニューヨーク=北島忠輔】パリ同時多発テロの発生から今月13日までの1カ月で、米国内のイスラム教徒を標的とした憎悪犯罪(ヘイトクライム)が約3倍に増えた。カリフォルニア州立大の研究者が米連邦捜査局(FBI)のデータをもとに調べた。2001年の米中枢同時テロ直後以来の多さだという。
 同大の憎悪・過激主義研究センター所長を務めるブライアン・レビン教授の分析では、パリ同時テロがあった十一月十三日から一カ月間に米国各地で三十七件のヘイトクライムが発生。一〇〜一四年の月平均は一二・六件で約三倍だった。
 一例では、パリ事件直後、北東部コネティカット州のモスク(イスラム教礼拝所)で元海兵隊員の男(48)が発砲。十二月七日には東部ペンシルベニア州フィラデルフィアのモスクで、イスラム教では「不浄な生き物」とされる豚の頭部が玄関に置かれていた。
 二日にイスラム教徒夫妻による銃乱射テロ事件があった西部カリフォルニア州では、十一日に二十三歳の男が南部のモスクに放火するなど、乱射事件後の発生が目立つ。
 米国には三百万人近いイスラム教徒が暮らす。支援団体の「米イスラム関係評議会」によると、髪を覆うヒジャブを着けた女性への嫌がらせやモスクの落書き、脅しなどの数は「過去六年で最も多い」という。
 レビン教授は研究リポートで「イスラム教が米社会でも広まっていることへの嫌悪感が背景にある」と指摘。「テロを起こす過激主義はイスラム教」という偏見と相まって、イスラム教徒やモスクを標的とした犯罪増加につながっているとみている。


安倍政権発足3年 安保・沖縄・原発 支持乏しく
 第二次安倍政権の発足から二十六日で三年。この間、内閣支持率は一時期を除き不支持を上回り、安定した政権運営が続いているように見える。だが、個別の重要政策に関しては世論は政権に批判的だ。政権への支持は消極的で、安倍晋三首相の政権基盤は必ずしも盤石ではない。 (関口克己)
 「経済の再生、外交、安全保障の立て直しに取り組んできた。それなりの成果は出たのではないか」
 首相は二十五日、政権発足三年について、安定した支持率を背景に、こう記者団に強調した。十一月の共同通信の世論調査では、内閣支持率は48・3%で、不支持の40・4%を上回った。
 ただ、内閣を支持する理由として、首相が「成果」と誇る経済政策に「期待できる」を挙げたのは13・4%。「ほかに適当な人がいない」の36・5%に遠く及ばなかった。この傾向は昨年以降、固定化している。
 集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法の国会審議がヤマ場を迎え、国会周辺などで大規模な抗議活動が続いた今夏には「不支持」が「支持」を逆転した。成立直後の九月調査では、安保法に「賛成」は34・1%。「反対」の53・0%を大きく下回り、国民の理解を得られなかった。
 沖縄県の米軍普天間(ふてんま)飛行場移設に伴う名護市辺野古(へのこ)沖の新基地建設問題でも、政府の強硬姿勢を世論は支持していない。十一月の調査では、政府は県と話し合って決着すべきだとの回答が七割近くに達した。それでも政府は、埋め立てに向けて翁長雄志(おながたけし)知事を相手に訴訟を起こした。
 原発政策をめぐる状況も似通っている。政府は原子力規制委員会の新規制基準に適合した原発は再稼働させる方針だが、世論調査では反対が多い。にもかかわらず、政府は九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)の二基を今夏以降に再稼働させた。関西電力高浜原発(福井県)の二基も来年一月下旬以降、再稼働させる構えだ。


奈良 観測史上最も早く梅開花
平年より暖かい日が続くなか奈良地方気象台は27日「奈良市で梅が開花した」と発表しました。
平年より40日早く、観測を始めてから最も早い開花だということです。
奈良地方気象台によりますと、27日、奈良市の奈良公園の浮見堂の近くにある梅の標本木で、花が数輪咲いたのが確認され、気象台は梅の開花を発表しました。
これは去年より46日、平年より40日早く、昭和32年に観測を始めてから最も早い開花だということです。
また関西の2府4県ではこの冬、最も早い開花だということです。
平成27年は平年より気温の高い日が多く、奈良県でも11月の一日の平均気温は13度2分と平年を2度1分、上回りました。
気象台は、暖かい日が続いた影響で梅の開花が大幅に早まったものとみています。


防衛費5兆円超 どこまで膨張するのか
 防衛費はどこまで膨張し続けるのか。二〇一六年度予算案では四年連続の増額となり、初めて五兆円を突破した。安倍政権は国際情勢の変化を名目に、防衛費の聖域化を進めているのではないか。
 一六年度防衛費の総額は五兆五百四十一億円。過去最高だった一五年度の四兆九千八百一億円から七百四十億円、1・5%増だ。
 〇二年度の四兆九千五百五十七億円をピークに一二年度まで減少傾向が続いていた防衛費は、安倍晋三首相が政権復帰後に初めて編成した一三年度で一転、増額に転じた。以後、四年連続の増額だ。
 政権側は、中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発など、アジア・太平洋地域の安全保障環境の変化を増額理由に挙げている。
 国民の命や暮らしを守るために防衛力を適切に整備することは政府の役割だが、予算を際限なく増やしていいというものでもない。
 特に、防衛費を増やし続けることは、軍事大国化の意思ありとの誤ったメッセージを国際社会に送りかねない。周辺国に軍備増強の口実を与え、軍拡競争に陥る「安全保障のジレンマ」は厳に避けなければならない。
 防衛力整備の方針を示す中期防衛力整備計画(中期防)は一四年度から五年間の防衛費の総額を二十四兆六千七百億円程度と定め、調達の効率化や合理化などで七千億円程度縮減し、二十三兆九千七百億円程度に圧縮すると定める。
 一四〜一六年度の当初予算の総額は十四兆九千百九十億円。現在のペースで防衛費が増加し続ければとても中期防の枠には収まらない。そればかりか毎年二千億円程度が補正予算で計上されており、防衛費はさらに膨らむ。
 気掛かりなのは、安倍政権が九月に成立を強行した安全保障関連法と防衛費との関係だ。
 自衛隊の活動範囲が広がることによって新たな装備や訓練が必要となり、防衛費の膨張は避けられないはずだが、安倍首相は国会で「中期防で五年間の防衛費の総額を閣議決定しており、新たな平和安全法制で全く新しい装備や、装備の大増強が必要になることはない」と答弁している。
 中期防で定めた総額を守ることは防衛力整備に「節度」を取り戻すための最低条件である。安保法が成立しても総額は維持するという首相の言葉に偽りはないのか。法律を成立させるための方便にすぎなかったとしたら、国民を欺く食言との批判は免れまい。


[戦後70年 墓碑銘]時代の鏡のような人生
 戦後70年の今年、戦争をくぐり抜け、それぞれの仕方で戦後社会に向き合い、すぐれた仕事を成し遂げた人々が、惜しまれながら逝った(以下、敬称略)。
 漫画家で妖怪研究で知られた水木しげる(93)は、ラバウルでの戦闘で多くの仲間を無謀な突撃によってなくし、自らも左腕を失った。
 「ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきてしかたがない」 
 水木は、ゲゲゲの鬼太郎やねずみ男など、日本のそれまでの妖怪とは異なる新たな妖怪を次々に生み出した。異世界の中に現実の世界を豊かにするヒントがあることを水木は妖怪漫画で伝えたかったのだろう。
 1953年に上映された小津安二郎監督の「東京物語」は、世界的に評価の高い日本映画の名作中の名作である。
昭和の大女優・原節子(95)は、この作品で、戦争で死んだ次男の嫁という役柄を演じた。彫りの深い目鼻立ちと吸い込まれるような美しい瞳。
 義母が死んだ後、義父が嫁に言う。「もう次男のことは忘れろ。良い結婚相手を見つけて自分の幸福を追求しろ」。戦後という時代は、国家や共同体、家長支配という束縛から個人が解き放たれた時代でもあった。
 原は小津監督の死後、表舞台から忽然と姿を消し、人目を避けて独身のまま生涯を閉じた。実人生で映画の役柄を演じきるかのように。
 戦後日本を代表する思想家の鶴見俊輔(93)は、祖父が後藤新平、父親が鶴見祐輔というエリート政治家の家系に生まれた。
    ■    ■
 米国留学中に日米開戦を迎えた鶴見は米移民局の聴取に対し、こう答えたという。「この戦争についてはどちらの国家も支持しない」。
 ベ平連の運動に関わったり、護憲の立場から「九条の会」の設立を呼びかけるなど、個人を大切にする市民運動に関わり続けた。
 「本土の終戦と沖縄の終戦は日付が違う。この日付の違いは大きいですよ。沖縄には、この国を内側から世界に向かってあけるカギがある。それを何世代にもわたって保ち続けることが重要だと思います」。
 英文学者の米須興文(83)はアイルランドの文学者イエーツ研究で世界的に知られている。米須は米軍上陸の1カ月前に最後の疎開船で九州に疎開した。
 「沖縄戦の語りとは必然的に〈解釈〉なんです」
 反戦平和の視点だけでなく、非体験者や戦後世代、復帰後世代など多様な視点から語り直す必要がある、と指摘する。
    ■    ■
 沖縄芝居の平良とみ(87)は、映画「ナビィの恋」やNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で、沖縄の「おばぁ」を演じた。
 沖縄と聞いただけで重たい反応が返ってくる時代に、沖縄のゆったりした空気感と柔らかな物腰を体現した「おばぁ」を演じ、全国的なブームを呼んだ。
 「ウチナーンチュは苦労をなめて辛い思いをしてきたからこそ優しいんですよ」

広河隆一・人間の戦場/パレスチナのタイベビール

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Chang Kang-myoung : ≪En Corée, les jeunes sont pétrifiés à l’idée d’échouer≫
Dans son dernier roman, l’écrivain sud-coréen dresse un portrait sans concession de son pays. Face à une économie qui ne croît plus et une société hyperhiérarchisée, les jeunes découvrent le chômage et éprouvent les plus grandes difficultés à s’imposer face à leurs ainés.
≪Hell Joseon≫, la Corée, c’est l’enfer. Cette petite phrase qui fait le buzz sur les réseaux sociaux sud-coréens depuis plusieurs mois exprime le mal-être de la jeunesse du pays. Sous pression, elle est confrontée pour la première fois au chômage. Alors que la Corée est souvent présentée comme un modèle de réussite, dont on vante le formidable développement économique et le succès de Samsung et de LG, l’écrivain Chang Kang-myoung se concentre, dans ses romans, sur les aspects plus sombres d’une société ultracompétitive qui en laisse plus d’un sur le carreau. Dans l’un de ses derniers ouvrages, Parce que je déteste la Corée, il raconte l’histoire d’une jeune fille de 20 ans qui, ne supportant plus la pression pesant sur ses épaules, plaque tout et part pour l’Australie. Le roman a rencontré un franc succès en librairie. Ancien journaliste, Chang porte un regard critique et sans concession sur son pays.
La Corée du Sud, est-ce vraiment l’enfer ? 

Pour moi qui ai 40 ans, ce n’est ni un paradis ni un enfer. J’aime mon pays. Mais les jeunes, eux, sont découragés, en colère et perdus. Ils ne voient plus la Corée comme une terre d’opportunité. Ils sont confrontés pour la première fois au chômage, à un marché du travail rigide où l’on a, d’un côté, des élites hyperprivilégiées et, de l’autre, des travailleurs irréguliers, mal payés et sans filet de protection sociale. Et comme le pays s’est développé à une allure fulgurante entre les années 60 et 80, le fossé générationnel entre les jeunes et leurs parents est particulièrement prononcé. Non seulement ils ont une situation plus précaire que leurs aînés, mais il y a un décalage assez dur à vivre, pour eux, entre ce qu’on leur fait miroiter pendant leurs études et la réalité de la société sud-coréenne. A l’école, on les encourage à devenir des leaders mondiaux, à apprendre l’anglais et à penser mondialement. Mais quand ils arrivent dans la vie active, ils se heurtent à une société encore très hiérarchisée, conservatrice et, à bien des égards, encore autoritaire. Il ne faut pas oublier que la Corée du Sud est une démocratie toute jeune puisque la première élection démocratique a eu lieu en 1987. Ils sont comme des hommes civilisés dans un monde préhistorique ! Quand vous avez 20 ans en Corée, vous êtes écrasé par la pression, vous savez que vous allez probablement gagner moins que vos parents et vous vous sentez régulièrement humiliés.
Pourquoi dîtes-vous que les jeunes sont humiliés ?
Ce ne sont pas seulement les jeunes. La société sud-coréenne est très sévère envers ceux qui sont au bas de l’échelle. Les enfants intègrent très tôt qu’ils doivent à tout prix réussir. Pourtant, on n’y meurt plus de faim, et le filet de protection sociale, bien que mince, existe. Aux Etats-Unis ou en Europe, on peut travailler comme serveur dans un restaurant et être parfaitement heureux et respecté par les autres. En Corée, il y a un seul modèle de réussite [intégrer l’une des meilleures universités puis un conglomérat comme Samsung ou LG, ndlr] . Plus on s’en éloigne, plus on est considéré comme un perdant, un moins que rien.
Un fait divers qui a défrayé la chronique en janvier illustre bien cette idée. Un quadragénaire qui avait réalisé un parcours sans faute, des études prestigieuses et un métier reconnu, n’a pas assumé quand sa carrière a pris un autre tournant et qu’il s’est mis à son compte. Il n’a pas supporté de changer de statut, même s’il n’avait pas de difficultés financières. Il a mené une double vie pendant trois ans, a menti à sa famille en prétendant être employé. Un jour, il est rentré à la maison, a étranglé sa femme et ses deux filles avant de tenter de se tuer. Il aurait pu recommencer sa vie, mais il avait trop peur de l’humiliation. C’est la même raison qui pousse les jeunes vers les emplois les plus stables, dans la fonction publique notamment. Ils sont pétrifiés à l’idée d’échouer. Cette peur est, à mon sens, plus problématique que les difficultés économiques.
Vous dites donc que le problème, ce n’est pas le ralentissement de l’économie ?
Beaucoup de personnes, notamment les plus âgées, pensent qu’il suffit de relancer l’économie pour résoudre nos problèmes. Mais on ne peut pas continuer à espérer qu’un second miracle économique se produise, comme celui que nous avons connu dans les années 70. Le précédent président sud-coréen Lee Myung-bak s’était fixé un objectif de croissance de 7 %. C’était parfaitement impossible ! L’actuelle présidente Park Geun-hye a inventé le concept d’économie créative. C’est aussi un leurre. Il faut trouver les solutions ailleurs. Pendant longtemps, la croissance a été la réponse à tous les problèmes en Corée. Sous la dictature militaire jusqu’à la fin des années 80, les Coréens se disaient que si l’économie allait bien, c’était le principal.
Dans les années 90, l’économie se portait toujours bien et nous avions obtenu la démocratie ; c’était probablement la meilleure période de notre histoire récente. Aujourd’hui, l’économie ne croît plus et nous devons l’accepter. Je pense que même sans croissance, nous pourrions régler beaucoup de nos problèmes en instaurant une société moins hiérarchisée et basée sur le respect mutuel.
Comment y parvenir ?
Je pense tout d’abord que tout le monde devrait utiliser la forme honorifique pour s’adresser aux autres, peu importe l’âge ou la position sociale [la langue coréenne est codifiée en plusieurs niveaux de formes honorifiques et de politesse en fonction de l’âge et du statut social de l’interlocuteur] . On devrait abandonner ces vieilles manières confucéennes dont nous sommes si fiers.
Les autres réponses, c’est aux hommes politiques de les trouver. Le problème, c’est que la politique sud-coréenne est très polarisée. Le camp conservateur, constitué en grande partie par ceux qui sont nostalgiques de la période de l’industrialisation, s’entête à appliquer les vieilles méthodes qui consistent à mettre tous leurs espoirs dans les puissants conglomérats. De l’autre côté, les progressistes, parmi lesquels ceux qui ont soutenu les mouvements de démocratisation qui ont provoqué la chute du régime militaire. Eux accusent, au contraire, les conglomérats de tous les maux. Mais cet antagonisme est dépassé. Et aucun parti politique ne porte la voix de la génération ≪Hell Joseon≫. Il est temps de trouver une alternative.
Les jeunes sud-coréens se mobilisent-ils assez ?
Je n’ai pas à les juger, puisque je fais moi-même partie de cette société. Ce n’est pas à moi de pousser les jeunes à faire la révolution. Certains professeurs plutôt de gauche leur reprochent de ne pas protester assez. Les autres, à l’inverse, leur font la leçon en disant qu’ils devraient être contents et mesurer leur chance de vivre dans un pays riche. Au départ, beaucoup ont été choqués par le slogan ≪Hell Joseon≫. Ce sont des mots forts, surtout en Corée où la population n’a pas l’habitude d’être trop critique envers le pays. Immédiatement, les jeunes se sont vus répondre qu’ils étaient faibles et qu’ils ne faisaient pas assez d’efforts. Je ne suis pas du tout d’accord : ils travaillent énormément, depuis leur plus jeune âge, et se donnent bien plus de mal que leurs parents à leur âge. Aujourd’hui, il y a une prise de conscience de leurs problèmes. Tout le monde sait qu’il y a du chômage, que beaucoup de jeunes ont peu de confiance en l’avenir, et qu’ils ont renoncé à l’idée de se marier ou d’avoir des enfants. Personne ne peut le nier.
Comment expliquez-vous le succès de votre livre ?
Les Coréens attendaient depuis longtemps que quelqu’un dise les choses aussi franchement. Ici, on a souvent l’impression qu’on ne peut pas vraiment exprimer ce qu’on pense de notre pays.
Y a-t-il une forme de censure ?
Ce n’est pas vraiment de la censure. Mon livre n’a pas du tout été censuré, et n’a reçu que des acclamations, alors que je m’attendais à être très critiqué. Si peu de Coréens osent décrier de manière aussi directe leur pays, c’est notamment parce que nous n’avons jamais vraiment appris à discuter : sous la dictature, il n’y avait pas de place pour la discussion. Comme dans tout régime autoritaire, on se contentait de suivre les ordres. Ceux qui sont nés dans les années 60 et 70 ont pour leur part appris à se battre, au sens propre comme au sens figuré, contre leurs opposants. Quant aux jeunes d’aujourd’hui, ils sont certes très éduqués, mais ils sont trop déprimés, ou trop en colère, pour discuter et chercher des solutions.
Par ailleurs, nous ne sommes pas habitués à porter un regard critique sur nous-mêmes. Avant 1993, nous ne pouvions pas voyager à l’étranger sans une autorisation du gouvernement. La Corée du Sud était donc un petit pays assez fermé sur lui-même. Avant Internet, nous n’avions pas vraiment accès à un regard extérieur. Et puis nous sommes un peuple résolument complexé par l’histoire de notre petit pays qui n’a cessé d’être annexé, colonisé. C’est cela qui nous a rendus patriotiques et qui fait que les succès de Samsung ou de la patineuse Kim Yuna [plusieurs fois médaillée d’or] nous rendent si fiers.
Eva John (à Séoul)
フランス語
フランス語の勉強?
時論公論「くいデータ流用 再発防止に何が求められるのか」中村幸司解説委員
建物を支える杭データ流用の問題で専門家による委員会が中間報告を公表。建設業界に構造的な問題がある、と断じた報告書、再発防止に向け何が求められるのか、解説する。
中村幸司

ザッツ!紅白宣伝部「第5回」
昨年、バナナマンが、紅白の副音声で、自由奔放に語り大きな話題となった「ウラトーク」。今年も担当する二人が、本番まで紅白のPRを行うのが「ザッツ!紅白宣伝部」。紅白にまつわるさまざまな情報を取り上げ、イジり、ゲストも参加して、大いに盛り上げる!あの豪華出場者も登場するかも?!
バナナマン,久保田祐佳,三山ひろし

BS1スペシャル「スレブレニツァの女たち〜虐殺の町 遺族の20年〜」
旧ユーゴスラビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部の町・スレブレニツァ。世界を震かんさせた虐殺からことし20年を迎えた。内戦中、セルビア系武装勢力がイスラム系住民およそ8000人を殺害。長年イスラム系住民は、故郷に戻れず避難生活を送ってきたが、徐々にスレブレニツァに戻っている。今も遺骨の発掘作業が続き、毎年開かれる慰霊祭では、新たな遺骨が埋葬される。夫や息子を虐殺で失った女性たちの日々を追った。
余貴美子

二酸化炭素温暖化説の崩壊 (集英社新書)
広瀬 隆
集英社
2010-07-16


広瀬隆は怒っている。冤罪の犠牲者CO2ではない真犯人は誰か? sky
【私が読者に尋ねたいのは、このように欧米で深刻な(IPCC等の詐欺の)報道の洪水が続いて、
もはやまともな人間の誰もCO2温暖化説を信じてないことを、ご存じだろうか、ということである。
日本に報道機関はあるのだろうか、という末期的な疑問なのである】とのっけから怒る。
【若者よ、WikipediaがCO2温暖化の広告塔となっていたことも忘れてはいけない】と叫ぶ。
気温を変化させる要因としては昔から、ミランコビッチ・サイクル、太陽活動、黒点の増減、
宇宙線、地磁気、エルニーニョ、ラニャーニャ、偏西風、太平洋震動、ダイボールモード現象、
水蒸気、火山の噴火、エアロゾル、太陽光線を反射するアルベド効果など数々あった。
筆者はアラスカ大学国際北極圏研究センター所長・赤祖父俊一氏の著書『正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために』等の文献も引用し、
CO2の増加と気温の上昇になんの関係もないことを証明する。
その上で、現在のところ、温室ガスの寄与率は、水蒸気の寄与率が最小の学説でも65%、最大の学説では95%になるという。
この本で彼が言うことに反論・反証できるものがいたら教えてほしい。
しかし、筆者は「この本を書いた目的」はCO2温暖化説の論破ではなく、本当の環境破壊の真犯人を明らかにすることだといって、第二章に進む。
真犯人とは誰か?まず、都市化。
日本の自動車700万台、エアコン900万台などによる都市熱は、真夏にもう一つ太陽を増やすような熱量をもっている。
そしてその成り立ちから環境に与える損傷の両方から醜悪なのは原発。
原発が冷却した後に水に戻して原子炉に送り返している水蒸気の熱量は、2010年7月現在、商業用原子炉54基の合計で4911.2万ワットの「電気出力」を持っている。
これは日本全体では毎日、【広島に投下された原爆100個に相当】(!!!)する巨大な熱量で海を加熱していることになる。
我々は、本当は原発なしでやっていける。
しかし原発は電力会社の利益とそれに群がる利権のために建設されたもので、それがなくてもやっていけることを知られたくないために、考え出されたのが、深夜電力料金の大幅値下げとオール電化。
この電気をさらに使用することになる電気自動車(EV)もエコなどではない。
ひどかった政策は、1974年に田中角栄内閣が施行した電源開発促進法。
現在でも数千億円という巨大な実質「消費税」をすべての消費者から電気料金として徴収し、
それを消費者→電力会社→国(官僚)→地方自治体(原発現地)を電源三法交付金として流れされている。
これを、ガス・コンバインドサイクルやコールドベッドメタン、タイトサンドガス、シェールガス、メタンハイドレードガス等の天然資源、クリーンコールという石炭火力等のこの新しいエネルギーの開発に向けたらどうなるのか、と著者は言う。
この国では「地球温暖化対策税」なるものが与野党によって検討されている。
欧米で笑いものにされている二酸化炭素地球温暖化説を、この国でも断頭台に送らなければいけない。


十三に映画を見に行きました.広河隆一・人間の戦場です.実は広瀬隆と勘違いしていたけれど,そんなことはどうでもいいです.なかなかいい映画でした.ジャーナリストとしてという以前にまず人間として考え行動する,とのことでしたが,とても大切なことだと思いました.会社のための社畜になっているひとや,アメリカの言いなりの米畜などではいけないと思いました.そこでパレスチナのタイベビールを買いました.もちろん帰って飲むつもりでしたが,コンビニでオリオンのペールエールがあったのでそっちを飲んでしまいました.つまりタイベビールは明日です.

<BRT復旧>大船渡合意、気仙沼持ち越し
 東日本大震災で被災したJR気仙沼線と大船渡線をめぐり、宮城、岩手両県の沿線5市町のうち大船渡線の沿線3市は25日、鉄路復旧を断念し、JR東日本が提案したバス高速輸送システム(BRT)の継続を受け入れることで合意した。気仙沼線は登米市と南三陸町が同意したが、気仙沼市が仙台へのアクセス手段などでJRと協議が必要だとして結論を持ち越した。
 沿線自治体首長会議の第3回会合が国土交通省で路線ごとに開かれ、大船渡線沿線の大船渡、陸前高田、気仙沼の3市長と、気仙沼線沿線の登米市長と南三陸町長がそれぞれBRTの受け入れを表明した。今後は個別に専用道の延長や新駅整備などをJRに要望し、協議を進める。
 JRは、鉄路の復旧は難しいことをあらためて報告。JRが責任を持ってBRTを運行するほか、産業や観光振興による地域活性化に取り組むことなどを約束した。
 結論を持ち越した気仙沼市の菅原茂市長は会議後、「仙台へのアクセスや地域振興策で、もう少しJRと協議が必要と判断した」と説明。「あまり先延ばしはできない。震災から5年の来年3月11日をめどに結論を出したい」と話した。
 沿線自治体首長会議は今回で終了する。気仙沼市は今後、JRと個別に協議する。7月にあった前回会合でJRはBRTによる復旧を提案。今回の会合で自治体が回答する予定だった。
 現在、BRTで仮復旧しているのは大船渡線気仙沼−盛(大船渡市)の43.7キロと、気仙沼線柳津(登米市)−気仙沼の55.3キロ。


<BRT復旧>期待と影響 気をもむ地元住民
 東日本大震災で被災したJR大船渡線のBRTでの本格復旧をめぐり、沿線首長が25日、受け入れを表明した。気仙沼線の結論は持ち越しとなった。沿線住民にはBRTの利便性アップを期待する声と、地域交通の持続性やまちづくりへの影響を心配する声が入り交じる。
 仙台市青葉区の会社員女性(42)は、陸前高田市に帰省する際にBRTを利用する。「鉄道より運行本数が増え、待ち時間も減った。地元の要望を聞き、もっと使いやすくしてほしい」と期待する。
 大船渡市のBRT懇談会委員を務めた陸前高田市の菅原いずみさん(47)は、長男がBRTで大船渡東高に通学する。「本数が多く便利」と評価する一方で「BRTの利便性だけを追求すれば路線バスが廃れる。全体のバランスを考える必要がある」と指摘する。
 鉄路復旧を求める市民団体を今月設立した大船渡市のNPO法人理事長岩城恭治さん(76)は「レールでつながってこそ鉄道。BRTでは乗客や交流人口が減る」と懸念する。首長たちの決断を受け、団体としての対応を検討する。
 気仙沼線沿線の宮城県南三陸町は、志津川地区の市街地に要となる駅を置く。商業施設は年明けにも着工予定。運営するまちづくり会社「南三陸まちづくり未来」の三浦洋昭社長は「BRTを前提に計画が進んでおり、早く決着してほしい。鉄路復旧は復興後に再度議論してもよいのではないか」と気をもむ。


<BRT復旧>仙台へのアクセスで差
 東日本大震災で被災したJR気仙沼線と大船渡線の復旧を協議した25日の沿線自治体首長会議で、沿線5市町のうち、気仙沼市は気仙沼線のBRTによる復旧の受け入れを保留した。同じ沿線の南三陸町は早々に受け入れを表明。仙台圏へのアクセスの利便性など環境の違いが判断を分けた。
 気仙沼市の菅原茂市長は会議後、BRTで同意しなかった理由について「地域振興策の課題もあるが、一番は仙台圏へのアクセス問題」と説明。JRとの話し合いがまだ必要との考えを強調した。
 震災前、気仙沼−仙台間は気仙沼線や東北線の快速によって約2時間で結ばれていた。菅原氏は「これまで(快速列車が)持っていた仙台へのアクセス機能をJRが担ってほしい」と求める。
 一方、復興まちづくりに影響するとして、首長会議の年内合意を訴えていた南三陸町。佐藤仁町長は今回の気仙沼市の判断について、「それぞれ自治体の考えはある」としながら、「(町内に)三陸自動車道の志津川インターチェンジが16年度に完成すれば、1時間ほどで仙台に行くことができる」と述べた。


仮設でボランティアともちつき
お正月を前に気仙沼市の仮設住宅では、ボランティアから差し入れられたもち米を使って、一足早くもちつきが行われ、住民たちがつきたてのもちを味わいました。
もちつきが行われたのは、気仙沼市松崎柳沢地区の仮設住宅です。
会場となった仮設住宅の集会所の前には、住民やボランティア、あわせて15人が集まりました。
きねや臼、それにもち米は、震災直後から支援を続けている山口県のボランティアの男性が提供しました。
集まった人たちは、炊きたてのもち米を臼に入れると、「よいしょ」と威勢よく声をかけながらもちをついていました。
そして、もちがつきあがると、参加した人たちは、あんこやきなこ、それに大根おろしで味付けし、柔らかいつきたてのもちを味わっていました。
62歳の男性は、「ついたばかりなので最高に美味しいです」と話していました。
また、自治会長の高橋悦子さんは、「一足早くお正月気分を味わえました。毎年来てくれるボランティアの方々に感謝しています」と話していました。


石巻 仮設商店街に「光の箱」
石巻市の仮設商店街で、復興への願いを込めて、300個あまりの小さな箱を組み合わせて作った「光の箱」の点灯式が行われ、暖かな明かりがともりました。
「光の箱」は、厚紙と色とりどりのセロハンで出来たおよそ320個の小さな箱を組み合わせ、3メートル四方の大きなひとつの箱に仕立てたものです。
内側に入れられたLEDで明かりがともる仕組みで、仮設住宅で暮らす被災者や地元の小学生などが復興への願いを込めて、半年あまりかけて作りました。
26日、石巻市中心部の仮設商店街で行われた点灯式では、まず、光の箱を覆う幕に、制作の様子を写した映像が投影されました。
そして、地元の子どもたちがかけ声とともに幕を取り払うとスイッチが入れられ、「光の箱」に明かりがともりました。
会場が、暖かな光に包まれると集まった人たちは歓声をあげて、記念撮影するなどしていました。
子ども2人と参加した30代の母親は、「温かな気持ちになりました。来年は光のようにキラキラした年になるといいと思います」と話していました。
また、女川町で被災し、両親を津波で亡くしたという50代の男性は、「母親のことを想って箱を作りました。来年は石巻のみんなが明るく元気になる年にしたいです」と話していました。
この光の箱は、これから毎晩、明かりがともされるということです。


震災 いまも16人の身元不明
東日本大震災の発生から来年3月で5年が経ちますが、宮城県では、亡くなった人のうちいまも16人の身元がわかっていません。
生前から身よりがなかったとみられる人の確認が難航していて、身元の特定は年々困難になっています。
東日本大震災で今月11日までに警察によって死亡が確認された人は、宮城県は9541人で、このうち16人の身元が分かっていません。
身元の特定はDNA鑑定などをもとに進められていて、宮城県警察本部によりますと、3年前から去年にかけては多い月で1か月に数人から数十人の身元が判明したのに対し、ことしに入って確認されたのは6人と、作業は困難になっているということです。
これについて警察は、生前から身よりがなかったとみられる人の場合、犠牲者本人の骨や髪の毛などからDNAを採取できても、照合する試料がなく、情報も寄せられにくいためだとしています。
このため、警察はことしから、震災前後の生活保護の受給記録を手がかりにするなど、身よりがない人に特化した捜査も進めています。
宮城県警察本部の金野芳弘検視官は、「身元の特定は警察にしかできないので、最後の1人まで遺族のもとに返せるよう、今後も丹念に捜査していきたい」と話しています。


<ネパール地震>被災高校生が石巻で交流
 ことし4月のネパール大地震で被災した同国の高校生5人が24日、あしなが育英会が運営する石巻市のケア施設「石巻レインボーハウス」を訪れ、東日本大震災の被災3県の高校生5人と交流した。高校生たちは29日まで石巻、気仙沼両市などで防災や復興、心のケアについて学び、互いに理解を深める。
 心のケア専門家を養成する一般社団法人「日本イスラエイド・サポート・プログラム」(JISP)が主催。JISPはネパールの支援を続けており、同国の復興を担う次世代を育てようと企画した。
 24日夜の交流会では、両国の高校生がお好み焼きとベジタブルカレーを一緒に作り、会話を楽しんだ。スミ・シャルマさん(17)は大地震で自宅が倒壊。ネパールでは寒さが厳しい冬の今でも、多くの住民が避難所暮らしを続けているという。スミさんは「日本の被災地が大きな被害を受けながら、どう復興したのかを知りたい。心の傷をどう克服したのかも興味がある」と話した。
 ネパール大地震の遺児への支援金460万円の贈呈式もあった。あしなが育英会から奨学金などの支援を受ける震災遺児らが5〜12月、全国で募金して集めた。震災遺児の代表がJISPの吉田真由美カントリー・ディレクターに目録を手渡した。
 支援金はネパールの16〜22歳の遺児40人に贈られ、進学のための奨学金や職業技術の習得などに充てられるという。


<仕事納め>知事、復興派遣職員ねぎらう
 村井嘉浩知事は25日、宮城県庁講堂で幹部職員ら約400人を前に年末のあいさつを行った。東日本大震災から4年9カ月の歩みを振り返り、「復興は着実に進んだ。来年も前向きな行動力を発揮し、知恵を絞って仕事に当たってほしい」と訓示した。
 村井知事はJR仙石線の全線運行再開や女川町の「まちびらき」などを挙げ、復興の進行具合を強調。「犠牲者の思いを胸に全身全霊で復興に取り組んできた。多くの協力によって切り開いた道」と振り返った。
 9月の宮城豪雨にも触れ「職員には昼夜を問わず対応してもらった。今後も復旧、復興に向けしっかり取り組んでほしい」と訴えた。
 例年、知事のあいさつは仕事納め(28日)に実施しているが、復興支援で全国の自治体から派遣されている職員が長期休暇を取得できるよう前倒しした。村井知事は「気を付けて地元に戻り、英気を養って宮城に帰ってきてください」と呼び掛けた。
 同じ理由で名取市と亘理、山元両町もこの日、首長の年末あいさつを行った。


<常磐線>浪江−小高 復旧工事来月着手
 JR東日本水戸支社は25日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で不通となり、2017年3月の運転再開を目指す常磐線浪江(福島県浪江町)−小高(南相馬市)で、来年1月6日に復旧工事を始めると発表した。
 同区間8.9キロは第1原発から20キロ圏内で、大半が避難指示解除準備区域、一部が居住制限区域に指定されている。JR東の測定によると、線路上の空間線量は最大で毎時1.5マイクロシーベルト。国の直轄除染に加え、JR東も山間部などで除染を実施する。
 地震で左右にずれた橋脚や変形した線路、傾いた電化柱などを修繕し、信号・通信設備を交換する。工期は約1年で、事業費は約50億円。
 浪江町は17年3月以降の避難指示解除を目指している。水戸支社は、解除が遅れた場合は「町と運転再開の時期を協議する」と説明した。
 福島県内の常磐線の不通区間は、相馬−浜吉田(宮城県亘理町)が16年末の再開を予定。竜田−富岡は18年春までの開通を目標にしている。時期が未定の富岡−浪江について、水戸支社は「試験除染の結果をもとに除染方法を固めた上で、全体の工程を決めたい」としている。


<5度目の年の瀬>新たな暮らし照らす
◎2015被災地(6)集団移転団地(東松島市)
 新たな暮らしが息づき始めたまちに、淡い明かりがともる。東松島市の防災集団移転団地「あおい地区」(東矢本駅北)。東日本大震災の被災者らの移転が本格化しつつあるのに合わせて、初めてイルミネーションが登場した。
 明かりは、11月に完成した集合住宅1階の軒下で輝く。「コミュニティーづくりの促進のきっかけになれば」。住民がそんな思いを込めて飾った。
 地区内に再建された自宅に11月末から住む矢本西小5年の土井梨瑚さん(11)が光を見つめて言う。「暗かった家の周りに、きれいな明かりが増えた」
 地区ではことし、計画された一戸建て用地273区画が全て引き渡された。災害公営住宅の整備は来年8月までに終わる予定だ。
 イルミネーションは地区名「あおい」にちなみ、青色をメーンとした。これからも被災世帯が次々と移り住む。住民らは願う。「それぞれの歩む道を優しく照らしてほしい」と。


東大寺の大仏に巨大野球グラブ奉納 震災復興支援で
 東日本大震災の復興支援として、大仏の手の大きさに合わせて作った巨大な野球グラブが26日、奈良市の東大寺に奉納された。奈良県大和郡山市の野球グラブ製造販売会社の代表、梅原伸宏さん(51)が3月から延べ2千人以上の全国の子供たちと制作し、東大寺で組み立てた。
 グラブは縦横ともに約3.6メートルで、重さは約180キロ。この日、大仏の横で牛革を素材にした赤茶色のグラブが披露されると、参拝客から歓声が上がった。
 被災地に中古グラブを寄贈してきた梅原さんが「奈良らしい大きなもので東北に夢や希望を届けたい」と発案した。震災から5年となる来年3月11日からは福島県いわき市内に展示される。
 近くの芝生では、招待された福島県などの中学生野球部員ら約150人がキャッチボール。グラブを縫い合わせたいわき市立錦中3年の増田悠利君(14)は「こんなに大きなものになり素晴らしい」と笑顔で話した。


<中間貯蔵>墓移設 高線量が阻む
◎故郷を手放す地権者(下)汚された遺骨
<無縁仏だけは>
 東京電力福島第1原発事故の除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の予定地に、墓がある。遺骨はどうなるのか、一向に説明がない。気をもむ日々が続く。
 第1原発の排気筒を臨む墓地で、多田正友さん(72)と妻の春子さん(68)が静かに手を合わせる。墓には、原発事故の2カ月前に32歳の若さで病死した五男正和さんが眠っている。
 自宅は福島県大熊町夫沢の海沿いにあった。東日本大震災の津波が、近くを流れる小川の橋にぶつかり、しぶきを上げた。車に飛び乗って逃げ延びた。家は跡形もなく流された。原発事故が追い打ちをかけ、墓も含めて集落は帰還困難区域になった。
 「無縁仏にしたくない」。避難先の茨城県日立市から毎月、ゲートで隔てられた墓地に通う。墓石や遺骨は、国の基準で動かせないほど高線量である可能性が、東電による放射線測定で分かっている。
<一方的な説明>
 「最後は金目でしょう」。2014年夏、施設をめぐる環境大臣の発言に耳を疑った。地権者説明会でも、土地などの補償方針を一方的に説明する国の姿勢に違和感が募り、途中で席を立った。受け入れは「県や町が勝手に決めた」との思いが今も拭えない。
 施設が復興に必要であることは理解している。だが、今のままでは契約に応じられるわけがない。
 ことし10月、環境省が行った墓地の現地調査に立ち会った。「骨が動かせないのに、一体どうするつもりだ」。職員に問い掛けたが、2カ月以上たっても何の連絡もない。しびれを切らして2度電話した。「折り返し電話します」。そう言ったきり音沙汰がない。
 町は、放射線量が低く、復興拠点と位置づける大川原地区に新たな共同墓地を整備する方針を打ち出している。遺骨を残して墓石だけを建てても仕方ないと思う。土地買収の契約に応じるかどうか考える材料がないのに、判断をせかされているような感じがする。
<物言える町に>
 11月に町議選があった。住民の気持ちを大切にし、国や町に物言える町議会になってほしい。無投票を阻止しようと打って出て、あえなく落選した。
 自宅や墓地はかつて、水田や雑木林に囲まれていた。今は雑草が生い茂るだけだ。人も土地もほったらかし−。
 多田さんは切に願う。「せめて墓参りができるぐらいの環境は残してほしい」


<避難区域>飼い主会いに来て 27日里親会
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難区域に取り残された猫などを保護する福島県三春町の一般社団法人「動物救護隊にゃんだーガード」は27日、運営する町内のシェルターで「里親会」を開く。動物を飼い主に引き合わせようと参加を呼び掛けている。
 同団体は2011年11月末に設立。帰還困難区域を中心に猫や犬を保護し、シェルターで飼育しながら飼い主を探している。現在はスタッフ6人とボランティアで活動する。
 これまで猫は570匹以上保護し、約450匹を譲渡したが、原発事故の風化とともに支援金や人手が不足。月1回の里親会に訪れる人も減り、活動は苦境に立たされている。
 一方で保護する動物の数は月1、2匹ペースで増え続けている。先月には大熊町で首輪付きの三毛猫が、今月は富岡町で白と黒の子猫が見つかった。
 シェルターを管理する代田岳美さん(39)は「一匹でも多くもう一度飼い主に会わせてあげたい」と話す。
 午前10時〜午後3時半。支援金やボランティアも随時募集中。連絡先は同法人0247(73)8915。


<仮設焼却施設>来月12日にも稼働開始
 東京電力福島第1原発事故で全村避難する福島県飯舘村の蕨平地区に国が設置した仮設焼却施設が、来月12日にも廃棄物の焼却を開始することが25日、分かった。
 環境省によると、今月15日に県による使用前検査を済ませ、21日に稼働の認可を受けた。すでに村内の除染廃棄物や周辺市町の指定廃棄物など500トン以上を施設に搬入。年内に焼却を始めると、年末年始の休業を挟んで作業効率が悪くなるため、年明けに開始することで調整している。
 施設は村内の除染廃棄物や家屋解体で出た廃材などに加え、近隣の福島市や伊達市、南相馬市、川俣町、国見町の5市町の稲わらや堆肥などの農林業系廃棄物と下水汚泥も受け入れる。処理量は1日約240トンを見込んでいる。稼働は5年を予定し、約36万トンを焼却する計画。
 周辺自治体の指定廃棄物も処理する初めての施設で、宮城県加美町の猪股洋文町長が今月13日、同県内の指定廃棄物も集約し処理することを提案した。飯舘村の菅野典雄村長は拒否する考えを示している。


<検証 制度>一括買い取り、法整備を
 復興事業用地確保の課題は何か。東日本大震災の発生時に宮古ひまわり基金法律事務所(宮古市)の所長だった小口幸人弁護士(第二東京弁護士会)に聞いた。
 「いつになれば高台に移転できるのか。仮設住宅にいるうちにお迎えが来てしまう」。2012年夏、岩手県山田町であった法律相談会で被災者から聞いた。事業用地の買収が進まないことへの嘆きだった。
 改正復興特区法の成立は遅すぎた。例えばあるコミュニティーに住む100人のうち、30〜40人の被災者が移転に時間がかかるのを理由に内陸に移ったり、他の地域に自ら土地を買って引っ越したりすることが各地で相次いだからだ。
 その結果、ようやく移転が実現してもコミュニティーが小規模になり、自力で移転できない人が住むため活力の少ない地域になりかねない。
 被災地では買い取れない土地が一つでもあると、その土地を含む地域を利用した復興計画が立てられなかった。
 山を切り崩す高台の整備とかさ上げはともに物理的に「面的」な対応を要する事業だ。買い取りが難しく、取得に膨大な時間を要する土地があっても、面的にまとめて買い取れる制度があれば対応できた。
 制度がないことで、市町村は住民に復興事業にかかる期間を「長期間」と説明せざるを得なかった。高台移転は時間がかかり、かさ上げはさらにかかるといったように。その結果、ベターですらない消極的な復興計画を選ばざるを得ない地域もあった。
 あれほどの災害が起きたのだから事業用地を一括して取得できる法律を作るべきだったが、国のスタンスは「一筆ずつ交渉して買い取りなさい」だった。
 マンパワー不足に悩む被災自治体では当然、取得作業が遅れる。まるで家庭用のナイフとフォークでマグロをさばけと言われたのと同じだ。
 法改正で土地の権利者を1年以内に確定させられるなら緊急使用を使って着工できるようになった。だが最終的に土地の権利者を確定させねばならない被災自治体の負担は変わっておらず、根本的な解決にはなっていない。
 今後起きうる大規模な津波災害に向け、コミュニティーごと高台に移りたい地域があればすぐできるようにする制度の創設が必要だ。
[おぐち・ゆきひと]中央大卒。10年11月から13年10月まで宮古ひまわり基金法律事務所の3代目所長。日弁連の災害復興支援委員会幹事を務める。37歳。東京都出身。


<羽越線転覆10年>追悼慰霊式 安全を誓う
 乗客5人が死亡した2005年12月のJR羽越線特急転覆事故から10年となった25日、山形県庄内町の事故現場に立つ慰霊棟で犠牲者の追悼慰霊式があった。遺族4人とJR東日本の関係者18人が参列した。
 黙とうをささげた後、JR東日本の冨田哲郎社長が「事故に遭った皆さま、遺族に心よりおわび申し上げる。事故を風化させることなく、究極の安全に向けて全力を注いでいく」と誓いの言葉を述べた。参列者全員が白いカーネーションを祭壇に献花した。
 常務として事故対応に関わった冨田社長は、式典後の取材に「当時、事故現場の確認や負傷者へのお見舞いを通じて、二度と起こしてならないと強く感じた。社員の研修、教育を徹底していく」と語った。
 事故原因は局地的な突風とされる。開発中の突風探知システムについては「能力は高まっているが、自然現象の中の複雑なメカニズムを正確に検知、予測するには一定の時間が必要となる」と説明した。
 事故は05年12月25日午後7時14分、秋田発新潟行き特急いなほ14号(6両編成)が脱線転覆、乗客5人が死亡し、乗員2人を含む33人が重軽傷を負った。


香川サンタがプレゼント 被災地の子に笑顔
 東日本大震災の被災地支援の一環として、サッカーのドイツ1部リーグ、ドルトムントでプレーする香川真司選手(FCみやぎ出身)が25日、岩沼市を訪れ、子どもたちにクリスマスプレゼントを贈った。
 農機大手ヤンマーが企画。同社が市内に開設した「アグリソリューションセンター仙台」に、地元の小中学生約50人が集まった。
 香川選手はトラクターとともに登場し、子どもたち一人一人にサイン入り色紙や帽子、Tシャツなどのプレゼントを贈呈。一緒に並んで記念撮影も行った。
 中学から高校にかけて過ごした宮城について、香川選手は「自分の第二の古里のような場所だと思っている」と親しみを込めた。「子どもたちには夢や目標を持ち、いろんな分野で仙台から世界に羽ばたいていってほしい」とエールを送った。
 サッカーのスポーツ少年団に所属する玉浦小4年の渡辺琉誠君(10)は「テレビで見るより格好よかった。これからも活躍してくれるように応援したい」と笑顔を見せた。


<回顧みやぎ>祝福ムードから程遠く
◎(8)東北薬科大に医学部新設
<そのとき>
 「全然笑わないんですよね」。同行した写真部記者が、ぼやくこと。
 医学部新設が事実上決まった8月27日、記者会見は東北薬科大(仙台市青葉区)にとって晴れの舞台になるはずだった。それなのに…。
 理事長の高柳元明さん(67)をはじめとする大学関係者は終始、硬い表情を崩さなかった。
 十分に予想されたことではある。日本医師会と全国医学部長病院長会議は、最後まで医学部新設に反対。宮城を除く東北5県のまなざしも冷ややか。少なくとももろ手を挙げて祝福する雰囲気は、あまりない。
 ぶしつけな質問に高柳さんが語気を強める場面もあった。「第2東北大医学部という指摘は全く当たらない。性質が全く違う。研究の方向ではなく、地域医療に活躍する人材を育成していく」
 東北大との近さは、当初から指摘されてきたところだ。新医学部の難しい立ち位置が透けて見えた。
<それから>
 新医学部には幾つかの「留意事項」が課せられている。その一つ「大学病院本院の質の確保」にかかわる不祥事が11月、発覚した。
 東北薬科大病院(宮城野区)が全従業員約700人分の残業代を適正に支払っていないとして、仙台労働基準監督署に是正勧告を受けていた。
 薬科大病院は来年度、新医学部の付属病院になる。取材に病院事務局長は「大学病院として模範にならなければならない。襟を正す」と反省しきりだった。
 秋以降、東北各地や東京で開かれた新医学部の進学説明会には、多くの受験生や保護者が詰め掛けた。何といっても学費負担が国公立大並みに抑えられる修学資金制度が最大の魅力だ。
 大手予備校の調査によると、受験偏差値は新設ながら私大医学部の上位をうかがう。合格者に占める東北出身者の割合が気になるところだ。
 受験は来年2月1日。面接を経て同19日には1期生が誕生する。マフラーが外れ装いが軽やかになるころ、東北の医療復興を託された医学生たちが、続々仙台へやってくる。(報道部・野内貴史)
[メモ]文部科学省の大学設置・学校法人審議会は8月27日、東北薬科大申請の医学部新設を認可するよう答申。東日本大震災からの東北復興を支援する特例として1979年の琉球大(沖縄県)以来、37年ぶりの新設が決まった。1学年の定員は100人。東北6県に実習先となる19の地域医療ネットワーク病院を配置。薬科大は来年4月、医学部開設と同時に「東北医科薬科大」に改称する。


<国勢調査>福島4町で人口ゼロ
 福島県は25日、東京電力福島第1原発事故後に初めて実施された2015年国勢調査(10月1日現在)の速報値を公表した。県全体の人口は前回(10年)より11万5458人少ない191万3606人。少子高齢化に原発事故が拍車を掛け、減少幅は5.7%と過去最大となった。
 原発事故で全住民が避難する6町村のうち、富岡、大熊、双葉、浪江の4町は人口ゼロと算定された。ほかに全域避難の葛尾村は準備宿泊中の18人、飯舘村は特別養護老人ホームに入所する41人だけとなり、ともに98%以上減った。
 かつて全域避難した自治体のうち、ことし9月に避難指示が解除された楢葉町(976人)は87.3%減。11年9月解除の広野町(4323人)は20.2%減にとどまった。町民の多くが避難を続けるが、廃炉作業員らが居住し、減少幅が縮まった。川内村(2021人)は28.3%の減少。
 一部地区に避難指示が出された自治体では、田村市(3万8500人)が4.8%の減少、川俣町(1万4479人)が7.0%減で、事故前の減少率と大きな差はなかった。南相馬市(5万7733人)は18.5%減少した。
 避難区域周辺では一部自治体が増加に転じた。いわき市(34万9344人)が2.1%、相馬市(3万8575人)が2.0%増え、三春町(1万8305人)と福島市(29万4378人)はともに0.6%の微増。避難者や復興事業の従事者らの受け皿となり、いわき、相馬、三春の3市町は20年ぶり、福島市は15年ぶりの人口増となった。
 男女別でみると、男性(94万4967人)が4.0%、女性(96万8639人)は7.3%それぞれ減った。原発事故に伴う県外避難者は女性が比較的多く、復興事業に携わる転入者の大半が男性であることを反映したとみられる。


<国勢調査>人口減 南会津中心に深刻化
 福島県が25日に公表した国勢調査(速報値)では、東京電力福島第1原発事故の影響が少ない自治体でも、南会津地方を中心に人口減が深刻化している実態があらためて鮮明になった。
 県内59市町村のうち、原発事故避難者を多く受け入れるいわき市など4市町を除き、人口が増えたのはベッドタウン化が進む西郷と大玉の2村にとどまった。
 地方別では、原発事故の影響で42.9%の大幅減となった相双(11万1907人)を除くと、南会津(2万7117人)の減少率が9.3%と最も大きかった。会津(25万689人)4.3%減、県南(14万4143人)4.0%減、県中(53万9545人)2.2%減、県北(49万861人)1.2%減だった。
 避難区域を除く市町村別の減少率は、三島町の13.4%が最大で、次いで昭和村の11.9%。前回同様、南会津と会津の町村が上位を占めた。
 三島町は前回、減少率が全県1位で、人口が10年間で4分の1減った。4月1日現在、高齢化率は49.3%に達している。


<国勢調査>青森県人口 減少幅過去最大
 青森県は25日、2015年国勢調査(10月1日実施)の速報値を発表した。県人口は130万8649人で、10年の前回調査に比べ6万4690人(4.7%)減となり、1920年の調査開始以来、過去最大の減少幅を記録した。増加していた世帯数も、初めて減少に転じた。
 男性は61万4608人で3万1533人(4.9%)減少、女性は69万4041人で3万3157人(4.6%)減った。人口性比(女性100人に対する男性の数)は88.8で、0.3ポイント低下した。
 県推計人口を含め、統計上で残る県人口の最高は1983年の152万9269人(男性73万5726人、女性79万3543人)で、この30年余で22万人以上減った。世帯数は2437(0.5%)減の51万948で、1世帯当たりの人員は0.12人減の2.56人。
 市町村別人口は表の通り。青森、八戸、弘前の上位3市で県全体の53.3%を占めた。前回と比べ、人口が増えたのは六戸、おいらせの2町だけだった。減少率が高いのは風間浦村、大間町、今別町など半島に位置する都市部からの遠隔地が多かった。「青森県全体の動向を先取りしているとみられる」(県企画政策部)。
 県人口は、県が8月に示した長期ビジョンの将来展望を2300人余り上回った。県企画政策部の小山内豊彦部長は「構造的には減少が続くため楽観はできないが、最大限の努力で人口を安定的に推移させ、2080年で80万人程度を維持したい」と話した。


日韓外相会談 慰安婦新基金を提案へ 政府、1億円規模検討
 日韓両政府は二十五日、岸田文雄外相が二十八日に訪韓し、尹炳世(ユンビョンセ)外相と会談すると発表した。旧日本軍慰安婦問題の解決策を協議する。日本政府内では、元慰安婦に対する新たな基金を創設して元慰安婦の生活を支援する案が検討されており、岸田氏が外相会談で提案するとみられる。基金は一億円規模とする方向で検討している。
 日本は元慰安婦に対する「償い金」を支払った「アジア女性基金」(二〇〇七年解散)の後続事業として、韓国や台湾、フィリピン各地の元慰安婦を巡回して医療支援などを行う「フォローアップ事業」を続けている。一五年度当初予算では千五百万円を計上した。
 外相会談で岸田氏は、同事業の十倍近い額を日本政府が出資して基金を創設して、基金を通じ元慰安婦への人道支援を行う方法を提案するとみられる。
 韓国政府はこれまで、日本政府に「被害者(元慰安婦)が受け入れ、韓国民が納得する水準の案」を示すよう求めてきた。韓国側が元慰安婦や支援団体、韓国世論の反発を意識した場合、新基金案に難色を示す可能性もある。
 会談で岸田氏は、妥結後に韓国側が慰安婦問題を再提起しないことや、ソウルの日本大使館前に設置した慰安婦を象徴する少女像の撤去も求めるとみられる。
 岸田氏は二十五日、外務省で記者団に「何ができるか、ぎりぎりの調整を行いたい」と述べた。二十七日にはソウルで日韓両国の外務省局長級による協議が行われる。 (篠ケ瀬祐司)


九電、免震棟新設を撤回 川内原発 再稼働の前提ほご
 九州電力は八月に再稼働した川内(せんだい)原発(鹿児島県)をめぐり、事故が起きた際に対策所を置くとしていた免震重要棟の新設計画を撤回した。川内原発の免震棟は原子力規制委員会の審査でも設置が前提とされていたが、対策所の広さが三分の一以下の暫定施設を使い続けるとしている。
 九電は「方針変更は総合的に判断した。費用面も全く無関係ではない」としている。規制委幹部は「一度設置すると約束したものをやめるのならば説明が必要だ」として、九電に経緯や機能の説明を求める方針だ。
 九電が当初示していた計画では、川内原発の免震棟は地上三階建てで、延べ床面積約六千六百平方メートル、二階部分に広さ約六百二十平方メートルの対策所を置くことになっていた。
 しかし建設に時間がかかるため、再稼働を急ぐ九電は免震棟ができるまでの措置として平屋建ての暫定施設を新設。施設内の対策所は約百七十平方メートルしかない。
 九電は免震棟の新設を撤回する代わりに、暫定施設の近くに地上二階地下二階建ての「耐震支援棟」を設置し、医務室や宿泊室などを置くとしている。
 ただ広さや収容人数などが未定な上、事故時に建物間を移動することになり作業員が無用な被ばくをする恐れも生じる。規制委幹部は「免震棟と比べて安全性が落ちるのであれば認められない」との姿勢を示している。
◆「再稼働すればどうにでも」疑念浮かぶ 
 原子力規制委員会の新規制基準作成に携わった勝田忠広明治大准教授(原子力政策)の話 安全対策の内容を再稼働後に変更するのは重大で、このタイミングの方針転換は「再稼働してしまえばどうにでもなる」という姿勢の表れではないかとの疑念が浮かぶ。九州電力は規制委の審査会合のような透明性がある場で説明する必要がある。最近、テロ対策施設の設置期限を緩和するなど、規制委の電力側への配慮も目立つ。ここで規制委が厳しくチェックしなければ、福島第一原発事故以前のように、なし崩し的に規制が機能しなくなるかもしれない。
 <免震重要棟> 2007年の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発の事務棟が使えなくなった教訓から東京電力が所有する原発に設置し、福島第一原発事故では対応拠点として極めて重要な役割を果たした。免震装置で地震の揺れを大幅に低減する構造で、自家発電機や通信設備、被ばく対策設備のほか、休憩施設や物資置き場も備える。原発の新規制基準では義務付けられていないが、ほとんどの原発で設置が進んでいる。


[辺野古抗告訴訟]自治と尊厳を守り抜け
 国と県が互いを提訴する前代未聞の事態である。
 沖縄県は、翁長雄志知事による辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消し処分の効力を停止した国の決定を違法だとして那覇地裁に提訴した。
 提訴にいたった理由を知事は、「心情的にはやむにやまれずだ。国の強権的な手法の一つ一つを考えると、県民の誇りと尊厳を守るためにやむを得なかった」と説明する。
 この短い言葉の中に、知事の思い、多くの県民の思いが集約されている。
 事のいきさつはこうだ。
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐり、10月に翁長知事が前知事の埋め立て承認を取り消した。これに対し防衛省沖縄防衛局は取り消しの効力を止めるよう国土交通相に申し立て、国交相は執行停止を決めた。
 今回、県は提訴と併せ、国交相決定の効力停止も地裁に申し立てた。生物多様性に富む辺野古の海を守るため、判決を待たずに埋め立て本体工事を止める狙いからだ。
 県が強調しているのは次の2点である。
 「行政不服審査法は国民の権利利益の救済を図るもので、国の行政機関である防衛局が『私人』であると主張するのは法の趣旨にもとる」
 「同じ内閣の一員である国交相に中立・公正な判断は期待できない」
 県が指摘するように、政府の一連の対応には法の恣意(しい)的な解釈や形式的な運用が目立つ。その結果、憲法でうたわれた地方自治そのものが脅かされているのである。 
    ■    ■
 県が国を提訴した前日、国地方係争処理委員会は、国交相による辺野古埋め立て承認取り消しの執行停止を不服とする翁長知事の申し出を「審査対象に該当しない」と判断し、却下した。 
 法に基づき公正な解決を図る機会でもあった係争処理委が、本質的な議論に入る前に、知事の申し出を門前払いしたことは疑問を残す。
 却下の理由は「国交相の判断が一見、明白に不合理とは言えない」とするが、判断基準や多数決で決定した議論の内容は明らかにされていない。審査期限は来年1月末までとなっているのに、深夜0時近くまで議論し結論を出すやり方も尋常ではない。
 年明けの宜野湾市長選を意識し政府の力が働いたのではないか、という疑いさえ感じさせる決め方である。
 地方分権推進一括法によって国と自治体の関係は「上下」から「対等」に改められた。しかし国の強権的な手法や係争処理委の門前払い判断は、対等という言葉の意味を真に理解しているとは言い難い。
    ■    ■
 1972年の施政権返還から今年で43年。この間沖縄の人々が嫌というほど味わってきたのは、地位協定と関連取り決めにがんじがらめにされ、地方自治も人権も他府県並みに享受できないという理不尽な現実である。
 日本は今や世界でも米軍を数多く受け入れ、優遇している国になったが、沖縄のような事例は世界中どこにもない。その異常性を認識することが、この問題の出発点でなければならない。


安倍内閣3年 憲法軽視の「一強」政治
 「集団的自衛権の行使」「立憲主義の否定」。憲法がこれほど政治の中心課題だった年は、近年なかったのではないか。安倍内閣、きょうで発足三年。
 京都市東山区の名刹(めいさつ)、清水寺にある「清水の舞台」。森清範貫主が縦一・五メートル、横一・三メートルの越前和紙に、特大の筆を一気に走らせる。鮮やかな墨痕。
 「安」
 二〇一五年の世相を一文字で表す、毎年恒例の「今年の漢字」である。募集した日本漢字能力検定協会によると、応募総数約十三万票のうち、最多の「安」は六千票近くを占めた、という。
◆安保法への関心高く
 同協会は、応募者のコメントなどを基に「安」となった背景を、安全保障関連法への国民の関心が高まった▽テロ事件や異常気象が人々を不安にさせた▽建築偽装やメーカー不正の発覚で暮らしの安全が揺らいで、人々が安心を求めた、などと分析する。
 同様に「安」を選んだ政治家がいる。安倍晋三首相である。
 「今年はテロや災害が続き、国民の安全や安心を願う気持ちが強かったのではないか。政治の責任としては、国民の安全をしっかりと守り抜いていく。『安』を倍増すると『安倍』になる」
 首相官邸でこう語り、記者団の笑いを誘った。
 一二年十二月の衆院選で自民党が民主党から政権を奪還し、安倍氏が再び首相に就いて二十六日で三年がたつ。
 その後、一三年七月の参院選に勝利して、参院で与党が半数に満たない「衆参ねじれ状態」を解消し、一四年十二月の衆院選で再び勝利した。今や安倍首相率いる官邸「一強」ともいわれる政治情勢である。
 その首相が今年、最も政治力を注いだのが、集団的自衛権の行使に道を開く安保関連法であろう。
◆一内閣で解釈を変更
 振り返れば、なぜあれほどまでに急ぎ、あれほどまでに強硬に、法律を成立させなければいけなかったのか、疑問が募る。
 安保法は九月十九日に参院で可決、成立したが、施行はいまだされず、政府は一六年度予算案にも反映していない、としている。
 国連平和維持活動(PKO)に派遣する自衛隊への「駆けつけ警護」任務の追加も、来年の参院選以降に先送りされる、という。
 安保法の早期成立を必要とする切迫した立法事実がどこにあったと言うのだろうか。
 首相が衆院解散に踏み切り、衆参同日選の可能性も指摘される。選挙で安保法が主要争点となることを避けるため、強行してでも早めに法律を成立させ、国民の反発が冷めるのを待つ狙いがあったとしか考えられない。
 外国同士の戦争に参加する集団的自衛権の行使が憲法に違反するという政府の解釈は、国会での長年の議論を経て定着し、自民党を含む歴代内閣が堅持してきた。
 海外では武力の行使をせず「専守防衛」に徹するという、日本国民の血肉と化した憲法九条の平和主義は日本人だけで三百十万人、内外で膨大な犠牲を出した先の大戦に対する痛切な反省に基づく誓いであり、切実な願いでもある。
 その解釈を一内閣の判断で強引に変えたのが安倍内閣である。
 憲法解釈を時の政権が自由に変えることができるなら、憲法は法的安定性を失うばかりか、主権者たる国民の手を離れ、統治の道具に堕してしまう。
 国民が憲法を通じて権力を律する「立憲主義」は根底から覆るとの批判が湧き上がるのも当然だ。
 憲法に誠実に向き合おうとしない安倍内閣の政治姿勢は、安保法にとどまらない。
 野党側は十月、衆参いずれかで四分の一以上の要求があれば、内閣は臨時国会の「召集を決定しなければならない」と定める憲法五三条に基づいて臨時国会召集を要求したが、政権側は拒否した。あからさまな憲法軽視である。
 九条などの改正を目指す安倍首相にとって、占領下でつくられた現行憲法は脱却すべき「戦後レジーム(体制)」なのだろう。
◆公務員には尊重義務
 かといって、憲法を軽視していいという理由にはならない。天皇および国務大臣、国会議員、裁判官、公務員は憲法を尊重し、擁護する義務を負っているからだ。
 来年は日本国憲法が公布されて七十年の節目の年に当たる。安倍政権はいずれ衆参両院で三分の二以上の多数を得て憲法改正を発議したいと考えているに違いない。おおさか維新の会との蜜月関係もその布石なのだろう。
 憲法改正か否かを最終的に決めるのは、国民投票をする国民自身ではあるが、政治指導者の役割は無視し得ない。何年か先に振り返り、今年が「憲法崩壊元年」と呼ばれぬことを祈るばかりである。


国と沖縄の係争 門前払いは役割放棄だ
 米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる国と沖縄県の攻防は法廷に全面的に移行した。総務省所管の第三者機関「国地方係争処理委員会」が沖縄県の申し立てを却下した。県は国を相手取り、名護市辺野古への移設阻止を目指し、提訴した。
 国と地方の争いを審査、調停するはずの係争委が県の主張を実質審議せず、門前払いした対応には疑問がある。調整機能の不在を露呈したと言わざるを得ない。
 国と沖縄県が双方を訴え合う、異例の構図である。係争委が早々に結論を出し、年明けとみられた国への提訴は前倒しされた。翁長雄志知事は記者会見で「委員会の存在意義を自ら否定しかねず、誠に遺憾だ」と批判した。
 石井啓一国土交通相は10月、翁長知事による辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しの効力を停止することを決めた。沖縄防衛局の申し立てを受け、行政不服審査法に基づく手続きだった。沖縄県は「違法な決定」として、第三者機関である係争委に審査を申し出ていた。
 ところが、係争委は県の申し立ては審査対象にあたらないとして却下してしまった。小早川光郎委員長は「一般的に、行政不服審査法に基づく決定は、審査対象にあてはまらない」と説明している。
 確かに不服審査請求に対する裁決や決定は審査対象外と法律は定める。だが今回、民間ではなく国の機関である沖縄防衛局が執行停止を申し立てた異例さを沖縄県は強調し、違法性を主張していた。小早川委員長は「一見明白に不合理ではない」と特例扱いを認めなかったが、門前払いが妥当だったか疑問が残る。
 却下を決めた係争委の会合は約6時間半議論しても意見が一致せず、多数決に踏み切った。委員間でどんな具体的なやり取りがあったかは不明だ。県の申し立てを正面から受け止め、実質審査するのが責任ある対応だったのではないか。
 国地方係争処理委員会は2000年に発足した。同年に施行された地方分権一括法がうたった国と地方の対等、協力関係の理念を保障する制度のひとつと位置づけられている。
 だが、中央官庁である総務省に置かれているため、役割を果たせるかも疑問視されている。実際、地方が審査を申し出た例は今回も含め3件にとどまる。だからこそ、国と地方が基地問題をめぐって対立した今回は試金石だった。
 国と地方の争いを調整するきちんとした枠組みがないまま、対立が深みにはまっていく。係争委の対応も含めて国に一貫して欠如しているのは、沖縄の主張に耳を傾け、対話しようとする姿勢である。

くわい/サイフ忘れて/最後の会議

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上智荒鷲

Un Japonais condamné après des rapports sexuels avec plus de 12.000 femmes
Un ex-principal de collège japonais a été condamné vendredi au Japon à deux ans de prison avec sursis pour avoir pris des photos et monnayé des rapports sexuels avec au moins trois mineures, parmi un total de 12.000 femmes, au cours de nombreux séjours aux Philippines.
L'homme, Yuhei Takashima (65 ans), avait été interpellé en avril dernier après une plainte d'une adolescente de 13 ans victime de ses agissements.
Le sursis assorti à sa peine vaut pour une durée de quatre ans.
Sa condamnation est notamment motivée par le fait que ce Japonais "a pris des photos de ses actes obscènes avec trois adolescentes de 12 à 14 ans" dans un hôtel aux Philippines il y a environ deux ans, selon un extrait du jugement rapporté par l'agence de presse Jiji.
"C'est lamentable et vicieux", a tranché la juge Naoko Omori qui a estimé que M. Takashima "avait abusé de la situation économique fragile de jeunes filles", selon Jiji.
"En tant qu'enseignant, il aurait dû savoir qu'aux Philippines comme au Japon, les enfants doivent être protégés", s'est-elle agacée.
Le sexagénaire avait expliqué à la police avoir commencé à payer pour des relations sexuelles lorsqu'il a été envoyé pour trois ans dans une école japonaise à Manille en 1988, selon Jiji.
Par la suite, il a continué au rythme de trois voyages par an aux Philippines, cumulant ainsi un total de 65 séjours.
Pendant ce temps, il aurait eu des relations sexuelles avec quelque 12.600 femmes, agées de 12 à quelque 70 ans.
M. Takashima a minutieusement classé près de 150.000 photographies de ses proies sur une période de 27 ans dans environ 400 albums, a rapporté la presse.
Les médias précisent que le coupable a déclaré au tribunal "avoir l'habitude de collectionner les choses" et voulait "garder des souvenirs".
En plus de la vente et la distribution, la législation japonaise, modifiée en 2014, punit désormais aussi la simple possession de photographies et vidéos à caractère pédopornographique. Les dessins ou images de synthèse sont en revanche tolérés.
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お金と感情と意思決定の白熱教室 楽しい行動経済学の世界3 感情をどう動かすか
私たちの行動を理性とともに規定している「感情」は非常に不可解な存在である。例えば「感情」は“顔の見える存在”に想像以上に動かされがちだ。テレビニュースがルワンダの虐殺の報道時間よりも長く、井戸に落ちた一人の少女の救出劇に時間をかけた理由もこれだ。逆に「感情」が合理的な判断をじゃまするという特徴から、人々の感情をコントロールするすべまでが見えてくる。最新の行動経済学が不思議な「感情」の世界を解明する
デューク大学教授…ダン・アリエリー


年末でくわいを食べました.目が出て出世できるでしょうか?
出勤の時にサイフ忘れてしまうところでした.あぶないあぶない.
昼からは今年最後の会議です.活発な議論ができました.

<閖上中>悲しさ、悔しさ、そして感謝
 名取市閖上地区で24日、旧閖上中校舎の解体工事が本格化した。関係者は複雑な思いで作業を見守り、校舎との別れを惜しんだ。
(31面に関連記事)
 校舎は1980年の完成。市は11月に正面の時計を取り外して以降、内装の解体や照明・備品の撤去を進めてきた。この日から建物本体の解体を始めた。
 震災時は津波で1階部分が水没した。周囲には高い建物がなく、3階や屋上などに住民らが800人以上避難して命をつないだ。
 同校に2年まで通った東北学院大1年菊地雄也さん(19)は、母訓子(のりこ)さん(52)と作業を見つめた。「心のよりどころとして校舎を残してほしいという思いがあった。悲しさと悔しさが入り交じっている」と揺れる胸中を明かした。
 閖上で語り部の活動を続ける訓子さんは、義理の両親が避難して助かった校舎への感謝をにじませた。「ここに素晴らしい学校があったことをしっかり語り継いでいく」と話した。
 市は早ければ本年度中に旧閖上小校舎の解体にも着手する。同地区には新たに小中一貫校を建設する計画で、2018年春の開校を目指す。


<閖上中>あの日の記憶刻む校舎 姿消す
 あの日の記憶が刻まれた建物がまた一つ、姿を消す。宮城県名取市は24日、東日本大震災で被災した閖上地区の土地区画整理事業に伴い、旧閖上中校舎本体の解体工事に着手した。
 校舎は鉄筋コンクリート3階建て。2階と3階のバルコニーの一部を、大型重機2台を使って取り壊した。砕けた壁や床が白煙を上げて崩れ落ち、激しい音が周囲に響き渡った。解体は来年2月ごろまで続く。


楢葉初プロ野球選手 原発被災地に活躍誓う
 東京電力福島第1原発事故の被災地、福島県楢葉町出身で、ことしのプロ野球ドラフト9位でオリックスに入団した赤間謙投手(25)=鷺宮製作所=が24日、原発事故後初めて帰郷し、松本幸英町長らに入団を報告した。町は9月に避難指示が解除されたが、本格復興はこれから。楢葉町初のプロ野球選手となった右腕は「古里の人が喜ぶような投球をしたい」と誓った。
 役場では職員が拍手で出迎えた。松本町長は背番号が60と聞き「来年は町制施行60年。町も発展し、赤間選手も活躍する。町を挙げて応援したい」と激励。赤間投手は「結果を残し、恩返ししたい」と語った。
 赤間投手が古里に帰るのは、原発事故2カ月前の成人式以来。父雄二さん(59)はいわき市の仮設住宅、母貞子さん(59)と祖父母は千葉市に避難している。
 5年ぶりの古里は人が少なく、除染廃棄物の仮置き場も広がるなど「不思議な感じがした」。訪れた実家は、地震と長期避難で傷んだため解体中で「寂しく、悲しくなった」と言う。
 原発事故当時は大学生で、野球部の沖縄キャンプ中だった。「野球をやっていていいのか、帰って何かできるのではないかとも思った」と振り返る。
 帰郷し「復興は進んでいない」と感じただけに「自分が頑張って、いい報告をしたい」との気持ちは一層強まった。「大勢の楢葉の人たちを球場に招待できる投手になりたい」
 同行した雄二さんは「楢葉の子どもたちのためにも、がむしゃらに突き進んでほしい」と話した。
 赤間投手は楢葉南小1年のときに野球を始めた。楢葉中時代は相双中央シニアに所属し、東北楽天の横山貴明投手(福島県浪江町出身)とチームメートだった。東海大山形高、東海大に進み、社会人野球では主に救援で活躍した。


「香川サンタ」、被災地の子供らにXマスプレゼント
 サッカー日本代表の香川真司選手(26)=独ボルシア・ドルトムント=が25日、宮城県岩沼市の農業複合施設を訪れ、子供たちにクリスマスプレゼントを手渡した。
 イベントはヤンマー(大阪市)などが開いた。香川選手にとって、宮城県は中高時代を過ごした「第2の故郷」。東日本大震災の津波で校舎などが浸水した市立玉浦小の児童ら50人の一人ひとりに、サイン入り色紙やTシャツなどの贈り物を手渡した。
 プレゼントを受け取った岡田大翔(ひろと)君(5)は「肩を組んでもらってうれしかった」と飛び跳ねて喜んだ。香川選手は「これからも復興支援のためにサッカーを通して子供たちに夢や希望を与えられるよう頑張りたい」と話していた。


<帰還困難>防護服姿で5年ぶり新しめ縄奉納
 東京電力福島第1原発事故で大半が帰還困難区域に指定されている福島県双葉町の初発神社に23日、氏子たちが新しいしめ縄を奉納した。全町民の長期避難で荒廃した神社にまだ青い縄を飾り、新年を迎える準備を整えた。
 しめ縄を新調するのは、原発事故前の2010年暮れ以来、5年ぶり。7人が防護服姿で社殿の古いしめ縄を外し、社殿と鳥居に長さ約6メートル、中央の太さ30〜40センチのしめ縄をそれぞれ取り付けた。
 初発神社は東日本大震災で社殿や鳥居が傾いたままの状態。特に社殿の傷みが激しく、ワイヤで固定して持ちこたえている。境内の灯籠なども倒れ、鳥居前の家屋は倒壊して道路の半分以上をふさいでいる。
 しめ縄は氏子らが今月18日、いわき市に集まって作った。同市に避難している氏子総代の前田洋海(ひろみ)さん(73)は「初詣で人が集まれないのは寂しいが、新しい縄で気持ちも新たに新年を迎えたい。一時帰宅した人に見てもらえればうれしい」と話した。


<避難タワー>浸水区域外の高台に完成
 青森県おいらせ町の川口地区に津波避難タワーが完成し、24日、地元関係者が完成式典を開いた。事業費を抑えるため、設置場所は東日本大震災の津波で浸水した当初の予定地から約400メートル北に変更され、浸水区域外の高台に建った。町は地域の防災訓練や教育にも生かす。
 施設は鉄筋コンクリートの4層構造で、明神山と呼ばれる海抜13メートルの高台に建つ。避難室(134人収容)は地表から9.8メートルの高さの4層目にあり、県が予測する最大津波高18.79メートルにも対応する。総事業費約2億3000万円は復興交付金などで賄われる。
 町によると、最大津波の到達は地震発生の52分後と想定。内陸部の指定避難場所に逃げ遅れた地区の住民は、時間内に明神川を渡って明神山に避難する。
 当初は川を渡らずに済む平野部に高さ20メートル以上のタワーを造る計画で、費用は6億円超だった。昨年3月に復興庁から他地域より高額だと指摘され変更した。
 地区の住人は約90人。防さびの塗装など維持費は5〜10年で数十万円の見込み。
 式典で三村正太郎町長は「全住民が望んだ場所でないかも知れないが、地域の命を守るため最大限活用する」と語った。


<避難タワー>住民「造った以上は役立てる」
 青森県おいらせ町の川口地区の住民たちは、建設場所が当初の予定地より遠くに変更になった津波避難タワーの完成を「造った以上は訓練に役立てたい」と前向きに受け止めた。
 町は、津波警報時は地区中心部から約1キロ北にある明神山のタワー、大津波警報時は海岸から約2キロ西の公園を避難場所に指定。一方で住民には「大津波警報でも、緊急避難先としてタワーもあり得る」と説明している。
 東日本大震災時、明神山には高さ7.5メートルの津波が押し寄せ、近くの工場関係者を含め300人が避難した。昔から地域の避難場所だった経緯もあり、タワー整備に伴い、大津波にも対応できると判断した。
 避難時に明神川を渡る危険性に関し、町まちづくり防災課の担当者は「地震発生から時間がたったら、川には近づかないよう伝える。いつまでだったら大丈夫という目安を示す予定はない」と説明する。
 ことし8月の地区の防災訓練では、脚が悪い人を乗せたリヤカーが明神山に到着するまで45分かかった。町内会の大久保信会長(65)は「避難時にもたついたら橋を渡れないかも。前の建設場所がよかったが、しようがない。訓練の充実化を図るだけだ」と話した。


<仙石線>塩釜神社初詣列車 来年は運行中止
 塩釜神社(塩釜市)の初詣客らを運ぶ列車として、長年親しまれてきたJR仙石線の初詣用臨時列車が、来年は運行が中止されることになった。利用客の低迷が理由で、地元からは「残念だ」と惜しむ声が上がっている。
 JR東日本仙台支社によると、臨時列車は少なくとも記録が残る1979年には運行していた。昨年はあおば通−東塩釜間で1月1日未明から上下計6本を各駅停車で運行した。
 利用は低調で、昨年のあおば通発下り列車(4両編成、定員550人)の乗車率は、午前1時半発が40%未満、午前3時発が20%未満。午前4時40分発は10%程度だった。仙台支社は「車の利用者が増え、ニーズにそぐわなくなった」と説明する。
 運行中止について、塩釜市観光交流課の吉岡一浩課長は「最近は参拝客が分散し、臨時列車の乗客も減っていると聞いていた。仕方ない面はあるかもしれないが、残念だ」と話す。
 仙石線本塩釜駅では毎年、臨時列車の運行に合わせて駅前の商店街などが鏡開きを行ってきたが、今回は取りやめる。同駅では旅行窓口「びゅうプラザ」の廃止などもあり、商店主の男性は「観光の玄関口という位置付けがあいまい。臨時列車の運行中止はそれに追い打ちを掛ける出来事だ」と嘆いた。


<5度目の年の瀬>川の景色変わっても
◎2015被災地(5)サケつかみ捕り(宮古市)
 大漁旗がはためき、解禁のサイレンが響く。サケが放された川に、待ちかねた人たちが一斉に駆けだした。
 宮古市津軽石川で20日にあったサケのつかみ捕り。1973年に始まった伝統行事で、本拠地である川での開催は5年ぶり。
 東日本大震災で川底が50センチ以上沈下。昨年まではJR宮古駅前にプールを設置して開いた。ことしは復興の象徴にしようと、宮古観光文化交流協会が川底に砂利を敷き、復活させた。
 南部鼻曲がりザケの産地で本州有数の漁獲量を誇る。地元の人は「サケといえば津軽石川」と言う。川をさかのぼるサケとつかみ捕りは、生活に根付いた古里の風景という。
 「津波は川の景色を変えてしまい、再開は無理だと思っていた。川がたくさんの人でにぎわいうれしい」と近くに住む鈴木清正さん(70)。つかみ捕ったサケを誇らしげに掲げた。


JR羽越線脱線 「風化させない」事故10年追悼式
 山形県庄内町で2005年12月、JR羽越線の特急が脱線転覆し、乗客5人が死亡した事故から丸10年となった25日、現場の慰霊碑前で追悼式があった。JR東日本の冨田哲郎社長は「事故を風化させることなく、究極の安全に向けてグループ一丸となり全力を注ぐ」と、一層の安全対策に取り組む決意を誓った。
 午前10時から始まった式には、4人の遺族を含む関係者22人が参列。全員で黙とうをささげ、白いカーネーションを祭壇に手向け犠牲者の冥福を祈った。
 事故は05年12月25日午後7時14分ごろ起きた。同県庄内町榎木のJR羽越線砂越−北余目駅間で、秋田発新潟行き特急「いなほ14号」(乗客・乗員46人、6両編成)が、最上川にかかる鉄橋を通過後、突風を受けて脱線・転覆。先頭車両の乗客5人が死亡し、運転士を含む33人が重軽傷を負った。
 国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)は08年4月、瞬間風速約40メートルの局所的な突風が事故原因とする報告書を公表。山形地検は10年3月、業務上過失致死傷容疑で書類送検されたJR東日本新潟支社の運行管理担当者3人について、「突風は予見できなかった」として不起訴処分とした。【高橋不二彦】

<回顧みやぎ>今なお癒えぬ遺族の傷
◎(7)館中生徒いじめ自殺問題
<そのとき>
 静かな公園が報道陣であふれかえった。
 仙台市泉区の館中1年の男子生徒=当時(12)=がいじめを苦に自ら命を絶って1年。命日に合わせたかのように、学校に隣接する公園に9月下旬、献花台が設置された。
 傍らに「守ってあげられなくてごめんね」のメッセージ。献花台から少し離れた場所で手を合わせる男性がいた。男子生徒の父親だ。
 「息子が好きだったものです」。手には、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」とチョコレート菓子「きのこの山」。お供えに持参したが、報道陣に囲まれたくないと記者に託した。
 一連のいじめ自殺問題は「遺族の意向」で校名は公表されず、在校生にも事実が伏せられる異例の経過をたどった。市教委が8月下旬、いじめ自殺を公表後、取材は中学校を特定することから始まった。
 真実に迫ろうとする記者と、学校や地域との間には摩擦が生じた。館中の教諭は当初、「証拠はあるのか」と記者に迫り、町内会は取材の自制を求めてきた。
 献花台の設置は大きな転機になった。取材メモに「本当にこのままで良いのか考え始めている」とある。家族を守ろうと非公表を貫いてきた父親が、献花台の設置に心を動かされ、公表へと傾き始めた瞬間だ。
 真相究明に向けて、止まり掛けた歯車が回り出すと確信した。
<それから>
 遺族は9月下旬、市教委に生徒と保護者へ説明するよう求めた。市教委は校名を公表後、在校生と保護者向けの説明会を開き、アンケートのやり直しにも着手、次々に方針を転換した。
 ただ、公表後も問題は解消されなかった。奥山恵美子市長や市教委は説明の場で何度も「遺族の意向」と繰り返し、遺族を守るどころか、さらに傷つけた。
 いじめた生徒からも謝罪はなかった。インターネットには、いじめた生徒にとどまらず、亡くなった生徒に関する真偽不明の情報が書き込まれた。「公表してよかったのか」。父親は今も揺れている。
 遺族が奥山市長と初めて面会した今月21日、母親は電話で記者にこう語った。
 「同じ体験をしてほしくないが、同じ体験をしないと分からない。私の気持ちを100パーセント分かる方はいない」
 記者以前に一人の人間として、この言葉を反すうしている。
(報道部・吉江圭介、河添結日)
[メモ]仙台市泉区の館中1年の男子生徒=当時(12)=が昨年9月21日、いじめを苦に自殺を図り、6日後に亡くなった。市教委は「遺族の意向」を理由に非公表とし、在校生には「彼は引っ越した」と説明した。ことし8月21日、校名を伏せたまま、いじめ自殺があったと公表した。遺族の求めで、10月5日に校名などを公表。全校集会などを相次いで開き、在校生らを対象にアンケートを行った。12月21日には遺族が奥山恵美子市長と初めて面会した。


国分寺まつり出店拒否 3団体が救済申し立て 「護憲、反原発に差別的扱い」
 東京都国分寺市で毎秋、開かれている「国分寺まつり」への出店を拒否された市民団体「国分寺九条の会」など三団体が二十四日、「特定の思想信条に基づき差別的取り扱いを受け、市民参加の機会を奪われた」などとして、東京弁護士会に人権救済を申し立てた。 (萩原誠)
 二〇一三年まで毎年、参加が認められていた三団体は「内容が政治的意味合いを持つ」と一四、一五年と二年連続で拒否されており、来年以降は認めるよう求めている。
 申し立てたのは、九条の会と、原発関連の勉強会などを開催している「Bye−Bye原発/国分寺の会」と「ちょっと待って原発の会」で、いずれも国分寺市民でつくる団体。「公共の場のまつりへの出店拒否は、憲法で定めた表現の自由や平等権の侵害に当たる」などと主張している。
 まつりは市が事務局で、市民らでつくる実行委の主催。九条の会は〇八年から出店し、憲法九条に関するパネル展示やシール投票などを実施。「Bye−Bye」は一一年、「ちょっと待って」は一二年から参加し、東京電力福島第一原発事故関連のパネル展示などをしてきた。
 一四年、まつり出店者の募集要項に「政治的・宗教的な意味合いのある出店」は参加を断る旨の条件が加えられた。実行委は同年以降、この要項を根拠に、三団体の参加を拒否している。
 立川市内で二十四日に記者会見した九条の会代表の増島高敬さん(75)は「なぜ参加不可なのか、事務局の市は説明責任があるのに納得できる説明をしてくれない」と主張。
 「Bye−Bye」代表の服部久美子さん(63)は「トラブルなく参加してきたし、原発に関する市民の勉強の場になっていた」、「ちょっと待って」会員の前納寛乃さん(68)は「安全な社会をどう守っていくか皆で考えたいと参加してきた。自由に参加できるまつりになってほしい」と訴えた。
 まつり実行委事務局の市文化と人権課の宮本学課長は「実行委の役員会が、市民の親睦の場に、賛否があるものが参加するのは好ましくないと決定した」とした上で、申し立てについては「内容を確認していないのでコメントできない」と話した。


大飯・高浜原発 安全は“神話”のままだ
 福井県にある高浜原発、大飯原発の再稼働差し止めを求める司法判断が、覆された。だが待てよ。誰もまだ安全を保証するとは言っていない。大事故が起きた時、責任を取る覚悟も力もないままだ。
 逆回転が加速し始めたということか。「原発ゼロ」の歯止めが、また一つ外された。
 最大の争点は、3・11後に定められた原子力規制委員会の新たな規制基準を、原発再稼働の“お墨付き”とするか、しないかだ。
 規制委は二月、高浜原発3、4号機を新規制基準に適合しているとした。
 それを受け、関電は再稼働の準備に着手。しかし、福井地裁は四月、「新規制基準は合理性を欠く」として、周辺住民が求めた再稼働差し止めを認める決定を下していた。新規制基準の効力に根本的な疑問を投げかけたのだ。
 関電の不服申し立てを受けた福井地裁は、その決定を百八十度覆したことになる。
 安全対策上想定すべき最大の揺れの強さ(基準地震動)、その揺れや津波に対する関電側の対策、使用済み核燃料保管の危険性…。どれをとっても規制委の審査に「不合理な点はない」として、原発が周辺住民の人格権や、個人が暮らしや生命を守る権利を侵害する恐れはないと判断した。
 昨年五月、同様に運転差し止めを認めた大飯原発3、4号機に関しても「規制委の審査中であるから」と、差し止めを却下した。
 高浜に関しては、西川一誠知事が二十二日再稼働に同意して、地元同意の手続きを終えている。関電は、まず3号機から運転開始を急ぐという。
 だが、よく考えてもらいたい。
 裁判所は事業者の取った対策が「新規制基準に適合する」という規制委の判断を「合理的」としただけだ。規制委自身が何度も表明しているように、その判断は「安全」を保証するものではない。
 今回の福井地裁も「過酷事故の可能性がまったく否定されたものではない」と、はっきり述べているではないか。
 知事の判断も同じである。
 安全確保は事業者の責務。事業者の規制は国の責務。県は監視するだけという、及び腰の最終同意である。事業者にも国にも“責任能力”などないことは、福島の現状を見れば、明らかではないか。
 安全性も責任の所在もあいまいなまま、再稼働へひた走る。その状況が何も変わっていないということを、忘れてはならない。


高浜原発/割れる判断に事の重大性
 同じ地裁で、これほど対照的な判断が示されるのも珍しい。
 関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の運転を差し止めた仮処分への関電の異議申し立てに、福井地裁は再稼働を認める決定をした。
 高浜3、4号機は原子力規制委員会の安全審査に適合し、西川一誠知事の先日の同意で地元手続きを終えた。地裁の決定で再稼働に向けた障壁が取り払われた形になる。
 ただ、運転差し止めを求める原告は不服を申し立てる方針で、すんなり再稼働となるかは不透明だ。
 4月の仮処分決定は、関電による地震想定の不十分さなどを挙げて新規制基準や規制委の審査を根本的に否定した。基準地震動を超える地震が過去に何回も起きていることを指摘し、予測は限られた数しかない昔の地震のデータなどに頼り、信頼性が足りないと疑問を呈した。
 ひとたび過酷事故が起きれば広い範囲に被害が及ぶ−。新規制基準は周辺住民に人格権の侵害をもたらす具体的危険性を有しているとしたのは、2011年3月の原発事故を踏まえた判断といえる。
 一方、異議審は、争点となった設備の耐震安全性や基準地震動の策定方法などに合理性があり、新規制基準の妥当性についても問題ないとした。人格権の侵害も否定した。
 高浜3、4号機は、事故対応の拠点となる免震重要棟が設置されてない。外部電源の確保策などにも不安を残し、万全な形で再稼働を迎えようとしているわけではない。
 国民が心配するのは根拠の乏しい「安全神話」復活である。それを阻止できるのは司法しかない。
 安全は原発対策だけで事足りるわけではない。高浜原発は京都府や滋賀県に近い場所に立地し、電力会社が立地自治体以外は認めないとする「安全協定」の在り方が曖昧だ。避難計画が義務付けられる半径30キロ圏の自治体の避難計画の実効性も問題になっている。広域避難計画の経路となる道路整備や移動手段の確保、渋滞対策も決まっていない。
 住民の生命・健康を守る問題にコミットとしないと宣言する規制委でよいのか。
 同じ地裁の判断が真っ二つに割れるのは、それだけ再稼働に多くの問題を残すということだろう。高浜3、4号機の再稼働を急ぐことより残された課題の解決が先だ。


高浜原発異議審  再稼働の免罪符でない
 「安全性が確保されていない」として、高浜原発3、4号機(福井県)の運転差し止めを命じた仮処分決定について、福井地裁(林潤裁判長)が関西電力の異議申し立てを認め、取り消した。
 原発の安全性の基準に対する考え方の違いが正反対の結論を導いたといえよう。司法の判断が分かれた意味は重い。福島第1原発事故を経験した日本が、国民の安全をどのように確保するかがあらためて問われている。再稼働への免罪符を得たわけではない。
 今年4月、福井地裁の樋口英明裁判長は、原発の安全基準には「深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえる厳格な内容」が求められると指摘、原子力規制委員会の新規制基準は「緩やかに過ぎる」として差し止めを命じた。発生から5年を迎えても福島事故は収束せず、多くの住民が故郷に戻れなくなった過酷な現実をみれば、国民の安全を最優先にした厳正な判断といえよう。
 一方、決定を取り消した林裁判長は、裁判所が原子炉の安全性を判断する際には、新規制基準の内容や規制委の基準適合性の判断が合理的かどうかという観点から行うべきと指摘したうえで、新規制基準は合理性があるとして3、4号機を合格とした規制委の判断を支持。基準地震動や設備の耐震安全性の評価を適切だと認めた。
 専門性の高い規制委の判断を尊重した形といえるが、国民の不安を解消することにはならない。原発の安全性をめぐる司法の判断の揺れは、安全性のレベルをどう設定すべきかという重い問いかけと考えるべきだ。
 林裁判長は、過酷事故が起こる可能性を全く否定するものではないとして、国や電力会社に実効性のある対策を講じ続けるよう求めた。事故を引き起こした「安全神話」に再び陥らないよう、慎重さが求められるのは当然だ。
 差し止めを求めた住民側は、取り消しを不当として、名古屋高裁金沢支部に不服を申し立てる。一方、法的な問題はなくなったとして関電はきょうにも3号機の燃料装填(そうてん)を開始し、来年1月下旬から運転を始める構えだ。
 しかし、再稼働への同意権は福井県の立地自治体にしかなく、過酷事故が発生すれば重大な影響を受ける京都府、滋賀県にはない。福井、京都、滋賀3府県の避難計画にもさまざまな課題が残っており、国民の理解は決して深まっていない。国と関電は再稼働を急ぐべきではない。


「関電主張コピペ」弁護団ら怒り 高浜再稼働ストップへ決意
 「権力に追随した」「新たな安全神話だ」―。福井地裁が関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の再稼働差し止めを命じた4月の仮処分決定から約8カ月。同地裁は24日の関電の異議に対する決定で、今度は原子力規制委員会の新規制基準をクリアした原発の安全性に“お墨付き”を与えた。2基は再稼働へと進むが、申立人の住民や支援者は「新たな戦いのスタート」と気勢を上げ、憤りと決意をみなぎらせた。
 午後2時すぎ、申立人代表で同県敦賀市議の今大地晴美さん(65)らが「福島原発事故に学ばず」「司法の責任どこへ」と書かれた垂れ幕を掲げると、同地裁前に集まった約250人(主催者発表)は静まりかえった。弁護団共同代表の河合弘之弁護士(71)が保全抗告することを宣言すると、「再稼働反対」などとシュプレヒコールを繰り返し、同地裁に向け拳を突き上げた。
 福井県国際交流会館(福井市)で会見した河合弁護士は、今回の同地裁の決定を「関電の主張の“コピペ判決”」と断じた。特に核燃料の損傷や溶融で放射性物質が大量に漏れる危険性を「社会通念上、無視できる程度に管理されている」と結論付け、避難計画など重大事故後の対応を再稼働の是非の判断要件としない立場を示した点を問題視。「世界標準になっている多重防護の思想の否定であり許せない」と切り捨てた。今大地さんも、「関電という一企業だけでなく、原子力村や国を相手にもっと頑張って運動を続ける」と強調した。
 弁護団の井戸謙一弁護士(61)は「行政や立法の横暴を止める司法の役割を果たしていない恥ずべき内容」と指摘。高浜3、4号機は、滋賀県民が大津地裁に申し立てた再稼働差し止め仮処分の決定が来春にも出る見通しで、「大津で勝てば関電は運転できない。期待してほしい」と呼び掛けた。
 福井地裁の仮処分申し立てには関西の住民が申立人に名を連ね、再稼働反対の署名運動が広がっている。名古屋高裁金沢支部で係争中の大飯原発訴訟で原告団代表を務める中嶌哲演さん(73)=福井県小浜市=は、25日に高速増殖炉もんじゅ(敦賀市)の廃炉を求める訴訟を東京地裁に提起することに触れ、「核燃料サイクルや原発は全国民が当事者にならなければならない大問題で、関西の皆さんとも連携し運動を強める」と訴えた。


<中間貯蔵>30年後の返還 確約を
◎故郷を手放す地権者(中)6代目の責任
<先祖伝来の地>
 先祖から引き継いだ土地だ。30年後には必ず返してほしい。その確約があれば、契約を考える。
 福島県双葉町郡山に住んでいた池田耕一さん(84)は、江戸時代から続く農家の6代目だ。自宅と田畑は東京電力福島第1原発事故で出た除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の建設予定地になった。
 山陰地方から移住してきた先祖は代々、水田開発に励んできた。自分も自動車学校の教官や第1原発の警備員をしながら、田んぼを開いた。先代より1ヘクタール増やし、事故前には7ヘクタールで耕作していた。
 原発事故が起き、生涯をかけて向き合った田畑に放射性物質が降り注いだ。帰還困難区域に自宅は含まれた。郡山市のアパートから一時帰宅した時のことだ。田畑は雑草が伸び放題で、柳までが生えていた。「元通りの原野になってしまった」。涙が止まらなかった。
 せめて住み慣れた浜通りに戻ろうと、2013年4月、南相馬市原町区に庭付きの中古住宅を買った。早速、庭土を入れ替え、キャベツやブドウを育てた。植物が芽吹き、実を結ぶ姿に元気づけられた。
<条件付き賛成>
 中間貯蔵施設の建設には当初、反対だった。13年8月に福島市で開かれた住民説明会で訴えた。「先祖が寝ずに築いた財産だ。絶対に手放せない」
 除染が本格化し、廃棄物を詰めた黒い袋が至る所に山積みされていく。「これを片付けないと、復興は進まない」。そんな思いも芽生えた。昨年夏、国が用地の賃貸を認める方針を発表した。施設自体に反対している地権者が多いようにも思えず、条件付きの賛成に転じた。
<多くは懐疑的>
 施設をめぐっては、搬入開始から30年後に廃棄物を福島県外に搬出することが法律で定められている。
 廃炉が進み、除染などで放射線量が下がれば、帰還できる日が来るかもしれない。営農再開は難しくても、先祖伝来の土地に子孫が戻れる選択肢を残したい。
 ただ、多くの地権者は県外搬出には懐疑的だ。「結局、最終処分場になるんじゃないか」「だれも戻らないんじゃないか」。地区の集まりでは、決まってそんな話になる。
 賃貸契約に返還時期を明記するよう求めるつもりだ。それが6代目の責任だ。
 10月下旬、補償額算定のための国の現地調査に立ち会った。「40代の頃、スコップ1本でこの水路を掘り上げたんだ」。先祖と自分の汗が染みこんだ土地への愛着と誇り。職員たちに伝わっただろうか。


外交文書の公開
 こんな手口で国民に隠されている情報はどれだけあるのだろう。きのう公開された日米両政府の沖縄返還交渉をめぐる外交文書からは、合意内容が巧みに秘密扱いにされていた実態がうかがえる▼1972年5月の沖縄返還では、米軍が使っていた軍用地の原状回復に関する補償費について日本が米側の費用負担を肩代わりするなど複数の密約が分かっている。だが秘密扱いは、密約以外でも常態化していたようだ▼公開文書によると、沖縄の施政権を日本に返還する際の取り決めを規定した70年11月の日米合意文書で、日本は米国の意向を優先させる一節を米側の同意を得て削除した。世論の反発を恐れたためとみられる▼削除部分は新たに作った非公表の「了解覚書」に盛り込み、署名の代わりに外相らがイニシャルを記した上で、公表する合意文書とは別に交わしたという。いわば二重帳簿のようなものだ▼作成後30年を経た外交文書は、外務省が76年から一部公開を始め、民主党政権時に日米核密約問題の調査を契機に原則公開となった。だが特定秘密保護法の施行で秘密指定された文書は内閣の判断で60年まで延長でき、内容によっては永遠に延ばし続けることも可能になった▼国民が知るべき重要な情報が隠され続けるほど、居心地の悪いものはない。

比で少女にみだらな行為 元校長に猶予付き判決
フィリピンのホテルで現地の少女にみだらな行為をして撮影し、画像を保存していた罪などに問われた横浜市の中学校の元校長に対し、横浜地方裁判所は「犯行はフィリピンの子どもたちの経済的な苦境に乗じたもので卑劣だ」として、執行猶予の付いた懲役2年の判決を言い渡しました。
横浜市の市立中学校の元校長、高島雄平被告(65)は、おととし12月から去年1月にかけて、フィリピンのマニラ市内のホテルの部屋で、推定年齢が12歳から14歳の現地の少女3人に現金を渡してみだらな行為をしたうえ、撮影した画像を保存していたとして、改正前の児童ポルノ禁止法違反の罪などに問われました。
これまでの裁判で、検察側は、被告が昭和63年から買春を始め、毎年フィリピンに渡航して繰り返していたなどとして懲役2年を求刑していたのに対し、弁護側は「反省し深く後悔している」として執行猶予の付いた判決を求めていました。
25日の判決で、横浜地方裁判所の大森直子裁判官は「犯行はフィリピンの子どもたちの経済的な苦境に乗じたもので卑劣だ。みずからの性的欲求を満たすため常習的にみだらな行為を繰り返し強い非難を免れないが、二度としないと誓っている」などとして、懲役2年、執行猶予4年の判決を言い渡しました。


大阪大学 教授など3人が不正経理か 処分を検討
大阪大学は、大学院の教授など3人が10年以上前から物品を購入したように装って研究費を業者に預けるなどの不正な経理処理を行っていたとする調査結果を発表しました。不正に処理された総額は少なくとも2億円2000万円近くに上るということで、大学は処分などを検討することにしています。
これは25日、大阪大学が記者会見して発表しました。
それによりますと、不正な経理処理をしていたのは、大学院情報科学研究科の四方哲也教授(52)と、工学研究科の卜部格・元教授(70)、それに工学研究科の元助手の合わせて3人です。
不正に関する情報が寄せられたことから大学が調査委員会を設けて調査した結果、四方教授らは平成16年度までに、架空の取り引きで物品を購入したように装い、支払われた研究費を業者に預ける「預け金」と呼ばれる不正な経理処理を行っていたということです。3つの業者に保管されていた金額は合わせて1億7000万円余りに上るということです。
大学はこのほか、去年までの間、実際の取り引きとは異なる品名で支払いの手続きを行うなどの不正が繰り返されていたことを確認し、不正に処理された総額は少なくとも2億2000万円近くに上るということです。また大学は、このうちの66万円について私的に流用されたと認定しました。
大学の調査に対し四方教授は、「預け金をしたことは事実だが、研究費をどう使うか当時の教授と相談して行ったものだ。異なる品名での取り引きも自分が指示したのではなく、研究費を私的に流用した認識もない」などと話しているということです。
また卜部元教授は大学の調査に対し、不正な処理を認めているということです。
大学は、関係者の処分や刑事告訴を検討することにしています。
研究者による不正な経理処理が明らかになったことについて、大阪大学の西尾章治郎学長は「公的研究費の不正使用が生じたことを非常に重く受け止めており、国民の皆様や関係機関に深くおわびします。今後、不正使用を起こさないという固い決意のもと、根絶に向けて全学をあげて取り組み、信頼回復に努めます」とするコメントを出しました。
「預け金」やカラ出張などで金を管理
「預け金」は、実際には取り引きがないのに研究に使う試薬や機械の購入を装うなどして業者に架空の請求書などを作らせ、支払った研究費を業者に管理させるものです。
研究費が私的に流用されたりするおそれがあるほか、研究者と業者の癒着につながるとして、文部科学省のガイドラインで研究費の不正使用に当たるとされています。
研究費の不正使用には、預け金のほかにもカラ出張などで研究室や研究者個人がお金を管理する方法などがあり、文部科学省が4年前の平成23年に全国の研究機関を対象に研究費の経理処理について調査を行ったところ、平成25年11月末の時点で、預け金などの不適切な経理処理が全国47の研究機関で合わせて5億7500万円に上ることが分かっています。


女性の課長職30%、達成困難 社会全体に浸透せず
 政府は25日、来年度からの第4次男女共同参画基本計画を閣議決定した。計画は2020年の民間企業の課長職割合を15%と設定。政府がこれまで掲げてきた「20年までに指導的地位(課長職など)に女性が占める割合が少なくとも30%程度」より低く、目標達成は極めて困難になった。
 内閣府は「これまでの方針に変わりはない」と強調するが、計画では「03年に掲げた30%目標が国民運動と呼べるほどまでは社会全体で十分共有されなかった」と認めた。実態と懸け離れた目標設定や女性登用に向けた国の支援体制の不十分さが露呈した形だ。

父の誕生日/山口さんちのツトム君

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Fig07

Japon: la justice lève l’interdiction de redémarrage de deux réacteurs
Un tribunal japonais a autorisé jeudi la relance de deux réacteurs nucléaires, infirmant une décision de première instance qui bloquait le redémarrage des unités 3 et 4 de Takahama (ouest), a annoncé la compagnie exploitante Kansai Electric Power.
≪Aujourd’hui, le tribunal régional de Fukui a retiré l’ordre de maintien à l’arrêt des réacteurs 3 et 4 de Takahama≫ qui avait été émis en avril, a écrit Kansai Electric dans un communiqué.
Une décision favorable à la compagnie a été également rendue jeudi pour les unités 3 et 4 de la centrale d’Ohi (ou Oi), dans la même région, a-t-elle précisé.
≪Nous pensons que nous avons été entendus sur le fait que la sûreté des deux sites de Takahama et Ohi était garantie≫, s’est félicité Kansai Electric.
Les opposants, eux, ont montré leur déception sur des banderoles à la sortie du tribunal de Fukui, selon des images diffusées à la télévision et sur internet par les plaignants eux-mêmes.
≪Les lecons de l’accident nucléaire de Fukushima n’ont pas été tirées≫, ≪où va la responsabilité de la justice≫, se sont interrogés les citoyens déboutés.
En avril, un tribunal de première instance avait estimé que le certificat technique accordé par le régulateur pour Takahama 3 et 4 l’avait été de facon indue et non rationnelle et décidé de s’opposer au redémarrage de ces installations.
Le jugement inverse de jeudi fait suite à un pourvoi en appel de la part de Kansai Electric Power. Les plaignants devraient cependant utiliser leur droit de déposer un nouveau recours devant la Cour Suprême.
Les réacteurs de Takahama pourraient en théorie être relancés dès le premier trimestre 2016 puisqu’ils ont aussi recu il y a deux jours l’accord requis du gouverneur de la préfecture s’ajoutant au certificat technique.
L’Autorité de régulation avait confirmé en février 2015 que ces deux tranches répondaient aux critères plus sévères imposés aux centrales nucléaires pour faire face aux risques de catastrophes naturelles et d’accidents critiques, à la suite du désastre de Fukushima de mars 2011.
Ce couple de deux unités de Takahama avait été le deuxième à obtenir le certificat de sûreté après les deux unités Sendai 1 et 2, qui sont actuellement les seules à avoir été remises en exploitation au Japon où il ne reste que 43 unités potentiellement exploitables (contre 54 avant Fukushima).
Fervent partisan de l’atome pour des raisons économiques (l’industrie a besoin d’énergie et l’importer coûte cher), le gouvernement du Premier ministre conservateur Shinzo Abe plaide depuis trois ans pour que tous les réacteurs jugés sûrs par l’Autorité de régulation nucléaire soient relancés.
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コズミック フロント☆NEXT「冥王星大接近〜最新探査が挑む太陽系最果て〜」
今年、NASAの探査機ニューホライズンズは10年にも及ぶ旅路の末、太陽系最果ての冥王星に初めて到達。富士山より高い山、氷河のように移動する氷、白いハートマークなど、これまで誰も目にしたことが無い姿を高解像度で撮影することに成功した。探査を成功に導いた科学者たちの情熱と「秘密結社」の存在。月よりも小さい冥王星に窒素の大気が存在する謎とは。個性豊かな衛星カロン。最新探査が明らかにした驚きの姿に迫る。
永作博美,
真下貴,河本邦弘,玄田哲章,幸田夏穂,樫井笙人,宗矢樹頼


父の誕生日です.でも亡くなってだいぶ経ちます.
今日はHiさんのメールでなんだか悲しいです.山口さんちのツトム君を聞きました.

<女川まちびらき>商業エリアでにぎわい第2幕
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町の中心部で23日、商業エリアの「まちびらき」があった。JR女川駅が開業した3月に続く第2弾。テナント型商店街「シーパルピア女川」と「町まちなか交流館」がオープンし、商業活動が本格的に動きだした。
 国が被災商店街の復興を支援する「まちなか再生計画」による初の再建となる。
 記念式典が交流館であり、関係者約200人が出席。須田善明町長は「住民らが知恵を出し合い作ったにぎわいの拠点。町内外の方々に楽しんでもらうことが活力になる」と述べた。
 商店街を運営する民間まちづくり会社「女川みらい創造」の鈴木敬幸社長は「まち歩きを楽しみ、女川を満喫できる心地よい空間づくりに努める」と語った。
 女川駅から女川湾に延びるプロムナードで女川小6年高橋小紅さん(12)と同5年鈴木太陽君(11)が商業エリア開業を宣言。「100年後も元気な町であり続けられるよう私たちが意志を継いでいきます」と誓い、買い物客らが祝った。
 「おながわ復興まちびらき2015冬」(実行委員会主催)と題して27日まで、ステージイベントや花火などが連日企画され、年の瀬の港町を盛り上げる。
 商店街はプロムナード沿いに整備された平屋6棟で、小売りや飲食店、工房など27事業者が入居。隣接する交流館は音楽スタジオや調理室などを備え、町内外の人が利用できる。
 商業エリアでは7月以降、自立再建店舗も順次開店し、2018年度には計約70店舗になる予定。


<女川まちびらき>女川 2度立ち上がる
◎戦争と震災経験 女川見守る木村喜一さん
 東日本大震災からの復興を目指す宮城県女川町で23日にあった第2弾「まちびらき」。同町の水産加工会社「ワイケイ水産」会長木村喜一さん(82)は万感胸に迫る思いがあった。戦争と震災。2度の壊滅的な被害から立ち上がる古里を見守ってきた。「女川は必ず復興する」と信じて。
 町の行政区長の一人として23日、中心部の商業エリア開業を記念する式典に出席した。「呼ばれたから来たのさ」。笑顔で港町の門出を祝福した。
 10年ほど前、ある地図の原本を見つけた。女川商工会が1939年に発行。女川駅や水産加工場、食堂、旅館など中心部の様子が描かれている。
 「見ていると昔の記憶がよみがえってくるね」。震災後の町の姿と重ねる。
 45年8月。日本海軍の基地だった女川港は空襲に遭い、木村さんの自宅近くにも爆弾が落ちた。機銃掃射され、必死に防空壕(ごう)へ逃げた。
 終戦を迎えたのは小学6年のとき。材木所で板にくぎを打ち、箱を作った。犠牲者の骨を入れる箱だった。町は荒廃し、寒村のようになった。
 石巻商高を卒業後、当時50歳だった父久三郎さんを亡くした。長男だった木村さんは借金して商店を起こした。当初は大手水産会社の下請け。「困難も打破する気持ちさえあれば乗り越えられる」。自らそう言い聞かせ、ワイケイ水産を設立、町を代表する水産加工会社に育て上げた。
 そして2011年3月11日。故郷を襲った津波で町民827人が犠牲となり、建物の7割以上が失われた。
 会社は湾沿いの二つの工場が全壊。本社兼工場も浸水した。冷凍サンマなど在庫が大量に水没し、被害総額は10億円以上に達したが、長男喜昭さん(56)らが奮起、再操業を果たした。
 震災から4年9カ月。中心部ではテナント型商店街「シーパルピア女川」がオープンし、商業活動が本格化する。
 「目先ではなく将来を見据えたまちができていく姿に感銘を受ける」と木村さん。戦後、裸一貫で復興を果たした体験から「これからが本当の勝負。利益のためだけではなく、お客に本物のサービスを提供してほしい」とエールを送る。


宮城・閖上中 解体始まる 震災の証人、またひとつ消え
 東日本大震災で700人以上が犠牲になった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で、多くの住民が津波を逃れて逃げ込んだ閖上中学校旧校舎の解体工事が24日、本格的に始まった。復興土地区画整理事業に伴うもので、今年度末までに解体を終える。
 閖上中は鉄筋コンクリート3階建てで、1977年に完成。海岸から約1.7キロ内陸にあり、津波で1階は浸水したが、多くの住民が上階に避難して助かった。この日午前、重機が入り、校庭に面した2、3階の教室ベランダ部分を崩していった。
 校舎外壁に掛かっていて大地震の発生した午後2時46分で止まった時計や、校名板は、震災を後世に伝える物として既に取り外され、保管されている。
 近くの閖上小も間もなく解体が始まり、両校は2018年4月に地区内の別の場所で小中一貫校として再スタートを切る。現在、同中は市内の別の地区の仮設校舎、同小も別の小学校に間借りして授業をしている。【川口裕之】


<検証 制度>生活再建の要 6割分からず
◎震災4年9カ月(2)被災ローン減免
 影も形もなくなった家のために毎月約10万円を払い続けている。
 陸前高田市の女性(67)は自宅ごと津波に流された。命は助かったが、2000万円近い住宅ローンが残った。
 東日本大震災の発生から1年数カ月後、金融機関の猶予期間が終わり、返済を求められた。テレビで被災ローン減免制度の存在を知り、運営する窓口に電話相談した。
 「対象にならない」と言われた。夫や長男の職場は被災せず「収入に影響がない」と判断された。「支払い不能」の要件に該当しないという。
 「夫は岩手県外で単身勤務。生活費が余計に掛かる。しかも、定年となって現在はアルバイトの身分。年齢面からいつまで働けるのかも分からない」と不安を口にする。
<「画期的」と期待>
 被災者の二重ローン問題を解消し、生活再建を後押しする−。ローン減免は「画期的な制度」と期待された。借金返済は災害時でも、自己責任が基本とされてきたからだ。
 2011年8月の運用開始から現在までの実績はグラフの通り。宮城862件、岩手349件、福島73件など、計1324件の債務整理が成立した。国は当初、1万人の利用も視野に関連予算を確保していた。
 気仙沼市の東忠宏弁護士は被災地の専門家として40件程度の成立に携わった。「ローン減免は復興を進める上で有効な制度。ただ必要とする被災者はもっといたのでは」と感じている。
 制度の調停役となる運営委員会(本部・東京)には、約5600件の相談が寄せられた。陸前高田市の女性のように、適用要件に当たらないと判断されたケースは少なくない。債権者が減免に同意せず、不成立になった例もある。
 運営委は「被害に遭っても支払い能力がある人の債務まで免除できない」と説明。仙台弁護士会は「要件が厳しい。生活や事業再建の観点から対象を広げるべきだ」と反論する。
<義援金を返済に>
 関係機関による説明会や金融機関からのダイレクトメールなど周知活動が展開されたが、制度浸透の難しさもあらわになった。
 東北財務局は14年、仮設住宅入居者を対象にアンケートを実施。住宅ローンを抱える人の約60%が制度を「知らない」か「聞いたことがあるがよく分からない」と回答した。半数以上は従来の条件のまま返済を続けていた。
 陸前高田市の別の60代女性は震災の2年後、知人から聞いて手続きするまで毎月支払っていた。「借りたお金は何とか返さないと、とばかり思っていた。貯蓄できなかった」と話す。
 制度開始は震災から5カ月後。仮設住宅入居者は対象にならないなど、当初は間口が狭かった。制度ができる前や改善されるまでに、暮らし再生のために使う義援金などをローン返済に充てた人もいた。
 大災害が発生した際の債務整理に素早く対応できるよう、全国銀行協会、日弁連などは減免制度の恒久化を目指している。
 「被災ローン減免制度」 正式名称は「個人版私的整理ガイドライン」。破産と異なり、新たなローンが組めない心配がなく、原則として保証人にも請求されない。義援金や生活再建支援金、弔慰金に加え、500万円まで手元に残せる。金融機関、弁護士、税理士らでつくる第三者機関が運営する。法的拘束力はなく、全債権者の同意が成立の条件。専門家による支援は無料。


名取・閖上で災害公営住宅が初の着工
 東日本大震災で被災した名取市閖上地区で23日、第1期の一戸建て災害公営住宅90戸の整備に向けた安全祈願祭があった。同地区で災害公営住宅の建設が始まるのは初めて。最初に25戸の整備に着手し、来年6月末の完成を目指す。
 建設場所は海岸線から約2キロ内陸で、閖上の土地区画整理事業区域では最も西側に位置する。水田を造成した宅地約1万9000平方メートルに90戸を整備する。
 最初に建てる25戸は、平屋の1LDK・2LDKの12戸と、2階建ての2LDK・3LDKの13戸。全て木造の高気密・高断熱仕様とする。地元の建設関連業者でつくる一般社団法人「市復興公営住宅建設推進協議会」が施工する。
 安全祈願祭には市や工事関係者ら約70人が出席し、くわ入れを行って工事の無事を祈った。佐々木一十郎市長は「これまでの道のりを思うと感慨ひとしおだ。今後も被災した方々が笑顔を取り戻し、明るい希望を持てるまちづくりに取り組む」とあいさつした。
 市は第1期として、ほかに集合タイプの災害公営住宅140戸を整備する。閖上地区全体では、2018年12月までに計524戸を整備する計画だ。


<5度目の年の瀬>にぎわいの灯に笑顔
◎2015被災地(4)トレーラーハウスで忘年会(石巻市)
 街中にあるトレーラーハウスから明かりが漏れる。男女の笑い声がこぼれる。ことし1年間の労をねぎらい、酒杯を重ねる。
 東日本大震災で被災した石巻市中心部に4月にオープンした仮設商業施設「橋通りCOMMON(コモン)」。飲食店とギャラリーの7店舗が営業する。
 初の年の瀬を迎え、出店者たちが自慢の逸品を持ち寄った忘年会コースを用意した。和洋さまざまな料理がテーブルを彩る。
 市内では大型商業施設が集まる郊外へ人が流れる。街中へ客を誘い、地域の若者が挑戦する場になれば−。施設はそんな願いから整備された。
 屋台型の開放的な雰囲気が評判となった。飲食店を営む岡内友里さん(28)は震災ボランティアを経て大阪市から移住。「1人ではこんなに集客できなかった」と振り返る。
 「いろいろな人に出会えるのが街中の良さ。お店に来れば仲間が増える。そんな場にしたい」。復興途上の石巻で、来年も街中ならではの魅力を模索する。


<故郷を手放す>交渉主導権なぜ国に
◎中間貯蔵地権者(上)消えぬ不信感
 東京電力福島第1原発事故の除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の用地交渉が難航している。福島県大熊、双葉両町の地権者2365人のうち、売買や賃貸に同意したのは22人にとどまる。復興に不可欠な施設という大義名分と、土地を手放すためらいとの間で揺れる地権者の心情に触れた。(福島総局・横山浩之)
<納得できない>
 国策で進めた原発の事故で古里を追い出された。その揚げ句、国が土地の買収価格を一方的に決める。納得できない。
 樋渡善彦さん(63)は中間貯蔵施設の予定地になった大熊町夫沢地区に住んでいた。農業高校卒業後、地元の電気工事会社などに勤め、30歳で内装会社を興した。
 懸命に働いた蓄えを充て、14年前に自宅を新築した。総ヒノキ造りで120坪。奈良県など県内外に足を運んで建材を選び、自ら図面を引いた。
 内装会社を畳んだ後は、ホウレンソウなどの野菜農家に転じた。栽培を始めて7年目。農地拡大を計画した直後に、原発事故が起きた。原発に隣接する夫沢地区は帰還困難区域に指定された。
 栃木県栃木市に腰を落ち着け、妻や長男ら4人で暮らす。自慢だった自宅には3年ほど前に足を運んだきりだ。避難の途中、原発が爆発したとのニュースを聞いた瞬間から、「帰還は無理だ」と悟っている。
 82歳になる母親は「大熊を見に行きたい」とねだる。「行きはいいけど、帰りはつらくなるだけだ」と言い聞かせる。農業生産法人を設立し、施設園芸に再び取り組む。
<「悪者扱いか」>
 自宅や畑が中間貯蔵施設になるという話を聞き、インターネットで確かめた。環境省は何も言ってこない。地権者との用地交渉が進まず、建設が遅れている−。そんな報道を見て、頭に血が上った。
 「連絡も寄こさないくせに、地権者を悪者にするつもりか」。福島環境再生事務所の電話番号を調べ、問いただした。ことし11月中旬、相談窓口などが書かれた封書が届いた。
 国は宅地や農地を、原発事故がなかったと想定し、今の取引価格の半額で買い取り、県が残り5割を穴埋めする。買収額算出の標準値は宅地で1平方メートル当たり2800〜9250円。建物は同じものを再建すると想定し補償する。
 「国は原発事故で土地価格がゼロになったと言うが、原因をつくったのは誰なのか。加害者側が値段を付けるやり方はおかしい」
<平行線たどる>
 「地権者会」のメンバーに名を連ねる。取引価格を常磐自動車道の用地買収が行われた2001年当時に見直すよう求めて環境省と交渉を重ねるが、平行線をたどっている。
 1通目の後、ほどなくして2通目の封書が届いた。補償額を算定するための現地調査への立ち会い依頼だった。調査は受け入れるが、今の補償基準で契約するつもりはない。
 「中間貯蔵施設」 福島第1原発周辺の計16平方キロに建設。最大で2200万立方メートル(東京ドーム18杯分)の発生が見込まれる廃棄物を最長30年間保管する。放射性セシウム濃度に応じ、専用容器での保管や地下埋設を行う。ことし3月に廃棄物の試験輸送が始まった。地権者のうち約1000人と連絡が取れておらず、その大半は死亡するなどしたとみられる。


釜石の交流センター開業 日本唯一のカフェも
 釜石市が東日本大震災の津波で被災した中心部に整備した釜石情報交流センターが23日、オープンした。目玉テナントは、オランダ生まれのウサギのキャラクター「ミッフィー」をテーマにした日本で唯一の常設カフェ。初日から大勢の市民でにぎわった。
 カフェはオランダ風肉団子やゴーダチーズグラタン、星形の目玉焼きを載せたプレートランチ(1380円)をはじめ、パフェやワッフルなどミッフィーをイメージしたメニューを提供する。夜は酒類も売る。
 釜石にちなみラグビーボールを持ったミッフィーの人形やマグカップ、トートバッグなどオリジナルグッズも販売する。
 センターは鉄骨2階で延べ床面積約970平方メートル。有料で貸す会議室や市民スタジオ、会合や勉強用のフリースペース、授乳室を備える。全館で公衆無線LAN「WiFi(ワイファイ)」を利用できる。
 総事業費約5億3000万円。映画上映やライブイベントができる約200人収用の多目的集会室は、来年1月9日に開業する。
 野田武則市長は「オランダ大使館の支援により、これまで釜石になかった若い女性や子どもが楽しめる施設が誕生した」とあいさつ。娘3人と訪れた市内の会社員金野宏美さん(39)は「かわいいカフェができて満足。ママ友とも来たい」と笑顔で話した。


<除染>生活圏に限定 森林は実施せず
 環境省は21日、東京電力福島第1原発事故の被災地の森林除染について、住宅周辺や農業などで日常的に立ち入る場所を除いて「基本的に実施しない」との方針を決めた。除染が住民の生活圏の空間放射線レベル低減につながらず、土壌流出などの悪影響も懸念されることを理由に挙げた。
 ことし1月以降に福島県内で実施した山林除染の実証事業の結果を踏まえて判断したという。方針は同日の有識者会議で了承された。
 環境省によると、住宅周辺の森林では、宅地境から20メートル以内を目安に除染を実施。農業やキャンプ場がある場所などは、利用状況に応じて範囲を決める。その他の森林では、大雨などによる土壌流出が住宅周辺に影響する場合は対策を検討するものの、除染作業は実施しない。
 実証事業では、森林からの大気を通じた放射性物質の飛散による住宅地周辺への影響や、降雨時の土壌流出による空間放射線レベルへの影響は確認されなかったという。
 井上信治副大臣は有識者会議後、「面的な森林除染は物理的にも困難で、土砂流出など悪影響も考えられる。住民にも国の考えをしっかり説明し、帰還の促進につなげたい」と述べた。
 環境省の方針に対し、内堀雅雄福島県知事は21日の定例記者会見で「具体的な話は承知していないが、これまで国には森林除染をしっかり対応するよう要望してきた。森林は避難区域の人たちの生活に密接しており、今後もこのスタンスに変わりはない」と述べた。


<羽越線転覆事故>あす追悼慰霊式 遺族ら出席
 JR東日本は25日、山形県庄内町の羽越線特急転覆事故現場に立つ慰霊棟で追悼慰霊式を行う。遺族やJR関係者らが参列する。
 午前10時に開始し、冨田哲郎社長が鉄道の安全運行を宣誓し、遺族らが祭壇に花を手向ける。事故発生時刻の午後7時14分には、JR新潟支社の社員が黙とうをささげる。
 一般の入場は式典後の午前10時半以降。慰霊棟前には当日、献花台を設置する。


自民の歴史検証 誤った発信は慎まねば
 歴史に学ぶことは大切だ。事実関係を検証する意義も認める。しかし、根底に歴史修正主義があるとしたら見過ごすわけにはいかない。国内外への誤った発信は厳に慎むのが政権与党の責任だ。
 自民党の「歴史を学び未来を考える本部」が初会合を開いた。日清戦争以降の歴史を検証するために設置した安倍晋三総裁(首相)直属の機関である。年明けから月一、二回程度、講師を招いて会合を開くという。
 本部設置を主導した本部長代理の稲田朋美政調会長は「敗戦で何が変わり、占領政策で何を得て何を失ったのかを、しっかりと学ぶ必要がある」と初会合で語った。
 現行憲法の制定過程や極東国際軍事裁判(東京裁判)、米国中心の連合国による占領政策などについても、否定的な立場から検証する狙いがあるのかもしれない。
 本部長には「ハト派」とされる谷垣禎一幹事長が就いた。「タカ派」色が心配だとしたら、自民党らしい知恵なのだろう。谷垣氏は「謙虚に歴史を勉強していく場にしよう」と述べた。
 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。歴史に学び、主権者である国民のための政治に役立てることは当然ではある。
 しかし、全国民の代表として国会にすでに議席を有する者が、今さら一堂に会して歴史の何を学ぶというのか。まさか、学ばずして国会の場に出てきてしまった、ということではあるまい。
 今回の本部設置には、歴史を学ぶというよりも、日本が歩んできた戦後の歴史を否定しようとする意図が見え隠れもする。
 さかのぼれば、南京事件では犠牲者数、慰安婦問題では強制性をめぐって、それぞれ中国、韓国との間で認識に違いがある。
 事実は何かを追究する必要があるとしても、それは研究者の仕事であり、政治家の仕事ではない。
 歴史認識は国や立場によって違うのは当然ではある。しかし、自らの正当性を一方的に強調するだけでは双方の溝は深まるだけだ。相互理解の深化こそが、政治の役割ではないのか。
 歴史を学ぶための場がもし、議員が独善的な歴史観を声高に叫ぶ舞台と化せば、国際社会の誤解を招くだろう。
 英国の歴史家で政治学者でもあるE・H・カーは「歴史とは現在と過去との間の尽きることのない対話である」と言った。対話に喧騒(けんそう)は似合わない。一人ひとりが静かに向き合うのがいいのである。


大震災避難者 安定した支援策の構築を
 東日本大震災で沖縄に避難してきた人々にとって、一つ、また一つと支援が徐々に無くなっていく状況はどんなに心細いだろう。
 県が実施した県内避難者アンケートを読むと、その心細さが生々しく伝わり、胸が詰まる。つらい思いをした人々に、さらなるつらさを与えてはならない。
 沖縄で生活を続けたいと思う人は避難者の59%に上る。こうした人々を支えたいというのは県民共通の思いだろう。避難者に今後も支えがあると実感してもらえるような、安定した支援策を構築したい。
 「放射能汚染が広がり、甲状腺がんも多発する中での帰還強制は人権侵害だ」「政府はまだ線量の高い町村への帰宅を急がせている」
 アンケートに寄せられた声はどれもうなずけるものばかりだ。
 災害救助法に基づく住宅支援は2017年3月に打ち切られるが、「(原発事故という)人災は、災害救助法の枠内ではないと思う。人の命を何だと思っているのか」という声はもっともだ。原発事故が収束していないのだから帰還促進はいかにも拙速である。国や被災県は支援を延長していい。
 国が延長しないのなら、沖縄県は例えば県内公営住宅への優先入居を図ってもいいのではないか。
 県内の企業や団体と県でつくる東日本大震災支援協力会議は「ニライカナイカード」を避難者に配布している。カードを提示すれば加盟企業の各種割引サービスが受けられる仕組みだ。アンケートでは「カードがどんなに役立っているか分からない」と感謝する声が実に多かった。加盟企業のこれまでの支援に敬意を表したい。
 協力会議はカードのサービスを17年3月で打ち切り、代わりにスーパーなどで使える利用券を配布する考えのようだが、「ライフラインに直結する支援は継続してほしい」との声もある。対象をライフラインに限定した上で、カードを延長してもいいのではないか。
 避難者のうち家族が1カ所にいるのは47%にとどまる。相談相手が「誰もいない」も16%。28%は心身の健康が「悪いまま」か「悪化した」だ。
 古里を失い、家族が離れ離れになり、慣れない土地で生活の不安も抱えていれば当然だ。アンケートでは子どもや子育て世代だけでなくお年寄り対象の被災者交流会を求める声もあった。行政にはこうしたきめ細かな支援も求めたい。


安田さん シリアで拘束か 6月下旬から連絡取れず
 【カイロ=中村禎一郎】国際的ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)は二十二日、日本人のフリージャーナリスト安田純平さん(41)が、内戦の続くシリアで武装勢力に拘束されているとして、日本政府に解放のためにあらゆる手を尽くすよう求める声明を出した。
 安田さんは六月下旬ごろ、取材でシリアに向かった。本人によるツイッターの更新は六月二十日で停止しており、帰国予定の七月中旬を過ぎても戻らなかった。
 声明では、国際テロ組織アルカイダ系勢力が支配する地域に入った数時間後に拘束されたとしている。期限を切って身代金を要求しているとの情報があるという。
 安田さんと親しい関係者は「安田さんは六月下旬ごろ、シリアで取材中に武装勢力に拘束され、国内を何カ所か移動させられているが無事。これまでに身代金要求などは一切ない」と話している。
 安田さんは埼玉県出身。新聞社に在籍後、二〇〇三年にフリージャーナリストに転身し、イラクやシリアなどで取材を重ねた。〇四年にはイラクの首都バグダッド近郊で武装グループに拘束されたが、解放されている。


新国立はザハ案「下敷きにしてる」森山高至氏が指摘
 2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の新計画に採用された建築家・隈研吾氏(61)、大成建設、梓設計のA案が、前計画の女性建築家ザハ・ハディド氏の案に似ていると指摘されている問題で23日、建築エコノミストの森山高至氏が日刊スポーツの取材に応じた。森山氏は隈案について「(ザハ案を)下敷きにし参考にしているようだ」と述べた。
 両案の平面図を見た森山氏は「柱の位置やスタンド形状の放射線がほぼ一致している」。大成建設はザハ案でスタンド工区を担当、梓設計は設計チームだったため「前案を参考にしているとは思う」と述べた。
 ザハ氏はスタンドや柱の配置が極めて似ていると主張。断面図を比較してもミックスゾーン、インタビューゾーン、コンコースなどの位置が似ており、森山氏も「輪郭は参考にしたのでは」と分析。一方で「流用」の可能性については「それには当たらないのでは。骨組みを参考にすることは建築界ではあること」とした。
 しかし、関係者によると旧計画における日本スポーツ振興センター(JSC)とザハ事務所の契約では「設計ないしデザインについて著作権その他の知的財産権はザハ事務所に依拠」し、許可なしに設計を使うことはできないという。
 B案を担当した建築家・伊東豊雄氏(74)も22日の会見で隈案について「(ザハ案を)下敷きにしている。訴えられるかもしれない」と指摘。森山氏は「ザハ案の屋根工区の担当だったB案の竹中工務店も当然、前のスタンド図面を知っているはずだが、今回は違う図面だった」と述べた。
 隈氏は22日の会見で「(8万人収容のため)スタンドが3層になるのは合理的な解決策。スタンドもザハ案はサドル型だが、私どもはフラット」と反論した。
 新計画の要綱には「第三者の著作権などを侵害するものではないことを発注者に保証する」と明記されている。そのためJSCは類似性について「事業者が解決する問題だ」と強調。ただ、ザハ氏側との契約には抵触する可能性も出てきた。【三須一紀】


笹子事故判決  安全確保への重い警鐘
 中央自動車道の笹子トンネル(山梨県)で9人が死亡した天井板崩落事故をめぐる損害賠償訴訟で、横浜地裁は中日本高速道路と子会社に対し、原告の遺族に計4億4千万円余りの賠償を命じた。
 裁判長は「崩落を予測し、回避することは可能だった」と両社の点検業務の過失を認めた。巨大な道路設備が崩れて走行車を襲った重大さを考えれば、厳しく管理責任を問うた当然の判断だろう。
 全国的に道路や橋など社会インフラの老朽化が問題になっている。判決は、高速道路会社や国、自治体に安全確保の義務を全うするよう強く求めた警鐘と言える。
 事故は2012年12月、笹子トンネル内のコンクリート製天井板が約140メートルにわたり崩落し、3台が下敷きとなって計11人が死傷した。遺族が賠償を求めた3件の訴訟で初の判決で、事業者の過失の有無が焦点となっていた。
 判決は、天井板のつり金具を固定するボルトが経年劣化で脱落したのが事故原因と認定。たたいて反響音で調べる打音検査や触診をすれば不具合を発見し得たのに、事故3カ月前の検査で「注意義務を怠り、双眼鏡による目視のみで行った過失があった」と断じた。
 中日本高速側は「予測不可能だった」と主張したが、完成から35年が経過し、ボルト劣化による「崩落の可能性は予測できた」と一蹴した。国土交通省の調査も「点検内容や維持管理体制が不十分」と結論付けたが、判決は不特定多数が使う交通インフラの安全確保には点検水準が低すぎると踏み込み、抜本的な強化を求めた形だ。
 事故後、同様のトンネルでつり下げ式天井の撤去が進められ、国交省は昨年から高速道路会社や国、自治体が管理する全ての橋約72万カ所やトンネル約1万カ所などに5年に1度の点検を義務付けた。だが一巡に18年度までかかる見通しで、再発防止は道半ばだ。
 背景には高度成長期に集中整備されたインフラの老朽化が進み、点検・補修が追い付かない現状がある。かさむ修繕費に国、自治体は頭を悩ませ、高速道路も公団民営化に伴う予算縮小と管理効率化の悪影響を専門家は指摘する。
 国交省の推計では、33年時点で建設後50年以上となるトンネルは50%、河川施設は64%に達し、インフラ全体の維持管理・更新費は13年度の3・6兆円から4・6兆〜5・5兆円に膨らむ。人口減少が進む中、新規拡充から安全に利用し続けるための維持補修への軸足シフトが急務だろう。


<全国地裁と簡裁>検察の勾留請求、却下が急増
 ◇「裁判員」後 裁判所が要件や必要性を厳格運用
 逮捕された容疑者を拘束する検察の勾留請求を全国の地裁と簡裁が却下する件数が年々増加し、2014年に3000件を突破して過去40年で最多となったことが分かった。裁判員制度導入を機に、裁判所が容疑者を長期間拘束する要件や必要性を従来より厳しく判断している傾向が明らかになった。却下の対象は容疑者が否認している事件にも広がっているとみられ、今後も流れは強まりそうだ。
 勾留は検察官の請求に基づき、裁判官が決定する。最高裁によると、過激化した学生運動による逮捕者が多く出た1970年前後には、却下件数は2000〜5000件台に上り、却下率も一時3〜4%台で推移したが、その後は減少。78年以降は却下率1%未満が続き、却下は数百件にとどまった。
 しかし、09年の裁判員制度スタートに向け、05年に公判開始前に争点を絞り込む公判前整理手続きが始まると、却下件数が増加。06年に1000件を突破した。14年は11万5338件の勾留請求のうち、前年比819件増の3127件が却下された。却下率は2.7%だった。
 刑事訴訟法は、証拠隠滅や逃亡の恐れがあると疑う相当な理由がある場合、裁判官は勾留を認めることができると定めている。期間は10日間で、やむを得ない場合はさらに10日間以内の延長が認められる。裁判所が要件を厳格に捉えて逃亡や証拠隠滅の恐れはないと判断するケースが増え、容疑者が否認していても拘束を解く判断につながっているという。
 こうした姿勢は起訴後の被告に対する保釈の判断にも表れている。95年に20%を割り込んだ保釈率は低下傾向が続いていたが、14年は25.1%まで上がった。
 刑事弁護に詳しい前田裕司弁護士(宮崎県弁護士会)は「否認しただけで勾留が付いた時代からすると隔世の感があり、裁判所の運用を評価したいが、不必要な勾留はまだあり、課題は残る。条件を付けて釈放される制度なども検討されるべきだ」と話している。【山本将克、山下俊輔】


隠れた部落差別、今も ふるさとの料理出したら離れた客
 部落差別の解消に向けて運動してきた部落解放同盟愛知県連合会(吉田勝夫委員長)が今年、結成40年を迎えた。生まれた場所などで忌避される部落差別。国や自治体に働きかけて、住環境などの改善や啓発を進めてきた。差別の実態は見えにくくなったが「様々な日常の場面で差別は残っている」と解放同盟県連幹部は話す。
 名古屋市で居酒屋を経営する山本義治さん(38)は今年6月、生まれ育った地域で親しんできた料理をメニューとして紹介した。とたんに離れた客がいた。ふるさとは被差別部落とされた地域だ。
 「またか。まだ差別は残っているんだな」と感じた。「出身地を恥じることはない」という信念に基づく行動だったから、メニューはそのままで「スタイルは変えない」と言う。「生身の人間を見て、つきあってほしい」
 県西部の男性(40)は、小・中学生の娘2人には自分が結婚した時の体験を、まだ伝えられていない。
 20代の頃、妻にプロポーズした際「できないかもしれないよ」と出身地を告白された。自分の両親には「親族の結婚の妨げになる」と認められず、家を出た。披露宴に男性の両親や親族の姿はなかった。
 「結婚したい人と一緒になれたことが一番幸せ」と結婚は後悔していないが、娘たちには「いつか言わなきゃとは思う。だけど、娘の友だちやその親の反応が怖い」。
 同和対策事業特別措置法に基づき、1969年に環境改善が必要な地区に指定された県内のある地域では80〜90年代、約4割が共同住宅に建て替えられた。1棟で2世帯用の共同住宅が軒を連ねる。消防車も入れない狭い道は一部残るが、主な道は広げられた。
 こうした状況を受け、全国地域人権運動総連合議長の丹波正史(せいし)さん(68)は「差別は全くなくなったわけではないが、部落差別の問題は大きく克服した」と話す。同団体は、解放同盟から運動方針を巡り分立した全国部落解放運動連合会(全解連)を受け継ぐ。全解連は2004年、「社会問題としての部落差別は解消した」として解散した。
 だが、この地区より、隣接する他の地区の路線価は2・5倍も上回る。付近の不動産会社は「まず購入する人がいない。価格の差より価値は低い」と明かす。
 07年には、被差別部落として地名などを掲載したホームページ「B地区にようこそ!in愛知県」の作成者が名誉毀損(きそん)の疑いで逮捕される事件が起きた。インターネット上には今も、差別的な書き込みが絶えない。解放同盟では、書き込みを見つけるたびに削除依頼などの対応を続ける。
 解放同盟県連の支部長加藤吉雄(きちお)さん(70)は、最近知り合った人に出身地を明かすと「あそこの人には見えんね」と言われた。「胸を張ってふるさとを語れないことがどれほど悲しいか。自分に置き換えて考えてほしい」(小若理恵)


在日米軍再編 辺野古最善発言 ケネディ大使に米知識人ら抗議
 【ワシントン共同】映画監督オリバー・ストーン氏や言語学者ノーム・チョムスキー氏ら米国の著名人や識者ら70人は22日、ケネディ駐日米大使が17日の東京での記者会見で米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に関し、名護市辺野古への県内移設が最善だとの考えを示したことに抗議する声明を連名で発表した。
 声明は「普天間は閉鎖されなければならないが、辺野古への移設は解決策にはならない。より人目につかない場所に問題を移すだけだ」と指摘。大使の考えは「(辺野古移設に)激しく反対してきた沖縄の圧倒的多数の人々に対する脅威、侮辱、挑戦だ」と訴えた。


特集ワイド 増える軍学共同研究 揺らぐ科学の平和利用
 戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない−−。第二次世界大戦の反省による科学者たちのこの決意が揺らいでいる。安倍晋三政権が進める「積極的平和主義」の下で、大学や研究機関が防衛省と組む「軍学共同研究」が増えているのだ。学術界で今何が起きているのか。【石塚孝志】
合言葉は「デュアルユース」/東大の指針変更に衝撃/米軍の資金提供も
 「アルフレッド・ノーベルに乾杯!」。日本時間の今月11日、スウェーデンのストックホルムで開かれたノーベル賞の晩さん会には、日本から医学生理学賞の大村智・北里大特別栄誉教授と、物理学賞の梶田隆章・東京大宇宙線研究所長が出席した。この日の祝宴は、科学者にとって最高の晴れ舞台になった。
 この賞を創設したノーベルは、ダイナマイトを発明して巨額の富を得た一方、ダイナマイトが戦争にも使われたことから「死の商人」と呼ばれたことはよく知られた話。また、ノーベルは科学の平和利用と軍事利用の間で苦悩したと伝えられる。それを忘れたかのように、日本政府は今、科学の軍事利用を進める。
 「九条科学者の会」事務局員の浜田盛久さん(海洋研究開発機構研究員)は、その証拠の一つとして2013年12月に閣議決定された「防衛計画の大綱」を挙げた。大綱には「大学や研究機関との連携の充実等により、防衛にも応用可能な民生技術(デュアルユース技術)の積極的な活用に努める」と盛り込まれた。
 浜田さんは「デュアルユース」という言葉に注目する。「政府と経済界は武器を安く開発し、国際競争力を高めて世界市場に参入したい意向があります。ただ、軍事技術の高度化を進めるために国内の防衛産業内部で新技術の研究開発を始めようとしてもコストが高い。そのため大学・研究機関の先進的な研究結果を活用する政策を政府は打ち出したのです」と説明する。
 一方、大学・研究機関の側にとっては、研究費が削減されているという厳しい懐事情がある。今年度の国立大学への交付金は計1兆945億円で、法人化した04年度から約1500億円も減った。浜田さんは「科学者は研究を続けるためには大学外部の資金を獲得する必要に迫られている。防衛省から研究費を獲得し、研究成果が自衛隊に採用されれば、その後の研究に弾みがつく。また、防衛省のやり方も巧妙。『軍事研究』と言わずに『民生品にも使えるデュアルユース』と参加への敷居を低くしている」と話す。
 デュアルユースへの参加を見据えたような動きが今年1月に東京大で発覚し、学術界に衝撃が走った。東大大学院情報理工学系研究科が昨年12月にガイドラインを変更し、「一切の例外なく軍事研究を禁止」とした文言を「軍事・平和利用の両義性を深く意識しながら個々の研究を進める」と改めたことを、産経新聞が「東大、軍事研究を解禁」と報じたからだ。
 これに対し、浜田純一学長(当時)が「軍事研究禁止の方針自体に変更はない」とする一方、「個々の場面でのデュアルユースのあり方を丁寧に議論し対応していくことが必要」との声明を出した。軍事利用の可能性があるとの理由で、全ての研究を禁止できない現状を認めたような形だ。
 東大だけが特別ではなく、大学・研究機関と防衛省の関係は年々強まっている。
 防衛省の旧技術研究本部と結んだ共同研究協定は、06〜12年の7年間で計7件だったが、13年は4件、14年は11件と急増した。そして今年、防衛省は大学・研究機関などに1件当たり最大で年3000万円を提供して技術開発を支援し、防衛装備品への活用を検討する「安全保障技術研究推進制度」を始めた。初年度は109件(うち大学など58件)の応募があり、9件(同4件)が採択された。
 同制度に採択された神奈川工科大の永尾陽典教授(機械工学)に話を聞いた。研究テーマは、飛行機などの機体に使われる炭素繊維強化プラスチックにカーボンナノチューブを使って強度や信頼性の向上を目指す−−という内容だ。機体が軽量化されれば燃費が向上するメリットがある。
 「大学からの予算は年100万円ですが、材料の強度を測る力学試験は1体7万円程度かかる。研究成果を出すにはデータの積み重ねが必要だが、現実は厳しく、学会への出張費もままならない」
 同制度で2年半に約3400万円で研究を委託されるが、研究の軍事利用との批判もありそうだ。ただ、永尾さんは「軍の研究というイメージはない。基礎研究なので、成果の適用先は国民的な評価を受ければいい」と冷静だ。制度には「研究費を頂いたうえに成果も原則公開できる。ありがたいというのが研究者の本音。たぶん来年は応募が殺到するだろう」と話す。
 実は防衛省だけが軍学共同研究を進めているのではない。米軍が日本の大学・研究機関に研究資金を提供している。また、内閣府が昨年度から「革新的研究開発推進プログラム」(ImPACT)の公募を始めた。浜田盛久さんは「デュアルユースを視野に入れたテーマも設定できる。ロボット技術など軍事利用が可能になりそうな研究も支援している」と指摘する。
 最新技術の軍事利用を進める動きには批判の声が上がる。「軍学共同反対アピール署名」の呼びかけ人の一人、池内了(さとる)・名古屋大名誉教授は「科学者は結果責任まで考える必要がある。それがどう使われるかまで想像し、こういう使い方をしてほしくないと明言することは科学者の社会的責任です」と主張する。さらに科学者の良心にはこう訴えかける。「競争的資金を得るため、仮に軍事に絡む研究にテーマを変える科学者が現れるようになれば、科学者の国家への隷属です。倫理を失った科学者を信頼できますか」
 そもそも最新技術が軍事利用される危険性を認識してきたからこそ、科学者の代表機関・日本学術会議は1950年に「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」、67年に「軍事目的のための科学研究を行わない声明」をそれぞれ発表した。
 声明の趣旨は揺らいでいるのか。大西隆会長は「二つの声明は共に堅持している。戦争目的の軍事研究は認められない。だが、自衛まで否定されているとは思わない」と語る。
 前出の池内さんは「自衛のためなら何でも認めると言い出すと、いくらでも後退してしまう。大西会長の曖昧な態度は不満です。『国費を使うのだから国に貢献しろ』という声もあるが、科学の研究は国のためではなく世界のため、人類のためにやるものです」。
 08年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都大名誉教授は今夏、「科学者は戦争で何をしたか」と題する本を出版した。そこで胸に刻んだ恩師の言葉を紹介した。
 <科学者である前に人間たれ>
 集団的自衛権の行使が容認され、平和国家が揺らいでいる今、科学者は原点に立ち返るべきではないか。

Little Drummer Boy/G7サミットと伊勢神宮/トイレが近い

ブログネタ
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京大時計台

Le Japon repère un navire chinois armé près des îles Senkaku
Un navire des garde-côtes chinois équipé, semble-t-il, de quatre tourelles de tirs a été repéré à proximité des îlots administrés par le Japon sous le nom de Senkaku et revendiqués par Pékin sous celui de Diaoyu, en mer de Chine orientale. Des vedettes de garde-côtes chinois croisent régulièrement dans les environs de ces îlots inhabités et disputés, mais c’est la première fois, a dit à un porte-parole de la garde-côte japonaise, qu’un vaisseau chinois armé est aperçu dans le secteur.
≪ Nous avons vivement protesté et demandé l’arrêt immédiat des activités dans les parages des îles Senkaku, a déclaré Takako Ito, porte-parole du ministère des affaires étrangères japonais. Le Japon continuera d’œuvrer avec fermeté et calme, en vertu du principe de défense de notre territoire terrestre, maritime et aérien. ≫. Le navire, repéré dès mardi après-midi, se trouvait à 29 kilomètres de l’un des îlots mercredi matin, selon les garde-côtes nippons.
Les relations sino-japonaises sont envenimées par ce contentieux de longue date, notamment depuis l’automne 2012.
A Pékin, le porte-parole du ministère des affaires étrangères, Hong Lei, a réitéré la position de la Chine, à savoir que ces îlots font partie du territoire chinois depuis les temps anciens.
≪ Les patrouilles des garde-côtes chinois dans les eaux en question ne peuvent nous être reprochées, a-t-il déclaré. L’équipement des navires des garde-côtes chinois correspond à l’équipement standard, en rien différent des pratiques internationales. ≫
フランス語
フランス語の勉強?
●天皇誕生日祝賀反対12・23大阪集会
G7首脳の伊勢神宮参拝を画策する安倍弾劾 
 ◇日時 12月23日(水)午後1時30分〜4時30分    集会後 デモ
 ◇場所 エルおおさか(大阪地下鉄谷町線・京阪「天満橋」下車徒歩7分)
 ◇シンポジウム「G7サミットと伊勢神宮」
辻子 実さん(『靖国の闇にようこそ−靖国神社・遊就館非公式ガイド』(社会評論社)
  黒田伊彦さん(参戦と天皇制に反対する連続行動)
  吉田宗弘さん(反戦反天皇制労働者ネットワーク)
◇参加費(資料代含む) 1000円(経済的に厳しい方は受付まで)
◇参戦と天皇制に反対する連続行動
来年5月、伊勢志摩で世界の戦争屋7か国(米、英、独、日、仏、伊、加)首脳のサミットが開かれる。「イスラム国」などを対象とした反テロ世界戦争など混とんとする事態が議題で、世界を自らに都合よく支配するためだ。会場は安倍晋三首相肝いりの伊勢志摩である。安倍は天皇の祖先神をまつる伊勢神宮を「日本の素晴らしさを発信する場所だ」「各国首脳とともに訪問したい」と語った(産経ニュース10月11日)。これは明らかに伊勢神宮の政治焦点化だ。
伊勢神宮は「日本国の象徴」である天皇の祖先神をまつることで、あたかも「公的な性格」をもっているがごとく「扱われ」ている。恒例になった歴代首相の仕事始め(1月4日)の参拝はそれを端的に示し、G7首脳が参拝するなら「国家の神宮」になりかねない。それは天皇制軍国主義の精神的支柱への道である。戦争の時代に入ったいま、こうした安倍のたくらみは危険極まりない。徹底的に討論し、反対の声を大きくあげたい。多くの参加を呼びかけます。
参戦と天皇制に反対する連続行動 
  大阪市淀川区十三東3−16−12  
Tel/Fax 06 (6303) 0449


朝ネットラジオでPentanonixのLittle Drummer Boyを聞きました.とてもいい感じの曲だと思いました.
昼に広島お好み焼きを食べてさあ出陣?です.G7サミットと伊勢神宮というシンポジウムに参加しました.伊勢神宮のことなど考えたことはほとんどなかったけれど,天皇制をなくするためにはいろいろ考えて行動する必要があると思いました.でもトイレが近くでなんだか変です.

<新国立>復興手助け隈氏案採用 被災地祝福
 新国立競技場建設で建築家隈研吾氏のデザイン案の採用が決まった22日、隈氏と関わりの深い南三陸町と登米市から祝福と期待の声が上がった。南三陸町は、町内産スギが建設資材に使用されるよう働き掛ける方針を示した。
 この日、定例記者会見で佐藤仁南三陸町長は「喜ばしいニュースが飛び込んできた。おめでとうと伝えたい」と語った。隈氏は東日本大震災から復興を目指す同町志津川地区のグランドデザイン作成を担った。佐藤町長は「隈氏の手掛けた町並みや橋を見たがる人が町に来るだろう」と交流人口の拡大を期待した。
 さらに「隈氏提案の競技場屋根には木材が使用されるという。南三陸産材の使用を願って積極的にアプローチしていく」と述べた。「森林管理の国際認証『FSC』を取得した南三陸産材が全国に知れ渡る機会になる」と効果も予測した。
 登米市の登米町伝統芸能伝承館「森舞台」は、隈氏が建築設計を担当し、1996年に完成した市所有の能舞台。周囲の森林と調和したデザインで、翌年に日本建築学会賞を受賞した。
 森舞台を管理するとよま振興公社の関係者は「とても誇らしいこと」と隈氏を祝福。布施孝尚市長は「うれしい。隈氏は被災地復興に貢献しており、新国立競技場が復興のシンボルになると期待する」と話した。


<検証 制度>公平性と迅速性の両立課題
◎震災4年9カ月(1)羅災証明
<焼け太りなのか>
 仙台市太白区の無職の男性(62)は東日本大震災当時、築約30年の賃貸マンションに暮らしていた。
 「本当に全壊なのかと問われれば、自信を持って『そうだ』とは言えない」。津波で家を失った人たちとは状況が違うと、いまも考えることがあるという。
 マンションは市の罹災(りさい)証明で全壊と判定された。事実、男性宅は配管が壊れて住めなくなった。ただ、特に被害のない住戸もあった。
 国の指針では集合住宅は1棟全体の判定が原則だ。各戸は軽微でも、建物を支える柱やはりなどの被害が大きければ全壊と扱われる。
 全壊世帯には生活再建支援金の基礎支援金と加算支援金合わせて最大300万円が支給される。罹災証明は義援金の配分、税や公共料金の減免、融資など幅広い支援策の基礎にもなる。
 賃貸で暮らす被災住民も罹災証明に基づき、所得制限なしで支援金の支給などを受けられる。
 男性のマンションでは支援金を元手に新居を購入した住民もいた。自身も約200万円を受け取った。
 「(被害の軽微な世帯がもらうのは)焼け太りという見方もあるだろう」。それでも男性は「現金は被災生活の備えとして心強かった」と打ち明ける。
 宮城県マンション管理士会(仙台市)によると、震災では仙台市内の分譲マンション約1400棟のうち100棟以上が全壊判定だった。半壊も含めて公費解体されたのはわずか5棟。全壊判定のマンションの大半は修繕などで対応し、住民が暮らし続けている。
 仙台市資産税企画課は「全壊判定が住めない状態を示すわけではない」と説明する。被災状況は税務部門の職員が壁や屋根、設備などの外観を目視で調べた。
 マンションは構造が複雑で建築の知識が必要だ。担当職員は「判定にスピードが求められた。技術者の応援でようやく乗り切れた」と明かす。
<異なる判定方法>
 集合住宅内の被災程度は、住戸が何階にあるかや建物全体の中の位置関係によって大きな差が出た。津波の浸水地域はなおさらだ。
 国の指針では、ただし書きで集合住宅の戸別判定も認める。石巻市はただし書きに従った。逆に、東松島市は戸別判定から1棟の一括判定に変えた。
 手続き簡素化のため、津波浸水区域を一括して全壊と見なす「長期避難世帯」の制度を活用した自治体もある。陸前高田市、気仙沼市など岩手、宮城、福島3県の10市町村約1万9000世帯が認定を受けた。
 多賀城市は被災地で最多の約5000世帯が認定された。市内にはマンションが多く、浸水を免れた階の住民にも罹災証明なしで生活再建支援金が支給された。
 被災者の暮らしを大きく左右する自治体の対応。罹災証明についても判定方法が異なるなど正確性に対する疑問は残ったままだ。
 「実害のない世帯に配るなら、もっと津波被災者に上乗せすべきだ」。こうした声にどう対応するか。公金や寄付金の適正配分のためにも、公平で迅速な被害判定が求められている。
 ◇
 被災者にとって、行政などの支援は再生の一歩につながった。ただ、支援の根拠となる「制度」は常に公平で柔軟だったわけではない。震災発生から4年9カ月余りを経たいまも、浮き彫りになった課題の解消が迫られている
(震災取材班)
[罹災証明]災害による住宅などの被害程度を市町村が調査して証明書を発行する。壁、柱など各部の損害割合を算出して積み上げる。50%以上は全壊、40%以上は大規模半壊、20%以上は半壊、19%以下は半壊に至らない(一部損壊)。2013年改正の災害対策基本法で、被害状況の調査と罹災証明書の交付が市町村長に義務付けられた。


<検証 制度>生活再建 支援どこまで
 もしも東日本大震災クラスの大災害に再び見舞われたら、頼りになるのは何か? 家族が犠牲になり、住まいが壊れ、職がなくなり、子どもの就学にも困るようになったら…。東日本大震災の後、被災者を救済する各種制度が設けられた。震災の前からあった制度でも、被災者の生活再建に役立つものがある。仙台市の架空の一家が被災したと想定し、これらの制度を使ってどこまで生活再建できるか検討してみる。
【想定】津波で父犠牲…休業…仮設…進学…住宅ローン…車大破…
 再び起きた東日本大震災級の地震で、仙台市太白区に住む武田真郎さん(41)=仮名=一家は大切な家族を失い、暮らしの基盤も揺らいだ。
 被災前は父=当時(73)=、母(69)、妻(39)、長男(18)、長女(12)と6人暮らし。行動派だった父は沿岸部をドライブ中に津波で命を落とした。
 真郎さんは勤務先の会社が津波の影響で事業休止となり、家族で移り住んだ仮設住宅から職探しに出掛ける毎日だ。母には年金収入があり、妻がパートで稼いでくれている。これらを合わせても、一家を支えるまでの経済的余裕はない。
 長男は高校3年で大学受験を控えている。長女は公立中学校に進学予定だが、入学時に必要な費用を用意できるか、心もとない。
 自宅は一戸建ての持ち家。地震により「全壊」の判定を受けた。住宅ローンは約20年分残っている。貯金では自宅の補修費用を賄えないため、新たな借り入れを考えている。
 津波の犠牲になった父が運転していた車は、ぐしゃぐしゃに大破した泥まみれの状態で見つかった。
◎暮らし
<災害弔慰金/生計維持者500万円>
 災害で命を落とした人の遺族に支給される。支給額は、生計維持者が死亡した場合は500万円、その他の家族が亡くなった場合は250万円。国が2分の1、都道府県と市町村が4分の1ずつを負担する。居住する市町村か都道府県が窓口となる。宮城県の場合、東日本大震災での支給額は計318億3000万円、支給件数は1万713件(いずれも11月末現在)。
<被災者生活再建支援法による支援金/全壊ならば100万円>
 住宅の被害程度と再建方法に応じて、被災世帯に支給される。基礎支援金は「全壊」が100万円、「大規模半壊」が50万円。加算支援金は「建設・購入」が200万円、「補修」が100万円。単身世帯は各金額の4分の3の額となる。
<災害義援金の配分/被害に応じて支給>
 東日本大震災では、日本赤十字社などの義援金受付団体が集めた義援金を、人的被害や住宅の被災状況などに応じ該当する被災者や被災世帯に分配している。宮城県の場合は国や県などがことし7月までに、死亡・行方不明者1人当たり120万円を遺族に、全壊した世帯には111万円をそれぞれ支給した。宮城の支給額は合計約2115億9310万円、支給対象者は約220万6000人に上る。
<災害復興住宅融資/低金利で負担軽減>
 自然災害で被災した住宅の早期復興を支援する住宅金融支援機構の制度。補修の場合は730万円の限度額に対して年利1%(12月17日現在)、返済期間は最長20年、金利は全期間固定−など返済の負担感を軽減する優遇措置を設けている。被災した日から2年間受け付けている。
<二重ローン対策/資金手元に減免可>
 第三者機関の調停に基づき、金融機関が被災者の債務の放棄や減免に応じる仕組み。東日本大震災でローンの返済が難しくなった被災者を対象に運用されている。被災者は生活資金を手元に残しながら、返済の繰り延べやローンの減免が可能となる。住宅ローンやその他の借入金の返済で一部免除などの措置が受けられた事例は、被災地全体で1324件(12月18日現在)に上る。
◎教育
<小中学生の就学援助措置/学用品費など給付>
 東日本大震災で被災したことで経済的に困窮し、就学が困難になった児童や生徒の保護者を対象に、必要な学用品費や通学費、遠足などの校外活動費、給食費などを給付する措置。実施した市町村に対して国が全額、費用を負担する。宮城県では2011〜14年度に延べ4万4676人が援助を受けた。
<日本学生支援機構の奨学金/返済に猶予措置も>
 大学や大学院、短大、高専などに通う被災世帯の学生と生徒を対象とする奨学金。無利息の第1種と、利息付きの第2種の2種類がある。在籍する学校を通じて申し込む。返済については経済状況などに応じて猶予措置を設けている。
◎労働
<失業給付の特例措置/離職とみなし手当>
 災害救助法の指定地域にある事業所が被災により事業を休止または廃止し、従業員が休業を余儀なくされた場合、雇用保険法上の離職とみなし失業手当を支給する仕組み。受給できる金額や期間は、雇用保険への加入期間や年齢などによって変わる。
<未払い賃金の立て替え払い制度/国が6ヵ月分支給>
 勤務先の中小企業が倒産状態になり、賃金が支払われなかった場合、未払い賃金の80%を限度に、国が事業主に代わって立て替え払いする。支払われる賃金は、解雇や退職の日からさかのぼって6カ月間の未払い賃金に限られ、受給者の年齢によっても変動する。
◎税金
<自動車重量税の廃車還付制度/車検残存分が対象>
 災害で自動車が全損するなどした際、車を解体後に永久抹消登録などの手続きを行えば、車検の残存期間分の自動車重量税が還付される。所有者が亡くなっている場合、死亡者が除籍された戸籍謄本を添え、相続人が申請できる。
<国税の特例措置/申告で所得税減免>
 自然災害などで住宅や家財が損害を受けた場合、確定申告により、所得税の軽減や免除を受けることができる。申告する際、「所得税法に定める雑損控除」と「災害減免法に定める税金の軽減免除」のうち、どちらか有利な方法を選べる。
◎兵庫県の独自救済制度/創設10年、加入頭打ち
 阪神大震災を教訓に、兵庫県は住宅再建を支援する共済制度を独自に創設し、ことしで10年を迎えた。加入率は低迷している。全国的な制度化も訴えるものの、他県では目立った動きが出ていない。
 11月末時点の加入率は9.3%(約16万5千戸)。当初目標としていた50%には程遠く、その後修正した15%にも届いていない。
 1995年に阪神大震災が発生した当時、国の支援は限られていた。「二重ローン」が被災者を苦しめた。このため兵庫県は2005年に「兵庫県住宅再建共済制度」を始めた。
 年5000円の負担で、地震などで半壊以上と認定されると10万〜600万円の給付を受けられる。これまでに約280件、計約5億7000万円が支払われた。
 ここ2年は加入率の伸びが年0.2%と頭打ち。14年度は新規加入者の半分に当たる約3600人が保険の見直しや「災害が起きずメリットもない」との理由で契約を更新しなかった。
 国は昨年、有識者会議で「この共助の仕組みが全国に広がることを期待する」との見解をまとめたが主導する動きは見えない。熊本県の担当者は「兵庫のように運営に必要な人員や経費を負担できない」と言う。
 兵庫県の井戸敏三知事は「国や自治体の財政状況では災害時の支援金に税金を充てることが難しくなるだろう。全国的な制度作りの重要性を訴えていきたい」と話している。


<検証 制度>被災判定 基準統一進まず
◎集合住宅 実態と隔たりも
 マンションなどの集合住宅が多い大都市で大規模災害が起きた場合、おびただしい数の罹災(りさい)証明が求められる事態が想定される。実情を反映しない全壊判定などが量産される懸念もある。公平な判定制度確立に向けた対策は必ずしも進んでいない。
<共有されぬ手法>
 2013年に神戸市であった政令市長による「指定都市サミット」。奧山恵美子仙台市長は東日本大震災の課題として「マンションの罹災証明で実態と懸け離れた被害判定が多かった」と指摘した。
 翌14年、指定都市市長会は被災者支援制度の見直しを国に要請した。罹災証明は集合住宅の判定方法などで、市町村の対応に差が生じないよう注文を付けた。
 課題はかねて指摘されていた。1995年の阪神大震災後の被災住宅対応で得た教訓を踏まえ、兵庫県は06年、迅速で統一した被害判定を目指して「家屋被害認定士」の登録制度を設けた。
 累計の登録者は県や市町村職員、建築士ら約1300人。東日本大震災が発生すると仙台市、名取市、多賀城市に計94人を派遣した。住宅の被害調査に携わり、正確で公平な判定に貢献した。
 ただ、判定手法が広く共有されていたとは言えない。指定都市サミットでの奥山市長の問題提起がそのことを物語る。
<膨張する支援金>
 罹災証明に基づき、東日本大震災で支給された生活再建支援金は15年9月末現在、岩手県360億円、宮城県1940億円、福島県510億円。11都県で3000億円を超えた。
 想定される首都直下地震や南海トラフ地震が発生した際は、さらに支出が膨らむことも考えられる。
 内閣府は13年、「災害に係る住家の被害認定基準運用指針」を改定し、液状化などによる地盤被害を追加した。しかし集合住宅を1棟全体で判定するという原則は残した。
 12年には、有識者らによる検討会で被災者生活再建支援制度の課題を中間整理した。罹災証明に基づく支援金給付の所得制限導入、修理費用の実費弁償方式への変更、給付対象からの賃借人の除外−などを盛り込んだ。
 内閣府防災担当は「中間整理の内容を各担当業務に生かしたい」と説明するが、具体的な制度化への道は開けていない。


<防災庁舎>南三陸町から宮城県に引き渡し
 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町防災対策庁舎が22日、町から県に引き渡され、県有化手続きが完了した。建物は震災発生から20年後の2031年3月まで県が管理し、町に返還される。町はその間、保存か解体かを決める。
 現地で式典が行われ、大塚大輔県震災復興・企画部長が建物の引受書を佐藤仁町長に手渡した。佐藤町長は「保存の是非を時間をかけて議論したい」と述べ、大塚部長は「ここで亡くなった町職員のため責任を持って施設を管理する」と約束した。
 県は同日、年明けに着手予定の現地調査に向け、建物周辺の約30メートル四方への立ち入りを禁止するバリケードを設置した。現地調査で鉄骨の腐食具合などを調べ、16年3月に報告書をまとめる。その後、復興交付金を活用した補修費を予算化し、16年度中に補修工事を終える。
 工事は建物の現状をとどめることを最優先に老朽箇所を補修。鉄骨の赤茶けた風合いや外階段の手すりのさび、津波の衝撃による傷などを保存するため塗装を施す。
 防災庁舎では職員を含む43人が死亡、行方不明になった。広島市の原爆ドームが保存決定までに20年かかったのを参考に、村井嘉浩知事がことし1月に県有化を提案。町民意見募集で6割が県有化に賛成と答えたことなどから、佐藤町長が6月に受け入れを表明した。
 町は建物周辺の約6ヘクタールに復興祈念公園を整備し、18年の完成を目指す。


<防災庁舎>保存の是非 31年までに結論
 宮城県南三陸町は22日、東日本大震災で被災した防災対策庁舎を宮城県へ引き渡した。2031年3月10日まで県管理の下、震災遺構として保存するか解体するかを決める。残された時間は15年3カ月。まず何をすべきか。佐藤仁町長と解体を望む遺族、県有化を推し進めてきた町議に聞いた。
 佐藤町長は22日の記者会見で「遺族、町民に多様な考え方がある。すぐに議論を始める必要はない」との考えを示した。
 佐藤町長は当初、防災教育の一環として学校で震災の教訓を話し合う機会を設け、防災庁舎をめぐる議論の端緒にしようと検討。だが、庁舎で犠牲になった職員の子どもも通学していることを考慮し、断念した。「議論を始めるのは庁舎の周辺整備が終わる2、3年後でも遅くない」と明かす。
 庁舎の解体を求めてきた、遺族の千葉みよ子さん(69)は「町長の考えを知ることから始めたい」と話す。早期解体を求める遺族会は5月、町長に庁舎の在り方を問う15項目の質問書を提出したが、納得のいく回答を得られなかった。
 遺族会メンバーは高齢者が多く、次世代のために町長が県有化を受け入れた理由を文書で残す必要性を訴える。「庁舎を見るのがいまだにつらく、我慢を重ねている。町長に議論の口火を切ってほしい」と願う。
 県有化を求める請願を6月に全会一致で採択した町議会。請願の紹介議員となった後藤伸太郎町議は「議論の土台づくりが大切だ」と提案する。誰でも意見が言いやすい少人数の場を設け、議論をスタートさせることも視野に入れる。
 後藤議員は「いつまでも遺族だけが考えるのではいけない。大人が黙ったままだと、それを見た子どもも意見を言えなくなる」と懸念している。


<5度目の年の瀬>神社再建へ 祈り編む
◎2015被災地(3)双葉のしめ縄作り(いわき市)
 5年ぶりの作業に腕がなる。福島県双葉町にある初発神社のしめ縄を作る。「60年以上やってきた。体が覚えている」。氏子総代の栗田正さん(80)が言う。
 作業場は、いわき市。双葉町は福島第1原発事故で大半が帰還困難区域になっている。初発神社は東日本大震災で社殿も鳥居も向かって右に傾いたまま。社殿はワイヤで引っ張られ、持ちこたえている。ご神体もいわきに避難する。
 「しめ縄だけでも」と氏子で話がまとまった。社殿と鳥居に一本ずつ飾られている。事故前は毎年暮れ、新品を社殿に取り付け、社殿の縄を鳥居に移した。ことしは2本とも新調する。
 氏子ら13人が18日、県内各地から集まった。技を継ぐため、初心者も交じる。わらを打ち、根気よくなう。昼食を挟み5時間。長さ約6メートル、中央の太さ30〜40センチの2本が完成した。「わらが硬く、編み方もばらついた。出来は良くないな」と栗田さんは苦笑する。
 無人の町に5度目の正月が来る。氏子らは23日、町に入り、しめ縄を納める。


被災地の年越しに彩り ミニ門松作り
 東日本大震災で被害が出た宮城県亘理町荒浜地区の住民を対象にしたミニサイズの門松作り体験会が22日、荒浜地区交流センターであった。小さいながらも飾り付けは本物とほぼ同じで、被災地で年越しする参加者は笑顔で新年を迎える準備に励んだ。
 荒浜地区まちづくり協議会が初めて企画し、約15人が参加。趣味で制作や指導を続ける地元の元行政区長の渡辺勝夫さん(77)が講師を務めた。高さ30センチ前後に切った竹3本を町特産のリンゴの枝とすだれで巻き、緑色が映える松葉や真っ赤なナンテンの実などを飾って完成させた。
 津波で壊れた自宅を修繕して暮らす主婦高山キヨ子さん(68)は「こんなにきれいにできるとは思わなかった。玄関に飾り、うれしい気持ちで正月を迎えたい」と喜んだ。
 荒浜地区は全域が津波被害を受け、11月末現在の人口は2154と震災前の4割ほど。自らも被災した渡辺さんは「門松作りが少しでも住民の気分転換になればいい」と願った。


心癒やし53回 仮設で最後の「傾聴茶話会」
 NPO法人「仙台傾聴の会」(名取市)が仙台市宮城野区の扇町1丁目公園仮設住宅で続けてきた「傾聴茶話会」が21日、幕を閉じた。今後は、あすと長町(太白区)、田子西(宮城野区)などの災害公営住宅に活動の場を移す。
 最後となった53回目の茶話会には、既に仮設住宅から転居した住民も含めて10人が集まった。熊谷正浩さん(51)=宮城野区=は「悩みを打ち明けるだけで心が軽くなった。親睦を深める貴重な場だった」と振り返った。
 茶話会は2011年8月から月1回開催。住民の多くが来年3月までに転居する見通しとなったため、一区切りとした。傾聴の会理事の村上瑞穂さん(69)は「役に立っているのか不安な時期もあったが、住民の方の表情や語る内容が豊かになっていくのを感じられてうれしかった」と活動を締めくくった。


女川町 新たな商店街オープン
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町に新しい商店街がオープンしました。女川町は被災地の中でも最も人口減少が進んでいて商店街を中心ににぎわいを取り戻せるかが課題となっています。
オープンしたのは東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町中心部の駅前商店街です。
現地で記念の式典が開かれ女川町の須田善明町長が「震災の悲しみと絶望の中からみんなで知恵を出し合い完成しました。自由に楽しめるにぎわいの拠点にしていきたい」とあいさつしました。
このあと地元の子どもたちがまちびらきを宣言するとともに震災の津波で駅前から流出しがれきの中から見つかった「希望の鐘」を鳴らして商店街の門出を祝いました。
新しい商店街は津波対策と景観への配慮から防潮堤を整備する代わりに7メートルほどかさ上げした場所つくられ被災した青果店や衣料品店のほか震災後に起業した飲食店など27の店が入ります。
震災前、町内には6つの商店街がありましたが、町は集客力を高めようと商店街を1か所に集めるとともに今後、周辺に公園などを整備し観光客を呼び込む計画です。
家族3人で訪れた36歳の女性は「震災前とは全く違う商店街になっていて驚きました。もっと復興が進んで素晴らしい街になってほしいです」と話していました。
女川町の人口は、先月末時点で震災前より30%以上少ないおよそ6900人と被災地の中でも最も急激に人口減少が進んでいて商店街を中心ににぎわいを取り戻せるかが課題となっています。女川町の隣の石巻市から家族3人で訪れた36歳の女性は「震災前とは全く違う商店街になっていて驚きました。気軽に買い物に来たいと思います。ただ、商店街のまわりはまだ建物が全くないのでもっと復興が進んで素晴らしい街になってほしいです」と話していました。
また、石巻市から列車で訪れたという77歳の女性は「駅のすぐ前の商店街なのでとても利用しやすいです。きょうはお茶屋さんなどで買い物して1日楽しみたいと思います」と話していました。
式典のあと女川町の須田善明町長は「住民の高台移転など住まいの再建はこれからなので商店街の完成はあくまでもまちづくりのスタートだ。人口が減少する中、商店街と行政が連携して外からたくさんの人が訪れ、楽しめる仕掛けづくりを進めていきたい」と話していました。


新商店街 店を構えた人たちは
【店を構えた人たちは・・】
女川町の駅前商店街に青果店を構えた、相原義勝さん(67)は、地元の人たちの「憩いの場」にこだわりました。相原さんは女川町で43年にわたって青果店を営んできましたが震災の津波で店が全壊し、仮設商店街を経て、本格的な店の再開にこぎつけました。
相原さんは地元の人たちの「憩いの場」にこだわり、津波で全壊した店にもあった「いろり」を店の真ん中に設けました。このいろりは、長さ1.2メートル、幅1メートルほどのテーブルの中央にあります。訪れた地元のお客さんにお茶を飲みながらおしゃべりをしてもらおうと設けられ、「おちゃっこスペース」と呼ばれています。
相原さんが「おちゃっこスペース」にお客さんとともに腰を下ろし、話を弾ませていました。相原義勝さんは、「友だちやお客さんがくつろぐ場所なので、この『おちゃっこ』スペースは絶対に無くしたくなかった。町は元に戻りつつあるがこれからは商店街のわれわれ店主たちが頑張って、女川を盛り上げていきたい」と話していました。女川町で45年以上前から老舗の茶屋を営んできた、阿部喜代子さん(75)は、80歳の夫とともに4年9か月ぶりに本格的な店を再開しました。女川駅前商店街に新たに設けられた阿部さんの店では、全国から仕入れたお茶のほか、急須などがきれいに並べられました。阿部さん夫婦は、震災発生のとき、沿岸部の店にいて高台に車で逃げて無事でしたが、46年前の昭和44年から続いてきた店舗は津波で跡形もなく壊れ、お茶の在庫や売上金などはすべて流されました。阿部さんは、町内の仮設商店街で仮の店舗を続けてきましたが、お店の再建の見通しが立たない中、店を辞めることも考えたといいます。しかし、長年付き合いのあるお客さんのために頑張ろうと、4年9か月ぶりに本格的な店を再開しました。地元の友人や震災直後にボランティアとして訪れ店の片付けを手伝ってくれた夫婦などが開店のお祝いに駆けつけ、喜代子さんは笑顔でお茶をふるまいながら震災後の苦労や感謝の気持ちを話していました。
阿部喜代子さんは「震災後の仮の店舗ではお客さんが以前の半分に減ってしまった。店を続けるかどうか迷ったが、夫が『続けたい』というのでついてきました。女川のみんなが頑張っているのでそれに負けないように頑張っていきたい」と話していました。
女川町の新しい商店街に出店した人の中には、「被災したふるさとの力になりたい」と、震災のあと12年ぶりにUターンした男性もいます。商店街にビール専門のバーを23日に開いた、木村優佑さん(32)は、高校まで女川町で過ごしたあと、12年間東京でIT関連の仕事をし、おととし、生まれ育った女川に戻りました。木村さんは、震災で被災した町で人口が流出している上、観光客が減っていることに危機感を持ち「ふるさとの力になるため人を呼び込み、にぎわいを取り戻したい」と、お店を開くことにしました。そして、ゆくゆくは自分でオリジナルの地ビールを作り、「女川ブランド」を全国に発信したいと考えています。地元に戻ってきたあと、去年、待望の男の子も誕生し、ふるさとで妻とともに子育てをしながら暮らしていきたいと考えています。木村さんは「震災当時、自分は東京にいて何もできなかったが、その後、『何かできることはないか』と探して帰ってきました。
オープンした店とともにこれから女川をもっと楽しい町にしていきたい」と話していました。


JR女川駅前 「これからやるぞ」27店舗の新商業施設
 東日本大震災で中心部が壊滅状態になった宮城県女川町のJR女川駅前に23日、飲食店など27店が入るテナント型商業施設「シーパルピア女川」がオープンした。町の人口は震災前より3割以上減少しており、活性化の拠点として期待される。
  <師走の町に活気 ダンボルギーニも展示>
 被災した商店街の再生を国が支援する「まちなか再生計画」を初めて活用し、官民出資の株式会社「女川みらい創造」が約6億8000万円かけて建設した。3月に開業したJR女川駅から、女川湾方向に真っすぐ延びる遊歩道の両脇に店舗が建ち並ぶ。近くに郵便局や銀行などの建設も予定されている。自主再建の店も含め、周辺は2018年度までに約70店舗が整備される見通しだ。
 「新しい町になったのよ」。駅側に最も近い一角にオープンした青果店「相喜(あいき)フルーツ」の相原和栄さん(68)は、さっそく訪れた客に笑顔を見せた。夫の義勝さん(67)も「これからやるぞって気持ちになるね」と張り切っていた。
 夫婦で店を営んで約40年。震災前の店舗兼住宅は女川湾の目の前にあり、大津波に襲われた時は近くの高台に上がって難を逃れた。3軒隣にあった女川交番は横倒しになり震災遺構として保存されることになったが、それ以外は周辺に何も残っていない。
 震災後、店をやめることも考えた。だが、新しい町をつくろうと奮闘する若者の姿に「じっとしてはいられない」と思った。震災から約4カ月後に仮設商店街で営業を再開。離れた仮設住宅から通う客もおり「続けられるだけやってみよう」とシーパルピアへの出店を決めた。
 店内に入ると目を引くのは小さないろり。震災前の店にもあり、義勝さんが「お客さんがゆっくりお茶っこ飲みながらくつろげるように」と作った。夫婦は隣の石巻市に住み、女川にできる災害公営住宅の完成を待つが「また住民が戻ってこられる町としてアピールしたい」と義勝さん。和栄さんは「お年寄り相手にお茶を飲みながら、ここから変わっていく町の姿を見ていきたい」と話した。【百武信幸】


亡き子がくれた希望を手記に 広島の女性 モニュメントに報告
 阪神・淡路大震災で神戸大2年だった長男貴光さん=当時(21)=を亡くした広島市の加藤りつこさん(67)が20日、この日出版された自らの手記を手に神戸・東遊園地を訪れた。貴光さんが残した一通の手紙から大勢の支援者や若者らと出会い、再び見いだせた生きる希望−。貴光さんの名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」に、手記に込めた思いを報告した。(阿部江利)
 貴光さんはあの日、下宿先の西宮市内のマンションが倒壊し、圧死した。大学入学前、加藤さんへの感謝を「親愛なる母上様」と題してつづった手紙が形見になった。
 一人息子を亡くして生きる希望を失った加藤さんだったが、この手紙に曲を付けた音楽家らとの出会いを機に、学校などで体験を語り始めた。2012年、講演に訪れた広島県福山市の盈進(えいしん)中・高との交流が始まり、生徒から「りつこお母さん」と慕われるように。生徒らの存在も励みになり、思いを手記にまとめることを決めた。
 「希望ふたたび」と名付けた手記は、幼い貴光さんとの思い出から始まる。手紙をポケットにこっそり入れて渡してくれた場面、そして死別。遺骨を抱いて泣き続けた日々が、手紙の報道や貴光さんの友人らとの出会いで次第に変化していく様子を描いた。
 貴光さんの誕生日でもある20日、加藤さんは同校の生徒ら約30人と一緒に神戸を訪れた。生徒に囲まれ、「息子の無念や私の苦しみを『聞かせて』と求めてくれる人と出会い、支えてもらった。多くの人に手記を読んでもらい、どう生きるか考えるきっかけにしてもらえれば」と話した。
 手記は税込み1620円。購入申し込みは「広島と福島を結ぶ会」のホームページから。


<回顧みやぎ>跡地活用 観光復興の要
◎(5)「松島」閉館、「うみの杜」開館
<そのとき>
 「ああ、今日で終わりなのか」と、寂しさがこみ上げた。そこに駆け付けた多くの人が、同じ思いを抱えたに違いない。5月10日、松島町のマリンピア松島水族館が閉館した。
 マンボウの長期飼育、イロワケイルカの南米捕獲作戦、日本最大のコレクションを誇ったペンギンランド…。冒険と挑戦の歴史に彩られた88年だった。
 広場で食事をしていた多賀城市の女性に話を聞くと「閉館を知ってから3回目(の来場)です」。自分も、家族と一緒に何度も通った。ゴトゴトと音を鳴らす遊具、管内を流れる音楽を含めて「昭和の雰囲気」があふれていた。
 7月1日、仙台市宮城野区に「仙台うみの杜水族館」が開業した。飼育担当職員や生き物は松島水族館から移った。客足は伸び、11月16日、予想より4カ月以上早く、来場者100万人を達成した。
<それから>
 松島水族館の建物は取り壊され、現在、更地になっている。営業最終日の来場者の歓声は虚空に消え、水族館のない松島は喪失感が漂う。
 町は12月、敷地を所有する宮城県に跡地活用の要望書を提出した。新施設の望ましい機能に(1)子どもから大人まで松島の歴史や海を学べる体験型ミュージアム(2)県内、東北の観光地情報を発信できる施設−を挙げた。県は跡地活用策や整備主体を公募する考えを示した。早期に県としての方向性を決めるという。
 桜井公一町長は「水族館閉館後は子どもたちの姿が見えなくなった」と話す。特別名勝・松島を訪れる観光客は震災前の8割程度にとどまる。水族館跡地の活用は、観光復興につながる重要な要素になる。
 うみの杜水族館に行ってみた。三陸の海を表現した水槽の前は人垣ができ、東北最大級のイルカ、アシカのパフォーマンスに拍手が湧いていた。
 通路を埋めた来場者を縫うようにして先を急ぐ。あっ、見つけた。イロワケイルカの水槽だ。「海のパンダ」と呼ばれ、松島水族館の人気者だった。「元気だった?」と、思わず声を掛けたくなった。(塩釜支局・山野公寛)
[メモ]松島水族館は1927年の開館で、国内の水族館で2番目に古い歴史があった。84年、マンボウ「ユーユー」の飼育日数が世界記録を更新。85年は年間入場者が83万人とピークに達した。閉館まで累計で2100万人以上が足を運んだ。仙台うみの杜水族館は東北最大級の展示規模を誇る。水槽約100基に約300種、約5万匹の生き物を展示する。メーン施設は幅13メートル、高さ6.5メートルの巨大水槽。


うどんかるた販売再開へ 「太目妻」問題なし
 香川県は22日、公募で選ばれた読み句の表現が不適切との指摘でいったん中止した「うどんかるた」の販売を句を差し替えずに26日から再開すると発表した。内容をあらためて検討した結果、悪意や問題はないと判断した。
 「あ」から「ん」までの全46作品のうち、「つ」の「強いコシ色白太目まるで妻」の句が「悪いイメージで受け取られる可能性がある」と指摘され、15日の一般発売を延期。
 県職員や有識者ら5人でつくる選定委員会の再検討で「作者の意図は、大好きなうどん同様に妻をいとしむ気持ちをうどんの特長に込めたもの」などの意見があり、全員一致で当初の選定を維持することを決めた。


教育への公的支出/投資の視点で拡充の議論を
 過分なコストであれば切り込みは当然だが、不可欠の投資ならば拡充が必須になる。
 見極めの要点は、未来の基盤につながるかどうか。とりわけ教育分野への支出については、コストと投資の分別を間違えてはなるまい。
 来年度予算編成をめぐり財務省と文部科学省との間で繰り広げられた攻防は、「教育立国」を掲げるこの国の姿勢が定まらないままであることを印象づけるものだった。
 財務省は、少子化による児童生徒の減少を根拠に公立小中学校の教職員定数を約5%削減できると主張した。さらに、国立大に対する補助金の運営交付金を毎年1%ずつ削減する方針を示した。
 文科省はじめ教育界は一斉に反発し、学校を取り巻く問題が複雑化し、教職員の疲弊が深刻化する中ではいじめ問題などへの対応で政策的に配置する「加配定数」はむしろ増やすべきだ、と主張。
 国立大の交付金についても、既に過去10年にわたり減額が続き、これ以上の削減は教育水準と研究水準の低下につながると、強く反対した。
 とりあえず来年度は教職員定数を全体で削減しつつ加配定数を増やし、交付金は維持する方向で折り合ったが、両省ともに目前の数字の調整に精いっぱいだった感がある。根底に据えて議論すべき投資の視点が脇に置かれたままだったことは残念でならない。
 経済協力開発機構(OECD)の最新まとめで、国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合が日本は3.5%にとどまり、加盟国平均の4.7%を下回った(2012年)。これで6年連続の最下位。国情の違いなどを考慮しても、誇れる水準にないことは明らかだ。
 特に幼児教育と大学など高等教育への支出水準が低く、高等教育での私費負担はOECD平均の2倍以上に上っている。国として十分な支出を怠っている証しだろう。
 ほかならぬ政府の教育再生実行会議が、世界的には公的支出を増額する流れにあることを強調しながら、「教育支出をコストと考えず、未来への先行投資と位置付けて充実を図るべきだ」とする提言を7月にまとめている。
 大学生への公的支出は、所得向上による税収増などにより2.4倍の社会的便益をもたらす、という国立教育政策研究所の試算がある。
 日本財団が先月発表した推計も興味深い。国などが貧困対策を放置し、高校進学率と中退率を改善して大学進学率を上げる支援をしなかった場合、15歳の子ども1学年分だけで社会が被る経済的損失は2兆9千億円に上り、政府には1兆1千億円の財政負担が生じる、という内容だ。
 格差社会の是正や犯罪抑止などの観点からも、投資としての教育支出の重みはかねて指摘されてきたところであり、あらためて整理、統合した議論が求められている。
 教育再生実行会議も提言で触れたように、教育投資を安定的に拡充するのであれば税と連動した財源論議も必要になる。財務、文科両省間で予算時の攻防を繰り返しているだけでは済まない問題であることを確認しておきたい。


【普天間移設】 オリバー・ストーン監督ら米識者70人、ケネディ大使に抗議 辺野古移設で
 映画監督オリバー・ストーン氏や言語学者ノーム・チョムスキー氏ら米国の著名人や識者ら70人は22日、ケネディ駐日米大使が17日の東京での記者会見で米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に関し、名護市辺野古への県内移設が最善だとの考えを示したことに抗議する声明を連名で発表した。
 声明は「普天間は閉鎖されなければならないが、辺野古への移設は解決策にはならない。より人目につかない場所に問題を移すだけだ」と指摘。大使の考えは「(辺野古移設に)激しく反対してきた沖縄の圧倒的多数の人々に対する脅威、侮辱、挑戦だ」と訴えた。
 声明は、大使の父である故ケネディ大統領が1963年にアメリカン大の卒業式で行った演説で「米国の軍事力によって世界に強制的にもたらされるパックス・アメリカーナ(米国による平和)」を否定したことに触れて「大使は父の演説を読み直すべきだ」とした。


高浜で知事同意 不自然な駆け込み表明
 関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の再稼働に福井県の西川一誠知事が同意した。高浜町長・町議会と県議会は同意済みで、地元同意手続きはこれで完了した。
 だが、高浜3、4号機を巡っては福井地裁が今年4月、運転を禁止する仮処分決定を出している。決定が覆らなければ再稼働できない。関電の異議申し立てに対する同地裁の判断が24日に出る。そのわずか2日前に、駆け込むように知事が同意を表明したことは極めて不自然である。
 高浜3、4号機は今年2月、新規制基準に基づく原子力規制委員会の安全審査に合格した。一方、福井地裁は仮処分決定で、「新基準は合理性がなく、適合しても安全性が確保されない」と指摘し、運転を禁じた。24日の判断は、4月とは別の裁判長が担当しており、運転禁止が維持されるかどうかが焦点だ。
 西川知事は記者会見で、高浜町や県議会の意見、国の方針などを勘案して判断したことを説明し、「(司法判断とは)事柄が別。先とか後とかは問題ではない」と述べた。行政判断は、司法判断に縛られることはないと言いたいのだろう。
 しかし、現在は、高浜原発の安全性は確保されているという行政判断は誤りだと、司法が待ったをかけている状態だ。地裁の判断が出た後で意見表明する方が自然である。仮に地裁が再稼働の禁止決定を維持すれば、同意表明はしにくくなる。その前に西川知事が先手を打ったとすれば、司法軽視と言わざるを得ない。
 西川知事は記者会見で、県民の理解が一番大事だと述べたが、県民の意向をどこまでくんだかも疑問だ。
 福井県は住民向けの説明会を開いていない。高浜町も、原子力規制庁作製の安全対策を解説したビデオを町内のケーブルテレビで放映し、町内の各団体代表者と国の担当者による意見交換会を開いただけだ。
 事故時の住民避難計画の策定が義務づけられた原発30キロ圏には京都、滋賀両府県の計8市町も入る。住民は福井より京都の方が多い。それにもかかわらず、政府と関電は、福井以外の自治体を同意手続きの対象とはしなかった。
 原発事故に府県境は関係ない。再稼働に際し、30キロ圏内の自治体の意見を反映する仕組みが必要だ。
 政府は3府県の避難計画を了承したが、福井県内に立地する他の原発との同時事故は想定されておらず、
避難時の車両確保や交通渋滞対策も課題として残っている。
 新規制基準に合格した原発の再稼働で、地元同意完了は3例目だ。多くの国民が望む脱原発依存の道筋を示さないまま、原発に回帰する安倍政権の姿勢も納得できない。


高浜再稼働同意  京滋の声は置き去りか
 福井県の西川一誠知事が関西電力高浜原発3、4号機(同県高浜町)の再稼働に同意した。
 高浜町長や県議会の同意に加え、求めてきた立地地域の経済・雇用対策や原発への国民理解の促進で国の姿勢が確認できたためのようだ。しかし、隣接する滋賀県の三日月大造知事が「再稼働を容認できる環境にはない」と指摘するように、周辺自治体を含め理解が広がっているとはいえない。
 福井地裁は4月、高浜原発3、4号機について、原子力規制委員会の新規制基準が緩すぎるとして、運転を差し止める仮処分を決定した。関電の異議申し立てに対し、同地裁が24日に出す結論を待たずに同意表明したことも疑問だ。
 政府は福井地裁の仮処分決定後も、規制委の審査をクリアした原発は再稼働させる方針を堅持してきた。8月から九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)が順次再稼働し、10月には四国電力伊方原発3号機(愛媛県)について知事が同意した。原発立地自治体の知事の同意は福井で3例目となった。関電は福井地裁が決定を覆した場合、すぐに3号機の燃料装塡(そうてん)を始め、来年1月下旬に再稼働させる方針だ。
 高浜原発は避難計画の策定が義務付けられる半径30キロ圏に、福井県以外に京都府と滋賀県が入り、とくに京都の圏内には約12万5千人と福井より多くの住民がいる点で川内、伊方両原発と大きく事情が異なる。京都府は原発立地道県以外では全国で唯一、事故時に即時避難が必要な5キロ圏にも一部が含まれる。
 にもかかわらず、関電は福井県と高浜町のみの同意で再稼働に踏み切る構えだ。京都府と滋賀県は立地自治体並みの同意権を求めてきたが、関電と締結、合意した高浜原発に関する安全協定に同意権は盛り込まれていない。過酷事故で重大な影響を受け、住民避難で責任を負う地域の声を置き去りにすることは許されない。周辺自治体についても同意権を認めるべきである。
 避難計画にも問題がある。政府は18日に福井、京都、滋賀3府県の計画を了承したが、府北部や福井県から府南部、兵庫県などへの避難では、道路の渋滞やバスの確保、高齢者ら支援が必要な人の移動といった課題が残る。3府県の住民が参加した合同訓練もまだ実施されていない。避難計画の実効性が確認できないまま再稼働するようでは、安全軽視の見切り発車というほかない。


本当の世論は…
 選択的夫婦別姓制度の導入に賛成派と反対派の割合は、ほぼ互角といわれる。根拠によく挙げられるのが内閣府の世論調査だ。公表されている調査結果を見直すと、少々意外な面に気付いた▼2012年調査では法改正に賛成、反対とも約36%で確かに拮抗(きっこう)している。ただし回答率は20〜30代が低く50代以上が高い。賛成派は若い世代に多いため、各世代の回答率が同じだったら結果は違ったかもしれない▼01年の調査に比べ、中高年の反対派の割合にあまり変化がないのも興味深い。10年前は賛成だった人が、加齢に伴って反対に転じたとも解釈できる▼両調査では「実家の姓を残すために結婚が難しくなることがあると思うか」とも尋ねている。結果は「思う」と答えた人が増え、とりわけ30〜50代で著しい。30代男性では実に6割に達する▼少子化で一人っ子同士の縁談が増える中、双方の親が姓を残したがって話が進まない、と時々耳にする。介護や相続の事情が背景にあるのだろうか。調査はそこまで踏み込んではいない。だが、別姓制度がもはや働く女性の問題だけでないとは言えそうだ▼議論の場は司法から立法府に戻った。保守派の政治家たちも自分の地盤を継ぐのが一人娘と想像すれば実感が湧こう。社会の変化に合った制度を本気で考えたい。

子ども貧困対策 乏しい「未来への投資」
 低所得のひとり親への手当増額が来年度予算案に盛り込まれることが決まったが、微々たる額だ。政府には子どもの貧困対策に本気で取り組む姿勢が見えない。不十分といわざるをえない。
 先週末、子どもの貧困対策充実を求めて経済的に苦しい家庭の高校生や大学生、支援者ら約百人が東京都内で集会を開いた。工藤鞠子(まりこ)さん(20)は「生まれた家庭によって子どもの選択肢や将来の可能性が狭められることがない社会をつくりたい」と訴えた。
 子どもの貧困に取り組むNPO法人代表らが呼び掛け人となり、低所得のひとり親家庭に支給される児童扶養手当の増額を求めたインターネットでの署名は、四万筆近くに達した。
 手当は現在、親と子の二人世帯で年収百三十万円未満で月額四万二千円支給され、二人目の子がいれば定額五千円、三人目以降は一人あたり同三千円が加算される。二人目以降の加算額は二十年以上据え置かれていた。
 政府は二〇一六年度予算案で二人目以降の加算額を倍増すると発表。ただし、所得に応じて減額する。ただでさえ少ない加算額を減らすべきではない。対象となる子どものうち倍増になるのは六割程度にとどまる。投入される国の予算額はわずか八十億円強だ。
 対して「選挙向けのばらまき」と自民党内からも批判が出る低所得の年金受給者に一人三万円を給付する予算は一年限りとはいえ、三千六百億円に上る。
 厚生労働省は児童扶養手当について「財源が限られる中で最大限の拡充」と釈明するが、これでは説得力はない。低所得世帯の高校生に支給される返済不要の奨学金の拡充も少額に終わった。
 日本では六人に一人の子どもが貧困状態にある。ひとり親世帯の貧困率は五割を超え、先進国の中で最悪の水準だ。
 民間の推計では、子どもの貧困対策をしなければ、現在十五歳の子どもの分だけでも社会が被る経済損失が二兆九千億円に達する。十五歳に限らなければその何十倍にもなるだろう。対策は「未来への投資」でもある。
 政府が立ち上げた子どもの貧困対策民間基金への寄付が低調だそうだが、政府がすべきことは寄付を集めることではない。貧困問題の背景には、労働市場の劣化や所得の再分配が不十分などの問題がある。だからこそ、貧困に苦しむ子どもの生活の下支えは、政府が責任を持って税でやるべきだ。


ヘイトスピーチ 元在特会代表に「脅迫的な言動しないで」
東京法務局が勧告も強制力なし 法務省の人権救済措置は初
 2008〜11年に東京都小平市の朝鮮大学校前で脅迫的な言動を繰り返したとして東京法務局は22日、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の元代表に対し、同様の行為を行わないよう勧告した。勧告に強制力はないが、ヘイトスピーチによる被害を巡って法務省が人権救済の措置を講じたのは初めてとみられる。
 法務省人権擁護局や被害を申告した学生2人の代理人弁護士によると、元代表らは08年11月、09年11月、11年11月の計3回、朝鮮大学校の校門前で街宣を実施。「朝鮮人を日本からたたき出せ」などと脅迫的な言動を繰り返した。3回とも学園祭が開かれていた。
 今年に入って被害申告があり、法務省は人権侵犯事件として調査を開始。勧告は元代表らの行為について「生命身体に危害を加えかねない気勢を示して畏怖(いふ)させた」と違法性を認定。「人間としての尊厳を傷つけるもので、人権擁護上看過できない」として、元代表に対し、強い恐怖感や苦痛を与える違法なものと認識して反省し、今後同様の行為を行わないよう求めた。
 代理人の師岡康子弁護士は、今回の法務局の措置を評価した上で、「勧告に強制力はない。現行法制度では不特定の集団へのヘイトスピーチを違法と認定できないという欠陥もあり、行政が明確に人種差別撤廃の責務を負い、被害者救済の立場に立つ法整備が必要だ」と話した。
 ヘイトスピーチを巡り法務省は今年1月、「ヘイトスピーチに対する断固とした姿勢をアピールする」(上川陽子前法相)として、「ヘイトスピーチ、許さない。」と書かれたポスターを全国の法務局を通じて自治体に配布するなど、啓発活動に力を入れている。【和田武士、林田七恵】
法務省が公表した街宣の内容◇
<2008年11月9日>
「朝鮮人を日本からたたき出せ」
「犯罪朝鮮人を東京湾にたたき込め」
<2009年11月1日>
「我々は徹底的にやりますよ。朝鮮人の犯罪がなくなるまで、朝鮮人、犯罪朝鮮人を日本からたたき出すまで、我々は絶対に闘いをやめない」
<2011年11月6日>
「そこで聞いている朝鮮人ちょっと出て来いよ。たたき殺してみせるから出て来いよ。日本人をなめんじゃねえぞ、ゴキブリども」
「君たちもね、北朝鮮人のプライドがあるならちょっと出て来い。金正日のためにここでなぶり殺しにされろよ。殺してやるから出て来いよ」
「いつまでもいつまでも日本人が黙っていると思うなよ。お前たちはね、あまりにも多くの血を流しすぎた。次はね、我々がお前たちの血を流す番だ」


笹子トンネル事故 中日本高速の過失認定 横浜地裁
 二〇一二年十二月、山梨県の中央自動車道笹子トンネル上り線で天井板が崩落した事故で、死亡した九人のうち五人の遺族が中日本高速道路(名古屋市)と子会社の中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京(東京都新宿区)に約九億一千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が二十二日、横浜地裁であった。市村弘裁判長は「打音検査など入念な点検方法を採用するべきだったのに、双眼鏡による目視のみという方法を採用した過失があった」と認め、両社に計四億四千万円の支払いを命じた。
 市村裁判長は崩落原因を「設置から三十五年が経過し、経年劣化が進行した結果、天頂部のボルトが抜けた」と指摘。そのうえで、事故後の打音検査による緊急点検で千二百カ所以上のボルトに不具合が見つかったことを挙げ、事故三カ月前の一二年九月の点検で打音検査を行えば「不具合を発見できた可能性が高く、事故の発生を回避できた」と認めた。
 〇〇年の点検でボルトの脱落や緩みが明らかになっていたのに補修されていないことにも触れ、「経年劣化進行の可能性を軽視した」と批判した。
 事故は、山梨県警が業務上過失致死傷容疑で捜査中。原告は、両社の当時の役員四人に対しても損害賠償を求めており、判決は来年二月に言い渡される。
 中日本高速道路の宮池克人社長は二十二日の定例記者会見で「当社の過失を認めた判決を重く受け止めている。犠牲者に心からおわび申し上げるとともに冥福をお祈りする」と謝罪した。


笹子事故判決/トンネルの安全再徹底を
 ふだん車でトンネルを走行中、天井が落下するような事態を予想する人は誰もいない。
 自然災害でもないのに、巨大な道路設備が突然脱落し、利用者が死傷する。山梨県の中央自動車道笹子トンネルで3年前に起きた天井板の崩落事故は、ドライバーにとって全く想定外の出来事だった。
 交通インフラは安全が絶対条件である。構造物の老朽化や欠陥の放置など安全面の手落ちは、利用者に対する裏切りというしかない。
 横浜地裁はきのう、笹子トンネルを管理する中日本高速道路と子会社の責任を認め、被害者への損害賠償を命じた。運転者や同乗者ら9人が犠牲になった事故の重大さを思えば当然の司法判断だ。
 被告企業側は判決を受け入れ、謝罪と補償に誠意を持って当たるべきだ。悲劇を繰り返さないよう、安全管理の不備を改め、事故防止対策を徹底させねばならない。
 トンネルや橋などを管理する国や他の高速道路会社、地方自治体も事故を教訓とし、危険な箇所がないか入念に点検する必要がある。
 事故は3年前の12月2日朝に発生した。トンネル上部を覆うコンクリート製天井板が約140メートルにわたって崩落し、通り掛かった車3台が下敷きになって炎上し、芦屋市出身の20代の女性らが死亡した。
 天井板は、トンネル上部を換気通路とするため、ボルトで固定してつり下げられていた。国土交通省の専門家委員会は、ボルトを差し込む穴が深くて接着剤が行き渡らず、水分の影響を受け強度が低下していた−などとする報告書を公表した。
 報告書は、会社が12年間も十分な安全検査をせず、接着不足を確認しても原因究明を怠ったとも指摘している。判決も「双眼鏡による目視のみという点検方法を採用した過失があった。抜本的対策を講じれば事故は回避できた」と認定した。
 遺族の1人は事故3年の慰霊式で「あなたたちの誰か一人でもこの点検方法はおかしいと言ってくれていたら、家族は死なずに済んだ」と会社幹部に無念の思いをぶつけた。
 事故後、国交省は自治体が管理するトンネルなどに5年ごとの点検と診断を義務付けた。交通インフラに関わる全ての関係者が遺族の言葉を真摯(しんし)に受け止め、万全の措置を講じる責任を自覚してもらいたい。

仮カレ最終回/地球温暖化を考える/入試に国語

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Japon: feu vert à la relance de deux réacteurs nucléaires
Le gouverneur de la préfecture de Fukui (ouest du Japon) a donné mardi le feu vert à la relance de deux réacteurs de sa province, deux jours avant une nouvelle décision de justice, a annoncé la compagnie exploitante Kansai Electric Power.
Les deux unités en question, Takahama 3 et 4, sont actuellement sous le coup du jugement d’un tribunal local qui en a bloqué le redémarrage en avril au motif que le certificat technique accordé par le régulateur l’avait été de façon indue et non rationnelle.
L’Autorité de régulation avait estimé en décembre 2014 et confirmé en février 2015 que ces deux réacteurs répondaient aux critères plus sévères imposés aux installations nucléaires pour faire face aux risques de catastrophes naturelles et d’accidents critiques, en tirant les leçons du désastre de Fukushima en 2011.
Un autre jugement, à la suite d’un recours en appel de la part de la compagnie, est attendu jeudi et, s’il contredit la précédente décision, les réacteurs pourraient en théorie être relancés dans le courant du premier trimestre 2016.
Ce couple de deux unités de Takahama était le deuxième à obtenir le certificat de sûreté.
≪Le gouverneur s’est laissé convaincre que la sécurité était assurée à Takahama, mais c’est une illusion≫, a réagi Mamoru Sekiguchi, membre de l’organisation écologique Greenpeace, dans un courriel adressé à l’AFP.
≪Il est clair que Kansai Electric et le gouvernement de Shinzo Abe ont mis une pression énorme sur la préfecture de Fukui pour obtenir l’approbation, mais c’est cette même négligence sur les questions de sécurité qui a conduit à l’accident de Fukushima en mars 2011≫, s’agace-t-il.
Après cette catastrophe, tous les réacteurs de l’archipel avaient été éteints progressivement (les deux derniers en septembre 2013) pour maintenance de routine et amélioration de leur sûreté.
Pour le moment, sur les 43 réacteurs restant au Japon (après la décision d’en démanteler 11, dont les six condamnés de Fukushima Daiichi), seulement deux (Sendai 1 et 2) fonctionnent, l’un depuis août, l’autre depuis octobre. Ce même mois, le gouverneur de la préfecture d’Ehime (sud-ouest) avait approuvé la remise en exploitation de la tranche numéro 3 de la centrale d’Ikata exploitée par la compagnie Shikoku Electric Power, redémarrage qui pourrait intervenir au printemps.
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偏った報道の奔流に惑わされてはならない。 河童の川流れ
著者の赤祖父俊一氏は、今、世界中で喧伝されている地球温暖化の定説に対して、”誤った地球温暖化論に惑わされてはならない”と警告している。
本書では、国際気候変動パネル(IPCC)(Intergovernmental Panel on Climate Change )が、科学的な学問として地球温暖化を検証していないことを、多くのデータなどを提示しながら危惧している。
IPCCがイギリスで発足した当時の目的が、原子力発電技術を売り込むための組織だったことなどにも疑問を持つていることにも触れているから、ますますIPCCに対して不信感を持ってしまった。
IPCCが小氷河期(1400年頃から1800年頃まで)について重要視してないことが理解できないとも書いている。
何故なら地球温暖化が大気中の炭酸ガスが急増した1940年ごろから始まったのではなく、1800年代からすでに始まっていたから、小氷河期を無視することはできないからである。
著者は、現在進行中の温暖化が総て人類活動で放出された炭酸ガスが原因ではなく、地球の自然変動であると書いている。
勿論、1940年頃からの炭酸ガスの影響も含まれているが、少なくとも六分の一程度ではないか、と本書のはしがきで書いていた。
著者が本書の巻末で、地球温暖化対策も大切かも知れないが、グローバル市場主義社会がもたらした格差社会での貧困国家救済などのほうが喫緊な門題だと説いていた。
本書を読む前に、「歴史を変えた気候大変動」、(ブライアン・フェイガン著)も読んでいたので、著者の学説には真実に迫る説得力があった。

プレミアムよるドラマ 仮カレ(8)「女たちの本命」
日下部(眞島秀和)に結婚の承諾を伝えた杏(相武紗季)は、直人(塚本高史)が会社を辞めたと知って驚いた。そのうえ杏は、沙耶(古畑星夏)から今後は直人に一切近づかないで欲しいと言われ、なぜかいらだつ自分の気持ちに戸惑ってしまう。美樹(中越典子)は見合い結婚を断り佐野(田中直樹)との復縁を考えるが、あらためて瞬(白洲迅)に本心を問われて答えに窮する。はたして杏と美樹は、本命の相手を見つけられるのか?
相武紗季,中越典子,塚本高史,白洲迅,古畑星夏,小宮有紗,我妻三輪子,田中直樹,木南晴夏,眞島秀和,秋山菜津子,千葉哲也
大林利江子


毎週楽しみに見ていた仮カレが最終回です.Aikoのプラマイもとてもいいのですが,わたしは相武紗季が演じる豊島杏になりきって見ています.杏の結末は何となく予想できたのですが,原田美樹役の中越典子と筧鈴子役の秋山菜津子に関してはどうなるか全く見当つきませんでした.高原瞬役の白洲迅と日下部仁役の眞島秀和はとてもカッコいいですね♪
地球温暖化の赤祖父俊一氏の本を読みました.とてもわかりやすいです.要するに御用学者たちがCO2のせいにしているのであって真実はそうではなく研究をもっと続けるべきであると理解しました.広瀬隆の本も読んでみたいと思っています.
わたしが卒業した大学でいつの間にか国語が必須になってました.ガ〜ン.ショック.でも2度と受験しないから県警ないですけどね.

<BRT復旧>気仙沼線 結論は越年へ
 東日本大震災で被災し、バス高速輸送システム(BRT)で仮復旧したJR気仙沼線と大船渡線の復旧方針をめぐり、国や岩手、宮城両県、関係市町などによる沿線自治体首長会議が25日、東京都内で開かれる。JR東日本が提案しているBRTによる本格復旧について、大船渡線は沿線3市が受け入れる見通しだ。気仙沼線の結論は来年に持ち越される可能性が大きい。
 大船渡線では戸田公明大船渡市長が18日にJR東の本社を訪れ「具体的な協議を早く始めたい」と提案受け入れを表明。陸前高田市、気仙沼市もおおむね容認しており、首長会議では住民懇談会などで出た意見を伝える予定。
 気仙沼線では沿線の宮城県内3市町のうち、気仙沼市はJR東と個別に交渉。これまでに提案了承の条件として「鉄道が果たした地域振興機能の回復」などを求めた。
 関係者によると、市は海水浴場周辺の観光施設の整備に対する資金支援や宿泊施設の運営などを要望。交渉は難航し、菅原茂市長は11日の記者会見で「年内で結論が出るかは不透明」と述べた。
 登米市と南三陸町はBRTによる本格復旧を容認している。被災した町中心部にBRTの駅を置く計画を進めている佐藤仁南三陸町長は「まちづくりに影響する。首長会議は年内で終わりにすべきだ」と訴える。
 首長会議は国土交通省主催で、JR東の提案があった前回(7月)の会議では、鉄路復旧かBRTによる本格復旧か次回会議で決めるとしていた。
 BRTで仮復旧しているのは大船渡線気仙沼−盛(大船渡市)の43.7キロと、気仙沼線柳津(登米市)−気仙沼の55.3キロ。


仮設に一足早くXマスプレゼント
 住宅大手の三井ホーム(東京)やボランティアらでつくる「被災家族に贈り物を届ける会」は19、20の両日、東日本大震災で被害を受けた石巻市や女川町などの仮設住宅を回り、一足早いクリスマスプレゼントを贈った。
 石巻市沢田の石巻バイパス仮設住宅西地区集会所には、サンタクロースなどに扮(ふん)した会員ら約10人が訪問。同仮設住宅の入居者ら約30人にマジックショーを披露し、文房具や絵本、童話を手渡した。子どもたちは歓声を上げて喜んだ。
 西地区自治会長の中村熊夫さん(72)は「たくさん人が集まってくれて安心した。プレゼントの贈呈を通じ、子どもたちの楽しそうな姿を見ることができうれしい」と感謝した。
 届ける会は震災後、三井ホームが建設に携わった石巻地方の仮設住宅などで支援を展開している。


<原子力PR看板>撤去作業始まる
 東京電力福島第1原発が立地し、原発事故で大半が帰還困難区域の福島県双葉町は21日、2カ所に設置していた原子力PR看板の撤去を始めた。町民に募集した標語を掲げ、原発との共生を目指した町の象徴だった。工期は来年1月10日まで。将来の展示も視野に復元可能な形で保管する。
 国道6号に面した町体育館前の看板(1988年設置)の撤去に着手。作業員が高所作業車に乗り、看板の表裏にはめ込まれた「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」のアクリル製の文字板を取り外した。
 小学生のときに「明るい未来」の標語を考え、現地保存を求めてきた大沼勇治さん(39)が作業を見守った。妻と2人で「撤去が復興?」「過去は消せず」と書いた紙を手に「悔しい。悲しい歴史、痛みを共有し、伝えるために現地で残してほしかった。将来、必ず復元・展示されるよう注視し、見届ける」と語った。
 町体育館前の作業は数日で終え、年明けに町役場入り口の看板(91年設置)を撤去する。幅15〜17メートルの看板部分は三つに切断し、文字板や支柱と一緒に町役場倉庫に保管する。
 双葉町は3月、老朽化を理由に看板の完全撤去を表明。大沼さんが保存を求める署名を提出したことを受け、方針を転換した。


<回顧みやぎ>安全性と魅力向上期待
◎(4)蔵王山に初の火口周辺警報
<そのとき>
 蔵王山(蔵王連峰)の火口湖「お釜」を目指し、山麓から駆け上がる自転車レース「日本の蔵王ヒルクライム」。お釜の白濁、火山性微動といった火山活動の高まりから、主催の蔵王町などが5月の大会の休止を決めた記事を書いたのはことし1月だった。
 気象庁は蔵王山の警戒水準を最も低い「噴火予報」に据え置いたが、「水蒸気噴火は予測困難で、競技者や運営スタッフの安全確保が最優先」と判断した。昨年9月の御嶽山噴火もあり、観光を掲げる町の安全重視の素早い対応に正直、「やるじゃん」と思った。
 そして4月13日。蔵王山に初の「火口周辺警報」が発令された。5月の大会の休止は正解だった。
 ただ、観光面に神経を使う一方、町民への周知と対策は遅れ、「何だかなあ」と首をかしげざるを得なかった。最大の懸念は、冬に噴火した際に発生する融雪型火山泥流。噴火の熱が雪を大量に溶かし、土砂や岩石を巻き込んで、川沿いや谷筋を高速で流れ落ちる。
 東日本大震災の津波に匹敵する危機感を持ち、避難計画を迅速に策定すべきだと3月にコラムで訴えたが、町はのれんに腕押し。県庁や警察からも「蔵王町は随分とのんびりだね」とあきれるような声が聞こえてきた。
 幸い、警報は約2カ月後の6月16日に解除され、比較的静穏な状況にある。
<それから>
 町は今月上旬、融雪型火山泥流に備えた避難計画の住民説明会を終えた。被害が最大規模の場合、避難対象は町民の2割に当たる約2800人に上る。
 住民の命も、観光客の命も守る具体策を常に磨き上げる姿勢が不可欠だ。結果オーライは許されない。
 警報発令後、山麓の温泉地で客足が遠のいた。お釜から約5キロ、一軒宿の秘湯で知られる川崎町の峩々温泉も苦境にもがく。
 「宿の灯を消すわけにはいかない」と6代目館主の竹内宏之さん(40)。「火山活動の恵みとして温泉がある。湧き出る限り続ける」。前向きできっぱりとした口調に気概を見た。
 観光を楽しむには感覚的な要素を多分に含む。それでも、火口周辺警報が解除された今、旅先として蔵王をはなから除外するのは非科学的と感じる。
 ピンチをチャンスに変えるべく、観光地の安全性と魅力を高める取り組みもあちこちで始まった。正確な報道に努めながら、自ら足を運び応援したい。
(白石支局・瀬川元章、大河原支局・田柳暁)
[メモ]仙台管区気象台は4月13日、蔵王山に火口周辺警報を発令。蔵王と七ケ宿、川崎の3町はお釜周辺の想定火口域から1.2キロの範囲に避難勧告を出した。約10キロ離れた蔵王町の遠刈田温泉などでは宿泊キャンセルが相次いだ。警報は6月16日に解除され、想定火口域への立ち入りを自主規制する措置に切り替わった。同22日には蔵王エコーラインが全線開通。県などは安全と観光の両面で対策を打ち出したが、観光客の減少傾向が続く。


<南三陸防災庁舎>県に移譲 保存是非議論へ
 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町防災対策庁舎の建物を県に移譲する引き渡し式が22日、現地であった。震災から20年の2031年3月10日まで県が管理し、町は遺構として保存するか解体するか決める。
 町と県、工事関係者約30人が出席。献花の後、犠牲者に黙とうをささげた。佐藤仁町長は「町民が保存の是非を議論できる環境をつくりたい」とあいさつ。大塚大輔県震災復興・企画部長は「責任を持って建物を維持し、お返しする。町で時間をかけて話し合ってほしい」と述べた。
 防災庁舎では職員を含む43人が死亡、行方不明になった。村井嘉浩知事がことし1月に県有化を提案、町が6月に受け入れを表明した。県は本年度内に建物の腐食具合などを調べ、来年度中に補強工事を終える。


はつらつ年末 わくわく新年 いよいよ冬休み
 2学期制を敷く仙台市立の大半の小中学校で22日、冬休み前最後の登校日を迎えた。児童たちは間近に迫ったクリスマスやお正月に心を弾ませながら登校した。
 宮城野区の中野栄小(児童549人)は午前8時半から全校集会を開いた。菅原友子校長は「冬休みには新年の目標を立て、元気に過ごしてほしい」と呼び掛けた。
 集会後、児童は教室に戻り、休み中の宿題などを確認。2年3組では、子どもたちが家族に宛てて手作りした仙台うみの杜水族館の「招待状」を担任から受け取った。2年の桜井菜々子さん(8)は「招待状はおばあちゃんに渡し、イルカショーやペンギンを一緒に見に行きたい」と目を輝かせた。
 市教委によると、市内では市立の小中学校や支援学校計188校が23日から休みに入り、来年1月8日に授業を再開する。


震災で住宅半壊隠し販売 不動産会社を提訴
 東日本大震災で半壊以上と判定されたことを告げずに中古住宅を売ったとして、仙台市泉区の夫婦が21日までに、同市宮城野区の不動産会社に約320万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。
 訴えによると、夫婦は2012年4月、不動産会社から泉区の木造2階の住宅と土地約310平方メートルを計3250万円で購入。半年後、市から半壊以上の住宅を対象とした修繕状況調査書類が届き、住宅が被災していたことが分かった。
 夫婦側は「不動産会社は契約前に『被災していない』と説明しており、重要事項を告げずに販売した。地震で再び被害を受ける恐れがある」と主張する。
 同社側は「販売前のリフォームで震災による損傷部分は補修してあり、何ら問題はない」と話している。


<5度目の年の瀬>「最後まで見守りを」願う
◎2015被災地(2)退去進む仮設住宅(宮城県亘理町)
 年の瀬を刻一刻と告げる夕闇が、軒を連ねる仮設住宅を包む。住民が去って真っ暗な窓が並ぶ一角に、ほのかな明かりがともる。
 宮城県亘理町は集団移転先の整備が8月までに完了し、仮設住宅からの退去が加速する。仮設1126戸のうち、11月末現在の居住者は116世帯と1割ほどまで減った。
 町内最大の558戸が連なる公共ゾーン仮設住宅も9割近くが退去した。その一方、家庭の事情などで移転先が決まらず5度目の年越しを迎える住民もいる。
 先月ようやく退去できた50代の主婦は「以前は祭りなどを催してにぎやかだっただけに、転居者を見送るたびに寂しさが募った。今も残る住民と会う時、どんな言葉を掛けていいのかいつも悩む」と明かす。
 町内5カ所の仮設住宅は来年、5年の入居期限を順次迎える。住宅再建の工期が遅れている世帯を除き、退去の期日が迫る。前出の主婦は「全員が笑顔で新年を過ごせるよう、国は最後の1戸が出るまで見守ってほしい」と願う。


浜の担い手はネットで 若手漁師ら求人サイト
 宮城県内の若手漁師らでつくる一般社団法人「フィッシャーマン・ジャパン」(石巻市)は、水産業に特化したインターネットの求人サイト「フィッシャーマン・ジョブ」を開設した。多岐にわたる仕事を手軽に探せるよう一覧化し、浜の暮らしを伝える記事も載せた。東日本大震災の影響や高齢化による担い手不足の解消を目指す。
 サイトでは漁師や鮮魚店、水産加工会社といった幅広い業種のほか、勤務地や雇用形態などを検索できる。営業や企画、マーケティングなどの職種も載せる。
 求人情報と合わせて、雇用主の紹介文や仕事風景の写真を添える。石巻で活動するライターらが人柄や浜の文化、思い入れなどを盛り込んだ読み物に仕上げた。今後は移住者の体験談も紹介し、新規就業の参考にしてもらう。
 サイトには現在、石巻市と女川町の漁師、加工会社の計5件の求人を掲載。今後は宮城、岩手両県の10社ほどの掲載を予定する。
 求人を出した石巻市荻浜の漁業豊嶋純さん(34)は「繁忙期に手伝いを頼める人が少なくなった。浜を維持するためにも、挑戦心のある人に応募してほしい」と話す。
 フィッシャーマンの島本幸奈さん(24)は「漁師を希望しても、どうすれば仕事に就けるか分からない人もいると思う。水産業には幅広い職種があり、サイトで魅力や仕事内容を知ってほしい」とPRする。
 水産業の人手不足は深刻だ。水産白書によると、漁業就業者数(岩手、宮城、福島の被災3県を除く)は2012年までの10年間で32万人から17万人に激減。将来を担う20〜40代は15%にとどまる。
 フィッシャーマンは24年までに水産業への新規参入者を1000人増やす目標を掲げ、石巻市でシェアハウス整備などに取り組む。求人サイトは中小企業庁の地方向け人材確保支援事業で製作した。
 フィッシャーマンはサイトに掲載する求人も募っている。連絡先は0225(98)7091。


<港町を拓く>幸せ感じる音楽の街に
◎女川・商店街23日開業(下)新風
 東日本大震災の復興まちづくりが進む女川町中心部に、オリジナルブランドのエレキギター・ベースを生産する工房が誕生する。
 23日開業のテナント型商店街に入る「セッショナブル」だ。社長の梶屋陽介さん(32)が胸を弾ませて語る。
 「欲しくてどうしようもなくなる、世界で売れるギターを作りたい。雇用や利益を生みだし、女川に貢献したい」
 工房の敷地面積は約100平方メートル。木工機械などを備える。県産や北海道産の材木を使う予定。ギターはボディー部分とネック部分をつなぎ合わせて作る。結合には、陸前高田市の気仙大工の高い技術を生かす。
 震災前までは女川町に縁もゆかりもなかった。
 鹿児島県種子島の和牛農家に生まれ、島の濃密な人間関係の中で育った。大学卒業後、東京都内の大手楽器店に就職。ギターの販売などを担当した。
 震災時、津波の映像に衝撃を受け、居ても立ってもいられなかった。「東北に行かなければ」。被災地でボランティアとして支援物資の配布などをするうち、音楽でより貢献できないだろうか、と考えた。
 ギターの製造から小売りまでを自社で手掛けたい。梶屋さんがそんなビジネスモデルを模索していた際、創業支援をする女川町のNPO法人「アスヘノキボウ」代表の小松洋介さん(33)と出会った。
 「女川に来てみないか」。14年3月に誘いを受け、梶屋さんはすぐに事業計画書を持参した。小松さんは「現実味がある。本気でやるんだな」と感じた。
 梶屋さんは、ギター演奏が趣味の須田善明女川町長を紹介されて意気投合。工房を構える土地の確保や資金繰りで、公民の協力を得た。
 販路確保にも力を入れる。楽器店を辞め、14年11月、国産エレキギター・ベースの専門店を仙台市内にオープン。1カ月に20本ほどが売れているという。
 工房は当面、試作を重ね、生産環境を整える。来年2月をめどに働き手を採用し、早ければ来春にも製品の出荷を始める。将来的には1カ月に150本の生産を目指す。
 「地方へのIターンで起業するときは、地元に受け入れられることが大事。女川の皆さんが、その仕組みをつくってくれた。女川を音楽の街にし、少しでも人々の幸せに貢献したい」
 梶屋さんの思いが、港町に新たな息吹を吹き込む。


大川小の教訓を未来へ 遺族が都内で講演
 フォーラム「あの日の大川小学校の校庭に学ぶ」が20日、東京・神田のホールで開かれた。東日本大震災の津波で多数の犠牲者を出した石巻市大川小の出来事を首都圏の大学生らに伝え、未来の備えにつなげてもらおうと仙台市のNPO「KIDS NOW JAPAN(キッズナウジャパン)」が主催した。
 約100人が聴講した。大川小6年だった次女みずほさん=当時(12)=を亡くした元中学校教諭佐藤敏郎さん(52)=石巻市=らが講師を務めた。
 佐藤さんは、大川小の出来事を忘れてほしくない思いと、そっとしてほしいとの感情が入り交じる心境を吐露。複雑な思いを両立させる方法について、「あの時失われた子どもたちの命を意味付けすることだと思っている」と語り、大川小の教訓を未来につないでいくことの重要性を訴えた。


政治活動届け出 18歳選挙権にそぐわぬ
 「18歳選挙権」の実現を踏まえ、高校生の学校外での政治活動が認められたことに伴う新たな動きが起きている。毎日新聞の調査によると、デモや集会などの活動への生徒の参加について、九つの県や政令市の教育委員会が学校への届け出制の導入を検討しているという。
 文部科学省の新通知は校外での政治活動を解禁した。学校による関与を認めた範囲は限定的だけに、活動全般について届け出を義務づけることは過度の干渉となりかねない。生徒の主体性を尊重するという原則を教育界は再確認してほしい。
 高校生の政治活動について、文科省は学生運動が盛んだった1969年に学校側に出した通知を根拠に「教育的観点から望ましくない」として、学校の内外を問わず、制限してきた。選挙権年齢の20歳から18歳への引き下げに伴い、10月に出された新通知は、学校内の政治活動は従来通り禁止した。
 一方、校外での活動は「家庭の理解の下、生徒が判断して行う」と容認した。高校生の一部は有権者として選挙運動が認められるうえ、政治離れが目立つ若者の政治的関心を育むためにも、主体性を重んじていくことが必要との判断からだ。
 ところが、一部の教委はデモや集会参加の学校への届け出制を検討している。届け出制導入についての判断を学校に委ねる道県・政令市も11にのぼるという。
 今年は安保関連法に反対する学生らのデモが注目された。学校側として、活動を把握しなければ不安ということかもしれない。だが、たとえ「活動を妨げるものではない」と説明しても、学校による監視、抑制につながったり「集会やデモへの参加は好ましくない」とのメッセージと取られたりするおそれがある。
 確かに新通知は校外の政治活動であっても「必要かつ合理的な範囲内で制約を受ける」とし、場合によっては学校が禁止、制限できるとしている。ただし、そこでは「違法、暴力的なおそれが高い」「学業や生活に支障がある」などの事例が列挙されている。政治活動全般への学校の関与を是認したとは読み取りがたい。
 高校生は、18歳に達し校外で選挙運動に携わるケースも今後想定される。学校の関与が行きすぎれば、有権者の権利を侵害しかねない点もわきまえるべきだ。
 高校など教育現場は18歳選挙権導入に伴い、主権者教育と政治的中立をどう両立させていくかなどの課題にも向き合っている。手探り状態にある不安は理解できるが、若者が自主的に政治に関与していくことを尊重できないようでは「18歳選挙権」時代にそぐわない。


香川県、うどんかるた販売再開へ 「つ」の句、差し替えず
 香川県は22日、公募で選ばれた読み句の表現が不適切とのでいったん中止した「うどんかるた」の販売を、句を差し替えずに26日から再開すると発表した。内容をあらためて検討した結果、悪意や問題はないと判断した。
 「あ」から「ん」までの全46作品のうち、「つ」の「強いコシ色白太目まるで妻」の句が「悪いイメージで受け取られる可能性がある」と指摘され、15日の一般発売を延期。
 県職員や有識者ら5人でつくる選定委員会の再検討で「作者の意図は、大好きなうどん同様に妻をいとしむ気持ちをうどんの特長に込めたもの」などの意見があり、全員一致で当初の選定を維持することを決めた。


在日朝鮮人への脅迫的言動は人権侵犯 初の勧告
法務省は、右派系グループの元代表者らが、東京・小平市の朝鮮大学校の前で、在日朝鮮人2人に対し、脅迫する言動を行ったことは人権侵犯に当たるなどとして、この元代表者に対し、今後、同様の行為を行わないよう勧告しました。法務省によりますと、こうした事例で勧告を行うのは初めてだということです。
法務省と東京法務局の調べによりますと、この右派系グループの元代表者らは、平成20年から23年にかけて3回にわたり、東京・小平市の朝鮮大学校の校門の前で、校内にいた在日朝鮮人2人などに対し、脅迫する言動を繰り返し行ったということです。
法務省は、この2人からの申告を受けて調査を行った結果、右派系グループの元代表らの行為は、生命や身体に危害を加えかねない気勢を示し、被害者を畏怖させる違法なものであることに加えて、人間としての尊厳を傷つけるもので、人権擁護上、見過ごすことができない人権侵犯だと結論づけました。
これを受けて、法務省は、この元代表に対し、自己と異なる民族などと共生することの重要性を理解したうえで、みずからの行為が違法であることを認識し、反省するとともに、今後、決して同様の行為を行わないよう勧告しました。
法務省によりますと、大声を上げるなどして他人の権利を侵害する、こうした事例に対して、勧告を行うのは初めてだということです。


発信箱 同姓VS別姓じゃない=小国綾子
 負け惜しみ、と言われるかもしれない。夫婦別姓を認めない民法の規定に最高裁が「合憲」の判断を示した日、別姓が選べる日を待ち望んできた私は、それでも「一歩前進」と思った。裁判官15人中5人は「違憲」の意見を述べたというし、訴訟をきっかけに社会の理解は確かに進んだと信じられるから。
 NHKの世論調査で選択的夫婦別姓制度に過半数が反対するのは70代以上だけで、50代以下では賛成が6割を超えると分かった。姓が違っても深い絆で結ばれる家族の姿も紹介された。「自分は同姓を選ぶが、別姓を選ぶ自由は認められるべきだ」と考える人々が多いことも見えてきた。毎日新聞の世論調査の「自分ならば同姓・別姓のどちらを選ぶか」という質問に、73%が同姓、13%が別姓と答えた。一方、選択的夫婦別姓制度への賛成は51%、反対は36%。つまり少なからぬ「同姓派」が制度自体には賛成というわけだ。
 別姓問題の本質は「同姓・別姓のどちらが良いか」ではなく、「自由に選べる制度が良いか」「自分と違う他者の選択を容認できるか」だということが、以前より明確に見えてきた。
 結婚や出産をめぐる価値観はさまざまだ。自分と異なる選択をした人に出会った時、自分が否定された気がして、つい相手の選択を否定したくなることだってあるだろう。だけど、「私がそれを選ばないとしても、誰もが自由に選べる社会の方がいい」ときっぱり言える人はすてきだと思う。
 多様な家族のあり方を認め合える社会の方が誰にとっても生きやすい。そんな仲間が着実に増えている。「違憲」判断は出なかったけれど、そう信じられた年の暮れだった。(夕刊編集部)


笹子トンネル事故 会社側の過失認め賠償命じる判決
3年前、中央自動車道の笹子トンネルで起きた天井板の崩落事故で、死亡した5人の遺族がトンネルを管理する中日本高速道路などに損害賠償を求めていた裁判で、横浜地方裁判所は「有効な点検を行っていれば事故を回避することができた」として会社側の過失を認め、合わせて4億4000万円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。
平成24年12月、山梨県の中央自動車道の笹子トンネルで天井板が崩落した事故で、死亡した9人のうち東京都内に住む27歳から28歳の男女5人の遺族合わせて12人がトンネルを管理する「中日本高速道路」と安全点検を行う子会社の「中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京」に9億1000万円余りの損害賠償を求めていました。
裁判で、遺族は「事故の3か月前の点検で、天井板を固定していたトンネル上部のボルトの周辺をハンマーでたたいて異常がないかを確認する打音検査など十分な点検を行っていれば、事故を防ぐことができた」などと主張したのに対し、中日本高速道路などは「事故を予測することはできなかった」などとして会社側に過失はなかったと反論していました。
22日の判決で、横浜地方裁判所の市村弘裁判長は「平成12年と13年に行われた打音検査などで一部のボルトに経年劣化による不具合が見つかり、会社側は打音検査の有効性を認識していたにもかかわらず、その後、今回事故があったトンネルの上部については点検を実施していなかった」と指摘しました。そのうえで、「打音検査など目視以外の有効な点検を行っていれば、天井板が崩落する危険性を予測し事故を回避することができたにもかかわらず、これを怠っていた」として会社側の過失を認め、合わせて4億4000万円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。
遺族「判決は自分たちの気持ちにそった内容」
判決を受けて、亡くなった石川友梨さん(当時28)の父親の石川信一さんは「判決は自分たちの気持ちにそった内容で、うれしいし満足しています。娘には『お父さんとお母さん、やったよ』と思わず呼びかけました。判決が出たからには、会社側は素直に受け入れていただき、控訴しないでほしい」と話していました。母親の佳子さんは、友梨さんの遺影を手にして、「事故からの3年間は長かったような短かったような感じですが、ここまでやってきてよかったと感じました」と話していました。
亡くなった松本玲さん(当時28)の父親の松本邦夫さんは「民事裁判では、原因の究明と責任の所在、それに、再発防止を求めてきた。今回の判決は維持管理が不適切だったことを明確に指摘し、インフラの維持管理には万全の配慮をすべきだと具体的な指摘をしてくれたと思う。勝訴の判決が出たが、娘が帰ってくるわけではないので無念さは残るが、判決を聞いたときはうれしく思った。娘の遺影の前に判決文を供えて報告したい」と話していました。また、母親の松本和代さんは「親としてできることは何かと問い続けてきた結果が裁判に取り組むことだった。娘には『これまで主張してきたことが裁判所でも認められたよ』と報告したいが、『あなたの声が聞こえない、あなたからメールが来なくて悲しい』ということも伝えたいと思います」と涙を流しながら話していました。
弁護士「遺族の気持ちに真摯に」
判決を受けて、遺族側の主任弁護士を務める立川正雄弁護士は「判決内容は会社側に過失があったと具体的に指摘している。会社側には遺族の気持ちを真摯(しんし)にくみ取って、前向きに原因を究明してもらいたかったが、応じてもらえなかったのは残念だ。賠償の金額については、裁判所として遺族の気持ちを考えたうえで、判断できる上限を認めてくれたと認識している」と話していました。
中日本高速道路社長「重く受け止める」
中日本高速道路の宮池克人社長は、名古屋市の本社で記者会見し、「今回の事故は決してあってはならず、亡くなった皆様に心からおわびするとともにご冥福をお祈りしたい」と述べ改めて陳謝しました。
そのうえで判決について、宮池社長は「当社の過失を認め損害賠償を命じる内容であり、このような判決に至ったことを重く受け止めている」とする一方で、今後の対応については、「まだ判決の詳細な内容を十分に把握していないので、しっかりと精査して考えていきたい」と述べるにとどめました。
子会社「判決内容を十分に検討のうえ対応」
判決を受けて、中日本高速道路の子会社で安全点検を行う、中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京は「改めて笹子トンネル事故でお亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。判決内容を十分に検討のうえ、今後、対応したいと考えています」とコメントしています。
安全対策の現状は
国土交通省によりますと、笹子トンネルと同じ天井板がつり下げられ、アンカーボルトを接着剤で固定している同じような構造のトンネルは、事故直後には全国で16ありましたが、このうち12のトンネルではすでに撤去されています。残る4つのトンネルのうち、阪神高速道路の神戸長田トンネルの上りと下りについては来年2月上旬までに撤去されることが決まっています。一方、首都高速道路の中央環状線飛鳥山トンネルの内回りと外回りについては、ボルトに加えてワイヤーで天井板をつる二重の対策をとっていて、天井板は撤去しないということです。
また、事故を受けて国土交通省は全国に1万余りあるトンネルと72万余りある橋について、去年7月から各高速道路会社や自治体などに、5年に1度、目視で定期点検を行うことを義務づけました。ことし3月末の時点でトンネルでは全体の13%で点検を終えていて、このうち各高速道路会社が管理する1889のトンネルでは、2割弱の点検が終了し、そのおよそ40%で補修や対策が必要な箇所が見つかり、トンネル内の表示板やファンを固定し直したり、補修工事をしたりするなどの対策が進められているということです。
また、橋は全体のおよそ9%で点検が終わり、このうち▽国や自治体が管理する橋の15%前後、▽高速道路会社が管理する橋の10%近くで橋桁がさびたり、橋脚がひび割れたりするなどの補修が必要な箇所が見つかったということです。
ただ、自治体などが補修を行うには、財源や人材をどう確保するかという課題があり、国土交通省は専門的な技術を持つ職員の派遣や財政的な支援を行っています。また、各高速道路会社も今年度から合わせておよそ4兆円をかけて、トンネルの補修や老朽化した橋の架け替えなど、大規模な改修工事を進めています

2016手帳/話がうまい/れぽが残念

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En Chine, une catastrophe pas très naturelle
≪Le problème, ce ne sont pas les normes, c’est leur non-respect≫, estime le géographe Thierry Sanjuan, après la coulée de boue qui a ravagé dimanche un quartier en périphérie de Shenzhen, faisant environ 85 disparus.
Des dizaines d’immeubles emportés par une mer de boue rouge : les images en provenance de Shenzhen (dans le sud est de la Chine), dimanche, étaient impressionnantes. Le bilan humain, lui, revu légèrement à la baisse lundi après-midi, serait de 85 disparus. Ce glissement de terrain n’a rien d’une catastrophe naturelle : la colline qui s’est écroulée était constituée de l’amas de terres excavées pour les immenses besoins immobiliers de la ville, construite sur ce qui fut longtemps un paysage de collines.
Située au bord du delta de la Rivière des Perles et à la frontière avec la péninsule de Hongkong, la municipalité rurale de Shenzhen, devenue ≪zone économique spéciale≫ en 1980, compte aujourd’hui 10 millions d’habitants. ≪Depuis vingt ans, Shenzhen est devenu une vraie ville, qui fonctionne comme une banlieue de Hongkong. En montant en gamme, elle a repoussé vers ses périphéries tout ce qui la gêne et prend de la place, comme les usines, les stades, les aéroports ou les décharges≫, analyse le géographe Thierry Sanjuan (1).
C’est dans une de ces zones périurbaines, à une trentaine de kilomètres du centre, que s’est produit le glissement de terrain dimanche. Selon l’agence de presse officielle Chine nouvelle, 33 bâtiments ont été touchés sur une surface de 380 000 m2, dont 14 usines, 2 immeubles de bureaux et 3 dortoirs d’ouvriers, l’explosion d’un pipeline de gaz naturel aggravant l’accident. Lundi, près de 3 000 secouristes, des dizaines de pelleteuses et de camions de pompiers continuaient à sonder sur une profondeur d'une dizaine de mètres de boue, à la recherche de rescapés. Neuf cents personnes ont pu être évacuées à temps, l'éboulement s'étant produit un peu avant midi. La plupart des victimes sont des ouvriers isolés venus de la campagne vivre et travailler dans la mégalopole.
≪Les leçons tirées ne doivent pas être oubliées≫
≪Même si peu de résidents permanents ont été touchés, puisque ce sont surtout des migrants qui vivent là, une catastrophe de ce genre ne passe plus inaperçue aujourd’hui en Chine, affirme Thierry Sanjuan. La population urbaine est devenue très sensible aux questions environnementales, notamment la pollution de l’air et la destruction des espaces périurbains, gagnés au détriment des communautés rurales. Il semble dans ce cas que les autorités locales ont signé l’autorisation de décharge à un promoteur immobilier, ce qui, dans la tête des Chinois, veut dire qu’il y a eu du bakchich.≫
Dans son éditorial de lundi, le Global Times, site d’information progouvernemental en anglais, établit un parallèle avec la catastrophe de Tianjin, en août dernier, qui a fait 173 morts et 800 blessés, après l’explosion d’un entrepôt de produits chimiques situé à 500 mètres de zones résidentielles : ≪Les dégâts causés par ces accidents sont extrêmement regrettables et les leçons tirées ne doivent pas être oubliées≫, écrit le journal, pour qui les entreprises chinoises ≪doivent considérer la sécurité comme une priorité≫. Certes, cela ≪va bien sûr augmenter les coûts pour le secteur manufacturier≫, mais ce ≪serait en accord avec la stratégie qui veut faire passer la Chine du statut d"usine mondiale" à celui d’une nation industrialisée avancée d’ici 2025≫.
Comme le rappelle Thierry Sanjuan, l’Etat central a créé en 2008 un ministère de l’Environnement et édicté des règles de sécurité : ≪Le problème, ce ne sont pas les normes, c’est leur non-respect, dû souvent à une collusion entre les gouvernements locaux et des entreprises qui leur sont plus ou moins liées. Dans le cas de Tianjin, un des actionnaires de la société qui stockait des produits explosifs près du port était le fils d’un des directeurs du port. Et comme nous sommes dans un Etat autoritaire et opaque, il n’y a pas de logique systématique et efficace de vérification des normes. L’Etat central va désigner des officiels locaux comme irresponsables, l’échelon local sera le fusible, et ça n’ira pas plus loin. La conscience politique du risque se heurte encore à la volonté de faire du développement et de l’argent à tout prix.≫
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今日から2016年の手帳を使い始めます.まだ真っ白な手帳に書き込んでいくのは何ともいい感じです.
今日はジツジツがないので,Yaさんのお話を聞きに行きました.話がうまいです♪マネしたいところです.
一方でれぽはとても残念でした.

手掛かり家族に 気仙沼で一斉捜索
 宮城県気仙沼市の一般社団法人気仙沼復興協会は20日、同市波路上明戸の海岸で東日本大震災の行方不明者の一斉捜索を実施した。防潮堤工事が始まるなどして捜索場所が限られる中、手掛かりを家族の元に帰そうと目を凝らした。
 防潮堤代わりの土のうが並べられた海岸線約500メートルを捜索した。スタッフとボランティアの計18人が浜辺にたまった堆積物を熊手でかき分け、人骨とみられる骨10本を見つけた。
 ボランティアで参加した山本克美さん(47)は横浜市からの派遣職員として気仙沼市教委に勤務している。「震災を風化させず、少しでも復興が進むよう手伝いたい」と手を動かした。
 市内の行方不明者は220人に上る。震災から4年9カ月となる11日の捜索は雨で見合わせ、この日に延期した。協会スタッフの福岡麻子さん(38)は「手掛かりが毎回見つかり、地道に続ける大切さを実感している。今後も月1回の捜索を重ねたい」と語った。


<高台移転>財源不足…跡地利用進まず
 東日本大震災で被災した岩手県の沿岸部の市町村で、宅地などが高台に集団移転した跡地の活用が進んでいない。利用計画を策定しても事業費の財源確保は難関だ。跡地内には民有地と公有地が点在し、集約が思うように進まない。放置が続けば、更地だけが残ることになる。自治体は、復興交付金の柔軟な運用や税制の特例措置を求める。(山形聡子)
<交付金の対象外>
 大船渡市の越喜来地区。津波で被災し、市は高台に移転した越喜来小と宅地の跡地を多目的広場とする方針で住民が合意した。分散した住民が集う場所にする計画だが、具体化していない。大きな壁は財源不足だ。
 市は整備費用として国に復興交付金を申請したが、規模の大きさや周辺の高台に既存のグラウンドがあることを理由に対象外となった。
 市被災跡地利用推進室の担当者は「このままでは、ただの更地になる恐れがある。民間資金の活用や規模の再検討などで工夫したい」と対応に苦慮する。
 防災集団移転促進事業を実施した7市町村に県が調査したところ、移転した72地区のうち、土地利用計画を決めたのは20地区(28%)にとどまる。策定中は37地区(51%)、未検討は8地区(11%)、事業の実施予定なしが7地区(10%)だった。
 大船渡市は26地区のうち12地区で土地利用計画を作る方針。これまでに策定されたのは、5地区だけとなっている。
<公地と民地混在>
 跡地の一体的整備が難しいことも計画が進まない要因だ。市町村が買い取った土地と取得対象にならない民有地が混在し、権利が複雑化している。
 国は取得した土地と民有地の交換で集約を図る方針。交換先となる土地は住宅などがあった跡地で、建物の基礎部分が残っていたり、道路との段差があったりする。地権者が新たに活用する場合、撤去費や整備の費用が自己負担となる公算が大きい。
 民有地の地権者には負担感が生じ「交換するメリットが見いだせない」(市被災跡地利用推進室)。交換した場合、課税対象となることも足かせになっている。
 計画が決まっても事業が進まないことで、ほかの地区の計画策定に影響が出始めている。市は「財政支援がどこまで得られるか国の動向を見極める必要がある」とし、策定への協議は足踏みが続く。
 県は12月初め、交換対象となる民有地の地権者への課税免除や、復興交付金の柔軟運用を国に要請した。県まちづくり再生課は「現場の状況に応じた柔軟な制度設計を求めたい」と対応を急ぐ。
[メ モ]防災集団移転促進事業で移転すると、宅地や隣接農地は市町村が買い取り公有地となる。店舗や工場跡地は買い取り対象外で民有地のままとなる。市町村は跡地の利用計画を策定する区域の民有地と区域外にある公有地を交換。区域内で公有地を増やして集約を図る方針。交換する際には、民有地の地権者に土地価格の3%相当の不動産取得税が課される。


<5度目の年の瀬>すくすく五歳の浜娘
 被災地は震災から5度目の年の瀬を迎えた。復興を願う人々は新年を前に何を思うのか。各地の暮らしや営み、風景を追う。
◎被災地(1)新酒の仕込み(盛岡市)
 真新しいタンクに、伝統の酵母が息づく。
 東日本大震災で酒蔵が被災した岩手県大槌町の赤武酒造は2013年、盛岡市に新工場を構えた。真冬を迎え、大槌の地酒「浜娘」の仕込みが続く。
 震災で大槌の蔵は全壊。一度は廃業を決めた。「浜娘を早く飲みたい」。得意先の励ましに心が動き、再開を決意した。11年と翌年は盛岡の酒蔵で仕込んだ。
 「復活蔵」。新工場はこう名付けた。復興へ歩む意志を込めて。
 古舘秀峰社長(50)は20〜30代の社員7人に勘所を教えながら、酒造りに打ち込む。酒のラベルには震災からの年数を記す。ことしの新酒は「五歳」だ。
 昨年、酒造りの中心となる杜氏(とうじ)を長男の龍之介さん(23)に譲った。古舘社長は「わが子のような五歳の浜娘。年齢を重ねるたびに、おいしくなってほしいね」と目を細めた。


<港町を拓く>故郷のため腕を振るう
◎女川・商店街23日開業(中)大願
 腕を振るった料理をテーブルへ運ぶ。ハンバーグにナポリタン、オムライス…。香ばしい匂いが食欲をそそる。
 洋食屋「りぼん」の店長山田隆大さん(24)。宮城県女川町の町民野球場仮設住宅内のコンテナに2014年5月、店を構えた。1人で切り盛りし、「充実感とともに重圧があります」
 女川町に生まれ、子どものころから洋食店を開くことを夢見ていた。町内にあった洋食屋がお気に入りで、ハンバーグやパスタが大好きだった。石巻市内の高校を卒業後、仙台市内の専門学校で調理師の免許を取った。
 東日本大震災が発生したあの日。当時20歳だった山田さんは仙台市内にいた。就職先の飲食店で研修中に大きな揺れに見舞われた。町で暮らす家族らは無事だと確認できた。
 仕事を休み、古里へ帰ったのは、約1カ月後の4月中旬ごろ。町中心部は、がれきの山。楽しい思い出が詰まった洋食屋も被災した。言葉にならなかった。
 友人が津波で亡くなった。小中学校を共に過ごした仲。震災前の成人式で「春休みに帰省したら酒でも飲もう」と約束していた。
 自分は憧れだった料理人をしている。友人にも将来があったはず。世の無常を感じ、仕事をするにも気力が湧いてこなかった。
 飲食店を辞め、仙台で居酒屋のアルバイトなどをして過ごした。12年初めごろ、転機が訪れる。「料理人として女川町の力にならないか」。家族を通じてそんな誘いが舞い込んだ。
 故郷の復興に貢献できる好機ではないか。生かされた者の責任ではないか。山田さんはバイトで開業資金をため始める。13年春、起業を志す人らが参加した町内のイベントで「30歳になる21年に店を出す」と誓った。1年で通帳の蓄えは約160万円となっていた。
 店の開店は宣言より7年も早く訪れた。仮設住宅のコンテナ活用の話があり、町内の創業を支援する関係者らがサポートしてくれた。店名のりぼんに「いろいろな人の縁がつながればいい」との願いを込めた。
 23日に開業するテナント型商店街に移り、新店舗を構える。地元で水揚げされた新鮮な海産物を生かした料理、スペインの居酒屋「バル」をイメージした料理などメニューを練る。
 町の復興のため、Uターンしての開店。「一人でも多くの人が女川とつながってほしい」と望む。


よしもと制作「泣がぃん」舞台の気仙沼で上映
 宮城県気仙沼市を舞台に大手芸能プロダクション・よしもとクリエイティブエージェンシーが制作した地域発信型映画「泣がぃん」が23日、同市本吉町のはまなすホールで上映される。菊池清嗣監督や主演で芸人のあべこうじさんらがあいさつするほか、映画出演者によるお笑いライブもある。
 会社員や経営者ら市民が昨年末、映画を通じて全国への地域情報発信を目指す「気仙沼鮫(フカ)イイ映画制作実行委員会」を組織し、制作に協力。今回の上映会を主催した。映画にはメンバーや多くの市民が出演した。
 「泣がぃん」は地元の言葉で「泣きなさい」の意味。作品はことし3月に開かれた沖縄国際映画祭で好評を得て、いわば「凱旋(がいせん)」上映会になる。
 第1部はあべさん、お笑いコンビ「しずる」「爆笑コメディアンズ」によるお笑いライブで、第2部が舞台あいさつとトーク、映画上映(20分)の予定だ。
 実行委の堺丈明委員長は「東日本大震災から立ち上がろうとする人物の姿は、震災後の気仙沼の記録でもある。市民に映画を楽しんで元気になってもらいたい」と話す。
 入場料は1500円(前売り)。当日券も同額で準備する予定。連絡先は堺さん090(5231)4901。


<復興祈念公園>追悼と協働 コンセプト
 宮城県南三陸町は20日、東日本大震災で被災した志津川市街地の八幡川西側に整備する復興祈念公園の住民説明会を町内で開いた。住民約40人が参加し、慰霊碑を置く築山や鎮魂の森を盛り込んだ基本設計案が示された。来年度着工し、2018年度の完成を予定する。
 公園は旧JR気仙沼線と八幡川、新国道45号に囲まれた6.1ヘクタールに整備する。コンセプトは犠牲者への追悼と記憶の継承と、自然への感謝と住民との協働。
 高さ約20メートルの築山に「祈りの丘」を設け、慰霊碑を置く。丘は250平方メートルで約130人が災害時に避難可能。物資を備蓄するベンチなどの設置も検討する。
 31年まで県有化される防災対策庁舎周辺はメモリアルゾーンの位置付け。本庁舎の基礎部分も残し、震災前の市街地の高さを知ってもらう。広場には地震発生から津波が最高到達になるまでの時間経過を距離に置き換えて示す「記憶のみち」を敷設する。
 鎮魂の森「みらいの森」には住民らがツバキやタブノキを植える。住民からは「支援をもらった世界中の木々を植えるのはどうか」といった意見が出た。
 設計した奈良女子大の宮城俊作教授(住環境学)が「工事が終わってからが公園の始まり。住民の手で造り上げていってほしい」と呼び掛けた。


<復元オオカミ絵>地域のぬくもり継承
◎失われた遺産 絆がつなぐ(下)新しい当事者
<保存画像を分析>
 「怖いものでなく、人に身近な場所で一緒に暮らしている。そんなオオカミたちの姿が表現され、飯舘の自然の豊かさを感じた」
 ことし4月上旬、東京・上野にある東京芸術大保存修復日本画研究室で、准教授の荒井経さんは語った。見せてくれたのは、杉板に自ら描いたオオカミの真新しい絵。福島県飯舘村佐須の山津見神社拝殿にあった天井の絵(計237枚)の復元を試みた、最初の1枚だった。
 2013年4月の火災で拝殿が焼失する直前、和歌山大観光学部の特任助教サイモン・ワーンさん(59)が撮った保存画像から絵の特徴、画風を分析し、日本画の伝統技法で再現した。
 依頼したのは、ワーンさんと一緒にオオカミ絵を調べた同大教授加藤久美さん(55)。「貴重な遺産の復元を」と氏子会の住民や支援者たちに訴え、14年夏にいったん検討が始まった。が、中心だった禰宜(ねぎ)の久米順之さん(47)が事情あって神社を退職し、話は頓挫した。加藤さんが最後の頼みとした人が、専門家の荒井さんだった。
 6月21日、火災から2年2カ月ぶりに再建された山津見神社を、保存修復日本画研究室の院生たちが訪ねた。「復元作業に携わる前に、オオカミ絵の古里で、(東京電力福島第1)原発事故被災地である現地を見て感じてほしい」という荒井さんの希望だった。
 一行は新しい拝殿の天井を仰ぎ、山の神が鎮座する裏手の虎捕山に登り、無人の佐須の集落を見た。伊達市に避難中の氏子総代菅野永徳さん(75)から「絵はわれわれの歴史。次代につなぎたい」との願いを聴いた。
 研究室に約20人が集い、作業の絵筆を執ったのは8月。「失ったものを取り戻すのでなく、絵が伝えた人と土地のぬくもりを、一人一人が現代の画家として受け継ごう」(荒井さん)という形の復元を志し、保存画像の絵と向き合った。
<途切れない客足>
 再建された山津見神社で例大祭が催された11月28日、佐須公民館には朝から客が途切れなかった。復元の第1期分としてオオカミ絵100枚が完成し、地元で披露されたのだ。「奇跡のようだ。避難先の仲間が60人も見にきた。佐須の人の心もよみがえらせてくれた」と菅野さんは喜んだ。
 研究室でオオカミ絵を制作した修士1年の林宏樹さん(24)はお披露目の場に立ち会い、胸を熱くした。
 埼玉県出身で11年春に芸大に入ったが、震災と原発事故で入学式は中止に。「トラウマを抱え、絵筆で何ができるかと考え続けた。4年の時に浜通りの無人の被災地を訪ねたが、見えないものの恐怖に震えて、何も描けなかった」
 復元を通して飯舘村に関わり、「模索した絵を地元の人々に受け入れてもらえた。自分もようやく震災の当事者として役立てた」。
[オオカミ絵の今後]完成した100枚は福島県美術館が保管。「震災の中で失われ、新たに生まれた地域の文化資源として広く紹介したい」(増渕鏡子学芸員)と来年5月末から7月初めに企画展を開き、その後、山津見神社に奉納する。荒井さんらは残り約140枚の復元に取り組む。


130万円の壁 現状に合わない制度だ
 年収130万円未満のパートの主婦らは年金や健康保険料を負担しなくても済み、103万円以下だと所得税がかからず配偶者控除が適用される。これらの優遇を受けるため、自ら働く時間を抑えている人は多い。いわゆる「130万円の壁」「103万円の壁」だ。
 厚生労働省はパートの賃上げや勤務時間を増やした企業に助成金を支給し、パートの人が「壁」を意識せず長時間働くことを促すことを検討している。だが、そんな小手先の対策で済ますべきではない。
 「壁」をなくすことは、(1)働く人の不公平の解消(2)労働力の確保(3)社会保障財源の安定−−につながる。抜本的な制度改革が必要だ。
 現在の社会保障制度は「正社員の夫と専業主婦の妻」をモデルに1960年代に整備された。親の介護や子育てなども含めて無償の家事労働を担っている専業主婦に対して保険や税の優遇措置が設けられたのだ。
 86年に男女雇用機会均等法が施行されたころから働く女性が増え、現在は専業主婦世帯より夫婦共働きの方が多くなった。多世代同居より核家族が増え、親の介護を担わない専業主婦も多くなった。
 一方、未婚や一人親の非正規社員は長時間働きながら低賃金しか得られず、その中から保険料を自分で払っている。特に国民健康保険に加入している一人親は子どもの数が多くなるほど負担が重くなる。「壁」に守られて保険料負担のない主婦と比べると著しく不利だ。
 現状と制度が合わなくなっているのは明らかだ。
 政府は一人親家庭に支給する児童扶養手当を増額することを検討している。多額の予算が必要だ。「壁」をなくしてパートの人が自分で保険料を負担するようになれば、その分の公費支出が少なくなる。働いても貧しいワーキングプアの家庭に財源を回すなど再分配の機能をもっと働かせるべきだ。
 また、福祉やサービス業などは深刻な労働力不足に苦しんでおり、「壁」をなくすことは労働力確保の面でも大きな意味がある。現在は働いていない人、短時間のパートの人の中には看護師や保育士などの資格を持っている人も多い。
 もちろん、現に介護や子育てをしているため働きたくても働けない人には配慮が必要だ。休業補償を手厚くし、税や保険でも不利にならないようにしなければならない。
 加藤勝信1億総活躍担当相は「103万円の壁」についても解消する必要があると明言している。すべての人が公平感を持って積極的に働くことができる社会に向け、時代に合った制度に改めるべきだ。


思いやり予算 増額では理解得られぬ
 在日米軍駐留経費の日本側負担、いわゆる「思いやり予算」が増額される。日本側の減額要求は米側に受け入れられなかった。日本の財政状況は厳しさを増している。国民の理解は得られるのか。
 日米安全保障条約に基づく日米地位協定は、日本に駐留する米軍に対して、日本側は基地や訓練場などの施設・区域を提供する義務はあるが、駐留に要する経費は米側が負担することを定めている。
 思いやり予算は、地位協定上、米側が負担すべき駐留経費を日本側が代わって負担するもので、円高や米国の財政赤字などを背景に一九七八年度から始まった。当時の金丸信防衛庁長官が「思いやりをもって対処する」と答えたことにちなむ。
 地位協定上、日本側には負担義務がないことを、まずは確認しておく必要がある。
 両政府は十六日、二〇一六年度から五年間の思いやり予算について総額九千四百六十五億円、年平均千八百九十三億円とすることで合意したと発表した。一五年度までの五年間に比べて1・4%、総額では百三十三億円の増となる。
 在日米軍施設で働く日本人労働者の人件費、米軍の光熱水費などに充てられ、人事院勧告によっては、さらに膨らむ可能性が高い。
 日本側は、厳しい財政事情や安保関連法成立による自衛隊の任務拡大などを理由に減額を求めた。
 しかし、米側はアジア・太平洋地域重視のリバランス(再均衡)政策に伴い、最新鋭イージス艦を日本に追加配備することなどを理由に増額を譲らず、日本側が最終的に譲歩したという。
 思いやり予算は、九九年度の二千七百五十六億円をピークに減ってきてはいる。しかし、消費税率10%への引き上げが一七年四月に迫り、社会保障水準の切り下げも続く。そうした厳しい状況下で、国民の理解が得られるだろうか。
 在日米軍駐留に伴う日本側負担は思いやり予算にとどまらない。米軍施設の借料や基地周辺対策費、訓練移転などの米軍再編費用を含めれば総額は年五千億円を超す。防衛省以外の省庁が所管する基地交付金などを加えれば七千億円超という巨額の予算だ。
 防衛費は安倍内閣の下で増え続け、一六年度予算案では初めて五兆円を超える見通しだという。厳しさを増す国際情勢に対応する必要はあるとしても、財政規律や社会保障を犠牲にしていいわけはない。在日米軍や自衛隊の予算が妥当な水準か、常に検証が必要だ。


政府機関の移転  地方創生の覚悟見えぬ
 案の定というべきか。政府が地方創生の一環として打ち出している政府機関の移転について、消極的な姿勢が鮮明になってきた。
 42道府県が誘致を目指す69機関のうち34の候補を決めたが、地方からの要望が強かった国や独立行政法人の研究機関や研修施設22機関のうち組織全体の移転を検討するのはわずか1件。大半が研究連携体制の構築などの「一部移転」になる見通しだ。
 その一部移転の内容も、研究者が東京に住みながら地方にも研究室を置くケースや、府県が運営する研究所との単なる共同研究など、地方側からはとても「移転」と受け止められないような形もあるという。
 共同研究の推進自体に異論はないが、本来目指していた機関移転は明らかに別物であり、これでは単なる対象の水増しと言われても仕方がないだろう。
 中央省庁では、文化庁など全7機関と国民生活センターなど各省庁と関連性の強い独法5機関が検討継続となった。だが省庁側の抵抗は強く、石破茂地方創生担当相は記者会見で「(移転が)日本全体のためにはならないということは論理的には当然あり得る」と部分移転になる可能性に言及した。
 文化庁誘致に動いている京都府と京都市は、このままでは府庁内にある文化庁関西分室の拡充で決着しかねないと巻き返しを図るが、政府はどこまで応えるか。
 政府は地方創生戦略で、東京一極集中の是正に向け、民間企業の本社機能の地方移転を税制の優遇措置などで推進している。その模範を示す意図が政府機関の地方移転にはあったはずだが、現状を見る限り、その覚悟は見えない。
 そもそも国の機関の首都圏からの移転は、地方の活性化にとどまらず、首都直下地震に備えるリスク管理の面から真剣に検討すべきテーマだろう。政府は移転対象について地方の手上げ方式をとり、自治体にメリットの説明責任まで求めたが、本来、移転の必要性は国が主体的に考えるべき問題だ。
 地方移転が実現した例は過去にある。1989年に「多極分散型国土の形成」を目指し、東京23区内の出先機関や特殊法人約70施設の移転を閣議決定したケースだ。ただ東京の過密解消を主目的としていたため、首都圏以外に移転したのは3施設にとどまった。
 政府は来年3月の正式決定を目指す。「移転」を形だけで終わらせずに実のあるものにできるか、政府の本気度が問われる。


安保廃案訴え、学生ら京都でデ
 安全保障関連法の成立から約3カ月が経過した20日、同法に反対する関西の大学生で作る「SEALDs関西」が京都市内で、成立後初めてデモを行った。「民主主義って何だ」「私の国に戦争はいらない」と、同法廃止を訴えながら歩いた。
 東山区の円山公園でデモ行進前に開いた集会では、シールズ関西のメンバーが「多くの疑問が残る中で安保法は成立して、終わったよねって思われているけど、そうじゃない」と呼び掛け、京都選出の民主党と共産党の参院議員らがスピーチした。その後、四条通から河原町通を経て市役所近くまで歩き、ラップの軽快なリズムに合わせて「憲法を守れ」「平和を守れ」「安保法制絶対反対」などと訴えた。
 シールズ関西によると、参加者は1800人。


国立市議長 「事実婚、非難されて当然」…やじ飛ばす
 東京都国立市議会の石塚陽一議長(69)が、出生届に嫡出子か嫡出でない子(婚外子)かの区別を記載する規定に反対する女性が委員会で「長年婚姻届を出さずに子どもを育ててきたことを、同僚に『ひどい母親だ』と非難された」と訴えた際、「当然だよ」とやじを飛ばしていたことが21日、分かった。
嫡出子記載削除、陳情の女性に
 女性は東京都武蔵野市の田中須美子さん(68)で、取材に「根強い差別意識の表れで、あまりにもひどい」と主張。石塚氏は21日の本会議で「傷ついた心を、さらにやじで傷つけたのは痛恨の極みだ」と謝罪した。
 最高裁は2013年9月、出生届に嫡出子かどうか記載するよう義務付けた戸籍法の規定を「必要不可欠とは言えない」と判断。夫婦同姓を強いる現行の制度に反対し、事実婚を続ける中で子育てに取り組んできた田中さんは、国立市議会に嫡出子の記載に関する規定の削除を求めた陳情書を提出していた。
 今月10日の委員会で「職場の同僚から『なぜ婚姻届を出さないんだ。子どもがかわいそうだ』『ひどい母親だ』と非難されたことがある」と発言。直後に石塚氏が「当然だよ」と述べたという。
 石塚氏は21日の取材に「当時の社会環境では非難する人もいたと考えた。陳情者を批判する意図はなかった」と釈明した。
 上智大の三浦まり教授(政治学)は「差別を是正すべき議会で議員が差別的な発言をするのは不見識。正式なプロセスで意見を届けようとする人の話を厳粛に聞くべきだ」としている。陳情は21日、採択された。

炎の第九/44歳のチアリーダー!!

ブログネタ
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第10回部落解放全国大会大阪

Iris Mittenaere est Miss France 2016
Un sacre à domicile. Iris Mittenaere est devenue samedi soir au Zénith de Lille Miss France 2016. La candidate du Nord-Pas-de-Calais s'était distinguée en obtenant la meilleure note au test de culture générale.
Le doublé pour le Nord-Pas-de-Calais. Iris Mittenaere, 22 ans, est devenue samedi soir Miss France 2016. Même si elle figurait parmi les favorites de cette édition, son sacre l'a prise de court, elle qui admire Camille Cerf, à qui elle succède. La belle Miss Martinique Morgane Edvige a pris la deuxième place du concours - elle est donc première dauphine. Miss Tahiti, Vaimiti Teiefitu, elle, est la seconde dauphine.
Elle rêve de rencontrer Line Renaud et Angelina Jolie
Dans l'entretien qu'Iris Mittenaere nous a accordé avant son sacre, elle confiait avoir eu envie de troquer (sa) blouse blanche d'étudiante en cinquième année à l'école dentaire contre une robe à paillettes. La voilà prise dans le tourbillon d'une folle année à venir, elle qui avait obtenu la meilleure note des 31 candidates au test de culture générale. Marraine de l'association Bienvenue-Tongasoa qui construit des écoles de brousses à Madagascar, la jeune femme de 22 ans qui veut donc devenir dentiste à la fin de son cursus universaitaire, s'est investie au sein de l'association universitaire Dent'icap dont l'enjeu est de permettre l'accès aux soins dentaires des personnes en situation de handicap. Une tête bien faite donc, sur un corps aux mensurations parfaites. La Chti aura peut-être l'occasion de découvrir prochainement ses deux modèles: Line Renaud et Angelina Jolie.
フランス語
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NNNドキュメント'15安倍政治ってなんだ? 戦後70年 ニッポンの分岐点
今夏、日本を揺らした2つの政治課題「安保関連法」「戦後70年談話」国民の間には今も漠然とした不安が広がる。「民主主義ってなんだ?」若者たちは今も声を上げる。一体、安倍首相が目指す「新しい国」とは何なのか?私たちは首相が強い影響を受けた祖父・岸元首相の足跡を追った。A級戦犯容疑者としての日々、安保改定秘話、憲法改正への執念。その姿は安倍首相と重なり合っていく。平和国家としての歩みは変質してしまうのか?首相に単独インタビューで迫った。
小山茉美 / 日本テレビ

ガリレオX「再び電子立国へ〜ロボット・人工知能〜」
日本の電子立国への道を切り開いてきた産業技術総合研究所。その歴史を辿ると、これまで歩んできたロボット技術や人工知能の軌跡が見えてくる。そしてその研究の成果が今、私達の生活の中に広がりつつあるという。産業や防災、介護まで様々な分野に利用し始められているのだ。近い将来、産業革命以来の社会変革を起こすと期待されているロボット、人工知能。その研究の最前線に迫る。
辻井潤一 白井良明 柴田崇徳 夏目徹 松本吉央

テレメンタリー 「シリーズ戦後70年(16) 父の戦争 戦艦武蔵 甲板士官の遺言」
世界最大の戦艦武蔵が戦後70年となる今年海底から見つかった。製造から最高機密でほぼ知られることなく沈没した武蔵、その甲板士官だった男は番組担当ディレクターの実の父親だ。家族にもほとんど話すことなく5年前に逝った父親の証言テープが今年見つかる。
そこには「不沈艦」と称された武蔵の最期、そして帝国海軍の幹部候補として海軍兵学校で共に学び絆を深めた同期生との戦地での再会、別れ…。壮絶な体験が記録されていた。
九州朝日放送

NHKスペシャル 新・映像の世紀「第3集 時代は独裁者を求めた」
5000万を越える人々が犠牲となった第二次世界大戦の惨劇は、一人の独裁者の狂気だけが生み出したものではない。大恐慌で資本主義に幻滅した人々はファシズムを支持し、世界の企業がドイツを支援した。アメリカのフォード社は、ドイツ軍のトラックを生産。強制収容所の大量の囚人管理を可能にしたのは、アメリカ企業の開発したパンチカードマシンだった。独裁者に未来を託し、世界を地獄に追い込んでしまった人々の物語。
山田孝之,伊東敏恵

プレミアムドラマ「44歳のチアリーダー!!」
「人はいくつになっても輝ける!」44歳・専業主婦の、奇跡の実話!2005年、楽天のプロ野球参戦と同時に設立されたチアリーダーチームに、全く未経験の3児の母が応募、なぜか選考を通りチアに挑むことに!でも若い子についていけず体はボロボロ、家族も反対。そうした苦難を乗り越え、ついにホーム最終戦を迎えます…実話を元に、当時の試合映像も交えた、涙と感動のドキュドラ!全国に元気を送ります!
堀内敬子ほか
堀内敬子,星野真里,森尾由美,石田亜佑美,大友康平,森本レオ,星由里子,寺島進
吉田紀子

小林研一郎指揮 炎の第九
[指揮]小林研一郎
[管弦楽]大阪フィルハーモニー交響楽団
[合唱]大阪フィルハーモニー合唱団
[ソプラノ]上村智恵
[アルト]相可佐代子
[テノール]与儀巧
[バリトン]ジョン・ハオ
高らかに響け“歓喜の歌”!大迫力!燃え上がるコバケンの「第九」!
冬の日本が暮れていき、街は賑わいをみせるころザ・シンフォニーホールに歓喜のメロディが響きます。「愛」「喜び」「友情」「自由」・・・。師走に振り返る2015年は「愛」や「喜び」に満ち溢れていたいものです。
今年のザ・シンフォニーホールの『第九』では小林研一郎さんが登場!世界を舞台にエネルギッシュな活動を続けるマエストロ=コバケンこと小林研一郎さん。コバケンさんの熱いタクトと、大阪フィルハーモニー交響楽団の大編成大迫力サウンド、華麗な歌手陣とともに紡ぎだす『炎の第九』。
うつりゆく時代のなかで、変わることなく輝き続けるベートーヴェン不滅のシンフォニーを奇跡の残響空間でお楽しみください!明日への希望とともに!!

わが解体―高橋和巳コレクション〈10〉 (河出文庫)
高橋 和巳
河出書房新社
1997-02


誠実さゆえの終焉 ぷんちょ
高橋和巳を思うとき、これほどまでに誠実に生きた文学者が、ひと昔前にはいたのだなと考えます。この人は、文学に対して、学生に対して常に誠実で、それは身を削る凄まじさを内包していました。そこまでに誠実であるがゆえに、理解されないときや自分の力が及ばなかったときの傷の深さは想像に余ります。一見して優しげで頼りなげな風貌からは想像し得ない激しさと厳しさ、類まれなるインテリジェンス。しかし際立った特徴は、思想・スタイルに違いこそあれ三島由紀夫と同様に行動したことです。その行動とその背景にある思いや考えが記述されており、戦わなくなった我々に切っ先を突きつける、そんな緊張感が漲っています。そしてとても切ない感情が包み込んできます。

炎の第九です.とてもよかったです.
夜は44歳のチアリーダー!!を見ました.

<私の復興>再出発 通過点の一つ
◎震災4年半〜群馬県高崎市「光洋愛成園」施設長 寺島利文さん
 森の中の施設は、葉擦れの音や鳥のさえずりが聞こえた。
 唱歌「ふるさと」のメロディーが流れた途端、施設長の寺島さんの脳裏に、突然失った古里の光景がよみがえった。福島を追われるように離れてから4年9カ月が過ぎた。
 東京電力福島第1原発事故で福島県富岡町にあった知的障害者施設「光洋愛成園」は、300キロ離れた群馬県高崎市に避難した。
 その避難先で6日、小さな演奏会があった。東日本大震災前から交流がある仙台市の市民楽団「太白ウインドアンサンブル」のメンバーが慰問に訪れた。利用者と耳を傾けた「ふるさと」。調べは心に強く響いた。
 光洋愛成園はいま、福島での再出発を期し、富岡町と同じ双葉郡の広野町に新しい入所施設やグループホームを建設している。
 富岡は全町避難が続いたままだが、2012年3月に避難指示が解除された広野になら帰れる。新しい施設は来春に完成の予定だ。
 「5年は長かった。来年は福島で会おう」。寺島さんは団員たちと固い約束を交わした。
 高崎にたどり着いたのは原発事故の1カ月後だった。
 震災翌日の早朝、消防団員の呼び掛けに耳を疑った。「原発が危ない。急いで避難を」。余震と停電が続き、消防署からも避難を指示され覚悟を決めた。
 利用者や職員ら81人をマイクロバスなど7台に乗せ、国道288号を西へ。全員一緒に身を寄せられる避難所を探した。
 「環境が変わるストレスを考えればみんな同じ場所でなければ」。突然の逃避行に利用者たちも過敏になっていた。どうしても譲れない条件だった。
 何とか福島県三春町の生涯学習施設の一室を利用できることになったが、大部屋での生活は苦労が多かった。県に何度も掛け合い、2次避難施設を探した。ようやく見つかったのが高崎市の国立重度知的障害者総合施設だった。
 同じ福祉の道を進む長男の潤さん(31)=仙台市=の結婚は、長引く避難生活の中で明るい話題だった。「福島に帰る方がよっぽどうれしいけどね」。照れくさそうな寺島さんの言葉に福島への思いがにじむ。
 福島に戻る日が近づいても不安はある。一番は職員不足だ。広く呼び掛けても思うように集まらない。
 「一緒に戻って働こう」と内定を出したが、通える場所で住まいを探しても見つからないと辞退した人もいた。福島に戻らないと決めた職員もいる。
 「利用者のことを考えれば職員が10人は足らない」。もどかしさが募る。
 「広野に戻っても利用者の日常生活は元に戻っていない。やることはまだまだある」。福祉の世界に入って40年。「利用者の幸せが第一」が信念だ。道は長く険しい。新しい施設での再出発は、再生に向けた一つの通過点だと考えている。
(田柳暁)
●私の復興度・・・30%
 福島は、岩手や宮城とは質の異なる被害を受けた。津波被害だけなら同じ古里の高台などで再び暮らすこともできるが、放射能汚染の影響が強く残る地域ではそこにある自宅にさえ帰れない。私たちは新しい施設ができ広野町に戻るけれど、一つのハードルを乗り越えたにすぎない。利用者がかつての生活を取り戻してこそ復興を遂げたことになるのだと思う。だから30%。


河北抄
 この際、鬼に笑われてもいい。来年の選抜高校野球大会。21世紀枠候補に東北からは岩手の釜石が入った。候補は全国で9校。東と西から各1校、残り7校から地域を限定せず1校の計3校の出場が、来年1月29日に決まる。
 前身の釜石南は1996年の選抜大会に初出場した。1回戦で米子東と大接戦の末、九回表に逆転され涙をのんだ。あの悔しさと感動を忘れもしないOBらは「その日」に備え、早速走りだした。
 20年前の「鉄のまち」は冷え込んでいた。新日鉄釜石(当時)の出銑(しゅっせん)の火が消え、象徴だった高炉が爆破、解体されたのは96年の晩秋。喪失感漂う釜石は釜南の活躍に大いに沸いた。東日本大震災で被災し復興へ向かう今回、2度目の出場となれば、その先は想像に難くない。
 釜石と言えばラグビー。いやいや野球も。かつての阪急のエース山田久志は、当時の富士鉄釜石野球部出身だ。
 宮城推薦の石巻は残念ながら候補から外れた。ともに地域の進学校。同じ境遇にある仲間が出場できることを願い、共に祝いたい。鬼も一緒に。


仮設商店街でカキまつり
石巻市内にことしオープンした仮設の商店街で、特産の「カキ」が安くふるまわれる「カキまつり」が開かれました。
この催しは、地元特産のカキをPRしてまちを元気にしようと、石巻市の中心部にことしオープンした商店街「橋通りCOMMON」で行われました。
会場には女川町の尾浦で養殖を営む漁師が20日朝水揚げしたばかりのカキ200個が用意されその場で蒸し焼きにされて通常の半額以下の1つ100円で販売されました。
訪れた人は列を作って次々と買い求め旬の味を楽しんでいました。
地元が石巻市で今は利府町に住む60歳の女性は「味が濃くておいしかったです。体が温まりました」と話していました。
商店街を運営する会社の苅谷智大さんは、「震災からもうじき5年ですが、地元のおいしい食材を広く知ってもらうとともに、たくさんの人にまちが変わっていく姿を見てもらいたいです」と話していました。


週のはじめに考える 私たちは忘れない
 忘れないでください。忘れることで人は過ちを繰り返す−。行く年の煩悩を打ち消す百八の鐘に耳を澄ませば、忘却の風に抗(あらが)う、その声も届くはず。
 名古屋市を中心に活動するタレントの矢野きよ実さんは毎朝四時半、矢野さんが十八歳の時に亡くなった、父親の遺影にほうじ茶をお供えし、レギュラー番組を持つ市内のラジオ局に出掛けていくのが日課です。
 「お父さん、行ってきます」とつぶやくたびに、父親の顔や声と一緒に、東北の被災地で出会った人の表情、その人たちの声なき声が、流星雨のように頭の中を飛び交います。
 書家でもある矢野さんは、被災地で「書きましょ」という活動を続けています。
 3・11の衝撃で、被災者、とりわけ子どもたちの心の奥に閉じ込められてしまった言葉たち、声にできない悲鳴や叫びを、文字にして吐き出してもらいたい−。震災の年の夏からずっと、筆やすずりを携えて東北各地を回っています。
 積もり積もった何千枚もの筆の跡、降り注ぐ言葉の雨を、矢野さん自身、まだ整理しきれない。忘れようにも忘れられません。
 毎月十一日、矢野さんは番組の中に被災地へのメッセージを織り込むことにしています。
 今月は、三重県桑名市に住む六十一歳の女性が寄せたはがきを読み上げた。
 <二〇一〇年十二月、私は主人の実家の一人息子に、何か買ってあげたくて、仕方のない気持ちになり、いつになく必死でクリスマスプレゼント、黒の革のジャンパーを選び、おくりました。来年も着られるよう、大きめのをね。とても喜んでくれて毎日着ていたそうです。その三カ月後、それを着てその子はつなみにのまれました。八歳でした…>
 「大川小学校」の名前を聞くだけで涙が込み上げた。三カ月がかりでしたためたとも、はがきの主は書いている。
◆負けてなんかやらねえ
 「福島は特別…」と矢野さんも感じています。
 六月、青森市内で開いた「書きましょ」。浪江、双葉、郡山、そして南相馬からの避難家族、約三十人が集まった。
 「三月十一日 もとの家族にもどりたい」と書いたおばあちゃん。「鮭(さけ)といっしょに浪江にかえろう」としたためた人もいた。
 大きな紙に「くやしさ」=写真=と大書した十歳の女の子。
 そして、この日福島から駆けつけて「負けてなんかやらねえよ」とつづったお父さん。
 原発の解体現場で働くその人は「絶対に家族をふるさとに戻すから」と言い置いて、放射能の中へ、とんぼ返りしていった。
 「復興」と書いた人は、いなかった。書き終わって、みんなで泣いた。
 これが今なお、被災地の真実であり、本音なら、絶対に忘れるべきではない。忘れることは責任の放棄に等しくないか。
 福島の叫びをかき消すように、列島各地で忘却の風吹きすさぶこのごろです。
 関西電力が再稼働をめざす高浜原発の、大事故に備えた広域避難計画が今月策定されました。
 原発三十キロ圏内の福井県と京都府から兵庫県や徳島県へ、約十八万人が避難します。
 それだけの人が無事に移動できたとしても、避難先で待ち受ける過酷な暮らしの現実までは、シナリオにできません。
 その四日前、日本とインドが原子力協定を結ぶことになり、インドへの核技術の供与が近く可能になりそうです。
 自国の深手を癒やすすべさえないままに、原発輸出を「成長戦略」と呼んではばからない、一部の政治家や財界人の心のうちが知れません。
◆その痛み、受け止めたい
 年忘れ。忘年会。忘れてしまいたいことや、どうにもやり切れないことがありすぎて、さかずきを傾ける機会も多い年の瀬です。しかし、どんなお酒にどれだけ酔っても、まだ忘れてはならないことがある。
 ♪忘れる事はたやすくても/痛みを今は受けとめていたい(吉田拓郎「僕の唄はサヨナラだけ」)…。
 この歌を小さく口ずさみながら、行く年に、サヨナラを告げてみようと思っています。


<安保法>廃止求め仙台で学生ら300人デモ
 安全保障関連法が成立して3カ月となった19日、同法の廃止を求める集会とデモが仙台市内で繰り広げられ、市民ら約300人が集まった。
 青葉区国分町の公園で開かれた集会には大学生グループ「SEALDs TOHOKU(シールズ東北)」「安保関連法に反対するママの会宮城」など複数の市民団体が参加した。
 参加した主婦吉田美智子さん(35)=青葉区=は「家事で忙しいが、各地のママたちと一丸となり声を上げていく」と力を込めた。
 集会後は青葉区一番町の商店街をデモ行進し、「戦争法は廃止」とシュプレヒコールを上げた。集会を呼び掛けた「19日行動市民連絡会」の真喜志淳代表は「安保法廃止を諦めず、アピールを続ける」と話した。
 東京と大阪の中心部でも高校生らのグループがデモを行い、「あの日を忘れない」「戦争反対」と訴えた。東京のデモに福島県から参加した高校3年の女子生徒は「今までよりテロや戦争に近づくことは目に見えている」と主張した。
 集団的自衛権行使を可能にする安保関連法は9月19日未明の参院本会議で、自民、公明両党などの賛成多数で可決され、成立した。


[議員の不適切発言]人権感覚乏しく攻撃的
 嵩原弘・宮古島市議が開会中の市議会一般質問で、名護市辺野古の新基地建設に反対する市民らの運動に触れ「辺野古基金からの日当と弁当付きでデモをしている」と発言した。
 事実に反する内容で、辺野古基金や市民団体の代表は憤慨している。
 そもそも基金は沖縄の声を国内外に発信するのが目的で、一部は全国紙などへの意見広告に使われた。個人に支出されるものではない。
 米軍キャンプ・シュワブ前で座り込む市民は、千円のバス賃を払い辺野古行きのチャーターバスに乗り、手弁当で運動を続けている。日当などあるはずがないことは、現地に足を運べばすぐに分かる。
 嵩原市議自身も「日当や弁当の受け渡しは見たことがない。インターネットで情報を得た」と語っている。
 民意を代表する議場の真ん中で、ネット上のデマを事実かどうかも確認せずに発言するとは情けない。速やかに発言を撤回し謝罪すべきだ。
 議員の不適切発言は、沖縄に限ったことではない。
 先月末、兵庫県洲本市議が本紙フェイスブックに、新基地に反対する市民を「けとばせばいい」と書き込み、批判を受けたばかりだ。
 岐阜県議会では今月10日、自民党県連の政調会長も務める県議が「同性愛は異常」とやじを飛ばしている。
 埼玉県川口市議会では、外国人市民の増加を犬の登録数と比較した発言があった(13日付朝日新聞)。
 感情むき出しの差別的な発言が地方自治体の議会で繰り返されている。その裏に潜むのはある共通した空気だ。
    ■    ■
 嵩原市議が情報を得たというネットには、真偽不明の情報や、読んだだけでデマだと分かる書き込み、特定の個人を名指しした罵詈(ばり)雑言、誹謗(ひぼう)中傷の言葉が氾濫している。
 県議会9月定例会で翁長雄志知事が「ネットでは長女が中国の外交官と一緒になり、末娘は中国へ留学していると言われている。二人とも一度も中国に行ったことがない」と発言する場面があった。
 野党議員の「知事は中国と親しいと言われているが、中国から招待されることがあるのか」との質問に対し、ネットで広がるデマを否定したのである。
 民主党の辻元清美衆院議員は公式サイトのかなりのスペースを割いて、自身に関するネット上のデマの一つ一つに反論している。悪質なデマによって真実が曲げられたり、あらぬ対立が生まれるのを危惧してのことだ。
    ■    ■
 議員なら質問する前に、県や市町村当局に確認すれば分かることを、あえて議会で取り上げるのはなぜか。この手の話を拡散させるために、意図的に発言していると疑われても仕方がないだろう。 
 噴出する不適切発言に共通するのは、人権感覚に乏しいことだ。時代の空気を反映したところがある。排外主義につながる危険な動きである。
 選挙で選ばれた議員は、基本的人権を守る役割を果たすべきであって、デマの「拡声器」の役割を担うようでは、健全な民主主義は育たない。


都民6割「東電以外」検討 電力自由化 より安く/原発の電気いや
 来年四月に始まる電力の小売り自由化で、電気の購入先を東京電力から新しい電力販売業者に代えようと考えている東京都民が六割に上ることが、本紙と新潟日報の合同世論調査で分かった。料金がより安いところがあれば代えたいという理由が最も多いが、「原発でつくられた電気を使いたくない」を理由に挙げた人は二番目に多かった。また東京、新潟とも七割が将来的には原発をゼロにし、再生可能エネルギーを軸に取り組むべきだとの意思を示した。 (小倉貞俊)
 調査は、東電福島第一原発事故から五年を前に、原発に関する意識を調べるために実施。今月十二日から十六日までの五日間、十八歳以上を対象に、東京と新潟でそれぞれ一千人、計二千人から有効回答を得た。
 電力の小売りが自由化されると、これまでは地域の大手電力会社に限られていた電気の購入先が、一般家庭でも自由に選べるようになる。
 購入先を切り替えるかどうか尋ねたところ、東京では6%が「切り替える」、56%が「すぐではないが検討する」と答えた。合わせて六割超の人が、東電から別の事業者に購入先を切り替えようと考えているとの結果が出た。「切り替えない」「当面は切り替えない」は計約三割にとどまった。
 切り替えを考えている人たちにその理由を聞いたところ、うち35・3%の人が「より安い電気を使いたい」と答え、二番目は「原発を保有しない電力会社の電気を使いたい」(28・2%)だった。
 東北電力管内の新潟では「切り替える」「検討する」が計四割弱、「切り替えない」「当面は切り替えない」が計五割弱だった。
 原発に対する考え方では東京、新潟とも「すぐゼロにするべきだ」「徐々に減らし将来はゼロ」が合わせて七割に上り、脱原発を望む声の大きさがあらためて明らかになった。逆に「今まで通り活用」「徐々に減らすが、一定数は活用」はともに三割弱にとどまっている。
 今後、力を入れるべきエネルギーを二つ選んでもらう問いでは、東京、新潟とも太陽光や風力、バイオマスなどの再生エネを軸に、水力や火力、原子力との組み合わせを挙げる人が八割いた。原発推進の考え方を持つ人に絞っても、六割超の人が再生エネを軸にすべきだと答えた。
<電力の小売り自由化> 来年4月からは、地域の電力会社の独占が崩れ、消費者は、国に「小売電気事業者」として登録したさまざまな業者から電気を購入できるようになる。契約先を切り替える際、メーターを新型のスマートメーターに取り換える必要があるが、原則費用負担はない。12月7日現在、登録業者は全国で73。ガス会社、石油会社、リース会社、商社などが参入するほか、再生可能エネルギーを中心にする業者、地域限定の業者もあり、選択肢は大幅に広がる。


「戦争してはならぬ」引き継ぐ 野坂さんに別れ
 東京都港区の青山葬儀所で十九日営まれた作家の野坂昭如(あきゆき)さんの葬儀・告別式には、ファンも含め約六百人が参列した。列席者からは「戦争をしてはならない」との野坂さんの平和への思いを後世に伝えたいとの声が上がった。
 野坂さんは九日に八十五歳で亡くなった。親交の深い作曲家の小林亜星(あせい)さん(83)は「ひねくれたところもありましたが、男らしくて素晴らしい人」と振り返る。「戦争を知る人が少なくなっている。僕らが死んだら心配だ。もう少し頑張って皆さんにお伝えしなくちゃいけないとつくづく思いました」
 二〇一三年に亡くなった映画監督の大島渚さんの妻で女優の小山明子さん(80)は「ああいうすてきな男たちはもう出てこない。自分を貫く精神の男は出てこない」としみじみと語った。
 ライブで何度も共演したクレイジーケンバンドのボーカル横山剣さんは「知れば知るほど、強くて優しい方だった」としのんだ。
◆先駆けの旗だった 五木寛之さん弔辞要旨
 野坂昭如。それは僕らにとって単なる一個人の名前ではない。一九六〇年代という反抗の季節に世に出た世代は、あなたの名前を一つの旗印のように感じていたはずである。野坂昭如とは、そんな時代の象徴であり、合言葉であった。
 放送、コマーシャル、歌、雑文など、ジャーナリズムの底辺からボウフラのように浮上してきた私たちを、軽佻浮薄(けいちょうふはく)と笑う人々もいた。蛇蝎(だかつ)のようにさげすむ人もいた。「焼け跡闇市派」と呼ばれ、「外地引き揚げ派」とからかわれ、ときに偽善のマスクを、ときには偽悪の衣をまといつつ、格好良さと格好悪さを虚実皮膜の間に演じつつ、私たちは生きてきたのだ。
 野坂昭如とは、そんな私たちの希望のともしびであり、先駆けの旗だった。同じ時代を生きてきた仲間は次々と逝き、今またあなたを見送ることになって、言葉にならない大きな欠落感を覚えずにはいられない。
 本来、弔辞とは、和紙に薄墨の毛筆で書くと教えられた。しかしあえて四百字詰め原稿用紙に万年筆で記すのは、「筆は一本、箸は二本」の厳しい世界を生きてきた仲間へのあいさつである。
 倶会一処(くえいっしょ)。いずれ、いずこの地にか、まみえん。
◆「軍隊で守れぬ」遺言に 瀬戸内寂聴さん弔辞要旨
 野坂昭如様。あなたが亡くなったと伝えられ、ぼうぜんとしています。
 つい先日、雑誌の往復書簡で「野坂さんと私は死ねないのかもしれませんね。覚悟して、地球の爆発するのを見てやりましょう」と書いたばかりでした。それなのに、あなたは突如一人で逝ってしまいました。まだ八十五歳とは。若過ぎる享年です。痛ましいです。惜しいです。悔しいです。
 厳しい筆致で日本の政治のだらしなさを叱責(しっせき)し、原発反対の筆をおかず、日本の前途を憂い続けました。このまま進めばやがて日本は滅びると言い続けられた野坂さんの声を忘れない国民もしっかりと残っています。
 「軍事では日本は守れない。といって平和国家をお題目のように唱えていては駄目である」というあなたの手紙の最後の文章は、切実な遺言になってしまいました。残された私たちはこの遺言を忘れず、若い人たちに伝えていくのが、せめてもの報恩になるでしょう。 (檀ふみさん代読)
◆妻 暘よう子こさんあいさつ
 飲んべえ、目立ちたがり、せっかち、うそつき、いいかげん。まだまだいっぱいあります。野坂昭如さん。
 春の夜でした。私はそのとき十九歳のタカラジェンヌ。初めて会ったその人は、夜なのに真っ黒い眼鏡をかけ、グラス片手に早口でしゃべっていました。変なおじさんという印象でした。
 夏の神戸、六甲山でプロポーズされました。何を言うかと思ったら「僕まつげがないんです」。外された黒眼鏡の下には、しっかりまつげがありました。きっと眼鏡の下の素顔を見てほしかったのだと思います。
 二十一歳の花嫁は何も分からず、とんちんかんな新婚生活はコントのようでした。矢のように過ぎた日々。待っていたのは十三年間の介護生活です。私にとっては、とても長い年月でした。不安だらけの介護。押しつぶされそうになりました。いいことも悪いことも、どうにか越えてきました。
 彼の周りにはいつも家族が集まり、小さな孫や猫が絡みついていました。二人の娘は「パパに寝間着は似合わない。いつもかっこいいシャツで」とダンディーな父親を守り続けました。野坂は満足だったと思います。
 亡くなる間際まで言い続けた、大事な言葉。「戦争をしてはならない。巻き込まれてはならない。戦争は何も残さず、悲しみだけが残るんだ」
 「火垂(ほた)るの墓」は世界で読まれています。日本の大事な一冊になってほしい。
 野坂は生まれて二カ月で母親と離されてしまい、母親の顔を知りません。きっとそのお母さまが迎えに来たのでしょう。目を閉じた顔は美しく穏やかで、初めて見る表情でした。ちょっとうれしそうな笑みは、母に抱かれた昭如少年だったに違いありません。
 今までお世話になった大切な皆さまに、野坂とともに心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
Le petit prince
On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux. (Le petit prince)
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