フランス語の勉強?

janvier 2014

鞆の浦で鯛づくし会席/タコのまち三原でタコ味噌和えなど

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ostryga2
une société anonyme 株式会社 une maison de titres 証券会社 une maison d'édition 出版社
une charcuterie 豚肉販売店 une crémerie 乳製品販売店
un poireau ねぎ
une langouste 伊勢エビ une crevette 小エビ une daurade 鯛

朝ホテルを変更してからJRで福山まで移動しました.さらにバスで鞆の浦まで.以前福山に来たのはたぶん2005年だと思いますが,その時は鞆の浦に行く時間なかったので,ちょっと嬉しいです.水呑(みのみ)という地名が面白いなぁ・・・なんてどうでもいいこと.お腹すいたので鯛づくし会席をいただきました.鞆の浦に行ってみてよかったです.
さてその後どうしようかな???三原に行くことにしました.タコが有名です.タコ味噌和えとタコ酒をいただきました.カキ鍋とお好み焼きがおいしかったです.

真の復興へ東北決起 東北六魂祭、5月に山形で開催

 山形県山形市で開かれることしの東北六魂祭の実行委員会は30日、開催日を5月24、25日に決めたと発表した。東日本大震災の被災3県以外では初めての開催となる。
 主会場は市中心部、旅篭町の国道112号、県道周辺。青森ねぶた祭、盛岡さんさ踊り、仙台七夕まつり、秋田竿燈まつり、山形花笠まつり、福島わらじまつりが結集し、約1キロを練り歩く。各県の夏祭りをPRするステージイベントや物産市も開く。来場者は2日間で約20万人を見込んでいる。
 今回のテーマは「起」で、復興に向けて東北全体で決起する思いを込めたという。
 東北六魂祭は、6県を代表する祭りが一堂に会することで震災からの復興と犠牲者の鎮魂を願おうと、仙台市で2011年に始まり、盛岡市、福島市で開催された。過去3回には約24万〜36万人が来場しており、混乱を避けるため、ステージや物産市会場は分散させる方針で、沿道への入場制限を行う可能性があるという。
 山形市内で記者会見した実行委会長の市川昭男山形市長は「山形には被災地から避難してきた人が多くいる。東北全体の復興なしに真の復興はないとの思いを一層強くする祭りにしたい」と開催の意義を強調した。


STAP細胞 驚きの成果を育てよう

 まさに驚きの発見である。普通の体細胞を弱い酸性の液につけるだけで、受精卵のような性質を持つ「万能細胞」を作ることに日米の研究チームが成功した。細い管に通すといった物理的刺激でも万能細胞になるという。

 今はまだ、マウスの細胞での成果だが、ヒトの細胞で同じことが確かめられれば、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を超える利用価値が生まれるかもしれない。生命の仕組みの解明にも大きく貢献する。この成果を大事に大きく育てていきたい。

 体細胞を受精卵のような状態に「初期化」する技術には、クローン羊を作った体細胞クローン技術や、遺伝子導入などを利用するiPS細胞がある。どのような細胞にも変化できる性質は受精卵から作る胚性幹細胞(ES細胞)にもある。

 今回、「STAP=刺激惹起(じゃっき)性多能性獲得=細胞」と名付けられた新万能細胞の特徴は、作製が「簡単で、早く、効率的」であることだ。しかも、ES細胞やiPS細胞が抱えるがん化のリスクも低いと考えられる。研究がうまく進めば、一人一人の万能細胞が簡単に作れる可能性もある。期待が高まるのは当然だ。

 それにしても、なぜ、こんな簡単な方法で体細胞が初期化されるのか。一方でなぜ生体内では簡単に初期化が起きないのか。STAP細胞の初期化メカニズムを解明することで、哺乳類の体にもともと備わった細胞の修復機構や、がん化抑制の機構が解明できるかもしれない。生命現象の謎解きだけでなく、新たな医療につながることも期待される。

 今回、米国での研究で発見のきっかけをつかみ、中心となって実験を進めた小保方(おぼかた)晴子さんによると、初めは成果を信じてもらえず、投稿論文は何度も却下された。これが裏付けのある研究に育ったのは、本人の努力に加え、万能性を裏づける実験にその分野の第一人者である日本人研究者が協力するなど周囲の支援があったからだ。再生医療研究の裾野を広げる努力が実ったといってもいいだろう。

 小保方さんの米国の指導教官も、誰も信じないような結果を信じて実験に投資した。日本政府は実用化という研究の出口を重視する傾向があるが、iPS細胞もSTAP細胞も、トップダウンの「出口志向」からは生まれないことを忘れないようにしたい。

 30歳の女性が研究を主導したことも注目を集めている。日本の研究環境は若手や女性が成果を上げやすいとは言い難い。科学分野に進む女性が少ないという課題もある。小保方さんがひとつのモデルとなり科学者になりたい女性や若手研究者を後押しすることにもつながってほしい。


STAP細胞 めげない情熱が生んだ

 再生医療の未来を明るくする研究成果だ。「STAP細胞」開発の成果を生んだのは日本の若い女性研究者である。生命科学の常識を覆す柔軟な発想とめげない研究姿勢が大発見につながった。

 理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方(おぼかた)晴子研究ユニットリーダー(30)が開発した万能細胞「STAP細胞」の作り方は単純だ。

 体細胞を弱い酸性の溶液に約三十分浸し培養するだけ。その刺激で筋肉や血液など多様な体細胞に分化する前の状態である万能細胞に戻る。

 万能細胞は再生医療や創薬などに役立つと期待されている。

 常識破りなのは、体細胞は分化すると逆戻りは起きないとされている点を覆したことだ。

 京都大の山中伸弥教授が開発した人工多能性幹細胞(iPS細胞)は遺伝子を使って人工的に万能細胞を作る。小保方さんは、STAP細胞は細胞自身が逆戻りすることを見つけた。

 関連論文の掲載を求めた英科学誌ネイチャーに信用されず、論文を突き返されていたことからも発想の独創性が分かる。

 「誰も信じてくれなかったことが何より大変だった」状況のなかで、得られたデータを信じ柔軟な発想であきらめずに研究に取り組んだ姿勢が浮かぶ。

 小保方さんの研究室に五人ほどいるスタッフも女性だ。実験室の壁紙をピンクにしムーミンのグッズがあふれ、おしゃれも楽しむ姿は、男性中心の研究現場の常識も覆したようにみえる。

 政府は二〇二〇年までに社会の指導的立場に立つ人材の30%を女性にする目標を掲げるが、日本では理系の女性が活躍する場もなかなか広がらない。今回の研究成果は女性の活躍の場を広げるきっかけにもなる。

 政府は生命科学の発展を重視してきた。安倍政権も再生医療の研究開発に力を入れている。理研もその拠点だ。今回の研究は第一人者の研究者が支援した。成果にはこうした後押しもあったろう。

 応用研究など目先の成長ばかりに目を向けるべきではない。手薄といわれる基礎研究の充実が欠かせない。

 STAP細胞は限定された成果だ。ヒトに応用するには確認すべき課題は多い。「百年後の社会への貢献を意識して研究したい」と小保方さんは見据える。政府はこれに応えるよう息の長い支援を続けるべきだ。


新万能細胞―常識を突破する若い力

 輝かしい新星が現れた。

 理化学研究所の小保方(おぼかた)晴子ユニットリーダー(30)らのグループが、まったく新しい万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の作製に成功した。

 筋肉や神経など、さまざまな細胞に変化できるのが万能細胞だ。万能性があるのは、生命の初期である受精卵など、特殊な細胞に限られるというのが生物学の常識だった。

 だが近年、万能細胞を人の手で生み出す研究が進み、すでに、受精卵を壊してつくるES細胞、山中伸弥・京都大教授らが遺伝子を導入する方法で開発したiPS細胞がある。

 STAP細胞の大きな特徴は、弱酸性の液体に浸すなど細胞を外から刺激することで、ずっと簡単につくれるところだ。

 一昨年英科学誌ネイチャーに論文を投稿した当初は突き返された。だが追加の証拠をそろえ、掲載にこぎ着けた。最初に拒絶した専門家は「何百年にもわたる細胞生物学の歴史を愚弄(ぐろう)している」と激しい意見を付けてきた。これはいまや最大級の賛辞と読まれるべきだろう。

 まさに教科書を書き換えるような大発見である。

 博士号をとってわずか3年。若い小保方さんの研究過程は、決して順風満帆ではなかった。

 「誰も信じてくれない中で、説得できるデータをとるのは難しかった」「泣き明かした夜も数知れないですが、今日一日、明日一日だけ頑張ろうと思ってやっていた」と振り返る。

 化学畑の出身で、生物学の既成概念にとらわれず、自らの実験データを信じた。一人また一人と周囲の研究者を味方につけ、数々の壁を乗り越えた。

 変わってきたとはいえ女性の働きづらさが指摘される日本で、これほど信念に満ちた研究成果を上げた小保方さん、そして彼女を支えた共同研究者のみなさんはすばらしい。

 「21世紀は生命科学の時代」といわれ、日本政府も力を入れる。小保方さんの属する理研の発生・再生科学総合研究センターは00年に神戸市にできた。基礎研究から治療への応用まで、再生医学を総合的に進める態勢づくりが結実したようだ。

 特大ホームランを放った小保方さんに限らず、きっと同じように「もう一日だけ」と頑張っている研究者がたくさんいるだろう。そう考えると、日本の科学への希望も膨らむ。

 教科書を学ぶ学習を卒業し、教科書を書き換える研究の道に進む。強い信念と柔らかな発想に満ちた若い世代の飛躍を、もっともっと応援したい。


希望新聞:東日本大震災 流失写真を被災者の元に 三陸沿岸の社協が継続 心込め洗浄、返却会も

 一枚一枚、心を込めて丁寧に−−。三陸沿岸各地の社会福祉協議会が、津波で流された写真の洗浄作業を続けている。岩手県大船渡市では約42万枚が持ち主の手に戻り、隣接する陸前高田市でも「思い出の品」返却プロジェクトが進行中だ。画像の中でほほ笑む姿は、買い替えのできない記憶の証し。背後の光景は、古里の在りし日の歴史をも刻み込んでいる。

 家族旅行、入園式、お誕生会。日本髪を結って明治期に撮影されたと見られる婚礼写真もある。今なお行方不明者を捜すボランティアが汚泥から掘り出したアルバムも。大船渡社協の佐藤厚子さんによると、同市内では2011年4月の開始以来これまでに約46万枚を洗い終えた。

 だが、作業には、細心の注意を要するという。多くは損傷しているうえに油脂分などが付着し、バクテリア類に浸食されている。早く洗わないと劣化が進むが、印画紙の質などによって、汚れを落とす際の指先の力の入れ具合も異なるのだ。

 「大切な『一枚』の画像を損ねないように集中する。全てを失った方の心中を思うと重責を感じる」と各社協の担当者は話す。「かつての風景や祭りの写真などは古里の財産でもあるんです」

 一方、返却も容易ではない。洗った写真の収蔵場所を訪れる交通手段のない高齢者や、仕事のため日中に時間が取れない人も多いのだ。仮設住宅やスーパーなどに出向き「出張」返却会も行っているのだが……。

 それでも持ち主を探すのが使命と信じている。「この人を知っている」という閲覧者のひと言はヒントになるし、背景に写った文字を頼りに聞き込みを重ね、たどり着いた例もあった。

 「ここは『顔の見える街』だから」と陸前高田市「思い出の品」活動代表の秋山真理さん。「地域の確かなコミュニティー」は、大きな助力という。震災から間もなく3年。幸せだった日々の一枚を取り戻した被災者の笑顔と涙ながらの感謝の言葉が、地道な活動を支えている。【根本太一】

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マグロの解体を見ました/日本酒たくさん飲みました

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Cellules souches: Une nouvelle technique simple et prometteuse

Des chercheurs ont réussi à rajeunir des cellules matures pour les retransformer en ≪super cellules≫...

竹原のたけのこカレーです.見るだけで買わなかったので食べていません.

お仕事は予想通り早めに終わってしまいました.いいことか悪いことかよくわかりません・・・
仕方ないので午後は西条観光をしました.夕方6時半過ぎからはマグロの解体ショー(?)を見ました.ダイナミックです.結果的に日本酒をたくさん飲むことになってしまいました.

核のごみ処理 注目したい学術会議案

 長期間、強い放射線を出す使用済み核燃料、核のごみの処分について、日本学術会議が具体的な検討を開始した。最終処分を考える前に、まず暫定保管をどうするか。私たち自身の問題でもある。

 使用済み核燃料から再利用できるウランとプルトニウムを抽出する。それが再処理。搾りかすの液体をガラスで固め、金属製の容器に入れて、地中深くに埋める−。

 政府は再処理、再利用が前提の核燃料サイクル計画破綻後も、地層処分の方針を変えてはいない。

 科学者の立場から役割を担う日本学術会議は一昨年九月、独自に「暫定保管」を提案し、私たちも支持している。

 核のごみを数十年から数百年、処分ではなく、いつでも取り出せるように保管しながら、並行して安全に処分できる新技術、方法を探す。技術が確立するまでは、核のごみを増やさない「総量管理」の必要性も唱えている。

 人体に影響のないレベルになるまでに十万年。そんな先まで地中の変化を予測できないという、科学者の良心に基づく提言だ。

 ドイツの地層処分候補地だったゴアレーベンでは、想定しない地下水脈が見つかって、白紙撤回を決めたばかりだ。火山も水脈も多い日本で適地は見つけがたい。

 処分場候補地の選定は、全国の電力会社などで組織する原子力発電環境整備機構(NUMO)が、自治体から立候補を募る公募方式を採ってきた。開始から十一年。最大二十億円の交付金が出るにもかかわらず、進展がない。

 政府は昨年末、国が複数の適地を選び、直接自治体に受け入れを求める積極関与を表明した。

 福島事故の処理や補償が進まず、国、電力会社への不信がなくならない現状では、候補地の名前が挙がっただけで、大混乱を招くだろう。

 だとすれば、現状では学術会議が言うように、最終処分の看板は掲げず、再処理せず、冷却装置付きの容器に入れるなどして厳重に暫定保管するしかない。だが、どんな方法か、コストは、場所は…。検討はこれからだ。

 総量管理の観点からは、少なくとも最終処分の方法が決まるまで、原発の再稼働はすべきでない。だが、すでに出してしまった膨大な核のごみは無視できない。

 学術会議は九月には、技術課題や合意形成についての見解をまとめるという。国民的議論のたたき台として国も注目すべきである。


万能細胞:「革命的」 海外称賛、恩師も祝福

 「革命的」「iPS細胞を超える」−−。理化学研究所などの国際チームが30日、あらゆる細胞に変化できる万能細胞「STAP細胞」を作製したと英科学誌に発表したことを受け、海外メディアも驚きをもってその成果を電子版で速報した。

 英公共放送BBCは、再生医療への応用に慎重な見方を紹介しつつ、酸性の溶液に30分浸すだけという簡単な作製方法について「革命的」と称賛する研究者らの談話を紹介。読者が最も共有する注目ニュースになった。

 米ウォールストリート・ジャーナルなど主要経済紙も、中心となった理研発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子(おぼかたはるこ)・研究ユニットリーダー(30)の言葉を交えて詳報。韓国の中央日報も「iPS細胞よりさらにすごい発見」と評価する同国の専門家のコメントを付けた。

 小保方さんの恩師らも祝福の声を上げた。早稲田大先進理工学部の常田聡教授(生物工学)は教え子の快挙に「非常に輝かしい成果を短い期間で上げられたことは、驚いている。後輩たちにとっても励みになる」と笑顔。

 小保方さんは卒業研究で常田教授の指導を受けた。当時の印象を「考え方も行動も非常にユニーク。分からないことがあれば専門家に恐れずに聞きにいって突破口を開いていた」と振り返った。

 画期的な成果の要因の一つとして、小保方さんが応用化学科出身でありながら、再生医学を志して細胞生物学に転身したことを挙げ「寝る間も惜しんで努力した。常識にとらわれない斬新な視点」と分析した。

 論文共著者で、大学院生の小保方さんを指導した東京女子医大先端生命医科学研究所の大和雅之教授(幹細胞生物学)も「芯が強く負けず嫌い。若い彼女に大きなプレッシャーがかかることが心配。これからも見守っていきたい」と話した。

 下村博文文部科学相は国会内で記者団を前に「若い女性がリーダーとなって成果を上げ、研究者育成の観点でもすばらしい。支援をしたい」とたたえた。【八田浩輔、須田桃子、斎藤広子、斎藤有香】

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やることがなくなりそう???

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le chef-lieu 県庁所在地 la crèche 託児所 éduquer しつける accoucher 産む C'est pour ça que je suis venue en France. 私がフランスに来たのはそのためです.
呉のれんが通りです.
お仕事ですが,やることがなくなりそうです.早めに終わる???ということもありかもしれません.

東日本大震災/大川小検証報告/「避難遅れ」の解明が不十分

 地震後、数十分間も校庭にとどまったのは、やむを得なかったのか。それとも、何らかの落ち度を指摘されかねない対応だったのだろうか。
 東日本大震災で74人の児童と10人の教職員が死亡・不明になった石巻市大川小の津波災害をめぐって、検証委員会が最終報告書(案)をまとめて遺族側に示した。
 避難が遅れた理由の解明や責任の所在などについて、遺族側からさまざまな疑問が出されている。
 校庭から避難を開始した時には既に時機が遅かったことが、数多くの犠牲者をもたらす要因になった。報告書もその見方を示しているが、なぜそうなったのか、どこに責任を求めるべきなのかといった肝心の点ははっきりしない。
 遺族らが疑問や不満を抱いているのなら、検証委は報告書の内容を最終的に確定させるまで十二分に話し合い、説明責任を果たさなければならない。
 報告書によると、大川小では3月11日午後2時46分の地震発生後、机の下で身を守り(一時避難)、次いで校庭に全員が出た(二次避難)。校庭から北上川により近い「三角地帯」と呼ばれる場所に向かい始めた(三次避難)のは、午後3時33分か34分と見積もられている。
 おそらく40分から50分程度は校庭にとどまっていたとみられるが、それが避難行動の遅れに決定的な影響を及ぼしたのは明らかだ。
 児童や教職員の一部が訴えていたという校舎南側の山への避難はもちろん、三角地帯への避難であってももっと早い時間帯だったら、状況はかなり違っていた可能性が高いだろう。
 常識的に考えて、校庭にとどまった時間は長すぎる。理由はもはや推測するしかないが、報告書は教職員の根拠のない「楽観的思考」などによって「危機感が高まらなかった」といった可能性を指摘した。
 ただ、校庭にこれほど長くいるのであれば、周辺よりも安全だという判断が土台になっていなければならないが、そうとも言い切れない。
 大震災の2日前に宮城県沖で起きたマグニチュード7.3の地震で津波注意報が出た際、大川小では校庭に避難し約20分間待機した。避難後、教職員の間で北上川の堤防を越えるような規模の津波に備え、より安全な避難場所を確保する必要性などが話し合われた、と報告書は記している。
 つい2日前、大規模な津波が襲来すれば校舎も校庭も安全でないという意見が出ていたのなら、大津波警報が発令されてもなお校庭にとどまったのは理解し難い。まして、雪が降って暖房の準備をしたほど寒くなっていた。
 検証委はさらに証言などを調べ、可能な限り避難行動の遅れについての解明を目指すべきだ。判断の是非や責任の所在もより明確にすることが不可欠だ。「楽観的思考だった」では済まされないだろう。


東大:推薦入試は定員100人 枠は各校男女1人ずつ

 ◇各学部5〜30人、センター試験受験は必須

 東京大は29日、2016年度入試から同大として初めて導入する推薦入試の概要を発表した。対象は入学定員約3100人のうち100人。推薦枠は各高校男女1人ずつ(男子校、女子校の場合は1人)までで、基礎学力を確認するため大学入試センター試験の受験を課す。

 東大によると、推薦入試は「受験秀才」だけではなく、特定分野に秀でた能力や意欲を持った生徒など、多様な学生を獲得するのが狙い。各学部の募集人数は5〜30人。願書受け付けは11月で、調査書や志願理由書などの書類審査に合格した生徒を対象に12月に面接を実施。1月のセンター試験の結果で最終合格を決定する。センター試験の受験科目は学部ごとに決まっており、合格レベルの得点はおよそ8割を目安としている。浪人生も対象となる。

 推薦入試の導入に伴い現行の後期日程入試は廃止する。東大は「推薦入試で入学した学生が東大、ひいてはグローバル社会の活力の源として活躍することを期待している」と話している。

 東大同様、これまで学力試験のみの入試を続けてきた京都大も16年度入試から初めて、書類審査を中心に評価する「特色入試」を導入する。【三木陽介、水戸健一】

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Sz先生が亡くなる夢/ホルモン焼きが500円

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朝,大学の頃お世話になったSz先生が亡くなるという夢を見てしまいました.しかも目が覚めると8時過ぎているし・・・
とにかく朝ごはんに納豆定食を食べてお仕事に向かいました.最初はイマイチでしたが,途中から順調です.時間が余ったこともあり分散をしました.
つむぎ,というお店でホルモン焼きをいただきました.なんと500円.お得です.

フランス語はお休みです.
NHK会長発言 公共放送の信頼損ねた

 そもそも適任だったのだろうか。NHK新会長、籾井勝人(もみいかつと)氏である。経済界からの就任だが、放送の役割を深く理解しているとは言い難い。公共放送の信頼を損ねたのなら、退場願うしかあるまい。

 籾井氏は、NHKが従うべき放送法第一条の「目的」に掲げられた「不偏不党」の意味を取り違えてはいないか。例えば、昨年暮れの臨時国会で与党が強行可決した特定秘密保護法である。

 籾井氏は就任会見で「一応(国会を)通っちゃったんで、言ってもしょうがない。政府が必要だと言うのだから、様子を見るしかない。昔のようになるとは考えにくい」と述べた。

 同法は、防衛・外交など特段の秘匿が必要とされる「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す内容だが、法律の乱用や人権侵害の可能性が懸念されている。

 にもかかわらず「昔の(治安維持法の)ようになるとは考えにくい」と言い張るのは、一方的な見解の押し付けにほかならない。

 秘密保護法を推進した安倍晋三首相側への明らかなすり寄りで、もはや不偏不党とはいえない。

 首相の靖国神社参拝も同様だ。籾井氏は「昔の人は『死んで靖国に帰る』と言って心を慰めた。千鳥ケ淵(戦没者墓苑)ではだめだという人が大勢いる」と述べた。

 賛否が分かれても、時の政権の主張に唯々諾々と従うことを、不偏不党と考えているのだろうか。

 さらに、籾井氏は「従軍慰安婦は今のモラルでは悪いが、現実としてあった。戦争地域ではどこでもあったこと」とも語った。

 女性の人権を著しく蹂躙(じゅうりん)した従軍慰安婦の存在を、戦争中という理由で肯定的にとらえるのは、公共放送のトップとしての見識が疑われても仕方があるまい。「個人の発言」では済まされない。

 心配なのは、籾井氏の会長としての資質に加え、会長や安倍内閣寄りの委員が加わった経営委員会の考えを忖度(そんたく)し、制作現場が萎縮したり迎合したりして、放送内容が政権寄りに改変されることだ。

 NHKは視聴者の受信料と信頼で成り立つ、民主主義国家たる日本の公共放送だ。どこかの専制国家の国営放送のように、権力側の言い分を押し付けるのなら存在意義はない。

 良識あるNHK職員には奮起を促したい。放送法第一条「目的」の三項にはこうある。「放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」


NHK会長発言 公共放送の信頼失った

 NHK新会長の籾井(もみい)勝人氏が就任記者会見で従軍慰安婦問題などについて、不見識な発言を繰り返した。公共放送のトップとしての自覚のなさ、国際感覚の欠如に驚くばかりだ。その資質が大いに疑問視され、進退が問われてもおかしくない。そして、彼を選んだ経営委員会も、任命責任を免れない。

 籾井氏は25日に会長に就任した。任期は3年。NHKは受信料で成り立つ公共放送であり、政府から独立して、健全な民主主義の発展に貢献する役割を担っている。そんな自覚が感じられない会見だった。

 まず、籾井氏は従軍慰安婦について「戦争地域にはどこにもあった」「なぜオランダに今も(売春街を示す)飾り窓があるのか」と発言した。慰安婦問題には、さまざまな議論がある。しかし、女性の人権に対する深刻な侵害だ。他国を引き合いに出して正当化するつもりではないかと海外から思われかねない。

 一方、慰安婦問題について語る中で、売春一般について言及すること自体に違和感がある。そのうえ、オランダ人女性が慰安婦問題の当事者でもあることを考えれば、著しく配慮に欠けた乱暴な発言だ。

 また、日本と韓国は目の前の摩擦をどう和らげるべきか、取り組まなければならない。それなのに、NHK会長がこんな発言をすれば、溝は深まるばかりだ。

 不十分な審議のまま強行採決された特定秘密保護法については、「一応(法案が)通ったので、もう言ってもしょうがないんじゃないか」「政府が必要だという説明だから、様子を見るしかない。あまりカッカする必要はない」と発言した。

 秘密指定が適切なのかチェックする仕組みが整っておらず、将来的な原則公開も担保されていない。条文の解釈をめぐって人権と衝突しかねないなど、さまざまな問題が挙げられている。取り組むべき課題が山積する法律であり、それを指摘するのはメディアの仕事だ。

 安倍晋三首相の靖国参拝問題については「総理の信念で行ったので、いい、悪いと言う立場にない」と発言した。これは国際的な議論を招いている問題だ。その背景を報道し、いろいろな意見を紹介して、問題を多角的に整理したうえで、議論を深めるのが放送機関の役割だろう。

 籾井氏は「個人的な意見」と言うが、そんな言い訳が通用するだろうか。公人として、抱負を述べる場での発言だ。また、たとえ個人的な意見であっても、NHKの報道や制作の現場がトップの意向をそんたくし、萎縮してしまう懸念が否定できない。そんな公共放送が内外の信頼を保てるだろうか。


NHK新会長―あまりに不安な船出

 公共放送のトップを任せられるのか。強い不安を感じる。

 NHK新会長の籾井勝人(もみいかつと)氏が就任会見で、政府の立場に寄り添うような発言を繰り返した。

 尖閣諸島・竹島などの領土問題で、一部経費を国が負担する海外向け放送による政府見解の発信強化に意欲を見せ、「政府が右ということを左というわけにはいかない」と述べた。

 安倍政権が世論の反対を押し切って成立させた特定秘密保護法も、「必要だとの政府の説明だから、とりあえず受けて様子を見るしかない」と語った。

 籾井氏は、「政府からふきこまれたわけではない」とし、自身の見解を番組に反映させる意図がないことも強調した。

 だが一方で、議論を呼ぶような問題をとりあげる番組では「了解をとってもらわないと困る」と、会長としての方針も示した。現場を萎縮させる恐れはないのだろうか。

 公共放送の先駆けである英BBCは、フォークランド紛争やイラク戦争で必ずしも英政府を支持せず、客観的な報道に努めた。時の政権からは非難されたが、国際的な評価は高まった。

 NHKが向くべきは政府ではなく、受信料を納める国民の方である。放送内容が政府の宣伝ととられれば、海外での信頼もかえって損なわれよう。

 籾井氏は「放送法順守」を何度も口にした。大事なのは「健全な民主主義の発達」と明記された法の目的に照らし、社会の諸問題について、視聴者に多角的な視点や 情報を提供することだ。その使命を果たす覚悟がなければ、会長は務まらない。

 籾井氏は個人的見解と念押ししたうえで、従軍慰安婦についても持論を展開した。「今のモラルでは悪いが、戦争をしているどこの国にもあった」とし、補償を求める韓国側の動きには「日韓条約で解決している。なぜ蒸し返すのか」と述べた。

 これには与野党から批判が相次ぎ、韓国でも反発を招いた。大手商社での国際経験を買われての人選だったはずが、いったいどうしたことか。

 昨年末の経営委員会では会長任命に先立ち、「言葉の選び方には留意して」と注文されていた。籾井氏は昨日、「私的な考えを発言したのは間違いだった」と釈明したが、早くも懸念が的中した形だ。

 NHKが自主自律を守るには不断の努力が必要だ。予算承認権を握る国会では、政治が干渉してくるリスクは常にある。会長はそれを率先して防ぐべき立場だ。自らの発言が審議対象になるようでは困る。

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広島出張です/広島県立美術館でしんどい

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Hollande-Trierweiler : le récit des dernières heures d’un couple
Paris, le 11 juin 2013. La séparation entre Valérie Trierweiler et François Hollande s’est négociée tout au long de la semaine, par textos, au téléphone et lors d’un déjeuner en tête-à-tête jeudi.

広島出張です.昼に時間があったので広島県立美術館に行きました.
印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで

19世紀のフランスにモネやルノワールから始まった印象主義が生まれ,その後ゴッホやゴーギャンなどの後期印象派やスーラなどの新印象主義が登場します。彼らは印象派が始めた筆触分割を推し進め,点描主義といわれる画面を点で覆いつくす技法を生み出します。この展覧会ではオランダのクレラー=ミュラー美術館所蔵作品を中心に,スーラ,シニャック,ゴッホなどの点描主義,その究極の到達点であるモンドリアンの幾何学的抽象絵画までの名品約90点で構成します。


いい展示会だったと思うのですが,途中までしんどくて絵どころではありませんでした.

クローズアップ現代「あしたが見えない〜深刻化する“ガールズ・プア”〜」
今、単身女性の3分の1が年収125万円以下の生活を余儀なくされている。特に深刻なのが若い女性の貧困である。最前線ルポを通して現代社会の新たな課題を浮き彫りにする
臨床心理士…鈴木晶子,NHK報道局記者…村石多佳子,キャスター 国谷裕子


三陸鉄道:南リアス線4月5日、北線は同6日に運転再開

 ◇震災から3年余り 全線107.6キロ復旧

 岩手県沿岸を走る第三セクター・三陸鉄道(本社・宮古市)は27日、東日本大震災で不通が続いていた区間について、南リアス線は4月5日、北リアス線は同6日に運転を再開すると発表した。震災から3年余りで全線計107.6キロが復旧する。

 三陸鉄道は津波で317カ所が被災。全線がストップしたが、徐々に運転再開区間を延ばし、南リアス線は吉浜−釜石15キロ、北リアス線は小本−田野畑10.5キロのみ残していた。盛岡市で記者会見した望月正彦社長は「地域の皆さんに必要なインフラだと理解していただき、ここまできた。今まで以上に愛される鉄道を目指す」と話した。【安藤いく子】


うっすらと雪化粧 仙台、氷点下の朝

 冬型の気圧配置と寒気の影響で宮城県内は27日、厳しい冷え込みの朝を迎えた。西部の山沿いを中心に昨夜から雪が降り続き、仙台市中心部もうっすらと雪をまとった。
 仙台管区気象台によると、27日朝の最低気温は大崎市古川氷点下5.9度、石巻同4.9度、白石同4.7度、仙台同2.9度など。比較的過ごしやすかった前日朝を各地で下回った。
 27日朝までの24時間降雪量は古川8センチ、白石4センチ、仙台2センチなど。雪は通勤通学の時間帯も歩道などに残り、市民らは足元を気にしながら職場や学校へ急いだ。
 気象台によると、28日の県内は、朝のうち放射冷却の影響で冷え込む見込み。各地の予想最低気温は仙台氷点下3度、白石同8度など。気象台は路面や水道管の凍結に注意を呼び掛けている。日中は前線の接近で冬型の気圧配置が緩み、最高気温は仙台で3月下旬並みの10度が予想される。


函館市民に不安の波 大間原発建設差し止め提訴へ

 電源開発(Jパワー)が建設中の大間原発(青森県大間町)をめぐり、北海道函館市が同社と国に建設差し止めを求める訴訟提起に向け、準備を進めている。提訴に踏み切れば、自治体が国を相手に原発訴訟を起こす初のケースになる。工藤寿樹市長の決断を、市民の原発に対する不安感が後押しする。(むつ支局・加藤健太郎、青森総局・藤田和彦)

 1月下旬、厳冬の函館市。観光地で知られる函館山に登ると、雪に覆われた市街地の向こうに、津軽海峡を挟んで青森県下北半島が見えた。約30キロ離れた大間原発の工事現場も、はっきり確認できた。
大半が「賛成」
 「原発は安全だと思っていたが、そうではなかった。大間で事故が起きたら、函館にも被害が及ぶ」。市役所近くで市内の女性会社員(40)は不安を率直に口にした。
 同市の職場に勤務する北海道北斗市の男性会社員(46)は「立地地域には交付金などのメリットがあるが、こちらはデメリットだけだ。事故のリスクだけを負っている」と厳しい表情で話した。
 福島第1原発の事故後、市民の間では大間原発への不安が一気に高まった。工藤市長が提訴方針を打ち出した2012年10月以降、市には電話を除きメールやファクス、投書などで431件(13年9月末現在)の意見が寄せられた。賛成する意見が402件、反対は11件だった。
 工藤市長は22日の定例記者会見で、訴訟費用の寄付を申し出る市民が多数いることを明かした。世論を後ろ盾に「原発は函館だけの問題ではない。全国から注目を集められるようにしたい」と決意を語った。
 既に差し止め訴訟を起こしている市民グループ「大間原発訴訟の会」(函館市)の事務局は「市は『自治体崩壊』という危険性を掲げる。裁判の相乗効果が期待できる」と話した。
 市内部には、補助金などの面で国との関係を懸念する向きもあった。裁判が長期化する可能性もあるが、原発問題を担当する三原克幸総務部参事は「市長の腹は固まっている」と強調した。
連携強化 必要
 大間原発の建設工事が進む大間町は、函館市の動きを静観する。両市町間にはフェリー航路があり、同町から函館に通勤、通院する住民も多い。15年度の北海道新幹線開業を控え、連携強化が期待されている。
 金沢満春町長は「こちらからあれこれ言う話ではない。(北海道新幹線開業後は)今まで以上に強い結び付きが必要だ。原発問題が尾を引くのは互いにすべきではなく、影響はない」と話した。


大川小津波災害 遺族、最終報告案を疑問視

 東日本大震災で児童と教職員計84人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の津波災害で、第三者の事故検証委員会は26日、最終報告書案についての遺族向け報告会を石巻市内で開いた。遺族から疑問や調査不足を指摘する声が続出し、2月9日に再び意見交換をすることになった。
 報告会は非公開で行われ、遺族は約30人が参加。検証委からは室崎益輝委員長と、事務局を務める社会安全研究所(東京)の首藤由紀所長らが出席した。
 遺族の説明によると、遺族側は最終報告書案について約90項目の疑問点を用意。多くの犠牲者を出した要因について「教職員の避難の意思決定が遅れたこと」などとした分析に対し、「意思決定の遅れが犠牲を招いたのは明らか。知りたいのはなぜ意思決定が遅れたのかという要因だ」と質問した。
 助かった男性教諭の証言の矛盾点を指摘したり、多くの犠牲者が出た責任の所在を明確にするよう求めたりする意見も出たという。遺族の疑問点の半分程度しか質疑できず、最終報告書をまとめる前に、室崎委員長が再び遺族と意見交換することが決まった。
 6年だった次女を失い「小さな命の意味を考える会」を設立した佐藤敏郎さん(50)は「最終報告書案は疑問や矛盾が多く、大幅に変えてもらわなくては最終報告書にはならない。3年間ずっと思いを訴え続けてきたのだから、伝わるはずと信じている」と語った。


震災後の心のケア考える 支援者交流、医師ら講演 仙台

 東日本大震災後に精神面の不調を訴える被災者の支援について考える「震災心のケア交流会みやぎ」が25日、仙台市青葉区のTKPガーデンシティ仙台勾当台であった。仮設住宅から災害公営住宅への入居が増えていく現状に見合った支援策を話し合った。
 宮城県内の生活相談員、医師、行政やNPOの関係者ら約100人が参加。阪神大震災(1995年)や新潟県中越地震(2004年)の被災者支援に携わる医師らが講演した。
 兵庫県こころのケアセンターの加藤寛センター長(精神科医)は「生活再建のめどが立った人と、仮設に残る人との格差は年々広がり、複雑な感情が生まれる。多様な機関が連携し支援に取り組むべきだ」と述べた。
 小千谷地域こころのケアセンター(新潟県)の本間道雄主任専門員は「集合住宅に慣れていない被災者は、隣人との距離の近さがストレスになり孤立してしまう。自然に交流できる場の設置が必要だ」と指摘した。
 参加者が12グループに分かれ、活動の現状や課題を語り合うワークショップもあった。
 ケア交流会は7回目。県精神保健福祉協会みやぎ心のケアセンターなどが11年6月に始めた。


椿まつり開幕、復興へ一歩 伊豆大島、郷土芸能も披露

 ヤブツバキの見ごろに合わせ、伊豆大島(東京都大島町)恒例の椿(つばき)まつりが26日、始まった。昨年10月に土石流に襲われ、開催が危ぶまれていた。島は基幹産業の観光で復興へ一歩を踏み出そうとしている。

 今年で59回目。紺絣(こんがすり)の着物に前垂れ姿の「あんこ」さんやみこしが練り歩く行列は自粛した。土砂で壁が流された建物などがコース沿いに残るためだ。開会式も被災地域の反対側にある都立大島公園に移した。3月23日までで、珍しい園芸種のツバキのほか、「大島民謡」や「あんこの手踊り」など郷土芸能が楽しめる。来島者の9割が利用する東海汽船によると、予約は例年の6割程度という。


以下引用です.

**********抗議声明********

安倍首相の責任を問う!
籾井勝人NHK新会長は発言の責任をとって直ちに辞任せよ!


1月25日、NHK籾井勝人新会長は就任会見で「慰安婦」問題に関連「戦争地域にはどこでもあった」「ドイツ、フランスなどヨーロッパはどこでもあった」「慰安婦そのものは今のモラルでは悪い。だが、その時の現実としてあっ
た」など問題発言を繰り返し、辞任論に発展しています。これは昨年5月の橋下徹大阪市長による「慰安婦は必要だった」「どこの国にもあった」という発言と重なります。橋下市長発言は女 性に対する人権侵害であり被害者の尊厳を踏みに じる発言として瞬く間に広がり、国内はもとより世界中で非難が起こったことは記憶に新しいところです。続けて「韓国は日本だけが強制連行 したみたいなことを言うからややこしい。お金をよこせ、補償しろとっているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜ蒸し返すのか」と述べています。
こうした発言は間違った事実認識をさらに広めるもので、公共放送の長にあるまじき言動です。「慰安婦」問題に関して言えば、発案、設置、管理に至るまで日本政府と軍が主導した「戦時性奴隷制度」であることは数々の証言、文書等で明らかになっており、募集においても軍の要請を受けた民間業者らが関与したことが明らかになっています。このような国家主導の性奴隷制度は、日本を除けば、ドイツで類似のものがあったとされている以外には確認されていません。籾井会長は、そうした一つひとつの調査・研究の積み重ねを無視し、公の場で持論を展開し、無知をさらけ出しました。戦時下・武力紛争下で女性に対する性暴力は、現在も世界各地で続いています。しかし、他国の例を責任逃れの文脈で語る籾井会長の発言は、被害の連鎖を断ち切ろうとする日本軍「慰安婦」被害者たちの願いに真っ向から逆行するものです。私たちは、日本政府が被害者たちの要求に応えることこそ、今も続く戦時下における性暴力の再発防止に役立つことだと改めて訴えます。
今回のことで私たちは2001年のNHK「慰安婦」番組改ざん事件を思い起こさずにはいられません。当時の安倍晋三内閣官房副長官らが中心になってNHKに圧力をかけて「慰安婦」関連番組を改ざんさせました。裁判では最高裁で敗訴したもののBPO(放送倫理・番組向上機構)は意見書を通じて放送前にNHK幹部管理職が政府高官・与党有力政治家に面談し、改編を指示したことをNHKの自主・自律を危うくさせる行為であると指摘しています。
昨年11月、安倍首相がNHK会長の任命権を持つNHK経営委員会に自らの歴史認識に近い委員らを送り込んだことは、 「NHKと政権との距離が問われかねない人事」と問題視されてきました。まさに、今回の事態は、心配されたことが現実化したということです。番組編集権を持つ会長人事を経営委員会が持ち、その経営委員会の任命権者が首相であることを利用して、かつてNHKのいち番組に国会議員として改ざん要求を出した 安倍首相が、今度はNHKの番組全体に自らの意向を反映させるべく、その権限を濫用したとしか言いようがありません。
このたびの会見を通して、籾井氏がNHK会長としてふさわしい人事でないことは明確になりました。私たちは、このような不見識な人物の会長就任を促した安倍首相の責任を厳しく問うとともに、籾井氏の即刻辞任を強く求めます。
そして何よりも、このようなことが再び繰り返されれば、戦時性奴隷制の被害者たちをさらに傷つけます。戦時下・武力紛争下での女性への性暴力をなくそうという世界の人権の流れに応え、安倍政権が速やかに日本軍「慰安婦」問題の解決をはかることを要求します。

2014年 1月27日
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動
共 同代表  梁澄子 渡辺美奈
連 絡先:アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)気付
〒169-0051東京都新宿区西早稲田2-3-18 AVACOビル2F
e-mail:ianfu-kaiketsu at freeml.com
fax: 03-3202-4634

フランス語
フランス語の勉強?

しんどい1日/朝・昼とお酒を飲んでしまいました

ブログネタ
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kaki_zassoan_140112J'ai revu une femme que je n'avais pas vu depuis dix ans.
10年来会ってなかった女の人に再会した.

朝から気持ちがしんどく,布団でダラダラ.Shさんが励ましのメールをくれたのでどうにか,1日を過ごせた感じです.朝も昼もお酒を飲んでしまいました.

夜 雪が降っていました.

消費税転嫁拒否/「下請けいじめ」は許されぬ

 4月に消費税率が5%から8%に引き上げられるのに伴い、立場の弱い中小の納入業者が、大規模小売業者らに増税分の価格転嫁を拒まれる。そんな懸念が現実のものとなっている。
 経済産業省の調査で中小事業者の7%超が、既に拒否されているか、その恐れがあると回答。経産省と公正取引委員会は昨年10月施行の消費税転嫁法に基づき、名指しされた大手取引先に立ち入り検査を始めた。
 円安で原材料費や燃料費の上昇にあえぐ中小企業が、納入価格に増税分を円滑に上乗せできず自己負担を強いられれば、経営は苦しさを増す。
 そのことは地域経済を一層冷えさせる。大震災被災地では雇用不安も広げ、道半ばにある復興の足を引っ張りかねない。転嫁拒否の動きが広がれば、安倍政権が掲げる経済の再生にも水を差すことになる。
 そうした「下請けいじめ」を許してはならない。政府は指導と監視を徹底し、必要なら適切な是正措置を講ずるべきだ。
 経産省の調査は11月に行われ、15万事業者を対象にしたものの、回答したのは7%弱の約1万。その中で750社が「転嫁拒否を受けている」、または「受けることを懸念している」と答えた。
 増税分を納品価格から値引きするよう求められたり、転嫁を認める代わりに利益の提供を要求されたりするほか、交渉自体を拒否される例もあった。
 建設業や卸・小売業を中心に、そうした動きを指摘された268社が立ち入り検査の対象となった。重大な違反があれば、経産省が公取委に是正を勧告し、企業名を公表する方針だ。
 政府は違反を監視し摘発するため、東北の25人を含め全国に「Gメン」の役割を担う調査官約500人を配置している。
 日本商工会議所の調査では、1997年の前回消費税率アップ時に増税分を転嫁できなかった小規模・零細事業者は全体の5割を超えたという。
 今回は景気回復基調にあるとはいえ消費の二極化がいわれ、長いデフレ下で消費者の低価格志向が根強い中での増税だけに、より強い不安がつきまとう。価格転嫁を求めれば、取引先からの注文が減りかねないとして「自粛」する恐れも否めない。
 経産省の調査では、対象のうち9割を超す事業者が回答を寄せていない。取引先の「告発」をためらう業者はいなかったか。いずれにしても今回の調査結果は氷山の一角にすぎない。
 ただ、大手がコスト削減を含め自助努力で価格を据え置く動きは歓迎したい。
 そうした価格形成過程の「白と黒」を見極めるためにも、Gメンたちが、埋もれた中小企業の声を一つ一つ、根気強く拾い上げていくことが必要だ。
 安倍政権が目指す経済好循環の鍵を握るのは、中小企業の賃上げと言っていい。その実現に向け、経営環境を改善するため、円滑な価格転嫁は避けて通れない。下請けいじめに、しっかりと目を光らせていきたい。


日中韓の歴史対立 摩擦和らげる努力を

 日中韓3国の外交摩擦が、あまりに深刻な水準に達している。特に日本と中国の対立が険悪に見えるが、中国と韓国が連携して日本を圧迫するような構図もあり、怒りを募らせている日本国民も少なくない。

 そしてこの摩擦は、時が過ぎれば沈静化するという状況には見えない。これは悩ましいと言うより、危険と言うべき段階ではないか。

 3国は少しでも早く、目の前にある摩擦を和らげるための取り組みに着手すべきである。

 日中韓3国はいかなる意味でも、敵視しあってはいけない。敵視すれば本当の敵になる。仮に深刻な対立が起きたとしても、状況を冷静に見定め、穏当な解決の道を模索せねばならない。

 それにしても、かつて韓国、中国の経済発展を大いに支援し、日韓友好、日中友好を喜んだ日本国民の落胆は深い。

 初代韓国統監だった伊藤博文元首相を暗殺した安重根(アンジュングン)をめぐり、韓国の朴槿恵(パククネ)大統領が中国に要請した内容をはるかに超える安重根記念館が中国・ハルビンに設立され、中韓蜜月が華々しく演出されているのを見て、快く思う日本国民はいないだろう。残念なことである。

 一方、昨年末の安倍晋三首相による靖国神社参拝以降、米国だけでなく欧州にも安倍政権への疑念が生じている。

 世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席した安倍首相が海外主要メディアとの懇談で、現在の日中関係について尋ねられ、第一次大戦前の英独関係に触れたことも波紋を広げている。中国側は「時代錯誤だ」などと激しく批判した。海外には、日中の偶発的衝突を懸念する声もある。

 日中韓の対立が極めて激しい様相になったのは、2012年に起きた韓国大統領の竹島上陸と天皇陛下への謝罪要求、尖閣諸島国有化をめぐるあつれきや、大規模な反日デモ、中国の艦船による領海侵犯など極端な摩擦が起きてからである。その後に安倍政権に交代したが、摩擦は一向に収まらない。

 さらに安倍首相の靖国神社参拝がこうした対立をいっそう深刻なものにした。とはいえ、もちろん中国、韓国の責任も重いと見るほかない。

 自分の国の利益ばかりを優先し、自らの一方的な正義を主張し続けるなら、北東アジアの平和と安定など望むべくもない。

 日中韓3国の政治指導者たちは、摩擦の相手方を軽率に刺激してはならない。既に深刻な事態が生じつつあることを肝に銘じるべきである。

 日中韓を世界が注視している。日本国民もそれを忘れてはいけない。


シリア会議―民衆の救済が最優先だ

 中東のシリアの人口は2200万。ちょうど東京都と神奈川県を合わせた数である。

 東京・神奈川で4人に1人が自分の家を追われ、200万人が国外へ逃げ出している事態を想像できるだろうか。

 3年に及ぶ戦火と処刑などで十数万の命が失われ、それが今も日々増えていたら……。

 いま最も優先すべきは、国際政治の打算や民族対立の折り合いをつけることではない。

 戦闘の即時停止と、「人道的に恥ずべき規模」(国連)にまでなった難民の救済である。

 長らく延期されていたシリアの和平会議が、スイスで開かれている。アサド政権と反政府勢力が初めて同じ席についた。

 交渉の前途は、あまりに険しい。戦況で優勢に転じたアサド政権には、独裁体制をゆるめる気配はうかがえない。

 反政府勢力は分裂しており、会議にやってきた「シリア国民連合」がどれほどの勢力を代表しているのかもあやふやだ。

 とはいえ、たとえ非難の応酬になっても、すべての出発点は対話でしかない。

 交渉のカギをにぎるのは当事者たちだけではない。むしろ、彼らを取り巻く主要な国々こそ果たすべき責任は大きい。

 シリアの情勢は、複層的な代理戦争の様相を呈して久しい。米欧対ロシア、そしてイラン対アラブ諸国の構図である。

 米欧はアサド政権の退陣を前提とするが、ロシアは拒んでいる。会議がめざす「移行政府」の考え方は同床異夢だ。

 イランは結局、この会議に招かれなかった。直前に国連事務総長が招待を取り消したのも、イランがアサド退陣を受け入れる考えがないからだ。

 だが一部の西欧諸国からは、今は政治体制にこだわらず、停戦地域と人道支援の拡大を急ぐべきだとの声が上がっている。

 シリアには、戦火のため国際救援の手が届かず、飢餓や医療不足にあえぐ地域が多くある。国連の報告では、国民の半数が貧困に直面している。

 政治論争より、人命を救う措置が先決なのは当然だろう。会議では少なくとも、休戦地域を広げるめどをつけるべきだ。

 長期的な和平構想づくりは、イラン抜きにはあり得ない。皮肉にも、長年の懸案であるイラン自身の核問題をめぐっては、昨年の国際合意で制裁も緩められ、雪解けムードにある。

 シリアを中東の失敗国家として置き去りにしてはならない。日本政府も支援金の上積みにとどまらず、積極的に停戦実現への貢献策を探るべきだ。


東日本大震災:いじめやストレス…子供の心の復興はいつ?

 滋賀県で26日まで開催された日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会で、東日本大震災による被災でストレスを抱え、友人との関係をうまく築けない子供たちの現状が報告された。東京電力福島第1原発事故に絡む「いじめ」の発表も。「心の復興」の難しさが浮き彫りになった。

 「原発の所に帰れ」。福島県内の中学校に勤務する女性講師(27)は、けんかでの生徒の言葉に胸を痛める。「軽い気持ちなのだろうが、言われた子供は深く傷つく」。こうしたいじめは昨年から目立ってきたという。

 中学の北に位置する原発周辺地域からの転校生を「脱北者」と呼び、のけ者にするケースも。女性講師は「原発さえなければとの思いから、原発近くで暮らしていた人に怒りの矛先が向く雰囲気があり、子供も影響を受けている」と述べた。

 「震災でたくさんの人が亡くなったのを見たのに、平気で『死ね』『消えろ』と言う」。津波被害を受けた沿岸部の小学校で3年生の学級担任をしている男性教諭の報告だ。

 1、2年時に他校の体育館などに間借りして授業を受け、仮設住宅暮らしが長い子供もいる。男性教諭は「ストレスを抱えて相手の気持ちに寄り添えず、人間関係を築けない子供が増えた。発達に課題のある児童は学級の半分」と明かす。

 震災前の3年生にできた集会での整列が、今の学年にはできない。「震災の混乱で学校が十分しつけをできず、保護者も子供をみる余裕がない。『荒れる』背景をきちんと分析しなければならない」と教諭は語った。

 3日間で約1万人が参加した集会は26日、「すべての子供に豊かな学びを保障することの重要性を共有した」などとするアピール文を発表し、閉幕した。【田中将隆、水戸健一】

フランス語
フランス語の勉強?

予約が間違い→再予約/気持ちしんどいです

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iwakuni_renkonAiさんからメールがなくて残念ですが,仕方ありません.
岩国れんこんです.
朝ゆうゆう窓口でMasterカードを受け取ってから仕事です.
日程を間違えていて,再予約です.キャンセルは大阪駅で・・・なので明日します.

天気はよく暖かで,手袋やマフラーなしでも寒くないです.でも気持ちがしんどいです.
市営住宅の高層建物から飛び降り自殺をしようなんて考えてしまいました.マズイです.Shさんとメールのやり取りして,少し元気になりました.
そういうわけでフランス語のお勉強はお休みです.

伊豆大島の台風直撃から約3カ月.仮設への入居が始まったのはいいことですが,まだこれからと思うと私も胸が痛くなってきます.

伊豆大島、仮設住宅の入居始まる 39世帯90人

 伊豆大島(東京都大島町)に仮設住宅46戸が完成し、25日、昨年10月の土石流災害で自宅を失った被災者の入居が始まった。公務員住宅や親戚宅に身を寄せてきた39世帯90人が対象。

 被害が大きかった元町地区から約3キロ離れた、旧北の山小学校の校庭に都が建てた。1棟に3〜4戸が入る長屋のプレハブ住宅で、間取りは1DK、2DK、3Kの3種類。集会所もある。入居期間は2年間。

 元町地区の自宅が全壊した会社員白石利昭さん(35)はこの日朝、長女(6)と長男(4)を保育園に預け、妻由樹さん(29)とアパートから荷物を運び込んだ。「子供が慣れてくれるか、ちょっと心配。頑張って家を建てたい気持ちもあるが、まずはここでじっくり考えたい」

 町は被災者らに被災地域へ戻ってもらうか、代替地に移転してもらうのか、9月をめどに策定を進める復興計画で方針を示す。ただ、被災地域に戻る場合は土砂の除去、砂防施設や避難対策の整備が必要。代替地も安心な場所を確保する見通しは立っていない。

 土石流災害では、町民ら36人が亡くなり、いまだ3人の行方が分かっていない。住宅71棟が全壊するなど、約400の建物に被害が出た。直後にも台風が接近して一時、約1300人が避難所に身を寄せた。(古城博隆)


仮設目的外使用拡大へ 空き住居、柔軟利用 復興相

 根本匠復興相は24日、東日本大震災の被災地の仮設住宅について、被災者だけが原則入居できるとした基準を緩和する考えを明らかにした。閣議後の記者会見で「実情に応じ、空き住居の使用が可能になるよう対応を協議している」と述べた。

 仮設住宅は災害救助法に基づき、被災者以外では復興支援のボランティアと自治体の応援職員だけが入居できる。住宅再建が進むなどし、岩手、宮城、福島3県の空室割合は13.3%(昨年11月1日現在)になるなど、増加傾向にある。
 被災地には民間の賃貸住宅が少なく、転入する人の住まいが確保しにくい地域もある。「仮設住宅に入居できる条件を緩和し、Uターン者や新規就労者に認めてほしい」(岩手県大槌町)との要望が上がっていた。
 仮設住宅の設置主体は県で、政府は地方自治法に基づく目的外使用の許可を認める方針。県の判断で、入居者の対象を広げることが可能になる。
 根本氏は「一時的な活用への要望がある一方、復興には仮設住宅の集約撤去を早く進めることが重要との市町村もある。内閣府と最終的な協議をし、具体的に運用をする自治体と相談したい」と述べた。


あの時代、今と重なる 反戦小説家演じる大竹しのぶさん

 特定秘密保護法を作った安倍政権は、集団的自衛権の行使容認、憲法改正へ向けて動き出した。東京・新宿で上演されている井上ひさし作「太鼓たたいて笛ふいて」。従軍記者から戦後、反戦小説家となった林芙美子を演じる俳優の大竹しのぶさん(56)には、あの時代が今の世の中と重なって見えるという。

 2002年に初めて演じてから4度目の公演となる。「前よりも深く、真実味を感じている。いまの日本の状況をみて井上さんが書いたのかな、と思うほどです」。5日目の公演を終えた20日、大竹さんはかみしめるように話した。

 劇の中で「物語を決めるのは この国のお偉方」と歌い、芙美子は従軍記者になる。しかし、日本軍による侵略を目の当たりにし、ウソの物語に踊らされたことに気づく。「無知な人間の妄想ほどおそろしいものはないわ」

 昨年12月、たくさんの反対や懸念の声を押し切って秘密法が成立した。大竹さんも、反対する映画人の会に名を連ねた。

 「なぜこの法律が必要なのか、詳しい説明もないまま乱暴なやり方で通ってしまった。そのことに恐ろしさを感じる。上のほうの、物語をつくる人たちによって決められ、違う方向に動かされていくような。演じながら、太平洋戦争を始める前ももしかしたらこんなんだったのかなって思いました」

 「『お上』が作った物語に流されるのではなく、自分たちで考えることが大事。震災や原発事故以降、多くの人たちが今まで考えなかったことをきちんと考えなくちゃいけないと思ったはずです。みんなで節電しましょう、とか。なのに、いつのまにか考えなくなってしまった」

 敗色が濃くなってきたある日、芙美子の母は「夫、戦死、靖国の神になりました」と書かれた、知人の死を知らせるはがきを受け取る。

 昨年末、安倍晋三首相が靖国神社に参拝。中韓両政府は反発し、米政府も「失望した」と談話を出した。

 「特攻隊の人たちは、自分が死ぬことで(戦争を)やめてくれ、という思いだったと思う。安倍総理は御霊(みたま)をねぎらうのがなぜいけないのですかということをおっしゃっていた。しかし、特攻は美しいことではなく、残酷で、二度とあってはいけないこと。それをもっともっと知らせることのほうが大切なのではないでしょうか」

 10年春に亡くなった井上さんは生涯、反戦を訴え、憲法改正に反対した。

 「国のことを考えるのは、私たちが選んだ国会議員。みんなの意見の代表のはずなのに、私たちが考えていることとの間に差がありすぎる。井上さんがずっと叫んでいたように、憲法が変わることは絶対に阻止しなくちゃいけないと思う。知らないうちに『あれ、ちょっと言葉が変わってない?』みたいなことにならないように」

 日本はきれいに負けるしかないと主張する芙美子。「非国民」と言われ、日本が嫌いなのかと問われ、こう歌う。「私は日本を愛してる。この国、滅びるにはあまりに素晴らしすぎるから」

 「3・11が起きるずっと前から、原発は本当に怖くないのかと(歌手の)忌野清志郎さんらがずっと訴えていた。でも、私たちはそれに耳を貸そうともしなかった部分もあった。そして、福島が住民が帰れない状況になってしまった」。今、ひとごとではなくて、一人ひとりが自分のこととして日本を考えていかないと、と何度も繰り返した。

 物語の終盤、芙美子は戦に打ちのめされた庶民の悲しみを伝えようと決意する。「歴史の本は私たちのことをすぐにも忘れてしまう。私たちがどんな思いで生きてきたか、どこで間違って、どこでその間違いから出直したか、今のうちに書いておかなくてはね。私たちが自分で地獄をつくったということを」

 大竹さんが一番伝えたいせりふでもある。(今村優莉)

     ◇

 〈太鼓たたいて笛ふいて〉 「放浪記」などで知られる作家・林芙美子の後半生を、井上ひさしが音楽評伝劇に仕立てた作品。従軍記者として戦争賛美に筆をふるった芙美子は、南方戦線の視察で戦の欺瞞(ぎまん)に気づき、戦後は反戦文学の担い手として、普通の日本人の生活や悲しみを書き続けた。東京では紀伊国屋サザンシアターで2月9日まで(火曜は除く)。その後は2月15・16日に名古屋、22・23日に大阪、26日に鹿児島、3月1日に福岡。問い合わせはこまつ座(03・3862・5941)。


「香典辞退」都市部で増加 目立つ関西、今どきの気配り

 お葬式で遺族が香典を断るケースが増えている。背景の一つに希薄化が進む近所付き合いがあるとされる中、「関西が特に目立つ」という業界関係者も。9割以上が辞退する葬儀場も出てきており、香典返しが専門のギフト店は「とても痛手だ」と頭を抱える。

 大阪市に住む自営業の男性(53)は昨秋、83歳で亡くなった父の通夜・告別式を市内で開いた。父の仕事関係者ら約200人が参列したが、葬儀場に「御香典はご辞退申し上げます」と書いた看板を立て、受け取らなかった。

 葬儀費用は約200万円かかった。だが、「父を悼んで参列してくれた。お金までもらわなくてもいいのではないか」と思ったという。また、ここ数年に自らが参列した葬儀の多くも香典を受け取っておらず、気が楽だった経験も頭をよぎった。「正直に言えば、香典返しの作業を省きたい気持ちもありました」と打ち明ける。

 「統計はないが、香典の辞退は都市部を中心に増えています」と言うのは、関東と中部、関西で71の葬儀会館を営む「ティア」(名古屋市)の広報担当者だ。大阪葬祭事業協同組合の増井敬司理事長も「約10年前から出始めたが、今は府内の8割近くに広がっているのではないか」と話す。

 増井さんも大阪府柏原市内で葬祭業を営む。今は年100件ほどの葬儀のうち9割以上が香典を辞退しているといい、斎場に入る前に参列者に辞退を知ってもらうための専用看板も作ったという。

 供花などを香典代わりに受け取る地域もあるが、遺族が参列者から「おれの香典が受け取れないのか」と詰め寄られるケースもあるという。

 ■人付き合いが希薄に

 香典を辞退するケースが増えていることについて、NPO法人の葬儀費用研究会(大阪市)は、遺族が故人の人間関係を知らない▽香典返しの手続きを面倒に感じる▽核家族化が進んだ――ことが背景にあるとみている。研究会代表の西口和憲さんは「現代の近所づきあいの希薄さを表す現象ですね」と話す。

 葬儀会社の公益社(同)が2012年に営んだ葬儀の香典辞退率を調べたところ、関東圏は3割だったが、関西圏では8割だった。

 なぜ、「西高東低」なのか。葬儀専門誌の「SOGI」編集長、碑文谷創(ひもんやはじめ)さんは十数年前に京都であった出来事を明かす。会社の経費で開く社葬で香典を辞退する例が多いことを知った京都のある遺族が「しっかりした家は香典を受け取らない」と辞退。これが広がったとみられるという。

 香典の由来は「弔意の表明」で、葬儀費用を負担し合うという相互扶助の役割も負ってきた。碑文谷さんは「故人を弔うという意味が薄れ、故人と親しかった人の思いを無視した葬儀が増えるかも」と心配する。

 香典辞退の広がりはギフト専門店には痛手だ。

 弔事ギフトを扱っている「プライズ」(大阪府東大阪市)の社長、橋本一成さん(62)は「香典返し分野の売り上げは、ここ5年で3分の1減。死活問題になっています」。同じ期間で市内の同業者が4、5軒つぶれたといい、「香典文化は隣同士で支え合う日本らしい心の象徴と思う。時代の流れで仕方ないのかもしれないが……」と話している。(長野佑介)

     ◇

 〈作家の難波利三さんの話〉 確かにここ数年、香典を辞退する葬儀が増えたと感じていた。関西で目立つというのは、形式や体面を気にせずに、実利を取る「合理精神」からなのかもしれない。葬儀費用は安くなく、お金だけを考えれば辞退しないほうが助かる。一方で遺族側には「参列者に負担をかけたくない」との気持ちもあるのだろう。香典を受け取るのも断るのも、「相手の気持ちを大切にする」という点では同じではないでしょうか。

     ◇

 〈香典〉 香の代わりに霊前に供える金品。葬儀費用を出し合う相互扶助の目的もあるとされてきた。一般的な表書きは仏式が「御香典」「御香料」、神式が「御玉串料」、キリスト教式が「御花料」。香典返しの慣習は地域で異なるが、四十九日の法要後、香典額の3分の1から半分程度の品物を贈ることが多いという。最近では通夜、告別式当日に2千〜4千円ほどの香典返しをする「即返し」が増えている。


気仙沼、元気届いた 東陵26年ぶり甲子園 市民が祝福

 第86回選抜高校野球大会に東陵の出場が決まった24日、地元の宮城県気仙沼市は歓喜の輪が広がった。東陵の甲子園出場は1988年夏以来26年ぶり。東日本大震災で傷付いた街に舞い込んだ聖地への切符に、市民からは祝福の声が相次いだ。

 午後3時すぎ、甲子園出場の知らせが同市大峠山の東陵高に届くと、野球部ナインは帽子を空に投げ上げて喜びを爆発させた。様子を見守った選手の保護者の女性(44)は「多くの皆さんから応援してもらったおかげ。感謝の言葉しかない」と目を真っ赤にした。
 校舎のある地区は震災で大きな被害を受け、多くの住民が仮設住宅で暮らす。近隣の仮設住宅の無職小野寺時子さん(84)は「出場は市民の誇り。被災地に夢と希望を届けてくれた」と喜んだ。近くの仮設商店街「復幸マルシェ」代表の塩田賢一さん(46)は「昨年は楽天が被災地を元気にしたが、今年は東陵が勝ち上がって市民を励まして」とエールを送った。
 南三陸ホテル観洋(南三陸町)の副支配人の昆野守裕さん(42)は野球部OB。26年前は三塁側スタンドで応援に声をからした。「選手は大舞台で思いっきり暴れ、優勝旗を持ち帰ってもらいたい」と語った。
 気仙沼市の菅原茂市長は「被災地という逆境から勝ち取った栄誉を心から祝福したい。選手はのびのびと甲子園を駆け回ってほしい」との談話を出した。県高野連の佐藤秀之理事長は「実力で東北大会を勝ち上がり、甲子園出場の切符を獲得したことは、地元の被災地、気仙沼の人々にも元気を届けた。本番に向けて全力で練習し、1勝してほしい」と話した。


都知事選と原発 実りある論戦聞きたい

 東京都知事選の論戦が本格化してきた。主要な争点として浮上しているのが「脱原発」だ。

 東京電力福島第1原発事故を経験した日本で、今後のエネルギー政策をどう転換していくべきなのか。高齢者対策、防災、東京五輪など都政の課題は多いが、人口1300万人余りを擁し、日本最大の電力消費地である首都・東京の住民にとっても「脱原発」は大きな課題である。

 即時原発ゼロなのか、段階的に脱原発依存を進めるのか。それとも安全を確保しつつ、活用を図るのか。各候補者の主張は分かれ、訴えにも温度差がある。争点化を避けず、実りある論戦としてほしい。

 実は、エネルギー・環境に関する都の施策は世界的にも高い評価を得ている。森記念財団が昨年発表した世界の都市総合力ランキングでも、東京は環境分野でトップだった。

 都は2010年度から大規模なオフィスビルや工場に温室効果ガスの排出削減を義務付け、排出量取引制度を導入した。地球温暖化対策のためだ。省エネが促され、3・11後の節電にも役立った。20年までにエネルギー消費の2割を再生可能エネルギーで賄う目標も掲げる。官民連携ファンドを通じ、全国の太陽光発電事業などへの投融資も始めた。地域振興にもつながる施策だ。

 こうした取り組みは、原発に頼らずとも都市は成長できるという期待を抱かせてくれる。公約と重なる候補者もいる。どう評価し、どう臨んでいくのか。各候補者は明確な見解を示してほしい。

 脱原発か否かにかかわらず、地球温暖化対策を進め、省エネや再生エネを拡大することは首都・東京の使命だ。それが都市の魅力づくりにもつながる。

 一方で、即時原発ゼロなら電気代値上がりなどの問題も生じる。ライフスタイルの早急な見直しも迫られる。経済的影響など負の側面についても論議を深めてもらいたい。

 今回の都知事選では、立候補予定者による告示前の公開討論会や共同記者会見が開かれなかった。共同記者会見が流れたのは、脱原発を掲げる細川護熙氏の正式な出馬会見が遅れた事情からだ。細川氏を支援する小泉純一郎元首相は「原発を除けば誰が知事になってもたいして違いはない」と言う。その違いを都民が判断できるよう、今からでも候補者が一堂に会し、討論する機会があってほしい。

 3・11後に、各地でエネルギーの地産地消や脱原発を目指す動きが活発化している。地域の生活環境や防災、雇用などとも関連する問題だ。

 首都・東京の知事選は、そうした地方のエネルギー政策の行方にも大きな影響を与えるだろう。


知事密会 県民への二重の裏切りだ

 仲井真弘多知事が22日夜、東京都内のホテルで菅義偉官房長官、自民党の石破茂幹事長と極秘に会談し、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設問題で意見交換した。
 菅、石破両氏が事実を認め、県幹部も「菅氏側から公表してほしくないという話があった」と述べ、会談があったことを明確に認めた。
 ところが会談後、知事は記者団に「会っていない」と否定した。24日の県庁での記者会見でも「私は彼らに会ったつもりはありません」と虚偽の説明をした。
 報道陣に嘘(うそ)をつくことは、報道を受け取る県民をだますに等しい。平然と嘘をつく知事であれば、今後、県議会答弁も信用できまい。もはや知事は辞職を免れない。自らの言動に自信があるのなら、選挙で堂々と県民に信を仰ぐべきだ。
 極秘会談では、名護市長選で辺野古移設阻止を掲げる稲嶺進氏が当選したことを踏まえ、菅氏が「市の権限は限られており、移設を進めたい」と述べ、石破氏は「辺野古移設を進める党の方針に変わりはない」との意向を伝え、知事に理解を求めたという。
 これに対し、知事が反論した形跡はない。会談自体を否定するのだから、よほど後ろめたいことがあるのではないか。知事が説明責任を果たさないのだから、県民は知事が県内移設の国の方針を丸のみしたと受け取めるほかない。
 仲井真知事はまた、会見で耳を疑うような発言もした。昨年1月に県内41市町村の全首長、議会議長、県議会議長らが連名で普天間の県内移設断念やオスプレイ配備中止などを求め首相に提出した「建白書」の意義について記者に問われると、「記憶があんまり定かじゃない」とコメントを避けた。
 語るに落ちるとは、こういうことを言うのであろう。知事は「建白書」で示された民意に背を向ける自らの不明を恥じるべきだ。
 知事の埋め立て承認後に琉球新報などが行った県民世論調査では、県外・国外移設と無条件閉鎖・撤去を求める声は合わせて73・5%に上った。埋め立て承認の判断には、61・4%が不支持だった。
 知事がこうした民意を代弁せず、政府の御用聞きのように振る舞う姿を見続けるのは耐えがたい。
 埋め立て承認と密会で、知事は県民を二重に裏切った。もはや県民代表を名乗る資格はあるまい。自ら進退にけじめをつける時だ。

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反省会という名の飲み会/南海トラフが怖い

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AllyouneedisKobeMoi, je ne pense pas en terme de culture au fond, je pense en terme de cinéma.
ぼくは実際のところ文化の観点でかんがえているわけじゃない.映画の観点で考えているんだ.

All you need is KOBE.

朝,区役所で住民票と印鑑登録の書類を取りに行きました.お昼に図書館に行くついでに郵送しました.
夜は反省会という名の飲み会.ここしばらく反省せずにいたので,仕方ありません.Noさんは体重が111kgだって!!!びっくりです.滋賀から2時間かけて大阪に通っています.
南海トラフが怖いです.

シリア和平会議 米露の歩み寄りこそ

 この会議が本当に和平につながるのか、という素朴な疑問を禁じえない。シリアのアサド政権と反体制派の代表や約40カ国が参加する国際会議(ジュネーブ2)が22日、スイスで開かれた。約3年の騒乱と内戦下、初めて当事者が和平会議に同席した意義はわかるが、懸案の移行政府樹立の論議は深まらず、双方の非難合戦に終始したことは残念だ。

 24日からは政権側と反体制派の接触が始まる。直接的な交渉は難しく、国連などの仲介役を介した間接交渉方式が有力だという。大きな進展は望みにくいのが実情だろう。

 そもそも、反体制派を代表する「シリア国民連合」はひところ、欧米などからシリア国民の唯一正統な代表とも目されたが、傘下の最大組織がジュネーブ2への参加に反対して脱退を表明するなど、急速に求心力を失った。24日からの交渉で仮に部分停戦や人道物資などについて合意しても、国民連合が合意を履行できるかどうか、大いに疑問だ。

 22日の会議では、国民連合側が2012年の「ジュネーブ合意」に基づいてアサド大統領の退陣を求めたのに対し、アサド政権側は反体制派を「テロリスト」と呼び、政権側が化学兵器を使ったとの疑惑も「でっち上げ」と退けた。ケリー米国務長官が同大統領の辞任に言及すると、政権側のムアレム外相は、大統領の進退を決められるのはシリア国民だけだと切り返した。内戦で優位を保つアサド政権側の余裕が目立つ。

 他方、内戦の死者は13万人に達し、外国や国内の比較的安全な場所へ逃れた人は1000万人近いという。人道危機は深刻だ。支援の構図は、反体制派に同情的な米欧やアラブ諸国と、アサド政権側に立つロシア、中国、イランとに大別されるが、一時は軍事介入を宣言した米オバマ政権も、複雑化する状況を受けて政策転換を視野に入れているようだ。

 オバマ政権はこう考えているかもしれない。一口に反体制派といっても、国際テロ組織アルカイダにつながる組織もある。へたにテコ入れはできないし、仮にアサド政権を倒しても、もっと危険な後継政権ができて同盟国イスラエルの大きな脅威となってはまずい。ここはロシア提案に乗ってシリアの化学兵器を全廃する見返りに、アサド政権の存続を許す方が無難ではないか−−。

 だが、そうだとしても米国は、より強い指導力を発揮する必要がある。不作為と不決断が目立つオバマ政権の姿勢が中東情勢の悪化を呼んでいる側面は無視できない。他方、ロシアもアサド政権一辺倒では限界があることを知っていよう。当事者は言うに及ばず、米露の歩み寄りこそ事態改善へのカギではないか。


都知事選告示―成長より成熟の知恵を

 五輪が決まり、東京は成長への期待にそこはかとなく華やいでいる。しかし、開催年の2020年は、祝祭の裏で東京が曲がり角を迎える年でもある。

 都の予測によれば、東京はこの年を境に人口減に向かう。

 しかも、都民の4人に1人が65歳以上、そのまた4人に1人が一人暮らしとなる。25年には15歳未満の人口が1割を切る。

 前回五輪は「育つ東京」の象徴であり、原動力だった。交通網が広がり、地方から若い働き手が流入して街は膨らんだ。

 50年たった今、人も街もくたびれてきた。直面するのは「老いる東京」「縮む東京」という難題だ。首都直下地震も30年以内に70%の確率で来るという。

 暮らしの安心をいかに保障するか。きのう告示された都知事選の主な候補者もその訴えに力を入れている。

 福祉を最重点とするのは宇都宮健児氏だ。「石原・猪瀬都政で削られてきた福祉予算を増やし、特別養護老人ホームや保育所の待機者を減らす」と説く。

 一方、元厚生労働相の舛添要一氏は「ハコモノを造って高齢者を収容する発想ではなく、街の人が面倒をみてくれる地域包括ケア」を訴える。

 細川護熙氏は「人口構造の変化に応じ、インフラは維持更新中心として新規建設を抑える」と訴え、経済成長至上主義からの転換を打ち出した。

 田母神俊雄氏は自衛隊での経験から、災害時に自衛隊などが自ら即応できる救助体制づくりを説いている。

 根本的には、東京全体の街づくりの未来図をどう描くかが問われていると言えるだろう。

 いま1300万人余の人口は2060年には1千万人ほどに減るという。成長を前提にできない以上、何に優先的に資金を投じるか選ばざるをえない。

 限られた資金と時間で、地震が来るまでに木造家屋の密集地域を火に強くし、道路や上下水道など古びたインフラを繕わねばならない。若い世代が減り、施設も足りないなか、大勢の高齢者が地域で暮らせる街をどうつくるかも迫られている。

 大量消費の都市生活や防災対策の見直しには原発をはじめエネルギー政策の視点は欠かせない。五輪に必要な整備を防災に生かす工夫も考えるべきだ。

 東京と地方の格差同様、都内も格差が広がる。人口減と高齢化は都心より郊外で早く進む。

 いびつに太ったまま老いつつある街。いかにゆがみを正し、スリムにし、足腰を強めるか。

 聞きたいのは、成長の夢よりも成熟への知恵である。


南海トラフ地震:「断水世帯人口が832万人」大阪府想定

 ◇避難者も最大192万人 国想定より40万人多く

 南海トラフ巨大地震について、有識者でつくる大阪府の検討部会(部会長=河田恵昭・関西大教授)は24日、地震当日に断水する世帯の人口が832万人に達するとの被害想定を公表した。昨年3月に国が想定した430万人の倍に近く、府民全体に占める割合(断水率)は94%に上る。避難者も最大192万人で国想定より40万人多く、飲料水や食料の不足は大量になるため、府は民間企業の協力も得て備蓄態勢を見直す。

 一連の被害想定は今回で終了し、府は3月に防災計画を見直す。検討部会は、食料などの備蓄を、「住民の基本的責務」と新たに規定するよう求めた。

 断水被害の拡大は、浄水場の取水口付近に津波が流入すると想定したことによる。津波が河口から33キロ上流の大阪府枚方市付近まで遡上(そじょう)、淀川水系の浄水場10カ所全ての取水口付近に海水がたまって取水できなくなる。別の水系や地下水を水源とする自治体は比較的影響が少ないが、淀川水系については琵琶湖からの緊急放流で海水を押し流すまでの約24時間、影響が収まらない。揺れによる水道管破断もあり、1カ月後でも126万人に影響が続く。

 停電は被災直後で234万軒(全世帯の55%)、都市ガスの供給停止も115万軒(供給戸数の34%)に上る。電気は1週間でほぼ復旧するが、ガスは1カ月後でも8万2980軒に供給できない。

 避難者の増大は、府が想定する津波浸水区域が、国想定の3倍以上の1万1000ヘクタールに及び、梅田などの都心部も含むためだ。地震直後には182万人が避難所や親戚宅に避難。避難所の人数は徐々に減るが、断水などが続くと親戚宅などへの避難は逆に増え、1カ月後にピークの192万人(うち避難所57万人)に達する。府外在住者を含めて146万人が当日は帰宅困難とみられ、JR大阪駅周辺だけで18万人になる。

 また、経済損失について国は建物損壊などで24兆円としていたが、府は物流や工場の操業停止の影響も含め、府内GDP(国内総生産)の78%に当たる28兆8000億円と算出した。

 このほか、沿岸部など4055ヘクタールには数日間にわたり水がたまる。道路は国道1、2号など1883カ所、鉄道・新幹線は1474カ所で損傷。医療機関は、最大7万人の患者を診察できない状態に陥る。国宝の住吉大社本殿(大阪市住吉区)をはじめ、阪南市や岬町などの重要文化財4件が損壊する。【熊谷豪】

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土地買い取りの書類が届きました

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117_take_for_311Si j'essayais pas d'être actrice, je le regretterais toute ma vie.
女優になろうとしないと一生後悔すると思った.

アボカドを買って,食べ過ぎました.
シムムどうするか迷っています.
防災集団移転事業に係る移転元地(被災地)の買い取りについてという案内が届きました.悲しみが少しよみがえってくる気がします.

東京都知事選 岐路に立つ原発文明

 きょう告示の東京都知事選では、国の原発政策とどう向き合うかが大きな争点だ。これからの暮らし方、子孫に何を残すか、中央と地方の問題…。大げさに言えば、文明観の戦いでもあるだろう。

 人口は日本全体の一割を超す千三百万人。スウェーデンやインドネシアの国家予算に匹敵する十二兆円の予算規模。東京は自治体としては桁外れに大きな存在だ。

 その一極集中型の発展を支えてきたのは、東京電力がほぼ独占的に賄う電気である。日本の成長エンジンとして、消費量は全国の一割ほどを占めて最多だ。

 この膨大なエネルギーの供給源を求めて原発に回帰するのか、それとも脱原発に転換するのか。福島での事故を顧みて、日本はどう考えるのか、今都知事選で提起された重い問いである。

 グローバル競争を勝ち抜き、文明の一層の飛躍を期すために原発を動かす。核廃棄物は将来世代に付け回す。そういう考えもある。

 その一方で、成長より自然との末永い共存を選びたいという思いもあるだろう。原発を捨てて再生可能エネルギーや省エネ、節電を広げる。

 両極の間で、有権者の心は揺れ動くかもしれない。

 その意味では、都知事選の影響は全国に波及するに違いない。立候補者は東京エネルギー論を具体的に語ってほしい。

 エネルギー政策は国政の課題だとして、地方選での争点化を否定する声もある。しかし、国が結果として招いたのは、福島の破壊であり、東北や関東一円の放射能汚染の危険や風評被害だった。福島原発の一大消費地は東京だった。

 その厳しい現実を教訓に、住民が自らの地域の在り方を思い描き、足元の選挙で意思を示す。それも地方自治に違いなく、民主主義の手続きとして当然である。

 外交や安全保障が国策だとしても、先の沖縄県名護市長選で、米軍普天間飛行場の移設受け入れの是非が最大の争点になったのも同じ文脈にあった。中央と地方は実は切り離せない。

 立候補予定の有力四人の原発考は多彩だ。脱原発を志向するのは、細川護熙元首相、宇都宮健児前日弁連会長、舛添要一元厚生労働相。それぞれの主張がある。田母神俊雄元航空幕僚長は原発推進派だ。

 五輪・パラリンピックの準備をはじめ都政の課題は山積みだ。しかし、原発に対する住民の姿勢だけは、首都と国の行方さえも左右し得ることを自覚しておきたい。


東京都知事選―「脱原発」の道筋語れ

 告示前日にやっと主な立候補予定者の政策がそろい、東京都知事選の舞台が整った。

 原発の問題は、地方選挙である都知事選の争点にふさわしいか。年明けに元首相の細川護熙氏が出馬の意向を示して以来、論争が巻き起こった。

 東京はこれから人口減と超高齢化の時代に入る。首都直下地震の脅威も迫る。大量消費と膨張から、効率と安心へ。街づくりの転換が課題となる。その一環としてエネルギー政策を語る意義は大いにある。

 現実問題として東京電力の原発はいま一基も動いていない。原発ぬきの電力政策は絵空事ではなく、切実に考えざるをえない課題でもあるはずだ。

 主な顔ぶれのうち、3氏が脱原発の立場を取っている。問われるのは具体的な道筋だ。

 細川氏は「原発即ゼロの方向を明確にすることこそ、都民の生命財産を守る知事の最大、最重要課題だ」と位置づけた。専門家による戦略会議を設け、海外の再生可能エネルギーの先進施策を採り入れるという。

 日弁連前会長の宇都宮健児氏も再稼働を認めないとし、「福島に加え、柏崎刈羽原発の廃炉を東電に提案する。新潟県ともタッグを組みたい」と語る。

 元厚生労働相の舛添要一氏は段階的な原発依存脱却を説く。省エネ徹底のほか、東京のエネルギー消費量に占める再生可能エネルギーの割合を、2割程度まで高めることを掲げる。

 都はすでに「2020年までに再生可能エネルギー20%」の目標を打ち出している。ただ、都単独では難しく、東北の風力発電からの購入など生産県との連携や、国の電力改革が前提になるという。また、都は東電の大株主とはいえ、保有比率は1・2%にすぎない。

 脱原発は東京単独ではできない。きれいごとばかりでもすまない。電気料金への影響や、電気を大量に使う暮らしの見直しなど、都民の負担や理解を得なくては進まない面もある。

 だからこそ実行可能なビジョンを示し、代替エネルギーの普及に努め、国と東電に電力改革を働きかける。雇用や財政基盤を憂える原発立地自治体の振興にも協力する。知事にはそんな構想と交渉の力が要るはずだ。

 告示前は立候補予定者がそろわずに公開討論会が中止されるなど、注目度の割に政策論議は低調だった。有権者は脱原発の包み紙ばかり見せられてきた。

 箱の中身はどう違うのか。原発を認める立場の元航空幕僚長の田母神俊雄氏らも含め、実のある論戦を期待する。


東北被災地ルポ漫画「ストーリー311」第2弾刊行決定 ネット通じ出資募る 継続へ支援の輪

 東日本大震災からまもなく3年。人気少女漫画家らが被災地に生きる人々を取材したルポ漫画の制作が進んでいる。出版のための費用は、ネットを通じて一般から出資を募るクラウドファンディングで集めた。呼びかけ人の漫画家、ひうらさとるさん(47)は「一人でも多くの方に読んでもらって、何かの『始まり』になってくれれば」と話す。(戸谷真美)

                   ◇  

 東日本大震災や被災地の現状を漫画で伝えようという活動は一昨年にスタート。ひうらさんのほか、東村アキコさんや末次由紀さんら人気漫画家11組が参加、岩手や宮城などに足を運び被災者の震災当日の体験を中心に描いた第1弾『ストーリー311』は昨年3月、講談社から出版され大きな反響を呼んだ。

 刊行後、「続きが読みたい」という要望が多数寄せられたが、現地への取材費や事務局の運営費がネックになっていた。そこでクラウドファンディングサイト「シューティングスター」を通じて活動費を募ったところ、ファンらから313万6500円が集まり、第2弾の刊行が決まった。3月11日にKADOKAWAから出版される第2弾では、『のだめカンタービレ』で知られる二ノ宮知子さんら11組が、被災地のその後を描く予定だ。事務局を務める増賀雅美さんは「100%チャリティーだとどうしても続かない。これからは問題の質も少しずつ変わってくるので、継続してこそ意味のある活動なんです」と話す。

 ひうらさんは昨年12月、第1弾で描いた30代の女性教諭、高島結美さん(仮名)を取材するため福島県に向かった。原発から20キロ圏内の自治体にある小学校に勤務する高島さんは1年半前、「目の前にいる子供たちを守りたい。私自身は今何も…出産も考えていません」と話していた。

 だが再会した高島さんは母になっていた。震災直後からさまざまな面で支えてくれた男性と結婚したという。「震災は人生の起点になった。もちろんない方がよかったけれど、今では夫を含め、いろいろな人とのつながりができた」「子供たちの気持ちは落ち着いてきたように見える。親の仕事が見つかって、生活サイクルが決まってきた」…。夫とのなれそめや子供たちの様子、その後の生活を穏やかに話した。

 ひうらさんは「とても輝いて見えた。会えてよかった」と安堵(あんど)。高島さんは「自分のことを話すのは恥ずかしいですが、被災地を知ってもらえるのはうれしい。大変なこともありますが、前進あるのみですね」と笑顔を見せた。

読者の声を力に

 ひうらさんは「福島には(原発事故で)避難している人もいるし、残っている人もいてとても複雑。思っていることを言えない空気がある」と話す。

 震災と原発事故からまもなく3年を迎えるが、今も福島県内のニュースでは各地の放射線量が流れる。原発のことをあまり気にしていない人もいれば、気にしていても他人には言えない人もいる。現地の複雑な状況のなか、外部にいる自分が作品にしていいのか−。その迷いは、今もあるという。「でも、被災地の方や読者の方の応援、他の作家さんの作品で力をもらえた。これからもできるだけ続けていきたい」と、ひうらさんは力を込めた。

                   ◇

【用語解説】クラウドファンディング 

 crowd(群衆)とfunding(資金調達)を合わせた造語。個人や組織のさまざまなアイデアやプロジェクトを実現するため、ネットを介して不特定多数の出資者を募ること。日本では東日本大震災が起きた平成23年から活発化し、被災地の復興のほか、山中伸弥教授による京大iPS細胞研究所の運営や三浦雄一郎さんのエベレスト登頂でも、こうした資金が活用された。

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久しぶりのセムム・・・でもイマイチのようです

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yukijizo_kobe_140117Dis-moi, ça m'intrigue.
ねえ,気になるわ.
Vous pourriez nous expriquer un petit peu.
ちょっと教えてください.

雪地蔵です.
朝,仮設住宅に住むことを想像してしんどく思いました.Shさんからは「もっとはっぴーなことを考えよう」だって.確かに.
久しぶりのセムム.無事頑張れました.でも結果をメールで送ると,イマイチだね・・・という返事.しかたありません.
今日はカレーの日だそうです.激辛カレーを食べたいです.肥後橋南蛮亭,辛口飯屋 森元,ジョロキアなどがいいかな??

原発建設差し止め、函館市提訴へ 大間町長は推進強調

 電源開発(Jパワー)が建設中の大間原発(青森県大間町)をめぐり、北海道函館市の工藤寿樹市長が国や同社に対して建設差し止めを求めて提訴する方針を示したことに関し、大間町の金沢満春町長は21日、「今まで通り、建設に向けて努力していく」と推進の姿勢をあらためて強調した。
 同町で取材に答えた。金沢町長は提訴による建設工事や運転開始への影響について「心配がないわけではないが、安全な発電所ができると信じている」と述べた。同市との経済、観光分野での連携は「訴訟とは別だ。影響はない」との見方を示した。
 函館市は津軽海峡を挟んで大間原発から最短約23キロの距離にあり、原発の半径30キロ圏に設定された緊急防護措置区域(UPZ)に入る。同市は「市の同意なく建設するのはおかしい」(工藤市長)と主張している。


安重根論争―政治が負の連鎖を断て

 明治維新の立役者の一人で元首相の伊藤博文を暗殺した朝鮮の独立運動家、安重根(アンジュングン)の評価をめぐり、日本政府と韓国、中国両政府が非難しあっている。

 暗殺現場である中国のハルビン駅に、地元当局が記念館を開設したためだ。昨年の安倍首相による靖国神社参拝に対抗した対日圧力の一環とみられる。

 いまの北東アジアに何より必要なのは融和の努力のはずだ。なのに、あえて対立の火種を増やし、言い争いを深める事態を憂慮せざるをえない。

 安重根の評価は、とくに日韓の間で対照的だ。菅官房長官は「死刑判決を受けたテロリストだ」とし、韓国外交省は「独立と東洋の平和のために献身した偉人」と反論している。

 この落差を埋める手だては、容易には見つからない。歴史とは、同じコインの表と裏を見るように、それを評価する者の立ち位置や考え方によって異なる叙述になりがちだからだ。

 9・11テロ事件の直後、当時のパウエル米国務長官はテロの認定の難しさをこう語った。「ある者には『テロリスト』でも、別の者には『自由の戦士』に映るような領域がある」

 パレスチナのアラファト氏や東ティモールのグスマオ氏のように、時に犯罪者、時に英雄とされた例は世界史に数多い。

 日本と中韓が安重根をめぐる自説をぶつけ合っても、生まれるものは争い以外にない。自国の叙述に閉じこもったまま相手の理解のみを求める行為は、もはや外交とはいえない。

 どの国の間にもある永遠の平行線の課題は棚上げし、協調できる結節点を探るのが政治の責務だろう。日中韓の指導者たちにはその自覚が欠けている。

 政府間のさや当てをよそに、韓国民の間では日本との距離を縮めようとの声も出ている。

 韓国の世論調査によると、安倍首相の靖国参拝後でも、半数近くが日韓首脳会談の実現を支持している。

 ソウルでは、長崎・対馬で盗まれた仏像を日本へ返すよう政府に求める訴訟が韓国の市民団体によって起こされた。

 市民レベルや経済界では無為な対立を続けるよりも、新たな互恵の関係をめざす動きが芽生えているのに、政治のリーダーたちはなぜ、負の連鎖を断ち切れないのか。

 自国の歴史観を押し通すことで国内の狭い支持層を喜ばすことはできても、複眼的な視座が求められる外交の地平は開けない。日中韓の指導者は、アジアの未来を描く大局観こそを語り合ってほしい。


指定廃棄物処分 机上の決定では難しい

 放射能を持つ指定廃棄物の最終処分場候補地として、環境省は宮城県内三市町の名を挙げたが即座に反対された。処分場は必要だが、住民の頭越しにすることなのか。ますます復興が遅れてしまう。

 指定廃棄物とは、福島第一原発事故で飛散した放射性物質が付着したごみの焼却灰、下水汚泥、稲わらなどをいう。環境相の指定により、国の責任で最終処分することになっている。

 原発から排出されるものに比べると、放射能の濃度は低く、全国各地で十三万トン余りが仮置きされている。

 環境省はその最終処分場を、宮城、栃木、群馬など東北と関東の五県に一カ所ずつ、造る計画だ。

 宮城県で選定された三市町から、人が住まず、訪れず、水源から遠く離れて自然への影響の少ない場所へとさらに絞り込む。

 ごみ処理施設は、家庭ごみでさえ立地が難しいことは、全国のどの自治体も、また住民も知っている。その成否は、事業者と受け入れ側住民が、いかに信頼関係を築くかで決まると言っていい。

 世界で初めて使用済み核燃料最終処分場「オンカロ」の建設が進むフィンランドのオルキルオト島でも、処分事業者は、全国を百二カ所のブロックに分けて調査を重ね、選定までに十八年をかけている。結局は、地元に原発があり、比較的原子力への抵抗感が少ないオルキルオトが選ばれた。

 これまでに過酷事故もなく、規制機関への信頼も厚い国柄でも、そうなのだ。

 復興を進めるためにも、処分が必要なのはよく分かる。しかし日本では、福島の事故で神話は崩れ、信頼は地に落ちた。何より事故処理がまだ進んでいない。3・11の被災地にはもちろん、全国的にも原子力行政に対する信頼が、失われているのである。

 核のごみ処理をもし受け入れるとしたら、何が一番必要かと問うと、「確かな情報」とまず答える人が多いのではないか。

 金ではない。フィンランドでも、オンカロ受け入れの見返りに、巨額の交付金などは出ていない。

 なぜその場所なのか、規模は、工法は、危険性は、管理の主体は、スケジュールは…。こうした疑問に答えられるような能力を持ち、面と向かって答えられるほどの信頼を積み重ねてもらいたい。

 すでに大量に発生している高レベル放射性廃棄物の処分についても、同じである。


東日本大震災:6割強、仮設集約へ 被災24市町村、空室増加で−−毎日新聞調査

 東日本大震災被災者向けの仮設住宅を建設した岩手・宮城両県の沿岸24市町村のうち6割強の16市町村が、仮設を集約する方針であることが毎日新聞のアンケートで分かった。空室の目立つ仮設を撤去し、入居者には別の仮設に移ってもらう。既に1割以上が空室で、災害公営住宅(復興住宅)入居や自力での自宅再建の加速により、さらに増えるのが確実なためだ。集約に伴う転居で、コミュニティー再構築や引っ越し費用の負担を強いられる被災者をどう支えるか、が新たな課題に浮上している。

 アンケートは昨年12月、東北3県のうち、原発事故の影響で状況が異なる福島県以外の沿岸自治体に尋ねた。同11月末現在で仮設住宅は計3万5575戸、全24市町村で空室は計4105戸(11・5%)に上った。16市町村以外は、5市町が「状況に応じて検討する」、建設戸数が200戸未満の岩手3市町村は「集約しない」と答えた。

 16市町村の集約の理由では、校庭や私有地に建てた仮設を巡る土地問題が目立つ。岩手県大船渡市は「学校関係者や地主から土地の返還を求められている」、宮城県七ケ浜(しちがはま)町も「住宅の高台移転先になっている」と回答。集約時の対策として「転居後に孤立する住民が出ないよう、グループ転居やその後の精神的ケアが必要」(岩手県釜石市)、「新たに自治会を作る必要がある」(宮城県東松島市)などの回答があった。

 また、転居費用が支障になって集約が進まない恐れもある。現状では被災者の自己負担だからだ。

 内閣府によると、東日本大震災の仮設住宅は岩手・宮城を含む全国7県で計5万3194戸、昨年10月1日現在10万2650人が入居。13%の6919戸が撤去か空室になっている。【まとめ・宮崎隆】


クローズアップ2014:仮設住宅集約の課題 近隣の絆、分断懸念

 ◇引っ越し費用に補助なし

 東日本大震災から2年10カ月が過ぎ、仮設住宅の撤去・集約や被災者の転居が日程に上り始めた。自宅再建が進むなどして空室が増えているためだ。だが、2市で集約・転居が始まった岩手県では「苦しい環境を共に乗り越えてきた隣近所との絆が分断される」と入居者が不安を漏らす。集約に伴う引っ越しの費用に公的補助がないのも懸念材料だ。一方で、国が入居条件を緩和しないため、復興に必要な人材が空室に入居できない問題も。仮設住宅のあり方が問われている。【宮崎隆、浅野孝仁、安藤いく子】

 「お湯の温度は83度でいれるのが一番おいしいんだよ」。岩手県宮古市立第二中学校の校庭に建つ「日の出町仮設団地」の集会場。団地副自治会長の中島照夫さん(78)が得意のコーヒーを振る舞うと、周囲のお年寄りたちに笑顔が広がる。ほぼ毎日ある「お茶っこ飲み会」。しかし、和やかな光景がいつまで続くか分からない。市は団地を撤去して、他の仮設住宅に集約する方針だからだ。

 海から約1キロ内陸にある団地は平屋長屋16棟に計96戸。自宅を再建したりアパートを借りたりして入居者が退去し、今は50戸余りに約100人が住む。空室の割合が高いため、市は4棟24戸の取り壊しを決定。昨年10月、入居6世帯が団地内の空室に移った。全16棟が近く撤去されるだろう、と住民は覚悟している。

 6世帯のうち、1人暮らしの大久保サツさん(86)は「子供たちには部活動もあるし、早く校庭を返してあげたい。でも、2年も住むと荷物も増え、いつか(仮設集約で)遠い団地に引っ越すとなると年寄りには大変」とこぼす。中島さんも「苦しい状況の中、ここで知り合い助け合ってきた。声をかければすぐ集まる仲間になったのに。新しい団地に移れば、付き合いもまた一から」と残念がる。

 建設主体の岩手県は昨年末までに、管理者の市町村に仮設集約計画の策定を指示した。県復興局生活再建課の鈴木洋幸(ひろゆき)・被災者支援担当課長は「建設から3年近くたち、修繕も必要になってくる。維持管理の効率化からも避けられない」と説明。阪神大震災で仮設住宅約4万8300戸を建てた兵庫県では約1800世帯が別の仮設に移った。同県公営住宅課は「防犯上も必要だった。孤独死防止のための見回りなど、行政の目も届きやすくなる」と振り返る。

 こうした説明で入居者が集約・転居に同意しても、費用が工面できず進まない恐れがある。国費補助の対象外で、財政難の自治体も補助が難しいためだ。

 岩手県釜石市は昨年9月、県内で初めて同市平田(へいた)の仮設住宅2棟6戸を解体。転居は2世帯だけで、市職員が荷造りなどを手伝って、しのいだ。市仮設住宅運営センターは「いずれは大規模な集約が必要。引っ越しを手伝うボランティアも集まるかどうか」と懸念する。

 阪神大震災の仮設引っ越し費用は、兵庫県や被災自治体が設立した復興基金で負担した。同様の基金は岩手にもあるが、県生活再建課によると転居費用は対象外だ。同課は「市町村と足並みをそろえて国に、補助を要望したい」という。
 ◇空室利用拡大 「被災者限定」が壁

 仮設住宅の空室を巡っては、被災者以外にも利用させてほしいとの声がある。津波による流出や復興工事業者による需要増で、被災地は賃貸住宅が極端に不足しており▽人手不足の職種▽復興支援のボランティア▽Uターン希望者らの住宅が確保できないためだ。

 岩手県陸前高田市で五つの認可保育園を運営する社会福祉法人「市保育協会」は昨年3、12月の2回、長野県から応援に来た女性保育士の空室への入居を市に求めたが、許されなかった。同協会によると、市内の保育士は約120人。被災などで退職が相次いだ一方、働く母親が増え保育のニーズは震災前より増えた。人手不足を知った内陸の保育士が昨夏、就職を希望してきたが、住居がないため断るしかなかった。

 災害救助法は原則、仮設入居者を被災者に限っている。国は2012年1月、全国の自治体から被災自治体への応援職員や、自治体が委託したボランティア団体職員の入居を認めたが「どこまでも利用範囲を広げるわけにはいかない」と内閣府防災担当。さらなる拡大の見込みはない。

 民間の保育士は対象外という国の方針に対し、同協会は「復興のためという目的は同じなのに。しゃくし定規な運用を改善してほしい」と求める。市の担当者も「保育士のように公共性の高い職種の人材には使ってもらいたいのだが……」と話す。

 毎日新聞が昨年12月に岩手・宮城両県の沿岸24市町村に行ったアンケートでは利用拡大(入居条件緩和)に関し(1)「必要」6市町村(2)「不必要」8市町(3)「どちらとも言えない」10市町−−と意見が割れた。(3)を選んだ岩手県釜石市は「緩和の声が多い一方、仮設の集約が進まない恐れがある」と指摘した。

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妙でいい感じ・・・集中できた???/こゝろづくし

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cleopatra_iwakuni140113J'ai eu alors envie de fumer. Mais j'ai hésité parce que je ne sais pas si je pouvais le faire devant maman. J'ai réfléchi, cela n'avait aucune importance. J'ai offert une cigarette au cocierge et nous avons fumé.
(慰安室で,門衛から勧められたカフェ・オ・レを飲むと)今度はたばこが吸いたくなった.だが,私は躊躇した.ママンの遺体の前でたばこを吸っていいのかわからなかったからだ.私は考えた.いや,どうでもいいことなのだ.私はたばこを1本門衛に勧め,一緒にたばこをくゆらせた.

クレオパトラの涙larmes de Cléopâtre英語だとtears of Cleopatra
妙でいい感じに時間を過ごせました.集中できたかな???足は痛くならなかったし,時間も早く過ぎました.「こゝろづくし」というお菓子をいただきました.
Paris Ramen weekのサイトは明日ゆっくり見ようと思います.

東京都知事選/東北に関わる原発論戦

 東京都知事選の告示が2日後に迫った。首都の「顔」選びは東北の政界や有権者に直接の関連はないが、今回ばかりは事情が異なる。「脱原発」が一大争点に浮上しているからだ。
 選挙戦は細川護熙元首相(76)と、舛添要一元厚生労働相(65)が軸になるとみられる。
 細川氏は原発について「国の存亡に関わる問題だと危機感を持っている」と述べた。即時原発ゼロを主張する小泉純一郎元首相の全面支援を受ける。
 自民、公明両党の支持を受ける舛添氏も「脱原発と言い続けてきた。原発に依存しない社会をつくることは国民のコンセンサスになり得る」と強調した。有権者にとって原発政策は明確な選択軸になりつつある。
 突っ込んだ論戦を期待したいのは、原発再稼働の是非、原発ゼロへの道筋、核のごみの最終処分といった点だ。
 東北はまさに、そうした課題の渦中にある。東日本大震災で起きた東京電力福島第1原発事故は収束していない。一方で、原子力規制委員会は安全審査の申請があった東北電力女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)、使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)について本格審査に入った。
 この現状に照らすと、都知事選は東北と深い関連性を帯びてきたと言える。
 細川、小泉両氏がタッグを組んだことを警戒し、原発再稼働を見据える政府・与党は「原発政策は国全体で決める話で、東京都だけで決める政策ではない」とけん制する。
 ただ、東京は福島原発を含めた遠隔地から電力の供給を受け、しかも東電の大株主だ。国政と同時に都政に関わる課題でもあるわけで、1329万都民の、首都のリーダー選びで原発政策を問う意味は小さくない。
 国会は自民党が圧倒的多数を占める「1強多弱」。当面、国政選挙の予定はない。都知事選はちょうど米大統領選の中間選挙のような位置付けにも映り、安倍晋三首相の政権運営に影響を与える可能性さえある。
 審判の機会を生かさない手はない。ここは東北からも、論戦に注文を付けてはどうか。各陣営や各党の主張に疑問点があれば、原発立地県の知事をはじめとする地方政治家らは積極的に意見をぶつけてほしい。
 村井嘉浩宮城県知事は20日の記者会見で原発政策に関し「舛添氏に近い」と述べた。即時ゼロは困難との考えを示し「火力発電に頼るのは二酸化炭素の放出量を増やし、地球環境に間違ったことになる」と強調した。
 一方、東電柏崎刈羽原発がある新潟県の泉田裕彦知事は「東京都は(東電の)株主という立場でさまざまな提案ができる。国民的課題を電力の大消費地で示してほしい」と求め、考え方の違いをのぞかせる。
 福島第1原発事故以降、衆院選と参院選はあったが、争点がぼやけて原発政策をめぐる論戦は不発だった。せっかくの「脱原発選挙」だ。被災地から多くのメッセージを発信したい。


【遺構の行方 1】財源なし 次々と解体

 東日本大震災の教訓を後世に伝える震災遺構。あの日から3年近くが過ぎ、津波の直撃を受けて全壊した建物や陸地に打ち上げられた大型漁船などは、次々と姿を消している。巨大災害の猛威を如実に物語る遺構は、被災者にとってはつらい記憶を呼び起こす存在でもある。保存の在り方を巡って揺れる震災遺構の行方を探る。

国の保存対策 後手に

 いま、その場所に花を手向ける人はいない。

 宮城県気仙沼市のかさ上げ工事現場。震災の月命日にあたる今月11日も、工事用フェンスの向こうで、重機がうなりを上げていた。

 気仙沼湾から約800メートル離れたこの場所には、全長60メートルの大型漁船「第18共徳丸」が打ち上げられていたが、昨年10月に解体撤去された。

 「もう船のあった位置もはっきりしない。どこに手を合わせたらいいのか……」

 近くにある仮設商店街で食料品店を営む小野寺由美子さん(48)は、節目の日になると共徳丸の前で手を合わせていたが、自身の記憶の風化に戸惑う。

 市は当初、共徳丸を保存し、一帯を公園として整備する計画だった。

 しかし、近隣住民からは「つらい思い出がよみがえる」との声も上がり、船主は解体を望んだ。市は昨年7月、市民を対象にアンケートを行うと、約7割が「保存不要」と回答。数億円に上る保存費用を確保する見通しが立たないこともあり、解体が決まった。

 共徳丸が姿を消した翌月、市の幹部は耳を疑った。根本復興相が震災遺構の保存にかかる初期費用を、1市町村1か所に限って復興交付金の枠で補助すると表明した。

 アンケートでは、多くの住民が巨額の保存費用を「保存不要」の理由にあげていた。市幹部は「補助があるなら結論は違ったかもしれない」とやりきれない表情を浮かべた。

 震災直後から保存を巡って議論されてきた岩手県の大槌町役場や釜石市の鵜住居(うのすまい)地区防災センターも、復興相が表明した時点で既に解体が決まっていた。

 自治体は、財源確保の見通しもないまま、遺構を残すかどうかの判断を迫られ、次々と断念に追い込まれていった。共徳丸の保存を訴えてきた気仙沼商工会議所前会頭の臼井賢志さん(71)は、「政府がもっと早く支援の方向性を示すべきだった」と批判する。

 復興相は今月17日の記者会見で、遺構の保存費用はこれまで自治体が主に負担してきたと説明し、「今回(の国庫補助)はそもそも異例の措置だ」と強調した。復興庁の担当者も「復興交付金は本来、街づくりのための制度。遺構と街づくりの関係性が不明確だった」と、国の支援表明が遅れた経緯を説明する。

 国の支援表明で議論が収束したわけではない。

 宮城県は昨年12月、有識者による遺構の検討会議を発足させた。直接のきっかけは、南三陸町が防災対策庁舎の解体を決めたことだ。

 住民に避難を呼びかけ続けた町職員らが命を落とした悲劇の舞台。鉄骨がむき出しになったその庁舎には、今も全国から多くの人が訪れ、花を手向けていく。

 県主導で遺構保存の議論に乗り出した形だが、遺族への配慮から解体を決めた佐藤仁町長は「検討会議の結論にかかわらず、町の方針は変えない」と距離を置く。

 一方の岩手県は、達増拓也知事が「それぞれの街づくりの中でケース・バイ・ケースで対応するのが基本」と述べるなど、前面に立つ姿勢は見せていない。

惨禍 語り継ぐ意義

 「震災遺構」とは何をさすのか。復興庁の資料では、「津波による惨禍を語り継ぎ、自然災害に対する危機意識や防災意識を醸成する上で一定の意義がある」ものと記されているが、明確な定義があるわけではない。「後世への警鐘」としての意義だけでなく、多くの犠牲者を出した施設などは慰霊の場ともなっている。さらに、内外から多くの人を集める観光資源として復興を後押しする役割も期待されている。


東日本大震災と戦争被害をつなぐ

 東日本大震災で74人以上の生徒が津波に呑まれた、石巻市の大川小学校の惨事について、19日、検証委員会の報告が発表された。ちょうど1週間前、私を含めた国際政治を専門とする研究者たちは、その小学校跡を訪れたところだ。

 なぜ、中東研究の私が被災地を視察するのか、疑問に思われるだろう。だが、震災も戦争も、当たり前の日常社会が根本からひっくり返されてしまうという点でよく似ているし、災厄からの復興に際して直面する障害にも、いろいろな意味で共通点がある。

 私たちは極寒のなか、大川小学校を訪れたのはほんの一時間程度だったが、崩壊した学校を前に遺族の話を聞くにつれて、情けなさでいっぱいになった。生徒たちは、地震直後に校庭に集められた後、51分の間なにも行動を起こせないまま、いよいよ津波が来るという時になってようやく移動を開始し、ほとんどの生徒が波に呑まれたのだという。生徒のなかには、校庭に隣接する山に逃げよう、と主張する子供もいたが、山は危ないという理由で、静止された。それでも山への脱出を決行して、命が助かった者もいる。だが、検証委員会では、そうした子供の声や遺族の証言が、無視され続けてきた、というのだ。(その経緯は、池上正樹「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」青志社、に詳しい。)

 中東でさまざまな戦争、内戦の被害者を見てきて、何が共通しているかといえば、理不尽に命を奪われた者の死に、意味を与えてやりたい、という遺族の思いだ。なぜ自分の子供が、伴侶が、親が、友人が命を奪われなければならなかったのか。奪われた命が戻ってこないことに変わりがないとしても、なぜどういう理由で亡くなったのか、理由を知りたい、という欲求は、人災でも天災でも同じ思いである。

 世界各地の戦争やジェノサイドなどに対して、過去の犯罪の解明を求め、弾圧や内戦で犠牲となった人たちの記憶を掘り起し残し、その尊厳を取り戻す試みが、さまざまになされている。ポルポト政権下カンボジアでの虐殺や、1994年のルワンダ虐殺、1996年まで続いたグアテマラ内戦などを巡る真相解明の試みが、それだ。

 こうした営みは、ただ恨みを晴らすだけではない。犠牲者と事件の責任者が和解し再出発を目指すために、必要不可欠な行為である。イラクでフセイン政権に処刑された人々の遺族が、遺体を探して国内中を旅する祖母と孫を描いた「バビロンの陽光」というイラク映画(2011年日本公開)は、その遺族たちの、前に進めない思いを描くとともに、「和解」が口だけの簡単なものではありえないことを、よく表している。大川小学校の周辺では、いまだに家族が行方不明の人たちが、現場の地面をくまなく探る光景に出会った。

 大量の死に責任を負うものが、その事実を押し隠そうとする行動もまた、悲しいかな、戦争と被災はよく似ている。2002年、ヨルダン川西岸のジェニンでイスラエルがパレスチナ人難民キャンプを攻撃し、多くの犠牲者を出した事件で、国連査察団が調査に入ろうとしたのを、イスラエル政府は一切認めなかった。視察できるようになったときには、その証拠はさっぱり、消されていた。
なぜ人は、都合の悪い出来事が起きたときに、残された人々が最も知りたい「なぜ命が理不尽に奪われたのか」という疑問を一層深める形で、事実を隠ぺいしようとするのだろうか。それが、ますます人々の距離と対立と憎悪を深めてしまうことは、数々の紛争の経験から、よく知っているはずなのに。

 大切な人の死を理不尽なまま、認めることはできない。だとすれば、失われた命は「意味があった」と無理やりにでも思わなければ、やっていられない。だがそこで、死そのものを肯定する安易な意味づけがなされてしまうことは、怖い。それが人種主義や排外的ナショナリズムやある種の宗教など、理不尽に命を奪うことを正当化するロジックに、頼りがちな環境が生まれることが、怖い。無理やりの意味づけではなく、合理的に納得のいく意味を亡くなった者たちに与えるために、死の原因を検証することは不可欠だ。

 被災地を訪ねながら、町を挙げて復興が進んでいる場所と、大川小学校のように、置いてけぼりにされていこうとする場所の落差の大きさに、愕然とした。それもまた、戦争後の復興と重なるものがある。被災したのは同じでも、復興の過程で、被災者社会が引き裂かれていく。訪ねた被災者のなかには、仮設住宅の人々に対して、同じ地元の住民から、「3年もたったのに、いまだに文句を言うな」と言われる、と嘆く者もあった。家を流されて補償金をもらえたんだから、そうじゃない人たちに比べて儲かったじゃないか、と。

 イラク戦争から1年半後、新政府が選挙を実施して新たな国づくりを目指す、と息巻いていたときに、中部のファッルージャで大規模な掃討作戦が実施された。掃討作戦でがれきの山となった町で選挙などできるはずもないのに、政府は選挙を断行し、ファッルージャの人々は、自分たちは戦後の復興プロセスから意図的において行かれたという意識を、強烈に抱いた。その後、宗派対立と呼ばれたイラクの熾烈な内戦は、こうして被災者を分断することから、始まったのだ。

 石巻滞在の最後の日、イラク戦争のころに付き合いのあったジャーナリストに、ばったり出会った。イラク戦争後の復興に奔走していた援助機関のなかには、震災後の復興事業にボランティアとして真っ先に飛び込んでいった人たちが多い。人災でも天災でも、被災の痛みに人が動かされることは共通している。

 その一方で、同じ国の災厄なのに、三年近くの年月を経ていとも簡単に忘れ去られようとしていることにも、愕然とする。中東を研究する者としては、遠い海外の紛争のことだから、中東の被災者の痛みに日本人が鈍感であっても仕方がないのかも、と諦めていた。だが、同じ日本人に起きたことに対してすら、かくも他人事化していることは、なにかおかしくはないか。国内であれ国外であれ、被災者は置いて行ってもかまわない人たちなのだ、という感覚が、どこか蔓延してはないか。それが、一番怖い。

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ほとんど仕事しませんでした

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white_snake_iwakuni_140113Aujourd'hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas. J'ai reçu un télégramme de l'asile : « Mère décédée. Enterrement demain. Sentiments distingués » Cela ne veut rien dire. C'était peut-être hier.
今日,ママンが死んだ.ことによると,昨日かもしれない.よくわからない.養老院から「ゴボドウセイキョ.アス,マイソウ.ケイグ」という電報を受け取った.これでは何も言っていないに等しい.たぶん,死んだのは昨日のことなのだろう.
『異邦人』(1942) アルベール・カミュ L'Etranger Albert Camus


昨日までしんどかったのですが,今日はまあまあ.でもほとんど仕事できませんでした.明日頑張ろうと思います.ネットを見ていて京都のHiさんやつくばのSaさんのTwitterを見ました.2人とも頑張っています.


「避難決定に遅れ」 大川小津波災害・検証委、最終報告案

 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が死亡、行方不明となった石巻市大川小の津波災害=?=をめぐり、第三者の事故検証委員会は19日、第9回会合を開き、最終報告書案を提示した。避難に関する教職員の意思決定が遅れた上、北上川の堤防に近い「三角地帯」を避難先に選んだことが「最大の直接的な要因」と結論付けた。公開の議論は今回が最後で、検証委は遺族の意見を踏まえて報告書をまとめ、2月中に市教委へ提出する。

 報告書案は、教職員が迅速に意思決定していれば「もっと早い時点で避難が開始された可能性は否定できない」と指摘。背景の要因として教職員の危機意識の不足、学校の防災体制の甘さ、行政の情報伝達の不十分さなどを挙げた。
 避難の経緯や経路などについては、決定に関わった教職員が全員死亡したとして、明確に示さなかった。
 大川小の災害対応マニュアルは津波被害への備えが限定的で、より具体的な検討が行われなかったと推定。指導・助言する立場の市教委も「チェックの仕組みが欠落していた」と断じた。
 教職員の津波に対する知識も十分ではなかったとした上で、多くが大川小勤務の経験が短く、「地理など学校周辺の状況を必ずしも熟知していなかった」と分析した。
 遺族の不信感を強めた市教委の事後対応については、震災直後に対策本部を設けるなどしていれば「遺族らとの関係も変わった可能性があった」と判断。深い心的外傷を受けているとみられる児童からの聞き取りでも、保護者の了解をほとんど得なかったことなどを問題視した。
 大川小の被害を教訓とする24項目の提言も提示。ハザードマップの啓発や災害対応マニュアルの在り方、教員養成課程の防災教育や教職員の危機管理研修の充実などを盛り込んだ。
 検証委の説明に対し、遺族からは「証言の矛盾点や疑問点が少なくない」「検証作業が甘く、踏み込んで議論されていない」といった意見が相次いだ。
 検証委は今月26日、遺族に対する報告会を開く。室崎益輝委員長は「最終報告までなお一層議論し、内容を詰めたい」と述べた。

◎判断ミス核心迫らず

 【解説】石巻市大川小の事故検証委員会は1年近い調査を経て、多くの犠牲者が出た要因を「避難決定の遅れ」などと結論付けた。遺族はその「判断ミス」の究明を求めてきたが、最終報告書案でも核心部分は解き明かされなかった。
 遺族の疑問は「なぜ50分間、校庭から避難しなかったのか」という点にあった。検証委は、教職員の危機意識の低さなどの背景を列挙したが、関係者の死亡などにより、「なぜ」には明確に答えられなかった。他にも証言の矛盾点があるなど、遺族にはもどかしさの残る形となった。
 検証委は、市教委による検証に遺族が不信感を強め、文部科学省と宮城県教委の主導で設置された。「公正中立」を掲げた作業は、早い段階から遺族とずれが生じていた。背景要因を積み重ねて核心に迫る手法が「周辺の議論に時間をかけている」と映った。遺族は、独自の調査や市教委の調査の内容も反映させるよう再三求めた。検証委が確証を得られない内容の事実認定を避けたことなども、遺族には「自分たちの声が届かない」「『仕方がない』という結論ありき」と感じさせた。
 学校管理下で前例のない大惨事の検証作業は、今後の学校防災に生かすことも目的だった。防災教育の充実などの提言を示し、大所的な役割は果たしたかもしれないが、わが子を失った遺族の無念に多少なりとも応えるという、本来の目的を達することは難しいと言わざるを得ない。(石巻総局・丹野綾子)

<最終報告案骨子>
 ・避難開始に関する教職員の意思決定が遅れ、避難先として河川堤防に近い「三角地帯」を選択したことが、最大の直接的要因と結論付けられる
 ・校庭に避難していた教職員の災害情報の収集は受け身、待ちの姿勢で、積極的に情報を集める姿勢が十分ではなかった
 ・教職員の津波に対する危機感は時間の経過とともに徐々に高まったが、即座に校庭からの避難を検討、決断するほど強くはなかった
 ・学校の災害対応マニュアルは津波災害を具体的に想定せず、防災体制の運営・管理が十分ではなかった
 ・教職員全体として津波・防災や危機管理に対する知識が十分ではなく、地理的条件など学校周辺の状況を熟知していなかった
 ・学校や市教委の被災直後の対応は十分と言い難く、児童や遺族、保護者へのケア対策も継続性、系統性が見られない

[大川小の津波災害]児童108人、教職員13人のうち児童70人、教職員10人が死亡し、児童4人は今も行方不明。難を逃れた子どもの多くは保護者が連れ帰り、学校で被災し助かったのは4人。児童や教員でただ1人生存した男性教諭らの話から、地震発生から津波到達まで約50分間校庭にとどまり、新北上大橋たもとの堤防道路(三角地帯)に移動する途中で津波に襲われたとみられる。


釣り糸垂らし春よ来い 穏やか「大寒」 仙台

 20日は二十四節気の一つ「大寒」。一年で最も寒さが厳しい時季とされる。宮城県内は低気圧の接近で冬型の気圧配置が弱まり、おおむね穏やかな朝を迎えた。
 仙台管区気象台によると、20日朝の最低気温は丸森(氷点下7.0度)、亘理(同6.6度)で今冬最低を更新。築館(同4.4度)、古川(同3.2度)などは平年をやや上回った。
 仙台は平年を0.3度上回る同1.7度。青葉区上愛子の月山池は、寒の緩みで水面に張った氷が一部解け、ヘラブナを狙う釣り人らが糸を垂らした。
 気象台によると、県内は20日夜、雪や雨が降る所がある見込み。23日にかけて、低気圧や寒気の影響で冷え込むと予想される。
 その後は寒冷前線に向かって南の暖かい空気が流れ込み、気温は上昇に転ずる見込み。25日の予想最高気温は仙台12度、白石11度。3月下旬〜4月上旬並みの陽気となり、一足早い春の訪れを感じられそうだ。


名護市長選、稲嶺氏再選 辺野古移設を拒否

 【名護市長選取材班】米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設問題が最大の争点となった名護市長選は19日に投開票され、移設の阻止を訴えた無所属現職の稲嶺進氏(68)=社民、共産、社大、生活推薦=が1万9839票を獲得し、移設推進を掲げた無所属新人の末松文信氏(65)=自民推薦=に4155票差をつけ大勝した。日米両政府が進める辺野古移設に、名護市民があらためて「ノー」の審判を示した。市長権限を最大限に使って阻止すると明言する稲嶺氏の再選で、辺野古移設は事実上困難となり、安倍政権に大きな打撃となった。
 今回の市長選は移設問題で候補者の主張が「阻止」「推進」と初めて明確に分かれて争われた。安倍政権が移設作業を強権的に進めようとする中、国の埋め立て申請を承認した仲井真弘多知事の判断も含め、名護市民は移設拒否の意思を示したと言える。
 埋め立てを承認した知事に対しては県議会が10日、辞任要求決議を可決している。知事は市長選で移設推進の末松氏を支援していたが、結果を受けて今後の求心力低下は必至だ。11月予定の知事選を前に県内政局の流動化も予想される。
 稲嶺氏は1期目から「海にも陸にも基地は造らせない」と主張。今回の選挙戦では「自然を守るため、未来の子どものために」と新基地建設反対を訴え、革新勢力や無党派、女性に支持を広げた。6次産業化の推進や教育・福祉面での施策など4年間の実績もあり、一部保守層も取り込んだ。
 末松氏は政府・自民党本部、知事の応援を得て、移設推進による再編交付金や北部振興事業の獲得・増額による市民福祉向上を訴えたが、届かなかった。
 名護市の当日有権者数は4万6582人(男性2万2832人、女性2万3750人)。投票総数は3万5733人で投票率は4年前の前回並みの76・71%だった。有効投票数は3万5523。無効票は210。

市民の良識示した
 稲嶺進氏の話 市民の良識を示していただいた。ご支援、ご支持が日ごとに高まり全身で受け止めた。本当にありがとう。知事は辺野古埋め立てを承認したが、市長として市民の安心、安全、財産を守る責務を果たすべく、先頭に立つことを約束する。
   ◇   ◇
 稲嶺 進氏(いなみね・すすむ) 45年7月17日生まれ、68歳。名護市三原出身。琉球大卒。72年名護市役所入り。総務部長、収入役、教育長を歴任。名護市体育協会事務局長、理事長も務めた。10年1月の市長選で初当選。


名護市長選 「辺野古」強行許されぬ

 沖縄県の名護市長選で、市民の意思が明確になった。政府はこの事実を重く受け止め、米軍普天間飛行場の同市辺野古への移設を強行してはならない。

 それでも日本政府は、米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古沿岸部への「県内」移設を強行しようというのだろうか。

 辺野古移設の是非が問われた名護市長選である。反対する現職、稲嶺進氏(68)が、賛成する自民党推薦の新人、末松文信氏(65)を破り、再選された。

 安倍内閣が強力に推進し、仲井真弘多沖縄県知事が追認した辺野古移設に反対する、名護市民の明確な意思表示である。

◆民主国家と言えるか

 菅義偉官房長官は、市長選の結果は辺野古移設には「全く影響はない。国民の生命、財産を守る観点からも予定通り進めさせてほしい」と述べた。稲嶺氏勝利を見越して予防線を張ったのだろう。

 果たしてそうだろうか。

 外交、安全保障は国の役割だ。日米安全保障条約上、基地提供の義務を負うのは日本政府である。

 しかし、米軍基地は地元の住民に大きな負担を強いる。騒音や事故、米兵らの犯罪、そして戦争への加担という精神的重圧だ。

 基地の安定的提供には周辺住民の理解が欠かせない。反対意見が多数を占めるにもかかわらず、押し付けるのは民主主義国家と言えず、どこかの専制国家と同じだ。

 ましてや、沖縄には在日米軍基地の約74%が集中している。

 危険な普天間飛行場の返還は急務だが、名護市民がこれ以上の基地負担を拒み、稲嶺氏も市長権限で移設阻止の構えを見せる以上、「国外・県外」移設に切り替えた方が、返還への早道ではないか。

 米軍基地負担の県内たらい回しにすぎない辺野古移設を、もはや強行してはならない。

◆知事判断への不信任

 昨年十二月二十七日、仲井真知事は、辺野古沿岸部に代替施設を建設するために政府が許可申請した海面の埋め立てを承認した。市長選で稲嶺氏の当選が決まった後では許可しにくくなるため、駆け込みで手続きを進めたのだろう。

 仲井真氏は再選された二〇一〇年の県知事選で普天間飛行場の県外移設を公約し、その後も県民の反対が強い県内移設は「事実上不可能」と繰り返し強調していた。

 県外移設を求める考えに変わりないと、仲井真氏は強弁しているが、県内移設のための埋め立てを承認することはやはり、公約違反ではないのか。公約と違う政策を進めるのなら、辞職して県民に信を問い直すのが筋だ。

 今回の市長選は知事の埋め立て承認後、初めての関係自治体の首長選でもある。辺野古移設に反対する候補が勝利した選挙結果は知事の判断に対する不信任だと、重く受け止めなければならない。

 公約違反は知事だけではない。

 一二年の衆院選で、自民党本部は普天間問題を公約に明記せず、沖縄の同党公認候補はそれぞれ県外移設を訴えた。一三年参院選では党本部は県内移設を掲げたが、党沖縄県連は県外移設を「地域公約」として訴えた経緯がある。

 国政選挙で自民党を支持した沖縄の有権者にとって県外移設こそ自民党との契約だ。

 にもかかわらず、党沖縄県連は県内移設容認に転換し、仲井真知事の埋め立て許可を後押しした。

 このまま県内移設を推進する立場に立つのなら、公約違反との批判は免れまい。沖縄選出の自民党国会議員は全員、潔く辞職し、四月の統一補欠選挙で有権者の信を問い直すべきである。

 仲井真知事や自民党沖縄県連に公約違反を迫ったのは、安倍晋三首相率いる内閣であり党本部だ。

 年間三千億円台の沖縄振興予算という「アメ」と、危険な普天間飛行場の固定化という「ムチ」をちらつかせて辺野古移設を迫る手法は、名護市民に拒絶された。無視し得ない民意の高まりだ。

 琉球新報など地元メディアの県民世論調査で、知事の埋め立て承認を支持する回答は34・2%で、不支持は61・4%。しかし、共同通信の全国世論調査では、承認を評価する回答は56・4%、評価しないは30・7%と、全く逆だ。

◆人ごとで済まされぬ

 この世論調査からうかがえるのは、米軍基地負担は沖縄県民が受け入れて当然という、本土の側にある、どこか人ごとの空気だ。

 日米安保体制が日本と周辺地域の平和と安全に不可欠と言うのなら、その基地負担は沖縄に押し付けず、国民が可能な限り等しく負うべきである。本土の側にその覚悟がないのなら、日米安保体制の重要性を口にする資格などない。

 本土による沖縄への基地押し付けや差別的政策は、もはや許されない。名護市長選の結果は、われわれにそう語りかけてくる。


名護市長選 移設反対の民意生かせ

 沖縄県名護市長選で、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する現職の稲嶺進氏が、移設推進を掲げた新人の末松文信氏を破り、再選を果たした。

 政府は昨年末、仲井真弘多(ひろかず)・県知事から辺野古沿岸部の埋め立て承認が得られたため、選挙結果にかかわらず、予定通り移設を進める方針だ。しかし、基地受け入れの是非が真正面から問われた地元の市長選で、反対派が勝利した意味は極めて重い。

 地元の民意に背いて移設を強行すれば、反対運動が高まるのは確実で、日米同盟の足元は揺らぎ、同盟はかえって弱体化しかねないだろう。
 ◇振興策の手法は限界だ

 安全保障上の必要性を踏まえつつ、本土が広く基地負担を分かち合うことを含めて、地元の民意をいかす道はないのか。政府はもちろん、日米安全保障体制の受益者である私たち国民の一人一人が自分の問題としてとらえ、解決策を模索すべきだ。

 日米両政府が1996年に普天間飛行場の返還に合意して以来、名護市長選で辺野古移設の是非が問われたのは5回目だ。最初の3回は、政府の手厚い経済振興策もあって、容認派が勝ったが、鳩山政権下で行われた2010年の前回市長選で反対派が初めて勝利した。

 今回は、知事が埋め立てを承認してから初の市長選だった。保守系候補が「容認」でなく「推進」を掲げたのも初めてだ。移設の是非がこれまで以上に明確な争点となった市長選を反対派が制したことに対し、政府は真摯(しんし)に耳を傾ける責任がある。

 選挙戦で末松氏は、再編交付金を活用した経済振興や住民サービスの向上を強調した。再編交付金とは、米軍再編で新たな基地負担を受け入れる自治体に対し、政府が進み具合に応じて交付金を出す制度だ。名護市は稲嶺市政の4年間で計約40億円分の交付を凍結されている。

 稲嶺氏は、再編交付金は政府が新基地を受け入れさせるために一時的に支払うカネだと批判し、子どもたちの未来のために辺野古の海にも陸にも新基地は造らせないと訴えた。

 選挙戦では、県外移設の公約に矛盾する辺野古移設を承認した仲井真知事への批判も多く聞かれた。知事は昨年末、政府が21年度まで毎年3000億円台の沖縄振興予算を確保する方針や基地負担軽減策を示したことを評価して辺野古埋め立てを承認した。県議会は「米軍基地と振興策を進んで取引するような姿が全国に発信されたことは屈辱的」との知事辞任要求決議を可決した。

 政府が振興予算を大盤振る舞いしたにもかかわらず、反対派が勝利したことは、振興策と引き換えに基地受け入れを迫る手法がもはや通用しなくなったことを示している。

 鳩山政権の県外移設方針の挫折や、本土の関心の低さを見せつけられて、沖縄の人たちの失望は深まり、沖縄への「差別」だという声が頻繁に聞かれるようになった。基地反対の民意は、4年間で後戻りできないほど強まったようにみえる。

 安全保障は国の専管事項だと政府はいう。確かにそうだが、それは地元の意向を軽視していいということではない。

 政府は、今後1年かけて辺野古移設のための調査・設計を行い、その後5年間で本体工事をして、機材・施設の整備などを経て、計約9年で移設を完了する計画だ。
 ◇日米で将来像の議論を

 稲嶺氏は、代替基地への燃料タンク設置など工事に名護市長の許可などが必要なものが10項目あることから、市長の権限を使って基地建設を阻止する構えだ。反対派住民による徹底抗戦も予想され、国が工事を強行すれば流血の事態を招きかねないとの話が地元ではささやかれている。それは避けなければならない。

 ではどうすればいいのか。普天間飛行場の危険を一日も早く除去するため基地負担軽減策を着実に進めるとともに、普天間の固定化を回避するためには辺野古への移設という選択肢しかないのか、今一度、再検討の必要があると私たちは考える。

 在日米軍がアジア太平洋地域の安定に果たす役割は大きい。それに悪影響を与えるような選択はすべきでない。一方で、代替基地の建設が計画通り進んだとしても完成するのは9年後だ。その時の中国や朝鮮半島情勢がどう変化しているかを見通すのは難しい。15年後、20年後はどうか。普天間の海兵隊のための代替基地が沖縄に必要な状況だろうか。

 政府はこれまで、こうした国際情勢を踏まえた将来的な海兵隊の必要性の議論を、ほとんどしてこなかった。国民への説明も、対米交渉した形跡もない。外交・安全保障政策の司令塔を担うために創設された国家安全保障会議(日本版NSC)などを活用し、骨太な議論と新思考の政策を進めよう。

 今年で戦後69年、沖縄の本土復帰42年を迎える。沖縄は太平洋戦争で地上戦の場となり、戦後は米軍の施政権下に置かれ、復帰後も米軍基地の集中に苦しんできた。振興策と引き換えの基地押しつけでなく、発想を変える必要がある。沖縄の人たちの理解と納得を得る政策を打ち出さなければ、日米安保体制は持続可能なものになり得ないだろう。


名護市長選―辺野古移設は再考せよ

 名護市辺野古への基地移設に、地元が出した答えは明確な「ノー」だった。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる名護市の市長に、受け入れを拒否している稲嶺進氏が再選された。

 沖縄県の仲井真弘多(ひろかず)知事は辺野古沖の埋め立てを承認したが、市長選の結果は移設計画や政府の手法への反発がいかに強いかを物語る。強引に事を進めれば大きな混乱を生む。政府は計画を再考すべきだ。

 名護市長選で基地移設が争点となるのは5回目だ。

 昨年末の知事の承認によって、日米両政府の合意から18年間進まなかった移設計画は一つのハードルを越えた。今回の市長選ではこれまで以上に「基地」が問われた。

 移設反対派は地元の民意を示す最後の機会ととらえた。一方、推進派の末松文信氏側には連日、大臣や知事、自民党国会議員が応援に入り、国や県とのパイプを強調。基地受け入れの見返りに国から交付される米軍再編交付金などを使った地域振興策を訴え続けた。

 しかし、振興策と基地問題を結びつけて賛否を迫るやり方には、名護市だけでなく、沖縄県内全体から強い反発がある。当然だろう。

 知事が承認にあたり安倍首相と振興予算の確保などを約束したことに対しても、「カネ目当てに移設を引き受けた、という誤ったメッセージを本土に発信した」と批判が上がった。知事は県議会から辞職要求決議を突きつけられる事態となった。

 極めつきは自民党の石破幹事長の発言だろう。市長選の応援で「500億円の名護振興基金を検討している」と演説し、その利益誘導ぶりは有権者を驚かせた。稲嶺氏は「すべてカネ、権力。そういうことがまかり通るのが日本の民主主義なのか」と痛烈に批判した。

 この選挙をへてなお、政府は辺野古移設を計画どおり推進する方針だ。

 稲嶺市長は、作業に使う海浜使用許可を拒むなど、市長の権限で埋め立て工事の阻止をめざす考えだ。政府が立法措置や強行策を用いて着工することなど、あってはならない。

 「普天間の5年以内の運用停止」という知事の求めを、国が約束したわけではない。普天間の危険性を考えたとき、辺野古移設が最善の道なのかどうか。政府は県外移設も含め、もう一度真剣に検討し直すべきだ。同時に、オスプレイ配備の見直しや米軍の訓練移転など基地負担軽減を急ぐ必要がある。

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昨日よりはましな感じですが,ヤル気ないです

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ostryga1昨日よりはましな感じですが,ヤル気ないです.フランス語もパス.お昼からお酒飲みたい気分です.
京都では雪が積もっているようです.
ジムはお休みです.

柏崎刈羽稼働計画 問題の根は政府にある

 政府が承認した東京電力の総合特別事業計画(再建計画)は問題が大きい。なによりも、新潟県の柏崎刈羽原発の再稼働を前提としていることは、到底納得がいかない。

 東電は福島第1原発の過酷事故の当事者であり、何十年もかかる事故処理のスタート地点で、汚染水対策につまずいている。事故の本当の原因究明も終わっていない。除染も賠償も自ら担えず、破綻状態を事実上の国有化でしのいでいる。

 そんな会社が、再び普通の会社に戻る再建に向け、早期の原発再稼働が不可欠だという。出口のない迷路を堂々巡りしているかのようだ。

 計画には、再稼働できない場合に最大10%の電気料金値上げが必要との見方が盛り込まれた。柏崎刈羽原発が規制基準に適合しているか分からないのに、企業経営や家計への負担をちらつかせ、再稼働の正当性を強調していると受け取られても仕方ない。新潟県の泉田裕彦知事が「モラルハザード(倫理欠如)の計画だ。事故が起きても責任をとらなくていいというのはおかしい」と批判したのは当然だろう。

 ただ、問題は東電だけにあるわけではない。政府のエネルギー政策が、福島第1原発の過酷事故の教訓もそこそこに、東日本大震災前の原発推進姿勢に逆戻りしていることが根っこにある。

 経済産業省の審議会が昨年末にまとめた「エネルギー基本計画案」は、「原発依存度を可能な限り低減させる」といいつつ、原発を「基盤となる重要なベース電源」と位置づけている。これでは、東電だけでなく、他のエネルギー関連産業も、一般の人々も、本気で原発を減らす方向にかじを切れない。

 東電も政府も、原発が再稼働できないことを前提に、国全体のエネルギー政策の中で東電の将来像を描くのが筋ではないか。その上で、電気料金値上げを第一の解決策とするのではなく、いかに燃料費を削減するか、どのように電力消費量を抑えるかに知恵を絞るべきだ。

 こうした大方針が示されれば、原発による電気を享受してきた側が、短期的には電気料金値上げを受け入れざるをえない場面もあるだろう。そのうえで発電コストや二酸化炭素排出を抑えるために、高効率の火力発電をどう増やしていくか、といった戦略を描き、短期的な負担を中長期で解消する道を探ればいい。

 現在のエネルギー基本計画案のままではこうした戦略も立てられず、「原発か電気料金値上げか」という二者択一しか残らない。東電再建計画の問題は、国の政策の問題を如実に表したものであり、政府は根本的にエネルギー政策を見直すべきだ。

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ヤル気がありません/デパデパで1日ねてました

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koń3ヤル気がありません.フランス語はお休みして1日寝てました.デパデパ.Shさんへのメールにはこんなふうに書いていました.「死にたいというほどではないけど、やる気ない感じ。生きたくないと言えばいいかな?そんなことない? 気持ちはそんなに下向きではない。」
Aiさんは日帰りで岩手出張だそうです.

東日本大震災:福島第1原発事故 東電の二枚舌憤り 福島の弁護士、社員への返還請求「差別的」

 福島第1原発事故の賠償を巡り、東京電力が政府の原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)の示した和解案を拒否している問題。多くの被災者から相談を受けてきた福島県弁護士会の渡辺淑彦(としひこ)弁護士(43)は「言っていることと、やっていることが違う」と怒りを隠さない。

 原発ADRは、2011年8月、裁判によらず円滑、迅速、公正に被害回復を図るために設置した公的機関。東電は今月発表した特別事業計画だけでなく、11年10月にも「被害者の方々への『5つのお約束』」として「和解案の尊重」を掲げた。

 渡辺弁護士が拒否例を初めて知ったのは昨年秋。東電社員のケースで「『尊重』とは『守る』という意味のはず。にもかかわらず、拒絶しているのだから二枚舌だ」と感じた。

 原発ADRは和解案を作成する「仲介委員」や「調査官」を務める弁護士が誰かによって、結果が変わることもあり必ずしも万能ではない。それでも、被災者が訴訟を起こすハードルは高く、訴訟外で解決する原発ADRが、被害回復のかなめの役目を担っている。

 東電を巡っては、社員やその家族に対する賠償金の返還請求問題もある。東電は毎日新聞の報道を受け「社員やその家族か否かで取り扱いは変えていない」と反論する「お知らせ」をホームページにアップした。しかし、渡辺弁護士は「返還請求が一般被災者に行われているケースは知らない。社員に対する差別的取り扱いであり、今後一般の被災者への返還請求にもつながりかねない」と批判した。【高島博之】


阪神大震災:19年 東北と祈り重ね

 阪神大震災から19年を迎えた被災地では、17日午後も犠牲となった6434人を追悼する行事が各地であった。東日本大震災の被災者も東北から訪れ、二つの震災の犠牲者に追悼の祈りを重ねた。

 神戸市中央区の東遊園地を会場とした「阪神淡路大震災1・17のつどい」は午後も引き続き営まれた。東日本大震災が起きた午後2時46分には、「1・17」の形の竹灯籠(とうろう)の近くで、「3・11」の形に並べた竹灯籠約250本に火がともされた。被害の大きい東北各県からも遺族が訪れ、被災地の復興を願いながら黙とうをささげた。

 津波で伯母が犠牲になり、現在も仮設住宅で暮らす岩手県大船渡市の市立大船渡中1年、及川真子さん(13)は「19年でこんなに復興したことにびっくりした。いつか東北も、東北らしい形で復興できればいい」。宮城県名取市の水道業、長沼俊幸さん(51)は「『風化させまい』という神戸の意識の高さを見習いたい」と決意を新たにしていた。午後9時までに会場を訪れた遺族や市民らは約4万3000人になった。

 921人が犠牲となった神戸市長田区の新長田駅前でも追悼行事が開かれ、発生から半日後の午後5時46分に全員で黙とう。母を亡くした同区の主婦、西村芳子さん(74)は「とても元気な母と時に言い合いになったことも今では懐かしく、19年が過ぎても悲しみが薄れることはない。若い人たちが震災を忘れず、語り継いでくれていることがうれしい」と話した。【渡辺暢、豊田将志】

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阪神・淡路大震災から19年/ヤル気ないです

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Kobe140117_takeJapon: 900 enfants malades, empoisonnement alimentaire soupçonné

Plus de neuf cents écoliers dans une ville du centre du Japon sont tombés malades, apparemment victimes d'un empoisonnement alimentaire, ont annoncé jeudi les autorités.
Les élèves atteints de vomissements et de diarrhées étaient jeudi soir (heure locale) au nombre de 905 dans 14 écoles primaires à Hamamatsu, une ville de bord de mer à quelque 200 km au sud-est de Tokyo, a annoncé la direction locale des écoles.
Environ 40 enseignants et employés ont également manifesté des signes d'empoisonnement alimentaire.
"Chez la plupart, les symptomes sont apparus la nuit dernière. Ils avaient pris leur déjeuner à l'école, mais tout lien de cause à effet reste encore à démontrer", a déclaré à l'AFP Seiko Terada, directeur local de la santé et des cantines.
Les écoles touchées ont été fermées, et ne rouvriront pas avant samedi au plus tot.
Cette affaire survient à la suite de l'intoxication de 1.400 personnes à travers le Japon par des produits surgelés qui auraient été mélangés avec des pesticides.

浜松の小学校でノロのせいで学級閉鎖のニュースがフランス語になっていました.ニュースウオッチ9でも取り上げられてました.

朝,よくわからないのですが「材木町」が気になりました.

第19回1.17追悼・連帯・抗議の集いに参加しました.実行委員会参加団体は,神戸の冬を支える会,在日韓国民主統一連合兵庫本部,日本基督教団兵庫教区,真宗大谷派(ネットワーク朋),平和と民主主義をめざす全国交歓会,兵庫県被災者連絡会です.社会民主党兵庫県連合,新社会党兵庫県本部や部落解放同盟兵庫県連合会などが賛同団体になっています.

阪神・淡路と東日本とを問わず一人の被災者も取り残さない!
「借り上げ復興住宅」の「明け渡し転居」強制を許さない!

黙祷はprière silencieuse, silent prayer
震災を記憶にとどめ,風化させないことが大切だと感じました.
今日は仕事ほとんどできませんでした.ヤル気ないんです.

ドキュメント復興の軌跡 阪神・淡路大震災19年

被災地はこの19年間、何が変わって、何が変わっていないのかーー。どのような思いで過してきたのか。厳かな祈りの時間を神戸・三宮の東遊園地から生中継でお伝えします。

6,434人の命が奪われた阪神・淡路大震災から19年。被災地は、一歩一歩復興への道のりを歩いてきましたが、震災の記憶は明らかに薄れています。 番組では今一度、この19年間、それぞれの年に何があったのか丁寧に振り返ります。キャスター自身が被災地を歩き、そして阪神・淡路大震災から20年目の年に向かって、その癒えることのない哀しみを分かち合うとともに、いつ来るかもしれない次の地震への備えを呼びかけます。


震災19年真の復興へ いまこそ話し合おう

震災19年 真の復興へ やらなあかんことがある

震災から19年経ってなお、心の傷や地域との分断に苦しむ人は多い。真の復興に向けてどんなプロジェクトを立ち上げるか。作家の高村薫さんやNPO代表らとともに考える。

あの震災から19年経ってなお、大切な人を亡くした心の傷を抱え続ける人たち。地域社会から分断され孤独にさいなまれる人たち。その後の復興で置き去りにされた被害者だ。今こそ真の復興へ。私たちはそのための新たなプロジェクトを立ち上げる。今回の番組では、神戸の復興住宅で、作家の高村薫さんやNPO代表、行政関係者を交え、徹底議論。被災地の現状を洗い出し、視聴者とともに取り組む解決への具体策をリストアップする。

作家…高村薫,NPO代表…牧秀一,兵庫教育大学教授…冨永良喜,神戸市代表監査委員…桜井誠一,復興住宅自治会役員…寺田孝,野村優夫



阪神大震災:自宅跡近くで初の献花 両親と妹亡くした女性

 阪神大震災で父(当時45歳)と母(同44歳)、妹(同13歳)を亡くし、1人暮らしをしている会社員、黒川真奈実さん(34)=兵庫県尼崎市=は17日朝、神戸市灘区琵琶町の自宅跡近くの公園に建つ慰霊碑を初めて訪れ、献花した。15歳で被災して親戚宅を転々。3人と過ごした時間より、3人がいない時間の方が長くなった。両親の年齢に近づくにつれ、感謝の気持ちが強くなっている。「3人の名前が見られてうれしい」と碑に刻まれた3人の名前をじっと見つめ、「産んでくれて、育ててくれて、一緒にいてくれてありがとう」と手を合わせた。

 自宅2階で寝ていて激しい揺れで目覚めると、壁がなくなり外の景色が広がっていた。部屋から外に出て、1階で寝ていた父一夫さんと母眞弓さん、妹真織さんの名前を叫んだが、返事はない。

 がれきの中から助け出すこともできず、無事だった同居の祖父一三(かずみ)さん(2009年に91歳で死去)と2人で避難所に移動した。数日後、3人が亡くなっていたと聞かされた。けんかもしたことがない仲のいい家庭が一瞬で奪われた。

 その後、滋賀県彦根市の親戚宅に1人で移り住み、見知らぬ土地で高校に通った。周囲に震災経験者はいない。友達との話題が家族のことになると、会話にどう加わればいいか戸惑った。「なんで私だけ」と、苦しんだ。

 大学入学時に尼崎市の親戚宅に引っ越した。大学でも友達に震災の話をすることはめったになかった。社会人になって数年後、1人暮らしを始めた。「いつまでもお世話になるわけにはいかない……」

 親戚には優しくしてもらい感謝の気持ちでいっぱいだが、「やっぱり、家族とは違う」。家族を失った悲しみは他の何をもっても埋められないと感じた。

 会社勤めを始めて、両親を亡くした人は震災以外にもいることを知った。自分だけじゃないと分かっても、悲しみは癒やされない。

 震災から19年がたち、両親の年齢に近づくにつれ、感謝の気持ちが湧いてくる。街で家族連れとすれ違うと、「私も両親と妹が見守ってくれている」とも感じる。

 「私には受け入れるとか、乗り越えるっていう日は来ないと思う。強いて言うなら『受け止める』かな。私はずっと受け止めたまま生きていく」

 前を向いていないわけではない。結婚も考えている。「両親の年齢までには、墓前に孫の顔を見せに行きたいかな」。そう語り、ちょっとはにかんだ。【田中将隆】

阪神大震災:19年 高齢化進む復興住宅 昨年の孤独死、46人に

 6434人が犠牲となった阪神大震災は、17日で発生から19年を迎える。街並みに震災の傷痕を見つけることは難しくなった。

 一方、すみかを失った人たちが移り住んだ災害復興公営住宅では高齢化や孤立化が進む。

 兵庫県内の復興公営住宅は、入居者の高齢化率(65歳以上の割合)が昨年11月末時点で49・23%と過去最高を更新した。調査が始まった2001年から8・78ポイント増加。1人暮らしの高齢者の割合も45・36%を占めた。昨年1年間の「孤独死」は高齢者を中心に46人に上った。死後15日以上、経過して発見された人が4人いる。【阪神大震災取材班】


阪神大震災:笑顔絶やさず子どもと19年 夫亡くした女性

 「こんなに明るく元気な子に育ったよ。結構うまくやってるじゃないかって褒めてくれるかな?」。阪神大震災で会社員の夫謙さん(当時36歳)を亡くした小島恵子さん(53)は17日未明、兵庫県芦屋市の自宅で遺影に語りかけた。悲しみを抱えながらも笑顔を絶やさずに子ども2人と19年歩んできた。大学4年になった長女汀(みぎわ)さん(22)は防災を学び、震災を伝える「使命」と向き合っている。東日本大震災の被災地に移り住んでボランティア活動を始めた時も、「やりたいことをやればいい」と優しく背中を押した。いつも謙さんの支えを感じながら。

 震災で、自宅の木造アパートは全壊。1階で寝ていた一家4人はがれきの下敷きに。

 汀さんと長男勝人さん(26)の声はする。「謙さん」。暗闇の中、恵子さんは叫んだが返事がない。「あかん」。そう覚悟した。

 3人は救出され、近くの教会に避難した。恵子さんは腰骨を折り、動けない。「どうしよう、どうしよう」。天井を見上げるばかりの日々。子どもたちも「これからどうするん」と不安を募らせる。「この子たちを大きくしなきゃ」。そんな思いばかりが膨らんだ。

 震災後、汀さんは暗い場所や狭い所を怖がった。10歳の時、甲子園球場での阪神タイガースの試合に招待された。「負けるな、夢を持って進め」。生まれる前に父を亡くした星野仙一監督(当時)に力強く励まされた。その体験が内気だった汀さんの転機になった。

 「震災のことは覚えていない。勉強してちゃんと知りたい」。汀さんは、防災を学べる兵庫県立舞子高校環境防災科(神戸市垂水区)へ進んだ。「自分で選んだ道を歩いている」とうれしかった。

 被災体験を人前で語ったり、海外の災害被災地を訪れて遺児らと交流したりした。追悼式に遺族代表として出席するなどし、新聞やテレビの取材もできる限り受けた。震災を伝える「使命」を感じていたが、いつしか負担にもなっていた。

 そんな汀さんを恵子さんは「無理しなくていいよ」と見守った。大学生となり、ウガンダへ留学した時や、宮城県石巻市で被災者支援のボランティア活動を始めた時も応援した。「ニコニコしている方が楽しいやん」。恵子さんの口癖を聞き、汀さんも笑顔の大切さを実感しているという。

 「一番我慢してきたのはお母さんだと思う。いつも自分のことより私たちのことを考えてくれた」。照れくさくて普段は言えない母への気持ちを汀さんは口にした。

 目元が父似の汀さん。誕生後、謙さんはネクタイを安い物にし、「2人で育てていこうね」と恵子さんに笑っていた。

 「夫が生きていたらどんな人生だっただろうと、寂しくなる時もある」。そう語る恵子さんは「どこかから家族を見ていてくれている」謙さんの存在を感じながら、17日午前5時46分、倒壊したアパート跡近くの公園の慰霊碑に花を供え、手を合わせた。「毎日を精いっぱい生きてきた19年だったな。夫を思い出してつらいけれど、また1年頑張ろうと思った」とほほ笑んだ。【岡奈津希】


あなたが生きる支えに 震災19年、遺族の思い

 東遊園地を訪れた遺族らに鎮魂の思いを聞いた。

     ◇      ◇

 生後4カ月の次男拓也ちゃんを亡くした公務員明石健司さん(55)=神戸市兵庫区

 「前の晩、ゆっくり風呂に入れてやった肌の感触、今も忘れないぞ。元気なら来年は成人式だったな。今年はお姉ちゃん(21)とお母さんの3人で来た。悲しみも悔しさも、変わらない。家族にぽっかりあいた穴は埋まってないけど、みんな元気にやってるで」

     ◇      ◇

 神戸大学時代の友人、神徳史朗さん=当時(22)=を亡くした徳田尚器さん(41)=奈良市

 「週末はおまえの下宿で24時間マージャンをやっていたっけ。大阪からバイクで駆けつけたら、おまえの部屋がつぶれていた。絶対生きていると、おまえに渡すパンを持って探し回っていたな。今日は大学の仲間3人で会いに来たぞ。おまえがいるから毎年仲間と会えるし、酒も酌み交わせる。飽きずにおまえの話で盛り上がっているよ。足腰が立つ限り、おまえがくれたつながりを大切にするからな」

     ◇      ◇

 父輝行さん=当時(58)=を亡くした板倉哲也さん(43)=神戸市東灘区

 「お父さん。4年前、東灘にオープンした洋食屋、なんとか続いてるで。ソースがおいしいと、なじみ客も増えてきた。震災の1カ月前、『いつか店をやりたい』とお父さんに約束したもんな。震災のときは東京の会社員で、慌てて戻ったら家のある長田は焼け野原。びっくりして、あちこち避難所を回って、遺体が見つかった4日後はお父さんの誕生日だったね。19年間、必死やった。約束、果たしたで」

     ◇      ◇

 母の芦原アキさん=当時(76)=を亡くした松本とよ子さん(60)=横浜市

 「女手一つで私ら7人きょうだいを育ててくれたお母ちゃん。食品工場で働き詰めだったのに、休みの日は遊びに連れて行ってくれたね。あの年、お母ちゃんの喜寿の祝いで、みんなで指宿へ旅行に行く予定だったんよ。苦労かけた分、もっと楽をさせてあげたかった。生きていてほしかった」

     ◇      ◇

 小学1年の長男譲一君=当時(7)=を亡くした松下美知子さん(56)=神戸市灘区

 「学校から帰るとランドセルを置いてすぐに『行ってきまーす』って飛び出していく元気な子だったね。探検ごっこも、空手も本当に一生懸命やっていたね。今日は、震災の翌年に生まれた次女も連れてきたよ。あなたを失った気持ちは元に戻らないけど、みんなで乗り越えて、何とかやって来たからね」


阪神・淡路大震災19年 5時46分、冥福祈る

 6434人が亡くなり、3人が行方不明になった阪神・淡路大震災は17日、発生から19年を迎えた。神戸市などが主催する「1・17のつどい」は、午前5時から同市中央区の東遊園地で開かれた。竹灯籠のろうそくに1本、また1本と火がともされると、夜明け前の暗がりに「1・17」の文字が浮かび上がった。午前5時46分、訪れた多くの被災者や遺族らが静かに手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。

 一つ一つの明かりにそれぞれの生を思い、手を合わせる人々の中には、東日本大震災の遺族の姿もあった。よみがえる亡き人の面影と、苦難の日々。炎が寒風に吹き消されても、誰かがまた火をともす。「忘れない」。誓いとともに被災地の夜が明けた。


復興の教訓/成果と課題を伝えていかねば

 死者・行方不明者が6437人に上った阪神・淡路大震災から19年を迎える。長く険しい復興への道を歩んできた。積み重ねてきた経験と教訓を伝え、東日本大震災の復興や今後の災害への備えに生かしたい。

       ◇

 阪神・淡路の激甚被災地、神戸市長田区を歩く「こうべあいウォーク」が今年も行われた。出発地の大国公園周辺は震災後に火災に襲われたが、公園が延焼を食い止めた。クスノキには焼け焦げた跡が残る。近くにはボランティアの拠点となったカトリックたかとり教会がある。

 そこから東へ。JR新長田駅南側には鉄人28号の巨大なモニュメントがそびえ、周辺には高層の再開発ビルが林立する。商店街が連なり、下町の風情が残っていた一帯は、神戸の副都心として20ヘクタールに44棟ものビルが計画された。最後に残った震災復興まちづくりである。

 35棟が完成し、ビルの地下1階から地上2階に商業床が整備されているが、シャッターが下りたままの所が少なくない。未着工で更地のままの区域もあり、2015年度末の完了予定はさらに延期される。

 大規模開発によってまちの活気を取り戻すことはできず、ビルの管理費をめぐり商店主が第三セクターのまちづくり会社に損害賠償を求める訴訟も起きた。復興の厳しい側面が浮き彫りになっている地域だ。

【これでよかったか】

 新長田駅北側の地区では、最大の復興土地区画整理事業が16年間進められ、3年前にようやく事業が完了した。震災前、路地を挟んでケミカルシューズなどを作る小さな工場や商店、住宅がひしめいていた。約8割の建物が全半壊した地域には、広い公園や道路が整備され、マンションも増えた。下町の風景は一変し、傷痕は見えにくくなった。

 その東側の御菅東、西の区画整理地区も同様の状況だが、地元住民は「事業で地域に残ることができた住民は3分の1程度だ。震災前のにぎわいも失われた。これでよかったのかと思う」と振り返った。

 区画整理は基本的に土地の権利者が対象の事業のため、借家人らが地域に残るのは難しい。事業が長期化し、待ちきれずに移転してしまう住民や商工業者もいた。

 復興事業でまちはきれいにはなったが、暮らしの再建への後押しは乏しく、コミュニティーや地域の活力の維持が課題として残った。

 住民に複雑な思いがあるのは当然だ。ただ、地域の将来を考えながら意見を交わし、まちづくりを進めてきたこと自体は大きな財産でもある。防災や高齢者支援、景観などについて住民主体で活動を続ける地域は少なくない。功罪を含めて取り組みを伝えていくことが大事だ。

 ウオークには東日本大震災の被災地でまちづくりなどに取り組む住民らも参加した。高台移転が計画されている宮城県名取市のNPO団体メンバーは「まちづくりを進める上で、住民同士が率直に意見を言い合うこと、コミュニケーションが大事だと感じた」と話す。

 住民中心で考える。その視点が十分でなければ、被災者は復興を実感できない。阪神・淡路の経験を東北の被災地で役立てたい。

【地域の弱点を知る】

 一方、兵庫でも教訓を再点検し、今後の災害への備えを充実させる取り組みが欠かせない。

 阪神・淡路大震災後、被害をできるだけ少なくする「減災」の考え方が強くなった。大災害では被害をゼロにする防災は難しいため、被害発生を前提に軽減させることを目指す。東日本大震災を機に、千年に一度の巨大地震を見据え、「最悪」の事態に備えようとの意識も高まった。

 とりわけ30年以内の発生確率が7割とされる南海トラフ巨大地震への対策は急務だ。

 兵庫県は独自に被害を想定する作業を進めている。昨年12月には阪神、淡路地域に押し寄せる津波による浸水面積が国の想定の約3倍に広がるとの想定を発表した。

 液状化現象による防潮堤や河川堤防の沈下を見込んだため、広範囲になった。尼崎市では川をさかのぼって津波が市街地に押し寄せ、市域の2割が浸水する。洲本市中心部も最大2・6メートルの津波が襲うとした。

 「最悪」の想定だが、地域のどこに弱点があるのかを認識し、対策を考える必要がある。「想定外」の悲劇を繰り返してはならない。

 防潮堤強化などは当然必要だが、構造物だけでは命を守ることに限界がある。どこが安全な場所か、どう逃げるのか、地域で避難対策などを地道に進めていくことが大切だ。

 台風や豪雨も含め災害は続いている。鎮魂の祈りがささげられるきょう、19年の歩みを振り返り、成果と課題を見詰め直す必要がある。

 教訓を兵庫から発信していくことをあらためて誓いたい。


二つの震災、悲しみ共有 津波で妻を亡くした男性

 発生から3年が近づく東日本大震災の被災地から、神戸市中央区の東遊園地を初めて訪れた遺族がいた。「19年は、長かったですか」。竹灯籠を囲む人々に、心の中で問いかけた。かばんから2枚の遺影を取り出し、明かりに照らす。少しでも前を向きたい‐。必死で涙をこらえた。

 宮城県名取市の会社員木皿俊克(としかつ)さん(57)。東日本の津波で妻典子さん=当時(50)=を亡くした。自宅は壊滅的な被害を受けた沿岸部の閖上(ゆりあげ)地区にあった。典子さんは娘たちを心配し、勤務先から車で自宅へ戻る途中に津波にのまれた。

 7日後。遺体安置所で対面した。幼いころからのやけどの痕が決め手になり、引き取った。

 会社の同僚だった。結婚したのは1985年。社のテニス部で仲良くなり、優しさにひかれた。東日本大震災前年の2010年10月6日に結婚25周年。子どもたちが作ってくれたケーキを家族みんなで食べた。

 そんな何げない幸せを津波が奪った。2年10カ月がたつ。「長いような短いような…。何とも言えない。しばらくは女房が亡くなったことを信じられず、夢の世界と思っていたから」

 昨年1月には長男康之さん=当時(27)=が逝った。長女(23)と次女(21)は仙台市で暮らし、俊克さんは名取市内陸部の仮設住宅に入った。

 典子さんにまかせていた家事を、一つ一つ覚えた。できるだけ自炊を心掛けるが、なかなか上達しない。そんな暮らしの中、兵庫県からボランティアが何度も来てくれた。阪神・淡路大震災を経験した人たちと話すうち、19年の道のりを知りたいと思った。

 17日午前5時。名取市から訪れた13人と、東遊園地に入った。竹灯籠の前にしゃがみ込むと、典子さんと康之さんの遺影を掲げた。「二つの震災の犠牲者の冥福を祈った。地震と津波で災害は違うけど、同じ悲しみを感じた」。5時46分。目を閉じた。

 黙とうを終えると、俊克さんの表情がほんの少しだけ、ゆるんだ。「心の整理はついてない。けれど、少しずつでも前向きに生きることが、生きている者ができる恩返し」

 その思いを新たに、日々がまた始まる。

(上田勇紀)


人々の歩み、伝える 県など「1・17のつどい」

 兵庫県などによる「ひょうご安全の日 1・17のつどい」は、神戸市中央区の「人と防災未来センター」前で開かれた。

 県立西宮高校音楽科の生徒らの献奏で始まり、正午には「カリヨンの鐘」の響きに合わせて全員が黙とう。主催者代表の井戸敏三知事は「人と人との絆を忘れず、防災・減災社会を構築することが私たちの責務だ」とあいさつし、県民総ぐるみで経験と教訓を伝え、次の災害に備える大切さを呼び掛けた。

 新成人の竹田未央(たけた・みお)さん(20)と橘一仁(かずと)さん(20)=いずれも明石市=が県民を代表し「失われた尊い命と困難を乗り越えた人々の歩みを学び、伝える」と語った。

 神戸市立なぎさ小学校の6年生約170人が「しあわせ運べるように」を合唱。「安全の日宣言」が読み上げられ、参列者が白いカーネーションを献花台に手向けた。(岡西篤志)

     ◇     ◇

【県民のことば 新成人代表・竹田未央さん、橘一仁さん】

 震災当時1歳だった私たちは今年、成人式を迎えることができました。しかしあの瞬間、多くの若い命が奪われてしまいました。

 6千人もの命を奪い、まちを破壊し、焼け野原にした阪神・淡路大震災。学校で震災を勉強しましたが、まだ知らないことがたくさんあります。東日本大震災では、テレビや新聞を通じ、命や幸せを奪う津波の恐ろしさを考えさせられました。

 幼かった私たちには、阪神・淡路大震災の記憶がありません。実際に体験された人々にしか分からないつらさや悲しみがあると思います。しかし19年という時間の流れによって、震災を経験していない人が増えてきた今、記憶の風化が感じられます。

 私たちは震災について、親、学校、地域から教わり、そしてこのまちの復興過程で育ちました。同じことを繰り返さないために、震災の経験と教訓から学んだことを、やがて来る災害に備えていかなければなりません。

 私たちは、震災で多くの尊い命が失われたことや幾多の困難を乗り越えた人々の歩みを、次の世代の担い手として学び、そして伝えます。

 ひょうご安全の日に、安全で安心な社会づくりに貢献していくことを誓います。(要旨)

     ◇     ◇

【追悼と誓いのことば 井戸敏三・兵庫県知事】

 未知への挑戦でもあった創造的復興をめざし、県民の知恵と力を結集し、懸命の努力を積み重ねた19年間でした。

 この間、東日本大震災を含め、世界各地で自然災害が猛威を振るいました。来年は阪神・淡路から20年。震災の経験と教訓の継承と発信、そして南海トラフ巨大地震などへの防災・減災対策に取り組みます。

 「1・17は忘れない」。あらためて心に刻み、「安全元気ふるさと兵庫」の実現に全力で取り組むことを誓います。(要旨)

     ◇     ◇

【追悼と誓いのことば 石堂則本・県議会議長】

 阪神・淡路大震災から19年を迎えました。震災の記憶の風化や南海トラフ巨大地震の発生が懸念されるなか、震災の経験と教訓をいつまでも忘れることなく、今後の大災害に備えて県民が連携した防災・減災の取り組みを進めていかなければなりません。

 本日、ここに、震災で犠牲となられた方の尊いみ霊に対し、心から哀悼の誠をささげますとともに、安全で安心な社会の実現に向け、さらなる努力を続けてまいりますことをお誓い申し上げます。(要旨)

     ◇     ◇

【追悼と誓いのことば 古屋圭司・防災担当相】

 阪神・淡路大震災で亡くなられた方々とご遺族に心から哀悼の意を表し、復旧・復興に取り組まれた多くの方々のご尽力に敬意を表します。

 政府としてはこうした災害から得られる教訓をしっかり検証し、次に伝えることが大変重要と考えております。昨年成立した防災・減災等に資する国土強靱(きょうじん)化基本法などに基づき、引き続き防災対策に万全を期します。

 企業や地域、個人に防災・減災対策を促し、災害に強い国づくり、地域づくりに全力で取り組みます。(要旨、阪本和道・内閣府審議官代読)


「安全で安心なまちを築く」 神戸市追悼式典

 神戸市などが主催する「1・17のつどい」は、午前5時から神戸・三宮の東遊園地で開かれた。

 竹灯籠のろうそくに1本、また1本と火がともされると、夜明け前の暗がりに「1・17」の文字が浮かび上がった。午前5時46分、訪れた約5千人が静かに手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。

 「慰霊と復興のモニュメント」前での式典では、震災で弟を亡くしたゴスペル歌手森祐理さんが「しあわせ運べるように」を独唱。遺族を代表し、父を失った上西勇(いさむ)さん(86)=同市東灘区=が追悼の言葉を述べた。

 久元喜造市長は「備えを怠ることなく、安全で安心なまちを築く」と決意を述べた。矢田立郎前市長も献花した。

 東日本大震災の犠牲者も鎮魂するため、会場では午後から竹灯籠で「3・11」と描き、発生時刻の午後2時46分に黙とうをささげる。(田中陽一)

      ◇      ◇

【遺族代表のことば】上西 勇さん(86)

 激しい上下動が収まった静穏の瞬間、今度は前にも増した激しい横揺れにより全ての物が沈黙した悪夢の平成7年1月17日5時46分は生涯忘れることができない。寝たきりの父親の枕元に倒れかかった洋服ダンスはベッドの柵が防いでいた。

 翌18日、上空のヘリコプターのスピーカーから「第2工区の液化天然ガスタンクに亀裂が入り爆発の危険あり。国道2号線以北へ避難…」との放送が耳に入った瞬間、身の凍る思いがした。歩行もできない父を寒空の下、避難させなければならなかったが、その方策を見いだせなかった。いぶかしがる父に避難を告げ、女房と協力して布団のまま移動した。隣人の「甲南大学へ行こう」の声で移動し、テーブルを並べた上に父を横たえたが、おびえているのか、父のうわ言が耳に入る。

 父の容体も安定したかに見えたが、22日に様子が急変し、かかりつけの開業医を捜し求め奔走した。肺炎だった。植木職人として80歳まで働き続け、腰を痛め寝たきりとなって以来は母と女房で、母が入院後は女房と共同で父の面倒を見ていたが、震災という厳しい環境の変化に順応できず95歳の生涯を終えた。

 「わしが100まで生き、おまえが先に死んで」とたわいもないことを時に言い、「長生きをしていいのやら悪いのやら」と、兄弟を亡くした寂しさからの口癖にほろりとさせられた。100歳まで生き抜こうとした父の信念を力にし、「亡くなられた多くの方々も父と同じように大きな夢、小さな夢を抱き旅立たれた」との思いから、被災地に建立された慰霊碑の巡礼を始め、今日に至っている。

 慰霊碑は「私たちと同じような目に遭わないでください」と無言で語りかけてくるようで、「災害を少しでも減らすように取り組んでください」という遺言のように思えてならない。旅立たれたみ霊の鎮魂を祈り、残されたご家族が、亡くなられたみ霊に見守られ健やかに歩まれますことを祈念し、追悼の言葉と致します。(要旨)

      ◇      ◇

【追悼のことば】久元喜造・神戸市長

 国内外からの大きな支援をいただきながら、神戸の街は復興への道を歩み続けてきました。震災の経験、教訓を風化させないよう広く国内外に発信し後世に語り継いでいくことが、神戸の街づくりに携わる者の使命と考えています。東日本大震災から3年を迎えようとしています。神戸だからこそできる被災地への心をつなぐ支援を引き続き行ってまいります。震災への備えを怠ることなく安全で安心な街を築くことを決意します。(要旨)


教訓を次世代へ 阪神大震災から19年、各地で追悼

 阪神大震災が起きてから19年となった17日、各地で被災者らが追悼の祈りを捧げた。街の復興は進んだ一方、震災を知る人たちの高齢化に伴う「記憶の風化」への懸念が広がる。20年目に向けて教訓をどう語り継ぎ、次の災害に備えるかが問われている。

 神戸市の東遊園地では、午前5時から「1・17のつどい」が開かれた。園内のガス灯「希望の灯(あか)り」の火が「1・17」の形に並べられた約1万本の竹灯籠(どうろう)に移され、被災者や市民らが地震が起きた時刻に合わせて黙禱(もくとう)した。希望の灯りは東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島県内の計5カ所にも分灯されており、東北の地でも早朝に追悼の集いがあった。

 東遊園地では、震災で父を亡くし、全国の災害慰霊碑を巡ってきた上西勇さん(86)=神戸市東灘区=が遺族代表として「一基一基の慰霊碑から、『私たちと同じような目に遭わないでください』と語りかけてくるようでした」と述べ、震災の教訓を伝えていくことの大切さを訴えた。

 昨年11月に就任した久元喜造・神戸市長は「震災の経験、教訓を風化させないよう語り継ぐことが神戸の街づくりに携わる者としての使命」と語った。東遊園地の竹灯籠は午後に「3・11」の形に並べられ、東日本大震災が起きた午後2時46分に黙禱する。(井上裕一)

東電事業計画―原発再稼働は許されぬ

 改めて、言う。

 東京電力の柏崎刈羽原発(新潟県)は再稼働すべきでない。

 政府が、東電の新たな事業計画を認定した。柏崎刈羽7基のうち4基を14年度中に再稼働させることが前提である。

 東電はすでに原子力規制委員会に2基の審査を申請済みで、この2基が7〜8月に再稼働できなければ秋までに最大10%の電気料金値上げが必要、との見通しも示した。

 再稼働への前のめりぶりと、電気代を人質にとるかのような姿勢に、あきれるほかない。

 福島第一原発事故の当事者として、東電が今やるべきは、事故の収束と汚染水対策を急ぎ、廃炉の道筋をつけること。そして、被害者への賠償や被災地の除染に万全を期すことのはずである。

 東電の大株主でもある政府の振る舞いはさらに問題だ。原発を推進し、事故を招いた反省を踏まえて、原発依存度を減らす手立てを講じるのが、政府の責任である。

 それなのに、将来への見取り図も示さず、よりによって東電の原発再稼働に頼るとは。

 そもそも柏崎刈羽は福島第一と同じ沸騰水型であり、規制委の審査には時間がかかる。新潟県の泉田裕彦知事も、東電を強く批判している。今夏の再稼働は非現実的なのに、「再稼働できなければ電気料金値上げ」と打ち出すのでは、まるで脅しではないか。

 再建計画には、他にもさまざまな対策が盛り込まれた。

 「全ては東電の責任。対策も東電任せ」という政府の姿勢を改める。東電の汚染水・廃炉対策部門を社内で独立させ、税金の投入と合わせて国の関与を強める。除染でも、廃棄物の中間貯蔵施設を国が建設するなど、東電の負担に上限を設ける。

 経営改革を急ぐ。将来の電力システム改革をにらみ、発送電分離につながる持ち株会社化・分社化を進める。火力発電所の建設や燃料の調達で他社との連携を深め、人員削減も織り込んで経費を減らす。

 これらは、わかる。税金の投入は避けられないし、東電の改革を他の電力会社に生かしていく視点も大切だ。

 しかし、原発事故で東電は事実上破綻(はたん)したことを忘れてもらっては困る。政府が専門の機構を設けて東電を支え、新たに税金の直接投入に踏み切るのは、あくまで賠償や除染、廃炉を進めるためであるべきだ。

 柏崎刈羽原発の再稼働に依存する事業計画は、手段も目的も取り違えている。


東京電力:再建計画を批判 「柏崎」再稼働に新潟知事

 新潟県の泉田裕彦知事は16日、県庁で東京電力の広瀬直己社長と会談し、柏崎刈羽原発(同県柏崎市、刈羽村)の再稼働を前提とした東電の新たな総合特別事業計画(再建計画)について「(原発の)安全性について、これで会社が変わったと受け止めるには難しい計画」と批判し、見直しを求めた。

 東電は政府が15日認定した再建計画で、収益改善に向け同原発7基のうち1、5、6、7号機を今年7月以降、順次再稼働させると明記したが、泉田知事は再稼働に否定的な見解を改めて示した格好だ。

 広瀬社長は再稼働の時期について「(再建計画の記述は)仮置きで、再稼働の計画を示すものではない」と泉田知事に理解を求めた。しかし、知事は「モラルハザードの計画だ。(原発の)事故が起きても責任を取らなくていいと、資本主義社会から見てもおかしい」などと批判を繰り返した。

 広瀬社長は16日、記者団に「再稼働の時期をうんぬんできる時期ではない」と語った。菅義偉官房長官も同日の記者会見で「審査は原子力規制委員会が行うものであり、(計画を政府が認めたことが)再稼働のタイミングに予断を与えるものではない」と述べた。

 だが、東電幹部は「再建計画を実行するには、仮置きの通りに再稼働したい」と本音を漏らす。再建計画は、再稼働のない場合、今秋ごろに最大10%の電気料金値上げが必要になる可能性にも言及している。事実上、再稼働か値上げかを迫る内容で地元の反発は必至だ。【小林多美子、浜中慎哉】

フランス語
フランス語の勉強?

朝不調で昼から出勤/靴下はいて寝る???

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okonomi130512Ça a l'air bon, ce que tu manges.
あなたの食べてるもの,おいしそう.
Il lui tarde de partir en vacances.
彼(彼女)はバカンスに出かけるのを,首を長くして待っている.
Tout s'est bien passé ?
いかがでしたか?

体調不良で朝はゆっくり.昼から出勤です.まるで重役出勤です.
Hyさんとのキソキソは今日で終わりです.1年間ありがとうございました.
寒くて昨日一昨日と2日間靴下はいて寝ました.よくないみたいですが・・・今日はどうしようかな?

阪神・淡路大震災から19年 当時の恐怖、今も続く

 阪神・淡路大震災から17日で、丸19年になる。震災後、被害が比較的少なかった北播磨に移り住んだ人は多い。兵庫県小野市育ケ丘町で暮らす北村富貴子さん(69)と西山武志さん(44)は震災当時、神戸市兵庫区でそれぞれ被災。当時の恐怖は今も続き、救援活動に何もできなかった後悔を感じている。それぞれの胸に刻まれた震災は20年目を迎える。

 北村さんは1995年1月の震災当時、兵庫区会下山町のアパート2階で寝ていた。揺れとともに天井が落ちた。着の身着のまま台所の窓から外に出た。

 息子の友人の母親が家屋の下敷きになっていた。駆け付けたが、人の力では助け出せなかった。そのうち、街のあちこちで火の手が上がった。

 同区上沢通から会下山町にかけての大火は2日間燃え続け、家屋の約7割が全焼、全壊したとされる。

 当時、上沢通に住んでいた西山さんは、大火を前にたたずんだ。震災直後から次々と火の手が上がり、消火器は既に持ち出されていた。なすすべなく燃え広がった。

 勤めていた同区荒田町の理容店は同年1月末に営業を再開。喜んでくれる客から病院や避難所での話などを聞き「良いことも悪いことも見えてきた」という。

    ◇

 北村さんは家族5人で実家のある育ケ丘町に避難し落ち着いた。今は孫に囲まれた生活に感謝する一方、ヘリコプターの音を聞くと恐怖がよみがえる。自宅のあった会下山町には行くことができない。「あれから19年にもなるのか。震災は昨日のことのよう」

 西山さんは震災から2年後、育ケ丘町で独立開業した。東日本大震災は人ごとには思えず、インターネットのブログで経験を伝えた。被災地では、トイレの水に困ること、正しい情報が必要なこと、できる人から仕事をすることが復興につながること…。1年間、義援金も振り込んだ。

 「当時何もできなかったという後悔が今も残る」と西山さん。災害時の集合場所を家族と決め、家がつぶれても備蓄の水を取り出しやすいようにし、子どもたちにも経験を伝えている。(高田康夫)


(どう防ぐ 震災関連死:下)公衆衛生のプロ、被災地へ 大分、発生直後に急行

 九州北部を観測史上例がないほどの豪雨が襲った2012年7月12日の早朝、大分県竹田(たけた)市では中心部を流れる川が氾濫(はんらん)。濁流が家や田、道路をのみ込み、2人が死亡した。

 竹田市を受け持つ大分県豊肥(ほうひ)保健所は、市の中心部から東に約20キロ、隣の豊後大野市にある。午前9時、所長ら幹部が緊急会議を開いた。テレビでは竹田市が大きな被害を受けていると報じていたが、市から応援要請はない。「SOSすら出せない状況に違いない」

 即座に応援隊の派遣を決め、災害発生から3時間後の午前10時ごろには西本真由美保健師ら2人が竹田市役所に到着。翌朝、さらに5人の保健師が加わった。

 ■要請待たない

 素早い対応の背景には、大分県が日本で初めて作った「災害時公衆衛生対策チーム」がある。県が認定した保健所の医師や保健師らが要請を待たずに被災地に急行し、避難所の環境衛生や健康管理を支援する仕組みだ。認定メンバーは西本さんも含め16人いる。

 きっかけは、県が06年に南海トラフ巨大地震の被害想定をまとめたことだ。県内7保健所のうち4カ所は津波で浸水、うち2カ所は壊滅――。11年3月の東日本大震災では壊滅した保健所が機能回復で精いっぱいになり、保健活動まで手が回らない状況を目の当たりにした。危機感から、県は国の動きを待たず、12年4月に独自のチームを創設。中心となった県中部保健所の藤内(とうない)修二所長は「『公衆衛生版DMAT』といえる」と解説する。

 DMATとは救急医らによる機動医療チームで、95年1月の阪神大震災の苦い教訓から05年に誕生。東日本大震災では383隊が集まり、重症者19人を空路で搬送するなどした。

 だが、被災現場から救い出された命や健康が避難後に次々と失われた。当時、ユニセフ本部から東北へ緊急派遣された国井修医師は避難所の環境に驚いた。

 ■劣悪な避難所

 体育館の硬い床に毛布を敷き、段ボールで仕切った狭い空間でじっと座っている。配給される食事は冷たいおにぎりや菓子パンばかり。トイレは少なく、手を洗う水もない……。国井さんが見た阪神大震災の状況と変わっていなかった。

 「先進国のはずなのに、避難所の多くが難民キャンプで設定されている基準以下の環境だった。災害時の公衆衛生対策が大きく立ち遅れていると感じる」

 復興庁によると、東日本大震災での関連死の原因は「避難所等における生活の肉体・精神的疲労」が3分の1を占めた。死こそ免れたものの、劣悪な避難環境の中で感染症や持病の悪化、生活不活発病など健康を損なった人は数え切れない。震災関連死や二次健康被害を防ぐには、避難所開設の直後から公衆衛生のプロが関わる必要がある。

 全国保健所長会で健康危機管理委員会の副委員長を務める中瀬克己岡山市保健所長は、こう話す。

 「災害時は急速に事態が変わる。情報を素早く収集・整理し、すぐに公衆衛生対応に反映させる仕組みを事前に作り、十分訓練しておかなくては被災地の健康は守れない」

 (中村通子)

 ■厚労省も検討開始

 大分県の「公衆衛生版DMAT」は、公衆衛生のプロが被災地に素早く行くことで関連死や健康被害を防ごうという試みだ。東日本大震災以降、昨年10月の伊豆大島土砂災害も含め公衆衛生を担うチームが即座に出動した例は他にない。派遣の仕組みが作られていなければ、対応できないためだ。

 そこで厚生労働省の研究班は、大分県のようなチームを全国規模で展開する検討を12年から始めた。昨年3月に出した報告書では、チームの活動内容として(1)すぐ被災地に行く(2)医療機関の被害状況や避難者の水、食料、衛生環境を把握する(3)その情報に基づき的確な支援活動を素早く計画・調整・実行する――などを挙げた。

 研究班代表の高野健人(たけひと)・東京医科歯科大教授は「訓練内容や派遣基準など詰めるべき課題は多い。でも、一日も早く創設しなくては『防ぎ得る関連死』は減らせない」と指摘する。


東電再建計画 原発頼みは筋が通らぬ

 政府が認定した東京電力の新たな総合特別事業計画(再建計画)は国の支援を強化し、東電の事故負担の軽減を図って再建を確かにする狙いがにじむ。フクシマの反省や教訓はどこへいったのか。

 いわば国と東電が二人三脚で作った再建計画である。エネルギー基本計画で原発を「重要なベース電源」と位置付ける政府と当事者である東電の合作では、なし崩し的に原発再稼働が盛り込まれるのは予想できた。だが、過酷事故を忘れてしまったかのような、あまりに無神経な計画の内容ではないか。

 再建計画では、被災者への損害賠償は従来通りに東電が支払うが、電力会社が除染など事故処理の費用をすべて負担する枠組みを見直し、国と東電の役割分担を明確化した。除染のうち、実施・計画済みの費用は国が保有する東電株の売却益を充て、東電の負担を軽くする。

 確かに、一企業では背負いきれない巨額費用を東電に押しつけるだけでは事故収束が進まないおそれがある。国も原発を国策として推進してきた以上、国費の投入はやむを得ないとの声はある。

 しかし、国費投入とは、原発と全く関わり合いがない沖縄県民も含め、国民負担が何兆円も生じることである。東電への融資や投資で利益を上げてきた金融機関や株主の負担を求めるのが本来の筋である。原発を推進した経済産業省などの関係者が誰一人として責任を問われていないのもおかしい。

 再建計画では、東電の収益体質の強化も柱の一つとしている。燃料調達の改善や海外投資などの改革も描くものの、切り札は相変わらず原発である。今年七月以降、柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を順次目指すとした。

 福島原発の汚染水問題すら収束せず、今なお十五万以上の人に避難を強いていながら、収益優先で原発に固執する姿勢は到底理解を得られまい。

 汚染水の貯蔵タンクで溶接費を節約したばかりに大量流出を招いたように、東電がこのまま収益重視の経営を続ければ、安全対策はおろそかになろう。再稼働の議論より先に、フクシマの検証と総括もやはり必要だ。

 二〇一六年度からの電力小売り自由化をにらめば、ガス販売や原発に代わる新エネルギー事業へシフトし、原発は再稼働より廃炉に専念、国の支援もそこに力点を置く。それが福島事故を経験した東電の生き残る道ではないか。


秘密諮問会議―欠陥法の追認はするな

 昨年12月、多くの反対を押し切って安倍政権が成立させた特定秘密保護法。年内施行に向けた政府の準備が動き出した。

 秘密の指定や解除、秘密を扱う公務員らの適性評価の統一基準について議論する「情報保全諮問会議」が、17日に初会合を開く。政府は、秋までに統一基準を決める予定だ。

 私たちは社説で、この法案は廃案にすべきだと主張してきた。以下の理由からだ。

 本来は国民のものである情報を、首相ら「行政機関の長」の裁量によっていくらでも特定秘密に指定することができる。秘密の内容を検証する独立した機関はなく、何が秘密に指定されているのかさえわからない。指定期間は最長60年で、それを超える例外も認める。

 国の安全を守るため、当面公表できない情報はある。だが、それは不断の検証と将来の公表が前提だ。このまま施行されると、膨大な情報を行政府が思うままに差配できる。それでは国民の判断を誤らせ、やがて民主主義をむしばんでゆくだろう。

 こうした危惧は変わっていない。これは欠陥法である。

 強い批判を受け、安倍政権が言い出したのが、情報保全諮問会議や保全監視委員会など新たな機関を設けることだ。

 諮問会議は7人の有識者からなる。検討するのは基準であって、個別の秘密指定の是非ではない。その点で限界はあるが、官僚らによる保全監視委と違い、政府に直接意見を言えるただひとつの外部機関だ。

 議論によって法の欠陥を根本的に改めることは難しい。それでも、秘密が限りなく広がることに一定のブレーキをかけることは重要だ。メンバーにはその役目を自覚してもらいたい。

 諮問会議の座長には、読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆の渡辺恒雄氏が就いた。国会で参考人として賛成意見を述べた永野秀雄・法大教授が実務を取り仕切る主査を務める。一方、法案に反対してきた日弁連からも、清水勉弁護士が起用された。

 読売新聞は社説で問題点も指摘しつつ、法成立を歓迎したが、渡辺氏は座長就任にあたっては「『言論の自由』や『報道・取材の自由』が、この法律でいささかも抑制されることがないよう法の執行を監視するのが義務だと考えています」との談話を出した。

 であれば、そのことば通り、議論をオープンにし、政府の行き過ぎに歯止めをかけるべきだ。政府の方針を追認するだけに終わっては意味がない。


(思いつなぐ 阪神大震災19年)伝えたい涙だけでなく

 ■オーラルヒストリー:5

 ある日突然、大地を揺らす地震。人も、社会も、それを防ぐことはできない。

 でも、過去の震災を学んで、家族や友人、家々を奪われた人のことを知れば、次の災害への備えにつながるかもしれない。河田のどかさん(26)は昨夏、そんな思いで岩手県宮古市の沿岸部に立った。そばには津波の被害を知ろうとする徳島市の高校生5人がいた。

   □ ■ □

 小学1年生だった1995年1月17日、阪神大震災が起きた。神戸市須磨区の自宅は難を逃れたものの、長田区にあった祖父母宅が全壊した。1年後、祖父母宅の跡地を訪れたことを学校で作文にした。

 「なぜ、楽しいことを作文にしないの」。母が寂しい顔をして言った。「触れちゃいけないんだ」。幼心に思い、震災のことは話さない、聞かないと決めた。

 進路に迷っていた中学3年の冬。ある新聞記事が目に止まった。2002年春に兵庫県立舞子高校にできた環境防災科の1期生が紹介されていた。「祖母を亡くし、防災を学びたいと思いました」。その生徒の言葉に河田さんは「震災のことを知ってもいいんだ」と考え、同じ道を選んだ。

 だが、その後も気持ちは揺れた。

 授業のために初めて祖父母に体験を聴いた時。「思い出したくない」と言われて質問できなかった。自らも環境防災科を取材する記者に家族のことを聞かれ、興味本位で心をこじあけられるように感じた。「知りたいけど、しんどい」。それでも、震災とつながっていたい気持ちがどこかにあり、防災を学べる神戸学院大へ進んだ。

 幼児向けの紙芝居や絵本づくり、地域交流……。学んだことを伝えれば伝えるほど、関心を持つ人たちが増えていった。「震災は悲しいだけじゃない。未来に残せるものがある」。防災教育に取り組むNPO法人さくらネット(兵庫県西宮市)に就職した。

 河田さんは今、若い人に東日本大震災の被災地を見てもらう活動も手がける。昨夏の宮古訪問もその一環だ。「ずっと防災を学ぶ人とかかわりたい」。もう、気持ちは揺らがない。

   □ ■ □

 震災と向き合えなかった経験をへて、森洋樹さん(31)は教壇に立つ。

 震災で兵庫県芦屋市にあった自宅がつぶれた。2階にいた森さんが倒れた本棚の下からはい出すと、足元は地面だった。押しつぶされた1階で祖母は亡くなった。小学6年だった森さんは祖母の救助活動に加えてもらえなかった。

 森さんは故郷から遠く離れた北海道の大学に進学。出身地が知れるたび、話が震災のことになった。無力を感じた当時を思い出したり同情されたりするのが嫌で、「家族も家も無事だったよ」とうそをついた。

 大学院進学を控えた05年1月17日の夜。研究室で開いたパソコンで震災10年の記事を読んだ。ふと、祖母のひと言がよみがえった。「洋樹が大学生になるまで長生きしたいわ」。涙がこぼれ、抑えていた悲しみが放たれた気がした。

 故郷に戻り、教師になった。今は芦屋市立山手小学校で、被災時の自分と同じ6年生の担任を務める。冬休みが終わったばかりの9日の総合学習では、防災をテーマにした。

 防災の大切さが途切れることなく語り継がれてほしい――。17日、森さんは改めて子どもたちに体験を語るつもりだ。=おわり(この連載は佐藤卓史、瀬戸口和秀、花房吾早子、半田尚子、笹川翔平が担当しました)

 〈阪神・淡路復興委特別顧問(震災当時)後藤田正晴さん〉

 年中災害に苦しめられながら、案外過ぎ去ったら忘れてしまう。忘れた結果どうなるかというと、その時の経験というものが一つも教訓にならないんですよ(2003年4月の口述記録=オーラルヒストリー=から)

〈神戸市生活再建本部長(震災当時)金芳外城雄さん〉

 悲しいこと、苦しいことを教え込むというか、そこがないといかんのではないかと思います。(中略)災害はなんぼ努力している人にも襲ってくる、人間はそういう生き方をしとる、と教えることも必要と思います(05年10月のオーラルヒストリーから)


集団移転地造成加速へ 巨大コンベヤー稼働 東松島

 宮城県東松島市が東日本大震災に伴う集団移転先として造成する野蒜北部丘陵地で今月、大量の土砂を搬出する巨大なベルトコンベヤーが稼働した。復興庁などによると、移転地の造成でコンベヤーが稼働するのは初めて。
 コンベヤーは延長約1.2キロで、幅1.8メートル、高さ12〜27メートル。造成地から住宅を避け、土砂を仮置きする国有林跡地までのルートで設置された。
 一戸建てと災害公営住宅計448戸分の宅地を確保する野蒜北部丘陵地では、91.5ヘクタールの造成で約550万立方メートルの土砂が発生する見込み。
 コンベヤーは土砂を分速120メートルで運び、1日当たり約1万立方メートルを処理する。来年3月までに約310万立方メートルを搬出。半分は盛り土や農地復旧などに活用される。
 土砂をダンプカーで運ぶ場合、3年以上かかるとの試算があった。市は工期短縮のためコンベヤー導入を決め、昨年8月に着工。13日に本格稼働した。総工費は約70億円。

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眠いです/ちょっと体調不良かも

ブログネタ
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heart130430≪ Pourquoi devrais-je me soucier de la postérité ? Est-ce que la postérité a jamais fait quelque chose pour moi ? ≫
de Groucho Marx
眠いです.昨日に続いて2日も眠いなんて・・・もしかしたら体調がよくないのかもしれません.
Aiさんから久しぶりにメールがきて嬉しかったです.しかも2通.
三連休は全部しごと
恐怖の第三水曜日終了
だって.
Shさんのメールには「神の右手」とあって???です.

フランス:オランド大統領の不倫騒ぎにも国民静観

 【ブリュッセル斎藤義彦】フランスのオランド大統領(59)が女優との密会を週刊誌に報道され、事実婚のパートナー、バレリー・トリルベレールさん(48)が入院する騒ぎになっている。大統領は、社会党の元大統領候補、セゴレーヌ・ロワイヤル氏(60)との関係を2007年に解消し、元政治記者だった現パートナーに乗り換えている。恋多き大統領に77%の有権者は「個人的なこと」と静観。支持率は20%と低迷しており、野党からは「スキャンダルでもこれ以上落ちようがない」と皮肉られている。

 大統領の今回のお相手は09年の東京国際映画祭で最優秀女優賞を受賞したジュリー・ガイエさん(41)。10日発売の週刊誌で、運転手付きのスクーターに乗った大統領がエリゼ宮近くのアパートにガイエさんと別々に入る写真が掲載された。翌朝にはボディーガードが焼きたてのクロワッサンを運んだという。大統領はプライバシー侵害として週刊誌を訴える構えを見せているが、内容は否定していない。


(どう防ぐ 震災関連死:上)助かった命守りたい 福祉避難所、課題は要員

 1995年に起きた阪神大震災から17日で19年になる。大災害では生き延びたのに、体調を崩して命を落とす「震災関連死」は、この震災で初めて確認された。東日本大震災でも多くの関連死が確認されている。どうすれば防ぐことができるのか――。被災地の取り組みから手立てを考える。

 あの日、岩手県山田町で夫と養殖漁業を営む大川明子さん(59)は津波で家を流され、寝たきりの義母(89)らと地元の大沢小学校に身を寄せていた。

 2011年3月11日に起きた東日本大震災から2週間が過ぎると、逃げるときに波をかぶった義母の体調は寒さと疲れで限界に近づいていた。小学校を訪ねてきた県立山田病院の平泉宣(せん)副院長(55)から「福祉避難所」ができたことを知らされたのは、そのころだ。

 平泉さんの働きかけで、町は3月25日、津波被害を免れた特別養護老人ホーム「平安荘」を福祉避難所に指定。災害時に一般の避難所では生活が困難な高齢者や障害者らをケアする施設だ。自治体は、指定したのが避難所なら介護員を配置し、民間施設なら協定を結んで救援物資を確保する。

 大川さんらは平安荘のベッドのある個室に移ることができ、山田病院のスタッフも診察に来てくれた。

 「あのままなら母はどうなっていたか。やっと一息つける思いでした」

 いま仮設住宅で暮らす大川さんは、そう話す。

 ■「阪神」の教訓

 阪神大震災では、高齢者らが体育館などでの長引く避難生活で体調を崩し、震災関連死が相次いだ。その教訓から97年、関連死を防ぐ手立てとして福祉避難所が災害救助法に位置づけられた。だが、その役割はなかなか理解されず、初めて開設されたのは07年3月の能登半島地震の時だ。

 厚生労働省は福祉避難所のガイドラインを作ったが、東日本大震災前に指定施設が一つもない市町村は3分の2に上った。12年9月には過半数の市町村で指定されたが、なお761市町村はゼロのままだ。

 仙台市は震災前に民間の52施設と協定を結んでいたが、震災後に開設できたのは26施設。職員は入所者の安全確保で手いっぱいになり、避難所として運営にあたる人手が足りなかった。

 約50家族を受け入れた平安荘の事務長佐藤有一さん(71)も「山田病院のスタッフが来てくれなかったら、福祉避難所を開設できなかった」と打ち明ける。

 マンパワー不足は震災で見えてきた新たな課題だ。

 いざという時に介護員を派遣してもらうため、仙台市は昨年7月、訪問介護事業所を運営する約50団体と新たに協定を結んだ。今後、施設職員と応援の介護員が連携しやすいマニュアルづくりを進めるという。

 ■指定1万施設

 全国で指定された施設は1万を超え、そのうち8割以上は民間が運営する。昨秋に所管が厚労省から内閣府へ移り、課題と向き合うのはこれからだ。対象者を事前につかんでおく必要もある。平泉さんは震災前から、どこに、どんな症状の患者がいるのかを把握していた。「災害時には関連死が起きるものだと認識して、ふだんからの備えが重要」と平泉さんは指摘する。

 (災害専門記者・野呂雅之)

 ■東日本大震災、10都県2916人

 地震や津波による直接の死亡ではなく、被災のショックや避難生活の疲れなどで亡くなる震災関連死。阪神大震災では兵庫県内の死者6402人のうち、関連死が919人を占めた。阪神ではインフルエンザの流行期と重なり、肺炎による死者が多かった。

 東日本大震災の関連死は昨年9月30日現在で10都県の2916人にのぼり、福島が1572人で最も多い。原発事故で避難指示が拡大する中で移動の繰り返しを余儀なくされ、負担が大きかったとみられる。

 法律上の明確な定義はなく、自治体によって認定にばらつきがある。震災から2年以上たって亡くなっても認められた人がいる一方、被災数カ月後に亡くなって退けられた人がいる。


(思いつなぐ 阪神大震災19年)住民に寄り添い考える

 ■オーラルヒストリー:4

 「災害への備えに早すぎる対応はありません。『最善を望み、最悪に備えよ』です」。埼玉県草加市役所3階の会議室で先月中旬、集まった74人の職員に男性が語りかけた。

 兵庫県西宮市情報センター長の吉田稔さん(66)。背後の白い壁に映し出されたプロジェクターの画面には、「仕事第一」「使命を果たす」といった文字が並ぶ。19年前、自ら必要と感じた公務員の姿だ。

 死者約1100人、全半壊家屋約6万1千戸……。当時、西宮市で生じた被害は行政の対応能力を超えていた。大災害に直面したとき、住民のために何ができるのか。そう問い続ける吉田さんは職員を前に、同僚らとつくった被災者支援システムの話を始めた。

   □ ■ □

 1995年1月17日朝、吉田さん宅は全壊した。避難所に行った妻と娘2人を気にしつつ、市民情報を管理する情報システム課へ。仕事場は机や椅子が折り重なり、高さ2メートルのコンピューター2台も倒れていた。市民生活を取り戻すため、被災状況を一元管理しなければならなかった。

 役所に泊まり込み、住民基本台帳をもとに「被災者台帳」を作成。世帯ごとの犠牲者の有無や家の損壊状態を入力していった。約1カ月でシステムが動き出すと、最大で7時間かかっていた罹災(りさい)証明書発行は1時間まで短縮。口座情報や義援金の支給歴のデータも加え、被災者が支援を漏れなく受けられるようにした。

 だが、システムはすぐには広がらず、総務省の外郭団体を通じてソフトが全国1850自治体に無償配布されたのは14年後の2009年。運用したのは約50自治体で、「自分の足元では大災害は起きない」と思っているかのようだった。

 そこに、東日本大震災が起きた。多くの自治体が混乱するなか、宮城県山元町は役場機能の再開にあたってシステムを取り入れ、罹災証明書をスムーズに発行できた。吉田さんに問い合わせが相次ぎ、今は870自治体がシステムを使う。「備えの大切さを訴え、運用を広めたい」。吉田さんは今後も各地を行脚するつもりだ。

   □ ■ □

 東北の復興とのかかわりを通じ、行政のあり方を見つめ直す人もいる。

 岩手県大槌町の都市整備課長、青木利博さん(62)は2年前まで神戸市職員だった。阪神大震災時は都市計画局計画課係長として、震災から2カ月で作られた都市計画に携わった。「速やかな復興」を行政主導でめざした結果だった。

 ところが、被災者は「家を失ったのに、区画整理のためにさらに土地を出せなんて鬼のようだ」と反発した。「机上の復興」だと思い知らされた。

 12年春の定年退職を前に大槌町への応援を上司から打診され、引き受けた。被災した町で仮設住宅を回り、被災者がどこで自宅を再建したいと思っているか聞き取っていった。

 大槌町中心部の町方地区で昨年12月20日、まちづくり懇談会が開かれた。「安渡(あんど)に造る防潮堤を乗り越えて、赤浜に行くことになります」。地名をよどみなく挙げて復興について話す青木さんに、住民はうなずきながら耳を傾けていた。

 まちについて学び、そこに住む人が何を求め、必要としているのかを日頃から知ろうとする。その努力が突然やってくる災害への備えにつながる――。青木さんは、そう信じている。

 〈地震担当相(震災当時) 小里貞利さん〉

 政府の緊急施策というものが、いかに未整備の状況であったか。(中略)当時の法制度、あるいは行政の事務・事業は極めて無原則でした(2002年8月の口述記録=オーラルヒストリー=から)

〈兵庫県消防交通安全課長補佐(同〉 野口一行さん〉

 県庁の職員、それからおそらく神戸市や国もそうだと思いますが、公務員の危機対応、意識が非常に低かった。(中略)あそこから学んだことを次に伝えていくというのは我々の仕事です(当時、電話で自衛隊に災害派遣を要請。1998年6月のオーラルヒストリーから)


阪神大震災19年、知らない世代へ語り継ぐ

 1995年1月17日に発生した阪神大震災から19年。発生直後から市民らが復旧や復興を支えてきたが、経験のない若者が増えている。支える側も高齢化し、人手不足で活動がままならない団体もある。思いをどうやって伝えていくのか。「知らない世代」への継承は模索が続いている。

 「こんにちは。また来たよ。お元気ですか」。師走の騒々しさが届かないひっそりした神戸市中央区の復興住宅コミュニティ春日野。NPO法人「阪神淡路大震災よろず相談室」(同市東灘区)の理事長、牧秀一さん(63)が慣れた様子で一人暮らしの工藤巧さん(83)宅をノックした。震災をよく知らない3人も遠慮がちに机を囲んだ。

■初めての訪問

 3人は保育士養成の神戸こども総合専門学院(神戸市北区)に通う学生で、訪問は初めてだ。「おいでになると家の中がいきいきする」と顔をくしゃくしゃにして喜び、全壊した自宅からはい出た思い出を語る工藤さん。3人の緊張は少しずつ緩み、耳を傾けた。

 参加した学院1年の有谷公佑さん(21)はすぐ近くで生まれ育ったが、復興住宅に足を踏み入れたのも、被災者の独居高齢者に会うのも初めて。「こんな身近に震災の影響が残っていたなんて」とため息をついた。震災は2歳の時。自宅は無事で、復興後の姿しか知らない。帰り道、「自分にできることはあるんやろか」とこぼすと、牧さんは「家に来てくれるだけでうれしいんやで」と背中を押した。

 相談室は高校教諭だった牧さんらが震災直後の避難所で暮らしの情報を載せた「よろず新聞」を毎日発行したことがきっかけで立ち上がった。避難所の閉鎖でいったんは活動を終えたが仮設住宅への転居が始まると、高齢者の自殺や孤独死が目立つように。「一人ではないと伝えたい」と96年3月から独居高齢者の見守りを始めた。

 相談室も人手や資金が減る中、高校を退職した牧さんが昨年4月から学院の専任講師になったことをきっかけに「保育士は地域福祉の担い手。ぜひ加わってほしい」と学院側に相談して「分室」が生まれた。

■今こそ寄り添う

 学院は20〜30代を中心に主婦や社会人経験のある学生が多い。すぐに10人近い学生が集まったが関心は東日本大震災。牧さんらは発生直後から被災地を訪問していたこともあり、被災地で子供と遊ぶなどのボランティアに連れて行った。一方で牧さんは「阪神の被災者も孤立させてはいけない。今こそもっと寄り添わないと」との思いを強くした。

 被災者との関係は一朝一夕に築けない。「本気で心の扉をノックすればきっと開けてくれる」。復興住宅の民生委員が牧さんらに掛けた言葉だ。すっと開く扉は少しずつ築いた信頼の証し。学生に人間関係をそのままバトンタッチできるわけではない。牧さんは「地味な活動だが、人とつながる喜びを知ってほしい」と期待している。

■職員の教訓を

 行政でも教訓の継承は課題だ。

 昨年12月上旬、こうべまちづくり会館(神戸市)で開かれた勉強会に神戸市職員とOBら約20人が集まった。テーマは「神戸の地盤防災」。「盛り土の安全性は確認されていないのでは」など、講演したゲストを交えた熱い議論は約2時間に及んだ。初めて参加した曽谷はなこさん(38)は給与課で担当外だが、メモを取りながら真剣に聞き入った。

 勉強会を開いた「神戸防災技術者の会」は阪神大震災が発生した95年当時、市職員として復旧活動に当たったメンバーが中心だ。翌年に入庁した曽谷さんは震災当時は短大生。兵庫県西部のたつの市の自宅で揺れを感じたが、「同じ県内なのにあまり被害を受けず、大震災が起きた実感がなかった」と振り返る。

 「あまりにも知らないことが多すぎる」。1年前、市の職員研修所が開いた防災研修会で先輩職員の奮闘ぶりを聞き、気づかされた。その際に知った技術者の会の勉強会に初めて参加し、「経験者の声を直接聞くことで自分の記憶に強く残る」と実感した。そして「もし再び起きて頭が真っ白になったとしても、何か方策が浮かぶかもしれない」と思うようになった。

 技術者の会は2004年に発足した。「震災復興でお世話になった機関や団体に復興に至る経験を伝え、恩返しをしなければならない」という前市長の呼び掛けに、担当課の枠を超えて防災に関心を持つ職員とOBの計18人が集まった。近畿各地、そして東日本大震災後は被災地の自治体に出向き、阪神大震災の教訓を伝えた。メンバーの1人、片瀬範雄さん(71)は「各地の防災関係者と顔の見える関係を築けるようになった」という。

 だが会員の多くが定年を迎え、同会の存在を知る現役職員は激減した。「市役所内の継承活動が置き去りになっていた」。片瀬さんらは市の職員研修所に持ちかけ、12年末から職員が任意で参加する防災研修会を開催した。曽谷さんのような若手が技術者の会の勉強会にも参加し始めた。

■研修対象を拡大

 市も動き始めた。入庁1年目だけだった震災研修を係長昇任から5年目の職員にも導入する。1月末に「震災経験の継承」をテーマとして初めて開催する予定だ。

 提案したのは01年に入庁して現在は市職員研修所人材開発担当の宮前麻矢さん(39)。東日本大震災直後には当時の担当課に被災地の自治体から「身元不明の遺体安置場所はどうすればいいのか」など問い合わせが相次いだ。だが「阪神大震災の教訓を生かせず、何も答えられなかった」。その悔しさが提案の原点だ。「直接経験していなくても神戸市職員である以上、震災の教訓を求められる。研修が職員の記憶の継承につながってほしい」。宮前さんは願っている。

■「歴史の中の出来事」に

 大学には阪神大震災後に生まれた学生も入学し始めている。阪神大震災を機に発足した学生団体「神戸大学学生震災救援隊」の代表で同大学3年、関本竜志さん(23)は「学生から学生に記憶を受け継いでいくことは不可能では……」と危機感を募らせる。

 もともとは障害者の問題などを研究していた学生の集まりだった。震災直後、被災した家屋の片付けや炊き出しなどを手伝う中で「救援隊」が次第に形作られた。倒したサッカーゴールにシートを巻き付けて風呂にするなど当時の活動は学生に伝説のように語り継がれている。

 「地震で浮き彫りとなった問題を解決することが復興」。そんなスローガンを掲げ、復興住宅でのお茶会やホームレスの夜間の巡回、識字教室の支援といった活動を続ける。新潟の中越地震(04年)の被災地で足湯の提供や、昨年の京都での台風被害や山口の水害被害などでの泥かきなど、災害ボランティアの最前線に立ち続けている。

 ただ、運営は綱渡りの状況が続く。メンバーはここ数年は70人ほどで推移しているが掛け持ちも多く、学生が集まらず、担当している学生が1人という活動もある。

 人も入れ替わり、震災の記憶も失われていく。初期メンバーで、院生や大学職員としても関わってきた藤室玲治さん(39)は「既に数年前の時点で、救援隊の中でも阪神大震災のことを覚えている学生はほとんどいなかった。震災は歴史の中の出来事」と話す。

 藤室さんは昨年4月、東日本大震災関連のボランティアセンターの運営に関わるため東北大の特任准教授に赴任。その後も神戸大の学生と連絡を取り合っているが、救援隊の生き字引のような存在だっただけに、「震災について学べる機会が減ってしまった」(4年生の男子メンバー)との声も上がる。

■街の人と関わる

 代表の関本さん自身も新潟出身で、震災の記憶はない。だからこそ大事にしているのが、大学の外へと活動を広げ、神戸の街の人々と関わることだ。昨年11月、活動報告などの展示のため借りた区民ホールの館長からホールが震災当時、遺体安置所になっていたという事実を初めて知らされた。表面上はきれいになった街にも、震災の傷は深く刻まれていることを改めて思い知らされた。

 六甲山の中腹に、神戸の街を見下ろすように建つ広大なキャンパスの一角にある古ぼけたプレハブ小屋。今にも取れてしまいそうなドア、年季の入った木の看板。活動の拠点と同様、今後、学生と震災との縁はますます薄くなっていくかもしれない。だが「神戸にいる以上、阪神大震災を知らないでいいというわけにはいかない」(関本さん)という思いを胸に記憶のバトンをつなぎ続けていく。

(大阪社会部 松浦奈美、井沢正志、堀部遥)

東京都知事選 脱原発は大事な争点だ

 「脱原発」を唱える細川護熙元首相が東京都知事選への立候補を表明した。国の原子力政策は間違いなく主要な争点となる。首都のリーダー選びを日々の暮らしを足元から見つめ直す契機としたい。

 細川氏は、同じく「脱原発」を主張する小泉純一郎元首相に協力を仰ぎ、全面支援の約束を取りつけた。「原発の問題は、国の存亡に関わる問題だという危機感を持っている」と決意を述べた。

 核廃棄物の最終処分場を欠いたまま、安倍晋三政権は相変わらずの原発政策を推進しようとしている。二人の元首相はそこに危うさを覚えている。

 「原発ゼロでも日本は発展できるというグループと、原発なくして日本は発展できないというグループの争いだ」。小泉氏の言葉は、都民を超えて国民全体に投げ掛けられた問いといえよう。

 日本は資源小国だ。安倍政権は原発を「重要なベース電源」と位置づけ、成長戦略の一環として再稼働のみならず海外輸出に前向きの姿勢を見せている。

 その半面、東京電力の福島原発事故の収束作業、さらに廃炉作業の先行きは見通せない。避難生活を強いられている被災者が救われる日もおぼつかない。

 東京は国内最大の電力消費地として原発の恩恵にあずかってきた。都は東電の大株主としてそれを間接的に支えてもきた。

 都民は原発政策にどんな態度を示すのか。グローバル経済の中で飽くなき成長を目指すのか、原発のない新しい国づくりを目指すのか。都知事選は自己の生き方や倫理観とも向き合う好機だ。

 本紙の都民世論調査では、「すぐに原発ゼロにする」と答えた人と「ある程度時間をかけて原発ゼロにする」と答えた人の割合を合わせると、65%近くに上った。

 すでに共産、社民両党が推す宇都宮健児前日本弁護士連合会会長も、同様に「脱原発」を公約に掲げる。十四日の出馬表明で「原発に頼らない社会」を打ち出した舛添要一元厚生労働相は、自民、公明両党が支援する見込みだ。

 都知事選は二十三日の告示、二月九日の投開票。都政には東京五輪・パラリンピックの準備や首都直下地震対策、高齢化対応などの課題も山積みだ。

 医療法人徳洲会グループから五千万円を受け取った猪瀬直樹前知事の辞職に伴う選挙である。細川氏は二十年前、自らの金銭問題で退陣した。首都の信頼を取り戻せるかどうかも争点だ。


東京都知事選 原発も大きな争点だ

 東京都知事選の構図が大きく動いた。脱原発を掲げる元首相、細川護熙氏(76)がエネルギー政策を争点に出馬を表明、「原発即時ゼロ」を主張する小泉純一郎元首相は全面支援を約束した。一方で元厚生労働相、舛添要一氏(65)も無所属での立候補を正式表明するなど激戦模様だ。

 首都の顔を決める都知事選だけに、国政の大きなテーマである原発問題も主要な争点として、むしろ徹底論議すべきだ。多様な候補の出馬で有権者の関心が強まり、論戦全般が活発化することを期待したい。

 都知事選は23日に告示、2月9日に投開票される。前日本弁護士連合会会長の宇都宮健児氏(67)、元航空幕僚長の田母神俊雄氏(65)らも無所属で出馬を表明している。

 政界を引退していた細川氏はかねてエネルギー問題に関心を示していた。「原発問題は国の存亡に関わる」と出馬理由を述べたが、強力な発信力を持つ小泉氏との元首相連合が与える影響は小さくあるまい。

 「首長選挙に原発問題はなじまない」。細川氏出馬をめぐり原発の争点化を批判する声が聞かれる。

 だが、そうだろうか。首都のトップ選びは単純に「地方の選挙」と割り切れない。立地地域でなくとも、最大の電力消費地である東京で原発政策を問う意味は大きい。

 福島第1原発事故の未曽有の被害にもかかわらず、国の針路に関わる原発政策が事故後の国政選挙で必ずしも十分に論じられなかった。自民、民主両党とも争点化に慎重だったためだ。原発稼働の是非を問う都民による投票も知事と議会の反対で実現しなかった。

 今知事選では宇都宮氏も「原発のない社会」を掲げる。都は事故の当事者である東京電力の大株主でもある。小泉氏が指摘するように、選挙結果は国政の動向にも影響する。一極集中の象徴、東京だからこそ逆に争点化にふさわしいのだ。

 細川氏に望むのはワンフレーズ的に脱原発を主張せず、電力供給や使用済み核燃料の最終処分問題などエネルギー政策の具体像を論じることだ。小泉氏が「東京が原発なしでやっていける姿を見せる」という主張の説得力が問われる。

 一方で超高齢化への対応や首都防災などの争点の重要さも強調したい。75歳以上の高齢者が2025年に都内で約200万人に達し、マグニチュード7級の首都直下地震で最大2・3万人の犠牲者が想定される現実は重い。首都行政の担い手を決める以上、他の重要課題をおろそかにしてはならない。

 揺れ動いた各党の対応もようやく固まってきた。首都像の議論を通じて日本が抱える課題を国民全体が考える機会としたい。

東京都知事選―首都で原発を問う意義

 「脱原発」を東京都民に問いたい。

 細川護熙元首相がこう訴えて、2月9日の東京都知事選に立候補を表明した。

 主な顔ぶれが固まり、原発政策が大きな争点となる。

 都知事選で原発を問うことに違和感を示す向きがある。安倍首相も「エネルギー政策は東京都だけではなく、国民みんなの課題だ」と述べている。

 たしかに国民全体が考えるべき問題ではある。だが同時に、都民が当事者として考えるにふさわしいテーマでもある。

 人口1300万超の東京は、日本の電力の1割強を使う大消費地だ。なのに、主な供給源は遠隔地にある。原発の立地自治体や周辺が抱える様々な矛盾や葛藤とも無縁でいられる。

 そんな東京で選挙を通じて議論が深まれば、都民の節電意識が高まったり、再生可能エネルギーの普及に弾みがついたりする可能性がある。大量生産、大量消費のライフスタイルの見直しにつながるかも知れない。

 自分たちのありようを再考するという点で、自治体選挙で問うてならぬという法はない。

 都は東京電力の大株主だ。知事は、東電の経営に物申すこともできる。

 東京では一昨年、原発稼働の是非を問う住民投票の条例案が都議会で否決された。前回の知事選や都議選では、原発問題は五輪招致やアベノミクスの後景に退いた。

 今回、エネルギー政策が正面から問われることには意義がある。出馬を表明した舛添要一元厚労相や宇都宮健児前日弁連会長らも「脱原発」を訴える。具体論を戦わせてほしい。

 もっとも、気をつけなければならない点がある。

 細川氏に支援を要請された小泉元首相は「この戦いは、原発ゼロでも日本が発展できるというグループと、原発なくしては発展できないというグループとの争いだ」と語った。

 かつて、郵政民営化の一点だけを争点に衆院を解散した小泉氏らしい明快さではある。

 だが、東京都には超高齢化への対応など、避けて通れない重要課題が多い。選挙を「原発にイエスかノーか」の一色に染め上げ、スローガンの争いにすることには賛成できない。

 細川氏には20年前、東京佐川急便からの借入金問題を追及され、投げ出すかのように首相の座を降りた経緯がある。

 カネの問題で猪瀬前知事が任期途中で辞任した後の選挙だ。自らのけじめも細川氏には問われるところである。

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大阪に帰って来ました/眠いお昼でした

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Satsumaga_kindai≪ Jamais les mots ne manquent aux idées ; ce sont les idées qui manquent aux mots. ≫
de Joseph Joubert
大阪に戻ってきました.尼崎のMiさんに出した年賀状が返送されてきました.仕方ないので新しい住所を調べて投函.ちなみに年賀状は金曜日までなので,普通のハガキです.すみません.
お昼は眠かったです.スンドウフチゲを食べたから???ではないと思いますが・・・

河北春秋

 東日本大震災を機に畑違いの分野に転じた人は少なくない。伊藤正和さん(61)もそうした一人。石巻市鹿又扇平の自宅敷地にパン工房を開いて1年半になる▼予想だにしない震災によって旅館支配人の職を解雇され、自宅は全壊。偶然手にしたパン職人訓練の募集チラシに導かれ、仙台市のパン工房の門をたたいた

 ▼作るのは「カンパーニュ」と呼ばれるフランスの伝統的なパン。素朴な味にほれ込んだ。日本人にはなじみが薄く、売れるか不安だったが、開業後、驚いた。「パン好きがこんなにいるとは」▼週1回必ず買いに来てくれる地元客。海外の味を懐かしむ遠洋漁業の元船乗り。ボランティアで石巻を訪れたカナダ人。客の満足そうな表情を糧に週5日、仮設住宅から店に通いパン作りに没頭した

 ▼震災から間もなく3年がたつ。被災地を訪れる人は減り、再起した人にとってもことしは正念場。伊藤さんの店もいかに売り上げを伸ばすか実力が問われることになる▼店名は「OJ60」。再出発の年齢と「オウギヒラ・ジャパン」の頭文字から取った。日本のカンパーニュと言えば扇平と呼ばれたい。「あり得ない無謀な目標だけど一歩ずつ近づく実感があるから生きていける。だから毎日、午前3時に起きられる」


復興の歩み、定点観測 東北大災害研が写真収録サイト公開

 移り変わる東日本大震災の被災地の姿を記録し、発信しようと、東北大災害科学国際研究所は、被災地を定点観測した写真を集めたインターネットサイト「復興へ カワルみちのく風景」を公開した。宮城県内206カ所の被災状況や復興の歩みが閲覧できる。
 震災発生直後から昨年7月まで、各地で定期的にカメラに収めた写真約800枚を収録した。撮影は道路技術者有志やNPO法人20世紀アーカイブ仙台、災害研が組織する情報収集活動員「みちのく・いまをつたえ隊」が担当した。
 サイトでは、地図上から選択した撮影地点の写真が表示され、撮影時期を示す上部のバーを動かすと風景が少しずつ変化する。写真を拡大し、細部を確認することもできる。
 女川町中心部の写真は2011年5月15日に撮影を始め、がれきが次第に片付けられ、被災建物の解体が進む様子を収めた。亘理町長瀞大塚では12年3月8日時点で、被災したJR常磐線の線路が残っているが、その後1年間で撤去されて整地されたことが分かる。
 写真の撮影と収集は今後も継続し、撮影地点を県外に広めていく。一般からも被災地の同じ場所をデジタルカメラで撮り続けた写真を募集している。
 災害研の佐藤翔輔助教は「定点で見詰めた被災地の復旧、復興の動きは貴重なデータであり、記録することは非常に重要だ。サイトの運営を通じ、協力を呼び掛けたい」と話す。連絡先は災害研022(795)4842。


名護市長選 「辺野古」問う重い判断

 沖縄県の名護市長選は、米軍普天間飛行場の同市辺野古沿岸部への移設の是非が大きな争点だ。仲井真弘多県知事による県内移設容認に対する最初の審判でもある。市民の重い判断を注視したい。

 十二日に告示された名護市長選は任期満了に伴うもので、十九日に投開票が行われる。日米両政府が普天間飛行場の「県内」移設条件付き返還で合意した一九九六年以降、五回目の市長選である。

 現職で、再選を目指す稲嶺進氏(68)は前回、辺野古への県内移設反対を掲げ、容認派だった当時の現職を破った。

 当時は鳩山由紀夫首相の民主党政権が二〇〇九年衆院選の公約に掲げた「国外・県外」移設の検討中という状況だ。沖縄県へのさらなる米軍基地集中は拒否するという民意を後押ししたのだろう。

 今回は状況が全く違う。安倍内閣が辺野古移設を強力に推進し、仲井真知事も昨年十二月、沿岸部の埋め立てを承認した。

 稲嶺氏は今回の出陣式で「日本の民主主義を問う一大決戦」と述べた。その矛先はまず日米両政府と仲井真知事に向けられている。

 地元自治体の反対を一顧だにせず、両政府による辺野古移設強行は民主主義といえるのか、県外移設を掲げて当選した仲井真知事の埋め立て承認は公約違反ではないのか、ということだ。

 仲井真知事に対し、県議会は辞職要求決議案を可決した。海外の有識者ら二十九人も知事の承認を批判する声明を発表した。公約を撤回するのなら、辞職して県民に信を問うべきでなかったか。今回の市長選では、知事判断の妥当性も問われることになる。

 たとえ辺野古移設を推進する新人で前沖縄県議の末松文信氏(65)が勝利しても、米軍基地をめぐる問題が解決されるわけではない。

 普天間返還が実現しても、その基地負担は辺野古にのしかかる。日米安全保障体制の恩恵を国民が等しく享受しながら、その負担を沖縄という一地域に押し付けていては民主主義国家とは言えまい。

 沖縄に次いで米兵らの犯罪が多い神奈川県で、〇八年からの五年間に一般刑法犯として起訴された米軍人・軍属とその家族は送検されたうち一割に満たないことが本紙の調べで分かった。背景には日米地位協定の制約がある。

 在日米軍基地問題は突き詰めれば日本の主権の問題だ。今回の市長選は名護市民のみならず、すべての日本国民にも、民主主義のありようを問うているのである。

17日で阪神大震災から19年 復興住宅、迫る退去期限

 1995年1月17日の阪神大震災からまもなく19年となる。被災者への迅速な住宅供給のために民間などが建て、自治体が借り上げた復興公営住宅では今後、20年の退去期限を迎える人が多い。全世帯の継続入居を認める自治体がある一方、一定年齢以下の人には退去を求める自治体もあり、対象者は転居への不安を募らせる。学識者も「転居先で人とのつながりが絶たれる恐れもある」と懸念する。

 昨年12月、神戸市兵庫区にある復興公営住宅に住む笠松美智子さん(79)に神戸市議会から通知が届いた。5年後に20年の退去期限を迎える笠松さん。同3月に市が決めた継続の条件は「期限時に85歳以上」で、わずか1カ月差で対象外となる。継続入居を求めて議会に陳情したが、届いたのは不採択の通知。「どうすればいいのか」。不安は増すばかりだ。

 被災後は息子の家や仮設住宅を転々とし、4年後にやっと落ち着いた今の住まい。近くにはかかりつけの病院もある。

 同じ復興公営住宅でも兵庫県の場合は、期限時に85歳未満でも第三者の判定委員会で検討するなど柔軟に対応する方針だ。笠松さんは「転居で生活が成り立たなくなる不安は大きい。個別の事情を考慮してほしい」と望む。

 継続入居の基準は自治体で異なる。基準が厳しい神戸市は継続入居できるのは2割程度。個別に検討する兵庫県でも4割程度にとどまり、半分以上は退去を迫られる見込みだ。「転居を支援する制度もあります」。昨年12月の県の説明会で担当者が説明したが、参加者からは「納得できない」との声が相次いだ。

 「20年」という期間は震災当時、賃貸借契約の上限だった。その後、借地借家法改正で建物の賃貸借契約では「上限20年」は適用されないことになった。国土交通省の担当者は「自治体と建物の所有者が合意すれば契約の再更新や買い取りも可能」と説明する。

 だが自治体にとっては財政負担の課題がある。被災者が負担する家賃は低く、自治体は所有者に相場との差額を負担している。一番多くの戸数を抱える神戸市で負担は年約24億円に上る。

 それでも兵庫県内では伊丹市や宝塚市など全世帯の継続入居を決めた自治体もある。

 藤原保幸伊丹市長は震災当時は県の住宅建設課長として被災者の住宅問題に取り組んだ。「仮設住宅から転居する際も地域のつながりを維持することが大きな課題だった」と振り返り、「短期的な市の負担はあるが、高齢者に今から別の地に移れというのは酷だ」と市民に理解を求める。

 「オーナーの大半が継続入居を望んでいる」。民間貸主でつくる「民間借上復興住宅所有者協議会」の岸本信行会長(73)は明かす。貸主の多くが市の要請で復興のためにローンを組み建設に協力したが、今も負債を抱える。神戸市が昨年、民間貸主に尋ねたアンケートでは7割は判断を先送りしたものの、「引き続き入居してほしい」が2割、「契約通り返還してほしい」は1割だった。

 立命館大の塩崎賢明教授(住宅政策)は「公営住宅の理念から言えば、低所得で希望する人は継続入居させるべきだ」と指摘する。「年齢など一律の線引きで判断すると、つながりも絶たれた転居先で孤立死など新たな災害が生まれかねない」としている。


(思いつなぐ 阪神大震災19年)立てるまで支えたい

 ■オーラルヒストリー:3

〈被災地NGO協働センター代表 村井雅清さん〉

 「資格がなければ」とか「1週間以上いなければだめだ」というところもあったようですが、私は「ボランティアしたいと言って来るんだから、それを生かしてやればいい」と思っていたんです。(中略)

 「ボランティアが100人いたら100の考え方がある」「被災者が100人いたら100の被災形態がある」。この両方がマッチしていくことで(被災者支援の)隙間を埋めることになるのではないか、と改めて思いましたね。(2002年3月の口述記録=オーラルヒストリー=から)

 ■東日本大震災後、ボランティア団体立ち上げ

 震災から19回目の師走が神戸に巡ってきた。先月20日午後8時すぎ、JR神戸線の甲南山手駅前(神戸市東灘区)から1台のワゴン車が走り出した。

 「誰も助けることができなかった」。久一(ひさいち)千春さん(44)は当時の後悔の念を胸にしまい、1千キロ離れた東北の地へ向かった。

   □ ■ □

 1995年1月17日、久一さんは神戸市の自宅の無事を確認し、夫婦で働く会社の様子を見ようと車を中心部へ走らせた。途中、壊れた住宅の近くで「親戚が下敷きになった」という知人に会った。だが、惨状を前に動けなかった。

 がれきをどける手伝いをしていれば助けられたのではないか、という思いを引きずっていたなか、東日本大震災が発生。その直後、ボランティア団体を立ち上げた。

 ある時、兵庫県内でとれた野菜を被災者に送る仲介をした。野菜の到着は避難所の消灯時間を過ぎた深夜だったのに、届けた支援者は「ボランティア記録」を残そうとフラッシュをたいて写真を撮影。被災者の激しい怒りをかった。被災者側に立った支援の大切さを痛感した。

 それから2年余り。被災地訪問は30回を超えた。JRの駅前を車で出発した先月は2人で運転を交代し、約12時間後の翌21日朝に宮城県気仙沼市に着いた。

 久一さんは疲れた様子も見せず、40世帯ほどが暮らす三陸海岸沿いの高台の仮設住宅へ。集会所でアマチュアのゴスペルの歌い手でもあるメンバーらが「赤いスイートピー」や「野に咲く花のように」を披露した。被災者は穏やかな表情を浮かべ、一緒に口ずさむ人もいた。

 交流会では自費で買ってきたケーキを囲み、たわいもない会話を交わす。昆布やワカメの養殖の話に久一さんが「どこで売っているんですか?」と聞くと、被災者の顔がほころんだ。

 編み物が得意な須藤洋子さん(70)=宮城県登米市=は久一さんから「仮設の人に教えてあげたら」と言われ、生きがいをみつけることができたという。「ささやかな支援」。久一さんは地道に続けるつもりだ。

   □ ■ □

 被災者から「もう、いいよ」と言われるまで寄り添おうとする支援もある。

 宮城県東松島市の復興協議会で事務局長を務める西田典昭さん(41)は東日本大震災が起きるまで堺市で暮らし、福祉施設に勤めていた。いくつもの被災地で支援活動をし、「必要とされれば行き、役割を果たせば去る」を繰り返した。一方で、被災者に「何でも話してね」と言ったところ、「あの人が墓の世話をしてくれる」と思い込まれたこともあった。

 こうした支援で被災者が自立できるのか。被災者ニーズに沿っているのか。東日本の被災を機に西田さんは問い、決めた。「住民が独り立ちできるまで地域の中で支えよう」。1109人が犠牲になり、全世帯の97%の1万4579戸が損壊した東松島市に妻の順子さん(35)、長女のあいちゃん(1)と移住した。

 先月15日、市民センターで協議会主催のクリスマスイベントを開いた。650人を超える被災者が集ったことに、地元自治会長の小野竹一さん(66)は「次は地域の住民で開けるようにしたい」と語った。

 「まちをお願いします、と言って去れる日まで責任をもちたい」。西田さんは力を込めた。


政治への参加―新たな挑戦に注目しよう

 選挙で政治家や政党を選んでも、思うような政策を実行してくれない。それが不信やあきらめを生み、投票しなくなる。

 そんな「お任せ民主主義」の悪循環に、どうやってくさびを打ち込むか。

■波紋起こす審議会へ

 首相官邸から道一つ隔てた内閣府の一室。昨秋から、一風変わった審議会が開かれている。

 「国・行政のあり方に関する懇談会」

 インターネットを使った資金集めを支援するサービスの開発リーダー(26)、企業と連携して子どもに教育の場を用意するNPOの理事長(34)、公園の設計から地域興しも手がけるデザイン会社社長(40)……。委員17人のうち20〜30代が9人。女性が10人を占める。

 都会でシェアハウスが人気なのはなぜか。農業の価値って何だろう。毎回ゲストを招き、車座になって議論する。飛び出したキーワードを、行革事務局の官僚が白板に書き込む。会合はネットで中継し、ネットに寄せられた声も紹介する。

 事務局を務める役所のシナリオに沿って議論することが多い他の審議会とは一線を画す。

 事務局次長の藤城眞さん(52)は、財務省や総務省で税制改革や公務員削減を担当してきた。これまでの仕事を自問し、同僚と議論を重ね、今回の試みに行き着いた。

 国民の間に政府への不信は根強く、負担増は嫌われる。かたや政府への要求は増え、財政の悪化に歯止めがかからない。

 この構造を変えるには、できるだけ多くの人に、主権者として政治に関心を持ち、かかわってもらうしかない。

 審議会に「有識者」を集め、立派な報告書を作っているだけでは間に合わない。小石を投げ入れ、波紋を起こし、それを国民にも広げられないか。「30年後も社会の一線にいる若手」を中心にメンバーを選んだ背景には、そんな狙いがある。

■有権者と議員のバー

 藤城さんらの試みが、政治・行政システムの「内」からの改革なら、「外から内へ」の取り組みはどうだろう。

 東京・渋谷のビルに昨年12月中旬、若い社会人や学生17人が集まった。向き合ったのは東京都議会と区議会の議員4人だ。

 一人3千〜4千円の参加費を払い、酒やつまみを手に議員の間を回って話し合う。会合のテーマは「国際交流」だったが、議員の暮らしぶりや都知事選の見通しなど何でもありだ。

 名付けて「ヴォーターズ・バー」(投票者のバー)。NPOのユースクリエイト(東京)が主催する。

 代表の原田謙介さん(27)は東京大在学中の08年、学生ら若い有権者に投票を呼びかける団体を立ち上げた。一昨年にユースを設け、地方議員との交流の場作りに乗り出した。開催地の議会の議事録をネットで調べ、これはと思う議員に連絡し、会費付きで参加してもらう。

 大学卒業後も、若者の一人として若者の政治参加を促したいと、就職せずにNPO活動を続ける。講演料を活動費と自らの生活費に分けるルールを仲間と決め、各地を飛び回る。

 愛媛、滋賀両県での開催を含め、バーは9回、参加者は200人を超えた。昨年末には、趣旨に賛同した山梨県の学生が地元で「勝手バー」を開いてくれた。手ごたえを感じつつある。

■市民の「迷い」に意義

 では、自ら進んでは腰をあげない人まで巻き込むすべはあるだろうか。

 ひとつのカギは「抽選」だ。

 行政の個々の事業が必要かどうか判定する「仕分け」。シンクタンクの構想日本が提唱し、国では民主党政権が予算削減に使ったが、目指した成果をあげられず注目されなくなった。しかし、自治体では「抽選」を取り込んで進化している。

 高松市は昨年11月、市内各地の体育館や保健センターを対象に仕分けをした。判定を託されたのは、住民基本台帳から無作為に選ばれた20人の市民だ。

 市が仕分けを始めたのは09年。構想日本のスタッフが主役で、有識者が加わる形だった。試行錯誤を重ね、昨夏から抽選制を採用した。

 家業の畳関連卸会社で働く三村龍伸さん(32)は、11月の仕分けに当選した一人だ。

 バスケットボール同好会の活動で体育館を借りるが、仕分け対象には知らない施設も多かった。利用者数や維持管理費など資料はそろっていても、判定で迷った。どの施設にも自分のような利用者がいる。でも、市は合併で広がったのに、配置の見直しは進んでいない――。

 抽選制の仕分けにどんな意義があるだろう。いくら予算を削れたかも大事だが、むしろ市民が「迷い」を経験し、考える場を設けることではないか。

 「お任せ」から「参加」へ、民主主義をどう立て直していくか。目を凝らせば、さまざまな挑戦が見えてくる。

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岩国・錦帯橋→柳井の白壁

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Kintaikyo_140113今日もフランス語はパス.昨日飲みすぎたってこともあるし・・・
今日は西に向かいます.まずは岩国の錦帯橋を目指します.ここも一回来たことがあるはずです.でも覚えているのは島耕作バスくらい.今回は無くなってました.岩国寿司というものを食べました.ボランティアのガイドさんに案内してもらってよくわかりました.
さらに西に移動です.柳井です.麗都路通りの名前には覚えがあるけど,こんな通りだったかな???という思いです.白壁の町並みはキレイです.松島詩子記念館と柳井の由来となった柳と井戸(湘江庵)を見ました.甘露醤油資料館や商家博物館むろやの園は時間がなくて,行くことできませんでした.
広島に戻ってお好み村に行って,そば入りをいただきました.

成人の日 「いいね」だけでいい?

 「成人の日」を迎えた若人たちを祝福したい。昨年中に20歳になった新成人は計121万人。前年より1万人減って過去最低を更新した。総人口に占める割合は4年連続で1%を切った。

 就職難は相変わらずで、閉塞(へいそく)感を感じている人もいるだろう。一方で海外への雄飛を思ったり、起業を計画したりと、未来への希望をはぐくんでいる人もいるはずだ。

 20歳の若者たちが生まれた1990年代前半はすでにバブル経済が破綻し、就職氷河期が始まっていた。成長とともに携帯電話が普及し、やがてネット社会が到来する。

 今や多くの若者にとって、ネットに接することは日常の習慣だろう。しかし、メディアというものには、冷静にうまく付き合うことが求められる。得られる情報がどこまで信用できるか、絶えず点検し、検証することが必要だ。

 また、自分の関心のあることにアクセスするだけでなく、さまざまな見方に接してこそ、真実が浮き彫りになるはずだ。興味をひかれたものに「いいね!」を押すだけでは、狭い枠組みで物事を考えることになりかねないのではないか。

 和合亮一(わごうりょういち)さんという詩人がいる。福島市在住で県立高校の教諭。東日本大震災発生直後から、ツイッターで詩を発信し続けて注目を集めた。原発事故に苦しみ、切羽詰まった言葉が並ぶ中、2011年4月9日の記述が目をひく。

 海辺で見たこともない新種のチョウが群れを成して空を舞っていた。巨大なカレイが捕らえられた。まっすぐに歩くたくさんのカニを見た。そんな放射能にまつわるうわさ話を列挙した後、こんなふうに書く。

 <私たちは噂(うわさ)話の中を、追われている、息を殺して嵐の中を、追われている、不条理な日本>(徳間書店「詩の礫(つぶて)」から)

 悲惨な事故の直後、日本中を奇妙なうわさ話が飛び交った。限られた情報しか得られない不安は、私たちの多くが経験したことだ。

 現代の日本には情報があふれているように見える。でも、受け身で待っていたり、関心のあるものにしか接しなかったりすると、情報の少ない狭い場所に自分を追い込んでしまう。それでは判断を誤りかねない。

 視野を広げることが大切だ。東京だけでなく、地方からの視点も頭に入れよう。一方で、思考をグローバルに世界に広げよう。歴史を見つめることも必要だ。現代は過去の積み重ねの結果なのだから。

 限られた情報に短絡的に反応していると、思考までやせてくる。逆に、多様な価値に接することは、人生を豊かにするきっかけになる。


阪神大震災「20年目」に…関西の勝機は「創造的復興」にある 社会部長・佐藤泰博

 震災。この言葉で思い起こされるのは全国的には東日本大震災だろう。しかし関西に住む者にとっては、平成7(1995)年1月に起きた阪神大震災ではないだろうか。

 横倒しになった巨大な高速道路、崩れ落ち傾いたビル、焼け野原のようになった神戸、阪神間のしゃれた町並み。一瞬にして“日常”が目の前から消え去る恐怖が、いまも脳裏に刻み込まれているからだ。

 17日で震災(阪神大震災)から丸19年を迎える。震災の爪痕を感じさせるものは、ほとんどなくなっている。神戸、阪神間の街はしゃれた町並みを取り戻した。震災前と同様に誰もが憧れる街で、人口も増えているところが多いのだが…。どこか釈然としない思いが残ってしまうのだ。

 「創造的復興」。震災当時の兵庫県知事が記者会見などで幾度となく口にしてきた言葉である。単に震災前の状態に復旧させるのではなく、一歩進んだ「未来の街」を目指していくという理念に心ひかれたのを今も覚えている。

 魅力を感じたのは、当時の社会状況が影響しているだろう。すでにバブルが崩壊して「昨日よりいい明日がくる」という成長神話は消えていたうえ、戦後50年の節目だったこの年にはオウム真理教の地下鉄サリン事件も発生。閉塞(へいそく)感に満ちていたなかで、今までの成長神話とは違った価値観で街を作り上げる「創造的復興」に新たな可能性を感じたからだった。

 では、「創造的復興」はできたのだろうか。確かに街は復興した。さまざまな指数は震災前を上回っている。ポートアイランド(神戸)には、これからの成長産業である医療関連産業も集まり始めている。しかし高層ビルが立ち並ぶ街を見ると、震災の教訓が生かされているとは思えず、「創造的復興」の難しさを感じざるを得なかった。


阪神大震災、東日本大震災で幼子失った2人の母の思い /兵庫

 阪神大震災と東日本大震災で幼い息子を失った2人の母親がそれぞれの思いを収めた絵本「優しいあかりにつつまれて」の販売会が12日、神戸市中央区の大垣書店であった。著者のたかいちづさん=西宮市=は「1行だけでも共感してもらえれば」と呼び掛けた。13日から、県内や東京都などで販売される。

 たかいさんは西宮市の実家で被災し、双子の兄の将ちゃん(当時1歳半)を亡くした。もう1人の著者、竹沢さおりさん=仙台市=は宮城県名取市の実家が津波に襲われ、長男雅人ちゃん(当時8カ月)が行方不明に。

 会場で購入した福井県越前市の会社員、竹野江里佳さん(33)は長男太智くん(3)を連れ、「息子に読み聞かせようと思う。親子の愛や絆を感じてほしい」と話した。

 B5判、102ページ、1680円。詳細は専用サイト(http://yasashiiakarinitutumarete.web.fc2.com)。【田中将隆】


(思いつなぐ 阪神大震災19年)心を癒やせる仮の家

 ■オーラルヒストリー:2

〈当時の兵庫県知事 貝原俊民さん〉

 被災者レベルから見たら(復興が)十分なのかということになると、十分でなかった。一番の問題は高齢社会に入った地域社会が変わっているということ。(中略)ハードができても「住民の心が救われていない」という部分をどう考えていくのか。

 (中略)経済、教育、福祉にしても「この人なら大丈夫」という信頼される存在がたくさんいる地域社会をつくっていかなければ、災害対策がうまくいったという評価にはつながらないんじゃないか。(2001年10月の口述記録=オーラルヒストリー=から)

 ■被災者との記録、継ぐ

 土石流が家をのみ込み、島の暮らしを奪った。

 伊豆大島を襲った台風26号禍から約2カ月が過ぎた昨年12月。住まいを失った人たちが入る仮設住宅の建設が本格的に始まった。兵庫県尼崎市の中村大蔵さん(68)はそのニュースに接し、改めて強く感じた。

 「仮の家はあっても『仮の暮らし』なんてない」。年が明けたらなるべく早く島に渡り、できる限りのことをしようと思った。

   □ ■ □

 36回。尼崎市で社会福祉法人の理事長をしながら、中村さんが東日本大震災の被災地に通った回数だ。

 「結露はどうですか」

 「ひどい。端っこに置いた物にカビが生えます」

 昨年末から年始にかけては宮城県気仙沼市や岩手県一関市のプレハブ仮設住宅を訪れ、被災者の悩みを聞いた。なぜ、結露を気にしたのか。それは、19年前の「にがい記憶」がある。

 阪神大震災では、計4万8300戸の仮設住宅が造られた。中村さんは300戸近い尼崎市内の仮設住宅の敷地内に置かれた集会所「ふれあいセンター」の運営を市から頼まれた。

 すきま風、隣の家の話し声が聞こえるほどの壁の薄さ、そして大量の結露。布団がぬれて、カビが生える仮設も少なくなかった。暮らしは劣悪で、大きなポリ袋を頭からかぶって自殺した男性もいた。

 仮の住まいであっても、住む人の心が救われる暮らしを送ってほしい。台湾大地震(1999年)、北海道・有珠山噴火(2000年)、新潟県中越地震(04年)……。自費も投じて被災地を巡り、住民や自治体に助言や提案をした。住民を支える支援員らの体と心のケアの大切さも訴えた。

 過去の災害から得た教訓から、東日本大震災では木造仮設や体の不自由な人らが入る「福祉仮設住宅」が造られた。一方で住民同士のあつれき、アルコール依存症などの課題も抱える。

 被災者が前を向ける仮設での暮らしとは――。中村さんは問い続けている。

   □ ■ □

 被災者の暮らしと向き合ってきた歩みを伝えていこうとする人もいる。

 「腰が痛い」。南芦屋浜災害復興住宅(兵庫県芦屋市)の男性(83)が先月、集会所に来た。阪神大震災で妻を亡くし、息子とは音信不通。膵臓(すいぞう)がんで、余命3カ月という。生活援助員(LSA)の城戸昌子さん(62)は相談にのった後、ぽつりと言った。「よい最期を迎えさせてあげたい」

 震災から3年後の98年、南芦屋浜の住宅は全国初の「24時間見守り公営住宅」としてできた。城戸さんが勤める社会福祉法人が市の委託を受け、10人のLSAが交代で集会所に泊まる。相談から入院先の手配まで何でも手伝うが、開設直後からの状況を知るのは城戸さんら2人だけになった。

 「花火の音で地震を思い出す」「命助かったんやから頑張らなあかんけど、悩みはつきない」。城戸さんらは被災者の言葉や支援の記録をつけてきた。被災者が求めていることをつかむためだった。城戸さんらはパソコンに入れた記録を後輩に託そうと決めた。

 そのバトンを受け取ったLSAの一人、増原統(おさむ)さん(36)。仙台市で先月あったシンポジウムで、東日本大震災で支援活動にあたる保健師や社会福祉士らにLSAの取り組みを語った。

 増原さんは言う。「記録は被災者が生きた証し。僕も10年、20年先に後輩へバトンを渡したい」


阪神大震災の遺児ら集会 亡き母に感謝の手紙

 阪神大震災で親を亡くした子供の心のケアに取り組むあしなが育英会の施設「神戸レインボーハウス」(神戸市東灘区)で12日、追悼の集い「今は亡き愛する人を偲び話し合う会」が開かれた。17日で震災から19年。生後間もなくで母を失うなどした遺児2人が思いや感謝をつづった手紙を読み上げ、参加した遺児ら90人が黙とうをして献花した。

 短大1年の浦田楓香さん(19)は生後4カ月の時に神戸市兵庫区で被災し、母の森智美さん(当時19)を亡くした。祖母を母と思って育ったが、小学3年で母の死を知らされたという。現状や将来の夢を「まわりにとても恵まれ本当に幸せ。私と同じ境遇の子供たちを笑顔にできるような人になりたい」と報告、祭壇の遺影に手を合わせた。

 高校1年の時に同市西区で被災し、母親の山崎みどりさん(当時43)を亡くした近藤裕子さん(35)は昨年、第1子となる長男を出産。「不安もたくさんあったが、お母さんが書いてくれた母子手帳や日記にとても励まされた」と振り返った。長男は大病なく育っており、「私を健康に生んでくれたおかげ。これからも見守っていてください」と感謝した。

フランス語
フランス語の勉強?

尾道→竹原→呉→ASSEでカキ→八丁堀で広島の地酒

ブログネタ
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HayashiFumiko_Onomichi140112フランス語のお勉強はお休みです.
朝3時に目が覚めてしまったのですが、もう一度寝て朝のテレビを見ました.広島の酒蔵が取り上げられていました.八反錦を使っているっていうのだけ覚えています.酒蔵の名前は???です.
朝からJRで移動して尾道に出かけました.古寺めぐりは面白いです.商店街は以前来たような気もしていますが,お寺ははじめて.でも千光寺は2回目のはずですが,全然記憶にありません.ロープウエイも???という感じ.尾道ラーメンを食べてから、今度は竹原に向かいました.
安芸の小京都です.竹原も2回目なのですが,記憶がイマイチです.長生寺というお寺の名前がいいなぁ・・・なんてどうでもいいことに感心.西方寺普明閣は清水寺に似ている感じです.宝寿 酒の道 芳醇純米と龍勢 純米大吟醸を飲みました.
ちょっとだけ呉に立ち寄りました.以前来た時には大和ミュージアムに行かなかったので今回もパス.駅前のYoumeタウンをぶらぶらしました.なんだか楽しいです.蔵本通りの屋台やれんが通りもとりあえず行ってみました.
いい時間に広島駅に帰ってきたので広島セットという生牡蠣の食べ比べ+白ワインをたのみました.カキは広島,大黒神,先端でワインはピクーレブラン.美味しいです.
最後に八丁堀で広島の地酒をいただきました.これもまた美味しい♪♫♬

兵庫)あの日を刻んでナ叱妨長田区 被災クスノキ

 あの日、神戸市長田区の御蔵公園の一帯は炎に包まれ、次々と民家や工場が焼けていった。近くに住んでいた鈴木八重子さん(87)は、ゴム工場が燃え続けるのを見ながら、自宅に延焼しないかと夜通し心配した。

 だが、火は止まった。その境目には、半分黒こげになったクスノキがあった。

 1998年。公園整備計画の話し合いが始まると、クスノキを撤去する話も持ち上がった。しかし鈴木さんをはじめ住民たちは、クスノキを残したいとの結論を出した。「何百年も生き続けて、震災を思い出す記念になってほしい。街も木と競争して、活気づいてほしい」との思いがあった。

 街は区画整理で姿を変えたが、クスノキは地域の中心点を示すように、昔のまま天に向かって枝を伸ばす。

 「類焼をとめて 尚生き残る 楠の大木」

 クスノキを勇気づけるように、鈴木さんが詠んだ少し字余りの句が、プレートに刻まれて根元近くに置かれている。(恒成利幸)


東日本大震災:2年10カ月 時間過ぎても、悲しみ消えず /宮城

 東日本大震災から11日で2年10カ月。遺族らは、犠牲者やまだ見つからない大事な人を思い、県内各地で手を合わせた。

 103人の死者・行方不明者を出し、地盤沈下と北上川の堤防決壊で、いまだに浸水が続く石巻市長面地区では多くの人が墓に花を手向けた。兄の高橋鶴義さん(当時76歳)ら親族4人が津波に流され死亡・行方不明となった同市、福田祐子さん(62)は墓に向かって「あんちゃん」とつぶやき、かさ上げ工事で見る影もなくなった兄の自宅前でも手を合わせた。「時間がたてば悲しみが薄れるというのはうそ。冷静になってみてなおさら、悲しみが増してくる」と、涙を流した。

 約300人が居住していた気仙沼市の杉ノ下地区は津波で壊滅的な被害を受け、慰霊碑には犠牲者93人の名前が刻まれている。兄の三浦深雄さん(当時82歳)が行方不明のままで、月命日には同地区を訪れる同市の熊谷シゲ子さん(81)は、「2人だけの兄妹だから、時間がたってもここに来たい」と碑の前にミカンを供え、刻まれた兄の名前に触れた。【森田剛史、小川昌宏】


遺族に届けたい 気仙沼で不明者捜索 震災から2年10ヵ月

 東日本大震災から2年10カ月となる11日、宮城県気仙沼署は気仙沼市松崎尾崎周辺の海岸で、震災による行方不明者の集中捜索をボランティアと合同で実施した。
 同署とボランティアによる捜索は昨年12月に続いて2回目。午前10時、氷点下1度の寒空の中、約80人が砂浜を歩き回り、熊手などを使って手掛かりを捜した。5時間の捜索で約15センチの骨の破片3本が見つかった。
 気仙沼署によると、市内の行方不明者は236人で、捜索場所周辺では約20人が見つかっていない。
 ボランティアで捜索に参加した兵庫県加西市の看護師尾崎雅樹さん(39)は「久しぶりに被災地を訪れ、復興が進んでいないことを実感した。不明者の手掛かりを捜し出し、遺族のもとに届けて安心させたい」と話していた。


東日本大震災 関連死認定基準/寄り添う相手を間違えるな

 「宮城は本当に優等生」。総務省の官僚から以前、こんな都道府県評を聞いたことがある。中央官僚のめがねにかなった優等生ぶりは、どうやら震災対応でも健在だったらしい。
 災害弔慰金の支給を申請しようとする遺族に対して、宮城県が高いハードルを課していたことが分かった。国が例示した震災関連死の認定基準を、忠実に踏襲した結果だ。
 震災との因果関係を判定し、弔慰金を支給するのは市町村の自治事務だが、弁護士や医師といった審査会委員の確保が難しい場合などは県に審査を委託できる。宮城では12市町が県に委託していた。
 宮城県は、国が被災自治体に「参考までに」と情報提供した過去の大規模災害での認定基準をそのまま採用。すなわち、発災から半年が経過した2011年9月以降の死亡は「原則として震災との因果関係なし」と見なすことにした。
 その結果、宮城県委託分の弔慰金支給は、発災半年を境に申請1件、認定ゼロという状況が続いている。関連死が後を絶たず、津波による直接死をも上回った福島県とは彼我の差だ。
 宮城県内を見渡すと、独自の認定基準を設けて震災との因果関係を積極的に認めようという市町村も少なくない。自治事務である以上、認定基準の違いはあり得る話だが、同じ災禍に遭いながら県委託の市町では弔慰金が支給されないとなれば、納得できない遺族もいるだろう。
 県に委託した市町も含めて根底にあるのは、お上に対する妄信的な追従だ。市町村は県に、県は国にもたれ掛かって下知を待つ。そこには、住民のために自治事務を全うしようという行政組織として当然の心構えを見いだし難い。
 そもそも、寄り添うべき相手を間違えてはいないだろうか。
 過酷な避難生活の中で身内を失った遺族は、悲嘆と自責の迷路をさまよった末に「やはり震災さえなければ、亡くならなくて済んだはずだ」と思い至って重い腰を上げる。
 被災者の心情を十分に省みず「震災から半年もたてば、関連死はなくなるはずだ」という酷薄な現場感覚が、遺族をどれほど傷つけていることか。
 原発事故で繰り返し避難場所の転居を強いられた福島県は特異なケースだと見る向きもあるようだが、その指摘は的外れだ。岩手、宮城両県でも被災者は、既に耐用期限の過ぎたプレハブの仮設住宅で不自由な暮らしを続けているし、知り合いのいない土地に移って孤立を深めるお年寄りもいる。
 冒頭で紹介した総務官僚の都道府県評には続きがあって「それに比べて福島は…」と、住民基本台帳ネットワークへの接続拒否、市町村合併への消極姿勢など何かと国の方針に盾突いてきた福島県への愚痴が始まる。
 その福島県では、全ての被災市町村が自前の審査会を設置し、地域住民の死を真摯(しんし)に受け止めながら認定審査を続けていることを、付言しておく。


(思いつなぐ 阪神大震災19年)復興、私が架け橋

 ■オーラルヒストリー:1

 阪神大震災を経験した人たちはオーラルヒストリー(口述記録)を後世に向けて残していた。街の復興、暮らし、ボランティア、行政の備え、防災教育。記録から浮かび上がるこれらの教訓や課題を、被災者や若者たちの目線で5回に分けて追う。

     ◇

〈当時の首相 村山富市さん〉

 ああいう災害があったときに、新しい絵を描いて、将来を展望したうえで区画整理をするとか、事業を決めるとかいうようなことをいち早くやったから良かったのではないですか。

 しかし、実際には「少々の家賃を払ってでも入れる」という人もあるだろうし、「そんな家賃も払えん、今すぐ住むところがほしい」という人もあるだろうし、それぞれ求める人が違う。それは難しい問題もあったのではないかと思います。(2003年2月の口述記録=オーラルヒストリー=から)

 ■街の未来 自分で考えていく

 街は復興したといえるのだろうか。みんなが心に描いた街づくりができたのだろうか――。神戸・長田にある大正筋商店街の伊東正和さん(65)は、今も自らに問いかける。

 19年前の1月17日。マグニチュード7・3の揺れが襲った。家、ビル、道路……。街をかたちづくっていた多くのものが崩れ、なかでも長田は大火に見舞われた。「立ち直れるのか」。誰もが、そう思った。

 98店。震災が起きる前、大正筋商店街にあった店の数だ。長田には巨額の復興予算が投じられ、区画整理も進んだ。再開発ビルが立ち並び、「災害に強い街」に生まれ変わった。

 一方で大正筋は半数ほどの51店に減った。いったん遠のいた客足、ビルに入るための借金、高齢化……。さまざまな理由で仲間たちが去っていった。

   □ ■ □

 街の変化に漠然とした戸惑いが広がっていたとき、東日本大震災が起きた。2011年3月11日。無残な姿になった東北の街々のなかに、伊東さんが長田の復興の過程で交流を持つようになった宮城県南三陸町があった。津波から逃げるための地図があちこちに掲げられ、防災意識の高さに目を見張った町だった。

 約4カ月後。伊東さんは長田の被災時に「復興への一歩」として作った仮設商店街の図面と模型を手に現地へ向かった。

 「長田は飲食店と物販の店を分けてしまったから、お客さんがいろんな店を回らなかった。混ぜたほうがいいよ」「先は長い。仮設の店にお金をかけちゃいけない」

 伊東さんは商売の再開をめぐって悩む南三陸町の人たちに声をかけた。町の商工会副会長の山内正文さん(64)は振り返る。「不安も、願いも分かっている伊東さんの言葉は頼りになりました」

 仮設商店街の一つ、「さんさん商店街」は東北の被災地の中でも屈指のにぎわいを見せるようになった。町は宅地に先がけて商店街の再興をめざす都市計画をたてた。伊東さんは今も数カ月おきに南三陸に行き、復興を見守る。今月12日に長田で開かれる「1・17震災祈念コンサート」では、中継映像で結んだ南三陸へ数百人の合唱を送る。

 長田の復興のあり方が良かったのか、悪かったのかということへの答えがあるわけではない。ただ、伊東さんは思う。「だれかにつくってもらう街ではもたない。被災者自身が考えて、決めてほしい」

   □ ■ □

 若者たちのなかにも、震災からの街づくりを模索する動きが広がる。

 「神戸はどうやって復興したんですか」。2年前の春、神戸大の大学院に通う鵜飼智子さん(24)は岩手県大槌町の高齢者らに聞かれ、答えることができなかった。工学研究科のメンバーでボランティアに行ったときのことだった。

 19年前、118人が亡くなった兵庫県宝塚市で生まれた。当時5歳。被災地で育ってきたのに、復興の歩みを知らない、いや、知ろうとしてこなかった。神戸から何かを得ようとする東北の人たちに「あまり覚えていないので」としか言えなかった自分が情けなかった。

 学ばなければ語れない。神戸を歩き回った。街はきれいになったけど、シャッターを下ろしたままの商店が思った以上に多かった。街づくりにたずさわった専門家は「若者の声を聞いていなかった」と後悔していた。復興には20年後、30年後の視点が大切と感じた。

 鵜飼さんは研究室のメンバーと神戸の復興の歩みをたどる「すごろく」をつくり、岩手県立大槌高校の生徒に同じ試みをしてもらった。同校3年の佐々木孝範さん(18)は「見えなかった街の未来をイメージできるようになりました」。佐々木さんは昨年11月、大槌の人たちの声を盛り込んだ公園づくりを同級生らと話し合い、町に提案した。

 将来への希望につながる「種」を若者たちがまき、芽生えさせる。少しずつ、着実に――。

     ◇

 〈阪神・淡路大震災オーラルヒストリー〉 被災した自治体が出資してできた阪神・淡路大震災記念協会(現・ひょうご震災記念21世紀研究機構)が震災3年後の1998年以降、体験者から聞き取った記録。国や自治体、財界、市民団体のトップら62件▽遺族ら291件――のインタビューからなる。

 30年間は非公開の予定だったが、東日本大震災を受けて「阪神の教訓を役立てよう」という目的で、同意が得られた記録が2011年6月から徐々に公開されている。現時点の公開数は54件で人と防災未来センター(神戸市中央区脇浜海岸通1丁目)で閲覧できる。


阪神大震災:被災者訪問ボランティア 5月で600回に

 阪神大震災の仮設住宅や復興住宅を週末に訪れて、被災者の声に耳を傾ける活動を続けてきた「週末ボランティア神戸」(神戸市)の活動回数が5月で600回になる。訪問戸数は延べ約3万4000戸。1人暮らしの高齢者が目立ち、「孤独死」もなくならない中、参加者や活動頻度は減ってきているが、東條健司代表(73)は「訪ね歩く意義はむしろこれから出てくるはず。体力が続く限り活動したい」と話す。

 東條さんは仮設住宅が開設されると、知人ら数人で活動を開始した。近況を聞いたり世間話をしたりして被災者の話し相手になってきた。誰でも参加でき、当初は毎週末に30人前後で訪問。80人が集まったこともあった。東條さんは「身近に寄り添うことが必要な人もいれば、ざっくばらんな話し相手が必要な人もいる。多くの被災者に会うことが求められた」と振り返る。

 ただ、年月がたつにつれ歓迎されないケースもでてきた。7、8年前からは参加者が減り、数人が月2回、訪問活動をしているという。東條さんは「阪神大震災がボランティアにとって古いテーマになってしまったのか」と風化を懸念する。

 活動費は賛同者からのカンパと兵庫県や神戸市からの補助金でまかない、訪問時の交通費や集会会場費などに充ててきた。近年は活動回数の減少もあり、数十万円ある繰越金で活動でき、カンパ呼びかけを中止するという。東條さんは「活動は絶対にやめない。お金をかけず、少人数でもできるボランティアの形を模索したい」と話している。【田中将隆】


震災遺児が亡き母への手紙朗読 神戸で追悼式

 阪神・淡路大震災の遺児らを支援するあしなが育英会の施設「神戸レインボーハウス」(神戸市東灘区)で12日、追悼式「今は亡き愛する人を偲び話しあう会」が開かれた。最愛の母を失った女性2人が手紙を朗読し、「これからも見守って」と呼び掛けた。(黒川裕生、上田勇紀)

 「ともちゃん」。母の森智美さん=当時(19)=の遺影に、短大1年の浦田楓香さん(19)=同市灘区=がそう語り掛けた。

 兵庫区で被災し、智美さんはタンスの下敷きになった。生後4カ月だった楓香さんは智美さんの父母に引き取られ、その後養子に。ずっと祖父母が両親で、智美さんは姉だと聞かされて育った。だから「ともちゃん」。

 “両親”から本当のことを知らされたのは小学校3年の時。「そう言われても、よく分からなかった」。その後も3人の関係は変わらなかった。親がいない苦労を感じさせず、定年退職後も自分の学費のためパートを続ける祖父母には、感謝の思いしかない。

 来年、楓香さんは成人式を迎える。智美さんが楓香さんを生み、震災で命を奪われた年だ。「この年を乗り越えられたら、何でもできる気がする」

 東灘区の主婦近藤裕子さん(35)は、来月1歳になる長男稟太朗ちゃんを抱き、母山崎みどりさん=当時(43)=に思いを伝えた。

 西区の自宅は無傷に近かった。だが、みどりさんは揺れの衝撃で心臓が止まり、亡くなった。裕子さんは16歳、高校1年だった。

 2011年に結婚し、子を授かった。里帰り出産する友人らを横目に、夫と二人三脚での初産。不安になると、母の日記を読み返した。稟太朗ちゃんが生まれた時、「私ももう一度新しい人生を歩んでいくようだ」と喜びをつづった母の気持ちが分かった。

 眠いのかぐずっていた稟太朗ちゃんは、手紙を読むうちにおとなしくなった。「この子が大きくなったら、震災のことも伝えていきたい」。裕子さんは、いつも手帳に入れて持ち歩く母の写真によく似た笑顔を見せた。

 偲び話しあう会は1996年1月から開かれ、今年は遺児や保護者ら約90人が出席した。

■浦田楓香さんの手紙要旨■

 阪神・淡路大震災から19年、私も19歳になりました。長いようで早いようなそんな気分です。ともちゃんから見て私はどんな風に成長しているでしょうか?

 震災の時、私はたったの4カ月でした。だから私は、ともちゃん、お母さんのことは何も覚えていません。ともちゃんは写真でしか見たことがなくて、印象に残っているのは赤ちゃんのころの私とともちゃんが笑い合っている写真です。私が物心ついた時、ともちゃんはもういなかったので、なんだか不思議な気持ちになったのを覚えています。

 私は今、短期大学に通っています。周りの環境にとても恵まれ、特におじいちゃんやおばあちゃんには本当に迷惑をかけていて、感謝してもしきれないぐらい。この家族でいられて本当に幸せです。

 将来の夢はまだ決まっていませんが、少しでも自分と同じ境遇の子どもたちを笑顔にできるような人になりたいと思っています。

 来年成人式で、ともちゃんが亡くなった年齢になります。それがなんだか自分にとっては大きな通過点のような気がして、この年を乗り越えられたら何でもできる、そんな気がしています。だからその時まで私を見守っていてください。

 最後に、ともちゃん、私を生んでくれて本当にありがとう。

■近藤裕子さん手紙要旨■

 お母さんへ

 もうすぐ震災から19年もたちますね。お母さんと一緒に過ごした時間より、過ごさなかった時間の方がいつの間にか長くなっていました。けれど、いつも思い出します。そばにいて、見守ってくれているようです。

 去年稟太朗が生まれました。随分大人になってからの出産でしたが、初めてのことで不安もたくさんありました。そんな時、お母さんが書いてくれた母子手帳や日記にとても励まされました。私が生まれた時に「裕子の中には私の血が流れ、新しい人生を歩んでいく。私ももう一度新しい人生を歩んでいくようだ」と喜びが書かれていました。その日記を初めて読んだ時、そんな風に思ってくれたことをうれしく思いましたが、稟太朗が生まれた時に、本当に同じ気持ちになりました。今までよりもっと、お母さんが私を生んで育ててくれたことに感謝するようになりました。

 来月、稟太朗は1歳になります。大きな病気は一度もなく健康に育ってくれています。私も子どものころからめったに風邪をひかず、産後も一度も体調を崩しませんでした。お母さんが私を健康に生んでくれたからだと思っています。おかげで稟太朗も健康に生まれて感謝しています。

 子育てをしている中で、お母さんがいたら甘えられたのに、頼れたのに、と思うことがありますが、優しい旦那さんに手伝ってもらいながら、これからも楽しんでやっていきたいと思います。見守っていてくださいね。

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東日本大震災から2年10か月/広島

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Hiroshima140111Quel tristesse de gaspiller un si bon excément.
こんなすごい排泄物をむだ使いするなんて,なんて残念なんだろう.
「さよなら,パリ」クノー『街を駆け抜けて Courir les rues』「衛生 Propreté」(1967)

広島に来ています.ヤル気がありません.藤原ラーメンでつけ麺70倍の辛さで注文しました.
広島平和記念資料館で展示を見ました.原爆投下後の廃墟が,東日本大震災後の様子と重なって少し下向きの気持ちになりました.
ホテル近くのお店に行こうとしたら眠ってしまっていて,起きたら11時です.また寝るしかありません.

気仙沼市沿岸部で集中捜索 東日本大震災2年10カ月

 東日本大震災から2年10カ月を迎えた11日、津波で大きな被害に遭った宮城県気仙沼市岩月千岩田の沿岸部で、県警などが行方不明者を集中捜索した。
 気仙沼署員と、地元の復興支援団体の呼び掛けに応じて全国各地から集まったボランティアが合同で、海沿いの土砂を熊手で掘り起こすなどして捜索。
 同署によると、市内では現在も住民236人の行方が分かっていない。

大震災発生から2年10か月、気仙沼市で合同捜索

 東日本大震災の発生から11日で2年10か月です。宮城県気仙沼市では、行方不明者の手がかりを求めて、警察とボランティアが合同で捜索を行っています。

 気仙沼市の海岸では、黙とうが捧げられたあと、警察官やボランティアら80人余りで捜索に取りかかりました。気仙沼警察署では、毎月11日を行方不明者の集中捜索日としていて、熊手などを使って砂をかきわけながら、行方不明者の手がかりを探しました。

 「きっかけみたいな、何でもいいから見つかったらいいなと思う」(東京からのボランティア)

 東日本大震災では、関連死を含めて1万8800人が亡くなり、今も2640人が行方不明になっています


宮城・気仙沼で不明者捜索 震災から2年10カ月

 東日本大震災から2年10カ月を迎えた11日、宮城県警は同県気仙沼市の海岸線で、行方不明者を捜索した。

 冷たい風が吹きつける中、14人の気仙沼署員と、関東などからのボランティア68人が、海に入って岩場を調べたり、浜の砂を掘り返したりして手がかりを捜した。京都市山科区から参加した松尾典子さん(42)は「行方不明者の手がかりや、思い出の品でも何か見つけたい」と話した。

 警察庁によると、震災による行方不明者は10日現在で岩手、宮城、福島の3県を中心に2640人いる。(力丸祥子)


兵庫)あの日を刻んでぐ肪飴圈(れた石鳥居

 伊丹市の山田高皇産霊(たかみむすび)神社の一角に、子どももくぐれないほど背が低い石の鳥居が二つ、並んで立っている。傍らの碑には「石鳥居崩壊の碑」とある。

 阪神大震災の揺れで当時の鳥居は崩れ落ちた。破片は境内の隅に置かれていたが、「放置したままでは何で壊れたのか忘れ去られてしまう」との声が上がり、1999年、氏子総代たちが破片を組み合わせ、小さな鳥居を作った。

 今年の元日、普段は人通りの少ない神社が、初詣の家族連れでにぎわった。碑の前で立ち話していたのは、近くに住む三村幸男さん(69)と孫の高校2年生、市村恵大さん(17)。碑の説明から始まった三村さんの話は、震災当日の記憶になった。

 震災の朝、寝ていた家族が倒れた家具の下敷きになりかけたことや、家の玄関の扉が開かなくなったことなどを話すと、市村さんが興味深そうにうなずいた。「生まれる前に、自分たちの家族の身に起きたことを、おじいさんから直接聞けてよかった」(恒成利幸)

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Phの本をもらいました・・・2冊目です

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TheTenmonkan20131130Quel plasir de vous voir !
あなたにお会いできるなんて、うれしいわ!
Quel dommage que tu n'aies pas pu assister au concert hier soir !
昨日のコンサートに来られなかったなんて,残念だったね!
quel + 名詞 + de + 不定法 「なんて〜なのだろう」

KYセンターのHyさんからPhの本をもらいました.4月から使うとのことです.昨日もらった本と合わせて2冊です.
今日は金曜日ですが,ジツジツはすでに終わっています.発表会なのですが,最初部屋を間違えてしまいました.
ABC/EX系「明石家さんまのコンプレッくすっ杯SP」 を見ました.貧乏代表の風間トオルとデカ女代表の和田アキ子が面白かったです.

元気届けた製造業、低迷 (阪神大震災19年)

 17日で発生から19年になる阪神大震災。社会にどんな影響を与え、経済や暮らしはどう変わったのか。復興の歩みと現状、課題を2回に分けて探る。

 被災地の復興を引っ張った一つが、鉄鋼や造船などの製造業だった。だが、19年たった今、撤退や休止の動きが相次いでいる。

 神戸製鋼所は昨年5月、被災から2カ月半で再開にこぎつけ、「産業復興のシンボル」と呼ばれた神戸製鉄所の高炉を2017年度に休止すると発表した。鉄の製造は別の製鉄所に集約され、神戸製鉄所からは高炉がなくなる。

 「自動車生産の海外移転と国内人口の減少で、鉄の国内需要はもう伸びない。輸出しても安価な中国産と競争になってしまう」と藤井晃二所長(55)は話す。

 川崎重工業は08年のリーマン・ショックによる貨物船の需要減などの影響を引きずる。昨年末、神戸工場で最新型のばら積み運搬船が進水したが、今年の秋になるまで次の進水式の予定は入っていない。三菱重工業の神戸造船所は12年に民間船の建造から撤退した。

 日本銀行の鉢村健・神戸支店長は「首都圏は産業の先導役が非製造業に移ったが、神戸は震災後も製造業の比率が高く、円高やリーマン・ショックの影響を強く受けた」とみる。

 こうしたなか、社員の暮らしを守るための努力と工夫が続く。

 自動車エンジンなどに使われるゴムベルトを製造する三ツ星ベルト(神戸市長田区)は生産の7割以上は海外に移った。だが、震災時にボランティアが集まるための目印になった高さ40メートルの広告塔を補修し、その下で防災訓練をして若手社員に震災の経験を伝える。神戸事業所長の保井剛太郎さん(62)は「震災で地域との共生が大事だと思い知った。そのことを社員たちに知ってほしい」と話す。

 OKAMURA(同市兵庫区)は造船所の下請けから事業転換を繰り返し、今はアジアで水処理システムを売り込む。社長の岡村武和さん(59)が父から会社を継いで30年あまり。「復興とは震災前に戻ることではなく、新たな産業を創出することなんです」

 神戸市は「医療産業都市構想」を掲げ、ポートアイランドに企業や研究所を誘致。約260社が進出し、約5800人が働く。しかし、ベンチャーと中小企業が多く、次の「成長エンジン」となるかは未知数だ。

 次回は被災地の暮らしと行政の課題を取り上げる。(三嶋伸一)

 ■「生活、一瞬で原始時代に」

 1995年1月17日午前5時46分。兵庫・淡路島北部を震源とするマグニチュード(M)7・3の直下型地震が襲った。淡路島、神戸市、同県の芦屋市と西宮市などで気象庁観測史上初となる震度7を記録した。

 阪神間の広い範囲で住宅やビルが倒壊。商店や小さな工場が立ち並ぶ神戸市長田区を中心に同時多発火災が起きた。阪神高速道路神戸線は635メートルにわたって倒れ、車の運転者ら14人が死亡。戦後の日本の成長を支えてきたインフラ(社会資本)の「安全神話」を根底から揺るがした。

 「都市機能が瞬時にして壊滅してしまいました」。当時、神戸市の広報課長だった桜井誠一さん(64)は振り返る。停電は大阪府内も含めて約260万戸に上り、水道、ガス、道路、鉄道といったライフラインが壊滅的被害を受けた。学校などに避難した人は最大約32万人。「生活は一瞬にして原始時代に戻ったかのようでした」

 こうした状況に全国から市民が駆けつけ、95年は「ボランティア元年」と呼ばれた。98年にはNPO法が成立。その後、被災者生活再建支援法ができ、緊急消防援助隊や災害派遣医療チーム(DMAT)も各地に組織されていった。

 大都市を襲った地震は1923(大正12)年の関東大震災以来、72年ぶりだった。県内で被災した10市10町(当時)の人口は1年余りで16万人減ったが、市街地再開発の早期決定や鉄道網の復旧で2001年までに震災前の水準に戻った。

 一方で、神戸市は震災後に生まれた人や市外からの移住者の割合が市民の4割を超えた。桜井さんは「震災を体験した人が減り、復興住宅のあり方などについて市民全体で議論になりにくくなっている」と話す。

 ■復興の歩み

1995年1月17日 阪神大震災発生

   3月 神戸市が市街地再開発を都市計画決定、市営地下鉄も復旧

   4月 阪神・淡路大震災復興基金設立。JR神戸線と山陽新幹線が復旧

   6月 阪急、山陽、神戸、阪神電鉄が復旧

   8月 仮設住宅4万8300戸が完成

   12月 神戸ルミナリエが開かれる

1996年9月 阪神高速神戸線復旧

1997年3月 神戸港復旧

1998年4月 明石海峡大橋開通

2000年1月 仮設住宅の入居者がゼロになる。翌月に政府の阪神・淡路復興対策本部が解散

2001年11月 兵庫県内の被災10市10町(現12市)の合計人口が震災前を上回る

2002年4月 「人と防災未来センター」が神戸市に開館

2005年3月 兵庫県が阪神・淡路大震災復興本部を廃止

2006年2月 神戸空港開港

2013年3月 神戸市と兵庫県が借り上げ復興公営住宅の返還期限後の入居継続条件を発表.


兵庫)あの日を刻んで神戸市中央区 損傷した橋脚

 むきだしになった鉄筋、縦横に走るひび割れ。痛々しい姿になったコンクリートの塊が、神戸市中央区に保存されている。国道2号「浜手バイパス」に使われていた直径約3メートルの橋脚だ。

 阪神大震災の大きな揺れで、阪神高速3号神戸線は倒壊。同じ高架橋の浜手バイパスも、倒れはしなかったものの、72基あった橋脚のうち58基が損傷した。当時の耐震設計基準では安全なはずだったが、阪神大震災の揺れはその基準をはるかに超えた。

 バイパスの復旧工事を担当した兵庫国道事務所の森内利臣副所長(58)は、「安全と早期復旧の二つの目標の間で、阪神規模の震災でも耐えうる暫定的な耐震基準で設計しました」。

 翌年、耐震設計基準は全面的に改定され、かつての基準で作られた全国の高架橋には補強工事が施された。中越沖地震や岩手・宮城内陸地震はもちろん、東日本大震災の揺れでも、保存されている橋脚のように大きく傷つく例はなくなった。(恒成利幸)


東京都知事選―多彩な候補を歓迎する

 2月9日の東京都知事選に向け、候補者がようやく出そろいつつある。

 舛添要一元厚労相や宇都宮健児前日弁連会長らが立候補の意向を表明したほか、細川護熙元首相も出馬を考えていることが明らかになった。

 巨大な首都のかじ取り役を決める大事な選挙だ。多彩な候補が名乗りを上げることは歓迎したい。

 舛添氏は自公政権で厚労相を務めたが、2009年の野党転落後に「自民党の歴史的使命は終わった」と離党届を出し、除名された。昨年の参院選は出馬を断念。ただ、世論調査の「首相にしたい政治家」の常連だったこともあり、今回も早くから有力候補とされてきた。

 一方、93年に非自民連立政権の首相となった細川氏には、民主党が立候補を働きかけている。細川氏には「脱原発」を争点化する狙いがあり、同じ考えの小泉元首相との連携を模索しているという。

 実現すれば最大の電力消費地・東京で、エネルギー政策が大きな争点に浮上する可能性もできてきた。脱原発は宇都宮氏も掲げているが、元首相が訴えるインパクトは大きい。東京の都市計画や人々の価値観、ライフスタイルに関わる重いテーマである。

 課題はこれだけではない。

 2010年から40年にかけて都民の高齢化率は20%から34%に上がると推計されている。この高齢化にどう対応するのか。

 20年東京五輪へのインフラ整備と、30年以内に70%の確率で起こるとされる首都直下地震への備えをどう両立させるか。

 暮らしに直結する問題が論じられなければならない。

 都知事選は政党にとっては鬼門だ。支援する候補を決めても、著名人が後から名乗り出て圧勝する。こんなパターンが、95年に青島幸男氏が当選して以来たびたび起きた。

 有権者が1千万人を超え、政党の組織力だけでは勝ち目がないという特殊事情はある。とはいえ、知名度頼み、風頼みの選挙を重ねていては、やがて都政の劣化を招くだろう。

 青島氏は、公約の世界都市博中止こそ実現したが、その後は精彩を欠いた。石原元知事は、4期目の途中で国政に転じた。そして猪瀬前知事の金銭スキャンダルだ。

 今の東京に、任期途中での知事交代を繰り返す余裕はない。

 知名度に踊らされることなく、政策をじっくりと吟味する。有権者の側も、こんな態度を養いたい。


年のはじめに考える 子どもたちを泣かせない

 原発事故の被災地で、子どもたちは大人たちの不安を小さな体で受け止めています。のびやかさを取り戻すために、外からも息長く見守り、支えたい。

 昨年十二月半ば、福島県南相馬市原町区の「みなみそうまラーニングセンター」はクリスマスを楽しむ子どもたちの歓声に包まれました。センターは東日本大震災の翌年春、地域の子が放課後を過ごす場として大阪のNPO法人「トイボックス」が開いた施設です。

 指導員に手伝ってもらいながら大鍋いっぱいにカレーを作り、ゲームをしたり、プレゼントをもらったり。「今は落ち着いて過ごせるようになりましたが…」。代表の白井智子さん(41)は子どもたちの変化を振り返ります。

◆子どもの居場所つくる

 大阪でフリースクールを運営する白井さんが、遠い南相馬市にセンターを開いたのは、震災後に地元の学童保育を訪ねたとき、「子どもたちの様子がおかしい」と聞いたことがきっかけでした。

 福島第一原発事故で、市域の大半が原発から三十キロ圏にある南相馬の市民の多くは市外や県外に避難しました。仕事を残した家族は少しずつ地元に戻ってきましたが、避難生活で大きなダメージを受けたのは子どもたちでした。

 中でも、発達障害があり、自己表現の苦手な子は環境が一変した避難先で状態を悪くしていました。地元に帰っても、通い慣れた特別学級や学童保育が閉鎖されたりして、居場所を失っていました。

 津波で家族や友人を失ったり、家を流されたり、計り知れない傷を負った上に、戻ったふるさとが外遊びも思うようにできない、安らげる場でなくなっていた。そんな子らをケアする場が必要だと白井さんは感じたのです。

◆大人の心を映す鏡

 今、小学生を中心に、二十二人が通っています。初めは、すぐに大声を出したり、けんかを始めたり、返事をしなかったり。それも大人たちの心の鏡だったと白井さんは言います。先の見通しの立たない大人の不安をそばで感じても子どもたちは言葉でなく、行動や態度でしか表せなかったのです。

 なお十四万人が故郷を離れている福島県で暗い影を落としているのはもちろん、収束の見通しが立たない原発事故です。直接的な放射能被害だけではありません。長期避難のストレスが心をむしばみ、仮設住宅に暮らすお年寄りに認知症の症状が出たり、働き盛りの中高年がうつ状態になったり。自ら命を絶つ人も増えています。

 コミュニティーは崩壊し、原発からの距離によって線引きされる東京電力の賠償金が地域を引き裂く問題も深刻になっています。慰謝料を手にした人が「金があるから働かなくなった」と陰口をたたかれたりもする。

 放射能の不安におびえて避難を重ね、国の救済策に振り回される大人の社会のいらだちや傷が子どもたちの世界に跳ね返るのです。

 文部科学省の調査では震災翌年の二〇一二年度、全国の小中学校で不登校の児童生徒が減る中で、福島県では前年より5%増えました。高校生の場合は二割以上も増えている。震災と原発事故で県内の児童生徒は減っているのに、不登校は震災前の水準を上回っているのです。

 震災・原発事故から三年を迎える被災地の支援は正念場です。ケアを必要としている子は多く、白井さんは今春、南相馬に二カ所目を開設します。ボランティアも各地から福島に駆けつけています。

 学童保育の増設は直接には子どもへの支援ですが、不安のなかで子どもを育てる親も支えます。子どもを安心して預けられた分、心に余裕が生まれる。つらさや悩みを分かち合う場にもなる。除染やインフラ整備だけでなく、見えにくい心のケアなどにも細やかな支援が講じられるべきです。

 政府は東京電力に除染などで巨額支援を決め、原発再稼働へと方針転換させようとしている。事故の収束と処理こそが先決です。

◆被災地に眼差(まなざ)し向け

 開発の波が押し寄せた一九七〇年代、大分県中津市の作家松下竜一さんは地元の火力発電所建設に反対し、公害に苦しむ町の子どもたちに「むげのうて(かわいそうで)ならん」と胸を痛めていました。子どもたちを犠牲にしないと覚悟しました。

 あしたも友だちに会えるかな。楽しく遊べるかな。勉強できるかな。ささやかな日々の願いが安らぎの中で果たされて、子どもたちはのびやかに育ってゆける。

 復興は急がれなければなりませんが、子どもたちを泣かせないためにも親や大人たちを孤立させない。私たちもまた被災地に眼差しを向けていくことが、町の復興を支える一歩になると信じます。

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昼しんどいです/ブックマーク整理/桐生一章が撮るパレスチナ

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Jigenryu_131130[...] comme si dans ces couloirs dérobés au jour, il n'était permis à personne de s'arrêeter plus d'un instant.
あたかも日の光を浴びることのないこの回廊では誰も一瞬以上立ち止まることが許されないかのようだ.
「パリのパサージュ」アラゴン『パリの農夫 Le paysan de Paris』(1926)

鹿児島の示現流です.

ブックマーク整理しました.ずいぶん前のものもあってリンク切れになっているのも結構ありました.
梅田の「桐生一章が撮るパレスチナ」に行きました.Yaさんが私のことを覚えてくれていたのが嬉しかったです.

京都で雪が降ったそうです.大阪では降っていません.

兵庫)あの日を刻んで⊃生融堋硬超茵.リスト像

 神戸市長田区海運町のカトリックたかとり教会に「奇跡のキリスト像」と呼ばれる像がある。震災の火は街を焼き、教会に迫った。火は、両手を広げるキリスト像の後ろで止まった。

 キリスト像は、難民として船で日本に渡ってきたベトナム人たちが建てた。祖国に制作を依頼し、同じ道をたどって船で運ばれてきたキリスト像は、たちまち彼らの心のよりどころになった。震災はその3年後に起こった。

 建立にかかわったトラン・ホウ・タイさん(54)は「震災で家が傾いて、近くの公園で約3カ月間テント暮らしをしたが、キリスト像を見ればものすごく安心した」と話す。

 日曜日の朝、教会に集まってきたベトナム人たちは、キリスト像の前で十字を切ったり頭を下げたりして礼拝堂に入っていく。震災後の区画整理で散り散りになったが、遠くの人は車で、近くの人は自転車でやってくる。奇跡のキリスト像が、ベトナム人たちの心をつないでいる。(恒成利幸)

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朝からしんどい/「想像ラジオ」を読みました

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koń2luxe, calme et volupté
豪奢,静けさ,そして悦楽
川竹英克先生の好きなフランス語だそうです.

今日は朝からしんどい.昨日から想像ラジオ(いとうせいこう)を読んでいるせい???
お昼に食べたくもないのにグレープフルーツを買って無理に食べました.そのせいでお腹の調子が変です.
夜,スーパーでお惣菜が半額.いつもは30円引き.雨だから???

震災がれき 岩手90%宮城96%処理 福島は62%止まり

 東日本大震災で発生した震災がれきの処理が進み、昨年11月末時点の進捗(しんちょく)率は岩手県で90%、宮城県で96%となった。宮城では近く可燃物の焼却を完了、焼却灰埋め立ても含めた全作業を3月末までに終える予定。環境省は、両県のがれき処理を2013年度中に終える政府目標の達成にめどが付いた、としている。
 一方、政府が年度内処理を断念した福島県の進捗率は62%。東京電力福島第1原発事故の影響で仮置き場の確保が難航したことなどが要因で、岩手、宮城と比べ大幅に遅れている。
 環境省によると、3県の震災がれきの推計量は岩手388万トン、宮城1102万トン、福島171万トン。宮城で木くずなど可燃物を処理する焼却炉が稼働しているのは石巻市のみとなり、1月中旬に作業を終える見通し。岩手でもほぼ終了しつつあるという。
 宮城ではこれまで、沿岸部に仮設焼却炉を29基設置し、1日最大約4650トンを焼却。がれき分別施設も増やして処理を急いできた。岩手は可燃物の一部を東京都や大阪市などへの広域処理で対応してきており、「県外自治体の協力で順調に進んでいる」(廃棄物特別対策室)という。
 がれきとは別に、津波で運ばれた土砂などの津波堆積物は、岩手が推計152万トンのうち84%、宮城は769万トンのうち91%の処理を終えた。ほぼ全量を、土地のかさ上げや防潮林の土台などに再利用する方針だ。
 福島は、津波堆積物166万トンに対し処理済みが40%。環境省は「原発事故の影響がある。14年度のできるだけ早い時期に終わらせたい」としている。


20年東京五輪 「復興貢献せず」5割超 仙台市民調査

 2020年の東京五輪について東日本リサーチセンター(仙台市)が仙台市民を対象に意識調査したところ、50%超が「東日本大震災の被災地復興につながらない」と考えていることが分かった。一方で、開催自体には75%が賛成しており、同社は「仙台市民は五輪の影響を冷静に見ている」と分析している。
 アンケート結果はグラフの通り。「五輪開催が復興につながるか」を尋ねると、「つながらない」と「どちらかと言えばつながらない」は合わせて54.8%に上った。「つながる」と「どちらかと言えばつながる」は計44.7%にとどまった。
 東京五輪開催の賛否では「賛成」と「どちらかと言えば賛成」の合計が74.5%。「反対」と「どちらかと言えば反対」は合わせて25.5%だった。
 東日本リサーチセンターは「五輪開催はうれしいが、復興とは別物と考えているのだろう。被災地が利用されている、という見方もあるのでは」とみている。
 五輪開催に賛成する理由(複数回答)は「日本の景気回復につながる」「将来の夢や希望が持てる」などが多かった。反対の理由は「五輪の前に被災地の復興を優先すべきだ」「福島第1原発の処理を優先すべきだ」「復興に必要な土木・建築作業員が不足する」など、復興への悪影響を懸念する声が多数を占めた。
 アンケートは10月、仙台市内の20〜60代の男女計1000人に調査員が用紙を渡し、直接回収した。


原発輸出―立法府から再考促せ

 安倍首相がトルコのエルドアン首相と会談し、日本からトルコへの原発輸出を進めることを確認した。

 経済浮揚につながるとして原発輸出に前のめりな安倍政権だが、過酷事故が起きれば被害は一国とどまらず、日本も責任を負わせられかねない。

 さらに、使用済み核燃料の最終処分や管理方法の確立といった国際課題がある。加えて、日本とトルコとの原子力協定は核燃料サイクルをめぐる記述すらあいまいだ。

 協定の発効には国会の承認がいる。与野党の議員は立法府の責任として、政府に再考を促すべきだ。

 トルコとの原子力協定で問題視されているのは、ウラン濃縮と、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理に関する記述である。将来的にトルコが「できる」余地を残す文面となっている。

 いずれも核兵器の製造にもつながりかねない技術だけに、国際社会はきわめて神経質に対処してきた。

 今回、協定が発効したとしても、トルコが簡単に再処理できるわけではない。先の国会でも岸田外相が「日本として認めない」と答弁している。

 にもかかわらず、不明瞭な記述となったのは、「肯定的な表現」を求めるトルコ側の要望を受けてのことだという。

 ごく一部の国に限られていた原発の利用は、ここにきてエネルギー不足に悩む新興国に広がっている。安倍首相がトップセールスで原発を売り込んでいる先も新興国ばかりだ。

 原発開発を急ぐ国々には、政情不安な地域や非民主的な政治基盤のところが少なくない。安易に原発を売り込み、相手の求める内容で協定を結べば、核不拡散への国際的な取り組みは難しさを増す。

 ただでさえ、国際原子力機関(IAEA)による従来型の査察は強制力に欠けるなどの限界が指摘されている。

 日本自体、核燃サイクルは頓挫しており、海外への再処理委託で大量に積み上がった余剰プルトニウムの確実な処理が国際的な関心事となっている。

 まずは、足元の問題解決に専心し、放射性廃棄物の管理や処分をどうするかという国際課題に正面から取り組む。それが、安倍政権の責務だろう。

 野党はもちろん、自民党内にも拙速な原発輸出や協定発効に対する慎重論があるという。政局絡みのかけひきに陥ることなく、与野党協力して立法府の良識を示してもらいたい。

再処理工場申請 核燃政策の限界認めよ

 日本は、使用済み核燃料を再処理し、取り出したプルトニウムを再び燃やす核燃料サイクルを国策としてきた。その要となる再処理工場(青森県六ケ所村)などについて、日本原燃が新規制基準に基づく安全審査を原子力規制委員会に申請した。今年10月の工場完成を目指すという。

 政府も、今月閣議決定される新たなエネルギー基本計画素案で、核燃料サイクルを「着実に推進する」とし、稼働を後押ししている。

 しかし、安全性、経済性、核不拡散、いずれの観点からも核燃料サイクルには問題がある。脱原発依存を進めるなら必要ない。政府は核燃料サイクル政策に幕を引き、再処理工場も稼働させるべきでない。

 再処理工場は1993年に着工された。97年に完成予定だったが、トラブルが重なり、完成時期は20回も延期された。当初見込んでいた約7600億円の建設費も約2兆2000億円に膨らんでいる。

 大量の放射性物質を扱うため、新規制基準は原発と同レベルの地震・津波対策や過酷事故対策、テロへの備えを義務付けた。原燃は追加対策費を約300億円と試算する。

 再処理工場など原子力施設が集中立地する下北半島の沖には「大陸棚外縁断層」(延長85キロ)が南北に走る。原燃などは断層の活動性を否定しているが、規制委は独自に下北半島の地下構造を調査中で、更なる対策を求められる可能性もある。

 稼働にこぎつけても、取り出したプルトニウムを燃やすあてがない。

 プルトニウムを燃やす高速増殖原型炉「もんじゅ」は、機器の点検漏れが発覚し、規制委から運転再開準備が禁止されたままだ。通常の原発で燃やすプルサーマル計画も、現状では見通せない。

 核兵器の材料となるプルトニウムをためこむばかりでは、国際社会の懸念を招く。テロの脅威も増す。

 核燃料サイクルの経済性にも疑問がある。原子力委員会の小委員会は一昨年、使用済み燃料の全量直接処分が全量再処理や再処理・直接処分併用よりも安上がりだと評価した。

 核燃料サイクルを放棄すると、再処理を前提に使用済み核燃料を受け入れてきた青森県の反発が予想される。当然だ。国が前面に立って、関係自治体や国民に説明を尽くし、解決策を探るしかない。

 日本では使用済み核燃料の多くがプールで貯蔵されているが、空冷式の金属容器に入れて保管する「乾式貯蔵」はより安全性が高い。最終処分までのつなぎとなり得る。

 核廃棄物を原発立地地域任せにせず、原発の受益者である電力消費地も一定の負担をする必要があるのではないか。そんな議論も深めたい。


独仏の影薄く、中国も陰り…… いえ、第二外国語の話

 大学の第二外国語で、かつては主流だったドイツ語やフランス語の影が薄くなっている。中国語を学ぶ学生が増え、“二外”を必修としない大学も増えた。だが、中国語人気にも陰りが見えてきたという。

 ■不人気の理由「投資不適格」

 「第二外国語の代表選手だったドイツ語やフランス語は『生活に必要』と言い難く、将来の職業生活への投資にならない」。西山教行・京都大教授(言語政策)は昨年末に京大であった研究会でそう指摘した。

 ドイツ語の場合、旧制高校時代から長く、文科系の学生だけでなく理科系の学生の多くにも「必要」とされ、学ばれてきた。京大では2000年代になっても履修する1年生は1千人台を維持し、英語以外の外国語で最も多かった。

 それが09年度になって千人を割った。10年度には初めて中国語(1048人)に抜かれた。西山教授は「多くの大学では90年代後半から中国語がトップになっていったのではないか」。

 ■「役立ちそう」期待を背負う

 文部科学省は全国の大学の外国語別の履修者数は把握していないが、各言語をいくつの大学が教えているかは調べていて、英語以外では中国語が03年度にドイツ語を抜いてからずっと首位。日本独文学会の12年の全国調査では、ドイツ語履修者数は中国語の3分の2にとどまっていた。

 米井巌・日本大教授(ドイツ語教授法)は、91年の大学設置基準の緩和で第二外国語を必修にしない大学が増え、ドイツ語の履修者は半減した、とみている。「ドイツ語教員はそれまで思想や哲学に重点を置きがちで、中国の経済成長に後押しされ『経済言語』として台頭してきた中国語とは勝負にならなかった」

 各言語の研究者が集まって12年に英語以外の6言語を学ぶ学生にアンケートし約1万7千人の回答を分析したところ、中国語は「役に立ちそう」という期待がもっとも強かった。

 ただ、NHK外国語講座(テレビ)のテキストの売れ行きをみると、英語以外では韓国語が一番人気だ。13年度でこれまでに中国語が最も売れた月でも14万部だが、韓国語は24万部。

 早稲田大教育学部では、07年度に中国語を学んだ1年生は541人とドイツ語やフランス語の倍近くいたが、09年度は400人を割った。中国語教育を担ってきた村上公一・同学部長は「冷凍ギョーザ事件やチベット暴動の影響で、尋常じゃない減り方にショックを受けた」と振り返る。

 ■日中関係悪化、履修者が減少

 10年度に500人台に戻ったが、13年度は400人台。村上学部長は日中関係の悪化が原因だとみており、「中国語の履修者数は政治・経済情勢に影響を受けやすい。離れた学生はスペイン語に流れている」。13年度にスペイン語を学んだ1年生は前年度比4割増の342人で、ドイツ語やフランス語を上回った。

 京大でも12年度に中国語の履修者が減りドイツ語に抜き返された一方、スペイン語は右肩上がり。13年度に履修した1年生は10年前の3・7倍にふくらんだ。

 京大の西山教授は言う。「学生はそのときの気分や実利面で第二外国語を選ぶ傾向が強くなったが、多様な文化や人びとと接する窓口として第二外国語を学ぶのだと考えてはどうか」

 (河村克兵)


兵庫)あの日を刻んで\承椹埒棲敖 割れた壁

 「がんばれ 東日本大震災」「地球にうまれてよかったね」「てくてくてくてく歩こう」

 西宮市神楽町の保育園などが入る施設「みんなげんきジム」は、阪神大震災で割れたコンクリートの壁を、今も残している。震災を直接知らない子どもたちや、震災の記憶が遠ざかりつつあるスタッフたちが10年以上前から、1月17日が近づくと、ひび割れた壁にメッセージを書き込み、カラフルな風船などの絵を描いている。

 同園代表の米田和正さん(64)は、「人間は本当に忘れる。でも、この壁があることで、あの日のことを忘れない」と話す。

 米田さんは震災発生後すぐ、施設に住んでいたニュージーランド人のスタッフらと、住宅の下敷きになった人を救出したり、妻の美紀子さん(63)が息をしていない老人に心臓マッサージをしたりした。

 鉄筋3階建ての施設は亀裂が入る程度で無事だったが、周辺の木造住宅は9割以上、鉄筋住宅は半数近くが全半壊し、住めなくなった。そんな人たちに「うちの施設を避難所にします」と大きな声で呼びかけ、開放。夜は泥棒や火事の警戒で巡回もした。

 一番多い時で、40人ほどが約1カ月間、一緒に生活した。温かい食料を分け合ったり、看護師だった人がケガをした人の手当てをしたり。互いに思いやり、協力し合う日々だったという。

 子どもたちが毎日通り過ぎるひび割れた壁が語り継ぐのは、悲しい記憶だけではない。震災で知った、地域のつながりの大切さも伝えている。

   ◇   ◇   

 県内に大きな被害をもたらした阪神大震災から、まもなく19年がたつ。復興した街に残る、被災の記憶をとどめるものと、それにまつわる人々の思いを5回にわたって紹介する。(恒成利幸)


ボランティア割引実現を 17日、働き掛ける会発足

 阪神・淡路大震災から丸19年の17日、専門家や東日本大震災の被災者らでつくる「災害ボランティア割引制度を実現する会」(仮称)が神戸で発足する。災害時にボランティアが使う交通機関・宿泊施設の割引を国や企業に提案。高い旅費や宿泊費で参加を断念する人を減らし、災害時の「助け合い」を促す。(上田勇紀)

 全国社会福祉協議会によると、東日本大震災が起きた2011年3月〜13年11月に岩手、宮城、福島県で活動したボランティアは132万7600人。阪神・淡路の同時期比で約40万人少ない。

 世話人代表のひょうごボランタリープラザ(神戸市中央区)の高橋守雄さん(65)は「直後は大学生も多く参加したが、費用がかさみ、行きたいけど行けない、というのが本音だ」と指摘する。

 提案するのがボランティア割引制度。被災地の社会福祉協議会で発行される活動証明書などを示せば、交通機関やホテル、旅館が割引になる仕組みだ。

 兵庫県は東日本大震災後、内閣府に割引制度導入を提言したが、国の動きは見えない。高橋さんは「阪神・淡路が起きた1995年はボランティア元年。神戸から実現を後押しすることは私たちの使命だ」と語る。

 実例はある。JR東日本は東日本大震災直後の11年5〜6月、条件なしに東北新幹線の東京行き自由席を半額にした。13年11月には台風26号で被災した伊豆大島に船便を出す東海汽船が、証明書を持つ人に島からの復路を3割程度値引きした。

 「制度化で『ボラ割』が当たり前になる社会に」。高橋さんは割引した企業などに国が助成するよう要望。宮城県名取市の自宅を津波で失い、仮設住宅で暮らす長沼俊幸さん(51)らも賛同する。「毎月のように来ていた学生ボランティアが年に2回しか来られなくなった。それも自費。実現すれば住民も喜ぶ」と話す。

 高橋さんは8日、全国災害ボランティア議員連盟の会長を務める長島忠美衆院議員(元新潟県山古志村長)と面会し、支援を要請する。17日には長沼さんや神戸の学生ボランティアを招き、設立総会を開く。

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Belle Epoque → PAPPARE/ミルクティーが美味しい

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Satsumamuso131130Il se comporte s'il savait plus de choses que tous les autres.
彼は他のだれよりも物知りであるかのように振る舞う.
Elle s'habille comme si elle sortait tous les soirs.
彼女は毎晩まるでおでかけするような格好をしている.

comme si + 半過去 「あたかも〜のように」

鹿児島のさつま無双です.いも焼酎を結構飲んだんですよ・・・

今日は七草粥の日です.セリ,ナズナ,ゴギョウ,ハコベラ,ホトケノザ,スズナ,スズシロです.でもおかゆを食べたわけではありません.
しのの後フレンチレストランのBelle Epoqueに行くと・・・ガーン.去年の12月で閉店だそうです.ショックですが,仕方ありません.京阪の駅近くのイタリアンに行くと定休日で,困っていた時に目に入ったのがPAPPAREというピッツアのお店.石釜ナポリピッツアランチを頂きました.ピッカンテ (piccante ??)という自家製の辛いオリーブオイルをかけて食べます.美味♪だいぶゆっくりとしたお昼になってしまいました.

もらった紅茶でミルクティーを作って飲みました.お砂糖いれていないのに甘い感じがします.

nanohana1311302012年1月28日の天声人語を見ます.「防災マイクからの声」と題してあります.

 東日本大震災のあと、数多くの言葉が紡がれてきた。印象深かったひとつが、詩人高良(こうら)留美子さんの一作だ。「その声はいまも」の冒頭を引く▼〈あの女(ひと)は ひとり/わたしに立ち向かってきた/南三陸町役場の 防災マイクから/その声はいまも響いている/わたしはあの女(ひと)を町ごと呑(の)みこんでしまったが/その声を消すことはできない〉。津波を擬人化した「わたし」。「あの女(ひと)」とは、最後まで避難を呼びかけた宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さんのことだ▼その遠藤さんが、埼玉県の道徳の副読本に載るそうだ。県が独自に作り、この4月から公立の小中高校で使われる。その教材に「天使の声」と題して収録されるという▼あの日、被災地では、それぞれの使命を果たそうとした人たちが尊い命を落とした。警察官や消防署員、消防団員もいた。遠藤さんのいた防災対策庁舎では41人の町職員らが亡くなった。個々の気高さを示しつつ、やはり痛恨のできごとには違いない▼道徳にせよ報道にせよ、美談にとどまるなら死者は浮かばれまい。高良さんの詩は、ひとりの女性への静かな敬意に満ち、人間が自然への畏怖(いふ)を忘れてきたことへの悔悟が流れている。美談を超えていく言葉の勁(つよ)さがある▼こう結ばれる。〈わたしはあの女(ひと)の声を聞いている/その声のなかから/いのちが甦(よみがえ)るのを感じている/わたしはあの女(ひと)の身体を呑みこんでしまったが/いまもその声は わたしの底に響いている〉。鎮魂と新生の声が聞こえる。

悲しみが和らいでいることと忘却することは別のことのはずです.東日本大震災を風化させないように思い返していこうと思いました.

原発の安全審査 避難計画の作成が先だ

 昨年末、東北電力が女川原発2号機(宮城県)の安全審査を原子力規制委員会に申請した。東日本大震災の被災地で、原発再稼働の前提となる安全審査の申請は初めてだ。これで、昨年7月の原発新規制基準施行から約半年の間に、7電力会社の9原発16基が申請されたことになる。

 経営状況の改善を理由に電力各社は再稼働を急ぐが、周辺自治体の多くは原発事故に備えて避難の経路や手段を定めた避難計画を作成できていない。法的には、避難計画整備は再稼働の必要条件ではないものの、避難計画なしの再稼働は原発の安全神話を復活させることに等しい。

 政府は、安全審査に加え、自治体の避難計画作成と実効性の確保も再稼働の必要条件だと明言すべきだ。

 最近の世論調査を見ても、多くの国民が脱原発依存を望んでいる。

 ところが、政府が年末にまとめたエネルギー基本計画の素案は原発を「基盤となる重要なベース電源」と位置づけ、将来にわたり一定の規模を確保する方針を打ち出した。規制委の審査で安全性が確認された原発は再稼働を進めるという。

 新規制基準は達成すべき最低限のものだ。安倍政権も原発依存度を引き下げる方針を掲げる。ならば、事故のリスクと共存する中で、原発をどれだけ動かす必要があるかを政府主導で見極め、地震の恐れや老朽化の度合いが高い原発から順次廃炉にしていくのが筋である。

 女川原発は大震災で想定を超える揺れや津波に襲われた。主要機器は健全だったと東北電は言うが、事故への不安から、再稼働に反対する周辺自治体があることもうなずける。

 大震災後、国の原子力災害対策指針が見直され、原発30キロ圏の全国135市町村で、事故に備えた住民の避難計画を作成することになった。

 だが、内閣府の調査(昨年12月2日時点)では、作成済みの市町村は4割にすぎない。安全審査を申請した女川原発と東京電力柏崎刈羽原発では、対象市町村すべてで避難計画ができていない。今年度中に安全審査を申請予定の中部電力浜岡原発でも、作成済みの自治体はゼロだ。大震災による被災や周辺人口の多さなど、避難計画の作成にはさまざまな困難が伴う。

 仮に避難計画ができたとしても、訓練を繰り返して、実効性を確認しなければ意味がない。本来なら、新規制基準で、避難計画の作成を原発稼働の前提としておくべきだった。米国では、避難計画を立てられず廃炉になった原発もある。

 政府は昨年秋から、市町村の避難計画作成の支援に乗り出している。支援の充実を図るとともに、でき上がった避難計画の妥当性をきちんと評価する必要がある。

香山リカのココロの万華鏡:今なお苦しむ多くの人 /東京

 年末に福島県いわき市へ行ってきた。東日本大震災以来、細々と続ける「自治体職員の心のケア」に関係したセミナーを開催したのだ。自治体職員は大震災が発生してからというもの、十分な休みも取れずに激務をこなしている。特に福島県では原発事故により、多くの住民が避難していたり役場そのものも離れた市町村に移っていたりしていて、職員の疲労も尋常ではない。

 セミナーの前、多くの住民が避難を続けている富岡町や楢葉町などを訪ねた。足を踏み入れられるのは「避難指示解除準備区域」や、立ち入りはできるが避難が求められている「居住制限区域」だ。

 あちこちで除染作業が行われていた。重機や高圧洗浄機を使っている人もいるが、ほとんどの人が手作業で行っている。竹ぼうきやすきのような道具で落ち葉を集めたり土を削ったりしている。広い公園や長い道路でも、作業に携わっている人は数人ずつに見える。これでは1日に作業できる面積は、ごくわずかなはずだ。作業員も一生懸命働いて、ふと顔を上げてまだまだやっていない場所が残っているのを見たら「いったい、いつ終わるのだろう」と、大きな疲れを感じるのではないだろうか。

 もちろん、「いつ終わるのか」と思っているのは作業員だけではない。8万5000人近い避難区域からの避難者は除染作業が終わらないと帰還できない。

 ちょうど私が避難区域を訪れている時に、乗っていた車のラジオから「国直轄の除染について、作業期間を最大で3年間延長すると環境省が発表した」というニュースが聞こえてきた。2012年1月に環境省が示した工程表によれば、11市町村すべての対象地域で13年度中に作業が終了することになっていたのだ。

 日本の10以上の市町村に人が住むことのできない地域、立ち入ることさえできない地域がある。まだ大勢の人たちが避難生活を余儀なくされている。これは毎年の重大ニュースでトップになり続けてもいいほどの問題だ。

 それなのに、「除染作業終了が3年延長」は、その時聞いたラジオニュースのトップではなかった。トップは安倍総理の靖国神社参拝だったのだ。

 世界の中で日本がどうあるべきか。もちろんこれは大切な事だ。しかし、日本の中にも苦しんでいる人や、失望している人が大勢いる。今なお大震災や原発事故の影響の真っただ中にいる人も少なくない。新しい年も、その事は忘れないようにしたいと思う。

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仕事始めです/忘れていた家賃を振り込み/ルポ 貧困大国アメリカ

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sepia131130« Habits, marchand d'habits, ha...bits » avec la même pause entre les deux dernières syllabes d'habits que s'il eût entonné en plein-chant : [...]
「古着,古着屋だよ,ふる〜ぎ」と「古着habits」という語の最後の2つの音節のあいだに間を置くのだが,それはまるでグレゴリオ聖歌において音頭を取っているかのような間の置き方だった.
「失われたパリの呼び声」プルースト『失われた時を求めて À la recherche du temps perdu』(1913-1927)

仕事始めです.でもなんだか仕事しないうちに1日が過ぎたような気がします.朝ネットが不調???と思っていたのですがFirefoxの設定がおかしかったせいでした.高速バスの予約をしました.
12月の家賃を払っていなかったので電話がかかってきました.慌てて振り込みました.ゴメンナサイ.

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書,堤 未果)を借りてきて,一気に読みました.恐ろしい.貧困が軍と関連している.日本もアメリカみたいに格差社会になっているから他人事ではない!! TPPで医療崩壊になるかも???

原発政策―政治の無責任は許されぬ

 福島第一原発の事故に苦しむ日本が、脱原発に向かうのか、それとも元の道に戻るのか。

 今年はその分岐点になる。

 原発の再稼働に対し、新しい規制基準にもとづく原子力規制委員会の最初の判断が、春ごろ示される見通しだからだ。

 これまでに規制委に審査を申請したのは、7電力会社の9原発16基。東海地震の想定震源域にある中部電力の浜岡原発(静岡県)についても、近く申請される予定だ。

■目に余るご都合主義

 歩調を合わせるように、自民党内では「早期再稼働」の声が大きくなっている。

 昨年12月25日には、原子力規制に関する党内チームの座長を務める塩崎恭久衆院議員が規制委に出向き、田中俊一委員長に、もっと国会議員や立地自治体の首長、電力会社らの意見を聴くよう迫った。

 規制委の設置にあたり、民主党政権が出した法案に「独立性が足りない」と詰め寄り、今の形に修正したのは、塩崎氏をはじめとする自民党だ。

 ところが、規制委が活断層の調査や規制基準の策定に厳格な姿勢を見せるや、原発推進派の不満が噴出する。自民党が政権に返り咲くと、影響力を行使しようとする流れが加速した。

 ご都合主義が目に余る。

 自民党の長期政権下で原発の安全神話を増長させ、必要な対策を怠ってきたことへの反省はどこへいったのか。

 ただでさえ、急ごしらえの規制委は人材が不足し、財政面での制約もある。むしろ、そうした態勢面の充実をはかることが政権党のつとめだろう。

 安倍政権は、表面的には「原発比率を下げる」と言いつつ、原発を「重要なベース電源」と位置づけ、規制委の基準に適合した原発は動かす方針だ。

 しかし、規制委が判断するのは科学的な根拠にもとづく最低限の安全確認にすぎない。事故リスクがゼロにならない以上、口先だけではなく、「原発比率を下げる」手立てを総合的に講じるのが政治の役割だ。

 そうした見取り図も示さず、再稼働の判断はすべて規制委に丸投げし、そこへの圧力めいた動きは放置する。なし崩し的な原発回帰と言うほかない。

■採算なき再処理事業

 再稼働への政権の姿勢が原発政策を無責任に「元に戻す」典型だとすれば、「元のままでやり過ごす」無責任の象徴が、使用済み核燃料を再処理して使うサイクル事業の維持である。

 巨額のコストがかかり、資源の有効活用という意義がなくなった核燃サイクル事業は、「撤退」が世界の流れだ。

 政府は、非核保有国として唯一、再処理を認められた事情から「日米による原子力協力」を掲げる。

 だが米国には、日本が海外での再処理によって核兵器数千発分のプルトニウムをため込んでいることが、他国のプルトニウム保有の口実になりかねないことへの強い懸念がある。

 再処理や核拡散問題に詳しい海外の研究者ら5人も、青森県六ケ所村にある再処理工場の稼働中止を求め、それがすぐに決められない場合は長期間棚上げすべきだ、などとする共同提案をこのほど朝日新聞に寄せた。

 「再処理しないと使用済み燃料があふれる」との政府の説明も説得力に欠ける。

 将来、地中に埋めることを前提に、当面は「乾式キャスク」という容器に入れて地上で保管する方法が海外ではすでに確立している。日本学術会議もこの方式を提言している。

■政策転換への機会に

 福島第一原発の事故収束や老朽化した原発の廃炉、代替電源の開発、送電網の再構築など、電力産業が今ほど資金を必要としているときはない。

 一方で、巨額の設備投資を電気料金で確実に回収できる総括原価方式は、廃止が決まっている。巨大な「金食い虫」になることが確実なサイクル事業を続ける余裕はないはずだ。

 政府内では過去にも政策転換が模索されてきた。それが実現しなかった背景には、使用済み燃料を再処理への「資源」として受け入れてきた青森県に「廃棄物の処分場にはしない」と約束してきた経緯がある。

 再処理をやめれば、各原発が青森県から使用済み燃料の引き取りを求められ、原発の稼働に支障が出るという恐怖心だ。

 だが、これだけ大きな原発事故を起こしたのである。切るに切れなかった不良債権を処理する機会にすべきだ。

 もちろん青森県にはていねいに説明する必要がある。乾式貯蔵についても電力消費地を含めた協議が必要だ。必要な費用を誰がどう負担するかなど課題は山積している。それでも、意味のないサイクル事業を続けるより、はるかに建設的だ。

 原発事故の後始末で、国は一歩前へと出る決断をした。原発政策全体についても、責任放棄は許されない。

主治医が見つかる診療所【ダイエットSP 名医が実践!楽に簡単にやせる方法】


草野仁、東野幸治 森本智子(テレビ東京アナウンサー) 梅沢富美男、久保田磨希、原日出子、安めぐみ、ラサール石井(五十音順) 秋津壽男(内科)、上山博康(脳神経外科)、丁宗鐵(漢方、統合医療、未病学)、南雲吉則(癌・乳腺専門、形成外科)、新見正則(外科・漢方)、姫野友美(心療内科)

楽しかった正月休みも終わり…ついつい太ってしまった人も多いのでは?無理なく健康的に痩せたい、そんな願いに役立つ特集をお送りします。 今回はダイエット法の定番「カロリー制限」と、最近注目を集める「糖質制限」、2つのダイエット法を徹底比較!それぞれのメリット、デメリットとは?あなたに合うのはどちらの方法?これを見ればわかります!


あしたをつかめ〜しごともくらしも〜「女川町商工会 買い物代行サービス」

被災地・宮城県女川町で地域の高齢者などの買い物を代行し、宅配するサービスに従事する小川和也さん。社会人サッカーチームに所属し、プロへの夢を追う24歳の今に密着。

社会に出た20代の若者が、どのような思いで働き、生きているのかをドキュメントする「あしたをつかめ」。今回は東北の被災地・宮城県女川町で地域の高齢者などの買い物を代行し、宅配するサービスに従事する小川和也さん。同町の社会人サッカーチーム「コバルトーレ女川」に所属し、プロ選手への夢を抱く24歳だ。被災地で暮らす地域の人々に支えられながら、サッカーへの夢と向き合う小川さんの日々と思いを見つめる。

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ジムに行きました/チョコレートを食べました/腰痛

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couple_Herbis_131220今日もFrench in Action. Leçon 33 et 34を見ました.難しいです.

朝からダラダラしていましたが,お昼ご飯を食べてからジムに行くことにしました.なんだか気分が乗らないのですが,とりあえず運動しました.でも帰ってきてからチョコレートを食べてしまいました.ダメですね.それに今日はジムで失敗して腰が痛くなりました.

主治医が見つかる診療所 冬の突然死を防げ!脳卒中スペシャル

34歳で脳梗塞発症…テレ東女子アナ大橋未歩告白「左顔面マヒ」「死ぬかも…」生死分けた夫の行動▽英国で死者1万人減!救命キーワード▽芸能人脳ドックで腫瘍が

草野仁、東野幸治、森本智子(テレビ東京アナウンサー)
杉山愛、瀬川瑛子、高田延彦、ドン小西、藤田朋子/大橋未歩(テレビ東京アナウンサー)
秋津壽男(内科)、上山博康(脳神経外科)、南雲吉則(癌・乳腺専門、形成外科)、新見正則(外科・漢方)、姫野友美(心療内科)

冬に増加する「脳卒中」…あなたとあなたの家族を守るヒントを徹底紹介!34歳の若さで脳梗塞を発症した大橋未歩アナウンサーが、その一部始終を明らかに。生死を分けたある行動とは…?脳卒中を発症したその時、命を守る重要なキーワード「FAST」を詳しく紹介します。そして、ゲストの藤田朋子とドン小西が「脳ドック」を受診。果たして検査の結果は!?渾身の2時間スペシャル。


NHKスペシャル「みんなの夢まもるため〜やなせたかし “アンパンマン人生”〜」

子どもたちに大人気、アンパンマンの生みの親・やなせたかしが94年の生涯を閉じた。もともとは大人向けの物語だったアンパンマンには、戦争や家族の喪失など、やなせの人生が色濃く投影されている。東日本大震災の際には、その主題歌にリクエストが殺到した。アンパンマンに込められたものは何なのか。ちばてつや、西原理恵子ら人気漫画家たちがやなせのメッセージを読み解き、一青窈は新たなアレンジでテーマを歌い上げる。


地域の平穏祈る象徴に 津波で流された慰霊碑を復元 仙台

 東日本大震災の津波で仙台市宮城野区蒲生の高砂神社境内から流された明治時代の殉職警察官の慰霊碑が地域住民らの手で発見され、現地に復元された。建立は80年以上前で、多くの住民が存在を忘れかけていた。震災後、地域の平穏を祈る象徴として再び注目を集め、神社は「末永く供養したい」と願う。

 仙台東署の地域課員約130人は昨年12月中旬、復元された慰霊碑を初めて訪れ、黙とうをささげた。白瀬勲地域課長は「地域の治安を守るため命を懸けて立ち向かった警察官の遺志を継ぎたい」と決意を新たにした。
 神社などによると、殉職警察官は宮沢式良巡査。1881年(明治14年)5月14日夜、当時宮城野区中野高松にあった同神社に盗みに入った男を捕らえようとして小刀で胸などを刺され、亡くなった。43歳だった。
 慰霊碑は殉職から50年後の1931年、住民有志が「地域を守ってくれた巡査を忘れてはならない」と境内に建てた。高さ約1.5メートルで、仙台港の整備事業に伴い、72年に神社とともに蒲生地区に移った。
 慰霊碑は海から約500メートル離れていたが、震災の津波で根元部分から流された。神社は、社や建物が流失した。
 2012年3月ごろ、住民らが神社周辺を片付け中、がれきの中に埋もれていた慰霊碑を見つけた。損傷はなく、住民らが元の場所に置き直した。神社は11年12月に仮宮を建て、復旧した。
 昨年10月、殉職警察職員慰霊祭に出席した仙台東署の清野薫署長が慰霊碑の話を聞き、町内会長らに存在を確かめた。建立や復元の経緯を知り、ことしから5月の宮沢巡査の命日に毎年参拝することとした。
 神社の小野修宮司(64)は「津波で街は流されたが、歴史は流されることはない。宮沢巡査が復興の行く末を見守ってくれるはずだ」と話した。


年のはじめに考える 憲法を守る道を行く

 安倍晋三政権は今年、憲法改正まで突っ走るのでしょうか。不安がよぎります。選挙の公約とはいえ、本当に国民はそれを受け入れたのでしょうか。

 吉田茂邸が全焼しました。二〇〇九年のことで、神奈川県大磯町に屋敷がありました。日本国憲法が公布、施行されたときの首相で、戦後日本を長く牽引(けんいん)した、「ワンマン宰相」です。

 総ひのき造りで数寄屋風の「吉田御殿」は、多くの人々が「大磯参り」を続けた政治の舞台でもありました。

 炎上のニュースを知って、詩人で作家の辻井喬(堤清二)は「惜しいことに」と感じました。

◆吉田茂が怒っている

 西武百貨店などセゾングループの総帥でもあった人です。吉田死去後に首相の佐藤栄作から「大磯の吉田邸を君のところで買わんか」と頼まれ、「お引き受けします」と即断した思い出があるのです。池田勇人、三木武夫、宮沢喜一、大平正芳ら、首相経験者とも付き合いがありました。

 吉田邸の建物と庭を思い出しつつ、辻井は回顧録「叙情と闘争」(中央公論新社)の中で、こう考えを巡らせていきます。

 <今日の保守政治の堕落にあの世の吉田茂が烈火の如(ごと)く怒っているのではないか(中略)だから燃えてしまったのだ>

 吉田が戦時中、東条英機ら軍閥の無謀な戦争計画を批判して、憲兵隊に逮捕されたことも、辻井は回想します。

 <僕の考えからすれば、平和憲法とその思想を高く掲げることによって独立国家への道を歩むしかないと思うから、その道は細く険しいのかもしれない>

 <憲法九条を変えて軍備を持ってしまうことは、吉田茂の残した宿題に正面から答える道ではないように僕は思う>

 つまり、今の保守政治に「堕落」の烙印(らくいん)を押し、憲法九条の改正に反対する意思表明です。

◆小さな穴から広がる

 安倍政権は憲法改正を公約して誕生しました。自民党の改正草案は、自衛隊を「国防軍」とする名称変更だけではありません。交戦権の否認条項を削除し、国際協力という名のもとに、戦争に参加することが可能な条文です。

 自由や権利についても、「責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とします。明治憲法と同じ留保付きの人権保障なのです。復古そのものです。

 国家権力を縛るのが憲法の役目なのに、逆に国家が国民を縛る改正草案です。先進国の憲法ではありません。

 昨年に強行可決された特定秘密保護法は、この草案中にも「機密の保持」と明記があり、実質的な改正に向け、脈を打ち始めていると考えてもよいでしょう。

 <政治家の系譜を辿(たど)ってみると、吉田茂を源流とする流れと、戦前のナショナリストの流れにいる岸信介の系譜、この二つがあるように僕には見える>

 辻井はそう観察します。岸を祖父に持つ安倍首相がどちらに属するかは自明です。「戦前のナショナリストの流れ」を引き継ぐ政治家が膨張しているようにも思われる今日の政治状況です。

 終戦前に生まれた国会議員は六十八人にとどまり、戦後生まれは六百五十四人にも達します。最高齢の石原慎太郎氏でも終戦時には、十二歳の少年にすぎません。

 東京新聞(中日新聞東京本社)社会部編の「憲法と、生きる」(岩波書店)では、政界引退した自民党元幹事長の古賀誠氏が、自衛隊の海外派遣について警告しています。

 <たとえ小さな穴でも、一つあけば広がっていく。先の戦争のときもそうだった>

 戦争で父を亡くした古賀氏の政治哲学です。彼は「吉田茂を源流とする流れ」にいた一人です。こうした政治家は、今や少数派になったのでしょうか。

 辻井は実業家として、「池袋サンシャインシティ」を開発します。占領下では「巣鴨プリズン」があった場所です。A級戦犯の容疑者として、岸は三年間、ここで幽囚の日々を送りました。

 郷里の山口県から離れる前に、旧制一高の恩師から「自決」を促す短歌をもらいます。でも、岸はこんな歌を返しました。

◆岸信介は「聖戦」の認識

 <名にかへてこのみいくさの正しさを来世までも語り残さむ>

 「みいくさ」とは聖戦です。あの戦争に反省さえしません。安倍首相も国会で「侵略戦争の定義は定まっていない」と答弁しています。祖父から同じ歴史認識を受け継いでいると感じられます。

 辻井は昨年十一月に亡くなりました。彼が「細く険しい」という平和憲法を守る道に、私たちは立ちます。


(天声人語)寒卵の味わいに思う

 寒玉子(かんたまご)という力士の思い出話を、文壇きっての相撲通だった舟橋聖一が書いている。ユーモラスな名のため、負け星の多い割に人気があったらしい。作家がまだ子どもの頃、明治末から大正の回想である▼生家が相撲部屋と筋向かいにあって、よく遊んでもらったという。そんな一節が、この季節になると浮かぶのは華やぐ名文ゆえだろう。きょうは二十四節気の小寒、すなわち寒の入り。寒中の鶏卵は、滋味豊かな寒卵として喜ばれる▼昭和の半ば頃まで、もみ殻を敷いて箱に詰めれば、卵は立派な使い物になった。寒卵が珍重されたのは、栄養価うんぬんよりも、寒さのきわみに産み落とされる「恵み」への感謝があったのだと思う▼ここ数十年、卵の値は大きく変わらず、「物価の優等生」とされてきた。卵は庶民の味方となり、かつての貴重品の面影は消えた。日本人は世界有数の卵好きで、1人がほぼ毎日1個を消費するという推算もある▼一方で、養鶏家の経営努力は限界という悲鳴が聞こえてくる。師走の声欄に「小さな養鶏場の話を聞いてください」と投書が載っていた。飼料高などに追われ、奥さんと2人で四十数年がんばってきた養鶏を廃業するという。「1個20〜30円は、本当に高いのでしょうか」と投書は結ばれていた▼〈ぬく飯に落して円(まど)か寒玉子〉高浜虚子。正月料理に飽きて、今朝はさっぱり卵ごはんの人もおられよう。卵は黙して語らないが、廃業は各地で相次いでいると聞く。せめて心して食したい。

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Aiさんと同じく寝正月です/賀茂鶴を飲みました

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couple_Herbis_131220昨日に続いてFrench in Action Leçon 33を見ました.2回目なのにあまりわかりません.
朝こち亀を見ました.バカバカしくて面白いです.
お昼寝をして気がつくとAiさんからメール.彼女のお正月は寝正月だったそうです.わたしも寝正月.
今日はお酒を飲みました.賀茂鶴です.
ちょっとまえにAnさんが送ってくれたメールを思い出しました.
安倍首相の靖国参拝を弾劾する!
(1)12月26日午前、安倍首相は靖国神社への参拝を強行した。我々は、この蛮行を心の底から弾劾する。安倍首相の靖国参拝は、日本帝国主義のアジア侵略戦争によるすべての犠牲者に対する恥ずべき冒涜である。アジア人民に対する真っ向からの敵対と挑戦である。また、真に平和を愛する日本人民への挑戦である。

(2)
安倍政権が発足して以降、安倍政権の閣僚と、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に参加する自民党、日本維新の会、民主党の一部議員は、靖国神社の春季例大祭、秋季例大祭に大挙して靖国参拝を繰り返してきた。
これに対する韓国政府や中国政府の反発に対して、安倍首相は、「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前。どんな脅しにも屈しない。その自由は確保している」と閣僚らによる靖国参拝を正当化してきた。安倍首相は、韓国政府や中国政府の抗議を内政干渉だと批判し、脅しに屈しないと開き直ってきた。

(3)靖国神社は、かつて、アジア侵略戦争を遂行した日本帝国主義軍隊・天皇の軍隊の精神的支柱であった。天皇に忠誠を尽くす日本軍兵士は、靖国神社に祭られ英霊とされた。1945年、日本帝国主義のアジア侵略戦争敗北以降も、「東京裁判」におけるBC級戦犯がまず合祀され、続いて、A級戦犯も合祀されてきた。靖国神社は、「東京裁判」そのものも認めておらず、むろん、日本帝国主義のアジア侵略戦争もすべて正当化している。
安倍首相も、かつての日本帝国主義のアジア侵略戦争は正しく、天皇と国家のために死ぬことは正義だと考えている。いま、安倍政権は、日米軍事同盟を強化し、自衛隊(日本軍)を米軍とともに世界中で戦闘のできる軍隊へと変貌させようとしている。安倍政権は、国家安全保障会議(現代の大本営、戦争司令部)を創設し、多くの人々による抗議のなかで特定秘密保護法制定を強行した。安倍首相は、憲法九条改悪と国防軍創設を目指している。安倍首相は、かつてのアジア侵略戦争を何ら反省することなく、これを正義の戦争であると正当化し、再び侵略戦争を可能とする国家を目指している。釣魚諸島や独島をめぐって排外主義を扇動し、軍事力増強と戦争国家化に拍車をかけている。安倍首相による靖国参拝は、こうした戦争のできる国作りの一環であり、かつてのアジア侵略戦争を正当化し、天皇と国家のために戦死することを新たに美化しようとするものである。

(4)
改めて、われわれは、安倍首相の靖国神社参拝を徹底して弾劾する。そして、安倍首相が二度と靖国参拝を行わないことを強く要求する。そもそも、今回、安倍首相は、狡猾にも、突然、予告もなく靖国参拝を強行した。それは、国内外にわたる怒りと反対闘争を恐れたからである。安倍首相が、国内外にわたる抗議の声を受け止めることなく、今後も靖国参拝を強行するつもりならば、われわれは、アジア人民との連帯にかけて、安倍首相の再度の靖国参拝を実力で阻止するであろうことを宣言する。

2013年12月27日 アジア共同行動(AWC)日本連絡会議


家庭、心、傷癒えぬまま 宮城沿岸小中・本社アンケート詳報

 宮城県沿岸部の小中学校校長を対象に河北新報社が実施したアンケートで、児童・生徒について自由記述を求めたところ、東日本大震災による影響の深刻さがあらためて浮かび上がった。家庭の状況や保護者のメンタルヘルス(心の健康)を心配する記述が多く、学校現場だけでは対応が困難な状況もうかがえる。

◎時間経過し問題表面化/児童・生徒

 震災の影響はここにきて目立ち始めたとの指摘が複数あり、石巻地区の中学校長は「震災から時間が経過し、生徒の抱えていたものが表面に出てきたような気がする」と記した。
 震災の影響とみられる具体的な状態として「フラッシュバックする子がいる」(石巻地区の小学校長)「避難訓練があると数日間、精神的に不安定になる子がいる」(仙台市の小学校長)などの例示があった。別の仙台市の小学校長は「戦争単元学習で津波を思い出してしまう子など、配慮を必要とする子が多数いる」と打ち明けた。
 友人間のトラブルや不登校など問題行動が多くなった、との証言は複数あった。
 石巻地区の小学校長は「集中力が持続できない、規範意識が低い、自己中心的な行動に出る、問題の責任を他者に転嫁する、すぐ暴力的になる、などの傾向が見られる」と事例を挙げた。石巻地区の中学校長は「メンタル面でひ弱な子どもが増加しているような気がする。内面が読めない子どもがいる」と戸惑いを示した。
 全体像はまだ不透明との指摘もあり、「生徒が心にしまい込んでいることが、いつ顕在化するか心配」(県南の中学校長)「現在は震災の影響が見られなくても、生徒に影響がないのではなく、表面化していないだけ」(仙台市の中学校長)などの指摘があった。

◎子どもより心配な例も/保護者

 家庭や保護者に目を向ける校長は多く、「子どもより保護者の方が心配なケースがみられる」(仙台市の小学校長)「家庭によっては、児童・生徒よりも保護者のストレスが大きくなっているように感じる」(多賀城地区の中学校長)などの感想があった。
 児童・生徒が抱える問題の多くは保護者に原因があるとの見方も多く、「離婚など家庭環境の変化に伴い精神的、肉体的なストレスを抱える子が増えたようだ」(気仙沼地区の小学校長)などの記述があった。
 石巻地区の中学校長は「不登校が増加傾向にある」と明かした上で、「経済的困窮、保護者間のドメスティックバイオレンス(DV)、離婚の増加も遠因と考えられ、何ともやりきれない」と心情を吐露した。
 多賀城地区の中学校長は「保護者の中には(学校に)不当な要求をする人がいる。大人の心のケアも必要では」と提案した。

◎社会機能の低下が波及/地域

 震災で地域の様子も一変し、児童・生徒に影響が及ぶケースも見られる。「思い切り大声を出したりボールを蹴ったりする場所がない。仮設住宅の小さな広場で遊んでいると、声が大きいと注意されたりするようだ」と仙台市の小学校長は地域の実情に触れた。
 地域社会の現状について「以前通りの地域コミュニティーが形成されていない」(石巻地区の中学校長)と嘆く意見も複数あった。
 仙台市の小学校長は「もともと進んでいた人間関係の希薄化、コミュニティー機能の低下は震災後大きく進んだように思える。それは家庭にも、子どもたちの日常生活にも影響を及ぼしている」と所感を寄せた。

◎心身の疲労限界と指摘/教職員

 震災で心の問題を抱えた教職員も少なくない。仙台市の小学校長は「避難訓練などの際、震災当日のことを思い出し不安定になる教職員がいる」と打ち明ける。
 気仙沼地区の中学校長は「さまざまな困難を抱えながら生徒は元気を取り戻している。それは教職員の献身的な頑張りによるところが大きい。しかし教職員の疲労は限界に近い。教職員の支援が必要だ」と訴えた。

<校長の一言〜アンケートから>

■「震災前から(宮城県の)沿岸部は教育環境や教育意識が内陸部より低いように感じていた。震災で格差が広がる一方だ」(気仙沼地区の小学校長)
■「震災当時の小学生が思春期を迎える時、震災のとらえ方に変化があるのか、その変化が何らかの形で顕在化するのかを注視したい」(塩釜地区の中学校長)
■「児童・生徒のさまざまな問題が出てくるのはこれからだと思われる」(県南の小学校長)
■「被災者でもある教職員が、自分のことは口に出さず黙々と働いている」(気仙沼地区の小学校長)
■「震災後3年ぐらいで(子どもたちに)さまざまな問題が出てくると言われているが、どう対応をすれば効果があるのか分からない。具体的なアドバイスを求めても得られない。これまで通りのことをすればよい、と言われているが、それだけで本当に十分なのか分からない。無力感や焦りを感じている」(県南の中学校長)
■「復興工事に伴う大型車両の交通量が増え、登下校時の安全確保が難しい」(県南の中学校長)
■「モノや金、どこかへの招待、イベントなどの支援よりも、落ち着いて、安心感の中で日常を過ごすことが大切だと感じる」(塩釜地区の中学校長)
■「震災のことがいつフラッシュバックするか判断できない。被災した生徒たちは何年経過しても、これで解消したということはないのではないか」(県南の中学校長)
■「いつまでも被災者という意識でいては現状は変えられない。生徒には『仮設校舎でもしっかり学習できる。前を向いて未来に向かって一歩ずつ進んでいこう』と話をしている。苦しくとも上を向いて前に進めば必ず道は開ける」(塩釜地区の中学校長)
■「中学卒業後、高校などで関わる友人の何げない言動などで、傷つくことがあるのではないかが気掛かりだ。現在は同じ困難を経験してきた仲間ばかりだが…」(県南の中学校長)
■「個に寄り添った支援が継続的に必要だと思う。3年後、5年後、10年後、子どもたちの教育を受ける権利を守っていきたい。教師は子どもにとって生涯教師であり続ける」(多賀城地区の中学校長)


東日本大震災/仮設住宅の集約/住民負担招かぬ仕組み必要

 住宅再建の事業がやっと軌道に乗ってきた東日本大震災の被災地で、仮設住宅団地の集約が新たな焦点に浮上している。
 多くの被災自治体では2014年度、防災集団移転促進事業による自宅再建や災害公営住宅への入居が本格化する。相対的に住民が減っていく仮設団地は、集約化が避けられない。仮設住宅間で転居を余儀なくされる住民に負担が掛からない仕組みを、事前に整えておくことが不可欠だ。
 集約化は空室の増加に伴うコミュニティーの維持など施設の運営・管理面に加え、土地の問題が背景にある。
 立地は震災直後に転用が容易だった公園や学校敷地など公有地が多い。利用可能な土地が限られる自治体は、一部の仮設団地の用地を災害公営住宅の建設地などに当て込んでいる。
 民有地を借り受けたケースも少なくない。ほとんどは有期契約で既に期限を迎えた場所もあり、地権者から返還を求められれば応じざるを得ない。
 こうした現状を踏まえ各地で進められる集約化で、差し迫った課題の一つが移転費用だ。「仮住まい」と位置付けられる仮設住宅から仮設住宅への転居は、現行の法制度で想定されていない。自治体ごとの対応が基本になっている。
 各自治体は「住民の自己都合ではないため公的負担が妥当」との姿勢を示す。石巻市も実費補助などを検討しているが、1世帯当たり10万円程度と見込まれる。復興の加速に向けて市独自の事業も組み込んだため財政が逼迫(ひっぱく)する中、新たな負担は事業にしわ寄せが及びかねない。
 新潟県中越地震では、震災復興基金で自治体の負担を軽減した。今後の大規模災害でも同じような事態が起きる可能性はある。広範囲に問題が顕在化している今回の震災を契機に、国は補助制度を設けるべきだ。
 住民の心と体のケアも、より重要性を増す。自宅から避難所、避難所から仮設住宅、そしてまた別の仮設住宅へ。望まない形で、何度も移転を強いられるストレスは大きい。
 仮設住宅の整備当初に課題とされたコミュニティーづくりも一からやり直すことになる。時間の経過とともに行政によるケアの質は変容しているが、集約対象の住民には状況に応じたきめ細かな配慮が求められる。
 行政と連携した住民の主体的な取り組みも必要だろう。
 石巻仮設住宅自治連合推進会は14年度、「支え合い担い手」の育成に乗り出す。住民から担い手を募り、高齢者らを見守ったり声掛けしたりする。仮設住宅に限らず、同様にコミュニティーの醸成が課題となる災害公営住宅でも運用できる試みで、広がりに期待したい。
 仮設住宅の住民に対する支援は、自立への後押しが根底にある。集約化には入居長期化の助長を懸念する声もあるが、経済的な理由などで早期退去が難しい住民も少なくない。現実に即した支援で円滑な自立を実現させたい。


奥州藤原氏めぐり新説? 被災地高台移転…掘り起こされた歴史

 東日本大震災の被災地で高台移転事業が本格化する中、宅地などの造成工事で出てきた遺跡の発掘調査が進んでいる。多様な年代の遺跡が見つかり、資料の乏しい中近世の空白を埋めるほか、奥州藤原氏との新たな関係性を示す出土品もあり、歴史の通説を覆す可能性も指摘されている。津波で大きな被害を受けたふるさとの歴史を掘り起こす思わぬ副産物に被災者らの期待も高まる。(高木克聡)

 岩手県大船渡市三陸町で昨年12月中旬、発掘された戦国時代のものとされる城館「小出館(こいでたて)」の遺跡発掘調査の説明会が開かれた。

 市によると、遺跡からは、鉄粉など製鉄施設の跡や高価な陶磁器、銅銭などが発見され、担当者も「交易などで富を得た豪族がいたのでは」と推測する。 

 大船渡市をはじめとする県沿岸部の三陸地方では、めまぐるしく勢力図が塗り替えられた戦国時代前後の文書などがほとんど残存していない。三陸町でも南北朝時代以降から江戸時代にかけての歴史は空白のままで、地域を治める豪族の名前すら不明だ。

周辺の他市でも同様に発掘調査が進み、新たな発見が続いている。2年間で6件の本調査が行われた釜石市では、約7000年前の縄文時代早期の遺跡が発掘され、地域の歴史を大幅にさかのぼることができた。

 なかでも平安時代末期から鎌倉時代の川原(かわら)遺跡は、漆器など奥州平泉文化を色濃く残しており、この地を治めていた勢力が奥州藤原氏との交流を持っていたことが明らかになった。加えて、遺跡の年代などから藤原氏滅亡後も同勢力が独立を維持していたとみられ、藤原氏とともに没落したとされる通説に疑問を投げかける可能性もあるという。

 同じく沿岸の宮古市でも、5〜6世紀の古墳時代の日の出町二(ひのでまちに)遺跡から、これまで出土していなかった西日本の須恵器などが見つかり、当時の物流を知る手がかりとなりそうだ。

岩手県教育委員会によると、集団移転事業などによる遺跡の本調査は、沿岸部の8市町村で31件実施したという。これまで遺跡の発掘調査は、公共事業の削減もあって、各自治体ごとに年間1〜2件の発掘が行われるだけだった。各自治体の担当者は「これだけ大規模の遺跡調査はこれまでなかった」と口をそろえる。

 遺跡が見つかった当初は、工事の遅れを心配する声も上がったが、少しずつ心の平穏を取り戻している被災者にとって、ふるさとの歴史がよみがえる遺跡調査は大きな心のよりどころとなっている。


初孫と希望の新年…阪神大震災で次男失った女性

 阪神大震災で次男の隆文さん(当時17歳)を亡くした福岡県太宰府市の小学校講師、船越明美さん(66)が、初孫の満帆(まほ)ちゃんとともに、うれしい新年を迎えた。17日で震災から19年。明美さんは、「隆文が、いつまでもくよくよしてたらいかんよって、励ましてくれている気がする」という。

 隆文さんは、将棋のプロ棋士を養成する奨励会に在籍していた1995年1月、兵庫県宝塚市の下宿アパートが倒壊して亡くなった。明美さんは泣きじゃくって取り乱し、隆文さんの肖像画を描いてはふさぎ込む日が長く続いた。

 長男の達也さん(39)や、話を聞いてくれた母の森島育子さん、隆文さんの将棋の師匠や仲間たちにも支えられ、少しずつ元気を取り戻したが、母が8年前、89歳で亡くなったときはまた、取り残されたような気持ちになった。

 新しい風が吹いたのは、達也さんが2012年秋、会社の同僚の由香さん(25)と結婚してから。初めて家族が増え、気持ちがはずんだ。

 「生まれたよ」

 昨年11月7日の午後、大阪市鶴見区で暮らす達也さんから、初孫誕生を知らせる電話がかかった。明美さんは、涙が出そうになった。

 4日後、新生児室を出た孫に初めて触れた。生まれたばかりの隆文さんを抱いてから36年が過ぎ、抱っこの仕方も忘れていた。落とさないよう大事に抱えた。その重さを受け止めて、「生まれてくれてありがとう」と思った。

 満帆ちゃんは、泣いて、寝て、よくおっぱいを飲む元気な赤ちゃんだ。明美さんは以前、関西方面への切符を買おうとしただけで体が震えた時期もあったが、今は、頼ってくれる由香さんを手伝いに、アパートを再々訪ねる。

 元日、4人で近くの比枝神社へ初詣に出かけ、明美さんは、みんなの健康を祈った。「この子と思い出をいっぱい作っていきたい。成長を見守れるよう、自分も頑張らないと」と笑った。

 達也さんは「満帆を抱いている時の母の表情は、心からの笑顔で、本当に幸せそう。ここまで笑えるようになるとは想像できなかった」と喜んだ。

フランス語
フランス語の勉強?

仮設の親戚に年賀状/新大阪/釜ヶ崎/猪飼野

ブログネタ
フランス語 に参加中!
ShinOsaka20140103久しぶりにFrench in Action Leçon 33. 聞き取れないです.明日も頑張ろうと思いました.
新大阪駅です.有楽町での火事のために東海道新幹線が止まってしまい,新大阪駅にはものすごくたくさんの人がいました.切符の自販機では自由席の券しか買えないので皆窓口に並んでいました.テレビで見たときには「最悪の正月だ」と言っている人もいました.新大阪に行ったのは混雑している状況を見に行ったのではありません.八ッ橋を買いに行ったんです.


44_Kamagasaki_etto釜ヶ崎の三角公園です.実は部屋を片付けていてタオルがたくさん余っていることに気がついたので,それを寄付しに行ったんです.現金はちょっと余裕がないのでパス.とりあえずできることをしてみるというスタンスです.タオル使ってもらえるかな?

第44回釜ヶ崎越冬闘争への協力要請 

 今年の秋は大荒れに荒れた気象状況に影響され、暑かったり寒かったりと気温差の激しい体調管理の難しい秋でした。12月に入り凍える冬も目前となり、越冬闘争の時期を迎えることとなりました。
昨年から開始された「有識者懇談会」は西成の各界人々との議論を深め「人を呼び込む街作り」「西成の特徴を生かした街作り」等が議論されてきました。そして平成25年の区予算にも反映されはじめました。しかし、中心となる軸が「医療・福祉」「子育て支援」「治安の改善」「不法投棄の取り締まり」となって肝心な「就労」の問題が後景に押しやられている感じです。構想で言う「短期集中的な対策」(2013年9月)を見ても、「釜ヶ崎と就労」に関する事業は14事業中1事業のみであり、それも「高齢単身者生活保護」条件付けがされているように、野宿・失業者対策という就労にかかわる事業は全く議論されていません。
一方では、生活保護受給者の増大に対して、増大の本当の原因には触れずに、保護費全体の削減を目的とした施策が進められ、申請と同時の就労指導のように極めて機械的に厳しくなり、一旦上がった生活保護からの脱落者を多くつくりだしています。
ハローワーク(民間労働市場)しか出口のない就労指導の強化は依然として変わらず、民間労働市場から排除されてきた者たちにとっては高いハードルとなり、大きなプレッシャーとなっています。
こうした生活保護の切り下げ、締め付け強化、強引な就労指導は、生活保護者=怠け者、社会悪という意識を植え付け、『自己責任論』で国・自治体一体となった施策を正当化しようとしてます。それは、社会の中に生保受給者や、野宿をせざるを得ない人たちを嫌悪し、攻撃するひとびとを作り出します。『自己責任論』が大手をふるって登場し始めると野宿者への実際の襲撃も増え、わけても若者に反映します。
昨年も10月13日〜14日未明にかけてJR大阪駅周辺で、40〜80代の野宿生活の男性5人が-相次いで襲われ、顔を踏みつけるように蹴り続けられるなどし、富松国春さん(67)が外傷性くも膜下出血で亡くなり、他の人たちもケガを負わされました。
今年も、私たちは越冬闘争で野宿をせざるを得ないなかまたちを餓死・凍死から守り、襲撃から守り、日雇・下層労働者の結束を固めて、施策の変動に翻弄されるなかまたちの未来を切り開いてゆく闘いをしたいと思います。
今年で44回目を迎える釜ヶ崎越冬闘争は全国の心ある皆様のご支援で支えられてきました。今年の越冬闘争も、連日の炊き出し、夜回り、行政への要望行動などおこないます。
今年も、米、調味料、毛布、防寒着などの物資のご支援とともに、資金カンパのご協力をお願いします。
また、2013年12月28日から2014年1月7日までの越冬期間中の現場でのご支援もよろしくお願いいたします。

第44回釜ヶ崎越冬闘争基調

改憲阻止・戦争への道を止めよう!
この時代を簡潔に言い表すとしたら、極端な政治反動と貧困の深刻化と言うことが出来ると思います。戦後の経済成長が終わり、それを支えてきた「55年体制」と言われた政治体制がくずれさって以降、混沌としてきた政治の世界に「戦後レジーム(=政治体制)からの脱却」を唱えて登場した安部内閣が戦前回帰としか思えないような極端な反動政策を繰り広げているということです。
衆参両選挙で安定過半数議席を獲得した安倍自民党は、それをあたかもヒットラー、ナチス政権への「全権委任」(1933年)をしたのと同じ意味を国民が与えたかのように戦争への道を突進しています。
安倍政権は、マスコミ各社の長と会食を重ね、抱き込み、公共放送NHKの会長を「報道が反原発に偏っている」「歴史認識が自虐的」と人事に介入したり、次々と各省庁に介入して既定の人事をひっくり返し、イェスマンで周りを固め、「特定秘密保護法」で国民の批判を抑え込みながら「大日本帝国」への回帰を実現する諸法案を整備してゆこうとしています。
今夏のオスプレイの普天間・岩国基地への配備、10月の「あいば野演習場における日米共同軍事演習の強行」京都-経ヶ岬での「米軍Xバンドレーダー基地建設」(関西初の米軍基地建設)そして、国会においては「特定秘密保護法」・「国家安全保障会議の設置」「集団的自衛権の法制化」へと突き進んでいます。この一連の反動攻撃は「日米防衛協力のための指針」に沿ったものであり、日米安保を軸とした戦争のできる「積極的平和主義」の実現です。
更に次の目標は憲法96条の改悪を目指して、最終的には平和憲法九条の放棄と憲法改正を狙っていることは明らかです。それに連動して現教科書から先の戦争記述が削所され、教科書検定の強化・国定化、道徳教育の義務化が「国土強靭化」と一体となって進められています。歴史の偽造、侵略の否定は93年の「慰安婦」問題での河野談話、95年「先の戦争への反省」を公式に表明した村山談話の否定となってあらわれ、この行き着く先は差別・排外主義イデオロギーを持ってする天皇元首化の国民統合といえます。戦争する国家です。
 また、アベノミックスで語られている、「強い日本、強い経済、豊かで安全・安心な生活」(2013年6月閣議決定)は大企業、資本家の肥大化とそれらを通じて、アジアに経済的、軍事的覇権をもくろみ、国内的には「努力したものに報いる社会」「自立する個人」とあからさまな自己責任論提唱し、「分配」から「富の創出」へ、すなわち社会的「弱者説捨て」と社会保障制度の大改悪・資本家優遇へと突き進んでいくのです。緊張を増す原発再稼動・輸出の動きもまたこれらと緊密に関連し「経済成長」の基本部分としてされています。

反戦・反貧困・反差別 安心して働き暮らせる釜ヶ崎を目指して闘おう!

越冬闘争は一貫して「一人の餓死・凍死者も出すな」を合言葉に闘われて来ました。それは釜ヶ崎の運動が「反失業」「就労・労働を獲得する」事を闘いの核心としてきたことに連動しています。その過程でNPO法人を立ち上げシェルターを作り、公的・社会的就労の萌芽というべき、高齢者特別清掃事業を継続してきました。
 しかし今この事業は、アベノミックスという新自由主義の「経済成長」で大きな岐路に立っています。公的・社会的価値を創出する就労は、安倍政権の「労働生産性」を基準とすれば切り捨ての対象とならざるを得ません。更に「財政規律の厳格化」とは社会保障制度では公的扶助の削減と受益者負担の増加であり、したがって公的資金を雇用に投入することは、基本的な矛盾という考えになります。「企業利益の拡大と」「雇用・賃金の上昇」と「消費・需要の拡大」による「経済の好循環」が「経済成長」というのであれば、雇用の機会を奪われ長期失業や野宿を余儀なくされた労働者は、必然的にその「好循環」の外へと追いやられます。
 また安倍は「自助・自立を第一に、行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型へ大胆な政策転換」を雇用対策の柱とするとも述べている、「行き過ぎた雇用維持」とは「解雇事由」をその内容としており、「労働移動」とはより生産性の高い、言い換えれば資本家の儲かる産業への「労働移動」を意味しています。
ここでも、新たな排除が生まれるでしょう。「自助・自立」とはあいも変わらず、民間労働市場への雇用による「自立」であり「自助」とは「自己責任」といっているに過ぎません。
 今問われていることは、この日本で毎年何故70人以上もの人が餓死し、働いても食っていけない労働者層が1千万人も居るのか、法令無視、労働者をゴミのように扱うブラック企業が横行するのか、なぜ失業の長期化が働く意欲剥ぎ取り、失業統計にもカウントされない若者が増加するのか。そして野宿者襲撃がなぜ後を絶たないのかです。
安倍政権は「失われた20年を」「インフレ2%目標・増税・社会保障費削減」で「日本経済の再生」と謳っています。ですが、これで潤うのは一握りの大企業・資本家にすぎません。「膨大な貧困層と一握りの富裕層」これが安倍政権の目指す「誇れる日本」の姿です。

西成特区構想と生活困窮者支援法
 西成特区構想についてですが、2012年から開始された「有識者座談会」は西成の各界の人々との議論を深めてその姿を具体的に表しつつあります。そこでは「人を呼び込む街づくり」「西成の特徴を生かしたまちづくり」等が議論されてきました。それは2013年の区予算にも反映されています。しかし我々の立場からすれば、中心となる軸が「医療・福祉」「子育て支援」「治安の改善」「不法投棄の取り締まり」となっており、肝心な「就労」の問題が後景に押しやられている感は否めません。構想で言う「短期集中的な対策」(2013年9月)を見ても、「釜ヶ崎と就労」に関する事業は14事業中1事業のみであり、それも「高齢単身者生活保護」が対象と言う「規制」がほどこされています。「中長期的対策」では、就労にかかわる事業は全く議論されていません。 
「西成の問題」はその失業率において(保護率23,5%)でも明らかなように、「失業と貧困」の問題であり、釜ヶ崎はその集中的表現です。そうであるとすれば、やはりこの街の就労をいかに作っていくのか、これに応えなければ「特区」の意味がありません。具体的に特別清掃事業の週3回、月13日に拡大し、同時に55歳以下の公的・社会的就労の仕組みを作るべきで、この施策を議論せずして「稼働年齢層の生保受給」を「問題」として語ることは出来ないのです。
 最後に今国会で審議されている「生活困窮者自立支援法」に関してですが、反貧困を闘う様々な団体から意見が出されていますが、今言えることは「生活保護法の改悪」とこの「支援法」を連動させ、「他方優先」に利用させてはならないと云うことであり、その主旨で言う「最低限度の生活を維持できなくなる可能性のある」を対象としている点で、その運営基準の曖昧さ・不鮮明さに危惧を表明せざるを得ません。
これらのことを念頭に置きながら第44回越冬闘争を闘い抜きましょう!

第44回釜ヶ崎越冬闘争スローガン
安心して働き・生活できる釜ヶ崎を創ろう!

☆ 越冬闘争を闘うぞ!
仲間から餓死・凍死者を出さないぞ!
野宿の仲間への襲撃を許さないぞ!

☆ 野宿をさせるな!
特掃の拡大・週3回を実現しろ!
社会的就労、公的事業で年齢制限のない仕事をだせ!

☆ 生活保護保法の改悪許さないぞ!憲法25条を守れ!
稼動年齢層の生保受給者に仕事と技能訓練を充実しろ!
高齢生保受給者への生きがい事業を創れ!

☆ 全ての原発を即時廃炉にしろ! 脱原発運動への弾圧を許さんぞ!
原発再稼動は許さんぞ!
全ての労働者を被爆させるな!

☆ 戦争のできる国づくり=「大日本帝国」への回帰策動と闘おう!
改憲策動絶対阻止!排外主義を許すな!
秘密保護法=平成の「治安維持法」を撤回せよ!『国家安全保障会議』設置糾弾! 
日米安保条約・日米地位協定を破棄しろ! 集団的自衛権容認するな!
京都 経ヶ岬への米軍Xバンドレーダー基地建設阻止!

☆ 正規・非正規労働者の団結を創るぞ!
全国・全世界の労働者、非抑圧人民と連帯して闘うぞ!


Korea_town_ikaino桃谷駅から商店街を抜けて適当に進みます.川があって(平野川?)そこを渡って西側に一直線の商店街があります.御幸通商店街です.Korea townです.

さて今日は年賀状の返事を書きました.印刷しました,が正確ですが.東日本大震災で家が流されたKuさんにです.去年も仮設住宅宛てに年賀状を出していますが,元気にしているか気になります.仮設住宅は狭くて壁が薄いそうで快適な生活ができているとは思えないんです.

池上彰の2014 世界を見に行く〜緊迫したニュース現場から池上解説〜

池上彰が緊迫化する中東・ガザに潜入!とてつもない体験!すさまじい臭い!大江麻理子がシリア難民女性と再会、相内優香が「アンネの日記」を追う!見たことない新春特番!

2014年は、平和の年か、戦争の年か? 2014年も、世界情勢は中東を中心に動く。焦点は、アメリカ・イラン・イスラエル・サウジアラビアの4カ国。池上がアメリカとイランの急接近で複雑化する中東をめぐる思惑を明解にひもとく。今回はヨルダンとイスラエル、パレスチナ自治区、イランを取材。“難民経済学”を軸に、独自の視点で今の中東問題を伝える。

難民経済の実態を見に行く!池上と大江がヨルダンのザータリ・シリア難民キャンプを再び取材、1年前に出会った難民女性と衝撃的再会!内戦の長期化で巨大化する難民キャンプに出現したのは…。▽池上がパレスチナ自治区・ガザへと向かう。そこで見たことがない光景と嗅いだこともない匂いに直面!▽イスラム教徒の生き方を見に行く!不思議な国・イランに池上が入国。ここでイスラム教シーア派原理主義とは何かを取材。

パレスチナ問題とは何か?パレスチナ自治区との分離壁、パレスチナ自治区へのユダヤ人入植の現場を見に行く。▽中東問題の根幹・ユダヤ人とアラブ人の対立は解消できるのか?ユダヤ人とアラブ人の学生による合コンを実施。▽アンネ・フランクの人生を通じてユダヤ人の苦難を描く。相内がアムステルダム緊急ルポ。実際のアンネ・フランクの動画があった!▽世界を見れば日本の未来が見えてくる!池上が考える焦点の5カ国は…。



被災地ツアー今年も充実 東北などの観光関連会社

 東日本大震災はことし3月で、発生から3年となる。被災地ツアーを展開してきた観光関連会社は、新年も被災地の復興に役立つツアーを企画している。支援内容を現地のニーズに合わせて少しずつ変えているのが特徴だ。

 岩手県北バス(盛岡市)や岩手県交通(同)、花巻観光バス(岩手県花巻市)は、岩手県沿岸部の津波被災地などを巡り、復興の進み具合や、地元の味覚を五感で知ってもらうツアーを実施する。いずれも現地で震災ガイドの説明があるほか、参加費の一部が被災地支援金に充てられる。
 宮交観光サービス(仙台市)は「復興応援バスツアー」と題して、宮城県の沿岸部を巡る2コースを用意した。参加者には宮城県気仙沼市や石巻市などの復興商店街で買い物をしてもらい、地域の経済支援につなげる狙いだ。
 JTB(東京)は岩手県陸前高田市でボランティア活動を体験する1泊2日のコースを企画した。同広報室は「泥かきなど体力を要する作業から被災者の生活再建へと、時間の経過とともに支援内容も変化してきた」とツアーの意義を説明。幅広い世代に参加を呼び掛ける。
 コースの詳細は表の通り(料金は出発地などにより異なるため、主催者の公式ホームページなどで確認が必要)。

◎新年に開催予定の「被災地ツアー」(1月分のみ)

 「浄土ケ浜&龍泉洞みやこ田老号」5、12、19日と、21〜31日の毎日運行の日帰りツアー。出発地はつなぎ温泉(盛岡市)とJR盛岡駅、JR宮古駅の3カ所。5日前までに要予約。連絡先は岩手県北バス019(641)2222。

 「三陸山田・宮古号」21、31の両日と、24〜28日の毎日運行の日帰りツアー。出発地はホテル森の風鶯宿(岩手県雫石町)とつなぎ温泉、JR盛岡駅の3カ所。5日前までに要予約。連絡先は岩手県交通019(651)3355。

 「遠野・釜石・大槌号」21〜31日の毎日運行の日帰りツアー。出発地は花巻温泉(花巻市)と花巻空港(同)、JR新花巻駅の3カ所。3日前までに要予約。連絡先は花巻観光バス0198(26)3122。

 「陸前高田・大船渡号」21〜31日の毎日運行の日帰りツアー。5日前までに要予約。出発地は花巻温泉(花巻市)とJR一ノ関駅。連絡先は岩手県交通019(651)3355。

 「陸前高田活動・気仙沼宿泊ボランティアサポートプラン」11日出発(1泊2日)のツアー。出発地は東京都内。JTBのホームページ上か、各支店窓口で申し込む。

 「南三陸&気仙沼 復興応援バスツアー」18日開催の日帰りツアー。出発地はJR仙台駅西口。連絡先は宮交観光サービス022(298)7765。

 「石巻&女川 復興応援バスツアー」25日開催の日帰りツアー。出発地はJR仙台駅西口。連絡先は宮交観光サービス022(298)7765。


被災地医療守る正月 休日診療所、住民に安心感

 年末年始も急患などに対応する各地の病院や診療所、当番医。東日本大震災の津波で全壊し、昨年7月から宮古市西町で再開した同市の休日急患診療所も、被災地でその役目を担っている。多くの医療機関が被災した宮古地域では、近隣自治体の住民の期待も大きい。正月も患者に向き合う医師や看護師、薬剤師らの尽力が、休みのない地域医療を支えている。

 2日は前市長の熊坂義裕さん(61)と山田町の近藤晃弘さん(53)の医師2人が診療に当たった。正月期間のため、患者には帰省者も多い。同市出身で千葉県市川市から帰省した主婦(23)は、生後7カ月の娘の数日間続く便秘を心配し、診療所を訪れた。「年始に利用できる場所があると心強い。便利です」と感謝した。

 山田町では被災後、再開できていない医院も多く、町内の医療機関が減っている実態もある。近藤医師は「山田町にとってもこの診療所は意味のある場所だ」と強調した。

 看護師として休日の診療を支える細越朋美さん(43)は「宮古のため役立ちたいと思い(診療所の)募集に応じた」と明かし、熊坂医師は「震災後、医療関係者の意識も変化した。被災地の医療を守ろうという思いはみんなが持っていると思う」と力を込めた。


獅子舞:復興と健康を願い被災地まわる 宮城・東松島市

 東日本大震災で被災した宮城県東松島市で2日、江戸時代から伝承される「大曲浜(おおまがりはま)獅子舞」が披露された。津波で浸水した地域や仮設住宅などをまわり、地元住民らが勇壮な舞に歓声を上げた。

 同舞保存会のメンバー約30人が参加。津波で多くの住宅が流された同市大曲浜地区では、トラックに乗り、更地となった地区内に笛や太鼓の音を響かせた。同市の矢本運動公園仮設住宅では、大勢の住民が集まった前で披露。「かまれると無病息災で過ごせる」とされ、多くの人たちが獅子頭の前に頭を出していた。

 千葉市から出産のために東松島市に帰省中の桜井由香里さん(27)は大きなおなかもかまれ、「これで無事に生まれると思います」と笑顔を見せた。【文 小川昌宏】

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刺すような痛みです←片頭痛がツライ

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ema_fushimi今日もフランス語はお休み.上野千鶴子を読んで過ごしました.でも出不精なのでおデブになるからマズイです.
朝から片頭痛です.偏頭痛だと思っていました・・・英語でもフランス語でもmigraineです.刺すような痛みでツラいです.

「100分de名著」新春SP企画!世界の名著から幸福とは何かを考える!ジャンルが異なる様々な名著を読み解くことで、幸福とは何かを多角的に分析!生きるヒントを探る

文学・経済学・哲学・心理学の4つの分野の名著を読み解くことで、幸福について多角的に考察する。井原西鶴の好色一代男と好色一代女からは、近代の目覚めと自由への憧れを語る。アダム・スミスの国富論からは、幸せに働くための、社会のあり方を問う。ヘーゲルの精神現象学からは、人から認められたい承認願望の正体を探る。フロイトの「精神分析入門」からは、悩みを解決するため、無意識の自分について見つめる。

「気持ちは前向きに」=被災地で3回目の正月−東日本大震災

 東日本大震災の被災地は1日、発生から3回目の正月を迎えた。今なお多くの人々が暮らす仮設住宅では伝統芸能が披露され、心新たに復興を祈願した。

 「ヨイヤサー」。岩手県大槌町では郷土芸能「虎舞」の威勢の良い掛け声と太鼓の音が、神社や仮設住宅に響き渡った。1996年に結成された40人ほどの「城山虎舞」は、震災による津波で虎頭や太鼓などが流失。自宅を失ったメンバーもいたが、周囲の支援もあり約1カ月後に復活し、昨年9月には新たな山車も完成した。会長の菊池忠彦さん(48)は「町の状況は変わらないが、気持ちだけでも前向きになってほしい」と復興への願いを込めた。
 福島県田村市の都路地区では今春、東京電力福島第1原発20キロ圏内に出された避難指示が初めて解除される見通しだ。地区内の円寿寺では、住民約70人が除夜の鐘を突き、本堂に向かって手を合わせた。昨年、旧警戒区域で初めて出荷用のコメを収穫した同地区の農家坪井久夫さん(63)は今年、作付面積を倍にする考えで、「本格的な軌道に乗せていく」と意気込んだ。
 宮城県気仙沼市の仮設住宅では、大阪に拠点を置く「木偶舎」の勘緑さん(58)らが人形浄瑠璃の練り歩きをした。演目は正月の定番「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」。普段は静かな仮設ににぎやかな声と音が響き、住人が歓声を上げた。小野寺タエ子さん(64)は「これがなければ今日も引きこもっていた。復興半ばだが、今年は明るくなりたい」と笑顔を見せた。


「正月来る感じない」 伊豆大島と東北、被災地「仮住まい」の年越し

 新年を間近に控え、国内各地の被災地では不安と期待が交錯している。39人が死亡・行方不明となった伊豆大島(東京都大島町)で「仮住まい」の人たちは、住宅再建への不安が強い。この1年の苦労をかみしめつつ、前を向こうとしている。

島内避難者再建に不安

 「暮れとか正月という感じはないね」。10月16日に伊豆大島で起きた土石流災害で、自宅に住めなくなった人たちが暮らしている都教職員住宅に住む、藤井勝夫さん(87)はつぶやいた。

 災害発生直後に暮らしていた町役場から現在の住宅に移って約2カ月になる。家具や電化製品は備え付けのものがあり、食事も毎日、町役場から届けられ、当面の不自由はない。

 来年1月下旬には仮設住宅に移ることが決まっている。今月29日に中断した仮設住宅の建設は1月5日に再開され、入居ができるのは同月25日。だが、藤井さんの頭にあるのはその後の不安だ。

 被害が大きかった元町3丁目にあった自宅は土石流で全壊した。狩野川台風(昭和33年)、三原山噴火(61年)と過去にも大災害を経験したが、「今回はよくやられなかったと思う。怖いというのを通り越している」と振り返る。

 今月下旬、災害後初めて山に登り、今も傷痕が残る現場を見た。「こんなことあるのか。これじゃあ逃げようがない」と思った。

 そんな危険が間近にある自宅を建て直していいのか。来年には米寿を迎える年齢のこともあり、住宅資金の返済を考えると、再建のための借金をためらう。将来的な展望を聞くと、「これからどうといわれても今は分からない。ただ町や都が進めている方向についていく」と語った。

 土石流で岡田地区の自宅が半壊し、教職員住宅で生活する榎本安宏さん(81)と妻の信子さん(77)も「お正月という感じは全然しない」と口をそろえる。

 床上まで水につかった自宅は畳などが取り外され、中はほとんど骨組みだけの状態という。そんな自宅に安宏さんは毎日午前、車で向かい、片付けに汗を流す。一刻も早く自宅へと戻りたい気持ちからだが、信子さんは「どこから水が来るのか、1年見ないといけない」と安全を心配する。

 家の中を泥水が川のように流れていた光景が頭を離れない。「寝ると水が入ってきたときのことを思いだす」という信子さんは、睡眠薬を服用している。安宏さんも「最近ようやく気持ちが落ち着いてきた」と話すほど。2人は現在の暮らしに困ったことはないというものの、自宅の問題は解決していない。

 いまだ見えない将来への不安は、被災者の新年に暗い影を落としている。

「来年も前向きに」

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から来年で3年の節目を迎える東北の被災地では30日、仮設住宅に身を寄せる人々が暮れゆく年を振り返り、新年に思いをはせていた。

 福島県民は14万人余りが避難先で年を越す。浪江町の244世帯、538人が暮らす二本松市の仮設ではこの日、餅つきが行われた。今年で3回目。「恒例」になってきた。

 小雪が舞う中、熱々の雑煮をふるまわれた主婦、岩倉恒子さん(80)は「あったまるね」。自宅は比較的放射線量の低い「避難指示解除準備区域」にあるが、「もう3年になる。あと何年したら帰れるのかと思うと、寂しくなる」。

 町で暮らしたころは元日未明に集まり、太平洋岸まで歩いて大海原に上る初日の出を拝むのが習わしだった。「一合升にお酒をもらって、みんなでみかんを食べて…。もうできないね」

 同じ仮設で暮らす主婦、武内マス江さん(77)は「考えるほど分からなくなってくるから、前向きに、前向きにって生きてるの」。東京で生活する長女、由紀子さん(50)にも「お母さん頑張ってるから」と伝えたいという。

 「もう3年…。来年も今年のように、前向きに頑張らなくっちゃと思う」

 宮城県南部の山元町。津波で自宅を流された元会社員、伊藤一郎さん(67)は「この1年、長かった」と話す。仮設暮らしは来年1月1日でちょうど2年8カ月になる。町では内陸への集団移転事業に1575世帯が参加し、伊藤さんも加わるが、事業の完了までまだ2年以上待つ。

 「移転用地を毎日見に行くが、工事が始まらず、背中を丸めて帰ってくる。最近、やっと工事が動き始めた。来年の今ごろは、『今年は短い年だった』と思えるようになってほしい」

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下向きで死にたい気持ち→昼寝で乗り切りました

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sugahara_tenmangu正月なのでフランス語はお休み.部屋でのんびり過ごします.
でもダメです.朝から気持ちが下向きで死にたい気持ち.昼寝してどうにか乗り切りました.

政治と市民―にぎやかな民主主義に

 一面の枯れ葉を踏みながら歩く。その音さえカサカサとあたりに響くようだ。静かな東京・小平市の雑木林。

 近所の人が散歩などで親しむこの小さな空間が昨年、何度もニュースになった。そこに都道を通す計画への異議申し立て運動が高まりを見せたためだ。

 それまで選挙では主要な争点にならず、住民の多くも意識していなかった古い計画だ。その実施が決まったと、あるとき知らされる。計画だけでなく、それを決めて進めるプロセスそのものへも疑問がふくらんだ。住民投票で問うたのも建設の賛否ではなく、決定に住民参加を認めるかどうかだった。だから、地元以外の人々の関心も呼んだのだろう。

 運動に参加した哲学者の國分功一郎さんは、ものごとを実質的に決めているのは「行政機関」ではないかという。選挙で議員や首長を選べば民主主義は機能していると思いがちだ。けれど、日々の統治を担う行政府に、市民が異議を申し立てるのが容易ではないとしたら――。

■強い行政、弱い立法

 民主主義社会で市民が疑問を感じる政策を政府が進める。昨年暮れ、成立した特定秘密保護法をめぐっても同じような構図があった。

 しかも、この法律は行政府による情報の独占を可能にする。何が秘密かを決めるのも管理するのも、結局は行政府の人である。肝心の国会は監視できる強い立場を与えられていない。

 国会で多数派が賛成したから成立したのだが、皮肉なことに、この法律は行政府の権限を強め、立法府を相対的に弱める。行政府が民意の引力圏から一段と抜け出すことになった。

 行政府が強くなり、立法府が弱くなる。これは必ずしも新しい問題ではない。しかし近年、海外でもあらためて議論されるようになっている。背景の一つはグローバル化だ。

 カネや情報が急速に大量に国境などお構いなしに行き交う時代、行政府は刻々と変化する市場などがもたらす問題の解決をつねに急がされる。民意はときに足かせと映る。

■「補強パーツ」必要

 だからこそ、行政府は膨大な情報を独占し、統治の主導権を握ろうとする。その結果、多くの国民が「選挙でそんなことを頼んだ覚えはない」という政策が進む。

 消費増税に踏み込んだ民主党政権、脱原発政策に後ろ向きな現政権にそう感じた人もいるだろう。欧州では債務問題に直面した国々の政府が、人々の反発を押し切って、負担増の政策を進めた。

 だが、議論が割れる政策を採るならなおさら、政治は市民と対話しなければならない。

 もとより行政府を監視するのは立法府の仕事だが、政治家は閣僚になったり自分の政党が与党となったりすると、行政府の論理に大きく傾く。ミイラ捕りはしばしばミイラになる。

 民主主義を「強化するパーツが必要」と國分さんはいう。議会は不可欠だが、それに加えて行政を重層的に監視して「それはおかしいと伝える回路が欠かせない」。そのために住民投票や審議会などの諮問機関の改革、パブリックコメントの充実などを提案する。

 地味で頼りなさそうな方法に見えるかもしれない。けれども、議会と選挙以外で市民が政治に働きかける手段は海外でも見直されつつあるようだ。

■有権者から主権者に

 たとえば、フランスの民主主義研究の大家ピエール・ロザンヴァロン氏は「カウンター・デモクラシー」という言葉で、議会制民主主義のいわば外側にある仕組みへの注目を促す。デモ、新旧のメディア、市民による各種の評議会などを指す。やはり議会は否定しない。それを補完するのだという。

 豪シドニー大学のジョン・キーン教授も、行政を監視する市民のネットワークや組織を重視する。最近邦訳が出た「デモクラシーの生と死」という著書で、それを「モニタリング民主主義」と呼んでいる。年末の訪日時の講演でも、地球温暖化や少数民族、核軍縮などグローバルな課題で市民レベルの運動が果たした役割を強調した。

 いずれも投票日だけの「有権者」ではなく、日常的に「主権者」としてふるまうことを再評価する考え方ともいえる。

 そんな活動はもうあちこちに広がっている。新聞やテレビが十分に伝えていないだけだと批判をいただきそうだ。確かに、メディアの視線は選挙や政党に偏りがちだ。私たち論説委員も視野を広げる必要を痛感する。

 場合によってはこれから2年半、国政選挙はない。それを「選挙での多数派」に黙ってついていく期間にはできない。異議申し立てを「雑音」扱いさせるわけにもいかない。

 静かな雑木林からの呼びかけに、もっとにぎやかな民主主義で応える新年にしたい。


民主主義という木 枝葉を豊かに茂らそう

 新年に、虚子の句「去年(こぞ)今年 貫く棒の 如(ごと)きもの」を思い浮かべる人も多いだろう。2013年から14年へ、貫く棒は何なのか。

 年末、安倍晋三首相が靖国神社を参拝し、保守支持層から喝采を受けた。愛国心、ナショナリズムが、政治を動かそうとしている。強い国を作ろうという流れに、いっそう拍車がかかるのかもしれない。

 だが、強い国や社会とは、どんな姿を言うのだろうか。指導者が、強さを誇示する社会なのか。

 違う、と私たちは考える。強い国とは、異論を排除せず、多様な価値観を包み込む、ぶあつい民主社会のことである。「寛容で自由な空気」こそ、貫く棒でありたい。
 ◇自由で寛容な空気こそ

 慌ただしい師走だった。特定秘密保護法、初の国家安保戦略、そして靖国参拝。政権与党と安倍首相の、力の政治がそこにあった。

 政権に、権力の源泉の「数」を与えたのは、私たち国民だ。

 その代表者である政治家が、多数で法案を通す。選挙と議会の多数決があって、民主主義は成りたつ。それを否定する人はいない。

 ただし、「反対するのなら次の選挙で落とせばいい」などと政治家が開き直ったり、多数決に異を唱えるのは少数者の横暴だ、といった主張がまかり通ったりするのは、民主主義のはき違えではないか。

 民主主義とは、納得と合意を求める手続きだ。いつでも、誰でも、自由に意見を言える国。少数意見が、権柄ずくの政治に押しつぶされない国。それを大事にするのが、民主主義のまっとうさ、である。

 いまの社会は、どうか。

 あらゆる政策を、賛成する側と反対する側に分け、多様な世論を「味方か」「敵か」に二分する政治。対話より対決、説得より論破が、はびこってはいないだろうか。

 そんな象徴が、靖国だ。

 靖国神社をどう考えるかは、戦没者の追悼のあり方という、国のかたちの根幹にかかわる問題を考えることである。原発とエネルギー、集団的自衛権や憲法改正などと同様、私たち一人一人の未来を大きく左右するテーマだといっていい。

 愛国心とは、本来、故郷や家族などの懐かしい場所や集団に対する、自発的な愛情である。他人に押しつけようとはしないものだ。

 上からの愛国心は、排他的なナショナリズムに転化しやすい。在日コリアンを攻撃するヘイトスピーチなど、すでに広がりつつある不寛容な空気を助長するような流れには、明確に「ノー」を言いたい。
 ◇だれもが愛国者である

 民主主義を、1本の木になぞらえてみよう。その幹にあたるのが、選挙と、議会での多数決だ。

 だが、幹だけの木は風雨にさらされ、浸食されて、いつしか倒れてしまう。豊かな枝葉が幹を支え、大地に根を張って初めて、その木は、すっくと立つことができる。

 たとえば、非営利組織(NPO)の活動だ。毎日新聞が共催するエクセレントNPO大賞に昨年選ばれた難民支援協会は、母国の迫害から日本に逃れてきた人々の相談に乗ったり、定住のための支援や政府への政策提言をしたりしてきた。

 ほかにも、雇用や教育、介護、医療など、格差社会の問題解決を政治任せにせず、自分たちで取り組むNPOが、5万近くもある。

 自分たちは「統治する側」にいると考えている政治家は、こうした無数の、無名の貢献が私たちの社会を支えていることに、もっと尊敬の気持ちを持ってもらいたい。

 この国で日々、地道に、懸命に働き、生きている、あらゆる人々は、みなそれぞれに国の未来を真剣に考える、愛国者たちである。

 にもかかわらず、「統治する側」が自分たちの「正義」に同調する人を味方とし、政府の政策に同意できない人を、反対派のレッテルを貼って排除するようなら、そんな国は一見「強い国」に見えて、実はもろくて弱い、やせ細った国だ。

 全体が一時の熱にうかされ、一方向に急流のように動き始めたとき、いったん立ち止まって、国の行く末を考える、落ち着きのある社会。それをつくるには、幹しかない木ではなく、豊かに枝葉を茂らせた木を、みんなで育てるしかない。

 その枝葉のひとつひとつに、私たちもなりたい、と思う。「排除と狭量」ではなく、「自由と寛容」が、この国の民主主義をぶあつく、強くすると信じているからだ。

 山積する国民的課題を前にするとき、政治がなすべきことは、多様な民意を集約し、幅広い合意をつくる努力を尽くすことだろう。

 首相の靖国参拝は、民意を集約するどころか、熱狂する一部の支持者たちと、異なる意見を持つ者との間に、深い亀裂をつくった。

 参拝の支持者は、日本人なら当たり前のことをなぜ批判するのか、と言う。首相の参拝は、こうした激しい愛国心、ナショナリズムを喚起する。参拝支持者が愛国者で、反対者は愛国心のない人間であるかのような、不寛容さを生み出す。

 政権与党は、国民に国を愛する心を植えつけたい、という。


つなぐ明日へ:阪神大震災19年 母と兄の追悼銘板参拝、決心 悲劇、見つめ前へ

 ◇神戸の76歳、14年「やっと勇気」

 阪神大震災(1995年)の犠牲者らを追悼する「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区)の中に母と兄の名が刻まれている女性が、震災19年の今月17日、完成以来14年ぶりに銘板の前に立つ。母と兄は揺れによる被害は免れたが、4日後の火災で死亡。無事と知った直後の悲報だっただけに「思い出してしまう」と、銘板の名を直視できなかった。今冬、取材で出会った記者に苦しい胸の内を吐露していたが、仏前の供花に「勇気が湧いた」と話し、前を向く決心をした。

 同市須磨区の主婦、納(おさめ)みよしさん(76)。震災翌日、同市兵庫区の実家に行くと、2人で暮らしていた母の荒川スミさん(当時90歳)と兄の荒川信夫さん(同60歳)は無事で、建物の被害もなかった。しかし震災4日後の早朝、警察から実家が全焼し2人が亡くなったと連絡が入った。震災に起因する漏電が原因で、2人はそのまま実家に寝泊まりしていて被害に遭った。納さんは「実感が湧かず、どうしても信じることができなかった」。

 葬儀を営み、墓の手入れも欠かさない。だが、2000年1月、神戸市中央区の東遊園地に完成したモニュメントのお披露目に参加して以来、名前が刻まれた銘板に向き合うことができなかった。一度は無事を確認した命。「何で、という気持ちが消えない」。2人の銘板に手を合わせると、「2人が遠い存在になってしまったことを認めるような気がして」と話す。

 ただ、罪悪感に苦しむようにもなり、モニュメント近くに足を運んだこともあった。しかし「足が震えて、どうしても銘板の前まで入れなかった」。

 記者は取材の中で昨年11月、納さんと出会い、悲嘆の深さを知った。以来、納さん宅を度々訪れ、11月下旬には花を仏前に供えた。「慰霊の花を持ってきてくれる人がいると思ったら、自分も頑張って前を向いていこうと勇気が湧いてきた」と納さん。訪問客に花をもらうのは被災後初めてという。

 今月17日に銘板前で供養することを決意し、こう語った。「『長いこと放っておいてごめんね』って、銘板をなでてあげたい」【田中将隆】

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On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux. (Le petit prince)
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