フランス語の勉強?

avril 2014

ピザ(マルゲリータ)を食べました/録画予約をたくさん

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Il y a un endroit où tu souhaites aller pour que je me fasse pardonner ?
おわびに,どっか行きたいところはある?
Un petit rafraîchissement ne serait pas de refus.

ちょっと休憩するのもわるくないよね.
Le Koshien, c'est le stade dans lequel se déroule, chaque année en août, le tournoi du championnat de baseball inter-lycées.

甲子園というのは野球場で,毎年8月に,高校野球の全国大会の決勝トーナメントがおこなわれます.


メガネのレンズにキズがついてしまったので,お昼休みにメガネ屋さんに行きました.新調するかどうか慎重に考えることにしました.ランチはピザです.1350円と高かったのですが,マルゲリータはおいしかったです.
夜テレビの予約録画をしたら30件以上してしまっていて,今日はこれ以上予約できない状況です.予約して見ることができるかは自信がありません.

わたしも最近英語の勉強をしています.震災の悲しみが少しづつ薄れて,気持ちに余裕が出てきたかんじです.もちろんフランス語も頑張っています.
河北新報
透明な力を 第8部集う(3) 英語でお礼 もっと勉強を

 この場所があったから、東日本大震災で途切れかけた目標に向かって歩み続けることができた。
 宮城県石巻市北上小6年の佐藤永依(ひより)さん(11)は、消防団員だった父一栄(かずよし)さん=当時(37)=を津波で失った。
 2年生だったあの日。水門閉鎖のために駆け出す後ろ姿に「パパ」と声を掛けた。背中越しに手を振って出て行ったまま、父親は戻って来なかった。
 津波被害を受け自宅も住めなくなり、生活は一変した。保育園時代から続けていた英語塾も、やめざるを得なくなった。

 4年生の冬、母親の尚美さん(41)ら北上地区の女性たちでつくる団体「We are one 北上」が、英会話教室を始めた。
 永依さんは約2年ぶりに英語の勉強を再開した。それが、震災前と同じ平穏な暮らしのリズムを取り戻すきっかけになった。
 自衛隊や消防に加え、救助や捜索に向かう米軍のトラックが印象に残っている。きっと父のことも探してくれたはずだ。「大人になったらアメリカに行って英語でお礼が言いたい」。目標が一つできた。
 海を渡るチャンスは意外と早く訪れた。被災地支援に来たハワイ在住のプロサーファーと知り合い、ホームステイに誘われた。出発前、買い物の仕方などを英会話教室の先生が特訓してくれた。
 昨年12月、1人で飛行機に乗った。昼は、父も好きだったサーフィンを練習した。夜は、ステイ先の同年代の女の子とそれぞれの母国語を教え合った。
 「英語が定着したね」。帰国後、先生が褒めてくれた。やる気がまた湧いてきた。

 「We are one 北上」は、英会話だけでなく、復興支援のNPOと連携し、遠足などレクリエーションを企画している。震災で失われた子ども会の役割も担っている。
 集まってくる子どもたちを見て尚美さんは思う。「みんな元気に前を向いている。その姿は、大人こそが見習わなければいけない」
 永依さんはこの春、「We are one 北上」の英会話教室を「卒業」した。震災前に通っていた市中心部の英語塾で、よりレベルの高い勉強に励む。
 海外留学に憧れている。まずは英語をしっかり勉強できる高校に進学したい。将来、海外で働くのはどうだろう。
 みんながきっと、見守ってくれる。


わたしの家の近くでもこいのぼりが泳ぎ始めています.被災地では希望を乗せて泳いでいることだと思います.
朝日新聞
宮城)被災者の思い出のこいのぼり、荒浜小に飾る

 仙台市若林区にある荒浜小学校の元校舎に29日、復興を願ったこいのぼりが飾られた。津波に遭った地元の人たちが幼いころ描いた思い出の品。浜風に舞う姿に、ふるさとへの思いを新たにした。

 晴れ間ものぞいた29日の昼。長さ4メートルの手作りのこいのぼり12匹を校舎3階につるすと、背びれや尾びれがはためいた。内陸に6キロほど入った若林区蒲町に絵や陶芸の教室「アトリエネオ」があり、ここに幼いころ通った人たちの作品だ。多くの人は、自宅を津波に流されている。

 こいのぼりはアトリエで長く保管し、震災でも無事だった。菊地ゆみ代表(66)が「家や思い出の品を流された教え子たちに、当時を懐かしんでもらいたい」と企画した。

 「こんな小さい手形がある」「この時、友達とけんかしてたんだよね」

 荒浜小の卒業生で看護師の古沢朱花(あやか)さん(22)と高校3年の妹・謡(うた)さん(17)は、小学生の時に自分たちが描いたこいのぼりを見て笑い合った。一緒に暮らす仙台市宮城野区のみなし仮設から、やって来た。

 震災があった2011年3月11日、2人は母校に避難し、一夜を明かした。海岸から約500メートルの家は津波で流され、2階部分だけが3キロほど離れた場所で見つかった。そこに残っていたのは、泥まみれのぬいぐるみやアルバムくらいだった。

 「荒浜はいまは何もなくても、私たちが過ごした思い出のいっぱい詰まったふるさとだと改めて感じた」と朱花さん。一方の謡さんは「こいのぼりを見て、被災地を訪れた人に、少しでも明るい気持ちをもってもらえればうれしい」と話した。

 こいのぼりは5月5日まで飾る。(高見沢恵理)


風化させないためになにができるでしょうか?
産経
現場で黙祷「風化させぬ」 関越道バス事故から2年

 群馬県藤岡市の関越自動車道で乗客7人が死亡、38人が重軽傷を負った高速ツアーバス事故から2年を迎えた29日、遺族ら約25人が事故現場を訪れ、発生時刻の午前4時40分に手を合わせ黙祷(もくとう)した。

 夜明け前の暗がりの中、遺族らはバスが衝突した防音壁の下に到着。献花台に花束や線香を手向け、再発防止を願った。発生時刻にはおえつが漏れた。

 「元気にしているか」。富山県高岡市の長谷川利明さん(54)は、犠牲となった娘の茉耶さん=当時(23)=に心の中で語り掛けたという。追悼の後、報道陣に「バス事業の制度は改善してきたが、どんなにいい制度でも、さらに安全をどう担保するかを考えていかないと同じことが繰り返される」と話した。

 娘の紗知さん=当時(19)=を亡くした高岡市の宮下恵子さん(53)は献花台を前に「事故を風化させてはならない」と決意を新たにしていた。

 石川県能登町の山瀬直美さん=当時(44)=を亡くした夫、哲夫さん(48)は「子供の成長を報告した。進路や就職で悩んだとき、一緒にいてくれればと思った」と話した。

フランス語
フランス語の勉強?

梅田で飲み会→救急車に乗ってしまいました・・・

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梅田でお昼から会議.会議というのは名ばかりで要するに飲み会.でも飲みすぎてしまいました.なんと救急車に乗せられてしまいました.すみません.フランス語の勉強もお休みです.

特集ドキュメンタリー「甥(おい)っ子よ がんばっぺし!〜震災遺児と伯父の3年」
震災で妻が行方不明になった伯父と、両親を失った二人のおいが仮設住宅のひとつ屋根の下で暮らして3年。悲しみを抱える三人が支え合いながら、前に進もうとする日々の記録

岩手県陸前高田市で、震災で妻が行方不明になった伯父と両親を失った二人のおいが仮設住宅のひとつ屋根の下で暮らして3年。NHKはその日々を記録してきた。この3年で、高校生と中学生だった子どもはそれぞれ社会人、高校生になったが、難しい年ごろの子どもたちの面倒を見てきた60代のおじにとっても手探りの日々だった。悲しみを抱える三人が時にぶつかりながら、それでも支え合い、前に進もうとする日々を記録した。
風吹ジュン


友達と会えるというのはいいですね.元気の源という表現は全く正しい気がします.
河北新聞
透明な力を 第8部・集う(2)仲間が待つ、塾は元気の源

 宮城県石巻市北上町の北上川沿いにログハウス風の建物が立つ。子どもたちのにぎやかな声が聞こえてくる。北上中2年の千葉有希さん(13)は毎週火曜、仲良しの友達とここに来るのが楽しみだ。
 小中学生向け英会話教室「We are one 北上」。昨年2月、北上地区の母親たちがNPOの支援を受けて開設した。
 地域は津波で大きな被害を受けた。「放課後の遊び場や勉強部屋を失った子どもたちが、集まれる場所が欲しかった」。運営の中心的な役割を担う佐藤尚美さん(41)は話す。
 有希さんが通う中2のクラスは総勢8人。夕方にはほぼ全員が顔をそろえる。お菓子を食べたり、外のベンチでおしゃべりしたりして、午後7時の授業開始を待つ。

 有希さんは震災当時、吉浜小の4年生だった。自宅が津波で流され、内陸の小学校に転校した。登校した翌日から1週間続けて休んだ。その後も学校になじめず、帰ってきてはベッドで泣いた。
 吉浜小に仮設住宅からバス通学ができるようになり、6年の春に戻った。それでも、孤立感は消えなかった。
 校舎が全壊した吉浜小は、隣の橋浦小で授業を続けていた。9人いた同級生のうち1人が亡くなり、ほかの7人は全員が転校していた。段ボールで仕切ったパソコン教室の一角で、先生と一対一で授業を受けた。
 橋浦小には、被災した別のもう1校も移っていて、朝会や発表会は3校合同だった。学校ごとのグループ同士がささいなことでけんかし、板挟みになることもあった。
 英会話教室ができると知ったのは6年の冬。仲良くなれる子がいるだろうか。人見知りだが、「行きたい」と母親に頼んだ。

 橋浦小の女の子が来ていた。話すと、のんびりした性格が似ている。吉浜小から転校した元同級生の男の子もいた。みんなでわいわい集まるうちに、さみしさが次第に消えていくのが分かった。中学校生活にもすんなり溶け込めた。
 北上中の周囲には、学校帰りに立ち寄れるような店は1軒もない。遠くの仮設住宅に住み、親に送り迎えしてもらったり、スクールバスで通っていたりする生徒は、そもそもぶらりと道草をする時間さえない。
 だから、たった週1回でも、英会話教室は放課後も友達と一緒にいられる貴重な場所だ。
 気の合う仲間とジュース片手に笑い合う。それだけのことが、元気の源になっている。


自転車で岩手と神戸を結んで各地で歌っているシンガー・ソングライターを応援したいです.
朝日新聞
岩手)被災地結ぶ銀輪の旅 盛岡・神戸1200キロ

 岩手から神戸まで約1200キロを自転車で旅しているシンガー・ソングライターがいる。二つの被災地を結び、旅で感じた思いを込め、神戸で29日に開かれる震災チャリティーライブで歌う。日々をつづるツイッターには、多くの声援が寄せられている。

 旅をしているのは井之上惑星(プラネット)さん(27)=長崎県南島原市=。盛岡を9日、音楽仲間に見送られて旅立った。大船渡、南三陸、石巻……。一日30〜115キロ走りながら、町々で弾き語りしている。

 旅をしながら、各地で「郷歌(さとうた)」を歌っている。東京電力福島第一原発事故で避難した浪江町の避難者に、「帰れない自分たちへ歌を作ってほしい」と頼まれたのがきっかけで誕生した歌。故郷を失った人々に、いつか帰ろうと呼びかけている。

     ◇

 井之上さんは数年前、音楽や人間関係に疲れ、自暴自棄になり、9カ月間、自転車で関西などを放浪した。栄養失調になり、実家に戻った時、母のご飯のおいしさに驚いた。「幸せは身近にあったんだ」。この時の感動を「自転車大放浪記」という歌に込め、動画サイトに公開した。

 それを見た浪江町の避難者が「私も避難して初めて、何げない生活が幸せだったとわかった」と連絡。「郷歌」に結びついた。

     ◇

 公開して間もなく、動画を見た神戸のライブハウス店長、風次(ふうじ)さん(34)=神戸市=から連絡が来た。高校卒業後、関西に出てきてから、公私ともに世話になっていた恩人。だが、音信不通になったことで、風次さんが準備したライブもツアーもキャンセルし、迷惑をかけていた。

 なぜ「郷歌」を作ったのかを説明した。井之上さんは被災地を訪れたことがなく、自分の目で見ないまま作ったことが、心の重荷になっていた。風次さんは言った。「被災地に行って歌わないと完成したことにならない」

 風次さんは、阪神大震災で受けた支援の恩返しを目的に、神戸で29日に開かれる巨大チャリティーライブ「COMIN’KOBE」(カミングコウベ)の実行委員。イベントの一環で、被災地の岩手から神戸まで、作曲しながら自転車で走る企画がある。そのライダーとして走ることを井之上さんに持ちかけた。井之上さんは二つ返事でOKし、風次さんも見届け役として伴走することにした。

     ◇

 井之上さんは「歌を聴いてもらう中で、被災した方々から思いを受け取るだろう。それを曲に乗せたい」。自作の、原発避難者の望郷歌をライブしながら進み、18日には、作曲のきっかけを与えてくれた原発避難者の前でも歌った。風次さんは「被災地を自分の目で見て、体力の限界に挑む時、生まれる歌がある。一度挫折を味わった彼のもがいた証しを、神戸で聴かせたい」と話している。(星乃勇介)

     ◇

 〈COMIN’KOBE〉 2005年から神戸で開かれている。入場無料だが、募金箱が置かれる。昨年は820万円が集まり、おおつちありがとうロックフェスティバル(大槌町)に50万円、いしがきミュージックフェスティバル(盛岡市)に100万円などを贈った。


あの事故から2年経っているんですね.残念ながらすっかり忘れていました.
毎日新聞
関越道バス事故:遺族、悔しさいえず 現場近くで献花

 群馬県藤岡市の関越自動車道で2012年4月、乗客7人が死亡、38人が重軽傷を負った高速ツアーバス事故は29日、発生から2年を迎えた。事故が起きた午前4時40分ごろ、高速道路の斜面下に設置された祭壇に遺族が花を手向け、祈りをささげた。

 事故を起こした運転手(45)は今月、懲役9年6月、罰金200万円が確定した。長女の胡桃(くるみ)さん(当時17歳)を亡くした石川県白山市、会社員、岩上剛さん(42)は祭壇に向かって黙とうした後、「刑が確定したことを娘に報告したが、(判決に)納得したくない。苦しい2年間だった」と話した。母の郁子さん(当時49歳)を亡くし、自身も重傷を負った富山県高岡市、契約社員、林彩乃さん(25)は「安らかに眠る母に不安を与えたくないので、事故や裁判のことは報告できない」と悔しさをにじませた。

 母の直美さん(当時44歳)を亡くした岐阜県大垣市、大学4年、山瀬俊貴さん(21)は、事故現場を訪れるたびに送迎し、一緒に手を合わせてくれた群馬県警の警察官から「一生かけてサポートするからね」と言われたという。山瀬さんは「母が最後にいた群馬で、被害者や遺族の心のケアができる警察官になりたい」と決意、来月からの採用試験に挑戦する。【尾崎修二、山本有紀】


「会議」の後参加しようと思っていたんですが,救急車に乗る羽目になってそれどころではありませんでした.でも天皇制について考えていきたいと思います.
■「昭和の日」反対!4・29大阪集会
――新たな軍国主義を許さない!

◇日時 4月29日午後1時30分〜4時30分    集会後デモ
◇場所 エルおおさか (地下鉄谷町線・京阪「天満橋」下車徒歩7分)
◇講演「明仁・美智子天皇制とマスメディア」 中島 啓明さん(共同通信記者)
◇参加費(資料代含む) 1000円(経済的に厳しい方は受付まで)
◇主催 参戦と天皇制に反対する連続行動

●「集団的自衛権の行使とは、米国と一緒に他国と戦争をすることだ」
 安倍晋三極右政権が今国会中にも閣議決定するという集団的自衛権行使の容認について、《防衛省幹部は『集団的自衛権の行使とは、米国と一緒に他国と戦争をすることだ』と言い切(った)》という(朝日新聞4月4日)。集団的自衛権についていろいろマスコミをにぎわしているが、この発言は、ことの本質を的確に表している。集団的自衛権とは米軍と一緒にする戦争のことなのだ。安倍政権は、米軍と一緒にする戦争体制と戦争国家の確立を急ピッチで進めているのである。だから、元防衛庁長官で現・自民党幹事長の石破茂は集団的自衛権行使中の自衛隊員の戦死について《政治の覚悟》が必要と語るのだ(『朝日』4月6日)。
 この戦争国家の確立と、中国・朝鮮民主主義人民共和国に対する戦争への踏み出しは、明らかに戦後日本の第二の転換である。第一の転換が非武装から「海外派兵の禁止」を掲げた再軍備の開始(朝鮮戦争への極秘裏の参戦を含む)と、サンフランシスコ講和・日米安保体制の確立(琉球の分離と米軍支配を含む)とするなら、第二の歴史的転換は、新自由主義の全面展開のなかで、《再び(戦前のような)『列強』になりたいという野心》(クリストファー・ヒューズ・英ウォーリック大学教授、『朝日』4月1日)の展開、新たな軍国主義的帝国主義の一挙的な確立である。
 もちろんそれは、オバマ米大統領の東アジア重視戦略のうちにあるが、対外資産残高が662兆円(12年末)と世界一にまでなった日本独占資本の世界に利権を求める飽くなき欲望と、世界における覇権(とりわけ中国に対抗するアジアでの覇権)を確立したいという危険極まりない支配階級の衝動のあらわれである。
 しかし、この欲望と衝動は、軍国主義を抑制してきた「戦後意識」の解体、アジア民衆の戦争責任追及のかたくなな拒絶によって「国家的自尊心」(排外主義)を立ち上がらせる「歴史浄化」(ジョン・ダワー)としても現れている。それは、日本帝国主義の半世紀以上もの残虐な侵略戦争と植民地支配を受けてきた中国や韓国、朝鮮の人びとに忘れることのできない屈辱感と怒りを改めて与え、欧米の民衆にも警戒感を抱かせている。

●天皇裕仁と明仁の戦後犯罪
 ところで、戦後日本のこの二つの転換に、天皇裕仁と明仁が大きな役割を果たした。じつは、ここにこそ戦後天皇制の本質がある。
 第一の転換は、連合国軍最高司令官マッカーサーに命と天皇制を救われた裕仁が政治権力を行使し、米国権力および日本支配階級との合作で行ったものだ。裕仁の政治権力の行使が新憲法(非武装と象徴天皇制)の無視・蹂躙だったのは明らかだが、誰一人異議をはさまなかった。戦後日本の転換はこうして、天皇裕仁による戦後の否定とそれを了とする政治体制から始まったのである。
 第二の転換、つまり新たな軍国主義への転換は、その準備段階で、天皇明仁が大きな役割を果たした。彼がまず行ったことは、大日本帝国が侵略したタイ・マレーシア・インドネシア・中国に「日本が過去を振り返り、戦後、平和国家として生きる決意」(明仁の訪問前記者会見)を表明する「謝罪なき謝罪外交」であり、広島・長崎・沖縄への謝罪なき「慰めと励まし」「追悼と慰霊」の「行幸」であった。それは自衛隊のペルシャ湾派遣やPKO派兵と平行して行われ、天皇(日本国家)の戦争責任を「棚上げ」、あるいは帳消しにする「元首」としての外交的パフォーマンスに他ならなかった。自衛隊の外国派遣の「障害」を取り除く政治工作、あるいは地ならしだったのである。
 続いて明仁が行ったのは、憲法無視の「国事行為」ともいってよいもので、アフガニスタン報復戦争を決意したブッシュ米大統領への「9・11弔意」の伝達であった。「自然災害以外での弔意伝達は異例」と宮内庁記者会が指摘したように、まったく異例だったのだ。同じ日、小泉純一郎首相は日本の参戦を表明した。「弔意」伝達は首相の参戦表明と一対であり、日本の「国家元首」としての「参戦表明」だったのである。そうして自衛隊は戦後初めて、公然とアフガニスタン・イラク侵略戦争に参戦(武器使用を封印した戦時派遣・戦地派遣)したのである。
 次は「9・11」直後、天皇明仁が「国難」に立ち向かう方向を、テレビを通じて国民に直接示したことである(東日本大震災・天皇メッセージ)。天皇が国家と国民の進むべき方向を放送するのは、天皇裕仁が戦争の終結と将来日本の建設を指し示した「8・15玉音放送」以来の異例のことで、「象徴天皇」を超えた「元首天皇」としての「国事」といえた。
 明仁もまた戦争と「国難」に元首天皇として行動することを内外に示し始めたのである。
 こうした戦後史の転換に大きな役割を果たした裕仁と明仁の政治行為は、戦争国家(新軍国主義)への転換に軌道を敷き、促進した許しがたいもので、日本の人民を再び戦争に引きずりこみ、アジア・世界の人民に死と大厄災をもたらす犯罪といわなくてはならない。天皇の戦後犯罪である。

●オバマ・天皇会談を許すな!
●天皇の沖縄訪問に反対する!
オバマ大統領は4月24、25日に来日し、天皇との会見や宮中晩餐(ばんさん)会など国賓としての行事に参加する。この来日は、安倍首相が靖国神社の参拝などで亀裂を入れた日米関係の修復が目的である。天皇がオバマを国賓として最大級の「おもてなし」をすることは「修復」のパフォーマンスなのだ。戦争の危機をつくりだす米国の東アジア重視戦略と日本の戦争国家(新たな軍国主義)推進の確認なのである。一見政治的に見えない天皇の行為そのものが極めて犯罪的政治行為と言わねばならない。
 天皇明仁が計画しているもう一つの政治的犯罪行為がある。それは米軍に撃沈されて70年の今年、学童疎開船・対馬丸の記念館(那覇市)視察を口実にした沖縄訪問である。
 「国体(天皇制)護持」の捨て石決戦を沖縄に強要した天皇制日本にとって、学童疎開は皇軍の食糧確保と足手まといの排除の作戦のひとつであった。対馬丸は44年8月22日、トカラ列島で米潜水艦の雷撃を受けて沈没。疎開者1700人のうち1500人(うち学童800人)が犠牲となった。
戦後、日本政府は対馬丸犠牲者を「天皇のために命を捧げた者」として靖国神社に合祀し(67年)、叙勲し(72年)、遺族に特別支出金を支給した。「慰霊・顕彰」したのである。それは天皇の沖縄戦責任の隠ぺいであるばかりか、戦後も沖縄人民を天皇制に取り込む攻撃であった。そして今回である。この訪沖は、沖縄を東アジア有事の最前線にするための集中的な攻撃の一環なのだ。「琉球の自決権」「独立」に向かっている沖縄人民を叩き潰す天皇攻撃と言わねばならない。

●天皇裕仁と明仁の戦後責任を弾劾する!
 戦争国家の確立は、戦争を遂行する挙国一致体制の確立をぬきにしてあり得ない。天皇思想による民衆の思想統制を推し進めるのだ。学校教育のほぼ完全な国家統制(「日の丸・君が代」懲戒処分の乱発、右翼「国定教科書」づくり、権力による教育委員会支配)と、マスメディア、とりわけNHKの国家と極右による支配はその環である。
 私たちは戦後史の転換に大きな役割を果たした裕仁と、今なお果たし続けている明仁の戦後犯罪を弾劾せねばならない。そして、私たちのなかにある根強い天皇軽視と天皇制タブー、《天皇明仁は戦犯ではない「護憲」「平和」の人》という幻想を払拭せねばならない。
 私たちは戦争時代に入る転換点いるいまだからこそ、裕仁と明仁の戦後犯罪を徹底して暴露することこそ必要である。
集会・デモへの参加を!

フランス語
フランス語の勉強?

お昼は飲茶セット/ハードディスクが届きました

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140428_Yamcha

C'est ce que j'ai appris en étant enfant.
それが,わたしが子どもだったときに学んだことだ.
En choisissant d'écrire en français, Beckett a renoncé à l'anglais, sa langue maternelle.
フランス語で書くことを選ぶことで,ベケットは,自分の母語である英語を捨てたのである.


今日はしのの日で,お昼はピザにしようと思っていたのですが,月曜日お休みになっていました.代わりに台湾料理のお店.飲茶セットをいただきました.お店は2回目です.
キソキソは図を書くのに少し失敗・・・
夕方ハードディスクが届きました.これで録画ができます.NHKの番組をたくさん予約録画してみました.

昨日引用したZの友という冊子には,こんなことも記してありました.
残念ながら,あなたが過去に犯してしまったことを変えることはできません.
しかし,変えることができるものがあります.
それは,現在のあなたです.
あなたは,「愛する人」になってください.(中略)
たゆまず,着実に,どんな困難があったとしても,「愛する人」となるようにしてください.

私は「愛する人」になろうと思いました.

一緒に考え,悩む人がいるというのはいいことですね.
河北新報
透明な力を 第8部・集う(1)地域の大人と悩んで、笑う

 東日本大震災後、ボランティアなどが運営する遊び場や学習塾が被災地に増えた。学校でもなく、家庭でもない「もう一つの居場所」。そこに集まる子どもと、見守る大人たちはいま、何を思うのか。(震災と子ども取材班)

 帰省するたび、いつも立ち寄る場所がある。一緒に笑い、悩んでくれる大人たちがいる。
 岩手県山田町の中心部にある「山田町ゾンタハウス」。2階の自習室から、佐々木修朔(しゅうさく)君(17)が1階に下りてきた。
 ハウスは震災後、国際的な社会奉仕団体の支援でできた。葬儀店だった建物を改修し、2階を自習室として週6日、子どもたちに開放している。
 山田中の生徒だったころ、ここで勉強に励んだ。一関市の一関高専に進み、寮で暮らす今も、ちょくちょく顔を出す。自習室を使うことだけが理由ではない。
 トーストやバナナなどの軽食が用意されている1階の休憩スペース。ストーブの前の椅子を引き寄せ、「なじみの相手」に話し掛けた。「聞いてくださいよ」
 「なんだ、修朔」と応えた鈴木聖一さん(67)はスタッフの一人。ハウスは地域の大人たちが運営している。鈴木さんは設立メンバーと知り合いだった縁で働いている。
 「鈴木さんには、いろいろ話せるんだ」と佐々木君。大人と話すのって楽しい。ここに来て、そう思うようになった。

 中学1年の時、震災が起きた。家族や自宅は幸い無事だったが、被災して町を離れた同級生が何人もいた。母親を亡くした友達は「また会おう」と言って転校していった。
 散り散りになった仲間たち。話し相手が少なくなった。
 親には打ち明けにくい悩み、恋愛の相談…。ハウスのスタッフになら、ぶつけられる。この間、かわいい女の子と知り合った。「制服姿がすてきでさ」「春が来たな」。2人で笑い合う。
 悩んでいるときには、アドバイスをもらった。「どうして勉強なんてするんだろう」。運営責任者の佐藤恵理子さん(50)が疑問に答えた。
 「勉強して身に付けた知識が、これから生きていくための道具になるんだよ」
 将来の自分のためなんだ。ストンとふに落ちたその言葉を、今でもしっかり覚えている。

 震災前、こんなふうに大人と話せる場所はなかった。居心地が良くて、1階にいる時間がついつい長引いてしまう。
 人は、人と会話し、いろいろな意見を聞くことで成長できる。ハウスは自分にとって、単なる自習場所ではない。
 「1階にいても勉強中なんだ」。口には出さないが、そう思っている。
 「早く勉強に戻れ」。鈴木さんにせっつかれても、まだ粘る。「ねぇ、聞いてくださいよ」


子どもの頃,ホヤは苦手でした.今は大丈夫です.英語だとsea squirtsかな?フランス語だとles ascidies??
毎日新聞
東日本大震災:女川のホヤ漁、本格再開 /宮城

 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた女川町のホヤ漁が本格的に再開した。ホヤの成長に必要とされる約3年がたった。

 竹浦(たけのうら)や尾浦など町内の漁港では5月から6月にかけて水揚げの最盛期を迎える。

 小松吉城さん(40)も津波で大きな被害を受け、わずかに残された種ホヤを育てて今季を迎えた。今月漁を再開し、多い日で約1トンの水揚げがあるという。船上に並ぶホヤをはかりにかけ、「今年は生育が良く、立派なホヤが揚がっているよ」と笑顔を見せた。【文 佐々木順一】


アベちゃんの視察は格好だけなのではないかと思います.本当に住民の声を聞こうなんて思っていないような視察だとおもいました.
岩手日報
首相の駆け足視察に不満 沿岸北部、仮設住民ら

 東日本大震災の復興状況視察のため本県沿岸北部を訪れた安倍晋三首相は27日、慌ただしい日程で、災害公営住宅や高台団地などを視察した。地元は歓迎ムードで出迎えたが、肝心の首相は足早に現場を後に。住宅再建や水産業復興など課題が山積する中、いまだに不自由な生活を強いられている仮設住宅の住民からは「要望を伝える時間さえなかった」と不満の声も漏れた。

 安倍首相は、2月に入居可能になった野田村の災害公営住宅などを視察。その後、三陸鉄道北リアス線陸中野田―普代間で一部貸し切りの列車(3両編成)に乗った。普代村から陸路、田野畑経由で岩泉町小本駅に到着した首相は視察終了後、同駅で「復興が着実に進んでいることを実感することができた」と述べた。

 野田村の野田中仮設住宅では、首相が到着する1時間ほど前から住民が外で待った。しかし、15分ほどの滞在時間はあいさつ程度で、住民との対話はほとんどなかった。

 中野大六(だいろく)自治会長(65)は「あまり取り上げられない沿岸北部に来てもらったのはありがたい」と感謝しつつ「要望を伝える時間もなかった。せっかくみんなが集まったので、被災者に向けて何か一言ほしかった」と残念がった。


わたしにとってふるさととは???少なくとも関西ではないのですが・・・
毎日新聞
東日本大震災:古里は胸に…帰郷の夢諦めた渡部さん

 生まれ育った福島県浪江町の家を東京電力福島第1原発事故で追われ、次男(34)のいる広島県に避難した渡部恵子さん(55)は今年、胸に抱き続けてきた帰郷の夢をついに諦めた。東日本大震災から3年。古里が元通りになるまで待つつらさが身にしみた。後片付けを終えがらんとした自宅の部屋。「広いなあ」。覚悟を決めたはずなのに、恵子さんが浮かべた笑みは寂しそうだった。【中里顕】

 夫の洋行さん(70)と共に、原発から8キロの住宅街に1982年に建てたマイホームは広い庭があって、男の子2人の4人家族でするバーベキューの思い出は特に強く心に残る。ついのすみかのはずだったから、家の写真はない。ローンは2012年、震災の翌年に完済する予定だった。

 原発事故で警戒区域とされた。同居の長男(36)と3人で次男が夫婦で暮らす広島県に避難。同県坂町に県営住宅を見付けた。浪江の家にはこの3年間、家族で「いつか帰ろう」と話し、ローンも払い続けた。時間を見つけては一時帰宅し、少しずつ後片付けを進めた。そんなときは近くに避難していたかつての近所の知人を訪ね、近況を語り合った。

 だが、過去の話ばかりで話題は続かない。関係が希薄になる中で、前のような生活ができるのか不安になった。会ってもほとんど会話をしないまま広島に戻る日も多くなった。漁師の友人が津波にさらわれた自宅そばの海岸は、打ち上げられたままの船と震災がれきが散乱している。

 さらに政府が昨年12月、「全員帰還」のスローガンを捨て、移住者を補助する復興促進策を決めた。恵子さんは、帰郷の望みに蓋(ふた)をされた思いがした。「もう戻らない」と決めた。

 「浪江で死にたい」と言う洋行さんを「原発を解体して放射能が漏れれば、また避難しないといけない」と説得した。希望を持たないよう、家は取り壊すことにした。火災保険も解約した。身を切る思いで古里から遠ざかる手続きを進めた。

 3月5日、東電に頼んだ自宅の清掃作業があった。家財道具がほとんど持ち出された後の、思ったより広く感じる家の中を、一歩ずつ感覚を確かめながら歩いた。

 広島に帰ると、洋行さんと2人で泣いた。近く、自宅を取り壊す日を決める。立ち会う時は「きっとまた、泣いちゃうんだろうな」。忘れられない古里を胸にしまい、広島で前を向いて歩き出すつもりだ。


三陸鉄道・・・一回くらい乗ってみたいですが,時間的に余裕がないのが現状.うーん・・・
朝日新聞
(語る 復興への道)暮らし守る希望の鉄路 望月正彦さん 東日本大震災4年目

 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県の三陸鉄道(三鉄)が4月、3年ぶりに全線開通した。震災5日後から一部で復旧し、地域の足となってきた三鉄。人口減で厳しい経営は続くが、復興途上の被災地でどんな役割を果たすのか。望月正彦社長(62)に聞いた。

 全線が復活した今月6日、各駅や線路沿いに地域の方がたくさん出て、大漁旗を振って歓迎してくれた。うれしかったですね。鉄道の存在感というか潜在力、地域に与える希望の大きさを実感しました。

 震災直後に被災現場を回ると、駅に雪が残り、足跡がいっぱいあったんです。道路が土砂やがれきで埋まり、線路を歩いている人がたくさんいるわけですよ。

 列車を動かせば、そういう人たちの役に立つ。運行したいという思いが募りました。震災2日後の夜、「順番に復旧させるぞ。動かせるところから動かそう」と指示を出しました。

 最初は社内で反対されました。余震も続いている、安全の点検も十分できず、無理だと。その時、列車を動かすことで地域の人も助かるし、会社も将来が見えてくるんだ、と話した。運行本部長も最終的には「やりましょう」と言ってくれました。

 社員は半信半疑でした。でも震災5日後、一部区間で動かすと、住民から「助かった」「ありがとう」と言ってもらいました。

 3年で復活させる計画を立て、(1)全線で復旧する(2)被災状況に合わせ順次延伸する(3)ルートは変えない、の3点で沿線市町村から内諾を早々にとった。早めに動いたため、資材高騰や人員不足、入札不調を避けることができました。

 復旧工事では予定価格よりもかなり安く応札してくれたゼネコンがあった。理由を聞くと、「実は30年前にうちが造った。そこが流されたので自分たちで直したい」と。心意気にびっくりしました。

 被災直後は「三鉄はもう終わり」という話が聞こえてきました。しかし、全国から多くの応援、支援があり、そういった声はなくなった。世論の後押しがあったから、政治家も91億円の復旧費を全額出す決断をしたんだと思います。

 ■続く赤字、目標は高く

 全線で運転を再開したが、経営はかなり厳しい。あまちゃん(NHKの連続テレビ小説)効果があっても乗客は震災前の6割で、20年連続の赤字。沿線は人口減少が続いている。

 これから5年くらいが一番苦しい。防潮堤ができていない、土地のかさ上げもされていない。待ちきれずに去る人も出るでしょう。高台移転で駅から離れた所に住むようになれば、車を使う人も増える。

 それでも、地域の復興には鉄道は必要と考えています。知る限り、国鉄改革以降、国内で鉄道が廃止されて栄えた街はないんです。鉄道がなくなると、地域は急速に衰退してしまう。

 「バスでもいいのでは」という意見もあるが、鉄道には安全安心や定時性、速達性、大量輸送といった優位性がある。加えて、三鉄は観光鉄道。震災前は1割がツアー客。泊まって食べて、お土産を買ってくれる。地域にも貢献しているわけです。車と鉄道のバランスが大事です。

 被災地を見てもらう震災学習列車には力を入れていくつもりです。昨年6千人以上の利用があったが、今年は1万人にしたい。首都直下型地震や南海トラフ地震が心配される中、震災現場で肌で感じることは大切。修学旅行で毎年来てもらえるよう、世界遺産の平泉と連携するなどプログラムを提供していきたい。

 今年度は乗客を震災前に近い83万人に戻すことを目標にしている。高いハードルです。でも低い数字で満足していたら、だれも応援してくれない。高い目標を掲げ、努力していく姿勢が大事だと思っている。社員はみんな真剣ですよ。

 三鉄は南リアス線と北リアス線に分かれ、その間を走るJR山田線は運休が続く。山田線の運行を三鉄に移管する案がJRから示されているが、鉄路が一本につながれば車両基地や運行指令を一つにして効率化が図れる。利便性が増すダイヤも組めるようになる。

 日本では長年、もうからない路線は地方に押しつけてきた。その結果、鉄道はどんどん廃止され、過疎が進んだ。しかし、地域交通確保を目指す交通政策基本法が昨年できた。地域の暮らしを守るため、国は存続の仕組みをつくるべきだと思います。

     *

 三陸鉄道社長 1974年岩手県入庁。久慈市助役、県盛岡地方振興局長を経て2010年に三鉄社長。県庁時代、三鉄開業にかかわった。

 ■風化ともたたかう象徴

 東京の知人に「三鉄ってずいぶん客が乗っているんだな」と驚かれた。「あまちゃん」や全線開通セレモニーなどの賑(にぎ)やかな映像を見ての感想らしい。

 だが現実は不採算路線。駅周辺は家々が流され、コミュニティー形成もままならない。自分たちの鉄道を守るという「マイレール意識」の乏しい自治体も残念ながら見受けられる。

 「地域復興のために三鉄は必要だ」。望月社長はそう断言する。復興のシンボルという「特別な任務」も背負った三鉄。震災の風化ともたたかう、被災地にとって大切な存在だ。(宮古支局長 阿部浩明)


原発なしで経営することを考えた方が将来的に関電のためになるはずです.
朝日新聞
原発ゼロの夏―内向きの経営脱する時

 原発なしでは電気が足りず、電気代も上がる――電力会社はもう、そんな不安を前面に出す姿勢を改めるべきではないか。

 この夏の原発再稼働が見通せぬ中、電力各社は「原発ゼロの夏」を乗り切る計画を示した。実現すれば、震災後初のこととなる。

 とはいえ、もともと原発に過大な依存をしていた関西電力では、真夏のピーク時の余裕は3%しかない。節電の手を緩めてはならないが、つい2年前「原発ゼロなら計画停電もある」「企業活動や医療現場に影響が出かねない」と大飯原発を再稼働したときのことを思えば、世の変化に目を見張る思いだ。

 原動力は、予想を上回る節電の定着である。

 あの夏、大飯原発に頼った関電管内では予想の3倍を超える節電を達成。原発ゼロでも乗り切れた計算となった。昨年は歴史的猛暑だったのに、節電の定着ぶりは変わらなかった。

 こうした実績から、関電は今夏、原発2・5基分の節電を見込むことができた。原発事故を真摯(しんし)に受け止めたユーザーの努力が「節電発電所」の建設につながったといえる。

 電力会社の努力はどうか。

 安定供給には原発しかないと説き続け、リスクが明らかに高い人口密集地付近の原発でも再稼働を申請する。一方で、余った電力を地域を越えて融通しあう仕組みはなかなか整わない。関電は今夏初めて、東京電力から融通を受けて電力不足を乗り切る計画だが、周波数の違う東西での融通能力は震災時から2割増えただけだ。

 燃費がかさむ古い火力に頼り、「いつ故障とも知れない」「電気代が上がる」という説明も続く。最新鋭の高効率の火力発電所建設の動きが出始めたのは、ごく最近のことだ。

 電力市場の自由化を進める法案が、国会で審議中だ。家庭も含めて自由に電力会社を選べる時代へと移っていく。すでに自由化された自治体などの大口利用者は、電気代の安い新電力に乗り換え始めた。発想を切り替えねば、大手電力会社自身が生き残れまい。

 節電する人びとが求めるのは、安全に安定して、できるだけ安く電気を使えるシステムをつくっていくことだろう。再生可能エネルギーを拡大し、限られた電気を融通し合える仕組みを早く根付かせたい。

 福島での事故で巨大なリスクが潜むことが明らかになった以上、巨額の投資をしたから原発を動かしたいという経営の論理はあまりに内向きに見える。


ガロの歌は好きです.このコラムが言うように喫茶店で語り合うなんて久しくしていないような気がします.
毎日新聞
余録:「学生街の喫茶店」という歌がヒットしたのは…

 「学生街の喫茶店」という歌がヒットしたのは1970年代前半のことだ。「訳もなくお茶を飲み話したよ」と歌詞にあるように、喫茶店にたむろする若者の姿は学生街につきものだったが、そんな風景を目にする機会はめっきり減った▲小社大阪本社ビル1階の「茶房(さぼう)オリオンズ」も先週末で閉店し、60年余の歴史に幕を引いた。最盛期だった70〜80年代に比べて売り上げは3分の1ほどに落ちたという。取材相手との待ち合わせや仕事の打ち合わせに重宝した場所だけに惜別(せきべつ)の念を抱く▲日本に初めて本格的な喫茶店が登場したのは明治21(1888)年、東京・上野の「可否茶館(かひさかん)」だといわれる。高料金がたたり数年で閉店したが、明治末期から大正時代にかけて新しい店が相次いで誕生し文化人や芸術家のサロンとなった▲昭和に入るとその数は次第に増え、都市空間における憩(いこ)いの場、語らいの場として庶民の生活にとけ込んでいく。やがてシャンソン喫茶やジャズ喫茶、漫画喫茶など営業の形も多様化し、文化や趣味の発信地としての役割も担った▲総務省の統計では喫茶店の数は1981年の15万4630店をピークに減り続け、2012年には4万9298店と3分の1以下に落ち込んだ。大手コーヒーチェーン店やコンビニコーヒーに押されて従来型の喫茶店には分が悪い時代だ▲学生街の喫茶店は学生文化を育(はぐく)む場でもあった。ある大学教授は「喫茶店が減って学生たちが議論する場がなくなってきた」と嘆く。パソコンやスマホとにらめっこする時間が増えた昨今、コーヒーカップをはさんで語り合う時間がひときわ大切に思える。

フランス語
フランス語の勉強?

テレビをたくさん見ました/眠い1日でした

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En ayant beaucoup étudié, j'ai réussi à voir une bonne note !

たくさん勉強したので,いい点数がとれた!
Je lui ai proposé de venir au restrant tout en sachant qu'elle refuserait.

わたしは,彼女がことわるだろうと知っていたのに,レストランへ行こうと誘った.

関目のインド料理.一回行ってよかったと思っていたのにつぶれてしまいました.
今日はテレビをたくさん見ました.でも眠い1日でした.外に一歩も出ないで過ごしてしまいました.

Zの友という冊子に掲載されていました.
勧酒   于武陵

勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

君に勧む 金屈巵(きんくつし)
満酌 辞するを須(もち)いず
花発(ひら)けば 風雨多く
人生 別離足(おお)し

井伏鱒二の名訳は
コノサカヅキヲ 受ケテクレ
ドウゾ ナミナミ ツガシテオクレ
ハナニ アラシノ タトエモ アルゾ
「サヨナラ」ダケガ 人生ダ 

というものです.いいですよね.


明日へ−支えあおう− 証言記録 東日本大震災28▽千葉県旭市〜遅れて来た大津波

九十九里浜の北に位置する千葉県旭市を大津波が襲ったのは、地震から2時間半も後だった。遅れて来た津波に不意をつかれた住民は津波に飲まれ、15人が犠牲になった。

九十九里浜の北部に位置する千葉県旭市は、あの日震度5強の地震に見舞われた。沿岸の住民の多くは、内陸の避難所に避難したが、最初の津波は、4mの堤防をわずかに越えるものだった。そのため住民は安心して帰宅してしまう。しかしその1時間後、7.6mの巨大津波が街に押し寄せた。遅れて来た津波に不意をつかれた住民は津波に飲み込まれ、15人が犠牲になった。津波が来るまでの2時間半、住民は何を考えどう行動したのか。


BS日テレ NNNドキュメント'14 性被害で出産…養子に出す側受ける側特別養子縁組の光と陰
性犯罪による妊娠したある女子高校生は、すでに中絶できる時期を過ぎていた。赤ちゃんを産み、特別養子縁組に委ねる決意をするが、果たして…  毬谷友子   中京テレビ

NHKスペシャル「調査報告 女性たちの貧困〜“新たな連鎖”の衝撃〜」

今、働く世代の単身女性の3分の1が年収114万円の暮らしを強いられている。特に深刻化しているとされるのが若年女性の貧困である。「新たな貧困」を見つめていく。

今、働く世代の単身女性の3分の1が年収114万円の暮らしを強いられている。その中で特に深刻化しているとされるのが15−34歳の若年女性の貧困である。家族を養うために朝5時から働く19歳の女性。家賃が支払えず、ネットカフェで暮らす母娘。取材を進めると、親の世代の貧困が、若年女性へと連鎖していることが明らかになってきた。最前線のルポから社会を襲う「新たな貧困」を見つめていく。  国谷裕子  上田早苗


走るのは苦手ですが地域の特に被災地の特産物を味わうというのはいいですね.
NHK
被災地の特産品味わう復興支援マラソン

東日本大震災からの復興を支援しようと、津波で大きな被害を受けた被災地の特産品を味わいながら走るマラソン大会が宮城県登米市で開かれ、青空の下、大勢のランナーが参加しました。

「東北風土マラソン」と名付けられたこの大会は、全国のボランティアや宮城県登米市の住民らが企画しました。
大会は、登米市の長沼フートピア公園を会場に行われ、フルマラソンやハーフマラソンなどに全国から1000人余りが参加しました。
マラソンコースには給水所ならぬ「給食所」が設けられ、ランナーは、津波の被害を受けた沿岸部の特産品などを走りながら味わうことができます。
ランナーたちは、宮城県南三陸町で採れたわかめを使ったみそ汁や、ささかまぼこ、それにタコのから揚げなどを受け取ると、足を止めて堪能していました。
また、一部の給水所では、宮城県特産の日本酒を仕込む時に使うミネラルが豊富な水がふるまわれ、ランナーが奪い合うようにコップを受け取っていました。
東京から参加した女性は「みそ汁はとてもおいしく、水分と塩分補給に最適です。きょうの目標は、すべての特産品を食べて制覇することです」と話していました。


安全向上のために遺族の方々が頑張った成果が実ったということで,とりあえずはよかったのだと思います.
朝日新聞
脱線事故9年―被害者視点で見えた事

 106人の乗客と運転士が死亡したJR宝塚線脱線事故はなぜ起きたのか。

 遺族とJR西日本幹部、有識者でつくる安全フォローアップ会議が、尽きぬ疑問に迫った報告書が、事故9年の日に公表された。

 事故の被害者と加害者が同じテーブルにつき、原因を議論したのは画期的だ。JR発足後最悪の事故を風化させず、真の安全向上につなげたい、という遺族らの執念が実を結んだ。

 被害者の視点が生かされた報告書は、今後の安全策を考えるうえで示唆に富む。JR西はもちろん、安全にかかわるすべての関係者に読んでもらいたい。

 これまで、脱線の直接原因は、電車のスピードを落とさぬまま、カーブに入った運転士のミスとみられてきた。

 JR西は「事故前も安全を優先してきた」と言う一方、「カーブに安全装置を設置する法的義務はなかった」「プロである運転士の速度超過は予想できなかった」と主張してきた。

 安全対策をすり抜ける想定外の事故が起きた、との認識だ。

 だがフォローアップ会議は「事故は起きるべくして起きた」との前提に立ち、直接原因の背後に潜んでいたさまざまな要因との連鎖を分析した。

 経営陣は事故前、収益増を狙って宝塚線のダイヤを高速化した。高速で走るほどミスが事故につながる危険は高まるが、安全装置でカバーする発想は乏しく、運転士の負担は増した。

 運転士のミスに対しては、懲罰的な指導で臨んだ。運転士が恐れて萎縮するあまり、かえってミスを犯すリスクを見過ごしてしまった。報告書は「経営層もヒューマンエラーの罠(わな)に陥る」と表現した。

 事故が起きると、加害者は「反省し、再発防止に努める」と言うのが常だ。報告書は、こうした事後対処型の対策の限界を指摘した。

 それに代わり、経営陣から現場まで、事業者全体を一つのシステムととらえ、総合的な安全管理体制を整える必要性を説いた。しっかり機能させるため、安全に関する知見を持ち、事業者と利害関係のない第三者機関の検査も提案した。

 国は宝塚線事故後、交通事業者が安全管理体制を強化するよう促してきた。だが、身内だけの体制は形骸化しやすい。窮地に陥ったJR北海道が典型だ。

 第三者による検査は、組織の体質を不断に見直せるだけでなく、社会的信頼を高める効用もあろう。国は、交通全般で広く導入を検討してはどうか。


除染手当が中抜きされているのはまったくおかしな話です.是正されるべきだと思います.
河北新報
「除染手当」/支給の透明性を高めよ

 福島第1原発事故に伴い、高い放射線量が検出された福島県内の区域で、国直轄の除染作業員に支給される「特殊勤務手当」が事故後初めて減額された。
 居住制限区域と避難指示解除準備区域が対象で、日額1万円から6600円に引き下げる。
 環境省は除染や放射線物質の自然減衰が進みつつあることを理由に挙げる。区域内の宿泊が特例で可能になるなど避難前の状況に近づいているとして、作業員の心身の負担が一定程度軽減されていると判断した。
 もっとも、作業員の間には、手取りが額面通り支給されていないとの不満が根強く、国の思惑と実態が懸け離れている。賃金体系の形骸化は過酷な作業を敬遠する傾向を助長し、除染が遅れかねない。問題点を放置せず根本的な改善を図るべきだ。
 特殊勤務手当はもともと国家公務員向けの制度だった。東日本大震災を受け、被ばくの危険性や精神的な負担を考慮し、原発の敷地内や周辺地域での業務も対象に含めた。制度上は作業員に全額支払われるはずが、「中抜き」が横行した。
 除染作業は国からゼネコン、下請け業者、そのまた下請けへと発注される。その過程で手当の趣旨が徹底されていなかった。食事代や宿泊費などの名目で、中間業者が無断で天引きしていた悪質なケースもあった。
 線量の高い地域で行われる国直轄除染は、真夏でも防護服にマスク、手袋を着用するなど厳しい労働環境下で実施される。にもかかわらず、相対的に線量が低い他の除染現場の作業員とさほど変わらない手取りしか得られないのでは、労働意欲を失わせるだろう。
 環境省は手当の支払い徹底に向けて指導を強めている。ただ、対象は発注先の元請け業者どまりで、中間業者まで浸透していない。福島労働局も労働基準法と労働安全衛生法に基づき業者に是正勧告を行ってはいるものの、福島県労連労働相談センターには「手当をピンはねされている」との相談が後を絶たない。
 手当とは別に、労務単価(日当)も見直し、当初の1万700円から1万6千円に増額した。これにより作業員の手取りは2万700円から2万2600円に増える計算にはなる。
 とは言え、ピンはねなどの現状を踏まえれば、手当を日当と切り離し、元請けや国が直接支払う方法にするなど、賃金体系の透明性を高めるべきだ。そうした取り組みを併用してこそ、手取りが確かに増えて作業員の確保も進むというものだ。
 国直轄除染は、飯館、双葉、南相馬、浪江、富岡、川俣、葛尾の7市町村で実施し、約6500人が従事する。今後、除染範囲の拡大に伴い、増員する必要が出てくる。作業員の多くは福島県外出身者とされる。首都圏では東京五輪に向けた建設特需が見込まれ、作業員の引き合いが激しくなるのは確実だ。
 除染の完了は被災地再生の大前提である。その進捗(しんちょく)にブレーキが掛かるような事態だけは何としても避けたい。


認知症の方の介護をどうとらえるか・・・判決は無情と言わざるを得ません.
毎日新聞
認知症と鉄道事故 みんなの目で守ろう

 認知症の91歳の男性が徘徊(はいかい)中に電車にはねられて死亡し、その家族に鉄道会社から損害賠償請求訴訟が起こされた。男性の妻は当時85歳、自らも「要介護1」の認定を受けていた。夜中に介護で何度も起きており、疲れてまどろんだ数分間に夫が外出したのだったが、裁判所は妻に360万円の支払いを命じた。名古屋高裁の判決を無慈悲と思う人は多いのではないか。家族にばかり介護負担を求められる時代ではない。みんなで認知症の人を見守る社会にしなくてはならない。

 「同居の妻は民法の監督義務者として賠償責任を免れない」と高裁は言う。だが、一つの家に大家族で暮らし、親族や隣近所とも濃密な助け合いがあったころは認知症もあまりなかった。平均寿命が延びるにつれて認知症は増え、厚生労働省研究班の調査では推計462万人に上る。夫婦のみ世帯や独居の高齢者も増加しており、配偶者に監督義務を求めて済まされる状況ではない。

 介護負担に苦しむ家族の要望で精神科病院に入れられる人は後を絶たない。徘徊などに困っていても、認知症への誤解や偏見を恐れて助けを求めない家族も多い。

 事故は避けなければならないが、徘徊そのものを過度に問題視してはいけない。どこかに行こうとしたり、何かを探したりしているうちに迷子になってしまう、不安なことがあって歩き回る……。何かしらの理由も意味もあるのだが、うまく説明できないために「徘徊」と決めつけられる。そうしたお年寄りの心情や行動を理解し、その人格を尊重することで徘徊などの行動の改善が図られる例は多いという。

 「安心して徘徊できる町」を目指す福岡県大牟田市では10年以上前から徘徊する人を市民が見守る模擬訓練を行っている。毎年多数の市民が参加し、認知症の人にどのように声を掛け、手助けするのかを学んでいる。子供たちが認知症の理解を深めるための「絵本教室」、「認知症コーディネーター」など支援者養成などにも取り組んでいる。また、各地の自治体でも、認知症の人が行方不明になったとき、警察やタクシー会社、郵便局、町内会などに一斉に情報が流れる「徘徊SOSネットワーク」の取り組みが広がっている。

 高裁判決は原告のJR東海に対しても、利用客への監視が十分でホームのフェンス扉が施錠されていれば事故は防げた可能性を指摘した。鉄道会社にも安全向上の社会的責任を求めるのは当然だろう。家族と鉄道会社だけが負担をかぶらないよう保険や基金を創設するのも一案だ。社会全体でリスクを分かち合い、認知症の人を支えなければならない。

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28 ans de la catastrophe de Tchernobyl

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Kiev commémore les 28 ans de la catastrophe de Tchernobyl

Le 26 avril 1986, le réacteur de la centrale de Tchernobyl en Ukraine explosait, à 1h23 du matin comme l’ont rappelé les tintements de cloche la nuit dernière à Kiev. Un service religieux a été organisé dans la capitale. Parmi ceux qui étaient présents figurait une femme, Lidia, disant prier pour qu’un tel “désastre ne se reproduise pas”. Elle a perdu son mari dans la catastrophe.
“C’est un jour de souvenirs en hommage aux victimes, soulignait de son côté Youri, âgé de 70 ans. Nous avons travaillé dans la centrale nucléaire. C’est notre mémoire. Tous les noms des victimes que nous connaissions sont écrits ici. C’est notre mémoire, une mémoire très compliquée”.
Le réacteur 4 de la centrale a explosé au cours d’un test après une erreur de manipulation. Les rejets radioactifs étaient équivalents à au moins 200 bombes de Hiroshima. Ils ont contaminé une bonne partie de l’Europe.
L’assemblage du sarcophage visant à réduire la menace de radioactivité sur le site sera achevé en 2015.
Avec AFP et AP

On peut continuer de discuter tout en marchant ?
歩きながら,話しましょうか?
En faisant les courses, mon fils a compris la valeur de l'argent.
買い物に行ったおかげで,息子はお金の価値がわかった.

チェルノブイリ原発事故から28年.今やフクシマもチェルノブイリ原発と同じ響きをもってしまっています.原発をなくすためにどうしたらいいのでしょうか?
今日はブツブツで失敗しないように頑張って勉強しました.理解が進みました.
南部せんべいを買いに行った後リンゴをたくさん買って食べてしまったのを反省です.

Remembering the Chernobyl nuclear disaster, 28 years on

Ukrainians have been marking the 28th anniversary of the Chernobyl disaster, the world’s worst nuclear accident.

At around 1.26 am, the exact time of the blast, people gathered at a memorial in the capital Kyiv to remember victims.

Among those attending were families who had lost loved ones and ex-employees.

“This is a day of remembrance for the victims,” said Yuriy Cherkashun, 70, a former worker at the plant.

“We were workers at the Chernobyl nuclear plant reactor unit. This is our memory. All the names of the victims written here…we knew them. We worked together. This is our memory, a very difficult memory.”

Unlike Japan’s Fukushima nuclear crisis in 2011. which was caused by a natural disaster, events at Chernobyl were the result of human error.

On April 26, 1986, a reactor at the plant, in the then Soviet Union, exploded and caught fire after a safety test went badly wrong. The blast sent radiation billowing across Europe.

At first, authorities denied there was a problem. But tens of thousands of inhabitants were evacuated from Prypyat, the town closest to the site, never to return. A 30 km exclusion zone is still in place around the town.

Local firefighters and other emergency workers went straight to the scene and in the ensuing days and weeks sought to bring the situation under control. Exposed to high levels of radiation, few of them are alive today.

At least 30 people were killed immediately but some put the eventual death toll from radiation exposure at tens or even hundreds of thousands.

Former Soviet leader Mikhail Gorbachev has since said that he considered the disaster one of the main nails in the coffin of the Soviet Union which eventually collapsed in 1991.

Remembering the Chernobyl nuclear disaster, 28 years on

Chernobyl 28 Years Later: Chilling video from nuclear disaster zone


チェルノブイリ原発事故から28年.風化させることがないよう心に刻みたいです.
中日新聞
チェルノブイリ原発事故28年 情勢緊迫の中、各地で追悼

 【キエフ共同】史上最悪の原発事故となった旧ソ連ウクライナ北部のチェルノブイリ原発事故は26日、発生から28年を迎えた。ロシアとの対立でウクライナ情勢が緊迫する中、放射性物質で激しく汚染された両国やベラルーシの各地で人々が犠牲者を悼んだ。

 インタファクス通信によると、トゥルチノフ大統領代行は国内外向けに発表したメッセージで、事故後に消火活動に当たって命を落とした作業員らに感謝と哀悼の意を表明。国際的な支援にも謝意を示した。

 事故後に強制移住させられた人々が多く住む首都キエフ西部の教会前に建てられた記念碑には、住民らが花を供え、鎮魂の祈りをささげた。

4月25日が過ぎたからといって,JR福知山線脱線事故を忘れていいわけではないと思います.恒常的に関わるというのは無理にしても,時々思い出して考えていけたらと思っています.
朝日新聞
あふれる思い、今も JR宝塚線事故9年

 かけがえのない人を突然奪った脱線事故から9年。現場で、電車内で、沿線各駅で、遺族や負傷者らが様々な思いを胸に、今年も4月25日を迎えた。

 事故現場のマンションには遺族らが次々に訪れた。一人娘の中村道子さん(当時40)を失った大阪市城東区の藤崎光子さん(74)は献花の後、「事故を知らされた時の、奈落の底に突き落とされた気持ちを忘れることはできません」と語った。JRの対応を含め納得できることは何ひとつない。「現場に立つたび、『なぜここで死ななければいけなかったの?』という娘の声が聞こえる気がします」
 長女の早織さん(当時23)を亡くした神戸市北区の大森重美さん(65)は、韓国の旅客船沈没事故を挙げ、「事故の教訓を国際的に共有する仕組みが必要だ」と指摘した。「JRも責任を取らなければ改善しない。今後も再発防止のために責任を追及していきたい」と話した。
 妻の節香(せつか)さん(当時63)を失った西宮市の西野道晴さん(74)は「家族が明るく元気にいることが一番の供養になると思っている」と話したが、「一瞬で人生は変わってしまう。過去にかえれないのが人生の残酷さやね」と苦しい胸の内を語った。
 三男の善弘さん(当時20)を失った神戸市北区の下浦邦弘さん(65)は月命日のたび現場で献花している。「亡くなった家族のためがむしゃらに働いてきた。残された人生、同じ気持ちでやっていきたい」
 3両目から車外に投げ出され、重傷を負った伊丹市の玉置富美子さん(64)は「治療に明け暮れた日々だった」と9年間を振り返った。今も通院が続き、手押し車を使わず歩けるようになったのは最近のことだ。
 「自分の人生がここで変わってしまった。JRは『最後の一人まで面倒をみる』という初めの発言をしっかり守ってほしい」と注文をつけた。

 ■「あの日も徐行していれば」
 事故と同時刻に現場にさしかかる7両編成の快速電車に乗った。宝塚駅を出発したのは午前8時58分。新聞を読む会社員やスマートフォンを触る若い男女ら、変わらぬ「日常」があった。
 事故電車がオーバーランした伊丹駅で乗客がどっと乗り込み、車内は混雑した。まもなく車掌のアナウンスが流れた。「本日で事故から9年を迎えます。私たちはこの事故を心に刻み、安全運行に努め、お客様から安心と信頼をいただけるよう全力をあげて取り組んでまいります」
 立ったまま本を読んでいた会社員は目線を上げて耳をすまし、本を閉じた。
 事故現場の右カーブに近づく。電車は時速25キロに減速した。追悼の警笛が10秒ほど鳴り響く。車内は静まり、進行方向左側の車窓から黙祷(もくとう)するJR社員らが見え、直後に列車が激突したマンションが現れた。
 当時、約30分前の電車に乗って事故を逃れたという川西市の介護士、西田尚子さん(39)は1両目に乗車し、手を合わせた。被害者の支援活動にかかわったのがきっかけで、毎年、この時間の電車に乗り、現場の献花台へ通っている。「今日ぐらいゆっくり徐行していたら事故は起きなかった。乗りたいと思えるJRになってほしい」と話した。


避難者の数が減っているのはよいことですが,それでもまだ26万人もいるというのに何とも言えない思いです.
産経
東日本大震災の避難者26万3千人 566人減

 復興庁は25日、東日本大震災に伴う全国の避難者数が4月10日時点で26万3392人になったと発表した。前回の3月13日時点の集計に比べて566人減った。

 把握が難しかったため、これまで集計に入っていなかった福島県で親族や知人宅に避難している避難者3219人についても今回から加えた。この分を除くと、前回比3785人の減少。

 施設別の内訳は、仮設住宅や民間賃貸住宅への避難者が24万5830人、親族や知人宅が1万7059人、病院などが503人だった。

 避難先は47都道府県の1159市区町村に及ぶ。居住していた県以外に避難した人は、福島4万6700人、宮城6909人、岩手1457人。

隠ぺい体質が少しでも変わってほしいものです.
朝日新聞
防衛省の隠蔽―良心はどこへいった

 都合の悪い文書は組織をあげて隠す。それを内部告発する者は徹底攻撃する。そんな防衛省の姿が浮かび上がった。

 海上自衛隊の男性隊員の自殺をめぐり、先輩のいじめを示す証拠を同省が隠蔽(いんぺい)していたと、東京高裁が認定した。

 そんな証拠があることは、裁判を担った海自の3等海佐が暴露し明らかになった。それがなかったら、いじめを放置した組織の責任は闇に葬られていた。

 人命を守るべき組織でありながら、命が失われた重みを顧みずにひたすら自らの防衛に腐心したのである。

 猛省するほかあるまい。誰が隠蔽を指示し、その事実を誰が知っていたのか。早急に徹底調査し、公表すべきだ。

 隠されたのは、男性が所属した護衛艦の乗組員たちにいじめの有無を聞いたアンケートや、事情にくわしい乗組員に聞き取ったメモだ。

 遺族は情報公開法に基づいて開示を請求したが、海自は存在しないとして応じなかった。

 情報をもつ側が「ない」と突っぱねれば、情報公開は成り立たない。そんな実態がある中で年内に特定秘密保護法が施行される。当局に不都合な情報はいっそう闇にとどまるだろう。暗然たる気持ちになる。

 救いといえば、3佐の良心が、それを許さなかったことだ。控訴審で証拠の存在を明らかにしたことは、組織人としての立場を賭した、勇気ある行いだった。

 しかし、控訴審で国側はその発言を「信用できない」と批判した。実際には、少なからぬ関係者が隠蔽を知っていたはずだが、その3佐以外、誰も真実を語ろうとしなかった。

 同省は3佐の懲戒処分も検討したという。言語道断の対応というほかない。処分が必要なのは告発者ではなく、情報隠しをした側である。告発した3佐を不当に扱うことはしないと約束すべきだ。

 男性の自殺からすでに10年がたっている。アンケートが早く明らかになっていれば、裁判は長引かなかったし、その教訓は自衛隊内のいじめ防止などに生かせたかもしれない。

 ふつうの裁判に勝敗はつきものだが、国が当事者の場合、勝てばいいというものではないはずだ。真実に近づく証拠を裁判で示すことが、公益の側に立つ政府の責任ではないか。

 どんな公的組織であれ、その組織自体よりも大切に守るべき社会の正義というものがある。防衛省はその当たり前の原則を肝に銘じるべきだ。

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JR福知山線脱線事故から9年/ブツブツで間違って・・・

ブログネタ
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140425_Mainichi_Amagasaki0

Elle s'est lavé les cheveux et le corps avant d'entrer dans le bain.

彼女は,湯船につかる前に,頭と体を洗った.
Ces livres se vendent très bien en ce moment !
これらの本は,いま,とっても売れています.
140425_Mainichi_Amagasaki

Je fais chanter Manon.
マノンに歌わせる.
Je fais chanter cette chanson par Manon.
マノンにその歌を歌わせる.
J'ai même déjà fait envoyer le colis pour ma famille en France !
フランスの家族に,もう小包を送ってもらってたりするんだから !

JR福知山線脱線事故から9年です.夕方図書館に行って新聞を数紙読みました.
ブツブツで間違ってしまいました.ダメですね.Yaさんが月曜日にフォローしてくれることになりました.
「【緊急】ユーザ登録情報の流出について(第一報)」と題するメールが届きました.あ~あ・・・

安全対策をおろそかにするという点では,原発再稼働をもくろむ原子力ムラも同じです.何も反省はないのは残念です.
神戸新聞
脱線事故9年/JR西に緩みはないのか

 今もマンションの壁に残る傷痕があの惨事を思い起こさせる。

 107人が亡くなり、多くの重軽傷者を出した尼崎JR脱線事故から、きょうで9年になる。

 国鉄が民営化されて以降、最悪となった事故は、死亡した運転士のブレーキ操作が遅れ、減速しないまま現場カーブに進入したことが直接の原因とされる。問われたのは、おろそかにされてきた安全対策や懲罰的な「日勤教育」など、JR西日本にこびりついた組織体質だった。

 9年で安全最優先の企業に生まれ変わっただろうか。遺族の目は厳しい。神戸新聞社のアンケートでは、6割が「思わない」「どちらかといえば思わない」と答えた。

 JR西はいま一度、こうした声を真摯(しんし)に受け止め、安全への誓いを新たにしなければならない。

 今年3月には芦屋駅などに設置された自動列車停止装置(ATS)の設計ミスが発覚した。JR西は、長年、気づかずに放置してきた。厳しい批判を浴びるのも当然だ。

 たがが緩んでいないか。細心の目配り、不断の努力が不可欠だ。安全対策にゴールなどない。

 尼崎の事故以降も鉄道やバスなどの不祥事は後を絶たない。中でもJR北海道の相次ぐ事故やレールの異常放置、検査数値の改ざんは、公共交通機関に値しないひどいものだった。命を預かる責任と自覚を欠いていると言わざるを得ない。

 JR西は、事故の教訓を鉄道各社や他の公共交通機関に伝える責務がある。肝に銘じてもらいたい。

 9年の歳月を経ても被害者や遺族の苦しみ、悲しみは癒えることはない。妻を亡くした男性は「年々つらさが増している」と心の内を明かす。JR西の社員の3割は事故後の入社という。組織内で風化させない取り組みもこれから重要になる。

 昨年9月には、業務上過失致死傷罪で強制起訴された歴代3社長に、神戸地裁が無罪を言い渡した。控訴中だが、誰も刑事責任を問われない理不尽さは残る。「組織罰」の必要を訴える声が上がるのは分かる。

 事故を、どう伝えていくか。現場の保存の在り方をめぐる問題などにも向き合わなくてはならない。

 鉄道利用者すべてに関わることである。事故の記憶をとどめ、安全を追求し続ける。遺族らと共に。それが再発と風化を防ぐ道である。


毎月事故現場を訪れるのは簡単なことではないはずで,亡くなった方への思いがそれだけ強いということだと感じました.
朝日新聞
妻思い、撮り続けた写真数千枚 JR脱線事故9年:上

 毎月25日、午前9時18分に合わせて事故現場を訪れる。シャッターを切り続け、撮った写真は9年間で数千枚。見返すと、マンションの壁の外装ははがれ落ち、植え込みのシラカシは大きく育っていた。妻が生を閉じた場所の姿は、長い年月によって変わった。しかし、妻への思いは変わらぬままだ。
 男性(57)は、2005年4月25日に起きたJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、妻の川口初枝さん(当時48)を失った。病気の治療のため、大阪市内の病院へ向かう途中だった。かけていた眼鏡が見つかったのは、マンションにぶつかり、「く」の字に折れ曲がった2両目からだ。
 「いなくなって、つくづく家内の大事さが分かった」。会社人間で家事と息子2人の子育ては任せっぱなし。持病のつらさも聞いてやれなかった。事故の半年後から毎月命日、発生時刻に兵庫県尼崎市の現場へ通うようになった。生前、十分に向き合えなかった後悔が足を運ばせる。
 まず、マンションに向かう。電車がぶつかった衝撃で表面がはぎ取られ、コンクリートがむき出しになった壁に触れると、ひんやりした感覚が伝わる。遺体安置所で冷たくなった妻の手を握った、あの日の夜に引き戻される。
 カメラに収めるのは、この壁と、電車が衝突直前に通過したマンション手前の空き地だ。妻が最後まで生きていた場所を記録に残しておきたい。妻への思いを心のフィルムに焼き付ける作業でもある。
 「お参り」のために平日は半休を取る。6年前に「行きやすいから」と同県西宮市から、現場を望める尼崎市のマンションに引っ越した。これまで一度も欠かさず、今年に入って100回を超えた。月命日以外に訪れることもある。
 昨年9月、JR西日本で現場保存のあり方を考える担当社員が自宅を訪れた。「マンションだけでなく、手前の空き地も大事にしてほしい」と伝えた。そして、写真約1千枚分のデータを入れたUSBメモリーを渡した。「今の自分や現場だけを見ても、分からないことがある」
 2カ月後、JR西が同県伊丹市で遺族らを集めて開いた説明会に足を運んだ。示されたのは、マンションの1、2階を残し、建物を壁などで覆う、一部保存をベースにした4案だった。
 ある遺族は「マンションが通勤で毎日見えるのは非常につらい」と一部保存に賛成。別の遺族は「後世まで現場は残さなければならない」と全部保存を訴えた。
 男性も手を挙げた。「当時を知っている人がいない。だから気持ちが通じない」と事故当時の役員が被害者の声を聞いて回るよう求めた。JR西を離れた後も現場に通い続ける、ある元幹部のことが頭にあった。
 JR西は説明会後、社員が遺族宅を回ったほか、希望した遺族や負傷者には現場の保存案の模型を見せ、改めて意見を聞いた。真鍋精志社長(60)は今月16日の定例会見で、「今年の早い時期に案を示し、できるだけ早く説明できる機会を持ちたい」と踏み込んだ。
 男性には1月、長男夫婦のもとに初孫が生まれた。抱っこをしてミルクをあげたが、一番そうしたかったはずの妻がいないことが切なかった。後日、現場でそのことを報告した。
 「あいつの人生はまだ、俺の中で続いている。ここでつながれる」
     ◇
 107人が死亡し、562人が負傷したJR宝塚線事故から、25日で9年になる。保存のあり方が焦点となる事故現場や、大事故を起こした企業の責任と向き合う遺族の思いを描く。(千種辰弥)



 「JR西日本は大事故を起こしたが、誰一人として刑事責任を問われていない。司法の限界ではないか」というのは市民的感覚からいってももっともだと思います.東京電力も責任を問われていないのは悲しいです.
朝日新聞
娘よ、父は法の壁と戦う JR脱線事故9年:下

 「JR西日本は大事故を起こしたが、誰一人として刑事責任を問われていない。司法の限界ではないか」

 3月1日、大阪府高槻市の大学の一室。大森重美さん(65)=神戸市北区=は、JR宝塚線(福知山線)脱線事故の遺族ら12人を前に語った。「組織罰を考える勉強会」の初会合だった。鉄道や航空機の大事故を引き起こした企業に刑事責任を問える制度の実現を目指し、立ち上げた。

 代表として自ら先頭に立つことに最初は抵抗があった。背中を押したのは、事故で亡くした長女の早織さん(当時23)の存在だった。

 オペラ歌手を目指し、同志社女子大の特別専修生として学んでいた。公演の写真を整理するため大学に向かう途中、夢を絶たれた。

 事故の刑事責任を問われた山崎正夫元社長(70)は2012年1月、無罪が確定した。強制起訴された井手正敬氏(79)ら歴代3社長も昨年9月、一審は無罪に終わった。

 その2カ月前、早織さんが卒業試験で歌う姿を撮影したDVDを自宅で再生した。イギリスの放送局の取材を受け、娘のことを知ってもらおうと見せた。事故直後に見たきりで、女性記者の横で涙をこらえるのに必死だった。

 娘の死を無駄にしたくない。司法の「現実」を知ったいま、同じような事故を再び起こさないためには、組織罰が必要だ――。「実現までの道のりは長い。でも、やろう」と、勉強会の立ち上げを心に決めた。

 初会合では、同じ脱線事故で教え子を亡くした同志社大の川崎友巳教授(刑法)が、悪質な交通事故の厳罰化が遺族の声を受けて進んだことに触れた。「社会を説得する被害者たちの生の声が大きな影響を持つ」。その言葉に、励まされる思いがした。

 3月中旬、イギリスに渡った。この国には事故を起こした企業に罰金を科す「法人故殺法」がある。成立の原動力になった遺族らに会った。かばんには記者に見せた、あのDVDをしのばせていった。

 次回の勉強会は5月。娘の遺影が見守る自宅1階の和室で準備を進めている。「同じようにつらい思いをする人が出ないようにする。それが使命」

 一緒に勉強会の準備を進めたのは、一人娘の中村道子さん(当時40)を失った藤崎光子さん(74)=大阪市城東区=だ。大事故の被害者と連絡を取り合い、勉強会には中央自動車道・笹子トンネルの天井崩落事故の遺族が参加した。東京電力福島第一原発事故の被災者との交流も続ける。

 JR西の歴代社長の裁判をすべて傍聴し、法廷に出てこない書類は閲覧した。「取締役会で社長は事故の内容まで聞かない」。そうした旨のJR西関係者の調書に行き当たった。組織罰があれば、トップは会社を挙げて事故対策に取り組むはずだと感じた。

 井手氏らの控訴審にも足を運ぶつもりだ。検察官役の指定弁護士からは公判が1回で結審する可能性も告げられた。一審判決が覆るのは簡単ではないと思う。そこへ、組織罰の導入という新しい目標ができた。

 「誰一人責任を取らなくていいのか。そう社会に訴えるのが自分の役割です」(千種辰弥)


亡くなった人に手紙を書くことで生きている人の気持ちが慰められる・・・ということは何かの本で読みました.私も亡くなった母に手紙を書こうと思ったのですが,なんだかできないまま過ごしています.
朝日新聞
亡き娘と交換日記、13冊に JR脱線事故9年

 JR宝塚線(福知山線)脱線事故から3286日。長女の平野智子さん(当時39)を失った兵庫県丹波市の上田直子さん(75)が、亡き娘へあてた「交換日記」は13冊目に入った。誕生日のお祝いや智子さんの息子3人の成長、庭で咲いた花のことまで、話しかけるようにつづってきた。

 日記を本格的につけはじめたのは事故から1年後の2006年4月25日。同県三田市に住んでいた娘と毎晩、長電話するのが日課だった。そんなおしゃべりの続きのつもりで毎日、ノートに向かい始めた。

 《13年12月25日 悲しい48歳のお誕生日だね。なんでなんで 何度思っても悔しいの》

 書けば、娘の存在を近くに感じた。「お母さん、何しとったん?」。電話口の智子さんの声が聞こえるようだった。だがいくら書いても、遺体安置所で変わり果てた娘を見つけた瞬間から、心にぽっかり開いた穴は埋まらない。

 《14年3月1日 今いたらどうしているのかな〜と思ったり、TELが入るかな〜と待ってみたり。悲しいね。どうしてそんなに早く逝ってしまったのかと思わない日はないのよ》

 智子さんが参加していた絵本の読み聞かせグループの友人たちが、事故9年を前に今年も集まった。直子さんも娘が好きだった絵本を手に駆けつけ、思い出話に花を咲かせた。

 《4月12日 智子のいないことだけがさみしいけど、みんな智のことを忘れずにおもってくれているのよ。良かったね》

 事故時は14歳、12歳、8歳だった智子さんの息子3人が直子さんの支えだ。高校2年になった三男は、教師になりたいと言う。「幼稚園の先生をしていた娘の背中を見ていたからかな」

 25日朝、直子さんは事故現場を訪れ、ハンカチで目を押さえながら娘に語りかけた。「どうしてこんなところで逝ってしまったの。悔しいよ」(青田貴光)


9年たっても遺族の思いは癒えていないように思いました.上田篤史さんの「兄のためにできることは、兄の分まで精いっぱい生きること。仕事を一生懸命頑張り、兄の分まで色んなことを楽しむことです」の「兄」を私の場合には「母」に置き換えて考えていきたいと思います.
朝日新聞
「兄の分まで」「娘に会いたい」 JR宝塚線脱線9年

 乗客106人と運転士が亡くなり、562人が負傷した兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)脱線事故は25日、発生から9年を迎えた。亡くなった兄の分まで生きる、娘に会いたい――。遺族らはそれぞれの思いを胸に現場に足を運び、祈りをささげた。

 あの日と同じように青空が広がった。事故発生時刻の直前、現場マンション前のカーブを、JR尼崎駅へ向かう快速電車が、長い警笛を響かせながらゆっくり通過した。集まった遺族やJR職員らは黙禱(もくとう)し、電車内には手を合わせる乗客の姿もあった。

 近くのホールでは、JR西日本主催の「福知山線列車事故追悼慰霊式」があり、事故発生時刻の午前9時18分に遺族と負傷者ら約950人が黙禱を捧げた。真鍋精志社長(60)は「尊い命、かけがえのない人生、大切な絆、すべてを奪ってしまった。本当に申し訳ございませんでした」と謝罪し、「安全性を着実に向上させるべく、日々地道な努力を積み重ねることを誓う」と述べた。

 兄の昌毅(まさき)さん(当時18)を亡くした神戸市北区の上田篤史さん(24)が「慰霊のことば」を述べた。兄の死をきっかけに救急医療に携わろうと決意し、いまは看護師として働く。不慮の事故で患者が運ばれ、泣き崩れる家族を見ると、事故当時の自分と重なる。「兄のためにできることは、兄の分まで精いっぱい生きること。仕事を一生懸命頑張り、兄の分まで色んなことを楽しむことです」と涙ながらに読み上げた。

 事故現場には朝から遺族らが献花に訪れた。長女の容子さん(当時21)を亡くした兵庫県三田市の奥村恒夫さん(66)は「年が経つにつれて娘に会いたい、娘に会いたいと、そればっかり思っている」。生きていれば今年、31歳になる。「ちょうどお母さんになれるような年。本当なら孫を抱けるのに、その夢を絶たれた」と話した。

 真鍋社長らJR西の幹部や山崎正夫元社長(70)、垣内剛元社長(70)らもこの日朝に現場に花を手向けた。


私は母が亡くなって悲しくてさだまさしの「精霊流し」をよく聞いたものでした.最近は少し元気になってきたので聞いていませんが・・・歌の力は本当に大きいと思います.「奇跡」をYoutubeで聞いてみましたが,いい歌だと思います.
朝日新聞
進む姿、見守っていて JR脱線事故9年

 107人が死亡し、562人が負傷したJR宝塚線(福知山線)脱線事故から25日で9年を迎えた。兵庫県尼崎市の現場マンションでは、遺族やJR職員らが黙祷(もくとう)した。夫の浩志さん(当時45)を失った原口佳代さん(54)=兵庫県宝塚市=もそこにいた。

■亡き夫へ「今再びあなたに恋しています」
 「これからはあなたが喜ぶような生き方をしていきます」。原口さんはマンションわきに立つお地蔵さんに花を手向けた。浩志さんは、ここに突っ込んだ1両目の乗客だった。
 毎朝仏壇に手を合わせ、「会いたい。帰ってきて」と願った。心配して同居してくれた母が2009年2月に亡くなると、祈りは「そっちに連れていって」に変わった。それでも思いとどまれたのは、友人の支えと、さだまさしさんの歌「奇跡」のおかげだった。
 ♯どんなにせつなくても必ず明日は来る ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
 母の死の2カ月後にあった事故4年の追悼慰霊式で「奇跡」を歌った。夫が語りかけてくれているように聞こえた。花屋をしている高校時代の同級生は「出ておいで」と言って、仕事を手伝わせてくれた。
 これまでと違う自分として歩きたい――。昨年3月、夫との最後の旅行先になった長崎県のハウステンボスに足を運んだ。2人で見たのと同じ、一面に咲き誇るチューリップ。涙があふれた。「夫は心の中にいる」。はっきり感じた。
 筆を執った。
《天国の浩志くんへ
 チューリップの前で約束しました。どんなに辛(つら)くても泣かずに負けずに生きてゆきますって
 今再びあなたに恋をしています。返事の来ない恋文を書きながらあなたの笑顔がぼやけて見えません
 もう少しこっちで精一杯(せいいっぱい)生きてみます。待っていて下さい》
 「『ありがとう』の思いを伝えたい」をテーマに、京都市の紙販売会社が主催した「恋文大賞」に入選した。「思ったことをやってごらん」。また背中を押された気がした。
 今年2月、心療カウンセラーの養成講座に通い始めた。人の助けになりたい、と思った。出口の見えない苦しみを抱えることはある。でも、「いつかはこういう風になれる日が来る。そう思ってもらえたら」。(千種辰弥)


朝9時18分はまだ部屋にいて出勤していませんでした.NHKラジオを聞いていました.テレビで中継を見ればよかったかも.
毎日新聞
福知山線脱線:その時、午前9時18分に黙とう 事故9年

 兵庫県尼崎市で2005年4月、乗客106人と運転士が死亡、562人が負傷したJR福知山線脱線事故は25日、発生から9年を迎えた。尼崎市内であった追悼慰霊式には遺族ら999人が参列、事故発生時刻の午前9時18分に黙とうした。

 式では、神戸市北区の看護師、上田篤史さん(24)が3年ぶりに遺族による「慰霊のことば」を述べた。5年前の父弘志さん(59)に続いて遺族代表を務めた上田さんは、犠牲となった兄昌毅さん(当時18歳)に向かって「兄の分まで自分の人生を精いっぱい生きる」と決意を語り、JR西日本に再発防止を求めた。JR西の真鍋精志社長は「私どもが奪ったものはあまりに大きく、おわび申し上げる。安全性向上のため努力を積み重ねる」と語った。会場では遺族や負傷者、JR西幹部らが祭壇に献花。午後からは一般市民も花を手向けた。

 事故を巡っては、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西の歴代3社長に昨年9月、1審・神戸地裁が無罪を言い渡した。検察官役の指定弁護士が控訴し、審理の場は大阪高裁に移る。【生野由佳、花牟礼紀仁、木村健二】


亡くなった方を思い出す何かがあるというのはいいですね.
毎日新聞
JR福知山線脱線:遺族自宅「ミカンの木に300個の実」

 住宅脇のミカンの木は、今年も300個以上の実をつけた。兵庫県尼崎市で2005年4月、乗客106人と運転士が死亡し、562人が負傷したJR福知山線脱線事故。発生から25日で9年を迎えた。事故で犠牲となった斉藤満さん(当時37歳)=兵庫県伊丹市=が子どもの頃、家族が植えた記念樹だ。父の堅一さん(71)と母の百合子さん(71)夫妻は、この木の四季を見つめながら暮らしてきた。摘み取った実を今年は初めて蜂蜜に漬けてみた。みずみずしく甘酸っぱい味は、満さんが傍らにいると感じさせてくれる。

 ミカンの木は満さんが3歳の頃、5年前に亡くなった祖母が、自宅敷地の隅に植えた。満さんの成長とともに、木も2階に届く7〜8メートルの高さになった。

 たわわに実るミカンを、事故後しばらくして収穫するようになった。悲しみにくれる夫妻を励ましてくれたグリーフケアの専門家や近所の人、一緒に収穫してくれるJR職員らに配っている。受け取った実をジャムやジュースにして夫妻に届けてくれる人もいる。事故を忘れることはできないが、百合子さんは「満は貴重な出会いを残してくれた」と思う。

 夫妻は毎週日曜日、欠かさず伊丹市内の満さんの墓へと参る。4月中旬の日曜、「またミカンがたくさん実ったよ。みんなと分けたからね」と語りかけながら、ひときわ大きな実を供えた。

 蜂蜜に漬けた実を食べ終わる頃には、ミカンの木は真っ白な小さい花を咲かせる。また、たくさんの果実を実らせるだろう。巡る季節、生命の営み。「満がそばにいて、私たちに『大丈夫だよ』と言ってくれているみたい」と百合子さんは思う。

 自宅の満さんの仏壇の向かいには、夫妻と一緒に暮らしてきた愛犬の「まどかちゃん」の写真も置いてある。満さんを思って百合子さんがおえつするたび、駆け寄ってきた。かけがえのない家族の一員も昨年5月、15歳で息を引き取った。朝起きると満さんとまどかちゃんに「きょうも見守ってね」と呼びかけ、日が暮れると「今日も一日、無事に過ごせたよ。ありがとうね」と声をかけるのが、夫妻の日課だ。

 25日朝、夫妻は仏壇に手を合わせた後、外に出てミカンの木の前に立った。芽吹き始めた若葉に触れ、「満、新芽が出始めたよ」と語りかけた後、兵庫県尼崎市での追悼慰霊式へと出かけた。柔らかな光の中で、ミカンの木が2人を見送っていた。【高尾具成】


わたしも父や母に「見守ってくれてありがとう」と言うことにしました.
毎日新聞
JR福知山線脱線:追悼に遺族代表「兄ちゃんありがとう」

 「兄ちゃん、見守ってくれてありがとう」。亡き兄に語りかけると弟は目頭を押さえておえつした。兵庫県尼崎市で2005年4月、乗客106人と運転士が死亡し、562人が負傷したJR福知山線脱線事故。発生から25日で9年を迎え、尼崎市内で同日営まれた追悼慰霊式で、遺族代表の「慰霊のことば」を述べた神戸市北区の看護師、上田篤史さん(24)は、3歳年上の兄昌毅さん(当時18歳)を失った。事故に向き合えず「一人っ子」と周りに言った時期もある。しかし看護師になったのは兄のような被害者を一人でも救いたいからだ。「兄へ」と題したメッセージに込めた決意を、何度も声を詰まらせながら語った。

 「兄の年齢を追い越した今、私が兄にできることは、兄の分まで自分の人生を精いっぱい生きることです」

 「ことば」は2年連続で希望者がいなかった。5年前に同じ役を務めた父弘志さん(59)に、「遺族の思いをつなぐためには代替わりも必要」と勧められ、決心したという。

 9年前は高校1年生だった。落ち込んだ時には「大丈夫やって」と励ましてくれる優しい兄。しかし、学校で文化祭などに没頭し、あえて考えないようにした。

 「友人から『兄弟は?』と聞かれたら『一人っ子』と答えていました。いなくなった兄のことを話すのはつらかったのです。でも隠す度に、兄には申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

 兄を忘れたことなどない。篤史さんは今、救急部門で働く。

 「不慮の事故で運ばれる患者さんも多く、泣き崩れる家族を見ると自分と重ねてしまいます。胸が張り裂けそうな思いになります」

 兄に相談したいことは多い。「何落ちこんでんねん」と叱られるだろうか、子どもの頃のように「大丈夫やって」と言ってくれるだろうか。

 昌毅さんは事故当時、コンピューター関係の仕事を志し、短大に入学したばかりだった。志半ばで亡くなった無念を思う。事故が起きた4月が来ると、兄の写真を見つめる。

 「『僕は何とか元気にやってるで。兄ちゃんが見守ってくれてるからな。いつもありがとうな。お父さんもお母さんも、笑って過ごせることも少しやけど増えたと思う』と話しかけます。返事はありませんが、報告することで安心してほしいと思っています」

 最後にJR西日本に訴えた。

 「亡くなった(乗客)106人の尊い命を無駄にしないために、安心して利用できる安全な会社に早く生まれ変わってください。もう二度とあのような悲惨な事故を起こしてほしくないです」【生野由佳】


福知山線脱線事故が私の中で風化しつつあるのは事実.でも時々は思い出すようにしたいです.
時事
2人で負傷、支え合い9年=事故乗り越えた「戦友」−福知山線脱線

 福知山線脱線事故から9年。高校時代の友人同士で事故車両に乗り合わせ、お互い支え合いながら前を向く2人の女性がいる。「2人で何百時間も話し合ってきた」「友人というよりは戦友」。25日も、2人で事故現場を訪れ花を手向けた。

 兵庫県西宮市の木村仁美さん(30)は大学4年で、就職活動の面接に向かう途中だった。駅で偶然出会った高校時代の同級生、福田裕子さん(30)と一両目に乗り込んだ。
 突然、「洗濯機でかき回されるような衝撃」を受け、福田さんを見失った。衝突したマンションから垂れ下がるフェンスを上り脱出。福田さんの安否が気になり、けがの痛みを忘れて待ち続けた。福田さんが肺挫傷や鎖骨骨折の重傷を負いながらも助け出されると、駆け寄って「生きていて良かった」と泣いた。
 「事故は人生の一部。忘れたくない」。木村さんは2005年から、被害者向けに事故関連の情報を伝えるメールマガジンの配信を続ける。登録者は約120人。今月13日で172号に達した。
 美大に通っていた福田さんは、事故車両で折り重なる人の姿が忘れられず、人物画が描けなくなった。自分の手のデッサンから始め、少しずつ克服した。11年からは、事故の風化を防ぐため負傷者らが配る「空色のしおり」の挿絵を手がける。
 高校時代から仲の良かった2人は事故後、深刻過ぎて家族にも話せない体験や思いを共有してきた。福田さんは「生き残った自分が前向きになることに罪悪感があった。時にはくだらない話ができる関係に支えられてきた」と話す。
 2人とも、まだ事故現場を走る電車には乗れていない。「いつかふとしたきっかけで乗ることになると思う。そのときも多分一緒です」。


3年連続で脱原発を提案している大阪市.住民としても関電に原発はやめてほしいと思っています.
毎日新聞
大阪市:筆頭株主として「脱原発」再び提案へ

 関西電力の筆頭株主の大阪市は24日、例年6月に開かれる関電の株主総会で、脱原発などを株主提案すると発表した。25日に京都市とともに関電本店(大阪市北区)に出向いて提案する。同様の提案は橋下徹大阪市長の意向で2012年以来3年連続になる。

 大阪市は、関電株を8.92%保有している。昨年は、可及的速やかな全原発の廃止▽発電部門か送配電部門の売却−−など11議案を提案し、株主の14〜40%の賛同を得たが、いずれも否決された。今年も同様の11議案を提案するという。橋下市長は昨年に続き、総会を欠席する方針。【山下貴史】


私は新社会人ではありませんが丸岡さんのアドバイスは有用に思えました.
朝日新聞
(新社会人の君へ:1)どんな仕事にも学び 丸岡いずみさん

 【私が贈る3カ条】
 一、えり好みをせず、がむしゃらに
 一、自分を見つめ直す時間を大事に
 一、仕事以外でも大切な人脈づくり
     *
 ――新社会人は肩に力が入りがちです。プレッシャーもありますが、どんな心がけが大切でしょう。
 「まずは仕事の好き嫌いを考えるより、与えられた仕事をがむしゃらにやってみることが大事です。一生懸命仕事に取り組むことで成長し、視野が広がります。私も仕事する楽しみや充実感を知りました」
   □     □
 ――うつ病で休職するまで計16年間の会社員人生で辞めたいと思ったことは。
 「ありません。アナウンサーでやりたいことをやり尽くして最初の会社を辞めて、後に日本テレビに転職したぐらいですから。どんなに嫌な仕事でも楽しみはあるはずです。私の場合、日テレの報道記者時代に警視庁を担当し、夜中や早朝も常に時間に追われていました。ハードでタフな毎日でしたが、特ダネをスクープした時は、やりがいを感じました」
 「東日本大震災が起きた年は、歴史に残る出来事が矢継ぎ早に起きました。心の整理がつかないまま国内外を飛び回り、想像以上の凄惨(せいさん)な現場取材に心のバランスを崩してしまいました。それはそれで私らしい生き方だと納得しているし、後悔はしていません」
 ――「心の病」にならないためには、どうすればいいのでしょう。
 「うつになるまでは、忙しいあまり、自分と向き合うことを忘れていました。大事なのは、自分を見つめる時間を持つことです。花を買って飾ったり、ペットをかわいがったり、好きな音楽をきいたりしてもいい。寝る前の10分間でも仕事から離れ、自分を空っぽにしてみると、気がつくことがたくさんあります」
 「うつになってようやく、自分にとって『何が幸せなのか』を基準に生きることが大切なんだと気づきました。それまでは、人が抱く『丸岡いずみ像』を壊さないように、常に人がどう思うのかを気にして世間体を優先していました。でも、今は大事なのは『まず自分』と言えます。幸せの基準は人それぞれです。自分の心に正直に生きるために、自分を見つめる時間を大切にしてほしい。休むことも、生きることです」
   □     □
 ――長時間労働やパワハラなど、不条理な目にあうかもしれません。
 「ブラック企業のように、負(ふ)の側面がある会社に就職したとしても、そこに一生いなければならないわけではありません。いざとなれば転職してもいい。ただ、どんな仕事にも、学ぶものは一つや二つはあるはず。やるだけやって実力をつければ、ステップアップもしやすくなります」
 「まだまだ企業は男社会です。女性のみなさんは『恵まれない』と感じることがあるかもしれません。ただ今は、女性をもっと活用しようという機運が企業にも出てきました。女性の方はこうしたムードを追い風にしてやろうという意気込みで、仕事してみてはいかがでしょう」
 ――仕事をするうえで、大切にしてきたことは。
 「人脈を広くつくること。一期一会じゃないけど、取材者との関係を大切にしてきました。取材者に深く入り込むことができた場合には、その後、長年にわたって、家族ぐるみのおつきあいをします。その方々が私の宝物です」
 「今でも『東京のお父さん、お母さん』と呼んでいる人がいます。日テレで古紙回収の問題を取り上げた時に取材した区の職員とその奥さんで、うつになった時に真っ先に相談しました。『必ずよくなる』と励まされ、何度も勇気づけられました。北海道時代に取材した引きこもりの女の子は、元気になったときに旅行を計画してくれました」
 「自分がうつになると思いもしなかったころ、仕事で出会った人たちが、仕事の枠を超えて救ってくれた。仕事の関係以上の深い人間関係は、仕事に生きることはもちろん、プライベートにも生きてきます」(佐藤亜季)
     ◇
 この春、新社会人になった若者たちに、会社勤めの経験のある各界の著名人がメッセージを贈る。

 <まるおか・いずみ> 42歳 北海道文化放送にアナウンサーとして入り、フリーを経て日本テレビに転職。「news every.」のニュースキャスターとして人気を集めた。2011年3月、東日本大震災後にうつ病となり休職。翌年に結婚、同社を退社し、再びフリーとなった。

フランス語
フランス語の勉強?

電子レンジ復活!!/体脂肪が少しだけ減りました♪

ブログネタ
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140318_Akasaka

La grande majorité des personnes aime tout simplement s'y détendre.

大半の人はたんに,そこでくつろぎたいだけなんだ.
On pourrait se tutoyer mainetnant, non ?
これからは,tuで呼び合いませんか?
Nous nous sommes échangé un regard.

わたしたちは,たがいに視線をかわしあった.

Kiさんの電子レンジが復活です!!!よかった!!買ってから1年も経っていなかったので,電話したら新しいのを送ってくれることになったとのこと.
夕方近くのジムに行きました.少しだけですが体脂肪が減りました.

正直なところちょっと物足りない感じ.
Brakeless ブレーキなき社会 〜JR福知山線脱線事故9年〜
107人が死亡したJR福知山線脱線事故から9年。NHKでは、イギリスBBCと、事故の社会的背景を探る番組を共同制作しました。なぜ、技術水準もモラルも高いと見られる日本であの惨事が起きたのか。番組の協議を重ねる中で浮かび上がってきたのは、効率を追い求める社会に大きな落とし穴があるという視点でした。改めて事故被害者や遺族、関係者や専門家を取材。国際的な視点を交えながら、事故の“真の原因”に迫ります。

時間が重なったのでこっちは見ていません.
深層NEWS▽東日本大震災4年目の課題。「復旧」から「復興」へのカギを握る支援。
▽民間の力で住民と自治体、企業をつなぐ取り組み。コミュニティ復活や地域ブランド立ち上げなど、企画力で地域再生を目指す。急加速する日本の過疎化の歯止めとなるか。
小西美穂(日本テレビ報道局) 近藤和行(読売新聞編集委員) 藤沢 烈(RCF復興支援チーム代表理事) 山口里美(RCF復興支援チーム)


腕時計から身元判明したというのは嬉しい知らせだと思います.
毎日新聞
大震災3年:被災直後の遺体…腕時計の持ち主分かった

 宮城県警は24日、同県女川町の漁港で震災直後の2011年5月に見つかった遺体の身元が同町鷲神浜(わしのかみはま)、アルバイト、木村義勝さん(当時69歳)と判明したと発表した。特定のきっかけとなったのは、遺体に付いていた腕時計の裏蓋(ぶた)に書かれていた日付とイニシャルのメモだった。

 遺体はがれき撤去作業中の自衛隊員が海中から発見。県警は似顔絵を作成し、衣服や時計を昨春に公開したが、身元は特定できなかった。昨年5月、捜査員が手がかりを求めて腕時計を分解しようとしたところ、裏蓋に「H20 1 19 TS売り」とのメモ書きを発見。「時計店が電池交換の日付をメモしたのでは」と考えた捜査員が昨年11月、石巻市内で開かれた行方不明者の情報交換会でメモの内容を説明したところ、女川町民から「女川に時計店は2軒しかない」との情報が寄せられ、TSのイニシャルから時計店主と店を特定した。

 ところが、この時計店主は震災後に避難所で既に死去していた。店に駐車場が無かったため、捜査員は「客は近所の人に違いない」と考え、近隣の行方不明者約80人をリストアップ。縁者にDNA型の提供を依頼し照合を続け、木村さんと判明した。

 県警は11年11月に身元不明・行方不明者捜査班を設置。発足時約550あった身元不明遺体は、24日現在で26まで減少した。8人の専従捜査班を統括する金野(こんの)芳弘検視官は「地道な捜査で一体ずつ身元を判明させていきたい」と話す。【伊藤直孝】


400人も集まってTPP反対を訴えたというからには,アベちゃんはその声を無視すべきではありません.
OurPlanetTV
オバマ大統領来日「TPP合意は許さない」〜官邸前に400人

24日に開かれる日米首脳会談に合わせて、環太平洋連携協定(TPP)参加に反対する市民が22日、首相官邸前に集まり抗議行動を行った。北海道や岡山県からの農家も駆けつけ「オバマ大統領の来日土産にTPP合意は許さない」「農業をつぶすTPPはいらない」と訴えた。
 
抗議行動の主催は、毎月第一火曜日に首相官邸前で抗議行動をしている「STOP TPP!!首相官邸前アクション」。呼びかけ人には、東京大学の醍醐聰名誉教授や、北海道農民連盟の山田富士雄委員長、全国保険医団体連合会の住江憲勇会長などが名を連ねた。
 
アジア太平洋資料センターの内田聖子さんは、「TPPは秘密交渉なので、国民は正確な情報を知ることができない。賛成反対を考える前の段階で、情報がないことを地元の国会議員や内閣官房のTPP対策本部に訴える必要がある」と話した。
 
23日にもTPP阻止国民会議の呼びかけで、衆議院第二議員会館前で座り込みの抗議活動が行われる。


TPP反対・集団的自衛権行使容認に反対といった声を私もあげていきたいと思います.
毎日新聞
米大統領来日:国会周辺で気勢 TPP反対集会

 オバマ米大統領来日に伴い、国会周辺で23日、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)での関税撤廃や集団的自衛権の行使容認などに反対する集会が断続的に開かれた。

 首相官邸前では午後7時から、多数の警察官が警戒する中、市民団体「安倍のつくる未来はいらない!人々」のメンバー約60人が気勢を上げた。リーダーの会社員、栗原学さん(43)は「日本政府は民衆の利益のためにTPPからただちに脱退すること」などとアピールを読み上げた。【野島康祐】

天皇制の問題も考えていきたいです.どうしたら天皇制をなくすことができるのか?について.
反天皇制運動連絡会
オバマ来日・日米首脳会談反対!  天皇会見・宮中晩餐会を許すな!

本日、オバマ・アメリカ大統領が、四か国歴訪の一環として、都内一万六〇〇〇の戒厳態勢のなか、「国賓」として来日する。二三日に安倍首相と非公式の夕食会、二四日に皇居での歓迎行事、首脳会談、共同記者会見、そして宮中晩餐会などが予定されている。
今回の首脳会談のテーマとして、日米の同盟強化、環太平洋連携協定(TPP)、地域の緊張緩和があるなどとマスコミは報じている。
この間の、「靖国」「慰安婦問題」をはじめとする「歴史認識」における安倍政権の突出が、中国や韓国のみならず、アメリカの「失望」発言さえ引き出した。安倍政権の行為こそ、東アジアにおける「不安定要因」を拡大しているのだ。今回のオバマ来日・日米首脳会談の最大の目的が、こういった状況を調整し、「傷つけられた日米関係」を「修復」し、あらためて強固な日米同盟の方向性を再確認することにあるのは明らかである。
だがそれは、安倍政権が前のめりになっている、集団的自衛権や武器輸出の容認、対中国シフトに向けた沖縄の出撃拠点・前線基地化の、より一層の進展をしか意味しない。また、新自由主義の貫徹としてのTPPに関しても、安倍はその「早期妥結」による「日米同盟」の強化こそが、「わが国の国益」だと明言している。「自らの思い」だけで突出した安倍がアメリカの批判をうけたことで、その「見返り」としてTPP問題で妥協し、取り引きしようというのではないのか。
そして私たち、反天皇制運動の立場からは、今回のオバマ来日にともなって行われようとしている「天皇会談・宮中晩餐会」に対しても、批判の声を上げていかなければならないと考える。
今回日本政府は、当初一泊二日で予定されていたオバマの来日日程を、二泊三日にすることにこだわった。米大統領としてはクリントン以来一八年ぶりの「国賓」としての来日という形を取りたかったからだが、続けて訪問予定の韓国との差異化を図ろうとしたものであったとも言われている。
「国賓」に対しては、あたりまえのように、天皇との会見や宮中晩餐会がセットされている。だが、これは憲法で定められた天皇の「国事行為」に規定のない違憲の行為である。こうした違憲の行為が、天皇の外国訪問や来日した外国の首脳との会見なども含めて、いわゆる「皇室外交」としてもてはやされてきた。そしてそうした場をつうじて、天皇はあたかも日本国の「元首」であるかのような位置づけをされてきた。
自民党は天皇元首化をも掲げた改憲案をすでに提出している。「天皇会談・宮中晩餐会」は、天皇の「元首」としての実質化を図るものであり、いわば天皇条項に対する「解釈改憲」のさらなる積み重ねにほかならない。
同時にわれわれは、その天皇の行為が持つ政治的機能それ自体をも、批判していかなければならない。
天皇の行為は、国家の賓客としての「国賓」をもてなすための、儀礼的な行為であるに「すぎない」ように見える。実際に、「政治的権能を有しない」とされている天皇の行為として、それは外交の場面における、国際親善・友好一般のための行為のように演出される。
だが、それはあくまでも、日米首脳会談という現実政治の一環であり、その外交に被せられた政治なのである。そこで発せられる天皇の「おことば」なるものの具体的な中身がどのようなものであれ、それは必然的に、今回のオバマ来日をめぐる日本政府の立場を、全面的に肯定するものとならざるを得ない。そもそも、宮中晩餐会を含む天皇の賓客への「接遇」自体が閣議で決定されるものであり、「おことば」もまた、基本的には官僚による作文である。いわば天皇は、儀礼的な面において、安倍政権の政治を分担しているのである。
国家のひとつの機関として、国家の政治を認証し、権威づけするのが天皇の役割である。だからこそ、安倍の政治にたいする批判には、この天皇の違憲の行為にたいする批判も含まれる。
天皇制の政治的権能の強化、そして「元首化」への動きは、マスコミなどを通じて日々再生産され続けている天皇へのタブー意識などとあいまって、現実政治のなかに、批判を許さない「聖域」を形づくることになる。それは民主主義的な原理とはけっして相いれない。
オバマ来日・日米首脳会談反対! 天皇会見・宮中晩餐会を許すな!


泉田知事の主張に耳を傾ける必要があると思います.
朝日新聞
原発と安全―知事の疑問が示すもの

 原発事故の被害者を二度と出さない。原発の再稼働に前のめりな安倍政権に、本当にその覚悟はあるのだろうか。

 再稼働をめざす全国の原発で新しい規制基準を満たしているかどうかの審査がすすむ中、東京電力の柏崎刈羽原発を抱える新潟県の泉田裕彦知事が、たとえ審査を通っても住民の安全は守れないと主張している。

 原発の安全性を高めるには、施設が厳しい規制を満たすだけでなく、万一に備えて避難計画をしっかり立てておくことが欠かせない。この避難計画づくりを担当する自治体トップの発言だけに、政権は真摯(しんし)に耳を傾ける必要がある。

 中越沖地震では柏崎刈羽原発の火災に直面し、福島第一原発の事故では被災者の救助支援を要請された泉田知事の指摘は、いずれも具体的である。

 中越沖地震では道路が寸断され、緊急車両すら動けなくなった。雪が深ければ一段と逃げにくくなる。いくら計画で避難先を決めても絵に描いたモチだ。知事は、各戸に核シェルターを作るしかないかもしれないと危惧するが、国や電力会社にその認識と覚悟はあるか。

 避難が遅れた住民を助けるには放射線量が高い地域にバスの運転手らが入らねばならない。現実には、民間人である運転手も被曝(ひばく)していいように法令を改めないとバスは避難に役立たないが、被曝限度を緩める合意形成をはかれるのか。

 事故対策そのものの甘さも指摘する。すべての冷却材が失われ、生身の人間が危険な高線量下で収束作業をするしかなくなったとき、誰が行くのか。事故の拡大を食い止めるため、電力会社の経営に重大な損害を与える決断が必要になったとき、経営が優先され住民が被害を受けない保証はあるのか。

 いずれも現実の事故で浮き彫りになった課題だが、議論は後回しになっている。

 安倍政権は、今の規制基準は「世界一厳しい」と、基準をパスした原発は動かす姿勢だ。だが知事は「世界標準にも達していない」とし、うそをついてはいけないと批判する。指摘は当たらぬというなら、政権は一つ一つ疑問に答える責任がある。

 再稼働に期待する地元の中には、すでに避難計画をつくったというところも少なくないが、住民の安全を守る責務を負う自治体として、泉田知事の疑問を吟味し、自らの避難計画が本当に機能するか、つぶさに点検してほしい。事故が起きてから「想定外だった」という言い訳は、もう許されない。


海自はこの判決を重く受け止め,隠ぺいに関しての事実と責任を明らかにすべきです.
毎日新聞
海自いじめ判決 隠蔽体質が断罪された

 実際には存在する文書を「ない」とうそをついてきた海上自衛隊の隠蔽(いんぺい)体質が厳しく断罪された。

 海自の護衛艦に勤務していた1等海士の自殺をめぐり、遺族が「先輩隊員のいじめが原因」と訴えていた訴訟の控訴審で、東京高裁が国などに約7350万円の賠償を命じた。

 自殺後、全乗組員に暴行や恐喝の有無を尋ねるため実施したアンケートについて海自は「廃棄した」と長年主張し続けた。海自は控訴審に入って文書を開示したが、判決は意図的な隠匿があったと認定し、遺族の立証機会を奪ったと批判した。海自は指摘を重く受け止めるべきだ。

 1等海士は2004年10月に自殺した。後に別の隊員への暴行・恐喝罪で有罪判決が確定した先輩の元2等海曹から暴行を受けていたとして、遺族が06年に提訴した。

 控訴審判決は、元2等海曹から暴行や恐喝を受けていたと1審同様に認定した。1審は「自殺を予測まではできなかった」としたが、予測可能性と上司が対策を講じなかった責任も認め、賠償額を増やした。

 遺族が05年、情報公開請求したが、海自は「アンケートは破棄した」と回答した。一方、1審で国側の訴訟担当者だった3等海佐が、1審判決後の12年、「海自はアンケートを隠している」と、告発の陳述書を東京高裁に提出した。3等海佐は、防衛省の公益通報窓口にアンケートがあると告発したが取りあってもらえず、上司に直訴もしたが聞き入れられず、遺族側に訴えた。

 海自は、陳述書提出後、アンケートの存在を認めて謝罪し、関連文書を開示した。その結果、自殺の予兆があったことや、元2等海曹の被害者が多数いることが判明した。

 その一方で、公益通報者保護法に基づき内部告発した3等海佐に対し、海自は「アンケートの存在を示す文書を持ち出して自宅に保管したのは服務違反だ」として、懲戒処分の手続き開始を昨年、通知した。

 いったん秘密として「ないもの」と決めたら、組織を挙げて守りぬき言い逃れをする。さらに、過った組織決定でも、従わない者は処分も辞さない−−。一連の海自の行動からは、そんな組織の体質が透けて見える。

 こうした防衛省・自衛隊の隠蔽体質の下では、特定秘密保護法で防衛に関する特定秘密が指定された場合、たとえ国民に知らせるべき内容と職員や自衛官が判断しても、世に問うことをためらうのではないか。公益通報者保護も眼中にないかのような海自の対応は、そうしたことも想起させる。

 海自がすべきは、上告や3等海佐の処分ではない。隠蔽の経緯の検証と主導した責任者の処分だ。

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業務メールアドレスが変更→パソコン設定で苦労

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avocat1

- Qu'est-ce que tu racontes ? Hé, je n'aime pas qu'on me titille sur cette question. Bien sûr que c'est mon gosse !
「変なこと言うなよ,おい.そう念を押されると嫌だな.俺の子だよ.」
フラふら落語 23 子褒め Eloge des enfants
荻野アンナ,小池美穂 監修 Vincent Brancourt

お昼は豚玉をいただきました.美味しかったです.ちょっと悩んで公園で果物を食べました.
業務メールアドレスが変更になってパソコンの設定で苦労しました.なんだか1日ずっと取り組んでいたような感じ.名刺を作り直しです.

泉田知事の主張をじっくり読んでみましょう.
朝日新聞
「世界基準に達してない」 泉田知事インタビュー全文

 泉田裕彦・新潟県知事とのやり取りは次の通り。

 ――泉田知事は米国原子力規制委員会(NRC)のヤツコ前委員長との対談で、原発の立地自治体でつくられている避難計画は実際には機能しないのではと指摘されました。どんな点が、なぜ、機能しないと考えておられるのでしょう。

 「まず大前提として、原子力規制委員会が『新しい規制基準をクリアしている』と判断した原発も、『安全な原発』ではないのです」

 「そもそも、規制基準適合審査とは安全審査ではありません。一定の確率で事故が起きることを前提にしている基準であり、この基準を満たしたからといって、安全性を保証するものではありません。いざトラブルが起きたとき、周辺の住民が健康に影響のある被曝(ひばく)をすることは避けられない内容の規制なのです。つまり、緊急事態が生じたときに自治体がしっかりした対応ができなくては、住民の命、安全、健康は守れません」

 「では、いざというときに住民を安全に逃がすことができるのか。私は2007年の中越沖地震で、原発と地震の複合災害を疑似体験しました。その経験からいうと、計画の形をつくっただけでは、とても住民を安全に避難させられるとは思えません」

 ――なぜそう思うのですか。

 「避難計画で、あらかじめ逃げる場所を指定しておくことはできるでしょう。問題は、放射能が出てくるまでの制限時間内に、安全に逃げ切ることができるかどうかです」

 「東日本大震災はプレート境界型の地震でした。私も現地を見ましたが、津波の影響のないエリアでは、直下型だった中越沖に比べて比較的道路の被害は少ない印象でした。直下型地震では、事態はより深刻になる可能性があります」

 「中越沖地震で何が起きたかというと、道路が次々に寸断されたんです。道路というのは、端に30センチでも段差があったらもう通れない。とりあえずは段差ができたところに砂利を敷いて、そこを徐行して通るしかないんですが、その応急措置をとるだけでも半日かかりました。つまり、直下型地震が来ると『道路が連続してつながっている』という想定そのものが難しくなる。1カ所でも段差ができたら全部止まってしまうというのが道路の性質なんですよ。中越沖のときは、消防自動車もパトカーも救急車も、すべての緊急車両が動けなくなり、現場に3時間かかってもたどりつけなかったのです」

 「原発で事故が起きたとき、どのくらいで放射能が出てくるのでしょうか。東日本大震災では、全電源喪失から8時間半でベントの判断をしています。国会事故調では、それでも判断が遅かったと指摘しています。ということは、数時間のあいだに逃げなければ間に合わない可能性があります。ところが実際には、緊急車両ですら通るのに半日かかってしまう。住民が制限時間内に逃げられず、健康に影響のある被曝(ひばく)が避けられないケースがおおいに起こり得るのです」

 ――どうしたらいいのでしょう。

 「新潟県からは、いわゆる核シェルターのようなものがないと避難しきれないと提案しています。さきほど申し上げた道路の問題に加えて、例えば夜中に事故が起きた場合はどうするんでしょうか。数時間で全員に連絡して圏外へ避難させるなんて至難の業です。高齢者、お子さん、病気の人もいる。逃げられるはずがないんです」

 「さらに、線量が高くなってくると、避難に必要なバスの運転手さんの手配もできません。原発の構内で働く人でも、浴びてもよい放射線量の上限値は法令で定められています。実際に事故が起きると、この上限値を大幅に超える線量を浴びる可能性があります。そういう場所へ運転手さんを派遣しようと思っても、できません」

 「実際、東日本大震災の時は、福島からSOSをもらって新潟からバスを派遣したんですが、やっぱり民間の人は線量の高いところへは入れないんですよ。法令で入っちゃいかんことになっているわけで」

 「緊急車両もたどり着けない、バスも派遣できない。そういう状況で、どうやって避難するんですか」

 ――それで核シェルターを用意するわけですね。集落に一つのシェルターをつくるようなイメージでしょうか。

 「現場からは『各戸につくってくれ』という声も出ています。みなさん、いろいろな事情を抱えています。たとえば寝たきりの家族がいたら『体育館に行ってくれ』と言われても行けないでしょう。特に新潟は雪国ですから、雪が降っていたら動けないんですよ。だから自宅にシェルターが欲しいという声も出てくるのです」

 ――かなりの予算が必要になります。

 「そうですね。国に必要な財源措置をしてもらわなければなりません」

 「問題はまだあります。小さいお子さんの健康被害を避けるためにはヨウ素剤を早く服用することが重要ですが、国は市町村に『医師の説明をしたうえで配布しろ』と指示しているのです。実際は難しいですよ。原発から5キロ圏内の住民にはあらかじめ配っておけというのですが、仕事で来ている人や、たまたま原発近くの道路を通過している人もいます。そういう人にはどうやって配るんですか」

 「さらに、直下型地震では通信回線も途切れるんですよ。携帯も通じません。交通も通信も途切れるなかで、どうやって服用の指示を出すんですか。それなのに、指示を届けることは自治体任せです。30キロ圏内は事前配布もしません。いざ事故が起きてから『取りに来て下さい』といって、並んで取りに来てもらっている間にメルトダウンが起きて被曝(ひばく)したらどうするんでしょう」

 「現実に複合災害が起きたときのことを想定すると、とても、いまの国のやり方では機能すると思えないんです」

 ――要介護者の避難も難題です。福島では実際に、多くの人が避難の途中で亡くなりました。

 「新潟ではいま、福祉施設など施設全体を順次『核シェルター化』して、放射性物質が中に入れないように作り替えています。無理に避難するよりは、そのほうが安全だと思うからです。ただ当然、未来永劫(みらいえいごう)そこにいるわけにはいきません。いずれ救助に行くことになります。誰が行くんでしょうか」

 「規制区域になった場合、消防が行くんでしょうか。消防署員は自治体職員ですが、放射線量が高いところに突入するような装備もないし、訓練も受けていません。放射能に対しては民間人と全くいっしょです。じゃあ自衛隊が行くんでしょうか。それとも特別なレスキュー隊をつくるんでしょうか。そんな法体系や組織の整備やコンセンサスが必要なのに、国は何もやらないわけですよ。原発災害が起きたら『即時避難』というだけです。極めて無責任だと思います」

 ――そもそも国は、複合災害で原発事故が起きたとき、現実に何が起きるのかという想定をきちんとしているのでしょうか。

 「とてもそうは思えません。原発が事故を起こすとしたら、地震や津波などの大災害が起きたときだと考えるのがふつうです。そのとき道路が機能していると考える方がおかしいのに、それすら想定しているように見えません」

 「なぜこんなことになっているのかというと、おおもとの国の法や制度が、福島の原発事故の反省を生かさないままになっているからです。いまの法律では、自然災害は災害対策基本法で対応します。事務局は内閣府です。一方、原子力災害は原子力災害対策特別措置法で対応します。事務局は原子力規制庁です」

 「原子力災害と自然災害は同時に起きる可能性が極めて高いのに、こんなバラバラなことをしているから、当然起きうる事態が想像できないんです」

 「私は中央防災会議でずっと『一本化してほしい』と発言しています。民主党政権では平野達男・復興大臣が法改正をすると発言したのですが、政権交代後、検討対象から外れてしまいました。自民党は震災のとき当事者ではなかったので、あのときいかに混乱したか、実感が伴っていないように思えます」

 「このままでは、いざ何かが起きたとき、指揮系統がばらばらになって避難がうまくいかずに大混乱した東日本大震災の失敗を繰り返しますよ。避難指示を出す権限は、自然災害では市町村長、原発災害では官邸。どうしてこれで住民をきちんと避難させることができるんでしょうか」

 ――お話を伺っていると、避難計画を立てること自体が難しい原発が多いようにも思えます。そもそも日本では『事故は起きない』という前提で原発を建ててきたので、人口密集地にあったり、原発が集中立地していたり、避難路が一本しかなかったり、冬場の気象条件が厳しかったり、事故時の避難を前提として建てられていない原発がたくさんあります。

 「だからこそ、いざというときに住民の被害をいかに減らすかを考えれば、どの国よりも厳格な避難計画がなければおかしいでしょう。そこをきちんとやらないっていうのは、住民にリスクを押しつけたまま、カネのためにだけ原発を動かすっていうふうにしか見えないじゃないですか」

 ――どうすればいいのでしょう。

 「私は、福島の事故後にできた原子力規制委員会に、きちんと責任を果たしてほしいと思っています。規制委は、設置法のなかで『原子力利用における安全の確保を図ること』が任務とされています。ところが今の規制委は、原発のハードの設備を審査するだけです。これでは住民の安全は確保できません」

 「規制委は政府から独立した権限を持っていて、政府の不備を直すことができます。いざというときに住民が安全に避難できないような法や制度の不備があれば、新たな法や制度を整備するよう、関係省庁に勧告することができるのです。そういうふうに制度設計されているんですよ。そのために三条委員会にしたわけです。ところが、規制委はそこから逃げています。結局、住民の安全を守る体制はすっぽりと抜け落ちたままです」

 「ちなみにアメリカでも以前は、日本と似たような事業者任せの規制でした。ところが1979年のスリーマイル島原発事故で大混乱した反省から、事故が起きることを前提に、政府も軍も出て対応する体制に変えました。さらに9・11の同時多発テロの後は、原発に航空機が突っ込んできたらどうするのかという観点から再び規制を変えていきました」

 「ところが日本は、あれだけの事故を起こしながら、あいかわらずサイトの中のハードの性能だけをみれば『安全』ということにしてしまって、何かが起きたときにどうするかを考えない。この差は大きいですよ。安全神話はそのまま残っているのです。間違っています」

 「私は、規制委に自治体の代表を入れるべきだと思います。どういうことかというと、いざというときに自分が放射能を浴びるかもしれない人間を入れるべきだと思うのです。いまの日本の規制は、自分は放射能を浴びない人たちだけでやっているのです」

 「アメリカの規制当局(NRC)から学ぶべきです。NRCの最大の人材供給源は海軍です。彼らは原子力の専門知識を持ち、組織の統制能力もあり、さらに『ユーザー』でもある。つまり、いざというときにちゃんとやらないと、自分が放射能を浴びる立場なんですね。こういう立場の人間が入っていないと、安全を確保するという観点に立った規制はできないのではないでしょうか」

 ――現実にはいま、規制委による原発の適合審査だけが着々と進んでいます。優先審査が行われている原発では夏前にも審査が終わる見込みで、政府は「世界一厳しい基準に適合した原発は再稼働する」と明言しています。

 「『世界一厳しい基準』というのはどこから出てきたのでしょうか。実際には世界標準にも達してないというのが現実だと思います」

 「事故が進展して冷却材が失われたら、最後には、線量が高いところへ誰かが近づいて冷却をしなければいけないのです。実際に福島の事故でも、4号機の使用済み核燃料プールがメルトダウンを起こしたら、囲いもないところで大量の放射性物質が放出される最悪の事態になりかねなかった。たまたま水素爆発をしたので外から水を入れることができたのです」

 「もし同じことが再び起きたとき、誰がその場所へ行くんでしょうか。労働法制上、民間事業者である電力会社の従業員に、命をかけて収束作業をするよう命じることができるのでしょうか。できない場合は、だれが収束作業をするのでしょう。アメリカでは、あらかじめその場所へ行く人間が決まっていて契約書にサインをしています。日本では何もせず、いざというときに初めて『決死隊』を精神論で募るんですか。まさに神風特攻隊じゃないですか。そんな肝心なことも何も決まっていません。議論もしていません」

 「せめて、世界標準のことをしてほしいんです。日本はこれだけの事故を起こしてしまったんですから、本来なら世界をリードするような安全の仕組みをつくって、世界に発信する必要があるんじゃないでしょうか。それが実際には、世界標準にも達していない現状を正そうともしないで、やっていないものをやっているかのようなウソをつく。こんなことをしていてもう一回事故を起こしたら、国際的な信用を失います。国としての水準が問われる話だと思います」

 ――原発の再稼働を認めるかどうかについては、どう思われますか。

 「その議論に入る前の段階だと思います。たとえどんな小さな工場でも、火事が起きれば警察や消防が入って強制捜査を行い、現場を検証し、なぜ火事が起きたのかを調べて必要な処罰を行いますよね。ところが福島であれだけの重大な事故を起こしておきながら、いまだに事故原因の究明も分析も全く不十分なままです。文明国としていかがなものか」

 「事故を引き起こしたヒューマンファクターの検証も全く行われていません。安全の確保は機械の性能だけでは決まりません。それを動かす人間がどう考えどう行動するかが、決定的に重要なのです」

 「例えば、いざ事故が起きたとき、原子炉を冷やすために海水を注入するかどうか、だれがどう判断するんでしょうか。福島の事故では3月13日になっても『海水入れるのか』と、いかにももったいないというような議論をやっている。一基5千億円するんですよ。これをパーにするような重大な経営決断を誰がするのか。いざというとき、やっぱり経済が先に立つということになったら、冷却や閉じ込めに失敗して大惨事になりかねません。そのつど誰かが判断するというのでは、とても住民の安全は守れない」

 「そうではなくて、特定の事態に至った場合には即時に海水を注入するというような対応ルールを改めて決めて欲しいと規制委に文書を出しています。でも規制委は、ここからも逃げています」

 「新潟県の柏崎刈羽原発について言えば、まずは東京電力から分離してほしいと思っています。いまの東電は、安全よりお金優先になっています。社長の頭の中は、安全について考える余裕なんてないわけですよ。借金、廃炉、汚染水、賠償と、対応しなければならない問題が山積で、安全については1割くらいしか考えられない。だから、いかにコストを安くするかということばかりです。柏崎刈羽でも当初『防潮堤はなくても安全だ』と言われました。水密扉があれば大丈夫だと。住民の安全を考えたら、カネ優先になっている限りはだめだと思うのです」

 「東電は、企業経営の観点からもモラルハザードを引き起こしています。福島の事故処理で、国が、東電にお金を貸していた金融機関も株主も免責してしまったからです」

 「資本主義のルールでは、金融機関はお金を貸すとき、その会社が事故を起こして貸したお金が回収できなくなるリスクを考えなければなりません。ところが、事故を起こしても国が保証してくれる、リスクがないとなれば、金融機関は、たとえ危なくてもカネのために動かしてもらった方がいいということになる。おかしいでしょう。資本主義の倫理が働く形になっていないんですよ。株主も、事故を起こしたら投資したお金が焦げ付くとなれば、みなで会社を監視する。そうして安全文化が育つんです。ところが株主も免責されてしまった」

 「いまの東電は、安全文化が壊れた状態で原発を運転すると言っている会社です。もってのほかだと言わざるを得ません」(聞き手=論説委員・稲垣えみ子)


以前どこかでこれに関しての記事を読んだ気がします.隠ぺい体質が変わるといいのですが,どうでしょう・・・
毎日新聞
海自いじめ自殺訴訟:「隠蔽体質変えて」遺族の願い届く

 命に対する国の責任を司法が認めた。海上自衛隊の内部から告発が飛び出す異例の展開をたどった末、23日に言い渡された護衛艦「たちかぜ」乗員いじめ自殺訴訟の東京高裁判決は、海自による証拠隠しがあったと認定し、自殺はいじめが原因と結論付けた。「どれほど国に苦しめられるのか。隠蔽(いんぺい)体質を変えてほしい」。法廷で訴え続けた遺族の願いが届いた。【山下俊輔、島田信幸】

 午前11時過ぎ、東京高裁101号法廷。鈴木健太裁判長が1審判決を大きく上回る額の賠償を命じて退廷した後、内部告発した3等海佐(46)は、自殺した男性1等海士(当時21歳)の母と固い握手を交わした。

 母は閉廷後の報道陣の取材に応じ「(1審中に)亡くなった主人と一緒に勝訴判決を聞きたかった。一番大事な、命の責任が認められた。(息子が)生きた証を残せた」と言葉を詰まらせた。3佐は毎日新聞の取材に「この判決で遺族の方が前を向いて生きていただければ…。私の願いはそれだけです」と語った。

 「不利な文書だから、隠そうという判断がなされた。二度とないようにしていただきたい」。2013年12月11日、東京高裁。3佐が証人尋問で、証拠隠しの事実があったと詳細に証言した。

 自殺した男性1士の遺族が提訴したのは06年4月。訴訟担当だった3佐は、遺族が情報公開請求した乗員アンケートは「破棄したことになっている」と同僚から告げられたが、法務室で文書の存在を自らの目で確認した。「ずっと心にひっかかっていた。いろいろ悩んだ」という。

 08年に内部通報したが反応はなかった。1審判決当日に上官に開示を迫ったが無視された。「行政文書は国民のもの。存在する文書を隠す行為は民主主義の根幹を揺るがす」。11年2月、遺族側の弁護士に内部告発の手紙を出した。「少なくとも文書が出ることで、遺族側は納得できるだろうと考えた」

 文書のコピーを持ち出したなどとして問題視され、懲戒処分の検討対象になっている。3佐は「内部告発をしたことが良かったのか悪かったのか分からない。ただ、他に選択肢はなかった」と振り返る。

 一方、国に振り回された遺族は今年1月27日、東京高裁で最終意見陳述に臨み、母と姉が「国の対応には失望と怒りしか感じない。裁判所に最後の希望を託したい」と法廷で切々と思いを語った。遺族側弁護士も「重要な証拠が組織的に隠された。これが意図的でないと言い張るのなら、国民に対する欺まんだ」と訴えた。

フランス語
フランス語の勉強?

ブンシのリンギンを準備/双葉堂のビスマン

ブログネタ
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22avril14_liberation

Les coulisses d'une libération
解放の舞台裏ということでしょうか?
Le retour des quatre otages français détenus en Syrie repose la question du « business du kidnapping » dans les zones de conflit.

L'Ukraine ne connaît pas de trêve
trêve 休戦

Ringer renaît en trio à Bourges

Un maire FN à Marseille ? « Tout le monde s'en fout »

ブンシのリンギンを準備しました.Haさんにチェックしてもらいました.
妙でビスマンをいただきました.双葉堂のお菓子で九州銘菓です.

NYTSというご当地アイドル初めて知りました.避難先での新たな生活を優先というのはもっともです.活動休止は残念ですけど,頑張ってほしいです.
河北新報
福島・浪江のご当地アイドル、活動休止 新生活を優先

 福島県浪江町のB級グルメ「なみえ焼そば」をPRするご当地アイドル「NYTS(ナイツ)」が今春、活動を休止した。福島第1原発事故で全町民が避難した後も、歌とダンスで被災地を勇気づける活動をしていたが、メンバーらが避難先で新たな生活を選んだため、継続が難しくなった。

 NYTSは2009年、なみえ焼そばの広報団体「浪江焼麺太国」の派生ユニットとして、町の小中学生6人で結成された。グループ名の由来は浪江(N)焼きそば(Y)太国(T)Shine(S)。デビュー曲『恋する焼そば』では、濃厚なソースを小麦肌の彼氏に例え「とりこになる」とPRした。
 結成1周年には「NYTS総選挙」と銘打ち、新メンバーのオーディションを行った。9人グループになり、全国各地で開かれる食のイベントでステージに立った。
 原発事故が起き、メンバーは埼玉県や仙台市など各地に散り散りになった。それでも11年8月、町民を元気づけようと活動を再開。メンバー4人が集まり、B−1グランプリなどに参加した。
 なみえ焼そばをPRする曲以外も発表した。新曲『道 伝えたい思い』では、「迷っても進んでいけば夢や幸せが待っている」と歌い、避難生活に不安を抱える町民へメッセージを込めた。
 原発事故から2年が経過した13年春ごろ、メンバーの参加率が悪くなった。それぞれが避難先の環境になじみ、NYTSの活動よりも新しい学校の交友関係や部活動を優先するようになった。ことし1月、郡山市であったイベントが最後のステージになった。
 メンバーを再募集する案も持ち上がったが、取りやめた。浪江焼麺太国の阿久津雅信さん(43)は「町外の子どもを集めて活動しても意味がない」と反対。代わりに「メンバーが再び歌いたいと言った時、集まれる環境は残しておきたい」と解散の形は取らなかった。
 仙台市青葉区に避難する高校3年渡辺根音さん(17)は初期メンバーとして原発事故後も活動した。「避難でみんなが異なる環境に置かれ、それぞれ進みたい道が変わった。またいつか気持ちを一つにできる日が来たら歌いたい」と語った。



韓国船の沈没のニュースは見ていると,とてもつらいです.死者の数が増えていくのは悲しいです.
朝日新聞
韓国船沈没―悲劇を繰り返さぬよう

 韓国はいま、国全体が深い悲しみと怒り、さらに何ともやるせない思いで覆われている。

 韓国南西部の珍島付近で起きた旅客船の沈没事故は、300人を超す死者・安否不明者が出る大惨事となった。

 乗客の多くは修学旅行に向かう高校生だった。隣国の悲劇に胸がえぐられる思いだ。いまは一人でも多くが奇跡的な生還を果たすことを祈りたい。

 6千トンを超える客船が、どうして転覆、沈没したのか。

 原因はまだ特定されていないが、捜査当局や韓国メディアの報道をみる限り、海運会社や船の乗組員らの、あまりにずさんな行動が浮かびあがってきた。

 現場付近は韓国でも有数の潮流が速い難所にもかかわらず、操船は経験の浅い航海士に任されていた。最大積載量を超える貨物を積んでいたほか、それらをしっかりと固定していなかった疑いも強まっている。

 さらに被害を大きくしたとみられるのは、乗客に適切な避難誘導をしなかったことだ。

 船が傾き始めた際、船内放送は「動かないように」と繰り返した。管制センターが、乗客に救命胴衣を着させて早く脱出させるよう強く促したのに、対応した形跡がみつからない。

 朝鮮戦争で国土が廃虚となった韓国は、「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な成長で、経済先進国の地位を築き上げた。

 だが、まるで高度成長のひずみが噴き出すように、これまで多くの大事故が起きた。運輸に限らず、インフラや建造物などのまさかの惨事もあった。

 90年代半ばには、営業中の百貨店が崩壊したり、早朝に大きな橋が落ちたりして、多数の死者が出た。今年2月にはリゾート施設の屋根が崩れ、大学生たちが犠牲になったばかりだ。

 その裏側では、効率や利益を優先する油断や慢心はなかったか。成長と競争の論理が、地道な安全策の積み重ねを置き去りにする風潮はなかったか。

 安全の落とし穴は、他の国々にとっても決してひとごとではない。日本でも05年に起きたJR宝塚線の脱線事故で、安全対策を後手に回した利益優先のJR西日本の体質が批判された。

 日々の業務のルール順守、機材や施設点検の徹底、事故時を想定した避難・救助の訓練などは、どの業界にも通じる基本原則である。

 どんなに技術が進んでも、安全の最後の守り手は人間の意識でしかない。

 悲劇を防ぐために毎日の安全を不断に見つめ直す。隣国の事故をそんな他山の石としたい。


靖国参拝に関しての国際的な批判を受け止めるべきです.国会議員が147人も参拝したそうですが,批判されるべきです.ナンセンス!!!!!!!
毎日新聞
戦没者追悼と靖国 戦後70年へ解決策探れ

 安倍晋三首相は、靖国神社の春季例大祭にあわせて、内閣総理大臣名で供え物の真榊(まさかき)を奉納した。昨年末の参拝が中国、韓国だけでなく米国からも批判を招いたことや、オバマ米大統領の訪日を控えていることに配慮して、参拝を見送り、昨年の例大祭と同様の対応にしたようだ。

 首相の参拝見送りは当然だ。しかし、このままでは8月の終戦記念日、秋の靖国例大祭、年末の政権発足2周年と、節目を迎えるたびに今後も首相の靖国参拝をめぐって、国論を二分する騒ぎが繰り返される。

 首相は先日のテレビ番組で「国のために戦った兵士のために手を合わせて祈るのは、各国リーダーの当然の思いだ」と述べた。指導者が戦没者を追悼するのは当たり前で、批判はおかしい、と言いたいのだろう。しかし、これは論点のすり替えだ。

 私たちも、国内外の指導者がわだかまりなく戦没者を追悼できる場があることが望ましいと思う。しかし、問題は靖国が追悼の場としてふさわしいかどうかであり、指導者の追悼の是非ではない。

 靖国には、第二次世界大戦後の東京裁判で、侵略戦争を指導した「平和に対する罪」で有罪になったA級戦犯が合祀(ごうし)されている。日本は62年前の4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れ、7年の占領期間を終えて独立を回復し、国際社会に復帰した。

 A級戦犯がまつられている靖国神社に首相が参拝することは、首相が「戦犯崇拝との批判は誤解」「参拝は不戦の誓い」と説明しても、東京裁判を否定し、侵略戦争を正当化し、米国主導の戦後秩序に挑戦する意図があると疑われても仕方がない。

 首相が再び靖国に参拝する可能性がある限り、歴史認識で国際社会の信頼を取り戻すのは容易ではない。国際社会の不信感が募れば、安倍政権の安全保障政策が常に右傾化への懸念と結びついて懐疑的に受け止められかねない。首相の靖国参拝がもたらす悪影響はあまりに大きい。

 靖国問題の解決策としては、過去に国立追悼施設の建設案やA級戦犯の分祀論が議論されたが、首相は消極的と見られ、安倍政権下で議論は影を潜めた。首相は先週、追悼施設案に改めて否定的考えを示した。

 中国と韓国は、初代韓国統監の伊藤博文元首相を暗殺した独立運動家・安重根の記念館を中国東北部に開館するなど、歴史問題で対日共闘の構えを見せる。戦後70年の来年に向けてその動きを強める可能性が指摘されている。東アジア全体の安定と繁栄にとって不幸なことだ。

 首相は新たな戦没者追悼のあり方を国民的な議論にかけ、抜本的解決策を見いだす努力をすべきだ。


まだ仮設住宅への入居を待つ人がいるというのは知りませんでした.
朝日新聞
宮城)仮設住宅の備品、県が退去者に無償で譲渡

 東日本大震災の被災者が暮らすプレハブ仮設住宅にあるエアコンなどの備品について、県は希望する入居者に無償で譲ることを決め、仮設住宅がある15市町に通知した。21日の県議会常任委員会で報告した。

 譲渡するのは、エアコンや照明器具、ガスコンロなど。退去する際に、自治体を通じて県に譲渡を申し込む。現在、仮設住宅は約2万2千戸あり、譲り始める時期は各自治体が判断する。11日現在、仙台市、山元町、大郷町、美里町で始まっている。だが、仮設住宅への入居を待つ人がいる自治体では、譲渡の見通しは立っていない。約70世帯が空室待ちをしている気仙沼市は「次の入居者のためには備品が必要」とする。石巻市や女川町、南三陸町も同様だ。

 県の条例で、県が所有する備品は、公益上の必要があれば無償で譲渡できると定められている。県の担当者は「有効に使ってほしい」と話している。


あきれてしまいました.
朝日新聞
麻生氏パーティー券、電力9社が購入 表面化避け分担

 原発を持つ電力9社が10年以上前から、麻生太郎副総理兼財務相のパーティー券を水面下で分担して購入していたことが朝日新聞の調べで分かった。法律の抜け道を利用し、資金源が表面化しないようにしていた。電気料金を原資にした分担購入が判明したのは甘利明経済再生相に続き2人目。安倍内閣が電力会社の求める原発再稼働を進める一方で、2閣僚には電力業界からの政治資金の公表に踏み切る考えはない。

 複数の電力会社幹部によると、9社は麻生氏のパーティー券を1回につき約100万円分、事業規模に応じて分担して購入。各社の1回あたりの購入額を政治資金規正法上の報告義務がない20万円以下に抑えていた。東京電力は2011年の原発事故後にやめたが、他の8社はほぼ同じ金額で購入を続けてきたという。

 麻生氏の関連政治団体「素淮(そわい)会」など複数団体の政治資金収支報告書によると、00年〜12年に年平均約3回、「政経文化セミナー」などの名称の政治資金パーティーを開催。平均的な年間の購入総額は数百万円とみられる。電力各社は麻生氏を甘利氏と並んでエネルギー政策に強い影響力を持つ国会議員と評価し、パーティー券購入額のトップクラスにして対応していた。

 麻生氏の事務所は「政治資金規正法に則(のっと)り適切に処理している」と回答。9電力会社は「個別内容の回答は差し控える」とし、関電は「他社と協力して購入することはない」と付け加えた。(市田隆、砂押博雄、藤森かもめ)


ひどい話です.朝日新聞は原発利権に関してもっともっと報道してほしいと思います.
朝日新聞
(原発利権を追う 九電王国:上)麻生一族と九電、結束脈々 圧倒的な影響力

 高祖父は大久保利通、祖父は吉田茂。華麗な政界家系に生まれた麻生太郎副総理兼財務相(73)には、あまり知られていないもう一つの家系がある。実父が九州電力の初代会長なのだ。

 福岡県飯塚市で炭鉱を営んでいた父・太賀吉(たかきち)氏が九電会長に就任したのは、吉田首相がサンフランシスコ講和条約に調印して戦後日本が新たな一歩を踏み出した1951年。この年、九州では二つの電力会社が統合して九電が誕生。指導者として財界実力者の太賀吉氏に白羽の矢が立った。

 それから63年、第9代九電会長として九州財界に君臨してきた松尾新吾・現相談役(75)が、現在の麻生氏の後ろ盾になっている。

 今年3月29日、博多湾を見下ろす福岡市内のホテルで、麻生氏が地元で年1度開く政経文化セミナーが催された。1200人がひしめく会場で主催者として登壇したのは松尾氏だった。

 チケット代1万円。飲食は一切なし。「そのかわり頭と心にたっぷりの栄養をもたらします」と、松尾氏は笑いを誘った。麻生氏は続いてあいさつし、アベノミクスの実績をアピール。降壇後、最前列に座っていた松尾氏に真っ先に歩み寄り、その手を握った。

 福岡県内の議員や首長に加え、九電子会社や下請けの幹部が会場に詰めかけていた。その一人は「麻生さんに『早く原発を再稼働させて』と頼んでおいた」と記者に言った。別の会社幹部は「チケット10枚ぐらいは買った」と明かした。

 麻生氏は初当選する39歳まで父らが築いた麻生グループの中核会社で社長を務めていた。元側近は、政界のプリンス・麻生氏の別の顔をこう明かす。「経営や商売に精通していて財界人とのつながりも深い、という絶対的な自負がある」

   ■    ■

 麻生氏の事務所によると、麻生政権が総選挙に敗れて自民党が下野した翌年の2010年、松尾氏は麻生氏側の要請でセミナー主催者となった。九電は「個人として就任している」というが、地元では「九電社長、会長を歴任した松尾氏に依頼すれば『オール九州』の支援が得やすい」(地元議員)と言われる。

 九電は電力業界で東京・関西・中部の3電力に次ぐ規模だが、九州での存在感は圧倒的だ。東京商工リサーチによると、九州・沖縄に実質上の本社を置く企業を売上高で比べると、九電は調査開始から12年度まで36年連続でトップ。JR九州に比べ従業員は1・4倍の1万3千人、売上高は4・5倍の1兆5千億円。地域独占で得る電気料金を設備投資やグループ会社86社に流す。建設業など地元経済への影響力は絶大だ。

 約960社で作る「九州経済連合会」(九経連)の運営費や人員の多くを負担。九経連会長職は創立以来、松尾氏まで7代続けて九電会長が務めた。

 国会議員に資金提供してきた九電元幹部は「原発推進に協力し、官庁に圧力をかけてもらうのが目的」と明かすが、麻生氏への期待はそれにとどまらない。

 2011年の原発事故後、今度は窮地の九電に麻生一族が手をさしのべる。

   ■    ■ 

 佐賀県にある玄海原発の運転再開を巡る「やらせメール問題」が九電を直撃し、松尾氏は12年に会長辞任。13年には九経連会長も退いたが、後任選びは引き受け手がおらず難航した。その座に九電出身者以外で初めて就いたのは、麻生氏の実弟である麻生泰(ゆたか)・麻生セメント社長だった。「いざという時に九電と麻生一族は手を結ぶ。これほど固い政財界の結びつきは東京や大阪ではありえない」と麻生氏の元側近は話す。

 自民党と電力会社が結束して地域を掌握する。九州は特にその岩盤が強い。

 鹿児島県にある九電川内原発が再稼働第1号に有力視されていることについて、麻生氏は18日の記者会見で「地域における電力会社への信頼は高い」と胸を張った。九電が「原発復権」へのブレークスルーとなるのは、圧倒的な「地元掌握力」と無縁ではない。

 その実態を探りに取材班は薩摩へ向かった。(この連載は野口陽、堀内京子、村山治、板橋洋佳、市田隆が担当します)


上野千鶴子さんは好きです.はっきりとした言い方で社会を批判します.最近あまり本読んでいません.図書館で本を借りたいところです.
毎日新聞
読書日記:今週の筆者は社会学者・上野千鶴子さん 子育てを分担しない日本社会

 *3月25日〜4月21日

 ■テレビ報道職のワーク・ライフ・アンバランス−−13局男女30人の聞き取り調査から(林香里・谷岡理香編著、2013年)大月書店

 ■フランスのワーク・ライフ・バランス−−男女平等政策入門:EU、フランスから日本へ(石田久仁子・井上たか子・神尾真知子・中嶋公子編著、2013年)パド・ウィメンズ・オフィス

 ■家事労働ハラスメント−−生きづらさの根にあるもの(竹信三恵子著、2013年)岩波新書

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 安倍政権は「女性の活用」がお好き。なぜってこんな少子高齢社会では、女性は日本に残された最後の資源。寝た子をたたき起こしてでも「活用」しないわけにいかない。女にも働いてもらいたい、だが子どもも産んでもらいたい。仕事と家庭の二重負担はあいかわらず女にばかりしわよせされる。男の働き方を変える気はないらしい。

 先日「アベノミクスは女を幸せにするか?」というトークイベントが紀伊国屋サザンシアターで開催された。「家事労働ハラスメント」(岩波新書)の著者、竹信三恵子さんと、「女たちのサバイバル作戦」(文春新書)の著者、上野がトークするイベントのタイトルだが、答えはもちろん、ノー。一方は女性の家事労働負担から、他方は女性の働き方から、2冊合わせて読むと、合わせ鏡のように女性の現状が浮かび上がってくる。

 竹信さんが「家事労働」と呼ぶのはわたしが20年以上前に「家父長制と資本制」(岩波書店)のなかで、「不払い労働」と呼んだものだ。この女性の見えない労働は、「再生産労働」とか、「ケア労働」とかさまざまな名前で呼ばれてきた。国際労働機関(ILO)条約では「家庭責任」とも呼ばれる。男に家庭責任はないのかっ、と言いたくなるが、「あたかも家庭責任がないかのように」ふるまってきたのがこれまでの男性労働者だった。女も男も育児や介護などの「家庭責任」を背負ったとたん、「二流の労働者」に転落する運命にあり、曽野綾子さんから「出産したら女性は会社を辞めなさい」とマタニティーハラスメント(妊娠・出産に伴ういやがらせ)を受けることにもなる。

 気鋭のメディア研究者の共同研究、林香里・谷岡理香編著「テレビ報道職のワーク・ライフ・アンバランス」が超おもしろい。50代管理職、30代中堅報道職男女30人に詳細なインタビュー調査を実施し分析したものだ。

 高給取りだが深夜に及ぶ激務の職場で、50代女性は「初の女性」管理職世代。50代男性が全員子持ちの既婚者で妻が専業主婦であるのに対し、50代女性は既婚と離婚・非婚がほぼ半々。子持ちは半数。「子どもができても働き方に変化はない」という男性報道職に、生活に目配りした番組がつくれるのだろうか、と本書は問いかける。同じことは新聞記者にも大企業総合職にも言えるだろう。

 女性の就労率も出生率も高いフランスの事例を詳細に研究紹介したのが、石田久仁子・井上たか子・神尾真知子・中嶋公子編著「フランスのワーク・ライフ・バランス」。出生率低下は先進諸国の共通の傾向だが、フランスと日本の政策の違いが、異なる効果をもたらすことがよくわかる。

 「3年抱っこし放題育休」より、待機児童をなくしてほしい、というのが女性の切実な望みだが、「子育て支援」の現場は誰にどのように支えられているのか? 男性社会学者が、保育ママ、子育て広場などさまざまな子育て支援の担い手にインタビューした内容を繊細に分析した「子育て支援の社会学−−社会化のジレンマと家族の変容」(新泉社、2013年)が興味深い。支援者たちは「家庭で母親が育てるのがいちばん」と考え、それを代行しているという意識が根強い。この「家庭育児」の神話がなくならないかぎり、社会が子育ての責任を分かち合うという「育児の社会化」は進まないだろう。

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 筆者は上野千鶴子、福地茂雄、西加奈子、松家仁之の4氏です。

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 ■人物略歴
 ◇うえの・ちづこ

 東京大名誉教授、認定NPO法人「ウィメンズアクションネットワーク」理事長。「おひとりさまの老後」など著書多数。

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朝眠く苦しかったです/キソキソの書類にミスプリントが多い

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ragazza3

- La sage-femme n'en revenait pas : c'est la première fois qu'elle voyait un béb6é aussi grand.
「こんな大きな赤ちゃんは初めてだって,お産婆さんが驚いてたよ.」
- Mais quand même, il n'est pas trop grand ? Il a une barbe de trois jours et il fai claquer son dentier.
「それにしても大き過ぎねえかい?髭生やして入れ歯が諤々して」
T'es bête ou quoi, ça, c'est grand-père qui fait la sieste.
「バカ,それはお祖父さんが昼寝してるんだよ」
フラふら落語 23 子褒め Eloge des enfants
荻野アンナ,小池美穂 監修 Vincent Brancourt

6時半に目覚ましかけていたのになりませんでした.よく見たら夕方の6時半でした.おバカなわたし・・・とにかく起きたのですが眠くてたまりません.朝早いコーはどうにかこなしましたけど,その後のフクで眠くてたまりませんでした.
やっと目が覚めたと思ったら質問攻めにあって,夕方のキソキソの後に書類はミスプリントが多いことに気がつきました.

あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「福島県相馬市 飯塚弃一さん」

東日本大震災に遭遇した方々の「あの日」の証言。福島県相馬市の漁師、飯塚さんは港に駆けつけ、船を沖に出そうとした。船は引き潮で岸壁から離れていたため、飛び乗って胸を強打した。操だ室にたどり着く間もなく、船は強力な引き波に流され、大きな渦に巻き込まれた。たまたま渦の外に出られて助かった。


復興がなかなか進んでいないのは土地収用だけに問題があるとは言えないにしても,大きな問題の一つかと思います.うまく解決して進むといいと思います.
毎日新聞
被災地土地収用 後手はもう許されない

 ようやくの前進である。東日本大震災の津波被災地で住民が集団で移住するための土地取得を迅速化する復興特区法改正案が衆院を通過した。近く成立する運びだ。

 かねて必要性が指摘されていた措置に震災発生から3年以上を要した。しかも本当に作業が加速するかについては、なお不安がつきまとう。今回の震災に限定した特別な土地収用手続きの創設など新たな措置の検討も与野党は急ぐべきだ。

 大震災の津波被災地の多くは高台などへの住民移転事業を進めている。ところが岩手県大槌町などでは限られた用地で地権者や相続人など土地の権利関係が不明なケースも多く、土地取得の大きな障害となっている。このため岩手県などは立法措置による迅速化を求めていた。

 与野党が合意し議員立法で衆院を通過した改正案は自治体が強制的に土地を収用できる要件を現在の集団住宅50戸以上の整備から5戸以上に緩和する。また、土地権利関係調書の添付がなく収用手続き終了前でも移転事業を自治体が実施できる「緊急使用」の期間を現行法の半年から1年間に延長した。

 立法による取得促進の必要性が叫ばれながらこうした手が打たれてこなかったのは政治の怠慢以外の何物でもない。しかも一歩前進とはいえ、その効果はなお心もとない。

 「緊急使用」の場合、1年以内に土地調書の提出などを済まさないと、工事の中止や原状回復を事業者が迫られる懸念がある。いたずらに調書作成に厳格を期さないことや、最終的に地権者がわからなくてもやむを得ない場合に収用できる「不明裁決」を柔軟に活用するなど運用上の配慮が欠かせない。

 岩手弁護士会などは土地収用に見合う補償金をあらかじめ自治体が第三者機関に預け、後に所有者が判明した際に払えるような制度の創設を主張する。政党も民主党などは今回の法改正に加えて「用地委員会」を新設し、補償金の予納や土地使用や取得をめぐる裁決を迅速に行えるよう、さらなる立法を求めている。

 土地取得を加速するための立法に復興庁など行政の腰が重いのは、憲法が保障する私的財産権を侵害しかねないとの理由で慎重論が強いためだ。だが「長年放置されている私的財産権侵害のおそれよりも、仮設住宅暮らしの長期化を強いられる被災者の生存権を憲法の精神からも尊重すべきだ」(階猛民主党衆院議員)という意見は理解できる。

 時間との闘いの中で国会がようやく講じた手段が不十分というのでは話にならない。与野党はなすべき対策を首脳レベルで真剣に検討し、政治の責任を果たしてほしい。


アベちゃんがいっている配偶者控除は全くのデタラメだと思います.イジメといってもういいくらい.東京新聞はいいことを言ってくれていると思います.
東京新聞
配偶者控除 女性就労の壁は本当か

 安倍晋三首相の意向で政府税制調査会が始めた「配偶者控除」廃止議論は到底理解できない。女性就労の妨げとの論理の乱暴さもさることながら、廃止による大幅増税は家計への打撃が大きすぎる。

 配偶者控除をめぐっては「百三万円の壁」という言葉が定着している。たとえばサラリーマンの妻がパート勤めで年収が百三万円を超えると、本人に所得税がかかるうえ、夫には配偶者控除が適用されなくなって所得税額が増える。そのため妻が百三万円を超えないよう労働時間を抑え、それが壁になっていることを指す。

 政府は過去に「壁」の解消をねらって「配偶者特別控除」を追加し、百四十一万円未満までは、夫の年収が一千万円以下であれば一定の控除が受けられるようにした。だが、特別控除による恩恵はそれほど大きくないため、「百三万円の壁」が依然として高い。それなら配偶者控除を廃止すれば女性の就労は進むだろうというのが廃止論者の考えであり、女性の社会進出拡大を成長戦略の一つに掲げる安倍首相の意向である。

 しかし、話はそんなに単純ではあるまい。女性の社会進出を阻んでいる大きな要因は、保育所の待機児童や介護施設の定員不足に代表される「子どもを預けられず、介護も女性任せ」で、とても安心して働きには出られない社会構造にあるのではないのか。

 女性の就労促進といいながら、パートなど低賃金労働の選択肢しかない状況で女性を都合よく活用しようという政府や経済界の意図が透けてみえるようである。

 配偶者控除の廃止が女性の就労促進につながるかは、はっきりせず、ほとんど効果がないとの研究もある。逆に、廃止が家計に与える影響の甚大さは明白だ。

 財務省によると、「配偶者控除」の適用者は約一千四百万人で、減税額は六千億円に上る。「配偶者特別控除」も約百万人、三百億円だ。もし配偶者控除が廃止になると、年収五百万円の家庭で約七万円の増税になる。消費税率8%への引き上げと、すでに廃止された年少扶養控除を合わせれば年間負担増は二十五万円を超える。

 相次ぐ増税と物価上昇で家計は疲弊する。増税分をまかなうために女性はもっと働け、ということか。それが成長戦略なのか。

 自民党は昨年の参院選、一昨年の衆院選で「配偶者控除の維持」をマニフェストに掲げていた。公約違反は許されないはずだ。


レズビアンとかゲイあるいは性同一性障害の人が身近にいなかった(というか,いても声を上げられなかった)ので実感はあまりないのですが,性的少数者の権利は擁護されるべきだと思います.
河北新報
性的少数者認め合う場を 仙台のNPO活動再開 26日イベント

 あらゆるセクシュアリティー(性的指向)の人が尊重される社会の実現を目指す仙台市のNPO「Anego(アネゴ)」が、東日本大震災で休止していた活動を再開する。皮切りとして、26日に2010年11月以来となるティーパーティーを開く。メンバーは「多様性を認め合う場をもっと広げたい」と意気込んでいる。

 ティーパーティーは、「男らしさ、女らしさ」「好きな服装」などを気軽に語り合うお茶会。Anegoが07年に発足して以来、交流や情報発信を進める活動の柱として年4回開催していた。
 性別やセクシュアリティー、国籍などを一切問わず、個人情報を開示するかどうかも参加者の自由に任されている。
 今回のパーティーのテーマは「カワイイ」。当日は、参加者がそれぞれかわいいと思うモノや人の写真などを持ち寄る。
 会場近くで同日に繰り広げられるソチ冬季五輪フィギュアスケート男子の金メダリスト羽生結弦選手のパレードも観覧する。
 Anegoは、ティーパーティーのほかにも女装パフォーマンスや講演会を通じ、同性愛や性同一性障害といった性的少数者を含む多様な性に理解を深める活動を展開。しかし、震災後は中心メンバーが被災地の復興支援に専念したり、東北を離れたりして休止状態になっていた。
 昨年11月に仮面舞踏会を催したところ、「こういう場がもっとほしい」という反響が寄せられ、本格的に活動を再開することになった。現在の中心メンバーは5人。代表の太田ふとしさん(39)は「いろんな価値観の人が楽しく元気になれるような場にしたい」と話す。
 ティーパーティーは青葉区国分町3丁目のコミュニティー・センター・ゼルで午後1時から。参加費500円。前日までに申し込みが必要。連絡先は太田さん090(2847)3751。


提訴を強く支持したいと思います.アベちゃんはもう靖国参拝をしないでほしいと思います.
琉球新報
首相の靖国参拝は違憲と提訴 東京地裁に273人

 安倍首相の靖国神社参拝は憲法が定めた政教分離原則に違反するとして、戦没者遺族や宗教家、韓国人ら273人が国などを相手取り、将来の公式参拝差し止めや違憲確認、原告1人当たり1万円の損害賠償を求める訴訟を21日、東京地裁に起こした。
 11日には大阪市の約540人が同様の訴えを大阪地裁に起こしている。
 原告側は訴状で「集団的自衛権の行使を容認して戦争のできる国づくりを目指す安倍首相は、国のために犠牲になることを美化するため靖国神社を利用しようとした」と主張。参拝で近隣諸国との関係を悪化させ、戦争が起こり得る状況を招いて平和に生きる権利を侵害されたと訴えている。(共同通信)


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1日寝てしまいました/京都に米軍基地はいりません

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140420_Kyotango1

- C'est votre enfant ? Rien qu'en le voyant, on comprend qu'il vivra aussi longtemps que feu votre grand-père ! On sent que c'est une graine de héros. Ah ! Comme j'aimerais avoir un destin aussi brillant que le sien !

「このお子様はあなたのお子様ですか?亡くなったお祖父さまに似て長命の相がございます.栴檀(せんだん)は双葉より芳しとか申します.私もこういうお子さんにあやかりたい.」
フラふら落語 23 子褒め Eloge des enfants
荻野アンナ,小池美穂 監修 Vincent Brancourt
140420_Kyotango2

疲れていたのかもしれません.今日は1日寝てしまいました.
京丹後で京都にも沖縄にもどこにも米軍基地はいらない!
Xバンドレーダー基地建設着工反対!4・20京丹後現地集会
がありましたが,参加できませんでした.

明日へ−支えあおう− 復興サポート「未来に贈る 子どもの言葉〜福島・双葉郡〜」


帰還と復興には長い時間がかかる双葉郡の子どもたちはどのように故郷を学んでいけば良いのか。詩人の和合亮一さんが、ふるさとをテーマにした詩を子どもと創り上げていく。

双葉町、大熊町など8町村の双葉郡に暮らしていた小中高生は、避難先の仮校舎で授業を受けている。帰還と復興には、長い時間が必要だと言われる地域で、子どもたちはどのように故郷を学んでいけば良いか。復興サポーターは福島市に住む詩人の和合亮一さん。和合さんは「もし、ふるさとという言葉がなかったとしたら、ふるさとをどんな言葉で表現するか?」と問いかけ、ふるさとをテーマにした詩を子どもたちと創り上げていく。
和合亮一  畠山智之,山根基世


NHKスペシャル シリーズ 廃炉への道1「放射能“封じ込め”果てしなき闘い」


史上最悪規模の事故を起こした福島第一原発。40年とも言われる「廃炉」を長期に渡って記録していく大型シリーズ「廃炉への道」。第1回は放射能との果てしなき闘いを描く

史上最悪規模の事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所。溶け落ちた核燃料を取り出し、処分する「廃炉」が始まろうとしている。40年ともいわれる長い時間をかけて、3つの原子炉を「廃炉」する人類史上例を見ない試みはどのような経過をたどるのか。大型シリーズ「廃炉への道」では、原発のみならず、「廃炉」の行方を固ずをのんで見守る福島の人びとなど、放射能との長きにわたる闘いを、長期に渡り多角的に記録していく。
小宮有紗, 西島秀俊


日航機事故はだいぶ前のことだと思いますが,大川小関係者はうれしく思ったに違いありません.
朝日新聞
大川小に鎮魂のアコーディオン 日航機事故遺族ら企画

 東日本大震災で児童ら84人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校で20日、鎮魂の演奏会があった。1985年にあった日航機墜落事故の慰霊活動を続ける群馬県のサークルがアコーディオンで奏でた。

 日航機事故の遺族で、文部科学省の検証委員会メンバーとして大川小の惨事を調べた美谷島(みやじま)邦子さんらが企画。サークルの27人が童謡「しゃぼん玉」など6曲を奏で、大川小の遺族約20人が耳を傾けた。

 美谷島さんは「日航機事故の時、演奏に力づけられた。誰かが支えてくれると感じれば、遺族は一歩を踏み出せる」。小4と小3の孫娘2人を失った阿部文子さん(62)は「ありがたい。天の子どもたちに届いたかな」と話した。(古庄暢)


集団的自衛権反対が多いですね.当然でしょう.
日経新聞
集団的自衛権「反対」49% 原発再稼働反対も55%

 日本経済新聞社の世論調査では、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更に49%が反対し、賛成の38%を上回った。原子力発電を重要電源と位置づけ、原発再稼働を進めるとしたエネルギー基本計画への反対も5割を超えた。最大の不安材料だった消費増税は政権運営に大きな悪影響を与えていないが、重要政策の浸透は道半ばといえ、懸念払拭に向けて丁寧な政権運営が求められそうだ。

 集団的自衛権は米国など同盟国が他国から攻撃を受けた際、日本が直接攻撃されていなくても反撃に加わる権利。現在の憲法解釈では行使を認めていないが、安倍晋三首相は行使に向けて解釈を変更したい考え。野党にも賛成意見があるが、公明党は反対しており、世論は割れている。

 集団的自衛権の行使容認は自民支持層に限れば賛成が56%で、反対の32%を上回った。無党派層では反対が62%に上り、賛成は22%にとどまった。公明支持層も無党派層と同じような比率だ。男性は50%が賛成だが、女性は27%にとどまった。

 自民支持層と無党派層の間で、支持・不支持の傾向の違いはエネルギー政策でも目立つ。政府が11日の閣議で決めたエネルギー基本計画は、安全が確認された原発を動かす方針を記し、原発の再稼働に一歩踏み出した。自民支持層は賛成が47%で反対の42%を上回った。無党派層では反対が65%を占めた。年齢別では20〜30歳代のみ賛成が反対を上回り、40歳代以上と違いを見せた。

 政府が2015年10月に予定する消費税率の8%から10%への引き上げを巡っては反対の60%が賛成の32%を大きく上回っている。無党派層では反対が67%を占めた。自民支持層は賛成が42%、反対が49%だった。

 交渉が大詰めを迎えた環太平洋経済連携協定(TPP)では「合意するため妥協はやむを得ない」が37%。「妥協するぐらいなら合意すべきではない」は44%に達した。

 内閣支持率は56%で安定しているが、支持しない理由(複数回答)では「政策が悪い」が40%で3月に比べ9ポイント上昇。第2次安倍内閣の発足後、最も高かった。

 首相は今年12月に消費税率の10%への引き上げを決断する方針だが、今後の景気回復なども絡み、難しい判断を迫られる。安全保障、エネルギー、税制、通商など多くの分野の重要政策に関しても、幅広い層に理解を得る必要がありそうだ。

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顔認証カメラ・マイナンバー嫌です/ノルマ6000円だって!!!

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SenbayashiPark_140414

- C'est pas du vin gratos, c'est du Castillo de Gredos. T'es un brave type mais il faudrait que tu apprennes à parler convenablement. Si au moins t'arrivais à trousser un petit compliment, on aurait envie de t'inviter.
「うちにあるのはタダじゃなくて灘の酒.お前は人間はいいんだが言葉が乱暴でいけない.世辞の一つも言えばご馳走する気になるものだ」
フラふら落語 23 子褒め Eloge des enfants
荻野アンナ,小池美穂 監修 Vincent Brancourt

朝Hyさんにブツブツを教えてもらって,お昼前に英語を勉強しました.
今日はケーブルテレビの機器を回収してもらうので部屋に待機してました.ちょっと眠くなってしまいました.
夕方は顔認証カメラの学習会.プライバシー侵害だと思いました.共通番号制度(マイナンバー)もイヤです.

Shさんは毎月6000円のノルマがあるそうです.関アジの一夜干しも買ったというか買わされたそうです.

2013年11月に実施を公表で2か月後に報道されています.東京新聞でも後追い報道されていたそうです.
2014年1月6日
朝日新聞
大阪駅ビル、顔で追跡 カメラ90台、行動把握 4月から実験


 JR大阪駅の駅ビル「大阪ステーションシティ」(大阪市北区)で通行人の顔をカメラ約90台で撮影し、その特徴を登録して同一人物を自動的に追跡する実験が4月から始まる。顔認証技術の精度を確かめるのが狙いで、データは個人が識別できない処理をしたうえで、JR西日本に提供されるという。不特定多数の人を撮影しデータを収集する行為に、専門家はプライバシー侵害への懸念を示している。

 総務省所管の独立行政法人「情報通信研究機構」(東京都小金井市)がJR西日本とステーションシティを運営する「大阪ターミナルビル」の協力を得て、2年間実施する。
 実験では、各カメラで3メートル四方にいる数十人の顔を瞬時に撮影する。両目間の幅など100カ所程度の各人の顔の特徴を抽出して特定のIDを与えて登録し、別のカメラが同じ特徴を持つ顔を識別すると、同一人物と判断して追跡。駅ビル内での約1週間の行動が把握できる仕組みだ。
 収集した映像は特定の個人が識別できない形に変換した後、季節や時間帯ごとの人の流れや滞留の度合いを示す統計処理を行い、JR西日本側に無償提供されるという。元の映像は特徴を抽出した後で消去するとしている。同機構は大規模災害時の避難誘導などの検討に役立つと説明するが、JR西は使途を決めていない。
 同機構は駅ビル内の数カ所で実験を行っていることを告知する方針だが、各カメラには説明を付けないため、通行人は自分の顔のデータを取得されていることには気づきにくい。
 ステーションシティは、1日約80万人が乗降するJR大阪駅や大丸梅田店、JR大阪三越伊勢丹などのデパートも入る駅ビルで、2011年5月の開業以来、3億人以上が訪れた西日本屈指の商業施設。
 同機構の能見正・ネットワーク研究本部統括は「顔のデータは、元の映像が復元できない情報に施設内で置き換えるため、個人情報保護上の問題はない」と説明している。
 こうした顔を見分ける技術はすでに飲料水の自動販売機などでも活用されている。JR東日本の青森県から静岡県の駅では計500台の自販機に小型レンズを利用したセンサーが付いている。客の顔から性別や年代を識別し、好みの傾向や気温に応じた「あなたへのオススメ」を表示する。
 設置したのはJR東日本の子会社「JR東日本ウォータービジネス」(東京都渋谷区)。購入者の年代や性別、購買履歴のデータは定期的に本社に送信され、蓄積されている。
 警視庁は11年から、あらかじめ登録している指名手配中の容疑者らの顔写真と、民間の防犯カメラの画像を自動的に照合するシステムを試験的に導入しているが、犯罪とは無関係な人の顔のデータを取得して保存・活用することはない。(藤森かもめ、白木琢歩)

 ■プライバシー侵害懸念
 <個人情報の問題に詳しい森亮二弁護士(第一東京弁護士会)の話> 個人情報保護法では顔データの取り扱いを定めた規定はないが、人にはみだりに撮影されない肖像権がある。顔の特徴点だけを取得する場合でも、プライバシー侵害の問題は残る。フェイスブックなどの写真と照合されれば、個人を特定される恐れもある。利用目的があいまいなまま無差別にデータを取得し続けるのは問題だ。撮影目的が明確で、必要時に照合する防犯カメラとは異なる。せめて、何の目的でどこで撮影しているかは、わかりやすく表示すべきだ。

 ◆キーワード
 <顔認証技術> カメラでひとの顔を読み取り、目や鼻の凸凹や傾きといった顔の特徴をとらえて個人を識別する生体認証技術。本人確認や防犯対策に使われている。米国の2001年の同時多発テロ以降、欧米の空港での導入が進み、日本でも02年のサッカー・ワールドカップの際に成田空港と関西空港に設置された。駅、遊園地、パチンコ店などでも活用される例が増えている。大学教授や弁護士らでつくる、個人情報の扱いを議論する政府の技術検討部会は昨年12月、顔データは処理を施しても個人が特定される可能性が高いとして、「慎重に検討すべきだ」との報告書をまとめている。


市民が反発していることをうけて3月11日に延期を発表したそうです.とりあえずホッとしました.
2014年3月5日 
朝日新聞
カメラで顔追跡「やめて」 JR大阪駅実験前に反発続々


 JR大阪駅の駅ビルで通行人の顔をカメラで無差別に撮影して追跡する実験に対し、反発が相次いでいる。来月開始予定だったが、批判の声を受けたJR西日本は、実験を手がける独立行政法人「情報通信研究機構」と協議を始め、機構は第三者委員会を設置して、対応を検討することにした。
 JR西にはこれまで「映りたくないので撮影場所を教えてほしい」「きちんと周知すべきだ」などの声が電話やメールで寄せられている。JR西は「実験開始前に、内容が適切か確認してほしい」と機構に要望した。機構は今月中にも、学者や弁護士らによる第三者委員会を設置し、告知方法や撮影期間のほか、撮影されたくない人への対応について審議する。実験は第三者委員会の認めた範囲で行うという。
 東京・大阪の市民らでつくる「監視社会を拒否する会」は5日、JR西、機構、機構を所管する総務省、駅ビルを運営する大阪ターミナルビルに実験中止を申し入れた。会の共同代表の田島泰彦・上智大教授は「通行することが避けられない駅ビルで、無差別に撮影することは許されない。プライバシー権の侵害だ」と話す。関西の市民グループ「共通番号制と監視管理社会化に反対する北摂市民ネットワーク」も16日、大阪府内で開く勉強会で実験中止の要望書をまとめる予定だ。
 JR西IT本部の伊藤義彦担当部長は「告知方法についてはもっと議論が必要で、機構と意見交換を進めている」と語る。

 ◆キーワード
 <顔認証実験> JR大阪駅の駅ビル「大阪ステーションシティ」の通路や広場に設置した約90台の専用カメラで無差別に通行人の顔を撮影し追跡する社会実験。個人の顔から約100カ所の特徴を抽出してID登録し、別のカメラに映った人物の特徴と比較して同一人物かを識別する。実験では、特定の人物の駅ビルでの約1週間の行動が把握できる。顔の画像は個人が特定できないデータに変換し、人の流れがわかるよう統計処理。JR西日本に無償提供され、防災目的に活用するという。実験期間は2年間。4月から開始される予定で、カメラは設置済み。事業費約4億円の原資は国の補助金だ。


個人情報はマイナンバーという形でも収集され,監視されていくみたいです.イヤです.
2014年4月8日
朝日新聞
「マイナンバー、預金口座も対象に」 政府税調分科会

 国民全員に番号を振って個人情報を管理する「共通番号(マイナンバー)制度」について、政府税制調査会(首相の諮問機関)の分科会は8日、「預金口座も対象とすべきだ」という提言をまとめた。政府は具体的な検討に入るが、実現に向けては課題も多い。

 「マイナンバー」は、個人の所得や医療費についての情報を政府が一元的に管理する制度。2016年1月に運用が始まる予定だが、今の法律では政府が預金口座の情報を把握することはできない。政府税調では、口座を通じて個人の所得や資産を正確につかめれば、脱税を防ぎやすくなり、本当に助けが必要な人だけを対象にした行政サービスを提供できる、といった効果を期待している。

 ただ、個人の預金口座数は10億以上あるとされ、番号管理は金融機関の負担が大きい。政府による個人情報の管理が強まることへの国民の不安も根強い。(庄司将晃)

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質問攻めでクタクタ/ポークピカタとん平焼き

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Sakura_Kiyamachi_140405

Vous avez des baguettes ? - Désolé Madame. Nous n'en avons plus.

バゲットはありますか? −すみません,おくさん.もうないんです.
Tu te souviens de ton premier amour ? - Oui, je m'en souviens bien !

じぶんの初恋のことおぼえてる? −うん,よくおぼえているよ.

木屋町通りの桜.もう散っているでしょうけれども・・・

朝英語を勉強してから出勤.お昼はバランスランチ.どういうわけか今日は物足りない感じ.でもどうしようもありません.とりあえずミルクティーを飲みました.午後はブツブツのコー.まあまあかな?その後は質問攻めにあってクタクタ.どうにかならないものでしょうか・・・ポークピカタとん平焼きを食べたあとブツブツの問題を考えました.モーメン??難しいです.ピカタpiccataはイタリア語です.

震災と向き合う,ということ.難しいことかもしれません.
河北新報
透明な力を 第7部・向き合う(下) 生きていこう 伝えた1年

 東日本大震災の発生から丸3年たったことし3月11日。宮城県山元町の山下一小3年1組の教室は、朝からそわそわしていた。
 クラスには、保育園の友達2人を津波で亡くした鈴木翔真君(9)や加藤来夢君(9)がいる。一歩間違えば、自分も命を落とすところだった。自宅が被災した子どもも少なくない。
 鉛色の空を見詰め、翔真君がつぶやいた。「先生、あの日もこうだったよね。きょうも(地震と津波が)来るのかな」。子どもたちの表情はさらに硬くなった。
 過去は消せない。つらいかもしれないが、もう一度、震災と向き合ってほしい−。担任の阿部広力先生(56)はそんな思いで、この1年間、授業に取り組んできた。

 それでもやっぱり、3月11日は子どもたちの様子が違う。
 阿部先生は2011年4月、山下一小に赴任した。直前まで勤務していた山下二小は津波で全壊した。児童を引率し内陸に避難し、間一髪で難を逃れた。
 自問した。震災に直面した学校は何ができるのか−。
 阪神大震災を経験した元中学教師が講演で語っていた言葉が印象に残っている。
 <教師は思いやりを教えるのが大事と思っていたが、子どもはもっと前を向いていた>
 腫れ物を触るように震災を扱うのはやめようと思った。
 赴任した初年度秋の学習発表会。津波を主題にした「稲むらの火」をあえて演目に選んだ。苦境から立ち上がる村人の姿に、これからの自分たちの生き方を重ねてほしかった。
 作文や歌などで、震災体験を言葉にして表現する授業を続けた。防災マップやかるた作りを通して、命を守るすべも伝えた。

 3月11日。午後2時半からの6時間目の授業が始まった。1分間の黙とうの後、阿部先生は最後の防災授業に臨んだ。
 1年間の取り組みを振り返りつつ、「悲しくつらい気持ちになったとき、自分だけじゃないんだと思うことが大事なんだ」と語りかけた。
 津波のアニメ映像を流した。「うわー、この音だ」。来夢君は顔をしかめた。それでも、3年生に進級したころのように、画面から目を背けることはなかった。
 子どもたちの気持ちが再び落ち込むかもしれない。まだ、乗り越えられない部分もあるだろう。
 それでも、阿部先生は子どもたちにこの思いは持ち続けてほしい、と願う。
 自分は生きていていいんだ。


責任者は最後.理念では分かるのですが,私にそれが実践できるかどうかは自信がありません.
毎日新聞
東日本大震災:「責任者は最後」父の後悔 息子波にのまれ

 時が悲しみを癒やしてくれるなんて誰が言ったのか。そう問い掛けたくなる時がある。東日本大震災で息子を失った岩手県山田町の加藤昭仁さん(66)。自分の「あの一言」のせいで、息子は助からなかったのではないか。3年前より強まった後悔の念を抱えながら、息子が愛したまちの復興のために働く。「自分にできるせめてものことかもしれない」。そんな思いが、今の支えになっている。【安高晋】

 加藤さんは1等航海士としてセメントを運ぶ大型船で船長も務めた。家には1年に2カ月ほどしか帰れなかった。それでも、親子ほど年の離れた船員たちと同じように、次男の譲(ゆずる)さん(当時30歳)にも厳しく接した。時には手も出し、小学生の時の作文には「スパルタ父さん」と書かれた。

 譲さんは、子供の時からレスリングを続け、高校時代は地域の大会で優勝もした。しかし、ヘルニアで競技を続けることをあきらめる。介護の道に進み、町内の介護老人保健施設で理学療法士として働いていた。「若いやつがみんな都会に出てしまう中、あいつは残った。『具合が悪い』と電話が入れば、夜中だろうと駆け付ける。そんな子だった」

 加藤さんは10年前、家族と過ごす時間を増やそうと、航海士を辞め、漁師になった。譲さんと話す機会も増えた。「『人の尊厳って何だろう』って、そんなことをあいつはよく言ってた。俺は『あんまり分かんねえが、命の平等さのことじゃねえか』って答えた」

 譲さんは2008年に同僚と結婚。震災の数カ月前に両親が暮らす実家のそばに新居を構えた。同じころ、施設で主任に昇格する。加藤さんは、船長だった頃にいつも考えてきたことを祝いの言葉に代えて伝えた。

 「責任者が逃げるのは、どんな時でも最後だからな」

 「分かってる」−−それが返事だった。

 震災の日、譲さんがどんな行動を取ったのか。加藤さんは後から聞いた。お年寄りを連れて一度高台へ上がりながら、戻って別のお年寄りの車椅子を押していたという。そのまま波にのまれた。

 「逃げるのは最後」。あの一言がなかったら息子はどうしていただろうか。車椅子を握った手を放すような子じゃない。結果は同じだったと思う。それでも、考えてしまう。

 震災直後は深く考える余裕がなかった。妻や茨城県で働く長男は無事だったが、近くに住んでいためいも亡くした。葬儀の準備、家の再建……。それらを終えた今、当時流れなかった涙が頬を伝う。「悔やむより褒めてやりたい」。そう思ってきたのに、月日がたつにつれて揺らぐ自分がいる。

 自ら望んで、がれきの処理で出る泥水を再生するプラントで働いてきた。その仕事も、がれき処理にめどがついて3月末で終えたが、まちの力になれる新たな仕事があれば、また手を挙げるつもりだ。「命懸けで仕事をするってことをあの子は伝えていった」。姿を追うように復興に尽くしたい。


雄勝病院に関しての本を読んだことを思い出しました.特殊公務災害認定というのはわかるような気がします.
毎日新聞
東日本大震災:「妻の特殊公務災害認定を」 病院で津波犠牲 夫、仙台地裁に提訴

 宮城県石巻市立雄勝(おがつ)病院で東日本大震災の津波で犠牲となった女性看護師について、遺族が地方公務員災害補償基金(東京)を相手取り、特殊公務災害が認定されなかった決定の取り消しを求めた訴訟の第1回口頭弁論が17日、仙台地裁(市川多美子裁判長)であった。遺族側は周辺の証言から「津波が迫る中、同僚と入院患者の避難誘導に当たっていた」と主張した。【伊藤直孝】

 同基金によると、震災を巡り特殊公務災害の認定が争われる訴訟は初。訴状によると、同病院の看護師長だった阿部麗子さん(当時57歳)は2011年3月11日、勤務中に津波にのまれ現在も行方不明。基金同県支部は阿部さんの公務災害を認定したが、昨年3月に「避難誘導していた証拠はない」として特殊公務災害は非該当と決定した。

 ところが同10月、同じ現場で働いていた上司の看護部長は「患者の救護をしていた」との目撃証言により特殊公務災害と認定された。

 それを知った阿部さんの夫直安さん(60)が翌月、基金の決定を不服として第三者機関の基金県支部審査会に審査請求したが、地方公務員災害補償法が定める請求期限(60日)を過ぎていたため却下された。基金側は、この日の口頭弁論で期限切れを理由に訴訟も却下するよう求めた。

 直安さんは取材に対し「妻は部長らと同じ場所で、同じように患者を避難させていたはず。裁判所は門前払いせず、危険な場所で命がけで働いていたと認めてほしい」と話した。地裁が震災という特殊事情を考慮し、実質審理に入るかが焦点となる。

 石巻市によると、雄勝病院は3階建ての建物の屋上まで津波にのまれ、職員19人と入院患者40人が死亡・行方不明となった。

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 ■ことば
 ◇特殊公務災害

 警察・消防職員などの公務員が生命・身体に高い危険が予測される状況下で職務に従事した場合に認定され、公務災害の最大1・5倍の補償が受けられる。大震災の津波で亡くなった地方公務員282人に公務災害が認められた。うち145人が特殊公務災害も申請したが、審査会を経た例を含め認定されたのは59人(3月末現在)にとどまる。


ニュースで船は完全に海の中に沈んでしまったけれども,船内に空気を入れる努力をしているとのこと.生存者が多いといいのですが.救助された教頭先生が自殺したというニュースにショックです.
毎日新聞
韓国客船沈没 一人でも多く救いたい

 韓国で重大な海難事故が起きてしまった。既に少なからぬ犠牲者の遺体が収容される一方、300人近い乗客・乗員が安否不明のままだ。

 旅客船の内部に閉じ込められている可能性が高いと見られる人々が多いだけに、家族をはじめ関係者の心痛はいかばかりか。

 とりわけ気がかりなのは修学旅行中の韓国の高校生たちが多数、生存未確認のままであることだ。一衣帯水の関係にある隣国の苦悩は日本国民にとってもただごとではない。

 支援できることがあるなら全力を尽くして支援したい。菅義偉官房長官は「必要なことがあればお手伝いさせていただくと申し入れている」と述べた。日本政府は韓国政府にその意思を重ねて伝え、救助作業に役立つ人員や機材があるなら積極的に提供すべきである。

 この事故で残念なのは、沈没した旅客船の船長や乗員に何らかの過失があった可能性が高いことだ。

 観光地として日本でも名高い済州(チェジュ)島(ド)を目指し、韓国北部の仁川(インチョン)港を15日夜に出港した「セウォル号」は翌日午前、これも名高い南部の珍島(チンド)付近を航行中に横倒しとなり、その後に沈没した。

 韓国メディアの取材を受けた高校生らの証言がある。「船室にとどまれという放送の後、船が傾いて水が入り始めてから救命胴衣着用の指示が出たが、下の階に下りてしまった人たちもいた」「突然船が揺れてコンテナが傾いた。閉まっていた扉を先生たちが開けた。死にたくない一心で冷たい海に飛び込んだ」。数多い同種の証言は、避難誘導が不適切だった可能性を示すものだろう。

 そしてそもそも船の沈没原因がまだ特定されていない。船長や操船に関わる乗員らは全員無事だったが、それ以外の乗員たちの中には犠牲者が出ている。

 まずは生存者の捜索・救出に全力を尽くし、原因究明も徹底して行い、二度とこうした惨事を起こさないというのが韓国民すべての念願であろう。それは日本国民の願いでもあることを改めて強調しておきたい。

 韓国では1990年代、フェリー沈没事故やソウルを貫流する大河・漢江(ハンガン)での橋脚崩落事故、大型デパート崩壊といった大事故が相次いだ。これを教訓に安全を重視し、海洋汚染などが起きれば大勢のボランティアが駆けつける文化も定着した。

 しかし今回、韓国社会が受けた衝撃はあまりにも大きく、さまざまな「自粛」が広がっている。ソウルでは買い物客の姿さえまれだという。

 今なすべきことは時間との闘いに違いない。決してあきらめず、救える命を一人でも多く救うこと。それが今の韓国の最大の使命であろう。


すでにNHK受信料支払っていません・・・でも籾井会長にはやめてほしいと思います.
朝日新聞
NHK受信料、支払い凍結を 籾井氏発言受け呼びかけ

 就任会見での政治的中立性を疑われる発言などが問題になっているNHKの籾井(もみい)勝人会長について、市民団体「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は17日、籾井氏が4月中に自ら辞任しない場合、受信料を今後半年間支払わないよう視聴者に呼びかける運動を始める、と発表した。

 醍醐聰共同代表によれば、同団体は21日にNHKの担当者と面会する予定。籾井氏に4月中の辞任を求めるとともに、籾井氏と全理事、経営委員会に対し、運動を起こすことを通知する。受信料の不払いではなく、あくまで「支払いの凍結」とし、籾井氏が辞任した場合は支払いを再開するとともに、滞納分も支払うよう呼びかける。


この文章わかりやすくて,おススメです.
ロイター
インタビュー:原発は国家ぐるみの粉飾決算=吉原・城南信金理事長

-脱原発路線を強力に主張する異色の地域金融機関トップとして知られる城南信用金庫(本店・品川)の吉原毅理事長が、ロイターのインタビューに応じ、原発コストが安いというのは将来負担を無視した国家ぐるみの粉飾決算に近いとの見解を示した。

また、新エネルギーの開発が新しい経済の活力を生み出すとの持論を展開した。

東京・神奈川を地盤に信金業界2番手の総資産3兆6000億円を持つ同信金は、地銀中位行に匹敵する規模を誇る。そのトップとして、金融業とエネルギーの政策のかかわりあいに関し、どのような本音を持っているのか聞いた。

―金融機関のトップが、政治的発言をするのが極めてまれだ。

「金融は、政治にかかわるべきではなないという意見がある。それは本来、権力にかかわることで金融が求めるべき理想がねじ曲げられ、利用されてしまう懸念が生じるために生まれた考えだ」

「しかし、金融に限らず企業の目標は、より良い国や社会を構築することだ。すべての企業は、理想の実現のためにある。経営者は、金儲けだけ考えればいいというのはおかしいのではないか」

―国論を二分する1つの側に付くことで、顧客からの不評を買わないか。

「消費者のニーズに応えることが企業、つまり消費者主権という考えは間違えていないか。例えば当社は、投機のためのゴルフ会員権購入のための融資はお断りする。そういう資金使途には貸せない。健全性とは何かを考え、顧客にも説明していく。それが金融マンの役割だ」

 「福島第1原子力発電所の事故で分かったことは、将来の世代に責任を持てないエネルギーということだ。もはや原発は反社会的存在だ。原発を造る金を貸せと言われたら、お断りする」

―電力債は、金融機関の運用手段としても重要だ。

「東電の株式と社債は、事故後に売却した。金融機関は公共的な存在だ。東電の株式や社債に投資をするわけにはいかない」

―経済界の中には、コストの安い原発を稼働しないと、日本経済が立ち行かないという意見が多い。

「原発のコストの方が低いという人で、いやしくもビジネスマンや経済に携わる者ならば、会計の原則ぐらい勉強していただきたい。コスト計算には、直接原価と間接原価があり、そこで総合原価計算が行われる。原発は、今あるウランを使うだけならば直接原価は低い」

「では、その結果の間接原価はどうなのか。将来の廃炉費用や、使用済み核燃料の保管料や処理費用、工事費や人件費、地代がカウントされているのか。カウントされていない。われわれは今、時価会計で、将来に発生するキャッシュフローをすべて現在価値化し、負債計上している。原発にはそれが入っていない」

「1回事故が発生したら、天文学的なコストがかかる。貸し倒れ引当金の積み立ての考え方を入れれば、とんでもない引き当てを積まなければならない。これは、不採算というのではないか。国家ぐるみの壮大な粉飾決算だ」

――原発の再稼働ができなければ、値上げしなければならない。顧客の中小企業にとっても、それは経営上の困難になるのではないか。

 「まず、原発の将来に発生する未計上のコストをちゃんと計上しなければならない。その上で、原発を再稼働させたら、もっと値上げをしなければならない」

「新しい電力産業が勃興してくれば、新産業としてモノづくりの復活にもつながる。例えば、石炭ガス化コンバインド発電やソーラーパネル、さまざまサービスも増える。工事やモノづくりに携わるわれわれの顧客たちにも恩恵がある。原発の再稼働では、新産業は生まれない」

――経常赤字を懸念する指摘もある。

「燃料の輸入によって、貿易収支が悪化し、経常収支が赤字に陥るのは日本経済にとってマイナスだという指摘は、本当に正しいのか。経常収支が赤字でも成長している国はたくさんある。日本は、黒字を溜め込み、結果的に円高になり、デフレから抜け出せなかった。輸出入のインバランスは、為替で調整される」

――大手銀行は、福島第1原発の事故後に、東電に対して巨額融資を行った。どのように評価する。

「第2の住専問題だという気がする。当時も、政府が保証するからとみんなが貸して、最後は損失となった。1980年代のバブル時も金融機関は公共性という考えを放棄し、その後、大きなツケを払わさられることになった。金融機関は、引き返す勇気を持つ必要があると思う」

――大手行は公共性を考えて貸しているのではないか。

「それは、公共性を勘違いしている。東京電力を生かすことが公共性ではない。安全でコストの安い電力サービスを継続的に安定的に保証することが公共性なのではないか。もっと見識を持たなければならない」

(インタビュアー:布施太郎 浦中大我)(布施太郎 編集:田巻一彦)

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韓国客船沈没/電子レンジ故障・・・

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MiyakoWodoriGeiko_140405

En images : près de 280 disparus après le naufrage d’un ferry en Corée du Sud
Près de 280 personnes sont toujours portées disparues dans le naufrage d’un ferry qui transportait quelque 460 passagers – lycéens pour la plupart - près de la côte méridionale de Corée du Sud. Le bilan provisoire des victimes s'élève à six morts.

Près de 280 personnes sont portées disparues, mercredi 16 avril, dans le naufrage d’un ferry qui transportait 462 passagers, près de la côte méridionale de Corée du Sud. Le navire en question, le Sewol, a presque totalement sombré après avoir lancé un signal de détresse à 9 heures du matin (00h00 GMT). Les secours ont réussi à en évacuer 179 et six décès ont été confirmés par les autorités.
Des images impressionnantes de la chaîne de télévision YTN montrent le ferry couché sur le flanc. "Le navire est presque complètement submergé" a expliqué Lee Gyeong-Og, le vice-ministre de la Sécurité et des Services. Une armada de secours a été mobilisée comprenant 18 hélicoptères et 34 navires, marchands et militaires et des gardes-côtes.
Quelque 320 lycéens - qui viennent de l'école d'Ansan (sud de Séoul) - se trouvaient à bord. Ils partaient en excursion à Jeju, un des hauts lieux touristiques de Corée du Sud appelé "le Hawaï sud-coréen".
Passagers qui se jettent à l'eau
Sur des images vidéo, des passagers terrifiés, en gilet de sauvetage, se hissent dans des canots de sauvetage alors que l'eau recouvre peu à peu le pont et que le ferry glisse doucement dans la mer. D'autres se jettent à l'eau, où des sauveteurs, y compris l'équipage de ce qui semble être un bateau de pêche, les récupèrent tant bien que mal. La température de l'eau est de 12 degrés.
Des témoignages de passagers laissent entendre que le navire a heurté le fond sous-marin. "Nous avons entendu un grand bruit de choc et le bateau s'est arrêté", a indiqué l’un d’entre eux à YTN par téléphone, peu après l'accident. "Le navire tangue et nous devons nous agripper à quelque chose pour rester assis".
Les parents de lycéens ont été réunis dans l'amphithéatre de l'établissement d'Ansan. Selon des images de télévision, certains s'en sont pris verbalement aux dirigeants de l'école, alors que d'autres tentaient de joindre désespérement leurs enfants sur leurs téléphones portables.
Le ferry assurait la liaison entre le port d'Incheon (ouest) et l'île touristique de Jeju.

まだ状況がはっきりしませんが,不明者が多く残念ながら悲しみの予感がします.
AFP
「愛してる」「また会おう」、沈没する韓国船から届いた生徒らの声

【4月17日 AFP】韓国の南西部沖で旅客船セウォル(Sewol)号が沈没した事故で17日、沈みゆく船内から高校生たちが家族に送った悲痛な携帯メールの内容が明らかになり、韓国全土に悲しみが広がった。一方、船内放送で客室や座席にとどまるよう指示があったため多くの乗客が逃げ遅れたとの証言もあり、不明者の家族からは怒りの声が上がっている。

 セウォル号は16日朝、座礁した後、徐々に傾き沈没した。これまでに9人の死亡が確認されたが、依然として287人が行方不明で、そのほとんどが修学旅行の高校生たちだ。

「もう言えないかもしれないので伝えておきます。お母さん。愛しています」。セウォル号に乗っていた男子生徒の1人、シン・ヨンジンさんが携帯電話から母親に送ったメッセージの内容は、韓国メディアに大きく取り上げられた。この時、まだ息子が生死の瀬戸際にいることを知らなかった母親は、「あらまあ、私も愛してるよ」と返信した。

 幸いにもヨンジンさんは、船体が完全に沈没する前に救出された179人に入っていた。だが、全ての生徒に幸運が訪れたわけではない。 

 船体が激しく傾くなか、キム・ウンギさん(16)が兄に宛てたメールは絶望感に満ちている。「ぼくの部屋は45度も傾いてる。携帯もよくつながらない」。ウンギさんの兄は、救助隊が向かっていると返信し弟を励ました。「落ち着いて。言われた通りにしていれば大丈夫だから」

 しかし、それきりウンギさんからの返信はなかった。ウンギさんは現在も行方の分からない乗客287人に含まれている。

■逃げ遅れた乗客たち、船内放送で「動かないで」

 セウォル号の事故では、船が座礁した時点で、乗客たちに客室や座席にとどまるよう指示があったとの指摘が複数ある。生存者たちの証言によると、動かないようにとの船内放送が何度も流れたという。

 助け出された生徒の1人は、ほとんどの乗客が座礁後30〜40分間、船員や放送の指示に従って座席に座っていたと証言した。生徒たちは「逃げなくて大丈夫かな」と口々に言い合っていたが、船内放送は「10分以内に助けがくる」と告げていたという。

 指示に従った乗客たちは、船体が激しく傾いた時には既に逃げ道がなくなっていたとみられ、この指示が数百人もの生命を危機に追いやったと家族らは怒りを募らせている。

 女子生徒シンさん(18)と父親のメールでのやりとりが、この間の状況を物語っている。

 シンさんから「お父さん、心配しないで。救命胴衣をつけて、みんなと一緒にいるから。まだ船の中です。ホールにいます」とのメールを受け取った父親は必死に、すぐ脱出するよう娘にメールで返信した。だが、遅すぎた。返ってきたメールは「だめ、船がすごく傾いてて出られない。ホールはたくさんの人たちでいっぱい」。これが娘からの最後のメッセージとなった。

■チャットで「絶対また会おう」

 沈みつつある船内の娘や息子たちと、かろうじて携帯電話で言葉を交わした親もいる。

 ある男子生徒の母親は、パニックに陥った息子から電話を受けた。「息子は、船が傾いているし、何も見えないと取り乱した声で話しました。まだ救命胴衣をつけていないと言って、そのまま電話は切れてしまいました」と、この母親は韓国紙東亜日報(Dong-A Ilbo)に語った。

 同紙はまた、船内の生徒たちが携帯チャットで交わした会話も紹介している。1人が「なあ、みんな絶対に生きてまた会おうな」と書き込むと、他の生徒が「みんな大好きだよ」と応じている。この生徒たちが救出されたかどうかは分かっていない。(c)AFP/Jung Ha-Won


今日は忙しい日でした.お昼はオムレツハンバーグのお弁当です.電子レンジで暖めようとしたら,故障中になっていました.ガーン.冷たいままで食べました.美味しかったけど,これからどうなるかな?電子レンジはKiさんの私物だというのにもびっくりしました.
書類のpdf化などあって気がついたら10時近くになっていました.帰ろうとするとき,Yuさんはまだ仕事頑張ってました.わたしはクタクタです.

小泉さんや細川さんが脱原発の活動を継続するのはいいことです.福島の事故により多くの人が目ざめました.あべちゃんは人々の思いを無視すべきでありません.
東京新聞
小泉・細川共闘 風より「草の根」大切に

 小泉純一郎、細川護熙両元首相にとっては雪辱戦なのだろう。脱原発を目指す組織を立ち上げるという。安倍内閣が原発回帰を強める中、脱原発への道のりは険しいが、あきらめてはいけない。

 二月の東京都知事選で脱原発を訴えて立候補した細川氏と、全面支援した小泉氏。両元首相の再始動は、各種世論調査で原発再稼働反対が半数を超すにもかかわらず、安倍内閣が原発推進路線をひた走ることに対する強い危機感の表れでもある。

 この組織は五月設立の「自然エネルギー推進会議」。再生可能エネルギーを普及させ、脱原発に向けた国民運動を起こすことが目的だという。すでに著名な文化人や学者に発起人や賛同人になるよう依頼し、哲学者の梅原猛氏、作家の瀬戸内寂聴氏らが加わる。

 東京電力福島第一原発事故は依然収束していない。原発再稼働にいかに厳しい審査を加えたとしても、いったん事故が起きれば、人々から平穏な生活や住み慣れた土地を奪う。安全性や持続性を考えれば、原子力に頼らないことこそ私たちの進むべき道である。

 両元首相の行動に著名人らが呼応し、脱原発を求める動きが燎原(りょうげん)の火のごとく広がって、文字通りの国民運動になってほしい。

 その道のりは険しいことを覚悟しなければならない。

 先の東京都知事選で、細川氏は三位に敗れた。脱原発票がほかの候補と二分したという事情はあろうが、「風」を期待する選挙戦術の限界ではなかったか。

 今秋の福島県知事選では、自民党が擁立する候補に対抗して、独自候補を立てるか、脱原発候補を支援するという。来春の統一地方選でも、脱原発を目指す首長や議員候補の支援を視野に入れる。

 脱原発への道を確かなものにするには選挙で勝たねばならない。民意が選挙結果に結び付くのは、知名度や風に頼らない地道な「草の根」運動があってこそだ。

 脱原発勢力が分裂していては力を十分、発揮できまい。組織の利害を超えた勢力結集や、脱原発の一点で共闘する大胆な選挙戦略も視野に入れてはどうか。

 すぐに成果が出なくても、あきらめてはいけない。ドイツでは一九七〇年代の反原発運動から脱原発に転換するまで約四十年を要した。長い道のりではあったが、人類が歩むべき道だ。

 息の長い、地に足のついた運動を続ける忍耐力があるかどうか。脱原発実現のカギである。


切手の裏の唾液からDNA鑑定ができたなんてすごいですね.そこまでして身元を判明させようという努力もすごいものがあると思います.よかったですね.
読売新聞
決め手は切手に残った唾液…被災女性の身元判明

 宮城県警は15日、東日本大震災の身元不明遺体のうち、同県石巻市の無職女性(当時85歳)の身元が判明したと発表した。

 女性が出した手紙の切手の裏に残った唾液と、遺体のDNAが一致したことが決め手となった。

 県警身元不明・行方不明者捜査班によると、遺体は2011年4月3日、女川湾沖で見つかり、同月13日から同県塩釜市で安置されていた。DNA鑑定では、女性の姉妹2人が提供した試料とは完全に一致しなかったため、県警は女性の親族から、女性が10年頃に出した手紙3通を入手。再鑑定を行った結果、3通全ての切手裏に残った唾液と一致した。

 女性のDNAには突然変異した部位があったため、同じ両親から生まれた姉妹とも完全に符合しなかったという。

 遺骨は14日、親族に引き取られた。同班は「非常に珍しいケースだったが、遺族にお返しできた」と語る。これで県内の身元不明遺体は28人分となった。


原発再稼働に反対です.電力の面からは必要ないということが明らかになりました.電力会社の経営のためにわqたしたちがイヤな思いをすることはないと思います.
朝日新聞
今夏の電力供給、原発再稼働なくても余力あり 9社試算

 経済産業省の電力需給検証小委員会は17日、9電力会社が試算した今夏の電力見通しを示した。原発の再稼働がない場合でも、9社の供給力の余裕(予備率)は最低限必要とされる3%を確保した。昨夏に続き、政府による数値目標つきの節電要請は避けられる公算が大きくなった。政府は5月にも最終判断する。

 原発がない沖縄電力を除く9社平均の予備率は4・6%だった。

 関西電力、九州電力はもともと発電に占める原発比率が高いが、今夏は東日本から計58万キロワットの電力を融通してもらうことで3%を保つ。関電は東京電力から40万キロワット弱の融通を初めて見込み、火力発電を増強することなどで大飯原発(福井県)が動かない分を補う。九電も同様に20万キロワットの融通でしのぐ。

 しかし、本来は周波数が違う東日本と西日本との電力融通がなくても、予備率は3%以上を確保することが求められている。

 仮に融通がなければ、昨夏は動いていた大飯原発の再稼働が見通せない関電の予備率は3・0%から1・8%、川内原発(鹿児島県)の再稼働を織り込まない九電は3・0%から1・3%と、それぞれ3%を下回って電力需給は逼迫(ひっぱく)することになる。関電と九電が、東日本からの電力融通を含めて予備率をクリアしたことの是非が焦点だ。

 電力の周波数は東電より東日本が50ヘルツ、中部、北陸電力より西日本が60ヘルツと違う。そのままでは電力を送れないので、全国に3カ所ある周波数変換所を通して、最大120万キロワットを東西で融通することができる。(藤崎麻里)

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曽根崎心中/新学期初めてのテレビでフランス語

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J'en étais certaine ! Yoshi est toujours en retard !
わたしはそのことを確信していた.ヨシはいつでも遅れる.
Vous avez de la chance. Moi, je n'en ai pas souvent !
あなたはついていらっしゃいますね.わたしはそんなについてません.
yと同じく,enが代わるのは基本的に「モノ」であって,「ヒト」のばあいは,人称代名詞強勢形をもちいることになります.
C'est moi qui m'occupe de ma petit sœur aujourd'hui.
きょう,妹の面倒をみるのはわたしだ.

C'est moi qui m'occupe d'elle aujourd'hui.
きょう,彼女の面倒をみるのはわたしだ.

はじめての都をどりというページがあるのを知りました.お茶席付特等観覧席を買った場合には,お茶席で芸妓さんによるお点前を見ることができます.
曾根崎心中
角田 光代 リトル・モア 2011-12-22

角田光代の曽根崎心中を読みました.わたしはすっかり初になりきって,新地で徳兵衛を慕う気持ちです.純情な初になるのにためらいはありません.徳さまを思ってドキドキしています.久しぶりに面白い本という感じです.文楽に行きたくなってきました.

Wikipédiaにフランス語で曽根崎心中が紹介されていました!
Suicides d'amour à Sonezaki est une pièce du théâtre bunraku de Chikamatsu Monzaemon dont le thème est le suicide d'amour. Bien qu'elle ne soit pas sa première (qui est probablement la pièce de marionnettes Les successeurs de Soga en 1683) ni sa plus fameuse (sans doute les batailles de Coxinga), c'est probablement la plus populaire de ses ≪ tragédies domestiques ≫ ou ≪ pièces de théâtre domestiques ≫ (sewa-mono) selon la caractérisation que fait Donald Keene des pièces non-historiques.
Elle est représentée pour la première fois le 20 juin 1703 puis de nouveau mise en scène en 1717, avec des scènes supplémentaires ajoutées par Chikamatsu, comme la punition du méchant, mais la version généralement traduite et jouée est celle de 1703.

お昼はスンドウフチゲをいただきました.辛くておいしかったです.
夜は新学期初めてのテレビでフランス語.出演者は 姫田 麻利子 ひめた まりこ,渡部 豪太 わたべ ごうた,Pierre SINTIVE ピエール・サンティヴ,Margaux MANENT マルゴ・マナン(敬称略)です.

阪神・淡路大震災の借り上げ住宅の問題をテレビでやっていました.追い出すようなことには反対です.
神戸新聞
借り上げ住宅/暮らしの安心を最優先に

 阪神・淡路大震災から19年を経た今、あらためて被災者に立ちはだかる課題がある。

 被災者向けに自治体が民間などから借り上げた復興住宅が相次いで返還期限の20年を迎える問題だ。

 各自治体は年齢や要介護度など継続入居の要件を示しているが、入居者の多くは転居の対象となる見通しだ。自治体によって基準が異なることで不公平感も生じている。

 最優先すべきは、入居者の暮らしの安心である。震災を生き延び、その後の苦難を乗り越えてきた人たちを再び不安に陥れるような画一的な対応は避けねばならない。

 震災後、兵庫県や神戸市、阪神間などの被災自治体は約4万戸の災害復興公営住宅を供給した。うち約8千戸は都市再生機構(UR)や民間から借り上げて公営扱いとしており、今も県内約150団地に4700世帯が暮らす。

 借り上げ方式は短期間に大量の住宅を供給するための方策だったが、震災後の混乱にまぎれて返還期限などに関する行政側の説明が不十分だったケースもあるようだ。入居者の事情もさまざまで、一律の線引きで退去を求めるのは無理がある。

 約3700戸の借り上げ住宅を抱える神戸市は、URや市公社からの借り上げ分については一部を買い取るほか、返還期限を最大5年延長する救済策を示した。

 だが、半数近くを占める民間分は継続入居にも所有者の了承が必要で、7割は態度を保留している。引き続き粘り強い調整が欠かせない。

 復興住宅全体の高齢化率(65歳以上)は過去最高の49・2%に達した。震災で住み慣れた地域を離れ、ようやく落ち着いた住まいである。住み続けたいという願いを尊重することは、コミュニティーの維持にもつながる。

 阪神・淡路の被災者の20年後は、生活再建の渦中にある東日本大震災の被災者の道しるべでもある。

 行政は画一的な線引きで不安をあおるのでなく、寄り添い支える姿勢をまず示すべきだ。

 最も早く返還期限を迎える住宅も2年近い猶予がある。地域のネットワークや自治体の連携なども生かし、個別の事情に応じた安心できる住まいを提供する努力を続けてもらいたい。


東日本大震災を風化させてはいけないとおもいました.
河北新報
透明な力を第7部・向き合う(中)仲間がいる、薄らぐ恐怖心

 仲間と思いを共有することで、恐怖心は少しずつ薄らいでいった。
 山下一小(宮城県山元町)の加藤来夢君(9)は東日本大震災時、クラスメートの鈴木翔真君(9)と同じ保育園に通っていた。
 迎えに来た家族と避難する途中、車ごと津波に流された。車は1回転し、運良く電柱にひっかかって止まった。父親に肩車してもらい、民家の2階に逃れた。
 母千草さん(33)は、息子の気持ちが不安定だと感じた。お絵描きは、アニメキャラクターが好きだったはずなのに、ぐちゃぐちゃに塗りつぶした真っ黒な絵ばかりを描く。

 山下一小は直接的な津波被害を受けていない。昨年、3年生11人の担任となった阿部広力先生(56)は津波の実体験がある児童を受け持つのは、赴任3年目で初めてだった。
 授業で流した津波のアニメに頭を抱える子が何人かいた。「細心の注意を払わないといけない」とあらためて思った。
 昨年6月、全員で「防災の手紙」を書いた。初めは戸惑っていた来夢君も、少しずつあの日のことを書き出した。
 夏休みの自由課題として、「上へかけあがれ」の標語を添えた津波防災のポスターを仕上げた。母親は手間が掛からない習字を勧めたが、「ポスターを描くんだ」と泣いて譲らなかった。
 2学期。来夢君は震災体験を自発的につづった作文を翔真君と共に同級生の前で発表するまでになった。
 「友達と一緒に取り組む安心感があるのかな。たくましくなってきた」。千草さんは思った。
 10月の学習発表会。来夢君たちは、妻と幼子を失った町内の男性らが手掛けた震災ソング「この町で」を披露した。間奏部分には、保育所で亡くなった友達2人を思って書いた翔真君の作文の一節を織り込んだ。

 ことし1月。阿部先生と児童は、震災の爪痕が残る町内をバスで巡った。保育所があった場所の近くも通った。
 「震災がなければ、今ごろ一緒に遊んでいた友達でしたね。その人たちの思いも心の中に残し、大きくなってほしい」
 阿部先生は、自ら撮った被災後の保育所の写真を掲げて見せた。
 「そのしましまの服、友達のだ!」「(亡くなった子の)歌声が入ったCDが残っていたんだよ」。来夢君や翔真君が元気な声を上げた。
 つらい体験と向き合い、記憶を整理できるようになった子どもたち。阿部先生は頼もしさを感じていた。

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妙で集中できませんでした/お菓子2つ

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Hier, mon petit ami est parti en France.
きのう,恋人がフランスへ出発した.
Je n'arrête pas de penser à lui.
わたしは彼のことを考えずにはいられない.
英語も少し.
There is nothing which we receive with so much reluctance as advice.
- Joseph Addison (English essayist and politician, 1672-1719)

アドバイスほど,私たちがしぶしぶ受け取るものはない.
Although modesty is natural to man, it is not natural to children. Modesty only begins with the knowledge of evil.
(from Emile: Or On Education)
- Jean-Jacques Rousseau (French philosopher, 1712-78)

謙虚であるのは,大人にとって当然のことだが,子供にとっては当然のことではない.謙虚さは,悪を認識することからのみ始まる.
After all, the chief business of the American people is business. They are profoundly concerned with producing, buying, selling, investing, and prospering in the world.
- Calvin Coolidge (30th U.S. president, 1872-1933)
結局のところ,アメリカ人の第一の本文はビジネスである.彼らは社会における生産,購買,販売,投資,そして繁栄に,深い関心を持っている.

祇園らんぶるの和風海鮮ブイヤベースです.おいしかったですよ.

今日は朝英語とフランス語を勉強しました.お昼からは忙しくてどうにかブツブツのコーを2回頑張りました.
夕方妙に行ったんですが,あまり集中できなくて残念でした.その代り?お菓子を2ついただきました.

子どもの苦しみの重さ.あまり考えていませんでした.
河北新報
透明な力を 第7部・向き合う(上) 凍った記憶 言葉に溶かす

 東日本大震災で子どもが負った心の傷は深い。悲しみや恐怖、やり場のない怒り、自責の念…。奪われた「心の自由」を取り戻すため、どんな支えができるのか。昨年度、震災体験と向き合った宮城県山元町の山下一小3年1組の児童と先生の1年をつづる。(震災と子ども取材班)

 母親さえ知らない、消し去っていた記憶が作文につづられていた。
 <Aちゃんは朝から『きょうは、なにか起きる』って、先生に言っていたのです。ぼくは、何も起こるわけないよと思っていました。そしてねていたら、地しんが、本当にきてしまったのです>
 鈴木翔真君(9)の母亜紀さん(38)は、2年半抱えていた息子の思いに触れ、涙が止まらなかった。

 翔真君はあの日、海岸から約1.5キロ離れた保育所で昼寝中だった。激しい揺れに跳び起きた。園庭にいると、ごう音とともに黒い波が迫って来るのが見えた。
 園児や保育士、保護者と分乗した車に波が迫る。ドアを自分で押し開け、近くの民家に駆け込んだ。一緒にいた同い年の2人は流されていった。
 山下一小に入った翔真君は、ふさぎ込むこともなく、以前と変わらないようにも見えた。ただ、震災当日のことはあまり話したがらない。
 芯がむき出しになるほど鉛筆をぼろぼろにかんでいたこともあった。学校で雷が鳴ると「ぼく死ぬ」と怖がった。
 どんな思いでいるのだろう−。亜紀さんは気になっていても、深く聞くのはためらわれた。
 翔真君が震災のことを初めて文章にしたのは、小学3年になった昨年6月。学校で取り組んだ「防災の手紙」がきっかけだった。
 「怖いから書かない」。最初は嫌がった。
 「それでいいよ。書けるときに書けばいい」。担任の阿部広力先生(56)は見守った。
 手紙を次々と発表する同級生に触発されたのか、翔真君も自分宛ての「防災の手紙」を書いた。
 <あと50センチぐらいでつなみにのみこまれそうでした。ともだちがつなみでしんでしまったのでぼくのおかあさんとおとうさんがしんでると思ってぼくはないてしまいました>
 2学期になり、心に残った事を詩で表現する取り組みが始まると、進んで津波に触れるようになった。

 「心にふたをするのではなく、記憶を整理していく中で、つらい思い出を少しでも肯定的に変えられたら」。そう願った阿部先生は、気持ちや事実をあえて引き出した。
 無理をしていないか、表情や言動に気を配りながら、記憶を手繰り寄せた。9月に出来上がった作文。
 <いっしょに仮面ライダーごっこをしたね。みんなでおにごっこをいっぱいしたね>
 <2人にあえてよかったよ。ぼくは、2人のことをわすれないよ。いつまでも、いつまでも>
 亡き友達を思う優しさがあふれていた。


◎鈴木翔真君の作文「わすれないよ。」全文

二重の住民登録とはとてもいい考えだと思います.ぜひとも検討してほしいと思います.
河北新報
二重の住民登録認めよ 福島大教授・今井さん提唱

 福島大教授の今井照さん(60)が著した「自治体再建 原発避難と『移動する村』」(ちくま新書)が学界で評判になっている。「『帰還』でも『移住』でもない第3の道が、きっとある」。東日本大震災、福島第1原発事故から3年余り。フクシマと向き合い続けた行政学者の訴えに共感が広がっている。

 復興庁が福島県飯舘村からの避難住民を対象に実施した昨年11月の意向調査では「戻りたい」21.3%、「戻らない」30.8%、「判断がつかない」36.1%だった。
 今井さんのまなざしは「36.1%」の人々に注がれる。悩みに悩み、それでも答えを出せない人たちに、学問は何ができるのか。その答えが「二重の住民登録」を認めるという第3の道だった。
 「住所は一つ」という常識を「フィクション」と断じ、「避難先でも避難元でも、まちづくりに参加する権利を避難住民に与えよう」「行政は、そのための法整備を」と論じる。
 発想のヒントは、隣の研究室にあった。集落の成り立ちに詳しい同僚の准教授に教えを請うた。
 江戸時代、干ばつや疫病で村が危機に陥ると、村民は集団で新天地に移住したという。こうした近世の「移動する村」と原発避難者の逆境を重ね合わせたとき、第3の道が見えた。
 「『村』とは『人』であり、特定の『土地』を指す言葉ではなかった。そうであるなら、人の集合体である自治体も捉え直すことができるはずだ」
 この3年、現地で聞き取り調査を続けてきた。浮かび上がったのは、国からの情報がない中、福島第1原発周辺の町村が自ら決断し、住民を避難させた事実だった。
 「あの時、町村が行動を起こさなければ、もっとひどいことになっていた」と今井さん。「住民の命を必死で守った町や村を、その土地に帰れないという理由だけでなくしてはならない」
 「二重の住民登録」を認めることに国や行政学界の権威は難色を示す。
 だが、日本学術会議は昨年6月、制度設計の検討を提言。今井さんの主張が新たな学説として認められた瞬間だった。気鋭の研究者らも自治体再建研究会を結成し、「二重の住民登録」の実現を模索し始めている。
 「原発事故に遭った町村の未来を決定できるのは、あの日、あの場所にいた人たちでなければならない」と今井さんは言う。それが、あの日、被災地の大学で、地方自治とは何かを教えていた者の務めと信じている。


「2人で建てた家を壊すことなんてできないよ」という気持ちを受けとめたいと思います.
毎日新聞
東日本大震災:思い出の家、亡き夫と 津波被害壊さず移築 苦労ともに「ずっと見守ってくれる」−−宮城・亘理

 東日本大震災で津波被害を受けた宮城県亘理(わたり)町で、近所の土地をかさ上げし、津波で損壊した自宅兼店舗をあえて移築することを決めた女性がいる。夫、啓二さん(当時76歳)を亡くした宍戸とし子さん(74)。「お父ちゃんとの思い出がたくさん詰まった家だから」。18年前に新築した際に2人で交わした会話を思い返しながら、完成を待ちわびている。【山本佳孝】

 とし子さんは同県名取市出身。21歳のとき、同町荒浜地区の阿武隈川沿いで大正時代から続く「宍栄(ししえい)商店」を営む啓二さんと見合い結婚した。衣類や金物、酒、灯油なども置く「町のなんでも屋」。客の求めがあれば定休日でも店を開け「トイレに行く暇もなく働いた」。

 新築の夢がかなったのは1996年。「ここは広くしたほうがいいね、お父ちゃん」「この部屋はどうしようか」。仕事が終わった夜に2人でコタツに入り、間取りや使う資材の吟味を重ねた。

 あの日、とし子さんは店番の最中に激しい揺れに襲われた。防災無線は津波の襲来を伝え、避難を呼びかけていたが、啓二さんは外の様子を見に行った。

 「津波だ」。2階にいた長男、一男さん(48)が叫び声を上げた。2階へ駆け上がった直後、1階に津波が押し寄せた。倒壊は免れたが壁に大きな穴が開き、商品は流され、泥が入り込んだ。啓二さんは1週間後、約100メートル離れた場所で遺体となって見つかった。

 町内の仮設住宅に住み、仮設商店街で店を再開させて元の場所での再建を模索した。だが、川の堤防を高くするために拡幅する道路の用地になってしまった。家族からは「別の場所に移って一から新築したほうがいい」との意見が相次いだが、とし子さんは拒んだ。「2人で建てた家を壊すことなんてできないよ」

 約20メートル南の土地を購入し、かさ上げした。そこに2月、家を移動させた。壊れた1階のトイレや風呂、洗面所の位置は変わってしまうが、茶の間や2階などほとんどが震災前と同じ間取りで残るという。「これからはお父ちゃんが見守ってくれるはず」。店舗もここに入れ、今年中の再開を目指す。

フランス語
フランス語の勉強?

千林公園でりんご/英語を勉強しました

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mela1

Le monde appartient à ceux qui se lèvent tôt.
世界は,早起きしたひとびとのものだ.(早起きは三文の徳)
On finit toujours par mépriser ceux qui sont trop facilement de notre avis. (J. Renard)
あまりにかんたんに他人の意見に同意するものは,いつでも最後には軽蔑されることになる.(ジュール・ルナール)
Le mal retourne à celui qui a fait.

悪行は,それを成すひとのところへもどる.(因果応報)

お昼バランスランチを食べて一服してから千林商店街に出かけました.千林商店街では何も買わずに,かわりに今市商店街でりんごを買いました.そのりんごは千林公園でのんびり食べました.鳩が歩き回っているのを眺めて時間を過ごしました.
夕方NHKのストリーミングを聞きました.フランス語は少し.英語をたくさん勉強しました.でも明日は英語のrefをしなくてはなりません・・・うーん
近くのスーパーで炭酸せんべいを買いました.好きなんです.ばったもんでもいいんです.

卒業生の訴えを聞く限りでは大川小学校の校舎を遺す方向でかんがえてはどうか?と思いました.
ナックルズ
未だ続く東日本大震災の余波...大川小卒業生が校舎保存を訴え

 東日本大震災で、児童74人、教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校の卒業生5人が仙台市内に集まり、母校の大川小学校の校舎を遺してほしい、と訴えた。石巻市では有識者で震災遺構を保存するかを検討しているが、大川小はその検討対象から外されている。遺族の間でも、保存か解体かは意見は別れている。

 集まりは「大川小学校卒業生による意見表明 2014」として開催された。この日までの意見表明に協力し、会を主催したのは「ここねっと発達支援センター緊急こどもサポートチーム」で、震災後、大川小の子どもたちや遺族への心のケアをしてきた。また、受験生の学習支援もしてきた。

「大川小の校舎を遺したい」と言い、この意見表明のきっかけを作ったのは、当時5年生だった只野哲也君(現在、中学校3年生)。津波に飲まれながらも、奇跡的に助かった生存者の一人だ。只野君は震災当初から自身の体験をメディアを通じて話して来た。

 大川地区は自然が豊かだったと言い、「大川小はいつも地域の中の中心でした。学校行事があるたびに地域の人が集まって、盛り上げていました。僕は『ここに生まれて本当に幸せだ』と思っていました」。しかし、震災によって多くの地域の人たちが犠牲となった。「僕はこんな思いを二度と他の人に味わってほしくない」と訴えました。

 只野君のイメージにあるのは、登米市にある明治村だという。明治村には「旧登米高等尋常小学校校舎」が保存されている。木造2階建てで、コの字型の吹き抜け廊下、正面にはバルコニーがある。国の重要文化財にも指定されている。また、明治から昭和初期の子どもが来ていた服があり、試着もできる。当時使用されていた机や椅子もある。

 当時6年生だった成田涼花さん(高校1年生)は大川小よりも下流にある長面(ながつら)地区に住んでいたが、地域は浸水し、現在は仮設住宅で暮らしている。また震災後に大川中学校に入学したものの、間借りの校舎のまま卒業となった。その大川中学校の校舎は一度も授業を受けることなく、解体された。

「大川小学校があることでみんなが楽しく過ごした場所が蘇ってきます。そして現地を見に来る人も、広島の原爆ドームみたいに震災の辛さを訴えられると思います。また、5年後、10年後、大川小学校のところに、もともと卒業制作で作る予定だったものを作りたいです」

 卒業制作では風力発電と太陽光発電を組み合わせた発電装置、そしてビオトープをつくる予定だったという。

 同じく当時6年生で高校1年の三条こころさんは、成田さんと同じ長面地区に住んでいた。「震災は私にとって、友だち、家族を失って、毎日生きることで精一杯で辛くて、毎日泣いていても、生きるのに必死でした。でも、家族や友だちとあってしゃべることで生きる実感が沸きました」。友人や家族を失いながらも、必死で生きて来たことがわかる。勉強会の自己紹介でも「一生懸命生きています」と言っていた、という。

「大川小を遺してほしい。大川中がなくなり、大川小しかないので、大川小はちゃんと遺ってほしい。そして大川小はみんなと過ごした場所だし、なくなったらみんなと過ごした思い出もなくなってしまう。大川小に行くと、亡くなった友だちのこともを思い出します。だから、大川小を遺してほしいです」

 浮津天音さんも当時6年生で、現在高校1年生。地震後に校庭に避難した天音さんは母親が迎えに来て、帰宅するが、その途中、津波が堤防を超えて来た。津波に追われながら、大川小よりも約2キロ上流で山側の針岡地区に避難した。翌朝、瓦礫と海水で道は寸断されて、地域の人の救助によって避難所となった河北総合センターまで行くことができた。

「3〜4日が経ってようやく情報が入ってきた。しかしそれらは全て悲しい情報だった。どうしようもない喪失感の中、避難所生活をしていた。一週間が過ぎても、友だちや家族が亡くなった実感がわかない日々だった」という。そして、今日までの辛い気持ちやなじめない避難生活や間借り校舎での話をした。そんな中で心を拠り所にもなるが大川小の校舎だと訴えた。

「大川小は大川で遺った唯一の形ある思い出のある場所で、唯一、私たちの心が安らぐ場所。ちゃんと手を合わせることができます。いわば、私たちの唯一の心の居場所です。大川小がなくなったらどこに行けばいいのかわからないです」

 最後に、震災当時は中学2年で、現在高校三年生の佐藤そのみさんは、津波の浸水域外に住んでいるために自宅は無事だったが、当時6年だった妹のみずほさんを亡くした。佐藤さんが校舎を遺してほしいとする理由は2つある。一つは「自分たちの大切な居場所である母校を遺したい」という。

「本当にいい思い出ばかりで、中学生になってからも放課後にみんなで遊びに行ったり、行事に参加してりしていました。全校児童が少ない分、どの学年の、どの子も名前がわかるほどで、本当に仲良しの学校でした。先生達も大好きです。今でも、あの校舎に入ると6年間のことが思い出されます」

 もう一つは「大川小で起きたことをこれからも伝え続けたい」。

 「震災でたくさんの児童や先生が犠牲になったからこそ、この学校を伝えていく意味があると思います。写真や映像で語り継いでいくことは可能だと思います。それでも、校舎があるのとないのでは伝わり方が全然違うと思います。校舎を壊してしまったら、本当にあそこはただの更地になってしまいます」

 筆者のようなメディア関係者や、研究者、支援者、または行政関係の間では、被災した建物を「震災遺構」と呼ぶ。現に、この大川小の子どもたちの意見表明を伝えたニュースの一つには、見出しにも使っていた。しかし、今回意見を表明した子どもたちの口からは「校舎」や「母校」という言葉が使われた。そこで過ごした子どもたちだからこそ出た言葉に、筆者はその重みを感じた。

 石巻市内では「市震災伝承検討委員会」が設立され、震災遺構として遺す建物候補を検討しているが、「第三者検証委員会に影響を及ぼす可能性がある」として議論の対象外となっていた。一方、宮城県南三陸町では、町職員ら43人が犠牲となった「防災対策庁舎」を一旦は解体を決めたものの、県がストップさせ、県震災遺構有識者会議の結論を待つ。岩手県では、陸前高田市では犠牲者のあった建物は早い段階で解体を決めた。釜石市では、200人以上が犠牲となった「鵜住居地区防災センター」について、地域や遺族の意見を聞き、最終的に解体を決めた。

 なお、大川小の避難行動を巡っては、「第三者検証委員会」(委員長・室崎益輝神戸大名誉教授)は避難を開始する判断が遅れた原因として、△「正常性バイアス」による楽観的な思考△動揺する児童や一部の保護者を落ち着かせようとした△地域住民が校庭や近くの釜谷交流会館に避難したことや児童を引き取りにきた保護者が校庭に残っていたこと△ハザードマップで予想浸水域外であったことーなどをあげた。しかし、当日の避難行動に関しては、遺族調査の域を超えなかった。そのため、「事実を知りたい」として一部の遺族が県や市を相手に損害賠償請求の提訴をした。 Written by 渋井哲也

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Bella ciaoやComandante Che Guevaraを聞きました

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Affaires des cellules STAP: la jeune chercheuse Obokata a fraudé selon un comité d'enquête
Cellules Stap: la chercheuse Obokata va déposer un recours
La jeune chercheuse Haruko Obakata, dont les travaux sur les cellules dites Stap sont contestés, a déposé mardi un recours contre les accusations émanant de son institut, et prévoit de donner mercredi une conférence de presse, malgré l'avis contraire de médecins.
Cellules STAP: la chercheuse Obokata défend toujours leur existence
"Les cellules STAP existent" a martelé mercredi la jeune chercheuse japonaise Haruko Obokata, apparue devant les caméras pour la première fois depuis qu'elle est accusée d'avoir trafiqué ses données de recherche, ce qu'elle a contesté au point d'en pleurer.
今日もまた小保方問題をテレビでやっていました.わたしは小保方さんに悪意はなかったとしても,彼女の行為は悪意ある行為と受け取られても仕方ないと思っています.

Bella ciaoを聞きました.2007年3月24日のブログにBella Ciaoと題して歌詞まで記していますが,意味はわかりませんでした.
Google翻訳で最初のところだけ,イタリア語→フランス語にしてみましょう.

Una mattina mi son svegliato
O bella ciao, o bella ciao, o bella ciao ciao ciao
Una mattina mi son svegliato
Eo ho trovato l'invasor

Un matin je me suis réveillé
O beau bonjour, bonjour ou belle ou beau bonjour bonjour bonjour
Un matin je me suis réveillé
Eo j'ai trouvé l'envahisseur

なるほど・・・というところですが,この翻訳は正しいのでしょうか?

ミラネ〜ゼトッシ〜ナのイタリア語通訳日誌に英訳と日本語訳が載っていました.世界軍歌全集にも載っていました.bellaは恋人のことで,ciaoはさようならということだったんですね!!
Bella Ciao - ORIGINALE


ゲバラの曲も聞きました.Comandante Che Guevara です.何度か聞いて知っている曲だったのですがVictor Jaraが歌っていたんですね.ちょっと前に八木啓代さんの「禁じられた歌―ビクトル・ハラはなぜ死んだか」を借りてきたんですが,時間がなくて読めなかったのを思い出しました.


Aprendimos a quererte,
desde la histórica altura,
donde el sol de tu bravura,
le puso cerco a la muerte.

Aquí se queda la clara,
la entrañable transparencia,
de tu querida presencia,
comandante Ché Guevara.

Tu mano gloriosa y fuerte,
sobre la historia dispara,
cuando todo Santa Clara,
se despierta para verte.

Aquí se queda la clara,
la entrañable transparencia,
de tu querida presencia,
comandante Ché Guevara.

Vienes quemando la brisa,
con soles de Primavera,
para plantar la bandera,
con la luz de tu sonrisa.

Aquí se queda la clara,
la entrañable transparencia,
de tu querida presencia,
comandante Ché Guevara.

Tu amor revolucionario,
te conduce a nueva empresa,
donde esperan la firmeza,
de tu brazo libertario.

Aquí se queda la clara,
la entrañable transparencia,
de tu querida presencia,
comandante Ché Guevara.

Seguiremos adelante,
como junto a ti seguimos,
y con Fidel te decimos,
hasta siempre comandante.

Aquí se queda la clara,
la entrañable transparencia,
de tu querida presencia,
comandante Ché Guuevara.

明日へ−支えあおう−「未来への手紙2014」
映画監督の是枝裕和ら、複数のディレクターが紡ぐ被災地の子どもたちの物語。震災から半年後、被災地に暮らす100人の子どもたちがビデオレターを撮った。亡くなった家族や友人などに向けて自分の思いを語った。あれから3年。子どもたちの境遇や暮らしは、どう変わったのか? いま何を思うのか? 人生の試練に早くもぶつかることになった子どもたちが、周囲との関わり合いの中で強く成長していく姿は、見る者の心を揺さぶる。 畠山智之

奇跡の地球物語 三陸鉄道 3年ぶり絶景復活〜再開通を支えた人々に密着〜
ドラマ「あまちゃん」でも注目を集めた三陸鉄道。被災から3年、今月全線再開を果たした。三陸鉄道開通初日の模様に密着!三鉄絶景復活の裏側に迫ります!

駆け込みドクター!年間10万人が亡くなる突然死を防ごう!SP
1日約300名、年間10万人が亡くなる突然死▼あなたが明日突然死をしないために徹底究明エイリアン脂肪・仮面高血圧・危険な不整脈
今回のテーマは「突然死」…どうすれば防ぐことが出来るのか? ■狭心症・心筋梗塞の原因とは □動脈硬化の5大リスクとは ■エイリアン脂肪って何? □動脈硬化の予防に役立つEPAとは? ■EPAの多い魚を紹介 □40代に急増!仮面高血圧に気をつけろ! ■危険な不整脈…心室細動 □命を救え!AEDの使い方講座 ■小力の糖尿病奮闘記 □コンビニちょい足し健康ヘルシーレシピ ■救命救急センター密着取材
久本雅美 オードリー(若林正恭、春日俊彰) 岡田圭右(ますだおかだ) 笑福亭笑瓶 杉本彩 中尾彬 原幹恵 藤田紀子 芳本美代子 和田正人(D-BOYS)
森田豊(医療ジャーナリースト) 池谷敏郎(循環器科) 大竹真一郎(消化器科) 友利新(皮膚科) 前田達浩(脳外科)
吉田明世(TBSアナウンサー)田子千尋 永田亮子


原発ホワイトアウト
若杉 冽 講談社 2013-09-12
これは小説ではない!現実の告発だ 2013/9/13 By bilderberg54
新聞広告を見てすぐさま書店で購入。一気に読了した。
福島原発事故のあと原子力政策を論じた本は何冊もでている。その多くが原子力村の人々が書いた再稼働推進のポジショントーク本か、反原発系の人が書いた感情的に放射能の脅威を論じる本であった。

本書は小説というスタイルをとることで様々な立場、ポジションの登場人物が自らの業界の利益を語る。電事連をモデルにした組織や自民党・民主党をモデルにした政党、佐藤元福島県知事のように国策捜査の毒牙にかかる原発立地県の改革派知事も登場する。様々な業界の「立場」が登場人物のセリフとして語られる。どの立場にもその立場なりの正義は存在する。

この作品は小説という体裁をとっているが、現在の福島原発事故後の日本が抱えている様々な原子力をめぐる問題をわかりやすくまとめてある。原子力問題は放射能問題というよりは、国の統治のあり方そのものを浮き彫りにする問題であることがよく分かる
。この本を読んだあとサイレントマジョリティの有権者は「原発再稼働はまだ時期尚早」と思うに違いない。客観的な情報の裏付けがあるとろこにこの本の価値がある。

著者の若杉氏は現役キャリア官僚のようだが、素性は一切書かれていない。本書の中でもマスコミに協力して内部情報をリークする善良な官僚が出てくるが、官僚というのは守秘義務を負うから、実名ではできないのだろう。

タイトルの「原発ホワイトアウト」。この意味は最後になって明かされる。ブラックアウトではないところに注目してほしい。
この本を読むことで、多くの読者が原子力問題を一歩立ち止まって考えることになれば、非常に良いことでしょう。「再稼働反対」だけを唱えるのではなく、国民が自分の頭で考えて一歩を踏み出さないと、また福島原発事故のような事故は必ず起きる。

原発政策は国家の最高機密であるという問題から本書は内部告発や機密保全法をめぐる問題にまで踏み込んでいる。



がれきがなくなるのはいいことですが,被災者の雇用もなくなってしまうのは困りますね.でも急に雇用の機会を作ることはできないですし,どうしたらいいのでしょう?
河北新報
がれき処理 岩手・宮城3月完了 被災者の雇用創出が急務

 東日本大震災で発生した岩手、宮城両県の震災廃棄物の処理が3月末で終了した。復興の加速化が期待されるものの、被災者の就業先となっていた処理施設の閉鎖に伴い、雇用の創出が急務となっている。先行した2県と対照的に、福島県は原発事故に伴う放射能汚染で足踏みが続く。(片桐大介、小沢邦嘉)

<再就職4割弱>
 宮城県石巻市雲雀野(ひばりの)地区の震災廃棄物の2次仮置き場。被災地で最大規模の仮設焼却炉が設置され、2012年5月から1日最大約1600トンを処理した。焼却炉は1月に役目を終え、大勢いた作業員も今はまばら。解体に向けダイオキシンの洗浄作業が進む。
 岩手、宮城、福島3県の震災廃棄物の推計総量は表の通り。岩手、宮城両県では石巻市のような仮設焼却炉などで可燃物を処理し、一部を全国18都府県に搬出。不燃物の処分も含め3月末までに作業を終えた。
 がれきが消えた地域は土地の有効利用が可能となる一方、雇用の不安定化という課題を抱える。
 多い時で被災者ら3500人以上が関連業務に就いた宮城県。宮城労働局によると、3月17日現在、県内の各公共職業安定所に求職の登録をした処理作業員は502人。安定所の紹介で1日以降、再就職したのは180人と4割に満たない。
 東松島市で昨年10月までがれき運搬に携わった男性(64)は雇用契約終了後、小売店のパートで生計を立てる。「安定した収入を得たいが、自分に合う仕事が見つからない」と嘆く。
 各地の安定所や処理を担う大手ゼネコンは、再雇用の相談会を開き、就労先の確保に努めてきた。安定所の担当者は「住宅再建が進まず、通勤の難しさから就労を断念する例も多い」と明かす。
 被災地では人手不足感が強まっているが、求人は建設土木や水産加工、介護関係が目立つ。東松島市商工会の橋本孝一会長は「がれき処理の従事者には高齢の被災者が少なくない。体力や技能面で求人と求職のミスマッチがある」と指摘する。

<めども立たず>
 福島第1原発の影響が大きい福島県では、がれき処理率が71%(原発避難区域を除く)にとどまる。県内処理が原則で仮置き場の確保に手間取った。地元自治体は14年度内の処理を目指す。避難区域の推計80万トンは、完了のめどすら立たないのが実情だ。
 ようやくがれきが眼前から消えたとしても、被災者に復興の実感は乏しい。石巻市雲雀野地区の処理場近くで理容店を営む鈴木政子さん(65)は言う。「周囲に住民が戻っておらず、土地区画整理に何年かかるのかも分からない。『がれきが無くなって良かった』と言える状況じゃない」


東北大の災害研ガンバレってところかな?でも確か東北大ってブラック企業でもあったような・・・
河北新報
東日本大震災 災害研3年目/命守る研究・発信に全力を

 大学や学問は真理の探究を本分としつつ、人間の幸福の追求、社会の発展に資するものでなければならない。人々の命に直結する分野であれば、その使命はより鮮明で重くなる。
 東北大災害科学国際研究所が発足から3年目を迎えた。東日本大震災翌年の2012年4月に開所して以来、被災地拠点の災害研究機関として基盤を固めてきた。今後は基盤を本格的に活用する段階に入る。
 巨大地震・津波をはじめとした災害による犠牲をなくす、あるいは被害を減らすために設立された趣旨をもう一度確かめ、真に命と地域を守るために役に立つ防災・減災の研究と情報発信に全力を挙げてほしい。
 災害研は災害リスク、人間・社会対応、災害医学など七つの多彩な研究部門を抱える。専任の研究スタッフは発足時26人から71人に膨らんだ。青葉山キャンパス(仙台市)に建設中の専門研究棟が9月にも完成する。研究がさらに統合化、横断化されることが期待できる。
 3月まで初代所長を務めた平川新氏は「文理融合」を掲げた。自然科学だけでなく、歴史学などとの連携で災害研究を深める意義を定着させた。震災の記録や記憶をまとめるアーカイブプロジェクトに力を入れ、宮城、岩手両県の7市町と協定を結び地域と一体で防災対策をリードする姿勢を強化した。
 2代目の今村文彦新所長はこの基盤を継承しつつ、「実践的防災学の進化」をテーマに据える。就任に当たり「研究成果を地域に広め、役立てるための発信に力を入れる」と抱負を述べている。実学としての災害研究に取り組む意欲に期待する。
 災害研には関係者から注文もある。震災で命を救うことにつながった避難指導や防災教育、復旧復興の地域振興策で引き合いに出されるのは、他大学・研究機関の事例が多く目に付く。
 地域の細部に目を配り、住民目線で研究を進める姿勢が十分だったかどうか。実践を導くのに必要なのは信頼であり、開かれた研究である。孤高を避け、被災地により深く入り込んだ活動と他大学・研究機関との一層の連携に力を注ぐべきだろう。
 最新の広報誌で、災害研の教授の一人が「私たちは大きな十字架を背負った」と述懐している。巨大地震と巨大津波の到来を予見できず、十分な警告を発せられなかったことの痛恨を原点とする覚悟は大切だ。
 自らの研究で犠牲や被害を減らすことはできたのではないかという思いを災害研全体で共有することが、地域重視の実践的防災学の出発点になる。
 来年3月には仙台市で国連防災世界会議が開かれる。被災地とともにある災害研はさらに注目され、大きな役割を担う。
 「十字架」の責任感を、東北での次なる地震や災害、警戒が叫ばれる南海トラフ地震や首都直下地震、ひいては世界の災害での実効ある防災・減災対策の提示につなげてほしい。2万人の犠牲を無にしない。それが災害研最大の使命である。


毎日新聞
東日本大震災:陸前高田に漂流ポスト 手紙で悲しみ和らげ

 岩手県陸前高田市の森に、とても小さな赤いポストが立っている。東日本大震災で亡くした家族や友への思いを託す「漂流ポスト3・11」。自分の心の奥をそっとのぞいて手紙を書いたり、投函(とうかん)した人たちが互いの手紙を読んだりすることで、悲しみが少しでも和らぐのなら−−。記憶の中で生き続ける「あなた」に代わり、受取人を引き受ける。【根本太一】

 「あの日」から3年が過ぎても、気持ちの整理がつかない。誰かに打ち明けたいのに、言い出せない。そんな人に「文字にしてみたら」と、この森でカフェ「森の小舎(こや)」を営む赤川勇治さん(63)が先月末、開設した。

 果たして思いは、愛する「あなた」に届くだろうか。ポストの名には、行くあてのない手紙が流れ着く場という意味を込めたという。

 <ご無沙汰して、ごめんね。寂しいだけの3年が過ぎてしまったよ。苦しかったよね。海は冷たかったよね。貴女に話したいこと、イッパイあるよ!>

 うわさを聞き投函した人は、亡き人の面影を追い求めているようだ。

 <どこにいるの○○さん、毎月(月命日の)11日、話しかけています。また書きますね。お元気で>

 もちろん赤川さんは、多くの人の心が固く閉ざされているのは分かっている。犠牲者は、行方不明者も含めて全国で1万8000人以上。その数の背後に何十倍もの肉親、知人たちの苦悩が漂っている。

 「しかし、思い詰めて閉じ籠もるなら、時は無駄に過ぎていく」。赤川さんは、手紙をファイルにとじて、誰でも読めるように店内に置いている。「別の人の手紙を読むことで、私だけじゃない、少しずつでも前へ踏み出した人もいるんだ、と悟ってほしいから」

 <私は□□へ引っ越したけれど、元気だから安心してね><カフェに手紙を届けるから、時々読みに行って>。店内に近く、「読後ノート」も置くという。

 〒029−2208 陸前高田市広田町赤坂角地159の2、森の小舎内「漂流ポスト3・11」。匿名も可。事故や病気で愛する人を亡くした人の手紙も受け付けている。

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八ッ橋を買いました/英語の勉強を頑張りました

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Aujourd'hui, j'ai étudié l'anglais pendant deux heures.ということで英語.
Nothing builds self-esteem and self-confidence like accomplishment.
- Thomas Carlyle (Scottish essayist and historian, 1795-1881)

達成することほど,自尊心と自負心を育てるものはない.
The two enemies of human happiness are pain and boredom.
- Arthur Schopenhauer (German philosopher, 1788-1860)

人間の幸福にとって2つの敵は,苦痛と退屈である.
Perseverance is a great element of success. If you only knock long enough and loud enough at the gate, you are sure to wake up somebody.
- Henry Wadsworth Longfellow (U.S. poet, 1807-82)

粘り強さは成功の重要な要素である.もし長い時間大きな音で扉をたたき続けてさえいれば,必ずだれかが起きてくれる.
Politeness is organized indifference.
- Paul Valéry (French poet, essayist and critic, 1871-1945)

礼儀正しさとは,体系づけられた無関心である.
Be faithful to that which exists within yourself.
- André Gide (French writter, 1869-1951)

あなた自身の内に存在するものに忠実であれ.

朝7時に電話がかかってきておこされました.眠い眠い・・・9時過ぎまで寝ていました.久しぶりに「せやねん」を見て11時頃から1時間くらい英語の勉強して出かけました.八ッ橋を買いに行くのに出かけたのはその後です.
水曜日に一服した公園で今日も一服しました.いい天気です.
3月まで使っていた部屋のパソコン(XP)を片付けて,ロッカーの中にあったものを移動しました.とりあえず部屋に飾っていた造花も移動です.

JR西日本・呉線の車両のなかです.

母が東日本大震災で亡くなって私もお酒に逃げようと思った時期もありました.でも「悲しみの中にいる,あなたへの処方箋」(垣添忠生)を読んで,お酒はなるべく飲まないようにしました.
毎日新聞
大震災3年:もう酒やめた…遺影に手合わせ「おらほ家だ」

 「ここが本当のおらほ(自分たち)の家だ。安心してくれ」。宮城県女川町女川浜の無職、平塚義勝さん(68)は東日本大震災から3年1カ月の11日、入居間もない災害公営住宅(復興住宅)で、家族3人の遺影に手を合わせた。酒浸りの生活を送った仮設住宅を離れ、1人で新たな人生を生きることを誓う。【近藤綾加】

 あの日、友人宅で揺れに遭い、急いで海から約300メートルの自宅に戻った。長男勝さん(当時38歳)に「津波来っから、高台行け」と声をかけ、妻ヒロ子さん(同61歳)と一緒に、足の不自由な母みのりさん(同93歳)を抱えて外へ。津波は一瞬で胸に達し、妻がのまれた。母の息は自分の腕の中で消えていった。「ごめんな」。手を離し、山の斜面をよじ登って迫る津波を逃れた。

 翌日、土台ごと流された自宅に戻り、2人の遺体を発見、しんしんと降る雪の中で、泣き崩れた。長男は今も行方不明だ。

 生き残った罪悪感と、家族を守れなかった無力感と。避難所で酒におぼれた。津波が家屋をのみ込む「バキバキバキ」というごう音が耳に残り、眠れない夜が続いた。2011年8月、睡眠薬30錠を一升瓶の酒で飲み干し、病院に運ばれた。

 うつ病とアルコール依存症と診断された。3カ月の入院後、仮設に入ったが、再び酒に手が伸びた。4リットル入りの焼酎ボトルが、3日ともたない。震災前に同居していた中学生の孫の面倒も見られず、高校入学を機に離れた。「いつ死んだっていい」。投げやりな暮らしを続け、13年9月、再入院した。

 アルコール依存症の専門治療を受け、生きることに前向きな気持ちを少しずつ取り戻した。同年12月中旬の退院の日、6歳上の姉に「3人のお墓を守るのは、お前しかいないんだよ」と言われ、目の前が開けた。生き残ったことが申し訳ないとばかり思っていたが、家族のためにすべきことがあると気付いた。「助かったのは3人をしっかり供養するためなのかもしれない」。酒はきっぱりやめた。前のように仏壇の花を絶やすこともない。

 今年3月末、町第1号の復興住宅の2DKの部屋に入居。盆や正月をきちんと過ごすため、近々、仏壇のある茶の間に神棚を付けるつもりだ。「酒もやめたぞ。安心して見ていてくれ」。柔らかな表情で3人の遺影を見つめた。


月命日の11日.忘れないようにしていますが,特別に何かができるわけでもありません.お墓参りしたくても大阪からでは遠すぎます.
産経
「月命日、欠かさず祈り」 震災から3年1カ月 宮城

 東日本大震災から3年1カ月となった11日、被災地には犠牲者の冥福を祈る人が訪れた。

 名取市閖上の日和山では、犠牲者を悼み、手を合わせる姿があった。近所にあった自宅が流され、親族10人を亡くした玉田松郎さん(83)は更地が広がる故郷を見て「あの日からあっという間。復興は何も進んでいない」とつぶやいた。震災1年後から月命日には欠かさず祈りをささげているといい、「亡くなった方は安らかに休んでほしい。一日も早く復興してほしい」と話した。

 災害危険区域の仙台市若林区荒浜では、強風で砂ぼこりが舞い上がる中、海を臨む観音像「祈りの塔」に線香を供え、祈りをささげる人々の姿があった。

 震災で実家が全壊した同区の自営業、佐藤繁啓(しげひろ)さん(34)は「手を合わせることだけしかできないが、震災があったことを忘れないためにも毎月来ています」と話す。観音像の背後の海岸では堤防工事が始まり、ブルドーザーが轟音(ごうおん)を響かせていた。それでも「荒浜の風景は震災直後から変わっていない。きっと元住民の皆さんは今も苦しい思いをしていると思う」と、ため息をついた。


行方不明者の捜索がいまだに行われていることを忘れてはいけないと思います.
岩手日報
大切な人へ思い深めて 大震災3年1カ月に祈り

 東日本大震災から3年1カ月を迎えた11日、本県沿岸部では遺族が墓前で静かに手を合わせ、亡き人に思いを寄せた。宮古、大船渡両署は行方不明者の集中捜索を行い、帰りを待つ家族のために手掛かりを捜し続けた。

 釜石市鵜住居(うのすまい)町の常楽寺では同市鵜住居町の岩鼻公子さん(65)が、墓前で震災で犠牲になった夫久雄さん=当時(63)=と語り合うように15分ほどお茶を飲んだ。

 夫を思い、涙があふれる3年間だった。つらくてまだ近づくことができない場所もあるが「自分の足でちゃんと歩いていこうと思う」と誓った。

 集中捜索は宮古市田老地区や陸前高田市米崎町などで行われ、両署に着任した全国からの特別出向警察官も参加。宮崎県警から大船渡署に着任した被災地対策隊の大堤直樹巡査長(25)は「手掛かりを一つでも多く見つける」と活動に励んだ。


わたしも3年という時間を経て,いろいろできるようになってきたと思います.でも仮設住宅に住んでいる人の中には,2011年3月11日から時間が止まって,苦しい思いをしている人がいるであろうことに思いを寄せていたいと思います.
毎日新聞
東日本大震災:亡き夫の絵に励まされ 日本舞踊を再び

 ◇宮城・女川町の61歳

 東日本大震災の津波で画家だった夫、広さん(当時64歳)を亡くした宮城県女川町の釣具店経営、佐々木英子さん(61)は「自分のせいで……」と思い続けてきた。師範の腕前を持つ日本舞踊もできなくなった。でも3年がたち、音楽がかかると体が動くようになってきた。「もう一度、やってみようかな」。励ましてくれたのは、夫が残した浴衣姿の自身の絵だった。

 「絵のモデルになってくれないか」。1981年、日本舞踊の稽古(けいこ)帰りに誘われた。それが広さんとの出会いだった。2人とも後継ぎの立場だったので長い間結婚しなかったが、2006年と07年に英子さんの両親が相次いで死去。一人になってしまった英子さんに広さんが08年5月末、婿入りすることを決断した。

 結婚生活は楽しかった。英子さんは、両親から受け継いだ釣具店の経営に加え、日本舞踊の練習や弟子の稽古などに忙しかったが、疲れていると料理を代わりに作ってくれる優しい夫だった。

 結婚から2年9カ月後、震災が発生した。2人は自宅にいた。英子さんは近くの公共施設に逃げた。広さんは実母らの安否確認のため実家に向かったはずだった。だが、広さんは16日後、自宅近くで遺体として見つかった。義母らからは広さんが周囲の反対を押し切って英子さんを助けに自宅に戻ったと聞かされた。

 「自分が死ねば良かった」。4歳から始めた大好きな日本舞踊も遠ざけた。踊る姿をいつも見守ってくれていた広さんのことを思い出し、「そばに行きたい」と涙が止まらなくなるからだ。

 出会いのきっかけになった浴衣姿の油絵は津波で流されてしまったが、展覧会で入選した際に掲載された新聞の写真が手に入り、12年4月に再開した釣具店に飾った。広さんのことを語り継ぎたいと、広さんが友人を励ますために送っていた絵手紙を使ってポストカードを作り、販売も始めた。そうすることで、広さんに囲まれて見守られているように感じた。

 「震災後の3年間、毎日泣いてばかりだった。でも、このままでは苦しすぎて自分がだめになってしまう」。油絵を見ると、「踊りを頑張ってやっていきなさい」と言われている気がする。踊りは自分の人生そのもの、とも思う。「再開することが自分にとっての復興になる」と信じられるようになってきた。【道下寛子】


約2600人もの行方がわかっていないということ.この事実にわたしはなにができるのでしょうか?
河北新報
「見つけたい」その一心 宮城・沿岸部で不明者集中捜索

 東日本大震災から3年1カ月となった11日、宮城県警は気仙沼市や南三陸町などで、震災による行方不明者を集中捜索した。
 南三陸町戸倉の波伝谷漁港周辺では、南三陸署員と町の職員計10人が、海岸の漂着物をレーキで丹念にかき分け、手掛かりを捜した。約2時間半の捜索で骨片9個や衣類などを採集した。震災不明者の遺骨や遺留品かどうかを調べる。
 捜索には同署に今月着任した他県からの出向警察官も参加。愛知県警の武藤将広巡査(25)は、津波で防潮堤が壊れた海岸を前に「震災当時のひどい状況が目に浮かぶ。一人でも多くの不明者を家族に返したい」と語った。
 気仙沼市本吉町の大谷海岸では、気仙沼署員ら28人が捜索。ダイバーによる捜索では、海中で壊れた車体が見つかったが、砂に埋もれているため今後対応を検討する。
 大谷地区では約20人が行方不明のままだ。妻の行方が分からない漁師小野寺俊六さん(59)は「長い長い3年間だった。何でもいい。妻の手掛かりを見つけてほしい」と捜索を見守った。
 警察庁によると11日現在、岩手、宮城、福島3県で計2619人の行方が分かっていない。

大震災の1カ月後に巨大余震があって4人が亡くなっているということは知りませんでした.その人たちの悲しみを少しでも受け止めたいと思います.
朝日新聞
福島)4・11巨大余震から3年 遺族が献花

 東日本大震災の1カ月後、いわき市では震度6弱の直下型の巨大余震が起き、土砂崩れで4人が亡くなった。3年がたった11日、高校2年の娘を失った住宅跡で両親が、娘の好きだったオレンジ色のトルコギキョウの花を手向けた。

 土砂崩れは、古殿町に近い、いわき市田人町石住(たびとまちいしずみ)の県道沿いの集落で起きた。裏山が崩れ、ふもとの住宅3棟を土砂がのみ込んだ。高橋久雄さん(59)とイミさん(48)の夫婦は娘の愛さん(当時16)を失った。隣の住宅でも、母親(当時84)と長男(同63)の2人が犠牲になった。

 愛さんは県立磐城農業高校の園芸科に通い、将来は生花店を営むのが夢だった。トルコギキョウやバラなど華やかな花が好きだったという。

 震源がいわき市の直下だったため、周辺では震災より揺れがひどかった。土砂が襲った集落はすでに整地され、崩れた崖も岩肌が削られて復旧工事が終わっている。

 高橋さん夫婦は愛さんの命日には、敷地に残る高さ50センチほどの庭石に献花を続けてきた。新しい住宅は古殿町に建てたが、久雄さんの勤務先は、いわき市内のスーパーだ。土砂崩れの起きた崖を見ながら車で通わなければならず、それがつらいという。

 当時、骨折するけがを負った中学3年の妹は、いまは高校生になり、東京の大学への進学を目指す。「前を向いて生きなければならないことはわかっているけれど、あの日から私の時間は止まったままです」と久雄さんは話した。

 町内ではこの日、余震が起きた午後5時16分、約15人の住民が犠牲者に黙祷(もくとう)を捧げた。そのあと、地震を引き起こした「井戸沢断層」によって高さ1メートルほどずり上がった林道の脇にイチョウの若木を1本植えた。当時、長さ約14キロにわたって地割れが発生した。黄色に色づくイチョウを緑の山の中に植えることで、巨大余震があった目印にするのが目的だ。昨年から始め、今後も続けていくという。植樹を主催した田人地域振興協議会の蛭田秀美会長(63)は「イチョウを大切に育て、犠牲者が出たことを後世に語り継いでいきたい」と語った。(岡本進)


仙台などの大都市でないところにも観光客が増えるといいなぁと思います.
朝日新聞
SL銀河、42年ぶり出発進行 花巻―釜石間

 42年ぶりに復元された蒸気機関車が12日、「SL銀河」として岩手県のJR釜石線・花巻―釜石間(90・2キロ)で運行を始めた。JR東日本の復興支援プロジェクトで、被災地と内陸をつなぎ、休日を中心に走る。

 SLは1940年製造の「C58 239」。岩手の沿岸などで活躍後、72年に引退し、盛岡市内の公園で展示保存されていた。被災地の観光を盛り上げようと、さいたま市の車両センターで復元された。

 午前10時、花巻駅で出発式があり、JR東の冨田哲郎社長が「多くの人に被災沿岸を訪れてもらい、復興の力になっていくことを願う」とあいさつ。一番列車に乗り込んだ札幌市の会社員伊藤文雄さん(40)は「SL銀河は全国と被災地の懸け橋。被災地を応援するつもりで来た」。SLは汽笛を鳴らし、客車4両を引いて走り出した。

 デザインは岩手生まれの童話作家、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をイメージした。客車の外装は星座や動物を描き、車内にはガス灯風の照明をつけている。

 運行は1日に片道1本のみ。途中の遠野駅で70分以上停車し、片道約4時間半かけて走る。座席は176席。チケットは乗車日の1カ月前から発売され、即日完売の人気ぶりだ。

 岩手県の沿岸では三陸鉄道が6日から全線で運転を再開した。一方、釜石線の北側を走るJR山田線は復旧のめどが立っておらず、鉄道の復興は道半ばだ。(岩井建樹)


原子力ムラというか原子力マフィアが発言力を増やしてきていてる状況はイヤです.原発は廃止してほしいです.それでも放射性廃棄物の問題は解決できないのですが・・・
東京新聞
原発回帰の危険な道 新エネルギー基本計画

 新しい国のエネルギー基本計画は、福島の事故はもう忘れ、原発を使い続けようという宣言なのか。国の指針として、危険な道を示すべきではない。

 やっぱり原発回帰である。

 国のエネルギー基本計画は、原案通り、原発を、基本的な電力供給源の役割を担う「ベースロード電源」と位置付け、使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクルを維持する方針を打ち出した。

 安倍政権は、原子力規制委員会が審査を終えた原発の再稼働を急ぐ方針だ。“神話”も、3・11もなかったかのように、である。

◆万に一つも許されない

 万一の原発事故に備えた各地の避難計画づくりが遅れているという。二度目はない。万に一つもあってはならない−。それが福島第一原発事故の手痛い教訓だったはずである。だとすれば、なぜ避難計画が必要なのか。

 福島の事故処理にかかる費用は、すでに十四兆円に膨れ上がったという試算もある。

 トラブル続出の高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)さえ、実験施設として残す。すべてが原発回帰のための計画なのだ。

 原発は、決して安定的な電力供給源ではないし、安くもない。

 省エネ、そして風力や太陽光など再生可能エネルギーを増やすことにより、原発依存度を可能な限り低減させるという。

 だが、電源の構成比は結局明記せず、「二〇三〇年に約二割」とするその導入目標は、本文ではなく脚注に追いやった。実行する必要のない、ただの参考数値ということだ。

 世界には、再生可能エネルギーの風が、文字どおり吹いている。

 ドイツでは、二〇五〇年に80%を目指す。スペインや米国、中国も、再生可能エネルギー大国だ。

 風力や太陽光はまさに風任せ、お日さま任せで、出力が安定しないとされる。そうでもない。どこかで必ず風は吹き、太陽は照っている。欧州では、お互いの需要に合わせ、電力を補い合う関係をすでに築いている。

 日本では、3・11からちょうど三年のその日、地産地消の発電を目指す市民グループや消費者団体などが集まって、「全国ご当地エネルギー協会」を六月までに発足させると申し合わせた。

 もちろん規模は比ぶべくもない。それでも「もう一つの電事連(電力会社の集まり、電気事業連合会)」を目指すという。

◆雇用の維持と創造は

 私たちは長い間、電気は、大手電力会社にしかつくれない、供給できないという思い込みにとらわれてきたようだ。そのせいで、地方に巨大な原子炉を設置して、大量の電気を都会へ送り込むというシステムを、培ってきたのではなかったか。

 日本は再生可能エネルギーの宝庫である。北は風、南は地熱や太陽光に向いている。水力も豊富にある。長い海岸線を持つ島国の特性として、海に浮かべる洋上風力発電の潜在力も極めて高い。

 再生可能エネルギーは、地域の可能性である。原発維持は、その可能性を潰(つぶ)しかねない。

 「もう一つの電事連」の「もう一つの目標」は、電力の地産地消を進めて地域でお金を回し、雇用を生み出すことだという。

 立地地域の人々は長い間、原発事故の恐怖と隣り合わせに暮らしてきた。脱原発だからといって、その人たちの暮らしを奪ってはならない。これからの産業、そして雇用が必要なのだ。

 新たな基本計画は、「ポスト原発の時代」を語っていない。今現在の責任を散々強調しておきながら、未来に無責任なのである。

 原発の寿命は法律上は四十年。老朽化とともに資産価値は目減りする。地方税収も、次第にダウンする。

 当面は、蓄積した技術を生かし、廃炉ビジネスで雇用を拓(ひら)く道がある。だが、本当に必要なのはその次なのだ。既存の送電網を生かした自然エネルギーによる発電も、地方に雇用を生み出す有力な産業の一つに違いない。

◆新しいネットワークへ

 福井では、原発の跡地を液化天然ガス(LNG)の供給基地にする構想が浮かんでいる。北海道と本州を結ぶ送電網の拡充も必要になるだろう。十電力会社の寡占から、融通のネットワークに踏み出すことが、再生可能エネルギー普及のかぎになる。

 大手電力会社も含め、いつまでに、どこに、どんな発電所を配置して、どのようなネットワークを築くのか−。原発立地地域の雇用の維持と創出を常に視野に入れながら、もう一つの基本計画を、政府は提示すべきである。

 それはそのまま、脱原発依存社会の未来図にもなるはずだ。後戻りしてはいけない。


わたしは台湾学生の立法院占拠を支持する立場です.
朝日新聞
台湾学生運動―中国に響け、自由の声

 「私たちはアジアの共通課題の最前線にいる」。台湾の政治家はそう語ることがある。

 膨張する中国と、どう向き合うべきか。危うい脅威と巨大な商機を併せ持つ大国である。

 そのつきあい方をめぐる迷いや悩みはどの周辺国にもある。その先頭に立つのが台湾だ。

 立法院(国会)の議場を占拠した学生たちの政治運動は、その苦悩の発露だった。

 運動は3週間余りで終止符が打たれた。学生側がひとまず、納得できる譲歩を政権から勝ち取った。粛々と撤退したその学生運動は、台湾の民主政治の歴史にまた一つ足跡を残したといっていいだろう。

 そもそも台湾は中国との統一か、独立かで揺れている。歴代政権にとって最も重要で難しい問題である。

 00〜08年の民進党政権は独立色を強めて中国と対立し、有権者のみならず米国から危険視されて挫折した。後を継いだ今の国民党・馬英九(マーインチウ)政権は対中関係を改善したが、中国に近づきすぎたと受け止められている。

 今回の運動の引き金は、中国とのサービス貿易協定だった。なかでも言論出版の自由への影響が懸念された。広告業を通じて台湾メディアへの中国の圧力が増すという不安である。

 一昨年、中国と関係が深い企業が台湾メディアを買収する計画が浮上し、やはり学生が反対運動を起こし、計画阻止につながった。テレビ局は中国にドラマを売り込むため報道姿勢を曲げているとも伝えられる。

 今年は天安門事件から25年。中国共産党政権が学生運動を鎮圧し、政治改革への期待を潰したころ、台湾は民主化の動きを加速させていった。

 中台間の往来は劇的に増えたものの、政治のありようはまったく違うままだ。

 ノーベル平和賞を受賞した中国の劉暁波氏は政権を批判しただけで懲役11年の刑を受けた。習近平(シーチンピン)政権は言論への監視と弾圧を緩めない。

 だからといって台湾は反中国に染まっているわけではない。最大の貿易相手として中国を大事にするし、大半の台湾人が中国大陸にルーツを持つ。

 学生たちは「台湾という自由な空間が侵されることは許さない」という主張を貫き、支持された。それが対中関係を築く際の最低条件ということだ。

 中国政府は、台湾に浸透した自由を守る覚悟を重く受けとめるべきだ。海峡越しにミサイルを構えつつ同胞意識に訴えるような粗雑な政策が、今の台湾の民心をつかむはずもない。

フランス語
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東日本大震災から3年1カ月/メールが復旧

ブログネタ
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Melos3

Celui qui aime hommes, les hommes l'aiment.
ひとびとを愛するものを,ひとびとは愛する.
Comme ma machine à laver est tombée en panne, j'ai dû emprunter celle de la voisine.
洗濯機が故障したので,となりのひとのを借りなければならなかった.

東日本大震災から3年1カ月です.つまり母が亡くなってから3年1カ月ということになります.ここしばらくは落ち込むこともなく元気に生活できていると思います.でも毎月11日には母のことを思い出すようにしています.

ここ1週間メールが届かなくておかしい???と思っていたのですが,夕方直りました.メールが見れなくてできないままにしていた仕事を4日遅れでどうにか終えました.

建物を震災遺構として残すかどうかは確かにいろいろな意見があってどうすべきかというのは難しいところだと思います.それに将来的な維持管理費の問題もあって本当に難しいと感じています.
岩手日報
大槌町役場解体に着手 東日本大震災から3年1カ月

 11日で東日本大震災から3年1カ月。東日本大震災の津波で職員40人が犠牲となった大槌町新町の旧町役場庁舎の一部を解体する作業が10日、始まった。解体の是非をめぐっては遺族や町民の間で意見が分かれたが、正面玄関を中心に震災遺構として保存する方針だ。震災遺構について復興庁は保存費用の支援を表明。県内5市町村で9カ所の保存計画があるが、将来的な維持管理費の地元負担を懸念する声も出ている。

 作業は午前9時に開始。作業員が解体に向けて高さ約3メートルの囲いを設置した。解体するのは全体面積の70%に当たる部分。重機で建物を壊すのは5月以降になり、7月中に解体工事を終える予定。

 旧役場庁舎については、防災教育などの面から保存を望む声がある一方、遺族感情や費用の問題から解体を求める意見も多かった。遺族や学識経験者らによる検討委でも結論が出ず、碇川豊町長は昨年3月、一部を震災遺構として残す考えを表明していた。

 町職員だった長女を亡くし、保存を訴えた住民(71)は「一部でも保存されてありがたい。町民が防災を意識する場となってほしい」と話す。碇川町長は「できるだけ維持費がかからない方法を専門家らと協議したい」と検討する。


震災の記憶が風化していくなかで,自らの被災体験を語るというのは,大変なことかと思います.それに祖母と両親を亡くして大変悲しい思いの中で行ったわけですから.母と対立した,というのは私にも覚えがあり思い出してしまいました.確かに悔いが残っていますが,残念ながらどうしようもありません.
産経
「3・11」から3年1カ月 体験胸に各地で講演 「何が起こるか分からない だから、一日を大切に」

 東日本大震災から11日で3年1カ月。記憶の風化が懸念される中、1人の女性が自らの被災体験を語るために各地の寺院を回っている。津波で家族3人を失った宮城県石巻市の榊(さかき)美紗子さん(25)。「明日何が起こるか分からない。だから、一日を大切に」。凄惨(せいさん)な経験から生まれた思いは、言葉以上に重く響く。(安藤歩美)

 榊さんは3年前、石巻市門脇(かどのわき)町の自宅で両親と祖母と避難準備中に津波にのまれた。首まで水につかりながら上を見ると、がれきの合間から空が見えた。「生きなきゃ」。傷だらけの体でその隙間をはい上がり、一命を取り留めた。

 祖母の美代子さん=当時(79)=は約1カ月後に家の近くで遺体で発見され、母のひとみさん=同(51)=と父の健之(たけし)さん=当時(53)=は行方不明に。榊さんはあの日を境にひとりぼっちになった。「なんで私も連れていってくれなかったの」。そう悩み、泣き暮らした。

 ■自分にもできる

 そんな日々に転機が訪れる。葬儀の相談などで頻繁に通うようになった市内の寺院で訪問者相手に被災体験を語っていたことが住職の目に留まり、「他の寺院で話してみないか」と誘われた。

 震災から約1年半後に千葉県の寺院に招かれ、集まった数十人を前に体験を語った。人前で話すのが苦手だったが、話を聞いて涙する人の姿に「自分にも伝えることができるんだ」と感じたという。以来、パートをしながら、東京や高知、京都と被災体験を語る活動を続けている。

 伝えたいのは、震災の恐ろしさや避難の重要性だけではない。「明日どこで災害や事故が起こるか分からない。だから、少しでも一日を大切に過ごしてほしい」

 ■今でも残る悔い

 昨年11月、行方不明だった母が遺骨で帰ってきた。県警が作成した身元不明者の似顔絵が地元紙に掲載され、描かれていたトレーナーが母のものだった。県警には、遺骨とともにトレーナーも保管されていた。みなし仮設住宅の仏壇横に飾ったトレーナーを眺めながら、今でも思うことがある。

 お母さんの得意料理の煮込みハンバーグを習わなかったこと。帰りが遅くなる夜に何度も心配して電話してきたお父さんに反発し、携帯電話の電源を切ったこと。「こうなることが分かっていたら」と、今でも悔いが残る。家族でごはんを食べたりするささいで平凡な時間が、一番幸せだった。

 今後は埼玉県の寺院で講演を控えている。「震災がなければこんなに全国の人とつながることもなかった。震災が生んだ新しい出会いに感謝し、自分ができることをしていきたい」。その思いを胸に、これからもあの日を語り続ける。


お墓参りしたいのですが,関西にいる身としてはお盆と3月くらいしか行くことができません.こうやってニュースを見ることであたかも自分もお墓参りしたような気持ちになることにします.
NHK盛岡
震災3年1か月 墓参り

東日本大震災から3年1か月の11日、釜石市の寺には犠牲になった人の家族が墓参りに訪れ、静かに手を合わせていました。
釜石市では、東日本大震災の死者と行方不明者があわせて1141人にのぼっています。
東日本大震災から3年1か月の11日、市の中心部にある石應禅寺には、午前中から家族を亡くした人が墓参りに訪れました。
このうち菊池ノブ子さん(70)は地元で美容師をしていた一人娘の文恵さん(当時41)を津波で亡くしました。
11日は夫とともに墓参りに訪れ、お菓子やお茶を供えたあと、花を手向け静かに手をあわせていました。
菊池さんは震災発生直後に美容室の客を無事避難させた後、「自分もこれから店を出る」と電話で話していた文恵さんとの最後の会話を今でも思い出すといいます。
菊池さんは「娘のことを忘れないよう月命日には必ず墓を訪れ、『元気で頑張るからね』と声をかけています。娘は『頑張ってね、見守っているからね』と言ってくれているように思います。娘のことを思い出すと今でも涙が出てきてつらいです」と話していました。


どちらかというとわたしは無神論者なのですが,都合のいい時だけ仏様を拝むようにしています.
NHK
震災発生から3年1か月 被災各地で祈り

東日本大震災の発生から3年1か月となる11日、津波で大きな被害を受けた沿岸部が見える宮城県石巻市の日和山公園では、朝早くから祈りをささげる人の姿がありました。

石巻市の高台にある日和山公園からは、津波で大きな被害を受けた沿岸部が見渡せます。
東日本大震災の発生から3年1か月となる11日、朝早くから、近くに住む人が訪れ、海の方に向かって静かに手を合わせていました。毎朝、この公園を訪れるという50代の女性は、「震災の日は、この公園に避難して、津波が押し寄せる様子を見ていました。いまは震災前の景色がなくなって、元からこの景色だったのかなと思うくらいきれいになってきました」と話していました。
津波で母親を亡くした50代の男性は、「家が津波で全壊して、この間やっとリフォームが終わりました。皆さん公園に来て町を見ると分かると思いますが、まだ何も建っていません。3年たったけど、まだ復興はできていません」と話していました。
また、宮城県気仙沼市では避難場所の高台まで津波が押し寄せ、多くの人が犠牲となった場所で、地区の住民などが祈りをささげました。
気仙沼市の杉ノ下地区は多くの住民が避難した「指定避難場所」の高台まで津波が押し寄せ、地区の住民の3分の1近い93人が犠牲になりました。
震災後、この場所に建てられた慰霊碑には11日早朝から地区の住民が訪れ、手を合わせていました。また、近くの寺の住職が線香を手向け、お経を上げていました。
慰霊碑の近くにある地福寺の住職、片山秀光さんは(74)「3年たって、やっと、がれきがなくなりました。これからが正念場の新しい復興のスタートだと思います。復興に向けて、みんなで頑張っていくから、しっかり見ていてくださいという思いで、お経を上げました」と話していました。


震災後母の遺体が見つかるまで2週間.その間は何とも言えない中途半端な気持ちでした.そんな気持ちを3年間持たざるを得ないとなるととても苦しい気がします.
NHK
震災行方不明者を捜索 宮城

東日本大震災の発生から3年1か月の11日、宮城県気仙沼市の漁港や海岸では、警察が行方が分かっていない人の手がかりがないか捜索を行っています。

気仙沼市では震災で今も234人の行方が分かっておらず、気仙沼警察署は住民から要望を受けたときや月命日に捜索を行っています。
ことし7回目となる11日の捜索は、およそ20人の行方が分かっていない大谷地区で、警察官およそ30人が参加し、全員で地区の漁港で海に向かって黙とうをささげました。
そして、漁港では港の中に車が沈んでいるという地元住民からの情報を基に3人のダイバーが海中に潜り、捜索しました。
また、震災前は海水浴場だった海岸沿いで、警察官たちが熊手を使って砂浜を掘り起こし、行方が分かっていない人の手がかりを捜していました。
気仙沼警察署の奥田裕次警備課長は「日に日に捜索は厳しいものになりますが、家族の帰りを待つ人たちに寄り添い捜索を続けていきたい」と話していました。


鎮魂の植樹っていいと思います.わたしも植樹したい気持ちがあります.
朝日新聞
悲しみの古里、桜色に 孫失った男性、鎮魂の植樹 大川小惨事「つらい記憶だけでは」

 悲しく重苦しい記憶だけが刻まれた古里にはしたくない。東日本大震災の津波で被災した大川小学校がある宮城県石巻市釜谷地区に70本を超える山桜が植えられた。植樹を進めるのは大工の男性だ。桜の成長に津波で失った2人の孫の姿を重ね、再生を誓う。

 「今年はつぼみがだいぶ増えた。立派な花をつけてくれそうだ」。ぽかぽか陽気となった8日、釜谷地区の共同墓地に植えた山桜の手入れに訪れた阿部良助さん(66)はほほえんだ。

 北上川沿いにある街は、川をさかのぼる津波にのまれた。地区の住民約500人のうち200人近くが、とりわけ大川小では児童と教職員計84人が亡くなったり行方不明になったりした。阿部さんの孫の菜桜(なお)さん(当時10)と舞さん(同9)も、だ。

 菜桜さんは震災2日後に阿部さん自身が手で泥をかき分けて見つけた。舞さんもその数日後、泥の中から見つかった。「どれだけ怖かったことか」。バスケットボールが大好きで、競うようにボールを追いかけていた姉妹だった。

 大川小の惨事によって、地区は悲劇の地として知られることになった。住民が次々に他の地域に移るなかで、地区ごと内陸に集団移転することも決まった。子どもの頃から過ごし、2人の孫との楽しい思い出の詰まっているはずの古里が、心の中からも消えていってしまうように感じた。

 「悲劇一色の場所にしたくない」

 悩んでいるとき、長野県で桜守をする里野龍平さん(74)から、山桜の苗木を提供したいと声をかけられた。大川小の子どもたちや住民たちを弔いたいという。阿部さんは地区の集いで訴えた。「鎮魂の願いを込めた桜が咲けば、住民が再び釜谷に足を向けるきっかけになる」

 多くの遺体が見つかった地区の山ぎわに震災の年の秋から1本ずつ、植樹を始めた。これまで約600メートルにわたって植えた山桜は72本。土地の利用などは地元の人たちが協力してくれた。苗木は50センチほど伸びて3メートル近くになった。

 月命日がまためぐってくる。菜桜さんはこの春、中学2年生に、舞さんは1年生になるはずだった。「菜桜や舞とは、よく花見に行ったもんです。咲いたところを、いっしょに見たかった」。目指すのは約2キロの「桜の回廊」だ。阿部さんの背中を2人が今も押している。(平間真太郎)


父との約束って何があるかなぁ?「英語頑張って勉強しなさい」と言ってたのを思い出します.
毎日新聞
希望新聞:東日本大震災 父との約束「甲子園」へ 大船渡出身の岩大生、母校の監督夢見て

 岩手県大船渡市の県立大船渡高で野球部員だった岩城圭祐さん(18)は、高校を卒業してこの春地元の岩手大(盛岡市)に進み、教師を目指す。東日本大震災で亡くなった父と約束した「甲子園へ行く」という夢はかなわなかったが、大学卒業後、母校の野球部の監督になって約束を果たし、古里・大船渡を元気にするのが目標だ。

 あの日、消防団員だった父史朗さん(当時45歳)は家族の無事を確かめると、水門を閉めるため車で沿岸に向かい、津波にのまれた。

 史朗さん自身も高校球児だった。地元の「越喜来(おきらい)野球スポーツ少年団」の監督を務め、圭祐さんも小学3年でチームに入った。「楽しくやる」が史朗さんのモットー。練習がない日もキャッチボールで一緒に汗を流した。

 中学時代に圭祐さんが全国大会に出場した時は、泣いて喜んだ。「甲子園に連れていってくれよ」。夢を託されていた。

 父亡き後、高校に進学したが、野球どころではなかった。母裕子さん(49)にも迷惑をかけると思い、一度は諦めかけた。だが1カ月後、野球部が練習を再開すると、先輩から誘われた。「もっと上のレベルを目指せ」。父の声が聞こえた気がした。「野球を続ければ父は喜んでくれる」。そう思い直した。

 父譲りの打力を買われて4番に座り、チームを引っ張ったが、最後の夏は県大会16強。夢はかなわなかったが、3年間真剣に打ち込んだ満足感もあった。「父は『頑張った』と言ってくれるかな」

 昨年12月、岩手大工学部に推薦合格した。関東の強豪大学への進学も考えたが、大船渡では今も大勢が仮設住宅で暮らす。「古里の力になりたい」との思いが勝った。大学では数学の教員免許を取るつもり。将来はまちの再建のためエンジニアの道も考えているが、母校の野球部監督になるのが一番の夢だ。「父のように子どもたちに野球の楽しさを教えたい。父の甲子園出場の夢を果たし、古里を元気にしたい」【川瀬慎一朗】


9割が被災したという雄勝.そんな中で頑張る佐々木さんを応援したいと思います.
毎日新聞
希望新聞:東日本大震災 記者通信 市民の台所支えるー−−宮城・石巻

 宮城県石巻市北部の半島部の町、旧雄勝(おがつ)町は、東日本大震災で全家屋の約9割が被災した。町は更地となったが、ほぼ唯一残る建物がプレハブの復興商店街「おがつ店(たな)こ屋街」だ。ここで食料品や総菜を販売する「スーパーやました」店長、佐々木寿和さん(54)は「顔なじみ客にはいつか雄勝に戻ってきてほしい」と、住民の帰りを待ち続ける。

 「今日は少し暑かったでしょう。おつかれさま」。3月下旬、記者が消費増税の影響を取材に訪れた際も、接客する佐々木さんの笑顔と大きな声が響いていた。

 店内に目立つのは、作業服姿の男性たち。約4300人の住民のうち約3000人が被災した。近所の主婦が7〜8割だった客層も、今は近くの漁港などの復旧に携わる工事関係者が8割を占める。人気は格安の手作り弁当やから揚げ。食器洗剤などの生活用品は売れ残り、客単価も半分程度に。ボランティアや観光客でにぎわった仮設商店街の開店時に比べても、売り上げは2割減。やがて復旧工事にも終わりが来る。先行きが見えない町で、商売を続けるのはなぜなのだろう。

 人口が激減した町には他に店はなく、津波を免れた住民の生活も揺らいでいる。「地元住民あってのスーパー。今でも『豆腐1丁買い忘れたから』と、ちょっとした買い物に利用してくれる客がいるんだ。これ以上不便になったら、避難した住民も戻って来ない」と佐々木さん。市民の台所を一心に支えている。【近藤綾加】


集団的自衛権は認めるべきではないと考えます.社民党や共産党もっと頑張れと思います.わたしには何ができるか考えてみます.
毎日新聞
集団的自衛権 限定容認論のまやかし

 集団的自衛権をめぐり、条件をつけて限定的に行使を認める「限定容認論」が政府・自民党で勢いを増している。安倍晋三首相も限定容認論で与党調整を進める考えを示した。

 「限定」というと抑制的に対応しているように聞こえるが、現在の議論は、議論の進め方、内容、法理論のいずれも疑問や問題が多い。歯止めがきかなくなる恐れも強い。

 限定容認論とは、日本の安全に大きな影響が出る場合に、原則として日本の領域や公海上での行使を認め、他国の領土・領海・領空での活動は、攻撃を受けた国から明確な要請があった場合に限る考え方だ。

 ◇現実の必要性踏まえよ

 朝鮮半島有事に公海上で自衛隊と共同行動をしている米艦船が攻撃を受けた場合の防護、強制的な船舶検査(臨検)、機雷で封鎖されたシーレーン(海上交通路)の戦闘下での掃海活動などが検討されている。

 安倍政権は当初、全面的に行使を容認したうえで政策判断による歯止めを目指したが、公明党の慎重論や世論に配慮して、限定容認に軌道修正した。「全面」が駄目なら「限定」でといわんばかりの議論の進め方は安易で乱暴だ。行使容認ありきで、現実的な必要性を踏まえた精緻な議論があまりに乏しい。

 例えば米艦防護だ。自衛隊法95条は自衛隊の武器、船舶、航空機などを防護するための武器使用を、日本の領域外も含めて認めている。この武器等防護規定を使えば、現在の憲法解釈のままで米艦を防護できるという意見が政府内にも根強くある。

 自民党の石破茂幹事長は、艦隊行動では隣の船は水平線の向こうにいるので、米艦への攻撃を日本への攻撃とみなすのは難しいと話しているが、よく議論する必要がある。

 2003年の衆院安全保障委員会で、当時の秋山収内閣法制局長官は「我が国を防衛するために出動して公海上にある米国の軍艦に対する攻撃が、我が国に対する武力攻撃の端緒、着手と判断されることがあり得る」と答弁している。

 この解釈によれば、距離が離れていても個別的自衛権で米艦防護が可能なケースがあるのではないか。

 集団的自衛権の行使にあたっては個別の事態ごとに閣議決定などの手続きを踏むことが想定されるが、米艦が攻撃を受けている時に短時間で政府の手続きを終え、防護できるのかも疑問だ。現在の枠組みのほうが迅速に対応できるようにみえる。

 朝鮮半島有事に対応するには、現在の憲法解釈のままで周辺事態法改正により米軍への後方地域支援を拡充することも議論すべきだ。

 一方、朝鮮半島有事の臨検や、シーレーンの戦闘下での機雷掃海は、集団的自衛権の行使や集団安全保障措置への参加を容認しなければ困難との見方が多い。

 集団的自衛権を認めて他国を守るために海外で武力を行使すれば、報復攻撃を受け、戦闘に巻き込まれる事態を覚悟しなければならない。その場合に「限定容認」を理由に自衛隊が途中で引き返すことができるだろうか。歯止めがきかなくなるのではないか。

 地理的制約を設けることについても、石破氏は否定的だ。結局、限定容認も本質的には全面容認と変わらなくなる可能性が大きい。

 ◇根拠にならぬ砂川判決

 自民党の高村正彦副総裁は、1959年の砂川事件最高裁判決を根拠に、憲法が認める必要最小限度の自衛権行使に集団的自衛権の一部が含まれると主張している。

 砂川事件は、旧米軍立川基地の拡張に反対するデモ隊の一部が基地に立ち入り、逮捕・起訴された事件だ。

 東京地裁は米軍駐留を違憲とし無罪判決を出したが、最高裁は米軍駐留は憲法9条2項が禁止した「戦力」には当たらないとの判断を下し、原判決を破棄して差し戻した。

 この判決で最高裁は「主権国として持つ固有の自衛権」を認めたうえで、「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」との判断を示した。

 高村氏は、この部分を引用して、最高裁は個別的、集団的の区別をせずに必要最小限度の自衛権を認めていると主張する。

 だが、この判決は集団的自衛権ではなく個別的自衛権を認めたものであることは明らかだ。公明党や多くの憲法学者もそう指摘している。

 仮に集団的自衛権を認めたものなら、その後の政府の憲法解釈に反映されたはずだが、歴代政府は集団的自衛権の行使について、憲法上許されないと解釈してきた。

 72年の参院決算委員会に提出された政府資料は、砂川事件の最高裁判決から同じ部分を引用し、個別的自衛権の根拠とする一方で集団的自衛権の行使を否定している。それを今になって集団的自衛権の行使容認の根拠とするのは、ご都合主義と言われても仕方ないのではないか。

 政府・自民党の限定容認論は、さまざまな観点から、まやかしと言わざるを得ない。個別的自衛権を軸に現行の法的枠組みの中で、現実を見据えた議論を時間をかけて進めていくのが筋道だろう。

フランス語
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タンドーリチキンがいい匂い/キソキソがイマイチ

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Il y a des poissons dans l'aquarium.
Il y a du poisson dans l'aquarium.

水槽の中に魚がいる.
この両者のちがいは,des poissonsは個々の魚の輪郭が見えている,いわば具体的なイメージ.du poissonはあたかも砂つぶのように,個々の魚の輪郭が見えなくなって,量的に存在しているというイメージのちがいとなります.
Si vous avez des questions, n'hésitez pas à me les poser.
もし質問があったら,遠慮なくしてください.

岩国の佐々木小次郎です.

ここ何日か誰からもメールが来ていません.仕事増えないのでイイやと思っていたら,どうも何かおかしいようです.詳しい人に電話してみてもらったのですが,結局業者に電話しないとわからない・・・ということになってしまいました.
夕飯にタンドーリチキン(Poulet tandoori)を食べていたらYuさんが,「いい匂いがする♪」だって.確かにおいしいんです.でも今日のキソキソはイマイチでした.反省です.

大川小をめぐる明るいニュースです.弟のこうき君を応援したくなりますね.
毎日新聞
東日本大震災:津波で84人犠牲の宮城・石巻市立大川小 お兄ちゃんと一緒 死亡男児の弟、元気に入学式

 東日本大震災の津波で児童・教職員84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小の入学式が9日、近くの二俣小敷地内に昨年末に設けられたプレハブ校舎で開かれた。「お兄ちゃんと一緒の学校に通うんだ」。新入生5人の中には、犠牲者の一人、佐藤来旺(らいお)君(当時8歳)の弟巧基(こうき)君(6)の元気いっぱいの姿もあった。【百武信幸】

 大川小は当時の児童の7割を失い、3年間に2回の移転を経て現在の全校児童は28人。会社員の父伸也さん(41)、看護師の母ゆり子さん(41)に連れられた巧基君は、ちょっと緊張した様子で上級生や先生に迎え入れられた。

 ゆり子さんは我が子を亡くした学校に巧基君を通わせることに葛藤があったという。学校を信用したいと思ってもわだかまりが残り「また同じことがあったら守ってもらえるのか」と思ってしまう。津波の爪痕が残る旧校舎には、悲しみがこみ上げるため、近づくことがなかなかできない。

 児童数の多い他校も選べたが、大川小に決めたのは、巧基君の「来ちゃんと一緒がいい」の一言だった。「運動会などで兄の楽しそうな姿を見ていたからかもしれない」と、ゆり子さん。伸也さんと相談し、「兄をずっと忘れないでほしい」との願いも込めて大川小に送り出した。

 亡くなった来旺君は好奇心旺盛で、優しい子どもだったという。伸也さんには「パパと同じことを何でもやりたい」と、釣りやスノーボードに行くようせがんだ。ゆり子さんのことを「人の命を助ける仕事をしているんだよね。応援しているからね」といたわり、甘えん坊でマイペースな弟の面倒もよく見た。今でも家族で来旺君の話題になることが多く、4人一緒のだんらんは変わらないという。

 震災後、成長していく巧基君の笑顔に、来旺君の面影が重なってしまう。「どうしても『お兄ちゃんの分まで』と思ってしまうが、巧基には自由にやりたいことをやらせてあげたい。健康であればそれでいい」と両親。来旺君は生きていれば6年生。後輩になった巧基君は「運動会でお兄ちゃんみたいに速く走りたい」と胸を弾ませていた。


名取って仙台空港があるくらいしか知らなかったんですが閖上小も応援したいです.
河北新報
わずか4人、でも待ってたよ 名取・閖上小入学式

 東日本大震災で被災した宮城県名取市閖上小(児童123人)の入学式が9日、仮校舎の同市不二が丘小で行われた。被災して市内外に転居し、閖上に戻る意思のない家庭が増えたとみられ、新入生はわずか4人となった。
 入学式は例年、新入生と保護者で行ってきたが、ことしは人数が少ないため全校児童が出席。三品隆校長は「皆さんの入学をとても楽しみにしていました。一緒に楽しく学校生活を送りましょう」とあいさつした。
 震災前、同小の新入生は毎年50人程度いたが、震災直後の2011年4月は22人に減少。昨年は8人、ことしはさらにその半分に減った。
 仮校舎は旧校舎から約6キロ内陸に位置し、在校生の約3分の2がスクールバスで通う。市教委は閖上小・閖上中の校舎一体型の小中一貫校を閖上地区西側に再建する方針で、2017年春の開校を目指している。
 新入生の減少で来年度は一部複式学級になる可能性もある。三品校長は「学年を超えた交流を進めるなど指導法を工夫し、少数ながらも適切な学習環境を維持できるよう努めたい」と話す。


3年たって区切りがついたというのはわかるような気がします.私も母が亡くなって3年たってだいぶ気持ちが落ち着いてきたと思いますし.
毎日新聞
東日本大震災3年:陸前高田の81歳妻 3年区切りに墓

 「父さん、3年かかったけども、やっと一緒に入るとこができたよ」。この春、岩手県陸前高田市の下重(しもしげ)ヨシ子さん(81)は、東日本大震災の津波にのまれた夫秀一さん(当時78歳)のためにお墓をつくった。仮設住宅から歩いて15分。急な砂利道を、えっちらおっちら上ったところにある。

 そこから父さんの大好きだった広田湾が一望できる。震災前と同じように、カキ養殖のいかだが浮かぶ穏やかな海だ。

 遺体はまだ見つからない。遺骨の代わりに、流された家の跡に唯一残った形見の灰皿を入れた。重い大理石でできた、秀一さん愛用の灰皿だ。「父さんがここで眠っていると思うと、私もいつ逝ってもいいなって安心できるよ」。真新しいお墓を大切そうになでた。

    ◇

 私が下重さんと初めて会ったのは、2011年の秋だ。仮設住宅で一人、こたつで背を丸めていた。当時、家の跡からは写真一枚見つからず、折りたたみ式のちゃぶ台の上に設けた簡素な仏壇には、砂糖菓子とお水だけが供えてあった。

 秀一さんは、旧満州で親やきょうだいを亡くし、福島県双葉町の親戚のもとに身を寄せた。仕事で訪れた陸前高田を気に入り、地元出身の下重さんと所帯を持った。若い頃は下重さんも賄いの出稼ぎが多く、離ればなれの暮らしが続いた。子宝に恵まれず、2人きりで送っていた静かな老後を、津波が襲った。

 あの日は2人一緒に家から高台へ向かった。途中で振り返ると、秀一さんの姿は消えていた。津波は足元まで迫り、下重さんは無我夢中で逃げた。

 何回目かに会った時、下重さんが「双葉町の親戚が一時帰宅の時に見つけて送ってくれたんだよ」と、ちゃぶ台の上の写真を見せてくれた。「届いた時は、抱きしめて、泣いたの」と恥ずかしそうに教えてくれた。

 仮設住宅の住民は仲が良い。近くの畑で野菜を育てたり花壇に水やりをしたりと、楽しみもできた。だが、一つだけ気がかりがあった。お墓だった。

 2年たってようやく、過去の手術で摘出した夫の臓器が病院に残っていることが分かり、DNA鑑定を依頼した。しかし、手がかりは得られなかった。

 「夢に見ない日はなかったんだよ。父さんが出てきたり、どこかから呼ばれているような気がしたり。可哀そうだった」。それでも3年が過ぎるまで、踏み切れずにきた。

    ◇

 地震で崩れた実家の墓を修復し、津波で亡くなった姉とその長男の遺骨を埋葬した。その隣に、下重家の墓をつくった。手を合わせ、「肩の荷が下りた」と目を細めた。

 「みっからなくても仕方ない。大好きな海に流されていったんだもの。きっと昆布拾ったり、魚っこ釣ったりしてるんだよ」。墓前から、いとおしそうに海を見渡した。【市川明代】


民主党が原発輸出に賛成というのはけしからん気がします.本当に第2自民党という感じです.公明党だってダメだと思います.
毎日新聞
原子力協定 核拡散の懸念が拭えぬ

 日本がトルコ、アラブ首長国連邦(UAE)とそれぞれ結ぶ原子力協定の承認案が衆院で可決され、今国会での承認が確実になった。協定は平和利用に限定して原子力関連機材や技術を提供するための取り決めで、原発輸出の前提条件になる。

 安倍政権は成長戦略の一環として原発輸出に熱心だ。しかし、重大な事故を起こした日本は、輸出に前のめりになるべきではない。

 衆院では自民、公明、民主党が賛成し、日本維新の会、みんな、結い、共産、生活、社民の各党は反対した。賛成した党からも欠席、退席者が出た。原発輸出に国民的な理解が広がっていないことの反映といえる。

 ところが安倍晋三首相は原発輸出に積極的で、3月にオランダで開かれた核安全保障サミットでも参加国へのトップセールスに努めた。

 原発1基の事業費は数千億円に達する。政府は2030年までに世界で最大370基の原発新設を見込む。原発輸出が日本経済を支える柱になり得ると見ているわけだ。しかし重大事故が起きた場合、国内企業が巨額の賠償責任を負わされ、経済の足を引っ張るおそれもある。

 首相は「日本は世界一安全な原発の技術を提供できる」と言い切る。本当にそうであれば、輸出によって世界の原発の安全性向上に貢献できる。原発は、天然ガスや石炭などによる火力発電に比べ二酸化炭素の排出量が少ないため、地球温暖化対策にも寄与できるだろう。

 しかしそれは「安全世界一」の前提があってのことだ。福島の原発事故の原因は3年以上たっても不明な点が残る。「安全神話」に寄りかかった拙速な輸出で地球規模に危険を拡散することがあってはならない。

 安全性は立地先の環境に左右される。その意味でとりわけトルコへの輸出には疑問がある。日本同様の地震多発国で、1999年にイスタンブールを含む北西部で発生したマグニチュード7・4の大地震では約1万7000人が死亡した。安全の確保は容易ではないだろう。

 トルコとの協定は、内容にも大きな問題がある。日本の同意を前提に核兵器への転用にもつながるウラン濃縮や再処理を認める規定が盛り込まれているからだ。国会で岸田文雄外相が「日本が認めることはない」と答弁したが、核拡散につながる懸念は拭えない。トルコに限ってなぜこうした規定を認めたのか、納得のいく説明をすべきだ。

 協定の承認は憲法の規定で衆院が優先するため、参院が否決したとしても認められる。輸出は可能になるが、それを急ぐ前に世界の中で日本が果たすべき役割を含め、議論を深める必要がある。

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守口の公園で一服/Saさんが来てくれました

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Un chef-d'œuvre est une bataille gagnée contre la mort. (J. Cocteau)

傑作というものは,死に勝利した戦いである.
Une attitude saine comprend aussi des défauts. (A. Camus)
健全な態度というものは,いくつかの欠点も含んでいる.

山と言うも山にあらず
河と言うも河にあらず
唯だ是れ山なり
唯だ是れ河なり

瑩山禅師「伝光録」首章


朝から仕事でしたが,お昼はのんびりできるので,ココイチで10辛のビーフカレーを食べたあと,守口の公園で一服.もちろんタバコ吸ったりはしませんが,桜を見ながらのんびりできました.
その後部屋でコーヒーを飲んでいたら,Saさんがきてくれました.私のことを気にかけてくれているのはとてもありがたく思いました.
夕方は質問しに来る人が多くて忙しかったです.

「徳光和夫の感動再会!逢いたいSP」と「緊急!池上彰と考える借金大国ニッポン 消費税8%激論SP」を見ました.

まだYoutubeで見ていません.でも早いうちにみたいです.
朝日新聞
岩手)恋チュン動画で三鉄沿線PR 再生50万回迫る

 アイドルグループAKB48のヒット曲に合わせて三陸鉄道南リアス線沿線の住民や自治体職員らが踊る動画が、インターネットの動画投稿サイト「You Tube(ユーチューブ)」に公開されて3カ月で再生50万回に迫る勢いだ。コメント欄には完全復旧を祝う書き込みが相次いでいる。

 曲は「恋するフォーチュンクッキー」。動画を企画したのは、南リアス線の釜石駅にあった「さんてつジオラマカフェ」(3月31日に閉店)で店長をしていた山崎美央さん(24)だ。昨年10月、「被災しても、楽しく暮らしながら前向きに頑張っている人の姿を伝えたい」と思い、南リアス線の全10駅を一つずつ紹介しようと考えた。

 幼稚園児から高校生、仮設住宅で暮らす住民や大船渡と釜石の両市長ら約1千人が参加した。山崎さんは休日を使い、県職員やNPO関係者と協力して撮影した。ダンスは素人だったが、自ら覚えた振り付けを教えてまわった。完成まで2カ月かかった。

 昨年末にユーチューブで公開すると、最初の10日間で10万回の再生を記録。その後も1カ月に約10万回のペースで再生回数が伸びている。

 5日に南リアス線、6日に北リアス線が全線復旧してから「三陸鉄道南リアス線復活!」「開通、おめでとうございます! 待ってたよ」といった祝福のコメントが寄せられた。

 山崎さんは「期待以上です。動画を見てもらうだけでもうれしいけど、見た人に被災地を訪れてもらい、全線復旧した三鉄に乗ってもらえれば」と期待している。(松本龍三郎)

     ◇

 〈動画に出演した「FMねまらいん」(大船渡市)のラジオ司会者・伊藤こずえさん(25)〉 とにかく遊びに来てほしい。クークーと鳴くカモメの声、海の潮風など、実際に感じてもらって伝わる魅力もある。大好きな三鉄を私もどんどんPRしていきます。


わたしは国民投票に関しては,投票率が低い場合には無効とすべきだと考えています.この社説が言うように肝心の議論がないままに形だけ整えるのはヘンだと思います.
東京新聞
国民投票法改正 改憲前のめりが心配だ

 国民投票法の改正案を、自民、公明、民主など与野党七党が共同提出した。憲法改正の是非やその内容の議論を置き去りにして、手続き法の整備だけをなぜ急ぐのか。前のめりの姿勢が心配だ。

 憲法改正の手続きを定めた国民投票法は、第一次安倍内閣当時の七年前、与党だった自民、公明両党が強引に成立させた。この際、決着を先送りした、いわゆる「三つの宿題」がある。(1)選挙権、成人年齢の引き下げ(2)公務員の政治的行為の制限緩和(3)国民投票の対象拡大−だ。

 今国会中に成立する見通しの今回の改正案では、国民投票ができる年齢を、経過措置の「二十歳以上」から「十八歳以上」に引き下げる。改憲を目指す勢力には「一歩前進」(自民党の船田元・憲法改正推進本部長)なのだろう。

 しかし、多くの課題や議論を置き去りにしたまま、改憲の手続き法だけが、着々と整えられることには危惧を抱かざるを得ない。

 憲法は、どうあるべきかを常に検証され、論争にさらされるべき存在であることは確かだ。

 その一方、現憲法には平和主義や立憲主義など、守られるべき多くの価値が含まれ、改正を急ぐべき緊急性はないというのが、わたしたちの立場である。

 国民投票法の制定も見直しも、憲法改正論議が具体化してからでも遅くなかったのではないか。

 そもそも今回の改正案では重要な論点が欠落している。一定の投票率に達しない場合、無効とする「最低投票率」導入の是非だ。

 現行法では、国民投票に付された憲法改正案は、有効投票総数の過半数の賛成で承認されるが、近年の自治体首長選のように投票率が極めて低くても、国民に承認されたと言い切れるのか。投票成立の最低線を決めておくことも、検討に値するのではないか。

 また、選挙権年齢や民法の成人年齢を、国民投票年齢に合わせて「十八歳以上」に引き下げることについては依然、結論が出ていない。整合性をどうとるのか。

 折しも、政府の憲法解釈を変更することで「集団的自衛権の行使」を認めようとしている安倍政権下である。そのようなことを許せば、憲法は空文化し、権力が憲法を順守する「立憲主義」は形骸化する。憲法に対する畏れが感じられない。

 野党の協力を得て手続き法を整えておけば、憲法改正も数の力で押し通せると考えているのだろうか。大きな間違いである。


わたしも集団的自衛権の行使容認にはNOです.戦争のできる国=人殺しをする国になってしまってはイヤです.
毎日新聞
集団的自衛権:行使容認「NO」 5000人デモ

 閣議決定で憲法解釈を見直し、集団的自衛権の行使を認めようという政府の動きに反対する市民の大規模な集会が8日夜、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂であり、参加者約5000人(主催者発表)が集会後、国会周辺をデモ行進した。

 「解釈で憲法9条を壊すな!4・8大集会&デモ」と名付けられた集会で、スピーチに立った作家の大江健三郎さんは「犠牲によって出来上がり、67年間守り抜いてきた精神を、民主主義的ではない方法でぶっ壊そうとしている」と安倍政権を批判。「次の時代の平和と民主主義を守るために私たちができるのは、デモやこうした集会だ。しっかりやりましょう」と呼びかけた。【和田武士】


廃炉のために本気になってほしいです.利益優先ではなく.
朝日新聞
廃炉新会社―ここが東電の「本丸」だ

 東京電力の新体制がスタートした。会長に就いた数土文夫氏は、「古い東電との決別」を確かなものにしていく指導力が問われる。

 最優先課題は、言うまでもなく福島第一原発の安定化と廃炉に向けた着実な前進である。

 東電は社内分社化で「福島第一廃炉推進カンパニー」を発足させた。原子力・立地本部から切り離し、1200人規模で福島第一に特化する。

 原子炉内の様子は徐々にわかってきたが、溶けた核燃料の取り出しは遠い先だ。今後の技術開発に依存する部分も多い。まずは汚染水問題の解決にめどをつけなければならない。

 東電は廃炉会社を「本丸」と位置づけ、優れた人材や技術を集中させる必要がある。柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働準備を両にらみで進めている場合ではない。

 新会社での新たな取り組みを、東電ひいては電力業界全体の体質を変えていくきっかけにしてもらいたい。

 廃炉会社には、原子炉メーカー3社から副社長が就任した。原子炉や電機関連など設備別になりがちだった従来の管理態勢は、課題解決のためのプロジェクトごとに管理する仕組みに改める。マネジャーの外部登用にも力を入れるという。

 受発注の関係を超えた連携で社外の知見を積極的に取り入れることには賛成だ。異なる企業文化の流入を、独占企業としてのおごりや縦割り主義を排することにつなげるべきだ。

 何層にもわたる下請け・孫請け企業との関係も、見直しが迫られる。複雑な現場に精通し、応用力の高い作業員を確保するには、福島第一を「働きたい職場」にしていく必要がある。

 被曝(ひばく)管理の徹底はもちろんのこと、一人ひとりが作業上で得た経験や意見を組織全体で共有できるような仕組みを設け、作業員の士気を高めていくことが求められる。

 政府は原子力損害賠償機構の中に、新たに廃炉を主導する専門組織をつくる法案を今国会に提出している。成立すれば、東電に対し指導・勧告権限をもつ部門が設置される。

 国の関与は重要だが、船頭が多いばかりで現場が混乱したり責任を押しつけ合ったりでは本末転倒だ。ここでも、透明で機動的な連携が試される。

 世界を見ても、原発は老朽化や採算割れによる廃炉が増え、新たな局面を迎えている。「本丸」がしっかりと力をつけていけば、次の事業展開も見えてくるはずだ。


検察は即時抗告を取り下げるべきだと思います.
朝日新聞
「検察は即時抗告取り下げを」袴田さん支援団体が要請書

 1966年の「袴田事件」で死刑が確定し、再審開始決定で釈放された袴田巌さん(78)を支援する市民団体が9日、決定を不服とした検察側の即時抗告の取り下げを求め、東京高検に要請書を提出した。

 要請したのは、国際人権団体アムネスティ・インターナショナル日本など8団体。ボクシング元世界王者の輪島功一さん(70)や、67年に茨城県で起きた強盗殺人事件「布川事件」で再審無罪が確定した桜井昌司さん(67)、杉山卓男さん(67)らも参加した。

 即時抗告について、要請書は「深い失望と強い憤りをもってこの暴挙に断固抗議する」と批判。「即刻取り下げ、再審開始決定を検察自ら確定させるよう強く求める」と訴えている。

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午後にブツブツのコーを2回でくたくた

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oliva3

"Y a pas plus de honte à se refuser, ni plus de mérite qu'à se faire baiser."
Citation de Georges Brassens ; Œuvre : Chansonnette à celle qui reste pucelle - Posthume, 1996.

朝Maさんがあれこれと話しかけてきて正直鬱陶しく思ってしまいました.でも彼女は悪気があったとは思えないので,たまたま話がしたかっただけなのだと思うことにしました.おせんべいをもらったから???許す???
午後にブツブツのコーを2回どうにかやり切りました.でもクタクタです.
夜はまいにちフランス語応用編のストリーミング.「作家とともにパリ散歩」で井上櫻子さんとVincent Brancourtさん.

仙台で桜が開花したというのはうれしいニュースです.
毎日新聞
桜:仙台で開花 平年より4日早く /宮城

 仙台管区気象台は7日、仙台市内で桜(ソメイヨシノ)の開花を観測したと発表した。昨年より2日、平年より4日早い。例年5日程度で満開になるといい、今週末に見ごろを迎えそうだ。気象台の県内の桜開花観測点は仙台のみ。

 宮城野区五輪1の気象台敷地で高橋幸由(ゆきよし)・主任技術専門官が樹齢62年の標本木を双眼鏡などで観測し、午後1時過ぎ、7〜8輪の花が開いているのを確認した。気象庁は5〜6輪開くと開花とみなす。高橋専門官は「ここ数日は肌寒かったが、3月下旬から4月初めにかけて気温が高い日が続き、開花が例年より早まった」と話した。

 大河原、柴田両町も7日、桜の名所・白石川堤の一目千本桜と船岡城址公園の開花を宣言した。【伊藤直孝】


わたしが小学校の時通っていた気仙沼の小学校は廃校になったと聞いていますが,校舎はどうなるんでしょう?卒業生ではないんだけど,気になります.大川小の卒業生の気持ちがよくわかる気がします.
朝日新聞
宮城)大川小卒業生、校舎保存求め「唯一の心の居場所」

 東日本大震災で多数の児童と教職員が犠牲になった石巻市立大川小学校の卒業生5人が6日、校舎の保存を訴えた。石巻市は校舎の今後の取り扱いを決めていないが、6年生だった卒業生は「形がある唯一の思い出の場所。手を合わせることもできる唯一の心の居場所です」と語った。

 この発表会は、大川地区の子どもたちの勉強を支えてきたNPO法人が仙台市で開いた。当時5年生だった只野哲也さんが最初に「私たちの思い出が、もうこれ以上、壊されないように願っています」と述べた。

 只野さんは昨年11月、東京で開かれたシンポジウムで校舎の保存を求めた。その姿が、他の卒業生を動かし、6日は当時の6年生3人と、当時大川中2年生の1人も意見を発表した。6年生だった成田涼花(すずか)さんは「学校があることで皆と楽しく過ごした思い出がよみがえってきます」。

 6年生は21人のうち16人が津波の犠牲になった。その1人の姉で当時大川中2年生の佐藤そのみさんが最後に発表した。「犠牲になった子どもたち、先生のことが忘れ去られてしまうことは本当に嫌です。校舎があるだけでも風化をちょっとでも防げると思います」(小野智美)


アホちゃうか,このおっさん!!ってな感じです.相手にしたくないですね.
朝日新聞
御堂筋に「愛人住まわせて」 橋下氏、規制緩和で発言

 橋下徹大阪市長は7日、企業経営者らが参加したシンポジウムで、市の中心街を貫く御堂筋の規制緩和に関して「高層ビルはレジデンス(住宅)をオーケーにした。みなさん、愛人を2、3人住まわせて下さい」と呼びかけた。橋下氏は昨年末、高層ビルの上層階にマンションをつくれるよう御堂筋の規制を緩和。これをPRしたものだが、脱線した。

 橋下氏は「大阪の財界人は大阪で稼いで、住むのは(兵庫県の)西宮や芦屋。これはダメ。戻ってきてもらわないと」と指摘。そのうえで「お金持ちが住めば、お金持ちを狙った店ができる。愛人専用の宝石店とか高級ブティックとかやって来る」と述べ、愛人を集めることによる経済効果も強調した。


こっちのおっさんもかなわんなぁ・・・
朝日新聞
渡辺氏の借金―辞任で落着とはならぬ

 みんなの党の渡辺喜美代表が、8億円の借入金問題で代表を辞任する意向を示した。

 「法的には全く問題ないが、同志のみなさんにつらい思いをさせている」。これが辞任の理由である。

 借入金も全額返済したというが、だからといって幕引きとするわけにはいかない。

 党がつくった検証委員会が有権者の納得できる調査結果を出すのはもちろん、渡辺氏自身も衆院の政治倫理審査会などでさらに説明すべきだ。

 渡辺氏は、化粧品大手ディーエイチシー会長の吉田嘉明氏に依頼し、10年の参院選前に3億円、12年の衆院選前に5億円を、それぞれ口座に振り込んでもらったという。

 吉田氏は「選挙資金だった」との認識を示すが、渡辺氏は先月の記者会見では「選挙資金として借りたわけではない」と主張していた。選挙資金であれば、収支報告書への虚偽記載という公職選挙法違反の疑いが出てくるからだ。

 渡辺氏はきのう、「個人として借りたものだが、党の選挙関係費用や政策策定の費用、党勢拡大に資するために、私が情報収集や意見交換するために支出した」と釈明した。

 また、個人の選挙費用として借りたわけではなく、猪瀬前東京都知事のケースとは違うと強調する。

 しかし、使った分については「大きい熊手」のほかは具体的に挙げていない。党首としての個人的な支出にせよ、明らかにすべきなのは当然だ。

 一方、残りのカネは政界再編に備えるための「軍資金」として、5億円弱を妻の口座に保管していたという。先月は「手元にはない」としていたもので、うそをついたと言われても仕方がない。

 いずれの説明にも説得力はなく、疑問は尽きない。

 吉田氏は、みんなの党と結いの党の分裂時の渡辺氏の行動に納得がいかずに、借金問題を明らかにしたという。

 一方、渡辺氏は、吉田氏から「言うことを聞けないのであれば追い落としも考えるという話をされた」と言っている。両者の間には、さらに込み入った事情もありそうだ。

 今回の件で浮かんだのは、通常の献金とはケタ外れの不透明な政治家への資金提供がいまだに横行しているという現実だ。

 これは政治とカネの透明化を図る政治資金規正法の趣旨に明らかに反する。

 代表辞任と引き換えに放置することはできない。

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今日から忙しくなりました/まだ寒いです

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Il aime Paris mais ce qu'il désire le plus est un Paris disparu.

彼はパリを愛しているが,彼が最も望んでいるものは,消え失せたパリである.
L'amour qui refuse la vie est un amour faux, un amour triste. (F. Picabia)
生をこばむ愛は,いつわりの愛,かなしい愛である.

鹿児島の熊襲亭でのランチです.

今日から忙しくなりました.朝と夕方にコーがあって,回収したA4の用紙に赤ペンでチェックを入れるのに時間がかかりました.これから大変かもしれません.でもとりあえず今日は頑張りました.
ブツブツの用紙をコピーしていたら,事務の人がやってくれるよ♪とHyさん.今日は自分でコピーして次回からお願いすることにしました.
それにしても寒い.Yaさんは寒い中コーを頑張ったと言ってました.明日から暖かくなるらしいですが・・・

朝忙しかったので途中までしか見ていませんが,あさイチで三陸鉄道の特集をしていました.なんだか嬉しい気持ちです.
NHK
三陸鉄道 全線開通!スペシャル

去年の朝ドラ「あまちゃん」で注目を浴びた三陸鉄道。岩手県の三陸沿岸を走るローカル線は、東日本大震災で甚大な被害を受けました。その三陸鉄道が、4月5日(土)、6日(日)、残されていた25キロあまりが復旧し、3年以上たって、ようやく全線開通するという特別な日を迎えます。
番組では、三陸鉄道の駅、2か所を結んだ生中継もお届けします。釜石駅では開通から2日たち、初めての平日を迎え通勤や通学に使われはじめた様子を。また島越駅では、待望の全線開通を特別な思いで見つめていた住民の姿をご紹介します。
また、VTRでは三鉄から沿線地域を元気にしようという「イベント列車」の実施までの鉄道マンの奮闘をドキュメントでお伝えします。あさイチに視聴者から寄せられたイベント列車のアイデア「王子様列車」。三陸の物産品の数々を手にした「王子」が列車に次々と現れ、女性客を「姫」としてもてなしてほしいという企画です。それをどう形にするのか、鉄道マンと三陸のPRに立ち上がった地元の人たちの姿を密着取材。
全線開通にわく、三陸鉄道。沿線に住む人や、鉄道マンたちなど、鉄道の復旧にかけるさまざまな思いを伝えます。


そういえば釜石駅は降りたことがあるはずです.まだ私が学生だった頃,父と母は釜石に住んでいました.父の仕事の関係です.その時は東北新幹線を新花巻駅で降りて,釜石線で東に移動して釜石駅へ.三陸鉄道は使っていませんでしたが・・・
河北新報
二つの鉄路完全復旧 三鉄北リアス線も運行再開

 東日本大震災で被災した第三セクター三陸鉄道(岩手県宮古市)の北リアス線(宮古−久慈間、71キロ)は6日、最後まで不通となっていた小本(岩手県岩泉町)−田野畑(同県田野畑村)間(10.5キロ)の運行を再開した。前日の南リアス線(盛−釜石間、36.6キロ)に続く全線再開。三陸鉄道の南北2路線計107.6キロは震災発生から3年余りで完全復旧し、開業30周年の節目で再出発を果たした。

 北リアス線では午前6時8分、宮古発久慈行きの始発列車が約50人の乗客とともに宮古駅のホームを出発した。
 運転士の下本修さん(50)は出発直前に車内放送で、運転再開への感謝の思いを乗客に伝えた。無事に始発列車の運転を終えた下本さんは「今後は地域の復興を手助けする活動にも力を入れたい」と話した。
 沿線では住民が大漁旗などを掲げて歓迎した。田老駅(宮古市)近くに住む無職腹子時治さん(77)は「よく復活した。次は自分たち地元住民が鉄路を支える番だ」とエールを送った。
 北リアス線は2011年3月16日に陸中野田−久慈間が再開した後、順次復旧区間を拡大してきた。小本−田野畑間は駅や高架橋が流失し、復旧工事に時間がかかった。
 三陸鉄道は1984年4月1日、旧国鉄の赤字路線を引き継ぎ、未開通区間も整備して開業。震災で減った住民の利用拡大や、観光客の掘り起こしが課題となっている。


あまちゃん関連だからこんなに大きく取り上げられるのでしょうか?まだ仙石線とか開通していない区間があるのですが,同じように取り上げられるでしょうか?
河北新報
“あまちゃん号”復旧祝福 出演者同乗、三鉄特別列車快走

 東日本大震災で被災した第三セクター三陸鉄道(岩手県宮古市)の北リアス線で6日、全線開通を祝い、三鉄をモデルにした「北三陸鉄道」が登場するNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の出演者らが特別列車に同乗した。
 「北三陸鉄道」の駅長・大向大吉役を務めた俳優杉本哲太さんと副駅長・吉田正義役の荒川良々さんが、1日限りの「北三陸満喫号☆」に乗り込んだ。
 三鉄や地元有志らでつくる実行団体が開通日を盛り上げようと、公式の記念列車とは別に企画。1081人の応募から抽選された乗客48人は久慈から宮古までの約2時間半、ドラマの舞台となった各駅を通りながら、全線再開した鉄路の旅を楽しんだ。
 二人は乗客と握手や記念撮影をするなどした。ドラマでも甚大な被害が描かれた島越駅(岩手県田野畑村)では、杉本さんが「思い出深い場所で、こうしてここに立つことが信じられない。本当におめでとうございます」と復旧をたたえた。
 東京の会社員田中ちえこさん(36)は、かすりはんてん姿で参加。「ドラマの世界を味わえた。不通のまま放送終了した区間が開通し、『ここまで来られたんだ』と実感した」としみじみ話した。
 「あまちゃん」の北三陸鉄道は全国的に話題を呼び、三鉄の観光客増加につながった。杉本さんは震災の場面で運転士を演じた。


大川小学校というと裁判という印象がありますが,卒業生にとってはかけがえのない母校.校舎を保存してという小さな願いが届くといいのですが・・・
JNN
大川小学校の卒業生「校舎を保存して」

 東日本大震災の津波で児童ら84人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校の卒業生5人が、6日、仙台で開かれたシンポジウムで、「自分たちの心のよりどころである校舎を保存してほしい」と訴えました。

 「学校行事がある度に地域の人が集まり、盛り上げていました。私たちの思い出がこれ以上壊されないように願っています」(当時 大川小学校5年 只野哲也君)

 このシンポジウムは、被災地で子どもの心のケアを行っている市民団体が開いたもので、現在14歳から17歳までの卒業生5人が教育関係者らを前に校舎の保存を訴えました。

 「大川小は大川(地区)で残った唯一の形ある思い出の場所で、ちゃんと手を合わせることもできます。私たちの唯一の心の居場所なのです」(当時 大川小学校6年 浮津天音さん)

 石巻市では、有識者の委員会が震災遺構の在り方について検討していますが、大川小は対象から外れています。卒業生たちは今後、署名活動などを行い、保存を訴えていくことにしています。


仮設校舎というのが悲しいです.
朝日新聞
(被災地から)仮設校舎、新入生と前を向く 東日本大震災

 原発事故で福島県いわき市に避難を続ける県立富岡養護学校。プレハブ仮設校舎の玄関に3月末、ピンク色のすのこが登場した。「明るくなったでしょ」。小野誠子校長(58)はほほえんだ。

 7日の入学式に、3年ぶりの小学1年生2人を迎える。子どもがいない学年もあり、存続が危ぶまれていたが、県教委は「ニーズがあるならもう少し様子をみる」。仮設校舎で授業を続けられることになった。

 校長が赴任した昨年4月。子どもは事故前の114人から30人に減っていた。職員室で話す先生たちの声の小ささが気になった。学校説明会を開こうとすると、「仮設校舎に入る子なんていない」とこぼす先生もいたほどだ。

 後ろは振り返らない。そう決めて、職員室前の廊下の壁を埋めていた全国からの応援メッセージを片付けた。代わりに、子どもが描いた絵や学級通信を掲示すると、説明会に訪れた保護者らが「子どもたちも楽しそうですね」。そんな試みが新入生につながった。

 課題は卒業後の受け皿づくりだ。学校が関係を築いてきた地元の会社や施設は地域を去り、これから本格的に開拓し始める。校長は「でも、将来を考えられるだけ、学校らしくなったんですよ」と語った。(いわき支局 根岸拓朗)

フランス語
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原発ホワイトアウトを借りてきました

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La première était habitée par un roi. Le loi siégeait, habillé de pourpre et d'hermine, sur un trône très simple et cependent majestueux. (Le Petit Prince)
いちばんめ(の星)には,王さまが住んでいた.王さまは,深紅と白テンの服をまとって,たいそう質素な,けれど威厳にみちた王座にすわっていた.(「星の王子様」)

朝少ししんどい気持ちで,気がついたら12時.とりあえず頑張ってジムに行ってみました.それなりに体を動かすと気持ちも落ち着いた感じ.NHKストリーミングで英語とフランス語を勉強しました.図書館から「原発ホワイトアウト」を借りてきたので,さっそく読みたいところです.

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
Bon voyage, Manon ! 〜大阪・京都・奈良〜で講師の福島祥行さんが詠んでいました.

三陸鉄道の明るいニュースは嬉しいです.あまちゃんの陽気なテーマソングを思い出してしまいます.
毎日新聞
三陸鉄道:全線再開 「あまちゃん」の曲に送られ出発

 東日本大震災で全線不通になった岩手県の第三セクター「三陸鉄道」(本社・宮古市)の北リアス線(71キロ)は6日、最後に残った不通区間の小本−田野畑(10.5キロ)で運転を再開した。5日の南リアス線全線復旧と合わせ、震災から3年余りで全線107.6キロが完全復活した。ただし、南北リアス線の中間を走るJR山田線(宮古−釜石)は不通のままとなっている。

 北リアス線は昨年のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の主要な舞台。この日、宮古発下り始発は定刻通り午前6時8分に発車。久慈発の上り始発は同6時49分に宮古に到着した。

 宮古駅前では記念式典があり、復旧費用を支援したクウェートのアルオタイビ駐日大使や、被災地を支援する日本赤十字社の広報特使で女優、藤原紀香さんら約140人が出席。大使らが乗り込んだ記念列車が市立宮古小児童が演奏する「あまちゃん」のオープニング曲に送られて走り出すと、ホームは万歳や拍手、歓声で包まれた。

 東京都練馬区の大学1年、竹中遼吾さん(18)は高校時代の3年間、所属していた鉄道研究部として集めたお金で、インターネットを通じて乗らずとも乗車券を購入する支援を続けた。「社員や地元の人が笑顔でうれしかった。応援してきて良かった」と涙ぐんだ。【安藤いく子】


復興がなかなか進まないのは土地収用の問題だけではないと思いますが,とりあえずその問題が解決したほうがいいのは確かだと思います.
河北新報
東日本大震災 滞る土地収用/与野党案は復興に資するか

 「100年以上も相続の手続きがなされていない土地がある」(宮城県南三陸町)。「一つの土地に数十人の地権者がいる」(岩手県大槌町)
 こうした土地で、正統な地権者を捜し出し、全員から同意を取り付けるのは、至難の業であろう。住宅の高台移転など復興事業用地の収用手続きに、被災自治体が難儀している。
 被災地の実情に、立法府の国会もようやく重い腰を上げた。与党2党と野党4党が、競い合うように復興特区法の改正案を提出。どちらも土地収用を容易にするという。
 法整備の必要性を訴え続けてきた岩手県の達増拓也知事が「全会一致で速やかに成立を」と期待するのはもっともだ。土地の収用手続きを簡素化、迅速化しなければ、復興の加速化などおぼつかないのだから。
 現行の土地収用制度は、50戸以上の住宅整備が対象で、防災集団移転促進事業の大半を占める戸数の少ない用地確保に対応できなかった。与野党両案は、どちらも5戸以上の整備用地を収用の対象にした。この点では一歩前進と言える。
 従来、市町村が土地収用を申請する際は、地権者を特定するなど綿密な土地調書を添えなければならなかった。与野党とも改正案は、申請時点での土地調書の添付を不要としている。
 土地収用には、手続き中であっても着工できる緊急使用という仕組みがある。この場合、土地調書を提出するまで、着工から6カ月の猶予が与えられる。改正案は、与野党ともに猶予期間の延長を認めた。
 これらの措置により、確かに土地収用の入り口要件は格段に緩和されるだろう。だが、これで本当に現場の負担が減るかと言えば、答えは「ノー」だ。
 いずれかのタイミングで土地調書を作成して提出しなければならず、結局、人手不足の被災自治体の負担は減らない。
 そもそも地権者の特定が困難なのだから、土地調書を整える見込みがないとなれば、被災自治体は、緊急使用の権限行使を諦めざるを得ないだろう。
 加えて与党案には、重大な瑕疵(かし)があった。緊急使用の要件に「震災からの復興を円滑かつ迅速に推進するのが困難な場合」という一文の入れ忘れだ。これでは、土地収用委員会が着工を許可しない可能性がある。
 練り込み不足の改正案を提出した背景には、与野党の先陣争いがあったと聞く。復興事業の停滞に直面している被災地にとっては、甚だ迷惑な話だ。
 被災地の土地収用については、先に岩手県や日弁連が復興加速化法案の創設を提案している。被災自治体は、収用する土地の代金に見合う補償金を供託して着工。補償金の支払いなどは第三者機関に任せてしまうというアイデアだ。
 民主、生活の両党は先日、現場の声、法曹の知恵に着目してさらなる改正案を提出した。国会は、被災地からの提案を生かし、復興に資する改正法の一日も早い成立を期してほしい。


集団的自衛権に反対です.自民党の都合の良い解釈なんか絶対ダメです.
朝日新聞
集団的自衛権―砂川判決のご都合解釈

 牽強付会(けんきょうふかい)とはこういうことをいうのだろう。

 集団的自衛権の行使容認に向け、政府や自民党内で1959年の砂川事件の最高裁判決を論拠にしようという動きが出てきた。「判決は集団的自衛権の行使を否定していない」というのがその理屈だ。

 だが、この判決は、専門家の間ではそうした理解はされていない。都合のいい曲解だ。

 事件が起きたのは57年。米軍旧立川基地の拡張に反対する学生らが基地に立ち入り、日米安保条約に基づく刑事特別法違反で逮捕・起訴された。

 東京地裁は米軍駐留は憲法9条に反するとして無罪にしたが、最高裁はこれを破棄。外国軍は9条が禁じる戦力には当たらないとする一方、安保条約の違憲性については「統治行為論」によって判断を避けた。

 判決は、9条が固有の自衛権を否定したものではないとしたうえで、こう述べる。

 「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」

 これをとらえ、自民党の高村正彦副総裁は「最高裁は個別的、集団的を区別せず自衛権を認めている。内閣法制局が『集団的自衛権は使えない』というのはだいぶ飛躍がある」と語る。集団的自衛権も必要最小限なら認められるというわけだ。

 判決が出たのは、自衛隊発足から5年後。9条が保有を禁じている戦力とは何か、自衛隊は合憲なのかどうかが国会で盛んに議論されていたころだ。

 裁判の争点は、在日米軍が戦力にあたるのか、裁判所が条約の違憲性を審査できるか否かというところにあった。日本の集団的自衛権の有無が争われたわけではない。

 公明党の山口代表が「個別的自衛権を認めた判決と理解してきた」と語る通りだ。公明党は、自民党の身勝手な理屈を受け入れるべきではない。

 砂川判決が集団的自衛権を認めているならば、その後に確立されていった内閣の憲法解釈にも反映されて当然なのに、そうはなっていない。

 学説としてまともに取り上げられていない解釈を、あたかも最高裁の権威に裏付けられたかのように振りかざすのは、誤った判断材料を国民に与えることになりかねない。

 「立憲主義に反する」と批判される自民党にしてみれば、最高裁判決を錦の御旗にしたいのだろう。だが、こんなこじつけに説得力があるはずもない。


移民を受け入れるかどうかは考え始めなくてはいけないことなのかどうかよくわかりません.なんかおかしい気がするんですが,よくわからないのが正直なところです.
朝日新聞
技能実習拡充―これでは出稼ぎ労働だ

 人手不足は深刻なのに、若者らは就職してくれない。ならば外国人に頼るしかない。ただ、定住してもらっては困る。日本で働ける期間を最長2倍に延ばすが、必ず帰国させる。

 政府が建設分野で決めた緊急対策は、突き詰めればそういうことになる。

 こんな場当たり的な対応でうまくいくだろうか。

 対策の中心は、外国人技能実習制度である。人づくりを通じて新興国や途上国の発展を支援することが目的で、3年を上限に働いてもらう仕組みだ。

 そこに「特定活動」という在留資格をからませる。在日外交官の家事使用人やアマチュアスポーツ選手らに出してきたビザで、技能実習を終えた人にも2〜3年の滞在を認める。東京五輪が開かれる2020年度までの限定措置という。

 技能実習制度で働く外国人は全分野で約15万人。「途上国支援」という目的はかすみ、国内の人手不足を埋める手段になってきたのが実態だ。

 法律を無視した長時間労働や賃金の不払い、暴力などの人権侵害もたびたび明らかになっている。国会での議論や総務省の勧告、国際労働機関(ILO)や米国務省の報告書など、内外から対策をとるよう繰り返し促されてきた。

 政府は今回、受け入れ窓口となる団体や実習先の企業を優良なところに限ったり、国土交通省や建設業界による監視を強めたりすることを決めた。だが、まずは問題の根絶に全力をあげるべきではないか。

 外国人の受け入れを拡充しようという動きは、建設分野にとどまらない。

 技能実習の期間を3年から5年に延ばす。企業の従業員数に応じて決まる実習人数の枠を広げる。対象業種を増やし、介護分野などを加える――。自民党はこんな提言をまとめ、政府も経済財政諮問会議や産業競争力会議で検討を始めた。

 一方で、労働者の本格的な受け入れと定住、いわゆる移民問題には及び腰だ。「移民は考えていない」「国民的な議論が必要」などというだけだ。

 海外の基準に照らすと、5年も6年も働く外国人は移民にほかならないという見方がある。働き方の実態をみれば、「実習が基本だから」という理屈は国際的に通用しないだろう。

 多くの問題を放置したまま技能実習の拡充を急ぐ政府に対し、ある関係者は「まるで出稼ぎ労働の拡大だ」と批判する。

 安倍政権は、この指摘にどう答えるのか。


秘密法廃止という声はもっともです.強行採決だったし・・・今更反省するとは思えませんが,おかしいという声を上げ続けていくのは大切です.(でも,今日6日の扇町でのロックアクションは参加しませんでした.来月も参加できないのですが・・・)
朝日新聞
108議会「秘密法廃止を」 意見書可決 地方、根強い批判

 特定秘密保護法の廃止を求める意見書を地方議会が続々と可決し、昨年12月の法成立後で108議会に及ぶことが分かった。今年2〜3月だけでも60以上の議会にのぼり、同法への不安や強引に成立させた政権への批判が地方にも根強く広がっている。

 秋田県仙北市議会は廃止を求める意見書を3月12日、全会一致で可決した。法律の内容や審議過程が「非民主的で強権的に進められた」とし、「国民の怒りと不安は広がり続けている」と指摘する。

 提案者の1人、総務文教委員長の高久昭二市議(67)は「うちは保守的な議員が多いが、強行採決に対して批判が強かった。政府や国会は地方の声を謙虚に聞いてほしい」と話す。

 茨城県取手市議会は、廃止運動の広がりについて「民主主義・平和を求める巨大なエネルギーが日本国民の中に深く根付いていることを示している」とし、「国民主権・基本的人権・平和主義という日本国憲法の基本原則をことごとく蹂躙(じゅうりん)する特定秘密保護法」の廃止を求めている。

 長野県の小海町や豊丘村の議会も「国民の知る権利や言論の自由に対する侵害など憲法の精神に反し、民主主義の根幹を破壊する」と批判。三重県亀山市議会は「まさに国民の目と耳、口を塞ぐもの」と断じた。

 第三者機関の設置についても、北海道の奥尻町や美瑛町の議会は「チェック機関としての機能は疑わしい」とし、山形県長井市議会は「法律の危険性は何も変わらない」と批判する。

 意見書の受理状況を公報で公表している参議院事務局の集計に、首相だけに送った分など朝日新聞の取材分を加えると、昨年12月6日の特定秘密法成立後に出された意見書は少なくとも170件。うち法律の廃止・撤廃を訴えるものが108件。凍結が10件、見直しや修正が11件、慎重な運用や施行までの適切な措置を求めるものが37件などとなっている。法成立前にも慎重審議や廃案を求めた意見書は40件あり、これらを合わせると少なくとも198議会で210件が可決されている。

 (蝶名林薫)

 ■更なる協議必要

 弥久保宏・駒沢女子大教授(政治学)の話 基本的人権にからむ重要法律は、法案段階で国民に周知徹底し、国会でも議論を尽くす必要があるのに、説明不十分の感が否めぬまま拙速に採決された。その反発を受けて、身近な地方議会が国政に対し意思表明するのは当然の成り行きだ。政府や国会は施行までに更なる協議を重ね、施行後も見直していく必要がある。

 ◆キーワード

 <地方議会の意見書> 地方議会の意見を国の政策に反映させるため、政府・国会に提出する文書。地方自治法99条で定められており、議員が提案し、本会議にはかって提出する。政府や国会側への拘束力はない。

 ■特定秘密保護法の成立後に廃止・撤廃の意見書を可決した108議会

 ※参議院受理分に朝日新聞の取材分を加えて集計

【北海道】芦別市、根室市、福島町、森町、江差町、奥尻町、黒松内町、奈井江町、上砂川町、上川町、美瑛町、占冠村、和寒町、中川町、増毛町、初山別村、豊富町、津別町、斜里町、清里町、小清水町、大空町、むかわ町、日高町、平取町、新冠町、上士幌町、中札内村、更別村、幕別町、池田町、本別町、浦幌町、標津町

【青森県】蓬田村、佐井村

【岩手県】花巻市、軽米町

【宮城県】美里町

【秋田県】仙北市、三種町、五城目町

【山形県】山形市、長井市

【福島県】桑折町、南会津町、石川町、浪江町

【茨城県】取手市

【埼玉県】鳩山町、小鹿野町、宮代町

【千葉県】白井市

【神奈川県】葉山町

【山梨県】甲府市、市川三郷町

【長野県】中野市、佐久市、小海町、長和町、下諏訪町、富士見町、中川村、阿智村、豊丘村、木祖村、生坂村、山形村、小布施町、木島平村、小川村、飯綱町

【愛知県】飛島村

【三重県】亀山市

【滋賀県】湖南市

【大阪府】吹田市

【兵庫県】新温泉町

【奈良県】吉野町

【鳥取県】米子市、湯梨浜町、琴浦町、日南町

【島根県】吉賀町

【徳島県】板野町

【愛媛県】上島町

【高知県】安芸市、東洋町、芸西村、本山町、大豊町、土佐町、仁淀川町、日高村、四万十町、三原村

【福岡県】中間市、志免町

【長崎県】長与町

【鹿児島県】出水市

【沖縄県】大宜味村、宜野座村、読谷村、嘉手納町、北谷町、北中城村、中城村、西原町、与那原町

フランス語
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母の葬儀から3年/都をどり/京丹後・米軍レーダー計画

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140131_nakidako_Mihara

O-Bon est un diminutif du mot Urabon.
お盆は盂蘭盆という語の省略形です.

Il y a même une danse traditionelle associée à ce festival.

このお祭りに結びついている伝統的な踊りもあります.

3年前の4月5日に母の葬儀を仙台でしました.震災から間もない時で参列者も少なかったのですが,無事に母を送り出せたあの日からもう3年もの時が過ぎました.幸いにも悲しみはだいぶ薄れ,少しづつ元気を取り戻している気がします.
三原の泣きダコ.笑っているとは言えないにしても今の私は泣いてはいません.
今日は都をどりを見に行く日なので朝のんびりして,久しぶりにFrench in Actionを見ました.Leçon 35です.難しいです.
お昼ご飯は花見小路のらんぶるを予約してあったので,時間に間に合うようにいきました.雰囲気も良かったし美味しかったです.和風ブイヤベースが特に美味しかったです.
都をどりは去年の4月2日にも見に行きました.142回目の今回は昔伝来大和宝尽(いにしえのつたえやまとのたからづくし)です.第1景 置歌(おきうた),第2景 伊勢巡梅初春(いせめぐりうめのはつはる),第3景 美保松原春羽衣(みほのまつばらはるのはごろも),第4景 祇園会屏風祭(ぎおんえびょうぶまつり),第5景 班女扇草子(はんじょおうぎぞうし),第6景 建仁寺紅葉茶花揃(けんにんじもみじちゃのはなぞろえ),第7景 雪遊乙女舞(ゆきあそびおとめごのまい),第8景 平等院桜尽(びょうどういんさくらづくし),です.去年もいいなぁと思った「都をどりはヨーイヤサー」の掛け声.でも今回はかなりの時間を眠ってしまいました.ガーン.
夕方は天満でビデオを見ました.MBS映像14「見えない基地〜京丹後・米軍レーダー計画を追う」とNNNドキュメンタリー「鉄条網とアメとムチ」.見ていてツラくなってしまいました.米軍基地はいらない!!!と強く思いました.4月20日の京丹後現地での集会に参加できそうにないので,せめてカンパをしたいと思いました.

三陸鉄道南リアス線再開という明るいニュースについて.阪急や京阪で京都に行けなくなってしまったら,どうなんだろう??と考えてみました.
河北新報
「お客さまの表情忘れられない」全線の再開待つ三鉄運転士

 東日本大震災で被災した第三セクター三陸鉄道(岩手県宮古市)は5日に南リアス線が、6日に北リアス線が全線運行を再開する。運転士の下本修さん(50)は震災発生時、北リアス線で列車を運転していた。あれから3年余り。当時の緊迫した状況を振り返りながら、再開の春に臨む。

 2011年3月11日午後2時46分、乗客15人を乗せた宮古行き普通列車は白井海岸駅(岩手県普代村)を出発したばかりだった。下本さんは「その時は揺れを感じなかった」と言う。
 午後2時48分、運行部指令から無線で停止指示を受けて緊急停車した。乗客の安全を確認した下本さん。今度は大津波警報の連絡を受けた。停車した場所が海抜約40メートルと高台だったことから、その場で連絡と救助を待とうと判断した。
 その後、無線は途絶えた。情報が一切入らなくなり、下本さんは乗客と不安を募らせながら待ち続けた。
 幸い列車は燃料が満タン。電気はつき、暖房は正常に作動した。トイレや自動販売機が使える安心感もあったが、「情報を十分に伝えられず、お客さまに不安を与えてしまった」。
 運行部からの連絡で消防が救助に来たのは、当日の午後7時半ごろ。「その時、目にしたお客さまの安心した表情が忘れられない」と下本さん。自身はその後も監視のため車内に残った。翌日午前8時ごろ、会社の車で運行部に戻った。
 震災後、下本さんは携帯ラジオを常に持つ。「震災の時に無力だった自分を忘れないように」と業務用カバンに入れている。現在は全車両にラジオが備え付けられた。
 6日は宮古発久慈行きの始発電車のハンドルを握る。「自分の時間は震災から止まったままで、乗客に情報を伝えられなかったことが悔やまれる。全線開通で時間が進むことで、胸のつかえも取れるのでは」と願う。


明るいニュースのかげに厳しい現実があるということを忘れてはいけません.過疎ってどうやって解決したらいいのでしょうか?
朝日新聞
「復興の象徴」三陸鉄道 全国から支援、経営に厳しさも

 東日本大震災で被災した岩手県の三陸鉄道(三鉄)南リアス線(36・6キロ)が5日、全線で運転を再開した。6日には北リアス線(71キロ)も完全復旧する。3年1カ月ぶりの全線開通に住民は喜ぶが、人口減少のなかで三鉄は厳しい経営と向かい合う。「復興の象徴」を守ろうと各地から支援が寄せられる。

 午前6時、釜石駅。住民や観光客約30人が1両編成の始発列車に乗り込んだ。

 津波で自宅を流され、仮設住宅で暮らす岩手県釜石市の川畑宰(つかさ)さん(73)は沿線の風景を自分の目で確かめたい、と乗った。「昨晩は興奮して眠れなかった。車が運転できないので、三鉄はありがたい。元気が出るねえ」と目を潤ませた。

 6時10分に出発した列車は平田(へいた)、唐丹(とうに)、吉浜の3駅を震災後、初めて通過し、7時4分、盛(さかり)駅に到着した。

 住民は再開を待ちわびていた。同県大船渡市の沢田長之進(ちょうのしん)さん(85)と妻タマ子さん(85)は「私たちの宝物が戻ってきた。こんなうれしいことはない」。

 2人は三陸町(当時)の依頼で2000年から10年秋まで毎朝4時に起き、近くの甫嶺(ほれい)駅を掃除してきた。震災の時、津波が線路の盛り土に跳ね返されるのが、避難した高台から見えた。線路より内陸にある家は無事だった。長之進さんは「三鉄の線路が守ってくれた」。

 震災から3カ月後、2人はボランティアで駅の掃除を再び始めた。「もう一度列車は走るはずだ」。全線再開をタマ子さんは心から喜ぶ。「これで釜石への病院通いも楽になる。これからも三鉄を見守り続けます」

 「ようやく期待に応えられたが、浮かれていられない」。三鉄の運行本部長、金野淳一さん(53)は復旧に表情を引き締める。

 三鉄は1984年、第三セクターの鉄道として全国で初めて誕生した。金野さんは1期生として入社した。当時の乗客は年200万人を超え、「通学の高校生が乗りきれないこともあった」。だが、過疎化や車の普及で減少。94年度以降は赤字が続く。

 津波では橋や駅、線路など317カ所が被災。昨春までに運行距離107・6キロの4分の3を再開したが、13年度の乗客は約50万人。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」に登場する鉄道のモデルになった効果で前年度より増えたが、震災前の6割に満たない。

 震災復興は遅れがちで人口流出が続き、駅周辺に家がほとんど建っていない所もある。高台移転で車の利用も増えそうだ。南リアス線と北リアス線をつなぐJR山田線は復旧の見通しが立っていない。

 三鉄は「空っぽの列車を走らせることはできない」と震災前と比べ、1日に往復する列車を南で3本、北で2本減らす。「列車を走らせ続けることは容易ではないが、これからも愛される三鉄にしていく」と金野さんは話す。

 三鉄を応援する動きは各地に広がっている。

 「ぜひ遊びに行って、三鉄に乗ってくださいな」。東京・銀座の京料理店「おおたに」のおかみ、大谷洋子さん(61)が3月末、三鉄の旅を勧める観光ガイドを手にカウンターのお客さんに語りかけた。

 有志でつくる「三陸鉄道を勝手に応援する会」(盛岡市)の会長が常連客だったのが縁で、応援を始めた。常連客の榎本恵一さん(75)は「三陸の復興がどこまで進んだのか確かめたい」。今月下旬、仲間3人で三鉄に乗るつもりだ。

 三鉄が被災地の現状を見てもらおうと企画した「震災学習列車」には、これまでに全国から約8千人が乗り込んだ。昨年11月、茨城県立緑岡高校の2年生約160人が修学旅行で訪れた。建物の土台だけが残る集落を車内から見た生徒たちは、息をのんで三鉄社員の説明に聴き入った。

 その一人、新井千陽(ちはる)さん(17)は、心の中に芽生えた被災地とのつながりを大切にしたいと考える。「今の自分にできることはないかもしれないけど、関心を持ち続けようと思う。数年後に再び三鉄に乗って、復興した街を見てみたい」

 三鉄も支援を呼び込もうと、被災したレールを「復興祈願レール」としてネットで販売。一つ3万円や5万円で計800個が売れた。4月からは全線再開記念に360個を売り出している。(岩井建樹、阿部浩明)


盛駅というのは記憶にあります.子どもの頃,気仙沼から一ノ関に行くのに大船渡線に乗ったことがあって,その時に盛駅という名を聞いたように覚えています.
毎日新聞
東日本大震災:三陸鉄道・南リアス全線開通 一番列車、笑顔乗せ

 東日本大震災で全線不通となった岩手県の第三セクター「三陸鉄道」の南リアス線(盛(さかり)−釜石、36・6キロ)が5日、最後に残った不通区間の吉浜(よしはま)−釜石(15キロ)で運転を再開。震災から3年余りで全線復旧した。6日には北リアス線(71キロ)の不通区間(10・5キロ)も再開し、地域の足であり、観光の中心を担う鉄路が完全復活する。

 南リアス線釜石駅(釜石市)では5日午前6時10分、駅員や地域住民が見守る中、メディア関係者を含め約60人を乗せた「一番列車」1両が、「フォーン」と警笛を鳴らし出発。更地のままの住宅跡など車窓に震災の爪痕が残る中を走り、沿線では住民が大漁旗や手を振った。途中の甫嶺(ほれい)駅(大船渡市)では、ボランティアで駅の清掃をしている沢田長之進さん(85)とタマ子さん(85)夫妻が、運転士にピンクの花束を渡し、「頑張ってください」と励ました。

 釜石市にあった自宅を津波で流された川畑宰(つかさ)さん(73)は仮設住宅から駆け付け、乗車した。「一番列車に乗ろうと思っていた。よくここまで復旧させたと思う。地元住民として喜びは言葉にできない。震災前、妻が大船渡市で入院していたので盛駅(同市)まで毎週末利用していた。体調が回復したので今度は2人でゆっくり乗りたい」と目頭を押さえた。

 三陸鉄道は、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」に登場した「北三陸鉄道」のモデルにもなった。釜石市に住む岩手大学研究員、菊地康仙(やすのり)さん(41)は「あまちゃん」ファンという長女真理恵さん(6)と乗車。「三陸鉄道ののんびりした雰囲気が好きだ。この日が復興の大きな節目となるはずだ」と笑顔を見せた。列車はダイヤ通り、1時間足らずで終点の盛駅に到着した。

 三陸鉄道は震災時、南北リアス線で1両ずつ走行中だったが、海抜が高い場所やトンネルで緊急停車したため乗員乗客の犠牲者はなく、駅などにいた社員も全員無事だった。だが、高架橋や線路が津波で流失するなど317カ所が被災。南リアス線運行部(大船渡市)に停車していた3両も波をかぶって廃車になった。

 全線で運転停止を余儀なくされたが、震災5日後には、被害が軽微な北リアス線最北部の3駅間から運転を再開。クウェート政府の支援約80億円を受けて、新車両8両の購入や施設再建を進めて運転区間を少しずつ延ばしてきた。【安藤いく子、浅野孝仁】

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 ■ことば
 ◇三陸鉄道

 岩手県や沿線市町村が出資し1984年4月1日、全国初の第三セクター鉄道として開業。旧国鉄再建の一環で引き継いだ路線を基本に、南部の南リアス線(盛−釜石)と北部の北リアス線(宮古−久慈)に分かれ計107・6キロ。開業初年度の乗客数は269万人だったが、東日本大震災があった2010年度は85万人。13年度まで20年連続の赤字が続く。南北リアス線の中間をつなぐJR山田線(宮古−釜石)は震災後不通になっている。


被災地でバス通学は大変だと思います.運動不足になっている生徒もいるとか・・・
朝日新聞
被災地、校舎再建うれしいけど 通学路、浸水の恐れ/海に近く不安 宮城・岩手

 東日本大震災から3年たった今春、ようやく仮設校舎から元の校舎に戻る学校が被災地にある。学ぶ環境が改善される児童・生徒は喜ぶが、通学路の危険やバス通学の不便さは変わらない。復興が道半ばのなか、学校や保護者らは子どもたちをどう守るか悩んでいる。

 ■宮城・石巻

 宮城県石巻市で海から約800メートルの市立湊中学校。学区の半分が住宅を新築できない地域に指定され、周辺に更地が残るなか、きれいな4階建ての校舎が姿をみせた。

 震災時は高さ4・5メートルの津波に襲われ、1階が浸水。約200人の生徒は、内陸にある小学校のグラウンドに建てたプレハブ仮設校舎に移った。隣の教室の物音は筒抜け。校庭が狭いためサッカー部とバレー部は休部になった。

 「早く再建してほしい」。学区内で自宅を修繕する保護者らから要望が相次ぎ、建物の強度も問題なかったため、市教委は2012年3月に現地再建を決めた。教室は2階以上に配置。屋上へ通じる外階段や備蓄倉庫、太陽光発電装置を新設するのに2年かかった。

 新3年生の松川優香さん(14)は「広くて大きいし、音が気にならなくなった。この校舎で新しい思い出をつくりたい」。石母田誠校長は「仮設校舎で生徒は不平不満も言わず、ようやく伸び伸び学校生活を過ごさせてやれる」と話す。

 だが、保護者らに不安は残る。市は海岸の防潮堤と盛り土道路で学校を津波から守る計画だが、地盤が軟弱で工事は始まっていない。市中心部のみなし仮設に住む会社員の千葉修さん(47)は、近くの湊第二小学校を卒業した長男を湊中でなく、内陸の中学校に通わせる。「道路整備が進まず安全面で不安がある」

 湊二小は児童240人が震災後に69人に減り、4月に湊小と統合。改修された湊小で学ぶ。通学路の一部は未舗装で浸水の恐れもあり、児童の大半はバス通学を続ける。

 長い間バス通学が続く湊二小の児童は、持久力やジャンプ力で内陸の小学校に差を付けられた。3月まで湊二小教頭だった北村統先生は「小学生が毎日歩く大切さを痛感した。これからも細やかなケアが必要だ」。

 市教委が昨夏、元の校舎の改修工事を保護者らに説明した際、被災した校舎に戻ると子どもの恐怖心がぶり返さないか心配する意見が出た。市はスクールカウンセラーも配置する。

 ■岩手・山田

 岩手県山田町の町立船越小(児童137人)は今春、約5キロ離れた県の研修施設に設けた仮設校舎から、元の場所の裏山を切り開いた標高24メートルの新校舎に戻る。

 旧校舎は海岸そばの高さ13メートルの丘陵地にあったが、18メートルの津波で校舎2階まで浸水した。元の場所の裏山を造成するか、内陸の高台に移転するか住民の意見は分かれたが、土地確保にかかる時間が短い裏山を11年に選んだ。町教育委員会は「当初、高台移転を希望しても子どもが14年4月に校舎に入れるという早さを考えた人が多い」と話す。

 だが、海への近さに不安を抱く保護者もいる。仮設住宅に住み、3人の子どもが通う山崎広美さん(37)は「大きな地震が来た時、子供たちが避難できるよう安全面に十分配慮してほしい」。船越小は裏手のさらに高い山に登る避難訓練をしていくという。(長嶋晶子、田渕紫織)


社説で主張されているように詭弁だと思います.公明党は自民党にすり寄るのではなく,平和の党として頑張ってほしいものです.
東京新聞
集団的自衛権 「限定容認」という詭弁

 限定的なら認められる、というのは詭弁(きべん)ではないのか。集団的自衛権の行使の「限定容認論」である。政府の憲法解釈は長年の議論の積み重ねだ。一内閣の意向で勝手に変更することは許されない。

 限定容認論とは、集団的自衛権の行使を「日本近海を警戒中の米艦船が攻撃を受け、自衛隊が防護する場合」など事例を限定して認めようというものだ。自民党の高村正彦副総裁が主張した。

 高村氏のよりどころは、米軍駐留の合憲性などが争われた最高裁による一九五九年の「砂川判決」である。

 日本の自衛権について「わが国が、存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは国家固有の権能の行使として当然」との判断を示した。

 高村氏はこれを論拠に「国の存立を全うする必要最小限度(の実力行使)には、集団的自衛権の範疇(はんちゅう)に入るものはある」として、米艦船の防護などは「必要最小限度に当たる」と主張している。

 政府の憲法解釈で違憲としてきた集団的自衛権の行使を、一内閣の判断で合憲とすることには公明党や自民党の一部に根強い慎重論がある。限定容認論は説き伏せる便法として出てきたのだろう。

 しかし、いかにも無理がある。

 個別的自衛権を有するかどうかが議論されていた時代の判決を、集団的自衛権の行使の一部を認める根拠にするのは「論理の飛躍」(公明党幹部)にほかならない。

 公明党の山口那津男代表は高村氏との会談で、個別的自衛権で対応できないか、まず検討すべきだと、限定容認論に慎重姿勢を示したという。当然だろう。

 集団的自衛権をめぐる議論の本質は、日本が直接攻撃されていないにもかかわらず、他国のために武力行使することが妥当か、長年の議論に耐えてきた政府の憲法解釈を、一内閣の意向で変えていいのか、という点にある。

 たとえ限定的だったとしても、政府の憲法解釈を根本的に変えることにほかならない。

 このやり方がいったん認められれば、憲法の条文や立法趣旨に関係なく、政府の勝手な解釈で何でもできる。憲法が空文化し、権力が憲法を順守する「立憲主義」は形骸化する。イラク戦争のような誤った戦争に巻き込まれることも現実味を帯びてくる。

 限定容認なら大丈夫と高をくくってはいけない。立憲主義の危機にあることを、すべての国会議員が自覚すべきである。


東日本大震災で黙祷に反対するという記事を読みました.わかりやすいです.
私たちはなぜ黙祷に反対するのか

「黙祷」と号令がかかる時、人はだれを思い浮かべているのでしょうか。身近な、顔を知っている誰かを思い浮かべている場合ももちろん多いでしょう。でも、今日黙祷をする全国の人の多くは直接に「黙祷」すべき亡くなった人を知っているのではなく、「犠牲者一般」としか呼べないような抽象的な何者かしか思い浮かばないのではないでしょうか。自分が本当に知っている相手なら、他人から命令されなくともさまざまな局面で、その亡き人のことがさまざまな思いとともに浮かんでくるでしょう。黙祷とは場所と時間を決めて、亡き人を知る人も知らない人も行う公的な儀式のことです。その時、実は黙祷をしている人の内面は問われておらず、人が集まって黙祷をしているという形こそが重視されます。

そのことからもわかる通り、黙祷は、個人が亡き人を思い浮かべる「祈り」や「弔い」とは異質な何かです。それは黙祷が、それを見る人がいなければ成立しないことからも明らかです。黙祷は他人が見ていることを前提としています。誰も見ていないところで一人、亡き人に思いいたしていることを黙祷とは呼びません。

多くの人が集まり亡き人のことを思っている形を見せるのはなぜでしょうか。人が哀しんでいる姿は胸を打つものです。哀しみは他の感情と同じく他人にも伝わります。多勢の人が哀しんでいる姿は、見る者の胸を打ちます。黙祷は、それを行っている人と見ている人の双方に強い一体感を抱かせます。また同時に、黙祷する人たちは、なにより一つになった自分たちを見ている、と言えます。

今日の政府主催「東日本大震災三周年追悼式」で行われる黙祷は、亡き人のことを思うと共に、被災地の復興のために行われます。けれども地震や津波、原発事故によるさまざまな死の意味を問い、自分との関係を考えるのは、本来は私たち一人一人のはずです。他人にその姿勢を見せなければならないものではありません。その過程や結論がいわゆる「復興」へと絞り込まれていくものでもないでしょう。

しかし政府主催の式典を中心に、あの時間に全国いたるところで黙祷が行われるのは、国の考える形での「復興」に向けて国民を一丸とするためであり、それへの異議は許されません。それは個別の意思を持つ人間を大きな集団にまとめるための儀式であり、その儀式は個々の人々のためではなく、その集団化のためにこそあります。今日の式典で行われる黙祷は、国による「国民」への動員です。今日黙祷する人々は、黙祷という行為によってこれまで以上に「国民」として統合されていきます。だから今日、追悼式典に「国民統合の象徴」が出席するのです。

国はそこに生きる人々を、国の都合のためにさまざまに動員します。国による動員の行き着く果ては戦争です。黙祷と聞いて多くの人は靖国神社を、八月十五日を思い浮かべるでしょう。靖国神社は戦争で死んだ兵士を、国のため、天皇のために戦って死んだと褒めたたえることで、次に死ぬ兵士を準備していました。靖国こそは、この国が戦争を行うための精神的支柱です。今日の式典を開始した前政権も、そしていまの政権はなおのこと、憲法を改正して戦争ができる国にすることを目指しています。多くの異議の声を無視した法律の成立を強行し、政府への反対・異論を許さない社会をまさしくいま作りつつあるこの国で、今日全国一斉に黙祷が行われるのは、本当は大変に恐ろしいことなのではないでしょうか。

私たちは黙祷して動員されることを拒否します。

私たちは今日の政府主催、天皇出席の追悼式典に反対し、黙祷に反対します。

2014年3月11日 戦時下の現在を考える講座

フランス語
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関目でおじさまとまむし→帰りに迷ってしまいました

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ragazza1

La justice est le droit du plus faible. (J. Joubert)
正義とは,もっとも弱いものの権利である.

関目でおじ様たちと飲み会です.ジジイと飲み会といったほうが正確かな?お酒は特に美味しいことはなかったけれどもまむしことウナギがおいしかったです.Yaさんのマジックも楽しかったです.
でも帰りに歩いていて迷ってしまいました.寒い中迷ってしまって少し大変でした.

河北新報
あの日の教訓忘れず 被災地、安全確保に奔走 チリ地震津波

 東日本大震災の爪痕が残る東北の太平洋沿岸部に、再び長い一日が訪れた。チリ北部沖の地震に伴う津波が到達した3日、各自治体は住民に避難を勧告するなどの対応に追われた。津波注意報の解除まで15時間。「二度と悲劇は繰り返さない」。大震災の教訓を胸に、一部の住民は早朝から避難所で状況を見守った。

 宮城県東松島市は午前3時、津波注意報の発表と同時に沿岸528世帯に避難勧告を発令。庁舎内では1日から本格運用した監視カメラを職員が遠隔操作し、大型モニターで海辺の変化に目を凝らした。
 市内の矢本東小に妻と避難した近所の無職加藤光男さん(74)は「津波到達の予想時間に合わせて来た。命が何より大事」と語った。
 宮城県気仙沼市は自主避難者を受け入れるため、市民会館など3カ所に避難所を開設した。
 市民会館に身を寄せた同市唐桑町のパート従業員佐藤由美さん(40)は「大震災を経験して津波が怖くて帰ることができない。ここでも落ち着かない」と不安げだった。
 岩手県釜石市は午前3時、沿岸部5847世帯に避難勧告を発令した。長男(14)と避難所を訪れた同市只越町の及川かほるさん(50)は「子どもが震災の教訓を忘れないよう避難した」と話した。
 大船渡市も1372世帯に避難を勧告した。同市末崎町の施設に向かった無職男性(73)は「自分の行動を通し、避難の大切さを次世代に伝えたい」と語った。
 三陸沿岸部のお年寄りには、1960年のチリ地震津波による悲劇がいまも記憶に残る。
 岩手県山田町の役場近くに避難した無職阿部熙子さん(75)は「チリ地震津波と大震災で恐ろしい目に遭った。寝ないでラジオを聴き、注意報が出たら逃げようと思っていた」と、避難の大切さを強調していた。

河北新報
津波注意報/先入観捨て備えを続けよう

 南米チリ沖で発生した大地震により、東北を含む太平洋沿岸に津波注意報が出され、警戒が続いた。観測された津波は数十センチにとどまり、今のところ大きな被害も確認されていない。
 警戒は空振りに終わった形だが、これを騒動と片付けてしまっては対応を誤る。「注意報レベルの津波はこんなもの」「警戒は大げさだった」という意識が広まることが最も怖い。
 地震と津波情報を受けたらすぐに避難態勢を取る。一人一人がことあるごとに心構えを確かめ、実践を繰り返して習慣化することでしか身を守れない。私たちはそう学んだはずだ。
 避難勧告の対象地域で避難率はどうだったか、避難しなかった人はなぜ逃げなかったか、海岸や河口にとどまり続けた人はいなかったか、防災無線はきちんと運用できたか。被害が軽微に済んだ事例だからこそ冷静に分析できることも多い。防災関係者は検証を進めてほしい。
 「津波は1メートルでも危険」と認識していた人の割合が、東日本大震災前は71%だったのに震災後は46%まで減ったという調査結果がある。実施した東大地震研究所は、記録的な巨大津波のイメージが強すぎてそれより小さい津波への警戒感が薄れた可能性があると分析している。
 調査の対象は南海トラフ地震が懸念される西日本の住民だったが、大震災の被災地の住民も同じ傾向がないだろうか。
 膝ほどの高さの津波でも人は立てなくなり、流される可能性がある。1メートルの津波は車を押し流し、木造家屋や養殖施設を破壊する威力がある。備えるべきは巨大津波と限定してしまうと、またまた犠牲を繰り返すことになる。津波の脅威にあらためて謙虚に向き合うべきだ。
 揺れを伴わない津波への警戒は対応が難しいが、東北は死者・行方不明者142人を記録したチリ地震津波(1960年)、水産関係で大被害が出たチリ大地震津波(2010年)を経験している。今回の事例も含めて知見を蓄積し、語り継ぐ努力を続けていくしかない。
 東北では引き続き「アウターライズ地震」への警戒が欠かせない。震災を招いた地震の余震として、マグニチュード(M)8級の地震が日本海溝の向こう側で発生する可能性がある。
 震源が陸地から遠いため揺れが小さい割に津波が巨大化するとみられており、揺れを伴わない今回のような「遠地津波」への対応は教訓になる。「揺れないから逃げない」では済まないことを、防災関係者は粘り強く訴えていくことが必要だ。
 注意報や警報が出ても被害がなく、大したことがなかったと片付けられる経験が続くと、人は「正常化の偏見」を抱く。経験は先入観を生み、「今度も大丈夫」「自分だけは大丈夫」という心理が働いてしまう。
 震災から4年目。被災地でもそろそろ偏見がはびこるころかもしれない。あの犠牲と被害を思い返し、先入観を捨てて避難の初心に帰ることから津波防災の一歩は始まる。


北海道新聞
大間原発訴訟 司法の姿勢も問われる

 原発の是非だけではない。司法の姿勢も厳しく問われる。

 事故の危険性などを司法はどう評価し、何をすべきか。3年前の東京電力福島第1原発事故の経験を踏まえ、審理の在り方や判断の枠組みを変える必要がある。地域を危険にさらしてはならない。

 函館市は電源開発(東京都)と国を相手に大間原発(青森県大間町)の建設差し止めなどを求める訴訟を東京地裁に起こした。自治体の原発訴訟提起は全国初だ。

 原発は函館から最短で23キロの距離にある。全炉心でプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を使う商業炉は世界初だ。毒性が特に強いプルトニウムを多く含み、事故の被害は想像を絶する。

 市は何度も国などに建設の無期限凍結を求めたが、拒まれた。最後の頼みとしたのが司法だ。

 悲痛な訴えを東京地裁は真正面から受け止めてほしい。

 市議会は関連議案を全会一致で可決した。市民の総意と言える。これとは別に市民らは同様の訴訟を函館地裁に起こし、4次にわたる提訴で原告は800人に迫る。

 国と電源開発はこの現実を直視し、計画自体を断念すべきだ。

 過去の訴訟の判決は「安全神話」に寄りかかって電力会社など被告側の主張をうのみにし、住民ら原告側の訴えを退けた。例外は北陸電力志賀原発2号機をめぐる訴訟の金沢地裁判決など2件だ。

 福島の事故を防げなかった責任の一端は司法にもある。

 問題の一つは立証責任を被告に比べ原告に重く課している点だ。被告は安全基準を満たすことなどの立証で十分とし、原告には「具体的な危険」の立証を求める。

 情報量の圧倒的な差を考えれば公平の観点からも、実質的な安全性の立証を被告に要求し、厳格に審理すべきだ。原告が主張する過酷事故の危険性を「抽象的」として切り捨てることも許されない。

 訴訟で函館市は原発30キロ圏内に防災計画の策定義務がある以上、建設に圏内自治体の同意が必要だと主張する。認められて当然だ。

 既存の原発について政府は再稼働を進める意向だ。各種世論調査では反対が過半数を占める。民意に背く行為は容認できない。

 北電泊原発をはじめ、各地で住民らが廃炉などを求める訴訟を起こしている。生存権や財産権など憲法が保障する国民の権利を原発が脅かすことは疑いようがない。

 エネルギー政策に関する行政の裁量の範囲内という理屈が通用しない現実を司法は知るべきだ。


西日本新聞
「川内再稼働お墨付き許されぬ」 反原発団体、規制委調査に抗議 [鹿児島県]

 原子力規制委員会が、原発再稼働の前提となる審査を優先的に進めている九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の現地調査をした3日、鹿児島県内の反原発団体が原発の正門前で抗議行動をした。

 昨年9月の規制委の川内原発現地調査では、原発に入ろうとしたバスの前に抗議参加者が立ちふさがり混乱した。このため、九電は今回、警備員を大幅に増やし対応。混乱はなかった。

 抗議行動には地元住民のほか、東京や熊本などから約40人が参加。午前8時半から「川内原発一番手再稼働阻止」「再稼働するな」などと書かれた横断幕やのぼりを掲げた。参加者は代わる代わるマイクを握り「規制委員会が再稼働のお墨付きを与えるために来ることは許されない」「命を懸けて再稼働を阻止する」などと約1時間半にわたって訴えた。

 最後に、川内原発建設反対連絡協議会など4団体が、規制委の田中俊一委員長宛ての「敷地外の断層や火山、火砕流の徹底的な調査などを求める」とする申し入れ書を九電の担当者に手渡した。

 同協議会の鳥原良子会長(65)は「直接申し入れをしたかったが、できずに残念。規制委は再稼働ありきで進めており、今日は調査ではなく見学だ。原発に批判的な専門家の意見も踏まえた、住民に信頼される審査をすべきだ」と話した。

フランス語
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ガイダンスで説明/ジツジツの引き継ぎ

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Melos2

L'intelligence ne vaut qu'au service de l'amour. (A. de Saint-Exupéry)
知性は,愛に役立つことでしか価値をもたない.

鶯(うぐひす)の 木(こ)伝(つた)う梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ (万葉集)

ガイダンスの説明をしました.原稿のような資料があって25分説明だったのですが、1回目は10分で終わってしまいました.2回目は少し頑張って20分.なかなか難しいものです.
夕方ジツジツの引き継ぎです.久しぶりに1階のジツジツの部屋に行って,Kiさんに説明しました.

河北新報
石巻・大川小訴訟 来月19日に開始 仙台地裁

 東日本大震災で児童と教職員計84人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の津波災害で、学校管理下で教職員に従ったために犠牲になったとして、児童23人の19遺族が石巻市と宮城県に対し、国家賠償法などに基づき計23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は2日までに、第1回口頭弁論を5月19日に開くことを決めた。
 訴えによると、2011年3月11日の震災時、大川小には児童103人と教職員11人が在校。高台や裏山に逃げずに児童は校庭で待機するように指示された。午後3時37分ごろに津波にのみ込まれ、児童74人が死亡・行方不明になり、教職員10人が死亡した。


河北新報
女川サプリメント撤去跡地 石巻署が不明者捜索

 宮城県石巻署は2日、東日本大震災の津波で横倒しになり、3月に撤去された女川町の民間薬局ビル「女川サプリメント」の跡地で行方不明者の捜索を実施した。町内では今も250人以上の行方が分からず、建物の下の捜索を求める声が出ていた。
 女川港に面したサプリメント跡地は周囲がかさ上げされ、くぼ地状になっている。署員5人がスコップなどで石や土を掘り返したが、不明者の手掛かりは見つからなかった。
 サプリメントと、同様に津波で倒壊した江島島民の宿泊施設「江島共済会館」、旧女川交番について、町は震災遺構として保存を検討。復興事業の妨げになるといった理由から、サプリメントと共済会館は解体・撤去が決まった。
 サプリメント跡地は近く県が護岸工事を開始し、漁港岸壁となる。


河北新報
桜前線みちのくへ いわき・小名浜で「開花宣言」

 福島県いわき市の旧小名浜測候所のソメイヨシノに2日午前、十数輪の花が咲き、市民団体「小名浜まちづくり市民会議」などが開花を宣言した。東北にも桜の季節が到来した。
 元仙台管区気象台天気相談所長で、旧標本木の観察を続けている島田栄二郎さん(70)によると、1日に3、4輪の花が確認され、2日の陽気で次々と開花した。昨年より4日遅く、平年と比べて4日早い。見頃は来週初めになる見込み。
 旧標本木は、東日本大震災で根元が津波に漬かった。昨夏は、樹勢に衰えが見られたが、地元の造園業者が無償で手入れしたこともあり、回復したという。
 島田さんは「ことしもきれいな花が咲いてホッとした。桜の生命力はすごい」と話した。
 小名浜測候所は2008年、無人化に伴って閉鎖された。09年からは、市民会議が島田さんら気象庁OBの協力を得て、開花を宣言している。


朝日新聞
武器輸出緩和―平和主義が崩れていく

 歴代内閣が、曲がりなりにも50年近く掲げてきた武器輸出三原則。これに代わる新たな原則を安倍内閣が決定した。

 「死の商人」との連想を避けるためだろうか。新原則は「防衛装備移転三原則」という。だがその実体は、武器輸出の原則禁止から、条件を満たせば認める百八十度の方針転換だ。

 これで日本は、国際的な武器ビジネスの戦列に加わることができるようになる。

 旧原則は、憲法の理念に基づく日本の平和主義の柱のひとつだった。極めて拙速な決定と言わざるをえない。

 新しい原則は次の三つだ。

 ‐鯡鵑箙駭安保理決議に違反する国には輸出しない。

 ⇒⊇个蓮∧刃孫弩イ籠本の安全保障に資する場合などに限定し、厳格に審査する。

 8饗Г箸靴董日本の同意なしの目的外使用や第三国移転がないよう管理する。

 新原則は前文で、「我が国の平和と安全は我が国一国では確保できず、国際社会も我が国が積極的な役割を果たすことを期待している」とうたう。

 安倍首相が唱える「積極的平和主義」の具体化であり、首相がめざす集団的自衛権の行使容認と同じ文脈にある。

 政府が新原則で主に想定しているのは、ハイテク化と高額化が進む最新鋭兵器の国際的な共同開発への参加だ。

 安倍内閣はすでに旧原則の例外として、米英など9カ国が共同開発したF35戦闘機の部品輸出を認めているが、今後はこうしたケースに開発段階から加わりたい考えだ。

 背景には、コスト削減と防衛産業の育成がある。国内の企業には、旧原則が足かせとなって最先端の技術開発から取り残され、ビジネスチャンスを失っているという不満がある。

 しかし、国民の多くの支持のもと、日本が選んできた道である。産業界の論理で割り切っていいはずがない。

 新原則では、国連安保理が紛争当事国と認めない限り、禁輸の対象にはならない。歯止めとしては極めて緩く、限定的だ。輸出内容の情報公開の指針も、抽象的すぎる。

 これでは国民が知らぬ間に、国際紛争を助長するような事態がおきかねない。

 安倍政権は、民生分野に限っていた途上国援助(ODA)の軍事利用の検討も始めた。これもまた、平和主義の大転換である。その先に控えるのが集団的自衛権の容認だ。

 こんな「なし崩し」を、認めるわけにはいかない。


朝日新聞
欧州の右翼―政治は難題を避けるな

 欧州が誇る「寛容」は、どこへいってしまったのか。

 移民の排斥などを訴える右翼思想の政党が、欧州の至るところで勢力を広げている。

 フランスで先月あった地方選で、右翼政党である国民戦線の首長が12の都市で誕生した。得票率も躍進し、党首は「第3の政治勢力だ」と宣言した。

 英国では、欧州連合(EU)からの脱退を説く政党が、2大政党を脅かす勢いの支持を得ている。オランダでも、反イスラム教徒を掲げる政党が世論調査で支持率トップの座を争う。

 移民が雇用を奪い、福祉を食い物にしている。彼らが増えたのは、国境の壁を低くするEUのせいだ――。共通するのは、そんな不満から「よそ者」を締めだそうという考え方だ。

 共存の社会をめざす欧州統合の理想が危ぶまれる事態だ。

 ユーロ危機の教訓から、EUは銀行監督の一元化など、いっそうの結束が求められている。その流れが減速し、危機が再燃すれば影響は世界におよぶ。

 社会が非寛容に傾く原因を政治家たちは見極め、急いで手を打たねばならない。

 冷戦の終結でイデオロギー対立が消え、政策の幅も狭まった結果、選挙が時の政権を「選ぶ場」から「罰する場」に変質したといわれて久しい。

 自分たちが選んだわけでもないEUの官僚組織に大事な政策が決められている、との不満もふくらむ。戦争の記憶が薄れ、右翼に対する「ナチズム」批判も説得力がかげってきた。

 とくに懸念されるのは、排外的な主張が若い世代の支持を集めていることだ。フランスの地方選前の世論調査でも、学生の半数以上が右翼政党に投票してもよい、と答えた。

 確かに若者たちは未来を楽観できる状況ではない。ユーロ危機は峠を越えたが、多くの若者は今も正規雇用から外されている。EU平均で若者の4人に1人が失業中。行き場のない閉塞(へいそく)感が不満に拍車をかける。

 こんな時代だからこそ、社会に融和の価値を説く政治の役割が期待されるはずなのだが、既存の政党は逆に、右翼政党の主張に便乗する動きすらある。

 英国では「移民の流入による失業への影響はわずか」とする調査報告書をキャメロン政権が隠していた疑いも発覚した。

 政治の劣化が社会の排他的な空気を悪化させているならば問題はさらに深刻だ。

 偏狭な主張には正面から反論し、難題について丁寧な説明を尽くす。そんな本来の政治の責任を全うしてほしい。

フランス語
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試験監督/ホテルを予約/消費税イヤだぁ!!!

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140131_poisson_Tomonoura

Le festival dure donc pendent un mois mais les deux jours les plus animés sont les 17 et 24 juillet.
それでお祭りはひと月続くんですけど,いちばん盛り上がるのは,7月17日と24日です.

鞆の浦で魚を干しているところ.

午後試験監督でした.40分が2回.しんどいかなぁと心配してたんですが大丈夫でした.
お昼は豆腐ハンバーグ.意外に??おいしかったです.その後5月の旅行の予定を考え,ホテルの予約をしました.
昨日は気がつかなかったんですが,スーパーのレシートが外税方式になっていました.あらためて消費税イヤだなぁと思いました.
チリ地震で津波が日本に来るそうです.これもまたなんかイヤな感じ.

毎日新聞
東日本大震災:福島第1原発事故 都路、初の避難指示区域解除 「農業も買い物も無理」 線量不安、帰郷望む住民少なく

 東京電力福島第1原発事故で避難指示区域とされた福島県11市町村で初めて、田村市都路地区の指定が1日、解除された。だが、依然として放射線量が高い地域もあり、帰還する人は少ないのが現状だ。国は復興への一歩ととらえて解除を急いだが、課題が浮き彫りになった格好で、今後、解除が予想される自治体の判断に影響を与える可能性もある。【小林洋子、深津誠、横田香奈、水脇友輔】

 解除初日の1日、都路地区を訪れる人の姿はまばらだった。地区の最東端に、大半が帰還困難区域で立ち入り禁止の大熊町と隣接する十数軒の集落がある。商業施設などがあった同町に近い便利な場所だったが、今は最も不便になった。

 この日朝、集落の農家、田崎昭男さん(78)の自宅の解体作業が行われていた。1年間の立ち入り禁止で、ネズミが柱をかじるなどの被害が深刻化。65年間住んだ家だが、戻るのを諦めた。

 「大熊には行けないし農業もできない。買い物もできず、いるのはイノシシだけ」。隣家の縁側に座って作業を見守っていた田崎さんは肩を落とした。長男夫妻の職場が避難先に落ち着いたため、「当面は仮設住宅にお世話になる」。集落の他の住民もほとんど戻らないという。

 避難区域だった行政区の副区長を務める根内昌美さん(62)は帰還したが、「線量や農業再開への不安がある住民もおり、意見を統一できない中での解除で複雑な気持ち。雇用は避難先などに頼らざるを得ず、若者が戻れない」と高齢化する将来に不安を抱く。

 避難区域外では、自治体ごと避難した後、帰還した「先行例」もあるが、復興は思うように進んでいない。

 川内村と広野町は2011年4月、郡山市といわき市に役場機能を移転。12年春に戻ったが、川内村は週4日以上、村内で生活する人が約半数の約1460人にとどまる。広野町も約5200人の人口の7割以上は町外に避難したままだ。

 川内村では、求人はあるものの、応募する村民が集まらず、人手不足が深刻だ。村内で縫製工場を再開した猪狩正巳社長(61)は「震災前は熟練者が多くいたが、1人を除いて県内外に就職してしまった。売り上げも落ちて、こんなことだったら仕事を捨てればよかった」。遠藤雄幸村長も「自分の家に戻るのがこんなに難しいのかと痛感している」と帰村の難しさを語る。広野町の松本正人復興企画課長は「いわき市は病院や福祉施設が充実していて、高齢者にとっては便利だった。若い世代の雇用確保も町の懸案だ」と指摘する。

 ◇解除急ぐ国、賠償額抑える狙い

 避難指示がまだ解除されていないエリアの住民は約8万人に上る。根本匠復興相は1日の閣議後の記者会見で「早期に帰還可能な地域は一つでも多く避難指示を解除できるように総力をあげる必要がある」と述べた。安倍晋三首相に対する与党・東日本大震災復興加速化本部の提言を踏まえたもので、政府は2015年度までの「集中復興期間」に、できるだけ避難指示解除を進めることを目指す。

 だが、避難区域を抱える地元自治体には、こうした姿勢に「待った」の声もある。

 避難区域のうち「居住制限」と「避難指示解除準備」の両区域は、住民への月10万円の精神的賠償が解除後1年で打ち切られる。国にとっては解除が早いほど支給する賠償額が低く抑えられることになる。

 ほぼ全域が避難指示解除準備区域の楢葉町は「全町避難を迫られた自治体は、避難が長いほど復旧に時間がかかる。1年で元に戻ると考えて打ち切るのは実態に合わず拙速だ」と警戒する。葛尾村の担当者も「賠償問題は、住民によって意見が分かれる。一人一人の生活が再建されるまで、何らかの支援は続けてほしい」と求める。

 さらに飯舘村の中川喜昭・除染推進課長は「帰村のためにはまず除染が大事。住民が戻ったときに、農業や医療機関、買い物などの生活環境が整っていないと」と、実態に合った解除時期を設定する方針。解除時期は、国が示した来年3月を1年遅らせ、16年3月を検討している。


朝日新聞
STAP論文―理研の責任は重い

 理化学研究所は幕引きを急いでいるのではないか。そんな疑念をぬぐえない。

 多くの疑問点がふきだしている新万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の論文について、理研の調査委員会はきのう、筆頭著者の小保方(おぼかた)晴子ユニットリーダーに「捏造(ねつぞう)」と「改ざん」という研究不正があったとする最終報告書を公表した。

 これに対し、小保方氏は「承服できない。不服申し立てをする」とのコメントを発表した。

 調査委は論文全体を精査してはいない。6項目にしぼり、ミスを超える不正の有無を判断しただけである。また、小保方氏本人は否定している。不正と決めつける十分な根拠があるのか、見方はわかれそうだ。

 理研は報告書を受けて、小保方氏らへの処分や再発防止策の検討に進む方針だ。しかし、全容を解明せずに、実のある再発防止策が打ち出せるとはとうてい思えない。

 国は今月、研究開発を先導する特定国立研究開発法人を指定する方針だった。理研はその最有力候補だった。それをにらんで結論を急いだ面はないか。

 そして、責任を小保方氏個人に集中させていないか。共著者のベテラン研究者らは何をし、何をしなかったのか。実験やデータ、試料の管理のどこに問題があったか――。

 理研は内部調査で済ますのでなく、第三者に調査を委ねて結果を公表すべきだ。それなくして信頼は取り戻せないだろう。

 科学は、研究者が個人の責任で学術誌に論文を投稿するなどし、他の研究者の批判にさらされることで前進してきた。研究者が所属する研究機関の役割はさほど目立たなかった。

 だが、厳しい国際競争を背景に多額の研究予算がつぎ込まれる現在、大学や研究所などは新たな役割を果たさなければならなくなってきた。

 研究者や研究の「質の保証」である。

 不正の認定以前に、小保方氏の実験ノートが3年間で2冊しかなかったとか、画像切り張りを問題と認識していなかったといった事態は、およそ研究者の常識からは考えられない。

 博士号を与えた大学や指導的研究者として迎えた理研は、組織としての責任を免れない。

 指導的立場の共著者が実験ノートをひと目見ていれば、今回の問題は防げたのではないか。

 高血圧薬など臨床研究をめぐる不正発覚に引き続き、基礎研究でも失態が明るみに出た。

 研究の質を確かなものにする取り組みが急務である。


毎日新聞
STAP不正 真相解明とは言い難い

 理化学研究所がSTAP細胞について最終調査結果を公表した。3月の中間報告で「継続調査」とした4項目のうち2項目について、「研究不正」と結論付ける内容だ。

 この2項目は、STAP細胞作製の根拠となる重要な画像データだ。悪意の有無は別として、データの切り張りや、異なる細胞のデータ流用は科学論文の信頼性を著しく損ねる。しかも、論文の筆頭著者である小保方晴子・研究ユニットリーダーからは記載が不十分な3年分の実験ノートが2冊しか提出されていないという。これでは実験の裏付けもできず、「不正」と見なされるのはやむを得ない。

 一方で、理研の調査も真相解明から遠く、欲求不満が残る内容だ。まず、ウェブなどで指摘されている数多くの疑惑の中から6項目を検証しているが、この項目を選んだ納得のいく明快な理由が示されていない。

 論文が主張しているSTAP細胞由来の細胞やマウスの実験サンプルについて、その存在を確かめた上で分析する検証作業も行っていない。論文全体の信頼性に踏み込まなければ、人々を納得させられないのではないか。

 不正の認定では小保方氏1人を実行者とし、責任を強調している。共著者については2人の過失責任を認めただけだ。しかし、常識を覆す成果発表を多くの科学者が信じた背景には、高い業績と信頼性のある共著者が名を連ねていたことがある。研究チームが日常的に生データや実験ノートを基に議論していれば、今回のような問題は防げたはずで、主要な共著者の責任も重い。

 調査委には外部委員を入れているが委員長は理研の人間で、客観性に乏しい調査ともみられかねない。中間報告から半月後の「不正認定」は、特権を持つ「特定国立研究開発法人」の候補となり、決定時期が迫る理研が早い幕引きをねらったとの見方もある。理研が個人に責任を押しつけようとしているとの疑念を抱かせるようでは信頼は回復できない。

 論文の根幹部分が「不正」と見なされたことにより、STAP細胞の実在はますますあいまいになった。理研は1年ほどかけて再現実験に取り組むというが、第三者による再現実験がなされなければ信頼は得にくいだろう。独立した組織による論文検証の継続とともに、理研には引き続き真相究明の努力を求めたい。

 調査委の最終報告に対し小保方氏は「とても承服できない」と強く反論するコメントを公表した。小保方氏ら論文の主要な著者はこれまで公の場で説明しておらず、これが疑念を深めている面もある。彼らが疑問に答える公の機会も設けるべきだ。


朝日新聞
調査捕鯨中止―政策を転換する時だ

 南極海での日本の調査捕鯨について、厳しい決定が出た。国際司法裁判所(ICJ)が中止を命じた判決である。

 捕獲数が多く、肉を販売しており、実質的に商業捕鯨にあたる――。反捕鯨国オーストラリアの訴えに、日本は国際条約に沿った科学的研究だと反論したが、ICJは「現状は科学目的とはいえない」と断じた。

 ICJの判決には拘束力があり、控訴できない。日本は世界に「法の支配」の大切さを訴えてもいる。政府が南極海での現行の調査捕鯨を中止すると決めたのは当然だろう。

 今後は頭数などを見直して再開を目指すか、完全に中止するか、検討するという。北西太平洋での調査捕鯨は裁判の対象ではなく、継続する構えだ。

 ただ、今回の判決は世界でただ一国、調査捕鯨を続ける日本に対し、国際社会の視線が極めて厳しいことを改めて突きつけた。北西太平洋での捕鯨も、ICJへの提訴が予想される。

 ここは、政策を転換すべきではないか。

 調査捕鯨は、事業としても行き詰まっている。

 捕獲事業を担うのは、一般財団法人「日本鯨類研究所」で、調査捕鯨で捕った鯨の肉の売り上げを活動資金に充ててきた。しかし、鯨肉の消費が低迷しているうえ、近年は反捕鯨団体シー・シェパードの妨害行為の影響もあって、運営が一気に悪化した。

 東日本大震災の被災地支援を名目に、復興予算約22億円が財団などに拠出され、厳しい批判を浴びたことは記憶に新しい。現在は、漁業への補助金を特例的に出してしのいでいるが、毎年数十億円の予算を使い続けるのは妥当だろうか。

 ICJは調査捕鯨自体は認めており、鯨が増えすぎると生態系を崩す恐れもある。国際的な共同事業として調査捕鯨に取り組むよう、政府は粘り強く呼びかけていくべきだ。

 一方、和歌山県太地町など全国数カ所で行われている「沿岸小型捕鯨」は、国際捕鯨委員会(IWC)が規制していない鯨種を捕っている。地域の文化や経済と深く結びついており、今回の判決と混同されないよう、国際社会に説明していく必要がある。

 IWCは米国やロシアなどの先住民を対象に「先住民生存捕鯨」の枠を認めている。日本は「沿岸小型捕鯨も同様に位置づけてほしい」と訴えているが、なかなか認められない。調査捕鯨を見直しつつ、働きかけを強めたい。


毎日新聞
調査捕鯨で敗訴 南極海から撤退決断を

 南極海での日本の調査捕鯨が、商業捕鯨を禁じている国際捕鯨取締条約に違反するとして国際司法裁判所(ICJ)から中止命令を受けた。消費量の激減で商業捕鯨の必要性が低下する中、調査捕鯨は本来の目的を失っていたともいえる。

 一方、「科学調査」の手法が否定された痛手は大きい。科学的な資源管理の信頼性が失われるとマグロなど他の水産資源を持続的に利用していくのも難しくなるからだ。

 条約は科学的研究のための捕鯨を例外的に認めている。しかしICJは「調査捕鯨に名を借りた商業捕鯨だ」という豪州の主張を認め、「科学目的だ」という日本の反論を退けた。科学的に850頭前後必要だとして捕獲枠を確保しながら100頭余りしか捕獲していない点などが合理性に欠けると認定された。

 南極海の調査捕鯨は、国際捕鯨委員会(IWC)が1982年に決定した商業捕鯨の一時停止を解除するのに必要な科学的データを収集するために実施している。しかしIWCは捕鯨国と反捕鯨国の対立で機能不全に陥っており、一時停止解除は極めて困難な状況だ。一方で国内の鯨肉流通は年間約5000トンで最も多かった62年の2%程度にとどまる。

 鯨食は、「日本の食文化」の一つだ。しかし、IWCの管理対象になっていない沿岸捕鯨を中心にした伝統的な鯨食文化と、戦後の食糧難に伴ってたんぱく源として全国的に拡大した鯨食とは分けて考える必要がある。

 商業捕鯨停止による価格高騰で鯨離れに拍車がかかった面もあろうが、食糧難解消で需要がはげ落ちた効果も大きい。守るべきは沿岸捕鯨を中心に、なお残る鯨食文化だ。

 そのために南極海で商業捕鯨を再開する必要はあるのか。国内では沿岸捕鯨の鯨肉のほかアイスランドなどからの輸入品も流通し、南極海の調査捕鯨は全体の2割にとどまる。それでも供給はだぶつき、調査頭数抑制には需給調整の意味もある。

 食文化を守るために南極海で商業捕鯨を再開する必要性は乏しい。そのために年間数十億円の国費を使って調査を続ける意味はないだろう。政府は今回の判決を受け入れるとしながらも撤退の意思を明確にしていないが、もう決断すべきだ。

 今回ICJに日本の主張が受け入れられなかったダメージは大きい。日本の資源管理への不信が、マグロなど国際的に漁獲規制の動きが強まっている他の魚介類に波及するおそれがあるからだ。

 政府は今回の敗訴の原因をしっかり検証した上で、資源管理について国際的な信頼を得るよう体制を立て直す必要がある。


産経
東日本大震災3年 第4部・都路のいま(下)】
「次」の市町村 帰還判断、苦渋の選択

 「都路」のときと同じ内閣府の男性官僚が、資料を手に説明を始めた。東京電力福島第1原発事故で一部が避難指示区域となっている福島県川内村。3月25日夜、いわき市の仮設住宅の集会所で開かれた意見交換会で、夜間も避難指示区域の自宅に滞在できる「特例宿泊」を4月26日に始める方針が伝えられた。

 「適切な時期に避難指示を解除するのが適当と政府としては考えております」

 川内村は、1日に避難指示が解除された田村市都路地区に隣接する。全村避難し、平成24年1月末、村役場のある原発20〜30キロ圏で「帰村宣言」をした。20キロ圏の152世帯330人は避難指示が続いている。

 意見交換会の質疑で、会社員の男性(59)は「田村市の例もあるが、帰りたくても、その後の生活に不安がある」と訴えた。

 男性官僚は丁寧な口調で「都路の意見交換会でも賛否両方の声があった。われわれ国としては、特例宿泊を始めながら、生活再建に向けできることを最大限やってまいりたい」と応じた。

 ◆早まれば町分断

 都路の「次」が動き出している。福島第2原発があり、町民の99%の2729世帯7510人が避難を続ける楢葉町。復興計画で昨年5月、今春に「帰町の判断」を行うと明記した。

 その時期を迎えた町に、松本幸英町長(53)を訪ねた。「国の除染は終わったが、放射線量の高い場所もある。軽々しく帰還時期を口にすれば、町が分断されてしまう」。町長は苦渋の選択を迫られる。

 「帰町の判断」は5月以降になると説明した上で、「27年春」としていた小中学校の再開は「子供たちが生活できる環境になっていない。現時点では非常に厳しい」と打ち明けた。

 24年8月からは事業所の再開が認められたが、再開は22社。除染作業車のためにと要請され、給油所を開けた結城定一さん(61)は「除染が終わり、店を続けられるのか」と話す。

 ◆地域再生への課題

 南相馬市の桜井勝延市長(58)は昨年末、避難指示解除の目標を28年4月と掲げた。帰還への課題として、放射線への不安と、地域社会の崩壊を挙げる。

 「例えば、避難指示が続く小高(おだか)区の防災を担う消防団は今、年に1人しか新入団員がいない。安全が成り立たない場所へ、どうして戻れるのか。民間の警備会社へでも頼めばいいのか」

 桜井市長は、市内の地方銀行や信用金庫に、使い道のない賠償金が月々100億円単位で預金されている現状を明かし、こう訴えた。

 「復興とは、お金だけではない。とりわけ地域が再生しなければ、住民の再生はない。どうすればいいのか、一緒に考えてほしい」

 31日夕、田村市中心部の丘の上にある仮設住宅。都路地区から避難した農業、坪井トミさん(88)は帰宅の準備を続けていた。

 「これからは都路の人も少なくなってしまう。コンビニができても、はやるもんだか分からない。それでも、やっぱり住み慣れた家がいい。ふるさとがいい」

                   ◇

 連載は徳光一輝、野田佑介が担当しました。

                   ◇

【用語解説】避難指示の解除

 政府は避難指示を解除する要件として(1)放射線の個人の年間追加被曝(ひばく)線量が20ミリシーベルト以下(2)生活環境の復旧と除染の完了(3)福島県、地元市町村、住民との十分な協議−を列挙。避難指示区域がある10市町村のうち、今後2年間に帰還の時期を判断するとしていたり、帰還の目標時期を定めたりしているのは、南相馬市と川俣、楢葉2町、飯舘、葛尾、川内3村の計6市町村ある。

フランス語
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辞令交付式/lettre de nomination

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140226_OsakaBanpaku

Le chat est intelligent.
Les chats sont intelligents.
猫というものはかしこい.
le chat のときは,個々の猫の輪郭が失われ,一種の抽象名詞になってしまっているといえるでしょう.

今日は辞令交付式でした.若い人が多かったです.辞令はlettre de nominationかな???ガイダンスはちょっとつまらなかったです.その後の歴史はMaさんのお話が面白かったです.
妙でいただいたお菓子・しっとり抹茶はとてもおいしかったです.

河北新報
石巻鮎川「食文化守りたい」 南極海調査捕鯨敗訴

 国際司法裁判所が日本の南極海での調査捕鯨を国際捕鯨取締条約違反と認定したことで、かつて捕鯨基地として栄えた「鯨の町」・宮城県石巻市鮎川地区の関係者は三陸沿岸など他地域の調査捕鯨への影響や、鯨の食文化衰退を心配した。
 石巻魚市場の須能邦雄社長は「日本の食文化や伝統、世界的な食糧問題といった多角的観点で判断されたのかどうか」と判決に疑問を呈した。
 「日本は調査捕鯨を続けながら資源回復を科学的に明らかにし、商業捕鯨再開につなげる考えだった」と須能社長。「今回の判決で、北西太平洋や三陸、釧路沿岸の調査捕鯨の根拠も薄弱になりかねない」と懸念した。
 ツチクジラなどの沿岸捕鯨は国際捕鯨委員会(IWC)の管轄外で、鮎川地区では現在、夏に沿岸小型捕鯨船がツチクジラ漁をしている。4〜5月には三陸沿岸の調査捕鯨の拠点となり、地元の捕鯨会社が解体作業などを請け負う。肉は石巻魚市場などを通じて、地元にも出回っている。
 鮎川地区で鯨肉や歯の工芸品を販売する「カクト商店」は調査捕鯨で捕獲した鯨の肉を扱う。社長の和泉いち子さん(63)は「ただでさえ少ない流通量がさらに減ることになる。国内の沿岸捕鯨にどう影響するかを見極めたい」と判決を冷静に受け止めた。
 地域は東日本大震災で大きな被害を受け、和泉さんも夫総一郎さん(66)と仮設商店街で営業している。和泉さんは「鯨は鮎川の住民にとって、なくてはならない大切なもの。世の中の流れは仕方がないが、どうすれば鮎川の食文化を守っていけるか考えたい」と話した。

河北新報
第6部・原発避難(5)完 家族のいる所 そこが古里

 「ただいま」
 仮住まいの家のドアを開けて入る。
 「おかえり」
 家族が出迎える。
 3月21日。佐藤ちひろさん(18)は宇都宮市に「帰省」した。
 家には、福島第1原発事故で福島県飯舘村から避難した妹のちさきさん(16)とちさとさん(15)、祖母の征枝(ゆきえ)さん(69)が住む。仕事で地元に残った父賢二さん(42)と母博美さん(42)も駆け付け、久々に勢ぞろいした。

 自分も村を離れ、福島県いわき市の高専に進んだ。吹奏楽部の練習で、夏休みや冬休みしか学校を離れられない。家族がそろうのは年3、4回。今回は4日間過ごす。
 昼ご飯を全員で作る。大根おろしとツナのパスタ。父とちひろさんが麺をゆでる。野菜を切るのは母とちさきさん。祖母とちさとさんが盛り付けを担当する。台所は定員オーバーになった。
 「お姉ちゃん、段取り悪い」
 「人のことばっかり言って」
 軽口が飛び交う。
 居間のテーブルに料理を並べる。3人用で、6人分の皿は置ききれない。
 両親が住むアパートは狭く、家族で集まれるのはここしかない。避難直前に亡くなった祖父の位牌(いはい)も置いている。
 妹と祖母は栃木県那須塩原市に避難していた。ちさとさんが宇都宮市の高校に進むことになり、3月中旬に拠点を移した。
 飯舘村の家は居住制限区域に指定されている。年間被ばく線量が20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下の区域で、一時立ち入りだけが許可されている。3月に解かれる予定だった避難指示は、除染の遅れで1年延びた。
 両親の車で村を通ることがある。放射線量が気になってめったに車から降りない。懐かしい景色は変わらない。人の姿がないことを除けば。
 家には思い出が詰まっている。だが、将来的に古里に戻る自分をイメージできない。原発事故が収まっても戻す気はないと親も言っている。「将来は今住んでいる所から独立しなさい」と諭される。

 原発事故から3年。古里の輪郭がぼやけてきた。避難先での暮らしが定着していくのを実感する。家族のいる所が自分にとっての古里なのかもしれない。
 宇都宮市の家に帰る時、違和感なく「ただいま」と言っている自分に気付いた。(震災と子ども取材班)

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朝日新聞
宮城)息子と約束、気仙沼にバッティングセンター

 気仙沼市に30日、バッティングセンターがオープンした。オーナーは、津波で妻と2人の娘を亡くした千葉清英さん(44)。無事だった長男の願いをかなえ、開業にこぎつけた。

 市の中心部から2キロほど山あい。「気仙沼フェニックスバッティングセンター」は、病院や住宅が混在する地域にある。

 7つある打席はすべて、左右両打ちができる。高校球児だった千葉さん自身が左打ち。従来の施設では使える打席が少ないことが気になっていた。このほか、投球ゲーム機や卓球台も備える。

 千葉さんは、「野球選手はもちろん、ストレスがたまっている地域のお年寄りや女性たちの発散の場にもしたかった」と話す。

 隣接する仮設住宅に迷惑がかからないよう、営業は午後8時までにした。

 震災後、千葉さんは長男で野球少年の瑛太さん(12)を元気づけるため、本業の乳製品販売の合間に、岩手県奥州市のバッティングセンターによく通った。そのうちに、瑛太さんから「気仙沼に造って」と頼まれた。

 本業の先行きも見えないなか、千葉さんは走った。建設費を賄うため、独自に「希望ののむヨーグルト」を開発して首都圏などで販売。バットやネットなどの備品は、好意で安く買えたり、無償でもらえたりした。話をききつけたプロ球団のヤクルト・スワローズが、昨年のオープン戦でPRの場を提供してくれたこともあった。

 「無我夢中でした。家族が生きていたら『何やってんの?』って言ったかもしれませんが」と千葉さん。少し間を置いて、「でも『よくやった』と言われているかな」。当面は無休で営業する。

 開店後、初めて打席に立ったのは心待ちにしていた瑛太さん。何球かフルスイングした後、「楽しい。できるだけ毎日来て、練習したい」と、満面の笑みを浮かべた。(青瀬健)


朝日新聞
岩手)あまロスの「聖地」へ来て 久慈のハウスPR

 「あまロスの皆さん、ぜひ来てください」。久慈市中央3丁目に2月にリニューアルオープンした「あまちゃんハウス」のガイド沢橋賢さん(41)は、そうPRしている。

 海女が着るかすりのはんてん、南部潜りのヘルメット、北三陸市のジオラマ、北三陸鉄道リアス線の列車のヘッドマーク……。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」のロケで実際に使われた小道具や、ロケ風景の写真などを展示。社会現象となったブームの名残が味わえる。入館は無料だ。

 ロケ地・久慈を訪れた観光客は昨年4〜9月で80万人を超えた。前年同期間の2倍にはね上がった。あまちゃん効果は33億円(岩手経済研究所の試算)にもなった。

 「やっと来られた!」。あまちゃんハウスでドラマの世界に触れ、感激するファンたち。この冬は1日に100人が来た日もある。

 ドラマは昨年11月から台湾でも放映された。流行語となった「じぇじぇじぇ」は「接接接」と表示され、人気だとか。「その影響でしょうか、最近は台湾など海外からの観光客も目立ちます」と沢橋さんは話す。

 ウニの素潜り漁で有名な小袖海岸や、郷土料理まめぶ汁が食べられる店などを案内する沢橋さんは「今の時期に来ても、なんにもなくて……」と少し申し訳なさそうだ。それでも、観光客たちは「なにもないのがかえっていい」。ひなびた架空のまち「北三陸市」に出会いたくて、やって来るのだという。(阿部浩明)


毎日新聞
東日本大震災:福島第1原発事故 都路、初の全面帰郷 精神的賠償、1年後に打ち切り

 東京電力福島第1原発事故で避難区域となった福島県内11市町村で初めて、田村市都路(みやこじ)地区の避難指示解除準備区域が1日午前0時に解除され、宿泊制限を受けない初の帰郷が実現した。しかし、放射線への不安は残り、順調に帰還が進む見通しは立っていない。月10万円の精神的賠償は1年後に打ち切られる。

 同地区は事故後、20キロ圏の東部(117世帯358人)が立ち入り禁止の警戒区域に指定された。2012年4月に避難指示解除準備区域(年間被ばく線量20ミリシーベルト以下)に再編されたが宿泊は原則できなかった。昨年6月に国の除染が終わり、同8月から登録すれば帰宅できる「長期宿泊」を開始。政府は今年2月に解除を決め、一律の再除染は原則行わないとしている。

 避難区域が設定された11市町村の避難者は計約8万人。政府は除染の終わった自治体から順次解除を進める方針。

 ◇戻れぬ住民、複雑

 山あいの都路地区では31日夜、住み慣れた自宅で、にぎやかに食卓を囲む家族の笑顔が見られる一方、戻らない避難者からは、ため息が漏れた。避難指示解除は復興につながるのか。避難者自身も答えが出せていない。

 国道沿いの数軒にぽつりと明かりがともる程度の都路地区。この中に、自宅で畳店を営む根内(こんない)京二さん(55)一家のだんらんの光景があった。春休みを利用して、福島市で暮らす小学2〜5年の孫3人も顔を見せた。孫たちのリクエストで夕食は焼き肉だ。妻の富起子(ふきこ)さん(52)は「やっぱり仮の住まいじゃなくて、ここがいい」と、安心した表情を見せた。

 根内さんは長期宿泊が認められた昨年8月から避難先と自宅を行き来し、畳店を再開した。事故前は1ヘクタールの田んぼも耕していたが、コメはもう作らない。「釣ったイワナや山菜、キノコを親戚にあげると、喜んでもらえたんだけどな」と、さみしそうに振り返る。それでも「昨年秋に庭に作った小屋で、バーベキューをして桜を見たい」と前を向く。

 一方、戻らない住民は複雑な心境だ。

 石嶋正広さん(56)は田村市内にある避難先の雇用促進住宅で「解除」を迎えた。都路地区に自宅がある地域の役員会が3月29日にあり、十数人が集まった。どうしても出る話題は、帰るか、帰らないかになる。避難指示解除に伴い帰還するのは1世帯だけという。

 石嶋さんの自宅裏手の放射線量は環境省のモニタリングで、住民が求める毎時0・23マイクロシーベルト(年間1ミリシーベルト)の4倍の毎時0・9マイクロシーベルトある。何度測っても同じで悔しさや情けなさがこみあげる。石嶋さんは「帰れない人にも理由がある」とつぶやいた。【深津誠】


毎日新聞
東日本大震災:福島第1原発事故 春、3年ぶり我が家 福島・都路、帰還始まる 住民分断、うれしくねえ

 東京電力福島第1原発事故で避難区域となった福島県田村市都路(みやこじ)地区は1日、県内市町村で最初に避難指示を解かれた。この日朝、地区のリーダー的存在だった坪井和博さん(66)が、妻定子さん(65)と共に、3年近く暮らした市中心部の仮設住宅から都路の自宅に引っ越した。【藤原章生】

 春の陽気の下、仮設はがらんとした様子。坪井さんは衣類ケースやパソコンを軽トラックに積み込み終わると「1日はけじめだからな。だから出て行こうということなんだ」と特に誰に見送られることもなく仮設を後にした。

 持ち前のきっぷの良さではっきりものを言う。「うれしいかって? 別にうれしいことねえ。盛り上がってるヤツなんかいねえよ」

 山あいに散らばるように暮らしてきた都路の人々は、仮設住宅で「向こう三軒両隣」の暮らしを知った。「お裾分けしたり病院もスーパーも近かったりしたから、仮設を出ない人がいるのも当たり前だ」と残る隣人を気遣う。

 だが、仮設暮らしの窮屈さは、経験してみないと分からないという。「テレビ見終わったらコタツ片付けて狭い部屋に布団敷いて皆で寝る」。不便でも石垣がある広い家に戻りたかった。

 40分ほどで黒瓦の165平方メートルの広々とした自宅に着くと、坪井さんは縁側を開け荷物を運び込んだ。「まあ、あっちよりはいい。生まれ育った所だしな」

 避難区域の解除をめぐり意見が分かれ、住民が分断されるのを肌で感じてきた。決定的なのは国からのお金だ。早期帰還者には1人当たり90万円が支給される。「うちは息子夫婦と孫3人も帰る。いくらもらえるか、皆知ってんだ」。金額のことで互いの顔色をうかがう雰囲気。「解除に反対する人は『まだもらいてえのか』って言われた」。解除が先送りになれば、月額10万円の賠償金が支給され続けるからだ。「金で分断されたんだ。もう前みたいには絶対戻れねえ」と嘆く。

 隣人たち、子どもの頃からの仲間のことが気になる。「ともひろ、ただかつ、きょういち」。指折り、自宅近くの住人の名前を挙げた。「4月中に12軒くらい帰るかな。飲み屋もねえから誰かの家で飲んで、戻った連中で仲良くやって、少しはにぎやかにしてえな。何とか地区をまとめるのが俺の使命だな。俺はここではまだ『若者』だしな」


東京新聞
きょうから消費税8% 国民の痛みに心を砕け

 消費税率が8%に引き上げられた。物価が上昇する中、社会保険料などの負担増も相次ぐ。景気対策ばかりでなく、弱者対策にもっと目配りすべきだ。

 増税開始日の直前まで、全国のスーパーや大型店は買い置きできる日用品や食料品を求める消費者でごった返した。目いっぱい詰まったレジ袋を三つ四つ抱えるお年寄りも目についた。高額の家電製品やブランド品ばかりでなく、こうした十円単位の節約につなげる生活品のまとめ買いは、十七年ぶりの消費税引き上げに身構え、わずかでも生活防衛をとの切実な思いが伝わってくる。

◆本格的な負担増時代

 消費税率3%の引き上げで国民負担は約八兆円増える。これまでの税制改正は増税と減税をセットで行い、痛みを和らげるのが基本であった。しかし、今回は所得税などの減税はなく、増税のみだ。

 それだけではない。厚生年金の保険料率は毎年上昇し、国民年金の保険料も上がる。復興増税として十年間、住民税に年一千円の上乗せも始まる。一方で、公的年金の支給額が0・7%引き下げられる。円安で広く物価が上がってきたところに追い打ちをかける負担増の数々である。

 消費税は所得が低い人ほど負担が重くなる逆進性が特に問題だ。みずほ総合研究所の試算で、年収三百万円未満世帯は今回の増税で年間の消費税負担は約五万七千五百円増え約十五万三千円となる。

 収入に対する負担率は6・5%に上昇、年収六百万〜七百万円未満世帯の3・9%、年収一千万円以上世帯の2・7%を大きく上回る。負担率の格差は、税率が上がるほど拡大する。

 低所得者の増税負担を和らげるため、住民税がかからない人に現金一万〜一万五千円を配るが、この程度の給付一度きりでは「焼け石に水」である。

◆でたらめの景気対策

 政府の対応を見るかぎり、重視するのは弱者への配慮よりも、もっぱら景気の先行きであり、いかに消費税率10%へ再増税する環境をつくるかだと思ってしまう。

 政府は、増税前の駆け込み需要の反動減で景気の落ち込みは避けられないとして、二〇一三年度補正予算で五・五兆円もの景気対策を決めた。いわば「増税のために巨額の財政出動をする」という泥縄対応の愚かさもさることながら、許せないのはその中身である。政府の行政改革推進会議が一四年度当初予算の概算要求から「無駄」と判定した事業の多くを補正予算で復活させていた。

 こんなでたらめな予算の使い方をするのは、消費税収で財源に余裕が生まれると判断したためだ。これでは何のための増税かというのが国民の率直な思いであろう。

 そもそもが大義のない増税であった。天下りするシロアリ官僚の排除や国会議員の定数大幅削減など国民に増税を強いる前提だった「身を切る」約束も実行していない。増税の目的であった社会保障制度改革は、所得など負担能力に応じて給付削減といった抜本的見直しが必要なのは明らかなのに議論の先行きは不透明なままだ。

 「先に増税ありき」の財務省の論理にのるから次々と齟齬(そご)を来す。今また、来年十月に消費税率を10%に引き上げる「次なる増税」を確かなものにしようと財務省は躍起である。

 前回一九九七年の3%から5%への引き上げでは、景気が大失速し、今に続く「十五年デフレ」のきっかけとなった。

 景気の腰折れを防ぎ、デフレ脱却を急ぐことに異論はないが、増税でかえって財政規律が緩む現政権の経済政策をみせられると、景気対策の名の下に公共事業の大盤振る舞いや政官業癒着で予算を食いものにする「何でもあり」がまかり通りそうだ。これは納税者への裏切り行為以外の何ものでもない。

 アベノミクスは勢いを失いつつあり、景気の失速懸念が強まると日銀の追加金融緩和が予想される。その時、財政規律に疑念が生じれば、意図せぬ金利上昇を招きかねないし、無理に増税を断行すれば、消費不況から景気腰折れ、デフレ悪化のリスクに直面する。でたらめの財政運営が許される状況ではない。

◆10%の判断は慎重に

 安倍政権は企業活動を活性化させることで経済成長を目指すが、格差や貧困などへの目配りがなさすぎる。消費税増税の対応には、それが如実に表れている。

 10%への引き上げは慎重にすべきだ。今回の増税後の経済情勢を踏まえ、時期や税率の引き上げ幅、低所得者や年金生活者への配慮を十分に検討する。GDP(国内総生産)の数値だけでなく、声なき声に耳を傾け、国民の痛みに心を砕いてほしい。

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On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux. (Le petit prince)
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