フランス語の勉強?

septembre 2014

しの→関目のイタリアン→千林で長野の梨/Spice up your life

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140905_Chateau_Himeji

La la la la la la la la la
La la la la la la la
La la la la la la la la la
La la la la la la la

When you're feeling sad and low
We will take you where you gotta go
Smiling, dancing, everything is free
All you need is positivity

Colours of the world
Spice up your life
Every boy and every girl
Spice up your life
People of the world
Spice up your life
Aaahh!!!

Slam it to the left
If you're having a good time
Shake it to the right
If you know that you feel fine
Chicas to the front
Uh Uh go round
Slam it to the left
If you're having a good time
Shake it to the right
If you know that you feel fine
Chicas to the front(uh uh)
Hi Ci Ya Hold Tight

La la la la la la la la la
La la la la la la la
La la la la la la la la la
La la la la la la la

Yellow man in Timbuktu
Colour for both me and you
Kung fu fighting
Dancing queen
Travel spaceman
And all that's in between

Colours of the world
Spice up your life
Every boy and every girl
Spice up your life
People of the world
Spice up your life
Aaahh!!!

Slam it to the left
If you're having a good time
Shake it to the right
If you know that you feel fine
Chicas to the front
Uh Uh go round
Slam it to the left
If you're having a good time
Shake it to the right
If you know that you feel fine
Chicas to the front(uh uh)
Hi Ci Ya Hold Tight

Flamenco
Lambada
But Hip Hop is harder
We moon walk the foxtrot
Then polka the Salsa
Shake Shake Shake hake
Shake Shake Shake hake

Colours of the world
Spice up your life
Every boy and every girl
Spice up your life
People of the world
Spice up your life
Aaahh!!!

Slam it to the left
If you're having a good time
Shake it to the right
If you know that you feel fine
Chicas to the front
Uh Uh go round
Slam it to the left
If you're having a good time
Shake it to the right
If you know that you feel fine
Chicas to the front(uh uh)
Hi Ci Ya Hold Tight

Slam it to the left
If you're having a good time
Shake it to the right
If you know that you feel fine
Chicas to the front
Uh Uh go round
Slam it to the left
If you're having a good time
Shake it to the right
If you know that you feel fine
Chicas to the front(uh uh)
Hi Ci Ya Hold Tight


Spice Up Your Life

今日もスパイス・ガールズです.古い歌ですが元気になるし,英語の勉強にもなります.フランス語の勉強にはならないのですが・・・.
お昼まえにしのに行きました.15分も待たされて少しイライラ.でもその後予定通り関目のイタリアン.ボンゴレ・ビアンコspaghetti alle vongole in biancoをいただきました.vongoleはアサリでフランス語ではpalourde(s)かな.
それから千林に移動して,長野産の幸水梨を食べました.美味しい♪13時20分までに戻らなくてはいけないのが少し遅れてしまいました.でもばれなかったからセーフ???
写真は姫路城です.

聞かないマスコミ 答えない政治家
池上 彰
ホーム社
2013-04-26


政治メディアの問題点がこれほどわかりやすく書かれた本は初めて IVR
前半は2012年衆院選挙特番で話題を読んだインタビューの内容です。後半ではメディアと政治家の関係について、若いころに現場を実体験した元記者の立場から、現在の両者の関係がいかに不適切でぬるま湯となっているか、実例を含めて赤裸々に書かれています。色々な情報からほとんどは「やはりそうか」とわかっていることですが、ベストセラー作家でもある池上彰さんが書いてくれるインパクトは、上杉隆氏らとの比ではありません。是非ともこの内容を、テレビ番組で放映してもらいたいものです。特別ゲストにはナベツネさんが良いですね。

福島民報
津波被災地で慰霊演奏 南相馬でウィーンフィルの9人

 世界最高峰のオーケストラ「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」の楽団員が29日、南相馬市を訪れ、東日本大震災の津波で被害を受けた南相馬市の沿岸部で慰霊の音色を奏でた。
 フルートのディーター・フルーリーさんら9人が、津波で約70人が犠牲になった鹿島区八沢地区の慰霊碑前に集まった。献花の後、ネスラーの「ゼッキンゲンのラッパ吹き」から「神様があなたをお守りくださいますように」を奏でた。
 港行政区長の田中憲一さん(67)は津波で妻とみ子さん=当時(63)=を失った。神妙な表情で演奏を聞き、「亡くなった方々にとっての慰めになれば」と語った。
 市内の市民文化会館、鹿島小の2カ所で市民、子ども向けのコンサートも催した。
 一連の事業はサントリー芸術財団、市文化振興事業団の主催。同楽団は震災後、子どもたちや被災者のためのコンサートを定期的に開いている。

河北新報
河北春秋

 土井たか子さんの人となりや足跡を表す愛称は幾つもある。おたかさん、「マドンナ旋風」の生みの親、女性で初の衆院議長、カラオケ好きなど。もうひとつ、いつも背筋を伸ばしてシャキッとしている人を付け加えたい

 ▼国会で首相と野党党首が差しで向き合う党首討論。2000年のころの社民党は小政党となり、持ち時間は数分しかなかった。土井さんはいすに座らず、立ったまま二の矢三の矢を放つ。だらだらの討論がその時だけ引き締まった▼昭和から平成に移るとともに一気に政界の中心に躍り出た。リクルート事件、消費税、首相の女性スキャンダルの3点セットで自民は参院選に敗北し、過半数を割った。「参院は自民」の神話は崩れる

 ▼振り返ると衆参のねじれ、政党の離合集散、そして政権交代という時代の潮流はこの時に小さな源を発し、底辺を流れ続けているようでもある。昭和を象徴した人物は数多いが、平成最初のころの代表格、土井さんの訃報が届いた▼持ち歌は「マイウエイ」で、たくさんの名せりふを残す。反戦、護憲平和からぶれなかった。このところの女性閣僚登用や企業の管理職抜てきについて聞いてみたかった。「女も男もあるもんですか、山を動かすぐらいのパワーがなきゃ」と高笑いするのではないか。


朝日新聞
土井さん逝く―変わらぬことの意味

 元社民党党首の土井たか子さんが85歳で亡くなった。

 護憲勢力の代表的な担い手であり、女性として憲政史上初の衆院議長でもあった。

 なにより異彩を放ったのは、頑固なまでに持論を曲げなかった政治姿勢だろう。賛否はあろうが、一本筋の通った個性を持ち合わせていた。

 その個性がブームを呼び、数々の名文句が政治の「変化」を体現していた時代があった。

 1986年に女性初の社会党委員長に就任し、「やるっきゃない」。88年、政府・自民党が消費税導入を打ち出すと、「だめなものはだめ」と反対姿勢を鮮明にした。

 89年の参院選、女性候補を前面にたてた「マドンナ旋風」で与野党逆転を実現し、「山が動いた」。女性の目覚めをうたう与謝野晶子の詩から援用した、決めぜりふだった。

 一方で、土井さんの絶頂期は、冷戦の終焉(しゅうえん)やバブル崩壊といった転換期とも重なる。

 冷戦構造や成長神話に支えられた自民党とそれに対抗する社会党という55年体制が崩れた。

 自民党の地盤沈下に伴い、連立と政権交代の時代となり、変化に対応できなかった社会党(のち社民党)は、凋落(ちょうらく)の道に入り込んだ。

 94年にできた自社さ連立政権で、社会党委員長だった村山富市首相は日米安保を容認するなど政策転換に踏み切った。多くの支持者が離れた。失地回復の期待を背負い、土井さんは96年に社民党党首を引き受けたが、「だめなものはだめ」の姿勢は変わらなかった。

 安倍政権が集団的自衛権の行使容認に踏み切り、日本の針路が問われる今、土井さんが変わらなかったことの意味に思いを巡らせる。

 変わることの大切さと、変わらないことの大切さと。政治家には、ときどきの局面で違った生き方があり得る。土井さんも他党との幅広い連携の中に活路を見いだす道があったかもしれない。それが結果的に護憲の理念をいかすことにつながったかもしれない。

 しかし、土井さんはそうしなかった。孤立を恐れない姿勢こそ、今の時代に必要だと思う人も少なくあるまい。「1強」と呼ばれる政治を、土井さんはどう見ていたのだろう。

 〈生きることは一すじがよし寒椿(かんつばき)〉

 映画監督の五所平之助さんの句が書かれた色紙を、土井さんは大切にしていたという。

 その言葉に忠実だった政治家の、静かな旅立ちである。


東京新聞
土井さん死去 護憲と政権の間で葛藤

 亡くなった土井たか子元社会党委員長(元衆院議長)は「おたかさん」の愛称で親しまれ、「護憲のシンボル」的存在だった。同時に、護憲と政権参加との間で葛藤し続けた政治家人生でもあった。

 ブームをつくり出せる政治家はそうたくさんはいない。土井さんは社会党委員長当時の一九八九年参院選で女性候補を多く擁立してマドンナ旋風を起こし、自民党を参院で過半数割れに追い込んだ。「山が動いた」という名文句はこの時のものだ。好きな言葉が「動かざる初心」だった。その連想もあり、社会党躍進を「山が動いた」と表現したのだろう。

 翌年の衆院選でも土井ブームは続き、同党は百三十六議席を獲得した。六七年衆院選での獲得議席が百四十だから、「やるっきゃない」のおたかさんパワーで六〇年代の勢力まで回復できた。現在の社民党勢力が衆参合わせて一けた台にとどまることをみても、土井ブームのすごさを物語る。

 土井さんは九三年、自民党の単独政権が崩壊し、小沢一郎氏の主導で社会党を含む八党派連立の細川護熙政権が誕生した際、衆院議長に就任。憲政史上初めての女性議長として登壇者を慣例の「君付け」ではなく「さん付け」で呼ぶなど、国会に新風を吹き込んだ。

 しかし、細川、羽田孜両政権の後、自民、社会、さきがけ三党連立の村山富市政権で与党の座を死守したころから、「護憲」と「政権」との間で矛盾が拡大した。

 九六年に党名を社民党に変更したが、旧民主党結成に伴って大量の議員が離党。土井さんが党首に返り咲いても、ブームの再来はなく、党勢衰退の道を歩んだ。

 土井さん自身も二〇〇五年衆院選で落選した。その後も護憲、人権、軍縮などの活動を続け、近ごろは、政治的風潮が同郷・兵庫県の政治家、斎藤隆夫氏が「反軍演説」を行った戦前に似ていることを強く懸念していたという。

 社民党も一時期参加していた三年三カ月間の民主党政権時代を経て、自民党の安倍晋三首相が政権に復帰。結党以来の党是である憲法改正発議の機をうかがっているようにも見える。

 国会では自民党の「一強」支配が強まり、社民党だけでなく、野党の存在意義も問われている。

 憲法の平和主義を守り抜くにはどうすればいいのか。護憲を理念だけでなく、現実に生かす政治を新たに構築し、国民の支持を取り付ける。それが土井さんの遺志を継承する道ではないだろうか。


朝日新聞
仏与党、上院選で敗北 下院とねじれ、政権に重荷

 フランス上院(元老院)選が28日投開票され、与党・社会党を中心とする左派勢力は過半数を失った。「(想定よりは)残った」(カンバデリス第1書記)としたが、厳しい政権運営を強いられるオランド政権に、下院との「ねじれ」は新たな重荷となる。
 上院(定数348)は市町村議や下院議員らによる間接選挙で、3年ごとに約半数を改選する。AFP通信の集計では、社会党は128議席から112議席に後退。左派勢力は、ヨーロッパエコロジー・緑の党(EELV)などとあわせても156議席にとどまったという。
 社会党にとっては、3月の統一地方選、5月の欧州議会選に続く敗北。失業率が10%超で高止まりし、ゼロ成長が続く経済の停滞に不満をぬぐえない状況だ。
 かわって、最大野党の民衆運動連合(UMP)を中心とする右派勢力は190議席を確保したという。UMPでは2017年の大統領選に向けて、サルコジ前大統領らが動き出している。フィヨン元首相らは「オランド政権を拒む結果だ。新しい政治が必要だ」とした。
 一方、反移民、反欧州連合(EU)などで国民の不満を吸収する右翼・国民戦線(FN)が2議席を得た。上院での議席獲得は初めてで、ルペン党首は「愛国主義者の躍動を印象づけた歴史的な選挙だ」とのコメントを出した。政権への不満だけでなく、既存政党離れも改めて映し出した。
 フランスでは、立法の優先権は国民議会(下院)にあるものの、上院は法案の修正などを求める権限を持つ。社会党を中心とする左派は下院で過半数を握っているが、右寄りとされるバルス内閣でEELVが連立を離脱。内閣の信任投票では社会党からも造反(棄権)が出る事態になっている。(パリ=青田秀樹)

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上新庄のワインバー/懐かしきSpice Girls

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Spice-Girls

Yo, I'll tell you what I want what I really really want,
So tell me what you want, what you really really
want, I'll tell you what I want, what I really really
want, So tell me what you want, what you really
really want, I wanna, I wanna, I wanna, I wanna,
I wanna really really really wanna zigazig ha.

If you want my future forget my past,
If you wanna get with me better make it fast,
Now don't go wasting my precious time,
Get your act together we could be just fine

I'll tell you what I want, what I really really want,
So tell me what you want, what you really really want,
I wanna, I wanna, I wanna, I wanna, I wanna really
really really wanna zigazig ha.

If you wanna be my lover, you gotta get with my
friends, Make it last forever friendship never ends,
If you wanna be my lover, you have got to give,
Taking is too easy, but that's the way it is.

What do you think about that now you know how
I feel, Say you can handle my love are you for real,
I won't be hasty, I'll give you a try
If you really bug me then I'll say goodbye.

Yo I'll tell you what I want, what I really really want,
So tell me what you want, what you really really
want, I wanna, I wanna, I wanna, I wanna, I wanna
really really really wanna zigazig ha.

If you wanna be my lover, you gotta get with my
friends, Make it last forever friendship never ends,
If you wanna be my lover, you have got to give,
Taking is too easy, but that's the way it is.

So here's the story from A to Z, you wanna get with me
you gotta listen carefully,
We got Em in the place who likes it in your face,
we got G like MC who likes it on an
Easy V doesn't come for free, she's a real lady,
and as for me you'll see,
Slam your body down and wind it all around
Slam your body down and wind it all around.

If you wanna be my lover, you gotta get with my
friends, Make it last forever friendship never ends,
If you wanna be my lover, you have got to give,
Taking is too easy, but that's the way it is.

So here's a story from A to Z, you wanna get with me
you gotta listen carefully,
We got Em in the place who likes it in your face,
we got G like MC who likes it on an
Easy V doesn't come for free, she's a real lady,
and as for me you'll see,
Slam your body down and wind it all around
Slam your body down and wind it all around.

If you wanna be my lover, you gotta get with my
friends, Make it last forever friendship never ends,
If you wanna be my lover, you have got to give,
Taking is too easy, but that's the way it is.

If you wanna be my lover, you gotta, you gotta, you
gotta, you gotta, you gotta, slam, slam, slam, slam
Slam your body down and wind it all around.
Slam your body down and wind it all around.
Slam your body down and wind it all around.
Slam your body down and zigazig ah
If you wanna be my lover.



Wannabe

今日は英語の勉強です.懐かしきSpice Girlsです.上新庄のワインバーで飲んでいて聞こえてきました.G.R.L.もわるくはないのですが,SpiceはSpiceなりの良さがある感じです.フランス語のお勉強はサボってしまいました.

朝日新聞
土井たか子さん死去 85歳 護憲旗振り、元衆院議長

 護憲勢力のリーダー的存在で、女性初の衆院議長や社会党委員長、社会民主党党首を務めた土井たか子(本名・多賀子〈たかこ〉)さんが20日に肺炎のため、兵庫県内の病院で亡くなっていたことがわかった。85歳だった。葬儀は近親者で営まれた。社民党が28日、発表した。同党は後日、土井さんをしのぶ会を開く。
 土井さんは1928年、神戸市生まれ。同志社大大学院を修了後、関西学院大などで憲法の講師を務め、69年に旧衆院兵庫2区から社会党公認で初当選。連続12回、36年間議席を守り、党の顔として活躍した。
 86年には同年の衆参同日選で大敗した社会党の再建を託され、委員長に就任。心境を問われて「やるっきゃない」と答えた。消費税導入を掲げた自民党に対し、「だめなものはだめ」と反対の論陣を張った。
 消費税導入とリクルート事件が争点となった89年の参院選では、女性候補を積極的に擁立。「マドンナ旋風」を起こして与野党逆転を実現した。記者会見で発した「山が動いた」との言葉は流行語にもなった。91年の統一地方選挙では惨敗し、委員長を辞任した。
 93年には社会党など非自民8党派による細川連立内閣が発足し、女性初の衆院議長に就任した。94年の選挙制度改革をめぐっては、調停役となり、土井さんが出した「議長案」が結果的に小選挙区比例代表並立制の導入を後押しした。
 一方で、94年の自民、さきがけとの連立政権誕生後は党勢の衰退に直面した。
 96年1月に社会民主党に改名したが、その後、旧民主党結党に伴う路線対立もあり、党は分裂。立て直しを期待されて再び党首に就任したが、2003年11月の総選挙で、社民党は大敗し、責任を取って党首を退いた。
 05年に衆院比例区から立候補し、落選。政界の第一線からは退いたが、「憲法行脚の会」の呼びかけ人として全国各地で精力的に講演し、護憲を訴え続けた。


朝日新聞
「歩く9条」おたかさん 政界にマドンナ旋風 土井たか子さん死去

 憲政史上初の女性の衆院議長を務めた元社民党党首、土井たか子さんが亡くなった。「男性社会」の政界で党や議会のトップに上り詰め、「マドンナ旋風」を巻き起こし、頑固に「護憲」の立場を貫いた異色の政治家。女性の社会進出や憲法解釈の是非が問われる今、政界やゆかりの人々から惜しみ、悼む声が相次いだ。

 「スタンドアローン、自立した人だった。最後までこびず甘えず筋を通し、ひとり道を開こうとした、稀有(けう)な女性政治家でした」
 土井さんと親しかった作家、落合恵子さんはそう語る。護憲の集会などで同席後に食事をともにし、シャンソンの名曲「サン・トワ・マミー」を熱唱する姿を思い出す。
 「ある意味、不器用で直球を投げ続けた人だったから、見事な男性社会である政界では色んな逆風も吹いた」。衆院議長に就く時も「まつりあげられてしまうと本当の政治ができないと苦しんで苦しんで、でも受けた。そして『苦しい』とは言わないダンディーな女性だった」とも。
 「(李香蘭こと)山口淑子さんに続き、戦後を代表する女性政治家が亡くなり、寂しい」と言うのは評論家の小沢遼子さん(77)。何度か土井さんの選挙の応援演説をした。男性ばかりの選挙事務所で、周囲に女性であることを意識させない態度が印象的だった。
 土井さんは86年に当時の社会党委員長に就任。女性が社会進出する中で「男の敵を作らず、安心感を与える存在だったから、男性中心の政界で党首になった」と話す。30年近くたった今、安倍政権は女性の社会進出を掲げる。「土井さんがリーダーになったことの意味を、今こそ考えるべきだ」と小沢さんは言う。
 今年は集団的自衛権の行使をめぐり、憲法の解釈変更が大きな焦点になった。辻元清美衆院議員は「土井さんは『歩く憲法9条』と呼ばれていた」と惜しむ。
 96年の衆院選で土井さんから要請されて立候補・初当選した。「土井さんが政治の母だった。道しるべが消えてしまったようだが、バトンを受け継いでがんばらなあかんと思う」と話した。
 村山富市元首相(90)は28日、大分市の自宅で取材に「残念です」と声を落とした。長く本人と連絡は直接取っていなかった。「(体調が)悪くなってからは、本人が誰にも会わないと。あの人のプライドじゃわ。元気なところしか見せたくないと」
 「『だめなものはだめ』。ほかの人が言ったって広まらんけど、あの人が言ったら時代を画す言葉になった。党にとって時代を画す人だった」と語った。
 元沖縄県知事で2001年に社民党から参院選比例区に立候補した大田昌秀さん(89)も「土井さんほど憲法を大事に考えていた人はいない。憲法を変えようという議論が起こっているこの時期に、土井さんが亡くなられたことがとても残念」と話した。
 90年代前半に社民党と連立政権を組んだ新党さきがけの元代表・武村正義さん(80)は、会食の席では常に相手に上座を薦め、気遣いながら注文を取る土井さんの姿が印象に残っている。「マイクを握る街頭の姿とはとても対照的。四方八方気配りする上品な女性でした」と振り返った。
 熱烈な阪神ファンを自任。タイガースのメガホンを手に街頭演説に立ったこともある。カラオケとパチンコを愛し、社会党委員長時代には業界団体の「パチンコ文化賞」を受賞。出玉と交換したカップなどの景品を議員会館で使う庶民派だった。
 初当選以来、30年余り秘書を務めた五島昌子さん(76)によると、土井さんは病床でも政治を案じ、「憲法が危ない。こんな時に何も動けない自分が腹立たしい」と話していたという。
 「政治家になっても地元の自宅は6畳と4畳半の2間のアパート暮らし。私利私欲がなく、誠実でまじめ。『一生懸命』という言葉は彼女のためにあった」

 ■土井さん語録
「やるっきゃない」(86年、女性初となる社会党委員長に就任した際の一言)
「山が動いた」(89年参院選で大勝し、与野党逆転が実現した結果を受けて)
「だめなものはだめ」(88年、政府・自民党が消費税導入を持ち出したことについて)
「細川護熙さんを内閣総理大臣に指名することに決しました」(93年、国会では呼称として「君」が使われていたが、初めて「さん」を使う)

 ■護憲の遺志、細る継承先
 護憲に人生をかけた土井さんの死去。それは、特定秘密保護法の施行が迫り、集団的自衛権の行使容認も閣議決定するなど、「1強体制」を築く安倍政権が改憲への地ならしを進める時代の転換期に重なった。
 「憲法を守るため、憲法を生かすために本当に身を粉にして尽くした人生だった。偉大な政治家だった」
 土井さんに請われて政界に飛び込み、「土井チルドレン」と呼ばれた社民党の福島瑞穂副党首は28日、都内で記者団に、こう土井さんの死を惜しんだ。
 社民党の吉田忠智党首は「憲法学者だった土井さんは右傾化する政治に対峙(たいじ)した。安倍政権によって、集団的自衛権の行使容認など、立憲主義を否定し、戦争のできる国づくりが進む中、最後まで憲法と日本政治の行く末を心配していた」との談話を出した。
 土井さんを悼む声は、細っていく護憲派の悲痛な叫びにも聞こえる。憲法改正を宿願とする安倍晋三首相率いる自民党は、衆院で過半数を大きく超える。維新の党など改憲派とされる野党も含めれば、憲法改正の発議に必要な3分の2以上に手が届く勢いだ。
 これに対し、土井さんが所属した社民党は衆院でわずか2議席。代表質問にも立てず、滅亡寸前といっていい。
 自民党はモノトーン化が進む。戦争を経験した世代がほとんどいなくなった。小選挙区制で党首の力が強まり、安倍首相に異論を唱える勢力が消えた。選挙改革は皮肉にも土井衆院議長時代に導入されたものだ。
 自民党の穏健派の代表格だった野中広務元官房長官は朝日新聞の取材に「『憲法の土井』と言われるぐらいの信念の人だった。同じ世代で、党派を超えて戦争の記憶も共有していた」。
 分裂した社民党の流れをくむ民主党の海江田万里代表はこの日、「土井氏が主張した女性の人権や平和の問題はしっかりと受け継ぐ」と語った。しかし、こちらは憲法観や安全保障政策で、党内の意見がバラバラでまとまらない。土井さんの遺志を継ぐ勢力の極は見当たらないのが現状だ。
 (江口達也)

 ■「一時代築いた」
 御厨貴・東大名誉教授の話 「山が動いた」と言った選挙を仕切り、一つの時代を築いた政治家だった。だが、村山富市首相の時に日米安保を社会党として容認してしまって以降は、新しい旗を揚げられずに、その後、党首になったおたかさんをもってしても党勢の衰退を止められなかった。ただ、女性初の委員長、女性初の衆院議長を務めた大きな存在で、これからの女性政治家を考える礎になったことは間違いない。


朝日新聞
<評伝>意地と度胸、反戦貫く 性差別とも戦う 土井たか子さん死去

 土井たか子さんは神戸に戻って三つ上の姉と暮らしていた。かつて輝くように元気だったのに、最近は病気がちで大柄の体も小さくなって、「土井チルドレン」といわれた福島瑞穂、辻元清美、保坂展人の各氏らとも会わなかった。「むかしの元気な私を覚えておいて」。それが土井さんの最後の願いだった。
 土井さんの政治家としての生涯には「女性で初めて」の形容がつきまとった。「初の女性党首」として社会党の再建を託された。「初の女性衆院議長」に就いて、「○○君」と議員を呼ぶ慣例を破って「○○さん」と呼んだ。
 いや、そんなキャリアのことよりも、国籍法をはじめ法の男女差別解消に懸命に取り組んだ。そこに土井さんの女性政治家としての真価がある。
 土井さんの原点は、少女のころの神戸空襲である。開業医の自宅が焼かれ、焼夷(しょうい)弾と機銃掃射のなか、必死に海に向かって逃げた。敗戦で灯火管制の電灯の黒いカバーを取ったとき、世の中こんなに明るいんだと思った。以来、土井さんは「反戦」を貫いた。
 京都の映画館で、ヘンリー・フォンダ演ずる「若き日のリンカーン」に描かれた弁護士像に感激、同志社大学の田畑忍門下で憲法を学んだ。のちに土井さんは「憲法と結婚した」といわれるほど、「護憲」のトップリーダーになる。
 政界入りは、往時の社会党の成田知巳委員長が土井さんに目をつけたのがきっかけ。「私、別に社会主義じゃないのよ」と言う土井さん、選挙に出るつもりもなかったのに地元で「勝てっこない」といわれ、憤然と立候補した。意地っ張りなのである。
 当選12回、衆院外務委員会の華だった。質問はりりしく、どーんと勢いよく座ってコップの水をぐいと飲む。大平正芳、園田直、伊東正義ら歴代外相は土井さんを「おたかさん」と呼んで親しんだ。
 そのころの自民党政権は、戦争の反省から平和志向が強かったから、心底では土井さんと通ずるものがあると私は記者席で感じた。土井さんは韓国の金大中氏らとも親しく、平和外交の実践家でもあった。
 いくつも名セリフを残した。女性党首になったときの「やるっきゃない」、消費税には「だめなものはだめ」。1989年参院選の「土井ブーム」で社会党が勝ったときの「山が動いた」。議員会館の自室の壁を飾った書、女性の目覚めをうたった与謝野晶子の詩「山の動く日来る」の援用である。
 しかし、政治家人生の晩年はつらかった。土井さんは北朝鮮が抑留した船長救出にも一役買ったのに、拉致問題での対応を問われ攻撃を受けた。秘書給与のやりくりを責められ、腹心の辻元氏らが逮捕される事件が起きて、社民党の衰退にもつながる。
 土井さんは「森の哲学者」フクロウが好きだった。フクロウ人形や彫り物をいっぱい持っていた。カラオケにいくと、土井さんは「マイウエイ」を朗々とうたった。「信じたこの道を私は行くだけ すべては心の決めたままに」。自身のことを歌っているように感じた。
 土井さんは「戦後民主主義」の生んだ傑出した女性政治家だった。いまの「国家復権」の政治をさぞかし心配していただろう。土井さんが時代に遅れたのか、いや、むしろ時代の逆行なのではないか。
 身内だけの葬儀には、土井さんの秘書として生涯連れ添った五島昌子さんが出席した。ランやユリの白い花の祭壇で、いかにも土井さんらしかった、とのことである。
 (元本社コラムニスト〈桜美林大学教授〉早野透)


朝日新聞
(天声人語)土井たか子さん逝く

 土井たか子さんが残したものは何だったかと思い巡らせる。筆者が社会党の取材を担当し始めた1990年、委員長だった土井さんは輝いていた。「山が動いた」89年の参院選に続き、90年の衆院選でも議席を伸ばしたからだ▼二つの選挙で初当選した議員の顔ぶれは清新に見えた。党の生え抜きや労組出身でない、いわば市民派の登場だ。牢固として変わらぬかに見えた55年体制が少しは変わるのではという期待を抱いたものだった▼確かに社会党はその後、社民党と名前を変え、細っていく。清新だった新人たちの多くは土井さんと歩む道を異にした。それでもやはり、あの二つの結果がなかったらと想像する。永久与党といわれた自民党も巻き込んだ政党再編は起こったか、と▼土井さんの本意はともかく、93年の、ひいては2009年に起きた政権交代の遠い源を、かつての土井社会党に見いだしてもいい。日本の政治も変わりうるのだということを土井さんは身をもって示したのだから。その奮闘が後の世代に手渡したものはとても大きい▼訴え続けた護憲が押されている。だが、主張の原点は色あせていない。徹底した反戦であり、厭戦(えんせん)である。理屈以前のその気持ちが土台にしっかりあるかどうかが決め手では――。評論家の佐高信さんとの共著『護憲派の一分(いちぶん)』でそう語っていた▼よりどころにしたのは政治のプロにはない素人の感覚だった。議員の名を「君(くん)」ではなく「さん」と呼んだ衆院議長時代の声がなつかしい。

毎日新聞
おたかさん死去 確かに「山」を動かした

 「ダメなものはダメ」「やるっきゃない」、そして「山が動いた」。数々の言葉が今も多くの人々の記憶に残っていることだろう。元衆院議長の土井たか子さんが亡くなった。85歳だった。

 女性初の旧社会党委員長で、女性初の衆院議長。土井さんは政界における女性のトップランナーだった。しかし、戦後の日本政治史の中で最も特筆すべきは、やはり政権交代時代のきっかけを作ったことである。

 1986年の衆参同日選での旧社会党惨敗を受け、土井さんが同党の委員長に選ばれたのは、いわば窮余の策だった。ところが、はっきりした物言いと自民党との激しい対決姿勢が人気を博し、89年夏の参院選では消費税導入やリクルート事件などを追い風に、「おたかさんブーム」「マドンナブーム」を巻き起こし旧社会党は躍進。自民党は大敗して参院では与野党が逆転した。

 これが、ねじれ国会の始まりであり、後の非自民各党による細川政権、さらに民主党による政権交代につながっていく出発点だった。

 自民党は2年前、政権に復帰したものの、89年以降、参院では一度も自民単独では過半数を得ていない。それを考えれば当時の土井旋風がいかにすさまじかったかを物語っている。「山」は確かに動いたのだ。

 細川政権下で衆院議長に就任した時、議員の名前に従来の「君」ではなく「さん」をつけて呼んだのも時代の変化を示す出来事だった。

 しかし、その後、旧社会党、社民党は選挙のたびに退潮。土井さんは一度は社民党党首となるが、そのさなかに秘書給与をめぐる詐欺事件で自身の秘書が逮捕され、最後は寂しく政界を去っていった。

 既に引退から9年。安倍政権が憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する中での訃報である。

 土井さんは元々は大学で教壇に立った憲法学者で、「護憲」のシンボルだった。一方で憲法に対してあまりにも柔軟さを欠いたことや、「何でも反対」の抵抗野党路線が無責任との批判を浴び、社民党が少数政党に転落し、護憲勢力が退潮する要因となったのは事実だ。

 ただし、安保政策の大転換となる憲法解釈の変更をいとも簡単にしてしまった今の安倍政権の姿勢を「護憲勢力が退潮しているから」の一言で片付けるわけにはいかない。

 土井さんが元気だったら「今の野党は政権に対して物わかりがよすぎる。なぜ、もっと激しく向かい合わないのか」と叱咤(しった)していたに違いない。なぜ、あの時代、土井さんが国民の大きな支持を集めたのか。おたかさんの迫力を野党はもう一度、見直す時と思える。


NHK
小泉氏 再稼働に反対 「想定外起こりうる」

小泉元総理大臣は29日夜、東京都内で記者団に対し、今後のエネルギー政策に関連して「想定外はいつでも起こりうる」と指摘し、国内の原子力発電所を再稼働させるべきではないという考えを重ねて示しました。

この中で小泉元総理大臣は、今後のエネルギー政策に関連して「今回の御嶽山の噴火も想定外であり、想定外はいつでも起こりうる。地震や津波、噴火が各地域で起きているのだから、日本は原発を稼働させてはいけない国だ」と述べ、国内の原子力発電所を再稼働させるべきではないという考えを重ねて示しました。
また、小泉氏は鹿児島県の川内原子力発電所の再稼働を進める政府の方針について、「政府は『世界一の安全基準だ』と言っているが、アメリカやフランスなどより何が優れているのかを説明していない。安倍総理大臣にも『原発ゼロをなぜ進めないのか』としょっちゅう言っている」と述べました。



ストップ川内原発再稼働!9.28全国集会(NHK,MBC,朝日,共同)

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蟄虫坏戸/土井たか子さんの訃報にショック

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Violente éruption d’un volcan au centre du Japon

Au Japon, l'éruption du mont Ontake, samedi 27 septembre à 11 h 53, heure locale, a fait un mort et blessé grièvement une trentaine de personnes. Quelque deux cents randonneurs ont été surpris par l'éruption du volcan, situé deux cents kilomètres à l'ouest de Tokyo, dans une zone montagneuse à la limite des départements de Nagano et de Gifu. Les randonneurs se sont précipités dans un refuge proche du volcan. En fin de journée, ceux qui le pouvaient avaient amorcé la descente.
L'éruption se poursuivait en fin d'après-midi. La chaîne télévisée publique NHK a diffusé des images d'un épais nuage de cendres s'élevant du mont haut de 3 067 mètres vers le ciel. Plusieurs vols ont été détournés pour l'éviter.
L'agence nationale météorologique a classé l'éruption au niveau 3, sur une échelle de 5. Cette décision signifie que la population doit éviter de s'approcher du volcan. Des restrictions de circulation ont été imposées aux villages les plus proches de la montagne.
RETOMBÉES DE CENDRES
Revenu le même jour de New York, où il assistait à l'Assemblée générale de l'Organisation des Nations unies, le premier ministre, Shinzo Abe, a appelé à ≪ tout faire pour la sécurité des randonneurs ≫. Il a également annoncé le déploiement de forces d'autodéfense et une réunion de crise des ministres concernés.
≪ Il y a eu des petits séismes dans la zone il y a une dizaine de jours ≫, a expliqué à la NHK Muneyoshi Furumoto, sismologue de l'université de Nagoya, qui juge toutefois difficile d'anticiper les conséquences de cette éruption. ≪ Les cendres pourraient retomber sur une dizaine de kilomètres à la ronde, a-t-il ajouté. Il faut faire attention pour les cultures et au risque sanitaire. ≫L'appel à la vigilance a été repris par l'agence de la météorologie, qui attend des retombées de cendres dans un rayon de deux kilomètres, voire plus loin si le vent est fort.
Le mont Ontake entre régulièrement en éruption. La dernière fois, c'était en 2007. En 1979, plusieurs terrains agricoles des alentours avaient été endommagés par des retombées de cendres.

明日へ−支えあおう−証言記録東日本大震災33▽南相馬市〜孤立無援の街で生き抜く
福島県南相馬市は、福島第一原子力発電所の事故に際して屋内退避指示が出された。同時に放射能への恐怖から物流が途絶、一切の物資が市内に入ってこなくなった。市内には5万人が避難できずに残っており、たちまち食料、生活物資、燃料の窮乏に苦しむことになる。そんな人々の命を救うために力を尽くした市民たちがいた。番組では、彼らの証言を通して屋内避難地域への支援という課題を浮かび上がらせる。

NNNドキュメント'14 山津波…広島土砂災害マイホーム建築の死角蛇が伝える教訓
8月20日、広島市の住宅地を襲った土石流。被災者たちは口々に言う。「まさか、うちが…」。土砂災害に見舞われて1ヶ月。広島の宅地開発の死角を探る。
松本光生 広島テレビ


がんばっぺ東北魂!

NHKスペシャル 老人漂流社会 "老後破産"の現実
高齢者人口が3000万を突破し、超高齢社会となった日本。とりわけ深刻なのが、600万人を超えようとする、独り暮らしの高齢者の問題だ。その半数、およそ300万人が生活保護水準以下の年金収入しかない。生活保護を受けているのは70万人ほど、残り200万人余りは生活保護を受けずに暮らしている。年金が引き下げられ、医療や介護の負担が重くなる中、貯蓄もなくギリギリの暮らしを続けてきた高齢者が“破産”寸前の状況に追い込まれている。在宅医療や介護の現場では「年金が足りず医療や介護サービスを安心して受けられない」という訴えが相次いでいる。自治体のスタッフは、必要な治療や介護サービスを中断しないように、生活保護の申請手続きに追われている。
“老後破産”の厳しい現実を密着ルポで描くとともに、誰が、どういった枠組みで高齢者を支えていくべきか、専門家のインタビューを交えながら考える。


ひとりの午後に (文春文庫)
上野 千鶴子
文藝春秋
2013-09-03


言葉が沁みる マキノエル
書店でたまたま目に入って、すっと手が伸びた。上野センセイのエッセイが、他の主著とは違う滋味豊かな文章であることは、知っていたから、期待に胸が高まった。

すぐに読み始め、他のことをほっぽり出して読了した。よかった。いままで知らなかった上野センセイのエピソードも多かった。金沢二水高校出身というのも知らなかった。

『国境お構いなし』というセンセイの本が以前あったが、あの本のときと近い、一文一文が胸に沁みてくる文章である。

ベストセラーになった『おひとりさまの老後』を、かつて著者の本を愛読した人は、その内容だけでなく、久しぶりの「上野節」にゾクゾクしながら読んだはずだ。あの挑発するような戦略的な文章だ。上野センセイは、そういう文章を書くときと、今回のエッセイのような、人の心に染み入る文章を書くときとがある。そのどちらもがセンセイの魅力だ。本書の「逆風」と題された一文の中に、前者の戦略的な文章を書くようなとき、センセイの脳内でゾクゾクするほどのテンションの高まりが起こる経緯が語られている。そして、それがおそらく子ども時代の家庭環境に原因があるということも。そんな秘密も味わえた。

この本は宝物だ。上野センセイのファンにはたまらない一冊だ。


今日は重信房子さんの誕生日です.蟄虫坏戸むしかくれてとをふさぐでもあります.護憲を訴えてきた土井たか子さんが亡くなりました.残念です.

河北新報
「約束違う」 仮置き延長固定化を懸念・楢葉

 環境省は27日、福島第1原発事故に伴う除染廃棄物の仮置き場での保管期限を当初の3年から延長する方針について、福島県楢葉町の仮置き場地権者に説明した。地権者からは固定化を懸念し「約束が違う」との批判や「周辺住民の了承もしっかりと得るべきだ」といった意見が出た。
 いわき市での説明会には地権者182人のうち約40人が参加。環境省の担当者が、中間貯蔵施設の計画の遅れを理由に、2015年度内に3年契約が切れる場所では15年4月1日付で新たに1年契約を結び、必要に応じ更新したいと要請した。
 今後の追加除染や家屋解体で出る廃棄物については、仮置き場のある行政区以外からも搬入するとの新たな方針も明らかにした。
 参加者から強い反対はなかったが、「約束を破った責任は誰が取るのか」「いつまで契約を更新し続けるのか」「国が近隣住民の同意を得ない限り、契約しない」などの意見が出た。「仮置き場を見ると胸が苦しくなり、帰町できない」「本音は嫌だが、現状では認めざるを得ない」と苦しい胸の内を明かす人もいた。
 地権者の男性(48)は「中間貯蔵施設で(候補地の)大熊、双葉両町の人が苦渋の決断を迫られている。複雑な気持ちだが、前向きに考えなければならない。ただし、何度も延長して固定化はさせない」と話した。
 楢葉町には国の仮置き場が24カ所あり、最も早い3カ所では15年8月に契約が切れる。環境省は10月4〜6日に一般町民向けの説明会を開く。


朝日新聞
土井たか子さん死去 女性初の衆議院議長

 女性初の衆院議長を務め、社会民主党の元党首だった土井たか子(本名・土井多賀子)さんが20日、肺炎のため亡くなっていたことがわかった。85歳だった。葬儀・告別式は近親者で営まれた。

 同志社大法学部を卒業後、関西学院大などで憲法の講師を務めた。1969年に衆院兵庫2区で初当選して以来、連続12回、36年間議席を守り、「党の顔」「護憲・平和のリーダー」として活躍した。

 86年の衆参同日選で大敗した社会党の再建を託され、委員長に就任。消費税導入を掲げる自民党に対して「だめなものはだめ」と反対の論陣を張り、対抗軸を鮮明にした。消費税導入とリクルート事件が争点となった89年の参院選で大勝し、自民党の過半数割れ、与野党逆転を実現した。「山が動いた」とのせりふは、流行語になった。

 93年に社会党など8党による細川内閣が発足すると、女性初の衆院議長に就任。一方で、94年に誕生した自民、さきがけとの3党連立政権で、首相に担がれた村山富市委員長が「自衛隊は合憲」と基本政策を大転換したことによる党勢衰退にも直面した。

 社民党に改名した96年、組織立て直しを期待されて再び党首になった。同年の総選挙では、「市民派政党」への転換を目指して、市民団体「ピースボート」で活動していた辻元清美氏(現民主党衆院議員)ら若手を擁立、当選させた。一方で、路線対立による党分裂と党勢衰退に歯止めをかけることはできなかった。

 2003年7月には、秘書給与詐取問題で、土井氏の元秘書と衆院議員を辞職した辻元氏が逮捕され、苦境に立たされた。同年11月の総選挙での大敗で、衆院は6議席に。責任を取って党首を退いた。

 05年に落選した後も、全国各地で講演し、護憲を訴え続けた。最近は、体調を崩して入院していた。


日本経済新聞
「おたかさん」の死を悼む声相次ぐ 土井たか子氏死去

 「やるっきゃない」「駄目なものは駄目」――。歯切れ良い数々の言葉を残し、女性として初の衆院議長も務めた元社民党党首の土井たか子氏が亡くなった。「闘い続けた人」「勇気と希望をもらった」。旧知の人々は「おたかさん」の死を悼んだ。

 社民党の元衆院議員で「土井チルドレン」と呼ばれた宝塚市の中川智子市長(67)。5年前の市長選に出馬するか悩んだ際、土井氏に背中を押されたという。「男性社会の政治の世界に土井さんが登場し、勇気と希望をもらった」といい、「頑張っている姿をこれからも見てほしかった」と目に涙を浮かべた。

 土井氏は1949年に同志社大に進学し、憲法学者・田畑忍氏の下で憲法を専攻。一緒に学んだ大谷実・学校法人同志社総長は「同志社大の大学院時代に席を並べて研究し、時には酒場で杯を交わした仲なのでお別れするのは寂しい限り」とのコメントを出した。

 「にぎやかで飾り気がなく、仕事一筋の人だった」。作家の戸川昌子さん(83)は振り返る。

 経営した東京都渋谷区のバーに議員活動で忙しいさなかによく一人で訪れ、近況を肴(さかな)に酒を酌み交わした。最後に会ったのは15年ほど前。「闘い続けてきた人。お互い歳を重ねた今だからこそ、改めて語り合いたかった」と惜しんだ。

 女性初の真打ちとして知られる落語家の古今亭菊千代さん(58)は「寄りかかることができる『ついたて』のような存在を失ってしまった」。

 約25年前、女性芸人を育てる会の発足式のゲストに呼んだのが親交のきっかけ。以来、数少ない女性落語家を応援し続け、楽屋に「花より団子でしょ」とおどけて差し入れを持ってくることも。「最後に直接『お疲れさまでした』と声を掛けたかった」と話した。


朝日新聞
茨城)原発再稼働強く反対 JCO事故15年控え集会

 核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所の臨界事故から30日で15年を迎えるのを前に、事故を繰り返させないという「2014年9・30 茨城集会」(同集会実行委員会主催)が27日、東海村の東海文化センターで開かれた。日本原子力発電の東海第二原発の現状を報告し、原発再稼働について話し合った。

 最初に実行委員長の田村武夫・茨城大名誉教授が東海第二原発を巡る動きを説明。日本原電から5月に安全審査申請が出された後、原子力規制委員会で事業者へのヒアリングが進んでいることを明らかにした。「川内原発(鹿児島)が安全審査申請から1年あまりで審査を終了したことを考えると、東海第二原発の再稼働問題の闘いはこの1年しか残されていない」と訴えた。

 続いて原子力問題に詳しい安斎育郎・立命館大名誉教授が「どうなる日本の原発政策」と題して講演。日本のエネルギー政策は安全性確保よりも経済開発優先だったと指摘し、「福島の原発事故がまだ何も解決されていないのに、国は原発再稼働へ動きだしている。これを変えることができるのは国民の力しかない」と、再稼働反対に声を上げるよう呼びかけた。


朝日新聞
川内原発の再稼働反対、7500人が訴え 鹿児島

 九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働反対を訴える市民集会が28日、鹿児島市の天文館公園で開かれた。原子力規制委員会による新規制基準への適合審査が9月に終了し、再稼働への地元同意が焦点となるなか、県内外から約7500人(主催者発表)が参加。過去最大規模の県内での反対集会となった。

 鹿児島県内の約90の市民団体などでつくる実行委の主催。集会では菅直人元首相が「再稼働に合意するかどうか、30キロ圏内の市町にきちんと言わせるのは当たり前。再稼働ストップを全力で応援したい」と訴えた。

 福島第一原発事故で一時全村避難を強いられた福島県川内(かわうち)村の元村議、西山千嘉子さん(66)も参加。「福島の現実を知ってほしい。川内で前例を作ったら他の原発再稼働の後押しになってしまう。絶対に阻止したい」と取材に話した。

 集会後、参加者は「川内原発再稼働止めよう」「全ての原発、今すぐなくそう」と声を上げながら、市中心部をデモ行進した。(小池寛木)

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大大阪観光/白ワインでヘロヘロ/四門出遊

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Fête de la Communauté française de Belgique

Célébrée le 27 septembre, la fête annuelle de la Communauté Française de Belgique symbolise un moment clé de l’histoire de l’indépendance belge.
Un peu d’histoire…
En effet, avant d’être libre, la Belgique était gouvernée par Guillaume 1er, le prince du royaume des Pays-Bas. Très peu concerné par le peuple belge, ce souverain a longtemps ignoré leurs identité et origines, sachant que ce peuple représentait tout de même 3,5 des 6 millions habitants du royaume. Guillaume 1er, rêvant de pleine puissance, tenaient volontairement à l’écart les ministres belges des responsabilités politiques, leur interdisant tout pouvoir d’expression. Alors qu’en juillet 1830, la France, la Pologne et l’Italie étaient agitées par des mouvements révolutionnaires, les bruxellois ont décidé de suivre ces élans de révoltes pour tenter de renverser le pouvoir. Soutenu par des volontaires Wallons, le peuple mène une résistance acharnée contre le gouvernement en place. la mobilisation est telle que les troupes rebelles réussissent à faire fuir l’armée envoyée par le souverain le 27 septembre. Le 4 octobre, les patriotes belges forment un gouvernement provisoire. Celui-ci proclamera l’indépendance de la Belgique et reconnaitra le français comme langue officielle du royaume.
Fixée le 27 septembre en hommage à cette révolution, la fête de la Communauté Française de Belgique est célébrée chaque année comme symbole de la fierté d’un peuple libre et de la solidarité entre la Wallonie et Bruxelles. De nombreuses festivités sont organisées à cette occasion :concerts, spectacles, pièces de théatre, projections cinématographiques, permettant la mise en valeur des oeuvres du patrimoine culturel.

午前中会議があって,お昼からは大大阪観光の講演会です.講演会は面白かったですが,忙しいです.
図書館に行ってそれからDVDを返しに行って,そして白ワインを買いました.
三国志を読みながら飲みました.「アドルフに告ぐ」を読み終わったので今度は「ブッダ」です.とりあえず今回はカピラヴァストウと四門出遊です.

Ne pas bombarder l'Irak et la Syrie!
Don't bomb Iraq & Syria!
イラクとシリアへ空爆するな!


岩手日報
被災地訪れ復興支援 大槌、県立大と米学生ら

 県立大(中村慶久学長)と米オハイオ大の学生、公益財団法人本庄国際奨学財団(東京都渋谷区)の奨学金留学生ら約80人は26日から、本県沿岸部の被災地で復興支援活動を展開している。合同活動は震災が発生した2011年から毎年実施。4年目となる今年も28日までの3日間、国境を越えて被災地に寄り添おうと、若い力がスクラムを組んで活動に励んでいる。

 初日は大槌町を訪問。大槌川の河川敷の一部を整地し、両大学を表す「IPU♥OHIO」の文字になるよう、約2千個のチューリップの球根を植えた。学生らは英語や日本語で交流を深め、作業に汗を流した。

 両大学の合同活動は教授ら知人の紹介で11年にスタート。大槌町や陸前高田市を中心に菜の花を植える活動や、仮設住宅などに飲料水を手渡しで届けるボランティアに取り組んできた。本庄国際奨学財団に出資する大手飲料メーカーの伊藤園が県立大の復興支援活動に飲料水を提供しているつながりで12年から同財団が加わった。

 オハイオ大のメンバーとして参加した北海道白糠(しらぬか)町の英語指導助手(ALT)アリソン・ハイトさん(23)は11年にも参加しており「想像と違い、復興はまだまだ先が長いと感じた。被災地で聞いた話を世界に広めることが自分にできることだと思う」と決意。県立大盛岡短大部の吉田涼奈(すずな)さん(1年)は「内陸は復興への意識が薄れてきていると感じるが、大槌に来て復興が進んでいないことを実感した。どう伝えていけばいいか考えるいい刺激になった」と支援を続ける思いを新たにした。


慰安婦「謝罪、補償を」64% 大学生の意識調査

 市民団体の「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンターは、日韓両国の大学生を対象に従軍慰安婦に関する意識調査をしたところ「日本政府が被害者に謝罪、補償をするべきだ」と答えた日本の学生が64%だったと27日、発表した。韓国側は98%に上った。

 同センターはこの日、東京都内でシンポジウムを開催。若者の実態に詳しい中西新太郎横浜市立大名誉教授は「日本では歴史修正主義的な政治、メディアの動向があり『若者の右傾化』も語られているにもかかわらず、謝罪が必要と考える学生が多かったのが特徴だ」と分析した。


朝日新聞
(逆風満帆)「テロリストの娘」として

 東京・新宿で重信メイ(41)と鉄板焼きレストランに入った。「わあ」。鉄板から立ちのぼる炎を見て喜び、スマホを向けた。初老の調理師は「こっちから撮るといいよ」と協力的だった。が、撮影が終わり腰を落ち着けると、声を低めて聞いてきた。「純粋な日本人じゃないよね? ハーフ? どこの国との?」――。
 1990年代に入ると、中東情勢は大きく変化した。89年にベルリンの壁が崩れると、東欧の社会主義体制が次々に崩壊。91年に湾岸戦争が起き、反イスラエルのテロリストを支援していたソ連が消滅する。アラブとイスラエルの和平交渉が進展。欧米や日本政府の圧力もあり、レバノン政府の方針が転換する。97年、レバノンの治安当局は日本赤軍メンバーを逮捕、岡本公三を除く4人が日本に送還された。
 2000年11月、メイの母親で、国際指名手配されていた日本赤軍最高幹部の房子(68)が潜伏先の大阪府内で逮捕された。当時メイはレバノンの首都ベイルートの大学院で学んでいた。無国籍のため将来の展望が描けないでいた。
 テレビのニュースで4年ぶりに母を見た。恐れていたことがついに現実のものとなったという感じがした。一方、これで母がイスラエルの情報機関に捕まって虐待されたり、暗殺されたりすることがなくなったという安心感もある。「とても難しい気持ちでした……」
 房子は接見した弁護士に娘の存在を明かし、日本国籍取得の手続きをとってほしいと頼んだ。メイは、アラブでは英雄的存在の母たちが日本ではテロリストと呼ばれていることを知っていた。だが、帰国直前に応じた日本のテレビ局のインタビューではこういった。「母を尊敬しているし、誇りに思っている」
 国籍を取得したメイは東京の下町のアパートで、潜伏先で母が使っていた家財道具を引き取って暮らした。日本語学校に通い、裁判の傍聴に足を運んだ。房子は獄中で日本赤軍の解散を宣言。メイは予備校で英語を教えるなどして生計を立てる一方、ジャーナリストとして中東問題について発信を始めた。

 ■懲役20年と大腸がん
 28年間、素性を隠してきたメイが、自己をさらけだして生きる。それは誤解や偏見、差別との闘いでもあった。
 ある週刊誌はインタビュー記事とともにメイの写真を掲載、キャプションに「合法的にガンバルよ〜」と書いた。銀行で口座を開こうとすると「テロリストの娘」という理由で断られた。9・11同時多発テロが起きると公安関係者の尾行がつく。講演会のパネリストにメイの名前を発見した自治体が、会場の提供を断ってきたこともある。
 神奈川県の小学校に呼ばれて出張授業を行ったときは、イスラエル大使館が「偏向した授業をした」などと抗議。地元の教育委員会は校長の処分を決めた。
 来日してからのつきあいがあるジャーナリストの上杉隆(46)は、「一見、多様性に寛容に見えるが排他的なのが日本人。彼女はこれまでもよく我慢している」という。アラビア語、フランス語、英語、日本語を駆使し、アラブを知りつくしているメイの視点や考え方、情報は日本のメディアが流す中東報道とは違った。
 彼女の能力を評価していた上杉は、メイと一緒にキャスターとして出演していた衛星放送「朝日ニュースター」の番組以外にも、レギュラー出演している民放各局に売り込んだという。
 「彼女の情報をもらったり、番組製作に協力させたりするのにテレビには出演させない。『なぜ?』って聞くと、『だってテロリストの娘だろ?』と。要するにクレームを怖がっている。政治や社会がレッテルを張るのはしかたがない。でもメディアが率先して多様性を否定し、レッテル張りをする。がくぜんとした」
 中東にいた頃、母と娘は別れる時はいつも、二度と会えないかもしれないと覚悟した。「どんなに離れていても思い出したい時は月を見てね。月はどこにいても同じように見えるから」と、房子はよくそういった。
 獄中の母とは触れあうことも抱き合うこともできないが、昔とは違って何年も会えないわけではない。会いたくなったら1カ月に2回、原則10分の「面会」という形で会うことができる。母と娘の間に穏やかな時間が流れた。
 だが、新たな局面が訪れる。09年、房子は大腸がんの手術を受ける。翌年、最高裁で懲役20年が確定した。母は刑務所の中。何もしてあげられない。メイは無力感にとらわれた。=敬称略(大嶋辰男)

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体がしんどいです→図書室で昼寝

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≪ Si j'avais à choisir entre une dernière femme et une dernière cigarette, je choisirais la cigarette : on la jette plus facilement ! ≫
≪ La beauté est la seule vengeance des femmes. ≫
≪ Si j'étais Dieu, je serais peut-être le seul à ne pas croire en moi. ≫
≪ Peut-on jamais savoir par où commence Et quand finit l’indifférence ? ≫
≪ La mort a pour moi le visage d’une enfant Au regard transparent. ≫

de Serge Gainsbourg

昨日に続いてXP.でもなんだか体がしんどいです.バランスランチの後,図書館で昼寝しました.山岡士郎みたい?

岩手日報
「内陸に定住」50%超える 県の震災避難者意向調査

 県は25日、東日本大震災を受け本県沿岸被災地から内陸部や県外へ避難した被災者を対象に行ったアンケート調査の結果(速報)を公表した。居住場所について「避難先に定住したい」とした人は内陸50・7%(前回2013年度比6・5ポイント増)、県外43・2%(同5・7ポイント増)といずれも増えた一方、「元の市町村に戻りたい」は内陸、県外とも13年度比10ポイント以上減の20%台にとどまった。復興が長期化する中、避難者の地元に戻る意欲は低下する傾向にあり、人口流出の懸念が高まっている。 

 県によると8月末現在、震災に伴う避難者は内陸に3738人、県外に1712人が生活している。

 調査は2012年度から年1回実施し、今回が3回目。今後の居住場所の意向について「元の市町村に戻りたい」は、「時期も決めている」「時期は決めていない」を合わせて内陸22・7%(13年度比11・1ポイント減)、県外25・9%(同10・6ポイント減)といずれも大幅に減り、時間の経過に伴う意識の変化が浮き彫りとなった。

 定住志向が強まる一方、「復興やまちづくりに時間がかかる」(内陸21・2%、県外21・3%)、「住宅が確保できない」(内陸12・9%、県外28・8%)など被災地の課題を理由に挙げた回答もあった。

 県は今後、調査結果をさらに分析し、10月末をめどに確定版を公表する予定。


東京新聞
時間止まった仮設住宅の街 南相馬市を初訪問「原発いらない栃木の会」

 県内で脱原発を訴え続ける市民団体「原発いらない栃木の会」が八月、東京電力福島第一原発事故で被災した福島県南相馬市を初めて訪れた。仮設住宅に身を寄せる住民の苦悩に耳を傾け、時間の止まった町並みを自らの目で確かめてきた。脱原発への思いを強くした同会は二十七日、宇都宮市の宇都宮大で報告会を開く。 (後藤慎一)

 事務局長の野崎嵩史(たかし)弁護士(31)によると、参加したのは栃木の会メンバーで三十〜六十代の看護師、会社員、大学教授ら男女九人。

 八月二日に車二台で栃木を出発し、約七百三十人が生活する南相馬市の牛越(うしごえ)仮設住宅の集会所に一泊。避難生活を送る旧小高(おだか)町(現南相馬市)の元町長、江井績(えねいいさお)さんら三人から話を聞いた。

 江井さんは、南相馬市内の自宅で原発事故と思われる爆発音を聞き、数カ所の避難所を回った後、牛越仮設住宅へ。当初から避難者の相談に乗っている。月日がたち、仮設住宅に引きこもったり、賠償額の差などで住民の間に複雑な思いが生じたりしている現状を憂えた。

 「津波で家を失ったことが悔しい。地震の被害はなかったので、原発事故がなかったらそのまま住んでいた」「母は、長引く避難生活の間に亡くなってしまった」。他の二人からは、原発事故によって受けた壮絶な実体験を聞いた。

 週末に千葉県から通い、ボランティアで避難住民の心のケアに当たる臨床心理士の相馬勉さんにも会った。住民のほとんどは睡眠障害に悩み、睡眠導入剤や精神安定剤を服薬。震災死の要件に当たらないような自殺者が多いことも証言してくれた。

 仮設住宅の集会所に布団を敷き、雑魚寝した参加者たち。翌日も部屋の中を見せてもらい、収納スペースがなく狭い屋内に驚いた。住民の数少ない楽しみは、狭い敷地で植物を育てること。水をやる住民に話しかけ、仮設住宅の暮らしを垣間見た。

 「避難者の話に、古里を失うつらさを実感した」と野崎弁護士。「(原発事故から)三年半たった今、どんな状況なのかを情報としてつかんでいない人も多い。置かれている状況を栃木の人に知ってもらい、関心を持ってもらいたい」と強調する。

 報告会は二十七日午後一時半〜三時半、宇都宮大峰キャンパスで開催。江井さん、相馬さんが現状を報告後、約二百枚のスライドや動画を使って視察状況を紹介する。

 問い合わせは、「原発いらない栃木の会」の事務局を置く大木一俊法律事務所=電028(636)0596=へ。


毎日新聞
東日本大震災:福島第1原発事故 中間貯蔵施設、「30年以内」法制化 県外最終処分、国の責務

 東京電力福島第1原発事故で出た汚染土などを最長30年保管する中間貯蔵施設に対し、政府の全面的な関与を定める改正法案の概要が、25日わかった。貯蔵から30年以内に福島県外で最終処分することなどを「国の責務」と明記し、施設を運営する特殊会社「日本環境安全事業」(JESCO)の全株式保有を政府に義務づける。

 政府関与を法的に明確化し、「事実上の最終処分場になりかねない」との福島県民の不安払拭(ふっしょく)にも努める狙いだ。法案は「日本環境安全事業会社法」改正案。政府は29日召集の臨時国会に提出する。

 改正案は「福島の除染や復興に不可欠な中間貯蔵施設の整備・運営は、国が責任をもって行う」と強調。JESCOの名称を「中間貯蔵・環境安全事業」に変更した上で、国の責務として、(1)施設の整備と安全確保を行う(2)施設の周辺住民など関係者の理解・協力を得るため、必要な措置を講じる(3)貯蔵開始後30年以内に福島県外で最終処分を完了するため、必要な措置を講じる−−よう明記した。

 政府に保有を義務づける同社の発行済み株式を、現行の過半数から「総数」に変更。政府はすでに全ての株式を保有しているが、法的に義務づけることで、政府が施設運営で前面に立つ姿勢を打ち出す。このほか、政府による追加出資の規定も整備する。

 同社は国や福島県、同県内の市町村などの委託を受け、中間貯蔵施設の関連事業を行う。現在のポリ塩化ビフェニール(PCB)廃棄物の無害化処理事業は継続する。【水脇友輔】

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26には行けない残念/XP/Saさんとランチ

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Village de VALENSOLE

Le mot du Maire
Chers amis internautes,
Je suis très heureux de vous accueillir sur le nouveau site Internet de la commune de Valensole (Alpes de Haute Provence), porte d’entrée Ouest du Parc Naturel Régional du Verdon par la Route des Lavandes.
Avec ses 3091 habitants, la commune, bordée par L’Asse, la Durance et le Verdon, s’étend sur 12 777 hectares du plateau de Valensole ; d’un coté, le rebord du Parc Naturel du Luberon et Manosque, de l’autre Moustiers-Sainte-Marie et les Gorges du Verdon, site merveilleux des Alpes du Sud.
Grace à Internet et au développement du haut débit, vous pouvez parcourir notre cité, patrie de Saint Mayeul. Cet outil de communication, d’échange et d’information, doit être accessible et utile au plus grand nombre. Il a été concu pour vous.
Pour vous, en tout premier lieu, habitants de Valensole, du chef lieu aux Chabrands en passant par Saint-Grégoire, Villedieu, le Bars et le Val d’Asse. Vous allez redécouvrir votre commune et peut être la voir différemment. Vous aurez envie de connaître ses évolutions et ses agréments.Pour vous, habitants du Val de Durance et plus généralement de Haute-Provence, ce site est le moyen le plus adapté pour mieux apprécier VALENSOLE, ses saveurs, ses senteurs, ses couleurs, son patrimoine.
Pour vous, enfin, touristes et vacanciers de France, d’Europe et du Monde, nous vous proposons un séjour agréable et festif au milieu des lavandes, des oliviers, des amandiers et des champs de blé dur, cultures traditionnelles de notre beau terroir.
VALENSOLE, terre de tradition tournée vers l’AVENIR vous souhaite la bienvenue à travers ce site Internet que nous vous dédions.

世界で一番美しい瞬間(とき)香りの女王に包まれるとき フランス・プロヴァンス
南フランス・プロヴァンスの夏、「香りの女王」と呼ばれるラベンダーが大地を紫色に染める。地元ではラベンダーの花をサラミに練りこんだり、ラベンダーの蜂蜜を使ったお菓子も食される。もともとやせた荒地が広がっていたプロヴァンスでは、人々が長年かけて野生のラベンダーを品種改良し、世界一の産地に成長したのだ。そして同じ頃プロヴァンスではゴッホが愛したひまわりも満開の瞬間を迎える。花を愛する人々と出あう旅。
ヴァランソルValensoleのラベンダーLavandulaがとてもキレイでした.

朝メールを見ると26に関しての日程が変更されていました.ガーン!行くことができません.仕方ありません.
今日はXPの日です.KaさんとDaさんと頑張ります.午前中は準備.お昼はSaさんと.私はいつものようにバランスランチでしたがSaさんは丼物でした.さて午後もう一度XPを頑張りました.

国会議員の文書通信交通滞在費を廃止せよ!

京都新聞
気候サミット  首相の決意こそ必要だ

 巨大台風や洪水、干ばつ、海面上昇など異常としかいえない気象現象が頻発する。地球の悲鳴と正面から向き合い、具体的行動を始める契機となったのだろうか。
 異常気象の原因とみられる地球温暖化対策について各国の首脳レベルで話し合うため、国連の潘基文事務総長が開催を呼びかけた気候変動サミットが米ニューヨークの国連本部で開かれた。オバマ米大統領や安倍晋三首相など120カ国以上の首脳級が参加し、地球の温暖化防止に向けた「行動の促進」をテーマに意見表明した。
 今回の気候変動サミットは来年末にパリで開く気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)成功への機運を高める意味があった。1997年に京都であったCOP3で合意した京都議定書は、地球温暖化の原因となる二酸化炭素などの温室効果ガスの削減義務を先進国に課した。
 しかし、米国は離脱し、中国やインドなど発展途上国は対象外だったため、COP21では京都議定書に代わる全ての国が参加する新たな枠組み合意をめざす。
 サミットでは、オバマ米大統領が温室効果ガスの2大排出国である中国と米国に温暖化対策を主導する特別な責任があると強調したことが注目される。中国も2020年以降の削減目標を来年3月に示すことを記者会見で表明した。
 各国首脳が新たな地球温暖化対策の枠組み合意に向けた意思を確認した意味は大きい。潘事務総長も「今日は歴史的な日だ。こんなに多くのリーダーが気候変動について(対策を取ると)約束した」とサミットを総括した。
 残念なのは、安倍首相が日本の削減目標の提出時期や新たな削減策を示せなかったことだ。各国のリーダーが政治主導で温暖化防止に取り組む姿勢を鮮明にするなかで、安倍首相が過去の取り組みの報告に終始し、目標提示に尻込みした印象は拭えない。
 原発を含む将来の電源構成が決まらないことを理由に、地球温暖化対策に背を向けることは許されない。再生可能エネルギーや省エネの技術開発は日本のお家芸である。一刻も早く日本の立ち位置を定め国際社会に目標を明示すべきだ。
 サミットに先立ち、世界気象機関(WMO)が公開した架空の気象予報番組は象徴的だ。日本の50年秋の予報は「熱波の影響で京都の紅葉の見ごろはクリスマスごろになりそう」だった。人類に残された時間は少ないことをあらためて議論の出発点としたい。

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カケンイ説明会その2/台風が来る?/Fashion week de Paris

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Fashion week de Paris : l'asymétrie marine d'Anthony Vaccarello

Le styliste belge a choisi la Cité de la Mode et du Design pour dévoiler sa collection printemps-été 2015 à Paris.

Anthony Vaccarello a débarqué dans la capitale francaise auréolé du succès de sa collection présentée pour Versus Versace lors de la dernière fashion week de New York, et il ne cachait pas son habituelle assurance.
Pour la dernière collection de sa griffe, il a servi son imparable cuir travaillé facon rock'n'roll chic, ses jupes particulièrement asymétriques, ainsi que ses lanières et ses boutons métalliques. Mais il a aussi décidé d'ajouter de nouveaux éléments, comme des touches sportswear et marines (rayures bleu marine et blanches et gros boutons ronds rutilants surmontés d'ancres).
Le styliste a aussi joué sur la transparence avec des soies translucides ou semi-transparentes, convoquant aussi les plissés (qui ont décidément la cote cette saison). Coté coupes, il a fait la part belle aux jupes asymétriques, courtes ou longues, qui laissaient entrevoir le haut des cuisses de ses filles, avec aussi des shorts de saison et des pantalons larges.
Vaccarello n'a pas hésité à afficher les lettres d'"ANTHONY" en capitales oversize sur plusieurs tenues, rajoutant une touche graphique/streetwear à cette collection présentée au son d'une version longue du titre de Caribou "Can’t Do Without You".

カケンイの説明会です.2回目.10月14日が締め切りとのことですが・・・
台風が来る???というので早めに帰りました.でもネットでみたら台風はなくなっていたようです.
Fashion week de Parisだそうですが,どうでしょう・・・
Shさんは「私はベルディの『椿姫』聴いてました。『乾杯の歌』が有名。」だって.



仏教徒になった池上さん ソコツ
自分の戒名には「解説」の「解」か「説」を入れたいと述べる解説の達人、池上彰さん。彼が現代の日本人に向けて仏教の魅力を語った本である。第1章では仏教の誕生とその後の日本における展開の概論。これは基礎中の基礎に関する講義であり、仏教を既にある程度は勉強している読者は読み飛ばしてもよさそうだが、しかし「他の人と同じであることを大切にする日本人にとって、信仰を持っているとは言い出しにくい世の中になってしまいました」といった本質をついた指摘がときどきなされたりするのは、やはり確認しておきたい。第2章はインドでのダライ・ラマ法王への取材が中心。チベット仏教を鏡として日本仏教を考え直すような趣向になっているが、他方で、「チベット人による抗議の焼身自殺は仏教的によいことなのか?」といった突っ込んだ質問を法王に対してしてみたりしていて、さすが池上さん、といった感じ。第3章は池上さんによる等身大の仏教観の提示のような文章だが、「ダライ・ラマ法王との出会いによって、仏教の説く教えこそ、生きていく上での道しるべ、あるいは灯明として活かしていけそうだと確信できるようになりました」と述べつつ、日本における仏教の可能性を論じている。自分の感性を大事にしながら、しかしあくまでも冷静に理性的に仏教について考え直した末に自覚的な「仏教徒」となった池上さんの発言は、かなり示唆深く思われた。

河北新報
復旧待つ墓前で祈り 彼岸の中日

 秋分の日の23日、東日本大震災の被災地の寺院には、家族連れなどが彼岸の中日に合わせて墓参りに訪れ、先祖や震災犠牲者の霊を慰めた。
 震災の津波で大きな被害を受けた石巻市門脇町の西光寺の墓地でも、静かに手を合わせる檀家(だんか)の姿が見られた。倒壊した墓石の復旧は少しずつ進んでいるが、寺の周辺は被災した住宅が撤去され、空き地が広がったままだ。
 近所の自宅が津波で全壊した奥田和子さん(77)は今、仙台市太白区で長男一家と暮らす。23日は長男らと共に、夫らの眠る墓に線香を手向けた。
 津波で損傷した墓石は撤去し、来年春までに再建する予定。
 奥田さんは「墓が建つまでもう少し待っていて、との思いで祈った。震災から3年半たったが、周りには何もなく寂しい」と話した。

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雷乃声収/GainsbourgのCDと写真集借りました

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Je fume, je bois, je baise, triangle équilatéral. (Serge Gainsbourg)
Dieu a créé l'alcool pour que les femmes (et les hommes) moches baisent quand même. (Coluche)
L'alcool est le pire ennemi de l'homme. Mais la Bible nous enseigne d'aimer nos ennemis. (Frank Sinatra)
Quand j’ai bu, j’ai peur de rien. Je n’ai pas peur de la mort. (Renaud)

雷乃声収かみなりすなわちこえをおさむ です.
図書館に予約の本が届いているので借りに行きました.上野千鶴子の本に加え,GainsbourgのCDや写真集を借りました.

朝日新聞
宮城)被災かんぽの宿消える? 東松島市、後継者公募へ

 東松島市の震災遺構の候補で、休業中の「かんぽの宿松島」をめぐり、市は近く、所有者の日本郵政からホテル事業を引き継ぐ事業者を公募する方針を固めた。営業の再開には施設の改修が必要で、津波の爪痕を残す建物がまた一つ消える可能性が出てきた。

 市によると、公募は早ければ9月中にも行う。応募してきた事業者と市、日本郵政の3者で話し合い、事業の実現性を確かめる。市は日本郵政と施設を買い取る交渉を進めており、事業者が決まれば、市はいったん買い取った建物を無償で、土地は市の購入額と同額で譲る方針だ。

 かんぽの宿松島は、奥松島観光の拠点として1975年に野蒜(のびる)海岸に開業(96年改装)した。客室54室や天然温泉を備えた4階建て建物が、津波で2階まで浸水した。日本郵政は「営業再開は考えていない」との立場だ。

 一方、一帯は特別名勝「松島」の指定地域で、高い建物がない。そのため、地域住民は「避難ビルとして残してほしい」などと市に要望していたが、維持費が課題になっていた。

 かんぽの宿松島は、震災遺構を保存すべきか検討する県有識者会議の議論の対象にもなっていたが、市の申し出を受けて18日の会合で外された。

 この日の会合では、石巻市の旧門脇小学校、山元町の旧中浜小、気仙沼市の旧気仙沼向洋高校について議論した。次回は、仙台市の旧荒浜小と隣接する集落、南三陸町の防災対策庁舎について話し合い、年内にも評価をまとめる予定だ。(中林加南子、茂木克信)


毎日新聞
東日本大震災:福島第1原発事故 国費で荒廃家屋解体 避難区域、環境省特例方針

 環境省は、東京電力福島第1原発事故に伴う避難区域で、小動物被害などにより荒廃した家屋について、国費で解体する方針を決めた。東日本大震災の被災家屋解体の判定基準を特例的に拡大した。同省は、来春にも住民帰還が始まる福島県楢葉町から荒廃家屋の解体を始める考えだ。

 国費解体の対象はこれまで、震災による「半壊」以上の認定家屋のみ。しかし、原発事故から3年半が過ぎ、避難区域の家屋の多くは半壊以下でもシロアリやネズミなどの小動物、風雨の被害で清掃しても住めないほど荒廃が進んでいる。避難者からは「解体して建て直さなければ帰還できない」との声が相次いでおり、同省は住民帰還を進める上でも、荒廃家屋の国費解体が必要と判断した。

 環境省福島環境再生事務所(福島市)によると、事業費は放射性物質汚染対処特措法に基づき同省が予算化する。現在、事業の開始時期や解体判定の基準、自治体が行う判定作業の進め方などを復興庁と協議している。【栗田慎一】


NHK
東日本大震災の津波被災地で墓参り

彼岸の中日の23日、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた岩手県宮古市の田老地区では、犠牲になった人たちの遺族などが墓参りに訪れ、祈りをささげました。

宮古市田老地区では、震災の津波が国内最大級の防潮堤を乗り越えて押し寄せ、多くの犠牲者が出ました。
彼岸の中日の23日、地区にある常運寺には午前中から津波で犠牲になった人たちの遺族などが墓参りに訪れ、菊などの花を手向け、線香をあげていました。
津波で孫が犠牲になった男性は、孫が生前好きだったおもちゃや飲み物を供えて祈りをささげていました。
夫と息子が津波で犠牲になった宮古市の72歳の女性は「震災後は眠れない日が続いていましたが、徐々に落ち着いてきました。私たちのこれからを見守っていてくださいと報告しました」と話していました。


朝日新聞
原発事故避難者への慰謝料、打ち切り時期再検討へ

 東京電力が福島第一原発事故の避難者約8万人に支払っている1人月10万円の慰謝料について、国の審査会が、いったん決めた打ち切り時期の再検討に入る。昨年12月の指針では、避難指示の解除から「1年を目安」と決めていた。最も早い地域の打ち切り時期が半年後に迫り、避難生活の現状を改めて調べたうえで、見直すかどうか判断する。

 損害賠償制度を決める文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会は、昨年12月に打ち切り時期を決めた指針で「実際の(避難)状況を勘案して柔軟に判断していくことが適当」とも記した。慰謝料の目的には「故郷に長らく戻れなかったり、家族が離ればなれに暮らしたりして受ける精神的な苦痛」と「避難生活による経済的な負担を補うこと」も含まれている。早期解除が見込まれる地域の現地視察を踏まえ、年度内にも時期を見極める。

 原賠審はまず、国の避難指示が4月に初めて解除された福島県田村市の都路(みやこじ)地区や、10月1日の解除が決まっている川内村、来春にも解除が見込まれる楢葉町などを今月24日に訪れる。首長らと会い、避難生活でどれだけの損害が続いているのかの実態をつかみ、慰謝料の打ち切り時期が妥当かどうかを検討する。原賠審の活動再開は、昨年12月以来9カ月ぶりになる。

 対象者が多い楢葉町も視察し、山間部の都路地区との被害の違いを見る。打ち切り時期だけでなく、避難による失業や転職で減った所得への賠償、農産物などが受けている風評被害への賠償期間も議論する。

 慰謝料の対象は、避難指示が出された福島県の11市町村の避難者。東京電力は今のところ、昨年決まった指針に基づいて、都路地区の住民の慰謝料は来年3月で打ち切る方針だ。賠償のお金は一時的に国が肩代わりするが、最終的には東電が利用者の電気代から支払う仕組みになっている。

     ◇

■被災者や地域再生も考慮に

 原子力損害賠償紛争審査会が昨年指針を決めたとき、避難指示の早期解除が見込まれていた田村市都路地区では、「解除と同時に慰謝料が打ち切られる」という不安が広がっていた。これを打ち消すため、見切り発車での「当面1年」の決定があった。

 その直後、地元からは「1年では短すぎる」と見直しを求める声が上がっていた。いったん人々の暮らしが失われた地域では、仕事や地域のつながりはすぐ元に戻らないからだ。

 約7400人の全住民が避難し、来春以降の帰還を目指す楢葉町の松本幸英町長は22日、慰謝料は「(指示解除後も)少なくとも3年間ぐらいないと困る」と取材に答えた。強制避難のためほぼ手つかずだった家の修繕は約1800世帯に上る見通しだが、人手不足などから工事は大幅に遅れる可能性が高い。川内村でも交通費などの生活費がかさむと心配される。主な収入源だった農林業も、再開は厳しい状態だ。

 一方で、慰謝料が続けば避難指示を受けていない自主避難者らとの経済格差が広がり、「地域の分断が激しくなる」「自立が遅れる」との懸念も地元にはある。原発事故の賠償は、弱者救済の視点だけでなく、被災者や地域の再生の実情を調べ、考えてほしい。(編集委員・大月規義、伊藤弘毅)

     ◇

 〈原子力損害賠償紛争審査会〉 原発事故で生じた被害について、対象範囲や損害額の計算方法を決める文部科学省の組織。大学教授や弁護士、放射線の専門家ら約10人で構成し、随時、賠償の指針をまとめる。昨年までに大枠の指針は作り終え、今後は検証や見直し作業に入る。


NHK
広島土砂災害 被災地で犠牲者の法要

彼岸の中日の23日、先月の土砂災害で被害を受けた広島市安佐南区の墓地で、犠牲となった74人を弔う法要が営まれました。

先月20日に発生した広島市の土砂災害では、土砂に巻き込まれるなどして合わせて74人が亡くなりました。
被害が大きかった安佐南区にある「緑井墓苑」では、彼岸の中日の23日、74人を弔う法要が営まれました。
法要には遺族や近隣の住民など多くの人たちが参列し、僧侶の読経の声が響くなか、焼香して犠牲者を悼みました。
40代の女性は「犠牲になった方々に安心して休んでもらいたいという思いで参列させていただきました」と話していました。
法要を営んだ僧侶の前原善香さんは「たくさんの人たちに参列してもらい、亡くなった方々もほっとしておられると思います。残された私たちも、1日も早い復興を願って、力を合わせて行きたいと思います」と話していました。

朝日新聞
川内原発の再稼働反対、東京で集会 作家らが呼びかけ

 脱原発を訴え、九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)の再稼働に反対する集会が23日、東京都江東区の亀戸中央公園であった。主催者発表で約1万6千人が参加。作家の澤地久枝さんは「安倍晋三さんに『原発をただちにやめる』と言わせたい。一緒に歩いて声をあげる以外に道はないが、生き生きと笑って闘おう」と訴えた。

 澤地さんや作家の大江健三郎さんらが呼びかけた「『さようなら原発』1千万署名 市民の会」が主催した。大江さんは「『3・11直後の強く明確な反原発の国民感情が弱まっているのでは』という悲観的な観測や不安がある」と指摘。そうした背景があって、安倍政権が強硬に政策をすすめていると分析し、「私たちは断固として進まねばならない」と呼びかけた。

 集会後、参加者は墨田区のJR錦糸町駅近くまでデモ行進し、「再稼働反対」と声をあげた。

フランス語
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クリーニングでしみ抜きできず残念

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Japon: Des sumo prennent des bébés en larmes dans leurs bras pour attirer les bontés divines

C’est une tradition destinée à faire ≪pleuvoir les bontés≫…
La tradition remonte à quatre siècles: des sumotori tiennent à bout de bras des bambins en pleurs dont les cris parviendront jusqu'au Dieu de miséricorde qui fera pleuvoir sur eux ses bontés. Une cérémonie du ≪Naki Sumo≫ s'est tenue dimanche dans le temple d'Irugi, à Tokyo, avec des sumo amateurs et 108 enfants âgés de six à 18 mois. ≪Les cris des enfants sont censés atteindre Dieu. Les parents espèrent ainsi que leur progéniture sera forte et en bonne santé≫, a expliqué à l'AFP le prêtre Yoshimi Morita.
≪Si un bébé ne pleure pas, les sumo s'efforceront de l'y amener≫ en le mettant nez à nez avec un autre bébé larmoyant dans une pantomime de combat. Au besoin, le prêtre pousse des hurlements, le visage déformé par une méchante grimace. Peu d'enfants y résistent. La cérémonie s'achève par un choeur de ≪banzai raku!≫ qui signifie ≪longue vie≫. Yuki Ibusuki est venue avec son fils. ≪Il aura bientôt un an et je voulais qu'il garde un souvenir de cet événement quand il sera grand≫.
avec AFP

朝からナノザで会議.眠いです.その後クリーニングに出していた半そでを取りに行きました.シミになっていたのは落ちなかったとのこと.残念.
夜久しぶりにレンタルビデオと本屋に行きました.

河北新報
高台移転先の地盤強度不足 陸前高田と田野畑

 東日本大震災の高台移転用地として造成された岩手県内の住宅地で、地盤の強度が建築基準法で定められた基準を満たしていない事例が相次いで発覚した。事業主体の自治体は地盤を強化する再工事を施すなど、対応に追われる。住宅を建設する住民が工事費用を自己負担したケースもあり、自治体は補填(ほてん)する方針。
 強度不足の造成地があったのは、陸前高田市小友町の両替団地(14区画)の2区画と新田団地(7区画)の3区画、田野畑村羅賀の拓洋台団地(32区画)の10区画。いずれも傾斜地の斜面を削った切り土の造成地。
 陸前高田市の2団地のケースでは、ともに造成業者から市に引き渡される前に行った地盤調査で問題はなかった。市は切り土の場合、1団地で1区画を調べることにしており、強度不足が分かった区画は対象外だった。
 区画の端の部分に補強のため板状の建材を入れたが、その上部に盛った土の締め固めが不足したのが原因とみられる。
 新田地区の3区画では、建築業者から強度不足を指摘された住民が既に自己負担で補強工事を施しており、市は費用を補填する。市復興対策局の熊谷正文局長は「切り土は比較的地盤が固いため、強度不足は想定していなかった。同様の工法を取った区画は全て調査する」と話した。
 田野畑村の団地は造成工事直後の調査では問題がなかったが、その後に地下水が上昇したとみられ、強度が不足していた。村は今後、地盤改良の工事を実施する。
 造成地の強度不足をめぐっては、気仙沼市や宮城県女川町で、移転する住民が自己負担で工事を実施するなどのケースが出ている。


河北新報
石巻の震災孤児へ寄付6000万円

 石巻市で、東日本大震災で両親を亡くした子どもたちを支援する寄付が絶えない。市教委に寄せられた金額は7月末現在で6000万円を超える。全額が市の奨学金基金に積み立てられ、児童生徒の就学に生かされている。市教委は「犠牲者が被災自治体で最も多く、将来を担う子どもたちを案じてくれているのではないか」と感謝する。

◎市教委「案じる思いの表れ」

 市によると、震災で両親が死亡・行方不明となった奨学金の対象は40人。市は2012年度、このうち小学校から高校まで在学中の子どもに支給を始めた。
 月額が小学生1万円、中学生2万円、高校生3万円で、返還の必要はない。本年度の受給者は29人。市が震災前から運用する貸与型の奨学金基金が財源で、震災孤児に対する寄付があった場合は基金に積み増している。
 寄付額は11年度が約200万円で、給付を開始した12年度は約2600万円に増え、13年度も約2000万円に上った。本年度は4〜7月の4カ月間で約1200万円に達している。
 寄付者は全国に広がり、企業やNPO法人などの団体、個人と幅広い。石巻市内でインテリア雑貨店を営んでいた女性は「一番の復興は子どもたちの笑顔」と、11年から3年間で計100万円を市教委に届けた。
 富山市の男性らは親戚の遺産の一部を被災地で役立ててもらおうと、ことし5月に1000万円を寄付。一定額を毎年・毎月寄せる人もいるという。
 奨学金の対象となり得る最年少は、発生当時1歳だった2人。高校卒業は27年度の見込みで、息の長い支援が必要となる。石巻市教委の境直彦教育長は「寄付してくれた皆さんの思いを大切に、子どもたちが学業に専念できる環境を整えていきたい」と話す。


朝日新聞
(へぇな会社)東銀座印刷出版 被災地に寄付、毎年1千万円

 2011年の東日本大震災の発生以来、毎年、千万円単位の寄付金を被災地に贈っている。

 きっかけは、震災直後の溜口(ためぐち)美津副社長の一言だった。「ちょうど決算期。3月の利益はなかったことにして、その分を寄付しては」。すぐに臨時取締役会を開き、1カ月の利益にあたる3千万円を、被災地に贈ることを決めた。

 生協の宅配カタログのデータベース制作などをサポートする総合印刷業の会社。震災直後から、全国の生協が被災地に支援に入っているのに、仙台など取引先の生協や被災者を助けられないことに、溜口副社長はもどかしさを感じていた。浜賢司社長も「生協を通じて生活者を相手にする商売。経営が苦しいときに周囲に助けてもらい、十数年前からやっと利益が出るようになった。社会貢献をするのは今」と同調した。

 当初、社内の反応はさまざまだった。「本当に寄付したのか。領収書を見てみたい」と半信半疑の労組員がいる一方、苦しい時期を知るベテラン社員は「そんなことができる会社になったのか」と、涙を流さんばかりに喜んだという。

 寄付は11年だけは日赤経由で、12年からは生協の紹介などで、被災地に直接、1千万円を届けている。宮城県の漁協には、プレハブの作業場建設や冷蔵庫の購入費用として役立ててもらい、復興の記念植樹式典に招待された。

 今年は大雪によるビニールハウスの復旧費用として、福島市の青果市場に700万円を贈った。「震災から何年も経って、そんな奇特な会社があるはずはない」。最初は信じてもらえず、浜社長らが直接市場を訪れ、やっと納得してもらったという。直後、一箱50本入りのキュウリ100箱が会社に届けられた。

 また、会社の寄付とは別に、社員参加の「ワンコインデー」もある。震災発生日にちなんで、毎月11日に社内で袋が回る。集まったお金は、そのまま贈ったり、被災地の生産物を買ったりしている。これまで、桃やストラップ、本のしおりなどを購入した。

 浜社長は「社員の報酬に影響が出るわけではない。利益が出る以上はずっと続けたい」と話す。(西前輝夫)

     *

 1953年創業。本社は東京都豊島区高田3丁目。資本金1億2千万円。売り上げ42億円、営業利益4億円(2014年3月期)。従業員110人。

 ■社員のつぶやき 営業1部・富樫美樹子さん(33歳)

 山形県出身ですが、仙台市の高校に通っていました。震災で高校の先輩が亡くなり、家を失った友人もいます。被災地は雇用状況が厳しいと聞きますが、個人ではなかなか助けてあげられません。でも、会社ならできることはあります。寄付は形に残るので、ぜひ続けてほしい。


東京新聞
平和・中道、貫いてこそ 結党50年の公明党

 きのう党大会を開いた公明党は今年、結党五十年の節目に当たる。自民党の補完勢力に堕さず、「平和主義」「中道主義」を貫く決意を新たにしてほしい。

 公明党は宗教団体「創価学会」を母体に東京オリンピック開催の一九六四年に誕生した。政党の離合集散が相次ぐ中、共産、自民両党に次ぐ党史を有する。

 九三年、細川「非自民」連立政権に初めて参加。九九年からは自民党と連立を組み、野党転落を挟んで、二〇一二年の第二次安倍内閣誕生で政権与党の座に返り咲いた。与党歴は通算十三年弱。日本政治の枢要な地位を占めている。
◆安保政策変遷の党史

 それだけ、国民の期待と責任は以前にも増して大きくなっていることを、まずは自覚すべきだ。

 与党の一角を占めているとはいえ、自民党の八分の一程度の小勢力である。発言力に限りがあることは理解する。

 しかし、「一強」支配を強める第二次安倍内閣になって、自民党に押し切られる場面が多くなってはいまいか。強引な政治に歯止めがかけられないのなら、与党にとどまる意味はあるのか。

 安倍晋三首相が七月一日、閣議決定に踏み切った「集団的自衛権の行使」容認は、公明党の存在意義が問われる局面だった。行使を認めないことは、「最後の一線」でもあったからだ。

 公明党の安全保障政策の変遷を振り返ってみよう。

 結党五年後、六九年の党大会で「すべての国際紛争は絶対に武力によらず、平和的外交手段で解決すべきだ」との「絶対平和主義」を掲げ、日米安全保障条約の段階的解消と完全中立を主張した。自衛隊も認めていなかった。

 この方針を転換したのは八一年の党大会である。安保条約を容認し、自衛隊の存在も認めた。
◆一線越える閣議決定

 その後、自衛隊を海外に派遣する国連平和維持活動(PKO)協力法や、日本周辺で米軍を後方地域支援する周辺事態法に賛成。

 連立政権参加後は自民党と歩調を合わせ、インド洋で活動中の米軍など多国籍軍への海上自衛隊の給油活動を可能にするテロ対策特別措置法や、イラクでの陸上、航空自衛隊の人道支援や多国籍軍支援を可能にするイラク復興支援特措法を成立させた。

 この間、公明党が一貫して主張してきたのは、自衛隊活動が憲法九条の禁じる「海外での武力の行使」「集団的自衛権の行使」に当たらないようにすることだ。

 このころは自民党も聞く耳を持ち、公明党が政権内で歯止め役を果たしてきたのは事実だろう。

 しかし、七月の閣議決定は、どうも様子が違う。自民党に押し切られ、公明党が守ってきた最後の一線を越えたように見えるのだ。

 閣議決定直前、公明党の県代表懇談会で、都道府県代表者から行使容認への慎重意見が相次いだのは、党の存在意義が失われるとの危機感からではなかったか。

 党大会で四選された山口那津男代表は本紙のインタビューに「いわゆる集団的自衛権を認めたわけではない」「専守防衛は貫かれている」と答えている。

 ならば、来年の通常国会以降予定されている自衛隊法など関連法の改正作業を通じて実証してほしい。軍事優先の姿勢が際立つ安倍内閣だからこそ、公明党が立党の原点でもある平和主義を貫き、歯止めをかける意義は大きい。

 安倍首相の歴史認識に対する中国側の反発で冷えきった日中関係の改善でも、果たすべき役割がある。かつて国交正常化を切り開いた党の政治的資産を生かし、日中両国の政党間交流を一層活発化させ、関係正常化に向けた環境整備を進めてほしい。

 同時に、安倍首相が靖国神社に再び参拝して外交問題化しないよう働き掛けることも重要だ。支持母体の創価学会には戦前、戦中に国家神道の下、弾圧された歴史もある。公明党は、より積極的に歯止め役を務めるべきではないか。

 公明党は消費税率10%への引き上げに当たって、軽減税率の導入を主張している。私たちの新聞は消費税の増税そのものに反対してきたが、経済的弱者への対策である軽減税率すら導入されないのであれば、少なくとも10%への引き上げは見送るべきだろう。
◆連立優先支持されぬ

 公明党は綱領に<生命・生活・生存>を柱とする「人間主義=中道主義」を掲げる。左右どちらにも偏さず、一人の命や幸福を大切にする中道路線の重要性は、国権主義的な地金を見せる安倍政権でより増しているのではないか。

 巨大な自民党を相手に、言い分を通すのは容易ではないが、「連立ありき」で同調してばかりでは国民の支持は得られまい。次の五十年に向けて新たな地平を開けるのか。今が正念場である。


毎日新聞
視覚障害と社会 無関心という罪の重さ

 埼玉県内の盲学校に通う高等部の女子生徒が今月8日、JRの駅構内で何者かに背後から強く足を蹴られ、全治3週間のけがをする事件があった。生徒は全盲のため白杖(はくじょう)をつき、点字ブロック上を歩いていた。突然の暴力に遭遇した生徒は痛みだけでなく、恐怖も大きかっただろう。

 警察は目撃情報などから、知的障害のある40代の男を容疑者として任意で取り調べている。捜査を尽くしてもらいたい。

 視覚障害者が外を歩くのに、いかに障壁が多いか。今回の事件をきっかけに浮き彫りになったことだ。

 視覚障害者団体によると、人や物とぶつかって白杖が折れたり、暴言を浴びたりといったことが日常茶飯事だという。神戸市では今年4月、白杖を手にスーパーの通路のいすに座っていた全盲女性が、足につまずいた男に殴られ顔面を骨折した。逮捕された男は「女性の足に引っかかり腹が立った」と供述したという。

 白杖や点字ブロックは何のためにあるのか。健常者と障害者が共生する社会の実現が長く言われながら、関心のない人があまりに多い。

 道路交通法のきまりで、視覚障害者が道路を歩く時はつえをつくか盲導犬を連れなければならない。つえの色は白か黄色と決まっている。つえは単なる道具ではなく、視覚障害者の目や足の代わりとなる命綱だ。

 点字ブロックは、視覚障害者が足の裏の触感覚で認識できるよう突起をつけたプレートだ。各自治体が条例に基づいて歩道や駅、公共施設などで設置を進めている。

 点字ブロックは1965年に日本で考案された。岡山県内に世界で初めて設置され、今では世界150カ国以上に普及している。そんな歴史がありながら、その有用性が社会に浸透しているとはとても言えない。

 点字ブロック上への駐車や駐輪は日常的で、物も置かれる。多くの歩行者も点字ブロックの存在に無関心だ。歩きながらスマートフォンを操作していれば、つえをつく視覚障害者に気付かず、ぶつかる危険が高いことは容易に想像がつく。

 法律が徐々に整備され、社会のバリアフリー化が進む。スロープや障害者対応トイレが駅や公共の場所で増えている。だが、そうした施設の整備に人の心が追いついているだろうか。そんな疑問が湧いてくる。

 障害者と街で出会えば、危険な目にあいそうにないか目配りをする。困っていれば手を差し伸べる−−。学校や家庭の教育を通じて身についているはずの常識が、どこかですっぽりと抜け落ちていないか心配だ。

 障害者の立場を思いやることが大切だ。私たち一人一人の振る舞いが問われている。

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お彼岸のお墓参りをしました/草ぼうぼう

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Le Neveu de Rameau a été écrit par Diderot entre 1762 et 1722. C'est un dialogue entre «moi», le narrateur qui resssemble fort à Diderot et le neveu du célèbre compositeur français, Jean-Philippe Rameau.
『ラモーの甥』はディドロが1762年から72年にかけて執筆した小説で,ディドロそっくりの語り手の「私」とフランスの著名な作曲家ジャン=フィリップ・ラモーの甥との対話の形をとっています.
「パレ=ロワイヤル,あるいは革命の決起演説の地」
ディドロ『ラモーの甥 Le Neveu de Rameau』(1762-72)
作家とともにパリ散歩  井上 櫻子 いのうえ さくらこ Vincent Brancourt ヴァンサン・ブランクール

お彼岸でお墓参りです.いいのか悪いのか悲しい思いはあまりありませんでした.その後移動して,父と母が住んでいた家があったところへ.草ぼうぼうです.背丈ほどあって家の跡は全くありません.メガソーラーになるのか公園になるのかわかりません.
仙台の一番丁を歩いていると,年賀状・喪中はがきの案内をしている印刷屋がありました.確か年賀状は10月30日から売り出しだと思うのですが,早いです.

河北新報
震災後初、長瀞小で運動会

 東日本大震災で津波被害を受けた校舎を現地で再建し、8月から授業を再開した宮城県亘理町の長瀞小(児童193人)が20日、4年ぶりに校庭で運動会を開いた。校舎再建を待ち望んだ地元住民も多く来場し、久々に見る元気な子どもたちの姿に笑顔を見せた。

 開会式で佐藤博幸校長は「ここで学べる喜びを全力で表現しよう」とあいさつ。児童らは呼び掛けに応えるように、徒競走や騎馬戦などで懸命に力を競った。
 5年の金井田大雅君(11)は「すごく緊張したけど、全力で走って満足。再びここに戻って運動会ができてうれしい」と思いを語った。
 玉入れでは多くの住民らが参加したほか、卒業した中学生によるリレーも行われた。
 昼食時には、住民自治組織の吉田東部地区まちづくり協議会が提供した紅白餅2000個を、新築した校舎2階から児童らに向かってまき、地域に戻ってきた祭典を世代を超えて盛り上げた。
 同校は震災後、内陸部の吉田中で授業を行い、運動会も同中で規模を縮小して開催していた。
 協議会の佐藤実会長は「学校が戻ってきた感謝を込めた。子どもたちから地域に元気をもらえた」と喜んでいた。

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青森観光 ねぶたの家 ワ・ラッセがすごい/陸奥八仙

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Comme Rousseau ou Montesquieu, Diderot est un des philosophes les plus célèbres de XVIIIe siècle. Il est l'auteur de divers écrits philosophiques, de pièces de théâtre et de romans. C'est Diderot qui, de 1751 à 1772, mènera à bien la gigantesque enterprise de l'Encyclopédie, en reunissssant autour de lui les intellectuels de son temps.
ディドロはルソーやモンテスキューとならび,18世紀を代表する思想家の一人です.数々の思想的著作や劇作品,小説を残しています.ディドロは1751年から72年にかけて,同時代のさまざまな知識人を集めながら『百科全書』の刊行という大変な試みを成し遂げました.
「パレ=ロワイヤル,あるいは革命の決起演説の地」
ディドロ『ラモーの甥 Le Neveu de Rameau』(1762-72)
作家とともにパリ散歩  井上 櫻子 いのうえ さくらこ Vincent Brancourt ヴァンサン・ブランクール

札幌から寝台列車で青森に来ました.寝台とはいえあまり眠れなかった気がします.
ともあれまちなかおんせんで汗を流し,古川市場でのっけ丼を食べて,市内観光へ.八甲田丸の昭和の青森やアスパムでの津軽三味線音色頒布会はよかったです.でも一番すごかったのはワ・ラッセのねぶた囃子生演奏&ハネト体験ショーです.
その後2時の新幹線で仙台に向かいます.はやぶさです.初めてのはやぶさ.東北新幹線自体ものすごく久しぶりです.
夜は牛タン.実はそんなに好きではないんだけど・・・陸奥八仙が美味しかったです.


青森ねぶた祭り 2014

河北新報
災害住宅165戸に157世帯申し込み 気仙沼

 気仙沼市は19日、市内で最も早く完成する南郷地区の災害公営住宅(165戸)の入居申し込み状況を発表した。仮申し込みをしていた世帯を対象に1〜16日に募集したところ、157世帯から応募があった。
 構造は鉄筋の集合住宅タイプで、6階建ての2棟が来年1月、10階建ての1棟が同3月に完成する。市は部屋割りの抽選会をことし10月18、19日に条南中体育館で行い、歩行困難者がいる世帯を優先して低層階に入居させる。
 空き部屋は車いす専用住宅1戸を含む8戸で、補欠登録者に割り当てる。
 気仙沼市は市内28地区に災害公営住宅2158戸を計画。市街地に集合住宅タイプの1347戸を建設し、郊外に一戸建て・長屋タイプを811戸建てる。全て完成するのは2017年5月の見通し。


毎日新聞
辺野古掘削調査 知事選まで作業中断を

 防衛省沖縄防衛局が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に向け、海底を掘削して埋め立て地盤の強度や地質を調べるボーリング調査を開始して1カ月たつ。県民の反対を押し切って、既成事実を積み上げようとするかのようなやり方を、私たちは憂慮する。沖縄との亀裂をこれ以上、深めないよう、政府は掘削調査を中断し、11月16日に投開票される沖縄県知事選の結果を待つべきだ。

 政府は、2004年にも掘削調査を実施しようとしながら反対派の阻止行動で中止に追い込まれたことから、今回は立ち入り禁止水域を拡大して警戒を強めており、反対派などから過剰警備との批判が出ている。

 政府が強硬方針を貫く支えは、昨年末に仲井真弘多(ひろかず)知事が辺野古埋め立てを承認したことだ。だが、前回知事選で「県外移設」公約を掲げて再選された仲井真知事が、辺野古埋め立てを承認したことは「公約違反」と言われても仕方がない。

 県民は反発し、1月の名護市長選では移設に反対する稲嶺進市長が再選され、先の名護市議選でも市長派が過半数を維持した。今月3日には県議会で、野党4会派のほか与党の公明党も賛成して、掘削調査に着手した政府に抗議し、工事の即時中止などを求める意見書が可決された。

 名護市長と多くの県民が辺野古移設に反対する中で、埋め立てを承認した知事の判断は、民意を代表したものだったと言えるのか。11月の知事選はそれが問われる選挙になる。

 しかし、安倍政権はあまり聞く耳を持たないようだ。それどころか、沖縄で反対の声が高まれば高まるほど、仮に知事選で仲井真氏が敗れても辺野古移設に影響しないようにするため、工事を進めて既成事実化を図ろうとしているように見える。

 菅義偉官房長官は、先日の記者会見で、辺野古移設について「最大の関心は沖縄県が埋め立てを承認するかどうかだった。この問題はもう過去のものだ」と語った。反対意見を「過去の問題」と切り捨てるような発言は、納得できない。

 米国のジョセフ・ナイ元国防次官補は先月、米ニュースサイト「ハフィントン・ポスト」に寄稿した論文で、沖縄の米軍基地が中国の弾道ミサイル技術の進展で「脆弱(ぜいじゃく)」になっていることや、沖縄の人々の基地負担に対する怒りを指摘して、在日米軍の配備のあり方など日米同盟の構造を再考するよう求めた。

 外交・安全保障の専門家までがこう提言する中で、政府が辺野古移設を「唯一の解決策」とするのはなぜか。政府は沖縄の人々に十分な説明をする責任がある。掘削調査は、知事選が終わるまで中断すべきだ。


東京新聞
スコットランド 民意表明の尊さ示した

 独立をめぐる住民投票の結果、スコットランド市民は英国残留を選んだ。武力が介在する投票とは一線を画し、英国解体も懸念された歴史的選択を平和裏に進めた欧州の良識を評価したい。

 僅差になるとの予想を覆し、有権者は明確な「ノー」を表明した。キャメロン首相は勝利宣言を行ったが、投票日間際のなりふり構わぬ残留働き掛け、最後はエリザベス女王の「慎重に」という異例の発言にも助けられ、「英国解体」を辛うじて免れたというのが実態だろう。

 スコットランドが独立を求める歴史的背景は遠く十四世紀以前まで遡(さかのぼ)れるが、今回の直接のきっかけはブレア政権時の地方分権政策で独自の議会、政府が認められたことにある。

 地方行政に関する権限移譲を獲得しながら、昨年十一月には、北海油田からの税収を主な財源に、福祉、教育、雇用政策や核兵器撤去など外交安保問題も含む北欧型の高度福祉国家像の理念を描いた独立白書を発表し、徐々に支持を広げていた。

 反英国感情の大きな要因がサッチャー政権時代の民営化政策による地元国営企業の民営化だったとされる。石炭、鉄鋼などスコットランドの基幹企業の多くが「保守革命」のもと解体され、大量の失業、地場産業の衰退を来した。当時の遺恨を独立支持の根拠にあげる人も少なくない。

 独立白書が「社会的」「公平」「共同体的」な国家像を強調していたのも、「社会というものなど存在しない」と公言したサッチャー路線とは好対照だった。

 キャメロン首相は、社会保障分野を中心にスコットランドに対する一層の権限移譲を約束した。投票結果が今後の交渉に生かされることを期待したい。

 スコットランドの試みが、少数民族問題を抱える他の諸国へ飛び火すると懸念する声が強い。住民投票は、有権者の基本的な意思表明の権利だ。一方で、ナチス時代の経験からその行使を基本法(憲法)で制限しているドイツのような例もある。各国の歴史を踏まえた制度の尊重が前提となろう。ロシアによるクリミア併合のような、武力を背景にした行使が正当化されてはならない。

 スコットランドが英国に示した不満は、そのまま英国がEUに抱く不信に通じる。EU離脱の国民投票を公約に掲げるキャメロン首相のEU政策が問われていることも忘れてはならないだろう。

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道庁前原発再稼動反対抗議行動に参加

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Son art des contrastes, son jeu sur les lumières et sa façon de donner au ciel un rôle essentiel dans ses gravures, le tout allié à un minutie extrême, contribuent à créer un univers au pouvoir de fascination intact.
コントラストの技法,明暗の妙,版画の中で空に重要な役割を与える手法,それらすべてがきわめて厳密に結びつけられ,実に魅惑的な世界を生み出すのである.
「夕暮れのセーヌとノートル=ダム」
ヴェルレーヌ『サチュルニアン詩集 Poèmes saturniens
「パリのノクターン Nocturne parisien」(1866)
作家とともにパリ散歩  井上 櫻子 いのうえ さくらこ Vincent Brancourt ヴァンサン・ブランクール

お昼は札幌ら〜めん共和国の空で塩バターコーンラーメンです.5分くらい並びました
札幌駅南口ではセイコーマートがワインバーを開いていました.飲み比べが400円.シャブリが美味しかったです.
夜は道庁前原発再稼動反対抗議行動に参加しました.

河北新報
震災遺構 門脇小保存に前向き 県有識者会議

 東日本大震災で被害を受けた遺構の保存の在り方を考える宮城県の有識者会議(座長・平川新宮城学院女子大学長)は18日、県庁で第5回会合を開いた。委員からは、門脇小(石巻市)、気仙沼向洋高、中浜小(山元町)、野蒜小、浜市小(ともに東松島市)を遺構として保存することに前向き意見が相次いだ。

 門脇小では、津波で運ばれてきた車両の出火により校舎が延焼。多くの委員が「津波火災があったことを示す唯一の施設」「歴史ある学校だが、来年度から石巻小に統合される。市民の思い入れは強い」などと保存の意義を強調した。
 一方で、解体を要望する住民がいるため「住民に苦痛を与えることへの配慮が必要」との指摘もあった。
 気仙沼向洋高に対しては、近隣の工場や車などの津波漂流物が激突した南校舎の価値を評価する声が多かった。屋上への避難者全員が救出された中浜小に関しては「県南の平らな地形で津波避難ビルがいかに有効かを語り継ぐ上で貴重」との声があった。
 野蒜小、浜市小には「周辺地区の被害を後世に伝える役割がある」と保存に肯定的意見が出た。
 前回まで議論の対象だったかんぽの宿松島(東松島市)は、民間事業者に貸与して活用されるため対象外となり、有識者会議が評価するのは9施設となった。
 有識者会議は11月ごろに次回会合を開き、荒浜小と周辺住宅跡(仙台市若林区)、南三陸町防災対策庁舎について議論。年内にも「ぜひ保存」「保存する意義はある」「それ以外」の3段階の総合評価をまとめる。


朝日新聞
「勇気もらった」 星野監督退任、被災地から感謝の声

 プロ野球界の闘将がユニホームを脱ぐ決意を固めた。楽天の星野仙一監督(67)が18日、今季限りでの退任を表明。記者会見では、東日本大震災を経験した東北への思いもあふれた。

 「去年は優勝して勇気をもらった。残念です」。自宅と経営していた飲食店を津波で流された宮城県気仙沼市の斎藤千賀子さん(64)は、退任を惜しんだ。

 市内の仮設店舗にカフェ兼雑貨店を開き、仮設住宅から通っている。入居予定の災害公営住宅は完成が当初の予定より1年以上遅れる。仮設店舗も2〜3年以内に取り壊される。先の見通せない生活を送るが、「熱血漢のような姿を見て、力づけられてきた」。

 石巻市内の仮設住宅に住む市立湊(みなと)小5年の岡本力(りき)君(11)は「(昨年の日本一は)弱かったチームを強くしてくれた星野監督のおかげ」。野球チームで内野手としてプレーしている。東北での野球人気を盛り上げた星野監督に「ありがとうございました」と感謝の言葉を送った。

 試合を見るためコボスタ宮城に向かっていた塩釜市の大友次雄さん(68)は、車のラジオで退任を知った。

 ボランティアで訪れた仮設住宅で、被災者の励みになっていたのが楽天だった。集会所のテレビで多い時は30人で観戦し、住民が交流を深めるきっかけになった。「宮城がこれだけ盛り上がったのも星野さんがいたから。被災者へのすてきなプレゼントだった」。自身も震災で家が傾く被害を受けた大友さんは振り返った。


朝日新聞
1カ月捜し続けた 広島土砂災害、最後の不明者確認

 広島土砂災害の発生から20日で1カ月になるのを前に、最後まで行方が分からなかった広島市安佐南区の大屋弘子さん(67)の死亡が確認された。親しい人たちが、その死を悼んだ。

 「ただただ、早く見つかってほしいと思っていました」。遺体発見の一報を聞いた弟の浜野順次さん(65)=松江市=はそう語った。弘子さんは元小学教諭で何でも相談できるしっかり者。昨年がんの手術を受けたが経過はよく、「これで楽しみが増える」と話していた。その矢先だった。

 地元の町内会長の川地勇さん(71)は「穏やかだけどしっかりしていて、近所の人たちから愛されていた」と人柄を惜しんだ。町内会の清掃や、年1度のグラウンドゴルフ大会の打ち上げの時は、弘子さんお手製の鶏のからあげや漬物をみんなで楽しんだ。「もっと早く見つけてあげられればと思うと、つらく、苦しい。でも、見つかってくれてほっとした」

 発見現場の県営緑丘住宅に住む知人の田丸芳嗣さん(76)は18日、遺体が現場から運び出される際に手を合わせて見送った。「もう1カ月。ほんとに長かった。ご冥福をお祈りするだけです」と語った。

 広島土砂災害の行方不明者は最大時に52人にのぼった。その後、安否確認ができた人もおり、発生9日後には2人になっていた。

 2011年9月の紀伊半島大水害では、奈良、和歌山、三重の3県で16人の行方が今もわかっていない。10人が行方不明になった奈良県では、川沿いの宅地ごと川に流され、10キロ以上、下流のダム湖で見つかった犠牲者もいた。奈良県警警備2課幹部は「捜す場所を絞り込めない」と話す。

 09年8月の水害で18人の死亡が確認された兵庫県佐用町でも、当時小学4年だった男児ら2人が行方不明のままだ。男児のランドセルは自宅から10キロ以上離れた河川敷で見つかった。

 昨年10月に土砂災害で36人の死亡が確認された伊豆大島(東京都大島町)では、土石流が海まで達し、海中で見つかった遺体もあった。いまも3人が行方不明のままだ。(国米あなんだ、高島曜介、長谷川健、佐藤卓史)

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玄鳥去つばめさる/ちゃんちゃん焼きが美味しい 

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Au moins 1645 baleines tuées dans le monde en 2013

La Norvège et le Japon sont les premiers pays chasseurs de baleines selon la Commission baleinière internationale, qui se réunit cette semaine en Slovénie.

Norvège, Japon et Danemark. A eux trois, ces pays ont tué plus de 1200 baleines en 2013, rapporte Le Monde à l'occasion de la Commission baleinière internationale (CBI), rassemblée à Portoroz, en Slovénie. Si ces mammifères marins sont protégés, au moins 1645 baleines ont été tuées l'année dernière et certains pays, comme la Norvège, ne reconnaissent pas l'interdiction de la chasse. D'autres, comme le Danemark (au Groenland), bénéficient de quotas de chasse pour les populations aborigènes.
Le Japon, lui, prétend pratiquer une "pêche scientifique", un argument qui ne convainc pas. Reconnu coupable par la Cour de justice internationale de détourner à des fins commerciales son autorisation de chasse, le pays a dû faire face mardi à la volonté de certains pays de voir la CBI faire appliquer cette décision.
L'Islande, quatrième chasseur de baleine derrière le Danemark, a également fait l'objet de critiques à la CBI. "Nous sommes très déçus par le fait que l'Islande, un pays connu pour être favorable à la protection de la nature, poursuive la chasse à la baleine", a déclaré mercredi le responsable de la délégation américaine de la CBI Ryan Wulff.
Avec AFP

朝少し調子悪いような気がしました.玄鳥去つばめさるでツバメがいないから?ではないと思いますが,少し寒いかも.
昼のご飯食べながらセミナーに行くのを忘れてしまいました.タダでご飯食べられたのに損した感じ.午後のお話は超満員.参考になった気がします.
そのあとすすきのでちゃんちゃん焼き.美味しいです.
ホテルの部屋はUSENが入っていてフレンチポップスを聞くことができます.なんだか嬉しいです.でも炭酸を飲みすぎて変な感じ.

河北新報
仙石線の東北線乗り入れ レール敷設完了

 JR東日本が、2015年6月までに目指す仙石線の全線運転再開に合わせた東北線への乗り入れで、使用する接続線のレール敷設が17日までに完了した。今後、信号機の設置や運用テスト、線路周辺の電気工事などに入る。
 同社東北工事事務所は同日、河北新報社に現地を公開した。接続線は、仙石線松島海岸−高城町駅と東北線塩釜−松島駅で両線が近接する区間に約300メートル敷設する。昨年9月に着工し、ことし1〜6月に分岐器(ポイント)を設置。8月末にレールの敷設を終えた。
 接続線を走る「仙石東北ライン」は仙台−石巻駅を約1時間で結び、東日本大震災による被災前より10分程度短縮する。運行本数は未定。花田正喜仙台工事区長は「スケジュール通りに工事が進み、一安心。一日も早い完成を目指す」と話した。


河北新報
大船渡市民「復興遅い」7割超

 東日本大震災からの復興の進捗(しんちょく)について、大船渡市民の74%が「遅い」と感じていることが、岩手県立大の意識調査で分かった。同じ方法で2011年12月に実施した調査を7ポイント上回った。健康に不安を感じる割合も前回調査より増加した。復興の遅れが被災者の負担になっている実態が表れた。

 市全体の復興の進行度合いに関し「かなり遅い」と回答したのは32%(前回26%)、「やや遅い」は42%(同41%)だった。震災時の居住区別では、旧三陸町(綾里、越喜来、吉浜地区)や赤崎町など被害が甚大だった地区で8割を超えた。
 生活上の不安を内容別に見ると「余震や二次災害」「地域経済」「仕事」などの項目でいずれも「かなり不安」と答えた割合は5〜19ポイント減少した。一方で「健康・体調」は3ポイント増加した。
 震災前の生活と比べ、将来は明るいと感じることが「かなり増えた」と答えたのは3%、「少し増えた」は10%で計13%にとどまった。
 前回調査に比べ合計で6ポイント減り、将来の生活に展望を描けない傾向が強まった。年代別では20〜30代が10ポイント減少。復興を担うべき若い世代で顕著だった。
 調査は昨年12月、市民1500人を対象に郵送で実施。759人から回答があり回収率は50.6%。同大は2年ごとに調査を継続する方針。


毎日新聞
原発の支援強化 脱依存政策に逆行する

 電力小売りの全面自由化に備え、経済産業省が原発支援の強化策を検討している。電気の価格競争が起きても、巨額の建設費や廃炉などのコストを消費者に負担させ、電力会社が赤字にならない仕組みを導入するという。新設や建て替えを容易にし、将来にわたって原発を維持するための仕組みと言える。

 エネルギー政策の将来像を示さないまま、原発の延命ばかりを図ろうとする政策には納得できない。

 原発は火力発電などに比べて巨額のコストがかかる。電力会社は発電費用を電気料金に転嫁させる総括原価方式と地域独占という制度に守られ数十年にわたって、そうしたコストを回収してきた。

 ところが2016年度に予定される電力小売りの完全自由化で地域独占は失われる。総括原価方式もその後、廃止される。新規参入が増えて電気の市場価格が下がれば、原発のコスト回収は一段と難しくなる。

 そこで経産省は、原発のあり方などを議論する審議会で新たな原発支援策を提案した。そのうち原発で発電した電気に一定の販売価格を保証する制度は、廃炉や使用済み核燃料の処分に必要な費用も含めて基準価格を設け、市場価格がそれを下回った場合は、その差額分を全国の消費者の電気料金に上乗せすることで穴埋めする仕組みだ。

 さらに、廃炉による経営への影響を緩和するための会計制度見直しなども検討するという。

 原発は、燃料費だけで比べれば液化天然ガス(LNG)や石油火力などに比べて安上がりだ。電力会社が再稼働を急ぐのもそのためだろう。しかし新設や建て替えとなると事情は一変する。今回の支援策は市場原理に任せた場合、原発を維持し続けるという選択肢はないことを物語っている。

 政府が今年4月に閣議決定したエネルギー基本計画は、原発依存度を「可能な限り低減させる」として脱原発依存の方針を示す一方、原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ、「確保していく規模を見極める」とした。今回の支援策は脱原発依存政策に逆行する。再稼働に前のめりの姿勢などを合わせると、政府の本音は原発依存にあるとうかがえる。

 電力の安定供給や地球温暖化対策、エネルギー安全保障などの観点から原発の即時全廃が困難であることは確かだろう。しかし、福島の原発事故を経験した我が国が目指すべきは、原発に依存しない社会であるはずだ。

 政府はそのための課題と解決の道筋を描いて国民に説明すべきである。原発の存続ありきという政策では、国民の理解は得られまい。

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チュートリアル→低温見学→すすきの

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Henoko_no_base

≪ Je suis un paria du monde littéraire japonais. Critiques, écrivains: nombreux sont ceux qui ne m'aiment pas. ≫
de Haruki Murakami

≪ Confiance et défiance sont egalement la ruine des hommes. ≫
de Hésiode

朝チュートリアルを聞かねばなりませんでした.お笑いではない真面目なお話.でも参考になったからよかったです.成り行きで低温を見学することになりました.雨が降っていますが夜はすすきの.札幌は初めてではないので,すすきのも以前来ているはずですが,全然覚えがありません.もしかして初すすきの?ジンギスカンは美味しかったです.

河北新報
都市生活、かさむ出費/家計のひずみ(1)/かすむ復興

<スーパー頼み>
 住み慣れた漁村を離れて直面したのは、「貨幣経済」の冷たい現実だった。
 「年金収入だけではとても間に合わない。都会の生活は大変ですよ」
 仙台市内のみなし仮設住宅に暮らす伊藤ふつ子さん(70)が話す。石巻市雄勝町の自宅は東日本大震災の津波で流失。被災後間もなく、子どもを頼って移り住んだ。
 雄勝では夫婦でホタテの養殖に従事していた。自宅ではトマトやキュウリ、ナスなどを育てていた。近所からウニやホヤをもらえば、お返しにホタテを渡した。
 日常的に現金購入する食材は肉ぐらいだったが、「今は海産物を含めてスーパーが頼り」。支え合いと自給自足で成り立っていたコミュニティーを離れ、暮らしの再構築を余儀なくされている。

<「貧困」深刻化>
 伊藤さんは移住後、仙台市中心部であったイベントで驚いたことがある。出店で焼きホタテが1個250円で売られていた。生産者の取引価格を考えれば、信じられないほどの高値だった。
 「海の物はもらって食べるものとばかり思っていた」。海辺の生活の豊かさを、伊藤さんはしみじみと感じている。
 被災者の困窮支援を行うNPO法人くらしのサポーターズ(盛岡市)の吉田直美副理事長(47)は「漁村にはわずかな収入でも暮らせる土壌が残っている。現金に依存せざるを得ない都市生活は貧困が深刻化しがちだ」と指摘する。

<物価高に苦悩>
 沿岸被災地から関東方面に避難した住民も、予想外の出費と物価高に頭を悩ませる。
 埼玉県新座市に暮らす野田貴之さん(52)=仮名=は今、マイカーを手放すか否か思案中だ。東松島市にあった自宅と実家はともに全壊。埼玉県内の短大に通っていた長女(21)のアパートに身を寄せた。
 生活費や長女の学費を賄おうと、新座市内のスーパーで精肉処理のアルバイトに就いた。通勤用に約20万円の軽自動車を購入したが、ガソリン代や保険料といった維持費が重くのしかかる。
 時給は850円。東北の相場から見れば決して低水準ではないものの、「こっちは物価が高い。すぐにでも帰りたいが東松島には家も仕事もない」と嘆く。
 ことし7月に父親が亡くなった際は、葬儀代を弟に工面してもらった。「日々の生活に追われて払う余裕が無かった。長男としての責務を果たせなかった」。野田さんの表情に、深い苦悩が浮かんだ。

    ◇
 東日本大震災は地域社会にとどまらず、被災者の暮らしそのものにも深い爪痕を残した。失職したり、見知らぬ土地への移住を強いられたりした結果、今なお経済的に困窮する被災者も少なくない。それぞれの家計の事情を追った。(震災取材班)

河北新報
400台目、釜石の寺へ 被災地へピアノをとどける会

 音楽を通して東日本大震災被災地の復興を支援する仙台市の「被災地へピアノをとどける会」(庄司美知子実行委員長)は、ピアノ1台を釜石市の寺院・宝樹寺に届けた。同会が2011年6月に活動を始めて通算400台目。市民文化会館が被災し本格的な演奏会場がない釜石市で、本堂を公演会場に開放してきた宝樹寺は「大切に使いたい」と感謝している。
 贈られたのは、フランス国立リヨン歌劇場首席指揮者を務める大野和士さん(54)が所有していたグランドピアノ。大野さんは15年、スペインのバルセロナ交響楽団と東京都交響楽団の音楽監督に就任することが決まっている。
 大野さんは08年から全国の病院などで無料出前演奏会に取り組む。被災地でも復興支援の演奏会を開き「とどける会」に賛同して提供した。
 市役所隣の高台にある宝樹寺は建物の一部が損傷したが、津波被害を免れ、避難所や遺体安置所になった。寺にあったピアノは古くなり使えなくなったため、会に支援を申し出ていた。
 宝樹寺は震災前から「寺を身近に感じて」と本堂を地域活動や発表の場にしてきた。震災後はジャズサックス奏者坂田明さんのライブ、ニューヨークの合唱団ハーレムクワイアの公演などが催され、音楽で被災者を励ます場になっていた。
 約120人収容の本堂はほぼ改修を終え、スッポットライトや音響設備を新設。音楽ホールの機能も充実させた。20日には親鸞750回忌法要(岩手真宗会館主催)があり、ピアノは読経に合わせて演奏する音楽法要で初披露される。
 とどける会は仙台の音楽関係者を中心に発足し、全国の演奏家らに楽器や資金の提供を呼び掛けてきた。事務局は「支援の輪が広がり、400台も届けることができた。今後もできる限り継続したい」と話す。
 学芸員の資格を持つ野嶋諭住職(39)は「寺は心を洗う癒やしの場。ピアノを頂き、本堂を活用してもらう幅が広がった」と喜んでいる。


朝日新聞
自殺予防策―知恵を集めて充実を

 日本の昨年の自殺者数は2万7283人。前年より2・1%減って、2年連続で3万人を下回った。それでも、毎日70人以上が亡くなっている。

 世界保健機関(WHO)が今月公表した自殺防止に関する報告書によると、日本の自殺率(2012年、人口10万人あたりの人数、年齢調整後)は18・5人。イタリアの3・9倍、イギリスの3倍、ドイツの2倍、アメリカ、フランスの1・5倍で、先進国の中で高い水準となっている。

 過去にも自殺を図ったことがある。そんな人が自殺者には多い。内閣府のまとめでは、2012年に自殺した人のうち未遂の経験がある人が女性は30%、男性は15%。20〜40代の女性では40%以上を占めている。

 未遂経験のある人が再度自殺を図ることを防げば、自殺者数の減少につながる。こうした考え方が広がって、国の自殺総合対策大綱にも未遂経験者への対応が重点施策として盛り込まれている。

 東京都荒川区では、4年前から未遂経験者への対応に取り組んでいる。

 自殺を図って救命救急センターに運び込まれると、本人の同意を得て保健師が面会。退院後は個々の事情に応じて生活保護やハローワーク、ボランティアが運営する地域の居場所などにつなぐ。さらに、月に一度は病院と行政、弁護士、NPO法人などの関係者が集まり、ひとり一人について情報を共有する。

 これまでに関わったのは約80人。継続的に支援している間に自殺した人はいないという。

 荒川区の取り組みが示すように、医療や福祉、教育など各分野の専門家が情報を交換しながら継続して関わることが予防につながる。

 横浜市立大学が中心になった大規模調査でも、救急搬送された未遂経験者に対して定期的な面接や医療や生活支援などを手厚くすると、自殺予防の効果が高いことが認められた。はっきり効果が高いと統計的に言えるのは未遂後6カ月間だが、その後についても、再度自殺を図る人は少ない、という。

 自殺の背景には健康問題、家族問題、生活苦、孤立など複数の要因が絡んでいることが多い。今月7日には、相談や啓発に取り組むNPO法人や弁護士、医師や学者、行政や政治家らが発起人になって学会を発足させた。

 「自殺は予防できる」とWHOも訴えている。様々な取り組みや研究の成果を集めて、対策を充実させてほしい。

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今日もバランスランチ/伊丹から札幌に

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Japon: violent tremblement de terre ressenti à Tokyo

Un violent tremblement de terre s'est produit lundi à la mi-journée au nord de Tokyo, secouant les gratte-ciel et maisons de la capitale, ont constaté des journalistes de l'AFP.
Selon l'Agence nationale de météo, l'épicentre de ce séisme, de magnitude 5,6, se trouvait dans la partie sud de la préfecture d'Ibaraki. Le centre de Tokyo est une des zones où il a été le plus ressenti.
Il n'y a pas de risque de tsunami et aucun dégat n'a été rapporté dans l'immédiat. "Nous procédons à des vérifications", ont déclaré les autorités locales, jointes par l'AFP.
Un premier choc violent a d'abord été perçu vers midi et demi (03H30 GMT) avant une série de secousses très fortes pendant une dizaine de secondes.
Les opérateurs des installations nucléaires où les trépidations ont été ressenties ont indiqué ne pas avoir constaté d'anomalie dans un premier temps.
Plusieurs lignes de train, dont les Shinkansen (rames à grande vitesse) reliant Tokyo à la préfecture de Fukushima, ont immédiatement été stoppées pour contrôler les voies, mais le trafic a rapidement repris.
Des habitants de la région la plus proche de l'épicentre ont indiqué avoir été prévenus quasi simultanément par le dispositif d'alerte précoce de l'agence de météo.
Cette dernière a prévu une conférence de presse un peu plus tard dans la journée pour expliquer le mécanisme de ce séisme.
Situé à la jonction de quatre plaques tectoniques, le Japon subit chaque année plus de 20% des tremblements de terre les plus violents recensés sur la planète.

お昼はバランスランチです.でも今日はなんだかのんびり食べられませんでした.というのも5時まで仕事したら伊丹空港まで行って,そこから札幌に行かねばならないからです.忙しいです.といいつつも伊丹空港でビーフストロガノフ(Bœuf Stroganov)を食べるとき,ビールを飲んでしまいました.新千歳空港まではあっという間でした.快速エアポートでサッポロまでもすぐ.半そでの人も男女ちらほら見かけましたが,多くは長袖でした.わたしは半そでに薄い上着でちょっと寒い気がします.

河北新報
津波で弟が不明 遺品身に着けペダルこぐ

 東日本大震災の沿岸被災地を舞台に14日あった「ツール・ド・東北2014」で、東京都江東区の会社員岡田梢さん(33)は、弟の洋祐さん=当時(28)=が津波で亡くなった石巻市を駆け抜けた。洋祐さんが大好きだった港町。「弟が生きた証しを感じたい」と力強くペダルを踏み込んだ。
 梢さんは昨年に続いての出場。前回の60キロから距離を延ばし、100キロに挑戦した。洋祐さんが生前愛用していた黒の腕時計を左腕に巻き、レースに臨んだ。
 アップダウンのあるコースで、途中、足がガクガクになった。残り約15キロ付近から土砂降りにも見舞われたが、走りきった。「体力的にはきつかったけれど楽しかった」。すがすがしい表情でレースを振り返った。
 大手製薬会社の仙台支店に勤務していた洋祐さんは、石巻市南浜町の得意先を回っていて津波にのまれた。行方不明のまま、震災発生から半年後の11年9月、死亡届を出した。今も行方は分からない。
 2人きょうだいで仲も良かった。「もう戻ってこないと理解はしているつもりだけれど…」と複雑な心境を明かす。
 洋祐さんがさいたま市の実家に帰省した際、よく話題にしていたのが、営業で担当する石巻市の魅力だった。
 金華サバやカツオなど三陸の新鮮な魚介、人情味あふれる住民との交流、海の美しさ…。「洋祐が感じていたことを自分の目で確かめたい」。そんな思いで梢さんはツール・ド・東北への参加を決めた。縁のなかった石巻市を2年連続で走り、洋祐さんがこの土地を愛した理由が少しずつ分かってきた。
 エイドステーションで出される食事は、どれも絶品だった。坂道を登る時、地元の住民が下から風を送るような身ぶりで、「ほら行け! 頑張れ!」と励ましてくれる姿に感激した。「きっと洋祐も、こんなふうに地元の人たちに支えられて生きてきたはず。いい街だ」としみじみ語る。
 「悲しい場所でもあるけれど、自分が生きている限りはずっと見続けたい」。来年以降も出場するつもりだ。

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原発ゼロで祝1年/久しぶりのバランスランチ

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Chiave1

Japon: Le vin pour chats fait un bide

CHAT-EAU NEUF - Lancé l'année dernière, ce vin sans alcool...

Les félins le boudent et leurs maîtres ont la gueule de bois. Le vin pour chats avait pourtant tout de la bonne idée (quoique). Lancé en octobre dernier au Japon, le Nyan Nyan Nouveau (≪miaou nouveau≫) vise un marché de niche, ou plutôt de panier: les chats qui aiment se mettre un coup dans le museau.

Mais le public intéressé semble plus restreint que prévu. Le mélange d’herbe à chat et de jus de raisin, qui ne contient heureusement pas d’alcool, a visiblement du mal à trouver preneur chez les quadripèdes, malgré une étiquette très mignonne. Pas chafouin, un revendeur tente donc désormais d’écouler son stock avec ce panneau d’une grande honnêteté. Au risque d’enfoncer des chatières ouvertes, il annonce ainsi que ≪90% des chats ne veulent pas le boire≫, précisant: ≪Pour être très honnête, la plupart des chats ne veulent pas le boire. Mais ce produit a été spécialement élaboré pour ceux qui veulent malgré tout en donner à leur chat. Peut-être qu’ils le boiront…≫ Ou peut-être que leurs maîtres feront l’économie de ces 399 yens (2,80 euros).

原発ゼロで1年です.原発なくても全然こまりませんでした.再稼働は必要ありません.リスクが大きすぎるので再稼働してはいけません.
久しぶりにバランスランチです.

朝日新聞
(記者が歩く)国策の犠牲、いつも故郷に 福島・波倉 東日本大震災4年目

 原発建設に伴う住宅の移転、原発事故後の避難生活、ふるさとに中間貯蔵施設をつくる計画――。福島県楢葉町の波倉地区は、半世紀にわたって国の原子力政策に翻弄(ほんろう)されてきた。原発と向き合ってきた住民たちは、いま何を思うのか。現地を歩いた。

 楢葉町中心部から4キロ、町北端の波倉地区。北側の丘の上には、東京電力福島第二原発の原子炉建屋が見える。福島第一原発事故で全住民約190人が同県いわき市などに避難する。
 海辺の平地には住宅跡の土台だけが残り、背丈ほどの高さの雑草が茂る。東日本大震災の津波に襲われた。その一角で、兼業農家の四家徳美(しけのりみ)さん(54)は大工仕事をしていた。
 「みんな家が流され、避難先から故郷の様子を見に来ても、腰を下ろす所もない。お年寄りが一息つける場所を造ろうと思って」。休憩所がわりにスチール製物置を組み立てた。
 波倉地区は、原発に揺り動かされてきたという。コメやタバコの農地が広がっていた小さな集落。東電が福島第二原発建設を発表したのが1968年で、住民は賛否で割れたという。
 四家さんの実家は予定地に含まれ、両親は当初、建設に反対したが、丘の中腹にあった敷地を手放して低地へ移転した。その低地は、震災で津波にのまれ、両親が犠牲となった。
 追い打ちをかけたのが、2012年の政府による中間貯蔵施設の建設候補地発表。波倉地区が、大熊町、双葉町とともに選ばれた。
 「カニやウナギを取って育った故郷が放射性物質を含むごみ置き場になるのか」。いわき市の借り上げ住宅に一人避難するなか、将来が見えないストレスで夜に何度も目を覚ます日が続いた。
 地区では「政府に土地を売り、移住資金にした方がいい」と考える人が増えた。施設がなければ県内に野積みされた汚染土の行き場がない。「県民のために受け入れよう」。四家さんも考えを変えた。だが今年1月、町が多くの町民の反対を受けて受け入れを拒否。すると、政府は新たに放射性物質を含む灰を固めて処理する固化施設の設置案を示してきた。
 「政府は住民から遠い所で勝手に決める。私たちの生活なんて、どうでもいいと思っているのか」
 地区の住民をまとめ、帰還を進められるよう行政に訴えよう――。その手始めの休憩所造りだという。
 壁には、住民の消息を書き込む自作の「波倉顔晴(がんばれ)新聞」が貼られていた。別の紙には願いを込めた詩を記した。「波倉を離れて暮らしていても 波倉ゆかりの住民の心はいつも一緒 心は、ひとつ」

 ■帰還か再移住、つらい選択
 第一原発から遠い波倉地区を中間貯蔵施設の候補地にしたことについて、環境省は12年11月、「谷状の地形で土壌の保管に適する」と説明した。新たな固化施設の建設計画も含め、地区の大和田正博区長(60)は「なぜ波倉なのか、住民が納得できるように説明して欲しい」と訴える。
 町内ほぼ全域に避難指示が出ている楢葉町(人口7483人)は、避難指示解除と、波倉の住民を含む町民の帰還開始の目標を来年春以降としている。町は固化施設を受け入れるか決めていないが、帰還をためらう住民も出てきた。
 8月末、波倉地区南部の高台にある2階建て住宅を所有者の主婦藤浪敬子さん(44)と訪ねた。冷蔵庫などの家財を処分し、がらんとした居間を見回した藤浪さんは「最高の環境だったのに」とつぶやいた。
 19年前、リスやキツネが出る自然に囲まれた場所に家を建て、いわき市から移った。やはり移住してきた隣の一家とは夕食のおかずを分け合い、互いの子どもを世話し合った。
 原発事故がそんな日常の全てを変えた。いわき市の借り上げ住宅に夫、子ども2人と避難。隣の一家は県外に避難した。
 波倉の家は第二原発から1・8キロ。「波倉に戻るのは原発の中に住むのと同じ。固化施設も安全か分からない。また津波が来たらどうなるのか」
 楢葉町内には商店など3店舗が入る仮設商店街が開業したが、本格的な買い物や救急医療は40キロ以上離れたいわき市に頼らざるを得ない。一方、避難者が移り住んでいるいわき市では、住宅価格が高騰し、新たに家を買うのは難しい。もともとの家のローンも10年近く残る。帰還か、再移住か。藤浪さんは決めかねている。
 (伊藤弘毅)

 ◆キーワード
 <中間貯蔵施設> 福島第一原発事故に伴う除染で出た福島県内の汚染土や、高い放射能濃度の焼却灰などを最長30年間保管する施設。政府は大熊、双葉両町の第一原発周辺計約16平方キロメートルに設置する方針で建設費用は1兆1千億円程度を見込む。来年1月から1600万〜2200万立方メートルを運び込む計画をたてている。
 
 ■波倉地区と原子力政策
1968年1月 東京電力が福島第二原発の建設計画を発表
 75年11月 東電が同原発1号機着工。波倉地区の住民の一部は立ち退きを迫られる
  82年4月 東電、同原発1号機の営業運転を開始
2011年3月 福島第一原発事故で楢葉町のほぼ全域が避難指示区域に
  12年3月 政府が中間貯蔵施設を楢葉など3町に設置する案を提示
     8月 政府が波倉地区などを施設の建設候補地として具体的に提示
 13年12月 政府が楢葉など3町に施設受け入れを正式要請
  14年2月 福島県が候補地から楢葉町を外すよう政府に提案
     3月 政府が県の提案を容認する一方、楢葉町に固化施設などの設置を提案


朝日新聞
(被災地から)広島の被災者へ、手紙添えて 東日本大震災

 宮城県南三陸町の佐藤秋夫さん(64)は8月末、土砂災害で多くの犠牲者が出た広島市の災害ボランティアセンターへ支援物資を送った。3年半前に助けてもらったことへの感謝の思いを込めた。
 あの日、佐藤さんは着の身着のまま、避難生活に突入した。自宅と経営していた電子部品工場を失った。雪がちらつき底冷えする体育館での避難生活で、くじけそうになった。
 支えになったのが、3日目に支援で届いた黒色のジャンパーだった。少し大きめで、厚手の生地でできていた。東北はまだ寒いだろう、と心配して送ってくれたと想像した。「元気がわき、先のことを考える気力も湧いた」と振り返る。
 佐藤さんは1年半後、町内に工場を再建。経営は少しずつ軌道に乗り、いまは社員15人と働く。ジャンパーはいまも自宅のタンスに大切にしまってある。
 広島への段ボールには軍手や雑巾、タオルを詰めた。写真の泥をぬぐったり泥かきに役立ててもらったりして、元気を取り戻してほしい。段ボールに添えた手紙につづった。「少し先の光を見つけ、共に頑張っていけたらと思います」
 被災した者だからこそ分かる、想像力と優しさがあった。
 (古庄暢)

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東淀川区民まつり/上野千鶴子と重信メイを読みました

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Dentifricio1

≪ Ce que Marine Le pen peut redouter le plus, c'est que notre pays retrouve une espérance collective ≫ (Olivier Dartigolles, porte-parole du PCF)
Anne Hidalgo @Anne_Hidalgo
Au départ de @LaParisienne6km pour encourager les 35000 participantes, cette année : bonne course à toutes!


いい天気です.東淀川区民まつりに行きました.人が多いです.
夕方は上野千鶴子と重信メイを読みました.充実した一日・・・といいたいところですがフランス語は勉強しませんでした.

NNNドキュメント'14 皆の笑顔を取り戻せ!被災地発・青空応援団フランスへ
宮城県仙台市で、結成された私設応援団「青空応援団」。彼らの活動は、「頑張っている人を、ひたすら応援すること」。被災地で生まれた熱い男たちの日々を伝える。 鈴木省吾 宮城テレビ放送
明日へ−支えあおう−「パリで咲け!東北の子どもたち」
先月パリで、東北の魅力と震災からの復興に向けた取り組みを発信するイベントが開催され、15万人が訪れるなど大きな反響を呼んだ。このイベントは東北の中高生たちが企画、運営したもので、OECD(経済協力開発機構)などの協力を受けながら、2年以上をかけて準備してきた。東北の中高生たちはどういった動機で参加し、どのように企画を育て、何を発信したのか。子どもたちの成長を2年以上にわたって見つめた。 畠山智之
テレメンタリー“3.11”を忘れない48 続・母親たちの選択〜自主避難者は今〜
離れて暮らす夫へ寂しさを募らせる子どもたち、そして新たな命を宿したことで、福島に帰る決断をした。同じく県外へ避難している小出さゆりさん。夫と離れての二重生活は経済的負担が大きい。しかし子どもの健康を考えると帰るつもりはない。放射能の不安よりも家族団らんを選んだ母親。放射能の不安から帰ることに躊躇する母親。
今も続く母親たちの苦悩と“選択”を追う。 福島放送

臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか
『私』という存在は死んだらどうなるのか、死ぬとき『私』は何を見るのだろうか――。 20年余り前、臨死体験について徹底的に取材し考察を深めてきたジャーナリスト/評論家立花隆さん。74歳を迎え、がんや心臓の病を抱えて死を間近に感じる今、再び臨死体験の最新研究の現場を見つめ、“死”について思索しようとしている。死の間際に一定の人が見る臨死体験。臨死体験が世界で注目され始めた1980年代以来、その解釈としては、脳内現象として科学で説明できるとする「脳内現象説」と、肉体が死んでも“魂(もしくは自我を感じる「意識」)”が存在し続けるという「魂存在説」―――これら二つの説が互いに相容れない、激しい議論が続いてきた。そうした中、立花さんは新たな臨死体験の掘り起こしをすると同時に、そもそも「意識(魂)」と呼ばれているものの正体とは何なのか、最新の脳科学・心理学・哲学にいたるまで、徹底した取材に基づいて正面から挑もうとしている。科学的に見て、死後の世界があると言える余地はどれくらいあるのか。死後の世界がないとしたら、『私(自分)』という意識(魂)はどう生まれどう消えていくのか。私たちが当たり前と思っている『私』という存在はいったい何なのか。有史以来、人類が答えを追い求め続けてきた生と死にまつわる壮大な謎―――その謎に挑む立花さんの思索の旅を通じて、大震災や紛争などで多くの命が失われる今、命や『私』の存在する意味を考える。

上野千鶴子の選憲論 (集英社新書)
上野 千鶴子
集英社
2014-04-17


民主主義を考えるにあたって興味深い本です 内田雅敏
迎賓館のある四谷はお巡りだらけでした。「右翼」の街宣車が、大音声で「オバマは''國神社に参拝せよ」等々、口汚くののしっていました。こちら側がやったらすぐ逮捕されるのに「右翼」には甘いどころか、野放しにしている警察には本当に腹が立ちます。
それはそれとして、ご著書拝読いたしました。第2章で、自民党改憲案の逐条解説をやられ始めましたので、あれれと思っていましたところ、第3章「護憲・改憲・選憲」で上野節が炸裂し、興味深く拝見しました。明仁さんの個人的資質はともかくとして、制度としての天皇制は反人権的であり、廃止すべきであるというのは仰る通りですが、しかし、もともとハトもタカもごっちゃな民主党はともかく、「護憲の党」のはずの公明党のていたらくを見るとき、明仁夫妻を護憲勢力に数えたくなる誘惑に負けそうです。
自民党改憲案で憲法擁護義務者から天皇、摂政が抜け、逆に国民が入ったこと及び天皇の「元首」条項とを併せ、本来国家権力を縛るための憲法が国民を縛るための憲法に180度変わってしまうという説明は分かりやすいと思いました。ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』を引きながら、「民主主義は、大衆民主主義との間に歯止めがきかず、大衆民主主義は全体主義への歯止めがきかない」という指摘は全くその通りです。しかしそれでも民主主義は、人類がこれまでに使用してきた制度の中ではよりベター(上野さんの言葉を借りれば「より悪くない(less worse)」)選択なのでしょう。
加藤典洋氏の『敗戦後論』について触れておられますが、彼の云ういわゆる「ねじれ」は、いささか図式的、レトリック的な処があると思います。たしか『続敗戦後論』では軌道修正をしているはずです。第3章の本論は勿論、第2章の解説も多くの人に読んでいただきたいと思いました。
最後に、「護憲」「改憲」は、すぐに漢字変換で来ますが、「選憲」はすぐにはできません。本書のもとになった上野さんの講演の聴衆の多くが「選憲」に賛意を示した中で、「選憲は改憲の一種。これを改憲と違うというのは3枚舌。これだけズバッとお話になるなら、しがらみを捨てて、ストレートに改正案を出すべき」という意見があったというのは「面白い」と思いました。
おっしゃるとおり。憲法問題に「正解」はありません。しかし、1945年敗戦の年生まれの者として、現憲法がアジアで2000万人以上、日本で310万人の非業・無念の死者達を生み出した先の戦争の「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー)、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」たものであることは忘れないようにしようと思います。
友人にも勧めます。


「アラブの春」の正体 欧米とメディアに踊らされた民主化革命 (角川oneテーマ21)
重信 メイ
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-10-10


「アラブの春」の本質はメディア戦争だった? 仮面ライター(新書派)
シリアやリビアがいったいどうなっているのか、マスコミ報道だけではよくわからず、もどかしさを感じていた。
「アラブの春」の正体。時機を得た刊行といえるだろう。著者の来歴の特殊さから期待半分、不安半分で読んでみた。

読み始めの印象としては、かなりノーマル。特に感情に棹差すことなく、著者の知り得たことが比較的たんたんと記述されていく。
記述内容は平易。わかりやすさを心がけて書いたのだろう。高校生でも理解できるレベルだ。

大手メディアでは、とかくエジプト革命が話題になったが、「アラブの春」の鳴動は、チュニジアや湾岸諸国など周辺の様々な国々で起こっていた。規模は小さかったがサウジやカタール、オマーンでもデモがあり、死者が出たという(こうした動きをマスコミは黙殺している)。

著者は、チュニジアやエジプトと、リビアでは「革命」の性質がまったく違うと強調する。
リビアのカダフィには「アフリカ合衆国構想」があり、金本位の地域通貨をつくる動きがあった。それを阻止しようとしたNATO軍はインフラを空爆し、政権崩壊後の外国資本参入の素地をつくったというのだ。カダフィのリビアは、世界最大級の福祉国家だったという話には、思わずうなってしまった。

国際世論は日々、シリアのアサド政権の「暴政」に批判を高めているようだ(少なくとも大手メディアはそういうイメージを醸成している)。日本の新聞報道でおかしいと思うのは、反政府勢力が発信する情報ばかりで紙面が埋められていることだ。政府側の言い分はまず報道されていない。評者としては明らかな偏向報道と思っていたのだが、やはりシリアの内戦は"持ち込まれたもの"という色合いが濃いようだ。

著者によれば、シリアに関する報道は意図的に編集されている。また、デマがネットに流され、既成事実のようになっている。政府軍が一般市民を虐殺したというニュースが流れるが、実態は反政府勢力が虐殺し、政府の蛮行に仕立て上げている場合もあると指弾する。反政府勢力はサウジやアメリカなど外国筋とつながっているようだ。著者はさらに、アメリカがシリア内戦に介入する目的についても推究する。

ところどころ痒いところに手の届く記述がなされているので、興味を削がれることなくすんなり読破できた。
フェイスブックによって革命が起こった経緯、革命後のチュニジアの選挙で保守派のムスリム同胞団が勝利したわけ、裕福な産油国というイメージのバーレーンの意外な実態、シーア派とスンニー派の違いと各国での力関係、アラブ・ナショナリズムの性質(=排除の論理がない)などなど、本書を読んで初めて知り得たことが目白押しだ。

イスラム教の思想の中には社会主義的要素があるという著者の言説は、もしかすると慧眼かもしれないと思った。ラマダンには、自分がいくら裕福であっても、貧しい人の気持ちがわかるように断食を経験するという意味もあるとか。
他にも、サウジに奴隷制度があるという話には驚愕した。現在進行形の話である。ただ、この話からはどれくらいの隷属度があるのかがわからない。もう少し展開したほうがいいだろう。

率直に言うが、内容的に物足りなさを感じたところもかなりあった。それは、抽象的な指摘で終わっている事項が少なからずあることに起因しているからだろう。たとえば、「政府が腐敗している」という記述が繰り返されているが、実例がほとんど書かれていない。チュニジアの工業都市の「労働条件が悪すぎる」(P43)とあるが、統計データはいっさい示されていないし、いったいどんな労働なのかの描写もまったくない。

イライラ感が募るほどではないが、文脈的なつじつまに疑問符がつく頁がある(特に、P77の「いま日本で〜サポートしていました」は意味不明)。正しい日本語を使えば、もう少し明確な言い回しができるはず(あとがきを読むと、本書の記述にはライターの協力があったことが窺えるが、何のための「尽力」なのか)。

ともあれ、本書を読んで、メディア・リテラシーを磨く必要性を、改めて感じた。
アラブの話は日本と無関係ではない。


河北新報
ケネディ氏も疾走 再生願い、続々ゴール

 東日本大震災で被災した宮城県内の沿岸部を自転車で駆ける「ツール・ド・東北2014」(河北新報社、ヤフー主催)は14日、石巻市と気仙沼市を結ぶコースで開かれた。全国から参加した約2800人が、震災の爪痕があちこちに残る道を早朝から力走。再生への願いを胸に、続々とゴールした。
 大会は昨年に続き2回目。気仙沼フォンド(220キロ)、南三陸フォンド(170キロ)、北上フォンド(100キロ)、女川・雄勝フォンド(60キロ)の4コースを、順位やタイムを競わないファンライド方式で行った。
 発着点の石巻専修大(石巻市)を気仙沼フォンがまず午前5時半にスタート。コースごとに順番に出走した。女川・雄勝フォンドには、キャロライン・ケネディ駐日米大使も出場し、被災地の今を感じながらペダルをこいだ。
 沿道には9カ所のエイドステーション(休憩ポイント)を設け、被災した地元住民やボランティアが温かく出迎えた。出場者は長い距離を走ってきた疲れを癒やし、交流しながらひとときを過ごした。
 ゴール後はお互いに健闘をねぎらうなどし、再生を後押ししようとする気持ちを分かち合った。


河北新報
遠藤由子さん(宮城・女川町)から松川富喜子さんへ/亡き父のそばで眠らせたい

 由子さん 震災が発生して外に出た後、家に戻ったお母さん。再び外に出てきたときは、昔から家族で大切にしていた人形を入れる大きなバッグを肩に掛けていたんだってね。
 人形は私の嫁入り道具でもあったし、お母さんの心のよりどころでもありました。だから、逃げる前に取りに戻ったのかなと思っています。
 私が中学生のころ、船乗りだったお父さんが外国で入院し、医療ミスで視力を失いました。お母さんは水産加工場などで働きながら父を支え、私と妹を育ててくれました。こんなに尽くす人っていないと思うほど、常に家族優先。自分のことはいつも後回しでした。
 父の三回忌の後ぐらいから、やっと自分の好きなことができるようになってきた感じでした。そこに震災が起きました。もっと好きなことをさせてあげたかった。
 震災のあった年の秋、父の七回忌法要を予定していました。母が見つからないのにお葬式を出すことをためらったけど、いろいろ考えた末、お母さんのお葬式の日に、お父さんの法要も行いました。お母さん、安心してくれたかなあ。
 お母さんがお父さんと作るサンマのみりん干しは天下一品だったね。まだ作り方を教わっていなかったんだよ。骨一本でもいいから戻ってきてほしい。お父さんのそばに眠らせてあげたいです。

◎自分のことは後回し家族優先の母

 松川富喜子さん=当時(72)= 宮城県女川町鷲ノ神浜の自宅で、夫の幸一さんを9年前に71歳で亡くしてから一人で暮らしていた。石巻市に住む次女由子さん(53)は母の無事を願って女川に向かったが、今も見つかっていない。震災発生時は自宅におり、近所の人と車で逃げようとしたが、乗り込む直前、富喜子さんに津波が襲い掛かったという。自宅も近隣の家々も流された。


東日本大震災:福島第1原発事故 原発ADR、東電が和解案9件拒否 長期避難で賠償拡大

 福島第1原発事故で避難を余儀なくされた人たちの損害を巡り、国の原子力損害賠償紛争解決センターによる和解仲介手続き(原発ADR)で示された和解案に、東京電力が拒否を表明した事例が11件に上り、うち9件が現在も協議中であることが、センター関係者への取材で分かった。東電は今年1月に経済産業相に認定された新総合特別事業計画で「和解案を尊重する」と明記したが、拒否は4月以降に続発しており、矛盾した姿勢が問われそうだ。

 東電の拒否回答は▽福島県浪江町民約1万5000人に精神的賠償を月5万円増額し15万円にする▽飯舘村蕨平(わらびだいら)地区の住民への被ばく慰謝料は50万円−−の2件が公表されていたが、他にも9件あることが判明した。

 関係者によると、原発ADRを担当する仲介委員(弁護士)から、東電の拒否事例について同センターに報告があり、今年7月末現在で計11件に上った。そのため、弁護士や大学教授でつくるADR総括委員会が8月、「和解案のみならず、ADR自体を軽視している」などと東電の対応に苦言を呈する所見を示した。その後、東電は2件の和解案を受け入れたが、残り9件については、仲介委員が拒否の撤回を東電に求めて協議が続いている。

 原発ADRは双方が和解案を受け入れると解決に至るが、受諾を義務づける法的拘束力はなく、どちらかが拒否して裁判に委ねることもできる。9月5日現在で、1万2888件の申し立てのうち約9500件で和解が成立。東電が拒否して手続きが打ち切られたケースは東電関係の社員や家族のみで、精神的賠償を転居後すぐに打ち切られたなどとして申し立てた43件という。

 拒否続発の背景には、住民の避難生活が長期化している現状を反映し、国の原子力損害賠償紛争審査会が多くの人に共通する被害を類型化して2011年8月以降に策定した賠償の指針を超える内容の和解案が相次いでいることがある。東電広報部は「国の指針に基づいて賠償を受けている人に対し、和解案が著しく公平性を欠く場合に拒否することもある」としている。【深津誠】

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成発表で人がうじゃうじゃ/携帯で注意されました

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140719_Onigiri_Niigata

Christine Lagarde encourage le Japon sur la voie d'≪une société où les femmes peuvent briller≫
JAPON - L’Archipel nippon, où les postes décisionnaires sont essentiellement occupés par des hommes, organise ce week-end un ≪Davos des femmes≫ avec la directrice du FMI en invitée d'honneur...
De notre correspondant à Tokyo,
≪Il y a presque autant de femmes dans la salle que dans le nouveau gouvernement japonais≫, plaisante Caroline Kennedy, l’ambassadrice américaine au Japon. Hilarité dans le public de ce ≪Davos féminin≫ organisé à Tokyo jusqu’à dimanche, qui veut proposer une réflexion sur la manière de donner une plus grande place aux femmes dans l’économie.
Une question délicate au Japon, où l’expression ≪plafond de verre≫ prend tout son sens. Le pays figure à la 134e place mondiale (sur 188 pays) en termes de représentation des femmes au Parlement. Et dans les entreprises, les postes de direction ne sont occupés qu’à 11% par des femmes. Sans compter des incidents ces derniers mois à l’Assemblée municipale de Tokyo et au Parlement, où des hommes ont crié à des élues d’≪aller faire des enfants≫. Du Premier ministre, Shinzo Abe, au président du syndicat patronal Keidanren, en passant par Christine Lagarde, tous les intervenants étaient d’accord sur le constat: le Japon doit faire plus pour la parité.
60% des femmes quittent leur emploi à la naissance de leur premier enfant
Un premier pas a été franchi lors du remaniement de la semaine dernière, lorsque Shinzo Abe, qui dit vouloir créer ≪une société où les femmes peuvent briller≫, a fait passer le nombre de femmes ministres femmes de deux à cinq, égalant le ≪record national≫. Les femmes, qui représentent maintenant un quart du gouvernement, occupent y compris des ministères clés comme l’Economie ou la Justice.
≪On ne peut pas dire que le Japon soit parmi les bons élèves≫, a convenu le Premier ministre, estimant que ≪le plus difficile est de changer les mentalités et la répartition des rôles entre les sexes, fermement ancrée dans la société≫. ≪Les hommes au bureau et les femmes à la maison≫ est encore un modèle dominant au Japon, où 60% des femmes quittent leur emploi à la naissance de leur premier enfant.
Heures supplémentaires
Soulignant que ≪l’obstacle majeur≫ était le problème de la garde des enfants, qui empeche les femmes qui le souhaiteraient de continuer à travailler après la naissance, Christine Lagarde, l’invitée d’honneur de ce Davos, a appelé à ≪simplifier la paperasse≫ un gouvernement qui s’est déjà engagé à créer 400.000 nouvelles places de garderie d’ici 2018.
Saluant les efforts du Premier ministre, la directrice du FMI l’a incité à aller plus loin, rappelant que les femmes japonaises étaient surreprésentées dans les emplois précaires. Elle a aussi évoqué l’importance démesurée donnée dans les entreprises au nombre d’heures supplémentaires au détriment de l’efficacité, racontant une anecdote du temps où elle dirigeait le cabinet d'avocats d'affaires Baker & McKenzie: ≪Le soir à 19h30, j’arpentais les couloirs en demandant aux gens ce qu’ils faisaient encore au bureau à cette heure et pourquoi ils ne l’avaient pas fait pendant la journée.≫
Devant des participants venus du monde entier, dont la secrétaire d'Etat francaise chargée des Droits des femmes, Pascale Boistard, plusieurs personnalités ont rappelé que ces changements n’étaient ≪pas seulement dans l'intéret des femmes, mais dans l'intéret de l'économie≫. Christine Lagarde a ainsi estimé que le Japon pourrait augmenter son revenu par habitant de 4% s'il élevait progressivement le taux d'activité des femmes au niveau moyen des pays du G7.
Mathias Cena

七十二候の鶺鴒鳴せきれいなくです.
今日は成発表の日.人がうじゃうじゃいました.見たことある顔も結構いました.
世界一受けたい授業で「世界の果ての通学路」Sur le chemin de l'écoleをやっていました.見てみたい映画です.
Kyさんから携帯で注意されました.残念.

NHK
広島 被災地の高校で追悼の体育祭

広島市の土砂災害で亡くなった女子生徒が通っていた高校で13日、体育祭が行われ、生徒たちが喪章を付けて競技に臨みました。

先月の広島市の土砂災害では73人が亡くなり、大きな被害を受けた安佐南区の八木地区に住んでいた高校3年生の木原未理さんも、土砂に巻き込まれ亡くなりました。木原さんが通っていた安佐南区の県立安古市高校では13日、体育祭が行われ、はじめに全校生徒と教職員など1000人余りが、犠牲者を悼み黙とうをささげました。開会式では奥田孝憲校長が「未理さんから“いい体育祭だったね”と言ってもらえるように、練習の成果を出し切って頑張ってください」とあいさつしました。
このあと生徒会長を務める2年生の朝日貴大さんが、「私たちにできることは安古市の底力を見せることです。この思いが全国に届くよう全力を尽くしましょう」と、呼びかけました。
このあと生徒たちは、胸に小さな喪章を付けて障害物競走などの競技に全力で臨んでいました。
奥田校長は「生徒たちは未理さんを思い出して涙を流すこともあったが、少しずつ日常を取り戻しつつある。未理さんによい報告ができ、地域の復興を励ませるような体育祭にしたい」と話していました。


東京新聞
吉田調書 検証はまだ足りない

 3・11当時の福島第一原発所長、故・吉田昌郎氏ら十九人の聴取記録が公開された。極限状況の現場に踏みとどまった吉田氏は、事故の検証がまだ足りないと、警鐘を鳴らしているのではないか。

 「絶望していました」「イメージは東日本壊滅ですよ」−。

 公開された政府の事故調査・検証委員会の調書に詰まった現場指揮官の肉声からは、事故後三年半が過ぎてなお、福島原発事故発生当初の混乱と恐怖が生々しく伝わってくる。事態の重大さや原発管理の難しさなどをあらためて実感させる貴重な証言だ。

 福島第一原発の所長になる前、吉田氏は本店の原子力設備管理部長として、地震や津波対策を考える立場にあった。

 証言からは現場の状況だけでなく、東電の効率重視、安全軽視の姿勢もうかがえる。

 事故以前、福島第一原発を最大一五・七メートルの津波が襲う恐れがあると東電内部の試算が出た。ところが社の判断は従来通り、六・一メートルのままだった。吉田氏も「そんなのって来るの」という認識だった。

 海水配管が腐食して、地下の非常用発電機が水没するという事件もあった。吉田氏は「古いプラント、一回できたものを直すというのはなかなか。非常に難しいし、お金もかかるという感覚です」と振り返る。

 非常時の指揮官として、吉田氏は最善を尽くした人だろう。しかし、自らの反省点も数多く吐露している。

 公表を機に、もう一度さまざまな角度からその中身を精査して、教訓をさらに搾り出すべきだ。

 電力会社や政府は、原発の再稼働を急いでいる。

 福島事故の反省を踏まえて発足したはずの原子力規制委員会は、政府に同調するかのように多くの疑問を残したままで、九州電力川内原発1、2号機の再稼働を認める判断をした。

 考えてみてほしい。政府にしろ、国会にしろ、事故原因を十分究明できていない。福島の事故原因が定かでないのに、どうして原発の安全を判断できるというのだろう。

 事情聴取の対象は政府事故調だけで七百七十二人。拙速に再稼働を進める前に、今回公開された十九人以外の調書も可能な限り公開し、内外の機関や専門家、国民の議論にさらして、より真相に近づく努力を続けるべきである。

 吉田氏も、それを望んでいるはずだ。

フランス語
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机移動で広くなる/蛍光灯交換で明るくなる

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piede2

Ariana Grande : super "kawaï" avec ses fans japonaises !
Toujours en pleine promotion de son nouvel album, Ariana Grande a atterri hier au Japon où elle a pris le temps de saluer ses fans et de faire quelques photos avec eux...
Après son passage en Australie, où la starlette n’a pas vraiment laissé une bonne image , c’est maintenant au Japon qu’elle s’attaque. Et question image, il semblerait que la jeune femme de 21 ans souhaite faire bonne impression cette fois-ci !
En effet, celle qui avait été accusée d’avoir snobé ses fans il y a quelques temps, a cette fois-ci bien pris le temps de faire des photos et d’échanger quelques mots avec eux alors qu’elle venait à peine de poser le pied à l’aéroport de Narita ce mercredi 10 septembre.
Comme à son habitude, la starlette était haut perchée sur une paire d’escarpins noirs qui devait bien avoir 15cm de talons ! Son superbe corps était moulé dans un jean brut taille haute et elle portait un pull façon ≪ crop top ≫ en poils noirs. Toujours très stylée, la fashionista avait également un sac à dos signé Chanel en velours noir. Sa longue crinière blonde était, comme tout le temps, attachée en une queue de cheval très haute et la chérie de Big Sean avait un teint resplendissant pour quelqu’un qui venait de sortir d’un vol d’environ 10 heures...
Volonté de changer son image ou réelle gentillesse, en tous cas Ariana n’arrêtait pas d’envoyer des bisous à ses fans après avoir pris la pose avec eux...
Alors, vous en pensez quoi, diva ou pas diva ?

工事で部屋が広くなって机の移動をYuさんたちがしていました.そのおかげで広くなりました.
ナノザで蛍光灯が切れていたのをIkさんが交換してくれました.とても明るくなりました.

ドキュメント72時間「原爆ドームの見える岸辺で」
広島に原爆が落とされた8月6日。テレビからは毎年おなじみの厳粛な平和式典の中継が流れる一方で、会場の周辺には世界中からさまざまな人が押し寄せ、思い思いの主張やパフォーマンスを繰り広げる。原爆をテーマにした歌を歌う若者たち、祈りをささげる宗教団体、観光気分の外国人旅行者、過激な思想を叫ぶ人々…。終戦から69年。川向こうに原爆ドームを臨む公園の片隅で、それぞれの平和の形を見つめる三日間。吹石一恵

「しあわせ運べるように」

河北新報
大震災3年半 震災関連死3000人突破

 全国で1万5000人以上が犠牲となった東日本大震災の発生から、11日で3年半が過ぎた。被災規模の大きい岩手、宮城、福島3県では計2597人が行方不明のままとなっている。避難先などで亡くなる「関連死」が3県で3000人を超えるなど、震災被害は今も拡大し続けている。
 被災3県の行方不明者数の推移はグラフの通り。遺体の身元判明が進み、人数は減りつつあるが、震災から2年が経過した2013年3月以降、横ばいが続く。
 不明者の一斉捜索は今も行われ、各県警などは被災者の要望を受け、11日も沿岸に人員を配置した。ただ、月日の経過とともに、手掛かりの発見は難しくなっている。
 震災に伴う被災3県の関連死は計3097人。昨年同時期より350人増えた。県別では福島が1758人(前年比296人増)と最も多く、宮城897人(25人増)、岩手442人(29人増)と続いた。関連死には持病の治療を十分に受けられずに亡くなったり、心の病で自殺したりする事例が含まれる。福島第1原発事故の影響が続く福島では、被災者が帰還時期を見通せないストレスにさらされている。心身両面の継続的支援が不可欠となっている。


河北新報
お父さん、お帰り 3年半で遺族ようやく納骨

 東日本大震災発生から3年半となった11日、石巻市の看護師高橋和美さん(44)が津波で犠牲になった父阿部武松さん=当時(76)=の納骨を済ませた。ずっと行方不明だったが、今月初め、DNA鑑定でようやく身元が判明した。「骨の重さも感じられた」。高橋さんはほっとした表情を見せた。
 11日午前10時すぎ、高橋さんは家族と共に東松島市赤井の寺院で納骨を見守った。母あさ子さん=当時(72)=はいまだ行方が分からない。それでも、「普通のことが普通にできて良かった」と静かにつぶやいた。
 阿部さん夫妻は、石巻市南浜町の自宅で津波に襲われたとみられる。家屋は土台しか残らず、近くに建てたばかりだった高橋さんの自宅も流失した。
 高台の勤務先にいた高橋さんは無事だったが、避難所に両親の姿は見当たらない。夫の実家に身を寄せながら、遺体安置所を回った。
 震災1年後に両親の死亡届を提出し、葬儀を行った。昨春の三回忌には、遺骨代わりに実家の砂を墓に納めた。「この辺りにはいない。遠くに流されたんだろう」。そう思ってきた。
 「身元不明遺体と歯型が一致した」。ことし4月、宮城県警からの連絡も半信半疑で聞いた。着衣だけでは確信を持てず、詳細なDNA鑑定を依頼。今月1日に身元が判明した。遺骨引き取りの際、高橋さんは「最期の姿を見たい」と発見時の写真を見せてもらった。「お父さんだ」。実感が湧いたのは顔ではなく、生前見慣れた背中を写した1枚だった。
 高橋さんは、今も仮設住宅での避難生活が続く。住宅再建は来春を目標に据えている。「お母さんもあと何年かしたら出てきてくれるかな」。両親そろって弔ってあげる日が来ることを願った。

毎日新聞
東日本大震災:分断の防潮堤 震災から3年半

 東日本大震災から3年半がたち、東北3県の沿岸部で防潮堤が姿を見せ始めた。被災地域には安心感が広がる一方、巨大な壁がそびえ立つ様に、計画の変更を求める声もあがる。

 防潮堤は、被災地域の沿岸部に約370キロにわたって建設。高い所では、5階建てビルに相当する14.7メートルになる。その大きさゆえに、景観や環境への影響、多大な維持費に対する不安が地域住民の間には根強い。計画を変更した自治体もあるが、高さを見直すなど代替案が検討されない地域もある。

 宮城県気仙沼市本吉町前浜地区で話し合いを続ける自治会長の菊地敏男さん(66)は、「100年、200年後に、どのような海岸を残すのか。防災の方法は防潮堤だけではないんです」。拙速な結論を危惧している。

 防潮堤を巡り、海とどう生きるかに揺れる東北3県の沿岸部をカメラマンが訪ねた。【梅村直承】


岩手日報
震災3年半、悲しみ今も 大槌で住職有志、住民ら法要

東日本大震災から11日で3年半。県内の被災地では、多くの人々が犠牲者の冥福を祈った。大槌町の吉里吉里(きりきり)漁港では震災が発生した午後2時46分、町内外の住職16人が法要を行い、集まった多くの町民とともに海に向かって黙とうした。

 漁港には地域住民ら30人余りが集まり、鐘の音に合わせて静かに手を合わせた。女性(74)は「今も悲しみは簡単にはなくならない。亡くなった人が安らかに、自分たちも穏やかな気持ちでいられますようにと祈った」と話した。

 北海道から熊本県まで全国各地から駆け付けた住職の有志は、町内の江岸寺や旧役場前を巡回。有志による法要は、同町の吉祥寺(きっしょうじ)が震災直後の4月29日に合同で葬儀をした時から続いている。

 同寺の高橋英悟(えいご)住職は「残された人々は今も先が見えない不安の中にいるが、希望を捨てずに過ごせるよう寄り添っていきたい」と前を向いた。


秋田魁新報
>震災から3年半、犠牲者の冥福祈る 参列者「悲しみは消えない」

 東日本大震災から3年半となった11日、各地で営まれた慰霊法要に県関係者が参列し、犠牲者の冥福と一日も早い被災地の復興を祈った。

 県内の若手僧侶でつくる県曹洞宗青年会(鈴木泰賢会長)の7人は、岩手県大槌町を訪問。町中心部の江岸寺と旧町役場、吉里吉里海岸の3カ所を巡り、犠牲者に祈りを捧げた。藤里町の新川泰道さん(44)は「まだ行方が分からない人もいる。時間がたっても悲しみは消えない。被災地に目を向け続けることが大事だと思う」と語った。

 法要は県内でも行われた。大館市の浄応寺では、誉田正司住職(55)が「私たちは微力だが無力ではない。一刻も早い復興を願おう」と呼び掛けた。集まった参列者10人は、住職の読経に合わせて祈りを捧げた。


神奈川新聞
東日本大震災から3年半 未だ身元不明の遺骨88柱「今は穏やかに眠って」

 東日本大震災で犠牲となり、今も身元が分からない遺骨がある。岩手、宮城、福島の3県警によると88柱。頭骨以外の部分しか見つからず、死者に数えられていない遺骨も多い。「今は穏やかに眠って」。荼毘に付され、仮の安置場所で家族の元へ帰る日を待っている。11日、震災の発生から3年半を迎えた。

 海沿いが津波にのまれた岩手県山田町。町役場駐車場の一画に、ぽつんと白いプレハブ小屋が立つ。中にある3段の木棚に、18の白い箱が並ぶ。

 「山体119」「千徳・部分3」。当初の遺体安置所の名前と番号が黒色のペンで箱に記され、箱の上に1輪ずつ造花が供えられている。出入り口のガラス戸は厚い遮光カーテンが引かれ、薄暗い。ここにある遺骨が最後に引き取られたのは約1年半前だ。

 今年3月11日には役場横のホールで追悼式があった。「ホールには多くの人が集まったけれど、こっちは誰も来なくて…」と町民課課長補佐の中屋佳信さん(51)。丁寧に花や団子を供えた。遺骨は、本年度中に町営墓地に建設される納骨堂へ移る予定だ。

 身元不明の遺骨の安置場所はさまざま。岩手県大槌町は部分遺骨を含め、納められた77の箱を、三つの寺に分けて預かる。納骨の施設を建設する方針だが、場所の選定などで難航している。

 9月に入り、宮城県塩釜市の霊園と同県南三陸町の仮設遺骨安置所に安置されていた2人の遺骨が遺族に引き渡されたが、身元の特定は厳しい状況が続いている。

 宮城県警捜査1課の金野芳弘検視官(60)は「根本的に、個人を特定する試料が少ない」と話す。自宅や歯科医院が津波で流され、DNA型や歯型のデータが取得できず、家族が亡くなっているケースも多いためだ。

 岩手県陸前高田市の普門寺の共同墓地には、身元不明の遺骨が眠る12の墓石が並ぶ。住職の熊谷光洋さん(62)は震災後、朝の読経を始めた。陸前高田市で行方不明になった子どもの供養のため、早朝に仙台から来た人がいたからという。毎年3月11日に訪れる北海道の遺族もいる。

 互いに帰る日を待つ遺骨と家族。小雨の中で3年半を迎えた11日早朝、熊谷さんはいつものように本堂で経を読み、心の中で呼び掛けた。「今は穏やかな海の中で自然に戻っています。決して苦しんではいませんよ」


毎日新聞
続報真相 橋本聖子議員「無理チュー」騒動、おとがめなしのモヤモヤ

 日本スケート連盟会長で日本オリンピック委員会(JOC)常務理事の橋本聖子・参院議員(49)が、ソチ五輪の打ち上げパーティーでフィギュアスケート男子の高橋大輔選手(28)に抱きつき、無理やりキスしたと週刊誌に報じられた「無理チュー」騒動。男女逆なら大問題になりそうだが、JOCも連盟も「おとがめなし」。この幕引き、何かモヤモヤする。なぜだろうか。
 ◇もし「真央ちゃんと男性政治家」だったら…? 「ある意味、女性差別」

 9日、東京都内で開かれたJOC理事会に、常務理事の橋本議員の姿はなかった。欠席理由を議員事務所に尋ねても「把握していません」。やはり体調不良だろうか。

 スケート連盟理事会のあった1日には、内臓疾患などで12キロもやせた姿でつえを突いて現れた。会議冒頭、騒動を受けて引責辞任する考えを示したが、慰留され、会長職に留任したという。一方、JOCは週刊文春(8月20日発売)の報道を受け、竹田恒和会長が22日、「問題視することは考えていない」と早々に声明を発表した。また、自民党は今月9日、橋本議員を2020年五輪・パラリンピック東京大会実施本部長に充てる人事を総務会で了承した。

 つまりJOC、スケート連盟、自民党が足並みそろえて「おとがめなし」なのだ。

 釈然としないのは、東京都議会で6月、「早く結婚した方がいいんじゃないか」「産めないのか」などの人権侵害ヤジが問題になった時と比べてしまうからか。あの時、都には1000件を超える抗議が殺到した。今回の騒動との世間の温度差はどうだろう。

 人権侵害ヤジ騒動では、当初、ヤジを飛ばした本人が名乗り出ず、男性議員たちが「聞こえなかった」などとかばい合う姿が批判された。では、橋本議員のお仲間はどう考えているのか。衆参両議院の女性議員全78人に「今回の騒動はセクハラやパワハラと思うか」と聞いてみた。

 回答を寄せてくれたのはわずか11人。「セクハラと思わない」が6人、「思う」が2人、残り3人はセクハラに当たるかどうかには直接答えなかった。「週刊誌の記事を読んでいないので答えられない」など「無回答で」と連絡があったのは8人で、残り59人からは梨のつぶて。相当答えにくいアンケートだったようだ。全部の議員事務所に電話すると「日程的に回答は無理」「回答を辞退する」などの理由でほぼ全員が「無回答」。複数の議員秘書から「議員同士の付き合いもあるし、こりゃ答えられないよ。匿名でやれば言いたい人はたくさんいただろうに」と助言された。

 結果をみると「セクハラとは思わない」の主な理由は、高橋選手自身が「セクハラやパワハラだと思っていない」と否定している点だ。橋本議員も「キスを強制した事実はない」と主張している。一方、人権侵害ヤジ騒動では被害に遭った女性都議が訴えていた。

 しかし、労働問題に詳しい圷(あくつ)由美子弁護士は「セクハラやパワハラは被害を訴えられないくらい圧倒的な力関係の下で起こることが多い。被害者が『意に反したものではなかった』としたとしても、真意ではない可能性を常に考慮する必要がある」と指摘する。「JOCは聴取の際に、行為者の地位、権限、2人の力関係や年齢差、既婚かどうか、男女としての交際歴などを考慮し、総合的に判断すべきです。空気を読んだ被害者側の言葉をそのまま受け取り『幕引き』としたのかどうかが問われることになります」

 ネット上では「浅田真央選手が男性政治家に無理チューされたら、おとがめなしでは済まない」と話題になった。やはり、男性が被害者だから世間は騒がないのか。ブラック企業問題に取り組む佐々木亮弁護士は「『女性上司から男性部下へのハラスメント』という概念が社会に定着していないため、男性が声を上げにくいのでは」と話す。

 実際、女性からハラスメントを受けている男性はどの程度いるのか。労働問題に詳しい戸塚美砂弁護士は11年、インターネット調査会社に依頼して、女性から男性へのセクハラ・パワハラについてアンケートした。対象は22〜39歳の男性2666人で、2539人が回答。女性の上司や先輩から「不快な思いをさせられた」のは4人に1人に上った。このうち500人にさらに詳しく重複回答で聞いたところ、「男のくせになど男であることを理由に不快なことを言われた」は26・6%、「『結婚はまだか』『子どもはまだか』などと聞かれた」は26・2%、「必要以上に接近されたり、わざと身体に触れられた」(10・6%)、「卑猥(ひわい)な内容の話を聞かされたり、卑猥な行動を見せられた」(10・0%)、「性的関係を強要された。またその誘いを受けた」(3・8%)などを経験していた。また、女性から不快と思う行為を受けた時、「オープンに話せる社会環境か」という質問に75%が「そうは思わない」と答えた。

 戸塚弁護士は「女性からの被害に遭った男性は嫌悪感は感じても、女性のように恐怖までは感じない。それが訴えに至らない一因ではないか」と考えている。

 日本のウーマンリブ運動の中心的存在だった田中美津さん(71)にも聞いてみた。「基本的にはどうでもいい話」と前置きしながら「無理チューされたのが羽生結弦選手だったら、世間はもっと騒いだかも。高橋選手は元々セクシーさが人気で、清潔なイメージの羽生選手が相手だったら一層衝撃的だった」と語る。さらに「あの週刊誌の『無理チュー』写真は醜悪なので人目を引いたって感じ。キスにしろハグにしろ本当に双方の合意があったら、他人の目にももっと美しく見えるものではないかしら」。なるほど、写真の語る力は大きい。だから今回の幕引きに「これで本当にいいの」と思わされるのか。

 田中さんは「男女が逆だというだけで処分なしというのはある意味、女性差別。あいまいな幕引きは、将来の女性リーダーたちのためにならない」とくぎを刺す。
 ◇声上げにくいスポーツ界

 もう一つ、今回の騒動の特殊性は、スポーツ界で起きた点だ。一昨年、明るみに出た女子柔道強化選手への暴力問題は記憶に新しい。告発した女子選手たちを支えた元柔道選手でJOC理事、筑波大准教授(スポーツ健康システムマネジメント)の山口香さんは「スポーツ界の飲み会では今も、場を盛り上げるため男性が服を脱ぐのはよくあること。今回の騒動は、スポーツ界の常識と世間の常識との乖離(かいり)が背景にあるのではないか。また、スポーツ界は圧倒的な男社会で、女性のリーダーが少ない。女性から男性への行為で男性が嫌がったり、セクハラと感じたりする可能性があることを私自身勉強させてもらった」と語る。

 一方、元柔道選手で静岡文化芸術大准教授の溝口紀子さんは、今回の騒動は女子柔道強化選手への暴力問題と根は同じだと指摘する。「なぜJOCやスケート連盟の関係者は誰一人『橋本さん、酒は控えて』と彼女を止めず、高橋選手をかばわず、ただ写真を撮っていたのか。最大の問題は、橋本さん個人の行動ではなく、それを周囲の誰も止められなかったということ。権力を持った人にあらがえないというスポーツ界全体の体質です。スポーツ選手は『転職』ができません。セカンドキャリアも競技関係にしか見つけられない。普通の職場よりもセクハラやパワハラが起こりやすく、それを訴えにくい土壌があるのです」と説明する。

 「女子柔道の暴力告発は、女子選手が声を上げたから問題になった。でも男子選手は以前から女子以上に体罰を受けていたのに、男子だから、と問題にされなかった。男子も被害者だったんです。あの問題で尽力してくれた橋本さんだからこそ、今回の騒動を機に自身が旗振り役となって上にノーと言えないスポーツ界の体質を変えてほしい」

 女性登用が叫ばれるこの時代、今回の騒動から学ぶべき教訓は多い。【小国綾子】

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東日本大震災から3年半/ナノザで会議/VAIO(Win8)

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Difficile de ne pas penser à Charles Meryon (1821-1868) quand on parle de Notre-Dame au XIXe siècle ou plus largement de Paris à cette époque. Admiré par Baudelaire qui aurait souhaité réaliser un livre avec lui, c'est l'un des plus grands graveurs français du siècle qui laisse une oœuvre restreinte mais d'une grande puissance.
19世紀のノートル=ダム大聖堂のみならず,この時代のパリを語るにあたって,シャルル・メリヨン(1821-1868)に触れないわけにはいかないだろう.メリヨンは,数こそ少ないものの,きわめて力強い作品を残したフランスの最も偉大な版画家の一人で,ボードレールは彼を称賛し,ともに一冊の本を作りたいとさえ願った.

「夕暮れのセーヌとノートル=ダム」
ヴェルレーヌ『サチュルニアン詩集 Poèmes saturniens
「パリのノクターン Nocturne parisien」(1866)
作家とともにパリ散歩  井上 櫻子 いのうえ さくらこ Vincent Brancourt ヴァンサン・ブランクール

今日は東日本大震災から3年半.だから,というわけでもありませんが,結構忙しいです.久しぶりにナノザで会議があってその後セムム.セムムは時間が足りずに明日もすることになりました.その後Windows8のVAIOをネットに接続しました.Officeのインストールが終わったのはかなり後のことでした.
3年半経って,私の場合はかなり立ち直れてきたと思います.まだ100%ではないにしても6‐7割くらいの力を出せているかと思います.少し前だと,5割にも満たなかったような気がしますし,手帳に「しんどい」と記していたことが多かったです.最近はあまりしんどいとは感じていません.あと半年経ったら今よりももっと楽になってより頑張れるかもしれません.

河北新報
24万人避難生活続く きょう震災3年半

 東日本大震災は、11日で発生から3年半となる。避難先で暮らす被災者は、岩手、宮城、福島3県を中心に全国24万5622人に上る。この1年で4万4000人近く減ったものの、福島第1原発事故の長期化や、沿岸部での土地造成の遅れが住宅再建を妨げている。
 全国の避難者数の推移はグラフの通り。2012年6月以降は緩やかに減少を続ける。都道府県別では福島県が12万7377人と、全体の半数以上を占めている。
 復興庁によると、東北に暮らす避難者は計19万6434人。県別では青森604人、岩手3万2089人、宮城7万8800人、秋田1028人、山形4913人、福島7万9000人。東北以外では東京の7696人が最も多い。
 震災時の居住地から他の都道府県に広域避難しているケースは、福島が4万7149人。宮城、岩手はそれぞれ6974人、1513人となっている。
 避難が長引く背景にあるのは、原発事故と津波被害の深刻さだ。福島では廃炉作業のトラブルや除染の遅れで、住民帰還の見通しが立たない状態が続く。
 沿岸部の住宅再建には、高台移転や大規模な土地のかさ上げが伴う。用地取得の難航などで災害公営住宅の整備も大幅に遅れており、避難者の多くは仮設住宅などでの生活を強いられている。
 今月3日に就任した竹下亘復興相は「再建のつち音は響き始めているが、道のりは遠い。被災者に寄り添い、復興を加速させなければならない」と話した。


朝日新聞
仮設いつまで 杭は腐食、カビでぜんそく 東日本大震災3年半

 東日本大震災の被災地で仮設住宅解消の見通しが立たない。杭の腐食やカビの発生で、体調不良を訴える被災者がいる。仮設がある場所に公共施設をつくるため、別の仮設への転居を迫られる人もいる。東日本大震災から3年半。長期の「仮住まい」が被災者に苦境を強いている。

 宮城県石巻市の開成第3団地で暮らす樋口敏雄さん(65)は昨年4月、激しいせきに襲われた。夜眠れなくなり、駆け込んだ病院でカビアレルギーによるぜんそくと診断された。

 翌月、国立医薬品食品衛生研究所の調査で、寝室の畳の裏に白いカビが生えているのが見つかった。仮設は密集して立ち、風通しが悪い。畳を捨て除湿剤を置いたが、今も薬を飲まないとせきに襲われる。「前は健康だったのに薬が手放せない人生になるのか」

 研究所などが6月、石巻の仮設で集団検診をしたところ、137人中32人にぜんそくなどの呼吸器異常が見つかった。市はカビのひどい46戸について、1600万円で天井板や畳を替える作業を続ける。

 建物もきしむ。岩手県釜石市の平田団地で8月末、劣化の点検を兼ねた「試験改修」があった。仮設を支える杭のうち雨や雪にさらされる部分が腐っており、鉄製の杭を添えて補強した。団地の男性(75)は「住むのに支障がないようにしてほしい」と話す。

 宮城県では、石巻など3市で計34棟が最大1度強傾いた。0・6度以上の傾きで頭痛やめまいなどの症状が出る恐れがあるとされ、県は6500万円余で床を水平にした。

 福島県は1〜2月、避難生活を送る6万3千世帯にアンケートし、仮設に住む4110世帯の7割が「避難後に心身の不調を訴えた同居家族がいる」と回答した。避難者全体より3ポイントほど高かった。県は「避難の長期化がアルコール依存症や生活習慣病につながる」と心配する。

 同県桑折町の仮設住宅では、全域で避難指示が続く浪江町の町民約300人が暮らす。小関俊美さん(69)は毎晩寝つけず、週に4リットルの焼酎を空けてしまう。

 町が目標とする17年3月に避難指示が解除されても、町に戻って、人工透析が必要な妻と暮らせるか不安だ。「仮設では近所に仲間もいなくて、何も楽しみもねえし」

 (斎藤徹、根岸拓朗)

 ■要請受け、次も団地へ

 約100世帯が暮らす岩手県山田町の山田第4仮設団地。「年内の引っ越しをお願いします」。町が2月、住民29世帯に伝えた。

 団地の敷地の一角に、町の再建に必要な下水処理場を造るためという。11年前からある計画で、町は別の場所も探したが、震災で市街地の大部分が浸水し、見つけられなかった。

 「なんで急に仮設から仮設に引っ越さねばなんねぇんだ」。仮設に住む漁師の貫洞義孝さん(60)は不満を示した。だが、自ら家を流された町職員が1軒ずつ説明に歩く様子を見て考え直した。「反対したって家が早く建つわけじゃない」

 10月、3キロ離れた団地に引っ越す。知った顔はいない。「何年までと期限があるなら我慢できるが、期限が見えないのが一番の不安」と話す。

 宮城県東松島市は5月、災害公営住宅をつくるため、小野駅前地区の仮設の約40世帯に転居を求めた。「土地不足で理解いただきたい」と要望した。

 だが、住民は「絆が壊れる」と反発。市は7月、復興住宅を段階的に建て、22世帯分は当面残す案を示した。自治会長の武田文子さん(63)は「希望する全員が新居に入れるまで残れるようにしてほしい」。高台への移転に3年以上かかる人もいるという。

 同県名取市の愛島東部仮設団地は、敷地の地権者と契約延長ができず、返還を求められた。市は一時、144世帯中98世帯にほかの団地に移るよう求めたが、住民の反発が強く、市が敷地を購入する異例の決断をした。

 「住まいの確保を最優先にした」と担当者は話す。(田渕紫織、茂木克信)

 ■補修では限界、対策急務

 災害救助法で、仮設住宅の期間は原則2年とされている。「必要最低限の仮住まい」(内閣府)との位置づけのため、被災地での老朽化したプレハブ仮設の補修では、長期間使う仕様にまでは変えられない。

 内閣府の有識者会議では、仮設住宅の基礎をコンクリート製にしたり、避難所から直接復興住宅に入れるような仕組みを設けたりする案が出ている。長期の避難生活が想定される将来の大規模災害に備えるためだ。

 ただ、法改正には数年かかる見込み。東日本大震災では、復興住宅など代わりの住まいの整備を急ぐしかない。竹下亘復興相は9日、「土地確保や工事着工などを加速させるよう、とにかく急げと指令している」と話した。(中村信義)

 ■プレハブ仮設住宅の戸数と入居者数

岩手県  1万964戸/2万3957人

宮城県 1万7423戸/3万9130人

福島県 1万2997戸/2万6236人

―――――――――――――――――――

計   4万1384戸/8万9323人

 (3県調べ、8月末現在)


毎日新聞
大震災3年半:酒に頼らない 富岡から避難、不安と闘う

 「気持ちが揺らいだら、また酒に走ってしまうんじゃないか」。東京電力福島第1原発事故後の避難生活中にアルコール依存症になった福島県郡山市の福田利勝さん(56)は、事故から3年半がたった今、再び依存してしまう不安と闘っている。同県富岡町の古里は同原発から約7キロで、居住制限区域に指定されている。戻るめども、今後の生活も見えてこないからだ。

 福田さんは富岡町の自宅で両親と妹家族の計7人で暮らしていた。バス会社に勤めながら、両親の農作業を手伝う毎日。自分たちで収穫した米や野菜が食卓に並び、「平凡だけど笑顔に包まれた」生活だった。

 それが、2011年3月11日の東日本大震災発生で一変した。原発の異変を恐れ、翌12日の午前中には同県いわき市内まで避難。間もなく、原発の水素爆発を知った。「もう終わりだ」。全身から力が抜けていった。

 県内の避難先を転々とした。父清さん(当時80歳)は心臓病を患い、ペースメーカーをつけていた。「自分の仕事や家族の将来はどうなる。おやじの体調は大丈夫だろうか」。なかなか眠れず、寝酒として缶ビールを飲むようになった。悩みはどんどん膨らみ、手にするビールが2本、3本と増えた。気付けば家族に隠れて車の中で、ビールやウイスキーをあおるようになっていた。

 清さんは毎日のように「(富岡へ)帰りたい」とつぶやいていた。入退院を繰り返して12年1月に肺炎で亡くなり、震災関連死と認定された。

 数日後の葬儀の場で福田さんは倒れて病院に運ばれ、その後、アルコール依存症と診断された。「酒を飲んでいる場合じゃない」。自分を叱咤した。県内の専門外来で3カ月間の断酒プログラムに取り組んだ。以来、酒は飲んでいない。だが、依存症に完治はないといい、今も体質を変えるための薬のほか、眠れないときのための睡眠薬が手放せない。

 現在、福田さんは母の洋子さん(82)と2人で郡山市にある賃貸住宅で暮らす。手狭なため、妹家族とは別居せざるを得なかった。仕事も探しているが、見つからない。どうしても「原発事故さえなければ」と考えてしまう。眠れなくなる不安は消せないが、「一口でも酒を飲んだら、取り返しがつかない」と自身に言い聞かせている。【田ノ上達也】
 ◇患者の重症化顕著 アルコール依存、継続摂取が原因

 福島県郡山市にあるアルコール依存の専門外来「大島クリニック」によると、震災直後に診察した患者に比べ、最近訪れる患者は肝硬変や認知症などに重症化しているケースが目立つという。避難生活が長くなる中で、継続的にアルコールを摂取していることが原因と考えられ、大島直和理事長は「このままではアルコールの問題で亡くなる人が出てくるのでは」と危機感を募らせる。

 先の見えない将来への不安や仮設住宅での生活ストレスなど、避難生活では飲酒へつながるさまざまな要因がそろっている。1995年の阪神大震災後に孤独死の調査をした神戸大大学院の上野易弘(やすひろ)教授(法医学)によると、震災発生から4年半の間に兵庫県内の仮設住宅では男性47人が肝疾患で孤独死した。うち少なくとも7割は飲酒が主因とみられ、ほとんどが肝硬変だったという。

 福島県では、福島第1原発事故による避難生活の長期化が予想されるが「症状を認めたがらない人が多いうえ、初期段階は周囲も気付きにくいことなどから、支援対象の把握は困難」(県)といい、詳しい実態が分からないのが現状だ。

 だが、問題を重視した県は今年度、避難者支援などに取り組む民間団体「ふくしま心のケアセンター」に委託して、医療や福祉関係者らを対象にアルコール依存の研修会を始めた。担当者は「アルコール問題への対応力をつけた人材を育て、依存に苦しむ人々の早期発見や支援が届くようにしていきたい」と話す。【田ノ上達也】


産経
【東日本大震災】 「助けてあげられなくてごめんね」 妻や息子亡くした父、3年半迎え冥福祈る

 募る思いを胸に、そっと手を合わせた。東日本大震災の発生から3年半を迎えた11日。被災地では早朝から、遺族らが亡くした家族や友人をしのび、冥福を祈った。

 津波で児童、教職員計84人が死亡、行方不明となった宮城県石巻市立大川小の被災した校舎。3年生だった次男、三条皓聖君=当時(9)、学校まで迎えに行った妻=同(48)=ら家族3人を亡くした父の真一さん(47)は慰霊碑の前で線香を上げ「3年半とは早いものだ。時間が過ぎても言えることは『助けられなくてごめんね』。それだけです」と唇をかみしめた。

 「3年半がたち、被災者とそれ以外の人との間で心のずれを感じる」と話したのは、仙台市若林区荒浜の慰霊碑で祈りをささげた住職、市川弘泰さん(41)。「悲しみの中にいる方々に寄り添って歩いていきたい」と語った。


NHK
震災3年半 津波被災地で供養

東日本大震災から3年半の11日、津波で大きな被害を受けた福島県いわき市の沿岸部に僧侶や地元の住民が集まって犠牲者を供養しました。

福島県いわき市では震災の津波などで300人を超える人たちが犠牲になり、このうち平薄磯地区では市内で最も多いおよそ110人が亡くなりました。
震災から3年半となった11日は、津波で地区内のほとんどの建物が流出するなかで本堂が残った寺の境内で、僧侶がお経を唱えました。参列した住民は静かに手を合わせて祈ったり祭壇に線香を供えたりして、亡くなった人たちを悼んでいました。
この地区で、おばといとこを亡くした61歳の男性は「津波が来る直前まで話しをしていたので亡くなったとは信じられなかった。3年半がたって忘れられつつある気がするが供養を続けていきたい」と話していました。
この地区では、多くの住民が市内の別の場所などで避難生活を送るなか、復興へ向けたまちづくりが進められています。
しかし流出した建物の基礎の撤去が終わったばかりで、整備を進めるいわき市は今後、津波につかった土地をかさ上げするほか、隣接する高台を宅地に造成したうえで、再来年3月に住民に引き渡すことを目指しています。
参列した平薄磯地区の鳥居喜一郎区長は「時間がたてばたつほど戻る住民が減るのが心配だ。早く工事を進めて地区を復興させてほしい」と話していました。


NHK
震災3年半 行方不明者の捜索

東日本大震災から3年半となる11日、宮城県気仙沼市の海岸では警察が行方不明者の捜索を行っています。

宮城県内では今も1261人の行方が分かっておらず、震災から3年半となる11日、各地で警察や海上保安部などが捜索を行っています。
このうち気仙沼市本吉町の海岸で行われている捜索には、気仙沼警察署などの警察官合わせて30人が参加しました。
はじめに警察官たちは海に向かって震災で犠牲になった人に黙とうをささげました。
このあと捜索を始め警察官たちは列になって、熊手などを使って砂浜や漂着物の中に行方が分からない人の手がかりがないか慎重に探していました。
警察によりますと、気仙沼市内では226人の行方が今も分かっていないということです。
気仙沼警察署の奥田祐次警備課長は「家族の帰りを待ち続ける人たちの心に寄り添ってなんとか手がかりを見つけたい」と話していました。


東京新聞
東日本大震災3年半 「じいじ」もう一度呼んで

 東日本大震災から三年半を迎えた十一日、津波で大きな被害に遭った岩手、宮城、福島の三県沿岸部では、各県警などが行方不明者の手掛かりを求めて集中捜索した。仮設住宅には、失った家族への思いを胸に自宅の再建を誓う人の姿も。警察庁によると十日現在、計二千六百一人の行方が分かっていない。 

 「じいじ」と呼ぶ幼い声が、今も耳から離れない。「夢でいいから出てきて」。東日本大震災で孫ら家族四人を失った岩手県釜石市の鈴木堅一さん(71)はそう願い、津波で流された自宅跡地に花を植え続けてきた。この日も、仮設住宅で遺影を前に誓った。「みんなのために、家さ早く建てるんだ」

 あの日、自宅リビングで妻信子さん=当時(64)、長男健幸(けんこう)さん=同(44)、その妻奈津子さん=同(45)=とテレビを見ていると、激しい揺れに襲われた。消防団員の鈴木さんが真っ先に手にしたのは、団のはんてん。地震の時は水門を閉める任務だった。

 仕事が休みの健幸さんが、孫で五年生だった理子(りこ)さん=当時(11)=を迎えに小学校へ。「気をつけて」。そう言い合ったのが最後になった。

 背後に迫る灰色の波から逃げ延び、その後も消防団として住民の遺体確認などに明け暮れた。三日目、無事と信じていた健幸さんの車がぐちゃぐちゃになって見つかる。「あぁ流されたんだな、死んだんだなって分かった」

 数日後、活動の合間に訪れた自宅はがれきが突き刺さっていた。変わり果てたわが家を見つめていると、ふと心の中で聞こえた気がした。「お父さん」と呼ぶ信子さんの声。「じいじ」と呼ぶ理子さんの声−。「絶対ここさいる」。声のした二階の子ども部屋で、四人が遺体で見つかった。

 足が不自由だった信子さんをみんなで守ろうとしたのかもしれない。今も仮設にいるとふと思う。「なんで俺はこんな所にいんだべ」「俺が消防団さ入ってねば、みんなを逃がしたべ」

 将来の夢は「看護婦さん」。そんな孫の先が絶たれたことが悔しい。かき氷が好きで「じいじはイチゴミルク、理子はブルーハワイね」とはしゃいだ。震災数日前も「一緒に寝る」と鈴木さんの布団に潜り込んできた。

 三年半、更地になった自宅跡地に通い、花を植えてきた。春には赤、白、黄色の鮮やかなチューリップ、初夏にはりんとした青紫のアヤメ…。信子さんが大切にしていた球根が生き残り、芽を出したものもあった。

 八月、かさ上げ工事前の最後の花が咲き誇った。背丈よりも高くまっすぐに伸び、天まで届くかのようなヒマワリ。見上げながら、そっと笑った。「きっと仏さんも喜んでるべ」。花びらが散るのと同時に重機が入った。かつてのわが家はもうすぐ、土の中に埋まる。

 また同じ場所に家を建て、四人と一緒に歩んでいこう。すてきな女の子に成長した理子さんが帰ってくるための、子ども部屋もつくって。「もう一回、夢でもなんでもいいからさ。じいじって…呼んでくれねえかな」


毎日新聞
大震災3年半:あれから1280日…父の遺骨を納骨

 東日本大震災から3年半となる11日、宮城県石巻市の看護師、高橋和美さん(44)は、津波に流され行方不明だった父、阿部武松さん(当時76歳)の遺骨を、隣町の東松島市にある墓に納めた。震災から約3カ月後に遺体は見つかり、身元不明のまま荼毘(だび)に付されていた。県警により「グランディB421」として安置されていた遺骨が、DNA鑑定で武松さんと判明して家族の元に戻ったのは今月初め。「普通のことが普通にできて良かった」。震災から1280日たっての納骨だった。

 墓の前に午前10時、親族8人が集った。読経が始まると、普段は快活な高橋さんの子どもたちが泣き始めた。「戻ってきたから、泣かなくていいんだよ」。高橋さんは子どもたちを抱き寄せた。

 「おはよう」。あの日の朝、高橋さんが隣に住む武松さんに長女怜奈ちゃん(10)と長男直叶(なおと)君(8)を預けた際に交わした日課のあいさつが、武松さんとの最後の会話となった。

 残ったのは家の門柱の表札だけだった。遺体安置所を回ったが、武松さんは見つからなかった。「見つけてあげられなくてごめんね」。昨夏、実家の土を共に流されいまだに行方不明の母あさ子さん(当時72歳)の服と一緒に墓に納め、気持ちの区切りを付けた。

 今年5月、県警の身元不明・行方不明者捜査班から「歯型の鑑定などからほぼ身元が判明した」と連絡を受けた。2011年6月30日、約20キロ離れた同県七ケ浜町沖で見つかり、安置された県総合運動公園「グランディ・21」から名が付された遺体「グランディB421」だった。その後、武松さんの妹のDNA型との鑑定で武松さんと確認された。

 鑑定後、発見時の遺体の写真を見た。顔立ちが分かる状態ではなかったが、後ろ姿の写真に目が留まった。「お父さんだ」。漁師だった父の、毎日見ていた少し曲がった背中だった。

 震災1年後に県内で338体あった身元不明の遺体は、20体に減った。県警捜査1課の金野(こんの)芳弘検視官(60)は「身の回りの物が流され資料が乏しい中での身元確認は難しいが、何とか家族に返したい」と話す。岩手県では身元不明遺体は67体、福島県はない。

 高橋さんは「3年半はとても長かったけど、困難な作業を考えると短いのかもしれないし、感謝の言葉しかない。何年かかっても、行方の分からない最後の一人まで家に帰ってほしい」と望む。

 墓には骨と共に、「ずっとぬれていたから」と、生前に武松さんと毎日遊んだ孫たちが選んだ新しい服が納められた。【森田剛史】


毎日新聞
大震災3年半:ばあちゃんと生きる…両親と妹亡くした長男

 「ばあちゃんと共に、亡くなった家族の分まで一生懸命生きたい」。東日本大震災から11日で3年半。高校時代に津波で両親と妹を失った福島県南相馬市の村田謙さん(21)は昨年10月、東京の専門学校を退学し、古里の仮設住宅に戻った。たった一人の家族となった祖母、京子さん(70)のそばにいるためだ。今春には地元で就職。先行きが見えない仮設生活だが、2人で支え合いながら新たな時を歩んでいる。

 「仕事に行ってくるから」「気を付けてね」。謙さんは毎朝、京子さんに見送られ、市内の自動車整備工場へ出勤する。京子さんが朝5時に起きて作る弁当には、謙さんが大好きな甘い卵焼きが入っている。半年前に始まった日常だ。

 2011年3月11日、市内の工業高2年だった謙さんは海岸から約200メートル離れた同市小高区の自宅で激しい揺れに襲われた。「津波が来るぞ、逃げろ」。近所の人の叫び声に押され、京子さんと近くの山へ駆け上がった。眼下の集落は瞬く間に津波にのみ込まれた。

 あの日、中学の卒業式に出席した妹の彩さん(当時15歳)と母の恵美さん(同43歳)は式後に食事へ行った帰りに、父の龍一さん(同44歳)は勤務先から自宅へ戻る途中で波にさらわれた。数日後、妹とは市内の体育館で対面。ひつぎに入った体に傷はなく「眠っているような穏やかな表情だった」。両親も約2カ月後に自宅近くで見つかり、結婚指輪などで確認された。

 残された2人は県内外を転々とし、11年8月に市内の仮設住宅に入った。だが、翌年に高校を卒業した謙さんは、パソコンのセキュリティーを学ぶため東京都内の専門学校に進んだ。講義に集中している時や、友人たちに囲まれている間は震災のことを忘れることができた。でも、夜になって寮の布団にもぐると、生前の家族の姿がまぶたに浮かび、寂しさが込み上げた。

 「都会で生活するうちに、初めて地元の自然の豊かさや、小高の人々の温かさに気が付いた」。そして何より「ばあちゃんを大切にしたい」という気持ちが膨らみ、昨年10月、帰郷を決断した。京子さんは災害公営住宅に応募したが、入居時期は16年ごろとしか分からず、地元での孫の将来をおもんばかった。それでも謙さんは半年かけて地元で仕事を見つけた。

 犠牲になった3人の遺骨が安置された仮設住宅で、2人が取り戻した静かな生活。京子さんは「また孫と一緒に生活することができ、涙が出るほどうれしい」と打ち明けた。【田ノ上達也】


産経
【復興日本 生きる】 父さん見てるか「遺志」糧に成長 「やりたいこと、とことんやれ」 佐藤家の3年半

 突き抜けるような青空が広がっていた。8月31日、福島市・あづま総合運動公園陸上競技場。東北総合体育大会の陸上競技が行われたトラックでは、がっしりとした体格の選手がスタンドに向け、優勝トロフィーと、穴が開いた古びたシューズを高々と掲げていた。

 岩手県陸前高田市出身で、現在は東京都内にある国士舘大陸上競技部の砲丸投げ選手として活躍する佐藤征平(まさひら)さん(22)。シューズは東日本大震災の津波で約100メートル流された県立高田高校の部室から見つけた。

 「無事優勝できたよ」。その視線の先には、応援に来てくれた家族の姿があった。母、きみえさん(53)に妹の梨衣(りえ)さん(18)。姉で震災後に結婚した荻原史乃(しの)さん(25)は、夫の祥希(しょうき)さん(26)も一緒だ。

 スタンドに、一番優勝を祝ってくれたであろう父、正彦さんはいなかった。平成23年3月11日、陸前高田市の教育委員会に勤務していた際、街を襲った巨大な津波にのみ込まれ、命を落とした。55歳だった。「尊敬できて、話が面白い父だった。一緒に酒を飲んで、男同士の話をしたかった」

■  ■  ■

 震災直前、佐藤家の子供たちは、それぞれ人生の岐路に立っていた。

 征平さんは国士舘大に、バレーボールの有力選手だった梨衣さんは兄と同じ高田高に、それぞれ進学を控えていた。千葉市にある淑徳大の4年だった史乃さんも4月から岩手県大船渡市にある老人保健施設に就職が決まっていた。

 いつも、「自分のやりたいことを、とことんやりなさい」と語っていた父親も、子供たちの成長に目を細めていた。震災は家族の幸せさえ奪っていった。

 あの日、内陸部の佐藤さん宅は津波の被害から逃れたが、正彦さんは、海岸寄りの市民会館のそばで子供たちを避難誘導していたという。津波にのみ込まれて行方が分からなくなり、8日後、遺体で見つかった。

■  ■  ■

 佐藤家には、何よりも大事な1枚の写真がある。

 スーツ姿でほほ笑む父の髪の毛は、だいぶ白くなっていた。大きくなった3人の子供を、両親が両脇で包み込むその写真は、だれもが幸せそうなほほ笑みを浮かべている。

 震災から2カ月ほど前の23年1月3日、正彦さんのかけ声にならい、陸前高田市の写真館にみんなで出かけて撮ってもらったものだ。それが、親子5人がそろった最後の家族写真となった。

 「いつも『写真を撮りに行くぞ』ってお父さんが言うんで、みんなついていった」と、きみえさんは振り返る。昭和63年に結婚して以来、佐藤家では毎年、写真館で家族写真を撮ってきた。

 正彦さんが亡くなった年の大みそかは、きみえさんが「やっぱり、撮ろう」と声を上げ、正彦さんの遺影を手に、4人で写真館に駆け込んだ。家族を大切にしていた正彦さんの遺志を、大事にしたかった。

 あの震災で正彦さんを亡くし、家族は心の支えを失った。それから3年半。残された4人は「自分には何ができるだろう」と、正彦さんに問いながら、それぞれの道を歩んでいる。(写真報道局 鈴木健児)


毎日新聞
川内原発再稼働 なし崩し的に進めるな

 九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)の安全審査で、原子力規制委員会は新規制基準への合格証となる審査書を決定した。全国の原発で初めてだ。九電は再稼働に向け、地元への同意手続きを本格化させる。しかし、多くの課題が残されたままで、なし崩し的に再稼働を進めることは認められない。

 私たちは審査書案がまとまった2カ月前に、次の二つを再稼働の最低条件として挙げた。福島第1原発事故を教訓に、住民の被害を食い止める手立てを整えておくこと。政府が脱原発依存の道筋を描いた上で、エネルギー政策全体の中に再稼働をどう位置付けるか明示することだ。

 政府は今月に入り、鹿児島県などに職員を派遣し、事故に備えた避難計画の策定支援に乗り出した。電力会社に老朽化した原発の整備計画を提出させ、稼働延長か廃炉かの決断を促すことも検討している。だが、これらの対応は遅すぎたほどで、避難計画の実効性確保も、脱原発依存の道筋を描くこともできていない。

 政府は、規制委の審査に合格した原発の再稼働を進める方針を掲げるが、そのために必要な地元同意を得る手順も示さないままだ。

 現行ルールでは、電力会社が原発立地県や立地市町村の同意を得れば再稼働できる。しかし、それでは、再稼働の判断を電力会社と地元自治体に丸投げすることになる。

 鹿児島県の伊藤祐一郎知事は政府に、再稼働の必要性を文書で示すよう要請した。再稼働を判断する責任は国にあるという態度表明だ。政府も応じる考えだが、単なるセレモニーに終わらせてはならない。

 原発が稼働しなければ化石燃料の輸入増加が続き、経済への影響が懸念される。だが、原発稼働に伴う事故のリスクは残ったままだ。そうした中で再稼働をなぜ決断するのか。事故が起きた時の態勢は万全か。政府は国民に説明を重ね、議論を深め、政策に反映する責務がある。

 再稼働の同意手続きに際しては、立地市町村に加え、避難計画の策定を義務付けられた原発30キロ圏の市町村の意見を最大限尊重すべきだ。

 川内原発から30キロ圏の姶良(あいら)市議会は7月、「住民は避難計画に不安を持っている」として川内原発の再稼働に反対し、廃炉を求める意見書を可決した。いちき串木野市では住民の半数を上回る再稼働反対署名が集まった。しかし、川内をはじめ多くの原発では、こうした近隣市町村の意見を再稼働の判断に反映する仕組みがない。

 経済面で原発との結びつきが強い立地市町村は再稼働を望みがちだ。同意の範囲をなるべく狭く抑えたいと政府や電力会社が考えているとしたら、大きな間違いだ。


沖縄タイムス
[官房長官辺野古発言]「過去の問題」ではない

 沖縄の民意がどうであれ、辺野古への新基地建設を強行するという、あからさまな威圧である。基地負担軽減担当相という立場に反する発言であり、到底納得できない。

 菅義偉官房長官が10日の記者会見で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について「昨年暮れに知事が埋め立てを承認し粛々と工事を進めている。この問題はもう過去のものだ」と述べ、11月の知事選の争点にはならないとの見方を示した。

 7日の名護市議選で、定数27のうち辺野古への新基地建設に反対の候補が16人当選し、過半数を維持した。地元の民意があらためて示されたばかりである。

 辺野古の海で政府が埋め立てに向けたボーリング調査を強行していることに対し、海上やキャンプ・シュワブのゲート前で、反対派の市民による抗議行動が続いている。まさに現在、進行しているのである。それを「終わったこと」だと言える発想が信じられない。

 翁長雄志那覇市長が、10日の市議会本会議で知事選への出馬を表明した。知事選は、すでに出馬を表明している仲井真弘多知事、下地幹郎元郵政民営化担当相との争いになる予定だ。

 政府の狙いは、知事選までに工事を急ぎ、移設を既成事実化することで辺野古移設の争点化を避けたいというものだ。

 だが、民意を無視した強硬なやり方は、県民の反発を招き、むしろ争点をより明確にすることになるだろう。

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 辺野古移設をめぐっては仲井真知事が求める「普天間の5年以内の運用停止」が、次第にほころび始めている。

 まず、米国側が否定的見方を繰り返し述べていることだ。7月に政府が示したオスプレイの佐賀空港への暫定移駐案は、米側が難色を示したことで、発表からわずか2週間あまりで、移駐を見送る方針を決めた。

 5年以内の運用停止は、昨年12月の沖縄政策協議会で知事が唐突に安倍晋三首相に要請した。その後会談で首相は「危険性除去が極めて重要という認識を共有している」と述べたが、口頭での「口約束」である。

 江渡聡徳防衛相は9日の会見で「5年以内」の起点についてさえ「まだ決まっていない」と述べた。曖昧にしておくことで責任回避を図る狙いがあるなら、知事と首相の「約束」は空手形になる可能性がある。

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 仲井真知事は埋め立て承認以前、「辺野古に固執するのではなく、もっと早く現実的に移設できる県外の場所を探すべきだ」と主張していた。

 むろん「5年以内の運用停止」が実現するならいい。だが、それは同時に普天間の運用停止の手段として辺野古移設以外の選択肢を見いだせるということだ。

 そうなれば、知事がかつて述べていたように、辺野古移設に固執する根拠はなくなるはずだ。次世代にまで負担を負わせる新基地を建設せずに普天間返還を実現することこそ「目に見える形の負担軽減」である。

フランス語
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ランチはほっけ 乾パンでおなかいっぱい

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Sendai_genpatsu_saikado_hantai

Les nuages, chassés par la brise nocturne,
Courent, cuivreux et roux, dans l'azur taciturne.
Sur la tête d'un roi du portail, le soleil,
Au moment de mourir, pose un baiser vermail.

雪は,夜のそよ風に流され,
赤銅色に染まり,無口な紺碧の空に流れる.
太陽は今際のとき,
正面玄関の王の頭に真っ赤な口づけをする.

「夕暮れのセーヌとノートル=ダム」
ヴェルレーヌ『サチュルニアン詩集 Poèmes saturniens
「パリのノクターン Nocturne parisien」(1866)
作家とともにパリ散歩  井上 櫻子 いのうえ さくらこ Vincent Brancourt ヴァンサン・ブランクール

今日はマイマイの日.でもその前にお昼ご飯.千林商店街に行きました.居酒屋みたいなお店でほっけをいただきました.2006年2月16日のほっけの記事ではフランス語ではMaquereau d'Atkaと書いていましたが・・・
3時頃乾パンをもらいました.非常時のためにもらったのですが,以前のものと交換です.つまり今までのものは不要で食べてもいい・・・といことでバクバク食べました.400キロカロリーもあったのでお腹いっぱいです.氷砂糖もままま.
夜スーパーに買い物に行くと雷.フランス語ではfoudre.coup de foudreのほうがわかりやすい?一目惚れです.

福島みずほ @mizuhofukushima
原子力規制委員会は、川内原発1、2号機の審査結果をまとめた「審査書」を了承し、再稼働の前提となる新規制基準への適合を規制委として初めて認めた。耐震指針、火山活動など全く納得がいかない。規制委員会は規制する委員会なのか!再稼動を認めないとやるべきだ。
金子勝 ‏@masaru_kaneko
原子力規制委員会が川内原発の審査書を了承した。火山学者の予知不能の意見も無視、1万8千件のパブコメも無視。最初から「やらせ」の安全審査が、「想定外」の事故トラブルを起こしてきたことの反省がない。これで「世界一安全」は悪い冗談です。

朝日新聞
死者1万5889人、不明なお2609人 東日本大震災

 警察庁は9日、東日本大震災から3年半の節目を前に、8月末時点の被害状況を発表した。死者は12都道県で1万5889人、行方不明者は6県で2609人。1年前から死者は6人増え、行方不明者は47人減った。けが人は20都道県で6152人だった。

 被災3県では、死者が宮城9538人、岩手4673人、福島1611人で、身元がわかっていない遺体は計90人に上る。行方不明者が最も多いのは宮城で、1269人。岩手の1132人、福島の204人が続く。

 警察庁によると、被災3県では自治体や家族の要望を踏まえて、警察官が毎月11日の前後に海沿いなどで一斉捜索を続けている。


朝日新聞
仮設住まい、今も8万9千人 東日本大震災から3年半

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の49市町村では、プレハブ仮設住宅約4万1千戸に約8万9千人が暮らす。阪神大震災では仮設住宅が5年で解消されたが、東日本大震災では5年を超える見通しだ。

 復興庁の6月末現在のまとめでは、仮設を建てた市町村のうち、震災から5年となる2015年度までに復興住宅や集団移転地の整備が終わる見込みなのは18市町村。他の市町村について仮設を担当する内閣府は「仮住まいから移る先の住宅が整わなければ仮設住宅を1年ごとに延長する」という。

 被災世帯が最多の宮城県石巻市は、7660戸分の宅地と復興住宅を用意する予定だが、15年度までにできるのは53%、16年度でも81%にとどまる。集団移転地の造成が終わるのは17年度と見込まれ、「戸数は減るが、それまで仮設を残さざるを得ない」と担当者は話す。

 福島県では、13市町で用地交渉が終わらないなど完成のめどが立たない復興住宅がある。原発周辺地域では除染やインフラ復旧が進まず、仮設に避難する人がいつ帰れるのかもわからない。県避難者支援課は「いつまで仮設を維持するか見通せない」とする。

 仮住まいの被災者は、3県で民間借り上げ住宅や公営住宅の「みなし仮設」約3万8千戸にも約9万人いる。仮設の入居期間は本来2年。11日に震災発生から3年半となるなか、プレハブ仮設は老朽化が進み、体調不良を訴える被災者もいる。(石橋英昭)


毎日新聞
大震災3年半:消えゆく遺構 宮城・女川

 東日本大震災のつめ痕を残す建物が、次々と消えていこうとしている。宮城県女川(おながわ)町の「江島(えのしま)共済会館」は津波で横倒しになったまま3年半を迎えるが、かさ上げ工事の本格化に伴い、年内に解体される。津波の威力を目に焼き付けようと10日、この現場を訪れる人もいた。

 同町は旧女川交番のみを震災遺構として保存する方針。共済会館前には、12人が犠牲になった七十七(しちじゅうしち)銀行女川支店もあったが既に解体された。犠牲者の一人で支店員だった田村健太さん(当時25歳)の母、弘美さん(52)は「町が決めたことなのでしょうがないが、津波の被害がわかる建物がまた消えるのは残念」と語った。千葉県船橋市から被災地見学に訪れた北島憲司さん(35)は「津波被害の大きさを感じる。取り壊す前に見ることができてよかった」と話した。【佐々木順一】


毎日新聞
クローズアップ2014:東日本大震災 仮設補修費に780億円 カビ・傾き、進む劣化 入居率8割、阪神の2倍超

 東日本大震災から3年半を迎える被災3県の仮設住宅(プレハブ)には今なお約9万人が暮らす。整備戸数に対する入居率は8割で、阪神大震災の同時期の2・4倍と、避難生活からの脱却が大幅に遅れている。仮設での暮らしが長引くことで、住民たちは、施設の劣化や、リーダー役の退去によるコミュニティーの崩壊に直面している。

 原則2年の想定を超えて利用が続く仮設住宅は、設備面の劣化が目立つ。

 宮城県南三陸町の山間に約30戸が暮らす岩沢仮設団地。ここに住む男性(43)がため息交じりに「高校生の長女に、じんましんが出た。床のカビが原因か分からないが、住み続けるのは厳しい」と打ち明けた。カーペットをめくると、床一面がカビで変色している。町に訴えて昨年7月、床を張り替え、壁には湿気を吸う珪藻土(けいそうど)を塗ったが、床には再びカビが広がったという。防災集団移転で自宅を再建予定だが、町による造成工事完成はあと3年はかかる。

 地盤が沈み、目まいや頭痛が懸念されるレベルまで傾いた住宅も、同県内3団地で34棟ある。同県気仙沼市の89団地ではほぼ全てで各戸の玄関前などの木材板に腐食が見つかった。建設時に工事を急ぐあまり防腐処理を省いた結果だ。

 岩手、宮城、福島の3県の入居者数のピークは、震災から1年後の2012年3月の11万6623人だった。7月末現在(震災から3年4カ月)、5万2685戸のうち4万1752戸に9万279人が暮らし、入居率は79%に達している。

 阪神大震災(1995年1月)では、兵庫県が建てた約4万8300戸の仮設住宅のうち最大で約4万6600戸に被災者が入居した。しかし、入居率は震災から2年で75%、3年で49%に下がり、3年4カ月後は32%。発生から5年で入居者がゼロになった。

 阪神に比べ、東日本で入居者数の減少が遅れている理由は、移転先が確保できないためだ。岩手、宮城両県の沿岸部はリアス式海岸で住居に適した平地が少ない上に、津波対策として土地のかさ上げや高台移転が必要で、用地の取得や住民合意、業者・資材の確保が難航している。

 また、福島県は東京電力福島第1原発事故の影響が大きい。

 このため、災害公営住宅(復興住宅)の整備状況も、岩手では計画の12・7%、宮城9・8%、福島13・2%(7月末、福島は6月末)と低調なうえ、宮城県気仙沼市や岩手県釜石市など5市町の土地区画整理事業や防災集団移転が完了するのは早くとも18年度になる見込みだ。

 利用の長期化を見越し、仮設の本格的な改修に取り組み始めた自治体も。岩手県は8月、釜石市の平田(へいた)仮設住宅団地で、試験改修工事をした。改修時間や費用、技術的な問題点を洗い出し、来年度に本格化させる改修方針を決める。

 基礎部分の木くいを重点的に点検。鉄製の補強器具を取り付け、玄関の風除室の床板を張り替えた。大規模な補修工事はこれまでなかった。県建築住宅課の辻村俊彦課長は「基礎を補強すると今後10年間は大丈夫」と話す。

 同住宅自治会長の前川輝夫さん(66)は「水たまりができやすく、台風シーズンは夜中も見回りをしていた。基礎は木なので腐るのではと心配だった。改修はありがたい」と話した。

 建設後、今年度末までの仮設の補修や追加工事費用は、岩手131億円▽宮城420億円▽福島229億円−−の計780億円が見込まれ、維持費は今後も膨らむ。【金森崇之、松本光樹、中田博維】

 ◇取り残される高齢者 けん引役退去、自治会崩壊

 「みんなが仮設で笑って楽しく暮らせるよう、大変な労力と知恵をかけてサポートしてくれました」。宮城県東松島市のグリーンタウンやもと仮設住宅(整備戸数277戸)の住民ら約30人が先月末、自治会長の内海義雄さん(68)夫妻に感謝状を渡した。内海さんは仙台市に自宅を再建し今月末に退去予定という。

 夫妻は団地発足から、住民の苦情処理や支援者との連絡調整に奔走。仮設で作った手芸品販売の法人設立にも取り組んだ。しかし住民は8月現在で7割に減り自治会副会長6人のうち4人も去った。内海さんの後任会長も来夏には退去する。

 自治会を解散する仮設団地もあり、住民同士で支え合ってきた仮設内のコミュニティーには、ほころびが生じつつある。

 仙台市宮城野区の港南西公園仮設住宅(42戸)の自治会長だった中島正志さん(74)は昨年10月の退去後も半年間、団地に通って会長の仕事を続けた。それでも後任が見つからず、今年3月に退任すると自治会は解散。仮設には今も約半数の世帯が残るが、中島さんも「みんな自分の生活再建で手いっぱい。集会所に顔を出す人も減ってきた」と打つ手なしだ。

 仮設住宅での生活が長引くにつれ自力再建する住民が抜け、高齢者らが取り残される構図がある。宮城県が被災9市町で実施する健康調査によると、昨秋の仮設入居者に占める65歳以上の比率(高齢化率)は39%。前年から5ポイント増え、県全体を16ポイント上回った。

 東松島市は、仮設住宅のコミュニティーの再構築と施設修繕の効率化を図るため、団地の一部に住民を集約する計画を年内にまとめる。しかし別の仮設への移転は、住民にとって心理面や労力の負担が大きく、先行して退去要請した仮設住宅では、住民側の反発で、一部を存続する方針に転換した。

 東北工業大の新井信幸准教授(建築計画学)は「仮設を20年程度住める水準にリニューアルし、低廉な家賃の『準公営住宅』と位置づけることも検討すべきだ。コミュニティーの維持には、仮設の住民と周囲の自治会が連携することも一つの方法だ」と指摘した。【伊藤直孝、山内真弓、近藤綾加】


毎日新聞
東日本大震災:被災地の校庭、仮設撤去進まず わずかな隙間でリレー練習/「サッカーしたいけど無理」 我慢する子供たち

 東日本大震災で津波の被害を受けた岩手、宮城県の沿岸の学校で、校庭に建てられた仮設住宅の解体・集約が進まない。校庭のわずかな隙間(すきま)で遊ぶ子どもたち。仮設の住民は肩身の狭い思いを口にし、母親は体力のない我が子を心配する。教育現場で復興が停滞したまま3年半が過ぎようとしている。【巽賢司】

 岩手県陸前高田市の市立矢作(やはぎ)小学校。校庭は40戸の仮設住宅でほぼ占められている。運動できるのは、校舎と仮設の間の、幅5メートル、長さ70メートルほどのスペースだ。8月下旬、ここで6人の児童が等間隔に並び、リレーのバトンの受け渡しを繰り返していた。約1カ月後に迫った市の陸上競技会に出るためだ。

 「あれじゃ練習にならないね」。この仮設に1人で暮らす無職、佐々木洋子さん(65)は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。指導していた杉山智基(としき)教諭(52)は「広ければストレスも発散できるのに。子どもたちは我慢しているが、仮設に住む人のことを考えると仕方ない」とため息をついた。

 避難先からスクールバスで時間をかけて通う子の運動不足も悩みの種だ。陸前高田市立気仙小学校では、児童80人中39人がバス通学する。2人の子をバスで通わせている同市横田町の細田美穂さん(44)は、子どもたちの体力のなさを実感している。長男で2年の将斗(まさと)君(7)は「じっとしている子じゃなかった」のに、今春の運動会では疲れて地面に座る姿が目についた。学校から帰るとすぐ眠ってしまうという。

 沿岸の自宅を津波で流され、移った祖父宅から片道40分かけての通学。さらに校庭は仮設住宅で占められ、将斗君は「サッカーがしたいけど、学校ではできない」と話す。美穂さんは「せめて近くに公園とかがあればいいんですが」とこぼした。

 宮城県女川町で2011年から小中学生の運動時間を調査している鈴木宏哉・東北学院大准教授によると「特に女子の運動時間が少ない」のが気になるという。「元々、運動クラブなどに所属せず自由に遊んでいたが、震災後ばらばらになって近くに友人がいなくなり、スクールバスで自宅と学校を往復する生活で遊び場そのものを失ったのが原因では」と説明する。改善には「学校の中で環境を作る必要があると思う。ハード面はすぐ変えられないので、マンパワーの導入が必要」と指摘している。

河北新報
東北の未来発信 震災遺児カレンダー

 東日本大震災で被災した子どもたちを支援する「チャリティー・カレンダー・プロジェクト」の一環として、宮城県出身のフリーカメラマン鈴木麻弓さん(37)=神奈川県=と日大芸術学部1年安藤すみれさん(19)=東京都=が撮影した写真で、来年のカレンダーが作られる。2人は3〜5日、「作品から被災地の未来を感じてもらいたい」と石巻市などを回った。

 鈴木さんは女川町出身。町中心部にあった実家の写真館は津波で全壊し、両親が行方不明になった。父が撮っていた学校行事や、住民の様子などをカメラに収めるため、現在も月1回ペースで古里を訪れている。
 大河原町出身の安藤さんは今春、柴田農林高を卒業した。高校では写真部に所属。2013年度に公募展「写真新世紀」に出品した作品が優秀賞に選ばれた。
 2人は3日間で、南相馬市から気仙沼市まで車で移動しながら撮影。石巻市では高台の日和山公園から、ファインダー越しに被災した市街地に目を向けた。
 「人々が前を向いている被災地の日常や今の姿を伝えたい」と鈴木さん。安藤さんは「カレンダーらしく希望や明るさが感じられる作品にしたい」と話した。
 プロジェクトは、デザイン会社「大伸社」(東京)の社員有志と写真家で活動する復興支援団体「みちのく応援団」が11年から企画し、3年間で計約1万1000部を販売。収益約420万円は震災で親を亡くした子どもに奨学金を支給する公益財団法人「みちのく未来基金」(仙台市)などに寄付している。
 鈴木さんは東北ゆかりのカメラマンが協力した12年、安藤さんは県内の高校生による13年のプロジェクトにそれぞれ参加。今回は、大学の先輩と後輩に当たる2人に応援団が依頼した。
 15年版カレンダーは3000部を作製。1部1000円で12月上旬に発売の予定。


毎日新聞
福島原発事故:夫の後追い自殺、仮設住宅の87歳

 福島県いわき市内の仮設住宅に住んでいた同県楢葉町の女性が2日、近くの森で首をつり、87歳の生涯に自ら幕を閉じた。60年連れ添い、今年4月に病死した夫の誕生日の翌日で、女性が「私も早く死にたい」と周囲に漏らしており、県警は、東京電力福島第1原発事故に伴う避難生活の心労などを苦にした後追い自殺とみている。仮設住宅の隣人たちは「原発事故がなければ2人は今も元気だったのに」と悼み、自分たちの未来に重ねる。【栗田慎一】

 「どこ行くの?」

 「散歩に行く」

 2日午後3時ごろ、行き先を尋ねた同居の長男(64)に女性はそう答えた。長男は同じ仮設団地内に住む親戚宅だと思い、夕食の準備を始めた。それが、「母親と交わした最後の言葉」となった。

 原発事故で古里を追われた女性と夫が、県内外を転々とした後、4畳半2間の仮設住宅に入居したのは2011年8月。600坪の敷地に建つ自宅で50年余を暮らしてきた2人にとって、あまりにも窮屈な避難生活の始まりだった。

 そのわずか数カ月後、2人の心身に急な衰えが訪れる。同県富岡町で日本料理店を27年間営んできた長男は、両親の食事などの世話をしようと避難先での再建を諦め、妻と住む郡山の仮設住宅から単身移る決意をした。

 しかし、父親の体力は弱まる一方で、部屋の天井を修理中に転倒して頭を強打。退院後には町職員時代から欠かさなかった日記も付けられなくなり、4月9日に急逝した。

 「もう仮設暮らしは嫌だ」「私も早く死にたい」。夫の死を境に、女性の嘆きは深まっていった。避難区域の町は来春にも住民帰還を始めるが、町内の自宅はシロアリ被害が進み、住めなくなってしまった。重なる悲劇から逃れるように物忘れがひどくなり、自信も失っていった。

 女性は先月末、友人や親戚に「ずっと友達でいてくれてありがとう」と突然電話し、長男の妻にも「(長男を)留守にさせて悪かったね」と感謝を伝えた。今月1日には「おじいちゃん(夫)が死んでねえ」と近所の人に8回も言い、玄関先の植木を「もらって」とほほ笑んだ。そして2日−−。

    ◇

 長男に行き先を偽った女性は、足を引きずりながら手押し車を押し、親戚宅とは反対方向に歩き出した。砂利を踏みしめ、約50メートル先の森へと向かった。

 午後6時すぎ、長男が親戚宅に電話し、異変に気づく。付近を捜したが見つからず、110番通報。県警は警察犬4頭や投光器も投入して捜索し、翌朝6時ごろ、森の斜面を下った樹木の間にあおむけで横たわっている女性を見つけた。

 検視の結果、首に巻き付いた蔓(つる)による窒息死で、死亡推定時刻は2日午後4時ごろ。県警は遺体や現場の状況などから自殺と断定した。穏やかな死に顔に、仮設住宅の人々は「やっとおじいちゃんの所に行けたね」と涙を流した。

 夫と2人で暮らす近所の女性は「同じ仮設でもこれほど親の面倒を見た息子はいない」と言った。「だから、これ以上迷惑をかけたくないと考えたのでしょう。私も夫に死なれたら、同じ道をたどるかもしれません」

 長男は「今から思えば死を覚悟していたと分かる。それなのに僕は」と自分を責める。原発事故と先の見えない不自由な避難生活が原因なのに、家族を失った人々は「もっと何かしてやれたのではないか」と悔い、永遠の苦しみを背負い込む。

 翌3日、原発を推進する安倍政権の第2次改造内閣が発足した。

 【ことば】震災関連の自殺者

 内閣府自殺対策推進室は、自殺者が震災関連死と認められる条件について、避難所や仮設住宅に居住▽自殺の原因や動機が震災の影響によるもの▽生前に震災があったため自殺したい旨の発言や記述がある−−など計5項目のいずれかに該当する場合と規定。認定された自殺者は今年7月現在で福島56人、宮城36人、岩手30人で、福島だけが毎月のように増え続けている。


産経
【「仮設」を支える 震災から3年半】 (中)引きこもりと孤立防止

 ■ゲームや運動の力で交流促進

 高齢者向けに5年前に考案された「コミュニケーション麻雀(まーじゃん)」が、仮設住宅でのお年寄りの引きこもりや孤立の防止に役立っている。普及に取り組むのが、宮城県気仙沼市の一般社団法人「ボランティアステーションin気仙沼」だ。

 牌は縦10センチ、横7センチ、厚さ5・2センチとタワシぐらいのサイズで、重さは約240グラム。2、3人が1組となり、1・8メートル四方の大きな卓を8〜12人が囲む。

 地域社会や交流の場になじめない男性高齢者に興味を持ってもらおうと、兵庫県内で誕生した。普及を目指す「コミュニケーション麻雀協会」(神戸市)は、阪神大震災の仮設住宅のような引きこもりや孤立死を繰り返さないようにと、東日本大震災の被災地に麻雀セットを寄贈し、現地で研修会を開催している。

 ◆分かち合い楽しむ

 ボランティアステーションin気仙沼は平成24年11月から、被災地支援の活動に取り入れた。「仮設住宅のイベントに男性高齢者がなかなか参加せず、閉じこもりぎみの人も多かった。行政にも打開策がなかったが、コミュニケーション麻雀には男性も参加するようになった」と代表理事の菊田忠衞(ただえい)さん(64)は効果を認める。

 現在、地元ボランティア団体と仮設住宅を回り、週1度のペースで開催。女性からも好評で、繰り返し参加する男性も。「頭を使う上、牌も大きく、適度な重さがあるので運動にもなる。チームで相談できるので会話も生まれる」と菊田さんはメリットを挙げる。

 隣接する岩手県一関市千厩(せんまや)町のみなし仮設の雇用促進住宅では毎回、20人前後が参加。自治会長の末広順士(じゅんじ)さん(69)は「麻雀経験のある男性がほかの人にルールを教えるなどにぎやかにやっている」と語り、コミュニティーづくりにも一役買っているという。菊田さんは「災害公営住宅に転居しても、1人暮らしの高齢者は引きこもりが心配される。災害公営住宅でも活用してほしい」と話す。

 ◆高齢者自ら活動

 高齢者自らが「閉じこもりや孤立をなくそう」と活動しているのが、宮城県南三陸町の被災者が暮らす同県登米市南方(みなみかた)町の仮設住宅だ。60歳以上でつくる「南方高齢者クラブ」がラジオ体操やお茶飲み会などを実施。入居当初は高齢者が閉じこもりがちになったことから、クラブ会長の古沢孝夫さん(87)が先頭に立ち、24年7月に結成。約90人が登録している。

 外に出て交流するために導入したのが、高齢者向けに人気の「グラウンド・ゴルフ」だ。仮設住宅近くの広場では毎日、二十数人のお年寄りが楽しむ。月に1度、クラブ主催の大会があり、「毎日の練習でホールインワンを出した人に100円を拠出してもらい、賞品代を賄っている」と古沢さん。「グラウンド・ゴルフがなかったら、家に閉じこもっている生活だったかもしれない」と、ある男性(78)は話す。

 仮設住宅には、多いときで約330世帯計約700人が暮らしていたが、住宅再建などに伴う転居で、約260世帯計約520人に減った。「転居先で仮設住宅での生活を振り返ったとき、良い思い出となってほしい」。こう願いながら古沢さんは活動に励んでいる。(石崎慶一)


琉球新報
昭和天皇実録 二つの責任を明記すべきだ

 沖縄の運命を変えた史実は、十分解明されなかった。
 宮内庁は昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公表した。米軍による沖縄の軍事占領を望んだ「天皇メッセージ」を日本の公式記録として記述した。
 しかし、沖縄の問題で重要とみられる連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサーとの会見記録や、戦争に至る経緯などを側近に述懐した「拝聴録」は「見つからなかった」との理由で、盛り込まれなかった。編さんに24年かけたにしては物足りず、昭和史の空白は埋められなかった。
 昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3回、切り捨てられている。最初は沖縄戦だ。近衛文麿元首相が「国体護持」の立場から1945年2月、早期和平を天皇に進言した。天皇は「今一度戦果を挙げなければ実現は困難」との見方を示した。その結果、沖縄戦は避けられなくなり、日本防衛の「捨て石」にされた。だが、実録から沖縄を見捨てたという認識があったのかどうか分からない。
 二つ目は45年7月、天皇の特使として近衛をソ連に送ろうとした和平工作だ。作成された「和平交渉の要綱」は、日本の領土について「沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする」として、沖縄放棄の方針が示された。なぜ沖縄を日本から「捨てる」選択をしたのか。この点も実録は明確にしていない。
 三つ目が沖縄の軍事占領を希望した「天皇メッセージ」だ。天皇は47年9月、米側にメッセージを送り「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した。実録は米側報告書を引用するが、天皇が実際に話したのかどうか明確ではない。「天皇メッセージ」から67年。天皇の意向通り沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中して「軍事植民地」状態が続く。「象徴天皇」でありながら、なぜ沖縄の命運を左右する外交に深く関与したのか。実録にその経緯が明らかにされていない。
 私たちが知りたいのは少なくとも三つの局面で発せられた昭和天皇の肉声だ。天皇の発言をぼかし、沖縄訪問を希望していたことを繰り返し記述して「贖罪(しょくざい)意識」を印象付けようとしているように映る。沖縄に関する限り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。この点をあいまいにすれば、歴史の検証に耐えられない。

フランス語
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狭山事件の真実 アドルフに告ぐ3

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poire2

Une chanteuse japonaise impressionne les juges de ≪Arab Idol≫
TELECROCHET - La chanteuse de 29 ans assure être ≪la seule personne au Japon à chanter en arabe≫...
Surprise à Dubaï, lors du casting de la troisième saison de l’émission de télécrochet ≪Arab Idol≫. Sur le plateau, les juges tout sourires assistent, ébahis, à la prestation en arabe d’une chanteuse japonaise. Une fois l’effet de surprise passé, Nao Koyasu est copieusement applaudie pour son ≪interprétation parfaite≫ de Aatini al Nai, une chanson de la diva libanaise Fairuz, l’une des plus célèbres chanteuses du monde arabe. Performance qui lui permet de décrocher son ticket pour les phases finales de l’émission, et accessoirement un selfie avec les juges.

Une chanteuse japonaise impressionne les juges... 20Minutes
La chanteuse de 29 ans, qui parle aux juges en arabe classique (et en anglais), assure être ≪la seule personne au Japon à chanter en arabe≫. ≪Quand je décide de chanter une chanson en arabe, je mémorise les paroles en les écrivant encore et encore≫, explique-t-elle dans sa vidéo de présentation.
Selon Morocco World News, Nao Koyasu aurait étudié la chanson japonaise, avant de suivre des cours de chanson moyen-orientale au Conservatoire national de musique de Tunis. Elle a sans doute rappelé au public l’Américaine Jennifer Grout, qui, sans parler un mot d’arabe, avait décroché l'an dernier la troisième place d'un autre télécrochet, ≪Arabs Got Talent≫.

午前中久しぶりに狭山事件関連の本を読みました.わかりやすい本でおススメです.お昼はパン屋さんでのランチ.アドルフに告ぐ3を読みました.

狭山事件の真実 (岩波現代文庫)
鎌田 慧
岩波書店
2010-04-17


狭山事件とは何だったのかがやっとわかったOJIYA
学生当時狭山事件をめぐる集会や情報に触れ、いろいろな事を考えていた。狭山事件は狭山差別裁判として、自分の記憶に今もある。この本は私にとって久しぶりに、落ち着いて狭山事件とは何かをもう一度考えさせる機会を与えてくれた。昨今多くの冤罪事件の再審が行われ、権力の横暴や強引な取調べや証拠の捏造などが報じられている。狭山事件は、その中でも石川さんの環境「学習する機会を奪われていたこと」が権力によって利用され、石川さん自身も自分の判断で権力の冤罪事件の筋書きに「自白」という形で協力したことが、最も痛ましく悔しいできごとである。あの時弁護士を信じ闘っていたらという歯がゆい思いがこの本を読んでいて何回も脳裏をよぎった。この本は読者に勇気を与える本である。失敗しても、もう一度一から文字を学習し、闘いを再構築した石川さんの行為は、権力に対する市民の闘い方の模範となるものである。多くの人々が「市民の抵抗する自由」のために、この本を読まれることを願う。

河北新報
住民理想のまち描く/希望抱き活発に議論 防災集団移転(下)/大震災から3年半

 東日本大震災の被災地で進む防災集団移転は、住まいの再建だけでは終わらない。思い描いた地域社会の実現には、移住者同士が協力し合うことが不可欠だ。移転先の整備事業が進む東松島市では、住民が主体的にまちづくりに関わる取り組みが本格的に動きだしている。(八木高寛)

<500世帯超入居>
 東松島市が7地区に整備する移転先の一つ、東矢本駅北地区は273区画の集団移転用地に加え、災害公営住宅307戸が建設される。第1弾として11月、災害公営住宅47戸の入居が始まる。
 500世帯を超える団地は市内で最大規模。移転を希望する住民たちは2012年11月、「まちづくり整備協議会」を設立した。街並み検討、コミュニティー推進など六つの部会を設置し、会合を重ねている。
 市内の仮設住宅団地の集会所で今月1日夜、研修・イベント部会があった。テーマは入居開始を祝う交流会。「駐車場をどこに設けるか」「おでんとフランクフルトなら出店を用意できる」。活発に意見が交わされた。
 議論の輪の中心にいるのは小野竹一会長(66)。「祭りなどのイベントは、団地ができれば自治会で運営しなければならない。今回は予行演習になる」と先を見据える。

<自由参加の場>
 「井戸端会議」と称した集まりも企画する。各部会のメンバーだけでなく、住民が自由に参加して話し合う場だ。8月31日は公共施設についてアイデアを出し合った。
 小野会長は「住民一人一人が意見を出すのがまちづくりの基本。役員と住民で認識が異なることもある」と意義を強調する。
 東矢本駅北地区の宅地造成が終わるのは16年1月で、災害公営住宅が全て完成するのは同年11月の見込み。
 入居が完了するまで2年以上の時間があるが、段階的に居住する住民が増えることから「10月には自治会を発足させ、生活のルールをまとめたい」と小野会長。造成工事をにらみながら、準備に余念がない。
 新しい団地の名称は「あおい」。協議会が公募し、住民の投票などで決めた。市に住居表示の変更も要望し、市議会9月定例会で認められた。
 希望に満ちた新天地で、理想のまちを実現する住民たちの奮闘は続く。


河北新報
津波被災地の医師夫妻奮闘描く 試写会に鈴木京香ら 11月公開

 東日本大震災の津波被災地で地域医療に取り組む男性医師と、仙台医療センター(宮城野区)に勤務する女性麻酔科医の妻が奮闘する姿を描いた映画「救いたい」(神山征二郎監督)が11月22日から、MOVIX仙台などで公開される。完成披露試写会が4日、同館であり、麻酔科医役で出演する鈴木京香(仙台市出身)らが舞台あいさつした。鈴木は「地元の現状を全国の人に知ってもらえる作品に出られてうれしい」と語った。

 舞台あいさつには共演の三浦友和のほか、原作エッセー「心配ご無用 手術室には守護神がいる」を書いた川村隆枝医師と神山監督も参加した。
 川村医師の夫も医師で、物語の医師夫妻は川村夫妻がモデル。麻酔科医の川島隆子役を鈴木京香が、隆子の夫で診療所医師の貞一を三浦友和が演じる。仮設住宅に住む被災者らもエキストラとして出演した。
 仙台医療センターに勤務する隆子は震災後、患者や部下を励ましながら手術に臨む。貞一は津波被害を受けた沿岸の町に診療所を臨時に設け、地域医療を担う。医師夫妻は地域の住民と交流を深めながら、祭りの復興などにも貢献していく。
 原作者の川村医師は「本物の麻酔科医が登場してもらったような作品になった。手術中に患者の命を預かる麻酔科医の姿、思いなどを全て伝えてもらった」と笑顔で語った。
 手術など医療に関係するシーンは川村医師をはじめ仙台医療センターの職員が監修したほか、患者をヘリコプターで搬送する場面などは陸上自衛隊の協力で実現した。
 1時間50分。出演はほかに、津川雅彦、中越典子、貫地谷しほりら。主題歌は、震災からの復興を願って制作された「その日が来るまで」を小田和正が歌う。


産経
【「仮設」を支える 震災から3年半】 (上)心と体の健康

 ■行政と支援者 取り組み模索

 「足の痛みはどうですか」「カキ剥きが始まるから腰に気をつけないとね」

 看護師の池田敦子さん(31)ら3人が住民の体調や生活習慣を確認し、アドバイスしていく。4日、宮城県石巻市の牡鹿半島にある狐崎浜(きつねざきはま)の仮設住宅の集会場では健康相談会が開かれ、住民8人が体調面の心配事などを相談していた。

 開いたのは、看護師らでつくる一般社団法人「キャンナス東北」だ。市の委託で牡鹿半島の10カ所の浜にある仮設住宅を、それぞれ月に1回めぐっている。2時間の訪問で血圧や体重などを測るほか、体操の指導なども。音楽をかけ、お茶や漬物などを並べて行う相談会は笑いが絶えない。

 ◆訪問を心待ち

 狐崎浜の仮設住宅の最寄りの病院は車で約30分かかる。車がない場合は、1日上下1本の路線バスで片道約1時間半をかけ、市街地の病院に行くしかない。相談会に参加した平塚みち子さん(86)は4畳半一間に1人で暮らす。「動かなくなるし、とても退屈なので、キャンナスさんが来るのが楽しみ。家族みたいなもの」と笑顔をみせた。

 被災3県では災害公営住宅の完成が1割未満にとどまり、被災者の仮設住宅生活は長期化している。震災から3年半近くたつ仮設住宅はカビの大規模発生など老朽化による健康被害も懸念されている。

 「若く元気な人は抜け、高齢者や体調に問題を抱える人が濃縮する」。今後の仮設住宅の問題をこう表現するのは、石巻市立病院開成仮診療所の長(ちょう)純一所長(48)だ。「仮設生活の長期化で、体調や心の病が悪化することはありえること」と警鐘を鳴らす。

 仮設住宅に暮らす被災者の健康調査については、被災3県の中で宮城県が行っている。平成25年9月からの調査で、9市町の仮設住宅に住む1万6728人の52%が何らかの病気を抱えていることが分かった。約51%が震災前に比べ体を動かす機会が「とても少なくなった」「少なくなった」とも回答。看護師の緒方麻里子さん(29)は「工事車両が行き交い、怖くて散歩に出なくなったという声も聞く」と、環境の激変による体力低下を懸念する。

 長所長は予防について、「最も有効な手立ては体を動かすことや外に出ること」と提唱し、やり方について仮設住宅の自治会などと話し合っている。「ラジオ体操などの後に、みんなでお茶を飲む。住民の交流がより深まれば、震災で一度壊れてしまった隣近所による見守り機能も高まるのではないか」

 ◆住民の様子共有

 石巻市の包括ケアセンターでは今年4月から、医療分野の支援に関わる団体などを集めた「多職種連携会議」を始めた。参加者は市職員、医師、看護師、保健師ら多様だ。「1人暮らしの老人が熱で倒れたが、保証人に連絡が取れなかった」「災害公営住宅の抽選に外れ、どうせまた外れると落ち込む人が多い」など被災者の様子を共有。市の支援制度などについても意見を交わし、行政と支援側が一体となって問題解決を図ろうとしている。

 長期化する「仮住まい」での生活を支えるため、支援者らは手を携え、被災者の心と体の健康を守るより良い取り組みを模索している。(安藤歩美)

                   ◇

 東日本大震災からまもなく3年半。岩手、宮城、福島の被災3県では、今も約9万人がプレハブ仮設住宅で不自由な生活を送り、さまざまな問題が顕在化している。「仮設暮らし」を支える人たちの活動をリポートする。

東京新聞
「辺野古」強行 拒絶する名護の民意

 安倍内閣が強引に進めている名護市辺野古沿岸部での米軍基地新設は、市民に再び拒絶された。地元の市議選で示された民意は明白だ。政府にはこのまま工事を進めるのではなく、再考を求めたい。

 沖縄県内では七日、一村長選と二十四の市町村議選の投票が行われた。無投票で決まった自治体を含め、県内四十一市町村のうち約三分の二で選挙が行われた沖縄県版「統一地方選」である。

 全国的な統一地方選は来年春に行われる。沖縄県では米軍占領下の一九四六年九月、本土に先駆けて首長・議員選挙が行われたため時期がずれている、という。自治体選挙の実施時期からも、沖縄県民が強いられた苦難の歴史がうかがえる。

 今回、全国的にも注目を集めたのは名護市議選だろう。同県宜野湾市の米軍普天間飛行場を日本側に返還するため、代替施設を辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部に建設する「県内移設」に対する市民の判断が問われたからだ。

 しかし、米軍基地の新設は、市民には負担増にほかならない。

 辺野古移設反対を掲げて再選された名護市の稲嶺進市長は市議選でも反対派候補を支援した。「市長与党」は一議席減らしたものの引き続き過半数を確保した。名護市民の意思は明白である。

 公約を破って県内移設容認に転じた仲井真弘多知事が三選を目指す十一月の県知事選への影響も避けられないだろう。政府は市議選結果を重く受け止めるべきだ。

 安倍内閣は八月中旬、埋め立て地盤の強度や地質を調べる海底掘削調査を始めた。知事選前に建設を既成事実化し、県内移設の争点化を避けたいのだろう。

 安倍晋三首相は内閣改造で、菅義偉官房長官に新設した「沖縄基地負担軽減担当相」を兼任させ、記者会見では「沖縄の方々の気持ちに寄り添い、これまで以上に全力で当たってほしい」と語った。

 住宅地に囲まれた普天間飛行場の固定化を避けるのは当然だ。基地閉鎖、日本側への土地返還は喫緊の課題ではある。

 とはいえ、同じ県内で基地をたらい回しにしては、在日米軍基地の約74%が集中する沖縄県民全体では負担軽減になるまい。

 菅氏は名護市議選後、「辺野古移設は淡々と進めていきたい」と述べた。沖縄の気持ちに寄り添うというのなら、県内移設の強行ではなく、「国外・県外移設」の実現にこそ政治力を傾注すべきだ。あらためて強調しておきたい。

フランス語
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中秋の名月 辺野古とパレスチナとウクライナ

ブログネタ
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Shumi2

Oui, mais quand vient le soir, raréfiant enfin
Les passants alourdis de sommeil ou de faim,
Et que le couchant met au ciel des taches rouges,
Qu'il fait bon aux rêveurs descendre de leurs bouges
Et, s'accodant au pont de la Cité, devant
Notre-Dame, songer cœur et cheveux au vent !

そう,しかしついに夜が来て
眠気や空腹でぐったりした人々を追いはらうころ,
夕日が空に赤いしみをつくるころ,
夢想家にはなんと心地よいことか!屋根裏部屋から下りてきて
ノートル=ダムの前,シテ島橋にひじをつき,
心と髪を風になびかせつつもの思いにふけるのは!

「夕暮れのセーヌとノートル=ダム」
ヴェルレーヌ『サチュルニアン詩集 Poèmes saturniens
「パリのノクターン Nocturne parisien」(1866)
作家とともにパリ散歩  井上 櫻子 いのうえ さくらこ Vincent Brancourt ヴァンサン・ブランクール

今日は中秋の名月.お月様を見ようと思っていたのにすっかり忘れてしまいました・・・
夕方から夜にかけて学習会.辺野古の闘い,パレスチナ和平,ウクライナ情勢に関して映像を見て勉強.映像はインパクトがあります.
古いメールアドレスの名刺を処分しました.

NEWS WEB▽自殺防止対策を研究する学会発足・いま何が課題に?

河北新報
希望者減、焦る自治体/区画埋まらぬ恐れも/防災集団移転(上)/大震災から3年半

 東日本大震災の津波浸水域や地盤崩落地から被災者がまとまって移住する「防災集団移転事業」で、時の経過とともに希望者が減り続けている。住宅ニーズが落ち込めば、自治体が用意する造成地に空き地が広がりかねない。宮城県の山元、南三陸両町で現状を追った。(片桐大介)

<本音は「不安」>
 「58%」。8月下旬にあった山元町議会特別委員会で、一つの数字が示された。集団移転で計画する造成区画のうち、入居が見込まれる割合だ。全273区画に対する申し込みは、157件にとどまった。
 現状のままなら、整備宅地の4割超が空き地になる計算となる。造成完了は2015年11月。斎藤俊夫町長は「調整は続けるが、(区画が埋まるか)ちょっと不安だ」と本音をのぞかせた。
 町は「コンパクトシティー」を掲げ、内陸3地区への被災世帯の集約を進める。行政効率と生活の利便性を向上させる狙いだが、一部で住民の反発も招いている。
 山元町の8世帯でつくるグループもその一つ。「地域の絆を保つ」として、町が整備する3地区への移転を拒んだ。独自再建に向け、町内の土地を共同購入している。
 当初は60世帯がまとまっていたが、町外移住に転じるなどして規模が縮小した。グループに所属する男性(64)は「町が3地区に固執しなければ再建は加速したのではないか」とこぼす。
 男性のような独自移転が増えれば、コンパクトシティー実現は遠のく。町は判断を留保している住民に働き掛けるなどして、申込数の底上げを図る考えだ。

<造成完了16年>
 集団移転事業に不透明感が出ているのは山元町だけではない。南三陸町志津川の中瀬町地区で行政区長を務める佐藤徳郎さん(63)は「移住者が減るのでは」との不安が、日々増している。
 佐藤さんも希望する町内の志津川西団地では、70世帯の移転が見込まれている。ことし4月に造成工事に着手したものの、完成は16年まで待たねばならない。
 懸念されるのは産業復興の遅れだ。働く場所がなければ、子育て世代が町内への住宅再建に二の足を踏んでしまう。「高齢の夫婦だって、本当に一戸建てを望むかどうかは分からない」。佐藤さんが表情を曇らせた。


朝日新聞
(被災地から)追悼施設、高台か市街地か 東日本大震災

 安全だが人があまり訪れない高台と、津波の危険があるが訪れやすい市街地。どちらがいいのだろう。岩手県大槌町が建てる震災犠牲者の追悼施設の話だ。

 町は7月、身元が分からない77柱の遺骨の納骨堂と犠牲者1284人の慰霊碑を高台に造ろうとした。一部の町議は「日頃から手を合わせられる市街地でないと災害の記憶が伝承されない」と反対。一方、「浸水しない高台に建ててほしい」と望む遺族もいる。

 町は高台に納骨堂、市街地に慰霊碑と分ける見直し案をつくったが、結論は出ていない。

 私は今春から大槌で暮らしている。はじめは高台案に賛成だったが、最近は市街地案にも傾くようになった。きっかけは戦没者552人の名を刻んだ「忠魂碑」の取材だ。

 終戦の日を前に町遺族会長の越田征男(ゆきお)さん(69)に会った。碑は高台にあり無事だったが、手を合わせる人の姿はほとんどないという。町に空襲があったことを知らない人も多く、戦争の記憶は風化している。

 追悼施設も風化しては建てた意義が薄れてしまう。

 越田さんは言う。「まだ仮設暮らしで追悼施設どころじゃない住民は多い。大事なのは、ちゃんと議論して決めること」。時間をかけた議論を見守っていきたい。

 (大槌駐在 田渕紫織)


毎日新聞
東日本大震災:震災孤児「屋号継ぐ」家族5人失った19歳

 宮城県南三陸町出身の高橋洋介さん(19)は、東日本大震災で両親と兄、祖父母の5人を失った。祖父が開業し、両親が営んでいた海産物屋「たかとう」も津波で流された。震災から3年半。悲しみばかりが押し寄せた日々を越え、東北大経済学部(仙台市)に通う。今月上旬、約4カ月ぶりに故郷の墓参りをし、誓った。「『たかとう』の名前だけは残したい」。夢に向かって歩き始めた。【金森崇之】

 大きな揺れが襲った時、県立気仙沼高校で軟式野球部の練習中だった。津波が襲う前、家族から「大丈夫か」とメールがあった。無事だと思いながら、3日後にたどり着いた故郷は、内陸までがれきが押し寄せ、その先に建物はなかった。知人を訪ね歩き、家族を捜した。避難所に小学6年だった弟だけがいた。「それで、もうだめだなって」

 震災から約2カ月後、津波で父親を亡くした部員と一緒に、別の部員の家で下宿を始めた。何も無くなった古里を思い出して泣き、両親が夢に出てきた。「俺たちどうなるんだろう」と、将来への不安を何時間も話し合った。ただ、「友達といられて安心感があった」。チームは1年後の夏、目標だった全国大会出場を果たした。

 「大学で夢を見つけて、古里にも貢献したい」と、志望校を東北大に決めた。高校3年の時、県外の大学に合格したが、浪人して予備校の寮に入った。夜中に1人部屋に戻ると悲しさが押し寄せた。音楽で気持ちを紛らわせ、毎日12時間以上勉強を続けた。

 東北大に合格し、仙台で1人暮らしを始めた。震災前の光景を思い出すようになった。国道沿いにあった2階建ての店舗兼自宅。父伸一さん(当時47歳)は毎日ビールを1缶飲み、テレビを一緒に見た。母亮子さん(同46歳)が妙に優しくなるのは、怒り出すサインだった。兄大介さん(同20歳)は、部屋に勝手に入るのに、自分の部屋に入られるとすごく怒った。隣家で暮らす祖父藤兵衛さん(同78歳)が育てた米が食卓に並び、祖母はつえさん(同72歳)は梅を漬け込んでジュースを作ってくれた。「本当に良い家族だなって、分かった」

 将来の職業は決まっていないが、公認会計士の資格取得や経営の勉強を始めようと思っている。海産物屋として再建できなくても、何らかの形で店の屋号を残すためだ。

 「完全に立ち直れたわけじゃないけど、後ろだけを向きたくはない。でも、前だけを向くのも違う。ただ、将来に積極的になりたい」

 今月1日に訪れた故郷の墓。高橋さんは墓石を掃除する手を止め、刻まれた5人の名を見つめた。


朝日新聞
辺野古移設反対の市長派が過半数維持 名護市議選

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる同県名護市の市議選(定数27)が7日、投開票され、移設に反対する稲嶺進市長を支える市議が14議席を獲得し、過半数を維持した。移設計画には市がかかわる手続きが残っており、稲嶺市長は今後も市議会の支持を背景に計画への抵抗を続けるとみられる。投票率は70・40%で前回(72・07%)の過去最低を更新した。

 改選前の議席数は市長派15、反市長派10、中立の公明2。今回は市長派、反市長派とも16人、公明2人、その他1人が立候補した。開票の結果、議席数は市長派14、反市長派11、公明2となった。

 開票作業は7日午後9時から始まったが、午後10時半ごろに投票用紙の自動読み取り機が票を読み取らなくなるトラブルがあり、作業は8日未明までずれ込んだ。

 同市辺野古沿岸で移設に向けた海底ボーリング調査が8月に始まった直後の選挙だが、市民の意見が割れていることから移設問題への言及を避ける候補が多く、移設をめぐる論戦は低調だった。

 稲嶺市長は8日未明、報道陣の取材に対し「(市長派が)議席を減らしたのは残念だが、過半数ということで安心はしている」と語った。


朝日新聞
スコットランド独立機運高まる 世論調査で賛成が上回る

 英国を構成する4地域の一つスコットランドで、独立の是非を問う18日の住民投票を前に、独立機運が高まっている。最新の世論調査で、独立に賛成する人の割合が初めて反対を上回った。約300年間、連合を保ってきたスコットランドの独立が現実味を増す結果に、衝撃が広がっている。
 7日付の英紙サンデー・タイムズによると、英世論調査会社YouGovと行った世論調査の結果、独立賛成が51%、反対が49%だった。回答者全体のうち態度を決めかねている人など7%を除いた数字だが、賛成が反対を上回るのは同種の調査で初めて。同社は、独立しても経済への悪影響はないと考える人が増えたと分析する。
 独立推進派でスコットランド自治政府のスタージョン副首相は「勇気づけられる数字。だが投票当日までやるべきことは山ほどある」と気を引き締めた。
 一方、独立反対運動を率いるダーリング前財務相は「分離すれば元には戻れない。(投票の)結果は(反対と)明白だと思っていた人たちへの警鐘だ」と危機感をあらわにした。
 スコットランドでは北海油田の開発で経済的自立の可能性が高まった1970年代以降、独立機運が盛り上がった。99年に自治政府と議会を設立。2011年の議会選では、独立派のスコットランド民族党(SNP)が単独過半数を制した。
 英政府や主要政党は、「引き留め」に必死だ。
 与党保守党のオズボーン財務相は7日、英BBCの番組で「スコットランドの財政や福祉に関する自治権限をいっそう強める計画を近く発表する」と述べた。
 独立をめぐる議論では、スコットランドが英通貨ポンドを使い続けられるかや、欧州連合(EU)にとどまれるかも焦点だ。独立の場合、英国は外交や国防でも大きな影響を受ける。
 SNPは非核化を掲げており、英国はスコットランド南西部の海軍基地に保有する唯一の核戦力、潜水艦発射弾道ミサイル「トライデント」の移設を余儀なくされる可能性がある。キャメロン首相は「今日の危険な世界では、世界屈指の防衛力と国家安全機構を持つ英国にとどまった方がいい」と呼びかけている。
 (ロンドン=渡辺志帆)

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からくりテレビ最終回 ALWAYS2

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US Open - Nishikori en finale de l'US Open !
Kei Nishikori, 11e joueur mondial et tête de série numéro 10, a créé la sensation en se qualifiant pour la finale à Flushing Meadows. Le Japonais coaché par Michael Chang a disposé en quatre sets (6-4, 1-6, 7-6(4), 6-3) du numéro 1 mondial Novak Djokovic, vainqueur à New York en 2011 et finaliste à quatre reprises. Nishikori (24 ans) a mieux joué les points clefs de la rencontre (5 balles de break converties sur 7 contre 4/13) pour s'imposer en 2h52 en profitant des 35 fautes directes (!) du lauréat de Wimbledon. Assurément sa plus belle victoire. Il affrontera lundi le vainqueur de l'autre demi-finale qui oppose Roger Federer (N.2) à Marin Cilic (N.14).

US Open : Kei Nishikori élimine Novak Djokovic en quatre sets et se qualifie pour la finale
Enorme surprise à l'US Open: Kei Nishikori s'est qualifié pour sa première finale de Grand Chelem en battant en quatre sets (6-4, 1-6, 7-6, 6-3) le numéro un mondial Novak Djokovic. Nishikori affrontera Marin Cilic, tout aussi surprenant vainqueur de Roger Federer (6-3, 6-4, 6-4).

和歌山カレー事件報道を問い直す! (講師 浅野健一さん 同志社大学大学院社会学研究科博士課程教授)に参加する予定でしたが,NHKの番組を見ようと思ってキャンセル.でも昼寝してしまいました.あ~あ・・・
夜さんまのからくりテレビを少し見ました.最終回.亡くなった母はこの番組を大好きでした.
ALWAYS2を見ました.人情あふれる「昭和」の時代を感じさせる映画だと思いました.

特集 明日へ−支えあおう−「妻を探して海へ」
去年秋、宮城県女川町のバス運転手・高松康雄さんは地元のダイバー高橋正祥さんを訪ねた。「妻をこの手で探したい」。勤め先の銀行で津波にあった妻は行方不明、手元に残るのは地震直後に妻から届いた「かえりたい」というメールだけだ。57歳になる高松さんは、高橋さんと厳しい訓練を重ねて潜水免許を取得。この夏、妻を探すため初めて海に潜った。手がかりは見つかるのか。訓練開始から1年、高松さんの妻への思いに密着する。 畠山智之

NNNドキュメント'14 御巣鷹の墓標へ登りたいけど登れない遺族高齢化と女子大生
単独の航空機事故としては世界最悪となった日航機墜落事故。航空業界を目指す大学生7人が、初めて御巣鷹へ向かった。29年目を迎えた事故の「現在」を見つめる。  濱田岳 日本テレビ

特集 明日へ−支えあおう−「震災から3年半 若い世代は今」
被災地の声や復興への取り組みを紹介している「明日へ−支えあおう−」。今回は時間を拡大し、「震災から3年半 若い世代は今」と題して、陸前高田市から長時間の生放送で伝える。キャスターは畠山智之アナウンサーと合原明子アナウンサー。ゲストはクリエイティブディレクターの箭内道彦さんとモデルの知花くららさん。被災地で復興に取り組む若きリーダーたちを交え、未来を担う若い世代の抱える悩みや課題について語り合う。 箭内道彦,知花くらら,遠藤智子,松村豪太,佐藤健太,畠山智之,合原明子

特集 明日へ−支えあおう−いつか来る日のために 証言記録スペシャル高齢者の避難
東日本大震災では、犠牲者の半数余りが65歳以上の高齢者だった。特に寝たきりや耳が聞こえない高齢者の避難は困難を極めた。さらに、逃げ遅れた高齢者を助けようとして多くの家族や地域の消防団員が亡くなった。災害に弱いお年寄りの命をどう守るのか。救助する人の犠牲をなくすことは出来るのか。証言記録「あの日わたしは」で放送してきた被災者の証言をもとにその解決策をさぐる。ゲストは釜石の奇跡の片田敏孝群馬大学教授。

特集 明日へ−支えあおう−こころフォトスペシャル 子どもたち“4回目”の夏休み
去年1月の開始以来「こころフォト」に届いたメッセージは150通以上。大人だけでなく子どもたちからもメッセージが届いている▽「妹を学校に連れていってあげたかった」▽「自慢の兄ちゃん、あなたの分もめちゃくちゃ生きる」▽「遺骨でもいいからお父さんに会いたい」▽「かわいそう?特別扱いしないで!」▽被災地の子どもたち、あれから4回目の夏休みを追った▽http://www.nhk.or.jp/kokorophoto/
鈴木京香, 大沢たかお


プレシャスタイム 「ALWAYS 続・三丁目の夕日」
昭和34年春−−東京オリンピックの開催が決定し日本が高度経済成長時代に足を踏み入れることになるこの年−。黙って去って行ったヒロミを思い続けながら、淳之介と暮らしていた芥川のもとに、川渕が再び淳之介を連れ戻しにやってきました。淳之介に対する芥川の強い思いを知り、一旦は諦めた川渕ですが、「淳之介が人並みの暮らしをしていないとう確証をえたら、その時は今度こそ連れて帰りますよ」と言い残して去っていきます。
堤真一、薬師丸ひろ子、堀北真希、小雪、吉岡秀隆、三浦友和、小清水一揮、須賀健太 山崎 貴 2007年


日本経済新聞
兵庫県警から被災地宮城へ、復興誓い永久出向

 発生から間もなく3年半となる東日本大震災の被災地で、兵庫県警から移ってきた警察官がいる。岩瀬賢作巡査部長(34)。東日本大震災の翌年、1年間の予定で復興支援のためにやってきたが「1、2年では足りない」と、宮城県警に籍を移して退職まで勤める「永久出向」を希望した。

 兵庫県警で約8年間、警備や警務の仕事をしていた。テレビで津波の映像を初めて見て、言葉を失った。「いまどこで必要とされているかって考えたら、行くしかないと思った」。すぐにでも駆けつけたかったが、出向の公募が出たのはその年の夏だった。

 阪神大震災で被災した兵庫県警の先輩たちは年齢制限や既婚のため応募もできず、「俺らの分も、恩返ししてきてほしい」と頼まれた。「人の役に立ちたい」という警官を目指したころの思いも背中を押した。

 宮城県内でも被害が大きかった石巻市雄勝町などを管内に持つ河北署に赴任したのは2012年2月1日。大雪で、来た瞬間「えらいとこにきた」と思った。沿岸部にはまだがれきが山積みで、がたがたの道では何度も車のタイヤがパンクした。

 任された業務は管内に23ある仮設住宅のパトロールと行方不明者の捜索。住宅を一軒ずつ訪ね歩き「困ったことはないか」と声を掛け続けた。

 被災状況を実際に見て「これは1年じゃだめや」と思った。その年の夏に永久出向を希望し、翌年正式な異動が決まった。「一生いるか、それとも帰るかっていう選択だった」

 悩むことも多い。仮設の見回りをしているとき、家族を津波で失い、自暴自棄になって昼間から酔っぱらっている住民がいた。自分には家族を失った人の苦しみはわからない。掛ける言葉が見つからなかった。

 毎日、自分の子供を捜しにやってくる家族の姿を見て、何も手掛かりを見つけ出せない自分を情けなく思う。「暑いとか寒いとか、そういうのよりも、何もできてないのがつらい」

 それでも「過去には戻れないけれど、先のことやったら一緒に頑張れる」と思う。「一時的じゃなく、責任持ってずっと復興の手助けをしていく」という覚悟もある。照れくさそうに話すその言葉は、力強かった。〔共同〕


朝日新聞
シリコンバレー、見渡せば白人・アジア系・男ばかり

 米国経済を引っ張るカリフォルニア州のシリコンバレーで、主要IT企業の従業員が白人とアジア系に偏り、男性が大半を占める実態が明らかになってきた。原因として理工系教育のあり方や長時間労働の問題が指摘されており、地元で議論が始まっている。

 ■男性、全体の7割
 平日の昼、シリコンバレーのマウンテンビューにあるグーグル本社は、昼食を終えてそれぞれの仕事場に戻る従業員で路上があふれていた。広大な敷地には部署ごとの建物が立ち並ぶ。
 「従業員の出入りをしばらく眺めていると面白いことがわかる。男性が圧倒的に多く、男性は技術者が働く建物へ、女性は営業・広報部門の建物へと向かう」
 労働環境に詳しいカリフォルニア州立大バークリー校のクレア・ブラウン教授は、そう話す。
 シリコンバレーのIT企業は圧倒的に男性が多く、人種では白人とアジア系に偏っていると言われてきた。こうした印象が今年5月、グーグルが明らかにした資料で裏づけられた。
 発表によると、グーグル社員の7割が男性。技術職に限れば83%になる。一方、技術職以外は約半数が女性だった。人種は白人とアジア系で91%を占める。
 人材構成の公表を求める声は、地元メディアを中心に数年前からあった。圧力が高まったのは今年に入ってからだ。黒人などマイノリティー(少数派)の権利を訴える黒人の活動家ジェシー・ジャクソン牧師が「これは次の段階の公民権運動だ」と声を上げた。
 「シリコンバレーは世界を変える力になり得る一方で、人種や性別で人間を排除する古い体質を引きずる可能性がある」と各社のトップに電話し、株主総会にも出席して開示を迫った。
 グーグルは公表時、「多様性という点では、理想にほど遠い」と認め、「才能ある多様な人を集めるため、数字を公開した」と説明した。ほかのIT大手も追随して発表。アップルは8月半ばに「この数字には満足していない」とのコメントとともに開示した。
 米国民全体の人種構成と比べると、ヒスパニック系や黒人の割合が極端に小さいだけでなく、実は白人も少なかった。開示した大手6社のうちアップル以外はアジア系が30%前後と、全米の人種構成の5%に対して突出して多かったのだ。

 ■教育・労働環境要因?
 人材が偏る明快な理由はわかっていない。
 調査報道の隔月雑誌マザー・ジョーンズのジョシュ・ハーキンソン記者は「技術職のビザを取るため、多くのインド系や中国系の移民が戦略的にコンピューターを学んでいるのが一因だ」と話す。ただ、取りやすいビザがあるならアジア以外の地域から集まってもおかしくない。
 この点について教育関係者には「アジア系の家庭は儒教の影響で努力を重んじ、教育熱心。文化的に理系教育を重視している」との見方がある。
 偏りは大学時代からある。コンピューティング・リサーチ協会によると、北米にある大学のコンピューター系学部の卒業生は男性が87%。人種も白人とアジア系で8割を占めた。
 女性の少なさには労働環境も響いていそうだ。工学系の学部を卒業した女性約5700人を調べたウィスコンシン大ミルウォーキー校のナドヤ・フォード教授によれば、工学系の仕事は、会計、医学、法学などの専門職より女性の離職率が高い。5年以内に辞めた人の理由は「(出世などが見込める)他分野に移るため」「子育てしながら働く環境ではない」が上位だ。
 バークリー校のブラウン教授は「技術者は学生の延長のような生活で、徹夜しても大丈夫という若い男性が多い。家族を持つ女性は働きづらい」と話す。
 (サンフランシスコ=宮地ゆう)

 ■女性リーダー「変化もたらしたい」
 「私たちは目標に向かってすぐに動く業界にいる。だからこそ、女性や少数派がもっと活躍できるよう、最初に変化をもたらしたい」。6月、サンフランシスコであったグーグル開発者会議で、当時副社長だった女性技術者、ミーガン・スミス氏は宣言した。グーグルは女性技術者のグループなどに積極的に会議参加を促した。ロボット技術者の女性をテーマにした会合も設けた。
 管理職層になると女性比率はさらに減る。内訳を開示したIT大手5社の管理職のうち女性は21〜28%。米企業の一般的な女性管理職比率が4割台に達するのとは対照的だ。
 それでも、日本企業の女性比率が課長級8%台、役員1%台とされているのに比べると活躍は目立つ。
 たとえば、ハーバード大で経営学修士を取得した後、米財務長官首席補佐官やグーグルを経てフェイスブック最高執行責任者になったシェリル・サンドバーグ氏。今年、フォーブス誌が「世界で最も力のある女性」の9位に選んだ。
 「存在が見えにくい技術者の女性たちを、表舞台に出したい」。そう語っていたグーグルのスミス氏。今月、オバマ大統領から、政府の情報技術政策を担う最高技術責任者(CTO)に指名された。

フランス語
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秘密法反対の集会/道頓堀で綾瀬はるかのグリコ

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140906_AyaseHaruka_Dotonbori

On est souvent trompé en amour, souvent blessé et souvent malheureux ; mais on aime.
Alfred De Musset
Ruiné, tu peux aller chez ton ami, mais non chez ta sœur.
Proverbe Indien
Exige beaucoup de toi-même et attends peu des autres. Ainsi beaucoup d'ennuis te seront épargnés.
Confucius

秘密保護法反対の集会に行きました.ロックアクションです.1600から開始の集会ですが,新町北公園に着いた時にはデモ出発前の1715くらいでした.御堂筋を南になんばまでのデモです.IwさんやNaさんに会いました.Naさんは毎回この反対集会に参加されているようです.私は2月以来.ちょっとサボってました.秘密保護法を実質的に意味がないものにしないと暗黒社会になってしまうので,できるだけ頑張りたいです.参加者は約300人だったとのことでした.
なんばからの帰りに,道頓堀に寄りました.綾瀬はるかのグリコを見るためです.雨でしたがたくさんの人がいました.

河北新報
希望物件入居に安堵/朗報待ち不安の声も/災害公営住宅(上)/大震災から3年半

 東日本大震災の災害公営住宅建設が進み、仮設住宅の住民にとって、希望物件に移れるか否かが大きな関心事になりつつある。好立地の建物ともなれば、必ず入居できる保証はない。思い描いた生活を取り戻した入居者の安堵(あんど)と、朗報を待つ未入居者の不安。被災地では二つの思いが交錯している。(鈴木拓也)

<高い点数から>
 「部屋が広くなったからか、気持ちもゆったりする」。東松島市の災害公営住宅「小松南団地」(156戸)。ことし4月に入居した自治会長の菅原司さん(61)が満足げに語る。
 仮設暮らしは快適とは言い難かった。母りう子さん(89)との2人でも手狭な間取り。壁は薄く、「隣のいびきが聞こえるほど」(菅原さん)。転出の日を待ち望み、週に1度は小松南の建設現場を訪れた。
 災害公営住宅は障害の有無や年齢、扶養状況などで入居の優先度が変わる。東松島市はこうした項目を点数化し、高い人から希望を通す。ポイントが並んだ場合は抽選で決定する。
 小松南は商業施設に隣接し、病院や駅にもほど近い。菅原さんも競合する可能性があったが、理想の住まいに落ち着いた。今は精力的に自治会活動に取り組んでいる。

<3カ所に絞る>
 移転場所の選択は、その後の暮らしの質をも左右しかねない。条件を吟味する被災者の目は、真剣そのものだ。
 仙台市青葉区のみなし仮設住宅に住む無職千葉一さん(88)は8月、市に災害公営への入居を申し込んだ。第5希望までの欄に記載したのは中心部に近い3カ所だけ。他に入りたいと思える物件は思い浮かばなかった。
 気仙沼市港町にあった自宅は津波で流失した。娘が住んでいることもあり、妻喜久子さん(89)と共に仙台でついのすみかを見つけることにした。
 「90歳近いという年齢や低収入も入居者選別で配慮されるのではないか」と千葉さんは期待するが、震災後の転入者はもともとの市民より優先度を示す点数が低くなる。高齢だからといって入居できるとは限らない。
 結果が分かるのは10月の見込みだ。「残された人生を環境が良い場所で暮らしたい」。切なる祈りを込め、吉報を待つ。


朝日新聞
原発の廃炉―実現できる準備を急げ

 ようやく、というべきであろう。

 関西電力が美浜原発1、2号機について、廃炉の検討に入った。いずれも運転開始から40年を超える古い原発であり、敷地内に断層問題も抱える。

 廃炉は合理的な選択であり、早く正式決定すべきだ。

 東京電力福島第一原発の事故後、原発の運転期間を「原則40年」とする法改正や新規制基準の導入で、古い原発や安全対策の費用がかさむ原発には廃炉が促されてきた。

 にもかかわらず、これまでのところ、東電が福島第一の1〜6号機全ての廃炉を決めただけだった。

 原発は廃炉にして核燃料を取り出さない限り、事故やテロに対して安全にはならない。

 現在国内には、この美浜も含めて原発が48基ある。なかには再稼働が容易に望めない原発も少なくない。各電力会社は美浜にならい、そうした原発の廃炉を真剣に考えるべきだ。

 ただ、廃炉を決めれば全ての問題が解決するわけではない。

 まず、その費用だ。電気料金から積み立ててはいるものの一部では不足が見込まれる。

 経済産業省は原発で発電した電気に基準価格を設けて費用を確保する制度案を打ち出している。が、これは新増設費用までまかなう原発優遇策になりかねない。廃炉費用だけに絞って財源を確保する方策を検討する必要がある。

 さらに深刻なのが廃炉で生じる大量の廃棄物の行方である。

 1998年に国内の商業用原発で初めて廃炉になった日本原子力発電東海原発は昨年、今年度から予定していた原子炉の解体作業着手を遅らせ、全体の廃炉完了時期を2025年度に5年間先送りした。

 原子炉内の部品など「低レベル放射性廃棄物」は50〜100メートルの地下に埋める計画だが、その処分地が決まっていないためだ。処分地で安全を保つための基準さえできていない。

 東海に限らず、日本は、使用済み燃料から、こうした原子炉内の部品まで最終的な行方が決まっていない。現在の原発敷地内に置いたまま、という事態になりかねない。

 安倍政権のもとでは、原発再稼働に向けた動きばかりが目立って、廃炉に備える手立ては進んでいない。

 廃棄物問題に代表される廃炉の課題は、原発推進、脱原発の立場に関係なく解決が迫られている。

 政府は課題を直視し、解決に全力を挙げるべきである。

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姫路に出張・・・イマイチ役に立たない/クリーニング

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patata1

- Toi, Seine, tu n'as rien. Deux quais, et voilà tout,
Deux quais crasseux, semés de l'un à l'autre bout
D'affreux bouquins moisis et d'une foule insigne
Qui fait dans l'eau des ronds et qui pêche à la ligne.
-- ああ,セーヌよ,お前には何もない.ふたつの川岸,それがすべて,
ふたつの汚れた川岸に一面ちりばめられるのは
ひどくかびくさい古本と,すばらしい人だかり
水きりしたり,釣りしたり.

「夕暮れのセーヌとノートル=ダム」
ヴェルレーヌ『サチュルニアン詩集 Poèmes saturniens
「パリのノクターン Nocturne parisien」(1866)
作家とともにパリ散歩  井上 櫻子 いのうえ さくらこ Vincent Brancourt ヴァンサン・ブランクール

今日は出張で姫路に行きました.みゆき通りとおみぞ通りがいいですね.観光ではないので仕事.でもあまり役に立つ情報は得られませんでした.
その後大阪に戻ってきて昨日の汚れた服をクリーニングへもっていきました.

河北新報
避難長期化、進む劣化/行政、改修で延命図る 仮設住宅(下)/大震災3年半

 東日本大震災の被災地で、プレハブ仮設住宅の劣化が目立っている。当初2年とされた入居期間が長引いているのが原因とみられる。避難生活がいつまで続くか見通せないこともあり、岩手、宮城、福島の3県では改修による延命策が続けられている。(野内貴史)

<不満募る生活>
 「隣の部屋の足音が響くようになった」「歩くと床が沈む。何とかしてくれ」
 約130世帯が住む石巻市の仮設住宅「仮設渡波第2団地」。高橋文生自治会長(64)の元には、2013年ごろから住民の不満が寄せられるようになった。
 施工は大手住宅メーカーが手掛けており、これまで目立った苦情はなかった。高橋さんは「今から大規模改修するのは難しいだろう。災害公営住宅など恒久的な住まいを早く建ててほしい」とこぼす。
 老朽化が原因とみられる事態は、ここだけにとどまらない。市内では床面の傾きが判明し、宮城県などが板材で修理する方針を示している物件もある。
 プレハブ仮設住宅は早期建設に力点が置かれ、耐久性は強くは要求されていない。宮城県内の自治体関係者は「法律上、仮設の貸与期間は最長2年。それを前提にした物件もある」と指摘する。
 仮設暮らしの長期化を見据え、行政も対応を本格化させつつある。

<工費は国補助>
 岩手県は8月下旬、釜石市内で建物の試験的な改修を実施。基礎に使っていた木製くいの腐食が始まっていたため、金属部材で補強した。
 1戸当たり約40万円の工費はほぼ全額が国の補助で賄われる。岩手県建築住宅課の辻村俊彦課長は「仮設はいずれ集約が見込まれる。長く活用する物件を中心に施工したい」と話す。
 全1万6000戸を抱える福島県。除染作業の遅れもあって帰還の可否には不透明な要素が多く、避難生活が長引くのは避けられそうにない。
 県は全戸点検を毎年続け、腐食部材などを補修して回っている。「スロープや手すりの劣化が目立つ。状況に応じて地道に直していくしかない」。復興の遅い歩みに、県の担当者はため息を漏らした。


東京新聞
池上コラム問題 言論を大切にしたい

 ジャーナリストの池上彰さんが朝日新聞に連載中のコラムがいったん掲載を拒まれた。朝日の記事を批判的に論じた原稿だった。寛容の精神を貫き、批判をも包み込む言論空間を大切にしたい。

 コラムは月一回朝刊に載る「新聞ななめ読み」である。テーマを絞り、朝日をはじめ主に大手紙の記事を読み比べ、池上さんならではの視点で論評する。

 予定より六日遅れで、きのうの朝刊に載ったコラムは、朝日が八月五、六両日付朝刊で展開した自社の過去の慰安婦報道を検証した特集を取り上げた。

 特集では、現韓国の済州島で戦時中、多くの朝鮮人女性を慰安婦として強制連行したとした吉田清治氏の証言を虚偽と判断し、一連の記事を取り消した。

 「遅ればせながら過去の報道ぶりについて自己検証したことをまず、評価したい」とした現代史家の論評に、池上さんも賛同する。

 その上で、一九八二年九月二日に報じてから三十二年もたって訂正したのは「遅きに失したのではないか」と書く。二十二年前には疑問が出され、信憑(しんぴょう)性が揺らいだはずだった。その点の検証を欠いているとも指摘した。

 九三年からは慰安婦と女子挺身(ていしん)隊とを混同しないよう努力してきたとも、特集では説明した。その点についても「その時点で、どうして訂正を出さなかったのか」などとし、検証の欠落を挙げた。

 殊に問題視したのは、過ちを認めて訂正したのに謝罪がないことだ。「お詫(わ)びがなければ、試みは台無しです」という。特集を読んだ多くの人たちが共通に抱く率直な気持ちだろう。当たり前とも思えるコラムの掲載を拒んだのは全く理解に苦しむ。

 表現や言論の自由を守るべく最前線に立つ同じ報道機関として、一時的にしろ掲載を見合わせたのは残念だ。読者の不信を増幅させないよう善後策を期待したい。

 最近の身の回りで強まる表現活動や言論空間を制限する動きは見過ごせない。

 さいたま市大宮区の三橋公民館は、市民が「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ俳句を月報に載せなかった。

 東京都国分寺市では十一月に開かれる国分寺まつりに、市民団体の「国分寺9条の会」や「バイバイ原発/国分寺の会」の参加が認められなかった。

 多様な考えが民主主義を強くする。異論や反論を排除せず、熟慮する場がつくられるべきだ。

フランス語
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紀伊半島大水害から3年/茶色い油で服が汚れた

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zucca1

La Chine fête le 69e anniversaire de sa victoire sur le Japon

De nombreuses festivités ont eu lieu dans les principales villes chinoises le 3 septembre et notamment à Hongkong, pour la première fois depuis la rétrocession de l'île à la Chine, en 1997.

紀伊半島大水害から3年だそうです.3年前,母を東日本大震災で亡くして悲しみの只中にいたので,あまり注意を払ってはいませんでしたが,大水害があったことは確かに覚えています.
カラーボックスを置こうとしてモノを動かしていたら,茶色い油が服にかかって汚れてしまいました.クリーニングに持っていかねばなりません.

DAILY NOBORDER
【42カ月目の東松島市はいま】それでも野蒜に暮らす〜「津波の恐怖を忘れないと生きて行かれない」

 今も鮮明に残る津波への恐怖。水の冷たさ、勢いは忘れない。だが一方で、3年の月日は少しずつ恐怖心を薄れさせていった。生きて行くために。女性は言う。「忘れなければ、生きて行かれないのよ」。仙石線・野蒜駅(宮城県東松島市)を1年ぶりに訪れた。被災の爪痕生々しい中に、ポツンと建つ真新しいコンビニ。永田町に飛び交う「復興」がいかに空虚か、実感させられた。

【コンビニが開店した野蒜駅】
 仙石線・松島海岸駅から乗った代行バスを降りる。1年ぶりに訪れた東松島市・野蒜駅は明るかった。正確に言えば、駅「だけが」明るかったのだ。1年前、津波で激しく破壊され尽くした「ヤマザキデイリーストア」は取り壊され更地になり、変わって「ファミリーマート」が東松島市の要請を受ける形で今年5月28日に開店した。「午前7時から午後8時までの変則営業です」と男性店員は話した。
 客の多くは復興工事の作業員だ。朝からニッカポッカ姿の作業員たちが行き交う。駅周辺では、仙石線の敷設工事を始め、多くの作業員が汗を流す。運河を挟んだ海側には敷設工事で生じた土砂がベルトコンベアで運ばれうず高く盛られている。70台ものダンプカーが行き交い、警備員が忙しそうに交通整理をしている。「昼時はお弁当を買う作業員の方たちで店内がにぎわいます」と店員は笑った。
 店舗に併設されたカフェコーナーには、未曽有の津波被害を語り継ごうと写真が展示されている。円いテーブルがいくつも置かれているが、のんびり座っているのは私と休憩中の店員だけ。店舗の裏手に廻れば、利用されることのなくなったホームが震災直後の姿のままで遺されている。傾いた看板やひびの入ったホーム。途中で途切れた線路には雑草が生えている。ここだけ時間が止まったかのようだ。幼稚園の送迎バスが駅前に停まり、園児を1人、乗せた。

【濁流の勢いに身がすくんだ女性】
 「身体が動かなくなっちゃったの。水の高さは膝くらいだったかしら。でも怖くて怖くて、手すりにつかまったまま動けなかった。消防の人に放り投げるように階段の方に動かしてもらって、ようやく我に返ったわ」
 野蒜駅からほど近くに暮らす女性(67)は時折、目に涙を浮かべて津波の恐怖を振り返った。
 経験したことのない激しい揺れに、直感的に「津波が来る」と考えた。そこに「女川で6mの津波」というカーラジオからの声が耳に届いた。「まさか、(仙石線と並行する)東名運河を越えることはないだろう」と思いながら、野蒜小学校の体育館に向かった。近くの老人ホームから、車いすのお年寄りたちが続々と避難してくる。体育館に着いた頃には、ここまでやって来るはずのない波が、足元まで来ていた。
 教室に逃げよう━。そう思った時には、両膝が水に浸かっていた。階段までわずか2m。しかし、濁流の勢いは思いのほか強い。恐怖のあまり、気を失っていたのかもしれない。やっとの思いで3階の教室にたどり着き、児童の体操着を借りて着替えた。下着までびっしょりだった。30分ほど経ったろうか。ふと窓の外を見ると、見慣れた景色が一変していた。
 「一旦、水が引き、流された乗用車やガレキが散乱していたわ。うちも5台の車はすべて流されちゃった」。自宅の2階は、いつのまにか臨時避難所になっていた。
 女性の友人は、つい数時間ほど前まで談笑していた知人の死を目の当たりにした。近所の女性は、夫が家財道具に埋もれるように流されていくのを、ただ呆然と眺めるしかなかった。自分だけが助かったという自責の念。「目の前にいたってどうすることもできないのよね。思い出すとつらいわ」。津波が落ち着くと、車いすでベルトをしたままのお年寄り、マイカーの運転席の男性など、多くの遺体が見つかった。自宅2階で、3人もの遺体が発見された人もいるという。
 あれだけの恐怖を経験し、それでも移り住むことなく自宅に再び暮らしている。一部損壊で済んだ自宅は、真新しい木材で補修されている。すぐ隣に暮らしていた子ども夫婦は高台に移り住むことになった。
 「もちろん、震災直後はこんな所に住みたくないって思ったわ。でもね、人間って3年も経つと忘れてしまうのね。結局、ここで暮らして行くことにした。そうね、忘れないと生きて行かれないのかしれないわね」
 女性は野蒜小学校の校舎に目をやった。多くの命が奪われた体育館は、もう無い。

【重い移転費用、甘くない再出発】
 野蒜小学校裏の高台に建設中の新しい仙石線。2015年6月にも代行バスが終わり、仙台〜石巻が開通する予定だ。運転士は「来年の今ごろは乗っていただけますよ」とうれしそうに話した。
 少しずつ復興へ前進しているように見えるが、野蒜小学校近くで店舗を営む男性は「うちは高台で津波の被害はなかったから良い。でも、平地の家は軒並み津波でやられてしまった。被害に遭った人々は当時よりもっと悲惨な状態だよ。時間が経つにつれて現実的な問題が出てくるからね」と語る。別の女性は「被災地ってたくさんのお金をもらえると思っている人がいるかもしれないけれど、違うよ。確かに義援金はいただいたし、大変ありがたかったです。感謝しています。自宅を高台に移転するにしても、土地は30年間無償で借りられるけれど新築費用はほとんど自己負担。甘くないですよ」と強調した。
 先の女性は震災以降、津波注意報が発令されるたびに高台に逃げているという。「結局、大した波が来ないから大げさなのかも知れないけれど、水の怖さは身に染みていますからね。東京の人たちも、50cmの津波だからといって馬鹿にしてはいけませんよ」。

鈴木博喜


朝日新聞
津波から復活の桜、パリで咲かせる 福島の高校生の挑戦

 津波から復活した東北の桜をパリで咲かせたい。2日、パリの経済協力開発機構(OECD)本部で植樹式があった。原発事故のため町ぐるみで避難する福島県楢葉町出身の松本莉奈さん(17)が企画した。「桜のように強く生きたい」との願いを込めて。

 本部の中庭。磐城高校2年の松本さんは、多くの人を前に英語でスピーチした。「桜はすぐに散ってしまうため死をイメージさせます。一方で、どんな災害にあっても毎年咲かせる希望ともいえる。東北の思いを伝えられる花です」

 父親は東電に勤める。会社に向けられる周囲の視線は知っているが、地震後に連絡が取れなくなった父が3週間後にやつれて現れた姿を思い起こすと、それを隠したくはなかった。転校先の中学では、4カ月間、無視され続け、家族には「友達ができた」とうそをついた。その頃、岩手県に津波をかぶりながらも、咲いた桜があると聞いた。「なんて強いんだろう」

 半年後、被災3県の中高校生が震災を世界に発信する「OECD東北スクール」に応募した。「あの桜を世界に見せつけるんだ」。震災に負けない桜を、自宅に帰れないつらい境遇にも負けない自分に重ね合わせた。

 だが、欧州の検疫の規則で苗を現地に送れないと知る。接ぎ木しても成功率は低いと言われながら、枝を現地に持ち込んだが、ダメだった。困っていたところ、数十年前に山形県から持ち込まれた桜を「同じ東北だから」とOECD関係者が運んでくれた。

 思い描いていたのとは、ちょっと違うかもしれない。でも、松本さんの目に失望の色はない。「私はあきらめません。東北と同じです。津波から復活した桜がパリで咲くまで挑戦し続けます」(江戸川夏樹)


河北新報
被災地見放された 3県出身大臣ゼロ

 3日発足した第2次安倍改造内閣では、女性5人の入閣や第1次内閣のメンバーの返り咲きが目を引く一方、岩手、宮城、福島3県出身の大臣がゼロとなった。女性が輝く内閣か、「お友達」ばかりの仲良し内閣か−。被災地は震災復興に取り組む政権の姿勢に厳しい視線を向けた。

 東日本大震災の被災地では第2次安倍改造内閣に復興のさらなる推進を求める声が広がる。ただ、復興相となった竹下亘衆院議員(島根2区)は被災地との縁が薄いこともあり、「見放されたよう」との不安も湧いている。
 人口の流出を防ぐためにも、被災地では産業の立て直しが欠かせない。東松島市商工会の橋本孝一会長(66)は「若年層が夢を持てる雇用や賃金に関する政策を考えてほしい。見切り発車でもいいからとにかく実行を」と注文した。
 12月には、首相が消費税率の再引き上げをするかどうか判断する。震災と経済停滞にあえぐ商店主らの間には不安が広がっている。
 宮古市の仮設商店街「たろちゃんハウス」で写真店を経営する新屋正治さん(59)は「仮設住宅からの転居が進み、売り上げが減っている。消費税率10%になれば打撃は大きい」と嘆いた。
 「水産業と食品加工業の復興にもっと目を向けるべきだ」と話すのは気仙沼市の遠洋漁業会社経営臼井壮太朗さん(42)。内閣から被災地ゆかりの顔が消えた点を不安視し「これまで以上に声を聞きに来てほしい」と要望した。
 過去2代にわたって復興相は東北出身者が務めてきた。今回の竹下氏起用について、宮城県内の自民党関係者は「これまで被災地を案内した記憶がない」と首相の真意をいぶかった。
 仙台市太白区のあすと長町仮設住宅自治会の飯塚正広会長(53)は「東北が見放されたように感じる。復興にブレーキがかからないか心配だ」と語った。
 新内閣にとって、福島第1原発事故の収束、福島再生も大きな課題となる。飯舘村から福島市の仮設住宅に避難している農業佐藤隆子さん(75)は「原発に頼らない生活はできないのだろうか。福島で避難している人がいる現実を忘れないでほしい」と訴えた。


河北新報
空室増加 割れる対応/現状維持か集約化か 仮設住宅(上)/大震災3年半

 東日本大震災の発生から間もなく3年半となる被災地で、プレハブ仮設住宅の空室が増えている。住宅の自力再建や災害公営住宅の完成に伴い、仮の住まいを離れる被災者が相次いでいるからだ。進む空洞化を前に自治体の対応は分かれる。空室が急増する宮城県亘理町は入居者支援を優先し、現状維持の構え。釜石市は逆に、いち早く集約化方針を打ち出した。対照的な二つの自治体を訪ねた。(熊谷吉信)

<支援を最優先>
 若い世代は仕事に出掛け、高齢者は暑さを避けて部屋にこもっているのだろうか。8月下旬、亘理町の公共ゾーン仮設住宅団地に人影はなく、静まり返っていた。
 総戸数は558戸。震災から約半年後の2011年11月はほぼ満室だったが、現在の入居率は6割強にとどまる。
 「カビが生えるため畳は上げ、定期的に窓を開け風を通します」。集会所を管理する町臨時職員木村けい子さんが、案内がてら教えてくれた。
 空室が増えるにつれ、隣の玄関の風除室に荷物を置く住民が出てきた。町は、風除室の施錠を徹底するようになった。
 仮設団地の敷地は町役場の新築用地だが、まだ具体的な動きはない。町被災者支援課は「住民の支援が最優先。まだまだ仮設を集約する話にはならない」と言い切る。

<「総論は賛成」>
 仮設住宅約3100戸を抱える釜石市。市は4月、災害公営住宅整備にめどが付いたとして、仮設を17年度上期までに半減する方針を発表した。
 「空室が増えれば防犯上の問題もある。自力再建を促す荒療治だが、意識喚起につなげたい」。市生活支援室の小池幸一室長が力を込めた。
 市中心部の中妻町仮設団地の戸数は118戸。入居数は既に100戸を切った。市は釜石警察署の新築用地として15年度中に閉鎖する計画だ。
 移転できない世帯は30戸程度とみられる。無職男性(62)は「公営住宅に移れればいいが、仮設から仮設への引っ越しはつらい」と打ち明ける。
 集約方針の公表後、市には抗議の電話が数件あったという。公営住宅への申し込み状況を精査した上で、年末に集約計画を確定する。
 小池室長は「真の復興に向け、総論は賛成と受け止めた。各論では今後さまざまな意見が出てくるだろう」と話した。


朝日新聞
広島)被災地の壁新聞、宮城県石巻市からエールの色紙

 広島市で起きた土砂災害をめぐり、被災者向けの壁新聞「ファイト!梅林しんぶん」を発行する少女2人に、宮城県石巻市から色紙が届いた。東日本大震災の被災地の子どもたちが「一緒にがんばっていきましょう」などと記した寄せ書きで、連携して困難に立ち向かおうと呼びかけている。

 「ファイト!梅林しんぶん」は、梅林小学校(広島市安佐南区)での避難所生活でいらだつ被災者の姿を見た中学1年の宮本博代さん(12)と小学5年の道上ゆなさん(11)が「落ち込むみんなを、少しでも前向きにしたい」と発案した。

 東日本大震災で宮城県気仙沼市の小学生たちが、「明るく」を編集方針に手作りした「ファイト新聞」にちなんで命名した。

 「広島の力を、信じてる。」。色紙の中央には、こう記された横断幕を手にした子どもたちの写真が貼られている。「一人じゃない」「応援してます」「ともに前へ」。カラフルなペンで応援メッセージがつづられている。募金活動をする動きもあるといい、ボランティアを通じて28日、避難所へ届けられた。

 2人は31日、避難所を離れ、自宅に戻ったが「私たちの思いが伝わっている。避難所で気になる話題がある限り、今後も続けたい」と話す。第1〜3号で取り上げたスリッパ、あいさつ、手洗い場に続き、第4号では、梅林小のグラウンドにできた、自衛隊のお風呂を紹介する予定だ。(半田尚子)


朝日新聞
紀伊半島水害3年、記憶克明 「あの日に全て変わった」

 台風12号による豪雨災害から3年がたった。紀伊半島各地の被災地では復旧工事が急ピッチで進むなか、避難生活を続ける人たちもいる。広島市の土砂災害の光景に、あの日の記憶がよみがえる。

 29人の死者・行方不明者を出した和歌山県那智勝浦町。家ごと土石流にのみ込まれ、両親と中学生の妹2人、小学2年の弟1人の家族5人を亡くした中平史都(ふみと)さん(26)は4日、慰霊のため東京から町を訪れた。

 3年前も、東京に働きに出ていた。市野々(いちのの)地区にあった実家は土石流で流され、跡形もなくなった。「独りぼっちになってしまった。あの日を境に全てが変わってしまった」

 仲の良い家族だった。帰省すると家の中は笑いに包まれた。東京に戻る時、みんなで新宮駅近くの高速バス乗り場まで見送りに来てくれた。出発直前、さみしがる弟が泣きじゃくっていたのを思い出す。

 「東京での生活は何も変わらないので、少しつらさを忘れられる。今もまだ家族が生きているような錯覚にも陥る。でも、ここに戻ってくると、現実を突きつけられます」

 大規模な崩落で避難指示が出ていた奈良県野迫川(のせがわ)村北股地区は今年7月、約3年ぶりに避難指示が解除された。仮設住宅から自宅に戻った中本福子さん(68)は4日朝、自宅そばの崩落現場近くに立った。「この辺りにも家が立っていた。土砂でつぶれてしまった」。山肌の斜面が削れ、土囊(どのう)が積まれた現場で、当時を思い起こした。

 3年前の9月4日朝、地響きのような轟音(ごうおん)が聞こえると同時に、山が崩れ、木々が立ったまま迫ってきた。一緒にいた長女らと走り出したが、「間に合わない」と一時は死も覚悟したという。分かれ道で選んだ道以外は、土砂に埋まった。「別の道を選んでいたら」。しばらく体の震えが止まらなかったことを、今でも鮮明に思い出す。

 2年半余り暮らした仮設住宅では、強い風や雨の音が聞こえると、怖くて眠れなかった。壁が薄く、物音にも過敏になった。手狭で、遊びに来た孫も泊められない。3年ぶりに帰った自宅もネズミにすみ着かれ、今も清掃や家財の整理に追われている。

 広島市の土砂災害の様子をテレビで見て、言いようのない恐怖がよみがえった。被災者の姿に自分を重ね、涙がこぼれた。「私は運がよかっただけ。今は一日でも早く行方不明の方がみつかってほしいと祈っています」

■奈良・五條の25人、今も避難生活

 奈良県では山の斜面が1万平方メートル、深さ10メートル以上にわたって崩れる「深層崩壊」が54カ所で発生した。河川がせき止められたことによる大規模な「土砂ダム」が、現在も4カ所に残る。

 県は来年3月までを集中復旧・復興期間と定める。河川・砂防の復旧(被災箇所数114カ所)や河川堆積(たいせき)土砂の撤去(同8カ所)、道路の復旧(同126カ所)は、9割以上が完了。だが、今も五條市の住民ら14世帯25人が避難生活を余儀なくされている。

 8月27日には、有識者を交えた検討委員会で都道府県で初となる「深層崩壊マップ」を作った。県南部の11市町村で、山間を中心とするエリアの地形や地質、過去の崩壊歴などを調査。相対的な危険度を約1平方キロメートルごとに、4段階に色分けした。今後、県のホームページで公表される予定で、防災計画の見直しに役立てていくという。

 和歌山県では県管理の河川、道路、砂防、港湾など、1177カ所の土木施設が被災した。このうち99%(8月末現在)の復旧工事が終わったという。大量の土砂が流れ込んでいた那智川(那智勝浦町)の復旧工事など、残る工事も2016年3月末までには終わる見通しだ。県の県土整備総務課は「目に見えて復興は進んでいる」とするが、依然として田辺市の2世帯7人が仮設住宅で暮らす。

 奈良、和歌山、三重の3県では、今も16人が行方不明のままだ。

■犠牲者追悼、各地で行事

 水害から3年となる4日、各地では追悼行事があった。

 午前1時。死者・行方不明者29人が出た和歌山県那智勝浦町では、井関地区の「水害記念碑」の前でろうそく29本に灯をともし、犠牲者を供養した。遺族会代表で、父(当時76)とおい(当時15)を亡くした岩渕三千生さん(53)は「早い気もするし、まだ3年かという気もする」。

 7人が死亡、4人が行方不明となった奈良県五條市大塔町宇井地区では午前9時半から、慰霊祭と追悼式典があった。式典では妹(当時37)が行方不明となっている同市西吉野支所職員、中西勇次さん(46)=同県大淀町=が、「この夏も各地で土砂災害が起き、胸が痛む。大水害の教訓を後世に語り継いで頂きたい」と話した。(宋潤敏、浜田知宏、青山祥子)

■「住民救う情報、100回空振りしてもいい」

 どうすれば29人の町内での犠牲者を救えたのか。妻や娘も亡くした和歌山県那智勝浦町の寺本真一町長(61)は、この3年、自問を続けてきた。

 土石流が起きた2011年9月4日未明、役場の災害対策本部にいた寺本町長の関心は、かつて台風で氾濫(はんらん)した町南部の川に集中していた。だが、午前2時ごろ、ほとんど水害の記録がない市野々地区の自宅にいる妻昌子さん(当時51)から電話が入った。「早希(さき)が流された」。通話はそこで途切れた。

 その時、大規模な土石流で自宅は土砂にのみ込まれていた。昌子さんと長女の早希さん(同24)は後日、遺体で見つかった。地区では土石流で7人が犠牲になった。

 同町の地質学者の後誠介さんによると、一帯はマグマが冷えて固まった花崗斑(かこうはん)岩が広がり、岩石が風化してもろくなった層に短時間で猛烈な雨が流れ込み、山肌が崩れた。「家族にも、地域で犠牲になった人にも申し訳ない。土砂災害の仕組みが頭に入っていなかった。大雨でどんな災害が起きるのか、もっと知っておくべきだった」。寺本町長は悔やむ。

 かつて自宅があった場所は土砂で埋まったままで、寺本町長は今、別の地区に暮らしている。災害対応に追われた時期を過ぎ、妻や娘を思い出す時間が増えた。毎日のように、あの時と同じ午前2時過ぎに目が覚める。

 8月、広島市で起きた大規模土砂災害は、町を襲った土石流に酷似していた。未明の発生で、被害にあったのは山沿いの住宅地だ。「災害にはとにかく早く対応するしかない。100回、空振りしてもいい。避難情報を出して、住民を救わなければいけない」(滝沢文那)


朝日新聞
原発の廃炉作業員が東電提訴 待遇改善へ賠償求める

 東京電力福島第一原発事故の廃炉現場で働く男性作業員4人が3日、本来受け取れるはずの危険手当が支払われなかったとして、東電や大手ゼネコンの鹿島など17社に計約6200万円の賠償を求めて福島地裁いわき支部に提訴した。原告弁護団によると、廃炉作業員の待遇が司法の場で争われるのは初めて。

 弁護団によると、4人は原発事故以降、それぞれ10カ月〜2年2カ月の間、いずれも下請け企業で原子炉建屋のがれき除去や汚染水タンクの点検などに携わったという。うち2人は今も現役という。

 この日、東京都内で記者会見した原告男性(55)は2011年8月以降、現在も第一原発で働くが、「危険手当は一切受け取っていない。作業員の努力が報われないのが一番悔しい。東電も含め、この状態を改めて欲しい」と訴えた。

 訴状によると、第一原発の作業は放射線被曝(ひばく)を避けられないことから、東電は作業員への危険手当(現在は1人あたり1日2万円)を含んだ額で大手ゼネコンなど「元請け」に仕事を受注する。しかし4人は、通常の賃金しか受け取れず、それぞれ1万〜5万円の危険手当が行き届いていない、と主張している。

 東電は取材に「請求内容や主張を伺った上で、真摯(しんし)に対応したい。設定上の単価の増額分(危険手当)は作業員に行き渡るように元請けに指導している」。鹿島は「訴状が届いていないのでコメントは控える」としている。

 原告弁護団は当初、損害賠償請求額を約9千万円としていたが、訂正した。「4人の請求内容をすりあわせた結果」としている。(伊藤弘毅)


朝日新聞
(池上彰の新聞ななめ読み)慰安婦報道検証 訂正、遅きに失したのでは

 過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。過ちがあれば、率直に認めること。でも、潔くないのではないか。過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか。

 朝日新聞は、8月5日付と6日付朝刊で、「慰安婦問題を考える」と題し、自社の過去の慰安婦報道を検証しました。これを読んだ私の感想が、冒頭のものです。

 6日付紙面で、現代史家の秦郁彦氏は、朝日の検証について、「遅ればせながら過去の報道ぶりについて自己検証したことをまず、評価したい」と書いています。これは、その通りですね。

 しかし、今頃やっと、という思いが拭い切れません。今回の検証で「虚偽」と判断した人物の証言を掲載してから32年も経つからです。

     *

 今回、「虚偽」と判断したのは、吉田清治氏の証言。氏が自らの体験として、済州島で200人の若い朝鮮人女性を「狩り出した」などと証言したと朝日新聞大阪本社版朝刊が1982年9月2日に報じました。その後も朝日は吉田氏に関する記事を掲載しました。

 これについて今回、「読者のみなさまへ」と題し、「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした」と書いています。裏付けできなければ取り消す。当然の判断です。

 ところが、この証言に疑問が出たのは、22年前のことでした。92年、産経新聞が、吉田氏の証言に疑問を投げかける記事を掲載したからです。

 こういう記事が出たら、裏付け取材をするのが記者のイロハ。朝日の社会部記者が「吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという」と検証記事は書きます。この時点で、証言の信憑(しんぴょう)性は大きく揺らいだはずです。朝日はなぜ証言が信用できなくなったと書かなかったのか。今回の特集では、その点の検証がありません。検証記事として不十分です。

 検証記事は、「慰安婦」と「挺身隊(ていしんたい)」との混同についても書いています。「女子挺身隊」は、戦時下で女性を労働力として動員するためのもの。慰安婦とは別物です。91年の朝日新聞記事は、女子挺身隊と慰安婦を混同して報じたものだと認めました。

 これについて「読者のみなさまへ」というコーナーでは「当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました」と書いています。

 ところが、検証記事の本文では「朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた」とも書いています。ということは、93年時点で混同に気づいていたということです。その時点で、どうして訂正を出さなかったのか。それについての検証もありません。

     *

 今回の検証特集では、他紙の報道についても触れ、吉田氏の証言は他紙も報じた、挺身隊と慰安婦の混同は他紙もしていたと書いています。問題は朝日の報道の過ちです。他社を引き合いに出すのは潔くありません。

 今回の検証は、自社の報道の過ちを認め、読者に報告しているのに、謝罪の言葉がありません。せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫(わ)びがなければ、試みは台無しです。

 朝日の記事が間違っていたからといって、「慰安婦」と呼ばれた女性たちがいたことは事実です。これを今後も報道することは大事なことです。

 でも、新聞記者は、事実の前で謙虚になるべきです。過ちは潔く認め、謝罪する。これは国と国との関係であっても、新聞記者のモラルとしても、同じことではないでしょうか。

 ◆池上さんと読者の皆様へ 今回のコラムは当初、朝日新聞社として掲載を見合わせましたが、その後の社内での検討や池上さんとのやり取りの結果、掲載することが適切だと判断しました。池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをおわびします。

 ◆池上さんのコメント 私はいま、「過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ」という言葉を思い出しています。今回の掲載見合わせについて、朝日新聞が判断の誤りを認め、改めて掲載したいとの申し入れを受けました。過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました。

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ヤル気になってます→おうぶを調べ,長いマイマイ頑張る

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Des ouvriers de Fukushima portent plainte contre Tepco

Chaque jour, 3 000 à 6 000 personnes planchent sur le site de la centrale nucléaire Fukushima Daichi ravagé par le tsunami du 11 mars 2011, au Japon. Ce mercredi, quatre travailleurs vont porter plainte contre Tepco, la compagnie gérante du site. Ils estiment que leur rétribution ne reflète pas les dangers auxquels ils sont exposés et réclament 475 000 euros. ≪Avec des tâches comme le remplacement de tuyaux servant à mettre l’eau radioactive dans les citernes, la dose reçue en un mois va jusqu’à plus de quatre millisieverts (mSv), et l’on a peur que cela nous rende malades≫, dit un ouvrier. Les employés sont censés ne pas dépasser une exposition de 50 mSv en un an et de 100 mSv en cinq ans, soit en moyenne 20 mSv par an. Avec une dose de 4 mSv en un mois, leur temps - théorique - de travail devrait normalement être limité à cinq mois dans l’année.

8月の猛暑日はゼロだったそうです.確かにそんなに暑くなかったしね.
今日はなんだかヤル気がある感じです.おうぶについていろいろ調べてみました.マイマイも長いけれど頑張りました.

河北新報
特別名勝松島 防潮堤かさ上げに異論

 日本三景の一つ、特別名勝松島での防潮堤整備に関連し、宮城県が景観維持と安全確保の両立に腐心している。県は見た目に配慮した部材を活用するといった工夫を凝らすものの、地元ではかさ上げによる眺望への影響を心配する声もくすぶっている。(片桐大介)

 県計画によると、松島エリアの防潮堤は海抜7.2〜2.1メートル。シミュレーションに基づき、数十年から百数十年に一度襲う津波を防御できる高さに定めた。
 防潮堤は外洋側ほど高く、松島港など湾奥は低くなる。設計上の違いについて、県河川課は「点在する島が津波の威力を弱める効果がある点を考慮した」と説明する。
 特別名勝地は本来、建造物の増改築の際は国の許可が必要となる。国は2013年度、復興工事を加速化させる目的で、一部区域を除いて県と塩釜、東松島両市への権限委譲に踏み切った。
 防潮堤を景観と調和させようと、県も他地域にはない配慮を見せる。コンクリートの表面に天然石や模造石を貼り付けたり、着色したりして、より自然な外観を追求する方針だ。
 エリア内では16年度までの完成を目指して急ピッチで工事が進むが、かさ上げに伴う景観悪化への懸念は根強い。
 東松島市のNPO法人役員飴屋善太さん(26)もその一人。「景色が好きで住み着いたのに…」と不満を隠さない。
 NPOは現在、市内の東名地区でデイサービス施設を運営している。施設近くの長石海岸では、海抜3.1メートルの防潮堤が1.2メートル引き上げられる計画になっている。
 東名地区は西側の松島湾ではなく、東側の石巻湾からの津波に襲われた。飴屋さんらの不満の背景には「西側にある東名地区の海岸を強化しても、防災力は上がらないのでは」との疑問がある。
 これに対し、県は「高潮の波しぶきから家屋や農地を守るためにかさ上げは不可避。地元で説明会も繰り返している」と理解を求める。
 文化庁の担当者は「復興工事のため景観が変わるのは仕方ない面がある。特別名勝の価値が損なわないようにフォローしていく」と話している。

[特別名勝松島]宮城県内の松島湾と湾内の離島を含む塩釜、東松島、松島、七ケ浜、利府2市3町の約1万2600ヘクタールのエリアを指す。文化財保護法に基づき国が1952年に指定した。塩釜湾と七ケ浜町の一部臨海部は除外されている。特別名勝は現在、松島を含め全国に36カ所ある。


時事通信
「東北の声届くのか」=復興への姿勢に懸念−被災3県出身の大臣ゼロ

 第2次安倍改造内閣では、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城、岩手、福島3県出身の大臣がゼロとなり、住民からは復興や原発問題への取り組みを疑問視する声が上がった。
 東京電力福島第1原発から20キロ圏内で初めて避難指示が解除された田村市都路地区。実際に帰還した住民は約2割にとどまる。行政区役員の坪井幸一さん(65)は「復興への関心が薄れるのではないか。都路はこれからが大事な時期なのに」と不安をあらわにした。
 同県飯舘村の三輪善一さん(84)は「つまり、首相が被災地の復興に関心がないということだ」と厳しく批判。「視察で仮設住宅に来るのはいいが、もっと一人ひとりの住民と対話してほしい」と訴えた。
 宮城県石巻市内の自宅が流され、市内の仮設住宅で暮らす60代の男性は「誰も被災地の声を発信する人がいなくなる。大臣が一人もいないのは寂しい」と語った。気仙沼市在住で、ボランティア活動を続ける自営業の男性(55)は「東京五輪など中央のことばかりだ。政治は被災地から離れた」と憤った。
 岩手県釜石市の宿泊施設支配人小笠原弘孝さん(50)も「東北出身者がいないと被災地の声が届かなくなるのでは」と懸念。「新しい大臣には被災地のことを一生懸命考えて動いてほしい」と望んだ。


毎日新聞
原発事故調書 教訓のため全面公開を

 福島第1原発の過酷事故はどうして起きたのか。これを調査・検証する国会や政府の事故調査委員会は多数の人から話を聞いた。その数は政府事故調で772人、聴取時間1479時間、国会事故調では1167人、900時間を超える。

 これらの調書は、事故対応を検証し、今後の事故防止に役立てるための、きわめて貴重な資料である。限られた人のものではなく、国民のものであり、国際的にも重要だ。

 ところが、これらの記録は一部が報告書に使われたり、公開されたりしたものの、残る膨大な資料は公開されずに眠っている。個人の責任を問わないなどの理由で非公開が前提だったとされるが、事故当時、福島第1原発の所長だった吉田昌郎氏(故人)のヒアリング資料「吉田調書」の中身が報道されたことをきっかけに、政府事故調の調書を公開する動きが進んできた。

 政府は近く、吉田調書に加え、本人の了解が得られた調書を公開するという。貴重な資料を眠らせているのは宝の持ち腐れだ。当事者の言葉そのものを多様な専門家が精査することによって、事故原因や危機管理について、新たに学べることがあるはずだ。この動きを国会事故調の資料も含めたすべての情報の公開につなげたい。

 吉田調書をめぐっては、今年5月に朝日新聞が「所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し、福島第2原発に撤退した」と報じたことが議論を呼んでいる。吉田氏は調書の中で、第2原発退避は当初の意図とは違うが結果的に正しかった、との判断を示している。調書の一部を強調した朝日の報道が誤解を広め、冷静な議論が妨げられた可能性がある。

 ただ、問題の本質は、混乱する現場で指示がうまく伝わらない場合があるということであり、ここから指揮命令系統のあり方について教訓を引き出すことこそが大事ではないだろうか。過酷事故が起きた時に誰をどこに避難させ、誰が現場に残るかを、想定しておくことの重要性も教訓のひとつだ。

 危機的状況にある現場を支援する能力が官邸や東電本店にまったく欠けていたことも調書から改めて浮かぶ。原発の再稼働を進めようとしている政府や電力会社は、こうした本質的な課題が解決されているのか、しっかりチェックすることが不可欠だ。

 吉田調書は全体像を知るためのひとつの断片であることも忘れてはならない。大事なのは、多くの人の証言や資料を突き合わせ、実際に起きたことを細かく再現することだ。そのためにも、当事者の了解を得る努力をし、事故調の資料全体を一刻も早く公開すべきだ。


東京新聞
政府の原発支援 なぜ、負担強いてまで

 国民の多くは、原発依存から抜け出したいと願っている。福島の事故が身に染みているからだ。その国民に経済の負担を強いてまで国は原発を持ち続けていたいらしい。なぜ、そうまでするの。

 語るに落ちたと言うべきか。あからさまな“原発えこひいき”の試みが、ひっそりと進んでいるようだ。

 二〇一六年に家庭向け電力事業が自由化され、既存の大手電力会社以外の参入が進むとともに、消費者が売り手を選べるようになり、これまで政府と電力会社が独占的に決めてきた、電気料金の値下がりが期待されている。

 ところが政府は、原発だけを特別扱いにして、維持、さらに新増設を支援する姿勢を打ち出した。

 原発の建設から廃炉、使用済み燃料の処分にかかる費用を計算し、基準になる電気の値段を、これまで通り政府と電力会社で決める。そして市場価格が基準価格を下回った場合には、全消費者の電気料金に、その差額分を上乗せするという。

 原発を動かす大手電力会社に損はない。国民の負担で穴を埋めてあげようというのである。

 自由化とは名ばかり、実際の電気料金は原発の都合で決まってしまうのだ。

 経済産業省の有識者会議でひっそりと話し合われるこの案は、多くの示唆を与えてくれる。

 例えば、これまで「安い電源」とされてきた原発が、自由競争に耐えられないほど高くつき、地域独占市場の中でなければ原発事業は成り立たないのを、国も認めているということだ。

 その上、事故が起きれば、補償は天文学的な額になる。福島の事故に見るとおり、一事業者に賄いきれるものではない。原発は経済的には成り立たない。

 差額の穴埋めで原発を維持するやり方は、英国にならうものだという。英国は温室効果ガスを抑えるために、発電段階では二酸化炭素(CO2)などを出さない原発を使い続ける方針だ。

 温暖化も危険だが、原発事故はそれ以上に恐ろしい。私たちは、そのことを知っている。原発維持を温暖化対策の口実にすべきではない。

 大手電力事業者も、これ以上原発を動かすリスクを負うことを、本当は望んではいないのではないか。国民に二重三重の負担を強い、福島の被災者の心を踏みにじってまで、なぜ政府は原発を持ち続けたいのだろうか。


河北新報
河北抄

 <大学の道は…>と中国の古典『大学』は説き起こす。明徳、親民、至善の三つが目的である、と。
 良心を磨き、他人を導き、それらを至上の位置にとどめるという意味。この場合の大学は「大人、君子の学」を指すという(『中国古典名言事典』)。

 東北大の明善寮の名は『大学』の明徳と至善にちなんでいる。さすが、運営の全てを学生が行ってきた伝統の自治寮だと感心する。
 その寮で一悶着(ひともんちゃく)起きている。未成年者の飲酒で大学側が全員退寮を決め、学生側は反発している。

 退寮期限は今月末。改修してまた寮にするらしいが、現に住んでいる者への強制措置には違いない。
 あしき飲酒の慣習があるにしても、やめさせることはできるだろう。退去を振りかざすのは大人げない。

 中国には『小学』という古典もある。その一節にいわく。<無用の弁、不急の察は、棄(す)てて治めざれ>
 人はとかく不必要なことに弁説をなし、やらなくともいいことにこだわるが、そういう無駄なことは捨てた方がよい、との教え。
 この辺りも踏まえ事に当たるべきでは。

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禾乃登こくものすなわちみのる/ナノザで打合せ

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Ils écrivent alors tous deux des œuvres qui auront une grande influence sur la poèsie moderne. « Noctune parisien » est un long poème extrait des Poèmes saturniens, le premier recueil de Paul Verlaine qu'il publie à l'âge de 22 ans.
二人はさまざまな作品を執筆し,近代詩に大きな影響を及ぼしました.「パリのノクターン」は,ポール・ヴェルレーヌが22歳のときに刊行した最初の詩集『サチュルニアン詩集』に収められた長い詩です.
「夕暮れのセーヌとノートル=ダム」
ヴェルレーヌ『サチュルニアン詩集 Poèmes saturniens
「パリのノクターン Nocturne parisien」(1866)
作家とともにパリ散歩  井上 櫻子 いのうえ さくらこ Vincent Brancourt ヴァンサン・ブランクール

七十二候のひとつ禾乃登こくものすなわちみのるです.淀川で鈴虫が鳴いているのが聞こえてあきなんだなぁ・・・と感じました.
午前中ナノザで打ち合わせです.打ち合わせ自体はなんてことがなかったのですが,これから月曜朝早くから会議をすることになりました.寝坊は許されません.

河北新報
最期と日々向き合う/納棺師・佐々木まゆみさん(山形市)/その先へ

 亡くなった人の体を清め、着物を着せて化粧をする。東日本大震災で犠牲となった人々への供養の思いを重ねる。震災発生から間もなく3年半。「ようやく少しずつ、自分の道が見えてきた」と思う。
 石巻市で被災し、山形市内で避難生活を送る佐々木まゆみさん(50)は、震災の経験を経て、この夏、納棺師として新たな一歩を踏み出した。日々、人々の最期と向き合い続けている。

 あの日、津波で自宅は全壊した。母子家庭で、息子3人は進学などで地元を離れていた。山形県内の大学に通う三男と唯一連絡が付き、着の身着のまま山形に向かった。
 石巻はインフラが復旧せず、仮設住宅にいつ入れるかも分からなかった。アパートを探し、当面、山形で暮らすことに決めた。
 慣れない土地での生活では、戸惑いも少なくなかった。山形県内の避難者の大半は原発事故の被災者。支援や情報はほとんど福島関連だった。「それぞれ大変なんだ」と分かっていても、どこかで居所のなさが募った。
 生活のため、仕事も探さなければならなかった。ハローワークでたまたま見つけた病院の看護助手の求人に応募し、2011年5月から働いた。末期の患者らが入院する病棟の担当になり、日々、食事などを介助した。亡くなった患者の着替えや見送りをすることもあった。
 震災のショックがまだまだ生々しい時期。津波の後、がれきの中から聞こえた「助けてー」という叫び声が耳に残っていた。亡くなる患者が、震災の犠牲者と重なった。「あの時、自分は何もできなかった」。人の死と向き合う仕事に、特別な重みを感じるようになっていた。

 同じころ、被災地で損傷の激しい遺体の復元に奔走した納棺師の著書を読んだ。生前の面影をよみがえらせ、故人と家族に寄り添う。「この仕事に就きたい」。強くそう思った。
 ことし6月、納棺師を目指して山形市内の葬祭会社に転職。先輩の指導を受けながら、早速現場に入った。体の洗い方や、遺族との接し方。専門的な作法も多く、全てが勉強だった。
 研修期間を終え、現在は多い日で一日に3〜4件を担当する。病気や事故など、人が亡くなる背景はさまざまだ。遺体の状態も、家族の様子も大きく異なる。
 覚えることは尽きず、体力的にも楽ではない。でも、着替えや化粧を終えた後の故人の穏やかな表情を見たり、家族に「きれいにしてもらってありがとう」と言われたりした時、何ともいえない気持ちになる。
 古里を離れて避難する自分がやっと、生きがいと居場所を見つけたと感じる。「まだまだ修業の身。でも、生き残ったからこそできること。誠心誠意、取り組みたい」
(菊池春子)


朝日新聞
福島)被災地の高校生、パリで東北の魅力発信

 「パリで東北の魅力を発信せよ」。福島、岩手、宮城の高校生ら100人が経済協力開発機構(OECD)から下されたミッションが実行された。パリ・エッフェル塔前で先月30、31日に開かれた「東北復幸祭」に福島からは45人が参加し、東日本大震災や故郷への思いを発表した。

 復幸祭は、文部科学省や福島大学などが協力して2012年春に始動した「OECD東北スクール」のメーンイベントだ。準備には2年半をかけた。大熊町出身の高校1年生は避難所や故郷の写真を元に体験を語り、いわき市の高校生は津波がせまってくる様子を表現した1600ピースのドミノ倒しに挑戦した。子供たちから集めた東北へのメッセージも展示した。

■自分の言葉に悩む

 広報を担当したいわき市の中村誓人(ちかと)さん(17)は福島高専3年。フェイスブックやツイッターを通し、スクールの活動を毎日のように伝えている。復幸祭では海外メディアや観光客へのイベント案内を担当した。

 「パリに行きたい」と2年半前に遊び半分で参加したものの、自身は津波や地震の大きな被害にあっていない。身内が犠牲になった友人の被災体験を聞くたびに、「自分の言葉なんて重みもないし、何も伝えられないんじゃないのか」と悩んだ。

■生の声を伝えたい

 吹っ切れたきっかけは震災当時の思い出だ。「放射能にうがい薬がいい」と聞けば試したり、放射性物質を運ぶ風向きに右往左往したり。「何が正しいのかわからない怖さ。仲間たちの話を多くの人に、きちんと伝えていきたい」と話す。

 今年の3月11日には、フェイスブックに生徒20人の被災体験を載せた。津波から九死に一生を得た経験、原発事故で避難生活を続ける生の声は、国内外で大きな反響を呼んだという。「震災から4年目。風化は確かに進んでいる。だからこそ、忘れさせない使命を僕は持っていると思うんです」(江戸川夏樹)


朝日新聞
中間貯蔵施設―「福島の問題」にするな

 福島第一原発の事故で出た福島県内の汚染土などを保管する国の中間貯蔵施設の受け入れを同県と大熊、双葉の2町が決めた。政府は今後、用地取得に向け、地権者との交渉に入る。

 福島県内では汚染土などの仮置き場が満杯に近づき、除染作業の遅れにもつながっている。中間貯蔵施設は、事故の後始末に不可欠なインフラだ。どこかが受け入れないと、福島の生活再建や復興にも響く恐れがあった。施設建設に向けて動き出したことをまず、評価したい。

 しかし、これまでの経過を振り返ると、今後に向けて危惧も抱く。負担を特定地域にまかせきって事故処理、さらには原発を持つことの意味を国民全体で共有できるだろうか、と。

 政府の最初の受け入れ要請から3年。政府は最終的に、住民の生活再建や県の復興対策に3千億円超の交付金を提示した。用地の買い取り価格も東京電力の賠償とは切り離して市場価格をもとに算定し、事故前との差額は県が相応分を支援する。

 受け入れを求める以上、地権者や自治体に手厚く補償するのは当然だ。しかし、お金は人を分断する。「お金をもらっているのだから」と多くが特定地域の負担に目を向けない。被災地と被災地以外、福島県内の避難地区とそれ以外、さらには同じ町内でも金額の多寡で人々の間に複雑な感情をもたらした。原発をつくるときも、事故後、東京電力の賠償金をめぐっても、繰り返されたことだ。お金は万能の問題解決策ではない。

 さらに政府は要請から半年後には事実上、2町に的を絞って交渉を進めた。2町は線量が高く帰還困難区域が大半を占める。汚染物を広げない意味で、線量が高いところで保管することに合理性があったとしても、問題を特定地域との交渉ごとに封じ込めることにならなかったか。

 本来、原発の潜在的なリスクや後始末に伴う負担は国民全体が考えるべき問題だ。中間貯蔵施設を巡る住民説明会で「できれば東京に持っていってもらいたい」「電力消費地とで分かち合うべきだ」との声があがった。負担を受益と見合う公平なものにしようと考えれば、当然の発言である。

 今後私たちは、老朽化した原発や使用済み核燃料の後始末でも、誰が負担を引き受けるのか、今回と同じ問題に向き合わざるをえない。

 分断を伴う解決ではない、別の道筋を模索すること。中間貯蔵施設ができたとしても、挑戦すべき課題は残っている。


毎日新聞
中間貯蔵の受諾 復興の新たな一歩に

 東京電力福島第1原発事故の除染で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設が、具体化に向け大きく前進した。福島県の佐藤雄平知事と候補地の双葉、大熊両町長が受け入れを承諾し、政府に伝えた。

 除染の加速が期待される一方で、地元にとっては「史上最悪の迷惑施設」(佐藤知事)でもある。自治体トップの決断を、福島の復興に向けた新たな一歩としてほしい。

 政府と地元との交渉は難航していたが、内閣改造や10月の福島県知事選を前に決着が図られた。政府が提示した3010億円の交付金拠出に加え、県が両町に、計150億円の独自財政支援を打ち出したことが最後の決め手になったようだ。

 環境省は来年1月の搬入開始を目指し、地権者との用地交渉を始めるが、まだ課題は山積している。

 少なくとも2300人にのぼる地権者にとって、内閣改造などの政治日程は関係のない話だ。交渉が始まったとしても、速やかに同意が得られるかどうか分からない。地権者は各地で避難生活を送っており、具体的な補償額などを個別に説明するだけでも膨大な作業量になる。

 環境省の試算によると、県内各地で発生した汚染土の輸送を3年間で終えるには、毎日約2000台の10トントラックが行き交うことになる。搬入を急ぎ、交通事故や渋滞、排ガス・騒音対策がおろそかになるようなことがあってはならない。

 政府は汚染土を30年以内に県外に搬出し、最終処分することを法律に明記する方針だ。しかし、搬出のめどはついていない。放射能濃度が十分に下がったものは資源として活用することも掲げるが、国民の理解を得るには丁寧な説明が欠かせない。

 新設される巨額の交付金の効果的な活用も重要だ。

 双葉、大熊両町の居住地の大半は帰還困難区域になっている。根本匠復興相が先月末に示した両町の復興構想によると、町が計画する復興拠点については同区域内でも優先的に除染を進め、町の施設や廃炉にかかわる事業所などを集約する。財源として新設交付金を活用可能とする。

 両町長は構想を評価した。今後は政府と県、町が連携し、住民の帰還意向なども踏まえた中長期的な視点に立って、構想を肉付けしていく必要がある。中間貯蔵施設の建設候補地の線引きは補償の有無に直結する。地権者と非地権者の分断を防ぐ施策も求められよう。周辺自治体を含めた、より広域の復興構想も具体化していかなければならない。

 最終処分の在り方や交付金の活用については、納税者である国民一人一人も、自らの問題として向き合う必要があるだろう。

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図書館で「ペコロスの母の玉手箱」/飲茶

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Paul Verlaine, est par excellence le poète maudit. Il mène toute sa vie une existence instable. À la fin de 1871, il rencontre Rimbaud : il vont vivre une relation amoureuse qui les conduit à Londres et à Bruxelles.
ポール・ヴェルレーヌは典型的な「呪われた」詩人です.ヴェルレーヌは生涯を通して放浪生活を続けました.1871年の末,[詩人]ランボーと出会い,恋に落ちた二人は,ロンドンやブリュッセルへ赴きます.

「夕暮れのセーヌとノートル=ダム」
ヴェルレーヌ『サチュルニアン詩集 Poèmes saturniens
「パリのノクターン Nocturne parisien」(1866)
作家とともにパリ散歩  井上 櫻子 いのうえ さくらこ Vincent Brancourt ヴァンサン・ブランクール

今朝はなんだかだるくて・・・というか寝足りない気がしていて仕事休もうかな・・・と考えてずっと布団に包まっていましたが,とりあえず朝ごはんと思い起きると,いつものように体が動きました.少し遅れて職場につきました.バランスランチはお休みなので,ちょっと考えて飲茶を食べに行くことにしました.少し高いですが美味しいです.
図書館に雑誌を返却に行ったときに何気に週刊朝日を見ていたら,岡野雄一の「ペコロスの母の玉手箱」が載っているではありませんか!書庫に入っている分全部見ました.最新号はみつえが天国からゆういちらを眺めるというものでした.
マイマイも頑張りました.

NEWS23【“隠れた放射能汚染”】

石巻日日新聞
最大規模の造成地 順調に進行…東松島市野蒜北部丘陵団地を公開

 東松島市は8月31日、東日本大震災に伴う防災集団移転団地の一つとして整備を進めている野蒜北部丘陵団地の現況を報道公開した。同団地は住宅地の整備のほか被災したJR仙石線東名―野蒜駅前後区間の移設も並行し、市内で最も大規模な造成を行う地区。来年6月までの鉄道の運転再開や平成28年7月からの宅地引き渡しを予定している。市によると、工事は順調に進んでいるという。
 震災前の市街地機能をそっくり高台に移すイメージの北部丘陵団地は、91・5ヘクタールで土地区画整理事業を実施。うち24・6ヘクタールは住宅地として、自力再建する人の宅地278区画と災害公営住宅170戸を整備する。
 工区は3つに分かれ、宅地はエリアごとに平成28年7月―29年1月、災害公営は29年6月と11月の完成を予定。団地の西側は観光滞在、福祉施設ゾーンに想定し、中央エリアには29年供用開始を予定した野蒜・宮戸小統合校の新校舎を建設する。
 造成工事で発生した土砂はベルトコンベヤーにより、8割近くの搬出が完了。標高はJR用地の22メートルから学校用地周辺の31・5メートルで、多くの場所は完成後の地盤高に近づいている。年度内には土砂を切り盛りする1次造成が完了し、来年度から上下水道の埋設や道路工事に入る予定だ。
 JR用地は全区間で軌道工事に着手。野蒜駅、東名駅ともプラットホームの形が見えつつあり、今後、駅舎建設や電気工事に入る。駅の名称は、以前と同じになるという。
 市から事業を受託したUR都市機構の清水良祐東松島復興支援事務所長は「移転時期の約束を果たせるよう、市と現場のトータルな調整役に努める」と力を込めた。またJR東日本(株)東北工事事務所の花田正喜仙台工事区長は「不便をかけており、地元からの早急な復旧への要望が強い。復興の後押しになるよう一日も早く再開したい」と話した。


朝日新聞
津波にのまれた高校生、パリで体験語る「誰か救うため」

 東日本大震災の被災3県の高校生らが被害を世界に伝える「東北復幸祭」が30日、仏パリで開幕し、福島県いわき市の高校3年生、遠藤涼香(りょうか)さん(17)が津波にのまれた経験を語った。今も海に近づけず、地震が来ると震えが止まらないが「私が伝えなきゃ、誰かが死ぬかもしれない」と使命感に突き動かされている。
 エッフェル塔前の特設ステージで観客を見据えた。「原発事故、津波、ここでは起きないって言えますか」
 2011年3月11日。ソフトテニスの部活で爪がはがれ、治療の帰りに母の明美さん(44)の車に乗っていて、地震に襲われた。ラジオから津波警報が流れ出す。家に帰りたいが、道はどこも渋滞。「津波なんてきたことあっか?」と明美さんは海沿いの道を選ぶ。陥没し始めた道路を進んでいた時だ。ガン! 「岩にぶつかったと思いました。真っ黒い波が窓の外に見えました」
 波に押し上げられた車は何度も横転した後、木の間に挟まり止まった。明美さんが割れた後部ガラスから涼香さんを車の屋根に押し上げる。屋根まで迫る水位。「震えが止まらなかった。寒いのか、怖いのか、何もわからなくて」と振り返る。2人そろって夕方に救助された時、涼香さんの腕には明美さんの手形がくっきりと残っていた。
 体験を語り始めたのは半年後。生徒会活動がきっかけで長崎のホールでの講演に招かれた。「言えなかった思いを打ち明けられたような、もやもやした思いが浄化された気がしました」。聞いていた保護者からは「防災のために語り続けて」と言われた。
 米ニューヨークのカーネギーホールや国連本部。招待されればどこへでも行った。今回も自ら志願した。
 海外では震災の経験が共有されていない分、スライドを映し出すように当時の情景を具体的に話さなくてはならない。「思い出すとやっぱり怖い。でも奇跡に守られた命、誰かを救うために使いたい」
 遠藤さんの話はパリの観客の心をとらえた。会社員のアガット・デースルさん(28)は「震災と原発事故のことはニュースで知っていたが、ここまでひどいとは。みんなと協力しながらポジティブに復興に向かう姿に感銘を受けました」と話した。
 復幸祭はOECD(経済協力開発機構)や文部科学省、福島大などが協力した2年半のプロジェクト「OECD東北スクール」の一環。(パリ=江戸川夏樹)


NHK
原発作業員 待遇改善求め東電を初提訴へ

福島第一原子力発電所で事故対応の工事などに携わっている作業員たちが、待遇が被ばくの危険を伴う業務に見合っていないと主張して、東京電力などに改善を求める訴えを起こすことになりました。
廃炉に向けて長期的な人員の確保が課題になるなか、現場の作業員の待遇について東京電力の責任が初めて司法の場で争われることになります。

訴えを起こすのは、福島第一原発で事故対応の工事に当たっている下請け企業の従業員の男性ら4人です。
男性らは放射能に汚染された水をためるタンクの配管工事などに携わってきましたが、賃金などの待遇が被ばくの危険を伴う業務に見合っていないと主張して、東京電力などに1人当たりおよそ1000万円の支払いを求める訴えを、今月3日に福島地方裁判所いわき支部に起こすことを決めました。
現場の作業員の待遇を巡って、東京電力は去年11月、元請け企業に支払う人件費を日額で1万円増やす対策を発表しましたが、下請け企業で働く男性らの賃金は今も変わっていないということです。
廃炉に向けた作業には1日当たり3000人から6000人の作業員が必要とされ、長期的な人員の確保に向けて待遇の改善が大きな課題となるなかで、東京電力の責任が初めて司法の場で争われることになります。

作業員「言いたいことが言える環境に」
訴えを起こすことを決めた30代の作業員の男性は、「汚染水を入れる配管の交換などをすると被ばく量が1か月で4ミリシーベルトを超える時もあり、将来、病気にならないか不安だ。待遇に不満があっても勤め先の会社から仕事をもらえなくなると思い、これまでは主張できなかった。裁判をきっかけに作業員が言いたいことが言える環境にしたい」と話しています。

弁護士「労働環境の実態明らかに」
訴えを起こす作業員たちの代理人を務める広田次男弁護士は、「東京電力は原発の現場で働く作業員に正当な報酬を支払われるよう、元請けや下請けの会社を監督する責任がある。裁判を通して原発での労働環境の実態を明らかにしていきたい」と話しています。

東京電力「主張聞いたうえで対応」
東京電力は「詳しい内容は承知していないが、提訴されるということであれば裁判で主張を聞いたうえで対応を考えたい」と話しています。

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Le petit prince
On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux. (Le petit prince)
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