フランス語の勉強?

décembre 2014

紅白歌合戦/第九/1年を振り返って

ブログネタ
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GAZA20150201

Attens ou va t'en
À peine sorti de la nuit
À peine né d'hier
C'est la guerre
Attends demain
On verra bien
Qui gagne et qui perd

De la dernière pluie de la nuit
Nous sommes tombés tous deux
Amoureux
Attends le jour
Où cet amour
Ne seras plus un jeu

Attends ou va-t'en
Mais ne pleure pas
Attends ou va-t'en loin de moi
Attends ou va-t'en
Ne m'embête pas
Va-t'en, ou alors attends-moi

À peine sorti de la nuit
Et tu parles sans rire
De mourir
Attends un peu
Ce n'est pas le moment
De partir

De la dernière pluie de la nuit
Est tombée de mon cœur
Une fleur
Attends l'aurore
De rose et d'or
Sera sa couleur

Attends ou va-t'en
Mais ne pleure pas
Attends ou va-t'en loin de moi
Attends ou va-t'en
Ne m'embête pas
Va-t'en, ou alors attends-moi

La dernière pluie de la nuit
C'est le premier chagrin
Du matin
À tout hasard
Attends ce soir
Et tu verras bien

Attends ou va-t'en
Mais ne pleure pas
Attends ou va-t'en loin de moi
Attends ou va-t'en
Ne m'embête pas
Va-t'en ou alors attends-moi


ミヤギテレビ報道特番 東日本大震災 4年目の課題
東日本大震災から4度目の年越し。指定廃棄物の行方、まちづくりへの思い、原発避難家族の決断。被災地に残された課題とは…。3つのテーマから宮城の“いま"を伝える。
柳瀬洋平アナウンサー(ミヤギテレビ)

第65回NHK紅白歌合戦「歌おう。おおみそかは全員参加で!」〜NHKホール
紅組司会は吉高由里子、白組司会は嵐!SMAP、EXILE、松田聖子、中島みゆき、美輪明宏、薬師丸ひろ子、福山雅治、TOKIO、長渕剛、関ジャニ∞、ゴールデンボンバー、AKB48、V6、三代目J Soul Brothers、五木ひろし、石川さゆり、森進一、徳永英明、氷川きよし、水森かおり、AAA、miwa、SKE48 ほか
吉高由里子, 嵐, 有働由美子, 阿部寛,井上真央,尾上松也,黒柳徹子,タモリ,中園ミホ,仲間由紀恵,蜷川実花,山中伸弥ほか

N響“第9”演奏会
ベートーベン作曲 交響曲 第9番 指揮:フランソワ・グザヴィエ・ロト、ソプラノ:安藤赴美子、アルト:山下牧子、テノール:福井敬、バリトン:甲斐栄次郎 合唱:国立音楽大学 管弦楽:NHK交響楽団 2014年12月22日NHKホールで収録
ゆく年くる年
「平和への祈り 光ほのかに」をテーマに東京浅草寺にキーステーションを置き、全国各地の年越しの表情を中継で伝える。高野山金剛峯寺、長崎浦上天主堂、JR富山駅ほか。
全国各地の年越しの情景を生中継で伝える「ゆく年くる年」。「平和への祈り 光ほのかに」をテーマに送る。今年は広島での大規模な土砂災害や戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火など自然災害の怖さを改めて突きつけられた1年だった。東日本大震災の被災地では4回目の年越しを迎える。世界で激しい紛争が続くなか、来年は戦後70年という大きな節目。各地からの祈りを伝える。浅草寺、高野山金剛峯寺、長崎浦上天主堂ほか。  阿部渉,鈴木奈穂子,和久田麻由子




それはそれは格別なシナリオ集! アジアの息吹
普段、戯曲や映画脚本・ドラマ台本を手に取る機会が多いのだが、
このシナリオ集は中でも格別である。それはなぜか。

この本を手に取る読者のほとんどは、ドラマの熱心な視聴者であると考えられる。
その視聴者がこの本を読み通しても、ほとんど違和感を感じないであろう。
しかしそれは「出版されたシナリオ集」からすれば特別なことなのだ!
凡百の脚本や台本であるのなら、映像化の過程で映像化しやすいよう改変され、
世界観が異なったり、作家固有の味が損なわれてしまったりする。
ドラマと違う世界を読まされても、ファンである視聴者は満足できない。

しかし本シナリオ集は違う。台詞やカット割り、モブシーンの進行にいたるまで
改変が少ない。スタッフも慣れてきたのか、特に第2集に入ってからは
ほとんど改変が無い。(ラスト数週だけは映像のペースが落ちてきたにもかかわらず、
 台本のページ数が減らないので、カットが多くなっている)
それは映像の世界を身体で知り尽くした宮藤官九郎の極めて高い作劇能力と、
出来上がりをイメージできる想像力と、熱量のなせる技である。
脚本家を目指す若者たちが、本書を舐めるように読んでも、
現場を体験できなければ、到底この質に到達することは無いだろう。

ドラマの世界にもう一度浸りたい視聴者から、
その世界のプロにいたるまで満足させる本書は
それはそれは格別なシナリオ集なのである。


毒婦たち: 東電OLと木嶋佳苗のあいだ
上野 千鶴子
河出書房新社
2013-10-25


毒婦たちと男たち time
毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記 (講談社文庫)(北原みのり著)の出版をきっかけに催された座談会が、この本のもとになっている。
木嶋佳苗の不気味さを活写し、男社会の偏見に満ちた女性観や、男女の非対称性をあぶりだした傑作ルポに魅了されてから1年半。
最強トリオによる「毒婦語り」に興味津々で、本を手にとった。
ハッとさせられる数々の卓見や洞察、たびたび放たれる毒矢。和やかなムード。
期待をはるかに超えて、おもしろかった。

第一部「木嶋佳苗と東電OLのあいだ」が最も印象深い。
「援助交際」全盛期、90年代の渋谷でセックスを売っていた、木嶋佳苗と東電OL。
両者それぞれに、共感する女性が多数いたという北原さんの視点が、鼎談の起点となる。
「日本の女性たちの生きづらさや痛みは全然消えていない」。
「男性が、こういう事件を自分に引きつけて考えられないっていうのが不思議」(信田さん)。

木嶋佳苗の生い立ちに注目した、信田さんの考察はとても興味深い。
“団塊世代家族の虚構性”や性虐待、母娘関係が、その人格形成に影響をおよぼした、と。
そして、上野さんの厳しい言葉が、胸に突き刺さる。
「タテマエで家庭とか世間とかを守ってきた男が、自分に都合の悪いこと、自分にとって認めたくないことがあるときに、彼らはとにかく見たくない・聞きたくない・考えたくないっていう現実否認と逃避に走る 」。

東電OLの売春行為に対する、上野さんの見解も鋭い。
「ガラスの天井」で差別待遇に苦しんでいた東電OLにとって、「自分を値踏みする男たち」へのリベンジとして、男たちが「自分にアクセスする一番手近な方法」が売春だったのだ。
売春=援助交際、つまり「性的価値」の取引についての北原さんの言葉も、重く響く。
「結婚を含めた男との関係のなかで、自分のセックスの価値と男の経済とを交換したことない女なんていない」。
そして木嶋佳苗の場合は性的価値に加え、“ケアの価値”(手作りの家庭料理でもてなす等)をも売っていたが故、男たちから多額の金を引き出せたことが再確認される。

第二部「女はケアで男を殺す」では、角田美代子や上田美由紀 他が取りあげられ、日本社会の実像が浮き彫りとなる。
貧困と暴力、脅しと制裁の空気、マスメディアの男目線、ケアを求めて買春する男たち・・・
第三部「性と女たち」では、“援助交際で傷つくか” を中心に論じられている。
最後に「女たちが殺さない殺されないため」の処方箋を示して、鼎談が締めくくられる。

10ページ以上に及ぶ、凄まじい熱量がこもった著者それぞれのあとがきも、すばらしい。
壇蜜が帯の推薦文を寄稿している理由は、ここで明らかになる。
畏怖の念とともに、お三方の痛烈なメッセージを受けとめた。

この鼎談では、女性犯罪者を硬軟織り交ぜて論じながら、日本社会の多岐にわたる問題を、鋭くえぐり出している。そのため、終始引き込まれっぱなしだった。
特に繰り返し指摘される、男社会の旧態依然とした価値観。それに染まっている自分を、あらためて認識した。
たとえば、妻に向き合ってこなかった結果としての離婚経験、男女問わず犯罪報道に無関心/思考停止をきめこむ姿勢など。反省しきりである。

最後に、北原さんのメッセージを、自戒を込めて引用したい。
『男たちが「自分たちがボンヤリと信じてきた男というもの」に疑問を呈し、毒婦たちと向き合う頃なんじゃないだろうか。
「男である」故に加害者になった男たち、被害者になった男たちに共鳴し、同情するところから、男であることを考えなおしてほしい。
男が疑いもなく信じている男の常識を、毒婦たちは覆してきたのだから。
覆されたのは、あなた自身の価値観である、そのことに向き合ってほしい。』




涙がぽろぽろとおちてきて。  松本飛行 
アマゾンから購入してませんがたくさんのかたに読んでいただきたい胸が熱くなるそんな本です。復元納棺師、笹原留似子さんは、東日本大震災で亡くなられた命そしてのこされた遺族 に対して真剣に向き合い亡くなられた故人の顔取り戻すことで遺族が悲しみそこからまた笑顔になれるように300人の遺体の命の重さと遺族の叫びに寄り添いながら活動されてきたむしょうの愛にただただ頭が下がります。そして最後は心のケアー専門の医師田巻知宏先生にバトン繋げていく人と人とのすばらしさ読んでいて最後まで涙が止まりませんたくさんのかたに読んでいただきたい本です。最後に笹原留似子さんも私たちにできることは忘れないことだといっておられます本当にそうです3月11日午後2時46分になにが起きたか忘れてはいけません。 

紅白を見ました.昨日のレコ大では本を読みながらで失敗したので,マジメに?見ました.
藤あや子のあや子のお国自慢だよ〜がんばろな東北!!〜がいいです.ゴールデンボンバーの女々しくてで樽美酒が丸刈りになるという演出に驚き.一番印象に残ったのはイディナ・メンゼル(Idina Menzel)のLet it goです.素晴らしいです.
第九もよかったですが,もちろんテレビよりもコンサート会場で聞いたほうがいいです.
ゆく年くる年では福島・同慶寺,岩手・吉祥寺そして宮城・熊野神社でした.

去年と同じように1年を振り返ってみます.
1月
広島に2回行きました.気持ち的にしんどかったです.想像ラジオ読みました.

2月
雪が降って2僂らい積もりました.気持ち的にしんどかったです.

3月
3.11映画祭でたくさん映画を見ました.地デジのテレビ買いました.机移動で大変.反原発集会でAnさんと.

4月
Kyセンターです.まむしを食べました.セウォル号沈没にショック.救急車に乗ってしまいました.

5月
高知に行きました.歓迎会.フランス人とパレスチナ問題で交流.

6月
都議会でセクハラやじ.父の日で黄色のバラ.

7月
朝鮮学校公開授業.新潟に行きました.S8で講習会.ガザ大虐殺.

8月
父の13回忌.保津峡下りが楽しい.理研笹井氏自殺にショック.広島土砂災害が悲しい.

9月
札幌観光.お彼岸のお墓詣り.カケンイ説明会.土井たか子さんの訃報にショック.御嶽山噴火で多くの死者.

10月
石清水八幡宮に行きました.右手親指関節が痛い.青色LEDでノーベル物理学賞.

11月
映画・真昼の暗黒,救いたい,自由と壁とヒップホップなどたくさん見ました.歯が痛くて苦しかったです.

12月
菅原文太さんの訃報.神戸異人館など.ノートPCOS再インストール.

一昨年の大晦日には「時間が過ぎる中で母を亡くした悲しみが少しづつ癒されてきたように思います.まだもう少し時間が必要ですが・・・」と書いていて,去年「1年を経た今でも時間が必要というのが正直なところです.」と書きました.今年になってだいぶ良くなってきた感じはありますが,まだ少し時間が必要かもしれません.

河北新報
野蒜海岸に手作り鳥居 初詣用に設置
 東日本大震災で被災した東松島市の野蒜海水浴場で海の家を営んでいた「奥松島ビーチハウス組合」が、野蒜海岸での初日の出イベント開催に向けた準備を進めている。30日には地域住民が手作りの鳥居を設置。震災で失ったにぎわいを取り戻そうと意気込む。
 鳥居は高さ約3メートル。同地区の林から伐採した杉4本を利用し、赤色のペンキで塗装した。作業には住民ら約10人参加。数十センチ掘り返した砂浜の上に土台を置き、重機を使って砂で固定した。
 イベントは1月1日午前6時〜8時に行う。日の出の予想時間は午前6時45分ごろで、来場者に無料で甘酒を振る舞うほか、1回100円のおみくじやさい銭箱なども用意し、正月気分を盛り上げる。
 野蒜地区は震災後、海水浴場の休止が続くなどして人出が激減。震災前の地域の姿を復活させようと、組合はことし4月に活動を再開させ、海岸清掃や地引き網体験などに取り組んできた。
 組合の阿部裕介代表(32)は「何年かかるか分からないが、少しずつかつての野蒜の姿を取り戻したい。遊べる環境も整えるので、以前のように海に来てもらえたらうれしい」と話した。


河北新報
7割「復興進まず」 石巻市民調査「住宅」が最多
 石巻市は、重要施策に対する市民の関心や意向を探る意識調査の結果をまとめた。東日本大震災の復旧・復興事業については、7割が遅れていると受け止めていることが分かった。
 調査結果によると、市の復旧・復興が進んでいないと感じている市民が69.5%に上り、進んでいるとみているのは28.6%だった。
 遅れていると感じている主な事業(複数回答)は「住宅再建」が56.3%と最も多く、「堤防や道路などの基盤整備」が44.5%、「医療体制の再構築」が27.9%と続いた。
 市の再生・発展に向けて望むまちづくり(複数回答)は「道路網の整備」(52.9%)「身近な医療施設の配置」(49.9%)「多くの人が働ける場の創出」(49.2%)が上位に入った。
 市は調査結果を検証し、震災復興基本計画の実施計画(15〜17年度)に反映させる。居住環境整備や産業振興といったニーズが高い事業を優先的に実施する方針。
 市復興政策部の星雅俊部長は「職員不足の中で県内の被災市町と比べて復興の進展に遜色はないと自負しているが、市民の思いは真摯(しんし)に受け止める。期待に応えられるよう事業を進めたい」と話した。
 調査は7〜8月に無作為抽出の成人男女2700人を対象に郵送で実施し、1021人が回答した。回収率は37.8%。結果は市のホームページで公開している。


NHK
復興期間延長かが焦点
来年度で期限が切れる東日本大震災の集中復興期間について、東北の各県などは期間を延長し、復興財源を確保するよう求めていますが、政府は、復興事業の進ちょく状況などを精査したうえで決めるとしていて対応が注目されています。
東日本大震災からの復興に向けて政府が25兆円の財源を確保した集中復興期間は来年度・平成27年度末で終了することになっています。
これについて東北の各県などは、「来年度中には復興は完了せず、引き続き、復興財源が必要だ」として、集中復興期間を延長して復興財源を確保するよう政府に求めています。
各県の試算によりますと、集中復興期間が終了した後も復興事業を進めるために必要となる予算は少なくとも▼福島県で3兆9000億円、▼宮城県で2兆5000億円、▼岩手県で1兆7000億円にのぼるということです。
これに対し政府は、集中復興期間が終了した後も期間を延長するかどうかは、復興事業の進ちょく状況などを精査した上で決めるとして明確にしておらず、政府の対応が注目されています。


河北新報
<暮れ行く2014年>復興願う心 つなぐ光の道
 再生の時を刻む東北の1年が、静かに暮れていく。東日本大震災から4度目の大みそか。年が切り替わる節目に、被災地を思う心が重なり合う。
 12月6日に、宮城と福島の県境を挟むインターチェンジ(IC)間が開通した常磐自動車道。福島側から宮城県山元町に入った山元ICの手前で、仙台方面を見渡した。走り抜ける車のライトが、夜の自動車道を貫く光線をなす。まばゆい希望の灯がともる。
 同町は津波で大きな被害を受けた。山元ICを降りて車を少し海側に走らせれば、家々が丸ごと流されてしまった空間がいまも広がる。
 宮城と福島の常磐道は、6日に相馬−山元IC間と浪江−南相馬IC間が開通した。仙台圏と福島県双葉郡までが自動車道で結ばれ、復興の加速を期待する地元の期待感は高まった。大きな前進だ。
 東京電力福島第1原発事故の影響を受けた常磐富岡−浪江IC間も、年が明けた3月1日に開通する。並行して走る国道6号は、帰還困難区域となった区間の通行規制がことし9月に解除された。
 原発事故による多くの問題が収束したわけではない。常磐道も国道6号も福島第1原発の近くは、人々が住める状況には程遠い。国道6号沿いは民家への侵入を防ぐバリケードが並ぶ。
 岩手、宮城などの被災地は、土地のかさ上げや災害公営住宅の整備が進む。新しい年は、復興と再生の次なるステージが開けてくる。
 ただし、まだまだ道半ばだ。流れる車。人けのない原発周辺の町。ちぐはぐな感じがつきまとう道路の開通は、再生までの道のりの長さを物語っているかのようだ。
 警察庁のまとめでは、震災の死者は1万5889人、行方不明者は2594人(30日現在)。関連死も3000人を超える。多くの悲しみと人々は向き合ってきた。
 あすから2015年。再生を願うみんなの心をつなぎ、真の復興の手応えをつかむ年としたい。


読売新聞
被災3県で復興願い年越し…17万人なお仮設に
 東日本大震災から4度目の年越しを迎えた被災地は31日、古里復興を願う一日となった。

 東京電力福島第一原発事故の避難指示区域で、日中だけ立ち入りできる福島県浪江町北幾世橋(きたきよはし)の大聖寺では正午から、檀家(だんか)ら約20人が、青田敦郎住職(54)に続いて「除夜の鐘」をついた。

 同県南相馬市に避難中の鈴木キミさん(80)は「感無量。一日も早く地域のみんなと一緒に暮らせる日が来てほしい」と話した。同寺は高台にあり、津波被害を免れたが、檀家約80人が命を落とした。

 岩手県宮古市の横山八幡宮では、1年の穢(けが)れを清め、新年の無病息災を願う「年越しの大祓式(おおはらいしき)」が行われた。

 震災で崩落した石垣が修復された境内には、稲わらを編んだ直径約2メートルの「茅(ち)の輪」が置かれ、仮設住宅などから集まった被災者らが、宮司に続いて輪を通り抜けた。「早く復興が進むようにお祈りしながら通りました」と同市の加藤昭男さん(81)。

 大震災の被災地で最も早く集団移転先の宅地造成が始まった宮城県岩沼市の玉浦西地区では、住民たちが新しい家で大みそかを過ごした。2014年11月に新居が完成した菊地幸一さん(65)、あい子さん(66)夫妻宅には、長男、長女の家族も集まり、地元の正月に欠かせないナメタガレイの煮付けや刺し身が並ぶ食卓を囲んだ。菊地さんは「新しい家は広く、同じ集落の人も身近にいて心強い」と笑顔を見せた。

 復興庁などによると、大震災と原発事故で約23万4000人が今も避難し、3県の仮設住宅では約17万3000人が暮らしている。


朝日新聞
失われた平等を求めて 経済学者、トマ・ピケティ教授
 自由と平等。民主主義の理念のうち、自由がグローバル時代の空気となる一方、平等はしばらく影を潜めていた。だがその間、貧富の差や社会の亀裂は拡大し、人々の不安が高まった。そこに登場したのが大著「21世紀の資本」。不平等の構造をあざやかに描いた著者のトマ・ピケティ教授は「私は悲観していない」という。

■競争がすべて?バカバカしい

 ――あなたは「21世紀の資本」の中で、あまりに富の集中が進んだ社会では、効果的な抑圧装置でもないかぎり革命が起きるだろう、と述べています。経済書でありながら不平等が社会にもたらす脅威、民主主義への危機感がにじんでいます。

 「その通りです。あらゆる社会は、とりわけ近代的な民主的社会は、不平等を正当化できる理由を必要としています。不平等の歴史は常に政治の歴史です。単に経済の歴史ではありません」

 「人は何らかの方法で不平等を正そう、それに影響を及ぼそうと多様な制度を導入してきました。本の冒頭で1789年の人権宣言の第1条を掲げました。美しい宣言です。すべての人間は自由で、権利のうえで平等に生まれる、と絶対の原則を記した後にこうあります。『社会的な差別は、共同の利益に基づくものでなければ設けられない』。つまり不平等が受け入れられるのは、それが社会全体に利益をもたらすときに限られるとしているのです」

 ――しかし、その共同の利益が何かについて、意見はなかなか一致しません。

 「金持ちたちはこう言います。『これは貧しい人にもよいことだ。なぜなら成長につながるから』。近代社会ではだれでも不平等は共通の利益によって制限されるべきだということは受け入れている。だが、エリートや指導層はしばしば欺瞞(ぎまん)的です。だから本では、政治論争や文学作品を紹介しながら社会が不平等をどうとらえてきたか、にも触れました」

 「結局、本で書いたのは、不平等についての経済の歴史というよりむしろ政治の歴史です。不平等の歴史は、純粋に経済的な決定論ではありません。すべてが政治と選択される制度によるのです。それこそが、不平等を増す力と減らす力のどちらが勝つかを決める」

 ――最近は、減らす力が弱まっているのでしょうか。

 「20世紀には、不平等がいったん大きく後退しました。両大戦や大恐慌があって1950、60年代にかけて先進諸国では、不平等の度合いが19世紀と比べてかなり低下しました。しかし、その後再び上昇。今は不平等が進む一方、1世紀前よりは低いレベルです」

 「先進諸国には、かなり平等な社会を保障するための税制があるという印象があります。その通りです。このモデルは今も機能しています。しかし、それは私たちが想像しているよりもろい」

 「自然の流れに任せていても、不平等の進行が止まり、一定のレベルで安定するということはありません。適切な政策、税制をもたらせる公的な仕組みが必要です」

 ――その手段として資産への累進課税と社会的国家を提案していますね。社会的国家とは福祉国家のことですか。

 「福祉国家よりももう少し広い意味です。福祉国家というと、年金、健康保険、失業手当の制度を備えた国を意味するけれど、社会的国家は、教育にも積極的にかかわる国です」

 ――教育は不平等解消のためのカギとなる仕組みのはずです。

 「教育への投資で、国と国、国内の各階層間の収斂(しゅうれん)を促し不平等を減らすことができるというのはその通り。そのためには(出自によらない)能力主義はとても大事だとだれもが口では言いますが、実際はそうなっていません」

 「米ハーバード大学で学ぶエリート学生の親の平均収入は、米国の最富裕層2%と一致します。フランスのパリ政治学院というエリート校では9%。米国だけでなく、もっと授業料の安い欧州や日本でも同じくらい不平等です」

 ――競争が本質のような資本主義と平等や民主主義は両立しにくいのでしょうか。

 「両立可能です。ただしその条件は、何でもかんでも競争だというイデオロギーから抜け出すこと。欧州統合はモノやカネの自由な流通、完全な競争があれば、すべての問題は解決するという考えに基づいていた。バカバカしい」

 「たとえばドイツの自動車メーカーでは労組が役員会で発言権を持っています。けれどもそれはよい車をつくるのを妨げてはいない。権限の民主的な共有は経済的効率にもいいかもしれない。民主主義や平等は効率とも矛盾しないのです。危険なのは資本主義が制御不能になることです」

■国境超え、税制上の公正を

 ――税制にしろ社会政策にしろ、国民国家という土台がしっかりしていてこそ機能します。国民国家が相対化されるグローバル時代にはますます難しいのでは。

 「今日、不平等を減らすために私たちが取り組むべき挑戦は、かつてより難しくなっています。グローバル化に合わせて、国境を超えたレベルで税制上の公正を達成しなければなりません。世界経済に対して各国は徐々に小さな存在になっています。いっしょに意思決定をしなければならない」

 ――しかもそれを民主的に進める必要があります。

 「たやすいことではありません。民主主義の運営は、欧州全体という大きな規模の社会よりも、デンマークのような500万人くらいの国での方が容易です。今日の大きな課題は、いかにして国境を超える規模の政治共同体を組織するかという点にあります」

 ――可能でしょうか。

 「たとえば欧州連合(EU)。仏独が戦争をやめ、28カ国の5億人が共通の制度のもとで暮らす。そしてそのうちの3億人が通貨を共有する。ユートピア的です」

 ――しかし、あまりうまくいっているようには見えません。

 「ユーロ圏でいうと、18の異なった公的債務に、18の異なった金利と18の異なった税制。国家なき通貨は危なっかしいユートピアです。だから、それらも共通化しなければなりません」

 ――しかし、グローバル化と裏腹に多くの国や社会がナショナリズムにこもる傾向が顕著です。

 「ただ、世界にはたくさんの協力体制があります。たとえば温室効果ガスの削減では、欧州諸国は20年前と比べるとかなり減らしました。たしかにまだ不十分。けれど同時に、協力の可能性も示してもいます」

 ――あなたは楽観主義者ですね。

 「こんな本を書くのは楽観主義の行為でしょう。私が試みたのは、経済的な知識の民主化。知識の共有、民主的な熟議、経済問題のコントロール、市民の民主的な主権、それらによってよりよい解決にたどり着けると考えます」

■民間資産への累進課税、日本こそ徹底しやすい

 ――先進国が抱える巨大な借金も再分配を難しくし、社会の不平等を進めかねません。

 「欧州でも日本でも忘れられがちなことがある。それは民間資産の巨大な蓄積です。日欧とも対国内総生産(GDP)比で増え続けている。私たちはかつてないほど裕福なのです。貧しいのは政府。解決に必要なのは仕組みです」

 「国の借金がGDPの200%だとしても、日本の場合、それはそのまま民間の富に一致します。対外債務ではないのです。また日本の民間資本、民間資産は70年代にはGDPの2、3倍だったけれど、この数十年で6、7倍に増えています」

 ――財政を健全化するための方法はあるということですね。

 「日本は欧州各国より大規模で経済的にはしっかりまとまっています。一つの税制、財政、社会、教育政策を持つことは欧州より簡単です。だから、日本はもっと公正で累進的な税制、社会政策を持とうと決めることができます。そのために世界政府ができるのを待つ必要もないし、完璧な国際協力を待つ必要もない。日本の政府は消費税を永遠に上げ続けるようにだれからも強制されていない。つまり、もっと累進的な税制にすることは可能なのです」

 ――ほかに解決方法は?

 「仏独は第2次大戦が終わったとき、GDPの200%ほどの借金を抱えていました。けれども、それが1950年にはほとんど消えた。その間に何が起きたか。当然、ちゃんと返したわけではない。債権放棄とインフレです」

 「インフレは公的債務を早く減らします。しかしそれは少しばかり野蛮なやりかたです。つつましい暮らしをしている人たちに打撃をもたらすからです」

 ――デフレに苦しむ日本はインフレを起こそうとしています。

 「グローバル経済の中でできるかどうか。円やユーロをどんどん刷って、不動産や株の値をつり上げてバブルをつくる。それはよい方向とは思えません。特定のグループを大もうけさせることにはなっても、それが必ずしもよいグループではないからです。インフレ率を上昇させる唯一のやり方は、給料とくに公務員の給料を5%上げることでしょう」

 ――それは政策としては難しそうです。

 「私は、もっとよい方法は日本でも欧州でも民間資産への累進課税だと思います。それは実際にはインフレと同じ効果を発揮しますが、いわばインフレの文明化された形なのです。負担をもっとうまく再分配できますから。たとえば、50万ユーロ(約7千万円)までの資産に対しては0・1%、50万から100万ユーロまでなら1%という具合。資産は集中していて20万ユーロ以下の人たちは大した資産を持っていない。だから、何も失うことがない。ほとんど丸ごと守られます」

 「インフレもその文明化された形である累進税制も拒むならば大してできることはありません」

     ◇

 Thomas Piketty 1971年フランス生まれ。パリ経済学校教授。米マサチューセッツ工科大学助教授などを経て現職。不平等の拡大を歴史データを分析して示した「21世紀の資本」(邦訳、みすず書房)は世界的な話題に。同書より前に著した論文は、金融資本主義に異議を申し立てた米ウォール街でのオキュパイ運動の支えになったともいわれる。

■取材を終えて 論説主幹・大野博人

 「格差」の問題を語るとき、英語やフランス語ではたいてい「不平等」という言葉を使う。ピケティ氏もインタビューでは「inégalité=(不平等)」を繰り返していた。

 同じ状態を指すにしても、「不平等」は、民主主義の基本的な理念である「平等」を否定する言葉でもある。これがはらんでいる問題の広さや深刻さを連想せずにはおれない。

 「不平等」の歴史をたどり、その正体を読み解いて見せた「21世紀の資本」が、経済書という役割にとどまらず、著者自身が述べているように政治や社会について語る書となっていったのは当然かもしれない。また、読者も自分たちの社会が直面する問題の本質をつく説明がそこにあると感じたのではないか。

 同氏は資本主義もグローバル化も成長も肯定する。平等についても、結果の平等を求めているわけではない。ただ、不平等が進みすぎると、公正な社会の土台を脅かす、と警告する。

 そして、平等を確保するうえで必要なのは、政治であり民主主義だと強調する。政治家や市民が意識して取り組まなければ解決しない、というわけだ。

 たとえばインタビューで、フランスが所得税の導入で他国より遅れ、不平等な社会が続いたことを例にあげ、「革命をしただけで十分」と考えて放置してきたからだ、と指摘していた。

 この考えは、財政赤字の解決策としてインフレと累進税制を比較したときにもうかがえた。インフレ期待は、いわば市場任せ。それに対して累進税制も民間の資金を取り込むという点では同じ。だが、だれがどう払うのが公正か、自分たちで議論して考えるという点で、「文明化された」インフレだという。

 つまり、自分たちの社会の行方は、市場や時代の流れではなく自分たちで決める。「文明化」とはそういうことも指すのだろう。

 「不平等」という言葉の含意をあらためて考えながら、日本語の文章での「格差」を「不平等」に置き換えてみる。「男女の格差」を「男女の不平等」に、「一票の価値の格差」を「一票の価値の不平等」に……。

 それらが民主的な社会の土台への脅威であること、そして、その解決を担うのは政治であり民主的な社会でしかないことがいっそう鮮明になる。

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あまちゃんシナリオ読みながらレコード大賞

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Grippe aviaire : 37 000 poulets abattus au Japon
Un nouvel élevage de poulet a été touché par la grippe aviaire au Japon. L'abattage de quelque 37 000 bêtes a été ordonné par les autorités, mardi 30 décembre, après la découverte de la présence d'une souche H5 du virus dans une ferme de la préfecture de Yamaguchi, dans le sud-ouest de l'île principale d'Honshu. Le propriétaire avait signalé lundi soir le décès soudain d'une vingtaine de volailles. Un périmètre sanitaire de 10 kilomètres a été établi autour de l'exploitation contaminée, avec interdiction de transporter des poulets en dehors de cette zone.
Il s'agit du troisième foyer de grippe aviaire découvert en moins d'un mois au Japon. Des mesures similaires avaient été prises lundi à Miyazaki (île méridionale de Kyushu), ou un autre foyer avait été détecté, et 42 000 poulets, tués. Un précédent cas avait été découvert à la mi-décembre à 100 kilomètres de là, dans la même préfecture, pour la première fois depuis avril.
≪ Nous continuerons à prendre toutes les mesures nécessaires si d'autres foyers étaient confirmés ≫, a assuré, mardi, le porte-parole du gouvernement, Yoshihide Suga, à l'occasion d'une réunion ministérielle convoquée sur le sujet. Les autorités nippones mettent régulièrement en garde les éleveurs contre les risques d'infection, rappelant la présence persistante de la maladie en Asie. Lundi, un Chinois est mort du virus dans la province cotière du Zhejiang, en Chine.



カットされたセリフやシーンがわかって面白いです。 川口市民
アキちゃん(能年玲奈さん)のキラキラした魅力にノックアウトされて大ハマリした”あまちゃん”。
勢いあまってブルーレイ3巻とも購入(予約)してしまいました。
当初は、ブルーレイがあるのでシナリオ集にはあまり興味がありませんでしたが、読んでみると「へえ〜」「あっそういう事だったのか」という放送ではカットされているセリフやシーンがわかってとても面白いです。
例えば、アキちゃんは「地味で暗くて向上心も協調性も個性も華もないパッとしない子」だったのが周りを元気にする明るい子になって行く訳ですが、それは突然変異ではなくて、実はカットされていますが、「子供の頃は天真爛漫で見ている方が疲れるくらい元気な子」だったという設定なんだそうです。要は本来持っている自分に戻ったという事なんだと理解しました。
また、第1話で北鉄で春子とアキちゃん(すいませんアキちゃん大好きなのでアキちゃんだけ”ちゃん”付けで呼びます)が北三陸に戻ってきますが、実はその列車に東京のホテルを辞めて帰ってきた足立ヒロシ(ストーブさん)も乗っていたんだそうです。ストーブさんは第1話に登場するシナリオだったのです。でもカットされてますよね。放送版ではストーブさんの登場は第3話のパチンコ屋になってます。最初の登場シーンをカットされているなんていかにもストーブさんらしくて笑ってしまいました。
まだ第1週目しか読んでいませんが、カットされてるシーンが多くて15分という時間に収めるための苦労がわかります。
このシナリオ読んで、ブルーレイを見直してみると、なんというか”行間を埋める”ことができてとても面白いです。
ブルーレイ、DVDや放送を録画していて見直すことができる方にはお勧めです。


連続テレビ小説 あまちゃん Part1 (NHKドラマ・ガイド)
宮藤 官九郎
NHK出版
2013-03-25


「チームあまちゃん」のチームワークを垣間見る! bambi
本の厚さこそ薄い本ですが、ドラマを見るものとしては程々の、適度な情報量でした。
出演者紹介が、それぞれの俳優さんがこの「あまちゃん」に対する取り組み方を語られていて胸を打たれます。
宮藤さんの良質な脚本に背中を押されるように、良いドラマにしようという意気込みがジンジンと伝わってきます。
これから伸びていく若手の俳優さんと、百戦錬磨の俳優さんが一丸となっていくチームワークの良さが感じられます。
途中から撮影に参加したという蟹江敬三さん曰く
「何日も前からロケ地に入って、すでにチームワークができていた皆さんが、非常にまぶしく見えました」と。
スタッフさんのこだわりの撮影セットの紹介や、宮藤さんのインタビューも必見です。
あらすじが第12週まで掲載されていますが、それはさすがに読みません(ドラマで楽しみたい!)。
能年玲奈さんのサインのプレゼント応募も有ります(速攻応募しました)。
「正直、この本が無くてもドラマは十分に楽しめます!」
ですが、
「この本があれば、十二分に楽しめるものと思います!」


おもかげ復元師の震災絵日記 (一般書)
笹原留似子
ポプラ社
2012-08-07


涙が止まりません。 にゃんころりん
店頭でたまたま手に取りましたが、涙があふれて全く読み進むことができませんでした。
購入後も泣けて泣けてまだ最後まで読み進むことが出来ません。
笹原さんのあたたかい言葉と愛情溢れる絵から、亡くなられた方やご家族の悲しみや想いがひしひしと伝わってきます。

亡くなられた方が残された方達にどんなに愛され、大切にされていたのか、そしてこの世に必要のない命なんて
ないということを改めて感じます。
今、自分や家族が生かされていることに感謝し、命あるものは精いっぱいその生を全うしなければ、と思いました。
たくさんの方に手に取っていただき、宝物にして欲しい本です。
子供達にもぜひ読んで欲しいです。


あまちゃんシナリオ読みながらレコード大賞見ました.シナリオのほうが頭に入ってきた・・・ということはレコード大賞のほうはさっぱりです.May Jがよかったのくらいしか覚えていません.

河北新報
<暮れ行く・被災地>商店街再建希望託す/(10)街の明かり(釜石)
 暗かった街に明かりがまた一つともった。東日本大震災で被災した釜石市中心部に5日、共同店舗「大町タウンポート」が全面オープンした。被災した飲食、雑貨などの9店舗が入居。新たなまちづくりが始まった。
 ことし3月に開業したイオンタウン釜石に隣接し、周囲では公園工事が進む。来秋には市民が集う情報交流センターが完成する。2017年度までには市民ホール、災害公営住宅が建設され、交流人口、居住人口も増える。
 闇を彩る電飾は、遅れがちな既存商店街での地元商業者の再建意欲をそっと後押しする。
 「まちづくりは一つ一つの積み重ね。大型店と地元商店街が連動する街にしたい」。釜石まちづくり会社の谷沢栄一事業部長(55)は、徐々に増える街の明かりに復興への希望を託す。


河北新報
<2日・仙台初売り>福袋、個性で勝負
 杜の都の新春恒例行事「仙台初売り」が来年1月2日、仙台市中心部などで始まる。ことし4月の消費税増税によって冷え込み続ける消費意欲を喚起し、商運明るい一年にしようと、市内の大型店や商店街は豪華な福袋や景品などを用意して、来店客をもてなす。

 新たな客層を掘り起こそうと、婚活応援や女性に優雅なひとときを過ごしてもらう企画や、体験ものやレア商品など、夢のある福袋が登場する。
 藤崎は、マリッジパートナーズ(仙台市)と初の連携による「婚活福袋」(2万150円、5人限定)を企画。婚活パーティー券やドレス、メークレッスンなどを組み合わせ、女性客の取り込みを図る。元タカラジェンヌ2人と兵庫県宝塚市を巡る1泊2日ツアー福袋(22万円、ペア12組限定)も用意した。
 仙台三越は、全長8.7メートルの高級外車リンカーンを貸し切り、ママ友同士で仙台市内を周遊する「豪華リムジン福袋」(2万1600円)を、女性1組限定で売り出す。
 エスパル仙台は、男性の婚活を全力応援する「プロポーズ大作戦福袋」(10万円、2組限定)、ホテルに1泊してエステと豪華料理で女子力を磨く「プチセレブ体験福袋」(3万円、限定5人)を初企画した。
 さくら野百貨店仙台店は、伊達政宗の2分の1スケールの甲冑(かっちゅう)を作れる絶版のシリーズ本「週刊 戦国甲冑をつくる」(全55号、11万円)と、「ディズニーパレード」(全100号、15万円)を各3セット販売。
 イオンは、東北地区41店対象の福袋として小坂鉄道レールパーク(秋田県小坂町)のディーゼル機関車が運転できる体験パック(5万円)を扱う。
 仙台市中心部の商店街も工夫を凝らした福袋やイベントで初売り客をもてなし、1年間の商売繁盛を祈願する。

◎主な大型店の開店時刻
<午前6時>
ヨドバシカメラ仙台店
<午前7時>
イオン仙台中山店
イオン仙台幸町店
仙台フォーラス
ダイエー仙台店
ザ・モール仙台長町
ララガーデン長町
アリオ仙台泉
セルバ
ヤマダ電機LABI仙台
<午前7時半>
仙台パルコ
<午前8時>
藤 崎
仙台三越
さくら野百貨店仙台店
イービーンズ
エスパル仙台店
<午前8時半>
IDC大塚家具
<午前9時>
アエル
仙台ロフト
三井アウトレットパーク仙台港
仙台泉プレミアム
アウトレット
タピオ


河北新報
<漁港水揚げ額>女川、震災前上回る
 石巻市の石巻魚市場などでことし最後の競りが行われ、県内の主要漁港の水揚げ実績が29日まとまった。東日本大震災で被災した各地の魚市場は水揚げが堅調に回復。金額は、女川が震災前の2010年を上回り、石巻は9割以上、気仙沼も7割以上に戻った。塩釜は前年比で減少した。

<石 巻>
 石巻魚市場の水揚げは9万7081トン、168億3155万円で、それぞれ前年より13%、19%の増加。10年との比較で数量は75%、金額は93%まで持ち直した。
 再建中の施設は一部で8月に利用が始まった。カツオは海外巻き網船の冷凍物で盛り返し、4割の増加。底引き網漁が全般に順調で数字を押し上げた。
 来年9月には新施設が全面稼働する見通し。須能邦雄社長は「多くの漁船に入ってもらうため、さまざまな魚種を受け入れられる態勢を整えていく」と語った。
<気仙沼>
 気仙沼市魚市場の水揚げ量は7万9011トンで前年比28%増、金額は170億5022万円で9%増。10年と比べ、ともに76%の水準となった。
 サンマの水揚げは前年の2.5倍の2万7218トンと、4年ぶりに本州1位(全国2位)に返り咲いた。生鮮カツオは1万9569トンで18年連続の日本一を守った。
 村田次男専務は「カツオは一本釣り漁が前年比3割減と苦戦したが、好調な巻き網漁に支えられた。15年は工場復旧が進むので、水揚げ量が震災前の8割まで回復してほしい」と期待した。
<女 川>
 女川魚市場の水揚げは5万4354トンで87億4730万円。前年に比べ、数量が14%、金額が19%増えた。10年と比較し数量は86%だが、金額は107%となった。
 養殖ギンザケとサンマで金額の6割余りを占めた。ギンザケは高値の取引が続き、サンマは豊漁で水揚げ量が前年の2倍近くに上った。
 来年4月末には東荷さばき場が完成する。加藤実専務は「関係者の協力でいい一年になった。来年はさらに水揚げの増加が期待され、女川の復興を盛り上げたい」と意気込んだ。
<塩 釜>
 塩釜市魚市場の水揚げ量は1万7966トンで、前年を1.5%下回り、金額も84億4212万円と9%減少した。
 主力のホンマグロはえ縄漁は漁場が形成されず、不漁が続いた。秋のメバチマグロが好調だったが、漁場が早々と南下。燃油高騰の影響で、銚子港(千葉県)などとの競争で後れを取った。
 市水産振興課の佐藤俊幸課長は「地元のカツオ一本釣り漁の水揚げ増加といった好材料もある。新魚市場建設が本格化する来年は水揚げ量を維持したい」と話した。


毎日新聞
長野北部地震:急勾配の屋根、仮設入居開始
 最大震度6弱を観測した長野県北部の地震で、同県白馬村の仮設住宅35戸が完成し29日から入居が始まった。雪下ろしが不要なように急勾配の屋根を備えた豪雪地帯仕様で、飯森地区のグラウンドに設けられた。居住は最長2年で、27世帯76人が33戸に入る予定。

 11月22日にあった地震で、同村は住宅37棟が全壊。仮設入居は、自宅が全壊または大規模損壊と認定された住民と、崖崩れなどの危険性があり避難指示が出ている地区の住民が対象。

 この日は26世帯75人が下川正剛村長から鍵を渡され、地元ボランティア約80人らと家具などを搬入し、新居の準備をした。

 堀之内地区の自宅が全壊した平林輝幸さん(44)は母雪子さん(69)と入居。「温かいし、村が布団や掃除機を用意してくれた。自宅に戻る見通しは立たないが、落ち着いて新年を迎えられそうでほっとしている」と話した。【川辺和将】


産経新聞
生活の延長線上にある震災 せんだいメディアテークで展覧会
 東日本大震災の記録を後世に伝える展覧会「記録と想起 イメージの家を歩く」が、仙台市青葉区のせんだいメディアテークで開かれている。震災後に同館に寄せられた映像や写真などを展示した。来年1月12日まで。

 震災後、同館では風化を防ぐ取り組みの一環で、震災を記録した媒体を集める「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(略称・わすれン!)を立ち上げた。10月末現在で映像が965件、写真が5万1727枚、音声が47件寄せられている。

 収録されたデータは保存され、ホームページで公開されたり、上映されたりして活用されている。展覧会では、その中から選ばれた20作品が展示された。

 同館企画・活動支援室の甲斐賢治室長によると、作品は被災後の沿岸部の風景、被災者の日々の姿を撮影した映像などで、「日常生活の様子が感じられるものばかり」で、「町がのみ込まれるような、“被災映像”と聞いてすぐに思いつくような映像はない」という。

 展覧会では、20作品が24の部屋に区切られて展示されている。部屋は台所や寝室などの生活空間が再現され、テレビには映像が流れ、机に置かれた写真が閲覧できる。生活空間の中に震災の映像や写真などを展示することで、「生活の延長線上にある震災」を体感してもらおうと考えたという。関係者向けに公開された内覧会でも、訪れた人は設置されたベッドやソファに腰掛け、リラックスした様子で作品に見入っていた。

 開場は、午前11時から午後8時。高校生以下は無料。大学生以上は100円。29日から来年1月3日までは休館。問い合わせは、同館(電)022・713・4483。


NHK
“復興進まず”が約7割
震災からの復旧・復興について、石巻市の市民のおよそ7割が「進んでいない」と考え、多くの人たちが住宅の再建や堤防、道路など基盤整備の遅れを指摘していることが、市が行ったアンケート調査で分かりました。
石巻市は、2年ごとに市民の意識調査を行っていて、ことしは市内に住む20歳以上の男女2700人を対象に7月から8月にかけて調査を行い、37.8%にあたる1021人から回答が寄せられました。
この中では、震災後初めて、市の復旧・復興が進んでいるか尋ねたところ、「はい」と答えたのが、28.6%だったのに対し、「いいえ」と答えたのは69.5%にのぼりました。
また「遅れていると感じる事業」について、複数回答で尋ねたところ、最も多かったのが「住宅の再建」で56.3%、次いで「堤防や道路などの基盤整備」の44.5%、「医療体制の再構築」の27.9%、「産業の再生と雇用の創出」の27.7%などで、生活の再建に向けた重要な分野で多くの人たちが復興の遅れを感じていることがうかがえます。
石巻市は、こうした市民の意見を今後の復興計画に生かしていくことにしています。


NHK
気仙沼 災害公営住宅入居へ
気仙沼市で、来月、初めての災害公営住宅が完成する見通しになり、震災から3年11か月近くを経てようやく入居が始まることになりました。
今も8000人あまりが避難生活を続けている気仙沼市は、市内に、あわせて2200戸の災害公営住宅を平成29年5月までに完成させる予定です。
このうち、旧南気仙沼小学校の跡地に建てられた「南郷住宅」が、来月31日までに完成する見通しになり、震災から3年11か月近くを経て、ようやく市内で初めて災害公営住宅の入居が始まることになりました。
来月から入居が始まるのは、建設中の集合住宅3棟あわせて165戸のうち、2棟分の75戸で残りの1棟は、来年3月までに完成する予定です。
また、入居予定のほぼ半数が65歳以上の高齢者になる見込みだということで、敷地内に高齢者の相談所も整備されます。
気仙沼市の災害公営住宅整備課は「避難生活を続けている人たちは、まだまだ大勢いるので、すべての住宅が1日でも早く完成するよう努めていきたい」と話しています。


NHK
被災乗り越え もち作り
震災の津波で被災し、その後、営業を再開した気仙沼市の餅店は、正月用のお供え餅づくりに追われています。
気仙沼市の港から30メートルほどの場所にあった若生餅店は、震災の津波で2階の天井まで水に浸かり、餅をつくる機械も、すべて使えなくなりました。
しかし、店の再開を望む常連客の声が寄せられたことから、震災からおよそ7か月後、内陸部に移転して営業を再開しました。
震災から4度目の正月を迎えることしも、今月上旬から正月用のお供え餅や切り餅づくりに追われています。
地元の気仙沼市や岩手県一関市の契約農家から仕入れた餅米を炊き上げたあと、機械に入れて2分ほどつき餅にしていきました。
そして、女性の従業員たちが手で形を整え、直径10センチほどのお供え餅に仕上げていきました。
震災後、気仙沼市内の餅の専門店は、この店だけになり、独特のコシや甘みがある餅を求めて、予約していた客が次々と訪れていました。
この店は、今年、2トンのもち米を使って1000個近いお供え餅を作るということです。
津波で被災し、アパートで避難生活を続けている78歳の女性は、「自宅を再建できる見通しはたっておらず大変ですが、毎年買っているこの店の餅を食べて元気を出したい」と話していました。
餅店の若生雅之さんは「まだまだ仮設住宅で暮らす人も多いので、餅を食べて、少しでも楽しい思いで正月を迎えて欲しいです」と話していました。


NHK
被災地の魚市場で仕事納め 大船渡
東日本大震災で工事が遅れ、ことしの春に完成した岩手県大船渡市の魚市場で30日、ことし最後の水揚げが行われました。

岩手県大船渡市の新しい魚市場前の岸壁には、30日午前6時すぎから三陸沖での漁を終えた定置網の漁船などが次々と入港し、やりいかやさばなどを水揚げしました。そして、ことし最後の競りが行われ、威勢のいいかけ声に合わせて仲買人たちが目当ての魚介類を競り落としていきました。
この魚市場は、老朽化した元の市場に代わって5年前から建設が進められましたが、東日本大震災で地盤沈下が起きて追加の工事が必要になったため、当初の計画より2年半遅れてことし4月に完成しました。
魚市場によりますと、新しい魚市場の29日までの水揚げ量は4万5500トンで、秋のさんま漁がまずまずだったことから、去年の4月から同じ時期までの水揚げ量に比べ8000トン増えたほか、水揚げ高も65億円余りと2億円ほど多いということです。
大船渡魚市場の千葉隆美専務は「新しい魚市場は、まずまずの滑り出しだったと思う。来年も大漁に期待したい」と話していました。大船渡魚市場の初競りは、来月4日に行われます。


NHK
山田町 仮設住宅におせち料理
お正月を前に、東日本大震災で大きな被害を受けた山田町の仮設住宅に、盛岡市の特別養護老人ホームが作ったおせち料理が届けられました。
このおせち料理は震災の被災地・山田町大浦地区の支援活動を続けている盛岡市の特別養護老人ホーム「すずらんガーデン」が無償で作りました。
紙製の2段の重箱にはくりきんとんや紅白のかまぼこ、それに焼きエビなど色とりどりのおかずが並んでいます。
29日は老人ホームの職員たちが大浦地区の仮設住宅の集会所を訪れ、老人ホームの調理師が作った住民121人分のおせち料理を、おもちなどと一緒に届けました。
このあと住民の有志が仮設住宅を1軒1軒回っておせち料理などを配りました。
この老人ホームがおせち料理を届けるのは去年に続きこれが2度目ですが、住民によりますと、移転先の高台の造成工事が思うように進んでいないことなどから仮設住宅の世帯数は去年より数世帯減っただけにとどまっているということです。
仮設住宅の女性は、「仮設は台所が狭いのでとても助かります。頂いたおせち料理を食べて、来年はいい年にしたいです」と話していました。
おせち料理を届けた老人ホームの八角和子理事は、「仮設住宅で暮らす人が1人でもいる限り、支援を続けていきたい」と話していました。


朝日新聞
阪神大震災、遠い県内帰還 仕事・子の転校など悩む
 阪神大震災で兵庫県外に避難し、帰ることを望んで県の相談窓口に登録した972世帯のうち、実際に戻れたのは4分の1にとどまることが県の調べでわかった。東日本大震災でも東北3県からの避難者の多くが今も県外におり、時間の経過とともに帰県が難しくなる状況がうかがえる。

 兵庫県は震災5年後の2000年に「ひょうごカムバックコール&メール事業」を始め、帰県を希望する人に登録してもらい、公営住宅の募集要項を送ったり、相談員が定期的に電話をかけたりしてきた。

 県復興支援課によると、これまでに登録したことのある972世帯のうち、県内に戻ったのは今年11月末までで262世帯(27%)。397世帯は帰県を断念。死亡・行方不明の世帯とあわせ、全体の7割近くが戻れないまま登録抹消となった。現在も登録を続けているのは、56世帯。

 県への相談内容などから、戻れない理由として、納得できる条件の仕事や住宅が見つからない、子どもに転校をさせたくないなどが目立つという。

 兵庫県は、1995年の住民基本台帳の人口移動をもとに、県外に転居した避難者は約5万人、約1万9千世帯と推計。住民票を残したままの人もおり、正確には把握できなかった。

 ■東日本大震災、県外になお5万4000人

 東日本大震災では、避難者を受け入れた自治体が総務省の「全国避難者情報システム」に登録。被災自治体は、広報誌や相談窓口がわかる資料などを送っている。しかし、帰県が順調に進んでいるとは言い難い。

 復興庁のまとめでは、岩手、宮城、福島3県からの県外避難者は、12年3月のピーク時で計約7万3千人。今月時点で計約5万4千人で、4分の3が帰県していない計算になる。

 岩手県は昨年10月から毎月、相談会を実施。「人口減、後継ぎ不足という沿岸部の課題がさらに深刻化してしまう。少しでも戻ってほしい」と県生活再建課。だが、訪れるのは毎回1、2人程度だ。今年11月に発表した県外避難者へのアンケート結果では「元の市町村に戻りたい」は25・9%。2年前の37%から10ポイント以上減った。「現在の都道府県・市町村に定住したい」は43・2%と10ポイント近く上昇した。

 福島県では被災者が戻れない「帰還困難区域」や、原則宿泊はできない「居住制限区域」が残っているため、帰県がより困難な状況が続いている。(赤井陽介)


神戸新聞
亡き母に重ねる親心 阪神・淡路の震災遺児が2児の父に
 母子家庭で育ち、阪神・淡路大震災で遺児になった兵庫県小野市の会社員、川畑博之さん(35)が、第2子となる長女を授かった。母を亡くしてから、20年を前に生まれた新たな命。わが子をいとおしく思った時、しつけに迷った時、母のことが浮かぶ。「お母さんに孫を見せて、親になった自分として話をしてみたかった」。歳月を重ねるほど、思いは募る。(斉藤正志)

 「なーちゃん」

 今年10月12日に生まれた長女栞奈(かんな)ちゃんを呼び、抱っこしてほおずりする。柔らかさにうれしさがあふれる。

 長男理玖(りく)君(2)とは、テレビの戦隊ヒーローになってチャンバラごっこ。川畑さんは大人げなくいつも勝ち、理玖君は「負けたー」と笑う。家族と過ごす時間は、心が和む。

 20年前、中学3年だった川畑さんは、神戸市灘区の自宅アパートで被災した。母つや子さん=当時(45)=は友人宅に泊まり、地震発生時は1人。母は帰ってこなかった。

 数日後、警察から灘区の倒壊アパートで遺体が見つかったと連絡があった。体育館で対面した遺体は、指輪に見覚えがあった。現実と思えなかった。夜、壁にもたれて座っていると、涙があふれた。

 母は川畑さんが就学前に離婚し、6歳上の兄と川畑さんの2人を女手一つで育てた。

 飲食店で働きながら、授業参観などは必ず来てくれた。運動会では大きな3段重ねの弁当が恒例。おにぎりや卵焼きがいっぱいに詰まり、友達と一緒に食べた。父のいない寂しさを感じたことは、一度もなかった。

 川畑さんは親戚宅から高校に通い、卒業後に神戸の貿易会社に就職。11年に結婚、翌年に理玖君が生まれた。

 笑うようになり、はいはいし始める。そのたび、親になった実感と喜びが、にじむようにわいてくる。栞奈ちゃんの出産には病院で立ち会い、しわくちゃの顔に感動した。

 妻の両親がわが子をかわいがる姿を見ると、「お母さんやったら、どんなふうにかわいがってくれたかな」と思う。母の面影をたどることが多くなった。

 毎年1月17日は神戸の東遊園地に出向く。

 「子ども2人も連れて、みんなで行きたい。成長した自分を見てもらって、頑張っているよ、見守っていてね、と伝えたい」


毎日新聞
東日本大震災:福島第1原発事故 茨城250農家申し立てへ 原発ADR、賠償継続求め
 茨城県西地域の野菜農家約250人が、東京電力福島第1原発事故の風評被害による損害賠償の継続を求め、来年3月にも国の原子力損害賠償紛争解決センターに裁判外紛争解決手続き(原発ADR)の集団申し立てを行うことを決めた。東電から2013年4月以降の賠償を打ち切られており、今年6月までの賠償額に相当する総額10億〜20億円を請求する方針。

 申し立て農家は同県坂東市や境町、八千代町など県西地域でキャベツ、ハクサイなどを生産している。県内農家は原発事故後、風評被害で売り上げが減少したとして賠償を受けてきた。東電は「農産物などは市場価格が震災前の価格に回復した」などとして、13年3月分で賠償を打ち切ったが、農家は「風評被害が続き、売り上げは回復していない」と主張している。

 申立代理人の原発被害救済茨城県弁護団によると、農家による集団申し立ては全国でも聞いたことがないといい、今後は他の地域でも説明会を開くなどして、参加を呼び掛けていく方針。同弁護団事務局長の関健太郎弁護士は「個々の農家では(東電と)交渉できず、泣き寝入りしてしまうことも少なくない。集団で地域を巻き込み、風評被害の深刻さを訴えたい」と話している。【松本尚也】


長野)白馬村長「一つの区切り」 仮設住宅入居始まる
 「これで一つの区切りを迎えた」。県北部を襲った神城断層地震被災者の仮設住宅入居が29日に白馬村で始まり、下川正剛村長はホッとした表情を見せた。

 「至れり尽くせりでした」「3食きちんと出てありがたかった」。この日仮設住宅に入居した人たちは、これまでの避難生活に感謝の言葉を口にした。

 2011年3月の県北部地震では、栄村に仮設住宅が建設された。その時の反省を元に、白馬村では追いだき機能付きの風呂や暖房便座付きトイレ、ホットカーペットが配備され、寒さ対策に力を入れた。

 平林輝幸さん(44)は、避難先の宿を途中で変えられることはあったが、母親(68)ともども体調はいいという。ただ被災に加え、父親を亡くして家がばたばたし、今は仕事もままならない。「公営住宅だと住むのは原則1年と言われたので(原則2年の)仮設住宅にした。この先どうしたらいいかはこれからです」と話した。

 高校2年の種山樹さん(17)は、両親と祖母、愛犬アクセルと入居した。母親の京子さん(52)は「集合住宅は初めて」、樹さんは「アクセルはよくほえるので」と、新生活が少し心配そうだった。

 下川村長は「このあと生活再建という第2のハードルがある。県とも相談をして、今後も支援を続けていきたい」と語った。(高木潔)


朝日新聞
(天声人語)師走の言葉から
 きょうあたりは、ゆく年を見送ってたたずむ思いと、くる年を迎えに先急ぎする気持ちが混じり合う。喜怒哀楽を積み上げた1年を納める、師走の言葉から▼神童、天才ひしめく将棋界に戦後最年長のプロ棋士が誕生する。27年がかりで夢をつかんだ広島県の今泉健司さんは41歳。「自分の可能性にふたをしない限り年齢は関係ない。きっと結果を出してみせます」▼胃がん治療で休養していた漫才コンビ今いくよ・くるよのいくよさんが舞台に復帰した。「がんとは長いお付き合い。今まで彼氏と付き合った期間よりも長いですよ」。相方のくるよさんはこの日の舞台を「いくよちゃん、ホンマに一生懸命やりました。すごいと思ってます」▼3・11で被災した宮城県山元町で、「食べる宝石」をうたう甘いイチゴが育つ。震災後に帰郷し、ITを活用した栽培法を編み出した岩佐大輝(ひろき)さん(37)が「農業ってかっこいい、と思ってもらいたい。宮城の小さな町からでも世界に進出できることも知ってほしい」▼全国の小中学生から募る「夏休み句集を作ろう!コンテスト」の最優秀賞に決まった松山市の小学5年、栗田大愛(だいあ)さんの句に〈完敗の記憶を初期化ソーダ水〉。新年のリセット感覚に通じるものがある▼戦後70年となる来年、長崎の原爆をテーマにした松竹の新作映画「母と暮せば」に主演する吉永小百合さんが言う。「『戦後何年』という言い方がずっと続いてほしいと願っています」。途切れぬ非戦があればこそ、である。

東京新聞
年のおわりに考える アベノミクスと「芝浜」
 政府・与党が来年度の税制改正大綱をまとめます。振り返れば、経済の話題の中心はアベノミクスと、そして税でした。私たちはよく考えたでしょうか。

 すっかり年末の風物詩となった「今年の漢字」。京都・清水寺の森清範貫主が大書したのは「税」の一文字でした。「消費税増税」騒動に明け、「消費税再増税の先送り」騒動に暮れた一年だったということでしょう。

 四月に5%から8%へ十七年ぶりとなる消費税引き上げがありました。駆け込み需要の反動減が、政府や大半のエコノミストにとって「想定外」の大きさとなったのは周知の通りです。
◆何のための消費増税

 四〜六月期、七〜九月期の二期連続でマイナス成長。安倍晋三首相は二〇一五年十月に予定されていた10%への再増税を一年半先送りすることを決めました。

 政府は春の増税に備えて五・五兆円もの経済対策をまとめ、「これで夏以降、景気は回復する」と言ったはずです。

 それがアベノミクスによる物価上昇も加わって消費は今に至っても冷え込んだまま。追加の経済対策を迫られ、その規模は三・五兆円、合わせて九兆円に上ります。

 消費税を3%引き上げたことによる税収増が一年間で約七・五兆円ですから、景気対策に費やした額の方が大きい。何のための増税なのかという気になります。

 消費税は、導入時や増税のたびに巨額の景気対策が必要となるので、かえって財政を悪化させてきました。当然です、国内総生産(GDP)の六割を占める個人消費を破壊するわけですから。

 安倍首相は増税先送りの理由を「景気が低迷して税収が落ち込めば元も子もない」と言いましたが、ならば消費税はこれ以上、引き上げるべきでないはずです。
◆所得再分配機能こそ

 消費税増税と関連して軽減税率の議論もありました。低所得者ほど負担が重い「逆進性」対策との触れ込みですが正しくありません。富裕層も同様に、いやむしろ富裕層の方が恩恵は大きい。

 対象品目の線引きも難しいし、それをめぐり政官に新たな利権を生みかねません。軽減税率よりも低所得者に絞った「給付付き税額控除」の方が効果は高いのです。

 税制改正大綱は法人税減税が最大の目玉といわれています。消費税は増税する一方で、逆に法人税は減税する。理解に苦しむ方も少なくないでしょう。

 政府や経済界の言い分はこうです。欧州やアジアに比べて税率が高いので国際競争上、不利なうえ、海外からの投資(進出)も増えない。このままだと日本勢は税率の低い海外に逃げ、そうなれば法人税収は落ち込む、と。

 半ば脅しのようにも聞こえますが、海外の投資が増えないのは法人税だけの問題ではなく、規制や需要の低さなどさまざまなはずです。欧州は法人税こそ低いが社会保険の負担は重い。そもそも赤字やら節税やらで法人税を納めていない企業は七割に上るのです。

 それでも企業寄りの政策に熱心な安倍政権ですから法人税減税は既定路線でした。アベノミクスの第三の矢、成長戦略の柱として「数年で20%台を目指す」と海外と遜色ない水準にする方針です。しかし、減税しても、投資もせず内部留保をため込むのではとの疑念がぬぐえません。

 安倍政権の最大の問題は、アベノミクスでこれだけ格差が拡大しているのに、税による所得再分配に冷淡なことです。格差や貧困を放置していると言わざるを得ない。税には、財源調達機能とともに所得再分配機能という重大な役割があるのです。

 たとえばアベノミクスで潤った株保有者の譲渡益や配当への課税方法(20%の分離課税)を変えるとか、富裕層の資産への累進強化、所得がありながら年金も受給する高齢者の二重控除の問題など…。首相は株価が上がれば問題はすべて解決するとでも思っているのか、それとも株高に酔って民の声が聞こえないのでしょうか。

 年の瀬、酔うといえば、落語の人情話「芝浜」が思い浮かびます。早朝の芝浜で大金入りの財布を拾った魚屋の主人は、もう働かなくていいと大酒を飲んで寝てしまう。女房は夫に内緒で財布を届け出、夫には「夢を見たんだろ」と諭す。心を入れ替え、真人間へと立ち直った夫に、妻は謝って真実を打ち明ける…。
◆国民こそが賢妻たれ

 いうなればバブルに酔って自分を見失った夫を、機転の利く妻がたしなめたわけです。株高だけで実体経済を好転できないアベノミクスを「この道しかない」と繰り返すばかりの首相−。ここは国民が賢妻となって夢から覚めさせるしかないと思います。

フランス語
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朝早起き/神戸異人館/ロシア料理/南京町/ポートタワー

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noir1

Greenwashing
On veut du green (6x) washing
on veut des tours d'avions
des airbus, du diesel
des mandarines toutes les saisons
des grands voyages dans le ciel
du high tech à la maison
de la nouvelle technologie
on veut pouvoir dire pardon et
soulager son esprit

on veut d la viande d'argentine
d la bidoche à tous les repas
de la work-food dans la cuisine
on veut du sucre, on veut du gras
on veut moin cher on veut meilleur
on veut toujours un peu d'ailleurs
on veut la mer, on veut l'été
meme en hiver on veut bronzer

on veut du green (6x) washing
c'est nous les as les pinnochio du marketing
on veut du green (6x) washing

on les galets sous le sable
on veut des plages de sable blanc
du réseau pour nos portables
on voudrait 4barres tout le temps
des orgies résonnables
des grands échangeurs de béton
et des amis toujours joignables
on. veut des bals et des ghettos

on veut du green (6x) washing
c'est nous les as les pinnochio du marketing
on veut du green (6x) washing

on veut de l'eau toujours qui coule
et des rides un peu moin creusées
on veut de la jeunesse en poudre
on veut de la neige en été
des grands buildings sous le soleil
des monuments pharaonniques
on veut partout partout pareil
delà wi-fi du numérique

on veut du green (6x) washing
c'est nous les as les pinnochio du marketing
on veut du green (6x) washing

on veut des lessives sans phosphate
du shampoing tout organique
des forets pour nos 4x4
du charbon dans nos cosmétiques
des slogans abusifs "plus blanc que blanc" "plus vert que vert"
mascaras écologique pendant qu'on se shoot au nucléaire

on veut du green (6x) washing
on veut du green (6x) washing
on veut pouvoir dire pardon, soulager son esprit
on veut du green (6x) washing
on veut la mer on veut l'été on veut bronzer
on veut du green (6x) washing
on veut des bals et des ghettos
on veut du green (6x) washing
c'est nous les as
on veut du green (6x) washing

greenwashing TRYO

ルポ 虐待の連鎖は止められるか (岩波ブックレット)
共同通信「虐待」取材班
岩波書店
2014-11-06


丁寧に背景を探っている かなばる
虐待とひとことに言っても態様は千差万別で、同じケースは何ひとつない。そこから教訓を導き出すのはなかなか困難だろうと思う。実際、特効薬というものはない。ただ、虐待に至るまでの複雑な線をほぐしていくと、見えてくるものがあるというのも確かだろう。この本では新聞記者さんたちが、ひとつひとつの事例を丁寧に追いかけて、読者に何かリアルなものをつかませてくれる感じがする。虐待してしまった親たちの思いや息づかいが至近距離で伝わり、普段、虐待とは縁遠いと感じていた人にも、はっと息をのませる力があるのではないかと思った。力のこもった良著。

目覚ましで朝5時50分に置きました.今日はShさんと神戸観光です.昼からのつもりだったのがShさんは朝9時の観光案内所が開く時間から動きたいというのでちょっと早起き.
風見鶏の館のエルゼ・カルボーさんの写真を見て熱くなってしまいました.
萌黄の館,うろこの家,山手八番館も行きましたが,あまりいい感じではありません.
さて疲れてきたのでランチ.ベトナム料理のお店に行くと,残念ながら閉まっていました.そばめしのお店に行こうと北野坂を降りていく途中にロシア料理のバラライカが目に入りました.予定変更してロシア料理です.ボルシランチにグルジアワイン.赤ワインなのに冷えています.

旧居留地を通って南京町に.軽く何か食べようと思っていたのですが,お腹いっぱいで残念.とりあえずお土産を少々買いました.活気があっていいです.FamilyMartは全家.面白いです.さらに歩きを進めます.ポートタワーに向かいました.高速の下を歩きます.大したことはないんですが,高いところから神戸市内を見るのは面白い.お土産ショップで長田名物ぼっかけを買いました.ハーバーランドでちょっと一服.ウイスキーを少し.最後はJR元町の近くの居酒屋.一ノ蔵がなかったのが残念でした.

河北新報
<暮れ行く・被災地>仮設の日々 胸に刻む/(9)最後の大そうじ(仙台・高砂)
 感謝の気持ちを込め仮設住宅と公園をきれいに−。仙台市宮城野区の高砂1丁目公園仮設住宅で28日、恒例の大そうじと餅つき大会があった。
 20世帯約50人の住民と、以前住んでいた住民らが参加。敷地内のごみ拾い、普段手を付けない仮設住宅談話室の窓ふき、網戸のそうじなどに汗を流した。
 大そうじの後は、東日本大震災の年から続く餅つきを開催。参加者が代わる代わるきねを握り、威勢のいい掛け声を響かせた。初挑戦した同仮設住宅に住む中川蒼依さん(7)=鶴巻小2年=は「思ったよりきねが重かったけど、自分がついた餅を食べてもらえてうれしい」と話した。
 防災集団移転促進事業による宅地整備や災害公営住宅の建設が進み、同仮設住宅の全世帯が新年度内に退去するめどがついた。自治会は来年7月末に解散する予定だ。
 佐藤政信自治会長(68)は「ことしの大そうじは最後になる。一刻も早く仮設住宅を出て、憩いの場だった公園を市民に返したい」と話した。


河北新報
<回顧みやぎ>(12完)地方再生のモデルに/女川・中心商店街復興本格化
 東日本大震災で被災した商店街にとって、施設再建はスタートラインにすぎない。それぞれの店や商店街、地域が活気づいて、初めて「復興した」と言えるのだろう。
 女川町の中心市街地再生に向けた官民の動きを取材しながら、住宅再建とは異なる商店街復興の難しさについて考えさせられた。
 来年3月のJR女川駅と町営「女川温泉ゆぽっぽ」の移転開業を皮切りに、新しい「町の顔」となる商業エリアは徐々に姿を現す。テナント型商店街や公共施設、自立再建の店舗などが順次オープンする。
 町が土地を造成し、6月に設立された民間まちづくり会社「女川みらい創造」もにぎわい拠点創出に動きだした。夏にはテナント型商店街の整備方針を示し、町内の事業者などに入居を募った。
 施設建設費の大半は国の補助金を見込む。条件として事前に入居者を固めた上で施設の規模や配置を決めるなど、綿密な事業計画が求められた。
 阪神大震災後、神戸市は国の予算で新長田駅南地区に大規模な商店街を整備したが、運営経費が事業者の経営を圧迫しシャッター通りと化した。
 神戸市を教訓に、国はもとより町もみらい創造も「身の丈に合った復興」を掲げる。将来にわたり活気を持続できる商店街形成が狙いという。
 それだけに、事業者にも経営体力が要求される。毎月のテナント賃料や共益費の支払い、営業時間の設定といった条件が示されると、入居を断念したり、自立再建に傾いたりした人も少なくなかった。高齢の事業者からは「切り捨てられたようだ」と不満も出た。
 震災後の人口流出や高齢化の加速などで、町内の商業環境は厳しさを増した。活性化には外部から人を呼び込むことが不可欠で、商店街も変化を求められる。
 みらい創造は、商業だけに頼らない交流人口の拡大を視野に入れる。近江弘一専務(56)は「豊かな海のある景観や食、恵まれたスポーツ施設など女川ならではの魅力を組み合わせ、人が集まる空間、文化をつくりたい。時間はかかるが、理念と覚悟を持って取り組む」と語る。
 被災地の商店街復興は、人口減少や高齢化といった全国の地方商店街に共通する課題と向き合うことでもある。町やみらい創造が目指す復興を遂げ、地方再生のモデルとなることを願っている。
(石巻総局・丹野綾子)

[メモ]女川町の商業エリア再生 JR女川駅と町営「女川温泉ゆぽっぽ」の併設施設を核に7.4ヘクタールの商業エリアを展開する。女川みらい創造がテナント型商店街と鮮魚店などが入る「物産センター」(仮称)を整備し、町の「地域交流センター」(仮称)や民間水産業体験館「あがいんステーション」も開設される。テナント型商店街の施設整備費に充てる補助金を受けるため、町は「まちなか再生計画」を国に申請し、今月19日に認定された。


河北新報
被災地の声、絶やさぬ 山元「りんごラジオ」
 東日本大震災で被災した宮城県山元町で放送する臨時災害FM局「りんごラジオ」の高橋厚局長(72)が今月中旬から、病気療養のため出演を見合わせている。年内最後の放送となった28日、妻の真理子さん(65)がラジオで状況を説明した。退院の時期は未定。被災地の情報発信に強い信念を抱く高橋さんの思いを、真理子さんらスタッフ9人でつなぐ。

 「高橋はしばらく休ませてもらうことになりました。残りのスタッフで力を合わせて頑張ります」。マイクに向かった真理子さんは、ゆっくりと力強く決意を語った。
 FM局は、元東北放送アナウンサーの高橋局長が震災から10日後の3月21日に公設民営で開局。100%自社制作で町の情報や町議会中継などを伝え続けた。
 高橋さんは、先頭を切ってアナウンスや取材、編集などに奔走。臨時災害局の代表的な存在として数々の表彰も受けた。
 今月17日に体調を崩し、病院で療養を続ける。「開局前に『マイクの前で死んでもいい』と決意を語っていた。徹底的に打ち込む覚悟だったと思う」と真理子さん。大黒柱の不在に閉局も考えたが、高橋さんは「りんごラジオは存続する」と拒み、意をくんだ真理子さんが局長代行を務めている。
 年明けは5日に放送を再開する。1月中は斎藤俊夫町長や町議14人全員のインタビューなど、高橋さんが企画した番組を予定通り放送するという。
 真理子さんは「主人の指導を受け、みんな素晴らしい経験を積んだ。できる限りの力を出して放送を続け、帰りを待ちたい」と話す。試練を迎える新年をスタッフ一丸となって乗り切る覚悟だ。


河北新報
被災校舎の時計盗難か・山元旧中浜小
 東日本大震災の被災により閉校した山元町の旧中浜小校舎から時計がなくなっているのが28日、関係者への取材で分かった。盗まれた可能性もあるとみられ、町教委が対応を検討している。
 校舎見学の案内役を務める町のボランティアガイド組織「やまもと語りべの会」の渡辺修次代表らによると、なくなった時計は3個。被災後も図書室や音楽室などの壁に掛けてあったという。渡辺代表は「なぜ持って行ったのか分からない」と話す。
 このうち1個は、停電した午後3時18分で止まったままだった。震災時に校長を務めた井上剛さんは「揺れの30分後まで通電し、テレビで情報を得て避難行動を取れたことを示す貴重な時計だった」と、戻ってくることを願う。
 鉄筋2階の校舎は津波でほぼ全て浸水し、児童ら約90人は屋根裏の倉庫に逃げて助かった。現在は無断での立ち入りは禁止だが、侵入を防ぐ扉や塀などはない。専門家や住民代表らによる町震災伝承検討委員会で、震災遺構として保存方法などを討議している。
 森憲一教育長は「校舎は震災の教訓を後世に伝える町の財産であり、とても残念。被害届の提出なども含め、対応を検討したい」と話した。


神戸新聞
神戸市、震災資料6000箱整理進む 来月中旬から順次公開
 阪神・淡路大震災から20年を前に、神戸市は段ボール箱に詰めたままになっていた関連資料の整理を進めている。その数、実に6千箱。避難所や仮設住宅の記録、国とのやりとりなど、当時の様子をありのままに伝える資料は震災対応の「原点」ともいえる。文字の消えかかった感熱紙はコピーを取り、写真フィルムもすべてデジタル化するなど、根気強く作業を続けている。(田中陽一)

 整理済みの資料については1月中旬から市役所の「市政情報室」に目録を備え、情報公開に応じる。避難所の日報などもサンプルとして展示する。

 震災関連の文書などについて、市は1999年に永久的に保存することを決定。ファイルや封筒に入れて段ボール箱に保管してきたが、細かな分類はできていなかった。

 このため、同市の外郭団体「神戸都市問題研究所」が2010年から整理を開始。6千箱は主に旧須磨区役所(同市須磨区中島町1)に集められ、5人が作業に携わっている。

 「最初の難関は、文字が消えかかった感熱紙だった」と同研究所主任研究員で市職員OBの杉本和夫さん(65)。劣化が進むため、そのまま放置はできない。コピー機の濃度や色合いを何度も変えながら、うっすらとしか読めなかった書類約2万枚を復元させた。

 写真フィルムやフロッピーディスクのデータはDVDに再記録。タイトルのないファイルも多く、一つずつ中身を確認している。例えば避難所なら名前や時期、「日報」や「苦情」といった内容にも応じて仕分け、整理番号を割り振っている。

 罹災(りさい)証明や義援金の申請書、仮設住宅の契約書なども大量に含まれ、整理が終わったのはまだ約450箱。杉本さんは「震災対応には光と影の部分があったが、職員も市民も徐々に入れ替わり、記憶は薄れる。だからこそ事実を伝える資料を残すことが大事だ」と話している。


朝日新聞
長野・白馬村で仮設住宅の入居開始 地震被災の33世帯
 11月22日の長野県神城断層地震で大きな被害を受けた白馬村に、仮設住宅が完成して29日から入居が始まった。近隣のホテルやペンションを転々とした被災者らは、2年間の居住期限の中で生活再建に取り組む。

 村内のグラウンドに県が建てた仮設住宅は6棟35戸。テレビや冷蔵庫、洗濯機などは村が貸与した。家賃は無料だが、光熱水費は負担する。この日は、手続きに来た33世帯の一人ひとりに、下川正剛村長が鍵を渡した。

 勝野良子さん(80)は兄(83)と2人で仮設住宅に住むことに。東日本大震災の被災者の様子は見聞きしていたが「他人事でした。まさか自分が仮設住宅に入るなんてね」。全壊した家の再建はめどが立たない。「村外に住む子どもたちがちっちゃい家でも建ててくれたら」とぽつりと話した。

 仮設住宅に入居できたのは自宅が全壊した世帯で、半壊など要件を満たさない人たちが今もホテルや親類宅で暮らす。隣の小谷村でも二十数世帯がホテルや村営住宅で避難生活を続けている。(高木潔)


神戸新聞
NPOが今年も神戸で炊き出し 困窮者支え20回目の冬
 阪神・淡路大震災が起きた1995年、日雇い労働者らが冬を越せずに路上で死亡するケースが相次いだことを受け、NPO法人「神戸の冬を支える会」が神戸市中央区の東遊園地で始めた年末年始の炊き出しが、今年も28日に始まった。午後から冷たい雨が降る悪天候の中、約120人が列をつくり、温かな食事で一息ついた。(高田康夫)

 震災では、簡易宿泊所や路上で生活しながら港湾などで日雇い仕事をしていた人々の多くが行き場を失った。住居がないことで被災者と見なされず、避難所を追い出されたり、食料が支給されなかったりしたという。

 同会は95年11月に結成。翌月、東遊園地に「冬の家」と名付けた大きなテントを張り、大みそかは50人がそこで過ごした。以降、年末年始に必ず冬の家を開き、生活困窮者を支え続ける。リーマン・ショックがあった2008年末には、派遣切りにあった人々も炊き出しに詰め掛けた。

 こうした活動とともに、同会は10年末から兵庫県の委託を受け、国庫補助事業として年間を通じて生活困窮者の相談対応や一時宿泊所の提供などを全県で担ってきた。ただ、来年4月の生活困窮者自立支援法施行で事業は終了。県や各市に一部費用負担が発生するようになるため、従来通りに実施できるかは不透明なのが実情だ。

 13年度の相談者は年間約1200人。年末年始の9日間だけで延べ200人を超え、同会はスタッフを増員して対応してきた。今後、会の運営が厳しくなる事態も想定され、青木茂幸事務局長(58)は「県内全体で一律の支援が受けられるよう国がバックアップするべきだ。震災20年を超えても『冬の家』を続けられるよう踏ん張りたい」としている。

 冬の家は1月5日まで。同6〜10日は尼崎市東七松町1の橘公園で炊き出しがある。年末年始の相談はフリーダイヤル0120・018882(4日までの午前10時〜午後4時)

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Neige : 15.000 personnes hébergées cette nuit en Savoie
En raison des fortes chutes de neige, des milliers de véhicules sont restés bloqués aux portes des stations. Certaines personnes ont passé la nuit dans leur voiture.
Près de 15.000 personnes ont passé la nuit de samedi à dimanche dans les centres d'hébergement d'urgence en Savoie en raison d'importantes chutes de neige qui ont saturé le réseau routier du département, a indiqué la préfecture du département. Un nombre indéterminé d'automobilistes a ainsi du passer la nuit dans leurs voitures.
≪Nous n'avons pas d'estimation du nombre de personnes qui ont passé la nuit dans leur voiture≫, a indiqué à l'AFP un porte-parole de la préfecture de Savoie. ≪Les sapeurs-pompiers ont circulé toute la nuit sur les routes et aucune situation de détresse ne nous a été signalée≫, a-t-il ajouté.
Selon la préfecture de Savoie, le plus gros des voyageurs a été pris en charge dans les centres d'accueil d'urgence dont le taux d'occupation a frolé les 100%. ≪Il y a eu 83 centres d'hébergement ouverts≫, a précisé dimanche sur Europe 1 le ministre des Transports, Alain Vidalies.
Au total, près de 10.000 places étaient disponibles sur le département vers 21h45. La liste des hébergements était consultable sur www.savoie.gouv.fr.Dans les départements limitrophes des Hautes-Alpes et de la Haute-Savoie, les préfectures ont également ouvert dans la nuit de samedi à dimanche plusieurs centaines de lits dans le cadre de l'hébergement d'urgence notamment à Gap, Briançon, Annecy ou encore Cluses.
Un numéro vert (08.11.00.06.73) a été activé par la préfecture de Savoie afin d'informer les automobilistes sur la conduite à tenir et sur la disponibilité des hébergements d'urgence. Les personnes bloquées sur le réseau routier en grande situation de détresse pouvaient également contacter le 112.
≪Le numéro vert (numéro d'information d'urgence, ndlr) ne répond pas, c'est complètement saturé, on n'a pas d'info sur les centres d'hébergement. On vient d'entendre à la radio qu'on allait devoir faire demi-tour au péage, c'est vraiment n'importe quoi≫, expliquait samedi soir à l'AFP un automobiliste un coincé dans son véhicule avec quatre passagers sur l'autoroute A410 entre Albertville et Chambéry.
Dimanche matin, la circulation restait toujours très difficile dans les secteurs Maurienne et Tarentaise en Savoie et dans les autres départements placés en ≪vigilance orange≫ neige et verglas d'un grand quart Est de la France.
≪Les véhicules équipés de pneus neige, chaînes ou chaussettes adaptées (B26 homologuées ≪chaînes≫) sont autorisés à repartir malgré les conditions de circulation≫ indique la préfecture, ≪des aires de chaînage sont aménagées. Le chaînage ne doit pas se faire sur le bas coté de la route.≫
La préfecture encourage les vacanciers à différer leurs départs.

報道の日2014「ニッポンの岐路!」今につながる重大ニュース
8時間生放送…2014年はニッポンの岐路!昭和・平成の重大ニュースが今につながる〜検証・あれから何年&震災から3年9ヶ月の被災地を列車とバスで縦断生中継
今年は日本を大きく変える「日本の岐路」とも言える出来事が数多く起きた1年だった。その原点は?その出来事に結びつく意外な事実とは?「あれから何年」私たちは、戦後から現在まで、昭和・平成の重大ニュースを時空を超えて検証する。 さらに東日本大震災から3年9ヶ月経った被災地を列車とバスで300キロ縦断。交通網が分断されたままの被災地の現実と、復興に向けた人々の営みを生中継とVTRでリポートする。
日本人3人がノーベル物理学賞受賞〜あれから65年〜戦後日本に希望を与えた初のノーベル賞 ▽昭和天皇実録完成〜あれから39年〜唯一の単独会見で天皇が語った戦争 ▽危険ドラッグが脅威に〜あれから33年〜覚せい剤乱用期に起きた無差別通り魔事件 ▽政治とカネの問題でW辞任〜あれから21年〜政界のドン逆転逮捕の舞台裏 ▽戦後最悪の御嶽山噴火〜あれから14年〜予知に成功した有珠山噴火 など
関口宏、膳場貴子 岸井成格、恵俊彰、姜尚中、眞鍋かをり、中村アン
東北縦断中継 新沼謙治(岩手県大船渡市出身)、加藤シルビア(TBSアナウンサー)


NNNドキュメント'14 原発やめた町できた町勝者なき闘い…心の傷
原発の問題に翻弄されてきた住民たちは何を失い、何を得たのか?原発と地域のあり方や人々の心の有り様を見つめ、立地地域と建設候補地にもたらした原発の功罪を検証する。
中里 雅子 テレビ金沢


COOL JAPAN〜発掘!かっこいいニッポン〜「鍋」
寒い冬に恋しくなる「鍋」。60パーセント以上の日本人が、週に1回以上鍋を食べる。スーパーには40種類以上の「鍋つゆ」が並び、次々と新しいものが開発されている。外国人がイタリア料理店の鍋や家庭の鍋を楽しんだ。山口県周防大島では、島特産のみかんを入れた「みかん鍋」を開発して、町おこしに取り組んでいる。そして、家庭の鍋に欠かせないカセットコンロを開発した会社を訪ねた。日本の鍋の魅力に迫る。
小林康夫, 鴻上尚史,リサ・ステッグマイヤー, 中井和哉,日高のり子


NHKスペシャル「子どもの未来を救え〜貧困の連鎖を断ち切るために〜」
今、子どもの6人に1人、およそ300万人が国が基準としている“貧困ライン”(一人世帯122万円未満)以下で暮らしている。事態を重く見た政府は今年8月「子どもの貧困対策に関する大綱」を閣議決定。貧困の世代間連鎖が大きな課題とされた。連鎖を断ち切るためには何が必要なのか。取材班は、厳しい暮らしを強いられる子どもたちをルポ。各地で始まった試行錯誤も紹介しながら、子どもたちの未来への処方箋を考える。
阿部彩,鈴木晶子, 内多勝康


おもかげ復元師の震災絵日記 (一般書)
笹原留似子
ポプラ社
2012-08-07


絵と手書きの文字から温かい心が伝わってくる 博多ムーミン
テレビ放送(「NHKスペシャル」)を通して笹原さんの存在を知り、あまりの深い感動に、何度も涙しました。
笹原さんは、東日本大震災の直後、ボランティアで300人以上の亡くなられた方の顔を復元された女性の納棺師。

復元した方と遺族の、最後の別れを生前の笑顔の思い出で、と願う笹原さんの崇高な心と行動には、畏敬の念すら覚えます。
そのお一人お一人を決して忘れないために、と笹原さん自らが描いた絵と手書きの文字そのままを本にしたのが本書です。

最初の一人は、身元不明のため、両親の許可を得られず、復元できなかった3歳の女の子から始まっています。
「きっと復元したら…」という想像の絵になっているのです。
そして、最初の言葉は「全ては 安置所で この子を復元できなかった、深い後悔…そこから始まった…。」
この「深い後悔」を原動力として、一人また一人、一家族また一家族…と笹原さんの復元の旅が始まったのです。

言葉からも絵からも、笹原さんの何とも温かい心がストレートに伝わってきます。
ページをめくるごとに涙がこみ上げてきましたが、それは、悲しみを突き抜けた、何とも不思議な涙なのです。

ご遺体と家族と共に共有した「深い時間」からにじみ出た言葉は、一つ一つが「詩」のように美しい。
「『漬物名人だった…』『もう食えねえんだな…。』ご主人がポツリポツリとお話しして下さる奥さまの思い出…。棺にすがって泣く御主人の背中をきっとさすってる。奥さま、きっとね」
「『とうちゃん、おりこうにするから起きて…』とうちゃんも、息子のために起きたいよって、言ってるよ…」

生死を越えて、家族はつながっている−−。
そのことが、頭ではなく、実感として湧き上がってきます。

この本の感動を、夫婦や親子などでぜひ共有してほしい。
きっと家族の“宝物”になると思います。


髪を切りました.ちょっと短くなりました.気のせいか?顔がスベスベしています.
雨が降ってきたのでバナナとロウソクを買ってから急いで帰りました.
図書館から借りてきたあまちゃんのシナリオを読み始めています.
第10週目の6月8日放送分まで.太巻のGMTの計画とミズタクがスカウトマンだとばれたところあたり.実際に放送していたのと少し違う感じがしますが・・・
昨日できなかったACSの仕事をしました.ネットが使えるからどこでもできるんですが明日〆切なので少し焦りました.

朝日新聞
宮城)津波で変形「龍の松」保存へ 気仙沼市
 気仙沼市は、津波で竜のような形になった岩井崎の「龍の松」保存のため、2400万円を使うことを決めた。できるだけ木の本体を残したまま、長く見られるような処置を施す。

 陸に打ち上げられた「第18共徳丸」が解体されるなど震災遺構の候補がなくなっていくなか、「龍の松」は新たな遺構候補の気仙沼向洋高校にも近く、観光客が多く訪れている。財源は市民の寄付をもとにした基金からあてる。


河北新報
<暮れ行く・被災地>再建 はがきが結ぶ縁/(8)にぎわう民宿(東松島)
 アナゴの天ぷらにヒラメの刺し身、汁物にはドンコ。お膳からあふれるほどの海の幸が並ぶ。
 東松島市宮戸の民宿「汐(しお)さいの宿ちどり館」は、各地からの忘年会客でにぎわう。この日の予約は宮城の市民グループ20人。主人の鈴木一男さん(66)と妻ちえこさん(65)が配膳、調理にフル回転する。
 創業40年以上の地域の老舗だった。東日本大震災の津波で全壊し、ことし11月に再建を果たした。食材の調達は以前から漁師でもある一男さんの役割。いけすで鮮度を保ち、最高の状態で提供している。
 再開に際し、宣伝といえるのは顧客らに送った250枚のはがきだけ。それでも年内は予約が途切れない。
 「こんなに来てもらえるなんて思ってもいなかった」と一男さん。カレンダーには既に元日の予約も記入されている。震災から4度目の正月休みは、ちょっと遅れて取ることになりそうだ。


河北新報
郡山へ避難の女性 原発事故語り継ぐ
 東京電力福島第1原発事故の被災体験を伝えようと、若者が一歩を踏み出した。福島県富岡町から郡山市に避難する吉野明日香さん(20)は11月、町社会福祉協議会が町民を募って組織する「震災の語り人(かたりべ)」として活動を始めた。泣き虫だったという明日香さん。震災後に最愛の母を失った悲しみを抱えながらも、語ることで前向きに歩もうと心に決めている。

 こみ上げる涙をぐっとこらえた。
 「母が亡くなったことは、震災と全く関係ないとは思えなくて、すごく悔しかったです」
 11月初旬、都内であった演劇イベントの会場。4年近くに及ぶ避難生活で経験したこと、思いを15分間に込めた。
 避難所で何のことか分からずヨウ素剤を飲まされた。転校先で孤独感も味わった。母輝美さんが、がんのため46歳でこの世を去った。それが一番つらかった。
 「古里に帰れず、お墓をどうすればいいのか分からない。母に進路も相談したかったんです」
 家族は一時期、福島と山梨に分かれて避難していた。仕事の都合で福島にいた輝美さんは毎週末、娘の顔を見ようと何時間もかけて車を山梨へ走らせた。震災前に乳がんを患い治療していたが、避難生活の疲労とストレスで体調が悪化した。
 亡くなったのは、明日香さんが高校3年の8月。原発事故から1年半近くが過ぎていた。明日香さんは祖母と福島に戻り、輝美さんと3人で暮らしていただけに、深い喪失感でふさぎこんだ。
 「本当に独りぼっちになってしまったんだと、悲しい気持ちで高校を卒業しました」
 震災を本格的に語るきっかけは、3月に郡山市であった朗読音楽劇に出演したことだ。輝美さんへの思いを詩に込めて読んだ。ずっと胸の奥にしまっていたのは、泣くのが嫌だったからだ。
 <あなたのことを思い出しては寂しくなって>
 <一緒に笑った 泣いた 喧嘩(けんか)もした>
 <あなたがくれたこの声を 誰かが聞いてくれる>
 涙したのは客席だった。共感してくれたことがうれしく、観客からの励ましに救われた。今も夢に輝美さんが現れ、泣きながら朝を迎えることもある。悲しみは癒えないが、思いを解き放つことで前へ進めた気がした。
 「原発事故でつらい日々を送ってきたことを、未来に語り継ごう。大好きだった母のことを、母が残してくれたこの声で伝えていこう」。新たな決意が生まれた。
 今は郡山市の専門学校の声優科2年。将来は声を生かした仕事に就き、福島のことを発信するという目標もできた。
 涙をこらえて語った15分間−。感謝の言葉で語り終えた表情はちょっぴり明るかった。
 「母が亡くなった時、独りで勝手に抱え込んでいました。振り返れば、多くの人が心配して支えてくれていました。全ての出会った人に、ありがとうと伝えたいです」

[震災の語り人事業]富岡町社会福祉協議会(郡山市)が2013年4月に始めた。東日本大震災と原発事故で全町避難生活を強いられる町の実態を、町民自らの言葉で語り伝えることで風化を防ぐ狙い。「3.11富岡町を語る会」を設立し、いわき市などに避難する18人が登録している。


河北新報
三鉄キャラ生かした小説へ作品募集
 東日本大震災で被災した三陸鉄道(宮古市)はPRキャラクター「鉄道ダンシ」の設定を生かした長編小説作品を来年2月まで募集している。
 同社によると、鉄道ダンシの「恋し浜レン」「田野畑ユウ」の2人は三陸復興の力になりたいと願い、2012年4月に三鉄に入社。それぞれ恋し浜駅と田野畑駅で勤務しているという設定だ。
 恋愛や学園、ミステリーなどジャンルは自由。10〜20代の読者を想定する。優秀作品2点を選び、いずれかが創芸社(東京)から出版される。
 応募資格は不問。未発表の作品に限る。公式ウェブサイトから専用書類をダウンロードし、作品に添えて三鉄に郵送する。
 鉄道ダンシは震災後に一般公募で誕生した。若い女性を中心にグッズの売れ行きも好調という。
 同社の坂下政幸事業本部長は「将来的にアニメ化も考えている。三鉄の魅力を広げる効果を期待したい」と話す。
 締め切りは来年2月20日(当日消印有効)。連絡先は同社0193(62)8900。


河北新報
復興前進一歩ずつ 東北十大ニュース
 河北新報社は2014年の「東北十大ニュース」を選んだ。トップはソチ五輪で羽生結弦選手が金メダルを獲得した快挙で、地元の仙台市であったパレードは大いに沸き上がった。
 東日本大震災から4年目。復興の前進を実感できる年だった。被災地・東北への医学部新設は東北薬科大が設置者に決まった。宮城、岩手両県ではがれき処理がようやく終了。三陸鉄道は全線で運行を再開し、国道6号も全線通行可能となったほか、常磐道は2区間が新たに開通した。
 一方、福島第1原発では汚染水が増え続けている。福島県は除染廃棄物中間貯蔵施設の受け入れ容認という苦渋の決断をした。指定廃棄物の最終処分場建設では宮城の3カ所が候補となったが、住民の反発が相次いだ。
 師走の衆院選は東北でも与党が圧勝。14年産米の概算金が大幅下落した。仙台市出身の俳優菅原文太さんが死去し、昭和が遠のいていることも感じさせた。

(1)ソチ五輪で羽生が金、凱旋パレード

 ソチ冬季五輪フィギュアスケート男子で日本初の金メダルを獲得した仙台市出身の羽生結弦選手(ANA、宮城・東北高−早大)の凱旋(がいせん)パレードが4月26日、同市青葉区の東二番丁通で行われた。
 地元で育った若き五輪王者をたたえようと、沿道には約9万2000人(主催者発表)が詰め掛けた。「ありがとう」「おめでとう」の声に、金メダルを掛けた羽生選手は手を振って応えた。
 羽生選手はことし2月の五輪ショートプログラムで、4回転ジャンプなどを全て決めて世界歴代最高の101.45点を記録。フリーではジャンプでミスをしたが、補って余りある演技を見せた。

(2)医学部新設東北薬科大に

 文部科学省の有識者審査会は8月28日、東日本大震災からの復興支援のため、東北地方に1校だけ新設する医学部の設置者に東北薬科大(仙台市青葉区)を選定した。
 新医学部の構想募集には、宮城県と脳神経疾患研究所(郡山市)も応募した。審査会は薬科大の構想を「最も具体的」と評価。応募締め切り直前に名乗りを上げた宮城県の宮城大などを退けた。
 わが国の医学部新設は1979年の琉球大以来。薬科大では2016年春の開学を目指して急ピッチで準備作業が進む。大学名は「東北医科薬科大」に改称し、入学定員は東北出身者限定の復興支援特別枠20人を含む120人の予定だ。

(3)衆院選東北でも自民圧勝

 第47回衆院選(12月14日投開票)は自民、公明両党が定数475議席の3分の2を上回る325議席を獲得し、圧勝した。東北でも自民は前回2012年の24議席を維持し、公明は悲願の2議席目に届いた。
 野党は候補者調整を軸とする選挙協力で巨大与党に対抗したが、民主党が公示前から1議席増の8議席、維新の党は同数の3議席にとどまった。
 投票率は全国で軒並み戦後最低に低迷。東北では青森、宮城両県が50%を下回った。
 公示日の2日、東北から遊説をスタートした安倍晋三首相は相馬、仙台両市などで「アベノミクスを進め、賃金、雇用を増やす」などと訴えた。

(4)がれき処理宮城・岩手で終了

 東日本大震災で発生した宮城、岩手両県の震災廃棄物処理が3月末で終了した。処理量は宮城が約1950万トン、岩手が約580万トンに上った。
 1トン当たりの処理単価は宮城約3万6500円、岩手約4万3400円で、1995年の阪神大震災と2004年の新潟県中越地震を上回った。
 福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の最終処分場建設をめぐり、環境省は1月、宮城の候補地として栗原、大和、加美3市町を提示した。
 10月にはボーリング調査に向けた準備作業を試みたが、加美町で住民の抗議を受け見送った。望月義夫環境相は11月、調査を来春以降に先送りする意向を表明した。

(5)三陸鉄道全線開通

 東日本大震災で被災し、不通区間が残っていた第三セクター三陸鉄道(宮古市)の南リアス線(盛−釜石間)が4月5日、北リアス線(宮古−久慈間)が翌6日、それぞれ全線で運行を再開した。南北線計107.6キロが震災から3年余りで完全復旧した。
 三陸復興の象徴に沿線住民は喜びに沸き、多くの観光客も詰め掛けた。4〜9月の経常収支は6000万円超で21年ぶりの黒字。一方で沿線の人口減少は著しく、安定経営が課題となる。
 12月24日にはJR山田線の三鉄への移管に岩手県と地元自治体が合意。三鉄南北リアス線は山田線を挟み、1本の鉄路でつながることになった。

(6)国道6号も通行可能

 国道6号は東京電力福島第1原発事故の帰還困難区域を通る福島県富岡町−双葉町間(14.1キロ)の通行規制が9月15日に解除され、3年半ぶりに全線通行が可能になった。12月6日には常磐自動車道浪江−南相馬インターチェンジ(IC)間(18.4キロ)と相馬−山元IC間(23.3キロ)が開通。復興の加速に期待が高まっている。
 通行量は国道6号の規制解除区間で平日約60%増に。常磐道も開通区間とつながる既存区間で約30%増えている。
 常磐道は来年3月1日に常磐富岡−浪江IC間(14.3キロ)が開通する見通しで、三郷(埼玉県)−亘理IC間(約300キロ)の全線が開通する。

(7)菅原文太さん死去

 「仁義なき戦い」「トラック野郎」などの映画作品で熱い支持を集めた仙台市出身の俳優菅原文太さんが11月28日、81歳で亡くなった。同月10日には俳優の高倉健さんも83歳で死去。昭和を代表する映画スターの訃報が続いた。
 菅原さんは哀感あふれる演技で人々の心を引きつけた。近年は脱原発や反戦・平和について積極的にメッセージを発信。東日本大震災後は被災者を励まし続けた。とわの別れを惜しむ声が被災地でも相次いだ。
 高倉さんも被災地のことを常に心に刻んでいた。がれきの中で唇をかみしめて水を運ぶ気仙沼市の少年の写真を持ち歩き、心の交流を続けた。

(8)中間貯蔵施設受け入れ

 福島第1原発事故に伴う除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の建設計画で8月30日、福島県の佐藤雄平知事(当時)が受け入れを正式に表明し9月1日、候補地の大熊、双葉両町長とともに安倍晋三首相に伝えた。
 30年間で総額3010億円を拠出する国の地域振興策などを評価。一方で、廃棄物搬入は別と主張し(1)県外での最終処分の法制化(2)搬入ルートの維持管理と周辺対策−など5項目を搬入開始の条件として提示した。
 施設は16平方キロで、地権者は2300人を超える。国は来年1月の搬入開始を目指したが、地権者との用地交渉が難航。目標を「本年度内」に変更する方針を決めた。

(9)14年産米概算金大幅下落

 2014年産の米価は全国的な需要減と過剰な在庫量、東日本の豊作などで激しい暴落に見舞われた。東北各県の主要銘柄の概算金(60キロ、1等米)は前年比1200〜4200円の大幅な下落となり、おしなべて過去最低を記録した。
 宮城県の主力品種ひとめぼれは前年より2800円(25.0%)減の8400円。福島第1原発事故の風評被害に苦しむ福島・浜通り産コシヒカリは37.8%減で、最も下落率が大きかった。
 18年度をめどとした生産調整(減反)廃止など、政府が進める新コメ政策の初年度。生産現場からは米価や農業者所得の安定化など抜本的な対策を求める声が相次いだ。

(10)福島第1汚染水流出続く

 福島第1原発事故で、原子炉建屋に地下水が流れ込み、汚染水が増え続けている。東電は5月、建屋山側で地下水をくみ上げて海洋放出する「地下水バイパス」を開始したが、いまだに1日約300トンの汚染水が発生し、廃炉作業の足かせになっている。
 高濃度汚染水がたまる2号機建屋海側のトレンチ(電源ケーブルが通る地下道)では4月、凍結による止水作業を開始したが失敗。セメントで充填(じゅうてん)する方法に移行した。
 来年3月には建屋周辺の地盤を凍らせる「凍土遮水壁」の運用開始を目指しているが、トレンチ止水の難航により先行きが不透明になっている。

◎順位一覧

(1)ソチ五輪フィギュアで羽生が金、仙台でVパレード
(2)医学部新設、東北薬科大に決定。宮城大選出されず
(3)衆院選で東北でも自民が圧勝、野党は共闘実らず
(4)がれき処理が宮城、岩手で終了。指定廃処分場で宮城の3カ所候補に
(5)三陸鉄道の南・北リアス線が復旧、全線で開通
(6)国道6号が全線通行可能に。常磐道は2区間が新たに開通
(7)菅原文太さんが死去、高倉健さんは被災地少年との交流話題に
(8)福島県が中間貯蔵施設受け入れを容認、大熊・双葉両町に
(9)14年産米の概算金が大幅下落、減収支援策求める
(10)福島第1原発で汚染水流出、地下水バイパスで放出も

(11)東北楽天の闘将星野監督が辞任、後任は大久保氏
(12)仙台空港が民営化第1号に決定、4グループ応募
(13)福島県知事に内堀氏、現職佐藤氏は出馬せず
(14)蕃山などで土砂採取目的の違法伐採相次ぐ、刑事事件に
(15)大川小津波災害で遺族が提訴、日和幼稚園訴訟は和解
(16)平川市長選で市議15人と前市長逮捕、市政が混乱
(17)東通原発と再処理工場の安全審査を申請
(18)日本海側で津波最大23メートルと政府推計、秋田・山形対策急ぐ
(19)東日本で2週続けて記録的な大雪、雪崩や立ち往生相次ぐ
(20)大規模災害訓練「みちのくアラート」でオスプレイ初飛来


東京新聞
年のおわりに考える 棄権は意思表示なのか
 今月十四日に投開票された衆院の総選挙は、投票率が52・66%と史上最低を更新しました。棄権は果たして、有権者の意思表示と言えるのでしょうか。

 安倍晋三首相が消費税再増税の先送りと自らの経済政策を争点とする「アベノミクス解散」と名付けた選挙でした。

 自民党は五議席を減らしましたが、四議席増の公明党と合わせて与党は衆院で三分の二以上の議席を維持しました。

 野党は民主党が十一議席増、維新の党は一議席減、共産党は十三議席増と倍増以上でしたが、自民党の「一強」は揺らぎません。
◆政権基盤に不安定さ

 この結果に、安倍首相は二十四日、第三次内閣発足にあたっての記者会見で「今後とも自民党と公明党の強固な、安定した基盤の上に立って政策を前に進めてまいります」と述べています。

 選挙結果だけを見れば、与党の「圧勝」には間違いありません。三分の二以上という議席は、憲法改正が発議できる、重い意味を持つ議席数です。

 しかし、安倍内閣が本当に強固で、安定した「国民の基盤」の上に立っているのかというと、必ずしもそうは言い切れません。

 与党が実際に投票した人ではなく、全有権者のうちどの程度の支持を得たかという「絶対得票率」を見ると、小選挙区で25%、比例代表で24%にとどまります。

 全有権者のうち四分の一の支持しかないのに、三分の二以上の議席を得ているのです。

 理由の一つは衆院議員定数四七五のうち六割以上の二百九十五議席を占める小選挙区制の制度的特性です。比例代表で復活当選する可能性はありますが、敗者への投票は「死票」となります。民意の集約に重きを置く制度の「欠陥」と言えるのかもしれません。
◆若年層の投票率低下

 そして投票率の低下です。実はこれが最も大きな要因です。

 地方自治体の首長、議員選挙では、50%を切る投票率も多くなっていますが、国政選挙も低投票率時代に突入しつつあります。

 今回の衆院選では、半数近い有権者が棄権した背景に、さまざまな理由が挙げられています。

 首相の解散判断が理解できない▽民主党が百七十八小選挙区にしか候補者を擁立せず、選択肢が乏しい▽適当な投票先が見当たらない▽与党圧勝の情勢が報道され、自分が投票してもしなくても選挙結果は変わらない−などです。

 確かに、「アベノミクス解散」というものの、何を問うべきか、有権者側に戸惑いがある中での論戦でした。野党側の準備不足や、それを見越して首相が解散に踏み切った側面もあったでしょう。投票率低下を招いた政治の側の責任は免れるものではありません。

 しかし、そうした政治家を選んだのも、私たち「主権者」です。政治に責任転嫁しても、天に唾するようなものです。

 選挙権は、明治期の自由民権運動や大正期に結実する普通選挙運動、昭和期の戦後改革など困難な歴史を経て勝ち得たものです。

 棄権も有権者の意思表示との意見はありますが、政治的な決定を相対的な多数派に白紙委任することにほかなりません。

 世論調査で特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認、原発再稼働への反対が多数でも、選挙結果に反映できなければ、止めることは難しくなります。

 特に、気掛かりなのは若い世代の投票率低下です。

 総務省が発表している抽出調査によると、前回二〇一二年衆院選で二十歳代の投票率は38%。一九六七年の67%から30ポイント近くの下落です。投票率の低下は全世代にわたっていますが、若い世代の落ち込みが特に激しいのです。

 当選を目指す候補者が、投票しない人の言うことを聞こうとしないのは当然と言えば当然です。声を伝えようとしなければ、無視されるのが政治の現実です。
◆社会保障にも影響か

 今、若い世代の貧困問題が指摘されます。教育や出産・子育てなど、この世代に対する社会保障が手厚いとは言えないのも、投票率がほかの世代と比べて低いことが影響している可能性は大です。

 たとえ悩ましい選択でも、自分たちの利害に関わることに無関心ではいけないはずです。

 憲法改正が発議された場合、その賛否を問う国民投票ができる年齢が四年後から「十八歳以上」に引き下げられます。改憲の是非は別にして、国の将来に関わる重い責任を負うことになります。

 一票を投じる権利は、先達が苦難の末に勝ち得たものです。政治の進むべき方向を照らすたいまつを、今を生きる私たちから、若い世代、その次の世代へと受け継ぐ責任があると思うのです。

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仕事納め/感動の第九/神戸在住の前売り券

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Dziewczyna1

Ode à la joie
Ô amis, pas de ces accents !
Mais laissez-nous en entonner de plus agréables,
Et de plus joyeux !
Joie, belle étincelle divine,
Fille de l'assemblée des dieux,
Nous pénétrons, ivres de feu,
Céleste, ton royaume !
Tes magies renouent
Ce que les coutumes avec rigueur divisent;
Tous les humains deviennent frères,
Là où ta douce aile s'étend.
Que celui qui a su trouver la chance,
D'un ami être un ami;
Qui a faite sienne une femme accorte,
Joigne à nous son allégresse !
Oui, même celui qui ne nomme sienne
Qu'une seule ame sur tout le pourtour de la terre !
Et qui jamais ne le put,
Qu'il se retire en tristesse de cette union !
La joie, tous les êtres en boivent
Aux seins de la nature;
Tous les bons, tous les méchants,
Suivent sa trace de rose.
Elle nous donna les baisers et la vigne;
Un ami, éprouvé jusque dans la mort;
La volupté fut donnée au vermisseau,
Et le Chérubin se tient devant Dieu.
Joyeux comme volent ses soleils
Au travers du somptueux plan du ciel,
Allez, frères, votre voie,
Joyeux comme héros à la victoire.
Soyez enlacés, millions.
Ce baiser de toute la terre !
Frères ! Au-dessus de la voute étoilée
Doit habiter un très cher Père.
Vous fondez à terre, millions ?
Pressens-tu le Créateur, monde ?
Cherche-le par-delà le firmament !
C'est sur les étoiles qu'il doit habiter.

おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上の楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

すべての被造物は
創造主の乳房から歓喜を飲み、
すべての善人とすべての悪人は
創造主の薔薇の踏み跡をたどる。

口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を
創造主は我々に与えた
快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ
智天使ケルビムは神の御前に立つ

天の星々がきらびやかな天空を
飛びゆくように、楽しげに
兄弟たちよ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

抱擁を受けよ、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
ひとりの父なる神が住んでおられるに違いない

諸人よ、ひざまずいたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう


ETV特集「それでもここで生きる〜山古志 復興の10年〜」
10年前の新潟県中越地震によって過疎地の旧山古志村は消滅の危機にあった。しかし、険しい山々にあるわずかな土地を耕し生き抜いてきた人々は「土とくわさえあれば生きていける」と7割もの住民が帰村。その後「都市との連携」をキーワードに復興に臨み、以前にも増して元気な地域としてよみがえった。リゾート開発や企業誘致とは一線を画す、小さな山里で身の丈にあった生活を再建しようと歩んできた山古志、復興の10年を描く
上田早苗


Symphonie no 9 de Beethoven
特別演奏会「感動の第九」

川瀬 賢太郎 14時00分開演
ザ・シンフォニーホール

指   揮    :  川瀬 賢太郎

ソ プ ラ ノ   :  福田 祥子
ア ル ト    :  田中 友輝子
テ ノ ー ル   :  山中 雅博
バ リ ト ン   :  晴 雅彦

合   唱    :  はばたけ堺!合唱団
          :  大阪交響楽団感動の第九特別合唱団2014
合唱指揮    :  中村 貴志
合唱ピアノ   :  北口 裕子  多久 潤子  中谷 友香
ワーグナー  歌劇「タンホイザー」“歌の殿堂のアリア”☆

ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」
“イゾルデの愛の死”☆

ワーグナー   楽劇「神々の黄昏」
“ブリュンヒルデの自己犠牲“ (縮小版)☆

☆ソプラノ 福田祥子

ベートーヴェン 交響曲 第9番 二短調 「合唱」 作品125


夜だけど…あさイチ「母が重たいSP」
朝の“お騒がせ番組”あさイチが夜に登場。年末の家族団らんに「母が重たい」というきわどいテーマで切り込む。娘を抑圧する「毒親」に悩む女性の証言と改善策をさぐる。
朝の“お騒がせ番組”あさイチが年末の夜に登場。最近注目を集める「娘の人生を抑圧する母」に悩む女性の証言、そして夫や父親はどのように関わればいいのか徹底議論、家族団らんの雰囲気に「母が重たい」というきわどいテーマで切り込む。また、最近の「ママと子」の距離が微妙に近すぎる風潮も取材、いつものメンバーに、あさイチ初登場のトークゲスト、年末らしい中継も加わりパワーアップ、「親子関係」を本音で語り合う。
青木さやか,小籔千豊,藤田紀子,斉藤環 井ノ原快彦,有働有美子,柳澤秀夫, 篠山輝信,中谷文彦,中村慶子


仕事納めです.と言ってもいくつか積み残してしまいました・・・
昼から第九を聞きに行くので,仕事は午前中でおわり.
さて出かける前に商店街でリンゴを買って食べました.徳用なので安いけど,美味しい.

まず新梅田シティの梅田スカイビルへ.「神戸在住」の前売り券を買いにシネ・リーブルに行くと,ここではなくて茶屋町の「テアトル梅田」とのこと.少しがっかりですが,気を取り直して昼ごはん.地下の滝見小路で天ぷらをいただきました.レトロな雰囲気です.美味しいです.前売り券は後にして,まずザ・シンフォニーホールに向かいます.途中で「大阪の学生街 福島」という石碑がありました.京都の吉田地区と同じような学生街だったらしいです.

ザ・シンフォニーホールでの席は真ん中です.指揮者の後ろ.私の席の左側は空席です.最初のワーグナーは何となくうとうとしてしまったのでベートーベンの第九は集中して聞くことに.合唱の男性陣は年配の人が多いような気がします.学生服の人はいません.独唱の4人は最初から舞台にいます.ソプラノは濃緑,アルトは紫の衣装です.途中から入ってくるのあまり好きではないのでいい感じです.細身の指揮者のダイナミックな動きがいいです.特に左手の動きが素晴らしい.
最後はいつものように蛍の光.

第九の後は茶屋町に向かいました.映画館の場所がわからなかったのですが,ロフトの地下なのを思い出しました.地下にいくのが少し面倒でしたが,無事に前売り券を買いました.神戸在住はモーニングショーになるかもしれないとのこと.受付の女性は後で思うと美人の人でした.

部屋に帰って録画してあるテレビでフランス語を見た後は,夜だけど…あさイチ「母が重たいSP」です.今から思うと重いところもあったかなぁという気がします.でも重くてもいいから生きていてほしかったです.東日本大震災から3年と9か月が過ぎでいますが,まだ悲しみが癒えていないと感じたのでした.

河北新報
<回顧みやぎ>集中捜索この1年/参加広げる仕組みを
集中捜索この1年

 浜辺のどこかに帰りたい人がいて、帰りを待ちわびる人がいる。東日本大震災で226人の行方が分からない気仙沼市を訪れ、両者の思いに寄り添う人もいる。
 気仙沼市本吉町の津谷川河口で泥まみれの人々を目にしたのは、赴任直後の5月11日だった。歩み寄ると、ボランティアがスコップで代わる代わる沼地をかいていた。
 気仙沼署は月命日の毎月11日に行方不明者の集中捜索を続けている。捜索は日に日に難しく、見つかる手掛かりも減る。昨年12月から一般社団法人気仙沼復興協会が受け入れたボランティアも参加するようになり、「骨1本でも」と捜しているところだった。
 以来、ボランティアの存在が気になった。東京、神奈川、埼玉、長野、兵庫…。話を聞くと、東北にゆかりがない遠方の人ばかりだった。
 骨が18本見つかった日もあったが、空振りの日は多い。ことしの捜索で見つかった骨から身元判明に至ったケースは、まだない。それでも無心で手を動かす人々の姿に胸を打たれた。
 「1人で捜すには広すぎるけど、人手が増えれば見つかる可能性が高まる。自分が家族なら捜したいと思うから」。京都市のボランティア松尾典子さん(43)が、冷たい浜風の中、ほほ笑んでいたのが印象に残る。
 夜行バスで駆け付ける松尾さんのように、遠方から毎月訪れる「常連組」がいるのを知ったのは最近のことだ。多くが「息の長い支援が必要」と口をそろえる。ボランティア参加者はことし延べ400人を超える。
 全国に応援してくれる人がいて被災地の復興が支えられている。大切なことをあらためて気付かせてくれた。
 一方、集中捜索に地元の人々をほとんど見かけないのは残念だ。
 市職員が11月から捜索に加わったが、4カ月おきの2人派遣にとどまる。消防職員や消防団員の姿もない。12月に初参加した住民は「参加したいという気持ちは前々からあったが、これまで場所や日時が分からなかった」と言う。告知の仕組みなどがあれば駆け付ける人がいるはずだ。
 できるときに、できるだけでいい。捜索環境が一層厳しくなる来年こそ行政、市民、ボランティア一体の活動を紙面で伝えられることを願う。(気仙沼総局・高橋鉄男)

[メモ]気仙沼署の行方不明者集中捜索 ことしは、月命日や遺族からの要望を含め16回に上った。人骨の可能性がある骨片56個が見つかり現在鑑定中。気仙沼市の震災による行方不明者数は226人で、過去に見つかった遺体の身元が判明するなどしてこの1年で10人減少した。警察庁によると県内ではいまも1256人の行方が分かっていない。


毎日新聞
東日本大震災:「あの日、風化させぬ」 語り部、決意胸に
 東日本大震災の津波で横倒しになった宮城県女川(おながわ)町の江島(えのしま)共済会館の取り壊しが始まった。津波で長男健太さん(当時25歳)を亡くし、会館前で語り部活動をする田村孝行さん(54)は「ともに教訓を伝える同志のような存在だった」と解体を惜しんだ。震災当時、健太さんは隣接する七十七銀行女川支店に勤務。近くの高台ではなく、支店屋上に避難を指示され、行員ら12人が犠牲となった。田村さんら一部の遺族は裁判で銀行と防災マニュアルの是非などを争う中、支店跡地で企業防災の重要性を訴える活動を続けている。

 岩手県大槌町は被災した町役場を一部保存する方針だ。語り部をする東梅(とうばい)和貴(かずき)さん(20)は震災で祖母を失い、一町民としては保存に複雑な思いを抱くが、「町の姿が(復興工事で)見えにくくなる中、教訓を言葉だけで伝えるのは難しい」とも感じている。

 震災遺構が無くても室内で教訓を伝える同県大船渡市の津波伝承館。館長の斉藤賢治さん(66)は震災時、製菓会社専務として社員をいち早く高台に避難させた経験を持つ。同館のプログラムは斉藤さんが発生直後から撮影した動画を中心に構成され、映像や音声が当時の状況をリアルに伝える。また、パソコン一つで語り部活動ができるので出張講演の依頼も多い。

 震災の爪痕は復興のつち音とともに消え、あの日の教訓は風化しないだろうか。そんな不安を打ち消そうと田村さんらは女川以外での活動も視野に入れる。今月は仙台市内で震災フォーラムに参加し、来場者に高台避難の重要性を訴えた。今後も講演などの依頼があれば引き受けるつもりだ。家族の死を無駄にしないという思いを胸に教訓を伝える方法を模索している。


河北新報
<暮れ行く・被災地>「またね」名残惜しむ/(7)松島水族館(松島町)
 冬休みシーズンに入り、宮城県松島町のマリンピア松島水族館を訪れる家族連れが増えている。東日本大震災を乗り越えた施設は、来年5月10日に88年の歴史に幕を下ろす。多彩な海の生物が、名残を惜しむかのように愛嬌(あいきょう)を振りまいている。
 家族で来館した公務員袋岳人さん(37)は、アシカと握手する長女の紗彩ちゃん(5)の姿に目を細めた。「私も子どもの時に海を学んだのがここ。親子で記憶を共有できてよかった」
 施設の生物は、来年7月に仙台市にオープンする「仙台うみの杜水族館」に移される。飼育員の佐藤直子さん(29)は「閉館はさみしい。せめて残りの期間、最高の思い出を届けたい」と前を向いた。
 松島水族館は津波で1階部分が浸水し、ビーバーが犠牲になるなどした。施設では現在、写真パネル展など各種閉館イベントを計画中。年末年始は休まず営業する。


河北新報
気仙沼漁港、サンマ水揚げ本州1位奪還
 気仙沼市の気仙沼漁港のサンマ水揚げ量が2014年、4年ぶり本州1位に返り咲いたことが26日、分かった。全国でも2位に入った。東日本大震災で被災した水産加工場の再建が徐々に進み買い受けを増やしたことから、前年の約2.5倍の2万7218トンと大幅増になった。
 主要漁港によると、15日までにことしのサンマ漁を終えた。水揚げ量の1位は北海道根室市の花咲漁港で6万647トン。3位は大船渡市の大船渡漁港で2万7133トン、4位は宮城県女川町の女川漁港で2万4056トンだった。
 今季は不漁だった13年に比べ、水揚げが順調に推移。気仙沼では昨年より12日早い8月30日に初水揚げした。
 秋以降は南方の海水温が高かった影響で群れが三陸沖にとどまり、気仙沼、大船渡、女川に水揚げが集中した。終盤は昨年本州トップの大船渡とのデッドヒートとなり、12月に入って気仙沼がかわした。
 全国さんま棒受網漁業協同組合(東京)によると、11月30日現在の全国水揚げ量は21万7336トンと、前年同期比48%増えた。
 気仙沼は10年の水揚げ量が本州1位だったが、11年は震災の影響で5位と低迷。12年が4位、13年は3位と持ち直してきていた。気仙沼市魚市場を運営する気仙沼漁協の村田次男専務は「再建した水産加工場や冷凍倉庫が積極的に買い受けてくれた。復旧が進む来季はさらに上積みが期待できる」と話した。
 水揚げ金額は1位が花咲の91億2894万円、2位が大船渡の29億7360万円。気仙沼は3位で26億5935万円。4位は女川の23億4316万円だった。


NHK
さかなの駅 年末大市
震災で被災した鮮魚店などが集まる、宮城県気仙沼市の「さかなの駅」で「年末大市」と呼ばれる売り出しが始まり、正月を前に新鮮な魚を買い求める人たちでにぎわっています。
気仙沼市の「さかなの駅」は、震災で被害を受けた9つの鮮魚店や商店が集まる施設で、27日から始まった「年末大市」では、お正月に向けた様々な食材が売り出されています。
店頭にはけさ水揚げされたばかりの新鮮なマグロやカニ、それに地元の正月には欠かせないナメタガレイなどが並びました。
訪れた人たちは一つ一つ手に取って、新鮮さを確認しながら次々と買い求めていました。
「さかなの駅」では、それぞれの店が市場から直接魚を仕入れていて、値段はスーパーなどの小売り価格と比べて、2割から3割ほど安くなっているということです。
33歳の買い物客の女性は「実家の福島に帰るのでお土産を買いに来ました。気仙沼の魚はおいしいのでいつも喜ばれます」と話していました。
82歳の女性は「お正月用に刺身を買いに来ました。安くて新鮮なのでいつもここに来ています」と話していました。
「さかなの駅」の年末大市は、大みそかまで毎日、開かれることになっています。


NHK
県内の震災関連死は900人に
東日本大震災の長引く避難生活で体調が悪化して死亡するいわゆる「震災関連死」に県内で認定された人は、ことし9月までに900人に上り、半年前に比べて新たに11人増えました。
「震災関連死」は、震災のあとの長引く避難生活で持病が悪化するなどして亡くなった人で、国は災害による死者と認めて遺族に災害弔慰金を支払います。
復興庁のまとめによりますと震災から3年半がたったことし9月までに県内で震災関連死と認定された人は900人に上り、半年前に比べて新たに11人増えました。
市町村別では、▼仙台市が最も多く260人、次いで、▼石巻市が259人、▼気仙沼市が107人などとなっています。
また被災した1都9県では関連死が合わせて3194人に上り、このうち福島県が1793人と全体の半数以上を占め、今回89人が新たに認められました。
震災関連死を巡っては、認められなかった遺族が、自治体を訴える裁判が今も相次いでいて、来月21日には亘理町を訴えた遺族の裁判で判決が言い渡されることになっています。


東京新聞
【金曜日の声 官邸前】 再稼働反対 風化許さず
 米国ニューヨーク市の大学院生ビビアン・ジーさん(31) 日本の反原発運動を研究しており、来日するたびにデモに参加している。福島第一の事故から3年以上が過ぎても盛り下がることなく平和的に続いていることに強く引きつけられた。

 千葉市の無職山口幸夫さん(67) 「原発という負の遺産を次世代に残したくない」との思いからデモに参加、100回近くになる。事故が起きれば情報を隠そうとする電力会社は信用できないし、地震のリスクも消えず、核のごみの行き場もない。


毎日新聞
スマトラ沖大地震:10年 被災地、まだ癒えぬ傷
 2004年のスマトラ沖大地震・インド洋大津波では、数百万人が被災し、世界各地から支援の手が差し伸べられた。その後、現地の暮らしはどうなっているのか。被害が大きかった3カ国からリポートする。

 ◆インド・チェンナイ
 ◇漁獲量半減、酒に溺れ

 「Tsunami Nagar」(ツナミナガル)。インド南部に点在する「ツナミの町」は、家を失った被災者のために政府や支援団体が建設した集落だ。正式な地名として、一部はインターネットの地図検索サービスでも表示される。

 そうした「町」の一つ、チェンナイの「HULナガル」を訪ねると、いきなり顔を赤らめた漁師の男たちが近寄ってきた。

 4階建てのアパートが建ち並ぶ一角。ろれつが回っておらず、吐く息が酒臭い。飲酒が悪癖とみなされるインドで、昼間から屋外で酔っ払いの姿を見るのは珍しい。「漁師は仕事がきついから……」。被災者支援NGOの職員、アジェさん(21)は苦笑した。

 約1000世帯の大半は海岸部で被災した漁師だ。生活は落ち着きを取り戻しているように見えるが、津波がきっかけで飲酒にふける住民もいる。

 「飲んでいると、あの日のことを忘れられるんだ」。キリスト教徒のダニエルさん(29)は10年前、自宅に音もなく入ってきた海水の恐ろしさを覚えている。慌てて外に飛び出すと、腰の深さまで浸水していた。

 高台に逃げたが、家や漁船を失った。酒を覚えたのは「津波の夢を見てよく眠れなかったから」だ。ブランデーを毎日1リットルほど飲むようになり、今もやめられない。妻(29)は「飲みたくなる気持ちは分かるけど」と、寂しげに笑う。

 彼らの暮らしは厳しい。南部の漁村イダンタクライ付近では、漁獲量が被災前の半分まで減ったという。近くの漁師、カルビンさん(37)は家や漁船など約50万ルピー(約100万円)相当の財産を失った。07年にサウジアラビアへ出稼ぎに行ったが、渡航費程度しか稼げずに2年後に帰国。「金になるエビが全く取れない。収入は半減した」と嘆く。

 ただ、チェンナイのNGO「カルナラヤ社会奉仕協会」によると、かつては自分の腎臓を売って当座の生活費を得る人もいたが、10年を経てこうした問題は少なくなった。学校に行く子供も増え、漁村とは全く違った生活が根付き始めているという。【チェンナイ(インド南部)で金子淳】

 ◆タイ・パンガー県
 ◇自立心が芽生え

 タイ南部パンガー県にある孤児院「バーンタンナムチャイ」で暮らすタニット・チュアイガードさん(17)は、10歳でここに引き取られた。津波で親を亡くした子供たちの施設だが、彼は身よりを失ったわけでない。

 津波で壊滅した近くのバーンナムケン村出身。丘の上に逃げ、両親も無事だった。その後、一家で被災者用の真新しい木造住宅に入居。だが、暮らし始めると異変に気づいた。

 「近所に麻薬がはびこり、不良グループによるトラブルが多発するようになりました。両親は私が悪影響を受けることを心配し、この施設に預けることにしたのです」

 パンガー県はタイの津波犠牲者約8200人のうち7割が集中。政府や国内外の支援団体が積極的にサポートした。その結果、住宅整備や産業振興が進み、12年の平均年収は約16万バーツ(約57万円)と、被災直前に比べ倍増した。

 しかし、津波をきっかけに組織したバーンナムケン村民らによるボランティア団体の代表、マイトリー・ジョンクライジャックさん(40)は「村民はばらばらに移住し、地域の共同体が失われた。その結果、青少年の非行など社会問題が深刻化しました」と語る。

 一部の村民は生活を政府や団体の援助に頼るようになり、分配を巡り溝も生まれた。

 「政府が進めた復興は、地元が求めるものとは違った。地域のためには、私たちが自分たちの手で生活基盤を作らなければなりません」。マイトリーさんは、防災や地域振興の活動への参加を呼びかけ、村民らに「自立」を訴えている。

 ただ、この地域にはもともと貧困家庭に生まれ教育機会に恵まれない子供が多くいた。バーンタンナムチャイのロジャナ・プラシートン施設長(49)は「子供たちを取り巻く環境の悪化は、全国的な問題でもあります」と話す。

 タニットさんは2年前、母親を病気で亡くした。父親と会う機会も限られるが、孤児院暮らしを悲観していない。「津波があったおかげで施設に入れた。そうでなければ、十分な教育を受けさせてもらえなかったと思う」

 高校卒業後は大学に進学し、音楽教師になるのが夢だという。【パンガー県(タイ南部)で岩佐淳士】

 ◆インドネシア・バンダアチェ
 ◇違法占拠続く復興住宅

 市街地の一角に並ぶ粗末な長屋。角材やベニヤ板で作られ、ガラス窓はない。塗装はくすみ、ヤギやアヒルが放し飼いにされていた。津波で壊滅的な被害を受けたインドネシア・アチェ州の州都バンダアチェで「最後の仮設住宅」だ。被災から10年たつ今も80世帯が暮らす。

 理容師のムザキルさん(35)は、自宅を失った後ずっと仮設を転々とし、今は妻と子供の5人で40平方メートルの家に暮らす。「家賃はただだが、暗くて狭くて非衛生的。子供のためにも、早く新しい家に移りたい」

 実は、ムザキルさんらここの住民の4分の1は、復興住宅に入居する権利を持つ。08年12月、政府や支援元の国際機関から目録も受け取った。しかし、10年に期待を膨らませて新居を訪れると、既に被災者ではない別人が住んでいた。「お前の住む所じゃない」と脅された。

 その復興住宅は、仮設から数キロ離れた村にある。白い土壁に庭付きの小ぎれいな平屋建て。アジア開発銀行(ADB)を中心とした国際機関が約460戸を建設し、政府の復興再建庁(BRR)が被災者に割り振った。

 しかし、村の住民は「自分たちも生活が苦しい」と、ADBやBRRに猛反発。約40世帯が勝手に入居を始め、違法占拠状態が続いている。ある住民は「入居した被災者の中には1人で2、3軒を確保している人もいるし、転売も横行している」と打ち明けた。

 09年4月にBRRが「復興は一段落した」として解散すると、混乱に歯止めがきかなくなった。ムザキルさんは「役所に相談に行っても担当部署もなく『しばらく我慢して』と言われるだけ。いつまでここに住み続けなければならないのか」と嘆く。

 住民の支援に携わるNGO「HAM」のアフマディ氏は「行政が住民の声を十分聞かずに計画を進めた点が最大の問題だ。国際機関の援助を公平に分配する能力がなく、その影響が今も尾を引いている」と指摘する。【バンダアチェで平野光芳】


朝日新聞
ろくでなし子被告を保釈 東京地裁
 自身の女性器をかたどった「作品」を陳列したなどとして、わいせつ物陳列などの罪に問われた漫画家の五十嵐恵被告(42)=ペンネーム・ろくでなし子=について、東京地裁は26日、保釈を認める決定を出した。保釈保証金は150万円。五十嵐被告は同日納付し、保釈された。

 五十嵐被告は保釈後に記者会見し、「性器は私の一部でわいせつではない。裁判はがんばって闘いたい。変わらず創作は続けていく」と語った。

 五十嵐被告は今月3日、同容疑などで警視庁に逮捕された。弁護側は勾留の取り消しを求めたが、最高裁が勾留を認める決定を出した。22日にあった勾留理由開示の法廷では、地裁が「証拠隠滅や逃亡の恐れがある」と説明。24日に東京地検が起訴した。

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boots1

2014 en dix graphiques
Les bonnes nouvelles
Le nombre de morts liées au sida dans le monde poursuit sa décrue

La baisse du cours du pétrole allège la facture énergétique des pays importateurs (dont la France)

La féminisation du Parlement poursuit sa (lente) marche

La France est la deuxième démographie la plus dynamique d'Europe

Les mauvaises nouvelles

Ebola : plus de 6 000 morts en dix mois

La croissance de la France et de l'Allemagne toujours atone

Le chômage continue d'augmenter dans l'Hexagone

NHKスペシャル 東日本大震災「38万人の甲状腺検査」
福島県で18歳以下のすべての子どもを対象に、30年かけて行う大規模な甲状腺検査が行われている。原発事故によって放出された放射性ヨウ素をどれだけ一人一人が取り込んだのかわかっていないことが背景にあるが、今、検査について住民の不安や不信が出るなど、先行きが不透明だ。原発事故以来、住民たちが抱えている“不安”にどう向き合い、どう継続して健康を見守っていけばいいのか、住民側、医療側を取材しながら考える。
鎌田靖, 伊東敏恵


横浜のYaさんが来てくれました.いろいろお話をしました.
部屋に帰ってから各種ソフトウエアをインストールしました.iTunesが結構時間かかりました.
VPNは???です.

中日新聞
震災関連死と認定3194人に 9月末時点、復興庁
 復興庁は26日、東日本大震災をきっかけに体調を崩して亡くなり「震災関連死」と認定された人が、9月末時点で10都県の計3194人になったと発表した。3月末時点の前回集計より105人増えた。宮城県の1人を除き、震災から3年以内に死亡していた。

 都県別では、東京電力福島第1原発事故による長期避難者が多い福島が前回から89人増の1793人で、全体の半数超を占めた。宮城は11人増の900人、岩手は5人増の446人だった。

 他は前回と変わらず、茨城41人、千葉4人、神奈川、長野各3人、山形2人、埼玉、東京各1人だった。


河北新報
励ましの灯、あすへ導く 女川・仮設商店街
 東日本大震災の被災事業者が入る宮城県女川町の仮設商店街「おながわコンテナ村商店街」で、クリスマスイルミネーション「灯〜TOMOSHIBI」が優しい光を放っている。商店街がある町有地は来年、町の復興事業でかさ上げされる。各店舗は町中心部などに移転するため、今冬が最後の開催となる。

 発光ダイオード(LED)電球約5万個でクリスマスリースやアーチをあしらった。包み込むような明かりが訪れた人を出迎える。
 商店街は2011年7月、NPO法人から譲り受けたコンテナハウスを活用してオープン。飲食店や電気店など8店が営業し、イルミネーションは11年冬から続けてきた。
 商店街の相原義勝代表(66)は「3年以上同じ場所で営業し仲間として絆を強めてきただけに、感慨深い」と話した。
 1月15日まで午後5〜9時に点灯される。


河北新報
<暮れ行く・被災地>「忘れない」思い贈る/(6)サンタ来訪(岩手県沿岸)
 真っ赤な衣装のサンタクロースが、ことしも被災地にやって来た。NPO法人遠野まごころネット(遠野市)の恒例行事「サンタが100人やってきた!」が23〜25日、岩手県大槌町、陸前高田、釜石両市であった。
 今回で4回目。全国から来たボランティア延べ約350人がサンタに扮(ふん)しプレゼントを配り、歌やダンスで楽しいひとときを演出した。
 ボランティアは年々減っている。イベント資金の寄付も厳しさを増す。震災の記憶の風化を実感するNPOの多田一彦理事長は「外から人が訪れることで被災地を忘れてないよ、というメッセージになる」と強調する。
 「娘がサンタさんを楽しみにしてたんです」。大槌町の関谷裕子さん(30)は、11カ月の長女海咲(みさき)ちゃんが喜ぶ姿に目を細めた。


NHK
横浜の小学生が募金を届ける
横浜市の小学生が気仙沼市を訪れ、震災で親を亡くした子どもたちを支援しようと地元の祭りで集めた募金を贈りました。
気仙沼市を訪問したのは、横浜市の小学4年生から6年生までの6人です。
6人は、26日午後気仙沼消防署を訪れ、「気仙沼の子どもたちが元気になるよう応援しています」というメッセージを読み上げ、地元の祭りで集めた24万円の募金の目録を消防団の団長に手渡しました。
募金は震災で消防団員だった親を亡くした4人の子どもの進学資金などとして活用してもらうことにしています。
消防署には津波で消防団員の父親を亡くした気仙沼市の高校1年生、小山めぐみさんが訪れ子どもたちは花束を渡したあと一緒に記念撮影をしました。
横浜市の小学6年生の女の子は「気仙沼が少しでも元気になってほしいという思いで募金を集めました。これからもできることから支援を続けていきたいです」と話していました。
また小山さんは「全国の人から支援を頂いて本当にありがたいです。
将来の夢は大工なので、夢を実現できるよう一生懸命がんばります」と話していました。


河北新報
大間原発建設差し止め訴訟 安全性実質審理へ
 北海道函館市が青森県大間町の電源開発(Jパワー)大間原発の建設差し止めを求めた訴訟の第3回口頭弁論が25日、東京地裁であった。増田稔裁判長は、原告適格や訴訟で争うべき法律関係の存否(争訟性)の判断を先送りし、原発の安全性に関する実質審理に入る意向を示した。
 地裁は来年3月19日の次回期日に実質審理入りを正式に決める見通し。自治体が原告の原発訴訟は過去に例がなく、被告の国とJパワーは函館市に原告適格がなく、市が主張する「自治体の存立維持権」も争訟性がないとして、実質審理前の訴えの却下を求めていた。
 増田裁判長は審理入りを念頭に、国に対し、これまで保留していた市の請求に対する認否と具体的な主張を準備するよう求めた。市には原告適格や争訟性に関する主張の補充を指示した。市は複数の行政法専門家の意見書を提出する方針。市の河合弘之弁護団長は「(訴えを却下する)『門前払い』の可能性は低くなったと思う」と話した。
 市は原子炉設置許可の無効確認や建設差し止めなどを求めている。大間原発はプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を、世界で初めて全炉心で用いる改良型沸騰水型炉。Jパワーは16日、建設中の原発で初となる新規制基準適合性審査を原子力規制委員会に申請した。


河北新報
スマトラ沖地震10年で追悼式典 東松島市職員も参加
 【バンダアチェ共同】大津波でインド洋沿岸諸国の計22万人以上が死亡・行方不明になったスマトラ沖地震から26日で10年を迎えた。最大の被災国インドネシアのアチェ州バンダアチェ市では、東日本大震災の被災地、宮城県東松島市の職員も参加し、犠牲者を追悼する式典が開かれた。
 甚大な被害を受けた各国被災地では復興が進み、国際的な防災協力も強化されたが、大津波の記憶は徐々に風化しており教訓の継承が課題になっている。
 アチェ州の式典にはユスフ・カラ副大統領、ザイニ・アブドゥラ州知事らのほか、州当局によると、復興支援に関わった35カ国の代表も参加した。

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ondag

Une plasticienne japonaise, spécialisée dans l'art vaginal, inculpée d'obscénité
Au Japon, l'art vaginal ne passe pas. L'artiste tokyoïte Rokudenashiko (≪ enfant bon à rien ≫ ou ≪ mauvaise fille ≫ en japonais) , de son vrai nom Megumi Igarashi, a été inculpée, mercredi 24 décembre, pour avoir enfreint la loi relative à l'obscénité, six mois après son arrestation.
Son travail, insolite et non dénué d'humour, vise à casser le tabou de la représentation du sexe féminin dans son pays, où la pornographie est largement diffusée, mais où la représentation des appareils génitaux reste interdite — ceux-ci sont floutés, pixellisés ou estompés sur les photos, les dessins et dans les films.
≪ CHATTES DÉCORATIVES ≫
En mai, Rokudenashiko avait concrétisé son projet le plus ambitieux jusqu'ici : monter à bord du canoë concu à partir d'un moule de son vagin. C'est dans le cadre ce travail qu'elle a été arrêtée et est aujourd'hui inculpée. Il est reproché à la plasticienne d'avoir envoyé un scan en 3D de son vagin à plus d'une trentaine de personnes, qui n'étaient autres que les participants de la campagne de levée de fonds lancée par l'artiste pour soutenir financièrement la réalisation de son bateau. Ces données, prévues comme une contrepartie de leur aide, permettent une impression 3D.

Rokudenashiko est également connue par ses multiples déclinaisons autour du vagin : des dioramas – petites maquettes ayant pour cadre son paysage pubien –, des coques de smartphone, des bijoux, des gâteaux ou des lampes. Des sculptures estampillées ≪ Deco-man ≫, soit littéralement ≪ chattes décoratives ≫, man étant le diminutif de manko, un mot cru qu'elle revendique : ≪ J'ai été surprise de voir à quel point les gens sont choqués par mon travail ou simplement de m'entendre dire le mot “chatte”. ≫
Selon Rokudenashiko, le sexe féminin ≪ est vu comme obscène car il est trop caché, alors qu'il s'agit juste d'une partie du corps de la femme ≫. Son but est de ≪ démystifier ≫ les organes génitaux féminins, ≪ alors que les illustrations de pénis font partie de la pop culture ≫, explique-t-elle.

朝年賀状を印刷して,一言挨拶を書きました.念のために宛先をチェックしていると,一人分忘れていることに気が付きました.その人の分は明日にして今日できた分は投函です.元旦に届くでしょう.
昼眠いです.3時から5時くらいが辛かったです.
夕方は淡路で宝塚の歴史の学習会です.とても分かりやすくためになったと思います.
ろくでなし子さん起訴がフランスのLeMondeでも報道されていました.mankoについてもちゃんとフランス語で説明してありました.

河北新報
<暮れ行く・被災地>年明け 新生活心待ち/(5)災害公営住宅(気仙沼)
 夜のとばりが下りても、こうこうと工事現場の照明がともる。近くを流れる大川の川面に反射し、鮮やかに輝いている。
 気仙沼市で最も早く、来年1〜3月に入居が始まる南郷地区災害公営住宅(165戸)の建設工事現場だ。作業員や車両がひっきりなしに出入りし、休日返上で急ピッチの工事が続く。
 市は宮城県内で3番目に多い約2200戸の災害公営住宅を計画している。第1号となる南郷地区の集合住宅は6階、10階の計3棟。来年1月31日に完成する6階の2棟は防音シートが外されて真新しい外壁が姿を見せ、おのずと入居予定者の期待が膨らむ。
 この場所には、東日本大震災の津波で被災した旧南気仙沼小があった。浸水域に建つ住宅だが、空き部屋は2戸しかない人気ぶりだ。「狭い仮設住宅で子どもたちに苦労を掛けた。やっと子ども部屋を作ってあげられる」。2児の母親(40)は完成を心待ちにする。
 年明け間もなく、工事現場の照明は役目を終える。代わって新しい暮らしの明かりが川面に映しだされる。


河北新報
<津波死亡訴訟>遺族、納得と諦めと
 「子どもの命を守る保育の原点を指摘してくれた」「訴訟で真実は必ずしも明らかにならない」。東日本大震災の津波で園児3人が犠牲になった宮城県山元町東保育所をめぐり、遺族が園側の責任を追及し損害賠償を求めた訴訟で24日、和解を受け入れた遺族は複雑な胸中を語った。
 長男歩夢ちゃん=当時(2)=を失った父渋谷亮さん(31)が和解成立後に仙台市内で行った記者会見で、「和解したことも提訴したことも、今は納得している」と話した。
 和解内容には「町は保育中の子が死亡したことを重く受け止め、今後、園児らの安全な保育に努める」との文言が盛り込まれた。渋谷さんは「園児の安全を確保するという当たり前のことがおろそかになったから事故は起きた」と指摘。「町や全国の保育関係者は和解内容を心に刻みつけてほしい」と訴えた。
 一方、最愛の息子がどういう状況で津波に巻き込まれ、なぜ命を落としたのか、訴訟を通じて明らかにはならなかったとの思いも拭えない。
 「裁判所から進行をせかされ、問題を感じても納得できないまま訴訟が進んだ。重要な証人の尋問で『分からない』『覚えていない』という答弁が簡単に許されるのを見て、訴訟で真実は出てこないと悟った」。渋谷さんは諦めの表情で語った。


河北新報
<JR山田線>三鉄移管で合意
 東日本大震災で被災し運休中のJR山田線(宮古−釜石間、55.4キロ)を第三セクター三陸鉄道(宮古市)に移管する案で、岩手県は24日、関係12市町村や同社と協議し移管受け入れに合意した。26日にJR東日本に報告し、年明けにも基本合意を結ぶ。震災から3年9カ月余りが経過し、山田線の鉄路復旧がようやく実現する。
 盛岡市であった会議後、達増拓也知事は「将来へ誇りを持って引き継げる地域づくりの核になる」と述べた。三陸鉄道の望月正彦社長は「沿線市町村、県の協力を得ながら、より良い経営を目指す」と語った。
 県によると、全12市町村が移管に合意。JR東日本が地元に支払う移管協力金(一時金)を従来の5億円から30億円に増額したことを評価した。
 新たに沿線に加わることで補助金負担を懸念する佐藤信逸山田町長は「住民のため一日も早い復旧をという思いで合意した」と話した。碇川豊大槌町長は「負担金などの交渉はしっかり対応したい」と語った。
 着工は震災から4年となる来年3月11日の前が有力視されている。2016年の岩手国体までに一部区間を優先復旧させる公算が大きい。
 復旧後は三陸鉄道が経営主体となり、山田線を挟み南北リアス線が直結される。三鉄はダイヤ改善や施設管理拠点の統合など効率化を進める。
 JR東広報部の担当者は「持続可能性の高い鉄道経営に向けた大きな前進。着工や復旧時期は今後協議する」と話した。
 山田線は津波で181カ所が被災し駅舎や線路が流失した。復旧費210億円のうち原状復旧費140億円はJRが負担。復興まちづくりに関わる70億円は国の復興交付金を充てる。JRは車両の無償譲渡、施設管理拠点の整備、人的支援の方針も示している。


河北新報
和解前に238人死亡、浪江町民 原発事故で賠償増申し立て
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県浪江町の約1万5千人が賠償増額を求めて原子力損害賠償紛争解決センターに申し立てた裁判外紛争解決手続き(ADR)で、申立人のうち238人が東電との和解前に亡くなったことが24日、関係者への取材で分かった。
 紛争解決センターは今年3月に慰謝料の増額を認める和解案を提示。東電は「原子力損害賠償紛争審査会の中間指針に基づき賠償を受ける他の避難者との間で公平性を欠き、影響が大きい」などとしてこれまで2回、和解案を拒否し、現在も協議が続いている。


河北新報
<第3次安倍内閣>被災地 反応冷ややか
 24日に発足した第3次安倍内閣に、東日本大震災被災地では冷ややかな反応が目立った。「復興を加速させて」「経済政策の再考を」。自民党の大勝を受けて再始動した政権に対し、被災者からは早くも厳しい注文が相次いだ。
 「実情を知り、目に見える支援をお願いしたい」。名取市の仮設住宅に住む介護職員遠藤多美子さん(44)の訴えは切実だ。
 自宅は津波で流失。夫は失職し、多額のローンが残る。子ども3人を抱え、生活はぎりぎり。災害公営住宅の完成には時間を要する。「『復興の加速』という公約がお題目に終わらなければいいのだが」。遠藤さんは首相の本気度を注視する。
 早期の住宅再建は被災地共通の要望でもある。
 宮古市の仮設商店街で雑貨店を営む大棒レオ子さん(67)は、仮設住宅暮らしが続く。周囲も資材や人員不足で着工のめどが立たない状況といい、「東京五輪より住宅関連を優先すべきだ」と手厳しい。
 福島の再生にも国の後押しが欠かせない。福島県浪江町から福島市内の仮設住宅に避難する無職熊田伸一さん(61)は「まずは東京電力福島第1原発事故を完全に収束してほしい」と願う。
 自宅は津波で流されたため東電から住宅補償金はもらえず、仮設住宅を出るあてはない。「政治家は選挙のときしか顔を出さない」と、被災地に寄り添う政権運営を要望した。
 安倍首相の経済政策「アベノミクス」への不安も膨らむ。石巻市の水産加工会社社長平塚隆一郎さん(55)は「円安で原料となる魚の輸入価格が高騰した。業界に恩恵はない」と述べ、新たな水産振興策を求めた。


朝日新聞
宮城)サンタがケーキを持ってきた 東松島の仮設
 東松島市の仮設住宅に、クリスマスケーキ300個を持ってサンタたちがやってきた。滋賀県草津市でバイク店を営む宮本忠則さん(43)の呼びかけで、全国から集まったボランティア十数人が3日間かけて約10カ所の仮設団地を回っている。

 震災の年から始め、今年で4回目。2日目の24日は4カ所を回り、集会所のクリスマス会に加わったり、仮設を1軒1軒訪ねたりした。「仮設を出た人が増え、歯抜けのようになっている。次の生活に踏み出せず、残された人にこそ、支援を続けたい」と宮本さん。


岩手日報
小袖海女センターが完成 久慈、素潜り実演の拠点
 東日本大震災の津波で全壊し、市による再建工事が行われていた久慈市宇部町の小袖海女センターが完成し、現地で24日、竣工(しゅんこう)式が行われた。海女による素潜り実演の拠点施設。新たに軽食スペースや案内所を設置し、観光客にゆっくり過ごしてもらえるよう配慮した。来月5日に開所、地元の海産物販売などは4月ごろ始める。

 竣工式は地域住民のほか、同市が舞台となったNHK連続テレビ小説「あまちゃん」のファンらもうわさを聞き付けて参加。テープカットで完成を祝った。

 新施設は鉄筋コンクリート造り3階建てで、延べ床面積は前施設の3倍近い約264平方メートル。1階は観光案内所や産直店舗、2階に海女文化を紹介する展示コーナー、3階に軽食スペースを設けた。エレベーターはないが、車いす向けに施設外部にスロープを整備した。総事業費は約1億8千万円で、復興交付金などを充てた。

 屋上から小袖漁港を一望できるのが売りの一つ。入場無料。営業は午前9時〜午後5時。


NHK
羽越線脱線事故から9年 現地で追悼式典
山形県庄内町で、JR羽越線の特急列車が脱線し、5人が死亡した事故から25日で9年になり、現場近くでは亡くなった人たちを追悼する式典が開かれました。

平成17年12月25日、山形県庄内町でJR羽越線の特急「いなほ14号」が脱線し、乗客5人が死亡したほか、乗員を含む33人がけがをしました。
事故から9年になる25日は、朝からJRの関係者などが現場近くの慰霊碑を訪れ、花を手向けました。
午前10時からは追悼の式典が開かれ、遺族やJRの関係者など45人が黙とうをささげました。
式典で、JR東日本の冨田哲郎社長は「事故が起きた日を安全の再出発の日とし、すべての社員が安全に対する強い決意を共有し、究極の安全に向けた取り組みを進めていきます」と述べました。
事故を受けて、JR東日本は、脱線の原因とされる局地的な突風の状況を正確に把握するために風速計の増設を進め、先月末時点で羽越線の沿線には、事故当時のおよそ5倍となる78基を設置したということです。
式典のあと、冨田社長は「事故の恐ろしさ、怖さ、痛ましさを未来永ごうにわたって継承していかなければいけないと思います」と話していました。
「まだ信じられない」

追悼の式典が終わったあと、事故で亡くなった畠山学さんの会社の部下で秋田県に住む47歳の男性は、「事故から9年たつが、まだ信じられない気持ちです。畠山さんは上司として真面目で頼りになる方でした。花を供えながら自分なりに頑張っていますと伝えました」と話していました。


朝日新聞
被災で失った日常求め インド洋津波10年、人々は――
 スマトラ沖大地震・インド洋津波から26日で10年になる。死者・行方不明者が22万人以上に上った未曽有の大災害。暮らしを取り戻そうと必死に生きてきた人々を、被災地に訪ねた。

 ■インドネシア あの日流された子、今夏再会
 7月下旬、スマートフォンが受信した女の子の写真を見て、インドネシア・スマトラ島中部のパリンゴナン村に住む雑貨店主ジャマリアさん(43)は、気を失いそうになった。
 「あの子だと直感した。産んだ時のようにおなかが痛んだから」
 津波で死んだと思っていた長女ラウダさん(14)だった。ジャマリアさんの兄が写真を送ってきた。
 10年前、一家は同島西部の町ムラボで被災した。ラウダさんと次男アリフ君(17)は一枚の板に乗ったまま波に流され、行方不明に。ジャマリアさんらは捜索をあきらめ、2005年に山間部のパリンゴナン村に移り住んだ。
 写真を受信してすぐ、ジャマリアさんは、ラウダさんがいた600キロ離れた町ブランピディに駆けつけた。誰かに救出された後、廃品回収で生計を立てる女性サルワニさん(63)に引き取られ、「ウェニ」と名付けられて育てられていた。
 「津波の子」とうわさされていた「ウェニ」の存在を、車で5分ほどの場所に住むジャマリアさんの兄が今年になって知ったのだ。
 「10年ぶりの再会」を地元メディアが報道すると、それをきっかけに寄せられた市民の情報から、8月中旬に別の町でアリフ君も見つかった。いったんは誰かに引き取られたようだが、この数年は路上生活をしていた。
 家族との再会を果たした2人はパリンゴナン村へ。電気工の夫セプティさん(51)と長男ジャフリさん(18)、三男ジュマディル君(7)の6人で暮らし始めた。ラウダさん、アリフ君は小学校に通い始め、友達もできた。
 「これからはにぎやかに過ごして、失った時間を少しずつ取り戻したい」とジャマリアさん。教師が夢というラウダさん、兵士になりたいアリフ君を家族で支えるつもりだ。
 ただ、この再会劇は、複雑な思いも残した。
 サルワニさんは「20年前に夫を亡くし、津波で家を失った。廃品回収をしながら、ウェニと必死に生きてきた。また1人になるなんて」と寂しがる。ジャマリアさんは、サルワニさんや政府がもっと早く対応してくれていたら、と感じている。
 政府によると、行方不明者は9万3千人超。幼いために住所や家族の名前を覚えておらず、親に会えないままのケースも少なくないとみられるが、政府は再会支援でほとんど何もできていない。
 今月に入って、津波孤児の女児が人身売買され、マレーシアで家政婦をしていたことも発覚した。(パリンゴナン村=古谷祐伸)

 ■インド 我が子の代わり、孤児支える
 インドで最大の被害を出した南部ナガパッティナム県に「ナムビッカイ(希望の手)」という施設がある。カリビーラン・パラメスバランさん(49)とチョーダマニさん(46)夫妻が自宅で運営する孤児院だ。津波で親を失った子どもらを引き取っている。
 高校の情報技術科に通うサンギータさん(17)は津波で母を亡くした。父は漁師だが、耳が不自由で十分な収入がなく、3歳下の妹とともに預けられた。母を失ったことはいまも「思い出したくない」というが、表情は明るい。「たくさん兄弟姉妹がいて楽しい。将来はプログラマーになりたい」。夫妻を「お父さん、お母さん」と呼んでいる。
 孤児院を開いたきっかけは夫妻を襲った悲劇だった。
 10年前のあの日、カリビーランさんは我が子3人を近くの浜辺で遊ばせていた。5歳だった長男の叫び声で異変に気づいた。
 「お父さん助けて」と叫ぶ息子の手を握ったが、すさまじい津波に引き離された。3人は遺体で見つかった。「それから2人で考えた。親だけが生き延びたのには理由があるはずだと」とチョーダマニさん。避難所を回り、子ども4人を引き取った。
 今は37人の子供たちがいる。ほとんどの経費は自ら負担する。カリビーランさんは「私は国営石油会社のエンジニアで妻も保険会社員。なんとかやっていける」。津波以外の理由で孤児となった子どもたちも増えた。
 「我が子に届かなかった救いの手をいろんな子に差し出したい。それが神に与えられた生きる意味なのです」
 (ナガパッティナム=貫洞欣寛)

 ■タイ 火葬せず、引き取り待つ
 タイ南部パンガー県の津波犠牲者墓地には、39の国旗がたなびく。隣は国際的な観光地プーケット。日本人を含む39カ国の人たちが犠牲になったからだ。
 ただ、墓地に眠るのは、10年たっても引き取り手のいない遺体だけである。
 警察は約4千の遺体のうち9割の身元を確認。ほとんどは母国や故郷へ帰ったが、タイと隣国ミャンマーの出稼ぎ労働者たち計52人の遺体は残った。
 警察が親族に連絡すると、「引き取りに行く金がない」「葬式をする余裕がない」といった人たちがほとんどだった。それでも、引き取り手が現れた時に備え、火葬せずアルミ製の棺に入れて埋葬してある。
 墓地では18日、ミャンマーの移民労働者、アウウィンさん(30)と妻のワンさん(26)が追悼用の祭壇を作っていた。ミャンマー人労働者らの遺体に引き取り手がないことは警察から聞いた。「10年たっても無縁仏とは悲しい。ミャンマーの田舎の貧しい村人はタイまで来られない。親や兄弟はつらいでしょう」
 (タイ南部パンガー=大野良祐)

 ■各国で進む復興
 各国の被災地では、復興が進んだ。
 最大の被害を出したインドネシアでは、スマトラ島西部のアチェ州を中心に14万棟の住宅が建設された。海水の浸水被害を受けた農地7万4千ヘクタールの9割以上が復旧。3700キロ分の道路も再建、新設された。今年1月には、バンダアチェ市に広さ52ヘクタールの新たな漁港もオープン。1日50トンの魚介類が取引され、にぎわう。
 タイでは、南部の観光業界が再び活気づく。人気のリゾート地プーケットの外国人客数は、04年の327万人から翌05年に115万人へ激減したが、近年は500万人を超す。
 スリランカは、09年の内戦終結もあって経済が急成長。一人あたり国民総所得(GNI)は13年に南アジア平均の2倍の3170ドルに増えた。インドでは、南部ナガパッティナム県で、民間支援などによって約2万戸の恒久住宅ができた。

 ■スマトラ沖大地震・インド洋津波の死者・行方不明者数
インドネシア 16万7千人以上
インド    約1万6千人
スリランカ  約3万5千人
タイ     約8千人
 (各国政府などによる)


毎日新聞
わいせつ:「ろくでなし子」起訴 主張真っ二つ 作家に罰金命令
 3Dプリンターで女性器を模造するためのデータにアクセスできるURLをメール送信したなどとして、東京地検は24日、「ろくでなし子」のペンネームで活動する漫画家の五十嵐恵容疑者(42)をわいせつ電磁的記録等送信頒布などの罪で起訴した。

 また、五十嵐被告の作品を陳列したとして、東京区検は同日、わいせつ物陳列容疑で逮捕された「北原みのり」の名前で活動する作家でアダルトショップ経営の渡辺みのり容疑者(44)を略式起訴した。東京簡裁は同日、罰金30万円の略式命令を出し、即日納付された。

 起訴状などによると、五十嵐被告は2013年10月と今年3月、自身の性器をかたどったボート制作への出資に応じた人に、性器を模造できる3Dデータの保存先を示すURL付きのメールを送信したなどとされる。

 また2人は共謀して今年7月、渡辺氏のアダルトショップで、五十嵐被告ら3人の女性器をかたどった石こうのようなわいせつ物3点を展示したとされる。【石山絵歩】
 ◇芸術性巡り争い

 アートかわいせつ物か−−。3D技術で模造された女性器を巡っては、弁護人が「芸術品だ」として違法性を否定する一方、検察側は「性器そのものだ」として有罪立証に自信を見せ、主張は真っ二つに分かれている。

 五十嵐被告は22日に東京地裁で開かれた勾留理由開示手続きで、自身の作品を「(女性器は)人が生まれてくる場所で大切にすべきなのに、汚らわしいものとして扱われることに怒りを覚え、その怒りをバネに楽しく明るい作品を作ってきた」として芸術品だと説明。弁護人も「彩色されるなどした結果、相当程度にデフォルメされ、いやらしさが伝わるものではない」とわいせつ性を否定した。

 一方、検察側は再現性を重視。性器をスキャナーで複写して得られた三次元データを基に、3Dプリンターで作られるものは「性器そのもの」であり、違法性が高いと判断した。

 ある検察関係者は「芸術性があると言えばわいせつ性が消えるわけでない。客観的にわいせつ物と言えるのなら立件せざるを得ない」と語った。

フランス語
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Le petit renne au nez rouge
Quand la neige recouvre la verte Finlande
Et que les rennes traversent la lande
Le vent dans la nuit
Au troupeau parle encore de lui

On l'appelait Nez Rouge
Ah comme il était mignon
Le p'tit renne au nez rouge
Rouge comme un lumignon

Son p'tit nez faisait rire
Chacun s'en moquait beaucoup
On allait jusqu'à dire
Qu'il aimait boire un p'tit coup

Une fée qui l'entendit
Pleurer dans le noir
Pour le consoler
Lui dit :
"Viens au paradis ce soir"

Comme un ange Nez Rouge
Tu conduiras dans le ciel
Avec ton p'tit nez rouge
Le chariot du Père Noël

Quand ses frères le virent d'allure aussi leste
Suivre très digne les routes célestes
Devant ses ébats
Plus d'un renne resta baba

On l'appelait Nez Rouge
Ah comme il était mignon
Le p'tit renne au nez rouge
Rouge comme un lumignon

Maintenant qu'il entraîne
Son char à travers les cieux
C'est lui le roi des rennes
Et son nez fait des envieux

Vous fillettes et garçons
Pour la grande nuit
Si vous savez vos leçons
Dès que sonnera minuit

Ce petit point qui bouge
Ainsi qu'une étoile dans le ciel
C'est le nez de Nez Rouge
Annonçant le Père Noël (x2)


図書館に行った後果物屋でリンゴを買って,その後スーパーで納豆を買おうとしたら???お財布がありません.もう一度果物屋に引き返すと,おばさんが「どうしたの?」と言ってくれました.財布のことをいうと,おじさんも話にはいってきましたが,財布はみてないとのこと.財布には約950円くらいしか入っていなかったはずだけど,その財布自体が3000円以上したのでちょっと悲しいです.でも思い出とかお金に換えられないものではなく,言ってしまえばただのモノ.自分に落ち度があったということで反省します.
年賀状を印刷するためにプリンタドライバをインストールです.うまくできました.再起動しなくてもプリントアウトできました.さて明日に年賀状印刷しましょう.
今日は亡くなった父の誕生日.「義」は父の名前の一部です.

河北新報
原状回復、用途に縛り/仙台内陸 宅地復旧の壁(下)/かすむ復興
<隣地利用断念>
 公費を投じて復旧した土地に住宅が建てられない。東日本大震災の内陸被災地で、そんな奇妙な現象が起きている。
 擁壁が崩れた仙台市宮城野区小鶴の宅地。震災前にあった貸家は既に解体されている。今春から市の助成を受けて擁壁の補強が進められているものの、完工しても再建築は認められない。
 建築基準法は宅地が2メートル以上道路と接するよう求めている。火災時の消火活動などに備えるためだ。小鶴の土地は四方を宅地や畑に囲まれ、条件をクリアできない。
 不動産業界で「再建築不可物件」と呼ばれる状況で、古い造成地などで建て替え時に問題が顕在化するケースも多い。土地を所有する60代男性は「市は復旧後の活用を考えていないのではないか」と首をかしげる。
 道路と接している別の土地とつなげるなどすれば、家屋建築は不可能ではない。男性は隣地を買い上げる方策を模索したが、災害復旧の大原則となる「原状回復」が壁になった。
 土地を一体的に利用するには擁壁の高さと位置の変更が必要だった。だが、それらは公費で賄われる復旧工事では認められない。隣地利用は断念せざるを得なかった。
 「補強工事が終わっても、畑を耕すか太陽光パネルを設置するぐらいしか活用できない」。男性が深いため息をついた。

<50年前に戻る>
 宮城野区燕沢に土地を所有する女性(64)も、原状回復が大前提という制約にたじろぐ。
 道路に面した高さ約2メートルの擁壁が壊れた。復旧に当たり、「どうせ再建するなら後方にずらしたい」という女性の要望は通らなかった。
 将来の売却も念頭に、空いたスペースに駐車場を確保する腹づもりだった。「50年以上前の造成時に戻すことしかできないなんて」。制度上やむを得ないとはいえ、女性は無念さを隠せない。

<手放すしか…>
 原状変更を伴わなくても、復旧が認められないケースもある。同じ地区内の70代女性は、自宅の擁壁を半分程度しか直せなかった。もう半分に階段が併設されていたことがネックとなった。
 市は階段やフェンスを公費助成の対象外としている。女性は年金暮らしで工費を自力で賄う余裕はない。家族からの支援も期待できず、全面補修は諦めるしかなかった。
 今春、災害公営住宅に入居した。現地での住宅再建はもう考えていない。「売値は下がるだろうが、このまま土地を手放すしかないな」。女性が疲れた表情でつぶやいた。

[メモ]道路に接することが求められる宅地の「接道義務」は建築基準法43条で定められている。求められる道路幅員は基本的に幅4メートル以上。この要件を満たさなければ建築確認が下りないため、結果的に建て直しはできない。現存する家屋のリフォームはできる。


河北新報
石巻な海の幸ずらり・きたかみ復興市
 東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市北上地区の産業復興をアピールする「きたかみ復興市」(市北上地域物産振興協会主催)が23日、北上中体育館であった。大勢の買い物客が訪れ、年末年始用などとして新鮮な海産物を購入した。

 地元の水産業者など17団体が出店。タコやアワビ、ホタテなどを市価の2、3割引きで売り出したほか、焼きカキやはっと汁を販売した。
 北上地区の法印神楽や桃生地区のはねこ踊りといった郷土芸能もステージで披露された。マグロの解体ショー、餅つきなどもあり、会場は大いに盛り上がった。
 近くの仮設住宅から娘と2人で訪れた主婦木村チエ子さん(85)は「安くておいしそうな食材をたくさん買い込んだ。お正月に家族と食べたい」と笑顔で話した。
 復興市は震災翌年の2012年に始まった。震災前は年の市として開催されていた。振興協会の佐藤好行会長(50)は「北上の海は少しずつ復活し、品数がそろってきた。今後も新鮮で質の高い商品を提供したい」と、さらなる産業復興を誓った。


朝日新聞
宮城)神戸から気仙沼へ 黄色いサンタがプレゼント贈る
 震災で大きな被害が出た沿岸部の小学校などを、一足早くサンタクロースが訪れている。阪神大震災があった神戸市のボランティア団体「ひまわりの夢企画」代表の荒井勣(いさお)さん(68)が黄色いサンタ衣装をまとい、24日まで県内を回っている。

 19日に訪れた気仙沼市立小泉小学校や同幼稚園では、児童や園児に菓子の詰め合わせを一つひとつ手渡した。

 荒井さんは阪神大震災の発生以降、神戸や中越地震、東日本大震災の被災地でヒマワリの花を咲かせる活動に取り組んできた。3年前からは宮城でサンタに扮し、全国から寄せられた贈り物を配っている。

 荒井さんはハーモニカで「ジングルベル」を吹きながら登場し、歓声に迎えられた。腹話術で子どもたちに語りかけ、笑いに包まれた。「いつか子どもたちも、被災者から支える側になってほしい」と話している。(堀江麻友)


NHK
山元町保育所訴訟 一部和解
震災の津波で亡くなった山元町の保育所の園児2人の遺族が、町に対して損害賠償を求めた裁判は、町が哀悼の意を示すことなどを条件に、園児1人の遺族との間で和解が成立しました。
震災の津波で亡くなった山元町の町立東保育所の園児3人のうち2人の遺族は、町に対し、合わせておよそ8800万円の損害賠償を求め、1審の仙台地方裁判所は、ことし3月、「町が海から1.5キロ離れた保育所に、津波が到達する危険を予測できたとは言えず、過失を認められない」として、遺族側の訴えを退ける判決を言い渡し、遺族側が控訴していました。
2審では、津波が予測できたかどうかを主な争点に、双方の意見が対立したまま結審し和解に向けた協議が進められ、仙台高等裁判所は、町が哀悼の意を示し、今後は安全な保育に努めると決意することや、遺族の夫婦に和解金、合わせて300万円を支払うことなどを条件とした和解案を勧告していました。
24日の和解協議では、この和解案を、当時2歳だった園児1人の遺族と町が受け入れ、和解が成立しました。
和解を受け入れた原告の渋谷 亮さんは、記者会見し、「後悔はしていません。和解案は、短い文章ではあるが、町に『子どもたちの命を守る』という初心にかえってもらうために必要な要素は入っている」と話しました。
また渋谷さんは「息子の命がなぜ失われたかについて、裁判で真実にたどり着けなかったのは残念。
しかし、全国で子どもの教育に関わる人たちが、子どもの命について、真剣に考えるきっかけになったのだとしたら、意味のあることだった」と述べました。
被告の山元町は「町としては、震災による津波で亡くなった園児について、損害賠償義務があるとは考えていませんが、改めて、亡くなった園児に心より哀悼の意を表すると同時に、園児の安全な保育に 努めることをお誓いします」というコメントを出しました。
一方で、原告側の、当時6歳だったもう1人の園児の遺族は、裁判所の和解案が、町の法的責任を認めていないことなどから和解案は受け入れず、判決が来年3月20日に言い渡されます。


NHK
JR山田線 三鉄へ移管決定
東日本大震災から3年9か月あまりがたった今も不通になっている岩手県沿岸を走るJR山田線の一部区間について、岩手県と沿線の自治体などはJR東日本が提案していた三陸鉄道への運行の移管を正式に受け入れることを決めました。
JR山田線は、震災で被害を受け、宮古駅と釜石駅の間が今も不通になっています。
JR東日本は、山田線の不通区間について今後の鉄道施設の更新費用や運行の継続に伴う赤字の補てん分などとして一時金30億円を支援したうえで三陸鉄道に列車の運行を移管することを提案していました。
この提案について岩手県の達増知事や沿線の自治体の首長などが24日、盛岡市で協議した結果、三陸鉄道への運行の移管を正式に受け入れることに決めました。
岩手県沿岸部の鉄道網は山田線の不通で分断された形となっていますが、運行の移管によって、ことし4月に全線で運行を再開した三陸鉄道の北リアス線と南リアス線を含め久慈駅から大船渡市の盛駅まで再び1つの線路で結ばれることになり、復興の後押しや観光振興につながると期待されています。
岩手県の達増知事は「これまで紆余曲折はあったが地元の総意として合意に至ることが出来て良かった。1日も早く工事が始まるようスピーディーに対応していきたい」と話していました。


NHK
被災地にサンタ100人集合
震災で被災した人たちに少しでも元気になってもらおうとクリスマスイブの24日、陸前高田市にサンタクロース姿のボランティアおよそ100人が集まり、仮設の商店街などをまわってプレゼントを手渡しました。
このイベントは復興を支援する団体が震災以降、毎年行っています。
24日は津波で被害を受け、追悼施設が設けられている陸前高田市の道の駅に、全国各地から駆けつけたボランティア、およそ100人が集まりました。
サンタクロース姿のボランティアたちは、震災の犠牲者に黙とうをささげたあと、4つのグループに分かれて市内の仮設商店街や保育園などに向けて出発しました。
このうち、神奈川県の大学生などのグループはおよそ50人が一列になって仮設の商店街をまわり、道行く人に手を振ったり、キャンディが入ったプレゼントを手渡したりしました。
また、保育園では、子どもたちに「メリークリスマス」と声をかけ子どもたちとふれあっていました。
神奈川県からボランティアにきた大学3年生の根岸裕太さんは「被災地の人とのふれあいを大切にしたいと思って参加しました。自分たちが来たことにとても感謝していただいて逆に元気をもらいました。」と話していました。


朝日新聞
愛知)僧侶バンド、福島・名古屋の子どもたちと歌う
 名古屋市などの僧侶でつくるバンド「G・ぷんだりーか」が23日、同市中区の真宗大谷派名古屋別院(東別院)で、名古屋と福島の子どもたちをつなぐコンサートを開いた。

 親鸞の命日の時期に行う「子ども報恩講」の一環。100人以上の名古屋の子どもたちが参加し、前日にバスで駆けつけた福島県二本松市の子どもたち約20人と一斉に手をつなぎ、声をそろえて歌って踊った。

 同派に所属する僧侶たちで4年前に結成した同バンドが生演奏したのは「テツナギマーチ」。3年前の東日本大震災で被災した同市の子どもたちやその親が自分の気持ちを歌詞に乗せ、僧侶たちが曲をつけた歌だ。「ほうしゃのうがないばしょであそびたい」「みんなでてをつないであそびたいんだ」。切実な思いが込められつつ、明るいメロディーによって楽しく歌えるようになっている。

 震災以降、同バンドが年に1、2回行っている福島県でのチャリティーコンサート。そこでの交流から、この歌は生まれた。昨年4月には京都市の東本願寺で約1万人の人々と一緒に歌い、来年4月には新潟県の三条別院でも歌う。

 ボーカルを務めたバンドのリーダーで、楽運寺住職の佐々木賢祐(けんゆう)さん(38)は「子どもたちと一緒に楽しく歌いながら、みんなで福島のことを忘れないようにしていきたい」と話した。(影山遼)


朝日新聞
歌って支援、女子中高生アイドル 震災孤児に出演料寄付
 東日本大震災で家族を亡くした子どもたちを支援しようと、福島県いわき市の女子中高生が「ご当地アイドル」グループを結成した。ライブなどの収入を震災孤児らの支援団体に寄付している。全国区の人気アイドルに楽曲を提供している著名な作曲家も協力し、活動の輪が広がっている。

 ♪届かない夢なんて 夢じゃない 諦めちゃだめさ

 青空が広がった週末。JRいわき駅前で「Baby Tiara(ベイビー・ティアラ)」のメンバー4人がデビュー曲「夢iroまかろん。」を熱唱した。地元住民や東京から駆けつけたファンら約200人が集まった。

 メンバーは計5人。いずれもいわき市在住の女子中高生で、昨年12月に結成された。きっかけは、一つの新聞記事だった。

 震災による津波で家族や親類を亡くした女の子がたくましく生きる様子を伝える内容で、高校3年の日向心愛(ひなたのあ)さん(18)=活動名=は心を打たれた。「私にできることって何だろう」。考えた末、大好きなダンスや歌を生かして義援金を募ることを思いついた。

 友人の高校3年武田珠璃華(じゅりか)さん(17)と同楠木華瑠(はる)さん(18)、ダンス仲間の高校2年湊柚希(ゆずき)さん(17)=いずれも活動名=を誘って2月ごろに活動を開始。8月には公募で中学3年の美月恋音(みづきこのん)さん(14)=同=が「研修生」として加わり、最近では一緒にステージに上っている。

 Baby Tiaraというグループ名は日向さんが付けた。「ティアラが似合うようなすてきな女性になるように」との思いを込めたという。

 結成からしばらくはオリジナル曲がなく、女性アイドルグループ「乃木坂46」などの歌をカバーしていた。見かねた男性ファンの一人が、乃木坂46などに楽曲を提供している作曲家、北室龍馬さんに作曲を手紙で依頼。北室さんは快諾し、10月上旬にいわきを訪れた。北室さんはメンバーと会話をしながらイメージを膨らませ、曲と詞を作ったという。それが「夢iroまかろん。」だ。

 いわき市を中心に福島県内で活動し、ライブやイベント出演は約20回にのぼる。オリジナルTシャツや文房具なども作り、出演料や商品の売り上げのほとんどを同市のNPO法人「ふくしま震災孤児・遺児をみまもる会」に寄付している。曽我泉美(いずみ)理事長は「震災から3年以上が経過し、支援してくれる人も減っていっている。彼女たちの活動には頭が下がります」と話している。

 これまでの寄付は約9万円。日向さんは「地道な活動だけど、被災した子どもたちに笑顔が戻るよう頑張りたい」と話し、活動に賛同する新しいメンバーを募集している。(関根和弘)


神戸新聞
<ハーバーだより>被災地の死者と生者
 太平洋に開いた港町は巨大な工事現場になっていた。

 岩手県陸前高田市。市の全域がかさ上げの対象になり、山から土砂を運ぶベルトコンベヤーがうなりを上げていた。

 奇跡の一本松が寂しげに立っていた。浜辺に真新しい慰霊碑があった。花が飾られ、手紙が添えられていた。

 〈高田高校水泳部のみんな、そして顧問の素子先生へ〉

 華、千明ちゃん、勝美ちゃん、春花ちゃん、愛実、三ちゃん、臼井君、素子先生、みんな元気にしてましたか?

 あなた達が居なくなって3年9カ月、高田にも雪が降りましたよ。

 今月はあと2週間もすればクリスマス、クリスマスが終わればあなた達の居ない4度目のお正月もやってきます。

 どうか、そちらに行った高田のみなさんと一緒に新年を迎えてくださいね。

 そして、私達家族を見守っていて下さいね。

 8人の顔を想像する。もちろん分からない。

 「生者の記憶の中にあるうちは、死者もまたその心の中で生きている」。ふと、神戸の遺族が語っていた言葉を思い出した。

 私たちの町にもクリスマス、お正月、そして生者と死者を理不尽に分けた1・17が巡る。やはり、東北と神戸はつながっている。(木村信行)


東京新聞
ボパールの悲劇 忘れてはならないもの
 「ボパールの悲劇」を覚えてますか。インドで起きた史上最悪の化学工場事故。あれからちょうど三十年。水俣や福島の歴史が重なります。もう二度と“史上最悪”を繰り返してはならないと。

 ボパールは、インド中部マディヤプラデシュ州の州都である。

 この街で一九六九年、米ユニオン・カーバイド社(後にダウ・ケミカル社が買収)の子会社が、殺虫剤工場の操業を開始した。

 「すばらしい工場」と呼ばれ、雇用の創出が歓迎された。しかし住民は、ドイツの専門家が「中心部に原子爆弾があるようなもの」と指摘したその危険性に関しては、十分知らされていなかった。

 八四年十二月二日深夜から三日にかけて、原料のイソシアン酸メチル(MIC)を詰めたE六一〇号タンクに異変が起きた。排水すべき、すすぎ水がタンクに逆流し、流入した不純物が四十二トンのMICと反応、タンク内の温度と圧力が急上昇、肺を侵す有毒ガスが大量に発生し、風に乗って人口密集地域を覆った。

 夜明けまでに二千人以上が命を落とし、最終的な死者は二万五千人、三十万人以上が被害を受けたとされている。

 経費節減のため、三重といわれた安全装置は、すべて作動できない状態にあり、タンクの温度計さえ、動いてはいなかった。

 支払われた補償金は、日本円にすれば一人五万円足らず、工場跡地では今もなお、土壌や地下水の汚染が進んでおり、呼吸器系の障害や手足の感覚まひを訴える住民は後を絶たない。当時の経営責任者は刑事責任を拒絶した。米政府もこれをかばった。

 インド政府はこの大惨事を教訓に、原子力損害賠償法を制定した。設備を造った業者にも、原発事故の責任を厳しく問える。

 だが教訓はそれだけか。遠い異国の惨状に、水俣や福島が重なって見えないか。

 再来年、水俣病“正式確認”から六十年になる。ところが、その正体は明らかでなく、患者は増え続けているではないか。

 福島事故の原因は定かでなく、十二万人を超える被害者が異郷で四度目の年を越す。なのに、政府は再稼働ばかりを急ぐ。

 「人とその安全は、あらゆる技術的冒険の第一の関心事でなければならない」

 アインシュタイン博士のこの言葉を、もう一度かみしめたい。新しい年が来る前に。

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ろくでなし子さんの起訴は不当だ!ただちに釈放を!

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天皇誕生日

Le Japon sous le charme d'"Amachan"
Jejeje ≫, quel succès ! ≪ Amachan ≫ et ses expressions particulières comme ≪ jejeje ≫, onomatopée traduisant la surprise et la joie, n'en finissent pas de faire chavirer le Japon. Le dernier des cent trente-deux épisodes de cette série télévisée de l'opérateur public NHK a été diffusé le 28 septembre, mais son compte Facebook et ses 22 143 abonnés en relatent toujours les moindres avatars.
Outre la publication d'ouvrages ou la place de la musique originale dans les classements de ventes, le scénariste Kankuro Kudo était le 21 octobre l'invité de l'émission ≪ Bistro Smap ≫ de Fuji TV. Et l'actrice principale, la pétillante et véritable révélation Rena Nonen, fera une apparition le 28 dans ≪ Shabekuri 007 ≫, programme phare de la chaîne Nihon TV.
≪ Amachan ≫ raconte l'histoire d'Aki, une lycéenne de Tokyo dont la famille vient de Sodegahama, petit port de Kuji, ville du département d'Iwate, l'une des régions dévastées par le séisme et le tsunami du 11 mars 2011. Contactée par Daikichi, un ami d'enfance, sa mère Haruko est contrainte d'y retourner en urgence. Aki l'accompagne. L'appel au secours n'était qu'un prétexte. Daikichi a forcé Haruko à revenir pour la convaincre de reprendre une activité d'ama, les ≪ femmes de la mer ≫ capables de plonger en apnée pour ramasser des oursins et autres coquillages. Pour Daikichi, il en va de l'avenir économique du port, l'activité touristique de Sodegahama dépendant de ces femmes. Haruko refuse mais Aki, elle, est séduite et décide de devenir ama à son tour. D'où le titre ≪ Amachan ≫, ≪ chan ≫ étant un suffixe affectueux. L'histoire se décline sur fond de reconstruction et de rêve pour Aki et sa copine Yui (Ai Hashimoto) de devenir des stars.
ZONE TOUCHÉE PAR LA CATASTROPHE
≪ Amachan ≫ a été programmé de 8 heures à 8 h 15, à l'heure du traditionnel feuilleton du matin (les asadoras) diffusé depuis 1961 par la NHK. Il s'agissait de la 88e série de ce créneau. Ciblant plutôt un public féminin, les asadoras ont connu leur heure de gloire dans les années 1980, le plus grand succès restant ≪ Oshin ≫, diffusée en 1983 et dont l'audience atteignit les 60 % de part d'audience.
Difficile de retrouver un tel niveau, mais ≪ Amachan ≫ a régulièrement flirté avec les 25 %, un chiffre considéré aujourd'hui comme synonyme de succès. Pour les analystes, la série a séduit par son cadre, celui d'une très belle région avec une côte joliment dentelée et couverte de pins. L'aspect sentimental a également joué. Le choix de réaliser la série dans une zone touchée par la catastrophe de 2011 devait contribuer aux efforts de redressement de la région.
Le très sérieux hebdomadaire économique Nikkei Business signale aussi qu'≪ Amachan ≫ a réussi à attirer des hommes d'âge mûr en employant des stars des années 1980 - comme la chanteuse et actrice Kyoko Koizumi -, et en intégrant les tubes de cette époque dans la bande originale. Autre recette du succès, l'utilisation des réseaux sociaux. Le scénario multiplie les rebondissements susceptibles de faire débat. Et puis, comme souvent au Japon, la série a donné lieu à une foule de produits dérivés. Un sondage révèle que 5,5 % des spectateurs en ont acheté, et que 1,5 % se serait rendu à Kuji où l'on trouve moult spécialités locales estampillées ≪ Amachan ≫.
L'institut de recherche économique d'Iwate, lié à la banque du même nom, a évalué l'impact économique d'≪ Amachan ≫ à 32,8 milliards de yens (246 millions d'euros) pour l'année fiscale en cours. Le développement du tourisme permettrait même de créer cinq cents emplois. Si bien que, pour entretenir l'activité, de nombreuses voix s'élèvent en faveur d'une suite. Mais pour l'instant, rien n'est décidé.

ちょっとあまちゃんを思い出しています.TSUTAYAでレンタルできるかな?

ろくでなし子さんが起訴されました.逮捕,その後の勾留もおかしいのに,起訴も納得できません.まずはとにかく,ろくでなし子さんを釈放すべきだと思います.

毎日新聞
東京地検:「ろくでなし子」容疑者を起訴
 3Dプリンターで女性器を造形するためのデータにアクセスできるURL付きのメールを第三者に送信したなどとして、東京地検は24日、漫画家で「ろくでなし子」のペンネームで活動する五十嵐恵容疑者(42)=東京都世田谷区=を、わいせつ電磁的記録頒布罪などで起訴した。

 五十嵐被告は自身の性器をかたどったボートの制作の出資者に対し、自身の性器の造形物ができるデータを送信したなどとして7月と12月、警視庁に逮捕されていた。【石山絵歩】

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天皇誕生日祝賀反対12・23大阪集会/サンマをフライパンで焼いて

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141223_anti_emperor

Les rubans et la fleur
Une fleur à sa guitare
Quatre rubans de couleur
Ces rubans ont une histoire
C'est l'histoire de son cœur
Toute la nuit il a joué
J'avais le cœur qui tremblait
Il m'a raconté l'histoire
Des rubans et de son cœur
Et la fleur, dis?
Et la fleur?
Elle n'a donc pas d'histoire
Et la fleur, dis?
Et la fleur?
Parle-moi d'elle ce soir
Il y avait un ruban gris
Pour sa mère et son pays
Qui en partant lui ont dit
"Aller, bon vent mon petit"
Il y avait un ruban bleu
Pour les filles aux jolis yeux
Qu'il rencontrait en chemin
Qu'il oubliait le matin
Et la fleur, dis?
Et la fleur?
Elle n'a donc pas d'histoire
Et la fleur, dis?
Et la fleur?
Parle-moi d'elle ce soir
Il y avait un ruban rouge
Pour son copain Nicolas
Qui lui écrit quelques fois
"Je suis soldat ne m'oublie pas"
Il y avait un ruban blanc
Il le garde pour l'enfant
L'enfant qu'il aura un jour
Quand il trouvera l'amour
Et la fleur, dis?
Et la fleur?
Tu n'en parles jamais
Et la fleur, dis?
Et la fleur
La fleur, tu me l'as donnée


日本の戦後史を画する歴史的瞬間に行われた総選挙は、沖縄を除いて極右安倍政権の勝利に終わりました。安倍はあたかも全権委任を得た独裁者のように、戦争といっそうの搾取・収奪・貧困化に突き進み、2016年には念願の改憲を果たすと宣言しました。
この選挙結果は悔しいけれど、ある意味で戦後70年の私たち日本の労働者民衆の後退に次ぐ後退の結果だと、改めて思わざるをえません。極右政権が戦後史の根本的転換をはかり戦争にまっしぐらに進むこの歴史的瞬間に、私たちは労働者のゼネストと巨万のデモンストレーションをうてないでいます。日本最大の労働組合、連合が「平成の産業報国運動」を担い始め(『朝日』素粒子11月20日)、「革新」諸政党は「戦争反対」を掲げても天皇と自衛隊(日本軍)を容認し国益主義・愛国主義にどっぷりとつかっている、これが私たちの現実です。それは、併合され沖縄戦を強いた日本(ヤマトゥ、天皇制)、戦後も過酷な軍事植民地を強要した米国と日本(ヤマトゥ、天皇制)の責任を自力で追及し続け、自決権を
自己の根源的欲求にまで押しあげてきた沖縄民衆と余りにも隔たっているといわねばならず、忸怩たる思いを禁じえません。
私たちは、いま改めて、私たちの戦後民主主義は何であったのか。根本的に問い直すことが求められています。参戦と天皇制に反対する連続行動はその第一弾として下記の集会・デモを行います。多くの参加を呼びかけます。

■天皇誕生日祝賀反対12・23大阪集会
敗戦70年―戦争国家と対決し戦後史を見直す
 ◇日時 12月23日(火)午後1時30分〜4時30分 集会後 デモ
 ◇場所 エルおおさか(大阪地下鉄谷町線・京阪「天満橋」下車徒歩7分)
 ◇講演 「戦後70年、日韓条約50年を問う」
  講師  渡辺 健樹さん (日韓民衆連帯全国ネットワーク)
 ◇参加費(資料代含む) 1000円(経済的に厳しい方は受付まで)
◇主催 参戦と天皇制に反対する連続行動

日本の支配階級は本格的な戦争準備を権力的・暴力的に急ピッチで進めており、民衆の間で危機感が広がっています。敵は「戦後レジームからの脱却」を掲げて、戦争の歯止めとしては一定の役割りを果たしてきた「平和と民主主義」(戦後民主主義、戦後レジーム)をぶち壊しにかかっています。しかし、戦争の危機感をもつ私たちは戦後民主主義を守るだけで闘えるのだろうか。それがいま厳しく問われています。
 私たちが確認せねばならないのは、この戦後民主主義が曖昧で、日本(天皇)に侵略戦争責任や植民地支配をとらせないできた「平和と民主主義」であることです。南京大虐殺、日本軍「慰安婦」、朝鮮人・中国人被曝者、強制連行、沖縄戦住民虐殺など、私たちの責任も問われています。戦後70年を迎えるいま、敵の戦争準備と闘うために、私たち民衆自身の戦後民主主義を問い直します。その第一弾が12・23集会です。多くの参加を呼びかけます。

参戦と天皇制に反対する連続行動    
 大阪市淀川区十三東3−16−12  Tel/Fax 06 (6303) 0449
  *12・23集会に賛同を。
  賛同費は個人・団体とも1000円。「12・23」集会と明記を
    郵便振込 00900−8−168991  口座名称 反戦反天皇制労働者ネットワーク 


反天皇制の集会に参加しました.民主主義に反するし,そもそも必要ありません.差別と戦争につながるというのも納得です.反戦反天皇制労働者ネットワーク通信を2部買いました.後でゆっくり読みましょう.写真の字はどこかの大学の立て看板みたいな感じ.同志社大学っぽい?
疲れていたのでデモは参加しませんでした.どこかでザイトクと思われる人がさみしく声を上げていましたが・・・
部屋に帰ってからは,スーパーで買い物したものの調理です.
開きサンマを焼くのに,アミがないのでフライパンで火を通しました.ごま油も使いました.美味しかったのでマルです.

河北新報
門脇小は保存を 震災伝承検討委が提言
 石巻市震災伝承検討委員会(委員長・平川新宮城学院女子大学長)は22日、東日本大震災で被災した門脇小を遺構として保存することなどを盛り込んだ提言書を市に提出した。門脇小に対しては住民の間に解体を求める意見もあることから、市は慎重に検討する方針。
 平川委員長らが市役所を訪れ、亀山紘市長に提言書を手渡した。平川委員長は「多くの候補について吟味を重ね、門脇小を残すという結論に至った。住民に配慮した保存方法を模索してもらいたい」と述べた。
 亀山市長は「震災の教訓をどのように残すのか、住民の意見を聞きながら丁寧に考えていきたい」と語った。
 提言は「津波と火災の痕跡を残す唯一の施設」と門脇小の重要性を指摘し、全体の保存が望ましいとした上で、住民の意向を考慮して部分保存もやむを得ないという付帯意見を添えた。
 有識者や住民代表で構成する検討委は昨年11月から、震災の被害や教訓を後世に伝える手法や、遺構の選定・保存方法を協議してきた。市は提言を受け、来年1月にも門脇小周辺の住民を対象に説明会を開く。
 門脇小については、県の震災遺構有識者会議も18日、「保存する価値がある」との総合評価をまとめ、村井嘉浩知事に伝えている。


河北新報
境界ずれ 負担と不安/仙台内陸 宅地復旧の壁(中)/かすむ復興
<隣にはみ出る>
 解体した自宅は十分に使えるはずだった。目算を狂わせたのは、東日本大震災で生じた土地の境界問題だった。
 「今から何を言っても仕方ない」。言葉とは裏腹に、仙台市青葉区折立5丁目の庄子敏子さん(69)はわだかまりを消すことができない。
 地区内では北東方向にずれる地滑りが発生した。庄子さんの宅地も最大約2メートル動き、隣の敷地と道路にはみ出す格好となった。
 土地の境界は不明瞭になったが、家屋はわずかに傾いただけ。決して住めない状況ではない。
 同様の被害が起きた新潟県中越沖地震でも、動いた位置を基準に境界を決めた例があった。「土地はこのままで建屋だけを修復しよう」。庄子さんがそう考えたのも当然だった。
 風向きが変わってきたのは昨年春。周辺住民の大部分が土地を現状復旧させていた。

<費用倍以上に>
 法的に問題ないとはいえ、自分だけ歩調を合わせないのは居心地が悪い。土地を以前の状態に戻すことを昨年末に決断し、建物を取り壊した。
 解体費は自己負担。震災間もない時期なら公費で賄われるはずだった。建て替えの間の仮住まいの賃料も必要になる。トータルの復旧費用は当初見込みの倍以上に膨れ上がった。
 曲折はあったが、新居は来春完成の見通しがついた。「被災時にもっと情報を集めておけばよかった」。新生活を前に、庄子さんが振り返った。

<擁壁厚み増す>
 境界問題は土地そのものの復旧にとどまらず、外構整備でも顔を出す。
 玉石積みの擁壁の補強工事が進む青葉区旭ケ丘2丁目。後背地に余裕がない場合などは、表面をコンクリートで塗り固める工法が採用されている。
 擁壁は境界ぎりぎりに建てられているケースが少なくない。工事は隣家の承諾を踏まえているものの、擁壁の厚みが増した結果、その表面が隣地にはみ出すこともある。
 地域内の女性(69)は隣の家が工事の真っ最中。自宅と擁壁の距離はもともと人が通るほどしかない。「庭いじりの道具を置いていたけど工事後はどうなるか」と壁のはみ出し具合に気をもむ。
 土地の境界は不動産の価値を左右する。将来的に思わぬ近隣トラブルの元凶にもなりかねない。
 市内の不動産業者の一人は「建て替え時などに擁壁を敷地内に戻すといった約束を書類で交わした方が安全。公費で実施する以上、市は所有者に指導する必要があるだろう」と指摘した。

[メモ] 震災の宅地復旧事業で、仙台市は基本的に境界問題に関与しない姿勢を貫いている。自治体として公平な対応が難しいこともあり、地権者間で推定境界を決めた上で工事を進めている。問題が複雑な場合、市は調整役として行政書士を派遣して対応した。


河北新報
<暮れ行く・被災地>仮設でも人気は不変/(3)おさかな市場(宮城・女川)
 正月に欠かせない子持ちのナメタガレイをはじめ、タコや新巻きザケ、筋子…。宮城県女川町の「マリンパル女川おさかな市場」は、年末年始用の海産物を買い求める人たちでにぎわう。
 女川港の目の前にあった施設は東日本大震災で被災した。運営する事業協同組合が7カ月後、石巻市寄りの国道398号沿いで移転再開。6店が入った。
 迎えた4度目の年の瀬。店舗は仮設だが、生きの良さと人気は変わらない。山形市から訪れた公務員伊藤栄子さん(50)は「新鮮な魚が買えるのが魅力で震災前から通っている。年末にもう一度来るつもり」と笑った。
 買い物客のピークは27〜30日ごろ。商品詰め合わせなどが当たる「年末大感謝祭」を30日まで開催中だ。併設の食堂では、旬の海の幸を使った料理も味わえる。


河北新報
<回顧みやぎ>(6)/一つ また一つ明かり/亘理・荒浜の復興
 この1年、港町に復興のつち音が高らかに響いた。全域に津波被害があった亘理町荒浜地区。被災施設や店舗の再建が続き、オープン行事の取材に追われた。明るい話題を紹介しながら、一抹の不安が常に消えなかった。祭り騒ぎが去った後に何が残るのだろう、と。
 被災した施設を町が修繕し、10月4日に再開した町営温泉「わたり温泉鳥の海」。湯あみに足を運ぶたび、荒浜の現状を目の当たりにする。
 鉄筋5階の最上階にある広々した湯船から街並みを見下ろすと、人家の明かりはまばら。解体した住宅の基礎が残る空き地を雑草が埋める。職員は「住民の利用が少なく、平日の利用客の落ち込みが激しい」とこぼす。
 地区の人口は10月末現在で2136人。震災前の2011年2月(4576人)の半分以下だ。10月1日に完成した集合型災害公営住宅も整備した100戸に対し、入居決定は39戸にとどまる。住所を残したまま、内陸部の仮設住宅に暮らす被災者はまだ多い。
 ある男子児童の言葉が忘れられない。「避難中に別れたまま再会していない友達が10人ほどいる。寂しいからこそ、僕は未来の荒浜を楽しい場所にしたい」。悲しみを抱えながら、けなげに前を向く姿に希望を感じた。
 住民が、自分たちの力で再生に取り組む動きが始めたのも心強かった。
 地元の住民自治組織、荒浜地区まちづくり協議会は10月、5年後の将来像を見据えたまちづくり計画策定委員会を設立した。31人の委員が、ワークショップで「地域ぐるみで子育て支援を」「昔の海岸を取り戻そう」など活発に意見を交わす。
 菊池敏夫事務局長は「従来の行政区の枠を超え、前向きな議論ができている」と期待する。討議の結果は来春、地域に提示する予定だ。
 先日、旧家から82年前の荒浜を撮影した16ミリフィルムが発見された。映像には、多くの住民でにぎわう街並みが映っていた。将来の荒浜はどんな姿を見せてくれるのか。温泉に足しげく通いながら、その先を追い続けようと思う。
(亘理支局・原口靖志)

[メモ] 亘理町荒浜地区の復興状況 町は被災施設の現地再建を促進し、温泉に加え8月に荒浜中、10月に町水産センター「きずなぽーとわたり」が完成した。集団移転先の中野団地や西木倉地区に整備した災害公営住宅でも入居を開始。来年2月には、災害危険区域に設けた商工観光ゾーンに8店が入居する「亘理町荒浜にぎわい回廊商店街」がオープンする。


NHK
被災の高齢者がクリスマス会
東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市の牡鹿半島で仮設住宅で暮らしているお年寄りたちが、ボランティア団体が設けている集会所に集まり、クリスマス会を楽しみました。
クリスマス会が開かれたのは、神奈川県に本部があるボランティア団体が、石巻市の牡鹿半島に設けている集会所「おらほの家」です。
23日は、仮設住宅で1人暮らしをしているお年寄りなど9人と、神奈川県からボランティア活動で訪れた中学生と高校生の7人が一緒にクリスマス会を開き、松ぼっくりに色を塗ってクリスマス飾りを作りました。
また生徒たちは、棒の先に付けた画用紙にことし大ヒットした映画「アナと雪の女王」の登場人物を描いて動かし物語を披露しました。
集まったお年寄りも映画の主題歌を一緒に歌って、クリスマス気分を楽しんでいました。
お年寄りの1人は、「いつも仮設住宅の狭い部屋にいるのでここに来るのが楽しみです。80年以上生きてきたが、きょうほど楽しかったことはない」と話していました。
「おらほの家」では、大晦日にも、1人暮らしのお年寄りが集まって、一緒に年を越すことにしています。


NHK
復興願い被災者が第9を合唱
気仙沼市で、市民によるベートーベンの「第9」の演奏会が開かれ、地元の合唱団が、復興への思いを込めて歌声を披露しました。
このコンサートは、気仙沼市で、復興に向けて団結力を高めたいという地元の声を受けて開催されました。
会場となった気仙沼市民会館には1000人の観客が集まり、はじめに、仙台フィルハーモニー管弦楽団のオーケストラが、「きよしこの夜」や「ジングル・ベル」を演奏し、訪れた人たちは、一足早いクリスマス気分を楽しみました。
続いて、気仙沼市を中心に139人が参加した合唱団が登場し、オーケストラとともにベートーベンの交響曲第9番、「第9」を合唱しました。
合唱団には、今なお仮設住宅で暮らす人もいて、この日のために半年間練習を重ねてきました。
その迫力のある歌声と力強く歌う姿に観客たちは聞き入り、演奏が終わると会場は大きな拍手と歓声に包まれていました。
津波で母親を亡くし、23日の合唱に参加した、58歳の女性は、「亡くなった家族も会場に来てくれていると思うので、歌声が届いていれば良いです」と話していました。
また50歳の女性は、「気仙沼でもこれだけ大きなことができるんだと感動しました。これでまた復興に向けて進んでいきたいです」と話していました。

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朔旦冬至/一陽来復/風景印/看々臘月尽/新しいダイアリー

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Dans la vie on ne fait pas ce que l'on veut mais on est responsable de ce que l'on est.
Jean-Paul Sartre
Artiste, écrivain, Philosophe, Romancier (1905 - 1980)

Quand tout va bien on peut compter sur les autres, quand tout va mal on ne peut compter que sur sa famille.
Proverbe Chinois

プレミアムシアター「ベジャール振付“第九交響曲”&喜歌劇“メリー・ウィドー”」
ベートーベンの傑作に、鬼才ベジャールが振付けた「第九交響曲」。音楽とダンスによる人間賛歌の舞台▽後半は、ウィーン・フォルクスオーパーの喜歌劇「メリー・ウィドー」
およそ350人が奏で、踊り、歌う!ベジャール振付「第九交響曲」はダンサー、オーケストラ、歌手、合唱が集結する一大スペクタクル▽出演:東京バレエ団、ベジャールバレエ団/管弦楽:イスラエル・フィル/指揮:ズービン・メータ/メゾ・ソプラノ:藤村実穂子、テノール:福井敬、合唱:栗友会合唱団 他▽後半は、ウィーン・フォルクスオーパー2012年の来日公演「メリー・ウィドー」。ソプラノ:アンネッテ・ダッシュ他
東京バレエ団,モーリス・ベジャール・バレエ団,クリスティン・ルイス,藤村実穂子,福井敬,アレクサンダー・ヴィノグラードフ,栗友会合唱団,イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団,ズービン・メータ


佐保川の水をせきあげて植ゑし田を刈る早飯(わさいひ)は独りなるべし

今日は19年に一度の「朔旦冬至」(さくたんとうじ)だそうです.イマイチありがたみがわかりませんが,とにかく一陽来復.あすから昼の時間が長くなります.
今年最後のバランスランチを食べた後は風景印を押してもらってShさんに絵ハガキをだしました.年賀状出すのになんか編ではありますが・・・
12月なので看々臘月尽.毎月禅語をチェックしようかなと思うのでした.
今日から新しいダイアリーです.会計簿は1月になってからです.

日本経済新聞
19年に1度「朔旦冬至」 新月と重なる
 太陽が昇っている時間が1年で最も短い冬至の22日は、旧暦の11月1日で月の満ち欠けが見えなくなる新月と重なり、19年に1度巡ってくる「朔旦冬至」となった。

 冬至は二十四節気の一つで太陽の高さが1年で最も低く、この日を境に昼が長くなっていく。国立天文台によると、東京では22日の日の出から日の入りまでの時間が9時間45分。

 一方、地球から見て月が太陽と同じ方向にある新月は「朔」と呼ばれ、新たな満ち欠けが始まるものとして、古くから喜ばれてきた。中でも、冬至と重なる朔旦冬至は特にめでたい日とされ、祝いの対象になってきた。

 冬至の日にはカボチャを食べ、ゆず湯に入ると風邪をひかないという言い伝えがあり、東京都浴場組合は「各銭湯ではユズを浮かべたお湯を用意するので、温まってほしい」としている。


河北新報
権利複雑工事進まず/仙台内陸宅地復旧の壁(上)/かすむ復興
 東日本大震災で地滑りが多発した仙台市内陸部で、宅地の復旧が遅れている。津波に襲われた沿岸被災地に比べれば工事規模は小さい。ただ、停滞の影響は沿岸部と同様、被災者に重くのし掛かる。

<遠い完工目標>
 市が公費で工事する169地区(宅地2521カ所)のうち、ことし10月末までの完工は58地区にとどまる。9月までに100地区とした目標に遠く及ばない。
 「土地の複雑な権利関係が障壁になっている」と市の担当者は話す。公共事業とはいえ、地権者の同意なしに土地に手は付けられない。だが、その対象者すら判然としないケースが出ている。
 青葉区北根3丁目で象徴的な事例があった。
 問題となったのは空き家が立つ宅地。地区全体の土地を強化するため、セメントなどで地盤を補強する必要があった。
 登記上の土地所有者は既に死亡し、直系の家族らはいずれも相続を放棄している。調査で同意権を持つ親族がいることは判明したが、肝心の所在が分からない。
 「承諾抜きに工事はできない」。結局、市は着工を断念し、代替案の検討に入った。新たな設計図がまとまったのはことし8月すぎ。昨年末段階の見通しでは、既に完工しているはずだった。

<応じぬ場合も>
 地権者がはっきりしている場合でも、快諾してくれるとは限らない。
 青葉区に住む80代男性は2012年夏以降、繰り返し市から地盤補強の打診を受けた。地区全体の地滑り防止に不可欠との説明だが、前向きには考えられなかった。
 地震で傾いた家屋は既に自力復旧している。「生きている間だけ建物がもってくれればそれでいいのだが…」。男性が困惑気味に語った。

<長期化に不満>
 震災で打撃を受けたのは、1960〜70年代に開発された古い住宅地が多い。家屋が密集し、道路は狭い。施工スペースや資機材搬入に手間取る場所もあり、作業効率は容易には上がらない。
 生活道を走るトラック、重機が発する震動、そして通行規制。生活圏で行われる工事が長引くにつれ、周辺住民の不満が募りつつある。
 泉区歩坂町の無職男性(82)は「工事で自宅が揺れることもあったが、慣れてしまった」と諦め顔で話す。周辺で昨年6月に始まった工事は、今も終わっていない。
 地区内では工事で自宅車庫が一時使用できなくなり、住民が近くの空き地に車を置くこともあった。「地区全体のための工事。迷惑がってはいけないが、苦情があるのは事実だ」。言葉を選びつつ、町内会長の佐藤若夫さん(73)が地域の実情を語った。
     ◇
 東日本大震災は沿岸部だけでなく、仙台市を中心とする内陸部の宅地にも被害をもたらした。一帯が被災した津波被災地とは状況が異なるものの、土地の復旧作業には都市生活圏ならではの課題が横たわる。市内の現状を追った。(報道部・鈴木拓也)

[メモ]仙台市では震災による地滑りで5728カ所の宅地が危険、要注意の判定を受けた。うち公費復旧の対象は2521カ所(計169地区)となり、所有者は基本的に工事費の1割だけを負担する。市は14年度内の全地区完工を目指す。対象外となった宅地復旧にも、市独自の助成制度が設けられている。


河北新報
「1万8483」思い寄せる 石巻に慰霊の塔
 石巻市皿貝の観音寺の裏山に21日、東日本大震災の犠牲者を慰霊する塔「祈りと供養の標(しるべ)」が完成した。塔には、被害の大きかった地域の方角を指し示すステンレス版が整備され、災害の記憶を残す場を創出する。
 塔の建立は、一関市の住職後藤泰彦さん(54)が代表を務め、被災地に桜を植樹する「手あわせ桜プロジェクト」の一環。建立場所は、被災3県の中間地点でなおかつ後藤さんの実家でもあることから観音寺を選んだ。
 塔は幅約3メートル、高さ約1メートルの扇形。解体中の民家から、石巻・雄勝と登米産の玄昌石のスレートを集め、震災の死者・行方不明者と同数の1万8483枚を積み上げて建てられた。
 ステンレス版には、北は久慈、南はいわきまで被災3県の被災地の方角が示され、震災の犠牲や復興について思いを寄せられる。内部には納骨堂も設けられ、震災で墓を失った人が亡くなった場合などは無料で納骨できる。
 後藤さんは「訪れた人には、震災での心の傷を癒やし、亡くなった方との心の交流をしてほしい」と話した。


河北新報
<霊島を歩く・震災後の金華山>ヤマバカリ(1)/漁師の目印 安全を祈願
 石巻市の離島・金華山は「東北三大霊場」の一つとして信仰を集める。観光地としても知られるが、東日本大震災後は訪れる人がめっきり減った。晩秋から初冬にかけて渡った霊島は、手つかずの自然が雄大さを誇りながら、荒廃も進んでいた。(石巻総局・丹野綾子、写真部・佐々木浩明)

 太平洋上に浮かぶピラミッド状の島影は、北に約100キロ離れた気仙沼市からもよく見える。
 金華山は島全体が一つの山。海上からもひときわ目立つ。牡鹿町史によると、三陸沖で漁をするカツオ漁師らは船の位置や漁場などを測る目印「ヤマバカリ」として重宝した。航海の安全と大漁を願う存在でもあった。
 上陸して山に入った。ブナやケヤキといった広葉樹林が広がる。大人が数人で両手を広げても、抱えきれない巨木も珍しくない。「太古から続く神の島」。そんな印象が頭をかすめた。
 女川港から巡航船を運航する「潮プランニング」(女川町)の持田耕明さん(43)も島に魅せられた一人。茨城県出身。ヨット愛好家で、リアス式海岸に引かれ2009年に女川へ移り住んだ。
 「牡鹿半島周辺の住民は『金華山に守られている』と信じている。神がいるかどうかはともかく、信仰が息づいている。それが島の魅力でもある」
 東日本大震災で、近くの女川原発が深刻な事態にならなかったのは金華山のおかげと思っている人もいるという。
 金華山は住民の心に宿る「神の島」なのかもしれない。

[メモ]金華山は船で石巻市鮎川港から約20分、女川町の女川港から約35分。周囲26キロ、山頂は海抜445メートル。東日本大震災と台風で船着き場や金華山黄金山神社への参道などが被災した。震災前に鮎川、女川両港から出ていた定期船は現在、週末などの臨時運航。石巻市牡鹿稲井商工会によると、震災前は年間約6万人が訪れたが、震災後はボランティアを含め約2万人に減った。


毎日新聞
東北復幸祭:パリで大成功…被災地の中高生が企画、開催
 東日本大震災の被災地の中高生が8月、フランスの首都パリで復興イベント「東北復幸祭」を開き、2日間で来場者約15万人と大成功を収めた。経済協力開発機構(OECD)の発案で「OECD東北スクール」と名付けられたこのプログラムは、企画から開催まで全てを生徒が担当した。文部科学省は、課題解決力や発信力といった今後必要とされる資質能力の育成に大きな成果があったとして、同スクールの手法を学校教育に生かす方策の検討を始めた。【三木陽介】
 ◇課題解決、発想…すべて向上/国、学校教育にも

 同スクールは、OECDが震災直後に提案した復興支援策で、岩手、宮城、福島の被災3県の中高生にパリで復興イベントを開くプロジェクトを全面的に任せる企画。学年も地域も異なる生徒約100人が発表内容の検討・実行、広報作業、資金調達などグループごとに分かれ、2年半をかけて計画を練った。

 開催日は8月30、31の両日。会場となったエッフェル塔前の公園で、震災の津波の高さまで大きな風船を浮かべたり、東北地方の伝統の踊りや特産物を披露したりして、復興へ進む被災地の今や絆の大切さを伝えた。

 同スクールの事務局を担当した福島大の三浦浩喜副学長によると、参加前と後の生徒の自己評価を調べたところ、問題解決力や発想力、チームワーク力、発信力、好奇心など9項目全てで向上が見られたという。

 11月に東京都内で開かれた報告会で、福島県立福島西高2年の草野有里薫(ゆりか)さん(17)は「行動しなければ何も始まらないことがよく分かった」と振り返った。参加のきっかけは農家の祖父母が直面した風評被害だった。「何とかしたい」。柿や桃、リンゴなど福島特産の果物を使ったゼリーを仲間らと考案してイベント会場で配布し、パリ市民に好評だった。祖父母からも「若い人が農業について真剣に考えてくれてうれしかった」と感謝されたという。

 企業などから開催資金を募る役割を担当した同県立平商業高3年の白岩春奈さん(18)は「何度もくじけそうになったけれど、前に進むしかないと思った」といい、仲間と打ち合わせを重ねて企業訪問を繰り返した。その結果、約180社の協力を取り付けた。「今後もこうした活動に関わりたい」と積極的だ。

 同スクールに関わった教員からも「教師にも貴重な経験だった」「こういう学びこそ不可欠だ」との意見が相次いだ。文科省の山中伸一事務次官は「このプログラムを日本の教育改革につなげ、OECDの他の国でも展開できるか検討したい」と、同様の企画を全国で支援・拡充していく考えだ。


スポニチ
関ジャニ横山、報道特番初司会 震災から20年「風化させてはいけない」
 関ジャニ∞の横山裕(33)が、阪神淡路大震災から20年を迎える来年1月17日放送の読売テレビ報道特番「キミに伝えたい」(後0・54、関西ローカル)の司会を務めることになり、このほど神戸市内で会見した。

 6400人を超える犠牲者を出した95年の大震災から節目を迎え、関西在住の若者に専門家も交えながら徹底討論し、その教訓を未来へと伝える内容。横山は、震災によって倒産の危機に陥った神戸に本社があるオリバーソースや、阪神間の海上輸送で奮闘した遊覧船・コンチェルト号の関係者ら当時を知る人物への取材も行った。

 当時、中学1年だった横山は、大阪市内の実家で自らも被災。近所に仮設住宅が設置されたり、淀川の堤防が決壊するのも目撃したが、「20年たって、知らない子供がいっぱいいる。風化させてはいけない」と真剣なまなざし。報道番組の司会は今回が初めてだが、フリーアナの宮根誠司(51)と一緒ということもあり、「肩に力を入れすぎず、できることを精いっぱいやりたい」と気合を込めた。

 女優の平愛梨(30)、南野陽子(47)、フリーキャスターの辛坊治郎(58)らがゲスト出演。


NHK
長野北部地震1か月 100人余避難生活続く
長野県北部で震度6弱の激しい揺れを観測した地震から、22日で1か月になります。被災地では今も100人余りが避難生活を余儀なくされていて、地元の自治体では、仮設住宅の建設など避難生活の解消に向けた対応を急いでいます。

先月22日に長野県北部で震度6弱の激しい揺れを観測した地震では長野県白馬村や小谷村などで、46人が重軽傷を負いました。また、住宅50棟が全壊、91棟が半壊し、地震から1か月となる22日朝も、100人余りが避難先の宿泊施設などで夜を明かしました。
このうち37棟の住宅が全壊するなど、被害が集中した白馬村では年内に避難生活を解消しようと仮設住宅の建設が急ピッチで進められています。先週の大雪の影響で、工事は当初の予定よりも数日遅れているということですが、年内に仮設住宅を完成させ、入居を受け付ける方針です。
また、小谷村では公営住宅の空き部屋などを提供することにしていて、必要な戸数はほぼ確保できているとしています。
一方、農業への被害も深刻で、長野県のまとめでは、8つの市町村で水田に亀裂が入るなどの被害が確認され、被害額は少なくとも21億4000万円に上っています。中には来年の作付けを断念せざるをえない農家もいて、農業の再生も課題となっています。


朝日新聞
津波の記憶、十年一昔 スマトラ沖大地震・インド洋津波
 22万人以上の死者・行方不明者を出したスマトラ沖大地震・インド洋津波から26日で10年を迎える。各国の被災地では復興が進む一方で、悲劇の記憶が少しずつ「風化」しつつあるように見える。

 ■沿岸に戻った住宅、3年前に訓練中止
 10年前、スマトラ沖大地震によるインド洋津波で住民6千人の8割以上が亡くなったインドネシア・バンダアチェ市ウレレ地区。ほとんどの建物がのみ込まれた沿岸はいま、再び家屋が立ち並んでいる。
 漁師アディさん(42)は両親やきょうだい6人を失い、ここを離れたが、戻ってきた。「ここで生まれ育った。生死は神様次第さ」
 市内から車で30分、標高120メートルの場所に住宅約600棟が並ぶ「ジャッキー・チェン村」。中国赤十字会などの支援で建てられ、ジャッキーさんも訪れた。安全な高台の復興住宅地なのに、空き家が目立つ。
 「停電が多く、水道も止まる。買い物も不便で引っ越す人が増えている」と主婦ヌルミさん(30)。「実は、私たちも」。父と姉、弟を亡くした悲しみは消えないが、漁師の夫と2人の子とともに自宅があったウレレ地区に戻るという。
 アチェ防災庁は沿岸部に働き口が多い事情も考え、再移住を黙認。代わりに高さ10メートルの避難ビルを建ててきた。だが、市内に52棟必要なのに5棟しかない。1棟で220億ルピア(約2億円)の建設費が足りない。
 インド最大の被災地、南部ナガパッティナム県。200人超が亡くなった漁村でも、波打ち際ぎりぎりまで茅葺(かやぶ)きの民家が復活している。漁師ムロガンさん(40)は「海から離れて生きていけない」。県の担当者は「戻ることを止めるのは難しい」と話す。
 タイ南部パンガー県では、波打ち際から30メートルのホテルで観光客が海を眺めていた。約5年前から料理店や土産物店、ホテルが建ち始め、津波が襲った場所だったとは想像できない。
 隣のプーケットは人気リゾート地。犠牲者も日本や欧州など39カ国に及んだが、立ち直りは早かった。
 地元観光協会によると、中国やロシアの旅行客の増加と復興時期が重なり、ホテルは10年前の倍の8万5千室に。サティラポン・ナタクアトン会長は「リゾートに巨大な防潮堤はありえない。『ホテルは高台で浜辺はビーチクラブだけ』が理想だが、それほど資金のある業者はいない」。
 中心部のビーチに近いバンサイナムイェン小学校は、3年前に避難訓練をやめた。訓練用にサイレンを鳴らすと「外国人観光客が驚くからやめて」と申し入れがあったからだという。
 避難ルートの標識はさびたり、塗装がはげたりして、判読も難しいものばかり。観光客は標識と気づくこともなく通り過ぎる。

 ■観測ブイ、1基に減る
 人びとがリスクの高い場所に住むなら、すばやく避難させる仕組みがいる。各国で警報システムの構築は進むが、課題は残る。
 インドネシア政府はドイツや日本の支援で、2008年に津波警報システムを導入した。5分以内に津波の到達を予測、各地で警報サイレンを鳴らす。12年4月の地震では警報が鳴り、訓練でも使われている。
 だが、予測の精度を向上させる津波観測ブイは自国海域に1基しかない。技術評価応用庁の責任者は「23基を設置したが、壊されたり、盗まれたりした。漁船が係留されて不必要に揺れ、誤ったデータが流れたこともある」と説明。当面は地震計や米国やタイなどが周辺に設置したブイのデータが頼みだ。
 タイ政府は344基の警報タワーを建てた。警報発令時にはタイ語、英語、ドイツ語、中国語、日本語で避難呼びかけを繰り返す。2、3度警報を出したときは住民の多くが高台に避難したが、国家災害警報センターの幹部は「住民の意識を長期的にどう引きとどめていくかが課題」と話す。
 インドでも、警戒情報を発表するシステムはできた。だが、ナガパッティナム県では、住民に直接伝える仕組みは整っていない。
 (バンダアチェ=古谷祐伸、プーケット=大野良祐、ナガパッティナム=貫洞欣寛)

 ■「外国人客への周知、日本でも重要」
 米サンフランシスコで今月中旬、米地球物理学連合の会合でインド洋津波10年をテーマにしたセッションと記者会見があった。東京大地震研究所の佐竹健治教授は「発生頻度が低い大地震や津波は、記憶にとどめる努力が必要だ」などと話した。
 スマトラ沖大地震・インド洋津波では、多くの海外からの旅行者も犠牲になった。教訓の伝承は、自治体や住民だけでは不十分。佐竹さんは「外国語での注意喚起は、東京五輪が開かれる日本にとって重要だ」と指摘する。
 スマトラ沖大地震・インド洋津波の7年半後には隣接した海域でマグニチュード(M)8を超える大地震が起きた。東日本大震災でもまだ大きな余震の恐れがある。東大地震研の平田直教授は「余震は今も続いている。津波は数百年先ではなく、近い将来、再び来ると考えないといけない」と話す。
 独立行政法人建築研究所では津波防災を学ぶコースができ、05年からインドネシアなどからの研修生を受け入れてきた。これまで37人が修了、今も6人が学ぶ。大学でも留学生を受け入れている。気象庁は「現地では、施設の維持管理や一般の住民らへの周知が課題だ。人材育成などで今後も支援をしていく」と説明している。
 (木村俊介)


毎日新聞
原子力政策 原発回帰の本音みえる
 これは、原発ゼロを目指さないという明確な意思表示ではないか。原子力政策を議論している経済産業省の有識者会合が、年末にまとめる中間整理の中に、原発の建て替え容認を検討事項として盛り込むという。

 総選挙後、原子力規制委員会が関西電力高浜原発3、4号機の安全審査で事実上の合格証を出すなど原発依存につながる動きが相次いでいる。民意を問わず、なし崩し的に進める原発回帰は認められない。

 建て替え容認は、総合資源エネルギー調査会原子力小委員会が「廃炉に見合う供給能力」の必要性を指摘する形で、中間整理に検討課題として盛り込む方向だ。

 福島第1原発の事故以降、政府が建て替えの必要性を打ち出すのは、これが初めてになる。建て替えは、老朽原発の廃炉と同時に新しい原発を建設する手法で、実質的には新設と変わらない。

 原発事故後の法改正で原発の運転は原則40年と規定された。延長が認められなければ、2030年に原発の発電能力は半減し、49年にゼロになる。しかし、建て替えが認められれば、原発は将来にわたって存続することが可能になる。

 安倍政権は4月に閣議決定したエネルギー基本計画で、原発について「依存度を可能な限り低減する」とする一方で、「重要なベースロード電源」と位置づけた。建て替え容認は、政権の本音が「原発依存回帰」にあることを裏付けるものだ。

 既存の原発には火力発電に比べ燃料費が安い、二酸化炭素の排出量が少ない、政情不安定な中東に頼る原油や天然ガスにエネルギー安全保障面で勝るなどのメリットがある。即時全廃は現実的には難しいだろう。

 しかし、「安全神話」が崩壊し、国民の生命を脅かす危険は消せない。使用済み核燃料の捨て場所も見つからない。克服し難い課題を抱える原発は、できる限り早くゼロを目指すべきである。それに逆行する建て替えは容認すべきでない。

 将来的に原発の存続を認めることになれば、積み上げてきた「脱原発依存」の取り組みにも水を差す。

 九州、北海道などの大手電力会社は政府が認定した再生可能エネルギーを受け入れきれないと試算している。受け入れ拡大には蓄電池や送電網の増強などが必要だが、原発の建て替えが認められるのであれば、対策に力は入らないだろう。

 総選挙後、Jパワー(電源開発)が大間原発の安全審査を申請し、原子力規制委は再稼働に向けた高浜原発の安全性を認めた。今度は建て替え容認論である。今回の選挙戦で自民党は、原発についてほとんど語らなかった。これはフェアではない。

フランス語
フランス語の勉強?

部屋でゴロゴロ←なんだか調子悪い・・・鼻水が止まらない

ブログネタ
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بنت

La madrague
Sur la plage abandonnée
Coquillage et crustacés
Qui l'eût cru déplorent la perte de l'été
Qui depuis s'en est allé
On a rangé les vacances
Dans des valises en carton
Et c'est triste quand on pense à la saison
Du soleil et des chansons

Pourtant je sais bien l'année prochaine
Tout refleurira nous reviendrons
Mais en attendant je suis en peine
De quitter la mer et ma maison

Le mistral va s'habituer
A courir sans les voiliers
Et c'est dans ma chevelure ébouriffée

Qu'il va le plus me manquer
Le soleil mon grand copain
Ne me brûl’ra que de loin
Croyant que nous sommes ensemble un peu fâchés
D'être tous deux séparés

Le train m'emmenera vers l'automne
Retrouver la ville sous la pluie
Mon chagrin ne sera pour personne
Je le garderai comme un ami

Mais aux premiers jours d'été
Tous les ennuis oubliés
Nous reviendrons faire la fête aux crustacés
De la plage ensoleillée
De la plage ensoleillée
De la plage ensoleillée


NNNドキュメント'14 瀕死の花園に客を呼べ樹木医が放つ入園無料…欧風大庭園
「はままつフラワーパーク」の入園者数はピーク時の4割程度に落ち込んだ。女性樹木医の理事長が徹底するのは「客目線」。この状況を挽回できるか? 生野文治  静岡第一テレビ
テレメンタリー2014「裂かれる海〜辺野古 動き出した基地建設〜」
辺野古の海に設置された巨大フロート 政府が基地建設を計画する名護市辺野古。去年仲井眞知事が海の埋め立てを承認したことから、この10年間止まっていた計画が大きく動き出した。
海では沖縄防衛局が立ち入り禁止を示す巨大なフロートを設置し、海上保安庁が工事を止めようとする人々を荒々しく取り締まる。正念場で迎えた知事選挙では、これまで基地を挟んで保守と革新で争ってきた沖縄で、「辺野古反対」を軸に超党派のうねりが生じている。
基地建設をめぐり、海が、人々が引き裂かれる沖縄の苦悩を追った。 琉球朝日放送

駆け込みドクター!人間ドックSP★血液・脳・プチ不調・消化器を徹底調査
今回も「肝臓」「腎臓」「腸」など主要な臓器に問題が多く発覚!! 「肝機能」を回復するにはどうしたらよいのか? 「大腸がん」のリスクを上げる生活習慣とは??など健康に日常生活を送るポイントも伝授!! 他にも、更年期の女性に多い「脂質異常症」や「リウマチ」、聞きなれない「シェーグレン症候群」「全身性エリテマトーデス」などいろいろな病気の可能性が盛りだくさん! 最強医師軍団が徹底解説!!
▼加藤茶に新たな病気? ▽大久保リウマチ疑惑? ▼布施博の肝臓と脳が? ▽笑瓶は粘液のう腫? ▼ダレノガレは目と口? ▽スギちゃんは薬? 芸能人の人間ドック結果が他人事ではなくなる2時間です!
久本雅美 オードリー(若林正恭、春日俊彰) 大久保佳代子 加藤茶 笑福亭笑瓶 スギちゃん ダレノガレ明美 比企理恵 藤崎奈々子 布施博 松居直美 LINA 池谷敏郎 大竹真一郎 前田達浩 丸田佳奈 森田豊 吉田明世(TBSアナウンサー)

NHKスペシャル メルトダウン File.5「知られざる大量放出」
独自の取材と科学的検証を重ね、福島第一原発の事故の真相に迫り続けてきたシリーズ「メルトダウン」。今回は、事故から4年近くたって浮かび上がった「知られざる大量放出」に迫る。いわゆる「吉田調書」などで知られる公的な事故調査は、事故から最初の4日間を対象としてきた。しかし、新たに入手したアメリカ軍の放射線量のデータなどを解析すると、これまでの「常識」を覆す放出と汚染の実態が分かってきた…。

部屋でゴロゴロ.とはいえ久しぶりにストリーミングでフランス語の勉強.なかなか難しいです.録画しておいたテレビでフランス語もみました.
エアコンを入れたのに寒い感じがします.なんだか調子悪い感じです.鼻水が止まりません.
くしゃみも止まりません.

NHK
仮設住宅でもちつき
お正月を前に南三陸町の仮設住宅で餅つきが行われました。
餅つきが行われたのは南三陸町歌津の平成の森仮設住宅です。
震災が起きた後、支援を続けている東京のボランティアの男性が、うすやきね、それに米30キロを提供しました。
朝早くから、集会所の前に住民が集まって餅つきが行われ、「よいしょ!」という威勢の良いかけ声とともに、大人や子どもが交代をしながらもちをついていきました。
餅をつき終わると参加した人たちは、もちを集会所に運んで、仮設住宅に住む人たちに配るため正月用の鏡餅や切り餅などにしました。
またクルミやきなこをまぶした餅もふるまわれ、集まった人たちはつきたての柔らかいもちをおいしそうに味わっていました。
88歳の女性は、「ついたばかりなのでおいしいです。ふだんは部屋で1人きりなので、みんなで集まれることが楽しいです。」と話していました。
この仮設住宅の自治会の及川学会長は、「もちつきを通して、みんなが笑顔になれて良かったです。
お米や道具を支援していただいた方に感謝しています」と話していました。


NHK
災害公営住宅でクリスマス会
ことし夏に入居が始まった仙台市の災害公営住宅で入居者同士の交流を深めようと、初めてのクリスマス会が開かれました。
仙台市太白区の鹿野復興公営住宅は、ことし7月に住民の入居が始まりました。
この公営住宅には仙台市や気仙沼市などから67世帯が移り住んでいて、21日は住民同士の交流を深めようと地区の町内会などがクリスマス会を開きました。
まだ、公営住宅には集会所ができていないためクリスマス会は隣接する福祉施設で行われ、親子連れやお年寄りなどおよそ30人が参加しました。
クリスマス会では、サンタクロースに扮した福祉施設の職員が登場し、ゲームを楽しむなどしてお互いに交流を深めていました。
また、お互いの顔を知ってもらおうと自己紹介も行われ参加した人たちは1人ずつ住んでいる部屋や被災するまで住んでいた地域などについて紹介していました。
親子で参加した31歳の女性は「クリスマス会だと聞いて、こどもたちを連れて参加しました。まだ住宅にいる他の方のことを全然知らないので、こういう交流会でお互いに仲良くなりたい」と話していました。


NHK
被災地にサンタのボランティア 岩手
被災地の子どもたちを元気づけようと、岩手県大船渡市に全国からサンタクロースにふんしたおよそ200人のボランティアが集まり、子どもたちにプレゼントを贈りました。

この催しは地元の実行委員会が去年から開いているもので、ことしも大船渡市の会場に全国各地からサンタクロースにふんしたボランティア、およそ200人が集まりました。
出発式のあとグループに分かれて市内11か所を回り、このうち蛸の浦公民館には京都の大学生ら14人が訪れました。
そして、集まった子どもたちに菓子をプレゼントしたり、シャボン玉や鬼ごっこをしたりして交流を深めました。
このあとボランティアたちが、持参したトロンボーンでクリスマスソングなどを披露すると、子どもたちは、笑顔を見せて拍手を送っていました。
近くの仮設住宅で暮らす小学2年生の男の子は「うれしいです。サンタがいっぱいでびっくりしました」と話していました。
京都からボランティアとして参加した大学2年生の齋藤依里奈さんは「被災地のために少しでも力になればと思い参加しました。来年もまた参加したいです」と話していました。


NHK
被災地の子どもが考える防災会議
来年3月に仙台市で開かれる国連防災世界会議を通じて、被災地の現状について子どもの視点で意見を発信しようと、21日、宮城県岩沼市で被災地の子どもたちが参加した会議が開かれ、震災の風化や心のケアなどについて意見を交わしました。

この会議は、発展途上国の子どもたちの支援などを行っている国際的なNGOが開いたもので、東日本大震災の被災地、岩手、宮城、福島の小学5年生から高校生までの40人余りが参加しました。
参加した子どもたちは、「震災の風化をどう防ぐか」や「子どもの居場所作り」、それに「心のケア」など8つのテーマについて意見を出し合いました。
この中では、「震災でつらかった経験を聞いてもらいたいのに、思い出したくないとして、大人に聞いてもらえないこともあり、話し合える機会が必要だ」とか「仮設住宅を作るときには、体を動かすことのできる遊び場所も作ってほしかった」などといった意見が出されていました。
会議に参加した石巻市の高校1年生は「震災の体験を分かりやすく伝え、世界の防災に役立てたい」と話していました。
また、21日の会議では、国連防災世界会議で被災地を代表して世界各国の子どもたちと一緒に出席する3人が選ばれ、会議を通じて、被災地の現状について子どもの視点で意見を発信していくことにしています。


朝日新聞
震災遺族の声聞いて
 震災で失われた命の意味を考えようと、遺族たちが思いを伝える「震災フォーラム」が20日、仙台市青葉区で開かれた。津波で大切な家族を失った4人が、今も消えない悲しみや心の葛藤などを語った。

 石巻市の大川小学校で6年生の次女を亡くした佐藤敏郎さん(51)は、震災後1カ月近く学校側から説明がなかったことや、有識者の検証委員会の報告が遺族の疑問に応えるものではなかったことを指摘した。

 七十七銀行女川支店で働いていた長男を失った田村弘美さん(52)も、銀行の説明の遅さや内容に不信感を抱き、裁判に訴えたと語った。田村さんは、支店の跡地を訪れる人に企業防災の大切さを伝えている。その数2万人。「息子の25年の人生が価値あるものだったと報告するために、私は今、がんばっています」

 提訴までの家族間の葛藤を明かした人も。震災発生直後の対応をめぐって名取市を訴えた女性だ。8カ月の長男らが犠牲になった理由を訴訟で明らかにしたい夫と、提訴直前まで毎日のようにけんか状態だった。静かに過ごしたかったという女性も最後は、犠牲がなかったことになるのは耐えられないと同意したが、「息子は教訓を伝えるためではなく、ごくごく普通の人生を歩むために生まれた」と胸の内を語った。

 フォーラムは子どもを亡くした親たちでつくる「つむぎの会」が主催した。田中幸子代表は「最も悲しいのは家族の命を失うこと。その声を聞かずに復旧、復興はない」と強調した。(中林加南子)


神戸新聞
仲良し家族一緒だよ 傷心で逝った夫婦、銘板に
 新たに24人の名前が刻まれた神戸・東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」。阪神・淡路大震災で最愛の子ども2人を亡くし、心が癒えぬまま相次いでこの世を去った夫婦の銘板を貼り付けた友人は20日、胸のつかえが取れたような表情を見せた。まもなく訪れる震災20年。「これでやっと家族がそろった。天国から笑い声が聞こえてくる気がする」

 大黒(だいこく)肇さん、妻信子さん、長女久美子さん、長男智志(さとし)君は、近所で評判の仲良し4人家族だった。あの日、激震で神戸市東灘区の自宅が全壊し、当時中学3年だった久美子さんと同1年の智志君が犠牲になった。

 夫婦の傷心ぶりは、はた目にも痛々しいほどだった。一家と親しくしていた藤瀬裕子さん(62)=同市東灘区=は、信子さんが「早く2人のそばに行きたい」と言うのを何度も聞いた。仏壇の前で泣き暮らす信子さんが心配で、そばで見守り続けた。

 信子さんは震災翌年に流産し、ますます自暴自棄に。体を壊し、医者に止められてもたばこを手放さず、自分を痛めつけるような生活を続けて2001年に逝った。家族から「ハッチ」と呼ばれていた肇さんは「本当に『みなしごハッチ』になってしまった」と抜け殻のようになり、4年前に死去した。

 モニュメントには久美子さんと智志君の名が既に刻まれている。「家族で同じ空間にいさせてあげたい」と藤瀬さんが友人を代表して銘板追加を決めた。肇さんと信子さんに加え、孫を溺愛していた肇さんの両親、病床の信子さんを支えながら病に倒れた信子さんの弟の名も共に刻んだ。

 雨が降りしきる中、式典に参列した藤瀬さんは「震災は大黒さん一家の生きる希望を全部持って行った」と唇をかむ。5人の銘板を貼り付け、「家族みんな一緒に、という願いがようやくかなった。天国で幸せに暮らしてほしい」と静かに祈りをささげた。

(黒川裕生)


河北新報
<暮れ行く・被災地>手焼き復活、職人の技/(1)笹かまぼこ作り(名取)
 すり身の焼ける香ばしい匂いが立ち込める。名取市中心部に笹かまぼこ製造のささ圭(名取市)が構える工房。お歳暮と正月の食卓向けに、昔ながらの手焼きで笹かまが作られている。
 石臼で練り合わせたすり身を手でたたいて成形し、金串に刺して丹念に火であぶる。独特の風味や食感を生むには、職人の熟練した技と感性が求められるという。
 東日本大震災の津波で、同市閖上にあった3工場が壊滅した。4カ月後、市内の内陸部の売店を改装して小さな工房を開いた。機械がないため半世紀ぶりに手焼きを復活。金串は津波にのまれた工場跡で拾い集めた。
 製造ラインが整った新工場が同市植松で稼働した今も、手焼きを工房で続ける。「一度は全てを失ったからこそ、笹かま作りの原点を大事にしたい」と佐々木圭亮社長(63)。
 手間暇かけた一枚一枚に、再興を目指す職人の気概が詰まっている。



 被災地は東日本大震災から4度目の歳末を迎えた。新年への希望を胸に、再生に向けて歩み続ける人々の暮らし、各地の風景を追った。


河北新報
宮古発Xマス行き 三鉄レトロ列車飾り付け
 三陸鉄道北リアス線で18日夜、レトロ列車にクリスマスツリーやモールを飾り付けたクリスマス列車がお目見えした。東日本大震災後の運行は初めて。
 家族連れや会社のグループなど38人が乗車。宮古駅を午後6時半に出発し、田野畑駅で折り返して戻る約2時間の旅を楽しんだ。
 車内ではサンタクロースに扮(ふん)した三陸鉄道の社員が、乗客に飲み物やケーキなどを振る舞った。プレゼントが当たるビンゴ大会もあり、歓声や拍手に包まれた。旅の最後には車内で撮影した写真付きのクリスマスカードが配られた。
 家族4人で参加した宮古市高浜の会社員地蔵堂友信さん(34)は「子どものころのクリスマスを思い出した」と語った。長女の優和ちゃん(5)は「ケーキがおいしかった」と喜んでいた。


河北新報
復興の第一歩 いわき市にマルシェ開店
 東日本大震災の津波で大きな被害を受けたいわき市の豊間地区で20日、復興仮設商店街「とよマルシェ」がプレオープンした。
 プレハブ平屋2棟(床面積計435平方メートル)に、津波被害を受けた地元の中華料理店や鮮魚店など4店舗が入居。うち1店舗は敷地内でトレーラーハウス(定員15人)も経営する。20日はマグロの解体や民謡ショーなどで開店を祝った。
 豊間地区は震災で約8.5メートルの津波が押し寄せ、89人が犠牲になった。地区内に10月、192世帯分の災害公営住宅が完成。戻ってきた住民の利便性を高めるため、商店街を整備した。
 中小企業基盤整備機構が1億2800万円で店舗を建設。入居事業者が福島県と市の補助を使い、内装や設備を整えた。来年1月15日に本格オープンする。
 豊間行政区の遠藤守俊区長(70)は「公営住宅と仮設商店街の完成を、古里復興の第一歩にしたい」と話した。


朝日新聞
福島、震災遺物は「語り部」 原発事故で遅れた収集開始
 東日本大震災の惨状を伝える震災遺物の収集が、福島県でようやく動き出した。東京電力福島第一原発事故で放射線量が高い地域があったり、放射性物質を含むがれきの撤去が遅れたりして手つかずだった。津波や地震の爪痕だけでなく、原発事故によって生活の場から突然離れざるを得なくなった状況を伝える物も多く、関係者は「原発災害の語り部」を後世に残したいと取り組んでいる。

 富岡町で津波にのまれ、大破したパトカーが保存されることが今月16日、町議会で報告された。パトカーは震災直後、住民の避難誘導中だった。乗っていた双葉署地域交通課の増子洋一さん(当時41)は死亡し、佐藤雄太さん(同24)は行方不明のままだ。

 この日、2人は非番だったが、人事異動の内示を受けに署を訪れた。佐藤さんは約2週間後に巡査部長に昇任し、郡山署へ異動することを知った。刑事志望だった佐藤さん。旧知の郡山署の刑事1課長に電話すると、「待ってるぞ」と喜んでくれたという。

 しばらくして激しい揺れが襲った。2人はパトカーで署を飛び出した。高台へ逃げる人々とは逆に、大津波が迫る住宅地へ。走るパトカーの最後の姿だった。

 その後、富岡町仏浜の海岸近くで見つかった。原発事故で全町避難になっているが、昨年3月から日中は立ち入りができるようになり、町民らが訪れる。双葉署が佐藤さんへのメッセージを募るために置いたポストには、「早く帰って来て」「あなたのことは忘れない」といった手紙などが寄せられた。

 県警はパトカーを処分するつもりだった。だが、町民有志が今年7月、町と双葉署に保存を陳情。町が今月1日に県警から譲り受けた。町は「危険を顧みず、多くの町民の命を守った警察官と被災の実情を後世に伝えたい」と説明。県立博物館(会津若松市)や南相馬市博物館、いわき自然史研究会(いわき市)など県内の8機関・団体でつくる「ふくしま震災遺産保全プロジェクト」実行委員会の協力で車体を防さび加工し、年度内に署の隣の児童公園へ移設、公開する。

 福島市に住む佐藤さんの両親は毎月11日前後にパトカーを訪れてきた。父安博さん(56)は「今のままでは朽ちて終わりだった。震災の記憶も風化するが、忘れてはいけない。物を残すことは良いこと」と話す。

 今年4月に結成された実行委が遺物の収集に乗り出したのは5月。今年度は文化庁の補助金約600万円を得て沿岸部を調べる。放射線量を測り、安全が確認されたものを集め、運べる遺物は県立博物館などで保存し、運べないものは現場や映像での保存を検討する。

■報告会や展示も

 震災発生の午後2時46分で止まった富岡町の美容室の時計、津波で倒れた浪江町立請戸小学校の案内看板、配達地域まで運べずに同町の新聞販売所に残された震災翌日付の新聞の束、販売所従業員のためにストーブの上のやかんで温められていた缶入りのお茶、JR浪江駅の時刻表など、収集・確認した遺物は約100点に上る。

 さらに、津波の泥が付着した南相馬市の野球場の玄関の天井板、震災当日付の新聞が入った浪江町の自動販売機など、今年から3年間をめどに収集を継続。来年2〜3月に県内2カ所で報告会を開き、遺物を展示する。

 実行委事務局の高橋満・県立博物館主任学芸員(44)は「福島の被災地は空間線量や遺物自体の線量が高く、収集や確認がためらわれた。被災地への住民の立ち入りも増え、ようやく収集できる環境が整ってきた。原発事故で失われた、人々の生活や仕事ぶりをしのばせ、震災と原発災害の語り部となる遺物の保存をできる限り進めたい」と話す。(小島泰生)

■宮城・岩手の大型遺構は取り壊しも

 震災遺物の収集は宮城、岩手両県で進んでいる。

 宮城県の気仙沼市と南三陸町でつくる組合が運営するリアス・アーク美術館(同市)は、約2年間で約250点を収集。被災状況などの写真3万枚を撮影し、昨年4月に常設展示を始めた。宮城教育大の村上タカシ准教授(美術教育)が代表を務める一般社団法人「ミミックスラボ」も県内で約90点を集め、首都圏などで展示している。

 岩手県釜石市も被災者らの証言などの映像や記録を収集するほか、壊れた時計など約30点も集めた。

 一方で、壊れた建物や陸に打ち上げられた船など、規模が大きな遺構は消えつつある。保存を求める声があっても、復興工事の妨げになったり、「見ると悲劇を思い出してつらい」といった声もあったりして、大半が解体されているからだ。

 今月15日には宮城県女川町で、津波で横倒しになった4階建てビルの解体が始まり、福島県いわき市では、1階部分が津波で壊れた中学校校舎を取り壊す意向が住民に伝えられた。

 復興庁によると、これまでに震災遺構として保存が決まり、復興交付金が支出されたのは岩手県宮古市の「たろう観光ホテル」の建物だけだ。

■実行委が収集・確認した福島県の主な遺物(◎は避難指示区域内にあった遺物)

◎流された4トンの波消しブロック(南相馬市)

◎震災直後の炊き出しに使われ、原発事故で放棄された集会所に残された大なべ(浪江町)

◎住民の安否情報が書き込まれたカレンダー(同)

◎中学校に残る非常用飲料水(双葉町)

◎震災翌月開催予定の桜まつりのポスター(富岡町)

・津波堆積(たいせき)物がある土地の断層面(広野町)

・震災翌月の余震でできた活断層(いわき市)


朝日新聞
ふるさと納税―原点は自治体の応援だ
 住んでいる市町村とは別の自治体への寄付を優遇する「ふるさと納税」。安倍政権は地方創生策の目玉として制度を拡充する方針だ。

 が、それでいいのか。応援したい自治体にお金を回すという本来の趣旨が薄れ、寄付先の自治体からもらえる特産品などの「お得」度ばかりが注目される現状を見れば、原点に返るための見直しが先ではないか。

 ふるさと納税をすると、一定の上限まで、寄付額から2千円を引いた金額が確定申告で納税額から戻ってくる。加えて、寄付先の自治体から「お返し」があることが多い。ネット上にはもらえる商品に関するランキングまであり、まるでお得な通信販売の様相だ。

 東海地方のある市は、寄付のお礼として市内の施設への入場券を贈っていたが、今月から黒毛和牛すき焼き肉などから選べるようにした。すると、最初の2日間だけで昨年1年間の6倍を超す寄付が集まった。

 近畿地方の別の市は、寄付額に応じてカタログから謝礼品を選べる仕組みに改めた。15万円相当というカニのセットを筆頭に、3万円近いという革製かばんなどが並ぶ。

 お返しを厚くする自治体の事情も、わからなくはない。高齢化が進み、人口は減るばかり。もらった寄付金を使っても、地元の業者が潤い、全国にPRできれば、それでいい……。

 しかし、ある自治体が始めると、近くの自治体があわてて乗り出す例も目立つ。現状は、寄付を「お返し」で引き寄せる行きすぎた競争に陥っていると言わざるをえない。

 このまま放置すれば、NPO法人など寄付が頼みの民間団体が割を食い、寄付文化の健全な発展を妨げかねない。

 総務省のまとめによると、東日本大震災があった2011年は、ふるさと納税制度に基づく寄付額が前年の10倍近い650億円に、寄付者も22倍の74万人余に急増した。その多くは被災地向けだったと見られる。こんな使われ方なら誰もが納得するだろう。

 政権内でふるさと納税に熱心なのは菅官房長官だ。先の総選挙でも出身地の秋田県での演説で、総務相を務めていた時に制度を作ったことを紹介しつつ、こう語った。

 「東京に出て、働いて税金を納めるとなると東京だ。育ててくれたふるさとに寄付する仕組みがあったらいいと思った」

 それこそが出発点のはずだ。納税者の本来の思いを引き出すよう、制度を改めるべきだ。

フランス語
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ドーンセンター/天満橋で飲み会→ブラックニッカ

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Séisme de 5,9 au Japon, pas de dégâts signalés
SINGAPOUR (Reuters) - Un séisme de magnitude de 5,9 sur l'échelle de Richter a touché le Japon samedi secouant la région de Fukushima, rapporte l'Institut américain de veille géologique (USGS), mais aucun tsunami n'est attendu, selon des médias locaux.
L'épicentre était situé à 68 km à l'est-nord-est d'Iwaki, ville de la côte est de Honshu, la plus grande île de l'archipel japonais, à 38 km de profondeur.
Un porte-parole de Tokyo Electric Power (TEPCO), qui exploite les centrales de Daiichi et Daini à Fukushima, a annoncé qu'aucune irrégularité n'avait été observée sur les sites dévastés en mars 2011 par un séisme et un tsunami.
Le tremblement de terre n'a fait aucune victime ni dégât important et aucune alerte au tsunami n'a été lancée, selon la chaîne de télévision japonaise NHK.
(Jeremy Laurence; Agathe Machecourt pour le service français)

3・11に生まれた君へ
北海道新聞社
2014-03


希望の星の物語です  渡辺 義文
多くの方々が亡くなられた同じ日に、100余人の新しい命が誕生しています。
その日に生まれた方々に「希望の君の椅子」をプレゼントした、北海道のプロジェクトがあります。
その椅子を受け取られたかたのうち、33名のお父様・お母様の手記をまとめた本です。
誕生前後の病院関係者のすばらしい活動ぶり、その日にうまれたことへの、ご両親の悩み等々が、
綴られています。
読んでいて、涙・涙の連続です。
その涙は、悲しい涙ではなく、感動の涙・希望の涙です。
「生まれてくれてありがとう!」
東北の復興と共に、成長する、「希望の星」たちに、声援を贈りたいと思います。


大手町のドーンセンターに行きました.図書館を見てみたかったからです.正しくは図書館というか情報ライブラリーです.でも開館時間が1730までで私が行った時間には閉館になっていました.がっかり.
天満橋で飲み会です.10人でいろいろお話しました.
飲み足りないのでブラックニッカを買ってきて飲みました.

河北新報
女川復興「まちなか再生計画」国が認定第1号
 復興庁は19日、宮城県女川町が東日本大震災の復興事業として中心部に商業エリアやテナント型商店街などを整備する「まちなか再生計画」を認定した。計画は、国の津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金を受ける前提条件。認定は岩手、宮城、福島の被災3県で初めてで、被災した商業エリアの再生が具体化する。

 町は来年3月に移転再建で開業するJR女川駅と町営「女川温泉ゆぽっぽ」の併設施設前に、7.4ヘクタールの商業エリア整備を計画。商業施設や観光施設などを集約し、にぎわい創出を図る。
 テナント型商店街は、女川駅前から女川港にかけて延びるプロムナード沿いに民間まちづくり会社「女川みらい創造」が整備し、管理・運営も担う。被災事業者や新規事業者など27〜28業者が入居する予定。
 計画によると、施設は計6棟で建築面積約2400平方メートル。木造か鉄骨の平屋で、業種別に配置する。住民が日用品を購入できるエリアや飲食店エリアのほか、商品の製作過程を見学・体験できる工房併設店舗など観光客向けの店を集めたエリアを設ける。
 整備費は6億7000万円で、7割を補助金で賄う。残りはみらい創造が負担するが、町も開業後数年間は補助する考え。みらい創造は年内にも補助金を中小企業庁に申請し、来年春に施設建設に着手、秋のオープンを目指している。
 須田善明町長は石巻市で記者会見し「ようやく『町の顔』となるエリアが立ち上がる。国費を活用するからこそ、持続できる商業環境を整えなければいけない。公民連携し、住民だけでなく町外から来る人も復興を感じられる空間をつくりたい」と語った。


河北新報
石巻市、人口15万割れ 11月末現在
 宮城県内第2の都市・石巻市の人口が15万を割り込んだ。住民基本台帳によると、11月末現在で14万9972人。多くの市民が犠牲になった東日本大震災で1年間に約1万人減少し、その後も人口流出が続く。復興まちづくりへの影響も懸念され、市は対策に乗り出している。
 人口のピークは、1市6町で合併した2005年4月の17万1107人。以後、毎年平均で1600人減少し、震災直前の11年2月は16万2822人だった。
 ほぼ1年後の12年3月は15万2025人。震災で3176人が死亡し、425人が行方不明になった。被災により住まいや仕事を求め、他自治体に転出した市民も多いとみられる。
 震災後の3年9カ月で減少が目立つのは、被害が大きかった沿岸部。牡鹿、北上両地区は1000人以上減り、雄勝は半減した。一方で内陸部の河南地区や商業施設などが集積する蛇田地区は流入が続き、ともに約2000人増えた。
 少子高齢化も顕著に進行している。出生数は05年度の1227人が、13年度に1054人まで落ち込んだ。14年11月末現在で15歳未満の割合は11.7%で、65歳以上は29.1%に達した。
 市は子どもを産み育てる環境を整えるため、若手職員を中心とした少子化対策プロジェクトチームを設置。仕事や教育の場がある仙台圏との時間的距離を縮め、定住できる地域づくりに力を入れている。
 市復興政策部の担当者は「人口減少は重く受け止めている。居住環境整備や産業振興、防災などに重点を置き、若い人が魅力を感じる施策を打ち出していく」と語った。


河北新報
震災遺児支援「子どもの村東北」開村
 東日本大震災で親を失った遺児らを里親が家庭的な環境で育てる仙台市太白区茂庭台の「子どもの村東北」で19日、開村式があった。里親として岡山環さん(54)と伊藤奈美さん(43)が紹介され、「温かい家庭を目指す」と抱負を語った。
 岡山さんと、伊藤さん、伊藤さんの夫智明さん(45)は村内の一戸建て住宅に引っ越し、子どもを受け入れる準備を進めている。開村式では、村に常駐して里親を支える「育親アシスタント」の女性2人も紹介された。
 村を運営するNPO法人「子どもの村東北」の飯沼一宇理事長、世界で初めて「子どもの村」が設立されたオーストリアのベルンハルド・ツィムブルグ大使らが、村の入り口に設置した看板を除幕した。
 式典では、弘前市出身の現代美術家奈良美智さんから村に無償貸与された立体作品「サーフィンドッグ」も披露された。
 子どもの村東北は、2012年6月に宮城県内の医療福祉関係者らが設立。国の里親制度に基づき、震災遺児のほか、虐待や貧困などの理由で親と暮らせない子どもを児童相談所を通じて預かり、研修を受けた里親が育てる。早ければ来年1月下旬にも、子どもを受け入れる。


河北新報
仮設に絵画で彩りを 全国から募り展示
 気仙沼市松崎柳沢の会社役員小野寺晶さん(68)が、仮設住宅の談話室や集会所に絵画を展示する活動を続けている。「仮設住宅の入居者に明るく、和やかな暮らしを送ってもらいたい」と、2012年秋から知り合いの画家らに作品の提供を求めている。

 小野寺さんが経営する「スーパー片浜屋」の店舗や事務所は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。再建を果たし、周囲に気を配れるようになると、仮設住宅集会所の殺風景な壁が目に入り、心が痛んだ。
 「絵を飾ればリラックスしてもらえるのではないか」。絵画が好きだった小野寺さんが全国の知人に協力を呼び掛け、これまでに画家や陶芸家ら20人が油絵や水彩画、写真など合わせて84点を届けてくれた。
 市内4カ所の仮設住宅に展示されており、このうち松崎柳沢・萱住宅の談話室には、河北美術展の入選作家石森幸子さん(仙台市太白区)の水彩画など優しい色遣いの風景画15点が並ぶ。
 同住宅に暮らす学習塾経営高橋司さん(61)は「余裕のない毎日だが、談話室で絵画を見ると癒やされる。生きる感動をもらっていると言ってもいい」と感謝する。
 小野寺さんは定期的に作品を入れ替え、住民の目を楽しませている。23〜27日には気仙沼市のリアス・アーク美術館で開かれる地域文化祭「方舟(はこぶね)祭」に39作品を出展し、多くの市民に見てもらう。
 「みんなに喜んでもらい、こちらが元気づけられている。仮設住宅がある限り展示を続けたい」と小野寺さんは話す。
 「仮設住宅に絵を飾ろう会」を設立し、展示を希望する仮設住宅を募集している。連絡先は小野寺さん080(1651)5031。


河北新報
復興に映画の力を 盛岡の団体2作品目
 東日本大震災の記憶の風化を防ごうと、盛岡市の市民団体「オトナ映画部」が岩手県沿岸部を舞台にした映画「加奈子(仮)−マイホームタウン」を製作した。昨年3月に公開した1作目は全国各地から上映会の引き合いがあった。監督は「震災を思い出すきっかけにしてほしい」と語る。

 岩手県沿岸の街で生まれ育った20代の主人公加奈子は、父との仲がうまくいかず東京で暮らす。震災で古里が被災。3年たって帰郷を決心する。
 最初は心理的な距離を感じるが、被災地の人々に触れながら自分の居場所を見つけていく。上映時間は約50分。
 オトナ映画部は2009年、盛岡市の会社員や公務員、主婦ら約20人で結成した。製作は6作目で震災を主題にしたのは2作目。タイトルの「加奈子(仮)」には、震災を体験した多くの人が主人公と同じような立場にいるとの意味を込めた。
 脚本は金ケ崎町の作家平谷美樹さんが手掛け、主演は畠山泉さん。地元住民ら約50人が出演する。撮影は7〜9月に宮古市など県内で行った。
 宮古市出身の高橋政彦監督(50)は「街の現在を描くのに映画は有効な手段。何かを感じてもらえれば意味は広がっていく」と話す。
 前作の「3.11メモリアルフィルム ひとつ」は内陸が舞台で、2人の青年の目に映った震災を描いた。全国約40カ所で開いた上映会では監督らが直接、被災地の現状を語った。
 「加奈子」の完成試写会は21日午後2時半、盛岡市のプラザおでってで。無料。1月17、18日は宮古市のみやこシネマリーンで上映する予定。


河北新報
河北春秋
 1985年に日航機が御巣鷹の山に墜落し、航空機事故史上に残る大惨事となった。程なく機体の残骸や遺品の扱いをめぐって対立が起こる。記憶を消したい会社と教訓として残そうと訴える遺族。検証チームの座長になったのが作家の柳田邦男さんだった

 ▼いくつかの視点を据えた。犠牲者の側は感情に走り、主観が先に立つ。第三者に委ねると冷静ではあるが、科学的で温かみがない。「専門家の冷たさを生かしながら、親身になれないか」と思いついたのが、一人称でも三人称でもない「二・五人称」の視点という▼双方の話を聞いて事故から21年後、羽田空港に遺書や腕時計、後部圧力隔壁を展示する一角がつくられる。現物を目にして墜落の衝撃度を知り、遺品からは悲しみが伝わる新たなアプローチだった

 ▼津波の痕跡を残す震災遺構の保存で、宮城県の有識者会議は九つの施設を「保存する価値、意義がある」とし、候補にする報告をまとめた。住民の間でも考えが分かれる中、風化は避けなければならない。難しい選択だったろう▼年月が過ぎ、陸に乗り上げた船、象徴だった建物の多くは姿を消した。空虚になった風景を人々はどんな心持ちで見ているのだろう。情緒に走るのではなく人ごとでもない、そんな着地点が見つかるといい。


朝日新聞
宮城)震災遺構ランク付けに異議 気仙沼市長
 県の有識者会議が震災遺構を「ぜひ保存すべき価値がある」「保存する意義は認められる」と分類したことに対し、気仙沼市の菅原茂市長は19日の定例会見で「ランク付けしたことに驚いている」と反発した。

 菅原市長は津波で打ち上げられた「第18共徳丸」を遺構にしたかったが、船主や地域住民の意向をくんで断念。その後、4階まで浸水した旧県立気仙沼向洋高校を残すこととし、保存方法や費用についての調査に取りかかっている。

 有識者会議では気仙沼向洋高校は「意義は認められる」という「下位」のランクになった。菅原市長は「遺構は各地域にとって、とても大事なもの。他市町村の対象物と比べることに違和感を覚える」と用意したコメントを読んだ後も、不満を漏らし続けた。(青瀬健)


朝日新聞
岩手)釜石高校に被災地励ますピアノ寄贈
 岩手県釜石市の県立釜石高校に19日、1台のグランドピアノが贈られた。大阪市で開かれた音楽イベント「中之島まるごとフェスティバル」(朝日新聞社など主催)で寄せられた募金で購入したピアノで、寄贈式で生徒らがさっそく演奏を披露した。

 フェスは10月31日から4日間開かれ、大阪の高校生らが出演。来年が阪神大震災発生20年になるのを機に、東北の被災地を元気づけようと募金を募ったところ、約91万円が集まった。募金は「被災地へピアノをとどける会」(仙台市)に全額寄付され、同会が釜石高校にピアノを贈った。

 釜石高校体育館で開かれた寄贈式には全校生徒約520人が出席。同会の庄司美知子実行委員長が、音楽部の女子生徒2人とペアを組みモーツァルトの曲など2曲を披露すると、大きな拍手がわいた。

 演奏した1年生の藤沢慶子さん(15)は隣の大槌町の出身。津波で自宅を流され4歳から使っていたピアノも失った。「阪神大震災を経験していない高校生も東北のことを考えてくれたことに感動しました。皆さんの気持ちが形になり、こうして届いたことがうれしい」。恩返しの気持ちを持ち続けていきたいという。

 ピアノを贈った庄司さんは「この機会に多くの生徒さんにピアノに触ってもらい、音楽の輪が広がれば幸せです」。また、フェスに出演した高校生から、「一日も早く笑顔が戻る日が来ることを願っています」などと書かれた寄せ書きも贈られた。(杉村和将)


毎日新聞
東日本大震災:福島第1原発事故 南相馬の元住民ら集団提訴
 東京電力福島第1原発事故によって避難生活を送っている福島県南相馬市小高区の元住民ら344人が19日、東京電力に慰謝料の支払いを求める訴訟を東京地裁に起こした。訴状によると、小高区は避難指示解除準備区域などに指定され、元住民らは今も避難生活を余儀なくされている。小高区では2世代や3世代で同居する世帯が多く、「避難生活の長期化で家族離散の状況が発生している」と主張している。

 都内で記者会見した原告の江井績(えねい・いさお)さん(73)は「事故によって家族はばらばらになり、なりわいやだんらんを奪われた。できるだけ早く生活を取り戻したい」と話した。


産経新聞
【阪神震災20年】 「仲良し一家、ようやく一緒になれたね」 銘板設置、子供らと夫婦が家族の犧堂餃
 阪神大震災の犠牲者らの名前を刻む「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区)。新たに加わった24人の中には、震災で愛する子供2人を失い、悲しみの中を生きた夫婦の名前もあった。神戸市東灘区の電気工事士、大黒(だいこく)肇さんと妻の信子。「ようやく一緒になれたね」。2人と親交があった同区の主婦、藤瀬裕子さん(62)は、子供らの名前を刻んだ銘板の近くに2人の銘板を取り付け、家族の“再会”に思いをはせた。

 あの日、大黒さん一家が住む文化住宅は激震に襲われ、全壊した。肇さんと信子さんは救出されたが、中学3年の長女、久美子さん=当時(15)=と同1年の長男、智志君=当時(13)=は遺体で見つかった。

 家族のように仲が良かった藤瀬さんが、当時を振り返る。大黒さん一家は、前日に、家族4人で買ったばかりのこたつで温まった。うたた寝した子供たちを、肇さんが「風邪をひかないように」と寝室に運び、夫婦はそのままこたつのある居間で過ごした。そのことが親子の生死を分けた。

 「一家はいつも4人一緒。カラオケに行くときもそう。とにかく4人で何かをすることが大好きだった」(藤瀬さん)

 それだけに、夫婦の悲しみは大きかった。信子さんは「あのとき一緒にこたつで寝ていたら…」と泣き暮らした。久美子さんが信子さんに宛てて書いた「お母さん大好き」という手紙を「形見や」と肌身離さず持ち歩いた。手紙は震災後に見つかったものだった。

 信子さんは体調を崩し、リンパ腫を患って入院。12年1月に設置されたモニュメントに子供たちの名前が刻まれたため、信子さんは時折病院を抜け出してモニュメントを訪れ、「もうすぐ会えるから待ってて」と泣きながら2人の銘板をさすったという。

 13年8月、信子さんは46歳で亡くなった。また、肇さんも、信子さんの死後「1人で生きていても仕方ない」とこぼすことが増え、22年、59歳で肺がんのため息を引き取った。

 藤瀬さんは、「地震さえなければ今も4人仲良く暮らしていたはず。せめて名前だけでも一緒にしてあげたい」と今年夏、夫婦の名前をモニュメントに刻むことを申し出た。

 この日、夫婦の銘板を子供たちの近くに取り付けた藤瀬さんは「大黒さん一家がようやく一緒になり、ほっとした。家族の喜ぶ声が聞こえたような気がした」と話した。


神戸新聞
阪神・淡路大震災20年 追悼行事過去最多108件
 阪神・淡路大震災20年に合わせた市民による追悼行事が108件に上り、過去最多になることが19日、民間団体「市民による追悼行事を考える会」の調べで分かった。大きな節目の上、来年1月17日は土曜日で企画しやすかったとみられる。(上田勇紀)

 同会(神戸市中央区)は震災3年後の1998年、市民主体の追悼行事の継続を目的に発足。毎年、兵庫県内の団体などにアンケートし、行政主催ではない民間の追悼行事数(集い、ウオーク、法要、コンサートなど)を調べてきた。

 調査を始めた99年以来、最も多かったのは震災15年(2010年)の102件。次いで震災10年(05年)の101件だった。震災19年の今年は65件と減少傾向にあったが、来年は一気に増える見込み。

 主催する108団体のうち24団体は、同会がこれまで把握してこなかった団体。犠牲者の追悼に加え、南海トラフ巨大地震への備えや、東日本大震災被災地への祈りを重ねる取り組みが増えているという。

 大半は兵庫県内で行われ、来年1月17日を中心に3月ごろまで。計盛(かずもり)哲夫世話人は「体験者が減る中で風化が懸念されてきたが、震災20年に寄せる市民の思いは強いと感じた」と話した。


朝日新聞
STAP問題―多方面への教訓生かせ
 むなしさを漂わせながらの幕引き記者会見だった。

 理化学研究所がきのう、STAP(スタップ)細胞の検証実験打ち切りを発表した。

 理研は今年1月、「まったく新しい万能細胞の作製に成功した」と華々しく発表したが、ネット上で不正が発覚し、やがて論文は撤回された。

 理研は、論文に書かれた現象が再現できるかどうかの実験を続けたが、万能性を示す細胞は確認されなかった。「世界的な大発見」は幻と消えた。

 論文の筆頭著者だった研究者は、理研を退職することになった。上司で主要著者の一人だったベテラン研究者の自死を含め、悲痛な1年だった。

 しかし、この騒動をただ無為に終わらせてはならない。重大な失敗から学ぶべきことが多面的に残されている。

 何より、どの研究者も、基本的なルールや倫理を身につけなくてはならない。

 STAP問題の研究者の未熟さを指摘する声は多い。だが、不正が見つかったのは何もこの研究者だけでも、理研だけでもない。東京大の著名な教授など多くの別の不正も近年相次いでいる。個別の人物や研究機関ではなく、研究社会全体の問題として改善を図るべきだ。

 今回の騒動で「研究者をめざす大学院生への指導が変質している」との声が現場からあがった。指導者も院生も成果を急ぐあまり、基本の教育がおろそかになっているという。

 これは政府や研究機関が短期的な論文ばかりで評価し、研究費や処遇を競わせる手法をとってきた副作用だ。行き過ぎを正すべきではないか。

 さらに、科学界と社会とのいびつな関係も照らし出した。

 ゆがみは当初からあった。理研が割烹着(かっぽうぎ)姿の研究者の取材機会を用意するなど、過剰とも思える広報活動を展開した。社会にわかりやすく成果を伝えることが、予算獲得にもつながるからである。

 多くのメディアも若い女性科学者が主役という物語に飛びついた。だが「わかりやすさ」に媒介されて増幅された報道は、不正発覚とともに逆に大きく振れた。朝日新聞を含むメディアにとっても自戒が必要だ。

 第三者が再現できず、論文が撤回された時点で、科学的にはほぼ決着している。世界ではもうほとんど話題にも上らない。

 科学界と社会の間には、科学的な意味合いや冷静さを置き去りにしない、健全なコミュニケーションを築く努力が必要だ。

 各方面で教訓を生かしたい。


毎日新聞
STAP否定 論文不正の全容解明を
 小保方晴子氏が実施した検証実験でSTAP細胞は作製できなかったと理化学研究所が発表した。これとは別に理研のチームが進めていた検証実験でも作製できず、実験は打ち切られた。小保方氏自身が論文通りの方法でSTAP細胞を再現できなかった以上、当然の判断だろう。

 これで、STAP論文は改めて否定され、科学的にも社会的にもSTAP細胞の存在は白紙に戻った。小保方氏も理研を退職する。科学界だけでなく社会をも揺るがせ、業績のある科学者を失うことにもつながった論文不正事件のひとつの節目ではあるが、釈然としない思いは残る。

 なぜ、こうした論文が、日本有数の研究機関である理研から公表されてしまったのか。その疑問がとけていないからだ。

 理研は、残された論文疑惑について調査委員会を設けて調べている。「作製できた」とされた細胞は何だったのか。その裏付けとして論文に掲載されたデータや図表は何を示しているのか。どういう経緯で論文が発表されるに至ったのか。その過程で、それぞれの共著者がどういう役割を果たしたのか。

 こうした不正や混乱を二度と起こさないためにも、徹底して全容を解明し、説明責任を果たしてほしい。

 加えて、日本の科学界は一連のSTAP問題から教訓をくみ取り、不正防止はもちろん、不正疑惑が生じた場合の対処の仕方にも生かしていかなくてはならない。

 論文疑惑が生じた後の理研の対応を振り返ると、今回の結論に至るまでに時間がかかりすぎた。論文不正の検証にも消極的だった。論文の共著者が記者会見を個別に行うなど研究チームとしての対応にも問題があった。理研の対応のまずさが混乱を長引かせたことは否定できない。

 今回の論文不正の背景には、博士を増やしたにもかかわらず、大学院教育がおそまつだった日本の政策の問題もあるだろう。早稲田大学の調査では小保方氏の博士論文にも不正が認められ、同大は猶予付きで博士号の取り消しを決めている。ここから浮かぶのは、大学や大学院で学ぶべき研究や論文執筆の基礎ができていなかった事実だ。文部科学省や大学はこの事態を重く受け止め、改善をはかるべきだ。

 STAP論文は仮に正しかったとしてもマウスでの基礎研究に過ぎない。にもかかわらず、大々的な広報も手伝って再生医療への期待につながった。それが、理研や政府の対応に影響した可能性がある。背景には短期的な応用を重視する日本の科学技術政策もあったはずだ。今回の問題を基礎科学のあり方を再考するきっかけともしたい。


東京新聞
大間と高浜 30キロ圏内の声を聴け
 衆院選終了早々、大間原発の新規制基準への適合審査が原子力規制委員会に申請された。でも忘れないで。多くの人は原発依存を望んでいないし、隣接地域の住民は事故への不安を抱えたままだ。

 国内には、建設中の原発が三基ある。

 中国電力島根3号機(松江市)と東京電力東通1号機(青森県東通村)、そして電源開発(Jパワー)の大間原発(同県大間町)である。

 大間原発は、二〇〇八年五月に着工し、一四年十一月の営業運転を見込んでいたが、福島原発事故で建設が中断され、一二年十月に工事再開した。

 大間原発は、フルMOXと呼ばれる世界初の特別な原発だ。

 MOX燃料は、原発で使用済みの核燃料からプルトニウムを取り出して、普通のウランを混ぜたもの。それを再び原発で燃やすのがプルサーマル発電だ。

 通常のプルサーマル発電では、MOX燃料の割合は多くて三分の一までだった。ところが大間は、MOX燃料100%で運転できる。原爆の材料になるプルトニウムの“焼却炉”として、建設を急がされているようにも見える。

 プルサーマルより危険性が高いとの指摘もある。世界初のことだけに、住民の不安はより強い。

 原発推進に戻った自民党は、衆院選で大勝した。しかし、国民の多くが、将来的には、原発への依存から脱却したいと望んだままだ。原発を新たに造れば、その意思に背くことになる。

 大間原発から対岸の北海道・函館は、最短だと二十三キロしか離れていない。3・11後、原発事故時の避難計画策定を義務付けられた三十キロ圏内だ。函館市の工藤寿樹市長は四月、「私たちを全く無視している」と、国とJパワーを相手取り、建設差し止めを求めて東京地裁に提訴した。その不安と憤りをさらに無視するような審査の申請ではなかったか。

 申請の翌日、規制委は、関西電力高浜3、4号機が事実上、3・11後の新基準に適合するとした。

 高浜原発の三十キロ圏は福井、京都、滋賀の三府県をまたぐ。京都も滋賀も、立地自治体並みの安全協定を求めている。

 規制委の田中俊一委員長は、川内原発の時と同様、「安全か、安全じゃないかという表現はしない」と繰り返す。だとすれば、立地や稼働の条件として、最低でも三十キロ圏内の同意を得ることを、法的に義務付けるべきではないか。


朝日新聞
女優杉森茜&タレント一ノ瀬文香が同性婚
 日本テレビ系「ウーマン・オン・ザ・プラネット」に出演中の女優杉森茜(28)とTBS系「サンデー・ジャポン」のコメンテーターなどで知られるタレントの一ノ瀬文香(34)が来年4月19日、都内のレストランで「挙式・披露宴」を行う。芸能界では異例の同性婚となる。

 2人は12年10月、新宿のゲイバーで出会った。一ノ瀬は09年4月に週刊誌でレズビアンであることをカミングアウト。ミュージカルを中心に活動している杉森も「自分の中で9割以上は女性が好き」であることを自覚していた。

 一ノ瀬は中学、高校の美術教員免許、杉森は音楽、英語の教員免許を持つなど「教育」が2人の共通項になっている。一方で「けっこう趣味はバラバラです。でも、そこが良かったのかも」と杉森は言う。「あなたたちお似合いよ。くっついちゃいなさいよ」というゲイバーのママの後押しもあり、交際が始まった。

 交際半年の昨春頃から都内で同居生活を始めた。女性の旅をドキュメントタッチで追う「ウーマン・オン・ザ・プラネット」でアメリカ横断を収録した杉森は、番組内で「来年結婚します」と宣言もした。ニューヨークのロケ先に一ノ瀬が訪ねてきたこともあった。杉森の弟の結婚式に一ノ瀬が、杉森のパートナーとして出席するなど、親族からも理解を得ている。

 来春の挙式も決まった。だが、日本では法的な婚姻は成立しない。「何が変わるのかって思いますよね。でも、それはケジメですし、私たちのようなケースを理解してもらうためにも『結婚』したかった。日本で1つのアピールになれば」と杉森は言う。「もう何十回もケンカしたし、お互いにいろんなものをはき出しているから、ずっとやっていける自信があります。子どもは欲しいですね。彼女とよく相談しなくてはいけないけど、養子という形になるのではないかと」。

 挙式は、都内で「人前結婚」の形式で行い、親族や関係者で披露宴も行うという。「2人ともウエディングドレスです。やっぱり、夢ですから」。やわらかい笑顔で話す杉森とパートナーの一ノ瀬がその日、「愛の形」を世に示す。

 ◆杉森茜(すぎもり・あかね)1986年(昭61)11月2日、北海道生まれ。北海道教育大卒。06年から函館ダンスアカデミーのアシスタント。越路吹雪三十三回忌コンサートに出演している。

 ◆一ノ瀬文香(いちのせ・あやか)1980年(昭55)8月12日、栃木県生まれ。DVD「お願い!文香先生」など、教師キャラとしても知られる。NHK教育「ハートをつなごう」にも出演した。

 ▼同性婚 男性同士、女性同士が男女の夫婦のように性的親密さを基礎に社会的、経済的なパートナーシップを築き、維持すること。英国(北アイルランドを除く)、フランス、オランダなど欧州11カ国、米国18州など法的に認める国、地域は増加傾向。一方、カトリック教会の総本山バチカン市国や政教一致のイスラム国家では否定的見解が出されている。男性の同性婚では、英歌手エルトン・ジョンが有名。法的に認められていない日本では、13年3月に元宝塚女優の東小雪さん(当時28)と増原裕子さん(同35)が、東京ディズニーシーで挙式。

フランス語
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Japon : au moins onze morts lors des violentes tempêtes de neige
De violentes tempêtes de neige sur une large partie du Japon ont déjà tué au moins onze personnes depuis mercredi, ont indiqué les médias locaux qui font aussi état de dégâts divers et de perturbations importantes dans les transports.

Les conditions continuaient vendredi d'être exécrables dans l'ouest, le centre et le nord de l'archipel, avec par endroits des risques importants de glissements de terrain et avalanches, a mis en garde l'agence nationale de météorologie.

Une route a été coupée par un glissement de terrain dans la préfecture de Niigata (nord-ouest), isolant quelque 280 habitants d'un village de montagne sans cependant faire de blessés, d'après la chaîne NHK.

Depuis trois jours, les compagnies aériennes ont du annuler des centaines de vols intérieurs et de nombreuses liaisons ferroviaires ont été stoppées ou grandement retardées, dont les trains à grande vitesse Shinkansen entre Tokyo (est) et Osaka (ouest) qui circulent habituellement à la fréquence de métros.

英雄たちの選択「そして“忠臣蔵”が生まれた〜赤穂事件・将軍綱吉の裁決〜」
元禄15年12月14日、赤穂浪士討ち入り。主君のかたき討ちを果たした男たちが、武士の本懐とされる切腹で最期を遂げた事件は、「忠臣蔵」として後世に語り継がれた。しかし実は当時、幕府内は浪士たちの助命論から厳罰論まで揺れに揺れていた。悩んだ末に、最終裁決を下したのは将軍・徳川綱吉。なぜ綱吉は「切腹」を選択したのか?それが、事件の意味をどう変えたのか?「忠臣蔵」誕生へと至る、知られざる綱吉の決断に迫る。
磯田道史,渡邊佐和子, 大石学,ロバート キャンベル,飯田泰之,中野信子, 松重豊


朝Yaさんらが打合せしているのが聞こえてきになります.でも他人は他人.気にしたって仕方ありません.自分中心でいこうと思いました.
久しぶりのセムム.早く終わらないかと考えてしまいました.
明日はスパスパ.忘れてしまうところでした.
大阪の郵便局で風景印ができるところを調べたら,近くに意外にたくさんあることがわかって,結構うれしいのでした.
aspireへのオフィスのインストールが1時間近くかかってしまいました.

河北新報
被災の釜石・平田駐在所を再建、開所
 東日本大震災で被災した釜石署平田駐在所の移転復旧工事が完了し、現地で18日、開所式があった。岩手県警の被災施設で初の復旧となる。
 釜石市平田の国道45号近くにあった駐在所は津波で全壊。新駐在所は約700メートル内陸の浸水区域外の住宅地に建設した。木造平屋で延べ床面積約109平方メートル。
 住民との交流、防災拠点となるコミュニティールームも設けた。市内最大の仮設住宅団地があるなど地区の人口増に対応し、駐在所員を2人に増員。開所式には田中俊恵県警本部長ら約20人が出席した。
 釜石駅前交番を拠点に平田地区を巡回していた駐在所長の及川一巡査部長(54)は「駐在所がないと不安だという住民の声が多かった。期待に応えたい」と語る。
 初の駐在所勤務となる近藤充高巡査(24)=仙台市出身=は「住民に寄り添い、地域の安全安心に努める」と話した。
 県警によると、釜石署など被災21施設のうち一部の交番を統廃合し19施設を再建する。


河北新報
「南三陸防災庁舎は保存の価値」有識者会議
 東日本大震災で被害を受けた遺構の保存の在り方を考える宮城県の有識者会議(座長・平川新宮城学院女子大学長)は18日、県庁で最終会合を開き、津波で43人が犠牲となった南三陸町防災対策庁舎など9施設について「保存する価値がある」「保存する意義は認められる」との総合評価をまとめ、村井嘉浩知事に伝えた。村井知事は来年1月中にも県としての見解を固め、防災庁舎の解体方針を表明している南三陸町などに伝える見通し。

 有識者会議は昨年12月の初会合以降、検討対象に残った九つの遺構をめぐり(1)破壊力の痕跡(2)教訓(3)発信力(4)鎮魂の場としての意義−を基準に議論。保存の必要性が高い順に「保存する価値がある」「保存する意義は認められる」「それ以外」の3区分で評価した。
 防災対策庁舎は最も必要性が高い「保存する価値がある」と結論づけた。住民の合意形成、維持管理経費に「県も関与するべきだ」との付帯意見を付けた。
 最終会合で委員らは「広島市の原爆ドームにも劣らぬ発信力がある」「人類にとって貴重な財産。できるだけそのままの姿で残すべきだ」と強調した。
 一方で、遺族や住民の間で「保存」「解体」と意見が分かれている現状も考慮。平川座長は村井知事に対し「将来に禍根を残さないよう、時間的余裕を持って考えるべきだ」と述べた。
 村井知事は評価結果の報告を受け、「有識者会議の考えを最大限尊重したい。忌まわしい施設と考える遺族もいるため、その気持ちを考慮したい」と語った。
 防災対策庁舎を含む9施設の評価結果は表の通り。「保存する価値がある」とされた荒浜小(仙台市若林区)と近隣の集団移転跡地内住宅基礎群は、校舎屋上から見た際に被害の大きさが伝わる点が評価を受けた。門脇小(石巻市)は津波火災の痕跡を残す唯一の施設である点、旧女川交番(宮城県女川町)は津波で横倒しになった希少な事例である点が評価された。


河北新報
震災で壊れた七ヶ浜中、新校舎が完成
 東日本大震災で被災した七ケ浜町七ケ浜中(生徒277人)の新校舎が完成し、記念式典が18日、同校であった。仮設での学校生活がようやく終わり、生徒たちは最新デザインの校舎で再スタートを切った。
 新校舎は鉄筋コンクリート一部2階、延べ床面積約4700平方メートル。町が昨年9月に着工していた。建設費は約15億円で国の補助を受けた。
 普通教室、特別教室、管理棟などのゾーンに分かれ、ゾーン間に中庭がある。廊下は大きなガラスで明るく開放的な雰囲気。語らいの場となる「リトルスペース」が数カ所に配置されている。
 旧校舎は震災で壁などが崩れた。生徒たちは町内の向洋中校舎の一部を借り、2011年9月からは仮設校舎で授業を受けてきた。
 記念式典で渡辺善夫町長は「校舎を復興のシンボルとし、集団移転などの事業を加速化させたい」とあいさつ。生徒を代表して2年の渡辺晶さん(14)が「完成までの多くの支援に感謝し、新校舎での歴史を刻んでいきたい」と誓った。


河北新報
学用品「途切れた思い出手元に」福島・富岡
 福島県富岡町の小中学校と幼稚園に在籍した子どもの父母が11月下旬、福島第1原発事故で立ち入りができなかった校舎を訪れ、学用品を持ち帰った。学びやに入るのは3年8カ月ぶり。子ども2人が当時小学生だった鈴村守さん(44)、ユカリさん(41)夫婦は避難先の名古屋市から足を運んだ。突然途切れた学校生活の思い出を手に、「喜ぶ顔が見たい」と胸を躍らせた。

◎テスト結果、版画、小さくなった体操着…
 90点のテストに「あっ、すごいな」と目を細める。にっこり笑う女の子を描いた水彩画に心が和む。「地震が来た日に描いてるよ」。描きかけのデッサンの日付を見て胸が締め付けられた。
 富岡一小の教室。鈴村さん夫婦は、当時小学4年だった長女の共笑(ともえ)さん(13)の持ち物を見つけては手を止め、楽しかった学校生活を想像した。
 11月30日の昼、車で10時間かけて訪れた。立ち入りは2時間のみ。靴カバーをして校舎に入った。3人の子どものうち、共笑さんと、当時小学1年だった長男元温(もとはる)君(11)が通っていた。
 「私も行きたい。学校に入りたいな」
 共笑さんは無理だと知りながら訴えた。東日本大震災の際、体一つで学校から逃げた。原発事故で自宅に戻ることはかなわず、幼稚園から過ごした富岡での暮らしは強制的に終了させられた。
 共笑さんの机には、水玉模様の茶色いポケットテッシュケースが置かれたまま。「ピアノの先生に作ってもらってお気に入りだったんです。お姉ちゃんはこれが一番欲しかったんだよね」。ユカリさんがほほ笑む。
 版画や算数のテスト、書道作品…。袋はすぐいっぱいになった。鍵盤ハーモニカは名古屋で買い直したが、迷わず携えた。「たとえ使わなくても、子どもたちにとっては自分のかけらにような大切な物。手元にないのはさみしいんです」
 当初、気乗りしなかったという守さんも「自分がここにいたという証しになるんでしょう」と表情を緩めた。
 夫婦にとっても感慨深い時間だった。体操着や靴を手にして、今のわが子の成長を感じ取った。
 「あ、こんなにちっちゃかったんだ」
 ユカリさんが共笑さんの水色の運動靴を見つけた。あれから3年余の歳月が流れ、靴のサイズは3センチ大きくなった。今は中学2年。名古屋の学校に慣れようと懸命に歩んできた。
 教室の時間はあの日で止まったままだ。
 『三月十一日金曜 日直 鈴村共笑・猪狩壱誠』
 その日は4年2組の日直だった。チョークで書かれた娘の名前を写真に収めた。両手いっぱいに思い出を抱え、2人はがらんとした教室を出た。
 「何もかも学校から持ち出すと、今度は空っぽになってしまうみたいでさみしい。でも、黒板に娘の名前が残っているから大丈夫かな」


朝日新聞
女川の被災商店街再生を補助 復興庁が計画認定へ
 東日本大震災で壊滅した宮城県女川町中心部の商店街の再建について、復興庁が19日にも町の計画を認定する。被災した商業施設の復興に向け、国が建設費の4分の3を補助する制度の初めての適用となる。

 中心部に17メートル超の津波が襲った町は人口流出が止まらず、震災前の約1万人から約7千人に減った。買い物に不便で雇用も減ったことが背景にあり、町は中心部を最大15メートルかさ上げする造成工事とともに商業施設をつくり、にぎわいを取り戻すことをめざす。

 認定される「まちなか再生計画」は、民間のまちづくり会社が施設を整備。再建中のJR女川駅舎に温浴施設を併設し、全国有数のサンマ水揚げ地の女川漁港との間にテナント型商店街や観光施設を建てる。被災した15事業者に加え、コンビニエンスストアやドラッグストアなど計約30店舗が入居する。整備費は6億円超を見込む。

 被災企業への支援でテナント料は震災前の地元の相場より低くなる予定だが、復興庁は、外部の委員会と事業の収支見通しを精査し、将来も事業を続けられると判断した。(中村信義)


毎日新聞
希望新聞:東日本大震災 記者通信 期待に応えたい−−岩手・釜石
 夜も明けきらない午前6時。岩手県釜石市の地域紙「復興釜石新聞」の佐藤真由美さん(55)と高木敏恵さん(55)の配達にご一緒した。部数は合わせて約100部。「他の人より少ないけれど、最初は2時間近くかかったの」。今ではアパートの3階だって素早く駆け上がり、集合住宅では佐藤さんの読み上げる部屋番号の郵便受けに高木さんが入れていく手際の良さ。配達は約40分で終了した。

 佐藤さんは制作、高木さんは経理と校閲。普段の業務をこなしながらの配達には訳がある。以前、この欄で紹介したが、津波に社屋がのまれた夕刊地域紙「岩手東海新聞」の元従業員たちが2011年6月に創刊したのが釜石新聞だ。3年間は国の緊急雇用創出事業、以後は市が広告料の一部を負担する形で支援し、市内全戸に週2回、無料配布してきた。支援が終わった10月からは有料化での継続を模索。申込数は目標の4000部を上回ったものの準備が整わず、再開は1カ月遅れの11月となった。

 販売網は万全でなく、5000を超える部数の半数近くは10人の社員らが手分けして配る。「集金もあるし留守も多い。土日も出ます」と川向修一編集長。とはいえ、社員の踏ん張りを支えているのはその読者たちだ。再出発から1カ月以上たつが、いまだに新規申し込みは途切れない。「それだけ多くの人が期待してくれている。紙面の質向上も課題だが、まずは発行を続けていくこと」。川向編集長は言葉に力を込めた。【中田博維】


NHK
新酒の仕込み 最盛期
気仙沼市の酒造会社で、ことし、地元でとれたコメを使った新酒の仕込みが、最盛期を迎えています。
気仙沼市入山の酒造会社「男山本店」は、東日本大震災の津波で、本社や倉庫が流されたものの、高台にあった酒蔵は被害を免れ、震災の翌日から酒造りを再開しました。
ことしも地元でとれた酒米を使った新酒の仕込みが最盛期を迎えています。
職人たちは、朝早くから作業を始め、湯気が立ちこめる釜の中から蒸し上がったコメを取り出したあと、専用の機械で冷ましながら、こうじ菌をふりかけて、こうじを作りました。
また、寝かせてあったこうじと水、蒸したコメをまぜて発酵させる仕込みも行われ、職人たちは、駆け足でコメを運ぶなど、忙しく作業を進めていました。
杜氏の柏大輔さんは「ことしは、コメの出来がいいので、ふくよかな、まるみのある味わいになると思います。震災後、多くの方に支えてもらったので、少しでも、いいお酒を造りたいです」と話していました。
この酒造会社では、ことしも去年なみの、およそ16万リットルの新酒を仕込む予定で、作業は来年3月ごろまで続きます。


三陸新報
手書きで「星の玉」 気仙沼
 気仙沼地方の正月の神棚を飾る「星の玉」の制作がピークを迎えている。20年以上描き続けている市内東八幡前の佐々木和男さん(75)は、昔ながらの一枚一枚真心込めて仕上げている。
 星の玉は、家内繁盛の宝珠、健康長寿のエビを中心に松竹梅、大漁祈願のタイ、五穀豊穣(ほうじょう)のカブなどの縁起物が描かれている。
 佐々木さんは「住宅の再建が進み、注文数が震災前と同じくらいまで回復してきた。これからも皆さんの願いがかなうように、描き続けていく」と笑顔で筆を走らせる。


朝日新聞
高浜原発―集中立地を直視せよ
 複数の原発が同時に事故を起こせば、国の存続さえ揺るがしかねない。

 福島第一原発事故で直面した現実である。ところが、電力会社も原子力規制委員会も、同時多発事故のリスクをあえて直視していないように見える。

 関西電力高浜原発(福井県)の3、4号機について、規制委が新規制基準に適合するとの審査書案をまとめた。事実上、九州電力川内(せんだい)原発に次いで、再稼働に向けた最初の大きなハードルを越えたことになる。

 だが、川内原発とは違い、高浜原発の近隣には多くの原発がある。

 高浜原発には今回の3、4号機のほかに1、2号機があり、計4基の原子炉がある。直線距離で約15キロ離れた関電大飯原発の4基と合わせると、計8基になる。約50キロ離れた関電美浜原発の3基、日本原子力発電の敦賀原発2基まで含めると、13基にものぼる。

 この中で廃炉が決まった原発はない。関電は大飯原発3、4号機の審査を申請しており、高浜原発1、2号機についても申請する構えを見せている。

 田中俊一規制委委員長は「集中立地は検討課題で、新設の際には十分考慮されるべきかも知れない」という。だが、既存原発に対する現在の審査は、原子炉ごとに別々に事故対応できるかにとどまっている。高浜原発3、4号機と大飯原発3、4号機のリスクを総合的に見ることはしていない。

 現在の審査のままなら、個別に対応できる限り既存原子炉は何基再稼働してもいいことになる。従って、原発の集中再稼働がなし崩し的に進みかねない。

 規制委自ら認めるように、新規制基準に適合しても事故リスクはゼロではない。

 大地震などで、狭い地域で多数の原子炉が同時に事故を起こした場合、他の原発からの放射性物質飛散が事故対応に影響を及ぼし、制御は著しく困難になる。単独事故とはまるで異なる対応に迫られるはずだ。本社や社会の能力も問われよう。

 日本ほど原発が集中立地している国は世界でもほとんど例がない。ならば、集中立地していることを踏まえて審査すべきだろう。狭い地域へのリスク集積がどこまで許されるのか、議論する。動かすというのなら、納得いく説明がほしい。

 集中立地のリスクをどう考えるのか。

 電力会社や規制委にゆだねるには重すぎるテーマだと言うのなら、政府全体で正面から議論すべきである。


毎日新聞
投票率の低下 もはや国民的な課題に
 民主主義の基盤を揺るがしかねない。衆院選の投票率は小選挙区で52.66%に落ち込み、戦後最低だった2012年を6.66ポイントも更新した。

 有権者の関心が盛り上がりを欠く急な選挙だった事情もあるが、低投票率傾向は国政、地方選挙全般を通じて進行しているだけに深刻だ。国や自治体も真剣に手立てを講じなければならない。

 政権を選ぶ選挙にもかかわらず、有権者の半分近くが今回、投票所に足を運ばなかった。投票率が60%に達した都道府県はなく、青森、宮城、富山、石川、愛媛、徳島、福岡、宮崎の8県は5割に届かなかった。「大都市圏よりも地方は投票率が高い」という従来の常識はすでに揺らいでいる。

 国政選挙は12年衆院選を境に低投票率が目立ち、昨年の参院選も過去3番目の低さだった。特定の支持政党を持たない無党派層の票が行き場を失っていることなどが影響しているとみられる。

 加えて、今年の東京都知事選にみられるように、自治体の選挙でも投票率は伸び悩んでいる。投票動向の分析に詳しい松本正生埼玉大学社会調査研究センター長は埼玉県内で昨年投票が実施された18市町長選挙のうち14で投票率が前回投票を下回ったことなどを指摘し「選挙離れの進行速度は深刻だ」と警告する。構造的な問題だと捉えねばなるまい。

 「選挙離れ」が進めば政治や行政と有権者の距離を広げ、民主主義の土台をむしばむ。政党や候補が魅力ある論戦を繰り広げ、有権者は選挙権の重みを認識することが大前提であることは言うまでもない。

 とりわけ、若い世代の低投票率対策は急を要する。選挙権年齢の18歳への引き下げは主権者意識を養い、早い段階で投票習慣を定着させる観点からも急がねばならない。教育現場での模擬投票や討論の学習など、これまで以上に選挙に親しむ場面を増やすべきだ。

 投票しやすい環境の整備も大切だ。期日前投票をより活用するために現在は午後8時までとしている投票時間の延長を認めたり、投票所を増設したりしてはどうか。

 超高齢化が進み、投票所に足を運べない有権者の増加も指摘されている。市町村合併などの影響で減少した投票所の再配置など、目配りが欠かせない。選挙区が同じであれば、どの投票所でも投票できるようなシステムも検討対象となろう。

 戸別訪問の解禁など依然として規制の多い公選法の見直しも急ぐべきだが、自治体の工夫で取り組める部分も多いはずだ。まずは来春の統一地方選を、危うい風潮に歯止めをかける場として位置づけたい。


東京新聞
北星学園大問題 暴力に屈せぬは当然だ
 脅迫に屈せず、大学の自治や学問の場を守る。元朝日新聞記者の非常勤講師を来年度も雇うと決めた北星学園大(札幌市)の良心と勇気を支持する。市民の支援の輪をさらに広げ、見守りたい。

 講師の雇用を継続する理由として、田村信一学長は「暴力による言論弾圧は許されない、という社会的な合意が広く形成されつつある」と述べた。

 理念と現実のはざまで大きく揺れ動いたようだ。

 大学に対しては早い時期から、講師が記者時代に報じた慰安婦問題の記事をでっち上げと非難する電話やメールが相次いだ。

 五月と七月には、講師を退職させなければ、学生に危害を加えるとする脅迫文まで届いた。八月に朝日新聞が慰安婦報道の検証記事を掲載した後は、さらに脅迫や嫌がらせが激しくなった。十月には、脅迫電話をかけたとして威力業務妨害の疑いで、新潟県の男が逮捕される事件も起きた。

 大学には学生たちの身の安全を確保すべき責務がある。警備を強化し、財政負担は増える。後を絶たない抗議行動に対応する教職員も疲労困憊(こんぱい)する。

 講師との契約更新をいったんは諦める考えに傾いた田村学長の心境も、学生たちの安全をおもんばかれば分からなくもない。

 しかし、ひとたび脅迫や暴力に屈して要求をのめば、影響は計り知れない。一大学の信用、信頼問題を超え、さまざまな結社や集会、言論、表現への介入を招きかねない。民主主義が壊れる危険が生じる。

 大学が情報を公開し、窮状を訴えたことも賢明だった。危機感を抱いた人たちが「負けるな北星!の会」を結成し、国内外に支援の輪が広がった。行政や警察、弁護士会も連携し、後押しに動いた。

 社会の良識を共有し、大学の決断を守り抜きたい。学生たちが安心して学ぶことができるよう力を結集してほしい。

 ノーベル平和賞を受賞したパキスタンの少女マララ・ユスフザイさんは、「一人の子ども、一人の教師、一本のペン、一冊の本が世界を変える」と、教育の大切さを訴えた。

 女性の学ぶ権利を訴え、そのために武装勢力に銃撃されてもなお、毅然(きぜん)と暴力に立ち向かい、学ぶことを手放さなかった。

 彼女の勇気を思い起こしたい。

 どんなに厳しくても、教育にかかわる人たちは脅しや暴力に屈してはいけない。


毎日新聞
STAP問題:小保方氏、理研を退職 「魂の限界」
 理化学研究所の小保方晴子研究員が、21日付で理研を退職することが分かった。15日に退職願が理研に提出されていた。

 理化学研究所退職に伴う小保方晴子氏と、同研究所の野依良治理事長のコメントは以下の通り。
 ◇小保方晴子氏

 どのような状況下であっても必ず十分な結果をと思い必死に過ごした3か月でした。予想をはるかに超えた制約の中での作業となり、細かな条件を検討できなかった事などが悔やまれますが、与えられた環境の中では魂の限界まで取り組み、今はただ疲れ切り、このような結果に留まってしまったことに大変困惑しております。

 私の未熟さゆえに論文発表・撤回に際し、理化学研究所を始め多くの皆様にご迷惑をおかけしてしまったことの責任を痛感しておりお詫びの言葉もありません。検証終了を以て退職願を提出させていただきました。最後になりますが本検証実験にあたり検証チームの皆様はじめ、ご支援・応援してくださった方々に心より御礼申し上げます。

2014年12月19日 小保方 晴子
 ◇野依良治理事長

 STAP論文が公表されてからこの 10ヶ月間余り、小保方晴子氏にはさまざまな心労が重なってきたことと思います。このたび退職願が提出されましたが、これ以上心の負担が増すことを懸念し、本人の意志を尊重することとしました。

 前途ある若者なので、前向きに新しい人生を歩まれることを期待しています。


朝日新聞
「生活保護費減額は違憲」 取り消し求め集団提訴 大阪
 国が昨年8月から生活保護費を引き下げたのは憲法25条(生存権の保障)に反するとして、大阪府内の13市で暮らす受給者51人が19日、国と13市に引き下げの取り消しと1人あたり1万円の慰謝料を求めて大阪地裁に提訴した。51人の弁護団によると、同様の集団訴訟は各地で起こされ、大阪は17件目という。

 51人は32〜80歳の男女。訴えによると、国は保護費のうち食費や光熱費に充てるための「生活扶助」の基準を改定し、来年4月にかけて段階的に平均6・5%(約670億円)減額していく予定。すでに13市は昨年8月と今年4月、改定された基準にもとづいて保護費の受給額を引き下げた。

 51人は受給額が下がったことで外食の回数を減らしたり、新聞の購読をやめたりするなどの影響が出たと主張。「憲法25条が保障する『健康で文化的な最低限度の生活』に達しない生活を強いられた」「改定された基準は算定方法が恣意(しい)的で、保護費削減そのものが目的であるのは明らかだ」と訴えている。提訴後、枚方市の女性(54)は「食費を切り詰めてもぎりぎりの生活。切り下げが続くと今後が不安」と語った。(太田航)

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歯医者は来年も/2日連続でマイマイ/未消費予算が結構

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Japon: Vers la fin de la saga des super-cellules Stap, impossibles à recréer
Le rideau retombe sur les cellules Stap, feuilleton scientifico-médiatique de l'année 2014 au Japon. La jeune chercheuse japonaise Haruko Obokata ne serait finalement pas parvenue à recréer des cellules pluripotentes selon la méthode qu'elle avait elle-même proposée, un échec qui risque de signer la fin de la saga.
Selon plusieurs médias nippons, des responsables du laboratoire public Riken, qui emploie Haruko Obokata, donneront vendredi une conférence de presse pour annoncer les résultats des recherches complémentaires effectuées par l'intéressée après que ses premiers travaux ont été contestés et qualifiés de ≪frauduleux≫.
Contrefaçon
Haruko Obokata avait publié fin janvier dans le magazine Nature une communication scientifique en deux volets. Elle y expliquait comment recréer des cellules indifférenciées et capables d'évoluer en divers organes ou tissus à partir de cellules matures, par un procédé chimique qui était alors considéré comme extraordinaire et potentiellement révolutionnaire pour le développement de la médecine régénérative.
Las, par la suite, plusieurs personnes avaient émis des doutes, ce qui avait conduit Riken à diligenter une enquête. La commission spéciale mise en place a conclu à la contrefaçon de visuels, et de facto remis en cause l'ensemble des éléments présentés ainsi que l'existence même des cellules Stap.
Suicide
La chercheuse, entre-temps hospitalisée, a fait appel mais a été déboutée, et Nature a fini par retirer début juillet les articles en question. Toutefois, le laboratoire Riken a décidé de poursuivre des investigations, dans un premier temps avec des chercheurs tiers, sans résultats concluants, puis avec Haruko Obokata en personne, placée sous haute surveillance.
D'après les rumeurs circulant jeudi, elle n'aurait pas échoué à 100%, mais le taux de réussite serait tellement insignifiant que Riken aurait décidé de ne pas le considérer comme probant. Pourtant, la jeune femme avait affirmé avec aplomb et les larmes aux yeux ≪les cellules Stap existent, j'en ai créé plus de 200 fois≫ lors d'une pénible et mémorable conférence de presse en avril.
L'affaire avait pris début aout un tour tragique avec le suicide d'un des protagonistes, le professeur Yoshiki Sasai, une éminence du monde de la recherche cellulaire qui avait aidé Haruko Obokata à mettre en forme ses articles.

朝歯医者に行きました.右下の歯の治療は終わったのですが,左上にも虫歯になりかけがあるのでどうしますか?と.年明けも歯医者の通院になりそうです.
お昼はバランスランチ.注文した後でクリスマス特別ランチがあることに気がつきましたが遅い.とにかくバランスランチ.さて急いでナノザへ.2日連続のマイマイです.セムムができないからなのですが・・・
予算がまだ結構残っているのでどうにかしなくてはなりません.

河北新報
「震災復興」理念に岩手大が全学改組へ
 岩手大は17日、2016年度に全学的な学部学科の改組を実施すると発表した。理念の軸に東日本大震災からの復興を据える。現行4学部の学科を改組し水産学に特化したコースや理工学部を新設する。1949年に新制大学として発足後、全学規模の改組は初めて。
 改組の理念は(1)震災復興・地域創生(2)イノベーション創出(3)グローバル人材育成−の三つ。
 構想では農学部5学科を再編し、食料生産環境学科を新設。「水産システム学コース」を置く。生産や加工、環境など多角的な知識と技術を習得し、三陸の復興に貢献できる人材育成を目指す。定員は数十人。
 水産学に特化したコースは同大で初めて。3年か4年時に同大三陸復興推進機構「釜石サテライト」(釜石市平田)に拠点を移すという。
 工学部は理工学部に移行する。5学科を3学科に再編し、基礎科学に重点を置く。教育学部は生涯教育と芸術文化の2課程を廃止。教員養成に純化し、これまで推奨していた複数免許の取得を義務化する。
 記者会見した西谷泰昭学長代行は「震災の経験を反映させた。長期的な復興に向け、人材を育てていく」と述べた。
 改組案は来年3月に文部科学省に申請。認可は8月の見通し。在学生は卒業まで現行学部、学科に所属する。


河北新報
集団移転先にキクチと薬王堂が出店へ・山元
 山元町は17日、東日本大震災による集団移転先に計画する商業用大区画への出店の優先交渉権者に、食品スーパーのキクチ(相馬市)とドラッグストアの薬王堂(岩手県矢巾町)のグループを選定したと発表した。来年4月にも開発協定を結び、同年10月ごろに土地の貸し出しを始める。

 キクチは宮城県南と福島県相馬地方で「フレスコキクチ」を展開。ことし10月、マイヤ(大船渡市)など東北のスーパー3社と経営統合し、共同仕入れ会社マークスホールディングス(仙台市)の傘下に入った。薬王堂は岩手を中心に東北5県に店舗を持つ。
 対象区画はJR常磐線の内陸移設(2017年春再開予定)に伴い開業する新山下駅前の1万1300平方メートル。土地の貸与期間は20〜30年間とするよう求めている。
 町による出店者の公募には3件の申し込みがあり、選定委員会が審査した。ただ対象区画は地権者が売却に同意していない。町は県収用委員会に土地収用の裁決手続きを行い、審理が進められている。
 同時に募集した新坂元駅前(9080平方メートル)の区画は、申し込んだ1社が辞退した。町は別の事業者の誘致を進める。
 両区画は防災集団移転促進事業などで被災集落を集約する新市街地内に整備される。宮城病院周辺地区を含む3地区の新市街地は11月現在、分譲宅地の34%に空きが生じており、町はスーパー出店などによる利便性をアピールし、転入を増やしたい考えだ。


河北新報
双葉町のがれき やっと撤去着手
 環境省は17日、東京電力福島第1原発事故で全町避難している福島県双葉町で、東日本大震災の津波で被災した家屋などのがれき撤去を始めた。原発事故の影響で仮置き場の確保が遅れ、3年9カ月を経ての着手となった。同県の津波被災地は、帰還困難区域の大熊町を除き、ようやく全地域でがれきの撤去に入った。
 双葉町の対象地区は、避難指示解除準備区域の両竹、中野、中浜3地区。がれきは5500トンと推定され、震災直後に自衛隊などが道路脇に積んだままだったり、農地に散在したりしている。本年度はこのうち3300トンを仮置き場に運ぶ。
 17日は両竹地区の公民館前で作業に着手した。がれきが約5メートルの高さに積み上げられ、草やススキが生えた状態。作業員が重機で木材をトラックに積んだほか、堆積物を地面に広げ、貴重品などの有無を確認した。
 立ち会った斉藤六郎区長(77)は「やっと始まったという思い。復旧を加速させてほしい」と話した。
 3地区の廃棄物は、がれき5500トンに、家屋解体に伴う廃材や被災車両約40台などを加えると1万3000トンに上る。環境省は来年度に撤去をおおむね終える方針。
 3地区は十数メートルの津波に襲われ、21人が死亡・行方不明となった。


河北新報
<回顧みやぎ>(1)閖上土地区画整理事業/現地再建しこり残す
 ことしも残すところ2週間となった。東日本大震災から4年目。津波被害が大きかった沿岸部は復興への歩みを懸命に進めた。雇用や医療など暮らしに密着した場面でも、さまざまな出来事が起こった。間もなく暮れゆく2014年。県内各地の記者が印象的な取材を振り返る。

 待望の着工にもかかわらず、心は晴れなかった。10月20日、名取市閖上地区で土地区画整理事業の起工式が行われた。住民の合意形成が難航し、事業スケジュールは大幅にずれ込んだ。
 閖上の復興をめぐっては、現地再建を掲げる市と、内陸移転を求める住民が対立する構図が続いた。復興の根幹を成す方向性のずれは一体どこから生じたのか。
 昨春の意向調査で、閖上に戻りたいと答えた住民は約25%、内陸移転を望む住民は、移転済みを含めて約60%だった。昨年10月の県都市計画審議会には、計画修正を望む多くの署名を添えた意見書が出された。3度の審議の末に不採択となったが、住民感情への配慮を求める異例の付帯意見と建議が付いた。
 市は安全性に関する説明不足を認めるが、現地再建にこだわるかたくなな姿勢が、住民の反発を招いた面は否めない。
 「混沌(こんとん)とした魅力があり、本当に楽しいまちだった」。佐々木一十郎市長は閖上への思い入れを熱く語る。漁師町として閖上は独自の文化を育み、濃密な人間関係も自慢だったという。ある意味、純粋な郷土愛かもしれない。
 しかし、被災者感情は単純ではない。閖上で親族らを亡くした男性(78)は「あの日、濁流に流されていく人たちを見た。地獄絵図のような光景を見てしまった私たちに、閖上に戻れというのは酷な話」とつぶやく。
 将来に向けた閖上復興の意義は否定しないが、今を生きる被災者の思いを後回しにするようなことは本来許されない。
 閖上に戻る被災者の7割が災害公営住宅に入る。多くは高齢者だ。経済的な事情や旧来のコミュニティーを離れることへの不安から、たとえ津波が怖くても閖上に戻るしかないという人も多い。
 未曽有の災害に直面し、市も余裕を失った。多様な意見を持つ住民の合意形成は確かに難しい。難題だからこそ、住民と手を携えて解決策を見いだしてほしかった。
 現地再建に動きだした今、一日も早く事業を完遂し、安全な居住環境を実現しなければならない。住民に、本当の笑顔が戻ることを願っている。(岩沼支局・成田浩二)

<メモ>閖上地区土地区画整理事業
 対象区域約57ヘクタール中、約32ヘクタールの地盤を海抜5メートルになるよう平均3メートルかさ上げする。231区画の宅地を造成するほか、災害公営住宅を524戸整備。事業完了は2018年3月の予定。市は居住人口を2076と推計する。東側に隣接する約65ヘクタールは災害危険区域に指定して集団移転事業を行い、移転先をかさ上げ地内に設けている。


河北新報
宮城・美里弔慰金訴訟 不支給決定取り消し
 東日本大震災の1週間後に宮城県美里町の男性=当時(99)=が脳梗塞で死亡したのは震災で生活環境が悪化したためだとして、男性の妻(100)が、震災関連死と認めず災害弔慰金を不支給とした町の決定の取り消しを求めた訴訟の判決で、仙台地裁は17日、震災との相当因果関係を認め、町の決定を取り消した。
 町は関連死かどうかの審査を県の審査会に委託しており、県の審査会の判断に基づいて自治体が下した判定を取り消した判決は東日本大震災で初とみられる。
 山田真紀裁判長は、男性が入居していた町内の福祉施設で震災後に電気や水道の供給が止まっていたことを指摘し、「男性が発症した脳梗塞は水分摂取量の不足と生活環境の悪化により誘発された」と述べた。
 判決によると、男性は震災前、特に変わった様子がなかったが、2011年3月17日、低体温状態になり、翌18日に脳梗塞などで亡くなった。
 妻は関連死の場合に支給される災害弔慰金を申請したが、町は12年10月に「県の審査会が男性の死亡と震災との因果関係を認めなかった」として不支給を決めた。
 判決後、妻の代理人は「どんな基準に照らしても関連死に該当するケースで、県の審査会はもっと丁寧に審査すべきだった」と話した。
 町は「コメントできない」としている。
 東日本大震災の関連死をめぐっては、同地裁が9日、仙台市の不認定を取り消す初の判決を言い渡している。


河北新報
金華山参道復旧へ 石巻市
 石巻市は17日、東日本大震災などで被災した離島・金華山の金華山黄金山神社の参道について、神社から用地の寄付を受け、市道「金華山公園線(仮称)」として整備する方針を明らかにした。市は今月中に神社と寄付の覚書を取り交わし、2016年度の復旧工事完了を目指す。
 船着き場と金華山中腹の神社を結ぶ約1キロの参道は、震災で崖崩れが発生した上、その後の台風で土砂が崩れた。所有する神社はボランティアの協力で、陥没箇所に砂利を敷くなどの応急復旧を進めた。
 神社は多額の経費を要することから、独自の本格復旧を断念。参拝者の安全を確保するため、金華山を重要な観光資源と位置付ける市が整備することを決めた。
 市道に認定するのは船着き場から神社参集殿付近まで約670メートルで、被害が大きかった海岸から約330メートルの区間で復旧工事を実施する。財源は国の社会資本整備総合交付金の活用を見込み、のり面の崩落防護措置も講じる。
 市牡鹿総合支所の木村富雄支所長は「金華山は牡鹿地区の観光のシンボル。一日も早く安心してお参りできるような環境を整えたい」と話した。


赤旗
震災の犠牲 検証・提言 冊子 『子どもの「いのち」を守りぬくために』 宮教組が作成
 東日本大震災は、宮城県内の小中学生や教職員に多大な被害をもたらしました。宮城県教職員組合(宮教組)が作成した冊子『子どもの「いのち」を守りぬくために』は、1年半かけた検証から震災時の教訓を導き出した「提言集」です。

 宮城県内で津波の犠牲になった小中学生は261人、教職員は17人もいます。宮教組は『教職員がつづる東日本大震災〜学校で何があったのか語りたい、残したい、伝えたいこと』と題して第1集、第2集を発行してきました。今回の冊子はその第3集です。

 多大な犠牲が出たにもかかわらず、県教育委員会は子どもたちの詳しい被害状況を明らかにしていません。

 宮教組の瀬成田実委員長は「今回の調査は、子どもたちの命を守る貴重な資料になるはずです」と話します。

 なかでも、津波で命を奪われた小中学生全員分をつぶさに調べたデータは、「助けられなかった子どもたち」の教訓を次世代に継ぎたいとの思いにあふれた調査です。

 津波で犠牲になった小中学生の動向を調べたところ、高台へ避難中だったのは36%で、「自宅へ向かう」「自宅待機」など、約6割が高台への避難を優先せずに犠牲となっていたことがわかりました。

 被災場所の内訳では、「路上徒歩」の32%に続き、「路上の車中」が29%もありました。車で津波にあった場合の避難のあり方・対策を、免許の習得時や書き換え時に学ぶ場が必要だと指摘しています。

 今後に生かすため、命をつなぎとめた人々がどう逃げたのかを記述。「学校の対応に関する教訓・課題チェックシート」を収めました。

 「あの日から」には、中高生の震災体験記録を収載。震災当時の作文や、思い起こしてつづった記録が、リアルに震災を伝えます。

 ある女子生徒は一人で下校途中に津波に襲われました。「私はどうしたらいいかまったくわからなかったので、無意識に道路をはさんで向こうの松につかまりました。精いっぱい手をのばして、しっかり大きな松の木につかまりました…」

 県教委の乱暴な人事異動や、異動元と異動先との「兼務発令」についてのアンケート調査も掲載。震災直後の人事異動には過半数の教職員が「問題があった」と答え、被災校や被災した子どもから離れる後ろめたさ、苦しさが書かれています。

 瀬成田委員長は「教職員や教育委員会、行政や地域の防災担当者に手にとってもらい、今後に生かしてほしい」と話しています。


 冊子は1000円(送料込み。5冊以上の送料は要相談)。申し込みは住所、氏名、電話番号、冊数を明記してファクス022(274)2130へ。


読売新聞
被災地支援へ純米酒仕込む
◆みやきの天吹酒造 宮城の米使う

 東日本大震災の被災地支援に取り組んでいる天吹酒造(みやき町東尾)で17日、宮城県産の米を使った純米吟醸酒「絆伝心」の仕込みが始まった。

 同酒造は2011年から被災地支援の酒造りを行っており、今年で4回目。宮城県登米市の農家が作った米「イセヒカリ」1200キロを購入して醸造。絆伝心は、しっかりとした力強い味わいが特徴という。

 この日の作業には、ボランティア6人が加わり、蒸した米を台の上に広げ、こうじ菌をまき、米全体につくように混ぜ、なじませていた。720ミリ・リットルを1000本(税込み・1本1620円)生産する。

 参加した被災地・仙台市出身の佐賀市若宮の高校講師、富田万里さん(51)は「ふるさとの宮城と、佐賀が力を合わせたおいしい日本酒になってほしい」と話していた。

 発売開始は3月11日。予約や問い合わせは同酒造(0942・89・2001)へ。


サンスポ
阪神・歳内、「3・11」登板誓った!「被災者の人に勇気を」
 来季4年目の阪神・歳内宏明投手(21)が17日、鳴尾浜でキャッチボールやウエートトレで汗を流した後、来年3月11日の広島とのオープン戦(甲子園)に登板する意欲をみせた。

 「もちろん投げたい気持ちはあります」

 2011年の同じ日に起きた東日本大震災を、歳内は福島・聖光学院高時代に被災。6日も福島市内で行われた復興イベントに参加し、被災者を勇気づけた。今年3月11日はDeNA戦(甲子園)に登板。1回を投げ、無失点の好投をみせた。

 「今年も投げてますし、もし投げたら少しでも被災者の人に勇気を与えれるような投球ができればと思います」

 オープン戦で弾みをつけ、1軍定着へ。離れていても、自身の活躍を被災地に届けてみせる。


毎日新聞
高浜原発合格証 京都、滋賀の声 尊重を
 新規制基準に基づく関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の安全審査で、原子力規制委員会が事実上の合格証となる審査書案を了承した。国民からの意見募集を経て正式決定する。新規制基準への「合格」は九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)に続き2例目で、再稼働に向けた地元同意手続きが始まる。

 だが、事故時の住民避難計画は十分な吟味がなされておらず、再稼働の判断に近隣自治体の意見を反映する仕組みもない。こうした課題を残したまま同意手続きを進めることは、拙速だといわざるを得ない。

 関電は、規制委の指摘などを受けて、想定する地震の揺れや津波の高さを引き上げ、規制委も新規制基準に適合していると評価した。

 それでも、原発の稼働に絶対の安全はなく、福島第1原発のような過酷事故が起きる可能性は残る。

 だからこそ、避難計画の実効性確保は不可欠だ。政府や電力会社は、安全審査の内容や再稼働の必要性を原発周辺の住民に丁寧に説明し、了解を得ることが求められる。

 政府は川内原発の例にならい、高浜原発が立地する福井県と高浜町の同意で再稼働できるとの考えだ。福井県の西川一誠知事も同じ考えだという。しかし、防災対策が必要な30キロ圏が鹿児島県内に収まっていた川内原発と異なり、高浜原発は福井、京都、滋賀の3府県にまたがる。

 高浜町の西隣の京都府舞鶴市はほぼ全域が30キロ圏で、一部は5キロ圏に入る。人口も約8万5000人で高浜町の7倍超だ。同市は府と共に立地自治体並みの安全協定締結を関電に要請し、交渉を続けているが、まとまっていない。滋賀県も立地自治体並みの協定を求めている。

 原発事故の被害には、府県境など関係ない。京都や滋賀の主張はもっともなものだ。政府は再稼働手続きを関電任せにせず、隣接府県の意見も尊重しなければならない。

 高浜原発から30キロ圏の自治体は避難計画の策定を終えてはいる。例えば、京都府北部の住民は兵庫県や徳島県に避難する想定だ。ところが、府によれば、住民を運ぶバスの確保などはまだ調整中だという。

 政府は、万が一の事故発生時も「国が関係法令に基づき、責任を持って対処する」と言うが、法的には避難計画策定は自治体の責任だ。政府は策定に協力するものの、その実効性をチェックする制度はない。

 関電の大飯原発3、4号機や九電の玄海原発3、4号機も規制委の審査は大詰めを迎えている。

 政府は再稼働を推し進める前に、自治体の避難計画の妥当性を評価する制度の導入を、早急に検討する必要がある。


河北新報
吹き付ける雪、交通に乱れ 仙台・積雪6センチ
 宮城県内は18日、強い冬型の気圧配置が続き、各地で交通網が乱れた。仙台管区気象台は、東部で暴風雪への警戒を呼び掛けた。仙台では午前10時に6センチの積雪を記録した。

 JR東日本によると、東北新幹線は白石蔵王駅などで発生したポイントの故障で上下計2本が運休した。秋田新幹線は6本、山形新幹線は同日夕まで18本が運休。宮城県内の在来線は午前11時現在、43本が運休している。
 仙山線は午前9時25分ごろ、山形市山寺の面白山高原駅で山形発仙台行き普通列車が運転を見合わせて山形駅に引き返した。東北、常磐、陸羽東、石巻の各在来線にも運休や遅れがあった。
 高速道路は東北、磐越、常磐の各自動車道で通行止めが相次いだ。国道48号は仙台市青葉区作並−東根市関山の上下線15.3キロが一時通行止め。
 高速バスは仙台と福島、盛岡、青森などを結ぶ路線の一部が運休。仙台市内の路線バスにも1時間以上の遅れが出た。
 仙台空港事務所によると、小松発仙台行きのアイベックスエアラインズ62便が欠航した。
 東北電力宮城支店によると、強風の影響により宮城県加美町の311戸が一時停電した。
 宮城県教委などによると、公立高は宮城一高など7校が始業時刻を遅らせた。私立は古川学園中・高が臨時休校、仙台育英高などが始業時刻を繰り下げた。
 管区気象台によると、11時現在の積雪は栗原市駒ノ湯96センチ、大崎市川渡59センチ、大崎市古川15センチなど。19日は次第に高気圧に覆われるが、寒気の影響で曇りの所が多く、西部の山沿いでは雪の降る所もある見込み。


朝日新聞
京都の街も雪化粧 近畿でも今冬一番の寒さ
 冬型の気圧配置が強まり、近畿地方では18日朝、北部を中心に雪が降った。平野部の京都市でも2センチの積雪を記録。19日にかけて中部や南部でも積雪のおそれがあり、気象庁は路面凍結や雪崩に注意を呼びかけている。

 気象庁によると、午前8時現在の積雪量は滋賀県長浜市余呉町で65センチ、兵庫県香美町の兎和野(うわの)高原で61センチ、京都府京丹後市峰山町で22センチ。寒さも厳しく、この日の最低気温は京都市で零下1・7度、大阪市で0・2度、神戸市で零下0・4度などと、いずれも今季一番の寒さとなった。

 名古屋市で2005年12月以来という23センチの積雪を記録。JR東海などによると、この影響で、東海道新幹線は始発から最大で約1時間半程度の遅れが出た。大阪(伊丹)空港では18日午前11時現在、全日空と日本航空の青森や新潟、秋田に向かう計5便が欠航した。

 気象庁によると、18日午前6時から24時間で予想される降雪量は、近畿北部、中部の山間部で30センチ、平野部で10〜15センチと予想されている。寒さは18日いっぱいまで続くが、19日は天気が回復するという。


朝日新聞
北星学園大、元朝日新聞記者の講師契約を継続
 慰安婦問題の記事を書いた元朝日新聞記者、植村隆氏(56)が勤める北星学園大(札幌市厚別区)は17日、植村氏との非常勤講師の契約を来年度も継続することを発表した。植村氏はすでに更新を打診され、受け入れる意向だという。

 北星学園大には3月以降、植村氏が朝日新聞記者時代に書いた慰安婦問題をめぐる記事は捏造(ねつぞう)などとする電話やメールが相次いだ。5月と7月には植村氏の退職を要求し、応じなければ学生を傷つけるとする脅迫文も届いた。10月には、大学に脅迫電話をかけたとして60代の男が威力業務妨害容疑で逮捕された。

 この日、記者会見に臨んだ田村信一学長は「我々だけが先頭に立って戦い続けるのは限界があるとの認識だったが、行政を含めた様々な社会の支援が出てきたことから雇用継続を決めた」と述べた。最終的な判断は、会見に同席した大学を運営する学校法人「北星学園」の大山綱夫理事長と話し合って決めたという。

 田村学長は10月末、学生の安全確保のための警備強化で財政負担が増えることや、抗議電話などの対応で教職員が疲弊していることなどを理由に、個人的な考えとして、植村氏との契約を更新しない意向を示していた。しかし、その後の学内での議論では学長の方針に反対する意見が相次いだ。中島岳志・北海道大准教授や、作家の池澤夏樹さんら千人以上が呼びかけ人や賛同者に名を連ねた「負けるな北星!の会」が発足するなど、学外でも大学や植村氏を支援する輪が広がりをみせた。

 田村学長は当初の考えとは違った結論になったことについて、「380人の弁護士が脅迫文が届いた事件について刑事告発したり、文部科学大臣が大学を後押しするような発言をしてくれたりしたことが大きかった」と話した。

 一方で、田村学長は「支援の輪は大きくなりつつあるが、まだ現場の教職員も不安を抱えている。それでもキリスト教による建学の理念に立ち返って前に進もうと決めた」と苦しい胸の内を明かし、文科省や道警、弁護士らと連携して大学の安全管理などを一層強化するとした。

 大山理事長は「脅しに屈すれば良心に反するし、社会の信託を裏切ることになると思った」と述べ、植村氏との契約更新に賛成の立場だったことを明かした。

 植村氏は2012年度から北星学園大に非常勤講師として勤務。留学生向けに日本の文化や芸術を教えたり、新聞を使って世界情勢を解説したりしている。

 契約が継続されることになった植村氏は「これからも学生たちと授業ができることを何よりもうれしく感じています。大学も被害者で、学長はじめ関係の方々は心身ともに疲弊しました。つらい状況を乗り越えて脅迫に屈せず、今回の決断をされたことに心から敬意と感謝を表します」とのコメントを出した。(関根和弘)

     ◇

 《「負けるな北星!の会」の呼びかけ人で精神科医の香山リカさんの話》 「学問の自由」は憲法にもうたわれ、長い歴史を持つ重要な問題です。この間、事件そのものより元記者や朝日新聞社の責任を問い、間接的に脅迫を肯定するかのような議論が、ネットを中心に一部で見られたのは大変残念だった。万一、また学問の自由や大学の自治を侵害する卑劣な行為が起きた場合、大学内部で対処せず、今回のように情報公開し、外部の支援者がスクラムを組んで大学を守る方法が有効ではないか。その意味でよい先例になったと思う。


NHK
ヨーロッパ議会 パレスチナ国家承認支持
EU=ヨーロッパ連合の議会に当たるヨーロッパ議会は、パレスチナの国家承認を支持する決議を可決し、イスラエル側への圧力を強めるとともに、EUに対して、和平プロセスの仲介役としてより積極的な役割を果たすよう求めるねらいがあるとみられます。

ヨーロッパ議会は17日、フランスのストラスブールで本会議を開き、パレスチナの国家承認を支持する決議を賛成多数で可決しました。
決議では、「パレスチナを国家として承認することを原則として支持する」としたうえで、「承認は和平協議の進展に合わせて行われるべきだ」として、ことし4月以降、中断したままになっているイスラエルとパレスチナによる和平協議の早期再開を促しています。
そして、テロなどの暴力行為を非難するとともに、イスラエルによる占領地での入植地の建設は国際法に違反することを強調し、双方に対して、和平協議を妨げる行為を自制するよう求めています。
決議に拘束力はないものの、ヨーロッパ議会としては、入植地の建設などを続けるイスラエル側への圧力を強めるとともに、EUに対して和平プロセスの仲介役としてより積極的な役割を果たすよう求めるねらいがあるとみられます。
ヨーロッパでは、ことし10月にスウェーデンがパレスチナの国家承認に踏み切ったほか、フランスやイギリスなど6か国の議会がそれぞれの政府に国家承認を求める決議を可決するなど同様の動きが相次いでいます。
イスラエル首相は反発
EU=ヨーロッパ連合の議会がパレスチナの国家承認を支持する決議を可決したことなどについて、イスラエルのネタニヤフ首相は「偽善だ」と批判し、ヨーロッパで相次ぐパレスチナの国家承認を巡る動きは話し合いによる和平を阻害するとして反発しました。
イスラエルのネタニヤフ首相は17日、外国メディアを対象にした記者会見を開きました。
この中で、ネタニヤフ首相は、EUの議会に当たるヨーロッパ議会がパレスチナの国家承認を支持する決議を可決したことや、イスラム原理主義組織ハマスのテロ組織指定について、EU一般裁判所が「精査したうえでの指定ではなかった」として取り消しを命じたことなどに触れました。
そして、「われわれはヨーロッパの単純さ、偽善の数々を目の当たりにした」と批判しました。
そのうえで、「ヨーロッパの一部で中東の現状にいらだちが高まっているという指摘は知っているが、いらだっているのはわれわれだ。いらだちは誤った政策をとる言い訳にはならない」と述べ、ヨーロッパで相次ぐパレスチナの国家承認を巡る動きは双方の話し合いによる和平を阻害するとして反発しました。
一方、イスラエルが再来年までにすべての占領地から撤退し、パレスチナ国家の樹立を認めるとする決議案が近く国連安全保障理事会に提出される見通しで、イスラエルに対する外交攻勢が強まっています。

フランス語
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OSインストール終了USB認識!!/久しぶりのマイマイ/仙台は雪

ブログネタ
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sospesi3

Percée historique du Parti communiste japonais, à 12 %, de 8 à 21 députés : son deuxième meilleur résultat depuis 1945 !
Dans la deuxième puissance capitaliste au monde, le soleil qui se lève est rouge écarlate. Le Parti communiste japonais vient d'obtenir un des meilleurs scores de sa longue histoire, il est aussi le parti qui connaît la plus forte progression depuis le début de la crise.

Percée des communistes japonais
La coalition de Shinzo Abe sort renforcée
 des élections anticipées. Le Parti communiste japonais (PCJ) est la formation d’opposition qui progresse le plus.

朝起きてみるとOSインストールが終わっていたようです.firefoxをダウンロードしAvira Free Antivirusもインストールしました. 何日か前USB認識がうまくいかなかったのですが,正常になっていました.
今日は七十二候で鮭魚群さけのうおむらがる,です.だから,というわけではないでしょうが今日のバランスランチは鮭のちゃんちゃん焼でした.美味しかったです.
その後久しぶりのマイマイ.30分だけでしたが,頑張りました.
少しだけですが,ゴータイがわかりました.ちょっと嬉しい.
寒いです.外の温度計は-0.5℃でした.仙台は雪降っているらしいです.

河北新報
<ふるさと納税>石巻市、前年度比6倍に
◎11月で1億6000万円超、特産品贈呈再開などで急増

 石巻市の本年度の「ふるさと納税」が11月で1億6000万円を超えた。東日本大震災で休止していた寄付者への特産品贈呈を再開し、インターネット受け付けも始めた9月以降に急増した。目標としていた1億円を軽々と突破。市の担当者は「想定外の人気で作業に追われている」とうれしい悲鳴を上げている。
 市は9月1日、寄付額に応じた特産品の送付を再開。同時にネットの専用サイト「ふるさとチョイス」の活用と、クレジットカード決済サービスを導入した。
 寄付は11月末までに約7600件を受け付け、申込金額は約1億6700万円と、昨年度(約2500万円)の6倍以上。1万円以上3万円未満が約5000件と6割を超え、5000円以上1万円未満が約1400件と続く。
 特産品贈呈は5000円以上が対象で、10万円以上まで5段階で好みの特産品を選ぶ仕組み。ほぼ全ての寄付者が送付を希望し、水産加工品や旬の海産物、コメなどが人気を集める。市は今月、ワカメやタラコなどさらに20種類を追加する。
 寄付の増加について、市は専用サイトやクレジット決済で利便性が向上したことや、被災地を支援する気持ちが後押しになったと分析する。
 市内では被災した水産加工業者などの販路回復が課題となっている。特産品の贈呈再開は、幅広く魅力を知ってもらい、商品PRにつなげる狙いがあった。
 市復興政策課の担当者は「特産品を気に入った寄付者が業者に直接注文するケースも出ている。商品の入れ替えなどで内容を充実させ、アピールを続けたい」と話す。


河北新報
津波被災のパトカー、富岡町が保存へ
◎「殉職警官の勇気忘れぬ」

 東日本大震災の津波で被災し残されたままのパトカーについて、福島県富岡町は16日、震災の記憶を伝える町の遺構として保存することを決めた。同町は東京電力福島第1原発事故で全町が避難。パトカーには県警双葉署員2人が乗務し、避難誘導中に殉職した。「感謝と哀悼の気持ちを忘れてはいけない」と町民から保存を求める声が上がっていた。
 パトカーがあるのは富岡漁港西側の子安橋付近。車体の上部は押しつぶされ、運転席がむき出しになっている。3年9カ月過ぎた今も津波の爪痕を生々しく伝える。
 双葉署などによると、増子洋一警視=当時(41)=と、佐藤雄太警部補=同(24)=(ともに2階級特進)が乗務していた。2人は住民に避難を呼び掛けていて、パトカーごと津波にのまれたとみられる。増子さんは沖合で発見されたが、佐藤さんは今も行方不明だ。
 町は年明けにも町の中心部の公園内に移動し、保存する方針。パトカーがある土地が除染廃棄物の仮置き場に含まれることや、今後、環境省が被災車両の撤去を進めるためだ。県博物館が防さびなどの保存処理や搬送を担う。
 パトカー周辺は日中の立ち入りが可能な避難区域。車体の前には祭壇が組まれ、線香や花を手向ける町民が後を絶たない。行方不明の佐藤さん宛てのメッセージを入れるポストも据えられ、月命日前後に家族が手紙を取りに来る。
 町が保存の検討を始めたのは7月。仮置き場設置などで撤去されることを懸念した町民有志から陳情書が提出され、町と双葉署は家族の意向を踏まえて協議を重ねた。パトカーは町が譲り受けることが決まり、家族側も「残してもらえるのはありがたい」と11月中旬に申し出を了承した。
 陳情書を出した藤田大さん(44)は町内の避難区域の案内ガイドを務める。「住民を助けようと最後まで避難誘導したパトカーの2人を忘れてはならない。あの場所に立つと、勇気と感謝の気持ちが湧く」と語る。
 原発事故の陰に隠れがちだが、富岡町には21メートルの津波が押し寄せ、24人が死亡・行方不明となった。宮本皓一町長は「町民の命を守った警察官の勇気とともに、原発事故と津波による複合災害の実態を風化させずに後世に伝えていく」と訴える。


朝日新聞
宮城)学生が食事支援、最終回 仙台の仮設住宅
 震災後の2011年6月から宮城学院女子大の学生が続けてきた高砂一丁目公園仮設住宅(仙台市宮城野区)での食事支援が16日、最後の回を迎えた。来年度から同仮設の集団移転が本格化し、自治会が解散するためだ。

 支援では毎月1回、学生が住民に食事を提供する「食事会」と、一緒に調理する「おかず作り会」を開いてきた。おかずは春巻きや長芋の豚肉巻きなど男性でも簡単に作れるものを採り入れた。1年目は女性の参加が多かったが、2年目以降は男性の参加も増えたという。

 発案したのは同大学芸学部の太田たか子准教授(65)。仮設に住む人たちの孤立化を防ぎ、健康な食事をしてほしいと、自分のゼミに所属する食品栄養学科の学生と取り組んできた。

 住民へのアンケートでは、「主食」「主菜」「副菜」をバランスよく食べている人は11年が約25%だったが、14年は約60%まで増えた。太田准教授は「継続してきたことが数字に表れるのはうれしい。支援を通じて、食に対する意識が高まってきたのでは」。

 この日の食事会はクリスマスの特別献立。13人の住人に、ご飯と主菜の照り焼きチキン、副菜にポテトサラダ、汁物はミネストローネ、デザートにゼリーが振る舞われた。榎戸静江さん(95)は「大勢で食べると普段よりおいしく感じる。月に1回のこの場が楽しみだった」と笑顔をみせた。

 ゼミ生の4年生高橋夏希さん(22)も「食べている表情を見ながら、『おいしい』と言ってもらえることが本当にうれしい」と話した。

 来年1月には住民たちが感謝の気持ちを込めて、学生を食事に招くという。自治会長の佐藤政信さん(68)は「最初は3年という話だったが、最後まで支援を続けてくれて感謝している。住民たちも健康に気を使うようになり、若い学生に元気をもらえた」。(辻隆徳)


朝日新聞
避難所新聞の高校生編集長、先生に 当時の新聞使い授業
 阪神大震災のとき避難所になった神戸市の小学校で、子どもたちは被災者に配る新聞を書き続けた。「編集長」を務めた高校生は今、近くの小学校の先生になった。16日、当時の新聞を初めて使い、授業で体験を伝えた。震災のとき、小学校は避難所になったんだよ――。

 「自衛隊でおにぎりを作っています。午前11時ごろ放送をしますので、みなさん作るのを手伝ってください」(1月26日)

 「3階の南のトイレだけ水洗になりました。1・2階の北トイレはバケツリレーが大変なので使用禁止です」(1月28日)

 B4判の紙に、手書きの文字とイラストが並ぶ。

 「小野柄(おのえ)小学校避難所新聞」。中央区の市立小野柄小学校(現中央小学校)で、震災3日後の1995年1月20日から、避難所が閉鎖された7月下旬まで、86号発行された。避難した小学生の高学年が取材と執筆を、低学年が配布を担当。編集長として約20人をまとめたのが、卒業生で当時高校1年だった中嶋早苗さん(36)だ。

 JR三ノ宮駅の東約500メートル。市街地の真ん中にあった小野柄小には震災直後、3階建ての校舎に約2千人が詰めかけた。

 中嶋さんも両親と弟たち、祖父母の計8人で避難。校舎も校庭も人で埋まった。食料も水も不足。明日への不安から酒をあおる人や、わずかな食料をめぐって配給役の教員らにくってかかる人も。避難所の秩序を保とうと、物資の配布方法や水が使えないトイレの使用法などを知らせるために配られたのが、避難所新聞だった。

 1、2号は教員がワープロで作成。だが物資の受け入れや電話対応で手いっぱいだった教員をみかねて、元PTA役員の中嶋さんの母親が、3号以降の発行を子どもたちに持ちかけた。

 授業は中止、校庭も避難者の車で埋まり、暇をもてあましていた子どもたちは、職員室の印刷機の横に陣取り、新聞づくりを始めた。生活情報のほか、避難所にいる足が不自由なお年寄りを調べた結果や、仮設風呂の設置にきた自衛隊員のインタビューなど、自主的に取材した記事も。

 「トイレのルールを守れてない人がいます。掃除する人が大変なんです」。時には大人への率直な怒りを書き込むこともあった。

 小さい子と遊ぶのが好きで、将来の夢は「小学校の先生」だった中嶋さんは「みんな絵描くの好きやろ? 私たちが作るんだからかわいくしよ」と呼びかけ、イラストをちりばめた。配りに行くとお年寄りたちは破顔し、「ありがとう」の言葉にさらに張り切った。

 「新聞作りはただただ楽しい時間だった」という中嶋さんは、住んでいた市営住宅に戻った後も編集長として避難所に通い続けた。

 震災後、港湾関係の父の仕事が激減。バスケットボールの特待生として入った私立高校では、遠征費が払えず部活から足が遠のいた。母とパチンコ店で清掃のアルバイトをし、生計を支えた。楽しかった新聞作りの記憶が、教師への思いを強くしてくれた。大学で教員免許を取得後、7年間臨時講師を続け、30歳でやっと採用試験に合格した。

 避難所で住民代表を務めた中嶋さんの祖父が亡くなったのはその頃だ。本棚から茶封筒に入った避難所新聞の束が出てきた。「まさか全部とっておいてくれるなんて……」。いつか授業で伝えたい。茶封筒のまま、教室のキャビネットにしまっておいた。

 3年前、市立なぎさ小学校に赴任した。当時の小野柄小の隣の校区。震災後に建てられた復興公営住宅が林立するHAT神戸にある。「神戸の人の頑張りの上にこの街ができていることをしっかり伝えなくては」と感じる。

 16日の授業では、担任をしている4年生のクラスで新聞の実物を配り、震災当時、子どもたちが書き続けたことを紹介した。「なんでやと思う?」との問いかけに、子どもたちからは次々手が挙がった。「大人たちは忙しそうだから」「家がつぶれた人を励ますため」「みんなに笑顔になってほしいから」

 中嶋さんは応じた。

 「そう。小学生だって、人のためにできることはあるんやで」(水戸部六美)

■小野柄小避難所新聞の主な記事

第3号(1月22日) 援助物資がどこからきているかの調査結果

第5号(1月24日) トイレの水をプールから運ぶバケツリレーの時間のお知らせ

第12号(1月31日) 自衛隊が設置した仮設風呂のマナーや感想

第57号(3月25日) 避難所住民から小野柄小を卒業する6年生へお祝い金

号外(4月17日) 16日にあった橋幸夫さんらのチャリティーコンサートの感想

第86号(7月29日) 避難所新聞最終号、編集後記


毎日新聞
特集ワイド:菅原文太さんの「遺言」 失われたら、命は取り戻せない 有機農業、反戦、脱原発 根っこは同じ
 「仁義なき戦い」では一本気なアウトロー、「トラック野郎」では人間味あふれる純情者……。そんな銀幕のスターが先月末、81歳で逝った。晩年、菅原文太さんが私たちに伝えようとした「遺言」とは何だったのか。【小国綾子】

 「選挙中とはいえまるで言論統制だ」。同じ東北出身で親交のあった評論家、佐高信さんは切り出した。菅原さんの訃報が伝えられたのは衆院選公示の直前。多くのメディアは集団的自衛権行使容認や原発再稼働を進める安倍政権に配慮し、菅原さんが反戦や脱原発を訴えてきた事実を十分に報じなかったのではないか、と言うのだ。

 確かにテレビの追悼番組では晩年の政治的な発言に触れず、映画スターとしての功績だけを追うものが目立った。無農薬有機農業を広めることと、再び戦争をしないよう声を上げることの二つの「種」を世にまいた、とつづった妻文子さんのコメントを、肝心の農業や不戦に触れた部分を削除して報じたテレビもあった。ネット上では「菅原さんの反戦の思いを封殺した」と批判の声が上がった。

 佐高さんには忘れられない思い出がある。菅原さんに「文化勲章をもらうことになったらどうする」と冗談交じりに尋ねたら、菅原さんは「きっと『非国民』栄誉賞だな」と笑った。「彼には『非国民』と呼ばれようと、この国の未来のためには一歩も引かない覚悟があった。政治色がついたら俳優もタレントも干されるこの国で、そこを突破した最初の大スターではないか」

 菅原さんが大切にしていた仕事に月刊「本の窓」(小学館)の対談連載がある。2010年に始まり、全部で43回。対談相手の35人はすべて自分で選んだ。俳人の金子兜太さん、元沖縄県知事の大田昌秀さん、著書「タネが危ない」で知られる種苗店経営者、野口勲さん、第五福竜丸元乗組員の大石又七さん。顔ぶれに菅原さんの大事にした憲法9条や沖縄、脱原発、農業などのテーマが見て取れる。

 編集長の岡靖司さんが「出版社の地味で小さなPR誌ですが……」と恐縮しつつ連載を依頼した時、菅原さんは逆に「とても気の利いたいい話だ」と喜んだ。目立つことがすきではなかったうえ、週刊誌のような大きなメディアでは言いたいことが言えないこともあるだろう、と。

 実際、菅原さんの連載は率直で、時に政権も批判した。

 <拳を振り上げ、憲法改正を煽(あお)りたてる人たちは、いざとなったとき戦場には行かない人たちじゃないですか。(略)出て行くのは無辜(むこ)の民衆だけ>(13年6月号)

 <安倍(晋三)首相が「日本人は中国で何も悪いことをしていない」というようなことを言ってるんだから。(中略)上がそうだから、若い連中まで「虐殺はなかった」なんて言っている>(13年7月号)

 連載を書籍「ほとんど人力」(編・菅原文太と免許皆伝の達人たち)にまとめた岡さんは語る。「菅原さんはこの対談を、在野の精神を持ち続けるアウトサイダーたちの語り合う場にしたいと考えていた。日本社会は『はみ出し者』を排除し『無菌状態』を作ろうとしていると強い危機感を抱いていたから」

 東日本大震災後、進まぬ復興や原発問題に憤った菅原さんは「役者引退」を宣言し、12年暮れ、身近な仲間と「いのちの党」を結成した。被災地沿岸に計画されていたコンクリートの防潮堤に対し、宮脇昭・横浜国立大名誉教授が提唱する「緑の防潮堤」を応援する講演会を開いたり、ミツバチの大量死とネオニコチノイド系農薬の関係についての勉強会を開いたりした。

 菅原さんを「おやじ」と慕う同党メンバー、「夜回り先生」こと作家、水谷修さんは「おやじにとって無農薬有機農業も反戦平和も脱原発も根っこは同じ。『ひとたび命が失われたら取り戻せない』という思い。だから『いのちの党』と名付けたんです」。

 銀幕のスターから社会派へいつ、なぜ転身したのか。30年来の知人、NPO法人「ふるさと回帰支援センター」代表理事、高橋公さんはしかし、「転身ではない」と否定する。「彼は昔から社会問題に深い関心を持っていた。読書家で、俳優時代には父親がしっかりしようと『雷おやじの会』も結成した」

 当時、NHKの大河ドラマ「獅子の時代」(1980年)で会津藩下級武士で自由民権運動の闘士を演じた菅原さん。高橋さんが自治労に勤めていた縁で、自治労の自治研究集会で自由民権運動について講演したことも。「ノーギャラでやってくれた。自由民権運動への関心は、それを演じた一役者という立場を超えるほどに深いものでした」と高橋さんは振り返る。

 菅原さんの父親は宮城県の元河北新報記者。自身も仙台一高の出版部(新聞部)に所属し、当時、部の後輩には作家の井上ひさしさんがいた。実は元々、社会派なのだ。

 ただ、菅原さんの人生観を大きく変えた出来事はあった。01年、長男薫さん(享年31)が踏切事故で夭折(ようせつ)したのだ。高橋さんは「菅原さんと知り合ったきっかけは30年前、合気道などを教える私たちの道場に『ぜんそく気味の息子の体を鍛えたい』と訪ねてきてくれたこと。菅原さんは本当に息子さんをかわいがっていたから、息子さんの死は大きかったろう」と口ごもる。

 菅原さんは我が子の死から2年後、女性誌に「その後の心境はひと様に話すことはできない」「『大事なことで、男はモノを言うな』と、自分に言い聞かせている」と述べている。岡さんは「本の窓」連載の打ち合わせで、菅原さんが「俺は教育については語れない。息子のこともあるし」と漏らしたのを覚えている。菅原さんが岡さんに息子の話をしたのは後にも先にもこの時だけだ。

 「菅原さんは『政治の言葉』ではない言葉で政治を語れる、けうな人だった」と佐高さんは言う。11月1日の沖縄県知事選の翁長雄志氏(現知事)の決起集会での応援演説がそうだ。1万数千人の聴衆を前に菅原さんはマイクを握り、力強く言った。

 「映画(「仁義なき戦い」)の最後で、裏切り者に『山守さん、弾はまだ一発残っとるがよ』というセリフをぶつけた。その伝でいくと『(対立候補の)仲井真(弘多)さん、弾はまだ一発残っとるがよ』とぶつけてやりたい」と。

 しかしあの日、菅原さんの体は既に悲鳴を上げていたのだろう。スタッフに支えられながら壇上に立った。

 「アメリカにも良心あつい人々はいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人々は、国が違えど、同じ人間だ。みな手を結び合おうよ。今日来ている皆さんもそのことを肝に銘じて実行してください」。演説をこう締めくくると、最後は明るく「はなはだ短いけど、終わり!」。

 スクリーンの中でも現実でも、菅原さんは一本気に信念を貫き、行動を止めなかった。数々の「遺言」を残して。


朝日新聞
廃炉費用、自由化後も電気料金に上乗せ 経産省方針
 経済産業省は、電力自由化後も原発の廃炉費用を電気料金から回収できるようにする。自由化により競争が激しくなれば、電力会社が廃炉費用を電気料金に転嫁できず、廃炉に二の足を踏むことが考えられるためだ。廃炉を滞りなく進めるための対策だが、「原発優遇策」との批判も出そうだ。
 いまの仕組みは、コストをもとに価格を決める「総括原価方式」なので、廃炉費用も、電気料金の一部として回収できるようになっている。しかし、経産省は2016年からの家庭向け電力小売りの自由化を決めており、価格競争が激しくなれば廃炉費用の捻出が難しくなるとの見方もあった。
 新しいやり方では、18〜20年をめどに「発送電分離」で独立してできる送配電会社が、廃炉費用を集める。送配電会社は、原発を持つ大手電力の傘下にあるので、売り上げの一部を廃炉費用にあてることができるからだ。
 電力の販売会社が、送配電会社に支払う送電線の利用料(託送料金)に、廃炉費用を上乗せして回収できるようにする。
 経産省は、新規参入を含めたすべての販売会社から廃炉費用を徴収したい考えだ。しかし、自由化によって、脱原発の志向が強い利用者向けに、再生可能エネルギー専門の販売会社などが生まれる可能性があり、こうした会社からも徴収すれば、反発も予想される。原発の電源を取り扱う販売会社のみに対象を狭めることも考えられる。
 廃炉には中型炉(80万キロワット級)で、440億〜620億円の解体や廃棄物処分などに伴う費用がかかるとされる。  (大津智義)


河北新報
<山大生死亡訴訟>地裁が和解勧告
◎市長も前向き姿勢

 119番した山形大生の死をめぐる損害賠償請求訴訟で、山形地裁は16日、被告の山形市が「大きな教訓として重く受け止め、救急搬送体制を整備した上で和解金を支払うこと」を柱に、原告、被告双方に和解勧告した。市川昭男山形市長は河北新報社の取材に対し「いたずらに訴訟を長引かせるつもりはない」と回答。原告側も勧告内容を評価しており、大学生の死から3年、提訴から2年半を経て訴訟は大きな転換点を迎えた。

 市川市長は「なるべく早く双方が合意できればいい」と述べ、和解に初めて前向きな姿勢を示した。その上で「具体的な条件を見て弁護士と検討したい」と語った。
 原告側代理人は「原告の訴えに一定の理解を得られた」と和解勧告の内容を評価し、「今後提示される内容を精査したい」と話した。
 双方は今後、救急搬送体制の改善方針、和解金額などについて話し合いを進めるとみられる。初の和解協議は来年2月6日に開かれる。
 和解勧告で裁判所側は、原告の母親に対し「心中は察するに余りあり、法的責任を問う心情は十分に理解できる」と記す一方で、「山形市の救急搬送体制に対する市民の信頼を揺るがしかねない事態となっている」と指摘した。
 双方の代理人によると、訴訟は(1)119番に対応した通信員の過失の有無(2)救急車不出動と死亡との因果関係−などの争点について、双方の主張はほぼ出尽くした。現在は原告側が昨年申請した通信員らの証人尋問について、裁判所が採否を判断する段階にある。
 裁判所側は16日にあった原告、被告双方の代理人との非公開の弁論準備手続きの中で、和解を勧告する方針を示し、終了後に勧告文書を送付した。

[和解勧告要旨]
 本件事案の性質に照らし、いたずらに訴訟を長引かせることなく、円満に紛争の解決を図ることが望ましいと考える。
 誠に痛ましい事案で、大久保祐映さんの遺族、とりわけ原告(母親)の心中は察するに余りあり、救急車不出動の法的責任を問う心情は十分に理解できる。一般市民の関心はすこぶる高く、救急搬送体制への信頼を揺るがしかねない事態だ。
 被告(山形市)が本件を大きな教訓として重く受け止め、市民の生命を守る責務の重大性を確認し、救急搬送体制の整備や職員の技術向上に努めるとした上で、原告に一定の和解金を支払うことが骨子の和解により、解決を図るのが望ましい。
[119番山形大生死亡訴訟]山形大理学部2年大久保祐映さん=当時(19)=の母親が2012年6月、山形市を相手に起こした。訴えによると、大久保さんは11年10月31日、市内の自宅アパートから119番して救急車を要請。市消防本部の通信員は自力で病院に行けると判断し、救急車を出動させなかった。大久保さんは9日後、自宅で遺体で発見された。第1回口頭弁論は12年10月に開かれた。


朝日新聞
低投票率―民主政治の危険水域
 熱の低い戦い。

 14日までの衆院選を振り返ると、こんな印象が強い。

 街頭演説に人が集まらない。首相ら党首クラスが登場しても、スマホで撮影したらそれでさよなら。最後まで演説を聴いているのは、動員されたとおぼしき人たち……。

 こうした熱の低さを数字で裏付けたのが、戦後最低を更新した52・66%の投票率だ。

 戦後、衆院選の投票率は60%台後半から70%台で推移してきた。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年に初めて60%を割り、今回は03年、12年に続き4度目だ。ただ、過去3回はいずれも59%台で、今回の低さは際立っている。

 悪天候など要因はいろいろ考えられるが、まず問われるべきは政治の責任だ。

 安倍首相は衆院解散にあたり、「代表なければ課税なし」との米独立戦争時のスローガンを持ち出し、税にかかわる政策変更について信を問うと語った。だが、それは増税の先送りであり、民主党も異を唱えずに、有権者を投票に駆り立てる争点とはならなかった。

 野党の力不足も響いた。

 共産党を除く野党が候補者を一本化して自民、公明の与党に挑んだのは194選挙区。だが、政策的な連携に乏しく、有権者の選択肢になり得たかは疑問だ。また、候補者が2人しかいない選挙区が32あり、うち自民、共産の一騎打ちは25選挙区。仮に共産党が候補者数を絞っていたら、無投票の選挙区すらでかねない状況だった。

 投票率を都道府県別にみると、青森、宮城、富山、石川、徳島、愛媛、福岡、宮崎の8県で40%台を記録した。このうち宮城の1議席を除き、自民と自民系無所属が小選挙区の議席を独占した。

 制度面での課題もある。手続きが簡単な期日前投票の制度は定着したが、一方で市町村合併や人口減による投票所の統廃合が進み、投票所が遠くなった有権者は多い。午後8時の終了時間が繰り上げられる投票所も増えている。

 今回、自民は小選挙区で4分の3にあたる222議席を得た。ただ、小選挙区全体での全有権者に対する絶対得票率は、約24%だ。

 あまりに投票率が低ければ、議会が民意を正当に代表しているのかどうかに疑問符がつく。それでは代表制民主主義の基盤を崩すことになりかねない。

 今回の数字は、その危険水域に入っていないか。主権者としても考えどころである。


毎日新聞
大間原発の審査 脱依存の道踏み外すな
 Jパワー(電源開発)が、青森県大間町に建設している大間原発の稼働に向けた安全審査を原子力規制委員会に申請した。2020年12月の完成を目指すという。建設中の原発の申請は初めてで、合格すれば原則40年の稼働が可能となる。だが、それでは、多くの国民が望んでいる脱原発依存の道を踏み外してしまう。

 政府は、原発で使われた使用済み核燃料を全量再処理し、取り出したプルトニウムを原発で燃やす核燃料サイクルの推進を掲げている。

 大間原発は、全炉心にウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料を使う世界初のフルMOX商業炉で、核燃サイクルの一翼を担う。

 大間原発は福田内閣時代の08年5月に着工した。福島第1原発事故を受けて工事は一時中断したが、野田内閣時代の12年10月に再開した。新規制基準に対応するため、Jパワーは想定する最大の揺れや最大の津波の高さを見直した。これらの対策工事費は約1300億円に上る。

 しかし、フルMOX原発は制御棒の利きがウラン燃料に比べて悪いなど特有の問題が指摘されている。

 規制委の田中俊一委員長も「フルMOXは世界でも実例がないから慎重に評価する」と話している。厳正な審査が行われるのは当然だ。

 そもそも、核燃料サイクル自体が技術面、安全面、コスト面でさまざまな問題に直面している。

 プルトニウムを効率よく使うための高速増殖炉開発は、原型炉「もんじゅ」がトラブルや不祥事続きで停滞している。使用済み核燃料からプルトニウムを抽出する日本原燃の再処理工場(青森県六ケ所村)も操業延期を繰り返し、規制委の安全審査が続いている状態だ。使用済みのMOX燃料は、通常のウラン燃料に比べて取り扱いが難しい。再処理するなら六ケ所とは別の工場を造る必要があるが、議論は進んでいない。

 津軽海峡を挟み大間原発の対岸にある北海道函館市は、Jパワーと国を相手に建設差し止めなどを求める訴訟を起こした。同市は一部が原発30キロ圏に入り、避難計画などの策定義務を負った。原発を増やさないために、建設中や計画中の原発は無期限に凍結すべきだと主張している。

 福島第1原発事故を踏まえたもので、原発の再稼働に慎重な世論にも合致している。

 先の衆院選で、自民党は「原発依存度を可能な限り低減する」、公明党は「原発ゼロをめざす」との公約をそれぞれ掲げた。原発計画の見直しで大きな影響を受ける地元に配慮する必要はあるが、大間原発の容認は公約に矛盾しないか。政府は、原発依存度低下という目標を、言葉だけで終わらせてはならない。


東京新聞
沖縄で自民全敗 「県内」拒否の民意再び
 衆院選で三百近い議席を維持した自民党は、沖縄県では四つの小選挙区すべてで敗北した。米軍普天間飛行場の「県内」移設を拒否する民意が再び示された。政府は移設を強行してはならない。

 四十七都道府県で、自民党公認候補が一人も当選しなかった県が二つある。一つは山梨県、もう一つが沖縄県だ。沖縄1区では共産党候補が激戦を制した。同党が小選挙区で議席を得たのは十八年ぶりである。

 自民党は衆院選公約に、普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への「県内」移設推進を明記した。自民党の全敗はこの公約が沖縄県では拒否されたことを意味する。

 二〇一二年の前回衆院選で、党本部は普天間問題を公約に明記せず、沖縄の同党公認候補はそれぞれ「県外」移設を訴え、四小選挙区のうち三小選挙区で当選した。

 しかし、党沖縄県連は昨年十一月、安倍晋三首相率いる首相官邸や党本部の圧力に屈して県内容認に転換。公約破りの議員たちは辞職せず、国会に居座り続けた。

 今回、沖縄の自民党候補は全員が比例代表九州ブロックで復活当選した。しかし、小選挙区での敗北は、公約破りに対する県民の厳しい審判にほかならない。重く受け止めるべきである。

 一月の名護市長選では辺野古移設に反対する現職が、賛成の自民党推薦候補を破った。十一月の県知事選では県内移設反対を掲げた翁長雄志前那覇市長が県内容認に転じた仲井真弘多知事に勝った。

 衆院選での県内拒否は、県民による今年三度目の意思表示だ。県内反対の揺るぎない民意と受け止めるべきだろう。

 しかし、安倍首相は衆院選開票翌日の記者会見で「辺野古移設は唯一の解決策であり、その考えに変化はない」と言い切った。

 政府がこのまま辺野古への県内移設を強行すれば、沖縄との溝は深まるばかりだ。「この道しかない」というかたくなな態度では、普天間飛行場の危険性は、いつになってもなくならない。

 沖縄県には在日米軍基地の約74%が集中する。騒音や事故、米兵の犯罪など負担は過重だ。基地押し付けに「構造的差別」を感じ始めた県民は県知事選を機に、保守、革新の対立を超えた「オール沖縄」で結束し始めた。

 衆院選でもこの枠組みは続き、オール沖縄対自民党の対立構図が鮮明になった。沖縄での政治状況の抜本的な変化である。安倍政権は見誤ってはならない。


朝日新聞
(ニュースQ3)性器かたどった作品、「芸術」か「わいせつ」か
 アーティスト「ろくでなし子」として活動する五十嵐恵容疑者(42)がふたたび逮捕された。自らの性器をかたどった「作品」は、はたして「芸術」なのか、「わいせつ」なのか。

 ■店に陳列容疑、釈放署名も
 警視庁は今月3日、五十嵐容疑者とともに、アダルトショップの渡辺みのり経営者(44)=ペンネーム・北原みのり=も逮捕した。渡辺経営者の店に女性器をかたどったわいせつ物を陳列した容疑。東京地裁は6日、五十嵐容疑者の勾留を認める一方、渡辺経営者については認めず、同経営者は即日釈放された。
 五十嵐容疑者は7月にも自らの性器の3Dデータを配布したとして逮捕されたが、このときは処分保留のまま釈放された。
 ネットでは釈放を求める署名が約1万人分集まっている。「週刊金曜日」は平井康嗣編集長名で、同容疑者の作品は「女性の性を商品化する男性的な社会に対し、疑義を唱える表現活動だ」とする抗議声明を出した。同誌は五十嵐容疑者の漫画を掲載していた。

 ■時代と変わる判断の基準
 芸術か、わいせつか。これまでに何度も司法の場で争われてきた。最高裁は1957年、小説「チャタレイ夫人の恋人」をめぐる事件で、わいせつ性について「一般人の正常な性的羞恥(しゅうち)心を害する」などの3要件を提示。その後、わいせつ性の判断基準になっている。
 ただ、わいせつ性は時代の中で変化する。80年代にはいわゆる「ヘア」の写真を載せた「ビニ本」が多く摘発されたが、警視庁は91年、女優樋口可南子さんの写真集について、有識者に意見を聞いた上で「この程度は世間で受け入れられる傾向にある」として警告にとどめた。これを機に事実上「ヘア」が解禁された。
 一方で、性器のモザイクが薄いアダルトDVDや男性器を写した写真集をめぐっては関係者を逮捕するなど、警視庁は「性器そのもの」には一貫して厳しい姿勢で臨んでいるようだ。
 では、五十嵐容疑者の「作品」はどうか。
 「誰がどう見ても『そのもの』。わいせつと判断し粛々と捜査しただけ」と警視庁の捜査関係者は語る。
 これに対し、五十嵐容疑者の弁護人の須見健矢弁護士は、容疑対象の「作品」について「装飾が施されたアート作品であり、誰もわいせつとは感じないでしょう」と反論する。

 ■取り締まるか「警察次第」
 ところで、祭りで男性器を模した巨大な「ご神体」が登場することもあるし、そもそもアダルトショップには性器そっくりのグッズがあふれている。なぜ、これらは摘発されないのか。
 ベテラン刑事裁判官は「ご神体は歴史的な経緯がある。取り締まり対象にはなりにくい」。ただ、その他のものは「結局は警察がどう考えるかによる」。捜査関係者は「あちらが摘発されないから、こちらも摘発すべきでない、とはならない。あくまでも個別の判断だ」と言うにとどまる。
 元東京地検検事の落合洋司弁護士は「わいせつに関する罪が刑法に厳然とある以上、放置できないと考えるのは警察の行動原理からすれば自然」。ただ、こうも指摘する。「ネットの普及で性器の露出が特別なものではなくなりつつある。司法が積み重ねてきた基準と世間の認識が相当ずれてきている」


NHK
大阪市の入れ墨調査は違法 大阪地裁
大阪市が教職員を除くすべての職員に行った入れ墨の調査で、回答を拒否して懲戒処分を受けた男性が処分の取り消しなどを求めた裁判で、大阪地方裁判所は、「社会的な差別につながるおそれがある情報の収集は個人情報保護条例に違反し違法だ」などとして、懲戒処分や配置転換を取り消す判決を言い渡しました。

大阪市は、橋下市長の指示で、おととし5月から教職員を除くすべての職員およそ3万3500人を対象に、腕や足などに入れ墨がないか調査を行い、回答を拒否した6人が戒告の懲戒処分を受けました。
このうち、大阪市交通局の職員の安田匡さん(56)は、入れ墨がないことは上司が確認していたとしたうえで、懲戒処分やバスの運転手から内勤への配置転換を取り消すよう求めていました。
17日の判決で、大阪地方裁判所の中垣内健治裁判長は、「入れ墨は社会的な差別につながるおそれがある個人情報に当たり、市の調査はそうした情報の収集を原則として禁止した市の個人情報保護条例に違反し違法だ」と指摘しました。
そのうえで、「仕事上、配置転換の必要性は全くないのに、懲戒処分の取り消しを求める裁判を起こしたあとに行われている。裁判を受ける権利を侵害する不当な意図や目的があり、裁量権の逸脱と乱用があった」として、懲戒処分と配置転換をいずれも取り消したうえで、大阪市に110万円を支払うよう命じました。
大阪市の入れ墨の調査では、回答を拒否して懲戒処分を受けた別の職員も裁判を起こしていて、裁判所の判断が示されたのは初めてです。
原告「元の職場に戻り仕事に励みたい」

判決のあと、裁判所の前で原告の安田匡さんが「勝訴」と書かれた大きな紙を掲げると、集まった支援者から拍手が上がりました。
安田さんは「当然の結果だと思います。元の職場に戻って、バスの運転手として一から仕事に励みたい」と話していました。
大阪市交通局「内容精査し対応検討」

判決について、大阪市交通局は「判決内容を精査したうえで今後の対応を検討したい」としています。
大阪市の入れ墨調査の経緯は

大阪市が入れ墨の調査をすることになったきっかけは、おととし2月、児童福祉施設の男性職員が、施設の子どもに入れ墨を見せて怖がらせたという報道でした。
橋下市長は、「公務員の入れ墨は、市民に威圧感や不安を与え、大阪市の信用を損ねる」としておととし5月から、教職員を除くすべての職員、およそ3万3500人を対象に、腕や足などに入れ墨がないか調査するよう指示しました。調査の結果、職員のおよそ99.9%が回答し、このうち、110人余りが「入れ墨がある」と答えました。
これを受けて、大阪市は、職員倫理規則で、職員が新たに入れ墨をすることなどを禁止し、違反した場合は、懲戒処分にすることを決めました。
さらに、調査への回答を拒否した6人の職員を職務命令に違反したとして戒告の懲戒処分にし、このうち安田さんなど2人が、処分の取り消しなどを求める訴えを起こしていました。


クリスチャントゥデイ
北星学園大、元朝日記者の講師と契約更新へ 「暴力と脅迫を許さない動きが抑止力に」
北星学園大学は17日、ホームページで「国際交流特別科目の非常勤講師との次年度契約について(報告)」と題する文書で、元朝日新聞記者の植村隆氏との 2015年度の契約を更新すると発表した。

大山綱夫理事長と田村信一学長の名で出されたこの文書で同大は、同大の評議会や全学公聴会、経営母体となる北星学園の理事会や評議員会など、学内のさまざまな立場で議論を重ねてきたことを説明。同大の掲げるキリスト教の建学精神や同大の歴史、また教育機関として暴力や脅迫に屈するべきではないといった観点から、契約更新を支持する立場がある一方、学生の安全と平穏な学習環境を維持するため、事態を早く収束すべきという立場があったという。

双方の立場について同大は、「われわれが置かれている状況を率直に表現したものであり、それぞれが正当な根拠を有している」としながらも、「大学内外を取り巻く状況を勘案すると、暴力と脅迫を許さない動きが大きく広がり、そのことについての社会的合意が広く形成されつつあり、それが卑劣な行為に対して一定の抑止力となりつつあるように思われます。このような状況からも、本学として主体的に判断した次第です」と、今回の決定に至った理由を説明した。

プロテスタントのキリスト教信仰を建学の精神とする同大は10月1日、従軍慰安婦問題に絡めて元朝日新聞記者である植村隆氏の講師採用に対して同大に寄せられた抗議や脅迫への対応を説明した文書を、同大学長名で公式サイトに掲載し明らかにした。その後、学問の自由や大学の自治、言論の自由を守り、同大や個人、家族への脅迫、嫌がらせを許さないとして、クリスチャンを含む学者やジャーナリスト、法律家などが同6日に「負けるな北星!の会」(略称マケルナ会)を結成した。

同23日、警察は新潟県の男が脅迫電話をかけたとして、この男を逮捕。田村学長は同24日、「本学に対する脅迫電話の容疑者逮捕について」と題する文書をサイトに掲載し、同大関係者の安堵の気持ちと警察関係者への感謝などを表した。

ところが、同31日、田村学長は学内会議で、一転して植村氏を来年度は雇用しない方向で検討していることを明らかにしたことが、一部の報道機関によって報じられた。これについて同大学は、「今後、学内での様々な手続きが必要であり、本学としての最終決定ではございません」などとする文書をサイトに掲載した。

逮捕された男は、11月7日に札幌地裁がその拘留取り消しを決定したために釈放されたものの、任意で捜査が続けられ、札幌区検によって略式起訴された。朝日新聞などの報道によれば、札幌簡裁はこの男に14日付で罰金30万円の略式命令を出したという。

同日、東京都内で行われた鈴木範久氏(立教大学名誉教授)による内村鑑三に関する講演会で、大山理事長は、「内村(鑑三)や新渡戸(稲造)が願った日本とは違う方向へ急旋回していると思わざるを得ません」と、短く同大に対する脅迫事件について言及した。

また、北海道新聞が同8日に伝えたところによると、同じくプロテスタントのキリスト教主義大学である明治学院大学(東京都港区)の教員有志が、脅迫に屈せずに北星学園大学を支えるとする声明を出し、同大に送付するとともに、それを書いた立て看板を東京と横浜のキャンパスにそれぞれ掲げた。

そして同17日には、日本キリスト教婦人矯風会(東京都新宿区)が、同大に対し、平和を脅かす言動に屈することなく大学の自治、言論、学問の自由を堅く守ることを要望する書簡を送付したと発表していた。

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雨ザアザア/お金おろすの忘れた/今日もまたウイスキー/再インストールは終わらない・・・

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Horoscope du jour de la Balance
Ambiance Amour :
Dans vos affaires amoureuses, vous souhaiterez avoir en permanence un temps d'avance. Vos pensées ne seront pas embrumées. Au contraire, elles seront claires et vous connaîtrez exactement vos aspirations. C'est pourquoi votre intellect sera entièrement mis à la disposition de vos nombreuses envies. Le trigone Lune-Mars sera un allié de choix !
En Couple :
Avec les effets véritablement bénéfiques de la Lune et de Mars, vous saurez devancer les souhaits amoureux de votre partenaire. Si on ne vous connaissait pas, on pourrait croire qu'il s'agit de télépathie, tellement vous serez performant. À croire que vous lirez à livre ouvert. Ami Balance, vous allez surprendre votre partenaire comme jamais !
Célibataire :
Ami Balance, vous mettrez de l'ordre dans votre vie sentimentale, car, vous trouverez que vous vous dispersez beaucoup trop actuellement. C'est pourquoi vous allez vous orienter vers des endroits ou des méthodes beaucoup plus propices à faire des rencontres charnelles. Sous vos cheveux, cela va cogiter énormément, mais vous aurez le succès !
Conseils Coquins :
≪Une petite escapade à deux dans un lieu insolite pourra booster votre libido.Si vous êtes avec la bonne personne, vous irez jusqu'à l'extase.≫
Petit cocktail sensuel :
ACE
Ingrédients :1 oranges, 1/2 citrons, 2 carottes
Recette :Réalisez la recette "ACE" directement dans le verre. Pressez une grande orange et un petit demi-citron, versez le jus dans le verre avec quelques glaçons. Passez deux carottes à la centrifugeuse, versez, touillez legèrement... c'est prêt.

雨です.面倒ですが,しのに行かねばなりません.行く途中お金をおろしていないことに気がつきました.財布の中は約1500円で,しのでは無事に支払いをすませることができましたが,お昼ご飯のお金がありません.いったん戻って近くのコンビニに行き,お昼はほか弁ですましました.
今日もウイスキーを飲みました.残りわずかなので今日でおしまいです.
ふんどし?のことを考えました.
再インストールが終わりません.
41個のプログラムインストールで最後の41個目が時間がかかっています.明日になりそうです.

河北新報
津波被災の江島共済会館、解体に着手・女川
 東日本大震災の津波で横倒しになった宮城県女川町の「江島共済会館」の解体工事が15日始まった。町を襲った津波の脅威を伝える象徴として全国から注目を集めた鉄骨4階の建物は、来年1月下旬までに姿を消す。
 午前9時すぎ、町から委託を受けた地元の建設業者がショベルカーなど重機2台で作業を開始。放水で粉じんの飛散を防ぎながら、天井部分の鉄骨を切断したり、床板をはがしたりした。
 離島・江島の島民宿泊施設だった共済会館は1970年代後半の建設とみられ、津波で十数メートル流された。
 町は、それぞれ別方向に倒れた元薬局ビル「女川サプリメント」(ことし3月に解体)、旧女川交番とともに震災遺構化を検討したが、老朽化が激しく保存が難しいことなどから解体を決めた。
 共済会館がある場所は復興事業で4.4メートルかさ上げされる。町は旧女川交番を保存する方針。


朝日新聞
宮城)当選者「ガンバロー」で喜び表現 被災地に配慮
 「被災地」ならではの政治の風景がある。当選が決まったときの「万歳」自粛だ。今回、小選挙区や比例区復活当選者8人のうち、万歳をしなかったのは伊藤信太郎、小野寺五典、郡和子の3氏。被災者への配慮や復興、今後の健闘を期するなどとして、「ガンバロー」と唱えて拳をつきあげるポーズで喜んだ。

 東日本大震災が起きた2011年3月の翌月が、統一地方選。全国で拡声機の使用など選挙運動の一部自粛が相次ぎ、万歳三唱をしない当選者も多かった。秋に統一選が延期された県内でも、自粛は広がった。最近でも昨年4月の東松島市長選、10月の県知事選、南三陸町長選などでは万歳をしていない。


河北新報
子ども医療費無料化 高校生まで拡充・女川
 女川町は15日、現行で中学生まで無料にしている子どもの医療費の助成対象を高校生まで拡充する方針を明らかにした。町議会12月定例会の一般質問で、須田善明町長が答弁した。
 議員が人口減少対策を見据えた子育て支援策の一環として提案。須田町長は「魅力的なまちづくりは住環境や住民サービスなど全体的なバランスが重要だが、女川町に移住を考える人にとって誘因の一つになる。高校生までの無料化に向けて検討したい」と述べた。
 町健康福祉課によると、現在は中学生まで通院や入院費用、入院時の食費を全額助成している。高校生まで無料化する時期は未定だが、2015年度中を目指す。
 県内で高校生までの医療費無料化は大衡村と加美町で行われ、色麻町が来年4月から実施の方針を示している。


河北新報
被災の鳥居再建 親子で奔走 亘理・荒浜
◎川口神社 宮司が事故で負傷、長女が引き継ぐ

 東日本大震災で被災した宮城県亘理町荒浜地区にある川口神社で、困難を乗り越えて、新たな鳥居が再建された。200年近く前からあった石鳥居は、津波被災と災害復旧工事のため昨年解体。再建に奔走した宮司が不慮の事故に遭うなどしたが、遅れた作業を禰宜(ねぎ)を務める長女が引き継いで、初詣前の建立に間に合わせた。「これで参拝客を迎えられる」と、関係者は胸をなで下ろしている。

 新しい鳥居は耐久性が高いステンレス製で、高さ約5メートル、幅4メートル。約350年前から続く春季例祭で練り歩く重さ1トン近い大みこしがくぐれるよう、横幅を以前の石鳥居と同じにした。
 禰宜の渡辺恵理子さん(39)は「ようやく神社らしく正月を迎えられる」とほっとした表情で真新しい鳥居を見上げた。
 川口神社は1635(寛永12)年の創建と伝えられ、阿武隈川河口の守り神として地元漁師や住民らの信仰を集めた。石鳥居は1825(文政8)年の建立で、神社の顔として親しまれてきた。
 震災では、津波が阿武隈川の堤防を越えて境内に押し寄せ、鳥居が損壊した。その後、堤防や並走する県道の復旧工事の拡幅用地に掛かったため、昨年12月に惜しまれながら取り壊された。
 宮司の父光彦さん(70)は工事の移転補償を活用して再建を計画。元の場所より約20メートル境内に入った位置に鳥居を建立する準備を進めた。
 しかし、完成目前の10月30日、光彦さんは町内で交通事故に遭い、頭を強く打って一時は意識不明の重体に陥った。渡辺さんは「父の希望通り、正月前に完成させたい」と中断した作業を継続。意思疎通が難しい父に代わって業者と打ち合わせを重ね、1カ月半遅れで完成にこぎ着けた。
 復活した鳥居は22日の冬至祭で氏子らにお披露目される。神社復興へ父からバトンを受けた渡辺さんは「療養中の父も早く見に来られれば」と回復を願う。


河北新報
<中間貯蔵>大熊町が受け入れ表明
 福島県大熊町の渡辺利綱町長は15日、東京電力福島第1原発事故で発生した除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設について、町として建設を受け入れることを正式に表明した。
 渡辺町長は、会津若松市の仮役場で開いた行政区長会議で「国、県との協議で話は煮詰まった。これ以上先送りできない。町の復興と住民の生活再建のため、受け入れを認めざるを得ない」と述べた。区長からおおむね理解を得たという。町は今後、全世帯に文書で判断の経緯を説明する。
 廃棄物の搬入に関しては、輸送の安全確保に向けた安全協定の合意などの条件が整い次第、あらためて判断する考えだ。
 渡辺町長によると、区長会議では、建設予定地の補償価格引き上げを求める意見などが出された。区長会の井戸川洋一会長は「今後は地権者任せではなく、町が国との間の窓口になってほしい」と語った。
 中間貯蔵施設の建設をめぐっては、県が8月末に受け入れ方針を表明。建設予定地の大熊、双葉両町は県の方針を容認し、地権者向け説明会の開催を認めたが、受け入れの判断は明言していなかった。双葉町はまだ態度を正式に表明していない。


朝日新聞
(天声人語)投票率が最低という危機
 1960年代には空き地や原っぱがまだあちこちにあり、近所の子どもたちを手招きした。作家の赤坂真理さんが『愛と暴力の戦後とその後』で面白いことを書いている。そのころを描いた漫画に出てくる空き地には、決まって土管が3本、ピラミッド状に積んであった、と▼確かに『ドラえもん』といえば、土管のある空き地だ。64年生まれの赤坂さんは、そんな光景を現実には見ていないというが、懐かしく思い出す世代は確実にいる。校庭でもなく、公園でもない。自由で不思議な魅力の空間だった▼衆院選の投票率が52・66%と戦後最低になり、土管のある空き地を連想した。「与党」という所有者のいる土地には入りたくない、といってわざわざ足を運びたくなるような空き地はない。今回、そう感じて棄権した人々が多かったのではないか▼思えば、2009年の衆院選では政権交代の4文字が有権者を引き寄せる土管と空き地の役割を果たした。それが失敗に終わり、一昨年の前回選挙から今回へと、投票所離れは深刻化する。このままでは民主主義の危機を招きかねない▼特に支持政党を持たない層をどう引きつけるのか。足を踏み入れたくなるような空き地を用意するのが政党の仕事だろう。それは結局、理念と政策であり、政権を担う力だ。この作業を、とりわけ民主党は怠った▼空き地とは〈誰にも属さない、ゆえに誰にでも開かれた〉場所だと、赤坂さんは書く。それをみすみす閉ざすことのないよう願いたい。

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La force est la reine du monde et non pas l'opinion, mais l'opinion est celle qui use la force.
Blaise Pascal
Mathématicien, Philosophe, Physicien, Scientifique, Théologien (1623 - 1662)

Le chagrin de la mort d'un époux dure six mois ; on ne se console jamais de la mort d'un enfant.
Proverbe Indien

山口貴士 ‏@otakulawyer

ろくでなし子さん、勾留期間が延長されました。満期は12月24日です。勾留延長に対する準抗告をします。


ろくでなし子さんを釈放せよ!
ヤル気がありません.ヤル気がなくてしんどい,というのも変なのですが・・・.ランチは京阪百貨店で食べました.ちょっと遠かったけどおいしい.おいものごはんもよろしい.
調子悪かったノートパソコンのOS再インストール.リカバリーです.リカバリーCDから起動させるのにF12というけど,それがうまくいきません.F2でF12をEnableしてどうにか成功.CDからデータのコピー自体は割とすぐ終わりましたが,リカバリーはなかなか終わりません.続きは明日,というところです.
今日もウイスキーを飲んでしまいました.

河北新報
宮城・女川の施設、解体に着手 4階建て、津波で被災し横倒し
 東日本大震災の津波で被災し、横倒しになった宮城県女川町の4階建て宿泊施設「江島共済会館」の解体が15日、始まった。来年1月末までに工事を終える予定。
 午前9時すぎ、放水で粉じんを防ぎながら、建物屋上部分の外壁から解体に着手。小雪が舞う中、鉄骨切断用のカッターを付けたショベルカーが作業を進めた。
 会館は津波の猛威を伝える震災遺構として見学に訪れる人も多く、保存を求める声があったが、町の中心部にあり復興事業の妨げになるとして、町が解体を決めた。約4・4メートルのかさ上げ工事をした後、商業エリアにする計画。


河北新報
JR仙石線・東名駅で締結式
 東日本大震災で被災し東松島市内で内陸側にルート変更されるJR仙石線陸前大塚−陸前小野間(6.4キロ)の復旧工事で線路が敷設され、レール締結式が14日、移転再建中の東名駅構内であった。仙石線は2015年6月までに全線で運転が再開される。
 工事関係者ら約40人が出席。JR東日本東北工事事務所の竹内研一所長は「支援と期待に応えるため、一日も早い再開を目指す」と述べた。
 阿部秀保東松島市長らがレールを固定する金具を締め、保守点検用の車両が試験運転された。阿部市長は「仙石線がもたらす経済効果は計り知れない。レールがつながり、復興が進んでいることを住民に実感してもらえる」と喜んだ。
 仙石線は現在、高城町−陸前小野間で運転を休止している。陸前大塚−陸前小野間は約500メートル内陸寄りの高台に移され、1.2キロ短くなる。移設区間にある東名、野蒜両駅は防災集団移転団地を整備中の野蒜北部丘陵地区に建設される。


三陸新報
戸建て長屋部屋割り決まる 年度内入居の階上地区災害公営住宅
 気仙沼市階上地区に建設される木造一戸建て、長屋タイプ災害公営住宅(106戸)の部屋割り抽選会が13日、階上中学校で開かれた。入居予定者は新生活を始める住戸が決まったことで、安堵(あんど)の表情を見せていた。
 戸建て、長屋の抽選会は気仙沼市内で初めて。入居者は受け付け後の予備抽選で決まった順に本抽選へ。自ら抽選器を回し、出た番号順で住戸を選んだ。
 同地区には長磯浜と長磯七半沢の1工区、長磯下原の2工区、長磯前林の3工区に合わせて戸建て87戸、長屋19戸が建設される。長磯浜の戸建てはすでに建築が始まっており、20戸が本年度内に完成する予定だ。


朝日新聞
明かりともるイチゴ団地 被災地に戻り始めた風物詩
 東北一のイチゴ生産量を誇る宮城県亘理町と山元町。農家はクリスマス向けの出荷時期を迎えている。日没後、イチゴの生育を促すために点灯されたビニールハウスは暗闇に浮かび上がり、幻想的な風景が広がる。

 2町を管内に持つJAみやぎ亘理によると、96ヘクタールあった作付面積の95%が東日本大震災で被害を受けた。震災後、新たにイチゴ栽培用のビニールハウスを集約して「イチゴ団地」を設立するなど、再建を進めてきた。今年の作付面積は59ヘクタールまで回復した。

 かつて、多くのイチゴビニールハウスが並んでいた沿岸部にはまだ深い爪痕が残るが、冬の風物詩だった地域の風景は少しずつ戻り始めている。(福留庸友)


沖縄タイムス
辺野古ゲート前、新基地反対4氏の勝利喜ぶ
 【名護】米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設に反対する市民らは15日午前から、米軍キャンプ・シュワブゲート前で集会を開き、前日の衆議院選で新基地建設反対を訴えた県内の4候補者全員が小選挙区で勝利したことに「県知事選で示された沖縄の民意と怒りが、再び、示された」とバンザイ三唱で喜んだ。

 沖縄平和運動センターの山城博治議長は「苦しい思いをしながら、闘ってきた大衆運動の勝利。大きな団結心で新基地建設を絶対に止めよう」と力強く声を張り上げた。

 ヘリ基地反対協議会の安次富浩共同代表は「自民党候補は比例で復活したが、県民が選んだのは小選挙区の4人」と強調した上で「全国的にみれば大義のない選挙で、税金も無駄に使われた。お任せ民主主義はもうやめよう」と呼びかけた。

 午前9時ごろからテントに駆けつけ、勝利を喜んだ市民ら約50人に栄養ドリンクも手渡され、みんなで乾杯して勝利を祝った。


沖縄タイムス
辺野古反対の民意再び 沖縄選挙区で全勝
 第47回衆院選は14日投開票され、沖縄選挙区は1区で共産前職の赤嶺政賢氏(66)、2区で社民前職の照屋寛徳氏(69)、3区で生活前職の玉城デニー氏(55)、4区で無所属新人の仲里利信氏(77)が当選した。4氏は県内で争点となった米軍普天間飛行場返還問題で名護市辺野古への新基地建設に反対を主張し、各区で自民公認候補を破った。11月知事選に続き、衆院選でも県内有権者が辺野古反対の民意を安倍晋三政権に突きつけた。選挙結果が普天間問題に影響を与えるのは必至だ。

 選挙区で敗れた自民前職の国場幸之助氏(41)=公明推薦、宮崎政久氏(49)=同、比嘉奈津美氏(56)=同、西銘恒三郎氏(60)=同、維新元職の下地幹郎氏(53)の5氏は、比例代表の九州ブロックで、いずれも復活当選した。

 県内選挙区に出馬した全候補が比例復活を含めて当選するのは、1996年の小選挙区比例代表並列制が導入されて以降初めて。

 県全体の投票率は52・36%で前回56・02%を3・66ポイント下回り、70年の国政参加以降、最低となった。


朝日新聞
共産8→21、批判受け皿に 衆院選
 共産党は公示前勢力の8から21に増やし、沖縄1区では、1996年以来となる小選挙区での勝利を得た。志位和夫委員長らが「選挙の対立軸は自共対決だ」と訴え続けた結果、政権批判票の受け皿になった。

 「『安倍政権、アベノミクスはおかしいぞ』という層から支持をいただけた」。14日夜の記者会見。志位氏は手放しで喜んだ上でこう指摘した。「与党が多数を占めたのは事実だが、安倍政権に最も厳しく反対した共産が躍進したのも一つの民意。安倍政権は受け止める必要がある」

 選挙戦では消費増税、アベノミクス、集団的自衛権、原発再稼働、沖縄基地問題を「5点セット」と位置づけて政権を批判し続けた。志位氏は「安倍政権の暴走と正面から対決する立場を貫いた」とも強調した。

 保守色が強い第2次安倍政権の発足以来、明確に反対の姿勢を貫き、不破哲三前議長(84)も9年ぶりに街頭演説に立って総力戦を展開。議員立法を提出できる20人以上を確保した。

 この2年間は党勢を拡大させ続けており、昨年6月の東京都議選では議席が倍増。7月の参院選でも改選3議席を8議席に増やしている。(上地一姫)


毎日新聞
プロ野球:遠回りした経験、指導の糧に 入来祐作(42)=来季ソフトバンク3軍投手コーチ
 ◇巨人ドラ1→活躍→戦力外→打撃投手→用具担当

 異色の経歴の男が来季からプロ野球・ソフトバンクの3軍投手コーチに就く。ドラフト1位で巨人に入団して活躍し、引退後の6年間は横浜(現DeNA)で打撃投手と用具担当を務めた入来祐作氏(42)だ。遠回りの経験を糧に「いかに選手が100%でプレーできる環境を整えられるかを考えてきた。立場がコーチになっても変わらない」と若手投手と向き合う。【小林悠太】

 12日にヤフオクドームであった入団記者会見。引退後の経験で得たことを問われた入来氏は「現役時代は自分が中心だった。でも、決して表に出ることのない打撃投手や用具担当だったり……」と言うと涙があふれ、言葉が続かない。30秒間を置き「そういう人も一生懸命、チームの役に立ちたいとやっている。その思いをくみ取れる選手がたくさんできれば」と目頭を押さえながら話した。

 宮崎県出身。社会人野球の本田技研(現ホンダ)から1997年に巨人へ入団。01年はチーム最多の13勝を挙げ、2年の米国挑戦も経験した。日本での通算成績は215試合に登板し35勝35敗3セーブ。しかし、36歳だった08年オフに横浜を戦力外に。「野球以外の人生はイメージできない」と球団に雇用を頼み込んだ。

 与えられた仕事は、打撃投手を2年、用具担当を4年。コーチになるため、人間性を磨く場と信じて取り組んだ。その中で「表に出なくても支えている人がたくさんいて、プロ野球が成り立っている。すごく勉強になった」という。努力が認められ、今年はテレビCMにも起用された。

 コーチ就任の夢は「実際あきらめていた」。しかし11月1日、監督就任会見に臨む直前の工藤公康新監督から「一緒にやらないか」と電話を受け「突然のことで頭が真っ白」に。一晩考え、翌日には受諾を決めた。

 工藤監督とは現役時代に巨人と横浜で一緒にプレー。尊敬する先輩から「やりたいようにやりなさい」と指導方法を託された。新米コーチは「やってみないと分からない。とにかく選手と一緒に泥だらけになって頑張る」と新天地での初仕事に意欲を見せた。

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矢崎彦太郎の第九/野田事件/ニッカウィスキー

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Jazz À Gogo
Après le bop slow
Pour que ça reste chaud
Je sais ce qu'il nous faut
C'est du jazz à gogo

Tout ceux qui l'aime bien
Et moi qui l'aime bien
On va chanter ensemble
Pourvu que ça balance

O.K. pour la guitare
O.K. pour la batterie
Et pour la contrebasse
Et le piano aussi

Tout ceux qui l'aime bien
Et moi qui l'aime bien
On va danser ensemble
Pourvu que ça balance

Et dans tous les pays
De New-York à Paris
Parlons la même langue
Le jazz mène la danse


テレメンタリー2014「僕、殺したんじゃあねぇもの〜野田事件35年目の真実〜」
1979年9月11日、千葉県野田市の竹藪から、当時小学1年の女児が遺体で見つかった事件。逮捕され、有罪判決が下されたのは、現場近くに住む知的障害者の青山正さんだった。しかし、警察が証拠提出した自白テープや実況見分映像を検証すると数々の矛盾点が…さらに唯一の物証である被害者のカバンには、捜査当局による証拠の“ねつ造”疑惑も浮上。青山さんは身の証をたてるため、
再審請求を申し立てた。はたして事件の真相は…? テレビ朝日


明日へ−支えあおう−証言記録 東日本大震災36「福島県新地町」
大津波警報が出ても、のんきに庭の片づけをしたり海岸に津波見物に行く人たちがいた新地町では100人余りが犠牲になった。津波を怖いと思わなかった理由は、50年余り前に町を襲ったチリ津波の記憶。引き潮の浜で魚や海藻を取った楽しい思い出だけが語り継がれ、被害は忘れられた。ある集落の人々の行動をつぶさにたどりながら、たった一度の津波経験が思い込みになり、大きな被害につながっていった仕組みを描く。

NNNドキュメント'14 「私は女ストーカー、治して!」治療に密着
ストーカー犯罪の連鎖を断ち切る方法を探る。ストーカー加害者である女性が臨む「条件反射制御法」という70日間の最新治療現場に初密着。本当にストーカーは治るのか…。渡辺いっけい 日本テレビ

虚飾を排した真摯な音楽・・・矢崎彦太郎の「第九」
2014年12月14日 (日)14:30開演 (13:30開場)ザ・シンフォニーホール

『ヨーロッパで第九に接する機会は稀です。人気が無いのではありません。第九のように崇高で記念碑的な曲は、日常と隔たった特殊な状況でのみ演奏することを許され、聖域に属している作品という意識が強いのです。1989年の「ベルリンの壁崩壊」に於ける演奏はその典型ですし、私も2年前にアルジェリア独立50周年メモリアル・コンサートで演奏しました。従って、この偉大な曲を毎年12月には耳にすることができる日本は恵まれています。音楽は生の音になってこそ実体が現れるものですから。当時としては極めて斬新な、交響曲に人間の声を取り込むアイデアを抱かせたベートーヴェンの精神を直視して演奏に臨みたいと思います。』(矢崎彦太郎)

文化庁文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)
協賛:大塚製薬株式会社
特別協賛:ダイキン工業株式会社

指揮:矢崎 彦太郎
YAZAKI Hikotaro , Conductor
独唱:砂川 涼子(ソプラノ)
SUNAKAWA Ryoko , Soprano
独唱:福原 寿美枝(アルト)
FUKUHARA Sumie , Alto
独唱:二塚 直紀(テノール)
NIZUKA Naoki , Tenor
独唱:福島 明也(バリトン)
FUKUSHIMA Akiya , Baritone
合唱:田辺第九合唱団
TANABE “9th Symphony” Choir
[プログラム]
◆ベートーヴェン:「プロメテウスの創造物」序曲 作品43
 Ludwig van Beethoven:“Die Geschöpfe des Prometheus” Overture Op.43
◆ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱付」
 Ludwig van Beethoven:Symphony No.9 D minor Op.125 “Choral”


矢崎彦太郎の第九を聞きに行きました.
開演の1時間前に着いたので本を読んで時間つぶし.あっという間でしたが・・・
ヴィオラの女性の背中の露出が大きいのが気になります.まあどうでもいいんですが.今回はティンパニ(timpani)に注意して聞きました.フランス語だとtimbale.合唱ではソプラノの歌声が素晴らしいと感じました.満足です.
いつものようにSoyCaratをもらって帰りました.帰りながら何かと理由をつけて,ニッカのウィスキーを飲むことにしました.宮城峡です.久しぶりのウィスキーです.
録画してあった野田事件についての番組を見ました.野田事件は学生のころから知っていましたが,どういう状況になっているのかは知りませんでした.青山正さんは無実です.千葉地方裁判所松戸支部は再審を開始すべきです.

千葉日報2014年7月
女児殺害で再審請求 証拠偽装の可能性 地裁松戸支部
 野田市で1979年、小学校1年生の女児=当時(6)=が殺害された事件で、殺人と強制わいせつ致死の罪で懲役12年の判決を受けて服役した青山正・元被告(66)=大阪府在住=が14日、地裁松戸支部に再審請求を行った。弁護団は重要証拠が捜査当局にすり替えられ、偽装された疑いがあると主張している。

 弁護団によると、有罪認定の最大証拠になったのが事件2日後に現場近くで発見された女児のかばん。裏側のネーム片が切り取られており、供述通りに青山元被告の定期入れから見つかったとされる。

 弁護団は専門家による鑑定の結果、事件直後に県警が公開した写真のかばんと、公判で証拠されたかばんは別物だったと主張。「捜査機関が有罪証拠を作り出すため、別のかばんを調達してネーム片を切り取り、供述によって発見されたかのように偽装した」としている。

 また、青山元被告の供述と、女児の傷の状況や胃の内容物に矛盾があるなどとする新証拠も提出した。

 同事件は、79年9月、野田市内で、下校途中だった女児が行方不明になり、竹林の古井戸跡から全裸で両手両足を縛られ窒息死しているのが見つかった。県警は事件から18日後、近くに住む知的障害者の青山元被告を逮捕した。

 一部犯行を認めたとされる青山元被告は、地裁松戸支部の一審途中で否認に転じた。同支部は87年、責任能力と自白の信用性を認めて懲役12年を言い渡し、東京高裁も一審判決を支持。最高裁は93年に上告を棄却し刑が確定、青山元被告は94年8月、刑期満了で出所した。

◆「もう一度裁判を」 支援求める元被告ら
 青山正元被告(66)と弁護団は再審請求の提出後、松戸市内で記者会見を開き、青山元被告は「もう一度裁判をやります。よろしくお願いします」とひときわ大きな声で支援を求めた。

 重度の知的障害がある青山元被告は左足が不自由なため車いす姿で出席。現在は故郷の野田市から遠く離れた大阪府内で1人暮らしをしながら、毎週木曜日に授産施設に通っている。青山元被告は当時の県警の取り調べについて「何度も『やってない』と言ったのに聞いてもらえなかった。(捜査員から)『お前がやったんだろう』と言われて参った」と振り返った。

 弁護団の久田修主任弁護士は「証拠の鑑定に時間がかかり、出所から20年かかってようやく再審請求にこぎつけた。今回の請求で再審決定を勝ち取りたい」と決意を示した。


河北新報
2000の思い出返却へ 卒業証書・賞状を修復
 東日本大震災の津波で流失し回収された写真を洗浄、修復し、持ち主に返す活動を続けている宮城県山元町のボランティア団体「思い出サルベージ」が、津波で流された卒業証書や賞状約2000枚を返却する事業を年明けにも新たに始める。既に修復を終え、大部分は名前などの文字がくっきりと残る。関係者は「一人一人が歩んできた記録を、一枚でも多く持ち主の手に返したい」と願う。

 卒業証書や賞状は、震災直後に自衛隊などが津波浸水域で回収。町がそのまま展示したが、引き取り手がなかった多くが残された。2012年末で写真を除く他の被災物品とともに展示を終了し、その後は倉庫に保管されていた。
 思い出サルベージは今春から、これらの洗浄に着手。1枚ずつ泥や塩水を洗い流し、丸まらないように段ボール紙と吸水性のある紙で両面を挟んで、隙間からドライヤーで乾かす作業を進めてきた。
 溝口佑爾代表(31)は「きれいにして名前が明示できれば、持ち主が名乗り出てくれると思った」と狙いを語る。現在は名前で検索できるよう、パソコンに入力しデータベース化を進めている。
 証書類のほかに、小学校のクラス担任が児童に手渡したと思われる手書きの賞状や、感謝状などもあった。太平洋戦争の終戦前後の日付が入った公共機関の辞令とみられる貴重な文書もある。
 思い出サルベージは町内で回収した写真75万枚を洗浄し、町と連携して約45万枚を持ち主に返した。実績が評価され、本年度のグッドデザイン賞(日本デザイン振興会主催)金賞を受賞している。
 溝口代表は「賞状や証書などは、持ち主が実績を挙げて褒められた証し。手元に戻ることで被災者の生きる力になってくれればうれしい。証書類の授与式みたいなことができたら」と夢を膨らませる。
 連絡先は町郷土資料館の思い出サルベージ事務局0223(37)0040(内線470)。


NHK
被災の仙石線 不通区間レールでつながる
宮城県の仙台市と石巻市を結ぶJR仙石線で、東日本大震災の津波で被害を受けて今も不通になっている区間が1本のレールでつながり、宮城県東松島市内の高台に移設された新しい駅で記念の式典が行われました。

JR仙石線は震災の津波で大きな被害を受け、東松島市の陸前小野駅と松島町の高城町駅の間のおよそ12キロの区間で、線路や駅を内陸に移すなどの復旧工事が進められています。
震災から3年9か月がたってこの区間が、ようやく1本のレールでつながることになり、東松島市内の高台に移設された新しい東名駅で記念の式典が行われました。
式では、参加者が専用の装置を使ってレールをつないだあと、工事の関係者がお神酒を注いで安全を祈願しました。
そして保守点検用の作業車両がつながったばかりのレールの渡り初めをして完成を祝いました。
式典に出席した東松島市の阿部秀保市長は、「仙石線の開通は東松島市の住民だけでなく石巻地域全体が待ち望んでいた。レールがつながったことは復興への大きな前進だ」と話していました。
JR東日本は、来年6月までに仙石線全線での運転再開を目指すことにしています。


岩手日報
門松に願う被災地復興 花巻農高が制作、寄贈へ
 花巻市葛の花巻農高(佐藤文也校長、生徒371人)は、沿岸被災地の復興を願う門松作りに励んでいる。15日に宮古市役所と大槌町役場を訪れ、現地で完成させる予定。生徒たちは「沿岸の方に少しでも元気になってもらいたい」と語り、新年に向け希望を届ける交流を心待ちにする。

 門松作りは環境科学科で造園技術を学ぶ2年生約20人が中心となって取り組む。斜めに切った竹を台座に立て、周囲に土を入れて固める作業では「傾いてないか」「もう少し右だよ」と相談しながら念入りに調整。長さを変えて切りそろえた松葉で周囲を飾った。

 同校は8月に「大槌に笑顔を―銀河の花プロジェクト」を企画し、大槌町内の仮設団地にベゴニアの花を届けた。11月には同町に出向いて「復興応援ミニ文化祭」を開くなど、継続的な支援活動に力を入れている。

 15日は正午ごろに宮古市役所、午後2時半ごろに大槌町役場に贈呈。力仕事となるため男子生徒6人が現地で仕上げ作業をする。19日はJR花巻駅に門松を届ける。


河北新報
自転車で東北縦断 スイスのコーラさん
 東日本大震災の被災地を自分の目で確かめようと、スイス人の男性がこのほど、青森から福島まで自転車で走破した。2011年8月には北海道から九州まで約2900キロを5カ月かけて歩いて縦断。「あの時は震災直後だったので、あえて被災地を通らなかった。今回は東北の今を伝えたい」。前回と同様、ブログで魅力を発信している。

 男性はスイス北部ウィンタートゥルで旅行代理店を経営するトーマス・コーラさん(47)。7歳のころから日本に興味を持ち、埼玉県深谷市で日本語を学んだ。スイスの旅行会社で日本担当をしていたが、震災で日本行きのツアーのキャンセルが相次ぎ失業した。
 「今でも、欧州メディアが取り上げるのは福島第1原発のことばかり」。コーラさんは欧州の観光客に「三陸海岸の美しさを知ってもらいたい」と昨年春ごろ、東北縦断を思い立った。「旅行代理店の仕事もしなければいけないので、歩いている時間はないけど、電車で移動しても地元の人と触れ合えない」
 折り畳み自転車をスイスから持ち込み、八戸市を11月9日に出発。1日平均6時間こいだ。岩手県普代村では、知り合った漁師の男性が車で案内してくれ、震災の体験を語ってくれた。
 着ていた白いシャツには「ようこそ」「がんばって」など出会った人たちの直筆メッセージが所狭しと書かれている。「まだ仮設住宅に住んでいる人はたくさんいる。被災者の我慢強さに心打たれた」
 スイスの救助犬チームが活動した宮城県南三陸町などを経て、11月21日には会津若松市の鶴ケ城に到着、東北縦断を終えた。
 北海道から九州まで歩いた活動は映画「ネガティブ・ナッシング(嫌なことは何一つなかった)」に収められている。コーラさんは「今回もネガティブ・ナッシングだった。日本の人たちの温かさをより感じることができた」と話し、自転車の旅を振り返った。


河北新報
亘理発・復興応援ギフト あす通販サイトで発売
 着物の布地を使った手仕事を通して地域の女性たちが再生への歩みを刻む宮城県亘理町の一般社団法人「WATALIS(ワタリス)」は、同町に7月に精米工場を設けたアイリスオーヤマと共同で、手仕事と宮城県産米が手を携えた「復興応援コラボレーションギフト」を企画した。15日に通販サイトで発売する。

 このギフトは、亘理から発信する復興支援の象徴の一つとワタリスが位置づける巾着袋「FUGURO(フグロ)」と、アイリスオーヤマが亘理工場で精米・袋詰めした「生鮮米」を組み合わせた。フグロの中にコメを入れるしゃれたコンセプトの贈り物だ。
 亘理地域ではかつて、着物の残り布で仕立てた巾着袋にコメを入れてお祝いなどに贈る習わしがあった。東日本大震災後に発足したワタリスは、再生に向けた地元女性の思いが凝縮した品として、FUGUROという名前で商品化していた。
 そうした背景にアイリスオーヤマが共感した。フグロと生鮮米をタイアップさせる構想が、とんとん拍子に進んだ。ワタリス理事の橋元あゆみさんは「フグロとお米が共鳴する理想的な贈り物が誕生した」と話す。
 「手のひらサイズのフグロと3合入り生鮮米2パックのセット」と「大きめのフグロと生鮮米4パックのセット」の2種類を用意した。フグロはおしゃれに包装し、パック入りの生鮮米と一緒に箱詰めして届ける。
 アイリスオーヤマの通販サイト運営などに当たるアイリスプラザの営業部サブリーダー塚野麻衣子さんは「亘理の女性の手仕事は素晴らしい。このギフトを復興支援につなげたい」と語る。
 ワタリス代表理事の引地恵さんは「フグロのストーリーを現代によみがえらせることができて、とてもありがたく思う」と話している。
 手のひらサイズのフグロのセットが3580円(消費税、送料込み)、大きめのフグロのセットが5980円(同)。15日午前10時から公式通販サイトで販売する。連絡先はアイリスプラザ(0120)108824。


河北新報
復興誓いルミナリエで合唱 福島と神戸の小学生
 阪神大震災で亡くなった人々の鎮魂を願う光の祭典「神戸ルミナリエ」が開かれている東遊園地(神戸市中央区)を福島県二本松市立杉田小合唱部の児童23人が13日訪れ、神戸市立西灘小の児童らと歌声を響かせた。
 杉田小合唱部は、阪神大震災からの復興を願って作られた歌「しあわせ運べるように」を東日本大震災の被災者に向けて歌う活動を続けている。この日は歌詞の一部を「神戸」から「福島」に換えて披露した。
 同曲の作詞作曲者で、西灘小の音楽教諭臼井真さんと、杉田小合唱部の顧問佐藤敬子さんに交流があり実現した。


石巻かほく
被災地 当時と今(10)/東松島市 JR仙石線東名駅
内陸側高台に移設

 東日本大震災は、鉄道や道路など交通網にも甚大な被害をもたらした。東松島市大塚にあったJR仙石線の東名駅は、線路がねじ曲がり、枕木も浮き上がった。津波の爪痕がすさまじい。

 仙石線は今も東名駅を含む高城町−陸前小野間(約10.4キロ)が不通。陸前大塚駅の東側から鳴瀬川橋までの約3.5キロは約500〜600メートル内陸側の高台に移設され、東名、野蒜両駅も移る。工事は順調に進み、2015年6月までに全線復旧する見通しだ。

 運行再開に合わせ、松島町内で東北線に乗り入れ、仙台駅まで結ぶ「仙石東北ライン」の運転も始まる。高城町駅と東北線松島駅付近に約300メートルの接続線を整備している。仙台−石巻間は約1時間と震災前より10分ほど短縮され、利便性が一段と向上する。


NHK
米 黒人の取締り改善求め大規模デモ
アメリカで、白人の警察官が黒人の少年や男性を死亡させる事件が相次いでいることを受けて、首都ワシントンなどで黒人に対する警察の過剰な取締りなどを改めるよう求める大規模なデモが行われました。

アメリカでは中西部ミズーリ州とニューヨークで、黒人の少年や男性を死亡させた白人の警察官が相次いで起訴されなかったことを受けて、警察の捜査は黒人への偏見に基づいて行われているなどとして抗議するデモが続いています。13日、首都ワシントンでは黒人の人権活動家アル・シャープトン氏の呼びかけで大規模な抗議デモ行われ、主催者の発表で、全米各地からおよそ2万5000人が集まり、「手を上げるから撃つな」とか「正義がなければ平和はない」などと声を上げながら、アメリカ議会の議事堂に向かって行進しました。
議事堂前では集会が開かれ、ニューヨークで白人の警察官に首を絞められたあとに死亡した男性の母親は「私たちの声が届くまで訴えを続けます」と述べ、黒人に対する警察の過剰な取締りや対応を改めるよう求めました。
デモに参加した黒人男性は「黒人は長い間、警察や司法制度に不当に扱われてきた。事件が起きたことは悲しいが、今こそ声を上げるときがきた」と話していました。大規模な抗議デモはほかの都市でも行われ、東部ボストンでは街の中心部に集まったデモの参加者が警察の指示に従わなかったなどとしてこれまでに23人が逮捕されました。
また、デモ隊が高速道路になだれ込もうとしたため、警察が入り口を封鎖する場面も見られました。さらに、ニューヨークでも主催者のまとめで2万人以上が街頭に出て抗議の声を上げたほか、西部カリフォルニア州のサンフランシスコなど全米の60以上の都市でもデモが呼びかけられ、抗議の動きは収まる気配を見せていません。

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Japon : ≪Les Abenomics sont un échec total pour les gens du peuple≫
Récession, natalité en berne, Fukushima... C'est sans enthousiasme que les Japonais s'apprêtent à reconduire le Premier ministre Shinzo Abe aux législatives de dimanche.
C’est un cocktail pré-électoral déroutant composé d’indécis et de résignés, de décus et de quelques convaincus. Mais c’est en vain que l’on trouvera des enthousiastes pour participer aux législatives anticipées, dimanche au Japon, faisant craindre une abstention supérieure à 50% des inscrits. Sourire las derrière une barbichette clairsemée, Miki Yutaka, 52 ans, ira ≪évidemment voter≫, mais se désole du choix qui s’offre à lui. ≪Je ne vois pas pourquoi je donnerai ma voix au Parti Libéral démocrate (PLD) de Shinzo Abe. Qu’a-t-il fait pour nous aider? Ses Abenomics sont un échec total pour les gens du peuple. Il ne s’intéresse qu’aux grandes entreprises qui font des profits et aux grands patrons du Keidanren [le Medef japonais, ndlr]. Nous avons perdu du pouvoir d’achat depuis deux ans avec la hausse des prix et de la TVA≫, remarque cet employé d’une maison d’édition que l’on croise à Shimbashi, la station de train et métro dans le sud de Tokyo.
Il n’accorde pas pour autant plus de crédit au Parti démocrate du Japon (PDJ), la principale force d’opposition dont l’exercice du pouvoir lors d’une alternance historique entre 2009 et 2012 a viré au fiasco. ≪Je voudrais voter pour lui, mais sincèrement, il n’a rien fait depuis deux ans pour proposer une alternative au PLD et revenir avec un bon programme. C’est pitoyable de le voir se diviser.≫ En 2012, il avait glissé un bulletin PDJ dans l’urne pour limiter le retour triomphant du conservateur Abe. Deux ans plus tard, il cherche une autre parade pour ≪empêcher le PLD de rafler plus de 300 sièges à l’assemblée≫, comme le prédisent plusieurs enquêtes d’opinion.
Arrive Shin Wakamatsu, autre décu d’un centre-gauche sans colonne vertébrale idéologique et sans leader. Cravate desserrée et fines lunettes, ce grossiste vendeur de riz installé à Shizuoka (dans le centre du pays) est à Tokyo pour affaires. Smartphone en main, il valide la politique de relance du Premier ministre à qui il reconnaît un vrai leadership. ≪Il a commencé à engranger des résultats, assure cet homme affable. Mais il va maintenant rentrer dans le dur dans les mois qui viennent. On va voir si Abe est capable d’affronter vraiment des vents contraires.≫ Au troisième trimestre, l’économie nippone est entrée en récession. L’objectif de 2% d’inflation s’est envolé et la croissance a dévissé de 7,3% en rythme annualisé. ≪Les Abenomics ont apporté du bon au pays mais au niveau local, l’économie n’est pas bonne, note l’homme d’affaires de Shizuoka. Il faut probablement lui laisser du temps, on ne peut vouloir tout changer alors qu’il vient à peine de tenter quelque chose.≫ Alors, en modéré raisonné, il votera PLD.
Mais à quelques heures du scrutin, on aurait tort de camper Shin Wakamatsu en converti radieux de la dernière heure. Il pointe les ≪échecs≫ d’Abe au sujet du vieillissement de la population et de la natalité en berne. ≪Qu’est-ce qu’on propose de positif à la jeunesse de ce pays à part l’organisation des JO en 2020?≫, fait-il mine de questionner.
Misaki Goto n’a pas la réponse. Cette jeune femme de 23 ans aux paupières mouchetées de paillettes dorées arbore le sourire des débutants. Dès la fin de ses études de littérature anglaise en avril, elle a trouvé du travail dans une agence immobilière pour laquelle elle arpente la place SL à Shimbashi dans un élégant manteau noir pour les besoins d’une enquête. Elle n’est ≪pas sûre d’aller voter≫, mais elle loue la ≪bonne image d’Abe et son énergie pour améliorer les choses dans ce pays. Il n’a rien à voir avec les précédents premiers ministres qui ne faisaient rien≫, juge-t-elle en se demandant à haute voix ce qu’elle pourrait bien dire de l’opposition. ≪Lui au moins, il travaille dur pour améliorer l’économie, même si je pense qu’il aurait dû prendre la décision courageuse d’augmenter la TVA.≫
En annoncant la dissolution de l’Assemblée le 18 novembre, le chef du gouvernement a en effet reporté à avril 2017 une hausse de 8 à 10% de la taxe à la consommation. La décision est intervenue après une augmentation en avril qui a mis un sérieux coup de frein à la timide croissance de 2013. Abe n’a pas voulu ajouter des risques futurs aux incertitudes du moment. ≪Pour financer les retraites et aider au sauvetage de l’économie, il aurait pourtant dû procéder à cette hausse≫, conclut la jeune femme.
Radiations
Trois ans et demi après Fukushima, l’autre inquiétude exprimée par les électeurs concerne l’avenir du nucléaire. Le vendeur de riz Shin Wakamatsu s’alarme du ≪chaos à la centrale où nous sommes loin d’avoir réglé la question de la décontamination≫. Alors, il critique le projet d’Abe de redémarrer les centrales. ≪C’est inquiétant. Je travaille dans l’alimentation et je sais ce que les radiations signifient dans ce secteur.≫ Malgré tout, il en faudrait plus pour lui faire revoter PDJ comme en 2012. ≪Il n’y a pas grand-chose à attendre d’eux. Ils sont inaudibles et c’est en partie pour cela que les électeurs vont voter PLD.≫
Bottes fourrées et large polaire grise, Yuko Inomata, 46 ans, n’est pas loin de partager le constat. Et pourtant cette assistante d’un centre d’appel votera PDJ par ≪fidélité à l’ex-Premier ministre Noda et pour la politique sociale de ce parti qui est plus proche des retraités, des jeunes et des plus démunis≫. A ses yeux, le DPJ, fondé en 1998, est encore un ≪parti jeune et faible comparé au PLD et à son allié du Nouveau Komeito≫. Cette faiblesse structurelle inquiète les électeurs.
≪Je redoute un Shinzo Abe offensif et plus radical dans les prochains mois s’il est réélu avec une plus forte majorité pour quatre nouvelles années, avance Miki Yutaka l’employé de la maison d’édition. Il pourrait être tenté de prendre des décisions en petit comité et sans réelle discussion comme il l’a fait avec la loi sur les secrets d’Etat [qui vient de rentrer en vigueur, ndlr]. Le Japon perdrait alors encore un peu de crédibilité.≫ Abe n’a jamais caché sa volonté de réformer la constitution pacifiste et il a suscité beaucoup d’attentes en multipliant les annonces de réformes structurelles. Bref, il est prêt à réaliser son rêve: faire du Japon un ≪pays normal≫.
Arnaud VAULERIN à Tokyo

ためしてガッテン「3分で8割減! 肝臓がん撲滅SP」
人類とがんとの長い戦い。医学の進歩により、ついに決着がつく日が近づいた。そのがんとは、「肝臓がん」。死亡者数では、数多くのがんの中で第4位。年間3万人近くが死に至る病気だ。中でも、原因の8割を占めるといわれるのが「肝炎ウイルス」。その意外な感染ルートが明らかに。きっかけとなるのが、やはり早期発見。今では、近所の病院で3分で検査ができることも!治療も、新薬の登場で飛躍的に進化。一生に一回、検査を!
和田アキ子,高橋英樹,山瀬まみ, 立川志の輔,小野文惠, 生野文治


ダラダラとネットで英語を聞きながら午前中を過ごし,昨日スーパーで買ってきたお惣菜を食べて外に出ると郵便局の車が.何となくボケッとみていると,部屋番号を聞かれました.私宛に荷物です.Shさんからメールで聞いていたのですが八ッ橋です.ちょっと早いクリスマスプレゼントかな?しょうが味と珈琲味でおいしい♪
昼は眠くてしんどかったので図書館で休憩.
夕方少し勉強して,夜は年賀状をWordで作りました.まだ印刷していません.年賀状自体まだ買っていませんし・・・

朝日新聞
罹災証明の新規発行継続を 総務省が復興庁に求める
 東日本大震災の被災者の住宅支援制度が続いているのに、被害を証明する罹災(りさい)証明書を発行しないのはおかしい――。住民からの相談を受け、総務省は12日、復興庁に改善を求めた。新規受け付けを廃止した市町村に対し、継続を求めている。
 茨城県の住民が6月、被災住宅補修などの補助を申請するため地元市に罹災証明書を求めたところ、市は新規発行を5月で終えていた。「震災から3年以上たち、因果関係が判定できない」という理由だった。
 相談を受けた同省行政評価局が、岩手、宮城、福島、茨城4県を中心に東日本の30市町村を調べたところ、21市町村が6月30日までに証明書の新規発行を取りやめていた。
 罹災証明書は住宅被害を公的に証明する書面。生活再建の支援金や住宅修理の補助、義援金の配分などに必要で、災害対策基本法では発行が市町村長の義務になっている。
 行政評価局は「証明書を必要とする制度が続く中、新規発行の停止は問題。聞き取り調査や写真の確認で判断は可能」と改善を求めた。復興庁は「新規発行を続けるよう市町村に働きかけたい」としている。
 罹災証明書は通常、被災直後に自治体職員らが現地調査し「全壊」「半壊」などを判定する。総務省によると、「一部損壊」の場合は震災直後は助成制度がほとんどなかったが、制度が整備された最近になって証明書を申請するケースがあるという。 (桑山敏成)


毎日新聞
eye:見つめ続ける・大震災 復興担う商店主たち 出会い、それを力に
 宮城県南三陸町志津川地区の「南三陸さんさん商店街」。32軒が仮設店舗で営業している。冷え込んだ休日、子供たちが走り回って遊んでいた。商店街の運営組合長でお茶店経営、阿部忠彦さん(52)はその姿を見つめて言った。「先はまだまだ見えない。でも、この子たちのために復興したい」

 東日本大震災前、同町には水産加工業など約560の事業者があったが、8割以上が被災。再建したのは263。人口は、震災前の約1万7700人から約1万4200人(11月末)まで減った。

 町の計画では、町中心部の志津川地区の津波被災区域は居住禁止とし、高さ10メートルの盛り土をした上で商店街や観光施設などを整備。近くに震災復興祈念公園も造る。住宅は山を切り崩した高台に2016年ごろから移転する。

 仮設商店街は16年11月までで、その後は本設商店街に移る。現在、参加希望は新規を加え、約35件。のり店を営む千葉ひろ子さん(65)は迷った末に参加を決めた。「借金のためにもやるしかないが、人が減れば……」と不安顔だ。

 仮設商店街の来客者の約9割は町外から訪れる。町防災対策庁舎の前で手を合わせ、近くの仮設商店街に寄る。交流人口の維持・拡大が町再建の鍵を握る。元々衣料品店だった菅原栄子さん(57)の店は土産物も扱うようになった。「ここで多くの人に出会って元気をもらい、楽しい」と笑顔。阿部組合長は「震災の経験を生かし、防災・減災を形にして復興することが私たちの使命だし、ご支援への恩返しだと思う」と強調する。だが、防災対策庁舎保存には賛否両論あり、結論はまだ出ない。

 「パティスリー 雄新堂」の阿部雄一(たけかず)さん(50)は家賃15万円で本設商店街に入る予定。「経営はかなり厳しくなる。でも、ケーキを食べてそれぞれの家族が笑顔になる。それが俺の喜びであり、仕事の意味なんです」と語る。毎朝4時から、パンとケーキをこつこつ作っている。<文 丸山博>


三陸新報
師走スケッチ 気仙沼市内で酒造り
 気仙沼市内の酒蔵で、新酒の仕込み作業が盛んだ。
 市内太田「角星」の製造場では、杜氏の大坂常寿さんをはじめ、職人5人が早朝から精を出す。地元産の酒米「蔵の華」などを原料に、タンクに仕込んだ酒に櫂(かい)を入れてかくはんする。蔵の中に甘い香りが漂い、静かな時間が流れている。
 「米や水、気候などによって、全く同じ味の酒はできない。それが酒造りの難しさであり、魅力」と、この道34年の大坂さん。飲み手に喜んでもらえる酒造りが目標だが、昔に比べて日本酒の愛飲家が減っていることを残念がる。「ぜひ若い人たちに日本の酒を楽しんでほしい」。こう願いながら来年4月まで蔵で暮らす。


朝日新聞
(衆院選)被災地と地方創生―起点となるのは住民だ
 東日本大震災の津波被災地で住まいの再建がようやく進み始めている。

 許認可などの手続きの一部は特例として簡素化された。必要な資金は国の復興交付金でまかなわれ、職員不足が深刻な自治体を国や他の自治体からの応援組が支える。

 「住宅再建支援や工事の加速化を図る」(自民党)「安心して住み続けられる住宅を、まちづくりと合わせて整備する」(公明党)「人材・資材の不足・高騰への対応に万全を期す」(民主党)……。

 衆院選での各党の政権公約や政策集には、「細やかな施策」「被災地の視点」といった言葉とともに、暮らしの再建を意識した目標が並ぶ。

 新たな街で生活するのは被災者だ。「住民が起点」という基本をおろそかにすれば、復興はおぼつかない。

■会合重ねて合意作り

 仙台市の南、宮城県岩沼市の玉浦西住宅は、300を超える被災地の防災集団移転事業のうち、住民が1千人に及ぶ大規模移転の先頭を走る。その原動力は、被災した六つの集落が一つにまとまる過程で、住民同士が徹底的に話し合ったことだ。

 ふるさとと同様に曲がりくねった小道。地元の堀を模したせせらぎ。東北地方に特有の防風林「居久根(いぐね)」を設け、公園には芝生を張りたい……。

 震災から8カ月後の2011年11月、大学教授ら専門家の手を借りつつ住民だけの会合を始めたところ、次々と案が出てきた。大小さまざまな会合は、住民同士が意見をかわし、合意を作っていく場となった。

 翌年の夏、市が各地区の代表者からなる正式な検討委員会を設けた。そこで示された原案は整然と区画された新興住宅街のような未来図。住民は驚き、反発した。「国の復興交付金を使う以上、管理費がかさむものは難しい」と「公平性」を強調する市の担当者もまじえた委員会は、1年半に28回を数えた。

 国民全体が負担する復興交付金を野放図に使えないのも確かだ。時に市に意見をぶつけ、協力してまとめた最終案では、曲がる街路は一部にとどまり、せせらぎは緑道になった。一方で、住民の活動を知った民間団体などから寄付や助成を得て、居久根や芝生を実現するメドが立ちつつある。

 住民会合を引き継ぐ形で発足したまちづくり協議会の会長、中川勝義さん(76)は、自分たちで考えて、市と対等の立場で臨んだことがカギだったと感じている。来春にも全ての入居予定者がそろう見通しだが、六つの集落が一つになる「コンパクトシティー」への挑戦は続く。

■進む人口減と高齢化

 こうした取り組みが被災地のあちこちで、全国各地で、広がっている。行政と住民の協働。関係者が一堂に会する円卓会議。呼び名は違っても、行政と対等の立場で住民が自ら考え、行動する点が共通する。

 少子化で人口は減り、高齢化が進む。「消滅自治体」が話題になるほど状況は厳しい。住民と自治体、地元の企業や団体が力を集めて乗り切るしかない。そんな危機感が背景にある。

 地域の住民を代表し、中央の政府と向き合うのは自治体だ。財源や権限を巡る国と地方の関係の見直しが不可欠になる。政治の役割と責任は大きい。

 「自由度の高い交付金を」(自民)「自治体に権限・財源を移す」(民主)。各党が訴えるのは長年の課題ばかり。問われるのは具体論と実行だ。

■問われる政治の覚悟

 まずは交付金である。財政難が深刻な中で、財源をどう確保するのか。

 かつて小泉政権は、ひも付きの補助金を減らし、国から地方へ税源を移すことを掲げた。地方交付税交付金も加えた「三位一体改革」である。

 ところが、改革は地方側の「手取り」を減らす結果となった。自治体の不信を招き、その後の地方分権論議に影を落としたことを忘れてはなるまい。

 次に特区。自民党は地方創生特区を設けるという。

 安倍政権が鳴り物入りで立ち上げた国家戦略特区の一類型のようだが、戦略特区には既に人口2万6千人弱の兵庫県養父(やぶ)市も指定されている。10年余り前にできた構造改革特区も、「地方の発案を生かす」と言いながら、国の頭の固さに自治体の不満が絶えない。まずは既存の制度の改善と活用が先決だ。

 財源や権限を守りたい中央省庁の抵抗は強い。その省庁から情報を取り、影響力を行使しようとしてきた国会議員も、今のシステムに依存する。政治には、改革を通じて自らのあり方を問い直す覚悟があるか。

 「活性化」「再生」……。これまでさまざまな言葉が使われ、今度は「創生」だという。

 地方を巡る議論を、衆院選や来春の統一地方選を意識した聞こえのよいかけ声に終わらせてはならない。


朝日新聞
公営住宅、4分の1が高齢独居 孤独死、昨年度1300人超 朝日新聞社調査
 全国の公営住宅で、一人暮らしの高齢者が全世帯の4分の1を占めることが、47都道府県と20政令指定市を対象に朝日新聞が実施した調査でわかった。著しい「単身高齢化」を背景に孤独死も多発しており、昨年度1年間では計1320人に上っていた。

 公営住宅は1980年に高齢者らの単身入居が認められ、96年以降、収入基準が見直され、より多くの低所得者が入居しやすくなった。専用の入居枠を設けるなど配慮している自治体もあり、お年寄りの「住まいのセーフティーネット」としての役割が強まっている。
 調査は6〜7月に実施、4月1日時点の入居状況などを聞いた。65歳以上の独居世帯数は「把握していない」として答えなかった愛知など6県をのぞき、計約29万。この6県をのぞく全入居世帯の24%を占めた。
 割合が高かったのは、岡山市(37%)、神戸市(35%)、横浜市(32%)など。全入居者の平均年齢では、さいたま市(26%)が65歳近くで最も高かった。
 直近2010年の国勢調査では、65歳以上の単身世帯は全世帯の9%。国の社会保障・人口問題研究所は35年には15%まで増えると推計しており、公営住宅はそれを先取りした形だ。
 孤独死は、少なくとも36都道府県と19市で起きていた。東京都や大阪府、名古屋市など戸数が多い都市部で多い。8県は「孤独死はなかった」と答え、兵庫県など3県1市は集計していないという。
 ただ、孤独死の定義は「発見まで1日以上かかったもの」など自治体によって異なる。東京都と神戸市は「自殺か病死か厳密には分けられない」として、集計には自殺者を含むという。
 調査した47都道府県と20指定市の公営住宅は計約139万戸で、約125万世帯が入居中。公営住宅には市町村営や被災地に建てられる復興住宅もあり、全国で約217万戸(12年度末)。今回の調査対象は6割強にあたる。1995年の阪神大震災では復興住宅での孤独死が13年までに800人を超えており、東日本大震災の被災地でも孤独死が懸念されている。(山田史比古)

 ◆キーワード
 <公営住宅> 低い家賃で低所得層に住宅を提供することを目的に、都道府県や市町村が建設し、国も整備費などを一部補助している。高度成長期には、主に持ち家を所有する前の働く世代向けに建てられた。


毎日新聞
南京事件:77年 式典に習主席出席、日本をけん制
 【北京・工藤哲】旧日本軍が中国・南京を占領した際、多数の中国人を殺害した南京事件から77年となった13日、犠牲者を追悼する式典が江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で開かれた。式典には習近平国家主席ら中国共産党政治局常務委員をはじめ1万人余りが出席した。

 中国指導部は今年、12月13日を初の「国家哀悼日」と定め、国家主催の式典と位置づけた。こうした記念日を創設して歴史問題で日本をけん制する一方、国民の愛国心を鼓舞し、指導部の求心力を高める狙いがある。

 式典には、事件の際に生き残った人や、ロシアや韓国の歴史記念館の関係者らが出席。国営中国中央テレビ(CCTV)が生中継した。習主席は「中国を侵略した日本軍は人類に反する罪を犯した」と演説し、「改ざんは許されない。大虐殺の事実を否定することを13億の中国人民は受け入れない」と述べた。また「中国と日本の両国人民は友好を維持し、未来に向かって貢献すべきだ」と語った。

 全国人民代表大会(全人代=国会)は今年、日本が降伏文書に署名した翌日の9月3日を「抗日戦争勝利記念日」、9月30日を近代以降の革命闘争や戦争で犠牲となった「烈士」をたたえる「烈士記念日」とする議案を採択しており、「国家哀悼日」の創設もこうした流れの一環だ。中国政府は、先月の日中首脳会談の後も安倍晋三首相の靖国神社参拝を強く警戒しており、中国外務省関係者は「もし再び参拝したら、日中関係は大変な事態になる」と強調している。

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熊蟄穴くまあなにこもる/復興の講演会/小学校の校歌

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Travail du dimanche. Martine Aubry dénonce une régression pour la société
Dans une tribune publié sur LeMonde.fr, Martine Aubry s’engage à combattre l’extension du travail du dimanche. Pour elle, le repos dominical est un enjeu de société.
Au moment où le ministre de l’Économie, Emmanuel Macron, présentait son projet de loi permettant une ouverture plus fréquente des commerces le dimanche, Martine Aubry, maire de Lille (PS), a publié une tribune sur le site du journal Le Monde pour dénoncer une “régression pour notre société” qu’elle s’engage à combattre dans sa ville et au niveau national.
Pour l’ancienne ministre de l'Emploi et de la Solidarité, cette réforme “n’est pas une réforme subalterne, c’est un moment de vérité autour de la seule question qui vaille : dans quelle société voulons-nous vivre ?” et elle invite la gauche à ne pas réduire “ l’existence à la consommation” avant d’interpeller les siens : ”La gauche n’a-t-elle désormais à proposer comme organisation de la vie que la promenade du dimanche au centre commercial et l’accumulation de biens de grande consommation ?”
Et de répondre : “Le dimanche doit être un temps réservé pour soi et pour les autres. C’est un moment précieux qui doit être consacré à la famille et aux amis, à la vie associative, à la culture et au sport… Valorisons l’être, plutôt que le tout avoir. Gardons du temps pour penser, respirer et vivre.”
Martine Aubry jugent également que “les arguments économiques de ceux qui sont favorables à une plus grande libéralisation du travail le dimanche ne résistent pas à l’analyse.” et met en garde sur “les dizaines de milliers d’emplois seront détruits ”chez les petits commerçants”
Et elle enfonce le clou : “Croire que les salariés vont de gaieté de cœur travailler le dimanche, en décalage avec la vie de la société, sous prétexte qu’ils n’ont pas d’emploi ou un salaire majoré, montre une profonde méconnaissance de la réalité. En période de chômage de masse, on ne refuse pas de travailler aux horaires que demande l’employeur (...) L’ensemble des syndicats sont aujourd’hui à l’unisson opposés à ce projet. Il faut les entendre. Inutile autrement de parler de démocratie sociale.

熊蟄穴くまあなにこもる,です.
今日のバランスランチは鮭のみそチーズ焼でおいしかったです.
夕方は復興の講演会に行きました.
南気仙沼小学校の校歌をけせんぬまさいがいエフエムのページで見つけました.気仙沼には小4までしかいなかったので卒業していないんですが,少しだけ校歌を覚えてました.生徒たちが歌う校歌を聞いて嬉しかったです.

毎日新聞
東日本大震災:3年9カ月 消えない悲しみ /岩手
 東日本大震災から3年9カ月となる11日、山田町船越の海蔵寺境内にある犠牲者慰霊観音像には花が供えられ、いまだに消えない遺族の悲しみが漂った。

 入居していたお年寄りや職員が亡くなった近くの介護老人保健施設「シーサイドかろ」の運営者が今年5月に建立した。犠牲者芳名碑には職員15人を含む89人の名前が刻まれている。寺の本堂も津波で流され、辺りは静まり返ったままだ。

 命をのみ込んだ山田、船越両湾からの寒風に身じろぎもしない手向けの花。死者の尊厳と、残された者の悲哀をにじませる。【鬼山親芳】


岩手日報
手合わせ「見守って」 震災3年9カ月、各地で法要
 11日、東日本大震災で被災した沿岸各地では人々が祈りをささげ、大切な人に思いをはせた。陸前高田市高田町の浸水地に建てられた慰霊塔前では、月命日の法要が営まれた。

 慰霊塔の建立にも関わった横浜市の妙深寺(みょうしんじ)(長松清潤住職)の僧侶阿部信仰(しんごう)さん(49)が題目を唱え、地元住民ら約10人が祈った。そばの道路をダンプカーが行き交い重機の音が響く中、静かに手を合わせた。

 陸前高田市では1556人が死亡し、207人が行方不明のまま。住民らの「皆が集まって、お参りできる場所を」との願いで、塔が建てられた2012年3月以降、毎月11日に供養法要が行われている。

 同市高田町の仮設住宅で暮らす女性(62)は義理の兄夫婦を津波で亡くした。「2人とは真のきょうだいのように仲良しだった。もう3年9カ月、早いようで複雑。また1カ月、私たちと、まちが変わる様子を見守っていてね」と心を寄せた。


産経新聞
震災3年9カ月 被災3県、クリスマスツリーに復興願う
 東日本大震災から3年9カ月となった11日、岩手、宮城、福島の3県の沿岸被災地では、祈りをささげて犠牲者を悼む人々やクリスマスツリーに復興を願う姿がみられた。14日に衆院選の投開票日を控え、被災者たちは選挙への思いも口にした。

 「つらい気持ちも、苦しい生活も、あの日から何も変わっていない」。岩手県釜石市の大平墓地公園では、多くの遺族が花を手向けた。息子を亡くした60代の女性は「これからも毎月通う」と手を合わせた。

 午後4時を過ぎれば、日が暮れ、寒さがまちを包む。近くに住む主婦、前川弘子さん(73)は「人が少なくなって本当に寂しいね。厳しい冬がやってきた」と話した。

 宮城県石巻市の市立大川小校舎跡にある慰霊碑には、朝から遺族や地元住民らが訪れ手を合わせた。小学校の近くにあった自宅が流され、毎月11日に慰霊碑を訪れている武山安吉さん(59)は「市の中心部では復興が進んでいると聞くが、ここはまだまだ」と、かさ上げ工事が進む北上川沿いに目をやった。

 衆院選を控えたこの日、市内各地の仮設住宅団地では支持を訴える選挙カーが走り抜けた。住民の千葉みよ子さん(64)は「生活の中で復興が進んでいるという実感がない。被災地のことを考えて復興を早く進めてくれる人に投票したい」と話した。

 福島市の複合施設「コラッセふくしま」では、高さ18メートルのイルミネーションとともに設置されたクリスマスツリーに、多くの人が願いを託している。

 昨年は約900人が願い事を書いた。これまでは「家族とともに住みたい」など、東京電力福島第1原発事故からの復興などへの思いが多くつづられていたというが、今年は家族の健康や自分の目標などを書く人が増え、願う内容も変わってきている。

 コラッセふくしまの藤原聡さん(45)は「まだ復興の途中だが、徐々に心の余裕も出てきたのかなと思う」と話した。イルミネーションは午後4時半〜9時で、来年1月15日まで。


毎日新聞
東日本大震災:富岡町でがれき撤去 3年9カ月、ようやく着手 /福島
 環境省福島環境再生事務所は震災から3年9カ月となった11日、富岡町で津波がれきの撤去作業を始めた。来年3月までに避難指示解除準備区域の同町毛萱に集積されている約7500トンのがれきを撤去する。来年度には同所以外の約2万6500トンのがれき撤去に着手する予定。撤去されたがれきは同町の仮置き場に搬入される。

 家屋の部材や家財道具などのがれきには、思い出の品や貴重品などが含まれている可能性がある。このため、山積みになったがれきを少しずつ重機で崩し、作業員が熊手などで注意深く選別した。初日は名前が入った学用品など3点が見つかった。

 環境省が廃棄物処理や除染を実施する県内11市町村のうち、津波がれきの撤去は南相馬市と楢葉町で完了し、浪江町は継続中。双葉町では17日に着手する。

 同事務所の担当者は「除染や仮置き場の整備のために、着手まで時間がかかってしまい申し訳ない。復興を少しずつ前に進めていくために、丁寧な作業を徹底したい」と話した。【土江洋範】


河北新報
大震災3年9カ月 気仙沼で集中捜索
 東日本大震災から3年9カ月となった11日、沿岸被災地では、行方不明者の集中捜索が行われた。気仙沼市階上地区のお伊勢浜海水浴場付近では、ボランティアが気仙沼署員と共に手掛かりを探した。
 ボランティア45人と署員13人が参加。冷たい風が吹く中、海岸線に打ち上げられた流木をよけながら、砂や石を熊手などでかき分けた。2時間の捜索で、人骨の可能性がある3〜10センチの骨片5本が見つかった。


河北新報
気仙沼、石巻より復旧遅れ 石巻専修大など調査
◎水産関連販路風評など課題

 石巻、気仙沼両市の商工会議所、信用金庫と石巻専修大でつくる「三陸産業再生ネットワーク」は、東日本大震災で被災した水産関連企業の復旧・復興状況に関する調査結果をまとめた。震災から3年以上が経過し施設復旧は進む一方、人材や販路の確保、風評被害の克服などが課題となっていることが分かった。石巻市に比べ、気仙沼市の復旧が遅れている傾向も浮き彫りになった。

 両市の539社に調査票を送付し、8月までに131社から回答があった。回収率は24.3%。
 復旧状況は「全復旧」が72.5%に達し、ほかは「仮復旧」13.7%、「一部復旧」11.5%、「休業中」2.3%。地域別では、全復旧が石巻で78.5%に上ったのに対し、気仙沼は57.9%と20ポイント以上の開きが出た。
 震災前と比較した売上高は「減少した」が75.6%で、「増加した」12.2%、「変わらない」10.7%だった。
 風評被害は「受けた」と「やや受けた」を合わせると52.7%で、半数を超えた。対策としては、42.0%が生産・流通履歴追跡(トレーサビリティー)の必要性を感じていた。
 各社が解決を求められている課題9項目に順位を付けたところ、1位に挙がったのは「販路開拓」が42社と最多で、「人材確保」29社、「原料仕入れ」18社、「生産整備再構築」11社と続いた。
 産業再生ネットは2012年7月、実情に応じた地域経済の復興を図る目的で設立された。これまで企業に対する個別相談や販路開拓支援、新商品開発などに取り組んできた。
 石巻専大の石原慎士教授(地域産業論)は「今回の調査で事業が順調な企業と、そうではない企業に二分される傾向が見えてきた。直面する課題に対し、商議所、信金、大学がそれぞれの強みを生かした支援をしていきたい」と話した。


河北新報
石巻復興プラン 児童が市長に提案
 石巻市開北小(児童395人)の6年生が11日、東日本大震災からの復興のアイデアを亀山紘市長に披露した。米ゼネラル・エレクトリック(GE)の日本法人、日本GEが主催する「地域に役立つ発明家になろう!プロジェクト」の一環で考案した。
 児童たちは7月、日本GEの社員と協力して住民から地域の課題を聞き取り、解決策を練った。市役所では事前審査で上位に選ばれた2グループの12人が発表した。
 震災の影響で「人口減少やにぎわいの創出などが課題になっている」と指摘。それぞれのグループが石巻の魅力をPRする新たな「ゆるキャラ」の開発と、漁業や魚市場などの仕事を体験できるテーマパークの整備を提案した。
 亀山市長は「石巻に人を集めたいという子どもたちの願いが込められていた。テーマパークは遊び場だけでなく、働く場にもなるいい考えだ」と評価した。
 金野有笑(あみ)さん(12)は「地域の問題を解決するアイデアを出すのが難しかった。発表の出来は99点で、うまく伝えることができた。石巻がにぎやかな街になってほしい」と願った。


河北新報
<大震災>45回目の月命日
 多くの命が奪われた東日本大震災の被災から45回目の月命日となった11日、宮城県内では名取市と気仙沼市などで行方不明者の捜索が行われた。
 震災で39人が行方不明になっている名取市閖上海岸では、家族の依頼を受け岩沼署と東北大が最新の地中レーダー「やくも」を使って捜索。岩沼署員と東北大東北アジア研究センターの関係者ら計14人が参加した。
 やくもは、搭載したアンテナから発する電波で地中2メートルの深さまで埋設物の有無を探知できる。砂浜の上を転がし、物がありそうな場所を見つけると署員がスコップで掘って地中を探した。
 この日は行方不明者の手掛かりになるような物は見つからなかったが、東北アジア研究センターの佐藤源之教授は「諦めず、今後も捜索に協力したい」と話した。
 まだ226人の行方不明者がいる気仙沼市。階上地区のお伊勢浜海水浴場付近では、ボランティア45人が気仙沼署員と一緒に捜索に当たった。
 初めて参加した愛知県豊橋市の会社員樋口明典さん(41)は「いまも不明者の手掛かりを捜していることに正直驚いた。家族の元に1人でも帰してあげたい」と作業に没頭していた。
 各地で何度も捜索活動に加わってきた埼玉県入間市の会社員後藤弘さん(59)と妻寿子さん(58)は今回初めて、長男と次女を誘って参加した。後藤さんは「被災地を思い続ける大切さを、子どもたちに伝えたかった」と話した。
 東日本大震災の行方不明者は、宮城1256人、岩手1130人、福島204人となっている。


石巻日日新聞
閉校で記念碑建立へ…142年の歴史の門脇小
 東日本大震災の影響により本年度で閉校する石巻市立門脇小学校(佐々木隆哉校長)では、市教委と連携して閉校記念碑を建立する。同校PTAと教職員らで構成する閉校事業実行委員会(実行委員長・佐藤文彦PTA会長)は旧門脇小校舎周辺を候補地として選定し、除幕式は最後の修了式となる来年3月24日を予定している。
         
 明治6年に創立した同校は旧市内では最も長い歴史を持つ小学校。本年度で142周年を迎え、卒業生はこれまで1万5千人以上にのぼる。震災後は門脇中学校に間借りしており、来年度からは石巻小と統合することが決まった。これを受け今年6月から同実行委を組織し、事業を推進している。
        
 閉校記念事業は、閉校記念式典と記念誌、記念碑の3つが柱。4日の会合では、記念誌の進行状況のほか、記念碑の内容などについても事務局から委員に報告があった。
        
 記念碑は高さ1・35メートル、幅1・47メートル、奥行き0・3メートルで、高さ0・3メートルで台座に乗せて設置。正面には校歌と校章のほか、被災前の校舎で子どもたちが元気に遊ぶ写真をデザインし、裏側には同校142年の沿革を記す。設置場所は市教委との協議の結果、同校校舎の校庭および周辺。委員からは校舎を震災遺構として保存した場合の影響を懸念する声も上がっており、年明けの1月8日に佐々木校長らが候補地選定の現地視察を行うという。
       
 除幕式は同校として最後の修了式が行われる来年3月24日を予定。ただし、記念碑に刻まれる建立日は「門脇小があった最後の日にしたい」として、本年度末の平成26年3月31日とする。
         
 閉校記念式典は3月22日の実施。記念誌については、現在も同校の昔の写真と寄付金の呼び掛けを続けている。寄付金は1口3千円以上。寄付の協力者には完成した記念誌1冊を贈る。問合せ・寄付の協力は同校内の同実行委事務局(電話95―7182)まで。


石巻かほく
万石浦小で読み聞かせ 震災で犠牲・テイラーさんの両親、“娘の学校”訪問
 外国語指導助手(ALT)として石巻市に赴任中、東日本大震災の津波で犠牲となった米国人女性テイラー・アンダーソンさん=当時(24)=の父アンディーさん(56)と母ジーンさん(56)が先日、石巻市を訪れた。

 両親らが贈った本で、万石浦小(佐藤博昭校長、児童367人)など石巻地方の30校に設立した「テイラー文庫」を視察したり、訪問先の児童と交流したりした。

 震災後、8回目の来訪。テイラーさんが英語を指導していた万石浦小では、同校で活動する絵本読み聞かせサークル「そよかぜのおはなし」が各クラスで朝に行っている読み聞かせに参加した。2人は交代でテイラーさんをモチーフにした童話「テイラーさんからの贈り物」を読み、児童約30人がじっくりと聴いた。

 読み聞かせの後は図書室で、そよかぜのおはなしのメンバーと交流。メンバーが活動内容や、アンディーさんが設立した記念基金の助成プログラム「テイラー・リーダーズ・プロジェクト」の助成を受けていることなどを両親に紹介した。

 ジーンさんは「学校のみんなのことをいつも思い出している。皆さんの活動で、テイラーを身近に感じられ、うれしく思った」と話した。

 両親は、石巻専修大にテイラー文庫と本棚を寄贈するための目録を届けたほか、渡波小と石巻高でテイラー文庫の視察などをした。


河北新報
<衆院選>福島の今を漢字1文字で表すと?
 衆院選(14日投開票)を前に、河北新報社は福島県内の5小選挙区に立候補している16人に「福島の今」を漢字1文字で表してもらった。「希」「歩」「進」など明るい気分にさせる字が挙がった一方で、「酷」「怒」「憤」「苦」「忍」など、厳しい現状認識を示す字も多かった。東京電力福島第1原発事故から3年9カ月たった今も、避難生活が続く人が多い福島の捉え方は多種多様のようだ。

 16人が選んだ計14字は表の通り。重複したのは「忍」と「苦」だった。「忍」を選んだ1区の自民前議員は「耐え忍んでいる」、4区の維新前議員は「復興は道半ば」と回答。「苦」とした2区の民主新人と4区の社民新人は、12万人以上が避難生活を送る現状を理由に挙げた。
 明るい未来をうかがわせる字としては「進」「希」「歩」「結」「蛹(さなぎ)」「合」「未」が上がった。5区の自民前議員は「本格復興へ、着実に歩みを進める」と「進」を、1区の民主新人は「希望を持って復興に突き進む」と「希」を選んだ。3区の自民新人は「新たな成長を待つさなぎの状態」として「蛹」と回答。2区の共産新人は「合」を選び、「力を合わせ復興を進める」必要性を訴えた。
 厳しい現状認識を示す字は「焦」「耐」「憤」「怒」「酷」が上がった。4区の自民前議員は「焦」とし「原発事故後、時間が止まったまま」、5区の民主前議員は「復興は長期戦」で「耐」とした。3区の共産新人は「全てを奪われ、先が見えない」と「怒」を、4区の同党新人は「汚染水対策が全く進まない」として「酷」と答えた。
 一方、被災者に聞くと、双葉町から福島市の仮設住宅に避難する山田順子さん(85)は「町に戻りたいが、年寄りは何もできない。耐えるしかない」と「耐」を選んだ。
 浪江町から逃れ、福島市の仮設住宅で暮らす石部カツ子さん(76)はいわき市に新居を構えることが決まり「進」を選んだ。「個人的には前に進んでいるが、多くの避難者は先が見えない」と周囲をおもんぱかった。


毎日新聞
希望新聞:東日本大震災 記者通信 復興住宅への入居−−福島・郡山
 「自分の年齢を考えるとついの住み家になると思うが、じっくり先のことを考えたい」。東京電力福島第1原発事故の避難者向けに福島県が整備する災害公営住宅(復興住宅)。佐々木実さん(63)は11月中旬、完成第1号となった同県郡山市の3階建て団地に入った。

 郡山市の仮設住宅で約3年間暮らした。木造平屋の手狭な2Kで、洗濯機は冷蔵庫の横。天井が低く、圧迫感を受けた。復興住宅はバリアフリーの3LDK。トイレのドアは正面に加え、介助する人が手助けしやすいように左側にもある。避難直後に入院した母親(89)は今、特別養護老人ホームにいるが、「お袋の体調がある程度回復すれば、この住環境なら同居できる」。独り身の佐々木さんにとって、親子水入らずの暮らしが、ささやかな夢だという。

 気がかりなのは、第1原発が立地する双葉町の商店街で営んでいた洋品店だ。地震で店のガラスは大破し、つるした婦人服は雨風にさらされている。放射線量が高い帰還困難区域に指定され、立ち入りも厳しく制限されている。愛着のある店や墓をどうするか。答えは出せないままだ。

 この団地に入居するのは全員、双葉町民であり、佐々木さんは「助け合って生きていきたい」と話す。今後、復興住宅の建設が進み、入居者は新たな場所で生活をスタートさせる。「ついの住み家」になるのか、帰還を目指すのか。それぞれが古里への思いを抱きつつ、重い決断を迫られる。【浅田芳明】


毎日新聞
希望新聞:東日本大震災 あの日食べたもの、忘れない 仙台で写真展「はじまりのごはん」
 東日本大震災の被災者が携帯電話などで撮った震災後最初の食事やその後の食の風景などの写真を集めた写真企画展「3月12日はじまりのごはん−いつ、どこで、なにたべた?」が仙台市内で開かれた。11月まで1カ月半の期間中、展示した72枚の写真には、来場者の共感や震災体験などが書かれた365枚の付箋も添えられ、あの日の体験を生々しくよみがえらせていた。

 ろうそくの光に浮かび上がる温かそうな鍋、近所の人たちと食べる炊き出し、避難所で支給された小さなおにぎり……。会場には、混乱と不安の中での、ほっとする一時を伝える写真が並んだ。

 同展はNPO法人「20世紀アーカイブ仙台」(仙台市)が写真を集め、同市の施設「せんだいメディアテーク」と共催。食べ物をテーマにしたのは、同NPO副理事長の佐藤正実さん(50)=同市宮城野区=の発案。「身近な小さなことって忘れがちだけど、思い出せば小さいことほど琴線に触れると思って」

 また、「紙に書くなら意見も言いやすいかも」と、来場者のために付箋を用意したところ「大切な人を失い食べるなんてどうでもいいと思っていた。でもこうして生きている」「避難所で最初に作ったピンポン玉大のおにぎり。お年寄りにも配った。涙を流され拝まれた」「給水車がヒーローに見えた」。思い思いの言葉が並んだ。

 震災から3年9カ月。佐藤さんは「風化が一番怖い」と話す。「仙台の人は(被害の大きかった)沿岸部の人に気兼ねし、積極的に話さない。でも、話さなければ記憶は風化する。これからも『話しの場』を提供したい」

 来年3月には新潟市での開催が決定しており、東京でも計画が進んでいる。問い合わせは同NPO(022・387・0656)へ。【川端智子】


毎日新聞
わたしの争点:2014衆院選/9止 「在日」ありのままに誇り 日韓修復、互いを認めて
 自分は日本人か。それとも韓国人か。東京で在日韓国人として生まれ育った深沢潮(うしお)さん(48)は、幼いころから自らに問い続けてきた。最近やっと答えを見つけた。「どちらでもない。ありのままの自分でいい」。そんな境地で在日コリアンの世界を描いた小説が2年前、新潮社の「R−18文学賞」に輝いた。

 両親とも在日韓国人だ。外では通名で日本人として生活するが、家では韓国のアイデンティティーにこだわる父と、在日社会に距離を置く母がよくけんかした。学生時代「日本の男とつきあうな」と父に叱責され、「そんなに韓国が好きなら、韓国に帰れ!」と言い放ったこともある。

 在日韓国人の男性と結婚し、17年前の妊娠を機に夫婦で日本国籍を取得した。在日を巡るわずらわしさから我が子を解放したい、という思いだった。

 長男に続き長女を授かったが、9年前に離婚。子供2人を抱え精神的に追い詰められた時、周囲から思いのたけを文章で表現するよう勧められた。これが自分の生い立ちやアイデンティティーを見詰め直す機会となり、創作の道へ入った。

 子供2人を日本人として育てたが、小説発表をきっかけに、在日韓国人だったことを打ち明けた。小学生の長女は素直に受け入れたが、中学生の長男は友人の勧めで「嫌韓本」を読んで影響を受けており、ショックだったようだ。「家族の歴史が繰り返され、息子も私と同じように苦しむのか」。暗たんたる気分だったが、今は高校生で、自分なりに受け止めていると思う。

 韓流ブームが落ち着き日韓両国のあつれきが増す中、受賞で「在日作家」と注目され、意見を求められることもある。特定の民族への差別をあおるヘイトスピーチに象徴されるように、両国の政府も市民も競うように強硬な対応や言動を繰り返し、息苦しさを覚えている。「複雑な歴史を抱え、ひっそりと生きる在日たちの事情などは置き去りです」

 在日を名乗って堂々と生きてもいいが、あえて名乗らなくても恥じることはない−−深沢さんは作中人物にそう言わせている。日韓を問わず同調圧力が強まり、物が言いにくくなっている。「日本、韓国のいずれでもなく、両方を外から眺められる在日の視点を大切にし、誇りを持って書き続けたい」と話す。

 日本国籍を得て31歳で初めて選挙権を行使し、以来欠かさず投票に行く。国同士の付き合いも家族と同じで、互いをありのまま認め、共通の思いを確認し合うことで関係修復が始まる。そんな思いをくむ政治に1票を託したい。【本多健】


毎日新聞
香港デモ排除 民主化要求は消えない
 香港の行政長官選挙制度に反対する民主派デモで警察が全面排除に乗り出した。学生らの最大拠点だった香港中心部の金鐘(アドミラリティ)地区でバリケード撤去や参加者の拘束を進めた。9月末の占拠開始以来2カ月半続いたデモは事実上、収束に向かう見通しになった。

 中国も香港政府も民主派が求める国際基準に沿った普通選挙の実現に応じることはなかった。しかし、「雨傘革命」の名を冠された運動は香港人の民主化への渇望を国際社会に広く伝えることにつながった。

 民主派は8月末に中国の全国人民代表大会(全人代=国会)が決めた2017年の行政長官選挙の選挙方法への反発からデモに動いた。立候補には指名委員会の半数の支持が必要で、民主派が排除される形になったからだ。

 民主派は当初、10月1日の中国の国慶節(建国記念日)からの占拠を計画していたが、警察が抗議集会に参加した学生らに催涙ガスなどを使ったことに反発が強まり、前倒しで占拠が始まった。催涙ガスを防ぐために学生らが使った「雨傘」が運動のシンボルになった。

 11年に米国で起きた「ウォール街占拠」運動に似た新しい形の大衆運動でもあった。明確な運動の指導者や指揮系統が存在せず、占拠地点は民主派リーダーらの思惑を超えて拡大した。民主派は全人代決定の撤回を求めたが、香港政府は取り合わず、対話や交渉は進まなかった。デモが長期化するにつれ、ビジネス街や繁華街の占拠に対する市民の支持が離れたことは否定できない。

 しかし、経済都市で政治には関心が薄いといわれてきた香港で若い世代が立ち上がった意味は大きい。中国や香港政府は民主化を求める若年層と長期間にわたって向き合わなければならなくなるからだ。

 中国は香港の制度、生活様式を50年間変えないという「1国2制度」に対する不信が高まったことがデモの背景にあることを直視すべきだ。「外国勢力の介入」を言い立てることは問題の本質から目をそらすことになる。

 民主化は中国自身の問題でもある。経済が発展し、利害関係が複雑化した社会で、公正さを担保し、人々の不満を吸収するには民主主義が最も合理的なシステムだ。香港を将来の中国の民主化のモデルと考える度量の広さを示せないものか。

 デモ参加者は排除を前に「我々は戻ってくる」というスローガンを掲げた。今回の事態が収束しても、民主化が進展しない限り、同様のデモが繰り返されるだろう。民主化の渇望を力で封じ込めることの難しさも歴史が証明している。


朝日新聞
(衆院選)沖縄の基地―終わった事ではない
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対して、先月の知事選に圧勝した翁長雄志(おながたけし)氏が、知事に就任した。

 翁長氏は再三、「(本土の)1億人は無関心、無理解でも生きていける。県民はそれでは生きていけない」と、沖縄に集中する米軍基地の問題の切実さを訴えてきた。就任会見では「日本の安全保障だからこそ、国民全体で考えてと訴えていきたい」と、全国に呼びかけた。

 新知事のアピールにもかかわらず、今回の衆院選でも、沖縄以外の場所で基地問題が語られることはほとんどない。

 1月の名護市長選、9月の名護市議選、11月の県知事選と県議補選(名護市区)。この1年、辺野古移設を争点とした沖縄の選挙は、いずれも反対派が制した。地元は「基地は受け入れない」という意思を発し続けているのだ。

 それなのに、政府は「移設はすでに知事の承認済み。粛々と進める」と、まるで決着がついたかのように振る舞う。

 翁長氏に敗れた移設容認派の前知事、仲井真弘多(なかいまひろかず)氏も退任目前、沖縄防衛局による移設計画の一部変更を承認。県民の猛反発を招いた。

 沖縄では衆院選の4選挙区すべてで、知事選と同様、移設容認派VS.移設反対派の構図となっている。土壇場の承認は、移設反対派の怒りに油を注いだ。

 一方、本土で辺野古移設は「沖縄の基地問題」として、遠くの見えない場所に置きざりにされている。

 海兵隊を沖縄に常駐させる軍事的メリットに、米国内からさえ疑問の声が上がり始めている。それでも移設推進を公約に掲げる自民党なら、せめて「辺野古移設が唯一の解決策」という自らの主張を全国民に問い、議論するべきではないか。

 亡くなる直前に沖縄を訪れた俳優の菅原文太さんは辺野古移設を批判してこう語った。

 「沖縄の風土も、本土の風土も、海も、山も、空気も、風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです」

 「そこに住んでいる人たち」の切実な民意と全国に広がる無関心――。そこをつなぐのが国政選挙の役割でもあろう。

 これから私たちが選ぶ政権が、地元民意と誠実に向き合えるのか。それとも、本土の無関心に乗じて「国防、安保政策は政府が決めること」と無視するのか。今回の衆院選には、そんな選択も含まれなければならないはずである。


朝日新聞
ヘイトスピーチ―社会も問われている
 京都市の朝鮮学校に対し、差別的言動を繰り返した「在日特権を許さない市民の会」(在特会)によるヘイトスピーチ(憎悪表現)について、「人種差別」と断じた大阪高裁の判決が最高裁で確定した。在特会側には、計1200万円を超す高額賠償金を支払う義務が生じる。

 最高裁は、「表現の自由の範囲内」とする在特会側の主張を退け、「主眼は在日朝鮮人に対する差別意識を世間に訴えることにあった」と認定した高裁判断を支持した。「排外主義は認めない」という世界共通の価値観を、日本の司法も共有する姿勢の表れとみるべきだ。

 在特会は朝鮮学校の周辺で拡声機や街宣車を使い、「朝鮮半島へ帰れ」などと聞くにたえない言葉を投げつけた。子どもたちの恐怖や精神的な被害は極めて大きく、もはや暴力とさえいえるレベルだった。

 今回の裁判では、在特会による朝鮮学校へのヘイトスピーチという特定の行為について賠償責任を認定し、日本も加盟する人種差別撤廃条約に照らして賠償額を引き上げた。一方で、ヘイトスピーチ一般について判断が示されたわけではない。

 それでも、人種差別を伴う罵声に高額の賠償を命じられるという司法判断が定着した意義は大きい。

 一方的な攻撃にさらされても声を上げられなかった被害者にとっては心強いだろう。これを機に、ヘイトスピーチを繰り返している団体は、人権侵害を伴うような街宣行為をきっぱりとやめるべきだ。

 日本にはヘイトスピーチを直接取り締まる法律はない。ドイツやフランスには、ヘイトスピーチや差別を先導する発言そのものを規制する法律がある。日本でも議員立法をめざす動きも出ている。

 差別を許さない社会をめざすのは当然だが、表現の自由との兼ね合いもある。どこで線引きをするのかなど、詰めるべき点も少なくないだろう。

 気がかりなのは「ヘイトスピーチを許さない」という社会的な合意が十分できているとは言い難いことだ。

 市民グループの調査では、ヘイトスピーチを伴うデモや街宣は、昨年1年間で360件以上あった。しかも地方に拡散しているという。ネット上では、外国人に対する憎悪の言葉が飛び交っている。

 ヘイトスピーチがなくならないのは、この国の社会に存在する隠れた差別感情の表出だと言えないだろうか。問われているのは私たち自身でもある。

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歯医者10分/東日本大震災から3年9か月/来年の運営計画/忘年会

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Au Japon, une veuve noire inculpée pour la mort de son quatrième mari
Les soupçons pèsent sur Chisako Kakehi. Arrêtée le 19 novembre dernier, la quinquagénaire japonaise a été inculpée ce mercredi pour le meurtre d'Isao Kakehi, son quatrième mari. Ce dernier est décédé en 2013 à l'âge de 75 ans, à la suite d'un dîner au restaurant. Selon les médecins légistes, il aurait été empoisonné au cyanure. Un poison que les enquêteurs ont trouvé lors de la fouille du domicile de la ≪veuve noire≫ présumée. Des accessoires nécessaires à l'administration de médicaments ainsi que des ouvrages médicaux ont aussi été saisis.
Soupçonnée de la mort de six autres de ses compagnons
Tout semble débuter avec le décès de son premier mari, en 1994. Alors âgé de 54 ans, il serait décédé des suites d'une maladie. Après sa mort, Chisako Kakehi a rencontré une dizaine d'hommes et s'est remariée à quatre reprises. Depuis, six d'entre eux sont décédés, ce qui n'a pas manqué d'interpeller les autorités.
Les morts suspectes reprennent en 2006 lorsque son nouveau mari, rencontré via une agence matrimoniale, succombe à une attaque cérébrale à l'âge de 69 ans. Son troisième mari a lui aussi connu une triste fin, décédant en 2008 à 75 ans. Par la suite, un petit ami meurt en 2008 tandis qu'en 2012, son fiancé décède en s'écroulant de sa moto. Des traces de cyanure ont été retrouvées lors de l'autopsie de ce dernier.
Ses partenaires, Chisako Kakehi les a rencontrés par le biais d'une agence matrimoniale. Elle avait précisé ne vouloir que des hommes âgés, fortunés, sans enfants et vivant seuls. Elle aurait également spécifié préférer une personne ≪avec une maladie≫.
Elle a touché 6,8 millions d'euros en assurance vie
Au total, cette ancienne banquière aurait touché un milliard de yens (6,8 millions d'euros) en assurance vie, biens immobiliers et dépots bancaires. Une somme plus que bienvenue pour cette ancienne banquière, qui a perdu une grande partie de sa fortune après avoir effectué des placements financiers hasardeux. Selon un média local, elle était endettée jusqu'au cou lorsqu'elle a épousé Isao Kakehi.
La principale intéressée plaide l'innocence. ≪Je veux savoir pourquoi toutes ces choses se produisent≫, disait-elle à un groupe de journalistes quelques mois avant son arrestation. Selon le Nikkan Sports Daily, elle était en relation avec plusieurs hommes au moment du décès de son quatrième mari.
≪Que ce soit bien clair, je ne suis pas le type de femmes qui cherche à tout prix à se marier. J'ai simplement rencontré des hommes qui en exprimaient le vif désir≫, s'est-elle défendue. Un avis qui n'est pas partagé par tous. ≪Nous pensons qu'elle l'a fait pour l'argent≫, a déclaré l'un des enquêteurs.

朝歯医者です.12月3日と同じく10分.でも今回は「年内には終わる」と言ってもらえて安心しました.
今日は東日本大震災から3年9か月で45回目の月命日になります.母に安心して見守って見守ってもらえるよう頑張ろうと思います.
昼過ぎから会議.食後眠くなって苦しかったのですが,会議の時は大丈夫.来年の予定です.とりあえずの案ということですが,4月からはまた忙しくなりそうです.今年度は9月からはかなりヒマだったのですが,来年度は少し仕事が入っています.例によってGグループへの文句.
近くで忘年会.少し早く着いたので風船などの準備を手伝いました.漢字ゲームや風船割りそしてマジックなど楽しかったです.日本酒は富翁と獺祭(だっさい)そして濁り酒がありました.マッサンからみで竹鶴もありましたが,少しなめる程度.デザートが美味しかったです.飲みすぎました.

三陸新報
サンタ姿で踊りを披露 おひさま保育園
 気仙沼市のおひさま保育園の園児たちが10日、最知西仮設住宅で入居する高齢者と交流した。サンタクロースの衣装で踊りなどを披露し、住民を元気づけた。
 クリスマスにちなみ、サンタクロースの衣装を身に着けた園児たちは、きんちゃくや手作りのオブジェを持って訪問。元気に踊りを披露すると、高齢者から「めんこいね」などの声があがるなど、和やかな時間を過ごした。
 同住宅の小野寺雅春会長(72)は「みんな笑顔になり、明るくなった」と、小さなサンタクロースの訪問を喜んだ。


岩手日報
3年9カ月、手掛かり諦めず 釜石署で不明者集中捜索
 釜石署(白鳥洵署長)は10日、釜石市の平田漁港付近の海岸で東日本大震災の行方不明者の集中捜索を行った。あれから3年9カ月。大事な人の「帰り」を待ち続けている家族らの思いに応えようと、署員は寒風に負けず懸命に手掛かりを探った。

 21人が参加。船を使い、これまで捜索したことがない半島部の海岸にも範囲を広げた。岩場や雑木林でスコップなどで石や土を掘り返し、ゴムボートから箱眼鏡で海中をのぞき込むなど必死の作業が続いた。

 阿部修士巡査長(30)は「少しでも地元や被災地の役に立ちたい。まだ行方不明の方が多いので、手掛かりを見つけられるよう集中して捜索する」と表情を引き締めた。

 県警によると、県内の行方不明者は1130人、同署管内(釜石市、大槌町)は579人。


毎日新聞
東日本大震災:津波で横倒しのビル解体始まる−−宮城・女川
 宮城県女川(おながわ)町で11日、東日本大震災の津波で横倒しになった「江島(えのしま)共済会館」の解体作業が始まった。作業員が資材を搬入し、コンクリートの飛散を防ぐ仮囲いを設置する準備を行った。解体工事は来年1月末に完了する予定。

 高さ約20メートルの津波に襲われた女川町中心部では、鉄骨4階建ての江島共済会館などビル3棟が土台から引き抜かれ、横倒しになった。同会館は同町の離島・江島島民の宿泊施設として利用されていた。被災後、津波の恐ろしさを伝える遺構として、女川を訪れる人が必ず立ち寄る場所になっていた。

 町は保存も検討したが、「旧女川交番」のみを残し、会館など2棟の解体を決めた。【文 佐々木順一】


石巻かほく
東松島市議会一般質問 野蒜海水浴場復活へ新年度調査
 東松島市議会は10日、一般質問を続行した。

 阿部秀保市長は新年度の観光施策の中で、東日本大震災後、遊泳禁止が続く野蒜海水浴場について「復活に向けた調査を早急に実施する」との考えを明らかにした。

 市の施策に対する市民の満足度などを把握するために実施した2014年度の「まちづくりアンケート」で満足度が低かった観光、雇用などの新年度対応の中で示した。

 市は本年度、今後10年間の観光振興方針となる「東松島市観光ビジョン」(仮称)の策定作業を進めている。阿部市長は方針について「市民、地域、企業が主役となる総合産業としての観光振興を目指す」と述べた。

 さらに「松島町としっかり連携し、4車線化で交通量が増える三陸道から宮戸、野蒜、旧矢本町まで観光客を引き込む」と答弁。「外国人観光客への対応や高台を含む野蒜地区での施策展開などを整理し、誘客に生かす。食や体験で感動を与えられる取り組みを強め、リピーター獲得につなげる」と強調した。


石巻かほく
震災伝承DVD完成 体験談、復興の道のり収録 東松島市教委
 東松島市教委は、東日本大震災の記録を映像にまとめたDVD「東松島市からのメッセージ〜震災を語り継ぎ未来を創造するために」を制作した。震災の記録を風化させず後世に伝え、国内外の防災・減災に役立ててほしいとの願いを込めた。

 市内の被災状況や市民の体験談、国内外からの支援、復旧・復興の道のり、環境未来都市構想といった未来に向けた取り組みなどを45分にまとめた。2012年度から市図書館が中心になり、収集、整理してきた写真や動画素材に、業者委託による撮影、取材、編集を加えて完成させた。

英語版も制作、海外に送付

 日本語版3000枚、英語版1500枚を制作した。市図書館や市民センターで見ることができるほか、小中学校の補助教材としての利用を想定している。さらに、県内市町村や市と災害協定を結んでいる法人、事業所などに配布する予定。英語版は、海外からの支援先に復旧復興状況の報告を兼ねて送付する。

 阿部秀保市長はDVD完成に当たって「まず避難することなど、伝えたいことが限られた時間の中にまとめられている。あらためて情報の共有、共助の大切さを確認できた」と話した。


NHK
仙台市28人被災地派遣へ
仙台市は、震災からの復興関連事業で職員が不足している沿岸の市や町を支援するため、来年度28人の職員を派遣することを決めました。
仙台市は今年度、石巻市と気仙沼市にあわせて3人の職員を派遣しています。こうした中仙台市は、市内の災害公営住宅の建設など主な事業がピークを過ぎたとして、復興関連事業などで職員が不足している、沿岸の自治体への職員の派遣を来年度大幅に増やすことを決めました。
派遣するのは、土木や建築など技術系の職員が中心で▽石巻市と気仙沼市にはそれぞれ6人、▽名取市に4人、▽塩釜市、多賀城市、東松島市、女川町、南三陸町にそれぞれ2人など、あわせて28人です。来年4月から1年間の予定で派遣します。
仙台市の奥山市長は、「仙台市としても職員に余力があるわけではないが、生活再建の部分については一定のめどがついたので、職員不足で苦労している被災自治体を支援することも、仙台市が復興で果たすべき役割だと考えている」と話しています。


NHK
震災から3年9か月 行方不明者を捜索
東日本大震災から11日で3年9か月です。
岩手県陸前高田市では、復興に向けたかさ上げ工事に伴って、土で埋まってしまう排水路で、初めての行方不明者の捜索が行われました。

岩手県内では、震災で今も1130人の行方が分からなくなっていて、警察は月命日の毎月11日の前後に集中捜索を行っています。このうち、207人が行方不明になっている陸前高田市では、海岸からおよそ1キロ離れた農業用の排水路で初めての捜索が行われました。
警察官12人が排水路から重機で取り除かれた泥をスコップや熊手を使ってかき分け、手がかりを探していました。
11日の捜索では、衣類やはがきなどが相次いで見つかり、警察は、洗ったうえで名前などの手がかりがないか、確認することにしています。
この排水路は、復興に向けたかさ上げ工事に伴って、来年度中に新たに付け替えられる予定で、土が盛られて埋まってしまうため、警察は工事に合わせて引き続き捜索を続ける予定です。
陸前高田市の出身で、震災のあと本人の希望で警視庁から移った大船渡警察署の山田拓利巡査部長は「今も多くの行方不明者がいるので、遺族の気持ちになって僅かな手がかりでも見つけていきたい」と話していました。


NHK
震災から3年9か月 祈りささげる
東日本大震災から3年9か月となる11日、津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市では、犠牲になった人たちに祈りをささげる人たちの姿がみられました。

石巻市沿岸にある南浜地区は、津波や火災などでおよそ400人が犠牲になりました。
震災から3年9か月となる11日は、朝から犠牲になった人たちに祈りをささげる人たちの姿がみられました。
このうち石巻市北上町の佐々木巌さん(73)は、当時68歳だった妹の赤坂節子さんが今も行方不明となっていて、海からほど近い節子さんの自宅の跡地を訪れ、残された玄関のタイルの破片に線香を供えて静かに手を合わせていました。
佐々木さんは月に3回から4回はこの場所を訪れるということで、「3年9か月がたっても妹のことは忘れられません。亡くなったこと自体、今も実感がありません」と時折、涙を流しながら話していました。
また、石巻市門脇地区では70代の女性が当時46歳だった長男の墓で線香を手向けて祈りをささげていました。
女性は「3年9か月がたってやっと落ち着いて手を合わせることができるようになりましたが、息子を頼りにしてきたので心細い思いもあります」と話していました。


毎日新聞
東日本大震災:被災地の子育てママ、助け合い 宮城の仮設住宅、広がる輪
 東日本大震災後、仮設住宅などで暮らす子育て中の母親たちの自助グループの活動が活発化している。避難生活が長引き、育児や家事などを1人で抱え込み、ストレスを募らせる母親は多い。「被災地の母親が本当に楽しめる場を自分で作ろう」と輪を広げている。

 宮城県石巻市北村の仮設住宅集会所で開かれた「MANA’S石巻ママサポート」料理教室。子ども連れの母親ら約20人が食事を楽しみながら会話を弾ませた。

 同会は昨年12月、石巻市の伊藤由香さん(35)が呼び掛け、発足した。伊藤さんは津波で自宅が流され、今も仮設住宅で暮らす。2〜6歳の子ども3人がいるが、仮設住宅は狭くて壁も薄く、子どもを怒る回数が増えた。ボランティアや支援団体がイベントを開いてくれるが、子どもが親から離れず、気が休まらないことも多いといい、母親同士が支え合うような活動ができないかと考えたという。

 活動は口コミで広まり、これまで参加した母親は約40人。「初めて気持ちをはき出せた」「前向きになれた」と好評だ。

 宮城県南三陸町では、昨年3月から被災した母親でつくるサークル「もこもこ」が活動を続ける。同町は保育施設や小児科が少ないなど、子育てのインフラが乏しく、「自分たちで環境を変えよう」と発足させた。

 メンバーは約30人。保育や風邪の予防策、パソコン教室などの講座も開く。サークル代表で2児の母、高橋志保さん(29)は「パソコンが使えるようになれば、子どもが小さいお母さんも在宅などで働けるようになる。『仕事の幅が広がった』という人もいる」と手応えを感じている。【山内真弓】


河北新報
気仙沼魚市場、高度衛生管理型で復活へ
◎整備計画まとまる 16年度末完成目指す

 気仙沼市は、東日本大震災で被災した市魚市場を高度な衛生管理型の市場とする整備計画をまとめた。壁で囲まれた閉鎖型の荷さばき場や鮮度保持のための低温売り場を新設し、衛生管理を徹底して地域ブランドを高める。事業費約160億円は国が負担し、2016年度末の完成を目指す。

 計画によると、閉鎖型の荷さばき場はマグロ、サメ、メカジキ水揚げ用の1棟(敷地面積約1万2000平方メートル)とカツオ、サンマ用の1棟(8700平方メートル)を建設する。いずれもプレキャストコンクリート製2階建てで、魚市場南側の岸壁沿いに配置する。
 現在水揚げした魚は屋外で荷さばきしているが、建物内に移して鳥の進入や直射日光による変質を防ぐ。マグロ用の棟内には、入札中の鮮度を保てるよう夏場でも15度前後の低温売り場1700平方メートルを備える。2階に見学コースやキッチンスタジオを設ける。
 国際的な食品衛生管理方式HACCP(ハサップ)にも対応でき、将来の認証取得も検討する。
 魚市場敷地を内陸側に約30メートル拡張して用地を確保し、トラックヤードや浄化施設も整備する。いずれの施設も来年以降に着工する予定。
 気仙沼市魚市場の水揚げ金額は13年が156億5400万円と、震災前(約225億円)の7割にとどまっている。市産業部の担当者は「魚市場の安全性を高めて水産業復興につなげたい」と話した。
 整備計画は市や水産関係者でつくる魚市場整備検討委員会で協議してきた。高度衛生管理型の魚市場は県内では石巻市、塩釜市、女川町にも整備される。


毎日新聞
大震災津波:横倒し江島共済会館の解体始まる 宮城・女川
 宮城県女川(おながわ)町で11日、東日本大震災の津波で横倒しになった「江島(えのしま)共済会館」の解体作業が始まった。作業員が資材を搬入し、コンクリートの飛散を防ぐ仮囲いを設置する準備を行った。解体工事は来年1月末に完了する予定。

 高さ約20メートルの津波に襲われた女川町中心部では、鉄骨4階建ての江島共済会館などビル3棟が土台から引き抜かれ、横倒しになった。同会館は同町の離島・江島島民の宿泊施設として利用されていた。被災後、津波の恐ろしさを伝える遺構として、女川を訪れる人が必ず立ち寄る場所になっていた。

 町は保存も検討したが、費用や付近のかさ上げ工事への支障も考慮して「旧女川交番」のみを残し、会館など2棟の解体を決めた。このうち薬局「女川サプリメント」は今年3月に解体された。【佐々木順一】


朝日新聞
岩手)仮設病院で笛演奏 大槌
仮設の建物で診療を続ける大槌町の県立大槌病院(岩田千尋院長)で9日、篠笛(しのぶえ)とフルートのミニコンサートがあった。

 神奈川県鎌倉市で人力車夫をしながら笛を演奏している田中涼二さん(37)が、東京の支援団体「リメンバー神戸アンド東日本」の主催する同病院への健康診断ツアーに参加。岩田院長から「異常なし」と結果を告げられた後、職員の求めで病院の廊下で5曲演奏した。

 クリスマスソングをフルートで、自作曲や復興支援ソング「花は咲く」を篠笛で奏でると、看護師や医師、患者ら約20人が「いやされるね」と口々に。岩田院長は「少し早いクリスマスプレゼントをありがとう」と感謝していた。


朝日新聞
(2014衆院選)「復興」見極める被災地
 東日本大震災の被災地では、衆院選の候補者が口々に「復興」を唱える。被災者は、一票を託す先を慎重に見極めようとしている。

 ■将来像 「候補者から伝わらない」

 津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市。かさ上げ用の土山のわきを8日朝、選挙カーが駆け抜けた。岩手3区の民主前職、黄川田徹氏(61)だ。

 震災で妻と長男、両親を亡くし、今も市内の仮設住宅で暮らす。住民に「寒くなると水道管が凍るから気をつけて」と語りかけた。

 前回衆院選は復興副大臣として臨んだが、今回は野党の一候補。復興のため国が25兆円を確保した集中復興期間(5年)が2015年度で終わる。「期間の延長を」と主張している。

 自民前職の橋本英教氏(47)も8日、沿岸部を回った。出身地の大船渡市で母親の実家が被災した。「道半ばだが、自公政権になって復興は加速した。被災地から野党を国会に送ったら大きなマイナス」と訴える。共産新顔の菊池幸夫氏(55)も被災地を回り、復興を訴える。

 陸前高田市ではかさ上げ工事が続く。今は仮設商店街で洋菓子店を営む菅野(かんの)秀一郎さん(38)は、土盛りが進められ、来年秋に完成する予定の商業エリアで店を再建するつもりだ。

 ただ、1200億円をかけて高台を造成し、街全体をかさ上げする工事は、18年度までかかる。集中復興期間が終わっても国は店の再建を支援してくれるのか。年配の店主らに不安が広がる。

 市は黄川田氏の県議時代からの地盤だが、菅野さんは「力がなければ絵に描いた餅になりかねないのも政治の現実」と思う。

 約2700世帯が避難暮らしを続ける釜石市。災害公営住宅で暮らす衣料品店長、池田多美子さん(47)は自宅や実家が流失し、親族が命を落とした。中学3年の息子との母子家庭だ。

 候補者らが訴える復興は、土地造成や防潮堤の整備ばかりと感じる。「本当の復興は、子どもが将来も住みたいと思う街ができること。どの政治家からも将来のビジョンが伝わってこない」

 (杉村和将、鈴木逸弘)

 ■公共事業 「本当に進められるのか」

 約4千人が犠牲になった宮城県石巻市。北海道から宮城5区に転じた自民前職、勝沼栄明氏(40)が4日夜、ホールでの演説会で声を張り上げた。「被災者にきめ細やかに対応するには中央とのパイプがしっかりしていなければ」

 その直前。別室では党総務会長の二階俊博氏(75)が、地元の建設業者らの要望に耳を傾けていた。二階氏は勝沼氏の演説会で登壇し、28分の演説のうち17分を「国土強靱(きょうじん)化」にあて、こう締めくくった。「復興のために尽力した建設業界の好意に党を挙げて応えると誓う」

 7期目を目指す民主前職の安住淳氏(52)は「どの集落でどんな人が被災し、いまどんな状況なのか分かっている」。人手や資材の不足で復興が遅れているとし、「安倍内閣は全国で公共事業をばらまいた。東京五輪もある。政策順位を間違えている」と主張する。

 共産新顔、高村直也氏(31)は災害公営住宅の建設促進を主張している。

 口々に「復興事業」を叫ぶ候補者たち。市内の仮設住宅に住む60代男性は「みな住宅建設など、復興事業の加速を訴えるが、本当に進められるのだろうか」と首をかしげる。 (加藤裕則)


朝日新聞
「美味しんぼ」単行本はセリフ修正 原発めぐり鼻血描写
 東京電力福島第一原発事故による放射線リスクを巡る描写が議論を呼んだ「週刊ビッグコミックスピリッツ」の人気漫画「美味(おい)しんぼ」(小学館)の単行本111巻「福島の真実2」が10日、発売された。主人公が鼻血を出す描写は残ったが、被曝(ひばく)との因果関係を巡る表現など10カ所以上が修正された。

 福島第一原発を訪れた後に鼻血が出た主人公が医者と話す場面では、医者の発言が「福島の放射線とこの鼻血とは関連づける医学的知見がありません」から「お話しの様子からでは原発見学で鼻血が出るほどの線量を浴びたとは思えません」に変わった。

 有識者が放射線の影響で鼻血が出るメカニズムについて説明を受けた主人公の発言は、「それで鼻の粘膜の細胞が破れて鼻血が出るんだ」から「鼻の粘膜が破れて血が出ることの、それも一つの説明だ」と断定を避けた。

 大学准教授が「福島がもう取り返しのつかないまでに汚染された」と発言した場面は、「震災前の政府の基準に従えば、住んではいけない所に多くの人が住んでいる」と修正された。

 編集部は巻末で「表現意図をより明確なものとするため、登場人物のセリフ等を一部修正しています」と説明。放射線の影響などについて、欄外や巻末に注釈を付けて解説している。

 原作者の雁屋哲さんは10日、問題に対する意見をまとめた本を来年1月に発売すると、自身のブログで発表した。小学館広報室は、休載中の連載について「再開は未定」としている。

 連載中の描写に対しては、福島県などが抗議。小学館は5月19日発売の誌面で、識者や関係機関の意見を集めた特集記事を掲載。編集長名で「ご批判、お叱りは真摯に受け止め、表現のあり方について今一度見直して参ります」と記していた。(大西元博)


朝日新聞
(衆院選)エネルギー政策―原発回帰でいいのか
 福島第一原発の事故から3年9カ月。現場では、地下水の流入による汚染水が今も増え続け、溶け落ちた核燃料は高い放射線量に阻まれて所在すらわからない。12万人の福島県民が住まいを離れ、まもなく4度目となる正月を避難先で迎える。

 衆院選は後半戦を迎えている。ただ、原発問題に関する論戦は盛り上がりを欠いている。公示日前日に日本記者クラブで開かれた党首討論でも、原発に関する党首間のやりとりは1回だった。

 有権者に、衆院選で重視する政策を尋ねると、景気・雇用対策が47%。原発再稼働は15%にとどまる。一方で、自民党は原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ、再稼働も国が前面に立って積極的に進める方針を示す。

 事故を契機に、政府は電力自由化へと大きくかじを切った。多様な事業者が切磋琢磨(せっさたくま)してサービスを競い、消費者側が電源を選べる新しい仕組みを導入する。しかし、このまま原発問題への関心が薄れれば、日本は新しいエネルギー社会をつくれなくなるのではないか。事故後、国民の過半が脱原発を選んだはずなのに、である。

■自由化の理念に逆行

 安倍政権の2年で、原発回帰は鮮明になった。

 原子力規制委員会の審査を通った原発はすべて動かす。事故後、周辺30キロの自治体にも避難計画の策定が義務化されたが、再稼働の協議の枠組みには入れない。その避難計画づくりについても、再稼働を前提にすると支援に力は入るが、「本当に実効性があるか」については目をつぶる。

 立地自治体に対して補助金を出す法律上の仕組みもそのままだ。原発に依存し、維持を求める自治体の経済的な動機が温存されている。

 原発で発電した電気を固定価格で買い取る制度の導入も検討中だ。電力自由化を進める際に利益を保証しないと、巨額の費用がかかる原発への投資を事業者がやめてしまうかもしれないからだという。事実上の原発保護策といっていい。

 そもそも、電力会社が地域ごとに市場を独占し、かかる費用を電気料金に転嫁する今の仕組みは、見直しの必要に迫られていた。

 競争による新しい技術やサービスの普及が遅れ、電力業界ばかりでなく、割高な電気料金となることを通じて社会全体の経済的な効率を損なってしまうためだ。原発事故で、大規模な電源に依存するもろさやリスクが明らかになって、見直しが加速した。

 その結果、料金の完全自由化や電力会社の送電部門と発電・小売り部門を分離する電力システム改革を進めることが決まった。新規参入を促し、新しい技術やサービスが生まれやすい社会にすることをねらう。

 新しい仕組みへと移る途上で政府が再稼働を後押しし、原発を保護すれば、新規参入する側にとっては、大きな壁となる。

■先送りできない現実

 安倍政権は、原発をベースロード電源として位置づける理由として、化石燃料ではエネルギーの安定供給につながらないことをあげる。輸入で多額のお金が国外に流出し、国際政治の影響も受けることを重く見る。そこに原発の優位性がある、という理屈だ。

 しかし、福島第一原発のように、放射能が外へ漏れるような大事故が起きれば、国土が狭い日本は壊滅的な打撃を受ける。損害賠償も巨額に達し、民間企業では抱えきれない電源であることは、事故後の東京電力を見れば明らかだ。

 原発をめぐっては、解決しなければならない問題が山積している。

 例えば、全国の原発から出た使用済み核燃料の扱いだ。

 全量を加工して再利用する核燃料サイクル事業は、技術面でも採算面でも行き詰まっており、開始のめどが立たない。

 いまは、多くの使用済み核燃料が安全性の低い燃料プールで保管されており、しかも容量が限界に近づいている。これをどうするのか。

■原点は福島第一に

 老朽化した原発の廃炉にも難題が立ちふさがる。解体した後に出る放射性廃棄物を最終処分する場所がない。公募から10年以上がたつが、何万年もの管理が必要な施設を、どこの住民も引き受けたがらない。事故後はなおさらだ。

 5日に日本記者クラブで会見した内堀雅雄・新福島県知事は「3・11以降いろんな議論が起きたが、今も続いているかというとそうでもない。福島が発信を続けないと本当の意味での国民的議論につながらないのではないか」と関心が薄れていくことに、危機感をにじませた。

 原発を見直す契機になった福島からの声に、私たちはどう応えるのか。一つ一つの課題への向き合い方が試されている。


東京新聞
衆院選 福島の被災者 苦悩を受け止めたのか
 原発事故の放射能汚染によって今も十二万人以上の福島県民が古里を離れている。事故から三年九カ月を経ても、生活再建の道筋を示さないのは政治の責任放棄だ。

 自民の安倍首相、民主の海江田代表は選挙戦の初日、福島県内で第一声を上げた。安倍氏は原発被災者のことを丁寧に語っていない。海江田氏も政府の原発再稼働を批判しただけだ。「福島重視」がパフォーマンスなら困る。各党は公約で「廃炉を着実に」「除染の加速」「汚染水対策」などと並べるが、抽象的な言葉だ。

 福島県の避難者のうち、四万六千人は県外に避難する。住み慣れた家や地域を失い、厳しい生活を強いられている。認知症やアルコール依存になる人が増え、苦痛から命を落とす「原発関連死」は千百人を超えた。苦悩に真剣に向きあった公約こそが競われるべきだ。

 政府は昨年末、放射線量が下がらないために、避難指定を外せない地域が残ると判断し、「全員帰還」の目標を諦めた。帰れない人には新たな住まいや働く場が必要だが、支援は十分といえない。

 賠償問題は大きな壁だ。浪江町の一万五千人は慰謝料増額を求めて政府機関の解決センターに集団で申し立て、一律月五万円増額の和解案を示された。だが、東電が拒んで前に進めない。東電は和解案の拒否を繰り返しており、加害者の態度として道理がない。

 賠償は地域に溝を生む。放射線量が避難解除要件の年二〇ミリシーベルトを下回ったとして今年、田村市や川内村の一部で避難解除されたが、住民感情は複雑だ。一年後に慰謝料は打ち切られる。放射能の影響が心配でも、避難先で生活費が続かず帰郷する人が少なくない。

 そもそも、除染が追いつかないために避難解除要件が年一ミリシーベルトから二〇ミリシーベルト以下に緩和されたことへの反発がある。人の命よりも帰還ありきとも映る、強引な政策は不安を増幅させるだけだ。

 避難指示区域外でも、福島市や郡山市の一部などでは線量が年一ミリシーベルトを上回る所がある。十分な支援も賠償も受けられずに取り残されている人が数多くいる。

 一昨年に超党派で成立した「子ども・被災者支援法」は地元に残っても、離れても、広く救済されると期待されたのに、骨抜きにされた。無策としかいいようがない。

 原発事故で苦しむ人のことをどれだけ自分の問題として引きつけ、一票を投じることができるか。私たち有権者も問われている。


朝日新聞
(特定秘密法)「廃止を」やまぬ声 施行、各地で反対集会
 国民の「知る権利」や人権を脅かすおそれが指摘されたまま、動き出した特定秘密保護法。10日、東京・首相官邸前など、各地で施行反対や廃止を訴えるデモや集会が開かれた。この日、安倍晋三首相は関西で遊説。「民主主義って何だ!」の声は、主(あるじ)不在の官邸に届いたのか。

 この日午前に官邸前であったデモには約350人(主催者発表)が参加。日弁連で秘密法対策を担う海渡雄一弁護士が「これまでの抗議で問題点を多くの市民と共有できた。廃止まで戦い続けよう」と呼びかけた。東京都日野市の警備員都筑高志さん(64)は「情報統制された戦前の記憶が薄れた結果だ。廃止を求める手を緩めない」。夜は学生ら約1700人(同)が抗議の声を上げ続けた。

 「秘密保護法なんて許さない」。名古屋・栄の久屋大通公園では、市民団体が集会を開き、ビラを配りながら訴えた。無職松原美佐子さん(66)は、「今回の選挙で秘密法は触れられない。政治家と国民の沈黙が信じられない」。

 大阪市中央区の自民党大阪府連前。約150人が「怒」「秘密はNO!」と書いたプラカードなどを持って並んだ。会社員の松尾孝子さん(53)は仕事帰りに加わり、「国民に十分な情報が開示されないまま、子どもの世代で戦争が始まらないか心配」と話した。

 一方、金沢弁護士会は10日夕に金沢市内で予定していた秘密法廃止を求める活動を中止した。石川県選挙管理委員会の「政治的な主義・主張に当たる」との見解を受け、選挙期間中の政治活動を禁じた公職選挙法に触れるおそれがあると判断したという。総務省選挙課の担当者は「(選管の見解は)あくまでもアドバイスで、判断は各団体に委ねている」とする。

 ■学生の会、デモ主導

 官邸前で異彩を放つデモを展開する若者たちがいる。秘密法に反対する学生有志の会「SASPL(サスプル)」。

 10日夜、中心メンバーの明治学院大3年、奥田愛基(あき)さん(22)はマイクを手に、「特定、秘密保護法、反対!」とヒップホップのリズムに合わせてデモをリードした。

 秘密法が成立した昨年12月6日夜も官邸前にいた。学生仲間らと秘密法を学び、秘密の指定や管理方法が他国と比べてずさんなことなどに疑問を感じたからだ。「このままじゃだめ。僕たちもはっきり意思表示しなければ」

 首都圏の学生ら約50人の緩やかな集まりで、デモへの参加を促すポスターは「言うことを聞かせる番だ。俺たちが」。活動をBGMに乗せたドキュメンタリー風に映像化し、ソーシャルメディアで発信する。

 共感した若者らが10月には渋谷に約2千人、今月9日夜には官邸前に約1千人集まった。施行後も活動を続けるつもりだ。「何度でも声を上げる」

 (吉浜織恵)

     ◇

 特定秘密保護法が施行されたことを受け、日本雑誌協会の「人権・言論特別委員会」と、日本書籍出版協会の「出版の自由と責任に関する委員会」は「国民が知るべき公の情報を得ることはより困難になる」との抗議声明を出した。


毎日新聞
ヘイトスピーチ:在特会街宣は人種差別 最高裁が上告棄却、賠償確定
 ヘイトスピーチで名誉を傷付けられたなどとして、京都朝鮮第一初級学校(現・京都朝鮮初級学校)を運営する京都朝鮮学園が、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と会員ら9人に賠償などを求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(山崎敏充裁判長)は9日付で、在特会側の上告を棄却する決定を出した。街頭宣伝活動を人種差別と認め、在特会側に約1200万円の賠償を命じた1、2審判決が確定した。【川名壮志】

 在日朝鮮人に対するヘイトスピーチを人種差別と認定した判断が最高裁で確定したのは初めてとみられる。在特会の活動に影響を与えそうだ。

 1、2審判決によると、在特会の会員らは2009年12月〜10年3月、当時は京都市南区にあった第一初級学校が、隣接する市管理の公園を運動場として不法占拠しているとして、学校の周辺で計3回の街宣を実施。「朝鮮学校を日本からたたき出せ」「スパイの子ども」などと演説し、その様子を撮影した動画をインターネット上で公開した。

 1審・京都地裁判決(13年10月)は、街宣が学校のスピーカーや朝礼台の撤去などの実力行使を伴い、平日の授業中に実施されたことなどから、具体的損害を伴う人種差別だとしたうえで「人種差別撤廃条約に違反し、賠償額は高額にならざるをえない」と判断。校舎の半径200メートル以内の街宣も禁じた。

 2審・大阪高裁判決(14年7月)も「在日朝鮮人を排除し、日本人や他の外国人と平等の立場で人権を享有することを妨害した人種差別で、社会的偏見や差別意識を助長し増幅させる悪質な行為」と指摘。「政治活動で公益目的」とする在特会側の主張を退けた。

 街宣を巡っては、訴訟の被告でもある会員ら4人が威力業務妨害容疑などで逮捕され、全員有罪が確定している。朝鮮学校の当時の校長も、公園に無断でサッカーゴールを置いたとして都市公園法違反で罰金刑を受けた。


毎日新聞
ヘイトスピーチ:在特会街宣は人種差別 最高裁が上告棄却、賠償確定 保護者「やっと終わった」
 最高裁が在特会側の上告を退けたことを受け、学校関係者と弁護団らが10日、京都市中京区で記者会見した。

 学校を運営する京都朝鮮学園理事の柴松枝(シソンジ)さん(72)は、2010年6月の提訴からの4年半を振り返り「在日朝鮮人の民族教育の実践と、そこで学ぶ子どもたちの安全を守ろうとする司法の毅然(きぜん)とした態度の表れとして歓迎する」とするコメントを読み上げた。

 小学生の長女が当時学校に通っていた金秀煥(キムスファン)さん(38)=京都市南区=は「ずっと不安と葛藤の毎日を送ってきた。『やっと終わった』というのが率直な思いだ」と語った。

 在特会のメンバーらは今月7日、京都市中心部で、朝鮮学校への街宣活動開始から「5周年」と称してヘイトスピーチデモを実施。こうした動きに触れ、弁護団の冨増四季弁護士は「今回の司法判断にとどまらず、今後、教育や職場などあらゆる機会を通じ、民族差別をなくす取り組みを続けていく必要がある」と話した。【松井豊】


朝日新聞
「あなたはこの国に必要ない」心えぐるヘイトスピーチ
 大阪・鶴橋など各地で続くヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)。中傷の対象にされている在日コリアンはどう感じているのだろう。NPO法人が関西在住の16人から聞き取り調査したところ、在日の人々が心の傷を受けている実態が浮かび上がった。「日本社会が変わってしまった」と戸惑う人も少なくない。

 調査したのは弁護士や研究者ら700人超でつくるNPO「ヒューマンライツ・ナウ」(東京)。メンバー7人が4〜7月、個別に面談して体験を聞き、11月にまとめた。

 10代の女性は、ネットでヘイトスピーチの動画を見ても「別世界のこと」と感じていた。街頭で初めて目にした時、衝撃を受けた。話し合おうと参加者に声をかけると、「あなたはこの国に必要ない。帰ってください」と言われた。

 50代の男性は、大阪・鶴橋で昨年2月にあった街頭宣伝を動画サイトで見た。中学生くらいの少女が拡声機で「鶴橋大虐殺を実行しますよ」「いい加減帰れー」と叫んでいた。「吐き気がした」

 この街宣を現場で見た別の50代男性は「存在が否定されたと思い、体が震えて心臓がドキドキした」「(朝鮮人虐殺が起きた)関東大震災が頭をよぎった」と振り返った。

 社会の空気の変化を感じ取る人もいる。30代女性は、飲食店の隣のテーブルから「ヘイト的言動」が聞こえてきて、ビクッとすることがある、と語った。かつて内輪だけで話していたものが公然と表に出てきたのではないか――。前出の2人とは別の50代男性はそう考えているという。「目撃しているのに(市議会)議員は何も言わず、笑っていた」(別の30代女性)など、社会が黙認していると不信感を抱く人もいた。

 子どもへの影響を心配する声も目立った。50代女性は、帰宅した中学生の息子が「早く大人になって帰化する」と話した体験を明かした。コンビニ店に買い物に出かけ、デモを目にしたという。鶴橋の街宣を目撃した50代男性は「本名を名乗る子どもは外出したり、日本人に名前を伝えたりするのを怖がるようになった」と答えた。

 調査に協力したNPO「コリアNGOセンター」(大阪市生野区)にも「小学生の子どもから『朝鮮人ってあかんことなん』と聞かれた」という母親からの相談などが寄せられている。在日3世の金光敏(キムグァンミン)事務局長(43)は「世情が変わったと感じている人は多い。特に子どもを持つ親は『社会は助けてくれず、自分たちで守るしかない』と悲壮な覚悟を迫られている」と話す。

 最高裁の9日付決定で、京都の朝鮮学校そばでのヘイトスピーチを人種差別と認定し、損害賠償を命じた大阪高裁判決が確定した。ヒューマンライツ・ナウ理事で、調査に加わった雪田樹理弁護士(大阪弁護士会)は「街頭デモなど不特定多数に向けられたヘイトスピーチの歯止めにはならない。包括的に差別を禁じる基本法を作って法的にヘイトスピーチを規制し、差別の扇動を許さないというメッセージを社会に送る必要がある」と話す。

 13日午後5時から大阪市中央区谷町2丁目の「CANVAS谷町」で調査報告がある。参加費500円。問い合わせはメール(hrn_kansai@yahoo.co.jp)へ。(中野晃)

■各党、法規制は足並みそろわず

 平和・人権問題に取り組む約20の市民団体などでつくる「外国人人権法連絡会」(東京)は衆院選前、ヘイトスピーチに関して主要政党にアンケートした。

 「国が具体的な対策を策定する必要性」についての質問に自民、民主、維新、公明、共産、社民の各党が「必要」と回答。「人種差別撤廃基本法等の制定」の賛否を問う質問では自民が「検討中」、維新が「党としての立場は未定」、公明が「現段階では賛成、反対のいずれでもない」とし、民主、共産、社民は「賛成」だった。

 次世代は二つの質問について「結論が出ていません」と回答。生活と改革は11月28日までに回答がなかった。

     ◇

 〈ヘイトスピーチ〉 人権問題に詳しい丹羽雅雄(にわまさお)弁護士(大阪弁護士会)によると1980年代、米国で非白人や同性愛者らへの差別事件が多発したことを背景にできた概念。人種や民族などの属性を理由に、社会的少数派への差別や憎悪をあおる表現を指す。国連の人種差別撤廃委員会は8月、日本政府に対し、毅然(きぜん)とした対処や法規制を求める「最終見解」を出した。自民、公明両党は対策を検討するプロジェクトチームを作り、民主など超党派の議員連盟が「人種差別撤廃基本法案」の立法化を目指したが、衆院選で作業は中断している。ドイツでは刑法で特定民族への憎悪をあおる行為を禁じるなど、欧州を中心に法規制している国がある。

朝日新聞
(天声人語)特定秘密保護法が施行
 真実でないとすぐにわかるウソなら、可愛げもある。つかれた方は笑ってやり過ごす。ついた方もさほどやましさを感じない。だが、ウソをあくまでつき通すとなると、事態は往々深刻になる▼1972年の沖縄返還をめぐる日米密約にかかわったのに、その存在を否定し、「国会で何度もウソを言っていた」。元外務省アメリカ局長の吉野文六(ぶんろく)さんは2006年、本紙にそう語った。「良心の呵責(かしゃく)を覚えなくてすむ」よう、自分のしたことを忘れようとしていた、とも。後ろめたさのある心中の率直な吐露だ▼72年、密約の存在を示唆する機密電文を手に入れた記者が逮捕され、後に有罪が確定した。一連の経緯から引き出した教訓を、吉野さんの告白当時に検事総長だった松尾邦弘さんが、きのうのオピニオン面で語っている▼いわく「国家権力は、場合によっては、国民はもちろん、司法に対しても積極的に噓(うそ)を言う。そういうことが端無(はしな)くも歴史上、証明されたのが密約事件です。歴史の中で、あそこまで露骨に事実を虚偽で塗り固めて押し通したものはありません」▼自身も権力の中枢にいただけに、迫力と説得力がある。権力は時に真実を隠し、歴史を歪曲(わいきょく)しようとする。その本性(ほんせい)を改めて銘記しておく必要を感じる。吉野さんが密約を認めても、政府はなお文書は存在しないと言い続けている▼特定秘密保護法がきのう、施行された。松尾さんは、秘密漏洩(ろうえい)にはこれまでにある法律で十分対処できると見る。深くうなずく。

朝日新聞
自ら火、訴えたかったのは 日比谷の男性焼身自殺1カ月
 ある初老の男性が、東京・日比谷公園で自分の体に火を放ち、命を絶った。現場には一台のビデオカメラ。そして「抗議文」が残されていた。それから1カ月。男性は何を訴えたかったのか。

 10日午後6時半。日比谷公園に約30人が集まった。ろうそくなどを並べ、男性の死に、黙禱(もくとう)を捧げた。

 「事件」が起きたのは1カ月前のほぼ同じ時刻だった。11月11日、木々に囲まれた広場の真ん中で、男性は自らが映るようにカメラを置くと、油をかぶり、火をつけた。

 《集団的自衛権容認に基づく安保法制の立法準備及びガイドライン再改定などを即刻やめよ》《沖縄の辺野古・高江の基地建設を今すぐ中止を》。カメラに貼られた「抗議文」は衆参両院議長と安倍晋三首相に宛てられ、「新田進」とペンネームを記していた。

 ペンネームを手がかりに浮かんだ男性は、まじめさと熱情が同居する人だった。

 都内に住む60代。数年前まで裁判所に勤めていた。そのかたわら、ペンネームで様々な活動をしていた。その一つが映画作りだった。

 1995年に沖縄で起きた少女暴行事件。抗議のため8万人以上が集まった県民大会に足を運び、「軍隊のない、悲劇のない、平和な島をかえして」と訴える声にレンズを向けていた。他にも社会派の作品を10あまり撮った。企画、演出、撮影を1人でこなすことが多く、小さな集会場などで自主上映した。原発や憲法について考える市民団体にも加わっていた。今年6月には、団体が発行している新聞紙上で集団的自衛権の行使を認める閣議決定方針を「断固許さない」と書いた。

 「かといって、デモで先頭に立つタイプじゃない。むしろ裏方タイプ」と古い知り合いは言う。閣議決定後にあった抗議集会では、机の搬入などの会場設営に動き回った。そのイメージと「焼身自殺」がかみ合わないと、友人らは驚く。

 じつは最近、重い病を抱え、活動を制限していた。周囲の知人らは、夜間の活動を控えるようになった本人に対し、病名をたずねることもなく、気遣いながら接し続けていた。

 最期の日。日比谷公園近くの国会周辺では「総がかり包囲行動」と銘打って、約7千人が集団的自衛権などへの抗議の声をあげていた。ある知人は「彼なりに、一番激しい形で怒りを表現しようとしたのだろう」という。現場に残されたカメラは、好きだった映画作りに使っていたものだった。(清水大輔、甲斐弘史)


毎日新聞
民意どこへ:2014衆院選 さまよう「脱原発」票 抗議行動を続ける人々、野党に「道筋示せ」
 東京電力福島第1原発事故後2回の国政選挙はいずれも原発維持に傾く自民党が圧勝した。一方で、毎日新聞の世論調査(9月実施)では、再稼働に反対という人が依然6割弱を占める。脱原発を求める人々は何を思うのか。毎週金曜日に首相官邸前で続く抗議行動の現場で探った。【関谷俊介】

 5日夜、東京・永田町。凍える手に息を吐きかけながら、「川内原発(鹿児島県)再稼働反対!」「原発ゼロを撤回するな!」と声をそろえる人々の姿が街灯に照らされていた。「原発をなくせったって、野党から対案が出てこないでしょ」。自民党支持という警備員の男性(70)がその横を足早に通り過ぎる。

 政権を取り戻した2012年衆院選で、自民党は「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立」を公約に掲げていた。だが今回の公約にその文言はなく、原発再稼働に前のめりだ。「自民党の暴走を止めたい。民主党にしっかりやってほしい」。通りかかった保育園理事長の男性(65)はそう話す。

 だが民主党も政権時代の12年6月に大飯原発(福井県)の再稼働を決めた。その後、脱原発を求める世論を受けて「30年代原発稼働ゼロ」の目標を定めたが、閣議決定は見送られた。「電力系労組の支援もある。民主党は本当に原発に反対なのって思ってしまう」。抗議行動に参加する男性(72)は落胆を込めて言う。

 「どこに入れたらいいか、困るんだよねえ」。抗議行動に参加して楽器を打ち鳴らしていた男性(68)は投票先を迷っていた。原発稼働即時ゼロを掲げるのは、共産党や社民党。だが「稼働させないにしても既に出てしまった使用済み核燃料をどう処分するのか具体的な道筋を示してほしい」と要望する。

 主催団体のミサオ・レッドウルフさんによると、2年9カ月続く抗議行動の最盛期は大飯原発再稼働前後。「悪く言えば、当時に比べて危機感が薄れた。でも、今も続いているのは活動が安定している証拠。何より自分たちの考えを可視化することが重要だと思っている」という。

 月1回ほど参加している男性(64)は話す。「投票には行きますよ。たとえ票が無駄になっても意思表示できる機会です。投票もやめてしまったら、民主主義自体が壊れてしまうでしょう」

 抗議行動が終わりに近づくころ、集団から離れた女性(49)に話しかけた。「今日初めて仕事帰りに寄りました。原発、このままでいいのかなって思って」。投票に行くかを尋ねると、さっぱりした顔で言った。「今日も私一人だけでは変わらないと思ったけれど、声を出しました。選挙も同じ。たとえ1票でも入れなければ何も変わりません」

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マララさん ノーベル平和賞受賞演説

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Nobel Lecture by Malala Yousafzai
Bismillah hir rahman ir rahim. In the name of God, the most merciful, the most beneficent

Your Majesties, distinguished members of the Norweigan Nobel Committee, dear sisters and brothers, today is a day of great happiness for me. I am humbled that the Nobel Committee has selected me for this precious award.

Thank you to everyone for your continued support and love. I am grateful for the letters and cards that I still receive from all around the world. Reading your kind and encouraging words strengthens and inspires me.

I would like to thank my parents for their unconditional love. Thank you to my father for not clipping my wings and for letting me fly. Thank you to my mother for inspiring me to be patient and to always speak the truth- which we strongly believe is the real message of Islam.

I am very proud to be the first Pashtun, the first Pakistani, and the first young person to receive this award. I am pretty certain that I am also the first recipient of the Nobel Peace Prize who still fights with her younger brothers. I want there to be peace everywhere, but my brothers and I are still working on that.

I am also honoured to receive this award together with Kailash Satyarti, who has been a champion of children's rights for a long time. Twice as long, in fact, than I have been alive. I am also glad that we can stand together and show the world that an Indian and a Pakistani can be united in peace and together work for children's rights.

Dear brothers and sisters, I was named after the inspirational Pashtun Joan of Arc, Malalai of Maiwand. The word Malala means "grief stricken", "sad", but in order to lend some happiness to it, my grandfather would always call me Malala – The happiest girl in this world and today I am very happy that we are standing together for an important cause.

This award is not just for me. It is for those forgotten children who want education. It is for those frightened children who want peace. It is for those voiceless children who want change.

I am here to stand up for their rights, raise their voice ... it is not time to pity them. It is time to take action so it becomes the last time that we see a child deprived of education.

I have found that people describe me in many different ways.

Some people call me the girl who was shot by the Taliban

And some, the girl who fought for her rights

Some people, call me a "Nobel Laureate" now

As far as I know, I am just a committed and stubborn person who wants to see every child getting quality education, who wants equal rights for women and who wants peace in every corner of the world.

Education is one of the blessings of life—and one of its necessities. That has been my experience during the 17 years life. In my home in Swat Valley, in the north of Pakistan, I always loved school and learning new things. I remember when my friends and I would decorate our hands with henna for special occasions. Instead of drawing flowers and patterns we would paint our hands with mathematical formulas and equations.

We had a thirst for education because our future was right there in that classroom. We would sit and read and learn together. We loved to wear neat and tidy school uniforms and we would sit there with big dreams in our eyes. We wanted to make our parents proud and prove that we could excel in our studies and achieve things, which some people think only boys can.

Things did not remain the same. When I was ten, Swat, which was a place of beauty and tourism, suddenly changed into a place of terrorism. More than 400 schools were destroyed. Girls were stopped from going to school. Women were flogged. Innocent people were killed. We all suffered. And our beautiful dreams turned into nightmares.

Education went from being a right to being a crime.

But when my world suddenly changed, my priorities changed too.

I had two options, one was to remain silent and wait to be killed. And the second was to speak up and then be killed. I chose the second one. I decided to speak up.

The terrorists tried to stop us and attacked me and my friends on 9th October 2012, but their bullets could not win.

We survived. And since that day, our voices have only grown louder.

I tell my story, not because it is unique, but because it is not.

It is the story of many girls.

Today, I tell their stories too. I have brought with me to Oslo, some of my sisters, who share this story, friends from Pakistan, Nigeria and Syria. My brave sisters Shazia and Kainat Riaz who were also shot that day in Swat with me. They went through a tragic trauma too. Also my sister Kainat Somro from Pakistan who suffered extreme violence and abuse, even her brother was killed, but she did not succumb.

And there are girls with me, who I have met during my Malala Fund campaign, who are now like my sisters, my courageous 16 year old sister Mezon from Syria, who now lives in Jordan in a refugee camp and goes from tent to tent helping girls and boys to learn. And my sister Amina, from the North of Nigeria, where Boko Haram threatens and kidnaps girls, simply for wanting to go to school.

Though I appear as one girl, one person, who is 5 foot 2 inches tall, if you include my high heels. I am not a lone voice, I am many.

I am Shazia.

I am Kainat Riaz.

I am Kainat Somro.

I am Mezon.

I am Amina. I am those 66 million girls who are out of school.

People like to ask me why education is important especially for girls. My answer is always the same.

What I have learnt from the first two chapters of the Holy Quran, is the word Iqra, which means "read", and the word, nun wal-qalam which means "by the pen"?

And therefore as I said last year at the United Nations, "One child, one teacher, one pen and one book can change the world."

Today, in half of the world, we see rapid progress, modernisation and development. However, there are countries where millions still suffer from the very old problems of hunger, poverty, injustice and conflicts.

Indeed, we are reminded in 2014 that a century has passed since the beginning of the First World War, but we still have not learnt all of the lessons that arose from the loss of those millions of lives a hundred years ago.

There are still conflicts in which hundreds of thousands of innocent people have lost their lives. Many families have become refugees in Syria, Gaza and Iraq. There are still girls who have no freedom to go to school in the north of Nigeria. In Pakistan and Afghanistan we see innocent people being killed in suicide attacks and bomb blasts.

Many children in Africa do not have access to school because of poverty.

Many children in India and Pakistan are deprived of their right to education because of social taboos, or they have been forced into child labour and girls into child marriages.

One of my very good school friends, the same age as me, had always been a bold and confident girl and dreamed of becoming a doctor. But her dream remained a dream. At age of 12, she was forced to get married and then soon had a son at an age when she herself was a child – only 14. I know that my friend would have been a very good doctor.

But she couldn't ... because she was a girl.

Her story is why I dedicate the Nobel Prize money to the Malala Fund, to help give girls everywhere a quality education and call on leaders to help girls like me, Mezun and Amina. The first place this funding will go is where my heart is, to build schools in Pakistan—especially in my home of Swat and Shangla.

In my own village, there is still no secondary school for girls. I want to build one, so my friends can get an education—and the opportunity it brings to fulfil their dreams.

That is where I will begin, but it is not where I will stop. I will continue this fight until I see every child in school. I feel much stronger after the attack that I endured, because I know, no one can stop me, or stop us, because now we are millions, standing up together.

Dear brothers and sisters, great people,who brought change, like Martin Luther King and Nelson Mandela, Mother Teresa and Aung San Suu Kyi, they once stood here on this stage. I hope the steps that Kailash Satyarti and I have taken so far and will take on this journey will also bring change – lasting change.

My great hope is that this will be the last time we must fight for the education of our children. We want everyone to unite to support us in our campaign so that we can solve this once and for all.

Like I said, we have already taken many steps in the right direction. Now is the time to take a leap.

It is not time to tell the leaders to realise how important education is - they already know it - their own children are in good schools. Now it is time to call them to take action.

We ask the world leaders to unite and make education their top priority.

Fifteen years ago, the world leaders decided on a set of global goals, the Millennium Development Goals. In the years that have followed, we have seen some progress. The number of children out of school has been halved. However, the world focused only on expanding primary education, and progress did not reach everyone.

Next year, in 2015, representatives from around the world will meet at the United Nations to decide on the next set of goals, the Sustainable Development Goals. This will set the world's ambition for generations to come. Leaders must seize this opportunity to guarantee a free, quality primary and secondary education for every child.

Some will say this is impractical, or too expensive, or too hard. Or even impossible. But it is time the world thinks bigger.

Dear brothers and sisters, the so-called world of adults may understand it, but we children don't. Why is it that countries which we call "strong" are so powerful in creating wars but so weak in bringing peace? Why is it that giving guns is so easy but giving books is so hard? Why is it that making tanks is so easy, but building schools is so difficult?

As we are living in the modern age, the 21st century and we all believe that nothing is impossible. We can reach the moon and maybe soon will land on Mars. Then, in this, the 21st century, we must be determined that our dream of quality education for all will also come true.

So let us bring equality, justice and peace for all. Not just the politicians and the world leaders, we all need to contribute. Me. You. It is our duty.

So we must work ... and not wait.

I call upon my fellow children to stand up around the world.

Dear sisters and brothers, let us become the first generation to decide to be the last.

The empty classrooms, the lost childhoods, wasted potential—let these things end with us.

Let this be the last time that a boy or a girl spends their childhood in a factory.

Let this be the last time that a girl gets forced into early child marriage.

Let this be the last time that an innocent child loses their life in war.

Let this be the last time that a classroom remains empty.

Let this be the last time that a girl is told education is a crime and not a right.

Let this be the last time that a child remains out of school.

Let us begin this ending.

Let this end with us.

And let us build a better future right here, right now.

Thank you.

<マララさん>ノーベル平和賞受賞演説全文
 ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんがノルウェー・オスロで行った演説のテキスト全文は次の通り。(敬称略)
 慈悲深く慈愛あまねき神の御名(みな)において。
 陛下、ノルウェー・ノーベル賞委員会の皆さま、親愛なる姉妹や兄弟たち、本日は私にとって本当に幸せな日です。ノーベル賞委員会にこの貴重な賞の対象に選んでいただき、恐れ多い気持ちです。

 支援と愛情を与え続けてくださる全ての方に感謝します。世界中から今も届く手紙やカードをありがたく思っています。優しい励ましの言葉を読んで私は元気づけられ、鼓舞されています。
 無償の愛を注いでくれる両親にも感謝したいと思います。私の翼を折らずに羽ばたかせてくれた父に感謝します。忍耐強くなることを教え、どんな時も真実を話すよう励ましてくれた母に感謝します。それがイスラムの真の教えだと強く信じています。

 私は最初のパシュトゥン人、最初のパキスタン人、最初の若者としてこの賞を受けることをとても誇りに思います。きっと、いまだに弟たちとけんかしている最初のノーベル平和賞受賞者でもあるでしょう。あらゆる場所が平和になることを望んでいますが、私と弟たちはまだ努力している途中です。

 私はまた、子どもの権利擁護に長年取り組んできたカイラシュ・サトヤルティとこの賞を分かち合えて光栄に思います。彼が取り組んできた時間は、私が生きてきた時間の実に2倍もの長さです。私たちが力を合わせ、1人のインド人と1人のパキスタン人が平和的に団結し、子どもの権利のために共に取り組めると世界に示せることもうれしいです。

 親愛なる兄弟や姉妹たちよ。私の名前はパシュトゥン人のジャンヌ・ダルクである(民族的英雄)マイワンドのマラライにちなんで付けられました。マララという言葉は、「悲嘆に暮れた」「悲しい」といった意味です。でも、私の祖父は少しでも幸せを呼ぶようにいつも「マララ、この世界で一番幸せな女の子」と呼んでくれました。そして本日、重要な目的に向かって私たちは共に立ち上がっており、私は本当に幸せです。

 この賞は私だけのものではありません。教育を求める、忘れ去られた子どもたちのためのものです。平和を求める、おびえた子どもたちのためのものです。変革を求める、声なき子どもたちのためのものです。
 私は子どもたちの権利のために立ち上がり、子どもたちに声を上げてもらうためにここにいます。今は彼らを哀れむときではありません。教育を奪われた子どもを目にするのが最後となるよう行動に移すときなのです。

 私は人々が私のことをさまざまな表現で語ることに気付きました。
 ある人たちは、タリバンに撃たれた少女と呼びます。
 権利のために闘った少女と呼ぶ人もいます。
 今では「ノーベル賞受賞者」と呼ぶ人もいます。

 私が知る限り、私はただ全ての子どもが良質の教育を受けるよう望み、女性が平等な権利を得られるよう望み、世界の隅々まで平和であるよう望む、一生懸命で頑固な人間にすぎません。

 教育は人生の恵みの一つであり、人生に欠かせないものの一つでもあります。これは私の人生、17年間の経験で分かったことです。私の故郷であるパキスタン北部のスワト渓谷で、私はいつも学校を愛し、新しいことを学ぶことを愛していました。特別な日には、友達と植物ヘナの色素で手を彩ったことが思い出されます。花や模様ではなく、数学の公式や方程式を描いたものでした。

 私たちは教育を渇望していました。なぜなら私たちの未来はまさに教室にあったからです。私たちは一緒に座り、本を読み、学んだものでした。私たちはこぎれいな学校の制服を着るのが好きで、大きな夢を見ながら座っていたものです。私たちは、両親に誇りに思ってほしかった。私たちも勉強で秀でて、いろいろなことを成し遂げられると証明したかったのです。男の子にしかできないと思っている人もいますから。

 物事は同じようには続きませんでした。私が10歳の時、風光明媚(めいび)な観光地スワトは、突如としてテロの舞台となりました。400以上の学校が破壊され、女の子は学校に通うのを禁じられました。女性はむちで打たれ、罪のない人々が殺されました。私たちの誰もが苦しみました。そして私たちの美しい夢は、悪夢に変わったのです。
 教育は、権利から犯罪へと変わりました。
 しかし、私の世界が突然変わった時、私の中の優先順位も変わりました。
 私には二つの選択肢がありました。一つ目は、沈黙したまま殺されるのを待つこと。二つ目は、声を上げて殺されること。私は後者を選びました。声を上げることにしたのです。
 テロリストは私たちを止めようとし、2012年10月9日に私と私の友達を襲撃しました。でも、彼らの銃弾は勝てませんでした。
 私たちは生き延びました。そしてその日から、私たちの声はより大きくなる一方でした。

 私が自分の話をするのは、それが特別だからではなく、むしろ特別ではないからなのです。
 多くの少女に共通した話なのです。
 本日、私は彼女たちの話もします。ここオスロには、私と同じ経験をした友達や、パキスタン、ナイジェリア、シリアの友達も来てくれています。私の勇敢な同志であるシャジアとカイナト・リアズは、あの日スワトで私と共に銃撃されました。彼女たちも痛ましいトラウマを経験しました。パキスタンから来てくれたカイナト・ソムロはひどい暴力と虐待に苦しみ、兄弟が殺されましたが、屈することはありませんでした。

 そして、私がマララ基金の活動を通じて出会い、今では姉妹のような少女たちです。シリア出身の勇敢な16歳のメゾン、彼女は今ヨルダンの難民キャンプに暮らし、テントを回りながら女の子や男の子たちが学ぶのを手助けしています。私の親友のアミナはナイジェリア北部出身です。そこでは(イスラム過激派)ボコ・ハラムが、ただ学校に行きたいと願っている少女たちを脅し、拉致しています。

 私はハイヒールの高さを加えても身長約157センチです。1人の少女、1人の人間としてここにいますが、1人で声を上げているわけではありません。私は大勢(の代弁者)なのです。
 私はシャジアです。
 私はカイナト・リアズです。
 私はカイナト・ソムロです。
 私はメゾンです。
 私はアミナです。私は学校に行けない6600万人の少女なのです。
 人々はよく私に、どうして教育が特に女の子にとって重要なのか尋ねます。私の答えはいつも同じです。
 私が(イスラム教の聖典である)コーランの最初の2章から学んだのはイクラという言葉で、「読みなさい」という意味です。そして「ペンによって」という意味のヌーン・ワルカラム。

 国連で昨年お話しした通り「1人の子ども、1人の教師、1本のペン、そして1冊の本が世界を変えられる」のです。
 今日、世界の半分では急速な発展や近代化、開発が見られます。しかし、非常に古い問題である飢餓や貧困、不公平、紛争で何百万人もがなお苦しんでいる国々があります。

 実際、第1次世界大戦から1世紀が過ぎた2014年ですが、100年前に何百万もの命を失った際の教訓を私たちが十分学んでいないことをあらためて思い知らされています。
 何十万もの罪のない人々が命を失う紛争が今もあります。シリアやガザ、イラクでは多くの家族が難民となっています。ナイジェリア北部ではいまだに学校に行く自由のない女の子たちがいます。パキスタンとアフガニスタンでは、自爆攻撃や爆弾で罪なき人々が殺されています。

 アフリカでは、多くの子どもたちが貧困のため学校に行けません。
 インドとパキスタンでは、多くの子どもたちが社会的なタブーのために教育の権利を奪われたり、児童労働を強制されたりしており、少女が児童婚を強いられたりもしています。

 私と同い年のとても仲の良い級友の1人は、勇敢で自信に満ちた少女で、医者になることを夢見ていました。しかし、彼女の夢は夢のままで終わりました。12歳で結婚させられ、彼女自身がまだ子どもだった時に息子を産みました。わずか14歳の時です。彼女はとても良い医者になっただろうと思います。
 でも、それはかないませんでした。彼女が女の子だったからです。
 彼女の話こそ、私がノーベル賞の賞金をマララ基金に託す理由です。世界中の女の子たちに質の高い教育を与える手助けをし、指導者たちに私やメゾンやアミナのような女の子を支援するよう呼び掛けるためです。この資金は最初に、私の心のよりどころであるパキスタン、特に私の故郷スワトとシャングラでの学校建設のために使われます。

 私の村では、いまだに女の子が通える中学校がありません。友達が教育を受け、夢をかなえるための機会を得られる学校を建てたい。
 私はそこから始めます。でも、それでおしまいではありません。全ての子どもたちが学校に行くのを見届けるまで、私は闘い続けます。銃撃されて死線をくぐり抜けた後、私はより強くなったと感じます。誰も私を、あるいは私たちを止められないと分かったからです。今や私たちは何百万人(もの仲間)になり、共に立ち上がっているからです。

 親愛なる兄弟、姉妹たちよ。変革をもたらした偉大な人々、例えば(米公民権運動指導者の)マーチン・ルーサー・キングや(南アフリカで黒人解放闘争を主導した)ネルソン・マンデラ、(貧しい人々の救済に尽くした修道女)マザー・テレサや(ミャンマーの民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チーは、かつてこの場に立ちました。彼らと同じように、カイラシュ・サトヤルティと私がこれまでしてきたことやこれから取り組むことが、長く続く変革をもたらしてほしいと思います。

 私の大いなる望みは、児童教育のための闘いをこれで最後にすることです。これを解決し、最後にできるよう、皆さんには団結して私たちの取り組みを支持してほしいと思います。
 繰り返しますが、私たちは既に正しい方向に多くの歩みを重ねてきました。今こそ飛躍の時です。

 教育がいかに重要か理解するよう指導者に求める時ではありません。彼らは既に知っているのです。彼らの子どもたちは良い学校に入っています。今こそ行動を起こすよう彼らに求める時です。
 世界の指導者たちに対し、結束し教育を最重要課題とするよう求めます。
 15年前、世界の指導者たちは国連ミレニアム開発目標という一連の地球規模の目標を定めました。それからの年月で、一定の成果は見られました。学校に行けない子どもたちは半減しました。しかし、世界は初等教育の拡充だけに目を向け、進展は全員に行き渡りませんでした。

 来年、2015年には、次の一連の目標である持続可能な開発目標を決めるため、世界中の代表が国連に集まります。来るべき世代のための世界の大きな目標を設定することになります。全ての子どもたちに無料で良質な初等および中等教育を保証するため、指導者たちはこの機会を捉えなければなりません。
 現実的でないとか、費用が掛かりすぎるとか、あまりに困難だと言う人もいるでしょう。不可能という声すらあると思います。でも、世界はより大きなことを考えるべき時なのです。

 親愛なる兄弟、姉妹たちよ。いわゆる大人の世界は理解するでしょうが、私たち子どもには分かりません。「強い」といわれる国々は、戦争を起こす上では非常に力強いのに、なぜ平和をもたらす上ではあまりに弱いのか。銃を渡すことはとても簡単なのに、なぜ本を与えるのはそれほど大変なのか。戦車を造るのは極めて易しいのに、なぜ学校を建てるのはそんなに難しいのか。
 21世紀の現代に生きる私たちは、不可能なことはないと信じています。月にだって行けるし、火星にもそのうち着陸するかもしれない。ですから、この21世紀に、誰もが良質な教育を受けられるという夢もかなうのだとの決意を持たなければならないのです。
 平等と正義、そして平和をみんなにもたらしましょう。政治家や世界の指導者たちだけでなく、全員が貢献する必要があります。私も、あなたも。それが私たちの義務なのです。
 だから、立ち止まらず、努力しなければなりません。
 私の仲間である子どもたちに、世界中で立ち上がるよう求めます。
 親愛なる姉妹、兄弟たちよ。最後になることを決める最初の世代になりましょう。

 空っぽの教室、失われた子ども時代、生かされなかった可能性。これらを私たちでもう終わりにしましょう。
 少年や少女が子ども時代を工場で過ごすのは、もう終わりにしましょう。
 少女が児童婚を強いられるのは、もう終わりにしましょう。
 純真な子どもが戦争で命を落とすのは、もう終わりにしましょう。
 教室が空っぽのままであり続けるのは、もう終わりにしましょう。
 教育は権利ではなく犯罪だと少女が言われるのは、もう終わりにしましょう。
 子どもが学校に行けない状況は、もう終わりにしましょう。
 終わりにすることを始めましょう。
 私たちで終わりにしましょう。
 今ここで、より良い未来を築きましょう。
 ありがとうございました。
 (オスロ共同)

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Onag_

Thème 2014 : Droits de l'homme, 365 jours par an
≪ J’exhorte les États à respecter l’obligation qu’ils ont de protéger les droits de l’homme chaque jour de l’année. J’exhorte les citoyens à demander des comptes à leurs gouvernements. ≫
Ban Ki-moon, Secrétaire général de l'ONU

L'Assemblée générale des Nations Unies a proclamé le 10 décembre Journée des droits de l'homme en 1950 (résolution 423 (V) ) afin de promouvoir auprès de tous les peuples la Déclaration universelle des droits de l'homme, idéal commun à atteindre par tous et par toutes les nations.
Le slogan de cette année, ≪ Droits de l'homme, 365 jours par an ≫, englobe l'idée que chaque jour est la Journée des droits de l'homme. Il souligne la promesse de la Déclaration universelle que chacun d'entre nous, partout, à tout moment a le droit de jouir de la gamme complète des droits de l'homme, que ces droits sont inaliénables et nous unissent en tant que communauté mondiale avec les mêmes idéaux et valeurs.

クローズアップ現代「子どもの性同一性障害〜揺れる教育現場〜」
「性同一性障害」と見られる子どもは全国に600人以上。制服や更衣室、部活動の選択などでどう配慮し、周囲の理解を得ていくのか。対応に揺れる教育現場の模索を伝える。  中塚幹也, 国谷裕子

ノートパソコンにオフィスをインストールしました.OpenOfficeだとなかなか苦しいところもあって・・・慣れに問題かもしれませんが・・・.ついでに無線と共有ファイルの設定を行いました.
本町で研究会があるので,出かけました.30分も前に会場に着いてしまいました.イメージしていたのと違うような気もするけど,とても参考になったと思います.その後喫茶店での交流会にも参加しました.
さて部屋に戻ってPCからファイルを移動です.昨日まで1日に300Mくらいしかできなかったのですが,今日は10Gくらいできました.寝ている間に100G以上を移動する予定です.

石巻かほく
大川小訴訟口頭弁論 遺族側、4人の証人尋問申請 現場検証も 仙台地裁
 東日本大震災で石巻市大川小の児童と教職員計84人が死亡・行方不明となり、犠牲になった児童23人の19家族が県と市に23億円の損害賠償を求めた訴訟の第3回口頭弁論が9日、仙台地裁であった。遺族側は4人の証人尋問と学校周辺の現場検証を裁判所に申請した。

 遺族側が証人として尋問を申請したのは、当時の大川小校長、聞き取り書類を廃棄したとされる当時の市教委の指導主事、学校にいた教務主任と、遺族のうちの1人。現場検証は校舎や校庭、裏山、釜谷トンネル付近などを想定している。

 三男の雄樹君を亡くした佐藤和隆さん(47)は意見陳述し、市側の主張について「震災後の保護者説明会などで、地震の発生以前も発生直後も、学校内で津波襲来を予想した避難について話したと聞いた。なぜ裁判では想定できなかったという答弁を繰り返すのか」と述べた。

 市側は準備書面で、津波の予見可能性や結果回避義務違反などを否定。「大川小が津波避難場所として指定されていたことなどから、教職員らが地震前に津波を予想できなかったことはやむをえない。(同校の危機管理マニュアルでも)津波の到来は具体的に想定されていなかった」と主張した。

 裏山への避難については「当時の状況から明らかに危険な行為だった。測量の結果を踏まえ、さらに反論する」と述べた。

 訴えによると、地震発生時、大川小には児童103人と教職員11人が在校。校庭に避難してから約45分後に津波が襲来し、帰宅した児童らを除いて被災した。


河北新報
女川まちなか再生計画、国に申請
 宮城県女川町は9日、東日本大震災の復興事業で中心部に創出するテナント型商店街の整備計画などをまとめた「まちなか再生計画」を国に申請したと発表した。計画は、国の津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金を受ける前提となる。今月中に認定される見通しで、第1号の事例になるという。
 テナント型商店街は、町が再建中のJR女川駅舎と町営「女川温泉ゆぽっぽ」の併設施設と女川港を結ぶプロムナード沿いに整備。民間のまちづくり会社「女川みらい創造」が施設を建設し、管理・運営も担う。建設費の4分の3は補助金の活用を見込み、残りはみらい創造が負担する。
 みらい創造による商店街の入居者募集に、8日までに27事業者が仮登録した。内訳は町内の被災企業15社、震災後に起業するなどした新規5社、町外7社。業種は小売り12社、飲食11社、サービス4社だった。
 町は当初9月の計画提出を目指していた。復興庁との調整で、事前に詳細な事業収支見通しを出すなど、より精査した内容が求められ、ずれ込んだ。1日付で県に申請し、県が8日、同意書を付けて国に提出した。みらい創造は認定後、国に補助金を申請する。
 商店街のオープンは、来年3月の女川駅完成から半年後の来年秋を予定している。駅前の商業エリア一帯には「物産センター」や「地域交流センター」(いずれも仮称)も整備され、金融機関を含む24事業者が自力再建で営業を再開する。
 女川町産業振興課は「再生計画の認可を受け、商業エリア整備が具体的に動きだすことになる」と説明する。


毎日新聞
東日本大震災:認知症女性は「震災死」 仙台地裁、因果関係認める
 東日本大震災の5カ月後に死亡した認知症の妻(当時85歳)を仙台市が震災関連死と認定しなかったのは違法だとして、夫が市を相手取り災害弔慰金不支給決定の取り消しを求めた訴訟の判決で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は9日、「震災と死亡には因果関係がある」として決定を取り消した。遺族側の弁護士によると、同震災で裁判所が自治体の決定を覆し、震災関連死を独自に認定したのは初めてとみられる。

 訴えていたのは仙台市太白区の我孫子捷夫(はやお)さん(72)。判決によると、我孫子さんの自宅は2011年3月11日の地震で土台が傾き全壊。ライフラインが途絶えた自宅で内縁の妻の介護を続けた。震災前までは食欲があり栄養状態は良かったが、震災1カ月後に食物を摂取できなくなり、肺炎を発症。4月末に特養ホームに入所し、8月に死亡した。

 判決は「認知症の進行や加齢のみによるものとは考えがたい。震災で心身に多大な負担がかかったと推認できる」として妻の死と震災との因果関係を認定した。

 災害弔慰金は自然災害で死亡した人の遺族に最大500万円が支給される制度。我孫子さんのケースについて仙台市は12年6月、因果関係を認めず不支給を決定。我孫子さんは異議申し立ても棄却され、昨年3月に提訴していた。判決後、我孫子さんは「安心した。市は思いやりのある行政をしてほしい」と話した。【三浦研吾】


河北新報
再生願う歌声響く 東京「石巻マルシェ」3周年
 東日本大震災で被災した石巻市の再生を願う石巻の縁者らが集う、東京都大田区の「石巻マルシェ 大森ウィロード山王店」が11月、開設から3周年を迎えた。商店街の空き店舗を借り、石巻のアンテナショップとして被災地の息遣いを発信。イベントなども定期的に開いて地域住民を呼び込み、再生後押しの輪を広げている。

 JR大森駅に近いウィロード山王商店街の一角に、石巻マルシェはある。同商店街が地域住民の交流拠点として活用している空き店舗を、毎週土曜日に「石巻マルシェ」として借り切り、石巻から仕入れた海産物などを販売している。
 東京在住の石巻関係者の有志が2011年11月に開設してから、3年がたった。アンテナショップ運営の傍ら、約40平方メートルのスペースでイベントを月1〜2回行っている。
 6日夕、「復興支援スペシャルライブ」が開かれた。被災地支援の音楽活動を続けているミュージシャン太田美知彦さんと、歌手西口久美子さんが出演。石巻の再生を思う歌声に、石巻出身者ら約30人が聞き入った。
 毎週土曜日、石巻マルシェには十数人の中心メンバーをはじめ、石巻での被災地支援に参加した東京在住の人々らが集まる。
 代表の村上源さん(43)は、妻の悠希さん(29)が石巻市出身。「石巻マルシェは、震災後の東京における石巻のプラットホーム」と源さん。マルシェの「外商部長」を名乗る栄元謙之介さん(53)は、行く先々でマルシェの存在を売り込む。「ここに来ると、石巻とのつながりの輪が広がる」と話す。
 マルシェ運営には商店街も協力を惜しまない。ウィロード山王商店街理事の高野雄二さん(45)は「マルシェの皆さんと手を携え、東京から被災地を応援する灯をともし続けていく」と語る。


河北新報
志津川中生、福興市盛り上げ 南三陸
 南三陸町恒例の福興市が11月30日、同町志津川の町総合体育館前であった。今回は志津川中(生徒247人)の全生徒が職場体験として、販売を手伝ったり郷土芸能を披露したりして、盛り上げに一役買った。
 同校は地域の現状を学び、東日本大震災からの復興に貢献する機会にしようと、初めて全校での参加を決めた。3年の小山美里さん(14)は「仕事の大変さが分かった。皆さんの頑張っている姿を間近にし、私もやらなければと思った」と話した。
 福興市は41回目で、町内外から34の団体と店舗が出店した。今回は「志津川湾鮭(さけ)いくらまつり」と題し、海産物を中心に農産物や加工品なども販売。志津川高も生徒がデザインした菓子「モアイ焼き」や、情報ビジネス科が取り組む地場産品のネット販売をPRした。
 福興市実行委員長の山内正文さん(65)は「生徒の参加でいつも以上に盛り上がった。『町の未来を担うのは自分たち』と実感してもらえたのではないか」と話した。


朝日新聞
(衆院選)秘密法施行―「不特定」の危うさ
 特定秘密保護法が施行された。

 何が秘密か、わからない。「特定秘密」は特定できず、行政の恣意的(しいてき)な判断の余地を残している。それを監視すること自体、難しい。危うさを抱えたままの施行である。

 衆院解散の直前、安倍首相はテレビ番組でこう語った。

 「特定秘密(保護)法は、工作員とかテロリスト、スパイを相手にしていますから、国民は全く基本的に関係ないんですよ。報道が抑圧される例があったら、私は辞めますよ」

 安倍首相がそう思ったとしても、そもそも国民が全く関係ないとは言えない。

 政府内の情報を求めて動く報道機関や市民運動などの関係者は対象となり得る。乱用を許せば、時の政権の意に染まないメディアや団体への牽制(けんせい)に使われないとも限らない。

 安倍首相が辞めるかどうかも問題ではない。問われるのは、どんな政権であっても法を乱用できないようにするための措置であり、その実効性だ。現行法のままでは、それが担保されているとも言えない。

 多くの国民の懸念や反対を押しきって施行にこぎ着けた安倍政権が言いたいのは、要するに「政権を信用してほしい」ということだろう。

 その言い分を、うのみにするわけにはいかない。

 政府内に監視機能が設けられるが、権限は強くない。衆参両院の「情報監視審査会」はまだできていないが、いずれ発足して秘密の提出を求めても政府は拒否できる。指定期間は最長60年で、例外も認める。何が秘密かわからないまま、半永久的に公開されない可能性もある。

 行政情報は本来、国民のものであり、「原則公開」と考えるべきだ。それを裏打ちする情報公開法や公文書管理法の改正は置き去りにされている。

 安全保障上、守らなければならない秘密はある。しかし、それは不断の検証と将来の公表が前提だ。制度的な保証がなければ、乱用を防ぐための歯止めにはならない。

 民主党政権下で秘密保全法制を検討した有識者会議の報告書に、こんな一節があった。

 「ひとたび運用を誤れば、国民の重要な権利利益を侵害するおそれがないとは言えない」

 懸念は払拭(ふっしょく)されていない。

 ちょうど1年前、安倍政権は数を頼みに特定秘密保護法を成立させた。そして衆院選さなかの施行となった。世論を二分したこの法律がいま、改めて問われるべきだ。


毎日新聞
秘密保護法施行 息苦しい社会にするな
 ウォーターゲート事件でニクソン米大統領を辞任に追い込んだ記者を支え、10月に亡くなった米ワシントン・ポスト紙の元編集主幹、ベンジャミン・ブラドリー氏は「政権と政府はうそをつくものだ」という言葉を残している。

 きょう特定秘密保護法が施行される。歴史に照らせば、政府にうそはつきものだ。この法律がそれを後押しすることを懸念する。

 自民、公明両党は2012年の前回衆院選で法の制定を公約として掲げなかった。だが、国民各層の懸念の声を振り切って昨年12月、不十分な審議で法を成立させた。衆院選の最中だからこそ、秘密法のもたらす影響について目を凝らしたい。
 ◇解除後には一律公開を

 政府は、秘密法の制定に当たり、「外国と情報共有する上で必要な法律だ」と説明してきた。だが、原案の協議過程で内閣法制局が「実際の秘密漏えいが少ない」などと立法の必要性に疑問を投げかけていた。

 私たちは、安全保障上必要な国の情報を一定期間、秘密にすることの必要性は理解する。しかし、この法律は民主主義の基盤である国民の「知る権利」を阻害するなど副作用が大きすぎる。政府内の議論も踏まえれば本来なら廃案にすべきだが、施行された以上、マイナスを最大限減らさねばならない。

 国の安全保障に著しい支障を与える恐れがあるとの理由をつければ、行政機関は意のままに特定秘密という箱に情報を放り込むことができる。そこがこの法律の本質だ。対象は防衛や外交、スパイ活動防止やテロ防止の4分野55項目に及ぶ。

 しかも、秘密指定は5年ごとの更新で30年、60年と延長でき、例外に該当すれば60年超でも秘密のままだ。箱から情報を取り出すのは容易ではない。国の情報は国民の公共財であるとの視点が欠けている。

 最大の問題は、政府の不正行為や腐敗を隠蔽(いんぺい)するために秘密指定がなされる可能性があることだ。

 1972年の沖縄返還に伴う密約を思い起こしたい。日本が米国に財政負担することを両政府が合意した密約について、日本政府は米国立公文書館で密約を裏付ける文書が見つかった後も、文書の存在を認めなかった。あるものをないとする体質がある以上、秘密法の下で文書の廃棄がされ「政権と政府のうそ」が一層巧妙に隠されるのではないか。

 政府は審議官級の独立公文書管理監のポストを新設し、秘密指定の妥当性をチェックするという。だが、管理監から情報の開示や資料提供を求められても、各省庁は安全保障上著しい支障を及ぼすと主張すれば拒否できる。このような小さい権限ではまともな判断は期待できない。主権者である国民に正しい情報を知らせる。そうした立場で監視役が動ける仕組みに改めるべきだ。

 秘密の箱を開けたが、何も入っていなかった−−。そうした事態も起こり得る。公文書管理法の規定では、作成から30年以下で指定を解除された秘密文書は、首相の同意で廃棄できる。首相が直接目を通すわけではなく、所管庁の意向に沿って廃棄が決まるのが大半だ。

 国民に公開すべき情報が永遠の秘密にならぬよう公文書管理法を改正して法の穴を埋めるべきだ。
 ◇内部通報者を保護せよ

 秘密法は、自由な言論や健全な情報の流れが保障された民主主義社会の空気を変える恐れもある。厳罰で人を縛る法律だからだ。

 特定秘密を漏らした公務員には最高懲役10年が科せられる。秘密に迫ろうとした側も、「そそのかし」「あおりたて」「共謀」があったと当局にみなされれば、最高懲役5年だ。これは、ジャーナリストか市民かを問わない。記者の取材や議員、市民グループからの資料要求に対し、法の足かせで公務員が萎縮し、抑制的になることが当然予想される。

 政府は10月に閣議決定した運用基準で、違法な秘密指定を通報した者への配慮を盛り込んだ。だが、特定秘密そのものを通報した場合、過失漏えい罪で処罰される余地が残る。保護措置は極めて不十分だ。

 安倍晋三首相は衆院解散時、秘密法に触れて「報道が抑圧されるような例があったら(首相を)辞める」と述べた。そこまで首相が言うのならば、法の拡大解釈などによる抑圧はないと信じたい。ただし、いったん法が施行されれば、立法時の意図と無関係に動くこともある。

 戦前の軍機保護法は、国家の存亡にかかわる軍事機密を漏らした者を罰するためにできた。だが、旅先で見かけた海軍飛行場のことを友人の外国人教師に話した学生や、遠くの島に大砲が見えたことを仲間に話した漁師が実刑判決を受けた。

 「そそのかし」といったあいまいな規定がある秘密法も警戒が必要だ。逮捕・起訴しなくても、捜索だけで十分、威嚇効果はあるだろう。

 徐々に自由な言論の場が狭められていく息苦しさが社会を覆うことを恐れる。権力から独立して国民の「知る権利」を守るべき報道機関の責任と役割が一層問われる場面だと自覚したい。10年、20年後、秘密法の施行が時代の転換点になったと振り返ることがあってはならない。


東京新聞
権力が暴走しないか 特定秘密保護法施行
 特定秘密保護法が十日に施行された。「安全保障」の名が付けば、国が恣意(しい)的に重要情報を隠蔽(いんぺい)できる。権力が暴走を始めないか、懸念を強く持つ。

 国家の安全保障にかかわる重要情報は厳重に管理すべきだ−。そのように単純に考えてはならない。本当に秘匿すべき重要情報なのかどうか、確かめられる方策がないからだ。公正なチェックが働くかは極めて怪しい。

 特定秘密とは知らずに、情報を得ようとしただけで処罰されることはないのか。むしろ、公務員側が過度に萎縮して、秘密でない一般情報までも囲い込み、国民に知らせなくなる心配は強い。
◆立法の必要性は「弱い」

 公務員らが国家の不正を知った場合、その情報の要約を通報できる制度はあるが、失敗すれば、過失漏えい罪で処罰される危険にさらされる。事実上、通報させないようにする仕組みなのだ。

 この法律はさまざまな問題点を抱えたまま動きだす。だが、そもそも法律をつくる、どんな理由があったのだろうか。立法事実と呼ばれる問題だ。実は、この必要性が弱いと政府内部でも考えられていたことがわかっている。

 内閣情報調査室(内調)が二〇一一年に特定秘密保護法の素案を作り始めたとき、内閣法制局から、法律の必要性を示す根拠が「弱い」と指摘されていたのだ。

 「ネットという新たな漏えい形態に対応する必要がある」との内調の説明に対しても、法制局は消極的な答えだった。

 重罰化の根拠となる事例もなかったのが実情だ。内調が列挙した八件中で実刑だったのは、〇〇年のボガチョンコフ事件のみだ。海上自衛隊の三佐が在日ロシア大使館の駐在武官に内部資料を提供したとして、自衛隊法違反容疑で逮捕された。だが、この事件でも「懲役十月」である。
◆軍機保護法の過去が

 〇一年には自衛隊法が改正され秘匿度の高い情報を「防衛秘密」と指定し、漏えい罪の罰則を五年以下の懲役に引き上げている。その後、どんな重大な情報漏えい事件が起きただろうか。

 昨年の国会で安倍晋三首相は「過去十五年間で情報漏えい事件を五件把握している」と答弁した。だが、起訴猶予か、執行猶予付きの判決で終わっているものばかりなのだ。その中で特定秘密に当たるとされるのは一件のみで、〇八年に中国潜水艦が火災を起こしているとの事故情報を新聞記者に漏らした事件だ。

 このケースでも、一等空佐は書類送検されたものの、起訴猶予で終わっている。「防衛秘密制度を設けた後の漏えい事件が少なく、あっても起訴猶予のため、重罰化の論拠になりにくい」と法制局が考えたのも当然である。

 一〇年には沖縄県・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件の映像流出事件があった。これについても、法制局は「秘密に該当するのかわからない」と見解を示した。刑事責任を問うには、形式的に秘密としているだけではなく、実質的に秘密として保護するに値する内容でなければならない。

 こうした種類の情報すら、秘密保護法は恣意的に秘密扱いにしてしまうのではないか。

 さらに、国家が情報をコントロールし、国民監視を強める結果にならないか。それを危惧する。

 戦前戦中にあった「軍機保護法」がその先例である。軍機は固く保護されねばならない−。そう単純に考えられない。実態はこの法律を国家は自在に使い、国民を縛り上げるのに使ったからだ。

 「宮沢・レーン事件」が有名だ。一九四一年に北海道帝国大の学生宮沢弘幸さんと英語教師のハロルド・レーン夫妻が軍機保護法などの違反容疑で逮捕された。「ある北大生の受難」(上田誠吉著)によれば、旅行好きだった宮沢さんは千島列島に旅した帰りに、汽車で根室の海軍飛行場について乗客が話すのを聞いた。それを帰宅した後、レーン夫妻に話した。

 そんな容疑事実で逮捕された。根室の海軍飛行場に関する情報の探知漏えいにあたるというのだ。宮沢さんは激しい拷問の末、懲役十五年の実刑を受けた。網走刑務所に送られ、重度の栄養失調と結核を患った。敗戦で釈放されたが、一年四カ月後に病死した。
◆国民を統制する道具

 では、この海軍飛行場の存在は本当に秘密にあたるのだろうか。実は三一年に米国のリンドバーグが着陸しており、世間には広く知られていた。罪に問うべき秘密などなかったのだ。法律は国民を統制する道具として機能した。

 果たして遠い昔の話なのか。一般国民とは無関係な法なのか。無関心のままでいると、いつの間にか、プライバシーも「知る権利」も侵食されていく。

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期日前投票/お好み焼きがマズイ/久しぶりのジム

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JO-2018: Pyeongchang n'envisage pas de délocaliser au Japon
Pyeongchang n'envisage pas d'organiser hors de Corée du Sud des épreuves des jeux Olympiques d'hiver 2018, ont indiqué lundi les organisateurs, en réponse à des indiscrétions évoquant la possibilité d'en déplacer certaines au Japon, pour des raisons budgétaires.
"Tous les préparatifs nécessaires sont en cours (...) en partant du principe que toutes les compétitions se tiendront comme prévu", a déclaré à l'AFP une porte-parole du comité d'organisation de Pyeongchang-2018.
"Nous n'envisageons pas l'idée d'organiser certaines compétitions ailleurs", a-t-elle ajouté.
C'est la délocalisation des épreuves de luge et de bobsleigh à Nagano, ville japonaise hôte des JO d'hiver en 1998, qui avait été évoquée, depuis que Pyeonchang-2018, confronté à des difficultés budgétaires, a souhaité une participation accrue de l'Etat au financement du principal stade, en construction.
Le Comité olympique japonais, lui, a nié l'existence de discussions à ce sujet.
Le Comité international olympique (CIO), actuellement réuni en session à Monaco, a décidé lundi d'autoriser, dans le cadre de son Agenda-2020, l'augmentation du nombre de sports au programme des Jeux d'hiver et d'été, ainsi que la candidature jointe de villes ou de pays, dans l'optique d'une réduction des coûts.

朝,期日前投票をしました.英語だとearly votingでフランス語だとvote anticipéです.
最高裁判所裁判官国民審査もしました.
お好み焼きを食べようと思ってネットで定休日を調べると,火曜日定休のお店が多い.それでも開いているところやネットに載っていないお店などがあると思ってとりあえず,出かけました.1軒目はお休み.残念.2軒目は満席.3軒目もお休み.このお店広島風のお好み焼で結構気に入っていたのですが,最近閉まっているような・・・仕方ないので4軒目のお店へ.お客さんはおばあさんに一人だけ.さみしい.豚玉をたのみました.食べてみると,マズイ.激マズ.大失敗です.
夕方ジムに行きました.久しぶり.約1ヶ月ぶりです.最近おデブ化が著しいので頑張って体動かさなくては・・・
その後女川さいがいFMをネットで聞きました.
図書館から借りてきたブラックジャックによろしくを読みました.

石巻かほく
JR石巻線、来年3月21日全線復旧 女川駅が同日開業「まち開き」
 女川町とJR東日本は8日、共同記者会見を町役場で行い、東日本大震災で被災し運休している石巻線の浦宿−女川間を2015年3月21日に運転再開すると発表した。女川駅が開業し石巻線が震災から約4年で全線復旧する同日、町は中心市街地の「まち開き」を実施し、復興への大きな一歩をアピールする。

 浦宿−女川間は約2.3キロ。女川駅を内陸側に移設してルートを一部変更した結果、震災前より約200メートル短くなる。運行本数やダイヤは調整中で、来年1月までに決まる予定。

 町は再開翌日の3月22日、女川駅の併設施設として整備を進める町営温泉「女川温泉ゆぽっぽ」をオープンする。町の復興を発信する「女川復幸祭」も開催される予定。

 町は女川駅の開業を「まち開き」と位置付ける。駅周辺では来春、民間の交流施設などが開業を予定しており、秋にはテナント商店街や地域交流センター(仮称)のオープンも計画されている。

 須田善明町長は「(運転再開は)復興期間の前半の大きな目標だった。再開日を無事に報告できて喜んでいる。町民と来訪者の双方の利便性が向上する。女川駅開業が遅れないように整備を進めたい」と語った。

 JR東日本の松木茂仙台支社長は「利用者には長く不便を掛けた。全線復旧が女川町の復興の手伝いになればうれしい」と話した。

 石巻線では、石巻−渡波間は2012年3月、渡波−浦宿間は13年3月に復旧した。津波で甚大な被害を受けた鉄路が全線復旧するのは県内で最初となる。


河北新報
<防潮堤>蒲生北部、最大80m内陸に移設
 東日本大震災で被災した仙台市宮城野区の蒲生北部地区の防潮堤整備計画について県は7日夜、高砂市民センターで地区の4町内役員らでつくる「中野小復興対策委」に、当初の計画を見直して最大80メートル内陸側に移設する方針を説明した。既存の防潮堤からは内陸側に20〜30メートルずれる。同センターで20日に地権者向け説明会を開き、理解を得た上で正式決定する。
 県の担当者は、見直しのメリットとして(1)地区の東にある蒲生干潟への影響の軽減(2)事業費の圧縮−を挙げた。一方で、地区で予定されている土地画整理事業の対象エリアから、約4.4ヘクタールが外れることも説明した。
 区画整理を施行する市の担当者は、対象区域の減少に伴い、造成費などが圧縮されることで、合算減歩率は横ばいとなる見通しを示した。
 県は9月下旬、「干潟自然再生協議会」の意見交換会で計画の見直しの方針を表明。しかし、復興委や多くの地権者の意向を聞かずに判断したため、住民が「一方的だ」「区画整理の減歩率に影響する」などと反発していた。
 県土木部の久保田裕次長は一連の経緯を謝罪した上で、「あらためて今回の整備計画を認めてほしい」と理解を求めた。
 県は当初、干潟の復旧が困難と判断し、干潟を含んだ位置に整備を計画。だが干潟の回復を受け、環境保護団体などが内陸移設を要請していた。


毎日新聞
東日本大震災:津波犠牲園児賠償訴訟 和解一部成立へ−−控訴審
 東日本大震災の津波で亡くなった宮城県山元(やまもと)町立東保育所の園児2人の遺族が、町を相手取り計約8800万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審は、仙台高裁(中西茂裁判長)で園児1人の両親と町の和解が成立する見通しとなった。町は和解金300万円を支払う。今月24日の和解協議で成立する見通し。もう1人の園児の遺族は和解協議がまとまらなかった。

 1審・仙台地裁判決(3月)によると、保育所は地震発生後の2011年3月11日午後3時半ごろ、町総務課長の指示で園内に待機。同4時ごろ、職員が津波に気付き、避難したが、園児3人が逃げ遅れて死亡した。

 遺族側は「町が避難を指示しなかったため被災した」と主張。判決は「津波到達は予見できなかった」として訴えを退け、遺族側が控訴した。【伊藤直孝】


河北新報
<衆院選>東北 争点を歩く/復興/風化する震災論戦停滞
 経済優先の「アベノミクス解散」の陰で、東日本大震災の被災地に復興停滞への危機感が広がっている。

<「余裕ない」>
 陸前高田市広田町の仮設住宅団地前で4日朝、岩手3区の民主党前議員黄川田徹が声を張り上げた。「631億円をかけた解散で政治空白をつくり、新しい総理、新しい大臣を決める。そんなことをやっている余裕なんてない」
 震災による同市の死者・行方不明者は計1808人(11月30日現在)。被災時の人口の約8%を占め、岩手県内で最も多い。津波で流された中心市街地では高さ10メートル規模のかさ上げ工事が進み、工事車両がひっきりなしに行き交う。
 「これからが本当の復興なのに、国が全財源の面倒をみる集中復興期間が来年で終わったらどうなるのか。たとえ1割でも、地元負担を求められたら復興は果たせない」
 民主党政権下で復興副大臣を務めた黄川田。「集中復興期間を延長し、地方負担をゼロにすべきだ」と復興優先を叫ぶ。

<実績前面に>
 12年12月の政権奪還で復興施策を引き継いだ自民党は、2年間の実績を前面に押し出す。
 福島2区の自民党前議員根本匠は政権交代とともに復興相に就任。ことし9月まで、被災地再生の陣頭指揮を執った。
 地元郡山市の農協2支店で3日夜開いた個人演説会。「縦割りの省庁に横串を刺した」「100日以上被災地に足を運び、復興の道具立てを整えた」。自信に満ちた表情で計約300人に政権党の実績を訴えた。
 震災時、政権の座にあった民主党への攻撃の手も緩めない。「今回問われるのは政権を担当する力だ。2年前の今ごろは政治が劣化し、日本が沈没寸前までいった」

<明言避ける>
 政権公約で自民党は「復興加速化」を掲げる。だが、中身は住宅再建支援や産業・生業の再生加速といった項目の列挙にとどまる。15年度終了する集中復興期間についても「延長の可否を精査する」と明言を避ける。
 民主党は集中復興期間の延長を明記。子どもの心身のケアの継続や避難者支援、復興整備事業の用地取得迅速化なども訴える。ただ、財源には触れていない。
 両党はそろって経済政策を公約の筆頭に挙げた。復興が登場するのは自民が6項目中3番目、民主は10項目中6番目。被災地以外では、論戦の表舞台から後退している。
 震災から間もなく3年9カ月がたつ。被災地・東北の各候補は、震災の風化という難敵にも立ち向かう。

【岩手3区立候補者】
橋本 英教47☆自(町)前(1)
黄川田 徹61☆民 前(5)
菊池 幸夫55 共 新 

【福島2区立候補者】
平  善彦62 共 新 
根本  匠63☆自(岸)前(6)
岡部 光規46☆民 新 

毎日新聞
麻生発言 出産しやすい社会こそ
 「高齢者が悪いようなイメージを作っている人がいっぱいいるが、子どもを産まない方が問題だ」。またもやと言うべきか、麻生太郎財務相の発言が物議をかもしている。衆院選の応援演説でのことだ。

 「みんなで少しずつ負担する以外に方法がない」とも語っており、消費増税への理解を求めることが真意とも取れないことはない。だが、経済的理由や雇用の事情、保育所不足のために出産できない人は多い。産まない女性に責任を押し付けるのではなく、安心して出産や子育てができる政策こそ語るべきだ。

 少子高齢化は猛烈な勢いで進んでおり、現役世代3人で高齢者1人を支える「騎馬戦型」から、2050年には1・2人で1人を支える「肩車型」になる。寿命が延びること、高齢者が増えることは変えようがない。それを悪いことのようにイメージするのも正しくない。それは麻生氏の指摘の通りだ。

 一方、生まれてくる子どもの数は政治によって変える余地が大いにある。むしろ、出産や子育てに対する政策の不十分さが今日の深刻な少子化を招いたとも言える。

 低賃金の非正規雇用が全体の4割近くを占め、若い世代にとってお金がなく生活不安が強いことが結婚や出産のできない大きな理由だ。特に女性の非正規率は高い。出産・育児休暇の際の保障も十分ではなく、保育所不足も出産をためらわせる要因となっている。少子化や家族政策に投じられる公費の割合が日本は先進諸国の中で際立って低いことを忘れてはならない。

 安倍政権は保育所拡充など少子化対策に躍起だが、出生率が少々上がっても子どもがすぐに増えるわけではない。現役世代の女性の数はしばらくは減っていき、出生率が改善しても相殺されてしまう。人口の多い「団塊ジュニア」世代が若かったころに出生率が高ければ、少子化はこれほど深刻ではなかったはずだ。

 歴代の自民党政権の無策がもたらした少子化でもあり、長らく政権の要職にあった麻生氏にまったく責任がないとは言えまい。現在は副総理でもある。安易に世代間対立をあおるような言説を責任ある政治家はすべきではない。

 麻生氏は応援演説の中で、景気回復の実績を強調し、「企業は大量の利益を出している。出していないのは、よほど運が悪いか、経営者に能力がないかだ」とも語った。だが、円安による原材料費の高騰などで倒産する企業は急増し、前年比3倍近くに上る。人手不足も地方の中小企業を苦しめている。

 自民圧勝の選挙情勢が流れる中で、少しばかりタガが緩んではいないだろうか。


朝日新聞
麻生氏の発言―問われているのは誰か
 政権中枢にいる政治家が有権者に言うことではないだろう。

 安倍政権の副総理を務める麻生財務相が、経済と社会保障という二つの大きな争点に関連して、あぜんとするような発言を立て続けにした。

 株高円安による景気回復の実績をよほど強調したかったのか。長野県松本市での6日の演説で、麻生氏は「その結果として企業は大量の利益を出している。出していないのは、よほど運が悪いか、経営者に能力がないかだ」と述べた。

 政権が「アベノミクス」で円安を生み、そのメリットがあるのも確かだろう。一方で激しい副作用に苦しむ企業がある。それをとらえて「運が悪い」「経営者に能力がない」と切り捨てる感覚に言葉を失う。

 帝国データバンクの調査によると、円安の影響による企業倒産は11月は42件。3カ月連続で過去最多を更新した。海外から調達する原材料や輸入製品の価格が上がり、中小企業の収益を圧迫している。

 安倍首相は、円安効果で全体の倒産件数が減ったことを強調しながら、選挙戦では中小企業向けの「円安対策」にも触れている。麻生氏の発言は、そんな首相の姿勢とも食い違ってくるのではないか。

 麻生氏はまた、少子高齢化で社会保障費が増えていることを取り上げた。7日の札幌市での演説では「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいっぱいいるが、子どもを産まない方が問題だ」と語った。

 もちろん長寿社会は歓迎すべきことだが、それを実現した社会保障制度を将来にわたって続けるためには、現役世代を重視した仕組みに切り替える必要がある。社会保障と税の一体改革をどのように進めるか。消費増税の取り扱いも含め、今回の選挙の重要なテーマだ。

 麻生氏は、この大事業を仕切る政治家ではないか。きのうになって麻生氏は釈明したが、どうしてこんな乱暴な発言が出てきたのか、耳を疑う。

 子どもを産まないのが問題ではない。現役世代が子どもを産めない環境こそ問題なのだ。

 「子どもを保育所に預けられない」「非正規雇用で収入が少なく、教育費を考えると、とても産めない」。そんな声が届いていないのか。

 厳しい現実を見据えて、実現可能な将来像を示し、処方箋(しょほうせん)を示していく。それが政治家の役割なのに、個人に責任を転嫁するかのような発言は筋違いだ。選挙戦で問われているのは、政治家の方である。


朝日新聞
夕食は「おにぎりパーティー」 子どもの貧困6人に1人
 給料日前になると、夕食の食卓に連日、おにぎりだけが数個並ぶことがある。
 都内の母親(50)は、小6の長女(12)に「さあ、おにぎりパーティーの始まりよ」と声をかける。
 「だって『おにぎりしかない』って言うと暗くなっちゃうでしょ」。具は何がいいか、リクエストも聞く。「おかかとみそ、塩の3種類しかないけどね」
 母子家庭になったのは、長女が生まれてすぐだった。母親は専業主婦だったが、介護の仕事を始め、資格もとった。
 週4日、病院で介護士としてパートで働く。もっと働きたいが、周りになじめず低学年から不登校になった長女を放ってはおけない。パートの収入は月12万〜13万円。生活保護も一部受ける。生活費にあてられるのは月7万2千円。うち食費は2万円ほどだ。
 長女は昨年からようやく、フリースクールに通えるようになった。給食は出ないので、昼ご飯を食べずに過ごすことが多い。帰り道の夕方、100円で9個入りの小さなシュークリームを買うのが楽しみだ。
 夕食は、午後7時すぎに帰宅する母親と食べる。モヤシだけの焼きそば、肉のかわりに12個で87円のウズラの卵が入ったカレー。「育ちざかりなのに。虐待じゃないかと思うこともある」と母親は打ち明ける。
 7月は電気、8月はガス、9月は水道などと数カ月に1回順ぐりに払う。それでも払えないこともあり、昨年のクリスマスには水道が止められた。炊飯器の釜やペットボトルを手に公園へ行き、水をくんだ。
 長女はいう。「わたしはがまんしてない。お母さんの方ががまんしてる」
 国民1人の平均所得の半分に満たない家庭の子どもは、6人に1人。子どもの貧困が広がっている。(岡林佐和)

独りの夜、夕食は「児童館」で
 タラとキノコの酒蒸し、ニンジンとホウレン草のサラダ。「いただきまーす」。夕方6時、小学生3人と、学生らボランティアの大人たち7人の夕食が始まった。東京都豊島区のお寺の施設を利用し、地元のNPO法人が毎週火曜日に開く「夜の児童館」だ。
 子どもたちは午後4時から8時まで、夕食を食べ、宿題をしたり遊んだりして過ごす。「なんの魚か分かる?」「骨があるから気をつけて」。会話も楽しむ。
 通うのは、ひとり親や共働きの家庭の子たちだ。児童館を開くNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」事務局長の天野敬子さんによると、こうした家庭では学童保育のあと、子どもが家で1人で過ごすことが少なくない。夕食は菓子パンなど簡単なもので済ませがちだ。
 「栄養面だけではない。家族とごはんを食べたり、おしゃべりしたりという経験が抜け落ちていく。働かなければいけない親が帰ってこられないのなら、地域で支える場所が必要だ」と天野さんは話す。
 このNPOは3年前、不登校や引きこもりの子の支援をしてきた天野さんらが立ち上げた。夜、家で1人ですごす子の話を聞き、夕食の場を提供しようと、11月から児童館を始めた。
 小学2年の長男(8)が通うシングルマザーの母親(38)は「児童館のある火曜日だけは少し残業もできて、助かる」と話す。旅行会社でパートで働き、時給は950円。月の収入は13万〜15万円ほどだ。午後5時半に会社を出て、学童保育のお迎えに駆け込む。ボーナスもなく、「ぎりぎりで生活は回っているけど、貯金ができないのが悩み」。

 ■学びたい、お金さえあれば
 経済的な貧しさは、子どもたちが受けられる教育の問題につながり、「貧困の連鎖」を生む。
 福岡県の公立高3年の男子生徒(18)は中学3年のときに母を亡くし、姉と生活保護で暮らす。すべり止めの私立を受けられず、志望校のランクを下げていまの高校に入った。母を失ったショックや学校への不満から、1〜2年のころはあまり学校に行けなかった。
 大学の夜間部に進みたいが、お金や学力など不安だらけだ。塾や予備校に通う余裕もない。「いま勉強して意味があるのかな、と考えてしまう」
 名古屋市に住む女性(20)はこの春、愛知県立の夜間定時制高校から県内の専門学校に入学した。
 中学時代に両親が離婚した。母は恋人をつくって留守がちになり、祖父母宅に身を寄せた。大学進学を考え、喫茶店やライブ会場などのアルバイトを掛け持ちして働き、高校卒業までに100万円以上をためた。
 昼に働いた後で学校に行き、深夜再び働いたこともある。入試に失敗し、専門学校に通いながら来春の大学編入試験を目指す。
 担任だった高校の教師(60)は「定時制にはひとり親で生活保護を受けている生徒が多い」という。幼い弟妹の面倒を見るため中学に通えなかったという生徒もいた。「祖父母の代から生活保護という子もいる。貧しい層の固定化が顕著になっている」と話す。

 ■実態調べ、きめ細かい対策を
 子どもの貧困率はデータを取り始めた1985年以降、悪化が続いている。厚生労働省の調べでは、2012年には国民1人あたりの平均所得の半分(12年は122万円)にも満たない家庭で暮らす子どもたちの割合が、過去最悪の16・3%になった。
 政府が子どもの貧困率を公表したのは、民主党政権になった直後の09年秋。安倍政権下で昨年、貧困の連鎖に歯止めをかける対策を国の責務とする「子どもの貧困対策法」が成立した。今年8月には、学校を支援の拠点に位置づけるなどの重点施策を示した「子供の貧困対策大綱」ができた。
 法律や大綱ができたのは評価できる。ただ、大綱には子どもの貧困率をどれだけ削減するかの数値目標すら盛り込まれなかった。児童扶養手当の増額や返済のいらない奨学金の創設など有識者の検討会が求めた策も見送られた。
 そもそも実態調査は遅れている。いまは家庭の所得を元に貧困率を出しているが、都道府県別や年齢別などのくわしい調査は進んでいない。これでは、子どもの状況に応じたきめ細かな対策は難しい。
 あしなが育英会など17団体が今回の衆院選を前に、政党にたずねたアンケートでは「子どもの貧困について多面的な実態調査をする」との項目に全党が「取り組む」と答えた。
 子どもの貧困は、日本が直面する「格差」の問題でもある。詳しい実態調査に加え、低賃金の非正社員が増える雇用の問題、教育への支援など対策は多岐にわたる。政治のリーダーシップが問われている。(岡林佐和、山本奈朱香)

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Japon: Un ministre choque en blamant les femmes pour la dénatalité
Le ministre japonais des Finances a jugé ce week-end que les personnes âgées n'étaient pas à blâmer pour le déséquilibre démographique, mais bien plus les femmes qui ne font pas d'enfants, suscitant la critique des journaux.
≪Beaucoup veulent donner l'image de personnes âgées mauvaises (qui seraient responsables du vieillissement de la population et de ses corollaires), mais le problème c'est de ne pas faire d'enfants≫, a déclaré Taro Aso lors d'un discours de campagne pour les élections législatives de dimanche. Au Japon, le fait d'enfanter ou non est un sujet délicat à aborder, et le franc-parler bien connu de Taro Aso a une fois de plus déplu.
Saillies sur la dénatalité
La façon dont il s'est exprimé a choqué la presse japonaise, car selon elle, il s'en est pris directement aux femmes qui ne font pas d'enfants, les rendant responsables de la dénatalité, et non au système qui n'incite pas suffisamment à devenir parents, à cause de politiques inappropriées. Les hommes politiques japonais s'illustrent régulièrement par des sorties sur la dénatalité ou sur ses causes présumées.
L'indice de fécondité au Japon plafonne à 1,4 enfant par femme, quand il en faudrait 2,1 pour assurer le renouvellement des générations. La principale raison de ce phénomène qui dure est souvent l'anxiété à l'égard de l'avenir, la peur de ne pas avoir assez de revenus pour subvenir aux besoins d'une famille.

福島みずほ @mizuhofukushima
自民党の麻生さんが、女性が子供を生まないことが問題だと述べたとの報道。しかし、子どもを産むことができる環境を壊しているのは自民党ではないか。労働法制の規制緩和など大問題。非正規雇用が1,987万人。過去最高である。
反安倍ブルドーザー隊 ‏@MetalGodTokyo
麻生太郎の「子供を産まない方が問題」発言に海外紙「ナチ好きの副首相、今度は若い女性に矛先を向けた」 http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/08/media-report-taro-aso-_n_6286366.html
橋本一径 ‏@KazumichiH

麻生発言を早速伝えるルモンド。「子供を作らない女性たちを直接非難し、出生率低下の責任を彼女たちのせいに」。「将来に対する不安」こそが主たる理由だとの指摘も。Au Japon, un ministre critiqué… http://www.lemonde.fr/japon/article/2014/12/08/au-japon-un-ministre-critique-pour-des-propos-sur-les-femmes-qui-ne-veulent-pas-d-enfant_4536248_1492975.html
reikatieg ‏@reikatieg
麻生太郎氏は社会保障費増大を「子供を産まないこと」が原因と主張。産みたくても経済的に産めない、産んだらキャリアを諦めざるをえないような社会にしてしまったのは自民党の失政でしょ。自分達の失敗のツケを女性に回さないでもらいたい。ぷんぷん。
真空管の喫茶店 ‏@KUNIEASTSIDE
<子供を産まないのが問題>じゃなくって、 <子供が産めない社会>が問題なのです。 子供を産めない社会を育てたのは自民党政権。 麻生太郎は政政治家の自覚も責任もなく、少子化の原因を<若者・女性>に押し付ける。漢字も書けず、社会分析もできない、ふざけた野郎が副総理になったもんです。

3月の出張でホテルを予約しました.本当は2ヶ月前に予約していたのですが,それはキャンセルしたんです.
お昼は京阪の近くでカレー.10辛で辛くておいしい.辛いの大好きなんです.
商店街で徳用のバナナを買いました.たくさんの房があります.食べ過ぎてしまいました.
年賀状の準備をまだしていません.なのに来年の年賀状(つまり2016年に届く分)をどうするか考えてみました.

河北新報
麻生氏「産まないのが問題」 野党批判、経営能力発言も
 麻生太郎副総理兼財務相が7日の札幌市内での衆院選応援演説で、少子高齢化に伴う社会保障費増に関し「高齢者が悪いというようなイメージをつくっている人が多いが、子どもを産まないのが問題だ」と述べていたことが8日、分かった。6日には株高・円安なのに収益が上がらない企業は経営能力に問題があるとの趣旨の発言をしていた。野党は一連発言を「極めて問題だ」(民主党幹部)と批判した。
 麻生氏は「産まないのが問題」とした後に、「子どもが生まれないから、(働く現役世代は)3人で1人の高齢者(を支えている)。もうすぐ2人で1人になり、間違いなく税金は高くなる」と指摘した。


朝日新聞
(思いはいま)故郷思い「もう一花を」 東日本大震災4年目
 ■福島
 浪江町、天野茂さん(81) 30年以上前からたしなむ菊作りを、二本松市の仮設住宅の一画で続けています。市内に避難している役場や学校に飾ってもらい、町ごと避難生活を送る町民に喜んでもらえると、うれしいのです。
 震災前、「浪江町菊の会」の会員は30人以上いました。12月下旬になると、20人ほどで町内の山に入り、落ち葉を集める。冬の間に腐葉土を作り、春に分け合う。避難で散り散りになり、そんなつながりもなくなりました。
 16人に減った会員も、育てる場所を失ったり、環境の変化でうまく育てられなくなったりしています。私も年に80鉢ほど育てていましたが、今は20鉢。会で毎年参加してきた県下の菊の品評会も、今年は数が集まらず、直前に参加を諦めました。そのスペースを埋めるため、他の地区の花が間を広げて展示されていて、申し訳なかったです。
 先日、久しぶりに会員が集まり、「二度とあってはならねえ」と来年の参加を誓いました。
 自分で図面を描き、木を切って建てた自宅は放射線量の高い帰還困難区域内で、生きている間に帰れるか分からない。まずは立派な菊を品評会に出し、「もう一花咲かせてやろう」と思います。
    *
 <草木染め販売、仲間と励みに>
 富岡町、小野耕一さん(67) 郡山市に避難中の富岡町の仲間と草木染めの教室「おだがいさま工房」を開いて約2年半。最近では腕が上がり、5人でトートバッグやストールなどを作り、展示会を催し、工房で販売もしています。
 富岡町といえば夜の森の桜が有名です。昨年8月から、桜の花びらをイメージした小物袋を毎月250枚作って市内のホテルに納品しています。定期的に買ってくれるお客さんがいると思うと励みになります。
 借り上げアパートで妻と暮らしていますが、孫が遊びに来ると手狭です。早く自宅に戻り、避難先で見つけた生きがいの草木染めを仲間と楽しめる日が来ることを待ち望んでいます。

 ■岩手
 <リアス式の海岸美をぜひ>
 田野畑村、正路(しょうじ)隆弘さん(39) 北山崎断崖クルーズの船長をしています。津波に流された発着所が復旧し、船も新造され、この夏やっと再開できました。
 ただ、気がかりなこともあります。三陸復興道路が整備されれば、発着所が素通りされるのではないかと。三陸鉄道で訪れる人も多いので、最寄りの島越(しまのこし)駅の列車時刻と出航時間を調整するなど、お客さんの利便性を更に高めていかなければと考えています。
 リアス式の海岸美は震災でも損なわれていません。切り立った絶壁や、間近に堪能できる白亜紀の化石層など、いずれも洋上からでないと見られず、クルーズならではの魅力です。ぜひ見に来てください。
    ◇
 釜石市、菊地菜月(なつき)さん(26) 津波で被害を受けた市内中心部にある共同店舗で11月、和菓子中心のカフェを開きました。夫が経営する和菓子会社は工場が一部被災し、製造量はまだ回復しません。そんな中、お客さんの顔が見えるように、と店を出しました。
 くるみだれやあんこをつけた、朝つきたての餅が人気です。お客さんからは「落ち着いて話せる店が津波で減ったからうれしい」と喜ばれています。
 若い世代の人口が流出し、アルバイトの求人を出しても集まらないのが悩み。ほぼ1人で切り盛りしています。震災以降、心に重荷のある人も、店では少しでも力を抜いて過ごしてもらえたらと思います。

 ■宮城
 <亡き主人に笑顔見せたい>
 仙台市、遠藤怜子さん(68) 宮城野区高砂の仮設住宅で息子と暮らしています。津波で家は流され、主人を亡くしました。
 主人と2人で約35年間、鮮魚の移動販売をしていました。主人は習字も教えていて、人からすごく頼りにされていたんですよ。
 震災後は毎日泣いてばっかでした。ですが、今の仮設に入って強くなりました。同じ境遇の人がたくましく生きてる。私は何してるんだろうって……。
 移動販売を再開したいけど、車の免許がない。できることからやろうと、仮設で催しがあると率先して取り仕切ったりしています。私が笑顔でいることが、主人の願いです。きっと。
    ◇
 石巻市、伊藤浩光さん(53) 石巻の雄勝町で漁師をやりながら、震災後に仙台市で水産物の生産加工販売会社を始めました。石巻周辺でとれたカキやホタテなどを仙台や東京、大阪など全国約350の飲食店に直売し、水産業の6次化を図っています。
 漁師になったのは10年前。津波で自宅や船が流され、一時は全てを失いました。漁業をあきらめかけましたが、漁師仲間の「早く戻ってきてくれ」という声に、「震災のせいで宮城の漁業を衰退させられない」と思い直しました。
 11月に、仙台・国分町に念願のオイスターバーを開きました。新鮮なカキを多くの人に味わってほしいと思っています。


朝日新聞
(被災地から)音で届ける、感謝の気持ち 東日本大震災
 宮城県石巻市の市立桃生中学校2年生阿部遥香さん(14)は毎日、朝練の30分前に学校に着く。今月下旬から始まる吹奏楽の大会に向けて、早く練習したいという気持ちが抑えられないという。入学時は楽譜を読むのもおぼつかなかったが、今はクラリネットのパートリーダーを任されるまでになった。
 津波で父を亡くし、自宅も流された。最初は何もやる気が起きなかった。だが、中学に入って出会った音楽が気持ちを動かした。
 桃生中では震災後、和泉千佳子教諭が「被災した子どもたちに生きる力を」と美術部を「総合文化部」に変え、ブラスバンドの活動も始めた。被災した学校に楽器を届ける宮城県吹奏楽連盟の「宮城県楽器BANK」や卒業生の寄付などで楽器をそろえた。今年8月には「花形」の大編成で県大会に初めて出場した。
 阿部さんは大舞台を経験し「もっと表現したい」と考える余裕が出てきた。全身を使い、音に自分の気持ちを込められるようになった。いつも支えてくれる人への感謝の気持ちを音で表せることもわかってきた。
 今月の大会ではクラリネット八重奏で主旋律を吹く。「プレッシャーだけど、周りに溶け込める音を吹きたい」 (仙台総局・堀江麻友)


河北新報
特定秘密保護法、10日施行 「知る権利」侵害の懸念残す
 機密情報の漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法が10日午前0時、施行される。防衛や外交、スパイ防止、テロ防止の4分野を対象に、政府が安全保障上の秘匿が必要と判断した情報を「特定秘密」に指定するのが柱だ。原則30年非公開で、それを超えて指定できない。政府の裁量次第で指定範囲や非公開の期間が広がる恐れがあり、国民の「知る権利」や「報道の自由」を侵害する懸念は残されたままとなる。衆院選での論点の一つだが、与野党による議論は深まっているとは言えない。
 特定秘密に指定できるのは外務、防衛両省など19の行政機関に限られ、4分野の55項目が対象だ。


朝日新聞
反戦訴え「赤紙」配る 大阪の女性グループ
 再び戦争はしない、させない――。太平洋戦争(1941年12月〜45年8月)の開戦から73年を迎えた8日、戦時中に兵士を召集する令状「赤紙」を模したチラシを女性グループが大阪・難波で配った。

 「生命を生み出す母親は生命を育て、生命を守ることを望む」というスローガンを掲げ、平和を願う運動を続ける大阪母親大会連絡会が主催。「赤紙配り」は75年以降、40回目だ。チラシを受け取った学童保育指導員の宝田梨苗(りな)さん(24)=堺市東区=は「私が結婚して産んだ子どもが戦争に巻き込まれない世の中が続いてほしい」と話した。

 10日に施行される特定秘密保護法と来年から集団的自衛権の行使容認に向けた法整備が進む現状に対し、連絡会は「戦争へのきな臭さを感じる」と訴える。父がシベリア抑留を経験したという事務局長の三島志賀子さん(60)は「3人の孫に父と同じようなつらさを味わわせたくない」と力を込めた。

 秘密法をめぐっては、弁護士らも8日正午から大阪・キタで廃止を訴えて練り歩いた。


朝日新聞
(天声人語)寒い朝の日米開戦
 今年の七曜(しちよう)は73年前と同じ巡りである。1941年12月8日の月曜の朝、臨時ニュースがラジオから流れた。そのときの心情を、有名無名の多くの人が歌に詠んだ。〈日米が正(まさ)に戦ふこのニュース頰(ほお)こはばりて我は聴きゐつ〉田中みゆき▼〈宣戦のビラに痺(しび)れしごとき街今朝(けさ)の静けさかつて見ざりき〉平井乙麿(おとまろ)。『短歌で読む昭和感情史』から引いた。寒い朝の緊張は、戦果の速報とともに興奮へと変質していく。歌人の斎藤茂吉は、正午に娘と「勝鬨(かちどき)」をあげたという一首を残した▼敵方の英国にも、日本軍の真珠湾攻撃に内心欣喜(きんき)する人がいた。首相のチャーチルだ。「我々は戦争に勝った。ヒトラーの運命もムッソリーニの運命も定まった」。そんな記述が自著『第二次大戦回顧録』の12月8日にある▼米国の参戦で対独戦は一変するとの読みだった。米の国力を巨大なボイラーに例えたくだりもある。「その下に火がたかれると、つくり出す力には限りがない」。圧倒的な物量に対抗して人の命を湯水のようにつぎ込んで、日本は降伏する▼おびただしい流血であがなった平和国家の体制(レジーム)だが、いまや風前の灯火(ともしび)といえる。特定秘密保護法は選挙の喧噪(けんそう)に紛れて、あさって施行となる。そして集団的自衛権。景気論議に埋没させてはならないテーマだと、痛恨の日に改めて思う▼あとになって「あのときが」と言われる節目が歴史にはある。最後に人を救うのはアクセルよりもブレーキのことが多い。苦い歴史の教えるところだ。

週刊ポスト
JTBがグループ社員に送った「創価学会様に選挙協力」メール
〈特定団体への協力依頼について〉──こう題された社内メールを受け取った大手旅行代理店「JTB」グループの中堅男性社員が明かす。

「任意の協力とはいえ特定の候補者の応援署名を集めろというのは入社してから初めて。しかも、それが創価学会からの要請で公明党を応援するというんだから驚きました」

 文書は11月27日付で、JTB取締役旅行事業本部長の名前で社員向けに送られた。文書にはこうある。

〈国内研修会をはじめとした各種需要を頂戴している創価学会様より、支援政党である公明党への支援要請がJTBグループにあり、営業政策上の観点から各事業会社においても可能な範囲での協力を求められております〉(以下、〈 〉内は文書から抜粋)

 まず東京・神奈川・千葉に住む社員には比例代表向けに〈公明党の政治活動を支援します〉と題した用紙への署名集めを、太田昭宏国交相と前職の上田勇氏がそれぞれ出馬した東京12区と神奈川6区の居住者には各候補の支援者名簿を作るための署名集めを要請している。

 JTB社員向けメールでは、あくまで〈社員個人としての任意協力〉と強調しているが、〈出来る限りの協力をお願い致します〉と念押ししているのだから、控え目にいっても「支援要請」である。

 世界有数の旅行代理店であるJTBは修学旅行などの教育旅行や官公庁のイベントなど、公共性の高い業務を多く抱えている。大口顧客とはいえ、特定政党の支援を社員に一斉メールで堂々と要請するのは他の大企業では考えにくい。

 JTB広報室は「グループ2社で協力依頼した。あくまで任意の協力依頼であり、会社として特定の政党を支援することはない」と説明したが、取締役名で社内メールシステムを使っているのだから、「会社として支援」していないという説明はいかにも苦しい。

 民主党も共産党も、JTBの顧客なら頼めば協力してくれるのか。あまりにも国政選挙を軽く考えているのではないか。



朝日新聞
(ニュースの扉)ドリアン助川さんと考える終活 人生の店じまい、記憶もつなぐ
 長い人生の幕引きに備える「終活」が中高年の間で盛んだ。葬儀や墓、遺産相続などをどうするか、元気なうちに考えておこうというのである。ショッピングモールでの終活セミナーまであると聞いた。いったい、どんな雰囲気なのだろう。
     *
 11月下旬、さいたま市の「イオンモール与野」を訪れた。同行してくれたのは作家で詩人、道化師として活動しているドリアン助川さん。90年代、ラジオの深夜番組で中高生らの悩み相談を受け、生を支える言葉が反響を呼んだ。そのドリアンさんも52歳、人生の折り返し点を迎えた。大学時代は仏教を専攻し、もともと死の問題にも関心がある。「特に40代後半から考えるようになりましたね。あと2、3日で死んだとしても納得できるかなって」
 イオンと110以上の専門店が入った巨大施設。その専門店街の1階ほぼ中央、買い物客が行き交う広場に「終活フェア」と銘打つ会場があった。
 「ここでやるの?」
 ドリアンさんの第一声だった。「もっとひっそり、隅っことか仕切った部屋の中でやるのかと思っていました。ちょっと意外です。時代はこういう方向に動いているんだなあ」
 館内にはクリスマスソングが流れ、きらびやかなツリーが立っている。装飾品や女性服の店が並んでいる。それに取り囲まれて「お葬式」「永代供養」「保険」「相続」の相談コーナーがあり、講座用の机と椅子が並べられている。
 「これはかなりシュールな光景ですね。ん〜、映画のワンシーンでも見ているようです」
     *
 講座は午前と午後、30分ごとにテーマを変えて各2時間。出入り自由で、買い物の途中に立ち寄る人もいる。最初の講座「もめない相続」には20人近くが集まった。半数は夫婦連れのようだ。講師が語りかける。
 「お金の『ある・なし』と『もめる・もめない』は、これ、また別の話でございまして……」。スクリーンに「泥沼の争いを避ける方法はないのでしょうか」と映し出された。一斉にメモを取る参加者。何をあわてたのか、一人の男性が机に置いたメガネを床に落とした。
 カメラマンが遺影を撮ってくれるコーナーもある。ドリアンさんが「実際のご葬儀で使う人も?」と尋ねた。担当者は「はい。自分が生き生きとしている時の顔を見てもらいたいと、着物で来られる方もいらっしゃいます」。終活とは「どう人生の店じまいをするか」だけでなく、「死後にどう記憶されたいか」の活動でもあるのだ。
     *
 もう一つの目玉は、ひつぎに入ってみるコーナー。死の疑似体験だ。ドリアンさんも試した。ひつぎに横たわると、スタッフの一人が小さな声で「受験生の時、ラジオ、聴いてました」。それを聞いて「ちょっとうれしい。自分の人生も無駄ではなかったな」と笑った。
 ドリアンさんはすっきりした顔で「ぼくたちの人生って、葉っぱの上の水滴のようなものじゃないかな」と語る。
 「太陽の光にキラキラして、でも、午後には消えてしまう。自分を存在させ、やがて奪い去るものを、ある人は神と言い、ぼくは『時』と呼びます。それといかに良い関係をつくり、最期までキラキラするか。『こんな最期を迎えたい』と相談し、一緒に考えてくれる人がいるのはいいことです」
 「ただ……」と付け加えた。「死にとらわれすぎるのもよくないですね。もっと自由な死のあり方があっていい、ということは、もっと自由な生き方があっていいということ。終活のために生きてるんじゃありませんからね」(磯村健太郎)

 ■ドリアンの目 「泣かないで」棺おけで念じた
 葬儀にはしきたりがつきものだ。棺おけに入るのは初めてだったので、左右どちらの足から縁をまたげば失礼がないのか、一瞬迷った。
 だが、考えてみれば、本当の葬儀では自力で棺おけに入る人はあまりいないだろう。すべては人様がしてくれるのだから、作法を気にする必要はないのだ。
 棺おけに納まり、天を見上げる。ここでも人様の存在を強く感じた。スタッフの皆さんとは面識がない。それなのに真摯(しんし)に私を見つめ、棺おけを囲んで下さる。
 ああ、人は最後まで出会いなのだなと思った。昨日まで知らなかった人にいたわってもらい、あの世へと旅立つ。
 棺おけに蓋(ふた)がされると、セミナー会場であるショッピングモールの音は途絶え、ほぼ真っ暗になった。するとなぜか陽光を浴びる緑の葉のイメージが目の前に現れた。平和な気分だ。そしてふと、本来の葬儀では涙を浮かべてくれるかもしれない人々を思い浮かべ、「泣かないで下さい」と胸のなかで念じていた。
 泣かないで。私は今とても穏やかなのです。ほほ笑みながらさよならしましょう。
 あくまでも生者の想像上の死だ。しかし自分は別れに際し、こんなふうに感じる可能性もあるのだと知れたことが、この終活セミナーでの最大の収穫となった。
 帰り道、鉛色の空から落ちてくる雨が、とても愛(いと)おしくきらめいて見えた。本物の棺おけに入るまで、あとどれぐらいの時間があるのだろう。当たり前の風景を、もう一度見直してみようと思った。(寄稿)
     *
 どりあん・すけがわ 1962年生まれ。90年にバンド「叫ぶ詩人の会」を結成、約10年間活動。明川哲也の筆名を使った時期も。

 ◆キーワード
 <終活> 就職活動の「就活」をもじった「終活」という言葉は、週刊朝日が2009年に使ったのを機に広まった。「死」を直接的に連想させない、前向きなイメージが受け、12年には「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10入り。
 最近は、模擬散骨をする終活体験ツアーもある。そうした背景には、終末期や死後まで自己決定しようとする流れや死生観のゆらぎが指摘されている。

フランス語
フランス語の勉強?

エアコンつけた/部屋で第九/北原みのりさん釈放される!!

ブログネタ
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Quand on est ensemble
Quand on est ensemble toute la nuit
Nous dormons jusqu'au matin
La main dans la main
En dormant si tu as rêvé de moi
Moi j'ai rêvé de toi
Quand on est ensemble, le soleil vient
Du bonheur dès le matin
Dénouer nos mains
Et très vite nous invite sous le ciel clair
À sauter dans la mer
Quand on est ensemble
Comme elle est douce la plage
Surtout à la fin du jour
J'ai trouvé un coquillage
Où l'on écoute l'amour
Oh oui l'amour
J'ai le cœur qui tremble
De ces baisers
Que tu as su me donner
Au creux des rochers
Et nos jeux
Ne sont que rires d'enfants
Qui résonnent longtemps
Où vont les lavandes
Bientôt la dernière voile
Bientôt le dernier pêcheur
Quand s'allument les étoiles
Nous n'avons plus qu'un seul cœur
Plus qu'un seul cœur
Le soir se fait tendre
Et doucement
Nous reprenons le chemin
Qui mène à demain
À demain
Qui tous les deux me conduit
Au même paradis
Quand on est ensemble
Quand on est ensemble


明日へ−支えあおう− 復興サポート▽笑顔呼び戻す 仮設の工夫〜宮城県・石巻市〜
復興サポート、今回は「長期化する仮設住宅の暮らしをどう支えてゆくか?」がテーマ。災害公営住宅の建設は進まず、仮設住宅の入居者は、被災3県で未だ9万人にのぼる。
4度目の冬を迎えた被災地。仮設住宅は老朽化が一段と進んでいる。天井や床にカビが繁殖して呼吸器に異常をきたす住民がいる。さらに深刻なのはコミュニティーの崩壊。新たな住まいに移り住む人たちの一方で、仮設に残っている住民たちは、自治会もなくなり、閉じこもりがちな人が増えている。阪神大震災や中越地震を経験した人たちから、長引く仮設住宅の暮らしを乗り切る知恵をうかがう。 畠山智之, 内藤裕子


NNNドキュメント'14 加害者が明かすストーカーの執着と闇▽治療
ストーカー加害者は、何をどう考えて執拗に相手を追い詰め、遂にはかつて愛した相手を殺しまでするのか?第一話ではストーカー加害者側の心の奥底をえぐり出す。 渡辺いっけい  日本テレビ

テレメンタリー2014「『自殺じゃない!』〜“西成のマザーテレサ不審死”の謎〜」
「さっちゃん先生」「西成のマザーテレサ」と、路上生活者たちに慕われていた矢島祥子医師(当時34歳)が2009年11月、水死体で見つかった。警察は当初、自殺と断定したが、遺族は「自殺じゃない」と訴え続けてきた。そして2年前、大阪府警西成警察署は遺族の告訴を正式受理し、「殺人・死体遺棄事件」として捜査を開始したが…。
矢島医師の死の真相を追い求める遺族の執念の闘いを追った。テレビ朝日


21:00 おながわ☆なうサンデー 高校生スペシャル(再)
阿部紗季・中村 葵・住吉なつみ・後藤えり
▽女川さいがいFMの高校生パーソナリティが中心となってお送りする90分!
▽女川町周辺の話題・お知らせ・交通天気情報
▽10代の素朴な疑問をみんなで考える「コバルトハイスクール放送室」
▽女川町民に女川町民が聞く「この人さ聞いでみっちゃ」
▽メッセージ now@onagawafm.jp Twitter @onagawafm

22:30 佐藤敏郎の大人のたまり場〜牡鹿半島フォークジャンボリー〜(再)
佐藤敏郎
この春まで、女川第一中、女川中学校で国語の教師として、12年にわたって女川町で活動してきた佐藤敏郎先生がパーソナリティを担当。40〜50代以上には懐かしく、また今も歌い継がれているフォークソング、ニューミュージック、歌謡曲の数々を毎週一つのテーマに基づいて選び、ご紹介していきます。
メール: otona@onagawafm.jp


閉塞成冬そらさむくふゆとなる,です.寒いのでエアコンをつけました.守口で開催された第九演奏会にはいくことができませんでした.残念.仕方ないので部屋のPCで第九を聞きました.
北原みのりさんが釈放になったとのこと.よかったです.

河北新報
思い出の校舎残して 石巻・大川小卒業生、訴え
 東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小の校舎について、保存を求める卒業生6人が6日、東京都内であった子どもの権利条約批准20周年記念集会で意見を発表した。「悲劇を風化させてはいけない」「思い出が詰まった校舎を壊さないで」。卒業生はそれぞれの思いを訴えた。

 6人は震災当時5年〜中学2年で、現在は中学3年〜高校3年。被災校舎については震災遺構として保存を求める声が上がる一方、「見るのがつらい」などの理由で解体を望む声もある。
 6人は約1年間、仙台市の団体「ここねっと発達支援センター緊急子どもサポートチーム」の支援を受け、自分たちの思いを話し合ってきた。
 5年だった妹が犠牲になった高校2年紫桃朋佳さん(16)は「生き残った私たちが大川小での思い出や起きたことを伝えていくことが大切」と言う。「そのために校舎を残す必要がある。あの校舎を見て、地震や津波の恐ろしさを感じてほしい」と話した。
 6年だった妹を失ったは高校3年佐藤そのみさん(18)は「解体を望む気持ちは分かる」とした上で、「校舎にはつらい記憶だけでなく、残された子たちや私たち卒業生、犠牲になった74人の子の夢と思い出が詰まっている」。行くたびに「今を大事に生きなさい」と奮い立たせてくれる気がするという。
 中学3年只野哲也君(15)は、3年だった妹と母、祖父を亡くし、自身も津波に巻き込まれ九死に一生を得た。「助けられるはずの命がなぜ助けられなかったか、大人も一緒に考えてほしい」と呼び掛け、「校舎を残して後世に伝え、自分たちと同じ思いをする子どもがいなくなるようにしたい」と訴えた。
 集会は子どもの権利のための国連NGO「DCI日本」(東京)が主催し、約70人が参加した。

朝日新聞
宮城)東松島で復興視察ツアー レイテ島からも参加者
 東日本大震災の津波で大きな被害が出た東松島市で5日、市民や自治体職員らを対象にした被災地視察ツアーがあった。93人が参加し、宅地造成現場や浸水地を利用した太陽光発電施設など復旧・復興の様子を見学した。

 ツアーは、6日に内閣府が同市で開いた「環境未来都市」構想推進国際フォーラムに合わせて実施。野蒜(のびる)地区北部丘陵団地では、重機で山を切り開く造成の様子や91ヘクタールという用地の広さに参加者は驚いていた。

 ツアーには国際協力機構の招きで、昨年11月の大型台風で7千人を超える犠牲者が出たフィリピンのレイテ島からも行政関係者9人が加わった。参加者の一人は「こんな短い期間でこれだけ回復するとは信じられない」と話した。


朝日新聞
兵庫)東北の親子40人、「再生の光」見学
 東日本大震災で被災した東北3県の親子20組40人が6日、日本赤十字社の招きで神戸市を訪れた。復興への道のりをイメージしてもらおうと、阪神大震災の被災者らと交流。今年で20回目を迎えた震災追悼イベント「神戸ルミナリエ」も見学した。

 神戸市中央区の日本赤十字社県支部で開かれた交流会には、阪神大震災の被災者や姫路赤十字看護専門学校の学生らが参加。

 同支部の藤原雅人事務局長は「大切な人を亡くした悲しみは一生消えないが、日常という現実に勇気を持って立ち向かって」とあいさつ。東日本大震災の被災者たちは「震災が忘れられていく気がする」「海を見るのが怖い」などと思いを打ち明けた。

 福島県須賀川市から訪れた古川礼馬君(13)はルミナリエを見学して「震災からの再生のシンボルになっている」と目を輝かせた。(江向彩也夏)


石巻かほく
被災地 当時と今(9)/石巻市 雄勝硯伝統産業会館
復興に跡地を活用

 伝統工芸品「雄勝硯(すずり)」の産地として知られる石巻市雄勝町。東日本大震災では優に10メートルを超える津波が直撃し、住宅や商店、病院など全てをのみ込んだ。

 観光スポットとして親しまれてきた雄勝硯伝統産業会館も甚大な被害を受けた。1990年にオープンした会館は2001年に増築し、多くの観光客でにぎわっていた。

 津波で展示品の多くは流失。建物も屋根の上にトラックのコンテナが横たわったり、鉄骨がむき出しになったりした。解体工事は13年9月に終わった。

 現在、跡地には漁港の復旧で使用される大量の消波ブロックが保管されている。今後、近くを流れる大原川の河川堤防が整備されると、跡地一帯は河川敷となる予定。会館は移転再建が計画されている。

NHK
震災体験語るスピーチ 全国コンテスト
東日本大震災の被災者などが震災の体験を語り継ぐスピーチコンテストの全国大会が東京で開かれ、出場した人たちが将来に向かって進んでいくことの大切さなどを話しました。

このコンテストは、東日本大震災で被災した人や支援に携わっている人が体験や思いを語ることで震災の風化を防ごうと、被災地の支援をしているNPOが初めて開きました。
7日に都内で開かれた全国大会には、宮城、岩手、福島の3県で行われた予選を通過した高校生や主婦、それに支援団体の代表など9人が出場し、1人8分の持ち時間でそれぞれの思いを発表しました。
このうち福島県いわき市の高校3年生、琴田巴菜さんは、校舎が全壊したため今もプレハブの建物で授業を受けていますが、学校の仲間と共に特産の梨のジャムなどを作って地元の活性化に取り組んでいるということで、「福島の未来のためにこれからも自分にできることは何かを考えながら歩き続けたい」と話しました。
また、宮城県塩釜市の主婦、高橋匡美さんは、石巻市に住んでいた両親を亡くしたことを話し、「あしたが必ず来るか分からない。みっともなくてもいい、格好悪くてもいい、今を生きていきましょう」と訴えました。
会場には被災地からの観客も多く訪れ、震災当時の話に涙を浮かべたりうなずいたりしながら聞き入っていました。
最後におよそ200人の観客の投票で、福島県の琴田さんが金賞に選ばれました。


産経新聞
“復興イチゴ”を初収穫 宮城・気仙沼で若者が栽培
 宮城県気仙沼市で、東日本大震災を機に設立された生産組合が栽培したイチゴが実り、初の収穫作業を迎えている。

 実家が稲作農家だった組合長の小野寺正弘さん(23)が昨年4月、友人2人と組合を設立。震災で津波被害を免れた田んぼの一部をイチゴのハウスに変えて栽培を進めていた。

 小野寺さんは「収穫は復興への第一歩。これからこのイチゴを広めることができれば」と話している。今後クリスマスに向けて、収穫のピークを迎える予定という。


朝日新聞
福井)敦賀でもんじゅへ抗議の全国集会 600人参加
 日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃炉や原発再稼働の中止を求める市民団体の全国集会が6日、敦賀市のプラザ萬象であり、約600人が参加した。1995年のもんじゅのナトリウム漏れ事故を受けて96年から毎年開催され、19回目。

 午前の集会では、「ずさんな管理を繰り返す原子力機構にもんじゅを運転する資格はなく、血税を投入する意義は見いだせない」などとして、もんじゅを速やかに廃炉にする▽国に核燃料サイクル政策からの撤退を求める▽30キロ圏内の自治体と安全協定を結ぶ――などを原子力機構に求める抗議文を採択。午後の全国集会では、各市民団体が「原発の避難計画に実効性はない」などと主張し、原発の再稼働中止を求めた。

 福島原発告訴団の地脇美和事務局長は「原発事故の傷は重くのしかかり、逃れることはできない。再稼働して輸出するなど到底許せない。同じ悲劇を二度と繰り返したくない」と訴えた。(大野正智)


弁護士ドットコム
【速報】作家・北原みのりさん「釈放」――検察の「勾留請求」を裁判官が却下
わいせつ物公然陳列の疑いで逮捕されていた、女性向けアダルトグッズ店経営者で、作家の北原みのりさんが12月6日に釈放されたことが、弁護人への取材でわかった。

北原さんは、自らが経営する店舗に芸術家ろくでなし子さんの女性器をかたどった作品を展示していたとして、12月3日に警視庁に逮捕された。弁護人をつとめる村木一郎弁護士によると、北原さんは5日に身柄を検察庁に送られたが、検察官の「勾留請求」が翌6日、裁判官に却下された。検察は準抗告(不服申立て)をおこなったが、東京地裁に棄却されたため、北原さんは釈放された。

「不当逮捕」の指摘が出ていた

「勾留」は、逮捕に続いて被疑者の身柄を拘束する手続きで、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」に加えて、証拠隠滅や逃亡のおそれなどがない限り、認められない。ただ、裁判官が勾留請求を却下することは珍しく、検察統計によると、2013年の勾留請求却下率は1.61%だった。

北原さんは、フェミニズムの視点からセックスやジェンダーについて発信する論客として知られ、著書も『アンアンのセックスできれいになれた?』『毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記』など多数ある。今回の逮捕をめぐっては、週刊金曜日やアジア女性資料センターが抗議声明を出したほか、多数の識者らが「不当逮捕だ」とする声を上げていた。


弁護士ドットコム
ろくでなし子さん「接見禁止」つき勾留――弁護団は「準抗告」表明
女性器をモチーフにした作品で知られ、12月3日にわいせつ物公然陳列などの容疑で逮捕された芸術家「ろくでなし子」さんは、裁判官が「勾留決定」を出したため、引き続き身柄を拘束されていることが、弁護団への取材でわかった。

ろくでなし子さんは、作家の北原みのりさんが経営する東京都内の店舗に、女性器をかたどった作品を展示していたなどとして、わいせつ物公然陳列などの容疑で警視庁に逮捕された。

弁護団の山口貴士弁護士は12月7日午前、「ろくでなし子さんは、接見禁止付で勾留されました。準抗告します」とツイート。裁判官の勾留決定が出たことを明かし、それに対して「準抗告」という不服申し立てをすることを表明している。

●「接見禁止」とは・・・?


「接見」とは、身柄拘束されている被疑者や被告人が外部の人と面会すること。被疑者は勾留されている間、原則として、家族らと接見できるが、「接見禁止」が付くと、弁護人以外と接見できなくなる。

ろくでなし子さんは今年7月にも、わいせつ電磁録記録頒布の容疑で逮捕されたが、その際には逮捕から7日目に、勾留決定に対する準抗告が認められ、釈放された。

なお、同じく12月3日にわいせつ物公然陳列の容疑で逮捕された北原みのりさんについては、検察の勾留請求が認められず、6日に釈放されている。

署名サイト「change.org」では、ろくでなし子さんの「即時釈放」を要求する署名活動が行われており、7日12時の段階で8300人超が賛同している。


NHK
昭和東南海地震から70年 津波避難訓練
昭和19年に発生した昭和東南海地震から7日で70年になります。
64人が死亡した三重県大紀町では大津波の発生を想定した住民の避難訓練が行われました。

熊野灘に面した大紀町の錦地区は、昭和19年12月7日の昭和東南海地震で64人が津波などで亡くなっていて、毎年この日に避難訓練を続けています。
7日の訓練は大津波の発生を想定して行われ、避難を呼びかけるサイレンが鳴らされると、住民たちは歩いて高台の避難場所に向かいました。
ことし3月地区に完成した高さ24メートルの津波避難用のタワーにはおよそ30人が駆けつけ、安全な上の階を目指して階段を上りました。
大紀町は南海トラフの巨大地震で、最大16メートルの高さの津波が押し寄せると想定されていて、住民たちは万が一に備えて避難の経路などを確認していました。
70年前の地震を5歳のときに体験したという男性は「逃げる途中に津波で腰まで水につかったが、母親に手を引かれて助かった。今も地震の大小にかかわらず、すぐ避難できるようにしている」と話していました。
70年前にはまだ生まれていなかったという68歳の男性は「訓練に毎年参加して、地震のときはすぐ避難する心構えを養っています」と話していました。

フランス語
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梅田でフレンチ/扇町で秘密法反対/天六で講演会

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Un quotidien japonais présente ses excuses pour une publicité antisémite
Un quotidien conservateur japonais a présenté samedi ses excuses pour avoir publié une publicité pour les livres d'un écrivain qui prétend que les Juifs sont derrière le séisme et le tsunami qui ont provoqué une catastrophe au Japon en 2011.
La publicité en question a été publié le 26 novembre dans une édition régionale du Sankei Shimbun, un quotidien conservateur national. Elle concernait les écrits de Richard Koshimizu, activiste et prétendu journaliste qui soutient également que les Juifs sont responsables des attentats terroristes du 11 septembre 2001 aux Etats-Unis.
≪Faille dans le contrôle de nos publicités≫
Le même Koshimizu estime aussi que la Shoah, l'extermination des Juifs d'Europe par les nazis pendant la Seconde guerre mondiale, est une ≪invention≫ conçue pour justifier la création de l'Etat d'Israël.
≪Il est extrêmement regrettable qu'une publicité sur ces ouvrages ait été fournie à nos lecteurs, et nous présentons nos sincères excuses aux lecteurs et aux personnes appartenant à la communauté juive≫, a déclaré le président du Sankei, Takamitsu Kumasaka, dans un communiqué publié dans le journal. ≪Il est évident qu'il y a eu une faille dans le contrôle de nos publicités≫, a-t-il dit.
Protestation
Takamitsu Kumasaka a ajouté qu'il avait reçu une lettre de protestation d'Abraham Cooper, un responsable du Centre Simon Wiesenthal, qui traque notamment les anciens criminels de guerre nazis. ≪Le Sankei considère l'Holocauste commis par les nazis comme un crime impardonnable et haineux≫, a déclaré le président.
Le journal a précisé que la publicité avait été publiée dans son édition Tokai/Hokuriku, qui couvre le centre du Japon et tire à 5.000 exemplaires.
 
梅田でチラシ配りをした後,フレンチのお店に行きました.前からなんとなく気になっていたお店ですがなかなかタイミングが合わずに今日やっとその機会が来ました.不味くはないですが,おいしいとも感じません.パンもお代わりできたのですが,なんだかなぁという味でした.よくわからないです.
ちょっと考えて扇町まで移動して秘密法反対の集会に参加しました.次の用事があるのでとIwさんに言うとちょっとがっかりしていた感じでした.
その用事とは天六の大阪市立住まい情報センターで開催された摂南大学国際教養セミナー,「酒の文化史 グラスの中の世界史」です.2つの文化が融合した酒:テキーラ(北條ゆかり),中国の酒4000年(谷口義介)と大阪で生まれた洋酒文化 寿屋からサントリーへ(伊木稔)の3つ.実は最初の2つはうかつにも寝てしまったので最後のお話だけマジメに聞きました.

三陸新報
メカジキ 闇に浮かぶ 気仙沼駅屋根の絵画をライトアップ
 JR気仙沼駅の屋根に描かれている突きん棒漁の絵が5日からライトアップされた。港町・気仙沼を象徴する勇壮なイラストが、暗闇に浮かび上がっている。
 屋根に描かれている絵は、JR東日本が被災地支援として行った駅の全面改修の際に書き替えられた。市内陣山の画家・相澤一夫さんの作で、メカジキを突きん棒で追う姿が描かれている。
 駅舎を見下ろすことができる気仙沼パールシティーホテルの白幡勉支配人は「夜の駅舎の絵は一段と迫力があり、気仙沼らしさを味わえる。観光客にもアピールできそう」と話した。


河北新報
仙台と相双地方結ぶ 常磐道2区間が開通
 常磐自動車道の浪江−南相馬インターチェンジ(IC)間(18.4キロ)と相馬−山元IC間(23.3キロ)の開通を祝う式典が6日午前、宮城県山元町の山元IC近くの常磐道本線上で行われた。午後には福島県浪江町の浪江ICなど2カ所でセレモニーを開催し、3時に一般車両が通行を開始。浪江町以北の相双地方と仙台圏が高速道路で結ばれた。
 山元ICの開通式典には、関係者約360人が出席。内堀雅雄福島県知事は「被災地がつながり、復興の力強い追い風になる。希望の道だ」と地域交流の活発化に期待を寄せた。村井嘉浩宮城県知事は「国土の骨格を形成する重要な道路。東北道と合わせ、二つの縦軸が構築される」と歓迎。東日本高速道路の広瀬博社長は「地域経済の活性化が図られ、地方創生に向けた原動力になる」と意義を強調した。
 仙台市−浪江町間の所要時間は約20分短縮され、1時間30分程度となる。開通に合わせ、相馬−山元IC間に新地ICが開設され、山元−亘理IC間に鳥の海パーキングエリア(PA、宮城県亘理町)ができた。2012年4月に開通し、これまで無料措置が取られていた南相馬−相馬IC間は有料区間となる。
 浪江−南相馬IC間は放射線量が高い帰還困難区域を走る。線量を測るモニタリングポストを3カ所に設置し、計6基の表示板で数値を示す。
 常磐道は、常磐富岡−浪江IC間(14.3キロ)が15年3月1日に開通する見通しで、三郷(埼玉県)−亘理IC間(約300キロ)の全線が開通する。


河北新報
仙台、氷点下2.6度 今冬一番の冷え込み
 宮城県内は6日、強い冬型の気圧配置の影響で各地でこの冬一番の冷え込みとなり、県内22の観測地点全てで今季最低を記録した。
 6日朝の各地の最低気温は蔵王で氷点下5.6度、大崎市古川で氷点下3.4度、石巻で氷点下2.8度となった。仙台では午前4時前に平年より4.6度低い氷点下2.6度を観測した。上空に寒気が流れ込んだのに加え、よく晴れて放射冷却が強まった。
 仙台管区気象台によると、寒さは6日がピーク。7日には冬型の気圧配置が次第に緩む見通し。


毎日新聞
ゴルゴ松本さん:命の炎語り続け 少年院で講話、手弁当で3年間
 「命」や「炎」などの漢字を体で表現する「人文字ギャグ」でブレークしたお笑いコンビ「TIM」のゴルゴ松本さん(47)が、約3年前から各地の少年院で講話を続けている。仕事の合間を縫ってマイカーで駆け付けるボランティア。きっかけは知人の誘いで、「子供たちに諦めちゃいけないんだって伝え続けたい」という。関東地方やその近郊の少年院を所管する法務省東京矯正管区は近く、ゴルゴさんを表彰する。【和田武士】

 今月1日午後、東京都狛江市の女子少年院「愛光女子学園」。ブレザー姿の17人の少女たちを前に、ゴルゴさんは自身の苦労話も披露しながら、「夢は叶(かな)う。だけど、すぐの人もいれば時間がかかる人もいる」と語りかけた。講話が始まって約1時間半が過ぎていたが、少女たちはゴルゴさんの軽妙な話に、すっかり引き込まれている様子だ。

 ゴルゴさんが続ける。「夢が叶わないと人は弱音を吐く。『吐』という字は口にプラスマイナス。何かを成し遂げる人は『俺は、私はこうなる』と目標を口にする。そうするとマイナスが無くなって、『叶』っちゃうんだ」。ホワイトボードに手書きした「吐」から、下の横棒を一つ消すと「叶」になった。少女たちからは「おーっ」と驚きの声が上がった。

 そして最後は「命」の文字。「『人を一叩(たた)き』と書くけど、殴ることじゃない。命は一叩き一叩きの鼓動の連続なんだ」と説き、「みんなはお母さんが命がけで産んでくれた。その命を未来につないでいってください。今、その準備をしています。外に出てはばたいてください」と締めくくった。

 少女たちは、2時間近いゴルゴさんの講話のお礼に、歌手アンジェラ・アキさんの「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」を女性法務教官のピアノ伴奏に合わせて合唱した。歌いながら涙を拭う少女もいる。ゴルゴさんも感極まった様子で「いっぱい泣いて強くなってください」と語りかけ、一人一人と握手を交わした。

 傍聴していた横井幸四郎園長は「評判は聞いていたが、素晴らしい内容だった。子どもたちの良い笑顔を見ることができた」と感謝していた。ゴルゴさんは取材に「少年院に入ると『自分はだめな人間だ』と思うかもしれない。でもチャンスや運はいくらでも転がっているし、人生を切り開くのは自分。そのことを伝えていきたい」と熱く語った。


朝日新聞
(天声人語)ウイスキー人気
 度はずれた酒への愛というべきか。作家の吉田健一が書いている。〈理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ〉。随筆集『酒肴酒(さけさかなさけ)』で吐露する酒飲みの存念にあっけにとられる▼そんなに長い間飲んで大丈夫かという心配には、〈世界の動きだの生活の営みはその間止(とま)っていればいいのである〉と啖呵(たんか)を切る。威勢がいいが、むろんこれは文章の芸であって、読者はそれをただ楽しめばいい▼ワインや日本酒に比べて、吉田はウイスキーにやや冷淡だ。それでも、何でもいいから飲みたくなった時はウイスキーがいいと書いている。一杯飲んでまた仕事に戻れるし、水かソーダで割れば後に残らないからだという▼いま、ウイスキー市場の元気がいい。放送中のNHK連続テレビ小説の影響が大きいらしい。ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝がモデルだ。先日の本紙の記事は「マッサン」効果を伝えていた▼先月初めには、英国のガイド本がサントリーの「山崎シェリーカスク2013」を世界最高に選んだと報じられた。若き日の竹鶴がスコットランドに旅立ってから100年足らず。先駆者として製造技術を持ち帰り、今では本場をもしのぐ名酒が日本でつくられるようになった▼時間をかけて飲みなさい。竹鶴は、せっかちに飲んで、すぐ酔っぱらう日本人の傾向をたしなめた。〈楽しみはできるだけ長く――それが人生を幸せにする方法〉と。今にも通じる教えである。とはいえ吉田流は行き過ぎだろうが。

朝日新聞
(時時刻刻)警察不信、米デモ拡大 黒人男性死亡、警官相次ぎ不起訴
 米国で、取り締まり中に黒人男性を死亡させた白人警察官が相次いで不起訴になり、各地で抗議デモが起きている。アフリカ系(黒人)らマイノリティーを中心に、警察の行き過ぎた取り締まりに不満がたまっていた。高まる批判を受けて、警察による取り締まり方法の見直しも検討され始めた。

 ■「肌の色、命を左右」抗議
 ニューヨークのタイムズスクエアでは4日、大規模な抗議が未明まで続いた。
 「息ができない」「私は手は上げている、撃たないでくれ」。車道に流れ込んだ群衆が叫ぶ。市警の警察官に背後から首を羽交い締めにされた後に死亡したエリック・ガーナーさん(当時43)と、ミズーリ州ファーガソンで警察官に射殺された黒人少年マイケル・ブラウンさん(当時18)の名が連呼された。
 動員された警察官が群衆を車道から歩道に押し戻す。制止を無視して飛び出した若者が、数人の警察官に取り押さえられた。群衆がまた叫ぶ。「彼は非武装だぞ!」「撃つな! 殺すな!」
 若者に交じって静かに抗議する黒人女性がいた。ソーシャルワーカーのルースさん(56)。警察官に押さえ込まれたガーナーさんが動かなくなるテレビ映像に胸を締め付けられた。ハンガーに厚紙を貼り付けてメッセージを書き込み、1人でやってきた。「私は幼い頃の父親の教えで市警をずっと信じてきたが、信頼は崩れた。今の警察はやり過ぎだ」
 プエルトリコ出身のミリーさん(63)も1人で参加。アラブ人の夫との間に生まれた、褐色の肌を持つ息子は米軍でいじめに遭い、大けがを負った。黒人男性が死亡し、白人警察官が不起訴になる事態が続いたことが許せない。「信じられる? この国ではいまだに肌の色が命を左右するのよ」
 警察不信は全米で高まりボストンやシカゴなど各地で抗議集会が相次いだ。
 アリゾナ州のフェニックスでは2日、白人警察官が麻薬密売を疑われた丸腰の黒人男性を撃って死なせる事件が発生。警察官は逃走した男性ともみ合いになった末に発砲した。男性の車からは銃と大麻がみつかった。警察官への処分は未定だが、警察署前で200人ほどが抗議デモをした。

 ■取り締まり、改革の動き
 白人警察官が相次いで不起訴となったことをきっかけに、警察のあり方に注目が集まっている。ニューヨークのデブラシオ市長は4日、市警本部長らと会見し、「警察について根本的な問いかけがなされている」と語った。同市では、ガーナーさんの死亡以来、取り締まりの見直しなどを検討してきた。デブラシオ氏は会見で、過剰な力の使用を減らし、警察がコミュニティーの人と協力するための研修の導入を進めていると述べた。
 米政府も対策に乗り出した。ファーガソンでブラウンさんを撃った白人警察官が11月に不起訴となった後、抗議や混乱が全米に広がったことを受け、オバマ大統領は1日、「警察とコミュニティーの間の関係を強化する必要がある」と表明。ホルダー司法長官が各地で警察や住民も交えた対話集会を始めた。
 ホルダー氏は4日に訪れたオハイオ州クリーブランドで、同市警で不必要な発砲やスタンガンの使用など過剰な対応が繰り返されてきたとする司法省の調査結果を公表。市とともに改革を始めると表明した。同市では11月にも警察官が模造銃を持った12歳の黒人少年を射殺する事件があった。
 取り締まり改革で特に注目を集めているのが、警察官への小型カメラ装着だ。一部の地域で導入されており、装着した警察官の方が、市民から苦情を受ける回数が少ないとの報告もある。ファーガソンの事件のように、当事者や目撃者の証言が食い違う場合、確実な記録を残せるという利点もあり、死亡した少年の遺族は義務化を求めている。
 オバマ氏もカメラの導入を改革の目玉の一つに位置づけている。ただ、ニューヨークの事件では警察官がガーナーさんの首を絞める様子がビデオで撮影されて公開されながら、警察官は不起訴になった。カメラがすべてを解決するわけではない、との指摘もある。

 ■大陪審、手続き非公開
 抗議のきっかけとなる不起訴を決定した、大陪審に対する不満も強い。
 大陪審は、事件の捜査で容疑者を起訴するかどうかを判断する一般市民の集まりで、裁判で有罪無罪を決める陪審(小陪審)とは異なる。米国では連邦政府のほか、約半数の州が用いている。州によって運用が異なるが、ニューヨークの場合は23人が参加し、起訴には12人の賛成が必要だ。
 しかし、手続きはすべて非公開だ。ニューヨークの事件では、裁判所は4日、(1)9週間にわたって審理した(2)50人の供述を聴いた(3)ビデオ4本を含む60点の証拠が示された――と発表したが、不起訴になった理由は一切明かされていない。大陪審に12人の市民が参加したミズーリ州の事件では、提出された証拠はすべて公表されたが、判断の理由はやはり説明されていない。
 大陪審の審理には原則として弁護人が出席せず、証拠の提出が委ねられている検察官の意向が強く働くとされる。さらに、「容疑者が犯罪を起こしたと考える十分な理由がある」と判断すれば起訴できるため、不起訴の判断はあまりされない。今回の不起訴では多くの米メディアが「検察官は警察との関係が深いだけに、その意向が働いたのでは」と指摘している。特に、警察官が首を絞める状況がビデオに記録されたニューヨークの事件については、不起訴への疑問が多い。(ニューヨーク=金成隆一、中井大助)

河北新報
’14衆院選 震災復興/政党は現実を見ているか
 津波で倒壊したビルのそばに立つ街灯に明かりがともる。浸水地区のかさ上げ工事現場の脇を大型トラックが走り、重機が稼働する。衆院選公示を伝える3日の本紙朝刊1面写真は、夕暮れの宮城県女川町を走る選挙カーをとらえた。
 前回の選挙から2年。東日本大震災からの復興がいまだ途上にあることを示す象徴的な光景だ。その選挙戦、震災の「歴史化」が進んで、復興が論戦の隅に追いやられてしまっている。
 被災者の暮らしは戻り切っていない。被災地の経済も依然、立ち直るに至っていない。
 「東京五輪の施設整備で物資や人材が中央に取られ、復興の歩みを遅らせている。被災地の経済を回復させてくれる人を選びたい」
 「自宅が全壊した。3人の子育てをしながらの生活は楽ではない。党派にかかわらず、国政に被災者の声を届けてくれる人に1票を投じたい」
 紙面で報じた、厳しい復興の現実を生きる被災者の声だ。
 安倍晋三首相は胸を張る。「『アベノミクス』の2年間で、経済の好循環がしっかりと生まれ始めた」。成果がことさら強調されるほど、被災地は現実とのギャップに戸惑い、憤る。
 河北新報社が2、3の両日、宮城県内で実施した衆院選の世論調査結果に、そうした実態が浮かび上がる。
 地域の経済が「上向いている」と感じている有権者は「大いに」「少しは」を合わせ13.9%にとどまった。「全く」「あまり」実感していない人は計85.1%。大規模被災した仙台市宮城野、若林両区を抱える宮城2区はさらに厳しく、効果を実感できない人は実に89.7%に達した。
 看板政策であるアベノミクス効果は被災地に届いていない。ほとんどの住民にとって、好転は「よその事」なのだ。
 自民党はマニフェスト(政権公約)で「復興加速化」を掲げている。既視感のある施策の前段に、被災地が「復興の足かせ」と感じている「東京五輪の成功」を掲げたセンスには驚くしかない。
 民主党は、現行2015年度までの集中復興期間の延長を掲げているが、多くは既存施策の羅列にすぎない。他の野党も震災復興に触れてはいるが、被災地が何度も要望し、実現されていない施策リストにも映る。
 各政党の代表が首都圏で訴える項目に震災、復興が上ることはほとんどない。国政の主要課題から外れ、「被災地限定」の地域政策に押し込められた形で、政党はその再生について何も語っていないに等しい。
 「復興は道半ば」。こんな政党の決まり文句はもう結構だ。「わが事」ととらえ、現実を直視した手だてをこそ問いたい。
 被災地は多様で、日々の暮らしに追われる住民らの訴えも声になりにくい。ただ、進まぬ復興に歯がみしているわけにはいかない。政党の本気度を測る物差しを、私たち有権者が自ら作らなければならない。


東京新聞
原発政策 命と未来を守るには 
 原発政策が明確な争点として浮上した。反対か、推進かというだけではない。3・11の痛恨を経た私たちが、どんな未来を選ぶかが問われている。

 思い出していただきたい。

 二〇一二年十二月の衆院選で、原発政策は争点になっていない。なりえなかったというべきか。

 福島第一原発事故の翌年、日本中どこへ行っても、まだ恐怖は鮮明だった。

 その年の夏に政府が実施した討論型世論調査では、三〇年時点の原発比率について、半数近くがゼロと答えていた。
◆自民党の変化を受けて

 このような世情を背景に、すべての主要な政党が、速やかに原発ゼロをめざすか、原発に依存しない社会づくりを掲げて臨んだ総選挙だったのだ。

 昨年七月の参院選の真っ最中に、福島の事故を踏まえた新たな規制基準が施行になった。すると自民党の公約が変化した。

 「国が責任を持って、安全と判断された原発稼働については、地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力をいたします」と脱・脱原発依存の姿勢を打ち出した。

 そして今回の衆院選。主要政党の原発政策は、おおむね次のように分けられる。

 自民党は、ことし四月に公表した国の新たなエネルギー基本計画を踏襲し、規制委が安全性を認めた原発は、速やかに再稼働するという。原子力技術は維持すべきだとする次世代の党は、自民党に近い立ち位置だ。

 民主党、維新の党、そして公明党も、将来的には原発ゼロ、脱原発依存を掲げている。

 民主党は「三〇年代原発ゼロ」、維新の党は「既設の原発はフェードアウト(消失)」、政権与党の公明党は「四十年運転制限を厳格に適用する」という。

 共産党、生活の党、社民党、そして新党改革は、再稼働そのものに反対の立場をとる。

 いずれにしても、3・11後初めて、原発が争点になった衆院選と言っていい。
◆福島を忘れたように

 やがて三年九カ月、福島はほとんど変わっていない。十二万人もの避難者がいまだ故郷に帰れない。選挙が終われば、避難先で四度目の新年を迎えることになる。

 原発の敷地内では、流れ出る汚染水さえ止められない。溶け落ちた核燃料のありかも定かでない。

 使用済み核燃料の処分場選定は、公募開始から十二年を経た今も白紙と言っていい。

 昨年九月、関西電力大飯原発4号機が定期点検のために停止して以来、原発ゼロの状態が続いてきた。この夏の電力需要期は原発なしで乗り切った。

 ところが政府と電力会社は、福島の事故など忘れてしまったかのように、再稼働を急いでいる。

 原発さえ稼働できれば、電力会社は火力発電に使う石油やガスを海外から買わずに済んで、楽に利益を上げられる。これ以上、電気代の値上げもしないで済むという。安全を追求すればするほど、莫大(ばくだい)な費用がかさみ、料金に上乗せされるはずなのに。

 原子力規制委員会は、九州電力川内原発1、2号機が、福島の事故後新たに定めた規制基準に「適合」すると初めて判断した。

 規制委の田中俊一委員長は「安全だとは言わない」と繰り返す。しかし、国や地元自治体は「安全は確認された」と、それこそ速やかに、再稼働に同意した。

 再稼働の責任はどこにあるのか。国なのか。県か市か。それとも規制委か。あいまいなまま、ひた走る。

 原発廃止、削減を求める声が九割を超える最近の世論調査もある。なのに政府は先の討論型世論調査のあと、国民の意見を直接聞いていない。

 川内原発の近くには、巨大噴火の痕跡であるカルデラが五カ所ある。日本火山学会は「巨大噴火は予知できない」と、安全性に疑問を投げかける。

 3・11後、原発から三十キロ圏内の自治体には、万一の事故に備えた避難計画の策定が義務付けられた。住民をどこへ、どうやって逃がすのか。お年寄りや病気の人はどうするか。自治体の担当者は途方に暮れている。
◆子孫に何を残せるか

 経済性最優先、命や安全安心は二の次のようにも見える再稼働への道順は、本当に正しいといえるのか。

 脱原発か、推進か。再稼働を是とするか、非とするか。二者択一にはとどまらない。

 福島の尊い教訓を礎に、子どもたちに何を残せるか。どんな未来を残すのか。政党や候補者だけでなく、私たち自身の今が問われる選挙なのである。


朝日新聞
「抗議の継続が抑止に」 秘密法施行目前、集会相次ぐ
 特定秘密保護法の成立から1年となった6日、施行反対を訴える集会やデモが、東京都内で相次いだ。問題点を市民に伝える若手弁護士の草の根の活動も根付きつつあるなか、秘密法は10日に施行される。

 都心の日比谷野外音楽堂には、市民ら約1600人(主催者発表)が集まった。弁護士や大学教授、学生団体のメンバーらが「施行後も抗議を続けることが抑止になる」「世代を超えて連携しよう」と訴え、銀座でデモ行進をした。友人と参加した東京都練馬区の大学4年、鈴木真蒔(しんじ)さん(22)は「不安が現実になってからじゃ遅い。若い人がやらないと」。

 政府諮問会議のメンバーとして秘密法の運用基準づくりに関わった清水勉弁護士(61)は四谷で集会を開催。秘密法で特定秘密に指定できる4分野のうち、警察が扱うスパイ活動の防止とテロ防止の2分野には、定義が拡大解釈される危険性があるとして反対する立場から、「市民生活が警察の監視対象になりかねない」との懸念を表明した。

 弁護士の太田啓子さん(38)は弁護士仲間と昨年から、若い母親らを対象に全国で100回以上、「憲法カフェ」を催してきた。分かりやすく秘密法を語り、「市民に大事な情報が伝わらなくなる」などと問題点も伝えてきた。7日にも政治や社会のあり方を考える女子会を都内で開く。「施行後も、萎縮せずに訴え続けたい」

     ◇

 特定秘密保護法の成立から1年となった6日、廃止を求める集会とデモが名古屋・栄であった。約1千人(主催者発表)が参加し、「知る権利を守れ」と声をあげた。この日は14都府県で廃止を求める訴えがあった。秘密法は10日に施行される。

 市民団体「秘密保全法に反対する愛知の会」の主催。昨年12月6日の同法成立後、毎月6日に廃止を求める活動をする。この日は「諦めると思ったら大間違い!」の横断幕を先頭に、冷たい雨が降る繁華街を行進した。

 共同代表の中谷雄二弁護士(59)は集会で、「アベノミクスが争点と言っているのは安倍政権だけだ。政権が進め、根強い反対意見がある秘密保護法を許さないと訴えよう」と話した。

 中谷さんは秘密法の市民向け勉強会の講師を無報酬で務めてきた。「被害が生活に直結しない」秘密法の廃止運動の拡大は容易でないと覚悟していたが、確かな広がりを感じる。出席者たちが法律の問題点を理解し、他の人に説明できるようになっていった。

 「選挙で争点になるとは思っていない。雰囲気に流されず運動を続ける」。この日集まった人と街を歩きながら思いを新たにした。(渋井玄人)

フランス語
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ハードディスク買いました/けせんぬまさいがいエフエムと女川さいがいFM/fete des lumieres Lyon

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Japon: L'artiste Megumi Igarashi de retour en prison
Et de deux. L'artiste japonaise Megumi Igarashi, qui avait déjà été arrêtée en juillet pour le même motif, se retrouve à nouveau en prison pour ≪obscénité≫.
L'artiste de 42 ans, qui se fait appeler ≪Rokudenashiko≫, (≪bonne à rien≫ en japonais), a été arrêtée mercredi, soupçonnée d'avoir envoyé un lien vers un fichier ≪qui montre comment créer une embarcation en 3D en utilisant des données obscènes à un grand nombre de personnes≫, selon une porte-parole de la police de Tokyo citée par le Guardian.
Distribution de ≪contenu indécent≫
C'est déjà pour cette raison qu'elle avait été emprisonnée cet été. Après avoir lancé en 2013 sur un site de financement participatif un appel de fonds pour réaliser un ≪kayak-vagin≫, elle avait pu réaliser l'embarcation -dont la partie supérieure a la forme de son sexe- grâce à l’impression en 3D.
Puis, elle avait envoyé à certains contributeurs le fichier contenant le modèle 3D ayant servi à fabriquer l’embarcation, entraînant son arrestation pour distribution de ≪contenu indécent≫, délit passible au Japon de deux ans d’emprisonnement et 18.000 euros d’amende. Elle avait été relâchée quelques jours plus tard, après avoir formulé un recours judiciaire et après que plusieurs milliers de personnes ont signé une pétition en ligne réclamant sa libération.
≪Déterminée≫
En octobre l'an dernier, elle ≪a essayé de faire télécharger les données obscènes aux internautes qui étaient prêts à financer son projet≫, a ajouté la porte-parole. Megumi Igarashi aurait également vendu des CD-ROM contenant les mêmes données lors d'une exposition au mois de mai à Tokyo.
≪Je ne pense pas que mon vagin a quelque chose d'obscène≫, avait déclaré l'artiste lors d'une conférence de presse après sa libération en juillet, ajoutant: ≪J' étais déterminée, je n'aurais jamais cédé au pouvoir de la police.≫ Visiblement, elle va devoir le démontrer à nouveau.

ろうを生きる 難聴を生きる▽被災地のろう学校・創立100周年の同窓会
今年、宮城県立聴覚支援学校は、創立100周年を迎えた。10月には卒業生を招いて記念式典が行われた。東日本大震災により、卒業生名簿の一部が紛失、今も消息が分からない人が多い中、同窓会会長の渡辺征二さんは、連絡の取れない卒業生を探し、一人でも多くの参加者を呼ぼうとしてきた。卒業後も励まし合いながら生きてきた人たちの絆はどうなるのか。番組では、奔走する渡辺さんの日々と、大会に集う人々の人生を見つめる。 高山久美子,佐田明

今日は部屋でお昼ご飯を食べてからの重役出勤.もちろん私は肩書のないヒラです.
疲れが残っていてしんどい感じです.マイマイしようかと思っていましたがパス.
ノートパソコンの中身の整理のためにHDDを梅田で買いました.東芝製.フランスのLaCieというのもいいかな?と思ったのですが,値段で決めました.
昨日行けなかった妙ですが,今日は山田養蜂場のはちみつダックワーズでした.今日はまあまあかな.
リスラジを聞きました.けせんぬまさいがいエフエム女川さいがいFMを聞くことができてよかったです.
fête des lumières Lyonは12/5から12月8日までです.
Pendant 4 jours, des artistes issus de tous horizons habillent les édifices lyonnais : ils créent une atmosphère féérique dans les rues, les places et les parcs de la ville, avec plus de 70 installations lumière.
Découvrez le programme de cette édition 2014 et faites une première sélection des œuvres que vous pourrez partager avec vos amis.
Du vendredi 5 au lundi 8 décembre, Lyon donne rendez-vous à la Lumière !


Google driveを使ってみました.

毎日新聞
希望新聞:東日本大震災 声・被災者から
 ●宮城
 ◇自分の店で頑張る 宮城県東松島市野蒜(のびる)で食堂「えんまん亭」を再開した店主の遠藤惣之助さん(73)

 「10月に元の店の近くに戻ってきました。東日本大震災の津波で店を流され、2011年10月から市内の仮設団地内の仮店舗で営業してきたけど、やっぱり自分の店はいい。地元の人たちから『帰ってきて、えがった(よかった)』と声をかけてもらうと、懐かしく、励みになります。

 震災で、おっかあ(妻キヨさん)と車で避難中に津波にのまれ、泥水が入ってきて死を覚悟しましたが、流れてきたボートに乗り移り奇跡的に助かりました。自衛隊のヘリに助けられた時に空から見た、湖のようになった街の姿は忘れられません。

 開店から約50年。自慢は地元でとれたカキやアサリをたくさん使ったラーメンです。復興支援に駆けつけてくれた全国の人たちに、元気でいたんだな、と思ってもらえるようまだまだ頑張りたい」【百武信幸】


毎日新聞
希望新聞:東日本大震災 音楽で宮城・女川を元気に 大川小遺族がラジオDJ 歌に思い託し
 宮城県女川町の「女川さいがいFM」で放送中の「佐藤敏郎の大人のたまり場〜牡鹿半島フォークジャンボリー〜」が東日本大震災で傷ついた被災地を元気づけている。同県東松島市の中学教諭、佐藤さん(51)が懐かしの名曲を紹介する週1回の30分番組で、インターネットでも配信。佐藤さんは震災で同県石巻市立大川小6年生だった次女みずほさんを亡くした。同年代、そして娘と同じ世代に向け、歌に思いを託している。

 「ラジオの前の皆さんお元気ですか、佐藤敏郎です。この前、学校でこんなことがありまして」。4月の開始から30回を超えた番組は、深夜放送の雰囲気。「中高年」と「中高生」を意識し、かける曲の時代背景や歌詞の意味を解説する。リクエストも受け付ける。スタジオには地元の「フォークソング世代」の女性が参加し、佐藤さんと歌声を響かせることもある。

 佐藤さんは3月まで12年間、女川中学校などに勤務。教え子や顔見知りの保護者も多い。震災前から同年代とバンドを組んでイベント出演するアマチュア演奏家の顔も持つ佐藤さんは、放送局から「女川を元気づけてほしい」と頼まれ、無償出演をOKしたという。

 番組冒頭、佐藤さんは「音楽の力を借り、皆さんと自分自身を元気にする30分」というフレーズを口にする。学校で犠牲になったみずほさんへの哀惜の念は今も強い。

 「自分で言葉にせずとも、歌は思いを伝えてくれる。この前かけた中島みゆきさんの『時代』なんか、聴きながら涙が出て。ラジオは今の私にとって光です」。悲劇が忘れられないよう、大川小の話をしたこともある。

 将来、番組で往年の名歌手を招き、女川で「フォークジャンボリー」(野外音楽イベント)を開く夢がある。佐藤さんは「ラジオを通じつながる縁を、全国へ広げたい」。放送は金曜午後11時(再放送あり)。インターネット放送「リスラジ」で同時刻に聴くことができる。【百武信幸】


河北新報
復興イチゴ初収穫 気仙沼で震災機に転作
 東日本大震災を機に気仙沼市階上地区でイチゴ栽培を始めた農業小野寺正弘さん(23)が、初めての収穫にこぎ着けた。約20アールのハウスで4日、小野寺さんと母の美津子さん(51)が赤く色づいた「とちおとめ」を丁寧に摘み取り、パック詰めした。5日に南三陸農協(気仙沼市)の産直所へ出荷する。収穫は来年6月まで続く。
 小野寺さんの実家は稲作農家だった。水田が津波被害を受けたことなどから、イチゴ農家に。宮城県農業大学校水田経営学部(大崎市)卒業後の昨年4月、友人2人と生産組合を設立した。
 昨年11月から苗を育ててきた。「初めての栽培は試行錯誤の連続。商品棚に並べることができるかどうか不安だった」と小野寺さん。「需要が高まるこれからが勝負。おいしい気仙沼イチゴをたくさん食べてもらいたい」と言葉に力を込めた。


日本経済新聞
震災、DVDで語り継ぐ 宮城・東松島市が製作
 東日本大震災で約1100人が犠牲になった宮城県東松島市は4日までに、震災の映像記録を後世に残すためのDVD「東松島市からのメッセージ〜震災を語り継ぎ未来を創造するために〜」を作ったと発表した。

 DVDでは巨大津波が家々をのみ込む瞬間を市民が撮影した映像や、避難先から自宅に引き返して犠牲になった妻を語る男性らを紹介。国内外から寄せられた支援に対する市民の感謝メッセージや、震災を踏まえた防災・減災への提言も収録している。

 日本語版3千枚、英語版千枚を製作。非売品で、全国の都道府県立図書館や、国内外の支援団体などに寄贈した。

 市図書館の熱海修一館長(63)は「国内外の方々に津波の脅威が伝わり、防災教育に役立ててくれれば」と話している。


岩手日報
仮設にかわいいサンタ 遠野、地元園児が訪問
 遠野市中央通りの認定こども園めぐみ遠野聖光保育園・幼稚園(三浦洋一園長、園児65人)の年長児11人は4日、サンタクロース姿で同市穀(こく)町の仮設住宅・希望の郷(さと)「絆」を訪問した。歌や手遊びなどを通して元気いっぱいの笑顔を届けた。

 2011年冬から毎年訪れており、入居者ら10人はかわいらしいサンタを温かく歓迎。園児は「あわてんぼうのサンタクロース」「きよしこの夜」などを歌い、入居者と一緒に手遊びを楽しんだ。

 園児(5)は「歌をたくさん練習してきた。おばあちゃんの手は大きくて温かい」とにっこり。宮城県石巻市から避難している女性(78)は「元気な園児たちの姿に胸がいっぱいになった」と喜んだ。


河北新報
女川原発再稼働反対6割、賛成2割
◎女川全世帯調査 議員有志、町に報告

 東北電力女川原発(女川町、石巻市)の再稼働の是非について女川町の全世帯を対象に住民アンケートを実施していた町議有志3人は4日、集計結果を須田善明町長に報告した。回答者の6割近くが反対で、賛成は2割だった。
 アンケートは9月24日から町外のみなし仮設住宅などを除く2440世帯に調査票を配布し、11月末までに郵送で回答。回収率は27.7%(675世帯)だった。
 国の原子力規制委員会が安全審査を進めている女川原発2号機の再稼働については、賛成が20.0%、反対は58.7%。賛成、反対の両方を選んだ回答も16.0%あった。
 理由(複数回答)は賛成が「町は原発がないとやっていけない」が最多で、「規制委が『合格』とした場合、賛成する」「電気料金が高くなると困る」などだった。反対は「福島のような事故が心配」が最も多く、「お金よりも命の方が大切」「事故が起きたら復興の努力が水の泡になる」と続いた。
 調査した高野博町議(共産党)は「現状では町が2号機再稼働の受け入れを表明する条件は全くない」と強調。町が住民意向調査を実施するよう須田町長に申し入れた。
 須田町長は「福島第1原発事故が原発立地自治体の住民、国民に不安を抱かせたことは間違いない。まずは安全性の確立が第一だ」と述べた。
 その上で「これまで女川原発は東北7県に電気を供給してきた。その電源供給をどうするかという問題は一自治体の判断ではなく、全体を捉えた政治的な判断が必要になる」として、従来と同様に住民投票や意向調査をする考えはないことを示した。


毎日新聞
東日本大震災:宮城・大川小校舎、やっぱり残したい 6卒業生の訴え広がる あす東京で集会
 ◇原爆ドームも、動いた人がいたお陰で残された

 被災した校舎を未来に残したい−−。東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の卒業生6人が6日、東京で開かれる「子どもの権利条約批准20周年記念集会」で、校舎保存を望む意見を表明する。友達や妹を亡くした悲しみを乗り越え、「大川小で起きたことを忘れないで」との願いを届ける。【百武信幸】

 悲劇を伝える被災校舎には今も多くの人が訪れる。だが「見たくない」との住民の声も根強く、石巻市は保存を決めていない。震災当時小学5年〜中学2年だった6人は「悲劇を繰り返さないために残すべきだ」と考え、今年4月以降、毎月1回の話し合いを重ねてきた。

 卒業生たちは、学習支援を受けてきた仙台市のNPO「ここねっと発達支援センター」が同市内で開いた4月の発表会で、「校舎保存」を表明した。多くの激励を受けた一方、「残したくない人の気持ちが分かっていない」「大人に言わされている」という批判もあったという。

 このため10月に石巻市大川地区の住民と直接話し合ったところ、保存に消極的だった男性が「皆さんの言葉には説得力がある。一生懸命がんばって」とエールをくれた。若い世代の発信に少しずつ理解が広がっている。

 震災当時大川小6年だった高校1年の浮津(うきつ)天音(あまね)さん(16)は「自分たちの声なんて小さいから、何かが変わることはないと思っていた。大川小を少しでも分かってくれる人が増えたと実感し、まだ知らない人も多いことに気づいた」という。

 「広島の原爆ドームも、動いた人がいたお陰で残されたと聞いた。誰かが言わないと変わらない」。浮津さんは自らを奮い立たせる。小6の妹みずほさんを亡くした高3の佐藤そのみさん(18)は「校舎を残すかどうかも大事だけど、大川小はすてきな場所だったこと、悲しいことがあったことを伝えたい」と話している。子どもの権利条約批准20周年記念集会は、東京都渋谷区の青山学院大で6日午後2時から。


石巻日日新聞
震災犠牲のテイラーさん…両親来日 石専大に文庫寄贈
 石巻市で東日本大震災に遭遇し、津波の犠牲となった米国人女性外国語指導助手(ALT)テイラー・アンダーソンさん(当時24)の両親、アンディーさん(56)とジーンさん(同)夫妻が2―3日、石巻市を訪れた。テイラーさんが指導した市内の小中学校で、これまで寄贈した「テイラー文庫」を活用した取り組みを視察した後、石巻専修大学では新たな文庫の寄贈式を行った。
       
 夫妻の来日は今年7月以来でアンディーさんは7度目、ジーンさんは5度目。2人は「日米の懸け橋になりたい」という娘の思いを引き継ぎ、発災直後にテイラーさんの母校であるセント・キャサリン高校と協力し「テイラー・アンダーソン記念基金」を設置。図書の寄贈や奨学金の給付などで継続的な活動を展開。その中で集まった募金は総額6900万円を超えた。
        
 活動開始からこれまで、テイラーさんが指導した9小中学校などに英語の図書を収めた「テイラー文庫」を寄贈。そのほか10校にも図書を贈っている。今回の来日は文庫の活用状況や、テイラーさんの生き様を描き新たに製作した映画「リブ・ユアー・ドリーム」のDVDの贈呈などが目的。市内4小中高校と同大学などを訪問した。
       
 万石浦小では、卒業生の保護者らによる読み聞かせボランティアサークル「そよかぜのおはなし」(阿部由美代表)の活動を視察。5年1組では「テイラーさんからの贈り物」を題材に選び、ジーンさんが冒頭を、アンディーさんが終わりのメッセージを読み上げた。
       
 クラス代表でDVDを受け取った渡邊葵香さんは「本を読むのは大好き。テイラー文庫を読んで海外に行って、英語がペラペラになりたい」と夢を膨らませていた。
        
 午後には石巻専修大の学長室で市内10カ所目となる文庫の寄贈式を行った。目録を受け取った坂田隆学長が「本学にテイラー文庫を寄贈していただけるのは光栄。彼女の行動はもちろん、そこに込められた思いが大切。大事に使っていきたい」と感謝を述べ、アンディーさんは「テイラーは大好きな読書を通じて、世界への想像を膨らませていた。若い人々が世界に夢の翼を広げる手助けになればうれしい」と思いを伝えた。

毎日新聞
衆院選 ここを問う…福島の苦悩
◇避難者を漂流させるな

 放射性物質に汚された福島県は先の見えない戦いを強いられている。

 大震災から3年9カ月。県民の16人に1人、12万人以上がいまだに住み慣れた土地と家に戻れず、不自由な避難生活を送る。うち約4万6000人は県外への避難者だ。

 全村避難が続く飯舘村では先月、住民の約半数2800人余りが賠償の増額を求めて政府の原子力損害賠償紛争解決センターに、裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てた。仮設住宅で避難生活を続ける申立人の女性は「今は難民だと思っている」と取材に答えていた。

 福島を第一声の地に選んだ党首もいたが、選挙戦全体を通して福島の救済・復興策が熱心に語られているとは言い難い。いつになったら帰れるのか。帰れないならどこに定住するのか。避難者が漂流せざるを得ない状況を食い止め、一刻も早く生活再建の道筋を示すべきだ。

 政府は昨年末、福島復興の加速化方針を公表し、全員帰還という従来の目標を断念した。長期間、避難指示の解除が見込めない地域があり、現実的な方向性ではある。だが、かつての場所に戻らないとしたら、新たに働く場所や住居、一定の賠償が必要だ。それを支援すべき政府は、十分な役割を果たせていない。

 典型が賠償問題だ。解決センターは政府機関だが、東京電力は和解案の拒否を繰り返している。浪江町民1万5000人が申し立てた事案でも、解決センターが示した精神的賠償額を月額5万円増額する和解案に東電は今も応じていない。

 賠償は帰還にも影を落とす。田村市や川内村の一部で今年、避難指示が解除されたが、住民の賛否は割れた。避難指示の解除から1年後をめどに慰謝料の支払いが打ち切られるのも一因とみられている。

 あくまで帰還を目指すのか、あきらめるのかは、被災者の世代や家族構成、特に幼い子供の有無などによってさまざまだ。避難の期間が長期化すればするほど、被災者の意思は複雑に分かれる。

 こうした中、「子ども・被災者生活支援法」が一昨年、議員立法で提案され、全会一致で成立した。居住者、帰還者、避難者いずれの選択も尊重し、支援するのが柱だ。

 帰還を前提とする官僚的な手法に対し、政治家がノーの意思を示したものと被災者は受け止めた。だが、実際には法律はほとんど生かされていない。特に住宅支援などで住民の要望は切実だ。福島の人々に、新しい明日が来ることを示す役割は、政治をおいてほかにない。


NHK
マンデラ元大統領 死去からきょうで1年
南アフリカで人種隔離政策=アパルトヘイトの撤廃運動を率いたネルソン・マンデラ元大統領が去年12月に死去してから5日でちょうど1年となります。
南アフリカでは、各地で追悼イベントが予定されており、今も黒人と白人の融和が進まないなか、すべての人種が共存するというマンデラ氏が目指した国づくりを人々が改めて誓う日となりそうです。

南アフリカのマンデラ元大統領は、ヨハネスブルク市内の自宅で去年12月5日、95歳で亡くなりました。
反アパルトヘイト運動を率いたマンデラ氏は、27年間の獄中生活ののち1994年、南アフリカで初めて実施された民主的な選挙で大統領に当選し、すべての人種が共存する「虹の国」の実現を訴えました。
それから20年、南アフリカでは、黒人の多くが今も貧しい生活を続け、十分な教育も受けられず、経済的に恵まれた白人との融和が大きな課題です。
また、経済成長著しい新興国の代表として注目された南アフリカの経済も勢いを失い、高い失業率のなか、ストライキも相次ぎ、多くの国民がマンデラ氏亡きあと、明るい展望が持てないと言われています。
マンデラ氏が亡くなってから1年となることにあわせて南アフリカの各地で5日、追悼イベントなどが予定されており、すべての人種が共存するというマンデラ氏の目指した国づくりを人々が改めて誓う日となりそうです。

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Après Ferguson, New-York : nouvelle relaxe pour un policier
Dix jours après la disculpation d'un policier à Ferguson, des milliers de manifestants se sont rassemblés mercredi soir dans plusieurs quartiers de New York après la décision d'un grand jury de ne pas inculper un policier blanc impliqué dans la mort d'un père de famille noir.
Cette décision est intervenue dix jours après la décision du Grang jury de Ferguson (Missouri) de ne pas poursuivre l’agent Derren Wilson, auteur des coups de feu qui ont tué un Michael Brown, jeune afro-américain de dix-huit ans le 9 août dernier. Après les émeutes qu'avait suscité cette disculpation, de très importantes forces de police avaient été déployées à New York pour éviter tout incident.
Les manifestations se sont dans l'ensemble déroulées dans le calme dans les rues de Manhattan, même si la police a fait état d'une trentaine d'arrestations. Plusieurs cortèges ont convergé vers Broadway et Times Square, où quelque 5 000 personnes étaient rassemblées en fin de soirée, selon le Washington Post. Des conducteurs bloqués par les manifestations klaxonnaient en signe de soutien, selon le journal. Les manifestants scandaient "Pas de justice, pas de paix", un slogan de ralliement des manifestations de Ferguson, oun portaient des panneaux "Ferguson est partout", "la brutalité de la police et les meurtres doivent s'arrêter", ou encore "la vie des Noirs compte". Plusieurs centaines de manifestants se sont rassemblés près du Rockefeller Center et certains ont été arrêtés alors qu'ils essayaient de s'asseoir sur la chaussée, selon un journaliste de l'AFP. De petites manifestations ont également été signalées dans d'autres quartiers comme à Harlem ou Staten Island, l'arrondissement de New York où est décédé Eric Garner, 43 ans, lors d'une interpellation musclée le 17 juillet.
Le 17 juillet dernier, Eric Garner, qui était agé de 43 ans, avait été strangulé et plaqué au sol par des policiers qui voulaient l'arrêter pour avoir vendu des cigarettes à la sauvette. Selon les policiers, il leur avait résisté. Dans une vidéo amateur, on voit un de ces policiers, Daniel Pantaleo, le prendre par le cou pour le jeter à terre, une pratique pourtant interdite au sein de la police new-yorkaise. "Je ne peux pas respirer", se plaint à plusieurs reprises Garner, obèse et asthmatique, avant de perdre connaissance. Il avait été déclaré mort peu après, et le médecin légiste avait conclu à un homicide.
En dépit de ces éléments à charge, le grand jury de la ville de New York a annoncé mercredi n'avoir trouvé "aucun motif raisonnable" pour entamer des poursuites contre Daniel Pantaleo, le policier responsable de la strangulation. Le maire de New York a vivement réagi à cette décision. Devant la presse, Bill de Blasio, qui s'était engagé lors de son élection à améliorer les relations entre la communauté noire et les services de police, a dit avoir prévenu son fils métis de "faire très attention s'il a affaire à des policiers". Il a aussi appelé ses administrés à ne pas "salir le nom de Garner avec des actes de violence et de vandalisme", un message répété par la famille de la victime, même si celle-ci a rejeté les excuses de Daniel Pantaleo.
Sans commenter directement la décision du grand jury, le président Barack Obama a promis de "ne pas relacher (ses) efforts tant qu'il n'y aura pas davantage de confiance et de responsabilité assumée entre nos communautés et les forces de l'ordre". Le ministre de la Justice Eric Holder a promis pour sa part une "enquête indépendante, approfondie, honnête et rapide" de la part de la justice fédérale qui va notamment examiner en détail la vidéo de l'incident.

クローズアップ現代「犯罪を繰り返す高齢者〜負の連鎖をどう断つか〜」
急速な高齢化が進む日本の刑務所。福祉施設さながらの対応を求められ、追い詰められている。高齢者をどのようにサポートすれば、犯罪への道を断つことが出来るのか考える。 浜井浩一, 真下貴

2016年から電力自由化となるそうですが,そもそも総研では「そもそも電力会社から電気を買わない生活ってどうなんだろう?」ということで放送していました.
雨が降っていましたが,お昼は少しでかけて旭川ラーメン.塩ラーメンです.美味.食後少し横になってから出勤と思っていたら,目が覚めたら4時過ぎ.今日は仕事サボることにしました.
布団に入って本格的に寝て起きると7時.メシアの論好きがわかりません.

毎日新聞
東日本大震災:石巻・園児バスに津波 遺族と幼稚園、和解 園側に責任、謝罪 仙台高裁「犠牲を教訓に」
 東日本大震災の津波で送迎バスの幼稚園児が死亡したのは園側が安全配慮を怠ったためとして、園児4人(当時5〜6歳)の遺族が宮城県石巻市の私立日和(ひより)幼稚園を相手に計約2億6700万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審は3日、仙台高裁(中西茂裁判長)で和解が成立した。園側が法的責任を認めて謝罪し、遺族側に計6000万円の和解金を支払う。【三浦研吾】

 双方に示された和解条項案で、高裁は「園側が法的責任を負うことは免れ難い」と指摘。そのうえで、「悲劇が二度と繰り返されないよう、園児の犠牲を教訓として長く記憶にとどめ、後世の防災対策に生かすべきだ」とする異例の見解を盛り込み、双方が内容を受け入れた。

 遺族側は2011年8月に提訴。1審・仙台地裁は昨年9月、「1000年に1度の巨大地震を予想できなかったとしても、最大震度6弱の地震を3分間体感したのだから、津波の危険性を考え積極的に情報収集する義務があった」として園長の過失を認定、園側に約1億7700万円の支払いを命じていた。

 津波被害を巡っては、学校や勤務先など管理者の責任を問う訴訟が仙台、盛岡両地裁で少なくとも15件あり、3件で1審判決が言い渡された。うち、管理者側の賠償責任が認定されたのは日和幼稚園訴訟のみで、他に4件で和解や調停が成立している。
 ◇「再発防止への決意」

 「二度と子どもたちが犠牲になってはいけないという裁判所や多くの人の決意が込められており、極めて重要な意義がある」。遺族側の弁護団は和解内容を高く評価した。

 高裁は10月22日に和解を勧告した際、園側の法的責任を認める考えを双方に伝えていた。控訴審判決になれば遺族側の勝訴は確実視されていたが、遺族が大幅な賠償減額を含む和解に応じたのは、判決では得られない園側の謝罪と、教育機関による防災体制づくりの重要性など「犠牲の教訓」が和解案に盛り込まれたからだった。

 送迎バスは震災直後、高台の園舎から、わざわざ低地に向かい津波にのまれた。「何もしなければ娘は今でも隣で笑っていた」。長女愛梨ちゃん(当時6歳)を失った佐藤美香さん(39)は強く思う。記者会見で、「決して先生方を許したわけではないけれど、裁判所の考えが世に示されて、子どもたちが守られる世の中になってほしいと思い和解しました」と言葉を詰まらせた。

 西城靖之(やすし)さん(46)は、次女春音(はるね)ちゃん(当時6歳)の犠牲の意味をずっと考えてきた。1審判決後、神奈川県と私立幼稚園連合会が送迎バスの津波対策をまとめたニュースを目にして「司法が動くことで世の中は変わる。少しずつ犠牲が教訓にされている」と感じた。「和解は決して妥協じゃない。むしろ1審判決より、未来に向けて教訓が伝わる内容になった」と語った。

 園側は「司法の勧告を厳粛に受け止め、静かにご冥福を祈りたい」とのコメントを出した。【伊藤直孝】

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 ◇和解条項の骨子

▽園側は、1審判決で認められた法的責任を認め、原告を含む被災園児の家族に対し、心から謝罪する。

▽園側は、子どもらの生命を守るためには、防災マニュアルの充実と周知、避難訓練実施、職員の防災意識向上などが極めて重要であることと、園では津波防災体制が十分に構築されていなかったことを認める。

▽園側は、原告8人に各750万円の和解金を支払う義務があることを認める。

▽園側は、運営を第三者に承継する際、震災の教訓を踏まえて万全の対策を取るよう申し送る。

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 ■ことば
 ◇日和幼稚園バスの津波被害

 東日本大震災発生約15分後の2011年3月11日午後3時ごろ、宮城県石巻市の高台にある日和幼稚園の園児を乗せた送迎バス2台が発車。うち1台が、海側の低地から戻る途中に津波に巻き込まれ、園児5人と職員1人が死亡した。


河北新報
<日和幼稚園訴訟>愛梨ちゃん ずっと一緒
◎「生涯悲しみ」母親思い複雑

 「法的に区切りはついても、娘への思いは変わらない。生涯、会いたいという気持ち、そして悲しみと共に生きる」。石巻市の私立日和幼稚園訴訟で和解が成立した。犠牲になった佐藤愛梨ちゃん=当時(6)=の母美香さん(39)は、複雑な胸の内を明かした。
 自宅の居間で、遺影は花や菓子、縫いぐるみに囲まれている。
 「あいり、あいり」と慕っていた妹の珠莉ちゃん(7)は小学1年になった。今も写真の中の姉に語り掛ける。
 小学校入学目前だった愛梨ちゃんのランドセルも用意していた。通うことがかなわなかった学校に、妹が代わりに背負って行ったこともあった。
 普段は活発な珠莉ちゃんだが、友達が転校したり大好きな先生が退職したりすると大泣きしてふさぎ込む。「珠莉と仲良くなった人は、みんないなくなっちゃう」
 美香さんは「幼いながら姉の死を理解している。小さな子どもの心にも大きな傷を残したと、幼稚園関係者には分かってほしい」と語る。
 「死ななくて済んだはずの娘がなぜ亡くなったのか」。美香さんと夫の文貴さん(42)は真相の究明に全てを傾けた。
 忙しそうな両親の姿に、珠莉ちゃんは「あいりのことだね」とおとなしくしていた。姉からもらった毛布を抱き締め、ソファで1人眠っていた。
 「寂しい思いをさせてしまった」。そんな悔いも抱く母を察してか、裁判の前日になると「あいりのために頑張ってね」と励ましてくれた。
 珠莉ちゃんの夢は、キャスターになることだ。姉も同じ夢を見ていた。力を合わせて裁判を闘った家族の中で、愛梨ちゃんは生き続ける。


河北新報
除雪車出動、今季任務スタート・仙台山間部
 仙台市内は3日未明、冬型の気圧配置の影響で山間部に雪が降り、この冬初めて除雪車が出動した。
 市によると泉区福岡、青葉区大倉、太白区秋保の3地区で、積雪量が道路の除雪作業を行う目安の10センチを超えた。このため、計5台の除雪車が出動した。
 泉区の泉岳自然ふれあい館付近では午前3時ごろ、作業がスタート。スプリングバレー泉高原スキー場周辺まで、路面の雪を取り除いた。同地域では日中も積雪を観測したため、除雪作業を行った。


河北新報
<衆院選>復興 首都圏では訴え聞かれず
 2日に公示された衆院選(14日投票)の序盤戦で、首都圏では、東日本大震災や福島第1原発事故からの復興について各政党が語る場面が減っている。党首らが演説で復興の加速策などに割く時間は選挙を重ねるごとに短くなり、震災復興は被災地の局地的な課題との様相が強まっている。

 自民党の安倍晋三総裁(首相)は公示後に地方遊説が続くため、11月28〜30日に事実上の選挙遊説として東京、千葉、神奈川の3都県計12カ所で演説会を実施した。経済政策「アベノミクス」の成果や外交・安全保障、女性政策などの訴えに終始し、「震災」「復興」「福島」に触れることはなかった。
 3都県には今も、原発事故で福島県外に避難した人の4分の1近い約1万1000人が暮らす。安倍氏は公示日の2日、相馬市を第一声の場に選び、宮城県にも転戦して被災地重視をアピールしたが、首都圏への避難者が訴えを直接耳にする機会は今のところない。
 民主党の海江田万里代表も2日、いわき市で第一声を上げた後、宮城県に入り、復興の遅れなどを指摘し政府を批判した。ただ帰京後、首都圏で最初に行った東京・月島での街頭演説では、自民の「政治とカネの問題」などを主に訴え、震災復興は語らなかった。
 公示日に首都圏を党首の第一声の場所に選んだのは維新の党、公明党、共産党、次世代の党。
 公明の山口那津男代表は横浜市で街頭に立ち、消費税増税問題や自公連立政権の成果に時間の多くを割いた。昨年7月の参院選で山口氏は東京での第一声で、津波被災地の高台移転を取り上げたが、今回は復興への言及はなかった。
 維新の江田憲司共同代表は横浜市で、共産の志位和夫委員長は東京・新宿で、それぞれ原発再稼働問題に絡めて福島の事故に言及。政府の再稼働方針を批判したが、津波被災地を含めた復興政策に触れなかった。
 次世代の党の石原慎太郎最高顧問と山田宏幹事長は東京・新宿での演説で、国家論や従軍慰安婦問題などの訴えに終始した。
 生活の党の小沢一郎代表と社民党の吉田忠智党首は地方から遊説をスタートし、まだ首都圏で演説していない。



『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』×仙台市交通局 icsca発進!!

河北新報
’14衆院選 原発の行方/再稼働の前に徹底議論を
 何にせよ政治の役割は未来への道筋を示すことに尽きる。
 言い換えれば、世の中の不安を安心に変える役割を担う。
 できなければ、失望と不信を招き、国民の不安を増幅させ、社会を不安定にしてしまう。
 原発・エネルギーをめぐる政治の動きは、まさに不安を安心に変える役割を果たさない責任放棄の象徴として、国民の目には映っているのではないか。
 衆院選の公約で、自民党は原発を「重要なベースロード電源と位置付けて活用」と宣言し、新増設にも含みを持たせつつ再稼働の方針を明確にした。
 政権政党として当面の方向性に責任を示したととらえるにしても、将来像は曖昧だ。「可能な限り原発依存度を低減する」との表現にとどまり、電源構成をどの程度にするかの見通しをあっさりと先送りした。
 これでは、未来への道筋を示す政治の役割を果たしているとは到底言えない。連立相手の公明党は「新設を認めず、原発ゼロを目指す」としており、与党の枠組みとしての立ち位置は余計分かりにくくなっている。
 野党側は「2030年代の原発ゼロ」を掲げた民主党をはじめとして、強弱はありつつも脱原発の方向性を押し出した。
 世論の風向きに呼応した方向性と言えるが、こちらも再生可能エネルギーなど代替電源の導入行程は明確とは言えない。
 負担に直結する電気料金の見通しも含め、安心の提案になりきれていないという批判に答えられる政策の塾度に欠ける。
 どちらも、解消されない曖昧さや矛盾を抱え持つ。
 それは原発の取り扱いとエネルギーをめぐる議論がいまだ生煮えの状況、過渡期にあることを如実に物語っている。
 未来の選択についての議論が未熟であるならば、安易に原発回帰への流れをつくる政策は戒めるべきであり、再稼働も極めて慎重な対応が求められる。
 難航する汚染水処理をはじめとして福島第1原発事故の収束はいまだ見えず、事故自体の影響が甚大、深刻で継続中であることを思えば、現時点で優先すべきは経済ではなく、安全であることは疑いようがない。
 各種世論調査で再稼働反対が過半数を占める現状は、依然として安全への不信が根強く、その不信に応えられる政策が実現できていないことの証しだ。
 原子力規制委員会に再稼働ゴーサインの責任を転嫁したり、安全確保の焦点である避難計画の策定を地元に丸投げしたり、再稼働同意の範囲を立地自治体に限定したりする姿勢の危うさを、国民は注視している。
 さらには、原発から出る「核のごみ」高レベル放射性廃棄物の最終処分地をめぐる検討も進まず、政策全体として先行きの展望が描けない不透明さへの不信感は膨らんでいる。
 選挙戦はそうした不安と不信を語り合い、政治の役割を見つめ直す機会になる。民意に触れて議論を深める出発点ととらえるべきだ。再稼働の前にすべきことはまだまだ多くある。


声明:東京地裁によるテント裁判“結審”強行を弾劾する
12月3日、東京地裁大法廷にて、テント裁判第9回口頭弁論が行われた。 今回の口頭弁論では、前回法廷で、当事者参加を申し立てた43名のうち、福島の女性たちをはじめとする6名が法廷内に入り、福島県双葉町で3・11事故に遭遇し、 現在も都内に避難している亀屋幸子さんの感動的な陳述が15分にわたって行われた。法廷をうめる多くの人々が涙ながらに聞き入った。
ところがその直後に、村上正敏裁判長(民事37部)は、「合議のため、5分間休憩します」といい、3名の裁判官は合議室に消えた。 そしてこの「休廷」ののち、裁判長は、弁護士の証拠・証人調べ請求を却下、続いて間髪を入れず「今回の法廷で弁論は終わります」とつぶやき、閉廷を宣言することもなくそそくさと姿を消した。 一瞬の出来事だった。請求却下直後に弁護士が「忌避」を申し立てたが無視した。 傍聴席の多くが何が起きたのか理解できなかったが、これが昨年3月以来続いてきたテント裁判の「結審」だった。
弁護士らは、直ちに裁判部に抗議したが、村上裁判長は姿を見せず、一切の要請・確認にも応じなかった。 裁判長の「審議終了」発言の前に、われわれは「忌避」を申し立てた。 裁判は止まっているはずだ、という抗議にも一切回答しなかった。 シナリオ通りに法廷は進行した。 先日の進行協議で裁判所は、次回第10回口頭弁論の期日を来年2月26日と指定した。 また今回法廷では前記・亀屋さんの陳述を認めるなど、被告とその代理人側の意向に応えるかのようなポーズをとりながら、だまし討ち的に「結審」を強行したのだ。
われわれは、怒りをもって村上裁判長の無謀な訴訟指揮を弾劾する。 これは、国・経産省の意に沿った、鹿児島・川内原発再稼働情勢の切迫と一体となった暴挙である。 福島原発事故は終わったどころか、始まったばかりだ。
廃炉への道のりは少なくとも数十年といわれている。 にもかかわらず原発の再稼働・輸出などにひた走る安倍政権の血迷った暴走は、まさしく亡国の道である。 われわれは許すことも、諦めることもできない。 引き続き、脱原発の砦・テントを守り抜き、原発をなくし、再稼働を阻止するために全力をあげる決意である。
 2014年12月4日        「経産省前テントひろば」

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歯医者は10分/安否確認/ろくでなし子さん・北原みのりさんを釈放しろ!!!

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La sonde japonaise Hayabusa-2 part à la rencontre d'un astéroïde
La fusée H-2A a décollé de la base de Tanegashima (Japon), mercredi 3 décembre. Comme pour la mission Rosetta, l'objectif est de mieux comprendre les origines et la formation du système solaire.

La fusée japonaise H-2A a décollé de la base de Tanegashima (Japon), mercredi 3 décembre, pour placer dans l'espace la sonde Hayabusa-2, laquelle a ensuite rendez-vous avec un astéroïde. Les premières images du tir ont été diffusées par l'Agence japonaise d'exploration spatiale (Jaxa). Hayabusa-2 doit ensuite se diriger vers 1999 JU3, un astéroïde primitif à peu près sphérique de moins d'un kilomètre de diamètre. Mais patience, la rencontre n'aura lieu qu'aux environs de la mi-2018.
A la recherche des origines du système solaire
L'objectif d'Hayabusa-2 est similaire à celui de Rosetta : collecter des poussières pour en apprendre davantage sur l'origine du système solaire. "Cette mission de recueil de matières primitives a le potentiel pour révolutionner notre compréhension des conditions de formation des planètes", précise l'équipe qui pilote le projet au sein de la Jaxa. "Cela peut en outre nous fournir des informations importantes" pour mieux protéger la planète. Le retour sur Terre est prévu en 2020, si tout va bien.

金子勝 @masaru_kaneko
実質賃金も16カ月連続で減少。安倍政権のいう「デフレ脱却」は円安効果による輸入物価上昇で、トリクルダウンもない。給与もあがった、失業率も下がった、物価も上昇したと繰り返す安倍首相は、マルチ商法みたいに聞こえます。誠実に答えてほしい。 http://goo.gl/6B4tZQ
竹田昌弘 @TAKEDAmasahiro
「第47回衆院選。父母などが国会議員だった世襲候補は153人で…全体の13%…最も多いのは自民党で、97人と突出…民主党は…26人…維新の党10人▽次世代の党6人▽生活の党3人▽公明党1人…共産、社民両党にはいない…」 http://mainichi.jp/select/news/20141203k0000m010104000c.html … (; ・`д

今日は朝から歯医者.でも10分で終了.また来週も通院.仕方ないです.
Yuさんから安否確認を登録するように言われました.すぐできました.
中之島の府立図書館.業界紙読んだのですが,あまり面白くないです.
2日連続の妙.松江のお菓子.若草という緑のお菓子で,彩雲堂.
ろくでなし子さん・北原みのりさんの逮捕にビックリ.警察の嫌がらせとしか思えません.即時釈放を!

朝日新聞
(天声人語)菅原文太さん逝く
 その客は、いつもとても専門的な書籍について問い合わせをしてきた。なかなかすぐには答えることができない。電話で注文を受けても、在庫がないものばかりだったりする。客とは菅原文太さんである▼東京・神保町にある東京堂書店の店長だった佐野衛(まもる)さんが、著書『書店の棚 本の気配』で紹介する話だ。本の街の老舗を困らせるとは、どんな書物を求めたのか。山梨県で無農薬の農園を営んでいた菅原さんだから、そちら方面か▼読書家だった。仙台一高時代には、『悪の華』で知られるフランス象徴派詩人ボードレールに飛びついた。新聞部の1年後輩だった作家の故井上ひさしさんとの対談によれば、マントを羽織って、部室でたばこを平気でふかす文学少年だった▼長じて銀幕で見せた、ぎらつくアウトローの迫力には結びつきにくい。後に脱原発や戦争反対に奔走する姿にも。「変身は俳優の得意とするところ」とは本人の言だが、変身しても反骨の気合を貫いたところは見事というほかない▼選挙の現場にたびたび駆けつけ、応援を惜しまなかった。先月1日には沖縄県知事候補の翁長雄志(おながたけし)氏の集会へ。現職の仲井真弘多(なかいまひろかず)氏打倒を呼びかけ、「仁義なき戦い」の名セリフを放った。「弾はまだ残っとるがよ」。会場は拍手と指笛で沸き立った▼1カ月もたたないうちの死去が信じられない。集会で話す映像を見る限り、穏やかながらも闘志あふれる表情と声だったのに。きのう始まった衆院選では何を語っただろうか。

河北新報
<衆院選>東北大荒れ 寒い第一声
 衆院選が公示された2日、東北地方は強い冬型の気圧配置の影響で、日本海側を中心に強風や雪に見舞われ、選挙戦は大荒れの天候の中で始まった。荒天は3日も続く見込みで、仙台管区気象台は暴風雪などに警戒を呼び掛けた。
 気象台によると、最大瞬間風速は酒田市飛島35.4メートル、青森県大間町27.9メートル、秋田県八峰町八森26.7メートルなど。24時間降雪量は青森、岩手、宮城、秋田各県の一部で約20〜40センチを記録した。
 青森市内は一時、横殴りの雪が吹き付けた。マイクを握る候補者の手は寒さで赤く染まり、頭はあっという間に白い雪に覆われた。
 鶴岡市で第一声を上げた候補者は、あられと強風にさらされた。集まった支持者からは「こんな寒い第一声は初めて」との声が漏れた。
 朝から雪が降った大館市に事務所を構える陣営は、選挙カーに毛布や厚手の手袋を用意し厚着で寒さに備えた。
 気象台によると3日も冬型の気圧配置になる見通し。東北地方の3日午後6時までの24時間予想降雪量は、多いところで50〜70センチ。予想される最大瞬間風速は30〜35メートル。


朝日新聞
宮城)被災者の医療費減免、石巻市が1年延長へ
 石巻市は、国民健康保険や介護保険に加入する東日本大震災の被災者を対象にした医療費減免を、来年度も1年間延長する。1日、発表した。対象は今年度と同じく、低所得で市民税が課税されない世帯で、ー宅が大規模半壊以上の被害を受けたか、∪厳廚鮖戮┐覯圓手を失った世帯。医療機関での窓口負担や介護保険サービスの利用料が減免される。

 国保の窓口負担免除は、県市長会が11月17日、県内全13市で来年度も延長する方針を決めた。介護保険の減免延長は、各市ごとの判断としている。


河北新報
常磐道全通は来年3月1日 首相表明
 安倍晋三首相は2日、常磐自動車道を来年3月1日に全線開通させる方針を表明した。これにより首都圏と東北が直結する太平洋側の高速交通網が確立する。来年の大型連休前としていた開通予定は約2カ月前倒しされ、東日本大震災前に計画していた2014年度中の全線開通が実現する。

 衆院選が公示された2日、相馬市の街頭演説で明らかにした。安倍首相は「東北の復興の起爆剤として活用させたい」と述べた。
 来年3月1日に開通するのは、福島第1原発事故の避難区域を通る常磐富岡−浪江インターチェンジ(IC)間の14.3キロ。東日本高速道路によると、同区間の工事は90%超が終了した。最終段階の舗装が年内にも完了する見通しだ。
 相馬−山元IC間(23.3キロ)と浪江−南相馬IC間(18.4キロ)は今月6日に通行可能になる。
 常磐道は、三郷(埼玉県三郷市)−亘理IC(宮城県亘理町)間の全長300キロ。全線開通で現在より30分の時間短縮が見込めるという。
 沿線自治体は全線開通の前倒しを歓迎した。南相馬市鹿島区では、大型連休前に南相馬鹿島サービスエリア内の物販施設が営業を始める予定。開通が早まり同時開業はできなくなったが、桜井勝延市長は「早期の全線開通は復興の加速化につながる。施設の開業もできるだけ早めたい」と語った。
 福島県の内堀雅雄知事は「常磐道は被災地の未来を開く希望の道であり、復興に向けた追い風になる」とコメントした。
 宮城県側では、亘理町の斎藤貞町長が「関東圏からの交流人口の拡大につながり、復興に大きなインパクトを生む」と期待。山元町の斎藤俊夫町長は「高速道の効果を生かしたまちづくりに拍車を掛けたい」と喜んだ。


河北新報
<衆院選>風化 帰還 なぜ語らぬ
◎被災地、失望と期待が交錯

 衆院選が公示された2日、東日本大震災被災地を選挙カーが駆け抜けた。「復興加速」「原発事故の収束」。マイク越しのスローガンは、荒涼とした景色の前でかすみがちだ。震災から間もなく3年9カ月。寒風が吹き抜けた被災地で、政治への失望と期待が交錯した。

 名取市の大内喜平さん(62)は、夕方のテレビニュースで論戦を見守った。日中はアルバイトで仮設住宅を空けていた。
 同市閖上地区の自宅は津波で流失。地区内に整備される災害公営住宅への移転は断念した。理由は賃料。同居予定だった息子家族との世帯収入で負担が決まるため、想像以上の金額となった。
 「制度が壁となって地元を離れる人もいる。生活再建を後押ししてくれることを願う」。政治に託す思いは切実だ。

<無力感>
 対照的に「政治に無力感を抱いている」と話すのは仙台市若林区の仮設住宅に住む安達董(ただし)さん(72)。「最大の争点は災害への備えじゃないのか」と震災の風化を嘆く。
 津波被害が甚大だった気仙沼市鹿折地区にある仮設商店街はこの日、客足がまばらだった。「利益を上げているのは大企業ばかり。地方に恩恵が届かない状況を直視してほしい」。米穀店で働く斉藤悦子さん(39)が苦り切った表情を見せる。
 最近、正月用食材の原価が上がっている。「デフレ脱却」の掛け声の裏で、被災者の暮らしが圧迫されるのを懸念する。

<棚上げ>
 経済政策中心の論戦に違和感を覚える被災者は少なくない。郡山市の仮設住宅に住む中嶋一臣さん(79)は「株価の上下で騒いでいるだけ」と冷ややかだ。福島県富岡町の自宅は居住制限区域に入っており、帰還のめどは立たない。
 「畑を耕し、牛を育てて生きてきた。以前の暮らしを返してほしい」。言葉に怒りがこもった。
 原発施策もどこまで焦点となるのか見通せない。「福島第2原発の廃炉は県民の総意。なぜ議論にならないのか」。福島県楢葉町の箱崎豊さん(76)が吐き捨てるように言う。
 今はいわき市内の仮設住宅に身を寄せる。「アベノミクスをめぐる応酬で、肝心要の問題が棚上げになっている」と不信感をあらわにした。


朝日新聞
(ひと)秋山ありすさん 九大医学部生とご当地アイドルの二足のわらじを履く
 病院実習を終え、白衣から舞台衣装に着替えてリハーサルに潜り込む。現役の九州大医学部生と福岡のご当地アイドル「LinQ(リンク)」メンバーの二足のわらじを履く。
 福岡市生まれ。幼稚園の頃、病気で入院した母親に「私がお医者さんになって治す」と宣言した。高校生の時、バイオリンの演奏で病院を訪れた。患者のおじいさんが演奏を聞き涙を流すのを見て、「音楽は生きる意味や目標を取り戻させてくれる」と感じた。浪人して念願の医学部に合格した。
 音楽と医学の両立は難しい。力試しに受けた歌手のオーディションは審査が進むと決まって会場は東京になり、日程は平日。実習が多い医学部生には無理だった。諦めかけていたころ、2011年に福岡でアイドルグループが発足するのを知り応募。約1千人の中から約30人のメンバーに選ばれた。
 歌や踊りの特訓は終電まで。翌朝8時には大学で実習の準備をしてきた。週末にはライブ、平日にはCDの発売イベントもある。同級生がノートを見せてくれたり、一緒に勉強してくれたりして、テストを乗り切る。
 そんな活動を知った日本肺癌(がん)学会が「一般の人にも情報を発信したい」と広報大使を打診。「肺がんは、新しい薬や治療法もある。若い人にも興味を持ってほしい」と引き受けた。持ち前の笑顔で、病気の暗い印象を変えられる医師になりたい。(文・写真 東山正宜)
    *
 あきやまありす(24歳)


毎日新聞
寒気:和歌山市で初雪 京都市では初氷
 強い冬型の気圧配置の影響で列島が寒気に覆われた3日朝、近畿各地でも今季一番の冷え込みとなり、和歌山市で初雪が観測された。初雪が記録されたのは近畿で今季初めて。

 大阪管区気象台によると、和歌山市では同日午前5時半から、みぞれを観測。京都市では初氷が確認された。初雪は気象台で職員が降雪を目視で確認すると記録される。氷は気象台が設置した皿に入れた水が凍るかどうかを、職員が確認して判断する。

 この日朝の最低気温は、京都府南丹市で氷点下3.2度、兵庫県上郡町で氷点下3.1度を記録するなど、近畿の計36地点で今季最低となった。大阪市4.4度▽京都市1.7度▽神戸市3.8度−−など、都市部も冷え込んだ。【黄在龍】


週刊金曜日
『週刊金曜日』、ろくでなし子さんと北原みのりさんの逮捕に抗議
警視庁が12月3日、漫画家のろくでなし子さんと作家の北原みのりさんを逮捕した件で、『週刊金曜日』は同日、逮捕に抗議するとともに、一刻も早い2人の釈放を求める抗議声明文を発表した。

平井康嗣・編集長名での抗議声明では、ろくでなし子さんの『週刊金曜日』連載が、再逮捕のきっかけになった可能性について言及するとともに、「自由な表現活動に対する重大な侵害と暴力行使でしかありません」と批判している。

抗議声明文の全文は次の通り。
(『週刊金曜日』編集部)

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ろくでなし子さん、北原みのりさん逮捕への抗議声明文

本日12月3日、ろくでなし子さんが警視庁小岩署にわいせつ物頒布等の容疑で再逮捕されました。今年7月12日に続く逮捕です。

ろくでなし子さんは、自身の女性器を主題にした作品の発表をつづけてきました。

ろくでなし子さんの一連の作品は、女性の性を商品化する「わいせつ」物を氾濫させている男性的な社会に対して疑義を唱える表現活動です。いまだに一連の作品を“刑法違反のわいせつ物”ととらえる警視庁の不勉強さにはあらためて残念な思いを抱きます。

また、今回の再逮捕のきっかけの一つとして、『週刊金曜日』における、ろくでなし子さんの連載漫画が考えられます。

この漫画では小岩署での勾留体験がつまびらかに描かれています。その中で、警視庁小岩署の不当な取り調べや、そもそもの容疑理由の不明朗さも明らかにされてきています。

警察や司法当局が自らの不都合な事実を隠ぺいするために、または報復的に、ろくでなし子さんの逮捕に及んだとすれば、これは自由な表現活動に対する重大な侵害と暴力行使でしかありません。

さらに今回は、ろくでなし子さんの作品を「ラブ・ピースクラブ」で取り扱っていた北原みのりさんも同日、わいせつ物公然陳列容疑で警視庁に逮捕されました。北原さんも『週刊金曜日』に連載を持つ作家です。北原さんも性を女性が取り戻すために活動を続けてきた代表的な人物の一人です。ろくでなし子さんの作品を販売していたことを理由とする逮捕であるのならば、「わいせつ」のはき違えであり、同じ理由で不当逮捕でしかありません。

ともかく不当な理由で国民の平穏な生活を侵害することはやめてほしい。一刻も早く2人が釈放されること、そして強硬な捜査を取りやめることを強く、強く求めます。

抗議の意思表示として、ろくでなし子さんが「わいせつ」と表現について考える対談を来週発行の12月12日号に掲載します。

2014年12月3日
平井康嗣・『週刊金曜日』編集長

フランス語
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橘始黄たちばなはじめてきばむ/菅原文太/とても寒い

ブログネタ
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Bunta Sugawara, mort d'un yakuza
L'acteur japonais Bunta Sugawara a trouvé la mort vendredi dernier à l'âge de 81 ans. Il était notamment connu pour ses rôles de yakuza.
Né à Sendai en 1933, Bunta Sugawara a fait ses débuts aux studios Shintoho en 1958, qu'il quittera en 1961 pour rejoindre son rival Shochiku, mais sa carrière bondira surtout lorsqu'il a signé avec les studios Toei en 1967.
Il commence alors à tourner dans des films de yakuzas, et décroche le rôle titre de la fresque épique ≪Battles Without Honor and Humanity≫ de Fukasaku en 1973. Entre 1975 et 1979, Bunta Sugawara tourne dans la série ≪Truck Guy≫ et remportera le Prix de l'Académie japonaise du meilleur second rôle masculin dans ≪The Man Who Stole The Sun≫ de Kazuo Hasegawa en 1979.
Apparaissant aussi bien au cinéma qu'à la télévision, l'acteur s'était illustré récemment en doublant ≪Le Voyage de Chihiro≫ de Hayao Miyazaki et ≪Les Contes de Terremer≫ de Goro Miyazaki.
La mort de Bunta Sugawara intervient après celle d'un autre acteur de légende au Japon, Ken Takakura, disparu le 10 novembre dernier.

橘始黄たちばなはじめてきばむ,です.
朝仕事に行くのがイヤでしたが菅原文太の番組を見ていてどうにか落ち着きました.
沖縄県知事選に応援に行っていたそうです.
モーニングバードのそもそも総研を見ていて,玉川さんにいいぞ,と連絡したとか.
寒いです.特に自転車だと手袋が必要かな?
Shさんの検査結果は6ヶ月後に5日入院だそうです.
妙で米子清月 米城焼をいただきました.
夜も寒いです.外の温度は4.6°Cで部屋は15.0°C.

河北新報
<文太さん逝く>「仁義」なき世相憂う
 「さみしい世の中になった」「危うい時代になった」。ことし4月末、河北新報社のインタビューに仙台市出身の俳優菅原文太さんは、こう繰り返した。多くの人から「兄貴」と慕われた菅原さんは晩年、俳優業の傍ら「護憲」「脱原発」の立場を鮮明にし、「仁義」を軽んじる世相に反骨のメッセージを発信し続けた。

 1980年放送のNHK大河ドラマ「獅子の時代」は、戊辰戦争で敗れ、青森県下北の斗南藩に移封された会津藩士が、自由民権運動に目覚め、むしろ旗を掲げてススキの原を疾走するシーンで終わる。
 主役の会津藩士を演じたのが、40代の菅原さんだった。
 「憲法九条の会」の活動を通じて親交のあった宮城学院女子大学長の山形孝夫さん(82)に菅原さんは、ドラマを回想して「東北人の魂を自分も忘れていませんから」と語ったという。
 山形さんは「菅原さんは最期までむしろ旗を掲げて疾走した」と評し、その姿に「東北人の反骨精神」を見た。
 九条の会を提唱したのは、仙台一高で菅原さんの1年後輩の作家で劇作家の故井上ひさしさんだった。「2010年に井上さんが亡くなると、その遺志を継ぐように菅原さんは、護憲にのめり込んでいった」と山形さんは在りし日をしのぶ。
 東日本大震災の後は、ふるさとの復興に心を砕き、原発再稼働の流れに懸念を示した。
 ことし10月の福島県知事選では「脱原発」を掲げて与野党相乗り候補に挑み、落選した元宮古市長熊坂義裕さん(62)の応援に駆け付けている。熊坂さんは「体調は相当悪そうだった。おとこ気だけで来てくれた」と振り返る。
 その熊坂さんに11月24日、一通のメールが届いた。
 「政治家の世襲が当たり前になっている状況は民主主義と言えません。政治が貴族化しているばかばかしさに有権者が目覚めなければ、日本は良くなりません」
 亡くなる4日前、妻文子さんに送るよう菅原さんが託したラストメッセージだった。


河北新報
<文太さん逝く>評伝・反骨心貫いた生きざま
 菅原文太さんといえば、やはり映画「仁義なき戦い」(1973〜74年、全5作)の印象が強烈だ。反骨と生への執着を原動力にやくざの世界でのし上がり、抗争に翻弄(ほんろう)されながらも、通すべき筋は通す。その姿は、菅原さん自身の生き方と重なるところが少なくない。
 仙台市で生まれ、戦時中は父親の洋画家狭間二郎(本名・菅原芳助)さんの実家がある宮城県一迫町(現栗原市)に疎開し、築館中学卒業までを過ごした。自由な校風で知られた仙台一高では新聞部に所属。1学年下に劇作家の井上ひさしさんがいた。
 当時の一高は仙台一中から上がってきた生徒が大半だった。「彼らだけには負けたくなかった」。2000年、半生を振り返ってもらう連載で話を伺ったときに、そう述懐していた。
 その反骨心は映画界でも随所に見られた。
 俳優としての歩みは決して順風ではなかった。
 モデルをしていた時にスカウトされ、53年、新東宝で本格的にデビュー。同社倒産後、松竹に移ったものの、菅原さんの個性と「大船調」と言われた松竹の作風は合わなかった。
 頭角を現したのは67年の東映移籍後。当初は古参の大部屋俳優から脅しやいじめに遭った。耐えきれずに辞めていく俳優もいた中で、決して屈しなかった。
 「仁義なき戦い」でスターの地位を不動のものにした。75〜79年の「トラック野郎」シリーズ全10作では喜劇的センスを発揮し、俳優としての幅を広げた。
 その後も映画、テレビで円熟した演技を披露した。だが12年、「役者引退」を宣言し、周囲を驚かせた。故郷の人たちが東日本大震災後、苦しい生活を強いられているのに、映画など撮っている場合ではないというのが理由だった。その筋の通し方は、脱原発、憲法九条を守る会などの社会的活動でも一貫していた。
 東映で共に一時代を築いた高倉健さんがその生き方を含め「静」とすれば、菅原さんは「動」だった。願わくば、高倉さんのように、俳優として人生を全うしてほしかった。多くの映画ファンの偽らざる思いだろう。
(生活文化部・宮川宏)


河北新報
<文太さん逝く>被災者激励、地元に尽くす
 仙台市出身の俳優菅原文太さんの悲報が伝わった1日、親交のあった県内の関係者は肩を落とした。飾らない人柄で地元の振興にも力を尽くし、東日本大震災後は被災者を励まし続けた。心に刻まれた在りし日の姿が知人らの脳裏に次々とよみがえった。

 菅原さんは幼少期、父で洋画家の故狭間二郎氏(本名菅原芳助)の実家があった現在の栗原市一迫に疎開。旧制築館中、仙台一高、早大と進んだ。「気さくで誰とでも話せる性格だった」。幼なじみで、菅原さんの父に師事した栗原市の洋画家菊地義彦さん(83)は振り返る。
 菊地さんが東北大に進学後、寮にやって来て「早大を受験する」と報告を受けた記憶がある。最後にあったのは9年前。栗原市で講演してくれた時で「昔話に花が咲いた」。再び話すことはかなわず「(今は)冥福を祈りたい」と死を悼んだ。
 築館中と仙台一高の同級生で元栗駒町長の三浦弘彰さん(81)は「一緒に料理を作った」間柄だ。「豪放磊落(らいらく)で地域振興にも一家言ある男だった」。町長時代は観光事業などで協力してもらった。
 仙台一高の後輩でもある故井上ひさしさんの小説「吉里吉里人」の映画化を話し合ったこともある。三浦さんは「実現できなかったことが残念」と寂しそうに語った。
 菅原さんは「みやぎ夢大使」「みやぎ米大使」を務めた。当時の知事だった浅野史郎神奈川大特別招聘(しょうへい)教授は「県教育ビジョン検討会議で、委員として教育や環境問題など未来への思いを熱く語っていた姿が印象に残る」と強調。県産米のテレビCMで共演したことも「忘れられない」と話す。
 栗原市の佐藤勇市長は「栗原で育った大スターが亡くなったと聞き、大変悲しく思う」とコメントを出した。


河北新報
<文太さん逝く>吉川団十郎さん「共演夢のよう」
 1976年に「ああ宮城県」がヒットした名取市出身のシンガー・ソングライター吉川団十郎さん(66)=宮城県村田町=は、菅原文太さんの訃報に触れ「言葉が出ないくらい驚いた」。
 「ああ宮城県」は菅原さんが有名になる前に作り、歌詞に宮城の名物として「男菅原文太」と入れたほどの大ファン。東北放送ラジオの番組収録で初めて会い、菅原さんの計らいで映画シリーズ「トラック野郎」の第3作「望郷一番星」(76年公開)で運転手仲間役で共演した。
 「大スターの菅原さんと北海道でのロケで過ごした1週間は夢のような時間。掛けてくれる一言一言に気遣いが感じられた」と振り返る。
 77年に東京から帰郷し仙台市内でスナックを経営した際は、菅原さんが仙台一高時代の同級生と数回来店。「曲は作っているのか」と励ましてくれたという。
 「ああ宮城県」は郷土の応援歌。「晩年の菅原さんは社会性のある活動をした。その生きざまを見習い、音楽活動などで東日本大震災の復興に役立ちたい」と話した。


毎日新聞
文太さん:被災者支援と脱原発運動に尽力…国や政治に苦言も
 菅原文太さん(享年81)は震災発生から3カ月後の11年6月には、福島県浪江町や南相馬市から宮城県丸森町の廃校に避難中の住民らを訪問した松本龍防災担当相(当時)に同行。被災者を激励した。

 同月、岩手、宮城、福島3県の被災者の他県への移住支援を発表したNPO法人による会見に俳優西田敏行(67)と出席。「原発の是非を問う国民投票をすべき。ドイツもイタリアも脱原発を決めた」と話し、脱原発を訴えた。12年2月の俳優引退宣言時には被災地の復興が遅れていることに対し「肝心の国や政治、行政が無力で、どうしてなんだろうと思う」と苦言を呈した。

 今年4月には細川護煕元首相と小泉純一郎元首相の2人が設立した脱原発をめざす一般社団法人「自然エネルギー推進会議」の発起人の一人に名を連ね、最後まで脱原発運動と被災者支援に努めた。

 ▼加藤登紀子(「ふるさと回帰支援センター」でともに役員)ずっしりとした存在感が忘れられません。東日本大震災の後、農業に軸足を置いた日本の未来を開くために、生活を懸けて尽力されたこと、本当にありがたく思っています。文太さんの志を受け継いでいくことを胸に、心からご冥福お祈りします。(スポニチ)


毎日新聞
菅原文太さん死去:家族葬やロケ 九州・沖縄から悼む声
 俳優の菅原文太さんが死去した。九州・沖縄の関係者からも悼む声が聞かれた。

 関係者によると、菅原さんの葬儀は30日に太宰府天満宮(福岡県太宰府市)で営まれた。敷地内の祖霊殿に菅原さんの長男の遺骨が納められている。俳優だった長男は2001年に亡くなり、菅原さんが知人の紹介を受けて納骨。月1回ほど訪問していたという。

 「いのちの党」の発起人となり、平和や自然保護を訴えていた菅原さんは沖縄も訪れていた。日米両政府が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先とする名護市辺野古に足を運び、美しい海を目にして「埋め立てられるようなことがあれば座り込んで阻止する」と話していたという。

 沖縄知事選では今年11月1日に那覇市で、辺野古移設に反対する翁長雄志氏の応援演説に立った。陣営関係者によると、菅原さんが希望して駆け付けたという。「政治の役割は二つ。一つは国民を飢えさせないこと。もう一つは絶対に戦争しないこと」「沖縄の海も山も空気もすべて国家のものではなく、住んでいる人たちのものだ」と切々と訴えた。

 映画のロケでは、九州が舞台となった1977年の「トラック野郎 男一匹桃次郎」で佐賀県唐津市を訪れた。唐津くんちの曳山(やま)「亀と浦島太郎」(高さ約4メートル)の上に乗り、約500メートルを巡行するシーンが撮影された。ロケに協力した唐津市の上野光国さん(69)は「撮影はぶっつけ本番の一発勝負で見事にOK。さすがの役者魂を見せつけられた」と懐かしんだ。【佐藤敬一、原田哲郎、黒澤敬太郎】


朝日新聞
菅原文太さん、晩年は農業や環境・平和運動に
 菅原文太さんの葬儀は11月30日、家族葬として太宰府天満宮(福岡県太宰府市)で営まれた。2001年に東京都内で事故で亡くなった長男の遺骨も納められており、菅原さんは年に数回お参りしていたという。

 卒業した仙台一高の新聞部の1年後輩に故・井上ひさしさんがいる。中高と一緒だった宮城県栗原市の旧栗駒町長、三浦弘彰さん(81)は「当時から豪放磊落(ごうほうらいらく)な男だった。大学時代、新宿の屋台で酒を飲んで三鷹の文太の家まで歩いて帰ったこともある」と振り返る。「仲間がみな亡くなってゆく。残念の一言です」

 ルポライターの鎌田慧さん(76)は3年ほど前、ラジオ番組で菅原さんと対談して驚いた。手元のノートには鎌田さんに関する情報がびっしりと書いてあった。「相手のことを調べて対談に臨む人。映画の役と違い、きちょうめんで勉強家なんだと思った」

 晩年の職業は「農業」になった。都会を離れ、山梨県北杜(ほくと)市で農薬や化学肥料を使わずにトウガラシやサツマイモを栽培。岐阜県高山市の別荘を紹介し、自然保護活動を通じて20年以上のつきあいのある稲本正さん(69)は「日本の森が荒れ始めたらだめだ」と繰り返す姿を覚えている。平和への関心は高く、東日本大震災を機に反原発の思いも強めた。

 「九条の会」事務局長を務める小森陽一・東大教授(61)は憲法をめぐる活動で何度か会う機会があった。「人間は植物や昆虫と一緒なんだ。人間だけがおごるのは違う」という言葉が印象に残る。

 11月の沖縄県知事選でも、翁長雄志氏(64)の応援に駆けつけていた。「政治の役割は二つ。国民を飢えさせないことと、絶対に戦争をしないこと」。那覇市の野球場であった集会で、米軍普天間飛行場の辺野古移設強行に異を唱えた。集会から1カ月になる1日に、悲報が届いた。

 岡山県美作市の作家、あさのあつこさんは「『トラック野郎』の豪快なイメージがあったが、物静かで知的な人だった。年を経ていくすてきさを感じさせる方だった」と語った。あさのさん原作の映画「バッテリー」(2007年公開)で、菅原さんが主人公の中学生投手の祖父役を演じた。

 堺市にある特別養護老人ホーム「故郷の家」を運営する社会福祉法人の理事長、田内基(もとい、韓国名・尹基〈ユンキ〉)さん(72)は「心が純粋で器が大きい人だった。ただただ寂しい」と悼んだ。同ホームは、在日韓国・朝鮮人のお年寄りが母国の言葉や生活習慣で暮らせる施設で、菅原さんらが呼びかけた募金活動で1989年に開所した。

 菅原さんは環境や平和問題にも取り組んだ。09年に集落「水源の里」の訪問を受けた京都府綾部市の前市長、四方八洲男(しかたやすお)さん(74)は「菅原さんは『皆さん品格ある顔ですね』と話していた。そういう見方をされたのは初めてで、俳優だから表情に敏感だったのかも」と振り返った。平和活動などを通じて交流があった京都府精華町の布施田正志さん(65)は「亡くなる前にもう一度会いたかった。文太さんがまいた平和の種を広げていきたい」と語った。5月に京都市で開かれた集会に、菅原さんのメッセージが届いたという。


沖縄タイムス
菅原文太さんに黙とう 辺野古ゲート前
 【名護】米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古の新基地建設に反対する市民らは2日も、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で集会を開いている。午前は最大で約70人が参加。新基地建設に反対し、テント村にも足を運んだ俳優の故菅原文太さんに黙とうをささげた。

朝日新聞
菅原文太さん 幅広い交流 惜しむ声
 仙台市出身の俳優菅原文太さんが81歳で亡くなった。古くからの友人や関係者は1日、突然の訃報(ふ・ほう)に別れを惜しんだ。

 東日本大震災以降、菅原さんは東北をよく訪れた。今年3月11日には、沿岸部に植樹をして防災林をつくる催しで講演し、「巨大なコンクリートで津波を防ぐ考え方はつまらない」などと、自然を生かした復興のあり方を語った。

 子ども時代から知る栗原市一迫の画家、菊地義彦さん(83)は「目鼻立ちが整った顔で素直。『文太ちゃん』って親しまれた」と振り返る。菅原さんが仙台一高の新聞部と演劇部員だった当時、「将来、文太一座をつくりたい」と話していたのを覚えている。

 菊地さんは、菅原さんの父の洋画家、故・狭間二郎さんの弟子。9年前、一迫での狭間さんの企画展が最後の交流になった。かつての仲間と会食した菅原さんは「そうだっちゃ」と一迫の言葉を連発。「やくざ映画での取っつきにくさは、あくまで役の上での顔なんだね」と菊地さんは話した。

 旧制築館中、仙台一高と一緒だった栗原市の元栗駒町長、三浦弘彰さん(81)は「昔から豪放磊落(ごう・ほう・らい・らく)な男だった」。一高の同級生には後に本吉町長(現・気仙沼市)となった千葉卓朗さんもいた。菅原さんは二十数年前、1期下の井上ひさしさんの小説を原作に、映画「吉里吉里人」を企画。2人の町長が応援し、栗駒と本吉でロケをすることになっていた。「いろんな交流がありすぎて、とにかく残念です」

 「みやぎ憲法九条の会」などが5月下旬に開いたイベントに、菅原さんは、集団的自衛権や特定秘密保護法に反対するメッセージを寄せた。「容認したら生命も財産も、国家が取り上げようと思えば取り上げられる。今、皆が徳俵で踏ん張ることが大事」。先月15日の護憲の催しでは、来仙し講演する予定だったが、腰痛を理由に欠席した。同会の板垣乙未生(き・み・お)事務局長は「次こそ講演してもらいたかったのに」と惜しんだ。

 仙台市若林区のシネマカフェでは出演作の上映会を1月に開く準備中だった。同区内で暮らしたり学んだりしたことのある俳優や監督を、それぞれ特集。締めくくりに、菅原さんのデビュー作「白線秘密地帯」などの上映を計画していた。


朝日新聞
追悼 菅原文太さん 最後まで警鐘鳴らし続けた
保坂展人

 俳優の菅原文太さん(81)が亡くなりました。

 私の脳裏には、「このまま黙ってはいられない」と静かな表情ながら、強い気迫をもった文太さんの朴訥(ぼくとつ)な語り口がよみがえってきます。訃報は12月1日の午後に届きました。

 総選挙の公示のニュースを吹き飛ばすように、テレビ各局は昨夜から「菅原文太さん追悼」特集を組み、日本の映画界をリードした多くの名場面をピックアップしています。いくつかの番組では、「晩年は、農業を営んで、社会的発言を積極的にしていた」と、さらりとまとめられていますが、その「社会的発言」の内容とは何だったのでしょうか。

 強烈な利益追及のためには環境破壊を躊躇(ちゅうちょ)しない物質文明への批判であり、原発再稼働に立ちはだかろうとする意志でした。それは、「自堕落な政治」に対する菅原文太という男の叫びであり、憤りをこめた警鐘だったように思います。

 私が文太さんとお会いしたのは2012年3月。世田谷区が区庁舎で使用している電力を「競争入札」にかけて、東京電力以外の新電力(PPS)を導入したことが大きく報道された後のことだったと記憶しています。友人を通して「菅原文太さんが大変興味を持っていて、激励したいと言っている」と伝わってきました。私もまた、映画館で見続けた文太さんにお会いする時には、わくわくしました。

 初対面はニッポン放送のスタジオでした。せっかく話をするなら、文太さんがパーソナリティーをつとめているニッポン放送の『ニッポン人の底力』で対談しようということになったのです。

 文太さんは「東日本大震災」と「福島第1原発事故」に強い衝撃を受けていたと同時に、政治の混迷も深く憂いていました。そのため、「エネルギー転換を自治体から進めている」という世田谷区の試みに強いエールを送ってくださいました。今も収束していない福島第1原発事故の影響で多くの福島の人たちが塗炭の苦しみを味わっていることに唇をかみ、原発依存から脱却して自然エネルギーを活用する方向へと「日本が、社会が変わっていかなければならない時だ」と含蓄のある口調で語っていました。

 その後、何度か下北沢で食事をしながら話をする機会がありました。私も文太さんと同郷、宮城県仙台市生まれです。戦争中に栗原に疎開をして、空襲で仙台から火の手があがるのを見つめていたという話を聞きました。「今の政治家はどうして『戦争はいけない』という、こんな簡単なことがわからないんだろうか」と何度も問いかけられました。

 2012年の秋、週刊誌が大きく報じたのが「菅原文太の新党『いのちの党』決起宣言」(「サンデー毎日」11月25日号) でした。文太さんの憂いと憤りは、行動に結びつき「いのちの党」を結成するという内容でした。私も、「いのちの党」の設立趣意書となる「参加のお願い」を文太さんから受け取っています。長文ですが、紹介します。

<日本経済が停滞する中で起きた東日本大震災とそれに起因する福島原発事故は、科学技術の発達が必ずしも予知を含めて万能ではなく、今日のわが国の社会がきわめて不完全な技術の上に成り立っていたことを明らかにしました。
 一方で、手に職をつけるものづくりの現場の多くが海外に移転し、いのちを養う農林水産業では輸入品が増え、働き手の高齢化や若い人たちの就労意識の変化などが地方の活力の衰退をさらに深刻なものとしています。また、社会に様々な格差が広がり、若い世代から将来への希望も消えつつあります。
 私たちは、科学文明の恩恵を享受するだけでなく、地球環境やいきもののいのちを大切とし、若い世代が生き甲斐と希望をもって生きることのできる社会を築いていかなければなりません。
 困難な時代に生きる次世代や後世のために、志を持って日本各地からサムライたちが集まりました。「いのちの党」です。志を一つにする在野の人々の集まりです。政党がこの国を間違った方向に向かわせないように、しっかり見張っていくのもこの集まりの役目です。女性や若い世代の方はもちろん、いのちの党の志にご賛同下さる方々の参加をお待ちしています。 (代表 菅原文太)>

 こうして、いのちの党の呼びかけが広がり、各界で活躍する著名人が続々と発起人として集まりました。「政党」とは一線を画して「志を持つゆるやかな個人の集まり」とし、文太さんの呼びかけのもとにその冬にはシンポジウムが開催されました。多くの人が集まり、熱を帯びた議論を重ねていました。この「参加のお願い」をあらためて読み返すと、文太さんの憂いや憤り、そして後に続く世代への強い愛を感じます。

 「脱原発」を掲げて元首相の細川護煕さんが、同じ元首相の小泉純一郎さんと共に都知事選挙に出ようとしている時にも、文太さんと何度かお話ししました。文太さんは、細川さんの応援のために記者会見や街頭でも応援に駆けつけました。後日、ふたりが立ち上げた「自然エネルギー推進会議」の発起人にもなっています。

 また、亡くなる直前の11月1日には、沖縄県知事選で「辺野古基地移転反対」を訴える翁長雄志さん(現知事)を応援する街頭演説にも立っていました。「政治の最大の役割は、絶対に戦争をしないこと」と力強く訴えています。

 私が、最後にお会いしたのはその1カ月前、やはり番組収録の同じスタジオでした。このコラムをまとめた本を事前にお送りしていたら、2晩にわたって紹介してくれました。「特定秘密保護法」や「集団的自衛権行使容認」の危険な動きが強まっていることに、いつにもまして立腹され、「このままではダメになるが、何とか打開できますか」と繰り返し問いかけられました。晩年の文太さんを動かしていた永田町の政治への義憤と強い危機感を、私もまた周囲の人々に伝えていかなければと思います。

 昭和を代表する俳優が亡くなっただけでなく、今を生きる私たちに文太さんが渡そうとしたバトンをしっかりと握っていこうと思います。


河北新報
<衆院選>被災地に選挙費630億円回せれば…
 2日に公示される衆院選(14日投開票)には、全体で約630億円の国費が投じられる。解散の目的に疑問符も付く中、東日本大震災被災地からは「復興費に回してほしかった」とのぼやきも漏れる。民主主義のためのコストとはいえ、この選挙費があれば何ができたのか。被災地で聞いた。

 津波被害を受けた沿岸部を中心に、住宅の再建は遅れ気味だ。このまま消費税率が10%になれば、被災者の再建費負担はその分だけ重くなる。
 宮城県南三陸町で仮設の理容店を営む菅野孝江さん(57)は、集団移転する土地が未完成。再増税前に再建できるかは見通せない。「政権の保身ではなく、負担増分を支援してほしかった」と話す。
 仮に再建費用を2500万円とすれば、税率8%時と10%時の差額は50万円。選挙費を全額使えば、震災で全壊した全国12万7000戸のほぼ全てに50万円ずつ配分することが可能になる。
 福島第1原発事故の被害を受けた南相馬市。市が担う生活圏除染の費用は、当初の2倍の総額約800億円に上る。630億円があれば、その8割近くを賄える計算になる。
 地元行政区長の藤原保正さん(66)は、除染後も放射線量が高いため再除染を求めている。「住民が安心できる環境にしてほしい。なぜ2年で衆院選なのか。公費の無駄遣いだ」と憤る。
 復興への願いを込め、釜石市は2019年のラグビーワールドカップ(W杯)開催都市に名乗りを上げた。競技場建設など関連費を含む開催費は概算で29億円。市も最大10億円近い負担を求められるとみられ、財源の確保に苦慮している。
 W杯誘致を応援する市内の自営業岩鼻伸介さん(37)は「選挙も大事だが、被災地の子どもに夢を与える金の使い方があって良いのではないか」と指摘する。
 被災地は、教訓を後世に伝える震災遺構の保存を目指す。ネックとなっているのが維持、管理費だ。
 津波で4階まで被災した気仙沼向洋高旧校舎の保存を目指す気仙沼市。菅原茂市長は「経費を自主財源から多くは出せない」と慎重姿勢を示している。
 「今回の選挙費があれば、将来にわたって被災地全ての震災遺構を管理できるのに」。気仙沼市震災遺構検討会議の川島秀一会長(東北大災害科学国際研究所教授)は嘆いた。


毎日新聞
衆院選:公示 聞いて被災地の声 原発事故の思い、投票で
 地震や土砂災害、原発事故の被災地でも、12日間の舌戦が始まった。生活の基盤を崩され、揺さぶられた人々はさまざまな思いで選挙戦を見つめている。

 ◆福島5区
 ◇原発事故の思い、投票で

 廃炉まで何年かかるか見通しの立たない東京電力福島第1原発を抱える。福島県いわき市で板金会社を営む岩本千夏さん(39)は「首相は『アベノミクスが争点』と言ったけれど、本当にそれでいいの?」と問う。

 もとは双葉町で暮らし、事故後父母と栃木県に避難。今年6月、父が肺機能低下で倒れ、代わりに家業の板金会社をいわき市で再開し、栃木から通う。受注数は月平均2件と震災前の1割以下で「経済回復の実感は全くない」と話す。

 母も脳卒中で倒れ、両親を介護しながら家業を一人で切り盛りする。原発事故の収束の見通しは立たず、県民約12万人が県内外で避難生活を続ける。「政治には期待できない。でも、原発事故から3年半余の思いは投票で表したい」と話した。【栗田慎一】

 ◆長野2区
 ◇観光客減、地震追い打ち

 長野県北部の最大震度6弱の地震で、被害の大きかった同県白馬村。スキー場が集中し国際的な知名度もあるが、近年は観光客の減りが激しい。「白馬五竜スキー場いいもり」を運営する会社の課長、下川洋司さん(46)は「白馬にアベノミクスの波及は感じられない」と嘆く。村の年間のスキー客は1991年のピーク時約280万人だったが、昨年、一昨年は100万人前後まで落ち込んだ。

 村では地震で住宅99棟が壊れたがスキー場5カ所は無事だった。近くオープン予定で、関係者は風評被害払拭(ふっしょく)に懸命だ。下川さんは「今は外国人客誘致に力を入れている。国も地方に目を向け支援してほしい」と訴えた。【巽賢司】

 ◆東京3区
 ◇大島に来るのはビラだけ

 昨年10月16日、台風26号の大雨による土石流で39人が犠牲となった伊豆大島(東京都大島町)。自宅に土砂が流れ込み、この春やっと復旧作業が落ち着いた主婦の津野忍さん(67)は「災害直後は首相や多くの人が来た。でも国政選挙で大島に来るのは、封筒に入ったビラだけ。候補者の姿は見たことはないねえ」と言う。

 災害時を思い出し、「多くの人々に血の通った励ましの言葉をかけられ、救われた思いだった。でも、テレビで各党の公約を聞いても決まりきったセリフのように感じる。しゃくし定規でない言葉を話す候補者に注目したい」と話した。

 自宅を流された書店店主の成瀬田鶴夫(たづお)さん(55)は「島に大きな会社はなく、景気が良くなった実感もない。どの候補や政党に投票したらいいか分からず、悩んでいます」と打ち明けた。【狩野智彦】

 ◆広島3区
 ◇復興さらに遅れる懸念

 8月20日の広島市北部土砂災害で犠牲者74人を出した安佐南、安佐北両区では災害から3カ月余り。総選挙で復興がさらに遅れかねない懸念が広がる。

 安佐南区八木で自宅が全壊し、民間の借り上げ住宅に妻と暮らす青山茂夫さん(75)は「行政への相談や手続きなどに追われ、頭の中が真っ白。これまで欠かしたことがないので投票には行くつもりだが、正直それどころではない」。近くの候補者ポスター掲示板の背後は山肌がえぐられ、木々がなぎ倒されたままだ。

 同区緑井の自宅が半壊した会社員、吉川晴彦さん(46)は「砂防ダム建設計画次第で、元の場所に戻るかどうか決まる」とやきもきする。「総選挙には多額の金と労力がかかる。復興に遅れが出なければいいが……」と懸念した。【加藤小夜、石川将来】

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朝雨ざあざあ/昼しんどくて図書館で休憩/メガネ点検

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Japon: Comment frire des crevettes en 3 secondes avec un canon
Des crevettes, insérées avec soin dans un canon, traversent à toute allure un jet de farine, une douche d’œufs battus et un geyser de panelure puis un rideau de flammes, avant d’atterrir dans une assiette. En trois secondes, c’est prêt!
Cette vidéo japonaise, qui se présente comme une traditionnelle émission de cuisine télévisée (intitulée ≪Cuisine en 3 secondes≫), est en fait une publicité pour le principal opérateur mobile du pays, Docomo. Son excentricité à tendance wtf atteint le but: faire parler. Sur Youtube, elle a déjà été vue plus de 4,5 millions de fois depuis sa mise en ligne vendredi.
Deux jets parallèles de crevettes
L’opérateur, qui subit durement la concurrence, a jeté avec succès ses forces dans cette publicité hautement métaphorique qui vante le LTE, technologie proche de la 4G : les deux jets parallèles de crevettes représentent les deux bandes de fréquences distinctes utilisées par le LTE, tandis que cette cuisine express illustre bien sûr la vitesse de la technologie.
Alors que les internautes ne se lassent pas de regarder la vidéo, un message en petits caractères les alerte sur les dangers que représenterait l’opération si elle était réalisée à la maison. Tout aussi grave que de marcher dans la rue en fixant son smartphone.

Comment frire des crevettes en 3 secondes avec... 20Minutes

NNNドキュメント 「119」 つながらなかった救急 6分20秒 山形放送
2011年11月9日、山形市内のアパートの一室で一人暮らしの男子学生の遺体が見つかった。大久保祐映さん(当時19)。携帯電話に残されていた最後の発信先は「119」。9日前の10月31日午前5時11分だった。しかし、通報を受けた山形市消防本部は救急車を出動させなかった。その時の6分20秒間の音声記録が消防本部に残っていた。「救急車の要請ですか」「はい」。「お名前は?」「19です」…。かみ合わないやり取り、途切れ途切れの声、荒い息遣い。通報当時、山形市消防本部の管内で救急車の出動はなく、5台全てが出動できる状態だった。なぜ救急車は出動しなかったのか…。そして山形市の出動システムは3年経つ今も変わっていない。私たちの命を守るはずの「救急」の今を問う。 小山茉美

NNNドキュメント 傷つく子ども なくしたい 施設で育ったオレの夢 福岡放送
7月、児童養護施設や里親のもとで育った人たちのスピーチコンテストが、福岡市で初めて開かれた。あらかじめ面接や書類などで選ばれた出場者5人は、一時金30万円と学校を卒業するまで毎月3万円の奨学金を受けることができる。スピーチの条件は自分の過去や将来と向き合い、夢への決意を強くすること。両親から虐待され、施設で10年間過ごした宮本一幸さん(21)。3人の市民ボランティアとともに原稿を練り上げていくが、大人を信用せずに生きてきた宮本さんは、支援者たちに心を開くことができない。しかし、時間を共有するうちに少しずつ気持ちに変化が…。迎えた本番、聴衆300人の前で伝えた思いとは?過去と向き合い、将来の夢につなげた宮本さんと支援者の3か月間の軌跡。 川嶋あい

テレメンタリ―2014 「コマに技あり〜町工場から世界を目指せ〜」
ねこパンチ開発者の中原健司さん 日本のものづくりを支える技術者が、こぞって参加している「コマ大戦」。相手が土俵の外に出るか、相手よりも長く回り続ければ勝ちで、それぞれが持つ最高の技術を駆使してコマを作っている。大会が始まって2年半、のべ1500チームが参戦する中で、一目置かれてきたのが変形コマ「ねこパンチ」だ。回すと開く羽で相手をなぎ倒し、一躍ブームを巻き起こした。しかし開発者はこれを封印して次のコマづくりを宣言。果たして…。 長野朝日放送

NNNドキュメント 3・11大震災 シリーズ (56) いつも心に青空を ミヤギテレビ
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県仙台市で、去年6月に結成された私設応援団「青空応援団」。メンバーは全員社会人で、20代〜50代だ。彼らの活動は、「頑張っている人を、ひたすら応援すること」。牘援してほしい瓩箸いΠ様蠎圓慮気惷遒栄佞院⇔呂慮造螢─璽襪鯀る。この応援団には、津波で大きな被害を受けた気仙沼市出身の団員、アメリカで心臓の移植手術を受けた息子を持ち、その時支援してくれた人たちへの「恩返し」にと入団した団員などがいる。その応援団が7月、フランス・パリで開かれた日本文化を紹介するイベントに参加した。海外の人に「応援」はどう映るのか?応援は受け入れられるのか?震災から3年半。被災地で生まれた熱い男たちの日々を伝える。 鈴木省吾

朝雨です.そして少ししんどい感じです.会議は問題なく過ごしたのですが,お昼にまたしんどくなりました.京阪の駅に近くでお造り定食食べたのですが,イマイチ.とりあえず図書館で休憩することにしました.どうにか落ち着いてきた感じ.夕方にはメガネの点検.新しく買ってから半年が過ぎたので.

河北新報
追悼の形 地域で探る 仙台市が協議本格化
 東日本大震災の犠牲者を追悼するモニュメントの整備に向けた話し合いが、仙台市の津波被災地で始まった。震災遺構としては市内で若林区の荒浜小の活用が検討されているが、他の地域は震災メモリアルの議論から取り残されていた。市はこの秋、まず宮城野区蒲生地区の被災者とモニュメントの形状や設置場所の協議を本格化。他の地域とも近く、モニュメントの地元設置について意見交換の場を設ける。

 「犠牲者の名前は一人一人刻んでもらった方が良いのではないか」「阪神大震の被災地では、都市公園の中に慰霊碑や追悼のガス灯があった」
 蒲生地区の町内会役員や市職員ら約20人が11月2日、高砂市民センターに集まり、モニュメントの在り方について意見を出し合った。神戸市内の慰霊碑を調べた住民の報告もあった。
 同地区は市内最大の被災地の一つで、151人が犠牲になった。住民が身を寄せた中野小は解体され、追悼施設の整備を求める声が地域に根強い。
 市はことし9月、町内会役員らで構成する「中野小学校区復興対策委員会」に、(1)犠牲者の追悼・鎮魂(2)震災前の被災地の姿や歴史の伝承−を目的としたモニュメントを設置する方針を初めて説明。規模や形状は未定だが、設置先として中野小跡地に造る公園を挙げた。
 市震災復興室の横野幸一郎室長は「集団移転団地の造成に一定のめどがつき、ようやくモニュメントについて話し合える段階に入った」と言う。
 市は県内の他自治体の事例を紹介し、モニュメント完成までのスケジュール案も示した。本年度内にイメージ図を作成し、16年度中の完成を想定している。
 復興委の高橋実委員長(77)は「訪れた人が犠牲者とかつての中野小学区に思いをはせる場所となるよう、有識者の意見も聴きながら皆で話し合いたい」と語った。
 市は11月中旬に若林区の六郷、七郷両地区の連合町内会にも協議を打診した。横野室長は「失われた命や暮らしを伝え続けるため、モニュメントのあるべき姿を住民と考えたい」と話している。

朝日新聞
(語る 復興への道)「絶望しないで」伝えたい 小口幸人さん 東日本大震災4年目
 東日本大震災から3年8カ月が過ぎても、被災地のまちづくりや被災者の生活再建が遅れている。どんな課題があるのか。震災時に岩手県の避難所で被災者の相談に応じ、今は東京で復興支援の仕組みづくりに向き合う弁護士の小口幸人(ゆきひと)さん(36)に聞いた。

 震災の1年前、弁護士が少ない司法過疎地で人々の役に立てないかと、岩手県宮古市の法律事務所に赴任しました。
 震災の時は事務所にいました。事務員の行方が分からず、翌日から避難所を捜して回ると、救助にあたる医師や消防士、自衛官らの姿がありました。自分は何もできず、無力さを痛感しました。
 震災3日後に携帯電話が復旧すると、弁護士仲間から、生活再建支援金や災害弔慰金などの資料をメールで受け取りました。翌日、避難所で寝泊まりしていた事務員にコピーを頼むと「みんなに見せたい」と言われました。
 この一言で、被災者や市職員にこの情報を届け、「国からこれだけのお金が出るから大丈夫。絶望しないで」と伝えるのが自分の役割と気づきました。
 震災1週間後。避難所になった中学校で法律相談を始めました。拡声機で「相談があれば体育館の指導室にお越しください」とアナウンスしたら、寒い廊下に行列ができた。「相談の需要があり、踏み出してよかった」と思いました。
 2カ月後には避難所で「亡くなったご家族の相続の手続きはお済みですか?」と尋ねて回りました。相談で多かったのが、流された自宅のローン返済についてです。
 避難所の小学校で、小学生用の椅子に座りながら30代ぐらいの男性から相談を受けた時のことです。「建てて6年の家が津波で流された。残っていたローンは払わなくていいんですよね?」。法律にのっとって「ローンは残ります」と答えるのがつらかった。
 被災した場合に住宅ローンを減免する制度を求め、仙台弁護会を中心に10万人以上の署名を集めました。私も商店街やタクシー会社などを自転車で回り、有志で地元県紙に折り込みチラシとして署名用紙も入れました。
 国、金融機関、法曹界が協力し、2011年8月には、自己破産せずにローンを免除されたり減らされたりする制度ができました。ただ、当初の見込みの1割しか利用されていません。もっと多くの人を速やかに救済するため、立法が必要だと考えます。

 ■遅れる高台移転、不満の声
 12年秋、岩手県山田町の仮設住宅の談話室で弁護士会が相談を受けていた時のことです。年配男性から「先生に言ってもしょうがないけど、俺が高台移転する予定の山の工事はなんで始まらねぇんだ」と1時間以上ぶちまけられました。
 移転先の造成が進まず、家が建たないという不満です。「そうですよね」と聞き続けるしかなかった。同じやりとりをしたのは100人以上にのぼり、高台移転の遅れは最大の問題だと実感していました。
 高台移転では、一つの土地の相続人が何十人や何百人にわたり、移転先の土地の買収が進みません。明治時代に登記されたままで、所有者が分からない土地もあります。
 岩手県と岩手弁護士会で土地買収が簡素化できる制度案を作ったので、復興庁に持って行きました。A4判1枚の紙に問題点をまとめ、国会議員にも説明して回りました。
 昨年秋、主戦場が東京に移ったと感じ、宮古出身の後任弁護士が赴任することもあって、東京の事務所に戻りました。今春、議員立法で改正復興特区法が成立しました。
 今年8月、仕事で山田町を訪れました。でも、高台移転予定地の工事は進んでいませんでした。11月には、陸前高田市の仮設住宅を巡回した弁護士仲間から「高台移転地の造成完了まで長くて3年ほどかかる」と聞きました。
 同じことが起きないように普段から土地の名義と実態を一致させておくことが大切です。登記しやすくするため、税負担を軽くする仕組みも検討すべきではないでしょうか。
 月1回のペースで岩手、宮城、福島の被災3県のいずれかに足を運んでいます。震災前後の被災地を知る私が、東京で被災地へのアンテナを張り、被災者支援に力を注ぎ続けることは、当時そこにいた弁護士として使命と感じています。
    *
 おぐち・ゆきひと 東京都出身。電機メーカーの営業担当から30歳で弁護士に。10年4月から宮古ひまわり基金法律事務所、13年11月から東京の桜丘法律事務所に勤務

 ■再建、ひとごとではない
 私が暮らす岩手県大槌町では、高台移転を望む自営業者が「再建した店と津波で流された家のローンで新しい家を建てるお金がない」と悩んでいる。お年寄りからは「高台移転の工事は生きている間に終わるんだべか」との声が聞こえてくる。
 進まぬ生活再建を目の当たりにすると、復興に向けた仕組みは十分とは思えない。小口さんは「首都直下地震や南海トラフ地震が起きたら」と何度も口にする。災害大国の日本では、どの地域に住む人にとってもひとごとではないはずだ。 (大槌駐在 田渕紫織)

朝日新聞
(被災地から)語る、生かしてくれたから 東日本大震災
 「津波にのまれた時、夫は私の名を3回呼んでいました」。11月21日、犠牲者の名が刻まれた慰霊碑が立つ福島県相馬市の海岸。市観光協会が派遣した語り部、五十嵐ひで子さん(66)の話に、研修旅行で訪れた主婦は目を潤ませた。
 五十嵐さんは当時、海岸から約20メートルの海沿いで民宿を営んでいた。夫の利雄さん(当時67)と波にのまれ、気づいたときはがれきの中だった。夫は21日後、遺体で見つかった。
 自分が声をかけ、無口な夫は黙ってついてくる。そんな夫婦だった。近所に早く逃げて助かった人もいた。「自分が逃げようと強く主張していれば」と悩み、避難先でボーッとする日々が続いた。
 その年の夏、震災前に一緒に民生委員をした友人にすすめられ、被災した障害者向けの県の健康訪問チェックに加わった。仮設住宅を訪ね、交通事故で歩けない人や重い心臓病を抱えた人と話した。「自分も前を向かなくては」。そう思い始めたころ、観光協会の関係者に語り部を頼まれた。
 昨年は語り部を48回重ねた。原発事故より津波被害を報じるニュースが少ないと感じる。「津波を語り継ぐために夫たちが自分を生かしてくれた」。体験を語る意味は大きいと思っている。 (福島総局・鹿野幹男)


河北新報
河北抄
 あの巨大津波に流されず、たった1本残った海辺の松があった。陸前高田市のことではない。南隣の気仙沼市岩井崎。
 地上27メートルまで見事に直立する「奇跡の一本松」に比べ、高さは3メートルに満たないし幹も直角に曲がっている。
 一見、見栄えはしないが、ちょっと角度を変えて見れば、たちまち竜に変身する。身をくねらせて海をにらむその姿から「竜の松」と名付けられた。

 最初から竜の形をしていたわけではない。ほとんどの枝が津波でもぎ取られたら、そう見えるようになった。
 既に枯死していることも思うと少々ふびんだが、「大震災の後、地元の人を勇気づけてくれた」と気仙沼市観光課の畠山修課長。
 市は保存を決め、これから工事の方法を検討していく。「多分いったん根元から抜いて作業を行い、また戻すことになる」と畠山課長は説明する。

 竜には相棒がいる。約30メートル北側に、江戸時代に活躍した地元出身の第9代横綱秀ノ山の像がある。こちらも津波をうっちゃった。
 「残った、残った」の名コンビ。岬の突端で末永く、海を鎮めてくれるだろう。


日刊ゲンダイ
菅原文太さんが死去 高倉健さんに続き大物俳優がまた…
 俳優の菅原文太さんが死亡していたことが1日、分かった。享年81。高倉健さんに続く“大物俳優”の訃報だ。

 菅原さんは1933年8月16日生まれ、宮城県出身。早大第二法学部進学後、モデルや「劇団四季」の団員を経て、58年「白線秘密地帯」(新東宝)で本格映画デビュー。73年に始まった「仁義なき戦い」シリーズの広能昌三役で人気を不動のものとし、「トラック野郎」など数多くのヒット作に主演した。

 東日本大震災後は、国民運動グループ「いのちの党」を結成すると同時に芸能界からの引退を宣言。最近は安倍政権の集団的自衛権を巡る憲法解釈の見直しや、自衛隊の海兵隊化などに警鐘を鳴らし、講演活動などに精力的に取り組んでいた。


デイリースポーツ
菅原文太さん妻・文子さんコメント全文「小さな種を蒔いて去りました」
 映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」などのシリーズで人気を博した俳優の菅原文太さんが11月28日に転移性肝がんによる肝不全のため亡くなっていたことが1日、分かった。宮城県出身。菅原さんは最近は福岡県福岡市内に住み、家族によって密葬が県内の太宰府天満宮祖霊殿で営まれた。妻の文子さんが報道各社にFAXで心境を明かした。全文は以下の通り。

 「7年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち『朝に道を開かば、夕に死すとも可なり』の心境で日々を過ごしてきたと察しております。

 『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。1つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう1粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の1人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。

 恩義ある方々に、何も別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」。


毎日新聞
献金:電力関連会社、自民へ3228万円 5社・3年で
 関西、中国、四国、北陸の4電力の関連会社や子会社が福島第1原発事故から昨年までの3年間に、自民党の政治資金団体「国民政治協会」へ、判明しただけで計3228万円を献金していたことがわかった。4電力はいずれも、原発再稼働に向けて安全審査を原子力規制委員会に申請している。電力各社は大幅な電気料金値上げを実施した1974年を機に、公益企業として特定政党への献金は不適切だとして建前上自粛している。

 同協会の2011〜13年の政治資金収支報告書によると、原発事故後の献金額は、関連会社では関電の「きんでん」が1300万円で最多。他に中国電の「中電工」、四電の「四電工」、北陸電の「北陸電気工事」が献金を続けていた。子会社では四電の「四電ビジネス」が献金した。

 11年は、東京電力の関連会社「関電工」が福島第1原発事故前後の1月と4月に計680万円、中部電力の子会社「トーエネック」も事故前の1月に600万円をそれぞれ献金した。しかし、12年以降は確認されなかった。

 全国では、07年から子会社に献金自粛を呼びかけている九州電力の例がある。子会社や関連会社の献金について取材に対し、関電は「各社が適否を判断している。関与すべきでない」▽中国電は「コメントする立場にない。献金自粛は呼びかけていない」▽四電と北陸電は「各社の判断。承知(把握)していない」−−とそれぞれコメントした。

 一方、4電力は献金については今回確認されなかったが、政治家のパーティー券購入は続けている。理由について、「情報収集」(関電、四電、北陸電)や「儀礼的なつきあい」(中国電)としている。

 政治資金に詳しい上脇博之・神戸学院大大学院教授(憲法学)は「電力会社は表向き献金自粛を言っているだけで、抜け穴があるのが実態だ。自粛を徹底するなら、関連会社の献金やパーティー券購入も自粛しないと意味がない」と指摘している。【関谷俊介】

毎日新聞
受験と私:ロッテから2位指名の京都大4年・田中英祐さん 「やる気があれば追いつける」
 そろそろ受験シーズンです。年が明ければセンター試験があります。「得意科目で失敗」「いつも以上にできた」「桜散る」「祝合格」……悲喜こもごもの受験の思い出を、「先輩」に聞きました。第1回は、京都大学初のプロ野球選手として注目される4年生の田中英祐さん。部活はちゃんとやっておかないと後悔すると話します。その勉強のコツとは。

        ◇

 「なんで勉強せなあかんの」。幼いころ、父に聞いたことがあります。父は「勉強していたら将来やりたいことができるようになる。せんかったらいざやりたいことがあったときにもできんよ」と言いました。父は僕と同じ京都大学工学部出身です。いま、すごくその言葉を実感しています。プロ野球選手、研究職、内定を頂いた総合商社と、いろいろな選択肢で悩むことができたからです。

 とはいえ、高校当時ははっきりとした目標があったわけではありません。高校は進学校で、僕らのクラスの半分が東京大学か京都大学へいきます。特に何を勉強したいとか、どこの野球部で野球をしたいという目標はなかったけれど、漠然と「一番頭がいいから」と東京大を目指していました。その後、秋の模試などの結果で志望を京都大学に変えました。

 力の入れ方も、勉強が7割、野球が3割。野球部は、あくまで部活の一環という位置付けで、授業のあと1時間半ほど練習。自主練習もせず、その後は受験勉強をしていました。ただ、時間を有効に使うため、宿題はできるだけ昼休みに終わらせ、帰宅してからはやりたい勉強をしていました。

 周囲は高2ごろから受験勉強を始めていました。高3に入って野球部の中にもかなり受験を意識し出す人がいて、退部者が出るなどチームがバラバラになりかけました。僕もちょっと揺れるというか、そういうグループに入りかけたことがあります。「野球よりもっと勉強やっとかなきゃあかんかな」。部活を少し辞めたいと思うことはありましたが、1年からエースを任され、必要としてもらっていたのでそういう無責任なことはできなかったのです。

 勉強法はこのような感じです。帰宅後、夕食を食べ日付けが変わるころまで勉強。「この3日間は英語ばかりやろう」という感じで、集中力が切れるまで同じ教科をやっていました。引退までは基礎勉強しかしていませんでした。学校からもそれでいいといわれ、学校のプリントや一通り網羅した基礎的な参考書、問題集などを解いていました。

 暗記は得意やと思います。コツはアウトプット。赤いシートとペンで単語を隠しながら、文章の流れで空白を言えるようにしたり、通学路で自転車をこぎながら全部流れで言ってみる。日本史なら「何年になに、その後になにがあって」というふうに。覚えたことを思い出す作業の方をちゃんとやっていた気がします。

 こつこつやるのはあまり得意ではありません。ですが、周りにこつこつ努力できる友人がいて、一緒に勉強できたことが大きかった。そいつに追いつこうとやっているうちに周りからみるとこつこつとやっているように見えていたようです。彼は野球部の仲間で、いつも一緒にフードコートや学校に残って勉強しました。日中、自宅ではほとんど勉強しませんでした。部屋の机は立ち上がった瞬間、後ろにベッドがあるんで「寝てまう」。1階にいけばテレビやお菓子という誘惑があるので。野球をやっていてよかったのは、周りから言われたことですが、最後の追い上げがすごかったこと。これは野球部員全体にいえることですが、全体的に直前までぐーんと伸びる。僕の場合はセンター試験が終わってからもそういう感覚がありました。

 センター試験のあとは1日9時間ぐらい勉強しました。先輩から、先にやると「やることなくなるで」といわれて残していた赤本を、テスト形式にして京大理科3時間を3セット。ばっと3時間解いて採点して、休んでまた解く。テストが始まったらもう解くしかないと自分に課しました。一通り終わると、青本をやりました。

 「しんどー(しんどく)」なってきたら、暗記科目に切り替え、アウトプットしてきちんと言えたらすっきりする。「あー」とか「うー」とか言いながら。それが息抜きでもありました。あと鏡の前で20分ぐらいシャドーピッチングをしたり。

 京都大学では友達に恵まれ、野球でも人間的にも成長できたと感じています。野球部での一番の思い出はチームの60連敗を止めた試合です。この舞台で勝ちたいと思ってやってきて、そこで一勝できたことがすごくうれしかった。実際、ここで注目を浴びたからプロにいけることになった。ここにいなかったらほとんどプロへはいけなかったと思っています。僕にアドバイスができるとすれば、部活はちゃんとやっておかないと後から後悔するということです。そこに全力を注いでから勉強しても遅くない。ちゃんとやる気があるなら絶対に後から追いつけます。【聞き手・垂水友里香】

◇たなか・えいすけ 1992年生まれ、兵庫県高砂市出身。京都大工学部4年。最速149キロの本格派右腕。小学4年から軟式野球を始める。投手として、京大最多の8勝に貢献した。14年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから2位指名を受けた。

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フランス語の勉強?
Le petit prince
On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux. (Le petit prince)
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