フランス語の勉強?

mai 2015

本を3冊読んで,仙石線開通の動画を見ました

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Leila2

Compétition de ≪bébés sumo≫
Une centaine de bambins s'affrontaient samedi sur un tapis de sumo au Japon, à coup de cris et de pleurs au cours d'une compétition annuelle de bébés sumo, tradition japonaise censée leur garantir une bonne santé.
C'est dans le temple de Sensoji à Tokyo dans le quartier historique Asakusa, que d'imposants lutteurs de sumo ont incité 120 bébés à hurler à pleins poumons sur commande, pour le plus grand bonheur de leurs parents et du public.
Pleurer le plus vite et le plus fort
Ces cérémonies traditionnelles, vieilles de 400 ans, se déroulent dans des temples et autres lieux de culte dans l'ensemble du pays, mais le réglement varie selon les régions : parfois les bébés en compétition doivent montrer quel sera le premier à donner de la voix, et ailleurs au contraire le premier à hurler est le perdant.
Dans le cas de la rencontre d'Asakusa, où la compétition a lieu depuis 1991, deux bambins ont été conduits sur le ring, où de vrais lutteurs sumo les tenaient en les secouant doucement tandis qu'un arbitre criait : ≪Pleure ! Pleure!≫ L'épreuve a été remportée par le bébé qui a hurlé le plus vite et le plus fort.
Chez certains enfants les hurlements ont éclaté sans beaucoup de sollicitation, mais pour d'autres, plus stoïques, il a fallu l'irruption sur le ring de juges affublés de masques de diable, provoquant l'hilarité du public.
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明日へ−支えあおう− 証言記録 東日本大震災 第41回「宮城県石巻市雄勝町」
石巻市雄勝町は津波で壊滅。雄勝小学校の児童たちは危ういところを山に逃れるが、避難した清掃工場には食料も毛布も無かった。翌日、教員たちは救援を要請しようとするが、町の外につながる道路はいずれも不通、やむなく山越えで内陸を目指す。しかし、たどり着いた先も津波で壊滅していた。救援を求めるには水の中を歩いて先に進むしかない。壊滅した町と子どもたちに助けを求めようと、命がけの救援要請を行った人々の証言記録。
畠山智之

“おうち”診療所 〜がんと闘う子どもたちの願い〜 
萩原聖人 読売テレビ
“がんになっても笑顔で育つ”をコンセプトに兵庫県神戸市に誕生した全国初の小児がん治療専門の施設チャイルド・ケモ・ハウス。キッチンやお風呂などを備えた19室の「おうち」が特徴だ。立ち上げたのは小児がん経験者の楠木重範医師(40)。がんの子どものほとんどが二坪ほどの空間で家族と離れ辛く長い闘病生活を送っている。その現状を変えたいと作ったのが「おうち」だ。家族と一緒に過ごすことで、笑顔が戻り、治療にも前向きに臨めるようになる。中でも上田真土加さん(15)は、一時は生死の境を彷徨いながらも中学の卒業式に出席できるほど劇的な回復を遂げた。診療報酬の問題など新しい試みゆえの様々な壁を乗り越え、新しい小児医療の確立を目指す”おうち”の挑戦を描く。

駆け込みドクター!【健康への早道は…腸内環境を整える事だっだSP】
■腸にまつわる健康クイズ □芸能人腸内環境ランキング発表 ■腸内フローラって何だ!? □7500種類のヨーグルトの差ってなんだ! ■便秘と下痢を解明 □最新治療 便移植療法 ■腸に効くツボ □気をつけたい大腸がん ■カスカス体操
久本雅美 オードリー(若林正恭・春日俊彰) 吉田明世 ゲスト 青木さやか・荒木由美子・アンガールズ・高橋元太郎・長州小力・新田恵利・橋本マナミ・ボビーオロゴン森田豊・池谷敏郎・大竹真一郎・友利新・伊藤剛 田子千尋 永田亮子

テレメンタリー「“殺人”ドラッグ〜薬物が奪った命〜」
化学構造を変えながら法の網をくぐり抜け、全国にまん延した危険ドラッグ。吸引したドライバーが相次いで死亡事故を起こすなど社会問題となってきた。薬物依存症の回復施設、富山ダルクの入寮者は口をそろえて「最も危ないドラッグだ」と断言する。
また専門家への取材で危険ドラッグがいかに脳や身体に深刻なダメージを与えるかも分かってきた。その実態はもはや「危険」という領域を超え“殺人”ドラッグとも言うべき薬物だった。
北陸朝日放送

前を向いて、歩こう。 「石巻のイギリス人」からのメッセージ
リチャード・ハルバーシュタット
サンマーク出版
2011-10-24


絆の本 xkss
在日外国人の帰国勧告のニュースを耳にしたとき、ひどく悲しい気持ちになったのを覚えています。
「非常事態やむなし」ということはわかってはいるものの、日本が見捨てられたように感じました。
しかしその気持ちの本質は「日本を気に入ってほしい」という願いがあるからこそだと思います。
著者のリチャードさんはイギリスへの帰国を断り、日本に留まりました。それも、地震と津波の被害が甚大だった石巻に。
彼の決断が、新聞やテレビに取り上げられたことは、やはり「日本を気に入ってくれた」という実感によるものだと感じます。
この本は、震災の生なましさを伝えることが主題ではないのでしょう。
リチャードさんの心の動きをなぞりながら、我々が、いまいちど日本のよさを発見し直すことに意図があるのだと考えます。
また、リチャードさんの語りを読み終えたときに、何かしら手応えを感じたならば、国籍を超えて心を通わせることができた喜びを感じとれます。
「前を向いて、歩こう。」というタイトルには、くじけずに顔を上げて進む、というほかに、人と人が出会い向きあうという意味の「前を向く」が込められているのではないでしょうか? 
つまりは、リチャードさんが石巻に残った理由の、人との絆を書き表しているのだと。


イタリアンというか喫茶店で歴史の本を2冊読みました.
部屋に帰ってきてからYoutubeで仙石線全線開通の動画を見ました.全線開通のニュースは嬉しいけど,いまだ気仙沼線などいくつかの路線が手つかずになっているのを忘れてはダメだと思いました.
リチャード・ハルバーシュタットさんの本はとてもよかったです.

<仙石線全線再開>復興をつなげる鉄路
 JR仙石線は30日、東日本大震災以降、休止となっていた高城町(宮城県松島町)−陸前小野(東松島市)間(10.5キロ)での運行を再開した。あおば通(仙台市)−石巻間(49.0キロ)の全線が結ばれるのは4年2カ月ぶり。東北線を経由して仙台−石巻間(47.2キロ)を最短52分で結ぶ仙石東北ラインも開業した。
 仙石線の上り、下りの一番列車は午前5時台、仙石東北ラインは午前6時台にそれぞれ始発駅を出発。仙台発の仙石東北ライン一番列車に乗車した仙台高専2年の生出真人さん(21)=石巻市=は「これまで列車と代行バス乗り換えで不便だった。これから通いやすくなる」と喜んだ。
 高台に移設した野蒜駅(東松島市)では、沿線自治体の首長ら関係者約120人が集まり、合同の記念式典が開かれた。村井嘉浩宮城県知事は「全線再開と仙石東北ラインは地域発展を引っ張る大きな力になる」と復興の加速に期待した。
 仙石線は震災で全線が運休したが、2012年3月までに高城町−陸前小野間を除いて運転を再開。復旧に伴い、JRは陸前大塚(東松島市)−陸前小野間の線路と東名、野蒜両駅を内陸側に移設した。
 JR東日本仙台支社によると、仙石線は1日上下計195本を運行する。このうち、あおば通−石巻の列車は上下計38本で、両区間を約1時間半でつなぐ。仙石東北ラインは特別快速と快速列車限定で、仙台−石巻間を1日上下計28本運行する。


<仙石線全線再開>再び列車で通える喜び
 見慣れたはずの風景は大きく変わった。東日本大震災発生時、津波で流されたJR仙石線上り列車に乗っていた石巻高2年の内海真由さん(17)=東松島市大塚=は30日、全線再開した車両に乗った。復興工事が進む新しいまちへの期待、海が少ししか見えなくなった寂しさ。4年2カ月ぶりの車窓に、さまざまな思いが行き来した。
 内海さんは30日午後、再開した陸前大塚駅(東松島市)から下り列車に乗った。駅は震災前と同じ海岸沿いに立つ。「あー懐かしい」。列車が動きだし海が見えると思わず声が漏れた。
 列車は間もなく左にカーブし、風景は変わる。宅地造成工事で大型ダンプが行き交う。「沿線に家や学校ができるのが楽しみ」と声を弾ませた。
 6分後、到着したのは野蒜駅。500メートル内陸、海抜22メートルの高台に移った。「以前のように海が見えないのは寂しい。安全のためなら仕方ないかな」
 震災当時、野蒜小6年の内海さんは仙石線で通学していた。2011年3月11日、帰宅しようと野蒜駅から先頭車両に飛び乗った。発車間もなく車内の照明が点滅し、列車が止まった。
 大きくて長い揺れ。泣きだす友人を「大丈夫だよ」となだめた。座っていたお年寄りが言った。「津波は怖い」。その時は意味が分からなかった。
 他の乗客とともに列車を降り、野蒜小へ歩いた。体育館に着いて約30分後、「津波が来るぞ」という叫び声を聞いた。慌てて体育館の2階に上った。入り口を破って水が激しく押し寄せ、たくさんの人が流されていった。
 乗っていた上り列車は線路ごと津波に流され、車体がくの字に曲がったことを後に知った。「あのまま乗っていたら…」。今は津波の恐ろしさを理解できるようになった。
 その後、仙石線は一部不通になり、鳴瀬二中(現鳴瀬未来中)にはスクールバスで通った。自宅まで1時間かかることもあった。不便は多かったが、自分は家が残り、家族も無事だった。「大変な思いをした人もいる」と思うと、不満は口にできなかった。
 全線再開後は高校へ、仙石線1本で行ける。今までより1時間の余裕ができる。「母のお弁当作りも楽になるかな」と笑う。
 友人と仙台に遊びに行きたい。仙台の大学も自宅から通えるようになる。楽しみが増えそうだ。


<仙石線全線再開>新たな門出を祝福 野蒜駅
 止まった時計が動きだした。JR仙石線が全線再開した30日、東日本大震災の津波で鉄路が一部不通だった東松島市に列車の姿が復活した。駅舎が被災し、高台に移設された同市の東名、野蒜両駅は、集団移転団地の核となる。地域の住民らは新駅開業と全線再開を祝い、復興への大きな一歩をかみしめた。
 「みなさんありがとう」。野蒜駅のホーム向かいの造成地では、住民約60人が復興支援に感謝し、駅に入る列車を出迎えた。大漁旗を掲げ、小旗を振り、新たな門出を祝福した。
 駅ホームでは、待ちに待った全線再開に喜びの声があふれた。一日駅長を務めた東松島市鳴瀬未来中1年の小畑侑大君(12)と奥山彩さん(13)は午前10時54分発仙台行きの列車を見送り、「野蒜のまちが復興していくのが感じられた」。
 奥山さんは野蒜小2年の時に被災し、現在は市内の仮設住宅で暮らす。「まちが良くなるため手伝えることがあるなら協力したい」と力を込めた。
 野蒜駅であった記念式典には、関係者約120人が出席。野蒜小5、6年生56人が「野蒜復興太鼓」を披露し、復興に向けて歩む決意を表現した。
 JR東日本の冨田哲郎社長は「仙石線が地域再生の原動力となるよう今後も全力を尽くす」と述べ、阿部秀保東松島市長は「全線再開は通勤通学の負担軽減だけでなく、観光面の波及効果も大きい。未来へのまちづくりが、きょうスタートした」と語った。
 野蒜駅に下り立った乗客らは、ホームから見える旧駅舎や更地のままの津波被災地、高台で進む移転団地造成の様子を写真に収めていた。
 鉄路は復活したが、新駅舎へのアクセスには課題が残る。旧東名駅近くに住む阿部富美子さん(80)は義理の娘と東名駅を訪れ、「高台にある駅まで歩くのは遠い。高齢者は無料タクシーなどを使わないと行けない」と話した。


<仙石線全線再開>沿線のイベントに熱気
 JR仙石線が全線再開した30日、沿線や関係する駅ではさまざまなイベントや式典が開かれた。各会場は祝福する来訪者でにぎわい、東日本大震災からの復興加速化へ期待を寄せた。
 石巻駅前にはテントが立ち並び、ホタテ焼きやご当地B級グルメの石巻焼きそば、笹かまぼこなどが振る舞われた。近くの商店街では地場産品が売られ、音楽ライブの会場は観客の熱気に包まれた。
 仙台駅から乗車した仙台市青葉区の会社員戸田武雄さん(64)は午前11時ごろ、石巻駅に到着。石巻焼きそばを味わった。「街の雰囲気が明るい。沿線の方々が少しでも元気になってほしい」と語った。
 石巻市の幼稚園や学校は開通記念の横断幕を掲げ、祝賀ムードを盛り上げた。
 石巻みづほ幼稚園と石巻みづほ第2幼稚園の園児や親ら計約150人は午前9時すぎ、ピンクや黄色の飾り物を持ち、通過する車両に向けて手を振った。
 日野愛彩ちゃん(5)は「電車に乗りたい」と胸を膨らませ、津田広明園長(75)は「全線再開で復興に弾みがつけばうれしい。子どもたちの思い出になると思う」と期待した。
 東松島市の陸前小野駅前では、近くの仮設住宅の女性たちが手作りの人形「おのくん」を販売し、約400体が売れた。購入した塩釜市の主婦佐藤桂子さん(48)は「全線再開は地域が活気づくスタート」と声を弾ませた。仮設住宅自治会長の武田文子さん(64)は「もっと多くの人に東松島市に足を運んでほしい」と願った。
◎市民詰め掛け式典祝う・石巻駅
 石巻市の石巻駅ホームでは30日午前8時すぎ、JR仙石線全線再開と東北線に乗り入れる仙石東北ラインの開業記念式典が開かれた。ホームには大勢の市民が詰め掛け、4年2カ月ぶりに仙台と結ばれた鉄路復活を歓迎した。
 村井嘉浩知事や亀山紘市長、JR東日本の深沢祐二副社長ら約60人が出席。亀山市長が仙石東北ラインの運転士に花束を贈り、関係者がテープカットとくす玉割りをして祝った。
 亀山市長は「仙台と石巻間を短時間で移動できるようになり、通勤・通学だけでなく観光面でも波及効果が大きい」と期待した。深沢副社長は「石巻の観光や物産の発信に全力で取り組みたい」と力を込めた。
 佐々木和夫駅長と一日駅長に就任した市桜坂高の女子生徒2人の合図で、仙台行きの電車が発進した。


<仙石線全線再開>地域再生が今後の課題
 JR仙石線が全線再開したことは、100万都市の仙台と東日本大震災最大の被災地・石巻を結ぶ鉄路として、復興の加速と地域の活性化を進めるためにも大きな意味を持つ。不通期間が4年2カ月に及び、石巻圏の定住人口は震災以降、減少傾向が続く。全線再開を機に、どう地域の再生を目指すかが今後の課題だ。
 仙石線の全線再開は当初、2015年中の計画だったが、約半年前倒しで実現した。
 仙石線の1日平均通過人員は、震災前の10年度で2万1450人。全線再開前の13年度でも1万6893人に上り、東北の在来線では東北線(白石−仙台間)、仙山線(仙台−愛子間)に次ぐ需要がある。
 仙石線に加え、特別快速と快速限定の仙石東北ラインが開業した。利便性が向上し、JR東日本は「震災前の利用者数は回復させたい」と意気込む。
 高台に移設した東松島市の東名、野蒜両駅の周辺では、新たな住宅地の整備が進む。16年3月には石巻市蛇田地区近くに新駅「石巻あゆみ野」が設置され、鉄路を核とした復興まちづくりが始まる。
 鉄路復活は一つの大きな節目だが、被災地には「仙台圏への人口流出に歯止めをかけなければ意味がない」との危機感が強い。住環境の整備はもちろん、交流人口の増加や雇用の創出といった地域挙げての取り組みが不可欠だ。
 被災したJRの鉄道ではこのほか、気仙沼線と大船渡線の一部が休止したままだ。両線とも赤字路線であることに加え、JRが求める巨額な公的支援がネックとなり、鉄路で復旧するかどうかも含めて議論は進んでいない。
 復旧議論が停滞し鉄路を前提にできないまま、復興まちづくりを先行せざるを得ない地域があることも、忘れてはならない。(解説=報道部・山口達也)


[仙石線全線再開]待望の一番列車 各地で祝典
沿線や各駅では、式典やイベントなどが行われ、県内沿岸部を結ぶ大動脈の全線再開を盛大に祝った。市民からは「これまでのように早起きする必要がなくなるので、生活に余裕ができる」「石巻方面に観光に行きやすくなる」など、喜びや期待の声が聞かれた。
 石巻駅では、午前5時25分に出発した上り一番列車に合わせ、式典が行われた。一番列車には、地元住民や鉄道ファンら約80人が乗車し、亀山紘・石巻市長や市民ら約60人が見送った。亀山市長は「通勤・通学での利便性向上に加え、観光客の増加も期待できる。沿線地域での連携も図りたい」と話した。また、仙台駅で行われた式典では、JR東日本の松木茂・仙台支社長が「運転を4年以上再開できず、利用客に迷惑をかけた。復興を支える路線にしていきたい」と抱負を語った。
 一方、震災前と比べて、内陸に約500メートル移動した野蒜駅の周辺では、津波で被災した大漁旗20本を掲げたり、地元住民約60人が旗を振ったりして、列車を歓迎した。住民らは「おかえり」などと声をかけて列車を笑顔で迎え、乗客も手を振って応えた。地元で自治会長を務める早川宏さん(68)は「この日をどれだけ待っていたか」と、感慨深そうに話した。
◆園児ら旗振り声援…石巻
 石巻市内の幼稚園児と保護者ら約160人は、通過する列車に向かってポンポンや手作りの旗を振った。全線再開を祝う横断幕には、園児が手形を押し、花飾りなどを添えた。園児らは「バイバ〜イ」などと大きな声援を送った。寒河江千夏ちゃん(5)は「列車が通るのを見たら、わくわくした。速くてかっこよかった」と、声を弾ませた。
 全線再開による通勤・通学での利便性向上に対する期待は大きい。石巻市から通学している仙台二華高(仙台市)2年の高橋里奈さん(17)は「朝5時半に起床して通学していた。寝不足だった生活に余裕ができる」と、うれしそうに話す。また、就職活動を控えているという石巻市立桜坂高3年の加藤千春さん(18)は「通勤時間が1時間程度になれば、仙台の企業への就職も選択肢になる」と話した。
 観光客など、交流人口の拡大も予想される。仙台市宮城野区の会社員菅沼淳司さん(48)は「車で移動すると、道中の街並みを楽しめなかった。石巻の海産物を食べたりして、休日を楽しみたい」と話し、仙台駅から家族で観光に向かった。出張で石巻市を訪れたという東京都江東区、会社員白石和正さん(33)は「石巻のおいしい食材や人の温かさが身近になる。全線再開が復興をさらに加速するための一歩になってほしい」と期待を込めた。


[仙石線全線再開]「途切れた線路つながった」
◆津波から乗客救った、元消防団員
 仙台市と石巻市を結び、津波被害で一部区間が不通になっていたJR仙石線(49キロ)が30日、4年2か月ぶりに全線で運転を再開した。震災時、緊急停車した仙石線に乗り合わせ、全員無事へと導いた石巻市の水産加工会社役員、阿部義美さん(66)は「途切れた線路がつながった。こんなにうれしいことはない」と、この日を感慨深く迎えた。(益子晴奈)
 2011年3月11日、阿部さんは東京で商談を終え、仙台駅から仙石線の下り列車に乗った。いつものように新聞を広げて読み始めた。
 野蒜のびる駅を過ぎて高台を走っていた時、携帯電話の緊急地震速報が鳴った。小刻みな揺れが、瞬く間に激しくなる。乗員・乗客約100人がいた4両編成の列車は緊急停車した。車内から悲鳴が上がった。
 「津波が来る」。元消防団員で、1960年のチリ地震による津波を経験していた阿部さんは確信した。
 乗員はJRの指令室の指示を受けて乗客を降ろし、線路を歩きながら、指定避難場所の小学校に向かった。阿部さんも一緒に歩いたが、坂を下っていることに気づいた。「低いところに行ったら津波にのまれる。列車にとどまろう」と訴えた。
 乗員は指令室に連絡を取ったが通じなかったため、話し合って乗客と列車に引き返した。その後、阿部さんは車内に響いた轟音ごうおんに驚き、外を見ると、さっきまで歩いて下っていた先の家や電信柱が津波に襲われていた。「戻って良かった」と安堵あんどした。
 波が引き、車外に出て街の様子を見た後で列車に帰ると、高齢の男性が運び込まれてきた。流された家の屋根で助けを求めているのに気づいた運転士らが救出したという。乗客が衣服を脱がし、タオルで肌をこすって体を温めると、顔色が良くなった。車内に歓声が上がった。
 乗客らは3両目に集まって肩を寄せ合い、車内広告で隙間を塞いで風が入ってくるのを遮った。座席のシートを外して床に敷き詰め、寒さをしのいだ。阿部さんは土産の菓子やケーキを配り、みんなで分けて食べた。励まし合って一晩を過ごし、救出されたのは翌日の朝。近くの避難所までトラックなどで向かった。その後、それぞれが無事に帰路についた。
 阿部さんは震災後、仕事で出席した会合で男性に声をかけられた。「ありがとう。あなたのおかげで助かったよ」。あの時、車内にいたという。
 自宅は全壊し、勤務先も被災した。がれきを片づけるなど再建の苦労を味わった阿部さんはずっと、あの日のことを忘れずに過ごしてきた。「みんなの団結力があったからこそ、乗り越えられた。命の重さをあれほど考えた日はなかった」。その思いは今も変わらない。


JR仙石線全線復旧 被災地鉄路の未来は… 復興の象徴…一方で、収益性などに課題 宮城
 東日本大震災から4年2カ月を経て、宮城県で1、2の都市が鉄路でつながった。仙台と石巻を結ぶJR仙石線が30日に全線復旧。しかし、被災地ではいまだにつながっていない鉄路が存在し、復興のまちづくりと切っても切り離せない課題が残る。(高木克聡、上田直輝、岡田美月)
                  ◇
 被災した鉄道では、岩手県の第三セクター「三陸鉄道」が昨年4月に全線再開、JR山田線の不通区間(宮古−釜石間55・4キロ)も三鉄への移管という形で再開が決まった。宮城県のJR石巻線も今年3月に全線で運転を再開。東京電力福島第1原発事故の影響を受けるJR常磐線は、帰還困難区域を含む富岡−浪江の復旧のめどは立っていないものの、全線再開の方針は決まっている。
 これに対し、BRT(バス高速輸送システム)で仮復旧しているJR気仙沼線、JR大船渡線の不通区間は、鉄路の復旧についての正式な協議は1年以上行われていない。
 気仙沼・大船渡両線について、JR東の冨田哲郎社長は「地元からの要望はあるが、安全の確保、まちづくりとの整合性、かかる費用をどうするか、将来的な利用者の見通しなど、いくつかの課題もある」と話す。
 JR東は6月27日から、気仙沼(宮城県気仙沼市)−柳津(同県登米市)間のバス運行区間を前谷地駅(石巻市)にまで延伸する。
 同県南三陸町の自営業、佐藤千里さん(27)は「仙台や石巻に行くとき利用する。(交通量自体少ないので)渋滞もなく、時間も正確。BRTがあれば特に困らない」と、4年以上も鉄道のない生活に慣れてしまった中でこんな本音も聞こえる。
 鉄道は単なる交通手段にとどまらず、それ自体が観光資源であり、駅はまちづくりの核にもなる。震災前と同じつながりを取り戻すことは、復興の象徴として、被災地に夢や希望を与えることになる。
 しかし、不通区間のほとんどはもともと赤字路線。人口流出が続く現状では収益性の確保は一筋縄ではいかない。
 それぞれの自治体が魅力あるまちをつくり、つながる地域同士が連携を深める。沿線住民は積極的に路線を利用する「マイレール」意識を高めることが一つの解。そしてそれは運行を再開した路線の活性化にも当てはまる。
                   ◇
 ◆宮城知事「喜んだ顔、感無量」
 JR仙石線が全線復旧した30日、仙台、石巻、野蒜の各駅では記念式典が行われた。
 仙台市のあおば通駅を午前5時過ぎに出発した1番列車には早朝にもかかわらず、約100人の鉄道ファンらが乗車した。
 東松島市の野蒜駅では、大漁旗を掲げた住民らが集まり、列車が到着するたびに歓声が上がった。同駅の式典で、村井嘉浩知事は「被災者の方々の喜んだ顔がみられて感無量」と喜んだ。沿線では小中学生らが、列車に向かって手を振って運転再開を祝った。
 仙台駅では、JR東北線を一部経由して仙台−石巻間を最短52分で結ぶ「仙石東北ライン」の開業式典も。同ラインは電化方式の異なる路線を走るため、ディーゼルエンジン発電機と蓄電池を動力源とする新型車両が導入された。
 仙石線の路線カラーの青、東北線の緑、沿線の桜をイメージしたピンクの3色で彩られた真新しい車両に全国から集まった鉄道ファンらも興味津々。仙台の伝統芸能「すずめ踊り」に見送られながら、列車は多くの観光客らを乗せて石巻に向けて出発した。


石巻 4年ぶりに大規模な捜索
東日本大震災で石巻市の中心部では最も被害の大きかった南浜地区で震災の発生以来およそ4年ぶりとなる大規模な行方不明者の捜索が行われました。
捜索が行われたのは石巻湾に面する門脇町と南浜町です。
地元の消防団員や警察官など、およそ250人が参加し、全員が黙とうをささげたあと、午前9時ごろから捜索を始めました。
この地区では津波や火災などであわせて277人が犠牲となりいまも147人の行方がわかっていませんが、震災後、災害危険区域に指定されたため自衛隊よる大規模な捜索が行われて以降、手つかずの状態が続いていました。
土地の買い上げが進み、住宅跡地への立ち入りができるようになったことでおよそ4年ぶりとなった捜索では、参加者が長い柄のついた道具を使って遺留品をさがし、バッグやカメラケースのようなものが見つかっていました。
石巻市消防団石巻地区団の千葉正一地区団長は、「震災の記憶を風化させないよう一つでも多くの手がかりを見つけてご家族にお返ししたいです」と話していました。
石巻市は、今回の結果をもとに今後の捜索活動について検討することにしています。


気仙沼ホルモン:海産物の町でなぜ? 漁師たちのこだわり
 ◇海の男支え
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市。日本各地からの遠洋漁船が集まるこの漁師町で、昔から愛されている料理がある。「気仙沼ホルモン」だ。新鮮な海産物が集まる地域で、なぜホルモンなのか? 現地を訪ねた。
 JR一ノ関駅(岩手県一関市)から、2両編成のワンマン列車に揺られ約1時間半。JR気仙沼駅に着いた。自動改札機はなく、駅員さんが乗客に声をかけながら切符を回収する。駅から東へ緩やかな坂道を港の方へ下る。乾物屋や電器屋が並ぶ夕暮れの町は、人通りも少なく静かだ。港の近くは土地のかさ上げ工事が進む。
 気仙沼ホルモンは、小腸や大腸、ハツやレバーなど、数種類の豚の生ホルモンを、みそとニンニクのたれに漬け込んで七輪で焼いた料理。ウスターソースを垂らした千切りキャベツと一緒に食べるのが定番という。市民でつくる「気仙沼ホルモン同好会」の小野寺克弘副会長(41)は、「漁から帰ってきた漁師たちが『魚ではなく肉を食べたい』と、安価なホルモンを好んで食べていたことから、この地域に根付いたと言われています」と説明する。
 気仙沼港の2014年の水揚げ量は7万9011トン。中でも生鮮カツオの水揚げは1万9150トンで全国1位を誇る。スタミナがつき、キャベツでビタミンも摂取できる気仙沼ホルモンは、ハードな仕事を終えた海の男たちが集まる漁師町ならではの料理なのだ。
 飲食店や仮設商店街がある気仙沼市南町のビルの2階から、にぎやかな笑い声が聞こえる。狭い階段を上った先の扉を開けると、煙に混じって香ばしい匂いが漂ってきた。昭和30年代から続く老舗「ホルモン道場」(0226・22・0830)だ。
 仙台みそとすり下ろした生ニンニクのたれに漬け込んだホルモンを、表面が少し焦げるくらいにカリカリに焼き、キャベツの千切りと一緒に口に運ぶ。甘辛いみそのうまみと香ばしさが口の中に広がる。千切りキャベツが付いて1人前450円(税抜き)。
 鼻につんとくるのはニンニクの辛みだという。気仙沼ホルモンを提供する店の中でも、同店のニンニクの強さは有名だ。店長の白幡正弘さん(52)に使用量を尋ねたが、「内緒」とにやり。小野寺副会長は「みそとニンニクの配合を変えたり酒を加えたりして、それぞれの店が独自のたれを作っている。だから一人一人にお気に入りの店ができる」と話す。精肉店によっても味つけは違う。家で調理する人も多く、好みの店があるという。
 自宅を兼ねていた同店は震災で津波に流され、11年11月に現在の場所で再開した。
 家族でホルモンをつついていた同市の会社経営、藤田秀一郎さん(52)は、子供のころから、この店のホルモンを食べて育った。「店がなかった11年夏は夏バテした」と笑う。「ここのホルモンは日常の味。みんなが再開を待ち望んでいたよ」と話した。
 同店から車で大川を越え、県道26号沿いの「焼肉ハウスジャンジャン」(0226・23・3038)へ向かった。同店の気仙沼ホルモンは、白みそとニンニクを9対1で合わせたたれに新鮮な県産ホルモンを漬け込んだもの。専務の佐藤哲也さん(43)は「子供からお年寄りまで食べやすいオーソドックスな味を目指している」という。焦げたみその香ばしさとこりこりとした食感が食欲をそそる。ビールも良いが白飯が何杯でもお代わりできそうだ。こちらも1皿400円(税込み)と低価格。
 同店も震災で1階が浸水。11年6月に店を再開した。佐藤さんは同じ頃、小野寺副会長に誘われ、同好会に参加。仮設住宅の住民に振る舞ったり、全国のイベントに参加したりしてPR活動を続けている。「震災前からこの地域にあったものを守っていきたい。そうして一歩ずつでも、町が復興できればいい」。気仙沼ホルモンにかける思いを、そう語った。【塩田彩】


東北六魂祭 夜の竿燈を初披露
秋田市で開かれている東北六魂祭で、30日夜は、ちょうちんにあかりをともした「竿燈まつり」が披露され、見物客が夜の竿燈の魅力を味わいました。
東北六魂祭は震災からの復興を目指す東北の人々の心意気を示そうという祭りで、5回目になることしは、秋田市を会場に30日と31日の2日間の日程で開かれています。
30日は、最大の呼び物である東北6県の夏祭りを一堂に集めたパレードが行われました。
そして午後7時前からは地元、秋田市の「竿燈まつり」がちょうちんにあかりをともして再び披露されました。
長さ12メートルの竹ざおに46個のちょうちんがついた合わせて50本の竿燈が合図とともに一斉に上がりました。
「差し手」と呼ばれる男たちがバランスを取りながら額や肩、腰へと持ち替える妙技を見せると会場は大きな歓声と拍手に包まれました。
東北六魂祭で夜の竿燈が披露されるのは初めてのことで、見物客は稲穂に見立てた竿燈が夜空を黄金色に染め上げるまつりの魅力を味わっていました。
福島県から訪れた70代の女性は「今まで写真でしか見たことが無かったので見ることが出来て良かったです」と話していました。
また、宮城県から訪れた40代の男性は「とても幻想的な眺めできれいでした」と話していました。


東日本大震災:9回目のカレーチャリティー 開店前から200人並ぶ 東京
 東日本大震災の被災地を支援するイベント「第9回 東京グランメゾン カレーチャリティー」が31日、フレンチレストラン「アピシウス」(東京都千代田区・岩元学料理長)と「シェ・イノ」(同中央区・古賀純二料理長)で行われた。2011年5月から始まったチャリティーは、高級フレンチのカレーをドレスコードなし、1食1000円で気軽に味わえることから人気を集め、開店前の両店には約200人が行列を作った。

 前回までは両店と銀座レカン(東京都中央区・高良康之料理長)を含む3店で開催してきたが、銀座レカンは入店するミキモトビルの建て替え工事に伴い休業しているため、2店での開催となった。

 「鹿のキーマカレー 牛ハツのタンドリー添え」を提供したアピシウスでは、親子連れなどが笑顔でカレーを分け合って食べるなど、ドレスコードなしの気軽な昼食を楽しんだ。また、「ハンバーグカレーチーズ乗せ」を提供したシェ・イノでは、古賀料理長自らカレーをかきまぜながら、調理場内で手早く指示。開店を待つ人々の前に、高良料理長が古賀料理長とともにあいさつに訪れると歓声があがった。

 店内では1個100円の記念ピンバッジも販売し、収益の全額を東日本大震災義援金として東北の食を支援する団体「aoSORAnt(アオゾラン)」と「ソウルオブ東北」へ寄付することにしている。【米田堅持】

仙石線全線開通/豊中・赤坂憲雄講演会/あの日から43年

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Puissant séisme au large du Japon
Une forte secousse a été ressentie samedi 30 mai à Tokyo en raison d'un séisme de magnitude 7,8 à 874 kilomètres de la capitale japonaise, dans l'océan Pacifique, selon l'Institut américain de géophysique (USGS). L'épicentre se trouvait à 676 kilomètres de profondeur. Les bâtiments de la capitale ont tremblé pendant environ une minute à la mi-journée.
De son côté, le centre d'alerte aux tsunamis du Pacifique a estimé que le séisme était de magnitude 8,5 mais qu'il n'y avait pas de risque de tsunami.
Deuxième séisme de la semaine
Les deux pistes de l'aéroport de Narita, le principal aéroport international de Tokyo, étaient temporairement fermées afin de permettre des inspections. La circulation du métro de la capitale ainsi que des trains a dû être interrompue.
Un second séisme – d'une magnitude de 6,4 – a été enregistré dimanche matin au large des îles Izu, au sud de Tokyo, à une profondeur de 13,4 km selon l'USGS, mais il n'y a pas eu d'alerte au tsunami.
Il s'agit du deuxième séisme ressenti à Tokyo au cours de cette semaine. Lundi, un premier séisme avait sécoué la région de la capitale sans faire de dégâts ou de victimes. Il avait atteint une magnitude de 5,6 selon l'agence de météorologie japonaise, et de 5,3 selon l'Institut américain de géophysique. Il n'y avait eu aucun risque de tsunami.
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週刊 ニュース深読み▽どうする“住まいの貧困”〜川崎 簡易宿泊所火災から考える
川崎の火災から“住まいの貧困”について考える。日雇い労働者のための宿泊所が、貧しい高齢者の“ついの住みか”に!? マイホームがないと老後は安心・安全に暮らせない!? 6人に1人が貧困といわれるいまの日本…。「ネットカフェ難民」に「脱法ハウス」、住まいの問題は若い世代にまで広がっている。日本の住宅政策の何が問題? 誰もが安心・安全に暮らせる家はどう確保する? 私たちの住まいの問題を深読みする。
田村亮,宮崎美子,平山洋介,藤田孝典,山崎登, 小野文惠,高井正智, 南利幸ほか

ブラタモリ「#7 はるばる函館へ」
今回の旅のスタートは青森駅。「レールはどう函館を目指す?」をテーマに、特急に乗り込み函館へ向かう事に。世界最長の海底トンネル・青函トンネルを楽しむための「3つの声」とは?北海道上陸後は、来年春に開業予定の北海道新幹線の工事現場に潜入。極寒の地ならではの、レールに隠された最先端技術にタモリさん大興奮!さらに函館では、レールの終点・青函連絡船「摩周丸」の船内へ。船の底に眠る歴史の痕跡に思わず感動!
タモリ,桑子真帆, 草ナギ剛

むすばれる鉄路〜仙石線全線再開〜
震災で大きな被害を受けたJR仙石線が4年2ヵ月ぶりに全線再開する。仙台と石巻が結ばれる日の表情を野蒜駅から中継で伝え、運転再開が復興に与える影響などを考える。

今日は仙石線全線開通の日です.父母が住んでいたのが仙石線沿線なので,何度も乗りました.それが東日本大震災で不通になっていたのが,4年2か月ぶりに全線開通.うれしいです.
さて今日はお昼から豊中で赤坂憲雄さんの講演会です.「東北・震災・差別~部落問題を多元的に考える」結構面白かったです.
5月30日はメモリアルな日です.リッダの日です.あれから43年になります.パレスチナ問題に注目していこうと思います.重信房子さんも応援したいと思います.

津波で被災のJR仙石線 全線で運行再開
東日本大震災で被害を受け、一部の区間が不通となっていた宮城県のJR仙石線が、30日、4年ぶりに全線で運行を再開しました。
仙台市と宮城県内第2の都市、石巻市を結ぶJR仙石線は、震災の津波で線路などが流され、松島町の高城町駅と東松島市の陸前小野駅の間の10キロ余りの区間が不通となりました。
線路や駅舎を内陸に移設するなどの復旧工事を終え、30日から4年2か月ぶりに全線で運行を再開しました。
石巻駅では始発列車の出発を前にセレモニーが行われ、石巻市の亀山紘市長が運転士に花束を手渡して運行の再開を祝いました。
そして、午前5時25分に始発列車は地元の人たちが小旗を振って見送るなか、仙台に向けて走り出しました。
乗客の20代の女性は「仙台で遅くまで友達と遊べるようになります。石巻にも観光客がたくさん来てほしいです」と話していました。
津波で被災し、500メートル内陸側に移設された東松島市の野蒜駅でも阿部秀保市長など地元の人たちが始発列車を出迎えました。
JR東日本によりますと、仙石線は各駅停車で上下合わせて1日38本運行されます。JR東北線を一部経由して仙台と石巻を結ぶ「仙石東北ライン」の最も速い列車を使うと、仙台と石巻の間は震災前よりも10分以上短い52分で結ばれます。


JR仙石線:被災した乗客ら万感の思い…30日、全線復旧
 宮城県石巻市と仙台市を結ぶJR仙石(せんせき)線は30日、東日本大震災から4年2カ月ぶりに全線復旧する。津波で線路が流出した東松島市の野蒜(のびる)駅付近では震災発生直後、上下2本の列車に計約150人が乗り合わせていた。極限の状況下で助け合った乗客たちは、運行再開を万感の思いで待つ。【伊藤直孝】
 ◇車内待機「運あった」
 「キャー」。悲鳴が響き、横揺れが続く。2011年3月11日午後2時46分。石巻行き下り列車(4両編成)は野蒜駅から約600メートル進んだ小高い丘で緊急停止した。運転士は輸送指令室の指示で、指定避難場所だった野蒜小学校に向かうため乗客約100人を車外に誘導し始めた。
 東京の得意先回りを終え、帰社途中だった石巻市の水産加工会社「ヤマサコウショウ」部長の阿部義美さん(66)は周囲を見て運転士に伝えた。「移動中に津波が来るかもしれない。高台のここが一番安全だ」。阿部さんは元消防団員で土地勘があった。運転士は再度指令室の指示を仰ごうとしたが無線がつながらない。意見を受け入れて車両に残ることを決めた。
 阿部さんは最後尾の4両目で海を見ていた。ゴーッという地鳴りが響くと、約50メートル前まで黒い津波が押し寄せ民家が流されていった。「ようし大丈夫だ、助かったぞ」。乗客らが身を寄せ合っていた3両目に戻って伝えると、歓声が沸いた。夕方になると、阿部さんは紙袋から土産物を取り出して乗客に回した。「私も弁当があるから」「こっちにもある」。乗客たちは少しずつはしをつけ、隣に回した。
 乗客は翌朝、3キロ離れた市民センターに避難した。「運が良かった。みんなも冷静に行動できた」。阿部さんは見ず知らずの人同士が力を合わせた一夜を、そう振り返る。「仙石線に乗って、復旧した石巻の姿を一人でも多くの人に見に来てほしい」と願う。
 ◇「希望失わず前へ」
 野蒜駅ですれ違った仙台に向かう上り列車(4両編成)。乗客約50人は野蒜小に避難し被災。下り列車と明暗を分けた。乗客の一人、東松島市野蒜の中村里子さん(75)によると、津波はあっという間に体育館をのみ込んだという。クリスチャンの中村さんは、津波が来る直前に上がった2階観覧席で祈り続けた。津波をかぶった子供を観覧席に引き上げる大人を野蒜小の児童が声を出して励ましていた。体育館では13人が亡くなり、JRによると、少なくとも乗客1人が犠牲になった。
 中村さんは自宅を再建し、現在は代行バスを使って仙台の長女宅や教会を行き来する。鉄路再開を喜びながらも、線路が内陸の高台に移り、車窓から海沿いの景色が見られなくなることに寂しさも感じる。「野蒜が今後どうなるか分からないが、失望せず前に進みたい」。助け合った記憶を胸に、そう誓う。


バス乗り継ぎ2時間が52分に…仙石線全線再開
 仙台市と宮城県石巻市を結び、東日本大震災の影響で一部不通となっていたJR仙石線(49・0キロ・メートル)が30日、4年2か月ぶりに全線で運転を再開した。
 同線は被災した同県沿岸部の主要路線。早朝の一番列車の発車に合わせ、大勢の地元住民が見送りに訪れるなどし、「復興の大きな一歩になる」と喜びの声を上げた。
 復旧したのは高城町(宮城県松島町)―陸前小野(同県東松島市)駅間の10・5キロ。津波被害を受けて不通になり、地元住民らはこれまで代行バスを利用していた。バスや列車との乗り継ぎなどで約2時間かかっていた仙台―石巻間は、全線運転再開で最速52分となる。
 同線を運行するJR東日本は運転再開にあたり、東松島市の野蒜のびる駅と東名とうな駅を震災前から内陸の高台に約500〜600メートル移設するなどした。


【東日本大震災】 「石巻、明るくなった」仙石線全線再開、沿線で喜び 新駅は遠回りで不便も
 東日本大震災の津波で被災し、不通となっていた宮城県のJR仙石(せんせき)線が全線で運転を再開した30日、駅が移設された東名(とうな)駅と野蒜(のびる)駅(いずれも同県東松島市)などの沿線各地で喜びの声が上がった。一方、新しいまちの形が見えない中での運転再開となり、近隣住民は一時的に不便を強いられるなど課題も残っている。
 「来た!」。野蒜駅に列車が滑り込むと、集まった住民らから歓声が上がった。東松島市の主婦、木村茂子さん(63)は「電車とバスの乗り継ぎは不便だったので、うれしい」と顔をほころばせた。
 石巻駅(同県石巻市)では記念式典で、石巻市立石巻小の児童らで作る鼓笛隊の演奏が鳴り響いた。人口約107万人の仙台市と約15万人の石巻市。東北一の人口を抱える政令市と、県内第2の市が結ばれることで復興が加速することへの期待も高まる。
 石巻市の主婦、今野奈保子(なおこ)さん(33)は石巻駅から小学4年の莉希(りき)君(9)と一緒に乗車し、「震災以降、仙台と石巻では街並みに温度差を感じていたが、開通したことで石巻も明るくなった感じがする」と目を輝かせた。
 一方、駅の持つ本来の拠点性が発揮されるまでには時間がかかりそうだ。
 津波被害で駅舎が流失し、約500メートル内陸に移転した新たな野蒜駅。住宅が残る元の野蒜駅付近からは約1キロも遠回りしなければたどり着けない。新駅近くに建設される448戸の災害公営住宅「野蒜北部丘陵地区」も入居開始は平成28年後半以降となる。


JR仙石線:内陸移転、全線復旧 駅周辺、造成続く 入居まだ先、課題山積
 JR仙石線が30日、全線再開し、東日本大震災による津波で約500人が犠牲になった宮城県東松島市野蒜(のびる)地区では、内陸の高台に駅が新設された。しかし新駅周辺は造成工事が続き、住む人の姿はない。まちづくりの課題は山積しており、運転再開を見守った住民たちには、期待と不安が入り交じる。
 景勝地・奥松島の玄関口だった旧野蒜駅を約500メートル先に見下ろす新しい野蒜駅。同日午前、地元児童の太鼓演奏などのイベントが開かれ、市内の仮設住宅などで暮らす住民らが集まった。駅前のロータリー周辺は高さ約3メートルのシールドに覆われ、近くではクレーンがせわしなく動く。
 「だいぶできてきたけど、まだまだ先だね」。野蒜地区で被災し、現在は塩釜市のみなし仮設で暮らす女性(72)は、野蒜駅の改札を出て造成地を眺めるとつぶやいた。高城町を過ぎて海が見えたときには「本当に復旧したんだ」と泣きそうになったという。
 住民団体「野蒜まちづくり協議会」によると、地区には震災前に約1500世帯が住んでいたが、震災後は約530世帯にまで減少。そのうち旧駅周辺には現地再建した約60世帯が点在する。だが、旧駅発着の代行バスは29日で廃止。ある住民は「新駅開業で、現地再建した住民が取り残される」と危惧する。
 一方、新駅背後の丘陵地では、造成工事が続く。約450戸、約1400人が新たな街に集団移転する予定。ただし戸建て用の最初の土地引き渡し予定は来年7月で、災害公営住宅の入居開始に至っては2017年6月と2年も先だ。
 仙石線の再開は用地買収や工事が早く進み、ほぼ1年前倒しされた。このため新駅にアクセスする市道の供用開始が29日になるなど、インフラ整備は追いついていない。阿部秀保・東松島市長は今月8日の記者会見で駅周辺の整備状況を「仮設の仮設」と急ごしらえであることを認め、「一日でも早くレールを接続させることが石巻圏全体にとって意味がある」と住民に理解を求めた。
 まちづくり協議会の斎藤寿朗会長(75)は「再開は復興の第一歩で喜ばしいが、課題はたくさんある。住民も(人の住んでいない)新駅付近のパトロールなど、できることは力を合わせてやっていきたい」と話す。【伊藤直孝】


JR仙石線:全線復旧 心もつながった
 東日本大震災の影響で不通が続いていた宮城県のJR仙石(せんせき)線(あおば通−石巻、49キロ)は30日、高城町(たかぎまち)−陸前小野間(10・5キロ)で運行を再開し、全線が復旧した。震災で大きな被害があった石巻市や東松島市の中心部が、仙台と4年2カ月ぶりに鉄路で結ばれることになり、沿線は祝賀ムードに包まれた。
 石巻駅では午前8時から式典が開かれた。石巻市不動町の看護師、佐藤和子さん(70)は「自宅も浸水したあの時、4年あまりで元に戻るなんて想像もできなかった。切れていたものがつながって、心もつながったようです」と晴れやかな表情で仙台行きの列車に乗り込んだ。
 津波で線路が流失した野蒜(のびる)、東名(とうな)の両駅を含む約3・5キロは従来より約500メートル内陸側に線路が移設され、海抜約20メートルの高台に新たな駅舎が建設された。またJR東北線塩釜駅から接続線を経由して仙石線に乗り入れる新線「仙石東北ライン」(47・2キロ)も同時開業。仙台−石巻間を最短52分で結ぶ。【百武信幸】


翁長知事:ハワイで講演「将来の沖縄、平和の緩衝地帯に」
 【ハワイ=島袋良太】翁長雄志知事は28日夜(日本時間29日午後)、米ハワイ州オアフ島の「ハワイ沖縄センター」で講演した。県系人組織「ハワイ沖縄連合会」の主催。沖縄とハワイの関係について知事は、県系ハワイ移民が沖縄に残る家族を金銭的に援助したり、戦争で荒廃した沖縄にハワイの県系人が食料を送って支援したりした歴史を紹介し、絆の深さを強調した。沖縄から海を渡り世界を切り開いた移民先駆者と「万国津梁」を掲げ交易で栄えた沖縄の歴史を重ね、将来の沖縄像について「アジアの中心」として栄える「平和の緩衝地帯にしたい」と話した。
 翁長知事は名護市辺野古の新基地建設に反対する政策は「イデオロギー(主義)」ではなく、沖縄の歴史的背景を踏まえた「アイデンティティー(自我)」に基づくものだと説明した。「沖縄は戦前も戦争中も、戦後27年間も日本から切り離されたが、米国市民でもなかった」と話した上で、新基地建設を進める日本政府には「沖縄は日本にとって何なんだという疑問が湧いてくる」と強調した。「日米安保は自由と民主主義を守るはずだ」と続けた。
 知事はハワイの県系人が、終戦直後などの厳しい時代に県民を支えた歴史に触れ「ウチナーンチュの思いやりが県民の心に残っている」と謝意を示した。産業振興面でも、観光先進地のハワイから「教えを頂戴した」と述べ「二つの島が世界の安らぎの島になるように頑張っていきたい」と意気込んだ。ハワイ沖縄連合会のマーク・比嘉会長は「ハワイと沖縄の関係や、これからワシントンに向かう使命について、知事自身の視点を聞けたのは貴重な機会だった」と話した。(琉球新報)

今日もクタクタ/今いくよさん・吉川勇一さん亡くなる

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Japon: les habitants d’une petite île évacués après l’éruption d’un volcan
Les autorités japonaises ont ordonné vendredi matin l’évacuation des habitants d’une petite île du sud du Japon à la suite de l’éruption spectaculaire d’un volcan local.
Des images de la télévision japonaise NHK montraient une énorme colonne de fumée noire et de cendres s’échappant du cratère et montant jusqu’à 9.000 mètres.
Quelque 137 villageois s’apprêtaient à quitter l’île de Kuchinoerabu, dans l’extrême sud du pays, à bord de bâtiments des gardes-côtes.
L’éruption du mont Shindake n’a fait ni victime ni dégâts matériels majeurs, selon un porte-parole de la police de l’île voisine de Yakushima.
≪Il n’y a aucune perte humaine jusqu’à présent≫, a confirmé le porte-parole du gouvernement, Yoshihide Suga.
≪Nous mobilisons tous les services du gouvernement≫ pour assurer la sécurité des habitants, a déclaré de son côté le Premier ministre Shinzo Abe à la presse.
Des hélicoptères et bateaux des gardes-côtes ont été dépêchés sur les lieux, a-t-il précisé. Des militaires des forces d’autodéfense étaient également attendus.
Le volcan s’est réveillé à 09h59 locales (00h59 GMT), selon l’agence météorologique nippone qui a élevé son niveau d’alerte au maximum, rendant nécessaire l’évacuation de Kuchinoerabu.
≪Une fumée noire s’est élevée très haut, au point d’obscurcir le ciel≫, a témoigné un représentant de la communauté locale, Nobuaki Hayashi, sur la chaîne NHK.
≪Au moment de l’éruption, j’ai entendu une énorme explosion≫, a raconté de son côté le directeur d’une école locale.
L’éruption du mont Shindake n’a eu aucun impact sur les vols des deux principales compagnies japonaises, ANA et JAL.
Ce volcan est entré en éruption pour la première fois en 1841 puis a été à nouveau en activité pendant les années 1931-1935 et 1966-1980, selon les archives gouvernementales.
≪L’éruption pourrait continuer encore pendant un certain temps compte tenu de l’histoire du mont (Shindake)≫, a prédit un vulcanologue de l’université de Kyoto, Kazuhiro Ishihara, interrogé à la télévision.
Le Japon est situé dans la ≪ceinture de feu du Pacifique≫, une zone de séismes et de volcans.
En septembre dernier, un volcan du centre du pays, le mont Ontake, était entré violemment en éruption et avait pris par surprise des promeneurs, faisant 57 morts et 6 disparus.
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バリバラ〜障害者情報バラエティー〜「青春の悩み」
テーマは「青春の悩み」。主人公は、青春まっただ中の高校生。恋や友情、勉強に将来の進路…悩みが尽きない学生時代。今回は大阪府立堺東高校の部活動に密着、高校生たちのホンネに迫る。思ったことを友達にぶつけてしまう発達障害で、こじれてしまった人間関係。以前のような友情を修復することはできるのか!?また障害が理由で、大学進学を断念するよう言われ悩む高校生も紹介。
はるな愛, 大橋グレース, 玉木幸則, 松本ハウス, 大西瞳, 神戸浩,伊藤愛子


今いくよさんが亡くなったそうです.コンビのふっくらしたほうかと思っていましたが,痩せていて厚化粧の方でした.またベ平連の吉川勇一さんも28日に亡くなったそうです.ご冥福を祈りたいと思います.
疲れがたまっている感じです.クタクタです.

<仙石線全線再開>人口回復 喫緊の課題/(4)定住/通勤・通学での活用が鍵
<空き部屋を改修>
 石巻市の中心商店街に一軒のシェアハウスがある。約30平方メートルの相部屋と、約10平方メートルの個室が二つ。関西などから集まった20〜50代の男女5人が暮らす。学生や会社員、作家など職業はさまざまだ。
 神奈川県横須賀市出身の森優馬さん(33)は昨年11月、東京の会社を辞めて石巻に来た。「1次産業振興に携わりたかった」。いま、市の6次産業化・地産地消推進センターで働く。
 森さんは「シェアハウスは賃料が安く、人脈を広げられる利点もある。2、3カ月でアパートに移るつもりだったが、居心地がよくて長居してしまった」と笑う。
 運営するのは東日本大震災後に設立された同市のまちづくり団体「ISHINOMAKI(石巻)2.0」。店舗の空き部屋を改修し、昨年5月に開設した。
 市内には震災後、ボランティアなどで多くの若者が訪れ、いまも活動する。松村豪太代表理事は「移住のハードルを下げることが狙いの一つ。試しにここに住んでみたいと思った時、受け皿となる場所が必要だった」と説明する。
 JR仙石線の全線再開で、石巻への交通アクセスは飛躍的に向上する。「二つの居住地を構え、行き来する生活もある。遊休物件の掘り起こしや情報発信に努め、新しい石巻暮らしを提案していく」。松村さんはそんな構想を描く。

<追い風を生かせ>
 市の人口は4月末で14万9292。2005年4月の17万1107をピークに毎年平均1600ずつ減少し、震災後の1年間では約1万減った。流出に歯止めがかからず、定住促進は喫緊の課題だ。
 石巻専修大の石原慎士教授(地域産業論)は「外から人を呼び込む前に、今いる市民を流出させないことが重要」と指摘する。仙石線の活用が鍵になるとして「雇用の場が集中する仙台市に石巻から通ってもらう手だてを考えるべきだ」と言う。
 通勤・通学の面では、仙石線全線再開と同時に開業する仙石東北ラインが注目される。仙台−石巻間を最短52分で結ぶ。
 石原教授は具体策を提案する。「石巻市門脇に来年3月開業する新駅『石巻あゆみの駅』を核にパーク・アンド・ライドを整備したり、通勤費補助を導入したりしたらどうか」
 市も定住人口増加に向け、職員による検討チームを発足させた。堀内賢市復興政策部長は「市内の特定業種に就職した若者向けの奨学金の返済支援制度創設や、ICT(情報通信技術)事業者が進出しやすいよう古民家をオフィスとして整備する仕組み導入などを検討している」と話す。
 仙石線全線再開で石巻地方に吹く追い風をどう生かすのか。官民の知恵が試されている。(石巻総局・八木高寛、水野良将、高橋公彦)


<仙石線>観光列車で復興応援ツアー
 JR東日本は、東日本大震災で被災した仙石線が30日に全線再開することなどを記念し、観光列車「リゾートみのり」で石巻市と宮城県女川町を巡る復興応援ツアー「石巻・女川『美味いもん』あじわいの旅」を販売している。
 ツアー実施日は6月9、16日。午前9時35分ごろにリゾートみのりで仙台駅を出発し、東北線、石巻線を利用し昼前に石巻駅に到着。石巻グランドホテルで、ホヤやギンザケなど、地元で取れた旬の海産物をビュッフェ形式のランチで楽しむ。
 女川駅では住民らによる歓迎セレモニーがあり、水産業体験施設「あがいんステーション」でサンマのつみれ汁、海産物の浜焼きが振る舞われる。車中での語り部ガイドもある。帰りは仙石線の団体臨時列車を利用し、午後5時10分ごろの仙台駅着を予定している。
 参加費は大人1万円。特産品詰め合わせのお土産付き。定員は各日90人で、定員になり次第締め切る。申し込みはJR東日本各駅のびゅうプラザ、またはびゅう予約センター(0570)048950。


<仙石線>高校生ら石巻産食材でハンバーグ
 東日本大震災で一部区間が不通だったJR仙石線が30日に全線再開するのに合わせ、石巻市の高校生らが30日限定で、地場素材を使ったハンバーグを作り、市中心部で無料で振る舞う。アイトピア商店街振興組合が開催する記念イベントに参加、商店街の盛り上げに一役買おうと準備に追われている。

 同市のまちづくり団体「ISHINOMAKI(石巻)2.0」の教育プログラム「いしのまき学校」に参加する高校生と大学生の女性3人が企画した。市内外から多くの観光客が石巻を訪れる機会に、地元産品をPRするのが狙いだ。
 提供するのは「豆腐ハンバーグ」。豆腐やひき肉に加え、三陸産のワカメを刻んで入れる。ワカメは水産加工業者から、豆腐やひき肉などは近くの商店街で購入。当日は一口大にして50個を提供する。
 石巻高3年の津田陽向さん(19)は「普段注目されにくい海藻の食べ方を考え、女性の視点で健康志向のメニューに仕上げた。石巻のおいしい食材をアピールしたい」と意気込んだ。
 いしのまき学校は2014年1月に発足。市内の建築家や会社経営者らを講師に招き、街の知識を深めるなどして、生徒たちの夢の実現を後押しする活動などに取り組んできた。
 記念イベントは30、31の両日午前11時〜午後1時、JR石巻駅から徒歩約10分の同市中央に設置する特設会場で開催。カキのチーズ焼きやクジラの竜田揚げなども来場者に無料で配る。水産加工品の販売もある。
 振興組合の奥村恵英理事(57)は「生徒たちの応援はありがたい。全線再開する仙石線に乗り、石巻の復興の様子を見ながら、商店街にも足を向けてほしい」と話した。


<仙石線>石巻産カキとノリの佃煮 JR発売
 JR東日本は30日、仙石線全線再開と仙石東北ライン開業に合わせ、石巻産のカキとノリを使った加工品「浜のかあちゃんの佃煮(つくだに)」の販売を仙台、石巻両駅の売店などで始める。
 商品は、石巻地域の漁師の家庭料理を参考に、地元の女性漁業者がレシピを考案。製造は石巻市の三養水産が担当した。1個90グラム入りで、価格は750円。JR東日本仙台支社事業部の担当者は「甘さは控えめで、石巻産のカキとノリの風味を最大に生かしている」と説明する。
 今回の事業は、JR東日本の販路を生かし、東日本大震災の被災地域の特産品販売を支援する取り組みの一環。3月には、石巻線全線運行再開に合わせ、宮城県女川町産ホヤを使った加工品の販売を仙台駅などで始めている。


<仙石線>歓迎ムード高まる 記念企画も
 東日本大震災で被災したJR仙石線が30日、全線で運行を再開する。約4年2カ月ぶりに仙台と石巻が鉄路でつながる。石巻市では中心部の商店街や観光協会などが記念イベントを企画し、来訪者をもてなす。復興加速化への期待が膨らみ、歓迎ムードが高まる中、関係者たちは28日も準備に追われた。
 石巻駅ホームでは当日、始発電車の見送りを皮切りに、開通式典や震災後初めて仙石線で石巻駅に乗り入れるマンガッタンライナーを祝うコスプレイベントなどが実施される。
 駅前では石巻名産の笹かまぼこ1000枚を無料配布するほか、石巻観光協会加盟店などが野菜や石巻焼きそばなどを販売する物産展を開く。
 28日は仙石線開通への市民の期待感をアピールしようと、市職員がのぼりを設置して回った。
 石巻駅前大通り商店会は駅前大通りの特設会場で、かつて貨幣が造られ「鋳銭場」と名が付く地区の歴史をパネルで紹介。同市雄勝町名振地区の被災女性たちが漁網の補修用糸で編んだミサンガをプレゼントする。
 商店会で役員を務める佐藤英一さん(67)は「復旧した仙石線で石巻を訪れ、震災から立ち直りつつある街中の様子を見てほしい」と話した。


<仙石線>あす全線再開 4年2カ月ぶり
 JR仙石線は30日、東日本大震災以降、休止となっていた高城町(宮城県松島町)−陸前小野(東松島市)間の10.5キロで運行が再開され、4年2カ月ぶりにあおば通(仙台市)−石巻間(49.0キロ)の全線がつながる。合わせて東北線を経由して仙台−石巻間(47.2キロ)を最短52分で結ぶ仙石東北ラインも開業する。沿線の被災自治体間を結ぶ輸送力や利便性が高まり、復興の加速が期待される。
 JR東日本仙台支社によると、仙石線は1日上下計195本運行する。このうち、あおば通−石巻の列車は上下計38本で、両区間を約1時間半でつなぐ。
 仙石東北ラインは特別快速と快速列車限定。仙石線と東北線の間に設けた接続線を通過し、仙台−石巻間を1日上下計28本運行する。ディーゼルエンジンと電気モーターを組み合わせた新型のハイブリッド車両が導入される。
 全線再開に伴い、不通区間の代行バスは29日で運行を終了する。
 震災で全線が運休した仙石線は、発生17日後のあおば通−小鶴新田(仙台市)間を皮切りに運行を順次再開、仙台近郊の区間は2011年に復旧した。東松島市の陸前大塚−陸前小野間(5.2キロ)は海岸線沿いの線路が流出し、区間内の東名、野蒜両駅の被害が大きかったため、両駅を約500〜600メートル内陸側に移設し、ルートも変更した。
 松木茂仙台支社長は28日の定例記者会見で「不通区間の住民にはバス代行などで不便な思いをさせてきたが、運行再開で沿線の復興、発展に寄与していきたい」と話した。


希望新聞:東日本大震災 記者通信 震災の記憶、世界に発信 宮城・石巻
 宮城県石巻市中心部に今年3月、東日本大震災の教訓を写真などで伝える「復興まちづくり情報交流館中央館」がオープンした。立ち寄ると、外国人男性が日本人に説明する不思議な光景が目に飛び込んできた。流ちょうな日本語で案内するのは石巻に暮らして22年の英国人、リチャード・ハルバーシュタットさん(49)。館長として震災の記憶を世界に発信する。
 ロンドン大日本語学科で学び、1993年に石巻専修大の教員に。震災当日は内陸にある校舎にいて無事だった。発生約1週間後、原発事故の影響を懸念した英国大使館が国外退避援助のため車で迎えに来た。仙台まで行ったが、一晩悩んだ末、「石巻も長く暮らした古里のような場所。友人たちが心配」と帰国を断り、泥だらけの「古里」に戻った。
 親友だった金物店経営の高橋譲さん夫妻を津波で亡くした。石巻になじめずにいた頃からずっと支えてくれた恩人だった。「亡くなった人たちの分まで生きなくちゃ」との思いは強く、昨年3月に大学を退職し、翻訳や通訳をしながら新たな道を模索していた。
 そんな時、市から誘いがあった。「日本語、英語が使え、被災体験も話せる自分に適任」と感じ、開館とともに勤務、5月から館長を引き受けた。ハルバーシュタットさんは「震災の傷痕は今も深く残っている。訪れた人に、石巻の過去、現在、未来を一緒に考えてもらえたらうれしい」と優しい笑顔を浮かべた。【百武信幸】


復興庁の流儀/世論けむに巻く地元負担論
 説明すれど考慮せず。
 詰まるところ、これが復興庁の流儀なのか。国は東日本大震災の集中復興期間が終わる2016年度以降、被災自治体にも復興事業費を負担させようとしている。
 被災程度の大きな自治体ほど復興は遅れざるを得ない。それが原因で負担が増えるのでは、首長たちが納得しかねるのも当然だ。
 全額国負担では「国民の理解が得られない」「不公平感を否定できない」と復興庁。世論の意向に沿った、やむを得ない措置に至ったかのように聞こえるが、一体、誰が不公平だと言っているのか。
 全国町村会や全国の首長でつくる道路整備促進期成同盟会全国協議会は、こぞって集中復興期間の延長、全額国負担の継続を要請している。
 「全国の記者が言っている」(復興庁幹部)との釈明には、あきれるほかない。仮に政府におもねる記者がいたとしよう。無責任なささやきをうのみにして政策判断したのだとすれば、そのことの方がよほど問題だろう。
 そもそも集中復興期間の終了は、被災地の復旧・復興が当初予定通りに進んでいることが前提となるべきだ。
 だが、宮城県の場合、15年度末で仮設住宅を閉鎖できるのは被災15市町のうち3市町にとどまる。住宅再建地の造成など主要事業が遅れているためだ。復興庁作成の資料にそう書いてある。
 復興庁は「当初から震災5年で計画を見直すことになっていた」と強弁するが、それは「集中復興期間延長の可能性も含めて」だったはずだ。
 不都合な真実から目を背ける一方、復興庁による説得は世論をけむに巻くレトリックが随所にちりばめてある。
 「地元負担率はわずか3%以下」と懐柔するが、これを金額に換算し直し、桁外れの額を目の当たりにして被災地は動揺しているのである。
 宮城県の試算では、最大で総額5500億円分、最少でも4410億円分の事業で新たな負担が発生する。
 復興庁は阪神と東日本、二つの大震災で被災自治体の地方債残高と財政調整基金の増減を比較し、「阪神では被災自治体も甘んじて応分の負担を受け入れた」と主張する。
 無論、二つの大震災では被災自治体の財政規模も違えば時代背景も異なる。阪神大震災は、地方財政が大打撃を受けた三位一体改革やリーマンショック前の災禍だった。
 何より災害復興は国の責任である。地方に負担を求めた阪神大震災当時の国の対応こそ恥じるべきではないのか。
 全額国費負担は被災自治体のモラルハザード(倫理観の欠如)を招くという。確かに復興予算を無関係の事業に流用して顰蹙(ひんしゅく)を買った中央省庁の例もあった。 ならば一律の自治体負担ではなく、個々の事業が復興の理念にかなっているかどうかを公平に査定すればいい。
 宮城県の村井嘉浩知事は政府方針を容認、条件闘争に転じた。現実対応にも映るが、復興庁の論理にのみ込まれ、個々の自治体の財政力への十分な目配りを欠いた過剰な負担により復興が滞るようなことがあってはならない。


東日本大震災:福島第1原発事故 応急仮設住宅の提供延長を要望 日弁連が声明
 東京電力福島第1原発事故による自主避難者に無償で提供されている応急仮設住宅を2016年度末で打ち切る案が出ていることについて日本弁護士連合会(日弁連)は28日、この案を撤回し長期の提供延長を求める会長声明を発表した。
 声明は、避難指示区域外からの自主避難者は東電による賠償が少額で住宅支援以外にほとんど行政支援がなく厳しい状態に置かれていると指摘。応急仮設住宅のうち公営住宅や民間賃貸住宅の空き部屋を使った「みなし仮設住宅」の家賃を巡り東電が自主避難者分の支払いに難色を示したため国が東電に請求(求償)していない点を問題視。「求償することで国庫負担による提供を延長すべきだ」などと主張している。【日野行介】


安保法制審議 「例外」を広げる危うさ
 安倍晋三首相は、一般に海外派兵は行わないと言いながら、例外として機雷掃海はできるという。安倍内閣の安全保障法制は例外がどんどん広がり、外国の領域で武力を行使する危うさを秘める。
 衆院の「平和安全法制特別委員会」はきのうも首相と岸田文雄外相、中谷元・防衛相ら関係閣僚が出席して安保法制関連法案の質疑を続行した。大きな論点は、海外で武力を行使できるのはどんな場合なのか、だった。
 政府はこれまで「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空へ派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって憲法上許されない」との立場を明らかにしており、安倍首相も、集団的自衛権の行使を認めた「新三要件の下でも全く変わらない」と説明している。
 だとしたら、自衛隊は引き続き海外で武力を行使しないのかというと、そうではないらしい。一例が、首相が中東での集団的自衛権の行使の例として唯一想定しているホルムズ海峡での機雷掃海だ。
 海中に敷設された機雷を取り除く機雷掃海は国際法上、武力の行使に該当するが、首相は「一般にということの外」として例外的に認めている。「極めて制限的、受動的」な活動というのが理由だ。
 この理屈が通じるなら、政府が必要最小限度を超えないと考えれば、日本が直接攻撃されていなくても、外国の領土、領海、領空でも武力を行使できることになる。
 実際、政府側は安保法制審議の中で、機雷掃海以外にも海外で武力を行使する集団的自衛権の行使例を、次々と明らかにし始めた。
 日本近隣での紛争の際に公海上で攻撃を受けた米艦の防護や、敵のミサイル基地に対する攻撃だ。
 専守防衛を維持し、海外派兵は一般に許されないと言いながら、例外として海外での武力の行使が広がれば、専守防衛は骨抜きになりかねない。政府に大きな裁量を委ねる法案の欠陥でもある。
 首相は自衛隊の海外派遣が拡大してもリスク(危険)は増えないとも言い張っている。一般に海外派兵は許されないと言いながら例外はあるとの説明と同様、安保法制への国民の反発をできるだけ抑えようとしているのだろう。
 しかし、政府が正直に説明しなければ、法案の妥当性をめぐる論議は深まらない。戦後日本の「国のかたち」に関わる法案だ。まずは国民代表である国会議員の質問に、誠実に答えるべきである。


福島・避難解除 故郷で暮らせるのか
 東京電力福島第一原発事故による避難指示を大幅に解除するように求める提言を自民党がまとめ、近く政府に提出する。スケジュールを示すことは大事だが、「切り捨て」になってはいけない。
 自民党の東日本大震災復興加速化本部がまとめた第五次提言は、福島県内の原発事故被災地について(1)原発事故による「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」を二〇一七年三月までに解除(2)精神的賠償を一八年三月で打ち切る(3)事業再開と生活再建へ集中的な支援−などを求めている。
 提言では汚染がひどい帰還困難区域を除外。居住制限、避難指示解除準備の両区域はすべて一七年三月までに解除する。ここには事故前、五万五千人が住んでいた。
 精神的賠償の打ち切り時期を一律として、早期に解除された地域を含めて公平に扱うとしたのは評価できる。終わりが見えない避難生活だけに、スケジュールが示されることに納得する人もいる。
 避難指示解除は、一四年の田村市都路地区を皮切りに実施されている。だが、先行地域では住民の半数も戻っていない。
 今回は原発に近い地域や、空間放射線量が高い地域が含まれる。住民の中には、放射性物質が環境中に放出されるような事故が再び、起きるのではと心配する人もいる。安心して子育てや農業を再開できる環境とは言い難い。
 問題はほかにもある。住宅は改修するか新築しないと住めないことがほとんどだ。住民の戻りが遅いため、商業施設は再開が難しいなどだ。提言が書くように「事業再開と生活再建への集中的支援」が必要だ。
 被災者が全員、故郷に帰るわけではない。避難先で新しい仕事に就いた人もいる。避難指示解除後の支援も、帰還する住民に偏らず、様子見の人も、移住を選択した人にも等しく及ばせたい。除外された帰還困難区域の人口は約二万四千人だった。この人たちへの支援も続けなければならない。
 賠償問題が決着すれば、子育て世代の多くは避難先に流出し、急激な人口減と高齢化が起きると予想されている。すでに避難指示が解除された地域を含めると、避難区域が設定された自治体は福島県内の十二市町村に及ぶ。その復興には、従来のようなハード整備では不十分だ。個人個人で異なる住民のニーズをくみ取る仕組みなど、ソフト面も大事だ。これまで以上の知恵と資金が求められる。


訃報:今いくよさん67歳=女性漫才コンビ
 女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」の今いくよ(いま・いくよ、本名・里谷正子=さとや・まさこ)さんが28日、胃がんのため亡くなった。67歳。葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く。
 京都市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。明徳商業高校(現・京都明徳高校)のソフトボール部の主将を務め、マネジャーで同級生の今くるよさんとともに1970年、会社を辞めて女性漫才師の今喜多代さんに弟子入りした。73年、コンビを結成し初舞台に立った。
 それまで男性が中心の漫才の世界で、細身のいくよさんと、ふくよかな体形のくるよさんは「高校の頃にソフトボールやってまして、私ピッチャーでエース。くるよちゃん、キャッチャーでロース」や「くるよちゃん、そんなところから足出して」「これは腕やっちゅうねん」など、対照的な互いの体形やファッションに突っ込みを入れ合うネタで人気を博した。80年からの漫才ブームに乗って一世を風靡(ふうび)し、84年に上方漫才大賞、86年に上方お笑い大賞を受賞したほか、花王名人大賞、咲くやこの花賞など多くの賞を受賞し、80年代の漫才ブームの中核を担った。
 当時、「長続きしない」と言われた女性コンビだが、結成40年を超えて息の合った漫才を披露した。なんばグランド花月など舞台に立ち続け、女性漫才の代表格としてテレビや舞台などで活躍した。
 昨年9月、体調不良を訴えて精密検査を受けたところ、胃がんと診断され、公表。入院して、療養していたが、昨年12月に復帰した。今月11日までなんばグランド花月で開かれた公演で舞台に立っていたが、再び体調を崩し、入院していた。
 くるよさんはいくよさんの最期をみとったという。


「ベ平連」元事務局長 吉川勇一さん死去
ベトナム戦争に反対する団体「ベトナムに平和を!市民連合」、通称べ平連の事務局長を務め、平和運動などに力を注いだ吉川勇一さんが28日未明、慢性心不全のため亡くなりました。84歳でした。
吉川勇一さんは昭和6年に現在の東京・千代田区で生まれ、東京大学在学中に自治会の議長として、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約への反対運動に参加しました。
大学中退後、ベトナム戦争が本格化した昭和40年からは作家の小田実さんや、哲学者の鶴見俊輔さんらが立ち上げた市民運動団体、通称べ平連の事務局長を務め、昭和49年の解散までアメリカの反戦運動と連携し、脱走兵の支援をするなどの活動を続けました。
吉川さんは、その後も予備校の講師を務めながら、非暴力と民主的社会の実現を目指すという目的で市民グループ「市民の意見30の会・東京」を結成したほか、近年は反原発運動にも参加していました。
関係者によりますと、先月30日にはベトナム戦争終結から40年を記念した集会に車いすで参加しスピーチをするなど、元気な姿を見せていたということです。
しかし、吉川さんは27日夜、体調が急に悪くなり、28日午前4時20分ごろ、暮らしていた東京都内の高齢者用住宅で慢性心不全のため、亡くなりました。

緑ペン/冷房利きすぎ?/疲れたぁ・・・

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Au Japon, un site propose de ≪louer un vieux≫ pour réconcilier les générations
De notre correspondant à Tokyo,
≪Un jour dans le train, j’ai entendu des lycéennes rire entre elles en traitant un homme de vieux dégoutant.≫ Pour Takanobu Nishimoto, c’est comme un déclic. Depuis 2012, ce styliste de 47 ans consacre une bonne part de son temps libre à ce qu’il a baptisé avec humour une ≪location de vieux≫ (≪ossan rental≫), afin de réhabiliter les ossan, ces hommes japonais d’âge mur, raillés et méprisés par une grande partie de la population.
L'ossan est ≪casse-pied, pervers, dégarni, parle fort et sent mauvais≫
≪Il y a un fossé entre les jeunes et les ossan, une totale incompréhension et une absence de communication≫, regrette-t-il. Contrairement au mot ≪oji-san≫ relativement neutre, qui désigne un ≪oncle≫ au sens large, un homme qui a dépassé la trentaine mais n’est pas encore un ≪papy≫, le diminutif ≪os’san≫, très familier, moqueur et souvent péjoratif, qualifie dans l’esprit des Japonais, jeunes et moins jeunes, un homme ≪casse-pied et un brin pervers, dégarni, qui parle fort, sent mauvais, est arrogant et se croit important≫, explique Takanobu Nishimoto. ≪Je voulais donc montrer aux gens qu’il existe des ossan sympas, qui encouragent les jeunes.≫
Sur son site, on l’ajoute à son panier comme une marchandise, en précisant la date, le nombre d’heures et le lieu de la ≪livraison≫. Pour 1.000 yens (environ 7,5 euros) de l’heure, on peut faire appel à ses services, se faire accompagner par lui pour tout et n’importe quoi: ≪Les clients veulent souvent un compagnon pour aller boire un coup, ou juste me demander conseil. Il est aussi arrivé que quelqu’un me demande de l’accompagner à un cours de taishi, de l’aider à chercher son chat ou de baptiser son hamster.≫ Il refuse en revanche tout contact de nature sexuelle.
Marié à une jeune femme de 29 ans, ≪ça rassure les clientes≫
A raison d’une dizaine de clients par semaine, en moyenne pour deux heures, Takanobu Nishimoto dit avoir eu 1.500 clients depuis trois ans, en majorité des femmes plus jeunes. Sur son site, il précise d’ailleurs qu’il est marié à une jeune femme de 29 ans: ≪Ça rassure les clientes≫.
Au fil des ≪locations≫, cet ossan atypique qui a écrit un livre sur son expérience écoute les gens, distille les conseils, rassure comme un bon copain, de son débit rapide et gouailleur: ≪Au début, je prenais un peu les jeunes de haut, c’est aussi pour ça que les ossan ne sont pas aimés. Maintenant, je me mets à leur niveau, et j’apprends beaucoup.≫ Sa plus jeune cliente, une jeune écolière complexée, a fait appel à lui pour lui demander ≪est-ce que je suis moche?≫. Il dit lui avoir parlé de la beauté intérieure et de l’importance du sourire.
≪Les ossan n’aiment pas leur vie, donc les jeunes n’aiment pas les ossan≫
Vêtements à la mode, propre sur lui et attentif, Takanobu Nishimoto s’excuse de croiser les jambes, puis explique qu’il ne se considère lui-même qu’à moitié ossan, car il ≪essaie d’éviter de tomber dans leurs travers≫. ≪Les hommes japonais passent en général leur vie en costume-cravate. Ils n’ont pas de vie en-dehors du travail, ne prennent pas de congés, n’ont pas de loisirs ni de passe-temps: ils ne sont pas marrants.≫ Pour lui, ≪les ossan n’aiment pas leur vie, c’est pour ça que les jeunes n’aiment pas les ossan≫, promesses d'un futur terne.
A-t-il redoré le blason des ossan? Il reconnait que ≪la tâche est trop vaste. Mais mon image à moi s’est améliorée≫, plaisante-t-il. A Osaka, la deuxième métropole du Japon, un compère, avec qui il partage son site, œuvre aussi pour combler le fossé des générations. Une location à la fois.
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哲子の部屋「人はなぜやたらと懐かしがるの?」
今週の『哲子の部屋』は新作をオンエア!テーマは「情報過多社会をどう生きるか?」。モノや情報にあふれ、はやり廃りの激しい現代社会を豊かに生きるための哲学をお届けする。今回のテーマは「なぜ人はやたらと懐かしがるの?」。目まぐるしい時代の変化の中でふと起こる“懐かしがり現象”を元に、哲学者ジャンケレヴィッチの「時間」と「ノスタルジー」の概念を通して未来への可能性を注目の批評家・石岡良治が哲学する!
石岡良治,清水富美加,マキタスポーツ,島本須美


緑のボールペンを買いました.昨日注文して1日で届きました.うれしいです.
LCSで冷房利きすぎのような気がします.涼しいというより寒い感じ.思わず上着を着ました.
そのせいかとても疲れている気がします.

<仙石線全線再開>交流人口拡大へ連携/(3)観光/震災の教訓発信にも力
<新たな施設続々>
 東日本大震災で大きな被害を受け、復興の途上にある石巻地方にとって、JR仙石線の全線再開は交流人口拡大のまたとない好機となる。
 宮城県女川町観光協会の鈴木敬幸会長(63)が意気込む。「仙石線の全線再開で仙台圏、さらに首都圏と鉄路でつながる。多くの観光客を呼び込みたい」
 町は3月、JR石巻線の全線復旧に伴い「まちびらき」を宣言。新築の女川駅から一望できる町中心部では復興まちづくりが進む。
 その一角に6月14日、本格的な集客施設が開業する。水産業体験館「あがいんステーション」だ。女川港でホタテやカキ、ホヤなどの水揚げを体験し、調理して味わえる。
 周辺では年内に、多目的ホールや音楽室などを備える「地域交流センター」(仮称)、被災事業者らが入居するテナント型商店街などもオープンする見通し。
 鈴木会長は「水産業を楽しみ、ゆったりとした時を過ごし、買い物もできる。訪れた人に心地よさを感じてもらえるようにしたい」と展望する。

<駅前で共同販売>
 石巻市と東松島市、女川町の観光は震災で大きな打撃を受けた。観光客数は2010年は約443万に上ったが、11年は約191万に激減。それでも、13年は約275万、14年は約282万と回復傾向にある。
 「リピーターを増やせるよう、力を合わせ知恵を絞っていく必要がある」。女川町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」の島貫洋子副会長(59)は言う。
 町内の商業関係者らが5月の大型連休中、女川駅前で地元の特産品を用いた食べ物やお土産を売り出したところ、大勢の客でにぎわった。以前から「どこで食事や買い物をすればよいか分かりづらい」といった声が観光客らから寄せられていたことから、駅前で共同販売に取り組んだ。
 石巻市の水産加工会社や農業生産法人などでつくる「石巻うまいもの発信協議会」の千葉雅俊会長(62)は、石巻の市街地に共同開発商品の販売拠点を設ける構想を描く。「全線再開は集客のチャンス。商品開発やファン獲得に努める」
 仙石線で観光や旅行を満喫する傍ら、震災の教訓に触れてほしいと願う関係者も多い。
 石巻市の地域づくり団体「みらいサポート石巻」は震災で家族を失った語り部らによる講話などを展開する。関東や東北、中部などから申し込みが多く、約4分の1は小中高校や大学の教育旅行だ。
 スタッフ佐藤茂久さん(63)は「津波発生時の避難の在り方などは全国に伝えなくてはいけない。命を守るため、教訓を学ぼうとする人はできる限り受け入れたい」。仙石線全線再開はその導線ともなる。


さよならかまぼこ体育館 旧気仙沼女子高校舎解体
 気仙沼湾を見下ろす高台にあり、かまぼこ形の体育館が親しまれてきた気仙沼市の旧気仙沼女子高校舎の解体が、6月1日に始まる。跡地に災害公営住宅を建設するためで、地元住民は別れを惜しんでいる。
 校舎は1971年12月に完成。半円形の屋根を持つ最上階の5階の体育館は「かまぼこ体育館」と呼ばれ、湾のシンボルのひとつとなった。
 同高は少子化や東日本大震災の影響で2014年3月に閉校。気仙沼市は女子高跡地を含む入沢地区に災害公営住宅(61戸)を建てるため、今春、解体準備に入った。校舎は8月いっぱいで取り壊される。
 近くの仮設商店街でたい焼き店を営む小野寺千代子さん(58)は「(解体が近づき)校舎にカメラを向ける人が増えた。復興のためだから仕方ないが、湾のシンボルだったので寂しい」と話した。


<焦点>避難者受け入れ悩む
 東日本大震災で大きな被害が出た岩手、宮城、福島3県で、不特定多数の人が集まる商店街や指定避難所以外の公共施設、教育機関が、災害発生時の帰宅困難者や避難者への対応をいまだに決めかねているケースが少なくない。多数の人に食料や水などを確実に提供する態勢を組むのが難しいことなどが背景にある。集まってきた人々をむげに退去させるわけにもいかず、具体的な対策は打ち出せないままだ。(武田俊郎)

備蓄や態勢に限界

 「3.11規模の災害を想定した対策は正直、厳しい」。仙台市中心部のクリスロード商店街振興組合の山崎浩之理事長が、3月に策定した防災マニュアルを手に複雑な表情を見せる。
 1日に数万人が行き交う東北一のアーケード街。震災では、多くが帰宅困難となり、避難や食料調達などで商店街に押し寄せた。
 対応に追われた経験を踏まえ、約1年間をかけてマニュアルを策定したが、肝心の避難者対応については、「救命措置を最優先する」といった基本姿勢を盛り込むにとどまり、具体策には踏み込めなかった。
 山崎理事長は「万単位の避難者の受け入れには限界がある。業態や売り場面積に応じ、各店が柔軟に対処するしかない」と話す。
 市役所本庁舎が津波で浸水した石巻市も対応に苦慮している。庁舎は指定避難所ではないが、多くの市民が庁舎に逃げ込み、水が引いた後も1階フロアなどに滞在した。
 市は昨年12月、地域防災計画を改定したが、庁舎に避難した市民への対応については「市民を追い出す印象を持たれる恐れから、避難所へ移動を促す記載は見送った」(危機対策課)という。
 指定避難所になっていない私立の教育機関も悩ましい対応を迫られている。聖和学園高(仙台市)の薬師堂キャンパスには震災発生から数日間、近隣住民が身を寄せた。片倉ゆかり教頭は「困っている人たちを受け入れるのは当然の状況だった」と振り返る。
 学校側は校内に残っていた生徒への対応などに追われ、きめ細かな住民対応は困難な状況だった。住民が自ら避難所へ移るのを待つしかなかったという。今月上旬に改定したマニュアルでも、「避難者の受け入れは困難」として対策は盛り込まなかった。
 被災3県の私学担当課によると、今回の震災で住民が避難した私立教育機関で把握しているのは幼稚園だけで、岩手4件、宮城39件、福島11件。実際に避難者が押し寄せた私学はこれを大きく上回るとみられる。
 宮古市の私立ひかり幼稚園の森分和基園長は「職員も備蓄も限られた私立教育機関が受け入れるとなると、かえって混乱を招く。日頃から指定避難所を住民にきちんと周知してもらうほかない」と訴える。


渋谷区「パートナーシップ証明」 10月末までに発行へ
 四月の統一地方選で初当選した東京都渋谷区の長谷部健区長が二十七日、就任後初の記者会見を開き、同性カップルを結婚に相当する関係と認める証明書を十月末までに発行する意向を明らかにした。区は当初、夏ごろの発行も目指していたが、パートナーを証明する条例に反対の議員もいたため、長谷部区長は「議会と相談しながら、課題を解決していきたい」と慎重に進めていくことを強調した。(宮畑譲)
 条例では、男女平等や多様性をうたい、「パートナーシップ証明」を実施する条項を明記。パートナーシップを「男女の婚姻関係と異ならない程度の実質を備える関係」とし、不動産業者や病院に、証明書を持つ同性カップルを夫婦と同等に扱うよう求めている。ただ、従わない事業者を公表するといった罰則の規定については、「指導はするが、積極的な罰則は与えない」との認識を示した。
 全国でも前例のない条例のため、長谷部区長は「例えば、学校教育での指導などを変えなくてはいけない」と課題があることを認める。その上で、「区が先頭に立って、直すべきところは直していく」と条例の推進に意欲を見せた。 


ZARDの追悼フィルムコンサートに4000人……10代若者の心にも“生き続ける”楽曲
 2007年に不慮の事故で急逝したZARDこと坂井泉水の命日である5月27日、東京・渋谷公会堂でフィルム・コンサート「ZARD Screen Harmony 2015」が開催された。
 彼女の逝去後、毎年東京・大阪と行ってきたフィルムコンサートも今年で5回目になった。昨日27日には、渋谷公会堂におよそ4,000人ものファンが集まり、映像を通してZARDを偲んだ。
 フィルムコンサートは、ZARDのPVを上映するだけではなく、企画コーナーや未公開映像などの上映が恒例のトピックとなっているが、今年はPVロケ地として知られる逗子や横浜、麻布十番の「昔」と「今」を比較した映像が上映された。
 さらに今年は、「特別企画」として上映してほしい楽曲をリクエストで募り、上位10曲を披露するというファン参加によるコーナーも用意された。リクエストの結果、ランキング1位は「あの微笑みを忘れないで」。続いて「心を開いて」「かけがえのないもの」「 息もできない」「Oh my love」がトップ5だった。
 『高校生の頃、ZARDのアルバムをそれこそ擦り切れる程聞いていました。時が経ち、結婚をして子供が生まれ、職場でも責任ある立場になりました。泉水さんが歌う、不器用だけど優しくて、子供のような無邪気な男性像に少しでも近づきたくて頑張ってきた部分もあるかもしれません。泉水さんはこの世からはいなくなってしまったけれど、彼女の歌声と思いは、いつもそばにいてくれています』(37才・男性)
  このようにZARDの楽曲にリアルタイムでハマった世代だけでなく、このフィルムコンサートは10代のファンも多くみられる。
 『毎年、ZARDの「Screen Harmony」を楽しみに生きてる高校生です。「心を開いて」は私の世界で一番好きな曲で、「不思議ね…」はPVが大好きで、「Just for you」は知る人ぞ知る名曲なので、出来るだけ多くの方々に聞いて知って感動して頂きたいです!』(17才・女性)
 急逝から8年……。ファンの言葉にもあるように、彼女はこの世から居なくなってしまったが、生み出してきた楽曲は思い出の中にあり、過去のものではなく今も、若い世代に愛され、生き続けていた。
 ZARDは、来年2016年2月10日にデビュー25周年を迎える。
《田中沙織》

日本海中部地震から32年/プルコギとプリン/のどがいたい

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Rosie Huntington-Whiteley : elle affiche son body pour le Vogue Japon !
La belle Rosie Huntington-Whiteley sera la cover girl du Vogue Japon pour le numéro de juillet. Toujours au top, le mannequin s'affiche en body pour l'occasion !
Elle est belle, elle est sensuelle, elle est gracieuse ... Rosie Huntington-Whiteley sera la future cover girl du Vogue version Japon.
En juillet, fait ce qu'il te plaît ? En tout cas, l'heure sera aux petites tenues ! Pour ce prochain numéro, l'actrice du film "Mad Max 4 : Fury Road", sorti depuis le 14 mai 2015 en France, pose avec légèreté et sensualité. En effet, la jeune femme de 28 ans ne porte qu'un petit body pour cette couverture.
L'habit, très simple et de couleur claire, ne peut pas être plus dans la facilité. Uni, sans imprimés ni même aucune décoration, c'est une Rosie Huntington-Whiteley sans chichi que l'on retrouve là. Le body qu'elle porte laisse apparaître ses sublimes jambes et surtout son corps de rêve. Très fine, le vêtement montre le ventre plat et musclé du top modèle.
Côté maquillage, là encore la simplicité est de rigueur. Sa mise en beauté est magnifique. Rosie, le teint nude, porte un léger fard à paupières rosé. Elle décide d'accompagner son mascara glamour d'un sublime trait de rouge à lèvres rose pâle.
Si la compagne de Jason Statham ne porte d'un simple habit sur elle, en revanche, les accessoires sont de mises ! La britannique craque pour une paire de boucles d'oreilles bleues, aux motifs fleuris, plusieurs bracelets noirs, ainsi que quelques bagues. Là encore, les bijoux sont épurés. Nous l'aurons donc bien compris, le naturel est le maître mot de cette une ! Une chose est sûre, Rosie Huntington-Whiteley fait à nouveau une très belle cover girl !
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NHK 100分de名著「枕草子」
読書の秋、10月は古文の授業で必ず登場する清少納言の「枕草子」を取り上げます。優れた人間観察や風景描写が散りばめられた随筆ですが、習ったのは受験に役立つ文法が中心で、内容については深く知らない人がほとんどではないでしょうか。そこで今回は、その本当の面白さを伝えられたらと思っています。
一条天皇の中宮・定子に仕え、才女として知られる清少納言ですが、「枕草子」には教条的な部分がまったくありません。そこで語られているのは、男と女の性愛やすれ違い、人間関係のありがたさや難しさ、庭先でふと見つけた自然美など、日常の中の出来事と人間の正直な本音です。本音だからこそ、時代を超えた普遍性と説得力があります。それが大きな魅力となっています。
もう一つの特徴は、清少納言の観察力の鋭さと明るさです。清少納言は才女でしたが、「法師はイケメンがいい」と言いきるミーハーなタイプでした。また容姿にコンプレックスを持ち、家柄も誇れるものではなかったのですが、機転がきくため宮中の男たちにもてました。頭でっかちであれば、人の心を描けません。地位も美貌も兼ね備えた女性であれば、世の中を客観的に見つめることができなかったかもしれませんね。彼女の生い立ちと性格が、「枕草子」を名作にしたのです。
番組では、清少納言の人生や当時の貴族社会を解説しながら、現代にも通じる「枕草子」のメッセージをひもといていきます。

第1回 鮮烈な情景描写 
清少納言は感覚が鋭い。視覚、聴覚、嗅覚をフルに使って世の中を切り取った。視覚の面では遠近感のある描写が得意だ。最も有名なのが「春はあけぼの」で始まる文章である。春の早朝、横雲がたなびく中、空が次第に白くなっていく様子を描いたものだが、こうした散文による風景描写を日本文学に持ち込んだのは清少納言が初めで、「源氏物語」にもその影響が見られる。第1回では、清少納言が切り取った一瞬の情景を楽しむと共に、「枕草子」が生まれた背景に迫る。
第2回 魅力的な男とは? 女とは?
平安時代の恋は「通い婚」。男は夜になると女のもとに忍んでやってくる。宮中の女房のもとにも男が来ていた。「枕草子」にはそうした会話を盗み聞きしている様子が描かれている。清少納言が出会った男も数多く登場する。共に夜を過ごした翌朝、気が利いた優しい手紙をくれる男。房事が済むと、音を立てて慌ただしく帰り支度を始める無粋な男などだ。いい男は持ち上げられ、悪い男は気の毒なほどに切り捨てられているが、清少納言の純情さも随所に見受けられ、その乙女心がほほえましい。第2回では、清少納言が鋭く描き出した男女それぞれの魅力や、今も昔も変わらぬ男女の愛の機微を楽しむ。
第3回 マナーのない人、ある人
清少納言が宮中で成功したのは、中宮・定子への気遣いのためだった。清少納言は、何をすれば信頼を得られるかを的確に把握していた。そのため「枕草子」は優れたマナー集として読むことが出来る。また平安時代版・キャリアウーマンだったため、理想的な上司と部下の関係や、プロ意識をもつことの大切さなどついても事細かに記されている。第3回では、「枕草子」を現代に通じるマナー集として読み解く。
第4回 エッセイストの条件
今もなお読み継がれる随筆文学の傑作「枕草子」が生み出された背景には、「テーマ設定のうまさ」「鋭い観察力・批判力」「興味関心の幅広さ」等々、清少納言がもっていた優れた資質があった。そしてもう一つは時代背景だ。当時清少納言が仕えていた定子は、実家が権力闘争に敗れたため、孤立を深めていた。そのため清少納言は、定子を元気づけようと、厳しい現実には目をつぶり、輝かしい日々だけを記したのだ。第4回では、当時の状況をおさえながら、清少納言が優れたエッセイストたりえたのはなぜかに迫る
「枕草子」こぼれ話
清少納言「枕草子」いかがでしたか?
「『枕草子』といえば『春はあけぼの』の段を暗記させられた記憶しかない」と、伊集院光さんも番組でいっていましたが、プロデューサーAも全く同じ。300段以上もあるなんてことも知らなかったですし、「春はあけぼの」以外の段にこんなにも面白い話が満載だったことも恥ずかしながら知りませんでした。
さて、そんな魅力あふれる「枕草子」をどう料理するのか? なにしろ清少納言は、胸のうちに好奇心の奔流が渦を巻いているような人。世の中のありとあらゆる素材を文章にしています。テーマを四回にまとめ上げるなんてとてもできそうにありません。……とはいえ、「情景描写」「男女の機微」「マナーのよしあし」というテーマは初期の段階にほぼ固まりました。しかし、もう一つがなかなか決まりません。
そこに救世主が現れました! 今回講師を担当してくださった山口仲美先生です。
「エッセイストの条件……なんてどうかしら?」と、開口一番にひとこと。
最初はどういう意味かわからず、「?」という感じだったのですが、打ち合わせをしていく中でだんだん考えがまとまっていきました。これだけ多岐にわたって文才を発揮する清少納言のエッセイをひとくくりにすることは所詮無理。むしろその多様性を「なぜこれほど豊かなエッセイを清少納言は書くことができたのか」という視点から切り取れば、枕草子の魅力が伝わるのではないか(これ、かなりプロデューサーAの強引な解釈が入っています。先生、違ってたらごめんなさい)。そう考えると、すーっと視界が開けてきました。これが第四回「エッセイストの条件」誕生の舞台裏です。
もちろんその後も、どうやったら「エッセイストの条件」を魅力的に描けるか、ディレクターや山口先生とさまざまなやりとりをしながら、苦労して練り上げていきました。個人的には、単に作品の中身を紹介するよりも、立体的に清少納言や枕草子のことがわかる仕掛けをつくることができたのではないかと考えています。


昨日は日本海中部地震から32年だったそうです.でも正直全然覚えていません・・・
お昼はプルコギ불고기です.朝鮮風すき焼きで美味しい.それにプリンもついていて満足.
でものどが痛いです.

<日本海中部地震>男鹿で三十三回忌法要
 1983年に発生した日本海中部地震から32年たった26日、遠足中の旧合川南小(北秋田市)の児童13人が津波で犠牲になった男鹿市戸賀の加茂青砂海岸で、遺族と地域住民により三十三回忌の法要が営まれた。
 約60人の参加者は慰霊碑を前に読経が流れる中、地震発生時刻の午前11時59分に合わせて黙とうをささげた。
 5年生だった次女信子さん=当時(11)=を亡くした北秋田市の農業土濃塚謙一郎さん(70)は「喜んで出掛けていった娘の姿を、きのうのことのように思い出す。命が続く限り慰霊に訪れる」と手を合わせた。
 法要の後、遺族らはハマヒルガオが咲く海岸線に向かった。海に向かって「みんなで食べてね」などと声を掛けながら、あの日、子どもたちが口にすることができなかった弁当やお菓子などを手向けた。
 日本海中部地震では青森、秋田両県と北海道で104人が亡くなった。


<日本海中部地震>大震災の遺族が男鹿で対面
 東日本大震災の津波で子どもを亡くした石巻市の遺族が26日、32年前の日本海中部地震で遠足中の子が犠牲になった遺族と初めて対面した。互いに真情を明かし「時代や場所は違っても、大切なわが子を失った親の気持ちは同じ」と心を通わせた。
 私立日和幼稚園(石巻市、休園中)に通う子どもを亡くした遺族有志らが男鹿市の海岸を訪問。日本海中部地震の津波で旧合川南小(北秋田市)4年だった長女が犠牲になった福岡史恵さん(65)=北秋田市=らが温かく迎えた。
 石巻市の遺族のうち、長女愛梨ちゃん=当時(6)=を亡くした佐藤美香さん(40)は「子どもが成長した姿が想像できない」と思いを語り、次女春音ちゃん=当時(6)=を失った西城江津子さん(40)は「子どもがそばにいる気がする」と打ち明けた。
 佐藤さんらは震災後、「日本海中部地震の遺族がどのように生き、子どもの死と向き合ってきたのかが知りたい」と望んでいた。
 福岡さんは「当時は本当につらかったが、前を向いて歩いてきた。亡くなったとは思えず、32年前の姿そのままに供養している。そばにいると感じるのはいいと思う」と助言した。
 震災で児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小の児童遺族の有志も現地に駆け付けた。
 懇談の場となった海岸近くのホテルで、遺族らは石巻市側の対応を踏まえ、強調した。「責任の所在があいまいな結果しか示されていない。時がたつほど真相究明が難しくなる」
 関係者によると、旧合川南小の児童を引率した教師は「地震には気付かなかった」と話し、旧合川町は「教師に責任はない」と説明会を打ち切った。ある遺族は「真実が解明され教訓が教育現場で浸透していたら、震災で幼い命が失われずに済んだのではないか」と悔やむ。
 大川小6年だった長男大輔君=当時(12)=を失った今野浩行さん(53)は「行政の対応は変わっていない。今できることは、大地震があれば大津波が来ることを多くの人に知ってもらうことだ」と話した。


<復興費負担>3県間の温度差浮上
 26日開かれた政府の復興推進委員会で、集中復興期間が切れる2016年度以降の復興事業をめぐり、岩手、宮城、福島の被災3県知事はそろって全額国負担の継続を強く訴えた。一方で、一部地元負担の受け入れをめぐっては3県間の温度差も浮かび上がった。
 竹下亘復興相らとの議論は約1時間半に及んだ。宮城県の村井嘉浩知事は、効果促進事業など全額国負担を譲れない事業名を市町村別の一覧表で提出。最も財政基盤が弱い自治体をベースとする条件付きで、地元負担容認の姿勢を示した。
 会議終盤には委員長の進行を遮り、追加説明を求める場面も。「入り口論で止まっている時間はない。地元負担を前提とした議論に合意しないか」などと他の委員に呼び掛けた。
 議論の展開を急ぐ村井氏に対し、岩手県の達増拓也知事は「きょうは合意したとは言えない」とけん制。福島県の内堀雅雄知事も「負担割合が示されてからの話だ」と難色を示し、村井氏は引き下がらざるを得なかった。
 終了後の記者会見で達増氏は「今やっている10分の10(全額国負担)こそ被災地の自立につながる。地元負担という結論はまだ出ていない」と強調。内堀氏も「緊急雇用や復興に必要な公共事業で地元負担が生じれば、厳しい自治体財政はさらに困難な状況に追い込まれる」と語った。
 村井氏は「国の歩み寄りは感じた」と述べ、竹下氏が国直轄事業の地元負担割合をあらためて3%以下と示したことや任期付き職員の人件費負担を明言したことを評価した。
 今後については「全額国負担であるべきだが、国の予算編成が本格化する前に現実的な対応をすべきだ。宮城は国の提示を基に良い条件を引き出す」とスタンスの違いを鮮明にした。
 竹下氏は記者会見で「地元負担を受け入れると言えないまでも、受け入れる準備はしていると感じた」と余裕たっぷりに話した。


<仙石線全線再開>駅中核に未来像描く/(2)まちづくり/人口流出に歯止めを期待
<3度目の前倒し>
 ひっきりなしにダンプカーが行き交う横で、ロードローラーが地面をならす。30日のJR仙石線全線再開まで約1週間に迫った22日、東松島市の東名地区。高台に新設された東名駅へ通じる道路の工事が急ピッチで進む。
 東日本大震災の津波で被災した東名、野蒜両駅は、市の防災集団移転団地「野蒜北部丘陵地区」に移設された。高台を切り崩した団地には一戸建て用地278区画、災害公営住宅170戸が整備される。市内で最大規模の移転団地だ。
 宅地の引き渡し開始は2016年7月。来年になってやっと、まちづくりは本格化する。阿部秀保市長はその核を担う駅舎、鉄道の重要性を強調して言う。
 「しばらくは住民が住まないところを列車が走る。心苦しさはあるが、人口流出に歯止めをかけるには、一日でも早い鉄路復活が必要だった」
 仙石線の全線再開の時期は当初、16年3月だった。それが15年10月、同6月、5月30日と順次前倒しとなった。JR側の復旧歩調が加速し、団地では全線再開後も造成工事が続く。
 地区住民がまちづくりを考える野蒜北部丘陵振興協議会の斉藤均会長(67)は「仙石線は広域インフラであり、開通が早まるのは良いこと」と理解を示す一方、住民がいない駅周辺の、とりわけ夜間の防犯体制が課題だという。

<農地転用を要望>
 団地には将来、野蒜小と宮戸小の統合による宮野森小が開校する。仙石線沿線には商業施設が進出予定。野蒜駅周辺には市民センターと観光物産交流センターの一体型施設ができる。
 住民らはまちの未来像を真新しい野蒜駅を手掛かりに描くことになる。
 震災後、人口が急増した石巻市内陸部の蛇田地区。商業施設が集積し、災害公営住宅や大規模な集団移転団地の整備が進む。
 近くには16年3月、仙石線の新駅「石巻あゆみ野」が開業する。陸前赤井(東松島市)−蛇田(石巻市)間に設置され、新しい「石巻の玄関口」として期待される。新駅北側には駅前広場などの付帯施設の整備が計画されている。
 市街化調整区域で農地が広がる南側にも注目が集まる。津波による被災と農家の高齢化で、耕作されていない農地も多い分、新たな活用法を求める動きが出ている。
 「宅地造成などの土地区画整理事業ができる市街化区域に編入してほしい」。地権者らは2月、こう市に要望した。
 全線再開を果たす仙石線。移設や新設される駅周辺で、まちづくりのつち音が大きくなっている。


津波 32年前忘れない…日本海中部地震慰霊祭
◆東日本大震災の遺族も参列
 1983年5月に3道県で104人が死亡した日本海中部地震から26日で32年になった。83人が犠牲になった県内では、男鹿市や能代市などで慰霊祭が行われ、沿岸自治体では津波を想定した防災訓練などもあった。今年は東日本大震災で子供を亡くした宮城県の遺族も慰霊に訪れ、大切な人を失った悲しみを共有した。
 男鹿市戸賀加茂青砂の海岸では、遠足に来て津波にのまれた合川町立合川南小学校(現北秋田市立合川小学校)の児童13人の慰霊祭があった。近くの慰霊塔前で、遺族や地元住民ら50人以上が子供たちの冥福を祈って手を合わせた。震災で亡くなった宮城県石巻市にある日和幼稚園と大川小学校の子供たちの遺族7人も「大切な我が子を失った同じ境遇の者として手を合わせたい」と参列した。
 日本海中部地震で長女・有希子さん(当時9歳)を亡くした福岡史恵しえさん(65)が「生きていれば40歳過ぎなのに、今も好きだったお菓子を買ってしまう」と話すと、日和幼稚園に通う長女・愛梨ちゃん(同6歳)を失った佐藤美香さん(40)は「私も娘が好きだったメロンを供えてしまいます」と答え、互いに涙ぐんだ。
 参列を終え、福岡さんは「互いが心の支えになれればいいと思う」と話し、佐藤さんは「何年たっても、子を亡くした親の思いは一緒だと感じた。これからも交流したい」と語った。大川小学校で次女・千聖ちさとさん(同11歳)を亡くした紫桃しとう隆洋さん(50)は「32年間の供養の姿を見て、遺族同士が協力して生きるのが大切だと感じた」と話した。
 能代市大森山の能代港・港湾緑地では、護岸工事中に津波で亡くなった佐藤年夫さん(同47歳)の妻●子さん(74)と3人の子供ら計13人が佐藤さんの冥福を祈った。男鹿市に住む娘の渡部春美さん(51)は「地震、津波の恐ろしさを風化させてはならない。ひ孫と一緒に来て、大きいじじがここで亡くなったと伝えていかなければ」と話していた。

 ◆「その時」に備え 各地で訓練
 …由利本荘 園児高台へ避難
 由利本荘市の西目小学校(児童334人)と西目幼稚園(園児130人)は、由利本荘署などの協力を得て震度6強の地震を想定した合同避難訓練を行った。
 児童、園児は机の下に身を潜め、揺れが収まったとの合図があると、頭上に本やかばんをかざして落下物を防ぎながら、約300メートル西の高台の松林へ小走りで避難した。訓練後、織田羽衣子校長は「いざという時には声をかけ合い、自分の命、友達の命を守ってほしい」と呼びかけた。
 にかほ署は、にかほ市消防署と協力して災害対応訓練を実施し、初期消火や応急救護の心構えと手順を確認した。にかほ署の駐車場を火災現場に見立て、消火器で初期消火した後、タオルで被災者役の同僚の腕を圧迫止血し、力の入れ具合などを学んだ。
 また、市内の沿岸部36町内会も、午前6時から津波避難訓練を実施した。
  …秋田 車椅子で患者誘導
 秋田市の秋田大学付属病院では震度6弱の想定で、医師や職員ら約150人が病棟で発生した火災の初期消火を訓練し、自力歩行できない患者を車椅子や担架に乗せて避難誘導した。羽渕友則院長は「災害時にシナリオはなく、状況は刻々と変わる。情報を大切にしてほしい」と講評した。
 秋田臨港署は秋田市の秋田マリーナで、津波で流された釣り人が沖合で漂流している想定の海上救助訓練を実施。署員約20人が参加し、ダミーの人形を警備艇に引き上げ、心臓マッサージなどの救命訓練をした。
 県庁では、最大震度7の想定で訓練。職員は机の下に入って頭を守るなどし、災害対策本部では、自衛隊や消防、東北電力など関係機関とともに、約100人態勢で市町村の被害状況をまとめた。視察した佐竹知事は「高度な情報収集システムを自在に使えるよう訓練が重要。県民の命は我々が守るという気持ちで、この経験を風化させないでほしい」と訓示した。
  …能代 陸上自衛隊も参加
 津波で36人の死者が出た能代市では、東雲中学校を会場に震度6弱の想定で総合防災訓練が行われ、生徒や教職員約270人と能代署、陸上自衛隊、住民など計約570人が参加した。
 倒壊建物救出と応急救護所設置の訓練では、けが人搬送役の生徒が「大丈夫ですか」と足を骨折した被災者を励ましながら、毛布の端を丸めた簡易担架に乗せて救出した。3年の鎌田ひかるさん(14)は「けが人の搬送は初めて。頭を下げないよう声をかけ合って搬送した。やってみて良かった」と話していた。
 また、JR東日本秋田支社は、八峰町のJR五能線で大津波警報発令に伴う車両避難誘導訓練を行った。八森―東八森間の浜田踏切近くで緊急停止した列車の乗客役の社員ら約20人を、徒歩で530メートルほど離れた高台へ誘導した。
<注>●は「かねへん」(金)に「その」(其)


安保転換を問う 国会審議入り
 ◇つじつま合わせの無理
 安全保障関連法案が衆院本会議で審議入りし、早くも政府の説明にほころびが見られる。こんな状態で夏までに成立させようというのは、やはり無理がある。期限を設けない与野党による徹底論戦が必要だ。
 政府の説明が安定しないのは、法案が無理なつじつま合わせの上に成り立っているためではないか。
 法案の柱である集団的自衛権の行使容認は、本来は憲法9条改正の手続きをとるべきものだが、政府は憲法解釈の変更という手法を選んだ。
 そのため、集団的自衛権の行使は他国防衛でなく自衛のためという理屈をつくった。憲法の基本論理は維持され、専守防衛も変わらず、海外派兵はこれまでと同様に「一般に」許されないという考え方をとった。
 だから安倍晋三首相は先週の党首討論で、集団的自衛権の行使について「他国の領土に上陸して、戦闘、作戦行動を目的に武力行使を行うことはない。あるいは領海、領空でそういう活動をすることはない」と述べ、機雷掃海だけを他国の領域でも武力行使をする例外として挙げた。
 しかし、新法案は集団的自衛権について「存立危機事態」など新3要件に当てはまれば、他国の領域でも行使することを前提としている。中谷元防衛相は、新3要件を満たせば、機雷掃海以外でも、自衛隊が他国の領域で集団的自衛権を行使できるとの認識を示し、首相と防衛相の説明が矛盾していると批判を浴びた。
 結局、首相はきのうの答弁で「外国の領域でも新3要件を満たすことはあり得る」と付け足し、軌道修正をはかった。首相がこだわる邦人輸送中の米艦防護も他国の領海に入ることになるのではないか。この先、例外が次々と膨らむ危惧がある。
 また政府は、機雷掃海は受動的・限定的な武力行使だから例外というが、岸田文雄外相の説明によると、国際法上、機雷掃海のような軍事行動を受動的・限定的だとして他の武力行使と区別して扱う事例はないという。実際の活動になれば、他国は機雷掃海を他の戦闘行動と区別してくれるわけではない。
 自衛隊員のリスクが高まる懸念についても、政府の説明は混乱気味だ。首相は党首討論で「リスクとは関わりがない」と述べたが、きのうは「リスクは残る」と一定程度、認める方向に修正した。一方、中谷氏は「増大することはない」と語る。
 首相は、自民党役員会で「自衛隊員のリスクが高まるといった『木を見て森を見ない』議論が多い」とも述べたという。リスクについても丁寧に語る姿勢を示さなければ、国民の理解は得られないだろう。


知事訪米 新基地阻止の決意示せ 沖縄を平和の緩衝地帯に
 これほど頻繁に訪米しなければならない県が他にあるだろうか。翁長雄志知事がきょう訪米する。
 直近の歴代4知事も訪米してきた。沖縄が自ら声を届けねば伝わらないからだ。沖縄の民意を顧みぬ日本政府の機能不全、差別性を再認識せざるを得ない。
 ただ今回は従来と異なる点がある。昨年の名護市長選と知事選、衆院選で辺野古新基地建設反対の候補が全勝した。県民大会も開いた。沖縄はあらゆる民主的手段で意思表示したと言っていい。かつてない歴然たる民意を知事は背負っている。新基地建設阻止の決意を堂々と訴えればいい。

陸戦条約違反

 強調したいのは沖縄の米軍基地が非人道的手法で存在する点だ。
 第2次世界大戦末期に住民が収容所に入れられていた間、米軍は沖縄で勝手に基地を造った。1950年代には住民に銃剣を突き付けて住居や農地を奪い、基地を拡張した。いずれも占領下の民間地奪取を禁ずるハーグ陸戦条約(戦時国際法)46条違反である。今、日米両国が造ろうとしている名護市辺野古の新基地もまた、沖縄住民の意思に反する強制接収だ。大戦後70年も国際法に違反し、今後も続けるというのである。
 政府は辺野古に基地を建設しなければ普天間飛行場は固定化すると言う。自ら土地を奪っておいて、基地が老朽化したから新たに基地を提供せよ、嫌なら居座ると脅すのはどう見ても非人道的だ。
 沖縄住民の自由、平等、人権、民主主義を守れない日米両政府が、どうして世界に「普遍的価値観の共有」をアピールできるのか。不思議でならない。
 沖縄経済は基地の「恩恵」で成り立っていると言う人もいるが、大きな誤解だ。むしろ基地は経済の阻害要因で、基地が無い方が飛躍的に発展するのは多くの実例とデータで証明されている。
 海兵隊が沖縄でなく日本本土や米本国、豪州などに置かれたら、たちまち機能を失うと信じる米国民はいないだろう。米国の安全保障の専門家も海兵隊の豪州移転を提言している。基地が移転したら「沖縄が経済的に困る」「抑止力を失う」という神話はとうに消え去っているのである。
 「沖縄は平和の緩衝地帯になりたい」。翁長知事は外国人特派員にそう語った。アジアの成長力を取り入れて発展するビジョンもある。基地の大幅削減後の未来像を沖縄は既に持っているのである。

ワシントン拡声器

 「ワシントン拡声器」という仕組みがある。新外交イニシアティブの猿田佐世氏が名付け親だ。
 日本の政党や官僚が国内向けに実現したい政策があるとする。だが国民の大多数には不人気だ。そこで、米国内にせいぜい30人、主だった人はたった5、6人しかいない「知日派」にその政策を吹き込む。アーミテージ元国務副長官、グリーン元国家安全保障会議アジア上級部長がその代表格だ。「知日派」はその政策を、自らの要求として発言する。米国民の大多数はその政策を知らないのに、発言はたちまち「米国の意向」となる。結果、政策は実現する。
 沖縄に基地を置きたがる外務・防衛両省の役人や一部の政治家ら「安保マフィア」がよく使う仕組みだ。われわれは、この「声の増幅器」に振り回されてきた。
 時にそれは「声の減衰器」としても使われる。新基地建設に対する沖縄の反対について日本の安保マフィアは米側に「補助金をつり上げるための手練手管」と吹き込む。だから反対の声は本気と思われず、過小評価される。メア元国務省日本部長が「沖縄はゆすりの名人」と発言したのがいい例だ。
 知事が訪米しなければならないのは、この厚い壁があるからだ。突破するのは容易でない。知事は毅然(きぜん)として「辺野古新基地は必ず阻止する。もはや不退転だ。普天間は直ちに返還し、海兵隊の移転先は県外や国外に探してもらいたい」と断言してきてほしい。


義務教育:不登校児のフリースクールを容認 法案提出へ
 超党派の議員連盟は27日、保護者が作成した学習計画を市町村教委が審査・認定することを条件に、不登校の小中学生が通うフリースクールや家庭での学習を義務教育として認める法案を今国会に提出する方針を決めた。国にフリースクールでの学びに対する財政面の支援も求める。法案が成立すれば、義務教育の場を小中学校に限定してきた戦後教育の大転換になる。自民党内には慎重論もあり曲折も予想されるが、議連は今国会での成立と、2017年度の制度化を目指す。

 法案は「多様な教育機会確保法(仮称)案」。基本理念に「年齢や国籍に関わらず、義務教育を受ける機会を与えられるようにする」と掲げた。

 保護者には学齢期(6〜15歳)の子どもを小中学校に通わせる義務があるが、不登校の小中学生は13年度に約12万人に達し、6年ぶりに増加した。一方、NPO法人などが運営するフリースクールは法律上の位置付けや公的支援はないものの、全国に約400あり、約2000人が学んでいるとみられている。通っている子どもの多くはほとんど登校していなくても校長の裁量でそのまま卒業しているのが実態だ。こうした現状から、議連はフリースクールも義務教育の場として認めて支援することが必要と判断した。

 法案は、保護者がフリースクールや自宅で何をどう学ぶかを「個別学習計画」にまとめ、これを市町村教委が認定すれば、子どもを就学させる義務を履行したとみなす。修了すれば小中学校卒業と同程度と認める仕組みを想定している。フリースクールの授業料は月額数万円かかり、経済的理由であきらめる親子も少なくないため、法案は国や自治体に必要な財政措置を求めた。

 法案には、戦中・戦後の混乱で義務教育を受けられなかった高齢者らが学ぶ「夜間中学」への支援も盛り込む。入学希望者がいれば、公立の夜間中学の設置など必要な措置を講じるよう都道府県教委や市町村教委に義務付ける。小中学校以外で学ぶことが必要な人たちが増えているため「多様な学びの機会を確保し国と自治体が支援する」(立法チーム座長の馳浩衆院議員)狙いがある。【三木陽介、高木香奈】

Koさん歓迎会/久しぶりの妙/北新地でワイン

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Japon: un fort séisme secoue Tokyo, pas de dégâts
Un fort séisme a secoué lundi après-midi la région de Tokyo, sans faire de dégâts ou de victimes, selon les autorités locales.
Il a atteint une magnitude de 5,6 selon l’agence de météorologie japonaise, et de 5,3 selon l’Institut américain de géophysique (USGS). Il n’y a aucun risque de tsunami.
La circulation du métro de la capitale a dû être brièvement interrompue.
En outre, les autorités de l’aéroport international de Narita, près de Tokyo, ont fermé temporairement les pistes pour inspection, avant que le trafic aérien ne reprenne normalement.
Aucun dommage n’était à déplorer dans l’immédiat, selon la police.
L’épicentre de la secousse, qui s’est produite à 14h28 (05H28 GMT), a été localisé dans le nord de la province de Saitama, au nord de Tokyo.
Aucune des centrales nucléaires de la région n’a été affectée par ce tremblement de terre.
Le 11 mars 2011, un très violent séisme suivi d’un tsunami avait dévasté la région littorale du Tohoku (nord du Japon), faisant plus de 18.000 morts et provoquant la catastrophe nucléaire de Fukushima.
Tous les réacteurs du Japon sont actuellement stoppés pour des mises en conformité aux nouvelles normes rendues plus sévères, avant une éventuelle remise en exploitation.
Le Japon est situé à la jonction de quatre plaques tectoniques et enregistre chaque année environ 20% des séismes les plus violents recensés sur la planète.
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Koさんの歓迎会がお昼からあります.とりあえず病院に行きました.よくなってきているので薬なしでいってみよう・・・ということになりました.歓迎会の場所まで少し遠いので,なるべく日陰を移動しました.暑いですからね.みんなはすき焼き定食をたのんでいましたが,そんなに食べられそうにないので和定食.とにかくみんなとワイワイガヤガヤ楽しみました.
夕方は久しぶりの妙.梅田で文房具を買おうと思っていたのを忘れてしまいました.
妙の帰りに北新地でワインをいただきました. Château Beaumont 2009です.店員さんがいい感じで好感をもてました.

<仙石線全線再開>不便解消に期待膨らむ/(1)暮らし
 仙台と石巻が再び、鉄路で結ばれる。東日本大震災から4年2カ月。JR仙石線は30日、高城町(宮城県松島町)−陸前小野(東松島市)間の運転再開で、ようやく全線復旧を果たす。同時に東北線経由で仙台−石巻間をつなぐ仙石東北ラインも開業する。全線復旧を目前にした被災地の思いと現状を、まちづくり、観光、暮らしなどの分野に追った。(石巻総局・八木高寛、水野良将、高橋公彦)

<余儀なく車通勤>
 午前6時半。仙台市青葉区の賃貸マンションを出る。車に乗り込み、混雑の少ない市内を抜け、三陸自動車道で石巻市へ向かう。
 石巻市職員の及川晴彦さん(49)は、勤務先の市役所へ車で1時間10分かけて通う。石巻市南浜地区の自宅は津波で全壊した。
 震災発生当時は仙台市の宮城県後期高齢者医療広域連合に派遣中。石巻の自宅からJR仙石線で通勤していた。その頼りの通勤手段が一部不通になり、2011年5月ごろ、仙台市でマンションを借りた。
 12年4月に石巻市役所に戻ったが、石巻は当時、深刻な住宅不足に悩まされていた。自宅探しは諦めた。自家用車か高速バスで仙台から通うしかない、と決めた。
 仙石線は、高城町−陸前小野間の不通が続き、松島海岸(松島町)−矢本(東松島市)間は代行バスがつないだほか、仙台−石巻間では高速バスが増便された。
 バスは交通渋滞に巻き込まれる頻度が高く、到着時刻が読みにくい。及川さんは帰宅時間が遅くなることもあり、どうしても車で通う頻度が多くなった。
 高速道路料金やガソリン代がかさむ。ことし2月、燃費向上にとハイブリッド車に買い替えた。費用は抑えられたが、仕事後の運転は体力的にきつい。
 仙石線の全線再開で、生活は大きく変わると感じている。全線開通に加え、仙石東北ラインも新たに開通し、仙台−石巻間が1時間弱でつながる。震災前よりアクセスが向上する。
 「待ち遠しかった。ダイヤを検討し電車通勤に切り替える予定。仙台と石巻間の時間短縮もうれしい」。及川さんは30日の全線再開に期待を膨らませる。

<交通弱者を支援>
 津波で被災した東松島市の沿岸部では、駅までのアクセスなどが震災前から劇的に変わる。
 同市の陸前大塚−陸前小野間は従来より約500〜600メートル内陸部に線路が移った。東名、野蒜両駅は集団移転団地の高台に新設された。旧駅舎より約20メートルも高い場所にある。
 野蒜、東名両地区のお年寄りが高台の駅をどのようにして利用するのか。地区住民でつくる「野蒜まちづくり協議会」はアクセス向上策を市に要望。市は高齢者や妊婦らを対象に予約制の無料タクシーを導入することを決めた。16年度末まで試行される。
 協議会の斎藤寿朗会長(75)は「交通弱者が駅を利用するにはタクシーは必要不可欠。地元住民は、駅への利便性が確保されてこそ、全線再開を実感できる」と言う。
 被災地に戻る列車には期待だけでなく、課題も乗っている。


奥松島遊覧船 再開後1万人
震災の津波で大きな被害を受けおととし運航を再開した東松島市の奥松島遊覧船で、再開後の乗客が1万人に達し、記念のセレモニーが行われました。
奥松島遊覧船は、東松島市の宮戸島の周辺を運航し「嵯峨渓」という景色のよい崖や岩場が売り物ですが、4年前の震災の津波で船を失うなど大きな被害を受け運航が一時休止しました。
その後、残った船を修理するなどしておととし10月に運航を再開し、25日、再開後の乗客が1万人に達しました。
1万人目になったのは、中学校時代の同級生と10人で観光に訪れた、松島町の櫻井壽美子さん(77)で、仲間とくす玉を割って1万人達成を祝いました。
続いて、遊覧船を運航する第3セクターの社長を務める、東松島市の古山守夫副市長が、「JR仙石線が今月30日に全線で運行再開するので、奥松島の魅力に多くの人にふれてもらいたい」と述べました。
そして乗客たちが乗り込んだ遊覧船を関係者が見送っていました。
櫻井さんは「長生きして良かったです。船からの『嵯峨渓』の眺めはとてもきれいで、全国の人たちに見に来て欲しいです」と話していました。


<復興費負担>東北市長会が方針撤回を要請
 東北市長会(会長・奥山恵美子仙台市長)は25日、東日本大震災の復興事業費の一部を地元に負担させる方針を撤回するよう政府・与党に求めた。応対した竹下亘復興相は6月上旬までに具体的な負担額を示し、協議開始を目指す意向を示したという。
 復興庁では、奥山市長が「(地元負担対象の)効果促進事業が今後の精査で増えるのでないかとの不安がある。懸念を払拭(ふっしょく)してほしい」と要望。竹下復興相は「負担について仮の数字を示し、議論したい。復興に大きく影響することは一切ない」と述べた。
 奥山市長は面会後「復興への影響はないという大臣の言葉は安心材料になったが、国がはっきりとした数字を出していないので、被災地としての懸念は残っている」と語った。
 東北市長会は菅義偉官房長官、自民党復興加速化本部の額賀福志郎本部長らも訪ね、同様の要請をした。


<南三陸防災庁舎>県有化に6割が賛成
 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町防災対策庁舎の保存の是非をめぐり、南三陸町は25日、震災から20年間、県有化する可否を町民に問うパブリックコメント(意見公募)の結果を発表した。「賛成」が約60%を占め、「反対」(35%)を上回った。町が6月中に決定する県有化受け入れの判断に大きく影響しそうだ。
 意見公募は全約4700世帯を対象に4〜5月に実施。回答率は約14%。寄せられた意見664件のうち、提出要件を満たしたのは588件。そのうち賛成意見が350件(59.5%)、反対が206件(35.0%)、その他が32件(5.4%)だった。
 町によると、賛成意見は「次世代に震災の教訓を残したい」と遺構の必要性を指摘。反対は「(震災を思い出すので)見たくない」という内容だった。その他には「町長に一任したい」とする意見もあった。
 佐藤仁町長は同日の定例記者会見で「町民の意見を真摯(しんし)に受け止め、議会の議論も踏まえ対応方針を決めたい」と述べた。賛成が過半数を占めた結果について、「(2013年に解体された気仙沼市の)第18共徳丸の保存には住民の約70%が反対した。4年という時間や町の財政負担がないことが影響したのではないか」と話した。
 町防災対策庁舎をめぐっては、佐藤町長は13年9月、財政上の理由などで保存を断念し、解体撤去を表明。県震災遺構有識者会議の「保存する価値がある」との結論を踏まえ、村井嘉浩宮城県知事はことし1月、31年までの県有化を町に提案した。
 町は来月1日、パブリックコメントに寄せられた意見を町ホームページ(HP)上に掲載する予定。


気仙沼の災害FM、コミュニティーFMに移行
 東日本大震災直後に誕生した気仙沼市の臨時災害FM局「けせんぬまさいがいエフエム」が、2016年春をめどにコミュニティーFMに移行する方針を固めた。復興途上にある地域の身近な情報を引き続き伝える。市は、国の復興交付金第12次申請に調査費430万円を要求した。

 調査費では、親局となる送信所や中継局の開設場所など整備案をまとめる。市の委託を受けて運営するNPO法人「気仙沼まちづくりセンター」のメンバーらが運営会社を設立し、東北総合通信局に免許を申請する予定。
 市は震災直後の11年3月22日に臨時災害FM局の免許を取得し、翌日に放送を始めた。NPO法人のスタッフ5人が同市松崎萱のスタジオで生活・行政情報などを放送している。
 人件費の財源となってきた国の緊急雇用創出事業の交付金が15年度限りでなくなる見通しとなっていることから、コミュニティーFMに移行し、資金を行政や地元企業から確保する。
 市は「災害情報や身近な情報を発信する場を残したい」と説明する。
 技術スタッフの西城淳さん(34)は「ラジオには人の心を支える力がある。移行までの1年間で、番組の充実や認知度アップを図りたい」と話した。
 県内では現在、気仙沼市のほか、女川、亘理、山元3町が災害FM局のまま放送を続けている。これまで名取市がコミュニティーFM局に移行、南三陸町は廃止している。


ネパール大地震 復興に向け日本の糧生かせ
 ネパール大地震の発生から1カ月がたった。だが、拡大する一方の被害の把握が追い付かない混乱が続き、復興には程遠い状況だ。
 アジアの最貧国の一つで山岳の小国を襲った未曽有の災害に国際社会を挙げて向き合い、実効性のある復興支援を一層拡充したい。
 阪神・淡路大震災、東日本大震災を経験した災害多発国の日本には復旧、復興のノウハウがある。果たすべき役割はとりわけ大きいはずだ。
 最優先課題は約810万人に上る被災者の住居の確保だ。しかし、甚大な被害と立ち遅れた社会資本整備が災いし、テントなどの救援物資が十分に届いていない。
 12日に起きた余震を含めると、犠牲者は9千人に迫り、全半壊した家屋は70万棟を超えた。自宅の倒壊を恐れる市民は屋外での生活を余儀なくされている。各国が支援したテントが行き渡らず、防水シートを張っただけの簡易テントで過ごす市民も多い。衛生面の悪化に伴う精神的負担は大きい。
 16日に被災状況をまとめた国連児童基金(ユニセフ)によると、「助産施設」の7割が倒壊した。6月半ばまでの1カ月間に1万8千人の母親と新生児が生命の危機に直面すると予測した。
 6月に本格化する雨期には洪水の恐れがあり、はしかやコレラなどの感染症の拡大が懸念される。農地の被害も大きく、田植えが滞り、食糧不足に陥る可能性もある。
 首都・カトマンズのダルバール広場など、世界遺産を含む約580の歴史的建造物が全壊か一部損壊した。貧困から抜け出す原動力だった観光産業は壊滅的打撃を受けている。耐震建築などが進まず、もろいれんが積みの一般住宅が崩れ、犠牲者数の拡大を招いた。
 日本政府は1400万ドルの緊急無償資金を提供し、医療チームの派遣などを進めている。短中期の復旧支援では奮闘する非政府組織などが把握する被災地のニーズを踏まえ、臨機応変な対応を急ぎたい。さらに二つの大震災の教訓を生かし、仮設住宅建設や学校や農地の再建、耐震強化など、長期的復興を見据えた具体的支援策も強化すべきだ。
 今回の大地震では県内に留学中のネパール出身の若者の肉親が犠牲になり、追悼行事や募金活動があった。人の痛みをわが事のように受け止める「肝苦(ちむぐり)さ」の心を持ち、沖縄からできる支援も続けたい。


君が代を歌わないだけで「再雇用拒否」は違法ーー東京地裁が東京都に「賠償命令」判決
東京地裁(吉田徹裁判長)は5月25日、卒業式・入学式で「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱しなかったこと」だけを理由にして、東京都立高校を定年退職した教職員を「再雇用」しなかったことが「違法だ」とする判決を下した。2007年〜09年にかけて再雇用されなかった元都立高校教職員の原告たち22人に賠償金(211万円〜260万円)と利息を支払うよう、東京都に命じた。賠償金は、もし再雇用されていたら支払われていたはずの1年分の給与にあたる額。

判決は、教職員の90%〜95%が採用される再雇用制度の実態などから、教職員には再雇用されることを期待する権利(期待権)があり、その期待権は「法的保護に値する」とした。そして、都教委が「不起立」のみをもって原告たちを再雇用をしなかったことは、原告たちの期待権を「大きく侵害」し、違法だと判断した。

●「画期的判決」と原告たち

判決を受けて、原告たちは同日午後、東京・霞が関の司法記者クラブで、”勝訴”を報告する記者会見を開いた。

原告代表の泉健二さん(68)は「私たちは君が代を斉唱することが耐えられないので、静かに座っていただけです。そのことを唯一の理由として再雇用を拒否され、職場を追われることになりました。こんなひどいことがあるものか」と裁判を起こしたきっかけを振り返った。永井栄俊さん(68)は、「採用拒否の意味は見せしめですよ」と怒りをあらわにした。

水野彰さん(66)は「僕らはもう、都立高校の教育現場に戻ることはできません。その点で悔しさは残りますが、判決はうれしかったです。明日から戦争法案が国会で審議されます。戦争法案と日の丸君が代は一体のものです。この判決が戦争法案を食い止めるきっかけになれば」と述べた。

近藤徹さん(66)は「画期的な判決です。他の裁判の状況を考えると、私たちの全面勝訴と言ってもいい内容でした。願わくは、都教委が誤りを認めて控訴を断念し、判決が確定してほしいです」と話していた。


3県知事 国に全額負担求める
政府の復興推進委員会が開かれ、政府側が、来年度=平成28年度以降の東日本大震災からの復興支援をめぐって、自治体側にも一定の財政負担を求める方針に理解を求めたのに対し、被災3県の知事からは、引き続き国の全額負担を求める意見が相次ぎました。
政府の復興推進委員会では、東日本大震災の集中復興期間が終了したあとの来年度=平成28年度以降の復興支援をめぐって意見が交わされ、政府側は、災害公営住宅の整備などは国が全額負担する一方、地域振興を目的とした道路の整備事業などは自治体側にも一定の財政負担を求める方針を示し、理解を求めました。
これに対し岩手県の達増知事は「一部の復興事業に負担を導入する政府の方針に、自治体からは事業の遅れや財政状況の悪化への懸念の声があがっている」と述べました。
宮城県の村井知事は「地方負担が生じないようにして欲しい。万一、地方負担の導入が避けられない場合は、最も財政基盤が弱い自治体を基準に、自治体財政に影響が出ないようにして欲しい」と述べました。
福島県の内堀知事は「復興が長期におよぶ福島県では将来の財政悪化が懸念される。地方負担は地域の実情に応じてきめ細やかに対応すべきだ」と述べるなど、引き続き国の全額負担を求める意見が相次ぎました。
これを受けて竹下復興大臣は、「自治体が少しでも負担することで、本気で考え、自立する強い思いを持ってもらうことが重要だ」と述べた上で、来週、自治体の負担の割合などに関する案を示す考えを明らかにしました。


[翁長知事あす訪米]辺野古ノーの声を聞け
 翁長雄志知事は、27日から6月5日までの日程で訪米する。ハワイやワシントンを訪れ、米軍普天間飛行場の早期返還と名護市辺野古の新基地建設反対などを米側に直接訴える。
 24日、東京の国会議事堂周辺で行われた辺野古の新基地建設に反対する抗議行動には約1万5千人が集まり、「人間の鎖」で国会を包囲した。辺野古移設反対をテーマにした国会包囲行動で、これほど多くの人が集まるのは、過去に例がない。沖縄の民意への共感が広がっていることを象徴する出来事だ。
 翁長知事は4月に安倍晋三首相、菅義偉官房長官と相次いで会談。5月には中谷元・防衛相との会談や東京での在京・海外メディアとの会見、さらに約3万5千人が参加した県民大会で、積もり積もった思いを発信してきた。
 特に、安倍首相らとの会談ではかなり踏み込んだ発言で、県民の思いを代弁した。沖縄の戦後史を踏まえ、過重な基地の負担や新基地建設の不当性を強く訴えた。普天間については「自ら土地を奪っておきながら、嫌なら代替案を出せというこんな理不尽なことはない」と厳しく批判した。
 翁長知事の毅然(きぜん)とした姿勢は、本土の人たちにインパクトを与え、沖縄への理解を促した。複数の全国メディアの世論調査では、辺野古移設に反対の意見が増えている。辺野古基金は短期間で2億5千万円を突破し、その約7割が本土からだ。沖縄の運動を支えようという機運が高まっている証しといえよう。
    ■    ■
 辺野古移設反対の世論の広がりは、訪米の追い風になるに違いない。ワシントンでは国務省や国防総省の次官補、次官補代理クラスとの会談を希望しているほか、シンクタンクなどとの意見交換を予定している。
 ただ、4月の日米首脳会談で、両政府が辺野古移設推進を確認した直後である。仲井真弘多前知事の埋め立て承認で、米政府や議会内で辺野古問題が「決着済み」との見方が広がっているともいわれ、厳しい対応も予想される。
 翁長知事は25日、共同通信の取材に対し、前知事による埋め立て承認に関し、県の第三者委員会から7月上旬に承認取り消しが提言されれば「取り消すことになる」と明言した。政府が移設を強行すれば「日米同盟に傷を付ける」とも語った。
 あらゆる手段を駆使し、新基地は造らせないという沖縄の覚悟を日米両政府は甘くみるべきではない。住民の敵意に囲まれた基地は機能しない、ということを米国は知っている。米政府は辺野古問題を真剣に考えるべきだ。
    ■    ■
 上野千鶴子さん(ウィメンズアクションネットワーク理事長)は、17日の県民大会に向けて本紙に次のようなメッセージを寄せた。「沖縄の運命が沖縄抜きに決められようとしている。当事者主権の叫びは当然だ」
 米軍基地の存在は、住民生活に大きな影響を及ぼす。「辺野古移設ノー」のまっとうな主張を、沖縄はさまざまな機会を通して、訴え続けていく。


安全保障関連法案に対する宗派声明発表
 このたび、国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、真宗大谷派では5月21日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。

 日本国憲法の立憲の精神を遵守する政府を願う
「正義と悪の対立を超えて」

 私たちの教団は、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。その過ちを深く慙愧する教団として、このたび国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、強く反対の意を表明いたします。そして、この日本と世界の行く末を深く案じ、憂慮されている人々の共感を結集して、あらためて「真の平和」の実現を、日本はもとより世界の人々に呼びかけたいと思います。
 私たちは、過去の幾多の戦争で言語に絶する悲惨な体験をいたしました。それは何も日本に限るものではなく、世界中の人々に共通する悲惨な体験であります。そして誰もが、戦争の悲惨さと愚かさを学んでいるはずであります。けれども戦後70年間、この世界から国々の対立や戦火は消えることはありません。
 このような対立を生む根源は、すべて国家間の相互理解の欠如と、相手国への非難を正当化して正義を立てる、人間という存在の自我の問題であります。自らを正義とし、他を悪とする。これによって自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っているのが人間の悲しき有様ではないでしょうか。仏の真実の智慧に照らされるとき、そこに顕(あき)らかにされる私ども人間の愚かな姿は、まことに慙愧に堪えないと言うほかありません。
 今般、このような愚かな戦争行為を再び可能とする憲法解釈や新しい立法が、「積極的平和主義」の言辞の下に、何ら躊躇もなく進められようとしています。
 そこで私は、いま、あらためて全ての方々に問いたいと思います。

 「私たちはこの事態を黙視していてよいのでしょうか」、
 「過去幾多の戦火で犠牲になられた幾千万の人々の深い悲しみと非戦平和の願いを踏みにじ
  る愚行を繰り返してもよいのでしょうか」と。

 私は、仏の智慧に聞く真宗仏教者として、その人々の深い悲しみと大いなる願いの中から生み出された日本国憲法の立憲の精神を蹂躙する行為を、絶対に認めるわけにはまいりません。これまで平和憲法の精神を貫いてきた日本の代表者には、国、人種、民族、文化、宗教などの差異を超えて、人と人が水平に出あい、互いに尊重しあえる「真の平和」を、武力に頼るのではなく、積極的な対話によって実現することを世界の人々に強く提唱されるよう、求めます。
 
2015年5月21日
              
真宗大谷派(東本願寺)宗務総長 里 雄 康 意

ネパール大地震から1ヶ月/キソキソ早く終了

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Non à une nouvelle base américaine, disent des milliers de Japonais
Des milliers de manifestants ont formé une chaîne humaine dimanche à Tokyo pour protester contre le projet de construction d'une nouvelle base militaire américaine sur l'archipel méridional d'Okinawa.
Les manifestants, environ 15000 d'après les organisateurs, ont encerclé le Parlement en brandissant des pancartes hostiles au projet. ≪Non à Henoko≫ pouvait-on y lire.
Le projet prévoit de transférer la base aérienne américaine de Futenma à Henoko, dans le nord-est de l'archipel.
Située dans la ville de Ginowan, la base de Futenma doit être déplacée vers une région littorale moins peuplée, mais les habitants d'Okinawa n'en veulent plus du tout sur leur territoire.
≪Nous devons mettre un coup d'arrêt à cette construction≫, a déclaré un manifestant de 66 ans, Akemi Kitajima. ≪Le gouvernement tente de passer en force≫.
Archipel occupé par les Américains après-guerre et rétrocédé au Japon en 1972, Okinawa héberge plus de la moitié des 47 000 GI's stationnés au Japon, une cohabitation forcée qui est mal vécue par la population locale.
Les habitants se plaignent de nuisances sonores et des risques d'accident. Ils estiment aussi que la présence de tant de soldats américains constitue une porte ouverte à la criminalité, notamment aux viols, s'appuyant sur plusieurs faits divers ces dernières années.
Le premier ministre conservateur Shinzo Abe avait réitéré sa volonté de procéder au transfert de la base de Futenma lors de son sommet avec le président américain Barack Obama le 29 avril à Washington, dans le cadre du pacte de défense nippo-américain. ≪C'est la seule solution≫, selon M. Abe.
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NHK「100分de名著」ブックス 般若心経
佐々木 閑
NHK出版
2014-01-22


『般若心経』が釈迦自身の教えではないことを知った後でも、やはり最強の262文字である つくしん坊
著者は、科学者を目指して理工系で学び始めたものの、その後仏教学者へ転身したユニークな経歴の持ち主である。『犀の角たち』(大蔵出版、2006年刊)では、その経歴を生かし、仏教と科学との接点はともに「真理の発見」にある、という独自の仏教思想をまとめた。本書では、釈迦自身の教えと大乗仏教との違いを分かり易く説き、大乗仏教は釈迦の仏教を否定して、新しい宗教を宣言する運動であったことを明らかにする。『般若心経』が釈迦自身の教えではないことを本書により知った後でも、やはり最強の262文字であることには変わりがない。
著者は、釈迦の仏教の最大の特徴は「自己救済」つまり「自利」にあるが、釈迦入滅後数百年を経て、独自の路線を打ち出したのが大乗仏教の運動であるとする。「般若経」を作ったグループもその一つである。このグループは、教義の間口を広げ、在家・出家を問わず、どんな人でもブッダを目指す方法として、「般若経」を編み出した。『般若心経』はそのエッセンスであり、経文ではなく呪文であった可能性もあるとのことである。
『般若心経』の決めゼリフ「色即是空 空即是色」についての解説が興味深い。釈迦の仏教では、五蘊(色受想行識)が実在するとしているのに対して、『般若心経』では五蘊は実在の要素ではないと否定する。この他、釈迦の仏教が「ある」といったものはすべて否定される。また、釈迦のいう「空」と大乗仏教の「空」とは異なるものであることを、図解で明快に説明している。要するに、大乗仏教は、釈迦が構築した世界観を「空」という概念で無化し、それを超える新しい神秘主義的な世界観を提示した。そして、「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)」を唱えることこそがその世界に近づく最短の道なのである。
著者は、『般若心経』が、簡潔であること、しかし短すぎないこと、構成の妙があること、翻訳の見事さ、個人の心を救済するお経であること、の5点が現代日本でも人気一番のお経であることの理由であろう、と要約している。激変する社会環境の中で、精神的拠り所の一つとしての『般若心経』を新しい視点から位置付けた本書により、『般若心経』が一層親しいものになると考えられる。


朝眠いです.でも仕方ありません.寝ている人の気持ちもわかりますが,立場上起こさねばなりません.
ネパール大地震から1ヶ月です.あっという間です.すっかり忘れていたことを反省.NHKで野口健さんが解説しているのをみて,記憶にとどめるようにしたいと思いました.
キソキソは30分くらい早く終わりました.たまにはいい?

<高台移転>希望者減と高齢化 集落崩壊危機
 宮城県石巻市の半島部で進む高台への集団移転が、人口流出に拍車を掛けるのではないかと懸念されている。市は東日本大震災で被災した地区を集約せず浜ごとに移転させる計画だが、希望者が減り3分の1の浜は高台移転の世帯数が10戸に満たない。震災前から漁村集落の過疎化は著しく、住み続けることを望むのは高齢者が多い。「このままでは集落が崩壊してしまう」と危惧する声が聞かれる。(伊東由紀子)

<24戸から5戸に>
 石巻市桃浦地区は、近くの高台に造成した宅地に5戸が移る。防災集団移転が認められる最少要件だ。2012年7月の当初計画では24戸が移転を希望したが、時間の経過とともに減少。希望を取り下げた人は桃浦には戻らない。
 荒れた杉林を切り崩して宅地1.7ヘクタールを整備した。樹木に遮られ、海は見えない。県道と被災集落の間に、5軒分の宅地が隔離されたように広がる。3月に引き渡しが済んだばかりだ。
 65戸、約150人が住んでいた桃浦は津波でほとんどの住宅が被災した。高台への移転予定者は50〜80代。元からの家に暮らし続ける世帯も5戸しかなく、高齢者が多い。「集落がこの先いつまで存続できるのか」。住民は焦りを募らせる。
 「1人欠け2人欠け、24戸から5戸になった。10年先を考えると恐ろしい」。流失を免れた家に住む行政区長の甲谷強さん(86)は漏らす。

<帰還諦める住民>
 市は津波浸水域のほとんどを災害危険区域に指定し、居住を制限。高台移転で浜ごとのコミュニティー維持を図ろうとした。泊浜(6戸)、波板(同)など16地区が10戸未満と小規模で、うち4地区は最少の5戸だ。
 市の防災集団移転促進事業はことし2月の段階で、半島部の48地区に1261戸の整備を進める。当初は61地区1785戸が参加する予定だった。しかし住み慣れた土地への帰還を諦め、市街地や近隣市町に家を建てた住民は少なくない。
 桃浦での移転に参加せず、石巻の市街地に自宅を新築した渡辺金一さん(62)は「移転計画は先が見えず、一刻も早く落ち着きたかった」と振り返る。
 震災で半島部の高齢化は加速度的に進んだ。65歳以上の割合が6割を超す浜もある。
 「山の中の年寄り世帯だけの集落が継続できるのか。高台移転は地域や住民のためになるのだろうか」。集落の存続に心を砕く甲谷さんはこぼす。
 市集団移転推進課は「何年か後には誰も住まなくなる可能性もある」と過疎化の懸念を認める。将来的には入居要件変更などの対策も検討するという。


<高台移転>整備単価 平野部の1.4倍
 東日本大震災に伴う宮城県内の防災集団移転促進事業で、1戸当たりの宅地整備費に大きな地域格差があることが、東北工大の稲村肇教授(地域計画)の調査で分かった。浜ごとに山を切り崩して高台移転する石巻市の半島部は、平野部のおよそ1.4倍。移転への参加を見送る世帯が増えている地区ではさらに差が広がっている可能性がある。

 防災集団移転促進事業は被災した県内12市町で実施する。稲村教授は、自治体が公表した主な地区の事業計画書から単価を算出し、平野部と高台のコストを比較した。
 険しい山を削って宅地を造成すると道路やのり面、水道管などの工事費がかさむ。戸数が少ないほど割高になり、平野部で大規模な集団移転を行う岩沼市や亘理町は総じて低い。
 事業計画書を見ると、同じ11戸の石巻市鹿立浜地区は3603万円で、亘理町吉田大谷地・上塚地区は2210万円。約1400万円の大きな開きがある(表)。
 石巻市桃浦地区(5戸)は24戸が参加予定だった当初の事業計画書しか公表されていないが、道路などの整備費は変わらないため、最終的な単価は「戸数の減少で大きく上がる恐れがある」(稲村教授)という。
 半島部でも傾斜が緩い地区の単価は1500万円未満で収まっている。稲村教授によると、石巻市の半島部は平均約2520万円で、岩沼市と亘理町は平均1750万円ほどだ。
 稲村教授は「険しい山を切り崩して進める高台移転は費用が掛かる上、高齢者にかえって不便な生活を強いる面がある」と指摘する。
 石巻市集団移転推進課は「元の地区に戻りたい住民に安全な場所を提供するには、高額な費用もやむを得ない」と説明する。


<その先へ>「思い出探し」支える/1枚の持つ重み痛感
◎被災写真洗浄、返却ボランティア団体代表・溝口佑爾さん(京都市)

 東日本大震災の津波で失った思い出を探しに、3日間で約60人が訪れた。今月2〜4日、宮城県山元町であった震災で流失した被災写真の臨時返却会。「こちらのアルバムもご覧になりませんか?」。主催したボランティア団体「思い出サルベージ」代表の溝口佑爾さん(31)=京都市=は来場者に優しく語り掛けた。
 写真約2000枚、卒業アルバム28冊、賞状類11枚。期間中、数多くの思い出が持ち主の手に戻った。溝口さんは「こんなに返却できるとは思わなかった。被災者がようやく気持ちを落ち着けて探せるようになったのだろう」と成果を喜ぶ。
 約1カ月ぶりの返却会だった。町施設で4年近く続けた常設展示が町の方針で3月末で終了。溝口さんは存続を求めて町側と協議を重ね、臨時開催を認めてもらった。

 震災から4年がたち、宮城県内の被災自治体では流失物の返却数減少を理由に業務の終了が相次ぐ。だが溝口さんの考えは違った。
 「震災で失われた住民や地域の記憶が完全に消えてしまう。生きていた証しが手元にないと、被災者は前に進めない」。震災前の記憶を取り戻したい被災者の思いの根強さを、臨時返却会の成功が裏付けた。
 本業は京都大の社会情報学の研究者。以前は写真を撮るのも撮られるのも大嫌いだったという。「『全てを目に焼き付ければいい』と思い込み、記録に残そうとする考えを理解できなかった」。写真1枚1枚の持つ重みに気付いたのは震災直後のことだ。
 2011年4月、災害ボランティアで訪れた山元町で泥だらけの写真約75万枚を洗浄する活動を開始。ある男性から津波で亡くした妻の写真の洗浄を依頼された。在りし日の面影が鮮明によみがえった1枚を男性はいとおしむように受け取り、しんみり語った。「これで葬式を出せる」。自分たちの活動の意味を痛感した。

 思い出サルベージを設立し、延べ600人のボランティアと共に洗浄や返却を続けた。4年間で全体の55%に当たる42万枚を持ち主に返した。残る写真は現在も町施設に保管し、次の臨時返却会を待つ。
 結婚3年目の妻と暮らす京都の自宅とを往復しながら、被災者の思い出探しを支える。
 「被災のつらい経験を乗り越え、写真に向き合えるようになる時期は人それぞれだと思う。震災後10年は活動を続けたい」
 かつては写真嫌いだった溝口さんの手元に、いまは常にカメラがある。復興途上の地域の姿や活動の足跡にピントを合わせ、震災後の日々を撮り続けている。(原口靖志)


<復興費負担>福島の首長「全額国費維持を」
 東日本大震災の集中復興期間終了後の2016年度以降、復興事業費に地元負担を導入する国の方針をめぐり、福島県の内堀雅雄知事と東京電力福島第1原発事故の避難市町村や津波被災地の首長らが24日、県庁で意見交換した。全額国費負担の維持を求める声が首長から相次ぎ、内堀知事は26日の復興推進委員会で国に伝える方針を示した。
 国が示す道路新設などに対する一部地元負担について、首長らは「道路整備は復旧・復興に不可欠で、地元負担はあり得ない」などと批判。仮設住宅の見回りなどを行う支援員らを雇う緊急雇用事業の打ち切りに関しては「広域避難する住民へのサポートが行き届かなくなる」と継続を求める声が上がった。
 内堀知事は「今後5年間の復興事業のあり方が福島の将来に大きな影響を与える。勝ち取るべきものを勝ち取っていく」と、中長期的な財源確保を国に求める考えを強調した。
 高台移転などの基幹事業や原発事故に伴う復興事業以外について、復興庁は地元負担を求める考えを打ち出している。


復興願う思い夜空にさく裂 石巻で手筒花火
 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市の早期復興を祈願しようと、愛知県豊橋市を中心とした東三河地方に伝わる「手筒花火」が24日、石巻市の追波川河川運動公園で披露された。
 地元でまちづくりに取り組む住民組織「石巻・川の上プロジェクト」と豊橋市の花火師でつくる岩田煙友会などが初めて企画。会場には地域住民ら約300人が詰め掛けた。
 花火師が直径約10センチ、長さ約85センチの竹筒に入れた火薬に点火すると、高さ十数メートルに及ぶ火柱が勢いよく吹き出した。降りかかる火の粉をものともせずに脇に抱えて仁王立ちすると、勇壮な姿に観客からは盛んに歓声があがった。
 近くに住む民生委員桜井美子さん(68)は「間近で見たのは初めてで迫力に驚いた。火花に耐える姿に感動した。遠くから石巻の復興を支援していただいてありがたい」と感謝した。


みやびやか平安の歌会 平泉で「曲水の宴」
 岩手県平泉町の世界遺産・毛越寺浄土庭園で24日、平安貴族の歌遊びを再現する「曲水(ごくすい)の宴」があった。
 主客歌人を務めた前岩手県立大学長の中村慶久氏のほか、ことしは秋田県の歌人5人が参宴。男性は衣冠や狩衣(かりぎぬ)、女性は袿(うちぎ)の装束をまとい、「香(かおり)」を題に和歌を詠んだ。夏のような陽気の中、観光客ら約3500人がみやびやかな宴に見入った。
 曲水は山水を池に取り入れるため造られた曲がりくねった水路のこと。遣水(やりみず)とも言う。宴は遣水に杯を載せた羽觴(うしょう)を浮かべ、水辺の歌人の前に流れてくるまでに歌を詠み、杯を傾ける。


ネパール地震:1カ月 テント生活、疲労限界
 【カトマンズ金子淳】ネパール大地震による死者は24日、8648人、負傷者数は約1万7000人となった。周辺国を含めると犠牲者は8700人を超えた。建物は約50万棟が全壊し、約27万棟が損壊した。

 人々は余震におびえ、23日夜には首都カトマンズ周辺で地震後初めて嵐に見舞われた。避難生活の終わりは見えず、被災者の疲労は深まっている。

 カトマンズ近郊のブンガマティ村では24日、多くの住民が家財道具を乾かしていた。前夜の嵐で多くのテントが浸水。テントを付け替えていたシッディ・パクタ・マハラジャンさん(45)は「こんなことは初めてだ。雨期になればまたテントが飛ばされるかもしれない」と疲れ切った様子で話した。

 カトマンズでは商店の多くは再開したが、市内最大規模のトゥンディケル避難所には今も約3500人がテントで暮らす。


ネパール地震:1カ月 弟、ここにもいない 不明者捜し求める家族
 【カトマンズ金子淳】ネパール大地震は25日、発生から1カ月を迎える。同国だけで確認された犠牲者は8600人を超え、今も肉親と連絡の取れない人は多い。首都カトマンズの大学病院には身元の分からない18遺体が安置され、連日、人々が確認に訪れている。地元警察は「早く家族の元に帰してあげたい」と話すが、山間部では行方不明者の捜索が続いており、すべて特定するには相当の時間がかかりそうだ。

 「発見場所 ランタン村/性別 男性/身長 5フィート8インチ(約172センチ)」−−。カトマンズ北部の大学病院。病棟前の掲示板に身元不明遺体の特徴を記したチラシが張り出されていた。

 「弟が見つからない。ここにもいないようだ」。掲示板を見ていたプレム・ムクターンさん(34)がため息をついた。

 ムクターンさんの弟アカルマンさん(32)は大地震があった4月25日、ネパール北部ランタン村で荷物運びの仕事中だった。同僚4人と山沿いを歩いていたが、アカルマンさんら2人が土砂にのまれて行方不明になった。2カ月前に出稼ぎ先のマレーシアから帰国したばかりだった。ムクターンさんは弟の行方不明を知り、現地に行こうとしたが交通が寸断されており、あきらめた。最近、大学病院に身元不明遺体があると知り、約40キロ離れた村からバスに乗りやってきたという。

 ムクターンさんは5人兄弟の長男でアカルマンさんはすぐ下の弟。残された妻(26)は「夫はまだ死んでいない」と繰り返し、息子2人は今も「お父さんはどこ」と言っては泣き続けている。ムクターンさんは「遺体が見つかれば落ち着くと思う」とつぶやいた。

 地元警察によると、大学病院は指紋やDNA型鑑定などで、これまでに約350人の遺体を遺族に引き渡した。一方、肉親を捜しに訪れた人のうち70人以上がまだ見つけられないでいるという。地元警察のクリシュナ・チャンドさん(38)は「まだ捜索が続いている。何とか全員の身元を特定したい」と話している。
 ◇死者8700人超

 ネパール大地震による死者は24日、8648人、負傷者数は約1万7000人となった。周辺国を含めると犠牲者は8700人を超えた。建物は約50万棟が全壊し、約27万棟が損壊した。


チリ地震津波55年 犠牲者へ黙とう
 1960年のチリ地震津波から24日で55年となった。41人が犠牲になった南三陸町は正午に防災無線でサイレンを流し、犠牲者へ追悼の意を表した。
 同町歌津の仮設商店街「伊里前福幸商店街」で開かれた毎月恒例の福興市では、買い物客やボランティアが手を止めて一斉に黙とうをささげた。
 福興市に参加した佐藤仁町長は「チリ地震津波は防災の思いを強くする原体験になった。今後も防災まちづくりを進めていく」と述べた。
 会場ではネパール大地震の被災地への寄付を集める「チャリティーのり巻き」が企画され、約200人が田束山のつつじに語呂合わせした22.4メートルののり巻きを作った。
 町は東日本大震災前、24日に大規模な防災訓練を実施していたが、震災後は津波防災の日がある11月に開催時期をずらしている。


天まで届け復興の祈り 気仙沼・天旗まつり
 第28回気仙沼天旗まつりが24日、気仙沼市波路上の景勝地・岩井崎で開かれた。参加者は東日本大震災の犠牲者の鎮魂と復興への願いを込めてたこを揚げた。
 全国から愛好家が訪れ、伝統だこの模範演技を披露。青森県凧(たこ)の会連合会からは「復興」と書かれた大だこが市に贈られ、潮風に乗って青空を舞うと会場から歓声が上がった。来場者には「気仙沼」「岩井崎」の文字をかたどった手作りたこ約200枚が配られ、家族連れなどがたこ揚げを楽しんだ。仙台市太白区から訪れたパート松川登美子さん(63)は「海が輝く美しい景色の中で、久しぶりのたこ揚げを楽しめた」と笑顔を見せた。
 気仙沼観光コンベンション協会などでつくる実行委員会が主催。震災前の会場が被災し、三陸海岸有数の観光地で日本ジオパークにも認定された岩井崎が初めて会場となった。


<被ばく牛>生かす調査中「世界でここだけ」
 東京電力福島第1原発事故に伴い避難区域に指定されている福島県浪江、大熊両町で、岩手大と北里大、東北大などの研究チームが牛の被ばく調査を進めている。これまで原発事故と因果関係が認められる病気は確認されていない。原発事故後、多くの牛が殺処分されたが、チームは「被ばく牛を研究できるのは世界でここだけだ」と、避難区域で牛を生かす意味を重く受け止め、研究を続ける。

◎低線量の影響検証

 チームは牛の健康管理と被ばく調査を目的に2012年9月に発足した「原発事故被災動物と環境研究会」。7回目の現地調査となった16、17日の両日、浪江町小丸地区の共同牧場に入った。年間被ばく放射線量が50ミリシーベルトを超える帰還困難区域だが、牛70頭が飼育されている。
 40頭を柵に囲い込み、興奮する牛をなだめながら、血液と毛を素早く採取した。血液中の放射性セシウム濃度やDNA損傷の有無を調べるのが目的だ。
 現在は浪江、大熊両町にある3カ所の牧場で約180頭を研究の対象にしている。これまでの調査で、購入飼料を与える冬場より、牧草を食べる夏場に血液中の放射性セシウム濃度が高くなることや、汚染された水や草を摂取しても一定期間後、体外へ排出されることなどが分かっている。
 十数頭で白斑が確認されているが、過密飼育によるストレスが原因とみている。岩手大の岡田啓司准教授(生産獣医療学)は「町内で放射線量が最も高い小丸地区で白斑は出ておらず、被ばくによる影響と結論付けるのは困難」と説明する。
 県畜産課によると、原発事故当時、原発20キロ圏の旧警戒区域では農家約300軒が計約3500頭を飼っていた。2011年5月、国から県に殺処分の指示が出され、処分が始まったが、一部の農家が強く反発。12年4月、出荷せずに管理を徹底することを条件に継続飼育が認められ、現在は10カ所で、計550頭が飼育されている。
 避難区域で牛を飼い続けることに、県内の畜産関係者の間には「福島の牛に被ばくのイメージが付きまとい、風評被害を助長するのでは」と心配する声もある。岡田准教授は「大型動物の被ばく調査は世界でも類を見ず、利用しない手はない。低線量被ばくが生体にどのような影響を与えるのか、長期的に観察する価値がある」と話している。


被災地の記憶「未来に」 住民の声集め冊子
 東日本大震災で津波被害を受けた仙台市宮城野区の中野、岡田両地区で活動する「未来に伝えたい中野・岡田の会」が、住民の声を集めた記録冊子の作成に取り組んでいる。震災前からいまに至る地域の暮らしを、地元住民に取材してまとめる取り組みだ。

 中野・岡田の会は、住民や両地区の仮設住宅で支援活動をしてきた有志が2013年に結成した。「震災前の風景を記録に残したい」という声を受け、冊子を企画・編集している。
 「未来に伝えたい ふるさと」と題した冊子は、これまでに「蒲生」「岡田」「港」の3編を発行。A5判で4000部を作成し、住民に配布した。
 会長の佐藤研さん(48)=青葉区=は「仮設住宅の入居期限は来年3月。移転でバラバラになる前に住民の声を収集しておきたかった」と狙いを話す。
 蒲生編は震災前に撮影したまちの写真を中心に構成。岡田編は聞き書きした住民たちの思い出話を年代順に並べた。ことし3月に発行した最新版の港編は、仮設住宅の暮らしを住民の声でつづっている。
 本年度は、来年3月で廃校となる中野小学校区にある「西原」「和田」「町蒲生」の3地区編を作成する予定だ。佐藤さんは「子どもたちに、大人になっても地区のことを忘れないでほしいという思いで作っていきたい」と強調する。
 発行元は「震災復興地元学作成事業」で冊子作成を支援している宮城野区。連絡先は同区まちづくり推進課022(291)2111。


“仮設の歌姫”仮設に住み込み
東日本大震災の被災者を歌で励まそうと仮設住宅をまわってライブ活動を続けてきた大阪の女性歌手が、仮設住宅のいまの暮らしを肌で感じたいと25日から大船渡市の仮設住宅に住み込みながら被災地でのライブ活動を行うことになりました。
仮設住宅で住み込みを始めたのは大阪出身の歌手奥野ひかるさんです。
奥野さんは震災直後からこれまで多いときでは1年の半分ほどを被災地で滞在するなど仮設住宅をまわって400回近くライブ活動を続け“仮設の歌姫”と呼ばれるようになりました。
奥野さんは震災から4年余りがたった今の仮設住宅の暮らしを肌で感じたいと、25日から大船渡市盛町にある沢川仮設団地の1室に住み込みながら20日間近くにわたって被災地でのライブ活動を行うことにしました。
仮設団地に到着した奥野さんはさっそく談話室を訪れ、被災者のために作った歌を披露すると、住民たちから拍手や歓声で歓迎されていました。
このあと部屋の鍵を渡された奥野さんは荷物を部屋に運び入れ、仮設住宅で暮らす準備を進めていました。
仮設住宅で暮らす人は復興住宅の建設が進むにつれ減っており、コミュニティーをどう維持するかが課題となっています。
奥野さんは「仮設住宅から住民が出て行くと残された人は寂しいと聞くので自分も周りもウキウキできるように仮設住宅の暮らしにどっぷり浸かりたい」と話していました。
奥野さんは6月12日まで滞在し、震災の月命日となる11日には大船渡市内の仮設住宅で400回記念ライブを行う予定です。


テント避難生活続く…本格的な雨期近いネパール
 【カトマンズ=石田浩之】9000人近い死者を出したネパールの大地震は、25日で発生から1か月となった。

 首都カトマンズの中心部にあった観光名所で、地震で倒壊して多数の死傷者が出た「ダラハラ塔」の跡地には、市民ら数百人が集まり、地震発生時刻に黙とうをささげた。

 ネパールで屋外での避難生活を送る人は数十万人に上り、今もブルーシートを張っただけの簡易なテントで暮らしている被災者が少なくない。ネパールは来月から本格的な雨期に入り、6〜9月は1か月当たりの雨量が800ミリ近くに達することもあるという。このため、地震で地盤がゆるんだ地域では、土砂崩れや洪水などの被害が起きる恐れが高まっている。

 政府はトタン造りの仮設住居の整備を進めているが、雨期が始まるまでに被災者に行き渡るかどうかは、難しい状況だ。


ネパール大地震1か月 雨期前の支援急務
ネパールで起きた大地震から25日で1か月になります。被災地ではまもなく雨期に入ることから、国連は、山間部の被災地が土砂崩れなどで孤立する前に必要な物資を行き渡らせることができるよう国際社会に支援の強化を呼びかけています。
ネパールでは、先月25日に起きた大地震とその後の余震で、周辺国と合わせて8700人以上が死亡しました。
また、およそ76万棟の住宅が被害を受け、今も多くの人が屋外での避難生活を強いられています。
さらに、国連によりますと、450か所余りの保健施設が倒壊して地域の医療拠点が失われたほか、学校も大きな被害を受け、ネパール政府が今月末に学校を再開してもおよそ87万人の子どもたちが授業を受けられないおそれがあるということです。
現地で支援活動を続ける国連のマゴールドリック人道問題調整官は24日、NHKの取材に応じ、ネパールはまだ復興ではなく救援の段階にあると指摘したうえで、来月にも雨期に入ることから、山間部の被災地が土砂崩れなどで孤立する前に支援を行うことが急務だと強調しました。
マゴールドリック調整官は、「雨期を前に時間との闘いです。限られた時間で、遠隔地の人たちに仮設の家をつくる資材や食料などを届ける必要がある」と述べて、国際社会に支援の強化を呼びかけました。
首都の中心部 テント生活続く
首都カトマンズの歴史的建造物が建ち並んでいた地区では、倒壊した寺院のがれきの撤去作業が少しずつ進み、以前のように寺院に供える花が売られるようになりました。寺院の近くでは、大地震の発生から1か月を前にした24日、犠牲者を悼んで手を合わせる人たちの姿が見られました。
また、カトマンズ中心部の広場では、家を失った人や余震を恐れる人たちがテントでの生活を続けています。その数は一時、減りつつありましたが、今月12日の大きな余震をきっかけに再び増え、今は3000人を超えています。避難生活を続ける人たちは、「雨や風が強いときにはテント暮らしはとても厳しいです」とか、「今も余震が頻繁にあるのでどうしようもありません」などと話していました。
一方、大地震の前は土産物を買う外国人旅行者でにぎわいを見せていた地区では、多くの店が営業を再開していますが、観光客の姿はめっきり減ったといいます。土産物店の経営者は、「余震を恐れている人もいると思います。時間はかかるでしょうが、状況がよくなることを願っています」と話していました。


ネパール大地震から1か月 継続的な支援訴え
ネパールで起きた大地震から25日で1か月になります。首都カトマンズでは住宅の耐震性の向上など今後の復興の課題について話し合うセミナーが開かれ、ネパール政府は国の再建に向けた継続的な支援を訴えました。
ネパールでは先月25日に起きたマグニチュード7.8の大地震と、そのあとの余震で周辺国と合わせて8700人以上が死亡しました。
大地震から1か月となった25日、カトマンズのホテルでJICA=国際協力機構と、ネパール政府による復興の課題を話し合うセミナーが開かれ、両国の政府関係者や、地震や防災、都市計画の専門家など400人以上が出席しました。
この中でJICAの田中明彦理事長は、日本は人道支援から復興へと切れ目のない支援を続けるとしたうえで、「より災害に強い社会にするため防災対策に力を入れていくことが不可欠だ」と強調しました。
また、ネパールのマハト財務相は日本をはじめ、国際社会の支援に謝意を表したうえで、広い範囲で甚大な被害が出て、多くの困難に直面しているとして、国を再建するために継続的な支援を訴えました。
セミナーでは日本の防災や地震の専門家などが建築基準が守られていない建物に被害が集中していたと指摘したほか、現地でも手に入る資材を使って安価に耐震性を高める方法などを紹介していました。
出席したネパール政府の関係者は「日本の豊富な経験と知識で再建を支援してほしい」などと話していました。
ヒンズー教の寺院で祈り
カトマンズ中心部で多くの犠牲者が出た歴史的建造物が建ち並んでいた地区では、早朝から大勢の人たちが訪れ、倒壊を免れた小さなヒンズー教の寺院で地震の犠牲者を悼んで手を合わせていました。
訪れた人たちは「余震が続いているので亀裂の入った家には戻れません。今後どうしたらいいか、分かりません」などと話していました。

<伊達政宗>380回忌 稚児行列参道彩る
 仙台藩祖・伊達政宗の380回忌法要が政宗の命日に当たる24日、仙台市青葉区の瑞鳳殿で営まれた。裃(かみしも)姿の仙台藩志会員ら関係者約100人が遺徳をしのんだ。
 節目の年として、近くのおたまや幼稚園の園児約30人が稚児装束をまとって参道を登った。法要では献花と献茶の後、瑞鳳寺や瑞巌寺の住職らが読経。伊達家18代当主の伊達泰宗さん(56)は「東日本大震災からの復興途上にある仙台を、政宗公も見守っておられると思う」とあいさつした。
 この日は本殿がご開帳となり、安置されている政宗公の御木像が終日公開された。


性的少数者支援/学校現場の理解を深めたい
 心と体の性が一致しなかったり、同性に恋愛感情を抱いたりする子どもたちが、不当な差別を受けずに安心して学校生活を送るための第一歩になると期待したい。
 文部科学省が性同一性障害や同性愛など、幅広い性的少数者の児童や生徒に配慮を求める初めての通知を、全国の教育委員会などに出した。
 性別に違和感を持つ人は、先天的に人口の5%ともいわれる。心理的性別と肉体的性別が一致しない性同一性障害の場合、9割が中学校卒業までに自分の性について違和感を覚え始めているという。
 日本は性的少数者について正面から向き合ってこなかった。多様な性についての理解不足は否めず、教師や同級生の言動が原因で不登校になるケースも多い。こうした子どもたちをどう受け入れ支えるか。教育現場の重い課題だ。
 性別に違和感を持ちながら、親にも打ち明けられずに一人で思い悩む児童生徒は少なくない。文科省の通知は、子どもが相談できる環境づくりの重要性を説き、悩みや不安を抱える子どもの良き理解者となるよう教師を促した。もっともなことだろう。
 男らしさや女らしさではなく、自分らしさを大切にしようと葛藤する性的少数者の子どもたちを、あるがまま受け入れる姿勢こそが、教師には求められる。
 今回の通知で特に評価できるのは、医療機関の診断の有無にかかわらず、当事者である児童生徒に寄り添って支援するよう学校に求めた点だ。
 親に相談できなければ医療費は払えず受診は難しい。親の理解も得て受診するとしても、診断には2人以上の医師の統一判断が必要になる。地域によっては専門の医師が少ないこともあり、診断の確定まで半年以上かかってしまうこともあるという。
 救いを求めて相談してきた子どもに対し、しゃくし定規に診断書の提出を求めるような無理解な対応が、どれだけ子どもの心を傷付けるか。学校側は気付くべきだろう。
 性的少数者であることの公表についても、通知が指摘する通り慎重さが大事だ。学校での対応をより効果的に進めるには、教職員間での情報共有だけでなく、他の児童や生徒の理解と協力が欠かせない。だからといって公表を急いではならない。児童生徒の気持ちを尊重しながら、親や医療関係者も交えた話し合いを重ねて結論を導くべきだ。
 文科省が昨年初めて行った実態調査によると、肉体的な性別に違和感を持ち学校に相談している児童生徒の6割が、トイレや更衣室の使用、髪形や制服、呼称などで学校から配慮を受けていた。通知にもこうした支援事例が紹介されており、参考になろう。
 ただ、周囲に受け入れられ問題なく学校生活を送っている子どもがいる一方で、自傷行為を繰り返す例も報告されている。画一的ではない、個別事情に応じたきめ細かな対応の大切さがうかがえる。
 性的少数者とされる児童生徒はどの学校にもいる。その前提に立ち、教員研修や児童生徒向けの人権講演会など、正しい知識を身に付けるための取り組みが急がれる。


「想定外」を一蹴 IAEA報告書 「国際慣行に従わず」批判
 【ウィーン=共同】「勧告した安全評価を十分実施しなかった」「国際的な慣行に従わなかった」。国際原子力機関(IAEA)がまとめた東京電力福島第一原発事故の最終報告書は、東電や規制当局の認識の甘さを痛烈に批判している。

 事故当時、東電や日本政府からは「想定外」との弁明が相次いだ。

 しかし、IAEAは日本が何十年にもわたり原発の安全性を過信し、発生の確率が低い災害などに十分備えてこなかったと一蹴した。

 IAEAは福島の事故前から、加盟国に対し原発の安全性を評価する際、機器の故障などが大事故に至るすべての可能性を把握する確率論的安全評価(PSA)の適用を勧告。二〇〇七年の専門家による訪日調査では「日本には設計基準を超える事故について検討する法的規制がない」と指摘し、過酷事故に十分備えるよう求めていた。

 しかしIAEAの勧告や助言を受けた抜本的な対策は取られず、報告書によると、第一原発ではPSAを十分適用せず、非常用ディーゼル発電機などの浸水対策が不足。十年ごとの定期安全レビューでも地震・津波予測の再評価が義務付けられておらず、過酷事故への対応や安全文化の見直しも含めて「国際的な慣行」に十分従っていなかった。

 福島の事故後、中東のヨルダンが「原発の建設予定地を地震が少ない場所に変更」(同国原子力委員会幹部)するなど各国は新設・既存の原発の安全を強化している。


伊方原発合格証 複合災害の備え足らぬ
 原子力規制委員会の安全審査で、合格証となる審査書案が示された四国電力伊方原発(愛媛県)は、四国の北西端から九州に向かって細長く延びる佐田岬半島の付け根部分にある。原子力防災上、極めてやっかいな場所だ。事故が起きれば半島の西側は陸の孤島と化し、住民は逃げ場を失う恐れがあるからだ。

 東京電力福島第1原発事故は、巨大地震と大津波に原発の過酷事故が重なる複合災害だった。伊方原発の事故に備えて、県や周辺7市町が策定している避難計画は、規制委の審査の対象外で、かつ複合災害に十分対応しているとは言えない。このまま再稼働手続きを進めれば、住民の安全が脅かされかねない。

 四電は原発の新規制基準が施行された2013年7月、伊方原発3号機の安全審査を申請した。焦点となったのが地震の想定だった。

 伊方原発の沖合約8キロには、国内最大級の活断層である中央構造線断層帯が走る。四国では南海トラフ巨大地震の発生も懸念されている。

 四電は当初、中央構造線のうち原発沖の長さ54キロの区間が動くケースを想定の基本としたが、規制委はより安全側の立場で評価することを求めた。このため、四電は関西から九州までの480キロが連動して動くことを想定して再評価。想定される地震の揺れ(基準地震動)を申請時の570ガル(ガルは加速度の単位)から650ガルに、最大の津波の高さ(基準津波)を約4メートルから8.12メートルに引き上げ、合格にこぎ着けた。

 佐田岬の伊方原発から西側には約5000人が住んでいる。愛媛県などの計画では、原発事故が起きた場合、この地域の住民は放射能が放出される前に原発がある東側に向かって避難する。ただし、事故が急速に拡大し避難前に放出が始まれば、東側には逃げられず、最後は海路か空路を使うしか手立てがない。

 だが、巨大地震が事故を誘発した場合、津波も襲ってきて海側への避難を阻む可能性がある。さらに、天候によってはヘリコプターなどによる避難も困難になろう。現段階では、こうした複合災害への抜本的な対策が示されていない。伊方町役場には、住民から不安の声が寄せられているという。

 原発事故の避難計画は、自治体に策定義務がある。政府はあくまでも、「全面的に支援する」という立場を崩していない。

 安倍晋三首相は、規制委の安全審査に合格した原発の再稼働を進めると繰り返している。ならば、複合災害が起きても住民の安全を確保できる避難計画作りの最終責任は、国が負うべきものだろう。

 それを自治体任せにしたまま再稼働を進めることは納得できない。


筆洗
 <都会の絵の具に染まらないで帰って>。太田裕美さんが歌った「木綿のハンカチーフ」は一九七五年の発表なので四十年前である。東京へ向かった「恋人」が<都会の絵の具>で変わることを心配している。四十年前の二人は現在どうしているか。つい空想したくもなる▼作詞は東京都出身の松本隆さんだが、地方に住む人間にとって<都会の絵の具>は魅力でもあり、染まってはならぬ警戒の対象でもあったのだろう▼石川県出身の同僚がある「告白」をした。子どもの時、東京に行った。東京駅で小さなポリ袋を広げ、<都会の空気>を詰めて帰った。都会の人なら笑うだろうか。それでも「少年」は憧れを持ち帰りたかった▼コーヒー全国チェーンのスターバックスがJR鳥取駅にオープンした。話題になったのは日本で唯一、スターバックスの店舗がない都道府県だったためで、開店時には約千人の行列ができたという。味わいたかったのはコーヒーよりも<都会の空気>かもしれない▼「染まりすぎないで」とは大きなお世話だが、スターバックスに限らず、日本中どこへ行っても都会めいた全国チェーン店舗の並ぶ光景がちょっと心配でもある。判で押したような「同じ顔」をした地方の街▼家に帰った「少年」は開けた袋の空気にどんな匂いを嗅いだのだろう。聞き忘れたが、案外、感慨もわかなかったかもしれぬ。

(1) 恋人よ ぼくは旅立つ
  東へと向かう 列車で
  はなやいだ街で 君への贈りもの
  探す 探すつもりだ
  いいえ あなた 私は
  欲しいものは ないのよ
  ただ都会の絵の具に
  染まらないで 帰って
  染まらないで 帰って

(2) 恋人よ 半年が過ぎ
  逢えないが 泣かないでくれ
  都会で流行(ハヤリ)の 指輪を送るよ
  君に 君に似合うはずだ
  いいえ 星のダイヤも
  海に眠る 真珠も
  きっと あなたのキスほど
  きらめくはずないもの
  きらめくはずないもの

(3) 恋人よ いまも素顔で
  くち紅も つけないままか
  見間違うような スーツ着たぼくの
  写真 写真を見てくれ
  いいえ 草にねころぶ
  あなたが好きだったの
  でも 木枯らしのビル街
  からだに気をつけてね
  からだに気をつけてね

(4) 恋人よ 君を忘れて
  変わってく ぼくを許して
  毎日愉快に 過ごす街角
  ぼくは ぼくは帰れない
  あなた 最後のわがまま
  贈りものをねだるわ
  ねえ 涙拭く木綿(モメン)の
  ハンカチーフください
  ハンカチーフください


栗原類、発達障害を告白 8歳の時に判明「人に合わせられない」
 モデルの栗原類(20)が25日、NHK「あさイチ」(月〜金曜、前8・15)に出演。発達障害のひとつである注意欠陥障害(ADD)であることを告白した。

 この日の「あさイチ」は番組内で「増加!夫の発達障害 苦悩する妻」を特集。栗原はゲストとしてスタジオに生出演し、米国に住んでいた8歳の時にADDと診断されたことを明かした。言語的なことだけではなく、行動的な場面でもおかしいと思った担任教師が栗原の両親に受診を提案。検査したところ「ADD」と診断されたという。

 障害の症状については「人に合わせられなかったり、決め事やこだわりが強い」と説明。例として「冷蔵庫の中で、いつもお茶が置いてある場所に違うものがあると気持ち悪くなって置き直してしまう」と話した。

 番組内では結婚後に配偶者が発達障害であることが判明し、悩む主婦の声などを取り上げた。栗原は「親や主治医が早い時期に(障害を)言ってくれて、弱点というか、自分ができることとできないことがより分かりやすくなった。そういう周りの環境があるから、今がある」と早期の解明の大切さを説いていた。

 栗原はイギリス人の父と日本人の母の間に生まれ、長身のイケメンでありながら後ろ向きな発言に終始する“ネガティブ過ぎるモデル”としてブレーク。バラエティ番組などで活躍してきた。


保坂展人・世田谷区長が指摘「都構想より『区』の権限強化を」
 橋下大阪市長が仕掛けた大阪都構想は住民投票で否決された。その際、反対の論陣を張ったのがこの人、東京・世田谷区長の保坂展人氏(59)だ。国会の「質問王」から世田谷区長になり2期目。橋下は「東京都の23区が理想」と言ったが、「それは違う」と切り捨てた。だとしたら、理想の地方自治の形態とはどういうものなのか聞いてみた。

――大阪の住民投票の結果は良かったと?

 そうですね。強大な権限がある政令市である大阪市を解体して、特別区を目指すのは、自治権の拡大を目指す時代の流れに逆行するものですから、反対が勝ったのは良い結果と受け止めています。ただし、選挙中、気になることはありましたね。

――どういうことでしょうか?

 橋下市長は1月の市役所の会見でこう言っているんですね。「憲法改正は絶対必要。安倍総理にしかできない。大阪都構想の住民投票はその予行演習。憲法改正における国民投票と同じような形になる。大阪都構想と改憲。本当に総理に実現してほしいと思っています」と。ここまでの発言を、橋下市長自身がしているんですね。これは無視できない発言であると思いました。

――反対派が僅差で勝ちましたが、市長サイドの物量作戦はすさまじかったですね。

 そうです。新聞折り込みは20日連続毎日だし、大阪に弁士として呼ばれて行って驚いたのがCMの量です。宣伝費用は4億〜5億円といわれていますが、それで済んだのか。大阪市内だけで双方で数百台の街宣車、1000個単位のマイクが使われたと思います。そうやって、互いにわんわん叫んでいるが、市民には何が問題なのかよく分からない。これまでの選挙戦とは全く違う光景でした。

――国会議員の選挙と違って、街宣車の制限がなくCMの規制も緩いんですよね。改憲の住民投票も似たようなものになる?

 そうなるでしょうね。米国の大統領選のように際限なくお金をかける。イメージコントロールの手練手管が雌雄を決する。そういう意味での練習でもあったわけです。これまでも住民投票はありましたが、多くは米軍基地反対など、政府に対して批判的な住民サイドから仕掛けたもので、法的拘束力も明確にはなかった。権力側が仕掛け、カネをかけると、かくも選挙戦は様変わりする。

■人口88万人の世田谷区の権限は「村」以下

――権力側による住民投票の怖さを見せつけられた。その意味では大阪市民は冷静な判断を下したと思いますが、今回、わざわざ東京から行かれて、反対派の集まりに出られたのはなぜですか?

 橋下市長は東京23区の特別区が素晴らしい、発展していると、こういう論調でしたので、大阪市民に実情はこうですよ、という事実を伝えなければいけない。そう思ったことが大きいですね。まず、用途地域など都市計画の決定権は特別区にはないのです。地方分権改革で、市町村には権限が下りてきましたが、特別区は除外されているんですね。世田谷区は人口約88万人で山梨県より多いのに、その権限は村以下なんです。

――政令市である大阪市は多くの権限を持っているのに、解体して5つの特別区にしたら、その権限を放棄し、府に渡すことになる。これが地方自治への逆行ということですね。

 そうです。世田谷区は商店街を活性化するためにギャラリーやライブハウスを誘致したくても、用途地域が厳しく制限されているんで、東京都にお願いして、変更を認めてもらう必要があるんですが、その手続きも簡単ではない。これではまちづくりが迅速に進められない。

――お金も自由にならないんですよね。

 実は区長である私も世田谷区の税収がどれくらいあるか、すぐには答えられないんです。推定で出すしかない。

――どういうことですか?

 固定資産税、法人住民税などは東京都が徴収し、23区全体を調整しながら、再配分するシステムだからです。都が45%を吸い上げてしまうが、それが何に使われているのか不透明な部分もある。以前に財務省の主計官への陳情に立ち会ったこともありますが、財源を握る者は強い。都区も上下関係で決まっているような形に近くないか。都の職員のさじ加減で決まってしまうこともあるんですよ。

――そうなると、二子玉川に楽天本社が移ってきますが、あまりメリットはありませんか?

 社員の方や周辺で働く方が引っ越してきて、住民税を払っていただければ、税収は増えます。ただし、楽天は若い会社ですから、小さいお子さんもいるだろうし、これから子供がたくさん生まれる可能性があります。世田谷区は税収の多くを子育て世代に使っていて、手厚く支援している。そうしたインフラ整備にお金はかかるので、住民税は入ってきても、それ相応の出費も増えていく。

――世田谷区は豊かなのかと思っていました。

 財政は厳しいですよ。人口が多いから支出する規模も大きい。そりゃ、区によって生活保護の比率も違うので、財政調整の必要性は認めています。ただ、それは都がやらなくてもいいのではないか。23区で自主的に調整できないか。そういう提案をしたことも過去にはあります。

――となると、どういう地方自治のあり方が理想的になるのでしょうか。

 まず、大前提として、行政はニア・イズ・ベターで、身近にサービスを受ける窓口があった方がいい。その意味で世田谷区の88万人は多過ぎるので、区内をさらに5つに分けて、それぞれに総合支所を置いています。200人前後の職員がいて、保育園などのさまざまな住民サービスの相談窓口になっている。この5つの総合支所に権限と予算を下ろしていくという方向でやっていて、それは今度の区長選でも公約に掲げました。

――大阪都構想は24の行政区があったのに、それを5つの特別区にしようということですから、世田谷区がやろうとしているのはその逆ですね。

 そうです。大阪市にある24の行政区は人口6、7万人から20万人です。それを5つの特別区にまとめたら、これまで行政区がカバーしてきたサービスやまちづくりの機能が遠くなる。どれくらい職員が残って、そういうサービスが続くのか。そこが重要なのに、その議論も曖昧でしたね。

■何でもぶっ壊せばいいという暴論

――しかし、世田谷区には権限がない。制約ばかりだと?

 歴史を振り返ってみると、自治体の権限というのはもともとなかったんですよ。県知事だって、かつては国が任命し、官僚が就任した。東京都の区長もかつては都知事が任命していた。いろいろな権限を勝ち取ってきて、今は当たり前になってきたんですね。その意味で、80万人サイズの自治体が都市計画の権限の骨格をすべて都に任せている状況は時代遅れだと思います。お金についても、地方自治の予算は地方自治のために使われるのが基本で、住民の意思がしっかり届くところで使われるべきだと思います。特別区の機能を強化していくことこそ、目指すベクトルじゃないですか。

――そう考えると、今度の大阪都構想は乱暴な議論でしたね。もし通っていたら、大混乱になった。

 非常に危ない議論だったと思います。石原都政の時もそうでしたけど、役所は何をやってきたんだ、という批判、不平、不満はあるわけです。それはそれなりに根拠があるのだろうけど、だから、一回壊してみよう、とハンマーを持ち出してくるのは危険です。一回壊して、ダメなら元に戻せばいい。そういう考え方は非常にイージーで、こうした風潮が蔓延しつつあることを危惧しています。

▽ほさか・のぶと 1955年生まれ。都立新宿高中退。教育問題のフリージャーナリストを経て、1996年衆院選初当選。3期務めて区長に転身。


民主・枝野氏「首相と防衛相の発言は支離滅裂」 安保法制「勉強し直せ」
 民主党の枝野幸男幹事長は25日午前、安全保障関連法案をめぐる安倍晋三首相と中谷元・防衛相の発言について「首相と中谷氏の言っていることが支離滅裂になっている」と批判した。国会内で記者団の質問に答えた。

 枝野氏は、中谷氏が24日のNHK番組で「新3要件」に合致すれば他国領域での集団的自衛権行使は可能とする見解を示したことに触れ、「法律の読み方としては中谷氏が正しい。だが、首相は20日の党首討論で一般論として他国の領海、領空で活動することはないと明言した」と指摘。「首相と担当閣僚の言っていることが違う。もう1回頭を冷やして勉強し直し、整理し直す必要があるのではないか」と主張した。

大阪地酒天満大酒会→なんば→釜ヶ崎→飛田→千日前→中之島

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Mariage homosexuel : l'Irlande dit oui à 62%
Moins de quatre heures après le début du dépouillement des bulletins du référendum historique sur le mariage gay en Irlande, un responsable de la campagne du non a concédé sa défaite à la télévision. Le oui l'emporterait à 62% selon les derniers résultats.
La catholique Irlande dit ≪Yes≫ au mariage homosexuel. Selon des résultats publiés samedi par la chaine nationale RTE, le oui l'emporte avec 62,3% des voix. Ces résultats concernent 40 circonscriptions sur 43 et ne laissent plus aucune chance de victoire au camp du non. Aujourd'hui l'Irlande a écrit une page d'Histoire≫, a déclaré à la presse le Premier ministre Enda Kenny.
L'Irlande devient ainsi le 19e pays, le 14e en Europe, à légaliser le mariage gay. Il est par contre le seul pays à l'avoir fait par référendum, les autres ayant opté pour la voie parlementaire.
A Dublin, des centaines de personnes se sont réunies dans l'enceinte d'un château pour feter la victoire du oui, brandissant des drapeaux arc-en-ciel. Dans les rues de Dublin, des Irlandais, hommes et femmes de tous âges, exultaient et se prenaient dans les bras.
Dès ce samedi matin, moins de quatre heures après le début du dépouillement des bulletins du référendum historique, un responsable de la campagne du ≪No≫ a concédé la défaite de son camp en direct à la télévision irlandaise.

≪C'est une claire victoire pour le camp du oui au mariage homosexuel≫, a déclaré David Quinn, directeur de l'institut Iona, un groupe défendant les intérets de la communauté catholique.
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目撃!日本列島「“釜ヶ崎芸術大学”心の扉を開けて」
大阪・西成区に「釜ヶ崎」と呼ばれる場所がある。かつては日雇い労働者の街として知られたが、今は一人暮らしの高齢者の街だ。生活保護を受けている人も多く、ここの課題を解決することは、高齢化が進む日本への処方箋ともなる。そんな中、地元NPOが「釜ヶ崎芸術大学」という市民講座をたちあげた。俳句や絵画などを通じ、生きがいを取り戻してもらうのが狙い。新たに仲間ができたり、社会とのつながりを取り戻す人も現れた。
明日へ−支えあおう−復興サポート「子どもたちで祭りを創ろう〜宮城・岩沼市4〜」
集団移転事業のトップランナーといわれる宮城県岩沼市。津波で壊滅した沿岸部から千人が内陸部に移り、新しい町が生まれた。この夏「町開きイベント」の開催が決まり、子どもたちが自分たちでみこしを作ることになった。番組では、亡くなった人の魂をみこしに乗せて新しい町を見せたいと願う子どもたちが、ユニークなみこしを作っていく姿を描く。復興サポーターは、中央大学・石川幹子教授と、福島県立博物館学芸員の森幸彦氏。
石川幹子,森幸彦,門脇篤,
内多勝康

テレメンタリー 「シリーズ戦後70年(4) 落日の炭都(まち)で〜石炭の光と影」
戦後我が国の復興を支えた石炭。大産地の北海道では、炭都(まち)が栄華を極めたが、石油へのエネルギー政策の転換後、様相は一変した。過疎化する炭都でいまも元鉱員たちは密かに体をむしばむ黒い影と戦っている。
「じん肺」不治の病だ。水内聖司さん(71)が発症したのは47歳のときだった。交渉で補償を求めようとしたが、会社との和解は去年、決裂。自分たちは時代から切り捨てられようとしている…。戦後を光輝かせた「石炭」の、現在も残る深い影がそこにはあった。
北海道テレビ放送

NNNドキュメント'15 産みの選択 お腹の赤ちゃん 揺れる命
もしお腹の赤ちゃんに異常があるかも知れないと分かったら、産むか?それとも中絶するか?血液検査だけでダウン症など3つの障害の有無を調べる「新型出生前診断」が日本で始まって2年が過ぎた。医療の進歩により、胎児の段階で病気や障害の有無が分かるようになってきた今、結果次第で、母親は“産みの選択”を迫られることになった。番組では、熊本に暮らす、妊娠中のRYOさんを取材した。RYOさんは、お腹の子どもに障がいが発症するかもしれないと診断される。葛藤が続く中、母親らを心理的に支えるのが、医師らによる「遺伝カウンセリング」という取り組みだ。こうした取り組みや女性の思いを通して、命について、家族の幸せについて考えたい。果たしてRYOさんが下した決断は…。
桐谷美玲 くまもと県民テレビ

ガリレオX「日本海海戦から110年 アルゼンチン観戦武官の記録」
いまから110年前にあたる1905年5月。ロシア帝国との間で戦われた日露戦争の行方を決定づけた日本海海戦があった。世界初の本格的海戦となったこの戦いの記録が何と地球の反対側に位置するアルゼンチンの軍人の手記として残されている。なぜ戦争当事国でもない異国の軍人が日本海海戦を現地で観察していたのか。小国日本が世界に認められるキッカケとなった日本海海戦の様子を彼の目を通して紹介する。
古庄 幸一 さん 三笠保存会 記念館三笠 日本アルゼンチン協会 アルゼンチン大使館

COOL JAPAN〜発掘!かっこいいニッポン〜「時間感覚」
時間に正確と言われる日本人。外国人は時刻表どおりに到着する電車や、待ち合わせに遅れない日本人に驚く。外国人が絶賛するカーナビの「到着予測時刻」。目的地を入力すると、刻一刻と変化する渋滞情報をキャッチして最短ルートを割り出す最新カーナビを体験する。料理の時間も節約したい日本人向けに開発された早ゆでスパゲッティ。試行錯誤の末、断面を風車型にして3分でゆであがるまでになった。その開発物語を紹介する。
小林康夫,
鴻上尚史,リサ・ステッグマイヤー,
中井和哉,日高のり子

NHKスペシャル「自衛隊の活動はどこまで拡大するか」
戦後日本の安全保障政策の大転換となる「安全保障法制」の整備。安倍政権が関連法案を国会に提出したのを受けて、その動きが本格化する。自衛隊の活動を大幅に拡大する今回の「安全保障法制」。憲法解釈の変更で容認された集団的自衛権の行使を可能にする法整備の是非は?外国軍隊に後方支援を行うための新たな恒久法で、何がどう変わるのか?視聴者からのメールやツイッターなどによるご意見も交え、防衛大臣と専門家が討論する。
中谷元,森本敏,柳澤協二,木村草太,
島田敏男,松村正代


子どもたちと話す 天皇ってなに?
池田 浩士
現代企画室
2010-07


天皇制を考える土台作りにぜひ。 nskor_jpn
「国民の祝日」から、いかに天皇という存在が身近にあるのかを提示し、竹内好、福沢諭吉などがどのように天皇という存在を捉えていたのかも書き記す。そして現代の天皇制についての問題点を明らかにしながら、どのように天皇制というものについて考えてゆけばよいのかを教えてくれる書籍である。
この本の中には、今後における天皇制についての改善策・具体策のようなものはない。しかし、それを考える上で必要な知識を与えてくれるので、本書を読めば自分で考えることができるようになる。
そういった意味で十分に良書である。


5/24国会包囲行動と同時に関西で声を上げよう
 5月17日、沖縄県のセルラ−スタジアムを埋め尽くして、辺野古新基地中止を求める県民大会が行われました。
 そして5月24日、沖縄県民大会に応え、東京では辺野古新基地撤回を求める国会包囲行動が行われます。
 沖縄県民の辺野古新基地いらない!の声に応え、全国の市民ひとり一人が安倍政権に抗議の行動を起こすときです。
 大阪でも、東京の国会包囲行動の同時アクションを行います。関西のみなさま、ぜひ集まって声を上げましょう

 日時:5月24日(日) 14:00 西梅田公園 集合    歌や音楽    参加者の発言 など
               15:00 デモ


大阪地酒天満大酒会に出かけました.初めて聞く名前の地酒がたくさんです.入り口付近では河内音頭を踊っている人がいました.たくさんのお酒を楽しむことができて満足です.
なんばに移動です.心斎橋の大丸の地下のヴィタメールWittamerでパンを買って食べました.
さて今度は釜ヶ崎.用事があるわけではないですが,なんとなく行ってみました.暑いせいか三角公園には誰もいませんでした.
飛田新地はいつものように怪しい雰囲気です.
千日前のネットカフェで一服しました.ネットサーフィンをしていると,梅田で辺野古新基地撤回の集会があるようです.でも気が付いたのはその集会が終わっている時間でした.残念.
帰りに中之島に寄って帰りました.のどが渇いてカラカラです.
アイルランドの同性婚に関しての国民投票で賛成が多数になったというのはいいニュースです.

原発事故の被害者らが連携 連絡会を設立
原発事故を受けて東京電力や国を訴える裁判などを全国各地で起こしている団体のメンバーなど合わせて2万人余りが参加する連絡会が発足し、24日、福島県二本松市で設立集会が開かれました。
新たに設立されたのは「原発事故被害者団体連絡会」で、原発事故を受けて全国各地で東京電力や国を裁判などで訴える活動をしている12の団体と、個人で活動する被害者、合わせて2万人余りが参加しています。
24日、二本松市で開かれた設立集会には、合わせておよそ300人が集まりました。連絡会は、東京電力福島第一原子力発電所での廃炉作業が続き、住民の不安が払拭(ふっしょく)されていないにもかかわらず、避難指示の解除や賠償の打ち切りといった動きが進み、被害者がないがしろにされているとして、別々に活動している人たちの連携を強めようと発足しました。
集会では東京電力や国に対して、謝罪と完全な賠償、それに刑事責任の追及などを目指していくとする設立宣言が採択されました。最後に、集まった人全員で「手をつなぐ」と書かれた紙を掲げて、「私たちは諦めない」などと声を上げました。
共同代表を務める武藤類子さんは、「被害者の救済は十分には行われていない。団体どうしがつながることで大きな声にしていきたい」と話していました。


神戸連続殺傷18年:「子供への想い変わらない」父が手記
 神戸市須磨区で1997年に起きた小学生連続殺傷事件で、小学6年だった土師(はせ)淳君(当時11歳)が殺害されて18年となる24日を前に、父守さん(59)が報道各社に手記を寄せた。加害者の元少年(32)から今年も手紙が届いたといい、「昨年までとは異なり、彼なりの考えをつづっていた」と明かした。

 一方で「全てがわかったということではなく、これ以上は難しいのではないか」とも考えているという。元少年に対しては「自分が犯した罪に生涯向き合い、反省の気持ちを持ち続けてほしい」と求めた。

 土師さんは報道各社の質問にも文書で回答。元少年を医療少年院送致とした神戸家裁決定の全文が「文芸春秋」5月号に掲載されたことについて、「本来非公開のはず。元判事が守秘義務をおかしてまで、18年後の現在になぜ公開しなければいけないのか全く理解できない。遺族の心情を考慮すると、非常に問題」と訴えた。【神足俊輔】
 ◇手記

 この5月24日で、淳が私たち家族の前から姿を消してから18年という歳月が過ぎたことになります。18年という歳月は非常に長いと思いますが、私たち遺族にとっては、どれほどの歳月がたとうとも、子供への想(おも)いは変わることはありません。

 今年も5月中旬に井関弁護士を通して、加害男性からの手紙が届きました。内容についてはお話できませんが、昨年までとは異なり、私たちが事件の真の原因を知りたいと望んでいたことに対して彼なりの考えをつづっていたと思います。それで全てがわかったということではありませんが、これ以上は難しいのではないかとも考えています。加害男性については、自分が犯した罪に生涯向き合い、反省の気持ちを持ち続けてほしいと思います。

 近年、被害者支援条例が、全国的に多くの自治体で成立しており、兵庫県内でもかなりの数の自治体で成立しています。いまだに条例の制定の予定が無い自治体も多くあるようですが、そのような中、明石市では、現在のところ全国でも最も進んだ内容の条例改正が昨年4月に施行されました。被害者支援条例の制定は、被害者にとってのよりどころが出来るという点で、非常に重要な意味を持っています。被害者支援条例の制定する動きがさらに加速してほしいと願っていますが、さらに、その内容についても、制定したことだけで終わるのでなく、さらにより支援の実効性が上がるような体制の構築や条例の改正も検討してもらいたいと思っています。

 2004年に「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の活動が実り、犯罪被害者等基本法が成立しました。それ以降、犯罪被害者のための多くの法律や制度ができ、犯罪被害者を取り巻く環境は大きく改善されてきました。しかしながら、まだまだ救われていない多くの被害者が存在します。あすの会では、特に犯罪被害により生活に困窮している被害者に対する経済的補償制度につき、現在も強く改善を求めています。全ての犯罪被害者が、被害を受ける以前の生活に出来るだけ速やかに戻ることが出来るような制度を、さらに整備してほしいと思います。

 平成27年5月24日 土師守


アイルランド 世界初の国民投票で同性婚認める
カトリックが多数派を占めるアイルランドで、同性どうしの結婚を認める憲法改正の是非を問う世界で初めての国民投票が行われ、その結果、賛成多数で改正案が承認されました。
アイルランドでは、同性のカップルにも異性のカップルと同等の法的権利を認める制度が導入されていますが、さらに、憲法を改正して同性どうしの結婚を認めるかどうかを問う、世界で初めての国民投票が22日、行われました。
23日、発表された結果によりますと、「認める」に賛成が62.1%、反対が37.9%となり、改正案が承認されました。
今回の投票では主要な政党が賛成票を投じるよう呼びかけ、若者を中心に機運が高まっていただけに、首都ダブリンにあるダブリン城では多くの支持者が集まって、同性愛者のシンボルとされる虹色の旗を振って祝福していました。賛成に投票した男性は、「これで同性愛の人たちのパートナー間の関係性や家族の権利がついに認められた」と興奮気味に話していました。
投票の結果を受けてケニー首相は「アイルランドは国民投票で同性婚を認めた世界で初めての国となり、歴史を作った」と述べ、結果を歓迎しました。
アイルランドでは保守派のカトリックが多数派を占めますが、ここ数年、聖職者による性的虐待の事実が次々と明るみになり、カトリック教会への信頼は大きく揺らいでいて、こうしたことが投票結果に影響を及ぼしたという見方も出ています。

狭山事件 石川一雄さん不当逮捕から52年/Edyは?

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Le Premier ministre japonais sur la Déclaration de Potsdam
Le Premier ministre japonais Shinzo Abe a été accusé d'avoir refusé d'accepter la formulation qui a contraint le Japon à capituler durant la Deuxième Guerre mondiale. Selon la Déclaration de Potsdam, la guerre menée par le Japon il y a plus de 70 ans était une "guerre d'agression". Au cours d'un débat parlementaire mercredi, le responsable du Parti communiste japonais, Kazuo Shii, a demandé à Abe s'il reconnaissait la déclaration.
KAZUO SHII Responsable, Parti communiste japonais
"Le document de Potsdam cite clairement dans les articles 6 et 8 que la guerre menée par le Japon était une guerre d'agression. Monsieur le Premier ministre, êtes-vous d'accord avec le document de Potsdam sur le fait que la guerre était une erreur ?"
SHINZO ABE Premier ministre japonais
"Je n'ai pas remarqué cette partie de la Déclaration de Potsdam, donc je ne peux pas faire de commentaire ici."
KAZUO SHII Responsable, Parti communiste japonais
"S'il vous plaît, répondez à ma question directement. Reconnaissez-vous la déclaration de Potsdam ?"
SHINZO ABE Premier ministre japonais
"Comme je l'ai dit, accepter la Déclaration de Potsdam était le moyen pour le Japon de mettre fin à la Guerre. Le Japon a commencé à poursuivre un chemin pacifique après la guerre."
KAZUO SHII Responsable, Parti communiste japonais
"La Déclaration de Potsdam dit clairement que la guerre menée par le Japon s'inscrit dans la catégorie de l'agression. Mais le Premier ministre est réticent à reconnaître le fait fondamental."
La Déclaration de Potsdam a été promulguée le 26 juillet 1945 par la Chine, les États-Unis et la Grande-Bretagne. Elle demandait au Japon de capituler selon des termes spécifiques et d'adhérer à la Déclaration du Caire qui avait été signée 2 ans auparavant. Les 2 documents sont devenus les pierres angulaires de l'ordre international d'après guerre.
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週刊 ニュース深読み「“大量処方”“健康被害” なぜ?どうする?残薬」
医療費の増加が続く中、今注目されているのが年間500億円近くにのぼるという「残薬」の問題。特に多くの持病を抱える高齢者の場合、ばらばらに処方される薬は膨大な種類になり、重複も出て飲みきれないことも。さらに、大量に服用することで飲み合わせの悪い薬を飲んだり、効果が出過ぎたりする「健康被害」も報告されている。あなたの家にもあるかもしれない「残薬」について、とことん深読みする。
レッド吉田,佐伯チズ,
高瀬義昌,川添哲嗣,村田英明,
小野文惠,高井正智,
南利幸ほか

報道の魂 狭山事件 ある弁護士の闘い
2014年5月1日の夕刻、埼玉県狭山市の農地を貫く県道で、ある実験が行われた。51年前のこの日に発生した、女子高校生誘拐殺害事件、いわゆる狭山事件に関わる実地検証だ。
実験を行ったのは、狭山事件再審弁護団である。犯人として逮捕され、一審で死刑、二審で無期懲役が確定して服役した、石川一雄さんも立ち会った。石川さんは半世紀以上もの間、冤罪を訴えて裁判のやり直しを求め、75歳になった。
狭山事件は決定的な物証が乏しく、石川さんの自白が最も重要な証拠とされた。そこで弁護団は、その自白の信用性を問う実験を数多く重ねてきた。また2009年から始まった、裁判官・検察官・弁護団の三者協議の中で、新たに分ってきたことがある。
石川さんにとって、再審無罪となった足利事件の菅家利和さん、布川事件の桜井昌司さんと杉山卓男さんは、同じ千葉刑務所で服役した「獄友(ごくとも)」。袴田事件の袴田巌さんは東京拘置所での死刑囚仲間。石川一雄さんが彼らに続く日は、訪れるのだろうか。
狭山事件再審弁護団の主任弁護人、中山武敏さんへのインタビューを中心に、弁護側の闘い、中山さんの特別な思いなど綴って行く。
TBSテレビ 宇野淑子


狭山事件で石川一雄さんが部落差別のもと見込み捜査で不当逮捕されてから52年です.いまでは仮出獄していますが,いまだに殺人犯との汚名をぬぐうことができていません.東京高裁はすべての証拠を開示し,東京高裁は事実調べを行い,再審(裁判のやり直し)を開始すべきだと思います.
旭川ラーメンを食べに行こうとしたら,お店が閉まっていました.残念です.
NHKテキストを買ったときにポイントがEdyにつく・・・という話.でもEdyのことわかりません.

<祈りと震災>(46)人生の意味紡ぎ合う
 僧侶の読経が、ホスピスに一日の始まりを告げる。
 新潟県長岡市の長岡西病院に、仏教者が緩和ケアに携わる「ビハーラ病棟」がある。仙台市若林区の昌林寺副住職、松山宏成(こうじょう)さん(31)はことし1月からボランティアを務める。
 臨床宗教師研修の実習で病棟を訪ねた縁で月1回通い、勤行と傾聴に取り組む。
 こうした緩和ケア病棟は東北になく全国的にも珍しい。「長岡に築かれた仏教者と医療、地域の理想的な環境をもっと知りたい」。車で片道4時間の移動は苦にならない。

 東日本大震災の津波で、寺と檀家(だんか)が被災した。寺務の傍ら仮設住宅で傾聴に回った経験はあったが、この病棟での活動は相手の反応がまるで違った。
 死にゆく患者から「お坊さんが来てくれてありがたい」と口々に言われ、いたたまれなくなった。「救いや癒やしを求める切実な願いに応えられるのか」
 病室でお茶を出し、花を換えながら様子をうかがう。あいさつで終わったり、話が尽きなかったりとさまざまだ。
 「失敗は取り返しがつかない。明日会えないかも知れないから」。答えのない死と生の問いのはざまで、限られた命に思いを向ける。
 病棟の名「ビハーラ」はサンスクリット語で休養の場所や僧院を意味する。全国に先駆けて1992年に開設した。布教を目的としないその活動は、臨床宗教師に通じる。
 「水が土に染みるように風景に溶け込み、自然と声を掛けられるのを待つ」。病院の常勤ビハーラ僧、森田敬史さん(39)は心構えを説く。
 かつては僧侶が病院に出入りすることに「縁起が悪い」と否定的な声があった。長岡西病院のビハーラも、自宅に近いからといった受け身の理由で入る患者が多かった。

 病棟設立から20余年。地道に活動を続け、特別な目で見られることは少なくなった。森田さんは医療者の理解と地元の宗派を超えた寺院でつくる「仏教者ビハーラの会」の存在が大きいと感じる。
 会員の若手僧侶ら約20人が手弁当で森田さんと朝夕のお勤めを担う。亡くなった後は遺族の心も見守る。「読経を聞き、仏堂で手を合わせると落ち着く」。利用者は安らかな表情を浮かべていた。
 森田さんは2012年4月から1年間、仙台に住んで被災者支援に当たった。今は東北大の臨床宗教師研修の講師を務める。
 臨床に立つ宗教者の使命とは何か。「最期まで自分らしく過ごせるよう支え、死や人生の意味の答えを紡ぐ手助けをすること」
 みとった一人一人が残した言葉と共に歩みを重ねる。


<復興費負担>岩手の首長反対相次ぐ
 2016年度以降の東日本大震災の復興予算に一部地方負担を導入する政府方針をめぐり、岩手県は22日、沿岸被災地の市町村長と意見交換した。首長からは政府方針に反対する意見が相次いだ。達増拓也知事は26日の復興推進委員会で、政府に対し現在の全額国費負担を継続するよう要望する見通し。
 沿岸12市町村の首長らが、非公開で約1時間協議した。「なぜ震災6年目から一律で地方負担を導入するのか」「被災規模が甚大な自治体ほど負担が大きくなるのはおかしい」といった批判が出た。
 達増知事は「話し合いを踏まえ、26日にはしっかりと政府に意見を述べる」と応じた。終了後、中村一郎県復興局長は「地方負担の拡大そのものに反対する意見が多く、抵抗感は強い」と語った。
 戸羽太陸前高田市長は「被災地域の傷口に塩を塗るような話。納得できない。知事は思いを受け止めてくれたと思う」と反対姿勢を鮮明にした。かさ上げ工事などで復興計画は8年続くことに触れ「被災自治体ごとに事情は違う。一律にやるのは無理。復興庁と一対一で話し合う機会をつくるべきだ」と求めた。
 戸田公明大船渡市長は「100万円の費用を捻出するのにも苦労している。地元負担を求めるのはやめてほしい」と強調。仮に国が地元負担を求める場合でも「1%以下の微々たる割合でなければ復興が滞る」と負担軽減を求めた。
 碇川豊大槌町長は「職員の被災割合が高く、任期付き職員が多い。地元負担が人件費にまで及ぶと、人材確保ができなくなる」と不安視した。


<RV事故10年>悔しさを風化させない/在校生語り継ぐ決意
 多賀城市で10年前に起きた飲酒暴走RV車による仙台育英高生の死傷事故で、長女恵さん=当時(15)=を亡くした仙台市泉区の細井実さん(65)宅を13日、同年代の男性が訪れた。
 男性は、瀬戸信男さん(65)。事故当時、仙台育英高の教頭だった。事故の件はほとんど話題に上らず、細井さんの趣味の絵画や近況などを話し、40分後、細井さん宅を後にした。

<続く遺族ケア>

 訪問は高校が取り組んできた「遺族ケア」の一環。ただ、その一語でくくれない思いを瀬戸さんは抱えている。
 事故が起きた朝、高校で待機していた。ウオークラリーに同行していた校長から受けた電話を今も鮮明に覚えている。
 「大惨事だ。暴走した車が突っ込んできた。生徒の体がだんだん冷たくなってきている」
 車を飛ばし、現場に駆け付けた。道路脇には頭から血を流した同乗者(37)が座り込んでいた。路上には生徒が横たわり、毛布が掛けられていた。「大変なことになった」。当時の場面は今も忘れられない。
 高校は事故後、遺族ケアはもちろん、生徒3人が犠牲となった事故を風化させまいと、さまざまな取り組みを行ってきた。

<慰霊碑に献花>

 ウオークラリーの出発点となった校舎敷地内に慰霊碑を建てた。メモリアルデーと定めた5月22日には毎年、1年生全員が慰霊碑に献花し、命の尊さを学んできた。
 高校創設者が会津若松市出身で市内に顕彰碑がある縁で、その隣に交通安全を願い地蔵を建立。「会津研修」と称したバスツアーの道中、生徒にその由来を教えてきた。校長らは今も四国遍路を続けている。
 「学校行事の最中に生徒を3人も死なせてしまったという悔いが、自分を突き動かしている」と瀬戸さん。10年後、20年後も体力が続く限り、記憶の風化と戦い続けるつもりだ。
 同校3年の門馬明富(あとむ)君(17)は22日、宮城県加美町であった「飲酒運転ゼロ社会」実現に向けたイベントで、県民代表としてメッセージを読み上げた。
 「事故から10年たった今も飲酒運転は後を絶たない。悲しい事故を二度と起こさないよう、飲酒運転の根絶に全力を尽くす」
 入学時、事故についてほとんど知らなかったという門馬君ら生徒たち。将来ハンドルを握る生徒らに、教職員の飲酒運転ゼロへ向けた熱意が宿り始めている。


遠い復興:ネパール大地震1カ月 恐怖引きずる子供たち 人身売買の危険増 心のケア急務
 【カトマンズ金子淳】ネパールがマグニチュード(M)7・8の大地震に襲われてから25日で1カ月となる。今も多くの人がテント暮らしを強いられる中で、子供たちの心のケアが急務となっている。支援団体によると、地震の恐怖が心の傷となり、不眠などの症状を訴える子供が出ている。一方、農村部では被災による貧困から、人身売買被害の増大も懸念されている。

 首都カトマンズ近郊のテントで、子供たちが音楽に合わせて踊っていた。ネパールの支援団体「CWIN」が主催し、毎日、18歳以下の子供約100人がダンスやボードゲームで遊ぶ。

 ボランティアのサウザニ・ブジルさん(23)は「遊びを通じて心のリハビリをしている。最初は静かだった子供も元気になってきた」と話す。

 CWINは地震後、テントを30カ所以上設置。ほかにクレヨンなどを詰めた子供用支援物資を配布したり、専門家がカウンセリングをしたりしてきた。

 だが、地震の恐怖を引きずる子供は多い。夜中に叫び声を上げたり、何かを探して徘徊(はいかい)したりする子供が目立つ。揺れてもいないのに「地震だ」と叫んだり、土などで作った家を揺らして壊す「地震ごっこ」をして遊んだりする子もいるという。テントで遊んでいたスールプ君(9)は「夜中にたまに目が覚める。今も地震は怖い」と目を伏せた。CWINを創設したゴーリ・プラダーンさん(52)は「放っておくと地震の恐怖がトラウマになる。心の問題を掘り出し、時間をかけてカウンセリングする必要がある」と語る。

 人身売買の危険も増している。ネパールは年間1万人以上が人身売買の被害に遭っているとされる。

 ブローカーが「いい仕事がある」などと言って子供や女性を連れ出し、インドや中東などの売春業者などに売るのが一般的な手口。今後、地震で親や財産を失った子供が狙われる可能性がある。

 ネパールで子供の支援を続けてきた非営利組織(NPO)「チャイルド・ファンド・ジャパン」の田中真理子ネパール事務所長は「地域の収入向上など長期的な貧困対策が必要だ」と指摘する。


安倍首相の「ポツダム宣言読んでない」 党首討論 国内外に衝撃 “世界との関係ご破算”の深刻さ
 「実に危険な政権だ」「これは国際的な大問題だ」―戦争法案の成立を狙う安倍晋三首相の歴史認識を追及した日本共産党の志位和夫委員長の党首討論(20日)が国内外で衝撃を広げています。安倍首相が志位氏の追及に対し、戦後日本の原点となった「ポツダム宣言」(1945年7月26日)を「つまびらかに読んでおらず、承知していない」と述べ、過去の日本の戦争を「間違った戦争」と認めなかったからです。海外紙も報道し、ネットでの再生回数は、22日までに4万回近くにのぼっています。

 「安倍首相がポツダム宣言を“読んでいない”というのは深刻な問題です。なぜならポツダム宣言は、日本の平和の礎だからです。しかし、それ以上の問題は、安倍首相が第2次世界大戦を『間違った戦争』だといっている部分を受け入れていないことにあります」と語るのは、英エコノミスト誌の特派員デービッド・マクニールさん。

 20日の討論で志位氏は、日本の過去の戦争を「世界征服」「侵略」と規定した「ポツダム宣言」を示し、「宣言の(間違った戦争という)この認識を認めないのか」と迫りました。そこで飛び出した“読んでいない”答弁―。海外紙でもこの討論は注目され、韓国紙・ハンギョレ新聞22日付は「過去の歴史に蒙昧(もうまい)な安倍首相『ポツダム宣言詳(つまび)らかに承知していない』」の見出しで党首討論の様子を報じ、「日本が過去に犯した戦争を正当化してきた安倍首相の歴史認識を改めて示したものと解釈される」と指摘。中国・新華社の20日付ウェブ版も「安倍首相、ポツダム宣言における日本侵略戦争の定義を明確に認めることを拒否した」と報じました。

 マクニールさんは「安倍首相の過去20年来の政治上の信念として一貫していることです」と指摘。「もし安倍首相が、日本が“過ち”と“間違った戦争”をおこしたことを受け入れられないのならば、なぜ、(4月の)米議会でのスピーチでそういわなかったのか。もちろん、そうするならば、アメリカ、中国、その他のアジアの国々との関係を完全にご破算にしてしまうことになるでしょう」と指摘します。

 元法政大教授の五十嵐仁さんは自身の21日付ブログで、「安倍首相にとっては、馬鹿にされることよりも、『間違った戦争』だと答えることの方が、ずっと辛(つら)かったということなのでしょう。そのような回答を避けるためには『ポツダム宣言も読んでいないのか』という嘲(あざけ)りさえも、安倍首相にとっては甘受すべきものだったということになります」と解説し、強調します。

 「それほどに、安倍首相は『間違った戦争』だったと認めたくないということなのです。この点にこそ、党首討論でのやり取りが示している本質があり、安倍首相の歴史認識が持っている問題点が集約されているということになります」
志位 VS 安倍 党首討論の衝撃
“ポツダム宣言読んでいない”答弁
戦争法案出す資格ない

 「ポツダム宣言」は、日本の過去の戦争を「日本国国民を欺瞞(ぎまん)しこれをして世界征服の挙にいづるの過誤」と規定した、戦後政治の原点となるものです。それを「私はまだ、その部分をつまびらかに読んでいない。論評は差し控えたい」と、戦争の善悪をかたくなに口にしない安倍晋三首相―。

 「朝日」22日付「天声人語」は「ポツダム宣言は戦後の世界秩序の起点の一つだ。首相はそれも読まずに、『戦後体制(レジーム)からの脱却』を唱えてきたのかという批判が出たのは当然である。基本的な歴史の知識すら欠くのでは、と疑われても仕方がない」と指摘しています。

 一方で、右派メディアの中には、「戦前の日本は果たして『世界征服』など目指していたのだろうか」(「産経」22日付)と否定する論調も見られます。果たしてそうか―。
公式文書明記

 第2次世界大戦前にも、日本が領土拡大を目的に朝鮮半島を支配し、中国侵略を進めていったことは、日本政府の公式文書で明らかです。

 大本営政府連絡会議は1940年9月16日の「日独伊枢軸強化に関する件」で、政府と軍部は、ドイツ、イタリアとともに行った戦争を世界再分割の戦争と位置づけ、日本の取り分をあらかじめ画定しました。日本が領土(「生存圏」)とすべき地域を「皇国の大東亜新秩序建設のための生存圏」として中国、インドからオーストラリア、ニュージーランドまでの広大な地域を指定しています。

 この方針に基づいて、日本は、ナチス・ドイツ、イタリアと三国同盟を結び、ドイツ、イタリアが「欧州における新秩序建設」に関し、日本が「大東亜における新秩序建設」に関し、それぞれ「指導的地位」を認めあったのです。まさに「日本がドイツと組んで、アジアとヨーロッパで『世界征服』の戦争に乗り出した」(志位氏)のです。
「全体として」

 今回の答弁は、安倍首相一人の考えではありません。礒崎陽輔首相補佐官は党首討論での安倍首相の答弁を受け、「ポツダム宣言」について「一字一句正しいことが書いているかどうかは私はどうかと思う。少し精査してみないと何とも言えない」(20日のBSフジ番組)と否定する発言をしたのです。礒崎氏にとって「ポツダム宣言は(日本が)全体として受け入れたのは明確な事実」(同)というものなのです。菅義偉官房長官も21日の記者会見で「全体として受け入れている」という表現を使いました。これは安倍首相が今夏に発表しようとしている「70年談話」に関して、「村山談話」の核心部分を引き継ぐと明言せず、「全体として引き継いでいる」というごまかしと同じです。

 過去の日本の戦争を「間違った戦争」と認めない安倍政権。ジャーナリストの青木理さんは、「安倍首相は『戦後レジーム(体制)からの脱却』を掲げ、日米安全保障体制の強化や集団的自衛権にかんして手をつけ、『戦争法案』をすすめようとしている。それにもかかわらず、ポツダム宣言を読んでいないというのは、首相としての資格が問われる問題です。読んでいなくても、自民党の政治家になれるとは思いますが、そういった人物が首相に就いて、日本の進路を決めようとする状況は、非常に危険です」と指摘。「自衛隊がアメリカの戦争に世界中で加担するという『戦争法案』は、憲法9条を無視しており、なんの道理もありません。それを戦後政治の原点も知らない首相がすすめている危うさを、メディアはもっと警鐘乱打すべきです」と語ります。
異質な政治家

 「ポツダム宣言知らない安倍総理落第」。戦争法案反対の声をあげた21日の国会前行動ではこんな手書きプラカードが。国際基督教大学特任教授(政治思想)の千葉眞さん(立憲デモクラシーの会)は訴えました。

 「ポツダム宣言を知らない、日本国憲法も知らない。それから矛盾した命題を自分の頭で同居できる。非常に異質なタイプの政治家であるということが、20日の党首討論で明らかになりました。こういう首相が先導する戦争容認の集団的自衛権行使、そしてアメリカに対して忠犬ポチ的にお金を貢ぎ、自衛隊の方々の貴重な命を貢ぐような政権は、日本にあってはならない」

 志位氏は党首討論で「戦争の善悪の判断ができない、善悪の区別がつかない、そういう総理が、日本を『海外で戦争する国』につくり変える戦争法案を出す資格はありません」と厳しく批判しました。

てんぷらで怒られる夢/Wはフェミニンな女子?

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Japon : deux melons adjugés pour plus de 11 000 euros
C'est un grossiste qui a remporté le précieux lot à un tarif certes délirant, mais qui n'égale pas le record de 2,5 millions de yens (18 600 euros) atteint l'an dernier et en 2008.

Ces fruits ont peut-être pris la grosse tête. Un lot de deux melons cantaloups dits "Yubari" a trouvé preneur au Japon, vendredi 22 mai, pour la coquette somme de 1,5 million de yens (11 100 euros), dans un pays qui raffole des fruits de luxe, à la forme parfaite et au goût savoureux. La vente aux enchères était organisée sur le marché central de la ville de Sapporo, sur l'île de Hokkaido, où se trouve l'ex-ville minière de Yubari, qui a donné son nom à cette marque de melon, la plus prestigieuse du pays.

C'est un grossiste qui a remporté le précieux lot à un tarif certes délirant, mais qui n'égale pas le record de 2,5 millions de yens (18 600 euros) atteint l'an dernier et en 2008. A la mi-avril, deux mangues très recherchées s'étaient arrachées au prix de 300 000 yens (2 230 euros) à Miyazaki, sur l'île de Kyushu (sud-ouest du Japon).
Mensurations et goût irréprochables
Sans aller jusqu'à débourser de telles sommes, les Japonais ne regardent pas à la dépense pour acheter, et surtout offrir des fruits, un cadeau très estimé dans l'archipel. Dans les rayons dédiés des grands magasins spécialisés, ces œuvres d'art de la nature sont exposées telles des bijoux, protégées par une résille de mousseline blanche. Souvent vendus à l'unité, pommes, poires, pêches, raisins exhibent des mensurations irréprochables et laissent en bouche une saveur exquise. Même dans les supermarchés de base, les fruits restent onéreux : une simple pomme peut coûter plus de 3 euros.
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てんぷらをたくさんもらったので,テーブルの上に直に置いて怒られるという夢をみました.
Wはフェミニンな女子?かな?

<祈りと震災>(45)掛ける言葉 探す日々
 生きる人の苦悩を分け持つ臨床宗教師になりたかった。理由の一つに被災者への引け目があった。
 東日本大震災から約10カ月たった2012年1月、宮城県女川町の照源寺副住職、三宅大哲さん(33)は山門でしめ縄を外していた。檀家(だんか)の男性から声を掛けられた。親類ら数人を津波で亡くしたという。
 「そうなんですか…」。言葉が続かなかった。
 震災時、三宅さんは曹洞宗の研究機関の研修生として東京で暮らしていた。初めて寺に戻ったのは約2週間後。高台にある寺は津波を免れ、避難者を受け入れた。約400人もの檀家が犠牲になった。
 研修を途中でやめての帰郷を考えたが、住職の助言もあり、定期的に女川に戻りながら3年間の研修を修了。13年春、住民票を古里に移した。

 寺に生まれ、駒沢大4年の時に住職を継ぐ決意を固めた。大学院を経て曹洞宗大本山永平寺(福井県)で修行し、さらに研究機関で学んだ。経験を檀家に還元するためだ。
 檀家が苦しみに沈んだ3月11日、その場にいなかった。試練を突き付けられた。「体験した人と同じ気持ちにはなれないかもしれない」。もどかしさを抱え込んだ。
 そうしたときに知人の僧侶らから臨床宗教師養成の研修に誘われ、手を挙げた。苦にあえぐ人々に語り掛ける言葉を見つけるためでもあった。
 昨年の研修で宮城県内のがん患者の高齢女性宅を訪ねた。「戒名の付け方は宗派によって違うね」と話を振られ、「そうですね」と応じると女性は笑顔になった。
 その半年以上前、石巻市の仮設住宅に傾聴で出掛けた時を思い出した。女性から家のもめ事を相談され「地元じゃないお坊さんだから話したんだよ」と打ち明けられた。相手の重荷を減らせる宗教者の可能性に気付いた。

 臨床宗教師と名乗って表立った活動はしていない。傾聴で出向く際は宗派の青年会員やボランティアとしてだ。
 生と死の問題に心を寄せる存在として臨床宗教師は社会に必要と感じる。活動への意欲はあるが、受け入れてもらえる場とまだ出合えていない。「寺の仕事があり、中途半端ではできない」との考えがよぎり、頭の中でもがく。
 芽は出つつある。4月に東松島市の老人ホームに招かれ、入居者らと座禅会をした。研修を終えたことを知った医療関係者が縁をつないでくれた。社会に定着し臨床の場に携わる日を見据える。
 やがて寺を任される身。住職としても臨床宗教師としても檀家のそばにいたい。自分の原点である仏教の深奥にその鍵があるはずだと、思いを築く道を追い求める。


希望新聞:東日本大震災 記者通信 高すぎるテナント料 岩手・大船渡
 岩手県大船渡市のJR大船渡駅周辺地域に来春にも、行政主導で商業街区が完成することになった。東日本大震災から6年目。自宅兼店舗を失いプレハブ仮設で歯を食いしばる商・飲食店主らに「復興」の日が訪れる。

 さぞや皆さん希望にあふれているだろうと思いきや、そうでもない。商業街区は約10ヘクタールの広さで8地区に分かれる計画だが、特に中心エリアをあてがわれる商店主らには表情に陰りさえ漂わせる人もいる。

 中心エリアとは聞こえは良いが、ホテルが建つ駅前とは川で仕切られ、スーパーが進出する地区の真ん前には幅20メートルの道路が走る。人の流れという商いの要素を考えれば「陸の孤島」の危うさも付きまとうのだ。

 しかも彼らの多くは、60歳以上の自営業者。店を構える「体力」がないため、管理会社が建てる上物に「たなこ」として入るのだが、たたき台で示された毎月のテナント料は1坪(約3・3平方メートル)約5000円という。

 20坪だと共益費なども含めて約12万円。内装代など初期投資の返済に月約5万円。地方では相当な負担だ。「孫と暮らすのに、流された自宅の再建も考えれば1坪2500円が限界」と鮮魚店の男性(65)は嘆く。

 彼らの間では、高い家賃で管理会社の傘下に置かれるなら国の補助金を使って安物でもいいから自分たちの商店街を、との声も出始めた。となれば「ハコは建てたがテナント入らず」だ。行政も、もっと高齢商店主らの苦悩に耳を傾けた方がいい。【根本太一】


辺野古沖、荒ぶる海保「あなたたちは一般市民じゃない」
 【名護】無抵抗なのに海に突き落とされ、長時間羽交い締めにされた。名護市辺野古沖で21日、抗議の市民らが「暴力的だ」と訴えると、海上保安官は「あなたたちは一般市民じゃない」と言い放った。

辺野古警備「現地報道が誇張」と海保長官

 前日、佐藤雄二長官が海保の対応を「冷静かつ丁寧な対応」としたが、市民らは「やっていることは逆だ」と憤る。翁長雄志知事が海外メディアに訴えた「海上での銃剣とブルドーザーの様相」が、わずか1日で証明されたかたちだ。

 東村の女性(26)の乗ったカヌーは、海中に飛び込んだ保安官に押さえられた。普段なら海保のゴムボートがカヌーを引き上げるまで、そのまま待機させられる。しかし今回、「落とせ」の声とともに体を捕まれ、海に落とされた。「落とせ」との指示は初めて聞いたという。

 ゴムボートの上でも、長時間羽交い締めにされ、離してもらえなかった。「なぜこんなに暴力的なのか」と訴えると、保安官から「あなたたちは一般市民ではないから」との発言があったという。女性は「転覆させる必要はない。明らかに過剰だ」と怒りをあらわにした。

 宜野湾市の女性(49)のカヌーにも通告なく保安官が飛び乗り、転覆させられた。海水を飲んだ上、海中で羽交い締めにされて首に赤いあざが残った。

 過去にも、別の市民が同じ保安官から暴力的な行為を受けていた。それを批判すると「みなさんが同じことをするなら、こっちも同じことをする。これが安全確保だ」と答えたという。

 女性は長官発言を踏まえ、「一部の保安官の暴力行為がひどすぎる。長官は命に対する責任感を持っていない。だから現場でそれが正当化されている」と批判した。

安否確認訓練でメールが4通/「これ性」がわからない

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"La vie n'a de glorieux rayon qu'à son aurore !"
Citation de Xavier de Montépin ; Perdita (1859)
“J’ai décidé très tôt d’être une héroïne. L’important était que ce fût difficile, grand, excitant !”
De Niki de Saint Phalle / Traces
“La haine, comme l'amour, se nourrit des plus petites choses, tout lui va.”
De Honoré de Balzac / Le Contrat de mariage
“La musique peut rendre les hommes libres.”
De Bob Marley / Trench Town
“Regretter ce que l’on aime est un bien, en comparaison de vivre avec ce que l’on hait.”

De Jean de La Bruyère / Caractères
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哲子の部屋「どうしたら“恋”できるの?」
今週・来週の『哲子の部屋』は新作をオンエア!テーマは「情報過多社会をどう生きるか?」。モノや情報にあふれ、流行(はや)り廃りの激しい現代社会を豊かに生きるための哲学をお届けする。今回のテーマは「どうすれば“恋”できるの?」。“現代哲学の巨人”ドゥルーズが唱えた「これ性」という謎の概念を通して、何かに恋できなくなった現代人がもう一度“恋”するための「出会いの哲学」を、気鋭の哲学者・千葉雅也が語る。
千葉雅也,清水富美加,マキタスポーツ,
島本須美


安否確認訓練でメールが4通きました.少し鬱陶しいと思いましたが,いざというときのためにきちんと対応しました.夜NHKで哲子の部屋を見たのですが,「これ性」がわかりません.

<復興費負担>被災自治体首長「納得できぬ」
 東日本大震災の集中復興期間終了後の2016年度以降、復興事業費に地元負担を導入する政府の新方針をめぐり、宮城県の村井嘉浩知事と県内の被災自治体の首長が20日、県庁で意見交換した。「納得できない」などの声が相次ぎ、負担軽減を柱とする要望をまとめ、村井知事が26日の復興推進委員会で政府に伝達することを確認した。

 意見交換は沿岸部を中心に16市町の首長らが出席し、非公開で約1時間行われた。従来の全額国費負担を転換する方針に対し、出席者からは「復興が遅れる自治体ほど負担が増す」などと強い抵抗感が示された。
 終了後、村井知事は26日の政府の復興推進委について「集中復興期間の延長を求めた上で、国と地元の考えが近づくよう汗をかきたい。被災自治体の最大公約数となる要望を伝える」と語った。
 首長からは地元負担導入への異論が相次いだ。石巻市の亀山紘市長は「被災地は既に一般財源で復興事業を行っている」と述べ、インフラ整備の全額国費負担維持などを求めた。
 地盤沈下した漁港などの再整備が課題として残る七ケ浜町の渡辺善夫町長は「地元負担の割合すら示されない状況では事業見通しが立たない」、塩釜市の佐藤昭市長は「魚市場建て替えのように集中復興期間後も継続する事業で、急に負担が増すのは困る」と訴えた。
 震災後の人口流出が著しい山元町の斎藤俊夫町長は「一律の地元負担は容認しがたい。国は各自治体の復興状況をもっと理解すべきだ」と主張。県町村会会長の鈴木勝雄利府町長は「復興の急ブレーキになる」と国の方針を批判した。
 村井知事に対し、政府に強い姿勢で臨むよう求める声も出た。南三陸町の佐藤仁町長は「『地元の声を聞いた』という政府のアリバイづくりに終わらせないでほしい」と結果を求めた。


農地再生つなぐバトン 全国から58人が赴任
 東日本大震災で被災した農地の復旧をめぐり、全国から派遣された技術職員が営農再開への歩みを支えている。2015年度も58人が名取市や石巻市、南三陸町などの現場に赴任。28都道県が担当地区を継続して受け持ち、復興のバトンをつないでいる。

 県東部地方振興事務所(石巻市)の農業農村整備部には7県の13人が勤務。同市大川地区を担当する農地整備第1班では岡山県の2人、島根県の1人が、宮城県職員の4人とともに除塩や地盤のかさ上げ、圃場整備の工事設計や発注などに当たっている。
 12年度に1年間、東部事務所に派遣された岡山県の大崎浩夫さん(45)は今春、再び志願して同じ担当に着任した。「農地が復旧して作付けや収穫が行われる風景を、ぜひこの目で見たかった」と話す。
 大川地区は400ヘクタール超の被災農地の181ヘクタールで復旧が完了。大崎さんは「田んぼが一面の海だった当時を思えば、よくここまで来たという印象だ。営農再開に懸ける地元農家に応えたい」と思いを新たにする。
 第1班でチームを組むメンバーは同じ岡山県の高田靖弘さん(46)、島根県の佐々木紀寿さん(32)で、4月に前任者と交代した。
 「用水確保などの経験を生かしたい」と高田さん。豪雨災害の復旧に伴い前年度派遣された島根県津和野町を離れ、宮城に着任した佐々木さんは「これだけ大規模な工事を手掛けるのは初めてだが、復興への力になりたい」と意気込む。
 派遣技術職員は多くが任期1年。兵庫、徳島両県は東松島市に、鳥取県は岩沼、名取両市に、宮崎、鹿児島両県は南三陸町などと担当地区の事務所に職員を送り、農地再生を継続的にサポートする。
 県農村振興課の担当者は「全国からのマンパワーが農地再生の大きな支えになっている。農業環境の異なる県職員らが交流し、互いの知恵を業務改善に生かす効果も出ている」と話す。


<祈りと震災>(44)いたわり 垣根を超え
 気仙沼市の金光教気仙沼教会の副教会長、奥原幹雄さん(40)は東日本大震災の支援活動を三陸沿岸で続ける。異なる宗教や特定の信仰を持たない被災者の苦悩を、臨床宗教師として受け止める。
 その際、金光教の教えに導こうとはしない。自然なアプローチで相手が奥深くから発する思いに触れようとする。
 「サツマイモを持ってきました」。5月上旬、陸前高田市の災害公営住宅に足を運んだ。訪ねた先は2月に仮設住宅から転居した佐藤照子さん(77)。金光教の信徒ではない。津波で長男昇一さん=当時(47)=を失った。
 「優しい息子と別れ、震災から2年は寝られなかった。涙を拭いたら朝には枕元のティッシュペーパーが1箱なくなった」。佐藤さんの言葉に奥原さんが静かにうなずく。
 金光教の被災地支援の一環で行う訪問は、信徒以外に目配りする。「見守っているという思いを届けたい」。臨床宗教師の心構えを生かす。

 金光教は1859年に創設された神道系の新宗教。天と地の間の万物を生かし育むという「天地金乃神(てんちかねのかみ)」をあがめる。臨床宗教師は今のところ仏教の僧侶が多い。奥原さんは宗教の幅を広げる存在だ。
 気仙沼教会の教師を務める家に生まれ、震災時は東京で会社勤めをしていた。教会を継ぐため2011年4月に帰郷し宗教者の道を歩み始める予定だった。震災が起きて戻った教会は避難者やボランティアの対応に追われていた。
 がれき撤去や泥かきを手伝い、教会の向かいの避難所で被災者と炊き出しを共にした。火をくべたドラム缶を囲むと、住民が津波の猛威や犠牲になった身内の話など抱えきれない心情を口にした。

 金光教には信徒の悩みや願いを聞いた教師が神に祈る参拝の作法「取次(とりつぎ)」がある。教団ボランティアが被災者の話に耳を傾ける姿は、どこか取次と似ていた。
 「作法などのかたち以上に、心を通わせつらい体験を共有することが大切ではないか」。宗教者の原点を被災地で教わった気がした。
 12年秋、岡山県の金光教本部で学ぶ中、臨床宗教師を知った。「公共の場で人々をいたわる。求める宗教者像とぴったり合った」。事務局の東北大に連絡し、13年10〜12月の研修に参加した。
 被災者の心の奥底に入りきれるか不安はあった。実践を積むと消えていった。
 仮設住宅から公営住宅への移行期を迎えた被災地。復興は少しずつ進むが、被災者の心は同じ歩調ではない。
 「苦しみは続く。臨床宗教師として少しでも役に立ちたい」。宗教の枠にとらわれない救済の在り方を探る。


復興へ宗教の役割探る 都内で円卓会議
 東日本大震災など災害現場で宗教の果たすべき役割を考える「復興に向けた宗教者円卓会議in東京」が19、20の両日、東京都内で開かれ、宗教や報道の関係者が被災者支援の課題などについて意見を交わした。
 20日の会合では、河北新報社報道部の松田博英記者が、連載中の企画「挽歌(ばんか)の宛先 祈りと震災」について講演。被災地や終末期医療の現場で心と魂のケアに取り組む臨床宗教師の活動などを紹介し、「重要な取り組みだが、まだ市民の理解があまり広がっていない。東北での実践を取材し続けたい」と述べた。
 大阪大大学院の稲場圭信准教授(宗教社会学)は、自治体が災害時の避難所としての役割を期待し、宗教施設と協定を結ぶ事例が増えている状況を説明。「施設の耐震性や政教分離の課題はあるが、平常時から宗教者が地域と連携を深めることが大切だ」と話した。
 会議は全国の宗教団体でつくる公益財団法人「世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会」の主催。約100人が参加した。


<RV事故10年>執念の捜査 故意犯立件/泥酔経緯突き止める(中)
 「昨年、石巻署管内で飲酒運転で摘発されたドライバーは69人。県内で最も多い。ただ、これは氷山の一角にすぎない」
 春の交通安全運動が始まった11日、石巻署交通課長の小野寺修さん(51)はあいさつで、ひと言ひと言に特別な思いを込めた。

<配慮して見分>
 2005年5月22日、宮城県警交通指導課に勤務していた小野寺さんは、飲酒暴走RV車による仙台育英高生の死傷事故を担当した。
 高校生活のスタートを切ったばかりの生徒3人が死亡、生徒ら15人が重軽傷を負った。生徒たちは小野寺さんの長女と同じ年。人ごととは思えなかった。
 小野寺さんの担当は、走行経路などを特定する実況見分。心に深手を負った生徒たちに配慮し、事故現場ではなく、高校の敷地内に模擬の交差点をつくった。
 「RV車が突っ込んできた時、どこにいたの?」。事故を思い出し泣きじゃくる生徒たち。体調を崩す子もいた。「こんなに切ない捜査はなかった」と小野寺さんは振り返る。
 事故を起こした男(36)=服役中=は飲酒運転だった。当初の逮捕容疑は懲役5年が上限の業務上過失致死。「男は自ら酒を飲み、ハンドルを握った。それなのに過失犯なのか」。小野寺さんは許せなかった。
 法定刑が最高で懲役20年の危険運転致死傷で立件すべく、徹底した捜査が始まった。

<引き継ぐ思い>
 所轄の塩釜署も同じ思いを抱いていた。現在、仙台南署に勤務する男性警部補(59)は、夜勤明けで駆け付けた現場に言葉を失った。
 生徒らは道路脇にうずくまり、靴やかばんが広範囲に散乱していた。犠牲になった3人は路上に倒れたまま。部下に命じ近隣住民から毛布を借り、犠牲者に掛けてあげるところから捜査の一歩を踏み出した。
 「飲酒は自制できる。故意犯の危険運転致死傷で立件する」。捜査員に一致した思いだった。
 男は仙台市青葉区国分町の飲食店など3軒ではしご酒をし、計6時間以上飲み続けていたことが分かった。捜査員の執念が、危険運転致死傷罪への切り替えにつながった。
 「留学します」「成人しました」。警部補の元には今でも捜査に協力してくれた当時の生徒から手紙が届くという。
 警部補は定年まで1年を切った。「飲酒運転ゼロ社会への思いは、後輩たちが引き継いでくれる」と信じている。


党首討論 矛盾示した首相の説明
 安倍晋三首相と民主党の岡田克也代表らの党首討論で、安全保障関連法案をめぐる論戦が事実上始まった。岡田氏は集団的自衛権の行使容認に伴い自衛隊の武力行使が他国領に及ぶ可能性を聞いたが首相の説明はあやふやで、法案が抱える矛盾の一端を早くものぞかせた。

 戦後の安全保障政策を転換させる法案の国会提出直後で注目された討論だ。だが核心部分で首相が正面から質問に答えない場面が目立った。

 関連法案をめぐり岡田氏はまず、自衛隊による米軍などへの後方支援の拡大をめぐる認識をただした。

 後方支援が可能な地域は今回の法案では「現に戦闘行為が行われている現場」以外であればよいと、従来の非戦闘地域よりも拡大される。岡田氏は「自衛隊が戦闘に巻き込まれるリスクが高まることを認めるべきだ」と迫ったが、首相は「戦闘が行われれば現場判断で退避、一時中止される」と強調した。「(法改正は)リスクとはかかわりがないこと」とかわし、リスクが増すかどうかは最後まで答えなかった。

 それ以上に解せないのは、集団的自衛権の行使容認をめぐる説明だ。岡田氏から「(新法制で)自衛隊による他国の領土、領海、領空での武力行使は生じないのか」と重ねて聞かれ、首相は「戦闘、作戦行動目的で他国の領土、領海、領空で武力行使はしない」と答えた。

 だが「戦闘目的で」と留保をつけたとはいえ、そもそも集団的自衛権の行使を容認する武力攻撃事態法改正案は「存立危機事態」など3要件を満たした場合の他国領も含む武力行使を法律上の前提としたのではないか。もし首相の言うとおりなら、今回の法案もより明確な歯止めをかけられたはずだ。岡田氏は首相の説明に納得せず「(それなら)はっきり法案を修正すべきだ」とたたみかけた。本質を覆うような答弁は法案と矛盾しかねず、根幹にかかわる。

 歴史認識も討論では取り上げられた。共産党の志位和夫委員長はさきの戦争について「間違った戦争と考えるのか」と聞いたが、首相は答えなかった。

 首相が討論で「われわれが提出する法律の説明はまったくただしい。私が総理大臣なんですから」と言う場面もあった。総じて、正面から議論に応じ、理解を求めようとする姿勢が乏しかったのではないか。

 今回、岡田氏が多岐にわたる法案からポイントを整理して首相に見解を聞き、国民に問題点を示した姿勢は理解できる。だが、法案が審議入りすれば民主党がどこまで自衛隊の活動を認めるかの立場も問われる。党首討論をスタート台に、より建設的な議論を求めたい。


イルカ問題 埋められぬ溝はない
 世界動物園水族館協会(WAZA)から除名を迫られ、日本の水族館は、追い込み漁で捕ったイルカを入手しないことにした。しかし、理解を求める努力は続けるべきだ。埋められぬ溝はない。

 追い込み漁とはどんな漁法か。

 外洋でイルカの群れを見つけ、金属製の棒などをたたいて大きな音を出し、イルカ特有の音波探知機能を乱す。

 パニック状態に陥ったイルカの群れを複数の漁船で湾内や港に追い込み、漁網で入り口をふさいで一気に捕まえるというやり方だ。

 一昨年、日本で捕獲されたイルカは約三千頭。うち半数が追い込み漁で、約百七十頭が水族館などに生きたまま販売されたという。他はもりで突くつきんぼ漁だ。

 現在県の許可による追い込み漁が続いているのは、和歌山県太地町だけだ。WAZAは、イルカをおびえさせ、一網打尽にするのが残酷だというのである。

 問題は漁法だけにとどまらない。世界との間には、イルカという存在に対する認識について、まず深い溝がある。

 国連は二〇〇七年と〇八年を「国際イルカ年」として、世界規模でその保護を呼び掛けた。

 イルカは野生生物の中でも特に知能が高く、人間に近い存在という認識が持たれもする。「生きている宝」と形容されもする。

 日本でも「動物の福祉」「アニマル・ライツ(動物の権利)」という考え方は深まりつつある。だが、伝統的な海洋文化・食を持つ日本では、イルカやクジラ類なども、哺乳類だが「海洋資源」という意識が実際に生きている。

 「友人」と呼ぶか「資源」と呼ぶか、また両方か。横たわる溝は広くて深い。だがこれは、どちらが正しい、どちらがいけないという問題ではないだろう。

 「動物園は必要悪」という考え方がある。動物園がなければ、日本の子どもたちが、本物のゾウやライオンを見る機会はほとんどないだろう。水族館も同じである。

 イルカのショーを間近で見て、子どもたちはその能力の高さに驚き、命のすごさを学ぶ。飼育員が彼らに注ぐ深い愛情を感じ取り、生き物、つまり命との付き合い方を覚えていくのではないか。

 日本の水族館には、人工繁殖の技術をよく磨き、広めてもらいたい。そして、WAZAや自然保護団体との対話を深め、溝を埋める努力を続けてほしい。背き合っているだけでは何も進まない。


がん社会はどこへ:第2部 働き続けたい/2 追い込まれた「リタイア」
 「ずっと続くと思っていた道がぷっつり途切れ、途方に暮れています」。栃木県に住む陽子さん(53)=仮名=は約3年前、がんが分かり、ようやく就いた図書館司書の正規職員を半年で辞めざるを得なかった。その失意をいまも引きずっている。

 無類の本好き。図書館司書になるため古里・青森を出て、栃木県の短大で学び、司書の資格を取った。その後、結婚、子育て。資格を生かして公立図書館でパートで働いていた。3年目の2012年春、組織改編で、正規職員となった時の喜びは格別だった。

 しかし、半年後、初期の直腸がんが見つかる。入院して腹腔(ふくくう)鏡手術。1カ月も休めば職場復帰が可能なはずだった。上司からも「しっかり休んで」と配慮の言葉があったが、小さな組織のローテーション制で、「職場に迷惑はかけられない」。いったん辞めざるを得なかった。

 退院後、「パートで戻りたい」と申し出たが、既に代わりのスタッフが入り、無視された。「この年で、がんにかかった自分には何の価値もないのか」と落ち込んだ。同時期にがんが分かった大企業や役所勤務の知人は皆、元の職場に復帰している。陽子さんは病を明かさず、アルバイトの職を得た。「自分はぜいたくなのだろうか」。やりきれない思いが続く。

 ●子どものために

 働く世代のがん患者の多くは、仕事を続けなければ生活が立ち行かない。「子どものため、あと10年は生きなければ」と話す福岡県在住の契約職員、真美さん(46)=仮名=はシングルマザーだ。長男(22)は独立したが、次男(10)には障害があり、特別支援学級に通うために送迎が欠かせない。

 クリニックの契約の看護助手として働いていた昨年2月、膣(ちつ)がんが見つかった。医療現場だが、以前、がんになった同僚のことを思い出し、打ち明けなかった。最初は「無理しないで」と気遣われても、やがて休むたびに陰で何か言われるのか分かるからだ。

 しかし、治療のための入院が必要となり、看護師長と事務の担当者にのみ話した。契約更新時期の直前で、クビを覚悟したが「あなたは必要な人」と言ってもらえた。

 3カ月の入院の後、復帰した。当初は有給休暇を使いながら時短で働き、1カ月後には通常勤務に。仕事はベッドメーキングなどで体力を使う。放射線治療の後遺症で疲れやすく、足のしびれもあるが、一人の動きが悪ければ他のスタッフに負担がかかるため、懸命にこなしている。

 治療費は公的な「ひとり親家庭等医療費助成制度」で基本的には免除されたが、体力的にも経済的にも余裕はなく、綱渡りの生活が続く。

 「再発しても、もう治療は受けられないかもしれない」。次男が環境の変化に弱く、パニックの発作を起こすため、次に入院が必要な時にはもう高齢の親に任せられない。この先の雇用の保証もなく、不安は尽きないが、今は好きな仕事が続けられることを幸せに感じる。「患者さんに会うのが楽しみ。人と関わることが生きがいにつながります」

 ●管理職に戻れない

 がんにかかる人の数は、50歳を超えると男性が女性を上回り、50代前半から急激に増加する。会社員なら管理職に就く年代だ。埼玉県在住の久雄さん(58)=仮名=は、大手スーパーの店長で56歳だった13年に大腸がんが見つかった。同年4月に手術。4カ月の休職の後に復帰しようとした矢先、今度は肝臓への再発転移が見つかる。

 会社は、がん患者の就労に積極的に取り組んでいるとして、自治体から表彰を受けた。窓口の担当者は熱心な対応で、復帰に向けて面談を重ねた。しかし次第に抗がん剤治療の副作用が強くなり、手足の先が痛み、フルタイムでの復職は難しくなった。とはいえ事務職に正社員のポストはなかった。「別の職種も提案されたけれど、なかなか踏み切れなくて」

 休職期間中は無給で、互助会からの見舞金と健康保険の「傷病手当金」を受けた。しかし傷病手当金の支給は15年1月で終了。同3月が復帰する期限だったが、思案の末、選択定年制度を利用して退職することにした。

 退職後の家計について、年金が受けられる62歳までのシミュレーションを重ねた。退職後数カ月は雇用保険から「失業給付」を受け、さらに公的年金の「障害年金」も受給資格を得ていた。退職金で家のローンを払い、妻(59)のパート収入と、預金を切り崩して生活費に充てる。2人の娘は社会人で、同居する次女も給料の一部を家に入れてくれる。

 がんは今のところ、画像上に腫瘍が見えない「寛解」状態だが、この先どうなるかは分からない。「58歳で引退は早いと思うが、治療しながらの再就職はハードルが高い。在宅でできる仕事がないものか」と話す。病状も生活状況も違う患者それぞれに、きめ細かく対応できるような仕組みができないものか。「がん患者を安定雇用するには、企業努力だけでは限界があるのではないでしょうか」【三輪晴美】

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 ◇ひとり親家庭等医療費助成制度

 母子家庭や父子家庭の親、また親がいない児童を養育する人に対して、公的医療保険の自己負担分から一部負担金を差し引いた額を助成する制度。ただし入院時の差額ベッド代や食事代、また予防接種や健康診断などは原則、助成されない。また、限度額以上の所得がある人や生活保護受給者らは対象外となる。自治体によって多少の違いがあるため利用する際は、まず窓口に問い合わせる。
 ◇がん診断後の就労と収入の変化

 厚生労働省の研究班(代表・山内英子聖路加国際病院ブレストセンター長)が乳がん患者に対して2013〜14年度にアンケート調査を行った結果、がん診断後も以前と同じ就労状況を続けている患者は53.0%、依願退職は15.0%、転職は12.0%。以前と就労状況が変わった人のうち40.4%は年間の収入が減った。


ネパール大地震:被災地歩いた11日間 取材日記
 ネパール大地震の発生3日後、東京から現地入りし、被災地を11日間取材した。初めて訪れた「世界の最貧国の一つ」とも言われるヒマラヤの小国。貧しさゆえに地震への備えはなく、多くの人が命や財産を失った。だが、淡々と生きるネパール人の強さも印象的だった。取材日記を紹介する。【竹内良和】
 ◇世界各国から救援機が殺到

 ■4月28日(火)

 地図上に自機の航路を示す座席のモニターが、幾重もの円を描く。タイ・バンコクから乗った旅客機はカトマンズに着陸できず、手前の山岳地帯の上空で旋回を繰り返していた。日本の地方空港ほどしかない狭いカトマンズ空港に、世界各国からの救援機が殺到。混雑で定期便が着陸できない状況が続いていたのだ。

 地震発生翌日の26日夜、会社から「現地入り」を命じられ、あわてて閉店間際のアウトドア用品店に駆け込み登山靴などを買い込んだ。東日本大震災の取材経験はあるものの、海外の被災地取材は初めてだ。不安を抱えながら27日午後、成田空港から出発した。

 大幅遅れで到着したカトマンズ空港には「中国空軍」と書かれた輸送機が駐機し、到着ロビーには迷彩服のイスラエル軍兵士も。タクシーで街に出ると、レンガ造りの建物が倒壊し、亀裂が走ったビルが散見されるものの、東日本大震災直後の三陸沿岸のように、街全体が壊滅するような状況ではなさそうだ。

 公園に被災者のテント群が見えた。がれきから集めてきた材料で作った即席テント。床は土の地面がむき出しだ。夫や娘とテント暮らしを送るマナ・マハルジャンさん(52)は「政府の支援がない。おなかもすいている」と訴えた。

 慣れない英語で話を聞いていると、片言の日本語を使う男性が通訳に入ってくれた。男性は自身も被災した山岳ガイド。日本の登山客は多く、日本語を使うガイドも少なくないという。
 ◇市街地治安良く略奪や暴動ない

 ■29日(水)

 国会議事堂前に長蛇の列ができていた。政府が地方へ無料運行するバスの順番を約2万5000人が待っているという。カトマンズは、東京と同じように仕事や進学で地方から移り住んだ人が多い。

 大きなバッグを抱え、何時間も整然と列を作る人々。2キロ近い列の途中に割り込もうとする家族に「後ろに並んで」と一斉に声が上がる。大災害にもかかわらず市街地の治安は良く、略奪や暴動の情報も聞かなかった。

 車に戻りパソコンで原稿を書いていると、テントに身を寄せる少女が珍しそうに様子をのぞき込んできた。どの被災地に行っても子供の笑顔は救いだ。
 ◇体調悪化の少女、母は仕事失う

 ■5月2日(土)

 カトマンズ最大級の避難所で自衛隊の医療援助活動を取材する。診療を待つ数十人の老若男女。入浴もできず、屋外にもかかわらず、すえた臭いが漂う。

 少女が「頭が痛い」とうつむいていた。一家5人で避難所で生活し、風の吹き込むテントで体調を崩した。母が建設現場の土運びなどで生計を立てているが、地震で仕事もなくなったという。

 「自己満足ではないか」と迷いながらも、ポケットの小銭を渡した。日本円で100円ほど。幼い妹の手を引く少女はにっこりと手を合わせた。後日、避難所で少女を探したが、姿はなかった。一家がどうしているか、今も気がかりだ。
 ◇食堂のそばで飢える被災者

 ■4日(月)

 最大級の被害が出たネパール中部のシンドゥパルチョーク地区へ。カトマンズ市内から休憩を含め車で約3時間半。曲がりくねる山道をひたすら進む。ガードレールはなく、カーブでスリップすれば谷底へ真っ逆さまだ。

 車窓からは、段々畑の中にレンガ造りの家が点在する美しい山々が見える。途中、車を降りては被災状況を尋ねる。この国では「ナマステー」(こんにちは)と両手を合わせれば、誰もがほほ笑み返し、丁寧に応じてくれる。村人は食事にさえ事欠くなか、あちこちを案内し、被災者を紹介してくれた。

 地区の中心地チョータラは、民家や商店が軒並み崩れていながらも、何店かの食堂が営業していた。村人の紹介で、家の下敷きになり亡くなった女性の遺族に話を聞く。女性は、地震の3日前に三女を出産したばかり。最期はベッドで添い寝していた4歳の次女を守るように、四つんばいの姿勢で見つかったという。

 涙を流す夫の傍らで無邪気にはしゃぐ幼い長女と次女。とうのかごには三女がすやすやと眠っていた。テント生活になった一家が救援物資として受け取ったのはビニールシート1枚だけ。食料もお金も底を突いた。

 夫は「親戚にお金を借りてしのぐしかない」と言った。いたたまれず、姉妹にバッグにあったクッキーや板チョコを渡す。暑さで溶けかけたチョコを満面の笑みでなめる次女の姿が、私の3歳の長女に重なった。

 取材前、私やネパール人のガイドが昼食をとった食堂から、わずか歩いて10分ほどの場所に、明日の食事さえ分からぬ家族がいることがショックだった。東日本大震災直後に取材した被災地では、飢える人々のそばで大勢の客が店で食事をするような現場はなかった。

 村人に話を聞いていたガイドがぽつりと言った。「力のある人、声の大きい人が、たくさんの救援物資をもらっているようだ」。昼食をとったことが、無性に後ろめたかった。
 ◇余震におびえ、つっかえ棒

 ■8日(金)

 街を歩くとあちこちで、住民が材木を切り出し、余震に備えて傾きかけた建物につっかえ棒をしている。日本なら街全体が立ち入り禁止になっているところだろう。今のネパールには、つっかえ棒が精いっぱいの対策だ。

 カトマンズ周辺は日本の震度6弱〜5弱に相当する揺れだったとみられている。耐震化された日本の建物ならこれほどの被害は出なかったはずだ。だが、ネパールの庶民に耐震を考慮する余裕はない。レンガ造りの家の下敷きになって多くの人が命を落とした。「もし日本であれば、あのチョータラの子供たちの母親も助かったんじゃないか」。そんな思いにも駆られた。

 人々は、外国から取材に訪れた私を気遣い、力を貸してくれた。「被災者の役に立とう」と意気込んでいた私は、逆にネパールの人たちに助けられ、学ばせてもらった。

 帰国前日、カトマンズに長年暮らす日本人から「ネパール人を好きになって、また来てほしい。それが、観光が支えているこの国への何よりの復興支援になる」と言われた。私はネパール人が好きになった。もう一度、この国を訪れ、復興の行方を確かめたい。


選挙:青森県知事選 原発政策、深まらぬ議論 県都市長が反対派支援
 21日告示された青森県知事選は、現職で4選を目指す三村申吾氏(59)に対し、地元の反原発団体共同代表で新人の大竹進氏(64)が立候補し、2011年の前回選同様、東日本大震災後の原発政策が問われる。六ケ所村の核燃料再処理工場など、原発・核燃サイクル政策の廃止を求める大竹氏には、県内で唯一「脱原発をめざす首長会議」に名を連ねる鹿内博・青森市長が支援を表明。党派を超えた支持を訴えるが、民主党や連合青森は自主投票を決め、選挙戦は盛り上がりを欠いている。【森健太郎、石灘早紀】

 「県民の命を守るため、方向転換をしよう」。共産、社民党の推薦を受けた大竹氏は21日、青森市役所前で第一声。この日、鹿内市長は公務で出席しなかったが、支援者らが駆け付けた。

 鹿内氏は元県議で現在2期目。県議時代も無党派で、六ケ所村の再処理工場着工に反対してハンスト運動をするなど、歴代県政にも是々非々の政治姿勢を取る。鹿内氏は2月に開かれた大竹氏の支援団体の設立総会に出席。「原発や核燃には誰もが不安。県政を変えなければならない」と支援を表明した。

 大竹氏は前県保険医協会長を務めた開業医で、福島第1原発事故後に県内で組織された「なくそう原発・核燃、あおもりネットワーク」の共同代表に就任。国内全ての原発再稼働と核燃サイクル施設操業を認めない方針を公約とし、「原発容認」の三村氏との対立軸を鮮明にする。

 自民県連と公明党が推薦する三村氏も青森市内で第一声。3期12年の行財政改革や医師不足対策など実績を強調したが、原発政策については「安全確保のためのルール作りにしっかり取り組みたい」と述べるにとどめた。

 過去3回の選挙は自公の推薦を受けた三村氏が約30万に上る得票で当選を重ねてきた。民主党は前回、福島第1原発事故を受け、「原発新設凍結」を掲げる候補を擁立したが、大差で敗退。昨年の衆院選以降も党勢が回復せず、独自候補の擁立を断念した。一方、傘下に電力関連労組を抱える連合青森は反原発候補を表立って支援できず、2回連続で自主投票を決定。一部は雇用政策などで配慮を見せる三村氏の支援に回っている。

 青森県は六ケ所村の再処理工場のほか、建設中の大間原発などを含め、下北半島に国内の原子力関連施設が集中。事業者が県に納める核燃税は今年度195億円と、県税収入の14・5%を占める。

 原子力が地元経済とも複雑に絡み合う中で、住民の思いは複雑だ。福島の事故後、稼働が停止している東通原発が立地する東通村の民宿で働く40代の女性は「作業員らの客は震災前の半分以下に減った。商売を考えると、原発反対とは言えない。ただ海も近いので、事故が怖くないと言えばうそになる」と話す。


特集ワイド:再び米国の言いなり? 安保大転換、イラクの失敗「置き去り」
 世の中に絶対はない、という。だが、安全保障政策を転換し、自衛隊の海外活動を拡大しようとする安倍晋三首相は「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にあり得ない」と言い切る。ちょっと待ってほしい。日本は12年前、イラクを攻撃した米国を支持したが、大義名分とした大量破壊兵器は発見されていない。イラク戦争の失敗を繰り返すことはないのか。【石塚孝志】
 ◇原発事故同様、検証進まない日本/「国益損ねた」教訓にする英国

 「日米同盟はより一層堅固になる。この夏までに必ず実現する」。安倍首相は4月30日未明(日本時間)、米議会の上下両院合同会議で、日本の国会に法案さえ提出していない集団的自衛権の行使容認を含む安保法制の整備を進めると明言した。米国に対し、自衛隊が地球規模で米軍への後方支援を行うことを“公約”したのだ。

 問題は、米国から自衛隊派遣の要請を受けた時、日本は自主的な判断で可否を決めることができるのかという点だ。軍事ジャーナリストの前田哲男さんはこう危惧する。「安全保障関連法案が成立すれば、日本は自衛隊の派兵を断る根拠としていた集団的自衛権の行使禁止や専守防衛を放棄することになります。そうなれば、日本は米国の言いなりになる公算が大きい」

 米国の言いなり−−。実はイラク戦争でも指摘されていた。小泉純一郎首相(当時)は米国のイラク攻撃を国際社会の中でいち早く支持。米国から「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上に靴を)」と求められると、フセイン政権崩壊後にイラク特措法を制定し、非戦闘地域での復興支援や多国籍軍の物資や兵隊の輸送を担った。

 しかし、米国が開戦理由とした大量破壊兵器は見つからなかった。この点について、小泉首相は「(米国を支持した)日本の判断は正しかった」などと釈明したが、米国に追随しただけでは、という疑問を消す答えはいまだにない。

 そもそも日本はイラク戦争を支持した政策判断をきちんと検証しているのだろうか。

 外務省が2012年12月に公表した「対イラク武力行使に関する我が国の対応(検証結果)」という報告書がある。民主党政権下の松本剛明外相(当時)の指示を受け、02年初めから米英などによるイラクへの武力行使に至るまでの同省内の検討や意思決定過程を検証したという資料だ。

 報告書の概要は同省ホームページで閲覧できる。冒頭には「検証作業は、日本政府が米英等の武力行使を支持したことの是非自体について検証の対象とするものではなく」という“お断り”の一文が入っている。しかも報告書全体は「ページ数なども含め非公開」(同省)という。

 概要は「報告の主なポイント」とのタイトルで、A4判4ページにまとめてある。「教訓と今後の取組」の項目では「大量破壊兵器が確認できなかったとの事実については、我が国としても厳粛に受け止める必要がある」とし、今後については「更に多様な情報源からの情報収集能力を強化すること」などと明記した。

 イラク戦争から12年。強化策が実現しているはずだと、同省中東2課に問い合わせると、回答は「改善は常々やっていますが、対外的には説明が難しい」。具体的な取り組みが分からず、どうもすっきりしない。

 元内閣官房副長官補の柳沢協二さんは憤る。「外務省の報告はまったく検証になっていない。だいたい日本には太平洋戦争を含めて事後的に検証しようという文化がありません。検証は糾弾が目的ではなく、今後に生かすものでなければいけない。それなのに日本は、一つ一つが政争につながってしまう。検証は、他国のように第三者がやらなければ意味がない」と話す。

 柳沢さんが日本と違うと指摘する他国の検証状況を調べてみた。

 米独立調査委員会は05年3月、大量破壊兵器に関する米情報機関の判断は「ほぼ完全な誤りだった」とする報告書を発表した。米情報機関は「フセイン大統領は生物兵器を持っているはず」という思い込みを捨てきれず、自らの主張に合う情報だけを積み重ねたと分析した。

 米国の失態で激震に見舞われたのが、国内外の反対を押し切って開戦に踏み切った英国のブレア政権だった。英国は4万5000人規模の部隊をイラクに派遣し、179人の兵士が犠牲になった。国民は、「ブレア首相は、ブッシュ(米大統領)のプードル犬」などと批判を強めた。

 戦後、英国では政府から独立した調査委員会などが、数度の徹底的な検証を進めてきた。その結果、政府は開戦半年前、イラクの大量破壊兵器の脅威を誇張していたという事実が判明した。

 09年設置の調査委員会は、多くの政治家や外交官、軍や情報機関の幹部らを聴取。10年1月にブレア氏が出席した公聴会は約6時間に及んだ。また、これまで非公開とされた聞き取り調査をインターネットなどで公開している。

 なぜ、英国は検証の手を緩めないのか。その理由について、英国の政策に詳しい慶応大法学部の細谷雄一教授(国際政治学)は「英国は、イラク戦争が国益を損ねたと判断しているからです」と話す。「検証によって(開戦前の英国政府は)米国の情報を信じるほかなかった、という実態が分かった。その上で、今後は政策を誤らないために、より上質なインテリジェンス(国家の情報収集活動)を持つ必要があると反省しているのです」。政府内の悪者探しではない。真実に迫り、今後の教訓とするために検証を続けているわけだ。

 日本の検証はお粗末と言えそうだが、なぜ検証は進まないのか。「永続敗戦論」などの著作がある京都精華大の白井聡専任講師(政治学)はこう語る。「日本がイラク戦争を本気で検証すれば、米国の強引な手法や判断ミスで自衛隊が危険な目に遭う可能性が高いことが分かる。それでは今後、日本は米国に追随できないという困った事態になってしまう。原発事故の検証も同じ。再稼働を念頭に置いているので本気で検証しているとは思えない。いずれにしても結論ありきなのです」。日本は「敗戦」を「終戦」とごまかし、それを容認してくれる米国には従属を続け、敗北が際限なく続く−−。こう主張する白井さんの分析だ。

 前出の柳沢さんは怒りが収まらない。「安倍首相は対米公約を先行することで米国のお墨付きをもらいました。安保法案の成立に向けて米国の権威を振りかざし、有無を言わせずに進めるでしょう。そのような対米追随の政権に自主的な判断ができるわけない。これで独立国と言えますか」

 日本が米国の戦争に巻き込まれることは絶対にないと信じる人はどれほどいるのだろうか。


安保関連法案の成立阻止を 国会前で反対集会
集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ安全保障法制の関連法案について、来週、衆議院本会議で審議入りするのを前に、法案に反対する人たちが21日夜、国会前で集会を開き、法案の成立阻止などを訴えました。
安全保障法制の関連法案は今月14日に閣議決定され、21日開かれた衆議院議院運営員会の理事会で、来週26日の衆議院本会議で審議に入ることが決まりました。
法案に反対する人たちが21日夜に国会前で開いた集会には、主催者の発表でおよそ850人が参加し、今回の法案について、「戦争ができるようになる」とか「みんなの力で成立を阻止しよう」などと訴えました。
参加した32歳のフリーカメラマンの男性は「戦争に巻き込まれる可能性がある法案なのに、法案に『平和』という名前をつけてごまかしているのが最大の問題で、国会ではこうした矛盾点について徹底して議論してほしい」と話していました。
また、勤め先からの帰りに1人で参加したという71歳の男性は「戦争をしてはいけないと考えている人は多いと思うが、黙っていては今回の法案を容認することになってしまう。小さくてもいいから声を上げるべきだと思って駆けつけました」と話していました。

J'aime regarder les filles/高島屋日本酒祭/阪神沖縄物産展

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Dans les rêves on ne voit jamais le soleil, bien qu'on ait souvent la perception d'une clarté beaucoup plus vive.

-- Gérard de Nerval
In dreams you never see the sun, even though you often have the sense of a much stronger brightness.
Tant de gens échangent volontiers l'honneur contre le honneurs.
--Alphonse Karr
So many people gradly trade honor for honors.
Je dois en avoir le cœur net.
I must know for sure.
(lit. I must have the definite heart for it.)
L'amour, c'est l'espace et le temps rendus sensibles au cœur.
--Marcel Proust
Love, it's space and time made perceptible to the heart.
Tel qui rit vendredi, dimanche pleurera.
--Jean Racine
He who laughs on Friday will cry on Sunday.

フランス語
フランス語の勉強?

『般若心経』
日本人にとって最もなじみが深いお経であり、今、改めてその価値が見直されている「般若心経」。今回は、2013年1月に放送され、好評を博した「般若心経」をアンコール放送します。
「般若心経」の「般若」とは「知恵」を意味する言葉です。その般若心経で最も強調されているのは「空」という概念です。
世の中は、様々な複雑な要因がからみあいながら、常に移り変わっています。そして世の中の変化のすべてを、人間が完全に予測することはできません。
例えば気候変動にしても、宇宙や気象のメカニズムからある程度のことは予想できます。しかし次の氷河期がいつになるか、はっきりとしたことはいえません。つまり人間は、何がいつどのような形で起きるかを、正確に知ることは出来ないのです。
古代インドの仏教徒たちは、この不確かな世の中をどうとらえるべきか、様々な考察をめぐらしました。その中から生まれてきたのが「空」の思想です。変化し続ける世の中の背後には、複雑すぎるがゆえに、人智が及ばない何らかの法則がある。その「見えない変化の法則」を「空」と呼んだのです。
「般若心経」は、私たちは「空」のもとで生きているとしています。そして人間が、どのような心構えで人生をおくるべきなのかを語っています。
番組では、日本人の心の原点ともいえる般若心経を読みときながら、「空」の思想を今どのように受けとめるべきかを考え、生きるヒントを探っていきます。
第1回 最強の262文字
仏典を求めてインドに赴いた唐の玄奘三蔵は、厖大な経典を翻訳した。そのひとつが、日本に伝わった「般若心経」である。翻訳にあたって玄奘三蔵が工夫したのが「般若心経」を読経したときの「音の響き」であった。なぜ「音」が重要だったのだろうか?第1回では「般若心経」の基本をおさえると共に、「音」にこめた玄奘三蔵の狙いを明らかにする。
第2回 世界は“空”である
世の中は、様々な複雑な要因がからみあいながら、常に移り変わっている。そして世の中の変化のすべてを、人間が完全に予測することはできない。古代インドの仏教徒たちは、この不確かな世の中をどうとらえるべきか、様々な考察をめぐらした。その中から生まれてきたのが「空」の思想だ。第2回では「空」の基本をおさえることで、固定概念にとらわれない生き方を探る。
第3回 “無”が教えるやさしさ
般若心経は、知識を得ることで満足してしまい、真実を理解する努力をしなくなることを戒めている。その一方で、悟りにゴールはないという。人間は永遠に未完成な存在であり、完成することはありえないからだ。第3回では、慈悲の心の大切さなど、“無”に秘められた、般若心経の中の優しさについて語る。
第4回 見えない力を信じる
ゲストとして、僧侶で作家の玄侑宗久さんを招く。玄侑さんは、般若心経は「生きる勇気を与える呪文」だと語る。人間は言葉によって世界を認識している。しかし言葉には、実は限界がある。そこで人間の生命力に、直接働きかける「呪文」として生み出されたのが、般若心経だと言うのだ。最終回では、生きる力を取り戻す方法について語りあう。
「般若心経」こぼれ話
実は以前放送した「相対性理論」は、後の「般若心経」をにらんでの企画でした。
宇宙の法則について学んでおくと、般若心経で「空とは万物の背後にある法則である」と言われた時に、理解が早まるのではないかと思ったからです。さらに「星の王子さま」の回では、「見えない真実」に光をあて、抽象的な思考に慣れておくようにしました。
そしていよいよ、この「般若心経」となったわけですが、相当難しい内容なので、語り手の佐々木閑さんと、長い議論を重ねながら、解釈を考えていきました。「色即是空」「空即是色」についても、これまでの解説書とは異なる視点で紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
般若心経は、心のあり方を変えるための「触媒」(化学反応の反応速度を速める物質、物質自身は反応の前後で変化しない)のようなものであり、様々な見方があって当然ですので、これをきっかけにして、自分なりの考えを深めていくのも良いかと思います。


お昼のアスリート定食にアイスクリームがついていたのがうれしかったです.
川崎中1殺害から3か月.上村遼太さんの悲しみを思い出しました.というより今まですっかり忘れていました.
Institut Français du Kansaiアンスティチュ・フランセ関西 - 大阪で映画上映会です."J'aime regarder les filles"「女の子が好き」です.面白い映画でした.上映後フランス語で簡単なお話ができたのもよかったです.
その後なんばの高島屋まで移動しました.日本酒祭があります.たくさん人がいました.浦霞のところで宮城県出身というと方言で話しかけてきました.うれしいです.あまり飲めなかったのですが,ちょっといい気分です.知らないおじさんに阪神で沖縄物産店やっているから行ってみたら?と言われて今度は梅田まで向かいます.泡盛を試飲してみましたが,残念ながらきつすぎてよくわかりませんでした.

<RV事故10年>愛娘の姿 あの日のまま/父、区切り付けられず/(上)
 他愛もないおしゃべりに興じる中学の女子生徒が、自宅の前でじゃれ合い、弾ける笑顔を見せる。耳に入る声、目に映る光景に、つい一人娘の姿を重ねる。
 仙台市泉区の細井実さん(65)は、今もそんな錯覚に陥る。2005年5月22日、多賀城市で起きた飲酒暴走RV車による仙台育英高生死傷事故で、長女の恵さん=当時(15)=が犠牲になった。
 思い出す恵さんの姿は、事故の前日、市地下鉄八乙女駅で見送った後ろ姿のままだ。「あの日」から10年。細井さんの時は止まったかのようだ。
 遺骨は今も自宅2階にある。花を絶やさないようにしている。納骨に踏み切れず、区切りを付ける気になれない。事故が起きた国道45号の現場には、今も近づけないでいる。
 存命なら25歳。恋や仕事、ファッション、グルメに夢中になっている年頃だ。

<「なぜ恵だけ」>
 恵さんの誕生日と命日、成長した元同級生が細井家に集まる。クラス会のような明るい雰囲気で近況を報告してくれるが、ふとした拍子に湧くのはいつも同じ疑問。「なぜ、この輪の中に恵だけがいないのか」
 娘の未来を奪った事故は、男(36)=服役中=が酒を飲んだ末に起こした。飲酒運転がクローズアップされ、宮城県議会が根絶条例の制定に乗り出すなど「飲酒運転ゼロ社会」へ向かうかに思われた。細井さんもつらい心情を抱えつつ、県議会で意見を述べた。
 時の経過とともに事故の記憶は薄れた。飲酒運転による死亡事故が今も後を絶たないという現実が、風化を裏付ける。

<変わらぬ社会>
 「ニュースを見るたび、『またか』と思う。あれほどの大事故で若い3人の命が奪われたのに」
 世の中を変えられないもどかしさが募る。
 事故を起こした男は毎年、お盆や恵さんの命日に現金書留を送ってくる。刑務作業の賃金を入れたとみられ、細井さんは「謝罪の気持ち」と推し量るものの、封を切ったことはない。
 男の刑期は20年。10年後、もし男が自宅に謝罪に訪れたら…。まだ答えは出せないでいる。

 飲酒運転による仙台育英高生の死傷事故は、22日で発生から10年になる。遺族や学校関係者、捜査を担当した警察官は、飲酒運転がもたらした惨劇とどう向き合ってきたのか。これまでの歳月を振り返り、「飲酒運転ゼロ社会」を考える。(報道部・桜田賢一)

[飲酒暴走RV車仙台育英高生死傷事故]2005年5月22日午前4時15分ごろ、多賀城市八幡1丁目の国道45号で、学校行事のウオークラリーで横断歩道を渡っていた仙台育英高1年生らの列に、酒を飲んだ男(36)が運転するRV車が信号を無視して突っ込み、生徒3人が死亡、生徒ら15人が重軽傷を負った。男は危険運転致死傷罪で起訴され、仙台地裁で懲役20年の判決を受け、確定した。


「心の復興見守って」延命地蔵尊さや堂完成
 東日本大震災で被災した気仙沼市鹿折地区の石橋延命地蔵尊のさや堂が、関西の僧侶らでつくる「仏教クラブ」(京都市)などの支援で再建された。地元の住民は「手を合わせる場所ができ、心の復興につながる」と喜んでいる。

 新しいさや堂は、瓦ぶきでヒノキとケヤキを使って造られた。高さ約4メートル、幅約2メートル、奥行き約1.3メートルで、その中に高さ約1.2メートルの延命地蔵尊が収まる。
 気仙沼湾のそばにある延命地蔵尊は約400年前に祭られ、地元の人たちに大切にされてきた。津波によってさや堂ごと流され、約2週間後に約50メートル離れた泥の中で見つかった。元の場所に戻されたが、さや堂は再建できずにいた。
 鹿折地区で営んでいた酒店が被災した菅原文子さん(65)が京都市で被災体験を語ったところ、昨年10月に仏教クラブと壬生寺(京都市)から各100万円の寄付を受けた。地元住民からも寄付が集まり、菅原さんを中心に再建に取り組んだ。
 ことし春には、震災後に行方が分からなくなっていた地蔵尊の台座が、工事現場から見つかる幸運もあった。7月24日に仏教クラブの僧侶を招いて落慶・開眼法要を行う。
 地蔵尊にほど近いプレハブ施設で酒店を営業する菅原さんは、鹿折地区での再建を目指している。「鹿折地区の復興はまだまだ先だが、さや堂が直って、自分たちも店を再建する気持ちが高まった。立派に復興するのを地蔵さんに見守っていってほしい」と目を細めた。


<ツール・ド・東北>参加者受け付け始まる
 東日本大震災で被災した宮城県の沿岸を自転車で駆ける「ツール・ド・東北2015」(河北新報社、ヤフー主催)の参加者受け付けが19日、専用サイトで始まった。東京・六本木では、大会をPRする「大使」の発表会があり、就任した3人が復興支援と参加を呼び掛けた。
 広報大使はモデルの道端カレンさん。東北応援大使に元Jリーガーの中西哲生さん、グルメ大使には食ブロガーのフォーリンデブ橋本陽さんが就いた。
 前回参加した道端さんは「休憩所で食べたおにぎりに、児童のメッセージが添えられていて、元気と笑顔をもらった」と思い出を披露。中西さんは「つらい坂を上ると、海が見える。景色のごちそうがある」とコースの魅力を伝えた。橋本さんは休憩所で提供されるご当地グルメを紹介した。
 就任発表会では一力雅彦河北新報社社長や宮坂学ヤフー社長も登壇。「被災地の現状を体で感じてほしい」などと呼び掛けた。
 大会は9月13日、石巻市の石巻専修大を発着点とする4コース(60キロ、100キロ、170キロ、211キロ)と、気仙沼市を出発する新設の片道コース(95キロ)の計5コースで行う。募集人数は前回より500人多い3500人。応募は6月1日まで。応募者多数の場合は抽選となる。


<復興費負担>復興事業 過不足議論を/(下)東北公益文科大教授 和田明子さん
 東日本大震災を含め、自然災害からの復興は、国が中心となって進めていかなければならない。震災は天災であり、地方自治体のミスで起きたわけではない。自治体に責任はない。
 一方、復興費用を全て国が負担するのは、地方自治の本旨からすると問題もある。一般論だが、負担を伴わないと真剣な議論になりにくい。「国が全部面倒をみてくれるのなら造っておくか」という思考に陥りやすく、不要なモノができる動機付けになってしまう危険性がある。
 例えば復興費の数%を自治体が負担する。その後、本当に負担できない自治体については、財政力に応じて特別交付税の形で自治体の負担分を減らす、あるいはゼロにする。その方が段階ごとに議論が生まれ、健全な地方自治、財政規律につながるのではないか。
 財政の流れは複雑で、一般的な事業でも、自治体の負担分が交付税で算定される場合が実際は多い。被災自治体に一部負担を求める際は、必要な復興事業ができなくなったり、財政が極度に悪化したりしないように、制度設計で配慮すればよい。
 被災自治体が全額国費負担の継続を求める心情は理解できる。復興は終わっていないし、「被災の大変さを忘れたのか」と風化への懸念から出る反発もあるだろう。
 被災者が国に失望感を持たないように配慮する必要がある。今も大勢の被災者が仮設住宅で暮らしている。生活再建の停滞はあってはいけない。
 もともと地方税の税源には偏りがある。都市部に税金が集まりやすく、被災地の大半がそうである過疎地には来ない。地方に負担を求めるのならば、そうした税財源の不均衡も正していくべきだ。
 忘れてならないのは、国の財政状況が悪化し続けていること。復興事業は赤字全体に占める割合はわずかであってもその一部。将来世代の負担になっていく。
 現在の復興事業に過不足はないのか。被災地の復興が進んでいない現状や将来の人口減少を踏まえ、国費負担の見直し方針を、議論を深めるきっかけにしてほしい。

[わだ・あきこ]慶大卒。北海道東北開発公庫(現日本政策投資銀行)職員、神奈川県職員、東北公益文科大准教授を経て13年から同大教授。行政学。48歳。東京都出身。


歴史学者の安倍批判声明、追加署名相次ぐ
 世界の歴史学者らが日本の安倍晋三首相の歴史認識を批判し、今月6日に発表した共同声明に同調する学者が急速に増え、500人に迫っている。声明は当初、米国、カナダ、英国、ドイツ、オーストラリア、日本などで活動する歴史学者187人が発表したもので、日本軍が強制的に従軍慰安婦を動員し、野蛮な行為をさせたことを明確に指摘する内容だった。声明を発表後、歴史学者だけでなく、政治、人類、文学、宗教など人文分野の学者らが大挙署名に加わっている。

 署名を主導したアレクシス・ダデン氏(コネチカット大教授)は19日、署名者が当初の187人のほか,世界各地から269人が加わり、19日現在で456人に達したことを明らかにした。地域も南米にまで拡大した。声明発表から2週間で署名者が2倍以上に増えたことになる。ダデン氏は「署名者はさらに増えそうだ。欧州歴史学者協会やオーストラリアの協会から声明をそのまま活用してもよいかと問い合わせがあった」と説明した。

 追加署名者は、米国のハーバード大、コロンビア大、イェール大、プリンストン大、シカゴ大、カリフォルニア大バークレー校、英国のオックスフォード大、ケンブリッジ大、ドイツのベルリン自由大、ノルウェーのオスロ大、スウェーデンのストックホルム大、ブラジルのサンパウロ大、日本の早稲田大、上智大、明治大の教授らだ。

 中にはドイツと日本の戦後対応を比較した「アウシュビッツとヒロシマ」を書いた日本学の権威、イアン・ブルマ氏、ドイツ日本学研究所のフランツ・ヴァルデンベルガー所長、フランス社会科学高等研究員(EHESS)日本研究所のセバスチャン・ルシュバリエ氏、米コーネル大の酒井直樹教授、カリフォルニア大バークレー校のスティーブン・ボーゲル教授、日本・京都の国際日本文化研究センター教員のジョン・ブリーン氏らが含まれている。

 専攻と地域を問わずに世界の学者らが署名に加わったことで、安倍首相は相当の圧力を感じることになる。特に署名者は慰安婦の被害女性の大多数が自らの意思に反して捕らえられ、日本軍が組織した国家的支援システムによって動かされたという声明の指摘に同意しており、日本政府が対応を避けられなくなるとの見方もある。安倍首相は終戦70年目に当たる8月15日ごろに談話を発表する予定だ。

ワシントン=ユン・ジョンホ特派員


沖縄の怒り 無関心ではすまされぬ
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題は、一基地問題を超えて、沖縄のあり方を問うものへと広がっている。

 辺野古移設に反対する沖縄県民大会が那覇市内で開かれ、炎天下、予想を大幅に上回る約3万5000人が詰めかけた。翁長雄志(おなが・たけし)知事は、こうあいさつした。

 沖縄は自ら基地を提供したことはない。土地を奪っておきながら「普天間が世界一、危険だから」「辺野古が唯一の解決策だ」。こんなことが許されるのか、と。

 沖縄は太平洋戦争末期、壮絶な地上戦の場となり、県民の4人に1人、9万4000人の住民が命を落とした。1952年に日本が独立を回復した後も、沖縄は日本から切り離され、米国の施政下に置かれた。

 普天間など多くの基地は戦後、住民が収容所に入れられている間に造られ、その後も米軍による「銃剣とブルドーザー」で基地が拡張された。50年代半ば以降、本土で基地返還が進む一方、沖縄では基地の集中が増した。戦後日本の平和と繁栄の陰に沖縄の過重な基地負担があった。

 先祖伝来の土地を奪われて造られた普天間の代替基地を、なぜまた沖縄で負担しなければならないのか、と沖縄は問いかけている。

 安倍政権はその疑問に正面から向き合おうとしていない。安倍晋三首相や菅義偉官房長官は、日米同盟の抑止力を維持しながら普天間の危険性を除去するには、辺野古移設が唯一の解決策、と繰り返すばかりだ。

 辺野古移設という日米合意の履行を迫るだけの政権と、戦後そのものを問う沖縄の議論はかみ合わない。

 政権だけではない。本土に暮らす人たちも沖縄の歴史にあまりに無関心ではなかったか。

 アニメ映画監督の宮崎駿さんらが共同代表を務める「辺野古基金」には、辺野古の新基地建設に反対する趣旨に賛同して、すでに2億円が集まり、その7割は本土から寄せられている。それでも、本土の関心は決して高いとは言えない。その無関心こそが、政権の沖縄に対する無理解を支えてこなかっただろうか。

 先日、普天間に24機配備されているのと同機種の米海兵隊の垂直離着陸輸送機オスプレイMV22が、米ハワイ州のオアフ島で墜落し、沖縄では安全性への疑念が再燃している。

 中谷元防衛相は、辺野古埋め立ての本体工事に「夏ごろにも着手したい」と言う。こんな状態で工事を強行すれば、日米安保体制に禍根を残しかねない。何よりも、戦後日本が目指した民主主義の健全なあり方とは言えない。沖縄の苦難の歴史に目を向け、それに応える道筋を探らねばならない。


ロヒンギャの人たち“4000人が漂流”
ミャンマーの少数民族のロヒンギャの人たちなどを乗せた船がインドネシアやマレーシアの沖合にたどり着いたものの受け入れを拒まれ行き場を失っている問題で、国連は、現在もおよそ4000人が海上で漂流しているとして早急な対応を求めています。
ミャンマーで抑圧されているイスラム教徒の少数民族ロヒンギャの人たちなどを乗せた船は、今月、相次いでインドネシアやマレーシアの沖合にたどり着いたものの受け入れを拒まれ、多くが行き場を失って海上で漂流しています。
UNHCR=国連難民高等弁務官事務所は、19日、ことしに入って、船でミャンマーなどから逃れようとしたロヒンギャなどの人たちはおよそ2万5000人に上り、このうち少なくとも300人が海への転落や飢えによって死亡したことを明らかにしました。また、現在もおよそ4000人が行き場を失って海上で漂流し、なかには40日以上にわたって漂流している船もあるということです。
国連やIOM=国際移住機関などは共同声明を発表し、インドネシアやマレーシア、タイなどの周辺国に対して人間としての尊厳を守るため上陸を認めるよう求めました。
こうした事態を受けて、マレーシアとインドネシア、それにタイの3か国は、20日、外相会議を開き対策を協議することになっており、具体的な解決策を見いだせるか注目されます。
食料争いで死者も
数か月にわたる海上での漂流のすえ、近くを通りかかった漁船に助けられ、インドネシアのアチェ州に上陸したロヒンギャの人たちは、船の中で僅かな食料を巡って争いが起き、死者も出たことなど過酷な状況を語りました。
インドネシア西部のアチェ州のランサには、今月15日、ロヒンギャの人たち260人が上陸し、港の倉庫に収容されています。
倉庫で暮らしている人たちは、ミャンマーを小船で出発した後、タイの沖合で、バングラデシュからきた船と合流し、大きな船に積み込まれたということです。
そして、海上を漂流した後、アチェ州の沖合で船が沈没し、偶然近くを通りかかった漁船に助けられたということです。
ミャンマーを出てから3か月間、海上をさまよったという35歳のロヒンギャの男性は「人々はすし詰めで身動きは取れず、トイレにも行けなかった」と船の中の過酷な状況を説明しました。
そして、「食料がほとんどなくなり、一緒に乗っていたバングラデシュ人との間で争いになった。殴られ、海に突き落とされ、私の友人も亡くなった」と述べ、涙を流していました。
こうしたロヒンギャの人たちについて、インドネシアやマレーシアなど周辺国は、受け入れを拒んでいますが、UNHCR=国連難民高等弁務官事務所の現地担当者は「これは大きな人道的危機であり、あらゆる国が解決策を探るため連携するべきだ」と述べ、各国に対策を求めています。


川崎中1殺害:「遼太のSOS」に気付いていれば…
 川崎市川崎区の多摩川河川敷で区内の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(当時13歳)が殺害された事件は20日、上村さんの3回目の「月命日」を迎えた。「遼太はどこかで笑っていて、ひょっこり現れる気がする」。姉のように慕われたという区内の学校職員の女性(19)は、まだ気持ちの整理がつかないでいる。最悪の事態を避けるため何かできたのではと涙ぐむ。

 20日夕、女性は河川敷に飾られた上村さんの写真の前にお菓子を供え、静かに手を合わせた。月命日ごとに訪れているが、これまでの2度は雨空で「遼太が泣いている」と感じていた。この日は青空。「(天国で)何かいいことがあったのかな」と話した。

 女性は、弟を通じて上村さんと知り合った。弟は上村さんと同級生で同じバスケットボール部に所属していた。練習後は頻繁に女性宅で夕飯を共にした。買い物やバーベキュー、夏祭りにも一緒に出掛けた。「頼もしい弟が1人増えた感覚だった」

 「女の子にもてたいならTシャツとジーパンにしないと」と、ジャージー姿をたしなめると、素直に服装を変える少年らしさがあった。イライラした気持ちを「ライン」に書き込むと、気遣う言葉を返信してくれた。

 だが夏休み明け、上村さんが部活を休みがちになり、疎遠になっていく。別の学校の生徒を含む少年グループと公園やゲームセンターで遊んでいると人づてに聞いた。上村さんも「門限を守れない」とラインに書き込んでいたが、加害者の少年3人と関わっていたとは知らなかった。

 今振り返ると「遼太のSOS」だったと感じることがある。今年1月初旬、祭りの出店を手伝っていると、上村さんが2日続けて祭りが終わる時間帯に現れた。「手が空いた自分に何か伝えたかったのでは」と思う。

 1月末には、知らない少年たちと街角でたむろしていた。自転車で通り掛かると、物憂げな表情を向けてきた。「私に相談すると迷惑を掛けると考えたのだろうか。『姉だと思ってつき合う』と話していたのに。私から話し掛けていたら……」

 現場で死を悼む人は絶えないが、事件の後、学校や地域がより良い方向に変わったという実感はない。上村さんが忘れ去られたかのように、少年が関係する事件が各地で相次ぐ。「このまま風化させたらほんとに浮かばれない」。焦りに似た感情が胸に込みあげる。

 横浜地検は、横浜家裁から殺人などの非行内容で検察官送致(逆送)されたリーダー格の少年(18)と17〜18歳の2少年を、21日に殺人罪と傷害致死罪でそれぞれ起訴する方針だ。捜査関係者によると、関与の度合いを巡って3人の供述は食い違っているという。【松浦吉剛】

小出裕章さん講演会@南御堂で寝てしまう・・・

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150311_Matsushima1

Un bon mariage serait celui d'une femme aveugle avec un mari sourd.
--Michel de Montaige
A good marriage would be that of a blind wife with a deaf husband.
"Toutes les femmes deviennent comme leur mère, c'est là leur tragédie."
Citation de Oscar Wilde ; L'importance d'être constant (1895)
Elle n'a pas l'air en très bon état, cette voiture.
It does not seem in very giood shape, this car.
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カントクを2回しなくてはいけない??Hyさんに交代してもらい,お昼はお好み焼きをいただきました.
ブツブツの後急いで南御堂まで向かいます.途中で気仙沼唐桑物産ブースが御堂筋に出ていました.でも小出さんの講演会に遅れそうなので立ち寄ることはできませんでした.残念.
小出さんの講演会には結構人が集まっていました.なのに,寝てしまってお話の内容が覚えていません.とても残念です.疲れている感じなので早く寝ることにしました.

松島の杉原功商店に行ったのは15年の3月11日でした.

<祈りと震災>(43)命の行方 照らす灯に
 時に涙し、時に声を震わせ、車座で言葉を交わす。臨床宗教師を志す僧侶や修道女らを、遺影の男性が見守る。
 3月中旬、仙台市太白区の寺院であった研修会。写っているのは岡部健さん。臨床宗教師の構想を生んだ医師だ。
 養成のための講座が東北大にできたのを見届け、5カ月後の2012年9月、62歳でこの世を去った。
 末期がん患者の在宅緩和ケアが専門の岡部医院を名取市で1997年に開業し、約3000人をみとってきた。
 自らもがんを患った。2010年6月、余命10カ月と知った。「一筋の道も一灯の道しるべもなく、真っ暗の闇が広がっているばかり」。死を覚悟した心境を言い表した。
 翌年、東日本大震災が起きた。自ら車を走らせ、被災地に赴いた。東北大在学中からの友人桜井恭仁さん(64)=仙台市=が助手席にいた。宮城県庁を退職後、岡部医院の運営法人の一員となった。
 岡部さんは学生寮で出会ったころのように熱っぽく語った。「死に近づくつらさや心の痛みを医者はどうにもできない。あの世を語れるのは宗教者だけだ」。桜井さんは岡部さんの言葉を思い起こす。
 病を治す医師が病院で多くの臨終に接する。家でみとらず、死がともすればタブー視される。そんな現代で患者と家族の心痛をどう支えるか。自問の先に宗教者が見えた。
 欧米の病院には患者らの心と魂と向き合う聖職者「チャプレン」がいる。地域の信仰や文化に配慮しながら病床や被災地に立つ日本ならではの「臨床宗教師」を思い描いた。
 岡部さんらは避難先を回る「カフェ・デ・モンク」に通った。栗原市の通大寺住職金田諦応さん(59)が11年5月、近隣の僧侶や仙台市の牧師らと始めた傾聴移動喫茶だ。
 被災者が霊的な体験や死後の世界といった心の奥深い訴えを僧侶らに投げ掛ける姿を見て、岡部さんは宗教者の力を再認識したという。
 岡部さんと金田さんは医療と宗教それぞれの立場から命の行方を問い続けた。
 金田さんは「私」を包み込むもっと大きな命に私が解き放たれることを死と捉える。
 医院の看護師1人を津波で亡くした岡部さん。無残に町が奪われた地に立ち「人間とは大きな命につながっているもんなんだ」と感じた。
 「死にゆく人には怖がらなくてもいいと語り掛けたい」。2人の思いは重なった。
 臨床宗教師研修は19日、7期生20人を迎える。僧侶や牧師、神主ら91人の修了者が全国に巣立った。関西や中部、九州などにも活動は広がる。
 ただ、資格制度はなく、社会で身近な存在とも言えない。医療と宗教の間にはまだ壁がある。岡部さんならどんな道しるべを示すのだろう。


カキむき、身を傷つけず超高圧で楽々
 水産業復興特区を適用した「桃浦かき生産者合同会社」(石巻市)は、カキむき専用の超高圧処理装置を導入した。最大4000気圧をかけて貝柱を剥がし、身を傷つけずに簡単に殻から取り出せるのが特長。殺菌効果もある。本年度は90トンのむき身生産を目指す。
 合同会社を設立した水産卸の仙台水産(仙台市)によると、同様の装置の導入は全国で初めてという。
 装置は18日、現地で水産関係者らに公開された。担当者がカキをプラスチック製の筒状の容器に入れ海水などで満たし、1800気圧を10分間かけた。減圧後のカキは貝柱が剥がれ、手で簡単に身を取り出せた。
 神戸製鋼所などが開発し事業費は約2億円。合同会社は3月に装置を設置し、試験した結果、1時間当たり32〜40キログラムの生産が可能で、殻をむく「むき子」12〜15人分に相当するという。
 カキ養殖業では、むき子が高齢化して減少傾向にあり、人の手によらないカキむき方法の確立が課題となっていた。
 合同会社の大山勝幸代表社員は「付加価値の高い商品が作れる。事業を成功させ、全国のカキ養殖業が抱える問題に解決の方向性を示せると確信している」と強調。仙台水産の島貫文好会長は「新商品やマーケットの開発、需要の創出が期待できる」と話した。


仮設離れても心一つ 亘理の交流会44回で幕
 東日本大震災の被災者が住む亘理町の宮前仮設住宅で、2011年10月から続いた交流会「お茶の間クラブ」が18日、終了した。入居者の引きこもり防止などを目的に手作り料理やゲームを楽しむ集いをこれまで44回開き、延べ約1100人が参加した。生活再建の進展に伴う転居者の増加で今回、その役割を終えた。
 主催者は同町の電子オルガン講師、保田久美子さん(50)。最終回には転居先から駆け付けた元住民や仮設住宅の見回りをする亘理署員ら約20人が集まった。保田さん考案の体操で体を動かし、住民の渡部悦子さん(67)らが作ったもち料理や空揚げなどを囲み、思い出話で盛り上がった。
 元住民で、津波で損壊した自宅を修繕した無職鈴木隆夫さん(73)は「懐かしい顔に会えるので楽しみだった。終わるのは寂しい」と残念がる。
 交流会は保田さんの発案で始まり、月1回のペースで開いてきた。「日中、一人で部屋に残る高齢者の生きがいづくりになればいいと思った」と保田さん。乳がんの闘病を乗り越えた明るい人柄で、交流会を盛り上げてきた。
 渡部さんの手作り料理も人気だった。子どもでも食べやすい辛さのカレーライスは「えっちゃんカレー」と呼ばれ、好評だった。渡部さんは「毎月メニューを考え、調理するのが楽しみだった。みんながおいしく食べてくれてうれしかった」と振り返る。
 宮前仮設住宅は全85戸。自宅を再建するなどした住民が退去し、現在の入居世帯数は28に減った。来月も10世帯ほどが転居する予定で、保田さんは交流会の終了を決めた。
 保田さん自身も被災した自宅を修繕し、仮設住宅から引っ越した。「楽しい会を続けることが生きがいだった。寂しいけれど、これも一歩前進ということ」と惜しみつつ、「新しい生活が落ち着いたら、新たな場所で同窓会をやりたい」と次の夢を描く。


営農再開へ希望の田植え 浪江で実証栽培
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県浪江町で18日、田植えが行われた。営農再開への実証栽培の一環で、事故後の作付けは昨年に続き2度目。収穫したコメの安全性を確認した上で、主に政府の備蓄米向けに販売を目指す。
 居住制限区域の「作付け栽培準備区域」となっている同町酒田地区の農家10人でつくる「酒田農事復興組合」(鈴木義雄組合長)が計1.3ヘクタールで栽培。馬場有町長ら関係者が見守る中、同県川俣町に避難する松本清人さん(76)の水田にコシヒカリを植えた。
 昨年の実証栽培で1.2ヘクタールから収穫したコメの放射性物質濃度は、全て基準値以下だった。ことしは昨年使わなかった請戸川の水も引くなどして育てる。
 組合によると、酒田地区の農家約40戸のうち、帰還後の営農再開に意欲を示すのは数戸にとどまる。鈴木組合長は「米価低迷など課題は山積みだが、復興の足掛かりになれば」と話す。作付け栽培準備区域(5100ヘクタール)でのコメの実証栽培はことし、浪江町のほか8市町村の計18ヘクタールで行われている。


東日本大震災:福島ずっと支える 道警辞め「降格」、県警巡査に 1年間応援後に決意
 東京電力福島第1原発事故で避難生活を強いられている福島県内の人たちに少しでも貢献したいと、北海道警を辞め今春に福島県警に採用された警察官がいる。郡山署地域課の坂本鏡仁(あきよし)巡査(31)。道警から復興支援のため1年間福島に派遣され、被災者と触れ合う中で「ずっと支え続けたい」と決意した。道警時代の巡査部長から新任の巡査に階級が下がったが、「仮設住宅の住民から生活の相談まで受けるような警官になりたい」と、にこやかに話す。【宮崎稔樹】

 坂本巡査は福岡市出身。幼い頃から警察官に憧れ、大学卒業後に福岡県警と北海道警の採用試験を受け、2006年秋に北海道警の警察官になった。

 転機となったのは11年3月の東日本大震災。津波で街が流される光景や原発事故で故郷に帰れない人を新聞やテレビで見て「こんなに困っている人たちがいるのに、警察官として自分は何もできていない」と感じた。行方不明者の捜索活動や仮設住宅の見回りを担う「ウルトラ警察隊」に応募し、特別出向者として12年2月から福島に派遣された。

 福島県警では復興支援係に配属され、避難区域のパトロールや仮設住宅の見回りをした。忘れられないのは、浪江町から福島市内の仮設住宅に1人で避難していた80代の女性の話。「津波がきたとき、近所に寝たきりのおじいちゃんがいるのを知っていたのに、助けないで逃げてしまった」と泣きながら語った。被災者の心が深く傷ついていることを知った。13年3月の任期終了まで時間を見つけては仮設住宅を回り、住民と言葉を交わした。

 北海道に帰ってからも福島のことが頭から離れなかった。「派遣期間中に、もっとできたことがあったはずだ」。都道府県警には他県警に退職まで出向する「永久出向」という制度がある。しかし、制度を活用するには所属する都道府県警の承認が必要で、北海道警から福島県警に出向するのは前例もなく難しいと考えた。

 「道警を辞めて福島に行こう」。道警の上司から「巡査部長になったばかりなのに、階級が下がってもいいのか」と言われ反対されたが決意は変わらず、福島県警の採用試験に合格し、北海道警を辞めた。

 郡山署では交番勤務となり、現在の担当地区には仮設住宅はない。「まず被災者支援に携わる部署に行くことが目標。多くの被災者から『おまわりさん』ではなく、『坂本さん』と名前で呼ばれるほど、住民に寄り添っていきたい」と話した。


パレスチナ:名産の甘いスイカ再び 日本が技術支援
 【アインアルベイダ(ヨルダン川西岸パレスチナ自治区)大治朋子】イスラエルが占領するヨルダン川西岸パレスチナ自治区のアインアルベイダ村で18日、日本の技術支援で栽培したスイカの収穫祭が行われた。西岸では、1990年代ごろから土壌の悪化が深刻化。名産のスイカ栽培が不可能になりイスラエルからの輸入に頼ったが、日本の支援で再起し、地元の期待を集めている。

 西岸はかつて、ヨルダンやサウジアラビアなど周辺諸国にスイカを輸出していた。しかし、限られた土地で繰り返し栽培したことなどから土壌が悪化。90年代に入ると、スイカを栽培していた約30平方キロの農地はほぼ使用不可能になった。

 日本政府と国際協力機構(JICA)は2011年9月、スイカ栽培の技術提供プロジェクト(支援総額約5億円)を始め、害虫に強いかぼちゃやユウガオの台木にスイカの芽を接ぎ木する技術を提供した。本格的な収穫は昨年に続き2年目で、この日の収穫祭には大久保武・パレスチナ関係担当大使や自治政府のシャウキ・アイサ農相らが参加、取れたてのスイカを試食した。糖度は10%で、みずみずしい甘さが口いっぱいに広がった。

 JICAの技術普及担当、大沼洋康さん(63)は「接ぎ木は繊細な作業が必要。その後の温度や湿度の管理も難しいが、農家の皆さんと協力して実現できた」と話した。自治政府で農業技術の普及を担当しているハシム・サワフタさん(40)は「名産だったスイカがまた育てられるようになりうれしい。今年は昨年の1.4倍の生産が見込まれている」と語った。

歯医者の日/カレーセット/光州民主化運動35年

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Soulèvement de Gwangju
Le mouvement pour la démocratisation de Gwangju ou le Soulèvement de Gwangju (hangeul : 광주 민주화 운동, hanja : 光州民主化運動) est un soulèvement populaire étudiant et syndical, prenant place dans le centre-ville de Gwangju en Corée du Sud, amorcé le 18 mai 1980. Au cours de ce mouvement, les citoyens s'élèveront contre la dictature de Chun Doo-hwan, mise en place après l'assassinat du président Park Chung-hee en 1979, et prendront le contrôle du centre-ville avant d'être sévèrement réprimés par l'armée qui reprendra le contrôle des lieux le 27 mai. Gwangju était le fief du chef de l'opposition démocrate, Kim Dae-jung, qui fut condamné à mort après ces émeutes, puis gracié par la suite.
Pendant le règne de Chun Doo-hwan, cet événement était présenté comme une révolte inspirée par des sympathisants communistes, mais une fois qu'un régime civil a été mis en place, il a été reconnu qu'il s'agissait d'un mouvement ayant pour but de défendre la démocratie contre la dictature militaire. En 1997, les anciens présidents Chun Doo-hwan et Roh Tae-woo ont été jugés coupables, avec 17 autres accusés, pour leurs ≪ liens avec le coup d'État du 12 décembre 1979, le soulèvement de Gwangju et des fonds secrets ≫, pour être par la suite graciés. En 2002 furent créés un cimetière national et une journée commémorative (le 18 mai), pour ≪ dédommager ≫ les victimes et ≪ restaurer leur honneur ≫.
Cet événement est généralement appelé ≪ 5 1 8 ≫ (≪ 오일팔 ≫ (Hanja : 五一八), prononcé ≪ o il pal ≫, c'est-à-dire ≪ cinq un huit ≫ en francais) en coréen, en référence à la date du soulèvement (avec, dans l'ordre, le mois et le jour).
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目撃!日本列島「思いをこめてこの一杯〜“日本一高い”コーヒーに魅せられて〜」
人生が変わるコーヒーとの出会い
みなさんはコーヒーを入れるのに、どれくらいの時間をかけますか?私は職場では、カップに置いてお湯を注ぐドリップ式を愛飲していますが、入れるのに費やす時間はせいぜい1分程度でしょうか。ところが、この喫茶店では、流れている時間軸がどうやら違っているようです。目の前で店長自らが入れるドリップ式のコーヒーは、1杯入れるのに50分。最初の滴がしたたり落ちるまで蒸らすこと30分。そこまで待つと、「ぽた、ぽた」と落ちるコーヒーの滴を愛しいとさえ感じてしまいます。では、味は?一口飲んだお客さんは、目を丸くしてつぶやきます。「何これ?」と。

気が遠くなるほど長い時間をかけて提供される「ここにしかない」コーヒーは、他にもまだまだあります。中には20年かけたものも!?じっくり時間をかけた一杯のコーヒーとの出会いを求めて、全国からお客さんが訪れるといいますが、その一方で定期的に訪れる常連客もいるようです。人の五感の中でも味覚や臭覚は思い出の扉を開く鍵のようで、コーヒーの味と香りは人に色んな思いを抱かせるようです。

今回は、コーヒーをこよなく愛する風変わり店長と店長の入れるコーヒーを求めて訪れる客さんの物語。松尾貴史さんの語りが味わいをさらに深めていました。
さて、今日は2分かけてコーヒーを入れてみようかな。(編集部:M.S)

番組スタッフから
いれたコーヒーを、樽に入れて冷蔵庫で冷やして、
20年も寝かせ続けているという「10万円のコーヒー」。気になりませんか?
実は、冷やしておいたコーヒーを、マスターの田中さんが、
半年もの間、出し忘れてしまったそうで…
「さすがにお客さんには出せない…でも、なんかもったいない…」
ということで、興味本位で「ぺろり」となめたところ、
傷んでないどころか、味が豊かになっている!
そんな偶然から、このコーヒーは生まれました。

その味は…?私も味見させてもらいました。
口にした瞬間に広がる、コーヒーとは思えないとろみとフルーティーな香り、
そして、チョコレートのような濃厚な甘み。
コーヒーというよりもワイン?を口にした感じです。
舌の肥えていない若輩者の乏しい表現力で、
その味が、伝わるかどうかは大変心もとないのですが…想像つきましたか?

お店のドアを開けた瞬間から広がる、
ゆったりとした時間の流れや、摩訶不思議な空気感。
風変わりだけど、どこか憎めないマスターと、
コーヒーに大切な思いを重ねて、お店を訪れるお客さん。
お店の日常の営み、そのひとつひとつを感じていただけると幸いです。
(番組ディレクター)


今日は歯医者の日です.虫歯があるわけでなく3か月ごとの歯のチェックとクリーニングです.
近くでカレーセットを食べました.震災後悲しい気持ちの頃時々食べに行ったお店です.テレビでは小学生が検索する人物としてルイ・ブライユLouis Brailleが取り上げられていました.点字を発明した人のようで,小学生の教科書に載っているそうです.
光州民主化運動35年です.あの頃ヨン様はどうしていたのでしょうか?

<祈りと震災>重なる思い共感のまなざし 読者の手記(1)
 1月から連載している「挽歌の宛先 祈りと震災」は、東日本大震災の被災地で生者と死者との心のやりとりを通じて死の意味を見つめ直し、東北の風土に培われた信仰の役割などを探ってきた。これまでに第1部「魂はどこに」、第2部「宗教者の試練」、第3部「『再会』のかたち」、第4部「民の信仰」、第5部「惑う福島」、第6部「それぞれの死生観」、第7部「模索の20年」の計41回掲載し、18日に第8部「臨床宗教師はいま」を始めた。取材班には電子メールやファクスなどで読者から手記や感想が寄せられた。一部を紹介する。(「祈りと震災」取材班)

◎立ち上がれなくても、悲しいままでいてもいいのだ/仙台市青葉区・女性会社員

 私は先の震災で大切な友人を津波で亡くしました。
 当時はお互い高校生。大学進学を目の前にして突然の別れとなりました。
 成人式にも同窓会にもたくさんの友人が顔をそろえるのに彼女の姿はなく、それが信じられず、不思議な感覚のまま大学生活を終えました。
 仙台七夕まつりやSENDAI光のページェント。彼女と共に過ごしたイベントに足しげく通い、彼女の姿を探すことばかりしていました。
 この春、地元に就職しました。震災後、地元にとどまっていた仲の良かった友人も、上京するなどして方々に散りました。
 彼女が生きていたらどんな職に就いていただろう、この職に就いた私を喜んでくれるだろうか、などということを日々考えて生きています。
 早いもので震災から5年目に突入しました。
 仕方のないことかもしれませんが、世間は震災を忘れているように感じます。
 世間だけでなく私の周りも震災のことを忘れつつあるように感じます。
 というよりも「もう4年も過ぎたのだからいいかげんだらだらと悲しみを表に出すのはやめよう」と、悲しかったことを自分の内に内に、と秘めているように感じます。
 恐らく震災について東北以外の多くの人々は関心が薄くなっているでしょう。
 あれだけマスコミで取り上げられた関連報道も随分と少なくなりました。その流れに乗って震災の話題を口に出すのをはばかっているように感じます。
 私は大学生活の4年間、その友人のことを思いながら過ごしました。
 私にとって震災はいつも身近なところにありました。だからこそ震災を忘れていく世間との乖離(かいり)を感じずにはいられませんでした。
 そんなとき、「挽歌の宛先」の連載が始まりました。生者と死者の間に横たわるものは何なのか、大切な人を亡くして今を生きる人々の素直な感情をつづった記事。
 今は亡き彼女に私が抱き続ける思いは間違っていないのだと感じ、とても安心したことを覚えています。
 言葉は悪いかもしれませんが、大切な人を亡くしたことから立ち上がれないでいるのは私だけではないと知ることで、ずるずる引きずる弱い自分をようやく許せたような気がしたのです。
 報道は「震災から前向きに立ち上がる人たち」ばかりを伝えます。
 もちろん復興には前向きな気持ちが必要です。奮起させるためにもそれは大切なことです。
 けれど私のように心のうちで立ち上がれない人もいると思います。
 悲しいことを震災から4年たった今でも素直に悲しんで良いのだと「挽歌の宛先」は感じさせてくれます。ぜひこれからも連載を続けてほしいです。


<祈りと震災>重なる思い共感のまなざし 読者の手記(2)
◎同じ立場の人真剣な言葉にホッとした/仙台市若林区・女性会社員

 東日本大震災から半年くらい過ぎ、よく沿岸部に震災で亡くなった人の霊が出るなどのうわさを耳にするようになりました。
 それは面白半分のような、心霊スポットのような聞いていて気分のいい話ではありませんでした。
 仙台市の街中から車で飛ばせば30分ほどの若林区の沿岸部で私は妹と妹の嫁ぎ先の両親を亡くしました。
 幽霊でも何でも会えるならその霊が出る場所を詳しく教えてくださいって何度言葉に出したくなったか。
 うわさ話をする人は全員震災で悲しみを味わったことのない人でした。仕方ないと思いながらもそんな話を聞くと怒りさえ覚えました。
 連載の第3部「『再会』のかたち」を読み、同じ立場の人たちの言葉にホッとしました。冷やかしでもなく真剣な言葉に。
 現実に震災で肉親を亡くしたり、家を流されたりした人や何の影響もなかった人とさまざまな人がいます。思いはそれぞれ違うことと分かっています。
 でも時間がたつにつれ、その差が縮まることはありません。このような連載に気持ちが楽にさせられる人はたくさんいると思います。


<祈りと震災>重なる思い共感のまなざし 読者の手記(3)
◎手のひらを合わせると不思議に心が和んだ/仙台市泉区・主婦 斎藤浩美さん

 中3の時に父を胃がんで亡くした。亡くなった瞬間、父の体から目に見えない何かが天上にふわっと立ち昇ったように感じた。
 目をつむり胸の前で自然と手のひらを合わせた。それまで言葉にできなかった「ありがとう」が胸の奥底から湧き上がり、その思いが立ち昇った魂にすーっと届いた気がして悲しい気持ちが軽くなるのを感じた。
 「安らかに」。そう願いながら、父の魂と一瞬シンクロしたようなこの不思議な体験が私にとっての初めての「祈り」だった。
 東日本大震災で家も家族も無事だったが、刻々と流れる甚大な被害の状況を聞くにつれ、居ても立ってもいられなくなった。
 涙ばかりが込み上げてきた。その晩は一睡もできず、窓を開けて何度も空を見上げた。停電になった街の空にこうこうと輝いて見えた無数の星は、一瞬にして命を奪われた多くの方々の魂に見えた。
 私は空に向かって手のひらを合わせ目を閉じた。父が亡くなった瞬間と同じ感覚に包まれた。あの時と同じ「祈り」。そう思おうとしたが、涙があふれてきて止まらない。何と声を掛けていいのか思い付かない。「安らかに」と念じるのが無責任で安っぽく感じ、つらさばかりが込み上げた。
 震災後、無力感を抱えて迷い苦しんだ時はひたすら無心に手のひらを合わせた。亡くなった多くの方々の苦しみの何分の一も分かることはできないけれど、心に一瞬でも寄り添う努力をしてみよう。そう思って手のひらを合わせると不思議と心が和むようになった。
 父の魂とかつて一瞬でも「祈る」行為で通じ合った感覚と、多くの方々がそれぞれの形で「祈り」をささげ続けている事実に触れることが今、私にとって何よりの力強い支えとなっている。


<祈りと震災>重なる思い共感のまなざし 読者の手記(4)
◎見えなくてもそこにいる、大切な存在/仙台市宮城野区・僧侶 三浦錬浄さん

 東日本大震災から7日目に、僧侶としてできることは何かと考え、近くの遺体安置所に行った。中に入ることはできなかったが、入り口で1時間ほど読経できた。
 近づいてきた人は「津波で流された身内を捜しに来た。お経を唱えてもらい本当にありがたい」と話していた。未曽有の事態に一時は無力感に襲われたが、突然奪われた数え切れない命に対し、今こそ祈ることが重要だと実感していた。
 被災地で供養をして回った時はいろいろな人に会った。息子が車椅子のおばあさんを助けようとして一緒に流されたと話したお母さん。最愛の人が津波で行方不明になり、毎日海辺で祈っている若い女性もいた。
 石巻市の大川小で供養した時は、ものすごい風だった。風の中に怒り、悲しみ、苦しさ、悔しさの全てが混ぜ合わさったような思いを感じ、恐ろしいほどだった。北上川の橋を通る時は風の強さで渡りきれるだろうかと思ったが、何とか無事に渡ると、ぴたっと風が収まった。
 亡き人を供養しながら歩くと、風や雨、虹という姿で気持ちを示してくれる存在を感じる。われわれはその時の自然の姿から、こちらの気持ちを亡き人が受け取ってくれたかを知る。
 生きているか、亡くなったかの違いはあっても人間であることに変わりはない。見えなくても、そこにいるのだ。そこに寄り添うことが祈ることの本質ではないかと強く感じる。
 この世に存在しないから終わりであるなら、先祖供養は必要ない。さかのぼるほど増える先祖が存在していた確かな証拠は、生きている私たちの存在そのもの。一人として例外はない。
 そう考えれば、お互いが大切な存在なのは間違いない。「お互いさま」であるのだから、共に生きていきたいものだと思う。


<祈りと震災>重なる思い共感のまなざし 読者の手記(5)
◎あなたを応援しているからね/石巻市・病院職員 成田博美さん

 【第1部「魂はどこに」に登場した石巻市の榊美紗子さん(26)に、河北新報を通じ宛てた手紙。榊さんは震災で同居していた家族3人を全員亡くした】
 突然のお手紙で失礼いたします。
 私の一人娘の絵美=当時(26)=は職務中、震災の犠牲になり行方不明です。今もどこかで生きている可能性は捨てきれません。
 美紗子さんも独りでここまで乗り越えてきたのですね。お父さん、お母さん、おばあさんは美紗子さんが思う以上に美紗子さんのことを心配しているんですよ。
 魂はどこにいるんでしょう。霊の存在を感じたいです。
 悲しみは一人ではありません。私とは反対の立場だけど、美紗子さんのことを応援しているからね。
 どうかお元気でお過ごしくださいますようお祈りいたします。


<祈りと震災>(42)自らの役割問い続け
 東日本大震災の被災地では、信心の立場を超えて生者と苦しみを共にする「臨床宗教師」が生まれた。被災者や終末期患者らのそばにいて、生老病死の深淵で模索を続ける。地域社会との新たな関係性を探る宗教者を見つめる。



 鼓動のように人工呼吸器の作動音が寝室に響く。沈黙の中、次の言葉を待つ。
 栗原市の普門寺副住職、高橋悦堂さん(35)は臨床宗教師として、名取市で寝たきり生活の男性(48)を毎月訪ねる。
 男性が声を絞り出す。「前世で悪いことをしたからこうなったんだ」
 前世の報いが現世に現れるという考え方は差別の助長につながるとの見方が、宗教者の中にはある。高橋さん自身の死生観とも違う。
 でもうなずくように声を掛ける。「前世があるかは分からないけれど、それで気が楽になるのなら…」
 その言葉に導かれ男性が心の内を明かした。「来世の自分に苦労させたくない。だから今をしっかり生きるんだ」
 
 首から下を動かせず、寺に行くのは難しい。「死後の世界や戒名のこと。坊さんなら話をちゃんと聞いてくれる」
 高橋さんは、東日本大震災を踏まえて東北大が2012年10月に始めた臨床宗教師研修の1期生だ。在宅医療が専門の名取市の岡部医院と連携して患者宅に赴く。臨床宗教師としての報酬はない。
 寺の長男なので、住職を継いだら檀家(だんか)との関わりを中心に暮らすのだろう−。漠然とそう思っていた。被災者の傾聴活動に取り組む中で生き方が変わった。
 震災による多くの不条理な死は、現代の死との向き合い方を社会に問い掛けた。
 多くの人が病院で医療を施されたまま死ぬ。その過程に宗教者はほとんどいない。核家族化は死を日常から遠ざけた。僧侶でさえ葬送の場や仏事でしか死に触れていなかったと高橋さんは自戒する。

 臨床宗教師へと導いたのは、その必要性を震災前から説いていた岡部医院の故岡部健医師との出会いだった。がんで震災後に死の床についた岡部さんから「俺の最期をみとれ」と言われた。徐々に弱り死にゆく姿を見届けた。
 生と死のはざまで苦しむ心を受け止めたいと誓った。
 仙台市内のホームホスピスにも通う。末期がんの名取市の高齢女性は津波で自宅を失った。女性を助けようと家に戻り亡くなった息子。「親思いだった」と繰り返した。真言宗を信仰する女性は、曹洞宗の高橋さんに真言宗の開祖空海の話を聞かせてくれた。
 半年ほど通ったことし2月。意識のない女性の手を握り、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と真言宗の経文を唱えた。1時間後に旅立った。
 病気の痛みを取り除けるわけではない。無力さを思い知ることがある。「支えを必要としている人との一瞬一瞬を大事にする。死後だけではなく、生に向き合いたい」
 宗教者は誰のため、何のためにいるのか。臨床宗教師の現場は修行でもある。


<復興費負担>全事業全額国費 継続を/(上)宮城・南三陸町長 佐藤仁さん
 復興庁は東日本大震災の集中復興期間終了後の2016年度以降の復興事業について、全額国費負担を取りやめ、一部事業は被災自治体に負担を求める方針だ。その是非をどう考えるか。地方自治の現場に深く関わる一方、意見や立場は異なる3人に聞いた。(聞き手は報道部・中島剛)

 震災で甚大な被害を受けた被災地の首長として、復興事業の全額国費負担は基幹事業、効果促進事業ともに継続が望ましい。
 防災集団移転促進や災害公営住宅整備などの基幹事業について、南三陸町では来年度以降も概算で約200億円が掛かる。たとえ数%でも一部負担を求められたらお手上げになる。
 基幹事業を進めていくと、現時点では明確ではないが、必ず付属的な事業が出てくる。災害公営住宅なら周囲の緑化、復興祈念公園なら案内板など。それらのいずれが一部負担の対象になるのか分からない。一つ一つは500万円、1000万円の事業費だが、積み重なると大変な額になる。
 三陸沿岸道路は災害時に命を守る道路として、政府が10年間で青森までつなげると約束した。地元も負担するとなれば、開通はずっと遅れる。国道45号1本では次に津波が来たとき、三陸沿岸のまちは再び孤立する。普通の道路整備とは意味が違う。
 被災自治体はそれぞれ事情が異なる。南三陸町や女川町(宮城県)、陸前高田市のように市街地が壊滅した自治体の復興が遅れるのは当然。全ての自治体に同じ5年間での「集中復興」を求めていいのか。財政力も仙台市のような大都市と南三陸町では違う。被災自治体に一律の制度を当てはめるのは乱暴だ。
 国からは、復興には国民の税金を使っていると繰り返し言われてきた。常に意識している。過大なインフラ整備を進めているとの批判が一部にあるが、非常に心外だ。国との折衝を繰り返し、認められた事業だけを実施している。被災地が野放図にカネを使っていることは断じてない。
 1960年のチリ地震津波で旧志津川町(合併して南三陸町)は大きな被害を受けた。当時は復興に地元負担を求められ、財政再建団体に転落した。災害で痛めつけられた自治体が復興で財政を悪化させ、住民サービスの低下を招くような事態はあってはならない。
 被災自治体の首長は被災者と毎日向き合っている。マクロな観点で「国家財政を考えて復興事業を抑制しましょう」とは言えない。

<さとう・じん>仙台商高卒。印刷会社経営を経て92〜02年旧志津川町議、02〜05年旧志津川町長。南三陸町発足の05年から町長。63歳。南三陸町出身。


被災の天雄寺観音堂再び 檀家集い落慶法要
 東日本大震災の津波で被災し復元された石巻市雄勝町の天雄寺観音堂で17日、落慶法要が営まれた。檀家(だんか)ら約80人が集まり、江戸時代中期の歴史的文化財の復活を祝った。

 野々村大顕住職が「さまざまな支援に感謝する。一切の難を除いて温かい持ちになるよう観音堂を維持していく」と述べた。
 復元に関わった石巻市文化遺産復旧復興実行委員会の佐藤雄一会長は「被災し打ちひしがれた地域の人々の心の復興にもつながる」と期待した。
 観音堂は木造で床面積約20平方メートル。1766年に建てられた。1977年に旧雄勝町の文化財に指定され、石巻市と合併後、市の指定文化財となった。
 津波で天雄寺は本堂や庫裏などが流失。観音堂は屋根や柱が残り、復元工事が3月に完了した。事業費は約3300万円で、米国のワールド・モニュメント財団とアメリカン・エキスプレス財団の助成金などが充てられた。


東日本大震災復興 地元が望まぬ打ち切りやめよ
 東日本大震災の復興にあたる復興庁が、2015年度で5年間の「集中復興期間」が終わる全額国費の復興事業について、地元負担の導入や一般公共事業への移行、一部は打ち切りの方針を打ち出し、地元の反発を呼んでいます。東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島など被災地の復興は道半ばで、多くの被災者はいまだに元の暮らしを取り戻せていません。竹下亘復興相は、地元自治体などと協議の上、6月末までに決定したいとしていますが、地元の同意のないまま、地元に負担を押し付け、復興事業を打ち切るのは許されません。
支援なしには復興進まぬ

 2万人近い人たちが亡くなったり行方不明になったりし、被災から4年以上たった今も20万人を超す人びとが避難生活を送っている東日本大震災の復興が、自治体や住民まかせで進まないことは明らかです。仮設住宅から復興公営住宅に移り、造成された高台での住宅建設が始まっても、それだけでは生(なり)業(わい)を取り戻し元の生活に戻ったとはいえません。「集中復興期間」が終わったあとも、息の長い国の支援が求められます。

 とりわけ東京電力福島第1原発事故でいまだ立ち入りが制限される地域が残り、10万人を超す人たちの避難生活が続く福島県では本格的な復興はまさにこれからです。「集中復興期間」の終了どころか、延期・充実こそが求められます。

 復興庁が示した方針は、16年度以降の5年間を「復興・創生期間」とし、復興住宅の建設や高台移転はこれまで同様、全額国費で事業を進めるものの、新規の防潮堤建設などは一部を自治体の負担とし、内陸部の道路建設などは一般会計に移し自治体に負担を求めるというものです。被災地の自治体はただでさえ財政力が十分でなく、人口の流出や産業の衰退が続いていることから、一部とはいえ自治体負担の導入は、事業そのものの存続に関わりかねません。

 重大なのは、復興庁が県外自主避難者への情報支援や緊急雇用創出事業、福島県での再生可能エネルギー導入促進事業など10の事業について、国事業の継続でも地元負担の導入でもなく、15年度で打ち切る方針を明らかにしたことです。これらの事業が打ち切られれば、県外への自主避難者に情報を届けることも、震災で仕事を失った被災者に仮設住宅の見回りなどの仕事を提供することもできなくなります。

 なかでも福島での再生可能エネルギー導入促進事業は、原発事故で大きな被害を受け、廃炉が決まった福島第1原発だけでなく、停止中の第2原発を含め、すべての原発をなくすよう求めている福島県にとって復興の要にもなる事業です。問答無用でそれまで打ち切ろうという復興庁の姿勢に反発が広がるのは当然です。
災害復興は国の責任

 地震や津波による被害は、たまたまそこに住んでいたというだけで、住民に責任が押し付けられるものではありません。国際的にも被災者を保護し、援助を与える「第一義的な義務と責任は国家当局にある」というのが原則です。

 実情に合わなくなった事業の見直しは当然としても、住民が同意しない地元負担や復興事業の中止はやめるべきです。復興庁は被災者の声に耳を傾けるべきです。


【被災地を歩く】 町営施設・女川温泉ゆぽっぽ
 ■被災者癒やし 観光の玄関口

 宮城県女川町に向かって仙台市から乗用車を走らせる。女川湾が右手に見え、高台に向かって左折すると、女川駅があった。

 東日本大震災で被災したJR石巻線が3月21日に全線復旧。津波で流され、震災前よりも約200メートル内陸に移設された女川駅も、この日に新装開業した。

 駅舎は白い翼のような屋根が印象的だ。周囲ではかさ上げ工事が進み、平地が広がっているので、ひときわ目立つ。設計したのは、世界的建築家の坂茂(ばん・しげる)氏。はばたく鳥をイメージしたという。アカマツが使われた3階建ての駅舎は中央が吹き抜けになっていて、奥へ進むと右手に切符の販売機がある。

 しかし、左手には、駅とは違う施設が入居している。町営温泉施設の「女川温泉ゆぽっぽ」だ。

 ◆来場者1万人突破

 開業後から、平日も地元客らでにぎわい、今月6日には早くも来場客数1万人を突破した。施設を運営する「女川町ゆぽっぽコンソーシアム」の副支配人、神山勝幸さんは、新たに誕生した施設を「女川観光の玄関口にしたい」と話す。

 女川温泉ゆぽっぽは平成18年4月から旧女川駅近くで営業してきたが、23年3月11日、震災の津波で被災し、今年3月、新駅舎内に併設された。同コンソーシアムは地元企業が生産、加工するお弁当やパン、漬物などを施設内で販売したり、入浴客に観光案内をしたりしている。神山さんは「将来的には、温泉周辺で建設が進む、飲食店やお土産屋さんで食事や買い物をしてもらえるような観光の流れを作っていきたい」と話した。

 源泉は、震災前と変わらず、新しい駅から同町役場方向へ車で3分ほど走ったところの高台にある。腰痛や乾燥肌などに効能があるという。

 施設に入り、階段で2階に上がる。左に進んで浴室まで行くと、まず目に飛び込んでくるのが白いタイルに青色で描かれた「泉と鹿」の壁画だ。振り返ると、同じ色で描かれた「霊峰富士」がそびえる。日本画家の千住博氏が描いた作品だ。

 訪ねた14日は、女川町では最高気温27・5度を記録した夏日。汗を流すには、ちょうどいい。木製の風呂いすとおけは浴場の隅に山積に置いてあるのではなく、備え付けのシャワー10カ所の前に、風呂いすの上におけをかぶせて並べられていた。

 脱衣所を出て、上がってきた階段近くまで戻ると、両脇が全面ガラス張りの休憩所に着く。ちゃぶ台のような机が9つと座布団が置いてある。カウンターテーブルが付いている。テーブルの下は掘りごたつのように足を投げ出して座れる造りになっている。

 ◆震災のつらさ忘れる

 神山さんが「ゆったりできる風呂に入りたいという町民の方などの癒やしの場にしたい」と話すように、休憩所では入浴後に自由にくつろぐ人たちの姿があった。

 壁にはめ込んである液晶テレビを見ていた女性に声をかけてみた。同町のパート従業員、大野仁和子さん(70)は、仕事が休みの日には必ず温泉に入りに訪れるという。「震災の津波で自宅が流され、いまは仮設暮らし。夫には『家に風呂があるのに、なぜわざわざ(温泉に)行くのか』とも言われるが、温泉に入るのが楽しみ。ここへ来ると、震災のつらさを忘れるくらい、癒やされるから」と笑顔を見せた。

 温泉施設が、地元住民らの笑顔を作る。かさ上げ工事以外にも復興の歩みが見えた。(岡田美月)


復興への感謝と誓い 神戸まつりパレード
 「第45回神戸まつり」のメインフェスティバルが17日、神戸市中心部の三宮、元町周辺で開かれた。阪神大震災から20年を迎えた今年は、復興への感謝や東日本大震災の被災地への連帯の思いを込め、災害ボランティア団体がパレードに参加。おなじみのサンバも人気を呼び、会場は104万人でにぎわった。

 岩手県大槌町の仮設住宅などへの訪問を続ける「神戸大学東北ボランティアバスプロジェクト」のメンバーらは、同町に伝わる郷土芸能「鹿子踊(ししおどり)」を住民とともに披露。勇壮な舞いで注目を集めた。

 神戸大工学部3年の田中理貴さん(21)は「東北の復興は道半ば。同じ経験を持つ神戸の街から被災地の今を伝えたい」。大槌町から参加した「臼澤鹿子踊保存会」会長の東梅(とうばい)英夫さん(69)は「震災後、神戸の人たちには何度も助けてもらい、お礼が言いたかった。街が立ち直った姿を見ると、力が湧いてきますね」と話した。

 阪神の被災地、神戸市東灘区の御影地域からは、だんじり4基が10年ぶりに参加した。「押したー押したー」のかけ声とともに、重さ2〜4トンのだんじりが進む。復活を企画した漬物製造会社会長高嶋良平さん(69)は「鎮魂や感謝、東北へのエールを伝えられた」と満足そうだった。

 パレードに恒例のサンバチームが登場すると、会場は華やかな雰囲気に。神戸市を中心に活動する「コパサンバチーム」の約80人は激しい踊りを披露。チームを率いるリオデジャネイロ出身のバヌーザ・サンチアゴさん(44)は「天気もよく、楽しく踊ることができた」と汗をぬぐった。

 沿道から見守った大阪市福島区、鮮魚販売業稲田甫(はじめ)さん(78)は「迫力のある音とダンスを見てると、自然と体がリズムを刻んでしまうね」と喜んでいた。


「大阪都構想」実現せず 橋下政治が否定された
 大阪市民による「橋下政治」の否定である。大阪市を廃止し五つの特別区に分割する「大阪都構想」は、賛否を問う大阪市民による住民投票で反対多数となり否決された。結果には法的拘束力があり、政令市として大阪市は存続する。

 橋下徹市長にとって都構想は政治活動の原動力だった。その政策目標を住民に否定された責任は重い。橋下氏は否決を受けた記者会見で12月の任期満了をもって政界を引退する意向を示したが、最高顧問を務める維新の党のあり方も問い直される。
 ◇説得力を欠いた将来像

 東京一極集中が進み、本社を首都圏に移す企業が相次いだ大阪は経済の地盤沈下で閉塞(へいそく)感が強まった。その原因を府・市が連携せずにバラバラの都市戦略で無駄な開発行政を続けたことにあるとして、橋下氏が府知事時代の2010年に提唱したのが都構想だ。

 府が都市計画などの広域行政を担って大阪全体の成長戦略の司令塔となり国際競争力のある都市に再生する。大阪市を解体して府・市の二重行政を解消し、新設する特別区が教育・福祉など身近な行政を担当する。橋下氏は東京都型の仕組みを改革の起爆剤と位置づけた。

 大阪市は労使の癒着が明るみに出て市民の不信が募っており、橋下氏の主張に一定の支持があった。それなのに住民投票で構想が否定された要因は、橋下氏の説得力不足と強引な手法への批判に尽きよう。

 地方分権を重視し、独自の発想で地域再生を目指すのが都構想の原点だったはずだ。だが、どんなまちをつくるのかという大阪の将来像を巡る議論は置き去りにされ、自治体の枠組みを巡る協議が先行した。

 再編効果額があいまいだったのも住民の戸惑いを深めた。府・市の試算では17年間に約2700億円とされたが、大阪市を残しても実現できる市営地下鉄民営化などが含まれ、反対派から「まやかしだ」と批判を浴びた。多額の経費を使い、政令市を解体してまで得られるメリットが市民に理解されたとは言い難い。

 そもそも住民投票に至る手続きに見過ごせない問題がある。橋下氏は労組や議会などを既得権益勢力と決めつけて攻撃する手法で改革をアピールした。だが、議会を軽視する態度が市議会野党との亀裂を深め、都構想の制度設計案は維新のみで独善的にまとめられた。

 さらに不可解だったのは、制度設計案が府・市議会でいったん否決されながら、公明党の方針転換によってほぼ同じ案が承認されたことだ。議会で十分な議論が尽くされないまま住民投票に持ち込んだことが、乱暴すぎるという批判を招いたのは間違いない。

 大阪は高齢化が急速に進み、貧困、治安、教育など多くの課題に直面している。都構想が一定の注目を浴びたのも、住民が大阪の将来に対して抱く危機感が強いためだ。府・市議会の与野党は対立を強めたが、結果が出た今、歩み寄って現状を打開する知恵を出し合うべきだ。京都、神戸との広域連携や首都機能の移転など、視野を広げて関西全体の活性化策も多角的に探りたい。

 国政選挙や地方選挙の投票率が低下傾向にある中、投票率は65%を超えた。自分の住む自治体のあり方を考えることに住民の関心が高いことを示した。
 ◇集中是正の議論続けよ

 大都市制度を巡っては、道府県と政令市との二重行政、大規模な政令市でのきめ細かい住民行政の難しさ、政令市の権限拡大に伴う道府県の役割の空洞化など、多くの問題が積み残されている。東京集中の是正とともに地域の実情に応じた都市制度の議論を急がねばなるまい。

 橋下氏は首長の地位にありながら新党を率いて中央政界に進出し、野党第2党の維新の党最高顧問と地域政党・大阪維新の会代表を務める。橋下氏が政界引退を表明した以上、大阪維新の会は党の存在理由を再定義する必要があろう。

 維新の党は安倍政権との対決に基軸を置く江田憲司代表らと、改憲論議に積極的で安倍晋三首相や菅義偉官房長官と近い橋下氏らとの間に温度差がある。菅氏らが橋下氏にエールを送ったのは、安全保障法制や改憲問題での維新の党との連携を念頭に置いたためだろう。しかし橋下氏が政界を去れば、一部野党を巻き込む形で政権運営をより強化し、憲法改正につなげたい首相官邸の戦略にブレーキがかかる可能性がある。

 野党再編の動向にも影響する。維新の党の存在感が低下することで、来夏の参院選に向けた野党間の選挙協力は民主党主導が強まることが予想される。性急な再編論議と一線を画する意見が強まるとみられる。

 橋下氏の主張が少なからぬ国民の共感を呼んだのは、しがらみのない構造改革で既成政党と対決する期待感からだった。だが、石原慎太郎元東京都知事らとの合流などを経て、いわゆる「第三極」勢は迷走を続け存在感は埋没気味だ。

 野党がしっかりしなければ、自民党1強状態での国会は健全に機能しない。腰を据えて安倍内閣との対立軸を構築する努力を野党側に改めて求めたい。


「大阪都」否決 議論の重さ忘れるな
 民意は、議論を尽くさぬままの制度改革を認めなかった、ということだろう。大阪市の将来の姿を決める住民投票は、市を廃止して五つの特別区に再編する「大阪都構想」を反対多数で退けた。

 橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会が掲げた大阪都構想は、市と大阪府が競い合って大規模開発や病院運営などを手掛ける二重行政の解消を狙ったものだった。維新の会は、広域行政を府に一元化することで大きな財政効果が期待できる、と主張してきた。

 府市両議会で野党の自民、民主、公明、共産は都構想反対で足並みをそろえ、「市を廃止しなくても二重行政は解消できる」「財政効果は小さく、サービスの水準も低下する」と主張してきた。

 さて、どちらの主張に理があるのか。市民は難しい選択を迫られたわけである。

 道府県内にありながら道府県並みの権限を持つ政令指定都市をめぐっては、古くから二重行政の問題が指摘されてきた。大阪以外にも、二重行政解消を掲げた構想が各地で浮上してきた。

 大村秀章愛知県知事と河村たかし名古屋市長は、愛知・名古屋の合体をうたう「中京都構想」を二〇一一年の知事・市長ダブル選で共同公約に掲げた。

 横浜市は、逆に、神奈川県から事実上、独立する「特別自治市」構想を唱える。

 新潟では、泉田裕彦知事と篠田昭市長が県・市合併を視野に入れた「新潟州構想」を提唱した。

 その先陣を切って、制度変更の可否を決める住民投票にまで構想を進めたのは、ひとえに橋下氏の豪腕による。

 商都と呼ばれた大阪の地盤沈下は指摘されて久しい。沈滞する大都市に、持続可能な将来像をいかに描くのか。その論点は地方自治の最重要課題であり、改革の具体的道筋を示した橋下氏の問題提起には大きな意味があろう。

 しかし、議会では、異論に耳を傾けぬ市長と野党四党との間で議論が深まることはなく、法定協議会では最終的に大阪維新の会だけで協定書を決定。住民投票実施が決まったのも、政党間の駆け引きの結果でしかない。

 議会を軽視して強引に住民投票に持ち込み、「納税者をナメた役所や議会をつぶす」「既得権益を全部壊す」などとあおって主張を押し通そうとした手法は、あまりにも危うい。

 議論尽くさぬ改革は認めず。それが、示された民意であろう。


大阪都構想否決:維新、存続の危機
 大阪市の橋下徹市長(維新の党最高顧問)が推進した「大阪都構想」が否決されたことで、維新は存続の危機に直面することになった。維新の協力に期待していた安倍晋三首相の憲法改正論議にも影響を及ぼす可能性がある。一方、史上初の政令市解体を狙った都構想は、日本の大都市制度のあり方に一石を投じた。【福岡静哉、松井聡、小山由宇】
 ◇自民、改憲へ思惑外れ

 「橋下氏は本当に引退するだろう。党の一大事だ」。維新の党の参院議員は、危機感をあらわにする。

 橋下氏が地域政党・大阪維新の会や日本維新の会(当時)を結成したのは、都構想の実現が目的だった。行政の無駄削減や統治機構改革といった同党が掲げる政策の集大成が、「役所を一から作り直す」(橋下氏)都構想だ。住民投票の結果は、党の存在意義を否定されたのに等しい。橋下氏は選挙の強さが求心力の源泉だったが、本拠地で敗れた打撃は大きい。

 「何と言われようが大阪維新は橋下商店」(大阪の衆院議員)のため、一枚看板を失えば一気に求心力を失う懸念がある。12月の市長任期満了に伴い橋下氏が引退する場合、複数の地方議員は「橋下氏がいるから議員になった。自分も議員辞職する」と漏らす。一方、躍進した2011年統一地方選前に自民を離党して移った議員も多いだけに、橋下氏の側近議員は「自民に戻る議員も出てくるだろう」と話す。11月任期満了の知事選と合わせて、知事・市長とも非大阪維新系へ「政権交代」する可能性が現実味を増す。

 影響は大阪だけでなく国政にも及ぶ。維新は住民投票で勝利して橋下氏が党代表に返り咲き、来夏の参院選の弾みとする考えだった。党内に橋下氏出馬への期待論が大きく、17日夜に江田憲司代表と松野頼久幹事長が引退を慰留したが、橋下氏は応じなかったという。松野氏は記者団に「政治家の出処進退の言葉は重い」と語った。「参院選は戦いようがない」(党中堅議員)と悲観的な見方も出ている。自民、民主、旧みんな、生活の党など各党出身者が寄り合うため、分裂含みとなる恐れもある。

 安倍政権にとっても、政権に近い橋下氏の影響力が低下すれば、「維新カード」を失いかねない。維新は野党第2党ながら「是々非々」路線で、政権と民主の間でキャスチングボートを握る手法を取ってきた。今国会の安全保障関連法案の審議でも政府案との修正協議を否定していない。菅義偉官房長官は住民投票の告示後も、自民大阪府連が共産と都構想反対で合同街頭演説したことを「理解できない」と批判し、橋下氏を援護射撃してきた。政権にとって維新カードは野党分断に加え、憲法改正に向けて協力を得る狙いもあった。衆院は自公で改憲発議に必要な3分の2を占めるが、参院は届かない。参院選で維新が議席を増やして「自公維」の枠組みで改憲を狙う戦略もあったが、もくろみは外れた。自民内では「改憲の数合わせと都構想をリンクさせるべきではなかった」(閣僚経験者)と反発も出ている。

 これに対し民主は、相対的に野党内での主導権が強まりそうだ。維新が主張する民主が分裂しての野党再編がしぼみ、民主を軸に維新を吸収する再編を期待する声がある。民主関係者は「橋下氏が退場すれば、維新は統制が取れなくなる。受け入れる準備がある」と話す。ただし岡田克也代表ら執行部は党の自主再建を優先するため、再編の機運がしぼむとの見方もある。
 ◇大都市制度に一石

 都構想で解消を目指した二重行政は、全国の政令市で指摘される問題だった。政令市には大きな権限があり、道府県と業務が重複するためだ。国も問題を認識。道府県から政令市への権限移譲、道府県と政令市が政策を協議する「調整会議」の設置などに取り組んだが、解消には至っていない。

 今回の否決で、他政令市では大阪都構想に追随する動きは出ないとみられる。だが、関西学院大学の高林喜久生教授(財政学)は、「都構想は、政令市制度への問題提起だった。他地域でも大都市制度の議論が交わされる契機になるだろう」と期待を込める。

 政令市制度をめぐっては、全政令市で構成する指定都市市長会が2010年に「特別自治市構想」を提唱。権限と財源を市に集めて道府県から独立することで二重行政の解消を目指すものだ。横浜市や神戸市などが目標に掲げている。

 林文子横浜市長は「(都構想が大阪以外の地域に)それほど影響を及ぼすとは考えていない」と今後も自治市の検討を進める意向を示す。総務省自治行政局長として、都構想の根拠法(大都市地域特別区設置法)制定に関わった久元喜造神戸市長は「大阪に限定する法律との想定だった。大阪以外で、政令市解体の必要はない」と言い切る。

 ただ、中京都構想を掲げる河村たかし名古屋市長は「市民が自治のあり方を決めるのはいいこと」と住民が自治制度を議論することに期待感を示す。橋下氏も17日の会見で「大都市制度の議論は進むのではないか。自民も『調整会議』を提案している」と改革の必要性を強調した。


特集ワイド:大阪都構想、住民投票で「ノー」 さらば橋下徹劇場
 いわゆる「大阪都構想」の夢ついえ、橋下徹大阪市長が政界引退を表明した。タレント弁護士から政界へ、そのたぐいまれなる弁舌パワーに浪花はむろん、日本中が振り回された感すらある。「橋下徹」とは何だったのか?【鈴木琢磨】
 ◇そのへんをぷらぷら歩いていた男です
 ◇突き進んでいる姿だけを伝えようと思って
 ◇本当に、ここまで長かった 山あり、谷あり、地獄あり
 ◇その先は、私利私欲 普通の仕事で働きますよ


 「わが政治家人生に悔いなし」−−。住民投票で都構想ノーの結果が出た17日夜、大阪市内のホテルの会見場に現れた橋下さん、真意を悟られまいと満面の笑みを通した。さばさばとした引退の弁を最前列で聞きながら、私は石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」の歌が重なった。♪鏡に映るわが顔にグラスをあげて乾杯を……。政治家を辞めたら、また茶髪に戻るのか? そう問われた時、一番の笑顔になった。「もう似合わない。しわしわになって、相当疲れた男になってしまっています」。だが、そこには自負ものぞいた。「誰か本を書いてくださいよ」。格好いい自身に酔ってもいただろう。

 私が初めてナマの橋下さんを見たのは2008年1月のことだった。小雪が舞う、とある公園、大阪のおばちゃんたちは喜々としていた。ペンライトまで手にして。橋下さんはニコニコだった。「あのね、お母さん、氷川きよしのコンサートと間違えてませんか」。38歳で臨んだ大阪府知事選のひとコマである。さすがにどっとくる。「大阪はもう借金まみれ。このままでは夕張になってしまう。政治が悪い、行政が悪い。でも僕が言いたいのは夕張市民も悪い。選挙権がありながら、声をあげなかった。大阪を夕張にしていいんですか!」。そして締めはこう結ぶ。「エラそうに言ってますが、1カ月前までジーパン、茶髪にサングラス、そのへんをぷらぷら歩いていたような男です」

 やんちゃで、歯に衣(きぬ)着せぬもの言い、タブーにズバリ切り込む。笑いのツボもきっちり押さえれば、テレビが彼に「舞台」を提供し続けたのも無理はない。世間は破天荒をおもしろがる。白状すれば、東京に暮らしながらも根っからの関西人である私もおもしろがっていた。独裁者か、改革者か−−。メディアの寵児(ちょうじ)になりながらも評価はいつも真っ二つ、ご本人はといえば、そんなレッテル貼りなど意に介するふうすらなく、せっかちな橋下時計の針がくるくる回っていく。

 おやっと感じたのは2年後に大阪府と大阪市の二重行政こそ大阪の地盤沈下の元凶だとして「大阪都構想」をぶちあげてから。地域政党「大阪維新の会」が発足したかと思えば、知事を辞め、11年11月には知事、市長のダブル選挙へなだれ込んだ。前代未聞のウルトラC。早速、立ち飲み屋の並ぶ大阪・JR京橋駅前に演説を聞きに行った。「大阪を夕張にしていいんですか!」が変わっていた。「今の大阪府庁、大阪市役所の仕組みでは大東京には勝てません! 上海、ソウル、バンコク、香港にも勝てません!」。やけに話が大きくなっていた。

 当然のごとく、メディアも彼への批判が増えてくる。だが、弁護士で鍛えたからなのか、メディアへの反撃は容赦なかった。やられたら、やりかえす−−。テレビで持論を展開することもあれば、ツイッターでこれでもかとばかり反論をつづる。政治家らしからぬ汚い言葉を並べて。うっかり挑発に乗ったら、彼の思うツボだな、と私は遠くからハラハラしていたが、一部のメディアを仮想敵にして発信度を強めていく。私もツボにはまっていたかもしれない。定例会見も含め、彼は質問にはよく答えたのは事実だ。強引なだけではない。間違いはあっさり認める。謝る。それもテクニックではあったが。

 でも、大阪都構想が打ち出の小づちとも思えない。在阪テレビ局の情報番組で国際日本文化研究センター教授の井上章一さんがコメントしていた。「もし大阪都ができたら、府は京都だけになりますんやなあ」。とぼけた味に笑ったが、それほど都構想はすんなり頭に入るシロモノではなかった。あれは府知事選のときだった。移動の車中で演説のコツについて聞くと、こう返ってきたのをはっきり覚えている。「自らの突き進んでいる姿、それだけを伝えようと思って。メディアに身を置かせてもらって学びました。脳ミソに働きかけるのと心情に働きかけるのとの違いを」

 そうした大衆の心理を知っているがゆえ、ジレンマを抱えていたのではないか。都構想の可否を決める住民投票に持ち込んだものの、肝心のメリットが伝えきれない。一定の橋下人気はあるにせよ、政策が腑(ふ)に落ちなければ賛成とならない。テレビCMでは青空をバックにTシャツ姿でひたすら訴えていた。「いやー、本当にここまで長かった。まあ、山あり、谷あり、地獄あり。とにかく大阪をよくしたい、その思い、それだけでここまでやってきました」

 民主党政調会長代理の辻元清美さん(55)は「痛々しいなあ」と言うのだった。「橋下さん45歳でしょ、年齢的にもずっと弟みたいな感じに思ってましたから。ええキャラもあってね、(国直轄公共事業の地方負担金について)ぼったくりバーみたいとか、原発はおかしいとか言ったりして。でも権力の刀を持つ快感を覚えた。2012年に国政政党の日本維新の会をつくって、その後、石原慎太郎さんと手を結んで、これで天下が取れるぞと思ったんやね。<大戦(おおいくさ)>って言いだしたり。ああ、勘違いしてるなって」
 ◇そもそも強くない

 改憲をもくろむ安倍晋三首相にとって、橋下さんは同志だった。いくら巨大与党とはいえ、改憲勢力をより盤石にしたい、そのためにエールを送り続けた。都構想の実現を見届け、橋下さんは満を持して永田町に乗り込む−−。そんなシナリオがまことしやかに語られもした。だが、ここで看板政策が消え、役者も去れば、維新の先行きも見通せない。「自民党は本音では維新を相手にしてないと思います」(民主党幹部)

 そういえば、まだ初々しい橋下さんに将来を聞いたことがある。「僕、正義感も奉仕の精神も強くない。そもそも強い男じゃありません。この年だから無理できるんです。大阪を変えたい、その一心で。その先は、私利私欲、普通の仕事で自分のために働きますよ」

 さて、住民投票で分裂した大阪はどうなるのか。「街場の大阪論」を書いた情報誌「ミーツ」の元名物編集長、江弘毅さん(56)に聞いてみた。「大阪に二者択一を迫ったのは共同体の破壊に等しく、罪深いですよ。でも、大阪はぐにゃぐにゃにゆがんだりもするけど、形状記憶合金みたいにすぐ戻る。それもあっという間に」

 戦い敗れた橋下さん、今夜、ミナミあたりで、ひとりの大阪人としてグラスを傾けたらいかがか。やけ酒でなく。


安保法案:閣議決定 全国紙は評価二分 社説・論説比較
 安倍政権が14日、自衛隊の活動を飛躍的に広げる安全保障関連法案を閣議決定した。これについて、多くの新聞が15日朝刊の社説・論説で取り上げた。全国紙では毎日、朝日が法案を批判したのに対し、読売、産経は肯定して評価が二分した。一方、ブロック紙・地方紙は34紙が閣議決定に批判・懸念を示したが、このうち批判を鮮明にしたのは18紙程度。集団的自衛権の行使を容認した昨年7月の閣議決定時の社説は大半が批判的だったことと比べると、論調に温度差が生じているようだ。【青島顕】

 毎日新聞は1面に「安保政策 歴史的転換」の横見出しを掲げ、8カ面を使って報じた。社説は「内容も進め方も問題が多すぎ、とても同意できない」「憲法のもと、日本がとってきた専守防衛に反する」と安倍政権の姿勢を批判した。さらに「後世の歴史の検証に堪える議論をすべきだ」と十分な国会審議を求めた。

 朝日新聞は1面に政治部長の論文を掲載し、9カ面で展開した。社説は「憲法9条に基づく平和国家としてのありようの根本的な変質だ」とし、法案成立の場合について「内閣が政策実現のため憲法を実質的に改めてしまう立憲主義の逆立ちに、国会がお墨付きを与える。立法府の自殺行為だ」と警鐘を鳴らした。

 読売新聞は1面に「日米同盟の抑止力強化」と法案を肯定的に捉えた見出しを掲げ、8カ面で報じた。社説は「日本単独で自国の安全を確保するのがもはや困難な現状を直視せねばならない」と記し、「憲法の平和主義や専守防衛の原則は維持されるうえ、従来の憲法解釈の法理とも整合性が取れている」と評価した。

 産経新聞は「首相『平和へ切れ目ない備え』」と安倍晋三首相の記者会見での発言を1面見出しに採った。社説に相当する「主張」欄でも「抑止力を高めるため、自衛隊の役割を拡大する根拠となる法制の整備が不可欠」と政府・与党の主張を支持する論を展開した。社会面には関連記事を掲載しなかった。

 日本経済新聞は「安保政策 転換点に」と1面見出しで報じたが、社説は法案を取り上げなかった。昨年7月1日に政府が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した際は、翌日朝刊の社説で「助け合いで安全保障を固める道へ」と書いていた。(いずれも東京本社発行紙面)
 ◇強い批判回避目立つ ブロック紙・地方紙

 中日新聞(愛知県)・東京新聞の社説は、政府が安全保障法制を「平和安全法制」と言い換えたことについて「欺瞞(ぎまん)」と非難し、「専守防衛の原点に返れ」と訴えた。北海道新聞は「憲法の平和主義を踏み外すもの」と社説冒頭から法案に異議を唱えた。

 神戸新聞は「いったん撤回して国民の声に耳を傾けるべきだ」、広島県の中国新聞も「今国会では成立を見送るべきだろう」と踏み込んだ。鹿児島県の南日本新聞は「政権の暴走に抗議する」「平和と語れば語るほど」と2本の社説を掲げた。

 こうした批判的な社説の一方で、16紙程度の社説は法案に疑問や懸念を示しつつ、慎重な国会審議を促した。宮城県の河北新報は「想像力の限りを尽くした徹底審議で、慎重な世論に応えるべきだ」、佐賀新聞も「あいまいさを残さず、緻密な議論を重ねるべきだ」と記した。

 販売エリアに基地を抱える神奈川新聞は「地元に暮らしている自衛官や家族の個人にも思いを致す責務がある。新たな役割に不安を感じている人がいることも、忘れてはならないだろう」と書いた。

 昨年7月の集団的自衛権行使容認閣議決定翌日の朝刊で、ブロック紙・地方紙は38紙が批判的な社説を掲載した。それと比べ今回は、懸念を示しながらも強い批判は避ける社が目立つ。

 これに対し、北国新聞(石川県)・富山新聞の社説は「米国を支援する体制を整えることで抑止力は強化されるだろう」「あくまで『受け身』の対応であり、『日本が戦争する国になる』などという批判は当たらない」と法案を支持した。

 15日朝刊で、この問題を社説に取り上げない社もあった。沖縄県の沖縄タイムス、琉球新報はともに1面、社会面で法案を批判したが、15日が本土復帰記念日に当たったため、社説は復帰43年を取り上げた。


志賀原発活断層 日本は地震国だから
 北陸電力志賀原発(石川県志賀町)の真下に活断層が存在する可能性が高まった。直下で大地震が起きる恐れがあるということだ。今地下は活動期という。「判定」に厳しすぎるということはない。

 原子力規制委員会の調査団が十三日、志賀原発敷地内の断層に活断層の疑いがあると指摘した。

 1号機原子炉建屋の真下に一本、1、2号機のタービン建屋の真下には二本、延べ約千三百メートルの活断層が走っているらしいということだ。それがいつずれて、設備を壊すか、わからない。住民の不安は察するに余りある。

 敷地内には活断層の疑いあり、とされたもの以外にも、複数の断層が見つかっている。断層の存在自体は北陸電力も認めている。

 3・11後の新規制基準では、活断層の上には、原発の重要設備を置けないことになっている。

 タービン建屋の下の二本は、原子炉の周辺に冷却水を送り込む配管の真下にある。原子炉はもちろん、冷却水が事故防止の決め手であることは、福島の事故で身に染みた。1号機はもちろん、2号機も動かすべきではない。

 志賀原発2号機は二〇〇六年の金沢地裁判決が、営業運転中の差し止め訴訟で、原告側の訴えを初めて認めた原発だ。

 判決理由の中には「邑知潟(おうちがた)断層帯の地震を考慮していない」という指摘があった。

 住民側の請求は高裁で棄却となった。しかし、活断層に対する不安は、以前からくすぶっていたのである。

 福島原発は、津波以前に地震の揺れで致命的な損傷を受けていたのではないかと、国会事故調査委員会なども疑問を呈している。

 かつて、関西では大地震は起きないといわれていた。

 しかし、阪神大震災をきっかけに、全国的に隠れた活断層の調査が進み、“未知の活断層”が次々発見されている。名古屋や大阪の中心部でも見つかった。

 大小の断層同士が連動し、大地震を起こす恐れも否めない。

 福井地裁は先月の関西電力高浜原発差し止め決定で、関電と規制委の地震の揺れに対する見積もりの甘さを指弾した。

 規制委も電力会社も忘れないでもらいたい。

 この国は世界有数の地震・火山国であり、全国どこでも、住民は地震を恐れ、地震に備えて生きている。

 地震や地震の卵である断層を、ゆめ甘く見るべきではない。


東大野球部勝利へ 仙台一、二高コンビ奮闘
 東京六大学野球リーグ、東大の宮城コンビがチームの連敗脱出を期して春季リーグを戦っている。仙台二高出の遊撃手下嶋浩平、仙台一高出の左翼手生田優人の両選手で、「まずは1勝を目指す。連敗ストップに貢献したい」と意気込む。

 共に4年生の2人は、入部以来、勝利を味わったことがない。今季も8試合を終えて全敗。2010年秋から続く連敗は94(2分けを挟む)まで伸びた。
 下嶋選手は走攻守にバランスの取れた選手。1年秋にベンチ入りし、2年春からは先発出場が増えた。この冬、右肩などをけがして出遅れ、今季は代打で5打数無安打。
 生田選手は高校時代、軟式野球部に所属していたが、神宮球場の舞台に憧れ、入部した。3年春から代打要員となり、今季は1得点を挙げている。
 悲願の1勝に向けて、下嶋選手は「守りは良くなっている。投手陣が得点を抑えた上で、いかに点を取れるか」と思い描く。生田選手は「好機に打席に立ち、犠飛でも良いから決勝点を取りたい」と意気込む。
 負け続けていても、強豪校が集うリーグでの経験は財産になっている。「レベルが高いので、常に向上心を持って練習できる」と下嶋選手が言えば、生田選手は「連敗中で緊張感のある毎日を送れるのは、それはそれで幸せ」と語る。
 農学部の下嶋選手は卒業後、社会人野球でプレーを続けたいと希望する。教育学部の生田選手は国家公務員を目指し、練習の合間に勉強に励んでいる。
 春季リーグは23、24日の法大戦が最終戦となる。


河北抄
 先週13日早朝の地震で最大震度になったのは5強の花巻市だが、もう一つの揺れである長周期地震動の階級は「0」。長周期が最も強かったのは宮城県内の登米市や涌谷町の「3」。いずれも震度は5弱で花巻より1ランク下だった。
 仮に「3」の地域にある高層ビルの中で地震に見舞われたら、立っていることはもはや困難。家具が倒れたり壁にひびが入ったりする可能性もあるという。
 地震の波と一口に言っても1サイクルの長さはさまざま。「周期は大体、0.1秒から10秒まで」(仙台管区気象台)あるそうだ。1秒を超えると木造家屋に影響が出始め、さらに長くなると高層ビルが深刻な被害を受けるようになる。
 周期が長い波はやっかいなことに「弱まらずに遠くまで達する」(気象台)。東日本大震災がそうだったし、南海トラフの巨大地震でも危険視されている。
 ちなみに「3」は震度6弱、「4」になると6強から7の揺れに当てはまる。高層マンションなどの防災を考える際には、地面とは異次元の揺れになることを想定しなければならない。

神戸で狭山座り込み/鳥取連続不審死事件上田美由紀さんは無実 

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鳥取連続不審死事件

Japon: plus de 30.000 manifestants contre la présence militaire américaine
Plus de 30.000 militants pacifistes ont manifesté dimanche à Naha, la capitale d’Okinawa, pour dénoncer le projet de relocalisation d’une base militaire américaine sur cet archipel du sud du Japon, selon les organisateurs.
Les manifestants protestaient à nouveau contre le projet controversé de transfert de la base aérienne US de Futenma, non loin de Naha, à Henoko, dans le nord d’Okinawa. Ce plan remonte à 1996.
≪Le gouvernement (central) nous accuse de l’impasse qui traîne depuis 19 ans et nous demande de trouver un autre endroit (pour la relocalisation de la base). C’est scandaleux≫, a lancé à la foule Susumu Inamine, le maire de Nago, commune voisine du site de la future base américaine.
≪Le gouvernement se débarrasse de ses responsabilités sur nous≫, a déploré M. Inamine.
Selon les organisateurs, cités par les médias locaux, au moins 35.000 personnes ont pris part au rassemblement qui s’est déroulé sans incident. Des marches, de moindre importance, avaient déjà eu lieu ces dernières semaines à Okinawa.
Le Premier ministre japonais Shinzo Abe a réitéré sa volonté de procéder au transfert de la base de Futenma lors de son sommet avec le président américain Barack Obama le 29 avril à Washington, dans le cadre du pacte de défense nippo-américain.
Mais les habitants d’Okinawa s’opposent depuis des années à la présence militaire américaine et à la volonté du gouvernement de droite de M. Abe de mener à bien les travaux de relocalisation de la base, un déplacement réclamé par l’allié américain.
Archipel occupé par les Américains après-guerre et rétrocédé au Japon en 1972, Okinawa héberge plus de la moitié des 47.000 GI’s stationnés au Japon, une cohabitation forcée qui est mal vécue par la population locale.
Les habitants se plaignent de nuisances sonores et des risques d’accident. Ils estiment aussi que la présence de tant de Marines américains constitue une porte ouverte à la criminalité, notamment aux viols, s’appuyant sur plusieurs faits divers ces dernières années.
Pour M. Abe, le déplacement de la base de Futenma, implantée dans une zone urbaine, vers la région littorale peu peuplée de Henoko est ≪la seule solution≫. Mais les habitants d’Okinawa, conduit par leur gouverneur anti-base Takeshi Onaga, n’en veulent plus du tout sur leur territoire.
≪Le gouvernement actuel pousse à la roue. Vit-on réellement dans un pays démocratique ?≫, s’est insurgée dimanche une Okinawaïenne de 86 ans, Kiku Nakayama, qui a assisté adolescente à la sanglante bataille d’Okinawa à la fin de la campagne du Pacifique en 1945.
≪Il faut supprimer tous les risques d’exposer de nouveau Okinawa à la guerre≫, a plaidé l’octogénaire pacifiste, citée par les médias locaux.
Le plus célèbre réalisateur japonais de films d’animation, Hayao Miyazaki, a récemment apporté un appui remarqué aux opposants de la base.
Le cofondateur du studio Ghibli a ainsi décidé de contribuer à un nouveau fonds de soutien visant à lutter contre l’implantation américaine à Okinawa.
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目撃!日本列島「叶(かな)わなかった ふるさと〜原発避難 4年の軌跡〜」
去年の秋、仮設住宅で暮らしていた87歳の女性が自ら命を絶った。4年におよぶ避難生活の中、知人と疎遠になり、帰還のメドは先送りされ、自宅は荒廃、一緒に帰ると誓った夫を亡くした。女性は、ふるさととのつながりを一つ、また一つと奪われていった。“帰りたい”という強い思いと“帰れない”現実のはざまで苦しみ続けた女性の日々を、生前つながりのあった友人や家族の証言、そして亡くなった後に見つかった日記でたどる。
渡辺篤史

テレメンタリー「審判だって甲子園に行きたい〜夢に挑んだスリランカ人〜」
2015年3月、1人の外国人が甲子園のグラウンドに立っていた。選手としてではなく、審判として。スジーワ・ウィジャヤナーヤカさん(31)は、スリランカ人で初めて高校野球の甲子園大会で審判を務める事になった。野球と出会って13年、日本に来て9年が経っていた。「夢は叶うということを見せたい」内戦で傷付いた母国スリランカの子どもたちのため、そう語った男は高校球児の夢の舞台で何を思い、その先に何を見据えているのか・・・。
大分朝日放送

明日へ−支えあおう−「ボクらの夢は、終わらない〜福島・南相馬に集う若者たち〜」

南相馬市の津波跡地にポツンと建つ“夢たびとBASE”。全国から集まるボランティアの若者たちが、ここを拠点に“復興”への願いを胸に、地元の人たちとつながってきた。農作業の手伝いや町のイベント企画から地元PRビデオの制作まで…。ようやく地元の人たちにも活動が認められ始めてきた矢先、建物を撤去しなければならないことに…。彼らの“夢”はついえてしまうのか!?南相馬の復興に向けて“夢”を追う若者たちの物語。
畠山智之,濱田岳

NNNドキュメント'15 晩春 認知症の彼女と結婚した理由
16年共に暮らした女性が若年性認知症を発症したため責任をとって婚姻届を提出。まさかの結婚をした芦田さんが、人生の晩年に見つけたものとは…。
余 貴美子

駆け込みドクター!認知症最前線!目からウロコの新常識SP
認知症の予防法や最新情報を紹介仰天!世界の認知症対策 スーパー介護士から学ぶ病院や家族にアンケート!認知症の初期症状を見逃すな
□認知症クイズ □認知症の初期症状を学ぶ □認知症簡単チェック □安藤和津の認知症介護 □「ペコロスの母に会いに行く」作者から学ぶ □唾液が予防になる!? □世界の認知症対策 □デジタル認知症の恐怖□東大のスゴイ研究ワクチン米 □アマニ油で認知予防 □スーパー介護士に密着
久本雅美 オードリー(若林正恭・春日俊彰)吉田明世 安藤和津・上地雄輔・柴田理恵・中尾彬・中村アン・前園真聖・遼河はるひ 医者 森田豊・池谷敏郎・大竹真一郎・友利新・榎本睦郎・西野仁雄 田子千尋 永田亮子

NHKスペシャル 廃炉への道 2015「“核燃料デブリ”未知なる闘い」
未曽有の原発事故を起こした福島第一原発で進む、世界でも例のない「廃炉」の取り組みを記録するシリーズ。今回は、廃炉の最大の難関“核燃料デブリ”との闘いに迫る。今なお位置さえ特定できていないデブリ。素粒子を使った“透視”や、ロボットカメラなど、最新の技術を使ってデブリの姿を捉えようという試みが急ピッチで進む。最新の研究ではデブリに潜むリスクも浮かび上がった。未知なる闘いの最前線をルポする。
西島秀俊


神戸に行きました.狭山事件の再審を求める座り込みが行われているからです.わたしに何ができるか考えましたが,よくわかりません.
青木理さんの誘蛾灯 鳥取連続不審死事件を読みました.青木さんが書いているように被告上田美由紀さんは嘘つきかもしれません.でもそのことと殺人犯かどうかは別の問題.無実だと感じました.
大阪都構想が反対多数になってよかったと思います.橋下さんが引退するというのもよいことです.

誘蛾灯 鳥取連続不審死事件
青木 理
講談社
2013-11-12





<仙石東北ライン>ハイブリッド車両に熱視線
 東日本大震災で被災したJR仙石線が30日に全線運転再開するのに合わせ、東北線に乗り入れて仙台−石巻間を走行する「仙石東北ライン」のハイブリッド車両の展示会が16日、仙台駅のホームであった。
 大勢の鉄道ファンや親子連れが駆け付け、内装をじっくり眺めたり、外から写真を撮ったりした。石巻市のイメージキャラクター「いしぴょん」も登場し、写真撮影に応じていた。
 石巻市の主婦村松絵里さん(31)は「ハイブリッド車両なだけに、ホームに入ってきた時の音が静かだった。運行が始まったらすぐに乗ってみたい」と笑顔で話した。
 展示会は17日に石巻駅のホームでも開かれる。午前11時10分からと11時40分からの2回で、先着計300人限定。見学は無料だが、入場券などが必要。
 ハイブリッド車両はディーゼルエンジンと電気モーターを組み合わせた新型で、通常営業車両としては東北初の導入となる。直流電化区間の仙石線と交流の東北線、非電化の接続線の全てを走行できる。


【号外】「辺野古新基地ノー」3万5千人訴え 沖縄県民大会
 戦後70年止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会が17日午後1時、那覇市の沖縄セルラースタジアムで開かれ、3万5千人(主催者発表)が辺野古への新基地反対を訴えた。翁長雄志知事も初めて参加し、「道理と正義は私たちにある」として日米両政府に米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去と新基地建設、県内移設断念を要求する大会決議を採択した。

 16年ぶりの県政交代で、翁長知事を誕生させた保守・革新を超えた政党や経済界、市民団体らが再び大規模集会を開いたことで、辺野古移設への反対の声はさらに国内外に広がりそうだ。

 決議は2013年の普天間の県外移設などを求める「建白書」や14年の主要選挙で辺野古反対候補が当選したことを踏まえ「保革を超えて私たち県民がつくり上げた新たな海鳴りは、沖縄と日本の未来を拓ひらく大きな潮流に発展しつつある。県民は決して屈せず新基地建設断念まで闘う」と宣言した。

 会場には朝早くから家族連れや友人、職場の同僚たちが続々詰め掛け、内野グラウンドやスタンドを埋め、熱気に包まれた。参加した平良佳代さん(38)は、八重瀬町から息子2人と足を運び、「将来、行動すれば良かったと、後悔したくないので参加した」と新基地反対の思いを語った。

 一方、名護市の辺野古漁港近くのヘリ基地反対協議会のテントで、折り鶴が引きちぎられるなど、何者かに荒らされているのが見つかった。

 実行委は大会後の24〜25日に上京し、政府に決議文手渡す。


オリバー・ストーン氏が県民大会にメッセージ
 アカデミー賞を受賞した映画監督のオリバー・ストーン氏が、「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」に寄せたメッセージは次の通り。

 You have my respect and support for your  protest on May 17. I cannot be with you in person, but in spirit. Your cause is a just one.
 A new mega‐base built in the name of ‘deterrence’ is a lie. Another lie told by the American Empire to further its own goal of domination throughout the world. Fight this monster. Others like you are fighting it on so many fronts throughout the globe. It is a fight for peace, sanity, and the preservation of a beautiful world.


 5月17日の抗議行動にあたり、私は皆さんに対し敬意を抱き、支持を表明する。私はそこに一緒にいることはできないが、気持ちで参加している。あなたたちの運動は正当なものだ。「抑止力」の名の下に建つ巨大な基地は一つのうそだ。アメリカ帝国が世界中を支配する目標を進めるのはもう一つのうそだ。この怪物と闘ってくれ。世界中であなたたちのように、あらゆる分野で闘っている人たちがいる。それは平和と、良識と、美しい世界を守るための闘いなのだ。


沖縄県民大会:翁長雄志知事あいさつ全文
 那覇市内の沖縄セルラースタジアム那覇で17日に開かれた「戦後70年止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」での翁長雄志知事のあいさつ全文を掲載する。

 ハイサーイ、ぐすーよーちゅーうがなびら。うちなー県知事ぬ翁長雄志やいびん、ゆたさるぐとぅうにげーさびら。新辺野古基地を造らせないということで、ご結集いただいた皆さん、外野席もいっぱいであります。3万人を超えて、4万、5万と多くの県民が集まっていると思っております。うんぐとぅあちさぬなか、うっさきなーあちまてぃくみそーち、いっぺーにへーでーびる。まじゅんさーに、ちばらなやーさい。

 私は多くの県民の負託を受けた知事として、県の有するあらゆる手法を用いて辺野古に新基地は造らせない。この公約実現に向けて全力で取り組んでいくことを、今皆様方に改めて決意をいたします。

 先月、私は安倍晋三首相、菅官房長官と会談させていただきました。お二人との会談内容を国民の皆さまが注目することになり、ほとんどの中央メディアの世論調査で、国民は平均して(反対が)10%ほど上回る意思を表示していただきました。本土と沖縄の理解が深まったことに、大変意を強くいたしております。さらに、辺野古基金においても本土からの支援が多く寄せられていると聞いており、心強い限りで、ともどもにこの沖縄から日本を変えていきたい、こう決意をしているところであります。

 しかし私が、沖縄の民意を伝えたにもかかわらず、日米首脳会談の共同会見において、安倍首相が「普天間飛行場の危険性を辺野古建設によって一日も早く除去する」と発言されました。私は強い憤りを感じております。安倍首相は「日本を取り戻す」と言っておりますが、私からするとこの「日本を取り戻す」の中に、沖縄が入っているのかと強く申し上げたいと思います。「戦後レジームからの脱却」とよく言っておりますが、沖縄に関しては「戦後レジームの死守」をしていると、私はこう思っております。沖縄の基地問題無くして、日本を取り戻すことはできません。

 日本の安全保障は、日本国民全体で負担する気構えがなければ、沖縄のほとんどの県民に負担をさせておいて、日本の国を守ると言っても、仮想敵国から日本の覚悟のほどが見透かされ、抑止力から言っても、私は、どうだろうかなと思っているわけであります。

 特に沖縄から見ると、日本が独立し、沖縄が切り離されたサンフランシスコ講和条約の祝賀式典で万歳三唱する姿を見ると「また同じ歴史が同じ歴史が繰り返されることはないだろうか」あるいは「ミサイル数発で沖縄が沈むことはないだろうか」「将来の子や孫が捨て石として犠牲とならないか」。沖縄に責任を持つべき責任世代としてしっかりと見極めていかなければなりません。

 そして、これは強調しておかなければなりません。政府は普天間基地の危険性の除去はこの問題の原点だと言っておりますが、沖縄から言わせると、さらなる原点は普天間基地が戦後米軍に強制接収されたことにあります。

 何回も確認を致します。沖縄は自ら基地を提供したことは一度もございません。普天間飛行場もそれ以外の基地も、戦後、県民が収容所に収容されている間に接収され、また居住所等をはじめ、強制接収されて、基地建設がなされたのであります。自ら土地を奪っておきながら、「普天間飛行場が老朽化したから」「世界一危険だから」「辺野古が唯一の解決策だ」「沖縄を負担しろ、嫌なら沖縄が代替案を出せ」こういう風に言っておりますが、こんなことが許されるでしょうか。

 私はこのことを日本の政治の堕落だと言っているわけであります。

 自国民に自由と人権、民主主義という価値観を保障できない国が、世界の国々とその価値観を共有できるでしょうか。日米安保体制、日米同盟というものは、私はもっと品格のある、世界に冠たる誇れるものであってほしいと思っています。

 一方、(外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会の)2プラス2共同発表には、世界一危険だと指摘されている普天間飛行場の5年以内の運用停止が明示されていません。普天間飛行場の5年以内の運用停止について、前知事は県民に対し「一国の総理および官房長官を含め、しっかりと言っている。それが最高の担保」だと説明しています。

 5年以内運用停止は前知事が埋め立て承認に至った大きな柱であります。しかし、米国側からは日米首脳会談でも言及することはありませんでした。5年以内運用停止は辺野古埋め立て承認を得るための話のごちそう、話くゎっちー、空手形だったのではないかと私は危惧しております。今日までの70年間の歴史、いつも困難の壁があるときは、必ず、話のごちそう、「話くゎっちー」をウチナー県民にも、国民にも聞かせて、それを乗り越えたら知らんぷりと。これが70年の沖縄基地問題の実態です。

 私は安倍首相にお聞きしました。ラムズフェルド元国防長官が13年前、普天間基地は世界一危険な基地だと発言し、菅官房長官もそのことを再三再四言うなかで、辺野古が唯一の解決策だといっている。辺野古基地ができない場合、本当に世界一危険な普天間基地は固定されるのか、首相に聞きましたら返事はありませんでした。しかし私は自由と人権と民主主義の価値観を、共有する国々との連帯を目指す日米同盟がそんなことはできないと思っています。

 新辺野古基地の建設を阻止することが普天間飛行場を唯一解決する政策です。

中谷防衛相との対談では、今日の中国の驚異を説明し、数字を挙げ、新辺野古基地が唯一の解決策だと話をした。「いかに現在が危機的な状況であるか」「自衛隊の増強も必要だ」「沖縄がいかに安全保障にとって重要か」と、得々と説明しております。しかし考えてみると沖縄のこの70年間、冷戦構造時代のときも大変でした。今も危機があるといっているが、私たちは積極的平和主義の名の下に、中東まで視野に入れながら、これから日米同盟が動くことを考えると、沖縄はいつまで世界の情勢に自らを投げ捨てなければいけないのか。私はこれについてしっかりと対処していきたい。

 安倍首相が、二つのことが前に進んでいると私に話しました。

 一つは嘉手納以南の(返還の)着実とした進展、もう一つはオスプレイは全国に配備し、少しずつよくなっていますよと話ました。こういう話を聞くと本土の方々はなかなかやるじゃないか、少し前に進んだんだなあと思っていると思います。

 しかし、私は首相に申し上げました。首相がおっしゃるように普天間飛行場が新辺野古基地に移り、そして嘉手納以南が返された場合、一体全体、何%基地が減るんですか。これは、73・8%が73・1%。たったの0・7%しか減らないんですよ、みなさん。

 何でかというと、全部県内移設だからです。外に持って行く話ではまったくないんです。これが本土の方々には分かっていない。嘉手納以南をみんな返すぞと、こういうことで分かっていない。

 それから、オスプレイ。あれは森本敏元防衛相の5年前の著書の中で沖縄にオスプレイが配備されるだろうと書いてあります。見事に的中しております。そして、その中に何が書いてあったかといいますと、あの新辺野古基地はオスプレイを100機以上もってくるために設計されて、これからすべて、オスプレイが向こうに置かれるんだということが、あの森本さんの著書の中に書いてあるんです。

 ですから、今本土で飛んでいるオスプレイは一定程度が過ぎたら、みんな沖縄に戻ってくるんです。これを日本の政治の堕落だということを申し上げているんです。

 どうか日本の国が独立は神話だと言われないように、安倍首相、頑張ってください。

 ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をないがしろにしていけない)。

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Japon : feu vert du gouvernement Abe à des missions armées à l‘étranger
Le Japon est paré à faire son grand retour sur la scène militaire internationale. Le gouvernement du nationaliste Shinzo Abe a approuvé ce jeudi plusieurs projets de loi visant à amender la constitution pacifiste. Le nouvel arsenal législatif sera présenté aux députés ce vendredi. Les débats devraient durer des mois.
La nouvelle législation permettra aux forces armées nippones, dites forces d’autodéfense, de voler au secours d’un allié même si le Japon n’est pas directement attaqué. Une première depuis la Seconde guerre mondiale.
Pékin, qui accuse Tokyo de vouloir renouer avec son passé militariste, a aussitôt réagi par la voix de la porte-parole du ministère des affaires étrangères, Hua Chunying : “ nous avons averti, à de nombreuses reprises avant cette annonce, que pour des raisons historiques, les pays asiatiques voisins et la communauté internationale se devaient d‘être extrêmement attentifs à tout changement de la politique japonaise de sécurité. Nous espérons que le Japon pourra honnêtement retenir les leçons de l’histoire, rester sur le chemin du développement pacifique, agir de façon plus positive et jouer un rôle plus constructif en Asie, où nous coexistons pour la paix, la stabilité et notre développement commun. “
Les tensions sont vives entre la Chine et le Japon qui se disputent la souveraineté d’un archipel inhabité en mer de Chine orientale, les îles Senkaku pour Tokyo, Diaoyu pour Pékin.
Par Anne Glémarec | Avec AFP, REUTERS
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どんな人生読本よりも、この本をお薦めする 唐井庵
 大の犬嫌いだった著者は、犬を飼いたいという妹とそれを支持する両親に対して「絶対反対」と言って拒んだ。
だが、3対1の多数決で1匹の犬が家族に加わることになった。

ところが、妹はテニス部に入り、朝練と放課後の練習に忙しく、あれだけ反対していたのに、著者が世話をするはめになる。そして、犬の問題行動に翻弄される。いつのまにか、犬を愛するようになり、2匹目、3匹目をねだって3匹の犬を飼うことになった。犬とフリスビーがしたかったからだ。
こうして、元気溌剌な女子大生は、幸福な日々を過ごす。

そして、日本中に衝撃が走ったあの事故に遭遇する。頸髄損傷で首から下に麻痺が残り、自力で歩くことができなくなった。腕は動かせるが指は曲げられないため、握力はゼロ。「人はいつ死ぬかわかりません。明日かもしれないし、20年後かもしれない。死にさえしなければ、この世界には、無限の可能性が広がっています。だから、あきらめずに一歩を踏み出したいと思うのです。」(「はじめに」より)。救命救急センターでの壮絶な日々が始まる。

人工呼吸器で命をつなぐ辛さ、水も飲めない、食事もできない。一方、そこには家族という支援者もいた。近所のおばさんたちもいた。友人もいた。皆が支えた。献身的な医師や看護婦もいた。皆が快復を祈った。

事故から1年後、フリスビードッグ大会に出場する。涙なしには読めなかった。そして、自分よりもはるかに若い女性から、幸福と勇気をおしえられた。

 今日も私は、駅の階段を昇り、満員電車にもまれ、仕事に追われた。いや、そうではない。駅の階段を昇ることができるのだ。満員電車にもまれても自分の足で立つことができるのだ。仕事に追われても立ち居振る舞うことができるのだ。未来に向けたチャレンジをして、何かを実現できないはずがない。そうしなければ、著者に顔向けができない。


今日はマイマイ60Cをがんばりました.
100均でマッチを買いました.そのせいか?悲しくなった気がします.

信用金庫の絆 城南(東京)、大型客船で石巻応援ツアー
 商船三井客船(東京)の大型客船「にっぽん丸」(2万2472トン)が15日、石巻市の石巻港に寄港した。東日本大震災後、石巻信用金庫と交流を進める城南信用金庫(東京)が「東北復興応援ツアー」と名付けたチャータークルーズで、約400人が乗船した。

 石巻港大型客船誘致協議会が石巻港で開いた歓迎式典で、会長の亀山紘市長は「雄大な自然の景観を楽しみ、自慢の海の幸も堪能してもらいたい。思い出に残る旅にしてほしい」とあいさつ。

 協議会が設けた特産品を販売するブースが並んだほか、石巻市釜小の鼓笛隊の演奏もあった。

 参加者は、バスに分乗して石巻市の日和山と女川町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」を訪問。地元の観光ボランティアが語り部として、震災や復興について紹介した。

 石巻に初めて訪れた横浜市の松川泰介さん(76)は「復興がどのくらい進んでいるのかを確認したかった。土産を買うのも楽しみ」と話した。

 にっぽん丸は石巻に寄港した後、16日に横浜に戻る予定。


<復興費負担>安全守る事業に影響も
 東日本大震災の2016年度以降の復興予算をめぐり、復興庁が一部事業に地元負担を求める方針を打ち出したことで、住民の安全や暮らしを守る事業への影響が懸念されている。被災復興道路と位置付けられる三陸沿岸道路(仙台市−八戸市)や避難道路などの行方に関わるとし、被災自治体は不満を募らせている。

 気仙沼市は、宮城県事業の三陸沿岸道路と大島架橋に加え、市が整備する災害時避難道路の行方を懸念する。避難道路67路線(総延長約30キロ)のうち、3月末時点で53路線(22.2キロ)が工事未着手だ。市の担当者は「命に関わることで事業ができなくなるのは許されない」と訴える。
 仙台市は計13カ所に建設を予定する津波避難タワーや避難道路に関して「現地再建する住民の安全を確保する重要な事業。避難している住民の帰還意欲にも響く」と憂慮する。
 道路の建設は事業費が大きく、数%の負担割合でも財政への影響は深刻だ。
 岩手県の道路整備は多くが16年度以降も継続事業となり、県は負担分の財源確保に不安を抱く。三陸沿岸道路とつながる国道や県道の整備もあり、道路だけで膨大な財政負担を強いられる可能性がある。
 中心部に避難路の少ない石巻市は、旧北上川をまたぐ鎮守大橋を避難道路として整備する。担当者は「数%の負担も被災自治体には足かせになる」とこぼす。
 災害公営住宅は復興交付金の基幹事業で全額が国費だが、駐車場や集会所、敷地内道路は効果促進事業で地元負担が導入される。
 石巻市が追加する500戸分は、集中復興期間内の15年度中に申請できるか見通せない状況だ。宮城県幹部は「過分な負担が生じる恐れがある」と指摘する。
 宮城県女川町は防災集団移転、土地区画整理などに充てる復興交付金事業の総額を約1500億円と見込む。これまで受け取ったのは約1100億円にとどまる。町は「負担割合の規模を早く示してほしい」と注文を付ける。
 同県山元町は農水産物の直売所を設置する地域活性化策に復興交付金を充てる予定だ。斎藤俊夫町長は「自主財源を拠出することになれば、町民から事業に慎重な姿勢を求められる」と話す。
 岩手県大槌町の碇川豊町長は負担が過大な場合、復興計画の見直しや事業規模縮小が必要になることを心配する。「復興がさらに遅れる」と不満を口にする。


<復興費負担>5年の区切り「理不尽」
 復興庁が東日本大震災から丸5年の集中復興期間終了後に自治体に復興事業費の負担を求める方針を示したことに、甚大な被害を受けた地域では、より強い不満が広がっている。まちづくりの合意形成などに時間を要し、復興の道のりは険しいのが現実。行政や住民は「被災の程度が違うのに一律に5年で区切られてはたまらない」と憤る。

 釜石市は土地区画整理事業に伴う下水道整備への影響を懸念する。財源の一つに想定していた復興交付金(効果促進事業)が自治体負担の対象となった。全体の整備費約135億円のうち、交付済みは60億円。工事は来年度以降も続き、効果促進事業の負担割合によっては億単位を背負う可能性もある。
 区画整理について、市は各地区で協議会を開催するなど、住民の意向を確認しながら慎重に進めてきた。
 総合政策課の担当者は「極端な話、市が土地を収用してしまえば手っ取り早いが、住民に不満が生じてまちづくりはうまくいかない。(全額国費が維持された)区画整理できれいな土地になっても、下水道がなければ住めない」と訴える。
 気仙沼市も効果促進事業で、震災後人口が減少した大島の復興を計画する。
 柱となるのが「大島ウエルカムターミナル」構想。フェリー発着所の浦の浜地区で、宮城県が計画する防潮堤の背後地を埋め立てて土産物の販売所や駐車場を設ける方針だ。
 ただ、事業は止まったまま。海抜7.8メートルの防潮堤の高さをめぐって景観保護などを求める住民から異論が上がり、合意形成できない状況。市によると、大島の復興は市内でも遅れているという。
 住民組織「浦の浜のこれからを考える会」の菅原弘会長(60)は「島民の暮らしや観光業を守るために議論してきたことが、地方負担につながるのでは納得いかない」と怒る。
 気仙沼市の菅原茂市長は「他の被災自治体で完了していても、気仙沼では取り掛かっていない事業は多い。復興が遅れる自治体にのみ負担が掛かるのは理不尽。ゲーム途中でルールを変えるようなものだ」と強調する。


震災時に園児の避難手伝う 中学生に感謝状
 東日本大震災発生時、園児の避難を手伝ったお礼にと、陸前高田市の広田保育園は15日、当時の広田中(現在は高田東中)3年生に感謝状などを贈った。
 広田保育園は津波で園舎が半壊した。震災時、職員約20人が、園にいた園児39人を避難させようと、高台に向け山の斜面を上り始めた。そこに、避難するため、保育園よりも海に近い場所にあった広田中の生徒らが通り掛かった。
 生徒らは保育園で保育実習をしており、園児たちと顔見知りだった。園児を背負ったり、手を引いたりして高台に向かった。その結果、犠牲者は出なかった。
 当時、避難を手伝った東北学院大2年の斉藤春貴さん(19)は「避難途中に園児たちが見え、みんなで手を引いた。いまは保育園が高台に移り、安心できるようになった」と話した。
 長野定子園長(59)は「1人では動けない子どももいた。小さな命を救ってくれてありがたかった」と振り返る。
 当時の3年生全38人には、卒業証書ホルダーも贈った。震災翌日に予定された卒業式が中止になり、卒業証書は印刷機で作った仮証書が後に配られた。証書を収めるホルダーがなく、それを知った園が提供を申し出た。感謝の気持ちを込め、裏面に「感謝 広田保育園」と記した。
 感謝状などは、ことし4月に高台に移転した広田保育園の完成式に合わせて贈られた。式には関係者約70人が出席。園舎再建を支援した日本赤十字社やマレーシア赤新月社関係者にも感謝状を贈った。


<七十七銀>公的資金200億円返済へ
 七十七銀行は15日、東日本大震災を受けて改正した金融機能強化法に基づき注入された200億円の公的資金について、6月末をめどに全額返済を検討していることを明らかにした。震災特例に基づく公的資金の返済方針を示したのは同行が全国で初めて。返済期間は22年3月末までだった。
 同行は2011年3月期の単体決算が、震災の影響で306億円の純損失となり、戦後初の赤字に転落。11年12月、自己資本の補填(ほてん)と被災企業向け融資などリスク資産の増加に備えて公的資金を申請。国は整理回収機構を通じて同行発行の劣後ローン200億円(利率0.25%)を引き受けた。
 12年3月期には黒字化するなど収益は大幅に回復。単体の自己資本比率も12.19%(15年3月末)と高い水準にあり、公的資金を繰り上げ返済しても、被災地に安定して資金供給できると判断した。
 改正金融機能強化法の震災特例は、震災によって被災した企業へ円滑に資金を供給するために11年に制定された。従来と異なり、公的資金を注入した金融機関に対し、国は収益目標や業績悪化時の経営責任を求めないこととした。
 東北では他に東北銀行(盛岡市)が100億円、ともに「じもとホールディングス」(仙台市)傘下の仙台銀行が300億円、きらやか銀行(山形市)が300億円をそれぞれ注入された。気仙沼、石巻両信金など6信金・信組も投入されている。
 記者会見した氏家照彦頭取は「震災特例を使って公的資金を導入して地域の金融システムを維持できたのは大変よかった。公的資金を返済しても復興支援強化に対応できる財務基盤を構築できた」と話した。


被災の医院跡を活用 親子カフェ遊んで笑顔
 山元町花釜地区で、東日本大震災の津波で被災した歯科医院跡を使い、未就園児と母親を対象とした交流スペース「ひよこカフェ」が定期的に開かれ、好評だ。地元の復興支援団体が4月、津波で失われた子どもの遊び場や母親間の情報交換の場として企画。貴重な交流の機会になっている。

 毎月第2、第4木曜に開設する。診察室を改装した約25畳のホールにテーブルや手作りおもちゃを置き、母親には100円でコーヒーとケーキのセットを提供する。運営する「のぞみセンター」のスタッフやボランティア3人が、配膳や子どもの遊び相手を務める。
 2歳と3カ月の子どもと訪れた同町の青木絵梨子さん(33)は「広々として子どもたちが伸び伸びと遊べる。ケーキを味わいながらホッとできる」と喜ぶ。
 同センターは2012年5月に設立。プロテスタント系キリスト教会の支援で運営され、借りている医院跡で以前から地元の子どもたちを対象にした英会話教室やカフェを開いてきた。
 花釜地区は全域が津波被害を受け、震災前に1000戸を超えた世帯数は約350戸に減った。スタッフの大野珠子さん(68)は「子どもたちが思い切り騒ぎ、母親もホッとできる場をつくりたかった」と語る。
 今後は外国人スタッフと英会話で遊ぶ企画などに取り組む考え。スタッフの菅原智子さん(48)は「お母さんたちの要望にできるだけ応え、幅広く交流の機会をつくりたい」と話す。
 町外からの来訪も歓迎する。連絡先は同センター0223(35)6901。


首相「殉職自衛隊員1800人いる」 「戦死者」への批判かわす狙い
 新たな安全保障関連法案を閣議決定した14日の記者会見で、安倍晋三首相が自衛隊員のリスクについて「今までも1800人の隊員が殉職している」と述べたことに波紋が広がっている。殉職者の大半は任務中の事故によるもので、戦闘に巻き込まれて亡くなった隊員は、過去1人もいない。隊員に「戦死者」が出かねないとの批判をかわす狙いとみられるが、性質の違う数字を挙げる首相の論法に、専門家は「論理のすり替えだ」と批判している。

 「まるで今まで殉職した隊員がいないかのように思っている方もいるかもしれないが、1800人が殉職している。私も遺族とお目にかかっており、殉職者が全く出ない状況を何とか実現したい」。首相は14日の会見で、新たな法整備によって隊員が死亡するリスクが高まると指摘した質問に対し、こう述べた。

 防衛省によると、自衛隊の前身である警察予備隊が発足した1950年以降、殉職者数は今年3月末現在で1874人。車両や航空機、艦船による訓練など任務中の事故が7割以上を占め、残りは過剰業務による病気などが原因のケースが目立つという。

 首相はまた「自衛隊は日ごろから日本人の命、幸せな暮らしを守るために苦しい訓練を積んでいる。こういう任務をこれからも同じように果たしていく」と強調した。

 だが、関連法案が成立すれば「非戦闘地域」に限定されていた他国軍への後方支援が、より戦場に近い地域でも可能になる。邦人救出や「駆け付け警護」などの任務で攻撃を受ける可能性は高まり、危険性は格段に増す。政府高官も15日、「自衛隊の活動場所や内容は広がり、隊員のリスクは確実に高まる」と認める。

 憲法9条の下、戦後、自衛隊員が戦闘で殉職した例はなく、野党は「今回の法整備によって、戦闘に巻き込まれて死亡する隊員が出かねない」と危惧する。専門家からも「首相は戦死者が出ても驚くことではないと言っているようだ」「自衛隊員の殉職はやむを得ないとも聞こえる」と批判の声も上がる。(東京報道 則定隆史)


教員制度改革 一律の物差しの危うさ
 本来子供が多様であるのに応えるように、教員もまた、できるだけ縛られぬ存在でありたい。

 政府の教育再生実行会議が、教員の資質能力の指標化や採用試験の共同化などを提言した。「期待される先生像」が示されるのか。自民党からは、教員免許の国家免許化を求める提起もある。

 教員の指導力や技術を豊かに伸ばすことは必要だ。しかし、一定の型にはめることではない。

 今回出た「育成指標」案は、教員の在職の長さなどに応じて、求められる能力を示すもので、国、自治体、大学で策定するという。まだ具体案はないが、これを教員養成教育、採用、研修などに役立てる。

 また、現在都道府県と政令市の教育委員会が行っている教員採用試験で、筆記問題を国と教委が共同で作成する。文部科学省は、負担軽減などでこれを利用したい教委が実施することを想定している。

 これとは別に、国家免許化案は自民党の教育再生実行本部が示したもので、文科省側は慎重だが、国が関与する方向性は共通している。

 研修の拡充も求める。その背景には、かつて「総合学習」が事前に十分な共通理解のないまま実施されたために、思うように成果が上がらなかったという認識があるという。

 いま学校教育は、教科学力に加え、主体的な課題設定や解決力、活発な議論などを促す「アクティブ・ラーニング」への転換をうたう。しかし学校教育の場で必ずしも理解されていない。授業や教材のデジタル化に伴い、情報通信技術(ICT)への支援も課題だ。

 これらの提言に基づいて中央教育審議会が議論し、年内に文科相に答申して、具体的な制度設計が進むが、その議論の過程を注視したい。

 改革案の根底には、優秀な人材の確保という目的がある。しかし、そのために能力の指標化や試験問題の共通化が必ずしも有効と思えない。

 特に指標化については、これを基準として、はみ出しにくい「国家統制」的な締めつけになるのではという懸念がある。

 その前にやることはないのだろうか。

 提言も触れているが、事務職員を充実するなどして、日本の教員を多忙にしている煩雑な校務の軽減を急ぐべきだ。

 政府の足並みもそろっていない。財務省は少子化を理由に教員の大幅削減を求めているが、こうした対立が繰り返される。整合しない「わかりにくさ」も課題だろう。

 自主自立の人材育成を求める教育に、本来「統制」は極力抑制的であるべきだ。今後の議論でもこれを踏まえなければならない。


志賀原発断層 地震国の現実直視せよ
 地震国日本では、多くの原発が活断層の危険と隣り合わせにある。そんな現実を、改めて思い起こさせられた。

 北陸電力志賀原発(石川県)の1号機原子炉建屋など重要施設の直下を通る3本の断層について、原子力規制委員会の有識者調査団は「活断層の可能性を否定できない」とする見解で一致した。近く、評価書案をまとめる方針だという。

 活断層は、周期的に動いて地震を引き起こしたり、他の活断層と連動して動いたりする。原発の新規制基準は原子炉などの重要施設を活断層直上に造ることを認めていない。

 志賀原発は東京電力福島第1原発と同じ沸騰水型で、1993年に営業運転を開始した1号機(出力54万キロワット)と2006年に営業運転を開始した2号機(出力135万8000キロワット)がある。3本の断層は1号機の原子炉建屋や1、2号機のタービン建屋などの直下を通る。有識者調査団の見解が覆されなければ、1号機は廃炉が迫られ、2号機も大幅な耐震補強工事や配管の付け替え工事が求められるのは確実だ。

 北陸電は「仮定に基づく推論が多く、納得できない」と、有識者調査団の見解を批判した。再稼働に向けて規制委に安全審査を申請済みの志賀原発2号機に加え、1号機についても近く申請に踏み切る考えだ。

 活断層かどうかの最終判断は安全審査の中で規制委が下すものの、有識者調査団の評価を「重要な知見」として扱うことになっている。規制委には、原発の安全性を最優先する立場からの厳正な審査を求めたい。

 原発周辺の断層については、東日本大震災をきっかけに再評価作業が始まり、規制委は6施設の調査を実施してきた。日本原電敦賀原発(福井県)は2号機の原子炉直下に活断層があると認定され、東北電力東通原発(青森県)も敷地内に活断層があることが認定された。志賀原発の断層評価が確定すれば、過去の審査のシロ評価見直しは3施設目となる。地震国で原発を建設するリスクに加え、過去の安全審査のずさんさが浮かび上がってくる結果だ。

 政府は規制委の安全審査に合格した原発の再稼働推進を掲げるとともに、30年の電源構成に占める原発の比率を20〜22%とする目標を打ち出している。既存の原発の再稼働に加え、老朽原発の運転延長や新増設が必要となる数字だ。

 だが、規制委の活断層評価などの状況をみても既存原発がすべて再稼働することはありえまい。新増設への国民の反発も根強い。政府は地震国日本の現実を直視し、再生可能エネルギーの導入拡大や省エネの促進に一段と注力すべきだ。


復帰43年に考える 沖縄の自治は神話か
 沖縄県民の多くが反対しているにもかかわらず、政府は新しい米軍基地を造ろうとしている。沖縄の自治、自己決定権は「神話」にすぎないのか。

 四月五日、那覇市のホテル・ANAクラウンプラザ沖縄ハーバービュー。翁長雄志県知事は記者団が見守る中、沖縄を訪れた菅義偉官房長官に、こう述べた。

 「官房長官の『粛々と』という言葉がしょっちゅう出ると、キャラウェイ高等弁務官の姿が思い出され、重なり合う感じがする。私たちの(戦後の)この七十年間は何だったのかなと率直に思う」
◆琉球政府の上に君臨

 宜野湾市の米軍普天間飛行場返還のため名護市辺野古に新しい米軍基地を造る「県内移設」に理解を求めようと沖縄を訪問した菅氏と、県内移設阻止を掲げて初当選した翁長氏。翁長氏がキャラウェイ氏の名前を引用したのは、強烈な反撃でもあった。

 ポール・キャラウェイ。米陸軍軍人で、一九六一年から六四年まで琉球政府の上に君臨した高等弁務官だ。

 高等弁務官は現地軍司令官の軍事権限に加え、行政、司法、立法の三権を有する琉球列島統治の最高責任者。中でも強権的として県民の記憶に残るのがキャラウェイ氏で、政治手法は「キャラウェイ旋風」とも呼ばれた。

 それを象徴するのが六三年三月の演説だ。キャラウェイ氏は「現在の時点では自治は神話であり、存在しない」と、当時、高まりつつあった沖縄自身による自治権の拡大要求を拒絶したのだ。

 翁長氏は、自身をはじめ、多くの沖縄県民の反対に耳を傾けようとせず、辺野古への「県内移設」に向けた作業を「粛々と」進める菅氏を、キャラウェイ氏の強権ぶりと重ね合わせたのだった。
◆首脳には届かぬ思い

 この演説があったのが米将校クラブ「ハーバービュークラブ」。翁長、菅両氏が会談したホテルはクラブの跡地に立つ。

 翁長氏がこの地で、キャラウェイ氏の名を挙げて日本政府の基地押し付けに抵抗したのも、こうした歴史と無縁ではあるまい。

 菅氏に続いて、翁長氏との会談を拒んでいた安倍晋三首相も首相官邸で、会談に応じた。

 翁長氏は「知事選、衆院選で辺野古移設反対の圧倒的民意が示された」「私は絶対に辺野古に新基地は造らせない」と、沖縄の「島ぐるみ」の反対を、オバマ米大統領にも伝えるよう要請した。

 首相は、翁長氏が反対している事実はオバマ氏に伝えたが、同時に「辺野古移設が唯一の解決策」との立場は揺るがないとも強調、両首脳は県内移設推進の方針に変わりないことを確認した。

 翁長氏の思いは結局、日米両首脳に届かなかった。首相の言動は予想されていたとはいえ、翁長氏には裏切りにほかならない。

 沖縄の施政権は四十三年前のきのう五月十五日、米国から日本に返還された。本土への復帰だ。

 六十万県民の四分の一がなくなった苛烈な沖縄戦、日本の独立回復後も続いた米軍による過酷な統治。米軍はこの間「銃剣とブルドーザー」で民有地を強制収用し、米軍基地を拡張していった。

 本土への復帰は、人権無視の米軍統治から、基本的人権の尊重や戦争放棄をうたった日本国憲法への復帰のはずだった。

 しかし、在日米軍基地の約74%は今も沖縄県に集中し、県民に過重な負担を強いる。訓練に伴う事故や騒音、米兵の事故や犯罪、憲法よりも、米兵らの法的特権を認めた日米地位協定が優先される現実、そして何より、米軍の戦争に加担する精神的重圧。

 世界一危険な普天間飛行場閉鎖のためとはいえ、同じ県内での基地「たらい回し」では、抜本的な基地負担軽減にはならない。だからこその国外・県外移設なのだ。

 県内移設阻止を掲げる県知事が誕生し、県内容認の自民党候補が県内四小選挙区のすべてで敗北しても、日本政府は県民の選択を無視し、聞き入れようとしない。

 沖縄に自分たちのことを決める自己決定権、憲法で認められた地方自治は存在しないのか。
◆基金に県外から連帯

 沖縄では辺野古移設阻止を目的とする「辺野古基金」が十三日、発足した。アニメ映画監督の宮崎駿、ジャーナリストの鳥越俊太郎両氏も共同代表に就き、これまでに集まった寄付件数のうち七割が県外からだという。

 過重な基地負担を強いられ、法の下の平等や基本的人権の尊重など憲法の理念が実現されていない沖縄の状況に、県外に住む私たちが、同じ日本国民として関心を寄せつつある証しだろう。

 沖縄の状況を改善することが、日本全体をよくする力になる。そう信じて、本土から連帯のメッセージを送り続けたい。


首相発言に専門家から疑問の声 同盟の強化、他国の攻撃誘発
 安倍晋三首相は、15日の国会答弁や安全保障関連法案を閣議決定した後の記者会見で、法案が成立すれば日米同盟が強化され、抑止力が高まるとの持論を繰り返した。「米国の戦争に巻き込まれることは絶対ない」とまで言い切ったが、専門家からは疑問の声が上がっている。 (後藤孝好、中根政人)

 首相は十五日の衆院本会議で、安保法案について「日米同盟を強化し、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能にすることで、抑止力を一層高めることができる。日本が攻撃を受けるリスクは一層なくなる」と答弁。十四日の記者会見と同様、安保法案の意義を強調した。

 だが、琉球大法科大学院の高良鉄美教授(憲法学)は首相の発言に「一方的な見方だ。隣国にとって、日本が軍事力を高めることは脅威に映り、軍拡競争の口実になる」と指摘。「軍事力に頼りすぎるのではなく、外交努力による抑止力を強化すべきだ」と訴える。

 首相が言うように、米国の戦争に巻き込まれないのか。

 高良氏は「これまで憲法九条の制約で米国の要請を断ってきたが(法案が成立すれば)集団的自衛権を行使でき、拒否する理由がなくなる。米国の戦闘に巻き込まれるのが現実だ」と否定。「自衛隊が湾岸戦争やイラク戦争のような戦闘に参加しない根拠は、十分に説明されていない」とも指摘した。

 軍事評論家の前田哲男氏も「集団的自衛権を解禁すること自体、巻き込まれる可能性を自然と高める。米軍の戦闘も後方支援するとしていて、巻き込まれないどころか主体的に関わろうとしている」と強調した。

 法案について、首相は武力行使に厳格な歯止めを定めたとも話している。

 しかし、高良氏は「密接な関係国から『集団的自衛権で助けて』と言われれば、政府は自衛隊を派遣する方向になる。歯止めは機能しない」と述べた。

 また前田氏は、日米同盟強化は抑止力を高めるとの首相の説明について「対抗する国々の警戒感が高まり、先制攻撃を誘発する可能性がある」として、かえって危険だと指摘した。

 首相が会見の冒頭で、七十年前の不戦の誓いを守り続けると宣言したことにも、「一種のだましの技術だ。戦争を手伝う国家になるのに、なぜ不戦の誓いをするのか」と疑問を示した。

 首相は、後方支援で危険が生じれば活動を中止・退避するとも述べたが、前田氏は「紛争地域では、戦闘の現場が刻々と変わる。判断が遅れた場合、即座に戦争に関わってしまうことになる」と、首相の説明通りになることは難しいとの考えを示した。


「消えた年金」審査委廃止 「最後の一人まで」首相の公約半ば
 第1次安倍政権で2007年に発覚した年金記録問題を受けて設置され、国民からの記録回復の申し立てを審査してきた総務省の第三者委員会の廃止が15日、閣議決定された。6月末で廃止され、業務は厚生労働省が引き継ぐ。だが、安倍晋三首相が07年参院選でも強調した「最後の一人まで記録をチェックして年金を支払う」との公約は果たされていない。 (安藤美由紀)

 第三者委は「身内の厚労省では適正な審査ができない」との声を受け、参院選直前の〇七年六月に総務省に設けられた。委員は社会保険労務士ら専門家で構成。支払った年金保険料が記録にない「消えた年金」をめぐり、納付記録を加入者がなくしたケースなど、年金事務所で解決が難しい申し立てを審査してきた。これまで約三十万件を受け付け、預金通帳などの記録から十一万三千二百三十三件の記録を回復した。

 廃止は、ピーク時に年約六万二千件(一〇年度)あった処理件数が一四年度は約六千九百件に減ったのが理由。業務は厚労省が設置した第三者組織が引き継ぐ。

 しかし処理件数は減ったものの、持ち主が不明な「宙に浮いた年金」記録は五千九十五万件のうち、三千四十四万件(一四年九月時点、総務省第三者委が回復した約十一万件も含む)と、六割しか解明されていない。

 年金記録問題は〇七年参院選で自民党の惨敗要因にもなった。首相は政権復帰後、〇七年当時から力を入れた集団的自衛権を行使する憲法解釈変更に関し、今月十四日に関連法案の閣議決定にこぎ着けたばかり。一方で、同じ時期から取り組んだ年金記録問題は、厚労省による解明作業も事実上打ち切られている。

ブツブツの問題をHyさんと考える/沖縄日本「復帰」43年

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Festival de Cannes 2015 "Notre petite soeur": la critique
Après avoir exploré la psychologie d’une poupée gonflable avec ≪ Air Doll ≫ en 2009, la réalisateur de ≪ Tel père, tel fils ≫ (Prix du jury, Cannes 2013) Hirokazu Kore-Eda nous propose, cette fois-ci quatre poupées de chair et de (liens du) sang, quatre sœurs issues d’une histoire familiale chaotique. Transformée en gynécée, la vieille demeure familiale est devenue un havre de paix très végétal, où chacune va pouvoir se construire et se reconstruire.
Trois sœurs, Sachi, Yoshino et Chika, vivent ensemble à Kamakura. Par devoir, elles se rendent à l’enterrement de leur père, qui les avait abandonnées une quinzaine d’années auparavant. Elles font alors la connaissance de leur demi-sœur, Suzu, âgée de 13 ans. D’un commun accord, les jeunes femmes décident d’accueillir l’orpheline dans la grande maison familiale…
La critique
Après trois mariages et un enterrement (le sien), un père absent réunit une ultime fois ses trois filles (Ayase Haruka, Nagasawa Masami, Kaho) autour de sa dépouille mortelle. Avant de partir en fumée rejoindre ses ancêtres, le papa volage leur a laissé un joli cadeau : une demi-sœur âgée de 15 ans (Hirose Suzu) qu’elles n’avaient jamais vue. Les aînées décident de la prendre sous leur toit et, bien vite, de douces fibres familiales tissent un solide cocon protecteur autour de la fratrie reconstituée…
Aussi rafraîchissante qu’une salade d’algues subtilement assaisonnée, cette chronique familiale se déguste avec de délicates baguettes comme un mets raffiné. Parenthèse enchantée dans le Japon d’aujourd’hui, cette doucereuse histoire de maison dans la prairie de verdure d’une ville côtière de province, est, au fond, très relaxante. Un peu comme un massage aux huiles essentielles. Les actrices - de la jeune fille modèle à l’infirmière en soins palliatifs - sont joliment incarnées, les scènes de bleus à l’âme sont soigneusement surlignées d’un coup de piano, façon stabilo musical, la photographie est belle. Alors, pourquoi faire la fine bouche devant ce film à la grâce très nippone ? Mais de là à le mettre en compétition à Cannes… Disons que cette saga familiale démontre au moins que les lois de l’amour ne sont pas mathématiques, car 3 sœurs + ½ sœur ne font pas 3 sœurs et demi, mais 4. CQFD.

Notre petite soeur, de Hirokazu Kore-Eda Telerama_BA
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Hyさんとブツブツの問題について考えました.カントクが2つもあってそのための出勤だったそうです.でもなぜか彼はとても下手(したて)な態度です.
沖縄が日本に「復帰」して43年です.でも沖縄のことあまり考えていなかったのでよくわからないことが多いです.
ユクスキュルの環世界という考え方面白いと思いました.

石巻西高生ら、被災地をガイド 震災の記憶や思い語る 東松島
 石巻西高2年の志野ほのかさん(16)=石巻市須江=が4日、同市野蒜の被災地で高校のOG2人とともに語り部ガイドを務めた。「東日本大震災を経験し、日常の出来事を当たり前と受け止めない気持ちが大切だと感じた」と、震災を語り継ぐ決意を胸に初めてガイドに臨み、被災当時の記憶や伝えたい思いなどを参加者に話し掛けた。

 今回のガイドには、震災伝承の思いを共有する東北福祉大1年武田結友さん(18)、尚絅学院大1年千葉碧さん(18)=いずれも今春、石巻西高を卒業=が同行した。

 3人の強い意志を受け、同高OBでカメラマンの鈴木貴之さん(42)=札幌市=が企画。東松島市で開かれたイベントにボランティア参加していた東京、神奈川、大阪などの約20人が集まり、被災した野蒜小、奥松島体育館バウンズ88跡地、長音寺を訪問した。

 震災当時、野蒜小6年生だった志野さんは「校門を出た所で揺れ始めた」「体育館で亡くなった人を目の前にしたが、夢なんじゃないかと思っていた」などと当時の状況を説明した。1週間後に控えていた卒業式は、中学校で実施されたことなども話した。

 最後に回った長音寺の近くには、志野さんの自宅があったという。祖父=当時(65)=を亡くした体験を涙ながらに明かした志野さんが「伝えたいことを伝えたいときに話して」と強調すると、涙を流す参加者もいた。

 ガイドを終え、志野さんは「話すことはつらいが、伝えることで救える命があると思う」と前を向いた。将来は復興に携わる仕事がしたいという。


希望新聞:東日本大震災 「三陸遍路みち」で弔いを 岩手・釜石出身三味線奏者、寺院情報などマップに
 2011年3月の東日本大震災の犠牲者を弔うため、岩手県岩泉町から宮城県南三陸町までの寺院60カ寺を巡る「三陸遍路みち」を提唱した駒幸夫さん(60)=米ニューヨーク在住=が、寺院の情報や道案内などを記した「マップ」を完成させた。今年の3月11日から12日間、歩いて得た情報などを掲載。「被災地の遍路みちに一人でも多くの人が来てくれれば」と話す。

 駒さんは、岩手県釜石市鵜住居町出身の三味線奏者。震災後、津波で亡くなった母幸子さん(当時82歳)の形見の三味線を使い、三陸の被災地で慰問活動をしていた。

 「『四国八十八カ所』のような巡礼の道を作れないか」。かつて、ライブ活動で訪れた際に阿波踊りに魅せられて、徳島に移り住んだ経験もあり、三陸遍路みちを思いついた。

 昨年6月から、岩手と宮城の沿岸の寺社に「札所」となるよう協力をお願いすると、両県の9市町にわたって8宗派の60の寺が賛同してくれた。駒さんは震災から4年となる今年3月11日、60カ所を巡る慰霊の旅をスタートさせた。

 編みがさをかぶり手には自作のつえ。最北に位置する岩泉町の宗得(そうとく)寺から南三陸町の大雄(だいおう)寺までの334キロを、歌と祈りをささげながら12日間かけて歩き通した。

 今回完成したマップはB5判で、その道しるべになるもの。カラー64ページで寺社の住所や写真、周辺の観光地、朱印用スペースなどを掲載している。英語のほか、韓国語や中国語も一部併記した。住職と話をした印象をまとめた「お寺さんとの立ち話」や、目的地への詳しい行き方など体験を基にした情報、参拝者が独自に思い出を書く欄もある。

 駒さんは、長いときで1日40キロ近く歩くこともあったという。「新聞やラジオで報道してくれたためか、沿道で待ってくれている人も多かった」。涙ながらに手を合わせてくれた人もいた。「皆さんの温かい応援に応えるためにも遍路みちは末永く続けたい」といい、今後も賛同してくれる寺社を探す。

 マップは2000部を作製。新しい情報を加えながら、1万部に増やしたいという。税込み756円で、岩手県内の土産店などで扱う予定。問い合わせは、三陸遍路みち推進委員会(電話090・6284・6779)。【中田博維】


<避難解除>自民提言案に地元福島意見割れる
 東京電力福島第1原発事故に伴う福島県の「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」について、自民党が14日、遅くとも事故から6年後までに避難指示を解除し住民帰還につなげる考えを国への提言に盛り込む方針を固めたことに対し、避難者や地元首長からさまざまな声が上がった。

 「期限を切ることで福島全体の復興加速につながる」と賛意を示したのは飯舘村の菅野典雄村長。帰還困難区域を除き、村は2017年3月までの避難指示解除を目指す。「6年を超えると賠償面で帰還困難区域と違いがなくなってしまう」と指摘した。
 浪江町も17年3月以降の避難指示解除を目指すが、馬場有町長は「除染やインフラ復旧の状況を考慮すると解除は厳しいかもしれない」との見方を示した。町は来年、放射線などの専門家を交えて帰還に向けた具体的な検討を始める予定で「帰還時期は町として総合的に判断する」と話した。
 飯舘村から伊達市に避難する住民の意見も分かれた。女性(70)は「一日も早く帰りたいのでありがたい」と歓迎。自分の土地でもう一度営農して生計を立てたいといい「農業で生計を立てられるイメージを国に示してもらえれば、なおうれしい」と願った。
 村で農業を営んでいた長谷川健一さん(61)は「自立のためのケアなど話し合いの場も全くない状況で、解除時期だけが先行するのはおかしい。安心して生活できる状況を見極めて示すのが先だ」と批判した。
 浪江町から避難し、福島市の災害公営住宅に住む無職遠藤義雄さん(74)は「避難指示が解除されても若い人はほとんど戻らないだろう。みんな国に不信感を抱いている。『安全だ』と言われても信頼できない」と突き放した。


東日本大震災:福島第1原発事故 福島の知的障害者施設完成 安らぎの家、ようやく 県内外4カ所へ避難4年
 東京電力福島第1原発事故で福島県川内村から避難している知的障害者の入所施設「あぶくま更生園」の新施設が15日、避難先の同県田村市で完成した。入所者46人は事故後、避難のため県内や千葉県を転々とし、手狭な施設と避難生活の長期化でストレスを抱え暮らしていた。入所者の家族は「これでようやく落ち着ける」と胸をなで下ろしている。【岡田英】

 新しい施設は木造平屋建てで延べ床面積は約2900平方メートル。現在暮らしているプレハブの仮設住宅をつなぎ合わせた施設の2・8倍だ。15日午前には入所者の家族や職員らが集まり、木の香りがする新施設の中で落成式が行われた。震災前から施設長を務める三瓶直人さん(56)は「ようやく入所者も家族も安心できる施設ができ、本当によかった」と感慨に浸った。

 同園は1988年4月、川内村で開園。福島第1原発から約12キロの山あいで、野菜や鶏を育てながら、20〜60代の知的障害者の食事や入浴、排せつなど生活を支えてきた。

 2011年3月12日、同原発1号機の水素爆発が生活を一変させた。より原発に近い福島県富岡町の4施設から逃れてきた約200人とともに、村の体育館に避難した。その日の夜、環境の変化によるストレスで入所者が奇声や大声を出した。居づらくなり、翌13日に西隣の田村市にある通所施設に移った。

 40人規模の施設に約250人が寝泊まりした。一つの布団を2人で使うなど「すし詰め状態」(三瓶施設長)。薬も不足して5、6人がてんかんの発作を発症し、別施設から避難していた1人が亡くなった。

 広い施設を求め約1カ月後に千葉県鴨川市の県立青年の家に移ったが、福祉施設でないため階段が多いなどの不便もあった。震災前に18人いた職員も次々と辞め、残ったのは三瓶さんら2人だけ。

 「やっぱり古里に帰りたい」。三瓶さんは12年2月、入所者を連れて田村市の仮設住宅を改造した施設に移った。部屋は狭く、男性は8畳(約13平方メートル)の部屋を2人で使用。入所者1人当たりの床面積は障害者自立支援法の基準の半分近くしかなかった。

 川内村は昨年10月、村内のほとんどの地域で避難指示が解除された。しかし、村から近い精神科のある大熊町の総合病院は避難指示解除の見通しもなく、閉鎖したままだ。「川内村では入所者を支える環境を整えられるか不安がある」と田村市での再起を目指した。

 新施設では入所者ごとに約10平方メートルの個室があり、共用スペースも増える。家族会会長で弟が入所している馬渕和年さん(69)は「避難に次ぐ避難だったから、広い施設に落ち着いて本当にうれしい。弟には新しい場所に早く慣れてほしい」と喜んでいた。


東日本大震災:福島第1原発事故 塩谷の処分場問題 反対住民1100人シンポ 環境省も説明会
 東京電力福島第1原発事故で発生した放射性物質を含む指定廃棄物の処分場を栃木など5県に建設する計画をめぐり、環境省は14日夜、宇都宮市で計画を説明するフォーラムを開催した。これに対抗し、候補地となっている同県塩谷町の反対派住民は、同時刻に約22キロ離れた町内で地元の自然の豊かさをテーマにしたシンポジウムを開いた。

 環境省のフォーラムは4月の仙台市に続いて2回目で、約180人が参加した。担当者らが指定廃棄物に関して説明し、建設に向けた調査に理解を求めた。参加者からは「そんなに安全ならば、東京に造って」「都合の悪いデータを隠す国を信用できない」などの意見が相次いだ。同省は毎日新聞の取材に対し、塩谷ではなく宇都宮で開いた理由について「広く県民に理解を得るために交通の便を考えた」と説明した。

 一方、「反対同盟会」が開いたシンポジウムには約1100人が集まり、会場の高校体育館が満席に。約200人は屋外で映像を見ながらの参加となった。参加者らは地元の自然を住民の手で守ることを確認。ある男性(72)は「環境省のフォーラムは都合のいいことを言うだけ。参加すれば実績の材料にされてしまう」と話していた。【田内隆弘、高橋隆輔】


手話で意思疎通 市議の女性が本会議に
耳が聞こえず、手話でコミュニケーションを取る人で、初めて市議会議員になった兵庫県明石市の女性が15日、初めて本会議に臨みました。
兵庫県明石市の市議会議員に就任した家根谷敦子さん(55)は耳が聞こえず、手話でコミュニケーションを取っています。
先月行われた市議会議員選挙では街頭に立って手話で支持を訴え、家族が通訳する形で活動を行いました。
福祉の充実や公共施設のバリアフリー化を進めたいと訴え、3000票近くを集めて初当選しました。全日本ろうあ連盟によりますと、耳が聞こえず、手話でコミュニケーションを取る人が市議会議員になるのは、全国で初めてだということです。
15日は選挙のあと初めて本会議が開かれました。
明石市議会では新たに議場の中央に手話通訳者を配置し、家根谷さんは手話を介しながら、新しい議長と副議長を決める議題に臨みました。
本会議のあと家根谷さんは手話で取材に応じ、「緊張しましたが、改めて有権者のために頑張らなければならないと思いました。ほかの議員と同じように頑張っていきたい」と話していました。


沖縄:本土復帰43年 「基地は沖縄経済を阻害」 悲願の自立、高まる声
 沖縄本土復帰から43年となる15日の平和行進で、参加者は基地反対を強く訴えた。本土復帰から43年を迎えた沖縄だが、今も全国の0・6%の面積に74%の米軍専用施設が集中する。一方、県民総所得に占める米軍基地関係収入の割合は本土復帰時の15・5%から2012年度には5・4%に激減。「今や基地は沖縄経済の発展の最大の阻害要因」との声が年々強まっている。

 米軍は戦後、「銃剣とブルドーザー」で土地を強制接収し基地を拡大。復帰後も基地はあまり減らず、沖縄本島の18%を基地が占める。土地を基地に奪われた結果、本土のように製造業が育たず、経済状況は厳しい。県民所得(202万円、10年度)は全国最下位で、全国平均の約7割しかない。財政で、基地関係収入への依存度が30%を超える市町村もある。

 しかし基地経済の存在感は確実に薄まっている。那覇市の新都心地区(旧米軍牧港住宅地区)は民間の活力で、返還前と比べて直接経済効果が32倍に。観光が新たなリーディング産業に育ち、観光収入が県民総所得に占める割合は基地関係収入のほぼ倍の10%に及ぶ。沖縄は「基地がなくてもやっていける」と自信を持ち始めている。

 昨年11月の知事選で米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設反対を訴えた翁長雄志氏が当選。県民が「移設ノー」でまとまる底流には、悲願の自立経済を目指す民意がある。【佐藤敬一】


真の民主主義遠く 沖縄復帰の日に翁長雄志知事
 沖縄の日本復帰から43年目にあたる15日午前、翁長雄志沖縄県知事は15日午前、県庁での記者会見で、「本土並みを合言葉に勝ち取った復帰だが、真の民主主義の実現など県民の強く望んだ形になっていない」との認識を示した。

 県民の声を無視するように、政府が名護市辺野古の新基地建設を推し進める現状を「自由、平等、民主主義は生かされているのか」とあらためて疑問を投げかけた。

 14日に閣議決定した安保関連法案については、沖縄が冷戦時代から中国の台頭を含め、地政学的に重視されてきた事実を踏まえ、「理屈を付けて沖縄に基地を置くという状況になるのか」と基地の恒久化を危ぐした。


日本復帰43年 圧政はね返す正念場 将来世代に責任果たそう
 沖縄が日本に復帰してきょう15日で43年を迎えた。
 県民総所得に占める基地関連収入の割合は復帰時の1972年度に15・5%だったが、2012年度には5・4%に縮小した。基地経済から完全に脱却し、県民生活も豊かになった。
 だが、米軍基地が県民生活を圧迫し、さらなる発展を阻害する状況は続いている。その改善は国の務めだが、安倍政権はさまざまな分野の阻害要因となる新基地の押し付けを進めている。
 将来も米軍基地を県内に残すのか。沖縄にとって今が正念場である。国の圧政をはね返すことで「真の復帰」を実現したい。

政治は国民のもの

 沖縄戦では本土の捨て石にされ、米軍支配下では人権を踏みにじられ、復帰後も基地の重圧に苦しめられてきた。70年にわたってそのような状況に置かれ続けた県が沖縄以外にあるだろうか。
 復帰運動の先頭に立った屋良朝苗主席の「復帰措置に関する建議書」前文にはこうある。
 「沖縄は余りにも、国家権力や基地権力の犠牲となり、手段となって利用され過ぎました。復帰という一大転換期に当たって、このような地位からも、沖縄は脱却していかねばなりません」
 県民が復帰に求めたことは国に手段として利用されることを拒否し、基地の抑圧から解放され、人権が完全に保障されることだった。
 現状はどうか。国は日米安保を重視する手段として沖縄を相変わらず利用し、県民は基地の重圧にあえいでいる。新基地建設は今後も沖縄を利用し続けるとの宣言にほかならない。
 復帰から43年たっても「建議書」の要求事項が実現されない状況は異常である。その状況をさらに悪化させる新基地建設は安倍政権の沖縄への圧政の表れであり、許すことはできない。
 自民党の立党宣言は「政治は国民のもの」と明記する。それが正しい政治の在り方だ。だが自民党総裁である安倍晋三首相の沖縄への政治姿勢はこれに反する。
 昨年の名護市長選、名護市議選、県知事選、衆院選沖縄選挙区では米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古への新基地建設反対の圧倒的民意が示された。「政治は国民のもの」である以上、民意を尊重すべきだ。
 立党50年宣言には「我々は国民の負託に応え、情理を尽くして幾多の問題を克服」したとある。1996年以降、自民党が沖縄に押し付ける新基地建設のどこに人情と道理があるというのだろうか。「情理」を尽くすならば、新基地建設計画は葬るべきである。

新基地建設断念を

 安倍政権の圧政はその不条理さゆえに県内の各界、各層をまとめる結果になった。自己決定権の回復を求める大きなうねりは、安倍政権の強権的な姿勢にあらがう時代の息吹といえる。
 「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」には経済界も加わるなど、新基地建設に反対する運動はかつてない広がりを見せている。
 全国、海外からも沖縄の民意に呼応する支援が広がり、県民を勇気づけている。
 基地問題を通して沖縄から民主主義の在り方を国民に問い、実現を目指す契機にもなっている。
 新基地建設を強行する国に対し、愛知県岩倉市議会と長野県白馬村議会は3月議会で「中央と地方との対等をうたう地方自治の侵害にもなりかねない」とする請願・陳情を採択した。「沖縄だけの問題ではない」との意識の表れである。
 安倍政権は新基地建設を断念すべきだが、辺野古移設が「唯一の解決策」と強弁し続けている。思考停止に陥った安倍政権に沖縄の将来を委ねてはならない。
 県民は復帰に穏やかな暮らしと平和を求めた。それを実現することは、今を生きる県民の将来世代に対する責任である。


安保法案:閣議決定 市民「9条を壊すな」 各地でデモ、集会
 戦後70年を経て、日本の安全保障が大きな転換点を迎えた。全国各地でさまざまな声を取材した。

 ◆官邸前

 東京・永田町の首相官邸前では、市民団体などでつくる「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」主催の抗議集会があり、参加した市民ら500人が「憲法9条を壊すな」と訴えた。銀座では法案に抗議する女性たちのデモ行進もあった。

 官邸前で声を上げた千葉県柏市の教員、田宮高信さん(45)は「未来の子供たちのためにおかしな法律を残すわけにいかない」。横浜市港北区から駆けつけた主婦の小野洋子さん(66)と三毛ふみのさん(62)は、「無関心な人が多い。一人一人が集まって世論になる。自分たちのことだと想像力を働かせて」と口をそろえた。

 札幌市内でも夕方、抗議集会とデモ行進があり、市民ら約300人が「安保法制撤回」のシュプレヒコールを上げた。アルバイト先の同僚らと参加した同市豊平区の専門学校生の女性(19)は「身近な人が死ぬ未来にしたくない」。

 山形市の市役所前では昼ごろ、市民や市議ら約40人が抗議の座り込みをした。参加した山形県平和センターの佐藤克(まさる)副議長は「日本が戦争する国になるかどうかの瀬戸際だ」と声を張り上げた。【山下俊輔、山中宏之】

 ◆基地周辺

 陸上自衛隊大久保駐屯地のある京都府宇治市。30代の元自衛官の男性は、中東のゴラン高原に国連平和維持活動(PKO)で派遣された経験がある。「他国軍が攻撃される可能性があるのに助けに行けないのはジレンマだった」と安保関連法案に理解を示しつつ、「国民的議論を十分尽くすべきだ」と言う。

 陸自の演習場や駐屯地のある滋賀県高島市で、弁当を駐屯地に届ける飲食店の男性(66)は「災害救助などで自衛隊は身近な存在だが、戦闘に参加するとなれば印象が変わるかもしれない」。陸自中部方面総監部のある兵庫県伊丹市で隊員らがよく訪れる酒店の店主(51)は「顔なじみの隊員の苦労が増えるのではないか」と気遣う。

 米軍の高性能レーダーが配備された京都府京丹後市。自衛官OBの男性(73)は「自衛隊員は命を投げ出す覚悟が求められる。でも実際には生活のために隊員になった者も大勢いる」と心配する。【富永浩三、村松洋、塩田敏夫】

 ◆沖縄

 沖縄の本土復帰を記念する「5・15平和行進」の結団式が14日、那覇市であった。集まった参加者約600人は安保法案に怒りの声を上げた。

 「きょう安倍政権は戦争法案を閣議決定しようとしている。集団的自衛権を認めていない憲法9条を覆し、戦争への道を突き進もうとしている」。中心的な団体「平和フォーラム」(東京都)の藤本泰成事務局長が壇上で訴えると、会場から拍手が湧き上がった。

 参加した沖縄県教職員組合の下地哲治さん(46)は、「沖縄で生まれ育ち、厳しい沖縄戦と戦後を生き抜いてきた祖父母や両親の思いを背負っている。政府は沖縄の声に耳を傾け、軍事力ではなく平和外交を進めてほしい」と話した。埼玉県平和運動センター(さいたま市)の沢田武司さん(48)は「日本まで戦争に巻き込まれかねないという危機感を持っている」と語った。【川上珠実】


安保法制閣議決定 専守防衛の原点に返れ
 安全保障法制が閣議決定された。海外での武力の行使に道を開く危うい法案だ。戦後貫いてきた「専守防衛」の原点に、いま一度返るべきではないか。

 安倍内閣がきのう閣議決定したのは、集団的自衛権を行使できるようにするための自衛隊法改正案など、十の改正法案を束ねた「平和安全法制整備法案」と、自衛隊の海外派遣を随時可能とする新法「国際平和支援法案」だ。

 これまで「安全保障法制」と呼んでいたものを、二つの法案を合わせて「平和安全法制」と言い換えたのも、「戦争法案」との批判を和らげる意図があるのだろう。
◆平和安全法制の欺瞞

 それは欺瞞(ぎまん)である。呼び方をいかに変えようとも、法案が持つ本質は変わりようがない。

 その本質は、自衛隊の活動内容や範囲が大幅に広げられ、戦闘に巻き込まれて犠牲を出したり、海外で武力の行使をする可能性が飛躍的に高くなる、ということだ。

 こうした自衛隊活動に、憲法の揺るぎない裏付けと国民の大多数の理解と納得があるのならまだしも、海外での武力の行使は、自民党を含む歴代政権が憲法違反として認めてこなかったものである。

 国会で積み重ねられた議論を無視して一内閣の判断で憲法解釈を変え、自衛隊を地球上のどこにでも派遣して武力の行使を認めることを、憲法破壊の暴挙と言わず何と言う。

 思い起こしてほしい。なぜ戦後の日本が戦争放棄の「平和憲法」をつくり、それを守り抜いてきたのか。思い起こしてほしい。なぜ戦後の日本が「専守防衛」に徹してきたのか。

 それは誤った政策判断により戦争に突入し、日本人だけで約三百十万人という犠牲を出した、先の大戦に対する痛切な反省からにほかならない。
◆憲法、条約の枠超える

 専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならない「平和国家」としての歩みが、国際社会で高い評価と尊敬を得て、日本の外交力の基礎となっていることに疑いの余地はない。

 何よりも、軍事よりも経済、国民の暮らしを優先する政策は、戦後日本の繁栄の基礎となったことにも思いを至らせるべきだろう。

 安倍内閣は、きょう国会に提出する法案が成立しても、戦後日本を貫く「専守防衛」政策に、いささかも揺るぎないと強調してはいる。果たしてそうだろうか。

 専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使する、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略だ。

 しかし、集団的自衛権の行使を認めることは、自らが攻撃されていなくても外国同士の戦争に参戦する、ということである。

 集団的自衛権は国連憲章で加盟国に認められた権利だとはいえ、ベトナム戦争などその行使例を見れば、大国による軍事介入の正当化に使われたのが現実だ。

 そのような軍事行動に踏み切りながら、「専守防衛」だと胸を張って言いきれるのだろうか。

 整備法案では「周辺事態法」も改正され、日本周辺に事実上限られてきた米軍への後方支援の地理的制約が取り払われ、支援対象を米軍以外の外国軍にも広げる。

 極東を対象範囲とした日米安全保障条約の枠組みを超えるが、条約改定も他国との新たな条約締結もない。憲法や条約があまりにも軽く扱われていないか。

 新法の国際平和支援法案は、国際社会の平和と安全に対する脅威を取り除くために活動する外国軍隊を、自衛隊がいつでも後方支援できるようにする一般法だ。

 地理的な制限はなく、米軍以外の外国軍隊も支援対象とする。

 現に戦闘が行われている現場では実施しないとの条件付きだが、後方支援は戦闘行動と一体であり、戦闘現場以外での活動でも、いつ攻撃されるか分からない。攻撃されて反撃すれば、本格的な戦闘となるのは避けられまい。それでも「専守」を貫けるのか。

 国会の事前承認を例外なく必要とするが、ならばこれまで同様、特別措置法で対応しても、国際的な責任は十分果たせるのではないか。新法の必要性に疑問が残る。
◆岐路に立つ自覚持ち

 法案を提出する政府が憲法や条約をないがしろにする態度では、いくら審議時間を費やしても、法律に正統性は生まれまい。

 戦後七十年の節目を生きる私たちは日本が今、重大な岐路に立っているとの自覚を持ち、平和憲法を守り、専守防衛を貫いてきた先人たちの思いを胸に刻みたい。

 二度と侵略戦争はしない、自国防衛以外には武力の行使や威嚇はしないという戦後日本の原点に返れば、安倍政権が目指すものとは違う、日本の進むべき道がおのずから見えてくるはずだ。


TPP交渉差し止め提訴=1000人「違憲」主張—東京地裁
 日米など12カ国が交渉に参加する環太平洋連携協定(TPP)は国民の権利を広く侵害し、憲法に違反するとして、国会議員や医師、農業従事者ら1063人が15日、国に交渉差し止めと各1万円の損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こした。

 原告側は訴状で、TPPを「あらゆる生活の仕組みをグローバル企業本位に作り替える」と批判。農業や酪農で生計を立てる権利や、安全な食品の提供を受ける権利、適正な医療を受ける権利などが侵害され、生存権や人格権などを保障した憲法に違反すると訴えている。 

戦争法案閣議決定に抗議します/信楽高原鉄道事故24年

ブログネタ
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Cannes : Charlie Hebdo se paie le festival et Catherine Deneuve
La couv du dernier numéro de Charlie, aujourd'hui dans les kiosques, est particulièrement dure avec la star française.
Fidèle à sa ligne impitoyable, Charlie Hebdo fête à sa manière l'ouverture du Festival de Cannes avec une couv particulièrement raide pour Catherine Deneuve, star de La Tête haute d'Emmanuelle Bercot, présenté ce soir en ouverture.
>>> La Tête haute, un film qui se cogne contre les murs
Outre le trait peu flatteur de Luz pour la silhouette de l'actrice française, il n'y a que l'hebdo satirique, cible de l'attentat meurtrier du 7 janvier dernier, pour pouvoir se permettre de l'associer à une alerte à la bombe. Mais pourquoi tant de haine ?
On trouve plus loin dans les pages de Charlie un autre dessin de Luz qui a décidé de se payer la grande Catherine et le festival du même coup, en résumant sa "féérie" à la coke et les stars, symbolisées par Deneuve qui disait il y a quelques jours qu'il n'y avait plus de stars en France. Des déclarations que n'a pas goûtées Nabilla, qui a ensuite traité l'actrice de "vieille jalouse aigrie" sur Twitter.
En marge de ces chamailleries de cour d'école, Deneuve, qui a multiplié les interviews à l'approche du Festival, a également multiplié les occasions de se faire étriller. Notamment par le maire de Dunkerque, qui conseille à l'actrice de "monter les marches la tête basse" (référence au titre du film d'ouverture dans lequel elle joue) après avoir été blessé par ses déclarations sur la ville qu'il administre.
Autant de bonnes raisons pour l'hebdo satirique de se payer la star et le festival du même coup.
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福島みずほ @mizuhofukushima
戦争法案が閣議決定されました。違憲の法案でおかしい。断固抗議。廃案しかありません。
ウワサの保護者会「どう築く?いい関係 子どもの発達障害」
今回のテーマは「子どもの発達障害」。発達障害のある子どもの親と、発達障害について知りたい周囲の子どもの親がスタジオに集まり、「双方の親同士の悩み」を打ち明け、「周囲が協力できることはあるのか」について考える。解決策を探る中で、発達障のある子どもと、周囲の子どもがいきいきと暮らすために、親同士が協力し合えるいい関係づくりのヒントを話し合う。
尾木直樹, 高山哲哉, 鈴木麻里子

哲子の部屋「人生を楽しくする哲学」(2)
第二回のテーマは「学び」。「人はなぜ学ばなければいけないの?」。「鏡を見るネコ」「ダニ」「盲導犬」などを教材に、生物学者ユクスキュルが唱えた「環世界」という概念(哲学)を解説する。「人は皆、バラバラの世界を生きている」と語る哲学者・國分功一郎。人生を豊かにするのは、人間の持つ「学びのチカラ」にあり!?注目の若手女優・清水富美加やマキタスポーツを相手に、モノの見方を一変させる哲学を語る。
國分功一郎,清水富美加,マキタスポーツ, 島本須美


ネットラジオで高村光太郎の「あなたはだんだんきれいになる」が取り上げられていました.いい詩だと思います.好きな詩の一つです.
レムニ図形を書くためのソフトを調べました.エクセルでできるかな?

震災後発見の遺体 身元が判明
東日本大震災のあと、石巻市の海上で見つかったものの身元がわからなかった遺体について、警察が改めてDNA鑑定を行った結果、亡くなったのは、東松島市に住む当時40歳の女性とわかりました。
警察によりますと、震災からおよそ1か月後の4年前の4月に、石巻市西浜町から、およそ200メートルの海上で、浮いているがれきの撤去作業をしていた男性が女性の遺体を見つけました。しかし、所持品がなかったことなどから身元がわからず、警察は、ことし3月から、骨の組織を使って改めてDNA鑑定を行っていました。
その結果、遺体は、見つかった場所からおよそ10キロ離れた、東松島市野蒜の自宅で津波にのまれ行方がわからなくなっていた、介護員の、渡辺玲子さん(当時40歳)と確認されました。
14日に警察から渡辺さんの遺骨を引き渡された兄は、「妹が帰ってきて本当に良かったと思います。
一方で、当時中学生だった妹の長男が、まだ見つかっていないので何とか見つけて頂きたいです」とコメントしました。
県内では、震災のあと遺体が見つかったものの、今も身元がわかない人が17人いるほか、震災で亡くなったのかわからない人が5人いて、いずれも警察が身元の確認を続けています。


<震災余震>県内も強い揺れ JR石巻線終日運休
 13日早朝に発生した宮城県沖を震源とする地震で、県内では震度5弱から震度2を観測し、各地で休校や断水などの影響が出た。大きな被害こそなかったが、JR石巻線が終日運休するなど混乱が尾を引いた。

 石巻線は、女川町の浦宿駅付近で線路脇の土を留めるコンクリートの壁がずれた。復旧作業のため、運転を終日見合わせた。14日は始発から通常運行する。
 JR東日本仙台支社によると、県内の在来線は88本が運休、117本が最大3時間35分遅れ、約4万9600人が影響を受けた。
 県教委などによると、公立高は東松島が臨時休校し、松島、宮城野、岩出山、白石工は授業開始を繰り下げた。涌谷は終業を早めた。私立は東北学院中高が授業開始を遅らせた。
 石巻市の吉野町災害公営住宅2号棟(63戸)では一時断水した。市によると地震感知器が作動し、送水ポンプが停止。午前8時45分ごろ復旧した。住民の男性(79)は「地震には驚いた。断水したが生活に支障はなかった」と話した。
 気仙沼市では九条小の外壁が一部剥がれ落ち、唐桑体育館の内壁に亀裂が入った。市役所ワンテン庁舎と市魚市場のエレベーターが一時作動しなくなったが、人が閉じ込められるなどの被害はなかった。
 南三陸町総合体育館のアリーナで天井パネルが5枚落ちる被害があったが、けが人はなかった。
 同町の住民250世帯が避難する登米市南方町の仮設住宅では、第脅治会長の佐藤清太郎さん(72)が「揺れた瞬間、津波で南三陸が混乱していないか心配した。津波の心配はないとの情報が入り、ほっとした」と古里を案じていた。
 仙台市地下鉄南北線は地震発生当時、運行中だったが被害はなかった。線路の安全を確認しながら通常通りの運転を続けた。


津波被災くつろぎの場再建 亡き妻の思い胸に
 東日本大震災の津波により気仙沼市の離島・大島で両親が営んでいた民宿兼実家を失った三上洋一郎さん(50)が15日、大島に「民宿みかみ」を再開させる。再建目前で病死した妻への思いを胸に、三上さんは「島の魅力を楽しみ、くつろいでもらえる場所にしたい」と話している。

 民宿みかみは大島小近くの高台に新築し、木造2階。1階に食堂、2階に五つの宿泊部屋を設け、食事の客も受け入れる予定だ。島で地引き網を体験した子どもたちには、アイナメなど地場の魚のおろし方も教える。
 大島の海沿いで両親が約40年間営んでいた「民宿三上」は、津波で流失。料理人として、仙台市の高級和食店や気仙沼市のホテルで腕を振るってきた三上さんは「民宿を再建し両親からバトンをつなぎたい」と心に決め、国のグループ化補助金を申請した。
 民宿が着工目前だった昨年10月、妻の優子さん=当時(51)=が肺がんで帰らぬ人になった。震災前に住んでいた市内のアパートが津波被害に遭い、震災後は仮設住宅に暮らしながら夫婦で民宿の夢を語り合ってきた。「表情だけで気持ちを分かってくれる相談相手を失った」と三上さん。
 津波で流失した大島の民宿が再建するのは、震災後初めて。「家族や親戚の支えがあったからここまで来られた」と振り返る。
 「つらいことがあったら、大島にある妻のお墓に愚痴を聞いてもらう。太平洋が望める宿で、大島でしか味わえない雰囲気を多くの人たちと共有したい」と開業を楽しみにしている。連絡先は民宿みかみ0226(28)2163。


被災の居酒屋復活 常連「日常が戻った」
 東日本大震災で大きな被害が出た宮城県亘理町の荒浜地区でこの春、4年ぶりに居酒屋が営業を再開した。店主が住民の安らぐ場を提供しようと、津波で全壊した店を再建した。人けの消えた集落跡にぽつんとともる明かりを頼りに老若男女が集い、被災による心の傷を癒やしながら酒を酌み交わす。

 居酒屋「いづもんどこ」は、荒浜漁港向かいに3月開業した「亘理町荒浜にぎわい回廊商店街」の一角にある。
 午後6時、店主の富樫悟さん(60)が店先の赤ちょうちんに明かりをともす。引き寄せられるように住民らが次々とのれんをくぐる。週末には約30席が全て埋まることも少なくない。
 常連の自営業男性(56)はウイスキーの水割りを味わい、富樫さんや、一緒に切り盛りする妻雅子さん(66)と会話を楽しむ。男性も自宅や店舗が損壊した。「他の常連客に会え、ストレス発散になる。昔の日常が戻ってきた」と喜ぶ。
 居酒屋は20年ほど前に開店。焼き鳥やお好み焼き、揚げ物など安価で多彩なメニューが人気だった。津波で全壊後は内陸の仮設商店街に移転。隣接する仮設住宅で暮らす町内外からの被災者や内陸の住民、全国のボランティアも通った。
 富樫さんは仮設の店の繁盛ぶりに感謝しながらも、常連がわざわざ荒浜からタクシーで来店する姿が気に掛かった。「うちは荒浜で育てられた店。住民の憩いの場を地元に再びつくりたい」。そう決意し、商店街に入居する他の7店と一緒に国のグループ化補助金を活用して再建を果たした。
 震災前に約4500人いた地元住民は半分以下に減ったが、店には若者の姿も絶えない。修繕した自宅に戻った男性(27)は地元の仲間と定期的に集う。「また地元で飲めてうれしい。末永く付き合っていきたい」とエールを送る。
 町内では306人が震災の犠牲になり、亡くなった常連客も少なくない。富樫さんは、客足が途絶えた夜に玄関の引き戸が風で音を立てると、「あの常連さんが飲みに来たのかな」と時折思いをはせる。
 「うちが繁盛することで後に続く店が増えれば、荒浜はさらににぎやかになるはず。だから頑張らないといけない」。富樫さんはそう信じている。


東日本大震災:復興見守る花 福島・いわき
 東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた福島県いわき市の久之浜海岸。堤防の復旧工事が進むこの海岸を薄紫色のハマエンドウが彩っている。例年より1週間以上早く咲き始め、見ごろは今月中旬すぎまでの見込み。

 20年近くハマエンドウの保護活動をする「久之浜・大久地域づくり協議会」の木村芳秀会長(78)によると、震災前は約1キロにわたり群生地が広がっていた。しかし津波で約8割が流出。同協議会がハマエンドウの移植やごみ拾いなど再生に向けた取り組みを続けている。木村会長は「活動を続けて再生していきたい」と話している。【文 宮間俊樹】


復興の新方針 被災地と丁寧な調整を
 これで再生に支障を来さないだろうか。東日本大震災の復興事業に関する政府の新方針を復興庁が発表した。震災発生から5年がたつ来年春以降は復興事業を三つに分類して一部に地元負担を導入、10事業については今年度限りで打ち切るという。

 復興が新たな段階を迎える中で、一定の地元負担はやむを得ない。ただ、今回の方針は被災地に過重な負担をもたらす懸念もある。具体的な予算や事業枠の策定にあたり、地元との丁寧な協議や調整を求めたい。

 政府は震災発生後の2011年度から15年度を「集中復興期間」として、復興事業は全額国負担で進めてきた。復興庁の公表した新方針は16年度から20年度の新たな5年を「復興・創生期間」としてこれまでの全額国費負担方式を転換、地元負担を導入した。

 復興事業は(1)従来通り全額国費で実施(2)一部は地元負担(3)全国の他の自治体と同様に負担−−の3通りに分類する。これに伴い住民の高台移転や復興住宅建設などの基幹事業や、東京電力福島第1原発事故への対応などに全額国費負担の領域は狭められる。

 国の財政は厳しいだけに、地元負担のすべてを否定はしない。だが、どこまで血の通った検討を尽くしたか、新方針には疑問もある。

 とりわけ10の復興事業を役割を終えたとして打ち切ることは被災地を当惑させている。このうち「緊急雇用創出事業」制度を活用し、いくつかの自治体は仮設住宅の見回り事業などの要員を確保してきた。原発事故の県外への自主避難者に情報を提供する制度は、避難区域から県外に逃れた人も利用している。福島県の再生可能エネルギー開発を支援する事業も終結するというが、福島復興の方向にかかわる事業ではないか。

 公共事業は基幹事業を除き、地元負担を導入する。住民に議論のある巨大防潮堤などの見直しは必要だ。だが、道路整備などの多くは復興プランと現実には一体化している。

 政府は新方針に基づき、来月末に新たな支援の枠組みを決定する。ここにきて政府内からは被災地に「自立」を促すような発言が目立つ。だが、これまで被災地はまさに自ら努力し、困難に向かってきた。まるで、国に依存し続けたと言わんばかりの言いぶりでは無用な対立を招く。

 新方針に財政基盤の弱い市町村を中心に早くも不安が広がり始めている。政府は新たな復興予算の総枠を約6兆円とみており、被災地側が見積もる8兆円超とは開きがある。財政事情が厳しい中、本当に欠かせない事業は何か。政府は被災地ともう一度よく話し合い、両者の距離が縮まるように努力すべきだ。


信楽高原鉄道事故24年 現場近くで追悼式
42人が亡くなった滋賀県の信楽高原鉄道の事故から14日で24年になり、事故現場の近くで追悼式が行われました。
24年前の平成3年5月14日、今の滋賀県甲賀市で、第三セクター・信楽高原鉄道の列車と、乗り入れ運転をしていたJR西日本の列車が正面衝突して42人が死亡し、628人がけがをしました。
14日は、事故現場の近くに設置された慰霊碑の前で遺族や鉄道関係者などが出席して追悼式が行われ、出席者が黙とうをささげました。追悼式の中で信楽高原鉄道の正木仙治郎社長は「二度と事故を起こさないようさらに安全確保の徹底を図りたい」と述べました。続いてJR西日本の真鍋精志社長が「安全な鉄道を実現するため、たゆまぬ努力を続けることを誓います」と述べました。
事故で妻を亡くした兵庫県宝塚市の吉崎俊三さん(81)は、「遺族が高齢化し追悼式に出席する人も減るなか、今後、事故が風化するのではと不安です。鉄道会社は、営利ではなく人命を第一に考えて運行してほしいです」と話していました。


信楽鉄道事故:24年で追悼、冥福祈る…滋賀
 滋賀県甲賀市(旧信楽町)で1991年にJR西日本と信楽高原鉄道(SKR)の列車が正面衝突し42人が死亡、600人以上が負傷した事故は14日、発生から24年を迎えた。信楽町黄瀬(きのせ)の事故現場では追悼法要が営まれ、遺族やSKRの正木仙治郎社長、JR西の真鍋精志社長らが献花して犠牲者の冥福を祈った。

 SKRは2013年秋の台風18号で鉄橋が流される被害を受け、昨年11月に1年2カ月ぶりに運行を再開した。事故の遺族らでつくる「鉄道安全推進会議(TASK)」が復旧支援で50万円を寄付しており、法要で正木社長は「皆様の温かい応援をいただき、最短期間で運行を再開できた。更に安全確保の徹底を図る」と語った。

 一方、遺族側のあいさつは妻を亡くした吉崎俊三さん(81)=兵庫県宝塚市=が昨年まで述べていたが、健康上の理由で遺族の世話人代表を退いたため、今年からなくなった。参列した吉崎さんは「24年がたち、遺族も年を取った。誰もお参りに来られなくなっても法要を続けてほしい」と訴えていた。【村瀬優子、竹下理子】


仏アレバ危機 原発は割に合わない
 世界最大の原子力企業体が苦境に立たされた。巨額の赤字を抱えた仏アレバ社の経営危機は深刻で、再建策として政府とのさらなる連携も模索する。もはや原発は一企業の手に負えるものではない。

 アレバ社は、世界各地で原発の建設などを手掛けてきた。青森県六ケ所村の核燃料サイクル施設もアレバの技術に依存するなど、国際的にも強い影響力を持つ。

 従業員四万五千人。株式のほとんどを仏政府が所有する国営企業といっていい。

 アレバを窮地に追い込んだのは、フランスとフィンランドで建設中の新型原発だ。

 欧州加圧水型(EPR)というその原子炉は、一九七九年の米スリーマイル島原発事故を教訓にした安全性が売り物だった。

 事故で炉心溶融(メルトダウン)を起こしても、「コアキャッチャー」と呼ばれる巨大な皿が溶けた核燃料を受け止める。貯水タンクの水が自動的に流れ込み、冷やす仕組みになっている。

 二〇〇一年、9・11米中枢同時テロが発生すると、大型旅客機の衝突に備えて、強化コンクリートの分厚い壁で原子炉を取り囲む必要に迫られた。

 安全を追求すればするほど経費はかさみ、工期は延びる。

 フィンランドで〇五年に着工したオルキルオト原発3号機は、〇九年に完成するはずだった。ところが、資材調達の遅れや設計の不具合といったトラブルが続いて工期延長が相次ぎ、建設費の見積もりは当初の三倍に膨れ上がって、一兆円を突破した。

 仏西部のフラマンビル原発3号機も同様で、建設費は当初の二倍になる見込みという。

 そして福島の事故を経て、原発の安全に対する要求は一段と高まった。欧州で建設中の原発は、オルキルオトとフラマンビルの二基だけだ。

 シェールガスへの転換が進む米国でも、スリーマイルの事故以来、原発の新増設はない。

 日本政府は、三〇年の原発比率を20〜22%にしたいという。四十年寿命の決まりを守っていれば、建て替え、新増設なしには達成できない数字である。

 そのために、どれだけ費用がかかるのか。電力事業が自由化されても採算が取れるのか。英国のように国費をつぎ込むのだろうか。

 フクシマが時代を変えた。

 原発は、もはや割に合わないと、斜陽のアレバが証明しつつあるではないか。


「戦争支援だ」「憲法守れ」=安保法案に500人抗議―首相官邸前
 集団的自衛権の行使を可能にする新たな安全保障関連法案が閣議決定される14日、反対する市民らが東京・永田町の首相官邸前で抗議集会を開いた。プラカードや横断幕を手に約500人(主催者発表)が集まり、「平和支援ではなく戦争支援法案だ」「首相は憲法を守れ」と声を張り上げた。
 初めて集会に参加したという岡山市の団体職員西崎直人さん(50)は「海外で武力行使できるようにする法案に『平和』という言葉を盛り込むのは詭弁(きべん)だ」と憤慨。東京都町田市の主婦北島あけみさん(66)は「法案は結局米国の戦争に加担するためのもの。絶対に憲法違反だ」と官邸の方角をにらんだ。
 小学2年のとき空襲で家を失ったという茨城県取手市の無職花沢武志さん(77)は「戦争はこりごりで思い出したくもない。政府はその戦争をできる国にしようとしている」と訴える。「若者にどう危機感を浸透させたらいいのか。戦争の経験を伝えていかなければ」と険しい表情を浮かべた。
 川崎市から駆け付けた無職原田茂さん(67)は憲法が施行された1947年5月生まれ。「平和憲法とともに生きてきたが、根こそぎひっくり返されるとは夢にも思わなかった。為政者によるクーデターだ」と憤る。八王子市の大学生安斎拓真さん(19)は「まだ選挙権がないので、こういう場で訴えるしかない。安倍晋三首相は積極的平和主義というが、自衛隊の海外派遣が平和につながるとは思えない」と首をかしげた。


広がる「反対」平和の危機 安保法案きょう閣議決定へ
 政府は14日、臨時閣議を開き、安全保障関連法案を決定する。成立すれば、他国を武力で守る集団的自衛権を行使したり、地球規模で他国軍の戦闘を随時支援できたりするようになる。憲法の平和主義の根幹が大きく揺らぐことから、市民らの間に危機感が拡大。さまざまな手段で成立阻止を目指すうねりになっている。

 集団的自衛権に関しては、法廷闘争に持ち込む動きがある。

 解釈改憲に反対する市民団体「ピースウイング」(代表・山中光茂三重県松阪市長)は、集団的自衛権行使を容認した昨年七月の閣議決定は憲法違反として、無効確認を求めて提訴する方針。これまで賛同する市民四百十四人(四月二十二日現在)が委任状を寄せた。安保法案が成立した場合も「戦争の不安の中で暮らすことになり、(憲法前文にある)平和的生存権が侵害される」としてさらに違憲訴訟を起こす方針だ。

 地方議会では意見書を可決する動きが続いている。

 衆院事務局には、集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回や、安保法案への反対などを盛り込んだ意見書が、今月八日現在で計三百三十三本届いた。本紙が以前集計した三月十三日時点と比べても三十一本増えた。

 反対の民意を数で示そうと、署名活動も広がる。

 日本弁護士連合会が昨年十一月から集めている署名は、四月一日現在で四万一千三百三十二人に。宗派を超えた宗教関係者でつくる「宗教者九条の和」にも約八千五百人分が寄せられた。

 多くの市民団体や労働組合が加わる「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」も署名を集めているほか、十四日午前八時から首相官邸前で抗議集会を開く。

 とっつきにくい安保法案の危険性を、分かりやすく伝える取り組みも。弁護士有志による自由法曹団は、イラストや写真入りのリーフレットを五万部作成した。全国の女性団体でつくる「国際婦人年連絡会」に加盟する新日本婦人の会は紙芝居を制作。護憲団体「九条の会」は「(戦場に)ゆくのは、わたしら」と若者が訴えるポスターを販売する。

 有識者らでつくる「国民安保法制懇」は、十五日に緊急声明を発表する予定。

 安保法案は、武力攻撃事態法など十本の現行法をまとめて改正する法案と、他国軍の戦闘を支援するために自衛隊を随時派遣できるようにする新法「国際平和支援法案」の二本。政府は十五日に衆院に提出する方針。


「戦争法案」の閣議決定に抗議する(声明)
社会民主党

1.政府は5月14日、臨時閣議を開いて、「国際平和支援法案」「平和安全法制整備法案」の2法案を決定した。これらの法案は、昨年7月の「集団的自衛権行使容認」等の閣議決定と、この4月に合意した新日米ガイドラインを法的に担保するも のであり、「平和」や「安全」という名称とは裏腹に、戦争をするための「戦争法案」というべき内容である。安倍政権の暴挙に対し抗議し撤回を求めるものである。

2.「国際平和支援法案」は、新たな立法なしに多国籍軍等の戦争を自衛隊が随時支援できるようにするための恒久法である。「平和安全法制整備法案」は、「存立危機事態」の定義を定めてわが国が攻撃されていなくても戦争に参加する集団的自衛権行使を可能とする。他にも、周辺事態法などの地理的制約は撤廃されて、米国以外の軍隊も支援できることとなり、PKO活動の際の「駆けつけ警護」が可能となり武器使用権限も拡大されるなど、自衛隊の活動内容は大幅に拡大する。

3.政府は長年にわたって「憲法第9条下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべき」として、集団的自衛権の行使や他国軍の武力行使との一体化を憲法は許容していないとしてきた。今回の2法案は、平和憲法下のわが国の基本政策を180度転換し、戦争を放棄した平和国家日本のあり方を根本から変えるものであり、とうてい認めることはできない。

4.安倍総理は閣議決定に先立って訪米し、米議会演説等で法案を「この夏までに成就させる」と表明した。国会の審議どころか閣議決定さえ経ない段階で米国に法案の成立を約束するなど、議会制民主主義を破壊し愚弄するものと言わざるを得ない。

5.社民党は平和憲法の理念を擁護し、戦争に向けてひた走る自公政権の暴走を止めるために、院内外の闘いと深く連帯して全力で取り組む決意である。


カンヌ国際映画祭:開幕
 世界3大映画祭の一つ、第68回カンヌ国際映画祭が13日夜(日本時間14日未明)、エマニュエル・ベルコ監督のフランス映画「頭を上げて」を上映して開幕した。パルムドールなどの賞を競うコンペティション部門には、日本から是枝裕和監督の「海街diary」が出品され、14日に公式上映される。同部門には19作品が出品され、台湾のホウ・シャオシェン監督の「黒衣の刺客」に妻夫木聡さんが、アメリカのガス・バン・サント監督の「樹海」には渡辺謙さんが出演している。賞の結果は24日発表される。【カンヌ】

特集ワイド:「忘災」の原発列島 再稼働は未来へ無責任 城南信金トップ退く、吉原毅理事長に聞く
 沈着冷静というイメージなのだが、脱原発の話になると熱くなる。そんな金融機関のトップが来月、経営の第一線から退く。城南信用金庫(本店・東京都品川区)の吉原毅理事長(60)。原発推進派のやり口にトコトン異を唱えてきた胸の内は今−−。【江畑佳明】
 ◇再生エネと両立あり得ない

 やはり、この人は怒っていた。「再生可能エネルギーの推進は何のためか。それをすっかり忘れていませんか、と申し上げたかったんです」

 「原発即時ゼロ」を掲げる金融界の旗手は本店の応接室で、椅子から身を乗り出すようにして一気に語り始めた。

 まず、怒りの矛先を経済産業省が4月28日に公表した2030年の電源構成案に向けた。太陽光や風力などの再生エネは22〜24%。欧州や米国で主流の40〜50%程度と比べると、日本の及び腰が際立つ。その一方で、経産省は原子力比率を20〜22%と設定したのだ。

 「脱原発」を訴えるのに自身の机を離れることをいとわない。構成案の発表日もそうだった。衆議院第1議員会館で開かれた「再生エネ30%以上」を目指す市民団体の集会に顔を出し、居並ぶ国会議員にこうくぎを刺した。「再生エネを進める本来の目的は原発ゼロにするためなのです。原発との両立はあり得ません」。相手の肩書などでためらったりはしない。あくまでも直球勝負を貫く。

 応接室で向き合った吉原さんがさらに構成案への批判を強める。「原子力比率20〜22%は、実質的には原発を推進することです」

 経産省の電源構成案には、原発依存を続けたいという政府の本音が透けて見える。どういうことなのか。

 東日本大震災後、政府は原発の稼働期間の上限を40年とする原則を定めた。順守すれば30年までに原子力比率は15%程度に低下する。つまり、20%台に乗せるには「老朽原発の稼働期間の延長か、建て替え・新増設」で補う−−。

 「結局、『原子力比率20〜22%を達成するため』という大義名分で新設などに手をつけるのでは。国家の滅亡につながりかねない福島原発事故が起きたのに、今後も原発を存続させるのは極めて異常事態ですよ」

 怒りが収まらない理由はまだある。鹿児島地裁が4月22日、九州電力川内原発1、2号機の再稼働差し止め仮処分の申し立てを却下したことだ。同地裁は「(原発の立地や運転の要件を定めた国の新規制基準は)最新の科学的知見に照らし不合理な点は認められない」と指摘した。

 吉原さんは「国策に追従し原発リスクを極めて低く見た『初めに結論ありき』の決定です」と切り捨てる。というのも、鹿児島地裁決定の8日前、福井地裁が関西電力高浜原発3、4号機について「想定を超える地震が来ないというのは根拠が乏しい楽観的見通しに過ぎない」「新規制基準は緩やかで合理性を欠き、安全性が確保されていない」などとして、再稼働を認めない仮処分を決定したからだ。「鹿児島地裁の決定は、福井地裁の提示した論点に正面から答えていません。論理を提示するという裁判所の役割を放棄したに等しいですよ」
 ◇拝金主義、日本は病んでいる

 震災以降、リーダーシップを取り、さまざまな脱原発策や被災地支援に取り組んできた。内定取り消しとなった被災地の大学生を採用。義援金として3億円を被災地に拠出した。本店や店舗の電力供給元を東京電力から、ガスで発電している新規の電力小売会社へ切り替え、保有していた東京電力の株式も売却した。顧客向けには省エネの設備投資をすると金利を優遇する商品を販売した。経済界の大半は原発再稼働なのに、これほど「原発即時ゼロ」にこだわるのはなぜだろうか。

 「信用金庫の原点に返るべきだ」。10年11月、理事長に就任して以来、「あるべき姿」を徹底してきたから、という。

 「目先の利潤追求が信金の目的ではありません。経済的に強い者がさらに強くなり、弱い人たちが苦しいままという『お金のもたらす弊害』を是正して、困っている人たちを助ける『社会貢献企業』こそあるべき姿です。この原点を忠実に実行しようとするならば、脱原発を進め、原発事故で困っている人々を支援するという選択肢しかない」。原発は「信用金庫の原点」の対極に存在する、というのだ。

 戦後日本は、良識や道徳といった共通の価値観が薄れ、経済的な損得が主流の論理になってしまった、と嘆く。

 「もうかることの何が悪いんだ、と。原発も同じ。原発を推進すればその経済的利益が大きいからいいじゃないか、コストも安いと計算されているからいいじゃないか……すべて目先のお金が重視されている。これは今の日本が抱える病気です」

 拝金主義がはびこった結果、もうひとつ日本人が見失ったものがあると考えている。「未来への責任感」だ。

 1年ほど前のこと。原発推進派のある官僚と話した。「使用済み核燃料は何万年も保管せねばならず、将来へのツケが大きすぎる」と問いただしたところ、次の言葉が返ってきた。「いつまで生きるつもりですか? あなたも10年、20年もしたら死ぬでしょう。何万年というそんな先のことを心配してどうするんです?」。国の行政を担う官僚の無責任さに仰天した。

 「脱原発」の熱意が結びつけたのか。同じく脱原発を訴える小泉純一郎元首相を昨年7月、同信金のシンクタンク「城南総合研究所」の名誉所長に迎え入れた。小泉氏は「勉強会や講演会を通じ、脱原発の国民運動を地道に続けたい」と話しているという。

 吉原さんも思いは同じだ。拝金主義、未来への無責任……そんな現状を少しずつでも変えていきたい。脱原発に向けて幾つもの壁が立ちはだかるが、一つの光明を見いだした。それは前出の福井地裁の再稼働差し止め決定だ。「原発の危険性について事実を論理的に積み重ねた極めて論理的で常識的な判断だった。拝金主義に対抗できる論理だ」

 理事長就任後、取締役の60歳定年制を導入した。特定の経営者による信金の私物化を避けるのが狙いだ。自らは相談役に退く。ただ、脱原発の旗振り役としての存在感が大きいだけに「院政を敷くのではないか」との批判がつきまとう。吉原さんは「そう(院政に)なりかねないから気をつけないといけない」と自戒するように語った。

 取材を終え、本店のロビーを通ると、点灯した蛍光灯は半分程度だと気がついた。原発事故から4年2カ月がたった今も徹底した節電を実施している。消えた蛍光灯にも「決して原発事故を忘れてはならない」という吉原さんのメッセージが込められている。

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 ■人物略歴
 ◇よしわら・つよし

 1955年東京都生まれ。77年、慶応大経済学部卒業後、入職。常務理事、副理事長などを経て現職。著書に「信用金庫の力」「原発ゼロで日本経済は再生する」など。城南信用金庫は都内と神奈川県の一部に85店舗を持つ業界2位の大手。


5・23 メッセージ
不当逮捕52ヵ年糾弾、再審実現決起集会にご参集を頂いた全ての皆様に心深く感謝いたします。
 振り返ると52年といえば、事件発生時に生まれたお子さんが52才であり、半世紀以上も経てば狭山事件の現実を知らない人が多くて当たり前であるとはいうものの、此の間の私は「殺人犯」のレッテルを貼られ、無実を訴え続けているわけですが、二審・寺尾の確定判決から40年以上が過ぎた今、闘いも大きく前進しています。
 取り分け、2009年、東京高裁・門野裁判長の証拠開示勧告以来、検察から開示された証拠はすべて私の無実、或いは警察当局に因っての捏造や、改ざんが疑われるなど、真摯に精査すれば、確定判決の誤謬が裁判官自身にも十分にわかるはずです。22回も三者協議を重ねても、未だ結論を出せない司法に対し、不信の念を禁じ得ませんが、河合裁判長が必ずや英断をされることを確信しています。
 ご承知の通り、再審裁判の開始は「新証拠が発見されたとき」に実現します。この間の再審事件を見れば、現在の裁判所は、真相を究明し、積極的に無辜の救済をしようとする姿勢を感じ取れないのが残念でなりません。もっともだからこそ、どれ程の新証拠が発見されようとも、危機感があればこそ、私は皆さんにもっと多くの声を裁判所に届けて頂きたく、精力的に全国各地に訴え、お願いに回っている訳です。
 第三次再審こそ絶対に無罪を勝ち取らねばなりませんし、今こそチャンスなので、どうか皆さんも一層のご協力を下さいます様、心からお願い申し上げます。
 何とか今年中に事実調べ、再審開始決定が出されるようにと願っていますし、そのためにも私は悔いを残さぬよう、今後も汗をかき、全身全霊をかけて闘い続けて参る決意でいます。
 皆様と共に一日も早く狭山の「よき日」を迎え、喜びを共有したいと念じつつ・・・・。

 2015年5月

 石川 一雄

不当逮捕52ヵ年糾弾
 狭山再審要求集会 ご参加一同様

十三藝術市民大学で西谷文和さんのお話/岩手・宮城で地震

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NHK_TV_Fr_201410

Séisme de magnitude 6,8 au large du Japon
Un puissant séisme de magnitude 6,8 s'est produit tôt mercredi matin au large des côtes du nord-est du Japon, sans faire de dégâts.
Les autorités japonaises n'ont pas émis d'alerte au tsunami et aucun dommage matériel n'a pour le moment été signalé. Le séisme a été enregistré à 06H12 locales (23H12 HB mardi) au large de la préfecture de Miyagi, sur l'île principale Honshu, dans l'océan Pacifique et à une profondeur de 38,9 km, selon l'Institut américain de géophysique (USGS). Il a été ressenti à Tokyo.
"Des fortes répliques peuvent se produire pendant la semaine à venir", a averti lors d'une conférence de presse un responsable de l'agence météorologique, Yohei Hasegawa, à Tokyo.
M. Hasegawa a précisé que d'éventuelles nouvelles secousses pourraient être accompagnées d'un risque de tsunami et qu'il fallait donc "rester très vigilant".
"On peut penser que ce tremblement de terre est une secousse secondaire découlant du séisme du 11 mars 2011" à Fukushima, a-t-il ajouté.
Une grande partie de la zone secouée, de l'île septentrionale de Hokkaido à Tokyo, avait été meurtrie il y a un peu plus de quatre ans par violent séisme, suivi d'un tsunami qui avait frappé la région, faisant plus de 18.000 morts et provoquant l'accident nucléaire de Fukushima.
Cette fois, selon la chaîne de télévision publique NHK, les opérateurs des centrales atomiques de la région (dont le complexe dévasté de Fukushima Daiichi) ont fait savoir qu'aucune nouvelle anomalie n'avait été relevée.
La circulation de certains trains a été temporairement suspendue pour permettre le contrôle des voies, mais ont été remis en service quelques dizaines de minutes plus tard, selon NHK.
Tous les réacteurs du Japon sont actuellement stoppés pour des mises en conformité aux nouvelles normes rendues plus strictes, avant une éventuelle remise en exploitation.
Le Japon est situé à la jonction de quatre plaques tectoniques et enregistre chaque année environ 20% des séismes les plus violents recensés sur la planète.
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十三藝術市民大学社会学部 市民社会フォーラム学習会
DVD完成記念上映会&トーク
「イスラム国」人質事件と中東外交 なぜ2人は"犠牲"に
〜西谷文和さんに聞く〜
ゲスト:西谷文和さん(戦場ジャーナリスト)


朝起きてテレビを見ると宮城県沖で地震というので朝からドキドキ.いい気分ではありません.幸いにも大したことはなかったようで安心しましたが・・・
ぽてんについてナノザで考えてとりあえず納得しました.ざふに関してはgoogle driveのファイルがうまくいかずとりあえず保留となりました.
夕方は十三藝術市民大学で西谷文和さんのお話を聞きました.なかなか参考になります.最後はなぜだか大阪「都」構想に反対という話で終わりました.
夜に「神戸新聞の7日間」という動画を見ました.ちょっと泣きそうになりました.


岩手で震度5強宮城で震度5弱
きょう午前6時13分ごろ岩手県で震度5強の揺れを観測する地震があり、宮城県でも石巻市や気仙沼市で震度5弱を観測しました。
この地震による津波の心配はありません。
▽震度5強を観測したのは岩手県花巻市。
▽震度5弱を観測したのは岩手県遠野市、一関市、滝沢市、宮城県石巻市、気仙沼市、登米市栗原市涌谷町でした。
またこのほか、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県で震度4、福島県で震度3の揺れを観測しました。
気象庁の観測によりますと、震源地は宮城県沖で震源の深さは50キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6点6と推定されています。
宮城県内の震度4以上を観測した自治体では、いまのところけが人が出たり、建物が壊れたりなどの大きな被害の情報は入っていないということで、引き続き、情報収集を行っています。


石巻 気仙沼で震度5弱
13日午前6時12分ごろ岩手県で震度5強の揺れを観測する地震があり、宮城県でも石巻市や気仙沼市で震度5弱を観測しました。
この地震による津波の心配はありません。
▽震度5強を観測したのは岩手県花巻市。
▽震度5弱を観測したのは岩手県遠野市、一関市、滝沢市、宮城県石巻市、気仙沼市、登米市栗原市涌谷町でした。
またこのほか、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県で震度4を、福島県を含む広い範囲で震度3の揺れを観測しました。
気象庁の観測によりますと、震源地は宮城県沖で震源の深さは46キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.8と推定されています。
宮城県内の震度4以上を観測した自治体では、いまのところけが人が出たり、建物が壊れたりなどの大きな被害の情報は入っていないということで、引き続き、情報収集を行っています。


仙石線 気仙沼線 運転再開
宮城県内の在来線は、地震の影響で一部の区間で運転を見合わせていたJR仙石線とJR気仙沼線では午前11時17分までに全線で運転を再開しました。
JR東日本仙台支社によりますと地震の影響で午前11時半現在、運転を見合わせているのは、▽石巻線の石巻駅と女川駅の間の上下線です。
JRによりますと、在来線のダイヤの乱れは当面、続く見通しだと言うことです。


石巻の災害公営住宅で断水
震度5弱を観測した石巻市にある災害公営住宅ではおよそ70世帯が住む1棟全体で断水が続いており、市では地震の揺れで自動的に給水ポンプの弁が閉じたのではないかと見て復旧作業を急いでいます。
石巻市吉野町にある災害公営住宅は先月から入居が始まり158世帯が暮らしていますが、3棟ある住宅のうち67世帯が住む2号棟で地震の直後から断水が続いています。
このうち夫や息子と3人で暮らす阿部栄子さん(84)の部屋では午前7時前から水道が使えなくなり、備蓄しているペットボトルの水を利用して朝食の準備をしたということです。
阿部さんは「入居してからこんなに大きな地震は初めてで怖かった。
水が綱得ないのは不便で困ります」と話していました。
石巻市では、地震の揺れで住宅の給水ポンプの弁が自動的に閉じたのではないかとみて復旧を急いでいます。


<復興費負担>お役所対応、現状無視
 復興庁は、復興事業に地元負担を求めることにした理由として、財政規律の維持や阪神大震災など過去の震災対応とのバランスを挙げる。それが霞が関の常識であっても、東日本大震災の特異性と被災地の現状を鑑みれば、あまりに役所的な対応だと言わざるを得ない。

 東日本大震災の被災地の大半は過疎地で自治体の財政力は弱い。全額を国費負担としたのは、こうした実情を踏まえたやむを得ない措置だったはずだ。
 基幹事業の柱であり、予算膨張の最大の要因ともなっている高台移転。再び津波被害に遭わないための最善策であるにもかかわらず、復興庁は最近「単なる復旧を超えた事業」と表現するようになった。実情に即した事業でも、いつの間にか異例の厚遇のように扱われ、見直し対象になるのではないか。そんな懸念がぬぐえない。
 自民党内からも「少しでも地元負担の風穴が開けば今後枠組みが見直され、基幹事業も一部は地元負担となりかねない」(宮城県選出国会議員)との声が漏れる。復興事業の縮小が加速しないよう、被災地は事業の必要性を訴え続ける必要がある。
 竹下亘復興相は就任直後の昨年9月、「過疎地が被災した苦しさは、都会とは全く違う。田舎出身の私には分かる」と強調した。その言葉を忘れたわけではないだろう。(解説=東京支社・中村洋介)


<復興費負担>施策の後退懸念 首長ら不満あらわ
 復興庁が12日に発表した東日本大震災復興事業の新たな基本方針をめぐり、これまで通り国の全額負担を求めてきた被災自治体の首長は、地元負担導入に一斉に懸念を表明した。
 「生活再建に欠かせないハード整備の地元負担は大変遺憾。復興の先頭に立ってきた国の大きな方針転換であり、残念だ」。復興庁にエールを送ってきた村井嘉浩宮城県知事は不満を口にした。
 新方針では防潮堤、高台移転に伴う生活道路整備などにも負担が生じる可能性があり、「弱い立場の被災地を切り捨てるのか」と村井知事。2016年度以降の5年間を「復興・創生期間」と命名したことに「名前は何でもいい。中身が後退するのは困る」と不信感をあらわにした。
 達増拓也岩手県知事は復興事業に県の一般財源から約200億円を投じた経緯を振り返り「(さらに)地元負担が盛り込まれたのは大変残念。大なたを振るうやり方は復興の加速どころかストップさせる危険がある」と批判した。
 内堀雅雄福島県知事は福島第1原発事故の関連事業が全額国費と認められたことを評価しながらも「原発由来の事業範囲のより詳細な説明を求める」と注文を付けた。三村申吾青森県知事は「生活再建の途上にある被災者の支援や、災害に強い地域づくりはまだまだ必要だ」と強調した。
 震災の発生から4年が経過した被災地では人口流出や、水産業など地域経済の衰退が深刻化している。
 野田武則釜石市長は「復興事業が道半ばでの地元負担は、住民に強い不安を生じさせる。復興の足かせにならないか」との談話を出した。亀山紘石巻市長は「一部でも地元負担があると復興のブレーキになる。全面的な財政支援を国に要望する」と力を込めた。
 東北市長会会長の奥山恵美子仙台市長は「政府の方針はわれわれが求めてきたものと大きく異なる。(地元負担の軽減に)被災自治体が連携し、国と協議することが重要だ」と語った。


<復興費負担>「長期的支援を」住民怒りや戸惑い
 復興庁が東日本大震災の復興事業の一部に地元負担を導入する方針を正式に打ち出した12日、被災地では「被災地の実情を理解していない」「中央の感覚と距離を感じる」と怒りや戸惑いの声が広がった。
 政府は「被災地の復興は一定程度進んでいる」として、被災自治体の自立や財政健全化の必要性を強調する。しかし、被災者の実感との開きは大きい。
 石巻市の無職石森政彦さん(73)は「これまでの災害とは規模が違う。石巻の復興は半分にも達していない」と反発する。
 名取市の自営業長沼俊幸さん(52)は「復興のスピードは地域によって差がある。自治体が腰を据えて復興事業に取り組める環境が必要だ」と実情に配慮した長期的な支援を求めた。
 「財政力のない自治体では、道路整備やまちづくりの足が止まってしまう」。気仙沼市の仮設住宅で自治会長を務める無職斉藤正志さん(72)は、地元負担の導入が復興のブレーキになることを危惧する。
 宮古市の宮古商工会議所の花坂康太郎会頭(63)は「自治体が復興事業を選別するようになるのではないか」と述べ、復興が道半ばにある中小企業への影響を懸念した。


まだ仮設住まいなのに… 復興費地元負担に不安の声
 復興庁が2016年度以降の復興事業について、地元自治体に一部負担を求めると表明した12日、被災地の住民からは「負担の一方的な押し付けになりかねない」と不安視する声が聞かれた。震災から4年2カ月を経ても仮設住宅の解消はままならず、自治体間の復興格差も目立つ。「まだまだ国の助けは必要」と、現状維持を求める意見が大勢だ。

 被災者の多くは事業の遅れを肌で感じているだけに、抵抗感は大きい。大船渡市三陸町越喜来の仮設住宅で避難生活を送る主婦(63)は「復興が進んでいる感覚はあまりなく、集中復興期間の終了は理解できない」と、負担の押し付けを懸念する。緊急雇用創出事業で働く、陸前高田市広田町のNPO法人職員(62)も「NPOの運営が影響を受けないか不安だ。市内はまだ土地造成の最中で建物の建設は進んでいない。復興の進み具合によって不公平が生じないようにしてほしい」と注文する。

 復興道路や復興支援道路の整備にも影響が想定される。宮古市向町の衣料品店店長(36)は「ストロー効果が心配だが、移動時間短縮や安全性向上には期待しており、計画通り開通してくれると助かる。負担の話が出てくること自体、被災地の実情が国に届いていないのではないか」と指摘する。

 釜石市大渡町で水産加工・冷凍冷蔵保管業を営む男性(49)も「道路整備に遅れが出れば、物流面で大きなハンディになる」と現状を訴え、「被災地にはまだまだ助けが必要。いま国が手を引くと復興がさらに遅れる」と危惧する。


東日本大震災:復興10事業打ち切り 被災地「実情分かってない」
 復興庁が12日発表した東日本大震災の復興事業に関する政府方針には、2015年度限りで終了する10事業が列記された。いずれも、事業目的を達成したり、必要性や緊急性がなくなったりした事業と位置づけているが、被災地からは「実情を理解していない」との声も上がった。被災地の「自立」を促す国との温度差が浮き彫りになった。

 15年度で終了となる事業に、東京電力福島第1原発事故に伴う「県外自主避難者等への情報支援事業」がある。今年度の事業費は約1億円。全国8都道府県のNPOなどに委託して交流会を開いたり、県外避難者の生活相談を受け付けたりしている。支援情報をまとめたニュースレターも発行している。

 福島県避難者支援課によると、県外避難者は現在約4万6000人。この事業は自主避難者だけでなく、避難区域から県外に逃れた人も利用してきた。県の担当者は「国が全額負担する『原発由来』の事業なのに、打ち切られる理由が分からない」と憤る。福島県南相馬市から栃木県下野(しもつけ)市に避難している男性(78)は「『5年で終わり』と見捨てられていく感じがする」と話し、南相馬市から新潟県三条市に避難する佐竹紀(おさむ)さん(75)は「支援事業の終了に伴い、避難先の自治体に負担が生じると心苦しい」と語った。

 福島県では、再生可能エネルギーの開発を後押しする「再生可能エネルギー次世代技術研究開発事業」も終了される。県の担当者は「福島の復興の核となる事業であり、支援を続けてほしい」と訴えた。

 15年度で終了する事業に「緊急雇用創出事業」があり、これを使って仮設住宅の見回り事業を行っている自治体もある。岩手県では少なくとも釜石市や陸前高田市、山田町の仮設住宅で、同事業による見回りを実施し、約60人を雇用している。

 被災地の仮設住宅では、高齢者の話し相手になったり、認知症で徘徊(はいかい)していた人を部屋に戻したりするなどの支援が行われてきた。同事業が終了すれば影響が大きく、県担当者は「被災地の雇用支援はこれからも必要だ」と訴える。【小林洋子、横田香奈、近藤綾加、堀祐馬、藤田祐子】
 ◇道路整備など負担増 地元困惑「工期遅れる」

 廃止はされないものの、新たに自治体負担が生じる事業もあり、困惑の声も出ている。

 津波で1040人が犠牲になった岩手県釜石市。市中心部を流れる甲子(かっし)川の河口では、高さ6・1メートル、幅120メートルの水門整備工事が進む。県が2019年の完成を目指し昨年11月に着工。川を逆流する津波被害を防ぐ目的があり、総工費約60億円は全額国費の「社会資本整備総合交付金」を充てる予定だった。

 しかし、この交付金事業は16年度以降、一部で自治体負担が生じる。同県によると、交付金約900億円をかけて、水門整備など31事業を予定していたが、18事業で地元負担が生じる恐れがある。負担割合が数%でも億単位になる可能性があり、県幹部は「復興が遅れるのは明らかだ」と憤る。釜石市の担当者も「工期に遅れが出るようなことがあれば納得できない」と批判する。

 復興庁によると、「復興道路」「復興支援道路」として全額国費で賄っていた「道路整備事業」も、地元負担を求めることになる。宮城、岩手、青森県の沿岸部に整備が進む三陸沿岸道路(三陸縦貫道、三陸北縦貫道路、八戸・久慈自動車道)は震災後、全額国費が充てられてきたが、16年度以降は自治体負担が生じる見通し。宮城県の村井嘉浩知事は「三陸縦貫道はまさに命の道路。できるだけ地元負担がない形で事業を進めていただきたい」。同県気仙沼市の菅原茂市長も「ブレーキがかかってはいけない」と訴えた。【春増翔太、浅野孝仁、川口裕之、井田純】
 ◇政府方針と要望、2兆円差

 政府は復興予算を2016年度から5年間で6兆円程度と見込む。これに対し、岩手、宮城、福島など被災県は約8兆円を要望しており、開きは大きい。

 政府は、12日発表した復興事業に関する基本方針を踏まえ、6月末にも地方の負担割合や財源など復興予算の枠組みを決定する。地元の負担割合を数%程度にとどめる方針だが、それでも地元負担は数百億円になる見通しだ。【松本晃】

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 ◇2015年度で終了する主な復興事業

・「新しい東北」先導モデル事業

・県外自主避難者等への情報支援事業

・復興を担う専門人材育成支援事業

・緊急雇用創出事業

・被災農家経営再開支援事業

・農地等の放射性物質の除去・低減技術の開発

・福島再生可能エネルギー次世代技術研究開発事業

・福島県市民交流型再生可能エネルギー導入促進事業


災害公営住宅で孤独死 仙台・諏訪
 仙台市太白区諏訪町の集合住宅型災害公営住宅で、1人暮らしの男性(76)が死亡していたことが12日分かった。東日本大震災の被災者が入居する仙台市の災害公営住宅で、孤独死が確認されたのは初めて。
 市復興公営住宅室によると、男性が職場を無断欠勤したのを不審に思った同僚が3日、県警に通報。仙台南署員が風呂場の浴槽内で倒れている男性を見つけ、死亡を確認した。
 諏訪町の災害公営住宅は、4月1日に入居を開始したばかりだった。
 市復興公営住宅室は「持病のある人は区で見守りを行っているが、基本的にはそれぞれの自治会や社会福祉協議会で見守ることになっている」と話した。


「一生派遣」野党反発 期限撤廃 法改正案 審議入り
 派遣労働者を企業が受け入れられる期間の上限を実質的に撤廃する労働者派遣法改正案は十二日の衆院本会議で、安倍晋三首相が出席して趣旨説明と質疑が行われ、審議入りした。政府・与党は三度目の提出となる今国会中に成立させる方針だが、民主党や共産党などは「一生派遣という人が増える」などと猛反発した。

 同法案は、同じ仕事には最長三年間しか派遣労働者を受け入れられないとする現行の規定をなくす内容。企業は労働組合の意見を聞けば、人を入れ替えながら同じ職場でも受け入れを続けられる。政府は派遣を固定化させないためとして、派遣会社には派遣労働者のキャリアアップに向けた職業訓練や、派遣契約が終わった後の直接雇用を受け入れ企業に依頼することなども新たに義務付ける。

 質疑で、民主党の大西健介氏は「無期限に受け入れ可能となれば、正社員の仕事も派遣に切り替えられる」と指摘。維新の党の井坂信彦氏も「望まない派遣労働者の雇用枠が増える」との懸念を示した。首相は派遣会社に雇用の安定策を義務付けたことを挙げ、「一生派遣の労働者が増えるという指摘は当たらない」などと反論した。

 共産党の堀内照文氏は派遣会社による直接雇用の依頼について、「圧倒的に力の強い派遣先企業が断れば正社員の道は断たれる」と疑問視。首相は「派遣先にも、派遣労働者への正社員募集の情報提供を義務付けた」などと強調した。

 同法案は昨年の通常国会と臨時国会に提出されたが、所管する厚生労働省が罰則に関する条文を誤記したり、衆院が解散したことでいずれも廃案になった。


オスプレイ配備 住民の反対なぜ顧みぬ
 有無を言わさず、米軍基地負担を強いるのは、沖縄でも首都圏でも政府の常とう手段だ。米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイが横田基地に配備される。地元の反対となぜ向き合おうとしないのか。

 報道で明らかになったわずか三日後だった。日米両政府がきのう米空軍のCV22オスプレイを、米軍横田基地(東京都福生市など)に配備すると正式に発表した。

 二〇一七年後半に三機、二一年までに七機を追加して計十機態勢にするという。沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場には海兵隊仕様のMV22が二十四機配備されているが、本土配備は初めてだ。

 オスプレイはヘリコプターの垂直離着陸機能と固定翼機並みの速度で飛行できる機能を併せ持つ。しかし、その特殊な機能から、開発段階で四回の墜落事故を起こして三十人が死亡。実戦配備後も事故が続き、安全性への懸念が払拭(ふっしょく)されたとは言い難いのが現状だ。

 政府から配備内容を説明された加藤育男・福生市長は「これ以上の基地負担は受け入れられない。市民が大変、不安がる。無理な話だ」などと配備反対を表明した。

 沖縄では大きな事故は起きていないが、部品の落下事故や、日米合意に反する夜間や人口密集地上空での飛行が頻繁にある。

 特殊作戦にも使われるCV22は夜間や低空の飛行など過酷な条件下での運用が多く、十万時間当たりの事故率はMV22の約三倍に上るという。横田基地周辺の首長が配備に反対するのも当然だ。

 普天間配備は、多くの沖縄県民が反対する中、一二年十月から強行された。横田配備も米国防総省からの通達を盾に押し切るつもりなのだろう。「日本政府」といいながら日本国民と米軍の、どちらに向いて仕事をしているのか。

 CV22は当初、沖縄県の米空軍嘉手納基地(嘉手納町など)への配備が検討されたが、沖縄の負担軽減のため、在日米軍司令部がある横田への配備が決まったという。

 一般論としては、在日米軍基地の約74%が集中する沖縄の過重な基地負担は、日本国民ができる限り等しく分担することが望ましい。しかし、安全性に懸念が残るオスプレイの配備、訓練分散は危険の拡散でしかない。

 政府がなすべきは、地元自治体の説得ではなく、オスプレイ部隊の国外移転を米側に提起し、沖縄県民を含む日本国民の不安を取り除くことではないのか。住民に失望を与えては、安倍晋三首相が言う「希望の同盟」には程遠い。


オスプレイ配備  住民の安全置き去りか
 日米両政府は、米空軍が2017年から新型輸送機オスプレイを堙調霖蓮陛豕都福生市など)に配備すると発表した。初年に3機、21年までに計10機を導入する。既に米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)には24機が配備されているが、沖縄以外では初となる。
 米軍は沖縄への追加配備を検討したが、両政府は普天間飛行場の名護市辺野古移設に向け、さらなる負担を回避すべきと判断した。だが、県は配備済みの全機を県外に移すよう求めており、これで辺野古移設が進むとは思えない。
 配備の狙いは、日米防衛協力指針の改定などで打ち出した同盟強化にある。オスプレイを常時運用したい米軍の意向に応じるとともに、沖縄以外への配備の実績をつくり、自衛隊のオスプレイ導入や佐賀空港配備を後押しする思惑も透ける。このまま自衛隊と米軍の一体化へ突き進むことに危うさを禁じ得ない。
 それにしても、なぜ配備先が堙調霖呂覆里、理解に苦しむ。
 基地は都心から約40キロの市街地の中心にあり、そばには学校や病院も多い。住民の暮らしと隣り合う状況は「世界一危険な基地」とされる普天間と変わらない。米軍機の夜間飛行差し止めや騒音被害をめぐる訴訟は今も係争中だ。上空は米軍の管制下で、羽田空港から西日本や北陸方面に向かう民間航空機が迂回(うかい)している。
 かつて石原慎太郎元都知事はこうした現状を「東京の中に巨大なアメリカがある」と批判し、堙調霖呂諒峇圓鯀挙公約に掲げた。だが、オスプレイ配備は基地の強化にほかならず、周辺住民の悲願でもある返還は遠のくばかりだ。
 開発段階から墜落が相次ぐオスプレイには安全性への懸念が付きまとう。新たに配備されるのは過酷な任務に当たる空軍特殊部隊用の「CV22」で、普天間の海兵隊の「MV22」より事故率が3倍も高い。しかも、基地周辺を頻繁に飛行するだけでなく、夜間や低空飛行の訓練も行われるという。
 これでは、住民から不安や怒りの声が上がるのも当然だ。防衛、外務省は基地のある5市1町と東京都への説明を始めたが、地元自治体でつくる基地対策連絡会は「突然の申し入れは遺憾だ」と反発を強めている。
 両政府は環境影響調査に乗り出す方針だが、配備前提の上から目線では、地元の理解を得るのは難しいだろう。住民の安全を置き去りにしたままの一方的な配備計画は通らない。


特集ワイド:自民党にもハトがいた 過去を学び「分厚い保守政治」を目指す若手議員の会
 すっかり姿を消したとばかり思っていた自民党にハトがいた。「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」がそれ。安倍晋三首相にモノ申すほどの勇ましさはなさそうだが、ようやく「歴史修正主義的なナショナリズムを排そう」との声が聞こえてきた。タカにぱくっと食われやしまいか?【鈴木琢磨】
 ◇バランス感覚必要

 かれこれ1年前のこと。衆院議員1年生だった武井俊輔さん(40)と同期の石崎徹さん(31)が議員宿舎のエレベーターで顔を合わせた。武井さんは岸田派、ハト派で知られる名門「宏池会」の流れをくむ派閥にいる。無派閥の石崎さんが声をかけた。「リベラルって宏池会だけじゃないですよ」。しばらくして2人で飲んだ。歴史好き同士、意気投合する。歴史認識を巡って、安倍政権と韓国、中国との関係がこじれにこじれていくころである。

 武井さんは宮崎出身の元サラリーマン、石崎さんは新潟出身の元官僚。2人のカラーは違うが、戦争はむろん、ジローズのフォークソング「戦争を知らない子供たち」も知らない。バブルの恩恵も知らない。日本が自信を失っていくなかで永田町にやってきた。そして、いきなり巨大与党の一員となったが、それゆえ個人の存在感は薄い。安倍首相のキャッチフレーズは<日本を取り戻す>。それを2人は否定しない。「総理自身はバランス感覚をお持ちだと感じる。ただ、総理を支持すると言いながら、一部を切り取り『反韓』など自らのナショナリズムに利用している人がいる気がする。もっとバランス感覚が必要なんじゃないかな。保守の王道って多様な意見を包摂する奥深さですから」(武井さん)

 いつしか若手で勉強会をやろうとなった。昨年12月の衆院解散もあり、設立は遅れに遅れてこの7日。なんとか戦後70年の夏に間に合った。同期の衆院議員、国場幸之助さん(42)も発起人代表になり、当選1〜2回の衆院議員と2013年初当選の参院議員に呼びかけ、設立総会には二十数人が集まった。ゲストの戦後政治の生き字引、古川貞二郎・元内閣官房副長官から歴代首相の秘話を聞いた。次回は作家の浅田次郎さん。「党本部や官邸に説明しました。別に政権転覆じゃないですからね」(石崎さん)。会の冒頭、谷垣禎一幹事長が寄せた「戦後70年という大きな節目のなか、誠に時宜を得たものと考える」とのメッセージが読み上げられた。

 いささか老かいな「演出」に鼻白むが、2人にはこだわりなき世代らしい素直さはある。中央大で史学を専攻したからなのか、武井さんは「歴史はあくまで科学ですから」と歯切れがいい。そして差し出したのは評論家の大塚英志さんが産経新聞に寄せた「歴史認識」なる文章だった。1995年4月9日とある。戦後50年のときだ。<……特定の新聞の記事などにもしばしば感じるのだが、歴史的事実を確定していく努力が、奇妙な歴史修正主義へと収斂(しゅうれん)していく傾向のある点に同意はできない。歴史的事実を確定するという行為を「捏造(ねつぞう)を暴く」という文脈で行ってしまった瞬間、ぼくたちは歴史に対する正しい距離感を失う>

 「僕の思いそのまま。あれから20年たって、状況はますますひどくなった」。地元の宮崎交通に就職した。「ちょうど韓流ブームでね。宮崎からも直行便ができて、ヨン様大好きのおばさまたちがどっとソウルへ飛んでいった。ここがヨン様の座ったイスだとかね。彼らの文化戦略でもあったでしょうが、人と人が交流することはいいじゃないですか。日本人は中国人の爆買いをたたいたりもしていますが、われわれも昭和40年代のころ、エコノミックアニマルなんて言われたんですよ。いつか来た道じゃないですか。それより、お互いが理解を深めないと」
 ◇悲惨な戦争いや

 あの戦争をどう評価していいか、石崎さんはすぱっとした答えを持てないでいる。元財務官僚の秀才だが、ちゃちゃっと無難な政府答弁を書くようなわけにはいかない。昨年の8月15日、地元の新潟日報に平和についてのインタビューが載った。<まだ終戦記念日などに靖国神社を参拝していないのだが、それも戦争の責任の所在について整理できていないということがある。それに与党としての行動の重みを考えたときに、何百人もいる自民党国会議員が一度に参拝することが良いことなのか、とも思う。(略)いま国会議員として、戦時の政治家、行政官、軍人ら指導者層の責任を教訓にしなければいけないと考える。特に政治家が戦争を止める勇気を発揮できなかったことは非常に残念だ>。苦渋がにじんでいる。

 なら、憲法9条はどうします? そう問うてみた。

 「改憲は立党の精神です。そこに所属しているからには尊重しなければいけませんが、憲法の成立過程だけでなく、戦後の平和の歴史も見詰めていかないといけない。そこを踏まえた議論をしていくべきでしょう。それに世間の空気も改憲はともかく、9条は変えなくていいとの意見が多いんじゃないですか。僕もいますぐ9条の改正を心から納得できるかと突き詰められれば、うーん、となる。祖父母の家には戦死した兄弟の遺影が飾ってあり、戦争犠牲者のことを身近に感じてもきました。悲惨な戦争はいやですからね」

 苦渋の顔にさらに問いを投げた。安倍首相は「戦争のできる国」にしようとしているんじゃないですか?

 「現段階でわが党がそうした方向へ向かっているとは思っていません。これからの安全保障法制についての国会審議で、後方支援や機雷の掃海など国民の疑問に丁寧に答えていく必要はありますよ。外交には共同体的アプローチもあり、僕はアジア太平洋共同体を長い目で目指すべきだと思っている。アジア太平洋でウィンウィンでいける新しい関係を模索していきたい」。戦後70年の「安倍談話」に注文をつける気はない。「ただ総理はどんな歴史観か。ぜひうかがいたいなあ。まとまって聞いたことないですから。会に呼ぶなんて失礼ですから、こちらからお訪ねしますが」

 7日夜、武井さんは設立総会を伝えるTBS系の「ニュース23」に見入っていた。かつてキャスターをしていたジャーナリストの筑紫哲也さん(08年死去)のことを思い浮かべながら。「僕が早大の大学院に通っていた時、教授をされていてね。毎回、ユニークなゲストを呼んでこられるんですよ。(京セラ創業者の)稲盛和夫さんかと思えば、『噂の真相』編集長の岡留安則さんだったり。主義主張、立場を超え、人に会う大切さを学びました。筑紫さんがおられたら、この会、どうコメントされただろうって」

 さあ、「勉強もいいが……」とちょっと苦笑いしたのではないか。

エノテカでワイン教室/台風Noulが近畿接近

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Le puissant typhon Noul balaie le sud du Japon
Le puissant typhon Noul a touché mardi 12 mai l'archipel d'Okinawa, dans le sud du Japon, après avoir balayé le nord des Philippines, où il a fait deux morts.
Noul est attendu plus tard dans la journée sur l'île principale de Honshu et devrait approcher Tokyo dans la nuit de mardi à mercredi, selon l'agence météorologique nippone. Il se déplace vers le nord-est, accompagné de rafales soufflant jusqu'à 180 km/heure, a précisé l'agence qui a mis en garde contre les sorties en mer et les risques de tempêtes et d'inondations sur la plus grande partie du territoire japonais.
20 typhons par an
Noul est le premier typhon à frapper l'Archipel depuis le début de l'année et le sixième dans la région.
Deux personnes ont été tuées à son passage dans le nord-est des Philippines, où près de 3 000 habitants avaient été évacués par précaution, selon des responsables de la Défense civile. Une bonne vingtaine de typhons naissent en moyenne dans la région et environ la moitié approchent ou touchent le Japon chaque année.
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大阪市廃止・分割に大反対!怒れる大女子会パレード
5月15日(金) 18:00〜新町北公園(新町北公園、オリックス劇場南側)パレード出発 18時15分 難波まで
住民投票まで、あと2日となる5月15日。御堂筋を怒れる女子たちが大パレード。


チェーンの調子が悪いので自転車屋さんにいってみました.新しく買わなくてはいけないかな,と心配していたのですが,何やら調整して油をさしていただけで魔法のように乗り心地が良くなりました.さすがプロ,と思いました.
エノテカでワイン教室です.フランス赤ワインについて勉強です.女性の参加が多かったです.男子は4人だけでした.説明がわかりやすかったです.ブルゴーニュとボルドーの違いが分かったと思います.時間をおくと香りが開く,とかいうのはよくわかりませんでした.
台風が近畿に近づいているというので心配していたのですが,普通に雨が降っている感じでした.

<震災4年2カ月>門脇、南浜31日一斉捜索
 東日本大震災から4年2カ月を迎えた11日、津波被害に遭った県内の沿岸部では、行方不明者の捜索や犠牲者をしのび被災者を励ます催しが行われた。

 石巻市は11日、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた門脇、南浜両地区で31日に行方不明者の捜索を実施すると発表した。同地区は2011年の自衛隊の活動終了後は一斉捜索がされておらず、不明者家族から再捜索の要望が出ていた。
 対象地域は、県道石巻女川線南側の門脇町3〜5丁目と南浜町の約32ヘクタール。震災前は約4700人が居住し、277人が犠牲になった。現在の不明者は147人。
 市は両地区で防災集団移転促進事業による宅地などの買い取りを進めている。計画の8割程度まで達したため、面的な捜索が可能と判断した。当日は石巻市消防団石巻地区団が約200人態勢で不明者を捜す。
 市は、4月25日に大地震に襲われたネパール政府に見舞金50万円を贈る方針も明らかにした。既に市役所の福祉総務課や各総合支所の保健福祉課に募金箱を設置し、救援金も募っている。


震災4年自然と生きる マタギ追う映画完成
 福島県金山町でマタギとして暮らす猪俣昭夫さん(64)を追ったドキュメンタリー映画「春よこい〜熊と蜜蜂とアキオさん」の製作発表の記者会見が11日、会津若松市役所であった。2011年の東京電力福島第1原発事故や新潟・福島豪雨で大きな被害を受けた町で自然と共に生きるマタギの姿を描いた作品で、秋に一般公開される予定だ。

 猪俣さんは約20年前から消防士の傍らマタギとして生活してきた。山の神を崇拝しながら、冬はクマの猟をし、春はミツバチの蜜を採ってきた。
 福島第1原発から130キロ離れた金山町では、観光資源のヒメマスのほか、クマやイノシシからも放射性セシウムが検出された。猪俣さんは禁漁中のヒメマスを絶やさないため、卵をふ化させる活動を展開する。
 そんな猪俣さんの2年間追い続け、撮影したのは安孫子亘監督(55)。震災後、同県下郷町に移住し、檜枝岐歌舞伎を伝承する人々を追った「やるべぇや」、会津地方の昔話の語り部の姿を記録した「生きてこそ」を発表してきた。
 安孫子監督は「一貫して美しい福島を撮りたいと思っている。自然から生まれた伝統文化、震災から4年たっても大変な状況は変わっていないことを世界の人に見てほしい」と話す。
 猪俣さんは「マタギについて知っている人はごくわずかしかいなくなった。マタギの生活や自然が多く残る金山を知ってほしい」と語った。
 山形国際ドキュメンタリー映画祭などに出品する予定で、6月14日午後3時から金山町の御神楽館で無料の試写会を開く。1口3000円で製作費の資金も募っている。連絡先は春よこい応援団事務局の金山町産業課0241(54)5327。


<復興財源>一部負担 岩手知事「弱者切り捨て」
 政府が2016年度以降、東日本大震災の復興財源の一部を被災自治体に負担させる方針を示していることについて、達増拓也岩手県知事は11日の定例記者会見で「現場の実態を踏まえた議論がされているのか疑問。内閣を挙げて大なたを振るうのは、弱者切り捨てだ」と批判した。
 達増知事は、国費対象外の事業の中に自治体が単独実施する事業があることを挙げ「地方は既に負担している。今でも負担ゼロではない」と認識を示した。
 震災後、被災市町村の財政が厳しさを増していることにも触れ「税収は震災前を下回り、国費で補填(ほてん)されている。負担を拡大する根拠はない」と述べた。
 政府が検討理由として被災自治体の自立を主張していることに関しては「被災地が何もしていないような空気を醸成するのは、風化以上に危険。被災者にはすさまじい負担がある。共生なくして自立なしだ」と強調した。
 知事は「復興はきちんとやるという政府の言葉を信用したい。逆に地方を消滅させるようなことはないと信じたい」とも語った。


<震災4年2カ月>大川小付近の山 骨を発見
 東日本大震災の発生から4年2カ月となった11日、宮城県警河北署は、津波で児童と教職員計84人が犠牲となった石巻市大川小近くの山の斜面で、行方不明者の集中捜索を実施した。同地点での集中捜索は初めてで、不明者家族の要望を受けて活動範囲を広げた。
 署員8人が午前10時ごろから、小学校から数百メートル離れた山林に入った。高さ約5メートル、幅約50メートルにわたって斜面をスコップなどで掘り、手掛かりを捜した。
 約6時間の捜索で、長さ約24センチのあばら骨とみられる骨1点と、ジャケットやズボンなどの衣類、靴など数点が見つかった。
 大川小がある旧河北町地区の行方不明者は43人で、同小では児童4人の行方が分からない。河北署の佐藤友彦地域課長は「月日がたつにつれ手掛かりを得るのが難しくなっているが、不明者の最後の一人が見つかるまで継続する」と話した。


犠牲者思い海に祈り 震災4年2カ月、陸前高田で追悼
 東日本大震災から4年2カ月となった11日、県内では多くの人々が犠牲者を追悼した。陸前高田市広田町の慈恩寺(古山敬光住職)では震災が起きた午後2時46分、住民ら15人が海へ向かい黙とうをささげた。

 同寺敷地内に立つ犠牲者、遺族、まちの安寧を願う祈念碑「やすらぎ」の前で1人ずつ焼香。震災発生時刻に合わせて鐘を鳴らし、静かに手を合わせた。

 同市広田町の女性(61)は「どうしても月日はたつけど、どうか安らかにいてほしい」と願い、古山住職は「欠かさず祈り続ける。それが残された私たちの務めと思う」と語った。

 海から約200メートル、海抜約10メートルの高台にある同寺は震災当時、床下まで浸水。家を失った住民ら最大約80人が、最大4カ月にわたり避難生活を送った。

 同寺は震災後、月命日の同時刻に欠かさず黙とうを行っている。祈念碑は震災から1年となる2012年3月11日に設置された。


【東日本大震災4年2カ月】 釜石で支援の米学生「忘れないことを大切に」
 東日本大震災から4年2カ月となった11日、被災地では、沿岸部に滞在することになった海外の大学生が支援活動を始めるなど、復興に向けた新しい一歩が進んだ。一方で、犠牲者を悼む遺族やいまだに発見されていない行方不明者の手がかりを集中捜索する警察官らの姿もみられた。

                    ◇

 米国ペンシルベニア州のテンプル大3年のビクトリア・ドライベルビスさん(21)が11日、釜石市でのボランティア活動を始めた。ビクトリアさんの姉は、昨年、釜石の観光について助言するインターン(就業体験)活動をした米国カリフォルニア州のスタンフォード大ビジネススクールのブリタニーさん。姉の活動をきっかけに、自費で釜石にやってきたという。

 滞在期間は、6月9日までの約1カ月。市が発行する海外観光客向けパンフレットへのアドバイスのほか、自然を生かしたエコツアーやボランティアツアーの企画などに取り組む一般社団法人「三陸ひとつなぎ自然学校」での活動を通じ、被災地の魅力を発信する。

 ビクトリアさんは高校生のときに愛知県一宮市へ留学経験があるほか、横浜などで2年間過ごしたこともあるという。現在は大学で国際ビジネスを学び、企業法務などに携わる弁護士を目指している。

 この日は、市街地が一望できる薬師公園などを訪問。「海と山が近くて、景色が美しい」と釜石の第一印象を語った。

 今後については「自分の経験を生かし、地元の高校生たちと英語でコミュニケーションをとったり、文化交流をしたりしていきたい。子供たちの視野を広げられるような手助けができれば」という。「まちの再生を考えるうえで、犠牲者を忘れないことを大切にしたい」と、月命日に思いを新たにした。


【東日本大震災4年2カ月】 女川 七十七銀跡地近くの高台に石碑
 東日本大震災の津波で犠牲となった七十七銀行女川支店の行員らの遺族は11日、女川町鷲神浜鷲神(わしのかみはまわしのかみ)の支店跡地から約100メートル離れた高台の「堀切山」に造った花壇で、犠牲となった肉親を悼んだ。

 花壇は1月31日まで支店跡地にあったが、かさ上げ工事が2月に始まるのを前に、遺族らが堀切山に移設。行員の男女の形に掘られた石碑も花壇に設けられた。

 震災から4年2カ月が経過したこの日、津波で同支店の行員だった長男の健太さん=当時(25)=を亡くした大崎市の主婦、田村弘美さん(52)は「訪れた人たちに(震災の惨事や犠牲者がいることを)リアルに伝えたかった」と、石碑を建てた思いを語った。

 田村さんと夫の孝行さん(54)は、他の遺族とともに、支店跡地に花壇を設置した平成24年6月から、現地を訪れる人に向けて、震災のことを伝える語り部活動も続けている。

 被災地を訪れ、遺族らの話を聞いていた栃木県佐野市の僧侶、長沢辰也さん(35)は堀切山から支店跡地を見つめ、「犠牲となった方々が見た津波の景色を想像すると、どんなに怖かっただろう」と声を詰まらせた。


<気仙沼向洋高>旧校舎の部分保存 市が決定
 気仙沼市は11日、東日本大震災で被災した気仙沼向洋高の旧校舎に関し、震災遺構として津波で運ばれた乗用車が3階に残る南校舎のみを部分保存する方針を発表した。内部を公開し、伝承に活用する。現地には南、北校舎と総合実習棟の計3棟が残るが、市は保存範囲を限定し維持管理の負担を抑える。
 市議会の震災調査特別委員会で説明した。菅原茂市長は「校舎3棟では巨大すぎる。南校舎だけでも十分に震災を伝承する要素があり、しっかり学習できる施設にしたい」と述べた。
 南校舎は津波が4階の床上30センチまで押し寄せた。計画では3、4階と屋上を来訪者に公開できるようエレベーターを設置。被災した岩井崎プロムナードセンターを近くに復旧させ、資料展示施設とする。整備費は合わせて5億8500万円と試算。校舎と資料展示施設の維持費は年間4200万円を見込む。
 5月下旬に設計費を国の復興交付金に申請し、2016年春に着工、17年春の完成を目指す。残る校舎は県費で撤去する。
 市は昨年10月、学識経験者や住民でつくる震災遺構検討会議(代表・川島秀一東北大災害科学国際研究所教授)を設置。保存範囲をめぐっては市に「過大な財政負担とならないよう総合的視点から方針決定を行う」ことを求めていた。
 菅原市長は「財政負担が不安視されているが、努力すれば運営は黒字化できる。遺構の重要性を説明し、市民や議会の理解を得たい」と話した。


「復興見届けたい」派遣元退職し七ケ浜職員に
 宮城県七ケ浜町復興整備課の鳥居和也さん(46)はこの春、派遣元の愛知県西尾市を退職し、町職員に採用された。派遣職員として働いた3年間、東日本大震災の津波被災地の土地区画整理事業に携わった。「仕事をやり遂げたい」。復興の担い手の一人として、新たな人生を歩く。

 4月1日、まっさらな新人に交じって「主幹兼復興土地区画整理係長」の辞令を受け取った。
 2011年3月11日、西尾市の職場で津波の映像を見た。「これだけの大災害であれば、応援が必要なはず」。募集に応じて12年4月、七ケ浜町に土木技師として出向した。期間は1年の予定だった。
 当初は、高台住宅団地の用地探しに奔走。秋ごろから沿岸部4カ所の土地区画整理事業の立案に関わった。主に区画整理畑を歩いた西尾市での経験と知識を生かせる職場だった。
 「事業が認可されるまで」「仮換地が終わるまで」と残留を希望し、土地権利者と調整を続けた。多忙な日々を過ごしているうちに3年目に突入していた。
 住宅団地の起工式があった夜、同じ課の職員たちと酒を飲んだ。思わず涙が出た。仮換地の手続きを終えたときは「やっとここまで来た」と感慨にふけった。
 仕事に手応えを感じる一方で「復興を見届けたい」との思いは強くなる。生まれも育ちも西尾で、地元には親を残しているが「派遣で4年目はあり得ない」と、市役所の上司に退職を申し出た。
 七ケ浜町役場には震災前まで、土地区画整理に携わった職員はいなかった。渡辺善夫町長は「町に残りたいという鳥居さんの希望は願ってもないことだった。送り出してくれた西尾市にも感謝したい」と語る。
 「土地権利者の方々の笑顔を見たい」と鳥居さんは語る。昨年、工事を発注したばかりで、復興市街地の姿はまだ見えない。仕事は道半ばだ。


カツオ:宮城・気仙沼で初水揚げ 小ぶりだが脂のる
 宮城県の気仙沼漁港で11日、今季初のカツオの水揚げがあった。不漁だった昨年より約1カ月早く、魚市場は早朝から活気づいた。

 この日は、まき網漁船「第16大師丸」(静岡県)が入港。朝の光を受けて銀色に輝くカツオ約80トンが次々に水揚げされた。気仙沼は昨年まで生鮮カツオ水揚げ18年連続日本一。平成に入って最も早い時期のカツオ水揚げに、気仙沼漁協の佐藤亮輔組合長は「今年の漁が楽しみだ」と期待を示した。

 大師丸乗組員によると、今回の漁場は千葉県の銚子沖約140キロ。今年は水温が高く、群れの北上も早いという。船頭の広崎康智さんは「型は小ぶりだけど脂がのっておいしいカツオが取れた。今年もいい魚をたくさん気仙沼に持ってきたい」と笑顔を見せた。【井田純】


四川大地震から7年 北川で追悼
7年前の5月12日午後2時28分、四川省の大地の大きな揺れがブン川を襲った。その瞬間、建物が崩壊してバラバラになり、家族とのお別れを経験し、故郷は無常にも破壊された。いつの間にか四川大地震(ブン川地震)から7年が経った。地震の犠牲になった6万9227人の同胞を追悼したい。新華社が伝えた。(編集YH)

東日本大震災から4年2ヵ月/Metis人間失格

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Une jeune Canadienne accouche dans un avion au dessus du Pacifique
Une jeune Canadienne a donné naissance à une petite fille au dessus du Pacifique à bord d’un appareil d’Air Canada à destination de Tokyo, a indiqué lundi un porte-parole de la compagnie aérienne.
La jeune femme de 23 ans a accouché avec l’assistance d’un médecin qui voyageait dans l’avion, a précisé le porte-parole.
≪Je ne pouvais pas le croire. C’est arrivé de facon complètement inattendue. Finalement, c’est une jolie petite fille≫, a raconté l’heureux papa à une chaîne de TV locale.
L’avion d’Air Canada, en provenance de Calgary, a fait un atterrissage d’urgence à son arrivée dimanche à l’aéroport de Tokyo-Narita.
La jeune maman, en bonne santé, est sortie de l’appareil en fauteuil roulant avant d’être évacuée sur un brancard vers un hôpital proche.
≪Tout le monde a applaudi≫, a témoigné une passagère devant les caméras.
Air Canada autorise les femmes enceintes à voyager sur ses lignes jusqu’à la fin de la 36e semaine de grossesse.
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大阪市廃止・分割に大反対!怒れる大女子会パレード
5月15日(金) 18:00〜新町北公園(新町北公園、オリックス劇場南側)パレード出発 18時15分 難波まで
住民投票まで、あと2日となる5月15日。御堂筋を怒れる女子たちが大パレード。


東日本大震災から4年2ヶ月です.つまり50ヶ月です.早いような気もしますし,遅いようにも感じます.
ネットラジオを聞いていてMetisの曲が流れてきました.震災のあった年,私は悲しみに暮れていたのですが,近くのスーパーで流れていた彼女の曲に元気づけられたんです.「人間失格」.でもその曲名と誰が歌っていたのかを思い出せないまましばらく過ごしていたのですが,それがわかって嬉しい気持ちです.


震災4年2か月 死者不明者1万8470人
東日本大震災の発生から4年2か月となり、警察がこれまでに確認した死者と行方不明者は、1万8470人となっています。また、避難生活などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は、国のまとめで3000人を超え、「関連死」を含めた震災による死者と行方不明者は、2万1000人を超えています。
警察庁によりますと、警察によって死亡が確認された人は▽宮城県が9539人、▽岩手県が4673人、▽福島県が1612人、▽茨城県が24人、▽千葉県が21人、▽東京都が7人、▽栃木県と神奈川県がそれぞれ4人、▽青森県が3人、▽山形県が2人、▽群馬県と北海道がそれぞれ1人で、合わせて1万5891人となっています。
死亡した人の99%は身元が確認されましたが、依然として82人の身元が分かっていません。
また、警察に届け出があった行方不明者は、▽宮城県が1244人、▽岩手県が1129人、▽福島県が202人、▽千葉県が2人、▽茨城県と青森県がそれぞれ1人で、6つの県で合わせて2579人となっています。
一方、復興庁によりますと、避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は、去年9月末現在で、▽福島県で1793人、▽宮城県で900人、▽岩手県で446人、▽茨城県で41人、▽千葉県で4人、▽長野県と神奈川県でそれぞれ3人、▽山形県で2人、▽東京都と埼玉県でそれぞれ1人の少なくとも合わせて3194人となっています。福島県では、「震災関連死」で亡くなった人が、津波など震災の直接の影響で死亡した人の数を上回っています。
これで、東日本大震災による死者と行方不明者は、「震災関連死」を含めて少なくとも2万1000人を超えています。


大川小周辺で不明者捜索…震災から4年2か月
 東日本大震災から4年2か月となった11日、児童と教職員84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校東側の山林で、河北署員など計11人が行方不明者の捜索を行った。

 大川小周辺の石巻市河北地区では現在も、同小の児童4人を含む43人が行方不明のままとなっている。

 山林は傾斜がきつく、重機が入ることができないため、これまで本格的な捜索が行われてこなかった。大川小の不明児童の家族などから要望を受け、初めて同署が捜索を実施した。署員らは午前10時から、スコップなどを使って土を掘り起こし、行方不明者の手がかりを捜した。

 同署の佐藤友彦地域課長(38)は「時間の経過とともに捜索は難しくなっているが、最後の一人が見つかるまで捜したい」と話した。


大震災4年:16歳「明日も会えるって当たり前じゃない」
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市で今月、県立石巻西高校2年の志野ほのかさん(16)が被災体験を伝える「語り部」としてデビューした。「大切な人に毎日会えることは、当たり前じゃないんです」。震災から4年2カ月、大好きな祖父を失った自宅跡地で、志野さんは他県からボランティアに訪れた人たちを前に力を込めた。

 「ここが私の家があった場所です。私が今立っている場所が、おじいさんが最後に立っていた場所でした」

 海から約500メートル、芽吹いたばかりの雑草が広がり、土ぼこりが舞う東松島市野蒜(のびる)地区の自宅跡地で4日、志野さんは愛知、東京などから訪れた約20人を前に語った。

 震災当時、地元の野蒜小6年だった志野さんは、高校1年(当時)の姉と共働きの両親、祖父五男(いつお)さん(当時65歳)の5人暮らしだった。「ほの、お帰り」。小学校から帰ると、いつも玄関で迎えてくれたのは五男さんだった。

 あの日、校門を出たところで揺れに襲われた。教師の呼びかけで学校の体育館に避難。津波は館内に押し寄せたが、2階の観覧席に辛くも逃れた。両親や姉とは翌日再会できたが、五男さんの行方が分からず、2週間後、遺体と対面した。

 「近所の人が『逃げるよ』と言ったらしいんですけど、私がまだ帰っていないからと、ずっと通学路を見ていたらしいんです。何回声かけても『ほのを待ってるから』って……」

 伝え聞いた祖父の最後の姿を、志野さんは涙ぐみながら一気に話した。

 小さい頃から「おじいちゃん子」だったが、高学年になると、言葉できつく当たることもあり、素直に感謝を伝えられなかった。「私のせいでおじいさんは亡くなったかもしれない」と自分を責める思いも残った。

 気持ちが変わってきたのは、高校の防災学習で「自分の気持ちにふたをせず発信して」という他の被災者の話を聞いたからだ。失って気づいた大切なことを伝えたい。そう強く思うようになった。

 そんな中、同校の撮影を続ける東松島市出身のフリーカメラマン、鈴木貴之さん(42)=札幌市豊平区=が他県のボランティア仲間を被災地に案内すると聞き、「語り部をしたい」と頼み込んだ。鈴木さんは「彼女たちは震災体験をきちんと言葉で伝えられる最後の世代かもしれない。支えたい」と約20人を集めた。

 「みなさんに一番伝えたいことがあります。大切な家族に、今日とか明日とか帰って会えるって、当たり前じゃないんですよ。伝えたいことは明日じゃなくて、いま伝えてほしい。この話も、帰ってから周りの人にも伝えてほしいです」

 語り終えた志野さんは、参加者に「今が大事って、すごく伝わった」「頑張って」と声をかけられた。「おじいさんが立った場所で、おじいさんのことを話したかった。聴いてくれる人がいるなら、これからも話したい」と前を向いた。【伊藤直孝】


大震災から4年2カ月、沿岸部で行方不明者の一斉捜索
 東日本大震災から4年2カ月となった11日、本県沿岸部で行われた浜通りの各警察署による行方不明者の一斉捜索では、署員らが捜索に臨み、津波被害による行方不明者の情報につながる手掛かりを探った。
 いわき中央署の捜索には約40人が参加。署員たちは管内の海岸線を南北に新舞子から豊間、久之浜から四倉の2班ほか、ボートを使用し河川を捜す班の計3班に分かれて実施。スコップなどを使って行方不明者の発見につながる遺留品や痕跡を捜した。
 出動式では椎根正之署長が「緊張感を持ち、少しでも発見につながる糸口を見つけてほしい」と訓示した。


震災4年2か月 名取市で祈り
東日本大震災の発生から11日で4年2か月です。
津波で大きな被害を受けた名取市では犠牲となった人たちに祈りをささげる遺族などの姿が見られました。
名取市の閖上地区では、4年前の震災の津波で700人以上が犠牲になりました。
4年2か月の月命日の11日、地区の神社や慰霊碑では訪れた遺族などが祈りをささげていました。
仙台市太白区の小野寺信子さん(62)は、閖上地区に住んでいた姉夫婦を亡くしました。
小野寺さんは、姉夫婦の孫がこの春、大学に進学したことを報告したということで、「姉夫婦にも孫の大学合格を祝ってほしいと伝えました。地震の直前まで一緒にいて助けることができず、当初は仕事も手につきませんでしたが、今はただ安らかに眠ってほしいと思っています」と話していました。
閖上地区では、新たなまちづくりの工事が本格化していて、11日も多くのトラックが行き交っていました。
神戸市から訪れたという70歳の女性は「20年前の阪神・淡路大震災では私も被災しましたが、ここに来て津波の恐ろしさや被害の大きさを実感しました。被災した人たちが一日も早く元の生活に戻って欲しいです」と話していました。


震災ボランティア10分の1に
東日本大震災で被害の大きかった宮城、岩手、福島の3県で活動したボランティアは昨年度、7万7000人あまりと震災直後の10分の1以下に減っていることがわかりました。
その一方で、被災地では行方不明者の捜索や原発事故による避難区域の住宅の片付けなどボランティアのニーズが高い状況が続いています。
東日本大震災の被災地ではがれきの片づけや仮設住宅での見守り活動など全国各地から数多くのボランティアが訪れて活動しています。
発生直後の平成23年度に社会福祉協議会を通して活動したボランティアは▼宮城県で52万5741人、▼岩手県で34万7499人、▼福島県で12万7792人と3県であわせて100万1032人に上りました。
しかし、去年3月までに宮城と岩手ではがれきの処理が終了したうえ、仮設住宅から災害公営住宅などに移り住む人などが増えるにつれてボランティアも減少し、昨年度は、▽宮城県で3万5536人、▽岩手県で2万6995人、▽福島県で1万5066人となり3県であわせて7万7597人と10分の1以下に減っています。
その一方で、今も行方がわからない人は3県で2500人以上にのぼり、捜索活動が続けられているほか、福島県では、原発事故による避難区域の住宅の片付けなど依然としてボランティアのニーズが高い状況が続いています。
このため、各地の社会福祉協議会ではボランティアによる被災地の支援を呼びかけています。


嵐コンサート経済効果93億円
ことし9月に利府町で開催されることになった人気アイドルグループの嵐のコンサートについて、宮城県が経済効果を試算したところ県内で少なくとも93億円にのぼることがわかりました。
人気アイドルグループの嵐は、9月19日から23日までに4日間、利府町のひとめぼれスタジアム宮城でコンサートを開催し、合わせて20万人の観客動員が見込まれています。
これについて宮城県はコンサート開催による県内での経済効果を試算しました。
それによりますと、▼宿泊費や飲食費、グッズや土産物の販売など直接的な経済効果が57億円、▼農業や製造業などに波及する間接的な経済効果が36億円と経済効果は少なくとも93億円にのぼるということです。
このほか、グッズの先行販売などがあればさらに経済効果は増えるということです。
これについて村井知事は記者会見で、「仙台市内と松島周辺のホテルではコンサート期間中の予約がすでに埋まってしまったという情報が入っている。経済効果だけでなく、震災後、多くの温かい支援をいただいた全国の皆様に復興に取り組む姿を発信する貴重な機会になる」と話していました。


<松島水族館>思い出回想 88年の歴史に幕
 宮城県松島町のマリンピア松島水族館は10日、営業を終了し、88年の歴史に幕を閉じた。最終日は約1万人が入場。マンボウやイロワケイルカ、ペンギンの展示などで話題を集めた水族館の閉館を惜しんだ。
 水族館を運営する仙台急行(仙台市)の西條直彦社長(68)は水族館で記者会見し「大型連休では多くのお客さんを迎え、有終の美を飾ることができた。支えてもらった方々に感謝したい」と述べた。
 松島水族館は1927年の開館で、国内の水族館で2番目に古い。84年にマンボウの長期飼育で世界記録を更新。85年には年間入場者が83万人に上った。仙台急行が経営を引き継いだ69年からの累計で約2100万人が足を運んだ。
 東日本大震災では津波で施設が浸水したが約1カ月半後に営業を再開し、地域の復興のシンボルとなった。
 2008年、仙台市に移転する計画を打ち出したが、資金不足で断念。設備の老朽化などを理由に閉館を決めた。
 仙台市宮城野区の仙台港背後地で7月1日に開業する「仙台うみの杜水族館」と業務委託契約を結び、飼育担当スタッフと動物を新水族館に移す。


復興費の地方負担/国主導の政策転換を憂う
 東日本大震災の復興予算をめぐり、政府は集中復興期間が終わる来年度以降、全額国費負担を転換し、地方に負担を求める方針を固めた。震災発生から5年目に入り、復興がようやく本格化する今、あたかも撤収戦に入るかのように映る国の姿勢に被災地には失望と困惑が広がっている。
 政府方針の転換は被災地不在で進む。口火は2月、竹下亘復興相の「(地方負担ゼロの継続には)丁寧な検討が必要だ」という参院決算委員会の答弁にさかのぼる。
 竹下氏はその後、「(全額国費負担は)異例中の異例の措置」(3月3日、報道各社の取材)、「全て国に委ねる姿勢でいいのか。市町村も県も自立してもらわなければならない」(同6日の記者会見)と発言を強めていった。
 反発必至の政策転換を小出しにし、反応を見ながら既成事実化する手法は現政権の常とう手段のようだ。被災自治体への説明がないまま、地方負担とする事業や負担割合の数値が出そろいつつある。
 村井嘉浩宮城県知事は「国は官僚が作ったデータに目を奪われ、実態を把握していない気がする」といぶかった。達増拓也岩手県知事も「決まった話ではないと思うし、このまま決めていい話でもない」と不信感を口にする。
 岩手、宮城、福島の被災3県は、国の集中復興期間が終わる来年度以降の5年間で計8.4兆円の費用が必要と試算する。一方、政府は国の負担額を5〜6兆円とみる。「全部国費というのはモラルハザード(倫理観の欠如)の原因」(竹下氏)という理屈で政府方針が強行されれば、復興の完遂は危うい。
 政府は集落の高台移転や防潮堤整備などの基幹的事業、原発事故関連、応援職員の派遣費用は全額国費を維持する考えを示す。一方、被災者の暮らし再建を支えるソフト事業の行方は見通せない。地方負担の発生により自治体が萎縮し、必要な事業に二の足を踏む事態は十分予想される。
 震災から一定期間が過ぎ、事業の精査や見直しの必要性を認識しつつも国が一方的に押し付ける形で進む現状は、被災者と向き合う自治体の意向を軽んじてはいまいか。
 被災者の多くは「復興は遅れている」と痛感している。震災当初、国政の混乱で復興予算の編成が大幅に遅れたこと、2020年の東京オリンピック開催決定で復興に必要な人手や資材が首都圏に流れたことが、その要因となった事実を忘れてはならない。
 政府は近く地方負担に切り替える事業の方向性を固め、自治体との協議に入る見通し。国土が広範囲に被災し、苦境にあえぐ20万人を超す避難住民の生活再建を支える立場として、被災自治体は真っ向から議論する気概をもってほしい。
 震災発生直後、国の東日本大震災復興構想会議がまとめた提言には「大災害を自らのことと受け止め、国民全体の分かち合いによって復興を推進するものとする」とある。
 全額国費負担を「国民の理解を得られない」などと切り捨てる前に、政府は未曽有の大災害という現実にいま一度、立ち返るべきではないか。


うつみ宮土理:愛川さん死去後の生活「思い出せない」
 先月15日に肺がんのため死去したタレント愛川欽也さん(享年80)の妻でタレントのうつみ宮土理(71)が10日、東京・中目黒の劇場「キンケロ・シアター」で会見を開いた。夫の死後、公の場で話すのは初めて。天真爛漫(らんまん)な明るさはなく、ショックの大きさばかりが際立っていた。

 疲れた青白い表情で、会場に姿を見せたうつみ。愛川さんの笑顔の写真が飾られた机に座り、「まだ信じられない。心の中に大きな穴がポッカリあいてしまいました。その穴を埋め尽くせないまま、ここに座っております」。時折ハンカチで涙を拭いながら、「悲しくてつらくて寂しくて、そしていとおしくて。一緒に天国に行ってしまいたいと何度も何度も思いました」と言葉を絞り出した。

 病気を隠して、亡くなる直前まで仕事を続けた愛川さん。入院は一度もせず、在宅治療に努めた。うつみは「入院は頭にチラリとも浮かびませんでした」と明かした。

 その理由を聞いたリポーターには、「当たり前だからです。家が好きだからです。(本人の意思は)聞いてません。病院へ行ったら治るものですか?」と語気を強めた。最期の様子を聞かれた際も、「そんな質問は酷です…」と、消え入りそうな声で回答を拒んだ。

 外出するのは、葬儀が執り行われた先月17日以来。その間の生活は「悲しすぎて、どう過ごしてたか思い出せない」といい、「ベッドに遺骨を運んで一緒に寝ている」と明かした。「遺骨を抱くと、“元気出すんだよ”と、みんなに愛されたキンキンの声が聞こえてくる。それが励ましです」と、まだ別れを受け入れたくない様子だった。

 最後は「愛川欽也と結婚できたことが私の最高の幸せ。キンキンには感謝しかありません。一瞬たりとも嫌なことはなくて、いつも幸せにしてくれた」と、尽きない感謝の言葉を口にした。

 現在は自身のラジオ番組を休止中で、仕事復帰時期は未定だ。6月6、7日に同所でファン向けのお別れ会「愛川欽也の思い出展示会」を開く。


原子炉:研究炉停止1年 原発、実習に大学苦慮 新基準に対応遅れ
 国内に3基ある大学の教育研究用原子炉が、東日本大震災後の規制基準強化に伴って運転できない状態が約1年続いている。東京電力福島第1原発事故の教訓を踏まえて改められた基準は、出力の小さい研究用原子炉にも商業原発に準じる安全対策を求めているが、大学側が対応しきれず、原子力規制委員会の合格をもらえるめどが立たない状況だ。人材育成への影響も懸念される中、安全に直結する審査を緩めるわけにはいかず、大学側も規制委側も頭を悩ませている。【鳥井真平】

 現役の原子炉は、京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)に2基、近畿大原子力研究所(東大阪市)に1基ある。出力は京大の炉が100ワットと5000キロワット、近大の炉はわずか1ワットで、大地震が起きても住民避難が必要な事故は起きないとの立場だ。他大学も含め、年間数千人の学生や研究者が炉の起動や出力調整などの実習や研究に使ってきた。

 福島の事故前は、大学の研究炉は設置した時の基準のままの運転継続が認められていた。しかし新基準では、最新の知見を反映させた原発並みの地震想定や多重の安全対策が必要になる。地震の想定が変われば、機器一つ一つが揺れに耐えられるかどうかを計算し直さなければならない。

 近大炉は昨年2月5日、2基の京大炉も昨年5月26日までに定期点検のため運転を停止。両大学は昨年秋、規制委に安全審査を申請したが、具体的な数値や資料の提示を求められ合格に至っていない。多くの社員を抱える電力会社と違って、教員が授業や研究の合間にこなさざるを得ない大学では作業がはかどらず、近大原子力研究所の伊藤哲夫所長は「対応できる教員は5人だけ。これ以上人手をかける余裕はない」と嘆く。

 一方、規制委の田中俊一委員長も「教育に大事な施設だ」と、大学の研究炉の重要性には理解を示す。しかし審査の実務を担当する原子力規制庁の黒村晋三安全規制管理官は「規制基準は譲れない。審査を甘くはできない」ときっぱり。「何か方法はないか考えたい」とも話すが、人材育成と安全を両立させる妙案はない。

 国内では運転実習ができないため、近大は昨年夏、文部科学省の補助金を受け、名古屋大や九州大の原子力関係学科の学生と合同で、韓国・慶熙(キョンヒ)大まで出向いて実習した。京大は実習の代わりに、原子炉設備の見学でしのいでいる。

 伊藤所長は「廃炉を安全に進めるためにも、人材育成は必要だ。学生全員を海外に連れてはいけない。緊張感のある運転実習を体験せずに社会に出る学生がいるのは残念だ」と話す。

母の日でカーネーション/反差別の講演会/住民投票の期日前投票

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大阪市こわすな

L'horoscope du jour de la Balance
Ambiance amoureuse
Après les tensions de ces derniers jours, l'ambiance amoureuse s'allège. Si vous êtes en couple, le grand trigone d'air formé par Mercure et la Lune à votre Soleil apporte de la fluidité dans la communication avec votre partenaire. Quant à vous, célibataire, vous retrouvez votre sourire et votre envie de rencontres, et qui sait ce qui peut arriver.
En couple
Tout glisse sur vous, votre susceptibilité naturelle semble être partie aux oubliettes. Aucun nuage à l'horizon durant cette journée, votre enthousiasme est contagieux et quiconque vous approche ressent votre sérénité et votre tendre humeur. Mercure, toujours en Gémeaux, signe ami du votre, vous permet de communiquer facilement avec votre conjoint.
En solo
La journée s'avère prometteuse, vous sortez d'une période de rêverie stérile et remettez les pieds dans le concret. Votre envie de rencontres et de sorties est revenue enfin. L'amour est peut-être bien au bout du chemin, le sextile d'Uranus en Bélier à la Lune en Verseau peut réserver des surprises, alors soyez prêt à accueillir les nouveautés.
フランス語
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テレメンタリー「シリーズ戦後70年3 皇軍大笑〜“笑い”が国策だった時代〜」
戦場で漫才をする“わらわし隊” 日中戦争開戦後、戦場の兵士の戦意高揚のために派遣された戦時演芸慰問団。その名も「わらわし隊」。
そのメンバーは、当時のお笑い界のスーパースター達だった。太平洋戦争が勃発すると、“笑い”への規制は厳しくなり、国や軍部の意向を踏まえた「国策漫才」「国策落語」が多くなり、芸人を辞めさせられたものも現れた。
戦争を生きた芸人たちの真実を、当時を知る証言者、貴重な音源、知られざる台本の再現などで紐解いていく。
テレビ朝日

明日へ−支えあおう−「あったかい“まち”をつくりたい〜宮城・石巻市〜」

東日本大震災から4年、被災地では仮設住宅から復興住宅への転居が進む。懸念されているのは、仮設住宅で築いた人間関係が失われ、高齢者や子育て中の母親たちなどが転居先で孤立することだ。宮城県石巻市では、転居先で新たな人々の絆を作ろうと「地域福祉コーディネーター」が奔走する。彼らの多くは30代の若者たち。出身も職歴もさまざま。どうすれば地域のつながりを作ることができるのか?福祉男子・女子の奮闘ぶりを追う。
畠山智之,原田知世

NNNドキュメント'15
ベトナム戦争に従軍した元米海兵隊員ネルソンさんの半生、証言を通し、`9条'が日本で、そして国際社会で果たしてきた役割、意味を問い直す。
藤田千代美

ガリレオX「100回記念 なぜ偉大?ガリレオ・ガリレイ」
ガリレオXは今回で通算100回目を迎える。その記念として選んだテーマは番組タイトルでもあるガリレオ・ガリレイ。近代科学の父とも称されるガリレオの業績は、3つのキーワードで解き明かすことができる。それは「地動説」、「望遠鏡」、「数学」なのだが、奇妙なことに、これらはどれもガリレオによって初めて示された科学実績というわけではない。では、なぜ彼の功績を語る言葉となるのか?ガリレオ・ガリレイの偉業に迫る。
板倉聖宣 井上毅 野家 啓一

NHKスペシャル 生命大躍進 第1集「そして“目”が生まれた」

なぜ人は今のような姿形で生きるようになったのか?壮大な進化の謎が、21世紀、私たち誰もがもつDNAの最新研究から解明され始めた!DNA、それは生命誕生の40億年前から途切れることなく受け継がれてきた「命の記録」。そこに記された古代生物たちの驚きのドラマを、臨場感あふれるタイムトラベルCGで体感!新垣結衣がナビゲートする。第1集は、5億年前の私たちの祖先に、なぜか「目」が突如現れた謎の大事件に迫る。
新垣結依 伊藤雄彦,久保田祐佳 幸田夏穂,河本邦弘,樫井笙人


母の日です.カーネーションœilletを買いに行きました.赤いカーネーションです.ちょっとだけ亡くなった母を思い出して悲しい気がします.
それに何となく疲れているような感じ.
扇町公園で「大阪市をなくすな! 5・10市民大集会&パレード 」があるので,ちょっとのぞいてみました.自民党から共産党までいろんな政党が来ています.組合の旗が多いです.
でもエルおおさかでの反差別の講演会に参加なのですぐ移動しました.しかし.眠くてかなりの部分を寝てしまいました.あ~あ・・・
最後に大阪市の解体かどうかに関しての住民投票の期日前投票に行きました.ある新聞社が出口調査に来ていました.フランス語ではun sondage sortie des urnesかな?英語ではan election exit poll.

殉職警察官・千田さんを供養 本吉に地蔵祭る
 気仙沼市本吉町大谷地区に、東日本大震災で殉職した気仙沼署大谷駐在所長の千田浩二さん=当時(30)=を慰霊する地蔵が祭られている。地元住民が、震災時に避難誘導に当たった千田さんをしのんで設置し、大切にしている。今夏には被災した駐在所が地蔵の近くに再建される予定で、ともに地域を見守る。

 高さ約50センチの地蔵は、同市大谷小のそばに2012年8月に設置された。横浜市の石材業者から提供を受け、自治会長を務める鈴木治雄さん(67)、美和子さん(66)夫妻が、千田さんが発見された場所に祭った。
 やがて、地蔵に手を合わせる子どもの姿が見られるようになった。登校中に「行ってきます」とあいさつしたり、タンポポを手向けたり。毎朝、花や水を手向けている鈴木さん夫婦をはじめ、住民たちも地蔵の手入れを欠かさない。
 千田さんは、10年4月に大谷駐在所に赴任した。仕事熱心で、地区の演芸会に「刑事役」で出演して観客を沸かすなど、朗らかな性格が住民に慕われた。
 あの日は大谷海岸沿いの国道45号で避難を呼び掛けていた。震災後、津波で全壊した大谷駐在所の壁には「千田さんありがとう。ゆっくり休んで」と感謝のメッセージが書かれた。
 「短い時間だったけれど、地域に溶け込んでみんなに愛された」。鈴木さん夫妻は毎朝、地蔵のそばに立ち、子どもたちの交通指導に当たっている。美和子さんは「お地蔵さまは子どもに優しさや他者をいたわる気持ちを伝えている。千田さんはいまも地域を見守っている」と感じる。
 仮設施設で業務を続けてきた大谷駐在所は地蔵の近くに移転新築され、7月に開所する。宮城県内で全壊した駐在所の本格再建第1号となる見通しだ。
 気仙沼署の岩崎綾一郎副署長は「住民の思いがありがたい。新しい駐在所でも治安維持に努めたい」と決意する。鈴木さん夫妻は「千田さんのように、地域に溶け込んだお地蔵さまを守っていきたい」と話した。


<あなたに伝えたい>4人天国で楽しく暮らして
◎高山一男さん(宮城・山元町)から高山恵美子さん、高山陽子さん、安藤真由美さん、安藤悠真ちゃんへ

 一男さん 山あいの仮設住宅に1人で暮らしています。多くの家族に囲まれたにぎやかな暮らしを、いまも懐かしく思い出します。
 震災の3日ほど前に未熟児で産まれた悠真が退院して、真由美の一家も交えた7人での生活が始まったところでした。
 当時は1歳だった陽子の子を闘病の末に失ったばかりでしたが、陽子は「いいよ」と一緒に暮らすことを受け入れてくれました。みんなで遊んだりして大騒ぎでした。楽しかったなあ。
 幸せな日々はつかの間でした。あの日、町外の勤務先から夕方戻ると、海岸から約1キロの自宅は跡形もなく消えていました。仕事中で無事だった義理の息子2人と捜し回りましたが、残念ながら約10日後までに妻と娘2人の遺体を確認しました。悠真はまだ見つかっていません。
 育児の経験がある家族の元なら安心して暮らせると考え、呼び寄せたのが結果的にあだになってしまいました。何もやる気が起きず、しばらくは狭い仮設の部屋で座っているだけでした。
 これではいけないと思い、昨年から仲間と3人で水田30ヘクタールでコメ作りを始めました。農作業をしている時は気が紛れるけど、部屋に戻ると失った家族を思い出します。この気持ちは死ぬまで消えないでしょう。
 震災後、母や義理の両親も相次いで亡くしました。母たちは高齢だったから仕方ないとしても、俺より若い家族が亡くなるのは、やはり悔しくてたまりません。みんな天国で一緒に楽しく暮らしているでしょう。そう思いたいです。
(日曜日掲載)

◎一家7人のにぎやかな生活失う

 高山恵美子さん=当時(57)=、高山陽子さん=同(32)=、安藤真由美さん=同(29)=、安藤悠真ちゃん=同(6カ月)= 宮城県山元町中浜地区の自宅に一男さん(65)と恵美子さん夫妻、二人の長女陽子さん夫妻、次女真由美さん夫妻と長男悠真ちゃんの7人で暮らし始めた直後に震災が発生した。恵美子さんら4人は自宅にいて津波に遭ったとみられる。


<みやぎロケ地巡り>被災前の景色を収める/(8)「エクレール・お菓子放浪記」
◎ヨシ原(石巻市の北上川河口)
 2011年5月公開の映画「エクレール・お菓子放浪記」の冒頭シーンは、石巻市の北上川河川敷に広がるヨシ原だった。現地は2カ月前の東日本大震災で甚大な被害を受けたため、被災前の景色を収めた貴重な映像となった。
 ロケがあったのは震災前年の10年10月。吉井一肇君演じる主人公の少年アキオが、感化院から渡し船で養母に引き取られる場面などを撮影した。船の周囲では高さ約4メートルに成長した黄金色のヨシが風にそよいだ。
 北上川のヨシ原は河口から上流約10キロにかけて群生し、全国有数の規模を誇った。かやぶき屋根などの良質な材料で、冬の刈り取りや春の火入れは風物詩だった。
 震災による地盤沈下で、ヨシ原の6割が水没した。地形変化の影響で川の塩分濃度が上昇。津波に備えた河川堤防の整備が進む一方で、ヨシの生育環境は依然回復していない。
 地元のNPO法人「りあすの森」は、川底の土砂による河川敷のかさ上げを求める署名を国土交通省に提出するなど、ヨシ原再生に向けた活動に取り組む。
 武山文衛顧問(66)は「ヨシ原は地域だけでなく国の財産。以前の状態に戻し、水辺のにぎわいをよみがえらせたい」と語った。

[メ モ]「エクレール・お菓子放浪記」は戦中戦後が舞台。孤児の貧しい少年が、お菓子に象徴される人の優しさを糧にさまざまな人との出会いと別れを繰り返して必死に生き抜き、成長する物語。県内各地がロケ地になった。近藤明男監督。


松島水族館 88年の歴史に幕
88年にわたって親しまれてきた松島町の「マリンピア松島水族館」が10日で閉館することになり、大勢の家族連れなどが訪れ別れを惜しみました。
「松島水族館」は、昭和2年にオープンした民間では最も古い水族館で、多くの人に親しまれてきましたが施設の老朽化などにより閉館することになりました。
最後の営業日となった10日は、午前中から大勢の人が訪れ、生き物たちや思い出の施設との別れを惜しんでいました。松島水族館は、観光地の松島の中にある人気スポットの1つで昭和60年代には年間80万人を超える人が訪れました。去年の入館者はおよそ38万人とピーク時の半分以下となっていますが、親子で繰り返し訪れるファンもいるなど親しまれてきました。仙台市から家族と訪れた34歳の男性は「子どもが水族館が好きで何回も来ていたので、とてもさみしいです」と話していました。また、施設の屋上で西條直彦社長が会見し「連休に大勢の人を迎えて有終の美を飾れました。ちっぽけな水族館でしたが訪れてくれた皆様には感謝の気持ちでいっぱいです」と話していました。
松島水族館の生き物や従業員の多くは、ことし7月に仙台市にオープンする「仙台うみの杜水族館」に引き継がれるということです。


被災事業者ら新商店街建設 岩手・山田で地鎮祭
 東日本大震災で被災した岩手県山田町の商店主らで構成する「新生やまだ商店街協同組合」が新しい商店街を建設する。9日、同町中央町の現地で地鎮祭が開かれた。10月に店舗の建設に取りかかり11月中旬のオープンを目指す。
 商店主ら約30人が出席し、工事の無事を祈願した。組合の昆尚人理事長(40)は「われわれ商業者を取り巻く環境は震災前より厳しくなっているが、街の繁栄のため組合一丸で頑張っていく」と決意を述べた。
 国道45号沿いのかさ上げした町有地約4800平方メートルに整備する。写真店やコンビニエンスストアなど被災事業者や新規事業者の10店が並び、60台分の駐車場もある。総事業費約3億円のうち75%を、被災中小企業の再建を国と県が支援するグループ化補助金で賄う。
 山田町は復興計画に基づき、商店街から500メートルほど離れたJR山田線陸中山田駅前に、2016年3月のオープンを見据え、共同店舗棟や地元スーパーを整備する。


歴史と今 帰れぬ古里をネットで共有・飯舘村
 東京電力福島第1原発事故で全村避難する福島県飯舘村は、かつての村の光景や避難後の村民の様子などを記録した写真や動画を閲覧できるデジタルアーカイブサイトを5月中にも開設する。懐かしい風景や避難生活の現状を共有することで、離散して暮らす村民たちの心をつなごうとの思いを込めて企画した。

 サイトには、村に長く伝わる田植え踊りなど原発事故前の風習や、事故後の無人の村で進む除染作業、避難先の学校の運動会の様子などを収めた写真を2000枚以上、動画を100本以上保存する予定。
 昭和20年代の写真もある。老朽化で建て替えられる公民館の資料や、村の広報担当職員らが撮影した写真や動画を通じて、村の歴史をたどれる。
 村のホームページから接続し、年代別で検索したり、「暮らし・まち・風景」「東日本大震災」などのカテゴリー別で調べたりすることが可能だ。写真をクリックするだけで、撮影日時や場所などを表示し、高齢者でも簡単に操作できるように工夫した。
 2017年春にも村中心部に設けられる道の駅「までい館」に、大画面のタッチパネルを設置する計画もある。いずれは村外の人々にも村の歴史を発信したい意向だ。
 村の担当者は「住民の心のよりどころになってほしいと思い計画した。厳しい避難生活を送る中で、少しでも古里を思い出す時間を持ってもらえればうれしい」と話している。


筆洗
 向田邦子さんがお母さんについてこんなことを書いている。ある時、お母さんに旅行をプレゼントした。空港に見送りにきた向田さんと親子げんかになってしまった。向田さんが母のために買った蘭(らん)のコサージュを返しておいでという。「どうして勿体(もったい)ないお金の使い方をするの」。こういう優しさのすれ違いは親子の間にはよく起こる▼その場を収め、コサージュを胸につけたお母さんが搭乗口に向かう。突然、振り返って、向田さんに深々とお辞儀をしたそうだ。「どういうわけか不意に涙が出た。さっきの蘭の花束のことを思い合わせて口許(くちもと)は声を立てて笑っているのに、お天気雨のように涙がとまらなかった」▼老いた母が子にお辞儀をする。自分は母に守られていたはずなのに、いつの間にか立場は変わって、お辞儀される。親の老い。時の流れ。そういうものすべてが入り交じって、面はゆくも、切ない感情をこしらえるのか▼母の日である。切ないと書いたが、「お天気雨のような涙」を流せる方は幸せかもしれない▼米映画「セッション」のおっかない音楽教師役で今年のアカデミー助演男優賞に選ばれたJ・K・シモンズさん(60)。奇妙な受賞スピーチをした。「みんな、自分のお母さんに電話しよう」▼この俳優は昨年、母を亡くした。母と話せぬ身は話せるありがたみを知る。その通りである。どうぞ電話を。

週のはじめに考える 隣国に通じる言葉とは
 ドイツの敗戦から七十年がたちました。周辺国との良好な関係はうらやむばかりになりましたが、道のりは決して平たんだったわけではありません。

 第二次大戦末期、ドイツは地上戦を戦いました。西側から米英仏軍が、東からはソ連軍が、挟み撃つように進攻しました。ベルリンはソ連軍に包囲され、ドイツは五月七日に無条件降伏文書に調印、八日に発効して、欧州の戦争は終わりました。

 ドイツでは五月八日は「終戦」ではなく、敗戦であるとともにヒトラーからの「解放」の日と呼ばれます。ナチスを否定して全く違う民主国家になった、とのドイツ人の強い自意識が感じられます。
◆外圧にも迫られ補償

 空爆と地上戦で国土の大半は焦土となり、ソ連兵らによる女性への暴行が横行しました。東西は分断され、ドイツの戦後も苦難の中で始まりました。

 民主国家として国際社会に再出発するために迫られたのが戦後補償でした。西ドイツ初代首相アデナウアーは「ナチスの不法」への責任を認め、イスラエルやユダヤ人団体への補償から始めました。

 ドイツ統一後には、旧ソ連、東欧諸国などの強制労働被害者らが移住先の米国などで独企業を相手取り補償を請求、独製品ボイコットの声まで上がりました。経済への影響を懸念したシュレーダー政権は、独企業の出資を募り補償基金を設立、支払いは約百六十六万人に対し総額約四十五億ユーロ(約五千八百五十億円)に上りました。

 優等生的とされるドイツの戦後補償ですが、時代の状況や外圧に迫られ、不完全部分を補う形で場当たり的に進んできた面も否定できません。ギリシャがあらためて補償要求を持ち出すなどなお火種はくすぶっています。
◆「固有」の領土を放棄

 支払った代償はお金だけではありません。冷戦の最前線だった西独で六九年に登場したブラント政権は、緊張緩和を図る東方外交を展開し、東独を国家として認め、ソ連や東欧諸国と条約を結んで東部国境を画定させました。

 戦後、ソ連は西方に領土を拡張、ポーランド領も西方にずれたため、ドイツはそれまでの領土の約四分の一を失いました。多くがプロイセンなど何百年も前からのドイツ「固有」の領土でした。これに伴い、東方から約千五百万人のドイツ系住民が追放されました。

 東部国境の画定は、これら失った東方領土の領有権を放棄し、追放された人々が故郷には帰れなくなったことを意味します。

 痛みを伴う決断で東側諸国との和解も進みましたが、ドイツ人にはトラウマ(心的外傷)ともなりました。追放された人々は苦難を伝える施設設置を政府に求めポーランドの反発を招くなど、両国の歴史認識には溝も残っています。
◆なお続く「過去の克服」

 ドイツはナチスの犯罪への反省と謝罪を表明し続けてきました。

 戦後四十年に「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」と訴えたワイツゼッカー大統領だけではありません。ブラント首相は七〇年、ワルシャワのユダヤ人犠牲者追悼碑前でひざまずきました。ヘルツォーク大統領はワルシャワ蜂起五十周年式典でポーランド侵略への許しを請い(九四年)、ラウ大統領は強制労働被害者らに「皆さんの苦しみは決して忘れません」と謝罪しました(九九年)。

 補償だけでなく、振る舞いや言葉の力でも国際社会に訴える−国の生き残りを図る指導者らの知恵や、したたかさを感じさせます。

 大戦で争った国々は今、欧州連合(EU)という絆で結束しています。しかし、EU内では反移民や反イスラム感情が強まり、疎外感を抱く若者らが過激派組織に走るなど、ナチスへとつながった憎悪や差別の根はなお、なくなっていません。メルケル首相は敗戦の日前のビデオメッセージで、ナチスや少数者迫害の歴史を二度と繰り返してはならない、と訴えました。ドイツの「過去の克服」はまだ続いているのです。

 旧西ベルリン繁華街の駅を降りると、戦災で塔の先端が欠けたまま残されたカイザー・ウィルヘルム教会が目を引きます。ベルリンの壁跡地には多くのコンクリート柱が並んでいます。ホロコーストで殺害されたユダヤ人のため、独政府が十年前に完成させた記念碑です。歴史を忘れまいとするドイツ人の強い意志を感じます。

 「何でもナチスのせいにする」などの指摘もありますが、その戦後は安易な道ではありません。多くの代償を払って周辺国と和解し、負の歴史を繰り返さぬよう心に刻み続けたドイツの歩みが、日本の戦後七十年を考える上でも示唆することは多いはずです。


「本土が嫌だと言っているから沖縄」 知事、隔たり訴え
 翁長雄志知事は9日の中谷元・防衛相との会談で、2年前に自民党国会議員と意見交換した際「基地負担を沖縄が受け入れるのは当然」と発言したことを紹介、その上で「どうやって日本の安全保障を議論できるのか。絶望感があった」と著しい認識の隔たりを中谷氏に投げ掛けた。

 翁長氏は那覇市長だった2013年、来県した参院予算委員会の超党派議員と意見交換の場で、米軍普天間飛行場の県外移設について話題が及んだ場面を紹介。「自民党議員が大きな声で『本土が嫌だと言っているから、沖縄は受け入れるのは当たり前だろう。不毛な議論はやめよう』と発言した」と説明し、絶望したと振り返った。翁長氏は中谷氏に「沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない」と強調。

 政府の都合で県内移設や代替案を沖縄に迫る姿勢に「この考えのどこに自由と民主主義、人権という価値観を共有する国々との約束を実現する資格があるのか」と国の在り方も疑問視した。

 翁長氏は発言の最後でも自民国会議員の発言に触れ「私たち沖縄県民は今後とも大きな命題の中で生きていかなければならないのか。切ない寂しい思いがある。この気持ちを理解し、今後に生かしてほしい」と締めくくった。


知事・中谷会談 辺野古断念こそ解決策
 傷が付いて同じ音を繰り返すレコードのようだ。
 「辺野古移設が唯一の解決策」。菅義偉官房長官、安倍晋三首相が相次いで会談して翁長雄志知事に発したせりふだ。9日、知事と会談した中谷元・防衛相も「どう考えても」と前置きして同じせりふを使った。
 政治とは意見や利害の対立を調整する場であるはずだ。「唯一」という言葉を使って思考停止する態度は「政治の堕落」でしかない。
 会談の中で知事は、2年前に来県した参院予算委員会の自民党議員の発言を披露した。「本土が嫌だと言っているのだから、沖縄が受けるのは当たり前だろう。不毛な議論はやめよう」という内容だ。
 この発言は中谷氏自身に突き付けたとも受け取れる。中谷氏は昨年「沖縄の基地を分散しようと思えば九州でも分散できるが、抵抗が大きくてできない」「理解してくれる自治体があれば移転できるが『米軍反対』という所が多くて進まないことが、沖縄に(基地が)集中している現実だ」などと語っているからだ。
 知事は、沖縄以外の反対意見には耳を傾けるが、沖縄の声にはまったく聞く耳を持たない「構造的差別」を批判しているのだ。さらに中谷氏が知事となかなか会おうとせず「今話し合っても溝が深くなるだけ」という発言をしたことに「高飛車」だと批判した。
 中谷氏は知事と会談する前に、名護市辺野古周辺の辺野古、豊原、久志の3区長と会談している。条件付き移設容認の区長らと秘密裏に面談したことは、民意の分断を狙ったとみられても仕方ない。
 知事は中谷氏に沖縄の民意について説明し「辺野古に基地を建設するのは不可能」「絶対に反対」と明言した。だが、会談後に中谷氏は移設作業について記者団に「手続きに従い実施していきたい」と述べ、夏から埋め立て工事に着手する方針を重ねて示した。沖縄の民意に寄り添わないなら、一体何のために来県したのだろう。
 安倍政権は、かたくなな固定観念から脱して辺野古への新基地建設を断念すべきだ。日本政府が自由と民主主義、人権という価値を共有するなら、当然の帰結である。自己決定権の行使を求める沖縄の主張を封じることは、国連の自由権規約第1条違反であり、国際的にも認められない。


住民投票まで1週間
いまの大阪市を廃止して5つの特別区を設ける、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票まで1週間となり、賛成・反対双方の攻防はさらに激しさを増し、大詰めを迎えました。
いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が、先月27日に告示されて以降、賛成・反対双方の運動は本格化していて、今月17日の投票日まで、1週間となりました。
大阪維新の会の橋下代表は街頭演説し、「大阪の歴史や伝統・文化をなくすつもりはない。今まで無駄づかいをしてきた大阪市役所を守るのかどうかが問題だ。市役所を医療・福祉・教育といった生活を支える特別区に作り直すのが『都構想』の目的であり、未来の大阪に1歩踏み出すためにも賛成をお願いしたい」と訴えました。
また、所属議員らは、「都構想」を説明するチラシを配って賛成を呼びかけました。
一方、反対する市民団体の集会には、自民党、共産党、民主党の市議会議員ら、約5000人が参加しました。
自民党大阪市議団の柳本幹事長は、「大阪市に、政令指定都市として大阪全体の中心的な役割を担って欲しいならば住民投票では、反対と書かなければならない。市民の力を結集して、大阪市を守りたい」と訴えました。
そして、集会では、「大阪市を消滅させる暴挙を許してはならない」とする決議が採択されたあと、参加者は、パレードして反対を呼びかけました。


大阪都構想:反対47%、賛成39% 毎日新聞調査
 大阪市を廃止し、五つの特別区に再編する「大阪都構想」について、毎日新聞は9、10日、大阪市内の有権者を対象に電話による3回目の世論調査を実施した。都構想への賛否は、賛成の39.5%に対して反対が47.8%と上回った。賛成が36.7%、反対が47.5%だった4月の前回調査よりも差がやや縮まった。

 都構想が実現するかしないかは、17日の大阪市民による住民投票で決まる。投開票日まで1週間を切り、賛成・反対派の攻防は一層激しさを増しそうだ。ただ、「分からない」と答えた人が12.7%に上り、情勢が変化する可能性もある。

 住民投票に行くかどうかを聞いたところ、「必ず行く」が67.9%(前回68.6%)、「たぶん行く」が18.4%(同22.7%)、「たぶん行かない」が2.2%(同4.3%)、「行かない」が0.7%(同3.2%)、「期日前・不在者投票をした」が10.2%だった。「必ず行く」層では賛成41.7%(同42.5%)、反対50%(同47.2%)で反対が多かったが、「たぶん行く」層では賛成38.9%(同25.6%)、反対33.1%(同46.3%)で賛成が上回った。

 都構想の内容について「よく」「ある程度」を合わせて「理解している」と答えた人は63.6%(同53%)と前回より増える一方、「あまり」「ほとんど」を合わせて「理解していない」と答えた人は36%(同46.7%)と前回より減った。市主催の住民説明会(先月14〜26日)が開かれたことや、賛成派と反対派が連日街頭演説を繰り返していることで都構想への理解度が一定程度進んだとみられる。「ある程度理解している」層では賛成が48%で反対の45.4%を上回った。これに対し、「あまり理解していない」層では賛成27.3%、反対49.2%という結果になった。

 賛成理由のトップは「思い切った改革が必要だから」の41%(同27.5%)。前回トップだった「二重行政が解消されるから」は27.7%(同45.1%)だった。反対理由は「メリットが分からないから」が32.1%(同41%)で最も多く、次いで「住民サービスが良くならないから」が14.6%(同13.8%)で続いた。

 橋下徹市長の支持率は45.8%(同45.1%)、不支持は43.3%(同43.5%)。政党支持率は自民党27.5%(同24.2%)▽維新の党20.5%(同21.6%)▽公明党8.5%(同7.6%)▽共産党6.3%(同8.4%)▽民主党3.1%(同4.6%)。支持政党なしは31.6%(同30.1%)だった。【念佛明奈、松井聡】


大阪都構想:街頭演説会、自民と共産が共闘
 大阪都構想に反対する自民、民主、共産の3党は10日、大阪市北区と中央区の2カ所で合同の街頭演説会を開いた。自民と共産が街頭に一緒に立って演説するのは異例だ。一方、大阪維新の会代表の橋下徹市長は街頭演説で「自民、民主、公明、共産は何の対案も示さない」と批判した。

 「この車であいさつするのは初めて。気持ちがいい」。自民の柳本卓治参院議員は10日朝、中央区の南海電鉄難波駅前で共産の街宣車の上から聴衆に語りかけ、笑いを誘った。「立場の違いを離れ、心は通じている。大阪市はなくしたらあかん」と訴えた。共産書記局長の山下芳生参院議員も「みんなで大阪市を守る」と自民との共闘をアピールした。

 自民の街宣車に乗り込んだ民主大阪府連代表の尾立源幸参院議員は「一致団結してこの場にいる」と強調した。

 橋下市長はこの日、市内の公園やホールで都構想への賛成を呼びかけた。此花区では「自民、民主、公明、共産が『(都構想で)税金が上がる』とデマを広げている」と主張。西淀川区でも「大阪市にお金はない。『大阪市だから今のサービスができる』という反対派の主張はうそだ」と訴えた。【大久保昂、山田毅】

100分de名著ハムレット/ぴあでチケット2枚予約

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Etre, ou ne pas être : telle est la question. Y a-t-il pour l’âme plus de noblesse à endurer les coups et les revers d’une injurieuse fortune, ou à s'armer contre elle pour mettre frein à une marée de douleurs ? Mourir... dormir, c’est tout ;... Calmer enfin, dit-on, dans le sommeil les affreux battements du cœur ; quelle conclusion des maux héréditaires serait plus dévotement souhaitée ? Mourir... dormir, dormir ! Rêver peut-être
! C’est là le hic. Car, échappés des liens charnels, si, dans ce sommeil du trépas, il nous vient des songes... halte-là ! Cette considération prolonge la calamité de la vie. Car, sinon, qui supporterait du sort les soufflets et les avanies, les torts de l'oppresseur, les outrages de l’orgueilleux, les affres de l'amour dédaigné, les remises de la justice, l'insolence des gens officiels, et les rebuffades que les méritants rencontrent auprès des indignes, alors qu’un simple petit coup de pointe viendrait à bout de tout cela ?

William Shakespeare, Hamlet , Acte III, scène 1, extrait (1601), traduction d’André Gide, in &Oelig;uvres completes , tome 2, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade, 1959.

Fragilité, ton nom est femme!

Heaven and earth,
Must I remember? Why, she would hang on him
As if increase of appetite had grown
By what it fed on, and yet, within a month—
Let me not think on't—Frailty, thy name is woman!—
Hamlet Act 1, scene 2, 142–146

「ハムレット」

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」。
この名台詞で知られ、悩める人たちのシンボルともいえる「ハムレット」。12月の「100分de名著」は、「人はなぜ悩むのか」「愛する人とどう向き合うのか」「迷いを超えてどう決断するのか」等、悩み多き現代人にも通じるテーマが描かれたシェイクスピア作「ハムレット」を取り上げます。
伯父クローディアスに王位と母親を奪われたハムレットは、やがてそれがクローディアスの謀略だったことに気づき、復讐を決意します。しかし、ハムレットはなかなか決断できず行動に踏み切れません。熱情に身をまかせ死をも厭わず復讐を成し遂げるべきか、理性によって感情を抑え耐え忍ぶべきか?……悩み続けたハムレットは様々な試練を乗り越え、やがて「弱き人間としての己の限界」を自覚し、真に気高い人間がなすべきことに思い至ります。
シェイクスピア研究の第一人者、河合祥一郎教授(東京大学)は、「ハムレット」の物語が巷間いわれているような単なる「復讐劇」ではなく、「正義を行うにふさわしい真に気高い人間の生き方とは何か」を追求するドラマであるといいます。
今年はシェイクスピア生誕450年。河合教授にシェイクスピアの傑作「ハムレット」を新しい視点から読み解いてもらい、「自らの悩みとどう向き合い、どう乗り越えていくか」という現代人にも通じる普遍的な問題を考えていきます。

第1回 「理性」と「熱情」のはざまで
「ぐずぐずして決断を先送りする優柔不断な青年」と見られがちなハムレット。しかし、行動をためらうのには、大きな原因があった。そこには、中世から近代へ向かうに際し、近代人としてのアイデンティティを確立しようとする人たちが不可避的にぶつかる問題があった。ハムレットの躊躇は、優柔不断な性格からではなく、「理性」と「感情」の相克という近代人の宿命に根ざしていると河合教授は指摘する。第一回は、ハムレットが行動を躊躇する場面を詳細に振り返りながら、「ハムレットの悩み」の真実に迫る。
第2回 「生きるべきか、死ぬべきか」
「ハムレット」の登場人物には、それぞれ人間の特質が象徴されている。物事を冷静に見つめることができず激情に流されてしまうレアーティーズ、逆に思慮深く冷静だが行動に出るのには慎重すぎるホレイシオ、そして、理性と熱情を見事に調和させ崇高な使命に邁進するフォーティンブラス。主人公ハムレットは、それぞれの行動を見つめ、自分の身に当てながら、自分がどう生きるべきかを考えていく。真に正しい生き方をするためには、自分の短所とどう向き合い、どう克服していけばよいのか。「生きるべきか、死ぬべきか」という台詞には、人間としてあるべき生き方を問う普遍的な問題が含まれているのだ。第二回は、それぞれの登場人物から見えてくるシェイクスピアの人間観や「生きるべきか、死ぬべきか」に込められた深い意味に迫る。
第3回 「弱き者、汝の名は女」
「ハムレット」には、母ガートルードや恋人オフィーリアなどを通して、「愛する人との向き合い方」についてのさまざまな問いが描かれている。たとえば、「尼寺へ行け!」という有名な台詞は、愛する人に対してあまりにも冷酷な言葉であり、なぜここまでハムレットが冷酷に豹変したのかは、大きな議論を呼んできた。従来は、オフィーリアの裏切りに気づいたハムレットが、女性に対する憎悪を燃やして吐いた言葉だとされてきた。だがテキストを仔細に検討すると、むしろこの言葉は、自分も含めた醜い世界と縁を切らせ、オフィーリアを守ろうとした「愛の言葉」ではないかという解釈が浮かび上がる。第三回は、ハムレットが女性たちとかかわるシーンを振り返りながら、「愛する人との向き合い方」を考える。
第4回 悩みをつきぬけて「悟り」へ
「生きるべきか、死ぬべきか」。近代人としての悩みを真正面から引き受けて悩み続けたハムレットは、第五幕でついに最後の決断を行う。その決断の裏には、自力のみを頼ってあれかこれかと悩むのではなく、「もう一つ高い次元で、神の導きのまま自力の全てを出し切って最善の生き方をしようという悟り」があると河合教授は指摘する。ハムレットは、最終的には、なすべきことを全てやりきった後は、全て運命にまかせようという悟りの境地に至ったのだ。第四回は、狂言師・野村萬斎氏と一緒に、「ハムレット最後の決断」の意味や、狂言等日本の古典とシェイクスピア劇との共通性を読み解き、「ハムレット」に秘められた普遍的なメッセージを明らかにする。

『ハムレット』は哲学である。

今回の講師、河合祥一郎さんが掲げたテーゼ。これまで「ハムレット」という作品は、優柔不断な青年が悩み続ける悲劇…というイメージしかなかった私にとって衝撃的なテーゼでした。ハムレットは実は「人はいかに生きるのがもっとも高貴で正しいのか」という問いを最後まで問い続けたのであり、その結果として「悟りの境地」に至る。その筋がみえたとき、「ハムレット」の見方が180度変わりました。この作品は、まさに普遍的な生き方を問う哲学だと思いました。今回の番組で、同じ感触を感じていただけたらうれしいです。
さらに、今回、河合さんと伊集院光さんのトークが化学変化を起こし、さらに新しい扉が開きました。「もっとハムレット」にもそのあたりは触れさせていただきましたが、番組では全て語りつくせなかったので、ここでご紹介させていただきましょう。

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」というセリフ。これを伊集院さんは、「サラリーマン人生」に見事にたとえくれました。
「勤めている会社が嫌でもう耐えられない。いっそここで辞めてしまって、自分が本当にやりたい夢にかけてみる…そんな手もあるぞ。だが、待てよ、ここで耐え忍ぶことで、自分の家族を養うことができるんだ。我慢して堅実に働き続けサラリーマン人生を続けるのか、夢にかけてサラリーマン人生を終わらせるのか、それが問題だ」と。こんな風にたとえてくれると、ハムレットの悩みが、遠い世界のものではなく、一気に身近なものになりますね。「売れないお笑い芸人生活をやめて堅実な仕事につくか、それともあくまで夢を追いかけ続けるか」といった問いもあるだろうし、もう本当に誰にだってあてはまります。河合先生はこのたとえを「おっしゃった解釈はこのセリフをとても丁寧に読み取っていると思います」と、とても評価されていました。「生きるべきか、死ぬべきか」と大仰な言葉でいわれるとぴんときませんが、エリザベス朝時代のキリスト教的世界観に生きている人にとっては、全くもって伊集院さんのたとえに近い感覚で、この問題を問うていたのだと思います。

もう一つ、第四回の野村萬斎さんのお話には、本当に感銘を受けました。シェイクスピアがお芝居をやっていたグローブ座と能舞台が、洋の東西を超えて構造や仕立てが酷似しているというお話は番組にも出てきましたが、番組ではご紹介できなかったお話がもう一つありました。シェイクスピア劇と能狂言は、その内容自体にも非常に通底するものがあったのです。
シェイクスピアの時代と、能が戦国武将に保護され盛んになった時代はほぼ重なります。この時代は、中世と呼ばれる時代の後半。洋の東西を超えたこの時代の共通性を野村萬斎さんは次のようにいいます。

「同じ中世の演劇として、シェイクスピアと能狂言に共通するキーポイントは、人知を超えた存在が出てくるところだと思うんです。マクベスなら魔女、ハムレットなら亡霊。そして、あの世や亡霊を出すのは実はお能の専売特許みたいなところがあるんです」 「グローブ座の天井には、天球のような宇宙観を示すものがあって、能舞台の背景には『松羽目』と呼ばれる神の憑代(よりしろ)がある。いわば、人間を超えた大いなる存在っていうものがちゃんと組み込まれているんです」

近代化の中で私達が失ってしまった、人間を超えた大いなる存在に対する畏敬の念や、人知を超えた存在をなんとか表現しようとする意思が、洋の東西を超えて中世の演劇にはありました。むしろ、そういうものを感じさせるのが演劇だったのかもしれません。
そして、萬斎さんは、自分がシェイクスピア劇を演出するとしたら、ぜひ「能面」を効果的に使ってみたいといいます。

「現代劇で、生身の人間がそのままで亡霊を演じると、たいてい観客はがっかりしてしまう。亡霊とはどうしても思えないんですよ。亡霊とはなんぞやっていうことがはっきりしないシーンになってしまって。でも、いきなりそこに能役者のような能面がふっと出てきたときの違和感ってすごいんです。具体的でないというころが、かえって余白を生んで、いろんなことを観客が考え始める」

野村萬斎さんは、ハムレット役を演じるだけでなく、いつか演出も手がけてみたいと夢を語っていらっしゃいました。能面をつけた亡霊が幽玄にたち現れてくる「ハムレット」。想像しただけでぞくぞくしてきます。日本の古典と西洋の古典がクロスオーバーする萬斎さんの演出、ぜひみてみたいですね。
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ザフの整理をしました.とりあえずやっただけで以前のものとの比較をきちんとしなくてはなりません.
たまっている録画を見ることにしました.「100分de名著ハムレット」です.伊集院光さんと武内陶子さんのコンビが好きです.
夜思い切ってぴあでチケットを2枚買いました.ネットで買えるというのは便利だとつくづく思いました.

気仙沼湾で津波の犠牲者の法要
東日本大震災の津波で犠牲になった人たちの法要が、9日、気仙沼湾の船の上で行われ、遺族らが海に向かって手を合わせました。
気仙沼湾では、震災のあと、毎年この時期に、津波で亡くなった人たちの法要が、船の上で行われています。
4回目となった9日は、遺族のほか、東北地方や東京などから訪れた、あわせて200人あまりが船に乗り込みました。
洋上に出ると、俳優の滝田栄さんが「亡くなった人たちは、今を生きる私たちが弔うことで、安らかに眠れるので、深い思いで供養してほしい」と挨拶しました。
法要では、僧侶4人が読経するなか、参列者が焼香し、神妙な面持ちで手を合わせていました。
このあと、参列者は、デッキに出て、犠牲者の名前が書かれた札と、地蔵の姿が描かれた紙を海にまきました。
津波で家が流されたという気仙沼市の70歳の男性は「亡くなった人たちが、安らかに眠れるように祈るとともに、地域が早く復興し、みんなが幸せに暮らせるよう願いました」と話していました。


JR仙石線:野蒜・東名駅アクセス道路、30日供用 東松島市が概要発表 /宮城
 東松島市は8日、今月30日に全線再開するJR仙石線のうち、内陸移転する野蒜、東名両駅へのアクセス道路の概要を発表した。いずれも市道で、野蒜駅へは旧野蒜小学校脇の市道に接続する約500メートルを、東名駅へは市街地から高台に登る約800メートルを新たに整備し、防犯灯も21基設置する。運行再開当日に供用開始する。

 新しい駅舎は集団移転と災害公営住宅で約450戸の新しい街となる「野蒜北部丘陵地区」に建設中だが、この地区の入居開始は来年後半になる見通しで、当面は無人の高台に列車が発着する。このためアクセス道路や防犯灯、駐車場の整備が課題となっていた。

 駐車場は野蒜駅に約10台分、東名駅に約25台分を確保したが、いずれも地元住民が予約使用し、観光客向けの駐車スペースはない。地元高齢者など向けに、旧駅付近から新駅まで運行する事前登録制の借り上げタクシーを走らせる。

 旧野蒜駅がある南側から新しい野蒜駅に直接アクセスする道路は用地買収が続いており、当面は新駅まで旧野蒜小の脇から1キロほど迂回しなければならない。市の担当者は「駅周辺の整備が追いついておらず迷惑をおかけするが、ご理解いただきたい」と話している。【伊藤直孝】


農地引き渡し延期 亘理の農家、県対応に怒り
 東日本大震災の被災農地の復旧事業として宮城県が発注した亘理町の大規模圃場整備で、15日に予定していた農地の引き渡しが工期遅れで1年近く先送りになることが分かった。県が7、8の両日、町内で開いた説明会で明らかにした。対象農地は事業区域と周辺農地の計約180ヘクタール。苗作りなど作付け準備を進めていた農家からは、不満の声が上がっている。

 引き渡しが延期されるのは、吉田中部地区の全域124ヘクタールと吉田西部地区の一部25ヘクタール。吉田中部地区と用水路を共有する水稲作付け自粛区域約30ヘクタールも含まれる。両地区は被災農地の圃場整備事業として2013年9月に着工し、ことし3月末に完成予定だった。
 県によると、復興事業の本格化に伴う人手や資材不足などで遅れが生じ、工期を5月15日まで延期。さらに酸性化した土壌の改良も必要と分かり、引き渡し延期を決めた。所有者ベースで200人を超す対象農家には、4月28日と5月1日に通知を出したという。
 引き渡し間際での変更に農家は納得がいかない。吉田中部地区の菊地優全体委員長は「多くの農家が準備を始めていた。発芽した種もみは使えない。被災農家も多く、もっと親身に対応してほしかった」と憤る。
 仙台地方振興事務所農業農村整備部の及川古志郎次長は「土壌の調査などにも時間を要した。今春の引き渡しを目指して努力したが、詰めが甘かった部分がある」と陳謝。県は作付け準備に要した経費などの補償を検討しているという。


<かすむ復興>支援に差 孤立深まる/在宅被災者の苦悩(4完)/暮らし
<見守る人なし>
 「市の広報を読んでも煩雑で、自分がどんな支援が受けられるのかよく理解できなかった」。石巻市中心部の在宅被災者の無職女性(73)が振り返る。
 東日本大震災で自宅の天井は落ち、床が抜けた。「一部損壊」とされ、金銭支援はなく修理は諦めていた。付き合いがあった近所も被災し、生活に追われて疎遠になった。身近に説明してくれる人もおらず孤立を深めていた。
 民間支援団体が小まめに被害状況を調べてくれると、判定は「大規模半壊」に変わった。支援金が得られ居間と台所だけは直せた。医療費窓口負担の免除手続きも手伝ってもらった。
 被災地の行政は、孤独死も懸念された仮設住宅入居者の見守りに力を注いできた。支援員が担当仮設を専従で回り、関係機関につなぐなどしている。

<「遠慮しがち」>
 「行政の支援は分かりやすい被災者として仮設住宅に目を向けてきたが、在宅被災者には光が当たりにくい」。石巻市で在宅支援に取り組む一般社団法人「BIGUP石巻」の原田豊代表理事は指摘する。
 石巻市が2012年に津波浸水区域で暮らす被災者を対象に行った調査では、回答者の34%が医療、福祉、心のケアなどの支援が必要と答えた。
 原田さんは「在宅被災者は『家を失った人に比べたらまだ恵まれている』と、救いを求めるのを遠慮しがち。より細かな目配りが欠かせない」と強調する。

<要望実現せず>
 まち再生の面から不公平感を訴える被災者もいる。
 宮城県山元町の花釜地区。震災前は約1030世帯が暮らしていた。全域が津波で被災したが自宅を修理するなどして戻り、現在は約350世帯が生活する。
 「排水機能が停止したままで、冠水不安がぬぐえない」。行政区副区長の菊地慎一郎さん(67)の表情はさえない。流失した集会所の再建、避難路整備なども含め町に要望しているが、まだ実現できていない。
 一方で、町は内陸に移設されるJR常磐線の新駅周辺などに住宅や公共施設、商業地を集約する新市街地づくりを着々と進める。住宅建築補助を手厚くし、被災者の誘導を図る。
 菊地さんが気に掛けるのは、町が住宅再建を認めた場所も含めて花釜を災害危険区域に指定したことだ。人を呼び戻そうにも危険区域という負のイメージから敬遠されるのではないかと懸念する。
 「家を失った人の住まいの再建が重要なのは分かるが、震災前からの場所で暮らすわれわれも町民。置き去りにされている」


<これから>被災地発 食で世直し/第23部・見据える(5完)
◎花巻市・高橋博之さん
 東日本大震災の後、政治の道を断ち、事業の世界に飛び込んだ。
 花巻市の元岩手県議高橋博之さん(40)は今、月刊「東北食べる通信」の編集長を務める。
 農水畜産物の作り手の生きざまなどを特集した冊子と、その作り手が実際に育てた食べ物をセットで読者に届けている。2013年7月に創刊した新しいスタイルの情報誌だ。
 食べる通信は出会いの入り口にすぎない。読者限定の交流サイトなどでつながり、生産者と読者がざっくばらんに言葉を交わす。読み手が生産現場を直接訪ねるなどして心を通わせる。
 14年度には日本デザイン振興会が主催するグッドデザイン賞の金賞を受賞。存在感を高めている。
 食べ物そのものを紹介するのではなく、背景に隠れたストーリーを伝えることにこだわる。「大量消費社会で分断された東北の生産者と都市の消費者を再びつなぎたい」と語る。

 震災が起きたときは岩手県議だった。地方の疲弊が震災でより深刻化した。「先頭に立って岩手を創造する」。震災から半年後にあった岩手県知事選に出た。現職に大差で敗れた。
 4年後に再挑戦する覚悟で農漁村を行脚した。ひたむきに食と向きあう生産者の姿を行く先々で見た。価格の安さを重視するような風潮に、生産者たちはもどかしさを感じていた。
 政治の世界では政党や組織に頼らず独自の道を貫いてきた。変革を期待してくれた支持者の中には、政治から離れることを決断した自分の考えに落胆する人もいた。それでも「口ではなく、手足を動かして1次産業を変えたい」と、12年末に後援会を解散した。

 地方と都市をかき混ぜる−。発想の原点は震災後の被災地にあった。
 首都圏などから訪れたボランティアらが漁師の思いや食、自然にじかに触れ、生きる喜びに浸る光景を目の当たりにした。「地方と都市は対立するのではなく、互いに補い合えばいい」
 特集したコメ農家が稲刈りの助けを求めたときは、読者が休暇を取得して手伝ってくれた。新たな希望の芽は少しずつ育っている。
 食べる通信は全国に広がる。12地区で創刊し、まだまだ増える見通しだ。
 「うちは着火点にすぎない」と話す。東北中の市町村で創刊されたら、東北食べる通信自体は「廃刊してもいい」とまで言う。「被災地の東北から日本再生のモデルをつくりたい」。食を通じた「世直し」に決意を新たにする。


入居者「不安ある」 仮設住宅集約で初の説明会
 気仙沼市が2016年度に着手する仮設住宅の集約計画に関し、仮設住宅の代表者を集めた初めての説明会が8日、市役所ワンテン庁舎であった。出席者からは集約を不安がる声が相次いだ。市は集約対象の団地内に一部仮設住宅を残す「団地内集約」を検討する考えを初めて示した。
 同市と一関市にある仮設住宅の自治会長ら約50人が出席。市は対象の市内19団地約370戸を最寄りの拠点団地に集約する計画に理解を求め、集約に伴う引っ越し費用は市が負担することを明らかにした。
 出席者からは「新居への入居が遅れる場合に、引っ越しさせずに集約を先延ばししてほしい」などの要望があった。市は入居者の事情に配慮し、団地内集約も検討することを伝えた。
 集約対象の気仙沼中仮設住宅の斉藤正志自治会長は「集約はせっかくできた仮設住宅のコミュニティーを壊す。みんな不安がっており、市には丁寧な説明を求めたい」と話した。
 市は今後、対象19団地ごとに説明会を開く。


東日本大震災:福島第1原発事故 被害者が連携 2万人超、初の全国組織
 ◇謝罪・完全賠償・被ばく低減要求、責任追及

 東京電力福島第1原発事故で国や東電に被害救済を求め提訴した原告団や、国の原子力損害賠償紛争解決センターに裁判外紛争解決手続き(原発ADR)を申し立てた住民らが、連携を図るための全国組織「原発事故被害者団体連絡会」を設立することを決めた。連絡会に参加する原告団らが8日、福島県庁で記者会見し明らかにした。【土江洋範】

 原発事故の被害者は各地に避難しており、全国的な組織の設立は初めて。原告団の弁護士によると、国や東電を相手取った集団訴訟は全国20地裁・支部で原告数が約1万人に上るといい、連絡会への参加を広く呼びかける。

 会見した原告団らによると、連絡会への参加を既に決めているのは福島県内のほか、避難先で提訴した宮城、神奈川、京都、岡山の原告団などオブザーバー参加を含め11団体・約2万2700人。原発ADRを申し立てた福島県飯舘村の住民団体や、東電幹部を業務上過失致死傷容疑で告訴・告発した団体も入っている。

 連絡会は統一目標として、国と東電に対し▽被害者への謝罪▽被害の完全賠償▽詳細な健康診断と医療保障、被ばく低減策の実施▽事故の責任追及−−の4点を掲げる。目標達成に向け各団体の情報を共有するための研究会を定期的に開催する予定で、今月24日に福島県内で設立集会を開く。
 ◇飯舘村・長谷川さん「団結必要だ」

 全国的な原発事故被害者の組織として初めて設立される「原発事故被害者団体連絡会」には、東京電力に慰謝料などを求めて原発ADRを申し立てた福島県飯舘村の住民でつくる「原発被害糾弾・飯舘村民救済申立団」も参加する。連絡会の呼びかけ人も務める団長の長谷川健一さん(61)は「各団体がばらばらに主張を訴えているままでは、大きな権力を持つ国や東電につぶされてしまう。団結が必要だ」と訴える。

 長谷川さんは原発事故前、両親から孫までの4世代8人家族で、酪農で生計を立てていた。事故で飯舘村全域が避難区域となり、家族は県内3カ所に分散した。長谷川さんは妻、両親と福島県伊達市内の仮設住宅で避難生活を余儀なくされている。

 長谷川さんはこれまで、国や県が最後はなんとかしてくれるのではと信じてきた。しかし、具体的な生活再建策が示されず、除染も不十分なまま避難指示が解除されるのではと怒りを感じ、昨年11月に村の仲間に呼びかけ原発ADRを申し立てた。申立人は村民の人口の半数にあたる約3000人に上った。

 長谷川さんは連絡会設立を表明する8日の記者会見にも出席した。「帰還後の生活再建を考えると、今の賠償額は少なすぎる。各団体の要求実現に向け協力していきたい」と話した。【土江洋範】


【金曜日の声 官邸前】 始末できぬ核のごみ
 東京都三鷹市の主婦田中のり子さん(65) 核のごみの後始末もできないのに原発を再稼働するのは暴挙。東京五輪の影響もあって東北の被災地では労働力不足や資材高騰が起きている。福島も米軍基地問題の沖縄も、見捨てられている。

 千葉市稲毛区の元大学教員志村道夫さん(68) ドイツの首相は原発離脱を決断した。福島の事故を目の当たりにした日本の首相は経済的利益と政治的思惑だけで再稼働にまい進している。ましてや原発の海外売り込みに走るとは信じがたい。


母の日・父の日募金キャンペーン:役立つ仕事で恩返ししたい 中央大3年・中山佳祐さん
 明日は母の日。親をみとり、「プレゼントを贈る相手がもういない」という読者の声で始まった毎日新聞の「母の日・父の日募金キャンペーン」は今年、11回目を迎える。親への感謝の気持ちを、親を亡くしたり、虐待などで親と暮らせない子どもたちへの支援に代える試みだ。今回は、思春期に父親を亡くし、困難を乗り越え、学業とボランティア活動に励む大阪府茨木市出身の中央大3年、中山佳祐さん(20)を紹介する。

 ●奨学金が支えに

 「中学時代の一時期、父親が嫌いでした」。中山さんは照れ臭そうに話した。反抗期の真っただ中で、父親と殴り合いのケンカをしたこともあったという。

 そんな父親が膵臓(すいぞう)がんで亡くなったのは、中山さんと双子の姉が高校受験を控えた中学3年生の2月だった。

 「父親は余命半年を宣告されていたが、抗がん剤治療を受けて髪が抜け、痩せながらも『2人の子どものため』と働き続けてくれた」。亡くなる1週間前には、日に日に肌がカサカサになる父親の体全体に、保湿クリームを塗ったという。「父親の存在の大きさを知った」とかみしめる。

 父親の死後、これまで共働きだった家計が、母親一人の肩にのしかかった。経済的に苦しかったが、母親は高校や大学に進学することを応援してくれたという。その支えとなっているのが奨学金制度だ。「母親には『大人になって返すのが大変だけど我慢してや。あなたたちが卒業するまで、お母さんも必死に働くから』と言われました」と話す。

 野球少年だった中山さん。母親の思いに応えるためにも、高校では睡眠時間を削り、部活の野球だけでなく学業にも励んだ。頑張りを見ていた野球部の恩師が、中央大法学部への進学を勧めてくれた。

 「お金の問題もあり東京の大学は考えていなかった」という中山さん。「日本の中心で政治を学びたいとの思いをかき立ててくれました。政治には、弱い立場の人に手を差し伸べられる社会を支える使命があると思う」と語る。

 ●後輩にチャンスを

 夢に踏み出す足がかりになったのが、病気や災害などで親を失った遺児を支える「あしなが育英会」(東京都千代田区)が運営する学生寮「あしなが心塾」(日野市)だ。食事付き月額1万円で暮らすことができる。「本当にありがたいです」

 さらに生活費を節約し、学費に回すため、寮から大学まで約1時間かけ歩いて通う。何かとお金のかかる部活動は諦めた。その分は「あしなが学生募金」活動に注力する。今年は首都圏の活動を取りまとめる立場を任され、この春、街頭で道行く人たちに募金への協力を呼びかけた。「自分が大学に通えるのも奨学金のおかげ。寄付してくれる人の温かい心に感謝するとともに、当事者として、貧しくもがき苦しんでいる後輩に、チャンスをつなぐためにも声をあげていく必要性を感じています」と話す。

 将来は、これまでの恩を返すために、警察官など人の役に立つ仕事に就きたいと考えている。一方で、視野を広げるため、海外に飛び出したい思いもある。将来を思い悩む最近、亡き父親が夢の中に出てきたという。「初めてでした。ただそばにいてくれただけでしたが、起きたときに涙が出ました」

 20歳を迎えた今、かけがえのない遺児仲間と出会う機会などを与えてくれた父親と母親に思うことは「ありがとう」だ。【池乗有衣】

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 ●寄付を受け付けます

 現金書留の宛先は、〒100−8051 東京都千代田区一ツ橋1の1の1、毎日新聞東京社会事業団。郵便振替は00120・0・76498。どちらも「母の日・父の日募金キャンペーン」と書き、可能ならメッセージを添えてください。各地域面にお名前と金額を掲載しますが、匿名希望の方は明記してください。問い合わせは社会事業団(電話03・3213・2674)へ。

 昨年は271万917円が寄せられ、あしなが育英会などの遺児支援団体や児童福祉施設にお届けしました。


夜間中学:全国に9200人超 公立の8割は外国籍
 文部科学省は8日、義務教育の未修了者らが通う「夜間中学」に関する初の実態調査の結果を公表した。公立の夜間中学は8都府県の25市区で31校あり、生徒数は1849人だった。一方、ボランティアらが運営する「自主夜間中学」(識字講座なども含む)は154市区町村に307カ所あり、生徒は7422人と約4倍だった。文科省は「夜間中学の潜在的ニーズは高い」とみており、公立夜間中学の各県1校設置を目指し、今年度予算で設置へ向けた調査費などに1000万円を計上している。

 昨年5月1日時点の状況を調べた。公立夜間中学があるのは千葉、東京、神奈川、京都、大阪、兵庫、奈良、広島の8都府県。1849人の生徒のうち約8割が外国籍で、最も多かった入学理由は「読み書きの習得」と「日本語会話の習得」でそれぞれ27%。

 年齢は60歳以上が29%を占め、10代から50代の各年代は13〜15%ずつとほぼ同割合だった。年間授業日数は175〜210日だった。

 一方「自主夜間中学」でも参加者7422人のうち外国人が6割を占めるが、不登校で義務教育を十分受けられないまま中学を卒業した日本人(形式卒業者)が278人いた。公立夜間中学はいずれも「中学未卒業」が入学要件のため、自主夜間中学が形式卒業者の受け皿になっている実態が浮かんだ。ただ、授業の頻度は「週1回」が約6割で最も多く、「平日毎日」は2%にとどまり、公立との差が目立った。

 公立夜間中学の設置について全市区町村の74%が「検討の予定がない」と答え、その9割が「要望・ニーズがない」という理由だった。文科省は今後、公立夜間中学の未設置県や、設置の要望が住民らから出されている自治体に設置へ向けた検討を促す。設置済みの自治体に対しても形式卒業者の受け入れなど運用の弾力化を求める方針。【三木陽介】

 【ことば】夜間中学

 公立中学校の「夜間部」の位置付けで、戦後の混乱期、生活困窮のため昼間は家の手伝いなどで学べない生徒が通えるように設置された。通常の中学校と同様、市区町村が設置し、教員も配置され、教科書も無償配布される。1955年には全国で84校、生徒数はピークの5208人に上った。公立夜間中学は母国で義務教育を修了せず学齢を超過した人が対象のため、対象外の人たちが自主夜間中に通っている。


高崎山サル:「シャーロット」英王室からも特段の指摘なく
 大分市の高崎山自然動物園が赤ちゃんザル(雌)を英国王女にちなんで「シャーロット」と命名し、賛否両論が起きた問題で、対応を検討していた管理委託元の大分市と動物園は8日、命名を変えないと発表した。吉田茂樹・市商工農政部長は記者会見で「公募に応じた方のお祝いの気持ちを尊重し、英国王室から特段の指摘もないことなどからシャーロットに決定した」と語った。

 市は7日午前に大阪の在日本英国総領事館に命名の経緯と、多くの批判があったことを電話で報告。総領事館側は「(報告を)記録する」とだけ回答した。東京の在日本英大使館も今回の件を照会した大分県に「コメントはない」との姿勢を示したという。市は「名前の付け方は所有者の自由」と報道された英王室の反応も踏まえ、名前を変更する必要はないと判断した。

 名前を発表した当初は「英王室に失礼」などの批判が多数寄せられ、命名の取り消しも検討したが、吉田部長は「(シャーロットと)応募した方の気持ちも英王室へのお祝いだ」と理解を求めた。

 佐藤樹一郎市長は「すくすくと元気に育つように応援していただきたい」などとするコメントを出した。6〜8日に市と園に電話やメールで寄せられた意見は、批判が約970件、肯定的な意見は約600件という。

 高崎山自然動物園を訪れていた観光客からは、一連の騒動が決着したことに安堵(あんど)する声が多く聞かれた。ベルギーから訪れたリー・エドモンドさん(68)は「シャーロットは美しい名前だ。(命名は)何も問題ない」。北九州市の会社員、堀川照美さん(50)も「結果的に動物園のPRにもつながり、良かったのではないか」と話していた。【佐野格、池内敬芳】

家賃振込み遅れました/溶液/ポテンシャルが???

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Julie Gayet : et maintenant, elle travaille à l'Elysée !
De plus en plus à l'aise dans son rôle de compagne de François Hollande (à défaut d'être première dame), Julie Gayet prend maintenant des rendez-vous professionnels directement à l'Elysée !
Julie Gayet prend ses aises à l'Elysée. Plus d'un an après les révélations de Closer sur sa relation avec François Hollande, la "fiancée du président", comme elle s'appelle elle-même, a tout d'une grande (première) dame. Au fil des mois, la comédienne semble ainsi de plus en plus être à l'aise dans son nouveau rôle... même s'il n'est – pour l'instant ? – pas officiel.
Finies les allées et venues en toute discrétion par la grille du Coq à bord d'un véhicule banalisé, elle passe désormais par la grande porte du 55 rue du Faubourg Saint-Honoré pour rejoindre le palais présidentiel. Récemment, on apprenait que, lorsque son agenda l'exigeait, Julie Gayet bénéficiait, comme toute première dame, d'une protection rapprochée et qu'elle avait même fait installer de nouveaux meubles dans les appartements de l'Elysée en piochant dans le patrimoine du Mobilier national, preuve de son importance dans la vie de François Hollande.
Mais ce n'est pas tout. Selon le magazine Valeurs actuelles, en kiosque ce jeudi, Julie Gayet a également transformé le palais présidentiel en véritable "succursale de Rouge international, sa société de production". Il est donc devenu fréquent que la comédienne ait des rendez-vous professionnels au sein du palais. Après tout, cela fait sens : la Château dispose d'une salle de cinéma dernier cri, "qui lui permet de suivre le montage des films qu'elle produit", souligne l'hebdomadaire.
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失踪日記2 アル中病棟
吾妻ひでお
イースト・プレス
2013-10-06


死を描くことに躊躇がなくなった おやじねこ
2005年に失踪日記がでて早8年。その続編というより視点を変えた日記漫画です。
前作は失踪から入院生活の半ばまでと描いていて割りと明るい雰囲気だった。
本作は入院から退院までを描いているので若干重複する期間があります。
もちろん重複する期間も視点を変えて新しいエピソードが加わっています。
買って損はありません。

さて、内容は作者と他の患者とのいろいろなことがコミカルに描かれている。
そのことは作者の作風ですが、前作より少し雰囲気が暗くなっています。
以前より死を意識させるエピソードが多いような気がする。
その意味では作者の状態が心配ではあります。

寸借詐欺や夜中に部屋に小便する浅野なんかのエピソードは気軽に読める。
アル中病棟が精神科と統合することになりその引っ越しでのエピソードも面白い。
うんこを落としながら歩く黒田さんも本人や家族は悲惨だろうが、これも笑える。
もっとも人によっては読んでいて結構、疲れるかもしれない。
でも病院内の人間関係自体は時間制限付きのもので鬱やアル中の原因ではない。
だから笑って読める。

しかし後になるほど作者の苦悩が水面に上がってきてきつくなる。
入院生活のストレスで新入院患者に当たったり。でもこれは序の口。
特に死を話題することに躊躇がなくなっている。
ドアノブ自殺を何度もしようとしたり、他の入院患者との雑談に自殺の話題がでたり、一人暮らしのアル中が孤独死した話。
どれをとっても8年前はあえて避けていた死を前面にだしてます。
つらいことが描けるようになったのはそれだけ年を取って死を意識したからか。
それとも死を話題として受け入れる素地が社会にできたということか。

「完全主義者は身を亡ぼす」というフレーズが何回も出てくる。
逃げ場を自分でなくしてしまうことが自分を追いつめてしまう。
逃げるために酒に逃げて、ついには依存症に陥る。
でも、引き返すことはできる、その道筋を患者本人の言葉と絵で示してくれる一冊です。

最後に酒より薬の方がまだまし、というのは真実だと思う。
でも結構お金がかかる。診察にも薬にもお金がかかる。
「貧乏すると…卑屈になるね」という作者の言葉は読む側を不安にさせます。

救いは巻末のとり氏との対談。
前作でもそうだったが家庭生活は家族、仕事では同僚。
相談相手がいることは救いになる。
カバーの裏に病院で書いた「セルフケア自己診断表」が刷り込まれている。
文中、病院の担当者が家族や子供にも見せるよう指示したものだ。
家族の見守りがスリップ防止になるからだろう。
作者の弱さを読者にさらけ出すのは自信ではなく、見守ってほしいという思いからかもしれない。
勝手な思い込みかもしれないが、ファンとしてできることは限られる。
ならば作品を購入し、レビューを書くことは作者を見守っていることになるだろう。

ふたりと5人以来40年近く、楽しませてもらってきた。
ファンとして今後も作者の見守らせてもらおう。


昼過ぎに電話.出ることができなかったのですが,電話番号を見ると大家さんから.もしやと思ってネットバンキングの記録を見ると,入金していませんでした.ノートPCをナノザに移動した後お金をおろしてATMに払い込みに行きました.
久しぶりに溶液.ちょっと面倒でしたが,どうにかできました.
夜になってポテンシャルが???いろいろ考えてみて何となくわかったような・・・

<みやぎロケ地巡り>山あいから復興見守る/(6)「自虐の詩」◎旧月立小(気仙沼市)
 「幸せになりてえすか」「ちょっこらでいい。幸せになってみてえ」。2人の少女が海を見つめる。映画の序盤から映し出されるのは、港町の風景。主人公の幸江(中谷美紀)が気仙沼市出身という設定で、2006年11月に市内各地でロケが行われた。
 気仙沼市の貧しい家庭に育ったヒロイン。映画では昭和の雰囲気が残る街並みを生かし、感動のラストに続く同級生熊本さんとの友情が丹念に描かれる。
 熊本さんと通った中学校として登場するのが、山あいの八瀬地区にある旧月立小校舎だ。1922(大正11)年に建てられた木造2階の学びやは、2006年まで実際に使われた。07年に文化庁の登録有形文化財に選ばれている。
 校舎でそば打ち体験活動をしている「八瀬・森の学校」代表、田村泰二さん(68)は「昔の建物の丈夫さにびっくりした」と振り返る。東日本大震災の大きな揺れでも校舎に目立った被害がなかったからだ。
 被災して失われた海沿いのロケ地もあるが、震災後、校舎には支援物資が保管され、校庭に仮設住宅が建てられた。夕日に照らされた優しいたたずまいは、山あいから復興を見守っているようにも見える。

 メ モ 2007年公開。堤幸彦監督。業田良家の4こま漫画を原作に、都会の底辺で生きる幸江(中谷美紀)、イサオ(阿部寛)夫婦の幸せを描いた。1時間55分。旧月立小は外から見学できるが、校庭に仮設住宅があるので配慮が必要。


<これから>研究 未来への教訓に/第23部・見据える(4)宮城県南三陸町・アンドリュー・リトルジョンさん
 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町に、人類学者の英国人アンドリュー・リトルジョンさん(31)が入ったのは2012年夏、米国・ハーバード大の復興支援チームの一員としてだった。
 流ちょうな日本語と温和な人柄で、南三陸町の人々に親しまれる「アンちゃん」。英国のロンドン大とオックスフォード大で学び、現在はハーバード大の博士課程に在籍する。
 関西大と京都大に計2年の留学経験があり、日本の友人から震災の話は聞いていた。報道の情報もあった。でも実際に被災地を見た時、流された家屋の跡が連なるさまに胸がつぶれた。
 2カ月間、町内で聞き取りに当たった。「印象的だったのは未来への不安。被災者の声がどれだけ復興に反映されるのか、皆さんが心配していた」

 心配の行方を見つめたいと長期調査を思い立った。13年夏に1人で南三陸町を再訪し、民宿に2カ月間滞在した。14年9月からは1年間の予定で町内のアパートに暮らす。研究テーマは「復興まちづくり」。産業、文化、行政などさまざまな分野を取材し記録する。
 復興を論じる際、重視するのは合意形成の過程だ。「みんなで考えるのが前提。声を上げにくい弱い立場の人を含めた合意形成に挑戦してほしい」と願う。
 被災地には議論に時間をかけると復興が遅れるという意見もある。それには「優先順位を話し合ってはどうか」と応じる。「例えば住宅再建は最優先で、数年遅れてもリスクはさほど変わらない防潮堤は慎重にするとか。それを決めていくのが民主主義だと思う」
 南三陸町は震災後、人口が2割以上減った。未来への道は平たんでない。「でもここは夢のあふれる場所になり得る」と言う。再生を期して頑張る人とあちこちで出会い、可能性を感じる活動を見たからだ。
 それを生かすためにも、アンドリューさんは「ユートピアリズム」が大切と強調する。空想的などと訳される言葉だが「あえて現実を超え、前向きな思考を共有したい」と訴える。

 計画では来年、仕上げの調査を実施し、数年後に研究成果をまとめた本を、日本語と英語で出版する。
 南三陸町での自分の研究は、現在進行形で被災地で頑張っている人には役に立たないかもしれない。「世界のどこかで起きる未来の災害に生かしたい」。それが大事な時間を割いて協力してくれた被災者に報いる道だと信じている。


<かすむ復興>買い物弱者置き去り/在宅被災者の苦悩(3)/暮らし
<中心部は壊滅>
 「雄勝音頭」の曲を流してトラックが横付けする。食品の移動販売日、集落の坂を上り下りしてお年寄りが集まってくる。
 石巻市雄勝町大須地区。半島の先の起伏ある地形に住宅が張り付く。人口およそ400。東日本大震災の被害を免れた家も多い。
 小さな集落が点在する雄勝町は10年前に石巻市と合併した。人口減と高齢化が進むさなかを震災が襲い、住民は4割以上も減った。
 中心部の雄勝地区には病院や銀行、スーパーなどがあったが、津波で壊滅。仮設商店街などのプレハブが立つ以外は、家々が流された跡に空き地が広がる。
 大須地区の住民が「困ったときちょっと(車で)走った」という雄勝地区の街がなくなり、食料品や日用品の買い物に支障を来す。
 震災後、最も近いスーパーまで約30キロとなった。車で約40分。雄勝地区までの倍の時間がかかる。

<移動販売頼み>
 欲しいものを欲しいときに買う。街の機能を失った被災地にとどまる高齢者には、それがとても難しい。
 1人暮らしをする大須地区の阿部トミエさん(75)は「何をするのにも石巻まで出なくてはならない」と不便さを言い表す。
 車で小一時間ほどの石巻市中心部の病院やショッピングセンターと雄勝町の各集落を結ぶ住民バスはあるが、1日3往復だけ。用事がある際は、市中心部に住む親戚に送迎を頼む。移動販売で食材などを買えるのが、せめてもの救いだ。
 雄勝地区で青果店を営む佐藤美千代さん(65)は週2回、数カ所の集落を移動販売に回る。要望に応じて商品を用意し、重い荷物は玄関先まで届ける。長年通っているため目配りが行き届き、住民の信頼も厚い。
 被災後、トレーラーハウスで営業する。いずれ店舗兼自宅を再建する予定だ。夫の体調が十分でないため、本格的に商売を再開したら今のような移動販売はできなくなるかもしれない。
 佐藤さんは「いつまで続けられるだろう。でも、うちが行かないとお客さんが困る」と悩ましげに話す。

<「公的支援を」>
 昨年、石巻専修大の石原慎士教授(地域産業論)は雄勝町の在宅被災者の生活を調査した。
 買い物について半数近くが「不便」「とても不便」と回答。トイレットペーパーなど消耗品や食肉、医薬品などの購入で不自由している実態が分かった。
 「過疎地での販売事業は公益性が高い。規制緩和や特例措置などを検討すべきだ」。石原教授は移動販売を担う事業者に対する補助など公的支援の必要性を訴える。


希望新聞:東日本大震災 「閖上の記憶」語り継ぐ覚悟 資料館移転、慰霊碑3年間守った館長
 東日本大震災で多くの住民が逃げ込んだ宮城県名取市の旧閖上(ゆりあげ)中学校前で震災翌年から3年間、犠牲者の慰霊碑を守り、被災状況を伝えてきたプレハブ建ての資料館「閖上の記憶」が4月下旬、約800メートル海寄りに移転した。周辺のかさ上げ工事のためで、館長の小斎(こさい)正義さん(73)は「場所は変わっても、亡くなった人たちのために、津波の経験を語り続けたい」と話す。

 あの日、小斎さんは家族3人で避難した公民館で、館長から津波警報が10メートルになったことを知らされ、約500メートル内陸の閖上中屋上に逃げて間一髪で助かった。公民館で、また中学へ向かう途中で、多くの人が津波にのまれ、地区住民700人以上が犠牲になった。

 それから1年近くがたち、仮設住宅に入って暮らしが落ち着くと、その日を思い出すように。「なぜ近所の人と避難しなかったのか。公民館から逃げる時になぜ周りに声を掛けなかったのか」−−。自責の念で眠れなくなった。

 そのとき診療を受けた医師の桑山紀彦さんは、資料館の開設準備を進めていたNPO「地球のステージ」の代表理事だった。「経験を話せば楽になるのでは」と誘われ、語り部や被災地の案内役を兼ねた館長になった。

 館内には震災前後の空撮写真や小学生が作った町並みのジオラマがあり、小斎さんら地区住民が被災状況を説明し、希望者に現地の案内もしてきた。犠牲になった中学生14人の親たちが建立した慰霊碑を守るのも大事な役割で、献花や千羽鶴の整理、記帳の受け付けを続けてきた。

 4万8000人以上が訪れたプレハブの建物は地区を見渡せる日和山のそばに移った。中学に残る慰霊碑もゴールデンウイーク後に隣へ移設される。

 今も案内中に、子どもたちを思って涙が出るという小斎さん。「体験を少しでも長く人々の記憶に残したい」と、語り続けていく覚悟を示す。「閖上の記憶」の問い合わせは、地球のステージ(電話022・738・9221)へ。【三浦研吾】


知事も参加 被災水田で田植え
震災の津波で大きな被害を受けた東松島市の田んぼで田植えが行われました。
震災で大きな被害を受けた東松島市大曲地区の田んぼで行われた田植えには宮城県の村井知事などおよそ90人が参加し、村井知事は「田植えの風景が戻り復興の手ごたえもひとしおです。今後も地域の復興を力強く牽引してください」と述べました。

そして、参加者が一斉に田んぼに入ってササニシキの田植えに挑戦し、一列に並んで1つ1つ苗を植えていました。

この場所では震災前14軒の農家がコメを生産していましたが、震災の津波で大きな被害を受けたことから、生産を続けるのは4軒だけになりました。
4軒の農家は国の補助金を活用して農業生産法人を立ち上げ、田んぼを復旧させながらおととしから順次、作付けを始めたということで、ことしはおよそ60ヘクタールで作付けが可能になったということです。

農業生産法人「ぱるファーム大曲」の熱海修市さんは「震災で1度は農業をあきらめかけましたがようやくここまで来られました。震災で失われた地域の雇用やつながりを生む農業を目指したい」と話していました。

ササニシキは順調に育てば9月末には収穫できるということです。


仮設住宅集約の方針を説明
気仙沼市は仮設住宅の自治会長を集めた会議を開き、先月の市議会で示した仮設住宅の集約化の方針について初めての住民に向けた説明を行いました。
この会議は気仙沼市が仮設住宅に関する要望を聞くため定期的に開いていて、市役所で開かれた8日の会合には、仮設住宅の自治会長や菅原茂市長、市の職員などおよそ100人が出席しました。

気仙沼市は、災害公営住宅などの整備が進んでいることなどから、先月の市議会で市内92か所の仮設住宅団地を集約する方針を示していて、再来年・平成29年末までに小中学校の校庭などに建設された19か所を撤去することにしています。

8日の会合ではこうした方針が初めて住民に向けて説明され、菅原市長は「個別の事情を考慮して住民の協力を得ながら計画を進めたい」と述べ、理解を求めました。

これに対し撤去される仮設住宅の自治会長などからは、個別の住民への説明を早急に行ってほしいという意見や、具体的な転居の費用や段取りを示してほしいなどといった意見が出され、市の担当者は別の仮設住宅への転居費用は市が負担する方向で調整していることなどを説明していました。

撤去される予定の団地に住む男性は「集約化は必要だと思うが、引っ越しには負担がかかる上また知らない土地に移るのは不安です」と話していました。

気仙沼市では、今後撤去される仮設住宅団地を担当者が訪問し説明会を開くことにしています。


<仙石東北ライン>接続線、初の試運転
 JR東日本仙台支社は8日未明、東日本大震災で被災した仙石線の全線運転再開に合わせ、新たに東北線に乗り入れて仙台−石巻間(47.2キロ)を走行する「仙石東北ライン」で、両線を結ぶ接続線での試運転を初めて実施した。
 仙石東北ラインは、仙石線が全線で運転を再開する30日から、仙石、東北両線が近接する宮城県松島町に新設した約300メートルの接続線を利用し運行される。
 試運転では、2両編成の車両が8日午前1時20分ごろ、東北線から仙石線に乗り入れる松島町のポイントを通過。接続線を通って午前1時半ごろ、同町の高城町駅に到着した。
 列車は陸前山王(多賀城市)−高城町間を時速約15〜45キロで走り、走行状況などを確認しながら午前4時ごろまで3往復した。今後、高城町−石巻間に区間を広げて試運転する。
 仙石東北ラインは、ディーゼルエンジンと電気モーターを組み合わせた新型ハイブリッド車両を使う。特別快速は仙台−石巻間を震災前より11分短い52分で結ぶ。


宮崎駿氏「辺野古基金」共同代表へ 新基地阻止、内外に訴え
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設阻止を目的に設立された「辺野古基金」の共同代表に映画監督の宮崎駿氏が就任する意向であることが7日、分かった。琉球新報にスタジオ・ジブリ側が明らかにした。宮崎監督は高い功績を残した世界の映画人に贈られる米アカデミー名誉賞を受賞するなど、アニメ映画の監督として世界的に高い評価を受けている。新基地建設の阻止を掲げる県政を支えるため、島ぐるみ会議など運動側は辺野古移設反対の県民の民意を今後、内外に広くアピールし、訴えを強める考えで、宮崎氏の共同代表就任は今後、大きな影響を与えることになる。

 宮崎氏の共同代表就任については、基金の発足に当たって有力な候補として名前が挙がり、水面下での働き掛けが行われていた。
 同基金幹部は「名前を連ねていただけるのであれば大変にうれしいことだ」と述べ、今後、正式に就任要請する考え。
 宮崎氏は2002年に「千と千尋の神隠し」がベルリン国際映画祭でアニメーションとしては史上初の最高賞の金熊賞を受賞したほか、03年にアカデミー賞長編アニメ賞も獲得した。「ハウルの動く城」「風立ちぬ」でも同賞にノミネートされた。14年には日本人監督として1990年の故黒沢明監督以来2人目となる名誉賞をアカデミー賞主宰の米映画芸術科学アカデミーから贈られている。
 沖縄については14年11月、オスプレイの撤去と辺野古新基地建設への反対に賛同する著名人の声を集める運動に「沖縄の非武装地域化こそ、東アジアの平和のために必要です」とした直筆の文章を寄せていた。
 辺野古基金の共同代表にはこれまで、前嘉手納町長の宮城篤実氏、金秀グループの呉屋守将会長、かりゆしグループの平良朝敬最高経営責任者(CEO)、沖縄ハム総合食品の長浜徳松会長、元外務省主任分析官の佐藤優氏、俳優の故菅原文太さんの妻・文子さんが就任。県出身報道カメラマンの石川文洋氏の就任も決まっている。
(新垣和也、外間愛也)


ネパール地震:「勉強は大切」父の言葉胸に 孤児になった13歳
 【カトマンズ竹内良和】ネパール大地震で、最大規模の被害が出たシンドゥパルチョーク地区の村に住んでいたナビン・シャンタン君(13)は、大好きだった父を亡くした。幼い頃に母は他界しており、1人になってしまったナビン君は地震後、カトマンズのおじに引き取られた。まだあどけなさの残る少年に、将来のことを考える余裕はない。ただ、いつも勉強の大切さを教えてくれた父の言葉を胸に抱いて生きていこうとしている。

 ナビン君は1歳半の時、母を病気で亡くした。家が貧しく、母はまともに病院にかかることもできなかった。その後は、父ナラヤンさん(39)と2人きりで暮らしていた。

 地震があった時は外出し、大好きなサッカーに興じていた。揺れに襲われ、村人が避難していたテントに身を寄せた。父は昼食のために家に残っていた。

 村の民家約100軒の大半が倒壊し、多数の死者が出たという。「今は危険だ」。父を捜しに家に戻ろうとすると周囲に引き止められた。「お父さんが心配でずっと泣いていたんだ」。3日後、やっと戻ったが、父は潰れた家で息絶えていた。

 真面目で、無口な父だった。登山客に同行して荷物を運ぶ「ポーター」が仕事で、長期間留守にすることが多く、ナビン君はよく祖母の家で過ごした。地震の時も、父は1カ月半ぶりに山から戻ってきたところだった。

 満足な教育を受けられなかった父は、ぎりぎりの暮らしを支えるため畑仕事もした。自分のような苦労をさせたくなかったのか、ナビン君が学校の宿題をせずに友達とサッカーをしようと出ていくと、よく「自分のために勉強をしなくてはだめだ」としかった。

 ナビン君のささやかな楽しみは、夜、父と一緒に眠ることだった。目の前の大きな背中。「時々しか一緒に寝られないけれど、安心できた」という。

 地震後、祖母は体調を崩して入院。ナビン君を引き取った、おじのリラ・ワイバさん(30)は「両親がいなくても、しっかり教育を受けさせてあげたい」と思いながらも、自身も幼い子が2人いるため、どう生計を立てようかと悩んでいる。

 ナビン君は、これからどうしていいのかも分からない。「自分のために勉強を」。ただ、父の言葉だけは守ろうと思っている。

人権へのメール/書類配布忘れ/水シャワー

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Nouvelle tentative citoyenne pour empêcher la relance de deux réacteurs nucléaires au Japon
Une douzaine de citoyens japonais ont fait appel, mercredi 6 mai, de la décision de la justice de la préfecture de Fukuoka d’autoriser le redémarrage de deux réacteurs nucléaires.
Le groupe d’opposants veut faire stopper le processus en cours qui prévoit la relance d’au moins une des unités Sendai 1 et 2 (dans le sud-ouest du pays) dès cet été, selon les plans de la compagnie Kyushu Electric Power.
Actuellement, aucun des quarante-huit réacteurs de l’Archipel ne fonctionne (sans compter les six saccagés par la catastrophe de Fukushima, en mars 2011).
Le gouvernement pour la relance
Le 22 avril, un tribunal avait jugé ≪ rationnels ≫ les critères de sureté sur lesquels s’est appuyée l’autorité nucléaire pour délivrer les certificats de conformité aux nouvelles normes de Sendai 1 et 2. Il en avait donc de facto autorisé la relance.
Une semaine plus tôt, cependant, un autre tribunal avait bloqué le redémarrage de deux autres réacteurs, Takahama 3 et 4, au motif que les mesures parasismiques paraissaient insuffisantes. Ce précédent donne de l’espoir aux antinucléaires.
Le gouvernement plaide quant à lui depuis deux ans pour que ≪ tous les réacteurs jugés surs par les autorités soient relancés ≫, arguant que l’économie nippone ne peut se passer de l’énergie nucléaire. Reste que les procédures traînent en longueur : pour l’heure, seuls Sendai 1 et 2 et Takahama 3 et 4 ont reçu le feu vert du régulateur, et l’approbation des élus locaux ne vaut que pour les deux premiers. En outre, sur les quarante-huit unités du pays, au moins cinq vont être entièrement démantelées.
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朝から会議がありました.人権へのメールがあったそうで,注意しなさい,ということです.
連休明けということもあり,書類の配布を忘れてしまいました.他の2人も忘れていたそうで,変に安心しました.でも次から注意します.
夜シャワーを浴びるのにお湯ではなくて水でためしてみました.適度に冷たく気持ちいいです.

<仙山線>魅力再発見21年前の「唱歌」PR
 仙台、山形の両市を結ぶJR仙山線を歌でPRしようと、仙台の市民合唱団が「仙山線唱歌」の普及を目指して活動している。「鉄道唱歌」の替え歌で21年前に誕生。埋もれていた歌詞を仙山交流に取り組む市民団体が見いだし、再び光を当てた。
 「汽笛一声仙台を はやわが汽車は離れたり 遠くに見ゆる安養寺 近くに露無し東照宮」
 青葉区下愛子の広瀬市民センターであった、近隣の住民らでつくる混声合唱団「音里遊(オンリーユー)」の練習会。団長の庄子豊蔵さん(78)は「何十年も乗ってきた鉄道の歌だから、気持ちがこもるよね」と笑顔で語った。
 仙山線唱歌は20番まであり、仙台駅から山形駅まで沿線の風景や名所が次々登場する。1994年に郷土史家の男性が作詞。広瀬市民センターなどが発行した冊子で紹介されたものの、普及することはなかった。
 音里遊に歌の披露を依頼したのは、青葉区西部の活性化に取り組む関山街道フォーラム協議会だ。2013年4月に開催された仙山線の魅力を語り合う講演会で地元の合唱団に歌ってもらい、会場を盛り上げようと考えた。
 練習時間が取れないまま臨んだ初披露は、ハーモニーこそいまひとつだったというが、評判は上々だった。その後も協議会主催のイベントに招かれるたびに歌声を披露し、持ち歌の一つにしていった。
 音里遊は、多賀城市文化センターで31日に開かれる宮城県合唱祭、広瀬文化センター(青葉区)で6月20日にある「ハーモニーコンサート」でも仙山線唱歌を披露する。
 歌い出しは運転士よろしく「出発進行!」の号令、間奏には「次は○○駅〜」とアナウンスが入る工夫で聴衆を沸かせるという。音里遊の平川敬子さん(57)は「歌を聴けば、仙台と山形のつながりの深さと、沿線のさまざまな景色が伝わってくるはず。これからも大事に歌っていきたい」と話す。


ネパール地震:暗闇の不安解かすか太陽光パネル
 【カトマンズ竹内良和】ネパール大地震で、首都カトマンズ中心部のトゥンディケル避難所に、太陽光パネルを使って明かりを取っている被災者のテントがある。6日夜も暗がりのテント群で、ひときわまばゆい光が、肩を寄せ合う大家族を照らした。

 家を失った5世帯約20人の親族が集まるテント。発光ダイオード(LED)の下でディラサ・トゥラダルちゃん(6)が1歳下のいとことはしゃいでいた。「暗い時は怖かったの。テントが明るくなってうれしい」

 電源は、テントの屋根に日中掲げてある太陽光パネル。暗がりに耐えられなくなった5世帯がお金を出し合い、電気関係の仕事をしているディラサちゃんの父が数日前に取り付けたという。

 愛娘を見守る母ソウバさん(37)の表情は少しさえない。「テントは明るくなったけれど、家がないので心は暗いままなんです」


日本研究者:「過去の過ち、偏見ない清算を」 欧米の187人、安倍首相に声明
 【ワシントン西田進一郎】欧米の日本研究者ら187人が4日、安倍晋三首相に対し、戦後70年の今年を過去の植民地支配や侵略の過ちを認める機会にするよう求める声明を送付した。戦後日本の歩みは「世界の祝福に値する」としたうえで、「祝福を受けるに当たり、歴史解釈の問題が障害になっている」と指摘。アジアの平和と友好を進めるため「過去の過ちについて、できる限り偏見のない清算を共に残そう」とした。

 声明は、ハーバード大のエズラ・ボーゲル名誉教授やマサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授、コネティカット大のアレクシス・ダデン教授らが署名。ダデン氏によると、4日に首相官邸に声明を送付して首相の目に触れるよう要請したという。首相が8月にも発表する「戦後70年談話」を念頭にしているとみられる。

 声明は、歴史解釈の最も深刻な問題の一つとして、旧日本軍の従軍慰安婦問題を挙げた。慰安婦の数を巡って諸説あることを認めたうえで「いかなる数に判断が落ち着いても、日本帝国とその戦場で女性たちが尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできない」と強調。そのうえで、「今年は日本政府が言葉と行動で、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会だ」と指摘した。


Open Letter in Support of Historians in Japan
The Asia-Pacific Journal: Japan Focus
In-depth critical analysis of the forces shaping the Asia-Pacific...and the world.

On May 5, 2015 the online humanities and social sciences portal, H-Asia/H-Net, published a statement issued by 187 Japanese studies scholars that calls on Japanese Prime Minister Abe Shinzo to “act boldly” on significant issues raised during his historic speech before a joint session of the U.S. Congress on April 29 — a first for a Japanese prime minister.

In particular, the statement urges Prime Minister Abe to realize the assurances he made in this speech about Japan today: a nation that places primacy on “human rights” and “human security.” To achieve this, the scholars call on Abe to directly acknowledge the truth of the histories involved in the “suffering that Japan caused other countries” during the era of total war and empire that ended 70 years ago. Most important, they urge reconciliation between Japan and areas that were the nation’s former empire in Asia through honest acknowledgment of the past. Doing so would underline how different Japan is today.

Focusing especially on the history of the so-called “comfort women” of the Japanese military — one of the key components in the region’s tensions over its “history problems,” together with the Nanjing massacre and the Yasukuni shrine, Tokyo’s monument to all Japanese war dead, including convicted war criminals — the scholars ask Prime Minister Abe to acknowledge openly that this system was “distinguished by its large scale and systematic management under the military, and by its exploitation of young, poor, and vulnerable women in areas colonized or occupied by Japan.”

Since 1993, when the Japanese government issued its benchmark apology for this awful history, successive prime ministers (save for Abe when he was prime minister in 2006-2007) have committed Japanese policy in varying degrees to supporting its words in action and deed:

“The then Japanese military was, directly or indirectly, involved in the establishment and management of the comfort stations and the transfer of comfort women. The recruitment of the comfort women was conducted mainly by private recruiters who acted in response to the request of the military. The Government study has revealed that in many cases they were recruited against their own will, through coaxing, coercion, etc., and that, at times, administrative/military personnel directly took part in the recruitments. They lived in misery at comfort stations under a coercive atmosphere. the origin of [many of] those comfort women who were transferred to the war areas, excluding those from Japan, [were] those from the Korean Peninsula …. The Korean Peninsula was under Japanese rule in those days, and their recruitment, transfer, control, etc., were conducted generally against their will, through coaxing, coercion, etc.”

Since 1993, in addition to learning more about how this system functioned in Korea and China where most of the victims came from, we gained far deeper understanding of how the Japanese military extended it throughout the empire and occupied territories: to the Philippines, Indonesia, Singapore, Saipan, Guam and so on.

Any progress towards increased understanding and empathy that had been achieved since then was catastrophically derailed, however, in spring 2014 —especially between Japan and South Korea — when Prime Minister Abe’s administration announced that it would “review” what is commonly known as the Kono statement after the chief cabinet secretary who issued it. Now a year later during this important 70th anniversary year, relations between Tokyo and Seoul are commonly described as being at a “nadir” — a condition made even more noticeable because Seoul and Tokyo should be celebrating 50 years of “normalized” ties on June 22, 2015.

Below in English and Japanese we post this statement in full. It emerged from an open forum held at the Association for Asian Studies annual meeting in Chicago in March 2015 and from subsequent discussions among a wide range of Japanese studies scholars working largely outside Japan and primarily publishing in English. At its core, the “Open Letter in Support of Historians in Japan” makes clear its signers’ support of all efforts that reject nationalistically driven distortions of long proven histories.

The statement ends with the vital point: classrooms today include students from around the world who engage with “the record of the past that we bequeath them.” We all share the responsibility to “leave as full and unbiased accounting of past wrongs as possible.”

OPEN LETTER IN SUPPORT OF HISTORIANS IN JAPAN
The undersigned scholars of Japanese studies express our unity with the many courageous historians in Japan seeking an accurate and just history of World War II in Asia. Because Japan is a second home as well as a field of research for many of us, we write with a shared concern for the way that the history of Japan and East Asia is studied and commemorated.

In this important commemorative year, we also write to celebrate seventy years of peace between Japan and its neighbors. Postwar Japan’s history of democracy, civilian control of the military, police restraint, and political tolerance, together with contributions to science and generous aid to other countries, are all things to celebrate as well.

Yet problems of historical interpretation pose an impediment to celebrating these achievements. One of the most divisive historical issues is the so-called “comfort women” system. This issue has become so distorted by nationalist invective in Japan as well as in Korea and China that many scholars, along with journalists and politicians, have lost sight of the fundamental goal of historical inquiry, which should be to understand the human condition and aspire to improve it.

Exploitation of the suffering of former “comfort women” for nationalist ends in the countries of the victims makes an international resolution more difficult and further insults the dignity of the women themselves. Yet denying or trivializing what happened to them is equally unacceptable. Among the many instances of wartime sexual violence and military prostitution in the twentieth century, the “comfort women” system was distinguished by its large scale and systematic management under the military, and by its exploitation of young, poor, and vulnerable women in areas colonized or occupied by Japan.

There is no easy path to a “correct history.” Much of the archive of the Japanese imperial military was destroyed. The actions of local procurers who provided women to the military may never have been recorded. But historians have unearthed numerous documents demonstrating the military’s involvement in the transfer of women and oversight of brothels. Important evidence also comes from the testimony of victims. Although their stories are diverse and affected by the inconsistencies of memory, the aggregate record they offer is compelling and supported by official documents as well as by the accounts of soldiers and others.

Historians disagree over the precise number of “comfort women,” which will probably never be known for certain. Establishing sound estimates of victims is important. But ultimately, whether the numbers are judged to have been in the tens of thousands or the hundreds of thousands will not alter the fact of the exploitation carried out throughout the Japanese empire and its war zones.

Some historians also dispute how directly the Japanese military was involved, and whether women were coerced to become “comfort women.” Yet the evidence makes clear that large numbers of women were held against their will and subjected to horrific brutality. Employing legalistic arguments focused on particular terms or isolated documents to challenge the victims’ testimony both misses the fundamental issue of their brutalization and ignores the larger context of the inhumane system that exploited them.

Like our colleagues in Japan, we believe that only careful weighing and contextual evaluation of every trace of the past can produce a just history. Such work must resist national and gender bias, and be free from government manipulation, censorship, and private intimidation. We defend the freedom of historical inquiry, and we call upon all governments to do the same.

Many countries still struggle to acknowledge past injustices. It took over forty years for the United States government to compensate Japanese-Americans for their internment during World War II. The promise of equality for African Americans was not realized in US law until a century after the abolition of slavery, and the reality of racism remains ingrained in American society. None of the imperial powers of the nineteenth and twentieth centuries, including the United States, the European nations, and Japan, can claim to have sufficiently reckoned with their histories of racism, colonialism, and war, or with the suffering they inflicted on countless civilians around the world.

Japan today values the life and rights of every individual, including the most vulnerable. The Japanese government would not tolerate the exploitation of women in a system like the military “comfort stations” now, either overseas or at home. Even at the time, some officials protested on moral grounds. But the wartime regime compelled absolute sacrifice of the individual to serve the state, causing great suffering to the Japanese people themselves as well as to other Asians. No one should have to suffer such conditions again.

This year presents an opportunity for the government of Japan to show leadership by addressing Japan’s history of colonial rule and wartime aggression in both words and action. In his April address to the US Congress, Prime Minister Abe spoke of the universal value of human rights, of the importance of human security, and of facing the suffering that Japan caused other countries. We applaud these sentiments and urge the Prime Minister to act boldly on all of them.

The process of acknowledging past wrongs strengthens a democratic society and fosters cooperation among nations. Since the equal rights and dignity of women lie at the core of the “comfort women” issue, its resolution would be a historic step toward the equality of women and men in Japan, East Asia and the world.

In our classrooms, students from Japan, Korea, China and elsewhere discuss these difficult issues with mutual respect and probity. Their generation will live with the record of the past that we bequeath them. To help them build a world free of sexual violence and human trafficking, and to promote peace and friendship in Asia, we must leave as full and unbiased an accounting of past wrongs as possible.

SIGNED,

Daniel Aldrich, Professor of Political Science, Purdue University.
Jeffrey Alexander, Associate Professor of History, University of Wisconsin-Parkside.
Anne Allison, Professor of Cultural Anthropology, Duke University.
Marnie Anderson, Associate Professor of History, Smith College.
E. Taylor Atkins, Presidential Teaching Professor of History, Northern Illinois University.
Paul D. Barclay, Associate Professor of History and Asian Studies Program Chair, Lafayette College.
Jan Bardsley, Associate Professor of Asian Studies, University of North Carolina, Chapel Hill.
James R. Bartholomew, Professor, Department of History, The Ohio State University.
Brett de Bary, Professor, Asian Studies and Comparative Literature, Cornell University.
Michael Baskett, Associate Professor and Chair, Department of Film and Media Studies, University of Kansas
Alan Baumler, Professor of History, Indiana University of Pennsylvania.
Alexander R. Bay, Associate Professor, History Department, Chapman University.
Theodore C. Bestor, Professor of Social Anthropology, Harvard University.
Victoria Bestor, Director of the North American Coordinating Council on Japanese Library Resources.
Davinder Bhowmik, Associate Professor of Asian Languages and Literature, University of Washington.
Herbert Bix, Professor Emeritus of History and Sociology, Binghamton University.
Daniel Botsman, Professor of History, Yale University.
Michael Bourdaghs, Professor of Japanese Literature, East Asian Languages and Civilizations, University of Chicago.
Thomas Burkman, Research Professor of Asian Studies Emeritus, SUNY Buffalo.
Susan L. Burns, Associate Professor of History, East Asian Languages and Civilizations, University of Chicago.
Eric Cazdyn, Distinguished Professor of Aesthetics and Politics, Department of East Asian Studies & Centre for Comparative Literature, University of Toronto.
Parks M. Coble, Professor of History, University of Nebraska, Lincoln.
Haruko Taya Cook, Instructor of Languages and Cultures, William Paterson University.
Theodore F. Cook, Professor of History, William Paterson University.
Bruce Cumings, Professor of History, University of Chicago.
Katarzyna Cwiertka, Professor of Modern Japanese Studies, Universiteit Leiden.
Charo D'Etcheverry, Associate Professor of Japanese Literature, University of Wisconsin-Madison
Eric Dinmore, Associate Professor of History, Hampden-Sydney College.
Lucia Dolce, Chair, Centre for the Study of Japanese Religions, University of London, SOAS.
Ronald P. Dore, Honorary Fellow, London School of Economics.
John W. Dower, Professor Emeritus of History, Massachusetts Institute of Technology.
Mark Driscoll, Professor of East Asian Studies, UNC, Chapel Hill.
Prasenjit Duara, Raffles Professor of Humanities, National University of Singapore.
Alexis Dudden, Professor of History, University of Connecticut.
Martin Dusinberre, Professor of Global History, University of Zurich.
Peter Duus, Professor of History (Emeritus), Stanford University.
Steve Ericson, Associate Professor of History, Dartmouth College.
Elyssa Faison, Associate Professor, University of Oklahoma.
Norma Field, Professor Emerita of East Asian Studies, University of Chicago.
W. Miles Fletcher, Professor of History, University of North Carolina, Chapel Hill.
Petrice R. Flowers, Associate Professor Political Science, University of Hawaii.
Joshua A. Fogel, Professor of History, York University, Toronto.
Sarah Frederick, Associate Professor of Japanese and Comparative Literature, Boston University.
Dennis J. Frost, Wen Chao Chen Associate Professor of East Asian Studies, Kalamazoo College.
Sabine Fruhstuck, Professor of Modern Japanese Cultural Studies, University of California, Santa Barbara.
James Fujii, Associate Professor, East Asian Languages and Literatures, University of California, Irvine.
Takashi Fujitani, Professor of History, University of Toronto.
Sheldon M. Garon, Professor of History and East Asian Studies, Princeton University.
Timothy S. George, Professor of History, University of Rhode Island.
Christopher Gerteis, Chair, Japan Research Centre, SOAS, University of London.
Carol Gluck, Professor of History, Columbia University.
Andrew Gordon, Professor of History, Harvard University.
Helen Hardacre, Professor of Religions and Society, Harvard University.
Harry Harootunian, Emeritus Professor of History, New York University; Adjunct Professor of Japanese History, Columbia University.
Tsuyoshi Hasegawa, Professor of History, University of California at Santa Barbara.
Akiko Hashimoto, Associate Professor of Sociology, University of Pittsburgh.
Sally A. Hastings, Associate Professor of History, Purdue University.
Tom Havens, Professor of History, Northeastern University.
Kenji Hayao, Associate Professor, Political Science Department, Boston College.
Laura Hein, Professor of History, Northwestern University.
Robert Hellyer, Associate Professor of History, Wake Forest College.
Manfred Henningsen, Professor of Political Science, University of Hawaii at Manoa.
Christopher L. Hill, Assistant Professor of Japanese Literature, University of Michigan.
Katsuya Hirano, Associate Professor of History, UCLA.
David L. Howell, Professor of Japanese History, Harvard University.
Douglas Howland, Professor of History, University of Wisconsin-Milwaukee.
James L. Huffman, H. Orth Hirt Professor of History Emeritus, Wittenberg University.
Janet Hunter, Saji Professor of Economic History, London School of Economics and Political Science.
Akira Iriye, Professor Emeritus, Harvard University.
Rebecca Jennison, Professor, Department of Humanities, Kyoto Seika University.
William Johnston, Professor of History, Wesleyan University.
John Junkerman, Documentary Filmmaker.
Ikumi Kaminishi, Associate Professor of Art and Art History, Tufts University.
Ken Kawashima, Associate Professor of East Asian Studies, University of Toronto.
William W. Kelly, Professor of Anthropology, Yale University.
James Ketelaar, Professor of History, University of Chicago.
R. Keller Kimbrough, Associate Professor, University of Colorado at Boulder.
Miriam Kingsberg, Assistant Professor of History, University of Colorado.
Jeff Kingston, Director of Asian Studies and Professor of History, Temple University Japan.
Victor Koschmann, Professor of History, Cornell University.
Emi Koyama, Independent Scholar, Japan-U.S. Feminist Network for Decolonization (FeND).
Ellis S. Krauss, Professor Emeritus, University of California, San Diego.
Josef Kreiner, Professor Emeritus, Rheinische Freidrich-Wilhelms Universitat Bonn.
Shigehisa Kuriyama, Reischauer Institute Professor of Cultural History, Harvard University.
Peter Kuznick, Professor of History and Director, Nuclear Studies Institute, American University.
Thomas Lamarre, James McGill Professor, East Asian Studies , Art History and Communications Studies, McGill University.
Andrew Levidis, Fellow, Reischauer Institute, Harvard University.
Ilse Lenz, Professor Emeritus of Sociology, Ruhr University Bochum, Germany.
Mark Lincicome, Associate Professor, Department of History, College of the Holy Cross.
Sepp Linhart, Professor Emeritus of Japanese Studies and Sociology, University of Vienna.
Yukio Lippit, Professor of History of Art and Architecture, Harvard University.
Angus Lockyer, Lecturer in the History of Japan, Department of History, SOAS, University of London.
Susan Orpett Long, Professor of Anthropology, John Carroll University.
David B. Lurie, Associate Professor of Japanese History and Literature, Columbia University.
Vera Mackie, Professor of Asian Studies, University of Wollongong.
Wolfram Manzenreiter, Professor of Japanese Studies, University of Vienna.
William Marotti, Associate Professor of History, UCLA.
Y. Tak Matsusaka, Professor of History, Wellesley College.
Trent Maxey, Associate Professor of Asian Languages and Civilizations and History, Amherst College.
James L. McClain Professor of History, Brown University.
Gavan McCormack, Professor Emeritus of History, Australian National University.
Melissa McCormick, Professor, Harvard University.
David McNeill, Journalist and Professor, Sophia University.
Mark Metzler, Professor of History, University of Texas at Austin.
Ian J. Miller, Professor of History, Harvard University.
Laura Miller, Ei’ichi Shibusawa-Seigo Arai Endowed Professor of Japanese Studies, University of Missouri-St. Louis.
Janis Mimura, Associate Professor, State University of New York, Stony Brook.
Richard H. Minear, Professor of History (Emeritus), University of Massachusetts Amherst.
Yuki Miyamoto, Associate Professor of Religious Studies, DePaul University.
Barbara Molony, Professor of History, Santa Clara University.
Yumi Moon, Associate Professor of History, Stanford.
Aaron Moore, Lecturer in East Asian History, The University of Manchester.
Tessa Morris-Suzuki, Professor of Japanese History, Australian National University.
Aurelia George Mulgan, Professor of Japanese Politics, University of New South Wales.
R. Taggart Murphy, Professor, International Political Economy, University of Tsukuba, Tokyo Campus.
Tetsuo Najita, Professor Emeritus of History, University of Chicago.
Miri Nakamura, Associate Professor of Japanese Literature, College of East Asian Studies, Wesleyan University.
John Nathan, Takashima Professor of Japanese Cultural Studies, University of California, Santa Barbara.
Christopher Nelson, Associate Professor, Department of Anthropology, University of North Carolina at Chapel Hill.
Satoko Oka Norimatsu, Editor, Asia-Pacific Journal: Japan Focus.
Markus Nornes, Professor of Asian Cinema, University of Michigan, Ann Arbor.
David Tobaru Obermiller, Associate Professor, Department of History & Japanese Studies Program, Dustavus Adolphus College.
Eiko Otake, Visiting artist, Wesleyan University.
Simon Partner, Professor of History, Duke University.
T.J. Pempel, Jack M. Forcey Professor of Political Science for Study of East Asian Politics, University of California, Berkeley.
Matthew Penney, Associate Professor of History, Concordia University.
Samuel E. Perry, Associate Professor of East Asian Studies, Brown University.
Catherine Phipps, Associate Professor, University of Memphis
Leslie Pincus, Associate Professor of History, University of Michigan.
Morgan Pitelka, Associate Professor and Director of the Carolina Asia Center, University of North Carolina at Chapel Hill.
Janet Poole, Associate Professor of East Asian Studies, University of Toronto.
Roger Pulvers, Author and Translator, Sydney, Australia.
Steve Rabson, Professor Emeritus of East Asian Studies, Brown University.
Fabio Rambelli, Chair, Department of East Asian Languages and Cultural Studies and Professor of Japanese Religions and Cultural History, University of California, Santa Barbara.
Mark Ravina, Professor of History, Emory University.
Steffi Richter, Professor of East Asian Studies, Universitat Leipzig.
Luke Roberts, Professor of History, University of California Santa Barbara.
Jennifer Robertson, Professor of Anthropology and History of Art, University of Michigan.
Jay Rubin, Professor Emeritus, Harvard University.
Ken Ruoff, Professor of History and Director of the Center for Japanese Studies, Portland State University.
Jordan Sand, Professor of History, Georgetown University.
Wesley Sasaki-Uemura, Associate Professor of Japanese History, University of Utah.
Ellen Schattschneider, Associate Professor of Anthropology and Women’s, Gender and Sexuality Studies, Brandeis University.
Andre Schmid, Associate Professor of East Asian Studies, University of Toronto.
Amanda C. Seaman, Associate Professor of Japanese and Director of Comparative Literature, University of Massachusetts Amherst.
Ethan Segal, Associate Professor of History, Michigan State University.
Wolfgang Seifert, Professor Emeritus of Japanese Studies, University of Heidelberg.
Mark Selden, Senior Research Associate, Cornell University; Editor, Asia-Pacific Journal: Japan Focus.
Franziska Seraphim, Associate Professor of History, Boston College.
Sayuri Guthrie Shimizu, Professor of History, Rice University.
Eiko Maruko Siniawer, Associate Professor of History, Williams College.
Patricia Sippel, Professor, Toyo Eiwa University.
Richard Smethurst, Professor Emeritus of History, University of Pittsburgh.
Kerry Smith, Associate Professor of History, Brown University.
Daniel Sneider, Associate Director for Research, Shorenstein Asia-Pacific Research Center, Stanford University.
M. William Steele, Professor of History, International Christian University.
Brigitte Steger, Senior Lecturer in Modern Japanese Studies, University of Cambridge.
Stefan Tanaka, Professor of Communication, University of California, San Diego.
Alan Tansman, Professor of Japanese Literature, University of California Berkeley.
Sarah Thal, Associate Professor of History, University of Wisconsin-Madison.
Michael F. Thies, Associate Professor, Department of Political Science, UCLA
Mark Tilton, Associate Professor of Political Science, Purdue University.
Julia Adeney Thomas, Associate Professor of History, University of Notre Dame.
John Whittier Treat, Emeritus Professor, Yale University; Professor, Ewha Womans University.
Hitomi Tonomura, Professor of History, University of Michigan
Jun Uchida, Associate Professor of History, Stanford University.
J. Keith Vincent, Associate Professor of Japanese and Comparative Literature, Boston University.
Stephen Vlastos, Professor of History, University of Iowa.
Ezra F. Vogel, Professor Emeritus, Harvard University.
Klaus Vollmer, Professor of Japanese Studies, LMU Munich University.
Anne Walthall, Professor Emerita of History, University of California, Irvine.
Max Ward, Assistant Professor of History, Middlebury College.
Lori Watt, Associate Professor of History, Washington University in St. Louis.
Gennifer Weisenfeld, Professor, Duke University.
Michael Wert, Associate Professor, Marquette University.
Karen Wigen, Professor of History, Stanford University.
Tomomi Yamaguchi, Associate Professor of Anthropology, Montana State University.
Samuel H. Yamashita, Henry E. Sheffield Professor of History, Pomona College.
Daqing Yang, Associate Professor, George Washington University.
Christine Yano, Professor of Anthropology, University of Hawaii at Manoa.
Marcia Yonemoto, Associate Professor of History, University of Colorado Boulder.
Lisa Yoneyama, Professor of East Asian Studies, University of Toronto.
Theodore Jun Yoo, Associate Professor of History, University of Hawaii.
Takashi Yoshida, Professor, Western Michigan University.
Louise Young, Professor of History, University of Wisconsin-Madison.
Eve Zimmerman, Barbara Morris Caspersen Associate Professor of Humanities & Associate Professor f Japanese, Wellesley University.
Reinhard Zollner, Professor of Japanese and Korean Studies, University of Bonn.

This statement emerged from an open forum held at the Association for Asian Studies annual meeting held in Chicago during March 2015, and from subsequent discussions on line among a wide range of Japan scholars. It represents the opinions only of those who have signed it and not of any organization or institution.
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秘密保護法を廃止せよ!/木嶋佳苗さんは無実なのでは??

ブログネタ
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Le film à voir ce soir : Le Tombeau des lucioles
Deux enfants essaient d'échapper au bruit et à la fureur d'un Japon en pleine guerre dans ce chef-d'oeuvre d'animation tragique réalisé par Isao Takahata, fidèle collaborateur de Hayao Miyazaki.
Sorti au pays du Soleil-Levant en 1988, Le Tombeau des lucioles est sans conteste le film de japanimation le plus émouvant, beau et triste à la fois. Cette adaptation du roman autobiographique d'Akiyuki Nosaka a pourtant reçu lors de sa sortie un accueil plutôt froid. Unanimement reconnu aujourd'hui comme un chef-d'oeuvre absolu, ce dessin animé sombre et réaliste - à mille lieues des fantasmagories à succès du maître Miyazaki (Princesse Mononoké, Le Voyage de Chihiro) - n'a totalisé que 800.000 entrées.
Il faut avouer que ce film d'animation n'est pas vraiment destiné aux plus jeunes. Dès les premières scènes, la reconstitution d'un bombardement sur Kobe, dans des décors d'une précision hallucinante, Le Tombeau des lucioles installe un réalisme quasi documentaire et une atmosphère tragique (mort des parents, monde en flammes...).
Ce contraste entre la relative légèreté formelle du film d'animation et la gravité du propos fait néanmoins tout l'intérêt de l'oeuvre. Avec cette histoire toute simple - un petit garçon veille sur sa soeur malade -, Isao Takahata éblouit. Il compose un dessin animé stylisé, poétisé par quelques incursions dans le merveilleux (les fameuses lucioles) qui démontre finalement avec talent que l'animation peut porter un message fondamental et faire œuvre de mémoire aussi bien que le cinéma classique.
火垂るの墓は見たことがありません.残念.
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目撃!日本列島「被災地 若者のすし屋〜岩手 陸前高田〜」
震災翌年に店主が一人の若者に声を掛け、店に迎え入れたことがきっかけとなり、ネットや口コミで評判が全国に拡散。これまで100人ほどの若者が訪れている。彼らは数日から数か月暮らして店を手伝い、被災した従業員や地元の人たちと交流、観光では知りえない被災地の現状を肌で感じていく。正社員を辞めた人。将来の道を立ち止まって考えたい人…。「生きる道しるべ」を求めて陸前高田のすし店にやってくる人々の姿を見つめる。
柳生聡子


ロックアクションに参加しました.秘密保護法は廃止すべきだと思います.なんばまでのデモでクタクタになりました.
夜になにげなく木嶋佳苗の拘置所日記木嶋佳苗の真実を見ていて,彼女は無実,つまりえん罪の被害者なのではないか?という気がしてきました.メディアの偏った情報に惑わされていたのではないかと思うのです.
たまっていたテレビでフランス語の録画を見ました.フランス語の勉強も頑張ろう.

<かすむ復興>住宅散在薄まるまち/在宅被災者の苦悩(2)/暮らし
<移転の対象に>
 仙台市宮城野区の七北田川北岸には住宅地が連なるが、県道塩釜亘理線から東側は風景が一変する。ぽつりぽつりと住宅が荒れ野に散らばる。
 東日本大震災の津波で被災する前、東側には和田、西原、蒲生、港の4地区があり、約1150世帯が暮らしていた。
 震災後は全域が「蒲生北部地区」として災害危険区域に指定され、防災集団移転の対象となった。移転終了後は土地区画整理を進め、成長産業の集積を図ることが決まっている。
 危険区域で住宅は新築できないが、流失を免れた家を補修すれば住める。2年前には約40世帯の在宅被災者が生活していた。今は20世帯弱に減ったとみられる。市蒲生北部整備課によると、ことし4月現在で移転を希望していないのは13世帯。「過疎化」はさらに進む。

<仙台市に疑念>
 「最後まで残るのは10軒以下じゃないか。俺? 動くつもりは全くない」。補修した自宅に暮らす40代の男性はそう言い切る。
 移転を拒む理由はいろいろある。先祖伝来の土地を守りたいから。気候が良くて高速道路も近く住みやすいから。そして仙台市の対応に不信感があるからだ。
 男性は今も、災害危険区域の指定に納得していない。震災を奇貨として、仙台港に隣接する蒲生北部を人が住まない地域とし、産業用地を創出する「惨事便乗型」の再開発策だとにらむ。市は否定するが、同様の疑念を持つ在宅被災者は多い。

<8月末が期限>
 世帯数は震災前の百分の一になった。学校、郵便局、交番、バス停、商店が消えた。薄まるまちに、「蒲生はついのすみか」と言う千年凱雄(ちとせ・よしお)さん(83)も不安を感じている。
 「共同体の機能が崩れてしまった。町内会もない。側溝の掃除や草刈りをどうすればいいのか。高齢の世帯が多い。空き地だらけで害虫の発生が心配。福祉面も気に掛かる」と言う。
 市内の防災集団移転事業は本年度限りで終了する。16年度以降は行政による宅地の買い取りや建物移転料の補償は望めない。不動産の鑑定や登記に必要な時間を考えると、在宅被災者の場合、8月末が移転合意の期限になるという。
 市は今後実施する土地区画整理で残存する住宅に移転を求めることはないと明言する。一方、災害危険区域の指定が将来、解除されることもないと強調する。
 蒲生に住み続けるか、移転に応じるか。被災者が重い決断を迫られている。


<これから>牡鹿再生住民と一丸/第23部・見据える(3)
◎石巻市・犬塚恵介さん

 海を見下ろす高台に心地よい潮風が吹き抜ける。休みのほとんどは「鮎川の家」で過ごす。
 捕鯨文化の残る石巻市鮎川地区。被災を免れた空き家を改装し、住民が集える場所に整備した。
 犬塚恵介さん(30)は建築家による復興支援のネットワーク「アーキエイド」(仙台市)の代表理事を務める。ここを拠点に、牡鹿半島の再生を後押しする。
 
 「食、自然、人が魅力。漁師が多いせいか生命力が強い」。腹が減ると船を出す。食べる分だけ野菜を作る。半農半漁の暮らし、精神的な豊かさに引かれた。
 アーキエイドは地域の産業や歴史を踏まえて住民の暮らしに合ったまちづくりを提案してきた。自治体と住民をつなぐ役割も担う。
 鮎川の観光拠点整備では、模型を作って市の計画を住民に説明するなど議論の手助けをした。
 「取り組んでいるうちに面白くなっちゃった」と自然体で活動を楽しむ。
 愛知県生まれ。名古屋市の設計事務所に勤めていたときに東日本大震災が発生し、翌年退職した。
 仙台市に移り住んで「半年ほどボランティアをするつもり」だったが、1年半が過ぎても、がれきが山積する状況に衝撃を受けた。
 「被災地はまだ、こんな段階なのか」
 復興には長い時間がかかることを思い知った。アーキエイドのインターンとして支援にのめり込み、13年に代表理事に就いた。
 牡鹿半島に点在する集落は震災前から住民の高齢化や人口減が著しい。津波が追い打ちを掛けるように、まちの未来を奪った。
 「住民と一緒に幸せな暮らしを取り戻す。自分のような移住者を呼び込むために牡鹿らしさ、半島の魅力を発信したい」
 
 ことし2月、牡鹿のこれからを思う複数の支援団体を集めて一般社団法人「おしかリンク」を設立した。民泊、ツーリズムなどの観光事業を企画し、交流人口や定住者の拡大を目指す。
 おしかリンクの誕生に合わせるように、犬塚さん自身は仙台から石巻市内に引っ越した。牡鹿への近接度をより強め、足しげく半島に通う。
 被災集落の再生はいつになったら実現するだろう。いつかは牡鹿半島に自ら設計した自分の家を建てたい。
 今春、愛知から来てくれた彼女と結婚した。震災前は想像もしなかった未来の広がり。地域との関わりを深めながら、牡鹿再生への道のりを共に歩んでいくつもりだ。


英雄GW返上! 石ノ森萬画館・石巻
 石巻市の石ノ森萬画館で3日開幕した「春のマンガッタン祭り」は最終日の5日、「こどもの日」と重なり、県内外から多くの家族連れでにぎわった。
 萬画館入り口には、3月に公開された映画「スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号」の撮影で実際に使われた仮面ライダー3号の車が展示され、記念撮影する来場者の姿が見られた。
 屋外の特設広場では、似顔絵を石ノ森作品のキャラクター風に描いてもらえるブースなどが盛況。ステージでは、石巻のご当地ヒーロー「シージェッター海斗」のショーがあり、海斗や敵の怪人による派手なアクションに歓声が上がった。
 ショーを楽しんだ大崎市の会社員野地里香さん(27)は「設定やストーリーが本格的で格好良い。海斗のファンになった」と話した。


東日本大震災:魚屋さん、再出発 岩手・大船渡、娘と店失い一度は廃業決意 震災前からの縁が支え
 体の続く限り三陸の旬を食卓へ−−。東日本大震災で被災した岩手県大船渡市の鮮魚店が、連休明けにも新たな店舗で本格的に復活する。津波で全てを失ったが、震災前からの「魚介のさばき方講習会」が縁で多くの人に支えられ、プレハブ小屋で踏ん張り続けてきた。あれから5度目の初夏に門出を迎える。【根本太一】

 仮設住宅の裏手にある小高い丘に、鮮魚店「シタボ」の新店舗が先月、完成した。店内にしつらえられたコンクリート製の水槽には、大船渡で水揚げされたフグや毛ガニ、ホタテなどが入っている。「ここで子どもらに魚介のさばき方を教えるのさ」。そう言って村上勝弘さん(62)、富士子さん(56)夫婦はほほ笑んだ。

 缶詰加工員として捕鯨母船に乗り込んでいた勝弘さんが、故郷の大船渡に戻ったのは約30年前。鮮魚店を名勝・碁石海岸のそばに構えた。海岸近くには春や夏の休みになると、関東地方などから海洋学習の子どもたちがやってくる。引率者から「魚介のさばき方を教えてほしい」と頼まれ、講習会を開くようになった。

 「皆、刺し身の姿で泳いでいると思っててな。生きたタコなんか触るとキャーキャー騒いで。でも目を輝かせて」。毎年、400人ほど受け入れた。「魚の頭を落として血が出ると腰を引いていた子が、自分でさばいて食べられるようになってな」。そんな生き生きとした日々が続いていた。

 だが、2011年3月の東日本大震災で約80メートル先にある防潮堤を津波が越えた。自宅兼店舗は流され、当時25歳の娘は隣町の安置所で見つかった。集落は壊滅し、村上さん夫婦は廃業を決めた。

 それを翻したのが、講習会を通じた縁だった。各地の受講生の親たちから、サンマやホタテなどの発送依頼が相次いだ。トタン屋根にテーブル、まな板だけの店を再開させたのは、その年の7月。12年の夏、仮設店舗が完成した。

 ボランティアで大船渡を訪れていた立教大(東京都)の学生らも、講習会の話を聞きつけ通うようになった。「おろし方を知らないんですよ」と打ち明ける若者たちに夫婦の頬も緩む。昨年は、海洋学習の子どもたちも戻ってきた。

 富士子さんが09年から始めたブログには、励ましや被災見舞いのコメントが寄せられる。「お体、大事にしてくださいね」。コメントは10万件を超えた。


河北春秋
 後に国民的行事とまで言われるほど隆盛を誇ると予想できた人は多くなかっただろう。夏の全国高校野球選手権の前身、全国中等学校優勝大会が初めて開かれたのは1915年のことである。今夏で100周年を迎える▼それを記念し、第1回の出場校10校の現役部員が当時の復刻ユニホームを着て開会式で入場行進することになった。東北代表は秋田中(現秋田)だった。ユニホームの胸には「AKITA」ではなく、地元の久保田城の別名「矢留城」にちなんで「YADOME」と記されていたという▼秋田中は決勝に進出し、京都二中と延長十三回の末、1−2で敗れ優勝を逃した。雪国のハンディが、今と比較にならないほど大きかった時代である。価値のある準優勝だった▼あの時以来、甲子園の優勝旗の「白河越え」は東北にとって悲願であり続けている。だから、ふと思うことがある。秋田中が勝っていれば、球児たちは余計な重圧から解放されていたのではないか、と▼優勝旗は北海道にも沖縄にも渡った。今春には敦賀気比(福井)が北陸勢として初優勝した。秋田中の後、東北勢は春の選抜大会を含め計9度、決勝に進んでいる。実力はもう十分のはず。優勝には運も必要だ。野球の神様にほんの少し後押しを、とお願いしておく。

岩手県知事選/復興軸にして論戦を始めよ
 長い前哨戦が始まった。岩手県知事選(8月20日告示、9月6日投票)は、3選を目指す無所属現職の達増拓也氏(50)に、元復興相の平野達男参院議員(61)=無所属、岩手選挙区=が挑む構図が固まった。
 東日本大震災後、2度目の知事選となる。次の任期は震災から5〜8年の時期に当たる。被災者の住宅確保や基盤整備は、完了に近い形が求められるのは言うまでもない。
 その方策をめぐる論戦が4カ月も続くことは大歓迎だ。達増、平野両氏には、震災復興を軸とした政策と将来ビジョンを明確に示し、互いの主張の争点を浮かび上がらせることを望みたい。
 2人は、生活の党の小沢一郎代表(衆院岩手4区)に見いだされて政治家になった。自由党、民主党で政治行動を共にし、岩手に「小沢王国」を築いた。
 達増氏は民主党が分裂した2012年、小沢氏に同調して党を離れた。平野氏は小沢氏とたもとを分かち民主党にとどまったが、政権陥落後の13年参院選前に公認を袖にする形で離党し除名された。小沢氏をめぐる結束と反発の政治劇が、巡り巡って同門対決につながった形だ。
 この現象は、岩手県政界が激変期に入ったことを示している。一時、県選出の衆参国会議員を独占した小沢氏の影響力は低下し、現在の勢力は小沢氏と参院議員1人だけ。次の主導権をめぐり、政党を巻き込んだ争いとなる。
 達増氏はこれまで、民主党推薦で当選を重ねた。今回は「県民党」を掲げ、政党と一線を画した。小沢氏と一定の距離を保つスタンスを示すことで、幅広い浸透を目指す意図がにじんでいる。民主党県連は支持の方針を決め、県政与党の生活も全面支援に回る予定だ。
 平野氏には、自民党が全面支援する方針を決め、県政の転換をもくろむ。無所属系の県議会会派いわて県民クラブも応援する。
 各党の対応が固まれば、2人の争いに与野党対決の色合いが浮かび上がるのは確実だ。国政の動向によっては有権者が安倍政権の姿勢を加味して審判を下すことにもなる。
 秋口まで続く論戦は、やはり震災復興が軸となろう。5年間の集中復興期間は15年度で終了する。国は16年度以降の予算措置について、復興と深く関連する基幹的事業や復興と関係が薄い事業などに3分類し、基幹的な事業は国が全額負担、他は地元負担を求める方針だ。
 大事なのは、向こう4年で住まいや仕事を含めた被災者の暮らしをどう再建し、沿岸被災地のまちづくりを加速させるかの方策に尽きる。
 達増氏は掲げた「本格復興邁進(まいしん)」の道筋を分かりやすく示し、果敢に論争を仕掛ける責任がある。平野氏は現県政の復興施策の問題点は何かを明示し、挑んでほしい。
 復興のほかにも、人口減少対策、産業振興など取り組むべき課題は山積している。過去の因縁から来る揚げ足取りのような争いは避けるべきだ。岩手を未来に導くリーダーの力量とは何かを熟考できる論戦を期待したい。

愛知からYuさん・・・天王寺→鶴橋で楽しみました

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Japon: A 5 ans, il imite Bruce Lee à la perfection
Il a 5 ans, il est Japonais, il est fan de Bruce Lee et il l'imite à la perfection. A tel point qu'une vidéo de ce petit prodige, qui s'appelle Ryusei Imai, fait la une des médias nippons -mais aussi américains- depuis quelques jours.

Sur la vidéo en question, publiée sur youTube par le père du gamin le 1er mai, on voit Ryuji recréer une scène de combat du film de 1978 Le Jeu de la mort (Game of Death). Il réalise en synchronisation quasi-parfaite les mouvements de la star avec ses petits nunchakus, comme le prouvent les images du film qui défilent sur l'écran de télévision derrière lui. Détail adorable: Ryusei est habillé de jaune, comme son idole.
La page Facebook du petit garçon, tenue par son père, regorge de photos et de vidéos de lui en plein entraînement ou prenant la pose ≪à la Bruce Lee≫. Son père précise qu'il a commencé à s'entraîner avec des nunchakus en août 2014, et aux coups de pieds et coups de poings depuis janvier dernier. Cependant, ≪il regarde des films de Bruce Lee depuis 2011, quand il avait 1 an≫.
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愛知からYuさんが大阪に来ています.昨日京都に寄ったそうですが・・・
昼13時に天王寺で待ち合わせです.少し早めに部屋を出て,大阪城に行ってみると人がたくさん.日本橋で6月の文楽の券を買いました.
Yuさんとは天王寺ですぐに会うことができ,そのままお店に.2軒目は鶴橋に行こうということになって,移動しました.Yuさんは朝から串カツを食べていたので,焼き肉はパスです.さらに3軒目で韓国料理の辛いお店に.満足です.千日前で一服して帰りました.

京都の学生が仮設訪問 創作踊りで交流・仙台
 京都の学生たちが4日、仙台市太白区のあすと長町仮設住宅を訪れ、創作踊りを通して東日本大震災の被災者と交流した。
 学生45人が留め袖を加工した衣装を着て竹の鳴り物四竹(よつたけ)を持ち、音楽に合わせて創作踊り「京炎 そでふれ!」を力強く披露した。被災者と四竹のキーホルダーを作ったほか、一緒に踊って親睦を深めた。
 仮設住宅に入居する無職門馬福治さん(67)は「今後も続けて来てもらえたらうれしい。仮設を出て離れた仲間と集まれる機会になる」と笑顔だった。
 地域活性化に取り組む京都府内の学生団体「京都学生祭典実行委員会」が主催し、ことしで3回目。13大学の学生90人が2班に分かれ3日〜5日、仙台や名取、福島の仮設住宅などを訪れている。
 責任者の立命館大3年の吉本良太さん(22)は「元気付けたいと思って来たが逆に自分たちが元気をもらった」と話した。


<かすむ復興>住まい仮修繕のまま/在宅被災者の苦悩(1)/暮らし
<収入は年金のみ>
 風雨にさらされたベニヤ板が1階に打ち付けられたまま、色がくすむ。
 東日本大震災の津波で突き破られた壁やサッシの代わりとしてしのぐ、応急的な措置のはずだった。
 石巻市湊地区の無職遠藤正義さん(72)は、被災した自宅に住み続けて間もなく4年になる。避難生活で体調を崩して入院。退院後に妻礼子さん(67)と自宅2階で暮らし始めた。
 車を津波で失い、抽選で割り振られた仮設住宅は病院などから遠かった。入居を諦めた。
 全壊した家の修理費として用意できたのは、市の補助金など約150万円。台所、居間といった生活に最低限必要な空間に限って直した。支援団体から紹介された大工が格安で作業をしてくれた。他の部屋は今も手つかずだ。
 完全に修理するとさらに300万円が掛かる。「収入は年金頼りで、生活するだけで精いっぱい。自力で直すのは難しい」

<仮設から戻る>
 大街道地区の無職行方璋房さん(76)も在宅被災者の一人だ。自宅は2階の床上約80センチまで浸水した。一時は内陸部の仮設住宅に入居したが、生活環境の変化になじめず、震災があった2011年の終わりには自宅に戻った。
 約150万円を掛けて修理した。水を吸った内壁や天井板ははぎ取り、段ボールで代用した。断熱材も撤去したため、冬は隙間風が吹き込む。室内の気温は零度まで下がるという。住環境は悪化している。
 市の道路事業に伴い、蛇田地区の集団移転地に移ることになった。「住み慣れた場所を離れたくはないが、正直ほっとした気持ちもある」。行方さんは複雑な胸の内を明かす。

<「支援拡充を」>
 石巻市の一般社団法人「チーム王冠」は昨年、市内を中心に在宅被災者約1100世帯を対象に家屋修繕状況を調査した。修理が未完成という回答は4割を占め、そのうち金銭的な理由が6割に上った。
 市は4月、独自の住宅再建補助制度を拡充。半額だった上限100万円の補修費補助率を全額に引き上げた。しかし、王冠の調査によれば、修繕した約400世帯(未完成を含む)の平均修理額は約450万円という。
 伊藤健哉代表理事は「在宅被災者への支援が薄く、被災者間で格差がある。在宅被災者を行政がしっかりと把握しているのかも疑問。実態を調べ、支援を拡充するべきだ」と指摘する。

     ◇

 東日本大震災の発生から5年目となる被災地で、被災した自宅に住み続ける人々が苦しんでいる。仮設住宅などで暮らした被災者に比べ支援の手が届きにくく、「在宅」ゆえの新たな課題にも直面する。当事者からは「置き去りにされている」との声が聞こえる。(震災取材班、石巻総局・高橋公彦)


亡き弟を思う 青いこいのぼり
こどもの日の5日、宮城県東松島市で、東日本大震災で亡くなった子どもたちにささげる700匹を超えるこいのぼりが大空を泳ぎました。
この「青いこいのぼりプロジェクト」は、4年前の震災で当時5歳の弟を亡くした宮城県東松島市の大学生、伊藤健人さん(22)が、弟が好きだった青いこいのぼりを天国から見てもらいたいと、全国からこいのぼりを募って毎年こどもの日に行っています。
東松島市大曲浜地区の伊藤さんの自宅跡近くでは、地元の住民やボランティアなどが去年までに届いた600匹余りに加えて、ことし新たに寄せられたこいのぼりを加えた700匹を超えるこいのぼりを揚げました。中には、「希望」や「がんばれ東北」などと被災地への思いが書かれたこいのぼりもあり、こいのぼりが風にのって大空を泳ぎ出すと参加者から大きな拍手があがっていました。
仙台市から参加した小学6年生の男の子は「震災のことを忘れずに、また災害が起きても被害を少なくできるようにしたい」と話していました。
伊藤さんは、「弟をはじめ震災で亡くなった子どもたちは無念だったと思いますが、今、命ある私たちが笑顔で揚げたこいのぼりを見て笑ってくれたと思います」と話していました。
大曲浜地区は、復興工事が始まるため、この場所でこいのぼりを揚げるのは今年が最後になりますが、伊藤さんは、来年以降も場所を変えてこいのぼりを掲げたいと話しています。
【青いこいのぼりへの思い】
青いこいのぼりを掲げたのは宮城県東松島市に住む大学生、伊藤健人さん(22歳)です。
伊藤さんは、東日本大震災の大津波で、当時5歳の弟、律くんと母親と祖父母を亡くしました。
4人は、津波から避難する途中だったということです。
東松島市では、市全体で1100人あまりが死亡し、24人の行方がいまもわかっていません。
自宅があった大曲浜地区は、ほとんどの住宅が流されました。
伊藤さんは、律くんの遺体が見つかった後、津波で壊れた自宅近くで、土にまみれた長さ3メートルほどの青いこいのぼりを見つけたといいます。
「青いこいのぼりが好きだった弟にこいのぼりを見せてあげたい。
同じように震災で亡くなった多くの子どもの霊を慰めたい」と思った伊藤さんは、震災の年に青いこいのぼりを送ってくれるよう全国に呼びかけました。
この年、204匹が集まった青いこいのぼりは、その後も全国から寄せられ今年は700匹を超えるまでにまりました。
また、亡くなった律くんは、太鼓の演奏が得意だったということで、毎年、青いこいのぼりを仰ぎながら、空の上の律くんにとどくように力強い太鼓の演奏が行われています。
伊藤さんは、現在、大学4年生で来年の春に大学を卒業するということです。
卒業後は、地元の自治体などに就職して地域の復興に役立ちたいということです。


”復興に子どもたちの視点を”
東日本大震災からの復興に子どもたちの視点を生かそうと、被災地の子どもたちがまちづくりの取り組みを紹介する「まちづくりサミット」が仙台市で開かれました。
「東北子どもまちづくりサミット」は、東京のNGOが震災が起きた平成23年から毎年、開いています。仙台市青葉区の会場には東北を中心に小学生から高校生の児童や生徒、それに保護者などおよそ200人が集まり、宮城県石巻市と、岩手県陸前高田市、山田町の小学5年生から高校生が復興に向けたまちづくりの取り組みを発表しました。
このうち、山田町の子どもたち12人は、自分たちで考えた町の特産のまつたけにちなんだ町公認のキャラクターと一緒に発表しました。
子どもたちは、来年の春にオープンする予定の図書館を備えた交流施設にどのようなコーナーを設置するかなどを考えたということで、震災の影響で公園などが使えない中、子どもが気軽に集まれる場所を作りたいと訴えました。
また、石巻市の子どもたち15人は、震災の風化を防ぐため、波をイメージし、木製のモニュメントを製作したことや商店街の魅力を伝えるマップを作って市内で配ったことを紹介しました。
発表した石巻市の高校2年生の宮本愛与さんは、「震災から4年以上たちましたがまだまだ復興は進んでいません。自分たちがもっと石巻を知り、外の人に伝えていくことが大切だと思います」と話していました。


気仙沼 郷土芸能伝える催し
震災で大きな被害を受けた気仙沼市の唐桑地区で、地元の人たちが大漁を祝って歌う「大漁唄い込み」などの郷土芸能を披露する催しが開かれました。
この催しは、観光客や若い世代に郷土芸能に親しんでもらおうと、地元の人たちが毎年、大型連休にあわせて、唐桑半島のビジターセンターで開き、地元の郷土芸能の4つの保存会が、唄や踊りを披露しました。
このうち、震災の津波で被害を受けた鮪立漁港周辺の地区から参加した団体は漁を終えて入港するときなどに大漁を祝って歌われた伝統の「大漁唄い込み」を披露しました。この地区は、震災後、被災した人が地元を離れたり高齢化が進んだりして、郷土芸能の後継者が不足しているということです。
「大漁唄い込み」を歌った20人ほどの漁業者などは、最も若い人でも65歳で多くが70代の人でした。
唄を披露した郷土芸能の保存会の鈴木盛男さんは、「大震災に負けないで、唄をうたい続けることで地域の活性化につなげ、なんとか唐桑の海の文化を次の世代に継承していきたい」と話していました。


復興と地元負担 被災地の動揺を招くな
 東日本大震災の発生から5年となる来年春以降の復興予算の枠組みをめぐる動きが急だ。政府は復興事業の全額を国が負担する従来の方式を転換し、一部の事業で地元自治体の負担を求める方向だ。

 国の財政が厳しい事情は理解できるが、被災自治体に不安や動揺を広げ、復興に支障を来してはならない。事業の長期化を見据えた安定した枠組み構築を求めたい。

 復興財源をめぐり政府は震災発生から5年間の2011〜15年度を集中復興期間として総額26兆3000億円の予算を特別会計に計上し、事業費は全額国負担としてきた。岩手、宮城、福島、青森4県は来年春以降も総額8兆円超が必要になると試算し、集中期間の延長を求めている。

 これに対し政府は「基幹的な事業」を引き続き国の全額負担とする一方で、それ以外で地元負担の導入を検討している。連休明けにも基本方針を示し、6月末に新たな予算の枠組みを決める段取りとみられる。

 政府には全額国負担方式を、事業の乱発を招く「モラルハザード(倫理観の欠如)の原因」(竹下亘復興相)とみる傾向があるようだ。復興事業は予算規模が大きいだけに、たとえ1%の地元負担であっても市町村などに与える影響は大きい。新規事業の抑制や、事業の見直しにつながるとの財政当局の思惑があるのかもしれない。

 震災5年経過以降の地元負担をすべて否定するわけではない。だが、被災自治体を不安に陥れ、復興全体の青写真に影響してしまっては元も子もない。沿岸部では施設整備に加え、さまざまな事業が一体となっているケースも多い。「基幹的な事業」の範囲をしゃくし定規に絞り込むべきではあるまい。

 内陸の道路整備や全国で他の自治体も実施している補助事業は確かに地元負担の検討対象となるだろう。その際も沿岸部復興などとの関連は十分に配慮すべきだ。

 集中期間を5年期限としたことが逆に被災地を駆け込み的な事業に走らせた、との指摘もある。アベノミクスに伴う事業費高騰や人手不足も重なり、復興事業は全般に遅れている。復興予算の相当額が被災地以外に流用され、しかも9兆円近くがなお使われていない。長期的に復興を支える国の決意が問われよう。

 一方で自治体側も、住民の間で意見が分かれる巨大防潮堤の整備など、事業の再点検を自主的に進める必要がある。これまで復興予算で計上されながら、活用が進んでいない基金の新規財源への充当なども検討すべきではないか。国と地元が十分に協議して、住民の生活再建に資する枠組みで歩みよってほしい。


社説を読み解く:原発と司法判断=論説副委員長・大高和雄
 ◇賛否の二元論だけでは語れぬ リスクのとらえ方の違い 再稼働巡る姿勢分ける

 原子力規制委員会の安全審査に合格した原発の再稼働を巡り、相反する二つの司法判断が示された。再稼働の是非は、国民の間でも意見が激しく対立する難しい問題だ。

 毎日新聞の論説室でも活発な議論が交わされた。その内容も紹介しながら原発問題に関する私たちの主張と各社の主張を整理し、議論の分かれ目を解きほぐしたい。

 最初の判断は、福井地裁が4月14日下した、関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を認めないとする仮処分決定だ。今後の司法手続きで決定が覆らない限り、再稼働できないのだから影響は大きい。

 規制委が耐震安全審査の前提にしている「基準地震動」について決定は、「実績のみならず理論面でも信頼性を失っている」と指摘し、その意義を否定した。新規制基準そのものも「緩やかに過ぎ、合理性を欠くもの」と一蹴した。

 安全審査を取材している論説委員は「地震の平均像で考える基準地震動では、それを超える地震が起こる可能性は残る。裁判所の考え方は理解できる」と評価した。

 一方、エネルギー政策を担当する論説委員は「規制基準は原発事故後に厳格化された。それを否定している根拠は科学的といえるのか」と疑問を呈した。

 さらに、「福島の経験を踏まえれば事故は起きるという前提に立つべきだ」「一切のリスクを容認しないというのは現実的でない」といった意見が出されたが、「現実に立脚しながら、この時期に出された決定の意義を考えるべきだ」という主張に賛意が集まった。

 議論を踏まえて社説は「いくつもの問題を先送りしたまま、見切り発車で再稼働をすべきでないという警鐘」であると論じた。周辺住民の避難計画を含めて、安全確保という肝心の問題に疑問を残したまま再稼働を進めようとする政府に反省を促す司法判断だという評価である。

 <即時全廃の現実性>

 一方で社説は「ゼロリスクを求めて一切の再稼働を認めないことは性急に過ぎる」とも指摘した。

 毎日新聞はこれまでの社説で、できるだけ早期に原発ゼロを目指すべきだと主張してきたが、即時の原発全廃は訴えていない。電力の安定供給や電気料金の抑制、原子力協定を結ぶ米国との関係などを総合的に考えると、国民全体の利益を損なう恐れがあると考えるからだ。

 その上で、規制基準を満たすだけでなく避難計画を含めた安全の確保や地元の合意などを条件に最小限の再稼働は認めざるを得ないと考える。最小限とは、省エネや再生可能エネルギーの拡大など原発依存度を引き下げるために最大限努力することを前提にするという意味である。

 「再稼働を粛々と進める」という政府と決定的に違うのは、政府が原発の維持を前提としているのに対し、私たちは可能な限り早期の脱原発を求めているということだ。

 そのため、政府に対しては原発ゼロの目標を掲げ、それを実現できる環境を整備する道筋を描くことこそ必要だと重ねて主張してきた。

 <思想の相違>

 二つ目の司法判断は、その8日後に出た鹿児島地裁の決定だ。福井地裁の決定について裁判長の個性を反映した特異な判断との見方がある中で、規制基準の信頼性を否定して差し止めを認める裁判が続けば、司法審査の潮目の変化を印象付けることになると注目した。

 原発を巡る司法審査の基準になっているのは1992年10月の四国電力伊方原発訴訟最高裁判決だ。安全審査について、専門家の意見を尊重して行う行政の合理的な判断に委ねるべきだとして、行政の裁量権を大幅に認めた。その上で、裁判所は審査基準が不合理か否か、適合性の審査や判断過程に見過ごせない誤りがあるか否かなどを審理すべきだとした。

 福井地裁の決定は、安全性に関して自ら踏み込んで審理し、規制基準の合理性を認めなかった。行政裁量を限定する内容である。

 しかし、鹿児島地裁は九州電力川内原発1、2号機の再稼働差し止めを求める住民の仮処分申し立てを退けた。規制基準について「福島第1原発事故の経験も考慮した科学的知見に照らしても、不合理な点はない」と評価し、基準地震動についても妥当性を認めた。

 二つの司法判断が極端に分かれた背景には、原発のリスクに対する思想の違いがある。原発事故の影響の大きさに鑑み、リスクが少しでもあれば許容できないのか、基準を厳しくすることでリスクは許容できる程度まで減らすことができると考えるかの違いである。

 判断の難しい問題で、これは再稼働を巡る国民の意見の違いにも通じる。社説は「原子力政策はこのように評価が難しい問題であり、だからこそ政府は政策について丁寧な議論を深め、国民の理解を得ていく必要がある」と論じた。

 確かに鹿児島地裁の判断は、伊方判決を踏襲しているように見える。しかし福島の原発事故以降、安全性という事実評価にまで広範な行政裁量を認めてきたことへの反省が、裁判所内でも生まれてきたのではないか。例えば大津地裁は昨年11月、高浜・大飯両原発の再稼働を巡り、差し止めは認めなかったものの避難計画の策定が進まなければ再稼働はあり得ないと指摘した。

 3・11以降、原発に対する国民の意識は変わった。「安全神話」の崩壊は行政不信にも通じる。それにもかかわらず、住民の理解を置き去りにし、使用済み核燃料の処分といっった最大の課題を解決できるメドもないまま原発回帰を進めようとする政府の姿勢は容認できない、というのが私たちの立場だ。

 <各社の論調>

 原発のリスクに対する思想の違いは各紙の社説にも反映している。

 朝日は福井地裁決定について「裁判所の目線は終始、住民に寄り添っていて、説得力がある」と論じ、東京も「普通の人が普通に感じる不安と願望をくみ取った」と評価した。

 これに対して読売は「合理性を欠く決定と言わざるを得ない」と批判した。産経は「奇矯感の濃厚な判断」と驚きを表明し、「重大な負の影響をもたらす」と指摘。翌日もこのテーマを取り上げ、迅速にこの決定を覆すよう裁判所に求めた。

 一方、鹿児島地裁の決定については、朝日は安全性の判断を専門家に委ねることに疑問を呈し、東京は規制基準に対する国民の疑問は一層深まったと論じた。対して読売は最高裁判例に沿った妥当な司法判断だと論じ、産経も極めて当然で理性的な決定だと高く評価した。

 リスク思想の違いで二つの陣営にきれいに分かれた格好だ。しかし私たちは、原発は是か否かという二元論だけでは、この国の未来は描けないと考える。

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 ◇司法判断に対する社説の見出し

<福井地裁決定>

毎日 司法が発した重い警告

朝日 司法の警告に耳を傾けよ

読売 規制基準否定した不合理判断

産経 「負の影響」計り知れない 迅速に決定を覆すべきだ

東京 国民を守る司法判断だ

<鹿児島地裁決定>

毎日 丁寧な原発論議が要る

朝日 専門知に委ねていいか

読売 再稼働を後押しする地裁判断

産経 説得力ある理性的判断だ

東京 疑問は一層深まった

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飫肥→鵜戸神宮→青島/バスが遅れて焦った・・・

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Népal : 42 Français toujours introuvables
Après le violent séisme qui a frappé le Népal, les autorités ont découvert lundi les corps d'une centaine de villageois. Le Quai d'Orsay est toujours sans nouvelles de 42 Français.
Une centaine de corps sans vie. Neuf jours après le violent séisme qui a ébranlé le Népal, le bilan de la catastrophe continue à s'alourdir de jour en jour. Lundi, ce sont une centaine de corps que les autorités népalaises ont découvert à Langtang, dans un village de montagne situé à 60 kilomètres de Katmandou. Cette petite localité avait été ensevelie sous une avalanche provoquée par le tremblement de terre. Parmi les victimes, on compte également plusieurs trekkeurs de passage dans la commune au moment du séisme, dont sept étrangers.
42 Français introuvables. Côté français, si le bilan est toujours de trois morts et de sept disparus, le porte-parole du ministère des Affaires Etrangères a précisé lundi que 42 Français restaient toujours introuvables.
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2日目は日南へおでかけです.最初はJRでの移動を考えていましたが,観光案内の人のおススメで1日券のバスで.宮崎駅を出たときはそんなでもなかったですが,いつの間にか車内は満員に.近くにいる関西人がやかましいです.OL1年目だそうですが・・・
バスに揺られて1時間以上.海沿いを走るのできれいな海が見えました.OLたちは「海〜」といってこれまたやかましい.彼女たちはモアイ像のある日南サンメッセで降りたので,だいぶ静かになりました.
飫肥は歴史のある町で,建物みているだけでも満足です.飫肥城での泰平踊(たいへいおどり)も見ました.武士と町民が一緒に踊るというものです.お昼におび天を食べて,再びバス.今度は鵜戸神宮です.小さな神社かと思いきや参道が長く,予想以上に観光客がいました.海が見えるのもうれしいです.なぜか大宰府の梅ヶ枝餅が売っていたので思わず買っていただきました.
さて次の目的地青島に行こうと思うと,バスがなかなか来ません.間違って反対方向のバスに乗ってしまうところでした.30分くらい遅れてバスに乗りました.30分くらいでつくはずが1時間近くかかってしまいました.バスだから仕方ないですね.青島は去年行った高知の桂浜みたいな感じ.島だけどつながっています.
宮崎駅に戻るバスもまた遅れて焦りました.駅までは20分くらいの遅れだったので,無事大阪に帰れそうです.

<これから>復興 教え学び考える/第23部・見据える(1)
◎東京都・大内征さん

 自発的に学ぼうとする社会人がさまざまなテーマで集っている東京の「自由大学」の講座に、「東北復興学」がある。東日本大震災の1年余り後に開講した。
 仙台市出身の大内征さん(42)=東京都=が発案。講座の「教授」も務める。
 4月30日は仙台市内のFMラジオ局のスタジオにいた。受講生の有志が絵や文章を書き、1月に完成させた「石巻(いすのまぎ)カルタ」に込めた思いを、生放送で紹介した。
 「震災前からの石巻の息遣いを発見し共有できる、手作りのかるたです」
 一緒に出演した都内の会社員浅野郁美さん(36)は、2年前の受講生だ。石巻市出身。実家は津波で流された。
 5回続きの授業の最後に「石巻の記憶を紡ぐかるたを作りたい」と発表した。受講生の同期や先輩約20人に賛同の輪が広がり、2年がかりで作り上げた。

 震災後、東京では自分の被災体験を周りに話しにくいような雰囲気も感じたという。浅野さんは「ここ(東北復興学の講座)なら話せるんじゃないかと思い飛び込んだ」と振り返る。
 学び始めると、被災地に思いを寄せる人とのたくさんの出会いがあった。浅野さんにとっては、その結晶がかるたになった。
 大内さんは、アウトドア&ローカルプロデューサーを名乗り、地域体験ツアーやアウトドアイベントを企画するのが本業。震災前は自分自身が自由大学のほかの講座を受講していた。
 その縁で、震災が起きると自由大学の運営関係者らと、同大学をプラットホームとした震災との向き合い方を模索。具体的手法として2012年5月に東北復興学を始動させた。
 学問としての復興学ではない。「震災を機に生き方を変えたような人たちに触れながら震災後の東北を感じ取り、自分の道を見いだす場になってくれたらうれしい」と大内さん。
 東北復興学は9期講座まで実施した。本業で培った人脈も含めた大内さんのネットワークから毎回ゲストを招き、震災が問い掛けるものを共に考える。故郷の仙台市や、いわき市などの被災地で、泊まりがけのフィールドワークをして学びを重ねる。

 社会を見渡せば、震災の風化が懸念されている。大内さんは東北復興学が担う役割をあらためて思う。
 「東北を思う仲間が共鳴し合い、自由に教え学ぶ場だからこそ見えてくるものがある」。そう信じて、人と人をつなぎ、再生に向けた次なる扉を押し開く。

 被災地は多くの課題を抱えたまま、震災発生から5年目を迎えた。再生への道のりはまだまだ続く。困難を乗り越えた先にあるものを思い、それぞれが模索し行動する。(震災取材班)


<祈りと震災>(41)救いの宗教はどこへ
 オウム真理教による地下鉄サリン事件から3月20日で20年になった。テレビでは特別番組が組まれ、当時の教団幹部らが事件を振り返った。
 東日本大震災で被災した仙台市の女性は、同居する30代の娘がテレビにくぎ付けになる姿に不安を覚えた。
 娘は震災後、精神世界に過敏に反応するようになった。親戚の女性にマインドコントロールされたという。「抜け出したくても抜け出せないでいる」。母親として身を案じ、肩を落とす。
 娘は仮設住宅にいた2012年末、親戚に連れられ深夜の外出を繰り返すうちに態度が変わった。数カ月後に身の危険を感じて自ら縁を切ったが、心は元に戻らない。
 親戚への恐怖心からおかしな言動を繰り返すようになった。暴力的な幻聴におびえて風呂場の壁を壊した。
 カルトめいた要素が見え隠れする。「すっかり別の人格になってしまって…」。震災で自宅を失ったこと以上に娘の変わりように苦しむ。

 「カルト」はもともとは崇拝、祭儀などを意味する。だが今は、極端な思想の宗教団体といった否定的なニュアンスで使われることが多い。
 日本脱カルト協会(東京)理事で神奈川県横須賀市の僧侶、楠山泰道さん(67)は、震災の被災者数人から相談を受けた。
 ある母親は「娘がカルトに心を奪われて言うことを聞かない」と嘆いた。別の母親は熱心なカルト信者の息子から「お前が入信しなかった罰として友人が震災で死んだ」と怒鳴られ、暴力を振るわれた。
 楠山さんとカルトの出合いはオウムだ。信者に終末思想を唱え、人類の救済に3万人の解脱者が必要とあおった。
 時代は高度経済成長を経たバブル崩壊前後。モノやカネより心の豊かさを求めた若者が狂信的に引き寄せられ、殺人を肯定してしまう思想をマインドコントロールされた。
 その果てに、地下鉄サリン事件が起きた。13人が死亡、6000人以上が負傷した無差別の宗教テロだった。
 楠山さんは訴える。「生きる道を示すのが宗教。誤った道に導くのは宗教違反だ」

 貧困、格差拡大…。経済論理を優先する社会は、ともすれば人の心を置き去りにした。カルトは隙間をついて心に分け入り、信奉する人を生み続けているのだろうか。
 20年前、オウムの信者が語った。「お寺に宗教はない。寺は単なる風景」。この言葉が何を問い掛けたのかを思う。
 楠山さんは警鐘を鳴らす。
 「寺が心のよりどころとしてもっと生きる人に向き合わなければ。寺と人々の関係が薄れ、旧来の檀家(だんか)制度が壊れるかもしれない今後20年が勝負だ」
「祈りと震災」取材班


東松島 仮設住宅で春祭り
東日本大震災の発生から4年余りたっても避難生活を余儀なくされている人たちを励まそうと、宮城県東松島市の仮設住宅で春祭りが開かれ、大型連休を利用して訪れた県内外からのボランティアと住民が一緒に長さ36メートルのジャンボのり巻きを作りました。
春祭りが開かれたのは、宮城県東松島市の「矢本運動公園仮設住宅」です。
この仮設住宅は、当初およそ400世帯が入居し、その後、災害公営住宅などに移った人もいますが、震災の発生から4年余りがたったいまも、およそ280世帯が避難生活を続けています。
4日は、仮設住宅の住民と仮設住宅の自治会の呼びかけに応じ大型連休を利用して訪れた東京や愛知などからのボランティア、あわせておよそ300人が、ジャンボのり巻き作りに挑戦しました。
まず、テーブルに広げたのりの上に、ボランティアの学生などがご飯や焼き卵、かんぴょうなどの具をのせていきました。
そして合図とともに住民たちが一斉に巻いていくと長さ36メートルののり巻きが完成しました。
夫婦2人で仮設住宅で暮らす78歳の女性は、「狭い部屋での生活が続き、ストレスがたまりますが、学生たちから元気をもらい笑顔になりました」と話していました。
仮設住宅の自治会長、小野竹一さんは、「仮設住宅に取り残されたと思い沈みがちな住民も多いので、ボランティアから励ましをもらって、みんなで一丸となって頑張っていきたい」と話していました。


<さよなら松島水族館>「全てファンのおかげ」/(4完)88年間の記憶とともに
 大型連休中の祝日の4月29日、にぎわうマリンピア松島水族館(松島町)で、子どもたちの歓声がひときわ響いた展示があった。約70羽を飼育するペンギンランドだ。
 オープンしたのは1989年。6種類計90羽の展示は当時、日本最大のコレクションだった。
 「日本人はペンギンが大好き。人気展示になることは確実だ」。水族館を運営する仙台急行社長の西條直彦さん(68)の思い付きから始まったプロジェクトは、国内の水族館で初めてとなる捕獲で始まった。
 86〜87年のイロワケイルカ捕獲作戦で、南米チリと人脈ができた。89年、マゼラン海峡に浮かぶ島に上陸し、マゼランペンギンなど3種計70羽を捕まえた。

 できるだけ健康な状態で日本に輸送するため、現地で1次飼育をした。担当したのは、展示部長の神宮潤一さん(61)。特別な施設はないので、街中にある協力者宅の庭を飼育場所にした。隣人から奇異の目で見られ「臭い、うるさいと苦情があって大変でした」。
 現在飼育しているのは、そのとき捕獲したペンギンの子、孫の世代だ。ペンギンランドは四半世紀、人気を保った。
 仙台市宮城野区の仙台港背後地で「仙台うみの杜水族館」の建設が進んでいる。開業日は7月1日。松島水族館は業務委託契約を結び、飼育担当スタッフと動物を新水族館に移す。
 神宮さんは業務委託チームのまとめ役を務める。「イロワケイルカの繁殖、マンボウの長期飼育、そしてペンギンの展示。松島で力を入れたもの、そこでの経験を生かしたい」と語る。

 松島水族館公認のファンクラブ「マリンピアクラブ」代表の植松純子さん(仙台市青葉区)は「閉館するなんて、実感がない」と言う。2001年の発足から関わり、官民協働の新しい松島水族館の建設を求めて署名活動にも加わった。
 水族館では繁忙期に社長、専務、館長、展示部長ら幹部がエプロン姿でそばをゆでたり、海産物を焼いていたりする。「その手作り感、ほのぼの感が水族館の魅力でした」
 クラブは記念誌「メモリアルBOOK」を8日に発刊する。水族館の歴史、捕獲奮戦記、職員の思い出などを盛り込む。100ページに及ぶ永久保存版だ。
 閉館を惜しむ人々でにぎわう水族館の広場に立つ西條社長には、複雑な思いがないわけではない。老朽化した建物をリニューアルできなかった。仙台移転は資金不足で断念した。
 ポテトを揚げていると、よく声を掛けられる。先日は老夫婦に呼び止められた。「閉館を知って、岩手から駆け付けたんですよ」
 「88年続いたのは、リピーターやファンの方々のおかげだった」。思いがこみ上げた。
 マリンピア松島水族館は10日、営業を終える。(塩釜支局・山野公寛)

綾の酒泉の杜へ/冷や汁が美味しいような??

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Japon : Les seniors vont bénéficier d’iPad gratuits
La poste japonaise, avec la collaboration d'IBM et Apple, va distribuer des iPads conçues spécialement pour le troisième âge aux personnes âgées au Japon.
Jeudi, la poste japonaise, conjointement avec Apple et IBM, annonçait que les facteurs japonais allaient distribuer d’ iPad gratuitement à 1000 personnes âgées à partir du mois d’octobre. Grâce à des applications fournies par IBM, spécialement conçues pour les seniors, ceux-ci seront ≪ connectés ≫ avec leur famille et les services de santé.
5 millions de japonais servis d’ici 2020
Le Japon souhaite que ses seniors entrent de plain-pied dans le monde connecté afin d’améliorer leur qualité de vie. Un partenariat entre Apple, IBM et la poste japonaise vient de naitre afin que les seniors qui habitent dans les contrées les plus reculées du Japon reçoivent gratuitement un iPad.
Pour mener à bien ce projet, la poste japonaise va se reposer sur un service qu’elle proposait déjà aux personnes âgées. Pour 1000 yens par mois, soit environ 7,40 euros, les postiers surveillent la santé des séniors et en informent les familles. Les tablettes seraient alors distribuées à ces clients gratuitement. L’objectif de ce projet est de distribuer des tablettes à 5 millions de japonais âgés de plus de 65 ans et qui habitent dans des zones reculées d’ici 2020.
Des applications spécialement conçues pour les seniors
IBM s’est chargé de concevoir des applications spécialement étudiée pour en faciliter l’accès aux seniors. Les interfaces sont simplifiées et les textes comportent de grands caractères. Les personnes âgées pourront ainsi utiliser un outil qui leur rappellera de prendre leurs médicaments, un autre qui présentera des exercices adaptés à leur âge, un autre encore qui leur proposera des régimes adaptés. Pour qu’ils puissent discuter avec leur famille et les services de santé, Apple installera leur logiciel de vidéoconférence Face Time.
Pour information, au Japon, plus d’un quart de la population à plus de 65 ans et cette proportion pourrait atteindre 40% d’ici 2050.
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宮崎に来たのはいいけれど,どこに行くか決めていません.とりあえず観光案内所でおススメを聞きました.綾という町に酒泉の杜があるということなので、バスの1日券を買って移動です.雨です.1時間くらい乗ると最終の酒泉の杜に着きました.たくさん人がいます.試飲で自分で適当に飲むことができます.焼酎がメインですが日本酒やワインも少しあります.ワインは日本のワインという感じでした.日本酒はまあ旨い気がします.焼酎やブランデーはよくわかりません.
雨が止んだようなので綾城に向かいました.でも地図では近いように思えたのに,歩くと結構遠いです.綾城の中には歴史資料館があって勉強になりました.
帰りに宮崎神宮に寄りました.
ホテルにチェックインして一服してから繁華街の一番街商店街をぶらぶら.いくつかのお店には行列ができていました.とりあえず開いているお店をさがして宮崎の郷土料理の冷や汁を食べました.美味しいようなまずいような不思議な味でした.
ホテルへの帰りにマックスバリュで明日の朝ごはんを買いました.

仮設、高齢化が顕著 県など14年度調査
 東日本大震災の被災者が暮らす県内の仮設住宅で高齢化と独居化が進んでいることが、県と市町村が2014年度に実施した被災者の健康調査で分かった。プレハブの仮設住宅に暮らす被災者は半数近くが65歳以上で、高齢化傾向が顕著になっている。

 回答者のうち65歳以上が占める割合は、プレハブ仮設が43.8%に上り、前年度調査より4.6ポイント上昇した。民間賃貸住宅の借り上げなどみなし仮設住宅は前年度比1.5ポイント増の25.8%だった。
 回答世帯に占める65歳以上の1人暮らし世帯は、プレハブ仮設が3.5ポイント増の22.3%、みなし仮設では1.9ポイント増の12.3%を占めた。
 健康状態について、現在病気があると答えた人はプレハブ仮設で55.1%(3.1ポイント増)、みなし仮設は39.8%(1.0ポイント増)。体調不良を感じている人の割合はプレハブ仮設が19.1%(1.0ポイント増)、見なし仮設は15.9%(0.3ポイント減)だった。
 県健康推進課は「仮設住宅の高齢化率は県内平均の24.0%を上回り、病気がある人の割合も高くなりがち。心のケアなど対応が必要な被災者には、関係機関につなぐなどして支援したい」と話した。
 調査は、プレハブ仮設は石巻市など被災8市町の1万3042世帯を対象に14年9〜11月に実施。半数の6551世帯から回答を得た。みなし仮設は県内全域の1万4485世帯に14年11月〜15年2月に行い、6割に当たる8567世帯から回答があった。


<祈りと震災>(40)さまよう心 生へ導く
 千葉県成田市の長寿院住職篠原鋭一さん(70)が自殺予防に取り組んで20年になる。東日本大震災が発生すると、心の支えをなくし命を絶つ人が出ることを懸念した。すぐに被災地に向かった。
 「安心して死ねます」
 篠原さんは女性のつぶやきが耳に残っている。震災から間もない宮城県女川町の浜辺でのこと。勤めていた水産加工場の同僚の多くを津波で失い、自殺を考えていた。
 海に向かって読経する篠原さんを見て心が静まり、これで犠牲になったみんなのところに行けると言う。
 篠原さんは生きる道を促した。「みんなに申し訳ないと思うなら、生きてもう一度、魚の開きを作ってよ」
 その後、女性は1年余りで元気を取り戻して水産加工品の販売を始めた。

 岩手、宮城、福島の3県に通ううち、篠原さんは被災地の苦悩を感じた。家族を亡くし、自宅を失った心に喪失感が生じていた。住民は離散し地域社会の縁も揺らいだ。
 「孤立すると自殺願望が湧く。誰かが声を掛け、思考を生に向けていく必要がある」
 そうした思いから、東京電力福島第1原発事故で福島県双葉町の住民らが避難する田村市の仮設住宅を定期的に訪ねる。成田市に身を寄せる避難者との交流も続ける。
 自殺者が増加を始めた1995年、自殺予防に本腰を入れるようになった。居場所を見失った青年や生徒指導に行き詰まった女性教師らが寺を訪ね、自殺を考えるまで追い込まれた自らの心情を吐き出した。
 相手の話に聞き入り、共に悩みながら、生きる方策を探した。その姿が新聞やテレビで紹介されると、命を絶とうと思い詰めた人々が相次いで訪れた。

 自殺者は98年から2011年まで14年連続で3万人を上回った。無縁社会という言葉が生まれる時代状況が重なった。自殺が増える中で、僧侶は葬儀でお経を上げるだけでいいのかと疑問を抱いた。
 「自殺する前に手を打たなければ、われわれの勤めは死人産業と言われてしまう」
 危機感から、宗派を超えた僧侶5人で08年にグループ「自殺防止ネットワーク風」を設立した。翌年にNPO法人となり、理事長に就いた。
 今は全国の50人を超える僧侶が参加する。面会や電話で自殺を思い悩む人々と向かい合う。震災の際はメンバーが遺体安置所で読経し、仮設住宅で傾聴を続けた。
 篠原さんが大事にする言葉がある。「生きているうちに寺においでください。死んでからでは遅いのです」
 生きる人のためにこそ宗教者はいる。切れかかった縁をつなぎ直そうと災後の東北に足を運ぶ。


マンガッタン祭り
石巻市の観光施設「石ノ森萬画館」前の広場ではマンガをテーマにした催し「マンガッタン祭り」が始まりました。
この催しは毎年大型連休にあわせて開かれています。
3日は午前中から多くの親子連れなどが訪れ、石巻市ゆかりの漫画家・故・石ノ森章太郎のデザイン画を元にした石巻のご当地ヒーロー、「シージェッター海斗」と握手をしたり一緒に写真をとったりして楽しんでいました。
また会場ではプロの漫画家などが子どもたちの顔をモデルに「サイボーグ009」などのキャラクターを描くコーナーも設けられ人気を集めていました。
「石ノ森萬画館」は4年前の震災の津波で大きな被害を受け営業再開までに1年以上かかりましたが再開後は震災前より訪れる人が増えて、ことし3月には入館者が250万人に達しました。
埼玉県から親子4人で訪れた35歳の母親は、「実家が被災地の宮城県東松島市で帰省するたびにまちの様子が変わっているのを感じます。子どもが元気に遊べる地域に早く戻って欲しいと思います」と話していました。
この催しは5日まで開かれ、期間中、1万人以上の人出を見込んでいます。


<さよなら松島水族館>被災克服 職員が原動力/(3)復旧の43日
 テーブルや椅子が散乱している。広場は一面、泥に覆われていた。
 「大変なことになった」。展示部長の神宮潤一さん(61)は、生き物の状態が気が気でなかった。
 2011年3月11日、東日本大震災が発生し、松島町のマリンピア松島水族館に真っ黒な津波が押し寄せた。
 神宮さんは大津波警報発令後、来館者約30人と近くの高台にいったん避難。午後6時ごろに水族館に戻った。建物は湾に面している。1階は全て浸水した。
 屋外のプールで飼育していたビーバーは泥水をかぶった。最初は元気だったが、翌日から3頭の体調が悪くなり、次々に死んだ。
 機械室が浸水し、ポンプの約8割が水没したため、一部の水槽は温度を管理できず、水温が低下。2カ月前に仙台市宮城野区の七北田川河口で保護したコマッコウやマンボウが死んだ。熱帯魚も諦めざるを得なかった。
 経験のない大災害に見舞われたが、飼育していた生き物のうち、損失は1割程度にとどまった。壊滅的な打撃を回避できたのは、幾つかの要因があった。
 「何とかなる」。設備を担当する館長西條正義さん(66)には確信があった。1987年に国内の水族館で初めて導入した「切り札」が残っていた。自家発電と排熱利用を組み合わせたコージェネレーション(熱電併給)システムだ。
 重油高で近年は使っていなかったが、定期的に点検し、重油も十分あった。2階に置いていたので津波の被害を受けずに済んだ。自家発電は再び動きだし、施設の生命線になった。
 さまざまな設備のメンテナンスを外注せず、自前でやっていたことも威力を発揮した。海水に浸ったポンプは放置するとすぐにさびてしまう。自分たちで分解し、湯を沸かした鍋に入れて塩抜きをした。
 「何事も人任せにせず、自分たちで考える」(西條さん)。長年にわたって培われた職員の働き方が、早期復旧の原動力になった。
 全国の水族館が支援に動いた。鶴岡市の加茂水族館からクラゲが届いた。他の水族館からも宅配便で生き物が次々に送られてきた。
 再オープンは4月23日と決まった。「こんな状況でお客さんは来るのかな」。神宮さんは不安を感じていた。津波被災地は復旧どころか、混乱が続いていた。被災者の多くは避難所に身を寄せている。
 43日ぶりに営業を再開した当日、館内には歓声が響いた。入館者は978人を数えた。子どもたちはペンギンに餌をやってはしゃぎ、親たちはリラックスした笑顔を見せた。
 「震災の重苦しさを少し和らげることができたかもしれない」。神宮さんは明るいニュースを届けることができた充実感に浸った。


朝日新聞襲撃から28年 「絶対に忘れない」
 兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者2人が散弾銃で殺傷された事件から28年になる3日、亡くなった小尻知博記者=当時(29)=の遺影が支局内の祭壇に置かれ、生前の様子を知る人や市民らが冥福を祈った。
 事件をきっかけに言論の自由を守る集会の運営に携わってきたという西宮市の元職員阿波角孝治さん(77)は祭壇を訪れた後、「事件は絶対に忘れない。二度と起こらないような社会の雰囲気をつくるのが生きている人の務めだ」と話した。
 また、同日、朝日新聞社の幹部らが、広島県呉市の小尻記者の墓前で手を合わせた。

阪神ワイン祭で3時間も!!浪花のエディット・ピアフZAZAの歌声が素晴らしい

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≪ Celui qui n'aime pas la vie ne la mérite pas. ≫
de Léonard de Vinci
On n'est curieux qu'à proportion qu'on est instruit.
--Jean-Jacques Rouseau
One is curipus only as much as one is educated.
Une nation n'a de caractère que lorsqu'elle est libre.
--Madame de Staël
A nation only has character when it is free.
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歴史秘話ヒストリア「銃声とともに 桜は散った“桜田門外の変”の謎」
激動の時代・幕末のプロローグ「桜田門外の変」。幕府の大老・井伊直弼が襲撃を受け、殺害された大事件だ。近年“発見”された凶器は、一丁の拳銃。形はなぜかペリーが持ち込んだものとそっくり。表面には美しい桜の模様が全面に彫られている。この謎の拳銃の持ち主とは?事件の目撃者や襲撃者の証言、そして物証を組み合わせていくと、これまで語られてこなかった事件のウラ舞台がみえてくる。事件の黒幕に浮かびあがったのは…?
渡邊あゆみ


忌野清志郎の命日です.
朝アリバイ的に??出勤してお昼から阪神百貨店に.阪神ワイン祭です.スペイン・イタリア・オーストラリアなどのワインを試飲しました.フランスワインは少し.
2時からの浪花フレンチ歌謡ショウ 浪花のエディットピアフ ZAZAがよかったです.本名はさちこでそれがsasaになって濁ってzazaとなったそうです.

七十七銀女川支店の遺族 GWに語り部活動
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の行員ら3人の家族が、銀行に計約2億3000万円の損害賠償を求めた訴訟で、家族は1日、銀行の法的責任を認めず控訴を棄却した仙台高裁判決を不服とし、上告した。
 行員だった長男健太さん=当時(25)=を亡くした大崎市の田村弘美さん(52)は同日、仙台市青葉区で記者会見し「諦めずに声を上げ続けたいと考えた。企業が従業員の命を守る責任を果たし、同じ犠牲が二度と出ないような最高裁判決を望む」と訴えた。
 代理人弁護士は、銀行は従業員を高台に避難させる安全配慮義務を怠ったと主張した上で「高裁の判断は、他人の生命や身体を預かる者は科学的知見に基づき万全を期すべきだ、とした過去の最高裁判断に反している」と述べた。
 七十七銀行は「上告されたことは残念だが、これまで同様、最高裁にも主張を理解してもらえると考えている」との談話を出した。

 七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の犠牲者家族が大型連休中も、語り部として命の大切さを伝えている。女川町へ通い、現地を訪れる人と交流。「何が起きたのか知ってほしい」。在りし日の思い出を胸に企業防災の向上を訴える。
 大型連休最初の祝日となった4月29日、2家族の4人が支店跡地を見下ろす高台に集まった。県内や関東、関西などから来た人々に語り掛けた。
 「支店から走れば1分でここに来られた。息子は会社を信頼し犠牲になった。自分の身に置き換えてほしい」。長男健太さん=当時(25)=を亡くした大崎市の田村孝行さん(54)と妻弘美さん(52)が震災前後の支店周辺の写真を示し、被災状況を説明した。
 初めて女川町に足を運んだ仙台市青葉区の男子医学生(21)は話に聞き入り「命の尊さや津波の怖さを学び、貴重な経験になった」。
 田村さん夫妻は震災から2年がたった2013年3月ごろ、現地で語り部を始めた。多くの企業幹部や学校教員らに悲劇を伝え、並行して銀行を相手に訴訟に臨んだ。一、二審は敗訴したが、企業防災の指針となる司法判断を求め、引き続き最高裁で争う。
 田村さんはこの日、5月5日の「こどもの日」を前に高台にロープを張り、こいのぼりを掲げた。健太さんの形見だ。約25年ぶりに自宅から外に出した。孫が誕生したら飾るという願いはかなわなかった。「諦めずに活動を続けていくから見ていてくれと、息子に誓った」
 姉美智子さん=当時(54)=を失った仙台市の丹野礼子さん(57)と石巻市の恵子さん(55)姉妹も語り部を続ける。美智子さんは「姉妹3人で世界遺産を見て回り、おいしいものを食べ歩きたい」と定年後を楽しみにしていた。
 礼子さんは「姉は高台に避難すれば助かった。悔しい」と言う。恵子さんは「何が起きたのかを多くの人に知ってほしい」と望む。
 礼子さんの話に耳を傾けた松山市の会社員男性(53)も初めての女川町訪問。四国では南海トラフ巨大地震の被害が想定される。「見聞きした教訓を家族や知人、地元の人たちに伝えたい」と誓った。


<大川小>校舎保存 地区復興協が市に要望
 東日本大震災で児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小をめぐり、住民団体「大川地区復興協議会」は1日、被災校舎全体を保存し周辺を「鎮魂の森」として整備するよう市に要望した。市は大川地区の住民や遺族を含む市民の意見を2015年度内にも集約する方針。
 協議会の大槻幹夫会長(72)らが市役所を訪れ、亀山紘市長と境直彦教育長に要望書を提出。その後、非公開で会談した。
 要望書は「生活のよりどころ、地域活動の中心施設として機能してきた被災校舎の取り扱いについては全世界にその惨状が報じられて以来、粘り強く議論を尽くしてきた」と主張。
 「希望を失わない地域再生を図る観点からも、整備事業の早期実現に向け配慮してほしい」と訴えた。
 要望書は(1)現在は二俣小の校舎で授業をする大川小の移転新築(2)郵便局や駐在所の再建−なども求めた。
 会談後、大槻会長は「震災遺構として教訓は残さなければいけない。校舎の保存はデリケートな問題。市から相談があれば、きちんと対応したい」と語った。
 亀山市長は「震災の教訓をどのように伝えていくかは大きな課題。校舎を残すか、残さないか、あるいは残し方については広く市民の意見を聞く必要がある」と強調。保存するかどうかの結論を出す時期に関し「方向性は早めに示すことが必要だ」と述べた。


<祈りと震災>(39)流した涙いつか力に
 東日本大震災で掛け替えのない人を失った人々に送るのは、800年前に紡がれた親鸞からの「伝言」だ。
 神戸市の僧侶鍋島直樹さん(56)は震災1カ月後の2011年4月、被災した宮城県の沿岸に向かった。B6判の小冊子「死別の悲しみと生きる」を200部携え、役場職員の承諾を得ながら遺体安置所で遺族らに渡した。
 「悲しい時は涙を抑えなくてよく、時には悲しむ心を休ませる。そして、確かな心のよりどころができると徐々に乗り越えていく」
 鍋島さんが思う普遍的な心の持ちようを01年にまとめた小冊子。つづった言葉は鎌倉時代に浄土真宗を開いた親鸞の口伝などに基づく。
 南三陸町では小冊子を読んだ役場職員に頼まれて追悼法要を営んだ。縁は続く。町防災対策庁舎で犠牲となった職員の遺族らと共に泣き、たわいない会話で心をほぐした。
 「気持ちのよりどころを見つけ、傷が癒えるようになるには時間が必要だろう」
 鍋島さんが被災地での活動に力を注ぐのは、1995年1月17日の阪神大震災で味わった無力感が根底にある。
 震度7の揺れが神戸を襲い、6434人の犠牲をもたらした。宗教が果たす役割を問い直す契機になった。
 「大切な人と突然別れた人に語れる言葉がなかった」。苦い記憶をかみしめる。
 木造家屋が次々倒壊し、住民は着の身着のままで体育館などに逃げ込んだ。誰もがつらい事情を抱える中、家族を亡くした人は私的な感情を胸の内に抑え込んでいた。
 宗教者に何ができるか−。浄土真宗系の龍谷大(京都市)教授でもある鍋島さん。死別に苦しむ遺族と接する僧侶のあるべき姿勢を研究した。たどり着いた答えは傷心を乗り越える親鸞の言葉だった。
 鍋島さんはことし4月中旬、神戸市の潮海裕子さん(74)宅を訪ねた。阪神大震災で木造の自宅が崩れ、義父母が命を落とした門徒だ。
 時がたち、潮海さんは暮らしの落ち着きを取り戻した。非業の死に沈んだ心も穏やかになったように思う。
 7年前に孫が生まれた。成長する姿を見るにつれ、亡き人への新たな後悔が募る。「義父母は孫の成長を喜んでいた。もっと息子の学校の話をしてあげれば良かった」。感情は揺れ動く。
 鍋島さんが胸中を察する。
 「死別の痛みは時間とともに消えると言うが、実際は終わらない。それは悪いことではなく、いつしか優しさや生きる力に転換されていく」
 阪神を機に培った僧侶の精神性を胸に、20年後の東北の被災地に立つ。寄り添うことの難しさ、そして大切さは遺族が教えてくれる。
 阪神大震災と地下鉄サリン事件が起き、自殺者が増加に向かい始めた1995年は宗教者の存在が問われた年だった。東日本大震災で被災者の心に向き合おうとする宗教者たち。自らの使命を探った20年の軌跡をたどる。


「嵐」が復興支援コンサートへ
人気アイドルグループの嵐が東日本大震災の復興支援のためことし9月に宮城県利府町で、コンサートを開くことになりました。
嵐はこれまでにも東日本大震災の被災地を訪れたり寄付をしたりして震災復興に関心を寄せています。
企画会社によりますと嵐のコンサートはことし9月19日と20日、それに22日、23日の4日間宮城県利府町のひとめぼれスタジアム宮城で行われます。
定員は1公演で5万人で4日間で合わせて最大20万人の観客を動員するということです。
嵐が東北で大規模な単独コンサートを開くのはこれが初めてです。
今回のコンサートはことし2月に事務所の関係者が宮城県の村井知事を訪ねて復興支援を申し出た際に村井知事が「震災の風化が進んでいるのでぜひ東北で嵐のコンサートをして多くの人を招いて欲しい」と要望し実現したということです。
嵐のメンバーの櫻井翔さんは、「各地から多くの方が足を運んでくれることで、復興の一助になればと思います」とコメントしています。


大型連休に被災地の復興を確認
大型連休に入り、宮城県内の各地で多くの観光客や帰省客が訪れています。東日本大震災の最大の被災地、石巻市にも県外から多くの人が訪れ復興の進捗状況などを確かめていました。
震災で大きな被害を受けた石巻市を見下ろす高台にある日和山には、午前中から多くの人が訪れていました。訪れた人たちは高台から見える門脇地区など津波で大きな被害を受けた沿岸部の復興工事の進捗状況を確かめたり、地元の人から震災発生当時の状況を聞いたりしていました。連休を利用して訪れる家族づれなどが多く、近くの駐車場には横浜や新潟など県外ナンバーの乗用車が並んでいました。
震災の後、石巻市に訪れるのは3回目という大学生は「復興は、少しづつ進んでいるのかなと思いましたが、まだ先だなと感じました」と話していました。
また、埼玉県から夫婦で訪れていた男性は、「震災から3か月後に仕事で来て当時に比べると復旧が進んだ印象ですが、それとともに記憶が薄れてしまうのではないかと思いました」と話していました。


気仙沼で被災地の語り部ツアー
東日本大震災の被災地、宮城県気仙沼市で、大型連休の観光で訪れた人たちに震災の経験や復興の現状を歩きながら語り伝える「語り部ツアー」が行われました。
この催しは、気仙沼市の観光協会が大型連休にあわせて行い、東京や金沢市などの観光客15人が参加しました。ガイドを務めたのは、津波で息子を亡くしいまも仮設住宅で暮らしている、三浦正和さん(67)です。一行はまず、およそ6メートルの津波に襲われた港近くの住宅地に向かい、三浦さんの説明を受けながら当時のまま誰も住まずに残っている住宅や店舗などを見学しました。
続いて、建築中の災害公営住宅やかさ上げ工事が進む宅地などが見下ろせる高台に向かい、住宅の再建が進まず、仮設住宅を出られるのが3年先の人もいるという現状の説明を受けました。
ツアーの最後に、三浦さんは気仙沼市でも地震の後、車で避難した人の多くが渋滞に巻き込まれて車に乗ったまま津波に流されたことを伝え、「皆さんもいつどこで災害に遭うかわからないので他人事と捉えず震災の教訓を胸に刻んで下さい」と語りかけました。
金沢市から初めて気仙沼を訪れた30歳の女性は、「実際に歩いてみると新しい建物と震災前から残る建物が混在していることがよくわかりました」話していました。
この語り部ツアーは連休中の3日と4日とも行われます。


<さようなら松島水族館>マンボウ世界最長寿に/(2)スター誕生
 最大のスターが誕生した瞬間だった。
 1984年6月17日のマリンピア松島水族館(松島町)。マンボウ「ユーユー」の飼育日数が972日となり、鴨川シーワールド(千葉県)の「ノンキー」を抜いて、世界記録を更新した。
 飼育1000日を迎えた日は、町がユーユーに「準名誉町民」の称号を贈った。水槽前で開かれた推戴式で、当時の武山仁治町長は「長寿のお祝いを迎えられ文化観光の地松島に相応(ふさわ)しい花を添えられました」と読み上げた。
 「町民」になったマンボウの人気は高まり、水族館の名前を全国に広めた。
 栄光の陰には試行錯誤があった。水族館を運営する仙台急行専務の川村隆さん(64)は当時、マンボウを担当した。「とにかくすぐに死んでしまう。飼育は難しかった」と振り返る。
 「定置網にマンボウが掛かった。いらないか」。漁師から最初に連絡を受けたのは、76年にさかのぼる。生きて泳ぐ姿を見たことがなかった。トラックで運び、カメ用のプールに入れたが、すぐに死んだ。
 「丈夫そうに見えて実に繊細。面白そうだ。本格的にやってみよう」。模索が始まった。船に500リットルのタンクを積み、捕ったマンボウを入れて体が傷つかないように輸送した。
 イワシ、アサリ、イカ、クラゲとさまざまな餌を与え、死んだら解剖して胃の状態を調べた。ホヤやカキを交ぜたこともある。最終的に甘エビが最適と判断し、塩釜市の仲卸市場で冷凍を買い込んだ。
 困ったのが、水槽の壁に鼻先をぶつける激しい泳ぎを時折見せることだった。水槽の中にビニールのフェンスを入れてみると、壁にぶつかろうとするマンボウをふわりと受け止めた。
 たくさんのマンボウを失った分、飼育のノウハウは確実に蓄積していった。
 ユーユーは81年10月、岩手県三陸町(現大船渡市)沖で網に掛かった。細菌に感染して死んだのは85年7月。飼育日数は実に1379日に達した。
 大往生を遂げたユーユーに、松島町の瑞巌寺から贈られた戒名がある。夢満坊天洋友游大姉(むまんぼうてんようゆうゆうだいし)。最期まで人気者だった。
 死んだ85年はラッコ人気も重なり、年間入館者数は過去最多の約83万人に上った。「1日の来館数が2万の日もあり、混み合って館内の地面が見えないほどだった」(川村さん)。水族館は絶頂期を迎えていた。
 水族館の広場の一角に「おもいで博覧会」と題した展示ブースがある。中に入っていくと、剥製になったユーユーが置かれている。閉館後は、町に寄贈される予定だ。


ネパール大地震1週間 支援の拡充課題に
ネパールを震源とする大地震の発生から、2日で1週間になります。山岳地帯を中心にまだ支援が十分に届いていないところがあり、屋外で避難生活を送る被災者およそ280万人に支援を行き渡らせることが大きな課題になっています。
先月25日に起きたネパール中部を震源とするマグニチュード7.8の地震では広い範囲で建物が倒壊し、ネパールとその周辺国でこれまでに合わせて6700人以上が死亡しました。
ネパールでは、住まいを失ったり余震をおそれたりして人口の1割に当たるおよそ280万人が屋外で過ごしていますが、テントの不足が深刻で、長引く避難生活で体調を崩す人も増えています。
被災者からはネパール政府による支援が遅いとしていらだちの声が強まっていますが、被害が甚大で政府の対応能力を超えているという指摘もあります。
さらにヒマラヤの山岳地帯を中心に道路が寸断されるなどして被害の全容が把握できずに支援が十分に届いていない地域も多く、国連はヘリコプターの追加の派遣について各国と調整を進めています。
発生から1週間がたち、日本の救助隊や複数の医療チームがすでに活動を始めるなど各国の支援は本格化していますが、避難生活の長期化が懸念されるなか、被災した人たちにいかに支援を行き渡らせるかが大きな課題になっています。
カトマンズで追悼の祈り
ネパールの大地震の発生から2日で1週間となり、首都カトマンズでは、大勢の市民が集まって犠牲者に追悼の祈りをささげました。
これは1日、ネパールの労働組合の呼びかけで行われたもので、カトマンズの広場には、200人余りが集まり、日没に合わせて犠牲者に1分間の黙とうをささげました。
そして、国中で亡くなった人たちの遺族や被災者との連帯の気持ちを表そうと、ネパールの国土の形に並べたロウソクに火をともしました。
地震で家が壊れ避難生活を続けている男性は「犠牲者に祈りをささげました。地震から1週間になりますが、いまも地面が揺れているような気がして怖いです」と話していました。
支援物資求め政府に抗議
カトマンズの中心部では1日、40人余りが集まり、「外国からの支援はどこへ行った」などと訴え、外国から届いた支援物資を速やかに被災者に配布するようネパール政府に求めました。
地震の発生から2日で1週間になりますが、被災した人の多くは依然として屋外での避難生活を余儀なくされています。
ネパールでは、山岳地帯などの遠隔地だけでなく首都カトマンズでもテントや医薬品など十分な支援物資が届いておらず、被災者は政府への不満を募らせています。
抗議に参加した1人は「外国からの支援には感謝している。ただ、地震から6日もたっているのに私たちは政府から必要な支援を何も受け取っていない」と話していました。
支援得られず避難生活送る人も
ネパールの大地震で、れんが造りのビルがひしめくように建つ過密都市カトマンズでは狭い路地の奥まったところに建つ住宅がところどころで倒壊し、住まいを失った人たちがビルの谷間で支援をほとんど得られないまま避難生活を送っています。
カトマンズでは入り組んだ狭い路地の両側に複数階の集合住宅が密集して建てられています。歴史的な建造物が多数倒壊したカトマンズ中心部の広場から歩いて10分ほどのところでも3階建ての住宅が全壊しました。
スビン・ラトナバタウルさん(42)はこの住宅に両親など家族8人で暮らしていました。姉ががれきの下に取り残されましたが、警察や軍の救助は来ず、近所の人たちと何時間もかけて素手でがれきを取り除いて救出しました。
自宅を失ったスビンさんは、ビルに囲まれた広場にテントを張って寝泊まりしています。地面に薄いシートを敷いただけのテントには雨水が入り込むときもあるといいます。スビンさんは「何の支援もなく、いつ元の生活に戻れるのか見当もつかない」と先の見えない避難生活に不安を募らせていました。
ここでは周辺で家を失った300人近くの人たちが避難生活を送っていますが、行政からは水や食料の支援もなく、被災状況の把握にも来ていないといいます。
被災から6日がたった1日、地元の保健当局の担当者が初めて訪れ、薬を配りました。テント生活が長引く中、1歳8か月の女の子は下痢の症状が続いていました。保健当局の担当者は「感染症の広がりも懸念されます。薬も足りていません」と話していました。
大地震から1週間。ネパールでは山間部の遠隔地だけでなく、政府の足元の首都でも救援物資が十分に行き届かない状況が続いています。


ネパール地震1週間:水も食料も物資も何も来ない
 【カトマンズ平野光芳、竹内良和】ネパール大地震の発生から2日で1週間を迎える。AP通信によると死者は1日、6260人に上り、周辺国を含めた犠牲者は6300人を超えた。また、中部シンドゥパルチョーク地区で約3000人が行方不明との情報があるほか、欧州連合(EU)の駐ネパール大使は、加盟国の観光客ら約1000人が所在不明だと明らかにした。一方、被災地では多くの人がテント暮らしを強いられ、支援物資も行き届いていない。ネパール政府の対応は後手に回り、物資の配給をはじめあらゆる面で混迷が深まっている。

 カトマンズ中心部にある首相公邸。1日、武装警官が目を光らせる監視塔のすぐ脇の空き地に6張りのテントが並んでいた。近所の数十人が集まる自主避難所だ。敷地にたまったゴミが異臭を放ち、ハエがしつこくまとわりついてくる。

 「水も食料も物資も、支援は何も来ない。そこに首相が住んでいるのに、なぜなんだ」。2畳ほどのテントに妻や子供ら6人で暮らす観光業のミラン・タマンさん(38)が吐き捨てるように言った。

 自宅アパートにひびが入り、料理や食事で家に戻る以外はテントで横になって過ごす。隣のテントで暮らすめいのアイサちゃん(7カ月)は、被災後ずっと下痢が止まらない。「政治家は選挙の時は都合の良いことを言うが、いざとなると何もしてくれないと分かった」。ミランさんが嘆いた。

 カトマンズでは普段から停電や断水が頻発し、市民は不便な生活には慣れっこだ。それでも被災者支援の遅れには多くの人が業を煮やす。

 「もう7日。私たちの支援物資はどこ?」。各国の支援物資が到着する国内唯一の国際空港「トリブバン空港」でこの日、約40人が模造紙を掲げて抗議していた。雑誌編集者、ソン・シンさん(44)は「世界中から集まった支援物資がここで止まっている」と怒った。

 警官が「空港ではなく政府庁舎でやりなさい」と声をかけると、参加者らは口々に「我々は物資の配布を手伝いたいだけだ」「国民は助け合うべきだ」と詰め寄り、騒然となった。

 また、カトマンズ最大規模のトゥンディケル避難所では、中国の支援団体が食料の入った袋や清涼飲料水を配り始めたところ、順番待ちの行列に「うちには子供が居る」などと言って割り込む人が続出。複数の物資を取ろうとする人もおり、支援団体のメンバーが注意したものの収拾できず、最後は物資を置き去りにして逃げ出した。その後、物資を巡ってもみ合いが起きた。被災者のストレスは高まっている。

 こうした状況は、地方ではなおさらだ。最大規模の被害が出たシンドゥパルチョーク地区では29日、軍のトラックを住民が取り囲み怒声を浴びせる光景が目撃された。必要なテント400張りに対し、配られたのは30張りだったからだ。住民の一人は「各国の支援団体は物資をネパール政府に渡さず、被災者に直接届けてほしい」と訴えた。同じ日、同地区では、道にタイヤを並べて軍のトラックの通行を妨害して抗議の意を示す活動も行われた。

スズランの日/メーデー/狭山事件から52年

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Le Japon se met à l’heure du ≪Cool biz≫ pour économiser l’énergie
Le gouvernement japonais a lancé vendredi sa campagne annuelle ≪Cool Biz≫, qui encourage les hommes d’affaires à tomber veston et cravate pour la chemisette, afin de réduire la climatisation dans les bureaux et économiser l’énergie.
Cette campagne estivale, qui entre dans sa onzième année, vise à maintenir la température de l’air conditionné à 28 degrés sur les lieux de travail.
Les salariés sont donc invités à s’habiller légèrement et à remiser les classiques costumes sombres au placard.
Certaines compagnies et ambassades étrangères ont d’ailleurs suivi le mouvement.
≪Cool Biz≫ a ainsi lancé de nouvelles modes vestimentaires l’été dans les bureaux et administrations japonais, comme les chemisettes à col ouvert et les polos sport.
Il arrive même d’apercevoir à Tokyo des chemises hawaiennes arborées par les plus décontractés.
Mais, évidemment, la médaille a son revers. Les marchands de cravates sont furieux en raison du déclin des ventes pendant les mois chauds.

Les syndicats proclament leur attachement au 1er mai mais dans la désunion
Malgré leur attachement à la fête des travailleurs, les syndicats célèbrent vendredi le 1er mai sans parvenir à dépasser leurs divisions, la CGT conduisant des cortèges anti-austérité aux rangs plus clairsemés qu’en 2014, alors que la CFDT accueille des jeunes pour un ≪festival≫ à Paris et FO fait cavalier seul.
Avant les défilés ou autres festivités, les responsables syndicaux avaient tous affiché leur attachement à cette fête des travailleurs qui reste l’occasion pour les salariés, retraités et demandeurs d’emploi de se ≪faire entendre≫, veut croire Philippe Martinez, et l’occasion de porter des revendications, selon FO.
Cette journée est ≪une fête internationale-- pour que les salariés aient des droits≫, collectifs et individuels. Et ≪nous devons défendre ces droits≫, a plaidé depuis l’Elysée François Hollande, lors de la remise de médailles du travail.
Pour autant, les divergences sont là et chaque organisation syndicale fête à sa manière le 1er mai.
A commencer par les traditionnels défilés, qui ont ≪encore du sens≫, de l’avis de Luc Bérille de l’Unsa, qui bat cette année le pavé aux côtés de la CGT, FSU et Solidaires.
A 13H00, la police dénombrait 228 manifestations et rassemblement, avec près de 51.800 participants.
Traminots et salariés d’Airbus en tête, les Toulousains ont ainsi défilé, chanté ou dansé sous des parapluies. ≪Le cœur y est encore!≫, a assuré à l’AFP Hélène, 52 ans, éducatrice spécialisée dans la ville rose.
Bouquet de muguet dans une main et parapluie dans l’autre, 2.000 personnes se sont rassemblées à Lyon dans de nombreux cortèges (CGT, FSU mais aussi EELV, Parti de Gauche, Osons le féminisme, Solidaires, Lutte Ouvrière), scandant les traditionnels ≪Travailleurs, travailleuses de tous les pays, unissons nous≫ mais lançant aussi des attaques contre la loi Macron: ≪C’est la loi du fric, et des patrons, retrait, retrait de la loi Macron≫.
A Marseille, 1.800 personnes selon la police, 10.000 selon les organisateurs ont marché dans le cortège CGT-FSU-Solidaires, derrière une banderole affichant ≪Non à l’austérité. Progrès social, paix, solidarité dans le monde entier≫.
Bordeaux a vu défiler 2.000 personnes, Nantes 1.500 et Montpellier 1.200, Lille 600, selon des sources policières.
A Strasbourg, ils étaient 1.100 selon la police, 2.000 selon les manifestants, à défiler pour dire ≪Non à l’austérité≫. D’autres manifestations se tenaient au même moment à Metz, Nancy, Colmar, Mulhouse et Vesoul.
Ponctuellement, des militants FO étaient dans les rangs des manifestants, mais au niveau national, le syndicat avait boudé l’appel à l’unité lancé par CGT, FSU, Unsa et Solidaires.
- Occasion ratée de ≪surmonter les divisions≫-
Contrairement à l’année dernière, où Force ouvrière avait rejoint la CGT pour la Fête des travailleurs afin de dénoncer la politique du gouvernement, la centrale de Jean-Claude Mailly fait cette fois encore bande à part et ne sera donc pas dans le cortège parisien qui doit s’ébranler à 15H00 place de la République à Nation.
Pas question de ≪faire le grand écart et, sous prétexte qu’il faut rassembler tout le monde, de défiler avec ceux qui ne sont pas contre l’austérité ni la loi Macron≫, a résumé Jacques Girod, de la fédération parisienne de FO qui a honoré les Fédérés à Paris.
Faute de partager les revendications avec les autres syndicats, Jean-Claude Mailly a porté les siennes depuis Bordeaux, où il a une nouvelle fois fustigé ≪le moule de l’austérité≫ qui finira, selon lui, par faire ≪des ravages démocratiques≫.
De son côté, la CFDT entendait ≪déringardiser≫ le syndicalisme et par la même occasion le 1er mai, parce qu’il ≪faut arrêter de considérer qu’il y a des traditions immuables≫, comme l’a estimé son secrétaire général Laurent Berger. Pas de cortège, donc, mais un rassemblement festif destiné aux moins de 36 ans, qui a réuni 3.000 jeunes, selon lui.
Son traditionnel allié, l’Unsa, défile cette année avec la CGT pour cette journée ≪symbolique≫ qui aurait pu être l’occasion que ≪le syndicalisme français face l’effort de surmonter ses divisions (...), surtout à un moment où le Front national frappe à la porte du pouvoir≫, a regretté Luc Bérille.
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今日はスズランの日です.メーデーでもあります.でも忙しくて花屋にも集会にも行けませんでした.
そして52年前埼玉県狭山市で女子高生が行方不明になった日,つまり狭山事件の日でもあります.
ZAZの誕生日でもあります.

<東日本大震災>空の子へ700匹の贈り物
 東日本大震災で大きな被害を受けた東松島市の大曲浜地区に、全国から寄せられた青いこいのぼりの大群が飾られている。大空の下、潮風を受けて悠然と泳いでいる。
 同地区に自宅があった東北福祉大4年伊藤健人さん(22)=多賀城市=が、津波の犠牲になった末弟の律ちゃん=当時(5)=の供養に、と2011年に企画。宮城県美里町の和太鼓奏者らの協力を得て「青い鯉のぼりプロジェクト」として5年間続けている。
 賛同の輪が広がり、全国から寄せられるこいのぼりの数は年々増加。ことしは700匹を超える見込みだ。大曲浜地区は復興事業でかさ上げ工事が進んでおり、来年は場所を変更しての実施を検討している。
 石巻市鹿妻南の自宅が被災した会社員菅原利徳さん(60)は娘の家族とこいのぼりを見上げ、「震災で亡くなった子どもたちは孫と同じくらいの年齢。切なくなる」と涙ぐんだ。


<震災遺構>荒浜小校舎の保存を正式決定
 仙台市は30日、東日本大震災の津波被害を受けた荒浜小(若林区)の校舎を震災遺構として保存する方針を正式に決めた。荒浜地区の元住民らへの意向調査で「賛成」の回答が7割を超え、同意が得られたと判断した。
 市は本年度内に具体的な保存・活用方法を検討し、遺構の整備素案をまとめる。近隣の住宅基礎群の保存には反対意見が一定数あり、可否の検討を続ける。
 意向調査は2月中旬〜4月中旬、震災時に荒浜地区に住んでいた626世帯に調査用紙を郵送して実施。239世帯(38.2%)から回答があった。
 校舎の保存は賛成71.5%、反対7.1%、意見なしは21.3%だった。住宅基礎群は賛成が23.8%にとどまり、反対35.6%、意見なし39.3%、どちらとも言えない1.3%と分かれた。
 意見記述欄には「地図や写真で被災前の街並みも残してほしい」(賛成)、「見ると震災当時を思い出してつらい」(反対)などの回答があった。
 石巻市や気仙沼市など校舎の遺構保存を検討している自治体は多く、特色ある保存が課題となる。仙台市震災復興室は「安全面や管理面の検討を進め、住民の意見を聞いて整備の方向性を決めたい」と話した。
 調査結果は1日、市のウェブサイトに掲載する。


脱仮設へ支援加速 退去困難者対応が課題
 東日本大震災から5年目に入り、宮城県内で「脱仮設」の動きが加速している。災害公営住宅の整備や集団移転が進んでいる市町では、2016年月以降に順次迎える丸5年の仮設住宅入居期限を原則として延長しないためだ。自治体は退去者支援の枠組みづくりを本格化させているが、さまざまな事情から仮設を容易に退去できない被災者もおり、対策が課題となっている。

<本年度ピーク>
 約7000世帯が仮設住宅で暮らす仙台市では、防災集団移転促進事業の移転先となる全13地区の宅地造成が3月までに完了し、引き渡しが始まった。災害公営住宅全約3200戸の整備も来年3月までに終える予定で、本年度は仮設退去のピークを迎える。
 退去者への対応を図ろうと、市は4月1日、転居先の物件探しや引っ越し業者の手配といった相談に応じる事業を民間支援団体に委託する形で開始。同22日には、民間賃貸住宅への転居時の契約に関する留意点や約130の不動産業者を紹介するガイドブックを全ての仮設入居世帯に発送した。
 「こちら(市側)から積極的な1年にしていきたい」(奥山恵美子市長)と意気込む市に、被災者からは困惑の声も出ている。
 太白区のあすと長町仮設住宅で1人暮らしをする女性(65)は震災後、自宅を解体したが、一部損壊の判定だったため災害公営住宅の入居対象外。女性は「賃貸住宅は家賃が高くて入れない。どこへ行けばいいのか。仮設の仲間が引っ越す光景を見るのがつらい」とうつむく。
 市によると、事情は一様ではないが、市内には女性のような退去困難世帯が約150あるという。

<福祉へ橋渡し>
 5年を超えて仮設入居期間を一律延長しない自治体は仙台市と同様、退去困難者への対応に頭を悩ませる。
 多賀城市は本年度内に約230のプレハブ仮設世帯が退去する予定だが、自力での自宅再建を目指す約20世帯が退去困難とみられる。家賃を払う余裕がないなど経済的な理由が大半で、市の担当者は「県営、市営住宅の入居募集に合わせて早めに情報提供している」と説明する。
 岩沼市では、プレハブ仮設に住む約200世帯のうち自宅再建を望む12世帯の退去が難しい状態。市は「資産状況を聞いて自宅新築が可能かどうかを見極め、対応を考えたい」と話す。
 こうした市町の支援に向け、宮城県は高齢者ら社会的弱者の入居物件の貸主に契約奨励金を出すとともに、転居相談に応じるコールセンターを設置する方針。一筋縄でいかないことは県も認識しており、震災援護室の担当者は「生活保護の受給など福祉制度への橋渡しという意味合いも大きい」と説明する。


浄土ヶ浜遊覧船、25年ぶり新人ガイド
 宮古市の浄土ケ浜を巡る観光遊覧船に30日、宮古水産高を今春卒業した横山葵さん(18)が、25年ぶりの新卒ガイドとしてデビューした。「宮古の魅力を伝え、東日本大震災からの観光復興に役立ちたい」と意気込む。

 午後の便で初ガイドを務めた横山さんは、マイクを手に笑顔で浄土ケ浜やジオパークを紹介した。緊張で説明に詰まると、約60人の乗客から「頑張れ」などと声援が飛んだ。横浜市の無職茂木孝さん(68)は「初々しく、さわやかだった」とエールを送った。
 ガイドを志したのは、高校2年のときに乗った遊覧船で、先輩ガイドの金沢明美さん(57)と出会ったのがきっかけ。「多くの人を楽しませる仕事に憧れた」と運航する岩手県北自動車に入社。金沢さんの指導の下、観光案内の暗記や接客マナーの研修を重ねた。
 サポートした金沢さんは「声が堂々と出ていて良かった」とたたえた。横山さんは「未熟ですが、お客さんに感謝されてうれしかった。やりがいがあります」と笑顔で語った。


希望新聞:東日本大震災 記者通信 夫の墓に桜の花刻む 岩手・山田
 東日本大震災で夫の昭三さん(当時74歳)を亡くした岩手県山田町の古川蓉子さん(77)は、新しく建立した墓に桜の花を刻んだ。昭三さんは生前「死んだら古里の(同県)北上市で眠りたい」と話していたが、山田出身の蓉子さんは「そばで私を見守って」と仮設住宅近くに墓所を確保した。花を彫ったのは北上の名所・展勝地の桜に見立ててのことだ。

 自衛官だった昭三さんは定年退官後、実直な人柄を買われ、茨城県の寮の舎監を経て町内の介護老人保健施設の職員となった。あの日は、車椅子のお年寄りを高台に避難させる最中に津波にのまれた。施設では80人以上が逃げ遅れて犠牲となった。蓉子さんは暇を見つけてはジョギングして体を鍛えていた夫の死が受け入れられず、毎日泣き明かし、薬が必要なほどふさぎ込む日が続いた。

 墓を建てたのは2年前だ。小柄な自分が掃除しやすいようにと背丈より低くした。四角い石の左上に花びらと葉を彫り、ピンクと緑で彩色した。「霊塔」でなく「旅立ち」と刻んだのは死を認めたくなかったから。脇に「私と思って」と観音像を置いた。

 4月11日、町内の寺で営まれた合同法要に参列した蓉子さん。「責任感が強かった夫は逃げ遅れたのではなく、逃げようとしなかったのでは」と自分を納得させるように話した。「お年寄りらと最期を共にして本望だったのでは」とも。

 長く連れ添った夫の死を受け入れるのに、4年余もの歳月を要した。【鬼山親芳】


七十七銀津波訴訟で遺族側上告
七十七銀行の女川支店で、東日本大震災の津波に巻き込まれて犠牲になった従業員の遺族が銀行に賠償を求めた裁判で、遺族側は、訴えを退けた2審の判決を不服として1日、最高裁判所に上告しました。
女川町にあった七十七銀行の女川支店の従業員は当時の支店長の指示で高さおよそ10メートルあった支店の屋上に避難したあとおよそ20メートルの津波に襲われ、支店長を含む従業員12人が犠牲になりました。
このうち3人の遺族が従業員を近くの高台に避難させなかったのは安全配慮の義務に違反するとして銀行に損害賠償を求める訴えを起こしていました。
2審の仙台高等裁判所は4月22日の判決で、「津波は予想をはるかに超える想定外の高さだった。
銀行側は屋上を超える巨大津波が襲うという危険性を予測できなかった」と指摘して、1審に続いて遺族側の訴えを退けました。
これを受けて、遺族側は判決を不服として、最高裁判所に上告しました。
長男を亡くした田村弘美さんは、「最高裁判所には1審と2審の判決の不備を直してほしい。このままでは再び悲劇が繰り返されると思うので、あきらめないで声を上げ続けていきたい」と話しました。


<さよなら松島水族館>海のパンダ南米に追う/(1)捕獲大作戦
 海がほえた。
 南米大陸の南端、マゼラン海峡。強風と高波が船に襲い掛かった。
 松島町のマリンピア松島水族館を運営する仙台急行社長の西條直彦さん(68)は、チャーターした船の操舵(そうだ)室で、パイプにしがみついていた。
 波をもろに受け、船はまるで潜水艦だった。「板子一枚下は地獄」という言葉が脳裏をよぎる。
 大波が迫る。ビル4階の高さに見えた。「もう終わりだ」。死を覚悟した。

 松島水族館は1986年11月、チリ政府の許可を得てマゼラン海峡でイロワケイルカの捕獲作戦に着手した。体長約1.5メートルで白と黒の模様が特徴。パンダ人気にあやかって「海のパンダ」と呼び、日本初の展示を目指した。
 81年に岩手県沖で、展示の目玉にしようとリクゼンイルカの捕獲に乗り出し、失敗している。イロワケイルカはのどから手が出るほど欲しい動物だった。
 「マゼラン海峡の暗い海で初めて見たとき、白と黒のコントラストにほれぼれした」。展示部長だった元社員篠原成司さん(68)は振り返る。
 サンシャイン水族館(東京)、鳥羽水族館(三重県)と合同でチームを組んだ。船を追い掛けるイルカの習性を利用し、「フープネット」と呼ぶ虫取り網のような道具で捕まえる。
 「航海の難所」として世界に名が知られたマゼラン海峡が、チームの前に立ちはだかった。西條社長は命からがら前線基地にたどり着いたが、強風で出航できない日が続いた。しかもイルカは俊敏で、網を出しても簡単によけてしまう。

 年が明けても空振りが続く中、1頭目を捕獲したのが篠原さんだった。船首に「お立ち台」を取り付けたのが功を奏した。イルカが呼吸のために海面に出る瞬間を狙い、網を落とす。他のメンバーもこつを習得し、17頭を捕った。
 「勝算があったわけじゃない。ばくちだった。トンボ網でイルカを捕まえるなんて、日本では誰もやったことがなかったから」と篠原さんは言う。
 イロワケイルカはチャーター機で日本に送られ、松島水族館には6頭が水槽に放たれた。89年、日本初の繁殖に成功する。
 鳥羽水族館の一員として捕獲作戦に加わった水族館プロデューサー、中村元さん(58)は西條社長と船に乗り、生死を共にした。
 「大嵐でね。死にかけた」と当時を懐かしみ、こう続ける。「動物を買うのではなく、自分たちで捕まえるリスクを取った。松島水族館はチャレンジを続けた水族館だった」
                  ◇
 マリンピア松島水族館は10日、88年の歴史に幕を閉じる。飼育や展示で数々の話題をさらった足跡を見つめ直す。


漁業復興へ新せんべい汁を考案
震災で大きな打撃を受けた漁業の復興を後押ししようと八戸市中心部の屋台村の店主たちが地元特産のホッキ貝を使った「せんべい汁」を考案し、お披露目しました。
1日は、八戸市中心部の屋台村に屋台の店主など20人余りが集まり、新しく考案したせんべい汁をお披露目しました。
新しい「せんべい汁」は、震災で大きな打撃を受けた漁業の復興を後押ししようと屋台村の店主たちが3年がかかりで検討してきました。
具材には、三沢市特産のホッキ貝のほか、八戸市のわかめやめかぶなどが使われています。
屋台村で提供するほか、多くの人に楽しんでもらえるよう弘前大学や水産加工会社と連携して土産用のセットに仕上げました。
お披露目会で、店主たちは、土産用のセットを調理したせんべい汁の出来栄えを確かめるように味わっていました。
屋台村に店を出す35歳の男性は「磯の香りがきいていて、おいしいです。これはヒット商品になると思いますね」と話していました。
ホッキ貝の入ったせんべい汁の土産用セットは、屋台村のそれぞれの店舗で販売するということです。


安倍首相米演説:野党反発 安保成立約束「国民・国会無視」
 野党各党は30日、安倍晋三首相が米上下両院合同会議での演説で、安全保障関連法案の成立を「夏までに実現する」などと表明したことに一斉に反発した。歴史認識問題で「植民地支配と侵略」などの文言がなかったことへの批判も出た。

 民主党の岡田克也代表は談話を発表し「法案提出すらされていない段階で、これほどの重要法案の成立時期を外国議会で約束するのは前代未聞。国民無視・国会無視ここに極まれりだ」と批判した。

 岡田氏はまた、首相が日米同盟を「希望の同盟」と表現したことに関し「沖縄の苦難に言及がなく、前のめり・上滑りで、米国に無責任な約束をし過剰な期待を与えたのではないか」と懸念を示した。枝野幸男幹事長も「国会は米議会の下請け機関、翼賛機関ではない。相当厳しく対峙(たいじ)したい」と記者団に述べた。

 共産党の山下芳生書記局長は「日本の独立と主権をないがしろにする究極の対米従属の姿勢だ。断固抗議したい」と党本部で記者団に語った。歴史認識については「村山談話の植民地支配と侵略への反省とおわびが抜けたのはこれまでの政府の立場を後退させ、マイナスだ」と抗議した。

 社民党の吉田忠智党首は「戦争法案が国会に提出されず、国会も延長していないのに夏までの成立を明言したのは国会軽視どころか国会無視、国民無視だ」と厳しく批判、首相の歴史認識についても懸念を示した。

 一方、与党・公明党の山口那津男代表は会合でのあいさつで「痛切な反省との表現を使い、その反省の上に戦後の平和国家としての歩みがあったことをしっかりと述べた」と評価。そのうえで「(歴史認識を)歴代内閣から継承している立場は米議会にも伝わったと思う」と語った。安全保障関連法案を夏までに成立させると表明したことについては「強い決意を示した。政府・与党で法案成立に努力する」と語った。【佐藤慶、高本耕太】


「クールビズ」始まる
地球温暖化対策に向けて、省エネのため冷房の室温を下げすぎずに軽装で過ごす「クールビズ」が1日から始まりました。
「クールビズ」は、冷房する際に室温を28度より下げず、軽装で過ごす取り組みで、省エネを徹底して温室効果ガスの排出量を減らすそうと、環境省が呼びかけています。
初日の1日、東京・霞が関では上着やネクタイを外した軽装の職員が多く見られました。また、環境省では、沖縄の「かりゆしウエア」で業務を行ったり、体感温度を下げるために髪を短くしたりしている職員もいました。
環境省によりますと、「クールビズ」の取り組みによる二酸化炭素の排出削減量は、平成24年度は220万トンで、取り組みを始めた10年前と比べて2倍余りの量が削減されたと推計されています。
一方、環境省が去年、インターネットを通じて行った調査では、勤務先がクールビズで冷房の室温を高めにしていると答えた人は56.4%で、普及は横ばいの状態が続いているということです。
環境省国民生活対策室の長谷川学室長補佐は「皆さんがクールビズの取り組みを始める流れができるよう、引き続き呼びかけていきたい」と話しています。
「クールビズ」は10月末までの半年間で、環境省では、軽装だけではなく、日ざしの当たる窓にカーテンやブラインドを下ろし室温の上昇を抑えること、冷気が部屋の外に漏れないよう窓やドアを閉めることを呼びかけています。


全労連の中央メーデー 労働法制見直しに反対
メーデーの1日、各地で労働組合の集会が開かれ、このうち全労連の中央メーデーでは労働法制の見直しの反対や賃上げなどを訴えました。
東京・渋谷区の代々木公園で開かれた全労連の中央メーデーには、全労連の発表で2万8000人が参加しました。
この中で、全労連の小田川義和議長は「『戦争する国づくり』も『働くルールの破壊』も断じて認めない。戦後70年の節目の年を改憲の年とさせない決意を固め合いましょう」と訴えました。
そして、▽労働者派遣法など労働法制の見直しに反対していくことや、▽生活の改善のため賃上げに粘り強く取り組んでいくこと、▽「戦争する国づくり」に反対することなどを盛り込んだメーデー宣言を採択しました。
参加した24歳の保育士の女性は「保育士の数が足りず保育の質が十分に確保できていません。子どもたちにために労働条件の改善に取り組んでほしい」と話していました。
建設業の57歳の男性は「現場で働く人たちの賃金は上がっていません。安心して生活できるよう賃上げをお願いしたい」と話していました。
Le petit prince
On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux. (Le petit prince)
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