フランス語の勉強?

septembre 2015

都をどりの案内/家計簿・手帳注文/質問でクタクタ

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19731127_狭山69回公判

Le Japon s’engage à verser 1,5 milliard de dollars pour les réfugiés et la paix au Proche-Orient
Le Japon va verser 1,5 milliard de dollars (1,3 milliard d’euros) pour aider les réfugiés d’Irak et de Syrie et soutenir les efforts de paix au Proche-Orient et en Afrique, a annoncé mardi 29 septembre son premier ministre, Shinzo Abe, devant l’Assemblée générale de l’ONU.
Ce financement inclut 810 millions de dollars pour les réfugiés de Syrie et d’Irak, soit le triple de la somme déboursée l’an dernier par Tokyo. En mars, le premier ministre, Shinzo Abe, avait promis 200 millions de dollars pour les pays accueillant les Irakiens et les Syriens fuyant l’organisation Etat islamique.
Les 750 millions de dollars mis de côté pour l’Afrique du Nord et le Proche-Orient, dont l’Irak, serviront à financer des efforts en faveur de la paix et de la stabilité, comme la formation professionnelle et l’amélioration des réseaux d’eau potable et d’assainissement.
Le Japon a aussi prévu deux millions pour le Liban qui accueille plus de 1,1 million de réfugiés syriens et 2,5 millions pour aider la Serbie et la Macédoine à accueillir les réfugiés qui passent par leurs territoires pour gagner l’Europe.
Il s’agit de ≪ contre-mesures d’urgence que le Japon est à même d’entreprendre ≫ pour contrer la crise migratoire, a précisé M. Abe. ≪ Mais, en même temps, notre principe immuable est qu’il faut toujours s’efforcer de traiter les racines du problème. ≫
Une politique stricte vis-à-vis des réfugiés
Le Japon reste cependant arc-bouté sur sa politique particulièrement stricte vis-à-vis des demandeurs d’asile. Tokyo a accordé le statut de réfugié à 11 personnes en 2014 alors qu’il avait reçu 5 000 demandes.
En juillet, le bureau de Tokyo du HCR a appelé le gouvernement nippon à ≪ considérer favorablement l’accueil de réfugiés syriens au nom des valeurs humanitaires ≫. Pour l’organisme, il s’agit d’adresser un ≪ signal important sur le plan de la responsabilité et du partage du fardeau au niveau international ≫.
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BS世界のドキュメンタリー選「あなたの中のミクロの世界 体は微生物の宝庫」
バクテリア、ウイルス、原生動物、菌類、ダニ、シラミは人間の皮膚や毛髪、あるいは体内に生息する微小な生物。その数は人間の全細胞の10倍にのぼると言われる。こうした微生物の驚くべき生態と人間との知られざる関係を、特殊な撮影技術やCGで描き出していく。前編では、身体の思いがけない場所に住み着くミクロな生物たちを紹介。地球上の生物多様性と同じで、生物は身体の様々なパーツにバランスを保ちながら生息している。
〜2014年 オーストラリア/フランス Smith & Nasht/Mona Lisa制作〜

阪急沿線 謎解き散歩 (新人物文庫)
私鉄沿線散歩の会
中経出版
2013-08-08


堅苦しくなく阪急沿線の歴史を教えてもらう  sasabon
阪急全線の各駅のかなりの駅を取り上げ、開業当初の成り立ちや遺跡の紹介など、読んでいて為になる良心的な記載でした。気を衒うことなく、難しくなく、カラー写真を付していますので、スラスラっと読めるのが本書の良さでしょうか。
第1章の「『阪急』っておもしろい!」では、「阪急線ってどんな電車?」で143.6キロメートルの総営業キロ数をまず紹介し、1日の利用客が約200万人、宝塚歌劇などの経営の多角化を進めた話題が展開してありました。そして「創業者小林一三ってどんな人?」で、大実業家の歩みが簡略に記されています。小林一三はよく知られているとは思いますが、9ページの分量で過不足なく紹介した文の分かり易さが身上でしょう。
沿線のご当地グルメも8ページの分量で、沿線で行われる祭も8ページで簡単に記されていますので、関西の旅行の際にも役立つでしょう。もっとも地元の人間が一番参考になったわけですが。阪急ブレーブス物語は、オールド野球ファンにはたまりません。もっと多く記載して欲しかったほどでした。
沿線ゆかりの有名人も当然ながら物凄く多く、宝塚歌劇団の歴史やスターの紹介も当然掲載してあります。
それからは、各沿線の紹介です。
第2章「京都本線・嵐山線・箕面線・千里線編」では、「梅田駅'梅田は泥の田んぼだった!?」ということから始めています。大阪平野は、2000年前は河内湖という大きな湖の底にあったそうです。梅田が湿地帯であっても驚きません。外れだったから鉄道敷設の際に駅に選ばれたのは有名な話です。「十三駅'あさくさ橋って十三だった?」も明治の木橋を「あさくさ橋」と呼んだことを初めて知りました。本書にはこのように珍しい話が満載です。
第3章「神戸本線・今津線編」では「中津駅'阪急京都本線だけが停車しない駅」、「神崎川駅'加島のお稲荷さんに救われた怪奇小説家とは?」などがあり、第4章「宝塚本線・伊丹線・甲陽線編」では「三国駅'二つの駅が同時に存在した?」、「曽根駅'戦前、日本一の料亭があった!?」ほかの珍しい歴史が語られています。
堅苦しくなく阪急沿線の歴史を教えてもらうことで、掲載駅で途中下車したくなりました。そんな気にさせられる本です。


ポストに都をどりの緑の封筒が入ってました.いつものように来年の都をどりの案内です.これまでと違うのはネットからのonline購入できることです.明日サイトを見ようっと.
家計簿と手帳を注文しました.もう2016年もすぐです.女川の本も注文したのですが,これはネットでないとダメというkとなのでネットから注文しました.
夕方なぜか質問攻めにあいました.Cはすぐ終わったのですがRが大変でクタクタ.

写真は1973年11月27日 狭山事件東京高裁第69回公判闘争.この時の裁判長はあの悪名高き寺尾正二.前任の井波七郎に代わって担当になったのが1972年11月28日なので,1年くらい公判が開かれていませんでした.

<校庭の仮設>住民 行き場定まらず
 校庭に仮設住宅が設置されている自治体は、校庭を元に戻す必要性を感じつつ、住宅再建の遅れや仮設住宅再編の難航を背景に、早期実現の難しさに直面している。
 校庭に立つ仮設住宅が13団地に上る気仙沼市。6月末で684戸が入居する。市は4月、仮設住宅を段階的に閉鎖する集約化計画のスケジュールを発表したが、災害公営住宅の完成遅れなどを背景に、6月には集約時期の延期を迫られた。
 多くの学校の校庭は2017年6月末で明け渡される見通しだったが、13校のうち11校は18年3月末まで遅れることになった。
 集約が予定される気仙沼中仮設住宅の斉藤正志自治会長(71)は「みんな校庭を明け渡したいのはやまやまだが、被災地は復興事業の遅れが厳しい。国は入居者の行き場づくりにてこ入れすべきだ」と訴える。
 岩手県でも、被災市町村が仮設住宅の集約化計画の策定を急ぐ。県は市町村に校庭の仮設の優先解消を求めているが、解消が実現したのは宮古市の小学校1校にとどまる。
 県生活再建課は「早期解消の必要性は強く感じるが、仮設住宅で暮らす住民の意向を踏まえなければならない。住民の行き先が決まらなければ、校庭を空けたくても空けられない。なかなか難しい」と語る。


<校庭の仮設>解消へ復興庁が支援策
 復興庁は29日、東日本大震災被災地の学校の校庭にある仮設住宅の解消に向け、入居者の移転などを促す支援策をまとめ、岩手、宮城両県と関係12市町村に伝えた。仮設住宅の集約などが必要になるため、住民の意向を確認する相談員の配置といった対応を取る自治体に、国が交付金を支給する。ただ災害公営住宅の整備が遅れ、仮設の再編に手間取る自治体もあり、解消が円滑に進むかは見通せない。
 復興庁によると、校庭に設置されている仮設住宅は、岩手県が8月時点で7市町村31校に約2300戸、宮城県が7月時点で5市町28校に約1900戸。災害公営住宅などへの転居が進み、入居率は岩手で59%、宮城で69%に低下し、空き部屋が増えている。
 一方で校庭が長期間使えないため、子どもの運動不足が懸念されており、復興庁は、校庭の仮設住宅を優先して解消するよう、関係自治体に促した。
 国は、他の仮設への移転が必要になる住民らの相談体制整備を後押しするほか、移転先での生活をフォローする見回り要員を設ける経費などを支援。学校への運動器具設置支援など運動不足解消策も講じる。
 竹下亘復興相は閣議後の記者会見で「被災地の子どもが成長する環境を早く整えたい。(校庭の仮設住宅の)住民にとって住居移転は困難を伴うものであり、強制はしない」と述べた。


震災5年 人間国宝の能上演へ
東日本大震災の発生から5年となる来年3月に、「名取ノ老女」という、宮城県を舞台とした能が上演されることになり、作品のイメージを深めようと、出演者やスタッフが名取市閖上地区を訪れました。
名取市を訪れたのは高い技術をもつ重要無形文化財の保持者、いわゆる人間国宝に去年認定された能シテ方の梅若玄祥さんなどの出演者やスタッフです。震災で大きな被害を受けた閖上地区を訪れ、市の職員から被災の状況などについて説明を受けました。来年上演されるのは名取市に伝わる伝説をもとに神への祈りを捧げる老女の姿を描いた「名取ノ老女」という能です。550年前に上演された記録が残る作品ですが、今では上演されなくなり、今回は、震災の犠牲者やこれからの復興への「祈り」という思いを込めて復活させるということです。梅若さんは、「被災された方々に対してどんな思いをこめて能を作ることができるか、責任を感じています。これからのこの土地への思いを作品で感じてもらえれば嬉しいです」と話していました。梅若さんなどによる能「名取ノ老女」は、来年3月に東京の国立能楽堂で上演されます。


国産リンゴ輸出3万t突破 青森の戦略奏功
 財務省が29日発表した貿易統計で、2014年産(14年9月〜15年8月)の国産リンゴの輸出量が初めて3万トンを突破した。品質への高い評価などを背景に、前年比では51.4%増の大幅な伸び。このうち、青森県産は約9割を占めるとされており、県は18年を目標年次に掲げた県輸出拡大戦略(14年3月策定)の早期達成を果たした。
 県国際経済課によると、7月末までの14年産の輸出量は約2万9908トン。29日に公表された8月の輸出量は206トンを超え、計約3万115トンに上った。輸出金額は約109億9700万円で、ともに過去最高だった。
 リンゴの輸出量の推移はグラフの通り。11年産は福島第1原発事故の風評被害と不作による産地価格の高騰、円高が響き、輸出量は大幅に下落した。12年産は未完熟リンゴの出荷に伴う価格低迷、販売不振が影響。以降は回復基調に乗り、円安や競争国の品質悪化を追い風に一気に3万トンを突破した。
 県りんご輸出協会の太田一民理事長は「3万トンがゴールではない。近い将来、台湾に3万トン、香港に1万トン、その他の地域に1万トンの5万トンの輸出を達成する」と抱負を述べた。
 今後の輸出拡大には、生産者の高齢化に伴う労働力不足を克服しながら、安全で高品質なリンゴの提供、東南アジアをはじめとする新たな市場開拓といった対応が求められる。
 県庁正面玄関で29日にあった記念セレモニーで、三村申吾知事は「過去につらい出来事はあったが信頼回復の努力が実り、世界最高の品質と作り手が評価された結果だと言える。これからも青森りんごで世界に打って出たい」と語った。


<大川小訴訟>市側、生存教諭尋問に反対
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明となった石巻市大川小の児童23人の19遺族が、市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟の進行協議が29日、仙台地裁であった。市側は当時、在校していた教職員11人のうち、唯一の生存者となった男性教諭の尋問に反対する書面を提出した。
 教諭の尋問は児童が津波にのまれた状況や被災後に取った行動などを立証するため、遺族側が求めていた。
 書面によると、教諭は震災後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症。主治医は6月9日付で作成した意見書で「尋問はトラウマ(心的外傷)体験を強引に聞き出すもので、二次被害を生む。医療的、人道的に許されない」と指摘した。
 市側は、遺族側が同様に求めた当時の校長の尋問については容認した。地裁は12月までに尋問をするかどうか決める。
 訴えによると、教職員は2011年3月11日の地震発生後の約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。その後、津波が押し寄せ、訴訟対象の23人を含む児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。


<特急はつかり>10月3日限定で復活
 JR東日本盛岡支社は10月3日、東北線仙台−盛岡間(183.5キロ)の電化完成50周年を記念して、臨時列車「イーハトーブ秋物語号」を運行する。車両はかつて特急「はつかり」などとして東北線全線で活躍した485系。一ノ関−盛岡間を1日限定で1往復する。
 臨時列車は午前10時に盛岡を出発。花巻、北上、水沢に停車した後、一ノ関で折り返し、午後3時45分に盛岡に到着する。6両編成で全席指定。乗車券のほかに指定席料金が必要。指定席料金は大人520円、子ども260円。
 盛岡駅では3日午前9時半から記念式典がある。盛岡商工会議所などでつくるさんさ踊りチームが乗客を出迎える。新幹線改札広場では観光パンフレットの配布や県産ワインの振る舞いがある。
 東北線仙台−盛岡間の電化は1961年12月に始まり、65年10月に完成した。


「やまがた新電力」発足 地産地消目指す
 山形県は29日、再生可能エネルギーを買い取り、販売する地域電力会社「やまがた新電力」を発足させ、山形市で設立総会を開いた。都道府県による特定規模電気事業者(新電力)の設立は全国初で、電力小売りが全面自由化される来年4月に電力供給を開始する。
 新電力は株式会社で30日に法人登記する。資本金は7000万円。県が2340万円、県内の地方銀行や発電事業者、エネルギー関連企業など17社と県外の需給調整専門事業者が、残り4660万円を出資した。
 本社は山形市。県商工会議所連合会長で山形パナソニック(山形市)会長の清野伸昭氏が代表取締役に就任した。従業員は新規雇用せず、営業や経理などの業務は出資企業に委託する。
 電力の買い取りは、県内の再生エネ事業者13社の17発電所と契約交渉する。全量買い取れれば、一般家庭6000世帯の消費量に相当する年間2300万キロワット時の供給が可能。当面は東北電力の送電網を通じ、県有施設70カ所へ売電する。
 買い取り価格と売電価格は経営が安定するまでの間、東北電力と同水準に設定する方針。固定価格買い取り制度に伴う交付金収入を含め、現時点で年間約9億円の売り上げを見込む。電力の売買のほか、再生エネの導入促進にも取り組む。
 新電力設立は、吉村美栄子知事が掲げる「卒原発」の一環。総会後、吉村知事と清野氏は記者会見し、狙いを(1)電力の地産地消(2)災害対応力の向上(3)地域経済の活性化−と説明した。
 吉村知事は「再生エネの導入拡大は地方創生にもつながる」と意義を強調。清野氏は「地域に新しいビジネスが生まれるよう努力したい」と抱負を述べた。


仙台のNPO 仮設住宅での学習支援に幕
 東日本大震災後、仮設住宅で暮らす子どもたちを対象に仙台市のNPO法人「アスイク」が約4年間続けてきた学習支援が終わった。対象世帯の多くが災害公営住宅などに移り、一定の役割を終えたと判断した。
 最後の学習会が28日夜、JR東日本が仮設住宅として開放した若林区の南小泉社宅の空き部屋であった。小学3年から中学2年の7人が、大学生や社会人のボランティア7人と一緒に問題集を解いたり絵を描いたりして過ごした。
 七郷中2年の大学心さん(14)は学習会が始まった2011年7月以降、昨年5月に同区の市営住宅に移った後も通い続けた。「おしゃべりするだけでも楽しかった」と振り返り、母親の三保さん(42)は「落ち込みがちな仮設暮らしを支えてくれた」と感謝した。
 学習支援は、落ち着いて勉強しにくい仮設暮らしの子どもを支えるのが目的。一時は週1回の学習会を市内6カ所で開いたが、入居世帯が減り、ボランティア確保も難しくなったため昨年5月に規模を縮小した。
 アスイクの大橋雄介代表理事(35)は「子どもの居場所をつくることができた。今後は低所得世帯など困窮家庭の学習支援事業に力を入れたい」と語った。


被災地の北限オリーブ 笑顔の収穫
 東日本大震災の復興支援としてイタリアから亘理町に贈られたオリーブが収穫期を迎え、地元の幼稚園児が29日、摘み取りをした。
 同町祝田の農業千葉一郎さん(78)が2012年から栽培し、3メートルほどに育った10本に約4000粒の実が付いた。29日は千葉さん宅近くの「いちょうの実幼稚園」の園児約50人が訪れ、緑色の実を摘み取った。
 園児らは「こっちにたくさん実っている」などと歓声を上げ、収穫を楽しんだ。千葉さんは「好天が続いてうまく育った。オリーブに関心を持ってくれたらうれしい」と目を細めた。
 オリーブはイタリアから贈られた苗200本を活用。町の新たな特産品づくりを目指し、亘理地区まちづくり協議会の呼び掛けに応じた千葉さんら町内農家が栽培に携わる。
 収穫した実は塩漬けなどにする予定。来年以降はさらに多くの収量が見込め、目標の搾油を目指す。まち協によると、オリーブの収穫まで成功したのは国内では亘理が北限だという。


南三陸・戸倉小 新校舎移転前に感謝の集い
 東日本大震災で校舎が被災し、10月4日に新校舎が開校する南三陸町戸倉小(児童69人)は29日、児童が3年半にわたって通った志津川小でお別れ会を開いた。児童は世話になった学びやと仲間に感謝の気持ちを伝えた。
 戸倉小の山内順校長は「震災を経験し同じように厳しい環境で過ごした両校だからこそ、お互いに支え合い仲良くできた」と振り返った。
 児童を代表し、志津川小6年沼倉颯大君(12)は「あいさつや掃除の面で皆さんは私たちのお手本だった。これからも元気で楽しい学校生活を送ってください」と励ました。戸倉小6年須藤璃空君(12)は「新しい校舎に移るのは寂しいようなうれしいような気持ちです。今まで仲良くしてくれてありがとう」と答えた。
 両校の児童は思い出の写真や寄せ書きを交換した後、校歌を歌ってエールを送り合った。終了後、退場する戸倉小の児童を志津川小の児童が拍手で見送った。
 戸倉小の旧校舎は津波で全壊し、11年5月に登米市の旧善王寺小で授業を再開、12年4月に志津川小へ移った。新校舎は戸倉地区の防災集団移転事業が進む高台に建設した。


世の中を明るく照らす「はげの聖地」構想始動
 青森県鶴田町で薄毛の人たちが集まる「ツル多はげます会」が、地元を「世界のはげの聖地」にするべく動きだした。会は町内の小さな集まりから始まった。少子高齢化に伴う人口減などに頭を抱える青森県をはじめ、暗い話題の多い世の中を明るく楽しく照らそうと意気込んでいる。
 はげます会は頭の毛が薄いことをポジティブに捉え、ツルッとした自慢の頭がもたらす笑いと明るさをテーマに1989年から活動する。毎年2月22日(ツルツルの日)と中秋の名月には例会を開催。頭にひも付きの吸盤を付けた綱引きや、誰の頭かを当てる「名月当てクイズ」などで笑いの輪を広げてきた。
 この27日の「中秋の有多毛(うたげ)」では、聖地化計画の第1弾として制作した「けがなし(毛が無し)」御神像が披露された。青森県産ヒバを使った高さ約20センチの木像で、穏やかな表情が特長だ。
 制作者の仏師大佐賀界輝さん(25)=五所川原市=は「つるりとした質感や柔らかな雰囲気を表現できるよう心掛けた」と話す。同町の「鶴田八幡宮」社務所内に仮鎮座し、お参りができる。
 11月14日に全国から参加者を募集して「ハゲしい熱戦吸盤トーナメント」を開催することも発表。須郷貞次郎会長(67)は「全国各地のツルツル頭の人たちに参加してもらいたい。いずれは世界大会も考えている」と語る。「はげのモニュメント」建設などの構想にも思いをはせる。
 聖地化を後押しするかのように県内外からの入会申し込みも相次ぎ、現在の会員は56人。新会員で東松島市から駆け付けた会社経営斉藤裕司さん(65)は「綱引きも名月当ても楽しくて最高。私も周囲を明るく励ましたい」とはにかんだ。連絡先は0173(22)2153。


震災に負けない 不屈の東北人魂音と形に
◎栗原・来月4日万葉祭
 東北の伝統芸能や縄文土器を通じ、東北らしさを考えてもらう「第8回くりはら万葉祭−土と火のまつり」が10月4日、栗原市一迫の古民家展示施設「風の沢ミュージアム」である。ことしは人気バンド上々颱風(シャンシャンタイフーン、2013年活動休止)のボーカル白崎映美さん(酒田市出身)が出演。東日本大震災から立ち上がろうとする東北人の力強さをステージで表現する。
 栗原市内外の有志で組織する「タラチネの会」が主催。栗原市の城生野神楽、盛岡市のさんさ踊り、登米市の八ツ鹿踊り、奥州市の念仏剣舞、秋田県羽後町の西馬音内盆踊りが披露される。
 午後6時からは白崎さんが率いるビッグバンドグループ「白崎映美&東北6県ろ〜るショー!!」が登場。8世紀、東北地方に侵攻してきた朝廷軍に抵抗し「まつろわぬ(服従しない)民」として知られた古代蝦夷(えみし)の姿を、震災復興に向かう現代の東北人に重ね合わせて演奏する。
 会場の広場には、岩手県野田村の陶芸家泉田之也(ゆきや)さんが高さ約3メートルのオブジェ「滅びぬもの」を制作する。震災や東京電力福島第1原発事故に遭遇しても変わらない東北人の不屈の魂を表現。当日は空洞の内部に火をたき、幻想的な雰囲気を演出する。
 開催に先立ち、3日午後3時から事前に制作した縄文土器を野焼きし、東北のものづくりの原点に思いをはせる。参加自由。
 入場無料。4日は午後2〜8時。雨天中止。連絡先は風の沢ミュージアム0228(52)2811。


<南三陸さんさん商店街>後継施設、開業延期
 宮城県南三陸町志津川の仮設商店街「南三陸さんさん商店街」の後継施設として同地区市街地に建設する商業施設の開業時期について、佐藤仁町長は29日の定例記者会見で、当初計画より3カ月遅い2017年3月とする方針を明らかにした。
 新商業施設を運営するまちづくり会社「南三陸まちづくり未来」は7月、冬の閑散期に開業することへの懸念や周辺の国道整備の遅れから町に延期を要望。開業日を「さんさん商店街」にちなみ17年3月3日にするよう求めていた。
 佐藤町長は記者会見で「まちづくり会社の意向に応えたい。春の開業になればオープンから継続してお客が来るだろう」と述べた。
 さんさん商店街は中小企業基盤整備機構が11年12月に整備した。仮設店舗の貸与期間は5年間のため、新商業施設は16年12月に開業する予定だった。町は同機構と貸与期間の延期について協議を進めている。
 新商業施設には32店舗が出店する予定。市街地復興事業の早期まちびらきエリアとして、かさ上げ工事中の観光交流拠点地区(五日町周辺)に整備する。


都心で「岩手な人」を探そう 747人が協力
 岩手をPRするイベント「東京で岩手な人500人に会うまで帰りません企画」が26、27の両日、東京都心であった。大船渡市のNPO法人wiz(ウィズ)が県の助成を得て開催。瞬く間に目標を達成し「岩手県人の結束力」をアピールした。
 JR渋谷駅前などの目抜き通りに繰り出したスタッフが、岩手出身者や岩手に滞在経験のある人の顔写真を撮影。インターネットの会員制交流サイト「フェイスブック」で紹介した。
 目標の500人は半日で達成し、2日間で計747人が協力した。
 たまたま渋谷駅前を通り掛かったという宮崎美那未さん(26)は岩手県普代村出身。「こうして岩手にゆかりの人たちと出会うと、あらためて仲間意識が生まれる」と笑顔で話した。
 wiz理事の黒沢惟人(ゆうと)さん(29)は「大勢の人が面白がってイベントに足を運んでくれた。これをきっかけに県外の人が岩手で活動できる動線を作りたい」と語った。


震災復興財源のメトロ株売却 調整進まず
東日本大震災からの復興の財源に充てるため国が売却する予定の東京メトロの株式について、東京都との調整が進まず手続きが進んでいないことが、会計検査院の調べで分かりました。会計検査院は必要な検討を着実に行うことを求めています。
東京メトロの株式は国が53%、東京都が47%保有していますが、法律でできるだけ速やかに売却して完全民営化することが定められています。
国が保有する株式の評価額はことし3月現在で2400億円余りで、東日本大震災を受けて出来た法律では、平成34年度までに株式を売った収入を復興の財源に充てることになっています。
ところが、会計検査院が復興財源の確保に向けた状況を調べたところ、震災から4年半がたった今も、売却に向けた動きが全く進んでいないことが分かりました。
国と都などは、おととし、東京メトロと都営地下鉄の一体化などを目指す会議を立ち上げましたが、株式の売却については、具体的な議論は行われていないということです。
会計検査院は財務省や国土交通省、東京都に、必要な検討を着実に行うことを求めました。
財務省と国土交通省は、東京都と同時に売却するほうが高く売れるとしていて、「できるだけ早く都と調整を行いたい」としています。
一方、東京都は「現在、売却については考えていない。東京オリンピックに向け、利便性を向上させることを優先して取り組んでいる」としています。
東日本大震災からの復興の財源の一部として政府は保有する複数の会社の株式を売る計画で、このうち日本郵政の株式は11月に売り出され、およそ1兆4000億円が復興財源となる見通しです。


電力供給予備率/原発の必要性問う契機に
 この国は本当に原発なしではやっていけないのかどうか。あらためて考えるきっかけにしていいのではないか。
 今夏の電力需給の話だ。記録的な猛暑となったにもかかわらず、事前に想定された通り、電力不足という危うい事態には陥らなかった。
 電力需給では、需要のピークに対する供給余力を示す「供給予備率」が重要となる。
 需要は最大3%の範囲で日常的に変動することから、政府は最低3%の予備率が必要と説明。さらに4〜5%あれば発電所のトラブルなどへの対応も可能で、安定的な電力供給には7〜8%の予備率が望ましいとしている。
 資源エネルギー庁が6月に発表した需給見通しでは、大手電力9社の平均予備率は8月の予想が6.8%。原発の再稼働を前提としていない数字で、最も厳しい関西と九州の両電力管内でも他の電力会社から融通を受けて3%を確保できるとの予想だった。
 エネ庁によると、実績を公表するのは10月の予定だが、実際の需要は予想を下回った。予備率は当然、各社とも3%を切らなかったという。
 東北電力管内については女川(宮城県女川町、石巻市)、東通(青森県東通村)の2原発が停止している現状でも全く問題はなかった。
 同社によると、管内の電力需要は8月上旬にピークを迎えた。最大電力は1400万キロワット近くに達したが、供給力には十分に余裕があり、予備率は10%台半ばを維持できた。事前予想の5.5%を大きく上回ったことになる。
 数字が下がったのは9月に入ってから。関東と東北に被害をもたらした豪雨の日で、設備被害を防ぐため、福島県内の水力発電所で人為的に発電を抑えた結果という。
 それでも予備率が10%を割り込むことはなかった。
 原発を運転停止中でも需給逼迫(ひっぱく)を回避できているのは「緊急電源の設置などで補っている」(東北電)という電力会社側の努力に加え、東日本大震災後に高まった節電意識が定着し、需要自体が低下してきたという側面も大きい。
 東北電管内で最大電力が過去最高となったのは、震災前年の2010年8月5日で1557万キロワットを記録した。10年夏はやはり猛暑だった。
 ことしの最大電力は当時より160万キロワット程度小さい。単純に計算すると、女川2、3号機(ともに出力82万5千キロワット)の原発2基分にほぼ匹敵する需要が減ったことになる。
 政府は8月の九州電力川内原発(鹿児島県)に続き、原子力規制委員会の審査をクリアした原発を順次、再稼働させる方針。火力発電で生じる二酸化炭素の排出抑制や輸入燃料依存からの脱却などを理由に挙げるが、原発なしでも猛暑を乗り切れることが示された意味は大きい。
 加えて太陽光や風力をはじめとする自然エネルギーの導入はますます進む。来春の電力小売りの全面自由化に向けた動きも加速。新電力などによる発電所の建設計画も次々と明らかになっている。
 電力をめぐる環境が激変する中、再稼働を急ぐ必要性がどこまであるのか。予備率は私たちに問い掛けている。


新三本の矢 従来策の総括はどこへ
 これまでの「三本の矢」が行き詰まり、目先を変えようとしているのではないか。
 安倍晋三首相が「アベノミクスの第2ステージ」と宣言し、新しい三本の矢を示した。「希望を生み出す強い経済」「夢をつむぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」だ。
 目標として、国内総生産(GDP)を600兆円に拡大▽希望出生率1・8の実現▽介護離職者ゼロ−−を掲げた。
 従来の矢のような政策手段ではなく、見栄えのするスローガンを並べたに過ぎない。裏付けに乏しく、実現への道筋が見えない。
 2014年度の名目GDPは490兆円だった。内閣府は、名目3%の成長が続けば、20年度には594兆円に達すると試算している。
 だが、名目成長率が3%を超えたのは1991年度が最後だ。今年4〜6月期の成長率(年率換算)も名目は0・2%、実質はマイナス1・2%と低迷した。
 目標達成のハードルは極めて高い。しかし、首相は、景気底上げの具体策には踏み込まなかった。
 出生率も14年は1・42にとどまり、1・8に上げるのは至難の業だ。
 首相は幼児教育の無償化拡大に言及した。自民党が昨年の衆院選で公約したが、財源のめどが立たず、15年度は見送られたものだ。首相も財源確保の手立てを説明していない。
 家族の介護で仕事を辞める介護離職は年10万人程度に上る。働き盛りの世代が多く、対策は急務だ。
 首相は介護施設の整備を表明したが、事業者の倒産が相次いでいる。今春の介護報酬引き下げが要因の一つとされ、対応がちぐはぐだ。
 そもそもアベノミクスを次の段階に進めるのなら、従来の政策の総括が必要だ。課題を洗い出さなければ、効果的な戦略も打てないはずだ。
 最初の三本の矢は「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「成長戦略」だ。このうち一定の効果を発揮したのは、円安で大企業の収益を押し上げた金融緩和ぐらいだ。
 だが、円安は食料品などの値上げももたらした。大企業の業績が好調でも全体の賃金はそれほど上がらず、消費は振るわない。成長戦略も多くが不発だ。株価も急落している。
 首相は「デフレ脱却は目の前」と成果ばかり強調したが、アベノミクスが目指してきた「経済の好循環」は見えていない。
 安全保障関連法の成立強行で政権は世論の反発を招いた。来夏の参院選をにらみ、国民の関心が高い経済や社会保障に重点的に取り組む姿勢をアピールしている。だが、政策の検証を欠いた総花的なフレーズを示されても、国民は戸惑うだけだ。


小泉進次郎氏が批判 安保無理解「原因つくったのは自民党」
 自民党の小泉進次郎衆院議員(34)が吠えた。9月25日付の神奈川新聞がインタビューを掲載。安保法案への理解が広がっていないことについて「原因をつくったのは自民党自身」と痛烈に批判しているのだ。進次郎氏が報道機関の単独インタビューに応じるのは初めてのこと。よほど、今の安倍政権に思うところがあったのだろう。
 国会で憲法学者が「安保法案は違憲」と指摘した直後に、高村正彦副総裁が「自衛のための必要な措置が何であるか考え抜く責務がある。これを行うのは憲法学者でなく我々のような政治家だ」と話したことについて、進次郎氏は「私は傲慢だと思う」とピシャリ。「自分たちが呼んだ方が言ったことなのに、何を言っているんだ、という印象も大きかったと思う」と正論をぶちまけている。
 政治評論家の浅川博忠氏が言う。
「これまで進次郎氏は個別のインタビューを全て断ってきています。それに応じたのは特別なこと。今度の内閣改造で進次郎氏を副大臣などに抜擢すれば、安倍首相としては来夏の参院選で“客寄せパンダ”として利用できる。進次郎氏はそれを嫌って、このタイミングでインタビューに応じたんだと思います。選挙で利用されれば、安保法案に賛成したような形にもなる。自分としては本当は反対だったという意思表示ではないでしょうか」
 進次郎氏の父・純一郎元首相も先日、朝日新聞のインタビューに応じ反原発への思いを激白したばかり。安倍政権にモノが言えるのは、もはやこの親子しかいないのか。
 「総裁選が無競争だったように、現在の自民党は“安倍一強”時代。そういう時だからこそ、歯向かうことで一層存在感が出る。ちょうど純一郎氏も田中角栄氏の全盛期に、角栄氏に激しくかみついていました。それが思い出されます」(浅川博忠氏)
 メディアに出るタイミング、舌鋒の鋭さはオヤジ譲りということか。


欧州から要求の可能性も 成田・関空に「難民」が押し寄せる日
 鉄条網をくぐり抜け、次々に入ってくる人の群れ。列車やバスからはあふれ出すように人々が降り立つ――。欧州では中東やアフリカから押し寄せる大量の難民に頭を悩ませているが、日本でも真剣に考えなければならない時が迫っている。
 作家の佐藤優氏がラジオ番組や対談で語ったところによると、難民が成田空港や関西国際空港を占拠する日が来るかもしれないというのだ。佐藤氏は人道支援を表明した日本に対し、欧州が難民の“受け入れ枠”を要求してくる可能性があると指摘。ラジオ内でこう言っている。
「ヨーロッパのNGOやNPOが難民に、成田経由でどこかの国へ行ける航空券を渡すんです。乗り継ぎですから、(難民は)飛行機に乗れます。成田空港に着いたところで『乗り継ぎをしたくない』と、国際線のエリアのところで居座る。300人も集まるようになれば、その事実をもって(欧州が日本に対し)『人道的観点から難民を受け入れよ』となると思います。ハンガリーの首都ブダペストの駅で起こったことが、成田空港でも起こりうるんです」
 日本は難民支援として計4億8000万円の緊急無償資金協力を実施すると発表したばかりだが、実際に難民を受け入れる態勢は整っていない。昨年の難民認定申請者は5000人に達したが、認定されたのはたった11人。法務省は難民認定について、審査の仕組みをさらに厳格化する方向だ。今年、最大100万人を受け入れるというドイツとは比べものにならない。こうした日本の姿勢に、国際社会も黙っていないだろう。ジャーナリストの志葉玲氏がこう言う。
「難民“鎖国”ぶりは本当にひどく、先進国の中でこれだけ冷たいのは日本だけです。受け入れの数も少ないが、来た人への扱いもひどい。難民認定の申請に来た人への面談では、嫌がらせのようなことを聞いたりしているようです。安保法制で積極的平和主義というなら、難民を受け入れるなどの支援をしたほうが、国際的によっぽど喜ばれると思います」
 やるべきことは審査の厳格化ではなく、受け入れ態勢をつくることだろう。

手帳・家計簿を少し記入/ぎりぎりでNTTへの支払い

ブログネタ
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魚伊

Tokyo 2020 propose cinq nouveaux sports olympiques
Profitant de la dernière réforme du Comité international olympique (CIO), qui abolit la limite de vingt-huit sports pour les Jeux d’été, le Japon a annoncé, lundi 28 septembre, qu’il proposait l’intégration de cinq sports au programme des Jeux de 2020, qu’il accueillera : le surf, le baseball-softball, l’escalade, le roller et le karaté. Le CIO donnera sa réponse lors de sa 129e session, à Rio de Janeiro, en aout 2016, juste avant l’ouverture des Jeux. Une compétition qui marquera, elle, le retour du golf et l’arrivée du rugby à VII.
De sa liste initiale, le comité olympique japonais a éliminé le bowling, le squash et le wushu, un art martial chinois, pour retenir les disciplines propres à attirer les jeunes et à plaire au public nippon, a expliqué Fujio Mitarai, président du comité de sélection.
Ainsi les Nippons sont des fanatiques de baseball et de sa version féminine, le softball, un sport qui avait quitté les programmes olympiques après les Jeux de Pékin de 2008. De plus, selon les estimations des organisateurs des Jeux de 2020, le retour de cette double discipline rapporterait 50 millions de dollars (44,7 millions d’euros) supplémentaires uniquement en ventes de billets.
Une ≪ reconnaissance ≫ pour l’escalade
Le surf, lui, a convaincu les organisateurs de Tokyo 2020 en mettant en avant son ≪ sex appeal ≫ et la possibilité d’organiser les épreuves sur des vagues artificielles, alors que le roller a promis un spectacle équivalent à celui du NBA, le championnat national de basket aux Etats-Unis. Quant au karaté, c’est une pétition signée par 720 000 personnes à travers le monde qui a emporté la conviction des membres du comité national.
L’escalade, de son côté, a fait prévaloir son image de sport nature et écologique. ≪ C’est un grand honneur d’avoir été choisi, a réagi sa Fédération internationale (IFSC), mardi 29 septembre. Nous remercions le Tokyo 2020 Additional Event Programme Panel pour cette fantastique opportunité et cette reconnaissance dans le giron du mouvement olypique. ≫ Une reconnaissance institutionnelle en droite ligne avec l’engouement populaire. Toujours selon l’IFSC, ≪ l’escalade comptait 25 millions d’adeptes à travers le monde en 2013. Deux ans plus tard, en 2015, ce nombre est estimé à 35 millions. ≫
Baseball et softball à Fukushima
Alors que le fiasco de la construction du futur stade olympique au cœur de la capitale a couté son poste au ministre Hakubun Shimomura, les médias locaux révèlent que les épreuves de baseball et de softball pourraient être organisées à Fukushima, afin d’aider économiquement cette région ravagée par le tsunami et la catastrophe nucléaire de 2011 et d’améliorer son image. La ville compte deux stades de baseball et les opérations de ≪ décontamination ≫ y sont d’ores et déjà terminées, selon une source gouvernementale.
Si le CIO a fait sauter la barrière des vingt-huit sports lors de sa dernière réforme, en décembre 2014, il a en revanche maintenu à dix mille cinq cents le maximum d’athlètes participants et à trois cent dix le nombre de podiums. Une équation à résoudre pour les pays hôtes qui souhaitent proposer de nouvelles compétitions.
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フランス語の勉強?
クローズアップ現代「シリーズ国連70年(1)相次ぐ紛争そして難民…」
平和構築を最大の目的として設立された国際連合。しかし今、安保理の機能不全など国連の役割に疑問符が生じはじめている。設立から70年。岐路に立つ国連の行方を展望する
ヤン・エリアソン, 国谷裕子

あてなよる
酒の肴(さかな)を日本人は愛情を込め「あて」と呼ぶ。酒にあてがうもの、酒の味を引き立ててくれる伴奏者。極上のあてと酒で一日限定一組の客人をもてなす「謎」の一軒家。主宰は黄昏(たそがれ)時になると、今宵(こよい)は何をあてに一杯酌み交わすかを考える妙齢の淑女。銘酒だけではなく、おいしいあてがあるからこそ、今夜も一日が穏やかに締めくくれる。そんな主宰に魅かれ、足を運ぶ客人。さて今夜は何で飲みましょうか
野口健,戸田菜穂


9月は忙しかったことをつくづく感じます.手帳と家計簿の記入がおざなりになっています.メモが残っているのでそれをもとに記入しました.でもまだ半分くらい.
同じくネットのNTTへの支払いがヤバいです.なぜか口座引き落としではないので毎月振込みに行かねばならないのがすっかり忘れていました.催促状のようなものが来たんです.朝コンビニに行きそびれたので仕事終わって夜遅くに.催促状ではなくて請求書が必要というので慌てて少し探して支払いました.期限が9月30日までだったのでかなりやばいところでした.

鎮魂の調べ 光と闇包む
 岩手県陸前高田市米崎町の普門寺の境内で27日夜、東日本大震災の犠牲者を悼むバイオリンコンサートがあった。ろうそくの灯に五百羅漢像が浮かぶ幻想的な光景をバッハの調べが包んだ。
 宮古市出身のプロバイオリニスト梅村真美さん、小松智佳子さん姉妹が優しい音色を奏でた。木立の間から中秋の名月の光が注ぐ中、約50人が耳を傾けた。
 企画したのは広島県呉市のミカン農家梶岡秀さん(68)。2013年11月に普門寺を訪れた。同年8月に震災遺族らが制作を始めた石像を目にし「一人一人の思いがこもった羅漢像が並ぶ姿は、つらいけれどそこから進もうとする力を発している」と感じた。
 癒やしの音楽を羅漢像に届けたいと考え、寄付してくれた人にミカンを贈って事業費を集めた。震災の記憶を風化させまいと今後10年、中秋の名月の日にコンサートを開くという。


津波被災2社 水産加工団地で再出発
 東日本大震災で被災した宮城県名取市閖上地区に市が整備している水産加工団地に進出する地元2業者の水産加工処理施設の起工式が28日、現地であった。同団地での施設着工は初めてで、来年3月の完成を目指す。
 起工式を行ったのは「マルタ水産」と「浜口商店」。いずれも閖上に工場があったが、津波で被災し、マルタ水産は内陸の仮設工場で、浜口商店は工場を修繕して操業を続けてきた。
 式には市や地元水産業の関係者ら約30人が参列。くわ入れなどを行って工事の無事と早期完成を祈った。
 シラスやコウナゴ、アカガイなどの加工を行うマルタ水産の施設は国際的な食品衛生管理方式「HACCP(ハサップ)」に対応。原料の搬入から加工、包装まで工程ごとに作業場を仕切る設計にした。
 相沢信幸社長(63)は「ここに至るまでが大変だった。地元の漁業者と共存共栄し、閖上の発展を目指して頑張りたい」と話した。
 市は国の補助金を活用し、災害危険区域となった閖上3、4丁目に約2万5000平方メートルの水産加工団地(第1期)を整備。福島県の3業者を含めて6業者の進出が決まっている。


漂着鳥居:震災津波で八戸から米オレゴンに漂着 来月公開
 東日本大震災の津波で青森県八戸市内の神社から流され、2013年に米国西海岸のオレゴン州に漂着した鳥居の一部が今月中旬に4年半ぶりに日本に返還された。10月3、4日に同市の大久喜漁港近くの大久喜浜小屋前で一般公開される。
 公開されるのは、鳥居の上部に横に渡されている「笠木(かさぎ)」と呼ばれる2本の木で、長さは約4・2メートルと約4・7メートル。同漁港の厳島神社に、同市内の高橋政典さん(67)の父と、元漁師の高橋利巳さん(86)が、それぞれ奉納した。公開後は修復され、同神社に来春、再建される予定。
 3日午前10時から行われる公開セレモニーには、流出元の神社の特定に尽力した同州の「ポートランド日本庭園」学芸員の内山貞文さんらも出席する。一般公開は、両日とも午前10時〜午後4時。
 笠木は9月中旬に日本に戻り、横浜税関本牧ふ頭出張所(横浜市中区)で確認の検査を受けた。【塚本弘毅】


<北海道新幹線>青函圏連携 多角展開へ
◎開業まで半年(下)共同歩調
 輪島塗など石川県の伝統工芸品をあしらった能登ヒバ製の門型柱が、全長約120メートルのコンコースを彩る。優美な空間は美術館さながらだ。
 「石川らしさ」が際立つ北陸新幹線金沢駅。9月中旬の構内は、平日とは思えないほど混雑していた。
 北陸新幹線は3月に開業した。「半年たてば観光客は減るものだが、全然そんな気配がない」。金沢市プロモーション推進課の桑原秀忠課長は驚きを隠さない。
<精神的距離>
 陸の孤島とやゆされた北陸地方だが、東京−金沢が最速で従来より約1時間20分短い約2時間半となり、首都圏との距離は劇的に縮まった。JR西日本によると、新幹線開業後半年間の利用者は約482万人。前年同期の在来線特急の約3倍に達した。
 利用者増をけん引するのが、約1時間で結ばれている長野市との連携だ。
 石川県は首都圏からの観光客をこれまでの倍の年500万人に設定。金沢市は長野市にJR東日本への橋渡しを依頼し、首都圏に攻勢をかけた。両市は互いの観光名所を載せた共同パンフレットも作った。
 効果は長野側にもくっきり出ている。4月の「善光寺御開帳」には北陸方面からの入り込みが前回の2009年比で約4割増え、参拝客は過去最高の707万人を記録した。
 北信越と呼ばれる両地域の間には17年前、長野新幹線開業に伴って直通特急が廃止されて以降、距離感が生まれていた。
 それが元に戻りつつある。長野商工会議所商工振興部の徳武高久部長は「最大の新幹線開業効果は精神的な近さだ」と力を込める。
 連携はまさに、北海道新幹線でも求められている。
<4市を周遊>
 7月下旬、青森市のホテルであった経済同友会東北ブロック会議。函館市の工藤寿樹市長は「東北との連携が競争を勝ち抜くために重要。力を合わせ観光ルートを開発したい」と訴えた。
 北海道観光振興機構と東北観光推進機構が13年9月に首都圏在住者を中心に行った合同アンケートによると、北海道新幹線開業後について、函館だけを巡りたいと答えたのは約6%。東北もしくは道内も巡りたいという回答が大半だった。東北の行き先では青森が約35%でトップだった。
 青森を巻き込んだ連携がなければ満足な誘客につながらない。こうした危機感が函館市にはある。
 青森と函館両市による連携の歴史は長い。1989年、青函トンネル開通を契機に協定を締結した。11年には弘前、函館の両商工会議所が経済活動の活性化を目指す組織を設けた。
 さらに青森、弘前、八戸、函館の4市は13年3月、青函圏観光都市会議を設立。会議は来年4月から、4市の街をパビリオンに見立てて回遊を促す「青函圏周遊博」を開催する計画だ。
 「青函圏は仙台と札幌の真ん中にある。ハブ的な機能を持ち得る」と函館市新幹線対策室の担当者。新幹線がつなぐ東北と北海道。広域連携の可能性は観光にとどまらず、多分野で展開できる可能性を秘めている。
[北陸新幹線]JR西日本と東日本が事業主体となり、上信越・北陸地方経由で東京−大阪(約700キロ)を結ぶ整備新幹線。1997年に東京−長野が「長野新幹線」として部分開業。2015年3月14日に長野−金沢(約228キロ)が開業し、名称を北陸新幹線に変更。東京−金沢を約2時間半でつなぐ。同区間を最速の「かがやき」で1日10往復、停車駅の多い「はくたか」で14往復する。23年春ごろには金沢−敦賀(福井)が開業予定。


プレハブ仮設 長期居住へ補強工事始まる
 東日本大震災で被災した住民が住む宮城県内のプレハブ応急仮設住宅で28日、基礎部分の補強工事が始まった。県は来年度までに集約先となる仮設住宅の団地で工事を施し、居住の長期化に備える。
 南三陸町の志津川小仮設住宅(50戸)で同日、作業員6人が工事に着手した。床下の木ぐいの寿命は6年程度とされるため、追加で鋼製束と呼ばれる金属製のジャッキを90センチ間隔で取り付けた。給湯器や外壁、戸外の階段の修理も合わせて行う。
 同仮設住宅の菅原正晴自治会長(69)は「今は不具合はないが、あと1年以上暮らすので、工事をしてもらいとても安心している」と話した。
 県は本年度内に、住宅再建に伴って集約する団地を指定している南三陸町と気仙沼市、名取市の28団地254棟で補強工事を実施する。ほかの市町での工事は来年度行う予定。
 県によると、8月末現在の県内のプレハブ仮設住宅の入居者は2万8403人、入居率は60.6%。2017年度以降も使用を見込む仮設住宅で、基礎に木ぐいを使っているのは207団地1756棟ある。


震災、原発事故…福島の遺産展示、次代に
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の痕跡を保存する取り組みが、福島県内で進んでいる。県立博物館などでつくる「ふくしま震災遺産保全プロジェクト」実行委員会は昨年5月以降、200点以上の遺物を収集。新たな収集品を含め、10月6日まで福島大で一般公開しており、「震災を直接示す物を通して、福島で何が起きたのかを伝えたい」と来場を呼び掛ける。
 公開しているのは南相馬市や浪江町など沿岸部で集めた69点。これまでの展示会では津波被害を伝える物が中心だったが、原発事故に伴う避難区域にあった物品の収集も徐々に進み、当時の緊迫した状況を知ることもできる。
 避難所となった富岡高校(富岡町)に残っていた物品を今月15日に収集し、13点を初めて公開した。原発事故による緊急避難のため住民が過ごしたのは一夜のみ。生徒の美術作品のろうそくを用いた明かりや非常食のパン、「トイレは水が流れません」と記した張り紙などが、暗闇の教室の雰囲気を生々しく物語る。
 震災の痕跡は復興の進展とともに失われている。津波と火災被害を受けたいわき市久之浜商店街の焼け残った街灯は、解体業者が処分する前日に見つけ出した。会場では溶けた街灯の破片を展示しており、保存の難しさも同時に伝える。
 県立博物館の高橋満主任学芸員は「震災を伝える力が、物にはある。次世代だけではなく、今を生きる同時代の人、福島のことをあまり知らない人たちにも情報発信していかなくてはならない」と話す。教育現場での活用や、県外での公開も検討していくという。
 展示会場は、福島大のうつくしまふくしま未来支援センター。午前9時半〜午後4時半。入場無料。


<栗原白骨遺体>被災者にエール 白鳥さん投稿
 「地震で失ったものもありますが、得たものもあると思います。命の大切さや、助け合う心です」
 栗原市栗駒文字の杉林で遺体で見つかった白鳥真由さん=発見時(17)=は2011年5月、東日本大震災の被災者に向け、河北新報の「声の交差点」に応援メッセージを投稿していた。
 投書には大切な家族を失った人たちを思いやる気持ちとともに「こんな時だからこそ、互いに助け合って励まし合って生きていける。私は応援しています」とつづられていた。
 震災で「命の大切さ」「助け合いの心」を知ったという真由さん。投書した当時は中学1年、12歳だった。


追加種目の被災地開催を要望 遠藤五輪相
 遠藤利明五輪相は29日の記者会見で、2020年東京五輪での追加種目に関し、東日本大震災の被災地を含む地方での予選開催を検討するよう大会組織委員会に求める考えを示した。「復興五輪、日本全体での五輪と位置付けたい」と述べた。
 組織委は28日、国際オリンピック委員会(IOC)に提案する追加種目として、野球・ソフトボールなど5競技を決めた。被災地での開催をめぐり、遠藤氏はこれまで「福島県でも予選を開催できればありがたい」と述べていた。


安保転換を問う…首相の説明 レッテル論争は不毛だ
 安倍晋三首相は、安全保障関連法について、国民に丁寧に説明して理解を広げるつもりが本当にあるのだろうか。安保関連法が成立して10日たつが、この間の首相の発言を聞く限り、疑問を持たざるを得ない。
 首相は通常国会の閉会時の記者会見で、法成立について「戦争法案といったレッテル貼りは根拠のない不安をあおろうとするもので、全く無責任だ」と語った。報道機関のインタビューでも同趣旨の発言をした。
 首相の説明は次のようなものだ。
 安保関連法は「戦争法案」ではなく「戦争を抑止する法案」だ。もし戦争法案なら、世界中から反対の声が寄せられるはずだが、現実には多くの国々から支持されている。戦争法案という根拠のないレッテルをはがしていきたい、と。
 いくつか誤解があるように思う。
 まず、反対論者がみんな戦争法案と言っているわけではない。
 安保関連法に反対する野党の中でも、民主党の多くや、維新の党は、戦争法案とは呼んでいない。
 私たちも戦争法案という言葉は使ってこなかった。
 戦争法案か戦争抑止法案か、という二者択一では、重要な論点が抜け落ちてしまい、生産的な議論にならないことを恐れたからだ。
 また、デモに参加した人たちも、単純にレッテルを貼り、不安をあおろうとしたわけではない。
 背景には、多様な反対や疑問があった。11本の安保関連法のどこに着目したかは、人それぞれだった。
 しかも、法の内容そのものへの反対だけではなかった。国会での政府答弁への不満もあれば、安倍政権の強引な進め方への反発もあった。中には賛否を決めきれず、通常国会での拙速な成立に反対する人もいた。
 首相は、国民に丁寧に説明すると言いながら、反対論を十把一からげにして、戦争法案というレッテル貼りだと決めつけているように見える。そして、いつもと同じように「国民の命と暮らしを守るため」という抽象的な説明を繰り返すだけだ。
 これでは皮肉にも、首相のほうがレッテル貼りをしているように見えてくる。ますます国論が二極化しかねない不毛な議論だ。
 国民が首相に求めているのはこんな説明ではないはずだ。
 法は30日に公布され、来年3月末までに施行される。首相は、現在の国際情勢の中で日本が置かれている状況や目指すべき方向性を、政治家らしい言葉で語ってほしい。
 そのうえで、法の一つ一つがどう寄与するのかを、具体的なケースを挙げてわかりやすく説明すべきだ。


御嶽噴火1年 悲劇を繰り返すまい
 信仰の山を襲った突然の惨事から一年。戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火は、わたしたちに備えの見直しを厳しく迫ってきた。教訓は生かさねばならない。悲劇は繰り返してはいけない。
 山は間もなく二度目の雪の季節を迎えるが、山頂付近は今も火山灰に覆われ、五人が行方不明のまま。捜索もままならぬ火山災害の恐ろしさを見せつけている。
 御嶽は一九七九年十月、有史以来という噴火を起こしていた。犠牲者がなかったのは、今思えば、登山シーズンが終わっていたという幸運に恵まれただけだったのかもしれない。
 火山防災では、地元住民ばかりでなく、不特定多数の登山者も想定することが必要になる。
 惨事で悔やまれる点は、七九年の記憶が薄れ、この日だけでなく多くの登山者が恐らく警戒心を持たぬまま入山していたことだ。悲劇を繰り返すわけにはいかない。
 昨秋の噴火後、国を挙げて火山防災の見直しが始まった。
 内閣府は今春、火山監視・観測体制の強化や研究者の育成などを盛り込んだ報告をまとめた。七月に成立した改正活動火山対策特別措置法は、常時観測火山の周辺自治体に火山防災協議会の設置を義務付け、ホテルなどの事業者にも避難計画の作成を課した。
 無論、制度の枠組みを整えるだけでは問題は解決しない。教訓を生かし、いかに対策を具体化するかが問われることになる。
 登山者を守るためには、二つの要素が欠かせないだろう。
 一つは、早く分かりやすい情報提供。噴火前、御嶽では火山性地震の増加が観測されていた。広く登山者に知らされていたら、被害状況は違っていたかもしれない。
 御嶽の教訓として、噴火した場合に携帯端末やラジオで情報を提供する「噴火速報」が導入され、今月の阿蘇山の噴火で早速使われた。確実な避難に結び付くよう工夫を重ねたい。
 もう一つは、避難場所の整備。
 噴火の危険が高まった場合、確実に入山を制限できることが理想だが、現状では難しい。現実的な対策としては、シェルターの整備や山小屋の強化が欠かせない。たとえ「噴火速報」で登山者に情報を提供できても、避難できなければ宝の持ち腐れだ。
 火山周辺の自治体の多くは過疎の問題を抱えている。登山者を守りたくとも、独自の努力には限度があろう。関係機関が広く当事者意識を持って対策を進めたい。



「新国立」検証 核心へ踏み込み不足だ
 責任者は一体誰だったのか。問題の核心は依然としてやぶの中である。新国立競技場の計画の失敗に学ぶには、文部科学省の第三者委員会が出した結論では物足りない。検証作業の継続を求めたい。
 国民の強い批判を浴び、白紙撤回されるまでの新競技場の旧建設計画を検証した報告書である。
 確かに、多くの問題点が明らかにされている。権限と責任を担うリーダーの不在、縦割り組織の機能不全、希薄なコスト意識や専門性の欠如…。
 国家事業と向き合い、期せずして噴き出したのだろう。官僚機構の弊がいくつも指摘された。新計画の実現に向けて推進体制のチェックや意識改革は喫緊を要する。
 事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)の河野一郎理事長や、管理監督する下村博文文科相は、組織のトップとして責めを負うのは当然である。
 とはいえ、形式的な意味合いの結果責任を問われたにすぎない。建築家ザハ・ハディド氏のデザインにこだわり、計画の迷走を招いた“主役”とは言い難い。
 旧計画がなぜ破綻したのかを問うなら、その源流にまでさかのぼり、検証を尽くすべきだ。
 石原慎太郎知事の時代に、二〇一六年東京五輪はじめ、サッカーやラグビーのワールドカップ(W杯)の招致活動が盛んだった時期がある。六年前の七月に先んじて勝ち取ったのは、一九年ラグビーW杯の日本開催だった。
 ラグビーW杯の成功を目指す議員連盟は、一一年二月に旧競技場の八万人規模への再整備を決議した。四月には石原氏が二〇年東京五輪招致の意欲を示し、旧競技場を主会場とする機運が高まった。
 まるで都民、国民不在のまま旧競技場の改修という選択肢が外され、建て替え路線が固まった。影響力を持つ政界やスポーツ界などの「重鎮」は、JSCの有識者会議委員に収まっていたのである。
 報告書は当然「JSC理事長の諮問機関にもかかわらず、実質は重要事項の意思決定に関する承認機関となっていた」と問題視した。
 なのに、第三者委は元委員の石原氏はもとより、日本ラグビー協会前会長で、五輪大会組織委員会会長の森喜朗氏ら歴代有力委員の聴取をしていない。時間不足は理由になるだろうか。
 新計画は設計・施工業者選びに入った。並行して政府やJSCは権限と責任を明確にし、積極的に情報を公開してほしい。うやむやの霧に包まれたままでは困る。


三浦理恵子、再婚へ!お相手は交際1年半40代半ばの一般男性
 女優、三浦理恵子(42)が再婚することが28日、分かった。関係者によると、お相手は1年半交際した40代半ばの一般男性。29日に婚姻届を提出する。三浦は2001年にロック歌手、ダイアモンド☆ユカイ(53)と離婚後、演技派に成長。最愛の伴侶を経て、今後も仕事に精進する。28日は俳優、福山雅治(46)&女優、吹石一恵(33)、タレント、千原ジュニア(41)が結婚し、芸能界は結婚ラッシュとなった。
 離婚から14年。仕事に燃えてきた三浦が、最愛の人と巡り会っていた。
 関係者によると、お相手は40代半ばで年上の一般男性。1メートル80を超える長身で、穏やかで紳士的なタイプという。1年半前に知人の紹介で知り合い、交際に発展した。
 29日に婚姻届を提出。今年の9月29日は「天赦日(てんしゃにち)」と呼ばれる年5、6回しかない開運日。新しい物事を始めるのに良いとされる「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」も重なり、夫婦になる大切な記念日としてこの日を選んだようだ。挙式・披露宴は未定だ。
 三浦は1994年に解散したアイドルグループ、CoCoのメンバーを経て、歌手や女優として活躍。98年に結婚したユカイと01年に離婚後は、女優業にまい進してきた。
 不惑を過ぎてもキュートなルックス、独特の甘い声と美脚で世の男性を魅了しているが、最近の出演作ではクセのある女性や闇を抱えた人物などを熱演。昨年4月期のフジテレビ系「ファースト・クラス」では出世を狙う雑誌編集部の副編集長役、今年1月期のTBS系「美しき罠〜残花繚乱〜」は美貌に執着する独身キャリア女性を演じ、作品にアクセントを加える実力派としてひっぱりだこだ。
 三浦は妊娠はしておらず、結婚後も仕事を続ける。大人の男性である夫のサポートを受け、公私ともに輝きを増す。

ジツジツで足が痛い/歯医者でかぶせ直る/映像歳時記終了

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150902女川明神丸

En Catalogne, un vote en toute indépendance
Les partisans d'une séparation avec l'Espagne auront la majorité absolue au Parlement régional. Mais en voix, ils sont battus par les adversaires de la sécession.
Il s’est produit ce que la plupart des enquêtes d’opinion avaient prévu : la liste séparatiste, dirigée par l’actuel chef de l’exécutif catalan Artur Mas, a gagné. Avec 62 députés, le mouvement ≪Junts pel Si≫ (Ensemble pour le Oui, c’est-à-dire le Oui à l’indépendance), créé spécifiquement pour obtenir l’onction électorale de la majorité des 5,5 millions de votants catalans pour la ≪sécession≫, a atteint son objectif. Et si les séparatistes de la CUP se joignent à eux, ce qui est fort probable, ils dégageront une majorité absolue de 72 élus au parlement régional pour poursuivre leur défi vis-à-vis de Madrid.
Le séparatisme a le vent en poupe
Dimanche soir, le leader Artur Mas proclamait: ≪Nous n’allons pas faiblir; nous continuerons à aller de l’avant.≫ En clair : le ≪peuple catalan≫ nous a accordé une victoire qui nous autorise à avancer vers le transfert de souveraineté des institutions espagnoles vers des institutions catalanes (justice, fisc, ambassades…). Et son allié Oriol Junqueras, tête de file d’Esquerra (indépendantistes de centre-gauche), ne dit pas autre chose en affirmant, euphorique : ≪Nous avons obtenu une majorité plus que suffisante pour aller vers l’indépendance de façon progressive, sans possibilité de retour.≫
Peu après sa courte victoire aux précédentes législatives catalanes, en 2012, Artur Mas avait fait l’impossible promesse d’un référendum d’autodétermination, dont Madrid ne veut pas entendre parler, et qui s’était traduit en novembre 2014 par une consultation symbolique et illégale. Aujourd’hui, au terme de ces élections, il peut se targuer d’avoir remporté un plébiscite, prélude, espère-t-il, à un futur référendum définitif.
Une légitimité lézardée
Paradoxe : les indépendantistes ont gagné ces élections en sièges, mais pas en suffrages. Avec la CUP, la liste ≪Junts pel Si≫ obtient 47,8% des voix, contre 51,6% pour les listes non-indépendantistes. Pourquoi? Parce que la loi électorale de Catalogne, que les nationalistes prennent soin de ne pas réformer, donne un avantage aux circonscriptions rurales - où leur poids est plus fort - au détriment des zones urbaines, davantage peuplées de gens nés dans le reste de l’Espagne et rétifs à la séparation. Aux yeux des partis nationaux, cette infériorité en votes ôte à la liste sécessionniste toute légitimité. ≪Comment peut-on proclamer une indépendance sur la base d’une minorité ?≫ interroge l’analyste du journal en ligne eldiario.es, Ignacio Escolar, qui ajoute : ≪Une décision aussi capitale requiert un triomphe électoral écrasant, pas une victoire aussi serrée et discutable.≫
Les responsables nationaux ont ainsi beau jeu de minimiser la performance de la liste séparatiste. ≪Artur Mas a échoué dans sa stratégie sécessionniste≫, a affirmé le gouvernement central de Mariano Rajoy. ≪Ils ont perdu ce qu’ils présentaient comme un plébiscite≫, a renchéri la leader socialiste Pedro Sanchez. Autre hic à la victoire séparatiste : la majorité absolue au Parlement, indispensable pour poursuivre le bras-de-fer à l’égard de Madrid, n’est possible que grâce à une problématique alliance avec la CUP (10 sièges), un mouvement antisystème et anticapitaliste, favorable à la sortie de l’UE et de l’euro, qui s’oppose en tout point à la formation d’Arthur Mas, libérale de centre-droit. ≪La grande faiblesse de Mas et des siens, analysait El Periodico de Catalunya, c’est d’être l’otage d’une formation radicale et antieuropéenne.≫
Un futur des plus incertains
Bien malin qui peut dire comment les choses vont se dérouler dorénavant. La certitude, c’est qu’Artur Mas ne va pas s’arrêter en si bon chemin et va continuer à avancer, étape par étape, vers la ≪souveraineté≫. Tout réside dans le comment. On connait la feuille de route des séparatistes: préparer le terrain pour que, dans 18 mois, c’est-à-dire au printemps 2017, la situation soit mure pour un référendum d’autodétermination définitif. Qui, s’il est favorable, devra déboucher sur une proclamation d’indépendance unilatérale de la part du Parlement autonome de Catalogne. Un peu sur le modèle du Kosovo. Pour le commentateur Joaquim Coll, opposé à la séparation, ≪tout cela relève d’un souhait délirant. La vraie question est de savoir ce qui va se passer pendant les 18 mois à venir: Artur Mas va-t-il aller au conflit contre Madrid, ou tentera-t-il de négocier?≫ En d’autres termes, les séparatistes vont-ils, comme ils l’ont dit, commencer à mettre en place un fisc catalan, un Tribunal suprême catalan et un Parlement propre qui n’obéissent plus au pouvoir central ?
Si ce cas de figure extrême se produit, conformément aux desiderata de Mas et des siens, il est logique de penser que Madrid suspendra alors l’autonomie catalane, comme la loi l’y autorise. L’autre possibilité, plus réaliste, voudrait que Mariano Rajoy et Artur Mas s’entendent sur une solution négociée, pouvant passer par le maintien de la Catalogne dans le giron espagnol en échange des pleines prérogatives fiscales.
François Musseau MADRID, de notre correspondant
Japon: zéro entreprise candidate pour un projet de promotion des femmes
Pas une seule entreprise japonaise n’a souhaité participer à un programme de subventions destiné à permettre à plus de femmes d’accéder à des postes de responsabilité, une déconvenue embarrassante pour la politique affichée par le Premier ministre Shinzo Abe.
Le gouvernement s’attendait à recevoir la candidature de plusieurs centaines d’entreprises qui auraient recu une compensation financière en échange de la promotion de femmes à des postes plus élevés ou de leur formation pour y parvenir.
Dans le cadre de ce projet lancé l’an dernier, les sociétés choisies auraient obtenu jusqu’à 300.000 yens (environ 2.200 euros).
Mais le budget de 120 millions de yens alloué, avec 500 candidats attendus, est resté inutilisé, a déclaré à l’AFP une responsable du ministère de la Santé.
La porte-parole a mis en cause les conditions très strictes exigées pour etre choisi, affirmant que ce programme n’était ≪pas bon≫. Une proposition plus indulgente et accompagnée d’une subvention doublée dans certains cas sera lancée en octobre, a-t-elle précisé.
Cette nouvelle intervient alors que le Premier ministre Shinzo Abe s’est engagé, dimanche à New York devant les Nations unies, à renforcer ses mesures de promotion des femmes dans le cadre de sa politique de relance de l’économie dite ≪abenomics≫.
Le Japon a un des taux d’occupation des femmes les plus bas des pays développés et nombre d’économistes s’accordent à dire qu’il lui faut augmenter cette proportion en raison du vieillissement de la population.
Le manque de crèches, le peu de soutien accordé aux femmes dans leur carrière et un sexisme profondément ancré sont généralement accusés de pousser les jeunes mères à rester à la maison.
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東北発☆未来塾 哲ちゃん館長の熱血教室「被災地の“再生プラン”とは?」
74歳のカリスマリーダー・豊重哲郎さんの最終講義!まずは、福島の現実の一端に触れさせるため、塾生と東京電力福島第一原発の近くを通る国道6号線をバスで走る。そして、課題をだす。被災地を再生する町づくりプランを考え、プレゼンせよ!この難題に、考える時間は一晩だけ。塾生たちは鹿児島から宮城・福島でうけた6日間の「熱血教室」を懸命に思い起こし、プランを練るが…。
吉本実憂 豊重哲郎, サンドウィッチマン,

あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県石巻市 佐藤麻紀さん」
東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県石巻市雄勝町に住んでいた佐藤麻紀さんは、子どもを迎えに行くか、母のいる実家に戻るか迷った。「親なら子どもを助けろ」という母の声が聞こえた気がして、佐藤さんは学校へ行き助かった。
斜陽―まんがで読破
太宰 治
イースト・プレス
2008-01-01


忙しい人は、これである程度十分に浸れる 太宰作品の「だるい」自分主義 寧夢ベスト
若い頃に文字で読んで、何だか遠い世界のようにしか感じられず、
おまけに思春期の真面目な頃には不潔感満載の話が、今回漫画で読んでみて、
何故か身近な物に感じたのが不思議だった。
紆余曲折、それなりに読者の側が年を取ったせいか。
スープをひらりと飲む世界は漫画ではそれほどインパクトを伝えられないと思うが、
時代に呑み込まれて消えていく中で、自分勝手な独りよがりの「革命」を
起こそうとしているやりきれない雰囲気は、それなりに伝えられているような気がする。
絵柄がこのシリーズにしてはそれほど極端なデフォルメが少なく、
かといってリアルな劇画調でもなく、まあまあ読み易い部類だったからかも知れない。
これで物足りない人は、活字でじっくり自分の世界で味わえばいいこと。


久しぶりのジツジツ.担当の人の写真が渡されました.こんなの初めて.昼休みを挟んでまあどうにか無事に終えました.でもヒザが痛いです.
夕方歯医者に行きました.かぶせが取れてしまったのでそれを直してもらいます.衛生士さんは関西弁で元気よく話しています.雰囲気からするとまとめ役の感じの人みたいです.ところがその後の様子が違います.いつの間にか担当の人が変わっていました.今度の人は標準語で丁寧に話しかけてきます.多分見習い的な?感じかなぁなんて勝手に思ってました.その後夜の守口を少し回って帰りました.
映像歳時記が終了です.毎週楽しみにしていたので残念ですが仕方ありません.

<復興市>開催50回 タコでおもてなし
 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町で毎月恒例の「福興市」が27日、同町志津川の南三陸ポータルセンター前であった。2011年4月の開始以来、50回の節目を迎えた今回は「タコまつり」と題して、地元産タコを使った料理で来場者をもてなした。
 町内の商店など22店が並び、タコのかき揚げや串焼きのほか、採れたてのマダコを販売。実行委員会は50回を記念して、ゆでタコを無料で振る舞い、餅まきも実施した。
 タコのしゃぶしゃぶを味わえるコーナーが、特に人気を集めた。川崎市の大学4年市沢賢さん(21)は「こんなにプリプリしたタコは食べたことがない」と満足そうにほおばった。
 全国ぼうさい朝市ネットワークに所属する全国の商店街は、福興市に欠かさず出店してきた。30回以上参加した岡山県笠岡市の上一枝さん(55)は「親戚に会いに来る気持ちで取り組んでいる。ここで深まった交流を大切にし、これからも続いてほしい」と話した。
 山内正文実行委員長は「福興市から町の復興が始まり、復興のシンボルになった。100回を目指して頑張りたい」と話した。


被災横丁に複合ビル開業 にぎわい復活へ
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市中心部の松川横丁で27日、複合ビル「COMICHI(こみち)石巻」がオープンした。市街地の再開発が小規模でできる「優良建築物等整備事業」(優建)の同市適用第1号で、交流の場や新たなまちづくりの形として期待が高まる。
 ビルは鉄骨と木造を組み合わせた一部3階で、延べ床面積約660平方メートル。総工費は約2億円。1階にすし、イタリアン、洋食の飲食店3店が入り、2、3階はシェアハウスや地権者の住宅などになる。
 飲食店は地元にゆかりのある店主が経営。シェアハウスは7人用で、約6畳の7部屋と共用スペースがあり、5部屋が入居済みだ。
 松川横丁にはかつて飲食店などが立ち並んでいたが、近年は駐車場や空き地が目立つようになった。震災後、地権者らはにぎわいを取り戻そうと再開発を決意。身の丈に合った、事業を早く進められる優建でのビル建設を選んだ。
 地権者の一人で、ビルを運営するまちづくり会社の阿部紀代子代表社員は「新たなスタートに身が引き締まる。昔から住む人と、新しく来た人が交じり合う場にしたい」と語った。
 この日はオープンを記念し、入居する飲食店と近くの飲食店が自慢の料理をパック詰めなどで格安販売。多くの人でにぎわった。


<北海道新幹線>道南と仙台 思惑に違い
◎開業まで半年(中)温度差
 北海道をはじめ全国各地のグルメがそろった。今月上旬、函館市中心部であった「はこだてグルメサーカス2015」。来場者は2日間で計19万人に達した。
 函館市など主催のイベントは4年目。ことしは「北海道新幹線開業プレ事業」との位置付けだった。
 東北からも計42店が参加した。約130店に及んだ全体の3分の1を占め、北海道新幹線開業への期待の高さがうかがえた。
<参加はゼロ>
 とはいえ、青森、岩手両県の北東北が大半で、南東北は宮城県気仙沼市の1店と福島市の2店のみ。仙台圏からの参加は一切なかった。
 「参加ゼロはあまりに寂しい。仙台圏と函館の時間距離は大幅に近くなるのに…」。イベント関係者はけげんそうに語る。
 北海道新幹線で結ばれる東北と函館を中心とする道南地域。函館側が熱い視線を送るのとは対照的に、100万都市・仙台側の反応は驚くほど冷ややかだ。
 仙台の経済界からは「新幹線が札幌まで延伸すれば大きなインパクトになるが、道南の市場は小さい。現状ではビジネスとして成り立たせるのは厳しい」との声すら漏れる。
 各新幹線の開業効果や地域づくりなどを研究する青森大の櫛引素夫准教授は「残念ながら仙台圏の企業関係者の目は、仙台より北には向いていない」と指摘。東北新幹線が1991年に東京に乗り入れ、首都圏と結ばれた時点で「新幹線のメリットが達成されたと受け止められている」と分析する。
 函館商工会議所の担当者も「仙台圏の道南地域への反応は、こちらが提供する広告・情報量に比例こそすれ、現状ではそれ以上に広がることはない」と言う。
<魅力を発信>
 これに対して北海道側は積極的だ。道南地域の2市16町は11月、仙台市青葉区の勾当台公園で「函館・みなみ北海道グルメパークin仙台」を開く。
 仙台開催は3回目になる。約40ブースを設け、道南の食と観光の魅力を仙台市民らに印象付ける戦略。函館市観光推進課の横山敬一課長は「函館に興味を持ってもらう効果的なプロモーションにしたい」と意気込む。
 開業まで半年となり、仙台市にもようやく動きが出始めた。「来年のはこだてグルメサーカスに仙台圏からの出店を目指す」と市観光交流課の担当者。北東北がほとんどだった道南からの教育旅行についても「誘致に力を入れる」と力説するが、具体策はこれからだ。
 青森大の櫛引准教授は「北海道新幹線開業で、東北の中心都市の仙台は、新たな未来像を描く構想力が試されることになる。道南を東北に加え、新たな東北像をつくることができるかどうか。その覚悟が求められている」と主張する。
[道南地域] 函館市や北斗市、木古内町など2市16町を指す。域内人口(2010年調査)は約46万9000で、うち函館市が約27万9000と6割を占める。18市町の域内総生産(11年度)は名目で1兆3931億円。観光客の入り込み数(12年度)は1083万4000人。


<認知症>震災後急増 寸劇で理解訴え
 宮城県気仙沼市内の医療、福祉業界の有志でつくる「日本の福祉を考える気仙沼若手の会」(略称JFK)が、認知症サポーター養成講座に力を入れている。寸劇を交えた講座を企業や学校で開催。東日本大震災後に認知症が急増する中、症状を理解して地域で支える「福祉の街」を目指している。
 「あれ、おじいちゃん何をしているの」「財布がない」「一緒に探そうよ」
 同市松岩中で11日開かれた養成講座。JFKのメンバーらが、認知症の人によくある「物を置いた場所を忘れてしまう」という出来事を寸劇で演じた。
 おじいちゃんに財布を見つけさせる様子を演じながら「失敗体験をさせないことが大切。家族が財布を見つけて渡すと『取られた』と思うから、不信感を持たれないように探す手助けをしてほしい」と伝えると、1年生83人が大きくうなずいた。西條秀都君(13)は「おじいちゃんの気持ちになって、やさしく接することが大切だと分かった」と話した。
 市内の中学校で養成講座が開かれるのは初めて。学校側も「子どもの周辺でも身近な問題。理解につながった」と感謝している。
 JFKは、震災後に認知症が増える現状を目にした福祉職の若手3人で2012年12月に発足。認知症サポーター養成講座を婦人会や企業、学校などで40回以上開催し、延べ1000人以上が参加した。
 認知症介護指導者で、グループホーム管理者を務める熊谷光二会長(41)は「仮設住宅暮らしなどで症状が悪化する人が増え、支える側もストレスがたまっている。地域で支えるため、正しい知識や対応を啓発したかった」と話す。
 メンバーも看護師やケアマネジャー、精神保健福祉士ら20〜50代の44人に増えた。毎月集まって研修会や交流を重ねる活動が評価され、5月に日本認知症ケア学会の読売認知症ケア賞・奨励賞を受賞した。
 熊谷さんは「つながった多くの仲間とともに、人が最後までその人らしく暮らせる福祉の街になるよう、これからも活動していきたい」と話している。


御嶽噴火1年 「あの日」思い供養の入山
 戦後最悪の火山災害となった御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)の噴火から1年を迎えた27日、県内外の登山客が、下呂市の小坂口登山道から山に入った。登山道入り口には献花台も設けられ、登山客は入山前に、献花を行い、黙とうをささげるなどして噴火の犠牲者らを悼んだ。(古和康行、伊藤幸典)
 津市、無職鎌田隆雄さん(61)はあの日、山頂付近で噴火に遭遇し、近くの山小屋に避難して難を逃れた。鎌田さんの車には、当時、背負っていたリュックが積まれている。「ここに火山灰が残っている。においもまだかすかに……」と振り返る。
 御嶽山を再び訪れたのは、「噴火を経験して登山することが怖かったけど、噴火から1年を自分の区切りにしたかった」と打ち明ける。鎌田さんのリュックには、献花する花と缶ビール、ジュースが入っていた。「山頂付近でお供えするつもり。噴火の時間に合わせて黙とうしたい」と話した。
 また、愛知県西尾市、会社員鈴木康久さん(48)は当時、知人と一緒に山頂を目指し登っていたところ、噴火して灰が降ってきたため引き返したという。「1年前に山頂で1泊する予定でした。前回登れなかったので、亡くなった人の供養をするために登りたい」と語った。
 噴火のあった日は体調不良で登れなかったという高山市、パート山越辰世さん(64)は「噴火で御嶽山の登山客は減少しているが、安全に登れる山に戻りつつあるということも知ってほしい」と話す。
 夫婦で登山に訪れた同市、会社員男性(42)は「犠牲者に線香をあげようと思い、足を運んだ。まだ、発見されていない行方不明者もいる。一刻も早く見つけ出してほしい」と語った。


悲しみ胸に一歩 御嶽山9合目登山ルポ
 愛する人は、もう帰ってこない−。戦後最悪の被害を出した御嶽(おんたけ)山の噴火から二十七日で一年がたった。最愛の家族を山で失った遺族、山の恵みを受けて生きる地元住民は、悲しみを胸に刻みつつ、新しい一歩を踏み出そうとしている。
 噴火から一年を迎えたこの日、犠牲者の友人や当時山頂にいた登山者ら多くの人が慰霊のために御嶽山を訪れた。一年前の出来事への思いを胸に、鎮魂の祈りをささげた。
 木曽町の「御岳ロープウェイ」では営業開始の午前八時半を過ぎると、登山者たちが次々と山頂駅に降り立った。数人のザックから花束がのぞく。雲で隠れた八、九合目へと歩き始めた。
 八合目にある女人堂前では、献花台に色とりどりの花が手向けられていた。あの日、剣ケ峰頂上にいた諏訪市の会社員の男性(59)は、噴火当時も一緒にいた妻(56)とともに手を合わせた。
 男性は、噴火で犠牲となった同市の荒井真友さん=当時(41)=が撮影した写真に、自分と妻の姿が写っていたことを報道で知った。「何とも言えない気持ち」と目頭をおさえた。同じ場所にいて、命を落とした犠牲者を思うと涙があふれた。
 すぐに献花台に花の山ができた。山仲間の男性を噴火で亡くしたという松本市の男性(68)は、「七月に来たときよりもたくさんあるね。彼も喜んでるはず」と話した。山頂に続く登山道や、赤や黄色に色付いた葉が山肌を彩る様子を眺め、「いい山なんだけどな」とつぶやいた。
 噴火時刻の午前十一時五十二分になると、女人堂近くにいた約三十人の登山者が、山頂に向けて一分間の黙とうをささげた。山梨県上野原市から来た男性三人は、亡くなった同市の宮地昭さん=当時(58)、妻よし子さん=同(56)=と年に一、二回は一緒に山を登る仲だったという。山口武士さん(72)は、「少しでも故人に近いところに来たかった」と話し、「夫婦いつも一緒にいて仲良しだった。天国でも仲良くねと声を掛けました」と続けた。
 十九日に規制緩和されたばかりの九合目の石室山荘へと向かう人の姿はあまりなかった。ごつごつとした岩が重なる登山道はところどころ火山灰に覆われている。踏み込むと、三〜四センチの灰の層がずるりと滑り落ちた。
 石室山荘の献花台にも祈る人の姿があった。規制線の先は雲がなく、青空と頂上に続く岩肌。振り返ると、緑と紅葉が広がっていた。「ちりーん、ちりーん」。登山者の身に着ける鈴の音が響く。この日の霊峰は、静かだった。
(御嶽山噴火取材班)


御嶽山 悲劇忘れない 噴火1年 王滝で犠牲者の追悼式
 犠牲者58人、行方不明者5人に上る御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)の噴火災害が発生してから27日、1年を迎えた。山麓の木曽郡王滝村で犠牲者の追悼式が開かれ、犠牲者の遺族146人を含め、国、県、麓の市町村関係者ら440人が参列。1年前に噴火した時刻の午前11時52分には全員で黙とうをささげ、犠牲者を悼んだ。
 戦後最大の火山災害となった昨年の噴火は、観測・予知、登山者への情報伝達など日本の火山防災体制の弱さを浮き彫りにした。国は対策を充実させる方針を打ち出したが、予算の継続的な確保や専門家の育成といった課題は多い。
 追悼式は王滝村、木曽郡木曽町、岐阜県高山市、下呂市による実行委員会が主催した。実行委員長で王滝村の瀬戸普村長はあいさつで、「み霊の前に謹んで哀悼の意をささげる」と述べた。遺族代表として、夫の伊藤保男さん=当時(54)=を亡くした東御市の伊藤ひろ美さんが「二度とこのような惨事が起こらないよう、火山防災体制を整えられることを望む」とあいさつした。
 山谷えり子防災担当相は、活動火山対策特別措置法の改正などに触れ「火山による被害を最小限にするためできる限りの力を尽くす」。阿部知事は「関係機関と連携して対策に万全を期す」と述べた。
 遺族らは追悼式後、王滝村の田の原登山口にある献花台に移動して、御嶽山に向かって献花するなどした。
 気象庁は6月に、御嶽山の噴火警戒レベルを3(入山規制)から2(火口周辺規制)に引き下げたが、山頂1キロなどの範囲は登山できない状態が続いている。


御嶽山 包み込む祈り 生還者と遺族 対面の場に
 御嶽山に向けてしつらえられた献花台が、犠牲者への思いがこもった白い菊で徐々に埋まった。27日、木曽郡王滝村で行われた噴火犠牲者の追悼式。遺族や行方不明者の家族、国や自治体の関係者らだけでなく、犠牲者の霊を慰めようとする一般の人たちも午後にかけて次々と訪れ、静かに手を合わせた。1年前と同じ紅葉の盛りを迎えた御嶽山はこの日、犠牲者への祈りで包まれた。
 犠牲者をしのぶ追悼式は、接点がなかった生還者と遺族を結び付ける場にもなった。
 山頂の剣ケ峰から生還した千葉県松戸市の蕪木(かぶらぎ)峯子さん(70)は、犠牲になった名古屋市の会社員浅井佑介さん=当時(23)=の両親と初めて会った。気が重かったというが、浅井さんの両親から逆に慰められた。
 下山後、蕪木さんは噴火前に撮影した写真の1枚に浅井さんが写っているのに気付いた。撮影場所は8合目と9合目の間の富士見石付近。午前9時40分すぎだった。浅井さんがほほ笑んでいるのも分かった。蕪木さんを追い越していくところだった。
 写真は事前に両親に届けた。「紅葉を撮ったら、たまたま(浅井さんが)写っていたんです」。追悼式前、蕪木さんは説明した。「(剣ケ峰まで)登ったかな」と聞く浅井さんの父に、「登ったと思います、私たちより足が速かったから」と伝えた。
 面会を望んだのは浅井さんの両親の方だった。噴火当日の浅井さんが写った写真は少ないという。蕪木さんの写真で息子の元気な姿を目にし、足取りの一部が分かった両親が「ぜひお会いしたい」と願った。
 「運良く無事に下山されたのだから、苦しまないでこれからの道を生きてほしい」。浅井さんの母はそう願う。「喜んでもらえたのは、生き残った私にとっても慰めになった」。蕪木さんも胸のつかえが一つ取れた。
 噴火当時、王滝頂上山荘の支配人だった王滝村の正沢功さん(47)は追悼式前日の26日、被災者家族でつくる「山びこの会」事務局代表のシャーロック英子さん(56)=東京都目黒区=と初めて会った。現在勤める王滝村田の原の宿泊施設にシャーロックさんらが宿泊。「遺族とは初めて話すんです。どう思われているか分からなくて…」。夕食後、正沢さんが切り出した。
 シャーロックさんや夫を亡くした妹の伊藤ひろ美さん(54)=東御市=は、登山者や犠牲者が撮影した多くの写真をパソコンに保存。全国にいる遺族や登山者から集め、犠牲者が亡くなった地点や行方不明者の居どころを分析していた。正沢さんは「力強く前向きに、こんな地道な作業を噴火後にずっと続けてきたのか」と驚いた。
 正沢さんは噴火の体験をあまり語らずに来たという。だが、遺族に会って「体験を伝えるのが、あの時山小屋にいた私の役割」と思うようになった。
 「生還した人は、想像以上に罪の意識を感じているが、今回は勇気を持って話してもらった」とシャーロックさん。「遺族は(御嶽山で)どんなことがあったのかをもっと知りたい」と願った。


電力需給 今夏も余力 原発再稼働の根拠揺らぐ
 この夏の全国の電力需給を電力各社に取材したところ、需要が最も高まるピーク時の電力使用率が95%を超える「厳しい」日はゼロだったことが分かった。節電の定着や企業・自治体の大手電力離れで需要が減る一方、電力会社間の融通や太陽光発電の増加で供給力を確保し、電力の安定につながった。8月に川内(せんだい)原発1号機(鹿児島県)が再稼働した九州電力を除く地域は今夏も原発なしで乗り切った。 (岸本拓也)
 本紙は、原発のない沖縄を除く電力九社に、今年七月〜九月中旬までの月−金曜日のピーク時の電力使用率を取材した。使用率は、電力会社が気温などから需要を予測して事前に準備した供給力に対する実際の最大需要の割合で、どれだけ電力に余力があったかを知る目安となる。昨年の夏は中部電力と関西電力でそれぞれ一日「厳しい」日があった。
 今年は東京で過去最長の八日連続の猛暑日となるなど、全国的に八月上旬に暑さのピークを迎え、冷房などの使用により各地で今夏の最大需要を記録した。
 九電管内では八月十一日に川内原発1号機が再稼働。九電は「原発の再稼働がなければ、電力需給は厳しい」としていたが、再稼働前は中部、中国両電力から融通してもらい、余力を確保していた。
 原発が動いていない電力各社は既存の発電所の増強や、老朽火力も活用して供給力を確保。太陽光発電の導入が昨年に比べて倍増し、原発十二基分の出力に相当する計千二百万キロワットの電力を生み出したこともピーク時の供給を下支えした。
 東京電力管内では、最高気温が三七・七度となった八月七日に今夏最大の四千九百五十七万キロワットの需要を記録したが、使用率は92・3%と余力を残していた。
 原発依存度の高い関電管内は、原発稼働がゼロでも使用率が90%未満の「安定」した日がほとんど。同四日に今夏の需要がピークとなったが、中部、中国、北陸の電力三社から計百一万キロワットを融通してもらい、使用率は88・1%にとどまった。
 夏を乗り切れた理由について、電気事業連合会の八木誠会長は「節電が大きな要因」と説明。全国の最大需要は東日本大震災前の二〇一〇年と比べて、今夏は13・5%減少した。加えて、企業や自治体などが、料金値上げをした大手電力を解約して新電力へ切り替える動きが進んだことも需要減の一因となり、今夏の安定につながった。


週のはじめに考える ゲバラたちがみた夢
 週明け国連総会で、各国首脳の演説が始まります。半世紀前に残る先人の名演説を再生しながら、為政者が語るべき「理想」に思いを巡らせます。
 諸国間の友好関係を発展させ世界平和を強化する−。国連憲章にうたう「目的」の柱であり、国連主義のいわば基本精神です。
 国連発足七十年の今年、その精神を地で行く大ニュースでした。七月二十日、互いの大使館を五十四年ぶりに再開した米国とキューバの国交回復です。その源流を半世紀前にたどります。両国の政治家が残した伝説の演説から。
 まずは一九六一年一月の対キューバ国交断絶と相前後して、米大統領に就任したジョン・F・ケネディが、その年九月の国連総会で行った演説です。
 「戦争に代わる唯一の方法は、国連を発展させることだ。それは大国だけの関心事ではない。なぜなら、核兵器の惨禍は風と水と恐怖によって拡散され、大国も小国も、富国も貧国も、同盟国も非同盟国も全てをのみ込んでしまうからだ。人類は戦争に終止符を打たねばならない。さもなければ戦争が人類に終止符を打つだろう」
 当時も米国にしては異質なまでに純粋な、国連による非核平和の理想でした。しかし、核廃絶を希求したケネディは皮肉にも六二年十月、米ソ核戦争の寸前までいくキューバ危機に直面。以後もなおキューバとの関係改善を気にかけつつ六三年、志半ばで暗殺の銃弾に倒れていきます。
 もう一人は、五九年のキューバ革命をフィデル・カストロ前国家評議会議長らと共に率いた政治家チェ・ゲバラ。六四年十二月の国連総会演説です。
 「私たちが確かな世界平和を望むなら、強国だけの意向に左右されず、各国相互の歴史的な関係にもよらず、全ての国によって実現されなければならない」
◆もう一人の理想主義者
 ゲバラもまた国連主義の高い理想を掲げた演説で、険しい対立相手の米国に代表される大国が、小国を支配する国際政治を公然と批判します。第三世界の国々に、小国も等しく持っている自立の権利に目覚め、大国に立ち向かえと喚起して、大喝采を浴びたのです。しかしその後、カストロ氏とたもとを分かったゲバラは、新たに求めた革命の地ボリビアで六七年、やはり銃弾に倒れます。
 時は流れて四十余年後。埋もれた二人の夢を掘り起こす、もう一人の理想主義者が現れたのは、両国にとって幸運でした。
 二〇〇九年にプラハ演説で「核なき世界」の理想をうたい上げたオバマ米大統領です。自身が最も尊敬するケネディの国連演説を再現したような高揚感でした。
 その「核なき世界」でオバマ氏が〇九年のノーベル平和賞に輝いた時、キューバのカストロ前議長が寄せた談話が微妙です。
◆痛烈な皮肉と盟友の影
 「この決定は前向きな一歩だと認めよう。ただ、これが意味するのは、一人の米大統領の受賞ということだけではない。歴代の大統領たちが追求してきた大量虐殺の政治に対する批判を見ることができるのだ」
 米大統領にして希有(けう)な理想主義者オバマ氏を信認の上で、米国への痛烈な皮肉です。その裏には、大国支配からの解放によって世界平和の理想を説いたゲバラの国連演説が浮かびます。カストロ氏はオバマ氏の出現に、かつての盟友ゲバラの影を見たのかもしれません。
 オバマ大統領にとっても「核なき世界」の理想が遠のく中、政権終盤のレガシー(遺産)政策に、敬愛するケネディ絡みの対キューバ関係を選んだのは、一つの必然だったでしょう。
 こうして、ケネディとゲバラが見た平和の夢は半世紀後、両国の国交回復という形でよみがえりました。逆に、二人の理想の掲示がなければ国交回復はなかったかもしれない。そこに演説の意義もあります。
 二人が今に教えるのは、政治家が歴史に高い理想を掲げなければ何も始まらず、それが死後も何年かかろうと、いつかは実現すると信じることの尊さでしょう。
◆駆け引き超えた純粋さ
 今年も国連総会で始まる各国首脳の演説に注目します。冷戦後の世界に混沌(こんとん)が満ちている今だからこそ、私たちは聴きたい。目先の駆け引きを超越した純粋な理想の演説を聴きたいのです。
 理想主義者ゲバラの純粋さをひときわ輝かせた名言があります。キューバ危機のさなか前衛の青年たちを鼓舞した訓話の一節です。
 「もしも私たちが夢想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。それはできるのだ、と」


憲法解釈変更の検討経緯 法制局、公文書に残さず 集団的自衛権検証が困難に
 内閣法制局が昨年七月一日に閣議決定した集団的自衛権行使を可能とする憲法九条の解釈変更をめぐり、内部検討の経緯を示した資料を公文書として残していないことが二十八日、分かった。法制局関係者が明らかにした。歴代政権が禁じてきた集団的自衛権行使がどのような検討を経て認められたかを歴史的に検証することが困難となり、憲法と、法令や閣議決定の整合性を審査する法制局の姿勢が問われそうだ。
 関係者によると、閣議決定に関連する公文書として保存しているのは(1)安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」の資料(2)自民、公明両党による与党協議会の資料(3)閣議決定の原案−の三種類。憲法解釈変更をめぐり、閣議決定前日の昨年六月三十日に国家安全保障局が原案を法制局に送付し、法制局は翌七月一日に「意見はない」と回答した。
 横畠裕介内閣法制局長官は閣議決定後の同年七月十五日の参院予算委員会で、二〇一三年二月に安保法制懇が再開して以降「部内でも九条に関する過去の国会答弁や質問主意書、答弁書などの政府見解を精査していた」と説明していた。
 菅義偉(すがよしひで)官房長官は二十八日の記者会見で「法制局は閣議決定について公文書管理法に基づき、適正に文書を保有している」と述べた。


スペイン:カタルーニャ州議会選挙 独立賛成派が過半数
【バルセロナ(スペイン東部カタルーニャ自治州)宮川裕章】スペインのカタルーニャ自治州で27日、州議会選挙(定数135)が投開票され、中央政府からの独立を主張するマス知事率いる保守系与党を中心とした独立賛成派が過半数を押さえ、勝利した。マス知事は勝利集会で「計画を進めるための大きな力を得た」と述べた。
 独立賛成派は過半数を獲得した場合、18カ月以内に独立すると公約しており、中央政府や欧州連合(EU)に承認の交渉を呼びかける見通し。独立を憲法違反として認めない中央政府との対立の激化が予想される。
 選挙は有権者551万人で、投票率は77.44%。開票率99.67%で、マス知事の保守系与党CDCなどで作る独立賛成派政党連合「共にイエス」が62議席、別の左派独立賛成派政党CUPが10議席と、合わせて過半数の72議席に達した。独立反対派は保守系政党「市民」が25議席、カタルーニャ社会党16議席、国民党11議席と惨敗した。
 「共にイエス」のロードマップ(行程表)では、選挙勝利後、国王にカタルーニャの主権を宣言し、憲法制定など新政府設立の準備に入る。その後、中央政府の権限を新政府に移管。その間に、中央政府やEUに国家承認を求め、協議を始める方針。マス知事は27日の勝利宣言で具体的な計画には触れなかったが、中央政府の猛反発が予想される。
 また「共にイエス」はEU枠内での独立を目指しているが、CUPはEUからの即離脱を主張しており、賛成派内でも協議が難航する可能性がある。
 「共にイエス」の集会でマス知事が勝利宣言すると、広場を埋めた支持者が「独立」「独立」のシュプレヒコールを繰り返し、カタルーニャ独立旗が夜空に揺れた。大学生のエリセンダ・ポンさん(20)は「この結果を誇りに思う。独立で文化的にも経済的にもカタルーニャは良くなる。困難はあるだろうが、前に進むだけだ」と語った。
 カタルーニャ自治州は独自の言語や文化を持つ裕福な商工業地域。人口は約750万人でスペイン全体の約16%に当たる。政府に納める税金が国の補助金などを大きく上回り、不満が高まっている。


<宮城県議選>護憲の党 社民正念場
 10月16日告示、25日投開票の宮城県議選で社民党が正念場に立たされている。立候補予定者が不足し、このままでは現有議席を下回るのが必至の情勢だ。安全保障関連法への反対世論が高まる中、「今こそ存在感を発揮する時なのに」と関係者は悔しさを隠せない。
 安保関連法が成立する直前の25日夜、仙台市内で開かれた集会で党ののぼりがはためいた。
 「戦争する国、絶対反対!」と叫びながら、党県連関係者らが繁華街を練り歩いた。護憲や平和は、党が旧社会党時代から一貫して掲げる金看板。県連はこの間、街頭で繰り返し成立阻止を呼び掛けてきた。
 田山英次副幹事長は「安保関連法は憲法解釈の限度を超え、立憲主義を踏みにじっている。県議選では県政課題だけでなく、安保も訴えていく」と話す。
 政権批判の世論を追い風に戦いたい県議選だが、候補擁立作業は完全に行き詰まっている。
 党県連は現段階で、太白選挙区の現職と大崎の新人の2人を公認し、栗原の元議員1人の推薦を決定。仮に全員当選しても、党県議団の現有議席4を下回る。
 2011年の前回公認した若林の現職と、推薦した白石の現職がともに、健康上の理由で今期限りで引退。「後継の新人発掘は厳しい」(田山副幹事長)まま、告示日が近づく。
 「支持労組の組織力が年々弱体化し、後継者を育てられなかった。ベテランの存在感を重く感じ、若手が後継に名乗りを上げるのをちゅうちょした」。支持団体の一つ、県平和労組会議の佐々木俊彦事務局長は人材不足を嘆く。
 県議選は党の県組織の存亡を懸けた戦いになる。佐々木氏は「街頭での反応は決して悪くない。3人全員の当選に全力を尽くすのみだ」と力を振り絞る。


500社想定のはずが… 女性活躍助成の申請ゼロ
 企業が女性の管理職登用などで数値目標を設定、達成した場合に助成金を支給する厚生労働省の2014年度の事業に、企業からの申請が1件もなく、予算約1億2000万円が全く執行されなかったことが27日、厚労省への取材で分かった。
 当初、14年度の対象は500社に上ると見込んでいた。厚労省は「助成金支給を数値目標達成時に限定したため」と分析。大企業などに数値目標設定を義務付ける女性活躍推進法施行を来年4月に控え、本年度から要件を一部緩和し、助成額も増やすことを決めた。10月以降に新たな要件を示し、申請を受け付ける。
 事業は「ポジティブ・アクション能力アップ助成金」。支給額は中小企業が30万円、大企業が15万円で、1企業1回限りの受給としていた。
 支給条件は(1)女性の職域拡大や管理職登用などの数値目標設定(2)管理職となるのに必要なスキルを学ばせるなどの研修を30時間以上実施(3)数値目標のうち一つを半年後から3年以内に達成−など。目標を厚労省のウェブサイトで公表することも求めていた。
 厚労省は女性活躍推進法の内容に合わせ、10月以降は目標達成の期限や研修時間の最低基準を撤廃。大企業、中小企業ともに目標達成時に30万円を支給するが、同法で数値目標設定が努力義務にとどまる中小企業は、取り組みを始めた時点で別に30万円を支給する。


NHK桑子アナ、ニュース7で福山結婚「ショック」
 結婚を発表した俳優福山雅治(46)女優吹石一恵(33)の結婚を、NHKもこの日午後7時からのニュース番組「NHKニュース7」で報じ、桑子真帆アナウンサーが思わず、「ショックです」と本音を打ち明ける一幕があった。
 武田真一アナから「ショックと感じた方や、お似合いだなと納得された方、さまざまだと思いますが、桑子アナはどう感じましたか?」と問われた桑子アナは、両手を広げるゼスチャー付きで驚きを表現した。
 「私はショックで…思わず『エッ』と声を上げてしまいました」
 それでも、武田アナから「気を取り直して」と促されると、「俳優の福山雅治さんと吹石一恵さんが、今日付で結婚したことを、2人の所属事務所を通じて発表しました。今日は吹石さんの誕生日でした」と冷静に伝えた。
 NHKが芸能人の結婚を報じるのは異例。福山が大河ドラマ「龍馬伝」で主人公の坂本龍馬を演じたほか、吹石も「ドキュメント72時間」でナレーションを担当するなど、NHKとも縁の深い2人だった。この日は東京五輪や台風などに続き、5番目の話題として、数分間にわたって伝えた。


福山雅治さん 吹石一恵さんと結婚
歌手で俳優の福山雅治さんと俳優の吹石一恵さんが、28日に結婚したことを、2人の所属する事務所を通じて発表しました。
2人が報道各社に送ったFAXによりますと、福山さんと吹石さんは28日付けで結婚したということです。この中で福山さんは「友人関係から始まり、数年前よりおつきあいが続いていく中で、いつしか人生を支え合う存在として意識するようになりました」と述べ、「ささやかながらも明るい家庭を築いていければと思っております」と結婚生活に向けた思いをコメントしています。
また、吹石さんは「人間としてより成長し、あたたかく笑顔の絶えない家庭を作っていけたらと思っております」というコメントを発表しました。
2人のホームページなどによりますと、福山さんは長崎県出身の46歳。歌手としては平成12年に発表した「桜坂」をはじめ多くのヒット曲を持ち、紅白歌合戦にこれまで7回出場しています。
また、俳優としても映画やテレビのドラマなどで活躍し、このうちNHKでは、平成22年に大河ドラマ「龍馬伝」に主役の坂本龍馬役で出演し大きな反響を呼びました。また、平成23年から続くNHKスペシャル「ホットスポット」シリーズではナビゲーターとして出演しています。
一方、吹石さんは奈良県出身で、28日に誕生日を迎えた33歳です。俳優として映画やドラマに数多く出演し、NHKでは平成14年に「ロッカーのハナコさん」、平成24年の大河ドラマ「平清盛」などに出演したほか、平成25年にはNHK千葉放送局の開局70年を記念したドラマ、「菜の花ラインに乗りかえて」で主役を務めました。また、「ドキュメント72時間」ではナレーションを担当しています。
所属する事務所によりますと、今のところ2人は記者会見などを開く予定はないということです。
ファンなどが祝福
歌手で俳優の福山雅治さんと俳優の吹石一恵さんが結婚したことについて、横浜市に住む20代の会社員の女性は「子どものころから福山さんのファンだったので、結婚したと聞いてショックです。ずっと結婚しないでいてほしかったですが、今は素直におめでとうと言いたいです」と話していました。
また都内の40代の女性は「福山さんは最後の憧れの独身男性だったので残念ですが、吹石さんとは美男美女で、お似合いだと思います。お幸せに、と言いたいです」と話していました。
福山さんの地元 驚きと祝福の声
長崎市出身の福山雅治さんが俳優の吹石一恵さんとの結婚を発表したことについて、地元の長崎市では驚きと祝福の声が聞かれました。
JR長崎駅前の広場には、先月地元で開かれた福山さんのデビュー25周年を記念したコンサートのパネルが置かれていて、多くのファンが訪れていました。このうち、長崎市の20代の女性は「市役所のロビーでニュースを知りましたが、周りもざわざわして驚いていました。福山さんの子どもを見るのも楽しみなので、幸せになってほしい」と話していました。
駅前のパネルを見るために大阪から来たという50代の女性は「結婚はめでたいことですがショックが大きいです。ただ、福山さんの遺伝子を残してほしいと思っていたので、そういう面ではうれしいです」と複雑な心境を話していました。
福山さんの20年来のファンで和歌山県から訪れたという50代の女性は「ことしデビュー25周年で、結婚するかなと思っていたのですが、複雑な心境です。家族に関する歌も作っているので家族を大切にしてほしい」と話していました。
また、諫早市の20代の女性は福山さんの「虹」という曲をよく聴いていたと話し、「すごくお似合いな2人だと思います。ついに人のものになってしまいましたが、本当におめでたいので家族にも伝えようと思います」と祝福していました。
長崎市出身の福山雅治さんは、平成20年から長崎市の観光などをPRする「長崎ふるさと大使」を務めています。長崎市の田上富久市長は「先月の長崎でのコンサートでもお会いしましたが、ご結婚の知らせは驚きました。おめでとうございますと言いたい。明るい話を届けていただいてうれしく思います。福山さんはいつも長崎のことを考えてくれていますが、ますますパワーアップしてまた長崎に来てくれることを期待しています」と祝福していました。
ネット上ではファンの悲鳴
福山さんの突然の結婚発表に、ネット上ではファンの悲鳴ともいえるようなコメントが次々に書き込まれています。
インターネットのツイッターでは、結婚発表のニュースが流れると、「福山さん結婚ショック大きい!独身イケメン貴族がどんどんいなくなる」とか、「福山さん結婚って聞いてお母さんが落ち込みまくってる」、さらには、「ショックが大きいからあしたは学校休みます」などといった投稿が相次いで寄せられ、ファンの間で衝撃が広がっています。
また、男性によるとみられる投稿には、「世の独身男性は、『福山だって独身だし』という言い訳ができなくなった」といった書き込みもみられました。


“独身最後の砦”福山雅治の結婚にネット悲鳴「今から仕事無理」
 歌手の福山雅治(46)が28日、女優の吹石一恵(33)と結婚したことを発表した。独身男性芸能人“最後の砦”筆頭とされた福山の結婚に、世の女性には衝撃が走った。インターネット上には悲鳴やショックの声があふれ返った。
 「福山ファンの友達からLINE来て、今から仕事なのに無理…だそうです」「おめでたいけど、もう帰りたい」「えっ!?福山雅治結婚?私、まだプロポーズされてないぞ」「は?うちの福山なんだけど?」「日本の終わりが来た」などの書き込みが見られた。
 昨年11月には西島秀俊(44)向井理(33)の結婚が明らかになり、同様の現象が見られた。
 残る大物独身男性としては佐々木蔵之介(47)竹野内豊(44)加瀬亮(40)伊勢谷友介(39)長谷川博己(38)玉木宏(35)らがいる。

御嶽山噴火から1年/fipを聞く

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Kiyoshi Kurosawa nous guide "Vers l'autre rive"
Nous avons rencontré Kiyoshi Kurosawa, l'auteur de "Tokyo Sonata" et "Shokuzai" à l'occasion de la sortie française de "Vers l'autre rive", son dernier chef d'oeuvre, méditation sur la vie et la mort et les secrets familiaux que l'on emporte avec soi.
Paris Match. "Vers l'autre rive" apporte une forme de sérénité au spectateur. C'était le but premier de ce film?
Kiyoshi Kurosawa. Le roman de Kazumi Yumoto que j'ai choisi d'adapter porte déjà en lui cette sérénité. On ressent cette apaisement à la lecture du roman et je voulais respecter cela. Néanmoins, ce qui se passe entre les personnages principaux est intense. Il n'y a pas de grands accidents, mais une intensité dans leur relation qui permet de créer un suspense. C'est la première fois que je filmais un voyage et les déplacements des personnages apportent une sérénité. Entre deux séquences d'une plus grand ampleur, on suit le quotidien tranquille du couple en voyage.
"Vers l'autre rive" comporte de nombreux points avec "Real", l'un de vos précédents films, notamment dans le rapport entre le mari et sa femme et la question des souvenirs liés au couple.
C'est en effet une thématique que j'abordais déjà dans "Real": comment survivre à la disparition en tant que couple. Dans "Real", c'était l'accident qui était mis au premier plan, alors qu'ici, le récit suit davantage la relation entre les deux personnages. Il y a des événements secondaires, mais le drame se concentre sur le couple. C'est ce qui m'a plu dans le roman de Kazumi Yumoto. J'ai eu l'intitiuon que c'est quelque chose qui pourrait être très dynamique au cinéma.
フランス語
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下半身はささやく。
-「快楽のほうがずっと好きだもの」
【対談者】
信田さよ子/熊谷晋一郎/立岩真也/宮地尚子/木村朗子/北原みのり/牟田和恵/川上未映子
ことばにならないセックスを論じるに値いするものとし、
ジェンダーとセクシュアリティの謎に分け入り、
身体と欲望から日本を語りつづける上野千鶴子。
ひんしゅくを買うことを怖れない社会学者が、
分野を横断し日本の現実をあばく好奇心に満ちた対論。

明日へ−支えあおう− 証言記録 東日本大震災 第45回「福島県双葉町」
東日本大震災と原発事故を経験した外国人は、状況をどう把握しどのような避難行動をとったのか。彼らの母国では、原発事故は、どのように報じられたのか。帰国を求める家族とは、どのような葛藤があったのか。福島県双葉町で中学校と小学校の外国語指導助手をつとめてきた二人のイギリス人とその友人、さらにイギリスの家族の証言から、災害発生時の外国人への対応を探っていく。
畠山智之

NNNドキュメント シリーズ戦後70年 祈りの絵筆 飢餓地獄を生きのびて  日本テレビ
去年、長嶋茂雄さん、山田洋次さん(映画監督)とともに東京都の名誉都民に選ばれた三橋國民さん。72年前、兵士として激戦地ニューギニアで戦った。そこは飢餓地獄と言われ、多くが餓死した。帰還後は「鎮魂」と「平和」をテーマに、95歳を目前にした今も、造形作家として創作を続ける。そして戦後70年の今年、絵筆をとり新たなキャンバスに向き合った。無謀な戦争を決して忘れない。三橋さん決意の創作に密着した。

ガリレオX #109「地震予知学」
地震大国、日本。その被害を最小限に食い止める方法の一つは、地震発生の前兆現象をキャッチして災害に備えること。すなわち地震を予知すること。これまで"いつ起きるのか"に答える予知現象を検知することは難しいとされてきた。この要求に応えるため、動物の異常行動を統計的に解析したり、電磁気を地震予測に用いようとする発生に備える「科学的手法」を求める地震予知研究が進められている。果たして科学はどこまで地震発生に備えることができるのか?地震予知研究の最前線に迫る。
早川正士 上田誠也 山内寛之

明日へ支えあおう カレンの復興カレンダー
カレンの復興カレンダー2015秋
NHK東日本大震災プロジェクトのポータルサイトで展開する「現地発・明日へブログ」。被災地域の約30人が、ニュースで取り上げられることのない日々の暮らしとその復興を継続的に発信している。震災から4年半。AKB48の岩田華怜さん(仙台市出身・自身も被災)が「明日へブログ」に参加している方々を訪ね、現状を伝える。http://www.nhk.or.jp/ashita−blog/
華怜さんが訪ねたのは、ブログを寄せていただいている岩手県の宮古商業高校写真部。3年生は高校最後のコンクールに向け活動中です。過去コンクールで最優秀賞を取った村上和希さんの出展写真のテーマは「海」です。村上さんはある人の協力を求めました。祖母のトメさんです。港近くで一人住まいのトメさん、あの日、命からがら津波から逃れました。それでも海は「宮古の宝」と語り、海に寄り添い生きていきたいと言います。村上さんは、その祖母の前向きな気持ちを写真に込めたいというのです。華怜さんは村上さんのこれか
らの「夢」を聞きました。
岩田華怜, 畠山智之

Core Kyoto 「五山の送り火〜命つなぐ炎 精霊(しょうりょう)送り」

御嶽山噴火から1年です.正直すっかり忘れていました.自分との直接的なかかわりがあまりないとこんな悲しいことなのにすっかり忘れてしまうんだと感じています.
一方昨日の教会でみた東日本震災への息の長いボランティア活動を知って,どうしたら長いこと自分の問題として考えることができるのだろうか???と考えてしまいました.
起きたのは10時で何となく疲れている感じ.メールの返事もパス.ちょっとよくないですね.
fipを聞いてのんびり.ちょっとフランスを感じました.

<災害公営住宅>閖上、応募半数止まり
 名取市は、東日本大震災で被災した沿岸部の閖上地区に建設する災害公営住宅の第1期分と、仙台東部道路西側の高柳地区に建設する災害公営住宅の入居申し込み状況をまとめた。閖上地区への申し込みは募集戸数の約半数にとどまった一方、内陸側の高柳地区では3倍を超え、需給ギャップが建設地によって大きい実態が浮き彫りになった。
 閖上地区の第1期分は、2016年6月〜17年4月に入居予定の一戸建て90戸と、17年3月入居予定の集合住宅140戸。9〜20日に申し込みを受け付けた結果、一戸建て90戸に47世帯、最も海寄りに建設する集合住宅140戸は71世帯だった。
 一方、津波への不安が消えない住民らに配慮して建設する内陸の高柳地区では、一戸建て50戸に182世帯、集合住宅50戸に163世帯が応募。閖上地区とは対照的に募集戸数を大幅に上回った。
 沿岸部と内陸部の需給ギャップが顕著だが、市は現時点で計画している災害公営住宅の場所や戸数を修正する予定はないという。
 今後、市は30日に抽選会を行うほか、申し込みが募集を下回った閖上地区については10月に入居希望者を再募集する。市は「なるべく空きが生じないよう努めたい」(復興まちづくり課)と話している。


「水産都市」復活誓う 石巻魚市場完成式典
 東日本大震災で全壊した石巻市の石巻魚市場の再建を記念する式典が26日、現地であった。全国最大規模の施設で、国際的な食品衛生管理方式「HACCP(ハサップ)」にも対応。関係者は付加価値の高い水産物の出荷に取り組み、「水産都市・石巻」復活への誓いを新たにした。
 式典には村井嘉浩知事や水産業関係者ら約270人が出席。テープカットで完成を祝った。亀山紘市長は「世界に誇れる市場ができた。漁船誘致や販路拡大に努め、石巻ブランドを確立したい」とあいさつした。
 新魚市場は鉄骨一部4階で、延べ床面積約4万6000平方メートル。延長は876メートルと日本一とされた震災前の650メートルを上回る。工事は8月に完了し、今月から全面運用を始めている。


香港 抗議活動1年で学生団体が継続確認
香港で、学生などが行った大規模な抗議活動の開始から、28日で1年となるのに合わせて学生団体が集会を開き、民主的な選挙の実現を求めて運動を続けていく方針を確認しました。
香港では、去年、トップの行政長官を選ぶ選挙制度を巡り、中国共産党に批判的な候補を事実上排除することが決められたのに対し、学生などが反発し、幹線道路に座り込む大規模な抗議活動を強制的に排除されるまで2か月余りにわたって続けました。
この抗議活動を主導した学生団体は、抗議の開始から28日で1年となるのに合わせて、26日から各大学や議会にあたる立法会の前などで集会を開いています。
26日夜は、学生や活動を最初に呼びかけた学者などおよそ100人が参加し抗議活動を振り返ったうえで、民主的な選挙の実現を求めて運動を続けていく方針を確認しました。
その一方で集会では、中国の決定を覆せなかったことから「香港の民主化は失敗した」との見方も出され、学生の間で無力感が広がっている状況もうかがわせました。
学生団体の代表は、「去年の活動は、団体内部のコミュニケーション不足など課題は残ったが、香港市民としての意識が高まるなど得るものも多かった。今後も忍耐と強い信念が必要だ」と話していました。


【御嶽山噴火1年】 生還女性が初めて語る“あの時” 「焼け死ぬのか、溶けるのかな」
 58人が死亡、5人が行方不明となった戦後最悪の火山災害、御嶽山(おんたけさん)=長野、岐阜両県=の噴火は27日で発生から1年。噴火翌日の平成26年9月28日に撮影され、翌29日付産経新聞1面に掲載された写真に写っていた東京都内の40代の女性が初めて取材に応じた。火山灰が積もった山頂付近で、周囲の登山客が次々と息絶える中、生還を信じ救助を待ち続けた女性。「備えの大切さを伝えたい」。噴火で受けた傷は今も癒えないが、当時の状況を振り返る決意をし、「あの時」を語った。
■ □ ■
 もう手を振る力はほとんど残っていなかった。噴火から一夜明けた平成26年9月28日午前11時半。火口付近の八丁ダルミにある石像の石造りの台座に寄りかかった女性は、頭上を飛び交う自衛隊などのヘリに向けて救助を求めようとしたが、わずかに右手を振るのがやっとだった。
 降りしきる噴石で左腕を失い、腰や背中にも傷を負った。動くたびに激痛が襲い、貧血で何度も意識が遠のいた。「私に気付いていないのかもしれない」。なかなか近づいてこないヘリを見ながらそう思っていると、手元の携帯電話に着信があった。
 「どこにいますか」。災害対策本部からの電話だった。前日、ともに山を登り、無事助かった友人が、通報していてくれたのだ。
 しばらくすると消防のハイパーレスキュー隊が到着した。「がんばってね。がんばってね」。女性を乗せた担架を運ぶ隊員が励ましの声を送り続ける。
 まもなく灰に覆われた王滝頂上山荘が目に入った。「助かった」。そう思った。
 救出された台座の周囲には、前日までは確かに生きていた登山客の男性が、朝を迎えることができないまま、息絶えて倒れていた。
 「生き残れたのは噴石が当たる、当たらないの運、どこに当たったのかの運もあると思う。でも、少しだけ準備していったことも大きい」。女性はそう振り返ると、あの時の体験を語り始めた。
■ □ ■
 女性が登山を始めたのは5年ほど前。関東近郊の百名山を中心に楽しんだり、長期の休みには、北アルプスへ遠出したりした。山岳会には所属せず、あの日も友人と2人で御嶽山を訪れていた。
 選んだのは長野県王滝村の7合目にある田の原駐車場の登山口から山頂へ向かう、ごく一般的なコース。噴火直前は、友人と離れた場所で八丁ダルミを1人で歩いていた。山頂までは、もうすぐだった。「ぺースが上がらないし、迷うところではないので友人には先行してもらっていた」
 異変は音で気づいた。何かがはじけるような「ポン」という感じだったと記憶している。音がした方向を見ると、黒煙がモクモクと上がっていた。
 午前11時52分。御嶽山噴火。だが現実と受け止められなかった。「まさか、この山とは思わず、どこか他の山かなという感じで…」。においや揺れといった確たる変化もなかったため、直後は周囲の登山客と同様に噴煙を写真に収めていた。
 現実を突きつけられたのは10秒ほど後。気付くと周囲は真っ暗に。「逃げる時間はなかった」。近くに身を隠せるような岩も見えたが「その場で立ち尽くすというか、動けなかった」。噴煙は、もう目前に迫っていた。
■ □ ■
 想像もできなかった御嶽山の噴火。女性は迫り来る噴煙に背を向けるしかなかった。「(噴煙は熱く)サウナに入ったような感じで『焼け死ぬのか、溶けるのかな』と思った」
 噴石が襲ってきたのは噴火から1分もしないころだった。山梨県富士山科学研究所の試算では、火口から噴石が出た速度(初速)は時速360〜540キロ。地面に衝突した際の速度は最低でも108キロだったという。女性にもそんな噴石が容赦なく襲い、ザックで隠れていない後頭部や腰を直撃した。「折れたかなと思うほど、これまで受けたことのない衝撃」。実際に腰の軟骨は折れていた。
 噴石の勢いが少し弱まったとき、近くで一緒にしゃがんでいた男性が声をかけてきた。「起き上がれないから起こしてくれ」。男性の体を支えてあげたが、すぐにばったり前に倒れた。どうすることもできず、男性の口に付いた灰をぬぐってあげるしかなかった。
 その直後、噴石が再度襲ってきた。最初より激しく降り注いだ噴石は次々と体に直撃、最後に身体が地面に沈むくらいの衝撃を左腕に受けた。「痛い、熱い、しびれ。味わったことのない感覚だった」
 噴石の勢いが弱まり、体を起こした。周囲で動ける登山客は3、4人。口をぬぐった男性は亡くなっていた。自身はおなかに重たいものを感じた。噴石の直撃でちぎれた自分の左腕だった。体に少しだけくっついた状態で傷口から血が滴り落ちている。「止血お願いします」。必死に叫んだ。
 男性が手ぬぐいで止血を試みたが、傷口に驚いたのか結びが緩く、別の男性がきつく結び直してくれた。腕をなくしたことは残念だが、命を落とすことはなかった。「とりあえずここまで乗り切れたから、生きよう」。そう思った。
■ □ ■
 無事だった登山客に下山しようと言われたが、貧血がひどく、腰にも違和感があった。「歩けない」。その場に残る決断をした。
 100メートルほど離れた場所に、身を隠せそうな石造りの台座を見つけた。左腕を抱き、何度も気を失いながら、足とお尻を使い、尺取り虫のように進んだ。
 途中にうずくまる登山客の男性がいた。「一緒に行きませんか」。声を掛けると、男性は時間をかけて台座近くまで来た。
 長い時間を費やして移動し、台座を背にしたころには日が沈みかけていた。台座周辺には別の男性が一人いて、携帯電話で通話していた。相手は家族だろうか。「今噴火にあって、ちょっと無理かもしれないけど、俺は絶対に帰るから」。そう告げていた。
 夜になるにつれ風が強くなり、標高3千メートルの過酷な環境が女性たちを襲った。女性は日が暮れる前、台座の前を歩いて通り過ぎようとした男性に頼み、ザックの中からダウンジャケットと簡易テントを出してもらい、防寒対策として体に巻きつけていた。
 ふと携帯電話をみると、一緒に登っていた友人から何度も着信があった形跡があった。友人は無事だったんだ。少しだけほっとして折り返し電話を掛けた。
 周りが暗くなる中、ただ寒さに耐えた。長野地方気象台によると、標高1千メートル付近にある御嶽山麓の開田高原で噴火翌朝の最低気温は6・6度。女性が一夜を過ごした標高3千メートル付近は氷点下だったことが想像される。過酷な環境に耐えられたのは、携帯電話から聞こえた友人の励ましの声だった。「私がここで死んだら友人はきっと自責の念にかられる。だから生き抜こう」。勇気を振り絞った。
 救助されたのは噴火から丸1日が経過した28日午後0時半。台座の周囲にいた2人の男性は息を引き取っていた。山にゴミを残してはいけないと、テントやダウンジャケットはザックにしまった。
 心身ともに負った大きな傷。それでも経験を語ろうと決意したのは、連日のように自然災害の脅威が伝えられる中、御嶽山の噴火が忘れ去られるのではないかと危機感を抱いたからだ。
 生死を分けたのは何だったのだろうか。「御嶽山は初心者でも気軽に登ることができるだけに、十分な準備をしている方は少なかった。生き残れたのは運もあるが最低限の準備をしていったからだ」と言う。
 女性は登山の際、日帰りでも簡易テントは必ず携行し、3千メートル級の山にはダウンジャケットも持っていった。夜になるまで生存していながら周囲で亡くなった登山客は、ダウンジャケットや簡易テントは持っていなかったようだった。生死を分けたのは「その差」と思っている。
 4月に職場復帰し、山登りも再開したが、火山へは二度と登るつもりはない。御嶽山噴火から1年。「もし山へ行かれる方は、リスクを考え準備をしてほしい」。最後にそう訴えた。
(女性の希望により、匿名としました)


体験を生かさねば 御嶽山噴火、きょう1年
 御嶽山の噴火は二十七日で発生から一年を迎える。愛する家族や友人を失った人々は、癒えることのない傷を心に負いながら一年を過ごしてきた。生存者や遺族、捜索隊員、麓の住民たち…。戦後最悪の犠牲者を出した火山災害に、さまざまな形で関わった人々の「あの日」と「一年」を追った。
■「あの日」
 硫黄のにおいが鼻を突いた。不思議に感じながらも「火山だからかな」と思い直し、そのまま仲間と登山を続けた。
 山頂近くに差しかかると突然、前に噴煙が上がった。熱風が吹き、腕に熱傷を負った。熱風に押し倒され、頭に噴石が直撃した。
 視界が回復すると、火山灰が五十センチほど積もり、体の一部を失った女性が倒れていた。起き上がらない仲間もいた。
 「自分が生き残ったのは偶然」−。頭部に重傷を負った中部地方の六十代男性は、そう振り返る。
 伊那市の山岳写真家津野祐次さん(69)は、八合目付近で異様な硫黄のにおいを感じた。
 噴煙は、剣ケ峰頂上の五百メートルほど手前で見た。夢中でシャッターを切ると、花火が破裂するような音とともに、大量の火山灰が降り出した。火山灰は次第に雨のように降り注ぎ、呼吸が苦しくなった。斜面を駆け降りる途中、つまずいて転倒し、岩陰に隠れた。
 岩に当たる噴石の音は次第に大きくなり、降灰で暗くなった空に稲妻のような閃光(せんこう)が幾筋も走った。「生きた心地がしなかった」
 諏訪市の造園業伊藤忠重さん(70)は、山頂で長女と昼食がてら景色を楽しんでいた時、噴火に遭遇。突然、ごう音とともに火山灰が降り注いだ。黒煙が立ちのぼり「噴火だ」と直感した。
 長女と一緒に走って山荘に避難し、噴火が落ち着いたタイミングを見計い、山荘から必死の思いで駆け出した。「生きたい」−。そう思った。
■「一年」
 噴火は、多くの人の心に深い傷痕を残した。それでも人々は一年という時間をかけ、少しずつショックから立ち直り始めている。
 「事故の光景は忘れられない」と明かすのは、冒頭の六十代男性。「体の傷が治っても、心の傷は治らないんじゃないか」と感じる。それでも、「事故のつらさを背負って生きていく。それが生き残った者の使命」と話す。
 無事に生還した津野さんは事故後、一度は山岳写真への情熱を失いかけた。恐怖から、直後はカメラを手に取ることができず、シャッターに触れることもできなかった。
 今は情熱を取り戻した。「大自然の表情を伝え続け、山の安全や防災を考えるきっかけにしたい」との思いからだ。
 伊藤さんも、噴火の恐怖を忘れることはできないが、「シェルター設置など行政の対策がしっかりしていれば、犠牲者は減らせたのではないか」と考えるようになった。
 犠牲になった人のためにも、教訓を生かしたい。そんな思いが芽生えた。
■残された者
 「一年はあっという間だったが、事故が頭から離れることはない」−。次男の真友さん=当時(41)=を失った東御市の荒井寿雄さん(73)は振り返る。
 四月に遺族会の立ち上げに加わった。活火山への注意を喚起する看板設置を国や県に求めるなど、登山者の安全確保に向けた活動を続けてきた。
 いま気掛かりなのは、再捜索が終わった後も行方不明者五人が残されていることだ。
 再捜索にあたった県警山岳遭難救助隊の三井康志さん(27)は「不明者が見つからなければ、家族の方にとっても終わらない」と悔しさをにじませる。
 寿雄さんは「私たちも少しずつ前を向いていかなくてはいけない」と声を絞り出す。二十七日は王滝村で開かれる追悼式典に参加する。「みんなで踏ん張りたい。次世代に災害の教訓を伝えたい」。その思いを真友さんに報告するつもりだ。(御嶽山噴火取材班)


噴火から1年 悲劇を繰り返さぬために
 木曽町の御嶽山黒沢登山口。御岳ロープウェイを降り、規制が緩和されたばかりの登山道を山頂方面に向かう。道の所々を火山灰が覆う。登るにつれ灰の層は次第に厚くなる。
 8合目の山小屋「女人堂」を過ぎてさらに1時間。9合目の石室山荘に差しかかると異様な光景が目に入る。地面をはうように枯れた樹木の幹が広がっている。骸骨のようだ。1979(昭和54)年10月28日の噴火で灰をかぶったハイマツである。そこに昨年9月27日、新たな灰が降り注いだ。
   <79年に続いて灰が>
 石室山荘の主人、向井修一さんに話を聞いた。79年の噴火は高校生の時だった。その後数年間は雨が降るたびに床下に灰が流れ込んだ。そのままにしておくと土台が腐る。向井さんも片付けを手伝った。今回もしばらくは灰との戦いが続くと覚悟している。
 信仰の山である。黒沢口は覚明行者が1785(天明5)年、信者を引き連れ禁を犯して登拝したのが始まりとされる。以来、山は信者でにぎわい続けた。
 しかし開山以来の年月はつかの間の静穏期だった。有史以来の噴火とされる79年、そして昨年の9月、御嶽は火山本来の荒々しさを見せつけた。
 黒沢口でいま登れるのは9合目まで。その先へいつ立ち入れるようになるか、まだ分からない。
 79年の噴火は昨秋と同じ水蒸気爆発だった。規模としても同程度だったとみられている。登山シーズンが終わっていたこともあり、幸い犠牲者はなかった。
 79年噴火の後、地元は入山規制の早期緩和を働きかけている。81年夏、監視員を置くなどの条件付きで登山再開にこぎ着けた。備えはその後いつしか甘くなっていった。そして昨秋の噴火に至る。
   <難題は小屋の強化>
 同じことを繰り返すわけにはいかない。登山を本格的に再開するには、少なくとも次の三つの条件を満たす必要があるだろう。
 第一に観測体制の強化だ。
 気象庁はいま地震計、傾斜計、空振計を備える「総合観測点」を御嶽の2地点に新設し、計3地点とする計画を進めている。地震計は山頂近くを含め7地点増やして9地点にする。
 名古屋大なども体制強化を検討中だ。一連の整備が終われば、御嶽は日本で最も観測体制の整った火山の一つになる。
 観測機器を整えても最後にものを言うのは人の目―。研究者は口をそろえる。若い才能が希望を持って火山研究の道に進むことができる体制を整えたい。政府の本腰を入れた取り組みが要る。
 第二は登山者への迅速な情報提供だ。「噴火速報」が8月から始まっている。普段を上回る規模で噴火が始まったときなどに、5分以内をめどに登山者らの携帯端末やラジオに情報を送る。
 今月中旬の阿蘇山の噴火では7分後に速報を発表できた。まずまずのスタートになった。
 御嶽噴火をきっかけに、火山の危険に対する登山者の理解は進みつつある。登る前、登っている間は情報をチェックし、何か起きたらすぐに下山する―。こんな登山スタイルを定着させることは難しくないはずだ。
 登山口に指導センターを設けることも考えたい。登山者には計画書提出の徹底も求められる。
 そして第三に避難場所の確保である。シェルターの整備に加え、山小屋の強化が欠かせない。
 シェルターは自治体の手で整備できるとしても、山小屋の強化は難題である。小屋が費用を工面できるのか。経営者の間からは戸惑いの声が聞こえてくる。屋根や壁が大きく壊れ、再開するめどが立たない小屋もある。
 山麓は過疎化が進み自治体の力も弱くなっている。対策を地元木曽町と王滝村だけに任せておくわけにはいかない。県は当事者意識を持って知恵を絞るべきだ。
   <犠牲者に思いを>
 御嶽の再生に向け、地元は懸命の努力を続けている。山小屋にはヘルメットやゴーグル、緊急放送用のスピーカーを配備した。
 御岳ロープウェイ運営会社の社長、今(こん)孝志さん。利用者は噴火前の数分の一で厳しいが「会社はこの地方の雇用の場。倒産させるわけにはいかない」。新事業として観光バス向けの弁当の製造、販売を8月から始めた。
 先日のシルバーウイーク。御嶽はいつもの年より早めの紅葉に彩られた。女人堂主人の起(おこし)信幸さんは「灰の影響が心配だったが、今年もきれいな紅葉になってくれた」。再生しつつある自然に希望を見いだしている。
 この1年間、犠牲者の遺族、行方不明者の家族から地元に「営業優先で安全対策がおざなりだったのではないか」といった趣旨の言葉がぶつけられることもあった。悲劇に見舞われた人たちの気持ちを置き去りにして登山再開を急ぐことはできない。
 遺族、家族に思いを寄せ続けることはすべての前提になる。


御嶽山噴火から1年 追悼式で黙とう
死者と行方不明者が合わせて63人に上り、戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火から27日で1年です。ふもとの長野県王滝村では追悼式が行われ、噴火が起きた時刻と同じ午前11時52分に遺族などが黙とうをささげ、亡くなった人たちを悼みました。
去年9月27日に起きた御嶽山の噴火では58人が死亡し、5人の行方が分からないままです。
噴火から1年となる27日、ふもとの長野県王滝村では正午前から地元の自治体が主催する追悼式が行われました。式には遺族や警察・消防の関係者などが参列し、噴火が起きた時刻と同じ午前11時52分に黙とうをささげて犠牲になった人たちを悼みました。
このあと王滝村の瀬戸普村長が「明確な前兆がなかった今回の噴火は火山予知の難しさを露呈し、山頂近くにいる人たちへの情報伝達や避難など多くの課題を浮き彫りにしました。地元の自治体としては、長野県や火山研究機関などと連携を深め、より確実な安全対策の取り組みを進めていきます」と述べました。
また遺族を代表して、夫を亡くした伊藤ひろ美さんが「情報がきちんと登山者に知らされていれば多くの命が救われたかもしれず、悔しくてしかたがありません。二度とこのような惨事が起こらないよう、噴火を教訓として火山防災体制が整っていくことを望みます。被災者家族も登山者の意識向上のための活動に努力し、一日一日を励まし合い助け合いながら元気で生きていく覚悟です」と述べました。
このあと参列者たちは献花台に花を手向けて、犠牲者を悼んでいました。
遺族たちは
王滝村で行われた追悼式のあと、遺族の代表4人が今の心境を話しました。
このうち、夫を亡くした長野県東御市の伊藤ひろ美さんは「日がたつにつれて気持ちが落ち着いてきたけど、この1か月は1年を意識してしまい、つらいことを思い出していた。あすからは新たな1年に向けてしっかり生きていこうと思う」と話していました。
息子を亡くした東御市の荒井寿雄さんは「これまで息子が亡くなったことを受け入れることができなかったが、きょうの追悼式に出席して、もう帰ってこないという気持ちになり、死を受け入れることができた。前を向いて元気を取り戻して生きていきたい」と話していました。
夫を亡くした長野県池田町の野口弘美さんは「夫は自衛隊や消防などの人たちのおかげで、私のもとに帰ってきたし、毎月27日には多くの人が花を手向けて拝んでくれているので、多くの人に感謝したい」と話していました。
山梨県甲斐市に住んでいた弟夫婦を亡くした東京・小平市の猪岡孝一さんは「きょう11時52分を迎えたとき、弟は噴煙に巻き込まれた暗闇のなかで、どんな気持ちだったのだろうと考えた。われわれ家族はこれからも弟夫婦を思いながら生きていきたい」と話していました
8合目の山小屋でも追悼
御嶽山の8合目、火口からおよそ2キロのところにある山小屋の女人堂には午前中から多くの登山者が訪れました。
27日の御嶽山は山頂付近に雲がかかっているものの、時折、晴れ間ものぞいて、その間は紅葉で色づいた山を見渡すことができました。
登山者らは山小屋のそばに設置されている献花台に花を手向けたあと、山頂に向かって手を合わせていました。そして、1年前に噴火の起きた午前11時52分を迎えると、慰霊に訪れたおよそ20人の登山者が犠牲者をしのんで1分間の黙とうをささげました。
噴火当時、山頂付近にいた長野県諏訪市の50代の夫婦は「1年がたつのに合あせて慰霊の登山に訪れました。自分たちは逃げきることができたが、亡くなった人たちのことを思うとことばにできない気持ちになる」と涙を流し、ことばにつまりながら話していました。
また、長野県松川村から登山仲間と4人で慰霊に訪れた60代の女性は「亡くなった方々を供養しようと、花を手向けて手を合わせた。安らかに眠ってほしい」と話していました。


御嶽山噴火1年:生きていく…遺族ら誓い 4市町村追悼式
 長野・岐阜両県の山麓(さんろく)4市町村による犠牲者追悼式が営まれた長野県王滝村の松原スポーツ公園では噴火発生の午前11時52分、遺族約150人と地元関係者ら計約440人が黙とうした。
 夫保男さん(当時54歳)を失った伊藤ひろ美さん(54)=長野県東御市=が遺族を代表してあいさつし、「残された者たちで励まし合い、犠牲者の命を生かすために山の安全対策を進め、元気で生きていく覚悟です」と述べた。
 出席した山谷えり子防災担当相は「政府一丸となって、大きな悲しみを繰り返さないよう観測態勢の充実、火山防災協議会による避難計画やシェルターの整備が進むように頑張っていきたい」と述べた。
 夫直樹さん(当時41歳)と共に犠牲になった増田睦美さん(当時42歳)の母きみ江さん(65)=静岡県御前崎市=は「2人の分も頑張って生きていきたい」と話していた。【稲垣衆史】


御嶽山噴火1年:9合目、涙の区切り…生還者、山頂へ黙礼
 降り積もった火山灰で色のない世界に覆われた御嶽山9合目付近の山肌は今、ハイマツの緑や紅葉した木々の赤が秋の日差しに鮮やかに輝いている。噴火から1年がたった27日。粘土状になってこびりついたままの火山灰もあるが、多くは雨や雪で洗い流され、山は穏やかだった。【巽賢司】
 8合目の山小屋「女人堂」近くの献花台で、長野県諏訪市の平林守さん(59)が、妻(57)と共に涙ぐみながら花を手向けていた。当時、2人は山頂直下にいた。数メートル先に噴石が落ちてきて、近くの山小屋に逃げ込んだ後、この登山道を通って同県木曽町に下りた。妻はショックで話ができない日が続いたという。
 平林さんはあの日と同じ白と紺の横じま柄のシャツを着て、再びこの地へと登った。「大勢の方が亡くなって言葉もない。区切りを付けたかった」。目頭を押さえた。
 山頂付近の山小屋「二の池本館」の支配人、小寺祐介さん(35)は噴火後、登山者を誘導しながら下山した。その際に撮影した山肌は、一面が灰に覆われている。カラー写真のはずなのにモノクロ写真のようにしか見えない。
 山頂手前で噴火に遭った名古屋市の水野日出夫さん(63)は「噴火を忘れないために」と9合目まで登った。あの日、わき上がる噴煙を目にして近くの山小屋に飛び込み、従業員らと共にふもとへと逃げた。「通り雨で火山灰がどろどろになっていた」と振り返る。「山容、景色、そしてこの時期の紅葉。すばらしい山だと改めて思う」。山頂に向かって深々と頭を下げた。
 この辺りの紅葉のピークは今年、既に過ぎた。山小屋関係者によると、昨年の今ごろはちょうど見ごろだった。好天の週末の昼時、登山者でにぎわう山頂周辺を噴火が突然襲った。もし今年のように紅葉の盛りがずれていてくれれば……。静寂を取り戻した山でたたずんだ。
 ◇御嶽山上空、ヘリで
 ヘリコプターで御嶽山上空を飛ぶと、硫化水素の臭いが時折、鼻をついた。噴火時に火口は、何千メートルもの上空まで黒い煙をはき出した。1年たったこの日は、西から東へ吹く弱い風にのり、複数の火口から白い煙が山肌に沿ってゆっくりと上っていた。


御嶽山噴火1年:恐怖、忘れられない…生還者が祈り
 御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)の噴火から1年を迎えた27日、ふもとの長野県王滝村で犠牲者の追悼式が営まれた。9合目までの入山が19日に可能になった同県木曽町側の登山道でも、噴火から生還した登山者らが犠牲者に祈りをささげた。
 死者58人、行方不明者5人は、火山災害の人的被害として戦後最悪。9合目の山小屋「石室山荘」(2800メートル付近)前では、噴火した午前11時52分、生還者ら15人が山頂に向かって手を合わせた。愛知県豊田市の松本進さん(41)は当時小学6年だった息子と登山し、火口東側の登山道・八丁ダルミで噴火に遭った。「噴石の降る中を逃げる恐怖は忘れられない」と涙ぐんだ。
 当時、八丁ダルミにいた同市の松竹朋宏さん(49)は「山頂に近い場所で言いたかった。僕だけ助かってすみません、と」。【巽賢司】


<北海道新幹線>観光誘客の融合期待
◎開業まで半年(上)つながる
 新青森−新函館北斗(北海道北斗市)を結ぶ北海道新幹線が、半年後の来年3月26日に開業する。北東北が中心だった北海道との交流が、仙台圏を含む東北全体に広がる可能性を秘める。新幹線効果を追い風に「ほくとう新時代」を築き上げることができるか。現状と課題を探った。(報道部・山口達也、青森総局・畠山嵩)
 東北と北海道が高速鉄道でつながる。仙台−新函館北斗間は約2時間半。特急を乗り継いで4時間超の現在よりはるかに短い。
 期待はさまざまな分野で膨らんでいる。旅行業界は最たる例だ。
 旅行大手の近畿日本ツーリスト東北(仙台市)では「年末までが勝負」が合言葉のようになっている。
 北海道新幹線開業を見据えて15人のチームを結成した。函館をメーンにした新たな旅行商品のプランを懸命に練る。
 「道南の観光スポットを紹介したい」と武藤剛史担当次長。同業他社との競争を意識し「商品の魅力を高める」と力を込める。
<仙台に視線>
 函館にとっても東北が目と鼻の先になる。新幹線開業後は鉄道による時間距離に限っては、札幌より仙台の方が近くなる。
 「函館は東北の一部と言えるような存在になり得る」と、函館商工会議所新幹線函館開業対策室の永沢大樹室長。1980年に34万だった人口が27万に落ち込んでいる現状を踏まえ「仙台エリアからの観光客の呼び込みは不可欠だ」と強調する。
 東北から北海道へ、北海道から東北へ。新幹線がつなぐのは両地域間だけではない。
 北海道新幹線開業後の旅行需要を探るため、東北運輸局が実施した調査によると、首都圏居住者の32%が函館観光前後に「東北に可能な限り立ち寄りたい」と回答。「場合によっては立ち寄りたい」(56%)を含めると9割近くに上った。
 「(例えば)函館と仙台は共に利益と恩恵を受ける関係になる」。函館市政策推進課の中村勇人課長は強調する。
 首都圏をはじめ全国から東北・北海道へ。その流れは強く、太くなり得る。
<北の玄関口>
 海外との距離が一気に縮む可能性も大いにある。
 観光庁が6月に認定した訪日外国人向けの「広域観光周遊ルート」。東北では官民組織の東北観光推進機構が申請した「日本の奥の院・東北探訪ルート」が認められた。
 ルートは新潟を含む東北の観光拠点16カ所を結ぶ。外国人が東北に入り込む玄関口には東京に加え、函館を盛り込んだ。
 観光庁によると、2014年の東北の外国人宿泊者は延べ40万2000人。全国のわずか0.9%でしかない。東京電力福島第1原発事故の風評被害は解消されておらず、東日本大震災前の10年(50万5400人)の水準すら回復できていない。
 一方、新幹線で東北とつながる函館の外国人宿泊者は延べ33万人で、27万の人口を上回る。背後に広がる北海道全体でみると、東北の9倍に当たる389万人に膨らむ。
 東北観光推進機構は国の補助を受けながら、観光案内板の多言語化や海外に向けたPR活動を進める方針。紺野純一専務理事は「(夜景などに代表される)函館のブランド力、集客力を東北観光と融合させたい」と意気込む。
[北海道新幹線]JR北海道が事業主体となり、新青森−札幌(約360キロ)を結ぶ路線。2016年3月26日に新青森−新函館北斗(約149キロ)が先行開業し、同区間を約1時間で結ぶ。1日13往復で、うち10往復が東京−新函館北斗。このほかに新函館北斗と新青森、盛岡、仙台をそれぞれ1往復する。新函館北斗−札幌(約211キロ)は31年春ごろの開業を見込んでいる。


いつも民主党に裏切られている…10代の声
 社会問題をテーマに活動するアイドルグループ、制服向上委員会は27日、東京・武蔵野市で沖縄・辺野古の新基地反対集会に参加した。15〜19歳の少女5人が基地移設や解釈改憲の反対を訴え、安倍政権への批判を繰り返した。
 リーダーの清水花梨(かりん、18)は「私たちのモットーは清く、正しく、美しく。よく左翼とか右翼とか言われますが、私たちは“清く”です」と笑顔を見せた。最初にベートーベン第9番「喜びの歌」の替え歌を披露。「辺野古の海には基地なんていらない」「憲法9条大切にして」「経済優先終わりにしよう」と歌い上げ、約350人の観衆から拍手を浴びた。
 木梨夏菜(かな、17)は曲間のトークで「来年の参院選に向けて共産党の志位委員長が野党結束を訴えているのに、民主党は賛成と反対に分かれている。いつも民主党に裏切られているので残念」と野党第1党の姿勢に疑問を呈した。自民1強に押し切られた野党が、今も1つになれない現実へのいらだちを語った。
 続いて環境保護を訴えた曲「Alive(アライブ)」と、活動継続の思いを込めた曲「歌える場所があれば」を熱唱。観客と「辺野古に基地はいらな〜い」「暴走する安倍政権を止めよ〜う」とコールを響かせた。清水は「これからも平和で安心して暮らせる社会を目指して、頑張ります!」と声を弾ませた。

またエジプト料理/日本と原発を中津で見て考える

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第10回全国水平社大会1931年12月10日

Japon : les universités de sciences humaines condamnées à la fermeture
Le ministère de l'Enseignement supérieur japonais souhaite que ces enseignements soient remplacés par des formations considérées comme plus utiles à la société.
Par Nicolas Guégan
Stupeur et tremblements. Au Japon, vingt-six universités viennent d'annoncer qu'elles s'apprêtaient à fermer sous peu les portes de leurs départements de sciences humaines et sociales. Et dix-sept d'entre elles n'accepteront plus d'étudiants dès la rentrée 2016. Une décision qui fait suite à une lettre envoyée en juin 2015 par le ministère de l'Enseignement supérieur japonais aux universités publiques du pays, révèle le quotidien The Yomiuri Shimbun. Hakubun Shimomura, le ministre de l'Education nationale, y expliquait la nécessité d'"accélérer la suppression" de ces départements pour les "transformer" en enseignements plus utiles aux besoins de la société et de l'économie.
Cette redéfinition de l'enseignement public s'inscrit dans une réforme encore plus large du pays. Elle fait partie des Abenomics, le plan conçu par le Premier ministre Shinzo Abe pour que le Japon en finisse avec la déflation et renoue avec un taux de croissance de 3 %. En 2014, lors d'un discours devant l'Organisation de coopération et de développement économiques (OCDE), le chef de l'Etat japonais avait été tout aussi direct : "Plutôt que d'approfondir les recherches universitaires hautement théoriques, nous encouragerons une éducation plus technique et professionnelle, qui participe davantage aux besoins de notre société."
Une position "anti-intellectuelle"
Les réactions au sein de la communauté universitaire ont été extrêmement vives. Au mois de juin 2015, Takamitsu Sawa, le président de l'université de Shiga (une province au centre de l'île principale du Japon, Honshu), s'est insurgé le premier contre cette décision. Dans ce texte au vitriol publié par The Japan Times , un site d'information anglophone, il rappelle que ce n'est pas la première fois que le pays applique une telle politique : "Pendant la Seconde Guerre mondiale, les étudiants de sciences naturelles et les élèves des écoles d'ingénieurs ont été dispensés de servir dans l'armée. À l'inverse, les seuls étudiants à avoir été envoyés au front étaient ceux des sciences humaines et sociales."
Très remonté contre le projet gouvernemental, Takamitsu Sawa n'a pas hésité à qualifier cette réforme d'"anti-intellectuelle" : "L'esprit critique et les sciences humaines sont les fondements de la liberté. Tout État qui rejette ce savoir devient toujours totalitaire." Les présidents des universités de Tokyo et de Kyoto, parmi les plus prestigieuses du pays, ont fait part de leur opposition au projet défendu par le ministère de l'Enseignement supérieur. Et les universitaires de rappeler que les Japonais parvenus au sommet de l'État sont issus des filières menacées.
フランス語
フランス語の勉強?
認知症キャンペーン「認知症ケア ユマニチュード」
フランス生まれの認知症ケア「ユマニチュード」。「見つめる」「話しかける」「やさしく触れる」を基本にした介護の技術を学ぶと穏やかなケアにつながる。意思の疎通が難しく怒りっぽくなっていた男性にユマニチュード考案者のイヴ・ジネストさんが接すると大きな変化が。ポイントは認知症の人は情報の入り口が狭いので、伝えたい情報をきちんと伝え、びっくりさせないこと。様々なヒントを学ぶ。
グッチ裕三,本田美和子,林紗美, 山本哲也, 塚原愛


中津にエジプト料理があることを知り,早速行ってみることにしました.11時半からだと思っていましたが,12時からなので少し時間が余っているのでそのあたりをぶらぶらして時間調整.意外に面白いです.さてお店に入るとアラブ音楽が流れていていきなり異国情緒あふれる感じです.コシャリは名古屋で試してみたのでターメイヤにしてみました.後で調べてみるとTa'ameyaかTamiyaらしいのですがファラフェルFalafelとも似ているようでよくわかりませんでした.飲み物はカルカデkarkadéというハイビスカスティーです.お酒はありません.お昼だしこれから映画見るのでどうせ飲まないのですが.ピタpitaというパンにはさんで食べるのですが,アツアツで美味しいです.
その後教会に移動して「日本と原発」という映画を見ました.何と弁護士の河合弘之さんが監督です.要するに原子力マフィアの圧力のせいで誰も監督を引き受けてくれなかったのだそうです.なかなかいい映画でした.原発のこと最近考えていないなぁ・・・というのが正直な思いです.いつの間にか「節電」も忘れられているようですし・・・
しかしそれよりもこの教会の1階にあった東日本大震災への支援活動の報告です.決して忘れることなく,多分無理に気負うこともなく継続していることに感銘を受けました.こういうことは嬉しいけど,震災を思い出して悲しくもなります.
知人からメールが来たのですがどう返事しようか迷っています.

大川小と日和幼稚園遺族 原因究明や防災対策を要望
 東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小の児童遺族と、園児5人が亡くなった同市の私立日和幼稚園(休園中)の遺族が25日、文部科学省の学校事故対応に関する有識者会議のヒアリングに臨んだ。遺族ら約10人が委員10人を前に、震災当時の状況や学校側と幼稚園側の対応、課題などを説明した。
 大川小6年生だった次女みずほさん=当時(12)=を亡くした佐藤敏郎さん(52)は「学校や市教委は遺族に寄り添わず、できるだけ事実を解明しないようにしている」と強調。「原因を明らかにしてこそ教訓となる。あいまいなまま幕を引く構図を繰り返してはいけない」と訴えた。
 6年生だった次女真衣さん=当時(12)=を失った鈴木典行さん(50)は第三者の事故検証委員会について「調査を尽くせないのにあたかもできているかのように報告書をまとめたのが悔しい」と指摘。「会議は何回でも話を聞き、防災に役立ててほしい」とヒアリングの続行を強く求めた。
 日和幼稚園の遺族は問題点として、園側の危機管理意識の欠如や情報収集の怠り、行政の支援が得られなかった点などを列挙した。
 次女明日香ちゃん=当時(6)=を亡くした佐々木純さん(36)は「災害は待ってくれない。子どもたちの命を無駄にしないため、防災のマニュアルや手引きを作ったら早く対処してほしい」と語った。
 長女愛梨ちゃん=当時(6)=が犠牲になった佐藤美香さん(40)は実態をより正確に把握してもらうため、現地視察を求める要望書を文科省側に手渡した。
 会議はヒアリング結果などを踏まえ、本年度内にも事故対応の指針をまとめる見通し。座長の東京学芸大の渡辺正樹教授は「遺族に共通するのは事実が知りたいという思い。きちんとした指針を作り周知徹底することが大事」と指摘。追加ヒアリングの開催については明言を避けた。


<祈りと震災>巡礼地 新たに9ヵ所
 東日本大震災で被害を受けた青森、岩手、宮城、福島4県の沿岸部に鎮魂の巡礼路を築く一般社団法人「東北お遍路プロジェクト」(仙台市)は25日、新たに巡礼地として9カ所を発表した。巡礼地はことし2月に示した53カ所と合わせて計62カ所に上る。高橋雄志共同代表は「選定作業を続け、来年に第3次の巡礼地を発表したい」と話す。
 9カ所の県別の内訳は岩手が机浜番屋群(田野畑村)など5カ所、宮城が千年希望の丘(岩沼市)など2カ所、福島は長命寺(相馬市)、青森は大蛇小の二つの津波の碑(階上町)となっている。
 東京電力福島第1原発事故の対応拠点になったJヴィレッジ(福島県楢葉町、広野町)は候補に挙がったが「美しいピッチがよみがえるまで」と条件を付けて保留とした。
 公募で推薦が寄せられた112カ所から赤坂憲雄学習院大教授ら4人が1000年先まで語り継ぎたい物語性、地元での認知度の高さといった基準で選んだ。
 プロジェクトは巡礼地の津波にまつわる話題や情報を発信し、震災の記憶の風化を防ぐのが主な狙い。巡礼地は仙台市青葉区で25日にあった「東北お遍路フォーラム」で発表された。
 プロジェクトのウェブサイトで「こころのみちしるべ」をクリックすると、各巡礼地の物語や経路案内などが示される。
◎新たに選定された巡礼地
 【青森】大蛇小の二つの津波の碑(階上町)
 【岩手】ケルン・鎮魂の鐘と光(久慈市)▽机浜番屋群(田野畑村)▽小本小奇跡の130段の階段(岩泉町)▽震災メモリアルパーク中の浜(宮古市)▽津波を見ていた3本の大ケヤキ・ポプラ・大スギ(大船渡市)
 【宮城】尾崎大明神(気仙沼市)▽千年希望の丘(岩沼市)
 【福島】長命寺(相馬市)


南三陸「福興市」あす節目の50回
 東日本大震災で被災した南三陸町の商店が出店する「福興市」が27日、同町志津川の南三陸ポータルセンター前で開かれる。2011年4月に始まり、今回が50回目の節目。会場で特産のタコを振る舞い、来場者に感謝の気持ちを伝える。
 出店する24店は志津川産のタコを使った空揚げや焼きそばを販売する。新鮮なタコをしゃぶしゃぶで味わうコーナーを設けるほか、ゆでだこを数量限定で振る舞う。
 会場内の舞台では、全国の支援者がジャズバンドの演奏や人形劇の演舞を披露して花を添える。センター隣のテントで、初回からの福興市の様子を写真などで展示する。
 福興市は震災後、被災商店の販路を確保し、町民の買い物の場を提供しようと始まった。徐々に店舗数が増えて町外の買い物客も多くなり、「復興のシンボル」と位置付けられている。
 山内正文実行委員長は「全国の支援や励ましのおかげで続けてこられた。来場者やボランティアに感謝の気持ちを伝えたい」と話している。
 開催は午前9時〜午後3時。連絡先は実行委員会事務局090(7077)2550。


復興祈願「寺フェス」あす開催 気軽に来て
 石巻市南境の金蔵寺などは27日、東日本大震災で被災した石巻の復興を祈願するイベント「寺フェス」を同寺の境内で開く。支援団体や市民らが集い、音楽や飲食を楽しむ。主催者は「幅広い年代の人が笑顔になれる企画を用意した」と気軽な来場を呼び掛ける。
 本堂で復興祈願法要を執り行った後、12組が2体の金剛力士像の立つ山門前をステージに和太鼓の演奏、アコースティックギターの弾き語り、手品などを披露する。
 境内にはご当地グルメの「石巻焼きそば」の出店や震災孤児の教育支援に取り組む団体など20のブースが並ぶほか、フリーマーケット、大道芸人によるショーもある。
 発案した渡辺伸彦副住職(36)は「寺は被災を免れたが、震災当時は次々と運ばれる犠牲者の供養に奔走した。震災を忘れず、石巻を以前よりもいいまちにするため頑張ろうと伝えたい」と意図を語る。
 金蔵寺は江戸時代初頭、当時の南境地区住民の願いに応じ、廃寺を修復して創立。400年以上の歴史を持つ。渡辺副住職は「寺は本来、地域のコミュニティーセンターのような存在。普段から足を運べる場所だと示したい」と話す。
 午前11時〜午後4時。駐車場は寺の付近3カ所に250台分を用意。会場までバスなどで送迎する。連絡先は0225(96)1288。


タイムカプセル開封 23年前の思い出に浸る
 東日本大震災の津波で被災した大船渡市のサン・アンドレス公園で25日、23年前に大船渡青年会議所(JC)などが埋めたタイムカプセルが開封された。当時の小中学生らの作文などが収められており、展示後に書いた本人に返還する。
 大船渡JCのOBら15人が、深さ1メートルの地中からステンレス製のカプセルを掘り起こした。100年後へのメッセージや市内の風景写真も入っていた。大船渡湾に面する公園は浸水したものの、カプセルは厳重に密封されており、封入物は無事だった。
 カプセルは1992年8月、市制施行40周年を記念して埋められた。開封は100年後の予定だったが、復興事業で公園に仮設道路が敷かれ、かさ上げが始まることから掘り出した。
 OB会長の畠山清孝さん(57)は「街全体がやられるほどの津波だったので、きれいな状態で残っているとは思わなかった。当時の思い出の品として、関わった人たちにお返ししたい」と話した。


防災・減災 御嶽山噴火1年/犠牲ゼロ目指し備え強化を
 国内の火山災害として戦後最悪の惨事となった御嶽山(長野、岐阜県)の噴火から、27日で1年になる。
 紅葉の盛りの土曜日、昼食時の山頂付近を爆発的な噴火が襲い、行方不明5人を含めて63人が犠牲になった。
 映像に残された噴火直後の様子は修羅場と呼ぶべき惨状だった。最大で長さ1メートル以上の噴石が飛び交ったという。
 見せつけられた火山の恐ろしさ、噴火の脅威を思い起こし、記憶と教訓を長く語り継ぐことが、まずは肝心だ。
 9.27を火山防災の新しい起点と位置付け、「同じ犠牲を繰り返さない」という誓いの下で、継続的な取り組みを確かめ合う機会にしたい。
 この1年で火山防災の構えはさまざま見直された。
 気象庁が噴火警戒レベル1を「平常」から「活火山であることに留意」に変更し、常時観測対象に八甲田山(青森県)など3火山を加えて50火山として警戒を強化した。
 噴火から5分以内にスマートフォンなどへの発信を通じて登山者に避難を呼び掛ける「噴火速報」も始まった。
 活動火山対策特別措置法(活火山法)が改正され、周辺自治体に火山防災協議会を設け、ハザードマップや避難計画を作ることが義務付けられた。避難計画作成の義務は観光施設などにも課された。
 観測機器の増強や防災用具の配備などと併せ、警戒を強化するための体制作りはそれなりに進んだことになる。
 しかし、これらは入り口の整備に過ぎず、対策の遅れを補う出発点にようやく立ったというのが実態だろう。
 避難計画で言えば、栗駒山(宮城、岩手、秋田県)のように、まだ策定スケジュールを固めた段階というところもある。火山ごとに専門家を養成する、避難施設を整備するといった長期的な課題も残り、全ては今後の取り組み次第と気を引き締めたい。
 前兆情報を共有し、警戒を呼び掛け、避難につなげる。犠牲ゼロを目指す火山防災の目標はその一点に尽きる。
 御嶽山では事前の異変を警戒情報に生かせず、反省を残した。予知が難しいからこそ、観測数値の変動には敏感になり、早めに警戒レベルを上げて入山規制に踏み込む判断を優先する必要がある。
 5月の口永良部島(鹿児島県)の噴火では、御嶽山と同様に直前の警戒情報はなかったが、犠牲者を出すことなく全島避難を完遂させた。
 昨年8月の小規模噴火を機に避難計画を見直し、避難先を変更して訓練を繰り返していた。突発の出来事であっても、事前の確認と避難の意識を徹底すれば犠牲は避けられることを明確に示した。
 御嶽山では地元の山岳ガイドですら「噴火は夢にも思わなかった」と振り返る。活火山であることを知らない人も登山者には多かった。助かった人たちは体験に基づき、「活火山では何が起きるか分からないという危機感で備えを」と呼び掛けを続けている。
 自然現象に謙虚になり、警戒情報に注意し、命を守ることを優先に行動する。
 防災全般に共通する心構えが、火山防災ではより大切になることを肝に銘じたい。


下呂・五の池小屋、戻らぬ客足 御嶽山噴火、27日で1年
 五十八人が死亡、五人が行方不明となった昨年九月の御嶽山噴火から、二十七日で丸一年。噴火後、風評被害を受けた下呂市の観光は、麓では持ち直しつつある。だが、九合目にある市有の山小屋「五の池小屋」には依然、客足が戻らず厳しい状況が続いている。
◆風評被害と入山規制が響く
 「本当に同じ山であんな大きな災害が起きたのかと思うくらい、小屋の周りにはきれいな紅葉が広がっている」。五の池小屋管理人の市川典司さん(45)は、さほど噴火の被害がなかった小屋周辺の現状をそう話す。
 しかし、噴火のイメージによる影響は深刻なまま。例年六月からの営業は、噴火の影響で一カ月遅れた。七、八月の宿泊を含めた利用客数は計五百八十人と、前年同時期の三分の一に落ち込んだ。
 風評被害に加え、利用客減の要因は火口周辺二キロが入山規制されており、長野県側との周遊ができず、「日帰りの山」になっていること。山頂まで行けないばかりか、同じルートの行き来に限られるのは、登山客には大きなマイナスとみられている。下呂市は五の池小屋から南にある頂の一つ、摩利支天山(二、九五九メートル)への登山道や、剣ケ峰を迂回(うかい)する長野県側との周遊ルートの規制緩和を、できるだけ早く進める方針だ。
◆麓は回復傾向
 一方、麓の風評被害は収まりつつある。県側の登山口がある濁河(にごりご)温泉の宿泊客は、四〜六月は前年同期比二割減の三千八百人だったが、七月以降は回復しつつあるという。御嶽山の火山活動でできた滝を観光資源とする「小坂の滝めぐり」にも余波が心配されたが、八月は昨年を三千四百人上回る約一万人が訪れるなど好調だ。九月の大型連休には、滝めぐりの発着点のがんだて公園に、駐車待ちの車が列をなした。
 ツアーを主催するNPO法人「ひだ小坂200滝」のガイド、皆越真佐代さん(51)は「噴火のことを気に掛けるツアー客もいるが、実際に訪れると、火口から距離があると納得してもらえる」と語る。噴火直後、キャンセルが相次いだ下呂温泉街への影響も「現在はない」と市観光課の担当者は言い切る。
 間もなく迎える噴火一年。「登山道や小屋を焦らずに整備し、御嶽山をまた登山者が楽しめる山にしていきたい」。市川さんは自らに言い聞かせるように力を込めた。(小柳津心介)


御嶽山噴火 27日で1年 王滝村で犠牲者追悼式
 犠牲者58人、行方不明者5人に上った御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)の噴火災害は27日、1年を迎える。戦後最大の火山災害は、監視・研究体制や防災の不十分さを浮き彫りにし、犠牲者の遺族や下山できた登山者の心の傷は癒えていない。木曽郡王滝村で、山麓の市町村による「犠牲者追悼式」が開かれ、亡くなった人を慰め、火山防災を高めることを誓う。
 噴火は昨年9月27日午前11時52分に起き、山頂一帯にいた登山者多数が被災した。警察、消防、自衛隊の1万5千人余を投入した10月16日までの救助、捜索で57人が見つかり、行方不明者は6人となった。雪解け後の今夏の再捜索で、1人が発見された。
 噴火前、前兆とも取れる火山性地震が増えたが、気象庁は噴火警戒レベル1(平常=当時)を維持。地元も火山と十分周知しておらず、登山者に危険性が伝わっていなかった。国は観測体制や専門知識を持つ人材育成の強化に乗り出し、防災強化策を盛った活動火山対策特別措置法(活火山法)も7月に成立した。
 犠牲者、行方不明者の住所は16都府県に及び、家族はさらに散らばる。孤立感や喪失感を感じる人が少なくないが、支援は十分に伸びていない。遺族たちが4月に「山びこの会」をつくり、教訓を「山の安全」につなげようと活動している。
 追悼式は王滝村、木曽郡木曽町、岐阜県高山市、下呂市の実行委員会が主催。王滝村の松原スポーツ公園で、午前11時45分から午後1時半ごろまで。噴火時刻に黙とうをささげ、遺族代表、山谷えり子防災担当相があいさつする。式後、一般献花を午後5時まで受け付ける。


<八戸前沖さば>冷凍で刺身を身近に
 地域ブランド「八戸前沖さば」の食べ方を広げようと、冷凍サバを使った刺し身が10月中旬から12月下旬にかけ、八戸市内で試験販売される。鮮度が失われやすいサバの弱点は、漁場の近さと製造技術でカバーする。実施する青森県産業技術センター「食品総合研究所」(同市)は、八戸ならではの商品として定着させたい考えだ。
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 前沖さばは、脂の乗りや大きさで一定の基準をクリアしたブランドサバ。試験販売は市内の飲食店2店舗の協力を得て行う。提供する店舗は今後公表するという。
 刺し身用は巻き網船内で凍らせた「船凍サバ」が商品化されているが、漁業者側は「魚体を傷つけずに処理するのに手間が掛かる」と敬遠。少量しか出回っていない。
 食品総研は2012年度から、定置網と一本釣りのサバを使い、刺し身にできる取扱法を模索。加工原料になる通常の冷凍サバと異なる高品質を目指してきた。
 大事なのは食中毒と寄生虫をいかに抑えるか。ヒスタミン生成菌や寄生虫は、魚が死ぬと内臓から筋肉組織へ移る。完全硬直前のサバを急速凍結すると、ヒスタミン生成菌を休止させ、マイナス15度以下で寄生虫を完全に死滅させられた。
 食品総研の担当者は「原料と凍結、冷凍保管、解凍の各条件が一つでも欠ければ刺し身用にならない」と説明する。
 高品質な冷凍サバは解凍直後にうま味が強まることも判明。マイナス30度以下で10カ月以上保管できる。
 年間約4万トンの水揚げを誇る八戸のサバは大半が加工に回り、締めさばと缶詰が全体の9割を占める。サバを刺し身で食べる習慣がない東日本に普及すれば、前沖さばのイメージの向上につながる。
 食品総研は17日、市内の加工業者などを対象に勉強会を開き、冷凍サバの製造技術を紹介した。小坂善信所長は「前沖さばの刺し身を全国に発信し、地域経済の活性化につなげたい」と話している。
[八戸前沖さば]八戸市の水産加工業者などでつくるブランド推進協議会が、粗脂肪分や重量を参考に決める。対象は八戸港に水揚げされた三陸沖以北のマサバとゴマサバ。「日本一脂が乗ったサバ」と称され、550グラム以上は「銀鯖(ぎんさば)」と呼ぶ。本格シーズンは9月〜12月上旬。


<仙台いじめ自殺>公園の献花台消えた
 昨年9月下旬にいじめを苦に自殺した仙台市立中1年の男子生徒=当時(12)=を追悼しようと、学校近くの公園に設置された献花台が25日朝までに撤去された。献花台は21日朝までに設置され、連日、大勢の人が訪れ、花を手向け、手を合わせていた。誰が設置し、誰が撤去したか分かっていない。
 地元住民が25日午前8時半ごろ、花束に雨よけのビニールシートを掛けようと現地を訪れ、献花台のテーブルと白いクロスなどがなくなっていることに気付いた。24日夜には花束約50束とお菓子やジュースが供えられていた。花束数束と男子生徒向けのメッセージや手紙だけが残されていた。
 市教委や学校は「遺族の意向」を理由に、加害生徒11人を除き、今もいじめ自殺の事実を子どもたちに知らせず、当時の担任の女性教師は「転校した」と虚偽の説明をしていた。
 近所の男性(73)は「ありがたいと思っていただけに突然、撤去され、驚いた。学校や市教委が隠そうとすればするほど、子どもたちや地域の動揺は広がるばかりだ」と話した。
 公園を管理する仙台市の区役所は21日、献花台の側に「不法占用に当たる」との告知板を設置。自主撤去の要請に応じない場合、強制撤去する方針を示していた。25日には設置者に対し、区役所への連絡を呼び掛ける新たな看板を設置する予定だった。
 一方、25日朝、「献花台設置者」を名乗る人物から河北新報社に「これ以上、放置すると区役所と遺族に迷惑になるため、撤去した。手紙類は遺族に届けてほしい」という匿名のファクスが届いた。
 設置した理由については「子どもなりの社会があったはずで、社会から弔意を受ける機会があるべきだと思った。涙を浮かべ手を合わせる女子中学生を見て、追悼の場は必要だったと実感した」と記されていた。
 男子生徒の父親は河北新報社の取材に「あらためて献花台の設置に感謝したい。間もなく一周忌を迎える息子に報告したい。皆さまに手を合わせていただき、息子も少しは浮かばれる」と語った。


<最終処分場>候補地へ向かう町道 復旧見通し立たず
 福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の最終処分場建設問題で、加美町の猪股洋文町長は25日、町役場で記者会見した。県内候補地の一つである同町田代岳に向かう町道が宮城豪雨の被害で通行止めとなっていることについて「(県が要請した)激甚災害指定を受けて国の補助事業で復旧することになれば、復旧工事開始は早くても来年の雪解け以降になる」との見通しを示した。
 候補地に向かう町道では、6カ所で大規模なのり面崩落や道路陥没が見つかった。猪股町長は「復旧工事に向けた査定のための測量にも2カ月は要する。通行止め解除の見通しは立っていない」と強調した。
 町が開催に応じる考えを示す、専門家を交えた環境省との意見交換会にも言及。猪股町長が開催条件とする候補地での詳細調査の凍結について、同省が「困難」と回答した上で、9月中の開催を求めていることを明らかにした。
 同省は「9月中に開催できなければ交換会は取りやめる」と通知してきたが、猪股町長は豪雨で町内125世帯が浸水したことを挙げ「災害対応に追われ、開催できる状況ではない」と批判。25日に開催条件として調査凍結をあらためて求める文書を同省に提出した。


<宮城豪雨>大崎の被災世帯に支援金
 宮城県は25日、宮城豪雨で床上浸水などの住宅被害が相次いだ大崎市に対し、被災者生活再建支援法の適用が決まったと通知した。基礎支援金として、大規模半壊と判定された世帯に50万円、大規模半壊・半壊判定の住宅をやむを得ず解体した場合は100万円が支給され、再建方法に応じて最大200万円が加算される。
 加算支援金は、大規模半壊の住宅を補修して住む場合は100万円、解体して新たに住宅を購入・建築する場合は200万円、解体後に再建せず公営住宅以外の賃貸住宅に入居する場合は50万円。単身世帯はいずれのケースも支給額が4分の3となる。
 県によると、大崎市で大規模半壊と判定された家屋は14、半壊は268。堤防が決壊した、鳴瀬川水系の渋井川や名蓋川の流域などに集中している。
 伊藤康志大崎市長は「市民の被災状況が理解された。被災者の生活再建に弾みがつく」と語った。
 基礎支援金の申請期間は被害が発生した9月11日から13カ月間、加算支援金の申請は37カ月間。申請には市税務課が発行する罹災(りさい)証明書などが必要。連絡先は市社会福祉課0229(23)6012。


<宮城豪雨>被害額216億円に膨らむ
 宮城豪雨による県内の被害額は23日午前8時現在、216億7127万円に上った。調査は継続中で、1994年の9.22豪雨の約246億円に迫っている。
 道路や堤防の破損など公共土木施設が135億875万円まで膨らんだ。被災施設の9割は調査済み。598カ所が壊れた堤防が99億7520万円、233カ所が破損した道路は25億8261万円などとなった。
 農林水産関係は76億9420万円。水路や農道の破損など農業用施設が51億9851万円を占める。
 確認できた農作物の被害面積は27市町の計9018ヘクタール、被害額は仙台市や大崎市など26市町の計13億2179万円に及んだ。被害額の最多は大崎市の7億390万円。仙台市は1億3929万円に上る。林業関係も9億9213万円の被害が生じた。住宅被害は床上浸水479棟、床下浸水1191棟となった。仙台市太白区の避難所に4人が避難している。


<宮城豪雨>被災米全て1等に農家安堵
 宮城豪雨で冠水した大崎市古川西荒井地区で収穫された米の等級検査が25日、古川農協志田支店で始まった。初日の検査では480袋(1袋30キロ)の全てが1等米と判定され、気をもんでいた農家をほっとさせた。
 検査会場に運び込まれたのは、14日夕方までポンプ車による排水作業が行われた西荒井若木地区で収穫された「ひとめぼれ」と「まなむすめ」。袋から取り出したサンプル米の形状や色つやを、同農協の検査員田村和義さん(43)が入念に検査し、全て1等米と判定した。
 「冠水の影響を心配していたが、等級を下げる理由が見つからない立派な米だった」と田村さん。検査に立ち会った若木地区集落委員の相沢信夫さん(63)は「稲は1日半ほども水に漬かっていたが、検査結果を見て安心した。10アール当たりの収量も平年と大差ない」と話した。
 西荒井地区の等級検査は10月中旬まで行われる。

 宮城豪雨で冠水した大和町などを管内に含む、あさひな農協(大和町)は24日までに1万7217袋(1袋30キロ)の等級検査を行った。1等米の比率は92.86%となっている。


<原発事故>畜産の命運託され奮起
 東京電力福島第1原発事故で休業した酪農家5戸が共同経営する「復興牧場」は、大規模共同経営のモデルとしての役割も期待されている。運営会社フェリスラテの社長を務める田中一正さん(44)は「酪農で食べていけるという復興の次の段階に進みたい」と意気込む。
 東京生まれ。自然と触れ合える仕事にあこがれ、短大卒業後に栃木県の大規模牧場に就職した。2001年に独立し、福島県飯舘村長泥地区に牧場を構えた。
 乳牛を50頭にまで増やした10年目に原発事故が起き、長泥地区は帰還困難区域になった。全頭の殺処分だけは免れたいと切望し、半分は知り合いに引き取ってもらった。
 山形県飯豊町に避難して牧場で働いた後、12年春に福島市に移り、共同牧場の設立、運営に携わった。そうした経験を買われ、県酪農協が整備する復興牧場への転身を打診された。
 長時間労働の割に収入が少なく、酪農家の後継者不足は深刻だ。福島県酪農協によると、県内の酪農家は現在354戸。5年間で3割以上減少した。
 「復興牧場は福島の畜産業の命運が懸かったプロジェクト。経験を生かしたい」と参加を決めた。共に経営に当たる30〜50代の4人と打ち合わせを重ねてきた。
 大規模共同酪農は経営効率化が期待できる一方、牛の健康管理などの面で難しさも指摘される。「原発事故で一度は挫折したが、酪農は生きがい。風評のハンディはあるが、福島の酪農業のカンフル剤になればいい」と話す。


<原発事故>復興牧場が完成 東北最大規模
 東京電力福島第1原発事故で離農を余儀なくされた福島県の酪農家の営農再開を支援する「復興牧場」の落成式が25日、福島市であった。浜通りなどで酪農を営んでいた5人が共同経営し、東北最大規模となる乳牛580頭を飼育する。
 同市土船に開設された約3.6ヘクタールの牧場は既存農地などを活用して造成。1度に40頭を搾乳できる最新設備を備える。総事業費は約20億円。大半を国や県の補助金で賄った。
 南相馬市、浪江町、飯舘村で営農していた5人が設立した農業生産法人「フェリスラテ」が運営。年間5000トンの出荷を目指す。飼料や牛乳の放射性物質を自主検査し、安全性をアピールする。
 原発事故で休業した避難区域の酪農家76戸のうち、他地域に移転した2戸も含め、再開を果たしたのは13戸にとどまる。
 フェリスラテ社長の田中一正さん(44)は「経営を軌道に乗せ、仲間が元気を出してくれるよう酪農人生の集大成として取り組みたい」とあいさつした。


「安保国会」が閉幕 最高機関の名を汚した
 新しい安全保障法制が成立した「安保国会」が事実上閉幕した。立憲主義を蔑(ないがし)ろにし、「国権の最高機関」の名を汚(けが)した国会だった。猛省を促したい。
 本来の役割を果たせたのだろうか、何とも後味の悪さを残した国会だった。一月二十六日に召集された通常国会はきのう、衆参両院で閉会中審査の手続きなど会期末処理を行い、二十七日の会期末を前に事実上閉幕した。 
 安倍晋三首相は記者会見で「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。不戦の誓いを、より確かなものにしていく強固な基盤をつくることができた」と述べた。
◆成立急ぎ強引な運営
 この国会を振り返ってみる。
 首相は当初、この国会を「改革断行国会」と位置付けていたが、二〇一五年度予算成立後の四月以降、様相はがらりと変わる。
 集団的自衛権を行使して外国同士の戦争に参加できるように、安保法制関連法案の成立を最優先する「安保国会」である。
 通常国会の会期は百五十日間と定められているが、安倍政権は、これを過去最長の九十五日間延長してでも、成立を急いだ。
 政権側はその理由に、中国の軍事的台頭や北朝鮮の核・ミサイル開発など、東アジアにおける国際情勢の変化を挙げてはいる。
 しかし、歴代内閣が憲法違反としてきた「集団的自衛権の行使」を可能にすることは、そもそも首相自身の悲願だ。
 安保法制に対する世論の風当たりは厳しく、成立が来年夏の参院選近くにずれ込めば、この問題が争点化し、与党にとって厳しい戦いになる。今後、景気が低迷すれば政権の体力が落ち、安保法制どころでなくなるかもしれない。
 こうした時間的な制約も、成立間際の強引ともいえる与党の国会運営につながったのだろう。
◆政府の覇道なぜ許す
 しかし、いくら議会の多数派が内閣を構成する議院内閣制とはいえ、政府が提出した法案を唯々諾々と通すだけなら、単なる「採決装置」に堕す。
 とても、日本国憲法に定められた「国権の最高機関」「唯一の立法機関」の名には値しない。
 新しい安保法制の最大の問題点は、集団的自衛権の行使を憲法違反としてきた歴代内閣の憲法解釈を、安倍内閣が一内閣の判断で変えてしまったことにある。
 歴代内閣が踏襲してきたこの憲法解釈は、国会での長年の議論を通じて定着してきた。ましてや、集団的自衛権を行使せず、「専守防衛」に徹する平和主義は、戦後日本の「国のかたち」でもある。
 一内閣の恣意(しい)的な解釈を許すのなら、憲法は法的安定性を失い、国民が憲法を通じて権力を律する「立憲主義」は根底から覆る。
 集団的自衛権の行使を可能にするのなら、その賛否は別にして、憲法改正手続きを経て、国民に賛否を委ねるのが筋ではないか。
 王道でなく覇道を歩み、立憲主義を蔑ろにするようなことを、国会がなぜ許してしまったのか。
 議論の質も、とても高いものとは言えなかった。例えば、集団的自衛権の行使例である。
 政府は中東・ホルムズ海峡での機雷除去と、避難する邦人を輸送する米艦の防護を挙げていたが、成立間際になって、機雷除去の必要性が現実に発生することは想定せず、米艦防護も邦人乗船は絶対的条件でないと答弁を変えた。
 立法の必要性を示す立法事実が根底から崩れたのだから、本来廃案とすべきだが、なぜそのまま成立させたのか。そもそも実質十一本の法案を二つの法案に束ねて提出した政府の強引さをなぜ許したのか。国権の最高機関としての矜持(きょうじ)はどこに行ってしまったのか。
 新しい安保法制が成立した後に行われた共同通信社の全国世論調査によると安保法制「反対」は53・0%。「憲法違反」は50・2%と、ともに半数を超えた。報道各社の世論調査も同様の傾向だ。
 こうした国民の思いにも国会、特に与党議員は応えようとしなかった。国会周辺や全国各地で行われた安保法制反対のデモに対して「国民の声の一つ」(首相)と言いながら、耳を十分に傾けたと、胸を張って言えるのだろうか。
◆全国民の代表として
 憲法は国会議員を「全国民を代表する」と定める。支持者はもちろん、そうでない有権者も含めた国民全体の代表であるべきだ。
 安保法制が日本の平和と安全に死活的に重要だと信じるのなら、反対者にも説明を尽くし、説得を試みるべきではなかったか。反対意見を切り捨てるだけなら、とても全国民の代表とは言えない。
 各議員は全国民の代表という憲法上の立場を強く自覚しなければならない。さもなければ国民は、国会に対して「憲法違反」の警告を突き付けるであろう。


ゆうパックで「送骨」、格安・手軽で広がる…変わる葬送の価値観
 亡くなった親族らの遺骨を日本郵便の「ゆうパック」で霊園や寺に送る「送骨」が、広がりをみせている。インターネットでの申し込みで遺骨を霊園に持参しなくても納骨できることを理由に、需要が伸びているという。秋の彼岸は26日まで。「弔いの軽視だ」との批判も呼びそうだが、葬送をめぐる価値観は変わりつつある。(細田裕也)
 7月中旬、大阪府河内長野市滝畑の河内長野中央霊園に郵便局の配達員が段ボールを運んできた。品名は「供養品」。中には、骨壺や火葬されたことを証明する書類などが入っていた。
 「予想より、はるかに需要があります」と話すのは、同霊園の田村一央(かずお)代表(67)。昨年12月の受け入れ開始から今月25日までに65件の申し込みがあったという。
 同霊園では、専用の梱包(こんぽう)キットに遺骨の入った骨壺や法律で定められた埋葬許可証などを同封し、料金3万円を支払えば、霊園内の合祀墓で永代供養する。
 こうした“手軽さ”が求められ、送骨は各地で増えているという。全国17寺院への送骨をインターネットで仲介する「プロ」(名古屋市)には平成26年中、前年比3割増の200件近くの申し込みがあった。また21年から送骨を受け入れている高岡大法寺(富山県高岡市)は「最近は各地で送骨が広まったため、受け入れ件数は落ち着いている」という。
 ただ、遺骨を郵送する行為に違和感を覚える人も少なくない。
 宅配便大手の佐川急便とヤマト運輸では遺骨の引き受けを拒否している。「紛失した場合に対応できない」(ヤマト運輸)ことなどが理由だ。一方、ゆうパックの日本郵便は「運送に適した状態であれば拒絶はしない」としている。
 では、法的な問題はないのだろうか。
 遺体の火葬や埋葬の方法などは墓地埋葬法で定められており、自由に行うことはできない。家族問題に詳しい田村勇人弁護士(第一東京弁護士会)は「法律上、遺骨を送ることを禁止する法律はない。送られた遺骨も、墓地埋葬法で許可を受けた墓地などで埋葬されるため同法には抵触しないし、遺骨を放置したり捨てたりすることを禁じた刑法の死体遺棄罪にも該当しない」としている。


ノーベル賞マララさん 難民受け入れを訴え
去年ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんが国連本部で記者会見し、ヨーロッパに多くの難民や移民が流入していることについて、「支援を必要としている人たちに国を開くことが重要です」と述べ、各国に難民を積極的に受け入れるよう訴えました。
去年ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんは、国連サミットに合わせて25日、ニューヨークの国連本部を訪れ、記者会見を行いました。
この中で、マララさんは中東などからヨーロッパに多くの難民や移民の流入が続くなか、今月、トルコの浜辺に漂着したシリア難民の男の子の遺体の写真が世界中で大きく報じられたことについて、「男の子の写真は衝撃的で胸が張り裂けるようなものだった。写真は私たちが人としての思いやりを失っていることを示している」と述べました。
そのうえで、マララさんは「支援と生きる権利を必要としている人たちに対し、人々が心を開くとともに、国を開くことが重要です」と述べ、各国の政府に対し積極的に難民を受け入れるよう訴えました。
国連では今月30日に難民問題を協議する国際会議が開かれ、ヨーロッパ各国の首脳や閣僚も参加して議論が交わされる見通しです。


マララさん:「教育は平和、私たちの将来に投資を」国連で
 ◇総会で演説 加盟国と同じ若者193人がランタン持ち
 【ニューヨーク草野和彦】教育は希望、教育は平和です−−。女子教育の普及に取り組む昨年のノーベル平和賞受賞者、マララ・ユスフザイさん(18)が25日、国連総会で演説した。来年からの開発目標「持続可能な開発のための2030アジェンダ」採択のため集まった世界の指導者に「私たちの将来に投資すると約束してください」と訴えた。
 マララさんは4階バルコニー席から演説し、国連加盟国数と同じ193人の若者がランタンを持ち、周囲に集まった。マララさんは、多くの子供がテロの犠牲や難民となっている現状を指摘。「教育は特権でない。権利だ」と主張し、子供が教育を受ける環境作りの重要性を説いた。
 演説後の記者会見で、マララさんは「教育を通して健康を増進し、飢餓と闘い、貧困を減らし、社会に平等をもたらすことができる」と述べ、子供への教育の促進こそが、あらゆる開発目標の実現につながると強調した。

webから申請/トオレイから返事/電気合成

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Le Japon va-t-il vraiment supprimer les sciences humaines à l’université ?
Par Arnaud Vaulerin, Correspondant au Japon
Le monde académique critique une reprise en main de l'éducation par le pouvoir politique et un chantage au financement.
Depuis l’annonce en juin d’une réforme de l’enseignement à l’université, le gouvernement de Shinzo Abe fait face à de vives critiques. Le monde académique ainsi que le patronat fustigent un ≪anti-intellectualisme≫, selon les mots de professeurs contactés par Libération, qui critiquent une reprise en main par le pouvoir politique et un chantage au financement.
Que propose le ministère de l’Education ?
Dans une directive ≪non contraignante≫ d’une dizaine de pages en date du 8 juin, le ministre Hakubun Shimomura demande aux présidents des 86 universités nationales publiques de ≪réfléchir pour orienter les jeunes de 18 ans vers des domaines hautement utiles où la société est en demande≫. Ce passage plutôt ambigu, qui s’intègre dans des recommandations générales visant à revoir le fonctionnement des universités afin de les rendre plus globales, plus efficaces et mieux notées dans les classements internationaux, cible les départements de sciences humaines et de formation des enseignants que le ministère de l’Education (MEXT) entend ≪abolir≫ ou ≪démanteler≫, selon les versions. Dans son plan de refonte, prévu pour durer six ans à partir d’avril 2016, le MEXT entend conditionner les subventions d’Etat à l’avancée des réformes. ≪Le ministère tient ainsi financièrement les universités, surtout celles qui sont les moins puissantes, au nombre d’une soixantaine environ. A la différence de Tokyo, Kyoto, Sendai ou encore Osaka qui ont de l’argent, de l’aura, elles n’ont pas les moyens de s’opposer à ce projet≫, analyse Christian Galan, japonologue et professeur des universités à Toulouse Jean-Jaurès.
Comment le monde enseignant a-t-il réagi ?
Le Conseil des sciences du Japon qui fédère plus de 2000 chercheurs et scientifiques a fait part, en juillet, de sa ≪profonde inquiétude≫. Il a longuement rappelé le ≪rôle essentiel et unique≫ des sciences humaines pour ≪la comparaison critique et la réflexion sur la manière dont les êtres humains et la société fonctionnent. […] ≪Tout dénigrement des sciences humaines et sociales ferait perdre sa richesse à l’enseignement supérieur japonais.≫ Face à la bronca suscitée, Hakubun Shimomura a tenté de se poser en pacificateur quelques jours plus tard. ≪Nous ne prenons pas les études de sciences humaines à la légère≫, a déclaré ce responsable du Parti libéral démocrate de Shinzo Abe. Il s’est défendu de mettre ≪la priorité sur les sciences appliquées, immédiatement utiles pour la société≫. Un membre du MEXT a parlé de méprise et d’incompréhension. Pourtant, le Keidanren, la puissante fédération patronale qui représente les grands groupes japonais, est sorti de son silence à la mi-septembre pour prendre ses distances avec le projet. Les entreprises nippones sont en attente d’étudiants et de jeunes diplômés qui peuvent résoudre des problèmes avec des ≪idées englobant les différents domaines≫ des sciences humaines.
Mais le monde universitaire a commencé à chanceler. Selon le quotidien Yomiuri Shimbun, 26 des 60 universités disposant d’un tel département ont commencé à réduire le nombre d’inscrits dans ces filières. ≪Les présidents d’universités et les professeurs ne sont pas forcément convaincus par le projet, mais les administratifs et les cadres du MEXT doivent appliquer la politique du ministère, explique Noriyuki Nishiyama, professeur de politique linguistique à l’université de Kyoto. Certains établissements vont créer des départements mixtes entre sciences dures et humaines pour tenter de concilier les enseignements. Le monde universitaire se rend compte que lors de l’attribution des budgets, ce sont les filières dures et technologiques qui voient leur dotation augmenter ces dernières années.≫
Pourquoi ce projet ?
Le ministère part du constat que les jeunes de 18 ans sont de moins en moins nombreux au Japon. Leur nombre a presque été divisé par deux depuis vingt-cinq ans. Les universités sont lancées dans une guerre de recrutement très concurrentielle pour séduire et sauvegarder leurs étudiants, assurer leur propre survie. Comme le rappelle Jeffrey Kingston, directeur des études sur l’Asie à l’université Temple de Tokyo, l’offre universitaire est ≪excédentaire≫ au Japon avec ≪86 universités d’Etat, 90 autres gérées par des villes et des préfectures et 606 institutions privées. La fusion est inévitable.≫ Shinzo Abe souhaite que dix établissements japonais figurent dans le palmarès des 100 meilleures universités mondiales dans la décennie à venir. Pour l’instant, seul Tokyo et Kyoto y sont répertoriées. Dans le même temps, le marché du travail souffre d’un manque cruel de main-d’œuvre dont se plaignent des grands groupes industriels engagés dans les travaux de reconstruction du Tohoku, de la sécurisation de Fukushima-daiichi et du chantier des JO à Tokyo en 2020. ≪Les PME, très importantes au Japon, voudraient bénéficier d’une main-d’œuvre disponible et vite opérationnelle. Voilà en partie pourquoi le gouvernement oriente les études vers plus d’utilitarisme≫, note Noriyuki Nishiyama. Les Abenomics, la politique de revitalisation du pays lancée par le Premier ministre, entendent confier aux universités nationales la mission de ≪construire un système pour former des gens qui répondent aux besoins de la société et les besoins en matière d’emploi≫.
Est-ce la fin des sciences humaines au Japon ?
Non, pas dans l’immédiat. Mais la tendance est à la diminution de ces filières. Les grandes universités, financièrement puissantes comme Tokyo et Kyoto peuvent se permettre d’ignorer les recommandations du MEXT. Les plus fragiles auront du mal, mais elles s’y préparent car ce projet n’est pas nouveau. ≪Je m’étonne que les gens soient surpris, indique Christian Galan. Les sciences humaines sont dans le collimateur des néo-libéraux depuis des années. Dans leur esprit, l’Etat n’a pas à subventionner des études qui ne servent à rien et ne produisent rien. Souvenez-vous du gouverneur Ishihara à Tokyo qui au début des années 2000 a fait fermer des départements de littérature, de français. Ce qui se passe était déjà en filigrane dans la réforme de 2004 qui, au nom de l’autonomie, a mis en place une semi-privatisation. Ce qui est intéressant aujourd’hui, c’est que le ministère de l’Education se manifeste et reprenne la main en menaçant financièrement les récalcitrants.≫
Dans les colonnes du Japan Times en août, le président de l’université de Shiga, Takamitsu Sawa, rappelait comment, déjà en mars 1960, le gouvernement d’alors songeait à supprimer tous les départements de sciences humaines, sinon les privatiser, pour se concentrer sur la formation de scientifiques et d’ingénieurs. Le chef du gouvernement était Nobusuke Kishi, le grand-père de l’actuel Premier ministre. Shinzo Abe était à bonne école.
フランス語
フランス語の勉強?
バリバラ〜障害者情報バラエティー〜「LGBTの就労」
LGBTと呼ばれる多様な性の人たちの悩みに2週にわたって注目するシリーズ「セクシュアル・マイノリティー」。第1回は、当事者の職場環境向上を目指すNPOが実施した就労実態調査を基に、LGBTへの差別や偏見が根強く残る就労現場を見つめる。「カミングアウトして就職活動したら苦戦している」や「職場の差別的言動が原因で転職を繰り返し、生活が苦しい」など、赤裸々な体験談から多様性を認め合う社会作りを考える。
はるな愛, 玉木幸則, 山本シュウ, 大西瞳, 神戸浩,伊藤愛子


仕事での買い物はこれまで書類をYuさんに作ってもらっていたのですが,今回から自分で作らなくてはなりません.ということでweb申請に初めて挑戦.普段使っているfirefoxではうまくいかずIEを使わねばならないことがわかりました.直線定規という小さな買い物ですが,どうにかできました.
問い合わせしていたトオレイから返事ありました.ちょっとがっかりですが,とりあえず検討してみましょう.
電気合成する生き物が発見されたそうです.スゴイ♪

「一人でも家族の元に」震災不明者集中捜索
 宮城県気仙沼署は24日、気仙沼市波路上明戸の海岸で、東日本大震災による行方不明者の集中捜索を実施した。
 署員と一般社団法人気仙沼復興協会が受け入れたボランティアら計30人が参加。打ち上げられた石などをかき分けて手掛かりを捜し、長さ3〜10センチの骨片6本が見つかった。不明者の遺骨かどうか鑑定される。
 市内では220人が行方不明。ボランティアで参加した埼玉県川越市のアルバイト毛利元昭さん(49)は「防潮堤ができ始め、海に近づきにくくなっている。できるだけ捜索に協力したい」と手を動かした。
 気仙沼市の離島・大島に住む介護施設職員杉本陽子さん(40)は「大島の友達の親族が見つかっていない。一人でも多く家族の元に帰したい」と語った。
 同署は毎月11日の月命日に不明者の集中捜索を行っている。今回は記録的豪雨の影響で延期した。


野蒜小避難訴訟 来月20日に現地調査、22日校長証人尋問
 東日本大震災で東松島市野蒜小体育館に避難し津波で亡くなった住民と児童計3人の遺族3人が、避難誘導に過失があったなどとして市に計約5300万円の国家賠償を求めた訴訟の口頭弁論が24日、仙台地裁であった。
 遺族側が裁判所に求めていた現地調査を10月20日、震災当時学校にいた校長の証人尋問を22日に行うことになった。
 訴えによると、地震発生後、亡くなった3人のうち2人は体育館に避難した後、津波で犠牲になった。もう1人は同校児童で下校後にいったん体育館に避難したが、教員から他の児童の保護者に引き渡され、自宅付近で車を降りた後に津波で亡くなったとしている。


震災後整備の防潮堤 4割が計画と「ずれ」
東日本大震災のあと宮城県の漁村に整備される防潮堤のうち、津波から守るとされた集落が存在しないなど、当初の計画と異なるまま整備が進められているケースが全体の4割に上ることが、NHKの取材で分かりました。専門家は「将来の維持費などを考慮して整備計画を精査すべき時期にきている」と指摘しています。
東日本大震災の被災地では、数十年から百数十年に1度起きる可能性のある津波から人命や住宅などを守る目的で、各地で防潮堤の整備が進められていて、およそ9000億円の予算が投じられる計画です。
NHKは、このうち先月宮城県が公表した防潮堤計画のうち、市や町が漁村に整備する101地区について自治体などに取材しました。
その結果、当初の計画で集落を守るとされている防潮堤は合わせて67ありましたが、現在では防潮堤の背後に家屋や集落が存在していない地区が37あることが分かりました。
さらに、復旧する水産施設を守るとして計画された防潮堤25のうち4つの地区では復旧の見込みが立たないなど、当初の計画とは異なるまま整備が進められているケースが全体の4割に上っています。
計画の多くは国の方針に沿って震災直後に復旧や整備が決まりましたが、被災地の多くの漁村ではその後、人口流出が進んでいます。
防潮堤の問題に詳しい東北大学の平野勝也准教授は「人口が減少するなかで何でも守るのが本当によいのか、将来の維持費の負担も考慮して整備計画を精査すべき時期にきている」と指摘しています。


NHK受信料:自民小委が「義務化」を提言
 自民党情報通信戦略調査会放送法の改正に関する小委員会(委員長=佐藤勉・衆院国対委員長)は24日、NHKや総務省に対し、NHKの受信契約の有無に関わらず受信料を徴収する「支払い義務化」を求める提言をまとめた。
 受信料の徴収コストは、受信料収入の10.7%に当たる735億円(2015年度予算ベース)に上り、支払率は76%(14年度末現在)にとどまる。また、インターネットでの放送番組の同時配信の本格実施に向けて、ネット視聴者の負担のあり方がNHK内でも検討課題になっている。
 そのため委員会は、不払い者に罰則を科す英国や、テレビの有無に関わらず世帯ごとに徴収するドイツの公共放送の例に言及。これらを参考にしつつ、マイナンバー制度の活用などを含めて制度を検討するよう求めた。
 また、支払い義務化で支払率が上がった場合、どの程度の値下げが可能かの試算も求めた。佐藤委員長は委員会後、記者団に「未払いの24%が納めれば、今より割引できる。総務省とNHKはしっかり考えて提言に応えてほしい」と述べた。
 これに対し、NHK広報局は、NHK内でも受信料制度の「研究」に着手しているとした上で「視聴者・国民の理解を得られることが何より重要で不可欠」との見解を示した。
 義務化の実現には放送法の改正が必要で、「事実上の税金化」などの批判もある。また籾井勝人(もみいかつと)会長は国会答弁で義務化を歓迎するも、値下げについては、放送センター建て替えなどを理由に慎重な姿勢を示している。【丸山進、須藤唯哉】


新国立検証報告 無責任ぶり確認された
 「国家プロジェクト」の看板を掲げながら、お粗末としか言いようがない実態が確認された。
 2020年東京オリンピック・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の整備計画の問題点を検証する文部科学省の第三者委員会が報告書を公表した。
 権限と責任の所在があいまいだったため「何とかなるだろう」という空気が関係者の間に生じ、当事者意識が欠如していたことが、総工費が二転三転するなどした原因になったと報告書は指摘した。
 計画の白紙撤回が決まった後、責任の所在を問われた東京五輪組織委員会会長の森喜朗元首相は「誰にも責任はない」「(責任は)全員で負わなきゃならん」「日本の役所というか、機構上の問題」などと発言していた。無責任体質の根は深い。
 新国立のような難度の高いプロジェクトに求められる適切な組織体制を整備できなかった点で、事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)の河野一郎理事長、監督する立場にある下村博文文科相の責任は問われなければならない。
 私たちはJSCが設置した有識者会議の運営方法などに問題があると以前から指摘してきた。
 メンバーは日本ラグビー協会の要職にある森氏をはじめ、超党派のスポーツ議員連盟に所属する政治家、日本オリンピック委員会や日本体育協会、サッカーなど競技団体の幹部や著名作曲家ら「各界の重鎮」が並び、会議は利益代表者による陳情の場と化していた。開閉式の屋根を備えた8万人収容のスタジアムという基本構想はここから生まれた。
 第三者委員会のヒアリングに河野氏が「文科省の了解を得ずに決定ということは基本的にはなかった」と話したのに対し、下村氏は「有識者会議でまとまったことに対し、文科省からだめとは言えない」と話すなど権限と責任の所在が明確ではないことが浮き彫りになった。その背景には関係者が「重鎮」に配慮し、河野氏の諮問機関に過ぎない有識者会議が重要事項を決定する機関となっていた実態がある。
 8月に設置された第三者委員会は限られた時間の中で多岐にわたる問題点を指摘した報告書をまとめた。しかし、有識者会議のメンバーでヒアリングしたのは建築家の安藤忠雄氏だけ。会議の議論をリードした森氏やスポーツ議員連盟幹事長の遠藤利明五輪担当相は漏れた。
 国家プロジェクトに対する認識の甘さや判断の遅れに対し、早期にチェックして修正するメカニズムが機能しなかった原因を解明するためにも政治家らへのヒアリングは不可欠だった。


川島なお美さん死去:激やせ会見から17日、最愛の夫に見守られ…
 テレビドラマ「失楽園」などで知られる女優の川島なお美(かわしま・なおみ、本名鎧塚なお美=よろいづか・なおみ)さんが24日午後7時55分、胆管がんのため都内の病院で死去した。54歳。愛知県出身。昨年1月に腹腔(ふくくう)鏡手術を受け、仕事復帰もしていたが、今月7日のイベントでは痩せ細った姿が見られた。
 闘病中も気丈に女優としての人生を追い求め、がんと闘い続けた川島さんが力尽きた。最後の仕事は16日。長野県伊那市で上演された主演ミュージカル「パルレ〜洗濯〜」。セリフが途中で詰まるなど苦しそうな姿が見られた中、翌17日も舞台に立とうとしたが、朝起きることすらできない状態だった。長野から18日に帰京し緊急入院したが、治療を施せるような状態ではなく、本人の希望で最愛の夫の鎧塚俊彦さん(49)と大切な時間を過ごすため、都内の自宅に戻った。そして24日に入り容体が急変し、病院で鎧塚さんが見守る中、息を引き取った。
 公での最後の言葉は23日。降板を発表していたミュージカル「クリスマス・キャロル」の代役発表会見で「完璧に元気になれるよう当面は治療に専念させていただきます」とメッセージを発表。復帰への決意を見せていただけに関係者のショックは大きい。
 肝臓に小さな腫瘍が見つかったのは13年夏ごろに受けた人間ドック。舞台の出演も控えていたため、悩みに悩みぬいた末に翌年1月28日に行った手術は12時間に及ぶ難しいものだった。
 術後の経過は良好に見えたが、異変が目撃されたのが今年8月。俳優永井大(37)と女優中越典子(35)の結婚披露宴で、激やせした姿があった。9月7日のシャンパンの新商品発表会では、ワンピースからのぞく首筋や肩のラインは骨格もあらわなほどになっていた。わずか10日後の17日に「パルレ」の出演取りやめと今後の公演の降板を発表。同20日には「クリスマス・キャロル」の降板も相次いで発表。病状の悪化が懸念されていた。
 ▽肝内胆管がん 胆管は肝臓で作られた胆汁を十二指腸まで送り出す臓器で、肝臓内にあるその胆管にできたがん。原因は肝内結石症、硬化性胆管炎などだが、肝炎ウイルスも要因の一つといわれる。進行するまで症状が出にくいことが特徴。治療の中心は外科手術による切除。
 ◆川島 なお美(かわしま・なおみ)1960年(昭35)11月10日、名古屋市生まれ。青山学院大学在学中に芸能界にデビュー。82年、日本テレビ「お笑いマンガ道場」でレギュラーを務める。97年の日本テレビのドラマ「失楽園」主演でセクシー女優としても注目を浴びる。ここ数年はミュージカルの舞台で成功を収め、「フットルース」や「クリスマス・キャロル」で好演していた。(スポニチ)


同性カップル宣誓書 発行へ…世田谷区
 世田谷区は、区内在住の同性カップルをパートナーとして認定する取り組みについて、11月5日から始めることを決めた。24日に開かれた区議会区民生活常任委員会で報告した。
 区によると、希望者は事前に区に連絡して申請したい日時を決め、区役所を訪問する。プライバシーに配慮し、手続きは別室で行えるようにするという。
 対象は、20歳以上で区内在住の同性カップル。所定の宣誓書に署名して提出すれば、区が公式文書として10年間保管し、カップルには宣誓書の写しと受領証を手渡す。
 同性カップルをパートナーとして認める条例を4月に施行した渋谷区でも、11月をめどに証明書の発行を始める方針。


電気で生きる微生物を初めて特定 −微生物が持つ微小電力の利用戦略−
要旨
理化学研究所環境資源科学研究センター生体機能触媒研究チームの中村龍平チームリーダー、石居拓己研修生(研究当時)、東京大学大学院工学系研究科の橋本和仁教授らの共同研究チームは、電気エネルギーを直接利用して生きる微生物を初めて特定し、その代謝反応の検出に成功しました。
一部の生物は、生命の維持に必要な栄養分を自ら合成します。栄養分を作るにはエネルギーが必要です。例えば植物は、太陽光をエネルギーとして二酸化炭素からデンプンを合成します。一方、太陽光が届かない環境においては、化学合成生物と呼ばれる水素や硫黄などの化学物質のエネルギーを利用する生物が存在します。二酸化炭素から栄養分を作り出す生物は、これまで光合成か化学合成のどちらか用いていると考えられてきました。
共同研究チームは、2010年に太陽光が届かない深海熱水環境に電気を非常によく通す岩石が豊富に存在することを見出しました。そして、電気を流す岩石が触媒となり、海底下から噴き出る熱水が岩石と接触することで電流が生じることを発見しました注1),注2)。これらを踏まえ、海底に生息する生物の一部は光と化学物質に代わる第3のエネルギーとして電気を利用して生きているのではないかという仮説を立て、本研究を実施しました。
共同研究チームは、鉄イオンをエネルギーとして利用する鉄酸化細菌の一種であるAcidithiobacillus ferrooxidans(A.ferrooxidans)[1]に着目し、鉄イオンは含まれず、電気のみがエネルギー源となる環境で細胞の培養を行いました。その結果、細胞の増殖を確認し、細胞が体外の電極から電子を引き抜くことでNADH[2]を作り出し、ルビスコタンパク質[3]を介して二酸化炭素から有機物を合成する能力を持つことを突き止めました。さらにA.ferrooxidansは、わずか0.3V程度の小さな電位差を1V以上にまで高める能力を持ち、非常に微弱な電気エネルギーの利用を可能にしていることが分かりました。
本研究は、電気が光と化学物質に続く、地球上の食物連鎖を支える第3のエネルギーであることを示しました。今後、深海底に広がる電気に依存した生命圏である電気生態系を調査する上で重要な知見になると期待できます。成果は、スイスのオンライン科学雑誌『Frontiers in Microbiology』(9月25日付け:日本時間9月25日)に掲載されます。
注1) R. Nakamura, T. Takashima, S. Kato, K. Takai, M. Yamamoto, K. Hashimoto, “Electrical Current Generation across a Black Smoker Chimney”, Angewandte Chemie-International Edition, 2010, 49, 7692-7694.
注2) 2013年9月25日プレスリリース 「Natural deep-sea batteries」
背景
地球上の生物は、光合成生物と化学合成生物によって作り出される有機物によって支えられています。光合成生物は太陽光をエネルギーとし、化学合成生物を水素や硫黄などの化学物質をエネルギーとして利用することで二酸化炭素から糖やアミノ酸を作り出します。これらの生物は、食物連鎖の出発点となり、人間を含めた地球上の生命活動を支えています。
一方、ごく最近になり、光合成と化学合成に代わる第3の有機物を合成する生物として、電気で生きる微生物(電気合成微生物)の存在が注目を集め始めています。特に、深海底や地中などの生物が利用できるエネルギーが極端に少ない環境においては、海底を流れる電流を利用する電気合成微生物が深海生命圏の一次生産者となる可能性があると、議論されています。
共同研究チームはこれまでに、深海底には電気をよく通す岩石が豊富に存在すること、そして、マグマに蓄えられた熱と化学エネルギーが岩石を介して電気エネルギーに変換されることを明らかにしました。しかし、この電流を利用して細胞増殖可能な微生物は特定されていません。また、微生物が電気エネルギーを利用する上で必要となる代謝経路も解明されていませんでした。
研究手法と成果
共同研究チームは、電気で生きる微生物の特定を目指し、鉄イオンをエネルギー源として利用する化学合成細菌の一種であるAcidithiobacillus ferrooxidans(A.ferrooxidans)に着目しました(図1)。A.ferrooxidansは、細胞の外膜にシトクロムと呼ばれる電子伝達系タンパク質(cyc2)を持っています。また、このcyc2を介した細胞内膜から細胞質へとつながる長距離の細胞内電子伝達系を持っています。
共同研究チームはまず、通常のA.ferrooxidansの培養で用いる2価の鉄イオンを培地とせず、固体の電極を電子源として用いた電気化学反応容器の中で細胞の培養を行いました。すると、細胞を電気化学反応容器に添加した直後に微弱な電流の生成が観測され、時間の経過と共にマイナスの電流が増大しました(図2)。ここで、滅菌光に相当する紫外光(254nm)を細胞に照射すると、電流は大幅に減少しました(図2)。このことから、観測された電流は細胞の代謝活動に由来することが明らかとなりました。
次に、観測された電流が二酸化炭素の還元反応に利用されるかを確認しました。A.ferrooxidansは、細胞質に存在するルビスコタンパク質を介して二酸化炭素から有機物を合成する代謝経路を持ちちます(図3)。その駆動には、aa3複合タンパク質[4]を介したプロトン(水素イオン)駆動力[5]の生成と、bc1複合タンパク質[6]を介したNADHの生成が必要になります。そこで共同研究チームは、aa3複合タンパク質とbc1複合タンパク質のそれぞれに対して特異的な阻害効果を持つ化合物を加え、電流生成の変化を追跡しました。aa3複合タンパク質の阻害剤としては一酸化炭素を用い、bc1複合タンパク質の阻害剤としてはアンチマイシンAを用いたところ、電流生成が抑制されました。aa3複合タンパク質は、鉄イオンを用いた培養時に特異的に発現する酵素です。したがって、A.ferrooxidansは鉄イオン培養時と類似の代謝経路を用いて電極から電子を獲得し、aa3複合タンパク質を介して作り出したプロトン駆動力を用いて、電子をbc1複合タンパク質からNDH1[7]にまで輸送することが明らかになりました(図3)。さらに、電流が流れる条件においてのみ、電極上に付着した細胞が増殖したことから、細胞の内部に輸送された電子が二酸化炭素の固定に利用されていることが分かりました。
電気を用いて二酸化炭素から有機物を合成する際、A.ferrooxidansは0.3V程度の非常に小さな電位差を利用します(図3)。しかし、通常0.3Vの電位差では、二酸化炭素から有機物を作り出すことはできません。これは、A.ferrooxidansが外膜から内膜にかけて広がる分岐型の電子輸送経路を「昇圧回路」として用いていることを示しています。実際に本研究では、A.ferrooxidansは0.3Vの電位差を1.14Vまで高めていました。また、電極の表面で細胞が増殖したことからも、A.ferrooxidansが微弱な電位差を利用しながら生きる電気合成生物であることが明らかとなりました。
今後の期待
本研究により、鉄酸化細菌の一種であるA.ferrooxidansは、鉄イオンの他に電気をエネルギー源として利用し、増殖できることが明らかになりました。この結果は、電気が光と化学物質に続く地球上の食物連鎖を支える第3のエネルギーであることを示すと同時に、二酸化炭素の固定反応に関わる微生物代謝の多様性を示すものです。深海底に広がる電気に依存した生命圏である電気生態系を今後調査する上で、重要な知見になると期待できます。また、極めて微小な電力で生きる電気合成微生物の存在は、微小電力の利用という観点からも新たな知見を提供するものです。
原論文情報
Takumi Ishii, Satoshi Kawaichi, Hirotaka Nakagawa, Kazuhito Hashimoto and Ryuhei Nakamura, "From Chemolithoautotrophs to Electrolithoautotrophs: CO2 Fixation by Fe(II)-Oxidizing Bacteria Coupled with Direct Uptake of Electrons from Solid Electron Sources", Frontiers in Microbiology, 10.3389/fmicb.2015.00994


電気で生きる生物、初めて確認…理研と東大
 理化学研究所と東京大の研究チームは25日、電気をエネルギー源として直接利用し栄養分を合成する微生物を確認したとスイスの科学誌で発表した。
 太陽光を使う植物の「光合成」、メタンなど化学物質を利用する細菌の「化学合成」に加え、生物の第3のエネルギー利用法が見つかったことになり、理研の中村龍平チームリーダー(物理化学)は「光が届かず、利用できる化学物質もない場所で、新たな生物圏が存在する可能性を示すものだ」と話している。
 深海の熱水噴出孔には独特の生態系があり、これまで化学合成細菌が見つかっている。さらに、周辺の岩石には、熱水と触れることで電流が生じているため、研究チームは、噴出孔周辺にすむ「鉄酸化細菌」の一種に着目。ガラス電極の上に置いて0・3ボルトの電圧をかけ、二酸化炭素や水、アンモニアなどを加えて観察したところ、8日間で菌の数が2割増え、栄養となる糖分が作られた。この細菌は化学合成も可能ながら、体内で電圧を1ボルト以上に高めて微弱な電気エネルギーを活用する仕組みを持ち、研究チームは「電気合成」をしていると結論した。


防衛省、軍事可能研究9件採択 東工大、理研など
 軍事技術に応用できる基礎研究に防衛省が研究費を支給する初の公募で、東京工業大など四大学と理化学研究所、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、パナソニックなどの計九件が採択されたことが、防衛省への取材で分かった。同省は二十五日に結果を公表する。
 応募総数は百九件で、うち大学などが五十八件と過半数を占めた。小型無人機に活用できる技術や、実績のある研究機関が採択されるケースが目立った。
 共同通信が今月実施したアンケートでは、東工大など少なくとも十六大学が「応募した」と回答していた。
 国内の大学は過去の戦争協力への反省から軍事研究に消極的だったが、研究予算不足を背景に防衛省研究への関心が高まっている。一方で科学者からは「深く関与すれば学問の自由が脅かされる」と懸念する声も出ている。
 小型無人機関連で防衛省は、東京電機大が提案した、レーダーを搭載した二機の無人飛行機を協調制御することで、移動する目標を検出する機能を高める研究を採択。
 海中で離れた対象に電力を送る研究(パナソニック)や、海中で光通信を確立するための研究(海洋研究開発機構)も選ばれた。水中無人機の開発に役立つとみられる。
 このほか、野外でエネルギーを確保するための「超小型バイオマスガス化発電システム」(東京工業大)や防護マスクへの活用が想定される「化学吸着が可能なナノファイバー」(豊橋技術科学大)などが採用された。
 応募が九件と最多だった「電波・光波の反射低減および制御」というテーマでは、理化学研究所を採択。表面で光を完全に吸収する特殊な構造をもった素材の実現を目指し、「見えない航空機」などの開発につながる可能性がある。
 防衛省は七〜八月に二十八項目の研究課題について研究者を公募。予算総額は三億円で、採択されると最大で年三千万円の研究費が支給される。

韓流バイキング/リベンジのタイ料理/キーボードがダメ

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Le Japon gagné par la fièvre de l'ovale en dépit de la leçon écossaise
Les supporteurs nippons étaient abattus mercredi par la lourde défaite des Cherry Blossoms devant l'Ecosse (45-10) quatre jours après leur incroyable victoire face à l'Afrique du Sud au Mondial, mais la fièvre de l'ovale a bel et bien gagné le Japon, les médias donnant même plus de place au rugby qu'au baseball ou au sumo.
Même si les Ecossais ont lessivé, sans faire de sentiment, les Cherry Blossoms à Gloucester, l'archipel, qui accueillera la Coupe du monde en 2019, s'est mis à vibrer au rythme du rugby: des milliers de fans se pressaient mercredi devant les écrans de télévision à travers le pays avec le fol espoir d'un nouvel exploit contre le XV du Chardon.
"Personne ne pensait que le Japon allait gagner contre l'Afrique du Sud et j'en ai pleuré", a déclaré Saori Kawase, 44 ans, dans une salle de Tokyo où 400 personnes étaient rassemblées tard mercredi soir pour pousser leur équipe vers un deuxième succès.
La victoire de samedi, 34-32, contre les champions du monde de 1995 et 2007 est considérée comme la plus grande surprise de l'histoire du Mondial de rugby.
"C'est tellement dommage, admettait Saori Kawase après la défaite. Je pensais vraiment qu'ils pouvaient gagner une deuxième fois. Le Japon devra bien jouer pour ses deux prochains matches contre les Samoa et les Etats-Unis."
Akiko Kikuchi déplorait, réaliste, le manque de discipline du XV japonais: "Notre équipe a commis trop d'erreurs. Je croyais vraiment qu'on pourrait revenir en seconde période."
"Le samurai intérieur"
D'autres supporteurs se voulaient plus positifs, refusant de baisser les bras, à l'image de Taka Inamoto, un chef spécialisé dans les sushis, qui est convaincu que le sélectionneur Eddie Jones saura remotiver ses troupes pour les prochaines rencontres.
"Eddie saura révéler leur samurai intérieur, a assuré Inamoto. Ils sont fatigués mais ils ont encore leurs chances. Il faut y croire!"
"Le Japon a encore 100% de chance de se qualifier pour les quarts, a estimé de son côté Yuichi Akashi. C'est dommage, mais l'Ecosse a vraiment bien joué. Après tout, c'est quand même une des meilleures équipes du monde."
Les journaux japonais, dont les pages sportives sont d'habitude dominées par les exploits des joueurs nippons en Ligue majeure de baseball, battaient mercredi l'appel pour le rugby, peu suivi en temps normal par les Japonais.
Les journaux télévisés du soir accordaient même plus d'importance au grand match qu'au tournoi de sumo en cours ou au baseball.
"Nous pouvons battre les Samoa et les Etats-Unis, c'est sûr", a clamé Kaori Iwahashi, un fleuriste de 34 ans.
"On y croit. Il faut y croire", a-t-il conclu.
Le Japon affrontera les Samoa le 3 octobre à Milton Keynes avant de terminer les matches du groupe B face aux Etats-Unis, le 11 octobre à Gloucester.
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なんとなく二日酔い??ですが,それなりに仕事頑張らなければなりません.
お昼は前から気になっていた商店街の韓流バイキングに行ってみました.お店の人がいません.隣のお店できてみて大丈夫だったので,とりあえずトレイにいろいろとります.やはりキムチっぽいですが,おいしいです.ちょっとおかわりをしてしまいました.3ヶ月後つまり12月にもう一度行きます.でも食べ過ぎかな?
夕方栗に行った後,タイ料理のお店に行きました.1軒目は閉まっていたので別のお店.三宮で見つけられなかったのである意味リベンジです.
パソコン修理で連絡がありました.基板洗浄で電源が入るようになったけれど,キーボードがダメになっているので部品取り寄せに時間がかかるとのこと.仕方ありません.

大震災4年半:大川小など津波遺族が有識者会議で発言へ
 宮城県石巻市で東日本大震災の津波により児童74人が死亡、行方不明になった市立大川小学校と、園児5人が犠牲になった私立日和幼稚園の遺族が25日、学校側の事故対応を調査する文部科学省有識者会議のヒアリングに臨む。会議メンバーによる震災遺族への聞き取りは初めて。遺族は「悲劇を繰り返さないため、学校組織の見直しにつなげてほしい」と訴えている。
 「犠牲になった子どもは先生の言うことを聞くしかなかった。誰が子どもの命を守る責任を負うのかはっきりさせたい」。ヒアリングに向けた今月10日の打ち合わせで、次女千聖(ちさと)さん(当時11歳)を大川小で亡くした紫桃(しとう)隆洋さん(51)が強調すると、幼稚園の送迎バスが流され次女春音(はるね)ちゃん(同6歳)を亡くした西城靖之(やすし)さん(47)がうなずく。
 大川小の遺族の一部は市や県に損害賠償を求めて昨年3月に提訴。日和幼稚園の遺族は1審で勝訴し、昨年12月に控訴審で和解した。ただ、「なぜ子どもたちの命を守れなかったのか」という疑問は消えていない。
 市教委の第三者委員会が、避難誘導のあり方が問題になった大川小についてまとめた最終報告書も事故責任に踏み込まず、次女みずほさん(同12歳)を亡くした佐藤敏郎さん(52)は、原因究明があいまいと感じている。ヒアリングを前に「国は事故の教訓を受け止め、教育組織の抜本的な見直しに本気で取り組んでほしい」と話し、日和幼稚園で長女愛梨ちゃん(同6歳)を亡くした佐藤美香さん(40)は「『命を預かっている』意識を持ち、早く親に返そう、手放そうとするのではなく、自分の子どもと思って行動してほしい」と訴えるつもりだ。
 有識者会議は、学校での被災やクラブ活動中の事故などで、検証や説明が不十分なケースが相次いだため、昨年4月に設置された。25日は大川小、日和幼稚園の遺族が75分ずつ、当時の状況や学校側の対応の問題点などを説明し質疑応答する。会議はヒアリング結果も踏まえ、年度内にも校内で起きた事故の対応指針をまとめる。【百武信幸】


復活のみこし被災地に 熊本の神社寄贈
 東日本大震災で被災してみこしを失った宮城県山元町の青巣稲荷(いなり)神社に、熊本県の神社からみこしが届いた。老朽化して使わなくなった1台を被災地支援として寄贈。約1600キロ離れた地からの復興への願いがこもったみこしに、震災で散り散りになった氏子らは感謝している。11月1日の秋祭りで、5年ぶりに担いで地域を巡行する。
 みこしは高さ1.6メートル、幅と奥行きが各1.4メートルで重さは約300キロ。熊本県西部の天草諸島に位置する苓北(れいほく)町の富岡神社で明治中期から使われ、新調した2002年以降は社殿に保管していた。
 同神社の梅本健三宮司(67)や氏子らがマイクロバスに積み、フェリーと陸路で3日間かけて16日、山元町に届けた。青巣稲荷神社で氏子らに披露され、氏子総代長の渡辺庚午郎さん(85)は「以前のみこしと似た大きさで立派だ。秋祭りは盛大にやりたい」と感謝した。
 沿岸部の花釜地区にある青巣稲荷神社は津波で全壊、みこしも流された。昨年11月に禰宜(ねぎ)に就いた災害ボランティアの藤本和敏さん(46)=名取市=が代わりのみこしを探したところ、ボランティア仲間を通じ、富岡神社が休眠中のみこしの寄贈を快諾。地元住民らが修繕を施した。
 梅本宮司は「被災地のために役立ててほしかった。みこしが再び地域を練り歩くことで、住民の絆や復興の意欲が強まればうれしい」と思いを語る。譲り受けたみこしは氏子の自宅で保管し、秋祭りに備える。
 花釜地区は大きな津波被害が出て、約1000人いた氏子は町内外に散り散りになった。藤本さんは「みこしがあることで、震災前のように、にぎやかな秋祭りを執り行えると思う。遠くから応援してくれてありがたい」と感謝した。


大川小遺族ら「全国の子の命守って」
 東日本大震災の津波でわが子を失った宮城県石巻市の遺族が25日、文部科学省の学校事故対応に関する有識者会議のヒアリングに臨む。今も犠牲になった真相はうやむやで、遺族は不信感を募らせる。「形だけの聞き取りで終わらせるのではなく、本気で実態を把握し、全国の子どもの命を守ってほしい」と望む。
 ヒアリングの対象は児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小の児童遺族、同市の私立日和幼稚園(休園中)の園児遺族。当時の状況、学校側や幼稚園側の対応、課題や教訓などを聞き取る見通しだ。
 ヒアリング参加者を含む双方の遺族計約10人は10日夜、石巻市内で意見を交わした。そのさなか、テレビに関東・東北豪雨の映像が流れた。
 大川小5年生だった次女千聖(ちさと)さん=当時(11)=を亡くした紫桃隆洋さん(51)が声を上げた。「テレビでは命を守る行動を呼び掛けていた。大川小は守れなかった」
 大川小では地震発生から約50分間、児童や教職員が校庭にとどまった。遺族は真相究明を求め続けたが、学校の説明や市教委の調査、第三者の事故検証委員会では明らかにされず、かえって「学校管理下で子どもが命を落としたことを重く考えているのか」と疑念を深めた。
 6年生だった三男雄樹君=当時(12)=を亡くした佐藤和隆さん(48)は「責任の所在があいまい。遺族が調査を要請した場合、独立して真相を調べられる組織がほしい」と提案する。
 日和幼稚園では地震後、園児12人を乗せたバスが高台にある園を出発、海岸方面へ向かった。津波にのまれ、当時4〜6歳の園児5人が亡くなった。
 「園側は子どもの命を守れなかった事実と向き合ってほしい。大事なのは教育現場の意識を変えること」。次女春音ちゃん=当時(6)=を失った西城靖之さん(47)が主張する。
 西城さんら園児4人の遺族は真実を明らかにし再発防止につなげたいと、提訴した。だが、園側は法廷で肝心な点を「覚えていない」「記憶がない」などと証言。遺族は二審で和解という苦渋の決断をした。
 遺族は市や県の支援がなかった点でも苦しんだ。行政の担当者から「話は聞くが何もできない」などと言われたという。長女愛梨ちゃん=当時(6)=を亡くした佐藤美香さん(40)は「事故後すぐに行政がきちんと対応してくれれば、真実を知り得た」と訴える。
[文部科学省の学校事故対応に関する有識者会議]石巻市大川小の事故などを受けて、学校管理下で発生した事故や事件の学校側の対応強化に向け、調査研究を目的に2014年4月に設置された。15年度は学校安全論の専門家や事後対応の研究者、元教育長ら委員12人で構成する。


商売やる場所ない 仮設施設の期限迫る
 中小企業基盤整備機構(東京)の事業で建設され、東日本大震災で被災した事業所や商店が入居する仮設施設は、貸与期限まで早いところで約1年に迫った。施設所有者の市町村は解体・撤去や払い下げを進める方向だが、事業継続の場所が決まらない事業者からは期限延長を望む声が上がっている。(高橋鉄男)
<街は復興途上>
 「1年後が心配」。宮城県気仙沼市の仮設商店街「南町紫市場」で、創業80余年の「やきとり○安(まるやす)」を営む岩槻邦雄さん(72)は表情を曇らせる。
 店舗の使用期限は2016年10月末。年齢を考えてのれんを畳もうかと思ったが、最近、長女の裕子さん(39)が「店を継ぐ」と手伝い始めた。「うれしいことだが、復興途上の街には空きテナントなど商売をやる場所がない」と市に支援策を求めている。
 被災市町村の多くは仮設施設の貸与期限を「完成から5年」と定めている。気仙沼市(施設64カ所)や宮城県南三陸町(21カ所)で最も早く退去が始まるのは16年9月、陸前高田市(135カ所)は同年秋。岩手県大船渡市(68カ所)は全施設一律で17年3月が期限だ。
 現地の不安は募る。気仙沼市の水産加工業者は「本格再建の体力はないが、できるだけ商売を続けたい」と訴える。
<工事遅れ不安>
 本格再建を望む事業者は、かさ上げ工事の遅れなどを懸念する。施設の貸与期限から再建用地ができるまで空白期間が生じかねない。
 岩手県陸前高田市は「やむを得ない理由で仮設施設で続けたい人は支える必要がある」(商工観光課)と、一定の期間内の期限延長を考えている。一方、大船渡市の担当者は「17年3月の期限が来たら撤去か払い下げになる」と言い切る。
 自治体にとっては施設の解体費用も心配の種。中小機構は、解体費用に対する助成制度を現行の「完成から5年以内」から延長する方向だが、どの程度の期限や事情まで助成が認められるかは白紙の状態だ。
 期間延長や払い下げには地権者の了解が必要なため、陸前高田市は今夏、入居者と地権者を対象に意向調査を実施した。気仙沼市も「基本は自立だが、自前で施設を用意できない人は出てくる」(商工課)と、近く意向を調べて対応を決める方針だ。
[中小企業基盤整備機構の仮設施設]東日本大震災の被災者向けに無償で建設するプレハブ施設。自治体が所有し、無償で入居者に貸す例が多い。建設6年目以降は民間に払い下げることができる。東北の施設数は青森県27カ所、岩手県363カ所、宮城県149カ所、福島県99カ所。


被災地復興支援 サンマ振る舞う
 山形県内の宮城県気仙沼市出身者らでつくる「やまがた気仙沼会」は23日、東日本大震災からの復興を支援するため、山形市の霞城公園で「第4回気仙沼さんま祭りin山形」を開き、サンマ2015匹を来場者に無料で振る舞った。
 気仙沼港に水揚げされたサンマを炭火で焼いて提供した。焼き網の周辺には、脂が炭に落ちて煙が立ち上り食欲を誘った。参加者は大根おろしを添え、カボスを絞って味わった。
 午前11時の開始3時間前には、整理券を求める列ができた。孫を含め一家6人で並んだ山形市の主婦奥山和子さん(69)は「やっぱり炭火焼きは違う。脂が乗っていておいしい」と焼きたてを口に運んでいた。
 会場では語り部2人が大震災発生時と、復興状況を説明した。募った寄付金は気仙沼市に贈る。
 気仙沼会の武田満会長は「多くの協力をいただき感謝している。これからも復興への願いを込めて応援していきたい」と話した。


欧州へ渡る難民 ドイツが学んだ寛容
 欧州に中東などからの難民が殺到している。受け入れの負担は大きいが、人道的配慮を最優先に、人材を生かした統合社会を築きたい。
 ミュンヘンなどドイツ各地の駅に続々到着した家族連れの難民らは、拍手や「ようこそ」などと記したプラカードを手にした市民に歓迎された。
 過激派組織「イスラム国」(IS)の台頭などで治安が悪化したシリアなど中東や、アフリカの国々から逃れてきた人たちだ。国際移住機関によると、今年、四十七万人超が欧州に渡ったという。
◆メルケル首相の決断
 欧州連合(EU)の規則では難民申請希望者は最初に入国した国で手続きを行うことになっているが、豊かなドイツなどを目指して北上、途上での事故や非人道的な扱いも問題になっている。
 「放置できない」との世論がわき起こったのは、欧州に渡航途中に難破し、トルコの海岸に漂着したシリア人男児(3つ)の写真が報じられてからだ。
 ドイツのメルケル首相が政治を動かした。ハンガリーに足止めされていた難民らの受け入れを表明し、十五万人分の収容施設確保や自治体支援など難民対策費として六十億ユーロ(約八千億円)を支出する考えを明らかにした。人道を最優先した決断を評価したい。
 ドイツでの難民申請者は年内に百万人に上るともみられる。各自治体は簡易宿泊所整備などに追われるが、限界を訴える悲鳴も上がる。福祉へのしわ寄せを懸念する声も相次ぐ。反感も根強く、難民施設への襲撃や放火は今年、三百三十件余りに上る。
 ベルリンの地元紙記者は、子どもが幼い子を背負い「海を渡る」と言って“難民ごっこ”をしていた例を挙げ、難民らの痛みが社会に理解されていないと指摘した。
◆人材生かし統合社会を
 独誌シュピーゲルは、子どもまつりの参加者らが笑顔を見せる写真の「明るいドイツ」と、放火で炎上する難民施設の写真の「暗黒のドイツ」−の二種類の表紙を掲げ、選択を迫った。市民が難民らを歓迎したのは、新しい統合社会づくりを目指す「明るいドイツ」を選択した証しととらえたい。
 同誌はまた、これまで難民や移民らを単なる労働力としてとらえていたことが社会の分裂を生んだとも指摘し、シリア人女学生ブナナ・ダルビッシュさん(25)を難民との統合社会の理想像に挙げる。
 父はイスラム教を教える教師、母は英語通訳。内戦を逃れ昨年、ドイツに移住。向上心豊かで建築学を学ぶため奨学金を獲得して十月に大学に入学する。欧州に渡ったシリア難民は、教育水準が高い若者も多い。ドイツの難民受け入れには、少子化、高齢化に備え人材を確保したいとの狙いもある。
 ドイツの政治は理念を重視し、ナチスによるユダヤ人迫害への反省から基本法(憲法)で難民の亡命請求権を認め、人道的寛容を国是としてきた。
 メルケル首相は三月、来日時の講演で、第二次大戦後に、東欧の領土となった東方から追われた千二百万人以上に上る避難者を受け入れたことや、高度経済成長期の労働力となったトルコ人系移民約三百万人の存在を挙げ、ドイツには多くの経験と蓄積があることを強調した。
 最近は、母国の料理を紹介する料理教室の講師に招いたり、サッカーチームに参加させたりするなど、市民ボランティアによる難民定住支援も活発になっている。
 戦後根付いた寛容と人道支援の蓄積を生かして摩擦を乗り越え、新たな統合社会を築いてほしい。
 難民らはメルケル首相の写真を手に感謝の気持ちを述べた。得られる国際的信頼は絶大なはずだ。
 EUは域内に十六万人の難民を受け入れる方針で、ドイツ以外の各国にも分担を求めているが、中東欧諸国は難色を示す。独政府は移動の自由を保障したシェンゲン協定を見直し、隣国国境での検問を一時的に復活させた。難民と認定されずに送還される人も多いとみられ、混乱も予想される。難民危機は欧州の結束や理念をも揺るがしている。人道は欧州全体が重視する価値観でもある。EUはこれまで粘り強い協議を重ねながら難局を乗り切ってきた。知恵を出し合い解決策を探ってほしい。
◆対岸の火事ではない
 人権など人道的価値観はわれわれも共有しているが、難民受け入れには消極的だ。今回の問題を対岸の火事と見なさず、受け入れへの協力をもっと進めることができないか考えたい。日本はヨルダンやトルコの難民キャンプに対し、上水道などインフラ整備への援助を続けている。これら民生支援を充実させたい。軍事以外にもできる貢献は多いはずだ。


川島なお美さんが死去 女優、ドラマ「失楽園」
 ドラマ「失楽園」で知られる女優の川島なお美(かわしま・なおみ)さんが24日午後7時55分、胆管がんのため東京都内の病院で死去した。54歳。名古屋市出身。葬儀・告別式、喪主は未定。
 青山学院大在学中の1979年に歌手デビュー。女子大生タレントの先駆けとして人気を集め、ラジオのDJなどで活躍した。
 テレビのバラエティー番組「お笑いマンガ道場」に出演したほか、97年には渡辺淳一さん原作のドラマ「失楽園」で不倫関係に陥るヒロインを体当たりで演じて話題となった。他の出演作に映画「鍵」、ミュージカル「フットルース」など。

電源はいらないノートパソコン修理へ/ネットカフェ満席

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Ecosse - Japon : les Japonais veulent refaire le coup
Que se passera-t-il si le Japon accroche l'Ecosse à son tableau de chasse, quatre jours après avoir fait tomber l'Afrique du Sud ? Nul ne peut l'imaginer.
Car, au pays, c'est une véritable frénésie qui s'est emparée de la population. En Angleterre, la sélection entraînée par Eddie Jones monopolise l'attention depuis samedi soir. Les héros sont partout, à la une des journaux et sur toutes les télés. Lundi, au moment de retourner au Brighton College, leur lieu d'entraînement, les joueurs ont été accueillis par une haie d'honneur de 1 200 élèves.
Et, quelques heures plus tard, quand ils ont cette fois quitté leur modeste hôtel situé près des fameuses jetées de la cité balnéaire anglaise, tout le personnel de l'établissement applaudissait les 31 joueurs et les membres du staff quand ils sont montés dans leur car.
Un triomphe immortalisé par des dizaines de caméras et d'appareils photo. En vieux sage, leur coach australien, Eddie Jones, prend du recul par rapport à cette effervescence. Petit sourire en coin et yeux rieurs, il s'est installé dans la salle de conférence qui pourrait bientôt devenir trop petite. ≪ La semaine dernière, avant le premier match, il y avait une soixantaine de journalistes japonais et une poignée d'Occidentaux, note un observateur. Maintenant, il y en a autant ! ≫ L'opération séduction est en marche. Dehors, sur le parvis de l'hôtel battu par la pluie et le vent, les badauds attendent les héros. Mike, une écharpe des Cherry Blossoms autour du cou — offerte par sa belle-fille japonaise — prend des photos. ≪ J'étais dans le stade samedi. Franchement, c'est l'un des plus beaux moments de sport que j'aie vus. ≫ Même les officiels sont sous le charme. ≪ Ce sont des gens adorables, polis, gentils ≫, glisse la personne chargée de les escorter jusqu'à leur nouveau camp de base de Cheltenham.
≪Si nous collons dans au score dans les 30 premières minutes, nous gagnerons≫
Aujourd'hui débute la seconde étape du plan édifié par le stratège Jones. Après avoir annoncé au printemps que ses hommes viendraient à bout des Boks, le sélectionneur veut aussi épingler l'Ecosse (CANAL + SPORT, 15 H 30). ≪ Si nous collons au score dans les trente premières minutes, nous gagnerons. Notre but, c'est les quarts de finale. Il s'agit du match le plus important de la compétition ≫, a martelé le coach qui a procédé à six changements dans son XV de départ.
L'Australien, chouchou des médias nippons, a pris la main en matière de communication, et depuis il mène la danse. Lundi, il n'a pas manqué d'adresser un petit tacle à son homologue Vern Cotter qui avait annoncé que le Japon laisserait filer la rencontre contre les Sud-Africains pour aligner sa meilleure équipe contre l'Ecosse. ≪ Nous n'allons pas à la Coupe du monde pour choisir tel match ou tel autre. On n'a pas ce luxe. En voilà, une drôle de manière de penser ! ≫ L'ancien entraîneur de Clermont appréciera la leçon donnée à distance.
Tout un pays espère que les augures du gourou Jones se vérifieront. Le capitaine Michael Leitch, assis à côté de son entraîneur, enfonce le clou. ≪ La consistance est la chose la plus difficile à obtenir en rugby. Tant qu'on travaillera dur, qui sait ce qu'il peut arriver. Nous ne voulons pas être l'équipe d'un seul match. ≫
フランス語
フランス語の勉強?

昨日ノートパソコンが故障してしまいました.電源が入りません.麦茶をこぼしてしまったのがいけなかったようです.仕方ないのでネットで検索して修理をお願いすることにしました.
ネットカフェに行ったらなんと満席で入店できませんでした.いいことないなぁ・・・

タイムスクープハンター セレクション「女相撲じんせい土俵際」
「タイムスクープハンター」のアンコール放送。時空ジャーナリストの沢嶋雄一(要潤)は明治から大正時代に流行した女相撲を取材する。興行として各地を巡業していた。
今回の取材対象は「女相撲」。文献の中で初めて「相撲」の文字が現れるのは、日本書紀。伝統の相撲の歴史には、女性力士が相撲を取る女相撲があった。明治から大正時代に人気を博したのは各地を巡業していく興行としての女相撲である。1921(大正10)年、女相撲を率いる増岡辰枝はリーダーであり、若桔梗として土俵に上がる女大関である。だが、力士は5人しかおらず、団体解散の危機が迫っていた。

要潤,杏
ぼくらが描いた町の未来 〜震災を越えたタイムカプセル〜
巨大な防潮堤に囲まれ、防災の町として知られてきた岩手県宮古市の田老地区。東日本大震災では市街地が壊滅的な被害を受けた。この田老で、10年前に埋められたタイムカプセルがこの夏、掘り出されることになった。中に収められているのは当時の 小中学生413人が書いた絵や作文。テーマは「未来の田老への希望」だ。8月15日、カプセルを掘り出すため、県内外から集まった仲間たち。震災で歩むべき道を見失った若者の中には、10年前に自分が残したメッセージを“道しるべ”にしたいという人も。ふるさとで生きる覚悟が欲しい23歳。就職先を決めかねている19歳…ひとつのタイムカプセルを巡る、若者たちの物語。
アニメセレクション「ゲゲゲの鬼太郎」 第1話「妖怪の棲む街」
第1話「妖怪の棲む街」子供たちが沼の塚を壊したことで、妖怪・水虎が目覚めた。それを知った鬼太郎は、水虎の再封印に乗り出す!
みなさんの回りで不思議で奇妙なことが起きたら、それは妖怪の仕業に違いありません。たいていの場合妖怪がやるのは人を脅かしたり、人にいたずらしたりする程度です。でも気をつけてください。妖怪は僕たちのように人間に理解がある奴らとは限りませんから。人を狙い、襲う妖怪たちも多いんです。そんなやつらにあったら大変。人間の力なんかではとてもたちうちできるものじゃありません。
人間の味方をして妖怪が絡む事件を解決できたり、悪い妖怪をやっつけることができるのは僕、ゲゲゲの鬼太郎とその仲間たちだけなんです。だから怖いことがおきてしまったら、僕の名前をよんでください!僕の父さん、ネコ娘、砂かけばばあに子泣きじじいたちとともにみんなを怖い妖怪たちから守りつづけます。今度はあなたのところに、僕、ゲゲゲの鬼太郎たちが現れます!
鬼太郎:高山みなみ  目玉おやじ:田の中勇  ネコ娘:今野宏美  ねずみ男:高木渉  砂かけばばあ:山本圭子  子泣きじじい/ぬりかべ:龍田直樹  一反もめん:八奈見乗児
水木しげる


<芸術の秋>復興へ癒やしの演奏 NPO主催
 東日本大震災で被災した宮城県亘理町長瀞小(児童198人)で11日、ソリスト2人と仙台フィルハーモニー管弦楽団による復興支援コンサートがあり、震災から4年半の節目の演奏に聴き入った。
 世界的に活躍するテノール上原正敏さん、ソプラノ鵜木絵里さんと仙台フィルの弦楽四重奏者らが出演。2人は「乾杯の歌」「きらきら星」などを豊かな表現力で歌い上げた。仙台フィルは伴奏のほか、シューベルト「鱒(ます)」などで息の合った調べを奏でた。
 児童のほか、吉田中生徒や地域住民ら計約300人が来場。主婦小野シゲコさん(78)は「震災直後はここで音楽が楽しめるとは思わなかった」と喜んだ。
 コンサートは演奏家を支援するNPO法人クウォーター・グッド・オフィス(東京)が主催した。


[翁長知事国連演説]差別的処遇 強烈に批判
 翁長雄志知事は21日、スイスで開かれた国連人権理事会に出席し、名護市辺野古の新基地建設反対を訴えた。
 英語で2分程度、日本語にすると430字余りの短い演説だったが、これまでの主張が濃縮された内容だった。
 国連の場で沖縄県知事が基地問題を訴えるのは初めてのことである。苦難の道を歩んできた沖縄の人々の痛切な思いを代弁した歴史的なスピーチであり、高く評価したい。
 沖縄は1945年、敗戦によって米軍に占領され、施政権が返還されるまでの27年間、日本国憲法の適用を受けない「無主権・無権利」状態に置かれた。基地のほとんどは、その間に建設された。
 「基地の中に沖縄がある」と表現されるほど米軍基地が集中し、米軍機の墜落事故や米兵による事件が絶えなかった。復帰前の沖縄は、軍事政策がすべてにおいて優先された「軍事植民地」だった。
 沖縄の人たちは国連憲章や世界人権宣言、日本国憲法などを根拠に「自治・人権」を求める闘いを続けてきた。 
 しかし72年の復帰は施政権を返還する代わりに、基地の自由使用・長期継続使用を認めるものであった。
 翁長知事の演説で注目したいのは「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」との現状認識に立ち、「自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのでしょうか」と沖縄だけに過重な負担を強いる政府の安全保障政策を厳しく批判した点だ。
 知事は演説で「あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です」とあらためて強調した。退路を断ち、政治生命をかけて、問題に取り組む強い意志を示したのである。
    ■    ■
 辺野古新基地建設をめぐって浮上したのは、沖縄戦から続く沖縄への差別的処遇だ。
 かつて防衛事務次官を務めた久保卓也氏は「基地問題は安保に刺さったトゲである。都市に基地がある限り、安保・自衛隊問題について国民的合意を形成するのは不可能」と述べ、基地が沖縄に集中する理由を明らかにしたことがある(『マスコミ市民』95年11月号)。
 安倍晋三首相の外交・安保のブレーンだった元駐タイ大使の岡崎久彦氏は、沖縄の置かれた状況を船に例え「沖縄の人が怒っているのは自分たちの部屋がエンジンルームに近くて、うるさくて暑い。これは不公平だと言っているわけです。どうせ誰かがエンジンルームの側に住むわけだから、それに対する代償をもらえばいい」と話した(『ボイス』96年2月号)。
 沖縄に米軍基地を集中させる見返りに振興予算を投下する手法は「補償型政治」と呼ばれる。その補償型政治が今、限界にきている。
 昨年の名護市長選、知事選、衆院選で示されたのは新基地建設に反対する沖縄の民意であり、補償型政治への拒絶反応だ。
 県企画部が2012年に実施した県民意識調査で、米軍基地の沖縄集中に7割を超える県民が差別的と答えていた。本紙などが今年6月に実施した調査では辺野古移設への反対が66%に上った。 
 沖縄の民意は10年ごろを境に、この基調が続いている。
 翁長知事は圧倒的な民意を背景に、あらゆる手段を使って新基地建設を止めると公言する。もはや辺野古への基地建設は不可能だと見なければならない。
 それを押し切って日米両政府が新基地建設を強行するようなことがあれば、沖縄の地方自治はずたずたに破壊され、安保体制にも大きなダメージを与えるのは確実だ。
    ■    ■
 演説で翁長知事は少数意見をかき消す日本の民主主義に疑問を投げた。それはもう一方の当事者である米国に向けられた言葉でもある。
 日米地位協定は米軍に対し「公共の安全に妥当な考慮を払わなければならない」と義務付けている。
 米軍に基地の使用者責任があることを忘れてはならない。そのことを自覚した上で、現在の深刻な状況を打開するため日本政府に計画見直しを働き掛けるべきだ。


知事国連演説 政府は重く受け止めよ 国際社会へ訴え継続を
 沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている−。冒頭の言葉に全てが集約されている。沖縄の県知事が国連の場に出向いてでも訴えざるを得なかった現実を、政府は深刻に受け止めるべきだ。
 翁長雄志知事がスイスのジュネーブで開かれている国連人権理事会で演説した。沖縄に米軍基地が集中し、基地問題が県民生活に大きな影響を与える中、選挙で何度も示された民意に反して新基地建設が強行されようとしている実態を説明した。戦後70年たっても続く沖縄の不条理を知事自らが国連で訴えたのは画期的だ。
基地問題の原点
 翁長知事が演説で強調したのは「沖縄の米軍基地は第2次大戦後、米軍に強制接収されてできた。沖縄が自ら望んで土地を提供したものではない」という点だ。
 沖縄戦後、米軍は住民を収容所に集め、その間に基地を造った。1950年代には基地拡張のため「銃剣とブルドーザー」で強制的に住民の土地を取り上げた。占領下での民間地奪取を禁ずるハーグ陸戦条約に違反する非人道的な手法であり、沖縄の基地は人権や自己決定権が踏みにじられる中で形成された歴史的事実がある。
 ところが現在でも米軍普天間飛行場の移設計画で同じことが繰り返されようとしている。これに関し翁長知事は「自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国がどうして世界の国々と価値観を共有できるのか」と突き、新基地建設阻止に向けた決意を示した。
 国連人権理事会は、加盟国の人権状況を監視し改善を促すため、2006年6月に発足した国連総会の下部機関だ。年3回以上会合が開かれ、今回はシリアや北朝鮮の人権問題、欧州に流入する難民問題などが議論されている。
 各国政府や非政府組織(NGO)の報告が続く中、翁長知事の演説は約2分だったが、短い時間で基地問題の原点と現状を的確に伝えられたのではないか。
 聴衆からは「沖縄の悲惨さに驚きと同情を禁じ得ない」(在ジュネーブのエジプト人作家)、「沖縄県民とは痛みと不幸を分かち合うことができる」(日本の戦争責任を問うオランダの財団幹部)といった声が上がった。
 戦後70年の節目に、日米安保体制下で基地押し付けの構造的差別にあえいできた沖縄の知事が、国際世論にその不正義性と理不尽さを訴えた意義は非常に大きい。
必然性乏しい新基地
 翁長知事の演説に対し、日本政府は会場から反論した。発言したジュネーブ国際機関政府代表部の嘉治美佐子大使は「日本の国家安全保障は最優先の課題だ。辺野古移設計画は合法的に進められている」などと主張した。
 基地形成の歴史や自己決定権侵害に対する翁長知事の問いに、直接答えたものとは言えない。
 政府は「人権問題の場で辺野古移設はなかなか理解されない」(菅義偉官房長官)と知事をけん制したが、沖縄の基地問題は優れて人権問題であることは明白だ。「移設計画が合法的」というが、公約に反して埋め立てを承認した前知事が選挙で大敗した結果を無視し、計画を強行すること自体が民主主義に反する行為である。
 中国のミサイル射程内にある沖縄での海兵隊基地の新設には、米知日派の重鎮らでさえ疑問の声を上げる。だが新基地の必然性に対するこうした指摘を、政府はまともに取り合ってこなかった。
 だからこそ翁長知事は国連に行かざるを得なかったのだ。政府は知事の演説を今こそ正面から受け止めるべきだ。現行移設計画に固執するようなら国際世論からも厳しい批判が向けられよう。日本と歩調を合わせ「辺野古が唯一」と繰り返す米政府も同様だ。
 演説で知事は「世界中から関心を持って見てください」と呼び掛けた。歴史を刻んだ今回の成果を踏まえ、今後は日米両政府との粘り強い協議と並行し、国際世論への継続的な発信も求められよう。

Shさんはフレンチポップス/クリーニング/図書館/十三ぶらぶら

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20炎の祭典ガイドブック

La question d’Okinawa devant le Conseil des droits de l’homme de l’ONU
Par Philippe Pons (Tokyo, correspondant)
Dans un rapport présenté lundi 21 septembre devant le Conseil des droits de l’homme des Nations unies à Genève, M. Onaga a fait valoir la ≪ discrimination ≫ dont sont victimes les Okinawien depuis des décennies et le non-respect par Tokyo de leur droit à l’autodétermination. ≪ L’opposition à la construction d’une nouvelle base militaire à Okinawa doit être replacée dans une longue histoire de discrimination de notre archipel ≫, a-t-il expliqué dans un entretien avec le quotidien Frankfurter Allgemeine Zeitung et Le Monde à la veille de son départ pour Genève.
≪ Annexé par le Japon à la fin du XIXe siècle, Okinawa, qui était un royaume indépendant, fut traité comme une colonie. Pendant la guerre du Pacifique, la population qui parlait mal le japonais, fut soupçonnée d’espionnage. Après la défaite, elle fut internée dans des camps de concentration et nos terres nous furent prises de force par l’occupant pour construire des bases militaires. Avec le traité de San Francisco en 1952, le Japon recouvrit son indépendance mais en sacrifiant Okinawa qui resta sous la coupe des Américains. Pendant les guerres de Corée et du Vietnam, le Japon vécut en paix mais Okinawa était la base arrière des forces américaines. Puis l’archipel a été restitué au Japon en 1972 mais bien que représentant 0,6 % du territoire national, nous devons accepter la présence des trois quarts des bases américaines au Japon (45 000 hommes) Exiger de nous que l’on donne une nouvelle fois nos terres est inacceptable. ≫
Depuis la guerre, Okinawa a été le théatre d’émeutes contre les bases, d’accidents et de viols par des soldats américains, ≪ mais le gouvernement japonais détourne les yeux ≫, poursuit M. Onaga. ≪ Quand nous nous adressons aux Américains, on nous dit c’est une affaire intérieure japonaise et quand nous tournons vers Tokyo, on nous répond que ce sont les Américains qui décident… ≫
Opposition de la population
La détermination de M. Onaga à résister à Tokyo et à Washington est d’autant plus significative qu’il a fait toute sa carrière dans le parti gouvernemental, libéral-démocrate, avant d’être élu gouverneur en novembre 2014. Depuis, il tient tête au gouvernement de Shinzo Abe avec derrière lui la majorité de la population : selon les sondages, 70 % des Okinawiens sont opposés à la construction de la nouvelle base des marines qui permettra de fermer celle, dangereuse (car construite en pleine ville), de Funtenma.
≪ Nous ne remettons pas en cause le traité avec les Etats-Unis nécessaire à la sécurité du Japon, mais nous refusons d’être les seuls à porter le fardeau des bases. Comme les autres départements les refusent, c’est à Okinawa une nouvelle fois de se sacrifier. Le projet de la base à Henoko [dans l’ouest de l’île principale d’Okinawa] existe depuis 18 ans et jamais Tokyo n’a proposé une autre solution. Nous n’acceptons pas ce diktat. Je me tourne vers le Conseil des droits de l’homme, car j’estime que le Japon ne respecte pas les droits des citoyens d’Okinawa. Alors qu’il prétend former avec l’Inde un axe démocratique en Asie, le gouvernement Abe devrait commencer par respecter les droits de ses propres citoyens. ≫
Pour Shinzo Abe, qui vient de faire passer en force les lois sur la sécurité élargissant le rôle de l’armée japonaise afin de pouvoir combattre à l’étranger aux côtés des Américains, Okinawa devient un abcès de fixation de l’opposition à une politique sécuritaire contestée : ≪ En quoi une base construite contre la volonté de la population locale peut-elle contribuer à renforcer la sécurité d’un pays ? ≫ s’interrogeait récemment à la télévision un habitant d’Okinawa.
フランス語
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Shさんからメール.彼女はフレンチを聞いていたとのこと.バンジャマン・ビオレBenjamin Biolay,ジャン=ルイ・ミュラJean-Louis Mura,ミオセックMiossecそしてイギー・ポップIggy Popはアメリカ人だけどフランス語で歌った曲があるそう.残念ながらわたしはこれらの人の名前をはじめて聞いたというていたらくです.
昼過ぎにクリーニングを取りに行ってその後図書館から本を借りました.
夕方は意味もなく十三をぶらぶら.

<テレホン法話>28年続けて1000回
 宮城県山元町にある曹洞宗徳本寺の住職の早坂文明さん(64)が28年間続けてきたテレホン法話が10月1日、1000回の節目を迎える。月に3回、時事問題を交えて仏の教えを説く3分間の録音を更新し続け、町を東日本大震災が襲っても途切れることはなかった。早坂さんは「1話1話を積み重ねた成果」と大台の達成を喜ぶ。
 テレホン法話は先代住職の父を引き継ぐ形で1987年12月にスタート。毎月1、11、21日に内容を更新している。社会、経済、スポーツなどの話題を絡めて1000字程度の原稿にまとめ、留守番電話に吹き込む。題材は、新聞2紙やラジオのニュースなどから集める。
 早坂さんは「テレホン法話は住職としての視点を養う修行と捉えている。思いやりや慈悲の心の大切さを電話口の向こうの方に伝えたい」と思いを語る。
 これまでの通話は5万回に上る。「聴いてくれたことへの感謝を込めて」(早坂さん)、1回当たり3円の自費を出してカンボジアの子どもたちに絵本を贈る活動を続ける。
 長年の活動で、忘れられないのは震災の経験。高台にある寺院は無事だったが、住職を兼務する町内の徳泉寺が津波で流され、両寺の檀信徒200人以上が犠牲になった。
 「法話なんか何の役にも立たない」と一度は中断も考えたが、「被災地の現状を発信するのが役目」と思い直した。震災から6日後に電話の不通が解消され、2011年3月21日にいつも通り更新。町の被災状況を伝え、「少しずつ気持ちを立て直していきましょう」と呼び掛けた。
 震災後は、亡くなった檀信徒の葬儀などを数多く執り行いながら更新を継続。大切な人を失った悲しみにどう向き合うか、といった話に加え、復興の状況や被災地支援のイベントなども幅広く紹介している。
 節目となる法話では大台達成の報告と今後も更新を続ける決意を語る予定。「震災のことは長く伝え続けたい」と話す。
 テレホン法話は0223(38)1717。1000回達成を記念し、法話をまとめた本「千話一話 三・一一その先へ」(蕃山房)を10月1日に出版する。同25日には本堂で無料ライブも開く。


日本酒で乾杯を 「日本酒条例サミット」
条例を制定して日本酒での乾杯を奨励している各地の自治体から酒造会社が集まって、地元の酒をアピールする「日本酒条例サミット」が京都市で開かれました。
この催しは、日本酒で乾杯する条例を全国で初めて制定した京都市が開いているもので、同じような条例を定めている35の自治体から関係者が参加しました。
会場には京都市のほか、酒造りが盛んな奈良市や兵庫県姫路市、新潟県長岡市、東広島市などからおよそ100の酒造会社がブースを設置しました。入場料を支払えば日本酒を自由に飲めるとあって、訪れた人たちはブースを回って飲み比べを楽しんでいました。
京都市内の40代の男性は「すべてのブースを回りたいと思います。乾杯といえばビールですが、これからは日本酒でも乾杯しようと思います」と話していました。
会場では乾杯の条例を地域の活性化につなげている自治体の紹介も行われ、茨城県笠間市は「特産の焼き物のおちょこを乾杯に使うよう勧めている」と発表していました。


脱原発・脱化石 二兎を追う者であれ
 環境省は、山口、愛知、千葉での大型石炭火力発電所の建設に反対を表明した。高効率とはいえ、温室効果ガスの大量排出源になるからだ。だからといって原発を復権させる理由にしてはならない。
 六月から八月にかけて相次いだ石炭火力反対表明の背景には、温暖化対策をめぐる経済産業省などとの駆け引きがあるようだ。
 年末に控えたパリの気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)は、温室効果ガスの新たな削減ルールづくりのタイムリミットだ。それに向けて各国は、すでに表明した自主削減目標の上積みを求められている。
 日本は、二〇三〇年までに一三年比で26%という自主目標を掲げたが、欧州や米国より低く、世界の評価は高くない。ところがそれさえ、排出量の約四割を占める電力業界の積極的な貢献なしには、達成がおぼつかない。
 それを受け、電気事業連合会などは七月、業界全体の排出量を一三年度比三〇年度までに約35%減らすという目標を公にした。しかし、各社個別の目標はなく、強制力も持っていない。
 COP21を前に環境省が火力発電に厳しい姿勢を見せるのは、「自主目標の裏付けを」という、電力業界と監督官庁である経産省へのシグナルでもあるのだろう。
 環境NGOの気候ネットワークによると、国内では二十道府県で四十八基の石炭火力の建設が計画されているという。天然ガスなどに比べて安上がりなのである。
 来年から家庭用電力の小売りが自由化され、大手電力会社も価格競争の風にさらされる。
 石炭火力への規制が強まれば、発電時には二酸化炭素(CO2)を排出せず、事業者にとっては“安価”な原発の早期再稼働、あるいは新設や運転延長などを求める大手電力会社の声も高まるだろう。
 だが、たとえ温暖化対策といえども、原発復権の口実にしてはならない。温暖化同様原発も、人間とその社会への差し迫った危険をはらむと、チェルノブイリや福島の現実が教えている。
 石炭火力の効率向上は著しく、即全廃も現実的ではないが、やはり“つなぎ”と見るべきだ。世界は既に化石燃料と原発の時代から、風力や太陽光など再生可能エネルギーの時代に入っている。
 環境省と経産省は互いに知恵を出し合って、脱石炭と脱原発の二兎(にと)を追う、技術革新と社会変革の道筋を世界に示す時ではないか。

三宮図書館で神戸新聞/JICAでコスタリカランチ/都賀川/ワッフル/六甲山→三宮

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蒼樹うめ展

L'armée japonaise d'autodéfense peut intervenir en dehors du Japon
Le Sénat a approuvé samedi matin la réforme permettant aux forces armées autodéfense d'intervenir en dehors du Japon.
C'est une véritable révolution au Japon et surtout un changement fondamentale de doctrine militaire. La réforme, qui permet à l'armée nipponne de combattre en dehors de l'archipel pour la première fois depuis 1945, a été définitivement adoptée samedi. Le Premier ministre Shinzo Abe estime que ce changement, le plus important pour le Japon depuis la création de son armée en 1954, est vital pour répondre aux enjeux du XXIe siècle tels que la montée en puissance de la Chine. Le texte, qui avait déjà été approuvé par la Chambre des représentants, la chambre basse du Parlement, a été approuvé par le Sénat samedi matin malgré les efforts de l'opposition qui a cherché à bloquer le vote, notamment en déposant, sans succès, une motion de censure.
"C'est une législation nécessaire pour protéger la vie des gens et leur existence en paix et afin de prévenir la guerre, a expliqué Shinzo Abe à la presse. Nous voulons poursuivre notre diplomatie de paix tout en prenant toutes les mesures nécessaires" de préparation à un conflit".
Une partie des Japonais sont opposés à cette réforme. Toute la semaine, plusieurs milliers de manifestants se sont rassemblés aux abords du Parlement pour réclamer l'abandon du texte. Les manifestations se sont poursuivies aux premières heures de samedi. "Même si la constitution est révisée, personne ne pense au Japon pour intervenir à l'étranger dans le but de faire usage de la force", a déclaré cette semaine à Reuters l'ancien ministre de la Défense, Itsunori Onodera. Scène exceptionnelle aussi dans un Parlement japonais à l'atmosphère habituellement feutrée, des sénateurs en étaient venus aux mains jeudi.
Tensions en Mer de Chine
Les États-Unis approuvent ce changement de doctrine mais la Chine a appelé Tokyo à agir prudemment dans les domaines militaire et de la sécurité. Dans un contexte de tensions croissantes en Mer de Chine, le ministère de la Défense japonais a déposé début septembre pour la quatrième année de suite une demande de budget record pour l'exercice d'avril 2016 à mars 2017, dans le but d'élargir encore ses moyens dans une région où la Chine est considérée comme une menace. Pékin et Tokyo se disputent notamment la souveraineté de territoires inhabités en mer de Chine orientale, les îles Senkaku, contrôlées par le Japon mais revendiquées par la Chine sous l'appellation Diaoyu.
Le ministère japonais souhaite une enveloppe initiale de 5.090 milliards de yens (près de 38 milliards d'euros), soit une hausse de 2,2% sur un an justifiée par la nécessité de davantage protéger les îles nippones éloignées du territoire principal de l'archipel, notamment celles du sud-ouest, à proximité de Taïwan.
フランス語
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三宮図書館に来ました.大阪市民なので貸借はできないけど本を見たりするためです.神戸新聞の古いのが見たいと言ったらパソコンで2000年から見ることができるようです.ということは阪神淡路大震災から5年後の記事が読めるということ.とてもいいです.でもなんだか思い出して悲しくなってきてしまいました.
阪神で移動してJICA関西食堂です.9月はコスタリカCosta Ricaのランチ.ホームページではこんな説明です.・アロス・コン・ポジョ/チキンライス  お米と鶏肉を主材料としたカリブ海やラテンアメリカでよく食べられているラテン版チャーハンのような料理。 ・フリホーレス/煮豆  コスタリカ料理には欠かせない豆料理で、必ずプレートに乗っています。現地では、黒豆を使うことが多いです。  ・オジャ・デ・カルネ/牛肉と野菜のスープ  素朴な味付けのコスタリカの家庭料理。コスタリカでは、オジャ・デ・カルネ用の野菜ミックスがパックで売られているほど定番の料理です。  ・パイナップル/デザート  コスタリカで食べられている果物と言えば、何といってもパイナップルです!コスタリカでは、近年パイナップルの輸出額が右肩上がりです。住んでいる人はCostaricien,Costaricienneというらしいです.
さらに阪神で移動して都賀川のあたりに.六甲の近くです.このあたり震災で大きな被害を受けた地域だそうですが,20年も経っているので今となってはよくわかりません.どのうちも新しいのでした.
時間調整にネットカフェでちょっとすごし,その後ワッフルを食べました.
さてバスで六甲山に上りました.スゴイです.夜景もキレイ.三宮でワインを飲みましたが無事帰りました.

家族を迎えるヒガンバナ 気仙沼・彼岸の入り
 彼岸の入りの20日、東北地方は日中、晴れや曇りの穏やかな天候に恵まれ、青空も広がった。各地の寺院や霊園には、秋の大型連休シルバーウイークを利用して帰省した家族連れも訪れ、先祖の霊を慰めた。
 気仙沼市本吉町の浄福寺では、午前中から墓石を磨いたり花や線香を供えたりする人が見られた。東日本大震災の津波で被災した墓地からは、かさ上げ工事や海岸復旧など復興事業が進む小泉地区が見渡せる。
 東京都日野市から家族3人で帰省したパート出羽久子さん(53)は、気仙沼市内で1人暮らしの母親と一緒に訪れた。「震災後に亡くなった父の三回忌もあって帰省した。津波で流された実家は再建できたが、母が心配で帰る回数が増えた」と話す出羽さん。震災で倒れ、修復した墓石に向かい、静かに手を合わせた。


居場所のない子 生命や健康が危ない
 勉強についていけず不登校になり、親の暴力やネグレクト(養育の放棄)で自宅にもいられず、ネットカフェやファミリーレストランで過ごす子どもたちがいる。潜在的なホームレスとも言える。貧困や周囲からの孤立が子どもを危機に追いやっているのだ。
 「子どもの貧困率」は過去最悪の16.3%、貧困家庭の子どもは320万人にも上る。ひとり親世帯の貧困率は54.6%と深刻さが際立っている。パートを掛け持ちでするため子どもの世話をする余裕がないのだ。親の借金返済のため早朝から深夜までアルバイトを掛け持ちでする子も珍しくない。子どもを守る最底辺の安全や安心が底割れしている。
 政府は民家などを使って子どもに学習支援や食事を提供する「居場所」を2019年度までに年間50万人分用意する支援策をまとめた。年末までに財源確保を含め具体的な政策を決めるという。生命や健康の危機にひんしている子どもを救う緊急対策が必要なのは言うまでもない。
 これまでにも、子どもの貧困対策推進法(13年)、子どもの貧困大綱(14年)などに教育や生活の支援、保護者に対する就労支援は盛り込まれてきた。ただ、具体性に乏しく財源の裏付けがないため、現に困窮している子どもに手が届いていないのが実情だ。それを繰り返してはならない。
 「居場所」作りは小さなNPOや自治体が独自に始めて各地に広がってきた。お金も人もなくボランティアの善意でかろうじて支えられているところが多い。国民全体で課題を共有し、地域の人々を巻き込む仕組みを作り、公的な財政支援も厚くしなければならない。
 子どもの外見からは困窮状態にあることがわかりにくいことも対策が後手に回ってきた一因だ。貧困大綱などでは、学校を中心に関係機関が早期支援をすることも打ち出された。給食の異常な食べ方や衣服の汚れなど、学校が子どもの困窮の端緒を見つけやすいからでもある。
 しかし、日常の仕事に教師は忙殺され、スクールソーシャルワーカーも試行的に行われている地域が多いため人数が限られている。非正規雇用が多く、週に2日程度学校に来ても困窮状態の子どもに気づき、継続して支援することは難しいだろう。学校と福祉団体やNPOとの連携は進んでいない。
 小中学生の不登校は約12万人に上る。高校の中退者も毎年10万人近くいるが、その7割以上が仕事をしていないかアルバイト程度の仕事しかないとも言われる。貧困や孤立は身近なところに広がっている。早急な対応が必要だ。

図書館でいしいひさいち/ラグビーで金星/メールでエラー??

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150830扇町ラテンアメリカ政治経済研究会

Coupe du monde de rugby : victoire historique du Japon face à l’Afrique du Sud
Depuis la création de la Coupe du monde de rugby en 1987, le Japon avait participé à toutes les éditions mais n’avait remporté qu’une seule rencontre, contre le Zimbabwe, en 1991. La seconde victoire est arrivée vingt-quatre ans plus tard, et elle restera dans l’histoire de ce sport comme l’un de ses exploits les plus sensationnels : c’est face à l’Afrique du Sud, double championne du monde, que la ≪ petite ≫ équipe asiatique s’est imposée samedi en ouverture du groupe B, au terme d’un match d’anthologie (34-32).
≪ Ce sera David contre Goliath ≫, répétait ces derniers jours Eddie Jones, l’entraîneur australien (né de mère japonaise) des ≪ Brave Blossoms ≫. David a embêté Goliath tout au long d’une partie qui a finalement basculé dans une dimension parallèle au bout d’interminables arrêts de jeu, lorsque Karne Hesketh est allé marquer en coin, à la 84e minute, l’essai qui offre son jour de gloire au rugby japonais.
Voyez ci-dessous les images de la rencontre, résumée ainsi par le commentateur : ≪ It’s a rugby miracle. ≫
On savait les Nippons, dont les progrès ont été fulgurants depuis qu’ils sont entraînés par le technicien vice-champion du monde en 2003, capables de perturber les meilleurs – ils avaient vaincu l’Italie l’an passé, et le pays de Galles il y a deux ans. Mais la performance qu’ils ont livrée samedi à Brighton donne le vertige. Et tandis qu’Écossais et Samoans imaginaient sans doute se disputer tranquillement la seconde place du groupe derrière les ≪ Springboks ≫, ils peuvent aujourd’hui légitimement craindre de ne pas en sortir. Le Japon, qui organisera le prochain tournoi en 2019, a fait un pas de géant vers les quarts de finale de la Coupe du monde.
La treizième nation mondiale
Pour l’Afrique du Sud, perturbée avant le tournoi par une polémique autour du faible nombre de joueurs noirs en son sein, déjà victime d’un accident de parcours inédit, chez elle, face à l’Argentine, début août (25-37), la route est longue, si elle existe encore, vers un troisième titre mondial (après 1995 et 2007). Fébriles, peu inspirés, indisciplinés, les joueurs de la nation arc-en-ciel en ont vu de toutes les couleurs, saoulés par l’enthousiasme de la troupe japonaise, l’inventivité de son stratège Fumiaki Tanaka, minuscule joueur (1,66 m) à l’immense talent, et la régularité de son artilleur Ayumu Goromaru, meilleur marqueur du jour (24 points) et de l’histoire du rugby nippon.
Alors que sa puissance dans les premiers impacts semblait annoncer un après-midi pénible pour son adversaire, l’Afrique du Sud dut attendre la 18e minute pour inscrire, en force, le premier essai du match, et prendre l’avantage (Louw, 7-3). Le public du Community Stadium de Brighton commença à entrevoir la possibilité d’un coup de théâtre lorsqu’au bout d’une mêlée ouverte implacable – cette équipe n’est donc pas qu’une armée de petits joueurs véloces –, le Japon repassa devant (10-7, 29e) grâce à un essai de Michael Leitch, son capitaine né en Nouvelle-Zélande de parents fidjiens, et arrivé à l’âge de 15 ans au pays du Soleil Levant, dont il a embrassé la culture et parle désormais la langue mieux que l’anglais.
Un essai de Bismarck du Plessis (33e) permettait aux Boks de mener à la pause, ce qu’ils imaginaient sans doute en entrant sur le terrain, de deux points (12-10), ce qu’ils imaginaient sans doute moins. Comment ? La grande Afrique du Sud, accrochée par une équipe classée au 13e rang mondial après les quarante premières minutes ? Elle allait être balayée dans les quarante dernières.
Forcément un énorme morceau en quart de finale
On supposait que l’essai de De Jager lancerait enfin la machine sud-africaine (44e, 19-13) . Le Japon revint tranquillement (19-19, 53e). On imaginait que celui de Strauss doucherait les espoirs nippons (29-22, 62e). Goromaru ramena la marque à égalité (29-29, 70e). On pensait que la pénalité de Pollard assommerait les hommes d’Eddie Jones (32-29, 73e). Elle les plongea dans un état second, et les dernières minutes de la partie tournèrent au siège de l’en-but des Sud-Africains, réduits à 14.
Dans les arrêts de jeu, les Japonais bénéficièrent d’une pénalité qui, convertie, leur aurait permis d’arracher un match nul. Plutot que de la jouer au pied, ils optèrent pour une mêlée afin d’aller chercher cinq points de plus et une victoire surnaturelle, sous les yeux de quelque 30 000 spectateurs sidérés, qui vécurent les derniers instants du match debout, en apnée, avant d’offrir – supporters sud-africains compris – une gigantesque ovation aux joueurs japonais.
Cet exploit inattendu bouleverse le groupe B, dont le scénario est désormais indécis. Deux certitudes : les États-Unis sont la seule équipe à ne pas candidater à l’une des deux premières places qualificatives. Et si les Japonais s’en extirpent, ils auront forcément du très lourd face à eux en quarts, où les attendra l’un des deux survivants du ≪ groupe de la mort ≫, à savoir l’Australie, l’Angleterre ou le pays de Galles. Mais quand on a battu l’Afrique du Sud...
フランス語
フランス語の勉強?
浦沢直樹の漫勉「東村アキコ」
白い紙に小さなペン先で壮大なドラマを生む漫画家たち。その創作の秘密に「浦沢直樹」が迫る。1回目はいま最も注目を集める女性漫画家「東村アキコ」を特集する。今年、自叙伝的漫画「かくかくじかじか」でマンガ大賞を受賞。今回、初めて挑戦した歴史漫画の現場に密着。漫画界屈指と言われる執筆スピードが、浦沢直樹を驚かせる。また10人以上のアシスタントを的確な指示で使いながら人物の表情にこだわる手法が明らかに!
浦沢直樹,東村アキコ

明日へ−支えあおう− 復興サポート「村に楽しみの場をつくろう〜福島・川内村2」
昨年10月に避難指示がほぼ全域で解除になった福島・川内村。しかし若い世代の多くが帰らず、農林業などの再生も難しい状況にある。そんな中、高齢者などが共同で始めた野菜作りの会や、餅の食文化を受け継ごうと始まった若い世代のモチ米づくりなど、新しい動きが始まった。どうやって村に「楽しみの場」をつくり、活力を取り戻していくのかを、民俗研究家の結城登美雄さん、分子生物学者の河田昌東さんとともに考える。
結城登美雄,河田昌東, 内多勝康

NNNドキュメント ひろむ先生のまほうの手 ふしぎ!できた!ボクらのアート 
近石真介 テレビ信州
魔法の手…彼の手にかかると粘土はあらゆる生き物に形を変える。高山洋武(ひろむ)さん(25)は、自閉症だ。一方で、幼い頃から陶芸や造形分野で秀でた才能を持つ。彼が教える保育園の造形教室では、子どもから歓声があがり、「僕もやってみたい」という意欲と喜びが湧き上がる。今年の春からは、小学校の教壇に。自閉症の青年が、新たなフィールドで成長を遂げようとしている。「秀れた才能を教育現場に」と「障害者の自分作り」、2つのメリットを持つ新しい教育の形が始まった。

ガリレオX #108「ひまわり8号」の実力 進化し続ける気象衛星
天気予報に欠かすことのできない存在である気象衛星。2015年7月、新たに運用を開始した日本の気象衛星ひまわり8号は、様々な機能を兼ね備え「世界一の性能」をもつと注目されている。しかし、そもそも気象衛星がもたらす情報は、天気予報にどのように使われているのだろうか?そして、ひまわり8号は、どんな性能を持ち、何を可能にしてくれるのか?それによって天気予報はどう変化していくのか?日本の気象衛星の歴史と、最新鋭ひまわり8号の全貌に迫る。
大友猛 西山宏さん 堀川康

テレメンタリー「シリーズ戦後70年(11) ガマフヤー 〜土の中から戦の声が聞こえる〜」 
沖縄戦から70年。街並みの中に戦争の傷跡を見ることはほとんどできなくなった。しかし、アスファルトで覆われた土の下には今なお、沖縄戦で犠牲になった遺骨が眠っている。
「ガマフヤー=(壕(ガマ)を掘る人)」と自らを名乗り、30年以上にわたり遺骨を掘り出すボランティアを続ける男性がいる。「戦争の悲惨を物言えぬ骨に語らせたい」と、戦争で殺された時の姿のまま、土の中の骨を浮き上がらせ、今に蘇らせる。ガマフヤーとして活動する男性と、遺骨をめぐる人々の思いを追った。
琉球朝日放送

NHKスペシャル「老衰死 穏やかな最期を迎えるには」
俳優の樹木希林さんと共に「老衰死」の秘密に迫る。人生の終末期、どうしたら安らかな最期を迎えられるのか。最新のデータで、戦後最多となった「老衰死」。今回、入所者の平均年齢が90歳を超える都内の特別養護老人ホームを取材し、半年間に渡って自然な最期を支える現場を記録。さらに世界最前線の研究を訪ね、老いがもたらす穏やかな死の謎と老衰のメカニズムに迫った。
樹木希林,近田雄一


図書館に本を借りに行きました.いしいひさいち特集をしていました.彼は学生時代に下新庄に住んでいたらしいです.
ラグビーで日本が南アフリカに勝ったそうです.どれくらいすごいことかよくわからないのですが金星だそうです.
夕方ある件でメールを出したらエラーメッセージが返ってきました.どういうこと???

嵐 タモリに謝罪していた…復興支援コンサート影響でヨットレース中止
 嵐の東日本大震災復興支援コンサート「Arashi Blast in Miyagi」が19日、ひとめぼれスタジアム宮城(宮城県利府町)でスタートした。4日間で計20万8000人を動員する一大公演。シルバーウイークの初日も重なって、宿泊施設や交通機関は嵐ファンと行楽客で大混雑した。
 これを見越して20、21日に仙台市で開催予定だった日本質的心理学会が10月に延期され、20日に予定されていたヨットレース「タモリカップ東北大会」が中止になった。公演前の取材対応で二宮和也(32)は「タモリさんには直接謝りました。でも“嵐のせいじゃないから気にしないで。嵐の方が先に決まってたんだから”と笑っておっしゃってくれました」と明かした。宮城県の招致を受け、実現した公演でもあり「知事に“来てくれ”と言われてここにいる。復興支援の一環として、ここで興行をすることが僕らの最大の使命」と思いを語った。
 公演に合わせてJR東日本は東北新幹線を臨時増便。会場最寄りの利府駅と仙台駅を結ぶ東北本線でも、臨時列車や車両を増やした列車を走らせる。会場へのシャトルバスは期間中、延べ2500台が運行する。
 ステージは過去のヒット曲を中心に構成され、5人で機材に乗ってフライングする新演出や1600発の花火で観客を魅了。地元高校生との合唱やお祭り「すずめ踊り」とのコラボレーションなど、メンバーが被災地復興の思いを込めて企画した地元住民との共演も実現した。嵐が同県内で公演を行うのは07年以来で、震災以降は初めて。櫻井翔(33)は「僕らと一緒に笑顔で歩んでいきましょう」と5万2000人のファンに呼び掛け、松本潤(32)は「宮城の皆さんが元気になってくれるとうれしい」と語った。


嵐 タモさんに謝罪!ヨットレース中止に
 人気グループ、嵐の4公演約20万人動員の野外イベント「ARASHI BLAST in Miyagi」(19、20、22、23日)が19日、宮城スタジアムで開幕した。宮城県から招待され、東日本大震災後、初めて同県でコンサートを開催。会場内外で地元とコラボし、復興支援に一役買ったメンバーは「(震災を)風化させない」と話し、今後のさらなる支援を誓った。
 嵐にとっては、2007年以来、8年ぶりとなる同県での公演。待ちに待ったファン5万2000人が大歓声で出迎えた。
 松本潤(32)が「久しぶりに宮城に帰ってきたぞ〜」と叫んだステージでは、宮城のお祭り「すずめ踊り」や当時被災した高校生と「感謝カンゲキ雨嵐」を合唱。会場周辺では、相葉雅紀(32)監修で地元企業とコラボした「坊っちゃん石鹸」などグッズ販売、各自治体が協力した物産品など約100店舗の“復興応援市場”、リーダー・大野智(34)の作品展開催で復興に一役買った。
 震災後も被災地に足を運び支援を続けてきた。櫻井翔(33)は「震災後、初めて来られたのは大きい。忘れない、風化させないための一助はできる。被災地をもう一度、思い出すきっかけになれば」と思いを語る。5人を招待した村井嘉浩知事(55)は「コンサートの経済波及効果は我々の試算で93億円。それ以上の効果がある」と同スタジアム初の4日間公演に感謝した。
 5月1日の宮城公演開催発表から仙台市内のホテルを中心に予約が殺到。そのため、日程が重なったタレント・タモリ(70)が名誉会長を務めるヨットレース「タモリカップ東北大会」は中止となり、日本質的心理学会は日程を変更するなど社会現象にもなった。
 二宮和也(32)は「タモリさんには謝りました。『嵐のせいじゃないから気にしないで。嵐の方が先に決まってたんだから』と笑っておっしゃってました」と明かした。二宮は「復興や支援の一環としてここで興行を興すのは、僕らが呼ばれた最大の使命」と、3時間のライブで夢と希望を届けた。


「嵐」影響?日帰り中心 豪雨ボランティア
 記録的豪雨災害で被害が出た大和町で19日、駆け付けたボランティアが被災住宅の後片付けに汗を流した。多くが県内からの日帰り組で、人数も伸び悩み、利府町で開催中の人気グループ「嵐」のコンサートの影響かと不思議がる声が聞かれた。
 同町吉田高田地区の主婦斎藤美智子さん(66)方には水害後、初めてボランティアが訪れた。斎藤さんは「70歳の夫は退院したばかりで無理できない。若い人が大勢来てくれて本当にありがたい」と感謝した。
 参加した医療事務の女性(47)は、山元町の自宅を東日本大震災の津波で失い、現在は仙台市に住む。「震災時、内陸の人にとても助けられた。恩返しできれば」と励んだ。
 この日、同町を訪れたボランティアは121人。17日の204人、16日の154人を下回った。町社会福祉協議会は「大型連休だが、肩すかしを食らった感じ」と首をかしげる。「嵐の影響もあるのかな」
 大和町は「嵐」のコンサートがある利府町方面へ車で向かうアクセスが比較的よく、町内の宿泊施設はほぼ空室がない状態。町社協は「連休初日で様子見をした人が多かったと思いたい」と今後に期待する。


「嵐」被災地名物でファンもてなす
 シルバーウイーク期間中の4日間、宮城県利府町で開催される人気グループ「嵐」のコンサートがスタートした19日、会場の宮城スタジアムはファンの波であふれた。会場周辺には、宮城県内の被災地の名物料理などを販売する「復興応援市場」も設けられ、全国から集まったファンをもてなした。
 ファンが利用するJR東北線の仙台、岩切、利府の3駅には、JR東日本が応対社員を140人配置。会場最寄りの利府駅では午前9時ごろからファンの姿が目立ち始め、JR社員に加え、利府町や町観光協会の職員も対応に当たった。会場に向かうシャトルバスや路線バスに誘導し、会場周辺の道路も大きな混雑はなかった。
 川崎市から友人と2人で訪れた大学生堀之内茜さん(19)は「宮城に来るのは初めて。こういう機会がないと、被災地にも来なかっただろうから、コンサートが開かれて良かった」と笑顔で話した。東京から来た会社員矢島智子さん(40)は「コンサートはうれしいけど、結果として周辺のホテルも埋まってしまい、観光で仙台などを訪れたかった人には申し訳ない思いもある」と複雑な表情だった。
 会場周辺に約90のブースが設けられた復興応援市場には、石巻市や南三陸町など被災地からも出店。多くの人であふれ、地元の名物料理や物産などを購入していた。
 東松島市の小野駅前仮設住宅の住民が作った人形「おのくん」や関連グッズを販売した代表の武田文子さん(64)は「多くの人から『頑張って』と声を掛けられ、励みになった。自分も復興へ頑張ろうという気持ちになった」とファンとの交流を楽しんだ。


<宮城豪雨>大型連休 支援も大きく
 秋の大型連休「シルバーウイーク」が始まった19日、宮城豪雨で渋井川が決壊した大崎市には、休日を利用したボランティアが続々と駆け付けた。
 石巻市の団体職員門間ひとみさん(55)は「東日本大震災で受けた支援に恩返しをしたい」と訪れた。水に漬かった家財道具の仕分けなどを手伝い「現地に来て被害の大きさがあらためて分かった」と話した。
 志願者の窓口となる大崎市災害ボランティアセンターは連休初日、123人を受け入れた。23日までの連休期間中、延べ500人以上が活動する見通し。
 自宅が浸水した同市古川稲葉の主婦北野より子さん(63)は「連日、大勢のボランティアの方々に片付けていただき、とても助かります」と感謝した。


<検証命の現場>孤立の民間病院、支援届かず
◎震災4年半(5完)医療
<唯一診療続ける>
 東日本大震災で被災した石巻市山下町の斎藤病院。津波の直撃は免れたが、周囲が冠水して孤立した。
 院内は入院・外来患者や職員ら約400人、さらには避難してきた住民であふれた。「陸の孤島に取り残された」(菊池里子看護部長)状態だった。
 食料は患者の3日分しかない。公的な支援は1週間以上なく、職員が水に漬かって買い出しに出向いた。
 薬も足りない。医薬品卸売業者が被災し、不足は2カ月近く続いた。
 筋萎縮性側索硬化症(ALS)で24時間介護の必要な入院患者もいる。痰(たん)の吸引など電気を使った医療措置は、自家発電機の燃料の残量をにらみながら必要最低限を行った。
 厳しい状況下で、市内の民間病院としては唯一、診療を続けた。かかりつけ病院が被災したり、薬を流されたりした高血圧や糖尿病の患者が次々に訪れた。
 だが、近くの災害拠点病院のような支援は受けられなかった。物資は分配されず災害派遣医療チーム(DMAT)も来ない。行政に物資供給を求めても取り合ってもらえない。職員は孤立感を深めていった。
 「拠点病院以外はなおざりにされた」と理事長の斎藤仁一さん(68)。「大災害で生き残った(民間病院の)医療資源を無駄にしない支援体制を整えてほしい」と訴える。
 震災では岩沼市寺島の南浜中央病院も孤立状態にさらされた。1階が水没し、備蓄食料や医薬品、自家発電機が浸水した。外部との連絡も絶たれた。
 理事長の高階憲之さん(59)は「情報の収集、伝達もできなかった。せめて状況や必要な支援を直接伝える手段があれば…」と振り返る。
<事前の把握大切>
 宮城県は2007年、県内の病院の被災状況を集約する「災害時救急医療情報システム」を稼働させた。医療機関の連携や情報共有が目的だった。
 県によると、震災発生時、加入していた115施設のうち約50施設が被災状況を入力。6割が診療などに「支障あり」と報告した。南浜中央病院のようにパソコンなどが流され、対応できなかったケースも少なくない。
 当時は県職員が応答のなかった施設も含めて巡回したものの、状況の確認や支援には時間がかかった。
 県はシステムを改善。支援が必要な施設を把握できるよう取り組んでいる。
 都道府県が連携して被災地での迅速かつ適切な救護を目指す「広域災害救急医療情報システム(EMIS)」と結び、医療機関の稼働状況などを共有できるようにした。入力項目には食料や医薬品の備蓄、医療支援のニーズも加えた。
 命を守る現場を、孤立からどう守るか。
 東北大災害科学国際研究所の富田博秋教授(災害精神医学)は「被災の見落としを防ぐため、事前に病院の情報を把握しておくことが大切だ。県や市町村、医師会、各医療機関による複層的な備えが望ましい」と指摘する。(震災取材班)


<安保法成立>「闘いこれから」抗議の声やまず
 安全保障関連法が参院本会議で可決、成立したことを受け、全国各地で19日、抗議の活動が行われた。「闘いはこれから」。東北でも成立に抗議する街頭集会や活動が相次いだ。一方で地元に戻り、理解を求める与党議員の姿も見られた。
 福島市のJR福島駅前では同日午後、「福島県九条の会」のメンバーら約40人が抗議の声を上げた。「アベ政治を許さない」などと書かれたプラカードを手に、通行人に呼び掛けた。
 代表の吉原泰助さん(82)は「『決められる政治』の怖さを国民は実感したのではないか。法は成立したが、われわれの闘いは今日が始まりだ」と決意をにじませた。
 抗議活動は仙台、気仙沼の両市や宮城県柴田町などでもあった。
 仙台弁護士会は会長声明を発表した。声明は、強行採決は立憲主義と民主主義を踏みにじる暴挙と批判。「集団的自衛権の行使容認という法の根幹部分において憲法に違反し、違憲性を取り除くには法律の廃案しかない」と訴えている。
 岩渕健彦会長は「多くの法律家、市民が反対する中で法が成立したことは本当に残念だ。今後も街宣活動を通じ、市民に法律の廃止を呼び掛ける」と話した。
 声明文は衆参両院議長と宮城県選出の国会議員にも同日付で郵送された。秋田、山形、福島3県の弁護士会や大崎市の市議グループも同様の声明を発表した。
 一方、大島理森衆院議長(青森3区)は青森市内で開かれた政経セミナーで講演。「200時間の審議で結論が出たのは事実。国民の理解を得るため対話をしていく」と述べた。
 東北各県の知事は安保法成立に関しコメントを発表した。佐竹敬久秋田県知事は「日本の安全保障を確かなものにする選択。法の運用には慎重さが必要」と評価。吉村美栄子山形県知事は「国民の理解を得るため、政府はしっかり取り組んでほしい」と注文した。


自衛隊に何をさせるのか 「違憲」安保法制
 安全保障関連法の成立により、軍隊並みの活動を求められる自衛隊。最初の変化は国連平和維持活動(PKO)に表れそう。リスクは格段に高まる。
 法案の審議中、防衛省の背広組や制服組から「われわれに何をさせようというのか」と戸惑う声を聞いた。安倍晋三政権が法案の必要性、正当性を説明できないからである。首相自身、集団的自衛権行使の具体例として挙げたホルムズ海峡の機雷除去、日本人母子の乗った米艦艇防護の二例とも審議を続ける中で破綻した。
◆想定される対米支援
 たどり着いたのは「総合的に判断する」という時の政権への白紙委任状である。日米は今年四月、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を改定し、世界規模で自衛隊と米軍が連携することを約束した。米国の要請を受けて戦闘に参加したり、輸送・補給などの後方支援を命じられたりするのだろうか、そんな予測が幹部自衛官の口から漏れる。
 来年度防衛費の概算要求には、海外活動をにらんだ項目が並ぶ。戦闘機や輸送機の航続距離を延ばす航空機の空中給油機は現在の四機から七機へと増強、輸送防護車は海外の邦人保護をにらんだ新しい装備品だ。概算額は五兆円を突破し、武器輸出は既に解禁、平和国家の看板は大きく傾いている。
 近々に実施する具体的な活動は、共産党が国会提出した統合幕僚監部の内部文書から読み取ることができる。現在、南スーダンのPKOに施設復旧の目的で派遣している陸上自衛隊の部隊に「宿営地の共同警備」と「駆け付け警護」をさせようというのだ。
 宿営地は首都ジュバの国連敷地内にある。平穏なため武器を使う可能性はほとんどない。
◆踏み切った「警護」
 問題は「駆け付け警護」にある。南スーダン各地では日本人の非政府組織(NGO)が人道的な活動を続けている。仮に襲撃されても治安維持を担う他国の部隊に任せるしかなかったが、今後は自衛隊による救出が可能になった。
 現役や多くの陸自OBは邦人警護に賛意を示す。過去のPKOでひそかに「駆け付け警護」に踏み切った事実があるからだろう。
 初のPKO参加となった一九九二年のカンボジア派遣の際、現地入りしていた日本人四十一人の選挙監視員を「自衛隊に守らせるべきだ」との声が高まった。襲撃者が旧政府軍だった場合、「国家に準じる組織」にあたり、撃ち合えば武力行使を禁じた憲法に違反するため、自衛隊は警護できない。
 そこで陸自は隊員が撃ち合いの中に飛び込み、当事者となることで正当防衛を理由に発砲できるという理屈を生み出し、部隊は道路や橋の視察を名目に小銃を持って投票所を巡回した。結果的に何ごともなく終わった。
 九四年のルワンダ難民救援では、トラックを強奪された日本人医師から救援要請があり、輸送の名目で難民キャンプから救出した。二〇〇二年、東ティモールPKOに派遣された部隊は、暴動を逃れようとした日本人十七人に加え、七カ国二十四人の外国人をやはり輸送の名目で救出した。
 実際には「駆け付け警護」だったにもかかわらず、憲法違反との批判を避けるため、苦し紛れに視察、輸送と報告し、実情を知る政府は沈黙する。「駆け付け警護」は事実上の任務になっている。
 過去の実例をみる限り、人道面の正式な役割拡大について真剣に議論する必要があるのは疑いがない。だが、今回、十一本もの法案をまとめて審議したことで、他の項目とともに生煮えとなった。
 安倍政権は昨年七月、集団的自衛権行使を解禁した閣議決定の際、PKO参加中の自衛隊の前に「国家に準じる組織」は現れないことにした。牽強付会(けんきょうふかい)というしかないが、武器使用の拡大を認めたことにより、紛争に巻き込まれるリスクは格段に高まった。
 自衛官が罪に問われる可能性もある。安保関連法では合法でも刑法では違法となるおそれがあるからだ。軍法でカバーできる軍隊と自衛隊は違う。軍隊並みの活動を求めること自体が無理なのだ。
◆自衛隊忌避する傾向
 札幌の弁護士が開いた相談会には不安や悩みを訴える自衛官や家族からの相談が三十五件寄せられた。「息子に『自衛隊を辞めて帰って来い』と言っている」「自衛官の夫に転職を勧め、夫も悩んでいる」など、自衛隊を忌避する傾向が明らかになった。災害救助する姿にあこがれ、国防の意欲をもって入隊した隊員やその家族を自衛隊嫌いにしてどうするのか。求められるのは軍隊のような勇ましさではない。起こりうる事態への合憲、合法、合理的な対応策を考え、実行することにある。


安保転換を問う…法成立後の日本
 ◇国民が監視を強めよう
 戦後70年かけて慎重に積み上げられてきた安全保障政策が、抜本的に変わる。
 集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊の海外での活動を飛躍的に拡大する安全保障関連法が、国会が大混乱する中で成立した。
 半年のうちに関連法が施行され、新法制のもとで現実に自衛隊が海外に派遣されることになれば、国のかたちは大きく変容するだろう。
 安保関連法の成立は、多くのものを傷めた。
 まず、平和国家の根幹である憲法9条は変質し、海外で武力行使をしないとの制約が緩められた。
 ◇「総合的判断」の危うさ
 そして、憲法は国民が国家権力を縛るものだという立憲主義の理念が傷ついた。憲法や法律の解釈がむやみに変わらないという法体系の安定性に疑問符がついた。
 民主主義を踏みにじるような安倍政権の強引な政治手法が、国会と民意との乖離(かいり)を広げ、政治不信を深刻化させたことも残念だ。
 しかし、この新法制は、成立すればそれで終わり、というものではない。国民が監視を続けることが、法律の性質上も重要であり、有効だ。
 新法制は、集団的自衛権の行使や他国軍への後方支援を世界中で可能にするが、どういう場合に自衛隊の活動を認めるかの判断基準があいまいだ。政府の裁量の範囲が大きい。
 集団的自衛権を行使するには、我が国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」などの新3要件を満たす必要がある。
 字面だけ読めば一見、歯止めが利いているように見えるが、何が明白な危険にあたるかは政府の判断にゆだねられる。
 国会審議でも基準は明確にならず、政府は最後には「総合的に判断する」というばかりだった。
 政府は「自分たちがきちんと判断するから、国民は政府を信頼して任せてほしい」と言いたいのだろう。
 だが、あいまいな基準は政府の拡大解釈を可能にする。法律の運用次第で、米国の要請に応じる形で日本の安全に直接関係のない戦争にも関わることになりかねない。そんなリスクを受け入れるわけにいかない。
 もちろん、集団的自衛権の行使も重要影響事態での後方支援も、原則として国会の事前承認が必要だ。だが、緊急の場合は事後承認でいいことになっている。自民党「1強多弱」の国会では、国会の承認がどこまで歯止めになるかも疑問が残る。
 ここで、やはり大きな力になるのは、国民の声だ。国民がこの問題に関心を持ち続け、政府の判断を監視する。政府が誤った判断をしそうになれば、おかしいと声を上げ、法律を現実に発動させない。そういう国民の意思表示が、重要な歯止めの役割を果たすだろう。
 新法制のもと、安倍晋三首相はどんな国を目指そうとしているのか。
 首相は、法整備によって日米同盟が強化され「抑止力はさらに高まり、日本が攻撃を受ける可能性はいっそうなくなっていく」という。
 ◇普通の市民が動き出す
 自衛隊と米軍の一体化をさらに進め、自衛隊が米軍の戦いを世界規模で支援する。日本が米国の負担を肩代わりすることで、米国のアジア重視の政策を支え、中国への抑止力を強化するということだろう。
 そこには、首相の宿願も影響しているように見える。首相は、日本が集団的自衛権を行使できる国になることで、祖父の岸信介元首相が改定した日米安保条約の双務性を高め、憲法改正につなげたい、と考えてきた。日本を軍事的に「普通の国」に近づけようということだ。
 こうした首相の外交・安全保障政策は、軍事面に偏り過ぎているのではないか。
 対中抑止を目指した日米同盟の強化は、かえって地域の緊張を高めかねない。だが、首相にはそういう目配りはほとんどない。外交努力は当然の前提と口では言うが、その割には、中国、韓国などとの関係改善の努力は物足りない。抑止力が高まったとして、対中外交で柔軟性を失うことがあってはならない。
 野党にも注文をしておきたい。
 民主党が、今国会で領域警備法案しか対案を出さなかったのは、国会戦術としてはあり得ても、野党第1党として十分だったとは言えない。来年夏には参院選がある。安全保障政策について全体像を示せるよう、党内議論を詰めてもらいたい。
 新法制の成立で私たちが失ったものもあるが、希望も見えた。
 多くの人が安全保障や日本の国のあり方を切実な問題として考えるようになったことだ。
 憲法学者、法曹界、労働組合、市民団体だけでなく、これまで政治への関心が低いと見られていた若者や母親ら普通の市民が、ネットなどを使って個人の意思で声を上げ、デモや集会に参加した。これらの行動は決して無駄に終わることはない。


安保関連法で学者170人が会見 「暴挙」の声明
19日に国会で成立した安全保障関連法について、およそ170人の学者が東京都内で会見を開き、「憲法9条の下で持続してきた平和主義を捨て去る暴挙だ」とする声明を発表しました。
会見を開いたのは、安全保障関連法に反対する、さまざまな分野の学者や研究者、およそ170人です。
会見ではまず、教育学が専門の学習院大学の佐藤学教授が「戦争を可能にする違憲法案の強行採決は、憲法9条の下で68年間持続してきた平和主義を捨て去る暴挙だ」などとする声明を発表しました。続いて、憲法学を専門とする、早稲田大学の水島朝穂教授が「法律が憲法違反であることを国民が忘れないように、直ちに議員立法で廃止法案を提出するべきだ」と訴えました。さらに、経済学が専門の青山学院大学の間宮陽介特任教授は「われわれの運動は、新しい民主主義という動きを作り出した。これからが本当の闘いだ」と述べました。
法律に反対する学者や研究者の有志のグループは、全国の140を超える大学に広がっていて、今後、各地で学生などと連帯して運動を広げていきたいとしています。
会見のあと、日本学術会議の前の会長で専修大学の廣渡清吾教授は「今後は、それぞれの大学単位で、学者と学生が連携する運動に対して、1つの行動目標を示したい。さらに、司法で、法律の違憲性を追及していくことが重要だと、法律家に問題提起したい」と述べ、法律の違憲性を引き続き訴えていく考えを示しました。


安保関連法:「闘いはこれから」学者ら171人が抗議
 分野を超えた有識者でつくる「安全保障関連法に反対する学者の会」の171人が20日、東京都千代田区の学士会館で記者会見した。参院での採決強行について「立憲主義への冒とくに他ならず、平和主義を捨て去る暴挙」との抗議声明を発表した。
 発起人の広渡清吾・専修大教授(法学)は「闘いはこれから始まる。世論を維持し、違憲立法審査制度を活用して無効にする運動を強める」と話した。同じく発起人の佐藤学・学習院大教授(教育学)は「知性と理性に反する現政権の政策は認められない」と指摘。「違憲立法の適用を許さず、廃止へと追い込む」と決意を述べた。
 他の参加者からも「集団的自衛権を行使できないように声を上げ続ける」「今の民主主義の手段は選挙と国会デモしかなく、不正に勝てない。政治学者が民主主義の(新たな)制度を発掘したり構築したりする必要がある」などの発言が続いた。
 同会によると、会に賛同している学者は1万4120人に上っているという。【高木香奈】


【大阪市長選】 共産党、柳本氏の支援を示唆「維新政治を打ち破る有力候補」
 11月の大阪市長選で、自民党大阪府連が擁立を決定した柳本顕(あきら)市議団幹事長について、共産党府委員会は20日、「(橋下徹市長が率いる大阪維新の会による)『維新政治』を打ち破る有力候補」と評価するコメントを発表し、支援の可能性を示唆した。今後、党本部や連携する市民団体などと協議し、最終的な態度を決定するとしている。
 自民府連と共産府委員会は、5月の「大阪都構想」の住民投票では、ともに反都構想を訴え共闘した。両党は国政では、安全保障関連法をめぐって激しく対立したが、同府委員会の柳利昭副委員長は、産経新聞の取材に「大阪では、維新政治に終止符を打つことが最大の焦点だ」と話し、自民との連携に意欲をみせた。


CO2ゼロ燃料実現へ アンモニアだけで発電成功
 国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研、茨城県つくば市)と東北大は、アンモニアのみを燃料としたガスタービン発電に成功した。二酸化炭素(CO2)を排出しないクリーンな燃料による大型火力発電の実現可能性を示した。
 産総研の再生可能エネルギー研究センター水素キャリアチームと、東北大流体科学研究所による共同研究で、灯油とアンモニアの混合燃料を使った昨年の実験に続く試み。産総研福島再生可能エネルギー研究所(郡山市)で、今春から夏にかけて発電を確認した。
 定格出力50キロワットのガスタービンで実験。アンモニアを安定供給できるように燃焼器を改良したことで、アンモニア100%燃料で出力41.8キロワットの発電に成功した。メタンを混合したガスでも同規模の発電を確認。排出する窒素酸化物も脱硝装置で除去し、環境基準値を下回った。
 産総研によると、アンモニアは水素の割合が多い発電用燃料として近年注目されている。クリーンな一方、着火しにくく燃焼速度が遅いことが実用化の課題だった。将来、天然ガスを主燃料とする大型火力発電所で、燃料の一部をアンモニアに置き換えるなど、段階的な導入が想定されるという。
 産総研は20日から米国で開かれる国際会議で研究成果を発表する。

鶴見で食虫植物/大東から門真そして守口/杏仁露 露露

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19720210_狭山57回公判_八木一男_石川両親

Japon : après l’adoption des lois de défense, la crainte de la fin du pacifisme
Echauffourées, coups bas, manifestations, pétitions, motions de censure… L’adoption par le Parlement japonais des lois controversées sur la sécurité nationale a clos des mois de débats tendus. Par 148 voix pour et 90 contre, la Diète a approuvé dans les premières heures de samedi 19 septembre (le vendredi 18 en France) des lois de défense qui permettraient l’envoi, pour la première fois depuis la seconde guerre mondiale, de soldats dans un conflit à l’étranger.
Le gouvernement était déterminé à les faire passer avant le week-end, pour éviter l’intensification des manifestations d’opposants, alors que débute une semaine de congés au Japon. Les sondages montrent en effet que plus des deux tiers des Japonais – profondément attachés au pacifisme en vigueur depuis la guerre – restent hostiles à ces textes. Beaucoup craignent de voir le pays s’embarquer dans des conflits menés par les Etats-Unis à travers le monde. Ils citent la guerre en Irak, lancée par les Américains en 2003, avec l’appui de Tokyo. Cette hostilité explique la forte baisse de la cote de popularité de Shinzo Abe, tombée à 36 %, selon un sondage réalisé mi-septembre par le quotidien de centre gauche Asahi.
Inconstitutionnel ?
La mobilisation s’est intensifiée au fil des mois. D’importantes manifestations, devenues quasiment quotidiennes, ont mobilisé plusieurs dizaines de milliers de personnes, une ampleur rare dans l’archipel. De plus, depuis le 14 septembre, le Parlement est, malgré une imposante présence policière, assiégé par les manifestants.
Outre la remise en cause du pacifisme, ces lois sont considérées comme contraires à la Constitution. ≪ C’est le principal problème de ces textes ≫, souligne Aki Okuda, l’un des dirigeants du Sealds (Action d’urgence étudiante pour une démocratie libérale), une organisation étudiante en pointe dans le mouvement d’opposition. ≪ Si l’on accepte le principe de la démocratie parlementaire, il faut respecter la Constitution ≫, ajoute-t-il. Plusieurs dizaines de spécialistes de droit constitutionnel se sont mobilisés pour critiquer ces projets. Le 14 septembre, 75 juges retraités sortis exceptionnellement de leur réserve ont ainsi présenté un texte qui considère ces projets comme allant ≪ à l’encontre des principes de la démocratie ≫.
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週刊 ニュース深読み「命をかけた大移動 シリア難民400万人はどこへ」
今月上旬、シリア難民の幼児の遺体がトルコの海外に漂着した写真は世界に衝撃を与えた。今、ヨーロッパにはかつてない規模で中東やアフリカから難民や移民が押し寄せている。最も多いのが、2011年以来、内戦が続くシリアからの難民だ。その受け入れを巡ってはヨーロッパ各国の対立が激化し、混乱は深まっている。難民急増の背景に何があり、世界はどう向き合うべきなのか、難民問題の知られざる実態と解決の糸口を探る。
金子貴俊,宮崎美子, 青山弘之,景平義文,二村伸,  小野文惠,高井正智,  南利幸ほか

ニッポンぶらり鉄道旅「“伊達の心意気”を探して JR仙石線」
仙台市のあおば通駅から石巻駅まで全長49キロのJR仙石線。東日本大震災で一部の区間が不通になっていたが、5月30日に全線開通。今回は「伊達の心意気」を探す旅に出発!中野栄では、7月に水族館がオープン!三陸の豊かな海の世界が再現されている。矢本では、江戸時代から続く獅子舞に遭遇。ガレキの中から見つかった獅子頭が若者の心をつないだ。石巻駅では、巨大なカキに舌鼓。復興への夢とアツイ思いに触れる旅。
川久保拓司,  TARAKO

えぇトコ「命あふれる港町を行く〜兵庫・播磨灘〜」
新鮮な魚が自慢の港町。漁師の奥さんが獲れたての魚を生けすで売る屋台「うたせ」を訪ね、播磨灘直送の刺身に舌鼓。屋台でも自宅でも旬のハモを気軽に調理して食べている。島の祝い事に欠かせない、新鮮なメバルを丸ごとのせた「メバルそうめん」や、旬の魚で作るため季節ごとに変わる「ちらし寿司」…地元の人が誇る夏の味覚を心ゆくまで堪能!海の恵みに感謝して暮らす土地の人びとから、「元気」のおすそわけをいただく。
ダンカン,西村知美,  島よしのり,橋本のりこ


鶴見までいって食虫植物の展示を見ました.咲くやこの花館です.うーん.やはり,コワイです.
近畿自動車道沿いの中国物産展みたいなお店に寄って杏仁露 露露を買いました.ヨーグルトジュースみたいな感じです.100円.
第二京阪のところを移動して門真の薫蓋(くんがい)のクスを見ました.デカい♪
門真から北上して守口へ.こういうと何ですが古い住宅が多い感じ.もしかすると低所得者層が多いのかも・・・と感じました.

写真は1972年2月10日狭山事件東京高裁第57回公判のときの集会で今は亡き八木一男代議士(社会党)と石川一雄さんの両親です.

<チリ地震津波>大雨とWパンチ 避難に課題
 チリ中部沖で発生した津波と、前線の停滞に伴う大雨のダブルパンチが18日、東日本大震災の沿岸被災地を直撃した。雨で道路が冠水し、「この状況で大きな津波が来たら…」と気をもむ被災者。専門家は「状況に応じて避難の選択肢を複数用意しておく必要がある」と助言する。
 気仙沼市で雨が強くなったのは津波注意報発令中の午前9時ごろ。市危機管理課の電話が鳴りだした。津波ではなく「道路の冠水情報が寄せられた」と市危機管理監の小野寺秀実さん(58)は振り返る。
 気仙沼市田中前では市道が冠水。近くの店舗で男性従業員(64)は「大雨が大変なのにラジオは津波情報ばかりだ」と嘆いた。
 大雨のたび国道398号が冠水する宮城県女川町。60代の男性は不安を口にし「大雨の際の避難方法も検討する必要があるのではないか」と町に要望する。
 釜石市では降りしきる雨の中、津波対応で開設した避難所に最大11人が避難した。釜石市大渡町内会長の荻野哲郎さん(73)は「避難者が少ないのは雨の影響もあると思う」と語った。
 大船渡市大船渡地区の無職男性(66)は津波避難勧告を受けて公民館に避難したが、家族は自宅に残った。「雨で避難に二の足を踏んだ」という。市防災管理室は「津波避難時に土砂災害警戒情報が出る大雨は初のケース。今後の防災に反映させたい」と話した。
 東北大災害国際研究所の安倍祥助手(防災・危機管理)は「ハザードマップは津波や地震、洪水など災害分野別にしか策定していない。複合災害では役に立たない」と指摘した。


<安保法案>仙台「被災地忘れるな」
 安全保障関連法案をめぐる与野党の攻防が最終局面を迎えた18日夕、仙台市内では前日に続き、法案を批判する集会やデモが繰り広げられた。
 青葉区国分町の元鍛冶丁公園で開かれた集会には約700人(主催者発表)が参加。仙台弁護士会の岩渕健彦会長は「法案の憲法違反は明らか。強行採決に強く抗議する」と強調。参加者は「被災地忘れて採決するな」と声をそろえて繁華街を練り歩いた。
 小学生の娘2人と参加した青葉区のパート吉村友紀子さん(43)は「憲法を踏みにじる政治では子どもの将来が不安だ」と語った。
 大学生グループ「SEALDs TOHOKU(シールズ東北)」は青葉区一番町でリレートークを開催。尚絅学院大3年菅野一祥さん(21)は「立憲主義を壊すルール無視の安倍政権は許せない」と叫んだ。
 仙台市内の高校1年女子(16)もマイクを握り「私たちの未来が懸かる戦い。傍観者ではいられない」と声を張り上げた。


<チリ地震津波>仙台・石巻30センチ
 チリ中部沖で日本時間17日に起きたマグニチュード(M)8.3の地震で18日、北海道から沖縄までの広い範囲で津波を観測した。久慈市で午前9時38分に全国で最も高い80センチの津波を記録したほか、八戸、釜石、大船渡、仙台、相馬の各市と石巻市鮎川で30センチ、むつ、宮古、いわき各市で20センチを観測した。
 気象庁は18日午前3時、全国の太平洋沿岸などに津波注意報を発表。14時間近くたった同日午後4時40分に解除した。仙台管区気象台は「しばらくは海面変動の大きい状態が続く」と注意を呼び掛けた。
 岩手県大槌町は避難指示を出し、最大で35人が避難。八戸、五所川原、三沢、久慈、いわきの5市、福島県広野、楢葉両町も避難指示を発した。避難勧告が出たむつ市では、避難所8カ所に最大70人が避難した。
 宮城県では塩釜、東松島両市と七ケ浜町が計4459人に避難勧告を出した。11市町が計52カ所に避難所を設置し、ピーク時には82人が身を寄せた。
 JRの在来線は仙石線高城町−石巻間で始発から運休。気仙沼線と大船渡線のバス高速輸送システム(BRT)も運行を見合わせた。塩釜市の本土側と浦戸諸島を結ぶ市営汽船も欠航。いずれも注意報の解除を受け、順次運行を再開した。
 宮城県では大雨の影響もあって石巻市、気仙沼市などの公立高16校が休校。南三陸町の小中学校7校も休校した。
 東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)、東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)で新たな異常は見つかっていない。
 東北での津波注意報発令、津波の到達はともに2月17日の三陸沖地震以来。


<宮城豪雨>大和町で焼却施設パンク寸前
 記録的豪雨で全域の約1割が浸水、浸水家屋208棟に上った大和町では、町内の処理施設に運び込まれる災害ごみの焼却が追い付かず、施設がパンク寸前に陥っている。
 黒川地域行政事務組合環境管理センターに11日以降に搬入されたごみの総量は964トンに上り、1週間で処理できる量のおよそ3倍。焼却炉を早朝から夕方までフル回転させるが、ごみの山は減らない。約1キロ離れた最終処分場を仮置き場にしたが、あと数日であふれる恐れがあるという。
 大型連休中に被災住宅の片付けが進めば、ごみはさらに増える見込み。センターの佐藤初雄所長は「職員は荷下ろしなどを絶えず手伝い、肉体的、精神的に疲弊してきている。損傷を防ぐために焼却炉も本来なら週に1日は休ませたい」と窮状を訴える。
 処理場を運営する黒川地域行政事務組合は、町を通じ、近隣自治体への支援要請を始めた。同組合の佐野英俊助役は「余力のある自治体がいくらかでもごみを受け入れてくれればありがたい」と話している。


<女川原発>市民4万人避難 東松島市も計画
 東松島市は18日、東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)の重大事故を想定した広域避難計画を明らかにした。原発から30キロ圏内にある宮城県内の自治体で、具体的な内容を公表したのは南三陸町に続き2例目。
 計画によると、30キロ圏内に居住する市民は7月現在で市人口の9割超の3万6836人。市は圏外も含めた全市民4万125人を避難させる。避難先には県がガイドラインで示した仙台、岩沼、名取の3市と亘理、山元の2町を設定した。
 市内8地区の具体的な避難先は、矢本東(8722人)と大塩(3514人)が仙台市太白区、矢本西(6149人)と大曲(5815人)が同市泉区、小野(5636人)と野蒜(1875人)が名取市と亘理町、赤井(7812人)と宮戸(602人)がそれぞれ岩沼市と山元町となる。
 移動手段は主に自家用車とし、自力避難できない住民ら約5000人にはバスを用意する。複合災害などで、県内3市2町による受け入れが難しい場合、市が災害相互援助協定を結ぶ県外の東根市と調整する。
 市防災課の担当者は「公表した計画は全体の2割程度。今後も協議や調整を重ねて内容を充実させる」と話した。
 市は9月末から、市内の自主防災組織を対象に計画内容や10月の原子力災害防災訓練などについて説明する。


「嵐」ファン集結 仙台駅、人の波
 休日が5日続く秋の大型連休「シルバーウイーク」が19日、始まった。期間中の4日間、人気グループ「嵐」のコンサートがある宮城県の玄関口JR仙台駅は、全国から集まった大勢の嵐ファンと行楽客でごった返した。
 仙台駅のコンコースは早朝から、利府町の宮城スタジアムで開かれる嵐のコンサートに向かうファンらが続々と到着。構内に掲げられたメンバーの広告ポスターを、スマートフォンで撮影する姿が多く見られた。
 コンサートのため、東京から友人と2人で訪れた会社員井熊一恵さん(20)は「仙台は初めて。仙台で食事などもしたいけど、ホテルが取れなかったので日帰りです」と話した。
 東北・山形新幹線は、下り自由席の乗車率が軒並み100%近くに達し、東京発盛岡行き「やまびこ43号」は150%となった。東北自動車道も行楽地などに向かう車で混雑した。


純米酒、醸せ男女の縁 仙台で「酒コン」
 宮城県酒造組合は「日本酒の日」の10月1日、独身男女が県内産の純米酒を楽しみながら出会うイベント「宮城の酒コンin仙台」を仙台市青葉区の勝山館で開く。2013年から東京で年1回催し、仙台での開催は初めて。宮城が力を入れる純米酒をPRし、ファンの裾野を広げる狙いがある。同組合は「日本酒の多彩な魅力に触れるつもりで気軽に来てほしい」と呼び掛ける。
 定員は男女それぞれ150人。組合に加盟する県内22の蔵元による50種類以上の純米酒や純米吟醸酒と、和洋の料理を立食で味わう。出会いのきっかけをつくる演出や宮城の酒に関するクイズにペアで挑む企画もある。
 組合が2013年から、東京・白銀台の八芳園で開く「宮城の酒コンin東京」は、初回に6組のカップルが成立。2回目は13組、ことし7月の3回目は31組に増えた。
 組合需要開発委員会の佐藤曜平委員長(35)は「若い世代で日本酒への関心が徐々に高まっている。この機会に、より多くの人に良さを知ってもらおうと考えた。酒が好きな人同士、話が弾むと思う」と話す。
 午後7時15分開始。参加資格は男性20〜50歳、女性20歳以上。参加料5400円。インターネットで申し込む。締め切りは27日。連絡先は県酒造組合022(222)3131。


〜「戦争法制」の発動を許さず、安倍内閣を打倒しよう〜
社会民主党
 本日、社民党はじめ野党の多くが反対する中、参議院本会議は、「戦争法案」を可決しました。「自衛隊の海外出動を為さざることに関す る決議」を採択している良識の府・参議院の存在意義をおとしめる暴挙中の暴挙です。法案に反対する多くの国民の皆さんとともに、満腔の怒りを込めて弾劾し ます。
 衆参併せて200時間以上審議されましたが、議論をすればするほど矛盾が露呈し、疑問が深まり、大臣の答弁もぼろぼろとなりました。 安倍首相が集団的自衛権の必要性を説明するために持ち出した事例も、全く根拠が失われ、立法事実がないことが明らかとなりました。多くの憲法学者や日弁 連、内閣法制局長官経験者に加え、安倍政権が頼みとしていた最高裁からも、元長官や判事経験者から違憲であり、政府の論理に正当性はなく、詭弁だとの指摘 がなされました。まさに、投票の結果がいかに多数でも、邪を転じて正となし、曲を転じて直となすことはできません。事実と道理の前には、いかなる多数党と いえども服従せざるを得ないのが、議会本来の面目であるはずです。
 「戦争法案」に対する疑問や反対の声は、収束するどころか各地に広がり、規模も大きくなるばかりです。8月30日には国会前に12万 人もの人々が集まりました。今も連日、座り込み行動や集会が続いています。国会前だけではありません。全国至る所で声が上がり、世代や職業、立場を超えて 多くの人々が立ち上がっています。行動に参加することができなくても、疑問に思っている人は、その何十倍もいます。「戦争法案」に国民の合意が形成された とはとても言えません。そうした中、民意をないがしろにする数の力の横暴は、国会の権能をおとしめ、民主主義そのものに挑戦するものであり、断じて許すこ とはできません。
 「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を 有しない」(憲法第98条)。憲法の平和主義に反し、立憲主義に反し、公務員の憲法尊重擁護義務に反する「戦争法案」は、まさに違憲であり、無効です。成 立強行で終わりではありません。廃止法案の制定や違憲訴訟はじめ、あらゆる手法を講じ、「戦争法制」を発動させない闘いに立ち上がりましょう。
 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(憲法第12条)。日本の平 和主義と民主主義を踏みにじった安倍首相は、きっと今日の日が安倍政権の終わりの始まりになったことを後悔することでしょう。当初の政府与党の思惑を粉砕 しここまで抵抗することができたのは、院内の野党の結束とそれを支える院外の広範な皆さんの力です。闘いはまだ始まったばかりです。私たちは、いま、平和 と民主主義、自由を求めて、新しい闘いの第一歩を、皆さんとともに踏み出します。
 「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(憲法第15条)。「戦争法案」に反対し廃案を求める声は、今 や「アベ政治を許さない」うねりに転化し、燎原の火のごとく広がっています。次の選挙で、平和主義、民主主義、立憲主義を破壊する法案を数の力だけで押し 切った議員や政党に、皆さんの怒りの鉄槌を下し、与野党逆転を実現し、安倍内閣を打倒しようではありませんか。安倍政権の暴走を止めるため、護憲の党の矜 持を持って社民党は、皆さんとともに力を合わせて、最後まで闘い抜く決意です。


「違憲」安保法制 さあ、選挙に行こう 
 新しい安全保障法制により、日本はこれまでの平和国家とは違う道に踏み出す。この流れを止めるには投票で民意を示すしかない。さあ、選挙に行こう。
 自衛隊が他国同士の戦争に参戦する集団的自衛権を行使できるようになり、これまでの「専守防衛」政策とは異なる道を歩みだす。これが新しい安保法制の本質だ。
 戦争放棄の日本国憲法に違反すると、憲法学者らが相次いで指摘し、国会周辺や全国各地で多くの国民が反対を訴えたが、与党議員が耳を傾けることはなかった。戦後七十年の節目の年に印(しる)された、憲政史上に残る汚点である。
◆公約集の後ろの方に
 安倍晋三首相が新しい安保法制推進の正当性を裏付けるものとして持ち出したのが選挙結果だ。
 首相は国会で「さきの総選挙では、昨年七月一日の閣議決定に基づき、平和安全法制の速やかな整備を明確に公約として掲げた。総選挙での主要な論点の一つであり、国民の皆さまから強い支持をいただいた」と答弁している。
 確かに、昨年十二月の衆院選で有権者は自民、公明両党に三分の二以上の議席を与え、自民党総裁たる安倍首相に政権を引き続き託したことは事実、ではある。
 とはいえ「アベノミクス解散」と名付け、経済政策を最大の争点として国民に信を問うたのも、ほかならぬ安倍首相自身である。
 首相が言うように、安保政策も主要争点ではあったが、自民党が衆院選公約として発表した「重点政策集2014」で安保政策は二十六ページ中二十四ページ、全二百九十六項目中二百七十一番目という扱いで、経済政策とは雲泥の差だ。
 「集団的自衛権の行使」という文言すらない。これでは憲法違反と指摘される新しい安保法制を、国民が積極的に信任したとはいいがたいのではないか。
◆「奴隷」にはならない
 もっとも、人民が自由なのは議員を選挙する間だけで、議員が選ばれるやいなや人民は奴隷となる、と議会制民主主義の欠陥を指摘したのは十八世紀のフランスの哲学者ルソーである。
 政党や候補者は選挙期間中、支持を集めるために甘言を弄(ろう)するが、選挙が終わった途端、民意を無視して暴走を始めるのは、議会制民主主義の宿痾(しゅくあ)なのだろうか。
 しかし、二十一世紀を生きる私たちは、奴隷となることを拒否する。政権が、やむにやまれず発せられる街頭の叫びを受け止めようとしないのなら、選挙で民意を突き付けるしかあるまい。
 選挙は有権者にとって政治家や政策を選択する最大の機会だ。誤った選択をしないよう正しい情報を集め、熟慮の上で投票先を決めることは当然だ。同時に、低投票率を克服することが重要である。
 安倍政権が進める新しい安保法制について、報道各社の世論調査によると半数以上が依然「反対」「違憲」と答えている。
 そう考える人たちが実際に選挙に行き、民意が正しく反映されていれば、政権側が集団的自衛権の行使に道を開き、違憲と指摘される安保法制を強引に進めることはなかっただろう。
 昨年の衆院選で全有権者数に占める自民党の得票数、いわゆる絶対得票率は小選挙区で24・4%、比例代表では16・9%にしかすぎない。これが選挙だと言われればそれまでだが、全有権者の二割程度しか支持していないにもかかわらず、半数以上の議席を得て、強権をふるわれてはかなわない。無関心や棄権をなくして民意を実際の投票に反映することが、政治を正しい方向に導く。
 幸い、国会周辺で、全国各地で安倍政権の政策に異議を唱えた多くの人たちがいる。その新しい動きが来年夏の参院選、次の衆院選へとつながることを期待したい。
 まずは自分が声を上げ、共感の輪を広げる。そして多くの人に投票所に足を運んでもらえるようになれば、政治が誤った方向に進むことを防げるのではないか。
 来年の参院選から、選挙権年齢が二十歳以上から十八歳以上に引き下げられる。若い世代には、自らの思いをぜひ一票に託してほしい。それが自分たちの未来を方向づけることになるからだ。
◆民意の受け皿つくれ
 野党にも注文がある。安保法制反対の共闘で培った信頼関係を発展させて、来年の参院選では安倍自民党政治とは異なる現実的な選択肢を示してほしいのだ。
 基本理念・政策が一致すれば新党を結成して有権者に問えばよい。そこに至らなくても、比例代表での統一名簿方式や選挙区での共同推薦方式など方法はある。
 野党が党利党略を優先させて、選挙にバラバラで臨むことになれば、民意は受け皿を失い、拡散する。そうなれば自民、公明の与党が漁夫の利を得るだけである。


<安保法成立>各地で抗議「この日を忘れない」
 安全保障関連法が成立した19日、国会前や列島各地で抗議のデモや集会があった。高校生や大学生のほか、小学生の孫を連れた高齢層など幅広い世代が参加。「この日を絶対忘れない」「戦争反対」と声をそろえた。連休中には各地でさまざまな抗議行動が予定されており、市民らの反対の意思表示が続きそうだ。
 19日午後の国会前は、個人で加わった人も多く、複数の参加者が「自然発生的に集まった」と話した。
 京都市の繁華街では、関西の高校生を中心にしたグループが企画したデモがあり、参加者が「高校生もむかついてんだぜ」とコールを上げた。

PHS忘れた/DVXで返事/ユーカイ?ヘイ?/ガイセで間違い多し

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150903聖路加ガーデン

Japon : la rue veut la paix
La fin du pacifisme constitutionnel voulu par le Premier ministre Shinzo Abe déclenche une mobilisation sans précédent depuis les années 70.
Ils ne lui diront pas merci. Et pourtant, les dizaines de milliers de Japonais qui se mobilisent contre les projets de loi sécuritaires de Shinzo Abe doivent une fière chandelle au Premier ministre japonais. Depuis qu’il est revenu au pouvoir, fin 2012, et a fortiori à partir du moment où il s’est lancé dans un chambardement constitutionnel visant à enterrer le pacifisme d’Etat, le chef du gouvernement a bien malgré lui (r)éveillé la société civile. Jeudi soir, alors que le Parlement étudiait les lois de défense qui doivent permettre l’envoi de militaires dans un conflit à l’étranger, ils étaient encore des milliers à braver la pluie et à défier sagement les forces de l’ordre. Le week-end, environ 30 000 personnes avaient défilé à Osaka. D’autres cortèges et meetings ont eu lieu à Kyoto, Yokohama, Sapporo, etc.
Fin août déjà, plus de 120 000 manifestants s’étaient rassemblés devant le Parlement à Tokyo, dans une capitale qui n’avait pas vu autant de mobilisation depuis les turbulentes années 60-70. Et septembre aura été un mois inédit de participation et d’activisme citoyen.
Il s’est donc passé quelque chose au Japon. Appelons cela le grand réveil ou la ≪démocratie des rues≫, selon l’expression du politologue Toru Yoshida qui, comme la majorité des Japonais, se dit ≪très surpris par l’ampleur et l’aura d’un mouvement de contestation d’un nouveau genre≫. Si le débat sur les projets de loi sécuritaires a de nouveau viré au pugilat entre sénateurs, jeudi à la Chambre haute, c’est surtout en dehors de la classe politique qu’il a été le plus vivant ces dernières semaines.
≪L’Autodéfense collective≫
≪Les Japonais ont appris à faire des manifestations et se sont rendu compte, en voyant ce qui se passait à Taipei, Hongkong ou New York, qu’occuper une place était quelque chose de normal et de possible, poursuit Toru Yoshida. J’ai été étonné de voir sur les réseaux sociaux et d’entendre dans les conversations des paroles positives de soutien alors que les années précédentes, une pareille mobilisation aurait généré beaucoup de scepticisme et de cynisme.≫
Bien sûr, si l’on rapporte le nombre des manifestants aux 125 millions d’habitants, cette ≪démocratie de la rue≫ n’est pas massive. Mais elle représente une minorité significative, vivante et hétérogène. Face au Parti libéral démocrate (PLD) de Shinzo Abe et son allié du Komeito qui tronent sur une majorité bulldozer au Parlement, elle savait que le combat serait inégal. Et ne se faisait guère d’illusions sur l’issue du vote et sur la détermination de du Premier ministre de réaliser son rêve de faire du Japon un ≪pays normal≫. Pour y parvenir et réaliser le projet cher au PLD depuis soixante ans, le nationaliste Abe entend amender dix lois existantes pour faciliter le déploiement des forces japonaises à l’étranger. En validant le principe de ≪l’autodéfense collective≫, le Japon souhaite venir en aide à ses alliés, quitte à attaquer un belligérant qui ne menacerait pas directement l’archipel.
Depuis que le Premier ministre s’est consacré à la mère de ses réformes en juillet 2014, la société civile a tenu tête dans un pays où la culture de dissension ne va jamais de soi. La contestation a jailli dans de nombreuses strates de la société, démontrant que la démocratie nippone n’était pas atone et que ≪l’attachement à l’article 9 [de la Constitution] renonçant à la guerre restait très fort≫, analyse Toru Yoshida.
Coup de sang autoritaire
Les plus en pointe restent les étudiants du SEALDs, l’Action d’urgence des étudiants pour la démocratie libérale. Cette organisation créée au printemps a squatté les rues, les réseaux sociaux, organisant concerts impromptus, happenings citoyens et débats passionnés. Ils ont professé une contestation soft alors que la machine économique attendait d’eux qu’ils se comportent en sages consommateurs et dociles travailleurs. Avec rap et slogans efficaces, ils se sont invités dans un paysage où l’offre politique oscille entre le vieux et l’ennuyeux, le bien-pensant et l’affligeant. Des leaders ont émergé, brocardant un PLD poussiéreux.
Aki Okuda est l’un d’eux. Quand Libération l’a rencontré l’an dernier pour tirer son portrait, cet étudiant en sciences politiques se félicitait d’avoir réuni 2 000 de ses pairs pour une manif joyeuse dans le sud-est branché de Tokyo. Presque une autre époque, vu la reconnaissance obtenue. Costume sombre et chemise blanche, Aki Okuda a été entendu mardi en commission sénatoriale. Convié par l’opposition, il a chapitré les parlementaires : ≪Personne, à part vous, n’est responsable de la situation actuelle. Les projets de loi vont probablement passer [au Sénat] en vertu de la démocratie parlementaire mais j’aimerais que [les partis au pouvoir] se demandent s’il est normal de faire ce que bon leur semble parce qu’ils sont majoritaires.≫
La contestation étudiante s’est agrégée à celle des écrivains, des juristes, des avocats dont certains ont organisé des ≪café-constitutions≫, à l’instar de Keiko Ota, du barreau de Yokohama, qui va à la rencontre des mères de famille. L’association des Femmes contre la guerre a également occupé le pavé, avant que des centaines d’artistes du monde du théâtre ne rejoignent le cortège contre les ≪actes tyranniques de l’administration Abe≫. De simples groupes de citoyens, comme ces mères de famille de Kyoto qui manifestaient en juillet, ou ce groupe de retraités croisés à Tokyo au printemps, ont rallié l’opposition à la ≪législation de guerre≫, selon l’expression qui a fait mouche cette année. ≪Cette contestation est constituée de nombreux mouvements créés en dehors des partis et qui ont choisi d’agir ensemble au nom de la constitution, rappelle Koichi Nakano, professeur de sciences politiques à l’université Sophia de Tokyo. Il s’agit d’un nouvel activisme qui n’a rien à voir avec l’engagement gauchiste des années 60.≫
Cet universitaire engagé est l’une des chevilles ouvrières du mouvement des professeurs qui, depuis avril 2014, rappelle que le ≪gouvernement doit respecter des principes juridiques de base≫ et n’a jamais cessé de ≪questionner la légitimité des lois sécuritaires de Shinzo Abe≫. Le 4 juin, le mouvement a gagné en audience quand trois juristes respectés, dont Yasuo Hasebe, pourtant mandaté par le Parti libéral du Premier ministre, ont déclaré ≪inconstitutionnelle≫ l’autodéfense collective. ≪Ce jour-là, les Japonais ont été surpris par ce point de vue tranché≫, note Toru Yoshida.
Le gouvernement a fait le dos rond, concédant des débats parlementaires supplémentaires. Mais l’équipe Abe, entre coup de sang autoritaire à l’encontre des contestataires et explications byzantines sur ces projets, n’a jamais réussi à convaincre, s’attirant des critiques jusque dans les rangs de sa pléthorique majorité. Après avoir répété la nécessité d’une telle refonte pour répondre aux menaces croissantes dans la région, le chef du gouvernement a fini par reconnaître, lundi, que la ≪compréhension et le soutien du public se propagera après la promulgation des lois et avec le temps≫. Curieuse conception du débat.
Une Classe politique discréditée
Même s’il est vu comme l’homme fort de la droite nippone et le VRP de l’entreprise Japon, Shinzo Abe a cristallisé des protestations avec ses projets de relance du nucléaire, et le vote de la liberticide loi sur les secrets d’Etat. ≪Son style de politique, sa fermeture sur les questions de société, un anti-intellectualisme et une certaine bêtise au sein de son entourage sont contestés≫, constate Toru Yoshida. Abe est également tributaire d’un climat de défiance des électeurs nippons envers une classe politique discréditée, que l’alternance ratée de 2009 a aggravé. Le tsunami et la crise nucléaire de mars 2011 ont renforcé ce sentiment. Les Japonais se sont alors rendu compte qu’une certaine idée d’un Japon sûr et protecteur de sa population avait pris fin à Fukushima. ≪C’est après mars 2011 que l’on a vu apparaître ces nouveaux activistes et contestataires≫, rappelle Koichi Nakano. Ce sont eux qu’Abe affronte avec fermeté en ce moment. Aussi ferme, avancent des militants âgés, que son grand-père, Nobusuke Kishi, contraint de quitter son fauteuil de Premier ministre en 1960 après avoir soutenu contre vents et marées la ratification d’un nouveau traité de sécurité avec les Etats-Unis.
Arnaud Vaulerin Correspondant au Japon
フランス語
フランス語の勉強?
ドキュメント72時間「夏コミ!“日本一”のコンビニで」
今週で放送100回を迎えた「72時間」。舞台は、真夏の3日間、あるチェーンの中で日本一多くの客が押し寄せるコンビニ店だ。近くで開かれるサブカルチャーの祭典・コミックマーケット(コミケ)に向かう人々がやってくる。飲み物などを買う前線基地となるこの店。アニメのコスプレで夢の世界に没頭する若者や、ゲームを愛する同志と会うことを生きがいにしている会社員などが行き交う。“夏コミ”にもえるコンビニの人間模様。
吹石一恵


朝PHSを忘れてしまったことに気がつきました.でも実際大したデメリットはないかな?なんとなく不安という程度.
今日のキソキソのために考えことをしていたのですが,ユーカイとヘイがよくわからないような・・・実際にはそれはどうでもよくてガイセの間違いが多かったのでした.

<安保法案>急ぐべきは復興 被災地怒り疑念
 4年半たっても暮らしが取り戻せない東日本大震災の被災地に、不信感が渦巻いた。与党が17日、安全保障関連法案を参院平和安全法制特別委員会で強行採決した。「進め方が強引だ」「急ぐべきは復興ではないか」。今も約20万人が避難生活を続ける中、脇目もふらず法案成立に猛進する与党の姿勢は、復興へ地道なプロセスを踏む被災者に、怒りと違和感を抱かせた。
 「とてもこんな強引にはできない」。震災で被災した宮城県気仙沼市本吉町で、住民らと合意形成を大切にしながら復興まちづくりの議論を重ねる漁業菊地敏男さん(68)は、与党の拙速さにあきれた。
 市が示した防潮堤計画に関して勉強会を11回重ね、計画変更を要望した。さまざまな意見がある中で強引に進めれば、復興の根幹をなすコミュニティーが崩れてしまうと考えるからだ。
 「復興と同じで、安全保障も子や孫、その先まで影響する。焦って決める必要はない。次世代に負の遺産とならないようにしてほしい」と訴える。
 国会で安保法案をめぐる議論が熱を帯びる一方で、「震災」や「復興」の言葉が中央で影を潜めた。
 「震災の風化を感じる」。宮城県石巻市の仮設住宅団地の自治会長を務める渡辺富雄さん(65)はつぶやく。
 災害公営住宅の入居が徐々に進むとともに仮設住宅は空き室が増え、虫食い状態になってきた。自治会が解散した団地では高齢者の引きこもりが気掛かりだ。
 ついのすみかと思って入った災害公営住宅でカビが発生した。仮設住宅の集約による移転など、課題や不安は尽きない。「急ぐべきは被災地の復興ではないか」と嘆く。
 政府は来年度から、被災自治体に対し復興事業費の地元負担を導入する。安保法案をめぐる強引な手法に被災者は「復興もいつか見切られるのではないか」と不信を抱き始めた。
 宮城県山元町の農業渡辺正俊さん(74)は、津波で全壊した自宅を修繕して生活する。町の災害危険区域に指定された周囲は、今も荒れ地のまま変わらない。
 「そんなに急がないといけないのか。困っている被災者はまだたくさんいるのに」と渡辺さんは首をかしげる。
 岩手県宮古市の自営業盛合貞子さん(65)は「安倍政権の姿勢は被災者の心情とずれている」と切り捨てた。


<安保法案>被災地忘れ採決するな
 「被災地忘れて採決するな」「東北だって黙ってないぞ」。安全保障関連法案が参院特別委員会で可決された17日夜、東日本大震災の被災地を抱える仙台市内でも多くの市民が抗議の声を上げた。
 宮城県の護憲団体が主催した「9.17緊急県民集会」には雨の中、約900人(主催者発表)が会場となった青葉区国分町の元鍛冶丁公園に集まった。
 大学生ネットワーク「SEALDs TOHOKU(シールズ東北)」のメンバーで、東北大2年の久道瑛未さん(19)が護憲団体代表らに続いてあいさつ。「法案を通そうとしている議員の顔を一生忘れず、絶対に許さない」と話すと、ひときわ大きな拍手が沸き起こった。
 参加者は雨が降りしきる中、「9条壊すな」「戦争させない」などと書かれたプラカードを掲げ、青葉区のアーケード街など約2キロをデモ行進した。5歳の長男と参加した青葉区の会社員大沼悦子さん(41)は「国会の物々しい雰囲気に子どもも怖がっている。将来に不安をもたらす法案は許せない」と語った。
 安全保障関連法案に反対する「戦争法案の強行採決を許さない!盛岡緊急抗議デモ」が17日夜、盛岡市であった。消費者団体や労組などでつくる実行委員会が呼び掛け約500人が参加。「戦争したがる首相はいらない」などと声を上げ、市中心部をデモ行進した。
 岩手生協連の加藤善正会長理事は「多くの人が力を合わせ、廃案要求の声を安倍政権に届けよう」と訴えた。会社の同僚80人と参加した菊地貴之さん(32)は「強行採決は民意が反映されていない。若者が立ち上がり、平和を訴える声を全国に広げたい」と話した。
 福島市のJR福島駅前でも17日夜、20〜30代の社会人らでつくる「戦争法案に反対する福島県若者有志の会」が集会を開いた。約40人が参加し、「強行採決絶対反対」と意気込んだ。
 福島大1年の佐藤梨央さん(19)は「勝手に物事を決める今の政治を多くの若い人に知らせなければ」と力を込めた。


「嵐」ライブ ファンの「嵐」スムーズに流せ
 人気グループ「嵐」による大型コンサートの開催に合わせ、宮城県警が会場となる宮城スタジアム(宮城県利府町)周辺の交通対策や警備を強化する。コンサートは秋の大型連休(19〜23日)中の4日間で、20万人以上のファンの来場を見込む。県警は「渋滞や混乱を軽減し、円滑な公演を後押したい」と話す。
 県警によると、当日はシャトルバスが往路で約150台、復路で約300台臨時運行するほか、東京からのツアーバスや自家用車、タクシーなどが会場周辺に集中する。
 県警交通規制課は「渋滞は必至」とみて、県道仙台松島線(利府街道)など周辺道路を車で通るのを控えるようラジオで呼び掛けるほか、道路上に設置されている交通情報板で渋滞予測を発信する。
 コンサート当日は車がスムーズに流れるよう、交通管制センターがリアルタイムで信号の点灯時間の調整に当たるという。
 過去に宮城スタジアムであった大規模な公演の際は、約5キロ離れたJR利府駅まで歩く来場者が後を絶たなかったことから、歩行者の交通整理も徹底する。県警の担当者は「全国から訪れるファンが心から楽しめるよう、しっかり対応したい」と話す。


役場から不審電話が数十回?被災住民「参った」
 東日本大震災で被災した宮城県山元町の住民の携帯電話に町役場庁舎から不審な着信があったことが、17日分かった。少なくとも2回は確認でき、住民は「数十回はあった」と訴えており、町は電話会社に依頼し調査を進めている。
 町や住民によると、ことし8月12日に建築営繕室の番号で着信があり、住民が折り返したが、電話をかけた職員はいなかった。同24日に役場の代表番号で着信があり、住民が出たところ3分間ほど無言の状態だったという。2度目は会議室から掛けた可能性が高いという。
 住民は「ことし4月以降、同じような着信が頻繁にあって精神的に参った。こんなことをしている暇があったら、復興をしっかりやってほしい」と憤る。
 苦情を受け、町は使用していない会議室に鍵を掛けるなどの対応を取った。電話を管理する企画財政課は「人物の特定には至っていないが、庁舎からかけたと言わざるを得ない。当事者には大変申し訳ない」と陳謝している。


<チリ地震津波>震災被災地沿岸に緊張
 東日本大震災の記憶が残る東北の太平洋沿岸部に未明から警戒のサイレンが響いた。チリ中部沖で起きた大地震に伴う津波が到達した18日午前、沿岸の一部住民は各地の避難所に駆け込むなどし、自治体は注意の呼び掛けに追われた。午前までに目立った被害はなかったが、津波注意報が解除されるまでの「長期戦」を見据える人の姿も見られた。
◎宮城の避難所「小さくても不安」
 前日の17日夕に8557世帯に避難準備情報を発令し、市内10カ所に避難所を設けた宮城県気仙沼市。ピーク時で5カ所に計18人が身を寄せた。
 市民会館に長女と避難した同市内の脇の主婦山内敬子さん(81)はおにぎりを持参した。「震災の時に3日間も食べられなかったから。津波は大きくても小さくても不安。影響がないことを願っている」と案じながら話した。
 宮城県東松島市は526世帯に避難勧告を出し、市内18カ所に避難所を開設した。市役所矢本庁舎の災害対策本部では職員らが情報収集に当たり、津波監視カメラから送られる映像を基に海面の変化を見守った。
 市内の大塩市民センターには男女4人が身を寄せた。妻と避難した大曲地区の男性(73)は「自宅より高い場所に逃げようと思い、震災時と同じくここに来た」と話した。
 ことし6月に完成した宮城県七ケ浜町代ケ崎浜の避難所には一時、26人が訪れた。町の避難勧告を受け、実際に避難所として使うのは初めてだという。
 地区の代表区長の伊藤喜幸さん(74)は震災の津波で自宅が全壊した。「せっかく生活が落ち着いたのにまた津波災害に遭っては耐えられない。まあ、きょうは長期戦だ」と話し、各地の津波高を伝えるテレビ画面を見詰めた。


宮城沿岸部激しい雨 石巻・雄勝で土砂崩れ
 宮城県沿岸部は18日午前、本州の南に停滞した前線の影響で激しい雨に見舞われた。この影響で石巻市雄勝町船越地区で土砂崩れがあったほか、女川町や気仙沼市などで道路が冠水した。仙台管区気象台は土砂災害や低地の浸水、河川の増水に注意を呼び掛けた。
 降り始めの17日午前6時から18日午前11時までの総降水量は気仙沼116.0ミリ、女川115.0ミリ、石巻市雄勝111.5ミリ、女川町江ノ島90.0ミリ、石巻62.0ミリ。仙台は48.5ミリだった。
 19日正午までの24時間雨量は多い所で80ミリとなる見込み。


航空機の翼?函館漂着 大震災の津波被害機か
 北海道函館市浜町の海岸に航空機の翼の一部とみられる金属部品が見つかった。国土交通省函館空港事務所が函館空港を使う国内外の航空会社8社に照会したが該当する機体はなし。東日本大震災の被災地で津波に襲われ、流された機が漂着した可能性があるという。
 同事務所によると、部品は四つあり、最も大きいもので縦約2・5メートル、横約2メートル、厚さ約5センチの板状。湾曲しており、翼の特徴である、蜂の巣のような「ハニカム構造」が見られるという。
 11日夕、熊別川の河口付近に打ち上げられているとの情報が函館海上保安部に入った。


<復興めし>特産貝サクッと庶民の味。
◎(9)ホッキコロッケ(宮城・山元)
 宮城県山元町の特産物ホッキ貝を使った料理コンクールの最終審査会が開かれていた。アイデアを公募。最優秀作は復興グルメとして地元の店で売り出す。
 候補1品目は「ホッキムチ」。ゆでたホッキ貝とキムチをあえた。
 審査員A「安定感のある味で販路にも乗りやすい。ただ取扱店が自家製でキムチを仕込むとなると大変かも」
 次は「ホッキ貝のクリーム煮」。ホッキ貝とラビオリをクリームシチュー風に煮込んだ。
 B「完成されたメニューだが、ラビオリ作りに手間が掛かり、普及しにくいかもしれない」
 最後は「ホッキコロッケ」。ホッキ貝を刻んでタネに混ぜて揚げる。
 C「ホッキの味と食感がよく出ている。ポテトコロッケのほか、クリームコロッケ、ライスコロッケとバリエーションが広がり、発展性がある」
 一同「これだっ」
☆食いに行く
 ホッキコロッケは2013年12月にデビューした。山元町山寺山下の「魚やたけだ」で買える。クリームコロッケ仕立てで1個150円。ほかに町内の特定の飲食店で定食として出している。山元町には常磐自動車道山元インターチェンジを下りて国道6号で。連絡先は亘理山元商工会山元事務所0223(37)0543。


【緊迫・安保法案】 山本太郎氏が1人牛歩と焼香のパフォーマンス 「本日は自民党の告別式」
 生活の党と山本太郎となかまたちの山本太郎共同代表は18日の参院本会議で、安倍晋三首相の問責決議案の記名投票に際し、議場をゆっくり歩く「牛歩」戦術で議事進行を遅らせた。投票直前には焼香のしぐさを見せるパフォーマンスを行った。
 山本氏は17日の参院平和安全法制特別委員会で、安全保障関連法案の採決時に「自民党が死んだ日」と書かれたプラカードを掲示。18日の参院本会議では喪服に身を包み審議に臨んでいた。
 山本氏の遅延行為を見かねた山崎正昭議長が早く投票するよう注意。さらに同党の主浜了氏からたしなめられても牛歩を続けた。壇上では議席を振り向き、焼香するふりを数回繰り返した。議場は山本氏の一連の行動を批判する激しいヤジに包まれた。
 山本氏は採決後、記者団に「昨日は『自民党が死んだ日』と掲げたので、本日は告別式の流れになる」と持論を語った。


「キスに効用」大阪・寝屋川の医師にイグ・ノーベル賞 邦人9年連続
 ユーモアにあふれた科学研究などに贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が17日、米マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大で開かれた。医学賞には、キスをすることで皮膚のアレルギー反応が低減すると実証した大阪府のクリニック院長、木俣肇さん(62)が選ばれた。
 日本人のイグ・ノーベル賞受賞は9年連続。木俣さんは都合があって式典を欠席したが、受賞は光栄だとした上で「人間が本来持っている自然治癒力ともいうべき豊かな感情を大いに利用して、アレルギー反応を減弱させてほしい」とのコメントを発表した。また、会場に感謝のビデオメッセージを寄せた。
 キスに関する別の研究を行ったスロバキアのチームが医学賞を共同受賞。授賞式では司会者に促され、客席で来場者のカップルらがキスを交わす一幕もあった。
 木俣さんは大阪府寝屋川市のアレルギー科クリニック院長。対象となった論文の実験では、アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎を患う被験者それぞれ数十人に、恋人や配偶者と30分間キスをしてもらった。その結果、キスする前と比べ、ダニやスギ花粉に対する皮膚のアレルギー反応が大幅に抑えられたという。
 このほか、ほとんどの哺乳類は体のサイズにかかわらず、排尿に要する時間が大差ないとする研究に物理学賞、ゆで卵の一部を生の状態に戻す研究に化学賞が贈られた。
 2005年に栄養学賞を受賞した発明家のドクター中松こと中松義郎さんも参加。自身が患うがんに負けないとのメッセージを込めた歌を披露し、拍手喝采を浴びた。


安保転換を問う 参院委採決強行
 ◇民意に背を向けた政権
 参院平和安全法制特別委員会は安全保障関連法案の採決を強行した。野党が抵抗する中、採決が行われたかどうかすらわからない、不正常な可決だった。
 衆参両院で200時間を超す審議を経ても、政府は法案の合憲性や「なぜ必要か」について納得できる説明ができなかった。にもかかわらず、与党は民意との乖離(かいり)を自覚しながら採決に踏み切った。これでは安倍晋三首相らが強調していた「民主主義のルール」を尊重した結論とは言えまい。
 ◇正常な手続きではない
 委員長の姿が見えない、異様な採決だった。鴻池祥肇委員長の不信任動議が否決され鴻池氏が着席すると、いきなり与党も含めた議員が取り囲んだ。委員長が採決する声も聞き取れなかった。国民の目にどう映っただろう。
 参院審議の状況は16日の地方公聴会の終了を境に一変した。与党は質疑の終結と採決を図り、野党はこれを阻止しようと対立した。
 国会周辺のデモなどの抗議活動は連日続き、各種世論調査では今国会成立に反対する意見が賛成派を大差で上回っている。27日の会期末を控え、与党が18日までの成立を急ごうとしているのは、週末や連休にかけて反対デモなどの運動が一層拡大することを警戒したためだとされる。世論をおそれたのであれば、ここで踏みとどまるべきだった。
 今回の法整備のそもそもの誤りは、中国の台頭など安全保障環境の変化に対応した冷静な議論もないまま、集団的自衛権の行使容認という結論を押し付け、実現しようとした安倍内閣の姿勢にある。
 議会制民主主義の下では、国民の代表である国会議員の手に立法機能が確かに委ねられている。だが、それはあくまで熟議を重ね、合意形成の努力が尽くされるのが大前提だ。
 しかも今回の法案の中身は平和国家を規定する憲法の根幹に関わる。政府は集団的自衛権行使を否定していた1972年の政府見解をねじまげて、行使に道を開いた。このため、憲法学者の多くは法案を違憲だと断じている。
 法整備の必要性も、政府は最後まではっきりと説明できなかった。最初は強調していたホルムズ海峡での機雷掃海は「具体的に想定していない」と後退した。審議が進めば進むほど説明はほころんだ。
 国会での議論を通じ、主要な野党と修正協議で接点を探る選択肢も与党にはあったはずだ。安保関連法案は11本もの法案をたばねたものだ。国連平和維持活動(PKO)に関する部分などは切り離すべきだった。
 そもそも、首相は国民と正面から向き合い、理解を得ようとする発想に乏しかったのではないか。
 昨年末の衆院解散・総選挙を首相は「アベノミクス解散」と命名し、「アベノミクスを前に進めるか、止めてしまうのかを問う」と訴えた。安保法制は多くの公約のひとつとされ、首相は今国会の施政方針演説でも安保関連法案を強調しなかった。
 ◇国民の分断を避けよ
 法案提出前から説明が不足していたうえ、国会で理解を深めようとする姿勢もあまり感じられなかった。
 安倍内閣は2013年、自民党公約になかった特定秘密保護法も強引に成立させた。あるべき安全保障の姿が現行憲法の枠を超えると仮に判断したのであれば、主権者である国民の投票による憲法改正というゴールを追求すべきだった。
 法整備に対し、学界、法曹界、地方議会に加え、幅広い世代を巻き込んだ広範な反対運動が起きている。選挙の争点ともならないまま政府が国の骨格を変えようとすれば、有権者が平和的なデモで意思表示することは限られた抗議の手段となる。学生団体「SEALDs(シールズ)」の奥田愛基(あき)さんが特別委の中央公聴会で「現在の状況を作ったのは与党のみなさんだ」と指摘したのは的外れではない。
 民主党など大半の野党は採決に強く反発している。論戦を通じ、野党が法案の中身や政権の姿勢の追及に一定の役割を果たしたのは事実だ。
 ただ、採決を阻止できなかった原因は議員の数不足だけではない。民主党は集団的自衛権の行使について結局、対案を示さなかった。法案への批判にもかかわらず、有権者の野党への期待はふくらんでいない。不正常な強行採決も与党が「政権を失うほどの打撃にならない」と野党の足元をみたことは否定できまい。
 首相にとって、批判の中での強行劇は祖父、岸信介首相がかつて実現した日米安保条約改定の再現なのかもしれない。
 だが、合意をないがしろにした政治は、国民を分断してしまう。政権の目的を優先させ、国民の理解を二の次にするような手法は政治への信頼を根底から損なう。
 国のありかたに関わる法律をこれほど乱暴な手続きで作っていいのか。成立に改めて強く反対する。


「違憲」安保法制 憲法を再び国民の手に
 政府が憲法解釈を勝手に変えてしまえば、国民が憲法によって権力を律する「立憲主義」は根底から覆る。憲法を再び国民の手に取り戻さねばならない。
 安全保障法制をめぐる安倍政権の強硬姿勢は最後まで変わらなかった。国会周辺や全国各地で響きわたる「九条壊すな」の叫びに、耳を貸さなかったようだ。
 他国同士の戦争に参戦する「集団的自衛権の行使」を法的に可能にするのが安倍政権が進める安保法制の柱である。多くの憲法学者らがどんなに「憲法違反」と指摘しても、安倍内閣と与党側は「合憲」と強弁し続ける傲慢(ごうまん)さだ。
◆歴代内閣が見解踏襲
 そもそも集団的自衛権の行使を「憲法違反」としてきたのは、ほかならぬ政府自身である。
 戦後、制定された日本国憲法は九条で、国際紛争を解決するための戦争や武力の行使、武力による威嚇は行わないと定めた。
 日本国民だけで三百十万人もの犠牲を出し、近隣諸国にも多大な損害を与えた先の大戦に対する痛切な反省に基づく、国際的な宣言でもある。
 その後、実力組織である自衛隊を持つには至ったが、自衛権の行使は、日本防衛のための必要最小限度の範囲にとどめる「専守防衛」政策を貫いてきた。
 一方、国連憲章で認められた集団的自衛権は有してはいるが、行使は必要最小限の範囲を超えるため、憲法上、認められないというのが、少なくとも四十年以上、自民党を含む歴代内閣が踏襲してきた政府の憲法解釈だ。
 この解釈は、国権の最高機関である国会や政府部内での議論の積み重ねの結果、導き出された英知の結集でもある。一内閣が恣意(しい)的に変えることを許せば、憲法の規範性や法的安定性は失われる。そんなことが許されるはずはない。
◆「禁じ手」の解釈変更
 しかし、安倍晋三首相の内閣は昨年七月の閣議決定で、政府のそれまでの憲法解釈を変更し、違憲としてきた集団的自衛権の行使を一転、合憲とした。
 集団的自衛権を行使しなければ国民の生命や財産、暮らしが守れないというのなら、その賛否は別にして、衆参両院でそれぞれ三分の二以上の賛成を得て改憲を発議し、国民投票に付すのが憲法に定められた手続きだ。
 その労を惜しみ、憲法そのものではなく、閣議決定による解釈変更で、それまで「できない」と言い続けていたことを一転、「できる」ようにするのは、やはり「禁じ手」だ。憲法軽視がすぎる。
 首相は、徴兵制は憲法が禁じる苦役に当たるとして否定したが、一内閣の判断で憲法解釈の変更が可能なら、導入を全否定できないのではないか。現行憲法が保障する表現の自由や法の下の平等ですら、制限をもくろむ政権が出てこないとも限らない。
 政権が、本来の立法趣旨を逸脱して憲法の解釈を自由に変えることができるのなら、憲法は主権者たる国民の手を離れて、政権の意のままに操られてしまう。
 国民は、一連の国政選挙を通じて安倍首相率いる自民党に政権を託したとはいえ、そこまでの全権を委任したわけではない。
 報道各社の直近の世論調査でも依然、安保関連法案への「反対」「違憲」は半数を超える。今国会での成立反対も過半数だ。
 首相は十四日の参院特別委員会で「法案が成立し、時が経ていく中で間違いなく理解が広がっていく」と語った。どんな根拠に基づいて決めつけることができるのか。
 国会周辺をはじめ全国各地で行われている安保関連法案反対のデモは収束するどころか、審議が進むにつれて規模が膨らんだ。
 憲法破壊に対する国民の切実な危機感に、首相をはじめ自民、公明両党議員はあまりにも鈍感ではないのか。
 憲法はもちろん、国民のものである。特に、膨大な犠牲を経て手にした戦争放棄の九条や国民の権利を定めた諸規定は、いかなる政権も侵すことは許されない。
◆絶望は愚か者の結論
 私たちは違憲と指摘された安保関連法案の廃案を求めてきた。衆院に続いて参院でも採決強行を阻止できなかった自らの非力さには忸怩(じくじ)たるものがある。
 しかし、今こそ、英国の政治家で小説家であるディズレーリが残した「絶望とは愚か者の結論である」との言葉を心に刻みたい。
 憲法を私し、立憲主義を蔑(ないがし)ろにするような政治を許すわけにはいかない。ここで政権追及の手を緩めれば権力側の思うつぼだ。
 憲法を再び国民の手に取り戻すまで、「言わねばならないこと」を言い続ける責任を自らに課したい。それは私たちの新聞にとって「権利の行使」ではなく「義務の履行」だからである。


戦争法案強行糾弾 国会と国民へのだまし討ちだ
 戦争法案を審議してきた参院の特別委員会は、前日の地方公聴会が終わった直後締めくくりの総括質疑と採決を強行しようとした鴻池祥肇委員長(自民)への不信任動議を自民・公明などが否決したあと、突然質疑を打ち切り、賛成多数で法案を採決したとして大混乱のなか散会しました。鴻池委員長が不信任動議を否決され席に戻ったあと、審議の再開も動議の提出も委員会室に聞こえていません。委員長席に殺到し、勝手に立ったり座ったりした与党の言語道断な暴挙です。広がる国民の反対世論を踏みにじった安倍晋三政権の暴走です。
国会ルールの乱暴な破壊
 本来法案の審議に役立てるべき公聴会が終わったあと質疑を打ち切り採決を強行しようとした鴻池委員長の議事運営は、国会のルールを完全に踏みにじる乱暴なものです。しかも日本共産党や民主党など野党の抗議で深夜未明まで委員会が開会できず、17日朝改めて理事会で協議することになっていたのに、朝になって理事会の場所を理事会室から委員会室に変更し、そのまま採決に突き進もうとしたのは文字通りのだまし討ちです。野党が委員長不信任動議を提出したのは当然過ぎる話です。
 不信任動議を数を頼んで否決したあと、与党がいっせいに委員長席に詰め掛け、質疑を打ち切り、戦争法案を採決したというのは、まったく審議などとはいえないものです。本来なら委員長不信任を否決した後、改めて理事会で日程を協議すべきです。それも行わず、委員会室でも、同時中継していたNHKでもなにがなんだか分からないうちに散会してしまったのは「採決」などとは呼べません。日本共産党など野党が採決の取り消しを求めたのは当然です。
 戦争法案は衆院でも特別委員会で採決が強行されました。法案提出から4カ月、参院で2カ月、審議すればするほど戦争法案の憲法違反の内容が明らかになり、安倍首相自身が集団的自衛権の行使を容認する立法事実さえ説明できなくなり、自衛隊の統合幕僚監部の内部文書などで法案を先取りした軍の暴走が明らかになるなど、文字通りボロボロの状態です。
 戦争法案に反対する国民世論は広がり、どの世論調査でも国民の過半数が戦争法案に反対、6割、7割が今国会での成立に反対しています。強行採決に次ぐ強行採決は、戦争法案を推進する道理のなさが明らかになり、国会の中でも外でも反対世論がますます広がるのを安倍政権が恐れたためです。特別委員会での暴力的「採決」にまったく道理はなく、このまま本会議に持ち込み成立させるなどというのは絶対に認められません。
違憲の法律は許されぬ
 質疑を打ち切り、採決したと称する与党の暴挙は、激しい雨の中、国会周辺に多くの人々が詰め掛け、「強行採決、絶対反対」「戦争法案ただちに廃案」の声をとどろかせる目前で行われました。連日連夜、全国で反対行動を繰り広げた国民の怒りの声を踏みにじった安倍政権の責任は重大です。
 国民は決して憲法破壊の暴挙を許しません。憲法の平和主義も、立憲主義も、民主主義も破壊する法律は、存続そのものが許されません。国民の怒りをさらに広げ、憲法違反の法律を許さないために力を尽くそうではありませんか。

DHLがフランスから/センニンのために/眠くてビシっ/参院委員会での強行採決に抗議

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150902女川蒸しホヤ

Dette : la dégradation de la note du Japon n’inquiète guère le gouvernement Abe
A l’instar de l’agence de notation Moody’s et Fitch il y a quelques mois, Standard & Poor’s (S&P) a dégradé, mercredi 16 septembre, d’un cran la note souveraine du Japon. Le pays voit ainsi son appréciation rétrogradée de AA– à A +, une note assortie d’une perspective stable. S’il s’agit du premier abaissement par S&P de la note du Japon depuis janvier 2011, cette décision n’inquiète pourtant pas le gouvernement, qui table sur une hausse des impôts pour compenser des dépenses publiques qu’il n’est guère enclin à réduire.
• Pourquoi Standard & Poor’s dégrade-t-elle la note du Japon ?
La décision de l’agence américaine illustre une défiance grandissante dans les ≪ Abenomics ≫, cette politique mêlant assouplissement monétaire, plans de relance et réformes structurelles menée par le gouvernement du premier ministre japonais, Shinzo Abe, pour redresser la troisième économie mondiale. L’agence explique d’ailleurs :
≪ La possibilité de voir la reprise japonaise suffisamment forte pour restaurer le soutien de l’économie à la solvabilité du pays ne cesse de s’affaiblir. Malgré les espoirs suscités au début, la stratégie de relance baptisée “Abenomics” ne devrait pas inverser cette tendance dans les deux ou trois prochaines années. ≫
Entre avril et juin, le PIB nippon a reculé de 1,2 % en glissement annuel. L’indice des prix reste proche de zéro, loin de l’objectif de 2 % fixé par la Banque du Japon (BoJ), et la consommation ne s’améliore pas.
Le 15 septembre, l’établissement central a décidé de maintenir la politique monétaire actuelle, considérant que l’économie ≪ continu[ait] de se redresser modérément ≫. Il a toutefois admis l’impact du ralentissement des économies émergentes sur les exportations et les importations et n’exclut pas de nouvelles mesures pour soutenir l’activité.
• Quel est l’état de l’économie japonaise ?
La gestion des finances publiques du gouvernement japonais n’a guère de quoi rassurer les agences de notation. La dette japonaise pourrait atteindre 247 % du PIB en 2016 selon les calculs du Fonds monétaire international (FMI). Les requêtes budgétaires pour l’exercice 2016, commençant le 1er avril, atteignent le niveau record de 102 400 milliards de yens (750 milliards d’euros). Et si les arbitrages ne sont pas connus, d’importantes élections sénatoriales sont prévues en juillet 2016. Il y a donc peu de chances que le gouvernement s’engage dans une baisse des dépenses publiques. En 2015, le déficit budgétaire était de 7,7 %.
Les annonces formulées par le gouvernement en juin pour améliorer l’état des finances publiques – un mois après l’appel du FMI à des ≪ actions drastiques ≫ sur ce point – n’ont pas convaincu. Toujours déterminé à atteindre l’équilibre de la balance primaire (c’est-à-dire hors service de la dette) d’ici à l’exercice 2020, le gouvernement exclut néanmoins des baisses importantes des dépenses.
Pour cause, il table sur les rentrées fiscales en hausse grace à une croissance nominale à 3 % en moyenne au cours des cinq prochaines années. Une augmentation de 8 % à 10 % de la TVA en avril 2017 devrait également y contribuer. Or la précédente hausse de la TVA, de 5 % à 8 % en avril 2014, avait plongé l’archipel dans la récession, et les réformes structurelles – la troisième ≪ flèche ≫ des ≪ Abenomics ≫ après la politique monétaire et les plans de relance – se font toujours attendre.
Dans le même temps, le vieillissement de la population et le lent recul des salaires font que les Japonais commencent à puiser dans leurs réserves. Le taux d’épargne a pour la première fois reculé de 1,3 % à l’exercice 2013 clos à la fin de mars 2014.
• Quelles seront les conséquences de cette dégradation ?
A court terme, la décision de S&P ne devrait pas poser de problème. Fitch Ratings a baissé en avril la note du Japon, tandis que Moody’s l’avait fait en décembre 2014 : le ≪ triple A ≫ acquis par l’archipel en 1971 appartient désormais à un lointain passé.
Depuis 1998, date du premier abaissement de sa note, les dégradations successives n’ont jamais suscité de panique ni d’effondrement du marché ou de la monnaie. Et l’archipel n’a pas de problème pour emprunter, du moins pour l’instant. Le taux sur les emprunts à dix ans ne dépassait pas 0,367 % le 16 septembre 2015. L’indice Nikkei a commencé la séance du 17 en hausse de plus de 1 %.
Il faut dire que la dette nippone est détenue à plus de 90 % par les Japonais eux-mêmes. Outre la BoJ et son programme massif d’acquisition d’actifs, les grandes banques et la poste japonaise financent l’achat des bons en puisant dans l’importante épargne de la population, dont le montant s’élève toujours à près de 1 400 000 milliards de yens (10 315 milliards d’euros), plus de deux fois et demi le PIB. Le Japon dispose également d’importantes réserves de change, à 1 244 milliards de dollars (1 100 milliards d’euros) à la fin d’août.
Mais les capacités d’emprunt locales pourraient se tarir vers 2020. Le Japon devrait ensuite recourir aux investisseurs étrangers ; ce qui pourrait l’exposer à des pressions similaires à celles qui ont provoqué la crise grecque.
フランス語
フランス語の勉強?

移動の翌日は疲れていますが,今日は朝早くから頑張りました.お昼に最近できたお店にいってみました.おばさま方がたくさんいます.ビール150円というのでお昼から飲んでしまいました.戻って仕事をしようとしたらDHLでフランスから何か届いていました.フランスからとなるとなんでも嬉しいです.しかしその後「課長が探していたよ」とのことでヤバい展開になるかな???と心配.要するに何かお話したいそうです.その時間1時半はすぐきました.3人の人とお話ですが,センニンのために頑張りなさい・・・という話でした.ちょっと安心.
夕方妙の代わりに栗.こちらの方が近いので楽です.妙と微妙に違います.さてそれよりも.眠くてビシッとされてしまいました.
夜遅い時間に戦争法案が参院委員会での強行採決されたことを知りました.
強く強く抗議します.

<復興めし>地元の食材で英国レシピ。
◎(8)フィッシュ&チップス(大船渡市)
 普通のフィッシュ&チップスのつもりで口にしたら意表を突かれる。
 食感も味わいも違う。フィッシュの具は本来の白身魚でなく、サケとホタテのひもを使う。ミンチにしてフリッター風にサクッと揚げる。ミンチは粗びきにとどめ、歯応えを残す。ひもは弾力感を失わず、サケの風味も生きている。
 チップスもポテトは用いない。イサダとワカメを刻んで混ぜて揚げる。衣は米粉でモッチリ感とカリッと感を両立させる。緑色に仕上がり、キツネ色のフィッシュとのコントラストが鮮やかだ。オイスターソースでコクを出したタルタルソースでいただく。
 岩手県大船渡市と英国料理。一見ミスマッチな関係を解く鍵は震災にある。
 英国のレスキュー隊がいち早く救援に来てくれた。その恩に応えようと、復興グルメとして白羽の矢を立てる。市がレシピを募り、地元の主婦の案を取り入れた。
 サケが入って秋らしい。
 秋は英語で「autumn」。
 ここは英国に敬意を表し、アメリカ英語(fall)でなく、イギリス英語で。(写真・山本武志)
☆食いに行く
 フィッシュ&チップスは「大五味(だいごみ)」と名付けられている。サケ、ホタテ(ひも)、イサダ、ワカメ、カキの「大」船渡の「五」つの「味」を使ったことをもじった。1皿600円(税別)。大船渡市大船渡町野々田の「KAIZAN」=0192(47)4238=、同市大船渡町茶屋前の「Hy〓 cafe」=0192(26)1303=の2飲食店で出している。
☆〓はカンマに小文字の「S」


「嵐」待つ 全国のファンおもてなし準備着々
 人気グループ「嵐」が秋の大型連休(19〜23日)中の4日間、宮城県利府町の宮城スタジアムで大規模コンサートを開催するのに合わせ、同町はJR東北線利府駅などで、職員約70人が嵐ファンの案内誘導や公共施設開放で「おもてなし」する。町は「復興に取り組む町を全国に発信する貴重な機会」と張り切っている。
 スタジアムで大規模催事が開かれるたびに周辺の道路が混雑するため、町はその都度、町民に理解と注意を呼び掛けてきた。今回は来場者が20万〜25万人と人数、期間ともかつてなく大規模のため、シティーセールスを兼ねて歓迎態勢を組むことにした。
 期間中、担当職員が利府駅からシャトルバスや徒歩で会場に向かうファンの誘導案内と、交通や飲食店の情報提供、苦情や問い合わせに対応。町観光協会が実施する案内図配布や手荷物預かりなども手伝う。
 駅前に復興支援への感謝を記した横断幕を掲げ、地元企業の製品も一部紹介。駅からスタジアムに向かう途中にある町役場はトイレや休憩所として開放する。
 来町者が快適に通行できるように、16日は自発的に職員親睦会の約200人が町役場周辺を清掃した。
 町政策課は「縁あって利府を訪れるファンの皆さんに、よい思い出を持ち帰ってほしい」と話している。


<安保法案採決へ>「この道」に道理なし
◎取締役編集局長 鈴木素雄
 「この道しかない」。安倍晋三首相が多用するフレーズだ。お家芸のアベノミクスや構造改革の話になると、小鼻をうごめかして自説をぶつ。
 集団的自衛権の行使を解禁する安全保障関連法案が参院で強行採決されようとしている。昨年7月の閣議決定以来、私たちが目撃してきたのは首相の過剰とも思える決断主義に染め上げられた政治の風景だった。
 象徴的な場面があった。昨年8月、長崎の平和祈念式典後に開かれた被爆者団体代表と首相の面会。戦前の「いつか来た道」を知り集団的自衛権の行使に疑問を投げ掛ける代表に、首相はこう言葉を返した。「見解の相違です」。木で鼻をくくるとはこのことだ。
 多くの憲法学者や法曹関係者が、違憲の疑いを指摘する法案だ。無論、集団的自衛権の行使を可能にすべきだとの立場は尊重されなければならない。その場合、どんなに手間暇がかかっても憲法改正という手続きを踏むことが立憲主義国家の「王道」である。歴代の政府見解を逸脱する解釈改憲によって切り開こうとしている「この道」は、「邪道」に通じている。
 首相は「最高責任者は内閣法制局長官ではない。私だ」と強弁し、孟子の格言を引き「千万人といえども、われゆかん」と力んでみせる。気おされたのか、自民党関係者からも「学者の言う通りにしていたら、日本の平和と安全は絶対守れない」と開き直りとも思える発言が漏れてきた。
 聞く耳を持たないことを「度量が狭い」と批判すれば、とりあえずは留飲も下がる。だが、問題は人物批評にあるのではない。「鉄血宰相」ビスマルクが「政治は可能性の芸術である」と喝破したように、異を立てる者への寛容と合意に向けた忍耐を欠けば、政治は独裁に陥る。
 安倍首相はかつて集団的自衛権行使の必要性を説明する記者会見で、紛争国から米国艦船に乗って逃れようとしている母子のイラストを例示した。その根拠は後に怪しいものとなったが、「存立危機事態」という概念を国民に理解してもらおうという狙いは見て取れた。
 筆者には憂いを帯びた母親の表情が、被災地で明日の生活を見通せずにいる多くの親子のそれとダブって見えた。将来あるかもしれないではなく、今ここにある存立危機事態である。安全保障環境の変化を理由に「この道」を猛進することは、政策の優先順位としても当を得ない。廃案にするか、衆院を解散して国民に信を問うべきだ。


<災害公営住宅>飯舘村で着工「復興の拠点」
 東京電力福島第1原発事故により全村避難する福島県飯舘村の草野地区で、村内では初となる村営の災害公営住宅が着工し、16日に安全祈願祭があった。完成は来年4月の予定。
 老朽化した村営住宅団地を再整備し、まず敷地内の公園に木造長屋一部2階の2棟8戸を建設する。住宅は平屋の2LDK(74平方メートル)と2階建ての3LDK(85平方メートル)の2タイプ。
 既存の村営住宅19棟54戸は順次解体し、跡地に2016年度以降、2棟8戸を増設する。事業費約2億円の9割は、国の福島再生加速化交付金を充てる。
 村は17年3月までの避難指示解除を目指し、帰村に向けた住宅環境の整備を急いでいる。菅野典雄村長は式典で「待ちに待った災害公営住宅の着工だ。ここを復興に向けたシンボルと拠点にしたい」と話した。


大和町で南三陸町職員が恩返し
今月11日の記録的な大雨で多くの住宅が水につかる被害が出た宮城県大和町に、震災の被災地の南三陸町の職員が訪れ、震災の際に受けた支援の恩返しをしようと、住宅の庭に流れ込んだ土砂を片付ける作業を手伝いました。
大和町は、今月11日の大雨で、町内を流れる川の水があふれ、住宅など約200棟が浸水する被害が出ました。
17日は、東日本大震災で大きな被害を受けた南三陸町の職員約20人が震災の際に、内陸部の人たちから受けた支援の恩返しをしようと、大和町を訪れました。
職員たちは、町内のボランティアセンターに集まったあと、先日の大雨で裏山が崩れ、庭に大量の土砂が流れ込んだ町内の住宅に向かい、到着するとすぐにスコップを使ってたまった土砂を袋に詰め、汗を流しながら次々と敷地の外に運び出していました。
ボランティアに訪れた南三陸町の職員は、「大雨の被害を見たとき、震災のときの様子と重なって、心が痛みました。あのとき、内陸の方々にはとても助けて頂いたので、恩返しをしたいという気持ちでみんな作業しています」と話していました。
南三陸町からは、18日も、約20人の職員が大和町にボランティアに訪れるということです。


辺野古取り消し 知事判断は理解できる
 沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設計画をめぐり、仲井真弘多(ひろかず)前知事による埋め立て承認に瑕疵(かし)があったとして、承認を取り消す手続きに入った。政府は移設作業を中止し、計画を根本から考え直すべきだ。
 翁長氏は、承認取り消しの方針を表明した記者会見で、その理由について「周辺海域の環境保全措置が不十分」「米軍機の騒音対策に実効性がない」という環境面に加え、政府が主張する辺野古移設の必要性には「実質的な根拠が乏しい」と指摘した資料を配った。政府が言う「沖縄の地理的優位」や「米軍の一体的運用の必要性」は具体的説明がされていない、などとしている。
 同様の認識は、今年7月に県の第三者委員会が出した報告書でも示され、先の政府と県の集中協議でも、翁長氏が菅義偉官房長官らに何度も問いかけた問題だった。
 政府は、普天間飛行場を辺野古に移設することが「抑止力を維持し、普天間の危険性を除去する唯一の解決策」と繰り返すばかりだが、本当に辺野古に移設しなければ米海兵隊の抑止力は維持できないのか。これは沖縄県側の根本的な疑問だ。政府側からは納得いく説明がなかった。
 翁長氏が承認取り消し方針を表明したことについて、菅氏は記者会見で「前知事が埋め立て承認をした。すでに行政判断は示されており、承認に法的瑕疵はない」と反論した。
 埋め立て承認に瑕疵があるから取り消すという県と、瑕疵はないから工事を進めるという政府。現時点では、法的に瑕疵があるか否かの客観的な判断は、軽々にできない。
 だが、翁長氏が承認取り消しという手続きに訴えるしかなかったのは、よく理解できる。
 そもそも一昨年末の前知事による埋め立て承認は、「県外移設」の公約違反と言われても仕方がない判断だった。その後、昨年の名護市長選、沖縄県知事選などの選挙で、いずれも辺野古移設への反対派が勝利した。沖縄の民意は移設反対ではっきりしているのに、政府は前知事の埋め立て承認を根拠に、民意を顧みず、移設を推し進めた。
 今回の判断は、沖縄という一地方自治体を政府がここまで追い込んでしまった結果のように見える。
 集中協議の決裂を受けて、すでに政府は中断していた移設作業を再開した。県が来月、埋め立て承認を取り消せば、政府は、取り消しの効力を停止する対抗措置を取って移設作業を続行し、今秋にも埋め立ての本格工事に着手する構えだ。
 政府と県の対立は最後は法廷闘争に持ち込まれる可能性が大きい。対立を泥沼化させてはならない。


安保転換を問う 参院委採決へ
 ◇国民の納得には程遠い
 安全保障関連法案の参院審議をめぐる状況が緊迫している。与党は平和安全法制特別委員会での質疑を終結させ、採決に踏み切る構えだ。
 採決を前に自民、公明両党は日本を元気にする会、次世代の党、新党改革の3野党と付帯決議の内容などで合意した。安倍晋三首相をまじえた5党の党首会談も行われた。
 与党は合意を受けて法案採決の環境が整ったとアピールしているが、法案の本質は変わらない。国民が納得したとはとても言えない状態だ。
 16日の特別委員会は横浜市での地方公聴会を終えた後、最後の質疑を行うかどうかで夜まで与野党が駆け引きを続けた。与党が採決を強行すれば、野党側は内閣不信任決議案などを提出して抵抗する構えだ。
 5党合意は自衛隊の海外派遣にあたり、国会の関与を強めるため付帯決議や閣議決定などを加えるものだ。ペルシャ湾への派遣など、日本への武力攻撃に直接結びつかない集団的自衛権の行使にあたっては「例外なく国会の事前承認を求める」とし、派遣した自衛隊の活動を180日ごとに国会に報告する。3野党は参院会派で14議席を有する小党だが、この合意を受けて法案への賛成方針を固めたため、与党は単独での可決が回避できたと歓迎している。
 自衛隊を国会がどう統制するかは重要な論点のひとつだ。だが、法案修正によらない付帯決議には拘束力がなく、政府の閣議決定による裏付けも「適切な対処」とあいまいだ。日本への武力攻撃に直接結びつかないようなケースで国会が事前承認するのは当然で、合意によってチェックが徹底されるとは言い難い。
 そもそも合意は、憲法学者の多くから「違憲法案」と指摘される法案の根幹を修正するものではない。与党による単独採決と言われないためのカムフラージュというのが実態ではないのか。不十分な合意に応じた3野党の姿勢は疑問である。
 5党合意をよそに、与党と維新の党による修正協議は決裂した。不調に終わった衆院段階での協議と同様に、本気で接点を探る意欲が与党にあったとは思えない。本来であれば、法案の一部を分離することも含め、さまざまな選択肢を真剣に検討すべきだったはずだ。
 法案に反対する人たちが国会周辺で連日デモを行うなど、全国で抗議活動が広がっている。
 与党が18日中の成立にこだわるのは、週末や連休に入ると反対デモが一層拡大することを警戒しているためなのだという。世論を本当におそれるのであれば、採決の強行こそ見送るべきであろう。


根拠欠く安保法案 「違憲立法」は廃案に
 集団的自衛権の行使がなぜ必要か。審議が進むにつれ、根拠を欠くことが明らかになった。違憲立法と指摘される安全保障関連法案は廃案にすべきだ。
 法律をつくるには、その必要性や正当性を裏付ける客観的な事実、根拠が必要とされる。「立法事実」と呼ばれるものである。
 新たな法律が必要な状況でないにもかかわらず、政府の権限を強める法律ができれば権力による悪用、暴走を招きかねないからだ。
 特に、実力組織である自衛隊の活動にかかわる法律では、立法事実が厳しく問われるべきである。今回の安保法案はどうだろう。
◆非現実的で極端な例
 安倍晋三首相は、安保法案の柱である集団的自衛権の行使を必要とする理由として、二つの事例を挙げて繰り返し説明してきた。
 一つは、紛争国から避難する日本人のお年寄りや、母親と乳児を輸送する米艦船を防護する例と、中東・ホルムズ海峡に敷設された機雷を除去する例である。
 私たちはこれまで、二つの事例について、現実から離れた極端な例だとして集団的自衛権の行使に道を開く安保法案の立法事実にはなり得ないと指摘してきた。
 しかし、首相は米艦船防護の必要性について「この船に乗っている子どもたちを、お母さんや多くの日本人を守ることができない。この現状から目を背けていいのか」と繰り返し強調した。感情に訴えるこの説明は与党の衆院議員が法案に賛成する判断材料になったことだろう。
 しかし、この説明にも偽りありだった。中谷元・防衛相は米艦船防護が「邦人が乗っているかどうかは絶対的なものではない」と述べ、首相も同調したのだ。
 これでは日本人の命を守ることではなく、米艦船を守ることが集団的自衛権の行使の主目的になってしまわないか。
◆参院段階で説明一変
 中東・ホルムズ海峡での機雷除去も同様に、政府の説明が大きく揺れ動いた。
 首相は衆院審議の段階で、海峡が機雷で封鎖され、石油や天然ガスが途絶えれば「人が亡くなる、大変寒い時期には家や人を暖める器具が停止する危険性もある」と述べ、自衛隊による機雷除去の必要性を強調していた。
 ところが、参院審議の大詰めになって「現在の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではない」と認めたのだ。
 政府が安保法案を必要とする根拠としてきた立法事実が、そもそも非現実的だったのである。
 こじつけのような理由で集団的自衛権の行使に道を開き、米国との軍事同盟を強化することが、果たして日本とアジア・太平洋地域の平和と安定に資するのか、逆に軍事的緊張を高めることにならないか、慎重な検討が必要だ。
 憲法九条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ことを定めた。日本国民だけで三百十万人の犠牲を出した先の大戦の反省からである。
 その後、必要最小限の実力組織として自衛隊を持つに至ったが、他国同士の戦争に参戦する集団的自衛権は、国際法上、有してはいるが、行使は必要最小限の範囲を超えるため憲法上、認められないとしてきた。
 自民党を含めて歴代内閣が継承してきた憲法解釈であり、個別的自衛権しか行使しない「専守防衛」政策は、平和国家としての「国のかたち」でもあった。この解釈を一内閣の判断で変えてしまったのが安倍内閣である。
 国民の命や暮らしを守るのは、政府の崇高な役目だが、多くの憲法学者や「憲法の番人」とされる最高裁の元長官や元判事、政府の憲法解釈を担ってきた内閣法制局の元長官らが憲法違反と指摘し、必要性に乏しい法案の成立を認めるわけにはいかない。
 自民、公明両党は次世代の党、日本を元気にする会、新党改革の三党が求めていた、集団的自衛権行使の際には例外なく国会の事前承認を得ることなど、国会の関与を強めることを受け入れた。
◆平和国家傷つけるな
 しかし、法案の根幹部分は何ら変わらず、違憲立法の疑いが晴れたわけではない。野党の一部を取り込んで、「強行採決」の印象を薄めたいのだろうが、民主党、維新の党、共産党など主要野党の反対を押し切っての採決を「強行」と呼ばずして何と言う。
 与党の方針通り、法案をこのまま参院本会議で可決、成立させれば、戦後日本の平和国家としての歩みを傷つけ、将来に禍根を残すことになる。
 安倍政権は法案の瑕疵(かし)や説明の誤りを率直に認め、速やかに廃案を決断すべきである。


「戦争法案」の参議院委員会採決強行の暴挙に断固抗議する(談話)
社会民主党幹事長 又市征治
1.本日、委員長不信任動議の処理の後、参議院平和安全特別委員会の鴻池委員長は、社民党はじめ、民主党、生活の党、日本共産党、維新の党、無所属クラブが反対する中、締めくくり総括質疑を省略し、「戦争法案(「平和安全法制整備法案」、「国際平和支援法案」)」の採決を強行した。良識の府にあるまじき採決強行は、民主主義を破壊する暴挙であり、雨の中国会前に駆けつけた多くの市民の皆さんとともに、激しい怒りを込めて抗議する。
2.5月15日に国会に提出された「戦争法案」は、7月15日に衆議院本会議での採決が強行され、「荷崩れ」して参議院に送られてきた。参議院では約100時間の審議が行われてきたが、大臣や法制局長官の答弁修正や撤回、答弁不能が相次ぎ、100回以上も審議が中断した。憲法問題をはじめ、「国民の生命と安全を守るための法案」、「リスクは増えない」などという政府の説明自体の虚構性からくる無理が露呈した。そのうえ、安倍首相自身のすり替えやはぐらかし、開き直りばかりの不誠実な答弁に加え、前代未聞の首相のヤジも相次いだ。審議の前提である資料要求や政府統一見解も理事会預かりのままたくさん積み残され、二回目の参考人質疑、衆議院並みの野党質疑時間の実施、河野統合幕僚長の招致なども行われておらず、民主・維新の共同修正案の審議もなく、5党合意の説明も議論もないなど、審議が尽くされたとは到底いえない。国民への説明も不十分であり、理解も深まっていない。法案の合憲性や必要性などに疑問が突きつけられる中、採決に突き進んだことは、言語道断であり、断じて認められない。
3.15日の中央公聴会には、参院では過去10年で最多の95人の応募があり、全員が法案に反対の立場を示していた。法案の違憲性や民意を無視して暴走する安倍政権への危機感ゆえにほかならない。中央公聴会や地方公聴会で公述人の意見を今後の審議に活かすこともなく通過儀礼として採決を強行することは、公述人に失礼であるばかりか公聴会制度と国民の声を踏みにじる行為である。
4.「戦争法案」の違憲性への疑念は、ますます深まっている。安倍政権は、安全保障環境の変化を理由に、必要最小限度の武力行使の範囲に「限定的な集団的自衛権」は入るとして、1972年の政府見解や1959年の砂川事件最高裁判決を根拠に、集団的自衛権行使のための法整備が合憲であると強弁してきた。しかし、「憲法の番人」とされる内閣法制局長官経験者に加え、最高裁判所の元長官や判事経験者からも違憲であるとの指摘がなされ、審議でも72年見解や砂川事件最高裁判決が集団的自衛権合憲の根拠になりえないことが明らかとなった。72年見解の作成に当たった吉國法制局長官は、砂川判決にふれたうえで、「集団的自衛の権利は行使できない」と答弁で明言している。公述人となった濱田元最高裁判事も、72年見解をもって「限定的な集団的自衛権は認められる」とする政府の主張は、「法律専門家の検証にたえられない。裁判所では通らない」と指摘するとともに、日本の自衛権が争われたわけではない砂川事件判決を根拠にすることも「間違っている」と断言した。
5.安倍首相が、集団的自衛権行使の代表的事例として強調した、ホルムズ海峡での戦時における機雷掃海や邦人輸送中の米艦防護について、政府の説明が二転三転し、いずれも立法事実がないことが明らかになり、「戦争法案」の必要性自体が崩れている。イランによる海上封鎖を前提にしてきた機雷掃海について、「特定の国が機雷を敷設することを想定していない」などとして、必要性を事実上撤回した。邦人輸送中の米艦防護についても、邦人が乗っているかどうかは「絶対的なものではない」ということが明らかになった。
6.「現に戦闘が行われている現場以外」へ活動が拡大することに伴う自衛隊員のリスクの問題も議論が尽くされていない。後方支援活動は安全どころか、最も危険な「兵站」活動であり、その拡大は武力行使の一体化につながる。さらに、米軍等の部隊への武器等防護の拡大(改正自衛隊法95条の2)によって、武器使用の範囲が際限なく広がっていくことになり、新3要件や国会承認といった手続きを経ず、事実上の集団的自衛権行使をなし崩し的に認めてしまうことになる。
7.集団的自衛権の前提条件である新3要件の「存立危機事態」をどう判断するかについて、「総合的に」と繰り返すばかりで、認定する客観的基準も示されず、あいまいさがあらためて浮き彫りになっている。「必要最小限」の範囲も、旧3要件と新3要件で大きく変わっている。「わが国と密接な関係にある他国」も明らかにされないままである。ISILへの空爆等に対する後方支援、空中給油や洋上給油に核兵器を搭載した原潜防護、核を投下しようとする戦闘機への給油、戦車やミサイル、毒ガス、クラスター弾、劣化ウラン弾、核兵器の運搬、ロケット弾や戦車砲弾、手りゅう弾の提供などへの法的な歯止めがないことも明らかとなった。時の政権の判断に白紙委任されてしまうことは大きな問題である。
8.テロの危険性や日本の原発、在日米軍基地が標的となる懸念など、国民が負うリスクについての議論も深まっていない。また、徴兵制について、安倍首相は、「明確に違憲で、導入はあり得ない」と断言するが、憲法の解釈が変更されれば合憲になりかねない。奨学金延滞者を対象とした自衛隊へのインターンシップの推奨や、民間企業の新入社員を自衛隊に派遣する長期自衛隊インターンシップ・プログラムといった、「経済的徴兵制」、「隠れ徴兵制」問題も取り上げられた。
9.自衛隊内部の文書も次々と明らかにされた。何一つ国会で議論されていない内容について、法案の成立を前提とした踏み込んだ議論を自衛隊が進めていた、「軍部の独走」は許されない。法案成立をアメリカに確約するなど、文民統制無視の確信犯である河野統幕長の招致も実現しないままである。
10.相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使するという専守防衛の定義について、政府は「いささかも変更していない」と繰り返している。しかし、法案では「直接侵略及び間接侵略に対し」(自衛隊法3条)が削除され、新3要件を満たせば自国が攻撃されていないのに反撃できることになっている。さらに、我が国への攻撃の意思のない国への攻撃も排除しないことが明らかとなった。専守防衛の定義が根底から覆されたにもかかわらず、詭弁を続けるのは問題である。海外任務の拡大に伴う軍事費増加の懸念や新しい装備の導入・増強についてもまともに答えていない。
11.さらに、審議すればするほど、様々な問題点や矛盾が明らかになっている。日本が第3国に集団的自衛権を行使した場合に当該国との集団的自衛権を理由に他の国が日本に武力攻撃する可能性があること、後方支援で派遣された自衛官にはジュネーブ条約が適用されず拘束されても捕虜として保護されないこと、海外での自衛官の武器の不正使用に関する条文がないこと、海外での邦人救出に当たって万単位の自衛隊を送ることに制限はなく国会承認もいらないこと、我が国を攻撃する国に後方支援する国に対し我が国が攻撃できないこと、自国防衛のための限定的集団的自衛権といいながら被援助国からの要請同意が必要であるという矛盾、しかも新3要件に他国からの要請同意が必要とは書かれていない問題など、まさに欠陥法案であり、廃案しかない。
12.各種調査では、世論の6割以上が「戦争法案」の今国会中の成立に反対している。そして、世代や職業、立場を超えた多くの皆さんが「戦争法案」廃案、安倍政権退陣を求める運動に立ち上がっている。「戦争法案」の本会議での可決・成立を阻止すべく、社民党はじめ野党6党は、安倍総理大臣に対する問責決議案、安倍内閣に対する不信任決議案など、あらゆる手段で対抗するとともに、院外の大衆運動と堅く連帯し、最後の最後まで戦い抜く決意である。

もう一度名古屋・エジプト料理→四日市の三和商店街

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150829宝塚シンシア

Déçue par les "abenomics", S&P dégrade la note souveraine du Japon
Après Moody's et Fitch, l'agence de notation financière Standard and Poor's a dégradé mercredi d'un cran la note souveraine du Japon, jugeant la stratégie de relance "abenomics" incapable de restaurer "la solidité financière" d'un archipel surendetté malgré des "débuts prometteurs".
Le pays voit son appréciation rétrogradée de "AA-" à "A+", note assortie d'une perspective stable, ce qui signifie que S&P ne prévoit pas de la modifier dans les mois à venir.
Ses deux rivales ont également abaissé ces derniers mois la note de la dette à long terme du Japon, usant du même ton critique vis-à-vis de l'équipe du Premier ministre conservateur de Shinzo Abe.
"La stratégie du gouvernement pour revigorer la croissance et vaincre la déflation ne semble pas à même d'inverser dans les deux à trois prochaines années la détérioration" de la solvabilité du Japon, explique Standard and Poor's dans un communiqué.
En effet, poursuit l'agence, la reprise économique ne s'annonce pas "suffisamment forte".
Durant le trimestre d'avril à juin, le produit intérieur brut (PIB) a reculé de 0,3% par rapport à celui de janvier-mars, sous le coup d'une demande intérieure atone, et si rebond il y a au troisième trimestre, il sera modeste, de l'avis des économistes qui n'hésitent plus à prédire l'échec des "abenomics".
Plus de deux ans après le retour au pouvoir de M. Abe, le redressement reste fragile et les réformes structurelles promises dans les limbes. Conséquence de ce manque de dynamisme, le revenu par tête d'habitant est descendu à 36.000 dollars en 2014 après avoir été proche de 47.000 dollars en 2011, selon des chiffres cités par S&P.
- Le défi du vieillissement -
La "situation budgétaire fragile" du Japon est de surcroît "exacerbée par le vieillissement de la population et une déflation persistante", rappelle S&P.
Le pays fait face à des dépenses sociales exponentielles, alors qu'un quart de la population est agé de 65 ans et plus. Selon l'OCDE (Organisation de coopération et de développement économiques), la part de celles-ci a doublé, de 12% du PIB en 1990 à 24% en 2013.
Les recettes de l'Etat ont été de leur côté déprimées par les effets de la crise financière de 2008 et du grand tremblement de terre de mars 2011, responsable d'un tsunami meurtrier.
Prônée par les agences de notation et le Fonds monétaire international (FMI) pour enrayer la dette, la hausse de TVA (de 5% à 8%) mise en oeuvre en avril 2014 a en fait aggravé les choses en précipitant le Japon en récession, d'où la décision du gouvernement de reporter un second relèvement au printemps 2017.
La dette publique, héritage de plans de soutien massifs lancés par les autorités après l'éclatement d'une bulle financière au début des années 1990, s'élève à plus d'un million de milliards de yens (plus de 7.400 milliards d'euros), soit plus de 200% du PIB.
Mais à la différence de la Grèce, elle est, à plus de 90%, détenue par des investisseurs japonais, en particulier par la Banque du Japon (BoJ) qui a fortement amplifié en avril 2013 son programme de rachat d'actifs, au premier rang desquels des obligations d'Etat, ce qui garantit pour l'heure des taux d'intérêt bas.
"Toutefois, ils pourraient augmenter quand la banque centrale normalisera sa politique monétaire", avertit l'agence de notation.
Le Japon n'est pas pour autant au bord de la catastrophe. Et S&P de lister aussi les atouts de l'Archipel, troisième puissance économique mondiale et premier créancier mondial: "une position extérieure solide, une économie relativement prospère et diversifiée, la stabilité des systèmes politique et financier".
L'agence met en exergue "l'efficacité institutionnelle" du pays, "facteur clé soutenant la note souveraine", sa "société homogène et sa cohésion sociale", ou encore un "fort respect de la loi".
フランス語
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エキゾチック・パリ案内 (平凡社新書)
清岡 智比古
平凡社
2012-11-17


パリの重層化した歴史と文化をさまよう楽しさ!  Holden Caulfield
パリ=おふらんすのかおり、などという幻想は、現地では打ち砕かれる。そんなもの、日本のヨーロッパかぶれと旅行代理店が長年にわたって築き上げてきた広告文句にすぎない。本当の生のパリの魅力は、まさにパリにある。
パリ、それは、すでに中世において、ローマを中心とする世界とは別の文化圏を作り上げてきた。そして、その気風はフランス革命でヨーロッパ全土に伝えられた。そして、フランスは、アフリカやアジア、北米、中南米まで、世界中に植民地を広げた。そして、だれもが、その芸術と文化と自由にあこがれ、パリに集まってきた。そして、こうして集まってきた人々こそが、多様な世界の凝縮点としての、ほんとうの生きたパリを生み出した。
この著者もまた、気取らぬ友人として読者を迎え入れてくれる。そして、ユダヤ人街、アラブ人街、アフリカ人街、アジア人街と案内しながら、その街の人々と親しげに挨拶をかわしていく。かたくるしいデータばかりが並ぶガイドブックとは違って、軽やかな文体とともに、まるでいっしょに歩き回っているかのようだ。
正直なところ、こういうところは、私もかってがわからず、あまり足を踏み入れたことがない。だが、グーグルのストリートビューを眺めながら、この本を読み進めていくと、ああ、この角を曲がって、へぇ、この建物は、と、学ぶ楽しさがあふれだす。それもこれも、相当の内外の文献資料に裏打ちされていながら、けっしてどこかの受け売りではない現地の生身の取材がふんだんに盛り込まれているからだろう。
ただ、書名は、損をしているな。エキゾチック、って、パリでは、かなり特殊な文化様式のことを指している。それは、蛇遣いの女やベルガマスクのような、時空間を越えた幻想文学や幻想芸術の永遠の静寂と安寧の領域。この世に実在するこれらのパリの外国人街は、もっと生々しい、喧噪と活気に満ちている。なんかもっといい書名はなかったのかなぁ。


もう一度名古屋に行くことになりました.朝,ささしまライブの駅からマックスバリュに寄りました.みそピーナツが売っていて嬉しい気持ち.でも今回は買いません.その後適当に歩くと,安いホテル=ドヤが結構ありました.釜ヶ崎のようなドヤ街という感じではないです.
さて名古屋モーニングの小倉トーストを食べて,円頓寺(えんどうじ)本町商店街を歩きます.結構いい感じです.午前中に用事を済ませ,お昼はエジプト料理.コシャリというエジプトの代表的なごはんをいただきました.よくわからないなぁ・・・というのが正直なところです.フランス語ではkochariでアラビア語だとكشري
雨が降ってきましたが,近鉄で四日市まで移動です.最初間違って名鉄の方に行ってしまいました・・・.とにかくまず観光案内所でいろいろ聞いて,まずじばさん三重に.東北支援というので八戸の南部煎餅が売っているのに驚きました.もう一つ驚いたのは四日市の人が東松島の民謡のCDを作って売っていたことです.阿部康『ふるさと奥松島の唄』というCDで1000円.迷ったけど今回はパス.
近鉄四日市駅東側の商店街は歩いていて楽しいです.1番街商店街とか表参道スワマエやすずらん通り,そしてちょっとアヤシイ?2番街.ところで東海道の43番宿が四日市ということも初めて知りました.JR四日市駅はさみしい感じでしたが,その近くの三和商店街もまたさみしい.もはや廃墟といった感じです.ESTA LOJA, POLÍCIA ESTÁ RONDANDO. って掲示が.ハングルと中国語でも書いています.RONDANDOはRODANDOの間違いのようですが,とにかくGoogle翻訳でフランス語にしてみるとCe magasin, l'exécution de cette POLICEということでした.近くの四日市温泉という名の銭湯は普通に営業していました.
少し足を延ばして思案橋跡を見て四日市旧港港湾施設まで.
1番街でごはんを食べました.向かいのお店はBonsoirというバーでした.さて名古屋に戻らねばなりません.桑名で広い改札を見て帰りました.

「希望のかけ橋」土砂運搬が完了
 岩手県陸前高田市気仙町の高台造成地から土砂を搬出する巨大ベルトコンベヤーが15日、運転を終了した。空中回廊のような構造物は年度内に撤去される。復興のシンボルになったつり橋「希望のかけ橋」は来年4月に解体が始まり、9月までに姿を消す。
 コンベヤーは津波に襲われた高田、今泉地区のかさ上げ工事の大動脈。標高125メートルの山を45メートルまで削って宅地とし、その土砂を運搬した。昨年3月末に最初の1.1キロが、同7月には全長約3キロが稼働した。
 運んだ土砂は、東京ドーム約4杯分の504万立方メートル。ダンプカーなら9〜10年かかるという。山の岩盤が固く、当初予定より稼働を4カ月延長し、1年半で搬出を終えた。
 現地であった終了式で戸羽太市長は「コンベヤーに心から感謝したい。観光面で話題になった施設がなくなるのは寂しいが、新しい魅力をつくって交流人口増につなげたい」と話した。
 総事業費は約150億円。解体後は再利用されない見込み。掘削からかさ上げまでの事業全体の進捗(しんちょく)率は約40%。


<宮城豪雨>農業被害4億円超 さらに拡大も
 宮城県が15日正午現在でまとめた記録的豪雨の被害状況によると、冠水などによる水稲や大豆、野菜の農作物被害額は、仙台市や大和町など9市町の計4億1235万円に上った。
 浸水地域の広い大崎市、登米市などは算出中のため、被害額は大幅に増える見込みだ。確認された農作物の被害面積は、24市町の計7614ヘクタールに広がっている。
 住宅被害は床上浸水527棟、床下浸水1058棟となった。ほかに1棟が全壊し、一部破損は5棟になった。
 避難者は、4市町の計52人が6カ所に身を寄せている。内訳は仙台市6人、栗原市4人、大崎市24人、加美町18人。避難所は仙台市と大崎市が各2カ所、他は1カ所ずつ残っている。


<検証命の現場>訪問体制壊滅 介護者も犠牲
◎震災4年半(4)在宅患者
 東日本大震災は訪問医療の機能を奪い、在宅患者の命と健康を揺さぶった。
 岩手県沿岸部の6市町と宮城県気仙沼市で訪問看護を展開する岩手県釜石市のウェルファーは、釜石と同県陸前高田市、同県山田町にあった事業所を津波で全て失った。
 「震災直後はほとんど動けなかった」。社長で看護師の斉藤裕基さん(55)は回顧する。
 道路はがれきに埋まり、電話は通じない。人工呼吸器やドレーン(排液管)を付けた医療依存度の高い患者は、状況確認が急務だったが、かなわなかった。
<自ら手で動かす>
 その一人、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患の阿部山義正さん(76)は岩手県大槌町の自宅を津波で失った。共に障害のある妻と2人暮らし。町内に住む娘夫婦の助けで辛くも逃げられたが、常時必要な人工呼吸装置は運び出せなかった。
 避難した県立大槌病院は浸水で機能を喪失。震災2日後の13日に移った県立釜石病院は、発電機が不調だった。14日に内陸部の病院に移送されるまで約3日間、阿部山さんはほとんど一人で手動式の人工呼吸器を自ら押し続けた。「うつらうつらとして、苦しくなると目が覚めて手を動かした」と話す。
 陸前高田市では、避難所で2日間過ごし、病院に運ばれ震災1週間後に亡くなった70代の利用者がいた。終末期で自宅でのみとりを希望していた。
 ウェルファーの斉藤さんは「避難状況は後で分かった。震災がなく訪問を続けられれば、もう少し延命できたかもしれない」と語る。
<要介護度と比例>
 震災は在宅患者が災害弱者だったことを如実に示した。
 釜石ファミリークリニックには当時、釜石市内に307人の在宅患者がいた。このうち津波の犠牲者は41人。犠牲者比率は13.3%に達し、市全体の2.6%を大きく上回った。
 介護する家族も21人が在宅患者と一緒に亡くなった。うち要介護度5の患者を介護していた人が48%を占め、要介護度が上がるにつれ、介護者の死亡率が高まる傾向が浮かび上がった。
 同クリニックは診療所が被災し、往診車も流された。「あの規模の災害で成り立つ訪問診療はあり得ない」と院長の寺田尚弘さん(52)。適切な避難情報を在宅患者とその家族にどう伝えるか、介護者の巻き添えをどう減らすかを、むしろ考えなくてはいけないと指摘する。
 「高齢の患者と介護者は判断力が低下しがち。隣人のひと言があれば、助かる人が増える可能性はある。介護者の安全は社会全体で尊重しなければいけない。避難優先の行動を肯定する倫理的背景がないと悲劇はなくならない」。極限下で活動した寺田さんは提言する。


<検証命の現場>訪問医療 マニュアル崩れる
 東日本大震災という未曽有の災害を経験した訪問医療は、在宅患者の命を守るため、どんな教訓を得たのか。
 訪問看護を行うウェルファー(岩手県釜石市)社長の斉藤裕基さん(55)は「震災前のマニュアルは使い物にならなかった」と話す。車が使え、電話がつながり、カルテがある前提は全て崩れた。
 緊急通行車両章の必要性を強く感じたという。通行が制限される緊急交通路への乗り入れが可能となり、給油も受けやすい。
 斉藤さんらの車が緊急車両扱いになったのは震災の3日後。それまでは患者の安否確認をしようにも車を止められるケースが多かった。迅速に取得するため事前届け出制度の周知と理解も肝要となる。
 連絡手段としては全患者への衛星携帯電話配備が一つの答えになる。しかし経費的に難しい。非常時に出勤できる職員確保の問題もある。事業者の動ける態勢づくりには限界がある。
 「救急車や医師を呼べないのが大災害。自らと地域で支え合うコミュニティーケアの確保が生存につながる」。斉藤さんの施設は井戸や太陽光発電の導入、地元農家との食料供給協定の締結を進める。患者には病気や薬のデータを丈夫なペットボトルに入れる災害カプセルの自作を勧める。
 震災では訪問医療の担い手が災害時に果たせる役割も見えた。
 外での活動をいとわない。在宅でも可能な医療技術がある。地域の人と地理に詳しい。看護や介護、専門医、行政など多職種の連携が得意…。釜石ファミリークリニック院長の寺田尚弘さん(52)は在宅医の強みを挙げる。いずれも災害時に必要な能力といえる。
 寺田さんは震災当時、釜石医師会災害対策本部長として、市災害対策本部医療班を運営し、全国から集まった医療支援チームの配置調整を担った。
 各地に散らばる避難所に医師を割り振った。薬剤師には薬の配達、服薬指導を依頼した。情報に応じて専門医やリハビリ専門職、ヘルパー、ケアマネジャーらを派遣した。
 有事の医療を平時化する。寺田さんが掲げた方針だ。「避難所を患者宅に置き換えれば、在宅医の通常業務と変わらない」。医療過疎に悩む釜石では平時から連携に努めなければならない。積み重ねが生きた。
 がれきの下で高度な救命医療を展開する能力は在宅医には必要ないし、任でもないと考える。
 「有事の医療をコーディネートし、復興期の医療に円滑につなげる。地域包括ケアの在り方を示す」。在宅患者に密着する訪問医療の責任と役割は大きい。


うな重給食で被災地応援 子どもに笑顔
 東日本大震災の被災地支援として、東京都杉並区のウナギ専門店「さか井」の店主酒井敏行さん(73)が15日、宮城県亘理町荒浜中(生徒94人)で全校生徒らにうな重を振る舞った。
 酒井さんが用意したのは、教職員らの分も含めた142人前(1人前3300円相当)。調理室に蒸し器や焼き台を持ち込み、慣れた手つきでかば焼きを次々に仕上げた。
 完成したうな重は給食として提供。香ばしい匂いが漂う教室で生徒は、「おいしい」と声を上げながら脂の乗った逸品を笑顔で味わった。3年渡辺梨子さん(15)は「今まで食べたウナギより飛び抜けておいしい。3年間のいい思い出になった」と喜んだ。
 酒井さんは震災直後から宮城、岩手両県の子どもたちにウナギを振る舞う支援を続け、8回目の今回は初めて宮城県南に足を運んだ。「子どもたちに震災のつらい記憶だけでなく、いい思い出もつくってあげたい。『おいしい』と笑顔で食べてくれることが最高の喜び」と話した。


<上山八幡宮秋祭り>恵みに感謝 赤子に祈り
 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町志津川の上山八幡宮で14日、秋祭りが行われた。秋の恵みへの感謝や震災からの復興を願い、宵宮祭で夜神楽を奉納した。
 震災前に地元の子どもたちが作ったあんどんが参道に並べられ、地元住民らが見守る中、本吉法印神楽会が力強い演舞を披露。海の女神が山の神との間に子をもうけるという演目「産(うぶ)屋」には、恒例となっている生後3カ月以下の赤ちゃんが出演した。
 同町の会社役員佐藤太一さん(31)の長男で生後2カ月の太久明(たくあき)ちゃんが海の女神「豊玉姫」の子として登場すると、会場から大きな歓声が沸いた。佐藤さんは「地元の皆さんに長男をお披露目できてうれしい。震災があっても祭りを続けてもらいありがたい」と感謝した。
 上山八幡宮は震災の津波が鳥居まで押し寄せた。ボランティアががれきを撤去し、震災の年も秋祭りの開催にこぎ着け、伝統をつないでいる。宮司の工藤祐允さん(79)は「地域の再生のため、これからも行事を続けていく」と話した。


安保法案:シールズ奥田愛基さん「国民の声、聞いて」 中央公聴会
 抗議行動の先頭に立ってきた若者が、国会に乗り込んだ。「国民の声に耳を傾けてください」。安全保障関連法案を審議する参院平和安全法制特別委員会の15日の中央公聴会。法案に抗議する学生団体「SEALDs(シールズ)」の中心メンバー、奥田愛基(あき)さん(23)=明治学院大4年=が思いのたけを訴えた。
 「先ほどから寝ている方がたくさんおられるので、お話を聞いていただければ」。冒頭、議員たちにこう呼び掛けた。普段はTシャツに帽子姿だが、この日は紺のジャケット、白のワイシャツにノーネクタイ。茶髪も黒くして、憲法学者や元最高裁判事らに交じって意見を述べた。
 「政治的無関心と言われてきた若い世代が動き始めている」「今やデモなんて珍しいものではない。路上に出た人々が社会の空気を変えていった」と、法案反対のうねりを表現。「この状況をつくっているのは、紛れもなく与党の皆さんです。国会答弁を見て、首相のテレビでの理解し難い例え話を見て、不安に感じた人が国会前に足を運び、声を上げ始めたのです」。柔らかい言葉に鋭い批判を含ませて訴えた。
 終了後、報道陣に「むっちゃ緊張した。もう2日ぐらい寝てないっすよ。デモは政治に影響を与えないと思っていた。貴重な体験だった」と語った。奥田さんは特別委の公募に応じた95人からただ一人公述人に選ばれた。抗議行動を展開する学生が選ばれるのは極めて異例。【樋岡徹也】


安保関連法案 成立に強く反対する
 安倍晋三首相は予言者になったつもりだろうか。
 安全保障関連法案について「成立し、時が経てゆく中において間違いなく理解は広がっていく」と14日の参院特別委員会で述べた。
 提起された数々の異論に適切な反証ができていないのに、「いずれは分かる」と根拠なく言うのは国民を見くびる慢心の表れだ。
 法案への反発は、一時の感情ではない。平和国家としての積み重ねが崩れ、常識がゆがめられることへの危機感に基づいている。
 日本の安全保障政策は、憲法9条と日米安保条約との強い緊張関係の下で成り立ってきた。無謀な戦争への反省と、現実の国防とを両立させるために生み出された、戦後日本の太い背骨だ。
 しかし、安保法案が成立すれば9条の持っていた拘束力は極端に緩められ、政策の重心は日米安保の側に大きく傾く。
 戦後70年。まっとうなプロセスを経た政策転換ならば議論の余地はある。ただし、今回は違う。
 4カ月近い安保国会で最も印象に残るのは「法的安定性は関係ない」という礒崎(いそざき)陽輔首相補佐官の発言だ。安保政策の実務者である礒崎氏の言葉こそ、法案の設計思想を如実に示している。
 冷戦型の思考で軍事上の必要性を最優先させる。40年以上維持されてきた集団的自衛権の憲法解釈を「環境が変わった」のひと言で正反対にする。最高裁長官の経験者から論理の粗雑さを批判されても「今や一私人」と無視する。
 中国の強引な海洋進出に対して「法の支配」を訴えてきた安倍首相だが、国内の法秩序を軽視しているのは明らかだ。行政権ののりを超えた越権行為である。
 法案は質のみならず量の面でも欠陥がある。「切れ目のない対応」を旗印に自衛隊の活動を極大化していることだ。
 安保法案には、地球規模での後方支援や外国軍への弾薬の提供、国会の承認なしに米軍を守る武器等防護などが盛り込まれている。その一つひとつが戦後安保政策の重大な変更であるのに、一括して提出されたために、国会の審議では手つかず同然のものもある。
 国家の要諦が危機管理である以上、起こり得るリスクへの備えは必要だ。ただし、内容の決定にあたっては法秩序の安定や国力、国民の理解度などの要素に見合った水準でなければならない。
 安倍内閣の安保法案は、いずれの条件もクリアできていない。にもかかわらず、生煮えのままで採決を迎えようとしている。
 政治は国の針路を選び取る営みだが、政治指導者は同時に国民を統合していく責任を負う。国内に生じている亀裂を修復する展望を持ち合わせずに、時間が解決するのを夢想するのは許されない。
 日本は今、戦後史の大きな分岐点にさしかかっている。自衛隊の創設や安保条約の改定時に匹敵するかそれ以上だ。日本を傷つける分岐になることを強く憂う。


安保法案参院審議 「民の声」に耳を傾けよ
 安全保障関連法案に反対する国民の声に、政府・与党はなぜ耳を傾けようとしないのか。憲法違反と指摘される法案だ。このまま成立させてはならない。
 安保法案を審議する参院特別委員会。きのう国会で中央公聴会が開かれた。きょう横浜市で地方公聴会が開かれる。
 与党側は一連の公聴会終了後、委員会で採決に踏み切り、秋の大型連休前の十八日までに参院本会議で可決・成立させる方針だ。
 「違憲立法」が強行され、戦後日本が歩んできた「平和国家」が一転、「戦争できる国家」に変質するか否かの分水嶺(ぶんすいれい)である。
◆公述人に多数の応募
 公聴会は、重要法案の審議に当たって利害関係者や学識経験者らから幅広く意見を聞くことを目的としながらも、採決に向けた条件整備と位置づけられ、軽視されてきたのが実態だ。
 与党側は公聴会直後に採決に踏み切るなど、その後の審議に反映されることはほとんどなく、これまでも形骸化が指摘されてきた。
 しかし、今回の中央公聴会ほど国民の注目を集めたことはなかったのではないか。安保法案の週内成立を強行しようとする政府・与党に対して、国権の最高機関である国会の場で「市民」が意見を表明する最後の場になるからだ。
 今回の中央公聴会では、意見表明する「公述人」の公募に、過去十年で最も多い九十五人が応募した。しかも、全員が法案に反対の立場だったという。違憲立法に対する国民の危機感の表れだろう。
 中央公聴会には、与党推薦の二人、野党推薦の四人の計六人が公述人として出席した。
 中でも注目は、学生団体「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」中心メンバーの明治学院大四年、奥田愛基さんである。
◆訴え、路上から国会へ
 応募した九十五人から民主党が推薦した奥田さんは「安保法制に関して現在の国会は、まともな議論をしているとは言いがたく、あまりにも説明不足だ。私たちはこの法案に到底納得することができない」と、廃案を訴えた。
 いつもは国会前の路上で安保法案反対を訴えている奥田さんである。より国民の立場に近い、素朴な疑問、主張と受け止めたい。
 奥田さんの意見に、特に与党議員はどう耳を傾けたのか。「政治の素人」の意見として一顧だにせず、切り捨てていいわけがない。
 自民、公明両党による連立与党は今、国民各層の素朴な疑問に答えようとする誠実さを欠き、その怒りを正面から受け止めようとしない傲慢(ごうまん)さに満ちている。
 確かに衆院選は政権選択の選挙であり、与党が過半数の議席を得た以上、安倍晋三首相に政権を託したことは事実ではある。
 ただ、それは安倍政権への「白紙委任」を意味しない。特に安保法案は、首相が「アベノミクス解散」と位置付けた昨年十二月の衆院選で、自民党公約集の後ろの方でごくわずか触れたにすぎない。
 ましてや憲法の規範性を侵し、法的安定性を損ねてまで、政府の裁量を認めたものであるわけがない。安保法案の最大の問題点は、合憲性に対する疑義である。
 安倍内閣は歴代内閣が堅持してきた憲法解釈を変更し、違憲とされてきた「集団的自衛権の行使」を一転、合憲としてしまった。その集団的自衛権を行使するための法案が、今回の安保法案である。
 多くの憲法学者や幅広い分野の専門家をはじめ、「憲法の番人」とされる最高裁長官経験者や内閣法制局元長官まで、安保法案を憲法違反と断じる異常さである。
 共同通信社が八月十四、十五両日に実施した全国電話世論調査によると、安保法案に「反対」は58・2%、法案が「憲法違反だと思う」は55・1%だった。報道各社の世論調査も同様の傾向だ。
 法案反対デモは収束するどころか各地に広がり、規模も大きくなるばかりだ。法案成立に国民の合意が形成されたとはとても言えない状況で、政府・与党が数の力で法案成立を強行すれば、国民と政治との分断は決定的になる。
◆採決装置でいいのか
 今、全国民の代表である国会議員は何をすべきか、自問してほしい。国民多数の反対を顧みず、政府が進める安保法案を唯々諾々と進めるだけなら、もはや「国権の最高機関」の名に値せず、単なる「採決装置」に堕す。

 戦後日本は、専守防衛に徹する平和国家の道を歩み、経済的繁栄を成し遂げた。非軍事の国際貢献に徹し、国際社会の尊敬を得てきた。その「国のかたち」を根本から変えてしまいかねない法案である。採決を強行せず、廃案にすべきではないか。国会議員一人ひとりの良識が問われている。

新ナニワ金融道/キソキソで女子が多い

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150829尼崎ひやしあめ

Inondations au Japon: les 15 disparus de Joso retrouvés sains et saufs
Les 15 personnes portées disparues jeudi après des pluies diluviennes dans la ville japonaise de Joso ont été retrouvées vivantes selon les services municipaux.
C'est en faisant la tournée des maisons et refuges que les forces de l'ordre et des employés de cette agglomération de 65.000 habitants les ont localisées.
Le bilan de ces inondations est de sept morts dans plusieurs localités du nord-est du Japon. Toru Takasugi, le maire de Joso, la zone la plus durement touchée, s'est publiquement excusé en fin de semaine dernière de ne pas avoir ordonné l'évacuation des habitants avant que la rivière Kinugawa sorte de son lit jeudi. ≪Nous pensions qu'elle pourrait détruire les digues mais nous ne pouvions pas savoir où. Nous sommes sincèrement désolés de ne pas avoir fait correctement face à la situation.≫
Les résidents de Joso dont la maison est partie à la dérive sont provisoirement hébergés dans des refuges mis en place par la municipalité. Samedi, le Premier ministre japonais Shinzo Abe s'était rendu sur les lieux.
Une autre rivière, dans la préfecture de Miyagi, a détruit vendredi une digue et inondé une zone habitée, mais la plupart des résidents avaient déjà été évacués. En tout, quelque 12.000 habitations ont été envahies par les eaux sur une étendue d'environ 40 kilomètres carrés, selon des chiffres officiels. Une centaine de milliers d'habitants du nord-est du pays avaient reçu la semaine passée l'ordre de quitter leur domicile à la suite de ces pluies charriées par des typhons.
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たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学【脳・足腰・血管若返りSP】
名医が厳選!ご当地健康法に学ぶ「脳・足腰・血管」若返り法3時間SP…全国各地の様々な健康法をご紹介!簡単にできる若返り効果抜群の運動とは?健康ご当地グルメも登場
◇脳の若返り
脳年齢が40歳も若返った!?「エクサドン」
患者数が増え続けている認知症。これを予防できる効果の高いご当地健康法があった。名医が注目したのは新潟県佐渡島の「エクサドン」。実践している皆さんの脳年齢は、ほとんどの人が実年齢より若かった!楽しく脳を若返らせるその健康法とは?
◇足腰の若返り
弱った足腰が若返る!?伊賀の「忍にん体操」
健康で長生きするために大切なのは足腰。足腰を無理なく鍛えられる体操があった!三重県伊賀市の「忍にん体操」は強靭な足腰をもつ忍者をモチーフにした伊賀ならではのユニークな楽しい体操。そこには名医も納得する確かな若返り効果があった!
◇血管の若返り
食べると血管が若返る!?「魚うどん」とは
「美味しく食べるだけで、身体が若返る」そんな幸せな食べ物が!?名医に全国のご当地グルメをチェックしてもらったところ…宮崎県日南市「魚うどん」なるものに注目!これを普段から食べている方々の血管年齢は、ほとんどの人が実年齢より若かったのだ!
ビートたけし 斎藤真美
榊原郁恵、YOU、武井壮、はるな愛、ガダルカナル・タカ


まだ疲れが残っている気がします.お昼は久しぶりにかやくごはんを出してくれるお店に行きました.ふと見るとマンガの「新ナニワ金融道」がありました.灰原が出所してきたところから始まります.
夕方はDのキソキソ.女子が多いです.
Shさんは映画見たとのこと.「ルック・オブ・サイレンス」というインドネシアでの,共産主義者大虐殺の話.

<宮城豪雨>やじ馬と不審者 被災者を悩ます
 記録的豪雨で浸水した家の片付けに追われる宮城県大崎市古川西荒井地区などで、やじ馬とみられる人が無断で敷地に入り込み、被災者をいら立たせている。古川署は不審者に対する警戒を強め、特命班を編成して被災地域を巡回している。
 渋井川の堤防決壊現場に近い西荒井上田の農業相沢正悟さん(67)宅には、13日だけで20台以上の自動車と約20人の見知らぬ人が入り込んだ。断りもなく屋敷内を歩き回り、家の中を無遠慮にのぞき込むという。
 相沢さんは「やじ馬というより不審者だ。日中に16人まで数えた。未明の午前2時、3時にも入ってくる」と憤る。
 近くの主婦(42)も侵入者に悩まされている。「高校生の息子が『何ですか』と出ていくとパーッといなくなる」と言う。「息子が学校に行っている平日が怖い。昼食後に休む時は倉庫まで戸締まりする」と表情を曇らせた。
 渋井川の堤防上で、決壊箇所の補修現場に入る車を規制する男性警備員は「復旧作業とは無関係の車が多く、業務の妨げになる。県外ナンバーの車も目立つ」と言う。
 古川署によると、空き巣被害などに関する報告はまだない。柴田剛副署長は「不審者の情報は把握している。11日に特命班を編成した。交番勤務者を含め20人以上の体制で西荒井や古川師山(もろやま)を警戒している」と話す。
 ボランティアを装う窃盗団や、損壊家屋を目当てにしたリフォーム商法などへの注意も呼び掛けている。


<宮城豪雨>堤防決壊3カ所 栗原生活再建へ
 記録的豪雨で住宅や水田が浸水した宮城県栗原市では14日、住民が後片付けに追われた。1250ヘクタールあった浸水農地は同日までに解消。生活再建に向け、廃棄物の運搬などが進んだ。
 市内では3カ所で堤防が決壊し、計394棟が床上、床下浸水した。住宅被害の4割を占める同市鶯沢では、堤防が決壊した袋地区を中心に被害が広がった。
 決壊地点に近い自宅敷地で織物「金襴緞子(きんらんどんす)」の製造販売会社を営む高橋ミツエさん(70)は1人暮らし。従業員らが後片付けを手伝った。
 「製品は泥をかぶってほとんどが駄目になった。小さい会社だが『廃業します』と言うわけにはいかない」と表情を引き締めた。
 決壊地点から約100メートルの場所に住む会社員高橋順雄さん(63)は「片付けがいつ終わるか先が見えない」と肩を落とした。土壁の蔵は、濁流で地面から数十センチほどまでえぐられた。「トラクターや田植え機、乗用車は動かなくなった。冷蔵庫など電化製品は全部駄目になった」と話した。
 同市築館黒瀬では二迫川の堤防決壊や越水があった。床上50センチまで浸水した無職佐藤清さん(67)方では、息子ら6人が被災した家財を自宅から運び出した。
 「1日半、水に漬かり、泥の臭いがひどい」と三男の会社員斎藤均さん(31)。佐藤さん夫婦は築約40年の自宅を建て替える決断を余儀なくされた。妻の澄江さん(68)は14日が誕生日。「黒瀬は何年かに1度水があふれるが、生まれたときから住んでいてこんなのは初めて。水は恐ろしい」とつぶやいた。


<宮城豪雨>稲刈り直前…漂着ごみ散乱
 豪雨に伴う冠水状態がほぼ回復した宮城県大崎市で14日、水田に思わぬ伏兵が潜んでいた。渋井川の堤防決壊で流れ着いたガラスやビニールなどのごみだ。刈り取り直前の稲の根元に潜伏し、知らずに農機を乗り入れれば、刈り取り部などを傷める可能性がある。農機の中で粉砕されたガラス片がもみに混入すれば、出荷できない。ごみの除去を農家任せにもできず、市は対策に頭を痛めている。(報道部・丹野大)
 大崎市産業経済部によると、ごみの漂着が目立つのは、大崎市古川西荒井から古川師山にかけての約100ヘクタールの水田。渋井川と、渋井川の本流である多田川の流域だ。
 西荒井の農家相沢正悟さん(67)の農地には、空き缶や板、牧草のロール、プロパンガスのボンベ、農薬のタンクなどさまざまなごみが漂着した。あぜ道のごみはボランティアに頼んで取り除ける。厄介なのは、稲の中に埋没した缶やガラス瓶などだ。
 「缶をコンバインに巻き込めば、部品を傷めて、修理に数万円は掛かる。シャフトなどにビニール袋が絡みついたら、農機を分解しなければならない」と相沢さんは語る。
 一帯の水田は、刈り取りの適期を迎えている。もみの品質が低下しないうちに収穫したいが、農機を傷めては元も子もない。作物を傷めずに作業する細心の注意も必要で、水田の中はボランティアに頼みづらい事情もある。
 市産業経済部は「ごみの除去を被災した農家に任せきりにするのは酷だ」とし、近く宮城県や農協と対策を検討する。農地での作業を熟知する他地域の農家の支援を仰ぎたいが、収穫の最盛期に人手の確保は難しい。具体的なごみ対策はこれからだ。
 農家は半ば諦め顔。相沢さんは「ごみを見つけたら、農機を止めて手で拾うしかない。遠回りのように思えるが、最も確実な方法だ」と言う。


究極のお土産に「金のさんま」など10品
 復興庁は14日、東北地方の優れた土産品を選ぶ品評会を都内で開き、三陸産のサンマをサンマを、津波で流されかけた秘伝のたれで甘辛く煮た「金のさんま」(気仙沼市)など10品を「究極のお土産」に選んだ。東日本大震災からの復興支援の一環で、10品は百貨店のイベントやインターネットで販売される。
 10品は世界文化遺産にちなんで金箔(きんぱく)を施した洋菓子「平泉黄金バウム」(岩手県)、地元産のクルミを使った菓子「香木実(かぐのきのみ)」(会津若松市)など。また「お米の地酒かすてら」(酒田市)が特別賞に選ばれた。
 東北6県から計496品の応募があり、書類選考を通過した112品を百貨店社長や雑誌関係者ら10人が審査した。
 優れた商品を製造・販売していても全国的な販路を開拓できていない東北地方の業者と、百貨店などのバイヤーを結びつけるのが狙い。竹下亘復興相は品評会後、記者団に「地元を引っ張っていく存在になってほしい」とエールを送った。


<綾瀬はるか>会津まつりで再び行進
 福島県会津若松市は14日、会津まつりのハイライトとなる23日の会津藩公行列に、特別ゲストとして女優の綾瀬はるかさんが昨年に続いて参加すると発表した。
 綾瀬さんは2013年に放送したNHK大河ドラマ「八重の桜」に新島八重役で主演した。昨年、「福島を勇気づけたい」と、会津藩公行列に参加。八重の戦闘服姿でパレード車両に乗って登場し、会場を盛り上げた。ことしも市の出演依頼を快諾した。
 綾瀬さんは「また福島の皆さまとお会いできるのを楽しみにしています。ことしも呼んでいただいてありがとなし」と、会津弁を入れたコメントを出した。
 会津まつりは21〜23日に市中心部で開かれる。鶴ケ城天守閣再建50周年のことしは、最終日の藩公行列で歴代領主の行列を編成。白虎隊などに扮(ふん)した約500人の市民が行進する。戊辰戦争後に旧会津藩士が移り住んだむつ市など、会津ゆかりの地の人々も応援参加する。
 連絡先は会津まつり協会0242(23)4141。


<震災4年半>手掛かり家族の元へ
 東日本大震災から4年半が過ぎ、南三陸署は14日、宮城県南三陸町歌津の海岸で行方不明者の一斉捜索を実施した。護岸工事が進み捜索場所が少なくなる中、一つでも多くの手掛かりを見つけようと範囲を従来の1カ所から3カ所に広げた。
 歌津の館浜、尾崎、田の頭の3カ所の海岸線計約3キロを捜索した。署員6人は海に向かって黙とうをささげ、土砂を掘り起こしたり岩場をのぞいたりしながら遺留物を探した。
 同署は震災後、月命日に合わせて一斉捜索を実施している。今回は目視での確認に重点を置いた。勝義仁地域課長は「豪雨の後で漂着物が多い。手掛かりになるものを家族の元に返したい」と話した。
 同署によると、町内の行方不明者は212人で、歌津地区は42人。


牡鹿の鯨文化 食べて残そう 石巻でまつり
 宮城県石巻市鮎川浜の牡鹿公民館跡地の特設会場で13日、牡鹿鯨まつり(実行委員会主催)が開かれた。かつて捕鯨のまちとして栄えた牡鹿地区の一大行事で、大勢の人出でにぎわった。東日本大震災で被災して他の地区に転居した人も地元に戻り、旧友らとの再会を喜んだ。
 特設ステージでは牡鹿中生徒が「侍ソーラン」、鮎川小児童が「銀鱗(ぎんりん)太鼓」などを披露。鯨の食文化を伝え残そうと、ツチクジラの炭火焼き肉約120キロが無料で振る舞われ、長い列ができた。
 各種イベントや餅まきなどもあり、会場は終日、お祭りムードに包まれた。
 鮎川浜出身で大崎市の会社員宮代靖子さん(30)は、鯨肉を味わいながら「懐かしい味。元気なまちの姿を見ることができて良かった」と話した。
 鯨まつりは震災で一時中断したが、2013年に復活した。


<検証命の現場>劣悪環境教訓 ニーズ把握へ◎震災4年半(3)避難所
<体ぬらしたまま>
 東日本大震災の津波で全壊した宮城県気仙沼市の介護老人保健施設「リバーサイド春圃(しゅんぽ)」施設長の吉田真一郎さん(40)が振り返る。
 「被災した施設にとどまっていた方が、救えた命があったかもしれない」
 震災翌日の2011年3月12日、86人の入所者や利用者は近くの中学校体育館に避難した。待っていたのは過酷な状況だった。
 避難者約900人に、3台の石油ストーブ。湯たんぽ代わりの温かいペットボトルはすぐに冷めた。津波で体をぬらしたまま一夜を過ごしたお年寄りたちは、ここでも寒さで固まった。
 周りにたくさん人がいる中でおむつ交換をせざるを得ないような環境。受け入れ先の福祉施設を探すなどして23日までに退去したが、10日余りの間に12人が続けて亡くなった。
 「うちだけ特別にとはいかない。寒さやプライバシー、食事などさまざまな面で変化が大き過ぎた」。吉田さんはつぶやく。
 震災では岩手、宮城、福島3県で最大約1900カ所の避難所が開設された。ライフラインが途絶え、栄養や衛生の状態は劣悪になっていく。低体温症、脱水症、下痢、発熱など体調を崩す被災者が相次いだ。
 「途上国の被災地より劣悪な避難所もあった。人の尊厳も守られていなかった」。東北の被災地支援に向かう全国の看護師の現地調整役を務めた東京医療保健大の石井美恵子准教授(53)は、世界の被災地で活動した経験を基に日本の避難所の後進性を指摘する。
<管理共有を模索>
 国は13年6月に災害対策基本法を改正し、避難所の生活環境整備について明記。避難者の医療、保健ニーズや避難所の環境を把握し、改善を図ることを市町村に求めた。
 震災で宮城県石巻市では最大259カ所に5万人が避難した。指定避難所以外にも多くの人が身を寄せた。市庁舎も浸水し、職員は身動きが取れなくなった。ある保健師は「どこにどんな人がいるのかをつかむことすら困難だった」と明かす。
 行政が混乱する中、石巻赤十字病院(宮城県石巻市)に集結した医療救護チームが全避難所を巡回。医療面だけでなく食事や排せつ環境がどうなっているかも聞き取り、状況とニーズの把握に努めた。
 ただし活動を始めたのは震災から約1週間後。復興庁の12年の調査では、震災関連死は最初の1週間以内で全体の約2割を占めた。
 震災の教訓から、宮城県内では、初動段階で被災者の健康状態や介護度などを把握するため質問すべき項目の標準化を検討したり、医療救護チームなどが管理共有できる電子システムづくりを模索したりする動きがある。
 災害医療に詳しい大崎市民病院(宮城県大崎市)の山内聡救命救急センター長(44)は「医療者に加え、避難所に関わる自治体、保健所、自衛隊などが協力して環境悪化を見逃さないことが大切だ」と語る。


<宮城豪雨>復旧したばかりの越流堤再び決壊
 記録的な豪雨で決壊した宮城県涌谷町新名鰭(なびれ)の出来川越流堤周辺では、美里町練牛地区などの水田約170ヘクタールが冠水した。2012年5月にも決壊し、宮城県が3億円をかけて昨年3月に復旧したばかり。14日になっても水は引かず、地元農家は「収穫に大きな影響が出る」と落胆する。
 浸水地域は旧名鰭沼の干拓地で石巻市と美里、涌谷両町の農家約200人が所有する。川の水位が3メートルを超えると、越流堤を越えて水を逃がす遊水池になる。
 延長80メートルの堤が決壊したのは11日午前9時ごろ。名鰭観測所の水位は4.62メートルで、同日午前1時に比べ2メートル以上、急上昇した。
 涌谷町花勝山の佐藤義昭さん(64)は「浸水は覚悟しているが、たびたび決壊するのは農家をばかにしている」と憤る。4ヘクタールの稲刈りを目前にした水害に「水が引くのに1週間はかかりそう。収穫も半減する」とため息をつく。
 1.5ヘクタールを耕す同町川原町の男性(61)は「いい物ができたと喜んでいた。欠陥住宅をつかまされたようなもの」と声を荒らげた。
 県は現在、越流堤を応急復旧し、6基のポンプで24時間排水を続ける。美里町は周辺民家約25戸に浸水の危険があるとして、14日朝から浸水地域南端で水田のあぜを2カ所崩し、青木川に水を排水し始めた。作業は4日ほど続く見込みだ。
 県北部土木事務所の鈴木知洋副所長は「耕作している方々には大きな損失となり、申し上げる言葉もない」と話した。


<復興めし>味の決め手は和風スープ。
◎(6)がんバーグ(陸前高田市)
 がんバーグ提供店「カフェフードバーわいわい」(岩手県陸前高田市)代表太田明成さん(49)「うち的には『がんバーグ』よりこっちを推してんだよね。『なっちく』。ちくわの穴に納豆を詰めて揚げたやつ」
 記者「今回は震災後に復興のシンボルとして生まれたメニューを紹介する企画でして。なっちくは震災前からあるんですよね」
 太田さん「そうだけど…。でもうまいよ、うちの看板メニュー」
 記者「がんバーグもおいしいですよ。スープハンバーグで、しかも珍しい和風スープ。昆布だしがしっかり取れているし。ブドウジュースが隠し味で酸味も利いています」
 太田さん「ハンバーグは牛肉と豚肉のほか、鶏肉を入れてあっさりめにしているんだよね」
 記者「いいですよ、がんバーグ。第2回復興グルメFー1大会(2013年4月)でも準優勝に輝いているじゃないですか」
 太田さん「でもなっちくの方が断然出てんだけどなあ」
☆食いに行く
 がんバーグは単品450円、定食650円。わいわいは陸前高田市高田町大隅、仮設商店街「高田大隅つどいの丘商店街」にある。営業時間は午前11時〜午前0時。不定休。陸前高田市へは車なら東北自動車道一関インターチェンジで下りて県道19号−国道343号で。ちなみになっちくは単品300円、定食580円。価格はいずれも税抜き。連絡先はわいわい0192(47)4290。


<災害公営住宅>施工ミスと換気不足でカビ発生
 東日本大震災の被災者が暮らす災害公営住宅でカビが大量発生した問題で、宮城県内で発生が確認されたのは10市町15団地の計77戸に上ることが14日、分かった。換気不足や施工ミスが原因とみられ、各被災市町は改修や畳の交換を進めている。
 県の調査によると、カビが大量発生したのは石巻市15戸、気仙沼市11戸、名取市3戸、岩沼市1戸、東松島市1戸、大崎市10戸、亘理町26戸、山元町1戸、美里町1戸、南三陸町8戸。
 南三陸、亘理両町はそれぞれ3団地、気仙沼市は2団地、その他は各1団地で見つかった。
 このうち44戸は、住民が入居する以前からカビが発生していた。住宅の完成後に施工業者から引き渡しを受けた市町が、換気を怠っていたケースが多い。各市町は畳や床板の交換、消毒を行った。
 入居後に発生した33戸についても、大半は換気不足が原因とみられる。南三陸町歌津にある枡沢復興住宅の5戸は業者の施工不良が原因で、雨どいを伝わる雨水が床下に流れ込む構造になっていた。業者が修繕している。


パリ・デザインの祭典で震災被災地の「硯」に脚光
 今月、パリで開催されたアートとデザインの祭典に、東日本大震災の被災地で作られているある伝統品が展示され、話題となりました。600年の伝統を誇る技術の結晶は、フランス人にどのようにうつったのでしょうか。
 ヨーロッパの中でも、ひときわ洗練された街・パリ。その郊外に私たちがちょっと親しみを感じる店があります。「小江戸へどうぞ」とありますが、川越ではありません。フランスの駅のホームの中です。日本の立ち食いそばと見まがうこのお店。ここでは、パリでよく出くわす寿司やラーメンではなく、日本のお弁当が人気だといいます。
 「お弁当の方がずっと好きよ。フランスで食べる寿司と比べて、こっちの方がおいしい」 (来店客)
 「(Q.売れ行きはどうですか?)伸びてます。順調ですよ」(店員)
 そんな日本食通も多いパリで先週まで開かれていたのが、アートとデザインの祭典「パリ・デザイン・ウイーク」です。
 市内およそ120か所に散らばる会場には、おしゃれな置物にしか見えない石けんや、どうやって座っていいのかわからない不思議なチェアなど、世界中からデザイン性に優れた品々が並びます。そのデザインの祭典に、今年は日本でも知る人ぞ知る「地方の逸品」の数々が選ばれ、展示されました。
 「日本は職人の手によって作られた品々で、世界中のさまざまな分野で、影響を与えていますね」(「パリ・デザイン・ウイーク」広報責任者)
 デザインウイークに参加するパリ中心部のセレクトショップでも、「硯(すずり)」の原料となる石で作ったこのお皿が注目を集めていました。
 「デザインの繊細さ、エレガントさを 感じますね。そこがヨーロッパの人たちにも気に入られているのでしょう」(来店客)
 この皿、実は、被災地からやってきました。硯の産地として有名な宮城県石巻市の雄勝町。原石の産地として、かつては国内の硯の生産量の9割を誇っていましたが、東日本大震災の津波で全ての工房が流されてしまいました。
 「向こうが事務所で、こっちが店舗だったんです」(雄勝硯生産販売協同組合・澤村文雄理事長)
 硯業者の組合理事長・澤村さん。震災からおよそ半年後に訪れた時には、散乱する硯の中で、復活に向けもがいていました。あれから4年、澤村さんたちは新たな工房で制作に励んでいました。ただ、職人の数は震災前から半減、生産量は6割減。そんな中で、パリでの出展はグッドニュースでした。
 「今ちょうど、海外展開これからってときに、本当に良い吉報が来たなってことで、今、うれしい気持ちでいっぱいですね」(澤村文雄理事長)
 食器への応用や海外への売り込みは、震災前から地道にやってきました。それが実り、今ではヨーロッパに加え、アジアからの問い合わせも急増しているといいます。今回のパリでの展示も、フランスを代表するシェフ、ピエール・ガニェールさんらが決めたものでした。
 「うち(雄勝)のお皿は真っ黒なので、食材を乗せたときに映えるんですね。国内ではイタリアン、中華、フランス料理のシェフからの注文が増えていますので、ぜひフランスの方でも 販売していけたらと思っています」(澤村文雄理事長)
 海外での日本食ブームが新しい段階に進む中で、料理を引き立たせる器に復興の願いを込めた、新たな挑戦が始まっています。

やっときしめん/名古屋から新幹線で帰阪

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150829長田新社会党

Japon: Le volcan Aso est entré en éruption dans la matinée
Le Japon a demandé lundi aux touristes de s'éloigner du volcan Aso qui est entré en éruption dans la matinée et crachait toujours en tout début d'après-midi de la fumée et des cendres.
Les autorités ont élevé à 3 le niveau d'alerte volcanique sur une échelle de cinq, alors qu'un épais panache de fumée blanche et de cendres noires s'élevait à environ 2.000 mètres au-dessus de l'énorme volcan situé sur l'île de Kyushu dans le sud du pays.
Le Japon a demandé lundi aux touristes de s'éloigner du volcan Aso qui est entré en éruption dans la matinée et crachait toujours en tout début d'après-midi de la fumée et des cendres.
Les autorités ont élevé à 3 le niveau d'alerte volcanique sur une échelle de cinq, alors qu'un épais panache de fumée blanche et de cendres noires s'élevait à environ 2.000 mètres au-dessus de l'énorme volcan situé sur l'île de Kyushu dans le sud du pays.
Le Mont Aso s'était réveillé en novembre
Ni victimes ni dégats n'ont été signalés, ont précisé les autorités, appelant les visiteurs de ce site très apprécié à évacuer rapidement. Au moins sept vols intérieurs ont dû être annulés par les compagnies du fait de l'éruption, ont indiqué des porte-parole d'ANA et Japan Airlines (JAL).
Le Mont Aso s'était réveillé en novembre l'an dernier et avait connu depuis plusieurs petites éruptions. En août, l'agence météorologique avait émis une alerte après avoir enregistré des activités sismiques autour d'un autre volcan, le Sakurajima, plus au sud.
110 volcans actifs au Japon
L'archipel nippon est situé sur la ≪ceinture de feu≫ du Pacifique, qui enregistre un grand nombre des tremblements de terre de la planète. Le Mont Aso fait partie des volcans sous haute surveillance parmi les 110 actifs du Japon.
Cette éruption intervient un an après celle du Mont Ontake (centre) qui avait surpris plusieurs centaines de randonneurs et avait tué plus de 60 personnes. L'échelle japonaise d'avertissement pour l'activité volcanique va de 1 à 5, le dernier niveau nécessitant l'évacuation de la population alentour.
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いわゆる名古屋めしを食べていません.そこでお昼にきしめんを食べることにしました.冷たいヤツです.その後新幹線で大阪に戻ります.なんか疲れたなぁ・・・って感じです.

未来世紀ジパング【緊急取材!中国バブル崩壊の現場を行く!謎の踊りが大流行】
中国が引き金となった世界同時株安。ついに「バブル崩壊」は始まったのか。その裏側と行方に迫る緊急企画。不動産業者や無謀な融資を続けてきた“影の銀行”の破綻も相次ぎ、泣き叫ぶ投資家たちの姿が「夢の終わり」を告げる。さらに実態経済にも多くの疑問が浮上。「世界の工場」の終焉と言われ、外資系工場の撤退や夜逃げが続出していた。
一方、多大な恩恵を受けてきた世界一のカジノリゾート、マカオにも異変が。あの新国立競技場のザハ氏が設計する巨大ホテル計画など、知られざる現場を総力取材。「中国バブル崩壊」の真相から、日本や世界に及ぼす影響を探る。
SHELLY 秋元玲奈 後藤康浩
竹田圭吾、宮崎美子、周来友

主治医が見つかる診療所【早期なら90%助かる!がん超早期発見法】
38歳で大腸がん発覚…女子アナの命を救った偶然の検査&夫の言葉▽献血で異常を察知!「がんになった医者」見逃さなかったサイン▽おしっこ&だ液&血&がん部位光る新検査
「がんの早期発見」をテーマに、最新のがん検診を紹介します。中でも注目されているのが、「唾液によるがん検診」。5〜6年後の実用化を目指すという。さらに、ゲストの沢田亜矢子、東貴博、蟹江一平が最新のがん検診を体験。その結果とは…。 番組では、38歳で大腸がんが発覚した女子アナ、がんを経験した医師達の体験談もお伝えします。医者だからこそ気付くことができた、わずかな異変とはいったい…。
草野仁、東野幸治
森本智子 沢田亜矢子、柴田理恵、森尾由美、東貴博、つるの剛士、蟹江一平
秋津壽男、上山博康、丁宗鐵、中山久徳、姫野友美、金子昌弘、森山紀之


<ツール・ド・東北>被災者と共にぺダル踏む
 東日本大震災で被災した宮城県沿岸部で13日に開かれた「ツール・ド・東北2015」で、出場者は津波の爪痕が残るコースを走りながら犠牲者の冥福を祈り、被災者にエールを届けようと必死にペダルを踏み込んだ。
 東松島市の介護職員菅原恵さん(42)は北上フォンド(100キロ)を専門学校時代の友人3人と走った。
 コース上の宮城県女川町では親類の女性が津波に巻き込まれ、行方が分からない。今は母親と年に数回訪れる慰霊の場でもある。
 「海が見える女川駅のエイドステーションでは特別な思いが湧き、感慨深かった」と菅原さん。旧知の仲間と励まし合いながら起伏に富むコースを走り抜き、「三陸沿岸の復旧復興をこれからも見届けたい」と振り返った。
 北上フォンドに挑んだ横浜市の自転車店経営渡辺辰夫さん(50)は元競輪選手。現役時代の1999年に腎不全となり、2003年に臓器移植を受けた。
 今大会には「体が元気なうちに被災地を自らの足で踏みしめたい」と参加を決意。手術後初めての長距離走行に不安もあったが、約7時間かけてゴールにたどり着いた。
 渡辺さんは「何度も足を止め、海辺の光景に見入ってしまった。沿道では逆境に耐えた被災者が応援してくれ、本当に励みになった」と話した。
 ことし4月に宮崎県庁から宮城県気仙沼地方振興事務所に派遣された田牧幸一さん(38)は、新設の気仙沼ワンウェイフォンド(95キロ)を愛車のクロスバイクで疾走した。
 普段は被災した漁業者たちを支援する立場。車から眺める海岸線とは違う景色が目に入り、「復興はまだ時間がかかるかもしれないが、自分にできる手伝いを精いっぱいやりたい」と決意を新たにした。


<ツール・ド・東北>ケネディ大使、海へ献花
 東日本大震災で被災した宮城県沿岸部で13日に開かれた「ツール・ド・東北2015」で、出場者は津波の爪痕が残るコースを走りながら犠牲者の冥福を祈り、被災者にエールを届けようと必死にペダルを踏み込んだ。
 「地元の人々との触れ合いと景色を心から楽しめた」。2年連続出場のキャロライン・ケネディ駐日米大使は13日、宮城県気仙沼市から石巻市の石巻専修大に向かう片道型の新設コース「気仙沼ワンウェイフォンド」(95キロ)を完走した。
 ケネディ氏は出発セレモニーで「気仙沼の美しい街を見たいと95キロの参加を決めました」と英語で説明。その後「頑張りましょう」と日本語で呼び掛けた。沿道からの声援に手を振って応えながら走った。
 気仙沼市の道の駅「大谷海岸」では東日本大震災後に設けられた献花台に花を手向け、犠牲者を悼んだ。
 完走後は石巻専修大のステージに立ち、「力強い復興の息吹を感じた。来年また戻ってくるのを楽しみにしている」と話した。


<安保法案>国会前、再び反対大規模集会
 安全保障関連法案に反対する市民団体が14日、国会周辺で集会を開いた。8月30日の最大規模の集会と同様、参加者が国会議事堂を取り囲み、正門前は車道にもあふれた。主催者発表で約4万5千人。
 作家の大江健三郎さんは「法案が成立すれば、平和憲法の下の日本はなくなってしまう」と危機感を表明。一方で「特に若い人たちが力強い声を発している。『希望はない』とふさぎこむことはできない」と述べた。
 参加者はペンライトを振りながら「戦争法案いますぐ廃案」「強行採決絶対反対」とシュプレヒコールを繰り返した。
 主催は、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」。


<ツール・ド・東北>「亡き弟と2人で」完走
 東日本大震災からの復興を支援するサイクリングイベント「ツール・ド・東北2015」(河北新報社、ヤフー主催)が13日、石巻市、宮城県女川町、南三陸町、気仙沼市のコースで開かれ、出場者約3500人が被災地の再生を願って駆け抜けた。ことしで3回目。
◎気仙沼出身・木島さん 形見の自転車受け継ぐ
 古里を通る211キロの道のりを弟が支えてくれた。
 宮城県気仙沼市出身で仙台市青葉区のコンサルタント業、木島隆司さん(54)は13日、初めて出たツール・ド・東北で、最長コースの気仙沼フォンドを完走した。
 ペダルを踏み締めたロードバイクは年季が入り、サドルの一部が色落ちしている。東日本大震災の津波で亡くなった弟の研さん=当時(45)=の形見だ。
 生前、趣味のトライアスロンのレースで使っていた。震災後の2011年6月、研さんの妻から「乗ってほしい」と譲られた。
 気仙沼市最知で歯科医院を営んでいた弟を「とにかく仕事熱心。家族との時間を人一倍大切にしていた」と語る。
 木島さんは20年以上暮らした宮城県名取市閖上2丁目の妻の実家が津波で流され、青葉区の借り上げ仮設住宅に家族と身を寄せた。生活や仕事の道筋を付けるのに精いっぱいだった。
 住宅を購入でき、昨年1月から暮らす。ことし4月、長男が将来の進路を決めて上京した。同居していた義母が病気でこの世を去った。一つの節目を迎えた気がした。「弟と2人で走る」と出場を決めた。
 本番では長男がアルバイトで買ってくれた黒のジャージーを着て走った。弟の歯科医院のあった場所のそばを通り、「着いたよ」と心の中で唱えた。
 木島さんはゴールの瞬間を「やっと終わったという思いと、もっと走りたかったという気持ちが混じり合った」と振り返った。


<宮城豪雨>家財回収 生活再建へ一歩一歩
 記録的豪雨に伴う河川の氾濫に見舞われた宮城県内の地域では13日、水に漬かって使えなくなった家財道具の回収が始まるなど、自宅の復旧作業や生活再建に向けた動きが本格化した。
 渋井川の堤防決壊で一帯が大きな被害を受けた大崎市古川西荒井地区では、午前8時半から、市の委託業者のトラックが住民が軒先に出していた家具や畳、衣類などを集めて回った。
 一時避難後、自宅に戻って2階で暮らす会社員横堀てつ子さん(59)は、長年使い込んだたんすなどの家具をボランティアと共にトラックに運び込んだ。がらんとした1階の部屋を見つめ「思い出が詰まった家財道具が実際になくなり、被害に遭った実感が湧いてきた」と静かに話した。
 午後には断続的に雨が降った。気仙沼市の自宅を東日本大震災の津波で失い、3年半前に購入したばかりの自宅が床上浸水した会社員浅野由美さん(52)は「雨が怖い。また増水すると思うと落ち着かない」と空を見上げた。
 東北地方整備局のまとめによると、渋井川など鳴瀬川水系の浸水面積は13日午前11時現在で約40ヘクタール。11日の発生当初の約150分の1に縮小し、多くの地域で浸水が解消された。
 ただ、4市町では自治体が開設した避難所に計60人(大崎市29人、加美町19人、仙台市8人、栗原市4人)が避難している。


<ツール・ド・東北>道端カレン東北に心寄せ
 東日本大震災で被災した宮城県沿岸部で13日にあった「ツール・ド・東北2015」は自転車を介して、人々がさまざまな思いを通わせた。石巻、気仙沼両市のスタート地点は歓迎ムードに包まれ、国内外から訪れた出場者は一日も早い復興を願い、ペダルに力を込めた。
 3年連続で大会に参加し、昨年から「広報大使」を務めるモデルの道端カレンさんは新設コースの気仙沼ワンウェイフォンド(95キロ)に挑み、約4時間という好記録で完走した。
 コースには震災から時間が止まったままの場所が残る一方、回を増すごとに街が活気づき、沿道からの声援が大きくなっている印象を受けたという。道端さんは「日本中の人たちが東北を思っていることを、大会に参加し続けることで伝えたい」と笑顔で語った。
 初参加で仙台市を拠点に活動するアーティスト「MONKEY MAJIK」はメンバー4人全員が女川・雄勝フォンド(60キロ)に出場し、完走を果たした。
 JR女川駅前のエイドステーション(休憩所)でサンマのすり身団子が入った「女川汁」を味わった。メンバーの一人、メイナードさんは「疲れた体においしさと地元の人たちの温かさが染みた」と話した。


<宮城豪雨>ボランティア続々 復旧後押し
 記録的大雨に伴う河川の氾濫に見舞われた宮城県内では13日、自宅の復旧作業や生活再建に向けた動きが本格化した。
 吉田川が氾濫した宮城県大和町で13日、災害ボランティアの受け入れが始まった。初日はトヨタ自動車東日本(宮城県大衡村)、泉青年会議所(仙台市泉区)などの企業・団体と個人の計106人が参加。被害の大きい高田、舞野両地区周辺に分かれ、家屋の片付けを手伝った。
 1メートル30センチの高さまで浸水した団体職員斎藤嘉雄さん(59)方には10人ほどが訪れ、戸板やタンスなどを搬出。流入した泥をかき出し、使用不能になった乗用車をレッカー車に乗せた。
 氾濫当時、自宅2階におり、翌朝に自衛隊のボートで救助された斎藤さんは「片付けも1人の力ではどうにもならず、途方に暮れていた」と感謝した。
 農業富田源一郎さん(77)方は1メートル浸水。搬出した畳の総重量が5トンに上ったという。「水をかぶったタンスなどは非常に重く、高齢者だけでは担げない。とても助かる」と話した。
 熊本市から参加した無職高橋政彦さん(64)は「東日本大震災時は金銭的援助しかできず、心残りだった。今回の被害がこれほどひどいとは」と絶句。震災被災地支援を続けながら急きょ駆け付け、人的支援の必要性を訴える人もいた。
 町社会福祉協議会は災害ボランティアセンターを設置し、14日から受け入れを本格化する方針。

<復興めし>味もサイズも値段もS級。
◎(5)ふかひれ丼(気仙沼市)
 連載中盤にして真打ち登場である。
 宮城県気仙沼を代表する言わずと知れたS級グルメだ。震災で提供が中断し、昨年6月、フカヒレの大きさが1.5倍にスケールアップして復活した。
 フカヒレと言うと中華のイメージが強いが、これは純和風。ヨシキリザメの尾びれを丸ごとカツオ、昆布だしで煮る。大きさ、厚みとも文句なし。錦糸状にほぐしたヒレと共に酢飯に敷き詰める。身はプリプリで、一口入れただけでぜいたくな気分に浸れる。
 1杯5000〜6000円。値段もS級だ。地元の人はちょっとたじろぐ。
 ここは東京から来たお客さんに話を聞こう。
 「5000円? 信じられない。横浜中華街の高級店なら1万7000〜1万8000円取るわよ」
 「みんなでシェアすればお得感が増すよね」
 地元の人もひるまず行こう。
 「実物の大きさがメニュー表の写真と同じ! 東京の店なら実物が出てきてガッカリということがあるわよね」
 すぐ行こう。
☆食いに行く
 気仙沼寿司(すし)組合に加盟する14店で出している。税込みか税抜きかは店による。気仙沼市へ車で向かう場合は東北自動車道一関インターチェンジで下りて国道284号で。連絡先は気仙沼観光コンベンション協会0226(22)4560。


関東・東北豪雨:仕事熱心あだに 倉庫で作業、濁流に…茨城・常総の栗田さん
 「どうか助かって」。関東・東北豪雨に見舞われた茨城県常総市で、家族や知人の願いもむなしく、同市三坂町、栗田要也さん(71)が13日、変わり果てた姿で見つかった。建築関係の仕事を営み、職人肌で知られていた。濁流にのみ込まれる直前まで、自宅隣の倉庫で資材や道具を整理していたが、その熱心さがあだになった。「なぜこんなことに」。関係者は唇をかむ。【永野航太、土江洋範、松岡大地】
 10日午前、栗田さんは仕事の道具などが置かれた倉庫で作業を続けていたが、川の氾濫で周囲の水位が高くなると、自宅に戻れなくなり、倉庫の屋根に逃れた。しかし、栗田さんは激しい水流でしがみついた倉庫ごと流された。
 自宅にいた妻は2階から自衛隊ヘリが救助。避難後も周囲の水田などを歩いて、必死に栗田さんを捜したが、13日午後、自宅から900メートル南東の水田で遺体が見つかった。
 自宅の向かいに住む中山二郎さん(71)と長男吉広さん(40)は、栗田さんが流される瞬間を見ていた。「助けてあげたかったが、何もできなかった」と悔やむ。
 親子によると、栗田さんは大雨が降りしきるなか、赤いシャツに半ズボン姿で屋根の上に座り込んでいた。水流が激しくなると倉庫そのものが約150メートルほど東側に流されていった。その間も栗田さんが屋根の上にしがみついているのが見えたが、直後に倉庫そのものが崩れたという。
 吉広さんは「作業中で浸水に気付かなかったのでは。本当に残念だ」と話す。
 周囲から仕事に熱心な人として知られていた栗田さん。近くの農業の男性(77)は「朝6時には奥さんと2人で仕事場に向かっていた。仕事を大切にしていた」と振り返る。別の知人男性は「酒を飲みながら『裸一貫で仕事を毎日頑張っている』と熱く語っているのが印象的だった」と話した。


牧太郎の大きな声では言えないが…:NHKは「右向けー右!」
 明治5(1872)年2月、現存する日刊紙では最古の歴史を持つ「東京日日新聞」(現毎日新聞)が創刊された翌月、東京・築地新栄町に英国人による日本語の新聞が誕生した。ジョン・レディ・ブラックの「日新真事誌」。日々、新たな真実、事実を報道する。
 主筆のブラックは英国生まれ。結婚後、オーストラリアに移住して実業家になるが経営破綻。なぜか、歌手に転向する。歌の合間に小話を披露する達者な芸で大成功。38歳の時、横浜興行のため来日した。
 日本が気に入ったのだろう。この地で新聞を作ろう!と決意する。明治初期には珍しい写真新聞「ファー・イースト」(英字)も創刊した。(奇妙な生い立ちは「ジョン・レディ・ブラック−−近代日本ジャーナリズムの先駆者」奥武則著に詳しい)
 ブラックは明治6年8月、ライバル「東京日日新聞」より1年早く「花の銀座」に進出。ズバズバと政権批判を繰り広げ、人気だった。
 明治7年、板垣退助らの「民選議院設立建白書」の秘密文書をスクープした。論説で議院の早期開設を主張する。それが明治政府を刺激した。
 政府は奇妙な懐柔策に出る。ブラックを月300円の高給で「顧問」として雇い入れ、同時に「外国人は日本の新聞の主筆になれない!」という条例を作る。ブラックは新聞発行権を他人に譲り「日新真事誌」は翌8年、廃刊。短い命だった。いつの時代でも権力は「硬軟両様の構え」でメディアに圧力をかけるものだ。
 安倍晋三首相も(あからさまな)「お友達人事」で、日ごろ、気に入らなかったNHKのトップを代えた。就任した「皆様の(はずの)NHK」会長は「政府が右と言うものを左とは言えない」と言い放つ。その頃から、NHKのニュース報道がおかしくなった。
 安全保障関連法案を巡る報道では、いつも、おっかなびっくり? 8月30日の国会周辺を埋め尽くしたデモを、午後7時のニュースでは「タイ・テロ事件の容疑者特定か」などに次ぐ3番手扱い。日本の運命に関わる大ニュースなのに……「安保隠し」の異常な扱いではないか?
 今週は、メディアが「平和」を守れるか?の正念場だ。
 だから、あえて言う! NHKは安倍さんの号令で「右向けー右!」になったのか?(客員編集委員)


在日米軍再編:辺野古移設 沖縄知事、埋め立て承認取り消し表明 国と法廷闘争へ
 沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は14日、那覇市の県庁で記者会見し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設に向けた前知事による名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消すことを表明した。政府は今秋にも埋め立てに着手する構えで、承認取り消しを受けて行政不服審査法に基づく不服審査請求などの対抗措置を取るとみられる。法廷闘争となるのは必至な情勢で、移設問題で政府と県は全面対決に突入した。
 翁長知事は会見で「埋め立て承認の取り消しに向けて事業者への意見聴取の手続きを開始した。承認には取り消しできる瑕疵(かし)(法的な問題)があると認められた」と説明。そのうえで「辺野古に新基地は造らせないという公約実現に向けて全力で取り組む」と決意を示した。集中協議期間終了後すぐに移設作業を再開した政府の姿勢を「聞く耳を持たず、残念至極」と批判した。翁長知事が埋め立て承認の取り消しを表明したことで、県は事業主体である沖縄防衛局から28日に意見を聴くなど必要な手続きに入る。手続きには3週間〜1カ月かかるとし、正式な取り消しの決定は来月以降となる見通し。【佐藤敬一】


国会前、再び反安保大規模集会/大江健三郎氏「若者が力強い声」 
 安全保障関連法案に反対する市民団体が14日、国会周辺で集会を開いた。8月30日の最大規模の集会と同様、参加者が国会議事堂を取り囲み、正門前は車道にもあふれた。主催者発表で約4万5千人。
 作家の大江健三郎さんは「法案が成立すれば、平和憲法の下の日本はなくなってしまう」と危機感を表明。一方で「特に若い人たちが力強い声を発している。『希望はない』とふさぎこむことはできない」と述べた。
 参加者はペンライトを振りながら「戦争法案いますぐ廃案」「強行採決絶対反対」とシュプレヒコールを繰り返した。
 主催は、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」。


知事、きょう取り消し表明 辺野古埋め立て阻止へ最大権限
 翁長雄志知事は14日午前10時、県庁で記者会見し、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設計画について、前知事による埋め立て承認の取り消しを表明する。政府は辺野古新基地建設に関して、2013年12月に仲井真弘多前知事から承認を得たことを理由に作業を行っており、取り消しでその法的根拠が失われる。県は最初の手続きとして沖縄防衛局の反論を聞く意見聴取を予定しており、実際の取り消しは1カ月程度先になる見通し。翁長知事は昨年の知事選以降、埋め立て承認の取り消しや撤回などに言及して新基地建設を阻止すると表明しており、これまでで最大の行政権限行使となる。 翁長知事が1月に設置した法律や環境の専門家で構成する第三者委員会は半年間の検討を経て、7月16日に埋め立て承認に「瑕疵(かし)があった」とする報告書を知事に提出した。知事はこれまで結果を「最大限尊重する」と表明し、取り消しに向けて検討する意向を示していた。
 県関係者によると、県が14日に発表する取り消し手続き開始の理由は、基本的に第三者委員会の報告内容に沿ったものとなる。
 これに対して政府は承認を取り消されても新基地建設工事を進めると表明している。
 その場合、法的根拠が失われたまま埋め立て事業が行われる異例の事態となると同時に、最終的には県と政府が法廷闘争に入ることも予想される。
 一方、沖縄防衛局は12日、県と政府による集中協議が決裂したことを受け、協議期間中は停止していた新基地建設作業を再開したばかり。来週半ばに本体工事に向けた海底ボーリング(掘削)調査を再開し、10月にも本体工事に着手することを検討している。


[きょう取り消し表明]国際・国内世論の喚起を
 辺野古新基地建設問題で、翁長雄志知事は14日、県庁で記者会見し、前知事が行った辺野古埋め立ての「承認取り消し」を表明する。
 県の承認取り消しに対し、政府は行政不服審査法に基づく審査請求で対抗し、最終的に法廷で争うことになるとみられる。
 重要になってくるのが、いかに国際・国内世論を沖縄の側に引きつけ、沖縄の訴えに正当性があることを理解してもらうかである。
 国際世論を喚起するための一環が翁長知事の国連演説である。翁長知事は21日、スイス・ジュネーブで開かれる国連人権理事会で演説する。またとないチャンスである。
 沖縄の明確な民意に基づいて承認取り消しをした上で国際世論に訴えることは、翁長知事の演説をよりインパクトの強いものにするであろう。
 演説で翁長知事は、沖縄が過重な基地負担を背負わされ、自己決定権がないがしろにされてきた経緯などを明らかにする。
 国連人権理事会で日本の都道府県知事が発言するのは初めてである。演説によって新基地建設問題の局面が一気に転換するとみるのは楽観的すぎるが、国際社会に沖縄問題を認識させる出発点にしてもらいたい。
 ジュネーブでは同じ日「島ぐるみ会議」が主催するシンポジウムが開かれ、翁長知事が基調講演する。22日には海外メディアを相手に記者会見を開く。これらも国際社会に沖縄の現状を知らせる手段の一つにしてほしい。
    ■    ■
 辺野古新基地問題は国際社会の目にはどう映っているのだろうか。
 人権侵害などを調査する国連人権理事会特別報告者、ビクトリア・タウリ・コープス氏は8月に来沖した際「先住民の土地で事前同意なしに事業をしてはいけない」と断言。辺野古新基地は「『先住民族の権利に関する国連宣言』に反している」と指摘した。
 先住民の定義は、言語などの文化的特性を維持し、迫害・差別の経験がある−ことなどが要件で、国連人権理事会は沖縄を「先住民」として認めている。コープス氏は翁長知事に「基地の集中する状況は差別的だ」と米軍基地を視察した感想を語った。
 世界の識者が翁長知事に承認取り消しを促す緊急声明「世界は見ている」の賛同者は109人に上る。集中協議の結果にかかわらず工事再開を表明した政府を批判している。新基地建設に反対する沖縄の人たちを支援する輪が広がっているのだ。
    ■    ■
 国内世論を高めるため「島ぐるみ会議」は5月から「全国キャラバン運動」を実施。講師を派遣し本土各地の市民団体と連携を強めている。
 辺野古基金には全国から4億円を超える寄付金が集まっている。基金を利用し、国内の地方紙48社、全国紙3社に辺野古新基地建設に反対する意見広告を掲載した。
 全国の世論調査では新基地建設を進める政府を「評価しない」が多数を占める傾向にある。本土側の関心を持続させるためにも、沖縄からの発信がもっと必要だ。

北欧カフェ/アフガン・イラン料理/ホテルは女子大の近く?

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150829三宮部落解放

Japon: Des sacs de déchets contaminés de Fukushima emportés par une rivière
Sept sites où étaient entreposés des déchets rassemblés lors de la décontamination de la région de Fukushima se sont retrouvés sous les eaux vendredi à cause des pluies torrentielles qui se sont abattues sur le Japon, et des sacs ont été emportés par le courant, rapporte le quotidien japonais Asahi Shimbun.
Sept sites où étaient entreposés des déchets rassemblés lors de la décontamination de la région de Fukushima se sont retrouvés sous les eaux vendredi à cause des pluies torrentielles qui se sont abattues sur le Japon, et des sacs ont été emportés par le courant, rapporte le quotidien japonais Asahi Shimbun.
Sur ces sites de stockage temporaire, sont entreposés dans de grands sacs noirs la terre, l’herbe et d’autres déchets issus de l’effort de décontamination. Dans le village d’Iitate (région de Fukushima), au moins 240 sacs de polyéthylène, pouvant chacun contenir un mètre cube de déchets et peser de 200 à 300 kg, ont été emportés par une rivière, selon le ministère de l’Environnement japonais, cité par la chaîne locale Fukushima TV. Certains sites étant encore difficiles d'accès, cette estimation pourrait toutefois être revue à la hausse.
Au moins deux sacs retrouvés vides
Les autorités locales disent avoir prévenu le ministère de l’Environnement dès vendredi, et 113 des sacs auraient pu être récupérés. Les autorités tentent de retrouver au plus vite les 127 encore manquants, restés bloqués sous des ponts ou d’autres obstacles dans la rivière, pour s’assurer qu’ils n’ont pas perdu leur contenu. Malgré la découverte d’au moins deux sacs vides, le ministère de l’Environnement affirme que ceux-ci étant pleins d'herbes coupées récemment, qui ne contenaient qu'une faible dose de radioactivité.
Les récentes pluies torrentielles, qui ont causé la mort d’au moins cinq personnes, ont également eu pour effet de déverser dans l'océan de l'eau contaminée par la radioactivité à proximité de la centrale de Fukushima dévastée par le tsunami de 2011, selon un porte-parole de la compagnie Tepco.
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名古屋の中央市場でお昼ご飯どうかな?と思って行ってみたんですが,ガーン.日曜日なのでお店が閉まっていました.そこで北欧のお店に行ってみることにしました.Smoerrebroedというデンマークの伝統料理です.
昼からまた会場に戻ってお話を聞いて,夕方にホテル.まず洗濯をしなくてはいけないのですが,お風呂場にある洗濯機が2台しかなくて混んでいます.30分待って1時間かけて洗濯してお腹すいてきたのでお出かけです.お店としてはインド料理なのですが,メニューにはアフガン・イラン料理とありました.イスラムのせいでしょうか,アルコールはありません.ライスクビデセット Rice with Zereshk Kubida & Juja(ゼレシュク入りサフランライスにクビデ・ジュージャのセット)ですが,結構量がありました.イランティーも.
ホテルに戻って気がつきましたが,女子大小路と言われるエリアのようです.と言っても女子大はありません.相当昔にあったらしいですが.

<宮城豪雨>収穫の秋に水差す
 県内を襲った豪雨は、大崎地方の農家に大きな被害をもたらした。大崎市田尻大沢の百々(どうどう)地区では、12日も多くの田んぼが水浸しのまま。転作田で大豆を栽培する農家は「水に漬かってしまったら終わりだ」と悲鳴を上げた。
 百々地区の冠水は、近くを流れる田尻川の氾濫が引き起こした。地区内の大豆は80センチほどに伸び、収穫を1カ月半後に控えていたが、多くが被害を受けた。
 作付けの3分の1に当たる4ヘクタールの大豆が水没した由利勝さん(67)は「いまは水が引くのを待つだけ。水に漬かった大豆は根腐れしやすい。たとえ収穫できても質は落ちてしまう」と肩を落とした。
 近所の農家と共同で大豆を30ヘクタール栽培する松浦邦衛さん(63)の転作田も4ヘクタールが水に漬かった。
 「ことしは出来が良く、収穫を期待していたのに」と悔しがる松浦さん。「この辺りは大雨の度に水浸しになる。河川を管理する行政の雨水対策が不十分で、人災のようなものだ」と憤った。
 深刻な冠水の一方で、被害を免れた生産者もいる。美里町北浦地区で収穫時期を迎えた北浦梨には目立った被害がなかった。国道108号沿いで直売店を出すナシ農家は「台風だと不安で仕方ないが、今回は強風が吹かず被害はなかった」とほっとした様子だった。


<ツール・ド・東北>ケネディ大使 ニット製造見学
 復興支援サイクリングイベント「ツール・ド・東北2015」(河北新報社、ヤフー主催)に参加するキャロライン・ケネディ駐日米大使が12日、気仙沼市を訪れ、女性が活躍するニット製造販売の「気仙沼ニッティング」を視察した。
 同社は震災後の2012年創業。地元の女性30人以上を雇用し、手編みの高級セーターを作っている。
 ケネディ大使は同市柏崎の店舗を訪問し、女性たちが丁寧に編む手元を興味深そうに見つめ、「編むのにどれほど時間がかかりますか」「模様が難しそうですね」などと質問。「とても感銘を受けました。ありがとう」と激励した。
 帰り際にはセーターを購入した。御手洗瑞子社長は「編み手の仕事にとても興味を持ってくれた。みんなの励みになる」と話した。
 ツール・ド・東北は13日に開かれ、ケネディ大使は気仙沼市から石巻市の石巻専修大に向かう片道型の新設コース「気仙沼ワンウェイフォンド」(95キロ)に出場する。大会への参加は2年連続となる。


<宮城豪雨>津波被災者も再び被害
 豪雨に見舞われた宮城県内の被災地。避難先で落ち着かない夜を過ごした被災者は12日、疲れ切った表情で、自宅の復旧作業などに当たった。水没した車や家財道具の買い替えなどにも頭を悩ませた。
 「もうめちゃくちゃだ」。無職岩渕春次さん(80)は12日昼、避難先の登米市の親類宅から大崎市古川西荒井の自宅に戻り、力なくつぶやいた。
 渋井川の堤防決壊で、岩渕さん方には1メートルほどの水が押し寄せた。1階はほとんど泥水に漬かり、庭先に突き出たベランダも濁流で土台が壊されて傾いた。
 もともとは約60キロ南の宮城県亘理町に居宅を構えていた。東日本大震災の津波で被災し、大崎市に移り住んだ。「ついのすみかが2度も被害を受けるなんて…。復旧にどれだけお金が掛かるのか」と肩を落とした。
 同市古川稲葉の会社員の男性(30)は今月1日、新築した自宅に引っ越したばかりだった。「住宅ローンがたくさん残っているのに、家の中はぐちゃぐちゃだ。これからどうしたらいいのか」と途方に暮れた。
 機械部品の寸法測定業を営む同市古川西荒井の星野功治さん(60)は、ぼうぜんとした表情で事務所内にたまった泥水を外にはき出していた。「測定機器やコピー機が動かない。業者に早く来てもらいたいが、いつになるか分からない」とため息を漏らした。


<検証命の現場>要介護者避難 今も自問自答
◎震災4年半(2)移送
<用意もなく出発>
 東京電力福島第1原発1号機が水素爆発した2011年3月12日、福島県富岡町の養護老人ホーム東風荘に観光バス3台が横付けされた。
 「早く、早く」。防護服姿の警察官が降りてきて叫んだ。首相命令による緊急避難だった。
 原発から約7キロ。入所者の介護度が高く、寝たきりの人もいる。情報が乏しい中でやみくもに動くのは危険だと、食料や物資を手配して屋内退避を決めた直後のことだった。
 大声でせき立てられ、職員は足元のおぼつかない入所者の手を引いてバスに乗せた。寝たきりで体を起こせないお年寄りは、毛布でぐるぐる巻きに固定して座席に立て掛けた。
 行き先の決まらないまま出発し、川内村を経て郡山市へ向かった。避難所の床に横たわるうちに衰弱が進み、施設を出て1週間で90代の3人が息を引き取った。県内の福祉施設に分散避難してからも、亡くなる入所者が相次いだ。
 「体の弱ったお年寄りにとって無理な移動、環境の変化は過重なストレスになる」。施設長の佐々木誠司さん(57)は訴える。
 救急車など設備のそろった移動手段と、介護環境の整った受け入れ先。浜通りの要援護者は、どちらも確保がかなわない状況下で緊急避難を強いられた。
 避難した南相馬市の5施設の入所者死亡率はこの年、例年の3倍近くに上ったことが東大の研究で分かっている。
<孤立無援で決断>
 避難指示がない区域でも、移動を余儀なくされた施設があった。
 原発から33キロ離れた南相馬市鹿島区の特別養護老人ホーム万葉園。電気、ガス、水道が使えたため施設内にとどまっていた。
 ところが、次第に物流が止まる。食料、燃料、経管栄養剤、おむつなどの介護用品が手に入らない。協力病院が閉鎖し、医薬品も底をついた。
 周囲には人っ子一人いなかった。系列の施設から避難してきた入所者や家族、職員の約300人が孤立無援で取り残された。
 窮状を知り、支援を申し出た横浜市の老健施設に避難したのが3月19日。約400キロの道のりに11時間もかかった。重度者の容体が急変し、パーキングエリアで救急搬送されるなど移送は混乱を極めた。
 車中で命を落とす人はいなかったが、その後に力尽きる入所者が続いた。1年間で例年の3倍に当たる約100人が亡くなった。
 高齢者の避難にはリスクが伴う。慣れた環境にとどまる選択があると指摘する専門家もいる。屋内退避を続け、例年並みの死者数だった施設もある。
 「動かさない方がいいのは、それはそう。でも、介護度の高いお年寄りを抱えて孤立したわれわれはどうすればよかったんだ」
 万葉園の元施設長、大内敏文さん(59)は今も自問自答している。


桜並木実現へ苗木増産 閖上プロジェクト
 東日本大震災で被災した名取市閖上地区で市観光物産協会が進める「復興桜プロジェクト」の一環で12日、貞山運河沿いに植樹する桜の苗木を増産する芽接ぎの作業が行われた。
 協会の関係者と宮城農高(同市)の生徒計20人が参加。ソメイヨシノの試験栽培・展示を行っている閖上地区の笹かまぼこ工場跡で芽が出た枝を取り、愛島地区の畑でオオシマザクラの台木40本に芽接ぎした。公益財団法人「日本花の会」の樹木医田中秀明さん(56)が技術指導した。
 プロジェクトは、震災の津波に耐えた閖上小中学校、日和山のソメイヨシノに接ぎ木して苗木を育て、将来は貞山運河沿いに桜並木をつくる構想。市内の小中学校、一般家庭も協力して苗木を育てており、閖上の貞山運河護岸復旧工事が終わる2017年3月の植樹を目指している。
 市観光物産協会復興桜委員会の二渡整委員長(55)は「いろいろな人の思いがこもった桜なので、枯らさないよう大事に育てたい。将来は閖上を桜の名所にしたい」と話した。


<宮城豪雨>「泥の湖」実り覆う
 国道4号を挟むように、湖沼と見まがう光景が広がる。異様な水たまりは澄んだ青空、遠方の山の緑とはあまりに不釣り合いだ。
 JR古川駅の南南西約3キロ。関東と東北に被害をもたらした豪雨から一夜明けた12日午前、渋井川の堤防決壊に見舞われた大崎市古川西荒井地区を、ヘリコプターで上空から取材した。
 黄金色の稲穂が泥水をかぶる。大崎は東北を代表するコメどころ。手塩に掛けてきた生産者、食産業などに携わる関係者の思いは…。無念さはいかばかりか。
 住宅地も近くの仙北自動車学校も一部は水に漬かったまま。同校は東日本大震災で被災。新校舎が2012年春に完成したばかりだ。
 水は前日より引いた。住民が片付け作業をしている。約1キロ北にある避難所の古川五小から自宅に戻ったのか。ヘリに向かって手を振ってくれた。思わず心の中でエールを送った。
 河川の氾濫被害を受けた宮城県大和町上空でも、民家から泥をかき出したり、冠水した水田で排水作業をしたりする様子が見えた。一日でも早い復旧へ。懸命の作業が続く。
(報道部・松田佐世子)


<宮城豪雨>死者2人に 栗原の不明者遺体発見
 記録的な大雨から一夜明けた12日、被害の大きかった宮城県では復旧作業などが進められた。栗原市内では、行方不明になっていた男性が川で浮かんでいるのが見つかり、死亡が確認された。県内の死者は2人となった。仙台市では新たに崖崩れが発生した。
 宮城県警若柳署によると、男性は栗原市鶯沢の農業小野寺繁夫さん(62)。市消防本部の隊員が同日午後2時25分ごろ、同市築館の熊川で発見した。
 小野寺さんは軽トラックを運転中、川からあふれた水で流されたとみられる。見つかったのは流された場所から東に約4キロ下流。軽トラックは流された場所から約150メートル下流の川の中で発見された。
 堤防3カ所が決壊した大崎市古川の渋井川では、東北地方整備局北上川下流河川事務所が緊急復旧工事に着手した。
 決壊箇所はいずれも長さ20メートル、高さ2.5メートルで底辺は15メートル程度。工事は決壊箇所を土砂でふさぎ、堤防の川側をコンクリートブロックで覆う。16日に完了する見通し。
 渋井川は鳴瀬川水系の1級河川で、宮城県が管理する。緊急復旧工事は整備局が代行。本格復旧工事は、県が決壊の原因を究明した上で進める。


<宮城豪雨>窮地の農家訴え
◎浸水2267ヘクタール「排水で稲を救って」
 刈り取り直前だった稲穂が、泥をかぶってうなだれている。11日までの大雨による被害に見舞われた大崎市古川西荒井地区。堤防が決壊した渋井川の両岸に水田が広がる。12日、被災した農家を訪ねて歩いた。
 渋井川左岸の西荒井上田に住む相沢善弘さん(61)は、1ヘクタールの水田を所有する。「稲穂は1日半、水に漬かっていた。生活雑排水も流れ込んだ。収穫するコメが臭うかもしれない」と気をもむ。
 渋井川の堤防は左岸の3カ所で決壊した。善弘さんの田んぼは最上流の決壊箇所に近い。下流部側は一帯が湖のよう。光る水面の下にも稲がある。
 右岸地区も水が引いていない。西荒井若木の相沢信夫さん(63)は、半ば諦め顔で話す。
 「集落営農で育てていた13ヘクタールの大豆は全滅だろう。稲はまだ水の中。高温下で2日以上水没すると、黄化萎縮などの病気が出やすくなる。品質低下は免れない」
 渋井川に架かる若木橋の上で、信夫さんが下流部を指さす。右岸側、広大な池と見えるのは若木地区の耕地だ。30ヘクタールあるという。
 12日午後、国会議員らの現地視察があった。地区住民が遠慮がちに訴える。「機械力による強制排水を行ってほしい。大豆は根腐れを起こしているだろうが、稲は救えるかもしれない」。願いは、聞き届けられるだろうか。
 「降雨前は全て1等米だった。買い取り価格が下がってしまう」「水が引いた後、稲が倒伏し、品質低下を招くのではないか」「夏場の生育が順調だっただけに、残念でならない」。西荒井の農家の声だ。
 大崎市産業経済部が12日にまとめた農作物の冠水・浸水面積は、市全域で2267ヘクタールに及ぶ。
 西荒井だけではない。大崎耕土全体が窮地に立たされている。(大崎総局・野村哲郎)


<楽天>選手ら豪雨被害の募金呼び掛け
 東北楽天は12日、コボスタ宮城であったソフトバンク戦の前に、台風18号の影響などによる記録的な豪雨の被害を受けた宮城、茨城、栃木3県への募金活動をした。
 則本昂大、菊池保則、戸村健次の3投手と球団職員が参加し、来場したファンへ協力を呼び掛けた。13、14日の試合前にも行う予定で、寄せられた善意は3県へ寄付される。
 茨城県大子町出身の菊池は「何かできることがあれば、少しでも力になりたい。試合でもそういう気持ちを持ってやっていきたい」と話した。


<あなたに伝えたい>仮設で線香とお花欠かさず
井上トクさん(福島・浪江町)から喜作さんへ
<トクさん>
 浪江町請戸地区の築10年の自宅は津波で流されました。家族7人は無事でしたが、原発事故のため避難させられ、町内の健康センターや南相馬市の小学校、福島市の親戚宅などに身を寄せました。
 夫は千葉県野田市のアパートに移ってから体調が悪化して入院。6日後に亡くなりました。アパートは古くて水が汚く、虫も多かった。出掛ける場所もなく、相当なストレスがたまっていたと思います。
 夫は中学卒業後からずっと漁師をし、震災直前まで現役でした。北海道沖でサケやサンマを捕ることもありました。荒っぽい性格でしたが、4人の妹に頼りにされる存在でした。
 請戸では「遅れて行って魚がいなくなってしまったら困る」と言っては、いつも深夜0時に起きて漁に向かいました。人より早く行かないと気が済まない性分。きつくても漁のときは生き生きしていました。
 請戸漁港に水揚げされるメバルにホッケ、ヒラメにアイナメ、どれも絶品でした。請戸の夏は涼しくてクーラーは要らず、冬は暖かくて雪も積もりません。穏やかな気候と平穏な毎日が今は懐かしいです。
 11年7月から福島市の仮設住宅で1人暮らしをしています。仮設はあと1、2年と言われていますが、その後どこへ行けばいいのでしょう。
 ことし8月、請戸の共同墓地にようやく納骨しました。遠くてめったに行けませんが、自宅で線香とお花は欠かしていませんから、許してくださいね。
◎震災直前まで現役漁師 生き生きしてた
 井上喜作さん=当時(70)= 福島県浪江町請戸の自宅で妻のトクさん(70)、次男夫婦と子ども3人の計7人で暮らしていた。東京電力福島第1原発事故により避難先を転々とする生活を余儀なくされ体調を崩し、千葉県野田市で2011年5月11日、誤えん性肺炎で亡くなった。


<復興めし>本場仕込み、ネタプリプリ。
◎(4)りゅうぐう蛸焼(南相馬市)
 復興グルメF−1大会のメダルコレクターだ。
 震災復興を目的に被災地を巡回する形で10回開かれている。うち優勝2回、準優勝1回、3位1回を誇る。
 6個入り。タコのほか、ツブ貝、ホタテ入りがそろう。
 サクッ。フワッ。トロッ。生地を乳化させ、表面から芯まで三つの食感が楽しめる。焼きは本場大阪仕込み。ネタのプリプリ感を消さぬよう火は通し過ぎない。大玉で、はしでないと持てない。だししょうゆに浸したアオサとネギを載せて「ハイ、お待ち」。
 優勝2回を遂げたら大会のルールが変わった。それまでは単純に食べた人の投票数で決めたが、投票数を食べた人数で割る投票率に改まった。
 スキーの日本ジャンプ陣が世界を席巻したら、スキー板の長さを制限するルール変更がなされたことを思い出す。
 次の大会は11月。新しいメニューで挑む。
 「多くの人に食べてもらえる新作を考えたい」
 提供店「円達」(福島県南相馬市)の店主高橋秀典さん(44)はツブを焼きながらつぶやく。
☆食いに行く
 りゅうぐう蛸焼は500円(税込み)。円達は南相馬市鹿島区西町1丁目の仮設商店街「かしま福幸商店街」の向かいにある。営業時間は午前10時〜午後6時。不定休。同区へは車なら常磐自動車道南相馬鹿島スマートインターチェンジ(ETC搭載車のみ)か南相馬インターチェンジで下りる。連絡先は円達0244(46)1177。


<ツール・ド・東北>3500人再生願い力走
 東日本大震災からの復興を支援するサイクリングイベント「ツール・ド・東北2015」(河北新報社、ヤフー主催)は13日、宮城県沿岸部で開かれた。全国から訪れた出場者約3500人が被災地の再生を願って力走し、次々とゴールした。
 石巻専修大(石巻市)を発着する女川・雄勝フォンド(60キロ)、北上フォンド(100キロ)、南三陸フォンド(170キロ)、気仙沼フォンド(211キロ)の4コースと、気仙沼市から石巻市に向かう片道型の新設コース、気仙沼ワンウェイフォンド(95キロ)の計5コースで繰り広げられた。
 石巻専修大では午前5時半に気仙沼フォンドが始まり、出場者がコース別に出発した。
 気仙沼ワンウェイフォンドの出発点の気仙沼プラザホテル前(気仙沼市)では午前8時半から出場者が続々とスタートを切った。
 2年連続参加のキャロライン・ケネディ駐日米大使はこのコースに出場し、完走を果たした。レース後、「とてもうれしい」と笑顔で語った。
 沿道には10カ所のエイドステーション(休憩所)が用意された。出場者は被災した地域住民やボランティアらの出迎えを受け、交流を楽しんだ。
 大会は2013年に始まり、ことしで3回目。


東日本豪雨 「これからどうしよう…」片付けに追われる住民ら 宮城
 水の引いた床は水や泥、家具や衣類が混ざり合った状態になっていた。記録的な豪雨で、渋井川の堤防が決壊した大崎市の古川西荒井地区。濁流が住宅街や豊かな田園地帯をのみ込んだ水害から一夜明けた12日、住民らは避難所などから自宅に戻り、後片付けに追われた。
 「これからどうしようか…」。午前8時ごろ、大崎市内の実家から、古川西荒井地区の自宅に戻った建設業、斉藤勇治さん(32)は家の様子を見てつぶやいた。
 斉藤さんは11日午前8時半ごろ、自宅の床上約15センチまで浸水し、家族3人とともに消防のボートで救助され、実家に避難していた。自宅に戻り、家の中のものを外に出して乾かし、床を掃きながら「汚れや臭いが落ちればいいけど…」と肩をすくめた。12日も実家に泊まるといい、「いつになったら戻れるだろう」と困惑の表情を浮かべた。
 11日に約80人が避難し、一夜を明かした市立古川第五小学校の体育館は朝から住民らが荷物をまとめ、自宅の様子を確かめに行く姿が見られた。
 「もう食べられないな」。12日午前、避難先の体育館からタクシーで自宅に戻った佐々木公男さん(74)は、裏庭で汚水にまみれたジャガイモを持ち上げた。床上約10センチ浸水した自宅敷地から水は引いていたが、庭の軽乗用車も水を被り、エンジンがかからなくなった。自宅より一段低い裏の通りは大人の膝上辺りまで浸水していた。飼っていた約10羽の烏骨鶏(うこっけい)のうち数羽は死んでしまった。
 それでも1日かけて掃除した佐々木さんは「まだ砂のようなものはあるが、1階の片付けは済んだ。今夜は自宅で過ごせそうだ」と安堵(あんど)の表情を見せた。
 佐藤敏行さん(61)は12日午前、避難先の体育館から自宅の様子を見に行った。水は引いていたが、電化製品やソファなど生活用品は使い物にならず、同日夕、もう一晩を避難所で過ごすと決めて体育館に戻ってきた。「自宅はリフォームして昨年11月末に完成したばかりなのに」と肩を落とした。
 一方、各地で冠水による通行止めは続き、交通網には混乱が生じた。決壊した渋井川堤防近くの区間では12日午後1時まで通行止めが続いた。古川西荒井地区でも、避難所から自宅へ戻る途中、膝まで水につかりながら歩く人もいた。
 堤防を管理する北上川下流河川事務所は12日昼ごろから、決壊部分の復旧作業を始めた。16日までに復旧作業を完了するという。


“手筒花火”勇壮に打ち上げ
約300本の手筒花火を披露する勇壮な催しが12日夜、愛知県豊橋市で開かれました。
「炎の祭典」と名付けられたこの催しは、愛知県の東三河地方に伝わる手筒花火を観光の活性化につなげようと豊橋商工会議所などが毎年、開いています。
会場には約6000人が集まり、東三河地方に約450年前から伝わる大小合わせて約300本の手筒花火が次々と披露されました。
男たちが脇に抱えた手筒花火は直径約15センチ、長さが1メートルほどあり、15メートルほどの高さまで火柱が吹き上がる勇壮な花火です。
このため、ことしは花火で観客がケガをしないように、会場の一角に高さ2メートル近い透明なプラスチックの板が設置させるなどの安全対策が施されました。
訪れた人たちは、頭から火の粉を浴びながら手筒を抱える勇壮な姿と迫力ある炎の柱に大きな拍手を送っていました。


週のはじめに考える “文系不要論”の愚かさ
 国立大学改革に伴って持ち上がった“文系不要論”の衝撃は大きかった。文部科学省は「誤解」と否定していますが、それでも疑念は拭えないのです。
 文科省が去る六月に全国の国立大あてに出した通知が発端でした。教員養成系や人文社会科学系のリストラを求めたのです。
 確かに、社会の変化はすさまじい。子どもの人口は先細りですし、地方は過疎化が進み、都市との格差は広がる一途です。人間活動は情報化、グローバル化し、国際競争はし烈を極めています。
◆成長戦略下の大学
 大学はレジャーランドでは許されない。それなりの教育研究の成果を社会に還元しなくては、存在意義さえ問われます。時代の情勢に見合った組織への脱皮は急務という文科省の理屈は分かります。
 では、そのような改革がどうして“文系不要論”と映るのか。
 それは政府の成長戦略と連動しているからでしょう。産業界の利益追求や社会的有用性に奉仕する学問を優遇し、成果を競わせるという発想が読み取れるのです。
 科学技術振興やイノベーションの土台となる理系人材の育成はいうに及ばず、文系人材の育成でも職業能力の開発や実践力の向上に主眼が置かれているといえます。いわば、稼ぐ力の強化という視点のみからの改革というほかない。
 とすると、実利実益との結びつきが見えにくい人文社会科学は切り捨てられるという懸念が強まるのも当然です。これは学問の自由にかかわる問題でもあるのです。
 幕末の開国以来、激動期の為政者は国家の命運を科学技術に託してきた面があります。
 「高等生徒を訓導するには、之(これ)を科学に進むべくして、政談に誘うべからず」。明治の元勲伊藤博文の言葉です。西欧列強に対抗して近代化を急いだ時代でした。
◆文系の「有害無益」論
 大戦中には、文系の高等教育機関は理系への転換を強いられ、科学技術の即時戦力化が推進されました。学徒出陣で戦地に送られたのは、主に文系の学生でした。
 「文系の学問は国にとって有害無益なのでしょう」と手厳しいのは、滋賀大学長で経済学者の佐和隆光さん。「社会にどう役立つかで学術的価値をはかる、あしき慣行が国にはある」というのです。
 高度成長期の一九六〇年、岸信介内閣の松田竹千代文部相は、国立大は理系を担い、文系は私立大に任せたいとの意向を示したという。多くの国立大文系の学生が安保闘争に参加していたという背景があった、と指摘しています。
 「文系の学識とは批判精神です。それで自由や民主主義も守られてきた」と説くのです。
 とすれば、昨今の異論排除の風潮と文系軽視の風潮とは、必ずしも無縁ではないのかもしれません。国家が知的資源を一元管理して成長戦略に投入する姿は、開発独裁体制すら想像させます。
 科学技術はまた独り歩きする面もあります。その日進月歩ぶりを目の当たりにして、夏目漱石は大正期に著した小説「行人」で登場人物にこう語らせている。
 「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止(とど)まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。(中略)どこまで伴(つ)れて行かれるか分(わか)らない。実に恐ろしい」
 現代にも通じるような話です。ITやロボット、人工知能、遺伝子工学…。利便性や効率性ばかりを追求した果てに、どういう社会が待ち受けるのか。全ては科学技術の赴くままにという実情です。
 最近では、このような将来予測も公表されています。
 ・二〇一一年度に米国の小学校に入った子どもたちの65%は、大学卒業時にいまは存在しない職業に就く(米ニューヨーク市立大学のキャシー・デビッドソン氏)。
 ・今後十〜二十年程度で、米国の雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い(英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン氏)。
 しかし、科学技術文明には公害や環境破壊、地球温暖化、大量破壊兵器といった負の遺産を生み出してきた歴史がある。その功罪を含めて人間の生存や社会の発展、継承のための「知」を探究するのは人文社会科学の使命なのです。
◆学問を市民の手に
 名古屋市で先週、市民手づくりの哲学カフェが開かれました。教育をテーマに、見知らぬ人同士十人余りが意見を交わした。結論を出すのではない。互いの違いを認め合い、思索を深めるのです。
 今やこうした「対話の場」は全国に広がる。稼ぐ力ではなく、本物の「知」に飢えているのではないでしょうか。本来、学問は国家のものではなく、市民のもの。無論、理系と文系を隔てる垣根など最初から存在しないのです。

チャンバリン(強巴林)/ポルトガル料理/豊橋 炎の祭典/広島つけ麺200辛

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Japon: 15 blessés dans un bref séisme à Tokyo
Un bref séisme, dont la magnitude a été évaluée à 5,4 par l'institut de surveillance géologique américain (USGS), a vivement secoué samedi matin Tokyo et sa banlieue, blessant 15 personnes sans entraîner d'alerte au tsunami.
Le tremblement de terre s'est produit à 05H49 locales (vendredi 20H49 GMT) et son épicentre se situait dans la baie de Tokyo, à une profondeur de 57 kilomètres, d'après l'agence japonaise de météorologie, qui a elle évalué sa magnitude à 5,2.
La capitale a tremblé pendant environ 10 secondes, une partie ressentant des secousses de niveau 5 sur l'échelle japonaise, signifiant qu'une personne peut trouver difficile de se maintenir debout.
Quinze blessés ont été signalés, dont une femme de 83 ans qui s'est cassé la jambe en tombant de son lit, a rapporté le quotidien à grand tirage Yomiuri.
Des images télévisées ont montré des morceaux de revêtement d'un mur d'un immeuble d'habitation du quartier de Setagaya tombant et se brisant au sol.
Le séisme a par ailleurs provoqué la rupture de canalisations et des fuites d'eau et au moins cinq personnes se sont trouvées bloquées dans des ascenseurs, a rapporté la chaîne publique NHK. L'agence de météorologie a précisé qu'aucune alerte au tsunami n'avait été lancée. Elle a révisé la profondeur à 57 km après avoir donné un chiffre de 70 kilomètres juste après la secousse.
Dans la commune de Chufu, située dans la préfecture de Tokyo, les secousses n'avaient pas été aussi fortes depuis celles du 11 mars 2011, déclenchées par un méga séisme de magnitude 9,0 au large des cotes nord-est qui avait provoqué un gigantesque et meurtrier tsunami et la catastrophe nucléaire de Fukushima.
"Il faut être vigilant car des répliques peuvent se produire dans les trois ou quatre jours à venir", a déclaré un sismologue de l'Agence nationale de météorologie.
Les trains et métros de la capitale ont été arrêtés momentanément pour vérifier les voies.
"Il faut aussi veiller aux risques accrus de glissements de terrain, du fait des sols fragilisés par les fortes pluies de la semaine", a ajouté le spécialiste de l'agence. Le Japon vient de connaître ses pires pluies depuis des décennies, dans lesquelles quatre personnes ont perdu la vie et plusieurs sont portées disparues.
Tokyo redoute à tout moment dans les prochaines décennies le "Big One": un très fort séisme de magnitude 7 ou supérieure dont l'épicentre se trouverait sous la capitale et qui, selon l'expert de l'agence de météorologie, serait d'une ampleur 1.000 fois supérieure à celui de samedi. Des plans de secours sont prêts et des exercices effectués régulièrement.
Les constructions de la mégapole sont dotées de systèmes parasismiques censés permettre de résister à une séisme très violent (niveau le plus élevé des secousses ressenties sur l'échelle nippone).
Le Japon est situé à la jonction de quatre plaques tectoniques et enregistre chaque année plus de 20% des tremblements de terre les plus puissants recensés dans le monde.
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名古屋に来ました.ネットカフェで時間をつぶし,駅西銀座から大門あたりをぶらぶら.大門横丁の雰囲気は好きです.やっと時間になったところで,名古屋駅地下のサンロードでモーニング.バイキングなのでパンが食べ放題.といってもそんなに食べられませんが・・・腹ごしらえができたところで納屋橋から栄付近を歩いて,その後ゆとりーとラインで守山区へ.
日本唯一のチベット寺のチャンバリン(強巴林)を見に行きます.写真はダメなのですが,いろいろな明るい感じの仏教画がたくさん.となりの倶利迦羅不動寺はなんだかよくわかりませんでした.チャンバリンの中のカフェでバター茶を飲んでから,ポルトガル料理のお店に向かいます.
オードブルがマグロとアボカドのタルタルで,ポルトガルビールのSagresサグレスを飲みます.どこかで飲んだことがあるような???感じですが.メインは鮭のじゃがいも包みです.美味しいです.パンもおかわりしました.満足です.
さて名鉄で移動で,1時間くらいではじめての豊橋です.西口は何ともビミョーな雰囲気です.お昼だからまだそうでもなかったけれど夜だとちょっと・・・となるかもしれません.吉街舞楽ってなんか嫌です.デジカメの電源がなくなってきているのでネットカフェで充電してから炎の祭典の会場に向かいました.Você está aquiとあるのはVous êtes ici.ということなのかな?何語??ポルトガル語portugais???サンヨネというスーパーにはピーナツみそが売っていました.千葉県産.会場は人がたくさん.屋台がたくさん出ていますが,途中でトイレに行きたくなったら困るなぁと思い,汁物はパスで五平餅.300円でした.手筒花火は硝煙のにおいも感じますが音がすごい.生でこその迫力です.素晴らしい.わざわざここまで来たかいがありました.
名古屋に戻ってホテルに行く前に広島つけ麺のお店に寄りました.名古屋で広島つけ麺??.以前大阪にもあったのですが,なぜかつぶれてしまったんです.200倍の辛さでお願いしました.辛いです.明日大変なことになりそうな予感ですが,とにかくホテルに向かいました.

河北抄
 東日本大震災の約2カ月後、宮城県内の僧侶有志が、傾聴移動喫茶を避難所で始めた。名前は「カフェ・デ・モンク」。モンクは英語で「お坊さん」を意味する。避難生活が続く中で文句の一つでも自分たちに言ってもらい、気持ちを楽にしてほしいとの思いも込めた。
 牧師ら立場を超えた宗教者に輪が広がり、数を重ね開催は今夏で約150回になった。週1回のラジオ版カフェ・デ・モンクも生まれ、震災とどう向き合うか、精神性を含めたさまざまな視点からメッセージを昨春まで発してきた。
 そのカフェ・デ・モンクの傾聴喫茶が震災から4年半の11日、日本仏教の聖地・和歌山県の高野山で初めて開かれた。宮城から赴いた僧侶たちは被災地で集めた砂を溶かして作った「鎮魂」「祈り」の文字を刻むガラス板を境内に納めた。
 被災地に駆け付けていた高野山の僧侶が縁をつないでくれた。「4年半の重荷を高野山で一回下ろし、あらためて寄り添う」とカフェ・デ・モンクに参加してきた宮城の僧侶は言う。一つの区切りを経てまた次の歩みが始まる。


<宮城豪雨>在来線、運休相次ぐ
 宮城県内の交通機関は11日、JR東北線や仙石線など在来線8線が始発から運転を見合わせるなどダイヤの乱れが続いた。一部路線は午後3時ごろから運行を再開したものの、在来線では仙石線の一部と仙山線、陸羽東線が終日運休した。
 仙台駅では早朝、在来線の改札付近で座り込んだり、携帯電話で連絡を取ったりする人が多く見られた。タクシー乗り場には100人以上の行列ができ、最大2時間待ちとなった。
 在来線のうち、東北線仙台−松島間は午後4時29分に運行を再開。松島行きに乗り込んだ千葉県松戸市の主婦岩田香織さん(31)は「仙台駅で3時間くらい待った。やっと動いて良かった」と少し疲れた表情で話した。
 仙台市内を走る市バスと宮城交通のバスは始発から全線で運行を見合わせたが、一部路線を除いて順次運行を再開。高速バスは、10日に全便が運休した山形道経由の仙台−山形、仙台−上山の2線が昼すぎから再開した。
 主要道では国道4号が仙台市や大崎市で一時全面通行止めになったほか、仙台市の国道45号、国道48号も通行規制が敷かれた。
 東日本高速道路東北支社によると、東北自動車道福島飯坂−築館インターチェンジ(IC)間など五つの自動車道で一部区間が通行止めとなったが、午前10時までに規制解除された。冠水した東北道大和ICは一時利用禁止となった。


<宮城豪雨>542校が休校
 大雨特別警報発令で宮城県内の公立学校は11日、臨時休校が相次いだ。県教委などのまとめによると、休校措置を取ったのは高校70校、中学校142校、小学校280校、中等教育学校1校、特別支援学校20校。仙台市教委は、市立の全192校を一斉休校とした。
 私立もほとんどが臨時休校となった。内訳は高校17校、中学校7校、小学校3校、中等教育学校と特別支援学校各1校。公私立合わせて計542校に及んだ。
 県教委は、11日に実施を予定していた2016年度公立学校教員採用試験の2次選考を15日に延期した。
 県教委によると、栗原市鶯沢給食センターが床上浸水し、給食の提供ができなくなった。ほかの学校施設でも、校舎への浸水や敷地内のり面崩壊など一部で被害が確認された。


<復興めし>臭みがNGでも構わない。
◎(3)サバだしラーメン(石巻市)
 人によって好き嫌いが分かれる。苦手な人はサバの臭みがNGと言うし、好きな人はそれがたまらんと力説する。
 サバのあらでだしを取る。スープの風味は意外にまろやかだ。同じ魚介系でもガツンとくる節系ラーメンとは違う。主に塩味。澄んでいて、あっさりなのにコクがある。あらは身を落とし、臭みを抑える工夫をする。麺は細打ちストレートで骨粉を練り込む。
 サバのつみれがトッピングされる。おとなしめのスープと裏腹に、魚の風味を強烈に主張し、均衡を取っている。
 石巻専修大(宮城県石巻市)の学生が、同市・飯野川地区に伝わるサバだし料理をヒントに震災半年後、地元の食品業者の協力を得て生みだした。
 他のご当地ラーメンにない独自のジャンルを確立している。好きな人はくせになるのだろう。リピーター続出で客の7割が注文する店もある。
 好みに合わない人がいてもいい。その分、ファンの胃袋をわしづかみにする。その潔さや良し。万人受けを狙って無難にまとめるより好感が持てる。
 好きなタレントランキングの上位者は嫌いな部門の常連でもある。写真・高橋諒
☆食いに行く
 サバだしラーメンは石巻市・飯野川地区の5店と同市の道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)」で出している。1杯700〜750円(税込み)。ツール・ド・東北の開催に合わせて12、13日に石巻専修大であるフードイベントでも提供する。飯野川地区へは車なら三陸自動車道河北インターチェンジで下りる。連絡先は石巻かほく商工会0225(62)3161。


<宮城豪雨>襲う濁流「命の危険感じた」
 黄金色に輝く東北の出来秋を、濁流が瞬く間に泥の海に変えた。10日夜から11日にかけて東北を襲った記録的豪雨。大雨特別警報が初めて発令された宮城県では川の氾濫や崖崩れが相次ぎ、多くの住民が孤立した。栗原市では車ごと流され、1人が死亡、1人が行方不明に。深夜、人口の4割に当たる約41万人に避難勧告を出した仙台市のホームページにはアクセスが集中。つながりにくい状況になり、情報伝達の在り方に課題を残した。
 宮城県有数の穀倉地帯を流れる鳴瀬川の支流・渋井川の堤防が決壊し、住宅街が冠水した大崎市古川西荒井地区。避難所に指定された古川五小には警察、消防、自衛隊に救助されたり、首まで水に漬かりながら自力で避難したりした住民らが身を寄せ、濁流の恐怖を口にした。
 「25年以上前から住んでいるが、渋井川が氾濫したのは初めて」
 無職佐々木玲子さん(76)は11日午前4時ごろ、自宅2階で目を覚ました。1階に下りると、畳が茶色に濁った水に漬かっていた。驚いて荷物を2階に運び上げている時、消防のヘリコプターの音が聞こえた。窓を開け、必死に白い手ぬぐいを振り、難を逃れた。
 会社経営菅原静夫さん(55)は午前6時ごろ、消防に救助を要請した。「停電でテレビを見られず、被害状況が分からず不安だった。茨城の川の氾濫映像が重なり、命の危険を感じた」と、救助を待つ時間の長さを口にした。
 市職員伊藤真理子さん(41)は午前5時ごろ、避難を呼び掛ける付近住民の声で跳び起きた。玄関先に迫る濁流を見て、慌てて足腰が弱い祖母(97)を担ぎ2階に逃げ、8時間後の午後1時に救助された。「停電がいつ解消されるか分からず、不安は尽きない」と早期のライフライン復旧を願った。
 古川五小には着の身着のまま逃げてきた住民も多く、今後の生活再建や自宅の復旧作業を心配する声も多く聞かれた。


<震災4年半>行方不明なお2568人
 全国で1万5893人が犠牲となった東日本大震災は11日で発生から4年半が過ぎた。被害が甚大な岩手、宮城、福島3県では2568人が行方不明となっており、避難先などで亡くなった「震災関連死」は3000人を超す。
 3県の行方不明者と関連死の合計数の推移はグラフの通り。
 行方不明者の県別の内訳は宮城1239人(前年比22人減)、岩手1129人(3人減)、福島200人(4人減)。時間の経過とともに手掛かりの発見は難しくなるが、警察などが沿岸での捜索や身元を特定する捜査を続けている。
 関連死は本年度になって新たに50人が認められ、ことし8月末現在で3326人に上る。東京電力福島第1原発事故の影響が大きい福島が1959人(166人増)で3県の約60%を占め、宮城913人(13人増)、岩手454人(8人増)となっている。
 月命日の被災地では犠牲となった肉親や友人へ祈りをささげる姿が見られた。
 気仙沼市の農家佐藤信行さん(64)は長女瑠美さん(36)、孫愛理ちゃん(7カ月)と市内の慰霊碑を訪れ、津波で亡くなった母、行方不明の妻へ花を手向けた。2月に瑠美さんが愛理ちゃんを出産。「すくすく育っているよ。心配しないで」と母と妻へ報告したという。


<震災4年半>友の遺志継ぎ畑再生
 白く愛らしいソバの花がことしもじゅうたんのように咲き誇った。東日本大震災で被災した宮城県山元町の元ブドウ畑。震災から4年半の節目に襲った豪雨にも耐え、花が散ることはなかった。畑の所有者で津波の犠牲になった友人の遺志を継いだ地元農家の男性が、この畑を守り続ける。
 ソバ畑は2ヘクタール。津波で家々が流された町沿岸北部の牛橋地区にある。復興事業の工事車両が行き交う県道沿いで、一面に咲く花々が浜風に揺れる。
 「彼も天国で喜んでくれていると思いたい」。ソバの栽培を手掛ける地元の合同会社「チームひまわり」代表社員、伊藤久光さん(59)は亡き友に思いをはせた。
 畑を所有していた桔梗幸博さん=当時(55)=は震災で津波の犠牲になった。生前は宮城県内で唯一のワイナリー「桔梗長兵衛商店」を営み、この畑で収穫したブドウでワインを醸造していた。
 中学、高校の同級生で40年以上の交友があった伊藤さん。新しい品種の栽培やワインの味の向上へ、研究に力を注いだ在りし日の桔梗さんの姿をよく覚えている。「試作したワインの試飲もよく頼まれたなあ」と懐かしむ。
 丹精込めて育てたブドウの木は津波で壊滅し、畑もがれきで埋まった。「荒れたままでは桔梗君も嫌がるだろう」。そんな思いに駆られた伊藤さんは2012年、ワイナリーの廃業を決めた桔梗さんの妻から畑を借り受けた。
 伊藤さんは8年前から町内各地でソバを栽培している。借りた畑で13年夏に、「常陸秋そば」の種をまいた。
 成長したソバはその年、台風で一度は倒れたものの、奇跡的に再び自力で起き上がったという。「桔梗君が守ってくれたのかな」。秋に約1トンの収穫に成功した。14年も続けて豊作だった。
 宮城県内で10日夜から11日朝にかけて降り続き「特別警報」が出た大雨にも負けなかった。収穫は10月末の見込みだ。
 ソバは加工され、みやぎ生協(仙台市)や地元農協などが「復興そば」の商品名で販売、豊かな風味で人気を集める。伊藤さんも毎年年末に、手打ちそばを友の仏前に手向けて感謝の気持ちを伝えている。
 「いいソバを作るために頑張らないと桔梗君に顔向けできない。『手を抜くと大変なことになるぞ』と注意されるかも」。桔梗さんの思いを感じながら伊藤さんは、一度は荒れ果てた畑を実らせることに全力を尽くす。


【東日本豪雨】 3人死亡 鬼怒川決壊で行方不明22人に 常総市、浸水1万1000棟 宮城でも決壊・氾濫、1人不明
 豪雨で鬼怒川の堤防が決壊し、大規模な水害に見舞われた茨城県常総市は11日、22人と連絡が取れていないとして安否確認を進めた。宮城県でも堤防が決壊。川の氾濫も相次ぎ、同県栗原市で水没した車から見つかった女性(48)の死亡を確認したほか、車ごと流された男性(62)が行方不明となった。栃木県では2人が死亡し、警察庁によると、台風の影響による豪雨被害の死者は計3人、負傷者は計26人になった。
 茨城県によると、常総市の浸水被害は約1万1千棟に上り、救助要請のあった約840人のうち、警察や消防、自衛隊が同日夕までに約650人を救助した。災害対策の拠点となる市役所は床上浸水で一時孤立したが、ボートで住民が救助された。県警によると、不明者には8歳の子供2人が含まれる。
 国土交通省によると、決壊場所付近で11日午前、水の流入が止まっているのが確認された。浸水地域ではポンプ車による排水作業を開始。11日夜には決壊した堤防の補修工事も始めた。
 記録的大雨となった宮城県では大崎市の渋井川が決壊、住宅街が浸水した。市は、浸水被害があった地区に避難勧告や避難指示を出しておらず、「対応が遅れた」としている。
 栃木県では鹿沼市で起きた土砂崩れで生き埋めになった女性(63)の死亡が確認され、日光市で作業中に意識不明の重体となった男性(25)も11日に死亡した。
 気象庁が宮城、茨城、栃木の各県に出した大雨の特別警報は、いずれも11日夜までに解除した。国交省の被害まとめでは、一連の大雨で堤防が決壊したのは、鬼怒川や渋井川のほか、茨城県古河市の宮戸川、栃木県那須塩原市の箒川などの計7カ所に上った。


【東日本豪雨】 思い出が泥まみれ、亡き妻とのアルバム、唯一のぬいぐるみ… 悲しみに暮れる住民
 台風18号の影響で、鬼怒川の堤防が決壊し、住宅地に多くの被害が出た茨城県常総市では12日、入り込んだ水が一部で引き始めたため、自宅の状況を確認しに戻ったものの、変わり果てた姿に呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす住民の姿が見られた。
 12日朝、堤防の決壊で冠水した同市新石下の自宅に戻った染谷邦夫さん(74)は途方に暮れていた。
 10日早朝、家の前の用水路を「ゴーッ」と水が流れる音に気付き、小学生の孫2人と着の身着のままで避難した。水が引き始めた11日に自宅の様子を見に戻ると、1階の床上まで押し寄せた泥水で居間にあった本棚が浮き上がり、倒れて水浸しになっていた。
 本棚には平成23年3月に亡くなった妻の良子さん=当時(67)=との思い出の詰まった4冊のアルバムが入っていたが、どれも無残に泥水にまみれていた。「ショックだった。避難の時は自分や孫の命を守るのに必死で、アルバムにまで思いが至らなかった」
 持病がある良子さんは体が弱かったが、旅行好きだった。アルバムには、良子さんが行き先やプランを決め、2人で訪れた北海道や九州、韓国などの写真が収められていた。
 「いつも嫁さんにひっぱられていたけれど、楽しかったなあ」と当時を振り返り、「乾かしても、もう元には戻らない。捨てるしかないよな」。さびしそうに、そうつぶやいた。
 決壊場所のすぐ近くにある同市三坂町では、会社員の女性(54)が、床下がむき出しになり、1階部分が流出してしまった自宅を前に、ぼんやりと立ちすくんでいた。
 「私の部屋は1階の奥だったんですけれど、何もないんですよ。何もです」
 静かに話しながら家の中を見渡す。めくれ上がった畳が隅に固まり、女性の部屋にあったはずのテレビは玄関近くに泥だらけで転がっていた。
 勤務先から直接避難先に向かっていた女性が12日朝、がれきの中から拾い上げたのは、泥に汚れた白いアザラシのぬいぐるみ。「これだけだけど、でも自分のものだから」。隣の家の男性が行方不明という。「何か知りませんか」。祈るような声が泥まみれの街に響いた。
 鬼怒川から300メートルほどの大房地区。建て売りの家が3軒並んだ場所では、施工業者が内部の清掃や床下にたまってしまった水を抜く作業に追われていた。業者の男性によると、「3軒のうち1軒は引き渡したばかりで、2軒も引き渡し先が決まって完成していた。できる限り直して引き渡すしかない」と言葉少なに語った。


【東日本豪雨】 泥の海 父の姿求めて 「地面はってでも絶対に見つける」
 「お父さん、お父さん」−。鬼怒川の堤防が決壊した常総市三坂町では12日、水が引いた自宅に戻り、行方不明になった家族を捜す人の姿もあった。
 「父が流されたと聞いて、探しに来たんです」。この日、東京から三坂町の実家に駆けつけたという女性(41)は、背中におぶった息子(2)をあやしながら、落ち着かない様子で話した。
 10日午前、70代の父親と母親は2人で堤防のすぐ脇にある自宅にいた。すでに川の水があふれ、自宅の周辺にたまり始めていた。2人で土嚢(どのう)を積み上げたが間に合わず、父親は「危ないから、家の中にいて」と言い残し、庭へ向かった。庭にある2階建ての資材置き場には、建築業を営む父親が仕事で使う資機材一式が保管されていた。
 このとき、堤防の決壊はもう始まっていた。水の量はみるみるうちに増え、父親は資材置き場の2階、さらに屋根の上へと避難した。自宅の1階にも水が迫り、畳が次々と浮かび上がった。お互いを呼ぶ声は、轟音(ごうおん)でかき消された。
 母親は家の出窓から自衛隊のヘリコプターで救助されたが、避難先で近所の住人から、父親が流されたことを聞いた。
 すぐ近くに住む男性(40)は、赤いシャツを着ていた父親が資材置き場の屋根の上に座り込み、屋根ごと流されるのを家の3階から見ていた。「必死に屋根にしがみついていた。目の前で流されていくのに、何もすることができなかった…」と悔やんだ。
 女性は、「仕事熱心な父のことだから、自分のことよりも、仕事道具が大事だったのかもしれない。地面をはってでも、絶対に見つけたい」と、自宅の周辺に散乱した工具箱を大切そうに手に取った。


東日本大震災4年半…歩みと追悼 岩手・福島
 東日本大震災から4年半となった11日、前日から続いた大雨に不安を抱えながらも、岩手県陸前高田市の奇跡の一本松をはじめ、多くの人が東北の沿岸各地では犠牲となった人を追悼し、54回目の月命日を過ごした。
                   ◇
 ■岩手 一本松に手を合わせ…「もう4年半もたつのに…」
 「これは涙雨なのかな」
 陸前高田市の奇跡の一本松で手を合わせた大船渡市の主婦、村上優子さん(54)はこうつぶやいた。
 大雨警報が出されていた陸前高田市の雨は午後には収まり、時折小雨が混じる程度に。宅地造成のためのベルトコンベヤーもうなりを上げて稼働し、復興工事は止まることはなかった。
 工事車両が行き交う中、売店のある駐車場には観光バスや県外ナンバーの車が集まり、多くの人が一本松へと足を向ける。半年ごとに岩手から福島まで沿岸部の変化を写真に記録しているという遠野市の長門實(みのる)さん(69)は「道路、鉄道など、変わっているところはあるが、『もう4年半もたつのになあ』と復興の遅れを感じる。宮古市出身なので、田老(たろう)地区の様子は特に気になるが、各地で受けた傷はそれぞれまだ癒えていない」と話した。
                   ◇
 ■福島 故郷を守り続ける“じじい部隊”、草刈りや見回り活動に汗
 いつか帰れる日まで故郷を守りたい−。東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く大熊町の住民が、町の見回りや環境整備などを担うチームをつくり町内を走り回っている。その名も「じじい部隊」。メンバー6人の平均年齢が60歳を超えていることからそう名付けた。震災から11日で4年半を迎えたが、“じじいたち”は町への帰還を決して諦めない。
 7日午前8時前、町内にある坂下ダムの管理事務所にメンバーが集まった。この日は朝から雨。カッパを着込み草刈り機や鎌をトラックに積むと、帰還困難区域内の神社周辺の草刈りに向かう。放射線量は毎時4・7マイクロシーベルトを超えていた。
 じじい部隊ができたのは平成25年4月。「一時立ち入りでわが家に戻る人たちが不安を感じないように」と、元町職員の鈴木久友さん(63)が同世代で定年前後のメンバーに声を掛けて結成された。このうち5人は自宅が帰還困難区域にあり、鈴木さん宅は除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の予定地になった。それでも故郷への思いは募る。
 除染の遅れなどで復興は思うように進まないが、「一人でも多くの人が大熊に『戻りたい』と思えるようにする。やりがいがあるよ。この町が好きだからな」。
 作業の帰り道、県道のカーブ付近で草が生い茂り見通しが悪くなった場所を見つけた。「帰ってきた人が事故でも起こしたら大変だろ」。慣れた手つきで一気に草を刈り終え、額の汗を拭った。(野田佑介)


石巻市民らNYで追悼 東日本大震災と米中枢同時テロ、犠牲の米国人の教え子合唱
 米中枢同時テロから14年となった11日夜(日本時間12日午前)、同時テロと東日本大震災による犠牲者らを追悼する「風の環コンサート」が米ニューヨークで開催された。宮城県石巻市で津波の犠牲になった米国出身の英語指導助手テーラー・アンダーソンさん=当時(24)=の教え子らでつくる合唱団が参加、思い出を胸に歌声を披露した。
 中学生時代にアンダーソンさんから英語を学び、今は社会人になった杉山彩音さん(19)は舞台で「大好きです。ありがとうテーラー先生」と涙ながらに語り掛けた。
 コンサートは、ニューヨークで在留邦人の合唱団を率いる白田正樹さん(65)が同時テロの犠牲になった日本人の遺族を招いて2008年から毎年開催。11年以降は震災犠牲者への追悼の思いも込めてきた。

東日本大震災から4年半/久々のキソキソ/大崎で堤防決壊

ブログネタ
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150829芦屋絆

Le travail c'est la santé./Rien faire c'est la conserver.
--Henri Salvador
Work is health./Doing nothing keeps you healthy.
Ô pouple, au regard de soie ! Toi, dont l'âme est inséparable de la mienne.
--Comte de Lautréamont
O octopus, with your gaze of silk ! You, whose soul is inseparable from mine.
L'expérience est une lanterne qui n'éclaire que celui qui la porte.

--Louis-Ferdinand Céline
Experience is a lantern that illuminates only the one who carries it.
フランス語
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かんさい熱視線「恋人がいない できない ほしくない〜2015年の若者たち〜」
いつの時代も若者を夢中にさせてきた恋愛。しかしいま、その恋愛に積極的ではない若者が増えている。今年行われた内閣府の調査では、恋人のいない男女のおよそ4割が「恋人がほしくない」と回答。さらに、その最も多かった理由は「恋愛が面倒」というものだった。なぜ若者たちは恋愛を億くうに感じているのか。その背景には何があるのか。「面倒」という言葉の裏側に潜む若者たちの苦悩から現代社会を見つめる。

東日本大震災から4年半です.4年半というキリのいい時期のせいかメディアでも比較的多く取り上げられているように感じます.
今日は久々のキソキソです.みた顔もあるし,とりあえずまあまあかな?
大崎で堤防決壊とのこと.ちょっと嫌な感じですが,どうしようもありません.

大震災4年半:形見の携帯、生の証し 父は料金払い続け
 震災関連死を含めて2万人以上が犠牲になった東日本大震災は11日、発生から4年半を迎えた。津波に襲われた沿岸部では復興工事のつち音が響き、がれきに埋もれたかつての面影はとどめない。しかし、月日は巡っても亡き人への変わらぬ思いがある。
 岩手県陸前高田市の元郵便局長、上野和雄さん(64)はこの日、高台の自宅から2.5キロの海岸に向かった。台風の影響で大粒の雨が降り、辺りには霧がかかる。長女公子(こうこ)さん(当時26歳)の遺体がたどり着いた岩場に花束を置き、そっと手を合わせた。
 市の臨時職員だった公子さんは4年半前、3階建ての市民会館に避難した。市の指定避難所だったが、押し寄せた津波の高さは15メートル超。この建物に逃れた130〜170人が犠牲になったとされる。
 和雄さんの手元に、ピンクの携帯電話が届いたのは震災の2年後。市民会館のがれきの中から見つかった。防水機能を備えていたため奇跡的に通信記録などが残っていた。最後のメールは、友人あてに自分に迫った危険を伝える内容。地震発生40分後の午後3時26分に送信しようとしたが、未送信ボックスに残されていた。
 公子さんは高校時代、アルバイトをして1人で渡米するなど活発な性格だった。東京の大学に進学し、将来は航空会社で働くのが夢だった。だが、就職活動がうまくいかず、和雄さんは実家に呼び寄せた。当時は妻(59)と長男(29)が仕事などで自宅を離れ、震災までの4年間、父娘の2人暮らし。一緒に台所に並び、和雄さんが魚をさばいて公子さんが料理した。友人が自宅に来れば公子さんも進んで輪に加わった。
 「実家に戻るよう勧めたのは、地元の人と一緒になってほしいと思ったから。関東で就職すると、結婚相手も関東の人になっちまう」。娘のために毎日、車で自宅と職場の送り迎えをしていた和雄さん。冷え込んだ震災当日の朝、「夕方、お迎えお願いしますよ」「はいよ」。最後に交わした会話になった。
 遺体は3週間後の4月4日、市民会館から5.5キロ離れた海岸で見つかった。地元中学校の体育館に搬送されていたが、傷みが激しく和雄さんは捜し回っても気付いてやれなかった。歯型で特定された時、「待っていただろうに、見っけねえでごめん」。「372番」と書かれたひつぎの前で大粒の涙がこぼれた。
 今年2月、和雄さんの夢に公子さんが現れた。「夢でもいい、会えた、うれしかった」。フェイスブックにつづった。娘のことを忘れないでほしいから、晩酌には親戚や友人らを呼び寄せて、思い出を語り合う。この中には、家族を失った人が多くいる。形見の携帯電話の基本料金は、今も払い続けている。【和田浩幸】


東日本大震災:きょう4年半 東松島で被災 志野さやかさん、ほのかさん 関西の学生と交流 体験、願い…姉妹で語る /宮城
 ◇何があっても生きて 志野さやかさん(21)、ほのかさん(16)
 ◇水かさ増す津波、「止まって」と祈った ほのかさん/自分で命守る子どもたち育てたい さやかさん
 「何があっても生きてほしい」。先月、東日本大震災被災地の学生と関西の若者の交流会が松島町であり、東松島市野蒜出身の東北福祉大3年、志野さやかさん(21)と、妹で石巻西高2年のほのかさん(16)が震災体験を語った。津波で家族や家を失ったこと、避難所の日々、見えてきた将来の夢−−。約40人が、90分間に及ぶ話に耳を澄ませた。【伊藤直孝】
 「これは4年5カ月の私たちの歩みです」。8月18日夜、研修施設で姉のさやかさんが語り始めた。石巻西高在学中から全国の高校生や大学生と防災交流に取り組んできた。ほのかさんも今年から野蒜で語り部活動を始めたが、2人で震災を語るのは初めてだった。
 ■絶対に死なない
 ほのか これから津波の話をします。本当の話をするんで、気分が悪くなったら聞かなくて大丈夫です。
 私は野蒜小6年で、地震の後、避難場所の体育館に座っていました。時間は覚えていませんが、一斉にみんな立ち上がりました。誰かが「津波だ」と叫んでいたようで、私は友達と2階のギャラリーに駆け上がりました。
 最初は泥水がさーっと入ってきて、次にドアを突き破って一気に入ってきました。津波はどんどん人をのみ込み、体育館で洗濯機のように渦巻きました。
 私は浮輪代わりにしようとランドセルを背負って、友達と「絶対死なないからね」と約束し、水かさが増す津波を前に「お願い、止まって」と祈りました。体が沈み、手だけ最後に見えるという人もいっぱい見ました。夢だと思って、何回も顔をつねりました。
 さやか 私は職場から高校に迎えに来た両親と、車で野蒜の自宅に向かいました。津波のことは知りませんでした。「おい、家ねえど!」。父が叫んだので目をこらすと、家は基礎だけ残してなくなっていました。
 ほのか 波が引き、両親と会えたのは翌朝でした。私は「死んだ人をいっぱい見たよ」と言ったそうですが、全然覚えていません。
 自宅にいたおじいさん(祖父五男さん、当時65歳)は3週間後に遺体で見つかりました。家で私の帰りを待っていたそうです。私は心の中でずっと「ごめん。ごめん。でもほのは生きてるから大丈夫だよ」って声をかけ、受け止めなくちゃいけないと思いました。
 ■「生の声」伝える
 さやか 避難所では自衛隊の方が演奏してくれた森山直太朗さんの「さくら」が忘れられません。津波で叔母と、小さないとこ2人も亡くなりました。あの年は桜が本当にきれいで、いとこたちはきれいな桜があることも知らずに亡くなってしまった。世の中には悪いことをしても生きている人だっていっぱいいるのに、どうして……。曲を聴きながら、そう思いました。
 その年の11月、早稲田大の学園祭に招待され、初めて壇上で体験を話しました。聞いている人たちはみんな泣いていました。「今私にできることは、生の声を聞かせることだ」。その時、震災を語り継いでいこうと決心したことが、今につながっています。
 ほのか 私は姉と同じ高校に進学しましたが、実は普通の高校生活を送りたいと思っていました。だけど、校長先生から「さやかの妹だから」と、いきなり他県での防災交流に連れて行かれ、震災の話をするうちに「自分が伝えなきゃいけないのかな」と、意識が変わっていきました。
 さやか いま私の教訓は「出会った人を大切に」ということです。震災はなかったほうが良かったし、震災をプラスだと思ったことはない。当然です。でも、震災がなかったら皆さんと会うことはなかった。出会ったご縁は大切にしたい。
 皆さんに一番伝えたいのは、「当たり前のことは何一つない」ということです。家があること、家族がいること、何一つ当たり前じゃありません。
 今年6月に母校へ教育実習に行きました。今は小学校の先生になって、自分で命を守る子どもたちを育てたいと思っています。
 ほのか 私は、皆さんには、何があっても絶対に生きてほしいです。いまこうやって生きている今は、震災で亡くなった人が最後まで生きたいと願って、生きられなかった今なんですよ。簡単に「死ぬ」とか「死にたい」とか思ってほしくないし、たとえまた大きな震災が起きたとしても、生きてほしいです。
    ◇
 学生交流会は防災教育で知られる兵庫県立舞子高校(神戸市)OBで、京都産業大3年の久保力也さん(21)らが企画し、2013年から毎年、宮城県内の被災地で開いている。参加者は志野さん姉妹の体験を聴き、最後に大きな拍手で2人をたたえた。
 「妹とこうやって2人で話すのがずっと夢だった。初めて聞く話もたくさんあって、『生きててくれてありがとう』と言いたい。また一緒に話したい」。さやかさんは発表後、そう語った。


東日本大震災から4年半 大雨の中、犠牲者しのぶ「生活再建は復興は道半ば」
 関連死や行方不明を含め2万人を超える犠牲者を出した東日本大震災は11日、発生から4年半を迎え、時折激しい雨が降る中、あの日、津波が襲った沿岸部などで住民が犠牲者に思いをはせた。
 津波で700人以上が犠牲になった宮城県名取市・閖上地区。県内に特別警報が出て大粒の雨が降りしきる中、復興工事の作業員として訪れた同県多賀城市の大友裕一さん(46)は「生活再建や心の復興は道半ば。多くの人が家族や大切なものを失った。自分も生きていていいのかと思うことがある」と話した。
 福島県いわき市から同県郡山市の仮設住宅に避難している川端英隆さん(39)は、大雨による茨城県などの濁流をテレビで見て「まさか、こうなるとは。震災当時の光景と重なった」。震災の津波で仲が良かった姉を失い「毎月11日だけは忘れられない。何年たっても絶対に忘れてはいけない」と静かに話した。


仮設住宅の解消徐々に 東日本大震災から4年半
 東日本大震災から11日で4年半。岩手、宮城、福島の被災3県ではプレハブ仮設住宅の解消が徐々に進んでいる。新しい自宅で生活再建への道を踏み出した被災者がいる一方、転居先を決められず仮設住宅に残る被災者からは「行政は最後まで支援を続けてほしい」との声が上がる。
 「ゆったりと寝られるのはいいもんだな」。岩手県田野畑村の漁師、畠山忠男さん(71)は今月5日、防災集団移転地に新築した自宅に引っ越した。同村は来春までに仮設住宅の提供を終了し、畠山さんが4年半暮らした仮設も取り壊される。
 自宅の居間には母のツヤさんの遺影を飾った。ツヤさんは震災後に認知症が進み介護施設に入った。「すぐに家建てっから一緒に住もうな」と励まし続けたが、3年前に92歳で亡くなった。畠山さんは遺影に「約束の家だぞ。今日からまた一緒だ」と語りかけた。
 東京電力福島第1原子力発電所事故などにより10万人以上が避難している福島県でも、避難指示地域以外の仮設住宅の解消が進む。
 同県桑折町は5月、震災で自宅を失った町民14世帯が住む仮設住宅1カ所の提供を終了した。原発事故の避難者向けの仮設住宅は残っているが、町民は災害公営住宅や再建した自宅に移った。
 6月に一戸建ての災害公営住宅に引っ越した早田国一さん(81)と妻のアキさん(78)は「ここがついの住み家だ」と喜ぶ。国一さんは仮設住宅暮らしのストレスで高血圧による頭痛に悩まされたが、転居後は血圧が下がったという。アキさんは「この家でまた思い出の品を増やしていきたい」と話す。
 その一方で、取り壊しが決まっている仮設住宅からの転居先を決められない被災者も目立つ。
 災害公営住宅や防災集団移転地が完成した宮城県岩沼市は来年4月までに3カ所の仮設住宅を解消する予定だが、約10世帯の転居先が決まっていないという。
 同市内の仮設住宅に住む50代女性は震災直後、余震への不安などから眠れない日が続き、心不全で入院した。介護のため夫は会社を辞めて市の臨時職員になり、収入は激減した。災害公営住宅に移れば、家賃と半壊した自宅の住宅ローンで夫の給料はほぼ消えてしまう。自宅を修繕しようにも約500万円かかる資金のあてもない。
 女性は「復興が進んでいるように見えるかもしれないが、取り残されている人がまだ多くいる。最後まで支援してほしい」と訴える。
 ▼仮設住宅 岩手、宮城、福島の被災3県ではプレハブ仮設住宅計約5万3千戸が建設され、現在は約3万3千戸に被災者が住む。3県51市町村が仮設住宅を運営したが、昨年12月以降に3県5市町で提供が終了した。一方、人手不足や資材の高騰、用地確保の難航などから災害公営住宅や高台移転地の整備が遅れている自治体も多い。


東日本大震災4年半、企業に遺構保存の動き 教訓を後世に
 東日本大震災から11日で4年半が経過した。被災地の企業や自治体の間では、大きな被害を受けながら姿をとどめるホテルや駅舎などを「震災遺構」として保存する動きが広がってきた。被災地を訪れる人に見学してもらって記憶の風化を防ぎ、防災・減災の教訓を後世に伝える考えだ。
 ホテル運営や水産加工業を手掛ける阿部長商店(宮城県気仙沼市)は、同県南三陸町で津波を受けた自社のイベントホール「高野会館」を震災遺構として保存する具体策の検討に入った。現在は内部のがれきを撤去して立ち入り禁止にしており、外部の意見も取り入れながら公開などの方法を決める。
 震災当日、高野会館では300人強の高齢者が演芸大会を開いていた。多くは地震直後に自宅へ帰ろうとしたが「高齢者の足では津波から逃げられない」と判断した社員らが引き留め、地上17メートルの屋上に避難した。
 津波は屋上にも到達したため、さらに高い非常スペースに上がり、備蓄していたペットボトル10本の水を分け合って一夜を明かした。これで会館に残った327人全員が生還した。保存後は津波の威力や、とっさの判断の重要性を伝える。
 岩手県宮古市の「たろう観光ホテル」は4階まで浸水し、1階と2階は鉄骨の柱を残して流失した。宮古市は「ホテルのある田老地区全体を津波の博物館にする」(山本正徳市長)との方針を掲げ、2016年4月の一般公開に向けて整備を進める。本体の保存工事は11月にも終わり、今年度内に周辺工事も完了させる。
 市は同ホテルを宮古観光文化交流協会の「学ぶ防災」の見学コースに組み込む方針。津波が撮影された6階の客室で、ガイドの説明を受ける。学ぶ防災は12年4月に始まり、これまで約9万人が参加している。保存には復興交付金の約2億円を充てる。維持管理費は20年までに計約1億5千万円、人件費などが年間500万〜600万円かかる見通し。寄付や入場料で一部を賄う考えだ。
 宮城県東松島市は津波をかぶった東日本旅客鉄道(JR東日本)の旧野蒜(のびる)駅を保存する方針だ。阿部秀保市長は「修学旅行などで、防災教育に生かしてほしい」と話している。


避難者なお19万人超 東日本大震災きょう4年半
 東日本大震災から十一日で四年半。十日の警察庁発表によると、死者一万五千八百九十三人、行方不明者は二千五百七十二人に上る。復興庁によると八月十三日現在、全国で十九万八千五百十三人が避難生活を送っている。
 このうち岩手、宮城、福島三県の仮設住宅などで暮らす人は約十四万二千人。災害公営住宅は資材不足などで建設が遅れ、完成済みは三県で計約一万一千戸と計画の37%止まり。
 入居開始から五年目以降もプレハブ仮設の使用が確実なのは三十五市町村で、阪神大震災での使用年数を超える。腐食やカビといった住環境の悪化が問題になり、岩手県は二〇一五年度から補修を開始、宮城県も一斉点検と補修を始めた。
 岩手県の担当者は「国との協議次第だが、今の復興状況では一七年ごろまでに全被災者が転居するのは難しい」と話し、宮城県南三陸町の担当者は「仮設住民に復興後の町のイメージをこまめに伝え、古里に戻る気持ちが途切れないようにしたい」と語った。


震災4年半 暮らしの再建課題
東日本大震災の発生からきょうで4年半になります。宮城県では依然、5万4000人あまりが仮設住宅などでの避難生活を余儀なくされている一方で、災害公営住宅の完成は計画の44%にとどまっていて暮らしの再建をどう加速させるかが課題となっています。
宮城県内でプレハブの仮設住宅で暮らす人は先月末の時点で2万8403人、民間アパートなどのみなし仮設住宅で暮らす人は2万5898人に上り、依然、5万4000人あまりが仮設住宅などでの避難生活を余儀なくされています。
一方、被災者向けの災害公営住宅は21の市や町の1万5916戸の計画のうちことし7月時点で完成したのは7103戸と44%にとどまっています。
また、高台に住宅を移す防災集団移転事業についても7月時点で土地の造成が終わったのは計画の195地区のうち119地区となっています。
石巻市や気仙沼市などでは災害公営住宅や移転先の造成の完成が平成29年度以降になり、仮設住宅での暮らしが最長で7年近くに及ぶ可能性も出ていて暮らしの再建をどう加速させるかが課題となっています。


大震災から4年半 国は被災者の現実に向き合え
 台風がもたらした豪雨など自然災害の被害が広がるなか、東日本大震災から4年半を迎えました。被災地ではいまも約20万人が避難生活を強いられ、復興はまだまだ道半ばです。多くの被災者は、住まいや仕事をはじめ多くの問題を抱え、先の見通しがたたず不安といらだちを募らせています。安倍晋三政権が5年の「集中復興期間」を延長しない方針であることに、被災自治体からは懸念と批判が上がっています。国は、被災者の置かれている現実に正面から向き合い、苦難を取り除くため、心の通う支援を強めるべきです。
住まい再建の支援を急ぎ
 被災者の生活の安定にとって不可欠な住まいの再建は依然として立ち遅れたままです。自治体が整備する災害公営住宅への入居はすすみません。建設予定戸数が希望に見合っていないため、「何度も応募しているのに入れない」との訴えが相次いでいます。建設予定約2万9000戸にたいし完成した災害公営住宅は4割弱程度にとどまっています。
 用地確保・整備の遅れや建設にたずさわる人手不足などがなかなか解消されないためです。建設資材の高騰や人件費の高さなどは、自宅の自力再建をめざす被災者にも大きな障害となっています。
 安倍政権の経済政策「アベノミクス」が、東京など都市部での大型開発ラッシュを引き起こしていることのしわ寄せもあります。建設にたずさわる必要な人的資源が被災地で優先的に確保できるよう、国が手だてを講じるべきです。
 2年程度の使用しか想定していない応急仮設住宅の老朽化は深刻です。カビの発生などで被災者の健康まで脅かされています。改修・補修は急務です。仮設住宅からの転居が次第に始まるなか、引っ越した人も仮設に残された人も、地域とのつながりがうすれ、孤立することが問題になっています。
 長引く避難によるストレスなどで健康を壊す被災者が安心して医療にかかれるように、医療・介護の減免制度を国の制度として復活させることが重要になっています。
 津波や地震のなかでせっかく助かった命が、自殺や孤立死など「震災関連死」で失われるようなことが絶対にあってはなりません。公的なサポート体制を後退させるのではなく充実こそ必要です。
 安倍政権が「集中復興期間」を今年度で終え、事業縮小や地元自治体の一部負担を求めていることは、被災地の現実からも被災者の願いからも、かけ離れた姿勢です。被害が大きい自治体ほど負担が膨らむ危険があります。甚大な被害を受けた自治体から「はしごを外すのか」との声が上がっています。
 被災地は時間がたてばたつほど、新たな問題が生まれ、被災者に困難をもたらします。5年たったからと機械的に支援を打ち切ることは復興の妨げにしかなりません。支援を必要とする人と地域がある限り、最後まで国が責任をもつことこそ求められます。
「災害大国」が試される
 東京電力福島原発事故の賠償など被災者支援の打ち切りや後退などは許されません。国と東電が賠償や除染に責任を負うことが福島の復興の大前提です。
 東日本大震災の復興・支援をはじめ、災害から国民の命と暮らしを守る使命を果たせるかどうか政府の姿勢が問われています。


写真や位牌など7割返却 気仙沼市の展示場
 津波で流出した写真など思い出の品を展示・返却している気仙沼復興協会(KRA)の展示場で、約100万点の拾得物のうち、震災4年半で約7割が持ち主のもとに戻った。ただ時間の経過により展示場に足を運ぶ人はまばらになり、なかなか返却が進まなくなっている。
 市内長磯船原の空き店舗の展示場には、がれき撤去などの際に見つかった写真や位牌(いはい)、遺影など思い出の品々を、見つかった地区ごとに分類して展示している。持ち込まれた約100万点のうち、汚れなどがひどく修復不可能な16万5千点は供養して焼却処分したが、4年半で70万点を返却した。
 県内の他の展示場の返却率はざっと5、6割とみられており、気仙沼は高い。担当者は「仮設住宅などを回って展示する取り組みや、三陸新報への写真掲載などが返却率の向上につながっている」と分析する。


阪神大震災:復興住宅、退去通知撤回を 弁護団、西宮市に協議求め /兵庫
 9月末に入居期限を迎える阪神大震災の被災者向け借り上げ復興住宅「シティハイツ西宮北口」(西宮市青木町)で、西宮市が入居者らに対し最終の退去通知を送付したことを受け、入居者らの弁護団は10日、退去通知を撤回し、入居継続のための協議を始めるよう求める声明を市に提出した。
 弁護団は、シティハイツ西宮北口では、借り上げ住宅について規定した改正公営住宅法の施行前に入居が始まったため、本来は公営住宅法ではなく、借地借家法が適用されると主張。そのため、市には退去を求める正当な理由がない、などとしている。また、入居者が20年間で築き上げた「住まい」や「コミュニティー」を奪う政策であり、健康福祉や人道的な観点からも許されないとしている。団長の佐伯雄三弁護士は「市は、法がどう弱者(借り手)を保護しようとしているかを十分、理解していない。『期限が来たから返せ』という単純な問題ではない」と述べ、市に協議に応じるよう求めた。
 入居者の大島陽子さん(67)は「近くに親類もおらず、相談事や嫌なことがあれば今までの近所付き合いだけが頼り。行くところがない」と訴えた。【辻加奈子】


震災4年半 被災地の思い
東日本大震災の発生からき11日で4年半となりました。警察がこれまでに確認した宮城県内の死者と行方不明者は、「震災関連死」も含めて少なくとも1万1690人となっています。
警察庁によりますと、警察によって死亡が確認された人は全国で1万5893人にのぼりこのうち▽宮城県は最も多い9541人、▽岩手県が4673人、▽福島県が1612人などとなっています。
また警察に届け出があった行方不明者は、宮城や岩手など6つの県であわせて2572人で、このうち▽宮城県は1239人、▽岩手県が1129人、▽福島県が200人などとなっています。
一方、復興庁によりますと、避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は、ことし3月末現在で、少なくとも3331人にのぼり、内訳は▽福島県で1914人、▽宮城県で910人、▽岩手県で452人などとなっています。
、東日本大震災による宮城県の死者と行方不明者は、「震災関連死」を含めて少なくとも1万1690人にのぼっています。
東日本大震災の発生から4年半となる、きょう、被災した気仙沼市の水産加工会社では、震災の犠牲者に祈りをささげました。
【再建の水産加工会社では】
気仙沼市の水産加工会社の経営者、菅原義子さん(75歳)の工場では地震が発生した午後2時46分、菅原さんと従業員6人が、作業の手を止めて、黙とうをささげました。菅原さんは、震災で兄夫婦を亡くし、菅原さん自身も、自宅が被災し、会社の工場は津波で全壊しました。8か月後に、仮設の工場でサンマのつくだ煮作りを再開し、いまは震災前と同じ水準まで売り上げが戻っているということです。菅原さんは、子どものころから描き続けてきた気仙沼港の絵が震災の被害を免れたことから、周囲の人を元気づけようと、いま、絵はがきにして配っています。
また、震災から3日後にケーキの箱の裏に描いた、被災した気仙沼港の絵も自分の記憶にとどめようと、大切に残しています。
菅原さんは「被災しても子どもの頃から描いていた絵が残ったことで自分が生きる力になりましたし人の役にも立てたのかなと思います。生きている限りサンマのつくだ煮作りと絵を描くことは続けていきたいです」と話していました。
【犠牲者供養の僧侶は】
石巻市築山で津波犠牲者の供養をしている僧侶の天野秀栄さんです。
天野さんは震災前まで兵庫県の寺に務めていましたが、震災復興のボランティア活動をしたことがきっかけで3年前、石巻市内の民家を寺に改装して移住しました。天野さんは毎月11日に津波犠牲者の供養を行っているほか被災者の心のケアを行う活動にも携わっています。大地震が起きた午後2時46分にあわせて追悼のホラ貝をならします。
また、天野さんは今回の水害で被害に遭った人たちにも祈りをささげました。
天野さんは「日本では常に災害が身近にある。4年半はあっという間だが私にはお経を上げることしか出来ないがこの地域の復興にこれからも携わっていきたい」と話していました。
【暮らしの再建が課題】
宮城県では依然、5万4000人あまりが仮設住宅などでの避難生活を余儀なくされている一方で、災害公営住宅の完成は計画の44%にとどまっていて暮らしの再建をどう加速させるかが課題となっています。
宮城県内でプレハブの仮設住宅で暮らす人は先月末の時点で2万8403人、民間アパートなどのみなし仮設住宅で暮らす人は2万5898人に上り、依然、5万4000人あまりが仮設住宅などでの避難生活を余儀なくされています。
一方、被災者向けの災害公営住宅は21の市や町の1万5916戸の計画のうちことし7月時点で完成したのは7103戸と44%にとどまっています。
また、高台に住宅を移す防災集団移転事業についても7月時点で土地の造成が終わったのは計画の195地区のうち119地区となっています。
石巻市や気仙沼市などでは災害公営住宅や移転先の造成の完成が平成29年度以降になり、仮設住宅での暮らしが最長で7年近くに及ぶ可能性も出ていて暮らしの再建をどう加速させるかが課題となっています。


大雨 交通機関への影響
JR東日本仙台支社によりますとこの雨の影響で、宮城県内のすべての在来線で始発から運転を見合わせています。見合わせは次の区間です。いずれも上下線です。
▼東北本線は福島県の藤田から白石の間で午後3時ごろまで、白石から仙台までの間と仙台から岩手県の一ノ関までの間、それに岩切から利府の間、▼仙台空港アクセス線は、全線で正午ごろまで運転を見合わせます。
▼常磐線は浜吉田から仙台の間で正午ごろまで、▼仙山線は、全線で午後5時ごろまで。
▼仙石線は全線で正午ごろまで。
▼石巻線は全線で正午ごろまで。
▼気仙沼線は小牛田から柳津の間で正午ごろまで、運転を見合わせています。
▼陸羽東線は全線で、終日、運転を見合わせます。一方、東北新幹線と秋田新幹線は始発から平常通り運転しています。
【仙台市営バス 運行再開】
始発からすべての路線で運行を見合わせていた仙台市営バスは、道路が通行止めになっている一部の路線を除いて、午前8時ごろから、運行を再開しました。また、▽仙台市交通局によりますと仙台市の地下鉄は、始発から平常通り運転しているということです。
【国道4号線が渋滞】
仙台市泉区の国道4号線は、午前7時現在、北に向かう下り線が渋滞し、車がほとんど動かない状態となっています。東北地方整備局によりますと、この先の大和町が冠水のため、通行止めとなっているということで、大和町まで少なくとも15キロほどにわたって渋滞が続いているものと見られます。


大雨 避難に関する情報
NHKが午前4時半現在で県内の各市町村に取材してまとめたところ、宮城県では、避難指示が大和町、大郷町、富谷町の3つの町の一部地域で、あわせて793世帯2658人に出ているほか、仙台市でも、泉区の七北田川上流の地域で避難指示が出ています。
また避難勧告は、仙台市の一部地域の住民、14万6181世帯の31万1042人に出されているのを含め、県内の13の市と町の、少なくともあわせておよそ21万4000世帯49万5500人あまりに出されています。
【仙台市】
仙台市は、市内を流れる七北田川で川の水があふれ、川沿いの地域に流れこんで被害が出るおそれがあるため、午前2時、仙台市泉区の七北田川にかかる赤生津大橋の上流の地域で川の両岸およそ300メートルの範囲に住む住民に避難指示を出しました。
また、午前2時20分には泉区と宮城野区の七北田川にかかる赤生津大橋から下流の海までの地域で川の両岸およそ300メートルの範囲に住む住民、2万2825世帯、5万4116人に避難勧告を出しました。仙台市は、この大雨で、土砂災害の危険性が高まっているとして、午前7時24分、
新たに、青葉区の赤坂地区の住
民、362世帯947人に避難勧告を出しました。これで、仙台市内で土砂災害のおそれによって避難勧告が出されているのは、14万6261世帯の31万1245人になります。
【大崎市】
大崎市は、市内を流れる鳴瀬川の水位が上昇していることから、午前3時に三本木地区のおよそ2000世帯、8000人に避難勧告を出しました。
市は、市内2か所に避難所を開設したということです。
【色麻町】
宮城県色麻町はこの大雨による土砂崩れなどで被害が出るおそれがあるとしてきょう午前1時すぎまでに町内の5つの地区の323世帯、1126人を対象に避難勧告を出しました。
避難勧告が出された地区から、町の避難所に、307人が避難しているほか、避難勧告が出されていない地区でも75人が自主避難しているということです。
【角田市】
宮城県角田市は、市内を流れる小田川が増水し氾濫するおそれがあるとして、午前3時48分、▼野田地区と▼長瀞地区の住民あわせて213世帯627人に避難勧告を出しました。
角田市は、▽角田市民センターなど市内10か所に避難所を開設しました。
【大郷町】
宮城県大郷町は、中粕川地区と、石原地区、木ノ崎地区、土手崎地区のあわせて245世帯877人に対して近くを流れる吉田川がはんらんするおそれがあるとして午前3時50分に避難指示を出しました。
【富谷町】
宮城県富谷町は、町内を流れる吉田川の支流の竹林川が氾濫する恐れがあり、これまでの雨で土砂崩れの危険も高まっていることから午前3時20分、町内全域の1万3763世帯、5万2159人を対象に避難勧告を出しました。
富谷町では、これまでに、三ノ関地区の一部に住む住民6世帯24人に避難指示が出されています。
【山元町】
宮城県山元町は、土砂災害による被害のおそれが高まっているとして、午前4時25分町内全域の住民4565世帯1万2657人に避難勧告を出しました。山元町は、町内の小学校などあわせて9か所で避難所を開設しました。
【川崎町】
宮城県川崎町は、土砂災害の危険が高まったとして、町内のほぼ全域の1901世帯、5393人に避難勧告を出しました。
【加美町】
宮城県加美町は、住宅に浸水のおそれがあるとして、午前3時50分に、平柳地区と城生前田地区の一部に避難勧告を出しました。世帯数については、町が確認を進めているということです。
【岩沼市】
岩沼市は土砂災害の危険性が高まっているとして、市内の▽北長谷地区、▽小川地区の住民あわせて79世帯240人に避難勧告を出しました。岩沼市は、▽岩沼西公民館と▽岩沼西小学校の2か所に避難所を開設しました。
【多賀城市】
多賀城市は市内を流れる七北田川の水位が上がったため、市内全域のおよそ2万5772世帯6万2452人に午前4時10分「避難勧告」を出しました。市内の12か所に避難所を開設しています。
【松島町】
宮城県松島町は、町内を流れる吉田川が増水し氾濫するおそれがあるとして午前6時50分に、
北小泉地区、下竹谷地区、上竹谷地区、幡谷地区の住民706世帯2265人に避難勧告を出しました。
松島町は、町内の2か所で避難所を開設しました。


東日本豪雨:茨城 大震災思い出した 10人救助のヘリ自衛官
 茨城県常総市の浸水現場でヘリコプターによる救助活動を行った陸上自衛隊北宇都宮駐屯地(宇都宮市)の第12ヘリコプター隊の第1飛行隊パイロット、金子享弘1等陸尉(41)と救助隊員、中村洋介3等陸曹(26)が10日夜、同駐屯地で報道陣の取材に応じた。2人は男女10人を救出。濁水が広がる光景に「東日本大震災を思い出した」という。
 中村3曹は、電柱につかまって助けを待っていた男性を救助した際、「体力が衰えていたので『大丈夫ですよ』と声をかけ続けた。水に長い時間当たっていたので、体も冷たかった」と話した。
 90歳の女性もベランダから救出した。金子1尉は「引き上げる際のヘリの操縦に注意を払った」と言う。9歳の男児を救助する際、「とてもおびえているようだったので、意識して声をかけた」と中村3曹は振り返った。【野田樹】


東日本豪雨:3人死亡、26人不明 宮城でも堤防決壊 被害が拡大 特別警報、茨城・栃木は解除
 台風18号から変わった温帯低気圧と日本の東を北上する台風17号の影響で記録的な豪雨となり、鬼怒川が決壊した茨城県常総市で11日、行方不明者は25人になったと市が明らかにした。8歳の子供2人が含まれるという。また気象庁は同日午前3時20分、新たに宮城県に大雨の特別警報を発表。県北部の大崎市で川の堤防が決壊するなど浸水被害が相次ぎ、栗原市で1人が死亡、1人が行方不明となっている。
 このほか、栃木県鹿沼市の土砂崩れで行方不明になっていた女性が発見され、死亡を確認。同県日光市で排水用土管に吸い込まれ重体だった男性も死亡した。
 常総市によると、11日正午現在で市内32カ所に5519人が避難。東部地区の全1万1664世帯で停電・断水が続いている。県警によると、決壊現場周辺などで救助されたのは午前11時現在、221人となった。ただ、地域交流センター周辺は水が引き始め、孤立状態は解消する見込み。自衛隊も常総市と結城市で午前10時までに約470人を救助した。
 一方、大崎市などによると、渋井川が同市古川西荒井地区の3カ所で決壊、浸水域は約21平方キロに及んでいる。決壊は午前4時半〜5時ごろとみられ、同地区の20〜30人が孤立。県西部の大和(たいわ)町でも吉田川の水が堤防を越え、午前8時半現在で30人近くが取り残されている。栗原市や県警によると、同市金成大原木の三迫(さんはさま)川付近の道路で、水没した車の中にいた女性(48)が死亡。同市栗駒稲屋敷では、男性(62)から「車から出られない」と通報があり、消防車が駆けつけたが、車はなくなっていた。
 さらに岩手県でも、北上市の県道が崖崩れで通行止めになり、夏油温泉で観光客ら66人が孤立している。
 宮城県は午前2時半に、住民が孤立しているとの情報がある栃木県も同9時に、自衛隊に災害派遣を要請した。気象庁によると、雨が降り始めた6日午前0時から11日午前11時までの東北各地の総雨量は、宮城県丸森町573ミリ▽福島県川内村496・5ミリ▽仙台市433ミリ。同庁は11日朝までに栃木、茨城県の特別警報を解除した。
 気象庁気象研究所(茨城県つくば市)の津口裕茂研究官は「積乱雲が帯状に連なり、大雨をもたらす線状降水帯が関東で9日に発生し、東北に移動した。今も存在しており、これほどの長期間、規模になるのは極めて珍しい。線状降水帯と台風17号は北上する見通しで、北海道では12日朝まで警戒してほしい」と話した。
 菅義偉官房長官は11日午前の記者会見で、今回の被害に対する激甚災害指定について「当然そういう方向になるのではないか」と述べ、検討する考えを示した。【狩野智彦、山本有紀、千葉紀和、長谷川豊】


東日本豪雨:一気に増水、あわや 宮城も襲う 住民「震災月命日に」
 北関東に大きな被害をもたらした雨雲は、北上して10日深夜から11日にかけ東北地方に大雨を降らせ、被害は拡大し続けている。宮城県では7河川で水があふれたり堤防が決壊したりした。湖のようになった住宅地などに取り残された住民らは救助をじっと待ち続けた。一方、鬼怒川の堤防決壊で水につかった茨城県常総市では11日朝から、住宅地や商業施設からの救出活動が本格化。住民らは駆け付けた自衛隊員らの姿に「命だけは助かった」と胸をなで下ろした。【百武信幸、本橋敦子、山田研】
 渋井川の堤防が11日に決壊した宮城県大崎市の古川西荒井地区では同日午後0時40分現在、ボートやヘリなどで70人以上が救出された。1歳の息子を抱いた女性(30)はボートで救出され「水が引くのを待とうと思っていたところに、消防の人たちが来てくれた」とほっとした表情を見せた。地元消防の現地指揮本部によると、一時は水かさが最大約2メートルに達し、自動販売機が水没するほどだった。
 地区の避難所となった市立古川第五小体育館には11日正午現在で計約140人が身を寄せた。ボートで救出された小学校講師の星あゆかさん(28)は午前5時過ぎに大きな音で目を覚ました。アパート1階の床下収納のふたが水圧で腰の高さまで浮き上がっていた。「一気に水位が上がり、ひざ下まで浸水した。2階の部屋に避難させてもらったが、本当に怖かった」。家族5人で避難した大泉節子さん(64)は「午前6時過ぎに道路まで水が来たなと思ったら10分ぐらいで玄関まで水が上がり、逃げられないかと思った」と話した。
 仙台市泉区では11日未明に七北田(ななきた)川があふれ、立ち往生した車から救助を求める通報が相次いだ。消防隊員が救出するなどしてけが人はなかった。栗原市築館の国道4号では11日午前1時55分ごろ、大型車が土砂崩れに巻き込まれ、男性運転手が負傷した。
 避難勧告が出た仙台市若林区の沖野小には、11日午前4時ごろ200人が避難し、教職員が毛布や水を配るなどした。2歳と3歳の子どもを連れて避難した主婦、原田美意子さん(34)は「家の前の広瀬川からゴーという大きな音が夜通し聞こえて不安で寝られなかった。子どもがまだ小さいので、今日は一日、家に帰らず様子を見るつもりです」と話した。
 ちょうど4年半前の東日本大震災の津波で甚大な被害が出た東松島市野蒜(のびる)地区では、近くの吉田川の増水で11日午前7時前に近隣世帯に避難指示が出され、住民らが続々と避難所に集まった。旧野蒜小校舎には午前9時の段階で約80人が避難。尾形典子(ふみこ)さん(83)は「足が悪いので早めに避難した。今日は震災の月命日で、あの日と同じ金曜日。心配で防災リュックを持ってきた」と話す。小山恵美子さん(82)は「嫁に来て約60年になるが、川の増水で避難指示が出るのは初めて。昨晩は茨城の大雨の映像を見て震災を思い出し、眠れなかった」と話した。
 ◇店内の惨状「涙も出ねえ」 栃木
 栃木県では、避難先から帰宅した人々が平常な生活を取り戻す姿がみられた。ただ深刻な浸水被害を受けた地域では、大雨の影響が尾を引いている。
 同県小山市の大行寺地区では、避難所から戻った住民らが浸水で散乱した屋内などを片付けていた。
 機械・電気工具を販売する「宮城鋼具」では11日午前7時半から従業員らが店内を掃除した。発電機など高額の商品が被害に遭い、同社役員の工藤国寿さん(71)は「涙も出ねえ」と嘆いた。午前9時ごろに自宅に戻った中学3年の増山愛梨さん(14)は、変わり果てた自宅を前に「何から手を付けたらいいのか分からない」とぼうぜんとしていた。
 那須塩原市の塩原温泉街では、給水施設に支障が生じ、宿泊施設、病院、一般住宅など約800カ所が断水した。
 また同市の中塩原地区では、旅館や民家など約70軒に温泉の湯を送れない状態になった。市によると、給湯管に流木などがぶつかって穴が開いたことが原因とみられる。【加藤佑輔、田中友梨、柴田光二】
 ◇鉄道は運休多数、復旧困難路線も
 11日も東北地方を中心に始発から運転見合わせが相次いだ。JRや東武、関東鉄道では終日運休を決める区間もあり、再開の見通しが立たない路線も出ている。
 JR東日本によると宮城県周辺の各線区を中心に雨量が規制値を超えて運休区間が広がり、仙台市周辺の通勤・通学に大きく影響した。仙石・仙山・陸羽東・只見・日光の各線では終日運休を決める区間が出ている。
 関東でも大雨の影響が残った。栃木県内の東北線で路盤が水分を含み徐行運転中の区間があり、通常の6割の頻度で運行。上野東京ラインなど各線の直通運転を取りやめるケースが出ている。東武鉄道でも日光・鬼怒川・宇都宮の各線で全面復旧の見通しが立っていない。茨城県の関東鉄道常総線は全線、千葉県の小湊鉄道は一部区間で終日運転を見合わせた。【本多健】


関東・東北豪雨:「まさか、これはダメ」水没に悲鳴 宮城
 ◇田園地帯。大崎市流れる渋井川が決壊
 「まさか、ここでも」。茨城県など北関東地方に大きな被害をもたらした南北に連なる「線状豪雨」が、今度は東北地方を襲った。河川はまたもや未明になって次々と氾濫。住宅街や周囲の水田を次々とのみ込み、住民の多くはなすすべもなく、救助を待った。
 宮城県北部の田園地帯。大崎市を流れる渋井川の堤防は11日午前5時前に決壊し、付近の住宅街に水が流れ込んだ。早朝に水かさが一気に増したため自宅に取り残された住民も多く、不安を抱えながら救助を待った。市によると、渋井川の堤防決壊で古川西荒井地区周辺で孤立した146人がヘリやボートで救助された。
 避難所となった古川第五小体育館には自力避難を含めて約160人が避難。同地区の佐々木はるさん(63)は同日午前4時半ごろ、近所の人に声をかけられ、玄関のドアを開けると水が家の中に流れ込んできた。平屋建ての自宅では「危ない」と感じ、119番した後、10カ月の孫のミルクとおむつをゴミ袋に詰めて助けを待った。駆けつけたレスキュー隊員に孫を抱えてもらい、胸まで水につかり、流れにさらわれそうになりながら、家族6人で約20分歩いて脱出したという。「家はもう住めないかもしれないが、家族全員が元気なことが唯一の救い」と話した。
 隣の地区の佐々木公男さん(74)は自宅1階が床上浸水し、2階のベランダからタオルを振って救援を求め、自衛隊ヘリで体育館に運ばれた。佐々木さんによると、午前5時50分ごろ自宅の外が15センチ程度浸水しており、その10分後には外に出られないほど深くなり、同7時には家に水が入ってきたという。「玄関を無理やり開けたら膝上まで水があり、これはダメだと思った。水が一気に上がったから逃げるか判断する時間もなかった」と振り返った。
 同県栗原市の自営業、菅原久孝さん(71)は、同市内で死亡が確認された女性が車で流されるのを見て通報した。菅原さんは女性が「助けて」と何度も叫ぶ声を聞き、車が左右に一回転しながら泥水に押し流されるのを見た。女性が窓を閉めたため、菅原さんは開けるようにジェスチャーしたが、直後に沈んだという。「こんなに恐ろしい洪水は初めて。助けられなくて本当に残念だった」とうつむいた。
 11日で東日本大震災から4年半。震災の津波で甚大な被害を受けた同県東松島市野蒜(のびる)地区では、近くの吉田川の増水で午前7時前に近隣世帯に避難指示が出され、避難所の一つの旧野蒜小校舎には昼までに約100人が避難した。近くの尾形典子(ふみこ)さん(83)は「今日は震災の月命日で、あの日と同じ金曜日。心配で、震災以来用意してきた防災リュックを持ってきた」。小山恵美子さん(82)は「ここに嫁に来て約60年になるが、川の増水で避難指示が出るのは初めて。昨日は茨城の大雨の映像を見て震災を思い出し、眠れなかった」と話した。【百武信幸、本橋敦子、二村祐士朗】


セウォル号遺族とも面会、震災4年半・大川小遺族のいま
「俺たちは遠慮しすぎていたってことがわかった」
 今年4月26日、大阪市内のホテルで開かれた会合に出席した大川小児童遺族の佐藤和隆さんは、話し合いの感触を確かめるように、そう話した。
 佐藤さんは大川小で、当時6年生だった三男・雄樹君を亡くした。
 この日、佐藤さんら大川小の遺族と顔を合わせたのは、前年の4月16日に韓国・珍島沖に沈んだ大型旅客船「セウォル号」で、修学旅行中の檀園高校生の子どもを亡くした3家族4人と「大邱地下鉄火災事件」の遺族3人。。前日の25日に、事故から10年を迎えたJR福知山線の脱線事故の追悼集会に参加するために来日していた。
 引き合わせたのは、JR福知山線の遺族の藤崎光子さんと支援者、学校事件・事故の遺族らだ。セウォル号の遺族が大川小の遺族と会うことを希望し、メディアには非公開を条件に顔合わせが実現した。
 津波が来る直前までの約50分間、避難の指示を待ち、校庭で待機していた大川小と、沈みゆく船内で、指示通り救出を待ち続けたセウォル号。子どもたちが直面したであろう恐怖を想像しながら2つの事故に共通する点を確かめると、一気に打ち解けた。
 事故後の苦しみを分かち、励ましあった。話の内容は、事故検証、安全であるべき現場での組織の安全管理体制の問題など、事故後の対応のあり方や国や組織の構造の課題にまで及んだ。国を超え、安全文化を共有していこうというセウォル号の遺族の呼びかけに、大川小の遺族も大きくうなずいた。
遺族として顔を上げて生きる
セウォル号の遺族たち

 セウォル号で、高校2年の息子、イ・チャンヒョン君が犠牲になった母親のチェ・スンファさんは、頭にニット帽をかぶった姿で会合に臨んだ。多額の賠償金で事態収拾を優先しようとする韓国政府に抗議する大規模なデモに参加し、船体の引き上げや本質的な真相究明を求めて髪を剃りあげたひとりだ。
 他の会合参加者らもみな、セウォル号の死者・行方不明者の哀悼を意味するリボンやリストバンドなど、黄色いものを身につけていた。遺族や関係者、支援者であることがわかる目印だ。
 佐藤さんら大川小の遺族が、セウォル号の遺族から特に強い印象を受けたのは、そうした遺族として顔を上げて行動する強い姿勢だ。
「俺たちは地域全体が被災をしたから、大川だけの問題ではないと言われてしまい、遺族であることを隠すように生活している部分がある。事故の原因や国民性の違いがあるとはいえ、セウォル号の遺族から話を聞いて、救えたはずの子どもの命を守れなかったことに抗議しない日本の民主主義ってなんなのだろうと思った」
 参加した大川小遺族のひとりは、対面した感想をそう話した。
 セウォル号・大川小の両事故遺族の交流は、今後も支援者を通じて続く見込みだ。
32年前、日本海中部地震津波で
犠牲になった遠足児童の弔い上げ

旧合川小の遺族の母親たちが、昼食を食べられなかった我が子のため好物を詰めた弁当を持ち寄り、慰霊碑の前に広げる
 秋田県男鹿半島の加茂青砂。岩場の景勝地として知られるこの海岸で、32年前の5月26日、遠足中の旧合川南小(北秋田市)の子どもや引率者らが日本海中部地震後の津波にのまれ、児童13人が犠牲になった。
 弔い上げの三十三回忌となった今年の法要には、石巻から大川小の遺族と私立日和幼稚園の遺族も参加し、共に冥福を祈った。
 合川南小の一行が乗ったバスはあの日、昼食のために向かっていた高台の目的地を急に外れ、加茂青砂海岸に向かった。地震に遭ったのは、山間の集落を抜けて海岸に出る急な坂道の途中だった。住民たちは大きな揺れが来たことを伝えたものの、一行はそのまま海辺に降り、持参した弁当を広げ始めた時に津波に襲われた。
 東日本大震災では、宮城県内の複数の学校・保育の管理下で、避難が遅れたり、避難対応を誤ったりして、計80人あまりの幼い子どもたちが犠牲になった。地震後の津波への警戒と、早期避難を行わなかった32年前の旧合川南小の教訓が生かされないままだった。
 法要後、近くのホテルで懇談した遺族らは、津波の惨劇が再び起きた無念や、幼稚園や学校、教育委員会の事故後の対応の問題を語り合った。
 大川小の遺族が、
「教育委員会は『遺族に寄り添う』というが、真逆の対応をされている」
 とこぼすと、旧合川南小の遺族も、
「学校に何回も行って、教育委員会からの説明を求めたが、逃げの一手だった。真相究明はうやむやなままで、(一部の遺族が提訴した)裁判でも和解となり、震災のひとつとして片付けられたような感じ」
 と、当時は学校問題として認識されなかったことへの悔しさをにじませた。
「32年前に全く同じ津波災害が起き、遺族は同じ対応をされて、同じ気持ちでいる遺族がいることがわかった。全く教訓として生かされていない。大川小が教訓にならないと、また同じことが起きる。どこかでその流れを止める必要がある。遺族ががんばって動いても真実が見えず、動かなければ事故があったことすら忘れられ苦しめられる構図ではダメ」
 大川小で6年だった大輔君を失った今野浩行さんは懇談後にこう話した。
3度目の御巣鷹登山
「慰霊のあり方を学びたい」

 震災で当時大川小6年だった次女の千聖さんを亡くした紫桃隆洋さんは、今年の8月12日も、日航機墜落事故現場の御巣鷹の尾根(群馬県)に登った。
 今年で3度目になる。
 最初の慰霊登山の動機は、「慰霊のあり方を学びたい」。津波の爪痕を残す大川小の旧校舎周辺のあるべき姿を、自分なりに想像したかった。
 御巣鷹の急斜面には今も、遺体発見場所に、墓標代わりの番号札が立てられている。遺族やゆかりのある人々の手によって、それらの周りに祭壇や小屋が置かれ、故人と対面を果たせる場所にしつらえられている。
 その様子を直に確かめた紫桃さんは、「墜落現場が、遺族が思い思いに亡くなった家族と過ごす場所になっているのは、ある意味理想の姿」と、感心していた。
 日航機の事故遺族であり、8.12連絡会事務局長の美谷島邦子さんは、2013年2月にかけての1年間、大川小の事故検証に委員として携わった。そんな縁も生まれた。
 しかし、大川小の検証は空白の50分間の究明や、学校現場の組織的課題には着手せず、遺族の知りたい内容からはほど遠いものとなった。遺族の心情を理解する存在として委員になったはずの美谷島さんには期待していたが、その役割を果たしていかなかったと感じた。
 紫桃さんにとっての2度目の慰霊登山は、そんな複雑な思いを抱えたタイミングだった。
 ふりしきる雨の中、美谷島さんの案内で、次男・健君(当時9才)の慰霊碑の前で手を合わせた。御巣鷹は、亡くなった人と対話する場所。美谷島さんら遺族や関係者が積み重ねてきた年月の重みを改めて感じた。
 墜落事故から30年を迎えた今年、3度目の慰霊登山を果たした紫桃さんの印象に残ったのは、御巣鷹の尾根で交流する多様な人の姿だ。
 尾根には、犠牲者を悼み、安全を祈願するために、様々な事故や災害の遺族や捜索関係者も登ってくる。数多くのマスメディアがそれぞれを囲み、「昇魂之碑」の前はちょっとした人混みとなる。節目の今年は特に人が多かった。
 紫桃さんも、シンドラー社のエレベーター事故(2006年)の遺族の市川正子さんと再開し、2014年9月の御嶽山の噴火災害の遺族らと言葉を交わした。
「遺族ならマスコミの人たちと距離を置きたい人も多いだろうけれども、こんな風に、色々な人の存在があるという雰囲気がいい。飛行機事故と学校の事故は違っても、どちらも安全でなければいけないという意味では同じ。みんなが混ざり合っての30年。伝え続けていくことについて改めて考えさせられた」
11月には裁判長らの現地視察も
遺族の真実究明は続く

 大川小で犠牲になった23児童、19家族が、石巻市や宮城県に計23億円の損害賠償を求める裁判を起こしてから、1年半が経った。
 これまでは書類のやりとりと協議が中心だったが、高宮健二裁判長らが11月13日に、現地視察を行うことが決まった。
 裏山への避難は簡単にできたとする遺族側に対し、市や県は、登れる山ではなかったと主張を続けている。
 8月の弁論では、当時3年の長女・未捺さんを亡くし、5年だった長男・哲也君が津波から奇跡的に生還した原告の只野英明さんが、「津波が到来する一部始終を現場で目撃した教諭の話を聞く機会をつくってほしい」と、現場ですべての対応を見ていたはずの唯一の生存教諭への証人尋問を、改めて求めた。
 只野さんたちは当初から、学校や市教委との10回を超える説明会や話し合いで、真相究明を求めてきた。情報開示請求も自ら手続きを繰り返した。知り得た情報をつきあわせてみると、学校や市教委の説明の矛盾点がいくつも見つかった。
 国の仕切りで市に設置された第三者の専門家らによる検証委員会には、遺族たちも1年間、通い続けた。しかし、検証委員会はが詳細な調査を避けたため、検証はうやむやなままに終わった。
「空白の50分間に何が起きていたか」「なぜ事故が起きたか」を明らかにするため提訴し、今は遺族自ら地域住民らにヒアリングや分析を行い、子どもたちが最後に過ごした「真相」の輪郭を追い求める日々だ。
 遺族側の代理人の一人、吉岡和弘弁護士は、そんな遺族の様子を「皆さんは、(本来なら調査を行う)弁護士の役割を果たしている」と話す。
 なお残る疑問点や、学校や市教委の説明の矛盾点は、裁判を通じて解明できるか。
 4年半が経った今も、大川小の遺族は走り続けている。(加藤順子)


借り上げ住宅退去 住民らが西宮市に抗議文
 阪神・淡路大震災後に被災者向けに都市再生機構(UR)から借り上げ、9月末に返還期限を迎える「シティハイツ西宮北口」の入居者に対し、西宮市が最終の明け渡し通知書を送付したことについて、住民や支援者らでつくる「ひょうご震災復興借り上げ住宅協議会」のメンバー6人が11日、市役所を訪れ、抗議文を提出した。
 抗議文では「入居許可証に退去期限を記入していないことや、事前通知の不履行など自ら犯した法的ミスを認め、希望者全員の継続入居を認めるべき。最終通知を撤回することを強く求める」と要望。
 同住宅の住人(77)は「引っ越せば、みんなバラバラになり1人きりになってしまう。たまらない」と涙ぐみながら訴えた。
 同市は、入居18世帯のうち、退去を拒否するなどしている11世帯に対し、「通知書」を内容証明郵便で送付している。(前川茂之)


<震災4年半>今も仮住まい19万8500人
 東日本大震災は11日、発生から4年半を迎える。岩手、宮城、福島3県を中心に19万人以上がなお避難生活を強いられている。住宅再建に向けた復旧工事の完了や東京電力福島第1原発事故の収束を仮設住宅や仮住まいの賃貸住宅で待つ。
 復興庁によると、避難者数は緩やかに減っているが、8月13日現在で19万8513人が避難を続ける。このうち岩手、宮城、福島3県で避難生活を送る人は約14万6000人に上る。
 長期化する避難生活の解消には恒久住宅の整備が急務だ。岩手、宮城両県で災害公営住宅や高台移転などの宅地造成が完成したのは3月末で計画戸数(約4万戸)の25%。本年度の工事が完了してようやく50%に達する状況にとどまる。


<ツール・ド・東北>ケネディ大使 今年も出走
 東日本大震災で被災した宮城県の沿岸部で13日に開かれる復興支援サイクリングイベント「ツール・ド・東北2015」(河北新報社、ヤフー主催)に、キャロライン・ケネディ駐日米大使が出場する。2年連続の参加となる。
 ケネディ大使が出るのは気仙沼市内から石巻市の石巻専修大に向かう片道型の新設コース「気仙沼ワンウェイフォンド」(95キロ)。復興支援の公務として走る。気仙沼市を訪れるのは初めて。
 昨年9月の大会では「女川・雄勝フォンド」(60キロ)に出場し、完走した。
 大会は2013年に始まり、ことしで3回目。石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市のコースを自転車で巡って被災地の今を感じてもらい、再生への思いを分かち合う。
 ことしのコースは5種類。全国から約3500人が出場し、順位やタイムを競わないファンライド方式で完走を目指す。


<復興めし>大豆パテはにおいも良し。
◎(2)釜石バーガー(釜石市)
 岩手県釜石市のパン屋さん「あんでるせん」の主人小笠原辰雄さん(63)は思案していた。釜石バーガーの生みの親だ。
 バーガー第2弾の開発を急がねばならぬ。
 第1弾はイワシバーガーだった。地魚をパテに使う。復興グルメには最適と考えた。
 だが、問題があった。水揚げにばらつきがあり、安定生産できない。しかもパテを焼くと、パン屋さんなのに魚屋さんのにおいがする。
 そこで地元業者の考案した大豆のハムに目を付けた。高タンパク低カロリー。食感はひき肉に似る。厚切りにして火を通すとパテらしくなる。
 こうして昨年秋、第2弾が誕生した。パンは市の花、はまゆりの酵母で発酵させる。レタスを敷き、ケチャップとマヨネーズで味付けした。
 評判は上々。ことし4月に岩手県大槌町であった「第9回復興グルメF−1大会」でグランプリを取った。
 第2弾を作るようになってから、店のパン工房はパン屋さんらしい香ばしい香りに包まれている。
☆食いに行く
 釜石バーガーは300円(税込み)。岩手県釜石市鵜住居町の仮設商店街「鵜!はまなす商店街」内のあんでるせんで午前7〜10時半に販売(月曜休み)しているほか、同市のイオンタウン釜石などに置いている。釜石市へは車なら釜石自動車道宮守インターチェンジで下りて国道283号で。鉄道ならJR東北新幹線新花巻で釜石線に乗り換え。連絡先はあんでるせん0193(28)4466。


<ダイエー>仙台店 市民の生活支え40年
 仙台市青葉区のダイエー仙台店が9日で開店から40周年を迎えた。市中心部の大型スーパーとして、市民生活を支えてきた。12日からは記念セレモニーなどのイベントを実施するほか、従業員の士気を高める店独自の取り組みを進める。
 1975年9月9日にオープンした同店は地上8階、地下2階が売り場で、食品、衣料品、化粧品、生活雑貨などを扱う。ダイエー本体はことし1月にイオンの完全子会社となったが、仙台店は今も「ダイエー」の名前が残る東北唯一の店舗となっている。
 東日本大震災では2日後に営業を再開。開店前に約2000人が列をつくる日もあり対応に追われたが、全国の店舗から物資が届き、応援人員も次々と仙台入りし、グループ力を発揮した。安福英和店長は「市中心部唯一の大型スーパー。生活を支えるインフラとしての責任がある」と話す。
 記念セレモニーは12日午前9時の開店前、クリスロード商店街側入り口で開催し、先着100人にずんだ餅を無料で配る。11時からは12、13日の定禅寺ストリートジャズフェスティバルに合わせ、飲食スペースを設ける。
 店内では12〜14日、40年前から流通している定番の食品やおもちゃなど一部商品を割安で販売。温泉旅館の1泊ペア招待券などが当たる抽選会も実施する。開店当時から出店する資生堂は15日まで感謝セールを開催中。1階催事コーナーで、子どもが家族に化粧する体験イベントなどを企画している。
 開店40周年を機にサービスの向上も図ろうと、仙台店の従業員約300人が参加して接客技術などを競う「CS総選挙」を今月末まで実施する。従業員同士が評価して投票する。競争意識を高め、顧客満足度を上げる狙いだ。
 安福店長は「40年の重みを感じる。これからもシニア層を大事にしながら、若い世代を取り込みたい」と意欲を見せる。


デスク日誌 被災地の現実
 「復興支援」は便利な言葉だ。例えば企業が被災地で行う活動は、これを持ち出せば大抵は説明できてしまう。それが真の理由なのかどうか、実際に支援につながるかどうかは、めったに突っ込まれない。
 本当は「復興支援」の言葉に安易に寄り掛からず、取材時にもっと突っ込むべきだったのではないか。反省することが増えた。
 東日本大震災の発生後、企業関係の動きを取材する機会が多かった。大手によるボランティア派遣、経営トップの被災地訪問。補助金を活用した事業展開も「復興支援」と説明された。
 現状はどうか。ある企業は「雇用拡大」「復興の後押し」を理由に本社を沿岸の被災地に移した。と思ったら、わずか2年で東京へ。社長インタビューも受けてもらえないままだった。
 被災地の新事業として期待が高い野菜工場では、経営に行き詰まった例が複数ある。うち一つは世界的な企業が関わっていた。やはり、幹部は「雇用につながる」と胸を張っていた。
 震災からきょうで4年半。どんな活動が根を張っているのか。5年の節目へ。被災地の現実を、今度こそしっかり見据えたい。(報道部副部長 安野賢吾)


<豪雨被害>仙台市が20万人超に避難勧告
 台風18号の影響による大雨で各地は大雨に見舞われた。仙台市は10日夜から11日未明にかけ、大雨で土砂災害が発生する危険があるとして、青葉区や太白区、泉区などの一部地域、約9万7000世帯約20万6000人を、河川氾濫発生の危険が高まったとして、広瀬川流域の一部地域、約2万2000世帯約4万6000人を対象にそれぞれ避難勧告を発令した。
 市は市内の小学校などに避難所を開設。一部の住民が避難した。
 宮城県大和町は10日、豪雨で町内を流れる吉田川が氾濫する危険があるとして、避難指示を発令した。
 JR東日本によると、山形新幹線は新庄−福島間の上下線で終日運転を取りやめ、11日午前まで運転を見合わせる。
 国道48号の仙台市青葉区作並−東根市関山間が一時通行止めとなった。


<豪雨被害>宮城・大和で一部に避難指示
 宮城県内は10日、台風18号から変わった低気圧の影響で、各地で大雨に見舞われた。同日午後11時、大和町は鶴巣、落合、吉田各地区の542世帯1752人に避難指示を発令。仙台市は午後11時20分、青葉、太白、泉各区の計9万7127世帯の20万6436人を対象に避難勧告を出した。
 丸森町の566世帯、村田町の17世帯にも避難勧告が発令された。柴田町は全町の1万5317世帯、白石市は1399世帯、岩沼市は79世帯にそれぞれ避難準備情報を発令した。
 仙台市内では青葉区の八幡小に20人、若林区の荒町小に3〜6人、泉区の根白石小に2人、太白区生出小赤石分校に10人が避難している。
 避難指示が出た大和町落合では11日午前1時現在、避難先となった町落合教育ふれあいセンターに約150人が避難。建物外に止めた車内で過ごす人もいた。
 家族6人で避難した同町の僧侶松浦信道さん(46)は「テレビや防災無線で指示を知り、すぐに避難してきた。5歳の娘は風邪をひいており、避難所で寝るのはつらい。早く自宅に帰してあげたい」と話した。
 仙台管区気象台によると、降り始めの6日午前0時からの総雨量は10日午後11時現在、丸森町筆甫499.0ミリ、仙台市泉ケ岳347.5ミリ、丸森321.5ミリ、白石297.5ミリ、仙台167.0ミリなど。
 24時間雨量は仙台市泉ケ岳が233.0ミリ、丸森町筆甫が221.0ミリに達し、9月としては観測史上最大を記録した。
 仙台市内では11日未明にかけ、冠水した車両の救助要請や床下浸水などを訴える119番が相次いだ。泉区南光台2丁目では同日午後8時すぎ、道路が冠水。各地でマンホールから水があふれ出すなどし市消防局が対応に追われた。


<私の復興>再生へ仲間をつなぐ
◎震災4年半〜多賀城市・飲食店経営 樋渡忠弘さん
 カツオ、サンマ…。旬の魚料理と地酒をそろえる宮城県多賀城市桜木の居酒屋「浜乃宴」。店主の樋渡忠弘さん(57)が興に乗って趣味のギターを手に取る。
 東日本大震災の体験をつづった自作曲「取り戻せ多賀城」を伸びのある声で歌う。
 <黒い波がすぎて 残されたものは 堕落と絶望の日々でした>
 あの日、濁流に車ごと流された。2人の幼い子を抱き、覚悟した。「これで終わりなんだな」。偶然が重なり自分も子どもも九死に一生を得た。
 震災後に待っていたのはどん底の日々だった。
 2003年に開いた店は津波で泥をかぶり、収入を絶たれた。再建資金のめどが立たない。
 プライドを捨てて生活費を切り詰めた。マンション上階の自宅は被災を免れたが、食事や物資の支給を受けられる避難所に家族で身を寄せた。
 いつになったら元の暮らしに戻れるのか。先は見えない。現実から逃げるように、パチンコ屋に通った。
 「どうしていいか分からなかった」と声を落とす。
 季節が変わり、事態は動く。融資を受けられることになり、11年末に店を再開した。被災企業を支援するグループ化補助金も得た。
 国内外から届いた物資や募金、人々の温かいエールに背中を押された。前を向く力が湧いた。
 <応援の声が響く 再び歩きだそう>
 生活の基盤を立て直せたことで、周りを見る余裕が生まれた。被災して自分以上に困っている人がいる。生かされた命。誰かの役に立てないか。
 周囲の若い経営者は制度を知らず、支援の網から漏れていた。こんなときこそ手を携えて再生を目指そう。塩釜と多賀城の飲食店による復興イベントを企画し、同業者をつないだ。
 失業した被災者や、復旧事業の業者にも気軽に飲んでほしい。店が入る建物の2階に期間限定の居酒屋「ひゃくえんや」も開き、安く酒を振る舞った。
 被災した宮城県気仙沼市や故郷の宮城県石巻市の牡鹿半島に足を運び、ボランティアの若者と仮設住宅でお年寄りの話に耳を傾けた。
 根底にあるのは「ラブ・アンド・ピース」。愛と平和の心で、まなざしは弱い人に向く。
 スナックや飲食店が並ぶ桜木地区。かつて酔客でにぎわった街に、客足はまだ戻らない。
 震災後に結んだ店の賃借契約は10年間。6年で借金を返し、4年で次に移る足場を固める計画だ。
 返済を早く終えたい。家族との大切な時間を削り、休みなしに昼も夜も働く。
 <もし生まれ変わっても この街でこの人と>
 それぞれの被災者が幸せになれるといい。できることなら、みんな一緒に(伊東由紀子)
●私の復興度・・・70%
 被災しなかった場合の今を100としたら、70%くらいだろう。30%を埋めるのは自分の努力しかない。負債は背負ったけれど店を再開できた。昔からの常連さんが来てくれる。働く場所があるのはありがたい。家族を支えに、震災前の日常を取り戻していく。
          ◇         ◇         ◇
 多くの命を失い、さまざまな困難を突き付けられた東日本大震災から4年半。再生への道は景色も時の流れも一様ではない。復興って何だろう。一人一人の心の中にその答えがあるのかもしれない。


<宮城豪雨>大崎・渋井川の堤防決壊、氾濫
 宮城県内は10日夜から11日朝にかけ、記録的な豪雨となった。仙台管区気象台は11日午前3時20分、宮城県に大雨特別警報を発表した。東北での特別警報発令は2013年8月の制度開始後初めて。県内では川の氾濫や崖崩れが各地で発生し、栗原市では1人が死亡、1人が行方不明となっている。大崎市では渋井川の堤防が決壊し、住宅地が冠水。救助を求める住民からの通報が相次いだ。大和町でも住民が一時孤立。大崎市と大和町は自衛隊に救助を要請した。仙台市は約41万人に一時、避難勧告を出した。
 栗原市内で11日未明から朝にかけて、軽自動車2台が川からあふれた水に流され、同市栗駒の高橋ひとみさん(48)が死亡したほか、男性(62)が行方不明となっている。同市築館下宮野の国道4号では大型トラックが土砂崩れに巻き込まれ、男性運転手(37)が頭などにけがをした。
 古川署などによると、11日午前、大崎市を流れる渋井川の堤防が十数メートルにわたり決壊。古川西荒井、古川稲葉の両地区に水があふれ、宮城県警や消防がゴムボートなどで住民救出に当たった。両地区で少なくとも40人が取り残されている。
 宮城県大和町では11日未明、吉田川が氾濫。町役場が孤立し一時、停電した。大和署、黒川消防本部の周辺も水没した。
 仙台市内では11日午前6時現在、床上床下浸水が計37棟に上った。市災害対策本部によると、青葉区川内三十人町で50メートル規模の崖崩れが発生。宮城県蔵王町、村田町、柴田町、大衡村の4町村でも計39棟の床上床下浸水が確認された。
 東北地方整備局によると、国道4号は午前11時現在、冠水で仙台、大崎市など4地点が、48号は青葉区栗生の愛子バイパスと青葉区作並−東根市関山の15.3キロが通行止めとなった。


<震災4年半>「忘れない」思い新た
 多くの命を奪い、沿岸部の街や集落に壊滅的な被害をもたらした東日本大震災から11日で4年半になった。宮城県内の被災地では、節目の日にあらためて鎮魂と再生の祈りをささげようとする人々の姿が見られた。
 津波の爪痕が刻まれている仙台市若林区荒浜には、前日からの猛烈な大雨が上がった午前9時半ごろから、一人また一人と弔問の人々が訪れ、慰霊塔の前で手を合わせた。
 大阪市の美容師高松一美さん(33)は、津波で流された家々の土台がそのまま残る光景に驚いた表情。「被災当時の惨状のすさまじさを感じた。最近は自然災害が多く、人ごとでない」と語った。
 東京都の僧侶田沢玄幸さん(27)は「社会の関心が東日本大震災から薄れてきているように感じる。ここに来て『忘れてはいけない』との思いを新たにした」と話した。


<宮城豪雨>最多41万1743人避難指示
 仙台市は10日深夜から11日未明にかけ、記録的な大雨で河川の氾濫や土砂災害の危険性が高まったとして、市内各地に避難指示や避難勧告を発令した。対象は延べ19万1347世帯、41万1743人で過去最多となった。
 避難指示は11日午前2時、七北田川の一部で水があふれたため、泉区の七北田公園近くの赤生津大橋上流の両岸300メートル以内の住民に向けて出した。対象世帯数は調査中。
 赤生津大橋下流と、仙台市中心部を流れる広瀬川に架かる愛宕大橋から下流の一部流域の市内5区の4万5086世帯、10万498人には避難勧告を出した。
 10日午後11時には土砂災害の恐れがあるとして青葉、太白、泉の3区の一部に避難勧告を発令。11日午前4時までに順次範囲を拡大し、対象は5区の14万6261世帯、31万1245人に上った。
 宮城県内では午前9時現在、大崎市、東松島市、大和町、富谷町、大郷町の2市3町にも避難指示が出た。
 最大で大崎市は1660人、大和町は約400人、富谷町は11人、大郷町は266人、東松島市は270人が避難した。
 東北ではこのほか、いわき、南相馬両市と山形県最上町なども一時、避難指示を出した。


税負担の軽減策 還付案は直ちに撤回を
 消費税率10%時の負担軽減策として、財務省が与党税制協議会に示したマイナンバー利用による還付案は問題だらけの内容だ。消費者に面倒とリスクを押しつけ、負担軽減も不十分である。与党は原点に戻って軽減税率を真剣に検討すべきだ。
 財務省案は(1)軽減品目は酒類を除く飲食料品(2)10%の消費税を払う時、マイナンバーカードを店の端末機器にかざし、購入情報をオンラインで国に送る(3)国はその情報に基づき、後日2%分を還付(4)還付額には上限を設ける−−との内容だ。
 これでは痛税感は緩和されない。
 買い物時にまず10%分を払わなければならず、買い物のたびに増税の重みを感じる。しかも、「1人4000円」といった還付の上限設定だと、負担軽減の実感は乏しい。消費意欲がしぼんで買い控えが広がり、景気への影響が心配になる。将来、税率が一段と引き上げられると、そうした懸念はさらに増す。
 そもそもマイナンバーカードの利用には問題が多い。
 買い物内容をカードに記録し、国に送るということは「いつ、どれだけ買ったか」を政府に把握されることになる。プライバシーが筒抜けだ、と嫌がる人は少なくないだろうし、その情報が漏れる恐れもある。
 カードには、所得税額や年金といった個人情報も記録される。なくしたり、盗まれたりすると大変だが、近所の買い物にも持ち歩くなら不安が常につきまとう。負担を軽くするからリスクは受け入れろという発想は、消費税の納税者である国民をないがしろにしたものだ。
 また端末機器は、全国の小売店に残らず設置しなければならないが、容易ではない。自販機はどうするのか。財務省は補助金などを用意する構えだが、消費税率が10%になる2017年4月に間に合うだろうか。
 消費税は、増え続ける社会保障費をまかなう財源となる。巨額の財政赤字を考えると、将来の税率引き上げは避けられないだろう。その時、収入の中から生活必需品に支出する割合が高い低所得者ほど負担感は増すだけに、配慮が不可欠なのだ。
 ところが、麻生太郎財務相は「複数の税率は面倒くさい」「カードを持って行きたくなければ持って行かないでよい。その分の減税はない」と言い放っている。消費税を国の財源として重視し、広く受け入れてもらう立場である財政・税制の責任者としての自覚がまるでない。
 名ばかりの軽減策をめぐって時間を浪費するのはやめるべきだ。財務省の還付案は直ちに撤回し、低所得者対策であり、消費税の定着を図る対策の柱でもある軽減税率の具体化を急ぐのが本筋である。


鬼怒川決壊 救助と支援に全力を
 台風18号とそれに伴う東日本の豪雨は、鬼怒川が決壊するなど、近年にない災害をもたらした。台風の進路から外れた関東でこれほどの被害が出たのは驚きだ。救助、支援に全力を挙げたい。
 静岡県西部で六日朝から降りだした雨が始まりだった。八日には浜松市などで、台風が愛知県・知多半島に上陸した九日には三重県伊勢志摩地方などで、浸水や冠水被害が出た。台風は九日夜、日本海に抜けて温帯低気圧になったが、関東地方の集中豪雨はその後も続いた。
 積乱雲が次々と生まれ、線状に並ぶ線状降水帯が東日本で大雨を降らせたという。集中豪雨は普通、幅二十〜五十キロと比較的狭い降水帯が数時間、停滞することで起きる。今回は幅が二百キロにもなり、同じような場所で長時間、降り続いたことで異常な雨量となり、災害を引き起こした。
 気象庁は十日、栃木県と茨城県に特別警報を出して警戒を呼びかけた。関東地方では初めての特別警報となった。
 鬼怒川の堤防が決壊した茨城県常総市は広範囲に冠水した。住宅に取り残された人も多く、地元の警察や消防だけでなく、自衛隊や東京消防庁なども出動して、救出作業などに当たっている。
 安倍晋三首相は「政府一丸となって、人命の安全確保を第一に災害応急対策に万全を期す」と述べ、関係省庁に指示した。被災地支援を官民一体で進めたい。
 大都市を流れる大きな川は、百年から二百年に一度の洪水に耐えられるように計画されることが多い。中小河川の場合は、十年から五十年に一度が多い。だが、国土交通省によると、堤防の決壊部分は、十年に一度起きると想定される規模の洪水にも対応できないとして、かさ上げなどの改修工事が計画されていたという。
 被災地の映像を見て、心配になった人もいるだろう。個人でもできることはある。
 携帯電話会社などは、災害時の緊急速報を携帯電話やタブレット端末にメールで送るサービスを始めている。衛星利用測位システム(GPS)と連動させて、今いる場所の情報を得られるサービスもある。危険を早く知り、安全な場所に避難するように心掛けたい。
 今回の豪雨で、あなたや家族の携帯電話に、どのような情報が送られてきたのか、あるいは来なかったのかを確認することから始めてはどうだろう。

50年に一度の大雨→鬼怒川で堤防決壊

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Japon: Un prix des toilettes... pour faire progresser la condition féminine
Certains pourraient ici utiliser fort à propos l’expression ≪ goûts de chiottes ≫. Pourquoi ? Parce que le Japon vient de créer un drôle de prix, celui des toilettes, présenté de façon hasardeuse mais convaincue par le gouvernement comme la récompense de l’importante contribution au progrès de la condition féminine qu’apportent des commodités irréprochables.
D’emblée, l’initiative du Premier ministre conservateur Shinzo Abe a été la cible de moquerie sur les réseaux sociaux, beaucoup de Japonais se montrant sceptiques quant à la portée d’une telle récompense. D’autres ont moqué le lien établit par le gouvernement entre l’accès des femmes aux responsabilités et la qualité des toilettes publiques qu’elles utilisent au quotidien. ≪ Les toilettes sont-elles la raison pour laquelle les femmes japonaises ne peuvent pas briller ? ≫, s’est interrogé un internaute sur Twitter. Un autre d’ajouter : ≪ le gouvernement se trompe de sujet. Il devrait plutôt travailler sur des questions comme le nombre insuffisant de crèches. ≫
Près de 400 candidatures provenant de tout l’archipel
Qu’importe, les fonctionnaires ont épluché près de 400 candidatures provenant de tout l’archipel avant d’élire une vingtaine de municipalités et entreprises qui ont su se distinguer des autres par la propreté, la sécurité et le confort de leurs lieux d’aisance.
Parmi les gagnants, figurent des sociétés ayant créé des toilettes de fortune sûres pour femmes et enfants après le désastre provoqué par le violent tremblement de terre de mars 2011 et le tsunami qui a suivi, mais aussi les toilettes impeccables de l’aéroport Haneda de Tokyo ainsi que les organisateurs d’un festival dont le thème était les toilettes. D’autres ont été primés pour avoir rendu les WC plus attrayants pour la gent féminine en y aménageant des espaces d’allaitement et en réduisant le temps d’attente.
≪ Des toilettes agréables encourageront la promotion des femmes ≫
≪ La qualité des toilettes publiques et une hygiène sans faille sont un élément clé du progrès social ≫, a expliqué la ministre de la Condition féminine Haruko Arimura. ≪ Des toilettes agréables amélioreront la qualité de la vie quotidienne et encourageront la promotion des femmes ≫, a également assuré la ministre à l’occasion de la cérémonie de remise des trophées à la fin de la semaine dernière.
Alors que le Japon a un des taux d’emploi des femmes les plus bas du monde développé, Shinzo Abe a fait de la promotion des femmes un pilier de sa stratégie de relance baptisée ≪ abenomics ≫. Selon lui, l’emploi féminin pourrait enrayer le déclin de la main-d’œuvre et encourager la croissance dans ce pays vieillissant.
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ウワサの保護者会「どう向き合う?セクシュアル・マイノリティーの子どもたち」
心と体の性が一致しないなどの性的少数者、いわゆるセクシュアル・マイノリティーの子どもは、実はクラスに1〜2人はいると考えられるほど身近な存在。しかし彼らの多くはそのことを隠し、人知れず悩み苦しんでいるという。文部科学省は今年4月に、学校現場で彼らをきちんと支援するよう通知を出した。子どものクラスにセクシュアル・マイノリティーの子がいたら、保護者として大人として何ができるのか?向き合い方を探る。
尾木直樹, 高山哲哉, 都さゆり


台風でなくて雨が・・・と思っていたら関東では大変なことになっているんですね.鬼怒川で堤防決壊しているらしいです.気になるけど忙しくてあまり余裕がないというところです.

震災で「防ぎ得た災害死」少なくとも143人
 東日本大震災で被災した岩手、宮城両県で、津波後に救えた可能性のある犠牲者が少なくとも143人に上ることが、両県の医師らの研究で分かった。病院のライフライン途絶、避難所や自宅の環境悪化、医療介入の遅れなどが死の原因で、専門医が「防ぎ得た災害死」と判定した。震災から4年半。大規模災害から命を守る支援強化の必要性があらためて問われている。
<専門医らが検討>
 研究は2014年度、地域医療に関する国の事業の一環で実施した。震災当日から約20日間の主要な病院の患者死亡例を、災害医療の専門医10人が検討。地域や病院が通常の環境であれば救命できたと考えられる死亡例を「災害死」と判定した。
 岩手では岩泉町から陸前高田市までの沿岸15病院を調査。「災害死」の判定は41人で、期間内の死亡患者の23.6%に上った。
 宮城は県内の全災害拠点病院と死者20人以上の病院の計25カ所を調べた結果、102人が該当した。内訳は沿岸部が62人で、地域内の病院で亡くなった患者に占める割合は19.0%に達し、内陸部の7.6%(40人)より高かった。
 宮城では病院内の事情が原因となった災害死の比率は、一般病院の方が災害拠点病院より高かった。停電、断水、医療物資の不足などが治療に影響したとみられる。
<「社会で議論を」>
 調査ではこのほか、在宅でたんの吸引などができなくなったり、避難所で発熱したりして病院に搬送されたものの死亡した例があった。災害拠点病院に患者が集中し、病床確保のために退院を促され、死に至った患者もいたと考えられる。
 岩手の分析を担った岩手医大の真瀬智彦教授は「津波浸水区域内の医療機関は、事前に患者の転院先や手段を確保しておくべきだ」と指摘。宮城を担当した大崎市民病院の山内聡救命救急センター長は「医療支援の在り方について、社会全体の問題として議論を深める必要がある」と訴える。


<災害公営住宅>石巻でまたカビ発生
 東日本大震災の被災者が暮らす石巻市の新沼田第1災害公営住宅(121戸)で、市が一度対策を講じた住居に再びカビが生えていたことが分かった。同住宅は完成後にカビが発生し、市が清掃や建材交換をしていた。市は追加対応を検討するが、専門家は原因の特定と抜本的な対策の必要性を指摘する。
 再びカビが生えたのは1階の樋口敏雄さん(66)方。7日に国立医薬品食品衛生研究所(東京)と秋田県立大(由利本荘市)の研究者が調べた際、畳の下の床板に青や黄色のカビを発見した。
 市によると、同住宅では入居が始まった7月末以降、15戸で畳やふすまの床板にカビが確認された。6月末の完成検査時にはなかったという。
 市は「完成が梅雨時期と重なったことなどに加え、引き渡しまで換気しなかったのが要因」と釈明。不手際を認め、8月に樋口さん方を含む住居の畳を交換、除菌もした。
 樋口さんは市内の仮設住宅に入居後、ぜんそくを患った。病院で2014年5月、仮設住宅のカビが原因と診断され、治療を続けている。
 樋口さんは「災害公営住宅に入ればカビはないと喜んでいた」と肩を落とす。災害公営住宅入居後は小まめに換気をし、除湿器や除湿剤を設置するなど気を付けていたという。
 同研究所衛生微生物部第3室(真菌研究)の渡辺麻衣子室長は「建材に一度カビが生えると完全な除去はできないので、交換すべきだ。異常に生えている。市は専門家の意見を聞き対応してほしい」と訴える。秋田県立大の長谷川兼一教授(建築環境学)は「原因を特定しないと再度発生する恐れがある」と指摘する。
 市は樋口さん方でのカビの再発見を受け、職員を派遣して床下を確認。市は「大規模な改修なども含めて検討したい」と話す。


震災犠牲ALTの教え子 9.11感謝伝える
 東日本大震災の津波で犠牲になった米国人の外国語指導助手(ALT)のテイラー・アンダーソンさん=当時(24)=を追悼するコンサートが、震災から4年半となる11日、米ニューヨークで開かれる。石巻市の中学校で英語を教わった杉山彩音さん(19)が地元合唱団の一員として出演。プロローグで、テイラーさんの優しい人柄や思い出をつづった手紙を英語で読み、恩師への感謝を伝える。
 追悼コンサートは仙台市出身の白田正樹さんが代表を務めるNPOが主催。日米の懸け橋となりたかったテイラーさんを広く知ってほしいと、杉山さんや石巻、東松島の両市民らでつくる「ぜってぇまげね合唱団」を招くことになった。
 杉山さんは8月17日、東松島市内で、小1〜70代の団員約40人と共に稽古に臨んだ。本番で披露する曲「星の彼方(かなた)に」などを歌い、手紙を読んだ。立ち会った音楽家寺本建雄さんが「内容はすてき。しっかり読んで」と気持ちを前面に出すよう助言した。
 杉山さんは石巻市稲井中1、2年時、テイラーさんに英語を習った。質問すると丁寧に説明してくれた。間違えた時は「大丈夫だよ。ファイト!」と笑顔で励まされ、心が癒やされた。
 2人は親友のような間柄だった。人気アイドルグループ「嵐」や人気キャラクター「ハローキティ」の話に花が咲いた。震災から間もなく、家族から「テイラーさんが亡くなった」と知らされた。信じられなかった。
 合唱団は昨年6月ごろに結成。祭典などで復興支援への謝意や、被災地で生きる姿を伝えてきた。杉山さんは両親と妹3人の一家6人で参加。震災で家族や友人を失った団員らと体験を共有し、支え合ってきた。
 杉山さんは今春、古里を離れ、仙台市内の旅館に就職した。「仕事が大変な時、先生の『ファイト!』という言葉と笑顔を思い出して頑張っている」と語る。
 合唱団団長の母まき子さん(51)は「震災で失ったものは大きいけれど、彩音は社会人として歩み始め、たくましくなった」と強調。「コンサートでは、多くの支援のおかげで私たちが元気になったことを伝え、子どもたちが成長した姿を見てもらいたい」と話す。


<復興めし>具材にも四季があるのだ。
◎(1)キラキラ丼(宮城・南三陸)
 震災復興の象徴として被災地で生まれたり、復活したりした「復興めし」をシリーズで紹介する。19日からシルバーウイーク。お出掛けの予定に被災地巡りを組み入れるのも一計だ。食べ歩きして店の売り上げに貢献し、復興を後押ししてみてはいかが。(報道部・伊藤寿行)=10回続き
 津波で惨事をもたらした「張本人」には少しでも埋め合わせしてもらわないと。シリーズの初っぱなは三陸の海が恵む魚介を使った海鮮丼がふさわしい。
 キラキラ丼は四季で「表情」を変える。秋メニューは「秋旨(うま)丼」(9〜10月)だ。戻りガツオ。サケ。ホタテ。地元港などに揚がる旬の幸が器を彩る。ツマでスペースの多くを稼ぐケチなことはしない。
 丼は2009年にデビューした。震災で7店が流失し、提供が中断した。12年に復活し、今は9店で出している。
 うち5店が仮設商店街「南三陸さんさん商店街」(宮城県)に軒を連ねる。いやが応でもライバル店の「盛り」が目に付く。
 「刺し身の厚さで負けてんぞ。うちはもっとぶ厚くする。これでまた赤字だあ」
 各店は日々「シーフード」で「チキン」レースを繰り広げている。
☆食いに行く
 秋旨丼は1600〜2000円(税込みか税抜きかは店による)。春はワカメ、メカブの新芽も入れた「春つげ丼」(3〜4月)、夏は「うに丼」(5〜8月)、冬は「いくら丼」(11〜2月)。宮城県南三陸町へは車なら三陸自動車道登米東和インターチェンジで下りて国道398号で。連絡先は町観光協会0226(47)2550。


<安保法案問う>「戦争は人災」学生ら決起
◎被災地から(下)二つの災い
<行動しよう>
 東北大に勤務して31年。文学部教授の長谷川公一さん(60)にとって、それは初めての出来事だった。
 安全保障関連法案が衆院を通過した7月16日、講義を終えた教壇に女子学生が近づいてきた。「安保の問題に学生は、どう行動すべきでしょうか」
 足を投げ出して「早く質問しろよ」とやじり、反対意見は「的外れ」とレッテルを貼って退ける。論理破綻を指摘されても「最高責任者は私。最後は私が決める」と意に介さない。
 安倍晋三首相の立ち居振る舞いに、長谷川さんも「国の大計を誤る」と不安を抱いていた。
 「成熟した民主主義、熟議から何と遠いことか。政治の転換を求めるうねりを足元からつくりだそう」
 女子大生への助言を、そのまま学生団体に送った。安保関連法案に反対する「SEALDs TOHOKU(シールズ東北)」だ。
 メンバーの一人で仙台市内の大学に通う東谷いずみさん(21)は岩手県大槌町の出身。東日本大震災のときは、1200人以上が亡くなった港町の高校2年生だった。
 実家は津波で流され、祖母と母はいまも仮設住宅で暮らす。父は熊本県で作業船の料理人をしながら一家を支える。
 津波と火災で黒焦げになった町を見渡して、誰かが「戦後の焼け野原みたい」と言っていた。「そうか、戦争もこんな感じなんだ」。漠然とした思いが4年半後、少しずつ現実味を帯びてきたと感じる。
 「法案が可決したら戦争のリスクが高まる。いま止めないと、やばい」。友人が6月に開いた勉強会に参加したのをきっかけに、東谷さんはシールズ東北の結成に奔走するようになる。
 「天災の前で人間は無力だった。だけど戦争は人災でしょ。被災地の人間が声を上げなきゃ」。人生で災いを二つも引き受ける気には到底なれない。
 学生たちの蜂起から1週間後。長谷川さんらは「安保関連法案に反対する被災3県大学教員有志の会」を結成した。衆院採決の日、教壇の下から見上げた女子大生の目は「先生はどう行動するのか」と問うていた。
<知性の否定>
 有志の会は訴える。「法案可決は知性の『否決』。外国の脅威を言い募り、民主的議論を踏みにじる現政権の態度は市民社会の脅威」。知性を否定するかのような首相に、知性の府が真正面から異を唱える。
 劣悪な環境の仮設住宅では、人々が息を潜めるようにして暮らす。福島第1原発事故からの避難者は、将来を見通せずにいる。
 「日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」と定義された「存立危機事態」。長谷川さんは「政府が放置してきた被災地のありさまこそが、いまこの国で起きている存立危機事態だ」と訴える。
 震災での死者・行方不明者は9日現在、1万8465人。「震災で命の重みを知ったからこそ、私たちは戦争につながるかもしれない法案に反対なんです」。暮れなずむ仙台市の街角で4日、学生たちが訴えていた。
                         (報道部・今野忠憲)


<安保法案>「子ども守る」母ら法案学ぶ
 安全保障関連法案の廃案を求める「安保関連法案に反対するママの会宮城」は9日、仙台市青葉区の仙台弁護士会館で、シンポジウム「子どもたちの未来はどうなるの?」を開いた。仙台弁護士会有志と「安保関連法案に反対する被災3県大学教員有志の会」のメンバーが、法案の問題点などを解説した。
 市民ら約60人が聴講。戦時下の教育を調査している大平聡宮城学院女子大教授(古代史)は「軍事訓練が小学校の校庭で行われ、先生は子どもたちに陸軍や海軍の学校に進学するよう勧めていた」と指摘した。
 その上で、大平教授は「現行憲法がなぜ生まれたのかを考え、『誰の子どもも殺させない』と掲げていくしかない」と訴えた。
 安倍晋三首相が唱える「積極的平和主義」に関し、藤野美都子福島県立医大教授(憲法)は「首相は抑止力になると言うが、軍拡競争が激しくなり国の経済を圧迫するだけだ」と批判した。
 教授2人に弁護士、ママの会メンバーらを加えた意見交換も行われた。


<安保法案>「みんなの力で」廃案に向け団結
 タクシーやトラック業界などの組合でつくる県交通運輸労働組合共闘会議(宮城交運共闘)は9日、仙台市宮城野区の榴岡公園で、安全保障関連法案の廃案を求める決起集会を開いた。
 加盟組合のメンバー計約30人が参加。共闘会議の本間昭議長はあいさつで「法案が可決すれば、海外で戦争するかどうかを政府に委任することになる。こんな法案は廃案にするしかない」と力を込めた。
 加盟組合の代表者は決意表明で「政治に興味を持たなかった若い世代までデモに加わり、反対している。みんなの力で廃案にしよう」と述べた。
 締めくくりには、参加者全員で「団結ガンバロー」を三唱した。


桐生悠々を偲んで 真実を伝える覚悟
 安全保障関連法案の成立が強行されようとしている今年ほど緊張感を持ってきょうを迎えたことはありません。反骨の新聞記者、桐生悠々(ゆうゆう)の命日です。
 一八七三(明治六)年に生まれた桐生悠々は、明治後期から昭和初期に健筆を振るった新聞記者です。本紙を発行する中日新聞社の前身の一つ、新愛知新聞などで編集と論説の総責任者である主筆を務めた、われわれの大先輩です。
 本紙が一昨年から随時掲載し、識者らの声を紹介する欄のタイトル「言わねばならないこと」は悠々が晩年、自ら発行していた個人誌「他山の石」に書き残した言論人の心得でもあります。
 その遺品が今年、遺族から出身地の金沢市にある「金沢ふるさと偉人館」に寄託されました。「他山の石」各号や「廃刊の辞」の直筆原稿、新聞記事のスクラップ、友人知人からの手紙などです。最終的には約五百点に上るといいます。当時の言論状況を探る上で貴重な資料です。
 その中に、購読者の一人で「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれ慕われる政治家、尾崎行雄から、悠々に宛てた手紙があります。
 「何に故に禁止在るや、解(わか)らぬ連中にハ困り入り候私の『独裁政治排撃』の小冊子も禁止され候」
 一九三七(昭和十二)年一月、他山の石が発行禁止処分となったことに憤り、自ら発行した小冊子も、同じ発禁処分を受けたと伝える内容でした。
◆国民生活軽視を批判
 他山の石の発禁理由は「国防の充実と国民の生活安定」という悠々の文章でした。「出先の軍隊が中央の命令に従わないで勝手に盲動(もうどう)」という部分が「出先軍部の行動歪曲(わいきょく)」とされたのです。
 三一(昭和六)年の満州事変が関東軍の暴走だったことは、今では歴史的事実として堂々と記せますが、当時は難しいことでした。
 この文章には「国防充実と国民生活の安定とは両立すべからざるもの」との記述もあります。時の政府が国民生活の安定を「重要なる一政策」と宣言しながら、予算の65%を国防の充実に充て、国民生活の安定には5%しか充てていない、との批判です。
 また、軍備はいかなる場合も攻撃的であり、濫用(らんよう)される▽軍備の拡張で「権力平衡」が破壊されれば、仮想敵との間で「永久に軍備拡張の競争戦」を演じなければならず、財政や消費経済面から許されない−とも記しています。
 悠々の指摘は、海外にまで視野を広げた豊富な知識と判断力に基づいて、本質を言い当てたものです。その慧眼(けいがん)を当局は恐れ、発禁処分にしたのでしょう。
 偉人館で遺品の整理・研究を進める学芸員の増山仁さんは、悠々の文筆活動を「おかしいことはおかしいという、今のジャーナリズムにつながる」と評します。私たちも見習うべき真の記者魂です。
 長野県の信濃毎日新聞の主筆だった悠々は三三(昭和八)年、自らの筆による評論「関東防空大演習を嗤(わら)う」が在郷軍人会の怒りに触れ同社を追われます。新愛知時代に住んでいた今の名古屋市守山区に戻り、糊口(ここう)をしのぐために発行を始めたのが他山の石でした。
 購読者には、名古屋周辺の財界・知識人や金沢時代の友人を中心に、戦後首相を務めた芦田均、作家の徳田秋声、終戦時の内閣情報局総裁、下村宏、岩波書店の創業者、岩波茂雄らがいます。広告には当時、名古屋にあった銀行など企業の名前も並びます。
 当局に目をつけられ、たびたび発禁となる厳しい社会的状況でしたが、悠々の論調に共感する多くの人々に支えられていました。悠々は決して「孤高のジャーナリスト」ではなかったのです。
◆軍備拡張競争に警鐘
 悠々は四一(昭和十六)年九月十日に亡くなる直前、他山の石の廃刊の辞として「戦後の一大軍縮を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何(いか)にも残念至極」と書き記し、自ら発送しました。
 悠々が見たいと切望した一大軍縮は戦後、日本国憲法九条に結実しますが、安倍内閣は憲法の解釈を変えて「集団的自衛権の行使」に道を開こうとしています。
 悠々が指摘した「永久に軍備拡張の競争戦」が再び繰り返されることはないのか。政府の言い分を鵜呑(うの)みにせず、権力に抗して、自らの判断力で読者に訴える。その志と気概は、私たちが受け継がねばと、悠々を偲(しの)んで思うのです。


茨城 鬼怒川 堤防から水あふれる
国土交通省によりますと、茨城県内を流れる利根川水系の鬼怒川は、これまでに、常総市の若宮戸付近と、筑西市の船玉付近、伊佐山付近で、堤防から水があふれる越水が発生しました。午前8時現在、鬼怒川では、筑西市と常総市にある水位観測所で、それぞれ水位が上がり続けています。
また、栃木県や茨城県などを流れる利根川水系などの河川は、各地で氾濫の危険性が非常に高くなる「氾濫危険水位」を超えています。
国土交通省のデータによりますと、午前8時現在、氾濫の危険性が高くなっている主な河川は次のとおりです。
栃木県内を流れる利根川水系の思川は小山市にある観測所で、栃木県の田川は上三川町の観測所で、埼玉県や東京23区東部を流れる中川は埼玉県吉川市の観測所で、新潟県の阿賀野川は阿賀町の観測所で、それぞれ氾濫の危険性が非常に高くなる「氾濫危険水位」を超えています。
一方、埼玉県や東京23区東部を流れる綾瀬川は埼玉県草加市にある観測所で、午前7時40分ごろに「氾濫危険水位」を下回りましたが、依然として避難の目安となる「避難判断水位」を超えた状態が続いています。
このほか、栃木県を流れる巴波川は栃木市と小山市にある観測所で、栃木県の姿川は小山市と壬生町の観測所で、栃木県の黒川は壬生町の観測所で、那珂川水系の荒川は栃木県さくら市にある観測所で、さらに福島県を流れる阿賀野川水系の阿賀川は福島県会津美里町の観測所で、それぞれ避難の目安となる「避難判断水位」を超えています。


ツイッターSOS相次ぐ「タオル回して待つ」…
 栃木県や茨城県などを襲った記録的な大雨で、ツイッター上には、堤防が決壊した鬼怒川周辺と見られる住民から、救助を求める書きこみが相次いだ。
 常総市に住んでいると書き込んだ女性は<逃げ遅れました……。>と記した。女性がヘリコプターでの救助を要請すると、多くの人から<無事救出されることを祈っています><屋根の色や具体的な目標も併せて載せて>などと、励ましやアドバイスのツイートが寄せられた。女性は約4時間後に家族ら3人とともに救助されたと書き込み、<みんなありがとう なみだが溢れました>と感謝の気持ちを記した。
 別の女性は、<水はどんどん家の中に入ってきています。(中略)タオルを回して救出を待とうと思っています>と緊迫した状況をツイートした。
 また、<後輩がまだ家に独りでいる。住所を教えるから救助をお願いします>や<母親が一人でいます。(中略)家に一人でいるのでお願いします>と、家族や知人の身を案じる書き込みもあった。


首都圏交通機関 大雨の影響
大雨の影響で、新幹線や首都圏のJR・私鉄では栃木県内など各地で運転の見合わせや、直通運転のとりやめが相次いでいます。
新幹線は、山形新幹線が、福島駅と新庄駅の間で上下線とも運転を取りやめています。
この区間は終日、運転を取りやめるということです。
この区間は11日午前中も運転を見合わせ、午後以降、安全が確認されしだい運転を再開したいとしています。
首都圏のJRは、栃木県内と茨城県内の次の区間で運転を見合わせています。
烏山線が宝積寺と烏山の間の全線。
日光線が宇都宮と日光の間の全線。
水戸線が小山と下館の間で、運転を見合わせています。
両毛線は、先ほど運転を再開しました。
11日は、烏山線と水戸線は始発から運転を再開するということです。
日光線は宇都宮と日光の間の全線で引き続き運転を見合わせるということです。
また首都圏のJRでは、直通運転を取りやめる路線が相次いでいます。
東海道線と宇都宮線を直通する「上野東京ライン」は、始発から運転を見合わせています。
東海道線は東京駅まで宇都宮線は上野駅までの運転としています。
新宿経由で横須賀線と宇都宮線を結ぶ「湘南新宿ライン」は直通運転を見合わせています。
首都圏の私鉄では東武鉄道が次の路線で運転を見合わせています。
日光線は南栗橋から東武日光の間の上下線。
宇都宮線は新栃木と東武宇都宮の間の全線。
鬼怒川線は下今市と新藤原の間の全線。
以上の路線で、それぞれ運転を見合わせています。
11日は、日光線は始発から午前7時ごろまで、南栗橋から東武日光の間の上下線で運転を見合わせますが、それ以降は運転見合わせの範囲を新鹿沼から下今市に狭めることにしています。
また、宇都宮線と鬼怒川線は10日と同様、全線で運転を見合わせることにしています。
関東鉄道常総線は、茨城県の取手と下館の間の全線で運転を見合わせています。
日本道路交通情報センターによりますと、高速道路は、大雨の影響で、栃木県内や茨城県内などで通行止めになっている区間があります。
通行止めになっているのは、東北自動車道が栃木県内の佐野藤岡インターチェンジと宇都宮インターチェンジの間の上下線。
北関東自動車道が、栃木県の佐野田沼インターチェンジと茨城県の桜川筑西インターチェンジの間の東行きと西行きです。
また日光宇都宮道路は、日光インターチェンジと清滝インターチェンジの間が上下線で通行止めになっています。

枚方その2→クタクタ→激辛豚キムチスンドゥブチゲ

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新しい女川へ

En Hongrie, une journaliste fait un croche-pied à des réfugiés
La reporter d'une web TV d'extrême droite a délibérément fait tomber plusieurs migrants mardi, à la frontière avec la Serbie.
Et pan dans les tibias : c’est délibérément que Pétra Laszlo, reporter d’images pour une web télévision d’extrême droite, fait un croche-pied à un réfugié portant son enfant. Le père tombe dans l’herbe avec son fils et, aussi furieux qu’ahuri, proteste en arabe.
Dans une autre vidéo, filmée avant, on voit la blonde journaliste en chemise bleue récidiver et flanquer un énergique coup de pied dans la jambe d’une fillette.
La scène s’est déroulée mardi, peu après 14 heures, dans un champ proche de la frontière serbo-hongroise, à Röszke. C’est là que la police magyare regroupe les réfugiés qui franchissent la frontière ≪verte≫ avant de les emmener dans un centre d’enregistrement. Les médias couvraient les incidents qui ont opposé les forces de l’ordre aux réfugiés, excédés d’attendre dans ce champ.
≪Un acte injustifiable≫ et ≪inacceptable≫
La reporter a été limogée l’après-midi même par la chaîne gratuite N1.tv. ≪C’est un acte injustifiable et totalement inacceptable. Qu’on soit cameraman ou pas, personne ne peut faire une chose pareille≫, a affirmé son rédacteur en chef, Szabolcs Kisberk, à Libération.
Fondée il y a cinq ans, N1.tv se dit ≪privée et indépendante≫. Elle est en fait le porte-voix du parti d’extrême droite Jobbik, avec un effectif d’une quinzaine de personnes, et 12 300 like sur sa page Facebook. On avait déjà vu en 2011 N1.tv prendre fait et cause pour le maire d’extrême droite du village de Gyöngyöspata, qui, appuyé par des milices, faisait régner la terreur dans le quartier tsigane.
La plupart des reportages actuels traitent la thématique des migrants. ≪On n’a qu’à les envoyer directement en Allemagne, ils n’ont pas à rester chez nous≫, témoigne un Hongrois filmé par N1.tv. Le parti d’opposition Együtt (Ensemble) va porter plainte contre la journaliste qui risque cinq ans de prison.
Florence La Bruyère Correspondante à Budapest (Hongrie)
Le présentateur météo s'attaque à un nom de ville imprononçable
Il y a cinq ans, les journalistes télé et radio essayaient de prononcer avec succès le nom du volcan Eyjafjöll et de son glacier, l’Eyjafjallajökull. Impressionnants au début, les deux noms n’étaient pas si durs que ça à sortir. Surtout quand on les compare à la commune galloise de Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch.
Lieu géographique au nom le plus long d’Europe et devancé dans le monde par la colline néo-zélandaise Taumatawhakatangihangakoauauotamateapokaiwhenuakitanatahu (qui ne fait que 300 mètres mais plus de 80 lettres), il est généralement abrévié en Llanfairpwllgwyngyll. Mais Liam Dutton, présentateur météo de Channel 4, n’a cure de ces facilités. Mardi, pour illustrer les différences de températures en Grande-Bretagne, le courageux homme de télévision s’est lancé, sans doute par défi, dans la prononciation d’une traite et sans bafouiller du nom de la commune.
On imagine qu’il a réussi : après sa tentative, Dutton a remercié sur Twitter les personnes lui ayant adressé leurs félicitations. Avec, comme il se doit, le hashtag #Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch.
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日本の当たり前は、どこまで「当たり前」か。  ふくちゃん@徒歩ダー
タイトルにした「当たり前」という考え方や振る舞いを最も思い知るのは、
外側(良い意味での外野)から見聞きした時だろう。
本書は、外国人から見た日本という国の「当たり前」を
様々な事例で真剣に面白おかしく取り上げている。
事例には日本の良さも悪さも面白さもある種の物悲しさも
そして日本という国を維持するための大変さ(いろんな意味のコストの高さ)が
外国の事例との比較からわかりやすく説明されている。
いわゆる「日本こそが世界一」的な表現に甘え奢ること無く
しかし本当に良い(改めるべき)部分はしっかり載せきったその編集力が素晴らしい。
また著者であり番組及び書籍のコーディネータでもある
鴻上尚史氏のほどよい距離感とバランス感覚も面白い。
ぜひとも手に入れて読んでいただきたい。

武道vs.物理学 (講談社+α新書)
保江 邦夫
講談社
2007-12-21


今日も枚方.議論になって面倒なおじさんがいるのでちょっとイヤな感じ.まったくクタクタになりました.
駅について前から気になっていたチゲのお店に.激辛豚キムチスンドゥブチゲを注文.確かに辛いです.

<語り始めた子ども>仲間と共に 古里に立つ
◎震災4年半(下)踏みしめる
 体育館のステージ後ろから滝のように泥水が押し寄せた。「津波だ!」。逃げ切れなかったお年寄りが、目の前で水にのみこまれていく。
 石巻西高(宮城県石巻市)2年の志野ほのかさん(16)は東日本大震災が起きたあの日、宮城県東松島市野蒜小の体育館にいた。間一髪、高さ約3メートルの2階ギャラリーに上がって助かった。
 「ギャラリーの高さは想像できますか。その足元まで水が来ました」「体育館に取り残され、亡くなった人をまたいで移動した。夢かなと頬をつねってもみました」
<自宅の跡地で>
 志野さんは8月末、東京からのツアー参加者に体験を語った。津波で家々が流され、更地が広がる東松島市野蒜地区の長音寺周辺。志野さんがその一角で説明する。
 「ここは私の家(のあった場所)です」。築1年5カ月だった自宅は津波で流失、祖父の五男さん=当時(65)=が亡くなった。
 志野さんが野蒜小体育館に避難していたころ、約2キロ離れた自宅前で、祖父は隣人らの呼び掛けにも応じず、動かなかった。「孫が帰ってくるから」。長靴と傘を準備し、志野さんの帰宅を待っていた。
 「いつもささいなことで言い合いをしていたのに、そのときは何で待っていたんだろう…」。志野さんは自分に問うように語る。
<地域へ恩返し>
 震災時に野蒜小6年だった女子仲間と「TSUNAGU Teenager Tourguide of NOBIRU(TTT)」というグループをつくった。メンバーは6人。ことし5月から、ツアー客などに被災経験や教訓を伝えている。
 野蒜のことをもっと多くの人に知ってほしい。その思いで「現場」で語ることに重きを置く。「高校生になり、震災を野蒜で話すことが、野蒜への恩返しになると思うようになった」。大好きだった野蒜を忘れないよう「自分のためでもある」と志野さんは言う。
 TTTのメンバー小山綾さん(16)=石巻市桜坂高2年=も、被災したプラットホームが残るJR仙石線旧野蒜駅で語り続ける。「野蒜の現状、震災前の姿を周囲の人にも伝えてほしい」と呼び掛ける。
 野蒜地域は震災前、約1600世帯、約4830人が暮らしていた。震災でほぼ全ての家屋が被災、約500人が犠牲となった。
 志野さんは使命感をにじませて話す。「今も同じ場所に立っているよ。祖父や亡くなった野蒜の人にそう伝えたい。そこで話すことが生き残った人の役目だと思う」
 大切な人が生きた地で、その死を考え、語り継いでいく。


東日本大震災:見つめ続ける・内海蓮君 もう6歳
 東日本大震災発生から11日後、宮城県石巻市で僅かな配給をもらうため列の最後尾へ駆けていった内海蓮君。今年6月で6歳になり、補助輪が外れた自転車に乗っていた。「あの時は毎日が精いっぱいで。こんなに育つとは想像できなかった」と母晶子さん(26)は目を細める。
 仮設住宅での暮らしはもう4年。通い続けた保育園の運動会のリレーでアンカーを務める。「最後に走るんだ」と恥ずかしそうに話す蓮君。「(プロ野球の)楽天が大好きだよ」と少年の顔になった。【梅村直承】


東日本大震災:見つめ続ける・加藤啓子さん 捜し続けた4年半
 かさ上げ工事が進む宮城県石巻市門脇町。「もう分からない」。津波で流された自宅跡を捜す加藤啓子さん(65)の目に涙がにじんだ。
 震災直後、行方不明の父吉一さん(当時87歳)、夫和行さん(同60歳)を捜し続けた自宅跡周辺は、2人とつながる場所だった。
自宅跡にあった友人の手作りによる「祭壇」も今はない。4年半の歳月が変えてしまった「我が家」の前で、加藤さんは立ち尽くした。【梅村直承】

枚方で研修+飲み交流会avev V+W

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Un libraire ≪kamikaze≫ défie Amazon au Japon
L'enseigne Kinokuniya a acheté 90% du premier tirage du nouvel essai de l'écrivain Haruki Murakami, publié jeudi dans l'archipel, pour couper l'herbe sous le pied des sites de vente en ligne, au premier rang desquels le géant américain.
S'ils veulent lire le dernier Haruki Murakami, les Japonais devront se rendre chez un ≪vrai≫ libraire. Alors que l'écrivain vedette publiera jeudi dans l'archipel un nouvel essai, Romancier de profession, la chaîne de librairies Kinokuniya a acheté les neuf dixièmes du premier tirage, soit 90.000 exemplaires sur les 100.000 imprimés. Son objectif: empêcher Amazon, Rakuten et les autres sites de vente en ligne de mettre la main sur l'ouvrage. L'enseigne nippone, qui le commercialisera dans son réseau de 66 points de vente au Japon, revendra une partie de son stock à d'autres libraires de quartier et distributeurs.
Une action quasi désespérée qui ≪vise à mettre en exergue la crise du secteur≫ face à l'emprise croissante des géants de l'Internet sur la vente de livres. ≪La réalité de l'industrie, aujourd'hui, est qu'il devient de plus en plus difficile pour les libraires d'acheter des exemplaires des nouveautés littéraires très médiatiques≫, a expliqué un porte-parole de Kinokuniya, cité par le quotidien The Asahi Shimbun. ≪Pour rivaliser avec les revendeurs sur Internet, les libraires à travers le pays ont besoin d'unir leurs efforts pour revigorer le marché de la distribution traditionnelle de livres.≫ Pourquoi pas, donc, commencer par obliger les acheteurs à se rendre en librairie.
Et en choisissant le dernier livre de Murakami, Kinokuniya est sûr de frapper les esprits. L'écrivain est l'un des romanciers les plus lus au Japon et dans le monde, depuis son premier roman Écoute le chant du vent publié en 1979. Il a enchaîné depuis les best-sellers vendus à des millions d'exemplaires et traduits dans plus de 40 langues, dont la trilogie 1Q84 ou L'Incolore Tsukuru Tazaki et ses années de pèlerinage, et raflé plus d'une distinction littéraire.
Bataille contre Amazon
Le geste ≪de solidarité≫ de Kinokuniya, qui emploie aujourd'hui 4000 personnes et a ouvert des magasins dans plusieurs pays comme les États-Unis, l'Australie, Singapour, la Thaïlande ou les Émirats Arabes Unis, est applaudi par les libraires nippons. ≪Ils ont fait ce qu'il y avait à faire≫, salue Tsuneo Matsushita, directeur adjoint d'un magasin Sanseido Bookstore à Tokyo, cité par le Japan Times. ≪Ils se sont procurés très tôt ce qu'ils sont sûrs de revendre en grande quantité. C'est très malin.≫ La chaîne a déjà signé un accord pour acheter le livre à Kinokuniya.
Au Japon, comme aux États-Unis et en Europe, la bataille entre le monde de l'édition et Amazon s'intensifie un peu plus à chaque fois que le rouleau compresseur américain bouscule les lignes du marché du livre. Le récent lancement de l'offre Kindle Unlimited, qui permet d'accéder à des milliers de livres dans le cadre d'un abonnement, fait ainsi craindre pour l'évolution des prix des livres. Comme en France, il existe un prix unique du livre au Japon depuis 1953. L'issue du conflit n'est pas anodin pour le pays du Soleil-Levant: le marché de l'édition (livres et magazines inclus) pesait près de 12 milliards d'euros en 2014. Un chiffre d'affaires qui a fondu de 40% par rapport au pic enregistré en 1996. D'après l'Association des éditeurs de livres japonais, l'archipel comptait l'an dernier un peu plus de 14.200 libraires, contre environ 22.300 à la fin des années 1990.
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枚方で研修があります.面倒だけど頑張らねばなりません.お昼ご飯はゆっくりできるかな・・・と思っていたら弁当があてがわれてどこにも出かけることができません.6時過ぎになってやっと終わったかと思っていたら,今度は強制参加の飲み会です.飲むのはキライではないのですが,知らない人とお話しするのは面倒です.でも仕方ありません.わたしがアルコール好きなのがばれてしまいました.たくさん飲みました.お世話になったInさんから励ましてもらいました.そのほかVのWaさんやWのKiさんとお話しできたのがとてもよかったです.

<語り始めた子どもたち>「死 無駄にしない」誓う
◎震災4年半(中)向き合う
 石巻市大川地区出身の佐藤そのみさん(19)は東京の大学に通う。古里を舞台にした映画を撮ることを目指して今春、親元を離れた。
 6月14日、東京都内であった復興支援コンサートに招かれた。1人で壇上に立ち、東日本大震災で児童と教職員計84人が犠牲になった母校、大川小にまつわる話をした。
 「当時6年生の妹が学校で津波に巻き込まれ、犠牲となりました。これからの命を守っていくためにも校舎を残したい」
 妹みずほさん=当時(12)=は通訳を志していた。妹のこと、母校の思い出。佐藤さんの話に約200人の聴衆からむせび泣きが漏れた。
■ 公の場で発言
 佐藤さんが震災と向き合えるようになるには、3年近い時間を要した。そのころ、校舎が壊されるかもしれないという話を耳にした。「校舎には卒業生や亡くなった子どもたちの夢が詰まっている。死を無駄にしてはいけない」。そう心に誓った。
 卒業生の男女6人で昨年3月、「チーム大川」を結成、校舎を震災遺構として保存するため、公の場で発言してきた。
 ことし3月、住民団体「大川地区復興協議会」の説明会。校舎の解体を求める大人の訴えを初めて直接聞いた。「つらくてたまらない。校舎をなくし、静かに手を合わせて子どもたちと語り合える場にしたい」
 佐藤さんは胸が苦しくなった。「誰一人、間違ったことは言っていない」。長い時間をかけて話し合っていく必要のある難しい問題だ、と感じている。
■ 「耳を傾けて」
 チーム大川の一員で石巻市の高校1年只野哲也君は今月1日、16歳になった。
 震災時は5年生。校庭にいて避難する途中、津波に襲われ、奇跡的に助かった。3年生の妹未捺さん=当時(9)=と母しろえさん=同(41)=、祖父弘さん=同(67)=を失った。
 それでも「自分たちと同じ思いをする人を今後出してはいけない」と、見聞きした事実や教訓をありのままに語ってきた。
 父英昭さん(44)は当初、九死に一生を得た息子をメディアに出していいのかどうか迷った。ただ、一生懸命取材に応じる姿に「これでいいのではないか」と思った。被災当時を反すうし、次第に強くなっていることが実感できたからだ。
 「大切な人を亡くした現実はつらく、逃げ切れるものではない。大事なのは現実と向き合い、喜怒哀楽を表現すること。話を聞いてほしいという子どものサインに気付き、耳を傾けてほしい」
 英昭さんの、大人たちへの呼び掛けだ。


<被災地模索 新しい力>街再生 若者らの挑戦
◎震災4年半 支援者の課題(下)定住化への道
<環境を整備>
 東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市の未来を考えるシンポジウム「地域再発見クリエーターズ」が7月上旬、東京都内であった。「石巻移住計画」。副題として新しいキーワードを掲げた。
 中心となって企画したのは、石巻の復興を期す地元と外から来た若者らでつくる一般社団法人「ISHINOMAKI2.0」。石巻市出身の代表理事松村豪太さん(41)は「震災前の街に戻すのでなく、もっといい街にしたい」と訴える。
 震災後に石巻に移り住み再生の一翼を担う男女4人がパネリストを務めた。
 渡辺享子さん(27)=埼玉県出身=はその一人。大学で都市計画を学び、2012年春から石巻に本格的に腰を据え、支援に来た人たちが持続的に暮らしていける環境づくりに向き合う。2.0の理事をしている。
 ことし3月、思いを共にするデザイナーや建築家と合同会社「巻組(まきぐみ)」を設立した。「地域のこれからを担う若い人を、もっと積極的に残していかなくては」と知恵を絞る。
 具体的に実践しているのがシェアハウスの整備だ。「八十八夜」というしゃれた名前のシェアハウスが14年4月、市中心部の商店街に誕生した。老舗茶店の2階部分の空き部屋を手直しし、2.0が開設。茶摘みから発想して名付けた。
 隣の八百屋さんからも相談を受け、2階をシェアオフィスに改修。もともと精肉店だったことにちなみ、「THE NICK(にっく=肉)」と命名した。
 「震災で壊れた建物も以前からの空き家も、ネーミングも含めすてきな空間に生まれ変わる」と渡辺さん。移り住んで来る若者らが利用することで街が活気づく、と道筋を思い描く。
<拡大に期待>
 石巻では、漁業の担い手向けのシェアハウスが7月に完成。若手漁師らでつくる一般社団法人「フィッシャーマン・ジャパン」が取り組んだ。模索はあちこちで広がっている。
 芸能人から寄付された衣類販売などを手掛ける石巻市の一般社団法人「パワクロ」代表理事の三上和仁さん(31)=宮城県柴田町出身=は、震災後に移り住んだ一人として、定住化のさらなる拡大に期待する。
 「外から来て腰を落ち着けた人が既にたくさんいて受け入れられる下地がある。2.0のような後押しする団体も地域に根付き、いい循環ができてきている」
 7月のシンポ。告知文はこう呼び掛けた。
 <震災でダメージの大きかった石巻では、日本の地域が将来直面する人口流出や少子高齢化などの課題に対し、解決に向けた社会的挑戦が生まれています>
 震災からの再生の道を探る松村さんらが打ち出した石巻移住計画は、そうした挑戦の旗印でもある。


声、聞こえますか:東日本大震災 原発避難の子ども/4 通学100キロ「続ける」 福島・双葉町
 福島県郡山市で避難生活を送る双葉町立双葉中2年、浪江侑加(ゆうか)さん(13)の朝は早い。いわき市にある学校までは約100キロ。5時に起き、6時前に父克彦さん(52)が運転する乗用車に乗り込む。
 2学期が始まった8月下旬。助手席の侑加さんは車が走り出すと「ちょっと見ておこう」とカバンから歴史の学習参考書を取り出した。バドミントンの部活を終えて帰宅するのは夜9時前。睡眠は5時間足らずの毎日で、車中の1時間半は予習復習や睡眠不足を補う大切な時間だ。
 東京電力福島第1原発事故で自宅は帰還困難区域となった。双葉北小3年生だった侑加さんは、両親と姉の家族4人で県内外5カ所を2カ月近く転々と避難し、いわき市立小に転入した。級友の多くは親切にしてくれた。だが「許せないこと」が一つあった。6年生の時「賠償金で好きなモノが買えるんだろ」とからかわれた。散り散りになった町の友達に携帯電話のアプリで相談すると、みな同じような体験をしていた。
 「賠償金で買った」と言われた学用品や服は、両親が防護服を着て自宅から回収し、きれいに洗ってくれたものだ。「黙っていてはいけない」。人前で自己主張するのは苦手だが、勇気を出して相手に説明した。
 小学校を卒業した昨春、双葉町がいわき市に開設した仮設中学を希望した。「町立学校なら痛みを共有できる友達がいる」と考えたからだ。両親は郡山市での自宅再建を決めていた。「いわき市に通うなんて無理だ」という両親を「1年だけでいいから」と説得した。
 開校時の同級生は3人。勉強で分からないことは教え合った。先生も全員が分かるまで教えてくれた。成績はぐんぐん伸びた。県の陸上競技大会で選手がいなかった走り幅跳びに「出ます」と手を挙げた。修学旅行先の京都で中学生約100人に「双葉町の今」を説明する役を買って出た。娘の変わりように両親は目を丸くした。
 「侑加さんが郡山に転校したくないと言ってます。話し合われてみては」。昨年11月、担任から連絡を受けた克彦さんは「やはり」と思った。家族の話し合いは年明けまで続いた。侑加さんはかたくなだった。「卒業まで無遅刻無欠席を続ける」。こう言い切る娘に両親は折れた。克彦さんは転居を機にいわき市での仕事を辞め、転職するつもりだったが、送り迎えと仕事を続けることにした。
 「まったく、よくがんばるよ。弱音ひとつ吐かないし、朝寝坊もしないんだから」。ハンドルを握る克彦さんがこうつぶやいても、横で勉強に没頭する侑加さんには聞こえないようだ。克彦さんにとっても送り迎えの日々は体力的につらい。だが、往復200キロ余の運転を娘と過ごせる幸せな時間だとも思う。
 原発事故でがらりと変わった生活のことを侑加さんはこう思う。「今のままでいい。たくさんの大人の善意を知ったし、つらい時も愉快に過ごす大切さを学べたから」【栗田慎一】=つづく
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 ■ことば
 ◇双葉町
 東京電力福島第1原発の立地自治体。町面積の96%が帰還困難区域で全町避難が続く。事故後、臨時役場を埼玉県加須市に置き、2013年6月からいわき市に移った。14年4月、同市に仮設の町立小中学校を開設。不登校の子どもも積極的に受け入れる方針を打ち出した。今年9月現在、21人が通う。


フラガールロケ地 津波被災の魚市場解体開始
 港町のいわき市小名浜を象徴する建物の一つだった旧小名浜魚市場の本格的な解体が7日、始まった。
 旧魚市場は市営で1966年築の鉄筋コンクリート一部4階。東日本大震災の津波で1階部分が被災した。西側の3400平方メートルは2012年に解体され、新しい魚市場が完成したことし3月まで、東側の4700平方メートルに水揚げしていた。
 レトロな雰囲気が残り、漁港が望める東側3階の大会議室は、いわき市が舞台の映画「フラガール」のロケにも使われた。工事関係者によると、建物の取り壊しには1カ月ほどかかる。
 福島県沖の漁は、東京電力福島第1原発事故で本格操業を自粛し、試験操業を続けている。地元の沖合底引き船主志賀金三郎さん(68)は「震災・原発事故前は活気のある市場で、にぎやかだった。いまのような状態のときに解体されるのは寂しいね」と話した。


難民と欧州 受け入れを支えるには
 中東やアフリカの紛争地を逃れ、新天地を求める難民のうねりが欧州に押し寄せている。定住希望が多いドイツは受け入れ拡大を決め、欧州連合(EU)は加盟国に応分負担を求める制度作りを急いでいる。欧州が戦後最大規模の人道危機を解決に導くには国際社会の支援も必要だ。
 欧州に流入した難民・移民は今年すでに30万人を超え、昨年1年間の約22万人を大きく上回る。イタリアなどを目指して地中海を渡る密航船の遭難事故が相次いだため、最近はより安全な陸路でバルカン半島を北上するルートが多用されている。
 その通過点となるハンガリーで、ドイツ行き列車に乗り込もうとする数千人が駅に殺到し、鉄道輸送が大混乱に陥った。難民らは徒歩でオーストリア国境へ向かい、ハンガリー政府は急きょ輸送用のバスを用意した。先週末だけで1万人以上がドイツに到着したとされる。
 欧州では今夏まで、難民が殺到する「玄関口」のイタリアやギリシャに比べ、国内に反移民勢力を抱える他の諸国の対応は鈍かった。だが8月、オーストリアで保冷車に乗り込んだシリア難民ら70人以上が死亡する事件が発生。今月初めには地中海で遭難し、トルコの海岸に遺体で漂着した3歳のシリア難民男児の映像がインターネットやメディアで広まり、欧州の世論を揺さぶった。
 ドイツでは反移民勢力による難民宿泊施設への放火や暴動が相次いでいたが、メルケル首相はこうした動きを非難し、80万人の流入が予想される難民の半数を受け入れる覚悟を示した。消極的だった英国も、内外の圧力を受けて1万人以上を受け入れる姿勢に転じた。
 懸念も残る。ハンガリーなど中東欧の比較的新しいEU加盟国が受け入れ態勢の不備などを理由に負担義務化に反対し、欧州の足並みはそろっていない。シリアなどで難民を生む紛争が続く限り根本的な解決にはならないという悲観論も根強い。国際社会が結束して、欧州の取り組みを支えていく必要がある。
 日本にできることもあるはずだ。
 シリア難民を多く抱えるトルコやヨルダンなどの周辺国では難民の収容能力が限界を超え、欧州への流出を生む一因になっている。こうした国々への積極的な支援も国際平和への貢献と言えるだろう。
 「難民鎖国」と呼ばれる日本の閉鎖性を改め、紛争地からの難民を積極的に受け入れることも検討すべきだ。昨年、日本では約5000人が難民申請したが認定はわずか11人。人道的理由から在留を認めた例も110人にとどまる。
 この人道危機にどう対処するかは欧州だけの問題ではない。


辺野古協議決裂 「移設」強行は許されぬ
 安倍政権は当初から「県内移設」方針を変えるつもりはなかったのだろう。沖縄県側の主張を聞き置くだけなら、着工に向けたアリバイづくりにすぎない。県民への裏切りは断じて許されない。
 「辺野古に基地は造らせない」という翁長雄志県知事の決意を、安倍晋三首相や菅義偉官房長官ら政権幹部は端(はな)から受け止めるつもりはなかったようだ。
 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への「県内移設」をめぐる政府と沖縄県との五回目の集中協議がきのう行われたが、双方の主張は平行線に終わり、決裂した。
 政府は、辺野古移設の本体工事に向けて行っていた海底掘削調査を八月十日から一カ月間中断していたが、協議決裂を受けて、一連の作業を近く再開するという。
 沖縄県には米軍基地や訓練場など在日米軍専用施設・区域の約74%が集中する。多くは戦後の米軍統治時代に「銃剣とブルドーザー」で強制的に接収されたものだ。
 住宅地に囲まれて危険な普天間飛行場返還のためとはいえ、同じ県内で基地を「たらい回し」にする県内移設では、米軍基地負担の抜本的軽減にはつながらない。
 しかし、県側が辺野古移設の不当性、不平等性をいくら訴えても政府側は「移設先は、辺野古以外は残念ながらない」(首相)という姿勢を変えようとしなかった。「沖縄の声に謙虚に耳を傾ける」としていた政府の姿勢は、偽りだったと断じざるを得ない。
 五回にわたる集中協議の期間は国民の反対が強まっている安全保障法制関連法案の参院審議や、賛否の割れる鹿児島県・川内原発の再稼働とも時期が重なる。
 安倍政権が米軍基地問題でも強硬姿勢を続ければ、内閣支持率のさらなる低下を招く可能性があった。県側との「一時休戦」で、こうした事態を避けようとしたのなら、沖縄県民に対して、あまりにも不誠実ではないか。
 翁長氏は「あらゆる手段で阻止する」と、仲井真弘多前知事による辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消す可能性を示唆した。このまま法廷闘争に突入すれば、国と県との対立は激化するばかりだ。
 日米安全保障条約体制が日本の平和と安全に重要なら、その負担は日本全国でできる限り等しく分かち合うべきである。「辺野古が唯一の解決策」と言い張り、沖縄に基地を押し付けるだけでは「政治の堕落」との誹(そし)りは免れまい。

クォン・リセさんの死から1年

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Ladies' Code
Ladies' Code (en coréen : 레이디스 코드) est un girls band sud-coréen formé par le label Polaris Entertainment en 2013 et composé de Ashley (leader), RiSe (en), Sojung (ko), Zuny et EunB (ko). Leur premier mini-album, Code#01, comportant notamment le titre Bad girl, est sorti le 7 mars 2013.
Historique
2014
Le 4 février 2014, Polaris Entertainment a annoncé que le groupe serait de retour avec leur deuxième single digital, "So Wonderful". Le 13 février, le MV de So Wonderful est mis en ligne.
Le 29 juillet 2014, leur agence a annoncé un comeback plus qu’imminent pour le girlsband, le tout en mettant en ligne un premier cliché en guise de teaser, en ajoutant que leur comeback est programmé pour le 7 août.
Le 7 août, le MV de Kiss Kiss est mis en ligne. Le groupe commencera la promotion de ce titre avec un showcase dans les rues très animées de Myeongdong puis une première performance télévisée lors du Music Bank du 8 août.
Le 3 septembre 2014, un accident de circulation entraine la mort de EunB (ko) et de RiSe (en).
Mort de deux membres du groupe
Le 3 septembre 2014, EunB (ko) meurt dans un accident de la route. Quelques jours plus tard, le 7 septembre, RiSe (en) succombe à ses blessures malgré une opération qui a duré dix heures.
Le 3 septembre : EunB n’avait pas survécu à l’accident de voiture de son groupe, survenu alors que les filles rentraient d’un enregistrement du programme "Hope Concert" tourné à Daegu. Les autres membres ainsi que les personnes du staff également présentes dans la voiture avaient des blessures, pour certains plus légères que pour d’autres. Quelques jours plus tard, RiSe décédait également, de suites de ses blessures. Le choc a été très grand pour les fans, les célébrités et le public en général.
フランス語
フランス語の勉強?
日経プラス10 バブル入社のあなた まだ会社人間ですか? 小谷真生子 山川龍雄
ビジネスパーソンが40代で迎える転機「こころの定年」を掲げて、会社人生に訪れる節目を説明する評論家・楠木新氏。大量に入社して会社の成長を支えてきたバブル入社組が、管理職ポストがなく、活躍の意欲を失ってしまうことを懸念しています。会社をやめて起業するひと、会社をやめなくても新しい生きがいを持つひと、果たして新しい人生の航路を描くことができるのか、解決策を考えます。
小谷真生子 山川龍雄  水原恵理
  楠木新 大西康之


在日のクォン・リセさんが交通事故で亡くなったというニュースはショッキングなものでしたが,あれから1年の日が経ちます.在日問題に関していろいろ本を読んでいますが,なかなか頭だけでは利害できないところもあります.

<語り始めた子ども>「未災地の人」救うため
◎震災4年半(上)つなぐ
 心に秘めた東日本大震災の体験を自分の言葉で伝えた。
 8月23日、東京都で開かれた講演会「3.11を学びに変える」。宮城県東松島市の高校1年の男女3人が首都圏の同世代約10人に訴えた。
 「被災地と、まだ災害が起きていない『未災地』をつなぎたい。人と人のつながりを大切にし、一日一日を一生懸命生きてほしい」
 3人は石巻高の雁部那由多(なゆた)君(15)、石巻高の津田穂乃果さん(16)、石巻西高の相沢朱音(あかね)さん(15)。東松島市大曲小5年のときに被災した。
 雁部君は大曲小の体育館に避難し、昇降口へ靴を取りに行った。その時、2キロ弱離れた海から津波が襲来。目の前にいた中高年の男女5、6人が波に引き込まれていく。手を伸ばされたが、ヘドロ混じりの波に足を取られ救えなかった。
<封印した記憶>
 「自分が殺してしまった」。ずっと自責の念に駆られた。教師から「震災の体験は今は話すべきではない」と諭され、震災の記憶を胸に閉じ込めたまま小学校を卒業した。
 津田さんと相沢さんは震災で無二の親友を失った。相沢さんは「生きていても意味がない」と思い詰めた。大人には相談できず、泣きながら津田さんに心情を吐露した。津田さんも精神的に不安定になり、親や教師に相談もできず、学校でも、まともに勉強できる状況ではなかった。
 東松島市矢本二中に進んだ3人に、体験を語り伝えるきっかけが訪れた。
 地元で震災関連のシンポジウムがあり、生徒会の役員をしていた雁部君が教師の薦めで参加。「自分の体験が他の人の命を救うかもしれない」というパネリストの発言に胸を打たれた。
 雁部君は生徒会仲間の津田さんと相沢さんに呼び掛けた。「体験を語り継ぐことが重要だ。未災地の人を同じ目に遭わせてはいけない」。2人は共感した。
<語るのが使命>
 ことし3月、震災関連のシンポジウムに初めて3人で参加し、語り部としての大きな一歩を踏み出した。津田さんは「語ることは震災を体験した者の使命」と言う。相沢さんは「話を聞いてもらうことで気持ちが整理できる」と話す。
 3月末まで矢本二中で防災担当主幹教諭を務めた佐藤敏郎さん(52)=石巻市=は、3人の活動をそばで温かく見守る。「震災と向き合うことが成長につながる」との信念がある。
 被災地には体験を語ることのできない子どもたちがいる。「3人の話を聞きに来る子が現れるかもしれない。それでいい」。佐藤さんは一人でも多くの子どもが結び付くことを願う。
         ◇         ◇         ◇
 震災から間もなく4年半。被災した子どもたちが経験や本音を語り始めた。大災害が将来想定される地で、大切な人を津波で失った古里で。葛藤し、揺らぎながら、懸命に思いを伝えている。(石巻総局・水野良将、八木高寛)


<被災地模索 新しい力>任期後の就職描けず
◎震災4年半 支援者の課題(中)狭い出口 陸前高田
<将来に不安>
 岩手県陸前高田市の一般社団法人「SAVE TAKATA(セーブ・タカタ)」の事務所。職員の斉藤健祐さん(30)がカレンダーに予定を書き込む。
 不安な表情が浮かぶ。「9月末で残り2年か…」。どうしても将来が気になってしまう。
 斉藤さんは2012年、総務省の復興支援員制度を利用した岩手県の「いわて復興応援隊」に採用された。その10月から受け入れ先の同法人で活動してきた。
 ITを活用した東日本大震災の被災地支援などに当たってきた。高台で営業再開した事業所や避難所などの位置が分かるウェブページ「陸前高田復幸マップ」の企画・運営など、地域の復興の力になる取り組みをいくつも手掛けてきた。
 いま悩ましく感じているのは任期終了後の身の振り方だ。
 求人情報を見ると、被災地では単身者がやっと食べていける程度の収入しか見込めない勤め先がほとんど。選ばなければ、あるいは将来所帯を持つ可能性を無視すれば、目の前にある求人に飛びついてもいいかもしれない。
 でも問題は収入だけでもない。「『被災地で働きたい』と心から思える仕事かどうかが重要」と斉藤さんは打ち明ける。
<昨年度452人>
 被災地で支援活動に携わった経験が次に生かせる保障がないことに、不安や戸惑いを感じることもある。
 セーブ・タカタの佐々木信秋代表理事(32)は「受け入れ段階で支援員のキャリア形成など、『出口』のことまで考えられればよかった。でも復興関連の業務に追われ、それは難しかった」と振り返る。
 斉藤さんは群馬県出身。岩手大で農業土木と農村計画を学び、限界集落の研究にも打ち込んだ。卒業後は神奈川県内のIT企業に就職したが、震災を機に「大学時代を過ごした岩手の復興に携わりたい」と決意し、支援員に応募した。
 総務省によると、支援員制度を利用する自治体は主に岩手、宮城、福島3県と3県内の17市町。14年度の支援員は全体で452人に上る。
 このうち31人が岩手県採用。多くが津波で被災した自治体を通して支援団体などに受け入れてもらい、活動している。任期は1年ごとの更新で、最長5年間と決まっている。
 斉藤さんは「17年秋の任期終了後は起業したい。でも、被災地で本当に起業できるだろうか」と自問自答する。次の職を思い描けないまま、模索が続く。


<太陽光発電>被災地の市民出資で開所
 東日本大震災で津波被害を受けた仙台市若林区井土地区で6日、市民らが出資した小規模太陽光発電所の開所式があった。運営を担うNPO法人「きらきら発電・市民共同発電所」(仙台市)は「再生エネルギーの活用を通じ、被災地から脱原発を訴えたい」と意気込んだ。
 NPO法人によると、市民出資の太陽光発電所は仙台では初めて。約60人が無利子で出資し、宮城県の補助金と合わせて総事業費約2200万円を工面した。
 発電所は宅地だった約1100平方メートルに太陽光パネル約300枚を設置した。出力50キロワットで住宅20〜30戸分の電力を賄えるという。発電した電力は東北電力に売る。設置工事は8月に始まり、今月中に稼働する。
 出資金は計2900万円集まっており、NPO法人は太白区柳生にも太陽光発電所を整備し、早ければ10月に稼働させる方針。約30人が出席した開所式で、水戸部秀利理事長(66)は「市民による小さな発電所を各地に広げ、脱原発の動きを加速させる」と述べた。
 井土地区は震災前、約100戸約500人が暮らしていた。現在は8戸約20人に激減し、周囲には更地が広がる。町内会役員の大友新さん(63)は「このままでは地区が消滅してしまう。発電所を地区の未来につなげたい」と話した。


震災で離散…食文化や記憶 大学生「後世に」
 東日本大震災で被災し住民が離散した宮城県南三陸町戸倉長清水(ながしず)地区の記憶を残そうと、東北大の研究チームが住民に聞き取り調査を行っている。契約講の形や独自の食文化を報告書にまとめ、新しいまちづくりの礎に役立てたい考えだ。
 調査を担うのは東北大大学院文学研究科の社会学研究室。8月24日から1週間、初めて現地入りした。27日は学生が同町の神割崎キャンプ場仮設住宅の集会所を訪れ、20〜40代の漁師や民宿経営者に取材した。
 学生は、父親らで構成する契約講が地域を仕切り、1年ごとに講のリーダーが変わる仕組みを教わった。当たりくじの小枝を幾つかの餅に入れ運勢を占う果報餅や正月は獣肉を食べないといったしきたりも聞き、熱心にメモを取っていた。
 住民は震災前ののどかな風景を思い出しながら、笑顔で質問に答えた。漁師須藤貴雄さん(37)は「若い人が自分の古里に興味を持ってくれてうれしい。昔を思い出して懐かしかった」と話していた。
 長清水地区は震災前、38世帯161人が暮らしていた。契約講や母親たちの観音講、青年会といった結いの形が色濃く残っていた。震災の津波でほとんどの家屋が流失し、住民は町内外の仮設住宅などに移った。
 研究チームに参加する大学4年の小田嶋美咲さん(22)は「次第に住民の表情が明るくなっている。地域の様子を記録に残すことに意義があると感じた」と話している。
 この取り組みは復興庁の「心の復興」事業として採択され、県サポートセンター支援事務所が東北大に委託した。研究室は来年2月に現地で報告会を開き、冊子を住民に配布する。


津波被災地5年ぶり「最後」の運動会
 東日本大震災の津波で大きな被害を受けて中断していた仙台市若林区荒浜の「学区民大運動会」が6日、同区の七郷小の校庭で行われ、住民ら約1000人が再会を喜び一緒に汗を流した。既に住民の大半が地区を離れた上、来年4月に荒浜小が七郷小に統合されるため、運動会は今回が最後となった。
 玉入れや綱引き、親子3代リレーなど14種目があり、6地区対抗で競った。最後には全員で「荒浜音頭」を踊り、子どもから大人まで世代を超えて交流し、笑顔の輪を広げていた。
 1970年代に始まった運動会は毎年秋に荒浜小で開かれ、地域の最も大きな行事だった。主催は荒浜体育振興会や同校など。住民は練習を重ね、地区ごとに色違いのユニホームを着て本番に臨んだ。しかし、震災の津波で約120人が犠牲となり、多くの住民は家を失った。
 ことし1月、荒浜小の桜場直志校長(56)が「統合前に、住民がもう一度集まるきっかけとして運動会を開催してほしい」と体育振興会に呼び掛けた。協議を重ね、支援団体から援助を受け5年ぶりの復活にこぎつけた。
 宮城野区に家を再建した二瓶そのさん(68)は震災時、車に偶然積んでいたため手元に残った青色のユニホームを着て参加。「懐かしい顔ぶれに会えてうれしい」と顔をほころばせた。
 同振興会の大久保秀男会長(64)=若林区=は「住民はばらばらになるが、荒浜の強い絆を持ち続けてほしい」と話した。


運河の水抜いて震災不明者を一斉捜索
 東日本大震災で被災した宮城県名取市閖上地区の貞山運河で6日、行方不明者の一斉捜索が行われた。初めて運河の水を抜き、堆積した土砂の中を重点的に調べた。
 名取川河口付近にある閖上水門の災害復旧工事に合わせ、地元住民からの捜索依頼を受けて行われた。市消防署や岩沼署、ボランティアら計約120人が参加した。
 あらかじめ貞山運河約80メートルの区間を矢板でせき止め、運河の底の土砂を重機ですくい取った。参加者はスコップなどを手に、慎重に土をかき分けて手掛かりを探した。
 市内では依然39人が行方不明となっている。8月には現場から約5キロ南の貞山運河から被災車両が引き揚げられ、中から宮城県亘理郡の男性の遺体が見つかった。
 行方不明者の家族も捜索に加わった。当時8カ月だった長男を失った男性(47)は「見つかるまでは心の整理がつかない。行方不明者の家族は皆同じだと思う」と祈るように話した。
 この日の捜索では骨8本が見つかった。今後、人骨かどうか鑑定を進める。


<安保法案>廃案へ!仙台で3500人集会
 安全保障関連法案に反対する仙台弁護士会は6日、「みんなで止めよう! 安保法案 3000人大集会」と銘打った集会を、仙台市青葉区の西公園で開催した。
 同会主催の反対集会では最大規模となる3500人(主催者発表)が労働組合や市民団体などから参加。学生や主婦らも加わった。
 会場では「憲法違反の安保法案を廃案にするまで闘い抜く」というアピールを採択。参加者は続いて仙台市中心部を歩きながら廃案に追い込む必要性を訴えた。


性の多様性尊重/身近な人権理解を第一歩に
 多様な人々が互いの人権を認め合い、共に生きやすい社会。それが求めるべき豊かな社会の姿であることに異論を唱える人はいないだろう。私たちの社会がどれだけ多様性を包容できるか。性的少数者(LGBT)への理解はそれを測る一つの指標にもなる。
 同性愛者や性同一性障害者などLGBTの権利保障に関する動きが相次いでいる。
 東京都渋谷区は全国で初めて、同性カップルを「結婚に相当する関係」と認める証明書を発行する条例を制定。世田谷区も同様の書類を発行する方針を決めた。
 那覇市は、性の多様性を尊重する都市宣言を発表した。大阪市淀川区のLGBT支援宣言に次ぎ、全国の自治体で2例目だ。
 LGBTであることを表明する著名人も増えている。ブライダル業界や携帯電話会社では、同性カップルの「結婚」に配慮する動きが広がる。
 しかし、ようやく、である。LGBTの人権を保障する国の法制度の整備は立ち遅れている。地域社会の理解も自治体の取り組みも乏しく、支援は不十分だ。
 13人に1人。電通総研が成人約7万人を対象に実施した調査(2015年)でLGBTと答えた人の割合である。
 「少数者」ではない。身近に存在することに、気付かないでいるだけだ。そう認識してLGBTについて正しく知り、当事者の声に耳を傾けたい。それが社会の包容力を高める第一歩、になる。
 とりわけ子どもや若者の重大な課題として捉えなければならない。ほとんどのLGBTは思春期のころまでに、自身の性別違和感や性的指向を自覚し始めるというからだ。
 学校でいじめや暴力を受けたことがあるLGBTが約7割。不登校を経験した性同一性障害者は約3割。性同一性障害者の3割が自傷・自殺未遂を経験、7割が自殺を考えたことがあり、そのピークは第二次性徴期だ。
 こうした調査結果を知れば、学校現場での理解や支援がいかに重要かが分かる。
 周囲の無理解、差別に傷つき、自尊感情や自己肯定感を低下させがちな子どもたちを支えるには、教職員への研修、情報提供を充実させなければならない。当事者を含む全ての子どもたちが正しい知識を得るための教育も必要だ。LGBTの子どもと家族が相談できる体制も整えたい。
 年齢が上がれば、就職時の採用差別や職場でのハラスメントといった問題に突き当たるという。人間関係をうまく築けないという悩みも、多くの人が抱えている。
 就労支援の場や職場におけるLGBT理解の促進、自治体の相談窓口の拡充も欠かせない。何より、差別禁止法や同性婚を認める法律などの法整備を急ぐべきだろう。
 LGBTの権利保障はいまや国際的な潮流だ。当事者団体などの国際ネットワークによると、65カ国と85地域で差別禁止法があり、31カ国と35地域で同性婚やパートナーシップ法がある。
 「多様性尊重」は、自分にとっても生きやすい社会をつくる、時代のキーワードであると一人一人が自覚したい。


核燃料サイクル なぜこだわり続けるの
 核燃料サイクルは、経済的にも技術的にも、とうに破綻しているのではないか。なのに、今さら国が関与を強め、電力会社に維持させたいのはなぜか。再処理にこだわり続けるのは、なぜなのか。
 使用済みの核燃料、つまり核のごみに再処理を施して、原爆の材料にもなり得るプルトニウムとウランを取り出し、もう一度燃料として利用する−。それが核燃料サイクルだ。
 このリサイクルの輪が閉じてこそ、核の平和利用という国策は完成される。ところがその国策は、入り口でもうつまずいた。肝心の再処理工場(青森県六ケ所村)完成のめどが立たない。
 当初は一九九七年の完成予定が、今は来年の三月と、二十二回も先送りされている。七千六百億円と見込まれた建設費用は、二兆二千億円にも膨らんだ。
 再処理工場を運営する日本原燃は、原発を持つ電力十社が共同で設立した株式会社で、事業費は電力会社が積み立てている。
 今は「総括原価方式」で、その費用を電気料金に上乗せできる。しかし来年四月に電力の小売りが完全に自由化されると、地域独占の壁が崩れて、お互いが競争相手になり、料金値下げの圧力がかかってくる。再処理は、ますます経営の重荷になり、原燃自体を維持できなくなる恐れがある。
 日本は核兵器保有国以外で唯一、米国から再処理を許されている。政府はその権利を手放したくないために、てこ入れをしようというのだろうか。
 核燃料サイクルの新たな担い手として、政府が直接所管する「認可法人」を電力会社につくらせて、そこから日本原燃へ再処理事業を委託するかたちをとる。
 日本銀行や日本赤十字社と同じ認可法人は、国の許可なくつぶせない。膨大な費用がかかっても、核燃料サイクル事業を維持したいという、政府としての明確な意思表示と言えるだろう。
 だが、再処理工場だけではない。再処理してつくった燃料を燃やすべき高速増殖原型炉の「もんじゅ」(福井県敦賀市)もトラブル続きで止まったままだ。それでも電気代など一日五千五百万円の維持費がかかる。
 寸断され、閉じる見込みのない再処理の輪の夢からは、もう目覚めるべきである。
 既に大量にたまってしまったプルトニウムや核のごみをどうするかにこそ、知恵と費用を傾けるべき時ではないか。


憲法は日本人だけのものか
 「戦争のできる国」へと憲法を変質させる安保関連法案の廃案を求め、群衆が国会前を埋め尽くした八月三十日。人垣の中に民族差別に反対する市民団体「のりこえねっと」の共同代表、辛淑玉さんの姿があった。両手で掲げた大きなカードにはこう書かれていた。
 「日本は、私の故郷です。在日として、人殺し法案に反対します!」
 在日コリアンらを標的に「殺せ!」「日本からたたき出せ!」と口汚く攻撃する人と闘うことと、安保法案に反対することの根っこは同じだと辛さんは言う。日本が戦争に加われば、女や子ども、高齢者・障害者ら戦力にならない人々とともに、在日コリアンら外国人は真っ先に邪魔もの扱いされるだろう。「互いを殺し尽くすまでやるのが戦争。私たちは祖国からも日本からも殺される」。辛さんの言葉を思い出す。不戦を誓った憲法には在日の人々の生存もかかっているのだ。
 法案に反対する著名人のスピーチに気になる表現を感じたことがある。その人は「私たち日本人の中に憲法がある」と言った。だが在日の友人はつぶやく。デモで「日本人」とか「国民」という言葉を聞くと怖くなる、と。
 敏感な友人は、何げない言葉にもナショナリズムの芽を感じたのだろう。言うまでもない。憲法は、多くの権利を在日外国人にも保障する。日本人だけの宝ではない。日本に生きるすべての人のためにある。 (佐藤直子)


クローズアップ2015:難民、欧州へ 海難避け陸路増加 シリア隣国、居場所なく
 西欧諸国をめざしてハンガリーに押し寄せた難民や移民が、隣国オーストリアを経由して続々とドイツに到着している。終わりの見えない内戦を逃れたシリア難民らが、トルコなど周辺国からさらに移動を始めた形で、人の波はとどまる様相を見せない。一方、多くの難民らが最終目的地とするドイツは現在のところ、少子高齢化などに伴う人手不足の解消につながると難民受け入れに前向きな姿勢を見せている。
 ハンガリーの首都ブダペストの東駅。シリア難民のモハメド・ジャベルさん(22)は6日、オーストリア国境へ向かう列車を待っていた。トルコからギリシャを経てバルカン半島を陸路、北に向かい、約1カ月がかりでブダペストに着いた。「陸路は疲れるが、海路より安全だ」
 シリア北部アレッポから約50日かけて陸路ブダペストにたどりついたラマン・アブディさん(19)は行く先々でプリペイドのSIMカードを入手し、スマートフォンを使う。「知らない土地でも、GPS(全地球測位システム)で自分の場所を把握できる。必ずドイツに行く」と話す。
 陸路でドイツを目指す難民や移民が急増した背景には、政情不安のリビアから地中海を密航船でイタリアに向かう「地中海ルート」の危険度が高くなったことがある。イタリアが昨年10月に密航船を洋上で保護する作戦を中断したことで、海難事故が多発。今年1〜4月には約1800人の死者が出たため、バルカン半島経由でドイツに北上する「バルカンルート」を選ぶ難民が増えたのだ。
 だが、危険がないわけではない。今年は3日までに102人が死亡した。遺体がトルコ側の海岸に打ち上げられたシリア難民の男児、アラン・クルディちゃん(3)の一家もこのルートでギリシャ・コス島を目指していた。
 欧州に難民が殺到するようになった背景には、シリア周辺国で難民への風当たりが強まっていることが一因として挙げられる。
 シリアと欧州の間にあるトルコは既に200万人近いシリア難民を受け入れ、過去4年間に55億ドル(約6600億円)を費やした。難民流入による国境地帯の不安定化を懸念する声もあり、今年6月には治安部隊が放水で難民の流入を一時阻止する事件が起きた。
 レバノンも人口の2割近くをシリア難民が占める状況を受けて、今年1月にシリア人入国希望者にビザ取得を義務付けた。マシュヌク内相は新政策導入時の記者会見で「もう十分だ。これ以上、難民を受け入れる余地はない」と漏らした。
 国際社会がシリア内戦終結へ向けた有効な措置をとれていないことも大きい。「世界がシリア難民を保護できなかったため、今、南欧諸国で(難民流入の)危機が起きている」。シリアにおける人権侵害を調べている国連の調査委員会は今月3日発表した報告書で、国際社会の失政を批判した。
 難民危機の深刻化を受け、欧州主要国は対シリア政策見直しに乗り出した。オズボーン英財務相はロイター通信に「アサド政権と過激派組織『イスラム国』(IS)のテロリストという問題の根本に取り組まなければならない」と語り、シリア空爆の可能性を改めて示唆。仏紙ルモンドによると、オランド政権も、米国など有志国がシリア領内で実施しているIS掃討の空爆作戦への仏軍偵察機の参加を検討しているという。
 ただ、昨年9月に始まった有志国連合のシリアでの空爆は、ISの勢力拡大を遅らせる程度の効果しか上げておらず、英仏の参加でIS掃討に弾みがつく保証はない。ロシアやイランがアサド政権、米国やペルシャ湾岸諸国が反体制派への支援を続けるという国際社会の分裂も相変わらずだ。紛争が沈静化して難民流出に歯止めがかかる見通しは立っていない。【ブダペスト坂口裕彦、カイロ秋山信一、ローマ福島良典】


在日コリアンであることと「アイドルの条件」――日韓の狭間で韓国の女性アイドルグループLADY'S CODEで活躍中だった在日コリアンのクォン・リセさん(享年23歳)が不慮の事故で惜しくもこの世を去ってから、9月7日で1年になった。
大邱での収録を終えソウルへ移動中だったメンバー5人とスタイリストら関係者を乗せたワゴン車は2014年の9月3日午前1時23分頃、龍仁市内の嶺東高速道路を走行中にガードレールに激突した。雨天のなか、運転手を務めていたマネージャーのスピードの出し過ぎによるスリップが原因だった。メンバーのウンビさんが現場で亡くなり、頭部に大けがを負い意識不明だったリセさんも長時間におよぶ手術を経て4日後の7日に息を引き取った(報道によるとマネージャーのパク氏には今年4月、遺族との和解により減刑された禁固1年2か月執行猶予2年の刑が水原地裁より言い渡された)。
事故が起きウンビさんの命日である3日、韓国の各種音楽配信サイトでは、同じ事務所に所属する歌手らが一緒に歌うLADIES' CODEの曲『I'm Fine Thank You』がリリースされた。またリセさんの命日である7日には、LADIES' CODEメンバーのソジョンとアシュリー、ジュニが8月22日に日本で行われた追悼コンサートで事故後初めて披露した『つらくても笑うよ(原題)』がリリースされる。
追悼の意味で、以下、当時、書いた文章を転載する。
死亡記事のコメント欄にあふれるヘイト
韓国の女性アイドルグループLADY'S CODEで活躍中だった在日コリアンのリセさんが交通事故から4日後の9月7日、息を引き取った。移動中の車両が事故にあったもので、同じくメンバーのウンビさんも死亡している。日本でこれを報じるネット上のニュースのコメント欄には、見るに堪えないヘイトスピーチがあふれていて、しばらく怒りが収まらなかった。
だが、在日コリアンとして福島で生まれ育ち韓国にわたって芸能活動をしていた生前のリセさんは、韓国内でもヘイトスピーチに苦しんでいた。2010年に韓国の人気オーディション番組に出場したのがデビューのきっかけだったが、前年のミスコリア日本代表という経歴もあって注目されると同時に、福島で朝鮮学校に通っていたことから、「日本人女」を意味する蔑称や「アカ」呼ばわりされ続けた(そうした言葉は彼女の容姿や口調と結びつけられ、女性差別的なものでもあった)。彼女の死後もネット上で(もちろん追悼もあふれていたが)、そのような書き込みが途絶えることはなかった。
夢見たK-popの本場での苦闘と苦悩
なぜ彼女が芸能活動の場として韓国を選んだのか。残されたインタビュー等を読む限りでは、明確な理由はないもののなぜか韓国にひかれ、芸能活動をするなら韓国と子どもの頃から思っていたそうだ。日韓の架け橋になりたいといったような発言も多い。
日本で在日がアイドルになるのが困難だから韓国にわたったと言っていた人もいたが、私はそうは思わない。東方神起に憧れていた歌と踊りの好きな少女が、K-popブームのさなか、それもルーツにかかわりがあり、言葉や文化に馴染みもある韓国を目指すのは自然なことだろう。とはいえ言葉と文化の違いのハードルは決して低くはなく、在日コリアンへの無理解と偏見があるなか、自らが「韓国人であること」を必要以上に強調せざるをえないのが現状だ。
日本で出自を隠さなかったアイドル
逆に日本では、いまだにそれは邪魔で不要なものでしかない。そんななか、やはり朝鮮学校出身で、「芸能界に出自を隠している在日が多いということすら知らなかった」と語る「天然」さと、2002年日韓W杯共催を前にした時代の空気に後押しされそこを突破したのが、現在は主にミュージカルの舞台で活躍するソニンだ。1999年にSPEEDのコンサートを見て感動し、モーニング娘。の追加メンバーオーディションを受ける。落選したものの、本名で臨んだ姿が「芸能界で誰もやったことがないことをやりたかった」というマネージャーの目に留まり、男女混成のアイドルユニット、EE JUMPの一員としてデビューした。
あれから約15年、日本の状況は明らかに悪化した。韓国は今後どうなっていくのか。現代のアイドルに、「自己演出力」は欠かせない。在日というバックボーンは、その可能性を豊かにするものであっても減ずるものではないはずだ。リセさんの冥福を祈りながら。
(『週刊金曜日』2014年10月3日号「メディアウォッチング」) 韓東賢 日本映画大学准教授(社会学)

東日本大震災から4年半の特集番組

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宮城震度7大津波2

Les migrants arrivent par milliers en Autriche et Allemagne
Des milliers de migrants venant de Hongrie ont afflué samedi en Autriche et en Allemagne, une crise qui va ≪durer≫ et à laquelle le monde doit ≪consacrer plus d’attention≫, ont prévenu des responsables internationaux.
≪Nous sommes face à un événement dramatique. La crise est là pour durer≫, a affirmé la chef de la diplomatie de l’Union européenne, Federica Mogherini, après une réunion des ministres des Affaires étrangères de l’UE à Luxembourg.
≪Nous attendons du monde qu’il consacre plus d’attention à cette crise humanitaire≫, a dit le vice-Premier ministre turc Cevdet Yilmaz, en bouclant une réunion des grands argentiers du G20 - les 20 principales économies mondiales - à Ankara.
Au moins 500 personnes bloquées en Hongrie depuis plusieurs jours, dans des conditions éprouvantes, ont entamé samedi une nouvelle marche depuis la gare centrale de Budapest vers la frontière autrichienne, distante de 175 km.
Vendredi, quelque 1.200 migrants s’étaient mis en marche vers la frontière avec l’Autriche, poussant les autorités hongroises à les conduire, eux et des milliers d’autres, en bus à la frontière.
Selon la police autrichienne, 123 bus affrétés en Hongrie sont arrivés à la frontière, mais selon le chef de la police hongroise il n’y aura ≪plus de véhicule≫ supplémentaire pour les migrants.
L’Autriche, qui prévoyait l’arrivée de 10.000 personnes dans la journée, et l’Allemagne, qui en escomptait jusqu’à 7.000, ont donné leur accord pour accueillir ces hommes, femmes et enfants, fuyant pour la plupart la Syrie ravagée par la guerre.
Selon le Sunday Times, la Grande-Bretagne devrait annoncer rapidement qu’elle est prête à accueillir 15.000 réfugiés syriens et à lancer des opérations militaires contre les passeurs.
- 'Loin d’être terminé' -
Des scènes d’exode ont continué de marquer la pire crise migratoire en Europe depuis la fin de la Seconde Guerre mondiale.
A la gare de Vienne, les réfugiés drapés dans des couvertures, certains portant des enfants endormis, étaient accueillis par une armée de bénévoles apportant nourriture, boissons, savons et billets de train.
Des solutions d’hébergement ont été trouvées dans la capitale autrichienne pour le millier de migrants risquant de ne pas avoir de correspondance durant la nuit. A Nickelsdorf, à la frontière avec la Hongrie, les autorités craignent en revanche que les 800 lits prévus soient insuffisants.
≪Mes doigts de pied me font mal, je saigne. Nous avons trop marché. Je veux aller jusqu’en Allemagne mais après je m’arrête≫, a confié un Syrien de 26 ans, originaire de la ville dévastée de Homs (ouest).
Côté allemand, les migrants arrivaient par centaines à la gare de Munich (sud), aussitôt conduits vers des centres d’accueil.
Des centaines de personnes s’étaient rassemblées dans la soirée à la gare de Francfort (ouest) attendant avec de l’eau et de la nourriture les réfugiés, prévus tard dans la nuit.
≪Après d’innombrables exemples de traitements honteux des réfugiés et des migrants par les gouvernements en Europe, c’est un soulagement de voir enfin une once d’humanité. Mais c’est loin d’être terminé, à la fois en Hongrie et en Europe≫, a prévenu un responsable d’Amnesty International.
- 'Le bazar en Europe' -
Le chef de la diplomatie autrichienne, Sebastian Kurz, a exhorté l’UE à ≪ouvrir les yeux≫, estimant que l’évacuation en bus des migrants par la Hongrie montrait ≪à quel point c’est le bazar en Europe en ce moment≫.
Les autorités hongroises sont dépassées: plus de 50.000 migrants, pour la plupart désireux de rejoindre l’Allemagne et d’autres pays d’Europe occidentale, sont arrivés pour le seul mois d’août en Hongrie.
Sur la sellette, le ministre hongrois des Affaires étrangères, Peter Szijjarto, s’est défendu : ≪Ce qui s’est passé en Hongrie depuis la nuit dernière est la conséquence, d’abord, de l’échec de la politique migratoire de l’Union européenne≫.
En Méditerranée aussi, les arrivées par centaines en provenance des côtes turques proches se poursuivent à un rythme soutenu sur les iles grecques d’Egée orientale, et quelque 650 personnes au total ont été secourues en mer.
Sur l’ile de Lesbos, qui recueille à elle seule la moitié des arrivants, de brefs incidents ont opposé la police à des réfugiés et migrants protestant contre la lenteur de leur enregistrement, d’après les télévisions grecques.
A Collio, dans le nord de l’Italie, la police est intervenue devant un hôtel hébergeant 19 demandeurs d’asile pour séparer environ 200 personnes venues apporter des vêtements de quelques dizaines de militants d’extrême droite.
Les Européens peinent à s’accorder pour accueillir les 366.000 personnes au minimum qui ont traversé la Méditerranée depuis le début de l’année, selon l’ONU. Quelque 2.800 y ont laissé leur vie.
Le Haut-commissariat aux réfugiés a appelé vendredi à la répartition d’au moins 200.000 demandeurs d’asile dans l’Union européenne. La Commission européenne va proposer la semaine prochaine de se répartir l’accueil de 120.000 réfugiés.
En France, plus de 10.000 personnes se sont rassemblées à Paris et dans d’autres villes en solidarité avec les migrants.
Les images choc du petit Syrien Aylan Kurdi, retrouvé noyé mercredi sur une plage turque, ont provoqué une profonde émotion à travers le monde et suscité un élan de solidarité face à la tragédie.
フランス語
フランス語の勉強?
福島をずっと見ているTV vol.50「飯舘村・おやじプロジェクト」
そこで、「夏休みの1日くらいは学校でゆっくり友だち同士で遊ばせてやりたい!」と、おやじたちが立ち上がった。仮設校舎で学ぶ飯樋小・草野小・臼石小のPTA会長3人が初めて力を合わせて企画したのが「夏祭り」。子どもたちが楽しんでもらえるように、射的やわたあめ、ヨーヨーつりなど出店を用意。中でも一番気合いが入っていたのが…!?今回は、東京の箭内さんと仮設校舎をネット中継し、おやじたちの思いに耳を傾ける。
箭内道彦, 相沢舞

特集 明日へ−支えあおう− こころフォトスペシャル「幸せの記憶とともに」
一昨年からはじまった「こころフォト」。これまでに300枚を超える写真と家族からのメッセージがNHKに寄せられた。石巻市の大川小学校で2人の子どもを亡くし、震災前に子どもからもらった手紙を何度も読み返す夫婦。陸前高田市で亡くなった母親に「会いたい」と熱望する女性。東松島市で妻を亡くし幼い息子のために懸命に家事をこなす父親。番組では愛する人を失った遺族たちの悲しみと今を生きるそれぞれの心の物語を描く。
鈴木京香, 大沢たかお

特集 明日へ−支えあおう− 震災から4年半
被災地の声や復興への取り組みを紹介している「明日へ−支え合おう−」。今回は時間を拡大し、この春再開したばかりのJR女川駅(宮城県女川町)に隣接する交流施設をキーステーションに、震災から4年半が過ぎた被災地の今を生放送でお伝えする。復興の進む被災地。その先進的な事例から希望につながる知恵を探る。また、避難指示解除から一夜明けた楢葉町からも住民の思いなどを中継する。
中村雅俊,miwa, 畠山智之,伊東敏恵

あなたが主役50ボイス「三陸・海の幸復興ボイス」
50人への連続インタビューでニッポン人の本音に迫る「あなたが主役50ボイス」。東日本大震災から4年半、地域の復興を食で支える人たちの生の声!震災の翌年に春風亭昇太と小池栄子が訪ねた気仙沼は今!カツオやサンマなど水揚げが回復した漁港、活気を取り戻してきた様々な業種、復活したグルメ、三陸の海の幸を生かし復興につなげる数々の知恵…。復活寿司屋の驚きメニュー、仮設商店街の復興魚介グルメ、高校生も知恵出し!
春風亭昇太,小池栄子

明日へつなげるライブ「福島県郡山市」
▽ナオト・インティライミが会津親善大使を務めるという“あの”大物歌手とコラボ!▽福島出身の片平里菜が地元に凱旋!コラボするのはなんとロッチ!?▽最強の美声コラボ/クリス・ハート&畠山美由紀に全国2位の実力を誇る郡山高校合唱部が加わり至高の歌声が実現!▽我らが石丸幹二はフラガールとコラボしハワイアンであの名曲を!
福島県郡山市・郡山ユラックス熱海
石丸幹二,ロッチ, 片平里菜,クリス・ハート,ナオト・インティライミ,畠山美由紀,堀内孝雄,
スパリゾートハワイアンズ ダンシングチーム,福島県立郡山高等学校合唱部ほか

在日 (集英社文庫 か 48-1)
姜 尚中
集英社
2008-01-18


TVからは想像できなかった人物像。 街道を行く
著者を初めて知ったのは「朝まで生テレビ」でした。
東京大学教授という肩書きでしたので、朝鮮名ではあっても、言わばエリートに属する人なのではないかと思っていました。
話し方も他の出演者とは違って、静かに淡々とお話になる様子はアカデミックの世界におられる方ならではと感じていました。
それから時々他の番組でもお見かけするようになり、優しそうな物言いと笑顔で「朝生」とは違ったお人柄を感じたりしていました。
そういう前提でこの本を読んでみて、何と浅はかな了見しかもっていなかったかと自分自身の推量を恥じ入ったばかりです。
この本からは、在日二世としての著者のきっぱりとした感情、断固たる精神が伝わってきました。
その生い立ちのため日本名を名乗っていた若き日々。
朝鮮部落での日々。出生に苦しめられる日々。指紋押捺拒否。何かの拍子に表面化する言われなき差別。
うつ病のような状態にまで陥っていたそうです。
その自分と潔く対面したのがこの本なのかもしれないと思います。
ここまで、と思えるほど自己の内面をさらけ出していることに深く感動いたしました。
在日の人が日本の文化に影響を与えていることは疑いのないところでしょう。
在日で苦しむのは親の因果を背負いこんでしまうためでしょうから、一刻も早く帰化されて、堂々と日本人として生きる道を選択してほしいと思います。
特に著者のような方の動向が大事だと思います。

差別と向き合うマンガたち (ビジュアル文化シリーズ)
吉村 和真
臨川書店
2007-08


マンガと差別の根源を思考する  暁斎珍本堂
著者たちのたくらみは想像以上にラディカルだ。
本書の標題から、道徳の副読本に使われそうな官製マンガや、「部落」「在日」といったマージナルな人々を描く社会派マンガを扱っていると想像されるかもしれないが、ちがう。それらを扱わないわけではないが、それよりもさらに広範な問題、すなわち、「『マンガというジャンル』と差別」、さらには、「『マンガのある社会』における差別」こそが本書のターゲットなのだ。
その根拠は、マンガが「社会を呼吸するメディア」であることに求められる。日々猛烈な勢いで生産・流通・消費されるマンガは、読者の常識や欲望を取り込み、類型化し、拡散する機能を持つ。そしてその世界像は、「マンガを読む」という行為に限定されるわけではない。静かな部屋を「シーン」と、ショックを受ければ「ガーン」とオノマトペが頭の中で踊ってしまう私たちは、既に思考回路それ自体をマンガに接続されているのである。
であればこそ、マンガ固有の表現技法を無批判に享受することはできない。文字と画像を併用して物語を構築するマンガ表現において、類型化やデフォルメは説明を省略し印象を深める大切な技法だが、同時に、そこに性別や人種や国籍や社会階層にまつわるステレオタイプが使われがちなことも看過すべきではない。
もちろん、「だからマンガは悪だ」などという皮相な批判が状況の理解や改善に役立たつわけでは全くない。実際、マンガ的技法を駆使しつつ、マンガ的技法を支えるステレオタイプの不条理をえぐり出した秀作も決して少なくはないのである。そして著者たちは、作品と社会に寄り添いつつ「考え続ける」ことを選択する。マンガと社会をめぐる複雑さにしぶとく付き合っていくために、それは、ささやかな、だが、確かな一歩なのだ。
いずれにせよ、私たちは考え続けなければならないのだろう。「マンガのある社会」の一員として。



飛田について知ることができて、なおかつ面白い  MA-SA
高校時代の先輩に声を掛けられ、自身も失業してアルバイト生活であったことから、飛田の親方(経営者、オーナー)になった著者の本で、これまでに飛田の事を中から語ったのは無かったのでは無いでしょうか。
この本、非常に面白いです。
高校時代の先輩から声を掛けられ、開店までの経緯など、グイグイ引きこまれます。
どうだ、と、力任せに頭の中に入ってくるのではなく、自然に、スッと入ってくる感じです。
第1章から面白いです。
楽に稼げる触れ込みだったのが、なかなか安定せず、苦労の連続だったようで、女の子が働いて、親方は楽して稼げる、と思ったら大きな間違いで、他の商売と何ら変わらない様子が伝わって来ます。
マクロに見ると、飛田は特殊な世界で、他の世界と大きく異っていますが、飛田の中の事をミクロに見ると、商売の仕方、創意・工夫や、ルールが無いように思えても、ちゃんとルールが有る、など、他の世界との共通性を見て取ることが出来ると思います。
飛田も他の風俗も店員も、皆同じ接客業であり、共通するものが有ることが伺えます。
また、完全な自由競争の中で、自分が稼ぐため(勝ち残るため)には、笑顔で有ったり、ちょっとした心遣いで有ったり、セルフ・プロデュースで有ったり、というものが必要であり、その努力が必要である、というのは、人気商売に共通する部分ですね。
このように、特殊な世界ではあるけど、他の世界と共通する事を気づかせてくれます。


からだクタクタだったので部屋で本を読んで一日を過ごそうかと考えていたのですが,NHKでは東日本大震災から4年半ということで特集番組が放送されていました.思わず見てしまいましたが,悲しくなってしまったのは隠すことができません.

<被災地模索 新しい力>滞在型活動に資金の壁
◎震災4年半 支援者の課題(上)SOS 東松島
 東日本大震災の後、各地から被災地に駆け付けて支援に打ち込む若者らは、復興や再生を後押しする大きな力となってきた。だが4年半がたち、支援を続ける上での不安要素が生まれ、活動は岐路に立たされている。直面する課題を乗り越えるため、定住化の道を開こうとするなどの模索が続く。(震災取材班)
<寄付が激減>
 仮設の集会室に打ち解けた笑顔が連なった。8月29日、東松島市の宮戸市民センターであった住民主催のビアガーデン。各地からのボランティア18人が開催を支援した。
 中心となった復興支援団体プラスネオの中村健司代表(36)は震災直後から同市で活動する。住民でつくる宮戸コミュニティ推進協議会の尾形将親会長(74)が「何でも助けてもらっている。被災地に欠かせない」と感謝する存在だ。
 被災した旧野蒜小の一角を市から無償で借り、事務所兼住まいとして仲間2人と常駐型の活動を続ける。住民票は東京都から移した。被災地に拠点を置き、住民と一緒に復興へ歩みたいと願う。
 懸案は資金の確保。民間財団の助成や寄付など外部からの資金では賄えず、毎年数百万円は自己資金を充ててきた。「限界ぎりぎりでやっている」と中村さん。被災地への視線の変化も感じる。寄付や短期ボランティアの参加が激減した。
 「復興支援って、はやりものだったのでしょうか」と問い掛けるとともに、「支援に入っている以上、被災地に助けは求められない。誰かが災害ボランティアをしなければならない。国全体で支える仕組みや意識改革が必要だと思う」との考えを示す。
<無念の撤退>
 滞在型の支援を諦める団体、個人は増えている。やまと災害ボランティアネットワーク(神奈川県)の市原信行代表(54)は昨年3月、3年にわたる東松島常駐を打ち切った。理由はやはり資金難だった。
 「長期滞在で信頼関係が生まれていた。定期的に通ってはいるが、常駐を続け、首都圏と被災地をつなぐパイプ役としてもっと復興に尽くしたかった」と市原さんは残念がる。
 東松島復興協議会の西田典昭事務局長(43)は「仮設住宅はまだある。自治会運営やイベントの支援、見守りなどボランティアのやるべきことはなくなっていない。人口減に直面する被災地の復興につなげるため、ボランティアの定住を誘導する施策があってもいい」と指摘する。
 西田さんは11年6月、大阪府の福祉施設を退職し、東松島に駆け付けた。各支援団体と地元の連携促進に奔走するが、活動資金がなくなれば大阪に戻る可能性が大きい。
 被災地側にもボランティアの活動、定住化を後押しする芽は出始めている。
 東松島市は新規住民対象の空き家バンクを年内にも開始する。市議会には交通費や宿泊費を一部補充する「災害ボランティア割引制度」実現に向け、国への意見書提出を目指す動きがある。賛同する市議は「ボランティアの能力、発信力を地域に取り込みたい」と語る。


<避難解除>美しい楢葉取り戻す 復興祈り式典
 福島県楢葉町は5日、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が午前0時に解除されたのを受け、町内で復興祈念式典を行った。4年半、1638日に及んだ全町避難からの復興、古里の再生を誓い、新たなスタートを切った。原発事故に伴う避難指示の解除は、田村市都路地区東部、川内村東部に続き3例目で、全住民や行政機能が丸ごと避難した自治体では初めて。
 式典には町民や国、県の関係者ら約150人が出席した。松本幸英町長は「止まっていた時計の針が再び動きだす。日本で経験したことのない困難や苦悩を乗り越え、笑顔あふれる美しい楢葉を取り戻す」と決意を表明した。
 町の新たなキャッチフレーズ「こころ、つなぐ、ならは、明日へ!!」と、町が復興拠点として整備を計画する「コンパクトタウン」の未来予想図を披露。「きぼうの木」と名付けたエノキを記念植樹し、小中学生の代表3人が、楢葉町への思いなどを書いた作文を発表した。
 解除の一方で放射線への不安や長期避難で崩れた生活環境の回復など課題は多い。4月に始まった準備宿泊の登録は町民約7400人のうち780人だった。
 国の原子力災害現地対策本部長を務める高木陽介経済産業副大臣は式典で「町民は何も悪いことをしていないのに強制的に避難させられた。国は自らの問題として復興に全力で取り組む」と語った。


<避難解除>「見守って」墓前に報告
 平穏な暮らしを奪われ、町を追われてから4年半。東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされた福島県楢葉町の避難指示が5日、解除された。町は新たな一歩を踏み出すが、再生への道はなお長く、平たんではない。町民はそれぞれの「4年半の重み」を胸に、節目の日を迎えた。
 斉藤朋子さん(57)は5日朝、楢葉町の自宅近くの寺で、孫の小学4年馬上日菜さん(9)と昊太ちゃん(3)の手を引いて、墓参りをした。8月7日に84歳で亡くなった実母根本フミ子さんが眠る。
 「ばあちゃん、来たよ」と昊太ちゃん。斉藤さんは「解除になったよ。もう、いつでも気兼ねなく楢葉に帰って来ていいんだよ」と報告した。日菜さんも「見守っていてね」と手を合わせた。
 フミ子さんは斉藤さん夫妻、日菜さんら斉藤さんの長女家族といわき市に避難。一緒に楢葉に戻ることを待ち望んでいた。7月下旬までは元気で、準備宿泊で楢葉にも泊まっていたが、急に体調を崩した。
 解除されたが、町内で小学校が再開しないため、まだ全員そろって楢葉で暮らすことはできない。「でも、(母は)避難指示が解除されたことを喜んでいると思う」と斉藤さん。
 4日夜、斉藤さんの楢葉町の自宅には夫妻と長女の家族4人、次女の家族5人が集まった。総勢11人。フミ子さんと一緒に「その時」を迎えるためだった。庭でバーベキューを楽しみ、町が開催した「キャンドルナイト」も見に行った。
 5日午前0時。皆で仏壇に線香を上げた。「間に合わなくてごめんね。1年でも2年でも楢葉で生活させてあげたかった」。斉藤さんは涙が出た。
 楢葉は、規制のない町に戻った。斉藤さんは「解除は一つの節目。自由になるのはいいこと」と思いながらも「学校が再開しなかったり、医療機関がなかったりと、中途半端。心の中にもやもやが残る」と打ち明ける。
 4年半に及んだ避難生活。斉藤さんは墓の前で、フミ子さんに語り掛けた。「今までご苦労さまでした」


「イシノマキマン」参上 復興担うヒーロー!
 宮城県石巻市のデザイン事務所「ビヨンド」が、新たなご当地キャラクター「イシノマキマン」を制作した。愛らしい雰囲気の白い犬が感動をエネルギーにしてヒーローに変身するという設定。東日本大震災で大きな被害を受けた地域の復興を後押しする。
 イシノマキマンは、白い雑種犬の「イーヌ」が周囲からの応援などに感動し、2段階に変身する。北上川にあった石を川の流れが巻いたという石巻の地名の由来にちなみ、感動の涙が流れて胸にある「マキイシタイマー」に当たると変身するというアイデアだ。
 1段階目は青色のヘルメットとグローブ、ブーツをまとい、ヘルメットには「イシノマキブーメラン」が装着されている。2段階目は装着品が赤に変色し、新たに空を飛べるマントとサングラスを身に着ける。
 ビヨンドの斉野浩一代表(49)は「震災後に寄せられた激励に元気づけられた経験が基で、感謝の気持ちや感動を象徴するヒーローを考えた。思い付いたのが、このデザインだった」と説明する。
 商品はクリアファイル(税込み250円)、マグネットステッカー(同800円)、着せ替えタンブラー(同600円)などを用意し、7月末から市内で販売。お盆の帰省時期と重なったこともあり、売れ行きは順調だという。
 斉野代表は「イシノマキマンの趣旨を分かりやすく伝える動画の制作や地元企業とのコラボレーションにも取り組み、石巻のPRにもつなげたい」と語る。
 イシノマキマンのグッズは、石巻市観光物産情報センター「ロマン海遊21」、県慶長使節船ミュージアム「サン・ファン館」、道の駅「上品の郷」などで販売している。連絡先は0225(98)9087。


<みやぎ夢燈花>尊い命 灯に重ねる
 約2000本のろうそくをともし、命の大切さを考える「みやぎ夢燈花(ゆめとうか)2015」が5日、仙台市泉区の南中山小であった。
 南中山地区の小中学生らが作ったろうそくを校庭一面に並べ、児童や住民が一本一本に火を付けた。
 同地区の住民ら有志でつくるNPO「みやぎ夢燈花」が主催した。会長の石川健さん(69)は「子どもたちに、命を大事にする気持ちや地域の人に対する信頼感を育む機会にしたい」と話した。
 みやぎ夢燈花は、大阪府池田市で2001年に起きた校内児童殺傷事件後に同市で実施された「いけだ夢燈花」に倣い、地域の子どもたちの安全を願う取り組みとして、07年から毎年同小で開いている。


特大尺八 鎮魂の音色 震災犠牲者弔う
 東日本大震災の犠牲者を弔おうと、虚無僧の行を積む仙台市泉区の僧侶、砂紗(いさざわ)義典さん(68)は、自ら製作した巨大な尺八に思いを託す。竹林から切り出した竹で試作を重ねた、大人の背丈にも届きそうな長い尺八。独特の低い音で鎮魂の曲を奏でる。
 「まきストーブの煙突みたいでしょ」。砂紗さんが両手で特大の尺八を抱え、自宅の玄関に置いた。スイスのアルプホルンのように先端を床につけて演奏する。「フオー」。まろやかな低音が響いた。
 特大の尺八は長さ5尺(約150センチ)、太いところで直径13センチ。通常の尺八の3倍に迫る大きさで、低音しか出ない。本格的な演奏をする際は、砂紗さんの手が届かない部分の手穴は弟子がふさぐ。
 製作したのは震災から1年半が過ぎた2012年秋ごろ。材料の竹は泉区の泉ケ岳の麓にある竹林から切り出した。十数本の試作を重ね完成させた。「災害の後、犠牲者の魂を慰める大仏を建立した先人にならい、特大の尺八で冥福を祈ろうと考えた」と砂紗さんは言う。
 約30年前から尺八に親しんできた。現在は寺の意匠を取り入れて改築した自宅を拠点に、尺八の演奏会などをしている。仙台藩士会のメンバーでもあり、毎年5月の仙台藩祖伊達政宗の法要でも尺八を演奏する。
 虚無僧として昨年から相馬市や名取市、石巻市などの被災地を巡り、通常の尺八で鎮魂の演奏を続ける。「希望があれば特大の尺八を持参して演奏し、犠牲者の霊を弔いたい」と話す。


<避難解除>未来の姿に思いはせ
 笑顔あふれる町に−。楢葉町のあおぞらこども園で行われた復興祈念式典では、参加者が町の未来に思いを巡らせた。
 「Jヴィレッジで思い切りサッカーをしたい」。陽光が降り注ぐ園庭で、楢葉南小1年の政井大輔君(7)は作文を発表した。
 2歳でいわき市に避難した。町のこともJヴィレッジのことも知らなかったが、両親らから「楢葉のいいところ」を教えてもらった。「将来は宇宙飛行士になり、宇宙から楢葉を見てみたい」と夢を描いた。
 園庭の真ん中には「きぼうの木」と名付けられたエノキが記念植樹され、こども園の幼児たちが「大きくなあれ」と言いながら、じょうろで水をかけた。
 式典の会場には、和布細工の教室で作られた大きなつるしびなが飾られ、町の再出発に花を添えた。教室を主宰する高原カネ子さん(67)は「やっとここまできた」と感じた。
 事故後、いわき市の仮設住宅などで和布細工を教え、準備宿泊が始まった4月に自宅で教室を再開した。
 「他の町から避難した教室の仲間には『帰れていいなあ』と涙ぐむ人もいる。戻れるのはありがたい」と高原さん。「ただ、町民はみな事情が違う。それぞれが一番自分にふさわしい所にいればいい」とも思う。
 昨年11月には、指導する「ならは天神太鼓うしお会」も復活させた。「楢葉に戻りたいと思う人が増えるためにも、先に帰町した私たちが、楽しく、仲良く、元気で暮らすことが大切。それが町の5年先、10年先につながる」と強調した。
 避難指示が解除された5日午前0時すぎ、「キャンドルナイト」が開催された町総合グラウンドでは、町民ら20人が町に次々と明かりが戻るよう願い、ろうそくをリレーした。


<避難解除>安堵と不安が交錯
 楢葉町の避難指示解除に対し、仮設住宅にとどまっている住民には安堵(あんど)と不安が入り交じり、揺れる胸の内をのぞかせた。
 「自宅の解体も始まり、来年の今ごろには家族4人で暮らしていると思う」。会津美里町の仮設住宅で暮らす男性(56)はうれしさで顔をほころばせた。
 局所的に放射線量が高い地点が残るなど気掛かりなことも多いが、「やはり町に戻りたい気持ちが強い」と語った。
 いわき市の仮設住宅で生活する無職松本敏枝さん(86)も「いずれは町に戻るつもり。解除を待っていた」と喜ぶ。
 心配なのは買い物環境だ。現在住んでいる地区は商業施設が近くにあり、不便を感じない。原発事故前によく通っていた富岡町は全町避難が続く。「富岡も早く戻れるようになれば。まだ時間がかかるのかな」と帰町後の生活を案じた。
 津波の被災者には家屋の賠償金が出ない。自宅を流され、同市の仮設住宅に住む男性(62)は「災害公営住宅も完成しておらず、受け入れ態勢が整っていない」と生活設計が立たない不安を真っ先に口にした。


<風評と闘う福島>顧客信じ製品を工夫
◎原発事故の現場(下)反転攻勢
<米進出に活路>
 東京電力福島第1原発事故による逆風は、木製品や農産加工品にも及んだ。
 福島産木材などを使った製品をホームセンター向けに製造・販売する「光大産業」(本宮市)は事故から半年が過ぎたころ、深刻な風評被害に直面する。
 「安全かどうか証明書を出せ」「健康被害が出たらどうする」。苦情とも嫌がらせともつかない電話が連日、かかってきた。女性事務員2人がうつ病にかかり退職するほど執拗(しつよう)だった。
 クレームが取引先まで及んだのか、納品が打ち切られるケースが出始め、売り上げは20%減った。「説明を尽くしても理解してくれない人はいる」。根本昌明社長(58)は影響が長引くことを覚悟した。
 異業種交流会で輸出対象の支援制度を知り、海外進出を計画。米国での商談会に足を運んだ。試行錯誤を続け、国産ヒノキ材を用いた高級まな板の販売先を見つけた。日本人バイヤーの目に留まり、国内での取引先開拓にもつながった。
<納品先を開拓>
 学校給食や病院向けのゼリーやアイスを製造していた福島市の「トーニチ」も原発事故半年後の秋、激しい風評被害にさらされた。「福島というだけで土俵に上がれなかった」。岸秀年社長(67)は振り返る。
 「福島産の果物を使ったものは給食に使えない」「パッケージの『福島』の表示を外してほしい」。検査で安全性は証明されているのに、取引中止の知らせが次々と届いた。
 岸社長は攻めに出た。営業担当者を4人から6人に増やし、大手問屋に任せ切りだった納品先や小さな問屋を回らせた。小規模な注文にも応じ、需要を掘り起こした。
 商品の幅を広げようと、ケーキなど焼き菓子製造も始めた。社員を東京のパティシエの元で修業させ、手作りに近い味を追究。今秋には焼き菓子用の新工場建設に取りかかる。「ピンチがチャンスになった。いつかは直販店も開きたい」と岸社長は話す。
<地元産前面に>
 取引価格が他産地と比べ2割安という県産木材に対する風評被害が残る中、いわき市の割り箸メーカー「磐城高箸」は地元産を前面に押し出した製品を売る。
 間伐材の活用を目指した高橋正行社長(41)が2010年8月に創業。製造を始めた直後の11年4月、東日本大震災の余震で設備が大破した。デザイナーグループの支援を受け、最低でも1膳50円という高級路線への転換を目指した。
 「冷静な人は風評に惑わされない。きちんと製品を作り、メッセージが伝わるようデザインやパッケージを工夫すれば売れる」。東北の被災3県のスギ材を原料にしたセットを販売。販促品や記念品などへの営業を続ける。
 「風評を嘆く人は攻め方を間違えている。福島産を敬遠する『売りにくい客』と、そうではない『売りやすい客』がいるだけ。買ってくれる人はいる」。高橋社長は信じている。

さゆりのエッフェル塔/自転車に空気入れて快調/久しぶりに童謡

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Fukushima: Une ville totalement évacuée est décrétée de nouveau habitable
La commune japonaise de Naraha, dans la région de Fukushima, est officiellement redevenue habitable samedi à minuit par la levée de l'ordre d'évacuation, une première pour une bourgade totalement évacuée après l'accident nucléaire du 11 mars 2011.
Une cérémonie marquant cette renaissance de la ville s'est tenue dans la matinée dans un parc, après une veillée aux chandelles la veille à partir de 18h (11h, heure française) jusqu'au milieu de la nuit, selon les informations communiquées par la mairie sur son site internet.
Seulement 10% des habitants se seraient inscrits pour revenir
Les anciens habitants (2.694 foyers, 7.368 personnes) avaient jusqu'à présent le droit de revenir pour préparer leur retour, mais pas de se réinstaller totalement. Selon les médias japonais, seulement un peu plus de 10% se seraient inscrits pour revenir. Un sondage datant d'octobre dernier effectué auprès des ex-habitants a révélé que 22,9% avaient décidé de ne pas revenir, 30,5% n'avaient pas tranché, 9,6% étaient prêts à rentrer et 36,1% étudieraient un retour sous condition.
Japon: Quatre ans après, la ville qui héberge la centrale de Fukushima va retirer les pancartes pro-nucléaires
Les autorités estiment que le niveau d'exposition à la radioactivité à Naraha, ville située à une vingtaine de kilomètres de la centrale accidentée Fukushima Daiichi, est revenu à un seuil inférieur à 20 millisieverts par an. Ce niveau permet en théorie aux habitants, selon le gouvernement japonais et des organismes internationaux, d'y revivre presque normalement, même si la décontamination n'est ni intégrale ni parfaite.
≪Le niveau de contamination est très variable selon les maisons≫
Les avis divergent cependant et les organisations écologistes s'insurgent contre ces conclusions. ≪Le niveau de contamination est très variable dans cette localité et selon les maisons, ce qui risque de créer des tensions entre les personnes≫, a déclaré récemment pour l'AFP Jan Vande Putte de Greenpeace.
Les effets des radiations sur la santé, une bombe à retardement
Une partie des infrastructures ont été rétablies, dont une ligne ferroviaire, une succursale bancaire a rouvert, de même qu'une supérette et un restaurant. Mais pour certains habitants comme Satoru Yamauchi, qui tenait avant l'accident un restaurant de nouilles ≪soba≫, c'est notoirement insuffisant et les craintes (notamment vis-à-vis de l'eau) ne sont pas levées.
≪Il reste une montagne de problèmes à surmonter≫
≪On ne peut bien entendu pas dire que la sureté soit totalement rétablie et il est clair qu'il reste une montagne de problèmes à surmonter≫, a convenu le maire de Naraha, Yukiei Matsumoto, dans un message à la population cet été après l'annonce de la décision de lever l'interdiction d'habiter dans la localité. Mais il soulignait aussi que ≪la vie de réfugié entraîne de nombreux soucis et un important stress qui ont des répercussions sur la santé d'un nombre grandissant de personnes≫.
Jusqu'à présent, le retour a été autorisé dans les parties évacuées de Kawauchi et de Tamura (également dans la province de Fukushima), mais c'est la première fois que la levée concerne une cité intégralement vidée de ses habitants.
フランス語
フランス語の勉強?
時論公論「山口組分裂・暴力団壊滅につながるか」
国内最大の指定暴力団・山口組が分裂した。その背景や意味を探りながら、今回の分裂劇を暴力団壊滅につなげることができるのかを考える。
寒川由美子

サイエンスzero No.515日本発 驚異の泡! ウルトラファインバブル
直径10億分の1mという、ナノサイズの泡に注目が集まっている。水揚げした魚をこの泡の入った水に10分間つければ、刺身の賞味期限がのびる。また、養殖魚や農作物の成長が促進。さらには環境に優しい洗浄水や、医療分野では細菌やウイルスの破壊に利用されるなど、応用が広がっている。秘密は気体の種類を自在に変えられること。国の試算では将来的に経済効果は10兆円以上という日本発の極小の泡。研究の最前線に迫る。
1ナノメートルの大きさは?
ブラウン運動が浮かない泡を作り出す
バブルを使った環境に優しい洗浄(慶應義塾大学理工学部 寺坂宏一教授)
ウルトラファインバブルは10億分の1メートルというナノサイズの泡。日本で発見され、世界に広めようとしている。
超高圧電子顕微鏡で見たバブルの姿。サイズは50ナノメートルほど。つまり数千万分の1メートル。
通常1日しかもたないさばの刺身が、窒素のウルトラファインバブルの泡の入った水に10分間つけるだけで5日間、鮮度が長持ちするという。
養殖魚を育てるのに酸素のウルトラファインバブルを使ったところ、2倍近い速さで成長するものが出てきた。
細菌がオゾンのバブルによって破裂させられた画像。細菌やウイルスよりも小さなバブルの存在が明らかになったことで医療への応用が加速している。
慶應義塾大学理工学部の寺坂宏一教授の研究室では、空気のウルトラファインバブルを使って、環境に優しい洗浄の研究を行っている。
九州大学先端医療イノベーションセンターの大平猛特任教授。オゾンのウルトラファインバブルを使って細菌やウイルスを殺す実験をしている。
寺坂 宏一 大平 猛

ETV特集「沈黙を破る手紙〜戦後70年目のシベリア抑留〜」
終戦後57万人以上がソ連に連行されたシベリア抑留。その貴重な資料が発見された。それは当時公表されていなかった抑留者の安否や帰国予定などを、待ちわびる家族に伝えた、謎の人物からの“希望の手紙”。誰が家族に手紙を書いたのか?浮かび上がってきたのは、一人の青年と、抑留された元新聞記者との偶然のつながり。国家に翻弄されながらも思いを貫いた二人の信念があった。戦後70年、埋もれていた新たな事実を掘り起こす。
石澤典夫


MBSのせやねんを見ました.さゆりの衣装がエッフェル塔なのがいいです.ダラダラしていたいのですが仕事に行かねばなりません.自転車が空気抜けていたみたいだったので広島つけ麺を食べた後に,空気を入れに行きました.クリーニング屋の空気入れは調子が悪いので1号線沿いの自転車屋で空気注入.快調です.ちょっと商店街まで出かけてみました.久しぶりに童謡が流れています.「虫の声」.チンチロチンチロ チンチロリン,とか.8月はなぜかハワイアン風の音楽だったのでちょっと物足りなかったんです.よかった.これから商店街に来るのがまた楽しくなりそうです.

<区画整理>気仙沼で最長2年遅れ
 気仙沼市は4日、東日本大震災で大きな被害があった鹿折、南気仙沼両地区の土地区画整理事業で、一部の住宅地などの完成時期が予定より1〜2年ずれ込む見通しを明らかにした。
 市議会震災調査特別委員会で示した。完成年度は鹿折が事業対象42.0ヘクタールのうち7.6ヘクタールで最長1年、南気仙沼は32.5ヘクタールのうち14.4ヘクタールで最長2年遅れる。
 両事業とも2017年度にかけて各エリアを段階的に整備する計画で、今回発表された区域は15〜16年度の完成を見込んでいた。いずれも住宅地が半分以上を占め、自宅や店舗などの再建に影響が生じる。
 上下水道など地下埋設管の移設調整などに時間がかかるのが要因。市は12、13日、両地区合わせて約1000人いる地権者に説明会を開く。
 委員会の質疑では「2年も延びれば生活再建への影響が深刻だ」などの意見があり、市は「地権者に大変申し訳ない。個別にも丁寧に説明したい」と語った。
 両地区の区画整理事業は13年3月に県の事業認可を受けた。住宅地や商業地、公園などを配置しており、再建予定の中央公民館や鹿折公民館の完成も1年ずれ込む見通し。両地区に計3カ所ある災害公営住宅の完成時期は変わらない。


“サンマの町”の魅力を再発見
サンマの水揚げ量が本州一多い気仙沼市で、地元の人たちが「サンマの町」の魅力を再発見するツアーが行われ、とれたてのサンマや手作りの味を楽しみました。
5日朝7時から始まったこのツアーは、気仙沼市でイベントの企画などをしている団体が主催したもので、地元の住民を中心に17人が参加しました。
まず、一行は、ふだん漁業関係者以外は入ることができない魚市場を見学し、朝水揚げされたばかりのサンマ70トンを目の当たりにして驚きの声を上げたり、写真を撮ったりしていました。
続いて漁港の近くにある水産加工会社を訪れ、サンマのつくだ煮を手作りしている会社の経営者から「無添加やサンマそのものの味を生かすことにこだわっている」という話を聞き、生産者の思いに触れていました。
参加者は最後に作りたてのサンマのつくだ煮をご飯と一緒においしそうにほおばり、地元の手作りの味を楽しんでいました。
気仙沼市の23歳の男性は「ふだん何気なく食べている安くておいしいサンマは漁業者などいろいろな人の努力や苦労があるからこそだと感じた。そのことに感謝をして、これからも食べ続けたい」と話していました。


津波被災の南三陸シーサイドパレス解体始まる
 気仙沼市本吉町の小泉海岸で、1970〜80年代に気仙沼・本吉地方唯一の遊園地だった「南三陸シーサイドパレス」のホテルの解体が始まった。東日本大震災の津波をかぶった後もそのまま残されていたが、宮城県が計画している県内で最も高い海抜14.7メートルの防潮堤事業に伴い、撤去される。
 遊園地は東京の会社が72年に開園。3階建てのホテルやゴーカート場などを備えたが、80年代に閉鎖した。ホテルの廃屋は津波で被災した後も姿をとどめていたことから、市の震災遺構の候補にもなった。
 ホテルは防潮堤の事業用地にあり、東京の会社が建物を放棄した。県は10月までに基礎を含む撤去を終える予定。県気仙沼土木事務所は「一帯は海水浴場になるので、しっかり復旧させたい」と話している。


東日本大震災:心の復興、見守る書店 売れ筋に被災者の変化 岩手・陸前高田
 ◇街の写真→仏教・住宅関連→震災前
 東日本大震災で市街地が壊滅した岩手県陸前高田市に、ただ一軒の書店がある。1961年創業の「伊東文具店」。震災前にあった市内の2店舗はいずれも津波にのまれ、会長の伊東孝さん(61)は弟家族と従業員を失いながら1カ月後に仮設店舗で営業を再開した。あれから4年半。生き残った家族で懸命に守った「街の書店」は、今も被災者の心のよりどころであり続けている。【和田浩幸】
 「津波で流された本をもう一度読みたい」「海外旅行の本は見ているだけで楽しい」。仮設商店が軒を連ねる同市竹駒町の一角にある店内では時折、客と店員が世間話に花を咲かせる。本棚には約2000冊の新刊や雑誌、コミックが並び、子どもから高齢者まで1日平均約200人が訪れる。
 震災前、市内のショッピングセンター内にあった書店は伊東さん夫婦が、陸前高田駅前の文具店は弟夫婦が運営していた。だが、弟夫婦と営業担当だったその長男、女性従業員の計4人が震災の犠牲になった。それでも伊東さんは、約半月遅れで始まることになった小中高校の新学期に間に合わせようと、家族の葬儀と同時並行で仕入れに奔走。2011年4月15日、小さなプレハブで文具の販売を再開した。その後も、同年12月には2カ所目となる仮設店舗で書籍販売も再開し、翌12年10月には現在の仮設店舗に移って品ぞろえを充実させた。
 書籍の売れ筋は被災者の心を映し出す。当初は震災前の街の風景などが収められた写真集が飛ぶように売れた。その後は仏教の本や、手狭な部屋での収納方法を紹介した本、マイホーム購入の指南書などを買い求める人が多かったという。
 最近は震災前と変わらない話題の新刊などが売れている。津波で長男(当時44歳)を亡くし、仮設住宅で暮らす村上シヅ子さん(72)は月2〜3回は店を訪れ、小説や手芸の本などを買い求めてきた。「読書や手芸に没頭するとつらいことを忘れられる。街が壊滅した中で、すぐに本屋を再開してくれてありがたかった」と振り返る。
 伊東さんは「インターネットやコンビニでも本を買える時代だが、震災を経験し、一つの街には最低一つの本屋が必要だと実感した」と話す。陸前高田市では19年までに新たな市街地が整備される。伊東さんは、そこに正式な店舗を構える予定だ。


東日本大震災:犠牲者追悼 「こころつなぐ」3000本の灯籠
 福島県楢葉町の避難指示解除を前に、同町総合グラウンドで4日夜、東日本大震災の犠牲者を追悼し復興を願う「キャンドルナイト」があった。グラウンドに3000本の灯籠(とうろう)を並べ、「こころつなぐならは」の文字が浮かび上がった。
 灯籠には、町民やボランティアが復興へのメッセージを書いた。「抜けないトンネルはない。止(や)まない雨はない」と記した坂本房男さん(68)はこれまで、いわき市の仮設住宅と楢葉町の自宅を行き来しながら、生業の造園業を再開する準備を進めている。「必ずや笑顔で、元の生活に戻れると信じている」と話した。【五十嵐和大】


<避難解除>楢葉再生への思いともす
 政府は5日午前0時、東京電力福島第1原発事故に伴い福島県楢葉町に出していた避難指示を解除した。解除は3例目で、全住民が避難した自治体では初めて。自宅での生活や事業の再開などの制約が全てなくなる。原発事故から4年半を経て、楢葉町は復興、再生へ新たなスタートを切る。
 町は4日夜から、中心部の町総合グラウンドで「キャンドルナイト あらたな一歩」を開催。3000本のろうそくの灯で「こころ つなぐ ならは」の文字を描いた。
 楢葉町は人口約7400。2011年3月12日に全町避難し、同4月22日に警戒区域に指定された。12年8月10日に避難指示解除準備区域に移行し、生活圏の除染やインフラ復旧などが進められた。町はことし7月初めまで、役場機能の中心を、住民の8割弱が避難するいわき市に置いた。
 放射線や飲料水に不安を抱く町民も多く、生活環境の整備や雇用の場確保など課題も山積する。4月に始まった準備宿泊の登録は780人(351世帯)。町は「すぐに多くの町民が戻るのは難しいだろうが、解除で帰町の機運が高まる」とみている。
 楢葉町の解除で、避難指示が出ている自治体は9市町村、対象は計7万1800人となった。


<避難解除>古里再生誓う 楢葉で祈念式典
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が5日午前0時に解除された福島県楢葉町は同日午前、町内で復興祈念式典を行った。全住民や行政機能などが丸ごと避難してから4年半。楢葉町は、古里の再生に向け新たな一歩を踏み出した。
 式典には町民や国、県の関係者ら約150人が出席。松本幸英町長は「解除は復興のスタート。日本が経験したことのない困難や苦悩を乗り越え、笑顔あふれる美しい楢葉を取り戻す」と復興への決意を述べた。
 町の新たなキャッチフレーズ「こころ、つなぐ、ならは、明日へ!!」が披露され、子どもたちが記念植樹した。
 避難先のいわき市から式典を見にきた新妻静子さん(65)は「すぐ帰れると思って避難し、4年半が過ぎてしまった。待ちに待った解除。家族の事情で帰町は来春の予定だが、自由に自宅に泊まれるので、気持ちが晴れる」と話した。
 県警双葉署は5日朝、約200人が参加し特別警戒の出動式を実施。楢葉駐在所も4年半ぶりに業務を再開した。
 原発事故に伴う避難指示の解除は、田村市都路地区東部、川内村東部に続き3例目で、全住民が避難した自治体では初めて。楢葉町の解除で、避難指示が出ている自治体は9市町村、対象は計7万1800人となった。


東日本大震災:福島第1原発事故 楢葉の未来育て 避難解除で記念植樹
 福島県楢葉町は5日午前、東京電力福島第1原発事故で町全域に出ていた避難指示が同日午前0時に解除されたことを受け、町の復興を願う「復興祈念式典」を町内で開催した。
 松本幸英町長は「止まった時計が再び動き始めた」と述べ、「原子力災害で失われた安全・安心への信頼は簡単に回復できないが、後に続く自治体の道しるべになる復興を実現したい」と誓った。
 町立あおぞらこども園で開かれた式典には、政府原子力災害現地対策本部長の高木陽介・副経済産業相や、今も多くの町民が避難する同県いわき市の清水敏男市長ら計約100人が出席。参列者は園庭に出て町の子どもたち約30人と「きぼうの木」と名付けた榎(えのき)を記念植樹した。
 これに先立ち、町は役場に昨年6月掲げた「楢葉町帰町準備室」の看板を撤去。松本町長は役場講堂で全町職員約150人を前に「支援をいただいた皆様への感謝を忘れず、職務に取り組んでもらいたい」と訓示した。【栗田慎一】


絵本で伝える震災の記憶 支援者らが出版
 東日本大震災で被災した名取市閖上地区をモデルに描いた絵本「マンホールのステージ」を、山形県内のイラストレーターらが自費出版した。津波で父親を失った女の子が懸命に前を向く姿を描き、震災の記憶継承の願いと希望のメッセージを託している。
 被災地支援に取り組む山形市の広告プランナー横尾和義さん(49)が物語を書き、山形県白鷹町のイラストレーター照井博恵さん(28)が絵を描いた。
 小さな港町で暮らす女の子エミリが主人公。歌が大好きで、家の前のマンホールがお気に入りのステージだった。津波でまちは壊滅し、父親も行方不明に。涙を流しながらもエミリはマンホールに立ち、お父さんに気付いてもらえるよう歌を歌う−。そんな粗筋だ。
 物語は津波で閖上の生家を流され、父を亡くした女性のエピソードから生まれた。横尾さんと照井さんが生家跡を訪ねると、路上にマンホールが残っていた。幼少期にその上で歌を歌っていたという女性の回顧から着想を得たという。
 「閖上ではかさ上げ工事が始まり、マンホールもいずれ埋もれてしまう。次世代の子どもたちにも絵本を読んでもらい、震災の記憶と教訓が風化しないよう願う」と横尾さんは語る。
 照井さんは「絶望的な状況に置かれてもほんの小さなことが希望となり、生きる力になることを感じてほしい」と話す。11〜16日、出版記念のイラスト・絵本展を仙台市青葉区一番町のむかでや画廊で開く予定。
 B5判、32ページで1000円(税別)。連絡先はマンホールのステージ制作実行委員会080(6002)4900。


安保法案「違憲」 「番人」の指摘は重い
 集団的自衛権の行使に道を開く安全保障法制関連法案はやはり、憲法違反ではないのか。すでに退官したとはいえ「憲法の番人」だった最高裁元長官の指摘は重い。安倍政権は廃案を決断すべきだ。
 一九九七年十月から五年あまり最高裁長官を務めた山口繁氏(82)が共同通信などの取材に対して、安保法案について「集団的自衛権の行使を認める立法は憲法違反と言わざるを得ない」と述べた。
 違憲立法がなされようとしていることに対する相当の危機感があったのではないか。退官後とはいえ、最高裁長官経験者が、個別の法案の違憲・合憲性について、こうした意見を表明するのは、極めて異例である。
 山口氏は、安倍政権が集団的自衛権の行使を合憲とする根拠とした五九年の砂川事件判決について当時の状況から「集団的自衛権を意識して判決が書かれたとは到底考えられない」と指摘した。
 憲法学者の多くが、これまでも同様の理由から安保法案を違憲と指摘しているが、安倍政権は「憲法の番人は最高裁であり、憲法学者ではない」(高村正彦自民党副総裁)などと突っぱねてきた。
 確かに、憲法八一条は最高裁について、法律などが「憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」と定める。
 今回は、その最高裁の長官経験者による「違憲」の指摘だ。
 かつて憲法の番人として、憲法の規範性や法的安定性に心を砕いてきた法曹人による真摯(しんし)な意見の表明だ。安倍晋三首相をはじめ、安保法案の今国会成立にはやる政権の面々は、山口氏の発言を重く受け止めるべきではないか。
 山口氏は、集団的自衛権は行使できないという「従来の解釈が国民に支持され、九条の意味内容に含まれると意識されてきた。その事実は非常に重い」とも述べた。
 同感である。日本国憲法の平和主義や専守防衛はもはや、戦後日本の「国のかたち」でもあり、国民の「こころ」となっている。
 だからこそ、報道各社の世論調査では、安保法案を違憲としたり、法案に反対する答えが常に半数を超え、国会周辺をはじめとする全国でのデモ参加者が膨らみ続けているのだろう。
 首相はきのう安保法案を今国会中に成立させる決意を重ねて表明した。国民や法曹界からの異議申し立てはなぜ届かないのだろう。立憲主義や法的安定性を揺るがす法案である。このまま成立させることがあってはならない。


笑い交えて政権批判 「芸人9条の会」旗揚げ
 笑いを通じて平和の尊さを訴えようと、コメディアンや落語家、歌手らが「芸人9条の会」を結成し、5日、東京・浅草のホールで旗揚げ公演を開いた。政権批判を織り交ぜたパフォーマンスに、観客からは大きな拍手が送られた。
 コント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバーで、現在はソロ活動をするコメディアンの松元ヒロさん(62)は、自らを日本国憲法に見立てた一人芝居を披露。「68歳になりましたが元気ピンピンです。今隠居しても、年金がもらえるかどうか不安です」とおどけてみせた。


<シールズ東北>毎週金曜日に活動を実施
 安全保障関連法案に反対する学生ネットワーク「SEALDs(シールズ) TOHOKU」は4日、仙台市青葉区の中心部で廃案を訴える街頭宣伝活動を展開した。今後、毎週金曜に活動を実施する。
 一番町平和ビル前で東北大などの学生8人が交代でマイクを持ち、「安保法案は中国などの脅威の解決にならない。緊張関係をあおるだけ」「普通の学生が偏見や中傷を受けても反対するのは、それだけ安倍政権が進めていることがおかしいから」などと主張した。
 メンバーの東北大2年久道瑛未さん(19)は「再来週にも安保法案が参院で採決されると言われるが、まだ止められるはず。同じ思いの全国の若者が声を上げ、安倍政権にプレッシャーをかけたい」と語った。

初任研修(弁当付)+打合せでクタクタ

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第6回全九州水平社大会

Une jeune britannique de 12 ans bat Einstein à un test de QI
Lydia a suscité la surprise en obtenant le résultat maximal à un test de QI - battant au passage les scores des deux génies Albert Einstein et Stephen Hawking.
Tremblez, génies de tous pays: une jeune Britannique âgée de 12 ans, Lydia Sebastian, vient de recevoir les résultats du test de QI qu’elle a passé durant les vacances d’été. Et, selon la Colchester Gazette, ses résultats sont impressionnants: la jeune fille a obtenu un score de 162, soit le meilleur score possible.
La collégienne - elle vient d’entrer dans la classe équivalente à notre cinquième - s’est au passage offert le luxe de battre deux des plus grands génies de ces derniers siècles, Albert Einstein et Stephen Hawking, qui avaient tous deux obtenu 160. Rappelons qu’on considère en général qu’un score de 100 révèle une intelligence moyenne, le seuil de ≪surdoué≫ commençant à 130...
Lydia a suscité la surprise en obtenant le résultat maximal à un test de QI - battant au passage les scores des deux génies Albert Einstein et Stephen Hawking.
Tremblez, génies de tous pays: une jeune Britannique âgée de 12 ans, Lydia Sebastian, vient de recevoir les résultats du test de QI qu’elle a passé durant les vacances d’été. Et, selon la Colchester Gazette, ses résultats sont impressionnants: la jeune fille a obtenu un score de 162, soit le meilleur score possible.
La collégienne - elle vient d’entrer dans la classe équivalente à notre cinquième - s’est au passage offert le luxe de battre deux des plus grands génies de ces derniers siècles, Albert Einstein et Stephen Hawking, qui avaient tous deux obtenu 160. Rappelons qu’on considère en général qu’un score de 100 révèle une intelligence moyenne, le seuil de ≪surdoué≫ commençant à 130...
Un test jugé ≪simple≫ par Lydia
Lydia a déclaré à la Colchester Gazette: ≪au début, j’étais vraiment nerveuse, mais quand j’ai commencé, le test s’est révélé beaucoup plus simple que ce à quoi je m’attendais et je me suis relaxée. (...) J’ai vraiment tout donné≫.Testée sur ses compétences en langue et son sens de la logique, la jeune fille a passé son examen au milieu de personnes beaucoup plus âgées qu’elle.
Les parents de Lydia, auprès desquels la jeune fille a insisté pendant un an avant de passer le test, sont naturellement extrêmement fiers de leur fille unique, qu’ils jugent très douée depuis sa naissance. ≪Elle a commencé à parler alors qu’elle était vraiment jeune, six mois environ≫, a ainsi déclaré son père. De toute évidence, on entendra encore parler de Lydia Sebastian...
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今日は初任研修です.朝10時からとはいえ,移動がありちょっと慌ただしい朝でした.研修は午前と午後は講演を聞くのですが,長い!!でもものすごくいい話をしてくれてタメになりました.最後にまとめてグループ発表.私ではなく隣の人が頑張ってくれました.
さてその後のんびりしようと思ったらYaさんが別のMaの打合せがあるけど,どうします???と聞いてきました.調べてみると上の階の会議室でした.やむなくそちらに参加しました.Phではこういうのはないのでいいかなぁとも思いましたが,クタクタです.

カビ大量発生の災害公営住宅 家賃免除へ
 東日本大震災の被災者が暮らす南三陸町の災害公営住宅でカビが大量発生した問題で、町は3日、対象世帯の家賃を一定期間免除する方針を明らかにした。
 佐藤仁町長は同日開会した町議会9月定例会で「『ついのすみか』に入った住民に多大な迷惑を掛けた。おわびを申し上げるとともに、二度とないよう施工業者に厳重注意をした」と述べた。カビの発生から復旧工事が終わるまでの期間、家賃を徴収しない意向を示した。
 町は7月末、歌津枡沢の「町営枡沢復興住宅」の住民から苦情を受け、1階5戸で畳にカビが生えているのを確認した。雨どいからベランダの側溝に水が直接流れ込む構造の上、側溝が浅かったため、床下に水があふれ出たとみている。
 施工業者は町に対し、設計と施工の段階でミスがあったことを認め、今月上旬までに補修工事と畳交換を進める。


震災慰霊碑 女川町役場敷地に建立へ
 女川町は3日、東日本大震災の犠牲者の慰霊碑を、町中心部の高台に再建する役場庁舎敷地内に建立する方針を明らかにした。2017年度にも設置する。同日開会した町議会9月定例会で一般質問に答えた。
 須田善明町長は「町内を見渡せる場所。震災を記録し、津波に対する意識を喚起したい。(犠牲者に)新しいまちを見守っていただきたい」と説明。
 「関係者の承諾を得られれば、犠牲になった町民827人全員の名前を慰霊碑に記したい。町内で亡くなった他自治体の方についても、希望があれば記すのが望ましい」と述べた。
 役場庁舎は生涯学習センター、保健センター、子育て支援センターとの複合施設として、JR女川駅南側の高台に再建される予定。町は17年1月にも着工し、18年夏の利用開始を目指す。


被災自宅を修復、開放 ボランティア支える
 宮城県気仙沼市南郷に住む元マグロ漁船員熊谷敬三さん(71)が、自宅を開放して東日本大震災のボランティア拠点「若芽(わかめ)」を開いて間もなく3年半になる。泊まる場所が見つからない人のため、被災した自宅を修復し提供してきた。これまで3000人以上が利用し、交流を育む大切な場になっている。
 震災から4年5カ月となった8月11日夜、木造2階の熊谷さん宅から陽気な笑い声が外まで響いてきた。
 震災による行方不明者の集中捜索や仮設住宅の見守り活動に汗を流した10人が食卓を囲み、話に花を咲かせる。首都圏や関西から訪れた人や親子連れの姿も。熊谷さんは「被災地の父」「気仙沼のじいちゃん」と愛される存在だ。
 熊谷さんは航海から戻ったばかりの2010年12月に妻の金子さん=当時(70)=を病気で亡くした。3人の子は既に独立。3カ月後には津波で自宅1階が約1.9メートル水没した。
 悲しみの中で仕事を辞め、家の再建も諦めかけた時、泥だしを手伝ってくれたのが首都圏から駆け付けたボランティアだった。復興需要で宿泊施設が満室と知り、「恩返しに」と修理した家を12年3月に活動拠点として開放した。
 台所や洗濯機は自由に使え、夜は雑魚寝。気さくな熊谷さんの人柄から口コミで利用が広がっていった。
 「ボランティアを続けられるのは熊谷さんの存在のおかげ」とは神奈川県真鶴町の町議、岩本克美さん(67)。千葉県我孫子市の会社員唐崎計史さん(45)は「初めは恐る恐る来たが、今では第2の故郷。いろんな人とつながりもできた」と笑顔を見せた。
 「みんな気仙沼にほれ込んだ人たち」と熊谷さん。復興需要が一段落したため拠点を閉めようとも思ったが、顔なじみの交流の場として開放を続けている。
 熊谷さんは、震災で親戚4人が行方不明のままだ。ボランティアの奮闘ぶりに感銘を受け、気仙沼市内での行方不明者の集中捜索にも毎月参加している。
 「震災のことを良く言っちゃ悪いんだけど、震災がなきゃ会うことがない人ばかり。人生の終わりにいろいろな話ができて楽しい。今なお復興に協力してくれる人がいる。できることをしたい」と目を輝かせる。


復興を探して:東日本大震災 宮城・南三陸 不明の姉に会いたい 親戚「避難所で話した」 霊能者「捜さないで」…心軽く
 東日本大震災で大切な人を亡くし、霊的な存在を心の支えにする人は少なくない。宮城県南三陸町の漁師、千葉仁志さん(37)は、慕った姉(当時35歳)が津波にのまれた。だが、その姉と震災後に話をしたという人が現れた。千葉さんは信じた。そして、姉の気持ちが聞きたくなった。【竹内良和】
 町東部に突き出た半島の小さな漁港。「漁場争いが激しくて、ここじゃ弱みは見せられなくてね」。岸壁を歩きながら、千葉さんは冗談めかして言った。震災から4年半。胸のざわつきは随分と静まったと感じている。
 あの日、近くに嫁いだ町職員の姉は、43人が犠牲になった町防災対策庁舎で波にのまれたらしく、行方が分からなくなった。だが、10日ほどして、千葉さんは知り合いから「大丈夫だったんでしょ」と声を掛けられる。避難所の中学校で、嫁ぎ先の親戚の男性が姉と話したという。
 男性によると、震災翌日の夜、姉は同僚らと3人で、横一列に手をつないで避難所にやってきた。「(千葉さん宅がある)稲渕は大丈夫?」と尋ねられ、一家の無事を伝えると「良かった」と言って去ったという。
 「本当なんだな」。男性が音を上げるほど問い詰めた。だが、内心では確信していた。「話を聞いてすぐピンときたんだよ。家族のかゆい所に手が届く姉ちゃんだったから」。嫁ぐ前、服を買いに出かければ必ず家族の分まで選んできた。千葉さんの妻が家事で祖父母に叱られると、かばって慰めてくれた。
 「爪のかけらでも」。亡きがらを捜して千葉さんは海に網を仕掛け、妻は身元不明の遺骨がある県外の寺に出かけた。父は「盆だの法事だの、供養してたのにどうして助けなかった」と先祖の墓にやるせなさをぶつけた。
 秋になって葬儀を行ったが、亡きがらも遺言もないのに「死」を受け止めきれない。気持ちが沈むだけのようで、家族間でも、近所の遺族同士でも、亡くした人の話題は避けるようにしていた。
  ◇    ◇
 震災では今も約2500人が行方不明で、南三陸町では212人が見つかっていない。千葉さん一家のように心に区切りをつけられない人は多い。
 親戚の男性が見たという「姉」の姿が千葉さんの頭を離れなかった。自分たちにどう生きてほしいのか、遺体を見つけてやれないことを悲しんでいないか、できれば聞いてみたかった。もんもんとしたまま震災から1年ほどが過ぎ、夫婦は疲れ果てていた。知人の紹介を受け、県内の霊能者の女性を訪ねてみることにした。
 <気持ちはありがたいけれど、もう捜さないで><家族と元気に暮らしてほしい>
 女性の口から“姉の言葉”が語られた。
 霊が存在するのかどうかを突き詰めて考えようとは思わない。<避難所に行った>。そう聞けば、胸のつかえが少し取れる。「気持ち」として1万円入りの封筒を置いてきた。
 千葉さんは、亡きがらを捜して網を仕掛けるのをやめた。ただ、漁に出て海を見つめていると、今も胸をよぎることがある。「『いつか戻ってくれたら』ってね」
==============
 ◇被災地での霊的体験 「心情受け止める配慮を」
 日本大の中森広道教授(災害情報学)が宮城、岩手、福島3県で、東日本大震災を巡って流れているうわさや都市伝説を集めたところ、心霊現象に関するものが約150件に上った。行方不明者が3人の阪神大震災ではあまりなかった現象だという。
 また東北大の高橋原(はら)准教授(宗教心理学)らのグループが宮城県内の寺社などに実施した調査では、回答した277人のうち70人が「霊的な不思議な現象」の体験者と「会ったことがある」とし、相談に応じた人もいた。
 東北地方には、みこらが死者の言葉を伝える「口寄せ」文化があった。今はほとんど廃れたが、高橋准教授は「東北の人はこうした世界に比較的親しみがあり、さまざまな不安やストレスが『幽霊』として表現されているのだろう」と指摘。
 「不安をあおり遺族を孤立させようとする業者につかまる可能性もあるので、『錯覚だ』と切り捨てるのはよくない。心情を受け止めてくれる相談相手が必要だ」と話している。


<風評と闘う福島>戻らぬ価格 逆風今も
◎原発事故の現場(上)回復途上
 東京電力福島第1原発事故から4年半になる今も、福島県の農産品や観光地などへの風評被害が消えない。さまざまな対策が展開されているが、放射能汚染に対する根強い不安や偏見が残る。被害の実態と、風評にあらがい販路を切り開く人々を取材した。(福島第1原発事故取材班)
<拒否反応示す>
 7月23日、大阪府東大阪市のスーパー。「福島のおいしいモモです。ぜひどうぞ」。内堀雅雄福島県知事がはっぴ姿で農産品の安全性や質の良さをアピールした。
 大半の客は景品を受け取ったり試食をしたりして好意的だったが、露骨に拒否反応を示して販売員に毒づく人もいた。「東京で売れや。まだ死にとうない」
 手厚い検査体制によって福島産農産物は安全性が証明されている。2012年から全袋検査を続けるコメは、放射性セシウム濃度が基準値(1キロ当たり100ベクレル)を上回ったのは0.0003%以下で、市場には出回らない。コメ以外も、キノコや山菜類を除き、ほぼ全量が基準値を下回る。基準値を超えた場合、出荷されることはない。
 それでも、風評被害はやまない。一時と比べ弱まったとはいえ、他産地との価格差の「固定化」はむしろ進んでいるように見える。
<モモは25%安>
 14年産米の取引価格は需要減や過剰在庫を背景に全国的に下落した。その中でも福島産の落ち込みは際立った。全農県本部が農家に支払った浜通りと中通りのコシヒカリの概算金は前年比で35〜37%も下回った。
 出荷量全国2位のモモは岡山県や山梨県産と比べ、今も25%安い。贈答用を中心に買い控えの影響が残る。福島市で果樹園を営む橘内義知さん(37)は「口コミで少しずつ広げた評判が原発事故で一気に途絶えてしまった」と悔しがる。
 7月に東京で開かれた和牛の肉質を競う「全農肉牛枝肉共励会」で、喜多方市の湯浅治さん(64)の牛が日本一に輝いた。「血統改良に取り組み、餌にも気を配り、いい牛を作ってきた」と湯浅さんは胸を張るが、手放しでは喜べない。
 宮城県や岩手県産は2年で震災前水準に戻ったが、「福島牛」は1キロ当たり200〜300円(約15%)の差が埋まらない。「福島産というだけで安い値が付く。これほどむなしいことはない」
<賠償額5800億円>
 観光などにも逆風が吹き続ける。14年度の教育旅行による宿泊者数は約35万人と事故前のほぼ半分。一般宿泊者も8割にとどまる。ことし4〜6月の大型観光宣伝「ふくしまデスティネーションキャンペーン」期間中の入り込み客数も事故前の9割のレベルだった。
 消費者庁が13年2月に始めた半年ごとのインターネット調査。昨年2月に15.3%まで減った「福島県産品の購入をためらう」と答えた割合が、同8月には19.6%に増えた。ことし2月は17.4%で行ったり来たりを繰り返す。
 東電が昨年12月末までに県内の個人、法人に支払った風評被害の賠償額は5800億円に達する。
 風評被害に詳しい東大大学院の関谷直也特任准教授(災害社会学)は「放射能はどこから安全でどこから安全でないか区別が付きにくい。実際に放射性物質が飛散し、高線量の地域が残り続けるので、風評被害はなかなか収まらないだろう」とみる。


倉敷市「ジーンズ議会」開会 岡山
 特産品のジーンズにちなみ「ジーンズ議会」と位置付けた倉敷市の9月定例議会が3日、開会した。「国産ジーンズ発祥の地」をアピールするため、平成19年から続けており、議員、伊東香織市長や幹部職員らがお気に入りのジーンズ姿で議場に入った。
 伊東市長はデニム地の書類ケースと筆入れなども持参。「やはり動きやすく、軽やか。この生地と同様に“しっかり”と内容のある議会にしたいです」と話していた。
 市議では、女性がデニム地のスカートやポンチョ、男性はベスト姿も。職員も含む男性陣のなかには「年々、腰が入りづらくなり、似合っていないので」と、足早に着席する人もいた。
 同市は議会会期中(18日まで)は、一般の市職員にもジーンズ製品の積極的な着用を求めている。

タヒチの朝ご飯/ねぎもんじゃ/クロアチアのチェバブチッチ

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La Chine célèbre sa victoire sur le Japon en faisant défiler ses missiles ≪tueurs de porte-avions≫
Des paroles et des actes. Le président chinois Xi Jinping a annoncé, ce jeudi, une réduction des effectifs militaires de 300.000 hommes sur les 2,3 millions que compte l’armée populaire de libération (APL) à l’occasion du défilé militaire, place Tiananmen à Pékin, célébrant les 70 ans de la victoire de 1945 contre le Japon.
Si l’armée comptera moins d’hommes, elle n’en sera pas moins puissante. Pour la première fois, les autorités chinoises ont, dans ce défilé, exposé au public les nouveaux missiles balistiques 21D que la presse d’Etat a affublé du sobriquet de ≪ tueurs de porte-avions ≫.
A 3.500 km/h, les missiles évitent des défenses anti-aériennes
Chargés sur leurs gros camions porteurs à 12 roues, ces missiles – qui répondent officiellement au nom de ‘’Dongfeng’’ (Vent d’est) – représentent un souci majeur de l’Etat-major américain, présent dans l’océan Pacifique avec sa septième flotte.
Géopolitique : Tout comprendre aux tensions entre la Chine et le Japon
Balistiques, ces missiles sortent de l’atmosphère avant d’y rentrer à une vitesse telle – près de 3.500km/h – qu’elle les rend quasi invulnérables aux défenses antiaériennes classiques. Leur portée exacte est estimée par les experts occidentaux entre 900 et 1.000 km et leur charge explosive est capable d’infliger de gros dégâts aux porte-avions classiques.
Obama et Merkel ont boudé l’invitation
Pour autant, Xi Jinping a tenu à adresser un message rassurant. Annonçant une baisse des effectifs de l’APL, il a expliqué que ≪ la Chine ne recherchera jamais l’hégémonie, pas plus qu’elle ne cherchera à s’étendre. Elle n’imposera jamais des souffrances tragiques aux autres nations ≫.
Heureusement car c’est à une vraie démonstration de force que s’est, après ce discours, livrée l’APL, envoyant à la parade quelque 12.000 soldats et 500 engins, tous survolés par près de 200 avions et hélicoptères.
Les démocraties occidentales ont tout de même du mal à croire Xi Jinping sur paroles. Signe de cette défiance, les principaux dirigeants, Barack Obama et Angela Merkel en tête, ont boudé l’invitation des autorités chinoises à venir assister à ce défilé.
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タヒチの朝ごはんを食べるために,外苑前で降りました.初めての場所で道がわからず,最初は神宮球場まで行ってしまいました.テーブルの上には,フェレロのアリッサ HARISSA FERREROが置いてありましたが,使いません.ホームページには以下の紹介がかいてありました.
南太平洋に浮かぶフランス領ポリネシア。タヒチ島をはじめとした島々はコバルトブルーの海に囲まれ、そこには「楽園」を呼ぶにふさわしいありのままの自然とタヒチアンの素朴な暮らしがあります。19世紀後半からフランス領になったため、島国の文化とフランスの文化が混ざり合い、魚介やトロピカルフルーツ、バニラを使った料理など、独特の食文化が生まれたタヒチ。
そんなタヒチの朝の食卓の主役は、新鮮なマグロと野菜をレモンとココナッツミルクで和えた伝統料理「ポワソンクリュ Poisson Cru」。ココナッツは島のいたる所に生えているので、いつでもフレッシュなココナッツミルクが手に入ります。ポワソンクリュはバゲット(フランスパン)と一緒に食べるのが一般的です。そして、タヒチアンが日曜日の朝によく食べるのが「プアロティ Pua Roti」と呼ばれるチャーシュー。タヒチでは中華料理も人気で日常的に食べられています。そこにカットしたフルーツをオーブンで焼いた「ポエ P’oe」を添えてタヒチの朝ごはんプレートが完成!

おいしかったです.
その後築地市場にいきました.おいしそうな海鮮料理ですが,朝ごはん食べたばかりで残念です.近大マグロもありました.
勝鬨橋を見てから聖路加ガーデンに寄って,後楽園まで行きました.フィンランド料理を食べたかったのですが,たくさん並んでいるのでパス.池袋でねぎもんじゃを食べることにしました.
それから京成で移動してきねがわ産業・教育資料室に行ってお話しをうかがいました.さだまさしが歌った木根川橋は近くにありました.
錦糸町を通って渋谷のネットカフェで時間つぶしてから六本木に行きます.クロアチアのチェバブチッチĆevapčićiをいただきました.フランス語ではĆevapiです.

震災で不明の遺体 身元判明
東日本大震災のあと、気仙沼市内のドラッグストアの跡から、見つかったものの身元がわからなかった遺体について、警察が調べを進めた結果、近くに住む、当時63歳の男性と判明し2日、遺骨が遺族に引き渡されました。
身元が判明したのは、気仙沼市中みなと町で1人暮らしをしていた当時63歳の男性です。
警察によりますと、男性の遺体は、震災のおよそ2か月後に自宅近くのドラッグストアの跡から見つかりましたが、同じ地区で行方不明の届けが出ていた人とはDNAが一致せず、身元の分からない状況が続いてきました。
その後、警察が、ことしに入って、県外に転居していた男性の長女の協力を得て、DNA鑑定を行った結果、身元が判明したということで、2日、遺骨が遺族に引き渡されました。
震災からまもなく4年半を迎えようとしていますが、警察によりますと、震災で、遺体で見つかったものの、身元が分からない人は、県内で16人いるということです。
警察は引き続き身元不明者の似顔絵を公開するなどして、情報提供を呼びかけています。


被災地を伝え歌を届けたい
 宮城県石巻市の芸能事務所に所属する歌手真野敬望(ひろみ)さんが、東京都の事務所に移籍してメジャーデビューする。東日本大震災後、関東などで歌謡ショーに出演する傍ら、被災地の実情を伝えてきた。活動が芸能関係者の目に留まりスカウトされた。6日、江東区で開かれる「東京歌謡祭2015」で新たな一歩を踏み出す。
 移籍先は多くの歌手や俳優を輩出する「レオプロダクション」。敬望さんは「聞き手の心に響き、幸せを感じてもらえる歌い手になりたい」と意気込む。
 宮城県東松島市出身。「芸能エンタープライズ真野」(石巻市)で真野晋一代表(57)に師事し、1998年にデビューした。リリースした曲は約20曲。真野代表は「ハスキーボイスが魅力で一番似合うのはブルース。彼女にしか出せない声がある」と評価する。
 敬望さんは震災発生時、石巻市で被災し、日和山に逃げて助かった。だが、津波で家族や地元のファンが犠牲となり、「つらくて苦しかった」と言う。
 地元での活動のほか、関東でクラブ、スナックを回り、ブルース調の「横綱横丁‥ネオン街」などを熱唱。歌の合間に支援への感謝や被災地の現状、防災の大切さを訴えてきた。
 東京都墨田区両国でことし7月に開いたショーがきっかけで、レオ社との契約が内定した。敬望さんは「天国の皆さんも応援してくれていると思う。これからも歌いながら被災地の様子や地震時の心構えを話したい」と語る。


30秒で石巻の食発信 若手CM制作
 映像制作に関心を持つ全国各地の若者が地方を訪れ、地域をPRする30秒のCMを作るプログラム「クリエーティブ サマーキャンプ」が宮城県石巻市内であり、東日本大震災からの復興に向かう地場産業の今をアピールした。
 日本の魅力を世界に発信するCMコンテストを企画する一般社団法人「my Japan」(東京)と復興庁などが共催した。石巻開催は昨夏に続き2度目。
 ことしのテーマは石巻の食。8月28日から3日間、全国から27人が参加し、3人ずつ9チームに分かれて撮影や編集作業をした。
 各チームは鮮魚や水産加工会社の缶詰といった食品を取り上げたり、漁師や農家、魚市場の関係者らを登場させたりして、石巻の多彩な魅力を表現した。
 明治学院大4年の長滝彩花さん(22)は「食べ物だけでなく街の人も映像に入れ、皆が影響し合って石巻を形作っていることを表現したかった」と語った。
 完成した映像の発表審査会が30日あり、亀山紘市長やCMディレクターらによる審査の結果、グランプリには長滝さんら首都圏の学生チームが制作し、童謡「いとまきのうた」の替え歌に合わせてテンポ良く石巻の特産品と住民を紹介した作品が選ばれた。
 my Japanの岡本俊太郎代表(27)は「昨年よりも明るい雰囲気の作品が多く、復興の進展を感じた。なりわいの再生に取り組む生産者の気迫もひしひしと伝わった」と話した。
 CMは福島県会津若松市と山形県南陽市でも制作される。石巻を含む各地のチームは現地で発表後、9月に東京での最終審査に臨む。最優秀作品は東京・渋谷の街頭モニターで放映される予定。


入居長期化…仮設の一斉点検始まる
 東日本大震災で整備したプレハブ仮設住宅の入居が長期化するのを踏まえ、宮城県は2日、気仙沼市の市総合体育館駐車場仮設住宅(89戸)を皮切りに、仮設住宅の一斉点検を始めた。
 委託を受けた業者の作業員8人が、住宅の床下をのぞき込みながら床を支える木ぐいを点検。屋根や外壁、給湯器の凍結防止ヒーターの状態も確認した。入居する主婦小野寺裕子さん(59)は「災害公営住宅が完成するまで2年以上あるので、安心して暮らせるようにしてほしい」と求めた。
 県による一斉点検は初めて。震災6年目となる2016年度以降も使う13市町366団地、約1万3600戸を対象に実施し、補修も行う。17年度以降も使う住宅は金属製の支えで基礎部分を補強する。仙台市でも7日に点検を始める。
 7月末現在で、県内の仮設住宅の入居者は2万9498人、入居率は62.8%。
 宅地造成などが遅れ、仮設住宅暮らしは20年まで続くとみられている。


「捜査側の改ざん明らか」狭山事件、弁護団が新証拠を提出 狭山市で1963年、女子高校生が殺害された狭山事件で、第3次再審請求をしている石川一雄さん(76)の弁護団は3日までに、石川さん宅の勝手口から見つかった女子高校生の万年筆について、石川さんが描き、発見のきっかけになったとされる勝手口の略図を赤外線撮影し、新証拠として東京高裁に提出した。略図は自白の通りに発見されたとする2審の無期懲役判決を支える重要な証拠とされるが、弁護団は「捜査側が改ざんしたのは明らか」と主張している。
 弁護団の中北龍太郎事務局長によると、略図には石川さんが鉛筆で家の見取り図を示した輪郭線や、「をかてのいりぐち」と記した勝手口に当たる部分に、捜査員がペンで引いた複数の線がある。
 弁護団は鉛筆とペンインクでは赤外線を吸収する性質に違いがあることを利用し、略図を赤外線で撮影。鉛筆線を強調して判別したところ、略図のペン線の下には輪郭線以外に鉛筆線はないことが分かった。
 このことから弁護団は「万年筆の隠し場所を特定するようなことは書かれてなく、勝手口のかもいにあると特定しているのは捜査員が書き加えたペンによる線のみ」とし、「改ざんした略図を基に、石川さんの自白によって万年筆が発見されたように装ったのは明らか」としている。


差別されるマイノリティ女性にとっての「民族衣装」の意味民主、社民両党などが提出した人種差別撤廃施策推進法案が現在、参院法務委員会で審議中だが、与党の抵抗もあって今国会会期中の成立は予断を許さない状況だ。そんななか、先日、勤務先の企業で「レイシャルハラスメント」に苦しんだ在日韓国人女性が提訴したと報じられた。
法制定は、日本が20年前に加入した国連・人種差別撤廃条約が求める義務でもある。ちょうど1年前、国連・人種差別撤廃委員会の日本政府審査が行われたが、人種差別への無策が厳しく問い質され一刻も早い対策を求める厳しい勧告を受けた。またネット上のおぞましすぎるヘイトスピーチとたたかうフリーライター、李信恵さんの裁判も提訴から1年がすぎた。いつまで国は手をこまねいているばかりで、個人がたたかわなくてはならないのか。法制定は急務だ。
論旨は多少異なるが、1年前に書いた記事を転載したい。ちなみに今回の法案提出には、この記事で言及した無所属の糸数慶子参院議員も共同提案者として名を連ねている。
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「思い出や、愛情、勇気をまとったみたい」
インターネット上のヘイトスピーチで名誉を傷付けられたとして、在日朝鮮人のフリーライター、李信恵さんが8月18日、「在特会」と同会会長、インターネットサイト「保守速報」の運営者に対する損害賠償請求訴訟を起こした。民族差別と女性差別に満ちたおぞましい言葉を浴びせられ続けてきた李さんが、「子どもたちの未来のためにも抑止力に」と提訴したものだ。
同日、記者会見した李さんは、水色のチョゴリと白いチマをまとっていた。素材は上下ともチュールレースで、在日社会で70年代後半くらいまで流行ったもの。ただしデザインは最近の流行の、クラシックなスタイルなところが目を引いた。「50年ほど前のもの。オモニ(母)がアボジ(父)と結婚する時に作ってもらったものを、仕立て直してもらった。中学生のときに日本名から民族名に変え、直後の文化祭ではこのチョゴリを着て踊った。大事な場面なので、またこのチョゴリを着たいと思った。思い出や、愛情、勇気をまとったみたい」だったと語る。
20〜21日には、ジュネーブで国連・人種差別撤廃委員会の日本政府審査が行われた。ヘイトスピーチや朝鮮学校差別などで、厳しい指摘が相次いだ審査を傍聴していた在日本朝鮮人人権協会代表3人のうち2人の女性は、やはりチマ・チョゴリ姿だった。米軍飛行場の辺野古移設は琉球人差別だと訴えた糸数慶子参院議員も琉装姿だった。
被差別の状況で、「武器」にも「お守り」にも
なぜ女性だけが民族性を衣装で主張しなくてはいけないのかという疑問は私にもある。だが、民族・女性差別が厳然と存在する状況では、民族衣装がマイノリティ女性にとって訴えのための武器となり、自らを鼓舞するお守りのようなものになりうる。このようなときの衣装は、メッセージを雄弁に伝えるメディアだ。李さんの会見写真を目にした瞬間、思わず涙が出た。
「『チマ・チョゴリ切り裂き事件』への対策などを理由に99年に第二制服が登場し、とくに2002年の日朝首脳会談における拉致認定後、学校以外の場でチマ・チョゴリ制服を見かけることはほとんどなくなった――。本書の出版以来、私はこのように書き続けてきた。だが皮肉なもので、ここ数年、『無償化』除外をめぐる集会や署名運動などで、チマ・チョゴリ制服を着た女子生徒が『活躍』する姿や、それが象徴として『活用』され、『注目』される様子を、以前より目にすることが増えたような印象もある。このことをどうとらえるべきなのか。ここで答えは出さないが、また新たな意味を持ってしまっているのだろうとは、思う」
いささか手前味噌だが、近く発売される拙著『チマ・チョゴリ制服の民族誌』電子版の「電子版あとがき」から一部引用した。モノはモノそれ自体が意味を持つのではない。そこに意味を付与するのはその時どきの社会や人びとの意識だ。目に見えないそれを見きわめ解き明かすのが私の仕事でもある。ご一読いただけるとありがたい。
(『週刊金曜日』2014年9月5日号「メディアウォッチング」) 韓東賢 日本映画大学准教授(社会学)

秋葉原で講演会/煮ホヤと女川汁

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Ban Ki-moon froisse le Japon en assistant à la parade militaire chinoise
La présence du secrétaire général de l'ONU à ce défilé marquant le 70e anniversaire de la fin de la Seconde Guerre mondiale, jeudi prochain, suscite le profond mécontentement de Tokyo.
Correspondant à Pékin
Le secrétaire général de l'ONU, le sud-coréen Ban Ki-moon, a froissé le Japon en acceptant de fêter en grande pompe, jeudi à Pékin, le soixante-dixième anniversaire de la défaite nippone lors de la Seconde Guerre mondiale. Une vingtaine de chefs d'Etat et de gouvernement, parmi lesquels le président russe Vladimir Poutine, la présidente sud-coréenne Park Geun-hye, ou le président sud-africain Jacob Zuma, assisteront à la spectaculaire parade militaire offerte par le président chinois, Xi Jinping. Cependant, la plupart des chefs d'Etat occidentaux ont décliné l'invitation.
Outre les démonstrations d'une impressionnante flotte de 200 avions des forces armées, plus de 12 000 soldats et quelque 500 unités d'équipements militaires conventionnel et nucléaire défileront place Tianan'men au coeur de Pékin. Officiellement, il ne s'agit pas d'un défilé anti-japonais… Bien que la parade soit présentée comme une célébration de la victoire chinoise dans la ≪guerre de résistance contre l'agression japonaise≫ et le fascisme. ≪La commémoration ne vise aucun pays en particulier. Ni le Japon d'aujourd'hui, ni le peuple japonais en général≫, a souligné Zhang Ming, vice-ministre chinois des Affaires étrangères.
Le Soudanais el-Béchir également présent
Les relations entre la Chine et le Japon se sont tendues ces dernières années, notamment en raison de disputes territoriales portant sur des îlots en Mer de Chine orientale. Pékin accuse aussi Tokyo de ne pas avoir fait repentance pour les crimes de guerre commis par les forces d'occupation nippones en Chine pendant la Seconde Guerre mondiale. Le porte-parole du gouvernement, Yoshihide Suga, a appelé l'ONU, organisation de 193 pays, à faire preuve de ≪neutralité≫. ≪Nous voulons encourager les Etats membres à regarder vers l'avenir et à ne pas se focaliser inutilement sur des événements particuliers du passé≫, a déclaré Suga à l'occasion de son point de presse quotidien, après que le Japon a adressé ses récriminations à l'instance vendredi dernier.
Ban Ki-moon a défendu sa participation aux cérémonies, affirmant que ≪la contribution et les sacrifices de la Chine durant la Seconde Guerre mondiale sont largement reconnus≫, selon l'agence Chine Nouvelle. ≪Il est important de regarder le passé, pour en tirer les leçons et avancer vers un avenir meilleur≫, a-t-il souligné. Ironie du sort, Ban retrouvera à Pékin le président soudanais Omar el-Bachir, qui assistera à la parade malgré le mandat d'arrêt international lancé contre lui par la Cour pénale internationale (CPI) de La Haye à laquelle la République populaire n'a pas adhéré.
Fabius représentera la France
Barack Obama, David Cameron et Angela Merkel ont décliné l'invitation. La France a décidé d'envoyer son ministre des Affaires étrangères, Laurent Fabius, tout comme l'Italie, mais les Etats-Unis, l'Allemagne et le Canada ne seront représentés que par leurs ambassadeurs. De nombreux observateurs redoutent que la commémoration soit le prétexte à une démonstration de force chinoise sur les lieux mêmes ou furent massacrés les étudiants pro-démocratie le 4 juin 1989. Les estimations du nombre de morts varient de quelques centaines à près d'un millier… Ces ≪évènements≫ sanglants restent un tabou absolu pour le régime communiste chinois, qui interdit leur évocation.
Le premier ministre japonais Shinzo Abe a pour sa part reporté une visite envisagée cette semaine en Chine, préférant rester à l'écart, préoccupé selon les médias par le caractère antijaponais de la parade. ≪Les inquiétudes du gouvernement japonais concernant la visite du secrétaire général de l'ONU à Pékin témoignent de l'étroitesse d'esprit de l'administration de Shinzo Abe et de son obstination à s'arc-bouter sur des perceptions erronées de l'histoire≫, a estimé China Daily dans un éditorial publié lundi. ≪Faire preuve aussi ouvertement de son mécontentement est contraire à la bienséance diplomatique≫, a ajouté le quotidien officiel, fustigeant des préoccupations nippones ≪aussi infondées qu'excessives≫.
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仕事で秋葉原です.街を見ると美少女アニメの大きな看板とかが多く,講演会の会場の近くには東京アニメセンターがありました.お話は参考になった気がします.
東西線で移動して女川のお店に行きました.生ホヤの季節は終わっているそうなので煮ホヤです.

女川は流されたのではない
新しい女川に生まれ変わるんだ
人々は負けずに待ち続ける
新しい女川に住む喜びを感じるために

女川第二小学校6年 小野寺柚希さんの詩を見て泣けてきそうな気持になりました.でも頑張らないと.機会を作って女川に行ってみたいです.子どもの頃,といっても記憶はないのですが住んでいたようなので・・・
最後に女川汁を食べました.サンマのすり身汁ですが,激ウマです.

「嵐」コンサート 宿泊業界ざわつく
 人気グループ「嵐」が今月、宮城県利府町の宮城スタジアムで開くコンサートをめぐり、県内宿泊業界がざわついている。4日間開催の異例のイベントは、延べ20万人の動員が見込まれる。全国から集まるファンの宿泊向けに、通常よりはるかに高い「嵐価格」を設定するなど歓迎するホテルがある一方、経済効果に疑問を抱く見方も出ている。
 コンサートは大型連休「シルバーウイーク」のうち19、20、22、23日に東日本大震災からの復興支援として実施される。開催を打診した宮城県が共催する。
 仙台市青葉区のあるホテルは期間中、インターネット予約によるシングル料金を素泊まり約3万6000円で販売中。5000円台の閑散期の約7倍に当たる。
 このホテルは需要に応じて料金を設定している。全国から嵐ファンが殺到すると見込み、通常の連休価格をさらに引き上げたという。フロント担当者は「過去最高価格かも。空室の問い合わせも毎日あり、嵐効果を感じている」と驚く。
 各ホテルでは、常連客や一般客の予約を断らざるを得ない例も相次いでいる。「学会やスポーツ大会をはじめ、毎年利用される方たちからの相談にも応えられなかった」。ある総支配人の表情は複雑だ。
 県はコンサートの経済効果を93億円と見込むが、この数字を額面通りに受け取る宿泊関係者は少ない。
 若年層のホテル利用者は素泊まりが多いとみられる。「食事は弁当を買ってきて食べるという人の割合が高いのではないか」とホテル関係者。「シルバーウイーク中は何もなくても満室になる。街が活気づくのは喜ばしいが、通常の年と比べて経済効果があるのかどうかは分からない」との声も聞こえてくる。


<石巻魚市場>津波全壊から再建…全面運用
 東日本大震災の津波で全壊し、再建中だった石巻魚市場(石巻市)が1日、全面運用を始めた。高度衛生管理型とし、国際的な食品衛生管理方式「HACCP(ハサップ)」に対応。付加価値の高い水産物を出荷し、水産業の本格的な復興を目指す。
 魚市場の須能邦雄社長は「一つの峠を越え、やっとスタートラインに立った。石巻の魚の安全性や価値を一層高めるため、買い受け人や業界と歩調を合わせていく」と強調。初競りや入札では、買い受け人らの威勢のいい声が飛び交った。
 魚市場は鉄骨一部4階、延べ床面積約4万6000平方メートル。荷揚げ場の延長876メートルは「日本一」とされた震災前の650メートルを上回り、全国でも最大規模を誇る。
 荷さばき所は鳥獣や排ガスが入らないよう壁で囲む閉鎖型。効率的な水揚げと徹底した衛生管理を実現させるため、定置網や底引き網といった漁業種ごとに水揚げのゾーンを設定した。
 荷さばき所などへの出入り時には長靴の洗浄・消毒を義務付ける。今後は魚を運ぶフォークリフトを排ガスを出さない電動式に切り替えるなどし、衛生基準が厳格な欧州連合(EU)への輸出も視野に入れる。
 再建工事は2013年8月に始まった。総事業費192億8730万円は国が負担した。
 中央入札場前であった式典には、関係者ら約200人が出席。亀山紘市長は「世界に誇る魚市場を支え、石巻の復興をPRすることで、漁船誘致や原材料となる魚の確保につなげたい」と話した。


<楢葉4年半の重み>地域の輪 再生遠く
◎全町避難解除へ(中)コミュニティー
<5年ぶり復活>
 東京電力福島第1原発事故による避難指示の解除まで1カ月を切った8月9日、福島県楢葉町では町内の「クリーンアップ作戦」が行われた。お盆前の恒例行事が5年ぶりに復活した。
 「以前は、開始の朝6時前に終わっていたな。みんな5時には動き始めて」。町中心部に近い北田地区。参加者は笑顔で言葉を交わし、空き缶などを拾った。
 174世帯の北田では原発事故前、地区運動会が大いに盛り上がり、花いっぱい運動も盛んだった。一声掛ければ住民が集まった。
 清掃活動にも200人が姿を見せたが、この日は25人だった。それでも行政区長の山内茂樹さん(64)は「現状を考えればよく集まった」と感じた。
 準備宿泊で地元に泊まり続けるのは10世帯ほどにとどまる。「泊まりに来て寂しくて帰る人もいた。解除後も戻る人は急には増えないだろう」と山内さん。「行政区も昔のような役割は果たせない。帰町者の把握など、できることを一つ一つやるしかない」と話す。
 全町避難の4年半は、あらゆるコミュニティーを崩した。住民総出の祭り、老人会、サークルといった活動は中断したまま。山田岡行政区長の遠藤一教さん(67)は「人と人とのつながりという、小さな町の根っこ部分が切れてしまった」と嘆く。
<新たな絆優先>
 福島県いわき市にある小名浜林城仮設住宅。自治会長猪狩政文さん(64)は楢葉町のクリーンアップ作戦には参加しなかった。
 代わりに仮設周辺の清掃に汗を流した。「地域の人にお世話になっているから」と、毎月第2日曜の自治会活動を優先させた。
 林城仮設は自治会の動きが活発だ。集会所は常に女性たちの声が響く。8月6日には15人ほどが七夕飾りを2本の竹に取り付けた。
 楢葉町で1人暮らしだった関根昌子さん(87)は「楢葉ではいつも近所が集まってお茶飲みをしていた。でも今帰ったら、人がいなくてぼけてしまう。ここはありがたい」と手を動かした。
 避難先で新たな根が生えている。猪狩さんは「集会所での絆は今や中途半端な親類より強い。それが帰町の妨げにならないか、ジレンマもある」と打ち明ける。
 復興庁などが昨秋実施した調査では、町に「すぐ戻る」と答えたのは9.6%。その回答者の34.6%がコミュニティー活動への支援を行政に求めている。
 林城仮設の竹飾りには「楢葉に戻りたい」「帰町後も皆様との仲をいつまでも」「穏やかな日々が続くように」などと書かれた短冊が結びつけられた。
 猪狩さんは言う。
 「みんな楢葉に帰りたいが、独りぼっちにならないかと不安なんだ。やはり4年半は長過ぎた」
[メモ]4月6日に始まった準備宿泊の登録は351世帯780人(8月31日現在)。町の調査では実際の宿泊は90〜120世帯にとどまる。行政区は20。町は8月29日に設置した第2期町復興推進委員会で、帰町後のコミュニティー対策を検討する。


<これから>古里再生誓い漁師に
◎第24部・意志を継ぐ(4完)宮城県南三陸町 小野具大さん
 午前6時半、東日本大震災で被災し復旧途上の宮城県南三陸町志津川の本浜漁港に、漁船「雄美丸」(4トン)が、あふれんばかりのホヤを積んで帰ってきた。8月中旬、同町志津川の漁師小野具大(ともひろ)さん(36)は、決意を胸に船上で黙々と作業していた。
 雄美丸の船名は、震災で亡くなった漁師の兄雄大(たけひろ)さん=当時(35)=と母美和子さん=同(60)=の名前から一文字ずつ取った。
 「落ち込むのはもうやめた。2人のためにも前を向くだけ」。三周忌を迎え、船を新造した2013年3月、そう覚悟を決めた。小野さんは高校卒業後、古里を離れ、仙台市の会社に就職。家業のホタテ養殖業は雄大さんが継いだ。「次男だったし、漁師は収入が不安定だと思った」と振り返る。
 震災時は大手飲料メーカーの社員として、塩釜市の病院で自動販売機の入れ替え作業をしていた。家族に何度電話してもつながらない。無事でいてほしい。5日後、祈りながら南三陸町に駆け付けた。「これが志津川か」。街並みはぐちゃぐちゃでぼうぜんとした。
 雄大さんと美和子さんは向かいに住む足の不自由な夫婦と車で避難中、津波に襲われたと聞いた。震災から2カ月後、遺体で見つかった雄大さんの火葬を終え「漁師になる」と決めた。
 親族には反対されたが、迷いはなかった。「災害に見舞われた古里を放っておけない」。震災時は遠くにいて何もできなかった。これ以上、傍観者でいる自分が許せなかった。
 11年9月に会社を辞め、10月に町に戻った。がれきの撤去作業をしながら、本浜地区の漁師グループ「あっぺとっぺ沖の須賀」の一員として、ワカメの養殖を始めた。仲間たちに教わりながら基礎を身に付けた。
 現在は父の哲夫さん(64)と二人三脚でホタテ、ホヤ、ワカメの養殖を手掛ける。2人でいるとどうしても哲夫さんともめることがある。そんな時、「そういえば兄貴も小言漏らしてたな」と、ふと思い出す。
 小野さんはまちづくり活動にも携わる。きっかけは13年夏に参加した釣り体験のイベント。地元の子どもたちが自然の中での遊び方を知らないことに驚いた。次世代に南三陸の良さを知ってほしいと願う。
 地元のまちづくり協議会に参加し、今まで関わりのなかった人と意見を交わす。命を守るための防災と海や山の幸を生かした食育が必要だと考える。
 古里に戻り間もなく4年。「大切な人を海に奪われた。同時に海は恵みを与えてくれている」。町をもっと良くしたいという思いが増す。兄と母から託されたのは家業だけでなく、まち再生への思いだった。(古賀佑美)


秋漁の主役サンマ 女川に初水揚げ
 全国有数のサンマの水揚げを誇る宮城県女川町の女川魚市場で1日、今季初のサンマの水揚げがあった。6月に新たに完成した東荷さばき場に秋漁の主役が登場し、市場は活気づいた。
 午前5時半ごろから、北海道根室市の「第2丸中丸」(199トン)が北海道沖で漁獲した45トンを水揚げした。竹内悟漁労長(65)は「量が少なく小さかったが、今後に期待。魚市場の設備は東日本大震災前よりも良くなった」と語った。
 入札では1キロ当たり410〜450円で取引された。魚市場の加藤実専務は「大きさの割にまあまあの値が付いた。買い受け人が頑張ってくれた」と話した。
 魚市場では東荷さばき場の完成などで、今季のサンマ漁の1日の受け入れ目標を最大1000トンに増やし、トータルで2万8000トンを目指す。


被災者の転居後押し 宮城県センター開設
 仮設住宅から恒久住宅に移る東日本大震災の被災者に、物件情報を提供する宮城県のコールセンターが1日、仙台市青葉区に開設された。被災者が希望する条件に合った民間賃貸住宅の空室情報を紹介し、新しい住まいへの移転を後押しする。
 県宅地建物取引業協会が運営を受託。青葉区国分町3丁目のオフィスビルに設けた事務所で職員3人が電話を受ける。初日から数件の相談があった。
 センターは、物件を扱う不動産業者の紹介や契約手続きの相談にも応じる。仮設住宅からの移転先として、県内の民間賃貸住宅を探す被災者を対象とする。
 来年3月までの利用は2800件程度を見込む。県は経済的事情などから転居先を確保できない被災者の相談支援のため、ことし7月には県被災者転居支援センターも開設。県震災援護室は「両センターの連携を図り、被災者の住宅確保につなげたい」と話す。
 コールセンターの業務日は月、火、木、金、日曜の週5日(祝祭日、年始年末は除く)、受付時間は午前10時〜午後5時。電話番号は022(796)9501。


<五輪エンブレム>都知事「責任の所在が不明確」
 2020年東京五輪の大会組織委員会が大会エンブレムを白紙撤回したことについて、東京都の舛添要一知事は2日までに「後味の悪い話だ。新国立競技場と同様、責任の所在が不明確、情報公開が不十分という問題が背景にある」とツイッターで批判した。
 舛添知事はツイッターで、エンブレムをデザインした佐野研二郎氏が、発表記者会見などで示した活用例のイメージ画像をインターネットから無断流用した点などに触れ、「プロとしては許されない行為があった」と指摘。「国民の信用を失うことにつながったし、私は裏切られたと感じた。イメージの悪化したエンブレムを国民が歓迎するはずがない」とした。


五輪エンブレム 騒動はこれで終わりに
 東京五輪の主会場となる新国立競技場の騒動に続き、今度は公式エンブレムの撤回である。疑念を断ち切るには、なにより透明性が欠かせない。日本の信頼が今やかかっている。
 内外にお披露目したばかりの国際ひのき舞台のシンボルを取り下げる。日本の信用を失墜させる前代未聞の不祥事と言うほかない。
 大会組織委員会の決定は遅きに失し、責任は重大である。今から国家的な失態が相次いでは、先が思いやられる。根本的に態勢を立て直すべきだろう。
 佐野研二郎氏が手がけたエンブレムに対しては、七月の発表直後から盗用や模倣の疑いを指摘する声がネット上で広がっていた。
 ベルギーのリエージュ劇場側が自らのロゴマークが盗用されたとして、使用差し止めを求めて国際オリンピック委員会(IOC)を提訴する事態にまで発展した。
 組織委側は、佐野氏のデザインの原案を公表して重ねて疑惑を否定したが、裏目に出た形だ。原案そのものに疑義が生じるなど騒ぎが大きくなったというわけだ。
 とはいえ、エンブレムの撤回理由は釈然としない。組織委事務総長の武藤敏郎氏の説明で明らかになったのは、デザイン界の常識と普通の国民の常識がすこぶる懸け離れているという実態である。
 デザイン審査で行われた国際的な商標調査の結果、佐野氏の原案には類似の作品が見つかったという。それならば、なぜその時点で失格とならなかったのか。
 百点余りの応募作品が寄せられていたのに、なぜ佐野氏に原案の修正を求めたのか。なぜ他の作品には目もくれなかったのか。
 組織委は不正行為はなかったとの立場を崩さないし、佐野氏は自発的に撤回したとの立場だ。リエージュ劇場側が訴えを取り下げず、賠償金支払いの命令が出たらどうするのか。疑問は尽きない。
 そもそもデザインの詳しい選考過程はやぶの中だ。一握りの審査委員がプロの基準のみで決め、本来の主人であるはずの国民は最後まで蚊帳の外に置かれていたのが実情である。
 新国立競技場の整備計画もそうだが、情報公開と説明が不十分に過ぎる。国民と共に五輪をつくり上げるという意識が決定的に欠けていると言わざるを得ない。
 新しいエンブレムを急いで選ばねばならない。五輪は特定の業界に利益をもたらすために開くのではない。国民の思いを大切にする姿勢を忘れてもらっては困る。


維新割り新党 苦し紛れの橋下流では
 野党、維新の党を離党した橋下徹大阪市長が国政型の新党を発足させることを表明した。新党には国会議員約20人の参加が見込まれ、党の分裂が確定的になった。
 二重構造を抱えていた党の実質破綻とはいえ、説得力のある大義名分も見当たらないまま、分裂を主導した橋下氏の行動は節度を欠く。政党再編を繰り返すことで、自らの浮揚を図っているのではないか。
 1日で180度の転換だった。橋下氏は柿沢未途幹事長の辞任問題をめぐり、先月27日に離党を表明した。だが、その際は「今、党が割れるようなことはしない。地方政治に集中する」との考えもメールで党関係者に伝えていた。ところが翌28日夜、自身が代表を務める地域政党「大阪維新の会」の会合で国政政党の発足を表明し、事態は急転した。
 亀裂を深めていた維新の党が解体していくのはいずれ、不可避だったかもしれない。だが、党の路線や政策を議論するはずの代表選を11月に控えていた。橋下氏は、旧日本維新の会の大阪系議員に強い影響力を持つ。あえて分裂を主導した手法には疑問を抱かざるを得ない。
 そもそも、橋下氏のこれまでの国政への関与は迷走の連続だった。地域政党、大阪維新の会を率いる橋下氏は2012年に国政政党、日本維新の会を結成した。その後、石原慎太郎元東京都知事らの勢力との合流や分離、さらには旧結いの党との合流など、離合集散を繰り返した。
 今回、維新の党の代表選は橋下氏の提案で党員にも国会議員と同じ1票が配分され、党員獲得に寄与していた。今回の事態に党員からは党費返納を求める抗議が相次いでいるという。橋下氏の責任は重い。
 動機にも疑問がある。今回、分裂を仕掛けた背景には11月に予定される大阪府知事選、大阪市長選に向けた橋下氏や松井一郎大阪府知事の影響力確保の思惑が指摘されている。
 大阪都構想は5月の住民投票で否決され、橋下氏は政治家引退を表明した。だが、ここにきて橋下氏は都構想の「再挑戦」を公言し、周囲には来夏の参院選出馬への待望論も出ている。地元議会や反対派と接点を探る努力もしないまま構想を蒸し返すようでは、民意の軽視である。
 離合集散を繰り返しても展望が開けず、最大課題だった都構想も否決され、苦し紛れの分裂劇というのでは、国民の理解は得られまい。
 維新の党の分裂が確定し、野党では同党と民主党の合流問題も新たに浮上している。政党の再編は政策本位で腰を据えて行うことが原則だ。にわかな再編論議にうつつを抜かさず、野党は終盤国会で安保関連法案への対応に集中すべき時だ。

二百十日/Yuさんのメールが嫌な感じ

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Accusé de plagiat, le logo des JO 2020 de Tokyo ne sera plus utilisé
Les Jeux olympiques (JO) de Tokyo 2020 n’ont plus de logo. Le comité d’organisation nippon a décidé mardi 1er septembre de ne plus utiliser celui créé par le graphiste Kenjiro Sano, qui suscitait depuis le début de l’été une controverse, notamment des accusations de plagiat.
La polémique était venue de Belgique, en juillet. Le créateur du logo du théâtre de Liège, Olivier Debie, avait accusé M. Sano d’avoir copié sa création. L’intéressé avait fermement rejeté cette accusation, et a tenté de prouver sa bonne foi avec des diagrammes et d’autres documents décrivant le cheminement de la conception du logo. Le 5 août, il confiait sa surprise lorsqu’il a appris les accusations de M. Debie :
≪ Je ne suis jamais allé en Belgique, je n’ai jamais vu ce logo, je n’ai pas compris ce qui m’arrivait et j’ai alors vécu des moments d’inquiétude. [Les deux logos] ne se ressemblent pas car la pensée qui sous-tend leur conception est totalement différente. C’est un emblème né de mon imagination, une œuvre de ma création. ≫
De nombreux internautes se sont alors lancés dans une campagne d’investigation sur la société de M. Sano, MR_Design, qui avait déjà été prise en flagrant délit de copie d’images pour une campagne publicitaire d’un brasseur japonais. Les internautes ont permis de révéler qu’une des photos utilisées par le graphiste lors de sa conférence de présentation du logo avait été reprise sur Internet sans autorisation.
Un scandale qui en cache un autre
Le comité d’organisation des JO de la capitale japonaise avait jusqu’à présent soutenu le designer et affirmé que le logo ne posait pas de problème. ≪ Son usage sera maintenu ≫, avait-il même assuré récemment, laissant libres les sponsors de l’employer. Toutefois, la multiplication des soupçons et l’ambiance de plus en plus néfaste créée par cette affaire auraient porté l’instance à changer d’avis.
C’est que les Jeux olympiques de Tokyo ne s’annoncent pas sous les meilleurs auspices. Ce scandale du logo survient après un autre dossier, bien plus coûteux économiquement et moralement, celui du stade olympique. En effet, le coût de construction de ce qui devait être la vitrine des Jeux nippons dans le vaste parc d’un temple au cœur de Tokyo avait quasiment doublé depuis le lancement du projet, à 252 milliards de yens (environ 1,84 milliard d’euros), ce qui en aurait fait le stade le plus onéreux du monde.
En raison de protestations sur ce coût jugé exorbitant, le gouvernement a décidé de tout reprendre à zéro et de relancer un appel d’offres.
フランス語
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クローズアップ現代「えん罪は防げるか 司法取引で変わる捜査」
今国会で審議されている司法制度改革の関連法案。捜査協力と引き替えに罪を軽くする、司法取引の制度が導入されるなど、捜査が大きく変わることになる。その課題を検証する
青木孝之, 国谷裕子

どん底 部落差別自作自演事件
高山 文彦
小学館
2012-04-02


現代の部落差別の実態と犯人の正体に迫る
03年12月から09年1月まで、被差別部落出身の福岡県立花町嘱託職員・山岡一郎(仮名)に対し、44通もの差別ハガキが送りつけられた。山岡と部落解放同盟は犯人特定と人権啓発のために行政や警察を巻き込んで運動を展開していったが、09年7月に逮捕された犯人は、被害者であるはずの山岡一郎自身だった。
 5年半もの間、山岡は悲劇のヒーローを完全に演じきった。被害者として集会の壇上で涙ながらに差別撲滅と事件解決を訴え、自らハガキの筆跡や文面をパソコンを駆使して詳細に考察し、犯人像を推測していた。関係者は誰も彼の犯行を見抜くことができなかった。
 被差別部落出身で解放運動にたずさわる者が、自らを差別的言辞で中傷し、関係者を翻弄したこの事件は、水平社創設以来の部落解放運動を窮地に陥れた。06年の大阪「飛鳥会」事件で痛手を負っていた部落解放同盟は、この自作自演事件で大打撃を被ることになった。
 なぜ山岡はハガキを出さざるを得なかったのか−−現代の部落差別の構造と山岡の正体に鋭く迫りながら、部落解放同盟が”身内”を追及する前代未聞の糾弾のゆくえを追う。
 週刊ポスト連載「糾弾」から改題。


二百十日です.だから???テレビでベルギーの政治家Jean-François IstasseがAKB48のファンだと言っていました.
Yuさんからのメールが嫌な感じです.
三浦理恵子の誕生日だそうです.

<楢葉4年半の重み>若い世代 帰郷迷う
◎全町避難解除へ(上)家族
 東京電力福島第1原発事故で福島県楢葉町に出されている避難指示が5日、解除される。全住民が避難した自治体では初めて「避難区域」から自由に住める町に戻る。古里を追われ4年半。先頭を切って再スタートする町でさえ、再生には、その歳月が重くのしかかる。解除前夜の楢葉を歩いた。(いわき支局・古田耕一)
<戻るの難しい>
 盆の入りの8月13日、高野幹生さん(45)は昨年10月に他界した父の新盆を楢葉町の自宅で迎えた。母、妻と2人の子、そして父の霊。原発事故後、家族が初めて楢葉に集った。
 自身は塩釜市に住み、仕事で仙台市に通う。妻子は妻の郷里の茨城県に避難する。母は父と一緒に住んだいわき市の仮設住宅で、高野さんの妹と暮らす。
 避難指示の解除後、母と妹は冬までに楢葉に戻る予定だが、高野さんと妻子は今の生活を続ける。「4年半が過ぎると、元の生活に戻るのは難しい」と思う。
 原発事故前、建築や製造を手掛ける会社を父と営んだ。避難後、従業員の引受先を探し、自身も職を探して現在の会社に入った。「一から設備を整え、事業を再開するのは無理。かといって、楢葉に今の会社のような安定した職場はない」
 妻子を呼び寄せることも考えたが、既に茨城の小中学校や環境になじんでいる。放射線に不安がある楢葉町となると、なおさらだ。
 「避難指示の解除で帰る場所ができるのはうれしい。週末には常磐自動車道で茨城や楢葉に通い、気持ちは離れないようにしたい」
 原発事故は一つ屋根の下の家族を引き離した。復興庁と県、楢葉町が昨秋、町の全世帯に実施した調査(回収率55.6%)では、2カ所に分離した世帯は32.3%、3カ所は15.0%、4カ所以上も4.8%に上る。
<何年かかるか>
 楢葉町の自宅で準備宿泊を続ける斎藤林一さん(76)は8畳間が五つ、12畳の洋間が一つの家に1人で住む。解除後も、妻と長男家族はいわき市で暮らす。
 「息子は仕事、孫は学校。妻は放射能が怖い。家族だけじゃない。以前は盆になると、県外の兄弟たちが集まったが、もう来ない。除染廃棄物の黒い袋を見れば帰省する気もうせる」
 斎藤さんは週4、5回、自転車で片道20分かけ、コンビニエンスストアにおかずを買いに行く。道すがら、町の将来に不安を感じる。「解除前で仕方ないが、子どもの声が一つもしない。寂しいよ。解除後も戻ってくるのは年寄りだけだ」
 町は8月20日、小中学校の町内での再開を2017年4月と決めた。現在の小中学生538人の保護者アンケートによると、再開時に「通学する」と答えたのは36人にすぎず、「迷っている」も43人だった。
 世帯分離が続き、若い世代、子どもたちが戻らなければ、古里をつないでいく基盤が大きく揺らぐ。
 「4年半を取り戻すのに何年、何十年かかるのか。えらいことだ」。ペダルをこぐ斎藤さんの足は重い。
[メモ]楢葉町は1956年、竜田村と木戸村の合併で誕生。東電福島第2原発が立地する。原発事故時の人口は8042、ことし8月31日現在では7368。住民基本台帳上は2694世帯だが、避難により3542戸(8月10日現在)に分かれて住む。町民の8割弱がいわき市に避難している。


<防潮堤>国道45号かさ上げし「兼用堤」に
 宮城県気仙沼市本吉町の大谷地区住民でつくる大谷地区振興会連絡協議会と大谷里海(まち)づくり検討委員会のメンバーは31日、国道45号を防潮堤を兼ねる「兼用堤」にするよう求める要望書を菅原茂市長に提出した。防潮堤を内陸側に移してできる限り砂浜を確保するのが目的で、菅原市長も実現に努める考えを示した。
 図面も添えた要望書では、国や宮城県が大谷海岸に計画する海抜9.8メートルの防潮堤を当初計画より内陸に移し、海岸線から数十メートルにある国道45号をかさ上げし、兼用堤にするよう求めた。後背地もかさ上げし、海側にある道の駅「大谷海岸」を移転させるなど要望は全8項目からなる。
 大谷海岸は環境省の「快水浴場百選」にも選ばれたが、東日本大震災の地盤沈下で砂浜が減少。海岸近くをJR気仙沼線と国道45号が並行して走り、防潮堤の建設で砂浜の奥行きを確保しにくくなることから、海岸が再生し、にぎわいを取り戻せるかどうか心配する声が上がっている。
 菅原市長は「国道45号の兼用堤化は国が難色を示すが、県と一緒に要望して実現させたい」と住民側の要請に賛同した。
 検討委は2014年9月に住民30人で発足、これまで議論を重ねてきた。芳賀孝司会長(45)は「甚大な被害があった大谷地区を良くしようというみんなの思いが形になった。要望を一つでも多く実現させたい」と語った。


<これから>三陸の恵み 人つなぐ
◎第24部・意志を継ぐ(3)埼玉県志木市 居酒屋「越喜来や」
 東武東上線志木駅(埼玉県志木市)の周辺から少し外れた場所に、1軒の居酒屋が明かりをともす。
 「越喜来(おきらい)や」。東日本大震災で被災した岩手県大船渡市三陸町越喜来地区から名付け、2012年7月に開店した。漁師の番屋を思わせる店内では、三陸産の新鮮な海の幸や水産加工品が味わえる。
 「ウマヅラハギは生じょうゆを付けて。アイナメは皮のままあぶって冷水にさらすと食感が全然違います」。三陸のご当地ならではの通な食べ方を語る店主の松井邦子さん(54)。震災の前は、この地と特につながりがなかった。
 小中学校の同級生が津波で行方不明になったらしいと、長男から聞かされた。北里大海洋生命科学部の学生だった瀬尾佳苗さん=当時(20)=。キャンパスがあった越喜来で暮らしていた。
 佳苗さんの母裕美さん(57)=東京都=は友人だった。掛ける言葉が見つからなかった。しかし震災の約2カ月後に会った裕美さんは、驚くほど元気だった。
 娘の捜索に行った際、自らが被災しているのに気遣ってくれた現地の人々の温かさに接したという裕美さん。「ふさぎ込んでいるわけにいかない。佳苗が大好きだった三陸のために何ができるかを考えたい」と前を向いていた。
 共感した松井さんは、被災地支援のボランティア活動も何もできないでいた自分を悔いた。越喜来の水産関係者の助言を受け、裕美さんらと一緒に居酒屋を開くことを迷いなく決めた。
 開店すると、店の存在を知った北里大の卒業生が関東一円から訪れるようになった。「ここに来ると第二の古里を感じられる」と喜んでくれる。卒業生や大船渡出身の大学生が店のスタッフに加わり「三陸色」がさらに深まった。
 松井さんはお客らを連れたツアーも企画し、年数回越喜来を訪ねる。「いつも人々の生きる強さに引き込まれる。三陸との橋渡しを続けたい」。自分に与えられた役割をかみしめる。
 8月のお盆前、越喜来湾を見下ろす高台に裕美さんらと立った。地域住民が整備した展望台に7月、佳苗さんの慰霊碑が移設されたばかり。「海に嫁いだと思っている」(裕美さん)という佳苗さんにふさわしいこの場所で手を合わせた。
 小学校の入学式で新入生代表の言葉をしっかりと読み上げた女の子の姿を、松井さんは今も鮮明に覚えている。活発で、男子も引っ張るリーダーだった。
 「人と人がつながり、広がっている。佳苗ちゃんが導いてくれるんだね」。
 風が心地よかった。(坂井直人)


震災復興記念館の実現を 南相馬の区長会が要望
 東日本大震災の悲劇を後世に伝えようと、福島県南相馬市小高区の行政区長連合会(山沢征会長)が31日、桜井勝延市長に震災復興記念館の建設を要望した。津波の被害を受けた民家を遺構として保存する構想で、区内の沿岸住民が中心となって計画を練り上げた。
 建設地として想定されているのは同区の塚原地区。構想では約1万3000平方メートルの敷地に床面積約1600平方メートルの記念館を建設し、内部に被災家屋2棟を移設する。施設設計には筑波大が協力した。
 山沢会長らが市役所を訪れて要望書を提出。「子どもたちの学びの場、地域に人を呼び込む拠点になる」と強調した。桜井市長は「地域感情も勘案して構想の可否を考えたい」と話した。


復興の歩み動画で紹介 宮城県庁にコーナー
 宮城県は東日本大震災からの復興の取り組みを伝えるため、庁舎内に「東日本大震災復興情報コーナー」を開設し、1日から利用を始める。防災や減災について考える展示もあり、小中学生らの学びの場としての利用も見込んでいる。
 復興情報コーナーは、県の歴史や文化を伝える県庁18階の県政広報展示室内に開設。展示室の一角、約11平方メートルのスペースを活用する。
 縦2メートル、横3メートルの大型パネルを用い、震災による人的被害や住宅の損壊、地区ごとの災害公営住宅の整備状況(6月30日現在)などを示す。パネルのQRコードを読み込むと、各地区の復興の歩みを動画で見ることができる。
 県が発行した震災に関する冊子をパソコンで閲覧できるほか、大型テレビでは震災時の庁内の様子や震災直後の被災地の状況、復興に向けた取り組みなどを収めた映像を放映する。
 タッチパネル形式の防災や減災に関するクイズコーナーも設け、津波の恐ろしさや日ごろの備えの重要性を学ぶことができる。
 開館時間は土日祝日と年末年始を除く午前9時半〜午後4時。入場無料。県震災復興推進課は「多くの来庁者に見てもらえれば、被災記憶の風化防止にもつながる」と話す。


石巻魚市場:全面再開 競り人らの威勢の良い声響く
 東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県石巻市の石巻魚市場の整備工事が完了し、1日、全面的に再開した。かつて水揚げ量全国3位を誇った港町の経済をリードする拠点が国際的な衛生管理基準に対応した最新設備に生まれ変わり、市場に集まった約200人の水産関係者は復興への期待に活気づいた。
 港の岸壁に沿って、関係者が「長さ世界一」という880メートルに及ぶ荷さばき所では、午前6時半から水揚げされたチダイやアジの初競りがあり、競り人や仲買人の威勢の良い声が響いた。
 施設は国の補助を受け約192億円をかけて整備。和食ブームに沸く欧米市場への輸出を見据え、食品衛生管理の国際規格「HACCP」に対応した設備や管理体制を整えた高度衛生管理型施設となった。運営会社の須能邦雄社長(72)は「震災から4年半を前に、ようやくスタート台に立てた。欧米に売り込む拠点にしたい」と話した。【百武信幸】


秋の味覚 お目見え 女川港にサンマ初水揚げ
 全国有数のサンマの水揚げを誇る女川町の女川魚市場で1日、今季初の水揚げがあった。45トンのサンマを積んだ船が着岸すると多くの買受人が港に集まり、トラックなどが何度も往復。女川の港が最も活気づく秋漁シーズンが始まった。初水揚げは昨年より2日早い。
 この日入港したのは北海道根室船籍の棒受網船第2丸中丸(199トン)で、午前5時半から水揚げを始めた。道東沖で漁獲したサンマは、シーズン初めでまだ小ぶりだが、脂の乗りは良い。入札では1キロ当たり450―410円とまずまずの価格で取引され、主に女川町や石巻市の水産加工工場に運ばれた。
 丸中丸の竹内悟漁労長(65)は「女川では毎年、何度も水揚げをしている。今年は魚群が薄く漁をするのが大変。今後の展開は読めないが、精一杯頑張りたい」と語っていた。
 女川魚市場は平成19年まで金額で8年連続、数量では5年連続で本州1位を記録した屈指のサンマ水揚げ拠点。東日本大震災では壊滅的な被害を受けたが、地盤沈下した岸壁の復旧工事などを進めてきた。その結果、昨年は初めてサンマの水揚げ量が震災前の平成22年を上回った。
 同市場の加藤實代表取締役専務(65)は「今は道東沖の漁が中心であり、女川への集中的な水揚げはまだ先。来月にかけてサンマが少しでも早く南下し、長期間にわたり三陸沖で漁場が形成されることを願いたい」と話していた。


「憲法違反は明白」「憲法9条守れ」 気仙沼市でも抗議行動
 参議院で審議中の安全保障関連法案に反対するデモが国会前をはじめ、全国各地で展開された30日と翌31日、気仙沼市でも市民、団体による抗議活動が行われた。
 30日は「戦争法案に反対する市民の会準備会」によるパレードで、31日は仙台弁護士会による「安全保障関連法案に反対する街宣活動@気仙沼」。
 パレードは小雨が降る中、「ストップ戦争法案」「憲法9条を守れ」などと書かれた横断幕、プラカードを手に田中前大通りなどを練り歩いた。
 街宣活動はスーパー駐車場であり、東法律事務所=市内赤岩老松=の東忠宏弁護士らが「憲法違反は明白。力を結集して廃案にすべきだ」と買い物客らに訴えろとともに、署名を求めた。


差別撤廃に尽力、水平社創立メンバーに焦点 京都で特別展
 1922年に京都市で発表された「全国水平社創立宣言」の国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産登録に向け、関連資料を並べた特別展が、京都市下京区の柳原銀行記念資料館で開かれている。全国水平社の創立者の一人だった吉崎民之輔(1898〜没年不詳)や寺田清四郎(1880〜1943年)に焦点を当て、差別撤廃に尽力した人物像を紹介している。
 京都市とNPO法人崇仁まちづくりの会の主催で、昨年に続き2回目。77点を展示し、昨年と同様、日本初の人権宣言として「人の世に熱あれ、人間に光あれ」とうたった全国水平社創立大会での宣言文や申請資料などを並べた。
 今回は初めて、創立大会で京都市議の差別発言を名誉毀損で訴えることを提案した吉崎と、柳原銀行頭取の故明石民蔵と盟友で、府水平社初代執行委員長だった寺田を掘り下げた。吉崎の演説内容を報告する府警察部長による極秘資料のほか、満州で事業家としても活動した別の顔を紹介。寺田は年表とともに、写真パネルを飾った。
 27日まで。月火曜、祝日休み。午前10時〜午後4時半。
 19日午後2時から、下京いきいき市民活動センター3階で記念シンポジウムを開催。竹口等・京都文教大教授と山内政夫・崇仁まちづくりの会理事が話す。先着50人で申し込み不要。無料。問い合わせは同資料館TEL075(371)0295。
Le petit prince
On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux. (Le petit prince)
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