フランス語の勉強?

décembre 2015

良寛とサルトル/あまちゃん録画削除

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京大逆バリ

Corée: des "femmes de réconfort" dénoncent l'accord conclu avec le Japon
Plusieurs centaines de manfifestants ont défilé à Séoul contre l'accord entre la Corée du Sud et le Japon sur les "femmes de réconfort", enrôlées de force dans les bordels de l'armée impériale durant la 2e Guerre mondiale.
L'accord sur les "femmes de réconfort" était dit "historique". Il ne satisfait pourtant pas toutes les intéressées et leurs proches. Plusieurs centaines de personnes ont manifesté, mercredi, devant l'ambassade du Japon à Séoul pour dénoncer l'accord "humiliant" conclu lundi.
Parmi les manifestants, plusieurs de ces Sud-Coréennes qui furent les esclaves sexuelles de l'armée impériale nippone pendant la Seconde Guerre mondiale et qui ont promis de continuer à se battre pour obtenir justice.
En vertu de l'accord signé entre Séoul et Tokyo, le Japon a offert des "excuses sincères" et un milliard de yens (7,5 millions d'euros) pour venir en aide aux 46 Sud-Coréennes encore en vie qui furent il y a 70 ans contraintes de se prostituer pour les militaires japonais.
Pour les manifestants, le Japon n'a pas endossé la responsabilité des atrocités
Mais nombre de ces femmes estiment que le Japon n'a pas réellement endossé la responsabilité officielle des atrocités commises par son armée. Tokyo a présenté en outre le versement d'un milliard de yens comme une aide, et non comme une compensation formelle.
"Nous continuerons de nous battre pour que le Japon endosse la responsabilité juridique afin de rendre justice aux victimes déjà décédées", a expliqué l'une de ces femmes Lee Yong-Soo, 88 ans, devant l'ambassade du Japon à Séoul, théâtre depuis des années de rassemblements hebdomadaires sur ce thème. Les manifestants ont notamment dénoncé l'engagement pris par Séoul de déplacer la statue symbolisant le combat des "femmes de réconfort" installée juste en face de l'ambassade. Selon un récent sondage, 66% des Sud-Coréens sont hostiles au déplacement de cette statue.
Les historiens estiment que jusqu'à 200 000 femmes, principalement coréennes, mais aussi chinoises, indonésiennes et ressortissantes d'autres pays asiatiques, ont été enrôlées de force dans les bordels de l'armée impériale. Le Japon a longtemps considéré cette question réglée en 1965 à la faveur de l'accord qui avait rétabli les liens diplomatiques entre Tokyo et Séoul.
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対談 瀬戸内寂聴×美輪明宏
作家・僧侶の瀬戸内寂聴さん(93)は、「戦争が人を一番不幸にする」と説き続けてきた。歌手・美輪明宏さん(80)は、自らの被爆体験、戦争反対への思いを音楽で表現してきた。“旧知の友”の2人が戦後70年の夏、長崎市で公開対談を行った。二人が語ったのは戦時中の体験から、文学、結婚、恋愛、老いまで。会場からのお悩み相談にも答えながら、2人が情熱的に語り尽くす。
瀬戸内寂聴,美輪明宏,
井芹美穂

科学アドベンチャー 西之島へ〜エンジニア達の熱き挑戦〜
未知の火山島“西之島”に挑んだ無人機のプロフェッショナルたち
本州から南へ1000km、太平洋のただ中に位置する西之島。
2013年11月から、2年間にわたり溶岩を噴き出し続け、人類の観測史上、最大の面積の島が生まれつつある現場です。
世界中の注目を集めていますが、大噴火を起こす危険があるので、島から4km以内に人が立ち入る事はできません。
そこでNHKは、科学者達と協力して、無人飛行機、マルチコプター、無人ヘリコプターといった、いくつもの無人機を駆使して、西之島にできるだけ接近して撮影や観測を行うプロジェクトに挑戦しました。
その様子は「日本列島誕生 〜大絶景に超低空で肉薄〜」(2015年1月2日放送)や「NHKスペシャル 新島誕生 西之島 〜大地創成の謎に迫る」(2015年8月23日放送)でお伝えし視聴者の皆様から好評をいただきました。
今回は、これまで番組では紹介しきれなかった影の主役“無人機をあやつるエンジニア達”の奮闘をお伝えします。
現場の状態が不明である西之島に、4kmも離れた海上から操作して無人機を近づけてゆくのは、どの機体にとっても、初めて経験する非常に難しい任務でした。しかしエンジニア達は、周到に準備を積み重ね、次々と現れる困難を、これまで培った知恵と工夫を総動員して乗り越えていきます。
太平洋のただ中で煌(きら)めいた技術者魂のドラマ。目が離せません。

100分de名著「良寛 詩歌集」
日本の僧侶の中で、お年寄りから子供まで誰もが知っている最も著名な人といえば、多くの人が良寛の名を挙げるでしょう。「子供たちと手まりをついて遊ぶ良寛」「粗末な草庵で自由気ままに暮らした良寛」といったイメージは誰しもの心の中に浮かび、「日本人の心のふるさと」と称える人もいます。しかし、いったい良寛がどのような思想を残したかとなると、ほとんど知られていないのが実情です。そこで「100分de名著」では、良寛が生前に遺した約500種の漢詩、約1400種の和歌の中から珠玉の名品を厳選し、そこから現代に通じるメッセージを読み解いていきます。
良寛は、越後出雲崎に町名主の長男として生まれ、後継ぎとして育てられました。しかし、見習いとして始めた仕事はことごとく失敗。大きな挫折を経験した良寛は家出し、やがて仏門に入ってしまいます。備中玉島の円通寺での厳しい修行を経て僧侶の資格も得ますが、寺の住職となることをよしとせず、七十四歳で生涯を終えるまで托鉢行脚の乞食僧として過ごしました。
いかなる組織にも所属せずホームレスにも似た質素な暮らしを続けた良寛でしたが、その人柄を慕い、悩み事を相談する人や心を通わせたいと訪ねる人は絶えませんでした。そんな人々に対して良寛は一切お説教をしないし仏教書を書くわけでもありません。良寛は、ただただ淡々となすべきことをなし徳の力を示しました。そして折にふれてその思いを託すように漢詩を作り和歌を詠むだけでした。
こんな良寛が多くの人々の心をとらえて離さなかったのはなぜなのでしょうか? 一見自由気ままに作られたようにみえる漢詩や和歌を深く読み解いていくと、その理由がわかってきます。「透徹した自己への洞察」「すがすがしいまでの清貧さ」「人や自然への温かいまなざし」「老いや死に向き合う強さ」等々……良寛の漢詩や和歌からは、全てをことごとく言葉で書き尽くすことで人生全体を修行の場にしていこうという生き方が伝わってくるのです。その生き方こそが人々の心を揺り動かしてやまなかったのです。
厳しい競争社会、経済至上主義の風潮の中で、気がつけば、身も心も何かに追われ、自分自身を見失いがちな現代。良寛の漢詩や和歌を通して、「命」や「自然」、「老い」「死」といった普遍的なテーマをもう一度見つめ直し、人生をより豊かに味わう方法を学んでいきます。
升毅さんからのメッセージ
良寛さまの回をやらせて頂きました升毅です。 面白い収録でした。朗読でもない、ドラマでもない、ドキュメンタリーのようでもあり、再現の要素もあり。この仕事をお受けする前は、達筆の良寛、というイメージくらいしかなかったのですが‥実際に良寛さまになりきって自分の作品を読み、少し達観しながら自分の作品解説をし、別人になって良寛さまを紹介していく。良寛さまを内から、側から、外から知ることが出来る。何ともお得な!良寛さまの人となりが身にしみていく、とても楽しい、そして心地よい体験でした。視聴者の皆様にも良寛さまのぬくもりが伝わりますように!
第1回 ありのままの自己を見つめて
【ゲスト講師】
中野東禅
…龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
【朗読】
升毅
…連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
良寛ほど「ありのままの自分」を見つめぬいた人はいない。ときに厳しく、ときに笑い飛ばすような批評眼を通して見つめた人間洞察からは、肩書きや名誉、金銭などは、本来の自己には何の役にもたたないのだ、という良寛のメッセージが伝わってくる。そして、ごまかしようのない自己を認めた時、何ものにも惑わされない「自由な生き方」も自ずと見えてくる。第一回は、自分自身を見つめる方法や何ものにも惑わされず伸びやかに生きるヒントを、良寛の漢詩と和歌に学ぶ。
第2回 清貧に生きる
【ゲスト講師】
中野東禅
…龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
【朗読】
升毅
…連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
「たくほどは風がもてくる落ち葉かな」。貧しく厳しい暮らしの中にこそ、奥深い楽しみや味わいがある……そんな良寛の心が見えてくるような和歌だ。良寛は、徹底して「もたない暮らし」を貫いた。だがそれは決してやせ我慢などではない。ともするとマイナスにもみえる「貧しさ」や「孤独」は、時に自分を見失わないための座標軸を与えてくれるのだ。そこにはモノや情報にあふれた現代人が忘れてしまった洞察がある。第二回は、良寛の清貧な暮らしの中に、私たちが生きる原点を見つけていく。
第3回 「人」や「自然」と心を通わす
【ゲスト講師】
中野東禅
…龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
【朗読】
升毅
…連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
清貧を貫いたからといって、良寛は決して超俗の人ではない。良寛の漢詩や和歌には、人々や自然への温かいまなざしが常に横溢している。子供と一緒に毬をつくことに没頭する幸せ、友人と酒をくみかわす楽しさ、質素な暮らしの中でこそみえてくる自然の美しさ。良寛の漢詩や和歌を読み解いていくと、人や自然と心を通わせ、全てを豊かに味わい尽くす達人の境地がみえてくる。第三回は、世俗とつかず離れずの批評眼に貫かれた、良寛の風流の真髄に迫る。
第4回 「老い」と「死」に向き合う
【ゲスト講師】
中野東禅
…龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
【朗読】
升毅
…連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
良寛は晩年、老いや病に苦しめられた。彼の漢詩や和歌にはその克明な状況すら描かれている。そこには、全てを言葉で表現し尽くすことで、「老い」や「病」「死」と対峙し、それを人生修行の場としようという良寛の強靭な精神がみえてくる。どんな苦境にあっても、自らを見つめ言葉で表現し尽くすこと。こうした並の表現者には真似できない旺盛な批評精神こそ、良寛の漢詩や和歌の真髄なのである。第四回は、良寛の表現活動を通して、「老い」や「病」「死」との向き合い方を学ぶ。
こぼれ話。
「言語化」の先にあるもの
良寛の和歌や漢詩、手紙などを読んで一番感じたことは、よくぞまあこんなことまで言葉に表現しているなあということ。私にとって良寛のイメージは、飄々と自由気ままに物事を楽しんでいる……というものだったので、老いについての嘆き、体の痛みについての訴え、病状のこまごまとした描写等々、負の部分も含めて、およそ表現していないことがないというくらい全てを表現しく尽くしていることに驚きました。伊集院光さんは、このことを「自分自身についての観察日記」と表現してくれました。講師の中野東禅さんは「実によい表現をなさいますね」としみじみおっしゃっていました。

良寛が出家して仏教を学んでいた時期は、禅宗の世界では、散逸していた道元の原稿などが収集・編纂され研究が旺盛に行われていた時期と重なり、先人たちの著作がまとまって読めるようになっていたと、中野東禅さんはいいます。いわば、「言語化」というものが大きな注目を集めていた時代。その渦中にいた良寛は、修行中に、この「言語化」というものに目を開かれていったのではないでしょうか? 約500の漢詩、約1400首の和歌という数多くの作品を遺した背景にはそんなこともあるのではないかと思います。

良寛は、「嘆き」や「愚痴」のようなものも含めて、まるで「観察日記」でもつけるように、一つ一つをありのままに書き留めています。そうすることで、「悲しみ」や「老い」、「病」、「死」までも冷静に受け止め、あたかも人生全てを修行の場としようとしていたようにも思えます。では、そうした「言語化」を通じて、良寛は何をしようとしたのか? 実はそれが一番大事だと思うのです。そこにあるのは、「自分自身」や「自分とは異なるもの」との徹底的な対話と、それらをより深く理解しようとする強靭な意志ではないかと思います。

今の世の中、インターネットやSNSの発達で、どんな人でも容易に表現活動ができる時代となってきました。ちまたには「自分自身」や「自分の意見」を語る言説であふれています。でも良寛のような「言語化」ができているのかというと、必ずしもそうでもないように思えます。全てを敵と味方だけに分けてしまう図式的な思考。自分とは少しでも異なる意見に対して「決めつけ」「レッテル貼り」をして排除してしまい、そこで思考停止してしまう態度。さまざまな意見に耳を澄まし、より深くその真意を知ろうとする意志をもたない怠慢さ……私自身の反省も含めて思うのですが、このような態度には、良寛のように「言語化」の先にみえてくるものがないように思えるのです。

良寛はこれらの態度とは真逆でした。どんな小さな声も聴き逃さない繊細さ、自分とは異なる人々への赦しと限りない慈愛、自然から豊かなものを汲み取ろうとする意志……良寛の漢詩や和歌からみえてくるのは、全てをありのままに受け入れながらも自分を決して見失わない「しなやかさ」です。それこそが、私たち現代人が学ぶべき「良寛の精神」ではないでしょうか?

100分 de 名著 サルトル「実存主義とは何か」
第二次世界大戦後の世界にあって、常にその一挙手一投足が注目を集め、世界中に巨大な影響を与え続けた20世紀最大の哲学者ジャン=ポール・サルトル。彼の思想は「実存主義」と呼ばれ、多くの人々に生きる指針として読みつがれてきました。そのマニフェストであり入門書といわれているのが「実存主義とは何か」です。
「実存主義とは何か」は1945年10月、パリのクラブ・マントナンで行われた講演がもとになっています。この講演には多数の聴衆が押しかけ中に入りきれない人々が入り口に座り込んだほどだといわれます。翌日の新聞には大見出しで掲載され大きな「文化的な事件」として記録されました。その後、この講演は世界各国で翻訳・出版され一世を風靡し、時ならぬサルトル・ブームを巻き起こしました。サルトルの思想はなぜそこまで人々を魅了したのでしょうか。
大戦直後のヨーロッパでは、戦前まで人々を支えてきた近代思想や既存の価値観が崩壊し多くの人々は生きるよりどころを見失っていました。巨大な歴史の流れの中では、「人間存在」など吹けば飛ぶようなちっぽけなものだという絶望感も漂っていました。そんな中、「人間存在」の在り方(実存)に新たな光をあて、人々がさらされている「根源的な不安」に立ち向かい、真に自由に生きるとはどういうことを追求したサルトルの哲学は、人間の尊厳をとりもどす新しい思想として注目を浴びたのです。
若い頃サルトル思想の洗礼を受け大きな影響を受けたというフランス文学者、海老坂武さんは、既存の価値観が大きくゆらぐ中で、多くの人々が生きるよりどころを見失いつつある現代にこそ、サルトルを読み直す意味があるといいます。サルトルの思想には、「不安への向き合い方」「社会との向き合い方」「生きる意味の問い直し」など、現代人が直面せざるを得ない問題を考える上で、重要なヒントが数多くちりばめられているというのです。
番組では海老坂武さんを指南役として招き、入門書といわれながらも難解で手にとりにくい「実存主義とは何か」を、小説の代表作「嘔吐」や後期思想を交えながら、分り易く解説。サルトルの思想を現代社会につなげて解釈するとともに、そこにこめられた【自由論】や【他者論】、【社会への関わり方】などを学んでいきます。
川口覚さんからのメッセージ
今回のお話をいただいてから、J.Pサルトルという人物と僕が頭の中で向き合うのですが、J.Pサルトルの物に対する着眼点や、想像力に圧倒されてしまいました。でもそれと同時に、とても興味深く、どんどん引き込まれている自分がいました。海老坂先生の解説とともに、ぜひJ.Pサルトルを知っていただきたいです。決して過去の人物ではなく、今の時代を生きる人たちの心を動かす何かがあるはずです。
第1回 実存は本質に先立つ
【ゲスト講師】
海老坂武(フランス文学者) 
…サルトル研究の第一人者。著書に「サルトル」(岩波新書)。
 サルトルの訳書多数。
【朗読】
川口覚
…俳優。蜷川幸雄演出による7代目ハムレットで注目を集めた若手実力派俳優。
第二次世界大戦という未曾有の経験によって、既存の価値観が大きくゆらいでいたヨーロッパ。人々は、たよるべきよすがを失い「根源的な不安」に直面していた。意味や必然性を剥ぎ取られ不条理にさらされたとき、人は一体どう生きていったらよいのか? サルトルは、その「根源的な不安」に向き合い乗り越えるために、「実存主義」という新たな思想を立ち上げた。「人間の本質はあらかじめ決められておらず、実存(現実に存在すること)が先行した存在である。だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ行為を選び取り、自分自身で意味を生み出さなければならない」と高らかに宣言した講演「実存主義とは何か」は、その後世界中で著作として出版され、戦後を代表する思想として広まっていた。その第一回は、「実存主義とは何か」が生み出された背景やサルトルの人となり、デビュー小説「嘔吐」も合せて紹介しながら、現代にも通じる「根源的な不安」への向きあい方を読み解いていく。
第2回 人間は自由の刑に処せられている
【ゲスト講師】
海老坂武(フランス文学者) 
…サルトル研究の第一人者。著書に「サルトル」(岩波新書)。
 サルトルの訳書多数。
【朗読】
川口覚
…俳優。蜷川幸雄演出による7代目ハムレットで注目を集めた若手実力派俳優。
世界や存在にはそもそも意味はない。だがだからこそ人間は根源的に「自由」なのだ。人間の根源的条件をそう考えたサルトル。だがそれは同時に人間に大きな不安を与えるものでもある。自分自身があらゆる行動の意味を決めなければならないからだ。そこには絶対的な孤独と責任が伴う。その状況をサルトルは「我々は自由の刑に処せられている」と表現した。人間はともするとこの「自由」に耐え切れず「自己欺瞞」に陥ってしまう。第二回は、「実存主義とは何か」や小説「嘔吐」から、人間にとっての「自由」の意味を読み解き、どうしたらその「自由」を本当の意味で生かしきることができるかを考える。
第3回 地獄とは他人のことだ
【ゲスト講師】
海老坂武(フランス文学者) 
…サルトル研究の第一人者。著書に「サルトル」(岩波新書)。
 サルトルの訳書多数。
【朗読】
川口覚
…俳優。蜷川幸雄演出による7代目ハムレットで注目を集めた若手実力派俳優。
決して完全には理解し合えず相克する「他者」との関係。だが、その「他者」なしには人間は生きていけない。「他者」と相克しながらも共生していかなければならない状況をサルトルは「地獄」と呼ぶ。こうした根源的な状況の中で、人は「他者」とどう向き合ったらよいのか? 第三回は、自分の「自由」の前に立ちはだかる「他者」という「不自由」を見つめ、主体性を失うことなく「他者」と関わりあうことがいかにして可能かを、サルトルの思想に学んでいく。
第4回 希望の中で生きよ
【ゲスト講師】
海老坂武(フランス文学者) 
…サルトル研究の第一人者。著書に「サルトル」(岩波新書)。
 サルトルの訳書多数。
【朗読】
川口覚
…俳優。蜷川幸雄演出による7代目ハムレットで注目を集めた若手実力派俳優。
人間は根源的に与えられている「自由」をどう生かしていけばいいのか。サルトルは「実存主義とは何か」で、「アンガージュマン」(参加・拘束)という概念を提唱し、人間は積極的に《状況》へと自らを《投企》していくべきだと訴える。社会へ積極的に参加し、自由を自ら拘束していくことが、自由を最も生かす方法だと主張するのだ。それは、サルトルが生涯をかけて、身をもって実践した思想でもあった。第四回は、「実存主義とは何か」だけでなくサルトルの具体的な実践や後期思想も交えながら、どんなに厳しい状況にあっても「自由」を生かし、「希望」を失わずに生きていく方法を学んでいく。
こぼれ話。
サルトルとともに…… 
あまりにも痛ましかったパリ同時多発テロ。犠牲になった方々のこと、そして、ご遺族の方々のことを思うと胸が張り裂けそうになります。とともに、非道な暴力に対する強い憤りを禁じえません。
今回取り上げたジャン=ポール・サルトルの活動拠点もパリでした。番組の最終回をあらためてかみしめつつ、今回の事件に対してサルトルだったらどのような発言をしただろう……という思いが去来しました。
講師の海老坂武さんは、サルトルについて「時代の対話相手だった」と語っていました。何か起こるたびに、サルトルは果敢に自らの主張を発信し、態度表明を続けました。彼に反対にするにしろ、賛成にするにしろ、人々は彼がどんな意見を述べるかに注目をしました。サルトルの思想は、ある時代の「座標軸」となっていたのかもしれません。そんな彼が今、生きていたとしたら?
サルトルほど戦争を憎んだ知識人は稀だったのではないか。そして、サルトルほど、傷つけられた人たち、虐げられた人たち、抑圧された人たちと連帯し、行動した作家は当時いなかったのではないか。学生時代、夢中でサルトルを読み続けた私の実感です。
そんなサルトルならば、おそらくまず何よりも、無辜の民を無差別に虐殺するようなテロリズムを断固糾弾したことでしょう。しかし、彼はそこにとどまらないような気がします。返す刀で我が身をも切り裂いたのではないか? テロリズムは絶対に赦されるべきではない。しかし、一方で、そのテロリズムが生み出される根本原因にメスを入れなければ何の解決も得られない。その原因の一端は我が身の内にある。西欧社会の側にもある。そういって、自らの血を流すような鋭い論評を行ったのではないか? 「シチュアシオン」という彼の膨大な発言集を紐解くと、そんなことを髣髴とさせる場面に何度もぶちあたります。
「民間人を巻き込んでしまうような空爆が果たして許されるのか」「テロリズムとどう対峙していけばいいのか?」「憎しみの連鎖はどうやったら断ち切れるのか」「難民の受け入れをどうしていったらよいのか」「民族間、宗教間の差別感情、憎悪の感情とどう向き合ったらよいのか」等々、今、私たちは、そう簡単には答えを出せない多くの問題に直面しています。
それでも、私たちは、問い続けなければならない。そして何らかの答えを見つけなければならない。そんなときに、サルトルの著作は、少なからずヒントを与えてくれるような気がします。
私は、今年九月、番組制作の報告をかねて、サルトルの墓前で手を合せてきました。
その場所で、思い出されてならない言葉がありました。番組でも紹介した、サルトルの最期の言葉といってもいい言葉です。
「世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これをつくり出さなければならない」
(対話「今、希望とは」より)
どんなに厳しい状況にあっても、サルトルとともに、「希望」を語り続けたいと思います。

明日へ ―支えあおう きっかけ食堂〜京都から東北へ〜
京都市上京区に、月に一度開かれる小さな食堂がある。毎月11日、気仙沼や釜石など被災地の食材を使った郷土料理やお酒を提供する「きっかけ食堂」。味をきっかけに東北を忘れずにいて欲しいという願いで立命館大学の学生3人が立ち上げた。名物は「きっかけタイム」。カードに東北について思う事を書き、席を交換しながら初対面のお客さんどうしが話すのだ。客の中で、何かちょっとした気持ちが湧きおこる。東北へいく事をためらっていた学生は、ホタテの味をきっかけに産地の漁師を訪ねることにした。学生たちも様々な悩みを抱えながらも、店を切り盛りするうちに少しずつ前に進もうとしている。被災地からはなれた街の食堂の小さな物語。
第66回NHK紅白歌合戦「ザッツ、日本!ザッツ、紅白!」〜NHKホール〜
テーマは「ザッツ日本!ザッツ紅白!」日本のエンターテインメントの決定版!松田聖子VS近藤真彦。嵐はスターウォーズとコラボ!小林幸子は進化形巨大衣装で降臨!アニメ紅白では人気キャラが大集合!紅白司会はミッキーと歌う。初出場はμ’s、乃木坂46ほか。SMAPもSPメドレー!福山雅治は超ベスト選曲!AKBイリュージョン!あさが来た特別編も!XJAPAN復活!森進一ラスト紅白。羽生結弦登場。金爆は!?
綾瀬はるか, 井ノ原快彦, 黒柳徹子,有働由美子,
有村架純,上橋菜穂子,大泉洋,堺雅人,土屋太鳳,所ジョージ,長澤まさみ,羽生結弦,又吉直樹,三宅宏実ほか
※副音声は紅白・ウラ トークチャンネル

N響“第9”演奏会
▽今、世界で最も活躍している指揮者パーヴォ・ヤルヴィが、この秋NHK交響楽団の首席指揮者に就任。N響に新風を吹き込み、注目を集めている。第9でどのような刺激的な演奏を聴かせてくれるのか期待が高まる▽ソプラノ森麻季、アルト加納悦子、テノール福井敬、バリトン妻屋秀和、合唱 国立音楽大学▽交響曲第9番 イ長調 作品125「合唱つき」(ベートーベン作曲)▽2015年12月22日NHKホール
指揮…パーヴォ・ヤルヴィ,管弦楽…NHK交響楽団,ソプラノ…森麻季,アルト…加納悦子,テノール…福井敬,バリトン…妻屋秀和,合唱…国立音楽大学

ゆく年くる年
2015年から2016年へと向かう「ゆく年くる年」。「笑顔のあすへ 希望の灯(ともしび)」をテーマに各地を中継で結びます。各地で紡がれるひとつひとつの年越しの風景に、誰もが笑顔で暮らせる平和な世の中への祈りや、ほのかにともる希望の光を見つめます。

テレビを見て過ごしました.100分de名著の良寛とサルトルがすごく良かったです.
京都のきっかけ食堂も行ってみたいなぁと思いました.
録画用のHDDの容量が少なくなってきたのであまちゃんの録画を削除しました.見たくなったらレンタルです.
大みそかはやはり紅白です.美輪明宏のヨイトマケの歌がサイコーでした.
お酒たくさん飲んだ一日でした.

復興の街 新たな輝き 5度目の大みそか
 再生を期す東北は東日本大震災から5度目の大みそかを迎えた。静かに暮れていく2015年の終わりに被災地のこれからを思う。
 12月下旬の夕暮れ時、石巻市で被災者向け集団移転用地の整備が進む新蛇田地区付近の上空から、市中心部方面を一望した。広大な敷地を弧を描いて囲むように、集合タイプの災害公営住宅が立ち並ぶ。
 仮設住宅から移り住む被災者の新たな暮らしの場だ。俯瞰(ふかん)した光景は復興に向けた地道な積み重ねが実を結びつつあることを象徴するかのようだ。
 ただし被災地全体を見渡せば、復興事業の遅れや構想とのずれが目に付く。大切な命を奪われた悲嘆は時がたてば癒えるというものではない。福島第1原発事故で住み慣れた土地を追われたままの人々は今も数多い。まだまだ道半ばだ。
 年が明けると、3月11日で震災から丸5年がたつ。国の集中復興期間は15年度で終了し、復興事業費の一部が被災自治体の負担となる。被災地は大きな節目を迎える。
 明日から16年。再生を願うみんなの心をつなぎ、「震災5年」の先にある未来を開きたい。


<5度目の年の瀬>孫に囲まれ腕まくり
◎2015被災地(11完)帰還の餅つき(福島県楢葉町)
 「あらら。そんなギョーザみたいな形じゃ、誰も食わねえよ」
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が9月に解除された福島県楢葉町。草野伝市さん(68)は張り切っていた。いわき市に避難する長男の子3人、埼玉県の長女の子2人。男女5人の孫が親を置いて泊まりにきている。28日は裏の畑のビニールハウスで餅つきだ。「技を教えないとな」
 妻たけ子さん(63)がせっせとコメをふかし、機械に入れる。長男と、たけ子さんの母もいわきから来た。合わせて9人。手始めに、あんこ入りを作る。
 「よく見ておけよ。肉まん、いや、あんまんみたいにすんだ」
 元日には長男家族5人、長女家族4人、千葉県に住む次男家族5人が顔をそろえる。草野さん夫婦を入れて総勢16人。避難指示が解けた町で気兼ねなく、にぎやかに新年を迎える。
 「楢葉のみんなが楽しく、豊かに暮らせるのが本当の復興。何年かかるか分からないが、まずは来年が明るい年になってほしいね」


河北春秋
 1972年12月、中米ニカラグアで巨大地震があり首都マナグアは壊滅状態になった。すぐさま支援に乗り出したのがプエルトリコ出身の大リーガー、ロベルト・クレメンテ。大みそかにもかかわらず救援物資を飛行機に満載し現地に向かった▼ところが、搭乗機が墜落してしまう。大リーグは彼の死を悼むとともに、その行動をたたえ、慈善活動に積極的な選手に与える賞に、クレメンテの名を付けるようになった▼今月、仙台市などの仮設住宅を訪問支援してきたNPO「ナルク宮城」が、約4年半にわたる活動に区切りをつけた。高齢者の相互扶助が目的の団体なのでメンバーは年配。「がれき撤去や泥出しは無理。茶話会なら」と始めたボランティアだった▼特にハンドマッサージをしながらの対話が好評で訪問は180回にもなった。代表の林茂さん(86)が、贈られた感謝状を手にして言う。「やめたら、かえって皆さんのことが気になって…」。それだけ一人一人の心情と日常に、長く深く心を寄せ続けてきた▼支えるとは相手を想像することだと思う。ことしはJR仙石線や石巻線が復旧した。宮城県女川町などで、まちびらきがあった。復興が形として見えた。来年で丸5年。見えにくい部分にも心を配りたい。さらに想像力を高めて。

ホームレス激減も実態は複雑 京都市調査
 京都市内の路上や公園で生活するホームレスが近年激減し、初めて調査した12年前に比べて2015年は2割以下となった。景気回復で仕事が見つかりやすくなったほか、市が整備した自立支援施設の効果も出ているとみられる。一方で高齢化が進み、複雑な背景を抱える人も増えている。従来の路上生活ではなく、インターネットカフェを泊まり歩くなど、若い世代で「ホームレス状態」になる人もあり、実態が把握しづらくなっている。
■若者にネットカフェ難民化
 市の調査は毎年、市職員らが公園や駅、河川などを歩いて確認している。今年1月時点で市内のホームレスは89人で、初めて調査した03年2月に比べて535人減った。
 京都府内のホームレスのうち、8割以上が京都市内に集中しているという。
 02年のホームレス自立支援特別措置法施行に伴う国の基本方針に基づき、市は入所型の緊急一時宿泊施設(シェルター)や自立支援センターを整備し、就労や生活の支援、健康相談などを行っている。シェルターで支援を受けたのは12〜14年度で2315人。うち896人が生活保護を受給し、居宅生活に移った。自立支援センターに入所したのは124人で、うち87人が就職した。
 高齢化も進む。12年1月時点の市内のホームレスは166人。60歳以上が71・9%で、07年と比べ24・3ポイント上昇した。路上生活を始めて5年以上の人は52・9%で、07年より23・6ポイント上昇し、長期化の傾向もみられる。
 ホームレスになる理由やきっかけも変化している。
 市によると、以前は不況によるリストラで路上生活を余儀なくされた人が多く、就労支援をすれば仕事が見つかり、自立できるケースが多かった。しかし最近は、親子関係が悪化した▽精神的な疾患や障害がある▽窃盗などの犯罪を繰り返して出所した−といった背景を抱えた人が増加している。非正規雇用の拡大で、仕事に関する経験や技術が不足している人もいる。
 市の自立支援センターを運営する公益財団法人ソーシャルサービス協会ワークセンター(南区)によると、シェルターの入所者のうち、路上生活の経験者は半数以下で、中にはインターネットカフェや友人の家を泊まり歩く人たちもいるという。
 同センターの木村祐子事務局長は「ホームレスになる人の傾向が変化し、生活のリズムや仕事の基礎ができていない人も増えた。これまでより長い期間での支援や、精神的なケアができる専門家の配置が必要だ」と訴えている。


戦後70年が終わる 過去と穏やかな対話を
 惨禍を極めた大戦の終結から70年という節目の年が間もなく暮れる。
 空前の数の人命を奪ったあの戦争はなぜ引き起こされたのか。戦争中に日本はどう振る舞ったのか。
 この1年、歴史の評価をめぐってさまざまな議論が交わされた。その多くで歴史はナショナリズムというよろいをまとわされ続けた。
 年初に私たちが最も懸念したのは、歴史認識の違いによって東アジアが際限のない「歴史戦争」にのめり込んでいく事態だった。
 実際に日中韓では摩擦が絶えなかった。それでも年末に日韓がたどり着いた合意は、対立を乗り越えようとする両国の強い意思を示した。負の連鎖を防ぐ上で重要な一歩だ。
日米離間を図った中国
 「さまざまな面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います」。天皇陛下は誕生日にあたってそう振り返られた。南太平洋パラオへの慰霊の旅や、昭和天皇の聖断が下された御文庫(おぶんこ)付属室の公開など、例年にも増して戦争の記憶と向き合ってこられた陛下の思いは、国民にも伝わったことだろう。
 過去との対話は本来、冷静かつ穏やかな態度でなされるべきものだ。たけだけしく歴史を語れば、もともと異なる国家のアイデンティティーを闘争へと駆り立ててしまう。
 1年を通して歴史問題が強い政治性を帯びたのは、国際的な政治秩序の変動期と戦後史の節目が重なったためだ。軍事・経済両面で驚異的に膨張を続ける中国と、安倍晋三首相の再登場以来進んだ日本政治の右傾化が相互に刺激し合った。
 とりわけ中国による歴史の政治利用は、周到かつ執拗(しつよう)だった。
 2月の段階で中国は、戦後70年にちなむ国連安全保障理事会の公開討論を提案した。そして「いまだに侵略の歴史をごまかそうとする者がいる」と日本をけん制した。
 5月の核拡散防止条約再検討会議では、世界の指導者に被爆地への訪問を促す日本提出の決議案を、中国が「日本が第二次大戦の加害者ではなく、被害者であるように歴史をゆがめる」との理由ではねつけた。
 9月には大々的に抗日戦勝記念式典を催した。10月には南京虐殺の資料をユネスコの世界記憶遺産に登録し、「国際社会公認の歴史的事実になった」と胸を張った。
 一連の中国のプロパガンダには、「戦勝国」中心の戦後秩序を強調することで、「侵略」と認めることに消極的な安倍政権と米韓両国とを離間しようとする狙いがあった。
 6月22日に国交正常化50年の節目を迎えた日韓関係も、和解の糸口を見つけられずに停滞が続いた。7月に「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された際には、朝鮮半島出身者の強制使役をめぐって双方が火花を散らせた。
 日本側の焦点は、安倍首相が8月に出した戦後70年談話だった。首相は戦後50年の村山富市首相談話に一貫して否定的な見解を示してきたため、戦前の日本を美化する「歴史修正主義」の談話になるのではないかと国際的な注目を集めた。
 談話の作成に向けて首相は2月に有識者会議を発足させた。会議の報告書は1931年の満州事変以降の大陸政策を「侵略」と認定した。ただし、実際の安倍談話では侵略の主体は明示されず、村山談話のキーワードを並べるにとどまった。
過ち直視する勇気こそ
 首相は11月の講演で「今や談話が話題に上ることはほとんどない。多くの国民が共有できる談話を作成することができた」と自賛した。
 そうだろうか。安倍談話の特徴は新たな摩擦を避けようとする防御的な表現にあった。中韓両国が抑制的に反応したのは、談話の内容ではなく、経済の減速に伴う中国の対外政策変更や、日韓の不和を懸念する米国の働きかけなどが絡んでいる。
 明治中期に渡米し、米エール大で日本人初の教授になった歴史学者の朝河貫一(あさかわかんいち)は、日露戦争後の1909年に「日本の禍機(かき)」を出版した。
 中国の「領土保全」と列国の「機会均等」を掲げて日露戦争を戦ったはずの日本が、戦勝後はロシア同様に南満州を「私曲(しきょく)」し始めたことに国際世論が険しい目を向けていると母国に警鐘を鳴らした著作だ。
 「戦前世界が露国に対して有したる悪感は、今や変じて日本に対する悪感となり、当時日本に対したる同情は、今や転じて支那(しな)に対する同情となりたり」
 朝河は、日本がアジアで背信を続ければ、いずれは日米が戦うとまで予言していた。日本の対中侵略は満州事変で突然始まったわけではなく、そのはるか前に素地が出来上がっていたことを知る必要がある。
 節目の年を過ぎても歴史問題はくすぶり続けるだろう。中国が対日政策を修正したとしても、歴史カードを手放すとは考えられない。日本の外交当局は中国が旧日本軍731部隊の世界遺産登録を目指すのではないかと警戒している。
 日本が過去の過ちに謙虚であることは「自虐」でも何でもない。むしろ、勇気を持って直視する姿勢こそが日本の道義性を高め、国際社会での立場を強くする。その先に東アジアの和解があると確信する。


激動の1年  平和国家の歩み、大きく転換
 戦後70年。節目の年が暮れる。振り返れば、この国のかたちが大きく変容した激動の1年だった。
 最も大きかったのは、歴代の政権が禁じてきた集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法が成立し、海外での武力行使に道が開かれたことだ。米軍との一体化が進み、自衛隊の海外活動の範囲は地球規模に拡大される。
 多数の憲法学者が「憲法違反」の疑いがあると指摘し、世論調査で8割もの国民が「審議不十分」とした。戦争への痛切な反省からつくりあげてきた戦後の平和主義を変質させかねない重要法案であるにもかかわらず、民意に耳を傾けることなく与党の数の力で半ば強引に可決したことは、憲政史に大きな傷を残す結果となった。
 問われた民主主義
 民意から目をそらす安倍政権の姿勢は、沖縄県・米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題でも顕著だった。
 県民の辺野古移設反対の意思は知事選でも衆院選でも明確に示されてきた。だが政府は「地元の理解」を何度も口にしながら、方針が受け入れられないとみると、翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しの効力を停止し、国による代執行を求めて提訴。そのうえ、辺野古周辺地区に直接、補助金交付を約束するなど、なりふり構わぬ強行策が目についた。
 「日本に地方自治や民主主義はあるのか。国民に問いたい」。翁長知事が代執行訴訟の意見陳述で述べた言葉は、この国の政治の質への重い問いかけだろう。
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からまもなく5年。新規制基準に合格した原発の再稼働は、日本のエネルギー政策にかかわる転換点となった。
 九州電力は川内原発1、2号機を再稼働、四国電力の伊方原発は地元知事らが再稼働に同意した。福井県の関西電力高浜原発は、運転停止を命じた福井地裁の仮処分が取り消されたため、1月にも再稼働する構えだ。
 火山災害の可能性、住民避難計画の実効性、免震重要棟の未完成など不安要素を抱えながらの再稼働に、惨事の教訓は生かされたのか。「安全神話」の復活への疑念は消えない。
 高速増殖炉もんじゅは原子力規制委員会から運営主体の変更を求められ、国が推進する核燃料サイクルの行き詰まりは明らかだ。しかし、国民の多くが願う脱原発の道は閉ざされたままだ。
 貿易を自由化し、投資や知的財産のルールを統一する環太平洋連携協定(TPP)交渉は大筋合意に至ったが、国内農業への打撃をどう抑えるかが課題だ。年明けの通常国会が注目される。
 企業への信頼揺らぐ
 相次ぐ偽装や改ざんで、企業や研究機関への信頼が揺らいだ年でもあった。
 東洋ゴムの免震装置や防音ゴムのデータ偽装に始まり、横浜市のマンション傾斜問題では、全国でくい打ちデータの改ざんが発覚した。化学及血清療法研究所の血液製剤の不正製造や記録偽造は、40年前から続くという信じがたい姿勢が明らかになった。日本を代表する企業の一つ、東芝が巨額の不正会計問題で苦境に陥り、監査法人にも厳しい目が向けられた。
 非正社員の割合が4割に達し、過労死や過労自殺が過去最悪になるなど社会のひずみも目立った。
 2020年の東京五輪・パラリンピックでは、メーンスタジアムの新国立競技場の建設計画と、公式エンブレムがいずれも選定をやり直す結果となり、関係者が責任を押しつけ合う醜態を演じた。
 茨城県など北関東地方が台風の影響で大規模な水害に見舞われ、鹿児島県・口永良部島の噴火で全島民が避難。箱根山や阿蘇山でも噴火が相次ぐなど自然災害も多かった。災害とともにいかに生きるかが問われている。
 未来への希望の光も
 明るいニュースもあった。
 ラグビーのワールドカップで日本代表は強豪南アフリカ代表を破り、「歴史を変えた」と称賛された。体操の世界選手権男子団体では日本が37年ぶりに王者に返り咲いた。世界最高得点を記録したフィギュアスケート男子の羽生結弦選手の演技も忘れられない。
 国際宇宙ステーションに物資を運ぶ補給機「こうのとり」は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が打ち上げ、若田光一さんが地上からの交信を担当、滞在中の油井亀美也さんがロボットアームでキャッチする「チーム・ジャパン」で成功させた。ノーベル賞では、大村智北里大特別栄誉教授が医学生理学賞、梶田隆章東京大宇宙線研究所長が物理学賞を授与された。2年連続の日本人受賞は快挙だった。
 過激派組織「イスラム国」のテロが続発して世界を揺るがし、南シナ海の管轄権をめぐって米国と中国の緊張が高まった。そんな中で温暖化防止への「パリ協定」採択と、日本と韓国の従軍慰安婦問題決着への合意は、未来に希望をつないだといえる。
 前途に難題は多いが、相手を尊重し、議論を尽くすことで、一歩ずつ前に進めることはできる。そう信じて新年を迎えたい。


安倍政治/1強が深めた民意との溝
 重要な問題が政権の思惑通りに決まっていく。第2次安倍政権発足から3年、安倍晋三首相による「1強政治」が加速した1年だった。
 戦後の平和主義を転換する安全保障関連法の成立だけではない。原発事故後の新規制基準に基づく原発再稼働、非正規雇用の制限を緩和する労働者派遣法改正、環太平洋連携協定(TPP)の大筋合意、消費税再増税時の軽減税率導入など、生活に直結し、さまざまな懸念が指摘される政策が大きく前進した。
 背景には、異論を排除する安倍首相の政治姿勢と、それを追認する自民、公明の巨大与党の力がある。選挙で得た衆参の多数議席で「決める政治」を押し進める安倍首相に対し、「多弱」状態を抜け出せない野党は力不足を露呈し続けた。
 その結果、置き去りにされた民意と政治の溝は深まっている。
 典型は沖縄の米軍普天間飛行場移設問題だろう。県民は知事選、衆院選など選挙のたびに辺野古移設反対の意思を示した。それでも国は埋め立て手続きを進め、県と国の法廷闘争になだれ込んだ。
 若者や市民による安保法案反対運動は成立後も続き、安保法廃止に向けて野党結集を支援する動きへと発展しつつある。
 政権内部の失態も相次いだが、いずれも甘い対応に終始した。首相補佐官が安保法制で「法的安定性は関係ない」と述べ、自民党若手議員からマスコミへの圧力発言が飛び出した。首相自ら野党にやじを飛ばし、外交優先で秋の臨時国会を見送るなど国会軽視は目に余る。閣僚らの政治資金問題も後を絶たない。1強への慢心ではないか。
 異論を封じる空気は自民党内にもまん延している。9月の党総裁選は異例の無投票で首相を再選した。軽減税率の与党協議では首相官邸が介入し、導入に慎重だった党税制調査会長の野田毅氏を事実上更迭した。
 安保法成立で下落した内閣支持率は3カ月で持ち直した。安倍政権の強引さを危惧しても歯止めをかける政党が見つからない。行き場をなくした民意の受け皿づくりが急務だ。
 来年夏の参院選は衆院選との同日選も取りざたされ、与党が圧勝すれば首相が悲願とする憲法改正も視野に入る。この国の岐路と1強政治にどう向き合うのか。2016年は有権者の選択が問われる年になる。


テロの拡散/力ずくの限界を見据えて
 世界が「テロ」に揺れた1年だった。数々の蛮行を振り返り、あらためて暗然とする人は多いだろう。
 フランスの風刺週刊紙襲撃を皮切りに、主な事件だけでも、日本人が巻き込まれたチュニジアの博物館での銃乱射、トルコ爆破テロ、エジプト発のロシア機墜落、年の瀬を前にしたパリ同時多発テロと続いた。
 テロの2文字に接しない日はなかったと言っても過言ではない。
 大きな要因として過激派組織「イスラム国」(IS)の浸透がある。シリア、イラクの一部を支配し、欧州などから加わる若者が絶えない。戦闘を経験した後、母国に戻ってテロの予備軍になれば重大な脅威になる。アフリカなどで活動する過激派に同調の動きがあるのも懸念材料だ。
 いつ、どこで、だれがテロに遭うか分からない。市民が集うカフェや劇場が襲われたパリ同時多発テロに、攻撃の対象が世界に広がってきた現実を意識せざるを得ない。
 この1年、ISにつけ入る隙を与えたシリア内戦は、膨大な数の難民を生んだ。ほかにも、経済破綻や紛争にあえぐ国は多い。国連機関の推計では、今年になって中東などから欧州諸国に流入した難民や移民は100万人を超えた。
 無差別テロの恐怖に加えて、急増する難民や移民への反発が反イスラム感情をさらにかき立て、反移民など過激な主張の極右勢力になびく風潮が強まっていく。欧州社会にのぞく「排除」の芽が気がかりだ。
 寛容さを忘れた排外主義は、ごく普通のイスラム教徒に新たな憎悪を生みかねない。社会の分断は、それこそ過激派の思うつぼである。不満の矛先を異質なものに向ける危うさが、もっと叫ばれていい。
 米中枢同時テロを受け、米国主導の「テロとの戦い」が始まって14年になる。力に頼って抑え込もうとする行動は何を生んだのか。制御が効かなくなったかのような2015年の混迷は一つの答えだろう。
 力ずくの限界を見据えた、多様な対応がいよいよ求められる。シリアなどの紛争を収め、国の再建がかなう環境づくりに向けて国際社会が結束したい。欧米の国々に移り住んだイスラムの若者らが前向きに生きられるようにする施策も要る。
 テロの拡散防止に本腰を入れないと世界の安定は大きく損なわれる。危機感を共有すべきときだ。


2015年回顧 民主主義問われた1年 諦めず、声を上げ続けよう
 戦後70年、戦争体験者が少なくなる中、あらためて不戦を誓った1年が暮れようとしている。
 沖縄戦の教訓である「軍隊は住民を守らない」。県民はそのことをよく知るからこそ、戦争につながる全てのことを否定してきた。
 そうした県民、国民の願いと逆行するように、安倍政権は辺野古新基地建設や安全保障関連法成立などで強硬姿勢をあらわにし、民意と強権の対立が鮮明になった。
内外に広がる民意
 辺野古新基地建設問題では、県内だけでなく全国メディアの世論調査でも政府に批判的な意見が多数を占める。5月の県民大会に約3万5千人が集まり、大学生でつくるSEALDs(シールズ)は全国一斉行動で沖縄との連帯を示した。辺野古基金に5億円を超す支援が集まり、県内の団体を幅広く網羅する「オール沖縄会議」も発足。海外の文化人109人も沖縄の民意に賛同する共同声明を発表した。辺野古新基地建設を拒否する民意はかつてない高まりを見せている。
 翁長雄志知事が国連人権委員会で「基地問題は人権問題」と訴えたことも国際社会への理解を広げた。民主主義と自決権を前面に掲げた沖縄の問い掛けが、これまで関心の薄かった本土、諸外国に広がっている証左といえよう。
 一方で「辺野古」をめぐる県と国の対立は激化している。翁長知事が前知事の埋め立て承認を取り消したのに対し、国は代執行訴訟などを起こし、県も抗告訴訟で対抗せざるを得なくなった。さらにはキャンプ・シュワブ周辺3地区へ直接交付金を支出する露骨な「アメとムチ」で国は沖縄を分断しようとする。この国の民主主義、地方自治とは何か、継続して問われることになろう。
 辺野古で民意を顧みない政権の姿勢は安保法成立でも示された。多くの学者が違憲とし、平和憲法を骨抜きにする悪法にもかかわらず、数の力で押し切った。政権への不信を象徴したのが沖縄の慰霊の日、広島、長崎での各式典だ。安倍晋三首相のあいさつに「帰れ」のやじが飛んだ。平和憲法の危機、戦争の足音が身近に迫ったことに危機感が噴出したといえる。
 戦争体験者が減り、ひめゆり平和祈念資料館では元学徒による講話が終了した。代わって同館では戦後世代による講話が始まり、県による戦争遺跡保護など新たな動きもある。日本の民主主義、平和憲法が危機にさらされる今こそ、「不戦の誓い」を次代へ継承する活動を加速させないといけない。
飛躍を継続的な力に
 経済では好調な観光を背景に景況感や有効求人倍率が過去最高を更新した。大型クルーズ船の寄港も過去最多だった。中国をはじめとするアジア客の増加に伴い、2016年も観光が県内経済を力強くけん引するだろう。基地跡地に大型商業施設がオープンし、個人消費拡大にも期待がかかる。
 大型MICE(企業の報奨旅行や国際会議)建設地も決まり、県のアジア経済戦略構想も固まった。自立経済実現へ一定の道筋が見えてきた。観光を軸とした勢いを維持できるよう官民一体で継続的な発展へつなげたい。
 一方でミスマッチによる人手不足は深刻だ。環太平洋連携協定(TPP)の大筋合意による県内農業への影響も懸念が残る。課題解決に向けた知恵を結集する必要もある。
 県民の思いやりが形になったのは米国で心臓移植を必要とする翁長希羽(のあ)ちゃんへの支援だ。年内で目標の3億2千万円に達する見込みだ。一日でも早く希羽ちゃんが沖縄の青い空を眺められる日が来ることを待ちたい。
 憲法や民主主義、地方自治の危機が視覚化された1年も、きょうで終わる。危機にあるからこそ分かったことは「諦めず、声を上げ続ける」大事さだ。基地問題などで国の強硬姿勢は続くだろうが、気概と誇りではね返したい。


おけら火くるくる、無病息災願う 京都
 京都の年越しの風物詩「おけら詣(まい)り」が31日夜、京都市東山区の八坂神社であった。厚手のコートやマフラーに身を包んだ多くの家族連れらが訪れ、新年の平穏を祈った。
 午後7時すぎ、境内3カ所の灯籠に種火が移されると、「商売繁盛」「財運上昇」などと参拝者の願いが書かれた木札が燃え上がった。参拝者たちは、炎に吉兆縄を差し出しておけら火を移し、消えないようにくるくると回しながら帰路についた。
 東京から帰省中の大学生瀧川翼さん(22)は、祖母の小谷政子さん(79)=左京区=と参拝し、2人は「新しい年も家族が健康に過ごせるよう、お願いしました」と話した。境内では、京都で新年を迎える外国人観光客の姿も目立った。
 おけら詣りは、薬草のおけらを燃やして邪気を払う行事。持ち帰った火で雑煮を煮たり、火を消した吉兆縄を台所にかかげたりして無病息災を願うとされる。

神戸越冬/生麩/ボウリングの予定が/赤ワインがおいしい

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Au Japon, voici venue la saison des potions miracles anti-gueule de bois
A l'approche de la nouvelle année, les festivités battent leur plein au Japon, l'alcool coule à flot et les convives les plus prévenants font provision de breuvages au goût saugrenu, promettant des lendemains sans gueule de bois.
La saison des ≪bonenkai≫ (soirée de fin d'année) et ≪shinnenkai≫ (fête du nouvel an), où amis et collègues se réunissent autour de pintes de bière ou de verres de sake, est propice à ces potions magiques, dont le Japon offre une palette inégalée. ≪Je prends toujours ce type de boisson en prévention avant de sortir≫, raconte Makoto Yamauchi, 54 ans, organisateur d'expositions. ≪J'en achète dix fois par mois en moyenne≫, raconte-t-il, en se rendant à une fête arrosée dans le quartier tokyoïte animé de Ginza.
Le pouvoir du cucurma en tête des ventes
La première place au palmarès des ventes revient à ≪Ukon no Chikara≫ (le pouvoir du cucurma), qui se décline en versions or pour tous et rose plutôt pour les femmes et dont la recette à base de curcuma garantit une après-soirée sans tracas. Cette plante communément utilisée comme épice est censée avoir des vertus anti-oxydantes et anti-inflammatoires.
Mais on peut aussi opter pour des saveurs à la palourde, à la pastèque ou aux agrumes, ou même pour un mélange a priori peu ragoûtant d'herbes, curcuma, ginseng et réglisse. Le lendemain, rien de mieux qu'une soupe au miso (pâte de soja) ou des prunes rouges marinées pour éliminer les toxines et retrouver la forme.
Un marché qui pèse 162 millions d’euros
Le marché japonais de ces breuvages vertueux devrait atteindre quelque 21,44 milliards de yens (162 millions d'euros) en 2015, un chiffre conséquent bien qu'en déclin dans un archipel grisonnant. On peut désormais en trouver dans les ≪konbini≫, supérettes ouvertes 24H/24 présentes à chaque coin de rue dans les villes nippones.
≪C'est plus facile de se rendre dans un konbini qu'à la pharmacie≫, explique un porte-parole de Zeria Pharmaceutical, dont les comprimés et boissons Hepalyse agissant sur le foie sont vendus depuis quatre ans dans ces commerces multiservices de proximité. Grâce à ce nouveau canal de distribution, ≪la marque est mieux connue≫ et les ventes ont plus que doublé depuis 2011, se félicite-t-il.Les petites et délicates bouteilles, dont le prix va de 257 yens (près de 2 euros) à 450 yens (3,4 euros), s'arrachent en particulier au mois de décembre.
Les entreprises aux petits soins sur la santé de leurs salariés
Les entreprises japonaises, très soucieuses de la santé de leurs employés et de leur tour de taille, multiplient pourtant en cette période de fin d'année les conseils de modération. La maison de courtage Daiwa Securities a nommé un responsable santé pour éviter les dérives de ses 13.000 employés dans l'archipel. De nombreuses firmes appellent régulièrement à faire attention aux excès, par le biais de la messagerie interne ou de hauts-parleurs. Poussées par les pouvoirs publics, beaucoup encouragent leurs ouailles à surveiller leur poids, à l'image de l'électronicien Panasonic ou de l'équipementier sportif Asics.
Las, les ≪izakaya≫, des tavernes chaleureuses, se remplissent chaque soir de ≪salarymen≫, qu'on retrouve ensuite titubant dans le métro, au point que des messages mettent en garde contre une chute malencontreuse sur les rails. Les breuvages anti-gueule de bois ont encore de beaux jours devant eux, assure Shun Yokoyama, analyste du secteur au sein de la firme de recherche marketing Fuji Keizai.
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人生デザイン U−29「復興支援団体 代表」
今回の主人公は宮城・気仙沼市で復興支援団体の代表を務める加藤拓馬さん・26歳。東日本大震災の直後に会社を休職し、ボランティアとして気仙沼で活動していたが「復興半ばでは帰れない」と移住を決めた。被災地と外をつなぐ活動をしようと、この春、新たに団体を立ち上げ、観光客向けの漁業体験ツアーを企画。だが財源もノウハウもない加藤さんたちは大苦戦。はたして地元の期待に応えられるのか。
松坂桃李


三ノ宮の東遊園地に行ってみました.神戸越冬をしているので少しだけカンパしました.
そごうで生麩を買いました.金沢のものです.
ボウリングに行こうと思ってましたが,1時間待ちというのでパス.適当に時間つぶして元町のあたりで忘年会です.赤ワインがおいしいです.最後にマールmarcという食後酒.少しきついけど結構いいです.

<5度目の年の瀬>きれいな部屋で迎春
◎2015年被災地(10)仮設の大掃除(登米市)
 登米市南方町の仮設住宅には、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の町民約200世帯が暮らす。「頑張ろう東北」などと書かれた青いウインドブレーカーを着た20人が、バケツ片手に動き回っていた。
 兵庫県社会福祉協議会が募集したボランティアだ。要望に応じエアコンのフィルターのほこりを除去したり、換気扇のファンを外して洗ったりした。「高い所は掃除できない。本当に助かる」と住民の小野寺ツエ子さん(70)は感謝する。
 ボランティアで来た神戸市の中野誠三さん(66)は1995年の阪神大震災で家を失った。人ごとではなかった。「東日本大震災から4年が過ぎ、宮城の人はどう暮らしているのか」と気になっていた。「きれいな部屋で新年を迎えてほしい」。窓を拭く手に力がこもる。
 寒風が吹き込む狭い通りに明るい笑い声が響く。住民の三浦達之輔さん(73)は「遠くから来てくれてうれしい。世間話をして交流するのも楽しい」と言う。
 住民たちの表情は華やいでいた。


震災伝承施設が特別開館
東日本大震災の被害を伝えるために、石巻市の海岸近くに建てられ通常は週末だけ開館している施設が年末の休みで帰省する人や被災地を見に来る人のために特別に開館しています。
東日本大震災の被害を伝える展示施設南浜つなぐ館は津波で被害を受けた石巻市の海岸近くに11月オープンしました。
通常は週末しか開館していませんが、年末の休みで帰省する人や被災地を見に来る人のために、29日から31日までの3日間特別に開館しています。
訪れた人たちは、震災前の地域の様子を再現した模型や被災当時からいままでの変化を描いた映像に見入っていました。
茨城県龍ケ崎市から訪れたお年寄りの夫婦は「震災の前に三陸のきれいな景色を見に来ていて、それがどうなったのか自分の目で見たいと前から思っていた。大きな変化にことばもありません」と話していました。
施設を建てた「みらいサポート石巻」の中川政治専務は「何もなくなった被災地の様子と震災前の再現模型を比較して見てもらい、震災の被害を十分に理解してもらいたい」と話していました。


沿岸の市町 職員不足199人
震災の津波で被害を受けた宮城県内の市や町では復興事業などにあたる職員不足が続いていてその数はあわせて199人に上ることが宮城県のまとめでわかりました。
東日本大震災の被災地の自治体では復興に向けた業務量の増加などを背景に慢性的な職員不足が続いていて全国の自治体から応援職員を派遣してもらう状況が続いています。
宮城県が震災の津波で被害を受けた沿岸の15の市と町に必要な応援職員の数をたずねたところ12月1日現在あわせて1563人でした。
ところが実際に来ている派遣職員は1364人で不足している職員の数は199人に上ることがわかりました。
自治体別では、石巻市が70人と最も多く次いで気仙沼市が59人、山元町が18人などとなっています。
宮城県の市町村課は「来年以降は職員が不足している自治体に優先的に応援職員を派遣できるよう調整するなどして職員不足の解消を目指していきたい」と話しています。


<焦点>健康悪化不安増す 生活保護申請も
 東日本大震災で被災した国民健康保険(国保)加入者の医療費窓口負担の免除措置をめぐり、宮城県内の被災者支援団体などが危機感を募らせている。2016年度の継続が不透明で、市町村が打ち切った場合、健康の悪化が懸念される人が多いという。仙台弁護士会は今月、石巻市の男性への支援として、自己負担なしで医療を受けられる生活保護を市に申請した。
 仙台弁護士会は11月、石巻市の一般社団法人「チーム王冠」と協力し、県内の在宅被災者の聞き取り調査を始めた。訪問した約30世帯のうち、5世帯ほどは生活保護が必要と分かった。
 生活保護を申請した石巻市の無職佐藤悦一郎さん(71)は年金に頼る1人暮らし。震災時に倒れたタンスの下敷きになり、両膝の骨にひびが入った。今でも歩くのが不自由だ。内科など四つの医療機関にかかり、膝の痛み止めや降圧剤など約10種類の薬を処方されている。
 10月には大腸ポリープを切除した。「震災前はどこも悪いところはなかったのに」と佐藤さん。チーム王冠のスタッフは「震災のストレスや先を見通せない不安感が影響しているのではないか」と推察する。
 佐藤さんの年金収入は2カ月で手取り約14万円。生活費に使えるのは月3万円で、食事をインスタント食品にして切り詰めている。佐藤さんは「毎日野菜を食べろと言われたけれど、高くて買えない」とこぼす。
 宮城県が13年3月末にいったん、医療費の免除を打ち切った際は、通院回数を減らさざるを得ず、膝の状態が悪化した。
 自宅は1階が津波にのまれて大規模半壊。国の応急修理制度と貯金などで修繕したが、貯金は底をついた。「医療費免除がなくなれば、病院に通えない。死ねとでも言うのか」と嘆く。
 生活保護を受給すると医療費は無料になる。仙台弁護士会の宇都彰浩弁護士(42)は「在宅被災者の多くが健康に不安を抱えている。医療費免除がなくなると通院に支障が出るのは明らか。現状の救済策は生活保護しかない」と言う。
 生活保護については、持ち家や借金があると受給できないと誤解している人も多いという。宇都弁護士は「在宅被災者は家があるからと申請を諦める人もいる。制度を広く周知する必要がある」と語る。


<回顧みやぎ>指定廃調査2年連続の越年
◎(12)本記の解決策 今度こそ
<そのとき>
 「毎日、現地調査に来るようだ」。東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の最終処分場建設問題をめぐる取材の中で、こんな話を耳にしたのは10月初め。「国が本気になったのか」と思ったが、やがてそうではなかったと気づかされることになった。
 環境省は10月6日以降、県内3建設候補地のうち加美町田代岳で町が拒否する現地調査を連日試みた。当然、住民は猛反発。猪股洋文町長を先頭に毎回100人以上の住民が抗議に駆け付け、環境省職員と押し問答を繰り広げた。
 連日の現地入りは11月13日まで計20日間続いたが、音を上げたのは環境省の方だった。降雪時期が迫り、昨年に続き2年連続で調査入りを見送った。
 取材を通して環境省職員の一言が印象的だった。「調査に入れなかったとしても、環境省として努力した事実をつくる」。「誰に向けてのアピールか」といぶかったが、偽らざる本音だったのだろう。手詰まりの中で、打開策を見いだせずにいる現場の苦悩も透けて見えた。
<それから>
 最後の現地入りからちょうど1カ月後の今月13日。環境省は昨年8月以来となる県内市町村長会議を開いた。これまで調査容認だった他の候補地の栗原市と大和町も「これ以上我慢できない」と候補地の返上を申し出た。
 井上信治環境副大臣は従来通り3カ所で調査を進める方針を強調したが、3候補地が初めて「調査拒否」で足並みをそろえた以上、進展は望めないだろう。
 ではどうするのか。指定廃棄物に含まれる放射性物質濃度が時間の経過とともに低減し、基準値の1キログラム当たり8000ベクレルを下回るまで一時保管を続けるか。または約13万トンの指定廃棄物を抱える福島県への集約処理を目指すか。
 どれも反発は必至だ。県内最多の汚染稲わらを一時保管する登米市の布施孝尚市長は会議の中で「住民は『廃棄物が放置され続けてしまうのでは』と不安を募らせている」と憤りをぶつけた。福島集約論にも「さらに負担を押し付けるのか」との批判がある。
 誰もがすぐに首を縦に振れる解決策はないだろうが、知恵を絞り考え得る案を示すべきだ。問題解決に向け、環境省には今度こそ「本気度」を見せてほしい。(加美支局・馬場崇)
[メモ] 放射性セシウム濃度が1キログラム当たり8000ベクレル以上の指定廃棄物について、発生量が多い宮城など5県には国が最終処分場1カ所を設ける方針。県内では昨年1月に3候補地を選定した。現地調査の結果を踏まえ、最終候補地を絞り込む予定だったが、調査拒否を続ける加美町の反対で昨年に続きことしも現地調査に入れず、候補地の栗原市、大和町も候補地返上を表明した。


「意向聞かれず合意」 韓国高官説得 元慰安婦ら反発
 【ソウル=島崎諭生、上野実輝彦】日韓両政府が慰安婦問題の最終決着で合意したことを受け、韓国外務省の高官は二十九日、元慰安婦の支援施設二カ所を訪ね、合意内容を説明した。ただ、元慰安婦らは「合意は受け入れられない」と強く反発、説得作業は難航しそうだ。
 林聖男(イムソンナム)外務第一次官は、元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が運営するソウルの施設を訪れ、元慰安婦三人と面談。冒頭から「合意する前に被害者に会うべきじゃないか。年寄りだから無視したのか」と激しい口調でとがめられた。
 面談は冒頭以外は非公開で行われ、終了後に元慰安婦が取材に応じた。
 金福童(キムボクドン)さん(89)は「法的に名誉を回復してほしいというのが私たちの願いだ。私たちは妥結していない」と批判。李容洙(イヨンス)さん(87)は、挺対協がソウルの日本大使館前に設置した慰安婦の少女像について「私たち被害者の役割を果たしている」と述べ、韓国政府の撤去要請には応じない姿勢を示した。
 趙兌烈(チョテヨル)外務第二次官は、ソウル郊外の元慰安婦の共同生活施設「ナヌムの家」を訪問。「時間が最も重要だと考えた。百パーセント満足できなくても、日本政府の最高指導者から公式謝罪を受け、政府責任の認定を受けた意味を評価してほしい」と呼び掛けたものの、ここでも反発は強かった。
 金君子(キムグンジャ)さん(90)は「法的賠償を受けておらず、認められない。被害者は私たちなのに、なぜ政府が合意したのか」と非難。李玉善(イオクソン)さん(87)は「(韓国)外務省は被害者を売り払ったのではないか」と声を荒らげた。
 一方、韓国外務省と女性家族省は二十九日、会議を開き、元慰安婦を支援する財団を来年上半期中に発足するための準備作業に着手した。


慰安婦問題 少女像の移転反対66% 韓国世論調査
 【ソウル大貫智子】韓国の世論調査機関、リアルメーターは30日、在韓日本大使館前の慰安婦を象徴する少女像の移転についての世論調査結果を発表した。移転反対は66.3%に上ったが、賛成も19.3%と2割近くに達した。
 調査は28日の日韓合意を受け、29日に実施した。
 年齢別で見ると、若い世代ほど移転反対が強く、20代は反対86.8%に対し、賛成はわずか4.1%。一方、60代以上は、反対45.1%に対し、賛成も32.9%に上った。
 支持政党別では、与党・セヌリ党支持層は反対49.1%に対し、賛成32.9%。これに対し最大野党「共に民主党」(新政治民主連合から改称)支持層は反対79.7%で、賛成は8.0%にとどまった。支持政党なしでは、反対74.6%、賛成9.8%だった。
 少女像については、日韓合意に「韓国政府が関連団体との協議を通して適切に解決するよう努力する」と明記されたことで韓国国内に反発が出ている。朴槿恵(パク・クネ)大統領は自身の支持層には一定の理解が得られると判断し、合意に踏み切ったとみられる。

髪を切りました/生カキ/当事者不在の慰安婦「合意」

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les ≪ femmes de reconfort ≫, esclaves sexuelles

Accord entre Séoul et Tokyo sur les esclaves sexuelles de la Seconde guerre mondiale
Le Japon a présenté des ≪excuses sincères≫ aux ≪femmes de réconfort≫, ces Coréennes enrôlées de force dans les maisons closes de l'armée nippone. Cet accord historique ouvre la voie à une amélioration des relations entre les deux pays.
Nouveau tournant dans les relations diplomatiques entre la Corée du Sud et le Japon. Les deux pays ont trouvé un accord pour mettre un terme à leur contentieux concernant les ≪femmes de réconfort≫. Cet euphémisme a été inventé par l'armée impériale d'Hiro-Hito pour désigner le système de prostitution de masse qu'elle avait orchestrée durant la Seconde guerre mondiale où 200.000 jeunes filles de l'Asie colonisée, souvent adolescentes, ont été enrolées de force pour satisfaire les besoins sexuels des soldats - dans l'ordre, l'hygiène et la discipline.
Ce lundi, fait historique, le Japon a présenté ≪des excuses sincères≫ et offre un milliard de yens (7,5 millions d'euros) aux 46 esclaves sexuelles sud-coréennes encore en vie. De son côté, Séoul, en coopération avec les associations de victimes, s'est engagé à déplacer une statue symbolisant les souffrances de ces femmes qui se dresse en face de l'ambassade du Japon.
≪Nous ne permettrons jamais que ce problème soit transmis à la prochaine génération≫
Shinzo Abe, premier ministre du Japon

Peu après l'annonce de cet accord, le premier ministre japonais Shinzo Abe a déclaré: ≪Nous ne permettrons jamais que ce problème soit transmis à la prochaine génération≫, une remarque qui fait écho aux déclarations qu'il avait faites lors du 70e anniversaire de la fin du second conflit mondial le 15 aout dernier. ≪A partir de maintenant, le Japon et la Corée du Sud entrent dans une nouvelle ère≫, a-t-il ajouté devant des journalistes.
Le premier ministre a exprimé aux victimes ses ≪excuses et son repentir, du plus profond de son cœur≫, a martelé le ministre japonais des Affaires étrangères, Fumio Kishida. ≪Le système des femmes de réconfort (...) a existé du fait de l'implication de l'armée japonaise (...) et le gouvernement japonais est pleinement conscient de sa responsabilité≫, a déclaré Fumio Kishida, à l'issue de discussions à Séoul avec son homologue Yun Byung-Se.
Pour sa part, la Corée du Sud considérera que le contentieux est clos ≪de manière définitive et irréversible≫ lorsque Tokyo aura mis en œuvre les mesures promises, a dit Yun Byung-se lors de la conférence de presse commune. Dans une déclaration séparée, la présidente sud-coréenne, Park Geun-hye, espère que ≪l'effort fourni par les deux gouvernements pour parvenir à un accord, leur permettra de coopérer étroitement pour commencer à batir une confiance mutuelle et engager de nouvelles relations≫. De fait, encore récemment, la présidente présentait ce différend comme le ≪plus grand obstacle≫ à l'amélioration des relations bilatérales.
Un accord avant tout politique?
≪Les femmes, qui étaient absentes des négociations, ne doivent pas etre oubliées dans cet accord≫
Hiroka Shoji, spécialiste de l'Asie de l'Est à Amnesty International

Auprès de l'opinion publique coréenne, les réactions étaient toutefois mitigées. Yoo Hee-Nam, elle-meme contrainte de se prostituer par l'armée japonaise pendant la guerre, a affirmé que l'accord n'est pas suffisant mais qu'elle se plierait à la décision du gouvernement. ≪Les femmes, qui étaient absentes des négociations, ne doivent pas etre oubliées dans cet accord qui sent plus la politique que la justice≫, a déclaré Hiroka Shoji, spécialiste de l'Asie de l'Est à Amnesty International. ≪C'est un accord entre deux gouvernements, pas entre deux sociétés. Toute la question est de savoir si la société sud-coréenne l'acceptera≫, a mis en garde Kan Kimura, chercheur à l'université japonaise de Kobé.
De nombreux observateurs estiment que la Maison Blanche a fait pression sur Park Geun-hye pour qu'elle adoucisse sa position vis-à-vis de Tokyo.
L'accord a en tout cas été salué aux États-Unis. De fait, cette question empoisonne les relations entre ses deux plus grands alliés dans la région, depuis des décennies. Washington préférerait voir les deux voisins se concentrer ensemble sur la réponse à apporter aux ambitions grandissantes de la Chine dans la région, plutôt que de se déchirer sur ce contentieux. Par ailleurs, les tensions entre le Japon et la Corée du Sud ont jusqu'ici empeché les deux pays de signer un accord bilatéral de partage d'informations militaires sensibles. Un pacte trilatéral a été conclu il y a un an avec Washington qui se charge de jouer les intermédiaires.
200.000 femmes prostituées de force
La plupart des historiens estiment que jusqu'à 200.000 femmes, pour la plupart des Coréennes mais aussi des Chinoises, des Indonésiennes et des ressortissantes d'autres pays asiatiques, ont été enrôlées de force dans les maisons closes de l'armée impériale.
La position du Japon, qui a occupé la Corée de 1910 à 1945, était jusqu'à présent de considérer cette question réglée en 1965 à la faveur de l'accord qui a rétabli les liens diplomatiques entre Tokyo et Séoul. Le pays s'en tenait en outre aux excuses officielles formulées en 1993 et la reconnaissance de sa culpabilité dans l'exploitation de ces femmes. Un fonds avait alors été établi pour leur verser des réparations financières. Toutefois, ce fonds a été financé par des dons privés, non par le gouvernement japonais, au grand dam de Séoul.
La Corée du Sud estimait cela insuffisant et reprochait à Tokyo ses réticences à réparer son passé militariste. Séoul continuait à exiger un véritable repentir. Cette fois, le ministre coréen Yun Byung-Se se dit ≪très heureux de pouvoir annoncer, avant la fin de cette année qui marque le 50e anniversaire de la reprise des relations, la conclusion de négociations difficiles≫. Reste à savoir si la société civile partagera ce point de vue.
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恋する百人一首第4回 モテ女・和泉式部に学ぶ魔性テク大研究相手のハートをぎゅっとつかめ
まずは、和泉式部の極上の一首をどうぞ!
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
[作者]和泉式部
[現代語訳]わたしはもうすぐ死んであの世に行くかもしれません。思い出にせめてもう一度だけあなたにお逢いしたい!
●平安の魔性の女! 今回スポットを当てるのは和泉式部。情熱的で積極的で、ものすごくモテた女性です。人妻でありながら為尊親王と恋に落ちたため、夫からは離婚され、親からも勘当されました。ですが、為尊親王が早世したのち1年あまりで、今度はその弟・敦道親王と恋愛関係になります。恋に命を燃やした、まさに魔性の女です。 上の歌は、和泉式部が病気になり、死が間近に迫ったと自覚したときに相手(誰かは不明)に遣わせた歌と考えられます。「死ぬ前にもう一度あなたに逢いたい…」、ふつうの女性では言えないことをストレートにいう和泉式部の恋のテクニシャンぶり。この歌は、相手の心をぎゅっとつかむ最高の名歌といえるでしょう。
●和泉式部から学ぶ「恋のテクニック」
[1]自分から誘いをかける …新しい恋人との出会い
[2]寂しさを訴える …距離を置こうとする恋人に
[3]子どもっぽい無邪気さを出す …恋人を引き止めるテク

教えて!お天気キャスター 地球温暖化でどうなる異常気象
猛暑に鬼怒川決壊、エルニーニョと異常気象が頻発した2015年。井田寛子、森田正光、木原実の人気お天気キャスター3人が、地球温暖化と異常気象について分かりやすくプレゼン。▽パリ協定が採択されたCOP21のために世界の気象予報士たちが東京に集結!▽2050年の天気予報、温暖化の未来はどうなる?衝撃映像も▽そらジロー(日テレ)、Boona(TBS)、ななみも応援!冬ちゃんも!
井田寛子,森田正光,木原実,
内山信二,吉木りさ, 西堀裕美

2015年 池上彰が選んだ重大ニュース総ざらい 年末特大スペシャル
今年あったニュースは歴史に残るのか!?過去のニュースと比べながら、今年はどんな年だったのかを池上彰が解説!…(1)今年は異常気象だった?それとも…?今年の台風・集中豪雨はどのくらいすごかったのか、これまでと比較しながら解説します!(2)今年大きなニュースになったエンブレムの「パクリ疑惑」や国立競技場建設の「白紙撤回」。これまでにもこんなことはあったのか?解説します(3)今年もたくさんあった少年少女が巻き込まれる事件、事故。子供たちが巻き込まれる事件は増えているのか、減っているのか、その理由は一体?!池上彰が解説します(4)今年多くの事件を引き起こした「イスラム国」。これまでのテロとは何が違う?そしてこれからどうなる?…その他今年の「あったあったニュース」も解説します!
池上彰 宇賀なつみ
石原良純・片岡鶴太郎・北村晴男・坂上忍・伊集院光・菊池桃子・室井佑月・遼河はるひ・武井壮・坂下千里子・押切もえ・アンガールズ・渡辺裕太・ 岡本玲・鈴木ちなみ・佐野ひなこ

ぼくらはマンガで強くなった▽青春と恋愛とスポーツとあだち充【スポーツ・ラボ】
今週のスポーツ・ラボは「ぼくらはマンガで強くなった」▽あだち充の作品がアスリートをつかむ魅力を大特集!▽時代をこえて愛される名作の意外な秘密▽阪神・藤浪晋太郎投手が野球マンガ「H2」を語る▽三浦大輔投手も魅了する南ちゃん!▽野球解説者・里崎智也が「タッチ」の読み方指南?▽名編集者が明かすあだち作品の謎と不思議!▽巨匠アニメ監督が魅惑のコマを分析▽女子野球の星!片岡安祐美の大感動シーンとは?
藤浪晋太郎,三浦大輔,里崎智也,片岡安祐美,藤本隆宏,編集者…市原武法,アニメ監督…杉井ギサブロー,
日高のり子,三ツ矢雄二

KOKOYAKYU〜アメリカ人が見つめた“甲子園への道”〜
甲子園を目指す日本の高校球児と彼らを支える人たちの姿を、アメリカ人の目を通して描いたドキュメンタリー。「高校野球はあくまでも教育の一環」とする大阪府立天王寺高校と「甲子園で優勝」を目標に掲げる全国屈指の強豪、智弁和歌山高校。個性のまったく異なる2チームが、2004年夏の甲子園出場をかけて地方大会で戦う様子に、試合中のベンチ内から私生活まで密着。ナレーションなしで、インタビューと現場音だけの感動作。〜プロジェクタイルアーツ社(アメリカ)制作〜
山本宗補 ‏@asama888
当事者の声を無視した政治的「妥結」3:朝日トップと政治面は安倍政権に迎合するかのように歓迎。社会面は当事者の声で別新聞のよう。「私たちの話なのになぜ私たちの話を聞かないのか。この問題を本当に解決したいのか」(ナヌムの家の李玉善さん)

お休みなので本を読んだりテレビを見たりして過ごしました.
でも髪を切りにいかねばなりません.意外に時間がかかったような気もしますが,まあいい感じかな?
ちょっと足を延ばして普段いかない少し遠くにあるスーパーに行ってみることにしました.
意外にいろいろ売っていました.近くのスーパーで売っていない生カキがあったので当然買い♪です.レモンも一緒にです.
メディアでは慰安婦問題で日韓「合意」を伝えていますが,当事者の意向を無視して政府が勝手に決めたものだと思います.元慰安婦の人にとっては納得できない気持ちも理解できます.最終的に解決した,ということができるのは元慰安婦の人たちなのに,政府が勝手にそれをいうのはおかしいと思います.

仙石線 復旧後初めての年末
東日本大震災で被害を受けた、宮城県の仙台市と石巻市を結ぶJR仙石線が、全線で復旧してから初めての年末を迎え、JR石巻駅には、5年ぶりに仙石線を使って帰省した人たちの姿が見られました。
JR仙石線は、東日本大震災の津波で大きな被害を受け、一部の区間を内陸に移して、ことし5月に全線復旧しました。復旧後、初めての年末を迎え、JR石巻駅では、午前中、仙石線の列車から大きな荷物を持った人たちや子ども連れの人たちがホームに降り立つ姿が見られました。子ども2人を連れて帰省したという男性は、「再び仙台市から列車で来ることが出来るようになって、便利になりました」と話していました。
また、一家5人で東京から帰省したという男性は、「少しずつ復興が進んできていると感じています」と話していました。
このほか、年末年始の休みを利用して被災地の様子を見に来た人やボランティア活動に訪れた人たちもいて、このうち、ボランティアに来たという男性は、「ことし最後の活動として、大掃除を手伝いに来ました」と話していました。


<5度目の年の瀬>心落ち着ける温もり
◎2015被災地(9)ペットの里帰り
 「モコ」と「ムック」。犬の親子が甘えてくる。木漏れ日が差し込む縁側。ふと、ふるさとの穏やかな光景に思いが及ぶ。
 福島県飯舘村の佐藤文良さん(83)と妻滝子さん(78)。東京電力福島第1原発事故で村を追われ、福島市で暮らしている。
 年末年始は特例で自宅に住める。愛犬を連れて年越しするのは5年ぶりだ。
 モコはムックを村で生んだ。2匹は原発事故が起きるまで8年近く、家族同然だった。
 仮設住宅やアパートでペットは飼えない。岐阜市のNPO法人「日本動物介護センター」にやむなく預けた。車に乗せられる間、2匹はしきりにほえた。
 一戸建ての住宅に移り、ことし3月、2匹を引き取った。「原発は落ち着かないけど、ワンちゃんがいると心が落ち着くね」と滝子さん。
 愛犬を預けた施設では、飯舘村などから引き取った犬18匹が、里帰りできる日を待っている。


<震災遺構会議>保存と解体 事業費を算出
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川、門脇両小校舎の遺構保存をめぐり、市震災遺構調整会議は28日、亀山紘市長に検討結果の報告書を提出した。保存と解体に分けて事業費を算出し、各校舎を保存する意義も盛り込んだ。保存の可否では市民の意見が割れており、優劣を示すのは避けた。
 報告書では、児童と教職員計84人が犠牲になった大川小の保存の意義について、犠牲者を悼む慰霊と避難の重要性を忘れないための場所として、教訓の伝承が重要と指摘した。
 門脇小は、東北の被災3県の建築物で唯一津波と火災の痕跡を残す上、校内の避難者が裏の日和山に避難できたことを後世に伝える必要があると記した。
 両校舎を保存、解体する場合の概算事業費は表の通り。部分保存は大川小4億1527万8000円、門脇小6億2126万2000円、全部保存は大川小6億1019万円、門脇小9億4582万円と試算した。門脇小は耐震補強が必要なため、不要な大川小よりも金額が膨らんだ。
 全部保存した際の維持管理費は、大川小が年間約2300万円、門脇小は約2000万円が必要となる。
 調整会議は、報告書で両校舎の活用策の優先度を示す方針だったが、最終的に撤回した。市民の立場などにより判断が分かれると述べるにとどめた。
 亀山紘市長は「両校舎とも震災の教訓を伝える重要な建物で、将来の子どもたちに残す意味がある。費用や市民の意見を踏まえて結論を出したい」と話した。亀山市長は年明けにも両小の卒業生らの意見を聞く場を設け、年度内に保存の是非を判断する。


<震災遺構会議>大川、門脇小の優劣つけず
 東日本大震災で被災し、宮城県石巻市の震災遺構候補に挙がっている門脇、大川両小をめぐり、市の庁内組織が28日に公表した報告書は保存、解体の方向性を示さず、両校舎の優劣にも触れなかった。客観的な課題を整理し、亀山紘市長が年度内に保存の是非を判断する際の基礎的資料にとどめた。
 庁内組織「市震災遺構調整会議」会長の堀内賢市・復興政策部長らが同日、報告書を亀山市長に手渡し「かえって市長を悩ませるかもしれない」と伝えた。亀山市長は「精査し、追加の判断材料を依頼することもある」と慎重に対応した。
 調整会議は6月以降、会合や現地視察を実施。一時は両校舎の優先度を示して亀山市長に報告する方針を確認した。だが、「報告書はフラットな内容が望ましい」という委員の意見などを踏まえ軌道修正した。
 報告書では両校舎の保存と解体の際の概算事業費を算出。「亀山市長が判断する上で掘り下げた方がいい点」(堀内部長)についてはケーススタディーで取り上げた。
 震災伝承を図る方法として、津波と火災の痕跡を残す門脇小は(1)解体し、火元となった壁などを残す(2)3階までを保存し、校舎を公開(3)2階までを保存し、校舎を公開−と分類した。
 津波被害の痕跡が残る大川小に関しては、全部保存を軸に(1)内部を公開せず、公園化など周辺整備にとどめる(2)1階の一部を横断できる通路を設け公開(3)内部を歩行するための通路を設け公開−を挙げた。
 亀山市長は「維持管理費は意外に高くないとの印象もある。遺構化については、報告書や保存の是非を市民に聞いたアンケートを検討したい」と述べた。


復興願い30年ぶり神楽復活 南相馬
 東日本大震災の津波被害を受けた福島県南相馬市原町区雫地区で、約30年ぶりに地元の神楽が復活する。地域再生の足掛かりにしようと、残された記録などを頼りに青年団が習得に努めてきた。来年の1月2日、地区内にある津神社で奉納を予定している。
 雫地区の神楽は、大きな獅子頭で荒々しく舞うのが特徴だ。戦後に一度途絶え、1970年代に復活を果たしたが、10年ほどで再び伝承されなくなっていた。
 今回呼び掛け人となったのは、雫青年団長を務める高田貴浩さん(34)。震災間もない2011年4月、不明者の捜索中、泥にまみれた獅子頭を地区の集会所で発見。「獅子頭が『もう一度神楽をやれ』と言っているような気がした」と振り返る。
 青年団有志の賛同を得て、13年から道具の準備に着手。家庭用ビデオに残された映像で笛、太鼓の拍子を研究した。経験者に助言を求め、動作や口上の技量向上を図った。
 指導に当たった青年団OBの高田光定さん(62)は「地域のために若者が立ち上がってくれたのが何よりうれしい」と表情を緩める。
 全域が浸水した雫地区では、青年団員を含む25人が犠牲となった。一部は東京電力福島第1原発事故に伴う避難区域に指定されている。市内の仮設住宅から練習に通う高野元一さん(29)は「震災で失ったものは大きい。わずかでも地域の財産を取り戻したい」と意気込む。
 青年団は楽譜、映像などによる神楽の保存を検討している。貴浩さんは「地元の文化は、分散してしまった住民の心のよりどころにもなる。長く、確実に伝承していきたい」と話している。


<回顧みやぎ>保存の在り方議論半ば
(11)山元・旧中浜小震災遺構化の検討
<そのとき>
 提言書を読みながら悩ましい思いになった。結論は妥当だが、実現するには困難が待ち構えていると予測されたからだ。
 東日本大震災の津波被害を受けた山元町の旧中浜小校舎。町震災伝承検討委員会は1月15日、町に提出した提言書で「震災の脅威を伝承できる建造物」と位置付け、内部の公開まで求めた。被災地で保存の可否の議論が続く震災遺構の中で、異例とも言える積極的な考え方だった。
 町は行政視察や防災教育が目的の希望団体に内部を案内している。取材で何度も同行した。津波で折れ曲がったサッシや破られた窓、児童らが一晩身を寄せた屋根裏の暗い倉庫など、映像や写真で伝えきれない惨状と備えの重要性を毎回、痛感させられる。
 一方で、吹きさらしとなった校舎内の部材の劣化は日を追うごとに進んでいる。壁に掛けられた時計の盗難や鍵が壊されるなどの被害も相次いだ。
 提言書では、現状を可能な限り生かし整備を最小限にとどめるよう促した。ある委員は「内部まで手を加えたら中浜小ではなくなる」との思いを語る。その通りだとは思うが、見学者の安全や緊急時の避難経路の確保には不安が残った。「保存の在り方」にはまだまだ議論が必要だと感じた。
<それから>
 町は本年度中にも保存の具体的な手法を固める。ただ、提言に沿った「ありのまま」に残す方針が壁になっている。建築基準法では施設内にスプリンクラーや消火栓など消防設備の設置が義務付けられる。町の担当者は「新しい設備が震災遺構になじむのか」と苦慮する。
 同校関係者は町の保存の決定を待ち望む。一夜を共にして助かった当時の教職員らは「3.11の会」を結成し、元児童や保護者らと定期的に校舎の花壇で花の植栽を続けている。
 当時の校長で同会代表の井上剛さん(58)=白石市福岡中校長=は「校舎がなくなれば地域の記憶まで消えてしまう」と語り、後世までの継承を願う。思いに応えるため、行政は柔軟に対応し、知恵を出し合ってより良い「保存の在り方」を導き出してほしい。
(亘理支局・原口靖志)
[メ モ]山元町沿岸部にあった中浜小は、津波で鉄筋2階の校舎が水没。児童や住民ら約90人は屋根裏部屋に逃げて無事だった。同校は2013年3月に閉校した。有識者や同校関係者らで構成する町震災伝承検討委員会(木村拓郎委員長)は震災遺構としての保存、活用策を討議。校舎内への学習機能設置の可否などで議論が割れ、最終的に最小限の整備でまとまった。


亘理復興の物語伝えたい 東北工大生が提案
 東北工大の3年生4人が、東日本大震災で大きな被害が出た宮城県亘理町に自分たちが考えた復興まちづくり策を提案した。仙台市内で開催される会合への参加者を誘致するツアーや電子広告を活用した情報発信など、若い感性を生かした大胆なアイデアで町職員らをうならせた。
 同町の悠里館で22日、町職員ら約70人を前に発表。仙台での学会やシンポジウムの参加者を対象に、特産のイチゴ狩りや亘理伊達家ゆかりの史跡巡りなど日帰り観光プランを提示した。電子広告「デジタルサイネージ」で首都圏などで町の物産の情報を発信し、販路拡大を図る方策も示した。
 発表した4人は目黒智也さん、神山拓也さん、新田勇斗さん、佐藤貴文さん=いずれも(21)=。県市町村自治振興センター主催の大学生による自治振興提案に応募し、今夏から町内の観光資源の調査などを続け、プランを練った。
 リーダーで同町在住の目黒さんは「地元にいる自分でも知らない魅力がたくさんあった。イチゴやアセロラなどの特産品で被災からの復興を遂げた物語も、広く発信すれば関心が高まると考えた」と意図を語る。指導した東北工大ライフデザイン学部の亀井あかね講師は「リアリティーを追究した提案だ」と評価した。
 亀井講師の研究室は同町の仮設住宅の子どもたちとの交流事業など復興支援に取り組んだ実績があり、その縁で研究対象に選んだ。町商工観光課の斎義弘課長は「多くの参加者が集まる学会や電子広告に目を付けた若者ならではの斬新な発想。ぜひ参考にして事業化を検討したい」と関心を示した。


宮城人口2年連続減 減少26市町
 宮城県が28日発表した県内の推計人口年報(10月1日現在)によると、総人口は232万4683(男113万2775、女119万1908)で、この1年で3310人減少。2年連続のマイナスとなった。
 市町村の増減率は高い順にそれぞれ表の通り。増加は9市町村で、増加率トップは大和町の1.97%(543人)。名取市1.54%(1166人)大衡村1.41%(79人)と続いた。
 減少は26市町。減少率が最も高かったのは女川町の4.31%(299人)。次いで七ケ宿町3.46%(52人)南三陸町2.78%(386人)の順だった。
 減少数の最多は石巻市の1146人(0.78%)。栗原市が1024人(1.45%)で続いた。増加数は仙台市が2788人(0.26%)で最も多かった。
 人口動態は自然増減が4647人減(出生1万8463人、死亡2万3110人)。社会増減は1337人増(転入11万6414人、転出11万5077人)だった。
 県推計人口年報は東日本大震災後の2012、13年と2年連続で増加。14年は3年ぶりに減少に転じた。


<国勢調査>岩手5万人減 減少率過去2番目
 岩手県は28日、東日本大震災後に初めて実施された2015年国勢調査(10月1日現在)の速報値を公表した。県全体の人口は前回(10年)より5万333人少ない127万9814人だった。減少率は過去2番目となる3.8%。1920年の調査開始以来、過去最大だった前回の4.0%から0.2ポイント改善した。
 前回と比べ人口が増えたのは内陸部の北上市、滝沢市、矢巾町の3市町のみ。北上市は沿岸被災者の転居、立地企業の雇用増が要因と推測。滝沢市、矢巾町は盛岡市周辺への人口流入効果とみられる。
 他の30市町村は減少した。このうち10市町は減少幅が縮小か横ばいだった。
 減少率が最も高かったのは大槌町で23.2%だった。次いで陸前高田市15.2%、山田町15.0%と、震災による犠牲者が多かった沿岸市町が続いた。沿岸12市町村での人口の減少率は8.3%で、前回比1.4ポイント増加した。
 県は「沿岸部での減少率の程度が思ったほどではなかった。復興作業員らが流入しているためとみられる」と分析している。
 内陸部では過疎化が進む自治体の減少率が高く、葛巻町13.2%、西和賀町10.9%、九戸村9.9%など。市部の盛岡、遠野、一関などは減少幅が縮小か横ばいとなった。沿岸からの避難者受け入れや、周辺自治体からの流入があったとみられる。
 男女別で男性は61万5576人で1万9395人減、女性は66万4238人で3万938人減だった。


<国勢調査>岩手沿岸 復興需要一時的下支え
 岩手県が28日に公表した国勢調査(速報値)では、東日本大震災の被害が甚大だった沿岸部で、復興事業に伴う作業員や支援者の流入による一時的な人口の下支えが起きている現状が明らかになった。県は復興需要が収束した後の社会減対策に力を入れる。
 沿岸12市町村の人口は、前回と比べ2万2761人減った。減少幅は7市町村で前回より拡大した。大槌町は15.7ポイント、陸前高田市は9.5ポイント、山田町は7.4ポイント広がった。
 逆に減少幅が縮小したのは5市町。宮古市は1.7ポイント、久慈市は2.5ポイント、釜石市は0.9ポイント縮小した。復興関連工事の作業員や各自治体からの派遣職員、NPOなどの支援者が流入し、大幅な人口減には至らなかったとみられる。
 前回の2010年国勢調査の結果を基本に住民票の異動から推計した県の人口推計速報によると、10月1日現在の県人口は127万2891人で、今回の速報値より6923人少ない。
 沿岸12市町村に限って見ると5319人の差がある。住民票を異動せずに一時的に滞在している人が、沿岸部に集中していることが浮き彫りになった。
 県調査統計課の佐藤和彦総括課長は「単純に考えれば、復興需要が一段落すると人口が約5000人減る。速報値は踏みとどまった印象はあるが、喜んでばかりいられない。社会減対策は急務だ」と話した。


<国勢調査>秋田の人口減少 過去最大
 秋田県は28日、2015年国勢調査(10月1日現在)の速報値を発表した。県人口は102万2839人で、10年の前回調査と比べて6万3158人(5.8%)の減となり、1920年の調査開始以来、過去最大の減少率となった。10年の調査と同様に、全25市町村で人口が減少した。
 男女別では、男性は48万178人で2万9748人(5.8%)減少し、女性は54万2661人で3万3410人(同)減った。世帯数は1515世帯(0.4%)減の38万8621世帯。1世帯当たりの人員は0.15人減の2.63人で過去最少となった。
 総務省の人口推計で県人口が最多だった1956年の134万9936人(男性66万584人、女性68万9352人)から約60年で24%減ったことになる。
 市町村別人口は表の通り。県北部の山間地域を抱える郡部ほど減少率が高く、男鹿、小坂、上小阿仁、藤里、八峰の5市町村で減少率が10%を超えた。減少率が最も低いのは秋田市。大潟村、秋田市のベッドタウンの潟上市と続いた。世帯数が増えたのは秋田市と潟上市だけだった。
 県総合政策課の湯元巌課長は「人口減が進んでいる状況をあらためて裏付けた。地域の雇用や教育環境の維持など、持続可能な地域づくりに一層努めなければならない」と述べた。


日韓慰安婦問題合意 「名誉回復を」高齢の元慰安婦ら沈痛
 慰安婦問題を巡る日韓両政府の合意を受け、元慰安婦らが28日、相次いで記者会見を開いた。元慰安婦10人が共同生活を送るソウル近郊の「ナヌムの家」で開かれた会見では、「政府の決定に従う」と受け入れる態度を示す元慰安婦がいる一方、「日本に公式の謝罪と賠償を求める」と述べ、日本が「法的責任」を認めない形で決まった合意を批判した元慰安婦もいた。
 韓国の女性家族省によると、政府に登録された元慰安婦は238人。高齢化が進み、12月現在で生存者は46人になった。平均年齢は89.2歳だ。
 1992年に仏教団体や市民の寄付金で作られたナヌムの家には現在、医療や生活支援を受けながら、元慰安婦10人が暮らす。
 元慰安婦らは日韓外相会談後の記者会見の模様を居間に置かれたテレビのニュースを通して見守った。柳喜男(ユ・フィナム)さん(87)は「法的解決(賠償)を待っていたので、合意に満足はできない」と残念な気持ちをのぞかせたが、「今年中に解決しようと努力した政府が決めたことに従う」と話した。一方、李玉善(イ・オクソン)さん(89)は「今回の合意内容は本当にやるせない。私たちはお金より名誉を回復したい。そのためには日本から公式の謝罪と賠償を受けないといけない」と沈痛な表情で語った。
 また、ナヌムの家の安信権(アン・シングォン)所長は外相会談の前に、韓国政府関係者が元慰安婦に意向を聞く機会は「なかった」と説明。「被害当事者を除いた韓日両政府による拙速な野合だ」と非難した。
 元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)はナヌムの家などと共同で声明を発表し、「被害者と国民の願いを裏切る外交的談合だ」と強く批判。聯合ニュースによると、挺対協の事務所で記者会見した李容洙(イ・ヨンス)さん(87)は、罪を犯した責任を取るには「補償」ではなく「賠償」が必要だと語り、「今回の合意内容全部を無視する」と述べた。【松井豊、ソウル米村耕一】


慰安婦問題の記憶遺産申請「不参加」 韓国が否定
慰安婦問題の合意に関連して岸田外務大臣が、中国が検討している慰安婦問題のユネスコの「記憶遺産」への申請に韓国が加わることはないという認識を示したことに対し、韓国外務省は日本とそうした方向で合意した事実はないとして否定しました。
28日の日韓外相会談で両国が慰安婦問題の最終的な解決で合意に達したあと、岸田外務大臣は記者団に対し、中国が韓国などに呼びかけて慰安婦問題を巡る資料を共同でユネスコの「記憶遺産」に申請するのを検討していることについて、「韓国が加わることはないと認識している」と述べました。
これについて、韓国外務省の報道官は29日の記者会見で、日本とそうした方向で合意した事実はないとして否定し、「慰安婦問題の被害者が記録したものを『記憶遺産』に申請することは、韓国内の民間団体が主導して進めている」と説明しました。ただ、この民間団体は韓国政府の女性家族省から委託された活動を行っており、今後中国の申請に加わる動きが具体化した場合、28日の合意で両国が「国際社会において慰安婦問題で互いに非難・批判することを控える」という考えを示したことに反するという指摘が出る可能性があり、韓国政府の対応が注目されます。


元慰安婦の女性たち 合意受け入れられない
日韓外相会談で両国が慰安婦問題の最終的な解決で合意したことを受け、韓国外務省の高官が、29日、元慰安婦の女性たちを訪ねて理解を求めましたが、女性たちは、日本が表明した取り組みは不十分だと批判し、合意は受け入れられないと強調しました。
慰安婦問題の最終的な解決で日本と合意したことを受けて、韓国外務省のイム・ソンナム(林聖男)第1次官が、29日午後、元慰安婦の女性たちが共同で暮らすソウル市内の住宅を訪ね、元慰安婦3人と面会しました。イム第1次官は、今回、日本と合意したことについて、女性たちが高齢になっていることを踏まえ、「皆さんの尊厳と名誉を回復することが政府の大きな目標だった」と説明し、理解を求めました。
しかし、女性たちは、「私たちにひと言も相談がなかった」とか、「安倍総理大臣がわれわれに直接謝罪し、法的な賠償をすべきだ」などと大きな声で批判し、合意は受け入れられないという立場を強調して、話し合いは平行線のまま終わりました。
また、話し合いのあと、女性たちは報道陣に対して、ソウルの日本大使館前の少女像に関して、国民が共有する象徴だとしたうえで、「手を触れることは許されない」と述べ、撤去を改めて拒否しました。
29日は、ソウル近郊にある、元慰安婦の女性たちが暮らす別の施設にも韓国外務省のチョ・テヨル(趙兌烈)第2次官が訪ねましたが、韓国メディアによりますと、やはり女性たちは「合意は受け入れられない」と反発したということです。韓国政府としては、今回の合意を確実に最終的な解決とするには、元慰安婦たちやその支援団体から合意内容への支持を取りつけることが重要な課題になっていて、28日夜は、パク・クネ(朴槿恵)大統領が国民に向けたメッセージを発表し、「大局的な見地に立って今回の合意を理解してほしい」と呼びかけています。


筆洗
 その兵隊は戦場で泥まみれになりつつ、亡き妹に宛てた届かぬ手紙を書き続ける。<僕は、兵隊は、小さくて、軽くて、すぐ突拍子もなく遠い所に連れて行かれてしまって、帰ろうにも帰れなくなってしまう感じから虫けらみたいだと思います>▼故・古山高麗雄(ふるやまこまお)さんの小説の一節だ。一兵卒としての経験を基に地を這(は)う視線で戦争を描いた古山さんは、慰安婦について<屈辱的なことをやらされている点では同じだ…彼女たちは同族だ>と書いた▼韓国・世宗(セジョン)大学の朴裕河(パクユハ)教授は労作『帝国の慰安婦』でこの小説を引きつつ、慰安婦が「性」を提供する立場であったなら、兵士は「命」を提供する立場。どちらも国家によって「戦力」にされていた−と論ずる▼巨大な手に虫のように弄(もてあそ)ばれ、今もその記憶にさいなまれる。そんな人々にとって、朗報となっただろうか。日韓両政府はきのう、慰安婦であった方々の名誉と尊厳を回復し、心の傷を癒やすことに取り組むことで合意した▼日韓や左右の分裂と対立によって生まれる苦痛は結局、元慰安婦たちが受け持つことになる。そう朴教授が指摘するように、彼女たちは戦時中だけでなく戦後も、国家や集団の論理に翻弄(ほんろう)され続けたのだ▼戦後七十年。その苦痛に終止符を打つ試みは政府間の合意で終わるものではなく、一人一人の様々な思いと向き合うことで始まるのだろう。

従軍慰安婦問題で合意 「妥結」の重さを学んだ
 日韓外相会談で、旧日本軍の従軍慰安婦問題を最終決着させると合意した。最大の懸案が解決に向かう。来年は対立から協力へと、流れを変えたい。
 岸田文雄外相と尹炳世外相はソウルで会談し、慰安婦問題を「最終的、不可逆的に解決する」と確認した。韓国政府は今後、問題を蒸し返さないという明確な約束である。
 元慰安婦を支援する財団を韓国政府が設立し、日本政府は財団に約十億円を拠出することで合意した。岸田外相は、安倍晋三首相がすべての元慰安婦に対し「責任を痛感し、心からのおわびと反省の気持ちを表明する」ことを明らかにした。
◆米国が背中押した
 韓国で初めて元慰安婦の女性が名乗りを上げてから二十四年。ようやく解決の道筋ができた。一九九〇年代に元慰安婦の支援事業として取り組んだ「アジア女性基金」や、民主党政権時代に提案された救済案など、これまで蓄積された日本の取り組みが実を結んだといえよう。
 日韓外相は「解決」「決着」という言葉を使ったが、一連の交渉経過を見れば、キーワードは「妥結」という表現ではないか。実は韓国語にも妥結(タギョル)という漢語があり、日韓の辞典を見ると「利害の対立する者が折れ合って、話をまとめる」という部分が共通している。両首脳は当初の主張を和らげ互いに譲歩した。国内の反対世論を説得する決断もしたということだろう。
 両政府とも妥結を急がねばならない事情があった。
 元慰安婦の韓国人女性は生存者四十六人、平均年齢は九十歳近く、交渉をずっと続ける時間的余裕はなかった。また慰安婦問題で関係が冷えこんだままでは、経済、安保など協力すべき分野が進まないという不満が、双方の国内から出ていた。
 日韓双方の背中を押したのは米国だった。オバマ政権は韓国に対し、歴史問題にこだわるばかりでは日米韓の共助体制が崩れていくと批判した。一方で、戦時下の女性に対する性暴力は深刻な人権侵害だとして、日本側に慰安婦問題の解決を迫った。
◆戦後70年談話が転機
 日韓両政府は当初、自説を強く主張していた。安倍政権は昨年、慰安婦問題で日本の官憲の関与を認めた「河野談話」の検証をしたが、国際社会は強い懸念を示した。河野談話の検証が慰安婦問題そのものを否定しかねないと見たからだ。
 大きな転機は、八月に安倍首相が発表した「戦後七十年談話」だった。首相は従軍慰安婦には直接言及しなかったが、「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた」と述べた。
 慰安婦問題は六五年の請求権協定によって解決済みというのが日本政府の原則的な見解だが、首相の談話は人道的な見地から救済の余地を示したものだ。韓国側に歩み寄ったといえよう。
 この日の外相会談で言及された安倍首相の見解には、女性の名誉と尊厳という七十年談話と同じ表現があったことに注目したい。
 朴槿恵大統領も妥結に向けて動いていた。慰安婦問題の解決に進展がない限り首脳会談には応じられないという立場だったが、今年に入り「歴史問題と経済、安保などの懸案は分けて対応する」と柔軟姿勢に変わった。
 両政府が歩み寄り、ようやく妥結にこぎつけたことを、重く胸に刻みたい。ここ数年、広がった「反日」「嫌韓」という不幸な風潮を変えていかねばならない。
 今後は両政府が国内世論をどう説得するかが重要になる。韓国の元慰安婦の支援団体「挺身(ていしん)隊問題対策協議会」は、今回の合意を評価せず、日本政府の法的責任を追及している。
 日本の世論調査でも、慰安婦問題で譲歩する必要はないとの回答が多数を占める。政府予算を使って救済を図るのは、事実上の賠償ではないかという批判が予想される。在ソウル日本大使館前に置かれた慰安婦問題を象徴する少女像についても、撤去する確約はなかった。
◆火種は残っている
 歴史問題での火種は消えたわけではない。戦中の元徴用工問題で六五年の請求権協定が違憲だとする訴訟で、韓国憲法裁判所は今月、訴えを却下した。しかし、徴用工問題では地裁、高裁で争いが続いている。
 韓国政府には日韓条約を尊重して、司法判断とは一線を画すよう望むが、日本側も、とりわけ政治家には歴史認識をめぐる発言に慎重さが必要だ。外相会談で弾みがついた関係改善の流れを止めないよう、日韓両国民の努力も求められる。


慰安婦問題 日韓の合意を歓迎する
 日本と韓国が慰安婦問題を最終決着させることで合意した。四半世紀にわたって両国間に突き刺さってきたとげだ。戦後70年、日韓国交正常化50年という節目の年に合意できたことを歓迎したい。
 岸田文雄外相と韓国の尹炳世(ユンビョンセ)外相が合意し、共同で記者発表した。日本が村山富市内閣時代に設立したアジア女性基金は韓国に受け入れられなかった。それを考えると、両国が知恵を出しあって合意に至ったことは画期的なことである。
 日本側は外相会談で慰安婦問題に関して「責任を痛感する」と表明した。日本はこれまで、1965年の日韓請求権協定で法的には解決済みだとして「道義的な責任」という表現にとどめてきた。
こじれた四半世紀
 一方で韓国は「反人道的な不法行為」である慰安婦問題は請求権協定で解決されていないという立場から「法的責任」を求めてきた。
 道義的か法的かを、あえて明確にしないことで双方が歩み寄り、決着につながった。
 日本政府が韓国の設立する財団に10億円を拠出する点も大きい。アジア女性基金は国民からの寄付金を軸にしたため韓国側が「政府の責任をごまかそうとしている」と反発した。公的な資金を出すことは政府の責任をより明確化させることになる。
 今回の合意について「最終的で不可逆的な解決」であることを確認したことは両国の信頼構築につながる。これにより、国連など国際社会での非難合戦という不毛な争いにも終止符が打たれるはずだ。
 慰安所が生まれ、定着したのは日中戦争の時期だ。兵士による強姦(ごうかん)事件の多発に頭を痛めた軍が業者に開設させた。軍は細かい規則を作って管理する一方、避妊具を支給したり、移動に便宜を図ったりしていた。
 貧困のために慰安婦とならざるを得なかった女性も多かったと言われる。93年の河野談話が指摘したように「意思に反して集められた事例が数多く」あったことは否定しがたい。慰安婦制度が女性の尊厳を踏みにじるものであることは明白だ。
 慰安婦問題が注目されたのは91年に初めて実名で証言する韓国人女性が現れてからだ。87年の民主化を機に日本の植民地支配の歴史を問い直そうとする機運が高まったことが背景にあった。経済や文化など多方面の交流が活発化する一方で、歴史認識を巡る摩擦は深まっていった。
 こうした流れを受けて、日本では村山談話やアジア女性基金によって和解を探ろうという動きが出た。
 しかし、安倍晋三首相はかつて河野談話見直しを公言していた。第1次政権だった2007年には、首相に近い政治家らが米紙に慰安婦問題に関する反論広告を出して米政界の反発を買い、日本を批判する米下院決議につながった。
 韓国側では、慰安婦問題での政府の不作為を「違憲」とした憲法裁判所の11年の決定が転機となった。時の李明博(イミョンバク)政権は慰安婦問題を対日外交の前面に出すようになった。13年に就任した朴槿恵(パククネ)大統領は慰安婦問題の進展がなければ日本との首脳会談に応じないという強硬姿勢を取るにいたった。
 合意の背景には、日韓共通の同盟国である米国から関係改善を求められていたことがある。それでなくとも日韓の連携は双方にとって自国の外交・安保政策に必須のものだ。
後戻りさせずに
 日韓両国内でも正常化以来最悪と言われる関係に「このままでいいのか」と懸念する声が出ていた。年間500万人が往来する両国関係が停滞したままでいいはずがなかった。
 合意を受けて安倍首相は「この問題を次の世代に決して引きずらせてはならない」と語った。朴大統領もその思いを共有しているはずだ。
 ただし、画期的な合意であっても不満を持つ人々は残る。そうした時に大局的見地から国内をまとめていくのが政治指導者の役割だ。
 韓国政府は、日本が強く問題視する在韓日本大使館前に建つ少女像の撤去にも前向きな姿勢を見せた。韓国で慰安婦問題の象徴になっているだけに簡単ではなかろう。真の和解につながる歴史的合意とするためには、まだ多くの作業が残っている。日韓両国が互いを信頼し、協力していかねばならない。
 日本は、解決策が最終的なものとなる確約を重視した。韓国政府が日本の対応をいったん評価してから、世論の反発を受けると一転して強硬姿勢に転じることを繰り返してきたという思いがあるからだ。アジア女性基金の取り組みを無視されたといういらだちもあった。
 ただ、問題を蒸し返してきたのは韓国側だけではない。政府間で前向きな動きがあっても、日本の政治家やメディアが植民地支配を正当化したり、元慰安婦を中傷したりしたことが、日韓関係をより複雑化させてきたことは事実だ。
 日本にとって韓国は最も重要な隣国である。外交はそもそも互いに譲り合わなければ成り立たない。今回の合意内容について、どちらが多く譲ったかの「勝ち負け論」に陥ることなく、日韓の新時代を切り開く基礎にすべきである。


慰安婦被害者・挺対協「少女像の移転は認めない」
政府の態度急変に怒り
 「慰安婦被害者のことを考えていないようだ。(交渉内容を)全て無視する」(イ・ヨンスさん)
 28日午後3時30分頃、ソウル鍾路区の政府庁舎で韓日外交長官会談が終わり、京畿道広州市退村面の「ナヌムの家」とソウル麻浦区の韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)事務室にいた被害者たちは鬱憤を爆発させた。 政府では「日本政府の責任を初めて明示した」という点に大きな意味を付与しているが、「法的責任」が明示されていないため合意案を受容できないということだ。
「被害者のことを考えていないようだ
金で解決しようとしている、受け取らない」
「韓国政府の外交は屈辱的」
 挺対協をはじめとする関連団体はこの日、韓日外相会談の結果として出された合意内容を逐一批判し、「日本軍“慰安婦”問題に対する被害者の、そして国民の、このような願いを徹底的に裏切った外交的談合」と反発した。 特に平和碑(少女像)撤去というあきれた条件を付け、その真意を疑わせた日本政府の要求を結局受け入れたばかりか、韓国政府が(最終的かつ不可逆的という表現を使って)今後、日本軍慰安婦問題を口にしないと言った」として「韓国政府の外交態度はまさに屈辱的」と強く批判した。
 合意案の内容のうち挺対協が最も強く反発した部分は、日本政府が「法的責任」を明確にしなかった点だ。 挺対協は昨年「第12回日本軍慰安婦問題解決のためのアジア連帯会議」の名で「日本政府に対する提言」を出し、日本政府に対して被害者中心の解決策が盛り込まれたこの提言に従うことを要求してきた。 提言は、慰安婦徴集について「誰が、どのように、加害行為をしたかを加害国が正確に認識し責任を認定」し、それを「曖昧でない明確な表現で国内的にも国際的にも表明」することを要求する内容を含んでいる。 また、日本政府が保有する資料の全面公開▽韓国内外の被害者と関係者の証言調査▽義務教育課程の教科書記述を含む学校教育などを後続措置として要求した。
 だがこの日出された両国の合意案は、被害者中心の解決策の水準に達し得なかったというのが専門家たちの評価だ。 ホン・ソンピル延世大法学科教授は「軍の関与を認めたことは進展だが、国際法が認定する奴隷化、人道に反する罪など、明確な法的責任の認定がないなら、これまでの遺憾表明と大差ない」と話した。
 慰安婦被害者支援のために韓国政府が設立する財団に、日本政府が10億円規模の予算を出捐することにしたことに対しても、挺対協は「その義務をこっそりと被害国の政府に押し付けて手を引く意図」と評価した。 慰安婦問題に対する責任を本当に認めるなら、日本国内で日本軍慰安婦犯罪に関する真相究明と歴史教育など、再発防止措置も合意案に盛り込まなければならないという主張だ。 イ・ヨンスさんは「先に天国に行かれた被害者たちに顔向けできない。(日本は)あくまでも補償でなく賠償をすべきだ。 金で解決しようとしても受け取らない」として涙まじりに話した。
 ナヌムの家のアン・シングォン所長は「厳然として被害者が生きているのに、こういう重大な合意事項について事前の意見聴取は全くなかった」と指摘した。 この日の発表に対する説明を聞けない状態でナヌムの家にいたユ・ヒナムさんは「不十分だ」と前提にしながらも「両国政府が努力したので政府の意に従う」と話した。
 今月5日に亡くなったチェ・カプスンさんをはじめ、今年9人の被害者が亡くなり、現在政府に登録されている慰安婦被害者は46人だ。
キム・ミヒャン、クォン・スンロク記者、光州/キム・キソン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )


アジア女性資料センター Asia-Japan Women's Resource Center
昨日の日韓外相会談を受けて挺対協から声明が発表されました。人権侵害を受けた当事者が不在の「合意」によって人権の問題を本当に解決することなどできるのでしょうか。
【以下、挺対協声明】
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日本軍「慰安婦」問題解決のための日韓外相会談合意に対する挺対協の立場
今日、日本軍「慰安婦」問題解決のための日韓外相会談が開催され、その合意案が発表された。日本軍「慰安婦」被害者と国民は、光復70年を数日残して開かれた今回の会談が、正しく速やかな日本軍「慰安婦」問題解決に至るよう切に願ってきた。
今回の会談の発表によると、1「慰安婦」問題に対し日本政府が責任を痛感、2安倍首相の内閣総理大臣としてのお詫びの表明、3韓国政府が設立する被害者支援のための財団に日本政府が資金を一括拠出し、その後両国が協力して事業を行うというものだ。
やっと日本政府が責任を痛感したと明らかにはしたが、日本軍「慰安婦」犯罪が日本政府および軍によって組織的に行われた犯罪だという点を、今回の合意から見出すことは難しい。関与レベルではなく日本政府が犯罪の主体だという事実と、「慰安婦」犯罪の不法性を明白にしなかった。また、安倍首相が日本政府を代表し内閣総理大臣として直に謝罪しなければならないにもかかわらず、「代読お詫び」に留まり、お詫びの対象もあまりにあいまいで「誠意のこもった謝罪」だとは受け入れ難い。
また今回の発表では、日本政府が加害者として日本軍「慰安婦」犯罪に対する責任認定と賠償などの後続措置事業を積極的に履行しなければならないにもかかわらず、財団を設立することでその義務を被害国政府に放り投げて手を引こうという意図が見える。そして、今回の合意は日本内ですべき日本軍「慰安婦」犯罪に対する真相究明と歴史教育などの再発防止措置に対しては全く言及しなかった。
何よりこのあいまいで不完全な合意を得るため韓国政府が交わした約束は衝撃的である。韓国政府は、日本政府が表明した措置を着実に実施するということを前提に、今回の発表を通じて日本政府とともにこの問題が最終的および不可逆的に解決することを確認し、在韓日本大使館前の平和の碑について公館の安寧/威厳の維持のため解決方法を探り、互いに国際社会で非難/批判を控えるというものだ。小を得るため大を渡してしまった韓国政府の外交は、あまりにも屈辱的である。
日本軍「慰安婦」問題解決のための合意に臨みながら、平和の碑の撤去というあきれた条件を出し、その真意に疑問を抱かせた日本政府の要求を、結局受け入れるだけでは足りず、今後日本軍「慰安婦」問題を口にしないという韓国政府の姿に心底から恥ずかしく失望した。
平和の碑は、いかなる合意の条件や手段にすることができないことは明白である。平和の碑は、被害者と市民社会が1000回を越える水曜日を見守り日本軍「慰安婦」問題解決と平和を叫んできた水曜デモの精神を称えた、生きた歴史の象徴物であり公共の財産である。このような平和の碑に対し、韓国政府が撤去および移転を云々したり介入することはありえないことだ。また、被害者と市民社会が受け入れることのできない今回の合意で政府が最終解決の確認をすることは、明らかに越権行為であり、光復70年を数日残したこの重要な時期に被害者を再び大きな苦痛に追いやる所業だ。
この間、日本軍「慰安婦」被害者と支援団体、そして国民の要望は、日本政府が日本軍「慰安婦」犯罪に対し国家的で法的な責任を明確に認定し、それに従って責任を履行することで、被害者の名誉と人権を回復し、再び同じ悲劇が再発しないようにせよというものだった。しかし、今日の日韓両国政府が持ち出した合意は、日本軍「慰安婦」問題に対する被害者たちの、そして国民のこのような願いを徹底的に裏切った外交的談合に他ならない。
日本軍「慰安婦」問題は、日韓間の真の友好と平和のため解決せねばならず、被害者が一人でも多く生きているうちに解決すべき優先課題であるが、決して原則と常識を欠いてはならず、時間に追われてかたをつけるような問題ではないことを重ねて強調する。
2014年の第12回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議で各国被害者の思いを込めて採択した日本政府への提言、すなわち日本政府の国家的法的責任履行が必ず実現されるよう、私たちは今後も日本軍「慰安婦」被害者とともに、国内外市民社会とともに正しい問題解決のための努力をより一層傾けていくことを明らかにする。
2015年12月28日
韓国挺身隊問題対策協議会
* 한국정신대문제대책협의회/기독교대한감리회여선교회전국연합회/기독교대한감리회전국여교역자회/기독여민회/대한예수교장로회전국여교역자연합회/새세상을여는천주교여성공동체/여성교회/원불교여성회/이화민주동우회/전국여성연대/평화를만드는여성회/한국교회여성연합회/한국기독교장로회여교역자협의회/한국기독교장로회여신도회전국연합회/한국여성단체연합/한국여성민우회/한국여성의전화/한국여신학자협의회/한국여자수도회장상연합회/KNCC한국기독교교회협의회여성위원회
(20개 단체)
*(사)에코젠더/(사)한국전쟁전후민간인희생자전국유족회/(사)햇살사회복지회/4.9통일평화재단/KIN(지구촌동포연대)/간토(관동)대진재조선인학살진상규명을 위한
한일재일시민연대/감리교여성지도력개발원/고난받는이들과함께하는 모임/고등학생이함께하는소녀상건립위원회/국제앰네스티한국지부/극단고래/근로정신대
할머니와 함께하는 시민모임/기독교도시빈민선교협의회/기독교사회선교연대회의/기독교환경운동연대/깨어있는사람들/독도수호대/동학혁명실천시민행동/두레방/마포우리동네청년회
청년나비/목포평화의소녀상건립추진위원회/민족문제연구소/민주사회를 위한
변호사모임 과거사위원회/민주사회를 위한
변호사모임/민주사회를 위한
변호사모임미군문제연구위원회/민주주의국민행동/민주주의법학연구회/민주화운동정신계승국민연대/부산민족문제연구소/사도생활단
장상협의회/사회적기업 마리몬드/사회진보연대/새가정사/새시대목회자모임/생명선교연대/생명평화기독연대/생명평화마당/서산평화의소녀상시민추진위원회/성매매근절을
위한 한소리회/성북아동청소년네트워크/세월호를 기억하는
강서양천모임/수원평화나비/시민모임 즐거운
교육상상/아시아평화와역사교육연대/아이쿱소비자활동연합회/야스쿠니반대공동행동한국위원회/여성동학다큐소설작가팀(동학언니들)/연세의료원노동조합/영등포산업선교회/우리겨레하나되기대전충남운동본부/우리겨레하나되기울산운동본부/울산평화나비/의정부평화비건립위원회/인디학교/일본군‘위안부’ 기억의 터
추진위원회/일본군‘위안부’ 문제해결을 위해
날아오르는 희망나비/일본군'위안부' 연구회 설립추진모임/일본군위안부
피해 할머니와 함께하는
부산시민모임/일하는 예수회/장부연대/장준하부활시민연대/전국교직원노동조합/전국대학민주동문회협의회/전국여성연대(전국여성농민회
총연합,
경기자주여성연대,
성남여성회,
용인여성회,
하남여성회,
분당여성회,
광주여성회,
이천여성회,
남양주여성회,
구리여성회,
양주여성회,
고양여성회,의정부두레여성회, 부천여성회, 안양나눔여성회, 수원일하는여성회, 화성여성회, 평택여성회, 오산여성회, 안산여성회, 안성여성회, 경남여성연대, 창원여성회, 남해여성회, 양산여성회, 진주여성회, 사천여성회, 진해여성회,함안여성회,경남여성정치네트워크, 전국여성농민회 경남연합, 전국학교비정규직노동조합
경남지부,
경남민주행동여성위원회(참관), 광주여성회, 구로여성회, 부산여성회, 울산여성회, 천안여성회, 제주여성회, 서귀포여성회, 서울여성연대(준),관악여성회(준))/전국의료산업노동조합연맹/전북인권선교협의회/전북평화의소녀상건립시민추진위원회/정의당 중앙여성위원회/정의평화환경보존위원회/주한미군범죄근절운동본부/참교육을위한전국학부모회(중앙)/참여연대/천안평화의소녀상건립추진위원회/천주교정의구현전국연합(우리신학연구소, 천주교인권위원회, 한국카톨릭농민회, 천주교인천교구노동사목, 천주교정의구현목포연합,천주교정의구현상주연합,천주교정의구현전국연합, 한국카톨릭노동장년회)/청주평화비추진위원회/촛불정보방/태평양전쟁피해자보상추진협의회/평화나비
네트워크(서울 평화나비, 경기
평화나비,
인천 평화나비, 춘천 평화나비, 충청
평화나비,
진주 평화나비, 대구 평화나비, 부산
평화나비,
제주 평화나비) 가톨릭대 평화나비, 인천연합지부(인천대, 인하대, 경인교대, 가천대) 강원대
평화나비,
한림대 평화나비, 춘천교대 평화나비, 고려대
평화나비,
건국대 쿠터플라이, 동덕나비, 명지나비, 서울대 평화나비, 서울여대
슈터플라이,
성신나비,
숙명눈꽃나비,
이화나비,
중앙대 평화나비, 신촌 연합지부(서강대, 홍익대), 서울연합지부(경희대, 한국외대, 세종대, 서경대, 시립대, 서울여자간호대, 삼육대, 동국대, 성균관대, 덕성여대) 안양대
평화나비,
한신대 평화나비, 명지대 평화나비(용인캠퍼스), 경희대
평화나비(국제캠퍼스), 경기대 평화나비, 단국대
평화나비,
한국외대 평화나비(글로벌캠퍼스) 동서대 평화나비, 부산
연합지부(동아대, 영산대) 충북대 평화나비, 청주연합지부(청주교대, 꽃동네대, 청주대), 충남대
평화나비,
공주대 평화나비 경상대
평화나비,
경남과학기술대 평화나비, 진주보건대 평화나비, 진주교육대
평화나비,
제주대학교 평화나비, 제주한라대학교 평화나비/평화나비대전행동/평화박물관/평화어머니회/포럼)진실과정의/한국YWCA연합회/한국기독청년학생연합/한국기독청년협의회한국기독학생회총연맹/한국노동조합총연맹/한국노총서울지역본부/한국이주여성인권센터(충북, 전북, 전남, 대구, 경남, 부산)/한국정신대연구소/한국진보연대(노동인권회관, 민가협양심수후원회, 민족민주열사희생자추모(기념)단체연대회의, 민족자주평화통일중앙회의, 민주노동자전국회의, 민주민생평화통일주권연대, 민주화실천가족운동협의회, 전국농민회총연맹, 전국민족민주유가족협의회, 전국민주화운동유가족협의회(사),
전국빈민연합,
전국여성농민회총연합,
전국여성연대,
조국통일범민족연합남측본부, 통일광장, 평화재향군인회, 한국진보연대, 한국청년연대, 21세기한국대학생연합)/한국천주교남자수도회/한일시민선언실천협의회/해남평화나비/황해도굿보전전수회/ LA나비(Nabifund) (94개단체)


白井 聡
本件に関し、私は精通しているわけではないのですが、それでも少々言っておきたいと思います。
まず、多くの方々指摘していることですが、「最終的、不可逆的解決」を語れるのは、政府ではなく被害者の方々のみです(この論理を否定する立場は、自覚の有無にかかわらず国家主義であると私は思う)。それでは、被害者の方々は、何を基準に「解決とみなせる」と言っているのか。リンク先の声明によれば、「事実の認定、謝罪、賠償、真相究明、歴史教育、追慕事業、責任者処罰」です。今回の政府間「合意」は、後半四つの項目(真相究明、歴史教育、追慕事業、責任者処罰)に関し、何一つ言及がありません。この点で、今回の「合意」は致命的欠陥に冒されていると私は考えます。
ゆえに、残念ながら、日韓関係の棘であり続けてきたこの問題は、長期的にはまたもやさらにこじれることになるでしょう。合意内容によれば、今後の日本政府の義務は、10億円を払えばそれで終わりになります。例えば、教科書検定等を通じて歴史教育を放棄(より正確にいえば「禁圧」である)しても、文句をつけられるいわれはない、ということになった。他方韓国政府側は、「もう二度と蒸し返さない」ことを義務づけられた。特に難問は、ソウルの日本大使館前の慰安婦像の移動・撤去でしょう。支援者らがこれに抵抗すれば、強権的にやらざるを得なくなります。両国政府の負った義務の不均衡は明らかだと思います。
なお、「元慰安婦支援団体は韓国における極右的団体であり、彼らは〈反日のための反日〉を事としている」という見方があります。私の経験上、支援勢力の一部にそうした傾向があるということは、信頼できる(と私が思う)筋から聞いたことがあります。しかし、当たり前ですが、すべての支援団体がそのような勢力であるわけがありません。
思うに、日本における北朝鮮拉致被害事件をめぐる状況から推量が可能だと思います。同事件が表面化したとき、「救う会」は「北朝鮮政府を糾弾し、日本政府の不作為に抗議する」というそれ自体は真っ当な主張を展開しました。しかしながら、「救う会」が喧伝し始めたイデオロギーを見ると、「真っ当な主張」の動機が真っ当でなかったことが、明らかになりました。彼らの多くが、本当のところ被害者やその関係者の救済を望んでいるのではなく、一方的な被害者の立場を利用して思う存分ナショナリズム感情を満喫したいという動機に駆られているにすぎなかった。このことについては、蓮池透氏が様々な機会で告発しています。どの国でも、同胞が他国による著しく不正な行為の犠牲となったとき、こういうタイプの「愛国者」が必ず発生します。この現象を以って、「元慰安婦支援団体はみんないかがわしい」とする見方は、およそ公正ではありえないでしょう。
最後に、今回の合意に関してポジティブなことがあるとすれば、次のことでしょう。まず、安倍晋三氏は、「国家の関与は証明されていない」といった類の妄言を二度と口にできないであろう、ということ。このことは、この世の中から不快なことをほんの少しだけ取り除いてくれる。それからもう一つは、今回の「合意」形成の経緯から、「日本の歴史修正主義者が歴史を修正できる範囲は、アメリカが決める」という構図があらためて周知されたことかもしれません。自国の歴史もアメリカ様から与えてもらう「愛国者」! この惨めな現状がさらされたことは、一つの前進かもしれません。

年賀状投函/仕事納めで机の上を整理

ブログネタ
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我が解体高橋和巳

Le Japon accepte de dédommager les ≪ femmes de réconfort ≫, esclaves sexuelles durant la guerre
La Corée du Sud et le Japon ont conclu un accord historique, lundi 28 décembre, sur l’épineuse question des ≪ femmes de réconfort ≫, un euphémisme désignant le système d’esclavage sexuel mis en place par l’armée nippone durant la seconde guerre mondiale et qui concernaient des dizaines de milliers de femmes asiatiques.
Le Japon a accepté de verser 1 milliard de yens (7,5 millions d’euros) de dédommagement aux quarante-six ≪ femmes de réconfort ≫ sud-coréennes encore en vie et reconnaît sa ≪ responsabilité ≫. Le premier ministre japonais, Shinzo Abe, a également exprimé aux victimes ses ≪ excuses et son repentir, du plus profond de son cœur ≫, a fait savoir le ministre des affaires étrangères japonais, Fumio Kishida.
Cet accord sera ≪ définitif et irréversible ≫ si le Japon met en œuvre les mesures promises, a prévenu le ministre des affaires étrangères sud-coréen, Yun Byung-se, à l’issue des discussions à Séoul avec son homologue japonais.
La plupart des historiens estiment que jusqu’à deux cent mille femmes, pour la plupart des Coréennes, mais aussi des Chinoises, des Indonésiennes et des ressortissantes d’autres pays asiatiques, ont été enrôlées de force dans les bordels de l’armée impériale japonaise.
Timide réchauffement des relations
M. Abe, et la présidente sud-coréenne, Park Geun-hye, avaient évoqué le sujet lors d’un sommet le mois dernier ; avant cela, Mme Park avait repoussé toutes les propositions de sommet bilatéral, arguant que Tokyo devait encore se repentir correctement pour son passé de guerre et de la domination coloniale de 1910 à 1945. Pour Mme Park, la question des ≪ femmes de réconfort ≫ était le ≪ plus grand obstacle ≫ à l’amélioration des relations bilatérales.
Le Japon estime quant à lui que les questions liées à la guerre ont été réglées en 1965 à la faveur de l’accord qui a rétabli les liens diplomatiques entre Tokyo et Séoul.
Les relations ont connu un réchauffement relatif lors de cette entrevue entre M. Abe et Mme Park. Ils se sont engagés alors à coopérer pour régler au plus vite des contentieux historiques qui, au grand dam des Etats-Unis, empoisonnent leurs relations depuis des décennies.
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NHKスペシャル 生命大躍進 第1集「そして“目”が生まれた」
なぜ人は今のような姿形で生きるようになったのか?壮大な進化の謎が、21世紀、私たち誰もがもつDNAの最新研究から解明され始めた!DNA、それは生命誕生の40億年前から途切れることなく受け継がれてきた「命の記録」。そこに記された古代生物たちの驚きのドラマを、臨場感あふれるタイムトラベルCGで体感!新垣結衣がナビゲートする。第1集は、5億年前の私たちの祖先に、なぜか「目」が突如現れた謎の大事件に迫る。
新垣結衣,
伊藤雄彦,久保田祐佳,
幸田夏穂,河本邦弘,樫井笙人

NHKスペシャル 生命大躍進 第2集「こうして“母の愛”が生まれた」
人が人となるための決定的な鍵を3回シリーズで描く『生命大躍進』。第2集は、なぜ人間の親と子はこれほど強い愛情で結ばれるようになったのか、その謎に迫る。最新研究から「母子愛」の意外な起源が明らかになってきた。太古、私たちの祖先は、壮絶な天変地異やウイルス感染による絶滅の危機に直面する中で、「母の愛」誕生につながる“思いがけないDNAの大事件”に遭遇する。新垣結衣さんと一緒に恐竜世界へタイムトラベル!
新垣結衣,
伊藤雄彦,久保田祐佳,
七緒はるひ,宗矢樹頼

NHKスペシャル 生命大躍進 第3集「ついに“知性”が生まれた」
シリーズ『生命大躍進』最終回は、なぜ私たち人間だけが、これほど賢い生き物に進化できたのか、究極の謎に迫る。最新研究から、祖先が知性への階段を昇りはじめたきっかけは、思いがけないDNAの事件によるものだった…。そして氷河期に絶滅した別種の人類ネアンデルタール人のDNA復元計画から、人が人となれた理由に迫る。新垣結衣さんが一人二役で演じる“姉妹”と一緒にタイムトラベル!マンモスや恐竜をリアルCGで体感
新垣結衣,
伊藤雄彦,久保田祐佳,
江原正士,河本邦弘,樫井笙人

あの歌に出会いたい〜シャーロットの 沖縄 歌探しの旅〜
「マッサン」のヒロインとして国民的な人気を博した女優、シャーロット・ケイト・フォックス。撮影の合間に動画サイトで偶然聞いた沖縄の民謡に心ひかれた彼女が、初めて沖縄に旅をする。沖縄音楽を代表する歌手、古謝美佐子さんや、三線作りの名手、歌を愛する漁師の皆さんなど、沖縄音楽を愛するさまざまな人との出会いを通して、シャーロットは自分の心を捉えて離さない沖縄音楽の魅力を体感する。また、自作の歌も披露する。
シャーロット・ケイト・フォックス,古謝美佐子

世界反米ジョーク集 (中公新書ラクレ)
早坂隆
中央公論新社
2014-07-11


風刺の面白さ カスタマー
 ジョークを通じてアメリカを〔笑い飛ばそう〕という本。昨今のアメリカの動向に対して多くの人が違和感を抱いている中で、思わず頷いてしまう内容だった。楽しく読めるだけでなく、いろいろと考えさせられる、風刺の利いた一冊。以下は中でも私が気に入ったジョーク。
 あるアメリカ人の人類学者が食人種の村を訪れて調査していた。ある日、彼はイラクで起きている戦争について村人たちに話をした。すると村人たちは眉をひそめ、口を揃えて彼に聞いた。
「そんなに大量の人肉をどうやって食べるのですか?」
 人類学者が苦笑いしながら答えた。
「アメリカ人はそんな野蛮なことはしません。殺した敵の肉など食べませんよ」
 村人たちはさらに驚いて囁きあった。
「食べもしない敵を殺すなんて、アメリカ人というのはなんて野蛮な人種だろう」


やっと年賀状を投函しました.元日に届くでしょうか?
今日は仕事納めです.ぐちゃぐちゃになっている机の上を整理です.4時まで,の予定でしたが6時近くでとりあえずマシになりました.たぶんほかの人から見たらまだまだなのでしょうけれど・・・

<5度目の年の瀬>津波の爪痕 祈りの場
◎2015被災地(8)旧役場庁舎(岩手県大槌町)
 あちこちで重機の音が響く。東日本大震災の被害が甚大だった岩手県大槌町の中心部。当時の町長と職員計40人が犠牲になった旧役場庁舎が、津波の爪痕を残したまま立ち続ける。
 8月、年度内解体を掲げた平野公三町長が町長選で初当選。震災遺構として一部保存が検討されてきた旧庁舎は一転、解体か保存かの論争が熱を帯びた。
 震災発生から5年目。時間がたち、解体から保存へと考えを変えた人がいた。復興需要の収束を見据え、被災地見学で人を呼び込む役割を指摘する声も出た。
 町議会は慰霊と鎮魂の場の整備、震災対応の再検証を優先するよう求め、平野町長は年度内解体を断念した。解体方針そのものは撤回せず、決着は来年度以降に持ち越された。
 各地の震災遺構が次々と姿を消す中、旧庁舎には今も県内外の人が訪れる。
 20日に友人と立ち寄った堺市の女性(44)は「あらためて震災を忘れてはいけないと思った」と静かに手を合わせた。


被災の集会所再建 善意の結晶
 東日本大震災で被災し使えなくなった仙台市若林区若林1丁目の築87年の集会所「松原公会堂」を、地元の若林中央町内会が再建した。建設費の工面に尽力し、住民や地元企業などの協力で集まった300万円以上の寄付金を不足分に充てるなどした。落成式を迎え、関係者は防災面の機能を強化した地域の拠点施設の新たな門出を祝った。
 公会堂は、古い建物を解体して同じ場所に建て直された。8月に着工し、今月17日に完成した。平屋建てで床面積は87.7平方メートル。集会室2室と町内会事務室の3部屋があり、縁側を設けた。
 落成式は20日にあり、住民ら約50人が参加。町内会の渡辺寿一会長が「新しい公会堂を核にして、先人の意志を継ぎ、次の100年も地域を盛り上げていきたい」とあいさつした。
 総工費は約1300万円。再建に向け、若林中央町内会は任意団体である町内会の法人化手続きをした上で市に補助金を申請。金融機関からも借り入れた。
 その後、市から約800万円の補助を受けたが足りず、4月から住民や地元企業に寄付を募ったところ、約320万円が集まった。さらに足りない分は集団資源回収の収入などで補った。資金調達に備え、本年度から資源回収の回数を増やしたことが生きた。
 町内会は今後、公会堂を夏祭り、将棋大会など地域の子ども会や敬老会が主催する行事に使う。防災倉庫の機能を担わせ、一時避難所としても使用する。
 公会堂は1928年4月、地元の農業者40人による生産組合が建設した。長く住民に親しまれてきたが、老朽化に加えて震災で床や屋根が破損。2013年6月に使用を中止した。


原発城下町で家屋解体進む 栄枯盛衰40年
 東日本大震災の津波で被災し、東京電力福島第1原発事故の影響で4年以上、手付かずだった富岡駅前商店街(福島県富岡町)で、国による家屋の解体が進められている。町の玄関口に40年近く店を構え、原発建設から事故まで激動の一時代をそばで見つめてきた1軒の小料理屋があった。(郡山支局・吉田尚史)
 店の名は「まどか(圓)」。青森県出身の小野伊津子さん(59)が、小さな店を引き継いだのは1976年。20歳の誕生日だった。
 「駅前はネオンもなく真っ暗。寂しかった」
 10年とたたないうちに町は好況に突入する。80年代までに福島第1原発の全6機が運転を開始。富岡町と楢葉町にまたがる第2原発の着工で人口が急増した。
 「駅前の平屋の木造店舗がビルへと様変わりし、ビジネスホテルも建った」
 料理修業の経験もなく、接客も苦手。追い風にも商売に身が入らなかった。「20代は目標もなく人生を悲観していた。辞めてもいいと思っていた」と苦笑いする。
 転機は35歳だった。「ママ、店つぶれちゃうよ」。下火になりかけた店に連日通い、支えたのは電力関連企業の若手社員たちだ。
 「逃げてもまた一から。富岡でやるしかない」と本気になった。時はバブル時代。「あの小さな町にパチンコ屋が立ち並び、活気に満ちていた。町は電力さんで変わった」と回想する。
 作業員や関連企業社員に親しまれ、東電幹部らも足を運んだ。後に原発事故対応の指揮を執った故吉田昌郎元所長もその一人。東電女子サッカー部マリーゼの選手も顔を見せた。関西出身者や地元の阪神タイガースファンが集う店として有名だった。
 開店から35年目の春。古里と思えるようになった町は避難区域と化した。店は津波で無残な姿となった。
 「一時は東電さんを恨んだ。もう生きていたくもなかった」と苦悩した。絶望の底に落ちた小野さんが顔を上げるきっかけは、亡くなった吉田元所長の存在だった。
 「何だお前、落ち込んで。今、何しているんだ」
 2013年夏。東京であったお別れ会に参列した時だ。にこやかな吉田さんの遺影が心に語り掛けた。
 「またママとして頑張っているよ、と言えるようにやるしかない」。翌14年2月、避難先のいわき市四倉町で「まどか」を再開した。
 原発城下町の栄枯を見続けた店舗や家屋約30棟は、年内にほぼ解体を終える。
 「寂しいけれど、町が生まれ変わる一歩。全てを受け止め、これまでの40年にありがとうという気持ちでいっぱい。廃炉の行く末と新しい時代を見守りたい」


JR山田線脱線/復旧への道筋早期に示して
 宮古市門馬のJR山田線で普通列車が崩れた土砂に乗り上げて脱線し、乗客と運転士の計16人が軽傷を負った事故から2週間が過ぎた。
 崩壊斜面の上部に亀裂が見つかり、新たな土砂崩れの危険があるため、復旧作業は中断している。地盤の強度を測るボーリング調査を続け、新たな土砂崩落を防ぐ対策を講じた上で、本格的な作業に入る見込みだ。
 脱線車両は止まったまま越年となる。JR東日本は復旧工事の着手について、来年4月以降にずれ込む見通しを示しており、復旧工程はさらに長期化する公算が大きい。
 内陸の盛岡と沿岸の宮古を結ぶ102.1キロの山田線は、沿線住民にとって重要な足だ。路線の復旧を急ぐべきことは言うまでもない。作業に向けた安全を確保した上で、一日も早く本格的な復旧工事に入ってほしい。
 岩手県内では、似たような事故が以前にあった。2010年7月に岩泉町の岩泉線で、普通列車が崩れた土砂に乗り上げて脱線。土砂搬出の開始は事故の2カ月後、車両撤去は3カ月半後だった。
 JR側は復旧工事費が約130億円に上り、乗客減少が続く状況に見合わないと判断。震災後の12年3月に復旧を断念した。県と沿線の宮古市、岩泉町は存続を要望したが、バスによる代替輸送となり、14年4月に廃線となった。
 山田線は震災で被災した宮古−釜石間(55.4キロ)で、ことし3月に復旧工事が始まった。復旧費210億円のうち140億円はJRが負担し、残る70億円は国の復興交付金を充てる。
 18年度末の一括復旧を目指し、運転再開後は第三セクター三陸鉄道(宮古市)に移管することが決まっている。約3年後、山田線で残るのは、今回事故があった盛岡−宮古間だけとなる。
 山田線の1日1キロ当たりの利用者を示す平均通過人員は、14年度で279人。1987年度は1119人で、その2割弱にまで落ち込んだ。JR東日本管内の在来66路線の中では、65位に位置する。
 この区間では、約100キロの復興支援道路「宮古盛岡横断道」の整備が進む。バス輸送がさらに便利になるとみられ、鉄道利用者の大幅な増加は見込めないのが実情だ。
 それでも、山間部に住む住民にとっては、身近な駅を通る鉄道が頼りになる。厳冬期は、交通手段を遅れがちなバスから定時性に優れる鉄道に切り替えてきた人も多い。
 脱線事故をきっかけに廃線となった岩泉線と単純に比較はできないものの、利用者の間では「山田線も将来、廃線になるのでは」という懸念が広がりつつある。
 達増拓也岩手県知事は「(山田線が建設された)原敬首相の時代にさかのぼって重要な路線。地元の足として観光ルートとして、重要な役割を果たしている」と強調し、JRに対し早期復旧を求めていく考えを示す。
 JRに望みたい。作業を精力的に進めて路線復旧の道筋を早期に提示。技術と経験を駆使して現場の安全を確立し、来年4月以降の復旧工程を固めることを、である。


気仙沼市 住宅跡地の受付終了
気仙沼市で、東日本大震災の津波で被災し住民が住めなくなった土地を市が買い取る事業の受け付けが28日に最終日を迎え、最後の手続きをする市民が訪れました。
被災した土地の買い取りの受け付けを締め切るのは、気仙沼市が県内で初めてだということです。
震災の被災地では、津波の被害を受け、住宅の建設が制限された「災害危険区域」の土地を持つ人たちに高台などに移転してもらうため、自治体が跡地を買い取る事業が進められています。
気仙沼市では、この事業の受け付けを12月いっぱいで締め切ることになり、最終日の28日は市役所の窓口で契約や相談をする人の姿がみられました。
気仙沼市によりますと、買い取りの希望があった土地、111.9ヘクタールのうち、11月までに買い取りが終わったのは96.3ヘクタールで、残る15.6ヘクタールは、▽手続きが続いていたり▽相続関係や抵当権の抹消などで受け付けをしていなかったりするケースだということです。
気仙沼市によりますと、買い取りの受け付けを締め切るのは、県内で初めてだということです。
気仙沼市用地課の金野政義課長は、「集中復興期間が終了する今年度で宅地の買い取りも終える方針で進めてきた。買い取りがまだの人たちには個別に対応していきたい」と話していました。
気仙沼市の受け付けは28日午後5時過ぎとなっています。


<回顧みやぎ>反安保の風 自民を翻弄
◎(10)宮城県議選
<そのとき>
 「高級店『グッチ』の前でマイクを握ることに被災地の復興を感じる」
 宮城県議選が告示された10月16日、仙台市中心部の街頭演説で自民党の茂木敏充選対委員長が青葉選挙区(定数8)の応援マイクを握った。能天気なあいさつの後は安倍政権が掲げた「新三本の矢」のアピールに終始。世論を二分する安全保障関連法には触れなかった。
 「『戦争法』でなく『戦争抑止法』だ」。同じ会場で保守派のベテラン候補は理解を求めた。有権者の反発覚悟で地方議員が本題に切り込む一方で、党幹部が何も語らないコントラストに違和感を覚えた。
 東日本大震災から4年7カ月で迎えた県議選は、震災復興の加速が最大争点だった。だが、直前の9月に成立した安保法制をめぐる与野党攻防も注目ポイントとなった。
 法案が国会審議中だった8月の仙台市議選では、党関係者は「強い逆風が吹いた」と口をそろえた。県議選は「平和安全法制を国民に丁寧に説明する」(安倍晋三首相)上で格好の舞台と思われたが、青葉区のベテランのような例はまれ。
 多くの公認候補は「あくまで県政が主軸」と争点化を避けた。国政の代理戦争で野党の攻勢を受け、語ろうにも語れないジレンマを抱えているようだった。
<それから>
 10月25日の投開票日。共産党が青葉選挙区のトップ当選をはじめ、反安保の世論を原動力に議席を倍増させた。消滅の危機もささやかれた社民党は護憲を旗印に、1議席を守り切った。
 自民は公認した34人のうち現職4人を含む7人を落選させた。反安保の風に翻弄(ほんろう)され、革新勢力に票を奪われたことが敗戦の構図の共通項として挙げられる。
 「苦戦の要因は有権者への説明不足に尽きる。逃げずに向き合わなければならない」。来年夏に迫る参院選を見据え、ある県連幹部は厳しく振り返った。
 国政課題をめぐる自民への攻勢は、改選後初の11月定例会中も続いた。東北電力女川原発(女川町、石巻市)再稼働反対を訴え、民主、共産などが超党派の議員連盟を組織した。
 こうした勢力が、数に勝る自民を後ろ盾とする村井嘉浩知事とどう対峙(たいじ)するか。来年もウオッチが欠かせない。(報道部・浅井哲朗)
[メモ]県議選(定数59)には前回より4人少ない86人が立候補。34人を擁立した自民党は27人が当選し、推薦の3人を合わせ過半数を確保。最大会派の自民党・県民会議に無所属議員2人を合流させ、改選前比1減の32議席とした。9人を立てた民主党は5人にとどまり苦戦。推薦や支持などの合流で10人の新会派「みやぎ県民の声」を発足させ、第2会派を維持した。共産党は4人から8人に躍進した。


なまはげさん力持ち
 大みそかに男鹿半島の各集落で行われる民俗行事「なまはげ」を前に、なまはげが27日、秋田県男鹿市船越の男鹿総合観光案内所で、帰省客や地元の親子連れなどと一緒に餅つきをした。
 一足早い年越し気分を味わってもらおうと、市観光協会が毎年企画。会場では「なまはげさーん」という呼び掛けに、ウォーと奇声を上げながら2匹が登場し、緊張が走った。なまはげは「泣いていると山さ連れてくぞ」「仲良くしろよ」と時に叱り、時に優しく声を掛けながら、子どもたちと一緒にきねを振るった。
 つき上がった餅はその場で振る舞われ、子どもたちはおいしそうに頬張っていた。


防衛費5兆円 納得いく説明がほしい
 2016年度予算案の防衛費が5兆541億円となり、初めて5兆円の大台を超えた。前年度に比べ740億円、1.5%の増加は、他の歳出と比べても優遇ぶりが際立つ。防衛費は安倍政権が発足して以来、これで4年連続の増加となる。
 中国や北朝鮮の情勢に対応するため、離島防衛や日米同盟の強化をはかるというのが現在の防衛力整備の基本的な考え方だ。それ自体は必要なことだが、精査は十分だろうか。
 防衛費は、装備品の調達内容や総額が5カ年計画の中期防衛力整備計画(中期防、14〜18年度)で決まっている。来年度の防衛予算案も、これに沿って編成されている。
 それにしても新型輸送機オスプレイ、滞空型無人機グローバルホーク、戦闘機F35A、新早期警戒機E2D、水陸両用車など、米国製の高性能で高額な装備品の購入が目立つ。
 主要装備の調達や工事は数年がかりのため、予算は分割払いされる仕組みだ。来年度に発注する装備や工事で、新たに再来年度以降に後払いが生じてくる額は2兆円を超える。
 後払いが膨らむだけでなく、高額な装備は維持費もかさむだろう。将来的に防衛予算を圧迫しかねない。
 例えばオスプレイは、今夏の概算要求の時点では12機をまとめ買いして経費を削減する予定だった。
 だが、米側から技術支援を受けるための経費などが、新たに約200億円必要になることがわかり、結局、来年度は4機の購入に変わった。
 来年3月末に安保法制が施行され、自衛隊の活動内容や範囲が拡大し、それに対応するための訓練が行われれば、必要経費は増すだろう。
 安倍晋三首相は、防衛費の総額は中期防で決まっており、安保法制に伴って防衛費が増えることはないと言う。だが、中期防には3年後の見直し規定がある。中期防3年目にあたる来年度の終わりごろには、見直し圧力が強まるかもしれない。
 在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)は、日米交渉が増額で決着し、前年度より21億円増の1920億円が計上された。
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設をはじめとする米軍再編経費も大幅増となった。
 政府が、移設に反対する名護市を通さず辺野古周辺3地区に直接交付する新設の補助金は、前年度より倍増の7800万円が計上された。防衛省によれば、具体的な使途は決まっていないという。いわばバラマキ予算だ。
 日米同盟の強化は重要だが、増額ありきで、チェックが甘くなっていないだろうか。年明け早々の通常国会では、政府は5兆円の中身について納得いく説明をし、野党は厳しく追及してもらいたい。


政活費の報酬化 非常識な前例を作るな
 あきれた議論である。地方議員に経費として支給される政務活動費(政活費)について、東京都千代田区の審議会は使い道に制限がない議員報酬に付け替えるよう答申した。
 多くの議会が政務活動費の透明化に取り組む中で、使途の報告義務がない報酬にしてしまう発想は常識から外れている。区議会はこんな改革への逆行に応じてはならない。
 「政務活動費に対する積年の課題に一石を投じることができた」。答申に盛られたこんな自画自賛の表現に強い違和感を抱いてしまう。
 千代田区議会の定数は25で、区議は月額15万円の政務活動費が支払われている。石川雅己区長の諮問会議である有識者会議はこのうち10万円分を議員報酬に付け替えるとともに、政務活動費は5万円に減額するよう答申した。実現すれば報酬は月額約72万円に増額する。
 政務活動費は元兵庫県議による多額の流用事件を端緒として、ずさんな使い道が厳しい批判を浴びている。今年も神戸市議会で会派のひとつが約3400万円を「陣中見舞い」などとして所属議員に配っていた問題が発覚するなど、議会の信頼を損ねる事態が後を絶たない。
 だからといって、政務活動費を報酬に回すような発想は理解できない。審議会会長の武藤博己法政大教授は「議員のなり手を増やすには報酬引き上げが必要だ。政務活動費は『政務活動』の範囲が不透明で使いづらい」と説明しているという。だが、労働の対価である報酬と、調査、研究活動など経費への補助金である政務活動費は区別して論ずべきだ。
 政務活動費について「制度そのものを廃止し、自分の報酬の中から自らの責任で支出する時代へと向かっている」と指摘した答申の見解にも賛成できない。
 地方議会の多くは領収書の添付を例外なく義務づけたり、事前に全額支払う方式を見直したりするなど政務活動費改革に取り組んでいる。
 報酬に付け替えれば、これまで批判が多かった飲食などに政務活動費分をあてていくことも自由になる。使い道をできるだけ透明にして、住民の理解を得ていく努力の放棄である。
 議論の進め方にも疑問がある。政務活動費は、地方議会自らがあり方を議論し、金額や公開方法を自律的に決めるのが原則だ。区長の審議会には区議OBも加わっているという。不自然な区側の主導に区議の多くから反発が出ているのは当然だ。
 答申を実現するためには条例改正が必要となる。首都・東京の中心の地方議会であしき前例を作らぬよう区議会は明確な反対姿勢を示し、区は条例案提出を見送るべきだ。


年のおわりに考える 歴史に学びたい寛容
 欧州では押し寄せる難民、テロの影響で、排外主義を訴えるポピュリズムが目立っています。今こそ歴史を振り返り、寛容さを思い起こすべきです。
 旧東ドイツ、人口約十万人の小都市シュウェリンで今年、難民申請するのは二千人を超えるといいます。カトリック系団体などが難民との交流会を開いています。シリアやアフガニスタンからの難民が戦火を逃れて祖国を出た経緯や、ドイツにたどり着くまでの苦労を話していました=写真、右が難民。企画したドイツ人男性(57)はこう言います。
 「この地域では戦後、住民の三分の一が(ドイツが失った東方領土から引き揚げた)難民だった。自分も難民になった気持ちで接してあげなくては」
 メルケル首相が積極的な受け入れを表明したことを受け、今年、ドイツに入国した難民申請希望者は百万人とみられています。各市町村は、人口や経済力ごとに割り当てられた人数を受け入れます。
 ベルリンでは空港跡、見本市会場、兵舎に仮設住居が設けられていました。連邦政府が費用を負担し、ベルリン市の委託で民間企業が運営。ボランティアも手伝い、衣類などの寄付も集まるなど、市民の総力を挙げた取り組みです。
 ナチス時代には人種主義を掲げたドイツですが、すでに多くの外国人が暮らしています。
 一九六〇年代の高度経済成長期、西ドイツはトルコなどから労働者を受け入れました。家族らも呼び寄せ、ドイツのトルコ系住民は約三百万人に上ります。
 これらトルコ系イスラム教徒の移民らに対し、ドイツ連邦銀行理事だったティロ・ザラツィン氏は五年前に刊行した『自壊しゆくドイツ』で、「積極的にドイツ語を学ばず、社会に溶け込もうとしない。ドイツ人に比べて出生率が高く、国の知的水準が下がる」などと差別的な批判をしました。
◆難民保護は国是
 こういった排外主義、反イスラム感情は、ドイツに根強くあります。パリ同時多発テロ後には偏見へとつながりました。冒頭のシュウェリン市では、支援団体事務所に嫌がらせのメールや手紙が匿名で送られてきたそうです。極右らによる難民排斥デモには約三百人が集まりました。
 しかし、ドイツでは極右政党は国政で議席を持つには至っていません。ナチスのユダヤ人迫害の反省を踏まえ、難民の保護が基本法(憲法)にも規定されている“国是”であることを、国民の大多数が自覚しているためでしょう。
 ドイツ政府も二〇〇五年以降、改正移民法を施行し、技能者らの滞在許可を得やすくする一方で、ドイツ語の習得を義務付け、移民らとの統合社会づくりを進めています。今回の難民申請希望者に対してもまず、ドイツ語の学習を勧めています。
 ドイツ一国だけでは、押し寄せる難民を支えきれません。欧州連合(EU)をはじめ、国際社会の分担と協力が必要ですが、イスラム教徒への警戒感が強まっている国も目立ちます。
 テロに見舞われたフランスでは、今月初めの地方選第一回投票でルペン党首率いる極右政党「国民戦線」が躍進しました。
 英国のキャメロン首相は、EU改革として、移民への社会福祉の制限を求め、EU残留か離脱かを問う国民投票を、来年にも実施する方針です。
 米国では、共和党の大統領選候補者、トランプ氏が「イスラム教徒入国禁止」を主張しました。
 しかし、イスラム教徒への差別的な扱いは反発や憎しみを招き、テロや戦争へとつながる悪循環ともなりかねません。
◆ローマ帝国の教訓
 ドイツの外交官に「難民問題の解決策はあるのか」と尋ねたところ、「(四世紀に始まった)ゲルマン民族大移動の際、異民族に不寛容だった西ローマ帝国はまもなく崩壊したが、寛容だった東ローマ帝国はその後、約千年続いた」との見方を示し、今回の難民問題でも寛容な対応がドイツのためになる、と語りました。東ローマ帝国は政府や軍の高官を、諸民族からも採用していたそうです。
 歴史の教訓に学んで寛容な気持ちを取り戻すこと。多様性、多文化主義の根底には、寛容な精神こそ求められます。


東電 除染費負担応じず…13年末以降の計画分
国、立て替え200億円
 東京電力福島第1原発事故に伴う除染の費用負担を定められている東電が、2013年末以降の計画分について環境省の請求に応じない姿勢を示していることが同省などへの取材で分かった。具体的な対象は、本格化しつつある帰還困難区域の除染で、福島県大熊町で今年着手した同区域の除染で同省が立て替える200億円超も完了後の請求が宙に浮く見込みだ。経済産業省は東電を支持する立場を取り、省庁間の意見の対立も浮上。最終的に誰が負担するか決まらないまま巨額の国費が投じられる異例の事態となっている。【関谷俊介、小林洋子】
閣議決定根拠に
 原発事故後の11年に成立した放射性物質汚染対処特別措置法は、除染などについて「(東電は)請求があったときは速やかに支払うよう努めなければならない」と定めている。一方、13年12月20日に閣議決定された福島復興指針には「実施済みまたは現在計画されている除染・中間貯蔵施設事業の費用は東電に求償(請求)する」とされ、その時点で計画がなかった除染などについては請求の可否が示されていない。
 環境省によると、帰還困難区域では閣議決定前、公共施設などで試験的な除染が行われ、東電は費用請求に応じていた。だが、同区域の主要道路などの除染は、閣議決定後に計画され請求の対象ではないとして支払いに応じていないという。
 取材に対し、同省除染・中間貯蔵企画調整チームの小野洋チーム長は「同じ特措法に基づく除染なのに閣議決定前後で請求できるかどうか区別されるのはおかしい。帰還困難区域の除染も請求できると考えている」と主張。一方、経産省資源エネルギー庁電力市場整備室は「閣議決定には計画外の除染を請求するとは書かれていない。東電には閣議決定に従うよう指導している」と話し、東電広報室は「特措法、原子力損害賠償制度、13年の閣議決定に基づき、(環境省などから)丁寧に内容を聞いた上で、関係省庁と協議しながら適切に対応していく」とコメントした。
 除染費用は東電の負担と定められているため、10年間で32兆円と設定された復興事業費には含まれず、東電が請求に応じなければ新たな財源が必要となる。財務省幹部は「環境省とエネ庁で話をして結論を出すことが必要だ」と話している。
 環境省はこれまで12回にわたり除染費用計3810億円を東電に請求。過去にも除染関連の研究開発や普及啓発費などの支払いに遅れが生じたことはあったが、東電は基本的に請求に応じ、計3505億円を支払った。放射線量の高い帰還困難区域での本格的な実施は大熊町が初めてで、今夏に始まり来年度完了予定の95ヘクタール分の事業費は200億円超。同町の残り305ヘクタール分のほか、双葉、浪江、富岡各町なども国に本格的な除染を要望している。
解説…「東電救済」省庁間で対立
 賠償や中間貯蔵施設事業を含め総額11兆円に達する原発事故の処理費用について、国がどこまで財政支援し、東京電力を“救済”するのか。関係省庁や与党内でもさまざまな意見のある支援の線引きをあいまいなままにしてきたことが、新たな難題を生じさせた。
 2013年11月、与党内で処理費用の東電任せを見直す提言がまとめられた。除染などについて新たに特措法を制定して国の財政的関与を打ち出すべきだという声も出たが、世論の反発を考慮し、最終的に「現在計画されている除染を実施した後のさらなる取り組みについては公共事業的観点から検討する」という表現に落ち着いた。だが現在も「取り組み」が除染そのものを指すのか、その他の環境整備を指すのか、提言に関わった議員の中でも認識が分かれ、「除染を公共事業としてやるべきだ」という議員がいる一方で、「除染は基本的に東電の責任だ」という議員もいる。
 提言を受けた形でその翌月に閣議決定された福島復興指針も、計画外の除染については記述がない玉虫色の表現となった。
 中心部が帰還困難区域となっている大熊町や双葉町では、除染の要望が強まっている。ある関係省庁幹部は「帰還困難区域の除染をどう考えるか議論せず、費用負担が宙に浮いてしまった」と話す。13年の閣議決定時点で計画中の除染が具体的にどれを指すかもそもそも明確でない。計画外の除染費用を東電に請求しないなら財源をどうするのか。議論を先送りにした国の責任は重い。【関谷俊介】
除染費用◇
 国直轄分、市町村実施分とも環境省が立て替え、実施後に年4回東京電力に請求する。東電は、国から資金投入されている原子力損害賠償・廃炉等支援機構の支援を受け、同省に支払う。機構は保有する東電株の将来の売却益で国庫納付するが、除染費用は来年度予算分を含めると総額2兆6321億円に上り、同省の2013年時点での試算2.5兆円を超えている。


河北抄
 「戦争について語ってきた野坂昭如さんや水木しげるさんが亡くなってしまったので、もういっぺん書いてみようかと思って」。先週の朝刊「声の交差点」で<大戦の犠牲 政府は直視を>と訴えた栗原市の菅原利男さんは92歳。
 71年前の1944年、出征してインパール作戦が展開されたビルマ、今のミャンマーに赴いた。悲惨な戦場だったという。記憶は今も鮮明で詳しく話す。
 「私が現地に着いた時はもう敗走が始まっていた。ジャングルの中でマラリアなどで次々に人が死んでいった」。目の当たりにした様子を自費出版した『パゴダの祈り』という本にまとめたが、「遺族の気持ちを思いやれば、あの本に書けないほどのむごたらしさだった」。
 「だから戦争は嫌だ」と言う菅原さんは安全保障関連法に異議を申し立てる。「後方支援というのは戦争参加と同じ。相手が黙っていますか?」
 本を出したのは敗戦から60年がすぎた年だった。それから10年。居ても立ってもいられなくなった菅原さんの言葉はいたく胸に染み入る。


日本軍「慰安婦」研究会設立準備会による声明「日本軍「慰安婦」問題、早まった「談合」を警戒する」発表
2015年12月28日に予定されている日韓外相会談に向けて韓国の研究者らの「日本軍「慰安婦」研究会設立準備会」より声明が発表されました。
(以下、声明)
日本軍「慰安婦」問題、早まった「談合」を警戒する
日韓国交正常化50周年である2015年の暮れに、日本軍「慰安婦」問題をめぐる日韓両国政府の慌ただしい動きがメディアの報道を埋め尽くしています。
日本の安倍晋三総理が岸田文雄外相に訪韓を指示し、日韓両国は12月28日に外相会談を開催し協議することにしたと伝えられています。また、この背後には李丙青瓦台秘書室長と谷内正太郎国家安全保障局長による水面下の交渉があったといいます。
すでに高齢である被害者たちが存命中に問題を解決することが最善であるという点については異議を差し挟む余地はありません。しかし時間を理由として早まった「談合」をするのならば、それは「最悪」になるでしょう。
1990年代初めに日本軍「慰安婦」問題が本格的に提起されてからすでに四半世紀が過ぎました。この長い月日に渡って、被害者たちと、彼女たちの切なる訴えに共感する全世界の市民たちが問題解決のための方法を共に悩み、それによって明確な方向が定まってきました。「事実の認定、謝罪、賠償、真相究明、歴史教育、追慕事業、責任者処罰」がそれです。このことこそが、これまで四半世紀をかけて国際社会が議論を重ねてきた末に確立された「法的常識」です。
日本軍「慰安婦」問題の「正義の解決」のために、日本政府は「日本の犯罪」であったという事実を認めなければなりません。この犯罪に対し国家的次元で謝罪し賠償しなければなりません。関連資料を余すところなく公開し、現在と未来の世代に歴史の教育をし、被害者たちのための追慕事業をしなければなりません。そして責任者を探し出し処罰しなければなりません。そうすることではじめて、日本の「法的責任」が終わることになるのです。
私たちは日本軍「慰安婦」問題に対する韓国政府の公式的な立場が「日本政府に法的責任が残っている」というものであることを再び確認します。韓国政府は2005年8月26日「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」の決定を通じ「日本軍慰安婦問題など、日本政府・軍等の国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定によって解決されたものと考えることはできず、日本政府の法的責任が残っている」という立場をはっきりと表明しました。また、これは2011年8月30日の憲法裁判所の決定と、2012年5月24日の大法院判決でも韓国政府の公式的な立場として重ねて確認されました。
私たちは1995年に始まった日本の「女性のためのアジア平和国民基金」が失敗したことは「日本の責任」を曖昧な形でごまかそうとしたためであることをもう一度確認します。国民基金は日本国民から集めた募金で「償い金」を支給し、日本政府の資金で医療・福祉支援を行い、内閣総理大臣名義の「お詫びの手紙」を渡す事業でした。しかし日本政府が「道義的責任は負うが、法的責任は決して負えない」と何度も強調し、まさにその曖昧さのせいで多くの被害者たちから拒否されたのです。
今、日韓両国政府がどのような議論をしているのかは明らかではありませんが、メディアによって報道されている内容は上述のような国際社会の法的常識と日本軍「慰安婦」問題の歴史はもちろん、韓国政府の公式的な立場とも明らかに相容れないものです。1995年の国民基金の水準さえも2015年の解決策とはなりえません。それ以下であるのならば、さらに言うまでもありません。何よりもそれはこれまでの四半世紀の間、「正義の解決」を訴えてきた被害者たち
の願いをないがしろにするものです。
今から50年前、日韓両国政府は「経済」と「安保」という現実の論理を打ち立て、過去清算問題に蓋をすることを「談合」しました。まさにそのために今も被害者たちは冷たい街頭で「正義の解決」を訴えざるをえなくなりました。50年前と同じ「談合」をまたしても繰り返すのであれば、これは日韓関係の歴史に大きな誤りをまたひとつ追加する不幸な事態になってしまうでしょう。
2015.12.27.
日本軍「慰安婦」研究会設立準備会


【日韓外相会談】 元慰安婦「すべて無視する」と反発
 【ソウル=藤本欣也】韓国の聯合ニュースによると、日韓両政府による慰安婦問題の合意について、元慰安婦の李ヨンスさん(87)は28日、「慰安婦被害者たちのために考えていないようだ」「(会談結果を)すべて無視する」と強い不満を表明した。
 元慰安婦が暮らす「ナヌムの家」の安信権(アン・シングォン)所長も「被害者たちを無視した政治的野合だ」と非難した。


元慰安婦、「賠償を」と反発 受け入れの声も
 【ソウル共同】日韓両外相が28日、旧日本軍の従軍慰安婦問題の決着で合意したことについて、元慰安婦の女性からは「野合だ」「賠償すべきだ」などと反発が相次いだ。一方「政府に従う」と受け入れる声も聞かれた。
 元慰安婦が暮らすソウル郊外の施設「ナヌムの家」で記者会見した柳喜男さん(87)は「満足はできない」としつつも、「政府が年内に解決しようとしているので、尽力している方々のことも考え政府のやる通りに従う」との考えを示した。
 ナヌムの家の安信権所長は、日韓合意に日本の「法的責任」が明示されていないと指摘、「被害者を除外した韓日両政府の拙速な野合だ」と批判した。


日韓合意 元慰安婦の女性は賛否両論
日韓両政府の合意について、元慰安婦の女性たちからは「受け入れたい」という声がある一方で、あくまで法的な賠償が必要だと不満の声も上がっています。
会談の結果を受けて、28日午後、ソウル近郊にある元慰安婦の女性たちが暮らしている施設「ナヌムの家」で記者会見が開かれました。
このうち、ユ・ヒナムさんは「これまで人間としての権利を持って生きることができなかったので、満足はできませんが、とにかく政府がことし中に解決しようと努力してくれたことも考え、政府に従いたいです」と述べ、合意を受け入れる考えを明らかにしました。
一方、イ・オクソンさんは「私たちは公式の謝罪を受けて、法的な賠償を受けなければならず、名誉が回復されなければなりません」と述べ、合意に不満を示しました。また、ナヌムの家のアン・シングォン(安信権)所長は「被害を受けた当事者を除外した韓国と日本の拙速な野合だというほかない」と述べて、元慰安婦の意見を聞かないまま両国の政府が話を進めて合意したとして、厳しく非難しました。

再び第九/年賀状印刷/今日こそTAYBEH Beer

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第13回部落解放同盟全国大会

Nouvelle manifestation à Ajaccio : ≪On est chez nous≫
Au lendemain du saccage d'une salle de prière consécutive à l'agression de deux pompiers et un policier, quelques centaines de manifestants ont repris la rue samedi dans la cité corse.
≪On est chez nous≫, ≪Arabes dehors≫, ≪On est toujours là≫, ont scandé samedi après-midi quelques centaines de manifestants venus protester pour la seconde journée consécutive dans plusieurs quartiers populaires d’Ajaccio contre l’agression de deux pompiers et un policier la nuit de Noël. ≪Je suis contente qu’ils soient là≫, a témoigné une habitante des Jardins de l’Empereur, une cité populaire des hauteurs de la ville, interrogée par l’AFP : ≪ça fait cinquante ans que je vis là et ce n’est plus possible≫.
Au lendemain du saccage d’une salle de prière musulmane en marge d’une première manifestation, un dispositif conséquent de gendarmes mobiles et CRS veillait à empêcher tout débordement dans ce quartier où les manifestants sont arrivés en milieu d’après-midi, avant de se diriger vers les quartiers voisins de Saint-Jean et Sainte-Lucie.
Les portes vitrées de trois halls d’entrée du quartier de l’Empereur ont été brisées à coups de pierre par un manifestant, a constaté une journaliste de l’AFP qui n’a noté aucune violence à Sainte-Lucie, où un fumigène a simplement été lancé.
Le cortège commençait à se disperser vers 18 heures.
≪Un véritable guet-apens≫, selon un pompier blessé
Ces manifestations visent à dénoncer les agressions dont ont été victimes deux pompiers puis un policier dans la nuit de jeudi à vendredi. Selon la préfecture, un incendie avait été ≪volontairement allumé≫ dans les Jardins de l’Empereur ≪pour attirer les forces de l’ordre et les pompiers dans un guet-apens≫.
Selon le témoignage de l’un des deux pompiers blessés dans cette agression, ils sont d’abord tombés sur cinquante à soixante individus qui se trouvaient autour d’un feu et leur ont lancé des projectiles : pierres, parpaings, barre de fer. Puis, alors qu’ils rebroussaient chemin, les pompiers ont a nouveau été pris à partie par un petit groupe : ≪Nous avons été pris dans un véritable guet-apens par une vingtaine de personnes armées de barres de fer, de battes de baseball, cagoulées. Ils ont essayé de nous porter des coups, d’ouvrir le camion, ils ont réussi à briser les vitres≫, a relaté le pompier sur i-Télé.
≪C’est un tout petit groupe de jeunes≫, a nuancé Mehdi, un autre habitant des Jardins de l’Empereur, âgé de 35 ans. ≪Les parents abandonnent, le problème c’est l’éducation. Mais nous, nous voulons tous vivre ensemble, sans problème.≫
≪Arabi fora≫, ≪On est chez nous !≫, ≪Il faut les tuer≫
Vendredi, une première manifestation pacifique de soutien aux pompiers et au policier a rassemblé quelque 600 personnes devant la préfecture d’Ajaccio mais, en fin de journée, environ 300 d’entre elles ont rejoint le quartier des Jardins de l’Empereur. Ces manifestants ont d’abord affirmé vouloir retrouver les auteurs de l’agression de la veille, scandant pour certains ≪Arabi fora (les Arabes dehors, ndlr) !≫ ou ≪On est chez nous !≫.
Une vidéo - non authentifiée - publiée sur Twitter fait aussi état de manifestants criant ≪Il faut les tuer≫ :
Un petit groupe s’est ensuite détaché pour saccager une salle de prière musulmane. Les casseurs ont tenté de mettre le feu, puis n’y arrivant pas, ont cherché à bruler une cinquantaine de livres, dont des exemplaires du Coran. Un restaurant kébab a été également dégradé.
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明日へ -支えあおう- 復興サポート 命を守るコミュニティーを作ろう 〜岩手・大槌町 Part2〜
全国から知恵ある専門家を被災地に招き、住民との話し合いの場を設けて復興への道筋を探る「復興サポート」。今回は、孤独死やひきこもりなどを防ぐための、住民同士のつながり作りがテーマ。大槌町では仮設住宅から災害公営住宅への入居が始まっているが、入居者の多くが一人暮らしの高齢者。見守り活動から見えてくる地域の課題やニーズをもとに、移送サービスや家事支援などを生み出し、安心して暮らせる地域を作るにはどうすればいいのか。阪神淡路大震災後に神戸で数々のコミュニティー事業を立ち上げ、住民が支えあう地域づくりを成功させた中村順子さんを迎え、住民や支援者などで話しあっていく。
明日へ -支えあおう- 復興サポート 今こそ 若い力でボランティア!
減り続ける東北へのボランティア。いま期待されているのが学生たち。マンパワーだけでなく、活動を後輩に引き継ぐことで“継続的な支援”につなげたり、若い世代が少ない地域にとっては世代間をつなぐ重要なパイプになることも。しかし参加方法が分からず二の足を踏む学生も多い。今回は大学生で女優の川島海荷さんがボランティア体験。参加する際の備えや注意点などを紹介。また宮城県仙台市の東北学院大学に学生が集まり、無理なく継続的に出来るボランティアのあり方を議論する。
サンデーモーニング年末SP「答えなき世界」〜行きづまりの時代に〜
今朝は7時から▽有志連合・イラク軍対「イスラム国」・最新情報▽高浜原発再稼働へ・その訳は▽40年ぶり原油輸出解禁・米の思惑▽スポーツ御意見番は張本勲&上原浩治 ▽今年一年の「喝!&あっぱれ」 ▽関口宏の「一週間」▽年末特集「答えなき世界」〜行きづまりの時代に〜▽「イスラム国」はなぜ生まれたのか▽格差が拡大するグローバル化▽実験で探る人間心理▽「混とん」社会の行方とは?
関口宏 ト
寺島実郎 姜尚中 中村桂子 安田菜津紀 岸井成格
橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美
張本勲&上原浩治
三枝成彰

NHKとっておきサンデー 増刊号〜2015 年末スペシャル〜
もう一度見たい!2015:今年は視聴者の皆さんからの再放送希望が最も多かったNHKスペシャル「腰痛・治療革命」をまるごとアンコール放送▽あさが来た一週間:今年最後の1週間分を20分のダイジェストで!ヒロインの波瑠が後半の見どころを紹介▽とっておきチェック:総合テレビ・Eテレ・BS・ラジオに分けて年末年始のおすすめ番組の魅力を詳報。
篠山輝信,豊田エリー,與芝由三栄

ガリレオX「MRJ 失われた50年からの飛翔」
2015年11月11日に悲願の初飛行に成功した国産旅客機MRJ。戦後初の国産機YS11の初飛行から50年目のフライトだった。日本は自動車、鉄道、造船産業の分野においては、世界トップの技術力を誇ってきたにもかかわらず、航空機産業だけは立ち遅れたままであった。果たして、その理由とは? 飛行を成功させたMRJの最新技術とともに、「失われた50年」とも呼ばれる日本の航空機産業における国産旅客機復活の軌跡を追う。
鈴木真二さん 鈴木一義さん 大貫武さん

教科書が変わる!?日本人のルーツをさぐる旅
人類は1万5千年以上前の旧石器時代に初めて日本列島に現れ、縄文時代にかけて各地に定住を始めたとされている。そんな「日本人の原点」とも言えるご先祖さまの人骨が、沖縄や富山で大量発掘!しかも骨からなんとDNAまで取り出され、その最新分析から、日本人の太古のご先祖さまたちが「どこからやってきた、どんな人たちだったのか」という謎が解明され始めている。教科書には書かれていない驚きの“ご先祖さま像”に迫る!
天野ひろゆき,壇蜜,
篠田謙一,小林達雄,
森公美子,クリス松村,阿部祐二,
チョー,谷口恵美

NHKスペシャル 証言ドキュメント▽永田町・権力の興亡 “安倍一強”実像に迫る
戦後70年の節目を迎えた2015年、日本政治は「安倍一強」とも呼ばれる状況になっている。その状況は、なぜ、いかにして生まれ、何をもたらそうとしているのか。国論を二分する中で成立し、最大の政治テーマとなった安全保障関連法をめぐる攻防、そして無投票に終わった自民党総裁選の水面下でのせめぎ合い…。今年の政治をめぐる「攻防・葛藤・決断」のドラマを政治家たちの証言から浮き彫りにし、日本政治の行方を探る。
豊原謙二郎

ドキュメンタリーWAVE▽若者の声を政治に届けたい〜スペイン議会選挙 新党の挑戦
スペインで、若者たちが中心となって2年前に結成した新政党ポデモス。彼らは全国各地で、就職や住まい、医療など、身近な問題について、繰り返し議論する中から新たな政策を提案し、急速に支持を拡大してきた。その勢いは、首都マドリードの市長選で、ポデモスが応援する候補を当選させるほど。若者の声を政治に届ける新たな回路として注目を集めてきた。ポデモスが初めて挑んだ国政選挙、12月20日のスペイン議会選挙を追う。
教えて!生命の不思議 プレゼンスタジアム2015 前編
サイエンスzero今年で3回目となる日本科学未来館での公開収録。若手科学者6名が自らの研究について熱くプレゼンするZEROの一大イベントだ。今年のテーマは「生命の不思議」。生命の本質は何なのか? 地球外生命体はいるのか? コンピューターはどこまで生命体に近づけるか? 最強の生物は何なのか? など、謎多きテーマに若手科学者たちが熱いプレゼンで挑む! 観客の“科学心”を揺さぶり、プレゼン・キングに輝くのは果たして誰か!? 前編となる今回は3名が登場する!
これが宇宙の種を取る材料?/ 宇宙に生命の種を取りに行く(横浜国立大学 癸生川陽子准教授)/ 進化の“ビックリ!”お見せします!(名古屋大学 鈴木麗璽准教授)/ クマムシから学ぶ生命の不思議(慶應義塾大学 堀川大樹特任講師)/ 開幕!サイエンスZERO プレゼンスタジアム2015。今年のテーマは「生命の不思議」。 6名の若手研究者が熱いプレゼンを繰り広げた。いつものスタジオを飛び出しての公開収録。/ 前編となる今回はまず3名が登場。宇宙から”生命の種”有機物が地球にやってきたことについてプレゼンする横浜国立大学准教授の癸生川陽子さん。/ コンピューター内に仮想空間を作り、生物の進化の過程を探る名古屋大学准教授の鈴木麗璽さん。/ 最強生物”クマムシ”の秘密に迫る慶應義塾大学特任講師の堀川大樹さん。/ 伊集院 光

21世紀の第九
[指揮]ケン・シェ
[管弦楽]日本センチュリー交響楽団
[合唱]京都バッハ・アカデミー合唱団
[ソプラノ]上村智恵
[アルト]山田愛子
[テノール]松本薫平
[バリトン]キュウ・ウォン・ハン
ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 「合唱付」 op.125


12月で三回目の第九です.2・3月にも聞いているから今年だとかなり聞いていることになります.今日の第九の指揮者はいつもより若い感じです.30代かな?今回はトライアングルの響きがとてもよいと感じました.予備の?ヴィオラが謎ですが・・・
夜になってやっと年賀状を印刷しました.でも何かメッセージ書かないとダメですよね?明日投函します.
昨日買ってきたパレスチナのタイベビールを飲みました.日本でも色々なお店で販売しているみたいです.

映画「泣がぃん」舞台の気仙沼で上映会
 気仙沼市を舞台にした地域発信型映画「泣がぃん」が23日、同市本吉町のはまなすホールで上映された。菊池清嗣監督や主演のあべこうじさんらの舞台あいさつがあり、訪れた市民約200人は地元での初公開に大きな拍手を送った。
 大手芸能プロダクション・よしもとクリエイティブエージェンシーが制作し、市民で組織する「気仙沼・鮫(フカ)イイ映画制作実行委員会」が協力。多くの市民が出演した。
 会場では、あべさんら出演した芸人によるライブなどに続き「泣がぃん」を上映した。題名は地元の言葉で「泣きなさい」の意味。観客は、東日本大震災からの再起を誓う涙と笑いがあふれた内容に引き込まれた。
 仙台市や遠野市で少年時代を過ごした菊池監督は「今の気仙沼を背伸びせず描きたかった。5年後、10年後の記録映像にもなる」とあいさつ。主人公と心を通わせる少年役の気仙沼市松岩小4年宮井伯武(ともたけ)君は「撮影の時は寒かった」と振り返った。


<5度目の年の瀬>変わらぬ味覚 食卓へ
◎2015年被災地(7)セリの収穫(名取市)
 鮮やかな緑が水面に映える。名取市下余田で地元特産「仙台セリ」の収穫作業が最盛期を迎えている。
 腰まで水に漬かり、30〜40センチに伸びたセリを3〜4把ずつ収穫する。「茎が折れないよう、水に浮かせるように優しく持ち上げるのがこつ」とセリ農家大内繁徳さん(52)が言う。
 名取のセリ栽培は江戸時代初期に始まり、約400年の歴史がある。現在は下余田と上余田で2組合、計約60軒の農家が栽培する。
 シャキシャキとした歯触りと香りの良さを支えているのは清らかで豊富な地下水だ。地中からくみ上げる水の温度は年間を通じて10〜13度に保たれ、安定した生育を可能にする。
 東日本大震災時は沿岸部の排水設備が津波で壊れたため下流に水を流せず、セリの洗浄ができなかった。組合は苦しみながら栽培を続け少しずつ出荷量を回復した。
 その年末、仮設住宅にセリを配った。住民の声で苦労が吹き飛んだ。「雑煮にはやっぱり仙台セリが欠かせない。ありがとう」
 近づく正月も、変わらぬ味で食卓を彩る。


「閖上まちカフェ」で餅つき交流
 東日本大震災で被災した名取市閖上地区の交流拠点「閖上まちカフェ」で26日、復興支援で贈られたもち米を使った餅つきがあり、被災者ら約120人が交流を深めた。
 閖上を視察に訪れた福井県坂井市と長野県小諸市の住民が「閖上の住民に元気になってほしい」と計45キロのもち米を寄贈。地域情報紙「閖上復興だより」のスタッフが餅つきを企画し、仮設住宅の住民らに参加を呼び掛けた。
 釜でもち米をふかした後、大人と子どもが代わる代わるきねを振り下ろした。出来上がった餅は、あんこやきな粉、納豆などをまぶして振る舞われた。
 参加者は支援に感謝しながら餅を頬張り、「おいしいね」「軟らかいよ」などと声を弾ませた。


コーヒーで被災地を元気に
 東日本大震災で大きな被害が出た宮城県山元町に、従業員たった一人の小さなコーヒー焙煎(ばいせん)工場が稼働している。東京のNPO法人「高麗(こうま)」(高麗恵子代表)が東北各地で取り組む被災地支援の一環として開設。エチオピア産豆の深みのある味わいで、じわじわ人気を広げる。将来的には事業を拡大して被災地の雇用を増やし、復興を加速化させる大きな夢を描く。
 工場は10月にオープン。被災農家が同町山寺に設立した農業生産法人「山元いちご農園」の敷地内にある。特産のイチゴの大型栽培ハウスが立ち並ぶ脇に、広さ6畳ほどの小さなプレハブが立ち、小型の焙煎器や作業スペースがある。
 NPOは2000年ごろから貧困に苦しむエチオピアの支援として、野生のコーヒー豆を輸入、販売する事業を展開している。加工は専門業者に委託していたが、高麗代表が農業による復興に取り組む農園の岩佐隆社長(60)に共鳴。「夢と希望のある仕事づくりを被災地で行いたい」(高麗代表)と敷地内に自前の工場を開いた。
 スタッフは小沢広祐さん(31)のみ。生まれ育った東京から近隣の亘理町に転居して工場に通う。ピアノ音楽が流れる工場内でエチオピアとタンザニア産の良質な豆を丁寧により分け、じっくり焙煎して袋詰めする。営業や販売も一人でこなす。
 小沢さんは「エチオピアではコーヒーが胃腸薬などとして飲まれている。雑味はなく深みがあり、体に染み渡るような味わいが特長」と胸を張る。東北各地の飲食店のほか、町内のケーキ店「プチット・ジョア」で飲むことができる。豆は農園内のカフェで販売している。
 高麗代表は「工場を東北の新たな拠点と位置付けている。ゆくゆくは工場の規模を拡大し、未来への希望がある雇用の場をつくりたい」と話す。岩佐社長も「両法人が手を携えることが復興につながると思う。いずれはコーヒーとイチゴのコラボ商品を開発できたら面白い」と協力を惜しまない。


<あなたに伝えたい>ずっとそばに 帰り待ってる
◎佐藤信行さん(気仙沼市)しなをさん、才子さんへ
 信行さん 震災からしばらくして、あの日、おふくろと妻が高台にいたと聞きました。明治三陸大津波を想定した避難場所です。もっと高い津波を想定できていたら。遺族会が高台に建てた慰霊碑に「大地が揺れたらすぐ逃げろ より遠くへ…より高台へ…」と刻みました。
 おふくろは農漁業の家で子ども5人を育てました。朝から晩まで働き詰め。でも授業参観はもんぺ姿で必ず来ました。私が栃木県で農業研修をした時、体調を心配して手紙をくれたことが忘れられません。
 小中学校の同級生の妻は地元青年会で仲良くなり、20歳で結婚。2男1女をもうけました。夫婦で稲作やイチゴ栽培に励み、ノリやワカメの養殖も手掛けて休みなしの日々でした。優しい妻は愚痴も言わずに支えてくれました。
 長女が18歳の時に難病を患い、一番心配していたのも妻です。その長女にことし2月、女の子が生まれました。危険を伴う出産でしたが、男親は何もできない。「妻がいてくれたら」と何度思ったことか。
 自宅は災害危険区域に指定され、11月に集団移転団地の宅地を引き渡されました。震災発生の当日におふくろや妻がいた高台や自宅の近くです。津波をかぶった場所なので「なぜ」と言われますが、愛着のある集落、自宅のそばで、妻の帰りを待ちたい。
 震災後に農業を継いでくれた次男家族と一緒に家を建てます。苦労ばかり掛けた妻に「結婚を後悔していないか」と問い掛ける日々でしたが、今は、いつもそばにいると思えています。
◎慰霊碑近くで次男家族と一緒に再建
 気仙沼市波路上杉ノ下で農業佐藤信行さん(64)は母しなをさん=当時(87)=、妻才子さん=同(60)=、長女(35)の4人で暮らしていた。あの日、信行さんは市街地に出掛けていた。しなをさんと才子さんは避難場所に指定されていた海抜11メートルの高台に避難したところを津波にのまれた。約1カ月後にしなをさんの身元を確認。才子さんはいまも行方が分かっていない。


<検証 制度>父親子育て 孤立防げ
 東日本大震災では父子家庭が孤立する現状が浮き彫りになった。地方では男性が助けを求めづらい風土も残る。こうした現状を踏まえ、子育て中のパパたちが気軽に地域や仲間とつながれる環境づくりを模索する取り組みが、被災地で始まっている。
 岩手県陸前高田市の高田大隅つどいの丘商店街で20日、戸羽太市長と父親ら約10人が「子育てをしやすい街づくり」をテーマに話し合った。戸羽市長は震災で妻を亡くして父子家庭になった。
 企画したのは商店街で子育て拠点施設を運営するNPO法人きらりんきっず。震災翌年から「パパデー」と称して父親対象のイベントを定期的に開く。伊藤昌子代表理事は「お父さんが積極的に地域や子育てに関わっていける街にしたい」と狙いを語る。
 市内では震災で1759人が死亡、行方不明となった。被災直後から犠牲者の情報は人づてに広まり、子育て中の妻が命を落とした父子家庭の存在も次々と聞こえてきた。
 ただ、支援が必要といった問題意識はあっても近寄りがたいのが現実だった。伊藤さんは「何かしたくても、大変な気持ちが痛いくらい分かるから、逆にどう接していいのか分からなかった」と振り返る。
 被災地支援に入ったNPO法人新座子育てネットワーク(埼玉県新座市)の坂本純子代表理事も「支援者がお父さんたちを心配そうに見ている状況だった」と指摘する。
 同ネットワークは震災後、日本ユニセフ協会(東京)のプロジェクトで父子家庭を中心に支援を開始。最初に母親とは勝手が違う父親支援の浸透に取り掛かった。当事者ではなく支援者の研修に重点を置いた。
 不慣れな家事や育児、仕事との両立の難しさなど父子家族を取り巻く知識やデータ、支援窓口をまとめたハンドブックを作製。岩手、宮城、福島3県で保育士や民生委員らの研修会を20回以上重ねた。
 ことし夏でプロジェクトは終了したが、陸前高田市のように父子家庭も参加しやすい場を絶やさない活動が各地で続けられている。
 坂本さんは「自然災害は性別に関係なく誰の命でも突然奪う。ひとり親になった場合は地域とのつながりが孤立を防ぐ。支援者側はたとえ人が集まらなくても地道に活動を続けることが大切だ」と訴える。


愛媛の子から届いた善意 被災集落で餅つき
 東日本大震災で被災した山元町の牛橋地区で27日、愛媛県の子どもたちから贈られたもち米を使った餅つき大会があった。2012年から復興支援として町内の各集落で続く行事。1200キロ離れた子どもたちからのエールがことしも被災者を喜ばせた。
 同県伊予市などの小中学校13校の児童生徒が水田14アールから収穫したもち米100キロを使用。各校の教職員で同県教育研究協議会伊予支部のメンバーやその家族34人が、車で牛橋区民会館まで運んだ。
 メンバーらはきねと臼で餅をつき、ぜんざいや雑煮にして住民に格安で提供。児童生徒が丸め、メッセージを添えた鏡餅も贈った。
 同支部は5年計画で山元への支援を続け、ことしで4回目。支部長で同県松前町松前小の渡辺聖校長(59)は「児童生徒は被災地の子どもたちに元気になってほしい思いから活動を続けている。喜ぶ住民の姿を戻って伝えたい」と話した。
 地元の復興支援に携わるNPO法人「未来に向かって助け合い」などが主催。焼きホタテの販売やカラオケ大会もあった。


ホヤを食べ、少し大人に…巨大かるた作製
 1949年制作の「宮城県郷土かるた」を手本に、巨大かるたを作るワークショップが26日、塩釜市杉村惇美術館で開かれた。歴史や地理、文化を題材にし、郷土愛を育むきっかけにしようと美術館が企画した。
 子どもから大人まで約40人が参加。12月初めのワークショップで考えた読み札を基に、山形市の画家浅野友理子さん(25)=多賀城市出身=の指導でA2判の用紙に絵を描いた。
 「ホヤを食べ/少し大人に/近づいた」「笹かまぼこ/たき火でやくと/おいしいよ」など宮城ならではの読み札に合わせ、46枚の絵札が出来上がった。
 郷土かるたは、塩釜ゆかりの洋画家杉村惇氏(1907〜2001年)が手掛け、2011年に復刻された。美術館の担当者は「震災後の今だからこそ、宮城の姿を残したい」と話す。来年1月9日、かるた取り大会を開く。


<回顧みやぎ>堤防決壊 水禍まざまざ
◎(9)宮城豪雨(大崎市)
<そのとき>
 豪雨の一夜が明けるのを待って、江合川へ車を走らせた。居着きのハクチョウが羽繕いをする岸辺も、河川敷のテニスコートも濁流の下だった。脇道で車が何台も水没していた。
 鳴瀬川に水位観測の大きな標柱があるのを思い出した。美里町経由で大崎市三本木の鳴瀬川を目指す。
 写真を撮り終えて空を仰ぐ。ヘリコプターが旋回しているのは北西の方角だ。「あそこで何かが起きている」と直感した。国道4号に上がったが、渋滞の車列が動く気配はない。
 来た道をとって返し、古川署に飛び込んだ。交通課の署員が「午前3時すぎに国道4号を通行止めにした。渋井川の堤防が決壊し、濁流が4号を横断している」と教えてくれた。
<それから>
 気仙沼市から大崎市古川西荒井に引っ越してきたという会社員女性(52)に話を聞いた。彼女は東日本大震災の被災者だった。海の近くはこりごりと移住した内陸部で水禍に遭い、再び家財を失った。
 「津波はね、土煙を上げてごう音とともに迫ってきたの。今度の洪水はね、闇の中を音もなく押し寄せてきたのよ」。未明、脱出を決意して外に出たところ、水の壁が路上を生き物のようにうねっていたという。
 農家の苦悩も深かった。転作作物の大豆は壊滅。12日午後、視察に訪れた国会議員らに、農家の人たちは口々に訴えた。「機械力で強制排水してほしい。今なら水没した稲を救える」
 ポンプ車による排水が実行され、鏡のような水面から稲穂が顔を出した。9月25日からの等級検査では、西荒井産米が全量、1等米と判定された。農家も、検査員も笑顔を輝かせた。私も思わず、「おめでとう」と声を上げていた。
 あの日から4カ月近くが経過したが、いまだ生活再建を果たせずにいる人は多い。「家財道具どころか、家には床板もない。新年は娘宅で迎える」と、60代の女性がため息をつく。
 堤防の強化という課題も残る。県は年明けに強化方法を地区住民に示す。地元の相沢孝弘市議(64)は言う。「渋井川だけ強化してもだめだ。鳴瀬川、江合川の水系全体を見直さないと。いずれ、どこか弱い所がまた決壊するだろう」
 渋井川が与えた課題に、来年も向き合わなければならない。(大崎総局・野村哲郎)
[メ モ]
茨城県で鬼怒川を氾濫させた9月の大雨は、県内にも爪痕を残した。10日夜から11日未明の激しい降雨により、栗原市で2人が死亡。大和町では吉田川が氾濫して中心部が孤立状態に陥った。大崎市を流れる鳴瀬川支流の渋井川の堤防が3カ所で決壊。古川西荒井などで700戸が浸水被害を受け、2700ヘクタールの農地が冠水した。避難所生活を余儀なくされた市民は一時、2300人に上った。


河北春秋
 師走に入ってから、東日本大震災の被災地で災害公営住宅の完成が相次いでいる。宮城県七ケ浜町でも、整備を計画した5地区のうち、残り2地区で住民に鍵が渡された▼「何とか、正月に間に合ってよかった」と町の担当者は心底ホッとしたよう。4人の子どもを持つ女性は「自分の部屋ができるとみんな喜んでいます」と話す。震災から5度目の正月を新居で過ごし、餅を食べながら談笑する一家の様子が目に浮かぶ▼以前の地域社会、身を寄せ合った避難所、長期間暮らした仮設住宅、そして災害公営住宅へ。その場、その場で培ったコミュニティーは、暮らす場所が移るたびに壊れた。住民の生活再建は災害公営住宅に入居して終わりではなく、まさにそこから始まる▼気になる記事があった。仮設住宅で暮らす被災者のうち、仮設を出た後の恒久住宅の再建計画が決まっていない世帯が宮城県内で3297世帯に上るという。安心のすみかを得られる日はいつ来るのか。不安を抱えたまま新年を迎える人もおられよう▼塩釜神社が2日、JR本塩釜駅前に巨大な絵馬を据え付けた。来年のえとにちなんで、さるの親子が描かれている。神職はこう思いを込めた。「災いが去る、運が開く年に」。来年こそは復興を実感したい、と願ってやまない。

閖上朝市 年末大売り出し
東日本大震災で被災し、平成25年に再開した名取市の「閖上朝市」で、恒例の年末大売り出しが行われ、正月用の食材を買い求める人たちでにぎわっています。
名取市閖上漁港の「閖上朝市」は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けましたが、平成25年におよそ50の店舗で本格的な営業を再開しました。
27日は恒例の年末大売り出しが行われ、正月用の食材を買い求める人たちが朝から大勢訪れて、通路がすれ違えないほどにぎわっていました。
朝市では三陸沖でとれたカキやホタテのほか、子持ちのなめたがれい、それに、鍋の具材として人気のせりなど新鮮な食材が市価よりも安く販売されていました。
地元閖上から来た60代と40代の女性の親子は「毎年、年末は必ず来ます。ことしは復興を頑張って、みんなに笑顔が戻ってきたのがよかった」と話していました。
閖上朝市の年末大売り出しは29日から31日にかけても行われ、新年の初市は1月10日に開かれます。


身元不明者の捜査困難に
東日本大震災で亡くなった人のうち宮城と岩手ではいまも75人の身元がわかっていません。
生前から身よりがなかったとみられる人の確認が難航していて、身元の特定は年々困難になっています。
東日本大震災で今月11日までに警察によって死亡が確認された人は▽宮城県が9541人、▽岩手県が4673人、▽福島県が1612人でこのうち、▼宮城県で16人、▼岩手県で59人の合わせて75人の身元が分かっていません。
身元の特定はDNA鑑定などをもとに進められていて、▼3年前から去年にかけては、多い月で1か月に数人から数十人の身元が判明したのに対し、▼ことしに入って確認されたのは▽宮城県で6人と▽岩手県で5人の合わせて11人で、作業は困難になっているということです。
これについて警察は、生前から身よりがなかったとみられる人の場合、犠牲者本人の骨や髪の毛などからDNAを採取できても、照合する試料がなく、情報提供も寄せられにくいためだとしています。
このため、宮城県警ではことしから震災前後の生活保護の受給記録を手がかりにするなど、身よりがない人に特化した捜査も進めています。
宮城県警察本部の金野芳弘検視官は、「身元の特定は警察にしかできないので最後の1人まで遺族のもとに返せるよう、今後も丹念に捜査していきたい」と話しています。


イスラム敵視 悲しき暴走 仏デモ隊、礼拝施設襲撃
 【パリ=渡辺泰之】フランス南部コルシカ島の中心都市アジャクシオで二十五日、デモ隊の一部が暴徒化し、イスラム教の礼拝施設に侵入し、聖典コーランを燃やすなどする騒ぎに発展した。先月のパリ同時多発テロ後、仏社会ではイスラム系住民と非イスラム系住民の亀裂の深まりが懸念されており、政府は同様の騒ぎが拡大することを警戒している。
 AFP通信によると、きっかけは二十四日夜(日本時間二十五日午前)から二十五日未明に起きた消防士らへの襲撃事件だった。覆面姿の複数の男が火災現場に臨場した消防士二人に重傷を負わせ、さらに警察官一人にもけがを負わせた。二十五日には負傷した消防士らへの連帯を示すデモが県庁前で行われ、約六百人が参加。その後、デモ隊は事件が起きた地区に移動し、一部が暴徒化したとみられる。
 暴徒らはイスラム教徒の礼拝施設の部屋の窓ガラスを割って侵入し、コーランに火を付けるなどした。「アラブ人は出て行け」などと叫んでいたという。
 事件を受け、バルス首相はツイッターで「受け入れ難い冒涜(ぼうとく)だ」と非難。カズヌーブ内相も「差別主義と排外主義を思わせる堪え難い行為」と、暴徒を批判する声明を出した。国内のイスラム系団体は冷静な行動を呼び掛けた。
 イスラム系団体によると、同時テロが起きた先月十三日からの十日間でイスラム教徒に対する暴力や暴言などは三十四件に上っている。中にはベールを身に着けた女性がナイフで切りつけられた例もあり、イスラム教徒への攻撃の激化が懸念されていた。
◆米で憎悪犯罪 3倍に
 【ニューヨーク=北島忠輔】パリ同時多発テロの発生から今月13日までの1カ月で、米国内のイスラム教徒を標的とした憎悪犯罪(ヘイトクライム)が約3倍に増えた。カリフォルニア州立大の研究者が米連邦捜査局(FBI)のデータをもとに調べた。2001年の米中枢同時テロ直後以来の多さだという。
 同大の憎悪・過激主義研究センター所長を務めるブライアン・レビン教授の分析では、パリ同時テロがあった十一月十三日から一カ月間に米国各地で三十七件のヘイトクライムが発生。一〇〜一四年の月平均は一二・六件で約三倍だった。
 一例では、パリ事件直後、北東部コネティカット州のモスク(イスラム教礼拝所)で元海兵隊員の男(48)が発砲。十二月七日には東部ペンシルベニア州フィラデルフィアのモスクで、イスラム教では「不浄な生き物」とされる豚の頭部が玄関に置かれていた。
 二日にイスラム教徒夫妻による銃乱射テロ事件があった西部カリフォルニア州では、十一日に二十三歳の男が南部のモスクに放火するなど、乱射事件後の発生が目立つ。
 米国には三百万人近いイスラム教徒が暮らす。支援団体の「米イスラム関係評議会」によると、髪を覆うヒジャブを着けた女性への嫌がらせやモスクの落書き、脅しなどの数は「過去六年で最も多い」という。
 レビン教授は研究リポートで「イスラム教が米社会でも広まっていることへの嫌悪感が背景にある」と指摘。「テロを起こす過激主義はイスラム教」という偏見と相まって、イスラム教徒やモスクを標的とした犯罪増加につながっているとみている。


安倍政権発足3年 安保・沖縄・原発 支持乏しく
 第二次安倍政権の発足から二十六日で三年。この間、内閣支持率は一時期を除き不支持を上回り、安定した政権運営が続いているように見える。だが、個別の重要政策に関しては世論は政権に批判的だ。政権への支持は消極的で、安倍晋三首相の政権基盤は必ずしも盤石ではない。 (関口克己)
 「経済の再生、外交、安全保障の立て直しに取り組んできた。それなりの成果は出たのではないか」
 首相は二十五日、政権発足三年について、安定した支持率を背景に、こう記者団に強調した。十一月の共同通信の世論調査では、内閣支持率は48・3%で、不支持の40・4%を上回った。
 ただ、内閣を支持する理由として、首相が「成果」と誇る経済政策に「期待できる」を挙げたのは13・4%。「ほかに適当な人がいない」の36・5%に遠く及ばなかった。この傾向は昨年以降、固定化している。
 集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法の国会審議がヤマ場を迎え、国会周辺などで大規模な抗議活動が続いた今夏には「不支持」が「支持」を逆転した。成立直後の九月調査では、安保法に「賛成」は34・1%。「反対」の53・0%を大きく下回り、国民の理解を得られなかった。
 沖縄県の米軍普天間(ふてんま)飛行場移設に伴う名護市辺野古(へのこ)沖の新基地建設問題でも、政府の強硬姿勢を世論は支持していない。十一月の調査では、政府は県と話し合って決着すべきだとの回答が七割近くに達した。それでも政府は、埋め立てに向けて翁長雄志(おながたけし)知事を相手に訴訟を起こした。
 原発政策をめぐる状況も似通っている。政府は原子力規制委員会の新規制基準に適合した原発は再稼働させる方針だが、世論調査では反対が多い。にもかかわらず、政府は九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)の二基を今夏以降に再稼働させた。関西電力高浜原発(福井県)の二基も来年一月下旬以降、再稼働させる構えだ。


奈良 観測史上最も早く梅開花
平年より暖かい日が続くなか奈良地方気象台は27日「奈良市で梅が開花した」と発表しました。
平年より40日早く、観測を始めてから最も早い開花だということです。
奈良地方気象台によりますと、27日、奈良市の奈良公園の浮見堂の近くにある梅の標本木で、花が数輪咲いたのが確認され、気象台は梅の開花を発表しました。
これは去年より46日、平年より40日早く、昭和32年に観測を始めてから最も早い開花だということです。
また関西の2府4県ではこの冬、最も早い開花だということです。
平成27年は平年より気温の高い日が多く、奈良県でも11月の一日の平均気温は13度2分と平年を2度1分、上回りました。
気象台は、暖かい日が続いた影響で梅の開花が大幅に早まったものとみています。


防衛費5兆円超 どこまで膨張するのか
 防衛費はどこまで膨張し続けるのか。二〇一六年度予算案では四年連続の増額となり、初めて五兆円を突破した。安倍政権は国際情勢の変化を名目に、防衛費の聖域化を進めているのではないか。
 一六年度防衛費の総額は五兆五百四十一億円。過去最高だった一五年度の四兆九千八百一億円から七百四十億円、1・5%増だ。
 〇二年度の四兆九千五百五十七億円をピークに一二年度まで減少傾向が続いていた防衛費は、安倍晋三首相が政権復帰後に初めて編成した一三年度で一転、増額に転じた。以後、四年連続の増額だ。
 政権側は、中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発など、アジア・太平洋地域の安全保障環境の変化を増額理由に挙げている。
 国民の命や暮らしを守るために防衛力を適切に整備することは政府の役割だが、予算を際限なく増やしていいというものでもない。
 特に、防衛費を増やし続けることは、軍事大国化の意思ありとの誤ったメッセージを国際社会に送りかねない。周辺国に軍備増強の口実を与え、軍拡競争に陥る「安全保障のジレンマ」は厳に避けなければならない。
 防衛力整備の方針を示す中期防衛力整備計画(中期防)は一四年度から五年間の防衛費の総額を二十四兆六千七百億円程度と定め、調達の効率化や合理化などで七千億円程度縮減し、二十三兆九千七百億円程度に圧縮すると定める。
 一四〜一六年度の当初予算の総額は十四兆九千百九十億円。現在のペースで防衛費が増加し続ければとても中期防の枠には収まらない。そればかりか毎年二千億円程度が補正予算で計上されており、防衛費はさらに膨らむ。
 気掛かりなのは、安倍政権が九月に成立を強行した安全保障関連法と防衛費との関係だ。
 自衛隊の活動範囲が広がることによって新たな装備や訓練が必要となり、防衛費の膨張は避けられないはずだが、安倍首相は国会で「中期防で五年間の防衛費の総額を閣議決定しており、新たな平和安全法制で全く新しい装備や、装備の大増強が必要になることはない」と答弁している。
 中期防で定めた総額を守ることは防衛力整備に「節度」を取り戻すための最低条件である。安保法が成立しても総額は維持するという首相の言葉に偽りはないのか。法律を成立させるための方便にすぎなかったとしたら、国民を欺く食言との批判は免れまい。


[戦後70年 墓碑銘]時代の鏡のような人生
 戦後70年の今年、戦争をくぐり抜け、それぞれの仕方で戦後社会に向き合い、すぐれた仕事を成し遂げた人々が、惜しまれながら逝った(以下、敬称略)。
 漫画家で妖怪研究で知られた水木しげる(93)は、ラバウルでの戦闘で多くの仲間を無謀な突撃によってなくし、自らも左腕を失った。
 「ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきてしかたがない」 
 水木は、ゲゲゲの鬼太郎やねずみ男など、日本のそれまでの妖怪とは異なる新たな妖怪を次々に生み出した。異世界の中に現実の世界を豊かにするヒントがあることを水木は妖怪漫画で伝えたかったのだろう。
 1953年に上映された小津安二郎監督の「東京物語」は、世界的に評価の高い日本映画の名作中の名作である。
昭和の大女優・原節子(95)は、この作品で、戦争で死んだ次男の嫁という役柄を演じた。彫りの深い目鼻立ちと吸い込まれるような美しい瞳。
 義母が死んだ後、義父が嫁に言う。「もう次男のことは忘れろ。良い結婚相手を見つけて自分の幸福を追求しろ」。戦後という時代は、国家や共同体、家長支配という束縛から個人が解き放たれた時代でもあった。
 原は小津監督の死後、表舞台から忽然と姿を消し、人目を避けて独身のまま生涯を閉じた。実人生で映画の役柄を演じきるかのように。
 戦後日本を代表する思想家の鶴見俊輔(93)は、祖父が後藤新平、父親が鶴見祐輔というエリート政治家の家系に生まれた。
    ■    ■
 米国留学中に日米開戦を迎えた鶴見は米移民局の聴取に対し、こう答えたという。「この戦争についてはどちらの国家も支持しない」。
 ベ平連の運動に関わったり、護憲の立場から「九条の会」の設立を呼びかけるなど、個人を大切にする市民運動に関わり続けた。
 「本土の終戦と沖縄の終戦は日付が違う。この日付の違いは大きいですよ。沖縄には、この国を内側から世界に向かってあけるカギがある。それを何世代にもわたって保ち続けることが重要だと思います」。
 英文学者の米須興文(83)はアイルランドの文学者イエーツ研究で世界的に知られている。米須は米軍上陸の1カ月前に最後の疎開船で九州に疎開した。
 「沖縄戦の語りとは必然的に〈解釈〉なんです」
 反戦平和の視点だけでなく、非体験者や戦後世代、復帰後世代など多様な視点から語り直す必要がある、と指摘する。
    ■    ■
 沖縄芝居の平良とみ(87)は、映画「ナビィの恋」やNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で、沖縄の「おばぁ」を演じた。
 沖縄と聞いただけで重たい反応が返ってくる時代に、沖縄のゆったりした空気感と柔らかな物腰を体現した「おばぁ」を演じ、全国的なブームを呼んだ。
 「ウチナーンチュは苦労をなめて辛い思いをしてきたからこそ優しいんですよ」

広河隆一・人間の戦場/パレスチナのタイベビール

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Chang Kang-myoung : ≪En Corée, les jeunes sont pétrifiés à l’idée d’échouer≫
Dans son dernier roman, l’écrivain sud-coréen dresse un portrait sans concession de son pays. Face à une économie qui ne croît plus et une société hyperhiérarchisée, les jeunes découvrent le chômage et éprouvent les plus grandes difficultés à s’imposer face à leurs ainés.
≪Hell Joseon≫, la Corée, c’est l’enfer. Cette petite phrase qui fait le buzz sur les réseaux sociaux sud-coréens depuis plusieurs mois exprime le mal-être de la jeunesse du pays. Sous pression, elle est confrontée pour la première fois au chômage. Alors que la Corée est souvent présentée comme un modèle de réussite, dont on vante le formidable développement économique et le succès de Samsung et de LG, l’écrivain Chang Kang-myoung se concentre, dans ses romans, sur les aspects plus sombres d’une société ultracompétitive qui en laisse plus d’un sur le carreau. Dans l’un de ses derniers ouvrages, Parce que je déteste la Corée, il raconte l’histoire d’une jeune fille de 20 ans qui, ne supportant plus la pression pesant sur ses épaules, plaque tout et part pour l’Australie. Le roman a rencontré un franc succès en librairie. Ancien journaliste, Chang porte un regard critique et sans concession sur son pays.
La Corée du Sud, est-ce vraiment l’enfer ? 

Pour moi qui ai 40 ans, ce n’est ni un paradis ni un enfer. J’aime mon pays. Mais les jeunes, eux, sont découragés, en colère et perdus. Ils ne voient plus la Corée comme une terre d’opportunité. Ils sont confrontés pour la première fois au chômage, à un marché du travail rigide où l’on a, d’un côté, des élites hyperprivilégiées et, de l’autre, des travailleurs irréguliers, mal payés et sans filet de protection sociale. Et comme le pays s’est développé à une allure fulgurante entre les années 60 et 80, le fossé générationnel entre les jeunes et leurs parents est particulièrement prononcé. Non seulement ils ont une situation plus précaire que leurs aînés, mais il y a un décalage assez dur à vivre, pour eux, entre ce qu’on leur fait miroiter pendant leurs études et la réalité de la société sud-coréenne. A l’école, on les encourage à devenir des leaders mondiaux, à apprendre l’anglais et à penser mondialement. Mais quand ils arrivent dans la vie active, ils se heurtent à une société encore très hiérarchisée, conservatrice et, à bien des égards, encore autoritaire. Il ne faut pas oublier que la Corée du Sud est une démocratie toute jeune puisque la première élection démocratique a eu lieu en 1987. Ils sont comme des hommes civilisés dans un monde préhistorique ! Quand vous avez 20 ans en Corée, vous êtes écrasé par la pression, vous savez que vous allez probablement gagner moins que vos parents et vous vous sentez régulièrement humiliés.
Pourquoi dîtes-vous que les jeunes sont humiliés ?
Ce ne sont pas seulement les jeunes. La société sud-coréenne est très sévère envers ceux qui sont au bas de l’échelle. Les enfants intègrent très tôt qu’ils doivent à tout prix réussir. Pourtant, on n’y meurt plus de faim, et le filet de protection sociale, bien que mince, existe. Aux Etats-Unis ou en Europe, on peut travailler comme serveur dans un restaurant et être parfaitement heureux et respecté par les autres. En Corée, il y a un seul modèle de réussite [intégrer l’une des meilleures universités puis un conglomérat comme Samsung ou LG, ndlr] . Plus on s’en éloigne, plus on est considéré comme un perdant, un moins que rien.
Un fait divers qui a défrayé la chronique en janvier illustre bien cette idée. Un quadragénaire qui avait réalisé un parcours sans faute, des études prestigieuses et un métier reconnu, n’a pas assumé quand sa carrière a pris un autre tournant et qu’il s’est mis à son compte. Il n’a pas supporté de changer de statut, même s’il n’avait pas de difficultés financières. Il a mené une double vie pendant trois ans, a menti à sa famille en prétendant être employé. Un jour, il est rentré à la maison, a étranglé sa femme et ses deux filles avant de tenter de se tuer. Il aurait pu recommencer sa vie, mais il avait trop peur de l’humiliation. C’est la même raison qui pousse les jeunes vers les emplois les plus stables, dans la fonction publique notamment. Ils sont pétrifiés à l’idée d’échouer. Cette peur est, à mon sens, plus problématique que les difficultés économiques.
Vous dites donc que le problème, ce n’est pas le ralentissement de l’économie ?
Beaucoup de personnes, notamment les plus âgées, pensent qu’il suffit de relancer l’économie pour résoudre nos problèmes. Mais on ne peut pas continuer à espérer qu’un second miracle économique se produise, comme celui que nous avons connu dans les années 70. Le précédent président sud-coréen Lee Myung-bak s’était fixé un objectif de croissance de 7 %. C’était parfaitement impossible ! L’actuelle présidente Park Geun-hye a inventé le concept d’économie créative. C’est aussi un leurre. Il faut trouver les solutions ailleurs. Pendant longtemps, la croissance a été la réponse à tous les problèmes en Corée. Sous la dictature militaire jusqu’à la fin des années 80, les Coréens se disaient que si l’économie allait bien, c’était le principal.
Dans les années 90, l’économie se portait toujours bien et nous avions obtenu la démocratie ; c’était probablement la meilleure période de notre histoire récente. Aujourd’hui, l’économie ne croît plus et nous devons l’accepter. Je pense que même sans croissance, nous pourrions régler beaucoup de nos problèmes en instaurant une société moins hiérarchisée et basée sur le respect mutuel.
Comment y parvenir ?
Je pense tout d’abord que tout le monde devrait utiliser la forme honorifique pour s’adresser aux autres, peu importe l’âge ou la position sociale [la langue coréenne est codifiée en plusieurs niveaux de formes honorifiques et de politesse en fonction de l’âge et du statut social de l’interlocuteur] . On devrait abandonner ces vieilles manières confucéennes dont nous sommes si fiers.
Les autres réponses, c’est aux hommes politiques de les trouver. Le problème, c’est que la politique sud-coréenne est très polarisée. Le camp conservateur, constitué en grande partie par ceux qui sont nostalgiques de la période de l’industrialisation, s’entête à appliquer les vieilles méthodes qui consistent à mettre tous leurs espoirs dans les puissants conglomérats. De l’autre côté, les progressistes, parmi lesquels ceux qui ont soutenu les mouvements de démocratisation qui ont provoqué la chute du régime militaire. Eux accusent, au contraire, les conglomérats de tous les maux. Mais cet antagonisme est dépassé. Et aucun parti politique ne porte la voix de la génération ≪Hell Joseon≫. Il est temps de trouver une alternative.
Les jeunes sud-coréens se mobilisent-ils assez ?
Je n’ai pas à les juger, puisque je fais moi-même partie de cette société. Ce n’est pas à moi de pousser les jeunes à faire la révolution. Certains professeurs plutôt de gauche leur reprochent de ne pas protester assez. Les autres, à l’inverse, leur font la leçon en disant qu’ils devraient être contents et mesurer leur chance de vivre dans un pays riche. Au départ, beaucoup ont été choqués par le slogan ≪Hell Joseon≫. Ce sont des mots forts, surtout en Corée où la population n’a pas l’habitude d’être trop critique envers le pays. Immédiatement, les jeunes se sont vus répondre qu’ils étaient faibles et qu’ils ne faisaient pas assez d’efforts. Je ne suis pas du tout d’accord : ils travaillent énormément, depuis leur plus jeune âge, et se donnent bien plus de mal que leurs parents à leur âge. Aujourd’hui, il y a une prise de conscience de leurs problèmes. Tout le monde sait qu’il y a du chômage, que beaucoup de jeunes ont peu de confiance en l’avenir, et qu’ils ont renoncé à l’idée de se marier ou d’avoir des enfants. Personne ne peut le nier.
Comment expliquez-vous le succès de votre livre ?
Les Coréens attendaient depuis longtemps que quelqu’un dise les choses aussi franchement. Ici, on a souvent l’impression qu’on ne peut pas vraiment exprimer ce qu’on pense de notre pays.
Y a-t-il une forme de censure ?
Ce n’est pas vraiment de la censure. Mon livre n’a pas du tout été censuré, et n’a reçu que des acclamations, alors que je m’attendais à être très critiqué. Si peu de Coréens osent décrier de manière aussi directe leur pays, c’est notamment parce que nous n’avons jamais vraiment appris à discuter : sous la dictature, il n’y avait pas de place pour la discussion. Comme dans tout régime autoritaire, on se contentait de suivre les ordres. Ceux qui sont nés dans les années 60 et 70 ont pour leur part appris à se battre, au sens propre comme au sens figuré, contre leurs opposants. Quant aux jeunes d’aujourd’hui, ils sont certes très éduqués, mais ils sont trop déprimés, ou trop en colère, pour discuter et chercher des solutions.
Par ailleurs, nous ne sommes pas habitués à porter un regard critique sur nous-mêmes. Avant 1993, nous ne pouvions pas voyager à l’étranger sans une autorisation du gouvernement. La Corée du Sud était donc un petit pays assez fermé sur lui-même. Avant Internet, nous n’avions pas vraiment accès à un regard extérieur. Et puis nous sommes un peuple résolument complexé par l’histoire de notre petit pays qui n’a cessé d’être annexé, colonisé. C’est cela qui nous a rendus patriotiques et qui fait que les succès de Samsung ou de la patineuse Kim Yuna [plusieurs fois médaillée d’or] nous rendent si fiers.
Eva John (à Séoul)
フランス語
フランス語の勉強?
時論公論「くいデータ流用 再発防止に何が求められるのか」中村幸司解説委員
建物を支える杭データ流用の問題で専門家による委員会が中間報告を公表。建設業界に構造的な問題がある、と断じた報告書、再発防止に向け何が求められるのか、解説する。
中村幸司

ザッツ!紅白宣伝部「第5回」
昨年、バナナマンが、紅白の副音声で、自由奔放に語り大きな話題となった「ウラトーク」。今年も担当する二人が、本番まで紅白のPRを行うのが「ザッツ!紅白宣伝部」。紅白にまつわるさまざまな情報を取り上げ、イジり、ゲストも参加して、大いに盛り上げる!あの豪華出場者も登場するかも?!
バナナマン,久保田祐佳,三山ひろし

BS1スペシャル「スレブレニツァの女たち〜虐殺の町 遺族の20年〜」
旧ユーゴスラビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部の町・スレブレニツァ。世界を震かんさせた虐殺からことし20年を迎えた。内戦中、セルビア系武装勢力がイスラム系住民およそ8000人を殺害。長年イスラム系住民は、故郷に戻れず避難生活を送ってきたが、徐々にスレブレニツァに戻っている。今も遺骨の発掘作業が続き、毎年開かれる慰霊祭では、新たな遺骨が埋葬される。夫や息子を虐殺で失った女性たちの日々を追った。
余貴美子

二酸化炭素温暖化説の崩壊 (集英社新書)
広瀬 隆
集英社
2010-07-16


広瀬隆は怒っている。冤罪の犠牲者CO2ではない真犯人は誰か? sky
【私が読者に尋ねたいのは、このように欧米で深刻な(IPCC等の詐欺の)報道の洪水が続いて、
もはやまともな人間の誰もCO2温暖化説を信じてないことを、ご存じだろうか、ということである。
日本に報道機関はあるのだろうか、という末期的な疑問なのである】とのっけから怒る。
【若者よ、WikipediaがCO2温暖化の広告塔となっていたことも忘れてはいけない】と叫ぶ。
気温を変化させる要因としては昔から、ミランコビッチ・サイクル、太陽活動、黒点の増減、
宇宙線、地磁気、エルニーニョ、ラニャーニャ、偏西風、太平洋震動、ダイボールモード現象、
水蒸気、火山の噴火、エアロゾル、太陽光線を反射するアルベド効果など数々あった。
筆者はアラスカ大学国際北極圏研究センター所長・赤祖父俊一氏の著書『正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために』等の文献も引用し、
CO2の増加と気温の上昇になんの関係もないことを証明する。
その上で、現在のところ、温室ガスの寄与率は、水蒸気の寄与率が最小の学説でも65%、最大の学説では95%になるという。
この本で彼が言うことに反論・反証できるものがいたら教えてほしい。
しかし、筆者は「この本を書いた目的」はCO2温暖化説の論破ではなく、本当の環境破壊の真犯人を明らかにすることだといって、第二章に進む。
真犯人とは誰か?まず、都市化。
日本の自動車700万台、エアコン900万台などによる都市熱は、真夏にもう一つ太陽を増やすような熱量をもっている。
そしてその成り立ちから環境に与える損傷の両方から醜悪なのは原発。
原発が冷却した後に水に戻して原子炉に送り返している水蒸気の熱量は、2010年7月現在、商業用原子炉54基の合計で4911.2万ワットの「電気出力」を持っている。
これは日本全体では毎日、【広島に投下された原爆100個に相当】(!!!)する巨大な熱量で海を加熱していることになる。
我々は、本当は原発なしでやっていける。
しかし原発は電力会社の利益とそれに群がる利権のために建設されたもので、それがなくてもやっていけることを知られたくないために、考え出されたのが、深夜電力料金の大幅値下げとオール電化。
この電気をさらに使用することになる電気自動車(EV)もエコなどではない。
ひどかった政策は、1974年に田中角栄内閣が施行した電源開発促進法。
現在でも数千億円という巨大な実質「消費税」をすべての消費者から電気料金として徴収し、
それを消費者→電力会社→国(官僚)→地方自治体(原発現地)を電源三法交付金として流れされている。
これを、ガス・コンバインドサイクルやコールドベッドメタン、タイトサンドガス、シェールガス、メタンハイドレードガス等の天然資源、クリーンコールという石炭火力等のこの新しいエネルギーの開発に向けたらどうなるのか、と著者は言う。
この国では「地球温暖化対策税」なるものが与野党によって検討されている。
欧米で笑いものにされている二酸化炭素地球温暖化説を、この国でも断頭台に送らなければいけない。


十三に映画を見に行きました.広河隆一・人間の戦場です.実は広瀬隆と勘違いしていたけれど,そんなことはどうでもいいです.なかなかいい映画でした.ジャーナリストとしてという以前にまず人間として考え行動する,とのことでしたが,とても大切なことだと思いました.会社のための社畜になっているひとや,アメリカの言いなりの米畜などではいけないと思いました.そこでパレスチナのタイベビールを買いました.もちろん帰って飲むつもりでしたが,コンビニでオリオンのペールエールがあったのでそっちを飲んでしまいました.つまりタイベビールは明日です.

<BRT復旧>大船渡合意、気仙沼持ち越し
 東日本大震災で被災したJR気仙沼線と大船渡線をめぐり、宮城、岩手両県の沿線5市町のうち大船渡線の沿線3市は25日、鉄路復旧を断念し、JR東日本が提案したバス高速輸送システム(BRT)の継続を受け入れることで合意した。気仙沼線は登米市と南三陸町が同意したが、気仙沼市が仙台へのアクセス手段などでJRと協議が必要だとして結論を持ち越した。
 沿線自治体首長会議の第3回会合が国土交通省で路線ごとに開かれ、大船渡線沿線の大船渡、陸前高田、気仙沼の3市長と、気仙沼線沿線の登米市長と南三陸町長がそれぞれBRTの受け入れを表明した。今後は個別に専用道の延長や新駅整備などをJRに要望し、協議を進める。
 JRは、鉄路の復旧は難しいことをあらためて報告。JRが責任を持ってBRTを運行するほか、産業や観光振興による地域活性化に取り組むことなどを約束した。
 結論を持ち越した気仙沼市の菅原茂市長は会議後、「仙台へのアクセスや地域振興策で、もう少しJRと協議が必要と判断した」と説明。「あまり先延ばしはできない。震災から5年の来年3月11日をめどに結論を出したい」と話した。
 沿線自治体首長会議は今回で終了する。気仙沼市は今後、JRと個別に協議する。7月にあった前回会合でJRはBRTによる復旧を提案。今回の会合で自治体が回答する予定だった。
 現在、BRTで仮復旧しているのは大船渡線気仙沼−盛(大船渡市)の43.7キロと、気仙沼線柳津(登米市)−気仙沼の55.3キロ。


<BRT復旧>期待と影響 気をもむ地元住民
 東日本大震災で被災したJR大船渡線のBRTでの本格復旧をめぐり、沿線首長が25日、受け入れを表明した。気仙沼線の結論は持ち越しとなった。沿線住民にはBRTの利便性アップを期待する声と、地域交通の持続性やまちづくりへの影響を心配する声が入り交じる。
 仙台市青葉区の会社員女性(42)は、陸前高田市に帰省する際にBRTを利用する。「鉄道より運行本数が増え、待ち時間も減った。地元の要望を聞き、もっと使いやすくしてほしい」と期待する。
 大船渡市のBRT懇談会委員を務めた陸前高田市の菅原いずみさん(47)は、長男がBRTで大船渡東高に通学する。「本数が多く便利」と評価する一方で「BRTの利便性だけを追求すれば路線バスが廃れる。全体のバランスを考える必要がある」と指摘する。
 鉄路復旧を求める市民団体を今月設立した大船渡市のNPO法人理事長岩城恭治さん(76)は「レールでつながってこそ鉄道。BRTでは乗客や交流人口が減る」と懸念する。首長たちの決断を受け、団体としての対応を検討する。
 気仙沼線沿線の宮城県南三陸町は、志津川地区の市街地に要となる駅を置く。商業施設は年明けにも着工予定。運営するまちづくり会社「南三陸まちづくり未来」の三浦洋昭社長は「BRTを前提に計画が進んでおり、早く決着してほしい。鉄路復旧は復興後に再度議論してもよいのではないか」と気をもむ。


<BRT復旧>仙台へのアクセスで差
 東日本大震災で被災したJR気仙沼線と大船渡線の復旧を協議した25日の沿線自治体首長会議で、沿線5市町のうち、気仙沼市は気仙沼線のBRTによる復旧の受け入れを保留した。同じ沿線の南三陸町は早々に受け入れを表明。仙台圏へのアクセスの利便性など環境の違いが判断を分けた。
 気仙沼市の菅原茂市長は会議後、BRTで同意しなかった理由について「地域振興策の課題もあるが、一番は仙台圏へのアクセス問題」と説明。JRとの話し合いがまだ必要との考えを強調した。
 震災前、気仙沼−仙台間は気仙沼線や東北線の快速によって約2時間で結ばれていた。菅原氏は「これまで(快速列車が)持っていた仙台へのアクセス機能をJRが担ってほしい」と求める。
 一方、復興まちづくりに影響するとして、首長会議の年内合意を訴えていた南三陸町。佐藤仁町長は今回の気仙沼市の判断について、「それぞれ自治体の考えはある」としながら、「(町内に)三陸自動車道の志津川インターチェンジが16年度に完成すれば、1時間ほどで仙台に行くことができる」と述べた。


仮設でボランティアともちつき
お正月を前に気仙沼市の仮設住宅では、ボランティアから差し入れられたもち米を使って、一足早くもちつきが行われ、住民たちがつきたてのもちを味わいました。
もちつきが行われたのは、気仙沼市松崎柳沢地区の仮設住宅です。
会場となった仮設住宅の集会所の前には、住民やボランティア、あわせて15人が集まりました。
きねや臼、それにもち米は、震災直後から支援を続けている山口県のボランティアの男性が提供しました。
集まった人たちは、炊きたてのもち米を臼に入れると、「よいしょ」と威勢よく声をかけながらもちをついていました。
そして、もちがつきあがると、参加した人たちは、あんこやきなこ、それに大根おろしで味付けし、柔らかいつきたてのもちを味わっていました。
62歳の男性は、「ついたばかりなので最高に美味しいです」と話していました。
また、自治会長の高橋悦子さんは、「一足早くお正月気分を味わえました。毎年来てくれるボランティアの方々に感謝しています」と話していました。


石巻 仮設商店街に「光の箱」
石巻市の仮設商店街で、復興への願いを込めて、300個あまりの小さな箱を組み合わせて作った「光の箱」の点灯式が行われ、暖かな明かりがともりました。
「光の箱」は、厚紙と色とりどりのセロハンで出来たおよそ320個の小さな箱を組み合わせ、3メートル四方の大きなひとつの箱に仕立てたものです。
内側に入れられたLEDで明かりがともる仕組みで、仮設住宅で暮らす被災者や地元の小学生などが復興への願いを込めて、半年あまりかけて作りました。
26日、石巻市中心部の仮設商店街で行われた点灯式では、まず、光の箱を覆う幕に、制作の様子を写した映像が投影されました。
そして、地元の子どもたちがかけ声とともに幕を取り払うとスイッチが入れられ、「光の箱」に明かりがともりました。
会場が、暖かな光に包まれると集まった人たちは歓声をあげて、記念撮影するなどしていました。
子ども2人と参加した30代の母親は、「温かな気持ちになりました。来年は光のようにキラキラした年になるといいと思います」と話していました。
また、女川町で被災し、両親を津波で亡くしたという50代の男性は、「母親のことを想って箱を作りました。来年は石巻のみんなが明るく元気になる年にしたいです」と話していました。
この光の箱は、これから毎晩、明かりがともされるということです。


震災 いまも16人の身元不明
東日本大震災の発生から来年3月で5年が経ちますが、宮城県では、亡くなった人のうちいまも16人の身元がわかっていません。
生前から身よりがなかったとみられる人の確認が難航していて、身元の特定は年々困難になっています。
東日本大震災で今月11日までに警察によって死亡が確認された人は、宮城県は9541人で、このうち16人の身元が分かっていません。
身元の特定はDNA鑑定などをもとに進められていて、宮城県警察本部によりますと、3年前から去年にかけては多い月で1か月に数人から数十人の身元が判明したのに対し、ことしに入って確認されたのは6人と、作業は困難になっているということです。
これについて警察は、生前から身よりがなかったとみられる人の場合、犠牲者本人の骨や髪の毛などからDNAを採取できても、照合する試料がなく、情報も寄せられにくいためだとしています。
このため、警察はことしから、震災前後の生活保護の受給記録を手がかりにするなど、身よりがない人に特化した捜査も進めています。
宮城県警察本部の金野芳弘検視官は、「身元の特定は警察にしかできないので、最後の1人まで遺族のもとに返せるよう、今後も丹念に捜査していきたい」と話しています。


<ネパール地震>被災高校生が石巻で交流
 ことし4月のネパール大地震で被災した同国の高校生5人が24日、あしなが育英会が運営する石巻市のケア施設「石巻レインボーハウス」を訪れ、東日本大震災の被災3県の高校生5人と交流した。高校生たちは29日まで石巻、気仙沼両市などで防災や復興、心のケアについて学び、互いに理解を深める。
 心のケア専門家を養成する一般社団法人「日本イスラエイド・サポート・プログラム」(JISP)が主催。JISPはネパールの支援を続けており、同国の復興を担う次世代を育てようと企画した。
 24日夜の交流会では、両国の高校生がお好み焼きとベジタブルカレーを一緒に作り、会話を楽しんだ。スミ・シャルマさん(17)は大地震で自宅が倒壊。ネパールでは寒さが厳しい冬の今でも、多くの住民が避難所暮らしを続けているという。スミさんは「日本の被災地が大きな被害を受けながら、どう復興したのかを知りたい。心の傷をどう克服したのかも興味がある」と話した。
 ネパール大地震の遺児への支援金460万円の贈呈式もあった。あしなが育英会から奨学金などの支援を受ける震災遺児らが5〜12月、全国で募金して集めた。震災遺児の代表がJISPの吉田真由美カントリー・ディレクターに目録を手渡した。
 支援金はネパールの16〜22歳の遺児40人に贈られ、進学のための奨学金や職業技術の習得などに充てられるという。


<仕事納め>知事、復興派遣職員ねぎらう
 村井嘉浩知事は25日、宮城県庁講堂で幹部職員ら約400人を前に年末のあいさつを行った。東日本大震災から4年9カ月の歩みを振り返り、「復興は着実に進んだ。来年も前向きな行動力を発揮し、知恵を絞って仕事に当たってほしい」と訓示した。
 村井知事はJR仙石線の全線運行再開や女川町の「まちびらき」などを挙げ、復興の進行具合を強調。「犠牲者の思いを胸に全身全霊で復興に取り組んできた。多くの協力によって切り開いた道」と振り返った。
 9月の宮城豪雨にも触れ「職員には昼夜を問わず対応してもらった。今後も復旧、復興に向けしっかり取り組んでほしい」と訴えた。
 例年、知事のあいさつは仕事納め(28日)に実施しているが、復興支援で全国の自治体から派遣されている職員が長期休暇を取得できるよう前倒しした。村井知事は「気を付けて地元に戻り、英気を養って宮城に帰ってきてください」と呼び掛けた。
 同じ理由で名取市と亘理、山元両町もこの日、首長の年末あいさつを行った。


<常磐線>浪江−小高 復旧工事来月着手
 JR東日本水戸支社は25日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で不通となり、2017年3月の運転再開を目指す常磐線浪江(福島県浪江町)−小高(南相馬市)で、来年1月6日に復旧工事を始めると発表した。
 同区間8.9キロは第1原発から20キロ圏内で、大半が避難指示解除準備区域、一部が居住制限区域に指定されている。JR東の測定によると、線路上の空間線量は最大で毎時1.5マイクロシーベルト。国の直轄除染に加え、JR東も山間部などで除染を実施する。
 地震で左右にずれた橋脚や変形した線路、傾いた電化柱などを修繕し、信号・通信設備を交換する。工期は約1年で、事業費は約50億円。
 浪江町は17年3月以降の避難指示解除を目指している。水戸支社は、解除が遅れた場合は「町と運転再開の時期を協議する」と説明した。
 福島県内の常磐線の不通区間は、相馬−浜吉田(宮城県亘理町)が16年末の再開を予定。竜田−富岡は18年春までの開通を目標にしている。時期が未定の富岡−浪江について、水戸支社は「試験除染の結果をもとに除染方法を固めた上で、全体の工程を決めたい」としている。


<5度目の年の瀬>新たな暮らし照らす
◎2015被災地(6)集団移転団地(東松島市)
 新たな暮らしが息づき始めたまちに、淡い明かりがともる。東松島市の防災集団移転団地「あおい地区」(東矢本駅北)。東日本大震災の被災者らの移転が本格化しつつあるのに合わせて、初めてイルミネーションが登場した。
 明かりは、11月に完成した集合住宅1階の軒下で輝く。「コミュニティーづくりの促進のきっかけになれば」。住民がそんな思いを込めて飾った。
 地区内に再建された自宅に11月末から住む矢本西小5年の土井梨瑚さん(11)が光を見つめて言う。「暗かった家の周りに、きれいな明かりが増えた」
 地区ではことし、計画された一戸建て用地273区画が全て引き渡された。災害公営住宅の整備は来年8月までに終わる予定だ。
 イルミネーションは地区名「あおい」にちなみ、青色をメーンとした。これからも被災世帯が次々と移り住む。住民らは願う。「それぞれの歩む道を優しく照らしてほしい」と。


東大寺の大仏に巨大野球グラブ奉納 震災復興支援で
 東日本大震災の復興支援として、大仏の手の大きさに合わせて作った巨大な野球グラブが26日、奈良市の東大寺に奉納された。奈良県大和郡山市の野球グラブ製造販売会社の代表、梅原伸宏さん(51)が3月から延べ2千人以上の全国の子供たちと制作し、東大寺で組み立てた。
 グラブは縦横ともに約3.6メートルで、重さは約180キロ。この日、大仏の横で牛革を素材にした赤茶色のグラブが披露されると、参拝客から歓声が上がった。
 被災地に中古グラブを寄贈してきた梅原さんが「奈良らしい大きなもので東北に夢や希望を届けたい」と発案した。震災から5年となる来年3月11日からは福島県いわき市内に展示される。
 近くの芝生では、招待された福島県などの中学生野球部員ら約150人がキャッチボール。グラブを縫い合わせたいわき市立錦中3年の増田悠利君(14)は「こんなに大きなものになり素晴らしい」と笑顔で話した。


<中間貯蔵>墓移設 高線量が阻む
◎故郷を手放す地権者(下)汚された遺骨
<無縁仏だけは>
 東京電力福島第1原発事故の除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の予定地に、墓がある。遺骨はどうなるのか、一向に説明がない。気をもむ日々が続く。
 第1原発の排気筒を臨む墓地で、多田正友さん(72)と妻の春子さん(68)が静かに手を合わせる。墓には、原発事故の2カ月前に32歳の若さで病死した五男正和さんが眠っている。
 自宅は福島県大熊町夫沢の海沿いにあった。東日本大震災の津波が、近くを流れる小川の橋にぶつかり、しぶきを上げた。車に飛び乗って逃げ延びた。家は跡形もなく流された。原発事故が追い打ちをかけ、墓も含めて集落は帰還困難区域になった。
 「無縁仏にしたくない」。避難先の茨城県日立市から毎月、ゲートで隔てられた墓地に通う。墓石や遺骨は、国の基準で動かせないほど高線量である可能性が、東電による放射線測定で分かっている。
<一方的な説明>
 「最後は金目でしょう」。2014年夏、施設をめぐる環境大臣の発言に耳を疑った。地権者説明会でも、土地などの補償方針を一方的に説明する国の姿勢に違和感が募り、途中で席を立った。受け入れは「県や町が勝手に決めた」との思いが今も拭えない。
 施設が復興に必要であることは理解している。だが、今のままでは契約に応じられるわけがない。
 ことし10月、環境省が行った墓地の現地調査に立ち会った。「骨が動かせないのに、一体どうするつもりだ」。職員に問い掛けたが、2カ月以上たっても何の連絡もない。しびれを切らして2度電話した。「折り返し電話します」。そう言ったきり音沙汰がない。
 町は、放射線量が低く、復興拠点と位置づける大川原地区に新たな共同墓地を整備する方針を打ち出している。遺骨を残して墓石だけを建てても仕方ないと思う。土地買収の契約に応じるかどうか考える材料がないのに、判断をせかされているような感じがする。
<物言える町に>
 11月に町議選があった。住民の気持ちを大切にし、国や町に物言える町議会になってほしい。無投票を阻止しようと打って出て、あえなく落選した。
 自宅や墓地はかつて、水田や雑木林に囲まれていた。今は雑草が生い茂るだけだ。人も土地もほったらかし−。
 多田さんは切に願う。「せめて墓参りができるぐらいの環境は残してほしい」


<避難区域>飼い主会いに来て 27日里親会
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難区域に取り残された猫などを保護する福島県三春町の一般社団法人「動物救護隊にゃんだーガード」は27日、運営する町内のシェルターで「里親会」を開く。動物を飼い主に引き合わせようと参加を呼び掛けている。
 同団体は2011年11月末に設立。帰還困難区域を中心に猫や犬を保護し、シェルターで飼育しながら飼い主を探している。現在はスタッフ6人とボランティアで活動する。
 これまで猫は570匹以上保護し、約450匹を譲渡したが、原発事故の風化とともに支援金や人手が不足。月1回の里親会に訪れる人も減り、活動は苦境に立たされている。
 一方で保護する動物の数は月1、2匹ペースで増え続けている。先月には大熊町で首輪付きの三毛猫が、今月は富岡町で白と黒の子猫が見つかった。
 シェルターを管理する代田岳美さん(39)は「一匹でも多くもう一度飼い主に会わせてあげたい」と話す。
 午前10時〜午後3時半。支援金やボランティアも随時募集中。連絡先は同法人0247(73)8915。


<仮設焼却施設>来月12日にも稼働開始
 東京電力福島第1原発事故で全村避難する福島県飯舘村の蕨平地区に国が設置した仮設焼却施設が、来月12日にも廃棄物の焼却を開始することが25日、分かった。
 環境省によると、今月15日に県による使用前検査を済ませ、21日に稼働の認可を受けた。すでに村内の除染廃棄物や周辺市町の指定廃棄物など500トン以上を施設に搬入。年内に焼却を始めると、年末年始の休業を挟んで作業効率が悪くなるため、年明けに開始することで調整している。
 施設は村内の除染廃棄物や家屋解体で出た廃材などに加え、近隣の福島市や伊達市、南相馬市、川俣町、国見町の5市町の稲わらや堆肥などの農林業系廃棄物と下水汚泥も受け入れる。処理量は1日約240トンを見込んでいる。稼働は5年を予定し、約36万トンを焼却する計画。
 周辺自治体の指定廃棄物も処理する初めての施設で、宮城県加美町の猪股洋文町長が今月13日、同県内の指定廃棄物も集約し処理することを提案した。飯舘村の菅野典雄村長は拒否する考えを示している。


<検証 制度>一括買い取り、法整備を
 復興事業用地確保の課題は何か。東日本大震災の発生時に宮古ひまわり基金法律事務所(宮古市)の所長だった小口幸人弁護士(第二東京弁護士会)に聞いた。
 「いつになれば高台に移転できるのか。仮設住宅にいるうちにお迎えが来てしまう」。2012年夏、岩手県山田町であった法律相談会で被災者から聞いた。事業用地の買収が進まないことへの嘆きだった。
 改正復興特区法の成立は遅すぎた。例えばあるコミュニティーに住む100人のうち、30〜40人の被災者が移転に時間がかかるのを理由に内陸に移ったり、他の地域に自ら土地を買って引っ越したりすることが各地で相次いだからだ。
 その結果、ようやく移転が実現してもコミュニティーが小規模になり、自力で移転できない人が住むため活力の少ない地域になりかねない。
 被災地では買い取れない土地が一つでもあると、その土地を含む地域を利用した復興計画が立てられなかった。
 山を切り崩す高台の整備とかさ上げはともに物理的に「面的」な対応を要する事業だ。買い取りが難しく、取得に膨大な時間を要する土地があっても、面的にまとめて買い取れる制度があれば対応できた。
 制度がないことで、市町村は住民に復興事業にかかる期間を「長期間」と説明せざるを得なかった。高台移転は時間がかかり、かさ上げはさらにかかるといったように。その結果、ベターですらない消極的な復興計画を選ばざるを得ない地域もあった。
 あれほどの災害が起きたのだから事業用地を一括して取得できる法律を作るべきだったが、国のスタンスは「一筆ずつ交渉して買い取りなさい」だった。
 マンパワー不足に悩む被災自治体では当然、取得作業が遅れる。まるで家庭用のナイフとフォークでマグロをさばけと言われたのと同じだ。
 法改正で土地の権利者を1年以内に確定させられるなら緊急使用を使って着工できるようになった。だが最終的に土地の権利者を確定させねばならない被災自治体の負担は変わっておらず、根本的な解決にはなっていない。
 今後起きうる大規模な津波災害に向け、コミュニティーごと高台に移りたい地域があればすぐできるようにする制度の創設が必要だ。
[おぐち・ゆきひと]中央大卒。10年11月から13年10月まで宮古ひまわり基金法律事務所の3代目所長。日弁連の災害復興支援委員会幹事を務める。37歳。東京都出身。


<羽越線転覆10年>追悼慰霊式 安全を誓う
 乗客5人が死亡した2005年12月のJR羽越線特急転覆事故から10年となった25日、山形県庄内町の事故現場に立つ慰霊棟で犠牲者の追悼慰霊式があった。遺族4人とJR東日本の関係者18人が参列した。
 黙とうをささげた後、JR東日本の冨田哲郎社長が「事故に遭った皆さま、遺族に心よりおわび申し上げる。事故を風化させることなく、究極の安全に向けて全力を注いでいく」と誓いの言葉を述べた。参列者全員が白いカーネーションを祭壇に献花した。
 常務として事故対応に関わった冨田社長は、式典後の取材に「当時、事故現場の確認や負傷者へのお見舞いを通じて、二度と起こしてならないと強く感じた。社員の研修、教育を徹底していく」と語った。
 事故原因は局地的な突風とされる。開発中の突風探知システムについては「能力は高まっているが、自然現象の中の複雑なメカニズムを正確に検知、予測するには一定の時間が必要となる」と説明した。
 事故は05年12月25日午後7時14分、秋田発新潟行き特急いなほ14号(6両編成)が脱線転覆、乗客5人が死亡し、乗員2人を含む33人が重軽傷を負った。


香川サンタがプレゼント 被災地の子に笑顔
 東日本大震災の被災地支援の一環として、サッカーのドイツ1部リーグ、ドルトムントでプレーする香川真司選手(FCみやぎ出身)が25日、岩沼市を訪れ、子どもたちにクリスマスプレゼントを贈った。
 農機大手ヤンマーが企画。同社が市内に開設した「アグリソリューションセンター仙台」に、地元の小中学生約50人が集まった。
 香川選手はトラクターとともに登場し、子どもたち一人一人にサイン入り色紙や帽子、Tシャツなどのプレゼントを贈呈。一緒に並んで記念撮影も行った。
 中学から高校にかけて過ごした宮城について、香川選手は「自分の第二の古里のような場所だと思っている」と親しみを込めた。「子どもたちには夢や目標を持ち、いろんな分野で仙台から世界に羽ばたいていってほしい」とエールを送った。
 サッカーのスポーツ少年団に所属する玉浦小4年の渡辺琉誠君(10)は「テレビで見るより格好よかった。これからも活躍してくれるように応援したい」と笑顔を見せた。


<回顧みやぎ>祝福ムードから程遠く
◎(8)東北薬科大に医学部新設
<そのとき>
 「全然笑わないんですよね」。同行した写真部記者が、ぼやくこと。
 医学部新設が事実上決まった8月27日、記者会見は東北薬科大(仙台市青葉区)にとって晴れの舞台になるはずだった。それなのに…。
 理事長の高柳元明さん(67)をはじめとする大学関係者は終始、硬い表情を崩さなかった。
 十分に予想されたことではある。日本医師会と全国医学部長病院長会議は、最後まで医学部新設に反対。宮城を除く東北5県のまなざしも冷ややか。少なくとももろ手を挙げて祝福する雰囲気は、あまりない。
 ぶしつけな質問に高柳さんが語気を強める場面もあった。「第2東北大医学部という指摘は全く当たらない。性質が全く違う。研究の方向ではなく、地域医療に活躍する人材を育成していく」
 東北大との近さは、当初から指摘されてきたところだ。新医学部の難しい立ち位置が透けて見えた。
<それから>
 新医学部には幾つかの「留意事項」が課せられている。その一つ「大学病院本院の質の確保」にかかわる不祥事が11月、発覚した。
 東北薬科大病院(宮城野区)が全従業員約700人分の残業代を適正に支払っていないとして、仙台労働基準監督署に是正勧告を受けていた。
 薬科大病院は来年度、新医学部の付属病院になる。取材に病院事務局長は「大学病院として模範にならなければならない。襟を正す」と反省しきりだった。
 秋以降、東北各地や東京で開かれた新医学部の進学説明会には、多くの受験生や保護者が詰め掛けた。何といっても学費負担が国公立大並みに抑えられる修学資金制度が最大の魅力だ。
 大手予備校の調査によると、受験偏差値は新設ながら私大医学部の上位をうかがう。合格者に占める東北出身者の割合が気になるところだ。
 受験は来年2月1日。面接を経て同19日には1期生が誕生する。マフラーが外れ装いが軽やかになるころ、東北の医療復興を託された医学生たちが、続々仙台へやってくる。(報道部・野内貴史)
[メモ]文部科学省の大学設置・学校法人審議会は8月27日、東北薬科大申請の医学部新設を認可するよう答申。東日本大震災からの東北復興を支援する特例として1979年の琉球大(沖縄県)以来、37年ぶりの新設が決まった。1学年の定員は100人。東北6県に実習先となる19の地域医療ネットワーク病院を配置。薬科大は来年4月、医学部開設と同時に「東北医科薬科大」に改称する。


<国勢調査>福島4町で人口ゼロ
 福島県は25日、東京電力福島第1原発事故後に初めて実施された2015年国勢調査(10月1日現在)の速報値を公表した。県全体の人口は前回(10年)より11万5458人少ない191万3606人。少子高齢化に原発事故が拍車を掛け、減少幅は5.7%と過去最大となった。
 原発事故で全住民が避難する6町村のうち、富岡、大熊、双葉、浪江の4町は人口ゼロと算定された。ほかに全域避難の葛尾村は準備宿泊中の18人、飯舘村は特別養護老人ホームに入所する41人だけとなり、ともに98%以上減った。
 かつて全域避難した自治体のうち、ことし9月に避難指示が解除された楢葉町(976人)は87.3%減。11年9月解除の広野町(4323人)は20.2%減にとどまった。町民の多くが避難を続けるが、廃炉作業員らが居住し、減少幅が縮まった。川内村(2021人)は28.3%の減少。
 一部地区に避難指示が出された自治体では、田村市(3万8500人)が4.8%の減少、川俣町(1万4479人)が7.0%減で、事故前の減少率と大きな差はなかった。南相馬市(5万7733人)は18.5%減少した。
 避難区域周辺では一部自治体が増加に転じた。いわき市(34万9344人)が2.1%、相馬市(3万8575人)が2.0%増え、三春町(1万8305人)と福島市(29万4378人)はともに0.6%の微増。避難者や復興事業の従事者らの受け皿となり、いわき、相馬、三春の3市町は20年ぶり、福島市は15年ぶりの人口増となった。
 男女別でみると、男性(94万4967人)が4.0%、女性(96万8639人)は7.3%それぞれ減った。原発事故に伴う県外避難者は女性が比較的多く、復興事業に携わる転入者の大半が男性であることを反映したとみられる。


<国勢調査>人口減 南会津中心に深刻化
 福島県が25日に公表した国勢調査(速報値)では、東京電力福島第1原発事故の影響が少ない自治体でも、南会津地方を中心に人口減が深刻化している実態があらためて鮮明になった。
 県内59市町村のうち、原発事故避難者を多く受け入れるいわき市など4市町を除き、人口が増えたのはベッドタウン化が進む西郷と大玉の2村にとどまった。
 地方別では、原発事故の影響で42.9%の大幅減となった相双(11万1907人)を除くと、南会津(2万7117人)の減少率が9.3%と最も大きかった。会津(25万689人)4.3%減、県南(14万4143人)4.0%減、県中(53万9545人)2.2%減、県北(49万861人)1.2%減だった。
 避難区域を除く市町村別の減少率は、三島町の13.4%が最大で、次いで昭和村の11.9%。前回同様、南会津と会津の町村が上位を占めた。
 三島町は前回、減少率が全県1位で、人口が10年間で4分の1減った。4月1日現在、高齢化率は49.3%に達している。


<国勢調査>青森県人口 減少幅過去最大
 青森県は25日、2015年国勢調査(10月1日実施)の速報値を発表した。県人口は130万8649人で、10年の前回調査に比べ6万4690人(4.7%)減となり、1920年の調査開始以来、過去最大の減少幅を記録した。増加していた世帯数も、初めて減少に転じた。
 男性は61万4608人で3万1533人(4.9%)減少、女性は69万4041人で3万3157人(4.6%)減った。人口性比(女性100人に対する男性の数)は88.8で、0.3ポイント低下した。
 県推計人口を含め、統計上で残る県人口の最高は1983年の152万9269人(男性73万5726人、女性79万3543人)で、この30年余で22万人以上減った。世帯数は2437(0.5%)減の51万948で、1世帯当たりの人員は0.12人減の2.56人。
 市町村別人口は表の通り。青森、八戸、弘前の上位3市で県全体の53.3%を占めた。前回と比べ、人口が増えたのは六戸、おいらせの2町だけだった。減少率が高いのは風間浦村、大間町、今別町など半島に位置する都市部からの遠隔地が多かった。「青森県全体の動向を先取りしているとみられる」(県企画政策部)。
 県人口は、県が8月に示した長期ビジョンの将来展望を2300人余り上回った。県企画政策部の小山内豊彦部長は「構造的には減少が続くため楽観はできないが、最大限の努力で人口を安定的に推移させ、2080年で80万人程度を維持したい」と話した。


日韓外相会談 慰安婦新基金を提案へ 政府、1億円規模検討
 日韓両政府は二十五日、岸田文雄外相が二十八日に訪韓し、尹炳世(ユンビョンセ)外相と会談すると発表した。旧日本軍慰安婦問題の解決策を協議する。日本政府内では、元慰安婦に対する新たな基金を創設して元慰安婦の生活を支援する案が検討されており、岸田氏が外相会談で提案するとみられる。基金は一億円規模とする方向で検討している。
 日本は元慰安婦に対する「償い金」を支払った「アジア女性基金」(二〇〇七年解散)の後続事業として、韓国や台湾、フィリピン各地の元慰安婦を巡回して医療支援などを行う「フォローアップ事業」を続けている。一五年度当初予算では千五百万円を計上した。
 外相会談で岸田氏は、同事業の十倍近い額を日本政府が出資して基金を創設して、基金を通じ元慰安婦への人道支援を行う方法を提案するとみられる。
 韓国政府はこれまで、日本政府に「被害者(元慰安婦)が受け入れ、韓国民が納得する水準の案」を示すよう求めてきた。韓国側が元慰安婦や支援団体、韓国世論の反発を意識した場合、新基金案に難色を示す可能性もある。
 会談で岸田氏は、妥結後に韓国側が慰安婦問題を再提起しないことや、ソウルの日本大使館前に設置した慰安婦を象徴する少女像の撤去も求めるとみられる。
 岸田氏は二十五日、外務省で記者団に「何ができるか、ぎりぎりの調整を行いたい」と述べた。二十七日にはソウルで日韓両国の外務省局長級による協議が行われる。 (篠ケ瀬祐司)


九電、免震棟新設を撤回 川内原発 再稼働の前提ほご
 九州電力は八月に再稼働した川内(せんだい)原発(鹿児島県)をめぐり、事故が起きた際に対策所を置くとしていた免震重要棟の新設計画を撤回した。川内原発の免震棟は原子力規制委員会の審査でも設置が前提とされていたが、対策所の広さが三分の一以下の暫定施設を使い続けるとしている。
 九電は「方針変更は総合的に判断した。費用面も全く無関係ではない」としている。規制委幹部は「一度設置すると約束したものをやめるのならば説明が必要だ」として、九電に経緯や機能の説明を求める方針だ。
 九電が当初示していた計画では、川内原発の免震棟は地上三階建てで、延べ床面積約六千六百平方メートル、二階部分に広さ約六百二十平方メートルの対策所を置くことになっていた。
 しかし建設に時間がかかるため、再稼働を急ぐ九電は免震棟ができるまでの措置として平屋建ての暫定施設を新設。施設内の対策所は約百七十平方メートルしかない。
 九電は免震棟の新設を撤回する代わりに、暫定施設の近くに地上二階地下二階建ての「耐震支援棟」を設置し、医務室や宿泊室などを置くとしている。
 ただ広さや収容人数などが未定な上、事故時に建物間を移動することになり作業員が無用な被ばくをする恐れも生じる。規制委幹部は「免震棟と比べて安全性が落ちるのであれば認められない」との姿勢を示している。
◆「再稼働すればどうにでも」疑念浮かぶ 
 原子力規制委員会の新規制基準作成に携わった勝田忠広明治大准教授(原子力政策)の話 安全対策の内容を再稼働後に変更するのは重大で、このタイミングの方針転換は「再稼働してしまえばどうにでもなる」という姿勢の表れではないかとの疑念が浮かぶ。九州電力は規制委の審査会合のような透明性がある場で説明する必要がある。最近、テロ対策施設の設置期限を緩和するなど、規制委の電力側への配慮も目立つ。ここで規制委が厳しくチェックしなければ、福島第一原発事故以前のように、なし崩し的に規制が機能しなくなるかもしれない。
 <免震重要棟> 2007年の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発の事務棟が使えなくなった教訓から東京電力が所有する原発に設置し、福島第一原発事故では対応拠点として極めて重要な役割を果たした。免震装置で地震の揺れを大幅に低減する構造で、自家発電機や通信設備、被ばく対策設備のほか、休憩施設や物資置き場も備える。原発の新規制基準では義務付けられていないが、ほとんどの原発で設置が進んでいる。


[辺野古抗告訴訟]自治と尊厳を守り抜け
 国と県が互いを提訴する前代未聞の事態である。
 沖縄県は、翁長雄志知事による辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消し処分の効力を停止した国の決定を違法だとして那覇地裁に提訴した。
 提訴にいたった理由を知事は、「心情的にはやむにやまれずだ。国の強権的な手法の一つ一つを考えると、県民の誇りと尊厳を守るためにやむを得なかった」と説明する。
 この短い言葉の中に、知事の思い、多くの県民の思いが集約されている。
 事のいきさつはこうだ。
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐり、10月に翁長知事が前知事の埋め立て承認を取り消した。これに対し防衛省沖縄防衛局は取り消しの効力を止めるよう国土交通相に申し立て、国交相は執行停止を決めた。
 今回、県は提訴と併せ、国交相決定の効力停止も地裁に申し立てた。生物多様性に富む辺野古の海を守るため、判決を待たずに埋め立て本体工事を止める狙いからだ。
 県が強調しているのは次の2点である。
 「行政不服審査法は国民の権利利益の救済を図るもので、国の行政機関である防衛局が『私人』であると主張するのは法の趣旨にもとる」
 「同じ内閣の一員である国交相に中立・公正な判断は期待できない」
 県が指摘するように、政府の一連の対応には法の恣意(しい)的な解釈や形式的な運用が目立つ。その結果、憲法でうたわれた地方自治そのものが脅かされているのである。 
    ■    ■
 県が国を提訴した前日、国地方係争処理委員会は、国交相による辺野古埋め立て承認取り消しの執行停止を不服とする翁長知事の申し出を「審査対象に該当しない」と判断し、却下した。 
 法に基づき公正な解決を図る機会でもあった係争処理委が、本質的な議論に入る前に、知事の申し出を門前払いしたことは疑問を残す。
 却下の理由は「国交相の判断が一見、明白に不合理とは言えない」とするが、判断基準や多数決で決定した議論の内容は明らかにされていない。審査期限は来年1月末までとなっているのに、深夜0時近くまで議論し結論を出すやり方も尋常ではない。
 年明けの宜野湾市長選を意識し政府の力が働いたのではないか、という疑いさえ感じさせる決め方である。
 地方分権推進一括法によって国と自治体の関係は「上下」から「対等」に改められた。しかし国の強権的な手法や係争処理委の門前払い判断は、対等という言葉の意味を真に理解しているとは言い難い。
    ■    ■
 1972年の施政権返還から今年で43年。この間沖縄の人々が嫌というほど味わってきたのは、地位協定と関連取り決めにがんじがらめにされ、地方自治も人権も他府県並みに享受できないという理不尽な現実である。
 日本は今や世界でも米軍を数多く受け入れ、優遇している国になったが、沖縄のような事例は世界中どこにもない。その異常性を認識することが、この問題の出発点でなければならない。


安倍内閣3年 憲法軽視の「一強」政治
 「集団的自衛権の行使」「立憲主義の否定」。憲法がこれほど政治の中心課題だった年は、近年なかったのではないか。安倍内閣、きょうで発足三年。
 京都市東山区の名刹(めいさつ)、清水寺にある「清水の舞台」。森清範貫主が縦一・五メートル、横一・三メートルの越前和紙に、特大の筆を一気に走らせる。鮮やかな墨痕。
 「安」
 二〇一五年の世相を一文字で表す、毎年恒例の「今年の漢字」である。募集した日本漢字能力検定協会によると、応募総数約十三万票のうち、最多の「安」は六千票近くを占めた、という。
◆安保法への関心高く
 同協会は、応募者のコメントなどを基に「安」となった背景を、安全保障関連法への国民の関心が高まった▽テロ事件や異常気象が人々を不安にさせた▽建築偽装やメーカー不正の発覚で暮らしの安全が揺らいで、人々が安心を求めた、などと分析する。
 同様に「安」を選んだ政治家がいる。安倍晋三首相である。
 「今年はテロや災害が続き、国民の安全や安心を願う気持ちが強かったのではないか。政治の責任としては、国民の安全をしっかりと守り抜いていく。『安』を倍増すると『安倍』になる」
 首相官邸でこう語り、記者団の笑いを誘った。
 一二年十二月の衆院選で自民党が民主党から政権を奪還し、安倍氏が再び首相に就いて二十六日で三年がたつ。
 その後、一三年七月の参院選に勝利して、参院で与党が半数に満たない「衆参ねじれ状態」を解消し、一四年十二月の衆院選で再び勝利した。今や安倍首相率いる官邸「一強」ともいわれる政治情勢である。
 その首相が今年、最も政治力を注いだのが、集団的自衛権の行使に道を開く安保関連法であろう。
◆一内閣で解釈を変更
 振り返れば、なぜあれほどまでに急ぎ、あれほどまでに強硬に、法律を成立させなければいけなかったのか、疑問が募る。
 安保法は九月十九日に参院で可決、成立したが、施行はいまだされず、政府は一六年度予算案にも反映していない、としている。
 国連平和維持活動(PKO)に派遣する自衛隊への「駆けつけ警護」任務の追加も、来年の参院選以降に先送りされる、という。
 安保法の早期成立を必要とする切迫した立法事実がどこにあったと言うのだろうか。
 首相が衆院解散に踏み切り、衆参同日選の可能性も指摘される。選挙で安保法が主要争点となることを避けるため、強行してでも早めに法律を成立させ、国民の反発が冷めるのを待つ狙いがあったとしか考えられない。
 外国同士の戦争に参加する集団的自衛権の行使が憲法に違反するという政府の解釈は、国会での長年の議論を経て定着し、自民党を含む歴代内閣が堅持してきた。
 海外では武力の行使をせず「専守防衛」に徹するという、日本国民の血肉と化した憲法九条の平和主義は日本人だけで三百十万人、内外で膨大な犠牲を出した先の大戦に対する痛切な反省に基づく誓いであり、切実な願いでもある。
 その解釈を一内閣の判断で強引に変えたのが安倍内閣である。
 憲法解釈を時の政権が自由に変えることができるなら、憲法は法的安定性を失うばかりか、主権者たる国民の手を離れ、統治の道具に堕してしまう。
 国民が憲法を通じて権力を律する「立憲主義」は根底から覆るとの批判が湧き上がるのも当然だ。
 憲法に誠実に向き合おうとしない安倍内閣の政治姿勢は、安保法にとどまらない。
 野党側は十月、衆参いずれかで四分の一以上の要求があれば、内閣は臨時国会の「召集を決定しなければならない」と定める憲法五三条に基づいて臨時国会召集を要求したが、政権側は拒否した。あからさまな憲法軽視である。
 九条などの改正を目指す安倍首相にとって、占領下でつくられた現行憲法は脱却すべき「戦後レジーム(体制)」なのだろう。
◆公務員には尊重義務
 かといって、憲法を軽視していいという理由にはならない。天皇および国務大臣、国会議員、裁判官、公務員は憲法を尊重し、擁護する義務を負っているからだ。
 来年は日本国憲法が公布されて七十年の節目の年に当たる。安倍政権はいずれ衆参両院で三分の二以上の多数を得て憲法改正を発議したいと考えているに違いない。おおさか維新の会との蜜月関係もその布石なのだろう。
 憲法改正か否かを最終的に決めるのは、国民投票をする国民自身ではあるが、政治指導者の役割は無視し得ない。何年か先に振り返り、今年が「憲法崩壊元年」と呼ばれぬことを祈るばかりである。


国と沖縄の係争 門前払いは役割放棄だ
 米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる国と沖縄県の攻防は法廷に全面的に移行した。総務省所管の第三者機関「国地方係争処理委員会」が沖縄県の申し立てを却下した。県は国を相手取り、名護市辺野古への移設阻止を目指し、提訴した。
 国と地方の争いを審査、調停するはずの係争委が県の主張を実質審議せず、門前払いした対応には疑問がある。調整機能の不在を露呈したと言わざるを得ない。
 国と沖縄県が双方を訴え合う、異例の構図である。係争委が早々に結論を出し、年明けとみられた国への提訴は前倒しされた。翁長雄志知事は記者会見で「委員会の存在意義を自ら否定しかねず、誠に遺憾だ」と批判した。
 石井啓一国土交通相は10月、翁長知事による辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しの効力を停止することを決めた。沖縄防衛局の申し立てを受け、行政不服審査法に基づく手続きだった。沖縄県は「違法な決定」として、第三者機関である係争委に審査を申し出ていた。
 ところが、係争委は県の申し立ては審査対象にあたらないとして却下してしまった。小早川光郎委員長は「一般的に、行政不服審査法に基づく決定は、審査対象にあてはまらない」と説明している。
 確かに不服審査請求に対する裁決や決定は審査対象外と法律は定める。だが今回、民間ではなく国の機関である沖縄防衛局が執行停止を申し立てた異例さを沖縄県は強調し、違法性を主張していた。小早川委員長は「一見明白に不合理ではない」と特例扱いを認めなかったが、門前払いが妥当だったか疑問が残る。
 却下を決めた係争委の会合は約6時間半議論しても意見が一致せず、多数決に踏み切った。委員間でどんな具体的なやり取りがあったかは不明だ。県の申し立てを正面から受け止め、実質審査するのが責任ある対応だったのではないか。
 国地方係争処理委員会は2000年に発足した。同年に施行された地方分権一括法がうたった国と地方の対等、協力関係の理念を保障する制度のひとつと位置づけられている。
 だが、中央官庁である総務省に置かれているため、役割を果たせるかも疑問視されている。実際、地方が審査を申し出た例は今回も含め3件にとどまる。だからこそ、国と地方が基地問題をめぐって対立した今回は試金石だった。
 国と地方の争いを調整するきちんとした枠組みがないまま、対立が深みにはまっていく。係争委の対応も含めて国に一貫して欠如しているのは、沖縄の主張に耳を傾け、対話しようとする姿勢である。

くわい/サイフ忘れて/最後の会議

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上智荒鷲

Un Japonais condamné après des rapports sexuels avec plus de 12.000 femmes
Un ex-principal de collège japonais a été condamné vendredi au Japon à deux ans de prison avec sursis pour avoir pris des photos et monnayé des rapports sexuels avec au moins trois mineures, parmi un total de 12.000 femmes, au cours de nombreux séjours aux Philippines.
L'homme, Yuhei Takashima (65 ans), avait été interpellé en avril dernier après une plainte d'une adolescente de 13 ans victime de ses agissements.
Le sursis assorti à sa peine vaut pour une durée de quatre ans.
Sa condamnation est notamment motivée par le fait que ce Japonais "a pris des photos de ses actes obscènes avec trois adolescentes de 12 à 14 ans" dans un hôtel aux Philippines il y a environ deux ans, selon un extrait du jugement rapporté par l'agence de presse Jiji.
"C'est lamentable et vicieux", a tranché la juge Naoko Omori qui a estimé que M. Takashima "avait abusé de la situation économique fragile de jeunes filles", selon Jiji.
"En tant qu'enseignant, il aurait dû savoir qu'aux Philippines comme au Japon, les enfants doivent être protégés", s'est-elle agacée.
Le sexagénaire avait expliqué à la police avoir commencé à payer pour des relations sexuelles lorsqu'il a été envoyé pour trois ans dans une école japonaise à Manille en 1988, selon Jiji.
Par la suite, il a continué au rythme de trois voyages par an aux Philippines, cumulant ainsi un total de 65 séjours.
Pendant ce temps, il aurait eu des relations sexuelles avec quelque 12.600 femmes, agées de 12 à quelque 70 ans.
M. Takashima a minutieusement classé près de 150.000 photographies de ses proies sur une période de 27 ans dans environ 400 albums, a rapporté la presse.
Les médias précisent que le coupable a déclaré au tribunal "avoir l'habitude de collectionner les choses" et voulait "garder des souvenirs".
En plus de la vente et la distribution, la législation japonaise, modifiée en 2014, punit désormais aussi la simple possession de photographies et vidéos à caractère pédopornographique. Les dessins ou images de synthèse sont en revanche tolérés.
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お金と感情と意思決定の白熱教室 楽しい行動経済学の世界3 感情をどう動かすか
私たちの行動を理性とともに規定している「感情」は非常に不可解な存在である。例えば「感情」は“顔の見える存在”に想像以上に動かされがちだ。テレビニュースがルワンダの虐殺の報道時間よりも長く、井戸に落ちた一人の少女の救出劇に時間をかけた理由もこれだ。逆に「感情」が合理的な判断をじゃまするという特徴から、人々の感情をコントロールするすべまでが見えてくる。最新の行動経済学が不思議な「感情」の世界を解明する
デューク大学教授…ダン・アリエリー


年末でくわいを食べました.目が出て出世できるでしょうか?
出勤の時にサイフ忘れてしまうところでした.あぶないあぶない.
昼からは今年最後の会議です.活発な議論ができました.

<閖上中>悲しさ、悔しさ、そして感謝
 名取市閖上地区で24日、旧閖上中校舎の解体工事が本格化した。関係者は複雑な思いで作業を見守り、校舎との別れを惜しんだ。
(31面に関連記事)
 校舎は1980年の完成。市は11月に正面の時計を取り外して以降、内装の解体や照明・備品の撤去を進めてきた。この日から建物本体の解体を始めた。
 震災時は津波で1階部分が水没した。周囲には高い建物がなく、3階や屋上などに住民らが800人以上避難して命をつないだ。
 同校に2年まで通った東北学院大1年菊地雄也さん(19)は、母訓子(のりこ)さん(52)と作業を見つめた。「心のよりどころとして校舎を残してほしいという思いがあった。悲しさと悔しさが入り交じっている」と揺れる胸中を明かした。
 閖上で語り部の活動を続ける訓子さんは、義理の両親が避難して助かった校舎への感謝をにじませた。「ここに素晴らしい学校があったことをしっかり語り継いでいく」と話した。
 市は早ければ本年度中に旧閖上小校舎の解体にも着手する。同地区には新たに小中一貫校を建設する計画で、2018年春の開校を目指す。


<閖上中>あの日の記憶刻む校舎 姿消す
 あの日の記憶が刻まれた建物がまた一つ、姿を消す。宮城県名取市は24日、東日本大震災で被災した閖上地区の土地区画整理事業に伴い、旧閖上中校舎本体の解体工事に着手した。
 校舎は鉄筋コンクリート3階建て。2階と3階のバルコニーの一部を、大型重機2台を使って取り壊した。砕けた壁や床が白煙を上げて崩れ落ち、激しい音が周囲に響き渡った。解体は来年2月ごろまで続く。


楢葉初プロ野球選手 原発被災地に活躍誓う
 東京電力福島第1原発事故の被災地、福島県楢葉町出身で、ことしのプロ野球ドラフト9位でオリックスに入団した赤間謙投手(25)=鷺宮製作所=が24日、原発事故後初めて帰郷し、松本幸英町長らに入団を報告した。町は9月に避難指示が解除されたが、本格復興はこれから。楢葉町初のプロ野球選手となった右腕は「古里の人が喜ぶような投球をしたい」と誓った。
 役場では職員が拍手で出迎えた。松本町長は背番号が60と聞き「来年は町制施行60年。町も発展し、赤間選手も活躍する。町を挙げて応援したい」と激励。赤間投手は「結果を残し、恩返ししたい」と語った。
 赤間投手が古里に帰るのは、原発事故2カ月前の成人式以来。父雄二さん(59)はいわき市の仮設住宅、母貞子さん(59)と祖父母は千葉市に避難している。
 5年ぶりの古里は人が少なく、除染廃棄物の仮置き場も広がるなど「不思議な感じがした」。訪れた実家は、地震と長期避難で傷んだため解体中で「寂しく、悲しくなった」と言う。
 原発事故当時は大学生で、野球部の沖縄キャンプ中だった。「野球をやっていていいのか、帰って何かできるのではないかとも思った」と振り返る。
 帰郷し「復興は進んでいない」と感じただけに「自分が頑張って、いい報告をしたい」との気持ちは一層強まった。「大勢の楢葉の人たちを球場に招待できる投手になりたい」
 同行した雄二さんは「楢葉の子どもたちのためにも、がむしゃらに突き進んでほしい」と話した。
 赤間投手は楢葉南小1年のときに野球を始めた。楢葉中時代は相双中央シニアに所属し、東北楽天の横山貴明投手(福島県浪江町出身)とチームメートだった。東海大山形高、東海大に進み、社会人野球では主に救援で活躍した。


「香川サンタ」、被災地の子供らにXマスプレゼント
 サッカー日本代表の香川真司選手(26)=独ボルシア・ドルトムント=が25日、宮城県岩沼市の農業複合施設を訪れ、子供たちにクリスマスプレゼントを手渡した。
 イベントはヤンマー(大阪市)などが開いた。香川選手にとって、宮城県は中高時代を過ごした「第2の故郷」。東日本大震災の津波で校舎などが浸水した市立玉浦小の児童ら50人の一人ひとりに、サイン入り色紙やTシャツなどの贈り物を手渡した。
 プレゼントを受け取った岡田大翔(ひろと)君(5)は「肩を組んでもらってうれしかった」と飛び跳ねて喜んだ。香川選手は「これからも復興支援のためにサッカーを通して子供たちに夢や希望を与えられるよう頑張りたい」と話していた。


<帰還困難>防護服姿で5年ぶり新しめ縄奉納
 東京電力福島第1原発事故で大半が帰還困難区域に指定されている福島県双葉町の初発神社に23日、氏子たちが新しいしめ縄を奉納した。全町民の長期避難で荒廃した神社にまだ青い縄を飾り、新年を迎える準備を整えた。
 しめ縄を新調するのは、原発事故前の2010年暮れ以来、5年ぶり。7人が防護服姿で社殿の古いしめ縄を外し、社殿と鳥居に長さ約6メートル、中央の太さ30〜40センチのしめ縄をそれぞれ取り付けた。
 初発神社は東日本大震災で社殿や鳥居が傾いたままの状態。特に社殿の傷みが激しく、ワイヤで固定して持ちこたえている。境内の灯籠なども倒れ、鳥居前の家屋は倒壊して道路の半分以上をふさいでいる。
 しめ縄は氏子らが今月18日、いわき市に集まって作った。同市に避難している氏子総代の前田洋海(ひろみ)さん(73)は「初詣で人が集まれないのは寂しいが、新しい縄で気持ちも新たに新年を迎えたい。一時帰宅した人に見てもらえればうれしい」と話した。


<避難タワー>浸水区域外の高台に完成
 青森県おいらせ町の川口地区に津波避難タワーが完成し、24日、地元関係者が完成式典を開いた。事業費を抑えるため、設置場所は東日本大震災の津波で浸水した当初の予定地から約400メートル北に変更され、浸水区域外の高台に建った。町は地域の防災訓練や教育にも生かす。
 施設は鉄筋コンクリートの4層構造で、明神山と呼ばれる海抜13メートルの高台に建つ。避難室(134人収容)は地表から9.8メートルの高さの4層目にあり、県が予測する最大津波高18.79メートルにも対応する。総事業費約2億3000万円は復興交付金などで賄われる。
 町によると、最大津波の到達は地震発生の52分後と想定。内陸部の指定避難場所に逃げ遅れた地区の住民は、時間内に明神川を渡って明神山に避難する。
 当初は川を渡らずに済む平野部に高さ20メートル以上のタワーを造る計画で、費用は6億円超だった。昨年3月に復興庁から他地域より高額だと指摘され変更した。
 地区の住人は約90人。防さびの塗装など維持費は5〜10年で数十万円の見込み。
 式典で三村正太郎町長は「全住民が望んだ場所でないかも知れないが、地域の命を守るため最大限活用する」と語った。


<避難タワー>住民「造った以上は役立てる」
 青森県おいらせ町の川口地区の住民たちは、建設場所が当初の予定地より遠くに変更になった津波避難タワーの完成を「造った以上は訓練に役立てたい」と前向きに受け止めた。
 町は、津波警報時は地区中心部から約1キロ北にある明神山のタワー、大津波警報時は海岸から約2キロ西の公園を避難場所に指定。一方で住民には「大津波警報でも、緊急避難先としてタワーもあり得る」と説明している。
 東日本大震災時、明神山には高さ7.5メートルの津波が押し寄せ、近くの工場関係者を含め300人が避難した。昔から地域の避難場所だった経緯もあり、タワー整備に伴い、大津波にも対応できると判断した。
 避難時に明神川を渡る危険性に関し、町まちづくり防災課の担当者は「地震発生から時間がたったら、川には近づかないよう伝える。いつまでだったら大丈夫という目安を示す予定はない」と説明する。
 ことし8月の地区の防災訓練では、脚が悪い人を乗せたリヤカーが明神山に到着するまで45分かかった。町内会の大久保信会長(65)は「避難時にもたついたら橋を渡れないかも。前の建設場所がよかったが、しようがない。訓練の充実化を図るだけだ」と話した。


<仙石線>塩釜神社初詣列車 来年は運行中止
 塩釜神社(塩釜市)の初詣客らを運ぶ列車として、長年親しまれてきたJR仙石線の初詣用臨時列車が、来年は運行が中止されることになった。利用客の低迷が理由で、地元からは「残念だ」と惜しむ声が上がっている。
 JR東日本仙台支社によると、臨時列車は少なくとも記録が残る1979年には運行していた。昨年はあおば通−東塩釜間で1月1日未明から上下計6本を各駅停車で運行した。
 利用は低調で、昨年のあおば通発下り列車(4両編成、定員550人)の乗車率は、午前1時半発が40%未満、午前3時発が20%未満。午前4時40分発は10%程度だった。仙台支社は「車の利用者が増え、ニーズにそぐわなくなった」と説明する。
 運行中止について、塩釜市観光交流課の吉岡一浩課長は「最近は参拝客が分散し、臨時列車の乗客も減っていると聞いていた。仕方ない面はあるかもしれないが、残念だ」と話す。
 仙石線本塩釜駅では毎年、臨時列車の運行に合わせて駅前の商店街などが鏡開きを行ってきたが、今回は取りやめる。同駅では旅行窓口「びゅうプラザ」の廃止などもあり、商店主の男性は「観光の玄関口という位置付けがあいまい。臨時列車の運行中止はそれに追い打ちを掛ける出来事だ」と嘆いた。


<5度目の年の瀬>川の景色変わっても
◎2015被災地(5)サケつかみ捕り(宮古市)
 大漁旗がはためき、解禁のサイレンが響く。サケが放された川に、待ちかねた人たちが一斉に駆けだした。
 宮古市津軽石川で20日にあったサケのつかみ捕り。1973年に始まった伝統行事で、本拠地である川での開催は5年ぶり。
 東日本大震災で川底が50センチ以上沈下。昨年まではJR宮古駅前にプールを設置して開いた。ことしは復興の象徴にしようと、宮古観光文化交流協会が川底に砂利を敷き、復活させた。
 南部鼻曲がりザケの産地で本州有数の漁獲量を誇る。地元の人は「サケといえば津軽石川」と言う。川をさかのぼるサケとつかみ捕りは、生活に根付いた古里の風景という。
 「津波は川の景色を変えてしまい、再開は無理だと思っていた。川がたくさんの人でにぎわいうれしい」と近くに住む鈴木清正さん(70)。つかみ捕ったサケを誇らしげに掲げた。


JR羽越線脱線 「風化させない」事故10年追悼式
 山形県庄内町で2005年12月、JR羽越線の特急が脱線転覆し、乗客5人が死亡した事故から丸10年となった25日、現場の慰霊碑前で追悼式があった。JR東日本の冨田哲郎社長は「事故を風化させることなく、究極の安全に向けてグループ一丸となり全力を注ぐ」と、一層の安全対策に取り組む決意を誓った。
 午前10時から始まった式には、4人の遺族を含む関係者22人が参列。全員で黙とうをささげ、白いカーネーションを祭壇に手向け犠牲者の冥福を祈った。
 事故は05年12月25日午後7時14分ごろ起きた。同県庄内町榎木のJR羽越線砂越−北余目駅間で、秋田発新潟行き特急「いなほ14号」(乗客・乗員46人、6両編成)が、最上川にかかる鉄橋を通過後、突風を受けて脱線・転覆。先頭車両の乗客5人が死亡し、運転士を含む33人が重軽傷を負った。
 国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)は08年4月、瞬間風速約40メートルの局所的な突風が事故原因とする報告書を公表。山形地検は10年3月、業務上過失致死傷容疑で書類送検されたJR東日本新潟支社の運行管理担当者3人について、「突風は予見できなかった」として不起訴処分とした。【高橋不二彦】

<回顧みやぎ>今なお癒えぬ遺族の傷
◎(7)館中生徒いじめ自殺問題
<そのとき>
 静かな公園が報道陣であふれかえった。
 仙台市泉区の館中1年の男子生徒=当時(12)=がいじめを苦に自ら命を絶って1年。命日に合わせたかのように、学校に隣接する公園に9月下旬、献花台が設置された。
 傍らに「守ってあげられなくてごめんね」のメッセージ。献花台から少し離れた場所で手を合わせる男性がいた。男子生徒の父親だ。
 「息子が好きだったものです」。手には、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」とチョコレート菓子「きのこの山」。お供えに持参したが、報道陣に囲まれたくないと記者に託した。
 一連のいじめ自殺問題は「遺族の意向」で校名は公表されず、在校生にも事実が伏せられる異例の経過をたどった。市教委が8月下旬、いじめ自殺を公表後、取材は中学校を特定することから始まった。
 真実に迫ろうとする記者と、学校や地域との間には摩擦が生じた。館中の教諭は当初、「証拠はあるのか」と記者に迫り、町内会は取材の自制を求めてきた。
 献花台の設置は大きな転機になった。取材メモに「本当にこのままで良いのか考え始めている」とある。家族を守ろうと非公表を貫いてきた父親が、献花台の設置に心を動かされ、公表へと傾き始めた瞬間だ。
 真相究明に向けて、止まり掛けた歯車が回り出すと確信した。
<それから>
 遺族は9月下旬、市教委に生徒と保護者へ説明するよう求めた。市教委は校名を公表後、在校生と保護者向けの説明会を開き、アンケートのやり直しにも着手、次々に方針を転換した。
 ただ、公表後も問題は解消されなかった。奥山恵美子市長や市教委は説明の場で何度も「遺族の意向」と繰り返し、遺族を守るどころか、さらに傷つけた。
 いじめた生徒からも謝罪はなかった。インターネットには、いじめた生徒にとどまらず、亡くなった生徒に関する真偽不明の情報が書き込まれた。「公表してよかったのか」。父親は今も揺れている。
 遺族が奥山市長と初めて面会した今月21日、母親は電話で記者にこう語った。
 「同じ体験をしてほしくないが、同じ体験をしないと分からない。私の気持ちを100パーセント分かる方はいない」
 記者以前に一人の人間として、この言葉を反すうしている。
(報道部・吉江圭介、河添結日)
[メモ]仙台市泉区の館中1年の男子生徒=当時(12)=が昨年9月21日、いじめを苦に自殺を図り、6日後に亡くなった。市教委は「遺族の意向」を理由に非公表とし、在校生には「彼は引っ越した」と説明した。ことし8月21日、校名を伏せたまま、いじめ自殺があったと公表した。遺族の求めで、10月5日に校名などを公表。全校集会などを相次いで開き、在校生らを対象にアンケートを行った。12月21日には遺族が奥山恵美子市長と初めて面会した。


国分寺まつり出店拒否 3団体が救済申し立て 「護憲、反原発に差別的扱い」
 東京都国分寺市で毎秋、開かれている「国分寺まつり」への出店を拒否された市民団体「国分寺九条の会」など三団体が二十四日、「特定の思想信条に基づき差別的取り扱いを受け、市民参加の機会を奪われた」などとして、東京弁護士会に人権救済を申し立てた。 (萩原誠)
 二〇一三年まで毎年、参加が認められていた三団体は「内容が政治的意味合いを持つ」と一四、一五年と二年連続で拒否されており、来年以降は認めるよう求めている。
 申し立てたのは、九条の会と、原発関連の勉強会などを開催している「Bye−Bye原発/国分寺の会」と「ちょっと待って原発の会」で、いずれも国分寺市民でつくる団体。「公共の場のまつりへの出店拒否は、憲法で定めた表現の自由や平等権の侵害に当たる」などと主張している。
 まつりは市が事務局で、市民らでつくる実行委の主催。九条の会は〇八年から出店し、憲法九条に関するパネル展示やシール投票などを実施。「Bye−Bye」は一一年、「ちょっと待って」は一二年から参加し、東京電力福島第一原発事故関連のパネル展示などをしてきた。
 一四年、まつり出店者の募集要項に「政治的・宗教的な意味合いのある出店」は参加を断る旨の条件が加えられた。実行委は同年以降、この要項を根拠に、三団体の参加を拒否している。
 立川市内で二十四日に記者会見した九条の会代表の増島高敬さん(75)は「なぜ参加不可なのか、事務局の市は説明責任があるのに納得できる説明をしてくれない」と主張。
 「Bye−Bye」代表の服部久美子さん(63)は「トラブルなく参加してきたし、原発に関する市民の勉強の場になっていた」、「ちょっと待って」会員の前納寛乃さん(68)は「安全な社会をどう守っていくか皆で考えたいと参加してきた。自由に参加できるまつりになってほしい」と訴えた。
 まつり実行委事務局の市文化と人権課の宮本学課長は「実行委の役員会が、市民の親睦の場に、賛否があるものが参加するのは好ましくないと決定した」とした上で、申し立てについては「内容を確認していないのでコメントできない」と話した。


大飯・高浜原発 安全は“神話”のままだ
 福井県にある高浜原発、大飯原発の再稼働差し止めを求める司法判断が、覆された。だが待てよ。誰もまだ安全を保証するとは言っていない。大事故が起きた時、責任を取る覚悟も力もないままだ。
 逆回転が加速し始めたということか。「原発ゼロ」の歯止めが、また一つ外された。
 最大の争点は、3・11後に定められた原子力規制委員会の新たな規制基準を、原発再稼働の“お墨付き”とするか、しないかだ。
 規制委は二月、高浜原発3、4号機を新規制基準に適合しているとした。
 それを受け、関電は再稼働の準備に着手。しかし、福井地裁は四月、「新規制基準は合理性を欠く」として、周辺住民が求めた再稼働差し止めを認める決定を下していた。新規制基準の効力に根本的な疑問を投げかけたのだ。
 関電の不服申し立てを受けた福井地裁は、その決定を百八十度覆したことになる。
 安全対策上想定すべき最大の揺れの強さ(基準地震動)、その揺れや津波に対する関電側の対策、使用済み核燃料保管の危険性…。どれをとっても規制委の審査に「不合理な点はない」として、原発が周辺住民の人格権や、個人が暮らしや生命を守る権利を侵害する恐れはないと判断した。
 昨年五月、同様に運転差し止めを認めた大飯原発3、4号機に関しても「規制委の審査中であるから」と、差し止めを却下した。
 高浜に関しては、西川一誠知事が二十二日再稼働に同意して、地元同意の手続きを終えている。関電は、まず3号機から運転開始を急ぐという。
 だが、よく考えてもらいたい。
 裁判所は事業者の取った対策が「新規制基準に適合する」という規制委の判断を「合理的」としただけだ。規制委自身が何度も表明しているように、その判断は「安全」を保証するものではない。
 今回の福井地裁も「過酷事故の可能性がまったく否定されたものではない」と、はっきり述べているではないか。
 知事の判断も同じである。
 安全確保は事業者の責務。事業者の規制は国の責務。県は監視するだけという、及び腰の最終同意である。事業者にも国にも“責任能力”などないことは、福島の現状を見れば、明らかではないか。
 安全性も責任の所在もあいまいなまま、再稼働へひた走る。その状況が何も変わっていないということを、忘れてはならない。


高浜原発/割れる判断に事の重大性
 同じ地裁で、これほど対照的な判断が示されるのも珍しい。
 関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の運転を差し止めた仮処分への関電の異議申し立てに、福井地裁は再稼働を認める決定をした。
 高浜3、4号機は原子力規制委員会の安全審査に適合し、西川一誠知事の先日の同意で地元手続きを終えた。地裁の決定で再稼働に向けた障壁が取り払われた形になる。
 ただ、運転差し止めを求める原告は不服を申し立てる方針で、すんなり再稼働となるかは不透明だ。
 4月の仮処分決定は、関電による地震想定の不十分さなどを挙げて新規制基準や規制委の審査を根本的に否定した。基準地震動を超える地震が過去に何回も起きていることを指摘し、予測は限られた数しかない昔の地震のデータなどに頼り、信頼性が足りないと疑問を呈した。
 ひとたび過酷事故が起きれば広い範囲に被害が及ぶ−。新規制基準は周辺住民に人格権の侵害をもたらす具体的危険性を有しているとしたのは、2011年3月の原発事故を踏まえた判断といえる。
 一方、異議審は、争点となった設備の耐震安全性や基準地震動の策定方法などに合理性があり、新規制基準の妥当性についても問題ないとした。人格権の侵害も否定した。
 高浜3、4号機は、事故対応の拠点となる免震重要棟が設置されてない。外部電源の確保策などにも不安を残し、万全な形で再稼働を迎えようとしているわけではない。
 国民が心配するのは根拠の乏しい「安全神話」復活である。それを阻止できるのは司法しかない。
 安全は原発対策だけで事足りるわけではない。高浜原発は京都府や滋賀県に近い場所に立地し、電力会社が立地自治体以外は認めないとする「安全協定」の在り方が曖昧だ。避難計画が義務付けられる半径30キロ圏の自治体の避難計画の実効性も問題になっている。広域避難計画の経路となる道路整備や移動手段の確保、渋滞対策も決まっていない。
 住民の生命・健康を守る問題にコミットとしないと宣言する規制委でよいのか。
 同じ地裁の判断が真っ二つに割れるのは、それだけ再稼働に多くの問題を残すということだろう。高浜3、4号機の再稼働を急ぐことより残された課題の解決が先だ。


高浜原発異議審  再稼働の免罪符でない
 「安全性が確保されていない」として、高浜原発3、4号機(福井県)の運転差し止めを命じた仮処分決定について、福井地裁(林潤裁判長)が関西電力の異議申し立てを認め、取り消した。
 原発の安全性の基準に対する考え方の違いが正反対の結論を導いたといえよう。司法の判断が分かれた意味は重い。福島第1原発事故を経験した日本が、国民の安全をどのように確保するかがあらためて問われている。再稼働への免罪符を得たわけではない。
 今年4月、福井地裁の樋口英明裁判長は、原発の安全基準には「深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえる厳格な内容」が求められると指摘、原子力規制委員会の新規制基準は「緩やかに過ぎる」として差し止めを命じた。発生から5年を迎えても福島事故は収束せず、多くの住民が故郷に戻れなくなった過酷な現実をみれば、国民の安全を最優先にした厳正な判断といえよう。
 一方、決定を取り消した林裁判長は、裁判所が原子炉の安全性を判断する際には、新規制基準の内容や規制委の基準適合性の判断が合理的かどうかという観点から行うべきと指摘したうえで、新規制基準は合理性があるとして3、4号機を合格とした規制委の判断を支持。基準地震動や設備の耐震安全性の評価を適切だと認めた。
 専門性の高い規制委の判断を尊重した形といえるが、国民の不安を解消することにはならない。原発の安全性をめぐる司法の判断の揺れは、安全性のレベルをどう設定すべきかという重い問いかけと考えるべきだ。
 林裁判長は、過酷事故が起こる可能性を全く否定するものではないとして、国や電力会社に実効性のある対策を講じ続けるよう求めた。事故を引き起こした「安全神話」に再び陥らないよう、慎重さが求められるのは当然だ。
 差し止めを求めた住民側は、取り消しを不当として、名古屋高裁金沢支部に不服を申し立てる。一方、法的な問題はなくなったとして関電はきょうにも3号機の燃料装填(そうてん)を開始し、来年1月下旬から運転を始める構えだ。
 しかし、再稼働への同意権は福井県の立地自治体にしかなく、過酷事故が発生すれば重大な影響を受ける京都府、滋賀県にはない。福井、京都、滋賀3府県の避難計画にもさまざまな課題が残っており、国民の理解は決して深まっていない。国と関電は再稼働を急ぐべきではない。


「関電主張コピペ」弁護団ら怒り 高浜再稼働ストップへ決意
 「権力に追随した」「新たな安全神話だ」―。福井地裁が関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の再稼働差し止めを命じた4月の仮処分決定から約8カ月。同地裁は24日の関電の異議に対する決定で、今度は原子力規制委員会の新規制基準をクリアした原発の安全性に“お墨付き”を与えた。2基は再稼働へと進むが、申立人の住民や支援者は「新たな戦いのスタート」と気勢を上げ、憤りと決意をみなぎらせた。
 午後2時すぎ、申立人代表で同県敦賀市議の今大地晴美さん(65)らが「福島原発事故に学ばず」「司法の責任どこへ」と書かれた垂れ幕を掲げると、同地裁前に集まった約250人(主催者発表)は静まりかえった。弁護団共同代表の河合弘之弁護士(71)が保全抗告することを宣言すると、「再稼働反対」などとシュプレヒコールを繰り返し、同地裁に向け拳を突き上げた。
 福井県国際交流会館(福井市)で会見した河合弁護士は、今回の同地裁の決定を「関電の主張の“コピペ判決”」と断じた。特に核燃料の損傷や溶融で放射性物質が大量に漏れる危険性を「社会通念上、無視できる程度に管理されている」と結論付け、避難計画など重大事故後の対応を再稼働の是非の判断要件としない立場を示した点を問題視。「世界標準になっている多重防護の思想の否定であり許せない」と切り捨てた。今大地さんも、「関電という一企業だけでなく、原子力村や国を相手にもっと頑張って運動を続ける」と強調した。
 弁護団の井戸謙一弁護士(61)は「行政や立法の横暴を止める司法の役割を果たしていない恥ずべき内容」と指摘。高浜3、4号機は、滋賀県民が大津地裁に申し立てた再稼働差し止め仮処分の決定が来春にも出る見通しで、「大津で勝てば関電は運転できない。期待してほしい」と呼び掛けた。
 福井地裁の仮処分申し立てには関西の住民が申立人に名を連ね、再稼働反対の署名運動が広がっている。名古屋高裁金沢支部で係争中の大飯原発訴訟で原告団代表を務める中嶌哲演さん(73)=福井県小浜市=は、25日に高速増殖炉もんじゅ(敦賀市)の廃炉を求める訴訟を東京地裁に提起することに触れ、「核燃料サイクルや原発は全国民が当事者にならなければならない大問題で、関西の皆さんとも連携し運動を強める」と訴えた。


<中間貯蔵>30年後の返還 確約を
◎故郷を手放す地権者(中)6代目の責任
<先祖伝来の地>
 先祖から引き継いだ土地だ。30年後には必ず返してほしい。その確約があれば、契約を考える。
 福島県双葉町郡山に住んでいた池田耕一さん(84)は、江戸時代から続く農家の6代目だ。自宅と田畑は東京電力福島第1原発事故で出た除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の建設予定地になった。
 山陰地方から移住してきた先祖は代々、水田開発に励んできた。自分も自動車学校の教官や第1原発の警備員をしながら、田んぼを開いた。先代より1ヘクタール増やし、事故前には7ヘクタールで耕作していた。
 原発事故が起き、生涯をかけて向き合った田畑に放射性物質が降り注いだ。帰還困難区域に自宅は含まれた。郡山市のアパートから一時帰宅した時のことだ。田畑は雑草が伸び放題で、柳までが生えていた。「元通りの原野になってしまった」。涙が止まらなかった。
 せめて住み慣れた浜通りに戻ろうと、2013年4月、南相馬市原町区に庭付きの中古住宅を買った。早速、庭土を入れ替え、キャベツやブドウを育てた。植物が芽吹き、実を結ぶ姿に元気づけられた。
<条件付き賛成>
 中間貯蔵施設の建設には当初、反対だった。13年8月に福島市で開かれた住民説明会で訴えた。「先祖が寝ずに築いた財産だ。絶対に手放せない」
 除染が本格化し、廃棄物を詰めた黒い袋が至る所に山積みされていく。「これを片付けないと、復興は進まない」。そんな思いも芽生えた。昨年夏、国が用地の賃貸を認める方針を発表した。施設自体に反対している地権者が多いようにも思えず、条件付きの賛成に転じた。
<多くは懐疑的>
 施設をめぐっては、搬入開始から30年後に廃棄物を福島県外に搬出することが法律で定められている。
 廃炉が進み、除染などで放射線量が下がれば、帰還できる日が来るかもしれない。営農再開は難しくても、先祖伝来の土地に子孫が戻れる選択肢を残したい。
 ただ、多くの地権者は県外搬出には懐疑的だ。「結局、最終処分場になるんじゃないか」「だれも戻らないんじゃないか」。地区の集まりでは、決まってそんな話になる。
 賃貸契約に返還時期を明記するよう求めるつもりだ。それが6代目の責任だ。
 10月下旬、補償額算定のための国の現地調査に立ち会った。「40代の頃、スコップ1本でこの水路を掘り上げたんだ」。先祖と自分の汗が染みこんだ土地への愛着と誇り。職員たちに伝わっただろうか。


外交文書の公開
 こんな手口で国民に隠されている情報はどれだけあるのだろう。きのう公開された日米両政府の沖縄返還交渉をめぐる外交文書からは、合意内容が巧みに秘密扱いにされていた実態がうかがえる▼1972年5月の沖縄返還では、米軍が使っていた軍用地の原状回復に関する補償費について日本が米側の費用負担を肩代わりするなど複数の密約が分かっている。だが秘密扱いは、密約以外でも常態化していたようだ▼公開文書によると、沖縄の施政権を日本に返還する際の取り決めを規定した70年11月の日米合意文書で、日本は米国の意向を優先させる一節を米側の同意を得て削除した。世論の反発を恐れたためとみられる▼削除部分は新たに作った非公表の「了解覚書」に盛り込み、署名の代わりに外相らがイニシャルを記した上で、公表する合意文書とは別に交わしたという。いわば二重帳簿のようなものだ▼作成後30年を経た外交文書は、外務省が76年から一部公開を始め、民主党政権時に日米核密約問題の調査を契機に原則公開となった。だが特定秘密保護法の施行で秘密指定された文書は内閣の判断で60年まで延長でき、内容によっては永遠に延ばし続けることも可能になった▼国民が知るべき重要な情報が隠され続けるほど、居心地の悪いものはない。

比で少女にみだらな行為 元校長に猶予付き判決
フィリピンのホテルで現地の少女にみだらな行為をして撮影し、画像を保存していた罪などに問われた横浜市の中学校の元校長に対し、横浜地方裁判所は「犯行はフィリピンの子どもたちの経済的な苦境に乗じたもので卑劣だ」として、執行猶予の付いた懲役2年の判決を言い渡しました。
横浜市の市立中学校の元校長、高島雄平被告(65)は、おととし12月から去年1月にかけて、フィリピンのマニラ市内のホテルの部屋で、推定年齢が12歳から14歳の現地の少女3人に現金を渡してみだらな行為をしたうえ、撮影した画像を保存していたとして、改正前の児童ポルノ禁止法違反の罪などに問われました。
これまでの裁判で、検察側は、被告が昭和63年から買春を始め、毎年フィリピンに渡航して繰り返していたなどとして懲役2年を求刑していたのに対し、弁護側は「反省し深く後悔している」として執行猶予の付いた判決を求めていました。
25日の判決で、横浜地方裁判所の大森直子裁判官は「犯行はフィリピンの子どもたちの経済的な苦境に乗じたもので卑劣だ。みずからの性的欲求を満たすため常習的にみだらな行為を繰り返し強い非難を免れないが、二度としないと誓っている」などとして、懲役2年、執行猶予4年の判決を言い渡しました。


大阪大学 教授など3人が不正経理か 処分を検討
大阪大学は、大学院の教授など3人が10年以上前から物品を購入したように装って研究費を業者に預けるなどの不正な経理処理を行っていたとする調査結果を発表しました。不正に処理された総額は少なくとも2億円2000万円近くに上るということで、大学は処分などを検討することにしています。
これは25日、大阪大学が記者会見して発表しました。
それによりますと、不正な経理処理をしていたのは、大学院情報科学研究科の四方哲也教授(52)と、工学研究科の卜部格・元教授(70)、それに工学研究科の元助手の合わせて3人です。
不正に関する情報が寄せられたことから大学が調査委員会を設けて調査した結果、四方教授らは平成16年度までに、架空の取り引きで物品を購入したように装い、支払われた研究費を業者に預ける「預け金」と呼ばれる不正な経理処理を行っていたということです。3つの業者に保管されていた金額は合わせて1億7000万円余りに上るということです。
大学はこのほか、去年までの間、実際の取り引きとは異なる品名で支払いの手続きを行うなどの不正が繰り返されていたことを確認し、不正に処理された総額は少なくとも2億2000万円近くに上るということです。また大学は、このうちの66万円について私的に流用されたと認定しました。
大学の調査に対し四方教授は、「預け金をしたことは事実だが、研究費をどう使うか当時の教授と相談して行ったものだ。異なる品名での取り引きも自分が指示したのではなく、研究費を私的に流用した認識もない」などと話しているということです。
また卜部元教授は大学の調査に対し、不正な処理を認めているということです。
大学は、関係者の処分や刑事告訴を検討することにしています。
研究者による不正な経理処理が明らかになったことについて、大阪大学の西尾章治郎学長は「公的研究費の不正使用が生じたことを非常に重く受け止めており、国民の皆様や関係機関に深くおわびします。今後、不正使用を起こさないという固い決意のもと、根絶に向けて全学をあげて取り組み、信頼回復に努めます」とするコメントを出しました。
「預け金」やカラ出張などで金を管理
「預け金」は、実際には取り引きがないのに研究に使う試薬や機械の購入を装うなどして業者に架空の請求書などを作らせ、支払った研究費を業者に管理させるものです。
研究費が私的に流用されたりするおそれがあるほか、研究者と業者の癒着につながるとして、文部科学省のガイドラインで研究費の不正使用に当たるとされています。
研究費の不正使用には、預け金のほかにもカラ出張などで研究室や研究者個人がお金を管理する方法などがあり、文部科学省が4年前の平成23年に全国の研究機関を対象に研究費の経理処理について調査を行ったところ、平成25年11月末の時点で、預け金などの不適切な経理処理が全国47の研究機関で合わせて5億7500万円に上ることが分かっています。


女性の課長職30%、達成困難 社会全体に浸透せず
 政府は25日、来年度からの第4次男女共同参画基本計画を閣議決定した。計画は2020年の民間企業の課長職割合を15%と設定。政府がこれまで掲げてきた「20年までに指導的地位(課長職など)に女性が占める割合が少なくとも30%程度」より低く、目標達成は極めて困難になった。
 内閣府は「これまでの方針に変わりはない」と強調するが、計画では「03年に掲げた30%目標が国民運動と呼べるほどまでは社会全体で十分共有されなかった」と認めた。実態と懸け離れた目標設定や女性登用に向けた国の支援体制の不十分さが露呈した形だ。

父の誕生日/山口さんちのツトム君

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Fig07

Japon: la justice lève l’interdiction de redémarrage de deux réacteurs
Un tribunal japonais a autorisé jeudi la relance de deux réacteurs nucléaires, infirmant une décision de première instance qui bloquait le redémarrage des unités 3 et 4 de Takahama (ouest), a annoncé la compagnie exploitante Kansai Electric Power.
≪Aujourd’hui, le tribunal régional de Fukui a retiré l’ordre de maintien à l’arrêt des réacteurs 3 et 4 de Takahama≫ qui avait été émis en avril, a écrit Kansai Electric dans un communiqué.
Une décision favorable à la compagnie a été également rendue jeudi pour les unités 3 et 4 de la centrale d’Ohi (ou Oi), dans la même région, a-t-elle précisé.
≪Nous pensons que nous avons été entendus sur le fait que la sûreté des deux sites de Takahama et Ohi était garantie≫, s’est félicité Kansai Electric.
Les opposants, eux, ont montré leur déception sur des banderoles à la sortie du tribunal de Fukui, selon des images diffusées à la télévision et sur internet par les plaignants eux-mêmes.
≪Les lecons de l’accident nucléaire de Fukushima n’ont pas été tirées≫, ≪où va la responsabilité de la justice≫, se sont interrogés les citoyens déboutés.
En avril, un tribunal de première instance avait estimé que le certificat technique accordé par le régulateur pour Takahama 3 et 4 l’avait été de facon indue et non rationnelle et décidé de s’opposer au redémarrage de ces installations.
Le jugement inverse de jeudi fait suite à un pourvoi en appel de la part de Kansai Electric Power. Les plaignants devraient cependant utiliser leur droit de déposer un nouveau recours devant la Cour Suprême.
Les réacteurs de Takahama pourraient en théorie être relancés dès le premier trimestre 2016 puisqu’ils ont aussi recu il y a deux jours l’accord requis du gouverneur de la préfecture s’ajoutant au certificat technique.
L’Autorité de régulation avait confirmé en février 2015 que ces deux tranches répondaient aux critères plus sévères imposés aux centrales nucléaires pour faire face aux risques de catastrophes naturelles et d’accidents critiques, à la suite du désastre de Fukushima de mars 2011.
Ce couple de deux unités de Takahama avait été le deuxième à obtenir le certificat de sûreté après les deux unités Sendai 1 et 2, qui sont actuellement les seules à avoir été remises en exploitation au Japon où il ne reste que 43 unités potentiellement exploitables (contre 54 avant Fukushima).
Fervent partisan de l’atome pour des raisons économiques (l’industrie a besoin d’énergie et l’importer coûte cher), le gouvernement du Premier ministre conservateur Shinzo Abe plaide depuis trois ans pour que tous les réacteurs jugés sûrs par l’Autorité de régulation nucléaire soient relancés.
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コズミック フロント☆NEXT「冥王星大接近〜最新探査が挑む太陽系最果て〜」
今年、NASAの探査機ニューホライズンズは10年にも及ぶ旅路の末、太陽系最果ての冥王星に初めて到達。富士山より高い山、氷河のように移動する氷、白いハートマークなど、これまで誰も目にしたことが無い姿を高解像度で撮影することに成功した。探査を成功に導いた科学者たちの情熱と「秘密結社」の存在。月よりも小さい冥王星に窒素の大気が存在する謎とは。個性豊かな衛星カロン。最新探査が明らかにした驚きの姿に迫る。
永作博美,
真下貴,河本邦弘,玄田哲章,幸田夏穂,樫井笙人,宗矢樹頼


父の誕生日です.でも亡くなってだいぶ経ちます.
今日はHiさんのメールでなんだか悲しいです.山口さんちのツトム君を聞きました.

<女川まちびらき>商業エリアでにぎわい第2幕
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町の中心部で23日、商業エリアの「まちびらき」があった。JR女川駅が開業した3月に続く第2弾。テナント型商店街「シーパルピア女川」と「町まちなか交流館」がオープンし、商業活動が本格的に動きだした。
 国が被災商店街の復興を支援する「まちなか再生計画」による初の再建となる。
 記念式典が交流館であり、関係者約200人が出席。須田善明町長は「住民らが知恵を出し合い作ったにぎわいの拠点。町内外の方々に楽しんでもらうことが活力になる」と述べた。
 商店街を運営する民間まちづくり会社「女川みらい創造」の鈴木敬幸社長は「まち歩きを楽しみ、女川を満喫できる心地よい空間づくりに努める」と語った。
 女川駅から女川湾に延びるプロムナードで女川小6年高橋小紅さん(12)と同5年鈴木太陽君(11)が商業エリア開業を宣言。「100年後も元気な町であり続けられるよう私たちが意志を継いでいきます」と誓い、買い物客らが祝った。
 「おながわ復興まちびらき2015冬」(実行委員会主催)と題して27日まで、ステージイベントや花火などが連日企画され、年の瀬の港町を盛り上げる。
 商店街はプロムナード沿いに整備された平屋6棟で、小売りや飲食店、工房など27事業者が入居。隣接する交流館は音楽スタジオや調理室などを備え、町内外の人が利用できる。
 商業エリアでは7月以降、自立再建店舗も順次開店し、2018年度には計約70店舗になる予定。


<女川まちびらき>女川 2度立ち上がる
◎戦争と震災経験 女川見守る木村喜一さん
 東日本大震災からの復興を目指す宮城県女川町で23日にあった第2弾「まちびらき」。同町の水産加工会社「ワイケイ水産」会長木村喜一さん(82)は万感胸に迫る思いがあった。戦争と震災。2度の壊滅的な被害から立ち上がる古里を見守ってきた。「女川は必ず復興する」と信じて。
 町の行政区長の一人として23日、中心部の商業エリア開業を記念する式典に出席した。「呼ばれたから来たのさ」。笑顔で港町の門出を祝福した。
 10年ほど前、ある地図の原本を見つけた。女川商工会が1939年に発行。女川駅や水産加工場、食堂、旅館など中心部の様子が描かれている。
 「見ていると昔の記憶がよみがえってくるね」。震災後の町の姿と重ねる。
 45年8月。日本海軍の基地だった女川港は空襲に遭い、木村さんの自宅近くにも爆弾が落ちた。機銃掃射され、必死に防空壕(ごう)へ逃げた。
 終戦を迎えたのは小学6年のとき。材木所で板にくぎを打ち、箱を作った。犠牲者の骨を入れる箱だった。町は荒廃し、寒村のようになった。
 石巻商高を卒業後、当時50歳だった父久三郎さんを亡くした。長男だった木村さんは借金して商店を起こした。当初は大手水産会社の下請け。「困難も打破する気持ちさえあれば乗り越えられる」。自らそう言い聞かせ、ワイケイ水産を設立、町を代表する水産加工会社に育て上げた。
 そして2011年3月11日。故郷を襲った津波で町民827人が犠牲となり、建物の7割以上が失われた。
 会社は湾沿いの二つの工場が全壊。本社兼工場も浸水した。冷凍サンマなど在庫が大量に水没し、被害総額は10億円以上に達したが、長男喜昭さん(56)らが奮起、再操業を果たした。
 震災から4年9カ月。中心部ではテナント型商店街「シーパルピア女川」がオープンし、商業活動が本格化する。
 「目先ではなく将来を見据えたまちができていく姿に感銘を受ける」と木村さん。戦後、裸一貫で復興を果たした体験から「これからが本当の勝負。利益のためだけではなく、お客に本物のサービスを提供してほしい」とエールを送る。


宮城・閖上中 解体始まる 震災の証人、またひとつ消え
 東日本大震災で700人以上が犠牲になった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で、多くの住民が津波を逃れて逃げ込んだ閖上中学校旧校舎の解体工事が24日、本格的に始まった。復興土地区画整理事業に伴うもので、今年度末までに解体を終える。
 閖上中は鉄筋コンクリート3階建てで、1977年に完成。海岸から約1.7キロ内陸にあり、津波で1階は浸水したが、多くの住民が上階に避難して助かった。この日午前、重機が入り、校庭に面した2、3階の教室ベランダ部分を崩していった。
 校舎外壁に掛かっていて大地震の発生した午後2時46分で止まった時計や、校名板は、震災を後世に伝える物として既に取り外され、保管されている。
 近くの閖上小も間もなく解体が始まり、両校は2018年4月に地区内の別の場所で小中一貫校として再スタートを切る。現在、同中は市内の別の地区の仮設校舎、同小も別の小学校に間借りして授業をしている。【川口裕之】


<検証 制度>生活再建の要 6割分からず
◎震災4年9カ月(2)被災ローン減免
 影も形もなくなった家のために毎月約10万円を払い続けている。
 陸前高田市の女性(67)は自宅ごと津波に流された。命は助かったが、2000万円近い住宅ローンが残った。
 東日本大震災の発生から1年数カ月後、金融機関の猶予期間が終わり、返済を求められた。テレビで被災ローン減免制度の存在を知り、運営する窓口に電話相談した。
 「対象にならない」と言われた。夫や長男の職場は被災せず「収入に影響がない」と判断された。「支払い不能」の要件に該当しないという。
 「夫は岩手県外で単身勤務。生活費が余計に掛かる。しかも、定年となって現在はアルバイトの身分。年齢面からいつまで働けるのかも分からない」と不安を口にする。
<「画期的」と期待>
 被災者の二重ローン問題を解消し、生活再建を後押しする−。ローン減免は「画期的な制度」と期待された。借金返済は災害時でも、自己責任が基本とされてきたからだ。
 2011年8月の運用開始から現在までの実績はグラフの通り。宮城862件、岩手349件、福島73件など、計1324件の債務整理が成立した。国は当初、1万人の利用も視野に関連予算を確保していた。
 気仙沼市の東忠宏弁護士は被災地の専門家として40件程度の成立に携わった。「ローン減免は復興を進める上で有効な制度。ただ必要とする被災者はもっといたのでは」と感じている。
 制度の調停役となる運営委員会(本部・東京)には、約5600件の相談が寄せられた。陸前高田市の女性のように、適用要件に当たらないと判断されたケースは少なくない。債権者が減免に同意せず、不成立になった例もある。
 運営委は「被害に遭っても支払い能力がある人の債務まで免除できない」と説明。仙台弁護士会は「要件が厳しい。生活や事業再建の観点から対象を広げるべきだ」と反論する。
<義援金を返済に>
 関係機関による説明会や金融機関からのダイレクトメールなど周知活動が展開されたが、制度浸透の難しさもあらわになった。
 東北財務局は14年、仮設住宅入居者を対象にアンケートを実施。住宅ローンを抱える人の約60%が制度を「知らない」か「聞いたことがあるがよく分からない」と回答した。半数以上は従来の条件のまま返済を続けていた。
 陸前高田市の別の60代女性は震災の2年後、知人から聞いて手続きするまで毎月支払っていた。「借りたお金は何とか返さないと、とばかり思っていた。貯蓄できなかった」と話す。
 制度開始は震災から5カ月後。仮設住宅入居者は対象にならないなど、当初は間口が狭かった。制度ができる前や改善されるまでに、暮らし再生のために使う義援金などをローン返済に充てた人もいた。
 大災害が発生した際の債務整理に素早く対応できるよう、全国銀行協会、日弁連などは減免制度の恒久化を目指している。
 「被災ローン減免制度」 正式名称は「個人版私的整理ガイドライン」。破産と異なり、新たなローンが組めない心配がなく、原則として保証人にも請求されない。義援金や生活再建支援金、弔慰金に加え、500万円まで手元に残せる。金融機関、弁護士、税理士らでつくる第三者機関が運営する。法的拘束力はなく、全債権者の同意が成立の条件。専門家による支援は無料。


名取・閖上で災害公営住宅が初の着工
 東日本大震災で被災した名取市閖上地区で23日、第1期の一戸建て災害公営住宅90戸の整備に向けた安全祈願祭があった。同地区で災害公営住宅の建設が始まるのは初めて。最初に25戸の整備に着手し、来年6月末の完成を目指す。
 建設場所は海岸線から約2キロ内陸で、閖上の土地区画整理事業区域では最も西側に位置する。水田を造成した宅地約1万9000平方メートルに90戸を整備する。
 最初に建てる25戸は、平屋の1LDK・2LDKの12戸と、2階建ての2LDK・3LDKの13戸。全て木造の高気密・高断熱仕様とする。地元の建設関連業者でつくる一般社団法人「市復興公営住宅建設推進協議会」が施工する。
 安全祈願祭には市や工事関係者ら約70人が出席し、くわ入れを行って工事の無事を祈った。佐々木一十郎市長は「これまでの道のりを思うと感慨ひとしおだ。今後も被災した方々が笑顔を取り戻し、明るい希望を持てるまちづくりに取り組む」とあいさつした。
 市は第1期として、ほかに集合タイプの災害公営住宅140戸を整備する。閖上地区全体では、2018年12月までに計524戸を整備する計画だ。


<5度目の年の瀬>にぎわいの灯に笑顔
◎2015被災地(4)トレーラーハウスで忘年会(石巻市)
 街中にあるトレーラーハウスから明かりが漏れる。男女の笑い声がこぼれる。ことし1年間の労をねぎらい、酒杯を重ねる。
 東日本大震災で被災した石巻市中心部に4月にオープンした仮設商業施設「橋通りCOMMON(コモン)」。飲食店とギャラリーの7店舗が営業する。
 初の年の瀬を迎え、出店者たちが自慢の逸品を持ち寄った忘年会コースを用意した。和洋さまざまな料理がテーブルを彩る。
 市内では大型商業施設が集まる郊外へ人が流れる。街中へ客を誘い、地域の若者が挑戦する場になれば−。施設はそんな願いから整備された。
 屋台型の開放的な雰囲気が評判となった。飲食店を営む岡内友里さん(28)は震災ボランティアを経て大阪市から移住。「1人ではこんなに集客できなかった」と振り返る。
 「いろいろな人に出会えるのが街中の良さ。お店に来れば仲間が増える。そんな場にしたい」。復興途上の石巻で、来年も街中ならではの魅力を模索する。


<故郷を手放す>交渉主導権なぜ国に
◎中間貯蔵地権者(上)消えぬ不信感
 東京電力福島第1原発事故の除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の用地交渉が難航している。福島県大熊、双葉両町の地権者2365人のうち、売買や賃貸に同意したのは22人にとどまる。復興に不可欠な施設という大義名分と、土地を手放すためらいとの間で揺れる地権者の心情に触れた。(福島総局・横山浩之)
<納得できない>
 国策で進めた原発の事故で古里を追い出された。その揚げ句、国が土地の買収価格を一方的に決める。納得できない。
 樋渡善彦さん(63)は中間貯蔵施設の予定地になった大熊町夫沢地区に住んでいた。農業高校卒業後、地元の電気工事会社などに勤め、30歳で内装会社を興した。
 懸命に働いた蓄えを充て、14年前に自宅を新築した。総ヒノキ造りで120坪。奈良県など県内外に足を運んで建材を選び、自ら図面を引いた。
 内装会社を畳んだ後は、ホウレンソウなどの野菜農家に転じた。栽培を始めて7年目。農地拡大を計画した直後に、原発事故が起きた。原発に隣接する夫沢地区は帰還困難区域に指定された。
 栃木県栃木市に腰を落ち着け、妻や長男ら4人で暮らす。自慢だった自宅には3年ほど前に足を運んだきりだ。避難の途中、原発が爆発したとのニュースを聞いた瞬間から、「帰還は無理だ」と悟っている。
 82歳になる母親は「大熊を見に行きたい」とねだる。「行きはいいけど、帰りはつらくなるだけだ」と言い聞かせる。農業生産法人を設立し、施設園芸に再び取り組む。
<「悪者扱いか」>
 自宅や畑が中間貯蔵施設になるという話を聞き、インターネットで確かめた。環境省は何も言ってこない。地権者との用地交渉が進まず、建設が遅れている−。そんな報道を見て、頭に血が上った。
 「連絡も寄こさないくせに、地権者を悪者にするつもりか」。福島環境再生事務所の電話番号を調べ、問いただした。ことし11月中旬、相談窓口などが書かれた封書が届いた。
 国は宅地や農地を、原発事故がなかったと想定し、今の取引価格の半額で買い取り、県が残り5割を穴埋めする。買収額算出の標準値は宅地で1平方メートル当たり2800〜9250円。建物は同じものを再建すると想定し補償する。
 「国は原発事故で土地価格がゼロになったと言うが、原因をつくったのは誰なのか。加害者側が値段を付けるやり方はおかしい」
<平行線たどる>
 「地権者会」のメンバーに名を連ねる。取引価格を常磐自動車道の用地買収が行われた2001年当時に見直すよう求めて環境省と交渉を重ねるが、平行線をたどっている。
 1通目の後、ほどなくして2通目の封書が届いた。補償額を算定するための現地調査への立ち会い依頼だった。調査は受け入れるが、今の補償基準で契約するつもりはない。
 「中間貯蔵施設」 福島第1原発周辺の計16平方キロに建設。最大で2200万立方メートル(東京ドーム18杯分)の発生が見込まれる廃棄物を最長30年間保管する。放射性セシウム濃度に応じ、専用容器での保管や地下埋設を行う。ことし3月に廃棄物の試験輸送が始まった。地権者のうち約1000人と連絡が取れておらず、その大半は死亡するなどしたとみられる。


釜石の交流センター開業 日本唯一のカフェも
 釜石市が東日本大震災の津波で被災した中心部に整備した釜石情報交流センターが23日、オープンした。目玉テナントは、オランダ生まれのウサギのキャラクター「ミッフィー」をテーマにした日本で唯一の常設カフェ。初日から大勢の市民でにぎわった。
 カフェはオランダ風肉団子やゴーダチーズグラタン、星形の目玉焼きを載せたプレートランチ(1380円)をはじめ、パフェやワッフルなどミッフィーをイメージしたメニューを提供する。夜は酒類も売る。
 釜石にちなみラグビーボールを持ったミッフィーの人形やマグカップ、トートバッグなどオリジナルグッズも販売する。
 センターは鉄骨2階で延べ床面積約970平方メートル。有料で貸す会議室や市民スタジオ、会合や勉強用のフリースペース、授乳室を備える。全館で公衆無線LAN「WiFi(ワイファイ)」を利用できる。
 総事業費約5億3000万円。映画上映やライブイベントができる約200人収用の多目的集会室は、来年1月9日に開業する。
 野田武則市長は「オランダ大使館の支援により、これまで釜石になかった若い女性や子どもが楽しめる施設が誕生した」とあいさつ。娘3人と訪れた市内の会社員金野宏美さん(39)は「かわいいカフェができて満足。ママ友とも来たい」と笑顔で話した。


<除染>生活圏に限定 森林は実施せず
 環境省は21日、東京電力福島第1原発事故の被災地の森林除染について、住宅周辺や農業などで日常的に立ち入る場所を除いて「基本的に実施しない」との方針を決めた。除染が住民の生活圏の空間放射線レベル低減につながらず、土壌流出などの悪影響も懸念されることを理由に挙げた。
 ことし1月以降に福島県内で実施した山林除染の実証事業の結果を踏まえて判断したという。方針は同日の有識者会議で了承された。
 環境省によると、住宅周辺の森林では、宅地境から20メートル以内を目安に除染を実施。農業やキャンプ場がある場所などは、利用状況に応じて範囲を決める。その他の森林では、大雨などによる土壌流出が住宅周辺に影響する場合は対策を検討するものの、除染作業は実施しない。
 実証事業では、森林からの大気を通じた放射性物質の飛散による住宅地周辺への影響や、降雨時の土壌流出による空間放射線レベルへの影響は確認されなかったという。
 井上信治副大臣は有識者会議後、「面的な森林除染は物理的にも困難で、土砂流出など悪影響も考えられる。住民にも国の考えをしっかり説明し、帰還の促進につなげたい」と述べた。
 環境省の方針に対し、内堀雅雄福島県知事は21日の定例記者会見で「具体的な話は承知していないが、これまで国には森林除染をしっかり対応するよう要望してきた。森林は避難区域の人たちの生活に密接しており、今後もこのスタンスに変わりはない」と述べた。


<羽越線転覆事故>あす追悼慰霊式 遺族ら出席
 JR東日本は25日、山形県庄内町の羽越線特急転覆事故現場に立つ慰霊棟で追悼慰霊式を行う。遺族やJR関係者らが参列する。
 午前10時に開始し、冨田哲郎社長が鉄道の安全運行を宣誓し、遺族らが祭壇に花を手向ける。事故発生時刻の午後7時14分には、JR新潟支社の社員が黙とうをささげる。
 一般の入場は式典後の午前10時半以降。慰霊棟前には当日、献花台を設置する。


自民の歴史検証 誤った発信は慎まねば
 歴史に学ぶことは大切だ。事実関係を検証する意義も認める。しかし、根底に歴史修正主義があるとしたら見過ごすわけにはいかない。国内外への誤った発信は厳に慎むのが政権与党の責任だ。
 自民党の「歴史を学び未来を考える本部」が初会合を開いた。日清戦争以降の歴史を検証するために設置した安倍晋三総裁(首相)直属の機関である。年明けから月一、二回程度、講師を招いて会合を開くという。
 本部設置を主導した本部長代理の稲田朋美政調会長は「敗戦で何が変わり、占領政策で何を得て何を失ったのかを、しっかりと学ぶ必要がある」と初会合で語った。
 現行憲法の制定過程や極東国際軍事裁判(東京裁判)、米国中心の連合国による占領政策などについても、否定的な立場から検証する狙いがあるのかもしれない。
 本部長には「ハト派」とされる谷垣禎一幹事長が就いた。「タカ派」色が心配だとしたら、自民党らしい知恵なのだろう。谷垣氏は「謙虚に歴史を勉強していく場にしよう」と述べた。
 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。歴史に学び、主権者である国民のための政治に役立てることは当然ではある。
 しかし、全国民の代表として国会にすでに議席を有する者が、今さら一堂に会して歴史の何を学ぶというのか。まさか、学ばずして国会の場に出てきてしまった、ということではあるまい。
 今回の本部設置には、歴史を学ぶというよりも、日本が歩んできた戦後の歴史を否定しようとする意図が見え隠れもする。
 さかのぼれば、南京事件では犠牲者数、慰安婦問題では強制性をめぐって、それぞれ中国、韓国との間で認識に違いがある。
 事実は何かを追究する必要があるとしても、それは研究者の仕事であり、政治家の仕事ではない。
 歴史認識は国や立場によって違うのは当然ではある。しかし、自らの正当性を一方的に強調するだけでは双方の溝は深まるだけだ。相互理解の深化こそが、政治の役割ではないのか。
 歴史を学ぶための場がもし、議員が独善的な歴史観を声高に叫ぶ舞台と化せば、国際社会の誤解を招くだろう。
 英国の歴史家で政治学者でもあるE・H・カーは「歴史とは現在と過去との間の尽きることのない対話である」と言った。対話に喧騒(けんそう)は似合わない。一人ひとりが静かに向き合うのがいいのである。


大震災避難者 安定した支援策の構築を
 東日本大震災で沖縄に避難してきた人々にとって、一つ、また一つと支援が徐々に無くなっていく状況はどんなに心細いだろう。
 県が実施した県内避難者アンケートを読むと、その心細さが生々しく伝わり、胸が詰まる。つらい思いをした人々に、さらなるつらさを与えてはならない。
 沖縄で生活を続けたいと思う人は避難者の59%に上る。こうした人々を支えたいというのは県民共通の思いだろう。避難者に今後も支えがあると実感してもらえるような、安定した支援策を構築したい。
 「放射能汚染が広がり、甲状腺がんも多発する中での帰還強制は人権侵害だ」「政府はまだ線量の高い町村への帰宅を急がせている」
 アンケートに寄せられた声はどれもうなずけるものばかりだ。
 災害救助法に基づく住宅支援は2017年3月に打ち切られるが、「(原発事故という)人災は、災害救助法の枠内ではないと思う。人の命を何だと思っているのか」という声はもっともだ。原発事故が収束していないのだから帰還促進はいかにも拙速である。国や被災県は支援を延長していい。
 国が延長しないのなら、沖縄県は例えば県内公営住宅への優先入居を図ってもいいのではないか。
 県内の企業や団体と県でつくる東日本大震災支援協力会議は「ニライカナイカード」を避難者に配布している。カードを提示すれば加盟企業の各種割引サービスが受けられる仕組みだ。アンケートでは「カードがどんなに役立っているか分からない」と感謝する声が実に多かった。加盟企業のこれまでの支援に敬意を表したい。
 協力会議はカードのサービスを17年3月で打ち切り、代わりにスーパーなどで使える利用券を配布する考えのようだが、「ライフラインに直結する支援は継続してほしい」との声もある。対象をライフラインに限定した上で、カードを延長してもいいのではないか。
 避難者のうち家族が1カ所にいるのは47%にとどまる。相談相手が「誰もいない」も16%。28%は心身の健康が「悪いまま」か「悪化した」だ。
 古里を失い、家族が離れ離れになり、慣れない土地で生活の不安も抱えていれば当然だ。アンケートでは子どもや子育て世代だけでなくお年寄り対象の被災者交流会を求める声もあった。行政にはこうしたきめ細かな支援も求めたい。


安田さん シリアで拘束か 6月下旬から連絡取れず
 【カイロ=中村禎一郎】国際的ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)は二十二日、日本人のフリージャーナリスト安田純平さん(41)が、内戦の続くシリアで武装勢力に拘束されているとして、日本政府に解放のためにあらゆる手を尽くすよう求める声明を出した。
 安田さんは六月下旬ごろ、取材でシリアに向かった。本人によるツイッターの更新は六月二十日で停止しており、帰国予定の七月中旬を過ぎても戻らなかった。
 声明では、国際テロ組織アルカイダ系勢力が支配する地域に入った数時間後に拘束されたとしている。期限を切って身代金を要求しているとの情報があるという。
 安田さんと親しい関係者は「安田さんは六月下旬ごろ、シリアで取材中に武装勢力に拘束され、国内を何カ所か移動させられているが無事。これまでに身代金要求などは一切ない」と話している。
 安田さんは埼玉県出身。新聞社に在籍後、二〇〇三年にフリージャーナリストに転身し、イラクやシリアなどで取材を重ねた。〇四年にはイラクの首都バグダッド近郊で武装グループに拘束されたが、解放されている。


新国立はザハ案「下敷きにしてる」森山高至氏が指摘
 2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場の新計画に採用された建築家・隈研吾氏(61)、大成建設、梓設計のA案が、前計画の女性建築家ザハ・ハディド氏の案に似ていると指摘されている問題で23日、建築エコノミストの森山高至氏が日刊スポーツの取材に応じた。森山氏は隈案について「(ザハ案を)下敷きにし参考にしているようだ」と述べた。
 両案の平面図を見た森山氏は「柱の位置やスタンド形状の放射線がほぼ一致している」。大成建設はザハ案でスタンド工区を担当、梓設計は設計チームだったため「前案を参考にしているとは思う」と述べた。
 ザハ氏はスタンドや柱の配置が極めて似ていると主張。断面図を比較してもミックスゾーン、インタビューゾーン、コンコースなどの位置が似ており、森山氏も「輪郭は参考にしたのでは」と分析。一方で「流用」の可能性については「それには当たらないのでは。骨組みを参考にすることは建築界ではあること」とした。
 しかし、関係者によると旧計画における日本スポーツ振興センター(JSC)とザハ事務所の契約では「設計ないしデザインについて著作権その他の知的財産権はザハ事務所に依拠」し、許可なしに設計を使うことはできないという。
 B案を担当した建築家・伊東豊雄氏(74)も22日の会見で隈案について「(ザハ案を)下敷きにしている。訴えられるかもしれない」と指摘。森山氏は「ザハ案の屋根工区の担当だったB案の竹中工務店も当然、前のスタンド図面を知っているはずだが、今回は違う図面だった」と述べた。
 隈氏は22日の会見で「(8万人収容のため)スタンドが3層になるのは合理的な解決策。スタンドもザハ案はサドル型だが、私どもはフラット」と反論した。
 新計画の要綱には「第三者の著作権などを侵害するものではないことを発注者に保証する」と明記されている。そのためJSCは類似性について「事業者が解決する問題だ」と強調。ただ、ザハ氏側との契約には抵触する可能性も出てきた。【三須一紀】


笹子事故判決  安全確保への重い警鐘
 中央自動車道の笹子トンネル(山梨県)で9人が死亡した天井板崩落事故をめぐる損害賠償訴訟で、横浜地裁は中日本高速道路と子会社に対し、原告の遺族に計4億4千万円余りの賠償を命じた。
 裁判長は「崩落を予測し、回避することは可能だった」と両社の点検業務の過失を認めた。巨大な道路設備が崩れて走行車を襲った重大さを考えれば、厳しく管理責任を問うた当然の判断だろう。
 全国的に道路や橋など社会インフラの老朽化が問題になっている。判決は、高速道路会社や国、自治体に安全確保の義務を全うするよう強く求めた警鐘と言える。
 事故は2012年12月、笹子トンネル内のコンクリート製天井板が約140メートルにわたり崩落し、3台が下敷きとなって計11人が死傷した。遺族が賠償を求めた3件の訴訟で初の判決で、事業者の過失の有無が焦点となっていた。
 判決は、天井板のつり金具を固定するボルトが経年劣化で脱落したのが事故原因と認定。たたいて反響音で調べる打音検査や触診をすれば不具合を発見し得たのに、事故3カ月前の検査で「注意義務を怠り、双眼鏡による目視のみで行った過失があった」と断じた。
 中日本高速側は「予測不可能だった」と主張したが、完成から35年が経過し、ボルト劣化による「崩落の可能性は予測できた」と一蹴した。国土交通省の調査も「点検内容や維持管理体制が不十分」と結論付けたが、判決は不特定多数が使う交通インフラの安全確保には点検水準が低すぎると踏み込み、抜本的な強化を求めた形だ。
 事故後、同様のトンネルでつり下げ式天井の撤去が進められ、国交省は昨年から高速道路会社や国、自治体が管理する全ての橋約72万カ所やトンネル約1万カ所などに5年に1度の点検を義務付けた。だが一巡に18年度までかかる見通しで、再発防止は道半ばだ。
 背景には高度成長期に集中整備されたインフラの老朽化が進み、点検・補修が追い付かない現状がある。かさむ修繕費に国、自治体は頭を悩ませ、高速道路も公団民営化に伴う予算縮小と管理効率化の悪影響を専門家は指摘する。
 国交省の推計では、33年時点で建設後50年以上となるトンネルは50%、河川施設は64%に達し、インフラ全体の維持管理・更新費は13年度の3・6兆円から4・6兆〜5・5兆円に膨らむ。人口減少が進む中、新規拡充から安全に利用し続けるための維持補修への軸足シフトが急務だろう。


<全国地裁と簡裁>検察の勾留請求、却下が急増
 ◇「裁判員」後 裁判所が要件や必要性を厳格運用
 逮捕された容疑者を拘束する検察の勾留請求を全国の地裁と簡裁が却下する件数が年々増加し、2014年に3000件を突破して過去40年で最多となったことが分かった。裁判員制度導入を機に、裁判所が容疑者を長期間拘束する要件や必要性を従来より厳しく判断している傾向が明らかになった。却下の対象は容疑者が否認している事件にも広がっているとみられ、今後も流れは強まりそうだ。
 勾留は検察官の請求に基づき、裁判官が決定する。最高裁によると、過激化した学生運動による逮捕者が多く出た1970年前後には、却下件数は2000〜5000件台に上り、却下率も一時3〜4%台で推移したが、その後は減少。78年以降は却下率1%未満が続き、却下は数百件にとどまった。
 しかし、09年の裁判員制度スタートに向け、05年に公判開始前に争点を絞り込む公判前整理手続きが始まると、却下件数が増加。06年に1000件を突破した。14年は11万5338件の勾留請求のうち、前年比819件増の3127件が却下された。却下率は2.7%だった。
 刑事訴訟法は、証拠隠滅や逃亡の恐れがあると疑う相当な理由がある場合、裁判官は勾留を認めることができると定めている。期間は10日間で、やむを得ない場合はさらに10日間以内の延長が認められる。裁判所が要件を厳格に捉えて逃亡や証拠隠滅の恐れはないと判断するケースが増え、容疑者が否認していても拘束を解く判断につながっているという。
 こうした姿勢は起訴後の被告に対する保釈の判断にも表れている。95年に20%を割り込んだ保釈率は低下傾向が続いていたが、14年は25.1%まで上がった。
 刑事弁護に詳しい前田裕司弁護士(宮崎県弁護士会)は「否認しただけで勾留が付いた時代からすると隔世の感があり、裁判所の運用を評価したいが、不必要な勾留はまだあり、課題は残る。条件を付けて釈放される制度なども検討されるべきだ」と話している。【山本将克、山下俊輔】


隠れた部落差別、今も ふるさとの料理出したら離れた客
 部落差別の解消に向けて運動してきた部落解放同盟愛知県連合会(吉田勝夫委員長)が今年、結成40年を迎えた。生まれた場所などで忌避される部落差別。国や自治体に働きかけて、住環境などの改善や啓発を進めてきた。差別の実態は見えにくくなったが「様々な日常の場面で差別は残っている」と解放同盟県連幹部は話す。
 名古屋市で居酒屋を経営する山本義治さん(38)は今年6月、生まれ育った地域で親しんできた料理をメニューとして紹介した。とたんに離れた客がいた。ふるさとは被差別部落とされた地域だ。
 「またか。まだ差別は残っているんだな」と感じた。「出身地を恥じることはない」という信念に基づく行動だったから、メニューはそのままで「スタイルは変えない」と言う。「生身の人間を見て、つきあってほしい」
 県西部の男性(40)は、小・中学生の娘2人には自分が結婚した時の体験を、まだ伝えられていない。
 20代の頃、妻にプロポーズした際「できないかもしれないよ」と出身地を告白された。自分の両親には「親族の結婚の妨げになる」と認められず、家を出た。披露宴に男性の両親や親族の姿はなかった。
 「結婚したい人と一緒になれたことが一番幸せ」と結婚は後悔していないが、娘たちには「いつか言わなきゃとは思う。だけど、娘の友だちやその親の反応が怖い」。
 同和対策事業特別措置法に基づき、1969年に環境改善が必要な地区に指定された県内のある地域では80〜90年代、約4割が共同住宅に建て替えられた。1棟で2世帯用の共同住宅が軒を連ねる。消防車も入れない狭い道は一部残るが、主な道は広げられた。
 こうした状況を受け、全国地域人権運動総連合議長の丹波正史(せいし)さん(68)は「差別は全くなくなったわけではないが、部落差別の問題は大きく克服した」と話す。同団体は、解放同盟から運動方針を巡り分立した全国部落解放運動連合会(全解連)を受け継ぐ。全解連は2004年、「社会問題としての部落差別は解消した」として解散した。
 だが、この地区より、隣接する他の地区の路線価は2・5倍も上回る。付近の不動産会社は「まず購入する人がいない。価格の差より価値は低い」と明かす。
 07年には、被差別部落として地名などを掲載したホームページ「B地区にようこそ!in愛知県」の作成者が名誉毀損(きそん)の疑いで逮捕される事件が起きた。インターネット上には今も、差別的な書き込みが絶えない。解放同盟では、書き込みを見つけるたびに削除依頼などの対応を続ける。
 解放同盟県連の支部長加藤吉雄(きちお)さん(70)は、最近知り合った人に出身地を明かすと「あそこの人には見えんね」と言われた。「胸を張ってふるさとを語れないことがどれほど悲しいか。自分に置き換えて考えてほしい」(小若理恵)


在日米軍再編 辺野古最善発言 ケネディ大使に米知識人ら抗議
 【ワシントン共同】映画監督オリバー・ストーン氏や言語学者ノーム・チョムスキー氏ら米国の著名人や識者ら70人は22日、ケネディ駐日米大使が17日の東京での記者会見で米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に関し、名護市辺野古への県内移設が最善だとの考えを示したことに抗議する声明を連名で発表した。
 声明は「普天間は閉鎖されなければならないが、辺野古への移設は解決策にはならない。より人目につかない場所に問題を移すだけだ」と指摘。大使の考えは「(辺野古移設に)激しく反対してきた沖縄の圧倒的多数の人々に対する脅威、侮辱、挑戦だ」と訴えた。


特集ワイド 増える軍学共同研究 揺らぐ科学の平和利用
 戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない−−。第二次世界大戦の反省による科学者たちのこの決意が揺らいでいる。安倍晋三政権が進める「積極的平和主義」の下で、大学や研究機関が防衛省と組む「軍学共同研究」が増えているのだ。学術界で今何が起きているのか。【石塚孝志】
合言葉は「デュアルユース」/東大の指針変更に衝撃/米軍の資金提供も
 「アルフレッド・ノーベルに乾杯!」。日本時間の今月11日、スウェーデンのストックホルムで開かれたノーベル賞の晩さん会には、日本から医学生理学賞の大村智・北里大特別栄誉教授と、物理学賞の梶田隆章・東京大宇宙線研究所長が出席した。この日の祝宴は、科学者にとって最高の晴れ舞台になった。
 この賞を創設したノーベルは、ダイナマイトを発明して巨額の富を得た一方、ダイナマイトが戦争にも使われたことから「死の商人」と呼ばれたことはよく知られた話。また、ノーベルは科学の平和利用と軍事利用の間で苦悩したと伝えられる。それを忘れたかのように、日本政府は今、科学の軍事利用を進める。
 「九条科学者の会」事務局員の浜田盛久さん(海洋研究開発機構研究員)は、その証拠の一つとして2013年12月に閣議決定された「防衛計画の大綱」を挙げた。大綱には「大学や研究機関との連携の充実等により、防衛にも応用可能な民生技術(デュアルユース技術)の積極的な活用に努める」と盛り込まれた。
 浜田さんは「デュアルユース」という言葉に注目する。「政府と経済界は武器を安く開発し、国際競争力を高めて世界市場に参入したい意向があります。ただ、軍事技術の高度化を進めるために国内の防衛産業内部で新技術の研究開発を始めようとしてもコストが高い。そのため大学・研究機関の先進的な研究結果を活用する政策を政府は打ち出したのです」と説明する。
 一方、大学・研究機関の側にとっては、研究費が削減されているという厳しい懐事情がある。今年度の国立大学への交付金は計1兆945億円で、法人化した04年度から約1500億円も減った。浜田さんは「科学者は研究を続けるためには大学外部の資金を獲得する必要に迫られている。防衛省から研究費を獲得し、研究成果が自衛隊に採用されれば、その後の研究に弾みがつく。また、防衛省のやり方も巧妙。『軍事研究』と言わずに『民生品にも使えるデュアルユース』と参加への敷居を低くしている」と話す。
 デュアルユースへの参加を見据えたような動きが今年1月に東京大で発覚し、学術界に衝撃が走った。東大大学院情報理工学系研究科が昨年12月にガイドラインを変更し、「一切の例外なく軍事研究を禁止」とした文言を「軍事・平和利用の両義性を深く意識しながら個々の研究を進める」と改めたことを、産経新聞が「東大、軍事研究を解禁」と報じたからだ。
 これに対し、浜田純一学長(当時)が「軍事研究禁止の方針自体に変更はない」とする一方、「個々の場面でのデュアルユースのあり方を丁寧に議論し対応していくことが必要」との声明を出した。軍事利用の可能性があるとの理由で、全ての研究を禁止できない現状を認めたような形だ。
 東大だけが特別ではなく、大学・研究機関と防衛省の関係は年々強まっている。
 防衛省の旧技術研究本部と結んだ共同研究協定は、06〜12年の7年間で計7件だったが、13年は4件、14年は11件と急増した。そして今年、防衛省は大学・研究機関などに1件当たり最大で年3000万円を提供して技術開発を支援し、防衛装備品への活用を検討する「安全保障技術研究推進制度」を始めた。初年度は109件(うち大学など58件)の応募があり、9件(同4件)が採択された。
 同制度に採択された神奈川工科大の永尾陽典教授(機械工学)に話を聞いた。研究テーマは、飛行機などの機体に使われる炭素繊維強化プラスチックにカーボンナノチューブを使って強度や信頼性の向上を目指す−−という内容だ。機体が軽量化されれば燃費が向上するメリットがある。
 「大学からの予算は年100万円ですが、材料の強度を測る力学試験は1体7万円程度かかる。研究成果を出すにはデータの積み重ねが必要だが、現実は厳しく、学会への出張費もままならない」
 同制度で2年半に約3400万円で研究を委託されるが、研究の軍事利用との批判もありそうだ。ただ、永尾さんは「軍の研究というイメージはない。基礎研究なので、成果の適用先は国民的な評価を受ければいい」と冷静だ。制度には「研究費を頂いたうえに成果も原則公開できる。ありがたいというのが研究者の本音。たぶん来年は応募が殺到するだろう」と話す。
 実は防衛省だけが軍学共同研究を進めているのではない。米軍が日本の大学・研究機関に研究資金を提供している。また、内閣府が昨年度から「革新的研究開発推進プログラム」(ImPACT)の公募を始めた。浜田盛久さんは「デュアルユースを視野に入れたテーマも設定できる。ロボット技術など軍事利用が可能になりそうな研究も支援している」と指摘する。
 最新技術の軍事利用を進める動きには批判の声が上がる。「軍学共同反対アピール署名」の呼びかけ人の一人、池内了(さとる)・名古屋大名誉教授は「科学者は結果責任まで考える必要がある。それがどう使われるかまで想像し、こういう使い方をしてほしくないと明言することは科学者の社会的責任です」と主張する。さらに科学者の良心にはこう訴えかける。「競争的資金を得るため、仮に軍事に絡む研究にテーマを変える科学者が現れるようになれば、科学者の国家への隷属です。倫理を失った科学者を信頼できますか」
 そもそも最新技術が軍事利用される危険性を認識してきたからこそ、科学者の代表機関・日本学術会議は1950年に「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」、67年に「軍事目的のための科学研究を行わない声明」をそれぞれ発表した。
 声明の趣旨は揺らいでいるのか。大西隆会長は「二つの声明は共に堅持している。戦争目的の軍事研究は認められない。だが、自衛まで否定されているとは思わない」と語る。
 前出の池内さんは「自衛のためなら何でも認めると言い出すと、いくらでも後退してしまう。大西会長の曖昧な態度は不満です。『国費を使うのだから国に貢献しろ』という声もあるが、科学の研究は国のためではなく世界のため、人類のためにやるものです」。
 08年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都大名誉教授は今夏、「科学者は戦争で何をしたか」と題する本を出版した。そこで胸に刻んだ恩師の言葉を紹介した。
 <科学者である前に人間たれ>
 集団的自衛権の行使が容認され、平和国家が揺らいでいる今、科学者は原点に立ち返るべきではないか。

Little Drummer Boy/G7サミットと伊勢神宮/トイレが近い

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Le Japon repère un navire chinois armé près des îles Senkaku
Un navire des garde-côtes chinois équipé, semble-t-il, de quatre tourelles de tirs a été repéré à proximité des îlots administrés par le Japon sous le nom de Senkaku et revendiqués par Pékin sous celui de Diaoyu, en mer de Chine orientale. Des vedettes de garde-côtes chinois croisent régulièrement dans les environs de ces îlots inhabités et disputés, mais c’est la première fois, a dit à un porte-parole de la garde-côte japonaise, qu’un vaisseau chinois armé est aperçu dans le secteur.
≪ Nous avons vivement protesté et demandé l’arrêt immédiat des activités dans les parages des îles Senkaku, a déclaré Takako Ito, porte-parole du ministère des affaires étrangères japonais. Le Japon continuera d’œuvrer avec fermeté et calme, en vertu du principe de défense de notre territoire terrestre, maritime et aérien. ≫. Le navire, repéré dès mardi après-midi, se trouvait à 29 kilomètres de l’un des îlots mercredi matin, selon les garde-côtes nippons.
Les relations sino-japonaises sont envenimées par ce contentieux de longue date, notamment depuis l’automne 2012.
A Pékin, le porte-parole du ministère des affaires étrangères, Hong Lei, a réitéré la position de la Chine, à savoir que ces îlots font partie du territoire chinois depuis les temps anciens.
≪ Les patrouilles des garde-côtes chinois dans les eaux en question ne peuvent nous être reprochées, a-t-il déclaré. L’équipement des navires des garde-côtes chinois correspond à l’équipement standard, en rien différent des pratiques internationales. ≫
フランス語
フランス語の勉強?
●天皇誕生日祝賀反対12・23大阪集会
G7首脳の伊勢神宮参拝を画策する安倍弾劾 
 ◇日時 12月23日(水)午後1時30分〜4時30分    集会後 デモ
 ◇場所 エルおおさか(大阪地下鉄谷町線・京阪「天満橋」下車徒歩7分)
 ◇シンポジウム「G7サミットと伊勢神宮」
辻子 実さん(『靖国の闇にようこそ−靖国神社・遊就館非公式ガイド』(社会評論社)
  黒田伊彦さん(参戦と天皇制に反対する連続行動)
  吉田宗弘さん(反戦反天皇制労働者ネットワーク)
◇参加費(資料代含む) 1000円(経済的に厳しい方は受付まで)
◇参戦と天皇制に反対する連続行動
来年5月、伊勢志摩で世界の戦争屋7か国(米、英、独、日、仏、伊、加)首脳のサミットが開かれる。「イスラム国」などを対象とした反テロ世界戦争など混とんとする事態が議題で、世界を自らに都合よく支配するためだ。会場は安倍晋三首相肝いりの伊勢志摩である。安倍は天皇の祖先神をまつる伊勢神宮を「日本の素晴らしさを発信する場所だ」「各国首脳とともに訪問したい」と語った(産経ニュース10月11日)。これは明らかに伊勢神宮の政治焦点化だ。
伊勢神宮は「日本国の象徴」である天皇の祖先神をまつることで、あたかも「公的な性格」をもっているがごとく「扱われ」ている。恒例になった歴代首相の仕事始め(1月4日)の参拝はそれを端的に示し、G7首脳が参拝するなら「国家の神宮」になりかねない。それは天皇制軍国主義の精神的支柱への道である。戦争の時代に入ったいま、こうした安倍のたくらみは危険極まりない。徹底的に討論し、反対の声を大きくあげたい。多くの参加を呼びかけます。
参戦と天皇制に反対する連続行動 
  大阪市淀川区十三東3−16−12  
Tel/Fax 06 (6303) 0449


朝ネットラジオでPentanonixのLittle Drummer Boyを聞きました.とてもいい感じの曲だと思いました.
昼に広島お好み焼きを食べてさあ出陣?です.G7サミットと伊勢神宮というシンポジウムに参加しました.伊勢神宮のことなど考えたことはほとんどなかったけれど,天皇制をなくするためにはいろいろ考えて行動する必要があると思いました.でもトイレが近くでなんだか変です.

<新国立>復興手助け隈氏案採用 被災地祝福
 新国立競技場建設で建築家隈研吾氏のデザイン案の採用が決まった22日、隈氏と関わりの深い南三陸町と登米市から祝福と期待の声が上がった。南三陸町は、町内産スギが建設資材に使用されるよう働き掛ける方針を示した。
 この日、定例記者会見で佐藤仁南三陸町長は「喜ばしいニュースが飛び込んできた。おめでとうと伝えたい」と語った。隈氏は東日本大震災から復興を目指す同町志津川地区のグランドデザイン作成を担った。佐藤町長は「隈氏の手掛けた町並みや橋を見たがる人が町に来るだろう」と交流人口の拡大を期待した。
 さらに「隈氏提案の競技場屋根には木材が使用されるという。南三陸産材の使用を願って積極的にアプローチしていく」と述べた。「森林管理の国際認証『FSC』を取得した南三陸産材が全国に知れ渡る機会になる」と効果も予測した。
 登米市の登米町伝統芸能伝承館「森舞台」は、隈氏が建築設計を担当し、1996年に完成した市所有の能舞台。周囲の森林と調和したデザインで、翌年に日本建築学会賞を受賞した。
 森舞台を管理するとよま振興公社の関係者は「とても誇らしいこと」と隈氏を祝福。布施孝尚市長は「うれしい。隈氏は被災地復興に貢献しており、新国立競技場が復興のシンボルになると期待する」と話した。


<検証 制度>公平性と迅速性の両立課題
◎震災4年9カ月(1)羅災証明
<焼け太りなのか>
 仙台市太白区の無職の男性(62)は東日本大震災当時、築約30年の賃貸マンションに暮らしていた。
 「本当に全壊なのかと問われれば、自信を持って『そうだ』とは言えない」。津波で家を失った人たちとは状況が違うと、いまも考えることがあるという。
 マンションは市の罹災(りさい)証明で全壊と判定された。事実、男性宅は配管が壊れて住めなくなった。ただ、特に被害のない住戸もあった。
 国の指針では集合住宅は1棟全体の判定が原則だ。各戸は軽微でも、建物を支える柱やはりなどの被害が大きければ全壊と扱われる。
 全壊世帯には生活再建支援金の基礎支援金と加算支援金合わせて最大300万円が支給される。罹災証明は義援金の配分、税や公共料金の減免、融資など幅広い支援策の基礎にもなる。
 賃貸で暮らす被災住民も罹災証明に基づき、所得制限なしで支援金の支給などを受けられる。
 男性のマンションでは支援金を元手に新居を購入した住民もいた。自身も約200万円を受け取った。
 「(被害の軽微な世帯がもらうのは)焼け太りという見方もあるだろう」。それでも男性は「現金は被災生活の備えとして心強かった」と打ち明ける。
 宮城県マンション管理士会(仙台市)によると、震災では仙台市内の分譲マンション約1400棟のうち100棟以上が全壊判定だった。半壊も含めて公費解体されたのはわずか5棟。全壊判定のマンションの大半は修繕などで対応し、住民が暮らし続けている。
 仙台市資産税企画課は「全壊判定が住めない状態を示すわけではない」と説明する。被災状況は税務部門の職員が壁や屋根、設備などの外観を目視で調べた。
 マンションは構造が複雑で建築の知識が必要だ。担当職員は「判定にスピードが求められた。技術者の応援でようやく乗り切れた」と明かす。
<異なる判定方法>
 集合住宅内の被災程度は、住戸が何階にあるかや建物全体の中の位置関係によって大きな差が出た。津波の浸水地域はなおさらだ。
 国の指針では、ただし書きで集合住宅の戸別判定も認める。石巻市はただし書きに従った。逆に、東松島市は戸別判定から1棟の一括判定に変えた。
 手続き簡素化のため、津波浸水区域を一括して全壊と見なす「長期避難世帯」の制度を活用した自治体もある。陸前高田市、気仙沼市など岩手、宮城、福島3県の10市町村約1万9000世帯が認定を受けた。
 多賀城市は被災地で最多の約5000世帯が認定された。市内にはマンションが多く、浸水を免れた階の住民にも罹災証明なしで生活再建支援金が支給された。
 被災者の暮らしを大きく左右する自治体の対応。罹災証明についても判定方法が異なるなど正確性に対する疑問は残ったままだ。
 「実害のない世帯に配るなら、もっと津波被災者に上乗せすべきだ」。こうした声にどう対応するか。公金や寄付金の適正配分のためにも、公平で迅速な被害判定が求められている。
 ◇
 被災者にとって、行政などの支援は再生の一歩につながった。ただ、支援の根拠となる「制度」は常に公平で柔軟だったわけではない。震災発生から4年9カ月余りを経たいまも、浮き彫りになった課題の解消が迫られている
(震災取材班)
[罹災証明]災害による住宅などの被害程度を市町村が調査して証明書を発行する。壁、柱など各部の損害割合を算出して積み上げる。50%以上は全壊、40%以上は大規模半壊、20%以上は半壊、19%以下は半壊に至らない(一部損壊)。2013年改正の災害対策基本法で、被害状況の調査と罹災証明書の交付が市町村長に義務付けられた。


<検証 制度>生活再建 支援どこまで
 もしも東日本大震災クラスの大災害に再び見舞われたら、頼りになるのは何か? 家族が犠牲になり、住まいが壊れ、職がなくなり、子どもの就学にも困るようになったら…。東日本大震災の後、被災者を救済する各種制度が設けられた。震災の前からあった制度でも、被災者の生活再建に役立つものがある。仙台市の架空の一家が被災したと想定し、これらの制度を使ってどこまで生活再建できるか検討してみる。
【想定】津波で父犠牲…休業…仮設…進学…住宅ローン…車大破…
 再び起きた東日本大震災級の地震で、仙台市太白区に住む武田真郎さん(41)=仮名=一家は大切な家族を失い、暮らしの基盤も揺らいだ。
 被災前は父=当時(73)=、母(69)、妻(39)、長男(18)、長女(12)と6人暮らし。行動派だった父は沿岸部をドライブ中に津波で命を落とした。
 真郎さんは勤務先の会社が津波の影響で事業休止となり、家族で移り住んだ仮設住宅から職探しに出掛ける毎日だ。母には年金収入があり、妻がパートで稼いでくれている。これらを合わせても、一家を支えるまでの経済的余裕はない。
 長男は高校3年で大学受験を控えている。長女は公立中学校に進学予定だが、入学時に必要な費用を用意できるか、心もとない。
 自宅は一戸建ての持ち家。地震により「全壊」の判定を受けた。住宅ローンは約20年分残っている。貯金では自宅の補修費用を賄えないため、新たな借り入れを考えている。
 津波の犠牲になった父が運転していた車は、ぐしゃぐしゃに大破した泥まみれの状態で見つかった。
◎暮らし
<災害弔慰金/生計維持者500万円>
 災害で命を落とした人の遺族に支給される。支給額は、生計維持者が死亡した場合は500万円、その他の家族が亡くなった場合は250万円。国が2分の1、都道府県と市町村が4分の1ずつを負担する。居住する市町村か都道府県が窓口となる。宮城県の場合、東日本大震災での支給額は計318億3000万円、支給件数は1万713件(いずれも11月末現在)。
<被災者生活再建支援法による支援金/全壊ならば100万円>
 住宅の被害程度と再建方法に応じて、被災世帯に支給される。基礎支援金は「全壊」が100万円、「大規模半壊」が50万円。加算支援金は「建設・購入」が200万円、「補修」が100万円。単身世帯は各金額の4分の3の額となる。
<災害義援金の配分/被害に応じて支給>
 東日本大震災では、日本赤十字社などの義援金受付団体が集めた義援金を、人的被害や住宅の被災状況などに応じ該当する被災者や被災世帯に分配している。宮城県の場合は国や県などがことし7月までに、死亡・行方不明者1人当たり120万円を遺族に、全壊した世帯には111万円をそれぞれ支給した。宮城の支給額は合計約2115億9310万円、支給対象者は約220万6000人に上る。
<災害復興住宅融資/低金利で負担軽減>
 自然災害で被災した住宅の早期復興を支援する住宅金融支援機構の制度。補修の場合は730万円の限度額に対して年利1%(12月17日現在)、返済期間は最長20年、金利は全期間固定−など返済の負担感を軽減する優遇措置を設けている。被災した日から2年間受け付けている。
<二重ローン対策/資金手元に減免可>
 第三者機関の調停に基づき、金融機関が被災者の債務の放棄や減免に応じる仕組み。東日本大震災でローンの返済が難しくなった被災者を対象に運用されている。被災者は生活資金を手元に残しながら、返済の繰り延べやローンの減免が可能となる。住宅ローンやその他の借入金の返済で一部免除などの措置が受けられた事例は、被災地全体で1324件(12月18日現在)に上る。
◎教育
<小中学生の就学援助措置/学用品費など給付>
 東日本大震災で被災したことで経済的に困窮し、就学が困難になった児童や生徒の保護者を対象に、必要な学用品費や通学費、遠足などの校外活動費、給食費などを給付する措置。実施した市町村に対して国が全額、費用を負担する。宮城県では2011〜14年度に延べ4万4676人が援助を受けた。
<日本学生支援機構の奨学金/返済に猶予措置も>
 大学や大学院、短大、高専などに通う被災世帯の学生と生徒を対象とする奨学金。無利息の第1種と、利息付きの第2種の2種類がある。在籍する学校を通じて申し込む。返済については経済状況などに応じて猶予措置を設けている。
◎労働
<失業給付の特例措置/離職とみなし手当>
 災害救助法の指定地域にある事業所が被災により事業を休止または廃止し、従業員が休業を余儀なくされた場合、雇用保険法上の離職とみなし失業手当を支給する仕組み。受給できる金額や期間は、雇用保険への加入期間や年齢などによって変わる。
<未払い賃金の立て替え払い制度/国が6ヵ月分支給>
 勤務先の中小企業が倒産状態になり、賃金が支払われなかった場合、未払い賃金の80%を限度に、国が事業主に代わって立て替え払いする。支払われる賃金は、解雇や退職の日からさかのぼって6カ月間の未払い賃金に限られ、受給者の年齢によっても変動する。
◎税金
<自動車重量税の廃車還付制度/車検残存分が対象>
 災害で自動車が全損するなどした際、車を解体後に永久抹消登録などの手続きを行えば、車検の残存期間分の自動車重量税が還付される。所有者が亡くなっている場合、死亡者が除籍された戸籍謄本を添え、相続人が申請できる。
<国税の特例措置/申告で所得税減免>
 自然災害などで住宅や家財が損害を受けた場合、確定申告により、所得税の軽減や免除を受けることができる。申告する際、「所得税法に定める雑損控除」と「災害減免法に定める税金の軽減免除」のうち、どちらか有利な方法を選べる。
◎兵庫県の独自救済制度/創設10年、加入頭打ち
 阪神大震災を教訓に、兵庫県は住宅再建を支援する共済制度を独自に創設し、ことしで10年を迎えた。加入率は低迷している。全国的な制度化も訴えるものの、他県では目立った動きが出ていない。
 11月末時点の加入率は9.3%(約16万5千戸)。当初目標としていた50%には程遠く、その後修正した15%にも届いていない。
 1995年に阪神大震災が発生した当時、国の支援は限られていた。「二重ローン」が被災者を苦しめた。このため兵庫県は2005年に「兵庫県住宅再建共済制度」を始めた。
 年5000円の負担で、地震などで半壊以上と認定されると10万〜600万円の給付を受けられる。これまでに約280件、計約5億7000万円が支払われた。
 ここ2年は加入率の伸びが年0.2%と頭打ち。14年度は新規加入者の半分に当たる約3600人が保険の見直しや「災害が起きずメリットもない」との理由で契約を更新しなかった。
 国は昨年、有識者会議で「この共助の仕組みが全国に広がることを期待する」との見解をまとめたが主導する動きは見えない。熊本県の担当者は「兵庫のように運営に必要な人員や経費を負担できない」と言う。
 兵庫県の井戸敏三知事は「国や自治体の財政状況では災害時の支援金に税金を充てることが難しくなるだろう。全国的な制度作りの重要性を訴えていきたい」と話している。


<検証 制度>被災判定 基準統一進まず
◎集合住宅 実態と隔たりも
 マンションなどの集合住宅が多い大都市で大規模災害が起きた場合、おびただしい数の罹災(りさい)証明が求められる事態が想定される。実情を反映しない全壊判定などが量産される懸念もある。公平な判定制度確立に向けた対策は必ずしも進んでいない。
<共有されぬ手法>
 2013年に神戸市であった政令市長による「指定都市サミット」。奧山恵美子仙台市長は東日本大震災の課題として「マンションの罹災証明で実態と懸け離れた被害判定が多かった」と指摘した。
 翌14年、指定都市市長会は被災者支援制度の見直しを国に要請した。罹災証明は集合住宅の判定方法などで、市町村の対応に差が生じないよう注文を付けた。
 課題はかねて指摘されていた。1995年の阪神大震災後の被災住宅対応で得た教訓を踏まえ、兵庫県は06年、迅速で統一した被害判定を目指して「家屋被害認定士」の登録制度を設けた。
 累計の登録者は県や市町村職員、建築士ら約1300人。東日本大震災が発生すると仙台市、名取市、多賀城市に計94人を派遣した。住宅の被害調査に携わり、正確で公平な判定に貢献した。
 ただ、判定手法が広く共有されていたとは言えない。指定都市サミットでの奥山市長の問題提起がそのことを物語る。
<膨張する支援金>
 罹災証明に基づき、東日本大震災で支給された生活再建支援金は15年9月末現在、岩手県360億円、宮城県1940億円、福島県510億円。11都県で3000億円を超えた。
 想定される首都直下地震や南海トラフ地震が発生した際は、さらに支出が膨らむことも考えられる。
 内閣府は13年、「災害に係る住家の被害認定基準運用指針」を改定し、液状化などによる地盤被害を追加した。しかし集合住宅を1棟全体で判定するという原則は残した。
 12年には、有識者らによる検討会で被災者生活再建支援制度の課題を中間整理した。罹災証明に基づく支援金給付の所得制限導入、修理費用の実費弁償方式への変更、給付対象からの賃借人の除外−などを盛り込んだ。
 内閣府防災担当は「中間整理の内容を各担当業務に生かしたい」と説明するが、具体的な制度化への道は開けていない。


<防災庁舎>南三陸町から宮城県に引き渡し
 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町防災対策庁舎が22日、町から県に引き渡され、県有化手続きが完了した。建物は震災発生から20年後の2031年3月まで県が管理し、町に返還される。町はその間、保存か解体かを決める。
 現地で式典が行われ、大塚大輔県震災復興・企画部長が建物の引受書を佐藤仁町長に手渡した。佐藤町長は「保存の是非を時間をかけて議論したい」と述べ、大塚部長は「ここで亡くなった町職員のため責任を持って施設を管理する」と約束した。
 県は同日、年明けに着手予定の現地調査に向け、建物周辺の約30メートル四方への立ち入りを禁止するバリケードを設置した。現地調査で鉄骨の腐食具合などを調べ、16年3月に報告書をまとめる。その後、復興交付金を活用した補修費を予算化し、16年度中に補修工事を終える。
 工事は建物の現状をとどめることを最優先に老朽箇所を補修。鉄骨の赤茶けた風合いや外階段の手すりのさび、津波の衝撃による傷などを保存するため塗装を施す。
 防災庁舎では職員を含む43人が死亡、行方不明になった。広島市の原爆ドームが保存決定までに20年かかったのを参考に、村井嘉浩知事がことし1月に県有化を提案。町民意見募集で6割が県有化に賛成と答えたことなどから、佐藤町長が6月に受け入れを表明した。
 町は建物周辺の約6ヘクタールに復興祈念公園を整備し、18年の完成を目指す。


<防災庁舎>保存の是非 31年までに結論
 宮城県南三陸町は22日、東日本大震災で被災した防災対策庁舎を宮城県へ引き渡した。2031年3月10日まで県管理の下、震災遺構として保存するか解体するかを決める。残された時間は15年3カ月。まず何をすべきか。佐藤仁町長と解体を望む遺族、県有化を推し進めてきた町議に聞いた。
 佐藤町長は22日の記者会見で「遺族、町民に多様な考え方がある。すぐに議論を始める必要はない」との考えを示した。
 佐藤町長は当初、防災教育の一環として学校で震災の教訓を話し合う機会を設け、防災庁舎をめぐる議論の端緒にしようと検討。だが、庁舎で犠牲になった職員の子どもも通学していることを考慮し、断念した。「議論を始めるのは庁舎の周辺整備が終わる2、3年後でも遅くない」と明かす。
 庁舎の解体を求めてきた、遺族の千葉みよ子さん(69)は「町長の考えを知ることから始めたい」と話す。早期解体を求める遺族会は5月、町長に庁舎の在り方を問う15項目の質問書を提出したが、納得のいく回答を得られなかった。
 遺族会メンバーは高齢者が多く、次世代のために町長が県有化を受け入れた理由を文書で残す必要性を訴える。「庁舎を見るのがいまだにつらく、我慢を重ねている。町長に議論の口火を切ってほしい」と願う。
 県有化を求める請願を6月に全会一致で採択した町議会。請願の紹介議員となった後藤伸太郎町議は「議論の土台づくりが大切だ」と提案する。誰でも意見が言いやすい少人数の場を設け、議論をスタートさせることも視野に入れる。
 後藤議員は「いつまでも遺族だけが考えるのではいけない。大人が黙ったままだと、それを見た子どもも意見を言えなくなる」と懸念している。


<5度目の年の瀬>神社再建へ 祈り編む
◎2015被災地(3)双葉のしめ縄作り(いわき市)
 5年ぶりの作業に腕がなる。福島県双葉町にある初発神社のしめ縄を作る。「60年以上やってきた。体が覚えている」。氏子総代の栗田正さん(80)が言う。
 作業場は、いわき市。双葉町は福島第1原発事故で大半が帰還困難区域になっている。初発神社は東日本大震災で社殿も鳥居も向かって右に傾いたまま。社殿はワイヤで引っ張られ、持ちこたえている。ご神体もいわきに避難する。
 「しめ縄だけでも」と氏子で話がまとまった。社殿と鳥居に一本ずつ飾られている。事故前は毎年暮れ、新品を社殿に取り付け、社殿の縄を鳥居に移した。ことしは2本とも新調する。
 氏子ら13人が18日、県内各地から集まった。技を継ぐため、初心者も交じる。わらを打ち、根気よくなう。昼食を挟み5時間。長さ約6メートル、中央の太さ30〜40センチの2本が完成した。「わらが硬く、編み方もばらついた。出来は良くないな」と栗田さんは苦笑する。
 無人の町に5度目の正月が来る。氏子らは23日、町に入り、しめ縄を納める。


被災地の年越しに彩り ミニ門松作り
 東日本大震災で被害が出た宮城県亘理町荒浜地区の住民を対象にしたミニサイズの門松作り体験会が22日、荒浜地区交流センターであった。小さいながらも飾り付けは本物とほぼ同じで、被災地で年越しする参加者は笑顔で新年を迎える準備に励んだ。
 荒浜地区まちづくり協議会が初めて企画し、約15人が参加。趣味で制作や指導を続ける地元の元行政区長の渡辺勝夫さん(77)が講師を務めた。高さ30センチ前後に切った竹3本を町特産のリンゴの枝とすだれで巻き、緑色が映える松葉や真っ赤なナンテンの実などを飾って完成させた。
 津波で壊れた自宅を修繕して暮らす主婦高山キヨ子さん(68)は「こんなにきれいにできるとは思わなかった。玄関に飾り、うれしい気持ちで正月を迎えたい」と喜んだ。
 荒浜地区は全域が津波被害を受け、11月末現在の人口は2154と震災前の4割ほど。自らも被災した渡辺さんは「門松作りが少しでも住民の気分転換になればいい」と願った。


心癒やし53回 仮設で最後の「傾聴茶話会」
 NPO法人「仙台傾聴の会」(名取市)が仙台市宮城野区の扇町1丁目公園仮設住宅で続けてきた「傾聴茶話会」が21日、幕を閉じた。今後は、あすと長町(太白区)、田子西(宮城野区)などの災害公営住宅に活動の場を移す。
 最後となった53回目の茶話会には、既に仮設住宅から転居した住民も含めて10人が集まった。熊谷正浩さん(51)=宮城野区=は「悩みを打ち明けるだけで心が軽くなった。親睦を深める貴重な場だった」と振り返った。
 茶話会は2011年8月から月1回開催。住民の多くが来年3月までに転居する見通しとなったため、一区切りとした。傾聴の会理事の村上瑞穂さん(69)は「役に立っているのか不安な時期もあったが、住民の方の表情や語る内容が豊かになっていくのを感じられてうれしかった」と活動を締めくくった。


女川町 新たな商店街オープン
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町に新しい商店街がオープンしました。女川町は被災地の中でも最も人口減少が進んでいて商店街を中心ににぎわいを取り戻せるかが課題となっています。
オープンしたのは東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町中心部の駅前商店街です。
現地で記念の式典が開かれ女川町の須田善明町長が「震災の悲しみと絶望の中からみんなで知恵を出し合い完成しました。自由に楽しめるにぎわいの拠点にしていきたい」とあいさつしました。
このあと地元の子どもたちがまちびらきを宣言するとともに震災の津波で駅前から流出しがれきの中から見つかった「希望の鐘」を鳴らして商店街の門出を祝いました。
新しい商店街は津波対策と景観への配慮から防潮堤を整備する代わりに7メートルほどかさ上げした場所つくられ被災した青果店や衣料品店のほか震災後に起業した飲食店など27の店が入ります。
震災前、町内には6つの商店街がありましたが、町は集客力を高めようと商店街を1か所に集めるとともに今後、周辺に公園などを整備し観光客を呼び込む計画です。
家族3人で訪れた36歳の女性は「震災前とは全く違う商店街になっていて驚きました。もっと復興が進んで素晴らしい街になってほしいです」と話していました。
女川町の人口は、先月末時点で震災前より30%以上少ないおよそ6900人と被災地の中でも最も急激に人口減少が進んでいて商店街を中心ににぎわいを取り戻せるかが課題となっています。女川町の隣の石巻市から家族3人で訪れた36歳の女性は「震災前とは全く違う商店街になっていて驚きました。気軽に買い物に来たいと思います。ただ、商店街のまわりはまだ建物が全くないのでもっと復興が進んで素晴らしい街になってほしいです」と話していました。
また、石巻市から列車で訪れたという77歳の女性は「駅のすぐ前の商店街なのでとても利用しやすいです。きょうはお茶屋さんなどで買い物して1日楽しみたいと思います」と話していました。
式典のあと女川町の須田善明町長は「住民の高台移転など住まいの再建はこれからなので商店街の完成はあくまでもまちづくりのスタートだ。人口が減少する中、商店街と行政が連携して外からたくさんの人が訪れ、楽しめる仕掛けづくりを進めていきたい」と話していました。


新商店街 店を構えた人たちは
【店を構えた人たちは・・】
女川町の駅前商店街に青果店を構えた、相原義勝さん(67)は、地元の人たちの「憩いの場」にこだわりました。相原さんは女川町で43年にわたって青果店を営んできましたが震災の津波で店が全壊し、仮設商店街を経て、本格的な店の再開にこぎつけました。
相原さんは地元の人たちの「憩いの場」にこだわり、津波で全壊した店にもあった「いろり」を店の真ん中に設けました。このいろりは、長さ1.2メートル、幅1メートルほどのテーブルの中央にあります。訪れた地元のお客さんにお茶を飲みながらおしゃべりをしてもらおうと設けられ、「おちゃっこスペース」と呼ばれています。
相原さんが「おちゃっこスペース」にお客さんとともに腰を下ろし、話を弾ませていました。相原義勝さんは、「友だちやお客さんがくつろぐ場所なので、この『おちゃっこ』スペースは絶対に無くしたくなかった。町は元に戻りつつあるがこれからは商店街のわれわれ店主たちが頑張って、女川を盛り上げていきたい」と話していました。女川町で45年以上前から老舗の茶屋を営んできた、阿部喜代子さん(75)は、80歳の夫とともに4年9か月ぶりに本格的な店を再開しました。女川駅前商店街に新たに設けられた阿部さんの店では、全国から仕入れたお茶のほか、急須などがきれいに並べられました。阿部さん夫婦は、震災発生のとき、沿岸部の店にいて高台に車で逃げて無事でしたが、46年前の昭和44年から続いてきた店舗は津波で跡形もなく壊れ、お茶の在庫や売上金などはすべて流されました。阿部さんは、町内の仮設商店街で仮の店舗を続けてきましたが、お店の再建の見通しが立たない中、店を辞めることも考えたといいます。しかし、長年付き合いのあるお客さんのために頑張ろうと、4年9か月ぶりに本格的な店を再開しました。地元の友人や震災直後にボランティアとして訪れ店の片付けを手伝ってくれた夫婦などが開店のお祝いに駆けつけ、喜代子さんは笑顔でお茶をふるまいながら震災後の苦労や感謝の気持ちを話していました。
阿部喜代子さんは「震災後の仮の店舗ではお客さんが以前の半分に減ってしまった。店を続けるかどうか迷ったが、夫が『続けたい』というのでついてきました。女川のみんなが頑張っているのでそれに負けないように頑張っていきたい」と話していました。
女川町の新しい商店街に出店した人の中には、「被災したふるさとの力になりたい」と、震災のあと12年ぶりにUターンした男性もいます。商店街にビール専門のバーを23日に開いた、木村優佑さん(32)は、高校まで女川町で過ごしたあと、12年間東京でIT関連の仕事をし、おととし、生まれ育った女川に戻りました。木村さんは、震災で被災した町で人口が流出している上、観光客が減っていることに危機感を持ち「ふるさとの力になるため人を呼び込み、にぎわいを取り戻したい」と、お店を開くことにしました。そして、ゆくゆくは自分でオリジナルの地ビールを作り、「女川ブランド」を全国に発信したいと考えています。地元に戻ってきたあと、去年、待望の男の子も誕生し、ふるさとで妻とともに子育てをしながら暮らしていきたいと考えています。木村さんは「震災当時、自分は東京にいて何もできなかったが、その後、『何かできることはないか』と探して帰ってきました。
オープンした店とともにこれから女川をもっと楽しい町にしていきたい」と話していました。


JR女川駅前 「これからやるぞ」27店舗の新商業施設
 東日本大震災で中心部が壊滅状態になった宮城県女川町のJR女川駅前に23日、飲食店など27店が入るテナント型商業施設「シーパルピア女川」がオープンした。町の人口は震災前より3割以上減少しており、活性化の拠点として期待される。
  <師走の町に活気 ダンボルギーニも展示>
 被災した商店街の再生を国が支援する「まちなか再生計画」を初めて活用し、官民出資の株式会社「女川みらい創造」が約6億8000万円かけて建設した。3月に開業したJR女川駅から、女川湾方向に真っすぐ延びる遊歩道の両脇に店舗が建ち並ぶ。近くに郵便局や銀行などの建設も予定されている。自主再建の店も含め、周辺は2018年度までに約70店舗が整備される見通しだ。
 「新しい町になったのよ」。駅側に最も近い一角にオープンした青果店「相喜(あいき)フルーツ」の相原和栄さん(68)は、さっそく訪れた客に笑顔を見せた。夫の義勝さん(67)も「これからやるぞって気持ちになるね」と張り切っていた。
 夫婦で店を営んで約40年。震災前の店舗兼住宅は女川湾の目の前にあり、大津波に襲われた時は近くの高台に上がって難を逃れた。3軒隣にあった女川交番は横倒しになり震災遺構として保存されることになったが、それ以外は周辺に何も残っていない。
 震災後、店をやめることも考えた。だが、新しい町をつくろうと奮闘する若者の姿に「じっとしてはいられない」と思った。震災から約4カ月後に仮設商店街で営業を再開。離れた仮設住宅から通う客もおり「続けられるだけやってみよう」とシーパルピアへの出店を決めた。
 店内に入ると目を引くのは小さないろり。震災前の店にもあり、義勝さんが「お客さんがゆっくりお茶っこ飲みながらくつろげるように」と作った。夫婦は隣の石巻市に住み、女川にできる災害公営住宅の完成を待つが「また住民が戻ってこられる町としてアピールしたい」と義勝さん。和栄さんは「お年寄り相手にお茶を飲みながら、ここから変わっていく町の姿を見ていきたい」と話した。【百武信幸】


亡き子がくれた希望を手記に 広島の女性 モニュメントに報告
 阪神・淡路大震災で神戸大2年だった長男貴光さん=当時(21)=を亡くした広島市の加藤りつこさん(67)が20日、この日出版された自らの手記を手に神戸・東遊園地を訪れた。貴光さんが残した一通の手紙から大勢の支援者や若者らと出会い、再び見いだせた生きる希望−。貴光さんの名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」に、手記に込めた思いを報告した。(阿部江利)
 貴光さんはあの日、下宿先の西宮市内のマンションが倒壊し、圧死した。大学入学前、加藤さんへの感謝を「親愛なる母上様」と題してつづった手紙が形見になった。
 一人息子を亡くして生きる希望を失った加藤さんだったが、この手紙に曲を付けた音楽家らとの出会いを機に、学校などで体験を語り始めた。2012年、講演に訪れた広島県福山市の盈進(えいしん)中・高との交流が始まり、生徒から「りつこお母さん」と慕われるように。生徒らの存在も励みになり、思いを手記にまとめることを決めた。
 「希望ふたたび」と名付けた手記は、幼い貴光さんとの思い出から始まる。手紙をポケットにこっそり入れて渡してくれた場面、そして死別。遺骨を抱いて泣き続けた日々が、手紙の報道や貴光さんの友人らとの出会いで次第に変化していく様子を描いた。
 貴光さんの誕生日でもある20日、加藤さんは同校の生徒ら約30人と一緒に神戸を訪れた。生徒に囲まれ、「息子の無念や私の苦しみを『聞かせて』と求めてくれる人と出会い、支えてもらった。多くの人に手記を読んでもらい、どう生きるか考えるきっかけにしてもらえれば」と話した。
 手記は税込み1620円。購入申し込みは「広島と福島を結ぶ会」のホームページから。


<回顧みやぎ>跡地活用 観光復興の要
◎(5)「松島」閉館、「うみの杜」開館
<そのとき>
 「ああ、今日で終わりなのか」と、寂しさがこみ上げた。そこに駆け付けた多くの人が、同じ思いを抱えたに違いない。5月10日、松島町のマリンピア松島水族館が閉館した。
 マンボウの長期飼育、イロワケイルカの南米捕獲作戦、日本最大のコレクションを誇ったペンギンランド…。冒険と挑戦の歴史に彩られた88年だった。
 広場で食事をしていた多賀城市の女性に話を聞くと「閉館を知ってから3回目(の来場)です」。自分も、家族と一緒に何度も通った。ゴトゴトと音を鳴らす遊具、管内を流れる音楽を含めて「昭和の雰囲気」があふれていた。
 7月1日、仙台市宮城野区に「仙台うみの杜水族館」が開業した。飼育担当職員や生き物は松島水族館から移った。客足は伸び、11月16日、予想より4カ月以上早く、来場者100万人を達成した。
<それから>
 松島水族館の建物は取り壊され、現在、更地になっている。営業最終日の来場者の歓声は虚空に消え、水族館のない松島は喪失感が漂う。
 町は12月、敷地を所有する宮城県に跡地活用の要望書を提出した。新施設の望ましい機能に(1)子どもから大人まで松島の歴史や海を学べる体験型ミュージアム(2)県内、東北の観光地情報を発信できる施設−を挙げた。県は跡地活用策や整備主体を公募する考えを示した。早期に県としての方向性を決めるという。
 桜井公一町長は「水族館閉館後は子どもたちの姿が見えなくなった」と話す。特別名勝・松島を訪れる観光客は震災前の8割程度にとどまる。水族館跡地の活用は、観光復興につながる重要な要素になる。
 うみの杜水族館に行ってみた。三陸の海を表現した水槽の前は人垣ができ、東北最大級のイルカ、アシカのパフォーマンスに拍手が湧いていた。
 通路を埋めた来場者を縫うようにして先を急ぐ。あっ、見つけた。イロワケイルカの水槽だ。「海のパンダ」と呼ばれ、松島水族館の人気者だった。「元気だった?」と、思わず声を掛けたくなった。(塩釜支局・山野公寛)
[メモ]松島水族館は1927年の開館で、国内の水族館で2番目に古い歴史があった。84年、マンボウ「ユーユー」の飼育日数が世界記録を更新。85年は年間入場者が83万人とピークに達した。閉館まで累計で2100万人以上が足を運んだ。仙台うみの杜水族館は東北最大級の展示規模を誇る。水槽約100基に約300種、約5万匹の生き物を展示する。メーン施設は幅13メートル、高さ6.5メートルの巨大水槽。


うどんかるた販売再開へ 「太目妻」問題なし
 香川県は22日、公募で選ばれた読み句の表現が不適切との指摘でいったん中止した「うどんかるた」の販売を句を差し替えずに26日から再開すると発表した。内容をあらためて検討した結果、悪意や問題はないと判断した。
 「あ」から「ん」までの全46作品のうち、「つ」の「強いコシ色白太目まるで妻」の句が「悪いイメージで受け取られる可能性がある」と指摘され、15日の一般発売を延期。
 県職員や有識者ら5人でつくる選定委員会の再検討で「作者の意図は、大好きなうどん同様に妻をいとしむ気持ちをうどんの特長に込めたもの」などの意見があり、全員一致で当初の選定を維持することを決めた。


教育への公的支出/投資の視点で拡充の議論を
 過分なコストであれば切り込みは当然だが、不可欠の投資ならば拡充が必須になる。
 見極めの要点は、未来の基盤につながるかどうか。とりわけ教育分野への支出については、コストと投資の分別を間違えてはなるまい。
 来年度予算編成をめぐり財務省と文部科学省との間で繰り広げられた攻防は、「教育立国」を掲げるこの国の姿勢が定まらないままであることを印象づけるものだった。
 財務省は、少子化による児童生徒の減少を根拠に公立小中学校の教職員定数を約5%削減できると主張した。さらに、国立大に対する補助金の運営交付金を毎年1%ずつ削減する方針を示した。
 文科省はじめ教育界は一斉に反発し、学校を取り巻く問題が複雑化し、教職員の疲弊が深刻化する中ではいじめ問題などへの対応で政策的に配置する「加配定数」はむしろ増やすべきだ、と主張。
 国立大の交付金についても、既に過去10年にわたり減額が続き、これ以上の削減は教育水準と研究水準の低下につながると、強く反対した。
 とりあえず来年度は教職員定数を全体で削減しつつ加配定数を増やし、交付金は維持する方向で折り合ったが、両省ともに目前の数字の調整に精いっぱいだった感がある。根底に据えて議論すべき投資の視点が脇に置かれたままだったことは残念でならない。
 経済協力開発機構(OECD)の最新まとめで、国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合が日本は3.5%にとどまり、加盟国平均の4.7%を下回った(2012年)。これで6年連続の最下位。国情の違いなどを考慮しても、誇れる水準にないことは明らかだ。
 特に幼児教育と大学など高等教育への支出水準が低く、高等教育での私費負担はOECD平均の2倍以上に上っている。国として十分な支出を怠っている証しだろう。
 ほかならぬ政府の教育再生実行会議が、世界的には公的支出を増額する流れにあることを強調しながら、「教育支出をコストと考えず、未来への先行投資と位置付けて充実を図るべきだ」とする提言を7月にまとめている。
 大学生への公的支出は、所得向上による税収増などにより2.4倍の社会的便益をもたらす、という国立教育政策研究所の試算がある。
 日本財団が先月発表した推計も興味深い。国などが貧困対策を放置し、高校進学率と中退率を改善して大学進学率を上げる支援をしなかった場合、15歳の子ども1学年分だけで社会が被る経済的損失は2兆9千億円に上り、政府には1兆1千億円の財政負担が生じる、という内容だ。
 格差社会の是正や犯罪抑止などの観点からも、投資としての教育支出の重みはかねて指摘されてきたところであり、あらためて整理、統合した議論が求められている。
 教育再生実行会議も提言で触れたように、教育投資を安定的に拡充するのであれば税と連動した財源論議も必要になる。財務、文科両省間で予算時の攻防を繰り返しているだけでは済まない問題であることを確認しておきたい。


【普天間移設】 オリバー・ストーン監督ら米識者70人、ケネディ大使に抗議 辺野古移設で
 映画監督オリバー・ストーン氏や言語学者ノーム・チョムスキー氏ら米国の著名人や識者ら70人は22日、ケネディ駐日米大使が17日の東京での記者会見で米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に関し、名護市辺野古への県内移設が最善だとの考えを示したことに抗議する声明を連名で発表した。
 声明は「普天間は閉鎖されなければならないが、辺野古への移設は解決策にはならない。より人目につかない場所に問題を移すだけだ」と指摘。大使の考えは「(辺野古移設に)激しく反対してきた沖縄の圧倒的多数の人々に対する脅威、侮辱、挑戦だ」と訴えた。
 声明は、大使の父である故ケネディ大統領が1963年にアメリカン大の卒業式で行った演説で「米国の軍事力によって世界に強制的にもたらされるパックス・アメリカーナ(米国による平和)」を否定したことに触れて「大使は父の演説を読み直すべきだ」とした。


高浜で知事同意 不自然な駆け込み表明
 関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の再稼働に福井県の西川一誠知事が同意した。高浜町長・町議会と県議会は同意済みで、地元同意手続きはこれで完了した。
 だが、高浜3、4号機を巡っては福井地裁が今年4月、運転を禁止する仮処分決定を出している。決定が覆らなければ再稼働できない。関電の異議申し立てに対する同地裁の判断が24日に出る。そのわずか2日前に、駆け込むように知事が同意を表明したことは極めて不自然である。
 高浜3、4号機は今年2月、新規制基準に基づく原子力規制委員会の安全審査に合格した。一方、福井地裁は仮処分決定で、「新基準は合理性がなく、適合しても安全性が確保されない」と指摘し、運転を禁じた。24日の判断は、4月とは別の裁判長が担当しており、運転禁止が維持されるかどうかが焦点だ。
 西川知事は記者会見で、高浜町や県議会の意見、国の方針などを勘案して判断したことを説明し、「(司法判断とは)事柄が別。先とか後とかは問題ではない」と述べた。行政判断は、司法判断に縛られることはないと言いたいのだろう。
 しかし、現在は、高浜原発の安全性は確保されているという行政判断は誤りだと、司法が待ったをかけている状態だ。地裁の判断が出た後で意見表明する方が自然である。仮に地裁が再稼働の禁止決定を維持すれば、同意表明はしにくくなる。その前に西川知事が先手を打ったとすれば、司法軽視と言わざるを得ない。
 西川知事は記者会見で、県民の理解が一番大事だと述べたが、県民の意向をどこまでくんだかも疑問だ。
 福井県は住民向けの説明会を開いていない。高浜町も、原子力規制庁作製の安全対策を解説したビデオを町内のケーブルテレビで放映し、町内の各団体代表者と国の担当者による意見交換会を開いただけだ。
 事故時の住民避難計画の策定が義務づけられた原発30キロ圏には京都、滋賀両府県の計8市町も入る。住民は福井より京都の方が多い。それにもかかわらず、政府と関電は、福井以外の自治体を同意手続きの対象とはしなかった。
 原発事故に府県境は関係ない。再稼働に際し、30キロ圏内の自治体の意見を反映する仕組みが必要だ。
 政府は3府県の避難計画を了承したが、福井県内に立地する他の原発との同時事故は想定されておらず、
避難時の車両確保や交通渋滞対策も課題として残っている。
 新規制基準に合格した原発の再稼働で、地元同意完了は3例目だ。多くの国民が望む脱原発依存の道筋を示さないまま、原発に回帰する安倍政権の姿勢も納得できない。


高浜再稼働同意  京滋の声は置き去りか
 福井県の西川一誠知事が関西電力高浜原発3、4号機(同県高浜町)の再稼働に同意した。
 高浜町長や県議会の同意に加え、求めてきた立地地域の経済・雇用対策や原発への国民理解の促進で国の姿勢が確認できたためのようだ。しかし、隣接する滋賀県の三日月大造知事が「再稼働を容認できる環境にはない」と指摘するように、周辺自治体を含め理解が広がっているとはいえない。
 福井地裁は4月、高浜原発3、4号機について、原子力規制委員会の新規制基準が緩すぎるとして、運転を差し止める仮処分を決定した。関電の異議申し立てに対し、同地裁が24日に出す結論を待たずに同意表明したことも疑問だ。
 政府は福井地裁の仮処分決定後も、規制委の審査をクリアした原発は再稼働させる方針を堅持してきた。8月から九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)が順次再稼働し、10月には四国電力伊方原発3号機(愛媛県)について知事が同意した。原発立地自治体の知事の同意は福井で3例目となった。関電は福井地裁が決定を覆した場合、すぐに3号機の燃料装塡(そうてん)を始め、来年1月下旬に再稼働させる方針だ。
 高浜原発は避難計画の策定が義務付けられる半径30キロ圏に、福井県以外に京都府と滋賀県が入り、とくに京都の圏内には約12万5千人と福井より多くの住民がいる点で川内、伊方両原発と大きく事情が異なる。京都府は原発立地道県以外では全国で唯一、事故時に即時避難が必要な5キロ圏にも一部が含まれる。
 にもかかわらず、関電は福井県と高浜町のみの同意で再稼働に踏み切る構えだ。京都府と滋賀県は立地自治体並みの同意権を求めてきたが、関電と締結、合意した高浜原発に関する安全協定に同意権は盛り込まれていない。過酷事故で重大な影響を受け、住民避難で責任を負う地域の声を置き去りにすることは許されない。周辺自治体についても同意権を認めるべきである。
 避難計画にも問題がある。政府は18日に福井、京都、滋賀3府県の計画を了承したが、府北部や福井県から府南部、兵庫県などへの避難では、道路の渋滞やバスの確保、高齢者ら支援が必要な人の移動といった課題が残る。3府県の住民が参加した合同訓練もまだ実施されていない。避難計画の実効性が確認できないまま再稼働するようでは、安全軽視の見切り発車というほかない。


本当の世論は…
 選択的夫婦別姓制度の導入に賛成派と反対派の割合は、ほぼ互角といわれる。根拠によく挙げられるのが内閣府の世論調査だ。公表されている調査結果を見直すと、少々意外な面に気付いた▼2012年調査では法改正に賛成、反対とも約36%で確かに拮抗(きっこう)している。ただし回答率は20〜30代が低く50代以上が高い。賛成派は若い世代に多いため、各世代の回答率が同じだったら結果は違ったかもしれない▼01年の調査に比べ、中高年の反対派の割合にあまり変化がないのも興味深い。10年前は賛成だった人が、加齢に伴って反対に転じたとも解釈できる▼両調査では「実家の姓を残すために結婚が難しくなることがあると思うか」とも尋ねている。結果は「思う」と答えた人が増え、とりわけ30〜50代で著しい。30代男性では実に6割に達する▼少子化で一人っ子同士の縁談が増える中、双方の親が姓を残したがって話が進まない、と時々耳にする。介護や相続の事情が背景にあるのだろうか。調査はそこまで踏み込んではいない。だが、別姓制度がもはや働く女性の問題だけでないとは言えそうだ▼議論の場は司法から立法府に戻った。保守派の政治家たちも自分の地盤を継ぐのが一人娘と想像すれば実感が湧こう。社会の変化に合った制度を本気で考えたい。

子ども貧困対策 乏しい「未来への投資」
 低所得のひとり親への手当増額が来年度予算案に盛り込まれることが決まったが、微々たる額だ。政府には子どもの貧困対策に本気で取り組む姿勢が見えない。不十分といわざるをえない。
 先週末、子どもの貧困対策充実を求めて経済的に苦しい家庭の高校生や大学生、支援者ら約百人が東京都内で集会を開いた。工藤鞠子(まりこ)さん(20)は「生まれた家庭によって子どもの選択肢や将来の可能性が狭められることがない社会をつくりたい」と訴えた。
 子どもの貧困に取り組むNPO法人代表らが呼び掛け人となり、低所得のひとり親家庭に支給される児童扶養手当の増額を求めたインターネットでの署名は、四万筆近くに達した。
 手当は現在、親と子の二人世帯で年収百三十万円未満で月額四万二千円支給され、二人目の子がいれば定額五千円、三人目以降は一人あたり同三千円が加算される。二人目以降の加算額は二十年以上据え置かれていた。
 政府は二〇一六年度予算案で二人目以降の加算額を倍増すると発表。ただし、所得に応じて減額する。ただでさえ少ない加算額を減らすべきではない。対象となる子どものうち倍増になるのは六割程度にとどまる。投入される国の予算額はわずか八十億円強だ。
 対して「選挙向けのばらまき」と自民党内からも批判が出る低所得の年金受給者に一人三万円を給付する予算は一年限りとはいえ、三千六百億円に上る。
 厚生労働省は児童扶養手当について「財源が限られる中で最大限の拡充」と釈明するが、これでは説得力はない。低所得世帯の高校生に支給される返済不要の奨学金の拡充も少額に終わった。
 日本では六人に一人の子どもが貧困状態にある。ひとり親世帯の貧困率は五割を超え、先進国の中で最悪の水準だ。
 民間の推計では、子どもの貧困対策をしなければ、現在十五歳の子どもの分だけでも社会が被る経済損失が二兆九千億円に達する。十五歳に限らなければその何十倍にもなるだろう。対策は「未来への投資」でもある。
 政府が立ち上げた子どもの貧困対策民間基金への寄付が低調だそうだが、政府がすべきことは寄付を集めることではない。貧困問題の背景には、労働市場の劣化や所得の再分配が不十分などの問題がある。だからこそ、貧困に苦しむ子どもの生活の下支えは、政府が責任を持って税でやるべきだ。


ヘイトスピーチ 元在特会代表に「脅迫的な言動しないで」
東京法務局が勧告も強制力なし 法務省の人権救済措置は初
 2008〜11年に東京都小平市の朝鮮大学校前で脅迫的な言動を繰り返したとして東京法務局は22日、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の元代表に対し、同様の行為を行わないよう勧告した。勧告に強制力はないが、ヘイトスピーチによる被害を巡って法務省が人権救済の措置を講じたのは初めてとみられる。
 法務省人権擁護局や被害を申告した学生2人の代理人弁護士によると、元代表らは08年11月、09年11月、11年11月の計3回、朝鮮大学校の校門前で街宣を実施。「朝鮮人を日本からたたき出せ」などと脅迫的な言動を繰り返した。3回とも学園祭が開かれていた。
 今年に入って被害申告があり、法務省は人権侵犯事件として調査を開始。勧告は元代表らの行為について「生命身体に危害を加えかねない気勢を示して畏怖(いふ)させた」と違法性を認定。「人間としての尊厳を傷つけるもので、人権擁護上看過できない」として、元代表に対し、強い恐怖感や苦痛を与える違法なものと認識して反省し、今後同様の行為を行わないよう求めた。
 代理人の師岡康子弁護士は、今回の法務局の措置を評価した上で、「勧告に強制力はない。現行法制度では不特定の集団へのヘイトスピーチを違法と認定できないという欠陥もあり、行政が明確に人種差別撤廃の責務を負い、被害者救済の立場に立つ法整備が必要だ」と話した。
 ヘイトスピーチを巡り法務省は今年1月、「ヘイトスピーチに対する断固とした姿勢をアピールする」(上川陽子前法相)として、「ヘイトスピーチ、許さない。」と書かれたポスターを全国の法務局を通じて自治体に配布するなど、啓発活動に力を入れている。【和田武士、林田七恵】
法務省が公表した街宣の内容◇
<2008年11月9日>
「朝鮮人を日本からたたき出せ」
「犯罪朝鮮人を東京湾にたたき込め」
<2009年11月1日>
「我々は徹底的にやりますよ。朝鮮人の犯罪がなくなるまで、朝鮮人、犯罪朝鮮人を日本からたたき出すまで、我々は絶対に闘いをやめない」
<2011年11月6日>
「そこで聞いている朝鮮人ちょっと出て来いよ。たたき殺してみせるから出て来いよ。日本人をなめんじゃねえぞ、ゴキブリども」
「君たちもね、北朝鮮人のプライドがあるならちょっと出て来い。金正日のためにここでなぶり殺しにされろよ。殺してやるから出て来いよ」
「いつまでもいつまでも日本人が黙っていると思うなよ。お前たちはね、あまりにも多くの血を流しすぎた。次はね、我々がお前たちの血を流す番だ」


笹子トンネル事故 中日本高速の過失認定 横浜地裁
 二〇一二年十二月、山梨県の中央自動車道笹子トンネル上り線で天井板が崩落した事故で、死亡した九人のうち五人の遺族が中日本高速道路(名古屋市)と子会社の中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京(東京都新宿区)に約九億一千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が二十二日、横浜地裁であった。市村弘裁判長は「打音検査など入念な点検方法を採用するべきだったのに、双眼鏡による目視のみという方法を採用した過失があった」と認め、両社に計四億四千万円の支払いを命じた。
 市村裁判長は崩落原因を「設置から三十五年が経過し、経年劣化が進行した結果、天頂部のボルトが抜けた」と指摘。そのうえで、事故後の打音検査による緊急点検で千二百カ所以上のボルトに不具合が見つかったことを挙げ、事故三カ月前の一二年九月の点検で打音検査を行えば「不具合を発見できた可能性が高く、事故の発生を回避できた」と認めた。
 〇〇年の点検でボルトの脱落や緩みが明らかになっていたのに補修されていないことにも触れ、「経年劣化進行の可能性を軽視した」と批判した。
 事故は、山梨県警が業務上過失致死傷容疑で捜査中。原告は、両社の当時の役員四人に対しても損害賠償を求めており、判決は来年二月に言い渡される。
 中日本高速道路の宮池克人社長は二十二日の定例記者会見で「当社の過失を認めた判決を重く受け止めている。犠牲者に心からおわび申し上げるとともに冥福をお祈りする」と謝罪した。


笹子事故判決/トンネルの安全再徹底を
 ふだん車でトンネルを走行中、天井が落下するような事態を予想する人は誰もいない。
 自然災害でもないのに、巨大な道路設備が突然脱落し、利用者が死傷する。山梨県の中央自動車道笹子トンネルで3年前に起きた天井板の崩落事故は、ドライバーにとって全く想定外の出来事だった。
 交通インフラは安全が絶対条件である。構造物の老朽化や欠陥の放置など安全面の手落ちは、利用者に対する裏切りというしかない。
 横浜地裁はきのう、笹子トンネルを管理する中日本高速道路と子会社の責任を認め、被害者への損害賠償を命じた。運転者や同乗者ら9人が犠牲になった事故の重大さを思えば当然の司法判断だ。
 被告企業側は判決を受け入れ、謝罪と補償に誠意を持って当たるべきだ。悲劇を繰り返さないよう、安全管理の不備を改め、事故防止対策を徹底させねばならない。
 トンネルや橋などを管理する国や他の高速道路会社、地方自治体も事故を教訓とし、危険な箇所がないか入念に点検する必要がある。
 事故は3年前の12月2日朝に発生した。トンネル上部を覆うコンクリート製天井板が約140メートルにわたって崩落し、通り掛かった車3台が下敷きになって炎上し、芦屋市出身の20代の女性らが死亡した。
 天井板は、トンネル上部を換気通路とするため、ボルトで固定してつり下げられていた。国土交通省の専門家委員会は、ボルトを差し込む穴が深くて接着剤が行き渡らず、水分の影響を受け強度が低下していた−などとする報告書を公表した。
 報告書は、会社が12年間も十分な安全検査をせず、接着不足を確認しても原因究明を怠ったとも指摘している。判決も「双眼鏡による目視のみという点検方法を採用した過失があった。抜本的対策を講じれば事故は回避できた」と認定した。
 遺族の1人は事故3年の慰霊式で「あなたたちの誰か一人でもこの点検方法はおかしいと言ってくれていたら、家族は死なずに済んだ」と会社幹部に無念の思いをぶつけた。
 事故後、国交省は自治体が管理するトンネルなどに5年ごとの点検と診断を義務付けた。交通インフラに関わる全ての関係者が遺族の言葉を真摯(しんし)に受け止め、万全の措置を講じる責任を自覚してもらいたい。

仮カレ最終回/地球温暖化を考える/入試に国語

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Japon: feu vert à la relance de deux réacteurs nucléaires
Le gouverneur de la préfecture de Fukui (ouest du Japon) a donné mardi le feu vert à la relance de deux réacteurs de sa province, deux jours avant une nouvelle décision de justice, a annoncé la compagnie exploitante Kansai Electric Power.
Les deux unités en question, Takahama 3 et 4, sont actuellement sous le coup du jugement d’un tribunal local qui en a bloqué le redémarrage en avril au motif que le certificat technique accordé par le régulateur l’avait été de façon indue et non rationnelle.
L’Autorité de régulation avait estimé en décembre 2014 et confirmé en février 2015 que ces deux réacteurs répondaient aux critères plus sévères imposés aux installations nucléaires pour faire face aux risques de catastrophes naturelles et d’accidents critiques, en tirant les leçons du désastre de Fukushima en 2011.
Un autre jugement, à la suite d’un recours en appel de la part de la compagnie, est attendu jeudi et, s’il contredit la précédente décision, les réacteurs pourraient en théorie être relancés dans le courant du premier trimestre 2016.
Ce couple de deux unités de Takahama était le deuxième à obtenir le certificat de sûreté.
≪Le gouverneur s’est laissé convaincre que la sécurité était assurée à Takahama, mais c’est une illusion≫, a réagi Mamoru Sekiguchi, membre de l’organisation écologique Greenpeace, dans un courriel adressé à l’AFP.
≪Il est clair que Kansai Electric et le gouvernement de Shinzo Abe ont mis une pression énorme sur la préfecture de Fukui pour obtenir l’approbation, mais c’est cette même négligence sur les questions de sécurité qui a conduit à l’accident de Fukushima en mars 2011≫, s’agace-t-il.
Après cette catastrophe, tous les réacteurs de l’archipel avaient été éteints progressivement (les deux derniers en septembre 2013) pour maintenance de routine et amélioration de leur sûreté.
Pour le moment, sur les 43 réacteurs restant au Japon (après la décision d’en démanteler 11, dont les six condamnés de Fukushima Daiichi), seulement deux (Sendai 1 et 2) fonctionnent, l’un depuis août, l’autre depuis octobre. Ce même mois, le gouverneur de la préfecture d’Ehime (sud-ouest) avait approuvé la remise en exploitation de la tranche numéro 3 de la centrale d’Ikata exploitée par la compagnie Shikoku Electric Power, redémarrage qui pourrait intervenir au printemps.
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偏った報道の奔流に惑わされてはならない。 河童の川流れ
著者の赤祖父俊一氏は、今、世界中で喧伝されている地球温暖化の定説に対して、”誤った地球温暖化論に惑わされてはならない”と警告している。
本書では、国際気候変動パネル(IPCC)(Intergovernmental Panel on Climate Change )が、科学的な学問として地球温暖化を検証していないことを、多くのデータなどを提示しながら危惧している。
IPCCがイギリスで発足した当時の目的が、原子力発電技術を売り込むための組織だったことなどにも疑問を持つていることにも触れているから、ますますIPCCに対して不信感を持ってしまった。
IPCCが小氷河期(1400年頃から1800年頃まで)について重要視してないことが理解できないとも書いている。
何故なら地球温暖化が大気中の炭酸ガスが急増した1940年ごろから始まったのではなく、1800年代からすでに始まっていたから、小氷河期を無視することはできないからである。
著者は、現在進行中の温暖化が総て人類活動で放出された炭酸ガスが原因ではなく、地球の自然変動であると書いている。
勿論、1940年頃からの炭酸ガスの影響も含まれているが、少なくとも六分の一程度ではないか、と本書のはしがきで書いていた。
著者が本書の巻末で、地球温暖化対策も大切かも知れないが、グローバル市場主義社会がもたらした格差社会での貧困国家救済などのほうが喫緊な門題だと説いていた。
本書を読む前に、「歴史を変えた気候大変動」、(ブライアン・フェイガン著)も読んでいたので、著者の学説には真実に迫る説得力があった。

プレミアムよるドラマ 仮カレ(8)「女たちの本命」
日下部(眞島秀和)に結婚の承諾を伝えた杏(相武紗季)は、直人(塚本高史)が会社を辞めたと知って驚いた。そのうえ杏は、沙耶(古畑星夏)から今後は直人に一切近づかないで欲しいと言われ、なぜかいらだつ自分の気持ちに戸惑ってしまう。美樹(中越典子)は見合い結婚を断り佐野(田中直樹)との復縁を考えるが、あらためて瞬(白洲迅)に本心を問われて答えに窮する。はたして杏と美樹は、本命の相手を見つけられるのか?
相武紗季,中越典子,塚本高史,白洲迅,古畑星夏,小宮有紗,我妻三輪子,田中直樹,木南晴夏,眞島秀和,秋山菜津子,千葉哲也
大林利江子


毎週楽しみに見ていた仮カレが最終回です.Aikoのプラマイもとてもいいのですが,わたしは相武紗季が演じる豊島杏になりきって見ています.杏の結末は何となく予想できたのですが,原田美樹役の中越典子と筧鈴子役の秋山菜津子に関してはどうなるか全く見当つきませんでした.高原瞬役の白洲迅と日下部仁役の眞島秀和はとてもカッコいいですね♪
地球温暖化の赤祖父俊一氏の本を読みました.とてもわかりやすいです.要するに御用学者たちがCO2のせいにしているのであって真実はそうではなく研究をもっと続けるべきであると理解しました.広瀬隆の本も読んでみたいと思っています.
わたしが卒業した大学でいつの間にか国語が必須になってました.ガ〜ン.ショック.でも2度と受験しないから県警ないですけどね.

<BRT復旧>気仙沼線 結論は越年へ
 東日本大震災で被災し、バス高速輸送システム(BRT)で仮復旧したJR気仙沼線と大船渡線の復旧方針をめぐり、国や岩手、宮城両県、関係市町などによる沿線自治体首長会議が25日、東京都内で開かれる。JR東日本が提案しているBRTによる本格復旧について、大船渡線は沿線3市が受け入れる見通しだ。気仙沼線の結論は来年に持ち越される可能性が大きい。
 大船渡線では戸田公明大船渡市長が18日にJR東の本社を訪れ「具体的な協議を早く始めたい」と提案受け入れを表明。陸前高田市、気仙沼市もおおむね容認しており、首長会議では住民懇談会などで出た意見を伝える予定。
 気仙沼線では沿線の宮城県内3市町のうち、気仙沼市はJR東と個別に交渉。これまでに提案了承の条件として「鉄道が果たした地域振興機能の回復」などを求めた。
 関係者によると、市は海水浴場周辺の観光施設の整備に対する資金支援や宿泊施設の運営などを要望。交渉は難航し、菅原茂市長は11日の記者会見で「年内で結論が出るかは不透明」と述べた。
 登米市と南三陸町はBRTによる本格復旧を容認している。被災した町中心部にBRTの駅を置く計画を進めている佐藤仁南三陸町長は「まちづくりに影響する。首長会議は年内で終わりにすべきだ」と訴える。
 首長会議は国土交通省主催で、JR東の提案があった前回(7月)の会議では、鉄路復旧かBRTによる本格復旧か次回会議で決めるとしていた。
 BRTで仮復旧しているのは大船渡線気仙沼−盛(大船渡市)の43.7キロと、気仙沼線柳津(登米市)−気仙沼の55.3キロ。


仮設に一足早くXマスプレゼント
 住宅大手の三井ホーム(東京)やボランティアらでつくる「被災家族に贈り物を届ける会」は19、20の両日、東日本大震災で被害を受けた石巻市や女川町などの仮設住宅を回り、一足早いクリスマスプレゼントを贈った。
 石巻市沢田の石巻バイパス仮設住宅西地区集会所には、サンタクロースなどに扮(ふん)した会員ら約10人が訪問。同仮設住宅の入居者ら約30人にマジックショーを披露し、文房具や絵本、童話を手渡した。子どもたちは歓声を上げて喜んだ。
 西地区自治会長の中村熊夫さん(72)は「たくさん人が集まってくれて安心した。プレゼントの贈呈を通じ、子どもたちの楽しそうな姿を見ることができうれしい」と感謝した。
 届ける会は震災後、三井ホームが建設に携わった石巻地方の仮設住宅などで支援を展開している。


<原子力PR看板>撤去作業始まる
 東京電力福島第1原発が立地し、原発事故で大半が帰還困難区域の福島県双葉町は21日、2カ所に設置していた原子力PR看板の撤去を始めた。町民に募集した標語を掲げ、原発との共生を目指した町の象徴だった。工期は来年1月10日まで。将来の展示も視野に復元可能な形で保管する。
 国道6号に面した町体育館前の看板(1988年設置)の撤去に着手。作業員が高所作業車に乗り、看板の表裏にはめ込まれた「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」のアクリル製の文字板を取り外した。
 小学生のときに「明るい未来」の標語を考え、現地保存を求めてきた大沼勇治さん(39)が作業を見守った。妻と2人で「撤去が復興?」「過去は消せず」と書いた紙を手に「悔しい。悲しい歴史、痛みを共有し、伝えるために現地で残してほしかった。将来、必ず復元・展示されるよう注視し、見届ける」と語った。
 町体育館前の作業は数日で終え、年明けに町役場入り口の看板(91年設置)を撤去する。幅15〜17メートルの看板部分は三つに切断し、文字板や支柱と一緒に町役場倉庫に保管する。
 双葉町は3月、老朽化を理由に看板の完全撤去を表明。大沼さんが保存を求める署名を提出したことを受け、方針を転換した。


<回顧みやぎ>安全性と魅力向上期待
◎(4)蔵王山に初の火口周辺警報
<そのとき>
 蔵王山(蔵王連峰)の火口湖「お釜」を目指し、山麓から駆け上がる自転車レース「日本の蔵王ヒルクライム」。お釜の白濁、火山性微動といった火山活動の高まりから、主催の蔵王町などが5月の大会の休止を決めた記事を書いたのはことし1月だった。
 気象庁は蔵王山の警戒水準を最も低い「噴火予報」に据え置いたが、「水蒸気噴火は予測困難で、競技者や運営スタッフの安全確保が最優先」と判断した。昨年9月の御嶽山噴火もあり、観光を掲げる町の安全重視の素早い対応に正直、「やるじゃん」と思った。
 そして4月13日。蔵王山に初の「火口周辺警報」が発令された。5月の大会の休止は正解だった。
 ただ、観光面に神経を使う一方、町民への周知と対策は遅れ、「何だかなあ」と首をかしげざるを得なかった。最大の懸念は、冬に噴火した際に発生する融雪型火山泥流。噴火の熱が雪を大量に溶かし、土砂や岩石を巻き込んで、川沿いや谷筋を高速で流れ落ちる。
 東日本大震災の津波に匹敵する危機感を持ち、避難計画を迅速に策定すべきだと3月にコラムで訴えたが、町はのれんに腕押し。県庁や警察からも「蔵王町は随分とのんびりだね」とあきれるような声が聞こえてきた。
 幸い、警報は約2カ月後の6月16日に解除され、比較的静穏な状況にある。
<それから>
 町は今月上旬、融雪型火山泥流に備えた避難計画の住民説明会を終えた。被害が最大規模の場合、避難対象は町民の2割に当たる約2800人に上る。
 住民の命も、観光客の命も守る具体策を常に磨き上げる姿勢が不可欠だ。結果オーライは許されない。
 警報発令後、山麓の温泉地で客足が遠のいた。お釜から約5キロ、一軒宿の秘湯で知られる川崎町の峩々温泉も苦境にもがく。
 「宿の灯を消すわけにはいかない」と6代目館主の竹内宏之さん(40)。「火山活動の恵みとして温泉がある。湧き出る限り続ける」。前向きできっぱりとした口調に気概を見た。
 観光を楽しむには感覚的な要素を多分に含む。それでも、火口周辺警報が解除された今、旅先として蔵王をはなから除外するのは非科学的と感じる。
 ピンチをチャンスに変えるべく、観光地の安全性と魅力を高める取り組みもあちこちで始まった。正確な報道に努めながら、自ら足を運び応援したい。
(白石支局・瀬川元章、大河原支局・田柳暁)
[メモ]仙台管区気象台は4月13日、蔵王山に火口周辺警報を発令。蔵王と七ケ宿、川崎の3町はお釜周辺の想定火口域から1.2キロの範囲に避難勧告を出した。約10キロ離れた蔵王町の遠刈田温泉などでは宿泊キャンセルが相次いだ。警報は6月16日に解除され、想定火口域への立ち入りを自主規制する措置に切り替わった。同22日には蔵王エコーラインが全線開通。県などは安全と観光の両面で対策を打ち出したが、観光客の減少傾向が続く。


<南三陸防災庁舎>県に移譲 保存是非議論へ
 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町防災対策庁舎の建物を県に移譲する引き渡し式が22日、現地であった。震災から20年の2031年3月10日まで県が管理し、町は遺構として保存するか解体するか決める。
 町と県、工事関係者約30人が出席。献花の後、犠牲者に黙とうをささげた。佐藤仁町長は「町民が保存の是非を議論できる環境をつくりたい」とあいさつ。大塚大輔県震災復興・企画部長は「責任を持って建物を維持し、お返しする。町で時間をかけて話し合ってほしい」と述べた。
 防災庁舎では職員を含む43人が死亡、行方不明になった。村井嘉浩知事がことし1月に県有化を提案、町が6月に受け入れを表明した。県は本年度内に建物の腐食具合などを調べ、来年度中に補強工事を終える。


はつらつ年末 わくわく新年 いよいよ冬休み
 2学期制を敷く仙台市立の大半の小中学校で22日、冬休み前最後の登校日を迎えた。児童たちは間近に迫ったクリスマスやお正月に心を弾ませながら登校した。
 宮城野区の中野栄小(児童549人)は午前8時半から全校集会を開いた。菅原友子校長は「冬休みには新年の目標を立て、元気に過ごしてほしい」と呼び掛けた。
 集会後、児童は教室に戻り、休み中の宿題などを確認。2年3組では、子どもたちが家族に宛てて手作りした仙台うみの杜水族館の「招待状」を担任から受け取った。2年の桜井菜々子さん(8)は「招待状はおばあちゃんに渡し、イルカショーやペンギンを一緒に見に行きたい」と目を輝かせた。
 市教委によると、市内では市立の小中学校や支援学校計188校が23日から休みに入り、来年1月8日に授業を再開する。


震災で住宅半壊隠し販売 不動産会社を提訴
 東日本大震災で半壊以上と判定されたことを告げずに中古住宅を売ったとして、仙台市泉区の夫婦が21日までに、同市宮城野区の不動産会社に約320万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。
 訴えによると、夫婦は2012年4月、不動産会社から泉区の木造2階の住宅と土地約310平方メートルを計3250万円で購入。半年後、市から半壊以上の住宅を対象とした修繕状況調査書類が届き、住宅が被災していたことが分かった。
 夫婦側は「不動産会社は契約前に『被災していない』と説明しており、重要事項を告げずに販売した。地震で再び被害を受ける恐れがある」と主張する。
 同社側は「販売前のリフォームで震災による損傷部分は補修してあり、何ら問題はない」と話している。


<5度目の年の瀬>「最後まで見守りを」願う
◎2015被災地(2)退去進む仮設住宅(宮城県亘理町)
 年の瀬を刻一刻と告げる夕闇が、軒を連ねる仮設住宅を包む。住民が去って真っ暗な窓が並ぶ一角に、ほのかな明かりがともる。
 宮城県亘理町は集団移転先の整備が8月までに完了し、仮設住宅からの退去が加速する。仮設1126戸のうち、11月末現在の居住者は116世帯と1割ほどまで減った。
 町内最大の558戸が連なる公共ゾーン仮設住宅も9割近くが退去した。その一方、家庭の事情などで移転先が決まらず5度目の年越しを迎える住民もいる。
 先月ようやく退去できた50代の主婦は「以前は祭りなどを催してにぎやかだっただけに、転居者を見送るたびに寂しさが募った。今も残る住民と会う時、どんな言葉を掛けていいのかいつも悩む」と明かす。
 町内5カ所の仮設住宅は来年、5年の入居期限を順次迎える。住宅再建の工期が遅れている世帯を除き、退去の期日が迫る。前出の主婦は「全員が笑顔で新年を過ごせるよう、国は最後の1戸が出るまで見守ってほしい」と願う。


浜の担い手はネットで 若手漁師ら求人サイト
 宮城県内の若手漁師らでつくる一般社団法人「フィッシャーマン・ジャパン」(石巻市)は、水産業に特化したインターネットの求人サイト「フィッシャーマン・ジョブ」を開設した。多岐にわたる仕事を手軽に探せるよう一覧化し、浜の暮らしを伝える記事も載せた。東日本大震災の影響や高齢化による担い手不足の解消を目指す。
 サイトでは漁師や鮮魚店、水産加工会社といった幅広い業種のほか、勤務地や雇用形態などを検索できる。営業や企画、マーケティングなどの職種も載せる。
 求人情報と合わせて、雇用主の紹介文や仕事風景の写真を添える。石巻で活動するライターらが人柄や浜の文化、思い入れなどを盛り込んだ読み物に仕上げた。今後は移住者の体験談も紹介し、新規就業の参考にしてもらう。
 サイトには現在、石巻市と女川町の漁師、加工会社の計5件の求人を掲載。今後は宮城、岩手両県の10社ほどの掲載を予定する。
 求人を出した石巻市荻浜の漁業豊嶋純さん(34)は「繁忙期に手伝いを頼める人が少なくなった。浜を維持するためにも、挑戦心のある人に応募してほしい」と話す。
 フィッシャーマンの島本幸奈さん(24)は「漁師を希望しても、どうすれば仕事に就けるか分からない人もいると思う。水産業には幅広い職種があり、サイトで魅力や仕事内容を知ってほしい」とPRする。
 水産業の人手不足は深刻だ。水産白書によると、漁業就業者数(岩手、宮城、福島の被災3県を除く)は2012年までの10年間で32万人から17万人に激減。将来を担う20〜40代は15%にとどまる。
 フィッシャーマンは24年までに水産業への新規参入者を1000人増やす目標を掲げ、石巻市でシェアハウス整備などに取り組む。求人サイトは中小企業庁の地方向け人材確保支援事業で製作した。
 フィッシャーマンはサイトに掲載する求人も募っている。連絡先は0225(98)7091。


<港町を拓く>幸せ感じる音楽の街に
◎女川・商店街23日開業(下)新風
 東日本大震災の復興まちづくりが進む女川町中心部に、オリジナルブランドのエレキギター・ベースを生産する工房が誕生する。
 23日開業のテナント型商店街に入る「セッショナブル」だ。社長の梶屋陽介さん(32)が胸を弾ませて語る。
 「欲しくてどうしようもなくなる、世界で売れるギターを作りたい。雇用や利益を生みだし、女川に貢献したい」
 工房の敷地面積は約100平方メートル。木工機械などを備える。県産や北海道産の材木を使う予定。ギターはボディー部分とネック部分をつなぎ合わせて作る。結合には、陸前高田市の気仙大工の高い技術を生かす。
 震災前までは女川町に縁もゆかりもなかった。
 鹿児島県種子島の和牛農家に生まれ、島の濃密な人間関係の中で育った。大学卒業後、東京都内の大手楽器店に就職。ギターの販売などを担当した。
 震災時、津波の映像に衝撃を受け、居ても立ってもいられなかった。「東北に行かなければ」。被災地でボランティアとして支援物資の配布などをするうち、音楽でより貢献できないだろうか、と考えた。
 ギターの製造から小売りまでを自社で手掛けたい。梶屋さんがそんなビジネスモデルを模索していた際、創業支援をする女川町のNPO法人「アスヘノキボウ」代表の小松洋介さん(33)と出会った。
 「女川に来てみないか」。14年3月に誘いを受け、梶屋さんはすぐに事業計画書を持参した。小松さんは「現実味がある。本気でやるんだな」と感じた。
 梶屋さんは、ギター演奏が趣味の須田善明女川町長を紹介されて意気投合。工房を構える土地の確保や資金繰りで、公民の協力を得た。
 販路確保にも力を入れる。楽器店を辞め、14年11月、国産エレキギター・ベースの専門店を仙台市内にオープン。1カ月に20本ほどが売れているという。
 工房は当面、試作を重ね、生産環境を整える。来年2月をめどに働き手を採用し、早ければ来春にも製品の出荷を始める。将来的には1カ月に150本の生産を目指す。
 「地方へのIターンで起業するときは、地元に受け入れられることが大事。女川の皆さんが、その仕組みをつくってくれた。女川を音楽の街にし、少しでも人々の幸せに貢献したい」
 梶屋さんの思いが、港町に新たな息吹を吹き込む。


大川小の教訓を未来へ 遺族が都内で講演
 フォーラム「あの日の大川小学校の校庭に学ぶ」が20日、東京・神田のホールで開かれた。東日本大震災の津波で多数の犠牲者を出した石巻市大川小の出来事を首都圏の大学生らに伝え、未来の備えにつなげてもらおうと仙台市のNPO「KIDS NOW JAPAN(キッズナウジャパン)」が主催した。
 約100人が聴講した。大川小6年だった次女みずほさん=当時(12)=を亡くした元中学校教諭佐藤敏郎さん(52)=石巻市=らが講師を務めた。
 佐藤さんは、大川小の出来事を忘れてほしくない思いと、そっとしてほしいとの感情が入り交じる心境を吐露。複雑な思いを両立させる方法について、「あの時失われた子どもたちの命を意味付けすることだと思っている」と語り、大川小の教訓を未来につないでいくことの重要性を訴えた。


政治活動届け出 18歳選挙権にそぐわぬ
 「18歳選挙権」の実現を踏まえ、高校生の学校外での政治活動が認められたことに伴う新たな動きが起きている。毎日新聞の調査によると、デモや集会などの活動への生徒の参加について、九つの県や政令市の教育委員会が学校への届け出制の導入を検討しているという。
 文部科学省の新通知は校外での政治活動を解禁した。学校による関与を認めた範囲は限定的だけに、活動全般について届け出を義務づけることは過度の干渉となりかねない。生徒の主体性を尊重するという原則を教育界は再確認してほしい。
 高校生の政治活動について、文科省は学生運動が盛んだった1969年に学校側に出した通知を根拠に「教育的観点から望ましくない」として、学校の内外を問わず、制限してきた。選挙権年齢の20歳から18歳への引き下げに伴い、10月に出された新通知は、学校内の政治活動は従来通り禁止した。
 一方、校外での活動は「家庭の理解の下、生徒が判断して行う」と容認した。高校生の一部は有権者として選挙運動が認められるうえ、政治離れが目立つ若者の政治的関心を育むためにも、主体性を重んじていくことが必要との判断からだ。
 ところが、一部の教委はデモや集会参加の学校への届け出制を検討している。届け出制導入についての判断を学校に委ねる道県・政令市も11にのぼるという。
 今年は安保関連法に反対する学生らのデモが注目された。学校側として、活動を把握しなければ不安ということかもしれない。だが、たとえ「活動を妨げるものではない」と説明しても、学校による監視、抑制につながったり「集会やデモへの参加は好ましくない」とのメッセージと取られたりするおそれがある。
 確かに新通知は校外の政治活動であっても「必要かつ合理的な範囲内で制約を受ける」とし、場合によっては学校が禁止、制限できるとしている。ただし、そこでは「違法、暴力的なおそれが高い」「学業や生活に支障がある」などの事例が列挙されている。政治活動全般への学校の関与を是認したとは読み取りがたい。
 高校生は、18歳に達し校外で選挙運動に携わるケースも今後想定される。学校の関与が行きすぎれば、有権者の権利を侵害しかねない点もわきまえるべきだ。
 高校など教育現場は18歳選挙権導入に伴い、主権者教育と政治的中立をどう両立させていくかなどの課題にも向き合っている。手探り状態にある不安は理解できるが、若者が自主的に政治に関与していくことを尊重できないようでは「18歳選挙権」時代にそぐわない。


香川県、うどんかるた販売再開へ 「つ」の句、差し替えず
 香川県は22日、公募で選ばれた読み句の表現が不適切とのでいったん中止した「うどんかるた」の販売を、句を差し替えずに26日から再開すると発表した。内容をあらためて検討した結果、悪意や問題はないと判断した。
 「あ」から「ん」までの全46作品のうち、「つ」の「強いコシ色白太目まるで妻」の句が「悪いイメージで受け取られる可能性がある」と指摘され、15日の一般発売を延期。
 県職員や有識者ら5人でつくる選定委員会の再検討で「作者の意図は、大好きなうどん同様に妻をいとしむ気持ちをうどんの特長に込めたもの」などの意見があり、全員一致で当初の選定を維持することを決めた。


在日朝鮮人への脅迫的言動は人権侵犯 初の勧告
法務省は、右派系グループの元代表者らが、東京・小平市の朝鮮大学校の前で、在日朝鮮人2人に対し、脅迫する言動を行ったことは人権侵犯に当たるなどとして、この元代表者に対し、今後、同様の行為を行わないよう勧告しました。法務省によりますと、こうした事例で勧告を行うのは初めてだということです。
法務省と東京法務局の調べによりますと、この右派系グループの元代表者らは、平成20年から23年にかけて3回にわたり、東京・小平市の朝鮮大学校の校門の前で、校内にいた在日朝鮮人2人などに対し、脅迫する言動を繰り返し行ったということです。
法務省は、この2人からの申告を受けて調査を行った結果、右派系グループの元代表らの行為は、生命や身体に危害を加えかねない気勢を示し、被害者を畏怖させる違法なものであることに加えて、人間としての尊厳を傷つけるもので、人権擁護上、見過ごすことができない人権侵犯だと結論づけました。
これを受けて、法務省は、この元代表に対し、自己と異なる民族などと共生することの重要性を理解したうえで、みずからの行為が違法であることを認識し、反省するとともに、今後、決して同様の行為を行わないよう勧告しました。
法務省によりますと、大声を上げるなどして他人の権利を侵害する、こうした事例に対して、勧告を行うのは初めてだということです。


発信箱 同姓VS別姓じゃない=小国綾子
 負け惜しみ、と言われるかもしれない。夫婦別姓を認めない民法の規定に最高裁が「合憲」の判断を示した日、別姓が選べる日を待ち望んできた私は、それでも「一歩前進」と思った。裁判官15人中5人は「違憲」の意見を述べたというし、訴訟をきっかけに社会の理解は確かに進んだと信じられるから。
 NHKの世論調査で選択的夫婦別姓制度に過半数が反対するのは70代以上だけで、50代以下では賛成が6割を超えると分かった。姓が違っても深い絆で結ばれる家族の姿も紹介された。「自分は同姓を選ぶが、別姓を選ぶ自由は認められるべきだ」と考える人々が多いことも見えてきた。毎日新聞の世論調査の「自分ならば同姓・別姓のどちらを選ぶか」という質問に、73%が同姓、13%が別姓と答えた。一方、選択的夫婦別姓制度への賛成は51%、反対は36%。つまり少なからぬ「同姓派」が制度自体には賛成というわけだ。
 別姓問題の本質は「同姓・別姓のどちらが良いか」ではなく、「自由に選べる制度が良いか」「自分と違う他者の選択を容認できるか」だということが、以前より明確に見えてきた。
 結婚や出産をめぐる価値観はさまざまだ。自分と異なる選択をした人に出会った時、自分が否定された気がして、つい相手の選択を否定したくなることだってあるだろう。だけど、「私がそれを選ばないとしても、誰もが自由に選べる社会の方がいい」ときっぱり言える人はすてきだと思う。
 多様な家族のあり方を認め合える社会の方が誰にとっても生きやすい。そんな仲間が着実に増えている。「違憲」判断は出なかったけれど、そう信じられた年の暮れだった。(夕刊編集部)


笹子トンネル事故 会社側の過失認め賠償命じる判決
3年前、中央自動車道の笹子トンネルで起きた天井板の崩落事故で、死亡した5人の遺族がトンネルを管理する中日本高速道路などに損害賠償を求めていた裁判で、横浜地方裁判所は「有効な点検を行っていれば事故を回避することができた」として会社側の過失を認め、合わせて4億4000万円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。
平成24年12月、山梨県の中央自動車道の笹子トンネルで天井板が崩落した事故で、死亡した9人のうち東京都内に住む27歳から28歳の男女5人の遺族合わせて12人がトンネルを管理する「中日本高速道路」と安全点検を行う子会社の「中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京」に9億1000万円余りの損害賠償を求めていました。
裁判で、遺族は「事故の3か月前の点検で、天井板を固定していたトンネル上部のボルトの周辺をハンマーでたたいて異常がないかを確認する打音検査など十分な点検を行っていれば、事故を防ぐことができた」などと主張したのに対し、中日本高速道路などは「事故を予測することはできなかった」などとして会社側に過失はなかったと反論していました。
22日の判決で、横浜地方裁判所の市村弘裁判長は「平成12年と13年に行われた打音検査などで一部のボルトに経年劣化による不具合が見つかり、会社側は打音検査の有効性を認識していたにもかかわらず、その後、今回事故があったトンネルの上部については点検を実施していなかった」と指摘しました。そのうえで、「打音検査など目視以外の有効な点検を行っていれば、天井板が崩落する危険性を予測し事故を回避することができたにもかかわらず、これを怠っていた」として会社側の過失を認め、合わせて4億4000万円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。
遺族「判決は自分たちの気持ちにそった内容」
判決を受けて、亡くなった石川友梨さん(当時28)の父親の石川信一さんは「判決は自分たちの気持ちにそった内容で、うれしいし満足しています。娘には『お父さんとお母さん、やったよ』と思わず呼びかけました。判決が出たからには、会社側は素直に受け入れていただき、控訴しないでほしい」と話していました。母親の佳子さんは、友梨さんの遺影を手にして、「事故からの3年間は長かったような短かったような感じですが、ここまでやってきてよかったと感じました」と話していました。
亡くなった松本玲さん(当時28)の父親の松本邦夫さんは「民事裁判では、原因の究明と責任の所在、それに、再発防止を求めてきた。今回の判決は維持管理が不適切だったことを明確に指摘し、インフラの維持管理には万全の配慮をすべきだと具体的な指摘をしてくれたと思う。勝訴の判決が出たが、娘が帰ってくるわけではないので無念さは残るが、判決を聞いたときはうれしく思った。娘の遺影の前に判決文を供えて報告したい」と話していました。また、母親の松本和代さんは「親としてできることは何かと問い続けてきた結果が裁判に取り組むことだった。娘には『これまで主張してきたことが裁判所でも認められたよ』と報告したいが、『あなたの声が聞こえない、あなたからメールが来なくて悲しい』ということも伝えたいと思います」と涙を流しながら話していました。
弁護士「遺族の気持ちに真摯に」
判決を受けて、遺族側の主任弁護士を務める立川正雄弁護士は「判決内容は会社側に過失があったと具体的に指摘している。会社側には遺族の気持ちを真摯(しんし)にくみ取って、前向きに原因を究明してもらいたかったが、応じてもらえなかったのは残念だ。賠償の金額については、裁判所として遺族の気持ちを考えたうえで、判断できる上限を認めてくれたと認識している」と話していました。
中日本高速道路社長「重く受け止める」
中日本高速道路の宮池克人社長は、名古屋市の本社で記者会見し、「今回の事故は決してあってはならず、亡くなった皆様に心からおわびするとともにご冥福をお祈りしたい」と述べ改めて陳謝しました。
そのうえで判決について、宮池社長は「当社の過失を認め損害賠償を命じる内容であり、このような判決に至ったことを重く受け止めている」とする一方で、今後の対応については、「まだ判決の詳細な内容を十分に把握していないので、しっかりと精査して考えていきたい」と述べるにとどめました。
子会社「判決内容を十分に検討のうえ対応」
判決を受けて、中日本高速道路の子会社で安全点検を行う、中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京は「改めて笹子トンネル事故でお亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。判決内容を十分に検討のうえ、今後、対応したいと考えています」とコメントしています。
安全対策の現状は
国土交通省によりますと、笹子トンネルと同じ天井板がつり下げられ、アンカーボルトを接着剤で固定している同じような構造のトンネルは、事故直後には全国で16ありましたが、このうち12のトンネルではすでに撤去されています。残る4つのトンネルのうち、阪神高速道路の神戸長田トンネルの上りと下りについては来年2月上旬までに撤去されることが決まっています。一方、首都高速道路の中央環状線飛鳥山トンネルの内回りと外回りについては、ボルトに加えてワイヤーで天井板をつる二重の対策をとっていて、天井板は撤去しないということです。
また、事故を受けて国土交通省は全国に1万余りあるトンネルと72万余りある橋について、去年7月から各高速道路会社や自治体などに、5年に1度、目視で定期点検を行うことを義務づけました。ことし3月末の時点でトンネルでは全体の13%で点検を終えていて、このうち各高速道路会社が管理する1889のトンネルでは、2割弱の点検が終了し、そのおよそ40%で補修や対策が必要な箇所が見つかり、トンネル内の表示板やファンを固定し直したり、補修工事をしたりするなどの対策が進められているということです。
また、橋は全体のおよそ9%で点検が終わり、このうち▽国や自治体が管理する橋の15%前後、▽高速道路会社が管理する橋の10%近くで橋桁がさびたり、橋脚がひび割れたりするなどの補修が必要な箇所が見つかったということです。
ただ、自治体などが補修を行うには、財源や人材をどう確保するかという課題があり、国土交通省は専門的な技術を持つ職員の派遣や財政的な支援を行っています。また、各高速道路会社も今年度から合わせておよそ4兆円をかけて、トンネルの補修や老朽化した橋の架け替えなど、大規模な改修工事を進めています

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En Chine, une catastrophe pas très naturelle
≪Le problème, ce ne sont pas les normes, c’est leur non-respect≫, estime le géographe Thierry Sanjuan, après la coulée de boue qui a ravagé dimanche un quartier en périphérie de Shenzhen, faisant environ 85 disparus.
Des dizaines d’immeubles emportés par une mer de boue rouge : les images en provenance de Shenzhen (dans le sud est de la Chine), dimanche, étaient impressionnantes. Le bilan humain, lui, revu légèrement à la baisse lundi après-midi, serait de 85 disparus. Ce glissement de terrain n’a rien d’une catastrophe naturelle : la colline qui s’est écroulée était constituée de l’amas de terres excavées pour les immenses besoins immobiliers de la ville, construite sur ce qui fut longtemps un paysage de collines.
Située au bord du delta de la Rivière des Perles et à la frontière avec la péninsule de Hongkong, la municipalité rurale de Shenzhen, devenue ≪zone économique spéciale≫ en 1980, compte aujourd’hui 10 millions d’habitants. ≪Depuis vingt ans, Shenzhen est devenu une vraie ville, qui fonctionne comme une banlieue de Hongkong. En montant en gamme, elle a repoussé vers ses périphéries tout ce qui la gêne et prend de la place, comme les usines, les stades, les aéroports ou les décharges≫, analyse le géographe Thierry Sanjuan (1).
C’est dans une de ces zones périurbaines, à une trentaine de kilomètres du centre, que s’est produit le glissement de terrain dimanche. Selon l’agence de presse officielle Chine nouvelle, 33 bâtiments ont été touchés sur une surface de 380 000 m2, dont 14 usines, 2 immeubles de bureaux et 3 dortoirs d’ouvriers, l’explosion d’un pipeline de gaz naturel aggravant l’accident. Lundi, près de 3 000 secouristes, des dizaines de pelleteuses et de camions de pompiers continuaient à sonder sur une profondeur d'une dizaine de mètres de boue, à la recherche de rescapés. Neuf cents personnes ont pu être évacuées à temps, l'éboulement s'étant produit un peu avant midi. La plupart des victimes sont des ouvriers isolés venus de la campagne vivre et travailler dans la mégalopole.
≪Les leçons tirées ne doivent pas être oubliées≫
≪Même si peu de résidents permanents ont été touchés, puisque ce sont surtout des migrants qui vivent là, une catastrophe de ce genre ne passe plus inaperçue aujourd’hui en Chine, affirme Thierry Sanjuan. La population urbaine est devenue très sensible aux questions environnementales, notamment la pollution de l’air et la destruction des espaces périurbains, gagnés au détriment des communautés rurales. Il semble dans ce cas que les autorités locales ont signé l’autorisation de décharge à un promoteur immobilier, ce qui, dans la tête des Chinois, veut dire qu’il y a eu du bakchich.≫
Dans son éditorial de lundi, le Global Times, site d’information progouvernemental en anglais, établit un parallèle avec la catastrophe de Tianjin, en août dernier, qui a fait 173 morts et 800 blessés, après l’explosion d’un entrepôt de produits chimiques situé à 500 mètres de zones résidentielles : ≪Les dégâts causés par ces accidents sont extrêmement regrettables et les leçons tirées ne doivent pas être oubliées≫, écrit le journal, pour qui les entreprises chinoises ≪doivent considérer la sécurité comme une priorité≫. Certes, cela ≪va bien sûr augmenter les coûts pour le secteur manufacturier≫, mais ce ≪serait en accord avec la stratégie qui veut faire passer la Chine du statut d"usine mondiale" à celui d’une nation industrialisée avancée d’ici 2025≫.
Comme le rappelle Thierry Sanjuan, l’Etat central a créé en 2008 un ministère de l’Environnement et édicté des règles de sécurité : ≪Le problème, ce ne sont pas les normes, c’est leur non-respect, dû souvent à une collusion entre les gouvernements locaux et des entreprises qui leur sont plus ou moins liées. Dans le cas de Tianjin, un des actionnaires de la société qui stockait des produits explosifs près du port était le fils d’un des directeurs du port. Et comme nous sommes dans un Etat autoritaire et opaque, il n’y a pas de logique systématique et efficace de vérification des normes. L’Etat central va désigner des officiels locaux comme irresponsables, l’échelon local sera le fusible, et ça n’ira pas plus loin. La conscience politique du risque se heurte encore à la volonté de faire du développement et de l’argent à tout prix.≫
フランス語
フランス語の勉強?

今日から2016年の手帳を使い始めます.まだ真っ白な手帳に書き込んでいくのは何ともいい感じです.
今日はジツジツがないので,Yaさんのお話を聞きに行きました.話がうまいです♪マネしたいところです.
一方でれぽはとても残念でした.

手掛かり家族に 気仙沼で一斉捜索
 宮城県気仙沼市の一般社団法人気仙沼復興協会は20日、同市波路上明戸の海岸で東日本大震災の行方不明者の一斉捜索を実施した。防潮堤工事が始まるなどして捜索場所が限られる中、手掛かりを家族の元に帰そうと目を凝らした。
 防潮堤代わりの土のうが並べられた海岸線約500メートルを捜索した。スタッフとボランティアの計18人が浜辺にたまった堆積物を熊手でかき分け、人骨とみられる骨10本を見つけた。
 ボランティアで参加した山本克美さん(47)は横浜市からの派遣職員として気仙沼市教委に勤務している。「震災を風化させず、少しでも復興が進むよう手伝いたい」と手を動かした。
 市内の行方不明者は220人に上る。震災から4年9カ月となる11日の捜索は雨で見合わせ、この日に延期した。協会スタッフの福岡麻子さん(38)は「手掛かりが毎回見つかり、地道に続ける大切さを実感している。今後も月1回の捜索を重ねたい」と語った。


<高台移転>財源不足…跡地利用進まず
 東日本大震災で被災した岩手県の沿岸部の市町村で、宅地などが高台に集団移転した跡地の活用が進んでいない。利用計画を策定しても事業費の財源確保は難関だ。跡地内には民有地と公有地が点在し、集約が思うように進まない。放置が続けば、更地だけが残ることになる。自治体は、復興交付金の柔軟な運用や税制の特例措置を求める。(山形聡子)
<交付金の対象外>
 大船渡市の越喜来地区。津波で被災し、市は高台に移転した越喜来小と宅地の跡地を多目的広場とする方針で住民が合意した。分散した住民が集う場所にする計画だが、具体化していない。大きな壁は財源不足だ。
 市は整備費用として国に復興交付金を申請したが、規模の大きさや周辺の高台に既存のグラウンドがあることを理由に対象外となった。
 市被災跡地利用推進室の担当者は「このままでは、ただの更地になる恐れがある。民間資金の活用や規模の再検討などで工夫したい」と対応に苦慮する。
 防災集団移転促進事業を実施した7市町村に県が調査したところ、移転した72地区のうち、土地利用計画を決めたのは20地区(28%)にとどまる。策定中は37地区(51%)、未検討は8地区(11%)、事業の実施予定なしが7地区(10%)だった。
 大船渡市は26地区のうち12地区で土地利用計画を作る方針。これまでに策定されたのは、5地区だけとなっている。
<公地と民地混在>
 跡地の一体的整備が難しいことも計画が進まない要因だ。市町村が買い取った土地と取得対象にならない民有地が混在し、権利が複雑化している。
 国は取得した土地と民有地の交換で集約を図る方針。交換先となる土地は住宅などがあった跡地で、建物の基礎部分が残っていたり、道路との段差があったりする。地権者が新たに活用する場合、撤去費や整備の費用が自己負担となる公算が大きい。
 民有地の地権者には負担感が生じ「交換するメリットが見いだせない」(市被災跡地利用推進室)。交換した場合、課税対象となることも足かせになっている。
 計画が決まっても事業が進まないことで、ほかの地区の計画策定に影響が出始めている。市は「財政支援がどこまで得られるか国の動向を見極める必要がある」とし、策定への協議は足踏みが続く。
 県は12月初め、交換対象となる民有地の地権者への課税免除や、復興交付金の柔軟運用を国に要請した。県まちづくり再生課は「現場の状況に応じた柔軟な制度設計を求めたい」と対応を急ぐ。
[メ モ]防災集団移転促進事業で移転すると、宅地や隣接農地は市町村が買い取り公有地となる。店舗や工場跡地は買い取り対象外で民有地のままとなる。市町村は跡地の利用計画を策定する区域の民有地と区域外にある公有地を交換。区域内で公有地を増やして集約を図る方針。交換する際には、民有地の地権者に土地価格の3%相当の不動産取得税が課される。


<5度目の年の瀬>すくすく五歳の浜娘
 被災地は震災から5度目の年の瀬を迎えた。復興を願う人々は新年を前に何を思うのか。各地の暮らしや営み、風景を追う。
◎被災地(1)新酒の仕込み(盛岡市)
 真新しいタンクに、伝統の酵母が息づく。
 東日本大震災で酒蔵が被災した岩手県大槌町の赤武酒造は2013年、盛岡市に新工場を構えた。真冬を迎え、大槌の地酒「浜娘」の仕込みが続く。
 震災で大槌の蔵は全壊。一度は廃業を決めた。「浜娘を早く飲みたい」。得意先の励ましに心が動き、再開を決意した。11年と翌年は盛岡の酒蔵で仕込んだ。
 「復活蔵」。新工場はこう名付けた。復興へ歩む意志を込めて。
 古舘秀峰社長(50)は20〜30代の社員7人に勘所を教えながら、酒造りに打ち込む。酒のラベルには震災からの年数を記す。ことしの新酒は「五歳」だ。
 昨年、酒造りの中心となる杜氏(とうじ)を長男の龍之介さん(23)に譲った。古舘社長は「わが子のような五歳の浜娘。年齢を重ねるたびに、おいしくなってほしいね」と目を細めた。


<港町を拓く>故郷のため腕を振るう
◎女川・商店街23日開業(中)大願
 腕を振るった料理をテーブルへ運ぶ。ハンバーグにナポリタン、オムライス…。香ばしい匂いが食欲をそそる。
 洋食屋「りぼん」の店長山田隆大さん(24)。宮城県女川町の町民野球場仮設住宅内のコンテナに2014年5月、店を構えた。1人で切り盛りし、「充実感とともに重圧があります」
 女川町に生まれ、子どものころから洋食店を開くことを夢見ていた。町内にあった洋食屋がお気に入りで、ハンバーグやパスタが大好きだった。石巻市内の高校を卒業後、仙台市内の専門学校で調理師の免許を取った。
 東日本大震災が発生したあの日。当時20歳だった山田さんは仙台市内にいた。就職先の飲食店で研修中に大きな揺れに見舞われた。町で暮らす家族らは無事だと確認できた。
 仕事を休み、古里へ帰ったのは、約1カ月後の4月中旬ごろ。町中心部は、がれきの山。楽しい思い出が詰まった洋食屋も被災した。言葉にならなかった。
 友人が津波で亡くなった。小中学校を共に過ごした仲。震災前の成人式で「春休みに帰省したら酒でも飲もう」と約束していた。
 自分は憧れだった料理人をしている。友人にも将来があったはず。世の無常を感じ、仕事をするにも気力が湧いてこなかった。
 飲食店を辞め、仙台で居酒屋のアルバイトなどをして過ごした。12年初めごろ、転機が訪れる。「料理人として女川町の力にならないか」。家族を通じてそんな誘いが舞い込んだ。
 故郷の復興に貢献できる好機ではないか。生かされた者の責任ではないか。山田さんはバイトで開業資金をため始める。13年春、起業を志す人らが参加した町内のイベントで「30歳になる21年に店を出す」と誓った。1年で通帳の蓄えは約160万円となっていた。
 店の開店は宣言より7年も早く訪れた。仮設住宅のコンテナ活用の話があり、町内の創業を支援する関係者らがサポートしてくれた。店名のりぼんに「いろいろな人の縁がつながればいい」との願いを込めた。
 23日に開業するテナント型商店街に移り、新店舗を構える。地元で水揚げされた新鮮な海産物を生かした料理、スペインの居酒屋「バル」をイメージした料理などメニューを練る。
 町の復興のため、Uターンしての開店。「一人でも多くの人が女川とつながってほしい」と望む。


よしもと制作「泣がぃん」舞台の気仙沼で上映
 宮城県気仙沼市を舞台に大手芸能プロダクション・よしもとクリエイティブエージェンシーが制作した地域発信型映画「泣がぃん」が23日、同市本吉町のはまなすホールで上映される。菊池清嗣監督や主演で芸人のあべこうじさんらがあいさつするほか、映画出演者によるお笑いライブもある。
 会社員や経営者ら市民が昨年末、映画を通じて全国への地域情報発信を目指す「気仙沼鮫(フカ)イイ映画制作実行委員会」を組織し、制作に協力。今回の上映会を主催した。映画にはメンバーや多くの市民が出演した。
 「泣がぃん」は地元の言葉で「泣きなさい」の意味。作品はことし3月に開かれた沖縄国際映画祭で好評を得て、いわば「凱旋(がいせん)」上映会になる。
 第1部はあべさん、お笑いコンビ「しずる」「爆笑コメディアンズ」によるお笑いライブで、第2部が舞台あいさつとトーク、映画上映(20分)の予定だ。
 実行委の堺丈明委員長は「東日本大震災から立ち上がろうとする人物の姿は、震災後の気仙沼の記録でもある。市民に映画を楽しんで元気になってもらいたい」と話す。
 入場料は1500円(前売り)。当日券も同額で準備する予定。連絡先は堺さん090(5231)4901。


<復興祈念公園>追悼と協働 コンセプト
 宮城県南三陸町は20日、東日本大震災で被災した志津川市街地の八幡川西側に整備する復興祈念公園の住民説明会を町内で開いた。住民約40人が参加し、慰霊碑を置く築山や鎮魂の森を盛り込んだ基本設計案が示された。来年度着工し、2018年度の完成を予定する。
 公園は旧JR気仙沼線と八幡川、新国道45号に囲まれた6.1ヘクタールに整備する。コンセプトは犠牲者への追悼と記憶の継承と、自然への感謝と住民との協働。
 高さ約20メートルの築山に「祈りの丘」を設け、慰霊碑を置く。丘は250平方メートルで約130人が災害時に避難可能。物資を備蓄するベンチなどの設置も検討する。
 31年まで県有化される防災対策庁舎周辺はメモリアルゾーンの位置付け。本庁舎の基礎部分も残し、震災前の市街地の高さを知ってもらう。広場には地震発生から津波が最高到達になるまでの時間経過を距離に置き換えて示す「記憶のみち」を敷設する。
 鎮魂の森「みらいの森」には住民らがツバキやタブノキを植える。住民からは「支援をもらった世界中の木々を植えるのはどうか」といった意見が出た。
 設計した奈良女子大の宮城俊作教授(住環境学)が「工事が終わってからが公園の始まり。住民の手で造り上げていってほしい」と呼び掛けた。


<復元オオカミ絵>地域のぬくもり継承
◎失われた遺産 絆がつなぐ(下)新しい当事者
<保存画像を分析>
 「怖いものでなく、人に身近な場所で一緒に暮らしている。そんなオオカミたちの姿が表現され、飯舘の自然の豊かさを感じた」
 ことし4月上旬、東京・上野にある東京芸術大保存修復日本画研究室で、准教授の荒井経さんは語った。見せてくれたのは、杉板に自ら描いたオオカミの真新しい絵。福島県飯舘村佐須の山津見神社拝殿にあった天井の絵(計237枚)の復元を試みた、最初の1枚だった。
 2013年4月の火災で拝殿が焼失する直前、和歌山大観光学部の特任助教サイモン・ワーンさん(59)が撮った保存画像から絵の特徴、画風を分析し、日本画の伝統技法で再現した。
 依頼したのは、ワーンさんと一緒にオオカミ絵を調べた同大教授加藤久美さん(55)。「貴重な遺産の復元を」と氏子会の住民や支援者たちに訴え、14年夏にいったん検討が始まった。が、中心だった禰宜(ねぎ)の久米順之さん(47)が事情あって神社を退職し、話は頓挫した。加藤さんが最後の頼みとした人が、専門家の荒井さんだった。
 6月21日、火災から2年2カ月ぶりに再建された山津見神社を、保存修復日本画研究室の院生たちが訪ねた。「復元作業に携わる前に、オオカミ絵の古里で、(東京電力福島第1)原発事故被災地である現地を見て感じてほしい」という荒井さんの希望だった。
 一行は新しい拝殿の天井を仰ぎ、山の神が鎮座する裏手の虎捕山に登り、無人の佐須の集落を見た。伊達市に避難中の氏子総代菅野永徳さん(75)から「絵はわれわれの歴史。次代につなぎたい」との願いを聴いた。
 研究室に約20人が集い、作業の絵筆を執ったのは8月。「失ったものを取り戻すのでなく、絵が伝えた人と土地のぬくもりを、一人一人が現代の画家として受け継ごう」(荒井さん)という形の復元を志し、保存画像の絵と向き合った。
<途切れない客足>
 再建された山津見神社で例大祭が催された11月28日、佐須公民館には朝から客が途切れなかった。復元の第1期分としてオオカミ絵100枚が完成し、地元で披露されたのだ。「奇跡のようだ。避難先の仲間が60人も見にきた。佐須の人の心もよみがえらせてくれた」と菅野さんは喜んだ。
 研究室でオオカミ絵を制作した修士1年の林宏樹さん(24)はお披露目の場に立ち会い、胸を熱くした。
 埼玉県出身で11年春に芸大に入ったが、震災と原発事故で入学式は中止に。「トラウマを抱え、絵筆で何ができるかと考え続けた。4年の時に浜通りの無人の被災地を訪ねたが、見えないものの恐怖に震えて、何も描けなかった」
 復元を通して飯舘村に関わり、「模索した絵を地元の人々に受け入れてもらえた。自分もようやく震災の当事者として役立てた」。
[オオカミ絵の今後]完成した100枚は福島県美術館が保管。「震災の中で失われ、新たに生まれた地域の文化資源として広く紹介したい」(増渕鏡子学芸員)と来年5月末から7月初めに企画展を開き、その後、山津見神社に奉納する。荒井さんらは残り約140枚の復元に取り組む。


130万円の壁 現状に合わない制度だ
 年収130万円未満のパートの主婦らは年金や健康保険料を負担しなくても済み、103万円以下だと所得税がかからず配偶者控除が適用される。これらの優遇を受けるため、自ら働く時間を抑えている人は多い。いわゆる「130万円の壁」「103万円の壁」だ。
 厚生労働省はパートの賃上げや勤務時間を増やした企業に助成金を支給し、パートの人が「壁」を意識せず長時間働くことを促すことを検討している。だが、そんな小手先の対策で済ますべきではない。
 「壁」をなくすことは、(1)働く人の不公平の解消(2)労働力の確保(3)社会保障財源の安定−−につながる。抜本的な制度改革が必要だ。
 現在の社会保障制度は「正社員の夫と専業主婦の妻」をモデルに1960年代に整備された。親の介護や子育てなども含めて無償の家事労働を担っている専業主婦に対して保険や税の優遇措置が設けられたのだ。
 86年に男女雇用機会均等法が施行されたころから働く女性が増え、現在は専業主婦世帯より夫婦共働きの方が多くなった。多世代同居より核家族が増え、親の介護を担わない専業主婦も多くなった。
 一方、未婚や一人親の非正規社員は長時間働きながら低賃金しか得られず、その中から保険料を自分で払っている。特に国民健康保険に加入している一人親は子どもの数が多くなるほど負担が重くなる。「壁」に守られて保険料負担のない主婦と比べると著しく不利だ。
 現状と制度が合わなくなっているのは明らかだ。
 政府は一人親家庭に支給する児童扶養手当を増額することを検討している。多額の予算が必要だ。「壁」をなくしてパートの人が自分で保険料を負担するようになれば、その分の公費支出が少なくなる。働いても貧しいワーキングプアの家庭に財源を回すなど再分配の機能をもっと働かせるべきだ。
 また、福祉やサービス業などは深刻な労働力不足に苦しんでおり、「壁」をなくすことは労働力確保の面でも大きな意味がある。現在は働いていない人、短時間のパートの人の中には看護師や保育士などの資格を持っている人も多い。
 もちろん、現に介護や子育てをしているため働きたくても働けない人には配慮が必要だ。休業補償を手厚くし、税や保険でも不利にならないようにしなければならない。
 加藤勝信1億総活躍担当相は「103万円の壁」についても解消する必要があると明言している。すべての人が公平感を持って積極的に働くことができる社会に向け、時代に合った制度に改めるべきだ。


思いやり予算 増額では理解得られぬ
 在日米軍駐留経費の日本側負担、いわゆる「思いやり予算」が増額される。日本側の減額要求は米側に受け入れられなかった。日本の財政状況は厳しさを増している。国民の理解は得られるのか。
 日米安全保障条約に基づく日米地位協定は、日本に駐留する米軍に対して、日本側は基地や訓練場などの施設・区域を提供する義務はあるが、駐留に要する経費は米側が負担することを定めている。
 思いやり予算は、地位協定上、米側が負担すべき駐留経費を日本側が代わって負担するもので、円高や米国の財政赤字などを背景に一九七八年度から始まった。当時の金丸信防衛庁長官が「思いやりをもって対処する」と答えたことにちなむ。
 地位協定上、日本側には負担義務がないことを、まずは確認しておく必要がある。
 両政府は十六日、二〇一六年度から五年間の思いやり予算について総額九千四百六十五億円、年平均千八百九十三億円とすることで合意したと発表した。一五年度までの五年間に比べて1・4%、総額では百三十三億円の増となる。
 在日米軍施設で働く日本人労働者の人件費、米軍の光熱水費などに充てられ、人事院勧告によっては、さらに膨らむ可能性が高い。
 日本側は、厳しい財政事情や安保関連法成立による自衛隊の任務拡大などを理由に減額を求めた。
 しかし、米側はアジア・太平洋地域重視のリバランス(再均衡)政策に伴い、最新鋭イージス艦を日本に追加配備することなどを理由に増額を譲らず、日本側が最終的に譲歩したという。
 思いやり予算は、九九年度の二千七百五十六億円をピークに減ってきてはいる。しかし、消費税率10%への引き上げが一七年四月に迫り、社会保障水準の切り下げも続く。そうした厳しい状況下で、国民の理解が得られるだろうか。
 在日米軍駐留に伴う日本側負担は思いやり予算にとどまらない。米軍施設の借料や基地周辺対策費、訓練移転などの米軍再編費用を含めれば総額は年五千億円を超す。防衛省以外の省庁が所管する基地交付金などを加えれば七千億円超という巨額の予算だ。
 防衛費は安倍内閣の下で増え続け、一六年度予算案では初めて五兆円を超える見通しだという。厳しさを増す国際情勢に対応する必要はあるとしても、財政規律や社会保障を犠牲にしていいわけはない。在日米軍や自衛隊の予算が妥当な水準か、常に検証が必要だ。


政府機関の移転  地方創生の覚悟見えぬ
 案の定というべきか。政府が地方創生の一環として打ち出している政府機関の移転について、消極的な姿勢が鮮明になってきた。
 42道府県が誘致を目指す69機関のうち34の候補を決めたが、地方からの要望が強かった国や独立行政法人の研究機関や研修施設22機関のうち組織全体の移転を検討するのはわずか1件。大半が研究連携体制の構築などの「一部移転」になる見通しだ。
 その一部移転の内容も、研究者が東京に住みながら地方にも研究室を置くケースや、府県が運営する研究所との単なる共同研究など、地方側からはとても「移転」と受け止められないような形もあるという。
 共同研究の推進自体に異論はないが、本来目指していた機関移転は明らかに別物であり、これでは単なる対象の水増しと言われても仕方がないだろう。
 中央省庁では、文化庁など全7機関と国民生活センターなど各省庁と関連性の強い独法5機関が検討継続となった。だが省庁側の抵抗は強く、石破茂地方創生担当相は記者会見で「(移転が)日本全体のためにはならないということは論理的には当然あり得る」と部分移転になる可能性に言及した。
 文化庁誘致に動いている京都府と京都市は、このままでは府庁内にある文化庁関西分室の拡充で決着しかねないと巻き返しを図るが、政府はどこまで応えるか。
 政府は地方創生戦略で、東京一極集中の是正に向け、民間企業の本社機能の地方移転を税制の優遇措置などで推進している。その模範を示す意図が政府機関の地方移転にはあったはずだが、現状を見る限り、その覚悟は見えない。
 そもそも国の機関の首都圏からの移転は、地方の活性化にとどまらず、首都直下地震に備えるリスク管理の面から真剣に検討すべきテーマだろう。政府は移転対象について地方の手上げ方式をとり、自治体にメリットの説明責任まで求めたが、本来、移転の必要性は国が主体的に考えるべき問題だ。
 地方移転が実現した例は過去にある。1989年に「多極分散型国土の形成」を目指し、東京23区内の出先機関や特殊法人約70施設の移転を閣議決定したケースだ。ただ東京の過密解消を主目的としていたため、首都圏以外に移転したのは3施設にとどまった。
 政府は来年3月の正式決定を目指す。「移転」を形だけで終わらせずに実のあるものにできるか、政府の本気度が問われる。


安保廃案訴え、学生ら京都でデ
 安全保障関連法の成立から約3カ月が経過した20日、同法に反対する関西の大学生で作る「SEALDs関西」が京都市内で、成立後初めてデモを行った。「民主主義って何だ」「私の国に戦争はいらない」と、同法廃止を訴えながら歩いた。
 東山区の円山公園でデモ行進前に開いた集会では、シールズ関西のメンバーが「多くの疑問が残る中で安保法は成立して、終わったよねって思われているけど、そうじゃない」と呼び掛け、京都選出の民主党と共産党の参院議員らがスピーチした。その後、四条通から河原町通を経て市役所近くまで歩き、ラップの軽快なリズムに合わせて「憲法を守れ」「平和を守れ」「安保法制絶対反対」などと訴えた。
 シールズ関西によると、参加者は1800人。


国立市議長 「事実婚、非難されて当然」…やじ飛ばす
 東京都国立市議会の石塚陽一議長(69)が、出生届に嫡出子か嫡出でない子(婚外子)かの区別を記載する規定に反対する女性が委員会で「長年婚姻届を出さずに子どもを育ててきたことを、同僚に『ひどい母親だ』と非難された」と訴えた際、「当然だよ」とやじを飛ばしていたことが21日、分かった。
嫡出子記載削除、陳情の女性に
 女性は東京都武蔵野市の田中須美子さん(68)で、取材に「根強い差別意識の表れで、あまりにもひどい」と主張。石塚氏は21日の本会議で「傷ついた心を、さらにやじで傷つけたのは痛恨の極みだ」と謝罪した。
 最高裁は2013年9月、出生届に嫡出子かどうか記載するよう義務付けた戸籍法の規定を「必要不可欠とは言えない」と判断。夫婦同姓を強いる現行の制度に反対し、事実婚を続ける中で子育てに取り組んできた田中さんは、国立市議会に嫡出子の記載に関する規定の削除を求めた陳情書を提出していた。
 今月10日の委員会で「職場の同僚から『なぜ婚姻届を出さないんだ。子どもがかわいそうだ』『ひどい母親だ』と非難されたことがある」と発言。直後に石塚氏が「当然だよ」と述べたという。
 石塚氏は21日の取材に「当時の社会環境では非難する人もいたと考えた。陳情者を批判する意図はなかった」と釈明した。
 上智大の三浦まり教授(政治学)は「差別を是正すべき議会で議員が差別的な発言をするのは不見識。正式なプロセスで意見を届けようとする人の話を厳粛に聞くべきだ」としている。陳情は21日、採択された。

炎の第九/44歳のチアリーダー!!

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第10回部落解放全国大会大阪

Iris Mittenaere est Miss France 2016
Un sacre à domicile. Iris Mittenaere est devenue samedi soir au Zénith de Lille Miss France 2016. La candidate du Nord-Pas-de-Calais s'était distinguée en obtenant la meilleure note au test de culture générale.
Le doublé pour le Nord-Pas-de-Calais. Iris Mittenaere, 22 ans, est devenue samedi soir Miss France 2016. Même si elle figurait parmi les favorites de cette édition, son sacre l'a prise de court, elle qui admire Camille Cerf, à qui elle succède. La belle Miss Martinique Morgane Edvige a pris la deuxième place du concours - elle est donc première dauphine. Miss Tahiti, Vaimiti Teiefitu, elle, est la seconde dauphine.
Elle rêve de rencontrer Line Renaud et Angelina Jolie
Dans l'entretien qu'Iris Mittenaere nous a accordé avant son sacre, elle confiait avoir eu envie de troquer (sa) blouse blanche d'étudiante en cinquième année à l'école dentaire contre une robe à paillettes. La voilà prise dans le tourbillon d'une folle année à venir, elle qui avait obtenu la meilleure note des 31 candidates au test de culture générale. Marraine de l'association Bienvenue-Tongasoa qui construit des écoles de brousses à Madagascar, la jeune femme de 22 ans qui veut donc devenir dentiste à la fin de son cursus universaitaire, s'est investie au sein de l'association universitaire Dent'icap dont l'enjeu est de permettre l'accès aux soins dentaires des personnes en situation de handicap. Une tête bien faite donc, sur un corps aux mensurations parfaites. La Chti aura peut-être l'occasion de découvrir prochainement ses deux modèles: Line Renaud et Angelina Jolie.
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NNNドキュメント'15安倍政治ってなんだ? 戦後70年 ニッポンの分岐点
今夏、日本を揺らした2つの政治課題「安保関連法」「戦後70年談話」国民の間には今も漠然とした不安が広がる。「民主主義ってなんだ?」若者たちは今も声を上げる。一体、安倍首相が目指す「新しい国」とは何なのか?私たちは首相が強い影響を受けた祖父・岸元首相の足跡を追った。A級戦犯容疑者としての日々、安保改定秘話、憲法改正への執念。その姿は安倍首相と重なり合っていく。平和国家としての歩みは変質してしまうのか?首相に単独インタビューで迫った。
小山茉美 / 日本テレビ

ガリレオX「再び電子立国へ〜ロボット・人工知能〜」
日本の電子立国への道を切り開いてきた産業技術総合研究所。その歴史を辿ると、これまで歩んできたロボット技術や人工知能の軌跡が見えてくる。そしてその研究の成果が今、私達の生活の中に広がりつつあるという。産業や防災、介護まで様々な分野に利用し始められているのだ。近い将来、産業革命以来の社会変革を起こすと期待されているロボット、人工知能。その研究の最前線に迫る。
辻井潤一 白井良明 柴田崇徳 夏目徹 松本吉央

テレメンタリー 「シリーズ戦後70年(16) 父の戦争 戦艦武蔵 甲板士官の遺言」
世界最大の戦艦武蔵が戦後70年となる今年海底から見つかった。製造から最高機密でほぼ知られることなく沈没した武蔵、その甲板士官だった男は番組担当ディレクターの実の父親だ。家族にもほとんど話すことなく5年前に逝った父親の証言テープが今年見つかる。
そこには「不沈艦」と称された武蔵の最期、そして帝国海軍の幹部候補として海軍兵学校で共に学び絆を深めた同期生との戦地での再会、別れ…。壮絶な体験が記録されていた。
九州朝日放送

NHKスペシャル 新・映像の世紀「第3集 時代は独裁者を求めた」
5000万を越える人々が犠牲となった第二次世界大戦の惨劇は、一人の独裁者の狂気だけが生み出したものではない。大恐慌で資本主義に幻滅した人々はファシズムを支持し、世界の企業がドイツを支援した。アメリカのフォード社は、ドイツ軍のトラックを生産。強制収容所の大量の囚人管理を可能にしたのは、アメリカ企業の開発したパンチカードマシンだった。独裁者に未来を託し、世界を地獄に追い込んでしまった人々の物語。
山田孝之,伊東敏恵

プレミアムドラマ「44歳のチアリーダー!!」
「人はいくつになっても輝ける!」44歳・専業主婦の、奇跡の実話!2005年、楽天のプロ野球参戦と同時に設立されたチアリーダーチームに、全く未経験の3児の母が応募、なぜか選考を通りチアに挑むことに!でも若い子についていけず体はボロボロ、家族も反対。そうした苦難を乗り越え、ついにホーム最終戦を迎えます…実話を元に、当時の試合映像も交えた、涙と感動のドキュドラ!全国に元気を送ります!
堀内敬子ほか
堀内敬子,星野真里,森尾由美,石田亜佑美,大友康平,森本レオ,星由里子,寺島進
吉田紀子

小林研一郎指揮 炎の第九
[指揮]小林研一郎
[管弦楽]大阪フィルハーモニー交響楽団
[合唱]大阪フィルハーモニー合唱団
[ソプラノ]上村智恵
[アルト]相可佐代子
[テノール]与儀巧
[バリトン]ジョン・ハオ
高らかに響け“歓喜の歌”!大迫力!燃え上がるコバケンの「第九」!
冬の日本が暮れていき、街は賑わいをみせるころザ・シンフォニーホールに歓喜のメロディが響きます。「愛」「喜び」「友情」「自由」・・・。師走に振り返る2015年は「愛」や「喜び」に満ち溢れていたいものです。
今年のザ・シンフォニーホールの『第九』では小林研一郎さんが登場!世界を舞台にエネルギッシュな活動を続けるマエストロ=コバケンこと小林研一郎さん。コバケンさんの熱いタクトと、大阪フィルハーモニー交響楽団の大編成大迫力サウンド、華麗な歌手陣とともに紡ぎだす『炎の第九』。
うつりゆく時代のなかで、変わることなく輝き続けるベートーヴェン不滅のシンフォニーを奇跡の残響空間でお楽しみください!明日への希望とともに!!

わが解体―高橋和巳コレクション〈10〉 (河出文庫)
高橋 和巳
河出書房新社
1997-02


誠実さゆえの終焉 ぷんちょ
高橋和巳を思うとき、これほどまでに誠実に生きた文学者が、ひと昔前にはいたのだなと考えます。この人は、文学に対して、学生に対して常に誠実で、それは身を削る凄まじさを内包していました。そこまでに誠実であるがゆえに、理解されないときや自分の力が及ばなかったときの傷の深さは想像に余ります。一見して優しげで頼りなげな風貌からは想像し得ない激しさと厳しさ、類まれなるインテリジェンス。しかし際立った特徴は、思想・スタイルに違いこそあれ三島由紀夫と同様に行動したことです。その行動とその背景にある思いや考えが記述されており、戦わなくなった我々に切っ先を突きつける、そんな緊張感が漲っています。そしてとても切ない感情が包み込んできます。

炎の第九です.とてもよかったです.
夜は44歳のチアリーダー!!を見ました.

<私の復興>再出発 通過点の一つ
◎震災4年半〜群馬県高崎市「光洋愛成園」施設長 寺島利文さん
 森の中の施設は、葉擦れの音や鳥のさえずりが聞こえた。
 唱歌「ふるさと」のメロディーが流れた途端、施設長の寺島さんの脳裏に、突然失った古里の光景がよみがえった。福島を追われるように離れてから4年9カ月が過ぎた。
 東京電力福島第1原発事故で福島県富岡町にあった知的障害者施設「光洋愛成園」は、300キロ離れた群馬県高崎市に避難した。
 その避難先で6日、小さな演奏会があった。東日本大震災前から交流がある仙台市の市民楽団「太白ウインドアンサンブル」のメンバーが慰問に訪れた。利用者と耳を傾けた「ふるさと」。調べは心に強く響いた。
 光洋愛成園はいま、福島での再出発を期し、富岡町と同じ双葉郡の広野町に新しい入所施設やグループホームを建設している。
 富岡は全町避難が続いたままだが、2012年3月に避難指示が解除された広野になら帰れる。新しい施設は来春に完成の予定だ。
 「5年は長かった。来年は福島で会おう」。寺島さんは団員たちと固い約束を交わした。
 高崎にたどり着いたのは原発事故の1カ月後だった。
 震災翌日の早朝、消防団員の呼び掛けに耳を疑った。「原発が危ない。急いで避難を」。余震と停電が続き、消防署からも避難を指示され覚悟を決めた。
 利用者や職員ら81人をマイクロバスなど7台に乗せ、国道288号を西へ。全員一緒に身を寄せられる避難所を探した。
 「環境が変わるストレスを考えればみんな同じ場所でなければ」。突然の逃避行に利用者たちも過敏になっていた。どうしても譲れない条件だった。
 何とか福島県三春町の生涯学習施設の一室を利用できることになったが、大部屋での生活は苦労が多かった。県に何度も掛け合い、2次避難施設を探した。ようやく見つかったのが高崎市の国立重度知的障害者総合施設だった。
 同じ福祉の道を進む長男の潤さん(31)=仙台市=の結婚は、長引く避難生活の中で明るい話題だった。「福島に帰る方がよっぽどうれしいけどね」。照れくさそうな寺島さんの言葉に福島への思いがにじむ。
 福島に戻る日が近づいても不安はある。一番は職員不足だ。広く呼び掛けても思うように集まらない。
 「一緒に戻って働こう」と内定を出したが、通える場所で住まいを探しても見つからないと辞退した人もいた。福島に戻らないと決めた職員もいる。
 「利用者のことを考えれば職員が10人は足らない」。もどかしさが募る。
 「広野に戻っても利用者の日常生活は元に戻っていない。やることはまだまだある」。福祉の世界に入って40年。「利用者の幸せが第一」が信念だ。道は長く険しい。新しい施設での再出発は、再生に向けた一つの通過点だと考えている。
(田柳暁)
●私の復興度・・・30%
 福島は、岩手や宮城とは質の異なる被害を受けた。津波被害だけなら同じ古里の高台などで再び暮らすこともできるが、放射能汚染の影響が強く残る地域ではそこにある自宅にさえ帰れない。私たちは新しい施設ができ広野町に戻るけれど、一つのハードルを乗り越えたにすぎない。利用者がかつての生活を取り戻してこそ復興を遂げたことになるのだと思う。だから30%。


河北抄
 この際、鬼に笑われてもいい。来年の選抜高校野球大会。21世紀枠候補に東北からは岩手の釜石が入った。候補は全国で9校。東と西から各1校、残り7校から地域を限定せず1校の計3校の出場が、来年1月29日に決まる。
 前身の釜石南は1996年の選抜大会に初出場した。1回戦で米子東と大接戦の末、九回表に逆転され涙をのんだ。あの悔しさと感動を忘れもしないOBらは「その日」に備え、早速走りだした。
 20年前の「鉄のまち」は冷え込んでいた。新日鉄釜石(当時)の出銑(しゅっせん)の火が消え、象徴だった高炉が爆破、解体されたのは96年の晩秋。喪失感漂う釜石は釜南の活躍に大いに沸いた。東日本大震災で被災し復興へ向かう今回、2度目の出場となれば、その先は想像に難くない。
 釜石と言えばラグビー。いやいや野球も。かつての阪急のエース山田久志は、当時の富士鉄釜石野球部出身だ。
 宮城推薦の石巻は残念ながら候補から外れた。ともに地域の進学校。同じ境遇にある仲間が出場できることを願い、共に祝いたい。鬼も一緒に。


仮設商店街でカキまつり
石巻市内にことしオープンした仮設の商店街で、特産の「カキ」が安くふるまわれる「カキまつり」が開かれました。
この催しは、地元特産のカキをPRしてまちを元気にしようと、石巻市の中心部にことしオープンした商店街「橋通りCOMMON」で行われました。
会場には女川町の尾浦で養殖を営む漁師が20日朝水揚げしたばかりのカキ200個が用意されその場で蒸し焼きにされて通常の半額以下の1つ100円で販売されました。
訪れた人は列を作って次々と買い求め旬の味を楽しんでいました。
地元が石巻市で今は利府町に住む60歳の女性は「味が濃くておいしかったです。体が温まりました」と話していました。
商店街を運営する会社の苅谷智大さんは、「震災からもうじき5年ですが、地元のおいしい食材を広く知ってもらうとともに、たくさんの人にまちが変わっていく姿を見てもらいたいです」と話していました。


週のはじめに考える 私たちは忘れない
 忘れないでください。忘れることで人は過ちを繰り返す−。行く年の煩悩を打ち消す百八の鐘に耳を澄ませば、忘却の風に抗(あらが)う、その声も届くはず。
 名古屋市を中心に活動するタレントの矢野きよ実さんは毎朝四時半、矢野さんが十八歳の時に亡くなった、父親の遺影にほうじ茶をお供えし、レギュラー番組を持つ市内のラジオ局に出掛けていくのが日課です。
 「お父さん、行ってきます」とつぶやくたびに、父親の顔や声と一緒に、東北の被災地で出会った人の表情、その人たちの声なき声が、流星雨のように頭の中を飛び交います。
 書家でもある矢野さんは、被災地で「書きましょ」という活動を続けています。
 3・11の衝撃で、被災者、とりわけ子どもたちの心の奥に閉じ込められてしまった言葉たち、声にできない悲鳴や叫びを、文字にして吐き出してもらいたい−。震災の年の夏からずっと、筆やすずりを携えて東北各地を回っています。
 積もり積もった何千枚もの筆の跡、降り注ぐ言葉の雨を、矢野さん自身、まだ整理しきれない。忘れようにも忘れられません。
 毎月十一日、矢野さんは番組の中に被災地へのメッセージを織り込むことにしています。
 今月は、三重県桑名市に住む六十一歳の女性が寄せたはがきを読み上げた。
 <二〇一〇年十二月、私は主人の実家の一人息子に、何か買ってあげたくて、仕方のない気持ちになり、いつになく必死でクリスマスプレゼント、黒の革のジャンパーを選び、おくりました。来年も着られるよう、大きめのをね。とても喜んでくれて毎日着ていたそうです。その三カ月後、それを着てその子はつなみにのまれました。八歳でした…>
 「大川小学校」の名前を聞くだけで涙が込み上げた。三カ月がかりでしたためたとも、はがきの主は書いている。
◆負けてなんかやらねえ
 「福島は特別…」と矢野さんも感じています。
 六月、青森市内で開いた「書きましょ」。浪江、双葉、郡山、そして南相馬からの避難家族、約三十人が集まった。
 「三月十一日 もとの家族にもどりたい」と書いたおばあちゃん。「鮭(さけ)といっしょに浪江にかえろう」としたためた人もいた。
 大きな紙に「くやしさ」=写真=と大書した十歳の女の子。
 そして、この日福島から駆けつけて「負けてなんかやらねえよ」とつづったお父さん。
 原発の解体現場で働くその人は「絶対に家族をふるさとに戻すから」と言い置いて、放射能の中へ、とんぼ返りしていった。
 「復興」と書いた人は、いなかった。書き終わって、みんなで泣いた。
 これが今なお、被災地の真実であり、本音なら、絶対に忘れるべきではない。忘れることは責任の放棄に等しくないか。
 福島の叫びをかき消すように、列島各地で忘却の風吹きすさぶこのごろです。
 関西電力が再稼働をめざす高浜原発の、大事故に備えた広域避難計画が今月策定されました。
 原発三十キロ圏内の福井県と京都府から兵庫県や徳島県へ、約十八万人が避難します。
 それだけの人が無事に移動できたとしても、避難先で待ち受ける過酷な暮らしの現実までは、シナリオにできません。
 その四日前、日本とインドが原子力協定を結ぶことになり、インドへの核技術の供与が近く可能になりそうです。
 自国の深手を癒やすすべさえないままに、原発輸出を「成長戦略」と呼んではばからない、一部の政治家や財界人の心のうちが知れません。
◆その痛み、受け止めたい
 年忘れ。忘年会。忘れてしまいたいことや、どうにもやり切れないことがありすぎて、さかずきを傾ける機会も多い年の瀬です。しかし、どんなお酒にどれだけ酔っても、まだ忘れてはならないことがある。
 ♪忘れる事はたやすくても/痛みを今は受けとめていたい(吉田拓郎「僕の唄はサヨナラだけ」)…。
 この歌を小さく口ずさみながら、行く年に、サヨナラを告げてみようと思っています。


<安保法>廃止求め仙台で学生ら300人デモ
 安全保障関連法が成立して3カ月となった19日、同法の廃止を求める集会とデモが仙台市内で繰り広げられ、市民ら約300人が集まった。
 青葉区国分町の公園で開かれた集会には大学生グループ「SEALDs TOHOKU(シールズ東北)」「安保関連法に反対するママの会宮城」など複数の市民団体が参加した。
 参加した主婦吉田美智子さん(35)=青葉区=は「家事で忙しいが、各地のママたちと一丸となり声を上げていく」と力を込めた。
 集会後は青葉区一番町の商店街をデモ行進し、「戦争法は廃止」とシュプレヒコールを上げた。集会を呼び掛けた「19日行動市民連絡会」の真喜志淳代表は「安保法廃止を諦めず、アピールを続ける」と話した。
 東京と大阪の中心部でも高校生らのグループがデモを行い、「あの日を忘れない」「戦争反対」と訴えた。東京のデモに福島県から参加した高校3年の女子生徒は「今までよりテロや戦争に近づくことは目に見えている」と主張した。
 集団的自衛権行使を可能にする安保関連法は9月19日未明の参院本会議で、自民、公明両党などの賛成多数で可決され、成立した。


[議員の不適切発言]人権感覚乏しく攻撃的
 嵩原弘・宮古島市議が開会中の市議会一般質問で、名護市辺野古の新基地建設に反対する市民らの運動に触れ「辺野古基金からの日当と弁当付きでデモをしている」と発言した。
 事実に反する内容で、辺野古基金や市民団体の代表は憤慨している。
 そもそも基金は沖縄の声を国内外に発信するのが目的で、一部は全国紙などへの意見広告に使われた。個人に支出されるものではない。
 米軍キャンプ・シュワブ前で座り込む市民は、千円のバス賃を払い辺野古行きのチャーターバスに乗り、手弁当で運動を続けている。日当などあるはずがないことは、現地に足を運べばすぐに分かる。
 嵩原市議自身も「日当や弁当の受け渡しは見たことがない。インターネットで情報を得た」と語っている。
 民意を代表する議場の真ん中で、ネット上のデマを事実かどうかも確認せずに発言するとは情けない。速やかに発言を撤回し謝罪すべきだ。
 議員の不適切発言は、沖縄に限ったことではない。
 先月末、兵庫県洲本市議が本紙フェイスブックに、新基地に反対する市民を「けとばせばいい」と書き込み、批判を受けたばかりだ。
 岐阜県議会では今月10日、自民党県連の政調会長も務める県議が「同性愛は異常」とやじを飛ばしている。
 埼玉県川口市議会では、外国人市民の増加を犬の登録数と比較した発言があった(13日付朝日新聞)。
 感情むき出しの差別的な発言が地方自治体の議会で繰り返されている。その裏に潜むのはある共通した空気だ。
    ■    ■
 嵩原市議が情報を得たというネットには、真偽不明の情報や、読んだだけでデマだと分かる書き込み、特定の個人を名指しした罵詈(ばり)雑言、誹謗(ひぼう)中傷の言葉が氾濫している。
 県議会9月定例会で翁長雄志知事が「ネットでは長女が中国の外交官と一緒になり、末娘は中国へ留学していると言われている。二人とも一度も中国に行ったことがない」と発言する場面があった。
 野党議員の「知事は中国と親しいと言われているが、中国から招待されることがあるのか」との質問に対し、ネットで広がるデマを否定したのである。
 民主党の辻元清美衆院議員は公式サイトのかなりのスペースを割いて、自身に関するネット上のデマの一つ一つに反論している。悪質なデマによって真実が曲げられたり、あらぬ対立が生まれるのを危惧してのことだ。
    ■    ■
 議員なら質問する前に、県や市町村当局に確認すれば分かることを、あえて議会で取り上げるのはなぜか。この手の話を拡散させるために、意図的に発言していると疑われても仕方がないだろう。 
 噴出する不適切発言に共通するのは、人権感覚に乏しいことだ。時代の空気を反映したところがある。排外主義につながる危険な動きである。
 選挙で選ばれた議員は、基本的人権を守る役割を果たすべきであって、デマの「拡声器」の役割を担うようでは、健全な民主主義は育たない。


都民6割「東電以外」検討 電力自由化 より安く/原発の電気いや
 来年四月に始まる電力の小売り自由化で、電気の購入先を東京電力から新しい電力販売業者に代えようと考えている東京都民が六割に上ることが、本紙と新潟日報の合同世論調査で分かった。料金がより安いところがあれば代えたいという理由が最も多いが、「原発でつくられた電気を使いたくない」を理由に挙げた人は二番目に多かった。また東京、新潟とも七割が将来的には原発をゼロにし、再生可能エネルギーを軸に取り組むべきだとの意思を示した。 (小倉貞俊)
 調査は、東電福島第一原発事故から五年を前に、原発に関する意識を調べるために実施。今月十二日から十六日までの五日間、十八歳以上を対象に、東京と新潟でそれぞれ一千人、計二千人から有効回答を得た。
 電力の小売りが自由化されると、これまでは地域の大手電力会社に限られていた電気の購入先が、一般家庭でも自由に選べるようになる。
 購入先を切り替えるかどうか尋ねたところ、東京では6%が「切り替える」、56%が「すぐではないが検討する」と答えた。合わせて六割超の人が、東電から別の事業者に購入先を切り替えようと考えているとの結果が出た。「切り替えない」「当面は切り替えない」は計約三割にとどまった。
 切り替えを考えている人たちにその理由を聞いたところ、うち35・3%の人が「より安い電気を使いたい」と答え、二番目は「原発を保有しない電力会社の電気を使いたい」(28・2%)だった。
 東北電力管内の新潟では「切り替える」「検討する」が計四割弱、「切り替えない」「当面は切り替えない」が計五割弱だった。
 原発に対する考え方では東京、新潟とも「すぐゼロにするべきだ」「徐々に減らし将来はゼロ」が合わせて七割に上り、脱原発を望む声の大きさがあらためて明らかになった。逆に「今まで通り活用」「徐々に減らすが、一定数は活用」はともに三割弱にとどまっている。
 今後、力を入れるべきエネルギーを二つ選んでもらう問いでは、東京、新潟とも太陽光や風力、バイオマスなどの再生エネを軸に、水力や火力、原子力との組み合わせを挙げる人が八割いた。原発推進の考え方を持つ人に絞っても、六割超の人が再生エネを軸にすべきだと答えた。
<電力の小売り自由化> 来年4月からは、地域の電力会社の独占が崩れ、消費者は、国に「小売電気事業者」として登録したさまざまな業者から電気を購入できるようになる。契約先を切り替える際、メーターを新型のスマートメーターに取り換える必要があるが、原則費用負担はない。12月7日現在、登録業者は全国で73。ガス会社、石油会社、リース会社、商社などが参入するほか、再生可能エネルギーを中心にする業者、地域限定の業者もあり、選択肢は大幅に広がる。


「戦争してはならぬ」引き継ぐ 野坂さんに別れ
 東京都港区の青山葬儀所で十九日営まれた作家の野坂昭如(あきゆき)さんの葬儀・告別式には、ファンも含め約六百人が参列した。列席者からは「戦争をしてはならない」との野坂さんの平和への思いを後世に伝えたいとの声が上がった。
 野坂さんは九日に八十五歳で亡くなった。親交の深い作曲家の小林亜星(あせい)さん(83)は「ひねくれたところもありましたが、男らしくて素晴らしい人」と振り返る。「戦争を知る人が少なくなっている。僕らが死んだら心配だ。もう少し頑張って皆さんにお伝えしなくちゃいけないとつくづく思いました」
 二〇一三年に亡くなった映画監督の大島渚さんの妻で女優の小山明子さん(80)は「ああいうすてきな男たちはもう出てこない。自分を貫く精神の男は出てこない」としみじみと語った。
 ライブで何度も共演したクレイジーケンバンドのボーカル横山剣さんは「知れば知るほど、強くて優しい方だった」としのんだ。
◆先駆けの旗だった 五木寛之さん弔辞要旨
 野坂昭如。それは僕らにとって単なる一個人の名前ではない。一九六〇年代という反抗の季節に世に出た世代は、あなたの名前を一つの旗印のように感じていたはずである。野坂昭如とは、そんな時代の象徴であり、合言葉であった。
 放送、コマーシャル、歌、雑文など、ジャーナリズムの底辺からボウフラのように浮上してきた私たちを、軽佻浮薄(けいちょうふはく)と笑う人々もいた。蛇蝎(だかつ)のようにさげすむ人もいた。「焼け跡闇市派」と呼ばれ、「外地引き揚げ派」とからかわれ、ときに偽善のマスクを、ときには偽悪の衣をまといつつ、格好良さと格好悪さを虚実皮膜の間に演じつつ、私たちは生きてきたのだ。
 野坂昭如とは、そんな私たちの希望のともしびであり、先駆けの旗だった。同じ時代を生きてきた仲間は次々と逝き、今またあなたを見送ることになって、言葉にならない大きな欠落感を覚えずにはいられない。
 本来、弔辞とは、和紙に薄墨の毛筆で書くと教えられた。しかしあえて四百字詰め原稿用紙に万年筆で記すのは、「筆は一本、箸は二本」の厳しい世界を生きてきた仲間へのあいさつである。
 倶会一処(くえいっしょ)。いずれ、いずこの地にか、まみえん。
◆「軍隊で守れぬ」遺言に 瀬戸内寂聴さん弔辞要旨
 野坂昭如様。あなたが亡くなったと伝えられ、ぼうぜんとしています。
 つい先日、雑誌の往復書簡で「野坂さんと私は死ねないのかもしれませんね。覚悟して、地球の爆発するのを見てやりましょう」と書いたばかりでした。それなのに、あなたは突如一人で逝ってしまいました。まだ八十五歳とは。若過ぎる享年です。痛ましいです。惜しいです。悔しいです。
 厳しい筆致で日本の政治のだらしなさを叱責(しっせき)し、原発反対の筆をおかず、日本の前途を憂い続けました。このまま進めばやがて日本は滅びると言い続けられた野坂さんの声を忘れない国民もしっかりと残っています。
 「軍事では日本は守れない。といって平和国家をお題目のように唱えていては駄目である」というあなたの手紙の最後の文章は、切実な遺言になってしまいました。残された私たちはこの遺言を忘れず、若い人たちに伝えていくのが、せめてもの報恩になるでしょう。 (檀ふみさん代読)
◆妻 暘よう子こさんあいさつ
 飲んべえ、目立ちたがり、せっかち、うそつき、いいかげん。まだまだいっぱいあります。野坂昭如さん。
 春の夜でした。私はそのとき十九歳のタカラジェンヌ。初めて会ったその人は、夜なのに真っ黒い眼鏡をかけ、グラス片手に早口でしゃべっていました。変なおじさんという印象でした。
 夏の神戸、六甲山でプロポーズされました。何を言うかと思ったら「僕まつげがないんです」。外された黒眼鏡の下には、しっかりまつげがありました。きっと眼鏡の下の素顔を見てほしかったのだと思います。
 二十一歳の花嫁は何も分からず、とんちんかんな新婚生活はコントのようでした。矢のように過ぎた日々。待っていたのは十三年間の介護生活です。私にとっては、とても長い年月でした。不安だらけの介護。押しつぶされそうになりました。いいことも悪いことも、どうにか越えてきました。
 彼の周りにはいつも家族が集まり、小さな孫や猫が絡みついていました。二人の娘は「パパに寝間着は似合わない。いつもかっこいいシャツで」とダンディーな父親を守り続けました。野坂は満足だったと思います。
 亡くなる間際まで言い続けた、大事な言葉。「戦争をしてはならない。巻き込まれてはならない。戦争は何も残さず、悲しみだけが残るんだ」
 「火垂(ほた)るの墓」は世界で読まれています。日本の大事な一冊になってほしい。
 野坂は生まれて二カ月で母親と離されてしまい、母親の顔を知りません。きっとそのお母さまが迎えに来たのでしょう。目を閉じた顔は美しく穏やかで、初めて見る表情でした。ちょっとうれしそうな笑みは、母に抱かれた昭如少年だったに違いありません。
 今までお世話になった大切な皆さまに、野坂とともに心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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Dieu a créé l'alcool pour que les femmes moches baisent quand même.
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Artiste, Comique (1944 - 1986)
Le visage est le miroir du coeur.
Proverbe Français
Exige beaucoup de toi-même et attends peu des autres. Ainsi beaucoup d'ennuis te seront épargnés.
Confucius
Philosophe
Quand tout va bien on peut compter sur les autres, quand tout va mal on ne peut compter que sur sa famille.
Proverbe Chinois
Dans la vie on partage toujours les emmerdes, jamais le pognon.
Cent Mille Dollars Au Soleil
Personnage inconnu
Il n'est pire déshonneur, pour l'Homme, que d'infliger des tortures à l'animal, dans le seul souci d'y trouver du plaisir, et d'en tirer profit. Mais, pire encore, est de légaliser ces pratiques indignes, dans les corridas, sous prétexte de "tradition" !
Antonin Roméro
Retraité Aéronautique, France, Toulouse, 1944
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ETV特集「“医師の罪”を背負いて〜九大生体解剖事件〜」
終戦間際の1945年5月から6月、九州帝国大学医学部で米兵の捕虜を使った生体実験がひそかに行われた。墜落したB29の搭乗員8人が、海水を使った代用血液を注入されたり、片方の肺を切除されたりして死亡した、いわゆる「九大生体解剖事件」。医学生として生体実験の現場に立ち会った東野利夫さん(89)は、戦後、福岡市内で産婦人科医院を営みながら、国内外で事件関係者に取材を重ねながら事件と向き合い続けてきた。
池田成志

週刊 ニュース深読み「どうする?保育士不足 働く親を支えられるか」
働く女性が増えるなかで、保育士の不足が深刻化している。2017年には7万人が不足するとして、厚生労働省は今月、小学校や幼稚園の教諭なども保育士の代わりに働けるようにする緊急の対策を打ち出した。「一億総活躍国民会議」でも、待機児童解消のため保育サービスの拡充を緊急に対応すべき施策としている。保育士不足はなぜ起きているのか。どのような対策が必要か、専門家と共に深読みする。
林家正蔵,小椋久美子,
大日向雅美,駒村康平,小林美希,藤野優子,
小野文惠,高井正智ほか

助けて!きわめびと選「“笑顔”の写真を撮りたい」
写真界の芥川賞といわれる木村伊兵衛写真賞を29歳の若さで受賞した浅田政志さん。演劇のように衣装からポーズまで徹底的につくりこむ手法で日本中の家族の“笑顔”を引き出してきた。そんな浅田さんにお悩みを寄せたのは、高知に暮らす4世代13人の大家族。なぜか自然に笑うことができなくなってしまった86歳のおじいちゃん、その笑顔の写真をとるために浅田さんと家族が協力してくりだす極意とは?涙あり笑いありの感動物語
三宅裕司,松嶋尚美,一柳亜矢子,
浅田政志,
本上まなみ

サイエンスZEROシリーズ 原発事故(15) 最新報告 廃炉を阻む壁 “核燃料デブリ”
40年かかるといわれる福島第一原子力発電所の廃炉作業。その最大の難関といわれるのが溶けた核燃料と構造物の塊・「核燃料デブリ」の取り出しだ。しかし、原子炉内部の状況は、がれきや高い放射線量に阻まれ、未だに詳細はつかめていない。核燃料デブリは原子炉内のどこにどのように広がっているのか。そして、そのデブリをどのように取り出せばいいのか。最新の研究から見えてきた、今後の廃炉に向けた課題と対策に迫る。
核燃料溶け落ちの影響/ 廃炉作業の最難関 核燃料デフリ取り出し/ 廃炉を担う人材育成(東京大学・大学院工学系研究科 淺間一教授)/ 東京電力福島第一原子力発電所。事故から4年半あまり経ち、敷地内では放射線量を下げる作業が進み、以前より軽装備で歩けるようになっている。しかし、原子炉建屋内は高い放射線量やがれきに阻まれ、内部の状況はいまだ詳細に把握できていない。/ 溶けた核燃料は、原子炉の中の金属など他の構造物と混ざり合って、「核燃料デブリ」という塊になる。この取り出しが、廃炉へ向けた最難関の作業と言われる。/ 原子炉の内部を、ミューオンという宇宙線を使って観測する取り組みが進められている。ミューオンは原子炉の構造物を通り抜けてこのフィルムに記録される。この仕組みを使って、原子炉の中に核燃料がどれだけ残っているかどうかも見えてくるのだという。/ 日本原子力研究開発機構では、原子炉内部で使われている材料を混ぜ合わせ、模擬核燃料デブリを作成している。核燃料デブリの中にはどのような化合物が形成され、どう混ざり合っているのかを把握し、デブリ取り出し技術の開発に役立てようとしている。/ スタジオゲスト東京大学・大学院工学系研究科の淺間一教授。IRID(国際廃炉研究開発機構)などで廃炉技術全般についてアドバイスする委員を務めている。/ NHK水野倫之解説委員。福島原発の事故、その後の廃炉作業について取材を続けている。

男は3語であやつれる (PHP文庫)
伊東 明
PHP研究所
2009-02-03


3語どころじゃない、愛され女性のマジック・フレーズ集。  ガリレオの誕生日
この本、もしかしたらタイトルで損をしているかもしれないですね。タイトルを見て「なんだ、3語でいいんだ」って思ったら大間違いです。シーン別にトップ3がある、というだけで、この本が提案するマジック・フレーズはもっともっと沢山あります。 私にとっては、50ほどの参考になる(=使える)フレーズがありました。 目次の「あやつれる度」もお見逃しなく(笑)。 白けた女性目線で見てしまうと、なんでこんなお子ちゃま的な男のプライドを気にしてやらなくちゃならないのよ!となってしまうところですが、パートナーとうまくやっていこうと思うのなら、そういう「オレ様」的な自尊心をくすぐってあげるのが、お互い、気持ちよくお付き合いできる手っ取り早い方法なのかな、と思いした。 いずれにしても、思いやりのある言葉は人間関係の潤滑油になりますので、パートナー以外とのおつきあいにも、こういった声がけを応用していきたいと思います。男性心理のいい勉強になりました。ありがとうございました。

罰則期間が過ぎてやっと今日から本を借りることができます.madame figaro(パリジェンヌ白書)とNewton(ニュートリノの“変身”という大発見,数億の人々を救った薬とは?)を借りました.ほかにもいろいろ借りたい本があるのですが・・・
高槻でランチです.高槻センター街から少し離れたところのアジアンです.結構おいしいです.京都にもお店出すとありましたが,大阪市内にはまだありません.
少し時間的にギリギリになりましたが,どうにか映画に間に合いました.はだしのゲン・涙の爆発,です.適当に笑いを取るシーンもありますが,原爆で生活がめちゃくちゃになった人たちを描いていると思います.特に女性や子どもたち.見ていて悲しくなりました.特にゲンたちが宮城まり子のお母さんに甘えるところ.わたしはもう子どもではないのですが,母は偉大と思うしかありません.
映画上映の後は日の丸・君が代強制と闘っている教員のアピールでした.わたしに何ができるかな?と思うのでした.

震災で姉とお別れ サンタに託した少女の願い
 東日本大震災で当時6歳だった仲の良い姉を亡くした石巻市の小学2年佐藤珠莉(じゅり)ちゃん(8)が、2人の人形を「世界旅行させてください」と願う手紙をサンタクロース宛てに書いた。いつか海外に行くことを夢見ていた姉と自分の代わりに人形が世界中を旅できるようにと、クリスマスの奇跡を信じている。
 「あいり姉ちゃんとたくさんりょこうしたかったので、わたしのゆめをかなえてください。たびをしたときの人形のしゃしんをいっぱいとってきて、きねんにほしいです」
 珠莉ちゃんの姉愛梨ちゃんは石巻市の私立日和幼稚園に通い、震災後に幼稚園の送迎バスで自宅に帰される途中、津波と火災に巻き込まれて命を落とした。
 当時3歳の珠莉ちゃんはいつも一緒に遊んだ姉を突然失い、喪失感を抱えたまま成長した。クリスマスや七夕などのたびに帰ってくるよう願ったが、かなわなかった。
 昨年夏、珠莉ちゃんはあるテレビ番組にくぎ付けになった。病気の子に似せた人形を世界中を旅する人々に持ち歩いてもらい、名所を背景に写真を撮ってもらう企画。番組では後日、その子にたくさんの写真が届いた。「愛梨もこうしてもらえないかな」
 その年のサンタへの手紙で、姉妹の人形をお願いした。母美香さん(40)が復興支援団体を通じて人形を作れる人に製作を頼み、クリスマスに姉妹に似た編みぐるみが届いた。珠莉ちゃんは大喜びでお礼の手紙を書き、ことしは人形の世界旅行の願いをつづった。
 父文貴さん(43)が家族旅行を計画し、美香さんが人形も持って行くことを提案したが「サンタさんに連れて行ってもらう」と珠莉ちゃん。美香さんは「姉と自分を人形に投影し、自分の中に2人の世界があるのでしょう」と推測する。
 愛梨ちゃんの死後、事態の真相究明に奔走する両親を珠莉ちゃんはおとなしく見守った。美香さんは「甘えたい盛りに我慢ばかりさせた」と悔やみ、「姉に対する思いの深さは親も驚くほど。サンタの存在を信じる純粋な心を大切にしてあげたい」と思いやる。
 両親は、海外に行く用事があり「人形を持って行ってもいい」と申し出てくれる人がいれば、サンタの代役をお願いしてみようかと考えている。


<もう一度会いたい>拝啓、未来の私へ
 東日本大震災で亡くなった宮城県石巻市の今野麻里さん=当時(18)=、理加さん=同(16)=、大輔君=同(12)=の3きょうだいが生前「将来の自分」に宛てた手紙が残っていた。
(報道部・伊藤寿行)
【今野麻里さんの手紙】母の今野ひとみさん「担任の先生のパソコンに入っていました。人生に前向きで、若くして死ぬことなどこれっぽっちも想像していません。私もいつまでもくよくよしていられないです」
【今野理加さんの手紙】母の今野ひとみさん「2番目は内気だったけど我慢強かった。歯医者さんでも診察椅子の上で頭からつま先まで全身ピンと硬直させながら耐えていました。その心(しん)の強さが手紙に出ています」
【今野大輔君の手紙】母の今野ひとみさん「タイムカプセルで校庭に埋めていました。津波の影響で泥が付いている。これを書いた時は同様に犠牲になった親友の同級生とけんかしていたようで仲直りを呼び掛けています」


<もう一度会いたい>一家だんらん夢の中
◎(15完)笑顔感触あのまま
 次女のボーイフレンドは変わらず娘の命日に顔を見せに来てくれる。
 石巻市の今野浩行さん(53)とひとみさん(45)の2番目の娘、理加さん=当時(16)=が高校時代に付き合っていた元同級生だ。
 在りし日の思い出話を聞かせ、近況報告して帰る。
 元彼と言った方がいいのかもしれない。
 LINEのプロフィルには違う女の子とのツーショット画像が貼ってある。
 突っ込んでは聞いていないが、きっとそういうことなのだろう。
<共に受験を>
 震災から4年9カ月。人の心が移ろうには十分な時間がたっていた。
 震災で3人の子に先立たれた。理加さんは高2、お姉ちゃんの麻里さん=当時(18)=は高3、弟の大輔君=同(12)=は小6で生涯を終えた。
 震災後のある日。
 マイカーの運転席のドアポケットに紙が挟まっているのが見つかった。
 <10円足りない 今野大輔>
 息子の字だ。
 近所の雑貨屋さんで少年ジャンプを買う時、お金が足りず、一筆書いて不足分を後払いにしてもらったらしい。
 わが子は地域に育てられていた。
 息子の1学年下だった哲也君がことし、高校受験した。
 児童74人が犠牲になった「大川小の悲劇」で生き残った1人。息子が「先生、山さ逃げよう」と訴えていたのを証言してくれた子だ。
 「哲ちゃん、これも筆箱に入れて試験受けてくれない?」
 ひとみさんは1本の鉛筆を渡した。
 息子の遺品。泥の海に沈んでいたランドセルに入っていた。
 哲也君は合格した。
 「良かったね大輔。これであんたも高校生だ」
<神様信じぬ>
 仮設住宅暮らしは3年でおしまいにし、昨年、新居を建てた。海の近くを嫌い、奥の高台に構える。
 神棚は設けない。
 神様は子どもたちを助けてくれなかった。
 初詣の日はあれから大川小に行っている。
 神社に行くのはやめにした。
 子どもたちは生まれると、名前をはんこ屋さんに決めてもらっていた。姓名判断をする店で、前もって幾つか候補を考え、その中から選んでもらう。代金はその分上乗せした。
 無病息災。
 不老長寿。
 はんこ代返せ。
 震災の翌年、長女の麻里さん宛てに成人式の招待状が届いた。親の代理出席でもいいと言っている。
 亡くなって日が浅く、出る気になれない。それ用に額入りの写真を作り、友達に持って行ってもらうことにした。
 アルバムの多くは流されている。それっぽく使えるのは大輔君の七五三の時にきょうだいそろって記念撮影した1枚しか残っていない。
 麻里さんはその時11歳。
 成人式の写真はあどけない顔をした女の子に振り袖の画像を張り合わせた合成写真だった。
 ひとみさんは夢を見る。
 台所でご飯の支度をしていたら後ろから不意に麻里さんに抱き付かれた。「お母さん」。ふにゃっとした感触が背中に残っている。
 夢の中なら子どもたちは生きている。
 きょうも夜が更けた。
 もう休もう。
 夢ならまた会える。
(報道部・伊藤寿行)


デスク日誌 あとがき
 社会面連載「もう一度会いたい」(15回)がきょうで終わった。震災遺族の石巻市の今野浩行さん(53)、ひとみさん(45)夫妻の心の移り変わりを描いた。当時18歳の長女、16歳の次女、12歳の長男を失っている。取材者として本欄をあとがきに代えたい。
 私事で恐縮だが、僕も4月、21歳の長男を病気で亡くした。震災遺族とは同列にできないが、子に先立たれた親の気持ちは少しは分かるつもりでいる。
 こんな記者が震災報道で何をすべきかと考えた時、似た境遇の親に向き合うことしか選択肢はなかった。
 夫妻の悲嘆の大きさは僕の想像の比でなく、取材早々に認識を改めさせられた。3人の子全員を失った打撃は、残された親が能動的に生きる力を打ち壊していた。夫妻の発する言葉一つ一つが重く、聞いているだけで胸が苦しくなる。
 インタビュー時間は計100時間を超す。取材は振り返りたくない過去を思い出して言葉にしてもらう作業の連続だった。そんな残酷な取材を強いても、夫妻は「いいことも悪いこともありのまま書いてくれ」と協力してくれた。この場を借りて深く感謝したい。
(報道部副部長 伊藤寿行)


河北春秋
 津波は病院の4階までのみ込んだ。一夜明け、5階に避難した人から歓声が上がった。「ヘリコプターだ、助かった」。ゆっくりと屋上に着地し、まず人工透析患者15人を乗せる。命のタイムリミットはすぐそこに近づいていた(菅野武著『寄り添い支える 若き内科医の3.11』)▼宮城県南三陸町の公立志津川病院(現南三陸病院)の救出劇である。自衛隊ヘリの奮闘もあって、ドクターヘリの導入が各自治体で進む。宮城県は来秋に仙台市の病院を拠点として運航を始める▼公共機関と別に、医療用ヘリを飛ばす民間団体もある。気仙沼市では復興を助けようと、全国の支援者がNPO法人「オールラウンドヘリコプター」を設立し、2年前から運航していた。使いやすさを生かし、石巻市などへ運んだ▼月日が過ぎ、国の助成金は昨年度で打ち切られた。頼みの企業・個人寄付金も集まらなくなり、やむなく11月いっぱいで休止に。渡部圭介事務局長は「小回りが利くので県境を越えて岩手にも運べる。でも、復興目的に資金協力を得るのは難しくなった」と話す▼ひとたび何かあったときに沿岸から遠く陸路を行くのでは命が危うい。気象や時間など条件は厳しいが、「撤退ではありません。資金先を広げ、きっと再開する」と力強い答えが返ってきた。

震災犠牲者供養の地蔵作り
東日本大震災から5年となる来年3月に向け山元町で津波で犠牲となった人たちを供養するための地蔵作りが行われました。
この地蔵作りは土人形作りの工房を開いている丹治陽子さんが震災で犠牲になった山元町の人たち636人を供養しようと毎月1回、地元の寺で行っています。
19日は津波で家族を失った人たちなどおよそ15人が集まりはじめに丸めた粘土で胴体と頭を作りました。
このあと思い思いに鼻や手などを付けていき高さ10センチほどの小さな地蔵をつくりました。
丹治さんによりますとこれまでに完成した地蔵はおよそ120体で来年の3月11日までに300体あまりをつくり津波で被害を受けたJR山下駅の跡地に飾るということです。
丹治さんは「震災を忘れてはいけないという気持ちで始めました。
津波で家族を亡くした方も地蔵をつくられていてその方の5年間が詰まった作品になっていると思います」と話していました。
また、津波で5歳の娘を亡くしたという50歳の女性は「いつも笑顔が似合うとてもかわいい子だったので私も笑顔で頑張れるようにという思いを込めて作りました」と話していました。


<大川小訴訟>元校長ら4人尋問へ
 石巻市大川小の津波災害をめぐる損害賠償請求訴訟は18日、仙台地裁で進行が協議され、高宮健二裁判長は当時の校長ら4人を来年4月に尋問する意向を示した。来年1月22日の口頭弁論で決定する。
 尋問されるのは元校長のほか、大川小の災害対応マニュアルを改訂した元教頭と、広報車で避難を呼び掛けた市職員、亡くなった児童の遺族。教職員同士の当時の連絡状況や、事前の防災体制などについて話を聞くとみられる。
 当時、校内にいた教職員11人のうち唯一の生存者の男性教諭については、校長らの証言を聞いた上で尋問の必要性を判断する。男性教諭が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして、被告の市側は尋問に同意していない。
 訴えによると、教職員は東日本大震災発生後の約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。その後、津波が押し寄せ、訴訟対象の23人を含む児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。


<回顧みやぎ>生活の基盤 住民手作り
◎(1)災害公営住宅の生活始まる(気仙沼)
<そのとき>
 コミュニティーは誰がつくるのか。ことし災害公営住宅の入居が始まった気仙沼市で、ある人との出会いがなければ間違いに気付くことはなかっただろう。
 8月に開かれた市内第1号の災害公営住宅「市営南郷住宅」の入居者の会合のこと。1月に入居が始まり、7月に発足した自治会が食事会を催していた。
 参加した40人は、自治会の設立総会の時とほぼ同じ顔触れだった。市中心部の大川沿いに3棟ある集合住宅には約150世帯270人が暮らしている。自治会長の藤原武寛さん(50)に「参加者が増えないのは心配ですね」と聞くと、思わぬ答えが返ってきた。
 「こんなに知り合いができて心強いですよ」
 「自治会がもっと人集めをしたらいいのでは」と続けると、藤原さんは「いえ、強制することがコミュニティーづくりではないですから」。目を見詰めながら、きっぱりと言った。
<それから>
 「自治会の役員を動かして、仲間を増やして、入居者をまとめなさい」
 外部からよく言われる言葉だと、後日、藤原さんが教えてくれた。
 市営南郷住宅には各地から被災世帯が集まり、地縁が薄く、集合住宅に不慣れ。「コミュニティー形成は自治会がけん引すべきだ」というのは記者も同じ考えだったが、藤原さんは違う。
 月1回の掃除の日も出る人は20人そこそこだが「ああしろ、こうしろ」と無理強いはしない。お互い意見が言いやすいフラットな関係で一人一人が考え、思いやりを持って行動することに期待している。住民意識の高まりこそがコミュニティーと考えるからだ。
 自治会長はそのための裏方仕事。職場の理解をもらいながら住民の相談、役所との会合、書類書きに追われる。回覧板や掲示物も自作。認知症や救急救命の講習会を開き、高齢者サロンが二つもできた。
 「体調が心配。お父さん、もう自治会長を辞めたら」と大学受験を控えた一人娘の真生さん(18)。忙しすぎて父子家庭の2人が一緒に食事する回数も減った。藤原さんは「ここに入った人は皆、つらい経験をしている。今のうちに生活の基盤を良くしたいから。協力してくれる人に感謝の気持ちしかない」と笑う。
 生まれたばかりのコミュニティー。構成する入居者全員が、同じ屋根の下で初めての正月を迎える。(気仙沼総局・高橋鉄男)
 東日本大震災から5度目の年の瀬を迎えた。2015年、紙面は復興の多様な姿、自然災害や事件、選挙などのニュースでにぎわった。そのとき、記者は何を感じたのか。それから、出来事はどこへ向かったのか。最前線に立った記者が振り返る。
[メモ]気仙沼市は2017年5月までに東日本大震災の被災者向け災害公営住宅を28地区2133戸で建設する計画。うち集合住宅タイプは1321戸、一戸建て・長屋タイプは812戸。15年は完成時期の遅れが3度発表されるなど工事は難航するが、12月末までに9地区453戸(21.2%)が完成し、被災世帯が新たな生活を始めている。


「ぶち合わせ太鼓」復興励ます響き任せて
◎5年生、6年生から引き継ぎ「強い気持ちでたたく」
 宮城県亘理町荒浜小(児童115人)に伝わる和太鼓演奏「ぶち合わせ太鼓」の引き継ぎ式が同校であった。6年生27人は1年間、東日本大震災で被災した地域住民を励ます演奏に取り組んできた。後を託された5年生19人が、勇壮な響きで復興途上の町を元気にする役目をつなぐ。
 そろいの法被姿で4日の式に臨んだ6年生は、下級生や保護者らの前で最後の演奏。「ソレソレソーレ」の掛け声とともに、2、3人が素早く入れ替わって一つの太鼓をたたき、培った練習の成果を披露した。
 終了後、6年生が5年生に法被などを手渡した。2学期から練習を始めた5年生も初めての演奏を披露し、伝統をつなぐ決意を表した。
 同校は15年ほど前から、授業の一環として太鼓に取り組み、後輩に引き継いできた。震災で荒浜地区は全域が津波被害が出て、校舎も損壊。歴代の児童らは津波をかぶって修繕した太鼓で地域の行事などで演奏を続け、住民らを励ましながら伝統をつないだ。
 6年水戸大暉君(12)は「演奏を聴いた方から温かい拍手を頂き、勇気と自信を持てた」と振り返り、6年綾部大海君(12)は「住民を勇気づける演奏をしてほしい」と後輩にエールを送る。後を継ぐ5年照井志歩さん(11)は「伝統を引き継ぐ強い気持ちで太鼓をたたき続けたい」と誓った。


陸前高田市かさ上げ市街地 出店者募集へ説明会
 陸前高田市は18日、東日本大震災の復興事業としてかさ上げを進める中心市街地で、市有地を借りて出店する事業者を募集する説明会を市コミュニティホールで開いた。
 市は海抜12メートルにかさ上げする市街地で、23ヘクタールの津波復興拠点整備事業を展開している。募集するのは、2016年度中に建物の着工が可能になる約2ヘクタール分と、16年度中の完成を見込む市立図書館を併設する大型商業施設用地1.7ヘクタール。
 地代は16年度の1平方メートル当たりで被災した事業者が311〜340円。被災していないと倍になる。大型施設は235円。いずれも段階的に値上げされる。
 市によると、中心市街地への出店希望は約120件。このうち換地先へ出店が決まっているのは約30件。他の約90件は借地に個人店舗や共同店舗を建設したり、テナント入居したりするケースを見込む。自宅を兼ねた店舗建設も認められる。
 2回の説明会には計約70事業者が参加。電器店を営む男性(44)は「高台の換地先に自宅兼店舗を建てる予定だが、中心部の条件も確認したかった」と話した。
 募集は来年1月末まで。2月に希望位置を聞き取り、3月中に予定借地事業者を決定する。


<仙石線>石巻あゆみ野駅 来年3月26日開業
 JR東日本仙台支社は18日、石巻市門脇に新設する仙石線の「石巻あゆみ野駅」を来年3月26日のダイヤ改正に合わせて開業すると発表した。1日往復19本の普通列車が停車する。起点駅のあおば通(仙台市青葉区)まで平均78分、石巻まで7分で結ぶ。
 石巻市の亀山紘市長は「駅開業で、集団移転地の新蛇田南地区に移転する方々や周辺住民、石巻西高生の交通の利便性向上が図られると期待している」とコメントを出した。
 同駅は、陸前赤井(東松島市)−蛇田(石巻市)間に位置し、石巻市が整備費の全額を負担した請願駅。1日約300人の利用を見込む。仙石線の新駅設置は2004年3月の小鶴新田(仙台市宮城野区)以来。
 このほかのダイヤ改正では、東北線の快速「仙台シティラビット」(福島−仙台)が、新たに仙台市太白区の南仙台、長町の両駅に停車する。仙台支社は「利用客が多く、利便性向上につながる」と説明した。


石巻の震災伝承探る あす連携強化へ初会議
 東日本大震災で被災した石巻地方で、震災の伝承活動に関わる団体などによる第1回のコンファレンス(会議)が20日、石巻市の石巻中央公民館で開かれる。展示施設や語り部の利用者が減る中、活動の維持を目指し、連携強化を図る。
 「石巻地方でつくる震災学習の協働事業体制」と題する試みの一環。19の団体・個人が所属する同市の石巻ビジターズ産業ネットワークと東北大災害科学国際研究所(災害研)の主催。
 2部構成で、第1部は同市南浜地区の復興祈念公園や新潟県中越地震(2004年)の中越メモリアル回廊について専門家が基調講演。第2部は石巻地方で活動する「がんばろう! 石巻の会」や「みらいサポート石巻」など11の機関・団体が事例報告する。
 ネットワークによると、所属団体の語り部プログラムの参加者は11年度の約3万2000人から14年度は2万8000人に減少。15年度は12月までで約1万人と落ち込んでいる。
 会議では、今後も継続的に利用され、利用者の防災への意識変化を促すプログラム作りに取り組む。東北大災害研の佐藤翔輔助教は「来訪者が増えることはにぎわいにもつながる。協力して新しいアイデアを生み出してほしい」と語る。
 会議は午後2時から。入場無料。


<脱原発県議の会>宮城有志20人が結成
 宮城県議会(定数59)の有志20人が18日、「脱原発をめざす県議の会」を設立した。国の原発政策に異議を唱える県議が党派を超えて結集し、東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)の再稼働反対を訴える。めざす会によると、原発立地14道県議会で「脱原発」をうたった組織の設立は初めて。(14面に関連記事)
 県庁議会棟であった設立総会で、会長に就いた呼び掛け人の佐々木功悦氏(みやぎ県民の声)は「女川原発の再稼働問題は県政の最重要課題。県民の命を守るために原発は廃止するべきだ。代替エネルギーについても検討し、全国に発信したい」とあいさつした。
 めざす会は(1)原発依存からの脱却を目指す(2)女川原発再稼働に反対か慎重な対応を求める市民に同調する−を行動の柱とする。原発の学習会や、脱原発を訴える団体などと意見交換会を重ねる。
 メンバーは民主党系のみやぎ県民の声(10人)と共産党県議団(8人)、社民党県議団(2人)、無所属の会(同)の4会派から集まった。過半数を占める自民党・県民会議(32人)からの参加者はいない。
 東北電は2017年4月以降の女川原発再稼働を目指す。県議会は意見書や請願の審査を通じ、再稼働の是非に関し判断を迫られる可能性が大きい。


<脱原発県議の会>「一体感損なう」自民批判
 県議有志が全国でも異例の「脱原発をめざす県議の会」を発足させた18日、原発容認派が多い自民党・県民会議の所属議員は「議会の一体感を損なう」と一斉に批判を強めた。
 「事前に相談があってしかるべきだった」。安部孝議長は18日午前、めざす会の佐々木功悦会長(みやぎ県民の声)を議長室に呼び出し、初めて設立の経緯を聞いた。
 自民党によると、超党派の議員連盟結成は正副議長と全会派代表者の了承が暗黙のルール。佐々木氏は設立趣旨に賛同が得られた会派とは協議したが、自民党には14日に一方的に通告しただけだったという。
 「賛成、反対が分かれるエネルギー問題で『県議の会』はふさわしくない。県議会全体が再稼働反対と有権者に受け取られる恐れがある。せめて『有志』を使ってくれないか」
 設立構想が明るみに出た15日以降、自民党は中島源陽会長ら幹部が再三にわたって佐々木氏に修正を申し入れたが、拒否された。あるベテラン議員は「議長の権威をおとしめ、積み上げてきた不文律を一切無視する行為はペナルティーに値する」と言い切った。
 美里町長時代から原発再稼働に反対してきた佐々木氏は「複数のベテラン議員から『暗黙のルールなどない』と聞いた。ルールがあるなら過去の事例を示してほしい」と反論。
 「自分たちの考えに合わないからといって、多様な議員活動を制約する行為こそルール違反。嫌がらせもいいところだ」と怒りをあらわにした。
 村井嘉浩知事は「議員が自分の意思で勉強し、政治活動を行うのは民主的な議会として当然」と冷静に受け止めた。
 佐々木氏以外のめざす会メンバーは次の通り。(敬称略)
 高橋啓、鎌田さゆり、境恒春、太田稔郎、須藤哲、遊佐美由紀、坂下康子(みやぎ県民の声)▽大内真理、角野達也、内藤隆司、中嶋廉、福島一恵、天下みゆき、三浦一敏、遠藤いく子(共産党県議団)▽熊谷義彦、岸田清実(社民党県議団)▽渡辺忠悦、菅間進(無所属の会)


<話そう原発>自主性を引き出す
◎国会事故調報告書を読んで(下)
 「きょうは皆さんに国会事故調査委員会の委員になってもらいます」。経営コンサルタントの石橋哲さん(51)=川崎市=が呼び掛けた。
 東京電力福島第1原発事故を検証した国会事故調の報告書を基に事故の背景を考える「わかりやすいプロジェクト」。郡山市のイベントスペースであった9月27日の「郡山編」には、地元の安積高をはじめ福島県内の高校生や地域住民ら14人が参加した。
 石橋さんは国会事故調の事務局を担った。事故調が2012年3月に実施した参考人聴取のビデオを見て、国民、世界の人、未来の人の立場からどう映るのか。客観的な事実から考えるのがこの日の狙いだった。
<国民の財産>
 国会事故調は12年7月、報告書を衆参両院議長に提出した。その2カ月後の9月、石橋さんら有志が始めたのが「わかりやすいプロジェクト」だ。
 「報告書は国民全体の財産だ。それがなかったものにされる」という危機感があった。
 報告書は規制当局を監視する常設委員会の国会設置など幾つもの貴重な提言を残した。だが、国会は提言を実現させる計画書すら作ろうとしなかった。報告書の提出当時、政府は既に「収束宣言」を出していた。
 「原発事故はなぜ起き、どうすれば防げたか。これから何をするべきか。一人一人の問題として考えるきっかけをつくりたかった」。石橋さんはプロジェクトに託した思いを力説する。
 福島高(福島市)や灘高(神戸市)といった高校や大学、社会人を対象にワークショップや講義を続けてきた。活動は「手弁当」が基本。「お金に色はないが、においはある」と、政治色のある団体などからの寄付は受けない方針を貫く。
 企画も工夫。東京電力役員や規制当局、被災者らの立場になって考える「なりきりディスカッション」や報告書の輪読会などを実施してきた。
<まず考える>
 郡山編で国会事故調委員になった生徒たちが見たのは、質問に誠実に答えない規制当局の元トップの姿。組織防衛に固執しているようにしか映らなかった。
 「どうしてこうなったのか」「なぜ保身に走るのか」と生徒たち。「集団に属している安心感が根底にありそう」「自分たちにもあるよね」
 「委員長コメント作成」という当初目標に至らなかったものの、石橋さんは無理に軌道修正することはなかった。自主性を引き出すことの方こそ大切だからだ。
 原発事故という未曽有の「人災」から社会は教訓を得たと言えない。東芝の不正会計、くい打ちデータ改ざん、血液製剤の不正製造…。いずれも組織の腐敗が問題の根底に巣くう。
 「自分の頭で考えることが出発点であり、この国が生き延びるために不可欠な『イノベーション』(新機軸)への第一歩につながる」と石橋さん。原発事故を基に考え、話し合う意味はそこにあると信じている。


<福島第1>汚染水の発生量倍増
 東京電力福島第1原発で発生する汚染水が1日300トンから600トン程度に増加していることが18日、分かった。汚染地下水の海洋流出を防ぐ海側遮水壁の完成後、岸壁に近くトリチウム濃度が高い井戸「地下水ドレン」の水位が想定を超えて上昇。くみ上げて原子炉建屋に移送する量が増えたのが原因という。
 海側遮水壁は10月下旬に完成。東電は当初、地下水ドレンからくみ上げ、建屋に戻す水量を1日50トン程度と見込んでいた。本格的なくみ上げは11月5日に始まったが、想定を超える地下水の流入が続き、建屋への移送量は1日400トン程度に上っている。
 建屋周辺の井戸から地下水をくみ上げ、浄化後に海洋放出する「サブドレン」が9月に稼働。建屋に流れ込む地下水量は1日300トンから200トンに減ったが、地下水ドレンからのくみ上げ量が増え、汚染水発生量が2倍程度に増えた格好。今後の汚染水処理に影響を与える可能性もある。
 想定以上にくみ上げ量が増えたのは、サブドレン稼働で地下水の流れが変わった可能性や、海側遮水壁が水圧でたわみ舗装面が損傷した影響などが考えられるという。
 東電は今後、雨水の浸透を防ぐため舗装面の修復工事を続け、サブドレン水位をさらに下げて海側への地下水流入を減らすという。


<復元オオカミ絵>絆と歴史断ち切られ
◎失われた遺産復元と支援(上)突然の焼失
 東京電力福島第1原発事故のため全村避難中の福島県飯舘村で、2年前に焼失した山津見神社のオオカミ絵がこのほど復元された。膨大な予算の事業でなく、住民と支援者の不思議な縁がつながった協働の成果だった。一度失われた土地の文化や心、絆の象徴を再生した出来事を振り返り、支援や復興の意味を見つめ直したい。(編集委員・寺島英弥)
<避難中を悔やむ>
 火災が起きたのは2013年4月1日早朝だった。
 原発事故で全村避難中の福島県飯舘村にある山津見神社。変事の報を、地元佐須地区の人々は福島市飯坂温泉で聞いた。避難生活中の住民の総会が前夜催され、会場の宿に泊まり合わせたのだ。
 「車で神社に着いたのは1時間後。鎮火はしたが、拝殿も宮司の家も焼けていた。真っ白になった頭に、『奥さんの遺体が見つかった』と消防団の声が聞こえた」。氏子総代の菅野永徳さん(75)は振り返る。
 亡くなったのは久米隆時宮司(84)の妻園枝さん=享年(80)=。佐須の64世帯の全戸が氏子だ。原発事故後も心のよりどころになれるように、と宮司一家は神社を開け、日参していた。
 「原発事故、避難生活がなければ、皆がすぐ駆け付けた」。住民たちはそんな痛恨の思いを抱えながら、1週間通って片付けの作業をした。「歴史が断ち切られた気がした。山津見神社があって、暮らしも文化もあった」と永徳さん。
 佐須の一年は正月の「村祈祷(きとう)」で始まり、住民が神社に集って家内安全のおはらいを受ける。盆は先祖供養のお札を受け、旧暦9月は水神の幣束、年末は「かまど」神の幣束をもらう。避難生活中の葬式も、禰宜(ねぎ)が避難先の葬祭場に出向いて拝んでいる。
 絆を一目で伝えるのは家々の玄関に貼られた火難盗難除(よ)けの護符だ。そこに描かれているのがオオカミ。山津見神社がまつる山の神の使いであり、こま犬もまたオオカミの姿だ。
<豪研究者が記録>
 火災が起こる前、その信仰の場を訪ねてきた研究者がいる。和歌山大観光学部教授の加藤久美さん(55)とオーストラリア人の特任助教サイモン・ワーンさん(59)だ。
 2人は地域の文化、環境を観光や地域再生に生かす活動をし、1905(明治38)年、奈良県での捕獲を最後に絶滅したとされるニホンオオカミも研究する。
 「オオカミは自然と人との関わりの象徴。各地に残る信仰から失われたものを再発見し、取り戻せないか」と調査を重ね、山津見神社の「絵」の存在を知った。
 それは拝殿の天井を埋めた約237枚のオオカミの絵。民俗資料、文化財として知られておらず「わずかな文献の記述を読んだのが、縁の始まりになった」と加藤さんは振り返る。
 調査の願いを快く受け入れたのが園枝さんだ。12年末に加藤さんらが初めて目にした際、「絵が傷んで保存状態が良くないの。何の記録もないし」と行く末を心配していた。2人は翌年2月に再訪し、写真家であるワーンさんが全部の絵をカメラに収めた。
 「園枝さんのために、現状の姿をデジタル保存し、急いで写真集を作った。見てもらおうと届ける矢先、神社の全焼と園枝さんの死を聞いた。衝撃だった」
[山津見神社]約900年前、奥州に来た源頼義が橘墨虎という賊を山の神の使いである白いオオカミの先導で討ち取った。墨虎がこもった山を頼義は虎捕山と呼び、山の神をまつったという縁起があり、オオカミがシンボル。狩猟、林業や鉱業の神、田の神、酒造りの神、安産や良縁の神、海幸の神でもある。


僧侶ゆらゆら幸福祈る 京都で仏事
 体を揺らす独特の動きをしながら念仏を唱える師走恒例の仏事「空也踊躍(ゆやく)念仏」が、京都市東山区の六波羅蜜寺で連日営まれている。僧侶たちがゆらゆらと体を動かしながら鉦(かね)を鳴らし、参拝者の幸福を厳かに祈る。
 踊躍念仏は国の重要無形民俗文化財。空也が疫病退散を念じたのが始まりで当時の空也の所作がそのまま伝わっている。鎌倉時代の念仏弾圧の影響で、本堂内陣を屏風(びょうぶ)で覆って営んだことから「かくれ念仏」とも称される。
 堂内では僧侶たちが上半身を前後に大きく揺らして内陣を練り歩いた。鉦の音が響き渡る中、南無阿弥陀(なむあみだ)仏と聞き取れないよう「モーダ、ナンマイトー」と唱えた。参拝者も手を合わせて一緒に念仏を唱え、今年を振り返っていた。
 年末まで毎日午後4時から営まれ、30日まで一般公開する。


普天間問題 選挙にらみのあざとさ
 沖縄県民の心情を逆なでするような言動が安倍晋三政権の閣僚から相次いでいる。
 島尻安伊子沖縄北方担当相は先日の記者会見で、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する翁長雄志知事の姿勢が、沖縄振興予算に影響する可能性を示唆した。
 「必要な額は確保したい」とする一方、「全く影響がないものではない」とした。「アメとムチ」を使い、けん制したと受け取られても仕方ない。
 秋の内閣改造で就任した際には「基地問題と沖縄振興はリンクしない」と述べていた。これは島尻氏個人の考えではない。歴代政権の一貫した方針のはずだ。
 島尻氏は沖縄選出の参院議員である。辺野古移設に関しては容認から反対、また容認へと、訴えを二転三転させたことでも批判されている。今回の発言で、担当相としての資質にも疑問符が付くことになった。
 もう一人は菅義偉官房長官である。普天間飛行場の跡地利用で、地元の宜野湾市はディズニーリゾートの誘致を目指している。菅氏は市長と会い、「政府として全力で実現できるよう取り組む」と約束した。東京ディズニーリゾートを運営する会社の幹部を市長に紹介までしている。
 普天間移設問題をめぐっては、前知事の仲井真弘多氏による辺野古沿岸部の埋め立て承認を、翁長知事が取り消した。国は知事に撤回を求めて提訴。県側は、沖縄の自治権を侵害し、憲法に反すると主張して争っている。
 県議会もきのう移設阻止に向けて国を相手に訴訟を起こすための議案を可決。県は年明けにも提訴する方針だ。
 官房長官の言動はこうした流れの中でのことである。人気のディズニーランドを利用し、世論を容認の方向へ持っていこうとする狙いが透けて見える。
 島尻氏といい、菅氏といい、やり方があざとい。
 日米両政府は今月上旬、約480ヘクタールの面積がある普天間飛行場のうち、全体の1%に満たない約4ヘクタールを2017年度中に返還することで合意し、関連工事を始めた。来年の宜野湾市長選や参院選をにらんだ懐柔策である。各種選挙で反対の声が多いことがはっきりしているのに、辺野古移設の既成事実化を図っている。
 法廷闘争で国策を押し付け、アメをぶら下げて民意を分断する。安倍政権は今年、強引な政治手法に傾斜した。体質をさらけ出したとみるべきだろう。


思いやり予算増加 思考停止の病弊が表れた
 こと米国に関する限り、この国の外交は機能まひに陥り、腰砕けを連発する。安全保障が絡むと、途端に思考停止する。
 この二大病弊がくっきりと表れたのが今回の在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)交渉であろう。2016〜20年度の5年間の駐留経費負担を現行より増やす特別協定について日米が合意した。
 毎年度平均1893億円、5年で9465億円の大盤振る舞いである。こんな合意は断じて容認できない。国会は承認を拒否し、交渉の抜本的な仕切り直しを求めるべきだ。
 米軍が駐留する諸国と比べ、いかに破格の出費であるかを見れば、大盤振る舞いぶりがよく分かる。米国防総省の04年統計によると、米軍1人当たり支援額は英独両国が2万1千ドル台、軍事衝突の危険が最も高い韓国ですら2万1千ドル台なのに対し、日本は10万6千ドルに達する。駐留米軍経費負担率はイタリアが41%、韓国が40%、ドイツが33%だが、日本のみ74・5%と突出している。しかも光熱水料など他国が支出していない経費まで差し出しているのである。
 思いやり予算は37年前に始まったが、当初は62億円だった。今やその30倍以上だ。1千兆円に上る借金を抱える国がなぜこれほど急増させるのか。なぜ他国ならあり得ない支出をするのか。合理的な説明は不可能であろう。外交が機能していないと見るゆえんだ。
 思いやり予算の開始は、米国内で「日本は米国に防衛を依存し、軍事費に金を回さないで経済成長に注力した」との批判が高まったこと、いわゆるフリーライド(安保ただ乗り)論が背景にあった。だが集団的自衛権行使を可能にする安保関連法を成立させ、自衛隊の活動範囲を地球の裏側にまで広げて米国の戦争にお付き合いすると決めたばかりだ。安保関連法は日本を危険にするが、これを成立させながら思いやり予算を増やし、辺野古で新基地を建設するのはまるでつじつまが合っていない。これが「思考停止」の結果でなくて何であろう。
 しかも米軍のための支出はこれだけではない。土地・施設の借り上げ、米軍再編や訓練移転の経費も含めれば年7250億円に上る。
 この予算があれば、例えば貧困家庭の子の進学をどれだけ無償化できるだろう。防衛費も初めて5兆円を突破する公算という。この国は財政の優先度を間違えている。


阪神バース氏 掛布2軍監督に“逆お願い”オレのような54発男「育てて」
 2度の3冠王を獲得し1985年の阪神日本一の原動力になったランディ・バース氏(61)が18日、阪神百貨店主催のイベントで甲子園球場を訪れ、かつてのチームメートである掛布2軍監督に“バース級の選手を育てて”とエールを送った。
 「シーズン54本塁打(バース氏が持つシーズン球団記録)を超えるような選手を育ててほしいね。超えられたら悔しくないかって? 大歓迎だよ、一緒になって喜びたいよ。その選手と真っ先に握手をさせてくれよ」
 バース氏は掛布2軍監督の指導者としての適性にも太鼓判を押した。「とてもいい指導者になるはずだよ。阪神で6年間一緒にプレーして親しかったし、よく野球を知っているということが私にはわかっている」。
 この日はサンタクロースに扮(ふん)し、ファン約30人とともに阪神百貨店梅田本店から「バース・バス」に乗って甲子園へ。虎の本拠地で勝負師の血が騒ぎだした史上最強助っ人は「掛布さんが2軍で育てた選手の活躍で、ぜひとも阪神にはセ・リーグで優勝してほしいし、日本一にもなってほしいね」と日本一奪回を熱望していた。
 ▽85年のバース、掛布 バースは「3番・一塁」で打率.350、54本塁打、134打点をマークし、3冠王に輝いた。「4番・三塁」掛布は打率.300、40本塁打、108打点。5番・岡田を含めたクリーンアップトリオは4月17日の巨人戦(甲子園)で槙原から「伝説」のバックスクリーン3連発を記録(バースは同年の1号)し、21年ぶりのリーグ優勝、球団初の日本一へとチームを引っ張った。(スポニチ)

二度寝で/雑誌購入手続き/ホテル予約できないとき

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En 2015, le Japon exécute encore ses prisonniers par pendaison
A l’aube, vendredi 18 décembre, les Japonais Sumitoshi Tsuda et Kazuyuki Wakabayashi ont été pendus. Le premier avait été reconnu coupable du meurtre de trois personnes en banlieue de Tokyo ; le second d’avoir pris la vie de deux personnes, dont une femme, dans le nord-est de l’archipel.
Comme chaque fois, l’information n’a été rendue publique qu’après l’exécution de la sentence, qui se déroule toujours à huis clos. Mais une description précise et détaillée de la procédure d’exécution publiée par la Fédération internationale de la ligue des droits de l’homme (Fidlh) laisse imaginer la scène :
≪ Avant de conduire le détenu sur le lieu d’exécution situé à l’étage, on lui bande les yeux et on lui passe des menottes. (…) Quand arrive l’heure de l’exécution et que le coup d’envoi est donné, trois ou cinq bourreaux actionnent les leviers en même temps, de sorte que personne ne sait lequel d’entre eux a vraiment exécuté le détenu. L’exécution dure à peu près une heure et demie. Cinq minutes après l’exécution, le corps du détenu est descendu dans le sous-sol de la chambre, à des fins d’examen par le procureur et un médecin. Ce dernier vérifie le rythme cardiaque du détenu et délivre un certificat de décès mentionnant l’insuffisance cardiaque comme cause du décès. La corde peut alors être retirée du cou du détenu. ≫
La pendaison de Tsuda et Wakabayashi porte à quatorze le nombre total de condamnés à la peine capitale exécutés depuis le retour au pouvoir, à la fin de 2012, du premier ministre de droite Shinzo Abe. Il est fréquent que plusieurs exécutions aient lieu en fin d’année sur proposition des fonctionnaires qui cherchent à diminuer le nombre de personnes enfermées dans les couloirs de la mort avant de clore l’année.
Leur rythme est très variable en fonction de l’opinion du ministre de la justice en poste, dont la signature est requise avant le passage à l’acte. Les exécutions de ce vendredi sont d’ailleurs les premières – la précédente remontait au mois de juin – depuis la prise de fonctions, en octobre dernier, du ministre de la justice.
C’est ainsi que le pays n’avait exécuté personne en 2011 – une première pour une année pleine en près de vingt ans – du fait du refus des ministres de la justice de centre gauche qui s’étaient succédé cette année-là, et qu’en 2012 les exécutions avaient repris avec la pendaison de trois meurtriers récidivistes.
Jurys mixtes
C’est également la première fois qu’un homme condamné à la peine capitale par six citoyens jurés (≪ saiban-in ≫) et trois magistrats professionnels, est effectivement pendu. Jusqu’à ce vendredi, aucune des vingt-six personnes condamnées à mort par une cour de ce type n’avait été conduite au gibet. Les jurys mixtes existent depuis 2009, date d’une réforme sans précédent du système judiciaire nippon.
Depuis, en première instance, pour les crimes passibles de la peine de mort (le code pénal en prévoit treize, mais en pratique elle est seulement appliquée pour l’homicide) ou de l’emprisonnement à perpétuité (assassinat, vol avec violence ayant entraîné la mort, viol, etc.), un jury mixte détermine la culpabilité et la peine des accusés. Les décisions se prennent à la majorité simple. Cette réforme avait pour objectif de ≪ réduire la durée des procès, avec l’introduction de débats contradictoires et d’une procédure accusatoire orale, comparable à celle que nous connaissons en France ≫, détaille le site du ministère de la justice.
≪ A l’appréciation de chaque pays ≫
Pour autant, les Japonais – à l’exception d’une frange de la classe politique et des avocats – n’adhéreraient pas à cette évolution. Selon une enquête gouvernementale de 2009 – dont les modalités restent très critiquées par Amnesty International, notamment sur la formulation des questions –, 86 % des Japonais se disaient favorables au maintien de la peine capitale. ≪ Si on interroge les Japonais, personne ne sait où ni comment on exécute les condamnés à mort au Japon, car on n’en parle pas. Mais si on ne connaît pas la réalité des choses, comment en débattre ? ≫, nuance Atsatoshi Oda, 40 ans, ancien juré rencontré par Slate.
Le Japon et les Etats-Unis sont les seules démocraties industrialisées à appliquer la peine de mort, une pratique en permanence dénoncée par les associations internationales de défense des droits de l’homme. Accusations dont l’archipel fait fi. Dans le sixième rapport présenté par le Japon au comité des droits de l’homme d’octobre 2012, on pouvait lire :
≪ Le gouvernement estime que la question de savoir s’il faut maintenir ou supprimer la peine de mort devrait être laissée à l’appréciation de chaque pays, en tenant compte de l’opinion publique, des tendances de la criminalité, des politiques menées dans ce domaine et d’autres facteurs. ≫
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昨日ウイスキーを飲みすぎました.5時過ぎに一度目が覚めたのですが,もう一度寝てしまいました,つまり2度寝をしてしまいました.ある人と会う約束をしていたのに会えない・・・という残念な夢を見てしまいました.
予算で雑誌の購入手続きをしました.7冊です.
3月の出張でホテルが予約できません.知り合いの家に泊まってOKなのか聞いてみました.とりあえず直前まで頑張って探しましょう・・・とのことでした.

仮設1117世帯 住まい再建めど立たず
 東日本大震災で自宅が被災し、宮城県石巻市の仮設住宅に入居する8222世帯のうち、1117世帯(13.6%)が住まいの再建方法を決めかねていることが17日、市が行った生活再建状況意向調査で分かった。
 調査はプレハブの応急か民間賃貸などのみなしの仮設住宅に居住する全世帯を対象に郵送などで実施。7月に開始し、11月1日現在、電話や訪問で確認した世帯を含め7642世帯(92.9%)の住宅再建の意向を把握した。
 未決定世帯の内訳は、災害公営住宅に入居可能な世帯が242、入居条件を満たさず対象外の世帯が875と見込む。
 対象外の世帯は震災前に住んでいた賃貸住宅に戻れない人や、被災した持ち家を補修できない人が大半という。このうち約3割は住民税が非課税で、経済的な事情で自立再建が困難な世帯が多いとみられる。
 対象外世帯は調査に回答していないケースが多く、市は引き続き、意向確認を進めていく。
 市福祉部の庄司勝彦部長は「再建方法を決めかねている人への相談支援や低所得世帯の住まい確保など、福祉的な施策の検討も必要だろう」と話した。


<角星店舗>津波被災の国文化財、復元へ
 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市魚町の国登録有形文化財「角星店舗」の復元工事が始まることになり、現地で17日、安全祈願祭があった。被災後に建物から取り外して保存していた柱や梁(はり)、瓦、壁などを生かし、来年9月の完成を目指す。
 店舗は木造2階で1930年築。津波で1階は流失し、2階部分が残った。痛みがひどく、建材を分解して活用。地盤を2.6メートルかさ上げした元の場所に再建する。完成後の延べ床面積は約180平方メートル。構造は現行の建築基準法では不適格となるため、法の適用除外の措置を受けた。
 復元費は約8000万円で、被災した歴史的建造物の保存を目指す同市の一般社団法人「気仙沼風待ち復興検討会」が集めた基金などを活用する。
 安全祈願祭には20人が出席し、酒造会社「角星」の斉藤嘉一郎社長(57)が「元の姿に戻し、まちのにぎわい復活につなげたい」と語った。復元後は直売所や展示スペースにする。
 今後、市内にある国登録文化財の酒造会社「男山本店」と米穀店「武山米店」の店舗も復元される。


<もう一度会いたい>「物見遊山」でもいい
◎(14)心に迫り来る校舎
 宮城県石巻市大川小の校庭はいつもお香のにおいがする。
 慰霊碑の香炉から煙がたゆたう。津波で犠牲になった児童を悼み、敷地の一角に建てられた。
 今野浩行さん(53)と妻ひとみさん(45)が顔を見せた。11日の月命日に足を運ぶ。6年生だった長男=当時(12)=が落命した。
<屋上はなし>
 校舎は柱がへし折られ、芯の鉄筋があらわになっている。
 校舎と体育館を結ぶ渡り廊下は横倒しだ。
 あの時のまま。
 長男の教室は2階にあった。1学年1学級の小さな学びや。
 廊下に荷物掛けのフックが並ぶ。
 [今野大輔]
 その中の一つにネームシールが貼ってあった。
 校舎は30年前に出来た。
 円形を基調とするモダンな意匠。設計コンペで決めた。
 教室は勾配のある天井に明かり取りの窓が備わり、自然光を取り入れる。
 ホールの壁にはステンドグラス。「アセンブリー(集会)ホール」としゃれた名が付いた。
 完成した時は「ハイカラな学校」と地域中が沸いた。親も子も籍を置くのを待ち望んだ。
 設計はデザインを追い求めた。
 防災には見向きもしなかった。
 学校は北上川沿いにある。校庭は海抜1メートル。土台のかさ上げはなく、川の堤防を乗り越えた津波にやすやすとのみ込まれた。
 教室棟は屋上がない。もしあって逃げていたら74人が死ぬことはなかった。
<現実伝えて>
 観光バスが横付けされた。団体さんが降りてくる。
 校庭に足を踏み入れ、校舎を見て感想を漏らし、慰霊碑に手を合わせる。
 「大川小の悲劇」は震災の象徴として全国的に知られた。各地からひっきりなしに訪れる。被災地ツアーの定番ルートに組み込まれている。
 物見遊山の人もいる。慰霊碑の前で「ハイチーズ」。遺族の心中を波立たせる。
 浩行さんはそれでもいいと思っている。
 校舎の残骸を見れば津波のすさまじさが一目で分かる。
 目を校庭の裏山に転じれば誰だって「何で山に逃げなかったの?」と思う。
 百聞は一見にしかず。
 目にしたことを帰ったら周りの人に話してほしい。
 そうして現状を伝えてくれれば訪問の動機が不純だったとしても目をつぶる。
 大川小は校舎を震災遺構として残すかどうかで賛否が割れている。
 浩行さんは震災後、広島の原爆ドームを見る機会があった。
 骨組みだけになったドーム屋根が圧倒的な迫力で目に迫る。平和を希求せよと強烈なメッセージを投げ掛ける。
 大川小もそうだ。
 見る者の心を揺さぶる。
 この惨劇を二度と繰り返すなと訴え掛ける。
 性急に結論を出す必要はない。そのうち落ち着くところに落ち着く。
 原爆ドームも答えを導くのに20年かかっている。
 慌てることはない。


大川小訴訟で校長ら証人尋問へ
東日本大震災の大津波で犠牲になった石巻市の大川小学校の児童の遺族が市や県に損害賠償を求めている裁判で、来年4月にも元校長など学校関係者の証人尋問が行われることになりました。
石巻市の大川小学校は4年前の大津波で74人の児童が犠牲になり、このうち23人の児童の遺族が石巻市と宮城県に対し1人あたり1億円、あわせて23億円の損害賠償を求めています。
18日仙台地方裁判所で行われた協議で、来年4月にも、学校関係者ら4人が法廷で証言することが決まりました。
遺族側の弁護士によりますと、証人尋問はいずれも当時の校長と指導主事、それに当日、大川小学校の近くで避難の広報を行った、石巻市役所河北総合支所の副参事に対し行われ、津波の予見可能性などの質問に答えるものとみられます。
また小学6年生の長男を亡くした遺族も法廷で証言するということです。
遺族側は18日までに裁判所に、子どもを失った悲しみなどが書かれた遺族19人の陳述書を提出し、子どもたちと一緒に避難した男性教諭の証人尋問も求めているということです。


<災害公営住宅>Xマス会、みんなに笑顔を
 東日本大震災で被災した288世帯619人が暮らす仙台市若林区の荒井東災害公営住宅で20日、クリスマス会が開かれる。入居世帯でつくる荒井東町内会が、新天地で再出発を期す住民同士の親睦を深めようと企画した。「子どもも高齢者も笑顔になれる会にしたい」と一足早い聖夜に向けて準備を進めている。
 クリスマス会は昨年に続いて2回目。ことしは「夢を持って生きよう!」を合言葉に、被災地で慰問公演を行う芸能ボランティア団体「杜の都の笑楽隊」(泉区)による歌謡ショーで会場を盛り上げる。
 入居者の中村ひろ子さん(66)は、宮城県沿岸部に伝わる民謡「大漁唄(うた)い込み」を披露する予定だ。「これまで多くの芸達者な方々に元気をもらってきた。今度は自分が楽しませる側になりたい」と練習を重ねている。
 準備と運営には若林区を拠点に復興を支援する一般社団法人「ReRoots(リルーツ)」が応援に駆け付ける。7人の学生メンバーがサンタクロースに扮(ふん)し、輪投げゲームで子どもたちに笑顔を届ける。
 荒井東の災害公営住宅は1号棟(193世帯)と2号棟(95世帯)から成る。2号棟の入居開始はことし6月。先行して2014年4月に入居が始まった1号棟住民との融和が新コミュニティーを運営する上で重要と、町内会は考えている。
 町内会長の大橋公雄さん(72)は「1号棟と2号棟の入居者同士の交流をもっと深めたい。クリスマス会は家族単位のつながりを育むいいきっかけになるはずだ」と期待を寄せる。


原発事故の悲劇 避難の高校生が舞台に
◎相馬農高飯舘校・演劇部 あす初の東北大会
 東京電力福島第1原発事故で福島県飯舘村から福島市の仮設校舎に避難する相馬農高飯舘校の演劇部が、18日から八戸市で行われる「第48回東北地区高校演劇発表会」に福島県代表として出場する。原発事故がもたらした悲劇をテーマにした芝居で、創部1年目での快挙。部員は「仮設校舎の現状を多くの人に知ってほしい」と意気込む。
 演目は「ファントム オブ サテライト 〜飯舘校の怪人〜」。部員7人は8月から練習を重ね、相双地区代表として11月の県大会で優秀賞第1席を獲得した。
 舞台は放課後のプレハブ仮設校舎。飯舘村の実情を詳しく知らない福島市出身の生徒2人が、避難のためいなくなった子どもたちを探し求める本校舎の亡霊との出会いを通じ、原発事故による村の悲しみや苦しみを次第に理解していく物語だ。
 同校は全校生徒68人だが、福島市や川俣町の新入生が増え、飯舘村からの避難者は12人。そのうち演劇部員は1人しかいない。脚本を手掛けた演劇部顧問の西田直人教諭(46)は「私たちがいまこそ演じなければならない芝居だ」と意義を語る。
 福島市出身で、男子生徒役を演じる部長の3年雲藤裕二さん(17)は「村の人たちの思いや悲しさを、演技を通して知ることができた。東北大会に出場することで、村や学校のことを多くの人に知ってもらえる」と上演を心待ちにしている。本校舎の亡霊役の1年菅野千那さん(16)は「福島市出身なので村のことはよく分からないが、自分なりに考え、受け止めて、村が頑張っていることを少しでも伝えたい」と話す。
 東北大会は20日まで、八戸市公会堂ホールで開催。同校の上演は19日午後1時20分から。連絡先は大会事務局0178(33)0810。


<話そう原発>「なぜ」生徒ら問う
 原発事故の発生から4年9カ月。東北は、廃炉や再稼働といった原発をめぐる問題を話し合っていくことを避けては通れない。国会事故調の報告書と向き合い「なぜ」を考え始めた若者たちの活動を紹介する。(原子力問題取材班)
◎国会事故調報告書を読んで(上)
 スイス・ジュネーブに世界各国から集まった約130人を前に、日本の若者3人が仲間たちを代表して訴えた。
 「事故は防ぐことができた」。東京電力福島第1原発事故について、考え、話し合い、たどり着いた結論の一つだった。
 今月4日にあった国際赤十字・赤新月社連盟総会の関連行事。福島県郡山市の安積高2年の今園柊香さん(17)と関東の高校生、大学生の3人がチームで参加した。
 タイトルは「What Shall We Change?」(何を変えるべきか)。世界に伝えるべき原発事故の教訓を英語で発表した。
 3人は国会事故調査委員会の報告書を基に事故の背景を討論する「わかりやすいプロジェクト」のメンバーだ。
<途中諦めも>
 プロジェクトは2012年9月、事故調で調査統括を務めた経営コンサルタント石橋哲さん(51)=川崎市=らが始めた。福島や東京の高校生らが毎年、各地で議論を重ねている。
 例えば9月18日には福島市の福島高で、1、2年生13人が報告書を読み込んだ。「第5部 事故当事者の組織的問題」に関して疑問や意見を出し合った。
 旧原子力安全・保安院は津波の危険性を認識していたが、電力業界の抵抗を抑えきれず、指導や監督を怠った。報告書は「行政の不作為」と断じた。
 「なぜ誰もおかしいと言い出せなかったのか」「なぜ人の命より組織を守ることを優先するのか」。生徒からは当然のように疑問が湧き上がった。
 議論を進めると「仕事を辞める度胸がないと不正を指摘できない」「無関心の方が得だ」「大人の社会はおかしい」。ついには「国は頼りにならない」「大人になりたくない」と諦めの言葉も出始めた。
 「国や政府は誰の意思で動いているのかな」。石橋さんの一言が議論の流れと雰囲気を変える。
<教訓世界へ>
 再び考える生徒たち。「私たち?」「人災の責任は自分たちにもあるってこと?」。自らに問い掛けるような声が複数上がった。
 組織の利益や上下関係、周囲の雰囲気、多数意見に流される。そうした習慣が事故を防ぐ芽を摘んでしまった。生徒たちが導き出した結論だ。
 同じような環境は学校や日常生活にもある。少数意見に耳を傾け、本音で対話を重ねることが、原発事故のような悲劇を繰り返さないことにつながる。
 各地の若者たちが討論を経てまとめた教訓を、今園さんら3人はジュネーブで発表した。
 締めくくりに選んだのは赤十字のスローガン。「私たちの世界をよくするのは、あなたたち一人一人の行動です」。原発事故を「わがこと」と捉え、考え、話し合う大切さを世界に発信した。
[国会事故調査委員会]立法府が行政府を監視する目的で、国会が憲政史上初めて設置した第三者による独立調査機関。2011年12月に委員10人で発足。事務局も含め行政府の官僚はゼロ。6カ月間で2000点以上の資料、1000人以上の関係者を調べ、1万人以上の被災者や約2400人の原発作業員にアンケートを実施。12年7月、事故を「人災」とする報告書をまとめた。


<話そう原発>民主主義が機能せず
 東京電力福島第1原発事故から4年9カ月余り。未曽有の事故から教訓は学べているのか。国会事故調査委員会の委員長を務めた黒川清・政策研究大学院大学客員教授に聞いた。
<規制のとりこ>
 −国会事故調が明らかにしたのは。
 「報告書は原発の技術についてではなく、もっと根っこの部分、日本人のマインドの問題を明らかにした。世界でも例外的なタテ社会、部分最適に陥りがちな社会の力学。それを助長する日本人共通の『思い込み』(マインドセット)が事故の背景にあったのではないかと問い掛けた」
 「責任ある立場の人たちが責任を果たさず、規制する側がされる側に操られる『規制のとりこ』に陥っていた。責任回避を最優先し、失敗から学ぼうとしない思考と行動が明らかになり、事故の根底は『人災』だと判断した」
 −福島の高校生らが報告書を基に考え始めた。
 「原発事故を引き起こした『責任ある立場』の人たちと対極にいる。わかりやすいプロジェクトは目覚めた若者たちの活動。原発事故に象徴される『今まで』を作ったわれわれの世代は、世界と共に歩む彼らの未来を支援しなければならない」
<企業体質同じ>
 −国会事故調は立法、行政、司法の三権がそれぞれ独立した統治機構として機能していないと指摘した。
 「立法府が行政府をチェックできておらず、民主主義が機能していない。海外では当たり前なのに、日本の立法府が独立委員会を作ったのは国会事故調が憲政史上初だった。民主主義は与えられるものではなく、自分たちでつくっていくという認識が必要だ」
 −原発事故後も社会が変わらないのはなぜか。
 「オリンパスの損失隠しや東芝の不正経理の背景には、東京電力が陥った企業体質と同じ部分がある。国会事故調が指摘した組織の問題から教訓を得ていない。日本のマスコミもそれを追及しない。マスコミ自身が同じ企業体質だからだ。だから何も変わらない」


超党派の県議が脱原発の会発足
超党派の県議会議員20人が脱原発を目指す新たなグループを発足させ、連携して東北電力女川原子力発電所の再稼働に反対していくことを確認しました。
発足したのは「脱原発をめざす宮城県議の会」で、県議会の民主党、共産党、維新の党、社民党、それに無所属の議員20人が参加します。
18日は県議会棟の会議室で設立総会が開かれ、会長に就任した無所属の佐々木功悦議員が「県議会議員の4年間の任期中に女川原発の再稼働が判断されることになるが、一日も早く原発を廃炉にすべきだ」とあいさつしました。
東北電力は運転を停止している女川原子力発電所の2号機について再来年の4月以降の再稼働を目指していて、現在は国の安全審査が行われています。
会では、女川原発をめぐる状況について定期的に勉強会を開くとともに再稼働について連携して反対していくことを確認しました。
総会のあと佐々木功悦議員は、記者団に対し、「電力会社があからさまに再稼働を進めている状況を深刻に受け止めている。県民の命を守るのが県議会議員の仕事であり、原発を排除するのは当然だ」と述べました。


<山田線脱線>見えない復旧 年末年始を直撃
 岩手県宮古市門馬のJR山田線で起きた脱線事故から1週間がたち、全線復旧の見通しが全く立たないことに、地元の鉄道利用者の困惑が広がっている。盛岡市などへ向かう際、冬季はバス利用から定時性に優れる鉄道に切り替えてきた人も多い。年末年始や雪深い厳冬期の足の確保に不安が広がりつつある。
 山田線は事故現場付近の5駅で運休中で、一部区間の折り返し運転が続く。
 宮古市区界の理容師去石エイ子さん(66)は盛岡市の実家に帰る際に山田線を使うが、最寄りの区界駅に列車は来ていない。
 「冬はバスが遅れるので、定時に来る列車を利用してきた。何とか生活はできるが、早く復旧してほしい」と求める。
 同じ区界の女性(86)は盛岡市の病院に通うため、月に2回ほど山田線を利用していた。「家から駅まで数分だが、バス停は遠く30分ほどかかる。若い人は車を使えるから何とかなるが、私たち年寄りは大変」と漏らす。
 事故現場では新たな土砂崩れの危険があり、工事の長期化は避けられない。山田線ではもともと乗客が減っていたこともあって、「将来は廃線になるのでは」と心配する声も上がる。
 現場近くに住む無職中村サタ子さん(68)は「年を取って車を運転できなくなったら利用したいと思う。万が一でも廃線になるのは本当に困る」と話す。
 三陸沿岸道の建設工事のため名古屋市から宮古市に来ている会社員有田尚亮さん(41)は「東北新幹線との接続が良く、いつも使っていた。地元住民にとっては大切な足なので、早く復旧してほしい。現場では二次災害が起きないよう安全第一で復旧を進めてもらいたい」と要望した。


<山田線>震災で被災の2工区復旧本格化
 JR東日本盛岡支社は17日、東日本大震災で被災した山田線(宮古−釜石間、55.4キロ)の復旧工事で、担当する北工区(宮古−浪板海岸のうち29.45キロ)と南工区(岩手船越−釜石のうち16.6キロ)の作業本格化に合わせ、それぞれ現地で安全祈願祭を行った。岩手県山田町織笠であった北工区の祈願祭には、工事関係者ら約30人が参加。玉串をささげ工事の無事を祈った。
 2工区は震災で傷んだ線路や駅の修繕がメーンで、レール交換や枕木のコンクリート化をする。事業費は合わせて200億円。2工区以外の区間(9.31キロ)はJR東日本東北工事事務所が担当する。
 あいさつした盛岡支社の阿部徳之企画担当課長は、宮古市門馬であった山田線(宮古−盛岡間)の脱線事故について「皆さまにご迷惑とご心配をお掛けして申し訳ない。原因をしっかり究明したい」と語った。
 宮古−釜石間は2018年度の全線一括開業を目指す。完工後は三陸鉄道(宮古市)に移管される。


<北海道新幹線>結ぶつながる あと100日
 北海道新幹線開業まで100日となった17日、JR仙台駅など各地に開業までの日数を示すカウントダウンボードが設置された。新駅が誕生する青森県今別町では、町役場前に設置済みボードの数字が「100日」に張り替えられた。
 仙台駅では西口2階玄関前で除幕式があり、道関係者らが出席。道総合政策部新幹線推進室の本間研一室長は「(東北との)相互交流が盛んになり、経済、観光で効果を期待できる。道南からは電車で札幌に行くより近くなる仙台へ、買い物などで向かう人が増える」と話した。
 ボードは、道と道観光推進機構がJR東日本の協力で設置。北海道の観光地などの動画も流れる。点灯時間は午前5時半〜午前0時15分。開業前日の来年3月25日まで置かれる。
 仙台駅2階コンコースで始まった北海道物産・観光フェア(18日まで)を訪れた仙台市太白区の主婦佐藤正子さん(66)は「自然が好き。ぜひ新幹線で北海道に行きたい」と期待した。
 ボードは東京、上野、大宮各駅構内にも設置された。


宮城唯一のワイナリー 第1号発売
 宮城県内唯一のワイン醸造所「秋保ワイナリー」(仙台市)は17日、第1号のワインを発売した。太白区の秋保温泉郷にあるワイナリーの公開も始まり、見学者でにぎわった。
 ワインはやや辛口の赤(アルコール度数12%)とやや甘口のロゼ(11.5%)の2種類。9月に醸造を始め、赤は山形、山梨両県産のブドウ「マスカット・べーリーA」で若々しい果実の香りを引き立たせ、ロゼは山梨県産のみを使って酸味と甘味の広がる味わいに仕上げたという。
 赤5000本、ロゼ2000本を生産。1本(750ミリリットル)を2160円でワイナリーで販売している。ワインで漬けたベーコンなどの独自商品を並べ、試飲や軽食もできる。来年3月下旬には青森、宮城両県産リンゴで造るシードルの販売を始める。
 毛利親房代表は「宮城産ワインを通して多くの人と交流し、地域を盛り上げたい。秋保温泉を訪れた際は立ち寄ってほしい」と話した。来年からは周辺で自社栽培するブドウを使う。
 ワインは秋保地区の旅館、酒店でも入手できる。ワインなど特典付きサポーターを募集中。営業は午前10時〜午後4時。火曜定休。12月28日〜来年1月4日は休み。連絡先は秋保ワイナリー022(226)7475。


震災の経験や思い「つぶやいて」大学生ら呼び掛け
 1カ月後に阪神・淡路大震災発生から丸21年を迎えるのを前に、震災を経験していない大学生らが17日、短文投稿サイト「ツイッター」で、震災の経験や今の思いをつぶやいてもらうよう呼び掛けを始めた。2016年1月16日からで、全国のつぶやきは神戸市役所で展示する予定だ。
 阪神・淡路大震災の経験を次世代に継承する「117KOBEぼうさい委員会」の大学生らと神戸市が企画。震災から20年が過ぎ、ようやく当時のことや今の思いを伝えたいという人もいると考え、気軽に胸の内を明かしてもらう試みだ。
 「震災の経験や記憶を語り継ぐためにもあの時の思い、自分のとった行動などを伝えて」。17日にツイッターで呼び掛けた神戸学院大2年の喜田悠太郎さん(19)は大学入学までほとんど震災に関わらなかった。大学で防災を学んでおり、「経験した方の思いを聞きたい」と願う。
 投稿テーマは三つで、来年1月13日から順次発表する。投稿開始は同16日午後5時46分。新潟県中越地震や東日本大震災の被災地にも呼び掛ける。同17日午前5時から、市役所2階の市民ギャラリーで、つぶやいた場所を地図上に落として展示する予定。(高田康夫)


「阪神・淡路」で夫犠牲 今春他界の妻の名銘板に
 阪神・淡路大震災の犠牲者らの名前を刻む「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区、東遊園地)に19日、今年4月に96歳で亡くなった芝ヒデ子さんの銘板が加わる。戦後の神戸で共に歩んできた夫重吉(しげきち)さん=当時(82)=を震災で亡くし、晩年は思い出も失った。「半世紀以上、2人寄り添ってきた証しを残したい」。重吉さんの名前があるモニュメントへの追加を長女らが強く願い、ヒデ子さんの名も特別に刻まれることになった。(小川 晶)
 「生きてる! 誰か、助けて!」
 1995年1月19日午前、重吉さんとヒデ子さんが埋まった木造2階建て「中井文化」(神戸市中央区筒井町3)の崩壊現場で、長女新崎良子(よしこ)さん(68)=大阪市城東区=が叫んだ。
 地震翌日の同18日から、夫の廣治さん(76)と少しずつがれきをはがしていた。隙間からのぞいた手をつかむと、握り返してきた。
 布団に横たわった状態のヒデ子さんが助け出されたのは、19日午前10時45分ごろ。腰に内出血があり、2日以上飲まず食わずだったが、意識ははっきりしていた。重吉さんは正午ごろ、遺体で見つかった。
 2人は、中井文化1階の1室で6畳間に並んで寝ていた。地震直後、壁に立て掛けてあったこたつ机が全身を覆うように倒れて助かったヒデ子さん。重吉さんは先に起き出し、トイレにいたところで揺れに襲われた。
 回復したヒデ子さんが、がれきの下での記憶を振り返った。「真っ青な空に、一面の花畑。見たこともないきれいな景色の中を、手をつないで一緒に歩いていた。喉が渇いたけど、水がない。重吉さんが『病院に連れて行ってもらい』と手を離し、消えてしまった」
 新崎さんの自宅に身を寄せたヒデ子さんは、重吉さんとの思い出をほとんど口にしなかった。買い物を楽しみ、銭湯に通って友人をつくり、少しずつ新しい生活に慣れていった。ただ、毎年1月17日には早起きし、神戸がある西に向かって手を合わせた。
 だが、5年ほど前からその習慣が途絶えるようになる。震災のことだけでなく、戦時中に結婚し、2人歩んできた日々の記憶まで、ヒデ子さんは失った。
■戦後の神戸、2人で歩む
 今年4月に96歳の生涯を終えた芝ヒデ子さんは、重吉(しげきち)さんと、終戦後の神戸で支え合って生きてきた。
 2人は鹿児島県隼人(はやと)町(現霧島市)の出身。太平洋戦争開戦直後の1942(昭和17)年1月に結婚した。
 職業軍人だった重吉さんは終戦後、名古屋や大阪、長崎などを転々とし、57(同32)年に神戸へ。バラックがひしめき合う葺合区(現中央区)南部の一角で暮らした。
 重吉さんは港で荷揚げ作業に従事。ヒデ子さんも公園の清掃業務に就き家計を支えた。食卓に肉が並ぶことはなく、麦ご飯と大根やニンジンを炊いたおかずが定番だった。
 そんな暮らしにも、ヒデ子さんは居心地がよさそうだった。重吉さんは、子どもの前でも「ヒデちゃん」と呼んで妻を慕った。
 その後、開発による立ち退きで引っ越した先の文化住宅で、2人は大震災に遭う。
■長女感嘆「やっと一緒に」
 地震後、末っ子の新崎良子(よしこ)さん(68)の自宅に移ったヒデ子さんは、2010年ごろから物忘れが目立つようになった。食事など日常の生活から記憶が薄れ、過去の出来事が消えていった。そして、半世紀以上寄り添った重吉さんのことも。重吉さんの写真を見せても「知らん」と言い、仏壇を自分のものと勘違いして「私に早く死ねということか」と怒った。
 今年4月、ヒデ子さんは肺炎で亡くなった。ひつぎには、手元に置いておいた重吉さんの手紙などゆかりの品を納めた。「父さんのこと、忘れたらあかんよ」と新崎さんは語り掛けた。
 そして元気だったヒデ子さんが、神戸市中央区の東遊園地を訪れた時のことを思い出した。重吉さんの銘板を見ながら「私もここに刻んでほしい」とつぶやいていた。
 新崎さんら家族の願いがかない、追悼の場所に夫婦の名前がそろう。19日、新崎さんは、真新しいヒデ子さんの銘板の前で、こう声を掛けるつもりだ。
 「やっと一緒になれたね。地震の時に離しちゃった父さんの手、ずっとつないでなきゃだめだよ」(小川 晶)
 【慰霊と復興のモニュメント】 全国からの募金で建設され、2000年1月に完成。市民らによる運営委員会が毎年12月、地下の「瞑想(めいそう)空間」に新たな銘板を追加し、現在は4971人の名前が刻まれている。今年は芝ヒデ子さんら17人の名前が加わる。


受験の季節
 大学入試に向けたセンター試験まで残すところ1カ月を切った。受験生にとり、人生で初めて挑む試練だろう。クリスマスやお正月気分に浸れない日々は同情にあまりある▼近年は入学者選抜の方法が多様化した。試験を受けなくていい推薦入試が増え、私立大は4割が推薦で入学する。それでも、国公立大志願者は筆記試験が勝負の分かれ目になる▼社会人になってからも、受験の夢を見た人は多いのではないか。フロイトによると、人が入試の夢を見るのは、翌日に失敗できない責任ある仕事が控えている場合が多いそうだ▼過去の試練は乗り越えられたのだから、きっと大丈夫だと自分を落ち着かせようとする心の働きだと説明する。だから、試験の夢を見るのは入試に成功した人に限られるのだと▼5年前に亡くなった京都大の名物数学教授だった森毅さんは「受験とはなにより一に要領、二に度胸、三四がなくて、五に運次第」と書いている。自身、すべての入試を「チョロマカシてくぐり抜けた」と振り返っている▼森さんによると、学校での試験が過去型なのに比べ、入学試験は未来型だという。入社試験も同じで、入学後にその人がどうなるのか見たいのだ。「自分にあった方法で、個性で勝負するのがよき受験勉強だ」。受験の元達人の勧めだ。

障害者差別解消 岡山県でも法施行周知
 障害を理由とする差別を禁止するとともに「合理的配慮」の提供を求めた障害者差別解消法が来年4月、施行されるのを前に、岡山県は職員の対応要領案をまとめた。本年度中に正式決定する。
 国や自治体は合理的配慮が法的義務、民間事業者も努力義務となる。適応が想定される場は幅広いといえる。
 だが、法の認知度はまだ低い。県が6〜7月、県民千人に行った意識調査(回答率43%)では、法について「知らない」と答えた人は77%に上った。まずは趣旨の周知に努めることが重要である。
 差別解消法は、国連の障害者権利条約の批准に向けた国内法整備の一環で2013年に成立した。現在、自治体の対応要領づくりが進められており、広島、香川県も作成を急いでいる。
 キーワードとなるのは合理的配慮だ。岡山県の対応要領案は事務、事業で障害者から社会的障壁の除去を求められた場合、負担が過重でないときは合理的配慮を提供しなければならない旨を明記している。先に示された国の対応要領に沿った内容である。
 とはいえ、何が合理的配慮に当たるかは分かりづらい。県の要領案は具体例として21項目を示した。車いすの介助や筆談、点字などの活用に加え「意思疎通が不得意な障害のある人に対し、絵カード等を活用して意思を確認する」「比喩表現等が苦手な障害のある人に対し、比喩や暗喩、(回りくどい)二重否定表現などを用いずに説明する」などがある。身体、知的、精神障害だけでなく、近年知られてきた発達障害も視野に入れたものと評価できる。
 合理的配慮の提供には「実施に伴う負担が過重でないとき」という条件がついている。負担の例は事務、事業への影響や実現可能性、費用などが挙げられている。だが、拡大解釈されると、合理的配慮が不当に狭められかねない。大切なのは配慮を提供する側が一方的に決めつけないことだ。求める側との建設的な対話が欠かせまい。
 法施行の効果が特に期待できる分野は学校教育だろう。知的な遅れのない発達障害も含め一人一人のニーズに応じた特別支援教育が始まり8年がたつが、学校による取り組みの差が大きいといわれる。
 例えば、岡山県教委によると、通常学級で学ぶ児童生徒で行動面や学習面で配慮が必要な子どものうち、支援の基礎となる「個別の教育支援計画」が作成されているのは小学校で21・5%、中学校は13・6%(岡山市を除く)にとどまっているという。
 法施行で配慮を提供しなければならないことが明確になり、支援の広まりが求められる。教員間での情報共有や小学校、中学校、高校間の引き継ぎも円滑にすべきだ。配慮は担任教諭だけに委ねられるものではなかろう。学校、さらには教育委員会の取り組みも欠かせない。


産経記者の裁判 無罪でも釈然としない
 朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を毀損(きそん)した罪で在宅起訴された産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長に無罪判決が出た。「言論の自由」を認めた当然の結論だが、釈然としない点も多い。
 裁判長は判決の言い渡しに先だち、日韓関係を考慮して善処するよう韓国外務省から要請されたことを明らかにした。この要請が判決に影響を与えたとしたら行政による司法への介入になってしまう。三権分立を基軸とする民主国家では、あってはならないことだ。
 そもそも市民団体の告発に基づいてなされた起訴自体が不当だった。
 加藤記者は昨年4月に起きた客船セウォル号沈没事故に関連するコラムを電子版に書いた。朴大統領が事故直後に姿を見せなかった「空白の7時間」に関するさまざまなうわさがあるという内容だ。加藤記者は韓国紙・朝鮮日報のコラムを引用し、「朴大統領と男性の関係に関するもの」という見方を付け加えた。
 今年3月の公判で裁判長は「うわさ」の真実性を否定する見解を示した。加藤記者も産経新聞で発表した手記で「(裁判長の)見解に異を唱えるつもりはない」と表明した。
 事実確認を怠り風評を安易に書いたことは批判されても仕方がない。「うわさ」と断りさえすれば何を書いてもいいわけではない。
 それでも、批判的な記事を書いた記者に刑事罰を科そうとするのは、権力の監視という言論の役割を封殺しようとするものだ。言論・報道の自由を最大限に尊重しなければならない民主主義の原則にもとる。
 韓国では、大統領や政府高官の名誉を毀損したという告訴・告発が目立つ。朴大統領を中傷するビラを作って起訴されたり、青瓦台(大統領府)高官の疑惑を報じた韓国メディアの記者が告訴されたりした事例まである。しかも、結局は不起訴や無罪となることが少なくない。無理をして法的措置に訴え、批判を封じようとしているとしか見えない。
 国際人権規約に関する国連の委員会は先月、政府批判に名誉毀損罪を適用して重い刑を科すことが韓国で増えていると懸念する報告書を公表した。加藤記者の訴追は、日本記者クラブや国際新聞編集者協会(IPI)なども批判してきた。
 韓国の人々は、自分たちの力で1987年に民主化を成し遂げたことを誇りにしている。「表現の自由」や「司法の独立」はその成果として実現したはずだ。
 外国人記者の訴追という今回の事件は国際的な関心を集めた。無理のある起訴を強行した結果は、韓国の国際的なイメージを傷つけただけだ。検察は控訴せず、判決を受け入れるべきである。


産経記者無罪 日韓改善につなげたい
 韓国の地裁が大統領の名誉を傷付けたとして起訴された産経新聞記者に無罪判決を言い渡したのは、言論の自由を尊重したと評価したい。日韓双方の負担も軽くなる。関係改善につなげたい。
 ウェブサイトのコラムで朴槿恵大統領を中傷したとして情報通信網法の名誉毀損(きそん)罪で起訴された加藤達也・前支局長に対し、ソウル中央地裁は「不適切な点はあるが、名誉を傷付けてはいない。民主主義社会では言論の自由保護の領域に含まれる」として無罪判決(求刑・懲役一年六月)を言い渡した。
 加藤氏は韓国紙を引用しながら、フェリー「セウォル号」沈没事故が起きた昨年四月十六日に朴大統領が七時間、所在不明となり、特定の男性と会っていたうわさがあるという記事を書いた。
 判決文では、加藤氏がうわさを「虚偽と認識していた」と認定したうえで、公人としての大統領の動静を書いたこと自体は「誹謗(ひぼう)目的ではなく、名誉毀損には当たらない」との判断を下した。国際基準に則した報道・言論の自由を重んじた結果だ。検察には判決に従い、控訴を断念するよう求めたい。
 ソウル駐在だった加藤氏は、うわさを引用するのなら相応の表現をする慎重さが必要だったのではないか。それでも、国際的なジャーナリスト団体や欧米の政府も訴追を強く批判した。報道の自由を刑事罰で抑え込もうとすることを危惧したからだ。
 判決公判では韓国政府の陳述書が朗読される異例の展開になった。加藤氏の訴追が日韓関係に否定的な影響を及ぼすという日本外務省の懸念と、今年は国交正常化五十年だと指摘して裁判所に善処を求める韓国外務省の見解が公表された。
 一歩誤れば、司法の独立を侵しかねない政治的な判断ではあるが、それほど日韓外交の負担になっていたという証明だろう。
 日本政府は繰り返し懸念を表明してきたが、無罪判決が確定すれば不信の材料が一つなくなる。双方とも関係改善に本格的に取り組む必要がある。
 今回は外信記者が対象になり外交問題にまで発展したが、韓国では大統領や政権を批判する国内メディアの記事が起訴される事案が続いている。世界各国には名誉毀損罪があるが、民主主義国家では言論の自由は保障されねばならない。事件が残した教訓は小さくはない。


死刑執行に対する抗議声明
アムネスティ・インターナショナル日本は、本日、東京拘置所の津田寿美年さんと仙台拘置所の若林一行さんに死刑が執行されたことに対して強く抗議する。
本日の執行により、本年は6月25日に次いで2回目、安倍政権下では2006年の第1次安倍内閣時と合わせて通算24人が処刑されたことになる。
岩城光英法務大臣は今年10月に就任したばかりであり、今回が初めての執行である。10月7日の官邸記者会見では、「死刑は,人の生命を絶つ極めて重大な刑罰です。・・・(中略)裁判所の判断を尊重しつつ、私自身も慎重かつ厳正に対処すべきであると考えています」と、基本的に安倍政権下での過去の法務大臣の発言を踏襲する内容にとどまった。
死刑は、もはや国際的には非人間的で残酷な時代遅れの刑罰ととらえられており、事実上死刑を廃止している国を含めると、140カ国が死刑廃止国となっている。このような国際的動向を見極めることも、法務大臣の責務である。
今年12月3日、モンゴルはあらゆる犯罪に対し死刑廃止を定めた新刑法を議会で可決した。この新刑法は来年9月に施行される。ツァヒャー・エルベグドルジ大統領は、「人権の完全な尊重に向けて、モンゴルは死刑廃止を進めなければならない」と繰り返し訴えてきた。死刑の廃止は人権の尊重そのものであり、モンゴルはその実現に向けて政治的リーダーシップを発揮したのである。
アムネスティの調査によれば、2014年の死刑存置国は58カ国であるが、そのうち死刑を執行した国は22カ国であって、世界全体のわずか10%にすぎない。日本は執行を続けることで、人権を無視した少数国の中にあり続ける。2015年に入り、フィジー、マダガスカル、スリナムの3カ国が死刑を廃止した。日本もこれらの国に続き廃止を検討すべきである。
津田さんの場合、裁判員制度のもとでの死刑確定者の初めての執行となった。人の生命を奪う極刑において慎重な判断が求められるにもかかわらず、日本では義務的上訴制度がない。津田さんは、控訴審において自ら控訴を取り下げており、裁判員裁判における地裁の死刑判決が確定した。
2014年2月17日、裁判員経験者20人は死刑執行を停止し、死刑制度の情報公開を徹底し、国民的議論を促すよう求める要望書を当時の法務大臣である谷垣禎一大臣へ提出した。死刑判決は裁判員にとって、人の命を奪うという非常に重い決断である。決断のためには、死刑制度自体の情報公開が必須である。死刑についてほとんどの国民が知らない現状では、情報を公開するだけでなく、執行を停止し熟慮しなければならない。
死刑は生きる権利の侵害であり、残虐で非人道的かつ品位を傷つける刑罰である。アムネスティは、日本政府に対し、死刑廃止への第一歩として公式に死刑の執行停止措置を導入し、全社会的な議論を速やかに開始することを要請する。
2015年12月18日
アムネスティ・インターナショナル日本
※死刑執行抗議声明における「敬称」について アムネスティ日本は、現在、ニュースリリースや公式声明などで使用する敬称を、原則として「さん」に統一しています。また、人権擁護団体として、人間はす べて平等であるという原則に基づいて活動しており、死刑確定者とその他の人々を差別しない、差別してはならない、という立場に立っています。そのため、死刑確定者や執行された人の敬称も原則として「さん」を使用しています。


岩城法務大臣による死刑執行に抗議する
NPO法人監獄人権センター
岩城光英法務大臣は,本日(12月18日)津田寿美年氏(東京拘置所)および若林一行氏(仙台拘置支所)に対し,死刑を執行した。今回の執行は,本年10月に就任した岩城法務大臣による初の執行である。
我々は,本年6月25日の上川法務大臣(当時)による死刑執行に対し,「裁判員裁判による死刑判決の確定が進む中,上訴の取り下げにより裁判員裁判での死刑判決が確定した人々に対する死刑執行は,もはや避けられない。政府は,裁判員制度と世論の支持を根拠に死刑制度維持の責任を市民に押し付けることはやめ,ただちに,義務的上訴制度を早期に導入するとともに、死刑制度全体の見直しを開始すべきである。」と述べた。この言葉を,再度ここに繰り返す。
津田氏は,2011年6月の死刑判決後,弁護人による控訴を自ら取り下げた。津田氏の責任能力に関しては,起訴前に検察庁が簡易鑑定を含めて2度の精神鑑定を行い,起訴後も裁判所による精神鑑定が行われていた。津田氏による控訴取下げは,死刑判決に対する上訴取下げの無効性について基準を示した平成7年6月28日最高裁第二小法廷決定(1)に照らしても疑問の余地があるものであったが,その効力が検証されることはないまま本日の執行に至った。この点において,今回の控訴の取下げは,死刑判決に対する自動上訴制度の導入の必要性を改めて強く認識させるものである。わが国には死刑判決に対する自動上訴制がないため,多くの死刑判決が,上訴審における審理を経ることなく確定してきた。しかし,死刑判決の誤りは,無実の人を死刑とする場合に限られない。責任能力に疑問がある場合や,共犯者間の役割など,死刑か無期かの判断が分かれる要素は様々であり,その判断を誤る可能性は常にある。一昨年以来,3件の裁判員裁判による死刑判決が東京高等裁判所によって破棄され,その判断が最高裁判所によって維持された例は,このことを如実に示している。それゆえに,国連の条約機関は,繰り返し,日本政府に対し,死刑判決に対する義務的上訴制度の導入を勧告してきた 。(2)
また若林氏は,控訴審から否認に転じ犯人性を争っていたが,第一審においては公訴事実を争わず,事件発生から僅か9か月後には判決に至っていた。そのため,被告人の否認主張を踏まえての徹底した事実審理は行われていないまま,死刑が確定している。わが国では,死刑事件においてすら罪責認定と量刑判断のための手続が分離されていないため,同一手続のなかで事実関係を争いつつ減刑を求めることを強いられる事案が生じる。量刑裁量の広い刑法の規定のあり方を含めて,死刑という究極の刑罰を科す手続としては不適切である。
日本政府は,死刑制度をめぐる上記を含めた数々の問題点を直視し,制度の廃止をも視野にいれ,直ちに死刑制度自体の見直しを行うべきである。
監獄人権センターは,今回の死刑執行に強く抗議するとともに,死刑執行の停止,そして死刑制度廃止の政策的実現に向け,今後も取り組んでいく決意である。
以上
(1)「死刑判決に対する上訴取下げは、上訴による不服申立ての道を自ら閉ざして死刑判決を確定させるという重大な法律効果を伴うものであるから、死刑判決の言渡しを受けた被告人が、その判決に不服があるのに、死刑判決宣告の衝撃及び公判審理の重圧に伴う精神的苦痛によって拘禁反応等の精神障害を生じ、その影響下において、その苦痛から逃れることを目的として上訴を取り下げた場合には、その上訴取下げは無効と解するのが相当である。けだし、被告人の上訴取下げが有効であるためには、被告人において上訴取下げの意義を理解し、自己の権利を守る能力を有することが必要であると解すべきところ(最高裁昭和二九年(し)第四一号同年七月三〇日第二小法廷決定・刑集八巻七号一二三一頁参照)、右のような状況の下で上訴を取り下げた場合、被告人は、自己の権利を守る能力を著しく制限されていたものというべきだからである。」
(2)国際人権(自由権)規約委員会(2008年第5回審査総括所見パラ17),拷問禁止委員会(2007年第1回審査総括所見パラ20,2013年第2回審査総括所見パラ15)。


死刑執行に抗議する会長声明
2015年(平成27年)12月18日
第二東京弁護士会 会長 三 宅 弘
15(声)第20号
 本日、東京拘置所において1名、仙台拘置支所において1名、合計2名に対して死刑が執行された。岩城光英法務大臣による初めての死刑執行である。執行されたうちの1名は、裁判員裁判による死刑判決を受け、弁護人が控訴したものの、控訴を取り下げ死刑が確定した事案であり、死刑判決について上級審での審理を受けずに執行されたことになる。死刑が生命を奪う特別な刑罰であることを考えれば、上級審での審理を必要的なものとすることも検討されるべきである。またもう1名は、1審で認めた後、控訴審で否認に転じ無実を主張した事案である。
 日本弁護士連合会は、岩城法務大臣に対し、「死刑制度の廃止について全社会的議論を開始し、死刑の執行を停止するとともに、死刑えん罪事件を未然に防ぐ措置を緊急に講じることを求める要請書」を提出して、死刑制度とその運用に関する情報を広く公開し、死刑制度に関する世界の情勢について調査の上、調査結果と議論に基づき、今後の死刑制度の在り方について結論を出すこと、そのような議論が尽くされるまでの間、すべての死刑の執行を停止すること等を求めていた。また当会も、人権擁護委員会内に死刑廃止検討部会を設け、死刑についての連続シンポジウムを開催し、市民とともに、死刑廃止について議論を重ねていたところである。
 袴田巖氏の第二次再審請求事件について、東京高等裁判所における即時抗告審が行われているが、もし死刑の執行がなされていたならば、まさに取り返しのつかない事態となっていたのであり、袴田事件は、えん罪の恐ろしさはもちろんのこと、死刑制度の問題点を浮き彫りにしている。死刑の廃止は国際的な趨勢であり、世界で死刑を廃止又は停止している国は140か国に上っている。死刑を存置している国は58か国であるが、2014年に実際に死刑を執行した国は更に少なく、日本を含め22か国であった。いわゆる先進国グループであるOECD(経済協力開発機構)加盟国(34か国)の中で死刑制度を存置している国は、日本・韓国・米国の3か国のみであるが、韓国は17年以上にわたって死刑の執行を停止、米国の19州は死刑を廃止しており、死刑を国家として統一して執行しているのは日本のみである。こうした状況を受け、国際人権(自由権)規約委員会は、2014年、日本政府に対し、死刑の廃止について十分に考慮すること等を勧告している。
 昨年実施された死刑制度に関する政府の世論調査の結果、「死刑もやむを得ない」との回答が80.3%であったものの、そのうち40.5%は「将来的には、死刑を廃止してもよい」とした。また仮釈放のない終身刑が導入されるならば、「死刑を廃止する方がよい」37.7%、「死刑を廃止しない方がよい」51.5%と回答している。この結果からも死刑廃止について議論する必要性があると言える。
 当会は、これまでの死刑執行に対して強く抗議してきたところであるが、今回の死刑執行に対しても強く抗議するとともに、改めて死刑執行を停止し、死刑に関する情報を広く国民に公開したうえで、死刑の代替刑としての仮釈放のない終身刑の是非も含め死刑制度の廃止について全社会的議論を直ちに開始することを求めるものである。


[島尻沖縄担当相]職責を放棄する発言だ
 これが沖縄振興を担う閣僚の発言なのか。自身の役割を放棄したとしか思えず、担当相としての資質に疑問符を付けざるをえない。
 沖縄の基地問題と振興策の関連性を事実上認める見解を示した、島尻安伊子氏の発言である。
 島尻氏は会見で、新基地建設に反対して政府と裁判で争っている翁長雄志知事の政治姿勢が、沖縄振興に影響があるかを問われ、「全くないとは考えていない」と述べ、来年度の沖縄関係予算に影響する可能性を示唆した。
 基地問題と振興策は「リンクしない」というのが、これまでの政府の見解だ。記者からその整合性を問われると、島尻氏は「リンクはしない」としながらも、「やはり空気感というか、予算確保に全く影響がないというものではないと私自身が感じている」と重ねて示唆した。
 予算編成が大詰めを迎えたこの時期に、「空気感」を理由に、従来の政府見解に反して翁長知事をけん制するのであれば、島尻氏は沖縄担当相でありながら沖縄振興の趣旨をゆがめることになる。極めて問題だ。
 そもそも、沖縄振興は沖縄振興特別措置法に基づくものであり、政府がその必要性を認めている。戦後27年の米軍統治、島しょ地域に伴う経済的不利性、国土面積の0・6%の県土に在日米軍専用施設・区域の74%が集中している−という特殊事情からである。
 沖縄振興の基本を地元選出の島尻氏が正しく認識しているか、甚だ疑問だ。
    ■    ■
 島尻氏のこれまでの発言を振り返ると、新基地建設に突き進む安倍政権の意向に沿った強権的な言葉が目立つ。
 昨年2月の参院予算委員会では「違法な妨害活動を阻止するため、県警や海上保安庁が先んじて対策を取るべきだ」と述べ警備強化を求めた。
 ことし4月の自民党県連大会では、市民の反対運動を「責任のない市民運動」と発言した。
 だが、「責任」が伴っていないのはどちらか。島尻氏は2010年の参院選で「県外移設」を公約としていたにもかかわらず、有権者への説明もないまま辺野古移設に転じた。
 「県外移設」の公約転換を自民の国会議員が党本部から迫られた時期には、「待望の子どもが生まれたら、みんなにお祝いしていただける環境に」と述べ、辺野古容認を「子の誕生」にたとえ転換を期待した。一連の発言からは、沖縄の民意の代弁者としての姿勢は感じられない。
    ■    ■
 今月上旬の訪米時には、シンポジウムで、「20年に及ぶ問題の解決には、普天間を辺野古へ移設する現行計画しかない」と断言した。地元を顧みないその言葉は、国への不信を募らせるだけだ。
 来年度の沖縄関係予算は、概算要求の3429億円に対し、財務省が大幅減額を示唆するなど厳しい状況が伝わっている。沖縄担当相に今、必要なのは、リンク論で県に揺さぶりをかけるのではなく、沖縄振興の原点を再認識し、必要な政策を着実に進められるようにすることである。


夫婦別姓禁止合憲 「人権のとりで」を放棄した
 民法の夫婦同姓規定が憲法に違反するかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁は合憲の初判断を示した。個人の意思に反して夫婦同姓を強制することは、個人の尊厳を保障する憲法に沿ったものとはいえない。世界では夫婦同姓を強いる規定はほとんどない。国会で法改正を急ぐべきだ。
 判決は「民法の規定に男女間の形式的な不平等はない」とした。実質的に判断すべきだ。夫婦で協議して決めた結果とはいえ、夫の姓を選ぶ夫婦が圧倒的多数を占めている。その背景には男系を重んじる風潮が根強く、女性がそれに従わざるを得ない側面もあろう。実質的な不平等は存在しているのである。
 一方で判決は「姓の変更でアイデンティティーの喪失感を抱いたり、社会的信用や評価の維持が難しくなったりするなどの不利益を受けるのは女性が多いとみられる」と理解も示した。そこに重点を置いて判断すべきだった。不利益を認めながらも、是正に踏み込まないとあっては「人権のとりで」の役割を放棄したに等しい。
 最高裁が「旧姓を通称として使用することが広まることで不利益は緩和される」としたことも疑問だ。事実婚では相続人とは認められず、子どもの親権も片方の親しか持てない。旧姓の通称使用が完全に認められるまで不利益を我慢せよということにならないか。
 選択的夫婦別姓制度を導入しても支障はない。別姓を選ぶ生き方は認められてしかるべきだ。家族の絆が壊れるなどとの指摘に根拠はない。自分の姓を大切にし、事実婚を選んだ人の家族に一体感がないと決めつけるのは失礼である。
 選択的夫婦別姓制度について最高裁は「合理性がないと断ずるものではない」とした。ならば、夫婦同姓規定が憲法違反であると判断し、国会に改正を求めるのが筋であろう。自ら判断することを避け、国会に判断を委ねるようでは、「法の番人」としての責任を果たしたとは認められない。
 法制審議会が答申した選択的夫婦別姓制度導入を盛り込んだ民法改正案は20年近く放置されている。民主党などがことし6月に共同提出した選択的夫婦別姓導入を柱とする民法改正案は審議されずに廃案となった。
 安倍政権は女性活躍を推進している。女性の社会進出の障害ともなっている夫婦同姓規定改正に取り組むことに不都合はないはずだ。


夫婦同氏の強制及び再婚禁止期間についての最高裁判所大法廷判決を受けて民法における差別的規定の改正を求める会長声明
2015年12月16日、最高裁判所大法廷は、夫婦同氏の強制を定める民法第750条は憲法第13条、同第14条、同第24条のいずれにも違反するものではないと判断した。その理由として、婚姻の際の「氏の変更を強制されない自由」は憲法上保障されていないこと、夫婦同氏の強制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではないこと、個人の尊厳と両性の本質的平等という憲法第24条の要請に照らして夫婦同氏の強制が合理性を欠くとは認められないことなどが挙げられている。
しかしながら、当連合会がかねてから「選択的夫婦別姓制導入並びに非摘出子差別撤廃の民法改正に関する決議」(1996年10月25日)において指摘したとおり、民法第750条は、憲法第13条及び同第24条が保障する個人の尊厳、同第24条及び同第13条が保障する婚姻の自由、同第14条及び同第24条が保障する平等権を侵害し、女性差別撤廃条約第16条第1項(b)が保障する「自由かつ完全な合意のみにより婚姻をする同一の権利」及び同項(g)が保障する「夫及び妻の同一の個人的権利(姓及び職業を選択する権利を含む。)」にも反するものである。
今回の最高裁大法廷判決においても、5名の裁判官(3名の女性裁判官全員を含む。)が、民法第750条は憲法第24条に違反するとの意見を述べた。そのうち岡部喜代子裁判官の意見(櫻井龍子裁判官、鬼丸かおる裁判官及び山浦善樹裁判官が同調)は、夫婦同氏の強制によって個人識別機能に対する支障や自己喪失感等の負担がほぼ妻に生じていることを指摘し、その要因として、女性の社会的経済的な立場の弱さや家庭生活における立場の弱さと、事実上の圧力など様々なものがあることに触れており、夫婦同氏の強制が個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した制度とはいえないと説示している。さらに、木内道祥裁判官の意見は、夫婦同氏の強制は、憲法第24条にいう個人の尊厳と両性の本質的平等に違反すると説示し、「家族の中での一員であることの実感、夫婦親子であることの実感は、同氏であることによって生まれているのだろうか」と疑問を投げかけている。
法制審議会は、1996年に「民法の一部を改正する法律案要綱」を総会で決定し、男女とも婚姻適齢を満18歳とすること、女性の再婚禁止期間の短縮及び選択的夫婦別姓制度の導入を答申した。また、国連の自由権規約委員会は婚姻年齢に男女の差を設ける民法第731条及び女性のみに再婚禁止期間を定める民法第733条について、女性差別撤廃委員会はこれらの規定に加えて夫婦同氏を強制する民法第750条について、日本政府に対し重ねて改正するよう勧告を行ってきた。法制審議会の答申から19年、女性差別撤廃条約の批准から30年が経つにもかかわらず、国会は、上記各規定を放置してきたものである。今回の最高裁大法廷判決における山浦善樹裁判官の反対意見も、1996年の法制審議会の答申以降相当期間を経過した時点において、民法第750条が憲法の諸規定に違反することが国会にとっても明白になっていたと指摘している。
一方、上記同日、女性のみに6か月の再婚禁止期間を定める民法第733条について、最高裁判所大法廷は、100日を超えて再婚禁止期間を設ける部分は合理性を欠いた過剰な制約を課すものとして、憲法第14条第1項及び同第24条第2項に違反するとの判断を下した。
民法第733条を違憲であるとした点については、当連合会の主張と合致するものである。しかし、女性のみに再婚禁止期間を設けることは、その期間を100日間に短縮したとしても必要最小限にしてやむを得ないものとはいえない。
当連合会は、国に対し、民法第750条及び同第733条並びにこれらの規定とともに法制審議会にて改正が答申され、国連の自由権規約委員会及び女性差別撤廃委員会から勧告がなされている同第731条(婚姻適齢)を速やかに改正することを強く求める。
2015年(平成27年)12月18日
日本弁護士連合会
会長 村 越   進

マイマイ210/予想以上にアップ♪/忘年会

ブログネタ
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Fig06

Japon: Une équipe de robots ≪décontaminateurs≫ pour la centrale de Fukushima
L'un projette de l'eau sous pression, le deuxième de la glace carbonique pulvérisée et le troisième utilise une surface abrasive et un système d'aspiration. Cette équipe de robots ≪décontaminateurs≫, présentée par trois groupes japonais à Tokyo mercredi, a été concue pour nettoyer les bâtiments des réacteurs nucléaires inaccessibles à l'homme à la centrale accidentée de Fukushima.
Mitsubishi Heavy Industries (MHI), Toshiba et Hitachi-GE Nuclear Energy ont développé ces trois imposants engins sur chenilles (escortés d'un équipement de fourniture d'air comprimé), capables de se déplacer sur instructions dans les installations pour y effectuer des tâches de nettoyage.
Un chantier parti pour durer une quarantaine d'années
Ils sont censés intervenir dès l'année prochaine aux deuxième et troisième niveaux des bâtiments des réacteurs ravagés de la centrale Fukushima Daiichi, gravement endommagée par le tremblement de terre et le tsunami du 11 mars 2011. Trois des six coeurs de réacteurs ont fondu et la radioactivité dans ces parties des bâtiments est telle que l'homme ne peut y pénétrer.
Ces robots sont développés en collaboration avec l'Irid, un organisme spécialement créé par les pouvoirs publics afin de concevoir de nouvelles technologies spécifiques pour le démantèlement de la centrale de Fukushima, un chantier parti pour durer une quarantaine d'années. ≪L'appui de sociétés partenaires est essentiel pour décontaminer le site≫, a insisté dans un communiqué la compagnie Tokyo Electric Power (Tepco), exploitante du site.
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コズミック フロント☆NEXT「反物質 宇宙のロストワールド」
私たちはなぜ存在するのか?この究極の謎をひもとくカギが「反物質」だ。人体や地球、星などは「物質」でできているが、理論上は物質を鏡に映したような「反物質」も同じだけ存在するという。しかし、科学者たちの懸命な捜索にも関わらず、いまだに見つからない。反物質とは一体なにか?宇宙のどこにあるのか?2015年のノーベル物理学賞の受賞理由となった「ニュートリノ振動」を用いた地下実験にも密着。究極の謎に迫る。
萩原聖人,守本奈実, 川島得愛,藤本譲,宗矢樹頼,植竹香奈


1か月ぶりのマイマイ.今回は210です.少し問題がありそうな感じがします・・・
来年4月からちょっと給料アップと聞いていましたが,書類を見るとそれは予想以上で,なんだかうれしい感じです.
7時から忘年会です.ウイスキーの竹鶴を飲みすぎてしまいました.

<もう一度会いたい>他人任せにできない
◎(13)息子の代弁 法廷で
 冷たい秋時雨が黙々と作業に精を出す人たちの雨がっぱをぬらす。
 11月8日。宮城県石巻市大川小。
 航空写真と三角スケールを頼りに側道を測量し、ビニールひもを張り巡らす。
 朝から降っている。吐く息が白い。
 避難経路を復元する作業だ。5日後に裁判所の現場視察が予定されている。
 作業の主は児童の親で裁判の原告。74人の子が避難中に津波にのまれ、絶命した。
 今野浩行さん(53)と妻ひとみさん(45)の姿もある。長男で6年の大輔君=当時(12)=を亡くした。
 裁判は児童23人の19遺族が市と宮城県に損害賠償を求めた。提訴日は2014年3月10日。時効完成の前日だった。
<最後の願い>
 地震発生から津波到来までの50分間、子どもたちはなぜ校庭に留め置かれたのか。なぜ津波の来る川に向かって避難誘導されたのか。
 親の望む真相解明は市教委の説明会でも市の第三者検証委員会でも進まず、最後の願いを法廷に託した。
 石巻市では震災で24の小中学校が浸水した。この中で先生の引率中に子どもが津波に巻き込まれたのは大川小だけだ。他校は全員助かっている。
 検証委員会は事故の一因について日頃の防災体制の不備を挙げた。
 浩行さんは思う。
 防災体制がいいかげんなのは実はどの学校も似たり寄ったりだ。それでもほかの学校は先生が機転を利かせて裏山に避難させている。裏山は大川小にもあった。他校にできてなぜ大川小にできなかったのか。その訳を裁判で知りたい。
 裁判は起こしたら起こしたで厄介ごとを抱える。それも本筋以外の所で。
 「子どもが死んで金が入ると喜んでいる」
 「義援金を裁判費用に充てている」
 ネットに心ない言葉が書き込まれた。心のゆがんだ者の標的にされる。
 「1000年に1度の巨大津波。襲来は予想できず、事故を防げなくてもやむを得なかった」
 法廷でも市は変わらず津波の予見可能性を否定する主張をしている。
 裁判はとどのつまり、予見可能性の有無をめぐる攻防に収束されている。判決もこの一点でジャッジするだろう。
<真相どこへ>
 だとすると。
 真相解明は裁判でも置き去りにされる可能性がある。
 大人で唯一の生存者で真相解明の鍵を握る教務主任の先生も、精神的に参って尋問不能の状態が続いている。
 勝訴したとしても気が晴れないかもしれない。
 浩行さんは心の準備を始めている。
 現場視察当日。
 裁判官がひもで仕切られた避難経路を歩き、避難状況を体感する。
 その後を親が付いて回る。自分たちでよみがえらせた仮想の道を足で確かめながら。
 原告本人が裁判の現場復元作業を弁護士や業者任せにせずに直接関わるのは珍しい。
 浩行さんは当事者としてできる限り裁判に打ち込むことが息子の代弁をすることだと考えている。


<衆院選制度改革>被災地の声 届かなくなる
 衆院選挙制度改革の有識者調査会が16日に示した議員定数10減案によると、東北では小選挙区が青森、岩手、宮城の3県でそれぞれ1減されるほか、比例代表東北ブロックも現行の14が13に減る。各県の政党関係者は「地域の声が届かなくなる」と不満を漏らした。
 昨年12月の衆院選で東京1区との「1票の格差」が全国で最大の2.13倍となった宮城5区。同区選出の安住淳民主党県連代表は「人口を考えれば東北の議席が減るのは仕方ない」と一定の理解を示しつつ、「東日本大震災の被災地から議員が減り、東京の議員ばかり増える状況は良くない」とくぎを刺す。
 自民党宮城県連の石川光次郎幹事長も被災地の議員減少を不安視する。参院宮城選挙区も定数4が2に減ったばかり。「復興が道半ばの中、また議員を減らされるのは厳しい仕打ち。地域の声が国政に届きにくくなる」と指摘した。
 青森県内4選挙区を独占する自民党県連の成田一憲筆頭副会長は「このままでは地方から議員がいなくなる。区割り変更は、有権者にとっても混乱の材料になる」と不安を吐露した。
 一方、生活の党岩手県連の佐々木順一幹事長は「定数削減による違憲状態の解消だけではなく、より民意を正確に反映する内容。率直に評価する」と語った。


<原発事故>住民帰還待つ光 5年ぶり輝く
 福島県南相馬市小高区で、民家のイルミネーションが訪問者の目を引いている。東京電力福島第1原発事故からの復興を願い、住民が5年ぶりに電飾を再開させた。青、赤、緑…。家屋を包む光の瞬きが、住民避難が続く地域を照らしている。
 電飾に取り組んだのは小高区の会社役員川村秀夫さん(65)。約1000平方メートルの敷地にある庭木に発光ダイオード(LED)電球などを配置し、15日に試験点灯を始めた。来年1月いっぱい続けるという。
 小高区中心部では、冬季のイルミネーションが名物となっていた。川村さんを含め個人宅を電飾する住民も多かったが、原発事故による避難で規模は大きく縮小された。
 川村さんは帰還に向けた準備宿泊で、今夏から妻と自宅に戻っている。市が目指す来年4月の避難解除をにらみ、電飾の再開を決めた。「景観整備は住民が地元を訪れるきっかけにもなる。1人でも多くの帰還につながってくれればうれしい」と話す。
 準備に入ったのは11月下旬。津波被害を免れた電球を倉庫から運び出したほか、新たに約50万円分を購入した。親族と協力してクリスマスのオブジェなども飾り付けた。
 もともと初孫の誕生を祝い、2005年に電飾をスタートさせた。原発事故まで同居していたものの、今は福島市に離れて暮らしている。「じいちゃんの家を見に行きたい、って言われるのがうれしくてね」。川村さんが表情を緩ませた。


震災犠牲者 311体の地蔵で供養したい
 宮城県山元町で土人形作りの工房を主宰する主婦丹治陽子さん(60)が、東日本大震災で犠牲となった住民636人らを供養するための小さな地蔵の制作を続けている。震災から5年の来年3月11日に合わせ、311体を町内で飾るのが目標。19日は地元の普門寺で開く「てらカフェ」で作り方を指導する。丹治さんは「震災を忘れない多くの思いを天国に届けたい」と協力を求めている。
 11月から活動を始め、「てらカフェ」などの場で指導し、来場者に作ってもらっている。これまで約120体が完成した。
 地蔵は高さ10センチほど。中が空洞の丸めた粘土を重ねて頭と胴体にし、鼻や耳、拝む両手などを付けて仕上げる。1体当たり30分〜1時間程度で完成し、丹治さんが窯で焼き上げる。
 丹治さんは「犠牲者に祈りの気持ちを届けたい思いがあれば、どんな形でもいい。宗教、宗派は問わない」と幅広い参加を願う。
 丹治さんは同町花釜地区にあった自宅が津波で大規模半壊。昨年4月に当時住んでいた仮設住宅の一室で趣味として土人形作りを始め、2月には同地区にプレハブの工房「わっさ」を開いた。現在は町内の災害公営住宅に移った。
 集まった地蔵は来年3月11日夜、JR旧山下駅前に住民ら手作りの竹灯籠とともに飾る。「犠牲者の供養とともに、全国の方の支援で復興と生活再建が進んだことへの感謝の気持ちも込めたい」と思いを語る。
 来年1月ごろまで制作を続けたい考えで、材料代や参加費は基本的に無料。グループで要請があれば指導にも出向く。19日の「てらカフェ」は午前10時から。連絡先は丹治さん090(2987)1973。


<ぶら歩き七郷>津波襲来の歴史 未来へ
(6完)言い伝え
 太平洋を望む仙台市若林区荒浜で津波にまつわる「言い伝え」を探した。東日本大震災でも津波被害を受けた土地だというのに、それらしき口伝には行き当たらなかった。
 「東北の沿岸には『津波てんでんこ』や高台避難を促す先人の警鐘が数多く残っているのですが…」。父親が荒浜出身という地元の郷土史研究者松木達雄さん(69)も不思議がる。
 「水増し」という言葉はあった。だが、津波との関連はなく「水かさがじわじわと増すという程度の意味でした」と言う。
 同じ七郷地域の霞目にある「浪分(なみわけ)神社」は、慶長三陸津波(1611年)で津波が二手に分かれて引いていった場所とされる。海岸から直線で約5.5キロ離れた霞目には伝承が残っているのに、なぜ荒浜にはないのか。
 仙台藩が荒浜を含む七郷地域で新田開発を始めたのは、慶長津波から13年後。当時もそうであったろう荒涼とした風景を見渡しながら松木さんは推し量る。
 「荒浜での津波襲来を記録に残したら、誰もが怖がって海近くの開墾をしてくれない。伊達政宗はそう考えたのかもしれません」
 開業したばかりの市地下鉄東西線の荒井駅に向かう。大震災の記憶を後世に伝える「せんだい3・11メモリアル交流館」が併設され、来年2月に全面オープンする。駅前広場には「浪分桜」が植栽され、津波被災地に近いことがおのずと意識させられる。
 付近には津波の痕跡が発見された「沓形(くつかた)遺跡」、地震の地割れ跡が見つかった「荒井広瀬遺跡」もある。ともに弥生時代中期の水田跡と溝跡だ。七郷の人々は、約2000年前から自然災害と向き合い続けてきたのだ。
 「荒浜には津波伝承が残っていなかった。それ自体が恐ろしい話です。津波に襲われてきた事実を、未来への伝言として残していかなければなりません」
 松木さんはこれからも七郷を歩き、伝え続ける。(荒井臨時支局・今野忠憲)


<WUG>被災地舞台の短編アニメ制作へ
 地方創生先行型交付金を活用する台湾からの観光客誘致事業の一環として、宮城県が県内を舞台とする人気アニメ「Wake Up,Girls!(ウエークアップ・ガールズ)」の短編を制作することが16日、分かった。東日本大震災の被災地を絡め、観光客が舞台を訪ねる旅行「聖地巡礼」を促し、地域活性化につなげる。
 アニメは、仙台市や気仙沼市を舞台に7人の少女がアイドルを目指す物語。県内では2014年1〜3月にテレビ放映された。劇場版は3作目が現在公開中。
 県が14日に行った制作委託先の入札で、仙台市内の広告代理店が1750万円で落札した。7分の新作2本を字幕なしと繁体字の字幕ありの二つずつ作る。県は新作を、来年2月中旬に台北市で開かれるアニメ博覧会に出品する。
 現地では、新作に登場する被災地や名所を訪ねる仙台空港発着のツアー参加者100人を募集する。県空港臨空地域課は「台湾は日本アニメの人気が高い。アニメを通じた観光振興を進めたい」と話す。


県借り上げ復興住宅 再判定支援で相談会 1月18日から
 兵庫県が阪神・淡路大震災の被災者向けに提供した「借り上げ復興住宅」で、県による継続入居の可否判断結果が19日から通知予定であることを受け、借上復興住宅弁護団は来年1月18日から、継続入居が認められず再判定を申し込みたい人向けの健康、法律相談会を7回開く。
 県営借り上げ住宅は、2016年12月から神戸市と明石市内の団地が最も早く返還期限を迎える。
 県は20年での転居を基本とするが、85歳以上や要介護3以上などの要配慮世帯に継続入居を認めるほか、基準外も外部委員による判定委員会が個別事情を判断する。
 結果に疑問がある場合などは、60日以内に再判定を申し立てる必要がある。同弁護団は、健康に問題があっても必要書類を提出できていない人がいる可能性があるとみて、医師や看護師らが問診をする相談会を、対象の住宅などで行う。電話による法律相談も併せて受け付ける。
 電話相談や問い合わせは同弁護団TEL078・382・0121(阿部江利)
 相談会は次の通り。1月18日14〜16時=兵庫駅前▽21日14〜16時=明石舞子▽24日10〜12時=落合、落合第2、名谷、名谷駅前▽26日14〜16時=新長田駅前▽28日14〜16時=鈴蘭台第1・2・4▽30日10〜16時=ポートアイランド▽31日10〜12時=高倉台


祈り継ぐ震災21年 阪神・淡路大震災の追悼行事半減
 阪神・淡路大震災から21年に合わせた市民による追悼行事が58件と、震災20年時よりほぼ半減していることが17日、民間団体「市民による追悼行事を考える会」の調査で分かった。主催団体の高齢化や住民の入れ替わりなど、ポスト20年の課題が浮き彫りになった。
 同会は震災3年後の1998年に発足。毎年、兵庫県内の団体などにアンケートを実施し、行政主催ではない民間や地域の集い、ウオーク、法要、コンサートなどの数を調べている。最終的な集計は1月にする予定。
 催しの数は、過去最多の110件だった震災20年から一転。震災10年や15年の翌年も件数は減ったが、今回の減り幅は大きく、現時点で2003年以来の少なさになった。1月17日に鐘をつく寺院や教会なども前年比31%減の91件、黙とうや避難訓練などをする県内の学校園も同15%減の1316校園だった。
 一方で、来年3月に東日本大震災から5年となることから、被災地間で連携する行事や、追悼だけでなく防災訓練を織り交ぜた催しが目立つ。
 同会の計(かず)盛(もり)哲夫世話人は「主催者が高齢化してリタイアしていく中、世代交代が一番の課題。震災を知らない住民も増え、街中の反応も薄れている。節目の年には増えるよう願っている」と話す。(高田康夫)


島尻氏発言 沖縄担当相の資質を疑う
 物議を醸す発言の事例には事欠かない人だが、これはいかに何でも看過できない発言である。辺野古新基地建設に反対する翁長雄志知事の政治姿勢をめぐり、島尻安伊子沖縄担当相が沖縄関係予算の確保に「全く影響がないというものではない」と述べた。
 米軍基地と沖縄予算を露骨にリンクさせた発言だ。基地問題で政府と対峙(たいじ)する知事に対して“兵糧攻め”をちらつかせた感は否めない。いったいどこの県の選出議員なのだろう。
 発言は、沖縄担当大臣としての資質も疑わしめるものである。この大臣が所管する内閣府沖縄担当部局やその予算の本質を十分に把握していないと思われるからだ。
 根拠法は沖縄振興特別措置法だが、同法には「沖縄の特殊事情に鑑み」とある。「特殊事情」とは戦後27年間、日本の施政権外にあった歴史的事情、広大な海域に多数の離島が点在する地理的事情などを指す。前担当大臣の山口俊一氏は「沖縄の歴史的、社会的、地理的諸事情を勘案した特措法に基づいて沖縄振興を図っている」と述べたが、それはこの解釈を踏まえているのだ。だから山口氏は続けて「引き換えの米軍基地は論外だ」とリンク論を否定していた。
 歴代大臣も同様に述べている。橋本龍太郎元首相など、普天間基地と振興策のリンクを問う記者団に「(そんな質問は)悲しい」と答えている。島尻氏の発言は、こうした積み重ねを担当大臣自ら突き崩すに等しいのである。
 3千億円を超える沖縄関係予算は、その圧倒的大部分はどこの県でも中央省庁の予算を通じて受け取っているものと同じである。それを沖縄担当部局が一括して計上しているにすぎない。
 「沖縄振興予算」などと呼ばれるから、基地の見返りとして特別に受け取っている予算だと思われがちだが、大きな誤解なのである。
 基地とのリンク論は、新基地と引き換えでなければその通常の予算も計上しないという発想であろう。どの都道府県も国民として等しく受けている行政サービスを、沖縄県にだけは新基地を容認しない限り認めないというようなものなのである。
 沖縄担当大臣であればこのような発想に敢然と挑戦し、異議申し立てしなければならないはずだ。だが島尻氏の発言はむしろその発想に同調している。資質を疑うゆえんはそこにある。


北海道新幹線開業まで100日
北海道新幹線の開業まで、100日となった17日、仙台市のJR仙台駅西口に開業までの日数を知らせるカウントダウンボードが設置され、除幕式が行われました。
北海道と北海道観光振興機構は、北海道新幹線の開業まで17日で100日となったことから、JR仙台駅や東京駅など4か所に開業までの日数を知らせるカウントダウンボードを設置しました。
このうち、JR仙台駅西口では北海道の関係者に加え、仙台駅の駅長などが参加して除幕式が行われ、「あと100日」と開業までの日数が表示された縦約1メートル90センチ、横約90センチのカウントダウンボードがお披露目されました。
北海道総合政策部本間研一新幹線推進室長は、「新幹線の開業は、北海道にとっては40年以上の長年の夢がかなう大きなできごとです。東北と北海道の文化や観光の交流が進んでいくと思うので、盛り上げていきたい」と話していました。
また、子どもと一緒に除幕式を見ていた仙台市の35歳の女性は、「これまで函館までは青函トンネルを通った先にあって遠いなというイメージでしたが、到着までの時間が短くなるので子連れだとうれしいです」と話していました。
北海道新幹線は、来年3月26日に開業し、仙台と新函館北斗の間を1日に11往復、2時間40分程度で結ぶ試算で、移動にかかる時間はこれまでに比べておよそ1時間短くなります。


<青い森鉄道>来年3月に減便 経費削減へ
 青森県の第三セクター「青い森鉄道」(青森市)は16日、取締役会を開き、来年3月のダイヤ改正で運行本数を6減らすことを決めた。利用客が極端に少ない時間帯を中心にダイヤを整理し、運行の効率化や経費削減を目指す。
 三戸−八戸、八戸−青森など3区間の往復と新青森−青森間乗り入れ列車が対象。八戸−青森間の快速は7本のうち4本を各駅停車に切り替え、浅虫温泉−青森間の「浅虫温泉シャトル」は1往復増やし4往復にする。同社は「利用客の大部分を占める通勤通学者に配慮した」と説明した。
 小林巧一社長は「寝台列車の線路使用料の減収は経費削減に至った大きな要因の一つ。県には最低限の支援をお願いしたい」と話した。ダイヤの詳細は来年1月下旬に発表する。


夫婦同姓は合憲 国会は見直しの議論を
 この判決が、国会の現状にお墨付きを与えたと解すべきではない。
 最高裁大法廷は、民法の夫婦の別姓を認めない規定を「合憲」、離婚後の再婚を女性だけ6カ月間禁じる規定を「100日を超える部分は違憲」と判断した。
 ともに明治時代から続く規定だ。夫婦別姓を認めない規定について大法廷は「姓を改める者がアイデンティティーの喪失感を抱いたり、女性が不利益を受けたりする場合が多いことが推認できる」としつつ、「姓の通称使用が広まることで一定程度は緩和され得る」と指摘した。
最高裁は踏み込み不足
 裏返せば一定程度の不利益は甘受しろ、ということだろうか。こうした主張が、特に女性の理解を得られるのかは極めて疑問だ。
 判決は、立法府である国会での議論を促した。同姓と併せ、「各自の結婚前の姓」を選べる選択的夫婦別姓制度についても「合理性がないと断ずるものではない」と言及した。
 家族のあり方は、国民生活の基礎になる。国会は国民の声も聞きながら、本腰を入れて法律の見直しの検討を始めるべきだ。
 夫婦同姓を定めたのは、1898年に施行された旧民法だ。「妻は婚姻により夫の家に入る」との家制度が背景にあった。第二次大戦後、家制度は廃止されたが、夫婦同姓の規定は残った。現在の民法は、婚姻の際、「夫または妻の氏を称する」と定める。中立的な規定だが、実際には夫の姓を選ぶ夫婦が約96%だ。
 女性の社会進出が進み、「姓を変えない自由も認めてほしい」と訴える女性が出てきた。法制審議会は1996年、選択的夫婦別姓制度を導入する民法改正案をまとめた。だが、長く与党として政権を担当してきた自民党内には「別姓は家族の一体感を損なう」との反対論が強く、議論は棚上げされてきた。民主党政権下でも動かなかった。
 家族が社会を構成する大切な単位であることは間違いない。だが、姓が異なることで家族のつながりが揺らぐという考えには同意しがたい。
 婚姻届を出さない事実婚も増えているが、家族の一体感が損なわれているわけではない。夫婦が同姓であっても離婚は毎年20万件以上ある。
 結婚するカップルの3割弱はどちらかが再婚だ。未婚やシングルマザーも増えている。時代は変化し、家族のかたちは多様化している。
 改めて確認したいのは、選択的夫婦別姓制度は、同姓を選びたい夫婦の意思も尊重するということだ。毎日新聞が今月実施した世論調査では、選択的夫婦別姓制度が認められた場合も「夫婦で同じ名字」を選ぶと考えている人は73%に上り、「別々の名字」は、13%にとどまった。
 意に反して妻の姓に変える夫も含め、別姓を望む少数者の人権は尊重されなくていいのか。この問題の本質はまさにそこにある。
 判決が「婚姻の際に姓の変更を強制されない自由は、憲法で保障される人格権とまではいえない」と判断したのは残念だ。
 15人中5人の裁判官は違憲と判断した。3人の女性裁判官はいずれも違憲だ。その3人が「96%の女性が夫の姓を称するのは、女性の社会的経済的な立場の弱さ、家庭生活における立場の弱さであり、現実の不平等と力関係が作用している」と、個別の意見を述べた。社会全体、特に男性は重く受け止めるべきだ。
再婚禁止期間も不合理
 女性の半年間の再婚禁止も明治時代に作られた規定だ。判決が「100日を超える部分」を違憲としながら、「100日の再婚禁止期間は合理的だ」と判断したのは疑問だ。
 この規定は、女性に離婚直後の結婚を認めた場合、すぐに生まれた子供が前夫の子か現在の夫の子か推定が難しくなることが理由だった。前夫の子を妊娠していないとはっきりするまでは再婚すべきではないという考え方も背景にあった。
 だが、現在では科学の進歩などで父親の特定は可能だ。科学的な鑑定が家族を決定づけるすべてではないが、女性だけが長期間待たされる根拠は薄くなっている。
 判決では多くの裁判官が「離婚後100日以内であっても、父親の推定が重複するケースは限られている」と指摘した。ならば女性全体に必要以上の制約を強いる規定は廃止するのが筋ではないか。
 民法は別の規定で「離婚後300日以内の子は前夫の子」と定める。夫の暴力から逃げている女性に別の男性との間の子供ができた場合、この嫡出推定を避けるため出生届を出さず、子供が無戸籍に陥る問題が最近、クローズアップされている。
 民法の見直しでは、その問題の解決策も併せて議論すべきだ。
 国会の責任は大きい。家族の問題は、伝統や慣習、国民意識などを抜きに制度変更するのは難しい。だが、法制審の提案から19年間議論をたなざらしにしている間に、海外の多くの国が夫婦同姓規定や女性の再婚禁止期間の規定を見直した。
 この間、この二つの規定について、国連の女性差別撤廃委員会などが繰り返し廃止を勧告してきたことも見過ごせない。国際社会の潮流も見据えて議論してもらいたい。


家族と法と最高裁 時代に合わせ柔軟に
 夫婦別姓と女性の再婚禁止期間をめぐって最高裁の初判断が出た。社会事象への考え方が多様化する中で、時代に合わせた立法が必要といえよう。
 結婚のとき、じゃんけんで姓を決めたと聞いて問い合わせると事実は違った。日本ユニセフ協会会長の赤松良子さんの場合である。
 「二人で話し合った結果、戸籍上は私の名字にすることに決めました。夫は旧姓をペンネームとして使っていました」
 赤松さんは旧労働省の局長時代に男女雇用機会均等法を制定する中核役を果たした人だ。文相を務めたこともある。姓をどうするかは、話し合いで決められる。
◆夫婦別姓の議論深めて
 じゃんけんでも決められる。民法では「夫か妻の姓を名乗る」と定められているだけで、夫の姓を強制されるわけではない。この規定だけでは男女差別とはいえまい。夫婦別姓を求めた今回の裁判で、最高裁大法廷は「家族は社会の基礎的な集団単位で呼称を一つに定めることは合理性がある」とし、民法の規定は「合憲」との立場をとった。
 問題なのは、どちらかの姓を強制されてしまう点だ。96%が「夫の姓」を選んでいる。女性が「自分の姓で生きたい」という願いを持った場合、法律婚は事実上、無理で、届け出をしない事実婚を選ばざるを得ない。
 だが、事実婚では、税法上の扶養家族になれず、配偶者控除などの適用外となる。相続の場合にも難しい立場に置かれる。経済的に負担となるのだ。
 だから、夫の姓を選んだ上で、旧姓を通称として使ったりする。会社など勤め先でも、それを認めるケースは増えた。ただし、その場合でも、新規につくる銀行口座や健康保険証、運転免許証などでは通称は使えない。差別的だと考えるのも理解できる。議論を進めねばならないテーマだ。
◆再婚禁止そのものは?
 姓名とは個人を他人と区別する識別標であるには違いない。個人の人格の象徴としてみれば、人格権の一要素をなしているのだろう。姓を個人の意思に反して奪うとなれば、利益を失うこともある。海外でも夫婦同姓を義務づける国は、今ではほとんどない。
 法制審議会が一九九六年に希望すれば各自の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓制度」を答申したのも、そうした背景がある。冒頭の赤松さんは「私は女性が長く職業を続けることが大事だと思っています」と語っている。
 「結婚したら、どちらかが名前を変えなければいけないというのは、仕事を続ける上で迷惑なことと思います。夫婦同姓にしたり、別姓にしたり、選べるようにしたらよいのではないでしょうか。民法で姓を変えることを強制しないでほしい」
 明治民法では「家制度」が根幹にあった。夫の姓が当たり前の時代だった。「家族の一体感が失われる」などの意見は、この発想の延長線上にあるのかもしれない。だが、今や社会はグローバル化し、価値観も多様化している。選択的夫婦別姓など二十一世紀にふさわしい制度を立法府は早く構築すべきであろう。
 女性の再婚期間の禁止規定についても同じことがいえる。最高裁が「百日超の禁止は違憲」としたのも、半年間が長すぎるからだ。
 再婚禁止制度は古代ローマ法にその起源があるとされる。夫が亡くなったとき、服喪期間という意味があった。明治民法においては「血統の混乱を避ける」という意図があったらしい。
 妊娠の事実を知らずに再婚することがありうるので、医師でなくとも妊娠の有無がわかる「半年間」という制限を戦後の民法も、そのまま踏襲していた。
 今回、再婚禁止を「百日」としたのは、父親を推定する民法規定と関係する。「離婚後三百日以内に生まれた子は前夫の子」「婚姻後二百日後に生まれた子は現夫の子」とする二つの定めがあり、重複するのを避けたのだ。
 むしろ立法府で議論すべきなのは、再婚禁止の規定そのものをなくすかどうかだ。確かに規定には、子どもの父が誰かをめぐる紛争を未然に防ぐ意味はあろう。だが、例えば離婚時に妊娠していないことを証明するなど、その代替機能を担える方法はある。世界的には再婚禁止期間を設けない国が多くなっている。
◆子どもの視点も必要だ
 地球規模で性差別の撤廃をめざす大潮流がある。日本でも女性の活躍が大きな政策課題だ。最高裁の違憲判決によって、民法は改正せざるを得なくなる。その際には、女性はむろん、子どもの利益に立った発想が必要である。
 法律は生きている。人々のいとなみと合致するよう柔軟な手直しが求められる。


平松愛理、名字が変わる喜び歌った
 歌手の平松愛理(51)が17日、テレビ朝日系「グッド!モーニング」の取材に答え、夫婦同姓は合憲とされた最高裁の初判断に、違和感を覚えるとコメントした。
 平松は1992年に結婚する女性の夢や喜びをつづった「部屋とYシャツと私」を歌い100万枚近く売れる大ヒット。部屋は家、Yシャツは生活、そして私は名字を意味しており、女性が結婚によってさまざまなことが変わることへの喜びを歌っている。
 だが平松自身は、結婚したときから、名字に関しては違和感を覚えていたという。「(結婚して)戸籍の(旧姓の)平松の部分にバツがついていたんですね。それを見たとき、これまでの人生の喪失感というか、いなくなっちゃったんだ、ここには…という気持ちになった」と振り返る。
 その後、出産、離婚を経て、考え方が完全に変わったという。今後、再婚した場合、名字はどうするか、という問いに「(夫婦別姓が)考える可能性として選択肢がある、ということに喜びを感じます」と、別姓選択があることを希望していた。


「私の姓」思い届かず 「期待の分、失望」 原告「通称には制約」
 夫婦別姓と再婚禁止期間−家族のあり方に深く関わる民法の二つの規定で十六日、最高裁の判断が分かれた。夫婦別姓を認めない規定が変わることを期待した原告の女性たちは、「合憲」判決に落胆しながらも、同じ悩みを持つ人々に「多様な生き方をあきらめないで」とメッセージを発した。一方で、戸籍のない子どもたちを生む原因とも指摘される再婚禁止期間は、原告が待ち望んだ「違憲」の判断。社会の変化とともに、家族をめぐる議論は今後も求められる。 
 「期待が高かった分、すごくがっかりした。海外から応援してくれた人もいるのに…」。夫婦別姓訴訟の原告の一人で、家庭科教育研究者の吉井美奈子さん(三十代)は判決後、参院議員会館であった記者会見で落胆の表情を見せた。
 大学院生だった二〇〇〇年暮れ、中学時代の同級生、谷正友さんとの結婚を決めた。吉井姓で積み重ねた研究論文。「姓を変えるとキャリアはどうなるのか」と不安がよぎった。
 谷さんの理解もあって事実婚を考えたが、親戚はほぼ全員が反対。二年後に結婚した際、谷姓になった。職場などで吉井姓を使っていたが、二人は時期をみて形式的に離婚して事実婚に移行し、吉井さんは戸籍上も旧姓に戻る計画だった。しかし、妊娠、出産などの事情で、それもあきらめざるを得なかった。
 結婚後も働く女性が増え、職場で旧姓を使うことを認める企業は大幅に増えた。パスポートは、海外の仕事で必要な場合などに通称名(旧姓)の併記が認められた。吉井さんは、それで十分とは考えていない。「勤務先にも給与などの手続きで面倒をかけている。通称を使える場面はまだ制約がある」
 二人には今、男女三人の子どもがいる。いずれも戸籍上の姓は「谷」だが、一番下の四歳の娘は「吉井」姓を名乗る。「別姓にすると家族の一体感がなくなる」との批判に理由がないことを示したかったからだ。結婚の際、友人から贈られた自宅の表札には二つの姓が並ぶ。
 別の原告、塚本協子さん(80)は会見で「判決を聞いたとたん、涙があふれた。悲しい、つらい」と沈痛な表情を見せた。同じく原告の加山恵美さん(44)は「多くの人に関心を持ってもらえ、無駄ではなかった」と気持ちを切り替えた。
 判決の報告会には、支援者や夫婦別姓を望む市民ら百人が参加した。子ども二人と訪れた東京都港区の主婦近藤百合子さん(36)は「判決には失望した。別姓をあきらめて結婚して四年になるが、夫にはどうしても自分の違和感を理解してもらえず、けんかになる。違憲判決が出れば解決できると思っていたのに…」と唇をかみしめた。


【夫婦別姓】 世界標準から遠い判決
 元最高裁判事の泉徳治弁護士の話 夫婦別姓訴訟は、人権のグローバルスタンダードから遠い判決となった。姓は個人の人格の象徴で、同姓を強制する民法規定は、個人の尊厳、両性の平等に反する。生来の姓を継続したいとする人が少数派であっても、その人権を無視してよいということにはならず、個人の人権を救済するのが裁判所の役割だ。選択的夫婦別姓制度の採用は世界の潮流であり、日本だけが遅れるわけにはいかない。一方、再婚禁止期間訴訟は当然の判決が下った。

「通称使用に限界」 夫婦別姓の弁護士・中村多美子さん=大分市
 夫婦別姓の禁止は憲法違反ではない―。最高裁の初判断が出た16日、結婚後も旧姓を通称として使いながら大分市内で弁護士をしている中村多美子さん(44)は「通称の使用が広まることを理由に、違憲とまでは言えないとする判断は想定していた」と冷静に受け止めた。一方で「同姓がいい人もいるし、別姓にしたい人もいる。政治的な判断で選択できるようにするべきだ」と法改正での解決を求めた。
 中村弁護士は、同じ弁護士事務所で働く夫の井田雅貴弁護士(46)と別姓を名乗っている。2人は1998年、籍を入れない事実婚を選択した。2001年、長女を出産する際、婚姻関係にない男女間の「非嫡出子」として長女が将来、不利益を受ける恐れがないようにと考えて入籍。事実婚に戻ると親権を共有できなくなるため、以来、通称を使っている。
 中村弁護士は、別姓を選んだ理由を「積み上げたキャリアを途切れさせないため」と説明する。「弁護士は個人事業主。自分の名前が“看板”になる。結婚前に書いた論文や、それまでに築いた人間関係を大事にしたいと思った」という。
 通称は法的に認められていないため、公職を担う際は戸籍名を要求されることもある。現在、大分労働局の紛争調整委員では通称を使っているが、県収用委員会長は本名での登録を求められた。「役職によって名前が変わるので混乱する。国際会議では、本名しか使えないパスポートがベースになるので、本人確認に手間取ることも多い」と中村弁護士。浸透してきたとはいえ、通称使用の限界と煩雑さを指摘する。
 一方、家庭内で不都合はない。娘は2人とも夫の姓を名乗っている。「中村」姓は自分だけだが、家の中では「パパ」「ママ」と呼び、夫も子どもも理解がある。「そもそも家族の絆は、姓が同じだから保たれるわけではないでしょう」と、明治以来の「家制度の名残」に疑問を感じている。
 最高裁は「制度の在り方は国会で論じられるべきだ」としており、中村弁護士も賛同する。「世論調査を見ても、若い人には別姓を選択できるよう求める意見が多い。子どもの姓をどうするかは、結婚時に夫婦間で決めれば問題ない」と提言。「夫婦が別の姓でも生活しやすい社会になれば」と将来の法改正を期待している。


【夫婦別姓】 女性国会議員も賛否割れる 稲田朋美氏「合理的」野田聖子、福島瑞穂両氏は安倍政権に注文
 与野党の議員から16日、夫婦別姓を禁じた民法規定を合憲とした最高裁判決について「妥当だ」とする意見と「法改正すべきだ」との声が上がり、賛否が割れた。最高裁が違憲とした女性の再婚禁止期間の規定に関しては、早急な是正を求める発言が相次いだ。
 自民党の稲田朋美政調会長は党本部で記者団に、合憲判断を「合理的な判決だ」と評価。同時に通称使用の拡大に意欲を示し「不利益な点は解消が必要だ。法整備が必要かを含めて検討すべきだ」と述べた。再婚禁止期間に関しては「判決に従い、早急に法改正すべきだ」と指摘した。
 選択的夫婦別姓を支持する野田聖子前総務会長は、安倍政権に対し「女性活躍や出生率回復の目標を掲げる以上、密接不可分な結婚に関する法の規定も変えないといけない」と求めた。
 社民党の福島瑞穂副党首は「安倍政権は女性の活躍を掲げるなら、選択的夫婦別姓を認める民法改正案を国会に出すべきだ」と訴えた。


夫婦同姓合憲/性差別解消へなお努力必要
 夫婦は同姓を名乗ると定めた民法の規定をめぐる訴訟で最高裁大法廷がきのう、初めて合憲の判断を下した。
 事実上女性のみに改姓を強いており、憲法が保障する「法の下の平等」に反するとした原告側の主張を退けた。
 「家制度」を引きずる百年以上変わらない明治民法の同姓規定に対する批判、違和感は国内外で根強く残る。
 判決は結論として時代の要請をくみ取らない内容に終わったが、制度の在り方は国会で論じられるべき課題と指摘しており、見直しの議論まで否定したものではない。
 同時に審理した再婚禁止期間の規定については、「女性に対する必要以上の制約」という原告側の主張を認め、違憲の判断を示した。
 2013年に婚外子の遺産相続差別訴訟で違憲判決を下した際も、最高裁は家族観の変化を挙げて、古い規定の合理性を否定している。
 夫婦や家族に関する法的な課題を時代の変化に即して捉え直そうという姿勢が近年顕著だっただけに、同姓規定での慎重判断は残念だが、あくまで現段階で示せる法解釈上の判断ということだろう。
 最高裁は違憲判断の再婚禁止期間も含めて、法改正に取り組まなかった国会の不作為は認めず、賠償請求を退けたが、「怠慢」と指摘されて当然の不誠実な対応を繰り返してきた事実を、国会は真摯(しんし)に反省する必要がある。
 法制審議会は1996年の時点で、同姓規定の廃止と選択的夫婦別姓の導入、再婚禁止期間規定の見直しを答申している。国連の女性差別撤廃委員会なども両規定の廃止をたびたび勧告してきた。
 両規定については世界各国で見直しが進み、同姓義務は日本だけになった。20年近く答申を放置し、性差別の批判がある規定の議論や取り組みを停滞させた責任は重い。
 違憲判決が出た再婚禁止期間規定の速やかな改正を進めるのは当然として、夫婦同姓規定についても引き続き、民意を反映した制度の在り方を探る努力が迫られている。
 司法の判断にかかわらず、人権を重視した性差別のない社会を目指して議論を尽くし、必要な見直しを検討する役割は、国会こそが担うという自覚を再確認すべきだ。
 夫婦別姓については、世論が二分していることや通称使用容認の動きが広がっていることなどを挙げて必要性を否定する意見もある。
 最高裁判決も通称使用で改姓の不利益は緩和されているとの見方を示したが、具体的に改姓に伴う手続き上の不利益や精神的負担、苦痛を訴える人がいる実態を放置するわけにはいかない。選択の要求は当然の流れだろう。
 同性婚をめぐる動きが社会的関心事になるなど結婚観や家族観は大きく変化した。多様な生き方を選択する自由を社会がどう支えるか、という視点が重みを増している。
 伝統や秩序の維持といったぼんやりした価値観で、性差別を温存し個人の自由を抑え込む時代は過ぎつつある。
 法改正以外にも、可能な見直しに速やかに取り組む姿勢が社会全体に求められていることを忘れてはならない。

福島みずほさん演説/Le jour des corneilles/夫婦別姓認めない判決残念

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夫婦別姓認めず_ 西日本新聞

Le Jour des corneilles est un film d'animation issu d'une coproduction entre la France, la Belgique, le Luxembourg et le Canada. Écrit par Amandine Taffin, le scénario est librement inspiré du roman du même nom de Jean-François Beauchemin paru en 2004. La mise en scène est signée Jean-Christophe Dessaint, dont c'est le premier long-métrage. Il est sorti en France le 24 octobre 2012. L'histoire mêle conte et fantasy.
Synopsis
Au cœur d'une grande forêt, le fils Courge grandit en petit sauvage aux côtés de son père, un colosse bourru et tyrannique qui le maintient dans l'ignorance du monde des hommes. Un jour, alors qu'il cherche à soigner son père blessé et inconscient, le jeune garçon s'aventure hors de la forêt et découvre un village. Il y fait la rencontre de Manon, la fille du docteur qui a accepté de soigner son père. Avec elle, il découvre l'existence d'un sentiment inconnu pour lui : l'amour. Il se lance alors à la recherche de celui de son père. Une fois Courge rétabli, il retourne vivre dans dans la forêt avec son fils.
Quelques mois plus tard, Courge s'affaiblit. Le fils envoie un message demandant de l'aide. Manon vient le voir. Courge, voyant Manon et pensant qu'elle veut lui enlever son fils, l'agresse et met le feu à la cabane accidentellement. Il meurt dans l'incendie. Manon et le fils quittent alors la forêt.
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時論公論「学生をむしばむ“ブラックバイト”」村田英明解説委員
学生が学業に支障をきたすほどの労働を強いられる“ブラックバイト”。国が対策に乗り出すことになった。ブラックバイトの実態と問題点、解決に向けた課題を解説する。
村田英明

TOMORROW「あの日、音のない世界で」
東日本大震災では70人を超える聴覚障害者が犠牲となった。沿岸部で迫りくる津波の危機を告げたのは、警報・ラジオ・声といった≪音≫のみ。聴覚障害者たちは津波を見るまで状況を把握できなかったのだ。避難所でも周囲と意思の疎通がとれず、情報不足に陥り孤立したという。番組では、国際的な手話通訳者のアシュリー・ライアンさんが宮城県を訪ね、証言をもとに、聴覚障害者が体験した大災害の実態と有効な防災対策を検証する。
アシュリー・ライアン,ステュウット・ヴァーナム・アットキン


京橋で福島みずほさんの演説会があるので出かけました.その前に腹ごしらえでハワイアンのお店でのんびり.というか高橋和巳のわが解体を読みました.なので少し重いかも.
福島さんの演説は冴えわたっていました.アベはダメなのだ,ということがビシビシ伝わってきました.アベちゃんというか日本がアメリカのミツグ君になっているからダメ,とも言っていました.通行人にも明るく答えていました.高校生も注目していました.参議院選では頑張ってほしいです.
Le jour des corneillesを見ました.アニメです.実はあまり期待していなかったのですが,スゴイよい映画です.涙が出てしまいました.
さて夫婦別姓認めない判決が出ていて残念です.

女川さいがいFM 終了を告知
来年3月で放送を終える方針を決めた女川町の「女川さいがいFM」が放送で終了をお知らせし、番組のリスナーからメールやファックスなどを通じて放送の終了を惜しむ多くの声が寄せられました。
「女川さいがいFM」は、大規模な災害のときに自治体などが設立する臨時の災害放送局として震災発生から1か月後の平成23年4月に放送を始め、パーソナリティーを務めた高校生がドラマ化されるなど全国的にも知名度が高まりました。
番組の放送や取材は地元の若者が手がけていますが、防災行政無線の復旧や運営スタッフの不足などを理由に町は震災から5年となる来年3月で放送を終える方針を決めました。
これを受けてプレハブのスタジオで行われた16日の生放送でみずからも被災し、震災で父親が犠牲になったパーソナリティーの木村太悦さんが番組のリスナーに放送の終了を伝えました。
この中で、木村さんは「女川で生きるわたしたちは残り3か月、女川のいまを発信し続けていきます」と話し、その後町内外のリスナーからメールやFAXなどを通じて放送の終了を惜しむ多くの声が寄せられました。
番組の終了後、木村さんは「資金も潤沢ではなく、順風満帆ではありませんでしたが、リスナーの支援で放送を続けられました。残り3か月も感謝の気持ちで放送したい」と話していました。


<女川さいがいFM>16年3月で放送終了
 東日本大震災で被災した宮城県女川町に開設された臨時災害放送局「女川さいがいFM」が、来年3月末で放送を終えることが15日、分かった。当初の開局理由だった町内への情報伝達に一定の役割を果たしたのに加え、財政難や人手不足なども継続断念の要因となったとみられる。
 同FMは2011年4月に開局。津波で町内の防災無線などが失われる中、町出身のボランティアや10〜30代の町民有志らが放送や番組制作に関わり、被災者向けの生活情報や身近な話題などを伝えてきた。
 関係者によると、1年ごとに免許を延長してきたが、来年3月末の期限終了に合わせ再免許申請をしない判断をした。背景には、震災から4年9カ月がたち、町の防災無線や広報誌などが震災前の水準に戻ったことがある。
 同FMの年間運営経費は約1200万円で、主にリスナーらの寄付を充てている。コミュニティーFMへの移行も検討されたが、年間運営経費が2000万円近くに膨らむ可能性があることなどから見送られた。
 運営メンバーが町を離れるなど人手不足も深刻化。現在は1日1回2時間行っている生放送の縮小を検討せざるを得なくなった。
 同FMは来年4月以降、培ったノウハウや人材を生かし、インターネットを利用した新たな情報発信などに取り組む見通し。
 関係者は「町内では今も多くの人が仮設住宅に暮らす。インターネットを利用できない高齢者らを思うと、放送をやめるべきではないと悩んだ」と明かす。「今後は別の地域で災害が発生した際、臨時災害局の開局をサポートできる体制を築きたい」と話す。


女川さいがいFM 人材確保難しく、来年3月終了
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川(おながわ)町の臨時災害FM局「女川さいがいFM」が震災5年を迎える来年3月で放送を終了する。被災した高校生スタッフらが仮設住宅を回って被災者の生の声を伝え、局をモデルにしたテレビドラマがNHKで放映されるなど注目を集めたが、町の復興とともにこれまで支えてきた地元スタッフが別の仕事を希望するなど人材確保が難しくなったという。町と同局が16日に正式発表する。【百武信幸】
地元中高生らが司会 被災者の声届け5年
 人口約1万人だった女川町は津波で中心部にあった役場や商店、住宅が流失し、827人が死亡、行方不明となった。町の委託を受けた町出身者と避難所にいた若者ら有志が発生から約1カ月後の2011年4月21日に放送を始めた。中高生や漁業関係者、元中学教諭など地元の人が番組を司会し、被災住民と同じ目線で生活情報や町を元気づける話題を発信してきた。
 人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」など定期的に応援に訪れる有名人も多く、インターネットでの同時放送を通じ全国から寄付も多く寄せられたという。ボランティアで番組編集を続ける東京在住の放送作家、大嶋智博さん(42)は「寄付金中心で5年間続けてこられたことが奇跡で、支援してくれた人に感謝したい。培ったノウハウを使って町を今後も盛り上げたい」と話した。
 自身も出演する須田善明町長は「FMが果たした役割は大きかったが、復興が進み、新たな形に変わる時期に来た」と述べた。
 被災各地の臨時災害FMも震災5年を前に岐路を迎えており、宮城県では気仙沼市が来年度中にもコミュニティーFMへの移行を、山元町は災害FMの1年間延長をそれぞれ目指している。


女川さいがいFMは、2016年3月末で放送を終了します。
女川町が総務省より免許を受け、町内に向け放送してきた臨時災害放送局「女川さいがいFM」(JOYZ2AG-FM 79.3MHz)について、2016年3月末の免許期限終了にあわせて、再免許申請を行わず、放送を終了することになりましたので、お知らせいたします。
終了の経緯につきまして
「女川さいがいFM」は、東日本大震災による津波で防災無線など町の情報伝達手段が失われた中で、それに替わるものとしてはじまりました。
開設を提案した町出身者らによるボランティアグループに、免許を受けた町がそのまま運営を委託する形で、2011年4月21日より放送を続けてきました。
女川町には、元々、コミュニティFM等の地域メディアが存在せず、避難所での呼びかけに応じた10〜30代の若い世代の町民有志が、一から勉強しながら、実際の番組制作や出演をこなしてきました。
中には中学生・高校生も多く含まれ、様々なものが失われた中で、傷ついた同じ町内の人々、そして街全体を元気づけたいと、単に行政からの情報を伝える「防災無線」の役割だけでなく、「町を明るくする」ラジオを意識して、放送を行ってきました。
その存在は、新聞やテレビなどでも多く報じられ、2013年にはテレビドラマ化もされました。
また「サイマルラジオ」等のインターネットを使った同時放送を通じてもたくさんの方に聞いていただくなど、町内だけでなく、全国的にも知られるようになりました。今では「女川さいがいFM」を目的として、町を訪れる方も少なくありません。
しかし臨時災害放送局は「災害による被害の軽減」を目的としたあくまで「臨時」の免許であり、当初2〜3か月程度の予定でスタートしながら、延長を繰り返し、5年という長期の期間に渡って続いたことは「異例」の出来事といえます。
本年3月、JR女川駅が再開され、新しい“まちづくり”がはじまった中で、復興も新たな段階へ進みました。
また行政からの情報発信についても、防災無線や広報誌なども震災前の水準に整備されており、当初の開局理由であった町内への情報伝達手段としては一定の役割を果たしたものと考えます。
一方で、行政情報だけでなく、パーソナリティー、ゲスト共に、女川町民が多く出演し、マスコミが伝えない女川町の情報をリアルタイムに、肉声で発信する地域メディアとしての部分については、この5年間にいただいた多くの反響を含めて、その役割について様々な可能性があるとも考えます。
コミュニティFMへの移行はありません。
多くの方に応援していただいた「女川さいがいFM」について、町にも、FMにも、継続的な活動を求める声がたくさん届きました。
そこで、昨年より「今後」について、両者で協議を重ねてきました。
コミュニティFMへの転換についても、その可能性を含めて、様々な角度から調査・検討を行いました。
しかし、町の経済規模を考えると、将来的に渡って持続させていくことは難しいという結論となりました。
5年という当初予想していなかった長期的な運営の中で、運営するスタッフも結婚、就職、進学などを人生の選択を迎えつつあります。
町を離れたメンバーも多く、人手不足が深刻化しており、現在、1日2時間行っている生放送も縮小を検討せざるをえない状況となっています。
そうした部分も鑑みても、これ以上の放送継続は難しいと判断し、震災5年の節目で終了することを決めました。
新たな地域メディアに生まれ変わります。
3月末までの残された放送期間については、引き続き今まで通りの放送を届けつつ、これまで述べ600人以上にご出演いただいた町民インタビュー番組「この人さ聞いでてみっちゃ」の出演人数をさらに伸ばすことを考えており、町の将来に対して遺せる記録という意味での番組作りも行います。
また、被免許者である町側としても、震災以来の5年間、町内外に「女川町」の地域メディアとして育ってきた「女川さいがいFM」運営側の取り組みと実績を高く評価し、FM放送終了後、4月以降にこのノウハウと人材を生かして、インターネット等を活用した新たな地域メディアとして取り組みをはじめたいと考えています。
(詳細は後日発表します。)
これまでラジオをお聞きいただいた皆様、全国から応援していただいた皆様に改めて感謝を申し上げます。
臨時災害放送局としての「女川さいがいFM」は放送終了となりますが、今後の女川町からの発信にもご期待ください。
2016年3月末までは、引き続き24時間体制で番組をお送りします。
どうぞ引き続き、ご支援の程をよろしくお願い致します。
【本件に関するお問い合わせ先】
広報担当: 大嶋(おおしま)・天谷(あまや)
電話:090-6499-6617(代表)
メール:info@onagawafm.jp
FAX:022-774-1474
出演者、スタッフからのコメントページを公開します。
女川さいがいFM終了決定にともない、運営にかかわる出演者、スタッフからのコメントを特設ページで公開します。
コメントについては到着し次第、随時掲載します。
放送終了までの運営費カンパに、ご協力をお願いします。
女川さいがいFMは、みなさまのあたたかいご寄付によって、ここまで運営を続けることができました。
パーソナリティ・スタッフ一同、心より御礼を申し上げます。
2015年12月から、放送を終了する予定の2016年3月にかけて、
女川さいがいFMの運営には、設備費やその他諸経費をふくめ、約120万円が必要な状況です。
しかし、それらの経費を支払えるかもわからないほど、以前として女川さいがいFMの財務状況は逼迫しています。
このようなお知らせの場でさらにこのようなお願いをすることは大変恐縮なのですが、
あらためまして、女川さいがいFMの運営費カンパにご協力を賜れば大変幸いです。
カンパのご協力につきましては、以下のリンクをご参照ください。
企業様については、協賛や番組提供といった形でのご対応も可能です。
恐れ入りますが、その場合はメール info@onagawafm.jp にてご連絡をいただければ幸いです。
重ね重ねのお願いにて、大変申し訳ございません。
何卒、ご理解とご協力の程よろしくお願いいたします。
〒986-2261
宮城県牡鹿郡女川町
女川浜字大原316
女川町役場仮庁舎隣
女川さいがいFM
町外からのご訪問・取材等をご希望の場合は、広報窓口まで予めご連絡ください。
(090)6499-6617
info[at]onagawafm.jp


<大槌旧庁舎>町長、年度内解体を断念
 東日本大震災で被災した岩手県大槌町の旧役場庁舎をめぐり、平野公三町長は15日、年度内の解体を断念し、関連予算案を町議会12月定例会に提出しないと表明した。全13議員の総意として町議会からあった予算案提出先送りの要請を重視し、対立を回避した。解体方針は変えず、あらためて予算案提出の時期を探る。
 平野町長は「町の置かれている状況は(議会と行政が)二つに分かれてけんかしているほど甘くない。人口減は県内最悪の水準で、復興に向けた課題が山積している」と予算案を提出しない理由を述べた。
 解体方針については「解体への思いは一点の曇りもない」と言い切り、堅持の姿勢を示した。「被災者の生活再建を一日も早く成し遂げるのが私の使命。議会、行政、町民が知恵を出し合い、譲歩しつつ困難を乗り越えていくことが重要だ」とも強調した。
 町議会は10日、予算案の提出先送りを求める要請書を平野町長に出した。犠牲者の慰霊の場整備や徹底した震災検証を優先すべきだと指摘し、旧庁舎の震災遺構としての価値や保存後の活用に関する検討も1年程度継続するよう提案した。
 旧庁舎は前町長が2013年3月に一部保存を決断。ことし8月の町長選で年度内解体を公約に掲げた平野氏が前町長を破り、初当選した。11月に計9回開いた関係者や町民との意見交換会などを経て、12月定例会に予算案を追加提出する予定だった。


<大槌旧庁舎>年度内解体断念に歓迎と戸惑い
 東日本大震災の津波で当時の町長と職員計40人が犠牲となった岩手県大槌町の旧役場庁舎をめぐり、平野公三町長は15日、示していた年度内解体の断念を表明した。町長は解体方針そのものは変えておらず、解体か保存かの議論が再び続くことになる。前町長が一部保存を決断して2年9カ月。意見が割れる町議会や町民には、歓迎と戸惑いが入り交じる。
 解体に伴う予算案提出の先送りを求める要請書を出した町議会。1年程度の時間をかけ、被災者以外も含む町民らの意見を聞き、震災遺構としての価値などを議論する方針だ。
 小松則明議長は「今は問題が過熱しすぎている。最後は各議員の判断が問われるが、冷静に考えたい。時間の経過とともに町民の心も変わる」と語った。
 町が11月に計9回開いた意見交換会などでは約70人が意見を述べた。保存を訴える東梅守議員は「ようやく町民が声を出せるようになった状況を大事にしたい。今後の議論では議会として問題と向き合い、動く必要がある」と活動を本格化させる意向だ。
 解体を主張する及川伸議員は「要請書に同意したのは議会の混乱を避けるためで本意ではない。予算案には会派で賛成するつもりだった」と語る。早期の予算案提出を町長に働き掛ける考えを示した。
 意見交換会に参加した町民にも思いが交錯した。
 関連死を含む町民犠牲者1285人全員の人柄などを記録する「生きた証(あかし)プロジェクト」実行委員長の高橋英悟さん(43)は保存を望みつつ「論点が解体か保存かに単純化されたのは残念だった。防災など将来のまちづくりまで視野を広げた議論を再スタートしなければいけない」と指摘した。
 町職員OBで旧庁舎を見るのがつらいとして解体を願う野沢文雄さん(71)は「町長が予算案を出すと信じていただけに驚いた。壊してほしいという気持ちに変わりはない」と話した。


仮設入居者 住宅再建未定3297世帯
 仮設住宅で暮らす東日本大震災の被災者のうち、仮設を出た後の恒久住宅の再建計画が決まっていない世帯が宮城県内で3297世帯に上ることが、県のまとめで分かった。複数の再建計画を検討中といった理由が主だが、災害公営住宅への入居資格がないなどの事情を抱える被災者もいる。
 県震災援護室の10月末現在のまとめによると、プレハブと民間賃貸住宅のみなし仮設に生活するのは2万1868世帯。うち、15%に当たる3297世帯は再建計画未定か、自治体の調査に回答しないなどの理由で、自治体が計画を把握できていない。
 これ以外に、公営住宅の抽選に落選したり賃貸住宅が見つからないなど、具体的な行き先が決まっていない被災者も一定数いるとみられる。
 自治体別では、一部の被災者を除き仮設住宅の供与期限が5年で終了する仙台、多賀城、亘理、山元、七ケ浜の5市町が456世帯。期限が6年に延長されている石巻、塩釜、気仙沼、名取、東松島、南三陸、女川の7市町は2841世帯になる。
 計画未定の理由は、「公営住宅への入居や自力再建など複数の再建案を検討中」が4割程度。他に「退去期限まで時間があるため、まだ検討していない」「住宅の被災程度などにより公営住宅への入居資格がない」「経済的事情」などがあるという。
 公営住宅への入居資格がない被災者については、県は一定要件を満たすことを条件に入居の門戸を広げる方針を決めた。経済的事情で行き先が未定の被災者についても、住宅確保をサポートする県被災者転居支援センターや物件情報を提供するコールセンターの活用を呼び掛けている。


<もう一度会いたい>知りたかった その先
◎(12)報告 踏み込み甘く
 第三者委員会の初会合の場は豪華な宴会場だった。
 2013年2月。石巻市大川小事故検証委員会の第1回会議が市内のホテルで開かれた。震災から丸2年になろうとしていた。
 華やかな会場の雰囲気に今野浩行さん(53)と妻ひとみさん(45)は違和感を覚えた。教育行政史最大の惨事の真相解明を図る場としては不釣り合い過ぎる。
<対立先鋭化>
 大川小は震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった。全校生の7割。死者の中には長男で6年の大輔君=当時(12)=がいた。
 検証委は市が設けた。
 事故をめぐってはそれまで親と市教委が説明会を通じて直接協議していた。
 親は「人災」と追及する。市教委は「天災」と防御する。対話は深まらず、対立が先鋭化した。信頼関係は修復困難となり、市は事実解明を第三者に委ねた。
 遺族は検証委設置に不満がないわけではなかった。
 設置は唐突に市議会に提案された。市教委との関係はぎくしゃくしているとはいえ、今後も話し合いを続ける気でいた。それが第三者にバトンが渡り、はしごを外された思いを味わう。
 それでも、第三者による客観的な検証なら真相解明に近づく望みが持てた。
 地震発生から津波襲来までの50分間、なぜ子どもたちは校庭に留め置かれたのか。なぜ津波の来る川に向かって避難誘導したのか。
 知りたいことが解き明かされる期待が不満をしのぐ。
 「息子は『山さ逃げよう』と先生に訴えたと聞きました。このまま校庭にいたら死ぬと分かっていながら50分間過ごした恐怖を想像すると胸が張り裂けます」
 第2回委員会でひとみさんが意見陳述した。
 大輔君の訴えは避難の判断ミスを裏付ける重要な手掛かりだ。市教委の調査では無かったことにされた。
 検証委はその年の7月、中間案を発表した。
 浩行さんは目を疑う。
 あの50分間に触れた記述がない。
 学校の防災体制の不備についてはスペースを割いて問題点を指摘している。だが、当日の状況は気象、地震情報を示しただけ。避難行動に関する直接的な言及は見当たらなかった。
<期待しぼむ>
 中間案は正式には「中間取りまとめ案」と称した。最終報告の下敷きとなる「中間報告案」からいつの間にか後退していた。
 検証委に抱いた期待がしぼんでいくのを実感する。
 最終報告は翌年2月に出た。中間案の7カ月後だ。
 <教職員の避難開始の意思決定が遅れ、河川に近い三角地帯を避難先に選択したことが直接的要因>
 それは検証委に聞くまでもない。はなから分かっている。
 知りたいのはその先だ。
 <教職員が切迫した津波の危険性を感じていなかった>
 <なぜ三角地帯を目指したのかは関係者が死亡し、明らかにできなかった>
 踏み込み不足。未解明。
 報告は遺族の求める水準に達していなかった。
 <生き残った児童から『亡くなった子が山への避難を強く教職員に訴えていた』と聞いた保護者もいる>
 大輔君の訴えに関する記述は一文にとどまった。
 知りたいことを知ることができない。
 ずっとまとわり続けるストレスから解放されない。
 浩行さんら遺族は記者会見した。
 「真相を明らかにするため法的手段を検討する」
 提訴の時効まで20日を切っていた。


震災20年 家族テーマに舞台上演 神戸の劇団
 阪神・淡路大震災でスタジオを焼失しながらも、精力的に活動を続けてきた劇団道化座(神戸市灘区)が18日、創立65周年を記念した新作「ともちゃんち」を同市中央区北野町1、新神戸オリエンタル劇場で上演する。物語は家族をテーマに、20年前の震災のエピソードも交える。代表理事の馬場晶子さん(64)が願う「前向きなお芝居」で二つの「節目」を締めくくる。(坂山真里緒)
 道化座は、1950(昭和25)年に旗揚げした神戸でも老舗の劇団。震災でJR六甲道駅北側の自宅兼スタジオは全焼した。その後、馬場さんの夫で前代表の須永克彦さん(76)が、震災などを題材にした「生きる」シリーズ全18作を書き上げた。中国や韓国での公演も成功させた。
 だが、数年前、須永さんは体調を崩し、療養生活に入ったのを機に、馬場さんが代表に就任。再演を中心に活動してきたが、「(夫は)自分の言葉で作品を作ってきた。この節目にやらなあかん」と一念発起。「おおやかづき」のペンネームで新作に取り組んだ。
 「ともちゃんち」は「99歳ちりつもばあちゃんの幸せになるふりかけ」(たなかともさん著)などが原案。震災で両親を亡くしたとも子と弟は祖母と暮らすが、年月がたつにつれ、老いていく祖母の寂しさ、青年期を迎えたきょうだいの心の葛藤など、どこにでもある家族を描く。
 震災当日、劇団のスタジオから抜け出し、近くの神社で見つかったネコのエピソードなど馬場さん自身の体験も盛り込んだ。「人生捨てたもんやないで。そんな温かい気持ちになってもらえたら」と馬場さん。青年期以降のとも子を演じる島田知子さん(35)は「悩みを抱えている人たちに明るさを取り戻してほしい。若い人に見てもらえたら」と話す。
 開演は午後3時、同7時。前売り一般3500円、学生千円(当日500円増し)。同劇団TEL078・803・2458


特集ワイド 同性婚「国が認めて」 自治体支援は限界/国際水準とギャップ
 東京都渋谷区と世田谷区が同性カップルの関係を結婚に相当するパートナーシップと認める証明書の発行を始めてから約1カ月。議論に一石を投じたが、実は区が保障できる権利はほとんどない。同性愛など性的少数者(LGBT)の団体の中には国会へ同性婚法の制定を直接働きかける動きも出ている。いつまでも「結婚制度の想定外」って、差別では?【堀山明子】
 渋谷区がパートナーシップ証明書、世田谷区が同宣誓書受領証の発行を始めたのは同じ11月5日。「風穴が開いた」(長谷部健・渋谷区長)、「スタートラインに過ぎない」(保坂展人・世田谷区長)と、2区長とも自治体の限界は踏まえたうえで、権限がないために応じられなかった当事者の要望を国に伝えていく戦略だ。今月15日までに渋谷区では元タカラジェンヌの東小雪さん(30)ら4組、世田谷区では11組に発行した。
 家を借りたり、病院で付き添ったりする時に同性カップルを排除しないよう、不動産団体や医療機関に協力を求めているという保坂区長は8日の会見で「受領証を示して賃貸契約した例はまだないが、同性カップルが相談に来たと不動産関連の団体から聞いた」と手応えを語った。「排除しない自治体や企業が増えれば、国の制度を変える動きにつながる」と期待する。
 一方、国に直接、法改正を求める動きもある。同性婚法制定を目指す「EMA日本基金」の寺田和弘代表(42)は「結婚制度を変えるには国会で過半数の賛成を得て法律を作ればいい」と明快だ。来年夏の参院選で同性婚合法化の是非を問う候補者アンケートを行い、議論を喚起したいという。
 別表を見てほしい。医療保険、所得税、相続……。同性カップルは男女の夫婦なら持てる権利が認められず、さまざまな場面で不利益を被っている。登録パートナーシップ法を1989年に世界で初めて認めたデンマークで20代に勤務した寺田さんは、同性愛者であることを隠さない大家や職場の同僚を見て「行政が当たり前の存在として支え、地域や職場で排除されずに『見える存在』になることが大切だと学んだ」と言う。同性婚はゴールではなく、その先の権利行使のためのスタートなのだ。「先進国を中心に40カ国以上が同性婚を認めている。日本が今認めても珍しくもないんですよ」
 「同じ世代の日本人女性で同じように同性に恋した2人が、好きになった相手の国籍が違うだけで、どうして選べる選択肢が違うんでしょうね」
 渋谷区のパートナーシップ証明書発行に先立つ2013年3月、“結婚式”を翌日に控えた東さんに、友人でタレントの牧村朝子さん(28)はこう語りかけた。日本人を愛した東さんは結婚はできず、同性婚を認める国、フランスの女性を愛した牧村さんはこの半年後、パリで婚姻届を出し、配偶者ビザも認められ結婚生活をスタートできた。本人たちの希望に関係なく、同性婚への道のりは分かれた。
 「パリで婚姻届を出す時、役場の人が『夫』の文字に大きく×を付けて『妻』と書き換え、男性名詞を全部訂正してから用紙をくれた。うれしくて涙が出た」と牧村さん。ところが、婚姻成立の証明書提出のため訪れた在仏日本大使館では、日本の婚姻届も出すよう求められ、「夫となる人」の欄を「妻」に修正して提出したら、「日本の法律では認められません」と法的根拠も説明せず拒絶された。「同性同士だったんですね」と窓口の職員が驚いた表情を見せたという。
 今年10月から牧村さんは、妻モリガさん(32)と日本で暮らす。モリガさんは配偶者ビザが認められず、出版関係で働く就労ビザが頼りだが、いつまで日本にいられるか、牧村さんは不安になる。「想定外だからと、困りごとがあってもないことにされてしまう。理不尽だと思います」
 では、日本で同性婚が認められない法的根拠は何か。
虹はLGBT権利擁護運動のシンボルカラー。国会に虹がかかる日はくるか?=藤井太郎撮影
 ニュージーランドで同国の男性と同性婚をした貿易コンサルタントで、「パートナー法ネット」共同代表の池田宏さん(56)は12年4月、港区に婚姻届を出し「不受理になるのはわかっていますが、具体的理由を知りたい」と書面を求めたことがある。書面には、区長名で「憲法第24条及び民法第740条により不受理」と理由が書かれていた。
 憲法24条には「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」とあるが、同性婚を禁じていることを意味するのか。同性愛者と公表して人権擁護活動を続ける永野靖弁護士(56)は、憲法は禁じていないと考える。「24条は家制度の干渉なく当事者の合意だけで結婚できることを宣言するのが狙い。13条の幸福追求権、14条の法の下の平等の原則を併せて読むと、憲法は同性婚を禁じているどころか、認めないほうが憲法違反です」
 永野さんも参加するLGBT支援法律家ネットワークの有志は今年2月16日、「憲法は同性婚を否定しているわけではない」と見解を発表。その2日後の参院本会議で安倍晋三首相は「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻は想定されていない」と答弁した。憲法で禁じた明文はないので、想定外という説明にしたのか。首相答弁を反映するかのように、今年5月にあるカップルに出された不受理理由は憲法や民法の条項は削られ「不適合」に。池田さんは「不適合というのは、同性カップルの権利を認めた法律がないからだ。議員立法で法律をつくり、法案を通せば同性婚が認められる」と可能性を感じている。
 一方、LGBTへの根強い社会的差別の続く現状で、同性婚法だけに議論が集中することに、関係者の間で不安も出ている。LGBT差別禁止法の制定を目指す58団体で今年4月に発足した「LGBT法連合会」の神谷悠一事務局長は「大部分が同性愛者だと公表できない現状では、パートナー証明の制度をつくったのに申請がない自治体が出て、需要はなかったと切り捨てられる最悪のシナリオもあり得ます。まず根強い差別の実態を知ってほしい」と話す。
 厚生労働省の「よりそいホットライン」(0120・279・338)に寄せられた「性別や同性愛の相談」4200件余りをまとめた昨年度上半期の報告によると、自殺を考えたことのある人は6割を超える。一昨年調査では、職場でカミングアウトできた人は約1割だけだ。
 また、連合会が賛同団体や専門家に相談があった、職場や学校、家庭で直面する課題を「困難リスト」としてまとめたところ、264項目に及んだ。「超党派の国会議員にLGBT差別禁止法を出してもらうのが緊急の課題です」と神谷さん。
 同性パートナーの申請を出した人たちの背後に、結婚の夢すら見られないほどの困難や差別に直面しているLGBTがいることも忘れずにいたい。
同性カップルが排除された主な権利(NPO法人「EMA日本」のサイトから抜粋)
 <婚姻に基づく法的権利>
・配偶者の実子、養子の共同親権
・配偶者が死亡した際の遺産相続▽遺族年金▽公的年金の死亡一時金
・医療保険の被扶養者になる権利
・労災補償の遺族補償、遺族給付
・所得税の配偶者控除
・相続税の配偶者控除
・医療費控除のための合算
・配偶者のための介護休業取得
・外国籍の配偶者が配偶者ビザや日本国籍を取得する資格
・配偶者からの暴力防止、保護を定めたドメスティックバイオレンス(DV)防止法の適用
・離婚時の慰謝料▽財産分与▽年金分割
・公営住宅への入居資格
 <民間のサービス>
・民間生命保険の死亡保険金受け取り
・配偶者として葬儀に参列
・配偶者が入院した際の面会権、医療行為への同意
・企業の慶弔休暇▽慶弔見舞金▽扶養手当▽家族手当
・自動車保険の運転者家族限定特約
・携帯電話の家族割引
・クレジットカードの家族カード
・交通機関の夫婦割引、航空会社のマイレージの家族サービス


路上にいないホームレス 女性たちの「見えない貧困」
「待機部屋」で一日を過ごす
三上さん、38歳。三上さんには家がない。
東京と埼玉でデリヘル(派遣型性風俗サービス)を展開する風俗店「池袋デッドボール」に勤めている。顧客から指名が入るまでの「待機部屋」が、三上さんの “自宅”だ。
繁華街の片隅にあるマンションの一室。5人も入れば手狭になる1DKで一日を過ごす。仕事以外の用事で外出することはほとんどない。
給料は歩合制だ。客が支払う6000円から1万円ほどの料金から店が仲介料を取った残りが、女性たちの手元に入る。仕事が多く入れば1日2万〜3万円を稼ぐことも可能だが、収入ゼロの日も多い。
三上さんが風俗業界に入ったのは16年前。23歳だった。以前はスーパーの店員として働いていた。初めての一人暮らしで、家賃や生活費をまかなうので精一杯。洋服代や遊興費を工面するために軽い気持ちで消費者金融に手を出した。額は多くはなかったが、借り入れは毎月続き、利子はどんどん積み上がった。
決定打は、友人からカネを貸してほしいとせがまれ、数十万円を融通したことだ。すぐに友人は音信不通に。三上さんの借金の総額は400万円以上にもなっていた。スーパー店員の稼ぎだけでは到底返済できない。スーパーを辞め、風俗に足を踏み入れた。
「自分が悪いのはよくわかっています。でも、親兄弟を頼ることはできませんでした。当時の私には、風俗しかなかった」
住所不定から抜け出せない
<今日は 9:00 〜 23:00 の受付予定です。お誘いお待ちしてます。三上>
30代後半になると、20代前半の時のように割よくは稼げない。体力的にも風俗だけでは限界に近づきつつある。
「でも、抜けられない。昼間の仕事に就けないんです。待機部屋で寝泊まりしているって、住所不定ってことですから」
仕事を探そうにも自宅がなければ取り合ってくれない。家を探そうにも門前払いだ。保証人もいない。
「夢、ですか? ないですね。あ、でも家賃3万9000円のアパートを見つけたんです。そこになんとか入れたら……それが夢……かな」
路上では寝ていないから見えづらいが、三上さんは「ホームレス」だ。風俗という“セーフティーネット”が、彼女たちの貧困を覆い隠している。


「普通」が遠い 貧困リスクはそこにある
風俗をセーフティーネットに生きる女性は、特別な存在ではなくなりつつある。高騰する学費をまかなうために風俗を選ぶ都会の女子大生も、後を絶たない。
ほかにも病気やリストラ、離婚、自立の難しい子ども……。性別、年齢にかかわらず、都会の貧困リスクはすぐそこにあるのだ。
(ノンフィクションライター 中村淳彦/Yahoo!ニュース・AERA編集部)
父のリストラで学費なし
「風俗という仕事があって、本当に良かった……」
山田史織さん(仮名、22)は、微笑みながらそう語る。都内の有名私立大学4年生。育ちの良さそうな清楚な風貌で、いくつか志望企業に内定をもらっている。大学の授業料を払い、普通の学生生活を送ることができたのは風俗のおかげだった。
中学2年生のとき、父親(53)はリストラされた。製造業にも派遣を認める派遣法改正の影響だった。何年就職活動しても正社員になることはかなわず、非正規職を転々とした。
やがてアルコール依存になり、生活費を入れなくなった父親に代わり、看護師資格を持つ母親(50)が時給のパートで生活を支えた。収入はせいぜい月15万〜18万円。娘を私立大学に通わせるお金は家庭になかった。
高校は進学校で、大学進学は当たり前の環境だった。祖父母が援助してくれたのは入学金までで、授業料は奨学金とアルバイトで何とかする計画だった。
学費と留学費のため風俗嬢に
日本学生支援機構から毎月10万円借りた。“奨学金”と名付けられているが、返済義務のある有利子の借金は4年間で480万円にもなる。
入学してすぐに自宅近くの飲食店で働き始めたが、アルバイトは時給900円。授業を優先すると1日3〜4時間しか働けず、せいぜい月3万円にしかならない。授業料は年間100万円強。途方にくれた。
「大学2年生になる直前の春休みに、学校の掲示板にあった私費留学のポスターを見た。30万円が必要だったけど、どうしても行きたくて、もう風俗店で働くしかないって瞬間的に思いました。心からお金が欲しいと思った」
その日のうちに渋谷のデリバリーヘルスに応募して、採用された。翌日出勤して3人の見ず知らずの中年男性の相手をして、店長から3万6000円のお金を日払いでもらった。
「こんなにお金がもらえるの、って驚きました。1カ月くらいで最初の目的だった30万円は超えた。でも、全然風俗を辞める気が起こらなくて、まだ続けています。奨学金の返済があるから就職しても辞めません」
山田さんのように経済的に追い詰められて風俗を始める「女子大生風俗嬢」は、特に都内の有名私立大学で増えている。
なぜなら、40年前と比べて、国立大学の学費は15倍、私立大学でも4倍以上に跳ね上がっているからだ。一方で大卒男子の初任給は2倍強にしかなっておらず、物価上昇を考えても大学で学ぶためのコストは急騰している。さらに、景気の悪化で世帯収入は全国的に下落。首都圏の大学に通う新入生では、仕送りの額が1994年の12万4900円をピークに減少。2013年には過去最低の8万8500円となり、3割も減っている。
大学進学率が5割を超える時代に、“普通の生活”ができる給料を得ようとすると4年制大学卒業は必須条件。「平成型苦学生」が増えているのだ。
メンタルで休職して生活苦
そうやって苦労して“普通の就職”ができたとしても、一度心身の不調やリストラ、親の介護などで仕事を失えば、生きる術を奪われかねない。特に都会では、生活コストは重くのしかかってくる。30代、40代の働き盛りの世代にとっても「下流化」は人ごとではないのだ
「都会で老いるコストとリスク 介護・住居・教育がカギ」の記事で、Yahoo!ニュースとAERA編集部が事前に行ったアンケートでは、こんな体験談が寄せられた。
都内に住む30代後半の男性は、33歳で不安障害と診断され1年半休職。当時をこう振り返る。
「休職中は健康保険から給料の60%が支払われたが、家賃や光熱費、生活費などのコストは変わらず、生活はとても苦しかった。それで不安が増幅するという悪循環になった」
別の30代の男性は、マイホーム購入から半年後、08年のリーマン・ショックでリストラされたという。
「就活しても年齢的に体力がついていかず、正規雇用に就けずに6年がたった。 貯金はゼロ。アルバイトでも労働基準法無視の過剰残業が当たり前の時代、今では無職。働く気力がもうない」
いまパートや派遣などの非正規雇用が4割を占めている。つまり、職場が担ってきた福祉のセーフティーネットからこぼれ落ちる人が増えているのだ。
働けなくなれば生活保護
「働く夫と専業主婦の妻と子ども。そういう家族のモデルケースから外れると、貧困確定です。私が働けなくなれば、母娘2人で生活保護を受けるしかありません」
都内に住むシングルマザーの女性(44)は、そう話す。
6人に1人の子どもが貧困状態とされ、深刻化する「子どもの貧困」。放置すれば13年時点で15歳の子どもの生涯所得は合計で2.9兆円減り、税収なども1.1兆円減ると推計されている。生活保護世帯やひとり親世帯の子が陥りやすい貧困だ。
この女性は娘(16)の知的障害がわかってから、夫と距離が広がり離婚。夫の社宅を出て、母娘2人で40平米に満たない家賃5万5千円のアパートに暮らす。年収は、女性が三つ掛け持ちする非正規職の給与と、娘の障害者手当やひとり親への児童扶養手当などを合わせて約300万円。
2人暮らしには十分な額だが、貯金はなく、老後の見通しは暗い。現在の試算だと年金は月4万円。あと20年働いても「生活保護確定」だ。せめて、娘だけでも自立してほしい。そのためには高校卒業後の就職にすべてがかかっている。
仕事がある都会から離れられない
「作業所などでの工賃は全国平均で月1万4千円。雇用契約を結ぶ職場に就職できれば月6万〜7万円の給料で、娘だけでもグループホームに住んで自立できる可能性がある。今はそれを願うだけです」
働くためには仕事の多い都市部に住むしかない。それは健常者も障がい者も同じ。高い生活コストを払ってでも、都会からは離れられなくなっている。


夫婦同姓で苦労する女性、先進国では日本のみ
(CNNMoney) 夫婦は同姓でなければならないと定めた民法の規定が憲法に違反するかどうかが争われている裁判で、最高裁は16日に判決を言い渡す。19世紀に制定された同法では、夫と妻のどちらが姓を変えるべきかについては定めていない。しかし圧倒的多数が夫の姓を選んでいるのが現状だ。
この日は女性に対してのみ離婚後6カ月以内の再婚を禁じた規定についても判決が言い渡される。こうした規定については、女性や両性の平等の専門家、さらには国連の委員会も、差別に当たるとの見解を示していた。
女性が働きやすくするための方策を国が見付けない限り、日本が景気低迷から抜け出すことは難しい。女性の活用を目指すこれまでの政府の取り組みは、根深い文化的問題に阻まれてほとんどが失敗に終わった。
日本女子大学現代女性キャリア研究所の大沢真知子所長は、原告側が勝訴すれば社会の中での女性の地位が認められ、働く女性の助けになると述べ、前進へ向けた極めて重要な1歩になると指摘した。
主要先進国の中で、別姓で婚姻を届けることができない国は日本のみ。夫婦別姓訴訟の原告の1人、小国香織氏は、9年前の結婚で戸籍上は夫の姓になったものの、仕事では旧姓を使い続けている。仕事を持つ日本の女性は、それまで使っていた姓が結婚によって突然変わることになり、本当に苦労が多いと小国氏は訴える。
日本で仕事を持つ女性の割合は約65%と、先進国の中では最低級。ゴールドマン・サックスのキャシー・松井氏は、雇用における性別格差が解消されれば、就労者数は推定710万人増え、GDPを最大で13%押し上げる効果があると推定している。


「判決の瞬間、涙が溢れた。本当に悲しい」夫婦別姓禁止「合憲」受けて原告が怒り
夫婦で別々の姓を名乗ることを認めない民法の規定は、憲法が保障する「婚姻の自由」を侵害しているなどとして、5人の男女が国に損害賠償を求めていた裁判で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)が12月16日、夫婦別姓を認めない民法の規定を合憲と判断したことを受け、原告団は参議院議員会館で会見を開いた。団長の塚本協子さんは、「判決を聞いた瞬間に涙が溢れた。本当に悲しく、辛いです。塚本協子で生きることも死ぬこともできなくなった」と悔しさをにじませた。
この訴訟は、民法750条が「夫婦同姓」を定めているため、日常生活でさまざまな不利益を被ったとして、原告5人が国家賠償とともに、民法750条の「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」という規定を改正することを求めていた。
弁護団長の榊原富士子弁護士は「とてもとても残念。力が及ばなかった。落胆するだけでなく怒りも感じている」「最高裁の裁判官には、女性が3人しかいない。この構造こそが、性差別の問題を扱う裁判のときに、こうした結果に招いてしまうということを実感した」と判決を批判した。
一方で、今回の判決で、合憲と判断した裁判官が10人、違憲と判断したのが5人だったことについて、「今回の少数意見は、将来の多数意見になるはず」と希望を述べた。


夫婦別姓認めない規定 合憲の初判断 最高裁
明治時代から続く夫婦別姓を認めない民法の規定について、最高裁判所大法廷は「旧姓の通称使用も行われており憲法に違反しない」という初めての判断を示しました。
民法には、明治時代から、夫婦は同じ名字にするという別姓を認めない規定があり、東京などの男女5人は「婚姻の自由などを保障した憲法に違反する」として、国に賠償を求める裁判を起こしました。
16日の判決で最高裁判所大法廷の寺田逸郎裁判長は、夫婦別姓を認めない規定について、「憲法に違反しない」という初めての判断を示しました。判断の理由として裁判長は「名字が改められることで、アイデンティティが失われるという見方もあるが、旧姓の通称使用で緩和されており、憲法に違反しない」と指摘しました。そのうえで、「夫婦別姓については国会で論じられるべきである」と述べました。
明治時代から100年以上続くこの規定を巡っては、夫婦は同姓にすべきか別姓を選べるようにすべきか意見が分かれていて、最高裁の判断が注目されていました。
夫婦の名字 これまでの経緯
夫婦が同じ名字にするか別々の名字にするかを選べる「選択的夫婦別姓」は、女性の社会進出などにともなって導入の是非が議論されてきました。
専門家によりますと、日本では一般に名字の使用が許された明治初めは、夫婦で別々の名字にするとされたこともありますが、明治31年に制定された当時の民法では、「家制度」に基づいて夫婦が同じ「家」の名字にするという制度に改められました。
戦後、民法の改正に伴って夫か妻の名字を選べるようになりましたが、夫婦は同じ名字にするという同姓の制度は維持されました。
その後、女性の社会進出で結婚前にキャリアを積み、名字に愛着や誇りを持つ女性が増えたことから、欧米の国々のように「選択的夫婦別姓」を求める声が高まってきました。
さらに少子化を背景に、一人っ子どうしが結婚するとどちらかの名字がなくなるため、互いの名字を持ち続けたいという意見もあります。
一方で、選択制であっても夫婦別姓を認めると、家族や夫婦の絆が失われるという考え方もあります。さらに、親子で名字が異なると子どもに好ましくない影響を与えるという意見もあります。
19年前に国の法制審議会が、夫婦別姓の導入を盛り込んだ民法の改正案を答申し議論が高まったときも、国会議員の間から強い反対の意見が出て実現しませんでした。
夫婦別姓 どんな議論が
夫婦別姓を巡る議論では、旧姓を使える職場が増え、別姓の制度は必要はないという意見がある一方、旧姓の使用では解決しないという意見もあり、議論となっていました。
夫婦別姓の議論が盛んになってきた背景には、女性の社会進出が進み、名字が変わることで仕事上のキャリアが途切れるという問題があります。企業の間では仕事の際に旧姓の使用を認める動きが広がっていて、財団法人「労務行政研究所」によりますと、おととし一部上場企業などを対象に行ったアンケート調査では、200社余りから回答が寄せられ、仕事上での旧姓の使用を認めている企業の割合は64.5%と12年前の30.6%に比べ2倍余りに増えました。このため、法律を改正してまで夫婦別姓の制度を導入する必要はないという意見があります。
一方で、「選択的夫婦別姓」の導入を求める人たちは、旧姓の使用が広がってもさまざまな不都合があると訴えてきました。例えば、身分証として使われる運転免許証や、住民基本台帳カード、それに健康保険証は戸籍名しか認められません。このため身分証の提示が必要な銀行の口座の名義は新しい名字となり、仕事で旧姓を使用していると振り込みなどを巡ってトラブルになる場合もあるとしています。
婚姻届を出さないいわゆる「事実婚」を選択する人たちもいますが、法律上の夫婦ではないため、所得税や相続税の控除が適用されないほか、パートナーの生命保険の受取人として認められないケースもあり、こうした点も議論となっていました。
夫婦同姓の義務づけ 日本だけか
夫婦の名字について、海外では欧米を中心に、多くの国で別々の名字を選ぶことが認められています。
海外の婚姻制度に詳しい専門家によりますと、アメリカやイギリスなど欧米を中心に、多くの国では夫婦が同じ名字にするか別々の名字にするかを選ぶことができます。また、その中には、夫婦の一方が結婚前の名字を併記したり夫の名字と妻の名字を組み合わせたりする「複合姓」を認めている国も少なくないということです。
かつては別姓を認めない国もあり、ドイツでは、夫婦のどちらかの名字を選び、どちらか決まらない場合は、夫の名字にするように定められていましたが、女性差別だとして1990年代に見直されました。
さらに、アジアでも、妻が夫の名字にするよう義務づけられていたタイで、2005年に法律が改正され別姓が認められたということで、各地で選択の自由を認める動きが広がっています。
一方、同姓を義務づけている国は限られているとみられ、日本政府はことし10月、国会議員の質問に対する答弁書で、「現在把握している限り、法律で夫婦の名字を同じにするよう義務づけている国は、日本のほかには承知していない」と回答しています。
こうした状況について国連の女子差別撤廃委員会は「女性に対する差別的な法規制だ」などとして、日本政府に制度の是正を求めています。
90%以上が夫の姓を選択
結婚した夫婦の90%以上が夫の姓を選んでいて、この傾向は厚生労働省が調査を始めたおよそ60年前から一貫して変わっていません。
厚生労働省は、全国の市町村を通じて、毎年、夫婦が婚姻届を出す際に夫と妻のどちらの姓を選んだのか調査しています。調査が始まった昭和32年には、この年に結婚した76万7000組余りの夫婦のうち、夫の姓を選んだのは全体の96%で、妻の姓を選んだのは4%の夫婦にとどまりました。
この傾向は一貫して変わらず、20年前は夫の姓を選んだ夫婦は全体の97%、妻の姓を選んだ夫婦は3%でした。
去年は1年間に結婚したおよそ64万4000組の夫婦のうち、夫の姓を選んだのは全体の96%で、妻の姓を選んだ夫婦は4%でした。
夫婦別姓 世論調査では
夫婦別姓についてNHKが行った世論調査では、
「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」という答えが50%、「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」が46%で大きく分かれています。
NHKは先月21日から3日間、全国の20歳以上の男女に対し、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかけるRDDという方法で世論調査を行い、2376人のうち58%にあたる1380人から回答を得ました。
それによりますと、「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」と答えた人が50%、「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」と答えた人が46%で、大きく2つに分かれています。
年代別では、20代から50代までは「選べるようにするべきだ」という回答が、いずれも6割を超えていますが、60代はほぼ同じ割合で70代以上になると、逆に「同じ名字を名乗るべきだ」という回答が70%近くになり、世代によって答えが大きく異なっています。
「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」と答えた人に理由を聞いたところ、「同じ名字を使うことが当然だから」が28%、「家族の絆や一体感が弱まるから」が26%などでした。
一方で「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」と答えた人に理由を聞いたところ、「個人の意志を尊重すべきだから」が59%で最も多く、「女性が名字を変えるケースが多く不平等だから」が17%などでした。
合憲判断も議論続く見通し
最高裁判所が夫婦別姓を認めない規定が憲法に違反しないと判断したことに対し、原告や支援者は夫婦が同じ名字にするか別々の名字にするかを選べる「選択的夫婦別姓」の導入を求める活動を続けるとみられます。今後も制度の必要性を巡って議論が続きそうです。
民法の規定は夫婦に同じ名字にすることを義務付ける一方で、どちらかの名字を選べるとしていますが、実際は夫婦の96%が夫の名字にしています。このため裁判所が、これまで民法の規定を憲法に違反しないと判断したことに対しては、「男女が事実上差別されている実態を理解していない」という声もあります。
原告や支援者は今回の最高裁判決とは別に、欧米の国々などのように、夫婦が同じ名字にするか別々の名字にするかを選べる「選択的夫婦別姓」を導入すべきだとして、今後も活動を続けるとみられます。
また、国連の女子差別撤廃委員会は、夫婦別姓を認めない日本の規定を「差別的だ」として、日本政府に対応を求める勧告を行っていて、委員会のメンバーは来年2月にも日本で審査を行う予定です。こうしたことから制度の必要性を巡っては今後も議論が続きそうです。


夫婦別姓認めない規定 合憲判断も5人が反対意見
明治時代から続く夫婦別姓を認めない民法の規定について、最高裁判所大法廷は、「夫婦が同じ名字にする制度は社会に定着してきたもので、家族の呼称を1つにするのは合理性がある」などとして、憲法に違反しないという初めての判断を示しました。一方、裁判官15人のうち、女性全員を含む裁判官5人が「憲法に違反する」という反対意見を述べました。
民法には、明治時代から夫婦は同じ名字にするという別姓を認めない規定があり、東京などの男女5人は「婚姻の自由などを保障した憲法に違反する」として、国に賠償を求める裁判を起こしました。
判決で最高裁判所大法廷の寺田逸郎裁判長は、「夫婦が同じ名字にする制度は、わが国の社会に定着してきたものであり、社会の集団の単位である家族の呼称を1つにするのは合理性がある。現状では妻となる女性が不利益を受ける場合が多いと思われるが、旧姓の通称使用で不利益は一定程度、緩和されている」などとして、憲法には違反しないという初めての判断を示しました。
そのうえで判決は、「今の制度は社会の受け止め方によるところが少なくなく、制度の在り方は国会で論じられ、判断されるべきだ」と指摘しました。
一方、裁判官15人のうち女性裁判官3人全員と、男性の裁判官2人の合わせて5人が夫婦別姓を認めないのは憲法に違反するという意見を述べました。
明治時代から100年以上続くこの規定を巡っては、夫婦は同姓にすべきか別姓を選べるようにすべきか意見が分かれていて、最高裁の判断が注目されていました。
多数意見 「家族が同じ名字には合理性」
16日の判決では、15人の裁判官のうち10人の多数意見として、家族を同じ名字とする制度には合理性があると認めました。
多数意見では「民法の規定は、夫婦がどちらの名字にするか
当事者の話し合いに委ねていて、性別に基づく差別的な取り扱いを定めているわけではなく、規定自体に不平等があるわけではない」という判断が示されました。そして、夫婦が同じ名字にする明治以来の制度は社会に定着しているとしたうえで、「家族を構成する個人が同一の名字を名乗ることで家族という1つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できる」として、制度には合理性があると認めました。一方、「名字を変える人にとってアイデンティティーの喪失感を抱いたり、社会的な信用や評価を維持することが難しくなったりするなどの不利益は否定できず、妻となる女性が不利益を受けることが多いだろう」として、制度にはデメリットがあることも認めました。
しかし、旧姓を通称として使うことが広まることによって不利益は一定程度緩和されるとして、個人の尊厳や両性の平等を保障する憲法には違反しないと判断しました。また、寺田逸郎裁判長はみずからの考えを補足意見として示し、夫婦別姓の裁判について、「司法の場での審査の限界を超えており、民主主義的なプロセスにゆだねることがふさわしい解決だ」として、国会で議論されるべきだという考えを重ねて示しました。
「憲法に違反」の5人の意見は
夫婦別姓についての判決では、最高裁判所の裁判官15人のうち、女性裁判官全員を含む5人が「婚姻の自由を保障した憲法に違反する」という意見を示しました。
最高裁判所の岡部喜代子裁判官、櫻井龍子裁判官、それに鬼丸かおる裁判官の女性3人は、連名で意見を出しました。
この中で「女性の社会進出は著しく進み、結婚前の名字を使う合理性や必要性が増している。96%もの夫婦が夫の名字を名乗る現状は、女性の社会的、経済的な立場の弱さなどからもたらされている。妻の意思で夫の名字を選んだとしても、その決定過程には、現実の不平等と力関係が作用している」と指摘しました。
そのうえで、「多くの場合、女性のみが自己喪失感などの負担を負うことになり、両性の平等に立脚しているとはいえない。今の制度は結婚の成立に不合理な要件を課し、婚姻の自由を制約する」として、憲法違反だと結論づけました。
また、木内道祥裁判官も、「同じ名字でなければ夫婦が破綻しやすいとか、子どもの成育がうまくいかなくなるという考えは根拠がない」などとして憲法違反だと判断しました。
さらに山浦善樹裁判官は、憲法違反だとしたうえで、「平成8年に、法制審議会が夫婦別姓を認める民法の改正案を出したのに、今も制度を変えていないのは、国会が立法措置を怠っているということだ」として、国に賠償も命じるべきだという反対意見を述べました。
原告団長「悲しくつらい」
原告団の団長で富山市の塚本協子さんは「判決を聞いたとたん、涙があふれました。本当に悲しくつらいです。塚本協子で生きることも死ぬこともできなくなりました。名前は私にとってどうしても譲れないもの、一生そのものなんです」と涙を流して話していました。
官房長官「国民的議論踏まえ慎重対応」
菅官房長官は午後の記者会見で、夫婦別姓について、「国の主張が基本的に認められたものというふうに考えている。いずれにしろ最高裁の判断が示されたわけであり、それに基づいて対応していくというのは当然のことだと思う」と述べました。
そのうえで、菅官房長官は、記者団が今後夫婦別姓制度について議論していく考えはあるのか質問したのに対し、「国民の間にさまざまな意見があることも事実で、国民的な議論を踏まえながら慎重に対応していくことが必要だ」と述べました。
専門家「合憲判断でも議論すべき」
夫婦別姓を巡る最高裁の判決について、家族法が専門の早稲田大学の棚村政行教授は「家族を巡る状況が国内外ともに変化するなか、『合憲』の判断は時代にそぐわず、最高裁の姿勢は憲法の番人としての立場を放棄したようなものだ」と批判しました。
一方で、「女性3人を含む5人の裁判官が反対の意見を述べたことは評価できるもので、『合憲』判断だとしても国会は社会の変化に合わせた議論をすべきだ。また、国民一人一人も価値観が分かれる問題ではあるが、今回の裁判をきっかけに、家族の在り方について考えていくことが大切だ」と話していました。


夫婦別姓認めず_6か月再婚禁止は違憲_最高裁初判断
 夫婦が同じ姓を名乗ると定めた民法の規定が憲法に違反するかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は16日、「合憲」との初判断を示した。女性にだけ6カ月の再婚禁止期間を定めた規定をめぐる別の訴訟では「違憲」と判断した。再婚禁止期間の規定は国会が判決に沿って改正する。
 いずれも明治時代から引き継がれている家族制度の基本的ルールで、現在日本以外に同種の規定はほとんどない。時代に合わない不当な女性差別との批判が強まっていたが、保守系国会議員の抵抗が強く、温存されていた。
 夫婦別姓訴訟の原告は男女5人で「姓の変更を強制するのは権利侵害。実質的には女性差別で、多くの女性が職業上の不都合や精神的苦痛を強いられている」と主張。両性の平等や個人の尊厳を定めた憲法に違反すると訴えていた。
 女性の社会進出などをきっかけに、希望すれば結婚後も別々の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓」制度の導入を求める声は強まっていた。法制審議会は1996年、再婚禁止期間の100日への短縮とともに、選択制導入を盛り込んだ民法改正案を答申したが、保守派国会議員の抵抗で国会への法案提出はできなかった。
 近年、政府の世論調査で選択的別姓導入の賛否が拮抗(きっこう)している。
夫婦の姓と再婚禁止期間 民法750条は、夫婦は結婚前のどちらかの姓を名乗るよう規定。明治時代は「家の姓を名乗る」だったが、戦後改正された。また民法733条は、離婚した女性の6カ月間の再婚を禁じる。別の規定で出産時期が「結婚から200日経過後は現在の夫の子」「離婚後300日以内は前夫の子」としており、父の推定が重複するのを避けるため設けられた。法制審議会は1996年、夫婦がそれぞれ結婚前の姓を名乗ることを認める「選択的夫婦別姓制度」の導入や再婚禁止期間の100日への短縮を盛り込んだ法改正案を答申したが、実現していない。


再婚禁止期間違憲 気持ち理解してくれた 救済求め7年
 「法律は人を幸せにするためにあるはずで、人を不幸にするためではない。最高裁は私の気持ちを受け止めてくれた」。再婚禁止期間訴訟で違憲判決を勝ち取り、事実上の勝訴となった岡山県の30代の女性は、代理人の作花知志(さっか・ともし)弁護士を通じて喜びのコメントを発表した。「今の法律は、必要以上に人権を制約しているのではないか」。1人の女性の問い掛けが、戦後10例目となる法令違憲判断につながった。
 女性は2006年に最初の結婚をした。幸せをつかんだはずだったのに、待っていたのは前夫からの家庭内暴力(DV)だった。同居から1年たたないうちに家を飛び出した。夫婦関係は破綻したのに、前夫は離婚調停に応じなかった。高裁まで裁判を争い、08年にようやく離婚が成立した。
 その間に、今の夫と出会った。新たな命も授かり、離婚が成立したらすぐに婚姻届を出すつもりだった。ところが、女性だけに定められた6カ月間の再婚禁止期間がその願いを阻んだ。
 離婚成立から221日目に長女が生まれ、今の夫の子として出生届を出したが、受理されなかった。民法772条が「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と定めているためだった。長女は一時無戸籍状態に置かれてしまった。
 「形だけ続いていた前婚のために、なぜこんなにつらい思いをしなければならないのか」。女性は長女を原告として09年1月、772条の違憲性を問う初の訴訟を起こした。最高裁まで争って敗訴したが、納得できずに今度は再婚禁止期間を憲法違反として提訴した。11年8月のことだった。
 大法廷はこの日の判決で「100日を超える禁止期間は行き過ぎた制約で違憲」と認めた。司法に救済を求めて約7年。女性は「私のように法律でつらい思いをする人が今後は出ない社会にしたいと裁判をしてきた。国会には一日も早く法律を改正してほしい」と希望した。
 二人三脚で裁判を続けてきた作花弁護士は判決後の記者会見で「判決は医療や科学技術の進歩を違憲の根拠とした。再婚禁止期間を100日に短縮する法改正は当然と言える。離婚から100日以内の女性でも、妊娠していないことが科学的に証明される場合は、行政は運用で再婚を認めるべきだ」と話した。【島田信幸】


日印原子力協力 平和利用の保証がない
 世界2位の12億人超の人口を抱え、経済成長を続けるインドと、経済、安全保障の両面で関係を強化するのは重要なことだ。
 だが、唯一の被爆国である日本が、核拡散防止条約(NPT)体制のさらなる形骸化に手を貸すようなことがあってはならない。
 安倍晋三首相とインドのモディ首相が、日本からの原発関連機器の輸出を可能にする原子力協定を結ぶことについて原則合意した。
 NPTは核兵器の保有を米露英仏中の5カ国に限定し、他の国には原子力の平和利用のみを認めた条約だ。インドはNPTを「不平等条約」と批判し、加盟を拒んでいる。
 日本がNPT非加盟国と協定を結ぶのは初めてだ。平和利用に限定すると言っても、NPT体制の枠外にあって核武装を続けるインドへの原子力協力は、一線を越えかねない。
 肝心の平和利用をどう保証するかが、今回の協定では明確でない。
 インドは2008年、核実験モラトリアム(一時停止)の継続などの政策を表明した。安倍首相は、これを評価したうえで、日本からの協力について「平和目的に限定する内容を確保している」と強調した。
 だが、その根拠は乏しい。安倍首相はモディ首相に「インドが核実験を実施した場合は協力を停止する」と伝えたというが、協定に明記されるかはわからない。
 日本の資機材を使った原発から出る使用済み核燃料の再処理問題も、持ち越された。
 詳細が詰められないまま、見切り発車で合意したように見える。
 インドでは、21基の原発が運転中で、32年までに原発の発電能力を今の11倍弱に拡大する目標を掲げる。
 この原発市場への参入を狙って、08年に米国がインドと協定を締結してから、仏、露、カナダ、韓国などが相次いで協定を結んできた。
 日本も民主党政権下の10年、原発輸出を成長戦略の一環として位置づけ、協定交渉を始めた。日本と米仏の原子力企業の提携が進み、日本が協定を結ばないと影響を受ける米仏からは締結を促されてもいた。安倍政権としては、協力強化により、中国をけん制する思惑もあるだろう。
 政府は、原発ビジネス参入と中国けん制という現実的利益と、唯一の被爆国としての立場という二つの問題に、どう折り合いをつけるかで苦闘してきた。それを解くカギが平和利用の保証だというなら、あいまいな決着をすべきではない。
 核廃絶をリードすべき日本が、インドの核保有を黙認し、核拡散を助長することがあってはならない。そうなれば、日本の非核外交は傷つき、発言力は損なわれるだろう。


日印原子力協定 不拡散の根幹が揺らぐ
 日本がインドとの原子力協定締結に原則合意した。核兵器を持つインドに日本の原発が輸出されれば、不拡散の理念が根幹から揺らぐ。平和利用が保証されない限り、締結を急ぐべきではない。
 安倍晋三首相がインドを訪問してモディ首相と会談し、原子力協定と、高速鉄道計画への日本の新幹線方式導入などで合意した。
 インドは過去二回核実験をし、核拡散防止条約(NPT)にも加盟していない。だが、日本はインドが一九九八年以来、核実験モラトリアム(一時停止)を続け、第三国に核技術を移転していないとの理由で、協定を進めた。安倍首相は首脳会談で「核実験を行えば協定は停止する」と伝えたが、文書化はされていない。
 日本政府は国連総会で核兵器廃絶決議を提出し、二十二年連続で採択されている。核保有国へ原発を輸出することになれば、被爆国としての発信力を弱めてしまうだろう。広島、長崎両市長も今回の協定合意を懸念する談話を出した。
 協議は民主党政権時代に始まったが、安倍政権は成長戦略の一環として交渉を加速させた。福島第一原発の事故後、海外市場に活路を求めたい経済界の意向も考慮したといえよう。
 人口約十二億人のインドは、深刻な電力不足の解消と、石炭火力による温室効果ガスの削減を迫られ、原発の増設に前向きだ。既に米国やフランスとは原子力協定を結んでいるが、米仏日の原発関連企業は合弁、提携が進んでおり、日本との協定がないと本格的な原発建設ができないという事情があった。
 だが、経済の利点にだけ目を向けていたら、軍縮、不拡散という本質を見失ってしまう。
 いま米国、ロシアの核軍縮交渉は完全に足踏みし、NPT体制が危機に直面している。日本がインドを特別扱いして原子力技術を提供すれば、NPT弱体化はさらに進むのではないか。
 インドは、やはり核を保有する隣国パキスタンとの間で緊張が続く。核弾頭が搭載できる長距離弾道ミサイル(射程約五千キロ)を保有するが、中国全土を射程に収める。
 今回の首脳会談では、使用済み核燃料の再処理は先送りされた。日本側はインドに対し、軍事転用をしないという確実な措置を強く求め、交渉も慎重に進める必要がある。被爆国・日本の世界に向けた責任は軽くはないはずだ。


新国立競技場 透明性は担保されるか
 世界のひのき舞台としてどちらがふさわしいか。二〇二〇年東京五輪・パラリンピックの象徴となる新国立競技場の二つの青写真が公開された。国民の思いを生かした納得のいく結論を望みたい。
 それにしても、新しい建設計画案の公募に応じた業者がわずかに二グループにとどまったのは、いかにも寂しい。
 旧計画が七月に白紙撤回されてから、新たな業者の公募締め切りまでを四カ月で区切った事情もわからなくはない。とはいえ、二者択一を迫られるのでは、国民にとって考えどころが失われたとの印象は拭えまい。
 日本スポーツ振興センター(JSC)が公開したのは、設計から施工までを一括で担う応募業者が出した技術提案書である。選定過程の透明性を担保し、民意を反映させる努力が欠かせない。
 旧計画では、デザイン選定から工費や工期、設計の変更まで、すべてを政官業スポーツ界の利益代表が水面下で決めていた。蚊帳の外に置かれた国民から批判が噴き出したのは当たり前だった。
 その反省に立ち、業者の決定前に提案の中身を公開したとすれば一歩前進といえるだろう。
 しかしながら、専門家らによる中立公正な審査がゆがめられかねないとして業者や建築家の名前を伏せたのは、一体どういう了見なのか。国民の貴重な判断材料としても公表して当然である。
 技術提案書には工費や工期、デザインなどが記されている。関心事のひとつである工費は、A案が千四百九十億円、B案が千四百九十七億円。国が設定した上限の千五百五十億円を下回っている。
 コンセプトはともに「杜(もり)のスタジアム」という。歴史と伝統のある緑豊かな神宮外苑の景観と調和するか。お年寄りや子ども、障害のある人や外国人を問わず親しめる造りか。アスリートが実力を発揮できる環境を備えているか。
 国民から寄せられるだろうさまざまな質問に、JSCは誠実かつ丁寧な説明で応えなくてはいけない。形ばかりの情報公開ならもっての外である。
 国と東京都は先に負担割合について合意している。負担見込みはきちんと納税者に知らせてほしい。民意の形成にとって重要な情報のひとつになる。
 無関心こそ、声の大きな存在による不透明な干渉を招く。一人ひとりが自分なりに考え抜き、意見を持ちたい。情報公開の中でよりよいものを築き上げてゆこう。


[オール沖縄会議]辺野古阻止の受け皿に
 辺野古新基地を阻止するまとめ役ができた。
 「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」である。県内政党や労組、市民団体など22団体で組織し、「沖縄建白書を実現し未来を拓(ひら)く島ぐるみ会議」も包摂する。
 宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開かれた結成大会には1300人(主催者発表)が参加し、翁長雄志知事も駆けつけた。
 オール沖縄会議を結成する目的は、三つだ。現地辺野古での抗議行動を強化する、県と国の法廷闘争で翁長知事を支援する、国内・国際世論を喚起する−ことである。
 なぜいまなのか。
 結成を促したのは、現地辺野古で監視と抗議活動を続ける市民らの声である。日によって参加人数のばらつきが大きく、各種団体と交渉するパイプ役が必要だとの要望が出たからである。その役目をオール沖縄会議が担うことになったわけである。
 辺野古では毎週水曜日を「議員総行動」の日と決め、野党国会議員や県議会与党会派、市町村議員、市民ら数百人が抗議している。
 米軍キャンプ・シュワブゲート前での座り込みが500日を迎えた11月18日の水曜日には約1200人が抗議集会を開いた。工事車両は基地内に入れず、機動隊は排除することができなかった。
 その後の議員総行動の日でも、工事車両の進入を事実上阻止している。座り込みの参加者にはゲート前にもっと人が集まれば、作業を止めることができるという思いがある。それは政府が恐れていることでもある。
    ■    ■
 新基地建設阻止という県民大多数の願いをどう実現していくか。そのためにはオール沖縄会議結成の目的の三つを同時並行的に、しかも切れ目なく取り組む必要がある。
 共同通信が11月28、29の両日に実施した全国世論調査で、辺野古問題が法廷闘争に発展したことに「国と県が直接話し合って決着」が68・5%で、「司法の場で決着」の26・0%を上回った。
 朝日新聞の10月の全国世論調査では知事の埋め立て承認取り消しを「評価する」が50%と、「評価しない」の34%を引き離している。
 安倍政権が沖縄の民意を無視して強権的に押し進める新基地建設を国民の多くは支持してはいないのである。
 辺野古の陸で、海上で反対する市民を警察や海上保安官が力ずくで排除している現状を、全都道府県でシンポジウムをしたり、大小の県民集会を開いたりして世論に訴えるのも世論喚起の方法の一つではないだろうか。
    ■    ■
 運動のうねりは国内、海外に広がっている。米退役軍人の平和団体「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」のメンバーが来沖、抗議活動に加わっている。沖縄は孤立しているわけではない。
 傘下団体をたばねる組織ができた。ただ埋め立て本体工事の関連作業が進んでいることを忘れてはならない。
 オール沖縄会議が新たな県民ぐるみの運動の受け皿になれるのかどうか、これからの取り組みにかかっている。


オール沖縄会議 新基地反対運動の弾みに
 新基地建設阻止に向けた取り組みが、より重層的に広がっていく起爆剤となるのではないか。
 米軍普天間飛行場の代替となる辺野古の新基地建設問題で、政党や市民団体、経済界有志など幅広い団体を網羅する新組織「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が発足した。
 14日に開かれた結成大会には主催者発表で1300人が足を運んだ。会場は新基地建設を「オール沖縄」で阻止するとの熱気に包まれた。
 新基地建設問題をめぐり、県は政府との法廷闘争に入っている。今回の会議発足には、県の法廷闘争を支援するとともに、これまで建設反対運動に関わってきたさまざまな組織を糾合して体系化し、幅広い枠組みで新たな取り組みを展開していく狙いがある。
 オール沖縄会議の共同代表には、稲嶺進名護市長、高里鈴代「島ぐるみ会議」共同代表、呉屋守将金秀グループ会長の3人が就任した。政界や経済界、市民団体など、新基地建設に反対するそれぞれの勢力を結集させていこうという決意が込められていよう。
 新基地建設問題ではこれまで、政財界の有志や有識者が共同代表を務める「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」(島ぐるみ会議)や「辺野古基金」などが設立され、市民運動などの基盤となってきた。
 ただ島ぐるみ会議はあくまで個人参加による組織であり、団体単位では加入していない。このため組織的な行動面で課題があった。今後は新たな会議が中心となり、辺野古のキャンプ・シュワブ前での反対運動などで、より統一的な対応を図っていくとしている。今後の展開が注目されよう。
 結成大会には翁長雄志知事も駆け付けた。知事は「これからの闘いに大きな展望を開くものだ。私たち責任世代が頑張っている姿を見せることで、子や孫が21世紀の沖縄を切り開いていく」と語った。
 「責任世代」は、那覇市長時代からオスプレイ配備撤回や普天間飛行場の県内移設断念要求などの超党派運動の先頭に立ってきた翁長知事がしばしば口にするキーワードだ。
 政府が力ずくで新基地を建設しようとする中、この時代に生きる沖縄の私たちはどうあるべきか。オール沖縄会議には、沖縄の民意をさらに喚起するための呼び水となるような役割に期待したい。

なんかクタクタ/リメデを考える

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Lune de miel nucléaire entre le Japon et l'Inde
Shinzo Abe et Narendra Modi ont signé une série d'accords commerciaux et stratégiques pour contrer en partie l'expansionnisme chinois en Asie.
Les propos n’avaient rien de feint samedi pour saluer les liens nippo-indiens et le super accord commercial entre les deux géants d’Asie. S’adressant au Premier ministre japonais, Shinzo Abe, le chef du gouvernement indien, Narendra Modi, a dit que ≪rares étaient les visites vraiment historiques ou capables de changer le cours d’une relation. Votre visite, monsieur le Premier ministre, en est une≫.
New Delhi et Tokyo n’ont jamais été aussi proches depuis des décennies. La série d’accords signés pendant les trois jours du voyage d’Abe en Inde témoigne d’une quasi-lune de miel entre les deux partenaires, qui partagent des inquiétudes légitimes au sujet de l’expansionnisme militaire chinois. L’approfondissement de cette relation stratégique, face à une Chine en pleine conquete maritime, doit bien sur beaucoup à l’alchimie personnelle des deux chefs de gouvernement qui se fréquentent depuis près de dix ans.
Deux interventionnistes
Aussi conservateurs et nationalistes l’un que l’autre, Abe et Modi professent un identique interventionnisme étatique pour revitaliser des économies et se démènent pour réaffirmer avec force leur présence militaire dans une région dominée par les tensions et les revendications territoriales.
≪Leur ordre du jour ressemble à une idylle internationale: ils se sont vus récemment à Paris, ont dîné ensemble à Istanbul, déjeuné à Kuala Lumpur et vont etre maintenant ensemble≫ pendant quarante-huit heures, écrivait en fin de semaine le quotidien indien Hindustan Times. En aout 2014, Modi avait réservé sa première sortie à l’étranger au Japon d’Abe qui l’avait accueilli en grande pompe entre Tokyo et Kyoto pendant cinq jours.
40 réacteurs nucléaires à bâtir en Inde
C’est probablement grâce à cette ≪idylle≫ que les deux Premiers ministres sont parvenus à un accord important sur le nucléaire civil. Au terme de cinq années de négociations prudentes, ils ont conclu un pacte de coopération nucléaire qui ouvre la voie aux entreprises américaines Westinghouse Electric et General Electric au capital desquelles le Japon détient des actions. Il va aider à l’installation de centrales utilisant des réacteurs japonais.
Tokyo s’est assuré que New Delhi, non-signataire du Traité de non-prolifération (TNP), ne se livrera pas à l’enrichissement d’uranium à des fins militaires, comme le redoute la communauté internationale. On ne sait pas encore ce qui, de la menace chinoise ou des énormes potentialités du marché indien, a levé les inquiétudes nippones sur les risques de prolifération. Doté d’un parc de 20 réacteurs, l’Inde prévoit d’en bâtir 40 dans les prochaines années. L’industrie nucléaire nippone, qui peine à domicile à relancer ses centrales face à une opinion publique vent debout contre l’atome civil depuis Fukushima, se frotte les mains en regardant l’eldorado indien.
L’Inde se rapproche des Etats-Unis
Après la signature d’un mémorandum sur l’utilisation pacifique de l’énergie nucléaire, Narendra Modi s’est félicité du pas accompli par le Japon : ≪C’est un symbole brillant d’un nouveau niveau de confiance mutuelle et d’un partenariat stratégique pour la cause d’un monde pacifique et sur. Je sais l’importance de cette décision pour le Japon. Et je vous assure que l’Inde respecte profondément cette décision et honorera nos engagements communs.≫ Cette coopération nucléaire bilatérale serait suspendue si l’Inde se livrait à un nouvel essai nucléaire, le dernier remontant à 1998.
Cet accord va rapprocher l’Inde de l’orbite américaine au moment où rien ni personne ne semble arreter la Chine en mer de Chine méridionale. Celle-ci étend sa toile et bétonne à tout-va sur des récifs coraliens pour installer des bases et des pistes d’atterrissage. Le week-end dernier, New Delhi et Tokyo ont signé plusieurs accords de défense, notamment pour le partage d’informations et de renseignements ainsi que le transfert de technologies militaires. Et ils semblent avoir poursuivi leurs discussions sur l’exportation de l’avion japonais amphibie US-2.
Un TGV vendu
L’autre volet de la visite d’Abe est plus commercial, sans exclure des visées stratégiques. Le Premier ministre a vendu son Shinkansen, le TGV nippon qui pour l’heure n’a séduit que les Taïwanais. Il reliera sur 505 kilomètres les villes de Bombay à Ahmedabad. Projet colossal de 13,5 milliards d’euros, le Shinkansen devrait rouler à partir de 2023 et ouvrir la voie à une modernisation des chemins de fer indiens que Modi veut lancer pour une ≪transformation économique de l’Inde≫. Le Japon, qui accompagnera ce chantier de pret avantageux et d’aides financières, n’est pas mécontent de cette signature. Il y a quelques mois, il avait essuyé un camouflet quand l’Indonésie, en dépit de plusieurs mois de négociations avec Tokyo, avait préféré le train à grande vitesse chinois pour une liaison entre Jakarta et la ville de Bandung, dans l’ouest de l’île de Java. Le Japon avait parlé d’une décision ≪difficile à comprendre≫. Ce week-end, Abe a effacé l’affront avec son grand ami Modi.
Arnaud Vaulerin Correspondant au Japon
フランス語
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プレミアムよるドラマ 仮カレ(7)「突然のプロポーズ」
杏(相武紗季)と日下部(眞島秀和)はホライズン買収を阻止しようと動いていたが、突然ジャングル社長のサクラ(木南晴夏)が両社の合併を成立させ、杏に福岡転勤を持ちかけてきた。退職して日下部と結婚するかどうかを悩む杏は久しぶりに直人(塚本高史)と話すが、あらためて二人の間の溝を感じて切ない気持になる。一方、見合い結婚を進めていた美樹(中越典子)も元婚約者の佐野(田中直樹)から復縁を迫られ悩んでいた。
相武紗季,中越典子,塚本高史,白洲迅,古畑星夏,小宮有紗,我妻三輪子,田中直樹,木南晴夏,眞島秀和,秋山菜津子,中嶋理乃,春海四方,久保酎吉,久保晶
大林利江子



衝撃の事実、そして新しい医療のはじまり ルーン太郎
歯科金属と電磁波の問題。
歯科金属はそれ自体でも体に大きな悪影響を与え問題となっている。体内重金属汚染、口腔内ガルバニー電流である。
しかし、さらに、電磁波の影響を受けて、その影響は著しく増悪するようである。歯科金属がアンテナとして働くのだ。アンテナとして、生活環境中の電磁波のもつエネルギーを受け止めるのである。
歯科金属の問題のうち、重金属汚染は、物質レベルの問題である。その一方で、口腔内ガルバニー電流や電磁波は、人体を流れる気に影響を与えるのではなかろうか。気は電磁波としての一面を持っているからだ。
また、歯のかみ合わせが姿勢はじめ、体に大いなる影響があるというたいへん興味深い事実が示されている。
この事実もまた、歯と経絡、気が関係しているのではないだろうか。噛み合わせが整うと瞬時に姿勢がよくなるのだ。瞬時に気の流れがよくなり、体の諸筋肉の筋力バランスが整うのである。
歯は人体の他の部分と密接な関係があったのだ。
そして、著者は歯科治療にオーリングテストを用いている。
オーリングテストもまた、気の流れの反映かもしれない。体にとってふさわしいものは、それを身に付けただけで瞬時に気の流れを整えよくするのだ。よって、気の流れがよくなれば、おのずとオーリングを作っている指の筋力も増強するのである。
著者が行っている医療は、物質的人体のみならず、気を含めた新しい医療である。
電磁波と健康問題についての名著です。このような大問題を広く世間に知らしめてくれた著者に心より感謝しています。

加藤 やすこ
緑風出版
2015-07


携帯電話やスマホの普及で無線周波数電磁波が急速に増えている。それに伴い、電磁波による健康被害や過敏症などの患者も増え、その対応が急がれている。本書は、電磁波や基地局をめぐる被害の実態や訴訟の動向、病院や交通機関の対応などを被害者の証言を基に明らかにしている。また、世界の電磁波をめぐる対応や研究者の声を紹介、どうすれば発症者も自由に生きられる社会ができるかを提言している。


なんかクタクタです.昨日の疲れが体に染みついているような感じです.なので今日はのんびり仕事をすることにしましょう.
夕方リメデを考えてみました.よくわからないことが多いですね.まずはいろいろ調べることからはじめていきます.

<南三陸病院>医療と福祉の拠点誕生、開業
 宮城県南三陸町が整備を進めてきた南三陸病院が14日、開業した。東日本大震災の津波で全壊した公立志津川病院の業務を引き継ぐとともに、介護や保健分野の総合ケアセンターを併設し、高齢化や人口減が進む地域の復興に欠かせない医療・福祉の拠点となる。
 震災で全壊した岩手、宮城両県の公立病院で、最も早い移転、再建の実現となった。外来診療は16日から受け付ける。
 新病院は防災集団移転事業が進む高台の志津川東地区に完成した。鉄筋一部鉄骨3階、延べ床面積1万2270平方メートルで、内科、外科、小児科など10科の診療を行う。病床数は90で震災前の志津川病院より36減った。
 町は震災後、約35キロ離れた登米市のよねやま診療所の施設を借りて入院患者を、町内の診療所で外来患者を受け入れてきた。14日は入院患者22人を新病院に移す作業が行われ、職員やボランティア約150人が参加。登米市、気仙沼・本吉広域の各消防隊と陸上自衛隊も協力した。
 よねやま診療所では志津川病院の機能を終える閉院式があり、佐藤仁南三陸町長は「4年半、登米市に施設を貸してもらい感謝したい。津波で犠牲になった方々のためにも立派に病院を運営していく」と述べた。
 震災時、5階建ての志津川病院は4階まで浸水し、患者や看護師ら74人が死亡、行方不明になった。


<南三陸病院>医師不足 課題山積の再出発
 東日本大震災から4年9カ月。南三陸町の南三陸病院が14日開業し、地域の医療と福祉の拠点が再出発した。期待を背負う一方で、慢性的なスタッフ不足や人口減に伴う厳しい経営展望など、取り巻く課題は多い。
 医師7人のうち、3人は東北大から派遣を受ける。将来にわたり派遣医師を確保できるかどうかは見通せない。産婦人科と小児科の常勤医師は不在が続く。
 看護師不足はより深刻だ。病床数は閉院する公立志津川病院の38床から90床に増えるものの、スタッフが足りず療養病床は半分しか使えない。看護師や薬剤師、理学療法士を含む15人を募集し、確保を急ぐ。
 町の予測では30年後の入院・外来の患者数は2012年の約6割に落ち込み、赤字額は年1億円を超す見込み。新病院開業まで雇用維持のため支給された国の補助年約2億5000万円は終了、自立した経営の体制づくりは急務だ。
 安定した病院経営を目指し、町は攻めの姿勢を見せる。在宅医療への需要を考慮し療養病床は50床を維持。稼働率を上げるため、医療圏内の大規模病院との機能分担を加速させる。震災前から連携する石巻赤十字病院からは回復期の患者を積極的に受け入れる。
 震災前に休止した人工透析治療は来年1月18日に再開する。現在の週3回から将来は全日稼働とし、40人を受け入れ、町外の患者にも利用を促す構えだ。
 県内最下位の特定健診の受診率(29%=12年)の向上に向け、併設する総合ケアセンターとともに、広く受診を呼び掛けていく。


<南三陸病院>地域包括ケア担う
 宮城県南三陸町が整備を進めてきた南三陸病院が14日、開業した。東日本大震災の津波で全壊した公立志津川病院の業務を引き継ぐとともに、介護や保健分野の総合ケアセンターを併設し、高齢化や人口減が進む地域の復興に欠かせない医療・福祉の拠点となる。開業した南三陸病院の特徴と課題を桜田正寿院長に聞いた。(聞き手は南三陸支局・古賀佑美)
 −新病院の特徴は何か。
 併設する総合ケアセンターと連携した地域包括ケアだ。患者が在宅医療、訪問看護、療養病床を行き来できる境目のない地域医療を目指す。
 寝たきりの高齢者が増え療養病床の需要は間違いなく高まる。行き場所がない患者を積極的に受け入れる。高度医療を担う石巻赤十字病院とタイアップし機能分担することが最重要だ。
 −震災前に休止した人工透析治療を再開させた。
 透析の民間医院が津波で被災した。透析は直接命に関わるため、必要度合いが高い。医師確保は難航したが、私が外科と並行して担当する。登米市から医師が週1回応援に来る。将来は入院透析も考える。
 −不足する医療スタッフの確保策はあるか。
 東北大に厳しい状況を説明し、派遣を続ける交渉を維持してもらうしかない。震災後、町外に出向中の看護師が新年度に戻る予定だが、それでも10人程度足りない。
 三陸自動車道が来年には町に延び、仙台市から1時間と通勤圏内になる。都会に住みながら病院勤務も可能だ。
 −病院再建が古里に戻る後押しになっている。
 復興のシンボルと言われるが、喜んでばかりはいられない。住宅再建の完了はまだ先の話。実際に町民がどれほど戻ってくるかは分からない。これからが本当の始まりだ。


<被災地の教師たち>子どもと一緒に成長
◎(5完)歩む/東松島市宮戸小教諭 小鹿朝絵さん
<ありのままに>
 宮城県東松島市宮戸島は石巻湾、松島湾に臨み、東日本大震災で大きな被害を受けた。島唯一の学校、宮戸小の教室で10日、教諭小鹿朝絵さん(24)が担任の5年生4人、6年生3人と膝を突き合わせ、模造紙を囲む。
 「何について伝えたいか書いてよ」「先生、写真は1枚でいいですか?」
 スマトラ沖地震(2004年)の津波で被災したインドネシア・バンダアチェの小学生に送る。津波被災地を結ぶ交流活動の一環だ。互いの文化や風習、生き方などを学び、未来を切り開く力を育む。
 5年生山内琴叶(ことな)さん(11)は「海山が周りにある事」を伝える。「宮戸は自然に囲まれているところが好き。アチェのいいところも知りたい」と返事を心待ちにする。
 宮戸にもバンダアチェにも大切な家族を津波で亡くした子どもがいる。
 震災から4年9カ月。幼かった宮戸の子どもも時を刻み、成長する。時折、震災当時の状況を口にすることがある。「山に登って小学校に行ったんだよ」「友達と一緒に逃げたんだ」
 小鹿さんはじっと耳を傾ける。「だんだん震災と向き合うようになってきた」と胸中を察する。その過程をありのままに受け止めよう、と温かく見守る。
 青森県に生まれ、小学校教諭の両親の背中を見て育った。小学生の時、父が勤務先の子どもから「先生、先生」と慕われる姿を見て、教師に憧れた。
<恐る恐る一歩>
 宮城県内の大学を卒業後の14年春、被災地の宮戸小で教員の道を歩み始めた。「子どもに好かれる先生になりたい」。描いていた理想像があった。
 初年度は2年生を受け持った。初任の学校、震災の記憶を秘めた子どもたち…。教師として恐る恐る踏み出した一歩。子どもの様子で気になることがあっても、怒ることができなかった。2学期。教室に落ち着きがなくなってきた。
 「先生に向いていないのかな」。心が揺らいだ。「思った通りにやっていいんだよ」。ベテランの先生の励ましが支えになった。父は「悩むのは当然だ」と言う。「子どもの本音を受け止めてほしい」と望む保護者もいる。
 小鹿さんは葛藤の末、気付いた。子どもと正面から向き合ってこそ信頼を得られる、と。叱るときは叱り、後に優しく接する。その姿勢は被災地でも、被災地でなくても同じだ。
<経験 貴重な糧>
 児童18人が通う学びやは本年度で閉校し、142年の歴史に幕を閉じる。小学校は復興途上にある島の人々の心のよりどころになってきた。
 10月にあった最後の学芸会。終盤、児童と保護者、宮戸小出身の住民ら約70人が、全員で「ふるさと」と校歌を合唱した。会場のあちこちで涙がこぼれた。ピアノを弾いた小鹿さんは一体感に胸を打たれた。
 残された時間も大切に過ごそう。被災地の小さな学校での経験を糧に成長していきたい。そう心に誓う。(石巻総局・水野良将)


<もう一度会いたい>なぜ川に向かったか
◎(11)遺族の疑念晴れず
 「顔がふぐれ、唇を青ぐはらした子どもの顔、見だごどあんのが」
 初回は市教委に対する遺族の怒号で対話にならなかった。
 2011年4月9日。宮城県石巻市大川小第1回保護者説明会。震災から30日目。
 津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明になった。今野浩行さん(53)の長男で6年の大輔君=当時(12)=も命を落とす。
 説明会に校長がいた。
 震災の日は娘の卒業式で午後に休みを取って不在だった。
 学校の被災現場に戻ったのは6日後だ。
 遺族は震災翌日から現場に入って捜索している。水の入り込んだ長靴をガッポガッポさせながら。
 責任者の緩慢な対応は遺族には「他人の子としか思っていない」と映った。
<打ち切りに>
 第2回説明会。
 亀山紘市長が犠牲者の多さに「自然災害における宿命」と発言した。
 浩行さんは耳を疑う。
 「無神経」
 遺族席から声が上がる。
 市教委は説明会を1時間で打ち切り、遺族の制止を振り切って退出した。「今後の開催予定はない」と一方的に終結宣言する。
 地震の時、学校は「帰りの会」をしていた。
 「起立」「注目」「さようなら」の号令中に揺れだす。「さようなら」が言えなかった。
 児童は校庭に集められた。親が引き取りに来た子を除く78人が残る。先生は教頭以下11人で対応した。
 防災無線が「大津波警報発令。海岸、河川堤防に近づかないで」と警告する。ラジオが「予想津波高6〜10メートル」と警戒を促す。広報車が避難を呼び掛ける。
 校庭の集団は動かない。
 学校は北上川の脇にある。津波が川をさかのぼろうとしていた。
 校庭の裏に山がある。傾斜が緩く、低学年生でも登れる。体験学習のシイタケ栽培の場で、足を踏み入れることに抵抗感はない。
 47分経過。集団が動きだす。津波襲来まで4分を切っていた。
 川に向かった。
 山ではない。
 先生は「三角地帯」を目指して引率した。橋のたもとにある三角形の緩衝帯だ。校庭より高いが、差は5メートルにすぎない。
 津波が堤防を越えた。
 人の列をのみ込む。
 児童4人と教師1人。生存者はこれだけだった。
 真相を知りたい。
 約50分間、なぜ校庭にとどまったのか。
 なぜ川に向かったのか。
<たった1分>
 「大ちゃんは先生に『山さ逃げよう』と訴えていた」
 浩行さんは生き残った児童から直接聞いている。
 息子のアピールはあだ花に終わった。
 この児童は市教委の聞き取りにも同じ証言をした。
 市教委の示した聴取記録にその記述はなかった。
 下書きのメモは廃棄されていた。記録の正確性を確かめる手段を失う。
 唯一の生存教師は説明会で山に逃げなかった理由を「木が倒れて危険だった」と述べた。実際は倒木はなく、事実と食い違う。
 説明会は遺族の求めで再開された。市教委は津波の予見可能性を否定し、議論は平行線が続く。
 翌年8月、市教委は現場検証を実施した。避難経路が初めて特定される。
 距離180メートル。
 時間にして1分。
 50分かけてそれっぽっちしか避難できなかった。
 それを市教委が認めるまで1年5カ月かかった。


<原子力PR看板>21日に撤去開始
 東京電力福島第1原発が立地し、原発事故で大半が帰還困難区域となった福島県双葉町は、町内2カ所に設置されている原子力PR看板の撤去を21日に始める。工期は来年1月10日まで。看板には「原子力豊かな社会とまちづくり」などの標語が記されており、原発との共生を目指した町の象徴が消える。
 双葉町はことし3月、老朽化を理由に看板の完全撤去を表明。小学生のときに、標語の一つ「原子力明るい未来のエネルギー」を考案した大沼勇治さん(39)が「負の遺産」として現地保存を求める署名を提出したため、将来的な展示も視野に復元可能な形で撤去する方法に転換した。
 21日は国道6号に面した町体育館前の看板(1988年設置)撤去に着手。数日で終える。町役場入り口の看板(91年設置)撤去は年明けの予定。いずれも解体して町役場の倉庫に保管する。撤去費用は540万円。


新基地阻止へ結集 「オール沖縄会議」発足に1300人
 名護市辺野古への新基地建設阻止に向け、政党や市民団体、経済界など幅広い団体を網羅する新組織「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が14日、発足した。新基地建設をめぐって政府と県が法廷闘争に入る中、これまでの運動に関わってきたさまざまな組織を結集、体系化し、幅広い枠組みで新基地阻止に向けた新たなうねりをつくり出す。
 同日午後6時半、宜野湾市の沖縄コンベンションセンター劇場棟で開かれた結成大会に1300人(主催者発表)が集まり、稲嶺進名護市長、高里鈴代島ぐるみ会議共同代表、呉屋守将金秀グループ会長の3氏が共同代表に就任した。稲嶺氏は「この大衆運動こそが一番大きな力になる」と新組織発足の意義を強調し、高里氏は「新たな出発点に立ち、命と人権を守る闘いをともに頑張ろう」と決意を述べた。
 大会に駆け付けた翁長雄志知事は「これからの闘いに大きな展望を開くものだ。未来の子どもたちに責任世代の姿を見せることで、子や孫が21世紀の沖縄を切り開く」と呼び掛けた。
 新組織は垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備撤回や米軍普天間飛行場の県内移設断念などを求めた「建白書」の精神を引き継ぎ、辺野古新基地阻止に向けた運動を展開する。
 辺野古で続く抗議行動の支援や県民集会の開催、署名活動などの取り組みを強化するほか、全国集会への派遣や意見広告などを通じ、国内外でも世論喚起を図る。「オール沖縄会議」は島ぐるみ会議などの市民団体や労働団体、政党など22団体と各市町村組織で決定機関となる幹事会を構成する。


[解説] オール沖縄迅速な運動展開へ 辺野古本格工事に危機感
 「オール沖縄会議」は名護市辺野古の新基地建設に反対する政党、市民団体、労働組合、企業が一体となり大衆運動や世論喚起を目的とした組織として発足した。沖縄戦後に土地の強制接収に反対した「島ぐるみ闘争」、米軍統治から脱する「本土復帰闘争」の二つの保守・革新を問わない大規模な大衆運動に続き、「反辺野古」のうねりを国内外に広げる狙いがある。
 会議発足の背景には、現地辺野古で500日を超える座り込みの抗議行動を続ける市民の声があった。抗議行動は組織の異なる平和・市民団体が連携しているが、参加人数は日によって数十〜数百人とばらつきがある。10月に本体工事の関連作業が本格化したことで危機感を強めた市民からは、各組織を包括した枠組みで抗議参加人数を曜日ごとに割り振るなど計画的な運動を展開したいとの意見が上がり、賛同した県議らが新組織の準備を進めた。
 会議設置のメリットは現場での抗議運動の充実に限らず、大規模集会の迅速な開会も挙げられる。今年5月に翁長雄志知事を含む3万5千人が参加した県民大会の実行委員会はオール沖縄会議の構成団体とほぼ同じ顔ぶれ。1回限りの実行委ではなく、組織を常設することで通常は数カ月かかる大規模集会の準備を短縮し、時宜を得た運動の展開が可能となりそうだ。
 一方で、一部の市民や議員からは、辺野古までのバスの毎日の運行や知事の国連演説を後押しした「島ぐるみ会議」など既存の組織があるとして「屋上屋を架すようだ」など、新組織の形骸化を懸念する声も上がる。オール沖縄会議には島ぐるみ会議も包括されてはいるものの、組織規模が大きくなるほど意思決定に時間を要するなど「弱点」も予想される。辺野古阻止を実現するには、戦略を立てた上での明確な取り組みが求められる。(政経部・銘苅一哲)


袖の振り方
 事始めから初詣、成人式とあでやかな着物は冬枯れの街を華やかに彩る。若い女性の晴れ着として定着している振り袖は、もともと男女問わず両袖脇が開いた子ども着だったという▼暑さから体温を逃す配慮だと近松門左衛門も文楽で触れたが、その江戸期に袖が徐々に延び、男女の愛情表現に用いられた。乙女は揺らして独身をアピールし、振り方で求愛に受け答えしたのが「振る」「振られる」の語源らしい▼こちらはつれない態度を一転させた。消費税の軽減税率導入で、安倍晋三首相は当初「無い袖は振れぬ」としていたが、公明党案をのんで対象を飲食料品全般に広げた与党合意を「最善の結果」と歓迎した▼来夏の参院選で勝つため袖を分かつまいと官邸が主導したとされる。抵抗していた自民党側も財源問題を先送りし、業者受けを狙って外食への拡大を一時持ちかけた。政治の軽さにあきれる▼首相は無いはずの袖を専ら経済界に振り、好循環のためと賃上げ、設備投資を促すが生返事。それでも求められるままに法人税減税や自動車税制の優遇に前のめりだ▼どうみても多額の政治献金をする余裕のある業界や企業の恩恵が大きい。政権の袖に入る献金の重みが影響していると思いたくないが、消費税も政党活動も支える国民を袖にしては困る。

温暖化対策パリ協定 地球規模で合意実行を
 人類の未来を守るために、国際社会が歴史的な合意にたどり着いた。
 パリで開かれていた国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)は、2020年以降の温室効果ガス排出削減の新枠組みを定めた「パリ協定」を採択し、閉幕した。地球温暖化を食い止めるにはまだ不十分だが、2大排出国の米国や中国を含むすべての国が参加する合意となったことを歓迎する。化石燃料に依存する現代文明からの転換点となることを期待したい。
すべての国参加に意義
 パリ協定では、気候変動枠組み条約に加盟する196カ国・地域すべてが、各国の状況に応じて自主的削減目標を策定し、国内対策を実施することを義務づけた。温暖化の悪影響を避けるため、産業革命前からの気温上昇を2度未満に抑えることを目的に明記し、1.5度未満に収まるよう努力することを併記した。
 世界全体の温室効果ガス排出量をできるだけ早く頭打ちにし、今世紀後半には実質ゼロにすることも掲げた。各国は国連に提出した削減目標を5年ごとに見直し、世界全体の進捗(しんちょく)状況を検証する義務を負う。
 こうした規定により、ひとまずは、世界全体で温暖化対策に取り組む道筋ができたといえる。
 1997年採択の京都議定書は、先進国にのみ温室効果ガスの排出削減を義務づけた。「温暖化の責任は先進国にある」とする途上国の主張を反映した結果だが、米国は経済を損なうとして途中から離脱した。
 一方で、中国やインドなどの排出は急拡大し、議定書は実効性を失っていた。
 しかし、温暖化の脅威は人類にとって共通の課題であり、特定の国の努力だけでは解決できない。京都議定書で見られた、先進国と途上国で取り組みを分ける単純な二分論を排し、全員参加型の枠組みとなった点にパリ協定最大の意義がある。
 パリで起きた同時多発テロは温暖化対策でも世界の団結を促した。オランド仏大統領が「テロとの戦いと温暖化との戦いを分けることはできない」と訴えた通り、温暖化がもたらす異常気象や自然災害は貧困層を直撃する。それが難民や紛争発生につながり、テロの温床となる。そうした認識を世界が共有できた。
 途上国の参加を促すため、先進国も譲歩した。温暖化の被害軽減に向けた世界目標を設定することを約束し、先進国から途上国への資金支援義務化も協定に盛り込んだ。
 最後までもめたのは、資金支援の規模だった。先進国は、途上国が求める具体的な金額の設定には反対した。将来の財政支出を縛られることを嫌ったためだ。結局、数値目標はパリ協定に盛り込まず、法的拘束力のない別の文書に「年1000億ドルを下限に、新しい数値目標を25年までに設定する」ことを書き込んだ。
 議長国フランスの巧みな折衷案だったが、支援が滞れば途上国が反発することは確実で、先進国の今後の対応が問われる。中国など一定の経済力を持つ新興国も、支援への積極的な貢献が必要だ。
 COP21期間中、世界の主要企業のリーダーたちは、こぞって自社の大胆な排出削減計画を表明した。パリ協定採択を契機に、多くの世界企業が、脱炭素社会への移行へ向けた活動へとかじを切るはずだ。
日本は再エネ拡大急げ
 残念なのは、米国や中国への配慮で、各国が掲げる削減目標の達成自体は義務化されなかったことだ。
 米議会は温暖化対策に消極的な野党・共和党優位で、オバマ米大統領は、議会に諮らず批准できる緩い内容を探った。いまだに、途上国の立場を強調する中国も義務化には反対だった。
 180を超す国・地域が国連に削減目標を提出したが、国際機関の分析では、各国が約束を守っても「2度」目標は達成できない。各国が連携し、地球規模で削減目標を高めていかなければ、温暖化の危機は回避できない。特に米中の責任は重い。
 当面は、協定を早期に発効させ、削減目標の達成状況を5年ごとに検証する制度を効果的に運用していくべきだ。
 日本政府は、温室効果ガスの排出量を30年までに13年比で26%削減する目標を国連に提出した。安倍晋三首相はCOP21で、目標の着実な実施や途上国への資金支援の拡大などを約束した。政府は今後、パリ協定批准に向けて、削減目標達成の具体策を示す地球温暖化対策計画を新たに策定する。
 化石燃料に依存しないエネルギーシステムの構築は、日本にとっても技術開発のチャンスであり、経済面からも環境面からも重要だ。
 対策計画の策定に際しては、パリ協定が掲げた「今世紀後半の排出量実質ゼロ」に沿い、脱炭素化を見据えた長期的な視点での対策が求められる。国内対策を強化してこそ、国際交渉での発言力も増す。
 まずは、再生可能エネルギーと省エネの一層の拡大に力を注ぐべきだ。安倍政権は、原発再稼働路線を進めているが、脱原発依存と環境対策の両立を図ることが、福島第1原発事故を経験した国としての責務である。


温暖化対策パリ協定 さあ、舞台は整った
 京都議定書に代わる二〇二〇年からの温暖化対策ルール、「パリ協定」が難産の末採択された。さあ、世界共通の舞台はできた。本番は、これからだ。
 COP21の開会直前、国連世界気象機関(WMO)は、今年は世界の平均気温が過去最高になり、来年はさらに上昇するとの見通しを公表した。
 今年一月から十月までの地上の平均気温は、産業革命以前の一八八〇年から九九年の平均よりも、すでに一度高いという。
 会議最終日になるはずだった十一日、日本には台風並みの低気圧が接近し、何かを暗示するように“真冬の嵐”が吹き荒れた。
 その日三重県では、史上初めて、十二月の「夏日」を記録した。
◆異変はもう起きている
 事ここに至ればもう誰も、気象異変を疑うまい。そして、その要因が人間の営みにあることも。
 国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の最新の報告は、地球の平均気温は二一〇〇年までに最大五・四度上昇すると、警告を発している。
 それをひとまず二度まで抑えよう、抑えなければならないという、国際社会の合意はすでにできていた。「二度以上」の世界で、人はまともに生きられない。
 殺人的な熱波や干ばつ、洪水や感染症の被害がまん延する社会になる。欧米などの先進国も、例外ではあり得ない。
 それもすでに始まっている。
 米フロリダ半島沿岸にあるケネディ宇宙センター。スペースシャトル打ち上げの舞台になった最新の科学の拠点が、温暖化による海面上昇で、水没の危機にある。
 仏ボルドーでは今年、ブドウの収穫が例年より半月以上早まった。温暖化がこのまま進めば、世界の主要産地の最大約七割が、ワイン造りに適さなくなるという。
 私たちはすでに、歴史的な常識が通用しない世界に足を踏み入れていた。
◆米中がリードした
 米国は世界第二位の温室効果ガス排出国。欧州連合(EU)は第三の排出地域である。
 世界一の排出国、中国の首都北京には七日、最悪の大気汚染を表す「赤色警報」が発令された。
 目に見える黄色い大気汚染とともに、目には見えない温室効果ガスの脅威が忍び寄る。このままではいけないと、米国も中国も、先進国も途上国も、共通だが差異ある不安を感じていたに違いない。
 だからこそ、条約に参加する百九十六カ国・地域のほとんどが、温室効果ガスの削減目標を携えて会議に臨んでいたのである。
 南北共通の危機感を背景に、パリ協定は何とか採択された。京都議定書は先進国だけに対策義務を課していた。温暖化という共通の課題に向けて、五年後に、世界は初めて同じ舞台に立つ。
 パリ会議は歴史的な成果を挙げたと言えるだろう。
 気温上昇二度未満、できれば一・五度に抑えるという当面のゴールをめざし、国連に提示した自主目標の達成に、それぞれ挑む。「今世紀後半までに温室効果ガス排出ゼロ」も盛り込んだ。
 だが、とりあえず舞台ができただけである。本番はこれからだ。
 自主目標がすべて達成されたとしても、二一〇〇年までに、地球の気温は三度近くも上がると言われている。各国の“野心”を早く大きく引き上げないと、人類の未来はひらけない。
 パリ会議はもう一つ、大きな変化を国際社会に実感させた。
 旧来の交渉では、石油や石炭の消費を抑制されるのは、“損”だと考えられてきた。
 ところが今や、風力や太陽光など再生可能エネルギーの価格が大きく下がり、早く再エネに切り替えて脱炭素社会を築いた方が、経済的にも“得”になるという考え方が主流になってきた。
 各国の自主目標にも、それが反映されている。
 その点日本は対応が鈍すぎる。
 会議に参加した国際環境NGOの間では、パリ会議における日本の存在感は“薄い”ではなく“ない”との評価も聞こえてきた。
 先進国の責任を厳しく追及し、交渉の進展を阻んだインドさえ、自主目標を達成するため、水力を含む「非化石エネルギー」の割合を発電量の四割に増やすという。
◆再エネの風に乗らねば
 石炭火力や原発に執着し、再生エネ導入に消極的な日本は、世界から温暖化にも後ろ向き、危機感の薄い国だと見られている。
 平均気温が四度上がると、東京、大阪、名古屋だけでも千七百万人以上の居住地域が、海面下に沈むという研究成果もある。
 時代は変わった。
 脱化石燃料、再エネ導入の流れにまず乗らないと、日本はスタートダッシュで出遅れる。


袴田巌さん釈放後の1年4カ月間に密着 映画が完成
 静岡県清水市(現静岡市清水区)で1966年に一家4人を殺害したとして死刑判決が確定後、静岡地裁の再審開始決定で約48年ぶりに釈放された袴田巌さん(79)の日常生活を記録したドキュメンタリー映画「袴田巌 夢の間の世の中」(119分)が完成した。
 演出家出身で、再審請求中の狭山事件を扱った映画「SAYAMA」でも知られる金聖雄さん(52)が監督。袴田さんの釈放から1カ月たった2014年4月から今年8月まで、撮影時間は約200時間に及んだ。
 死刑囚として長期間拘束されたことの影響とみられるちぐはぐな言動をそのまま映し出した。金監督は「死刑の恐怖がどんな影響を及ぼすのかありのまま伝え、人生の尊さを訴えたい」と話している。
 事件を振り返る様子や一緒に暮らす姉秀子さん(82)とのやりとりを静かなタッチで記録。元プロボクサーとして試合を論評したり、支援者と将棋に興じたりするほほ笑ましい場面もある。
 タイトルは東京拘置所にいたころに袴田さんが知人に宛てた手紙の一文を引用。金監督は「釈放後も現実をさまよっているような袴田さんのイメージに当てはまった」と説明する。
 今月以降、試写会を開き、来年春から全国で劇場公開する予定。金監督は「袴田さんは残酷な運命を受け入れ、ゆっくりだが、前を向いて生きている。希望を感じ取ってほしい」と話している。


<最終処分場>国への不信感あらわ
 「失望した」「何のための会議か」。東京電力福島第1原発事故に伴う指定廃棄物の最終処分場建設への理解と協力を求め、環境省が13日に開いた宮城県内の市町村長会議。出席した首長らは一時保管の廃棄物処分が進まない現状に、同省への不信感をあらわにした。
 「本来なら、この会議は詳細調査の結果が発表される場のはずだった。問題解決に向けた国のリーダーシップが感じられない」
 村井嘉浩知事が環境省批判の先鞭(せんべん)を付けると、候補地の一つ、栗原市の佐藤勇市長が「断腸の思いで調査を受け入れたのに、環境省は(候補地選定から)2年間何もしてこなかった」と続いた。
 同市と共に3候補地同時実施を条件に調査を受け入れた大和町。浅野元・町長は「先が見通せない中で候補地とされ続けるのは限界だ。進展がなかったことに失望している」と語った。
 調査受け入れを一貫して拒否し続けた加美町の猪股洋文町長は「環境省の候補地選定方法は乱暴」との持論を展開した。町が作った資料を振りかざし、福島県飯舘村の仮設焼却施設で処分する案を説明した。
 放射性物質を含む指定廃棄物の一時保管を農家らに要請している首長らも不満をぶつけた。
 県内最多の2235トンの汚染稲わらを一時保管する登米市。布施孝尚市長は「国が指定廃棄物処理に本気で向き合っているのかどうか疑問だ。住民は『廃棄物が放置され続けてしまうのでは』と不安を募らせている」と指摘。白石市の風間康静市長は「国を信じてきたが、環境省は保管場所にも足を運ばず、人ごとのようだ」と語気を強めた。
 市町村長会議は2012年10月に始まり、今回で8回目。大崎市の伊藤康志市長は「会議で意見を積み上げてきた意味がなかった。むなしさを感じる。プロセスを壊してしまった自覚はあるのか」と迫った。
 「展望が見えない。処分場問題にこれだけ時間をかけては解決は困難」。南三陸町の佐藤仁町長は後手に回った国の対応をやり玉に挙げた。女川町の須田善明町長は「問題解決に向けた国の方針が全く示されていない。何のための会議なのか」と疑問を投げ掛けた。
 会議終了後、仙台市の奧山恵美子市長は「首長の切実な思いに環境省は何も答えてなく、多くの首長が時間を割いた重みを感じていない。前進が見られない会議だった」と総括した。


<最終処分場>加美町長、福島集約を提案
 東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の最終処分場建設問題で、環境省は13日、8回目となる宮城県内の市町村長会議を仙台市で開いた。県内候補地の栗原、大和、加美の3市町長がそろって候補地を返上する意向を表明。井上信治副大臣は従来通り3カ所で現地調査を進める方針を繰り返し、事態打開の道筋は見いだせなかった。
 井上氏は加美町で反対運動に遭い、現地調査に2年連続で着手できなかった経緯を説明。「一刻も早い処理のため長期管理施設は不可欠で、国が責任を持って処理する」と語った。
 3市町長は「これ以上我慢できない」(佐藤勇栗原市長)「現地調査に全く進展がなく、失望した」(浅野元・大和町長)などと反発。それぞれ「候補地を返上する」と表明した。
 猪股洋文加美町長は白紙撤回を求めた上で、福島県飯舘村の仮設焼却施設での集約処理を提案。「国に政治力を発揮してほしい」などと話した。
 井上氏は「積み重ねてきた方針を貫きたい。前に進むために何をするか検討する」と答えた。福島集約については会議後の記者会見で「(福島側の)理解が得られない」と否定した。
 出席した首長からは村井嘉浩知事に対し、県主催の市町村長会議を開くよう求める声が出た。村井知事は「何も見えない状況で議論してもまとまらない」として、今回の会議を踏まえた環境省の回答を待って招集する考えを示した。
 会議には35市町村のうち33市町村長が出席。1キログラム当たり8000ベクレル超の放射性物質を含む指定廃棄物は県内に約3400トンあり、農家などが一時保管している。


「放送法の解釈がでたらめだ」学者らがテレビ報道に対する「政治介入」を批判
テレビ報道と政治介入の問題をめぐり、ジャーナリストと学者が12月15日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開いて、政治家による「放送法」の解釈を批判し、言論・表現の自由を守ることを訴えるアピール文を発表した。
この日の会見には、ジャーナリストの坂本衛氏と綿井健陽氏、立教大学社会学部准教授の砂川浩慶氏が登壇した。アピール文には、映画監督やジャーナリスト、大学教授ら約40人が賛同署名をおこなっている(12月15日段階)。
●「政府・与党を刺激する内容を避けることが浸透している」
メディアを研究している砂川氏は会見で、政権与党の幹部が、昨年12月の総選挙の際にテレビ局幹部を呼びつけて「公平中立」の報道を要請したり、今年4月に個別の番組の放送内容を問題として説明を求めたことを例にあげながら、「民主主義国家ではありえないことがおこなわれている」と指摘。「政権には、言論・表現の自由の重要性を理解してほしい」と訴えた。
坂本氏は、さまざまな意見を読者・視聴者に紹介することなど、民主主義社会におけるメディアの役割を強調。そのうえで、「人々の不可欠な道具を規制するのが間違い。しかも(政権側は)多様な意見を奪ったり、規制をかけるときの根拠として『放送法』をあげているが、その解釈がでたらめだ」と述べた。
ジャーナリストとして、報道映像の制作などに関わっている綿井氏は、報道の現場の実情を紹介した。「だんだんと政府・与党を刺激する内容を避けることが浸透している」「自主規制や忖度(そんたく)などが、制作者の中で定着し、(政権側から)いつでも簡単に操作できるような状態に少しずつなっている」と話した。
この日の会見で、坂本氏によって読み上げられたアピール文は以下のとおり
●放送法の誤った解釈を正し、言論・表現の自由を守ることを呼びかけるアピール
テレビ放送に対する政治・行政の乱暴で根拠のない圧力が目に余ります。
自民党筆頭副幹事長らによる在京テレビ報道局長への公平中立の要請、総務大臣によるNHK『クローズアップ現代』への厳重注意、自民党情報通信調査会によるNHK経営幹部の事情聴取、同党勉強会で相次いだ『マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけよう』といった政治家の発言、政治・行政圧力を批判したBPOの意見書を真摯に受け止めない安倍晋三首相、菅義偉官房長官、谷垣禎一自民党幹事長の発言など。
こうした政治・行政のテレビ放送に対する圧力が、テレビ報道を萎縮させて、人々に多様なものの見方を伝えるテレビという表現の場を狭め、日本の言論・表現の自由を著しく損なっていると私たちは考えます。
とくに政治家や行政責任者が、日本の放送を規定する『放送法』の趣旨や意義を正しく理解できず、誤った条文解釈に基づく行動や発言を繰り返していることは大問題です。放送法は第一条で、放送全体の不偏不党、真実、自律を保障することを公権力に求め、政治・行政の放送への介入を戒めています。
放送法は放送による表現の自由を確保することを目的とする法律であり、不偏不党や中立を放送局に求めてはいません。放送法第四条一項二の『政治的な公平』を番組ごとに要求したり、ある番組を放送法第四条違反と決めつけたりすることことはまったくの誤りで、首相の一方的な主張を伝える番組、ある法律に反対するキャスターを一方的に伝える番組、どちらもテレビに存在してよいのです。
その一方だけを放送法違反として排除するのはおろかです。およそ先進的な民主主義国では考えられないマスメディアへの介入によって、自由な民主主義社会を危うくしてはなりません。政治家や行政責任者には、表現の自由を謳う放送法を正しく解釈して、尊重し、テレビ放送への乱暴で根拠のない圧力を抑制することを強く求めます。政治家や行政責任者は放送が伝える人々の多様な声に耳を傾け、放送を通じて、政策を堂々と議論すべきです。
テレビやラジオには、表現の自由を謳う放送法を尊重して、自らを厳しく律し、言論・報道機関の原点に立ち戻って、民主主義を貫く報道をすることを強く求めます。放送局は圧力を恐れず、忖度や自主規制を退け、必要な議論や批判を堂々と伝えるべきです。
私たちは放送法の誤った解釈を正し、言論・表現の自由を守ることを呼びかけるアピールを通じて、問題の所在を内外のマスメディアに広く訴え、メディア関係者のみならず、多くの人びとに言論・表現の自由について真剣に考え、議論をしてほしいと願っています。
●賛同人
松本功 ひつじ書房編集長
マッド・アマノ パロディスト
岩崎貞明 『放送レポート』編集長
是枝裕和 映画監督
小田桐誠 ジャーナリスト
篠田博之 『創』編集長
柴山哲也 ジャーナリスト
上滝徹也 日本大学名誉教授
桧山珠美 フリーライター
田中秋夫 放送人の会理事/日本大学藝術学部放送学科講師
高橋秀樹 日本放送協会・常務理事/メディアゴン・主筆/日本マス・コミュニケーション学会
ジャン・ユンカーマン ドキュメンタリー映画監督/早稲田大学招聘研究員
壱岐一郎 元沖縄大学教授/九州朝日放送
永田浩三 ジャーナリスト/武蔵大学教授
古川柳子 明治学院大学文学部芸術学科教授
真々田弘 テレビ屋
岡室美奈子 早稲田大学教授/演劇博物館館長
隅井孝雄 ジャーナリスト
小玉美意子 武蔵大学名誉教授/メディア研究者
川喜田尚 大正大学表現学部教授
諸橋泰樹 フェリス女学院大学教員
高瀬毅 ノンフィクション作家
中村登紀夫 日本記者クラブ/放送批評懇談会/日本民放クラブ/日本エッセイスト・クラブ
大橋和実 日本大学藝術学部放送学科助手
藤田真文 法政大学社会学部メディア社会学科教授
兼高聖雄 日本大学藝術学部教授
石丸次郎 ジャーナリスト/アジアプレス
田島泰彦 上智大学教授
白石草 OurPlanetTV
小林潤一郎 編集者/文筆業
須藤春夫 法政大学名誉教授
谷口和巳 編集者
茅原良平 日本大学藝術学部放送学科専任講師
海南友子 ドキュメンタリー映画監督
野中章弘 ジャーナリスト/早稲田大学教員
鎌内啓子 むさしのFM市民の会運営委員
豊田直巳 フォトジャーナリスト/映画『遺言〜原発さえなければ』共同監督
碓井広義 上智大学文学部新聞学科教授
八田静輔 民放労連北陸信越地方連合会元委員長


【貧困の現場から】(1) 母と子3人、所持金200円
 街がイルミネーションで彩られ始めた11月中旬の夜。九州のある街で、母の梓(42)と小学6年の美雪(12)、小3の直樹(9)、小2の沙織(8)=いずれも仮名=の3きょうだいが「子ども食堂」ののれんをくぐった。
 入るとき梓は少しうつむいていた。子どもたちを「ただで食べられるレストランがあるんだ。ママも料理作らなくて楽だから行こう」と連れ出した。「家が貧乏だと思われたくない」から、ごまかした。子どもたちは、食堂の和室に座ると「レストランじゃないじゃん」と口をそろえた。
 でも、ミンチカツの載ったカレーライスとナシが運ばれると、子どもたちは「すごーい、ナシだよ。カレーだよ」と声を上ずらせた。無言でカレーをかき込み、カチカチとスプーンが皿に当たる音が響いた。
 元気な声で「おかわり!」。美雪は3杯、直樹も2杯をたいらげた。「おなか、ぺこぺこで来たんです」と梓は涙声になった。
 来たときは緊張した様子だった子どもたち。カレーを食べ終わると、沙織が「しちろく しじゅうに」と学校で習ったばかりの九九を唱え始め、みんなの笑い声が上がった。久しぶりのだんらん。「おなかも心も満たしてもらった」と梓は感謝した。
   □    □  
 夫とは数年前に離婚。パート従業員としてスーパーで働き、賞味期限が切れた食品をもらっていたため、食べるものには困らなかった。
 ところが夏にスーパーが突然閉店し、働き口を失った。貯金もなく、月に16万円あった収入は10万円程度の失業保険だけになった。
 就学援助を受けて小学校の給食費は免除されているが、アパートの家賃に光熱費、持病を抱える子どもの通院代などの支払いは待ってくれない。豆腐ばかりの鍋やキャベツの千切りで我慢し、食費を節約してぎりぎりの生活を続ける。
 子どもたちは、給食以外に食べ物を口にできない日もあり、「おなか減ったよ」と繰り返した。
 そんな時、インターネットで子ども食堂の取り組みを紹介する本紙の記事を読み、「自宅近くにもないか」と探して見つかった。すがる思いで運営者にメールを送った。「財布に小銭しかなく、悩んでいます。子どもたちだけでもご飯を食べさせてください」
 初めて子ども食堂に来た日、梓の財布には200円ほどしか入っていなかった。
   □    □   
 「またレストランに行こうね」「今度はどんなごちそうが出るのかな」。子どもたちも食堂を気に入った。あれから何度か通い、古米をリュックサックいっぱいに詰めてもらったこともあった。美雪が熱を出して寝込んだ時は、家で雑炊を食べさせることができた。
 だが、失業保険はあと数カ月で切れる。来年、美雪は中学生になり学費もかさむ。せめて高校までは行かせたい。美雪と直樹が夢中になっているサッカーも月に4千円ほどかかるが、続けさせてあげたい。
 ハローワークで再就職先を探す日々。子育ての制約があり条件がなかなか合わない。ほかの公的支援が受けられないか福祉関係者に相談しながら、なるべく早く生活を立て直したいと思っている。
 「子ども食堂に偶然出合えて、ありがたい。生活が安定したら私が子ども食堂に寄付して支えたい」
 この子ども食堂が開かれるのは週に1度。梓のような親子のほか、住む家がない少女、子どもたちだけで暮らす少年たちが訪れ、寄る辺ない生活の中でひととき、空腹を満たす。

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Fig05

Après le deuxième tour des élections régionales
Bien qu’en situation de l’emporter dans au moins trois régions, le Front national n’est parvenu à en conquérir aucune. Comme le montre la participation en hausse, il y a eu, dans toutes les régions, un réflexe de rejet du Front national.
Dans l’éventail des partis bourgeois, le FN est le plus réactionnaire qui soit. Il distille le poison de la division dans le monde ouvrier et une fraction importante de l’électorat en est consciente.
Parmi ceux qui craignaient que le FN prenne une région, c’est donc un soulagement, mais un soulagement qui risque d’être de courte durée.
Il faudrait être naïf pour croire que la victoire d’Estrosi en Paca ou celle de Bertrand dans le Nord protège les habitants de ces régions des idées crasses du FN. Si le Front national ne l’a pas emporté au second tour, il atteint dans toutes ces régions des scores très élevés.
La montée du FN pèsera sur la vie politique et sociale. D’autant plus que la droite comme le PS en amplifieront la pression, engagés qu’ils sont dans la compétition pour regagner l’électorat du FN, en reprenant son discours sécuritaire et réactionnaire.
Le PS se félicite d’avoir fait barrage au FN en retirant ses listes dans le Nord-Pas-de-Calais-Picardie et en Provence-Alpes-Côte d'Azur et en appelant à voter pour la droite, y compris dans le Grand Est où le notable socialiste avait, contre les consignes du PS, refusé de se faire harakiri. Et, tout cela, au nom de la défense des valeurs de la République.
Elle est belle, leur République, qui ne laisse à l'électorat que le choix entre la droite et l'extrême droite, c'est-à-dire entre pire et pire encore ! Elle est belle, leur démocratie où le summum du courage politique est d’abdiquer et de renier ses idées !
Même la direction du PC s’est couchée devant les hommes de droite. Pendant des années, elle a expliqué qu’il fallait à tout prix ≪ battre la droite ≫. En 2012, pour battre Sarkozy, elle a appelé à voter Hollande au second tour de la présidentielle. Et voilà qu'elle vient de contribuer à faire élire un Estrosi et un Bertrand, deux hommes de droite parmi les plus détestables !
Et faut-il rappeler que la gauche gouvernementale avait déjà appelé à voter Chirac en 2002 en brandissant la nécessité de faire barrage à Le Pen, qui n'avait pourtant, à l'époque, aucune chance d'être élu ?
De trahison en abdication, la gauche a fini par déboussoler et écœurer son propre électorat. Une majorité de cet électorat populaire a pris l'habitude de se réfugier dans l'abstention. Mais une minorité croissante a remplacé ses illusions dans les partis de gauche par celle, plus grave, du FN.
Le Front National se pose en alternative alors qu'il n'a rien d'autre à vendre, comme programme politique, que son chauvinisme, sa haine de l'étranger et ses préjugés crasses. Pour le reste, il aspire, comme les autres, à gouverner pour le compte du grand patronat et des banquiers. Car malgré ses slogans démagogiques en direction des travailleurs, il est d’abord et avant tout un défenseur de l’ordre bourgeois.
Un des pires poisons que la gauche gouvernementale a distillés depuis des décennies parmi le monde du travail, c'est l'espoir qu'ils peuvent changer leur vie en votant bien. Là est la tromperie fondamentale. Le sort des travailleurs ne dépend pas des pantins que les exploités ont le droit d’élire et qui s'agitent sur le devant de la scène politique. Il dépend du pouvoir de la grande bourgeoisie, de ceux qui détiennent le capital et dominent la vie économique.
Les partis qui ne combattent pas cet ordre social, le pouvoir du grand patronat et de la finance, ne peuvent que trahir les promesses qu'ils font aux classes populaires. C'est ainsi de tout temps, et plus encore en cette période de crise de l'économie capitaliste où cette minorité ne peut prospérer qu'en poussant encore plus les exploités dans la pauvreté.
Alors, il n'y a ni à se réjouir ni à s’attrister de ce énième épisode électoral. La force des travailleurs n'est pas dans les urnes, mais sur le terrain, dans les entreprises qu’ils font fonctionner, dans les quartiers populaires. Leur sort ne dépend pas de résultats électoraux, mais de leur capacité à se battre collectivement avec leurs armes de classe, les grèves et les manifestations.
Individu par individu et, même, entreprise par entreprise, les travailleurs ne font pas le poids face à la puissance du grand capital. Tous ensemble, ils représentent une force invincible. Mais ils ne peuvent se battre efficacement que s'ils rejettent toute illusion dans les politiciens de la bourgeoisie et s’ils savent clairement qui sont leurs ennemis, même lorsqu'ils se déguisent en faux amis. C'est de cette prise de conscience des travailleurs que dépend leur capacité à se défendre contre les attaques de la grande bourgeoisie et à mettre fin au règne du capital.
フランス語
フランス語の勉強?

本を図書館に返すのを忘れていました.慌てて返しに行ったけれど,延滞になっています.18日まで貸出禁止になってしまいました.残念です.しかも,もう一冊返却しなくてはいけない本があって,それも延滞なんです.反省です.
最後というかジツジツの区切りの日です.でも疲れました.

<3.11オモイデツアー>災害時の対応学ぶ
 東日本大震災の伝承活動を紹介するワークショップ「3.11オモイデツアー」が12日、2日間の日程で、仙台市若林区の市地下鉄東西線荒井駅舎内にあるせんだい3.11メモリアル交流館で始まった。
 災害時の状況判断を疑似体験する教材「クロスロード」を使ったプログラムには、約50人が参加した。「避難所に犬を連れてきた人に外に出てほしいと言うか」といった問いに「Yes」か「No」で答え、5人前後のグループに分かれて回答理由について意見交換した。
 泉区の会社員福地裕明さん(48)は「いろんな人の話を聞いたり、訓練に参加したりして、想定外の事態に備える準備が必要だと感じた」と話した。
 市とNPO法人20世紀アーカイブ仙台(仙台市)の共催。映像資料の保存や記録誌の作成に携わる個人、団体の活動報告もあり、来場者が耳を傾けていた。13日は事前に応募した市民らが若林区荒浜地区を訪れ、海岸の清掃や被災地の見学を行う予定。


南三陸町 被災の公立病院再建
東日本大震災の津波で患者と看護師あわせて74人が犠牲になった宮城県南三陸町の公立病院が新たに高台に再建され、開業しました。
宮城・岩手・福島の各県によりますと震災で全壊した公立病院が再建されるのは初めてだということです。
開業したのは南三陸町の南三陸病院です。震災後、間借りしていた隣の登米市の病院で式典が行われたあと、入院している22人の患者が救急車や自衛隊の車両でおよそ35キロ離れた南三陸町の新しい病院へ搬送されました。そして、新しい病院に到着すると患者らはストレッチャーにのせられ看護師などの誘導で病室に入りました。
町で唯一の総合病院だったこの病院は、震災当時、「志津川病院」という名称で震災の津波で5階建ての建物の4階まで水につかり患者と看護師あわせて74人が犠牲になりました。
震災後、病院の建物は解体され仮設の診療所や間借りした隣の市の病院で診療を続けてきましたが先月、町の高台に新しい病院が完成し開業に向けた準備が進められてきました。
新しい病院は延べ床面積が8400平方メートルあまり鉄筋コンクリート造りの3階建てで介護サービスなどを行う総合ケアセンターも併設されています。
南三陸町の佐藤仁町長は「震災から4年9か月もかかりましたがなんとか病院を再開できてよかったです。一歩一歩ですが復興の光が見えてきたのかなと思います」と話していました。
宮城・岩手・福島の各県によりますと東日本大震災ではあわせて6つの公立病院が震災の津波で全壊しましたが再建されるのは初めてだということです。
【隣の登米市の病院を間借り】
南三陸町で唯一の総合病院だった「志津川病院」は、海からおよそ300メートル離れた場所に位置していましたが、震災の津波で5階建ての建物の4階まで水につかり全壊しました。病院は2日間孤立し、患者と看護師あわせて74人が犠牲になりました。町は震災の1か月後に町の体育館の一角にプレハブの診療所を設置し、その2か月後には35キロ離れた隣の登米市の病院を間借りして、入院患者の受け入れを始めました。
さらに、震災の1年後にはプレハブの診療所の代わりに仮設の診療所をオープンし応急的な医療態勢を続けてきました。その一方で町は津波で壊滅した町のどこに病院を再建するのかや予算をどう捻出するかなど議論を続けていましたが震災から2年後の平成25年に病院を再建することを正式に決めました。そして去年5月から建設工事を始め先月、町の高台に新しい病院が完成し、開業に向けた準備が進められてきました。
南三陸町の病院の再開について、登米市の布施孝尚市長は「もっと早くこういう日を迎えたかったという気持ちもありますがなんとかこの日を迎えることができてよかったと思います」と話していました。


<東北大>学生記者 校内外奔走し50年
 東北大の学生新聞「東北大学新聞」がことし、創刊50年目を迎えた。学内の話題にとどまらず、話題の人物に迫った特別インタビュー、学生記者による体当たり企画など硬軟織り交ぜた紙面作りで読者の支持を集める。「東北大にもっと興味を持ってもらいたい」と、26人の学生記者たちがきょうもキャンパスを駆け巡る。
 学友会報道部が発行する新聞は1966年11月25日の創刊。毎月1回の発行で、最新紙で425号を数えた。
 ただ、創刊号には「復刊第1号(419号)」との記載もある。編集長の法学部2年中田哲哉さん(19)は「学園紛争の時代に政治団体の機関紙のようになり、休刊していた時期があったのではないか」と推し量る。
 最新11月18日の紙面では、3期目の折り返しを迎えた村井嘉浩宮城県知事にインタビュー。「地球全体を俯瞰(ふかん)する『宇宙人』の視点で世界を見てほしい」という東北大生へのメッセージを引き出した。
 このほか、東日本大震災の被災地・宮城県女川町のルポ、仙台市地下鉄東西線の開業に伴うバス路線再編の影響など盛りだくさんの話題を読者に届ける。
 末面に毎号載る記者体験記を楽しみにしている読者も多い。「カレーライスだけを食べて5日間耐久生活」(2008年5月号)「4人の部員が一定期間、部屋を交換」(12年6月号)「新聞紙を食べてみた」(15年4月号)など、ユニークな企画を次々と繰り出す。
 中田さんは「体当たり企画はセンスが問われる。学生新聞への関心の低下などで発行されている大学は減っており、新聞を手に取って読むきっかけにしてもらえたらうれしい」と話す。
 東北大学新聞は4000部発行。大学生協や大学周辺の飲食店などで無料配布している。


「もっと知りたい」…大学の出席状況、親が確認
 保護者向けのサービスを充実させる大学が増えている。
 子供の出席状況をスマートフォンで確認できるようにしたり、キャンパス周辺の名所を巡るツアーを企画したり。わが子の学生生活をもっと知りたいとの声が多く、大学側は「要望に応えることで信頼関係が生まれ、協力して学生を支えられる」としている。
 ◆サボるとバレる!
 近畿大(大阪府東大阪市)は今秋、学生の出席状況をインターネットで確認できる保護者専用のサイトを開設した。学生が教室の端末に学生証をかざすと、内蔵されたICチップの情報を読み取って、サイトに表示する。遅刻や早退、履修科目の時間割に加え、出席率や成績も分かる仕組みだ。
 「ちゃんと講義に出ているか知りたい」という保護者の声を受けて導入、開設から2週間で約1400件の利用があった。保護者懇談会で体験した母親(52)は「私が家を出る時はまだ寝ていて、大学に行っているか心配。出席状況が分かるのは助かる」と評価する。学生側も「うるさく尋ねられるより、勝手に見てくれる方がいい」と話す。同大学広報部は「長期欠席などの情報を共有し、連携して対応できる」とメリットを挙げる。同様の取り組みは神奈川工科大(神奈川県厚木市)も行っている。


仏地域圏議会選、極右は全敗 左派が挽回
 【パリ共同】パリ同時多発テロ後、非常事態が宣言されたフランスで初の全国選挙となった地域圏議会選(2回投票制)の第2回投票が、テロから1カ月の13日、投開票された。14日未明までの内務省集計によると、6日の第1回投票で全国得票率1位に躍進した極右、国民戦線(FN)は本土の全13地域圏で敗北した。
 第1回投票で得票率が低迷したオランド大統領の左派、社会党は有権者に「極右の躍進阻止」を呼び掛けて巻き返し、大敗は免れた。
 推定投票率は第1回投票より8・57ポイント高い58・48%。ルモンド紙は「選挙民の目覚め」により、極右勝利が阻止されたと論評した。


サウジで女性20人が初当選 権利拡大へ一歩
 【カイロ共同】イスラム教の戒律を厳格に守るサウジアラビアで12日行われた自治評議会(地方議会)選で、選管当局は13日、20人の女性候補が当選したと明らかにした。AP通信が報じた。
 女性には今回から参政権が認められた。自治評議会の権限は都市開発の監視など限定的だが、女性初の公選議員誕生は同国では画期的で、権利拡大への一歩となる。
 男性優位の価値観が根強いサウジだが、今年1月に死去したアブドラ前国王は地方参政権の容認など女性の政治参加に道を開いた。一方、現在のサルマン国王は保守的とされ、今後は女性進出にブレーキがかかるとの観測もある。


サウジ女性参政権が意味するもの
 イスラム社会が改革を進めるつもりならば、女性の自由の拡大は必要不可欠である。したがって、サウジアラビアで週末行われた選挙で女性が初めて投票したのは進歩の証である。
 サウジでは女性は今もって自動車を運転したり、男性の保護者なしに自由に旅行したりできない。投票所で頭から足まですっぽりと黒衣をまとった女性が並んでいる写真は、公共の場では女性に対する制限が続いていることを暗に示している。
 だが、リヤドからジェッダに至る今回の地方評議会選挙では、女性の候補者10人以上が議席を獲得した。選挙では男性5900人強が立候補した一方、約980人の女性が候補者登録した。女性の選挙権は、2011年にアブドラ前国王が漸進的な政治改革の一環として認めたものだ。
初めて投票するサウジの女性たち
 サウジアラビアで12日、女性の参加が初めて認められた地方議会選挙が全国で実施された。登録済みの有権者は男性の136万人に対し、女性は13万人。女性の立候補者は979人だが、当選者はごく少数になる見通しだ。
 女性に選挙権と被選挙権が与えられたことが、サウジの政治にどのような変化をもたらすのかは分からない。女性が国政を運営することにはならないのは明らかだ。それでも、男女平等への取り組みは有益なはずであり、ワッハーブ派によるシャリア(イスラム法)の適用を和らげるだろう。タリバンやイスラム国(IS)などのイスラム過激派が町や領地を奪取した場合いつも、直ぐに女性を隷属させるのは決して偶然ではない。彼らはまた、女性が教育を受けることも禁じる。
 男女間の政治的平等は、普遍的な規範ではなく、西側の価値観に基づくものであり、前進は保証されていない。だからこそ、自分たちの権利を主張しているサウジの女性たちに祝辞を贈りたい。


[軽減税率合意]選挙対策で本質ゆがむ
 選挙対策のにおいがぷんぷんする官邸主導の決着である。
 自民、公明両党は2017年4月の消費税率10%引き上げに際し、現行の8%に据え置く軽減税率の対象を、外食を除く食品全般とすることで合意した。
 軽減税率には、生活必需品にかかる消費税を低く抑えて家計負担を軽くする狙いがあるが、そのために必要な年間1兆円の財源は示されていない。課題を先送りした合意である。
 軽減税率導入をめぐる議論は、制度導入に積極的な公明党と、財政難を理由に慎重姿勢の自民党との間で難航した。生鮮食品と加工食品全体への適用を求める公明党と、生鮮食品に絞りたい自民党が対立。最終盤で自民党が外食を含めるよう提案するなど迷走し続けた。
 最終的な合意は、公明党の主張をほぼ丸のみした形である。米軍普天間飛行場の移設問題を左右する来年1月の宜野湾市長選、憲法改正への布石とする夏の参院選をにらんで安倍晋三首相が歩み寄ったのだという。公明党の支持母体、創価学会の集票活動に期待を寄せてのことだ。
 安倍首相は10月にも、軽減税率導入に慎重だった自民党税制調査会の野田毅会長(当時)を更迭している。「首相1強体制」の下、官邸主導の局面が増え、税調の存在感は薄れている。
 低所得者支援など必要な議論が脇に押しやられたのは、「1強」の歪みで、自由な議論が封じられたためでもある。
    ■    ■
 すべての人を対象とする軽減税率は、高い食材を購入するなど富裕層に有利に働く。低所得者の痛税感を和らげることを目的にしながら、実際はそのような制度設計にもなっていない。
 軽減税率の導入を手放しで喜べない人が多いのは、それ以外の税率が2桁になる影響が大きいからだ。結局、低所得者ほど負担が増す消費税の「逆進性」は解消されない。
 財源問題では、不足する1兆円のうち4千億円を低所得者対策の「総合合算制度」の見送りで対応する考えという。合算制度は医療や介護の自己負担額に世帯ごとの上限を設けて負担を軽減する仕組みである。財源確保を名目に社会保障を削るのは矛盾する政策だ。
 さらに残りの6千億円については、参院選後に議論を引き延ばすという無責任な対応である。
    ■    ■
 そもそも12年に自民、民主、公明3党で決めた「社会保障と税の一体改革」は、消費税率引き上げの増収分を全て社会保障に充てるというものだった。今回の合意はそれに反するもので、このままでは一体改革自体が破綻しかねない。
 深刻な財政難の中、財源をどう捻出するのか、約束した社会保障は実現できるのか、政府与党には年明けの通常国会で、国民の疑問や不安に答えてもらいたい。
 野党も低所得者対策の実効性や選挙目当てにしか見えない合意への追及を強めるべきだ。


「パリ協定」採択 地球守る合意履行に全力を
 地球の将来を左右する待ったなしの課題である温室効果ガスの削減に向け、国連の気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)が世界の気温上昇を産業革命前に比べて、1・5度未満に抑えるよう努力することで合意した。
 新たな枠組みとなる「パリ協定」に大排出国である米国、中国、日本などに途上国を含めた190を超える全条約締約国が参加した。温暖化を食い止めるための歴史的転換点を刻んだ合意を評価したい。
 地球の温暖化防止は人類の将来を左右する重大問題となって久しい。海面上昇によって水没が危ぶまれる島しょ国などは、豊かな国の行為で貧しい国が被害を受ける「不正義」を訴えていた。
 合意の大きな柱は今世紀後半に温室効果ガスの排出量を実質的にゼロにする内容だ。増加一途の温室効果ガスをできるだけ早く減少に転じさせ、その後は急減させる。そして、人間の活動による排出量と森林などによる吸収量が並び、実質的な排出ゼロにこぎ着ける。
 さらに、途上国も含め、全ての国が5年ごとに削減目標を国連に提出し、対策を進めることが義務付けられた。
 途上国への資金援助をめぐっては、先進国に2年に1度の報告義務を課し、経済力が付いた新興国が自主的に資金を拠出できる。
 1997年の京都議定書は、排出量1位の米国の離脱を招き、中国やインドなどの工業力を付けた国に削減義務を課さず、実効性が弱かった。この反省を踏まえ、今回は2020年以降に法的拘束力を持つ枠組みが出来上がった。
 一方、合意を優先したことで削減目標に達成義務が課されていない面もある。定期的に削減幅を拡大し、実効性を保つ取り組みが重要になる。
 電力需給や日常生活でも続いた石油や石炭などの化石燃料への依存を世界的に改め、再生可能エネルギー導入を加速させることが欠かせない。
 主要国の活発なアピールに比べ、排出量5位の日本の存在感は薄かった。日本は30年までの排出量を13年度の水準から26%削減する目標を達成せねばならない。省エネ先進国として蓄積してきた技術を駆使し、社会全体で取り組む機運を高めてもらいたい。
 地球の環境を守る合意の着実な履行に向け、全参加国が全力を挙げることを強く求めたい。


インドへ原発輸出 核なき世界追求に逆行する
 インドを訪問した安倍晋三首相はモディ首相と会談し、日本の原発輸出を可能にする原子力協定締結に原則合意した。インドは核拡散防止条約(NPT)にも包括的核実験禁止条約(CTBT)にも加盟していない。日本がNPT未加盟国と原子力協定を結ぶのは初めてだ。日本の原子力政策の転換であり、唯一の被爆国として追求してきた「核なき世界」に逆行し、日本の外交に大きな禍根を残した。
 日本政府は軍事転用を防ぐ歯止め策として、インドが核実験を行った場合、協力を停止する考えだが、どういう仕組みや文言で担保するかは明らかにしていない。
 インドは1974年、米国とカナダが提供した重水と原子炉を使って核実験を実施している。このため日米欧などの原子力供給国集団(NSG)が2008年まで原子力協力を禁じてきた。
 しかし当時のブッシュ米政権がインドとの関係を重視し、原子力輸出を解禁するNSGルールの改定を提案した。日本も米国の圧力を受けて追認してしまった。改定後は米国、フランスなどが次々とインドと原子力協定を締結した。米国やフランスの原発大手と企業連合を組む日本がその潮流に組み込まれた形だ。核廃絶より経済利益を優先させたと批判されても仕方ない。
 さらに日本は、輸出した資機材を使った原発から出る使用済み核燃料の再処理を認める方針を決めている。再処理は核兵器に転用できるプルトニウムを量産することになる。インドが軍事転用しない仕組みをどう作るのか。たとえプルトニウムが民生利用だけに限定されたとしても、インド国内にある希少なウランを核兵器製造だけに集中投入することに道を開くことになる。
 インドと隣国パキスタンは長年対立を続け、共に核兵器を保有しているとみられている。パキスタンはインドの動きを警戒しており、核物質と核兵器の増産を着々と進めてきた。日本の原発輸出によって、インドの核兵器開発が進み、地域が不安定化したら、日本はどう責任を取るのか。
 東京電力福島第1原発事故の収束のめども立っていない。原発を輸出している場合だろうか。インドとの原子力協定の締結は、被爆国としてあまりに短絡的で許されるものではない。


「SEALDs」メンバーら政策提言シンクタンク設立「わくわくするコンテンツ提供したい」
9月に成立した安全保障関連法に反対する学生グループ「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)のメンバーらが12月14日、東京・参議院議員会館で記者会見を開き、政治課題の分析や政策提言をおこなうシンクタンク、一般社団法人「ReDEMOS(リデモス)」を設立したことを発表した。
代表理事には、SEALDsでリーダー的存在だった奥田愛基さんが就任。理事には上智大学の中野晃一教授、水上貴央弁護士が名を連ねた。このほかにも、SEALDsのメンバーがコアメンバーとして参加している。ただ、固定したメンバーではなく、外部から様々な有識者を招いて、議論や政策提言をおこなっていく予定。
●奥田さん「自由で、活発な議論が行われるべき」
「ReDEMOS」は、活動方針として大きく次の3点を提示している。
(1)主権者である市民の熟議を行うために、重要な政治課題について分析し多様な視点を提示する。
(2)論争的な事柄に関して、異なる立場から自由闊達で建設的な議論を交わす場を提供する
(3)議論の深まりを踏まえて、市民、政府、政党および政治家に対する政策提言を行う。
奥田さんは、「日本社会は多くの課題を抱えている。その解決のためには、さまざまな立場から自由で、活発な議論が行われるべきだ」と「ReDEMOS」を設立した意義を指摘。「『こういう社会にしたいけど、どうすればいいのかわからない』。そんなときに参照するツールとなっていきたい」と意気込みを語った。
また、水上弁護士は安保法制に反対する人たちが、国会前で怒りのデモを行ったことに触れつつも、「本当に何かを成し遂げようと思ったら、(デモのような)怒りだけでは足りない」と指摘。具体的に政策や法案をわかりやすく市民に伝える必要性があるとして、次のように述べた。
「奥田君たちのデザイン力、発信力が合わされば、使いやすいコンテンツに仕上げていくことができると考えている。市民の人が使いやすい、わくわくするようなコンテンツをデザインしていきたい」
「ReDEMOS」は最初の提言として、違憲な立法がされないための仕組みづくりの立法提言をウェブ上に発表している。
立憲民主主義の崩壊を防ぎ、持続的に維持発展させるための立法提言

永田町恐怖新聞/交響曲第九番/Quartet du dialogue national

ブログネタ
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Ode à la Joie
Joie ! Joie ! Belle étincelle divine,
Fille de l’Elysée,
Nous entrons l'ame enivrée
Dans ton temple glorieux.
Ton magique attrait resserre
Ce que la mode en vain détruit ;
Tous les hommes deviennent frères
Où ton aile nous conduit.

Si le sort comblant ton ame,
D'un ami t'a fait l'ami,
Si tu as conquis l’amour d’une noble femme,
Mêle ton exultation à la nôtre!
Viens, même si tu n'aimas qu'une heure
Qu'un seul être sous les cieux !
Mais vous que nul amour n'effleure,
En pleurant, quittez ce choeur !

Tous les êtres boivent la joie,
En pressant le sein de la nature
Tous, bons et méchants,
Suivent les roses sur ses traces,
Elle nous donne baisers et vendanges,
Et nous offre l’ami à l’épreuve de la mort,
L'ivresse s’empare du vermisseau,
Et le chérubin apparaît devant Dieu.

Heureux,
tels les soleils qui volent
Dans le plan resplendissant des cieux,
Parcourez, frères, votre course,
Joyeux comme un héros volant à la victoire!

Qu'ils s'enlacent tous les êtres !
Ce baiser au monde entier !
Frères, au-dessus de la tente céleste
Doit régner un tendre père.
Vous prosternez-vous millions d’êtres ?
Pressens-tu ce créateur, Monde ?
Cherche-le au-dessus de la tente céleste,
Au-delà des étoiles il demeure nécessairement.

Ode to joy
Joy, bright spark of divinity,
Daughter of Elysium,
Fire-inspired we tread
Thy sanctuary.
Thy magic power re-unites
All that custom has divided,
All men become brothers
Under the sway of thy gentle wings.

Whoever has created
An abiding friendship,
Or has won
A true and loving wife,
All who can call at least one soul theirs,
Join in our song of praise ;
But any who cannot must creep tearfully
Away from our circle.

All creatures drink of joy
At nature's breast.
Just and unjust
Alike taste of her gift ;
She gave us kisses and the fruit of the vine,
A tried friend to the end.
Even the worm can fell contentment,
And the cherub stands before God !

Gladly, like the heavenly bodies
Which He set on their courses
Through the splendour of the firmament ;
Thus, brothers, you should run your race,
As a hero going to conquest.

You millions, I embrace you.
This kiss is for all the world !
Brothers, above the starry canopy
There must dwell a loving Father.
Do you fall in worship, you millions ?
World, do you know your Creator ?
Seek Him in the heavens !
Above the stars must He dwell.

歓喜に寄せて
おお友よ、このような旋律ではない!
もっと心地よいものを歌おうではないか
もっと喜びに満ち溢れるものを
(ベートーヴェン作詞)

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

すべての存在は
自然の乳房から歓喜を飲み
すべての善人もすべての悪人も
薔薇の路をたどる

自然は口づけと葡萄酒と 
死の試練を受けた友を与えてくれた
快楽は虫けらのような者にも与えられ
智天使ケルビムは神の前に立つ

神の壮麗な計画により
太陽が喜ばしく天空を駆け巡るように
兄弟よ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
愛する父がおられるのだ

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう
フランス語
フランス語の勉強?


科学と社会を考える一冊です。  a‰c”°a€€e‚|aš
地震計横領疑惑により、著しく社会的信用を失うことを目的や、地震予知に対して批判的であったため国策で起訴された冤罪であったが、酷いものである。
恨み辛みも多少感じますが、とても分かりやすく書かれていて面白く読めました。予算を取りるために、出来もしないことを出来るように語り、結果、誰も責任を取らない。どれも皆同じ事を各省庁がやっているのだろうと想像が出来ましたし、地震学者として、真実を伝えようというパワーが伝わり、知ることにより新たな選択肢が増えた本でした。

テレメンタリー 「シリーズ戦後70年(15) 折り鶴の絆−サダコがつなぐ心の終戦−」
原爆による白血病で亡くなった折り鶴の少女・佐々木禎子(12)。禎子の兄・雅弘は、原爆投下命令を下したトルーマン元大統領の孫と共に核兵器廃絶を訴えている。両者をめぐり合わせたものは“サダコの鶴”だった。
鶴は日米開戦の地、ハワイ・真珠湾に寄贈され、11月には、トルーマン大統領を称える博物館に展示された。
「原爆投下は正しかった」“原爆神話”が根強いアメリカで、被爆70年にサダコの鶴が届けたメッセージとは。
広島ホームテレビ

サンデーモーニング【テロの連鎖に出口は▽中国汚染で赤色警報▽羽生が最高点更新】
一週間の見逃せないニュース&スポーツをサンデーモーニングならではの視点でお送りします! ◎世界と日本の出来事を掘り下げる今週のニュース▽「イスラム国」テロの連鎖に出口は▽中国汚染で赤色警報▽ブラック企業根絶は ◎おなじみ・スポーツ御意見番「喝!&あっぱれ」今週は張本勲&古賀稔彦▽羽生が最高点更新▽浅田真央▽石川遼が国内メジャー初V▽高梨葛西 ◎時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」
関口宏   寺島実郎 浅井慎平 幸田真音 大崎麻子 岸井成格 橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美  張本勲&古賀稔彦 三枝成彰

明日へ−支えあおう− 証言記録 東日本大震災 第48回「福島県飯舘村」
福島県飯舘村では、220戸あまりの畜産農家が、2,300頭もの肉牛を飼育していた。ブランドの“飯舘牛”は、村の主産業だった。しかし、原発事故で全村避難を余儀なくされ、畜産農家は牛を手放し廃業するか、牛とともに避難するか、厳しい選択を迫られた。徐々に廃業へと追い詰められていく中、飯舘牛を守ろうと懸命に行動した畜産農家や農協職員もいる。廃業か継続か、苦渋の決断に至った畜産農家の2か月を証言でつづる。
畠山智之

NNNドキュメント 彷徨う10代〜大阪中1男女の死が問いかけるもの〜
今年8月、大阪府寝屋川市の中学生2人が遺体で発見された。深夜の街をさまよった末の悲劇。逮捕された45歳の男には少年監禁事件の前科があった。スマホの普及などにより街をさまよう子どもたちを取材すると、安全を過信する風潮が見受けられる。しかし深夜の街には10代を狙う罠が至る所に存在している。番組では、夜の街に「居場所」を見出す子どもの声に耳を傾け、社会が子どもたちにどのように向き合うべきかを問う。
読売テレビ

ガリレオX「再び電子立国へ〜ロボット・人工知能〜」
日本の電子立国への道を切り開いてきた産業技術総合研究所。その歴史を辿ると、これまで歩んできたロボット技術や人工知能の軌跡が見えてくる。そしてその研究の成果が今、私達の生活の中に広がりつつあるという。産業や防災、介護まで様々な分野に利用し始められているのだ。近い将来、産業革命以来の社会変革を起こすと期待されているロボット、人工知能。その研究の最前線に迫る。
辻井潤一   白井良明  柴田崇徳  夏目徹  松本吉央

ドキュメンタリーWAVE「チュニジア“民主化”は守れるのか」
今年のノーベル平和賞はチュニジアの民間4団体の連合組織“国民対話カルテット”が受賞した。労働組合、弁護士団体、経済団体などが連携をとり“アラブの春”後、対立するイスラム主義勢力と世俗派を対話に導き、民主化に道筋をつけた功績が評価されたものだ。しかし、いままたテロが発生、国内は緊張の度を高めている。対話で民主化の流れを守ることはできるのか、国民対話カルテットの精神を受け継ぎ格闘する人々の日々を追う。
定期演奏会 「第九」特別演奏会 vor Gott ― “神の前に” ・・・山下一史の「第九」
ザ・シンフォニーホール
『私たちは神のもとにおいて兄弟なのだ』という《第九》のメッセージは、時代を超えた普遍性を持っています。《第九》は私たちにとって、そしてベートーヴェンにとっても特別な意味を持つ楽曲です。音楽家として聴覚を失い、死をも覚悟したベートーヴェン。絶望の淵の彼に『生きたい』と強く願わせたのは、まさに音楽の力でした。《第九》には、そんな巨大なエネルギーが秘められているのです。(山下一史)
文化庁文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)
協賛:大塚製薬株式会社
特別協賛:ダイキン工業株式会社
2015年8月5日(水)発売予定
YAMASHITA Kazufumi , Conductor
山下一史
川越 塔子(ソプラノ)
KAWAGOE Tohko , Soprano
山田 愛子(アルト)
YAMADA Aiko , Alto
藤田 卓也(テノール)
FUJITA Takuya , Tenor
田中 勉(バリトン)
TANAKA Tsutomu , Baritone
田辺第九合唱団
TANABE “9th Symphony” Choir
◆ベートーヴェン:「エグモント」序曲 作品84
 Ludwig van Beethoven:“Egmont” Overture Op.84
◆ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱付」
 Ludwig van Beethoven:Symphony No.9 D minor Op.125 “Choral”


今日12月13日は旧日本軍が南京城入城した日.つまりこの日から南京大虐殺が始まっていくと思うのです.1937年なので78年前になります.当然私は生まれていません.南京大虐殺はなかったなどという歴史を直視しないで自分の都合の良いようにしか見ない考えは論外ですが,もう一度勉強しなくてはと思っています,私が南京事件について知ったのはある新左翼団体からのオルグでした.その時彼は旧日本軍は2万人殺した,と私に説明したと思います.私はその新左翼団体が好きではありませんが,無知な私にその事実を教えてくれたことだけは感謝です.
大阪駅前で「安倍は退陣」という横断幕とともに何か演説している人がいたので,チラシをもらいに行きました.それは永田町恐怖新聞という山本太郎氏が作っているものでした.なかなかよくできていると思いました.
新梅田というか福島というか,とにかくザ・シンフォニーホールで第九を聞きました.正直ちょっと物足りない感じがしたのですが,まあよし,としましょう.いつものように演奏後はSOYJOYをもらいました.
夜NHKでチュニジアの国民対話カルテットQuartet du dialogue nationalについての番組を見ました.恥ずかしながらノーベル賞受賞していたことすら知りませんでした.

<被災地の教師たち>アートで町を元気に
◎(4)描く/女川中教諭 梶原千恵さん
<人口減を授業>
 東日本大震災で大きな被害を受けた古里に光を照らしたい。宮城県女川町の女川中教諭梶原千恵さん(33)はその原動力として、アートの可能性を信じる。
 担当する美術の授業で11月27日、町の人口減少問題を取り上げた。
 3年生約40人を前に、教室の黒板に白墨で今の人口を書き込む。「6930名」。次に2060年の予想人口を記す。「3700名」。
 「美術で人口減少を直接止めることはできません。ただし、もっと生活が楽しくなったり、元気になったりするアイデアは出せる」
 アーティストは無から形あるものを創り出す。気付き、アイデア、発想…。そうした自ら創造する力を身に付けてほしい。暮らしを豊かにしてほしい。そう考えた。
 授業で採り入れたのが「デザイン思考」という手法だ。「身の回りの気になることは何?」「なぜ気になるの?」「どう感じた?」。家族や学校、自然などをテーマに、生徒は互いに問い、答えることを繰り返して課題を見つけ、解決策を練る。
 授業を受けた3年阿部慎之介君(15)は「デザインは不便な生活をより良くするための考え方」と捉えた。子どもたちは対話を通し、あいまいだった身近な事柄の輪郭を浮かび上がらせ、自分の未来、町の将来像を描くようになる。
<背中押される>
 梶原さんは女川町で生まれ育った。仙台市内の大学などを経て、震災の3年ほど前、郷里へ戻った。
 震災で町内の自宅は津波の被害を免れたが、祖母が外出先で犠牲となった。
 石巻市内の高校で非常勤講師を務めていた11年6月ごろ。震災で心に傷を負った生徒らにどんな授業をすればよいのか、悩んだ。
 女川町の福祉関係者に相談した。「美術の先生だからこそできることをやりなさい」。その助言に背中を押された。
 専門は木彫。学校の休み時間に一人で木を彫り、表札を作り始めた。津波で家を失った知人が、表札が見つかってうれしそうだった姿に発想を得た。
 「先生、何やってんの?」「自分もやりたい」。授業で生徒と表札作りに取り組んだ。
 ある男子生徒が不器用ながら一心に彫っている。完成した作品を手に「傑作だ」と胸を張った。男子生徒は震災で、目の前で親を亡くしていた。一彫り、一彫りに心に秘めた苦しみを刻んでいたのかもしれない。
<表札を仮設に>
 生徒たちと作った約100個の表札を、町内の仮設住宅に持って行った。入居者が喜んでくれた。移転先の災害公営住宅で使い続ける人もいる。
 梶原さんは休みには、町内で高齢者向けの美術のワークショップなども実践する。「美術が人や世の中の役に立つことを、被災地で実感しています」
 アートの力を生かし、女川をもっと元気にするための種を芽吹かせていく。


新校舎で1日だけの授業・楢葉中
 福島県楢葉町がいわき市に設けた仮設校舎に通う楢葉中の2、3年生約45人が12日、町内にことし2月に完成した新校舎で1日だけの授業を受けた。町は東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が解除されたが、町内での学校再開は2017年4月に決まっている。2、3年生は新校舎で学ぶことができないため、町教委が企画した。
 多目的ホールで、伊藤浩樹校長が「皆さんは本来ならこの校舎で学ぶはずだった。母校となる校舎を味わってほしい」とあいさつ。生徒らは、木をふんだんに使った真新しい校舎を見て回った後、町教委の元職員から町の歴史について講義を受け、昼食も楽しんだ。
 生徒は現在、プレハブ校舎で学んでいる。「体育館の広さや高さが全然違う。木の香りもいい」と3年の渡部秋宣君(15)。2年の早川真以さん(14)は「全てが立派。通えないのは残念だけれど、後輩たちはこの校舎で明るい学校生活を送ってほしい」と話した。
 楢葉町の中学生は約250人で、うち66人が楢葉中に通う。町は町内で学校を再開する際、当面は中学校校舎で小中学生が一緒に学ぶ方針を打ち出している。


米国に漂着の鳥居・4年9か月ぶり再建
東日本大震災の津波で青森・八戸の厳島神社から流された鳥居が米国西部のオレゴン州の海岸に流れついてるのがおととし見つかった。
ことし10月に八戸市に戻され修復作業が行われてきた。
そして4年9か月ぶりに鳥居は元の場所に再建された。


大川小卒業生校舎への思い語る
震災遺構として石巻市が保存の是非を検討している大川小学校の旧校舎について、卒業生が校舎への思いを語り、保存するよう訴えました。
震災の津波で児童と教職員あわせて84人が犠牲になった石巻市の大川小学校の旧校舎について、市は保存した場合の課題などを検討していて、年度内に震災遺構として保存するかどうかを判断するとしています。
13日は大川小学校の子どもたちの意見を国連で発表しようと取り組む国際NGOが石巻市で意見交換会を開き、大川小学校の卒業生3人が遺族や地元の人に校舎への思いを伝えました。
このなかで、小学5年生の妹が犠牲になった高校3年生の紫桃朋佳さんは「楽しい思い出、悲しい思い出などたくさんのことを学んだ母校です。そして、二度と同じことを繰り返してほしくないので、未来に残してほしい」と訴えました。
また、小学6年生の妹が犠牲になった大学1年生の佐藤そのみさんは、「いま校舎は大川地区だけのものではなく、全国の人がたくさん訪れる場所になっています。全国に震災の教訓を伝えることで、今後災害が起きても子どもたちの命が救われるようになってほしい」と訴えました。
石巻市の亀山市長は年明けに子どもたちの意見を聞く機会を設ける考えを示していて、卒業生たちは意見を伝えることにしています。


仮設住宅にイルミネーション
クリスマスを前に東松島市の仮設住宅にイルミネーションが飾られ、12日、点灯式が行われました。
イルミネーションが飾られたのは東松島市では最も多いいまも200世帯あまりが暮らす「矢本運動公園仮設住宅」です。
点灯式では多くの家族連れなどが待つ中、カウントダウンのあと青や金色の3000個の電球に一斉に明かりがともされました。
この仮設団地の入居者は今後、災害公営住宅に移るなどして来年春には現在の半分ほどになる見込みですが、一方で、再来年まで避難生活を余儀なくされる人もいると見られています。
住民たちは憩いの場となっている東屋などを静かに照らすやさしい光を見て、笑顔を浮かべていました。
仮設住宅に住む77歳の女性は「イルミネーションのおかげで明るい気持ちになりました。来年5月に災害公営住宅に転居するまでがんばります」と話していました。
催しを企画した自治会長の小野竹一さんは、「入居者の方が温かい気持ちになり、生活の再建に向けて前に進んでいく気持ちになってほしい」と話していました。


<指定廃棄物>宮城の3候補地「返上」表明
 東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の最終処分場建設問題で、環境省は13日、8回目となる宮城県内の市町村長会議を仙台市で開いた。栗原、大和、加美の3市町長がそろって候補地を返上する意向を訴えた。環境省は従来通り3市町で現地調査を行う方針に理解を求めた。
 佐藤勇栗原市長は現地調査着手が2年連続で越年することについて「これ以上我慢できず、返上する。今後現地調査は一切受け入れない」と強調。浅野元・大和町長も同様の考えを述べた。猪股洋文加美町長は県内処分を断念し、福島県飯舘村の仮設焼却施設で処分することを提案した。
 井上信治副大臣は「市町村長会議で議論を重ねて決めた(県内処分の)方針を貫きたい」と繰り返しながら、打開策があるか検討する考えを示した。
 今後について首長からは、村井嘉浩知事に県主催の市町村長会議開催を求める声が出た。村井知事は「今回の会議を踏まえた環境省からの回答を待ち、その上で集まってもらいたい」と前向きな姿勢を見せた。


鯨肉を歳末の食卓に 石巻市が頒布会
 宮城県石巻市は12日、日本の北西太平洋調査捕鯨で捕獲された鯨肉を市民に販売する「鯨肉頒布会」を同市魚町2丁目の市超低温冷蔵庫で開いた。鯨食文化の継承を目的に毎年実施しており、多くの市民でにぎわった。
 市の職員らがイワシクジラの冷凍赤肉1パック(約1キロ)を格安の2500円程度で販売。会場では午前9時の開始前から約50人が行列をつくり、正午までに約600パックが売れた。
 8パック買い求めた同市の主婦佐藤節子さん(75)は「お歳暮や正月用の食材にするため、毎年買いに来ている。刺し身やみそ漬けにして食べるのが楽しみ」と話した。
 市は頒布会に合わせ、調査捕鯨で得た鯨肉を販売する共同船舶(東京)から1.8トンを買い受けた。市水産課の担当者は「長く続いてきた鯨食を今後も伝えていけるよう、多くの市民に味わってほしい」と語る。
 頒布会は13日も市超低温冷蔵庫で実施する。午前9時〜正午で、無くなり次第終了。購入は1人10パックまで。


学びが危ない  未来見すえた投資必要
 「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」。教育基本法第4条は、こう述べている。
 父母の経済力にかかわらず、子どもは能力に応じた教育を受ける権利があると読み替えることができる。教育基本法は、能力がありながら経済的理由で修学困難な人に国や地方公共団体が奨学の措置を講ずるよう求めている。
 この教育の機会均等を脅かしかねない事態が進んでいる。子どもに広がる貧困であり、教育に投じる国の公的支出の少なさだ。
 子どもの相対的貧困率は16・3%に達している。子どもの6人に1人が平均的所得の半分に満たない世帯で生活している。貧困率は1985年の10・9%から増加を続け、経済協力開発機構(OECD)加盟の34カ国中で9番目に高い。全世帯の1割弱を占める「ひとり親世帯」では、6割近い子どもが貧困に陥っているという数字もある。
 最新のOECDの調査によると、加盟各国の国内総生産(GDP)に占める学校など教育機関への公的支出の割合で、日本は3・5%でスロバキアと並び最下位だった。5年連続のことで、国公立の中学校の1学級当たりの生徒数は32人と、加盟国平均の24人を大きく上回り2番目に多かった。
 大学など高等教育機関への公的支出が少ないことも指摘される。国立大は独立法人化されて以来、国の運営費交付金の減額が続いている。財務省は今年10月末、さらに運営費交付金を今後も年に1%ずつ削減する案を示している。
 「教育・研究力がやせる。大学の危機」という京都大の山極寿一総長の訴えは当然だ。財務省は同時に大学の自己収入を増やすよう促しており、授業料の引き上げを選択肢に入れざるを得ない。「裕福じゃないが才能のある学生が進学を諦める」との山極総長の懸念を現実のものにしてはいけない。
 わが国が明治維新以降に急速に国力を増した要因は、江戸時代に武士の子弟は藩校や私塾で相当に学問し、庶民の子は寺子屋で読み書き、そろばんという基礎学力を身に付けていたことにあるとされる。その後も教育は父母の関心事であり続け、教育に投資を続ける「教育立国」が国の指針となってきた。
 いま、急速に所得格差が広がり、かつてのぶ厚い中間層がやせ細ってきた。格差拡大の弊害は格差が世代を超えて継承されることにある。少子化と人口減が続くなかで、私たちの生活水準を維持するには、教育にもっと投資して次世代の生産性を高めるほかない。
 貧しい家庭への教育支援はすぐに手を打つべきだ。高等教育の充実なしに活力ある社会は生まれない。進学資金のない優秀な学生には給付型の奨学金をもっと用意すべきだろう。
 GDPを100兆円増やすような花火を打ち上げる前に、足元で求められる教育再生に向けた取り組みを急いでほしい。


NYで日印原発協定に抗議 「事故終わってない」
 【ニューヨーク共同】「フクシマの原発事故は終わってない。インドに原発を売っている場合か」。日本とインドが原子力協定の締結に原則合意したことを受け、米ニューヨーク・マンハッタン中心部の大通りで12日、協定に反対する在留邦人ら十数人が、東京電力福島第1原発事故に触れながらデモを行った。
 参加者は「日印原子力協定やめろ」と書かれたプラカードを掲げたり、太鼓をたたいたりして抗議の声を上げた。
 ニュージャージー州の会社員(46)は「核拡散防止条約(NPT)未加盟のインドに、核兵器に転用される恐れのあるものを日本が輸出するのは許されない」と強調した。


【南京で国家追悼式典】 ユネスコ世界記憶遺産への登録は「世界の人々への警鐘」、「石碑」は公開せず
 【南京=河崎真澄】日中戦争時の1937年に旧日本軍による南京占領で起きたとされる「南京事件」から78年となった13日、江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で、地元政府レベルから国家レベルに主催者が格上げされて2回目となる追悼式典が開催された。
 10月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「南京大虐殺資料」を世界記憶遺産に登録してからは初の開催。式典で演説した全国人民代表大会(全人代)の李建国・常務委員会副委員長は、「(記憶遺産に登録されたことで南京事件が)歴史の“教科書(教訓)”となり、世界の人々に警鐘を鳴らした」と強調した。
 李氏はまた、「旧日本軍による殺戮(さつりく)で30万人が命を奪われて国が憤り、世界が驚いた。時間が経過しても歴史がこの日を忘れることはなく、どの国であっても事実を否定することはできない。戦争を美化する国と人は許さない」と警戒感を示し、南京事件をめぐる歴史認識で強く牽制(けんせい)した。
 南京の地元中高生や事件の生存者とされる住民など約6千人が式典に参加。中高生78人が「中国人民の勝利」をテーマとした重厚な詩を朗読した。一方、ユネスコ世界記憶遺産登録を記念した「石碑」などはこの日、公開されなかった。
 昨年は式典に出席した習近平国家主席は姿を見せなかった。一方、習指導部は今年を、「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」と位置付け、さまざまな反日行事を展開。「南京大虐殺記念館」では新館も建設され、14日からは一般入場者にも開放される。


南京事件 中国政府が現地で追悼式典
旧日本軍が多くの中国人を殺害したなどとされる「南京事件」について、中国政府は、13日、現地で追悼式典を開き、出席した共産党の幹部は、ユネスコ=国連教育科学文化機関の「記憶遺産」にことし中国が申請した事件に関する資料が登録された意義を強調しました。
中国政府は、去年から12月13日を「南京事件」の国家追悼日と定めていて、南京にある「南京大虐殺記念館」では、13日午前、追悼の式典が開かれました。式典には去年は、習近平国家主席が出席しましたが、ことしは、中国共産党の最高指導部のメンバーは出席せず、これに次ぐ地位の政治局委員で、全人代=全国人民代表大会の李建国副委員長が演説しました。
この中で、李副委員長は、ことし、ユネスコの「記憶遺産」に中国が申請した「南京事件」に関する資料が登録されたことに触れ、「南京大虐殺は世界的な意義と重大な影響力を持つ歴史教科書だ」と述べ、登録の意義を強調しました。一方、日中関係については「歴史を鏡として未来と向き合う精神で、隣国どうしの友好と協力を絶えず推進し、共同で世界の平和に貢献する」などと述べました。
式典が開かれた記念館では、ことし敷地を拡張して新館を設立したほか、ユネスコの「記憶遺産」に登録されたことを記念する石碑を作り、近く公開することにしていて、中国政府としては、歴史認識を巡る中国側の主張をアピールしていくねらいです。


野宿生活の体験を小説に
川崎市の61歳の男性が多摩川の河川敷での野宿生活の体験を綴った短編小説が、作家の星野智幸さんらが主催する「路上文学賞」の大賞に選ばれました。
小説にはどのような思いが込められているのか、河川敷で野宿を続ける男性を取材しました。(ネット報道部・蔵重龍)
文学がつなぐ“路上と社会”
路上文学賞は、三島由紀夫賞作家の星野智幸さんと路上で生活する人々を撮り続けている写真家の高松英昭さんらが「ホームレスと社会が、文学を通して触れ合える場にしたい」と、5年前に始めたもので、野宿していたり野宿の経験がある人が書いた作品を募集しています。
4回目となる今回は、全国から29作品の応募があり、このうち最も優れた大賞に川崎市の川岸生男さん(ペンネーム/61)の短編小説「ネコと一人の男と多摩川」が選ばれました。
河川敷の野宿体験を小説に
作品は、川岸さんが東京と神奈川の間を流れる多摩川の河川敷に建てたブルーシートと木の小屋で暮らす体験に基づいて描かれた物語です。
作品に出てくるエピソードはほとんどが実際にあった出来事。
多くの人が野宿をしながら拾った空き缶を売って生活費を稼いでいることや、台風で川が増水して小屋が流されることなど、河川敷での野宿生活の厳しさが、川岸さん自身をモデルにした主人公、缶太郎の目から生々しく描かれています。
中でも、親しくしていた野宿の仲間が、突然、河川敷の木で首をつって自殺したエピソードには、特別の思いが込められています。
けいさつかんのこえに缶太郎は、はっと気づき前に歩き始めた。まぎれもなくその木にぶら下がっていた体は友人であった。
川岸さんはその時のことを次のように話します。
「沖縄から出てきたいい仲間でした。夏のことだったので夜遅くまでふるさとのことなどを話し込んで、次の日の朝方、亡くなっているのが見つかりました。 ふだんは自分のことについて語らないのに、人が変わったようにふるさとのことや姉のことなどをたくさん話しましたが、それが最後の会話になりました。近くで死んだのは、私に見つけて欲しいと思ったからじゃないでしょうか」
厳しい野宿生活の一方で、主人公の缶太郎と飼い猫の花子とのやり取りが温かくユーモラスに描かれています。
夕方になったので缶太郎は外でサンマを一ぴきやきはじめた。ネコと半分っこだ。さっきから花子がはなをひくつかせている。
缶太郎が横のふくろのおにぎりを出そうと横を向いてまた前を見たらネコの花子とサンマが消えていた。缶太郎が一言今日は、おにぎり一つかとつぶやいた。

川岸さんの作品を大賞に選んだ作家の星野智幸さんは、「河原に生きる川岸さんと猫の目線から、一般の人には視界に入っても見えていない光景が、丁寧に描かれている。 ホームレス状態とは、人との関係を失った状態とよく言いますが、川岸さんは出会う人や猫との関係を本当に大切にして生きている。 私たちのほうこそ、人との関係を失っているのではと思い知らされる」と話しています。
腕利きの大工として全国の建設現場を
川岸さんは岩手県の出身で中学校の卒業と同時に上京して大工の修行に打ち込み、20歳で独立してからは腕一本で全国の建設現場を40年以上渡り歩いてきました。
沖縄から北海道まで津々浦々、30代のころには中東にも行って、日本の大手企業の作業宿舎の建設に当たった経験もあります。
「自治体の庁舎や有名人の住宅なども数えられないくらいたくさん手がけました。体の丈夫さにも自身はあったので、いつも親方に優先的に声をかけてもらっていました。それは自分の誇りです」(川岸さん)
川岸さんは、大工の仕事をしながらずっとアパート暮らしを続けて来ましたが、おととし病気になって入院したことをきっかけに生活に行き詰まり、一時しのぎのために、野宿を始めました。 そして、結局、河川敷の小屋で暮らすことになりました。
これまでまとまった文章をほとんど書いたことがなかったという川岸さん。
一方で、子どものころから小説は好きで、谷崎潤一郎の「細雪」などを繰り返し読んだということです。
作品は、河川敷の小屋の軒先で、真夜中に自転車の明かりを頼りに一気に書き上げました。
多摩川の河川敷の現実は
国土交通省の京浜河川事務所によりますと、多摩川の河川敷には現在、500人以上が小屋を建てて野宿しています。
河川事務所では小屋の撤去の警告などを行っていて、野宿する人は平成18年のピーク時の1000人よりは減っているものの新たに野宿を始める人もあとを絶たないということです。
厳しい現実に目を向けて
小説の末尾の文章です。
このかせんじきでくらす人々は今を今日を生きるのがせいいっぱいである。明日事など考えられないのだ。缶太郎もいっしょにくらしているネコより早く死ねないのだと思っている。
川岸さんは、「河川敷には、グラウンドや遊歩道などがあり、毎日多くの人が訪れますが、野宿者には全く関心がないようです。すぐそばに厳しい中でも一生懸命生きている人たちがいるということを知って欲しいです」と話していました。
作品は「路上文学賞」のホームページに全文が掲載されています。


日印原子力協定「誠に遺憾
日本とインドが日本の原子力関連技術の輸出が可能となる原子力協定の締結で原則合意したことについて、広島市の松井市長は、「被爆地の要請が考慮されずになされたもので、誠に遺憾だ」としてあらためて協定を締結しないよう要請するコメントを発表しました。
インドを訪れている安倍総理大臣は、日本時間の12日午後、モディ首相と会談し、日本の原子力関連技術の輸出が可能となる、原子力協定の締結で原則合意しました。
日本とインドの原子力協定をめぐっては今月9日に広島市の松井市長と長崎市の田上市長が連名で協定交渉の中止を求める文書を政府に提出していて松井市長は、原則合意について「被爆地の要請が考慮されずになされたもので、誠に遺憾だ」とするコメントを発表しました。
そのうえでコメントでは、「NPT=核拡散防止条約の非締約国であるインドへの原子力協力は、NPT体制を堅持する日本の立場を貫いたとは言い難い」として、政府に対しインドにNPTへの加盟を求めるとともにあらためて原子力協定を締結しないよう要請するとしています。


原子力協定に長崎市長“遺憾”
日本とインドが日本の原子力関連技術の輸出を可能にする原子力協定の締結で原則合意したことについて、長崎市の田上市長は「多くの反対の声にもかかわらず締結に合意されたことは被爆地として非常に遺憾です」とするコメントを発表しました。
安倍総理大臣は、日本時間の12日午後、インドでモディ首相との首脳会談に臨み、日本の原子力関連の技術の輸出を可能にする、原子力協定の締結で原則合意しました。
この原子力協定をめぐっては、長崎市の田上市長が今月9日、広島市の松井市長と連名で協定の交渉の中止を求める文書を政府に提出していました。
今回の原則合意を受けて、田上市長はコメントを発表し、そのなかで、「この協定は核物質や関連技術などの核兵器開発への転用やNPT体制の空洞化につながる可能性が懸念されます」と問題点を指摘しました。その上で「被爆者団体をはじめとする多くの反対の声にもかかわらず締結に合意されたことは被爆地として非常に遺憾です」として、政府の対応を批判しました。


パリ同時テロ事件1か月で犠牲者追悼
フランスのパリで、130人が死亡した同時テロ事件から13日で1か月になります。パリでは、多くの人が現場を訪れて犠牲者を追悼する一方、テロに屈しない決意を新たにしました。
先月13日、パリで起きた同時テロ事件では、コンサートホールなど合わせて8か所で130人が死亡し、保健当局によりますと、今も60人が入院しているということです。
現場の1つとなったコンサートホールの前では、13日の朝も犠牲者を追悼しようと多くの人が訪れました。パリ近郊に住む女性は「事件が起きて以降、買い物に出るのも怖いです。町なかを歩くのもためらいますが、以前と変わらない生活を続けていきたいです」と話していました。
また、現場では花束とともに、「テロに負けない」とか、「憎しみではなく、自由とともに生きる」といったメッセージも添えられていて、訪れた人たちは、テロに屈しない決意を新たにしていました。
パリの市当局は、事件から1か月になるのを機に、こうしたメッセージをインターネット上で公開することにしています。一方、フランス政府は、テロ対策を強化するため非常事態宣言を来年2月まで延長し、厳重な警戒態勢を続けています。
観光への影響が深刻
パリの観光地では、テロ事件から1か月がたっても観光客が減っていて非常事態宣言が延長されることもあって客足が戻る見通しは立たず経済に深刻な影響を与えるという懸念も出ています。
パリ中心部のエッフェル塔では、テロ事件の4日後営業が再開されましたが、今も武装した治安部隊などが警戒にあたっています。観光客の姿もまばらで、塔に上るためのチケットの売り上げも例年に比べて大幅に少ないということです。
近くの売店の店員は「事件のあと、観光客の数が90%も落ち込みました。生活がかかっているので戻ってきてほしいです」と話していました。
年間8000万人以上と、世界で最も多くの観光客が訪れるフランスでは、観光業はGDPの7%を占める主要な産業で、フランスのメディアは、観光業の低迷などに伴う損失は5億ユーロ(およそ670億円)に上ると伝えています。フランス政府が非常事態宣言を来年2月まで延長することもあって客足が戻る見通しは立たず、フランス経済に深刻な影響を与えるという懸念も出ています。

御堂筋の銀杏が黄色/水平運動と融和運動/薬害

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破戒

Japon : cinq femmes poursuivent l'Etat en justice pour pouvoir garder leur nom de jeune fille
Une loi japonaise de 1896 contraint les époux à adopter le même nom de famille lors de leur mariage.
"Je suis née Tsukamoto et je veux mourir Tsukamoto", confie Kyoko Tsukamoto, 80 ans. Elle fait partie des cinq Japonaises qui ont porté plainte contre le gouvernement de leur pays, rapporte vendredi 11 décembre le Guardian (en anglais) . Elles remettent en cause une loi datant de 1896, qui oblige les époux à adopter le même nom de famille lors de leur mariage, pour que l'union puisse être enregistrée. Les plaignantes estiment que cette loi est inconstitutionnelle, et qu'elle viole les "droits civils" des couples mariés.
"En perdant ton nom de famille, tu es banalisée, tu n'es pas respectée... C'est une part de toi-même qui disparaît", explique Kaori Oguni, traductrice et plaignante au procès. Si la loi de 1896 ne précise pas quel nom de famille adopter, dans la pratique, 96% des femmes adoptent celui de leur mari. "Le reflet de la société patriarcale du Japon", note le Guardian. Pour les conservateurs, cette loi a permis de créer une stabilité sociale. La modifier affaiblirait les liens familiaux et menacerait la société.
"Un changement dans l'air du temps"
Les partisans du changement avancent eux une réforme dans l'air du temps : "Le monde tourne davantage autour des individus maintenant", explique Shunsuke Serizawa, un spécialiste japonais des questions de genre et de la famille.
Au Japon, de nombreuses femmes font face à un véritable dilemme, lorsqu'elles doivent choisir entre leur nom de jeune fille pour usage professionnel et leur nom d'épouse sur les documents officiels. Certains couples choisissent alors de ne pas enregistrer leur mariage, mais font face par la suite à de nombreuses complications judiciaires, au niveau de leurs droits parentaux et héréditaires. La Cour suprême du Japon doit statuer le 16 décembre.
フランス語
フランス語の勉強?
ETV特集「沖縄の心(くくる) 共同店物語」
沖縄本島の最北端に奧という名の集落がある。そこに暮らす人たちは「共同店」を大切にしている。一見何の変哲もない売店に見える「共同店」だが、住民にとっては最も大切な場となってきた。109年前に創設された「共同店」は、住民みなが株主となり運営してきたもので、生活のよりどころであり、奧の歴史そのものだ。ここに沖縄の「ゆいまーる(協働)」の心が凝縮されている。一年で最も盛り上がる秋、奧の共同店を見つめた。
新城カメ

祝!ノーベル賞(2)梶田隆章さん特別出演! ニュートリノ振動に迫る!
ノーベル物理学賞を受賞した東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章さん。受賞理由は『ニュートリノ振動の発見』だ。ニュートリノ振動は質量がないと説明できない現象で、質量が0とされていた素粒子物理学の常識を覆す大発見だった。ニュートリノ振動とは何なのか、ニュートリノに質量があるとはどういうことなのか。梶田さんをスタジオにお招きし、自ら徹底解説! ニュートリノ振動の謎をとことん科学的に掘り下げる。
ニュートリノ振動=ニュートリノ変身?/ 科学を志す君たちへ/ 少年梶田が目覚めたわけ/ ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章さん。今回は何とスタジオに特別出演! ニュートリノ研究の世界を存分に語る。/ 今回の主人公『ニュートリノ』。1兆分の1センチの原子核よりもはるかに小さく、大きさはほとんどないとされる。あまりにも小さいためあらゆるもの貫通し、捕らえる事が極めて困難なため“幽霊粒子”と呼ばれる。/ 岐阜県飛騨市の山奥、地下1000mに設置されたニュートリノ観測装置『カミオカンデ』。3000トンもの水を蓄え、その中を通過するニュートリノを捕らえる。1996年からは性能をパワーアップさせた『スーパーカミオカンデ』で観測を継続中。/ ニュートリノ振動…それはニュートリノの変身を意味する。実は3種類あるニュートリノが飛行中に別の種類に変わることがニュートリノ振動の正体。これはニュートリノに質量がないと説明できない現象で、その根拠を示したことがノーベル賞の受賞に繋がった。/ ニュートリノ振動とは何なのか?! 梶田さん自らが実験し徹底解説する! 音叉とニュートリノ振動の関係とはいかに…?

「映像の世紀」デジタルリマスター版 第11集「JAPAN」
日本が国際社会の一員としての地位を確立した20世紀。日露戦争の勝利をきっかけにひのき舞台に立ち、その後の韓国併合、シベリア出兵、満州国建国で孤立してゆく。さらに、太平洋戦争、敗戦、戦後復興に至る日本の歩みは、詳細に世界に伝えられた。この集は、外国人カメラマンが記録した明治末期から昭和20年代末までの日本の映像と彼らの手記を軸に、世界が見つめた「JAPAN」を描く。
【語り】山根基世



東大話法(笑)という方向で 禁鳥
「東大話法」というキャッチーな単語に興味を惹かれてはいましたが、
安冨氏のほかの著作は今まで読んでおらず、たまたま新刊で並んでいたこの本を読んでみました。「東大話法」の特徴とは何かというとき、「立場主義」という言葉がもっとも象徴的といえましょうか。
「立場を守るためになりふりかまわず周囲を欺く」と帯にありますが。まあ、よくわかる話ですよ。そもそも自分も「東大話法」を使っている。まったく使わずにはなかなか生きられないです。「官僚答弁」とか「霞ヶ関言語」と一般に言われるようなものとも似ているのでしょうね。
「まあねえ、そういえなくはない…。いやいや待て待て待て、それはでも詭弁というか屁理屈だろうよ」というような。原発事故の際の「御用学者」の例にとどまらず、「ほんとに思ってることを言えよ、ポジショントークはうんざりだから。」と思うようなことっていうのは日常にも多々ありますよね。そういう気分の根源を分析してくれるという意味で、なかなか痛快な著作であると思います。
こういう本が出てくると、「ああはいはい、それ東大話法だね」みたいに断じることもできるようになるし、少しずつでも東大話法駆使者が恥ずかしい思いをするという方向に世の中が向かっていけるような気がします。あんまりその傾向が広まりすぎるのもむき出しの本音のぶつかり合いみたいで疲れそうですけどね。
しかし「第五章 東大話法が男と女をこじらせる」における安冨氏のボルテージがすごくて驚きました。自身も経験したという「地獄の立場結婚」。さぞ深い傷を負われたのでしょう。


御堂筋を通って芦原橋の方に向かいます.銀杏の黄色に色づいた葉がキレイです.途中でランチはなんばでいただきました.芦原橋ではリバティおおさかで解放運動の学習会で,水平運動と融和運動について勉強しました.リバティでは薬害問題に関してそれを忘れないということで展示会を行っていました.スモンやサリドマイドなどです.今一度記憶にとどめたいと思いました.

震災4年9か月 被災地の祈り
【仮設住宅 いまも約5万人】
東日本大震災の発生から4年9か月がたちますが宮城県内では先月末の時点で4万8631人が仮設住宅などで避難生活を続けています。宮城県のまとめによりますと先月末の時点で、プレハブの仮設住宅で暮らす人が2万5626人、民間アパートなどのいわゆる「みなし仮設」で暮らす人が2万2196人などあわせて4万8631人が仮設住宅などで避難生活を送っています。これは前の月に比べて1896人少なくなっています。
一方、被災者向けの災害公営住宅は21の市と町の1万5924戸の計画のうち先月末時点で完成したのはあわせて7784戸で、進捗率はおよそ49%となっています。
また高台などに住宅を移す防災集団移転事業については195地区で計画されていますがこのうち土地の造成が終わり住宅の建築に着手したのは先月末時点で137地区で進捗率は70%となっています。
【被災地では雨の中の墓参り】
東日本大震災から4年9か月の月命日となる11日、石巻市では遺族が墓参りする姿が見られました。
石巻市の仮設住宅に住む阿部信さん(67)は震災の津波で長男の信也さん(36)を失いました。
震災の津波と火災で大きな被害を受けた門脇小学校近くの墓地を訪れお墓に花を手向けたあと、静かに手を合わせていました。
阿部信さんは「長男をかえしてほしいと今も思います。近くを毎日散歩していますがあまり変わっておらず復興はまだまだだと感じます」と話していました。
【再建の寺で犠牲者を供養】
気仙沼市の寺では震災で犠牲になった人の供養が行われました。
気仙沼市の階上地区は東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受け208人に上る死者・行方不明者が出ました。
本堂が天井まで水につかる被害を受け震災後に再建された地区の寺で遺族や行方不明者の家族など50人あまりが出席して供養が行われました。
供養では5人の僧侶がお経をあげるとともに訪れた人たちが順番に焼香して手を合わせハンカチで目頭を押さえる遺族の姿も見られました。
当時42歳の息子を亡くした72歳の男性は、「4年9か月という時間は長いようで短く2年か3年くらいしか経っていないように感じます。まだまだ気持ちに区切りをつけることはできません」と話していました。
また、両親を亡くした54歳の女性は、「悲しみが癒えることはありませんが残された者が精いっぱい生きることこそ供養になるという思いで生活していきます」と話していました。
【自宅の再建を両親に報告】
寺での供養に出席した49歳の女性は今も行方が分からない両親に自宅の再建を報告しました。
気仙沼市階上地区に住む佐藤美香さん(49)は両親が震災の津波で流されとみられ今も行方が分かっていません。
両親と40年以上暮らした自宅は津波で被災し佐藤さんは、震災後、仮設住宅で暮らしてきましたが自宅があった場所から1キロほど離れた高台に自宅を再建しきのう、入居しました。
佐藤さんは新しい家で迎える初めての月命日のきょう震災後、支えてくれた職場の同僚とともに地震が発生した午後2時46分に仏壇の前で静かに手を合わせ新しい生活を始めたことを両親に報告しました。
佐藤さんは「自宅再建への感謝の気持ちと父親が好きだったことから赤飯をそなえました。両親も喜んでくれていると思います。いまだにどこかで2人が生きているような気がして気持ちに区切りはついていませんがこの家を会社の同僚や親せきが集まる場所にしていきたい」と話していました。
【身元のわからない遺骨】
東日本大震災から4年9か月となる月命日の11日、東松島市では、いまも身元がわかっていない遺骨の仮安置所を市の職員が訪れ、遺骨に手を合わせました。震災で1134人が犠牲になった東松島市では、いまも身元がわかっていない2人の遺骨をプレハブの小屋に仮安置し毎月11日の月命日には市の職員が訪れています。
11日も市郊外にある仮安置所を市の職員2人が訪れ、床をほうきで掃いて掃除したあと、焼香をして祭壇にある遺骨に手を合わせました。遺骨は大小2つの箱に納められていて、大きい箱は50代から60代の男性とみられていますが小さい箱は性別もわかっていないということです。
東松島市によりますと、この場所は震災直後警察の遺体確認のために使用されその後、遺骨の仮安置所になったということです。
しかしプレハブの借用期限が今年度いっぱいで東松島市は、来年度以降、市内の寺で保管する方向で調整を進めているということです。
東松島市環境課の高山孝志課長は「この場所は震災の悲惨さを思い起こす場所でもあります。早く家族と再会できる日が訪れてほしい」と話していました。
【月命日の捜索 荒天で中止も】東日本大震災の発生から、4年9か月となった11日、東北地方は朝から強い風と雨に見舞われ、震災の月命日に行われる行方不明者の捜索が各地で中止となりました。
このうち岩手県では海岸沿いの2か所で警察による捜索が行われましたが、午前8時すぎに暴風警報が発表されたため、宮古市の田老地区で午後の捜索が中止になりました。また福島県では、6つの警察署で捜索が行われる予定でしたが、このうち5つの警察署が途中で中断したり、捜索時間を短縮したりと計画を変更したということです。さらに宮城県でも、気仙沼市や南三陸町などで中止となったほか、石巻市では午後の捜索が中断されました。


野蒜の復興シンボルに 地域交流センター、観光物産交流センター
 東松島市野蒜北部丘陵地区の復興のシンボルの一つとなる野蒜地域交流センターと観光物産交流センターの安全祈願祭が11日、JR仙石線野蒜駅近くの現地であった。
 完成は2016年8月末を予定、使用開始は同年秋ごろを目指す。
 住民にとっての地域づくりの拠点や憩いの場となるほか、観光情報の発信などさまざまな効果が期待される。
 野蒜地域交流センターは木造2階の延べ床面積約1050平方メートル。1階、2階は市民センターの機能を持つ。観光物産交流センターは木造平屋約299平方メートル。有事の際の住民の避難場所を兼ねるため、防災倉庫45平方メートルも備える。
 県産の木材をふんだんに使用したぬくもりのある建物となり、太陽光発電に加え、ガスのコージェネレーション(熱電併給)も導入する予定。事業費は6億2570万円。
 市は今後、周辺で地域交流広場にベンチ、駅前広場にタクシープールなども確保する計画。JR野蒜駅周辺の街並みは大きく様変わりする。
 祈願祭には阿部秀保市長、滝健一市議会議長、斎藤寿朗野蒜まちづくり協議会長、工事を請け負う丸本組(石巻市恵み野3丁目)の佐藤昌良社長ら関係者約30人が出席。神事を行い、期間中の工事の無事故を祈った。
 阿部市長は東日本大震災から4年9カ月という節目の日に祈願祭を迎えた意義に触れ、「まちづくりを進める上で間違いなく力を発揮する施設となる」とあいさつ。
 佐藤社長も「復興事業に携わっている経験を生かし、最新で工夫あふれる施設を建設する。恩返しの意味も込めて持てる力を出し切りたい」と意欲を示した。
 震災後、野蒜市民センターは旧野蒜小校庭に仮設を備え運営している。斎藤会長は「地域住民の交流の場となる施設ができることに喜んでいる。完成が待ち遠しい」と話す。
 市の担当者は「野蒜駅は通勤、通学客に加え、奥松島を訪れる観光客が利用する玄関口」と説明。今後はにぎわい創出に向けたまちづくりにも全力を注ぐ。


<被災地の教師たち>記憶つなぐ語り部に
◎(3)踏み出す/名取市閖上元教諭 藤村崇さん
<教え子も犠牲>
 現役の教師が公の場で、東日本大震災の被災体験や教訓、思いを赤裸々に語った。宮城県富谷町の成田中教諭藤村崇さん(41)。震災当時は名取市閖上中で2年1組を受け持っていた。
 「海の方を見ると、竜巻を横にしたような砂煙が見えました。その光景は今も忘れられません」
 震災から4年7カ月となった10月11日、名取市閖上にある震災伝承の拠点「閖上の記憶」で、語り部としての一歩を踏み出した。約30人の聴衆が、息を殺して耳を傾ける。
 藤村さんが震災を振り返る。指定避難場所だった閖上中には、多くの住民らが集まった。巨大地震発生から1時間余りが過ぎたころ、校庭にいると背後から大きな音がした。「ゴーッ」「バキバキ」。振り向くと津波が迫っていた。
 「こっち来い! 早く走れ」。避難者を3階建ての校舎へ誘導した。校舎内はパニックに陥った。「屋上へ上がらせろ!」
 藤村さんは2階の職員室へ急いだ。壁から落ちた多くの鍵の中から、「屋上」と書かれた一つを見つけた。群衆をかき分け、屋上へ出た。黒い波が閖上の街をのみ込んでいた。しゃがみ込むと立ち上がれなくなる気がして、必死に踏みとどまった。
 2011年3月11日は卒業式だった。下校後、生徒14人が犠牲となった。担任の2年1組では4人が尊い命を落とした。
<全行事を実施>
 仮校舎となった名取市不二が丘小。同年4月に開かれた閖上中の始業式で、同級生や家族らを失った3年生の女子が誓った。「一日一日を悔いのないよう大切に生きていきたい」
 藤村さんら教職員はこの言葉を深く心に刻んだ。「一日を大切に生きる」。修学旅行や合唱コンクール、文化祭…。震災前と同じように全ての学校行事を実施した。
 12年3月。卒業生代表が「例年通り全ての行事をしていただいたおかげで、大切な思い出を作ることができました」と謝意を述べた。
 藤村さんは涙が止まらなかった。「子どもたちの頑張りで成り立った一年だった」。自分もできることをしなければ。そんな思いが湧き上がった。
<心の傷越えて>
 語り部は閖上中遺族会の依頼がきっかけだった。
 遺族会のメンバー丹野祐子さん(47)は「あの日、閖上中であったことを聞きたかった」と言う。震災後、さまざまな先生と接し、「学校に避難して来いと生徒に教えられなかったことは一生の汚点です」「もう震災と向き合えません」という声を聞いた。
 丹野さんは思う。「先生も生身の人間で心に傷がある。それでもあの日と向き合い、語り続ける。そう誓った藤村先生はすごい」
 藤村さんはいま、内陸の成田中で防災主任を担う。ことし3月には全校生徒約600人に震災時の閖上中のことを伝えた。
 防災教育に込める思いは一点に尽きる。「次の震災では犠牲者を出したくない」。不退転の決意で歩む。


<震災>精神科病院 3日間闇に孤立
 4年9カ月前。東日本大震災では、救援を待つ人たちに公的支援が届かなかった。患者24人が津波で亡くなった宮城県石巻市の民間精神科病院。生き残った患者や職員は3日間、気付かれないまま孤立した。医療と福祉の挟間に置かれた精神科のもろさが浮き彫りになる。(報道部・伊東由紀子)
 最も弱い人たちが、闇に取り残されていた。
 石巻漁港から北へ約1キロ、石巻市伊原津地区に精神科の恵愛病院(120床)はあった。
 震災が発生した2011年3月11日、115人の患者を2階に避難させる途中、津波が1階の窓を突き破った。逃げ遅れて命を落とした24人は寝たきりや車いすだった。
 水の中から患者を押し上げていた看護部長(当時)の藤中好子さん(67)も一時、意識を失った。
 患者と職員、避難してきた住民、約140人が取り残された。備蓄庫は水没。わずかな薬やゼリーを拾い集めて分け合った。
 「これ以上、誰も死なせない」。職員は家族の安否も分からないまま、一睡もせず看護に当たった。
 救援を信じ、屋根にシーツでSOSと書いた。ヘリの音が聞こえると身を乗り出して手を振った。
 二晩待っても、誰も来ない。「困窮しているところほど自ら発信できない。気付かれないまま、見捨てられた」。院長だった木村勤さん(66)は唇をかむ。
 患者の多くは重い統合失調症や認知症。環境の変化に弱い。興奮して大声を出したり暴れたりする人が出始めた。
 そのころ、民間の精神科病院でつくる宮城県精神科病院協会事務局長の沼田周一さん(61)は嫌なうわさを耳にした。
 「恵愛病院は壊滅した」
 「もう誰もいない」
 被害を直接確認しようと、沼田さんは仙台市から足を運んだ。14日夕、泥だらけになって恵愛病院にたどり着く。廃墟のような病院に大勢が取り残されていた。
 藤中さんは沼田さんに泣きながら訴えた。「患者さんを死なせてしまった」
 生存者の転院が急務だった。沼田さんと木村さんは関係先を回り、受け入れ先を見つけ、移動のバス、燃料などを自力で調達した。
 木村さんは「民間病院は支援の蚊帳の外だった。沼田さんが来てくれなかったらどうなっていたか」と感謝する。
 沼田さんは「精神疾患は治療の必要がないとの誤解から緊急性が理解されず、災害時などの対応は優先順位が下がりがちだ」と福祉に近い精神科の難しさを指摘する。
 避難した患者全員の転院が完了したのは4月1日。恵愛病院はその後閉院となり、木村さんは石巻市内の精神科病院に移った。
 24人を助ける方法はなかったか。藤中さんの自責の念は消えない。ただ、孤立した現場で職員たちは必死に頑張った。「二次災害を防いだ誇りを持ってほしい」と当時の仲間への思いも強い。
 藤中さんは現在、福祉施設に勤務する。職場からは恵愛病院の跡地が見える。
 亡くなった人の分もちゃんと生きなきゃいけない。今はそう感じている。


<震災>精神科、災害医療の盲点
 東日本大震災では通信の乱れや交通網の寸断などから被害状況が伝わりにくく、孤立した精神科病院が食料や医薬品の確保、入院患者の転院調整などで自助努力を迫られた例があった。
 「震災直後、民間の精神科は自力で何とかしてほしいというのが行政の対応だった。公的病院との支援面での格差を痛感した」。宮城県精神科病院協会の沼田周一事務局長が漏らすように、精神科病院への公的支援の薄さを感じた関係者は少なくない。
 東北大大学院医学系研究科の松本和紀准教授(精神医学)は「精神医療が行政の災害医療体制から漏れていたことと、公立病院が民間よりも優先されたこと。二重の問題があった」と指摘する。
 行政で精神医療を所管するのは障害福祉関連の部署だ。厚生労働省では一般医療を医政局、精神科医療を社会・援護局障害保健福祉部が担当する。
 精神疾患と身体疾患の合併症などがある患者は特別な管理が必要な場合もあり、移送の調整には一般医療との連携が欠かせない。
 厚労省は10月、精神医療と一般医療との連携や、災害派遣精神医療チーム(DPAT)の体制整備を進めようと、医政局に「精神科医療等対策室」を新設した。
 宮城県は、震災時に精神医療を十分に調整できなかった教訓を踏まえ、災害医療本部で活動する災害医療コーディネーターの業務に精神科入院患者の移送先の調整を加えた。精神科医師への初のコーディネーター委嘱も検討している。
 松本准教授は「災害時の精神科救急体制を確立するため、災害拠点病院を含めた一般医療との連携や、平時からの情報網の整備が重要だ」と話す。


祈り双葉へ届け「命ある限り合掌」
 東日本大震災の発生から4年9カ月となった11日、東京電力福島第1原発事故で福島県双葉町から埼玉県加須市に避難している関根茂子さん(65)は、避難所だった旧騎西高の正門前で黙とうをささげた。津波で叔父家族3人を亡くした。毎月11日に欠かさず、同じ場所で3人の冥福を祈る。
 震災で双葉町は十数メートルの津波に襲われ、関根さんの実家を継いだ叔父辻本毅さん=当時(79)=、辻本さんの長女喜美子さん=同(51)=と孫考司君=同(16)=が犠牲になった。
 午後2時46分、関根さんは双葉町の方角に1分間、手を合わせた。「私の孫が七五三のお参りをしたこと、喜美子の誕生日の11月30日にケーキを買って家族で祝ったことなど、1カ月の出来事を報告しました」
 関根さんが原発事故前に勤めていた町内の和菓子店の店主で、孫が考司君と同級生だった森正夫さん(72)も一緒に目を閉じた。
 双葉町は一時、旧騎西高校舎に役場ごと避難。町民約1400人が暮らした。関根さんは2011年4月2日、避難所となった校舎に入った。その月の11日から、避難所にいるときは校舎の前で、13年12月に避難所が閉鎖され、借り上げ住宅に移ってからは正門前で森さんと黙とうを続ける。
 「避難し生きる気力を失っていたとき、加須の人たちに励まされ、元気になった。騎西高は特別な場所。ここで3人に話し掛けると、胸がすっとして穏やかな気持ちになる」
 毎月11日の4、5日前、布団に入っていると、明け方に3人のにこにこした顔が目の前に浮かび、自然と涙が流れる。最初は「町に帰れず、供養が足りないからだ」と落ち込んだが、友人に「あなたが一生懸命に黙とうしているから、笑っているんだよ」と言われ、気持ちが楽になった。
 双葉町は大半が帰還困難区域で、帰還のめどは立たない。実家の墓は津波で流された。旧騎西高での黙とうは57回を数えた。
 「本当は双葉に帰りたい。でも今は、加須が第二の古里。命ある限り、月命日にここで祈り続けたい」


<もう一度会いたい>この人の子 産みたい
◎(10)不妊治療の道選ぶ
 いい結果でないだろうとは診断前から察していた。
 8週までいった前回の時と体の感じが違う。宿っている気がしない。
 11月。宮城県石巻市の今野ひとみさん(45)は不妊治療クリニックの診察台にいた。
 先生がおなかにエコーを当てる。
 モニターに像が映らない。
 「着床してないですね」
 予感は的中した。
 夫の浩行さん(53)に促されて帰途に就く。
<1年もせず>
 ひとみさんが新しい子を欲しがったのは比較的早い時期だった。震災数カ月後には夫に切り出している。
 「一周忌も終わっていないんだぞ」
 夫は当惑していた。
 ひとみさんは喪失感を埋めたいと言った。震災で3人の子に先立たれている。
 「新しい子をあの子たちの分身にするのか? ならその子がかわいそうだ」
 正論で反対された。
 身代わりにするつもりはない。その子はその子として育てる。
 「だったらあの子たちが気の毒だ。新しい子に気が傾き、いつかあの子たちを忘れる」
 夫は頑として認めない。
 ひとみさんは引かなかった。1年ぐらいだろうか。堂々巡りが延々続いた。
 同様に震災で子を失ったよそのお母さんが身ごもったとか聞くと気がせく。年を一つ重ねても焦る。
 ついに心のたがが外れた。感情が爆発する。
 「あたしはあんたと結婚して何もいいことがなかった。21で嫁いで家事と育児と仕事に追われっ放し。子がようやく手が掛からなくなったと思ったら震災だ。あたしの人生返せ」
 夫は黙って聞いていた。
 何日か後。
 2人は不妊治療の病院の門をくぐった。
 自然受精は年齢的に難しく、体外受精の道を選ぶ。
 通院は1日置きだった。移動時間を入れたら半日つぶれる。当時共働きで、どっちかが仕事を辞めないと治療継続は困難だった。
 「あたしが働く。お父さんはサポートして」
 ひとみさんが提案した。
 それは逆だろうと浩行さんは思ったが、送迎とか考えるとその方が合理的で、妻の申し出を受け入れた。
 卵を子宮から取り出す時全身麻酔する。受精卵を戻す時も。麻酔が覚めると吐き気がし、何度か戻した。
 これでは体が持たないと治療先を今のクリニックに替えた。
 試みはこれまで14回。望みはかなっていない。
 ひとみさんは身を二つにしたい理由をあらためて自問する。
 分身を求めているから?
 親が死んだ後も、あの子たちのことを語り継ぐ存在を得たいから?
 何かどれもちょっとずつずれている。
 治療に投じた費用は計300万円を超す。公的助成も切れる。
 潮時かもしれない。
 結果が芳しくないのはあの子たちがそれを望んでいないからかもしれないし。
<悔い残すな>
 クリニックからの帰り。
 ひとみさんは隣でハンドルを握る夫に話し掛けた。
 「治療は今回で終わりにしようと思う」
 夫は答えた。
 「ここでやめたら悔いが残るんだろ? 気の済むまでやればいい」
 穏やかな口調だった。
 子の欲しい理由がやっとはっきりした気がした。
 あたしはこの人の子を産みたいんだ。
 この人の子を抱っこしたいんだ。


只見の復興花火、ピンチ
 福島県只見町で来年2月に開かれる「只見ふるさとの雪まつり」の「復興花火」打ち上げが危ぶまれている。今月17日までに協力金300万円を集める目標だが、10日現在、約62万円にとどまっている。
 復興花火は2011年7月の新潟・福島豪雨で被災した町の復興の歩みを全国にPRするのが狙い。雪まつりでは例年、町民の願いを読み上げながら「祈願花火」を打ち上げているが、大規模な連続花火を楽しんでほしいと今回初めて企画した。
 協力金は専用のウェブサイトを通じて集め、ふるさと納税のように金額に応じて記念切手や地酒、町のキャラクター「ブナりん」のぬいぐるみなどを返礼として贈呈。高額協力者には特別観覧席が用意される。
 実行委員長の目黒吉久只見町長は「全国の皆さまの復興への思いを乗せ、夜空に花を咲かせたい」と呼び掛けている。連絡先は町商工観光課0241(82)5240。


<震災>被災商店街に「まちかぐ」
 宮城県石巻市中心部の中央一大通り商店会などは、商店街に木製のベンチなどの「街の家具」を設置する「まちかぐプロジェクト」を始める。一帯は東日本大震災で被災し、土地区画整理事業で道路拡幅などが進む。商店主らはプロジェクトに住民を巻き込み、にぎわい創出につなげる。初回は13日で参加者を募っている。
 区画整理事業は中央一大通りを中心とした約1.5ヘクタール。日和山に通じる大通りは避難道路として10メートルから17メートルに拡幅する。事業は2014年度に着工し、17年度の完成を見込む。
 現地では16の商店が営業を再開したが、所々に空き地が10カ所以上ある。道路の拡幅に伴って活用できる空間も広くなり、商店主たちは店舗前や歩道、空き地にまちかぐを設置し、統一感のある街並みをつくる。
 プロジェクトには地元のまちづくり団体「街づくりまんぼう」などが協力。住民や小中高生らとのワークショップで得たアイデアを基に、地元の木製品工房とまちかぐを製作する。
 大通りには災害公営住宅(35戸)も整備される。商店会は、居住予定者にまちかぐの製作段階から参加を呼び掛け、入居後のコミュニティーづくりにつなげたい考えだ。
 近くの立町大通り商店街では、街づくりまんぼうが10月、空き地にベンチやテーブルを配置し公園として整備。買い物客の憩いの場になっている。街づくりまんぼうの苅谷智大さん(29)は「震災で市中心部には空き地が増え、利用法を考える必要がある。まちかぐが多くの住民が集う居場所になればいい」と話す。
 13日は、午前11時から同市中央2丁目の石巻まちカフェでまちかぐの模型製作ワークショップを開き、午後0時半に発表と芋煮会がある。参加費500円。連絡先は街づくりまんぼう0225(25)5169。


<災害住宅>被災者以外も入居可へ 大船渡
 岩手県大船渡市は10日の市議会一般質問で、市や岩手県が整備する災害公営住宅に東日本大震災の被災者以外の入居も認める方針を明らかにした。
 市内では県分と合わせ801戸を来年10月までに整備する。入居済みや入居者が内定しているのは755戸で、46室が空く見込み。このうち随時募集している3団地(空き計25室)について、被災者の入居が進まないと判断すれば被災者以外の入居を検討する。
 市によると、災害発生から3年間は被災者以外の入居は認められないが、それ以降は収入などの要件を満たせば可能になるという。
 市住宅公園課は「被災者の入居希望を見た上で、県と協議して検討したい」と説明した。


<震災>シクラメン 絆育み5年目
◎宮崎の農業系高校18人、山元視察
 宮崎県の農業系高校4校の生徒18人が11日、山元町で東日本大震災からの復興状況を視察した。12日には生徒らが育てたシクラメンの鉢植えを町内の仮設住宅299世帯に届ける。

 町中央公民館で町主催の歓迎式があり、高千穂高3年の長谷川咲良(さくら)さん(17)が「震災をしっかりと学び、ささやかなお見舞いをしたい」とあいさつ。斎藤俊夫町長は「支援に感謝する。被災者を励ましてほしい」と呼び掛けた。
 生徒たちは津波で全壊した旧中浜小校舎や、震災後に設立した農業生産法人のイチゴ栽培施設を見学。名取市の宮城農高では生徒と交流した。
 同県教委は復興支援の一環として、2011年から毎年生徒を山元町へ派遣している。14年度にいったん終了し、本年度から2カ年は「夢をつなぐ復興支援事業」として続ける。シクラメンは「絆」「愛情」が花言葉で、仮設住宅の住民への寄贈は11年から継続している。
 町内には仮設住宅が1030戸整備され、現在の入居率は29%。都城農高3年の東條可奈保さん(17)は「農業系の高校生だからこそできる支援をしたかった。うまく育てたので喜んでくれると思う」と話した。


野蒜再生の拠点 来夏完成へ着工
 東日本大震災の防災集団移転団地の宮城県東松島市野蒜北部丘陵(野蒜ケ丘)地区で、観光物産交流センターと野蒜地域交流センターの工事安全祈願祭が11日、現地であった。
 建設場所は、JR仙石線野蒜駅近く。地域づくりの中心施設となるほか、災害時の避難場所で防災倉庫などと一体的に整備する。両センターを含む6棟が連なる。いずれも木造1階(一部2階)、6棟の延べ床面積は約1400平方メートル。来年8月末の完成を目指す。
 観光物産交流センターは地場産品の販売スペースと観光案内所、イベント用の広場を備える。地域交流センターは従来の市民センターの機能を持ち、運動ができる多目的ホールや調理室、会議室などができる。
 式典で阿部秀保市長は「施設が野蒜地区の共助とまちづくりに確実に寄与する」と期待した。
 震災の津波で観光交流センターと市民センターは全壊。仮設の市民センターが野蒜小旧校舎敷地にある。


<震災>白砂青松いつの日か 海岸復興進む
 東日本大震災で市街地が壊滅した岩手県陸前高田市の海岸部で、大規模な復興工事が進んでいる。街を守る2重の防潮堤を整備し、高田松原や砂浜を再生する。

 震災前にあった高さ5.5メートルの防潮堤は津波で全壊した。「白砂青松」と称された7万本の松は1本を残して流され、砂浜も地盤沈下で水没した。
 海岸ではいま、長さ2キロにわたり高さ3メートルの第1線堤、その100メートル陸側で高さ12.5メートルの第2線堤が造られ、全体の8割ほどまで出来上がった。
 両線堤間はかさ上げし、50年かけて松原を再生する。第1線堤の海側では石を敷き詰めた上で砂を投入し、人工的に砂浜を造る。
 気仙川河口では、津波がさかのぼるのを防ぐ水門建設が6割ほどまで進んだ。
 岩手県は5日、普段は立ち入れない復興工事現場で市民向けの見学会を開いた。参加した仮設住宅に住む女性(63)は「景観上、当初は防潮堤に反対だったが、自分の目で見ると安心のためには必要と分かった」と話した。


東日本大震災4年9カ月 巨大ベルトコンベヤー「遺構」化検討 陸前高田市、復興工事で使用 岩手
 東日本大震災で大きな被害を受けた陸前高田市で、被災地最大規模といわれるかさ上げ工事に使われた土砂運搬用の巨大ベルトコンベヤーの一部保存に向けた議論が進んでいる。復興の過程で一時的に造られた建築物を保存するのは異例だが、長期間に及ぶ復興の過程を後世に伝える「復興遺構」として保存が決まれば、防災教育や観光面での一定の役割を果たすことになる。(高木克聡)
                   ◇
 保存が検討されているのは、巨大コンベヤーのうち気仙川にかかる「希望のかけ橋」と呼ばれている吊り橋の土台部分。震災被害を後世に伝える「震災遺構」に対して、復興工事で造られた建築物「復興遺構」として保存する考え。
 コンベヤーは全長3キロ。総工費120億円で建設された。平成26年3月末から稼働し、今年9月に役目を終えて解体が始まった。約1年半で運んだ土砂は500万立方メートルで、10トントラックを使用した場合、約9年かかる運搬を約2年半に短縮する効果があった。
 コンベヤーの周辺は国や県、市が復興祈念公園として整備する計画があり、公園を運営する県が遺構としての維持・管理を承諾するかどうかがカギとなる。
 維持・管理費用の負担は大きく、市は「保存するかどうか決まったわけではないし、判断の期限も設けていない。引き続き関係機関と協議する」としている。
 震災から4年9カ月となった11日もコンベヤーや近くにある「奇跡の一本松」には多くの観光客らが訪れた。千葉市からボランティア活動で訪れた大学生、中村浩太さん(20)は「盛り土はされているけど、まだまだ街ができるには時間がかかる。長い時間がかかっているからこそ、その大変さを示す遺構が残っていてもいいのでは」と話していた。


津波に強い陸前高田 摂南大生が復興後模型
 東日本大震災から4年9か月の11日、摂南大(寝屋川市)の学生4人が、被災地・岩手県陸前高田市の復興後の模型と、コンピューターグラフィックス(CG)を完成させた。今月中旬に現地で公開し、地元が目指す新しいまちづくりに役立ててもらう。
 加嶋章博教授の研究室で建築を学ぶ大学院生伊藤良悟さん(24)らが手がけた。陸前高田市の復興を支援するプロジェクトに参加し、都市再生機構などが設計した復興後の中心市街地の500分の1模型(縦約1.1メートル、横約1.5メートル)とCGの制作に3月から着手。建築資材やドライフラワー、和紙を使って建物や並木、広場などを表現している。
 メンバーは、盛り土によるかさ上げ工事が進む現地を昨年12月に訪れ、甚大な被害を自分の目で確かめて改めてショックを受けたという。伊藤さんは「模型やCGを活用し、津波に負けないまちをつくってほしい」と話す。


<尼崎脱線慰霊碑>負傷後に自死 男性の名刻まず
 尼崎JR脱線事故の現場に建立される慰霊碑の「名碑」に刻む犠牲者名をめぐり、JR西日本が負傷後に自死した男性の名前を入れない方針を遺族に伝えていたことが12日分かった。JR西は事故が直接的な原因で亡くなった乗客106人を犠牲者としており、遺族が「差別だ」と反発する事態となっている。
 兵庫県宝塚市の岸本遼太さん=当時(25)=は2005年4月25日、京都市の大学に通学するため4両目に乗車中、事故に遭った。心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、3年半後の08年10月、苦悩の末に自宅で自死した。


ワタミ和解 ブラック企業の一掃を
 過酷な長時間労働で従業員を使いつぶす「ブラック企業」は一掃されるべきだ。居酒屋大手「和民」で働いていた女性の過労自殺をめぐる訴訟の和解をその弾みとしたい。
 運営会社のワタミと元社長の渡辺美樹参院議員は業務に起因する自殺と認めて遺族に謝罪し、1億3365万円の賠償金を支払い、労働時間の把握などの再発防止策を取る、というのが和解の内容だ。
 さらに、原告以外の社員にも未払い賃金や天引きがあったと認め、1人当たり約2万5000円、総額約4500万円を支払うことも合意した。遺族側の意向を全面的に受け入れ、ワタミに実質的な懲罰を科す画期的な和解と言える。
 自殺した女性は2008年4月に入社してから飲食店で連日未明まで勤務し、1カ月の残業時間は141時間に上った。国の過労死認定ライン(月80時間)を大幅に超える異常な長時間労働だ。
 和解条項には、タイムカードを打刻した後に働かせることがないよう労働時間を厳格に管理したうえ、研修会なども労働時間に含めて記録するなど、具体的な再発防止策が盛り込まれた。ワタミに限らず、長時間労働による過労死や自殺を防止するための基本ルールにすべきだ。
 もともと勤務時間の上限は週40時間と労働基準法で決まっており、残業代はこれを守らせるための懲罰的な金銭補償だ。
 ただ、労使協定を結べばほとんど無制限で残業が許されるため、リーマン・ショック後、人件費を抑えて長時間労働をさせ、さまざまな名目で残業代を削るブラック企業が横行するようになった。正社員を減らし、賃金の低い非正規社員で代替するため、少ない正社員にますます仕事がのし掛かる構造となった。
 当初、ワタミは裁判で責任を認めず争ってきたが、「24時間死ぬまで働け」という渡辺元社長の経営方針への批判から従業員が集まらず、客離れを招いて経営が悪化した。その結果、渡辺氏個人の責任も認める和解へと追い込まれた。ブラック企業は存続できないことを示した意義は大きい。
 うつなどで労災認定された人は昨年度497人、自殺や自殺未遂は99人でいずれも過去最多となった。今年10月時点でも、賃金不払いの残業をした社員は35%、男性正社員の1割は月80時間を超える残業をしたとの調査結果がある。
 非正規雇用の増大を招く国の政策が背景にあり、労働基準監督署が指導や取り締まりを十分に行ってこなかった結果でもある。国は事態を深刻に受け止め、ブラック企業の根絶に向け、労働時間規制や会社への指導を強化する必要がある。

東日本大震災から4年9か月/38年前に気仙沼線全線開通

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Au Japon, un concours des serviteurs de la mort pour un départ en beauté
Sayuri Takahashi s'agenouille avec grâce au côté d'une femme allongée immobile, lui prenant délicatement un bras puis l'autre, ensuite les jambes pour lui enfiler une chemise, un pantalon, des chaussettes dans la lumière douce de bougies artificielles.
Mme Takahashi, 27 ans, participe à un concours de spécialistes de la préparation et de l'habillement des morts avant les obsèques et la crémation, une profession en déclin dans les grandes villes du Japon, moins dans les campagnes.
Un art rendu célèbre à travers le monde par "Departures", Oscar en 2009 du meilleur film en langue étrangère, dans lequel un violoncelliste se trouve entraîné presque malgré lui dans cette activité après la dissolution de son orchestre. Ce film japonais, qui montrait l'élégance des rites de préparation des corps et la bienveillance des "nokanshi" qui les pratiquent, portait un regard rasséréné sur la mort, sans oublier quelques pointes d'humour.
"La gentillesse et la politesse envers la famille du défunt et l'efficacité sont clés", a expliqué à l'AFP Shinji Kimura, un des trois juges d'un concours de nokanshi organisé cette semaine à Tokyo dans le cadre de la première Exposition des entreprises du secteur funéraire. "Cela ne doit pas être mécanique", a-t-il ajouté.
M. Kimura, qui a 30 ans de métier, a aussi été conseiller de l'acteur principal de "Departures".
- Pénurie après le tsunami -
Pour la première fois au Japon, des spécialistes du "nokan" participaient à une compétition, habillant en 15 minutes, devant des juges et un public, des mannequins vivants allongés sur des futons, tandis qu'un guitariste jouait une musique douce.
"Nous voulions que le public en sache plus sur les nokanshi dont nous avons cruellement manqué après le désastre de 2011", a déclaré l'organisateur de la compétition Koki Kimura dans une allusion au puissant tremblement de terre suivi d'un tsunami qui a tué plus de 18.500 personnes dans le nord-est du Japon en mars 2011.
Les mannequins partiellement habillés étaient recouverts d'une sorte de robe de cérémonie destinée à cacher leur peau: la manière la plus usitée, par pudeur, d'habiller les corps lorsque la famille est présente. Après avoir délicatement enfilé les vêtements sous la robe, les spécialistes retiraient celle-ci pour faire apparaître le mannequin entièrement habillé.
Le travail des nokanshi recoupe en partie celui des pompes funèbres en Occident mais les cadavres sont rarement embaumés dans l'archipel, ou la crémation est de règle.
Mme Takahashi, qui a remporté le concours face à cinq autres spécialistes, est entrée il y a trois ans dans ce métier qu'elle a découvert après la mort d'un membre de sa famille dont le corps a été préparé par un nokanshi. "Le visage de mon parent est devenu serein", a-t-elle expliqué à l'AFP, ajoutant que le film Departures l'avait aussi motivée dans son choix.
"C'est quand les membres de la famille du défunt me disent qu'ils sont reconnaissants pour ce que j'ai fait que je suis le plus heureuse", dit-elle.
- Le beau moine -
Un concours de "beaux moines bouddhistes" vêtus de délicates étoffes dorées, violettes, ou noires et blanches était aussi organisé pour tenter de faire revenir les familles aux traditions: sermons funèbres, lectures de sutra, chants.
"Le nombre de décès va atteindre un pic au Japon en 2040 mais beaucoup de personnes âgées choisissent de cesser d'utiliser le tombeau de leurs ancêtres", a déclaré Mayumi Tominaga une porte-parole de l'exposition.
C'est un moine du nord de l'île septentrionale de Hokkaido, Shouyo Takiyoshi, qui a remporté le concours face à sept adversaires, en chantant des chants mélancoliques.
Un autre a choisi le karaté pour surprendre la centaine de spectateurs en brisant une pile de 10 tuiles main nue. "Ha !", a-t-il hurlé dans le fracas des tuiles. Puis, tout calme: "désolé de vous avoir fait peur".
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「映像の世紀」デジタルリマスター版 第10集「民族の悲劇果てしなく」
冷戦が終結しソ連が崩壊した後、世界に再燃した民族紛争や数々の内戦は、再び膨大な数の難民を生み出している。難民問題は、2度の世界大戦、植民地支配に対する民族運動の勃興、社会主義国家の誕生と衰退などに端を発し、今や最大の課題の一つとなっている。この集は、珍しい20世紀初期の難民の映像を含め、国家に翻弄される人々の絶え間ない民族対立の歴史とそれが生み出す膨大な難民の映像が語る悲劇の歴史を描く。【語り】山根基世

東日本大震災から4年9か月です.悲しいのはそのせいではないです.知り合いが送ってきたメール.その人のお母さんに対して「泣きの入った話しは右から左に聞き流し」というのを見て,とても悲しい思いです.わたしだって泣きの入った話しているのに・・・
最近机の上がやばいくらい乱れています.どうにかしなくてはいけないです.
少し調べ物をしていて今はBRT代行になっている気仙沼線の全線開通が38年前だったそうです.気仙沼線・大船渡線・山田線の1日も早い復旧を願うものです.

震災関連死含めた死者・不明者 2万1000人超
東日本大震災の発生から4年9か月になり、警察がこれまでに確認した死者と行方不明者は1万8458人となっています。また、避難生活などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は国のまとめで3000人以上と、「関連死」を含めた震災による死者と行方不明者は2万1000人を超えています。
警察庁によりますと、警察によって死亡が確認された人は、宮城県が9541人、岩手県が4673人、福島県が1612人、茨城県が24人、千葉県が21人、東京都が7人、栃木県と神奈川県がそれぞれ4人、青森県が3人、山形県が2人、群馬県と北海道がそれぞれ1人で、合わせて1万5893人となっています。
死亡した人の99%は身元が確認されましたが、依然として76人の身元が分かっていません。
また、警察に届け出があった行方不明者は、宮城県が1237人、岩手県が1125人、福島県が199人、千葉県が2人、茨城県と青森県がそれぞれ1人で、6つの県で合わせて2565人となっています。
一方、復興庁によりますと、避難生活による体調の悪化などで亡くなった、いわゆる「震災関連死」は、ことし3月末現在で、福島県で1914人、宮城県で910人、岩手県で452人、茨城県で41人、千葉県で4人、長野県と神奈川県でそれぞれ3人、山形県で2人、東京都と埼玉県でそれぞれ1人の、少なくとも合わせて3331人となっています。
福島県では「震災関連死」で亡くなった人が、津波など震災の直接の影響で死亡した人の数を上回っています。
これで、東日本大震災による死者と行方不明者は、「震災関連死」を含めて少なくとも2万1000人を超えています。


東日本大震災から4年9か月
東日本大震災の発生から11日で4年9か月です。雨のなか、祈りがささげられています。
行方不明の家族に手を合わせる姿も
東日本大震災で犠牲になった人たちの月命日の11日、宮城県石巻市では、今も行方が分からない家族のために建てた墓を遺族が訪れ、手を合わせる姿がみられました。
石巻市北上町の仮設住宅に1人で住んでいる佐藤清吾さん(74)は、一緒に暮らしていた妻の由美子さん(当時58)と孫の嘉宗くん(当時7)が津波に流され、今も行方不明のままです。
佐藤さんは震災のおよそ半年後に2人のために墓を建てていて、月命日の11日、墓を訪れて手を合わせていました。
自宅が津波にのみ込まれて遺品が残っていないため、墓の中には何も納めることができなかったということです。
佐藤さんは今後、2人の墓の近くに住宅を建て、仙台市から娘を呼び寄せたいとしています。
佐藤さんは「この近くの海のどこかにいる2人とずっと一緒にいるよという思いで、ここにとどまることを決めた。4年9か月がたっても、家族を失った悲しさは変わらないです」と話していました。
福島 いわきでは行方不明者の捜索
福島県の沿岸部では今も行方が分からない199人の捜索活動が行われています。
このうち、32人が行方不明となっているいわき市の沿岸部では、強い雨が降るなか、警察官およそ50人が被害の大きかった市内の5つの地区で一斉に捜索を行っています。
久之浜地区でははじめに捜索にあたった警察官20人が海に向かって黙とうをささげました。
このあと警察官たちは、津波が押し寄せた川の河口付近の砂浜で、横一列に並びながら棒で地面をつついて行方が分からない人の手がかりがないか探していました。
沖縄県警察本部から被災地支援のため福島に出向している新里英司巡査部長は、「家族が見つからないのはとてもつらいと思います。このような天気で厳しい捜索ですが、行方が分からない人につながるものや思い出の品などがないか丁寧に捜索に当たります」と話していました。
岩手 宮古でも行方不明者の捜索
津波で大きな被害を受けた岩手県宮古市の海岸では、雨が降りしきるなか、警察による行方不明者の捜索が行われています。
岩手県内では今も1125人の行方が分かっておらず、警察は、震災の月命日の11日に合わせ、行方不明者の捜索を行っています。
このうち、94人の行方が分かっていない宮古市では、宮古警察署の警察官13人が田老地区の海岸に集まり、海に向かって黙とうをささげたあと、捜索を始めました。
警察官たちは雨が降りしきるなか、岩場の隙間にスコップや手を入れるなどして、手がかりがないか捜していました。
広島県警察本部から宮古警察署に派遣されている山内峰巡査部長(33)は、「不明者が見つかることを待ち望んでいる人のために手がかりになるものを見つけたい」と話していました。
岩手県宮古市には暴風や高潮の警報が出されているため、警察は午後に捜索を続けるかどうかは、天候を見て判断したいとしています。


石巻で遺族が墓参り
東日本大震災から4年9か月の月命日となる11日、石巻市では遺族が墓参りする姿が見られました。
石巻市の仮設住宅に住む阿部信さん(67)は震災の津波で長男の信也さん(36)を失いました。
11日は震災の津波と火災で大きな被害を受けた門脇小学校近くの墓地を訪れ、お墓に花を手向けたあと静かに手を合わせていました。
阿部信さんは「長男をかえしてほしいと今も思います。近くを毎日散歩していますが、あまり変わっておらず復興はまだまだだと感じます」と話していました。


被災の寺で犠牲者を供養
震災から4年9か月となる11日気仙沼市の寺では震災で犠牲になった人の供養が行われました。
気仙沼市の階上地区は東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受け208人に上る死者・行方不明者が出ました。
11日は本堂が天井まで水につかる被害を受け震災後に再建された地区の寺で遺族や行方不明者の家族など50人あまりが出席して供養が行われました。
供養では5人の僧侶がお経をあげるとともに訪れた人たちが順番に焼香して手を合わせハンカチで目頭を押さえる遺族の姿も見られました。
当時42歳の息子を亡くした72歳の男性は、「4年9か月という時間は長いようで短く2年か3年くらいしか経っていないように感じます。まだまだ気持ちに区切りをつけることはできません」と話していました。
また、両親を亡くした54歳の女性は、「悲しみが癒えることはありませんが残された者が精いっぱい生きることこそ供養になるという思いで生活していきます」と話していました。


被災校舎照らす鎮魂の光 宮城
 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が死亡・行方不明となった石巻市立大川小の被災校舎に、クリスマスツリーのイルミネーションが飾られた。緑や白の光がやわらかに校舎を照らしている。被災地は11日、東日本大震災から4年9カ月を迎える。
 ツリーは、犠牲になった子供たちに光を届けようと、東京から来たボランティアら約15人で飾り付けた。ツリーのためのソーラーパネルを整備した、さいたま市の電気工事業、田口修さん(45)は「ご遺族などお参りに来た人が、少しでも温かな気持ちになれると良い」と話している。


震災から4年9カ月 避難道路を整備、教訓生かし立体交差 新地
 東日本大震災、東京電力福島第一原発事故発生から11日で4年9カ月。津波で大きな被害を受けた新地町の沿岸部では道路の復旧工事が急ピッチで進んでいる。
 町道大戸浜富倉線は沿岸部の大戸浜地区からJR常磐線をまたぎ、西側の6号国道につながる。震災時、県道や町道の一部踏切で遮断機が下りたまま警告音が鳴り、住民避難に支障を来した。
 震災を教訓に新たな道路は常磐線との交差部を立体交差とし陸橋を整備する。これまでに橋桁の取り付け工事が完了した。今後は舗装作業に入る。来年秋の完成を目指す。
 JR東日本は不通となっている常磐線相馬−浜吉田(宮城県亘理町)駅間の運行を、当初の予定を前倒しして来年12月末までに再開させる。津波で流失した新地駅の再建工事も進む。


復興への日々、福島第一原発の廃炉作業に向き合う学生たち
 東日本大震災から12月11日で4年9か月です。復興への最大の課題は福島第一原発の廃炉です。30年から40年に及ぶというこの作業に向き合う、地元の学生たちの姿を追いました。
 第一原発から12キロ離れた福島第二原発。震災後、止まったままの施設を訪れたのは、いわき市にある福島工業高等専門学校の学生たちです。
 福島高専では、廃炉に向けた人材育成が始まっています。
 「廃炉はすごく長い時間がかかる。30年、40年かかると言われているので、その間、次から次へと若い方がちゃんと育っていかないと」(福島高専 佐藤正知特命教授)
 福島第一原発で、現在働いている人は7000人近く。長い年月がかかる廃炉の最大の課題は人材の確保と育成です。
 福島高専では、ことし10月から放射線や廃炉に必要な知識を学ぶ選択科目を取り入れました。
 第二原発を視察した学生の1人、渡辺隆也さん。ことし9月に避難指示が解除された楢葉町の出身です。
 「ここが復興しなければ、双葉郡の復興もないと思っている」(福島高専4年 渡辺隆也さん)
 自宅は避難指示の解除を受けて、ようやく震災で壊れた部分を直し始めました。しかし、帰るめどは立っていません。
 「アユ釣りとか農業とか放射線を気にしないで生活できるようになれたらいい」(福島高専4年 渡辺隆也さん)
 渡辺さんは原発を見て、これからの道のりの険しさと自分がやるべきことを考えていました。
 「第一原発の状況を聞いて、まだまだ時間がかかることを改めて実感した。水質管理、放射性廃棄物の管理とか、(専攻が)物質工学科でもあるので、生かせるのかなと思っている」(福島高専4年 渡辺隆也さん)
 原発の廃炉と向き合う福島の学生たちがいます。


河北春秋
 いまはとんと目にしないが、酒を飲んでタバコを吹かし、テレビに映る出演者が結構いた。怪しげな黒いサングラスを掛け、早口で世評をまくしたてたのが作家の野坂昭如さんだった▼討論番組『朝まで生テレビ』には、一杯引っ掛けてから来るのだろう。何を言いだすかスタッフがはらはらしながらも、司会者の田原総一朗さんは頼りにしているように見えた▼野坂さんが85歳で死去した。酔狂に及ぶこと数知れず。無頼派作家でつくる「野良犬会」に入り、吉行淳之介さんらと活動する。社会批判を行動で示したのが、ロッキード判決後の1983年12月の衆院選だった。田中角栄元首相の選挙区に長靴で分け入った▼「元首相にはご苦労さまでしたと言いたい。地元で才能を生かしてほしい」と引退を促したものの、落選した。田中陣営からは「新潟の冬は寒いぞ」と肌着が届く。戦い終えて丁重にお礼を伝えたという。そんな一面があった▼彼もまた、戦後の繁栄のありように違和感を隠さなかった。戦争体験を基にした『火垂(ほた)るの墓』は、救いようのない結末にかかわらず毎年8月に放映され、親子ともども居住まいを正さずにはいられない。不戦の誓いが揺らぐ中での旅立ちだった。最後のサングラスを外したとき、まぶたに何が映ったろう。

東日本大震災 被災弱者との共生/地域社会の役割を考えよう
 東日本大震災の発生から4年9カ月。被災地では5度目の年の瀬が近づく。災害公営住宅や自力再建した自宅で新年を迎える被災者は増えている。仮設住宅から恒久住宅への転居は復興の一つの象徴。ただ、そこは到達点ではなく、生活再建の出発点であり、一方で、たどり着けない被災者も依然、多い。
 歳月は住宅格差を二極に押し広げている。岩手、宮城、福島の被災3県では10月末現在、プレハブ仮設住宅3万1295戸に5万1623人が住む。民間賃貸のみなし仮設住宅の入居者は6万2000人超。ピーク時、3県計27万人の4割近い10万を超す被災者が、建設計画の遅れなどから、いまだに安住の住まいすら確保できないでいる。
 仮設住宅団地の空き室は半数に迫る。3県の入居率は61%で宮城は6割を切った。宮城県亘理町は11.8%まで減り、1126戸に133世帯が点在している。
 入居率低下は確かに住宅復興の進展を意味するが、おびただしい空き室に囲まれ、取り残される被災者がいることを見落としてはならない。
 災害公営住宅の完成は復興への一過程。ゼロから始まる近所づきあいに不安を感じ、仮設暮らしを懐かしむ入居者が少なくない。
 「仮設住宅では住民同士、家に行ったり来たりする交流があったが、ここではみんな孤立している」(釜石市・80代女性)「仮設には思い出がたくさんある。離れ離れになってつらい」(仙台市宮城野区・70代女性)
 新居を入手できた復興感を超える喪失感にさいなまれ、前を向けないでいる被災者にも目を向けねばならない。
 仮設住宅団地では高齢者、経済的困窮者の比率が急速に高まり、災害公営住宅では高齢化率が最初から5割を超すケースがある。全国的な少子高齢化と同時並行的に進む過疎化の双方で悩む東北の多くの集落の行く末と重ね合わせる想像力が求められる。
 仮設住宅の入居期限は福島県全域と岩手、宮城の14市町村で1年延長された。慎重を期しつつも、行政が仮設からの退去の誘導に努めるほど、行き場のない被災者を隘路(あいろ)に追い込むことを懸念する。災害公営住宅などの建設部門と生活支援の福祉部門の一層の連携が欠かせない。
 生活の復興には地域社会が果たす役割も大きい。新たな土地で暮らしを始めるとなれば、なおさらだ。
 仙台市青葉区霊屋下では先月、災害公営住宅の入居者と地域住民の交流会があった。周辺町内会は2013年、「復興公営住宅とまちづくりを考える会」を設立し、受け入れ準備を進めてきた。
 「地域になじめるか不安だったが、皆さんと仲良く暮らしていけると思えるようになった」。移り住んだ高齢夫婦は、共生への期待感に言葉を弾ませる。
 残念ながら、仙台市内では立地条件に恵まれた災害公営住宅の入居者が、地域住民から白眼視されているように感じるケースがあるという。震災の風化の一断面なのだろうが、今こそ地域の寛容さと包容力が問われている。


<もう一度会いたい>喪失感 夫婦に溝生む
◎(9)言い争いが絶えず
 仮設住宅に移って初めての年の瀬だったと思う。
 今野ひとみさん(45)=宮城県石巻市=は夫の浩行さん(53)に1泊の温泉旅行を持ち掛けた。震災で3人の子を亡くしてからどこにも行っていない。
 仮設の風呂は狭い。たまには広い湯船で脚を伸ばしたい。
 「俺は行かん。位牌(いはい)と遺影はここにある。子どもたちを置いて出掛ける気にはなれん」
 返事は素っ気なかった。
 旅の提案は夫を思ってのことでもある。毎日ふさぎ込んでいるから、気晴らしになるだろうと。
 厚意を蹴飛ばされた気がした。
<離婚の話も>
 「あんたのために言ってんだよ」
 「行くなら一人で行け」
 夫も言い返す。口げんかで収まらず、取っ組み合いになった。
 夫とはいえ、相手は大男だ。勝ち目はない。苦し紛れで110番した。
 こけ脅しのつもりだったので1回の呼び出し音で切ったが、逆探知され、パトカーが駆け付けた。
 お巡りさんに事の次第を話す。たっぷり油を搾られ、お引き取り願った。
 サイレン音を聞き付けた住人も集まって来た。「何でもありませんから」と罰の悪い顔で人払いする。
 けんかが絶えなくなった。
 普段なら聞き流せることも、気持ちがささくれ立っているせいか、いちいち気に障る。
 仏壇を作る作らない。
 「仏壇設けようよ。仮設で持っていないのはうちとあと1軒だけらしいよ」
 「そのうち新しい家を建てんだから。そん時立派なやつ設けるから今は簡易なので辛抱しろって」
 宗教に入る入らない。
 「知り合いに入会勧められたの。見込まれたら支部長にしてくれるって」
 「そんなうさんくさい話に乗れっか。この間もばか高い鍋買わされそうになったろ」
 毎度エスカレートし、決まって離婚話に発展する。
 「役場から届もらって来て」
 「ああ分かった。後悔しても遅いかんな」
 夫は役場の支所に取りに行き、自分の判を押して妻に渡す。
<法外な要求>
 「慰謝料6000万円。別れんならよこせ」
 妻が吹っ掛けてくる。
 「そんな大金あるわけねえべ」
 「だったらこの話は無しだ」
 妻は届をビリビリと破った。
 何日かしたら別の火種でもめる。
 夫はまたもらいに行く。前回と窓口が同じだと恥ずかしいから、違う支所にする。
 「6000万」
 妻は今度も法外な要求をする。
 「だから払えねえって」 届はごみ箱行きになる。
 この繰り返しだ。
 妻は実は夫と別れようとはこれっぽっちも思っていない。カッカとした勢いで別れ話を持ち出したはいいものの、収めるに収められなくなっただけだ。無理難題を突き付けて離婚話をご破算にし、結局夫をつなぎ留めている。
 そんな女心に夫は気付いていないのか、気付いていないふりをしているだけなのか。
 ひとみさんはまだ浩行さんに確かめていない。


コントで被災地笑顔に アマ劇団が奮闘中
 東京電力福島第1原発事故の影響が続く福島県南相馬市で、昨年旗揚げしたアマチュア劇団が笑顔を振りまいている。演じるのはコント仕立てのオリジナル脚本。近隣自治体からの避難住民もメンバーに加え、「被災地に劇場文化を根付かせたい」と練習に励んでいる。
 劇団名は「キャンディ」。市内で飲食店を営む井出百合子さん(52)が座長を務める。昨年5月に3人で結成し、小規模公演をこなしたり、福祉施設を慰問したりしている。
 井出さんが芝居に取り組んだのは6年前、40歳すぎからだった。子育てが終わったのを機に東京の養成所に飛び込み、女優としてデビュー。海外の映画撮影に参加した経験もある。
 芝居の楽しさを伝えようと、2011年に市内で演劇教室の開催を企画。だが、原発事故の発生で中止を余儀なくされた。夢を諦められず、店の常連客に参加を呼び掛けるなどして劇団発足にこぎ着けた。
 メンバーには、原発周辺から市内に避難している男性(32)も。芝居は初挑戦だが「大声を出すのはストレス解消にもなる」と意欲的に練習に加わっている。
 ショートコントを中心に、脚本は全て井出さんが手掛けている。地元での公演活動に加え、仙台で定期開催されるお笑いオーディションへの出場が目標だ。11月には「ゆり姉(ねえ)」の名で単身でオーディションに挑み、優勝を勝ち取った。
 南相馬は今も一部で住民避難が続く。井出さんは「地域住民に芝居で笑顔になってほしい。いつか市内に小さな劇場を建て、演劇文化を発信する拠点にしたい」と話す。


<私の復興>子どもの成長を実感
◎震災4年7カ月〜自然体験学校運営・福島県鮫川村 進士徹さん
 福島第1原発事故を受け、2011年夏から全国の自然体験学校などが連携して福島の子どもたちを受け入れてきた、夏休みや冬休み期間中の林間学校「ふくしまキッズ」。原発事故から5回目の冬となり、一つの区切りの時を迎えた。
 5年間の継続を掲げた活動だったこともあり11月28日、郡山市で「ふくしまキッズ Farewell PARTY(さよならパーティー)」が開かれた。
 これまでの林間学校に参加した福島の小中高校生や父母らが集い、お世話になった各地の自然体験学校関係者らとの再会を喜んだ。
 会場の各ブースを訪ね歩く進士さんに、あちこちから声が掛かる。
 久しぶりに会う子に笑顔で言葉を掛ける進士さん。パネル討論で登壇すると、「子どもたちが自分の意見を筋書きなしで堂々と言えるようになった。5年間の活動の蓄積は無限の成長につながる可能性を秘めている」と成果を語った。
 原発事故で外遊びが制限された子どもたちが伸びやかに過ごせる持続的な機会をつくりたい−。福島県鮫川村で自然体験学校を営む進士さんは、原発事故直後にそう思い立った。自然体験学校でつながる全国の仲間と手を携え、ふくしまキッズを始めた。実行委員会の委員長を務めている。
 「保養のため」とは位置付けなかった。「体験活動を通して『困難に向き合い生き抜く力を身に付けてほしい』とずっと言ってきた」と強調する。
 体が弱かった長男を大自然の中で療養させる目的もあって、進士さんは1988年に静岡県から鮫川に移り住んだ。
 農業をしながら自然体験学校を開いた。地域で生きる人々から山里の暮らしの知恵を教わった。原発事故が起き3月15日に妻の実家がある東京に避難したが、4日後に鮫川に戻った。
 「福島を離れたら、山里の可能性を信じてきた自らの生き方まで否定することになる」。鮫川に腰を据えて福島の子どものために尽くす具体的な手だてが、ふくしまキッズだった。
 ことしの夏休みまでに計13回のプログラムを組み、約4600人の福島の子どもが参加した。出会いや体験に魅せられ、何回も参加した子もたくさんいる。
 <多くの困難も貴重な経験だったと思いたい>
 <いま私にできることは福島の未来を考えること>
 Farewell PARTYで、子どもたちからはこんな発言が相次いだ。ふくしまキッズで得たものは、それぞれの子の心の中で着実に実を結んでいるようだ。
 原発事故から間もなく5年の節目となるのを機に、一連の取り組みから「支援」の意味合いを外す。運営体制などを見直し、自然体験を通した学びの場を引き続き提供していくことにしている。「支援だけでは子どもは育たない」との考えが根底にある。
 「(原発事故で)真っ暗なトンネルに押し込まれた状況の中で灯をともす工事を、自然体験学校はしたのだと思う。そこに光を求める子どもたちが集まった」。進士さんはこう語り、新たな年から始めるふくしまキッズの第2ステージを思い描く。(松田博英)
●私の復興度・・・55%
 ふくしまキッズに参加してくれた子どもたちは心身共に成長が目覚ましい。一人一人が将来への希望を見いだすことにもつながった。活動に関わる各地の人々にもプラスの効果をもたらしている。そうした意味で55%。残り45%はこれからやるべきこと。子どもを育む福島発の取り組みとして、福島の枠を超えたジャパンキッズのような活動にもギアチェンジしていけるのではないかと思う。


那覇市、同性カップルに「パートナー証明書」交付検討 次年度、先進地を調査視察
 ことし7月に同性愛者ら性的少数者(LGBT)の生きやすい社会実現を目指す「性の多様性を尊重する都市・なは宣言(レインボーなは宣言)」を行った那覇市は2016年度以降、同性カップルを結婚に相当する関係と認める「パートナー証明書」交付を目指し、条例か要綱の制定に向けた検討に入る。既に東京都渋谷区は同証明書の交付を始めており、那覇市は次年度に先進地として渋谷区などを調査視察する。
 10日の市議会12月定例会の一般質問で、今後の施策展開を質問した古堅茂治氏(共産)に久場健護総務部長が答えた。久場部長は「他先進自治体が行っている同性間のパートナーシップに関する施策についても、当事者や関係者との意見交換を交えながら進める」と述べた。
 パートナーシップ証明をめぐっては渋谷区の場合、法的拘束力はないが、病院や不動産業者などに同性カップルでも夫婦と同等に扱うよう条例で求めている。是正勧告などに従わない場合は、事業者名を公表する規定も盛り込んでいる。
 市平和交流・男女参画課によると、調査事業費を次年度予算に計上する方針で、「レインボーなは宣言」理解を目的に15年度から始めている市職員への研修も引き続き実施する。そのほかポスターやパンフレットを作成し、市民の理解促進につなげることで、条例もしくは要綱制定を実現できる社会的土壌づくりも進める。
 国内では渋谷区がことし3月、全国に先駆けて「パートナー証明書」を発行する条例を制定し、11月から交付を開始。世田谷区も要綱に基づくパートナー宣誓書の受け付けを始めている。


「辺野古基金」5億円超える
 米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古(へのこ)移設に反対する有識者や地元経済人らが共同代表を務める「辺野古基金」は10日、4月の創設から今月9日までに基金に寄せられた寄付金総額が、5億円を超えたと発表した。基金の事務局は「全国に支援の輪が広がっており、心強い」としている。
 共同代表はアニメ映画監督の宮崎駿(はやお)氏やジャーナリストの鳥越俊太郎氏ら8人。基金事務局によると、寄付金は辺野古反対運動を展開する市民団体への支援や、新聞への意見広告掲載などの費用に充てられている。問い合わせは事務局=電098(943)6748=へ。


退役軍人たちが辺野古で抗議
悲惨な戦場を経験した元アメリカ兵たちが辺野古で新基地建設反対を訴えました。
12月11日の朝、抗議行動に参加したのは、アメリカからやってきた「平和を求める元軍人の会」のメンバーらです。
メンバーらは、ベトナム戦争やイラク戦争に行った体験から、アメリカの武力攻撃に反対し、平和を訴える運動を続けていて、「新たな戦争につながる基地は造らせない」と声を上げました。
抗議した元陸軍兵のウィリアム・グリフィンさんは「私は23歳までにイラク・アフガン戦争に派兵されました。どうか現実を見てほしい。中東でISを生んだように、軍隊は平和を築くことはできない。平和を生むのは2つだけ、和解と結束だ」と話し、元海兵隊員のマイク・ヘインズさんは「戦争のための基地はいらないと訴えたい。これ以上基地を造る理由は何もない」
「『テロとの戦い』というもののためにイラクに派兵されましたが、実際の戦場では、自分自身がイラクの人々にとってのテロだった」
15日には、那覇市でメンバーらによるシンポジウムも開らかれます。

ビオ/履歴書訂正/梅田の東急ハンズ

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Jacques Chirac hospitalisé pour un bilan de santé
Jacques Chirac a été hospitalisé, dans l’après-midi du mercredi 9 décembre, dans un hôpital parisien. L’ex-chef de l’Etat a une santé fragile depuis plusieurs années et a fait de rares apparitions publiques depuis son départ de l’Elysée, en 2007. Il a fêté ses 83 ans le 29 novembre.
Se sentant affaibli depuis quelques jours, Jacques Chirac a été hospitalisé mercredi après-midi afin de faire un contrôle général de son état de santé. Il devrait rester à l’hôpital pendant quelques jours, voire une petite semaine. Son état ne présente aucune inquiétude ≫, a indiqué la fille cadette de l’ex-chef de l’Etat par téléphone à l’Agence France-Presse. ≪ Ses jours ne sont pas en danger ≫, a ajouté un intime.
Plusieurs hospitalisations
Jacques Chirac, président de la République de 1995 à 2007, a été hospitalisé à plusieurs reprises depuis qu’il a quitté l’Elysée, ce qui a alimenté à chaque fois des rumeurs sur son état de santé. En décembre 2013, il avait ainsi été hospitalisé pour une ≪ intervention rénale ≫ à La Pitié-Salpêtrière, à Paris. En février 2014, il avait également été brièvement hospitalisé à l’hôpital américain de Neuilly-sur-Seine à la suite d’une ≪ violente crise de goutte ≫.
Réputé pendant des décennies pour sa santé de fer, il avait connu en septembre 2005 son premier véritable ennui (un accident vasculaire cérébral) et avait alors du être hospitalisé d’urgence au Val-de-Grâce. Ce problème de santé l’avait ensuite fortement affaibli.
Ces dernières années, il éprouve de plus en plus de difficultés à se déplacer même s’il continue d’aller très régulièrement dans les bureaux de sa fondation, tout près de l’Assemblée nationale.
≪ Une petite baisse de la mémoire ≫
En janvier 2014, son épouse Bernadette Chirac avait déclaré penser que son époux ne parlerait plus jamais en public. Souffre-t-il aussi de la maladie d’Alzheimer? ≪ Honnêtement, je ne le crois pas (...) Il n’a pas vraiment les symptômes, mais c’est vrai qu’il a une petite baisse de sa mémoire, surtout par moments, c’est très variable ≫, avait-elle alors indiqué.
Sa dernière apparition à une cérémonie officielle remonte au 21 novembre 2014. Il avait alors assisté à la remise annuelle du prix de sa fondation, au cours de laquelle le président Francois Hollande lui avait rendu un hommage appuyé. Diminué par la maladie, la main sur l’épaule de son garde du corps, M. Chirac était arrivé sous les applaudissements de la salle. Cette année, il n’était pas présent pour la remise de ce prix.
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「映像の世紀」デジタルリマスター版 第9集「ベトナムの衝撃」
ベトナム戦争は、その戦況をテレビが時々刻々と本格的に茶の間に伝えた初めての戦争であった。アメリカは、ケネディ大統領の暗殺後、ベトナムに深入りする一方、国民は繁栄の裏にある貧困や権力者の欺まんに疑いの目を向け始める。ヒッピーなどのカウンターカルチャーが生まれた時代だ。ベトナム戦争のすべてと、長期間の戦争によって価値観が大きく揺らぎ始めたアメリカ社会の変化を描く。
山根基世


朝早くから出勤.今日はビオのお話を聞きました.とてもわかりやすかったです.その後のツタヤ図書館の話はビミョーかな?
のんびりしていると人事から電話があって,履歴書で質問があるからメールを見て返事を書いてほしいと.確かに仕事していない期間があったりとかで変でした.あわてて修正です.
雨が降っていましたが栗に行ってさらに梅田の東急ハンズにも出かけました.

津波被災地で大麦栽培 菓子や地ビール材料に
 東日本大震災の津波で被災した宮城県東松島市野蒜地区で、一般社団法人東松島みらいとし機構(HOPE)とアサヒグループホールディングス(HD、東京)が大麦を栽培する「希望の大麦プロジェクト」を進めている。生産した大麦は菓子にして販売しているほか、来年1月には地ビールを売り出す。被災跡地の有効活用と地域の活性化につながる試みとして期待されている。

 プロジェクトは2013年に始動。昨年は市内の3カ所で大麦を栽培し、約1.2トンを収穫した。
 栃木県の「大麦工房ロア」が協力して洋菓子ダックワーズを製造し、インターネットなどで販売を始めた。このほか、宮城県加美町の第三セクター「薬莱振興公社」が地ビールを醸造しており、HOPEが販売を計画している。
 ことしは10月、震災前は奥松島公園のサッカー場と駐車場だった市有地約1.5ヘクタールに大麦3品種の種をまいた。収穫は来年8月の予定で、2トン以上の収量を目指す。
 大麦の栽培や畑の管理は地元農家が担い、雇用の拡大を図る。プロジェクトは、HOPEに社員を派遣しているアサヒがビール生産の知見を生かした復興支援として企画。HOPEをサポートしながら共同で取り組んでいる。
 アサヒの佐田朋彦CSR部門ゼネラルマネジャーは「(アサヒの持つ)大麦の種子や栽培ノウハウ、加工技術を提供して貢献したい」と話す。
 HOPEの大村道明専務理事は「被災跡地の活用は行政側の負担軽減にもなる。プロジェクトで地域ににぎわいをもたらしたい」と意気込んでいる。


石巻産カキ香港へ 販路拡大狙う
 宮城県石巻市の水産加工6社でつくる「日高見の国」グループは来年1〜3月、地元産の生食用殻付きカキ計15万個を香港へ輸出する。東日本大震災後、石巻産のカキは生産量が激減し、多くの業者が販路を失った。今回、香港をターゲットに新たな販路拡大を期す。
 グループに参加し、自社の冷凍設備を持つ末永海産を中心に取り組む。同社は5月と11月、試行的に殻付きカキ計5万個を初めて香港へ輸出。現地で高評価を得たという。
 9日は香港の取引先で、高級すし店やビュッフェレストランを展開する「SUSHI ONE」のバイヤー、グレース・チャンさんを招き、石巻市のカキ養殖場などを案内した。
 チャンさんは「養殖場は空気・水共に良く、技術も学ぶ部分が多い。石巻のカキは高品質でリーズナブルなので、取引を継続したい」と確約した。
 末永海産の古藤野靖企画室長は「いい評価を受けた。香港の販路が定着するよう来年以降、さらに力を入れたい」と意気込む。
 グループは2013年に発足。「日高見の国」の統一ブランドで、各社が水産加工品をタイやマレーシアなどに輸出している。


<被災地の教師たち>大川小から命伝える
◎(2)守る/東松島市矢本二中元教諭 佐藤敏郎さん
<わが事として>
 「みんなは娘と同級生だよね? ここで同じ年の子どもたちが亡くなった事実と向き合ってください」
 秋の日差しが優しい10月26日、宮城県石巻市大川小の校庭。同小6年だった次女みずほさん=当時(12)=を亡くした元中学校教諭佐藤敏郎さん(52)=石巻市=が、東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲になった悲劇に触れ、呼び掛ける。
 話に耳を傾けるのは、研修旅行で訪れた湘南学園高(神奈川県藤沢市)の2年生約50人。堤明彦君(17)は、佐藤さんと校庭近くの裏山を歩いた。
 「簡単に登れた。大川小の子どもたちに助かってほしかった。生きていたら、同じように制服を着て高校に通っていたかもしれない」。学校管理下で起きた前例のない惨事をわが事としてかみしめた。
 佐藤さんは3月末まで、宮城県東松島市矢本二中で防災担当主幹教諭を務めた。配布していた「防災だより」のキャッチフレーズは「もしもはいつもの中にある」。生徒たちに備えの大切さを伝えてきた。
 「学校の枠を超え、いろいろな人とつながり、世の中に貢献したい」。震災前から模索していた思いを実践するため教員を3月で退職した。現在は、小さな命を守る場を社会へ広げるため、被災地支援のNPOなどの活動として、全国各地で教員時代の話や大川小の出来事を語る。
<校庭で「なぜ」>
 活動の合間を縫って大川小の校舎へ通う。津波で盛り上がった教室の床。むき出しの鉄骨。廊下には児童一人一人が上着などを掛けていたフックがある。
 フックの上に「佐藤みずほ」と書かれたシール。佐藤さんが穏やかに語り掛ける。「元気でやってるか?」。通訳を夢見ていた娘が中学、高校へと進むのは当たり前だと考えていた。
 あの日、みずほさんらは地震発生から約50分間、校庭にとどまった。佐藤さんは何度も校庭に立ち、自問した。自分ならどう動いたか。答えの大半は「裏山へ」となる。
 疑問が浮かぶ。「裏山に逃げよう」と言った児童がいた。先生は誰もが子どもの安全を考えるはずだ。先生の間で、命を最優先することが共有されていなかったのではないか。
<直接対話願う>
 震災時に学校にいた教職員11人のうち、唯一生存する男性教諭がいる。関係者によると、教諭は震災後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、治療を受けているという。
 佐藤さんは渇望する。「彼は申し訳ないと思っているはず。直接会い、生き残ってくれてありがとう、血の通った対話をしよう、と伝えたい」
 みずほさんが一緒にいる、と感じることがある。「防災とは『行ってきます』と言ったら、必ず『ただいま』と言うこと。亡くなった子どもたちの命に意味を持たせたい」
 命を守る。元教師、そして父親として心に誓う。


<震災>鎮魂の像 一心に刻む
 宮城県東松島市の清泰寺住職小池康裕さん(74)が巨大な不動明王像の制作を進めている。多くの人が犠牲になった東日本大震災。「帰らぬ人を思う家族が手を合わせ、心を落ち着かせられるように」。鎮魂の願いを込め、一心に彫り続ける。
 「カン、カン、カン」。9日午前4時すぎ、お経を唱えながら、のみを木づちで打つ音が寺の作業場に響いた。
 高さ約7メートルの不動明王は2011年秋に作り始めた。早朝や仏事の合間を縫って、1日4、5時間は作業に励む。
 一般的な不動明王は右手に剣、左手に煩悩を縛り上げる縄を持つ。小池さんの像はさらに左右1本ずつ、腕がある。右は二度と地震が起きないよう大地を押さえ、左は犠牲者を極楽浄土に導くため天に伸びる。
 完成は10年以上先になりそうだが、「顔はこの世の不幸をにらみ付ける、迫力ある表情にしたい。生きている間に必ず完成させます」と小池さん。仏像に魂も刻んでいる。(写真部・及川圭一)


<もう一度会いたい>何で先に逝ったんだ
◎(8)不意にこみ上げ 涙
 涙で目が曇らなかった日を思い出せない。
 宮城県石巻市の今野浩行さん(53)は震災で長女麻里さん=当時(18)=、次女理加さん=同(16)=、長男大輔君=同(12)=を亡くした。
 人生これからという時に世を去った不遇を哀れむ。
 子を守れなかった無力を恥じる。
 頬がぬれる。
 子のいなくなった人生を送る意味を見いだせない。
 「死にたい」
 夫がそう口走っていたのを妻のひとみさん(45)は何度か耳にしている。
 針岡橋に足が向く。
 欄干からのぞき込む。
 津波の遡上(そじょう)で川が氾濫し、命を奪った。
 引き込まれそうだ。身を投げる衝動に駆られる。
<酒に逃げる>
 家を流失し、仮住まいに居を求めた。
 初日の晩、ひとみさんに鍋をリクエストした。
 家族そろって鍋好きで何かというとみんなでつついていた。
 寄せ鍋が用意された。
 子の取り鉢も配膳されたのを見たら、たまらず涙があふれた。
 部屋には、子の写真をありったけ飾った。どこを向いても目に入るように。
 子と目が合う。
 鼻の付け根がツンとくる。
 酒に逃げた。意識が混濁し、悲嘆から解放される。
 こたつで寝入り、朝を迎える。
 酔いが覚めたら現実に引き戻される。それが嫌でまた酒に手を伸ばした。
 酒浸りで血圧が跳ね上がった。上で200を超す。血糖値もHbA1cが10%をオーバーした。6%台後半で糖尿病と言われる。
 ドクターストップが掛かった。
 「先生、糖質ゼロのやつでは駄目ですか」
 医師は返事をしなかった。
<男のくせに>
 震災遺族として中国地方に講演に行く機会があった。
 広島の原爆ドームに寄る。
 長男の大輔君が小5の学習発表会で「はだしのゲン」のゲンの弟を演じた記憶がよみがえり、目頭が熱くなった。
 涙は枯れることを知らない。泣きはらし、泣き疲れ、泣き明かしても尽きずにこみ上げる。
 不意に涙ぐむことがある。スーパーで買い物をしている時とか。髪を切っている時とか。子とは無関係の何の脈絡のない状況でウッとくる。
 ひとみさんには「男のくせに」と言われる。
 多分、お前より心(しん)が弱い。
 泣いてばかりいる。
 遺品を手にしても。
 子と遊んだ公園を通り掛かっても。
 いわさきちひろの絵を眺めても。
 テレビの「はじめてのおつかい」を見ても。
 何で親より先に逝ったんだ?
 死ぬ順番を変えては駄目だ。


<高台移転>七ケ浜町完了へ 仮設来年度集約
 宮城県七ケ浜町代ケ崎浜地区の災害公営住宅が完成し、13日に住民に鍵が渡される。町が整備する最後の災害公営住宅で、24戸が入居する。高台住宅団地は既に完成し、高台に移転する住宅復興事業としては県内の津波被災自治体で最も早く完了する。町は6カ所の仮設住宅を2016年度中に1カ所に集約する方針だ。
 災害公営住宅は町内5地区に計212戸分を整備。5地区に194戸分を造成する高台住宅団地は3月に完成した。町は津波で被災した沿岸の土地区画整理事業も進めるが、現地再建の意向を示しているのは8世帯と少なく、住宅復興事業はほぼ完了する形だ。
 町は津波で大きな被害を受けた沿岸5地区について、住宅復興用地を町内で集約せず、地区内で整備する方針を掲げた。町復興推進課は「既存コミュニティーに配慮するのが目的で、整備が順調に進む要因にもなった」と説明する。
 仮設住宅の入居は11年6月のピーク時、421戸(1277人)に上った。12月1日時点で151戸に減少し、16年4月以降は22戸になる見通し。町は6カ所の仮設住宅のうち、中学校などにある2カ所を本年度中に解体し、16年度中に1カ所に集約する考えだ。
 災害公営住宅は整備した212戸のうち36戸が空き室になっている。意向調査に基づき整備計画を立案したが、別の場所に居住先を求めたり、家族と同居したりしてキャンセルが続いた。町は再建が決まっていない世帯などに居住を促す。


震災直後開局「りんごラジオ」放送1年継続へ
 東日本大震災直後に開局した宮城県山元町の臨時災害FM局「りんごラジオ」が、放送免許期限となる来年3月以降、1年間の放送継続を検討していることが9日、分かった。同日の町議会12月定例会で斎藤俊夫町長が明らかにした。
 町によると、所管する総務省が更新可能と判断した。スタッフ8人の人件費など年間1500万円の運営費は、本年度で終わる国の緊急雇用創出事業補助金に代わり復興交付金を活用する方針。復興庁と協議し、関連経費を来年度の一般会計当初予算に計上する。
 答弁で斎藤町長は、同局から1年間の放送継続の要望があったと説明。JR常磐線復旧など16年度中の復興事業の進展を挙げ、「町にとって重要な局面を迎え、引き続き町民にタイムリーな情報を発信する必要がある」と述べた。
 りんごラジオは震災から10日後の11年3月21日に開局。元東北放送アナウンサーの高橋厚局長らが町の情報提供や町議会中継など全て自社制作の番組を放送する。恒久的なコミュニティー局にはしない方針。
 高橋局長は「伝えるべき情報はまだたくさんある。町の復興状況を引き続き発信することで地域の活性化につなげたい」と話した。
 県内では震災後、11市町で臨時災害局が開設され、現在は山元のほか気仙沼、女川、亘理3市町で放送中。気仙沼市は16年度にコミュニティー局に移行。亘理町は運営費確保が見込めず継続が困難となっている。


被災企業に遊休機械提供 4年半で幕
 東北六県商工会議所連合会などが全国の商議所を通じ、使われていない遊休機械を東日本大震災の被災企業に無償提供するプロジェクトが9日、刈谷商議所(愛知県刈谷市)の提供を最後に終了した。事業は2011年6月にスタート。全国453事業所から届いた2万点を超える機械を岩手、宮城、福島3県の計約350事業所に仲介した。
 被災企業の早期復旧の後押しを目的に4年半続いた。六県商議所連などは機械の提供を求める声が減る一方、震災で途絶えた販路の回復など復旧後の事業継続が課題となる現状を受け、事業終了を決めた。
 仙台市青葉区の仙台商議所で9日にあった贈呈式で、刈谷商議所の太田宗一郎会頭は11社から提供を受けたフォークリフト、トラックなど計20点の目録を六県商議所連会長の鎌田宏仙台商議所会頭に渡した。機械は石巻、気仙沼各市などの事業所で使われる。
 刈谷商議所は今回を含む15回の提供で、全国最多4102点の機械を届けた。太田会頭は「被災して何もないとき、やる気を起こしてほしかったのが出発点。刈谷はものづくりのまち。今後も相互に交流し協力関係を深めたい」と述べた。
 鎌田会頭は「快く支援してくれて被災企業は助けられた。機械の提供は終わるが、その分を販路回復支援に力を入れたい」と語った。


河北抄
 東京都大田区の被災地支援ボランティア調整センタースタッフの瀬戸大介さん(30)は、東日本大震災の年の7月から東松島市の東名地区に通い続けた。
 「利府町の旅館が定宿。3泊4日で東名に行き、東京に戻って中2日、また3泊4日で向かうというペースでした」。今、東京での大切な役割は被災地での見聞を区民に伝えること。「防災塾」で首都圏直下地震への備えを呼び掛ける。
 「塾でよく話すのは、津波に流された人から聞いたあめ玉のこと。ポケットにあめ玉があるだけでしばらく大丈夫だったし、なめて口をすすぐこともできて助かった、と」。1泊2日の現地研修もある。区がずっと利用している利府の旅館に泊まるが、「夕食と次の日の朝食のおかずは各自東京から持参した非常食」。
 帰ったら「三つだけ、防災のためにすぐできること」を考えてもらう。それ以上だと実行は難しいという配慮。
 防災塾で先月末に来たばかりの瀬戸さんは、今週末もまた1泊2日で東松島を訪れる。「クリスマスツリーの飾り付けの手伝いと、クリスマス会です」


「府・市立大は1法人1校に」 大阪知事、統合巡り方針
 大阪府の松井一郎知事(大阪維新の会幹事長)は9日の記者会見で、府立大と市立大の統合について「1法人1大学。大学関係者もそれを望んでいる」と述べ、両大学を1校に統合して新大学を設立する方針を記者団に示した。
 両大学を巡っては、府・市両議会で統合に向けた議案が審議中だが、議案は統合に当たっての具体的な府市の関わり方や、両大学の再編の形などは明記していない。公明党幹部は「新大学設立という維新側の案の丸のみではなく、1法人2大学なども考えられる」などとしている。
 こうした意見について松井氏は、府市の事業統合を議論した「府市統合本部」(廃止)で「3年かけて専門家の意見を聞きながら(1法人1大学の)案をまとめてきた」と強調。「大学を2つ残すことによるプラスの要素はあまり出てきていない」と話した。
 松井氏は府市統合本部の後継組織「副首都推進本部」の初会合を28日に開く方針も示した。


欧州の極右躍進 排外主義拡大を憂える
 フランスの州(地域圏)議会選挙で初めて、移民排斥を訴える極右政党「国民戦線」が全体の得票率で首位に立った。先月のパリ同時多発テロや、中東などから難民の流入が続いていることが有権者の不安をあおり、排外主義が広がっていることの表れだとすれば憂慮すべき事態だ。
 今回の第1回投票で、各州での得票率が10%以上だった政党や政党連合が13日の第2回投票に進み、その結果で議席配分が決まる。国民戦線は今回、本土の全13州のうち6州で最多票を獲得した。第2回投票でも勝てば、事実上の首長にあたる議長を選出し、州の行政権を握る。
 マリーヌ・ルペン党首は、イスラム過激思想を持ち込む外国人や移民の追放などを訴え、オランド大統領はじめ歴代政権の治安対策の失敗を非難してきた。州議会選の勝利で勢いに乗り、2017年の大統領選につなげることを狙っている。
 「反移民」を掲げる右派勢力は欧州各地で躍進している。10月のポーランド総選挙では、難民や移民の受け入れに反対する右派政党が勝って政権を獲得した。スイスでも移民排斥を掲げる右派政党が得票を増やして第1党の座を維持した。デンマークでは6月の総選挙で極右の国民党が第2党に躍進して影響力を強め、欧州連合(EU)との連携強化案が12月の国民投票で否決された。
 戦後の欧州は、中東やアフリカから難民や移民を積極的に受け入れ、多様な文化が息づく社会の形成を目指してきた。ドイツのメルケル首相が今夏、シリアなどからの多くの難民の受け入れを表明したのは、こうした欧州の寛容さを守ろうとする姿勢の表れだろう。
 その寛容さが今、厳しい批判にさらされている。難民の急増やテロがそれに拍車をかけ、異質な移民を排除しようとする動きが強まっているのは残念だ。
 難民に偽装したテロリストは摘発しなければならない。だが難民や移民をひとくくりにして敵視することは新たな憎しみを生み、問題の解決にはならない。
 米国でも大統領選の共和党候補者指名争いで支持率トップのトランプ氏がイスラム教徒の入国禁止を訴えた。排外主義が世界に広まっていることを懸念する。
 昨年の欧州議会選でも移民排斥を訴える極右勢力が躍進し、フランスでは国民戦線が第1党になった。今回の州議会選での躍進はその延長線上にある。経済の落ち込みや失業の増加にあえぐ国民の不満をたくみに吸い上げた結果でもある。
 本当に必要なことは経済・社会政策の立て直しであり、難民や移民を不満のはけ口にすることではない。


シラク元仏大統領が入院
 【パリAFP=時事】フランスのシラク元大統領(83)が9日午後、検査のためパリ市内の病院に入院した。娘のクロード氏は10日、AFP通信に「数日から最大1週間は入院する見通しだ。健康状態は心配ない」と語った。
 1995年から2007年まで仏大統領を務めたシラク氏は公の場に姿を見せることが減り、最近は認知症を患い、車椅子生活を送っていると伝えられている。


小牧の新図書館、白紙から議論 20歳未満含め市民調査
 小牧市の新図書館建設問題で、山下史守朗(しずお)市長は九日の市議会一般質問に対し、「現在の計画にこだわらず、ゼロベースで議論をスタートさせたい」と答え、白紙の状態で新たな計画を作る考えを示した。現行計画について市民の意見を聞き、必要な部分だけを見直す方針を転換した。
 小川真由美(市民クラブ)、河内伸一(牧政会)両議員の質問に答えた。
 山下市長は、名鉄小牧駅前に造る現在の計画が、中心市街地の活性化と現図書館の老朽化という二つの課題を解決できるものだと説明した上で「両課題についてゼロベースで議論したい」と答弁。白紙から議論を始めるのに必要な条例改正案を、今議会に提出する考えを示した。
 昨年六月議会で可決した市立図書館設置管理条例改正案では、新図書館の建設場所を小牧駅前とし、運営面では指定管理者制度を導入するとしていた。今回提出する改正案では、建設地を現図書館がある場所に、運営を市直営にそれぞれ戻し、白紙の状態にする。河内議員は一般質問で示された市側の姿勢について「非常に評価できる」と述べた。
 計画作成に向けては二十歳未満の市民も対象に、中心市街地の活性化と図書館建設についてアンケートを実施したい考え。調査項目については市議会の意見を聞いて決める。
 市は住民投票の結果を受け、それまで連携して計画を進めてきたレンタル大手TSUTAYA(ツタヤ)運営会社とのアドバイザリー業務契約を十月三十日に解消した。市議会の中には計画の白紙撤回を求める声があったが、山下市長は現計画の問題点を検証する方針を継続。このため市議会の反発を受け、検証に必要な経費を計上した補正予算案の十二月議会への提出を見送らざるを得ないなど、手詰まりになっていた。(金森篤史)


今度は岐阜県議会「同性愛は異常」74歳元議長がやじ 「個人の認識。撤回する気ない」
 岐阜県議会で10日に開かれた一般質問で、自民党県連の政調会長を務める藤墳(ふじつか)守県議(74)が「同性愛は異常」とやじを飛ばした。取材に対して発言を認め「やじではなく、個人の認識をつぶやいただけ。正式な発言ではなく、撤回する気はない」と話している。
 藤墳氏は県西部の垂井町や関ケ原町などを含む選挙区選出の6期目。最大会派の県政自民クラブに所属し、県議会議長も務めた。
 同日午前、同じ会派に所属する男性県議(36)が短文投稿サイト「ツイッター」に県職員が「同性愛は異常でしょ」と書き込んだ問題に関する県の対応を尋ねた際に発言した。
 藤墳氏は「少子高齢化が問題になっている中、子供が生まれないことを容認する方向に社会が進んでいることに怖さを感じている」と発言の真意を説明している。
 県政自民クラブ議員会長の岩井豊太郎県議(71)は「差別的な意図と誤解を招きかねない。本人から真意を聞き取るとともに、対応を検討したい」と話した。


知事に全国から激励3万通 辺野古反対、広がる支援
 「民意のために頑張る翁長知事を応援します」−。10日に就任1年を迎える翁長雄志知事への激励メッセージが全国から続々と届いている。辺野古新基地建設をめぐり、国が法廷で対決する異例の事態に発展する中、ことし1月から県に寄せられた手紙やはがきは3万通を超えた。
 これまで県庁には辺野古周辺に生息するジュゴンなどの絵や「命(ぬち)どぅ宝、オール沖縄で頑張りましょう」(北海道、女性)と寄せ書きされた布、「沖縄への愛が感じられた意見陳述に胸がいっぱいになりました」(東京、女性)とのメッセージ入りのクリスマスカードなどが届いた。県内からも、那覇市の4歳男児が魚の絵と共に「きちをつくらないほうがいいとおもった」と書いた絵日記を寄せるなどさまざまな便りが来る。
 一方、ファクスやメールで「補助金をもらっていながら政府と敵対するのか」「抑止力のために米軍は必要だ」との批判も届く。県はメールに関しては激励も批判も集計していないが、辺野古新基地建設問題対策課は「手紙は多いときに1日60通程度も届く。全国に支援の輪が広がっていると感じる。大変ありがたい」と話している。


[翁長知事就任1年]強い発信力で時代開く
 沖縄現代史の分水嶺(れい)に立っていると、強く感じた1年だった。
 昨年の知事選で現職候補に10万票近い大差をつけて当選した翁長雄志知事は、きょう就任から1年を迎えた。
 沖縄への基地集中を「差別」と感じる住民意識の変化を背景に、党派を超えた幅広い支持を得て誕生した知事である。県民の中に当選時の高揚感が残るのは、歴史的地殻変動の余韻と、知事に寄せる期待や信頼からだ。
 新基地に反対する翁長氏は選挙期間中、繰り返し「誇りある豊かさ」を主張した。
 県内政治は長く「基地」か「経済」かで色分けされ、ウチナーンチュとしての「誇り」を革新が、現実的な「豊かさ」を保守が担うという構図にあった。
 「基地」か「経済」か、という二者択一的な議論に終止符を打つためのキャッチフレーズが「誇りある豊かさ」だった。
 スイスで開かれた国連人権理事会でのスピーチ、米ワシントンでの要請行動、東京の日本外国特派員協会や日本記者クラブでの記者会見…。知事は就任後わずか1年の間に、できる限りの機会をとらえ、理不尽な基地政治の現実を訴えた。
 人権や自己決定権がないがしろにされてきた歴史的事実や、沖縄だけに過重な負担を強いる日本の安全保障政策の問題を浮き彫りにしていったのである。
 戦後史を分かりやすくひもとき、問題のありかを国内外に発信した意義は大きい。
    ■    ■
 一歩も引き下がることなく政府に対峙(たいじ)する翁長知事。何が何でも新基地を造ろうとする安倍政権。県と国の対立で浮かび上がったのは、沖縄の選挙で示された民意にそっぽを向き、米国に顔を向ける日本政府のゆがんだ姿である。
 安倍晋三首相は11月、フィリピンでオバマ米大統領と会談し、普天間飛行場の辺野古移設について「唯一の解決策だ。確固たる決意で進める」と述べた。
 新基地建設に反対する民意を顧みない安倍政権に対し、知事は「ウチナーンチュ ウシェーティ ナイビランドー」(県民をばかにしてはいけません)とウチナーグチで怒りをあらわにしたことがある。「なぜ沖縄だけが」という基地をめぐる県民の不信感や、自分のことを自分で決めることのできない不全感を「魂の飢餓感」と呼んだ。
 まともな政府であれば、この表現の深刻さをきちんと受け止め政策を変更するはずだが、その動きがない。それこそが政治の真の危機である。
    ■    ■
 年明け早々に控える宜野湾市長選と、続く県議選、参院選は、新基地建設の是非を争点にした選挙になるだろう。その結果は辺野古問題の行方を大きく左右する。
 基地が県政の最重要課題とはいえ、解決すべき課題は山積している。子どもの貧困対策や経済振興、雇用問題、離島振興など他の政策でも着実に結果を出していく必要がある。
 重大局面が続く中、知事就任2年目は、成果が問われる年になる。


翁長県政1年 「自治と基地」重い問い
 翁長雄志沖縄県知事が就任してきょうで一年。米軍基地新設をめぐる安倍政権との攻防は激しさを増している。地方自治体は基地受け入れの是非を自己決定できないのか。翁長氏の問い掛けは重い。
 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古沿岸部への「県内移設」をめぐる訴訟が先週始まった。埋め立て承認を取り消した翁長知事の処分は違法だとして、国土交通相が知事に代わって取り消し処分を撤回する「代執行」を認めるよう、国が求めたものだ。
 翁長氏は意見陳述で「沖縄県にのみ負担を強いる今の日米安保体制は正常といえるのか。国民の全てに問い掛けたい」と述べた。
 裁判で直接問われるのは、前知事の埋め立て承認や翁長氏の取り消し処分の是非であり、十分な審理が行われるべきではある。
 同時に、翁長氏がなぜ取り消しに至ったのかという背景からも目を背けてはならない。
 国土面積の1%に満たない沖縄県に、在日米軍専用施設の74%が集中し、訓練に伴う騒音や事故、米兵による事件、戦争に加担するという心理的圧迫など、県民は過重な基地負担を強いられている。
 にもかかわらず、新たな米軍基地を県内に建設することは押し付けではないのか。翁長氏が提起した問題を裁判所だけでなく、すべての国民が深く考えるべきだ。
 また、翁長氏は「日本に、本当に地方自治や民主主義は存在するのか」とも問い掛けた。
 地方自治法は、防衛など「国際社会における国家としての存立にかかわる事務」は国の役割と定めるが、これは、自治体は口出しするなということではあるまい。
 自治体と国との関係は二〇〇〇年の地方分権一括法施行で、従来の「上下・主従」から「対等・協力」へと大きく転換した。住民の平穏な暮らしを守り、自然環境を保護する観点から、自治体がその権限を行使するのは当然だ。
 安倍政権は選挙で繰り返し示された民意を無視して「県内移設」を強引に進め、反対する名護市の頭越しで辺野古周辺三地区に補助金を直接交付する、という。
 地域を分断し、憲法に定められた地方自治や民主主義に対する重大な挑戦でもある。看過することは到底できない。
 普天間飛行場の「移設」問題は、在日米軍基地の負担に加え、地方自治の在り方をも問うている。沖縄県以外に住む私たちにもかかわる重大な問題提起である。


ワタミ謝罪 経営者の責任は重い
 人を使い捨てにするような経営は大きな代償を伴う。ブラック企業の代表例として注目されてきたワタミの過労自殺訴訟の和解はそれを印象づけた。他の企業も襟を正し、防止策を徹底すべきだ。
 「創業者の理念に基づき、従業員に過重な労働を強いた。最も重大な損害賠償責任を負う」
 八日に成立した和解は、ワタミグループの創業者であり当時の社長である渡辺美樹参院議員の法的責任について認め、計一億三千万円の損害賠償を支払うこととした。
 同グループの居酒屋「和民」で起きた過労自殺は、あまりにも痛ましい。
 訴状などによると、森美菜さん=当時(26)=は二〇〇八年四月に入社し、中旬に店舗に配属。慣れない大量調理を任された上、連日の深夜勤務を強いられた。残業は月百四十一時間に上った。休日も研修や会社行事へ参加させられ、配属から一カ月後には適応障害を発症。二カ月後にマンションから飛び降りた。「体が痛い。どうか助けて下さい」とのメモが残されていた。
 ワタミ側は和解で、労働時間を正確に把握することなどの過重労働対策にも同意。遺族は「いい会社になってほしい」と語った。
 過労死が起きるような体制を放置しておけば、経営者の責任が問われる。ワタミに限らず、他の多くの企業の経営者もその重みを受け止めてほしい。
 過労死は後を絶たない。一四年度の精神障害による労働災害の認定は四百九十七人で、そのうち過労自殺は未遂も含めて九十九人と、ともに過去最多だ。
 労災認定された人のうち過労死認定ラインを超える時間外労働が月八十時間以上の人は四割を占めていた。長時間労働を是正することは急務である。
 政府は、二〇年までに週六十時間以上働く人の割合を5%以下にするなどの目標を盛り込んだ過労死防止対策大綱を策定。労働基準監督署が一部の事業所を抜き打ちで監督指導するなどの対策をとるが、決め手にはならない。
 日本では労使協定を結べば、際限なく従業員を働かせることができる。一方、フランスやドイツなどでは、これ以上働かせてはならないという総労働時間の罰則付き上限規制を定めている。日本でも導入を検討するべきではないか。
 働く人の命と健康を守ることは最優先だ。それを国も企業経営者も肝に銘じてほしい。


「トランプ氏を英国入国禁止に」署名に36万人超 英議会検討へ
来年の米大統領選に共和党から出馬している実業家ドナルド・トランプ氏について、英国入国禁止にするよう英議会に求めるオンライン請願に英国時間9日深夜の時点で36万人以上が署名したため、下院は審議するかどうか検討することになった。
トランプ氏が7日夜にイスラム教徒の米国入国禁止を呼びかけたことを受けて、英スコットランドの女性による請願が8日に英議会のオンライン請願サイトで受け付けが始まり、9日深夜までに36万人以上が署名した。10万人以上の署名が集まったら議会は、請願を審議するか検討しなくてはならない決まり。
発言を内外で広く非難されているトランプ氏は9日、決して2016年大統領選から撤退しないとあらためて強調した。
トランプ氏の発言に対する反応にはほかに次のようなものがある――。
スコットランド自治政府のニコラ・スタージョン首相は、トランプ氏に与えていたスコットランド・ビジネス大使の肩書を剥奪。
スコットランド・アバディーンのロバート・ゴードン大学は、起業家・実業家としての功績を称えて2010年に授与したトランプ氏の名誉学位を撤回。
中東の小売大手「ライフスタイル」は、トランプ氏の家庭製品メーカー「トランプ・ホーム」による製品の販売を中止。
トランプ氏の英国入国禁止は可能か?
野党・労働党の内政担当ジャック・ドロミー氏と緑の党のナタリー・ベネット党首は、入国禁止の請願を支持。与党・保守党のサラ・ウォラストン議員は「しっかり議論するに値する」と述べている。
内務省は「容認しがたい行動や過激主義を排除する方針」にもとづき、講演目的などで訪英しようとする人の入国を禁止する権限がある。
テリーサ・メイ内相は昨年、「数百人」の入国を阻止したと述べた。
排除方針にもとづき英国入国が禁止された人は近年では、同性愛者を中傷する米ウエストボロ・バプテスト教会の関係者、イスラム過激主義や白人至上主義組織クークラックスクランの関係者、ネオナチ、ユダヤ系過激主義者、反ムスリム・ブログの筆者2人など。
メイ内相は、特定個人の滞在が「公共の福祉のためにならない、もしくはその者の排除が公共政策上の事由から正当化される」と判断した場合は、その人の入国を排除することができる。
オズボーン財務相は下院に対し、トランプ氏の発言は米国建国の理念に真っ向から背くもので、「歓迎できない」と述べた。
英首相官邸は、トランプ氏に訪英予定があるとは知らされていないため、入国禁止するしないは「仮定の」議論だと指摘した。首相報道官はキャメロン首相の意見は「ドナルド・トランプとまったく異なる」と言明している。
英議会サイトに提出された請願は「ドナルド・J・トランプの英国入国を阻止せよ」と題され、「英国はヘイトスピーチを理由に多くの個人の入国を禁止してきた。この原理は、英国入国を希望する全員に適用されるべきだ。もし連合王国が今後も、入国希望者の審査にあたって『受け入れがたい行動』を基準として適用するならば、それは裕福な者にも貧しい者にも、弱い者にも力のある者にも、公平に適用されなくてはならない」と請願理由を説明している。
米国では国防総省が、トランプ氏の発言はむしろ過激派勢力「イスラム国」(IS)を後押しするもので米安全保障を損なうと批判している。
8日にはジョン・ケリー米国務長官が、トランプ氏の発言はISとの戦いにおいて「非建設的だ」と批判した。
議会請願の仕組み
2011年に連立政権は新しいオンライン請願サイトを開設。10万人の署名が得られれば、議会審議の可能性があるという仕組みを作った。
既定の数の署名を獲得した請願はほとんど必ず、議会で審議される。しかしすでに審議済みの内容だったり、同内容の審議が近い将来すでに予定されている場合は、請願そのものは審議しないと政府が判断する場合もある。1万人以上の署名を得た請願については、政府がなんらかの回答をする決まり。
請願はまず英下院の請願委員会(与野党の下院議員11人で構成)が取り扱う。英国政府や英議会が管轄しない問題や、意味をなさない問題などは、請願を却下される。
これまでに提出された請願の内容は、議員の薬物検査義務化、1989年ヒルズボロ・スタジアム事故に関する政府文書の全公開、牛乳最低価格など。
議会審議は問題を議員たちに周知するという意味では効果的だが、直ちに法改正を意味するわけではない。2015年には14請願が議会で審議されたが、具体的な法改正につながったものはない。
発言を非難されたトランプ氏は、ロンドンの一部は「過激思想があまりに蔓延していて、警察も身の危険を感じる地域がある」と発言。
ロンドン北部のハムステッドとキルバーン地区選出のチューリップ・シディック労働党議員はこれを受けて、トランプ氏の英国入国禁止を支持した。
さらにロンドン市長のボリス・ジョンソン氏はこれについて「ドナルド・トランプの事実誤認にもとづく発言はまったくばかげている」、「私がニューヨークの一部地区に行かないのは、ドナルド・トランプに出くわす本当の危険があるからだ」と一蹴。
ジョンソン市長は「300言語が飛び交う都市として、ロンドンは寛容と多様性の歴史を誇る。そのロンドンに、過激思想のせいで警察が入れない地区があると言うなど、ただひたすらばかばかしい」と、トランプ氏を強く批判した。


新国立 首相演説が撤回の足かせ 第三者委聴取録を本紙入手
 多くの担当者が計画に疑問を抱きつつ止められなかった。二〇二〇年東京五輪・パラリンピックのメーン会場となる新国立競技場の旧建設計画で、文部科学省や日本スポーツ振興センター(JSC)は、工費がかさむとされたザハ・ハディド氏のデザインにこだわり白紙撤回に追い込まれた。安倍晋三首相のスピーチがきっかけで後戻りしにくくなったことが、本紙が入手した文科省第三者委員会の聴取録で浮かび上がった。
 「どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから財政措置まで、二〇年東京大会は確実に実行されます」
 アルゼンチン・ブエノスアイレスで一三年九月に開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会。安倍首相は英語のプレゼンテーションで招致を訴えた。巨大アーチが屋根を支える斬新なハディド氏のイメージ図も紹介された。
 JSCは当初千三百億円の工費を見込んだが、ハディド氏案を試算すると三千億円超に。IOC総会の一カ月前、文科省に報告した。二週間余り前には、工費削減を検討するため、千二百億〜三千四百億円程度の七案も伝えた。
 聴取録からは担当者の危機感が伝わる。設計会社は「思い切ったことをやらないとだめ」、JSCは「二位案への変更は考えないのかと文科省に提案した」、文科省は「千三百億円程度に抑える作業を」−。
 だが招致決定後、総会での首相の“公約”に縛られる。JSCの河野一郎理事長(当時)は、首相のプレゼンで「ハディド案をベースに置くことは決まったと思う」と振り返る。別のJSC幹部も「周りの雰囲気は変わっていった」と話した。その後、工費がかかるとされたアーチなどには手を付けず、机上の試算が繰り返された。
 聴取録からは、硬直化した官僚組織もかいま見える。今月下旬に新計画の設計・施工業者が決まるのを前に、特集面で「先送りの内幕」を検証した。
<第三者委員会> 新国立競技場の建設計画が白紙撤回された経緯を検証するため、文部科学省が8月4日に設置。委員長の柏木昇東京大名誉教授や弁護士、元陸上選手ら6人が関係者約30人から聴取し、9月24日の報告書で「国家プロジェクトに対応できる組織体制になっていなかった」などと指摘した。下村博文文科相(当時)や河野一郎JSC理事長(同)らの責任にも言及した。


高浜原発 京都・宮津市長が再稼働反対表明
 関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の再稼働を巡り、京都府宮津市の井上正嗣市長は8日にあった市議会で「現状ではとても受け入れられるものではない」と述べ、反対の意思を表明した。高浜原発から30キロ圏内にありながら再稼働への同意対象ではない自治体の首長が、反対の意思表示をするのは初めて。
 一般質問で市議から見解を問われた井上市長は「市議会や市民の皆さんの意向を踏まえると、現状ではとても受け入れられない」と答えた。
 高浜原発から30キロ圏は3府県12市町に及び、宮津市の大半の地域が含まれる。関電は再稼働の同意対象を地元の高浜町と福井県だけに限り、高浜町長は既に同意を表明。宮津市は今年1月、関電に対し、立地自治体に準じた安全協定を結ぶように要請している。【安部拓輝】

元気なミサキ/セツゾクの講演会

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Fig04

Laïcité : la loi de séparation des Églises et de l'État a 110 ans
Le 9 décembre 2015 est célébré le 110e anniversaire de la loi concernant la séparation des Églises et de l’ État promulguée le 9 décembre 1905.
Avec la loi de 1905, la France est devenue un État laïc : "La République ne reconnaît, ne salarie ni ne subventionne aucun culte". La loi met fin au régime concordataire mis en place en 1802. Sous le concordat, l’ État reconnaissait quatre cultes (catholique, réformé, luthérien, israélite) qui étaient organisés et financés dans le cadre du droit public. La loi de 1905 supprime le régime des cultes reconnus : il n’y a plus de religion recevant une consécration légale et tous les cultes sont sur un pied d’égalité.
Autre volet de la loi de 1905, son article 1er reconnaît la liberté religieuse : "La République assure la liberté de conscience. Elle garantit le libre exercice des cultes sous les seules restrictions édictées ci-après dans l’intérêt de l’ordre public". Elle prolonge ainsi l’article 10 de la Déclaration des droits de l’homme et du citoyen de 1789 qui consacre la liberté d’opinion, même religieuse.
Avec la Constitution de 1958, la laïcité est devenue un principe à valeur constitutionnelle :"La France est une République indivisible, laïque, démocratique et sociale. Elle assure l’égalité devant la loi de tous les citoyens sans distinction d’origine, de race ou de religion. Elle respecte toutes les croyances."
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プレミアムよるドラマ 仮カレ(6)「新たな恋の気配」
直人(塚本高史)と別れた杏(相武紗季)だが、仕事では協力を惜しまない直人の態度に、ふと心が癒やされてしまい戸惑う。美樹(中越典子)は若い瞬(白洲迅)に捨てられた痛いアラフォー女と見られるのが嫌で、上司に紹介された見合い話に飛びつく。杏はいつも以上に高い成果を要求する日下部(眞島秀和)を不思議に思っていたが、サクラ(木南晴夏)と日下部の密会現場を目撃し、会社に何か異変が起きていると気づき不安を感じる
相武紗季,中越典子,塚本高史,白洲迅,古畑星夏,小宮有紗,我妻三輪子,田中直樹,木南晴夏,眞島秀和,秋山菜津子,春海四方 千寿みのり


朝ネットラジオを聞いていたら,青山テルマの「そばにいるね」.
あなたのこと 私は今でも思い続けているよ
いくら時流れて行こうと I'm by your side baby いつでも
So. どんなに離れていようと 心の中ではいつでも一緒にいるけど 寂しいんだよ
So baby please ただ hurry back home
Baby boy あたしはここにいるよ どこもいかずに待ってるよ
You know dat I love you だからこそ 心配しなくていいんだよ
どんなに遠くにいても変わらないよこの心
言いたい事わかるでしょ?
あなたのこと待ってるよ

しばらく聞いていたら今度はおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」
うーんん・・・
さてさてお仕事です.
午前のコーに行くときミサキが「おはよう」と声をかけてくれました.元気な女の子です.コーはRCについてのお話.少し不満もありますが,とりあえずよし,にしましょう.
お昼は広島つけ麺で辛いです.
少し時間を過ごしてセツゾクの講演会でした.Hyさんの知り合いなのでした.
最後にAERAのコピーをしました.

<もう一度会いたい>お笑い係 学校で家で
◎(7)笑顔の記憶 遺影に
 大輔君は上のお姉ちゃんが六つ、下のお姉ちゃんが四つの時に生まれた。
 今野家にとって初めての男の孫。祖父は初孫のときに限って行う「孫振る舞い」を特別に催した。
 家業の電気部品工場は大輔君が小学校に入るころに畳んだが、「孫がいつか再開してくれたら」と跡地を手放さずにいた。
 保育園脱走事件が家族で語り継がれている。
 お昼寝の時間、先生の目を盗んで園を抜け出した。布団がもぬけの殻で、総出で探し回る。お寺の前を歩いているところを見つかり、連れ戻された。
 眠くならず、寝たふりするのが苦痛で脱出したという。
 次の日から園の門は厳重に鍵が掛けられた。
<投げ技一本>
 小学校低学年の時に柔道を習わせた。
 投げられるのが嫌で初めは渋々だった。
 6年生の地区大会。
 対戦相手を見てひるんでいる。でかい。タレントの内山君みたい。
 「やばい。絶対負ける」
 始める前から腰が引けている。
 「やってみなきゃ分かんないでしょ」
 母のひとみさんに背中を押され、畳に上がった。
 「始めっ」
 あらら。投げ技がきれいに決まった。一本勝ち。
 意気揚々と下りてきた。さっきまで半ベソだったくせに。
 ひょうきんで人気者。
 家に持ち帰った学級便りに各児童の係の受け持ちが書いてあった。
<今野大輔…お笑い係>
 「何だこれ」
 父の浩行さんが聞いた。
 朝礼の時に前に出て一発ギャグをしてみんなを笑わせる役目だという。
 5年生の学習発表会で「はだしのゲン」の弟を演じた。体格が良くて兄のゲンより大きかった。
 6年の運動会では紅組の応援団長を任される。白牛乳を飲み干すパフォーマンスを見せ、喝采を浴びた。
<本の持ち主>
 ある日、同級生が家に遊びに来た。帰った後にひとみさんが息子の部屋を片付けたらエッチな本が出てきた。
 「あらやだ」
 ひとみさんは同級生の子が持ち込んだと思い、担任の先生に報告した。
 「教育上よくないのでその子にさりげなく言っておいてもらえますか」
 後日、先生から連絡が来た。双方から事情聴取したらしい。
 「言いにくいことなんですが…。実は本は大輔君がお父さんの部屋から持ち出したようなんです」
 「ん?」
 本人が自供したという。
 ひとみさんは耳の先まで赤くなった。
 「何で先に俺に言わないのよ」
 浩行さんは苦笑いしている。騒ぎのもともとの原因者だけに威厳はない。
 大輔君は大抵おなかをすかせて学校から帰ってきた。
 玄関にズックを脱ぎ捨て「腹減ったー」
 「今、晩ご飯の空揚げ作ってるから待ってな」
 「1個いい?」
 上目遣いで母の顔色をうかがいながら手を伸ばす。
 いつもニコニコしていた。
 アルバムの写真は笑顔のしかない。
 遺影の中でもほほえんでいる。


<被災地の教師たち>引きこもり 悩み共有
 東日本大震災の被災地で、教師やOBたちが奮闘している。命の尊さを伝える。古里への思いを育む。震災の教訓を糧に次世代への礎を築いている。さまざまな思いを抱き、活動する20〜60代の5人の熱い鼓動を伝える。(石巻総局・水野良将)
◎(1)向き合う/陸前高田市広田小元校長 佐々木善仁さん
<妻に任せきり>
 震災直後の2011年3月末、学校現場を退き、引きこもりやその家族らの居場所づくりに第二の人生をささげる。
 岩手県陸前高田市広田小の元校長の佐々木善仁さん(65)は震災の津波で、ともに自宅にいた妻みき子さん=当時(57)=、次男仁也さん=同(28)=を亡くした。仁也さんは高校卒業以来、約10年間、自宅に引きこもっていた。
 引きこもりの家族会を設立しよう。佐々木さんが呼び掛け人となり、陸前高田市内で5日、設立準備の会合があった。佐々木さんが当事者や支援者ら約30人に本音を打ち明ける。
 「息子のことはほとんど妻に任せていた。きちんと向き合わなかったことをすごく後悔しています」
<次男が不登校>
 旧高田町(現陸前高田市)に生まれ、1975年に教員となった。早朝に出勤し、夜遅くに帰宅する。そんな日々が続いた。家族と食事のテーブルを囲むのは主に日曜のみ。「よほどのことがない限り、家庭より学校が優先でした」
 仁也さんは中学2年の時、不登校となった。陸前高田市から岩手県釜石市の学校へ転じたのがきっかけだった。盛岡市内の高校を経て01年に自宅に戻ったが、仕事はせず、自室のドアとカーテンを閉め切ったままだった。みき子さんが1日2回、食事を用意した。
 みき子さんは07年、親同士で苦悩を分かち合う「気仙地区不登校ひきこもり父母会」をつくった。夫婦で散歩していた時、みき子さんがこぼした言葉が佐々木さんの脳裏を離れない。
 「私たちが先に死ぬ。将来自活できるよう、仁也には一日でもいいから働いてほしい…」
 仁也さんが「このままでは駄目だ」と漏らしたことがある。何もしなくてもいい、俺の息子だからいつかは立ち直る、と佐々木さんは信じていた。
 11年3月11日。海から約2キロ離れた自宅を津波が襲った。
<家族会設立へ>
 仁也さんは外に出なかった。みき子さんは仁也さんに逃げるよう呼び掛けた後、海の方角へと流され、行方が分からなくなった。
 広田小校長だった佐々木さんは学校で、児童や教職員の安否確認、学校への避難者の対応に追われた。
 佐々木さんが遺体安置所で仁也さんと対面したのは3月下旬。人目をはばからず、声を上げて泣いた。4月中旬、同じ安置所で妻の亡きがらを引き取った。
 教壇を去った佐々木さんは、父母会の活動に奔走してきた。みき子さんとの約束だった。その延長として、引きこもりに特化した家族会の発足を目指す。
 「当事者や家族らが悩みを共有できる受け皿が地域に必要。周りの理解が大事なんです」。引きこもりと向き合う覚悟だ。


<大槌旧庁舎>町長、解体予算を計上へ
 東日本大震災で被災した岩手県大槌町の旧役場庁舎をめぐり、年度内の解体方針を掲げる平野公三町長は8日、11日開会の町議会12月定例会に解体費を盛り込んだ補正予算案を提出すると表明した。
 同日の町議会全員協議会で「旧庁舎がある限り前を向けない、苦しくてたまらないという人がいるのは厳然たる事実。解体しても心の傷は本質的には癒えないが、一刻も早い復興のために課題を一つ一つクリアしたい」と述べた。
 議会内には解体に慎重な判断を求める意見が根強く残るものの、「なるべく早く解体してほしいというのが町民の意見と確信している」と断言した。
 慰霊や震災の伝承など旧庁舎が担う機能については、各種施策で代替できると説明。写真や映像の収集などアーカイブ事業で震災を後世に伝え、学校での防災教育に力を入れる考えを示した。
 旧庁舎で当時の町長ら40人が犠牲になった町の災害対応に関しては、再検証を徹底すると強調した。


土のう器具 気仙沼へ
◆名古屋の会社 今後も被災地寄贈
 2000年9月の東海豪雨で被災した名古屋市天白区の金属加工プレス会社「YPSテック」が考案した土のう作りの補助器具が8日、東日本大震災の被災地・宮城県気仙沼市に贈られた。器具は、同社が被災経験をもとに開発したもので、同社は今後も、各地の被災地への寄贈を続けていく考えだ。
 東海豪雨で浸水被害を受けた同社は、工場再開後も多額の借金などで一時廃業の危機にあったが、社長の山田英晴さん(59)や長男の英人さん(31)らが支え合い、事業を継続。東日本大震災の後、「被災地で役に立つものを」と、一人で土のうが作れる「どのサポ」と1トン以上の大型土のうができる「トンサポ」を開発し、13年、岩手県陸前高田市に「どのサポ」40台を贈った。
 関東・東北豪雨の際には、東海豪雨の時に助けてくれた東北の人を思い出し、改めて器具を贈ろうと計画。希望を募ると、気仙沼市から手が挙がった。同市では津波などで1042人が死亡、220人が行方不明となり、関東・東北豪雨でも激しい雨に見舞われた。
 8日、同市を訪れた英人さんは、どのサポとトンサポ計7台を市に寄贈。同市土木課の庄子裕明課長(56)は「土のうの備蓄や予備の袋はあるが、職員は限られる。器具を効果的に活用したい」と感謝していた。
 活動には、現地の保安用品レンタル販売会社「仙台銘板」と建設資材メーカー「アークエース」が賛同、今後は3社での寄贈を検討する。英人さんは「東海豪雨も復旧に10年以上かかった。長期的に支援したい」と語った。


震災記録誌 文章無断転用が発覚し契約解除
 岩手県大槌町は8日、東日本大震災の記録誌製作を委託した東北博報堂(仙台市)との契約を解除したと発表した。完成度が低く一度納期を延長したが、校正段階で県の震災記録誌から文章を無断転用したことが発覚。印刷会社任せの体制が改善されず、完成が見込めないと判断した。支払う予定だった委託料の1割に当たる125万円を違約金として徴収する。
 町は2月、プロポーザル方式で同社を選定し、編集から製本までの業務委託契約を結んだ。7月末の納期直前、文章が被災状況のデータの羅列だけなど内容が物足りないことが分かり、11月末に納期を延長した。
 編成方針や事業体制を見直すよう指示したが、誌面構成の相談や資料請求に関する町とのやりとりを印刷会社に丸投げの状況が続いた。再度改善を要請したが、9月には校正原稿の一部で県の記録誌の丸写しが判明した。
 10月、同社から納期再延長の申し出があり、町は対応を検討。再延長しても完成する保証がないこと、今後も事業推進と品質管理に町の人員を割かれ業務委託のメリットがないことから契約解除を決めた。
 平野公三町長は同日の町議会全員協議会で「実績のある会社だが、信頼を裏切られたという思いが強い。怒っている」と述べた。
 同社の担当者は「事実関係は町の指摘通りで弊社の怠慢だった。二度と起きないようにする」と話した。


ワタミ過労自殺訴訟が和解 「創業者の渡辺氏に重大な賠償責任」
 ワタミグループの居酒屋「和民」で働いていた森美菜さん=当時(26)=を過労自殺で亡くした遺族が、ワタミや創業者の渡辺美樹参院議員(自民)らに一億五千万円の損害賠償を求めた訴訟は八日、東京地裁で和解が成立した。「長時間労働を強いられ、心理的、身体的負荷を受けた結果で業務が原因」として、ワタミや渡辺氏らが計一億三千万円の賠償金を支払い、法的責任を認めて謝罪する内容。原告側代理人弁護士らが同日会見し、明らかにした。 
 森さんの自殺をきっかけに、過酷な労働条件に注目が集まり、ワタミは「ブラック企業」との強い批判を浴びた。
 弁護団によると、和解条項では、渡辺氏の法的責任について「創業者が長らく代表取締役を務め、形成した理念に基づき、従業員に過重な労働を強いた。渡辺氏は最も重大な損害賠償責任を負う」ことを確認した。賠償額のうち四千万円は慰謝料で、弁護団は「同種の事案としては高額で、懲罰的な意味合いが込められている。実質的勝訴だ」と評価した。
 和解条項では、実際の労働時間を機械などで正確に記録し、就業時間との相違を生じさせないことなど、長時間労働の再発防止策も盛り込まれた。
 研修や自宅でのリポート作成など、これまで業務とみなさなかったものも労働時間と認定。遺族への賠償金とは別に、二〇〇八〜一二年度の新卒社員八百人全員に、過去分の未払いの残業代として一律約二万五千円を支払うなどとした。
 森さんが亡くなった後、渡辺氏がツイッターで「労務管理ができていなかったとの認識はありません」と発信したことについても「不適切な内容を含み、原告らに一層の精神的苦痛を負わせたことを謝罪する」と盛り込んだ。渡辺氏はこの日の和解協議で、遺族に謝罪したという。
 弁護団とともに厚生労働省で記者会見した父親の豪(つよし)さん(67)は「再発防止策を付けられたことはよかった。反省しているなら、和解条項を守っていい会社になってほしい」と訴えた。
 訴状によると、森さんは〇八年四月、ワタミフードサービス(現ワタミ)に入社。神奈川県横須賀市の店舗に配属され、休日がほとんどないまま長時間労働が続き、同年六月に自殺。過労が原因で適応障害を発症していたとして一二年に労災認定された。遺族は一三年十二月に提訴していた。
◆ご両親傷つけた言動 謝罪
 社員過労自殺訴訟の和解成立を受け、ワタミ創業者の渡辺美樹参院議員は8日、自身のフェイスブックに「最も重い責任は私にある。再発防止を誓う