フランス語の勉強?

février 2016

うるう日/東電元幹部強制起訴/明石焼き

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安田講堂2

"Venez à Paris!": opération séduction à Tokyo du duo Hidalgo-Pécresse
La maire de Paris, Anne Hidalgo (PS), et la présidente de la région Ile-de-France, Valérie Pécresse (Les Républicains), ont entamé lundi une visite au Japon pour tenter de reconquérir les touristes japonais, nombreux à éviter la France depuis les attentats.
"Il faut revenir en France!", a lancé Mme Hidalgo au premier jour d'une visite de trois jours dans l'archipel, à Tokyo puis Hiroshima. "Venez à Paris, nous avons bien sur souffert, mais aujourd'hui à Paris on vit, on travaille, on sort".
"La menace terroriste existe aujourd'hui dans presque toutes les villes du monde, mais nous avons pris des moyens avec le gouvernement pour que la sécurité soit assurée dans les transports et sur les sites touristiques", a-t-elle insisté.
Sur les dix premiers mois de 2015, le nombre de visiteurs japonais a reculé de 20% par rapport à celui d'un an plus tôt, à la suite de l'attaque de Charlie Hebdo, une tendance qui s'est accélérée en novembre (-30%) dans la foulée des attentats qui ont fait 130 morts à Paris, selon des chiffres communiqués à l'AFP.
Face à cette chute, ce déplacement vise donc à rassurer, alors que le ministère japonais des Affaires étrangères appelle sur son site internet ses ressortissants à "être vigilants" dans les lieux publics - transports, sites touristiques, grands magasins et marchés.
Il s'agit aussi d'expliquer ce qu'est l'état d'urgence, un terme que beaucoup de Japonais assimilent à "couvre-feu et restrictions de circulation", explique-t-on dans l'entourage de Mme Hidalgo.
"Il y a au fond une incompréhension sur l'état d'urgence que nous venons lever ici", a noté Mme Pécresse. "L'état d'urgence, cela veut dire de la sécurité renforcée pour tous, mais ça ne veut pas dire que la vie normale n'a pas repris. L'état d'urgence n'est là que pour protéger davantage", a-t-elle dit, précisant que grâce à ces mesures spéciales, "les actes de délinquance à l'égard des touristes avaient beaucoup baissé".
Plus globalement, la France, qui accueille habituellement plus de 700.000 Japonais par an a lancé en janvier, via l'organe de promotion du tourisme français Atout France, une série d'actions (campagne de communication et rencontres avec des voyagistes).
L'enjeu n'est pas négligeable car le tourisme japonais est très lucratif: c'est la première clientèle internationale en termes de dépenses à Paris-Ile-de-France, avec 205 euros déboursés par jour et par personne, hors hébergement.
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BS世界のドキュメンタリー選「すべてのホームレスに家を」
「あなたはなぜ、いつからホームレスに?欲しい物を3つあげるとしたら?」。ホームレスへのインタビューをYouTubeで公開し、彼らの窮状を訴える元ミュージシャンのマークは、自身も薬物依存からホームレスになった経験を持つ。大勢の子どもを抱えてモーテルで暮らす女性、集団で野営するグループらを取材し、人々がいかに簡単にホームレスになってしまうかを広く伝え、「全員を救いたい」と奮闘する。
2013 Kindling Group


2月29日です.英語だとleap day,フランス語ではjour intercalaireです.4年前の2012年にもあったはずですが,その時は悲しみに沈んでいてほとんど覚えていません.
東電元幹部強制起訴のニュースが飛び交っています.震災自体は自然災害ですが,原発事故は人災.誰がどう責任を取るのだろうか???気になります.
お昼ご飯は明石焼きです.

JR大船渡線と気仙沼線 復旧へ住民団体設立
 宮城県南三陸町の住民有志が28日、東日本大震災で被災したJR大船渡線と気仙沼線の鉄路復旧を目指す住民団体を設立した。同町の南三陸プラザで開かれた設立集会には約200人が集まった。
 団体の名称は「JR大船渡線・気仙沼線全線の鉄路での復旧を早期に実現する南三陸の会」。4月末までに署名運動を行い、町と国、JR東日本に対し、鉄路復旧を要望する。
 両線は現在、バス高速輸送システム(BRT)で仮復旧している。集会で小野寺寛会長は「BRTはあくまでも仮のもの。被災地を国内外の人々に見てもらうために鉄道が必要だ」と述べた。
 気仙沼高にBRTで1時間半かけて通う同町の西城佑香さん(17)も登壇し、「朝の課外授業に出たいのに始発でも間に合わない。後輩に同じ思いをさせたくない」と訴えた。
 JR東日本は昨年7月、被災した大船渡線、気仙沼線の沿線自治体にBRTでの復旧を申し入れた。町は復興まちづくりの遅れを懸念し、JR側の提案を受け入れる方針を示している。


仙台・気仙沼間高速バス減便
仙台市と気仙沼市を結ぶ高速バスの2つの路線について、宮城交通は、震災の復興工事の影響で運転手が不足しているため、29日からいずれも1往復ずつ減らすことになりました。
便数が減るのは、仙台市と気仙沼市を結ぶ高速バスのうち、▽東北自動車道や岩手県一関市を経由する路線と、▽三陸自動車道や南三陸町を経由する路線です。
宮城交通によりますと、高速バスを運行する子会社の気仙沼市の営業所では、ここ数年で、運転手の一部が震災の復興工事に使われる大型トラックの仕事に転職したうえ、新たな人材を確保できない状態が続いているということです。
このため宮城交通は、東北道を経由する便をこれまでの3往復から2往復に、三陸道を経由する便をこれまでの4往復から3往復へといずれも1往復ずつ減らすことになりました。
宮城交通は、「貸し切りバスの予約を受けないなどしてしのいできたが、運転手不足が深刻なので、安全運行を優先するために当面、減便する」と説明しています。
気仙沼市の人たちは、「乗り換えがなく料金も安いのでよく利用するが不便になるのは残念だ」とか「5年がたっても復興が思うように進まないので運転手が集まらないのもやむを得ない」と話しています。


<アーカイブ大震災>大学生先生 学び支援
 避難所になっている宮城県南三陸町のホテルに、ボランティアが支える「寺子屋」がある。震災の影響で町内の学校は2011年5月中旬まで約2カ月間、授業を中断した。学習の遅れを不安視する中学生や高校生に、落ち着いて勉強できる環境を提供しようと、大学生たちが講師を買って出た。毎晩、子どもたちが机に向かう自習室。夜遅くまで明かりがともる。
◎学校で何が(8)避難所に「寺子屋」開設(宮城・南三陸町)
 「よーし。きょうも勉強するぞ」。約500人が避難生活を送る南三陸ホテル観洋。夕方、8階の20畳の和室に子どもたちが集まる。
 座卓が並び、段ボールで作った仕切りもある。雑談もそこそこに着席し、宿題の算数ドリルや漢字書き取りノートと向き合う。皆、真剣な表情で集中する。
 「この漢字は『サイ』って読むんだよ」「円柱の体積の求め方、ちゃんと覚えてる?」。東大、早大、慶大、カナダ・ブリティッシュコロンビア大などの学生ボランティアが助け舟を出す。
 自習室は「TERACO(てらこ)」と名付けた。震災後、小学校の体育館に泊まり込んで勉強を教えてきたボランティア団体「グランドラインズ」(東京)が、6月17日に開設した。
 避難所や仮設住宅で生活する子ども約50人が登録している。利用は小学生が午後5〜6時、中高生が午後7〜11時。入退室は自由だ。日曜は午前10時〜午後3時で東北大生が中高生を教える。
 志津川中3年の宮川玲奈さん(15)は毎日、午後10時ごろまで勉強する。ホテルでは一つの部屋で家族7人暮らし。「自分の部屋がなくて集中できなかった。高校受験に向けて、静かに勉強できるのは助かる」と話す。
 TERACOは保護者にも安心を運ぶ。佐々木政子さん(62)は自習する小学5年の孫の様子を見て、胸をなで下ろす。
 「2カ月も休校し、学習の遅れが心配だった。先生役の大学生も優しくて分かりやすいみたい。いつも勉強を見ていた父親は行方不明で…」
 南三陸町の小中学校は授業の不足分を取り戻そうと、夏休みを3〜10日ほど短縮する。一部は運動会などの行事も中止し、授業時間に充てる。中学校は1日の授業時間を増やし、7時間目までフルに使う。
 生徒の約7割が避難所や仮設住宅で暮らす戸倉小の当麻哲教頭は「年度末までには遅れを取り戻せるだろう」と語る。
 ほかの各校も挽回は可能との考えだが、駆け足の授業に、ついて行けない生徒が出始めているという。
 東京から来たボランティアの平尾章恵さん(22)=国際基督教大2年=は子どもたちの熱意に感心しながらも、「基礎でつまずく生徒が目立つ」と感じている。
 「学校で理解しきれなかった部分を、じっくり復習できるようフォローできる環境が必要だ」と話すのは、グランドラインズ代表の小楠あゆみさん(46)。「震災で大変な状況でも、意欲さえあれば進学などの夢は持ち続けられることを伝えたい」と意気込む。(酒井原雄平)=2011年7月14日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


大震災、仮設の孤独死188人 5年間、毎年増加
 東日本大震災で大きな被害があった岩手、宮城、福島の3県で、仮設住宅での「孤独死」が昨年末までで188人に上り、震災後の5年で毎年増加していることが29日、共同通信の取材で分かった。高齢の独居者が多く、空室が増えて近隣の目が届きにくくなっている。被災者の孤独死は、阪神大震災の災害復興公営住宅でも問題になった。時間とともに高齢化がさらに進み、孤独死の増加傾向が続く恐れがある。
 岩手、宮城、福島の3県警によると、3県の合計は、2011年の16人から、38人、41人、44人、49人と年々増加した。県別では、宮城が5年で84人、福島が66人、岩手が38人だった。


2月29日生まれの小学生 仮設住宅でお祝い
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市の仮設住宅では、4年に一度のうるう年の2月29日に生まれた小学生の男の子の誕生祝が行われました。
誕生日を迎えたのは、陸前高田市の米崎小学校2年の藤崎匠くんです。29日、8歳になりました。
藤崎くんの家は震災の津波で流され、市内の中学校の校庭に建てられた仮設住宅に、両親と弟、それに祖父母の6人で暮らしています。
この仮設住宅では週に3日、朝のラジオ体操が行われ、藤崎くんも休むことなく参加してきました。
うるう年の2月29日に生まれた藤崎くんをサプライズでお祝いしようと、ラジオ体操に集まった人たちが一人ずつ藤崎くんと握手を交わし、「おめでとう」と声をかけたあと、誕生祝に図書カードをプレゼントしました。
藤崎くんは、ことし4月には家族で仮設を出て、市内の高台に建設している新しい家に引っ越す予定で、29日は仮設住宅で迎える最後のうるう年の誕生日となりました。
藤崎くんは「プレゼントをもらえてうれしい。ラジオ体操は朝早く起きるのがつらいときもあったけれど頑張りました」と話していました。仮設住宅の自治会長の金野廣悦さんは「いつもラジオ体操に来てくれて私たちの元気と勇気の源になっていたので、お祝いできてよかった」と話していました。


震災復旧談合で刑事告発
東日本大震災で被災した高速道路の復旧工事を巡る談合事件で、公正取引委員会は大手道路舗装会社10社とその営業担当者ら11人を独占禁止法違反の疑いで刑事告発しました。
東京地検特捜部は29日午後にも各社を起訴するとともに営業担当者らを在宅起訴するものとみられます。
刑事告発されたのは道路舗装最大手の▼「NIPPO」や▼「前田道路」▼「日本道路」など大手道路舗装会社10社と東北支店の営業担当者ら11人です。
公正取引委員会によりますと各社は東日本高速道路東北支社が発注し震災後の平成23年8月から翌月にかけて入札が行われた東北自動車道など12件の復旧舗装工事で、事前に落札業者を決めるなどの談合を繰り返していたとして独占禁止法違反の疑いがもたれています。
関係者によりますと談合は「日本道路」の当時の東北支店長が中心となって行われ、入札の1か月前から落札業者を事前に割りふりそれぞれの入札価格も決めていたということで、調べに対し一部の業者を除いて談合の容疑を認め「落札率を上げて利益を確保する必要があった」などと供述しているということです。
東京地検特捜部は29日午後にも捜索した13社のうち公正取引委員会に談合を認めて最初に申し出た「世紀東急工業」など3社を除く10社について起訴するとともに営業担当者ら11人を在宅起訴するものとみられます。


被災自治体 職員不足続く
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県沿岸の自治体では、復旧・復興事業にあたる土木技術系の職員を中心に職員不足が引き続き深刻な状況です。
2月1日現在であわせて184人が不足していることがわかり、宮城県は、今後も全国の自治体に職員の派遣などを要請していくことにしています。
震災で被災した自治体では、復旧・復興に向けた業務量の増加などを背景に慢性的な職員不足となり全国の自治体などから職員を派遣してもらう状況が続いています。
宮城県が津波などで大きな被害を受けた沿岸の15の市と町に2月1日現在で調査したところ、必要な応援職員の数はあわせて1555人に上っています。
しかし、全国の自治体からの職員の派遣や任期付き職員の採用などで確保できた職員はあわせて1371人にとどまり、184人が不足していることがわかりました。
自治体別で職員が不足しているのは、石巻市が67人と最も多く、次いで気仙沼市が49人、山元町が19人、女川町が14人などとなっています。
また職種別では、土地の区画整理や上下水道の整備などにあたる土木技術系の職員があわせて73人不足しています。
深刻な職員不足が続く中、宮城県は各自治体と協力して今後も引き続き全国の自治体に職員の派遣などを要請していくことにしています。


復興交付金1187億円交付
復興庁は、東日本大震災の被災地に対する復興交付金として、名取市で被災した企業の再建場所として使うため津波の被災地域に点在する民有地を集約する事業などにあわせて1187億4000万円あまりを交付することを決めました。
復興庁は、29日、東日本大震災の被災地の復興事業を財政的に支援するための14回目の復興交付金として、宮城、青森、岩手、福島など7つの県の55の市町村に対し、あわせて1187億4000万円あまりの交付を決めました。
宮城県関係では、名取市で被災した企業の再建場所として使うため津波の被災地域に点在する民有地を集約する事業に3000万円あまりを盛り込んでいます。
また、2019年のラグビーワールドカップで開催都市の1つになっている岩手県釜石市がスタジアムを整備する費用の一部を支援するため11億1000万円あまりを交付するとしたほか、漁業の本格的な操業再開に向けた福島県浪江町での漁港施設の整備事業に1億2000万円あまりを交付するとしています。


<仮設住宅>転居センター 再建手助け
 東日本大震災から5年が経過し、仮設住宅の入居期間が終了するのを前に、転居先が未定の被災者の住宅確保を支援する宮城県被災者転居支援センター(仙台市青葉区)の支援件数が増えている。支援対象は高齢者や生活困窮者が多く、センターが目指すのは「伴走型の支援」だ。
 支援センターが手掛けるのは、プレハブ仮設に比べ実態把握が難しい民間賃貸住宅のみなし仮設に住む被災者。連絡が取れないなどの理由で市町村からの報告を基に、県は支援が必要と判断した被災者のリストをセンターに送る。
 昨年7月の開所以来、ことし1月末までの依頼件数は269件に上る。このうち68件が転居先の確保に結び付いた。依頼件数はこれまで毎月15件程度だったが、みなし仮設が最も多い仙台市で一部3月から入居期限を迎えることもあって、1月は50件を越えた。
 センターの業務は、被災者の見守りや生活困窮者の支援に取り組んできた一般社団法人「パーソナルサポートセンター」(仙台市)が県から業務委託を受けている。10人体制で電話連絡した上で被災者宅を訪問し、相談に応じる。
 自力で転居先を確保した被災者もいるが、訪問先の多くは「入居期限を知らなかった」「障害者や高齢者で転居先を見つけられない」「保証人がいない」「収入が低く家賃が払えない」など複雑な事情を抱える。
 みなし仮設は行政の支援が行き届きにくく、プレハブ仮設に比べ被災者が孤立しがちだ。支援センターは困窮者支援で培ったノウハウを生かし、福祉窓口を紹介するなどして転居先確保を後押しする。


<3.11と今>日常の大切さ 伝える
◎壊滅したまち 石巻市門脇・南浜(6完)手をとって
 「南浜つなぐ館」。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市門脇・南浜地区に昨年11月、ユニットハウス1部屋の小さな震災伝承施設ができた。
 周りは5年の歳月を経た復旧途上の更地が広がる。隣の土地には震災の1カ月後から立つ「がんばろう!石巻」の看板がある。
 南浜つなぐ館は、公益社団法人みらいサポート石巻が運営する。土日と祝日に限定して開いている。
 約40平方メートルの室内に、石巻専修大の学生らが門脇・南浜の街並みを再現した縦横約2メートル、750分の1スケールの模型を展示。震災前に撮った両地区の航空写真のパネルも掲げている。
 みらいサポート石巻のスタッフ藤間千尋さん(37)は「模型や写真を見るなり、震災体験や、かつての暮らしを語り始める人が実に多い」と明かす。
 あの日までここで暮らしていた住民、再生を願い各地から石巻を訪ねてくる人々…。1月末までに2000人以上が足を運んだ。
 「『つなぐ記憶』プロジェクト」と題して、思い出や震災体験を来場者に書き記してもらっている。
 <家があったんだよな…、女房ドコニ?><遊歩道の桜がきれいだった>−。行方不明の家族への思いや、被災前の街並みを懐かしむ声。航空写真のパネルに貼られた付箋には、こうした言葉が幾つも連なる。
 「津波と火災で破壊される前、門脇と南浜には住民一人一人の日常が確かに存在した。その事実を後世に伝えることも私たちの役割」と藤間さんは言う。
 南浜には復興祈念公園が造られることになった。みらいサポート石巻は地域ゆかりの人々の思いをさらに集め、同公園に震災伝承のバトンを渡していこうと考えている。
 今月13日、南浜つなぐ館で「公開語り部会」が初めて開かれた。語り部は、南浜町の実家に住む両親を津波で亡くした塩釜市の高橋匡美(きょうみ)さん(50)。藤間さんらの活動に賛同して引き受けた。
 震災発生から3日後、煙がくすぶるがれきをかき分けながら実家にたどり着いた。家の中で母親を、約2週間後に遺体安置所で父親をそれぞれ発見した。その時の深い悲しみや、震災後の日々を語った。
 高橋さんは、被災し15年3月に閉校となった門脇小の卒業生だ。「さあ手をとって手をとって進もうよ−」。同小の校歌を歌った後、「明日が当然のように来る保障はないと震災で学んだ。今を共に生きていこう」と結ぶと、来場者から拍手が送られた。
 震災が発生してすぐ、支援者の立場で横浜市から石巻にやって来た藤間さん。本格的に移り住み、腰を据えて再生の一翼を担う。
 失われた街並みの記憶を呼び戻し、思いを言葉にする。語り継ぐ…。そうした積み重ねの先に、壊滅したまちの明日が開けてくるのかもしれない。
 「手をとって進もう」。門脇小の校歌の一節をかみしめ、南浜つなぐ館で出会う人々と心を通わせ、橋渡しをしていきたいと心に誓う。(武田俊郎)


<浜を歩く>鎮魂の地 新しい街に
◎薄磯(いわき市)将来の姿 見えぬまま
<115人が命失う>
 美空ひばりの「みだれ髪」に歌われた福島県いわき市の「塩屋の岬」。名画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台、塩屋埼灯台に上る。絶景。大海原の左右に白い砂浜が広がる。左が薄磯、右は豊間。東日本大震災の津波で共に大きな被害を受けた。
 灯台を下りる。薄磯へ、市内で最も多くの人が犠牲になった浜へと向かう。
 大型ダンプが間断なく行き交う。裏山を削り、土を運び、盛る。削った山の高台と、かさ上げした平場に区画整理で市街地を造る。防潮堤との間には幅50メートル、盛り土の海抜10.2メートルの防災緑地ができる。区長の鈴木幸長さん(63)は「良くも悪くも全く新しい街になる」と語る。
 海岸に張り付くように約280世帯が軒を並べた。板かまぼこの工場や民宿、干物、加工場…。白砂、遠浅の海水浴場には年25万人が訪れた。激震の後、海の水がなくなった。間もなく、高さ8.5メートルの津波が集落の全てをのみ込んだ。
 住民のおよそ7人に1人、115人が命を失った。
 月命日の11日、「修徳院龍宅寺」に地域の人が集まる。寺も津波に襲われ、先代の住職が亡くなった。7、8人の僧侶が読経し、灯台の下で水塔婆を流す。
 墓の入り口には、月命日近くになると「ご自由にどうぞ」と花が置かれる。市内で花屋を営む国井和彦さん(50)が無償で続ける。被災直後、遺体の収容を手伝い、「少しでも遺族の慰めになれば」と始めた。
 一区切り付けようと思い、花を置きに行ったときのこと。「いつもありがとうね」。おばあさんに声を掛けられた。その人は夕闇の墓の方に歩いていった。「やめられなくなった」
<碑建立を計画>
 震災5年の3月、一部で宅地の引き渡しが始まる。完了は2017年5月。字の付く住所が「薄磯○丁目」に変わり、整然とした街が登場する。「夢はある。だが、どんな街になるのか、これがまだ分からない」と区長の鈴木さんは言う。
 市の意向調査では、引き渡し後、家を建てる予定の区画は45.1%、予定なし20.6%、未定34.3%。「どれだけ人が戻るだろうか。5年は長すぎた」
 原発事故ものしかかる。「いくら安全だと言っても、前のように泊まりがけで海水浴に来てくれるのか。かまぼこ屋が幾つ復活するのか」。心配は尽きない。
 薄磯行政区はいま、慰霊碑建立の計画を進める。母と共に逝った胎児から94歳まで、犠牲者全員の名を刻む。7回忌、17年3月11日に除幕する。同時に、市が構想する震災伝承の施設をこの鎮魂の地にと望む。
 津波で両親を失った政井隆美さん(61)は言う。「生まれ変わった街に足を運んでもらい、震災を語り継ぐことが供養にもなる」
 夜、ライトに照らされ、真っ白な灯台が闇に浮かぶ。灯火が回る。見上げると、満天の星。言葉を失い、冥福を祈る。(いわき支局・古田耕一)


<仮設住宅>転居支援 出向いて安心感提供
 みなし仮設住宅からの転居が困難な被災者の支援はどうあるべきなのか。県被災者転居支援センターの高木秀明センター長(67)に聞いた。(聞き手は報道部・丹野綾子)
 センターはワンストップ窓口が基本。生活困窮者は他の窓口につなぎ、困っている人を助けられないことがないようにする。あくまで転居支援が役目だが、多くの生活困窮者と向き合ってきた職員は、就労支援に踏み込むこともある。
 みなし仮設は県、貸主、入居者の3者契約。入居期限終了後も住み続けようとすると県が抜け貸主と入居者の契約になる。家族のいない高齢者は敬遠されがちだが、私たちのノウハウを駆使して貸主を説得する。
 本当に困っている人はどうしていいか分からず、自分から助けを求めることもできない。こちらから出向いて最初に安心感を提供し、支援を受ける承諾書をもらう。入居期限ぎりぎりまでどうにもできず不安に過ごす人がないようにする。
 特に3月11日が近づくこの時期は家族や家を失った被災者のつらさが増す「アニバーサリーショック」に注意しなければならない。
 思考力が低下した状態で転居先が決まらないなど問題が押し寄せると、「生きていても仕方ない」となってしまいかねない。震災を乗り越えた被災者を絶対に死なせてはいけない。生き残るすべは必ずあり、それを見つける手助けをする。
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災から5年が経過し、仮設住宅の入居期間が終了するのを前に、転居先が未定の被災者の住宅確保を支援する宮城県被災者転居支援センター(仙台市青葉区)の支援件数が増えている。支援対象は高齢者や生活困窮者が多く、センターが目指すのは「伴走型の支援」だ。


<再生の針路>多賀城/生活不安解消へ 支援
◎震災5年 被災地の首長に聞く(6)菊地健次郎市長
 −東日本大震災からの復興の進展状況は。
 「災害公営住宅は、全532戸のうち2015年度末までに482戸が完成し、計画数の90%に到達する。残る宮内地区災害公営住宅の50戸も、ことし末までに完成する。宮内地区の復興土地区画整理事業は、昨年末までに65%の工事が終了し、一部では移転新築地区が始まっている」
<企業進出は順調>
 −被災者の暮らしの復興はどうか。
 「被災者約6000世帯を対象にしたアンケートでは、約1割が収入と預貯金の減少に不安を抱いていた。喫緊の課題だった住宅再建から、生活再建(収入確保)へとステージが確実に変化している。今後は、そうした被災者に向き合うマンツーマンの生活再建支援が必要だと認識している」
 −防災・減災対策はどう進んでいるか。
 「防災協定締結団体は、震災前の40団体から82団体へと大きく増えた。津波避難ビルの指定も、12カ所から27カ所になった。県内沿岸自治体では最も多い」
 「震災後、毎年開催している市の総合防災訓練は、地域や参加団体に自分たちの実情に合ったものにしてもらうよう努めている。要支援者の安否確認など、ほかの先進事例を見ながら訓練を行っている」
 −産業振興はどうか。
 「市の防災拠点と産業振興機能を備え持つ八幡一本柳地区の津波復興拠点は、整備事業の65%が完了し、企業進出も順調だ。工場用地の77%が埋まった。当初想定していた300人の雇用増は確保できる見通しとなった。仙台港近くの従来の工業地帯でも、新たな進出の話が出始めている」
 「復興のシンボルとして位置付けたJR仙石線多賀城駅前の整備は、市立図書館、書店を併設する再開発ビルのA棟と、子育てサポートセンター、保育所などが併設するB棟が完成し、『東北随一の文化交流拠点』として3月にオープンする運びになった」
<職員の確保必須>
 −最大の課題は。
 「友好都市などから応援職員の派遣を受けているが、震災から5年を迎え、15年度での派遣打ち切りが多く、技術系職員不足が顕著だ。16年度は現段階で必要人数23人に対して8人しか確保できていない。定年退職者の再任用などでしのぐ予定だが、限界がある」
 「残りの5年で全ての事業を仕上げなければならない。大規模な下水道復旧事業が控えるほか、震災後に市内各地で汚水が噴出した仙塩浄化センターの問題もある。少なくともあと2年は、県を通じてマンパワーの支援をお願いしたい」(聞き手は多賀城支局・佐藤素子)


河北春秋
 子どもはたくましい。苦境にあっても一度身に付けた学習習慣や向学心は簡単には失われないという。こう分析した『被災地・子ども教育白書』を、東日本大震災の被災地などで教育支援に取り組むチャンス・フォー・チルドレン(CFC、兵庫県西宮市)がまとめた▼経済的困難を抱える世帯に塾・習い事に使える教育クーポンを提供するCFC。子どもと保護者に2014年実施したアンケートによると、震災後に貧困に陥った世帯の子が家庭で一定時間以上勉強する割合は、貧困でない世帯とほぼ変わらなかった▼大学進学を希望する割合も傾向は同じ。ただ楽観はできない。頼もしい子どもたちも、暮らしが好転せず教育機会を十分得られない状況が続けば意欲を失いかねない。白書は意欲維持へ迅速な支援を訴える▼心配な兆候がある。CFCの奥野慧代表理事(30)は「支援する子に不登校が目立ちだし、支給したクーポンが使われない例も増えている」と言う。千人以上を支援してきたが、資金も限られ不採択はその6倍。状況がより深刻な子がいる可能性が高い▼震災前からの貧困世帯には、教育支援の前に食料提供や親の就労支援など生活の支えが重要、と白書は指摘する。実情に応じ、どうきめ細かく支えるか。知恵を出し合いたい。

<あの時政治は>菅の態度が破談招く
 2011年3月11日、東北は悲惨の極地と化した。あの時、政治は民主党政権の下、自民党など野党との大連立構想が浮上し、消えた。空前の規模の復興予算編成は、政局という激烈な痛みを伴った。そして、東京電力福島第1原発事故。事態は政治の機能不全をあざ笑うように深刻の度を深めていった。未曽有の危機に遭遇した11年の政治を三つのシーンから振り返る。(敬称略。肩書きは当時)
◎震災5年(上―1)幻の大連立
 首相菅直人は3月19日、自民党総裁谷垣禎一と電話会談し、復興に与野党一体で取り組むため、政権に加わるよう提案。谷垣に入閣を求めた。谷垣は即拒否した。大連立構想はその後もくすぶり続けた。
 密命を帯びた伝言が永田町を走った。
 震災から1週間の18日夜、首相補佐官寺田学(衆院秋田1区)は、菅から谷垣へのメッセージを使者に託した。
 「首相が一対一で会いたいと言っている」。メッセージに込められた重みを察した谷垣は「あす、党本部の代表電話にかけてくれればいい」と応じた。
 危機に直面した官邸。強力な政権の構築を求める空気が政界を覆っていた。
 密命を預かった寺田は、谷垣が民主、自民の大連立に前向きとの情報を得ていた。寺田は菅が「助けてくれ。救国内閣をつくろう」と低姿勢で接する場面を想像した。
 19日午後、官邸執務室から自民党総裁室に電話がつながった。2者会談の了承を取り付けるだけの段取りだったが、菅は谷垣に副総理での入閣要請にまで踏み込んだ。「手伝うのは当然だろう」と言わんばかりの菅。うんざりした谷垣は即座に断った。
 「首相が頭を下げていれば違っていた。露払いが必要だった。自分も政治的熟度が足りなかった」。寺田は「大連立が成立していれば、今の『1強多弱』の政界構図も異なっていたのでは…」と悔やむ。
 その頃。被災地では、死者が戦後最悪の6911人に達したことが判明。福島第1原発は1、3号機が爆発。炉心溶融が始まっていた。


<あの時政治は>協調霧散 対決に回帰
◎震災5年(上―2)幻の大連立
 首相菅直人率いる民主党政権は死に体だった。
 2010年参院選の民主党大敗で「ねじれ国会」が出現。野党・自民党の攻勢は厳しく、内閣支持率は20%前後に沈んでいた。
 3月11日午前、菅は参院決算委員会で在日韓国人からの違法献金を認めた。内閣総辞職か衆院解散か−。政局が沸点に差し掛かったその時、震災は起きた。
 「政治休戦だ。与野党の枠を超えて復旧に取り掛かろう」。公明党幹事長井上義久(衆院比例東北)の呼び掛けに、15日開かれた幹事長国対委員長会談は意見が一致した。
 官邸は混乱を極めた。「市町村長とのネットワークは自民が圧倒的に上だ」。党副総裁大島理森(衆院青森3区)は、被災地の要請を伝え続けた。民主党代表代行仙谷由人が官房副長官として官邸入りすると頻繁に連絡を取った。「あんたが官邸をこね回して、どんどんやらんと」。与野党に協調機運が高まった。
 菅、谷垣の電話会談決裂後も、民主は自民に秋波を送り続ける。
 民主党国対委員長安住淳(衆院宮城5区)は、自民党国対委員長逢沢一郎らと接触。「期限を区切った限定連立はどうか」と持ち掛けた。「野党が被災者の不満を吸収してしまったら、政府批判が強まる」。安住は不安に駆られていた。
 大連立には、野党に連帯責任を負わせる意図もうかがえた。「辞任寸前だった首相が延命しようとしている」。党国対副委員長小野寺五典(衆院宮城6区)は正面から反対論を唱えた。
 大島も谷垣に進言し続けた。「信頼関係が首相とは希薄だ。一種の閣外協力でいい」。4月7日、谷垣は記者会見し、大連立拒否を表明した。
 政局は対決モードに回帰し始めた。
 「これで本当に国難から復興できるのか。トップが交代する選択肢もあるかと思う」。当初は協力姿勢だった井上も同15日、菅退陣に触れた。
 政局に踊らされた大連立は不要だったのか?
 「復興のスピード感が違っただろう」と惜しむ寺田。大島は「批判は受け止めるが、予算化の作業がそれほど遅れたとは思わない」とみる。
 破局的な大災害を乗り切る政治の理想型は何か。答えは今も見つかっていない。


京大建物封鎖で活動家逮捕 講義妨害疑い、寮など捜索
 反戦ストライキと称して京都大学吉田キャンパス(京都市左京区)の建物を封鎖し、講義などを妨害したとして、京都府警警備2課と川端署などは29日、威力業務妨害の疑いで、中核派系全学連委員長の男(27)=住所不定=ら活動家3人を逮捕した。捜査関係者によると、中核派幹部(37)の逮捕状も取っており、近く逮捕する方針。
 府警などは同日朝、活動拠点とされる「前進社」関西支社(大阪市)や、京大内のサークルの部室、学生寮「熊野寮」など計13カ所を家宅捜索した。
 逮捕容疑は仲間と共謀し、昨年10月27日午前8時半から午後2時ごろ、同大学吉田南1号館の出入り口6カ所を立て看板で封鎖し、講義や職員の業務を妨害した疑い。
 男らは当時、反戦スト名目で建物を封鎖し、安倍政権の安保法制への批判や反戦を訴えていた。府警によると、他大学の活動家ら約40人が封鎖に参加したという。
 吉田南1号館で予定されていた講義は1コマが休講となり、19コマを別棟に振り替えた。現場では、京大生が立て看板を強制撤去しようとして反戦ストメンバーともみ合いになるなど一時、騒然となった。京大は昨年秋、府警に告訴状を出していた。


威力業務妨害容疑 京大告訴の中核派逮捕…学生寮など捜索
 反戦ストを掲げ、京都大(京都市左京区)構内に看板を設置するなどして大学の業務を妨害したとして、京都府警と警視庁、大阪府警は29日、中核派系全日本学生自治会総連合(全学連)委員長で元法政大生、斎藤郁真容疑者(27)ら3人を威力業務妨害容疑で逮捕した。京都府警などは同日、京大熊野寮や哲学サークルの部室などを捜索した。
 京大と京都府警の間では、警察の立ち入りに事前通告を求めるなどの規定があり、警察の介入を極力避けてきたが、今回は京大側の告訴を受けて府警が捜査していた。府警によると、学内での政治運動の関連で京大から告訴があったのは初めてという。
 容疑は昨年10月27日午前8時半〜午後2時ごろ、「京大反戦ストライキ」と称して、京大吉田南1号館前入り口に看板を立てるなどし、大学側の業務を妨害したとされる。
 京都府警によると、斎藤容疑者らは昨年9月に成立した安全保障関連法に抗議し、現場で「戦争絶対反対」などとマイクで主張。教室の入り口が看板で封鎖されたため、一部の授業が休講になった。府警によると、京大からの警備要請は25年ぶりだった。【村田拓也、宮川佐知子】


京大バリケード封鎖、授業妨害でメンバーら逮捕 「熊野寮」を捜索
 京都市左京区の京都大キャンパスで昨年10月、中核派系全学連の学生らがバリケード封鎖し、授業を妨害した疑いが強まったとして、京都府警などは29日朝、威力業務妨害容疑で、活動拠点の1つとされる京都大学生寮「熊野寮」の家宅捜索を行うなど強制捜査を始めた。府警は同容疑で、ストライキに加わったメンバーらを逮捕した。
 捜査関係者によると、共謀のうえ、昨年10月27日午前8時半〜午後2時、同区の京都大吉田南キャンパスで、吉田南1号館をバリケードで封鎖し、授業などを妨害した疑いが持たれている。
 府警などによると、同日早朝から午後2時ごろ、反戦や大学への不満を訴える約40人の学生らが、吉田南1号館を柵や立て看板などで封鎖し、授業や大学事務が行えない騒ぎになった。


容疑者の勾留 慎重な運用を広げたい
 刑事事件の容疑者や被告に対する身柄拘束の手続きに、変化の兆しが出てきた。
 逮捕された容疑者を拘束する検察の勾留請求を全国の地裁と簡裁が却下する件数が近年、大幅に増加している。また、起訴後に被告の保釈を認める割合も上昇している。
 裁判所が、容疑者・被告を長期間拘束する必要性について、厳しく審査する傾向が明らかになってきたといえる。過去に、長期間の拘束で自白が強要され冤罪(えんざい)を生んだことは否定できない。身柄の拘束は人権の制約であり、慎重な運用は当然だ。
 裁判所は、一層の意識改革を進め、身柄の拘束について適切な審査を尽くしてもらいたい。
 逮捕後に最大20日間、容疑者の身柄を拘束する勾留は、検察官の請求を受け裁判官が決定する。1970年代後半以降、却下率は1%未満が続いてきた。だが、2009年の裁判員制度スタートを前に、05年ごろから却下件数が増え始めた。14年の却下率は2・7%で、件数は3000件を超えた。
 保釈も同様だ。95年に保釈率は20%を割り込み低下傾向が続いていたが、14年は25・1%まで上がった。
 刑事訴訟法では、住所不定で証拠隠滅や逃亡の恐れがあると疑う相当の理由がある場合に限り、勾留を認められると定める。保釈についても、例外を除き権利として認められ、その例外に当たったとしても裁判官の裁量で認められる規定だ。
 だが従来、「取り調べに対し否認していれば、検察官の言う通りに裁判所は拘束を認める傾向にある」と、弁護士の間で批判が強かった。
 検察が、無罪を主張する人の身柄拘束を長引かせたり、拘束を解くことを条件に自白を迫ったりすることは、「人質司法」と呼ばれる。あってはならないことだ。日本の刑事司法の仕組みの中で、そのブレーキ役として裁判所の責任は重いはずだ。
 裁判所の姿勢が変化した背景には、裁判員制度の導入があるといわれる。捜査段階の供述よりも、法廷での証言を重視する傾向が強まった。また、刑事裁判が市民の目にさらされる中で、裁判所は市民の不信感を招かぬよう手続きの公正さに目配りするようになったとみられる。
 こうした姿勢をさらに徹底する必要があるだろう。
 検察も、容疑者や被告の勾留が必要なのか、その適否を厳密に判断すべきだ。刑事訴訟法改正案に、保釈判断の際に被告の健康や社会生活上の不利益などに考慮することを書き込むなど、法制面でも改善の動きが出ている。司法全体で、さらに透明性の高い刑事手続きを実現してもらいたい。


被告「殺していません」 栃木小1女児殺害で初公判
 2005年12月に起きた栃木県今市市(現日光市)の小1女児殺害事件で、殺人罪に問われた勝又拓哉被告(33)の裁判員裁判初公判が29日、宇都宮地裁(松原里美裁判長)で開かれ、勝又被告は「殺していません」と起訴内容を否認し、無罪を主張した。
 子供の安全対策の在り方が問われる契機にもなった事件の裁判は、検察側と弁護側が全面対決する構図になった。捜査段階の自白の信用性と任意性が主な争点。
 事件は05年12月1日に発生。今市市の吉田有希ちゃん=当時(7)=が下校途中に行方不明になり翌2日、茨城県常陸大宮市の山林で遺体が見つかった。起訴状によると、被告は同日午前4時ごろ、遺体発見現場付近で有希ちゃんの胸をナイフで多数回刺し、失血死させたとしている。
 弁護人は、遺体発見現場に血痕がほとんどなく、遺体の状態から死亡推定時刻は12月1日午後4〜5時ごろになるとして、起訴内容を支える自白は信用性がないと主張。「連日、威圧的な取り調べを受けて追い込まれた」と訴えている。
 弁護人によると、被告は商標法違反事件で勾留中の14年2月18日午前、殺害を自白。同日午後に否認に転じ、その後、連れ去りは認めるなど供述を変遷させた。同年6月、殺人容疑で逮捕された際や起訴前に再び殺害を認めたが、昨年5月から全面的に否認している。
 審理は3月22日の結審まで15回あり、有希ちゃんの父親らが被害者参加制度で出席。裁判員には取り調べの録音・録画が示される見込みだ。商標法違反罪などの区分審理で出た有罪の部分判決を踏まえ、3月31日に判決が言い渡される予定。
 ◆栃木県今市市(現日光市)の小1女児殺害事件で、被害者吉田有希ちゃん=当時(7)=の遺族が29日、公表したコメント全文は次の通り。(原文のまま)
 報道関係の皆様へ
 待ちに待った裁判がようやく始まります。
 有希が奪われてから10年以上の歳月が過ぎましたが「何の罪もない有希が、なぜ殺されたのか」を未だに理解することができずに苦しんでいます。
 昨年5月に、有希の母親である洋子が病に倒れ、亡くなりましたが、洋子は「真実が知りたい」と誰よりも裁判の開始を心待ちにしていました。
 私たち遺族はそうした洋子の意思もあわせて、この裁判に臨んでいく覚悟です。
 平成28年2月28日親族一同(共同)


「障害者」という幻影
 二〇二〇年東京パラリンピックを控え、障害者がよくメディアに登場するようになった。スポーツやアール・ブリュット、農業と福祉の連携…多彩な活躍ぶりを知るにつけ、共生社会のあり方を考えさせられる。
 ただ、かねて気になるのは、メディアの伝え方だ。例えば「困難を乗り越えて、素晴らしい業績を上げた」といった美談調子。健常者はどんなメッセージを読み取るか。
 「障害を克服しながら、あんなに頑張っている人がいる。私には幸運にも障害はないのだから、もっと頑張らなくちゃ」。そんなふうに障害者の奮闘を人生の肥やしにすることもあるだろう。でも、そうやって紹介された障害者は、違和感を覚えるに違いない。
 批判をおそれずに言えば、障害者にとっては、障害のあることが「健常」なのだ。克服すべき課題はそこにはない。だが、健常者にしてみれば、それが困難の元に見える。乗り越えるべき課題に映るのである。
 障害者は、自らの障害をいつも意識して暮らしているわけではあるまい。道路に段差があったり、筆談を拒まれたり、メニューに点字がなかったりして初めて不自由、不平等を認識させられるのではないか。
 困難や試練の元は、社会の側にある。自戒を込めて思う。そんな社会の不備に気づいたとき、目の前にいる取材相手は、もはや障害者ではなくなるのである。 (大西隆)


【強制起訴へ】東電元幹部は真相を語れ
 福島第1原発事故で、検察官役の指定弁護士がきょうにも、当時の東京電力経営陣3人を業務上過失致死傷罪で強制起訴する。
 多くの人々から古里を奪い、人生を暗転させた刑事責任はどうなるのか。被災者に限らず、国民が抱き続ける疑問に違いない。事故から約5年を経て、ようやく「人災」の責任が法廷で争われる。
 起訴されるのは勝俣恒久元会長のほか、いずれも原子力・立地本部長を務めた武黒一郎元副社長と武藤栄元副社長。原因企業の責任者が未曽有の事故について何を語るのかが注目される。
 事故をめぐっては、被災者らによる複数の団体が2012年、安全対策を怠ったとして政府首脳や東電経営陣らを告訴・告発した。
 東京地検は津波を予測し事故を防ぐ対策は不可能と不起訴にしたが、一般市民による検察審査会が昨年7月、3人を「起訴すべきだ」と議決し、強制起訴が決まっていた。
 検察審査会の議決では、政府の地震調査研究推進本部の評価に基づいて、津波の高さが最大15・7メートルになるとの試算結果を報告されていたと指摘。大津波を予測し、事故を回避できたと結論付けた。
 対策を怠った結果、近隣病院の入院患者が長時間の待機を伴う避難で死亡したなどとしている。
 公判でも津波の予見性と経営陣の認識が大きな争点になろう。この点を含め、なぜ事故を防げなかったかという核心はいまもはっきりしない部分が多い。
 むろん、事故が現在も進行しており、原子炉建屋付近の放射線に阻まれ、検証や廃炉作業が思うに任せない状況はある。
 ただし、事故の当事者である東電が必ずしも真相究明や情報公開に積極的とはいえない姿勢であることも影響していよう。いや、汚染水流出など数々のトラブルで隠蔽(いんぺい)体質を批判されてきた。
 先日も信じがたい事実が明らかになった。東電が事故直後、原子炉の状況を極めて深刻な「炉心溶融(メルトダウン)」ではなく、前段階の「炉心損傷」と説明していたことが誤りだったと発表した。
 2カ月後の11年5月になってやっと炉心溶融を認めたが、社内マニュアルに照らせば事故の3日後には判断できたという。
 マニュアルの存在をことし2月まで見過ごしていたと説明するが、事故を矮小(わいしょう)化する意図はなかったのか。東電が適切に対応さえしていれば、当初の情報錯綜(さくそう)をある程度は避けられたかもしれない。
 当時、経営の最高責任者だった3人は組織としての対応を問われる立場だった。しかし、政府の事故調査・検証委員会の調書公開にも同意せず、十分な説明責任を果たしたとはいえない。
 刑事責任を争う場とはいえ、公判では自らの口で真相を語るべきだ。それが元トップとして、被災者や国民に対する最低限の責務である。


東電の旧経営陣3人 原発事故巡り強制起訴
福島第一原子力発電所の事故を巡って、検察審査会に「起訴すべき」と議決された東京電力の元会長ら3人が、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されました。3人は無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが罪に当たるかどうかが初めて法廷で争われることになります。
強制的に起訴されたのは、東京電力の元会長の勝俣恒久被告(75)、元副社長の武黒一郎被告(69)、元副社長の武藤栄被告(65)の3人です。
起訴状などによりますと、3人は、福島第一原発が津波で浸水する可能性について予測できたはずなのに適切な措置を取らず、原子炉建屋で水素爆発を引き起こし、周辺にいた13人にけがをさせたほか、福島県大熊町の双葉病院の入院患者などに避難を余儀なくさせた結果、症状を悪化させて44人を死亡させたとして、業務上過失致死傷の罪に問われています。
検察は3人を不起訴にしましたが、去年7月、検察審査会が「起訴すべき」と議決したため、裁判所から選任された指定弁護士が在宅のまま起訴しました。
一方、3人は、国会の事故調査委員会で津波は予測できなかったと主張していて、勝俣元会長は津波で浸水する可能性の報告について「原子力本部止まりになっていた」と述べ、自分は報告を受けていなかったとしています。また、武黒元副社長は、津波の可能性についてはあくまで仮定の計算だったため具体的な対策は講じなかったとしています。さらに、武藤元副社長は「専門家で議論した基準で、われわれとしては安全性は十分担保されていると思っていた」と述べています。
3人は裁判で無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが罪に当たるかどうかが初めて法廷で争われることになります。
また、公開の法廷で行われる証言や証拠として提出される資料によって、原発事故を巡る新たな事実が明らかになるかどうかも注目されます。
旧経営陣3人が強制起訴されたことについて、東京電力は「原発事故により福島県民の皆さまをはじめ、広く社会の皆さまに大変なご迷惑とご心配をおかけしていることについて改めて心からおわび申し上げます。当社元役員が強制起訴されたとの報道は承知していますが、刑事訴訟に関することであり、当社としてコメントは差し控えさせていただきます」としています。


東電元3幹部を強制起訴 原発事故の責任追及「やっとここから」
 東京電力福島第一原発事故で、検察官役の指定弁護士は二十九日、昨年七月の東京第五検察審査会の起訴議決に基づき、「大津波を予測できたのに対策を怠り、漫然と原発の運転を続けた過失がある」として、東電の勝俣恒久元会長(75)ら旧経営陣三人を、業務上過失致死傷罪で在宅のまま東京地裁に強制起訴した。発生から三月十一日で五年。甚大な被害をもたらした原発事故の刑事責任が、初めて裁判で問われる。 
 他に起訴された二人は、ともに原子力・立地本部長を務めた武藤栄元副社長(65)と武黒(たけくろ)一郎元副社長(69)。今後、事前に争点や証拠を絞り込む公判前整理手続きが行われる。公判で勝俣元会長らはいずれも無罪を主張するとみられる。
 強制起訴は二〇〇九年五月の改正検察審査会法施行後、九件目。
 起訴状では、勝俣元会長ら三人は、福島第一原発の敷地の高さ(海抜十メートル)を超える津波が襲来し、津波による浸水で重大な事故が起きる可能性を予測できたと指摘。原発の運転停止を含めた津波対策をすべき注意義務を怠り、東日本大震災に伴う津波で重大事故を引き起こし、四十四人を死なせ、十三人にけがを負わせたとした。
◆コメントは控える
 東京電力の話 刑事訴訟に関することであり、コメントは差し控える。損害賠償、廃炉・除染に全力を尽くし原発の安全性強化対策に不退転の決意で取り組む。
◆武藤類子・告訴団団長 進む再稼働「教訓学んでない」
 「やっとここまできた」。事故の責任追及を求めてきた「福島原発告訴団」の武藤類子団長(62)は、東京電力の旧経営陣が強制起訴されたことに感慨深げだ。「三人は真実を語り、なぜ事故が起きたかを明らかにしてほしい」
 放射能汚染で、日々の営みを奪われた一人だ。二〇〇三年に豊かな自然に囲まれた福島県田村市で喫茶店をオープン。裏山で摘んだ野草をお茶にしたり、ドングリを使った料理を振る舞ってきた。だが、約四十五キロ離れた東電福島第一原発で起きた事故によって、山の幸は汚染されドングリもキノコも食べられなくなり、薪(まき)も燃やせなくなった。店は一三年春に廃業した。
 「被害の大きさだけではなく、調べれば調べるほど、東電は津波対策を握りつぶしてきたことが分かってきた。想定外ではなかったのに、事故の責任を誰も負わないのはおかしい」
 一二年に告訴団を結成し、団長になった。福島県民約千三百人でスタートし、全国に共感が広がり、一万四千人超にまで膨らんだ。今年一月には、裁判で検察官役を務める弁護士にエールを送るため、「支援団」も発足させた。
 「原発事故は収束していないし、被災者はまだ困難な状況にある。責任をうやむやにしてはいけない。反省しなければ、また事故が起きる」と訴える。
 事故後、九州電力川内(せんだい)(鹿児島県)、関西電力高浜(福井県)の原発計四基が再稼働し、運転開始から四十年超の高浜1、2号機さえも、再稼働が近づく。「福島第一の1号機も、四十年になる直前で事故になった。老朽化も一つの原因かもしれない。福島から何も学んでいない。裁判を通じ、原発政策の問題点も明らかになれば」と期待する。 (荒井六貴)


原発事故巡り強制起訴 今後の裁判の争点は
福島第一原子力発電所の事故を巡って、検察審査会に「起訴すべき」と議決された東京電力の元会長ら3人が、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されました。裁判では、原発事故を引き起こすような巨大な津波を事前に予測することが可能だったかどうかが最大の争点になります。
東京電力の元会長の勝俣恒久被告(75)、元副社長の武黒一郎被告(69)、元副社長の武藤栄被告(65)の3人は、福島第一原発が津波で浸水する可能性について予測できたはずなのに適切な措置を取らなかったとして、業務上過失致死傷の罪に問われています。
一方、事故の翌年に開かれた国会の事故調査委員会の意見聴取で、勝俣元会長は試算の報告を受けていないと説明し、元副社長の2人は報告を受けたことは認めましたが、根拠が不十分だったため巨大な津波は予測できなかったと主張しています。
業務上過失致死傷の罪は、被害を予測できたのに対策を怠った場合でなければ有罪にならないため、元会長への報告の有無や、試算に十分な根拠があったといえるかどうかなど、津波の予測が可能だったかが最大の争点になります。
また、予測が可能だったとしても、報告から事故までの間に有効な対策を取ることが不可能だったと考えられる場合は罪に問われないため、事故を避けることができたかどうかも争われる見通しです。
3人は、国会の事故調査委員会のほか、政府の事故調査・検証委員会の聞き取りにも答えていますが、その内容は今も非公開のままで、事故が起きるまでのいきさつについて法廷でどのように説明するかが注目されます。
津波対策決定で極めて重要な立場に
起訴された東京電力の旧経営陣3人は、いずれも津波対策を決めるうえで極めて重要な立場にいました。
政府や国会などが設けた事故調査委員会の報告書によりますと、東京電力は、事故の3年前の平成20年、福島第一原発で最大で15.7メートルの津波が想定されると試算していたとされています。
これについて勝俣元会長は、国会の事故調査委員会で「当時、こうしたことは起こりえないんじゃないかという判断が有力で、原子力本部止まりになっていた」と述べ、自分は報告を受けていなかったとしています。
また、原子力・立地本部の本部長だった武黒元副社長は「試算は津波が発生する場所を三陸沖にしていたので、福島第一原発では福島県沖で想定しなくてはならなかった。原発の設計基準にするには土木学会などの審議で発生場所を確定する必要があったように思う」と述べ、あくまで仮定の計算だったため具体的な対策は講じなかったとしています。
さらに、原発の安全対策を担当する副本部長を務めていた武藤元副社長は「専門家で議論した基準で、われわれとしては安全性は十分担保されていると思っていた」と述べ、当時としては十分な安全対策を取っていたとしています。
この試算は政府の事故調査・検証委員会の報告書でも取り上げられ、武藤元副社長は報告を受けた際、対策として新たな防潮堤を建設すると数百億円規模の費用とおよそ4年の時間がかかると説明を受けましたが、実際にこうした津波は来ないと考え、従来の津波の想定を当面は変えない方針を決めたとされています。また、武黒元副社長も特段の指示を出すことはなかったとされています。
事故原因「津波で電源喪失 原子炉冷却できず」
福島第一原子力発電所の事故を巡っては、政府や国会、民間の団体、それに東京電力などがそれぞれ検証を行ってきました。いずれも、津波によってすべての電源が失われ、原子炉を冷却できなくなったことが事故の原因だと指摘しています。
このうち政府の事故調査・検証委員会の報告書は、15メートルを超える津波の試算を出したものの、実際にこうした津波は来ないと考え、当面は想定を変えない方針を決めたとされる東京電力の一連の対応について、「自然現象は大きな不確実さを伴うことなどから、具体的な津波対策を講じておくことが望まれた」と指摘しています。また、武藤元副社長は、この試算について報告を受けた際、対策として新たな防潮堤を建設すると数百億円規模の費用とおよそ4年の時間がかかると説明を受けたとされています。
一方、国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、いわゆる国会事故調の報告書は、東京電力の経営陣と規制当局が何度も事前に対策を立てるチャンスがあったにもかかわらず安全対策を先送りしたとして、「自然災害」ではなく明らかに「人災」だと結論づけています。
また、福島原発事故独立検証委員会、いわゆる民間事故調は、東京電力に対し、「対策が極めて不十分で、その結果、重大な事故を起こしたことは紛れもない事実だ」と批判しています。そのうえで、東京電力が「巨大官僚組織」的であることが安全対策の劣化につながったという見方を示していますが、個人の責任については言及していません。
これに対して、東京電力の事故調査報告書は、「試算は仮想的なもので、当時は専門家の間でも意見が定まっておらず、今回の津波は想定を超える巨大なものだった」としました。しかし、言い訳に終始しているとの批判を浴び、平成25年3月、「巨大な津波を予測することが困難だったという理由で、原因を天災として片づけてはならない。事前の備えが十分であれば防げた事故だった」と総括しています。
政府の事故調査・検証委員会は当時の関係者772人から聴き取りを行っていて、政府はおととし9月から、福島第一原発の吉田昌郎元所長に加えて、本人の同意が得られた人について証言の記録を公開してきました。
これまでに246人の証言が公開されていますが、今回、起訴された東京電力の旧経営陣3人ついては今も公開されていません。
東京電力の津波対策の経緯
政府の事故調査・検証委員会の報告書などによりますと、福島第一原子力発電所は、建設当時、それまでに観測された中で最も高かった昭和35年の「チリ地震津波」を基に最大の津波の想定を3.1メートルとしたうえで、非常用のポンプなどは海抜4メートルの場所に、原子炉建屋などは海抜10メートルの場所にそれぞれ設けられました。
その後、東京電力は、平成14年2月に土木学会がまとめた新しい計算方法に基づいて津波の想定を5.7メートルに引き上げ、6号機の非常用発電機などをおよそ6メートルにかさ上げしました。
一方、この年の7月、政府の地震調査研究推進本部は、過去に記録がなかった福島県沖でも大津波を伴う地震が起きる可能性があるとする評価結果を発表します。さらに研究者からは、堆積物の分析などから、平安時代に東北地方を襲ったとされる「貞観津波」のような巨大津波が繰り返し押し寄せていたとする論文も発表されました。
こうしたなか、東京電力は平成20年、福島県沖で大地震が発生した場合、福島第一原発に押し寄せる津波の高さは最大で15.7メートルに達する可能性があるという試算をまとめましたが、このような津波は実際には来ないと考えたとされ、具体的な対策は行いませんでした。
遺族「事実を明らかに」
福島第一原発の事故で病院から避難中に亡くなった男性の遺族は、裁判を通じて事故の新たな事実が明らかになることを望んでいます。
福島県大熊町の双葉病院に認知症の症状で入院していた藤吉正三さん(当時97)は、事故の3日後に自衛隊に救出されましたが、230キロを超える避難の過程で体調が悪化し、その後、搬送された体育館で亡くなりました。
藤吉さんの娘で東京都内に住む71歳の女性は、NHKの取材に対して、「当時の健康状態からみても、原発事故さえなければ、父はすぐに亡くなることはなかったので、今も事故への憤りは強くあります」と話しています。女性は、藤吉さんが過酷な状況のなかで亡くなったことを思うといたたまれなくなるといいます。
女性は「起訴された3人には、法廷で罪を認めて謝罪してほしい。裁判でこれまでに明らかになっていない事実が明らかにされ、それが今後に生かされるのであれば、大きな意義があると思う」と話しています。
福島第一原発事故の検証を続けている新潟県の技術委員で多摩大学情報社会学研究所の山内康英教授(58)は「航空機事故が起きた場合は、原因が特定されるまで同型の航空機は飛べなくなるが、原子力災害も何が問題だったのか、何が誤りだったのかを徹底して究明する必要がある」と指摘しています。そのうえで、「東京電力がメルトダウンを判断する規定を明記した内部文書があったことをみずから公開したことが示唆しているように、われわれは福島第一原発の事故の全体像をまだ十分には把握できていない。起訴された3人は無罪を主張するだろうが、この未曾有の事故に真摯(しんし)に向き合って証言してほしい。さらに、3人以外の証言や社内の内部文書などが裁判の過程でどれだけ明らかにできるかも重要で、事故の真相究明に期待したい」と話しています。
今後の裁判「責任の大きさ どう捉えるか」
刑事裁判の専門家は、今後開かれる裁判では、原発の運営者としての責任の大きさをどのように捉えるかが重要になると指摘しています。
強制的に起訴された3人の裁判では、福島第一原発が津波で浸水することを予測できたか、そして、被害を予測できたとしても事故の対策が間に合ったかが主な争点になるとみられます。
元刑事裁判官で法政大学法科大学院の水野智幸教授は、1つ目の争点について、「刑事責任を問うには、事故の被害をある程度具体的に予測できたと証明する必要がある。経営陣の一部は事故の3年前、原発に10メートルを超す津波が来るという試算結果を聞いていたので、この試算の信頼性の評価が重要だ」と指摘しています。
また、もう1つの争点については、「防潮堤の建設や原発の移設のほか、津波が来ても電源が喪失しないための対策が震災までにできたかどうかが焦点で、それぞれの対策にかかるコストや時間、当時の東京電力の経営状況などを踏まえて判断することになる」と述べています。
さらに、自然災害が原因の事故は、人為的な事故に比べて、予測や対策が難しい場合があるとしたうえで、有罪か無罪かの判断のポイントについて、「いったん事故が起きれば甚大な被害が出るという原発の運営者の責任の大きさをどのように捉えるかが重要になる」と指摘しています。


高浜1、2号機の「40年超」認可差し止めを 住民、名古屋地裁に提訴へ
 運転開始から四十年を超えた関西電力高浜原発1、2号機(福井県高浜町)をさらに二十年運転させる原子力規制委員会の延長認可の差し止めを求め、福井県や東海地方の住民が四月中にも、国を相手に行政訴訟と仮差し止めの申し立てを名古屋地裁に起こすことが分かった。老朽化による安全性低下を争点とする方針で、相次ぐ原発訴訟の新たな流れを生みそうだ。
 老朽原発をめぐっては、東京電力福島第一原発事故後の二〇一二年、原子炉等規制法の改正で「四十年で原則廃炉」と規定されたが、規制委は今月二十四日、関電が1、2号機で予定する安全対策が新規制基準に適合するとの審査書案を全国に先駆けて了承。運転期間満了の七月七日までに規制委が延長を認可すれば、対策工事を施した上で最長六十年の運転が可能になる。
 原告団と弁護団は「延長運転後に事故が起き重大な損害が生じる恐れがある」として規制委に認可を出さないよう訴え、認可が出された後は取り消し処分を求めて争う方針。老朽化した1、2号機の原子炉圧力容器では、核燃料から放出された中性子を受け続けたことによる劣化現象が起こるため、原子炉等規制法に基づく技術基準を満たさない、と主張。規制委による審理でも問題化した、重要機器をつなぐケーブルの防火策の不備も訴えるという。
 福島事故後は立地自治体以外の裁判所での原発訴訟が増えているが名古屋地裁では初めて。高浜原発をめぐっては昨年四月、福井地裁が1、2号機の約十年後に稼働を始めた3、4号機の運転を禁止する仮処分を出したが同十二月の異議審で地裁の別の裁判長が仮処分の取り消しを決定。3号機は今年一月、4号機は今月二十六日に再稼働した。
 福島事故では放射性物質が広範に飛散し、政府が半径二百五十キロ圏内の住民への避難指示を検討していたことも判明。原告が勝訴した福井地裁での大飯3、4号機訴訟の判決では、同キロ圏内の住民の原告適格性が認定され、福井県内の原発に対する訴訟が隣接する大津、京都地裁で相次いで提起されるなど、県境を越えた法廷闘争が繰り広げられてきた。
 名古屋は高浜原発の約百三十キロ南東に位置し、季節風の風下に当たる。


2・29に飛躍を誓う
 2月29日生まれの人は4年ごとにしか年齢が増えないの? うるう日にちなみ、最近こんな質問がインターネット上で飛び交っている。もちろん答えは「毎年、年を取ります」。
 理由はこうだ。法律の決まりで、誕生日の前日が終わる瞬間に年齢が変わる。29日午前零時ではなく28日午後12時に1歳加わる。どちらも実際は同じ時間だが、法律上は違う日として扱われる。よって2月29日がない年でも28日には年齢が一つ上がる。
 うるうは漢字で「閏」と書く。王様が4年に一度の余剰日に公務を休み、門から出ないことに由来する。西洋などでは「跳躍の日」と呼ぶ。通常なら毎年一日ずつ曜日がずれてゆくが、閏日があると2日ずれることになる。曜日を一日飛び越す意味から名が付いたという。4年ごとにやって来る暦のマジックだ。
 もしも時空を自由に行き来できたら…。震災から丸5年を前に想像してみる。放射能除去装置を未来から送り込む。過去に戻り原発事故を防ぐ方策を取る。閏年をいったい何度迎えたら夢の将来が訪れるのか。4年後には東京五輪が待つ。本県の復興を世界に示す時だ。困難を飛び越える好機となる。


【高市総務相電波停止発言】 岸井成格氏「品性、知性のかけらもない」「恥ずかしくないのか」 自身への批判に反論
 田原総一朗氏らジャーナリスト有志が高市早苗総務相の「電波停止」発言に抗議した29日の記者会見では、TBS系報道番組「NEWS23」アンカーを務める岸井成格氏が安保報道をめぐる自身の発言への批判について、「低俗」「品性のかけらもない」と語気を強めて切り捨てる場面もあった。
 岸井氏は会見で、番組編集に当たっての政治的公平などを定めた放送法4条に絡み、「公平・公正という言葉にみな、だまされてしまう。でも、政治的公平は、一般的な公平・公正とは全く違う」と主張。「権力は絶対に腐敗し、暴走する。それをさせてはならないのがジャーナリズムの役割だ」として、「政治的公平を判断するのは国民であり、事実をチェックするメディアだ」と訴えた。
 岸井氏は昨年9月の同番組で、国会審議が大詰めを迎えていた安保法案について、「メディアとして廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と発言。これに対し、作曲家のすぎやまこういち氏が代表呼びかけ人を務める「放送法遵守を求める視聴者の会」が、政治的公平を定めた放送法違反の疑いがあるとして岸井氏らに公開質問状を送ったが、岸井氏は回答しなかった。
 岸井氏は同会からの批判について、「低俗なあれにコメントするのは時間の無駄だ。だが、安保法制については、憲法違反で、自衛隊のリスクが一気に高まり、戦後の安保体制が180度変わる。それをあんなに反対の多い中で形で強行採決していいのか。誰が考えたって、批判するのは当たり前のこと。それがダメだと言われたら、メディアは成り立たない」と主張した。
 また、同会が産経新聞や読売新聞に発言を問題視する意見広告を出したことについては、「最初は何の広告か、さっぱり分からなかった。本当に低俗だし、品性どころか知性のかけらもない。ひどいことをやる時代になった。恥ずかしくないのか疑う」と、痛烈に批判した。
 一方、鳥越俊太郎氏は「日本の社会が戦後70年たち、全体として右側に保守化している事実は認めなければいけない。その空気の中で、日本会議という右翼的な団体があって、そこからお金が出て、産経と読売に意見広告が出ている、ということがある程度分かってきている」などと発言。その上で、「メディアが政権をチェックするのではなく、政権がメディアをチェックする時代になっている。そこから戦っていかなければいけない。戦いですよ。負けられない戦い。負けたら戦前のようになる。大本営発表のようになる」と強調した。


【高市総務相電波停止発言】 「高市さんに恥ずかしい思いをさせなければ」田原総一朗氏、岸井成格氏ら6人が抗議会見
 田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏、岸井成格氏ら放送業界で活動しているジャーナリスト有志が29日、高市早苗総務相の「電波停止」発言に抗議する記者会見を東京都内で開き、「私たちは怒っている」「発言は憲法、放送法の精神に反している」とする声明を発表した。
 呼び掛け人には、田原氏らのほかに、田勢康弘氏(会見には欠席)、大谷昭宏氏、金平茂紀氏、青木理氏が名を連ねた。
 声明では、高市氏の発言が「放送による表現の自由の確保」を定めた放送法1条や「表現の自由」を保障する憲法21条の精神に反していると主張。その上で「現在のテレビ報道を取り巻く環境が著しく『息苦しさ』を増していないか」として、「自主規制、忖度、萎縮が放送現場の『内側から』拡がることになっては、危機は一層深刻だ」と訴えた。
 会見で、岸井氏は「高市発言にはあきれ果てた。憲法、放送法の精神を知らない中での発言であれば、大臣失格だ。仮に曲解しているのであれば、『言論統制を進めたい』と思われても仕方がない」と高市氏を批判。田原氏は「非常に恥ずかしい発言。全テレビ局の全番組が抗議すべきだが、残念ながら多くの番組は何も言わない。高市さんに、恥ずかしい思いをさせなければならない」と訴えた。
 また、鳥越氏は「安倍政権からの恫(どう)喝(かつ)、脅しだ。安倍政権のなめきった態度が、高市発言となって現れた」と強調。「メディア内部に(政権への)遠慮がはびこっている。このままでは日本は大変なことになる。戦前のようになるかもしれないし、全権委任法を受けたナチスのようになるかもしれない」とも訴えた。
 会見で配布された声明文の全文は次の通り。

 「私たちは怒っている−−高市総務大臣の『電波停止』発言は憲法及び放送法の精神に反している」
 今年の2月8日と9日、高市早苗総務大臣が、国会の衆議院予算委員会において、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性について言及した。誰が判断するのかについては、同月23日の答弁で「総務大臣が最終的に判断するということになると存じます」と明言している。
 私たちはこの一連の発言に驚き、そして怒っている。そもそも公共放送にあずかる放送局の電波は、国民のものであって、所管する省庁のものではない。所管大臣の「判断」で電波停止などという行政処分が可能であるなどいう認識は、「放送による表現の自由を確保すること」「放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」をうたった放送法(第1条)の精神に著しく反するものである。さらには、放送法にうたわれている「放送による表現の自由」は、憲法21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」の条文によって支えられているものだ。
 高市大臣が、処分のよりどころとする放送法第4条の規定は、多くのメディア法学者のあいだでは、放送事業者が自らを律する「倫理規定」とするのが通説である。また、放送法成立当時の経緯を少しでも研究すると、この法律が、戦争時の苦い経験を踏まえた放送番組への政府の干渉の排除、放送の自由独立の確保が強く企図されていたことがわかる。
 私たちは、テレビというメディアを通じて、日々のニュースや情報を市民に伝達し、その背景や意味について解説し、自由な議論を展開することによって、国民の「知る権利」に資することをめざしてきた。テレビ放送が開始されてから今年で64年になる。これまでも政治権力とメディアのあいだでは、さまざまな葛藤や介入・干渉があったことを肌身をもって経験してきた。
 現在のテレビ報道を取り巻く環境が著しく「息苦しさ」を増していないか。私たち自身もそれがなぜなのかを自らに問い続けている。「外から」の放送への介入・干渉によってもたらされた「息苦しさ」ならば跳ね返すこともできよう。だが、自主規制、忖度、萎縮が放送現場の「内部から」拡がることになっては、危機は一層深刻である。私たちが、今日ここに集い、意思表示をする理由の強い一端もそこにある。
 〈呼び掛け人〉(五十音順 2月29日現在)青木理、大谷昭宏、金平茂紀、岸井成格、田勢康弘、田原総一朗、鳥越俊太郎


水平社博物館 国際人権博連盟に日本から初加盟…奈良
 部落差別と闘った水平社運動の歴史をたどる「水平社博物館」(奈良県御所市)が、人権に関わる世界各国の98博物館でつくる「国際人権博物館連盟」(FIHRM)に日本から初めて加盟した。駒井忠之館長(43)は「水平社の人権思想を海外にも広めたい」とし、今後は外国語リーフレットを作成するなど海外への発信も目指す。
「人間に光あれ」世界に
 御所市は「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で知られ、日本初の人権宣言とされる全国水平社創立宣言(1922年)を起草した西光万吉(さいこう・まんきち)らの出身地。部落差別の解消と人間の尊厳を訴えた水平社運動を伝えようと、水平社博物館が98年に開館した。水平社の象徴「荊冠(けいかん)旗」をはじめ資料や写真を展示している。
 FIHRMは2010年、人種差別や奴隷制度など人権問題を取り扱う世界各国の博物館が、取り組みや課題を共有しようと発足した。国際奴隷制博物館(英国)やホロコースト記念博物館(米国)などが加盟する。年1回の大会では加盟する館が活動の報告をするほか、定期的にニュースレターの発行もしている。19年の大会は京都で開催される予定だ。
 水平社博物館の駒井館長は昨年9月、ニュージーランドであったFIHRMの大会にオブザーバー参加した際に加盟の意思を伝え、同12月に認められた。駒井館長は「人権や差別に対する考え方は、世界で共有できる。水平社の思想を多くの人に知ってもらい、私たちも勉強したい」と話す。
 水平社博物館は修学旅行生らも訪れ、入館者は累計30万人。少子化の影響などで、昨年の年間入館者は1万1000人と開館時の5分の1に減った。博物館ではFIHRM加盟を機に、より多くの外国人に訪れてもらおうと、英語や中国語、韓国語で展示を解説する音声ガイド、リーフレット作成なども検討している。
 同博物館を運営する奈良人権文化財団などは14〜15年、水平社宣言と関連資料の世界記憶遺産への登録を目指し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内委員会に申請。国内候補2件の選定から外れたが、15年は13万人以上の登録賛同署名が集まった。【伊澤拓也】

郷土史 東淀川(大道・江口)の歴史/又吉直樹の火花

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福島原発事故から5年 被害者を切り捨てるな!全国集会

La veuve de John Lennon Yoko Ono hospitalisée
La veuve de John Lennon a été hospitalisée vendredi pour "ce qui semble être juste un cas sérieux de grippe".
Yoko Ono, la veuve de John Lennon, a été hospitalisée vendredi à New York avec des symptomes de la grippe, ont annoncé les médias. Âgée de 83 ans, la chanteuse japonaise s'est rendue à l'hôpital en suivant les conseils de ses médecins pour "ce qui semble être juste un cas sérieux de grippe", a déclaré son porte-parole Elliot Mintz, cité par ABC News.
A propos des rumeurs, disant que la chanteuse avait souffert d'une attaque, son fils Sean Lennon a répondu sur Twitter: "La seule attaque dont @yokoono a souffert est une attaque de génie. Elle v vraiment bien. Merci de vos bons souhaits de rétablissement". Selon le porte-parole, Yoko Ono pourrait sortir de l'hôpital dès samedi. Elle a été hospitalisée vendredi vers 21H00 (samedi 02H00 GMT)
John Lennon et Yoko Ono s'étaient sont rencontrés en 1966 et sont par la suite devenus amants et compagnons artistiques. Yoko Ono avait sorti la semaine passée un album remix intitulé "Yes, I'm a Witch Too" ("Oui, je suis aussi une sorcière"). L’occasion pour elle de réaffirmer qu’elle n'a pas provoqué la séparation des Beatles.
Yoko Ono le redit, elle n'a pas provoqué la séparation des Beatles
Les raisons qui ont poussé le groupe de Liverpool à se séparer en 1970 ont longtemps été sujet de polémique entre fans et historiens, certains affirmant que la présence constante de Yoko Ono au studio d'enregistrement avait accru les tensions entre les quatre membres du groupe.
La chanteuse, née au Japon, est revenue sur sa carrière dans le magazine américain spécialisé dans les célébrités US Weekly. Dans un article intitulé "25 choses que vous ne savez pas sur moi", sa réponse numéro 24 dit: "Je n'ai rien eu à voir avec la séparation des Beatles. Et je pense que Paul (McCartney) est un gars plutôt sympa".
Yoko Ono a aussi dit que John Lennon, assassiné par un déséquilibré à New York en 1980, lui manquait chaque jour.
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新世代が解く!ニッポンのジレンマ「競争と共生のジレンマ〜反響編〜」
話題を呼んだ元日SP、競争と共生のジレンマの反響編。VTRのみだった堀江貴文も参戦。承認社会は希望か?地獄か?僧侶・小池龍之介、思想家・先崎彰容とともに感想戦。
大反響の元日SP。最も多くのリクエストがあったのは、堀江貴文と小池龍之介の直接対決。VTRで評価経済の可能性、承認で満足を得る若者たちを肯定した堀江に、それは地獄と言い残し去っていった小池。起業家と僧侶の対論に思想家・先崎彰容は?承認欲求をキーワードに、トライアングルから何が生まれる?国際規模で広がるムラ社会の中で、心の平衡をどう保ち、どう社会秩序をつくる?現代社会の隠れたジレンマを、古市も指摘。
小池龍之介,先崎彰容,堀江貴文,古市憲寿,青井実,竹本英史

今夜も生でさだまさし「どん!鹿児島でごわす」
今夜も生でさだまさし〜どん!鹿児島でごわす〜開局80周年を迎えたNHK鹿児島放送局より生放送。PRコーナーでは、郷土愛あふれるニュースコーナーを2つご紹介。605の島がある鹿児島ならではの、島の魅力を紹介するコーナー「島だより」や、県内出身のプロ・アマチュア選手に注目したスポーツコーナーの「チェスポ!」を取りあげる。マラソンが盛んな鹿児島。3月に開催される鹿児島マラソンにむけた企画も紹介する。
さだまさし, 井上知幸,住吉昇

サンデーモーニング【戦火のシリアに平和は▽どうなる?野党共闘▽Jリーグ開幕】
◎世界と日本の出来事を掘り下げるカバーストーリー▽戦火のシリアに平和は…米ロが停戦呼びかけ▽どうなる?野党共闘▽トランプ旋風どこまで ◎おなじみ・スポーツ御意見番は張本勲&中畑清◎「喝!&あっぱれ」▽Jリーグが開幕▽スーパーラグビーも▽中学3年がまた日本新▽16歳板橋はリオへ ◎関口宏の「一週間」ニュース◎時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」
関口宏 寺島実郎 田中優子 堤伸輔 大崎麻子 岸井成格 橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美 張本勲&中畑清三枝成彰

明日へ つなげよう 証言記録 東日本大震災 第51回「宮城県石巻市」
津浪で多くの犠牲者を出した石巻市。その沿岸部にある巨大な製紙工場は、従業員の8割が地元住民で、石巻の暮らしを支えてきた。その工場が津波で甚大な被害を受けた。しかし、工場長は「半年で生産を再開する」と宣言する。従業員の多くは、家族や家をなくした被災者でもあった。悲しみの中、泥にまみれながら壊滅状態だった設備を復旧していった。工場を復活させることで震災で傷ついた町をよみがえらせようとした男たちの証言。
畠山智之

NNNドキュメント 奥底の悲しみ
敗戦後、数百万人の引揚げ者の帰国を支援した厚生省の引揚援護局。残された記録の中に聞き慣れない言葉を見つけた。「特殊婦人」の文字。それが何を意味するのか―。引揚げ者の記憶を辿ると、心の奥底には今も深い悲しみがあった。第11回日本放送文化大賞のグランプリ、平成27年民放連賞報道番組部門の最優秀を受賞した「奥底の悲しみ 〜戦後70年、引揚げ者の記憶〜」に、新たに取材した要素を加え一部を再構成して伝える。
原田かおり 山口放送

テレメンタリー 「“3.11”を忘れない60 誰がために街はある〜仮設飲食店街の苦悩〜」
岩手県釜石市。震災以降、街の飲食店は仮設の飲食店街に身を寄せ合い営業を続けてきた。今、店主らは大きな問題に直面していた。市は新たな街づくりの一環として、津波によって大きな被害を受けた街に新たな飲食店街を再建する計画を明らかにしたのだ。津波への恐怖が残る場所へ、戻るべきか戻らざるべきか。長年市民に愛されてきた「呑ん兵衛横丁」は存続することができるのか。誰のための復興なのか、被災地の課題を検証する。
竹下景子 岩手朝日テレビ

ブラタモリ「#29 松山」
四国一の都市・松山も、実は松山城ができる前、一面の荒野で人が住むのに適した土地ではありませんでした。築城から400年で現在のようになるには、江戸時代のまちづくりが大きく関わっていたのです。高校の校庭に残る土手は、江戸時代の秘密兵器?川で見つけた異様な岩場にタモリさん大興奮!わずか1年で「滝」をつくった大工事とは?港町へ向かったタモリさん。旧家の庭で発見した巨大な物体と、松山の俳句とのつながりとは?
タモリ,桑子真帆, 草ナギ剛

これでわかった!世界のいま▽激突!アップル×FBI テロ捜査巡る攻防の行方は?
激突!アップル×FBI・14人殺害テロ事件の捜査巡り優先されるのは個人情報保護か捜査進展か両者が対立。米国だけに留まらぬ問題、その攻防の行方は?
武井壮, 坂下千里子

BS1スペシャル「難民クライシス」
戦禍を逃れるために、命をかけ欧州を目指す難民や移民。そして100万を超える難民たちの受け入れの是非を巡って揺れるヨーロッパ。双方の視点から多角的に前後編で迫る。
去年、世界はシリアなど戦禍を逃れるために欧州を目指す100万を超える難民や移民の姿を目の当たりにした。地中海では3700以上が命を落とし、遭難事故は今も後を絶たない。一方で、大量に流入する難民たちの受け入れの是非を巡ってEU各国には深い亀裂が走った。これ以上の流入に歯止めをかけたい世論が高まり、市民の意見の対立も激しくなっている。難民の苦悩に密着するとともに、揺れるヨーロッパの現実に前後編で迫る。

NHKスペシャル「難民大移動 危機と闘う日本人」
100万人超の難民が欧州に押し寄せる今、人道支援に奔走する日本人がいる。UNHCR・国連難民高等弁務官事務所の職員たちだ。難民問題の最前線に日本人の姿から迫る。
シリアなどから百万人を超える難民や移民がヨーロッパに押し寄せる未曽有の事態。この試練と向き合う日本人がいる。UNHCR・国連難民高等弁務官事務所の職員たちだ。ギリシャでは、命がけで海を渡ってきた難民を若い日本人職員が保護。ヨルダンでは、4人の日本人職員が困窮する難民と向き合う。本部で統括する幹部も日本人女性だ。パリ同時テロ事件で複雑化した難民問題の最前線に、UNHCR職員の姿を通して迫る。
寺島しのぶ

精霊流し (幻冬舎文庫)
さだ まさし
幻冬舎
2003-08


これは「私小説」なのかな。 MOMOちゃんのパパ
作者である、歌手「さだまさし」の半生をもとに描かれた作品のようですね。
小説の何%が、いわゆる「真実」なのかはわかりませんが、非常に劇的な半生です。
従兄弟、その母、バイオリン修行時代の天才少女、学生時代のバンドのギタリスト、などなどが死んでゆきます。
他にも、クラシックバイオリンの挫折体験、アルバイト先の料理屋の店主がギャンブルで借金を作る、原子爆弾投下、など、決して明るくないエピソードの中で、だからこそ、というべきか、人の絆のようなものを描いています。はすの花は、泥が汚いほど、きれいな花を咲かせる。そんな思いにとらわれます。挫折の渦中の若い人に、読んでいただきたい良書です。

文藝春秋 2015年 09 月号 [雑誌]
文藝春秋
2015-08-07


火花    又吉直樹(またよしなおき)
天才肌の先輩を慕う駆け出し芸人の青春小説
インタビュー 「芥川賞の選評が僕の物差しだった」
◎【特集】8・12日航ジャンボ機墜落
妹・川上慶子奇跡の生存者と私の三十年   川上千春
両親と下の妹を亡くした兄妹。父親の年齢を越えた兄が、苦悩の日々と再生の契機を明かす
事故二年後の詩「ぼくの宝石」 
喪った家族への手紙
遺族とJAL 語り継ぐ御巣鷹山の記憶   柳田邦男
一九六〇年――わが学生運動の挫折   立花 隆


図書館で郷土史講演会があり,東淀川(大道・江口)の歴史の話を聞きました.とても面白かったです.ただ郷土という言葉が少し引っかかります.大阪市民であっても,私が生まれたのは仙台.大阪を郷土というのには抵抗があります.
夕方又吉直樹の火花を読みました.う~んん・・・イマイチかな?

野蒜小「ありがとう」142年の歴史に幕
 東日本大震災で被災し、本年度で142年の歴史を閉じる東松島市野蒜小(児童131人)の閉校行事が27日、同市小野のプレハブ仮設校舎近くの小野地区体育館と、旧校舎前であった。児童は新年度、宮戸小と統合して開校する宮野森小に通う。
 小野地区体育館の式典には在校生や卒業生、住民ら約400人が出席。児童代表2人と相沢日出夫校長らが阿部秀保市長に校旗を返納した。児童全員がそれぞれ最後の1年を振り返り、「ありがとう野蒜小」と声をそろえた。
 相沢校長は式辞で「震災で児童9人の尊い命が犠牲になったことは決して忘れない」と冥福を祈った。
 津波で被災した旧野蒜小校舎前では、閉校記念碑が除幕された。被災で散り散りになった地域住民も集まり、校舎に感謝した。
 震災当時、野蒜小2年だった鳴瀬未来中1年の伊藤壮汰さん(12)は、震災で仲の良い同級生を亡くした。「ここに立つと一緒に過ごした時間を思い出す。閉校は寂しいけれど、今までありがとうと言いたい」と話した。
 野蒜小は1873(明治6)年に開校し、これまで約8500人が巣立った。


地元の海産物販売で復興を
東日本大震災の被災地の宮城県南三陸町で、地元特産の海産物を販売して復興につなげようというイベントが開かれ、訪れた人はカキやワカメを使った料理を味わいました。
これは、津波で店舗が流されるなど大きな被害を受けた南三陸町の商店街が町の復興につなげようと、役場の前に建てたテントで定期的に開いているものです。
今回は、地元特産のカキとワカメの店が中心で、けさ水揚げされたばかりのカキを蒸して1個100円で販売する店や、具やだしにカキを使った温かいそばの店に長い列ができていました。
また、ワカメを袋に詰め放題で販売する店もあり、袋にすき間が無くなるほど詰めている人もいました。
主催者によりますと、南三陸町ではワカメの生産はほぼ震災前に戻りましたが、カキの生産は加工処理施設が完全に復旧していないことなどから震災前の7割ほどにとどまっているということです。
気仙沼市から訪れた70歳の男性は「南三陸町のカキは最高です。
市に大勢の人が来ているのは復興のきざしだと思います」と話していました。
「福興市」の実行委員会の山内正文委員長は「震災で人口は少なくなりましたが、市を開くことで町内外の人に大勢来てもらい、特産のカキやワカメを味わってほしい」と話していました。


<3.11と今>命守る防災教育訴え
◎壊滅したまち 石巻市門脇・南浜(5)教師として
 自宅の仏壇の前で毎朝、東日本大震災で死亡・行方不明の教え子7人の名前を心の中で呼ぶ。「守ってあげられずごめんなさい」
 石巻市の鈴木洋子さん(65)は定年退職を20日後に控えた2011年3月11日、同市門脇小の校長として震災に遭った。
 その朝、最後となった全校集会で励ましの漢詩を贈った。
 <桃花笑春風(とうかしゅんぷうにえむ)>
 苦しくつらいことが待ち受けているだろうが、しっかりと受け止めて日々の生活をきちんと送ればやがて希望の春が訪れます−。数時間後、試練が早くも訪れた。
 大津波警報発令を聞き、すぐに児童を日和山公園まで避難させた。普段の訓練通りの落ち着いた行動に、校庭にいた住民や保護者も続き、門脇・南浜地区を襲った津波から命を守った。「児童の率先した避難に助けられた」と感謝された。
 しかし既に下校した児童のうち、7人の笑顔は学びやに戻らなかった。
 「もっと津波を強く意識して、大きな地震が起きたらすぐに避難するよう日頃から児童や保護者に伝えていたら…」。無念さがこみ上げた。
 3月末、学校再開の準備途中で定年となり、33年の教員生活を終えた。4月中旬に行われた1カ月遅れの卒業式で、奇跡的に無傷だった卒業証書を手渡した。
 学校現場を離れても、震災の経験を伝えることが自分の役割だと感じた。教育関係者らへの講演や現地案内を積極的に引き受けた。5年間で100カ所近くに講演に出向いた。
 学校での取り組みや当時の避難行動だけでなく、地域の地理と災害の歴史、地震・津波の仕組みなどを教え、防災意識を高める重要性を説いた。
 「自分で判断し、行動する子を育ててほしい」と訴えた。あの日、親が不在で1人で家から小学校に避難してきて助かった児童の行動が、まさにそうだった。
 地域の大半が住めなくなり、新入生が激減。門脇中を間借りしていた門脇小は15年3月、142年の歴史に幕を閉じた。
 校舎を震災遺構として保存するか、解体するか。今月13日に石巻市が開いた公聴会で、鈴木さんは震える思いでマイクを握った。
 「これからの子どもたちに津波の恐ろしさを伝えるため、津波災害が一目瞭然の校舎は、極めて重要だ」
 地域の住民には学校運営でとても協力してもらった。無残な校舎を見るのがつらい人もいる。家も家族も無事な自分が意見を言うべきではないと思った。
 一方で徐々に震災を知らない世代が増える。「命を守る防災教育のよすがとしたい」。教師としての責任感に突き動かされた。
 公聴会で、当時門脇小6年生だった女子高生2人も、堂々と考えを述べた。
 「発言してくれてうれしかった。あなたたちが将来を担うのよ」。閉会後、鈴木さんが語り掛けた。
 <桃花笑春風>
 困難と向き合い、強く生きる教え子たちの成長に、5年前の言葉が重なる。(坂井直人)


JR気仙沼線 鉄路で復旧を
震災の後バスによる代替運行となっているJR気仙沼線について、南三陸町で鉄道の復旧を訴える住民の会が設立されました。
津波で大きな被害を受けたJR気仙沼線をめぐっては、JRが鉄道を復旧させても採算が合わないなどとして全線で「BRT」と呼ばれるバスでの代替運行を行っています。
JRは、今後もJR気仙沼線についてバスでの運行を継続したい考えを示しており、町もこうしたJRの考えを受け入れています。
こうしたなか、南三陸町で、鉄道の復旧を求める人たちが集まり、意見を交わしました。
このなかでは、代替運行されているバスについて通勤時間帯は鉄道より混雑するとか、渋滞で到着時間が読めないなどといった意見が出されました。
その上で、参加者は、住民の会を設立することで一致し、今後署名活動を行うなどしながら町やJRに対し鉄道の復旧を訴えていくことになりました。
「鉄路での復旧を早期に実現する南三陸の会」の小野寺寛会長は「多くの人と町を結びつけ、震災後の町を盛り上げる交通機関は鉄道でなければならないと訴えていきたい」と話していました。


<龍の松>復興 昇り龍に誓う
 東日本大震災の津波に耐えた気仙沼市波路上岩井崎の「龍の松」が保存処理され、記念式典が27日、現地であった。復興のシンボルの一つとして、被災者に勇気を与えた雄姿が戻った。
 関係者や地元住民ら約70人が出席。菅原茂市長が「復興に向かう人々の象徴として未来永劫(えいごう)残していきたい」とあいさつした。地元の階上小児童27人が校歌を歌い、岩井崎明戸虎舞保存会による演舞も披露された。
 階上小6年の佐々木あいりさん(12)は「大きくて立派な姿になった」と喜んだ。階上観光協会の辻〓一会長(55)は「昇り龍のように復興を押し上げてほしい」と目を細めた。
 龍の松は高さ2.7メートルのクロマツ。被災後に住民が折れた枝などを切ったところ、その姿が竜のように見え、辰(たつ)年だった2012年に注目され始めた。気仙沼市は14年12月に保存を決定。幹に鉄の支柱を埋め込み、横に張り出した部分もレプリカを制作するなどして保存処理を進めた。
(注)〓は隆の生の上に一


被災者励ます黄色いハンカチ 浜風にたなびく
 東日本大震災の被災者を励ます黄色いハンカチ1200枚が27日、宮城県山元町に掲揚された。「日々前進」「頑張れ東北」など全国から寄せられたメッセージが書き込まれ、青空の下で浜風にたなびいた。
 ハンカチは地元のボランティアガイド組織「やまもと語りべの会」の呼び掛けで集まった。被災した旧中浜小近くに電柱を活用した高さ13メートルの掲揚塔を準備。メンバー約20人がひもでつないで放射状に掲げた。「恩」「笑顔」など地元中学生の感謝の言葉も添えた。
 山元町では震災で住民636人が犠牲になった。会社員岩佐志麻さん(35)は「犠牲者には友人もいた。亡くなった方々に天国から見てほしく、できる限り高く掲げた」と見上げた。ハンカチは取り換えながら計4000枚を掲げる。
 黄色いハンカチの取り組みは2012年、支援への感謝と被災地の元気を発信するため町内各所でスタート。掲揚塔は、会場の一つだった樹齢400年のケヤキが傷んだため、近くに設置された。


大川小の遺族が語りべの会
震災の津波で大きな被害を受けた石巻市の大川小学校について、遺族らが被害の状況を長く語り継いでいこうと語りべの会を設置することになりました。
震災の津波で児童と教職員あわせて84人が犠牲になった石巻市の大川小学校では、これまで遺族や関係者が訪れた人に対し個別に被害の状況などを説明してきました。
こうしたなか、大川小学校の被害について長く語り継いでいくため遺族や地元の住民が語りべの会を設置することになり、28日、石巻市で運営方法などについて検討する会議が開かれました。
このなかでは、まず語りべの会の事務局が窓口となって訪れる人に対し滞在時間にあわせた見学コースを提案することなどが確認されました。
その上で、地域の被害の全容を把握してもらうため、小学校のほかに公民館の屋上に観光バスが打ち上げられた雄勝町なども案内することなどが検討されました。
検討会を主催した大川地区復興協議会の濱畑幹夫事務局長は「地域ごとに交流して語りべ自身も学び合いながら情報共有していきたい」と話しました。
大川小学校をめぐっては、校舎を震災遺構として残すかどうかが議論されていて、3月末までに石巻市が結論を出す見通しです。


復興のあり方考えるシンポ
復興のあり方を考えるシンポジウムが仙台市で開かれ、住まいの再建やコミュニティの再生など震災5年の課題について意見を交わしました。
「みやぎボイス」と名付けられたこのシンポジウムは、復興のあり方を振り返ろうと建築家などでつくる団体が開いたもので、仙台市の会場には、行政関係者や大学教授、被災地の住民など、およそ100人が参加しました。
この中では、参加者に事前に聞いたアンケートの結果が公表され、「人口減少時代の復興のあり方を十分に検討していなかったのではないか」とか、「都市部と周辺部で復興格差が生じている」などの回答がみられました。
このあとパネルディスカッションが行われ、石巻市の牡鹿半島の復興状況について「半島部は平らな土地が少ないため、中心部に比べて住まいの再建が遅れている」といった報告や、「仮設住宅に閉じこもっている人もいるので、孤独死を出さないよう、地域のふれあいをつくることが大切だ」という意見が出されていました。


石ノ森章太郎記念館でマンガ展
漫画家、石ノ森章太郎さんの出身地、宮城県登米市中田町で、子どもたちがかいたマンガの作品展が開かれています。
登米市の「石ノ森章太郎ふるさと記念館」は、毎年この時期に子どもたちのマンガ作品を集めた展示会を企画しています。
会場には地元の子どもたちや仙台市の高校生の作品などおよそ260点が展示されています。
このうち、仙台市の高校生がかいた「絵と私と。」という作品は、主人公の女の子の、大好きな絵を描くことについての気持ちの移り変わりを描き、短編長編漫画の部で「最優秀賞」に選ばれました。
会場には地元の保育所の子どもたちが、石ノ森さんの代表作、仮面ライダーを書いて、大きな紙にいっぱいに貼り付けた作品などもあり訪れた人を楽しませています。
この「マンガ作品展」は登米市の「石ノ森章太郎ふるさと記念館」で休館日の月曜日を除き3月13日まで開かれています。


<再生の針路>塩釜/水産業 販路広がらず
◎震災5年 被災地の首長に聞く(5)佐藤昭市長
 −災害公営住宅の整備状況は。
 「計画する419戸に対し、2015年度末で入居できるのは40%にとどまる見通しだ。集中復興期間が終了する時点で70%を目指したが、遅れている。入札不調や土地造成の遅れなどが響いた。仮設住宅での生活を強いられている方々には大変、申し訳ないと思っている。16年度中にはほぼ入居できるようにしたい」
 −震災で大きな被害を受けた浦戸諸島の復興の現状はどうか。
<駅前に新たな顔>
 「漁港の護岸復旧と防潮堤の整備を進めているが、野々島では、住民が防潮堤の高さを低くするよう求めている。地元の声にどう応えるかが課題だ。災害危険区域で買い取った宅地をどう有効活用するかも難しい問題だ。桂島では湿地や池があり、一体開発が難しい。全体を盛り土してサッカー場やコミュニティー広場を整備する絵を描いたが、復興交付金事業として国に認めてもらえなかった」
 −産業の復興についてはどうか。
 「基幹産業の水産加工業は苦戦している。震災復興関係の補助金を活用して工場を新設し、増産する体制を整えても、肝心の販路が広がっていない。出荷額は震災前の7割にとどまっており、まさに復興は道半ばというのが現状だ」
 −復興まちづくりの進行状況をどう見ているか。
 「JR本塩釜駅前の海岸通地区の市街地再開発は新たな街の顔となる。16年度中に着工できる見通しだ。北浜、藤倉の土地区画整理事業も16年度中にほぼ完成する。魚市場の全面リニューアルも進んでいる。もう少し工事が進めば、変貌を遂げる街の様子を市民に見てもらえると思う」
 −5年を経て浮上した最大の課題は何か。
<人材確保が課題>
 「人手不足を痛感している。国の三位一体改革で施設やインフラ整備を削減し、技術系職員の採用を減らしたところに大震災が起きた。復興事業は技術系の職員がいないと進まない面がある。全国の自治体に派遣してもらっているが、今後も人材を確保できるかどうか、気掛かりだ」
 −復興の状況を現時点でどう評価するか。
 「災害公営住宅の建設が遅れているので、70点というところではないか。塩釜の場合、復興に10年はかけられない。復旧・復興事業を最優先で進めており、着地点は見えてきた。一方、福祉や学校教育の充実、子育て支援などやらねばならないことが宙に浮いている。方向性を明らかにしないといけない」(聞き手は塩釜支局・山野公寛)


<その先へ>育苗続けイチゴ復活
◎農業 大和田祥旦さん=南相馬市原町区
 南相馬市原町区の農業大和田祥旦(よしあき)さん(32)が今月、イチゴの収穫を始めた。東京電力福島第1原発事故でいったん断念した栽培を復活。風評もあって販路が途切れながらも、苗作りを絶やさずに待ち続け、ついに地元の店から声を掛けられた。「避難中に助けてくれた人たちに、まず届けたかった」と感謝を込めて作業に当たる。
 原町区太田地区の田園地帯に立つ15アールのハウス内。見渡す限りの緑に白い花が咲き、「とちおとめ」の実が赤く色づく。収穫を始めたのは今月1日。朝から昼まで、花粉を運ぶミツバチと過ごす毎日が戻った。
 「イチゴを選んだのは、味が大好きで、生食でじかに消費者とつながれるから」。農家の後継者として滋賀県内の園芸専門学校で学び、静岡、栃木両県内でイチゴ作りを研修。2007年に実家で就農した。
 11年3月11日は栽培5年目。「初めて順調に行き、市内のあるスーパーが商品棚の8割方も仕入れてくれた。贈答用の箱も新調し、足場を固めて販売を広げようとしたころだった」
 自宅は浜から遠く、大地震と津波の被害は免れた。だが翌12日、二十数キロ南にある第1原発で水素爆発が起きた。「ボン」という爆発音を聞き、家族と車で会津地方へ自主避難した。
 その後、新潟市内で空き家を借り、農家の手伝いで収入をつないだ。帰郷したのは12年秋だった。
 「原発事故後、販路は途切れたが、イチゴを諦めたくなかった」。父親が先に再開したキュウリ作りを手伝う間、イチゴの親苗を買い、約200本に増やして冬越しをさせ、更新させながら復活の日を待った。
 「ぼちぼち地元産を取引できる状況になってきた」と、得意先だったスーパーから連絡をもらったのが1年前だ。希望を託して育てた新苗を昨年11月、ハウスの土に定植した。
 今月15日、待望の出荷開始を迎えた。量は少ないが「シーズン終盤の5月に1日60箱は出したい」と目標を掲げる。やはり得意先だったケーキ店も「地元のイチゴが欲しかった」と仕入れを再開。友人がなじみのバーからは「南相馬の旬の味を生かしたカクテルの材料に」と注文が寄せられた。
 「農協の直売場にも出している。ほそぼそとだが、販路が生まれつつある」と大和田さん。「でも、まず食べてほしかったのは、会津や新潟をはじめ各地にいる専門学校の仲間たち。苦しかった避難中に助けてくれ、支援してくれた」。最初に実ったイチゴの送り先は約30カ所にもなった。(寺島英弥)


<アーカイブ大震災>並ぶ仮設 気を遣い部活
 東日本大震災の被災地では、校庭に仮設住宅が立ち並ぶ学校がある。震災の発生から4カ月が過ぎた今も、体育館で被災者が避難生活を送る学校もある。子どもたちが思う存分、体を動かせない状況だ。津波で大きな被害を受けた宮城県南三陸町の小中学校では、限られたスペースと時間の中で、やりくりを強いられている。
◎学校で何が(7)半分の校庭(宮城・南三陸町)
 市街地が津波の被害を受ける中、高台にあって難を逃れた歌津中(生徒136人)。午後4時すぎ、校庭で部活動が始まった。
 校庭の約半分は37戸の仮設住宅で占められている。残った縦60メートル、横80メートルほどで野球部とサッカー部の計30人ほどが練習する。
 キャッチボールやノックをする野球部員のすぐ隣で、サッカー部員がドリブルを繰り返す。
 「ノックも加減しなければならない」。野球部監督の長野孝志教諭(25)は漏らす。仮設住宅と校庭の境目には防護ネットが張られたが、打撃練習はミート中心になる。3年の後藤寛飛君(14)は「思い切ってスイングしたい」と言う。
 歌津中は校庭の半分だけでなく、体育館も使用できない状態だ。避難所として使われ、24人が身を寄せる。
 屋内競技のバレーボール部や剣道部などは、隣接する伊里前小(児童139人)の体育館や多目的ホールを借りて練習する。「コートがあるので、試合形式の練習ができる」。バスケットボール部監督の小野寺孝夫教諭(50)は感謝する。
 校舎と校庭の間の舗装路も貴重な練習スペースだ。小学校のリングがミニバスケット仕様で低いため、ボランティア有志が資金を募って提供してくれたリング2基が設置されている。
 ランニングの場所でもあるが、練習が時折、中断される。「はい、後ろから車が来たよ」。仮設住宅や避難所の住民の車が舗装路を通行する。
 伊里前小では、被災で校舎が使えなくなった名足小の児童74人が、間借りして授業を受けている。校庭は、やはり仮設住宅が建ち、従来の約半分の広さになった。
 時間も制約されている。「鉄棒とか、みんなともっと一緒に遊んでいたいな」。午後3時すぎ、帰りの会を終えた伊里前小4年の及川萌さん(10)はバスに乗り込むと、物足りなさげに、見送りの先生に手を振った。
 本来、夏場の最終下校時刻は午後4時半。今は安全面を考慮し、スクールバスで午後3時半には一斉下校する。伊里前小、名足小とも、児童が校庭で遊ぶ時間は少なくなった。
 伊里前小の兵藤文隆校長(57)は「帰宅してもがれきで広場は使えない。子どもの運動量は間違いなく減っている」と懸念する。
 歌津中の生徒も状況は同じだ。「はい、じゃあ今からシュート練習」。バスケットボール部の部員が舗装路で走り込みを終え、ボールを持ち出して間もなくの午後6時前。下校のスクールバスが滑り込んで来た。「えっ早いよ」「シュート練習、もうちょっとしたい」
 部活は終了。生徒たちはジャージー姿のまま、慌ただしくバスに乗り込んだ。 仮設住宅の建設が進めば、体育館は避難所の役割を終え、使用が可能になる。一方で仮設住宅の入居期間は原則2年。子どもたちの不自由な学校生活は続く。
 伊里前小の兵藤校長は「体を動かすことで、つらい現実をひとときでも忘れられる。ストレスも発散できる。工夫をして運動の機会を増やしていきたい」と語る。(吉田尚史)=2011年7月13日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<検証福島の海>風評・漁業停滞も響く
◎震災5年へ(下)オカの足踏み
 出荷スペース手前に放射性物質の検査機器を設置した。天井には紫外線による殺菌装置が備わる。壁には大きなガラス窓。見学者らが工程を確認できるよう配慮した。
 相馬市が2月に完成させた磯部水産加工施設。地元の被災企業などでつくる協同組合が運営主体となり、3月から本格稼働する計画になっている。
 「ようやくここまでたどり着いた」。組合理事長の島寿雄さん(49)が声を振り絞る。水産加工を営んでいたが、東日本大震災の津波で設備や車を失った。地元漁協とも連携し、市に生産拠点の再建を働き掛けてきた。
 新施設の加工能力は年約400トン。原料供給の代わりに、利益の一部は船主に還元する。操業意欲を喚起する工夫の一つだ。「漁師、業者がともに再生することが地域への恩返しになる」。島さんが力を込めた。
<岩手・宮城と差>
 東北の水産加工業の多くは、津波による設備被害と販路喪失にあえぐ。福島の業者には、さらに東京電力福島第1原発事故が重くのしかかる。風評被害、漁業停滞という悪条件とも向き合わねばならない。
 水産庁が2月にまとめたアンケートでも苦境ぶりが分かる。岩手の業者の60%、宮城の69%が「生産能力が8割以上回復」と回答したのに対し、福島は30%止まり。売り上げの復調ぶりも2県に大きく後れを取っている。
 全国水産加工業協同組合連合会は「福島の業者は生産計画が立てられず、設備投資にも影響が出ている」と指摘する。
<隣県で仕入れ>
 水産関連では、鮮魚、活魚を扱ってきた業者のダメージも深い。加工品より利幅が大きい半面、生鮮食品に向けられる消費者の目はいっそう厳しい。
 小名浜水産加工業協同組合(いわき市)の小野利仁組合長(59)は「生鮮を扱う組合員は隣県まで仕入れに行くなど苦労している。顧客をつなぎ留めるのに必死だ」と話す。売り上げベースで加工が6〜7割まで戻ったのに対し、生鮮は2〜3割の回復にとどまっているという。
 福島では試験操業が行われているものの、水揚げはわずかな量に限られる。漁師だけが奮闘しても局面打開は難しい。消費者との橋渡し役となる水産業者の再生なしに、漁業復興はなしえない。
 相馬市では現在、漁業者、商工業者が海産物のブランド化を模索する。旗振り役となる新妻良一相馬商工会議所会頭(78)は「捕って終わり、市場に運んで終わりの時代ではない。小売りを交え、一体となって商品開発を進めなければならない」と強調した。


性的少数者の差別/立法急ぎ人権後進国返上を
 性的少数者(LGBT)に対する差別解消に向け、超党派の国会議員連盟が立法作業に着手した。民主党が作成した法案骨子に検討を加え、夏の参院選までに中間報告をまとめて法案の早期提出を目指すという。
 東京都渋谷区が昨年11月、同性カップルを結婚に準じる関係と公的に認める条例を制定したことなどを機に、これまで表面化してこなかったLGBTへの差別や偏見の問題にも注目が集まっている。機運を逃さず、必要な法整備を進めてほしい。
 世界では約3分の1の国にLGBTに対する差別禁止法があり、日本政府は国連人権理事会から差別撤廃措置を講じるよう勧告も受けている。2020年の東京五輪・パラリンピックを前に国際的にも注目されるだけに、後進国との汚名返上が求められる。
 昨年12月、性的少数者が職場の処遇改善を求めた初の裁判があった。訴えたのは戸籍上は男性だが心は女性の経済産業省職員で、職場で女性トイレの使用を制限されたり、上司から「手術を受けないなら男に戻ってはどうか」などと言われたりしたという。
 民間企業に対し多様な働き方を求める立場の中央省庁での取り組みの遅れは、まだまだLGBTへの理解が進んでいない実態を映し出す。
 渋谷区の条例をめぐっても地方議員から人権を否定するような差別的発言が相次いだ。埼玉県では県や県教委、県議会がLGBTによる成人式の後援申請を却下していた。
 民主党の法案骨子は、恋愛感情がどの性別に向かうかの「性的思考」と、自分の性別をどう認識するかの「性自認性」を理由にした差別を禁止する。
 政府に基本方針、地方自治体に基本計画の策定義務を課し、行政や企業の不当な差別的取り扱いを禁止。学校では教職員や子どもへの啓発や相談体制の整備を義務付ける。
 超党派議連には自民、公明、民主、維新、共産、社民など約50人が名を連ねる。法制化について会長の馳浩文部科学相が「与野党の主張をぶつけ合うのではなく、超党派で取り組むべきだ」と述べたのはもっともなことだろう。
 その点から自民党の動きが気に掛かる。党内に新たな組織をつくって法制化の議論を始めることにした。LGBT対策が野党主導で進んできたことから、参院選を前に党としても積極姿勢をアピールする狙いがあるとみられるが、もともと伝統的な家族観を重んじる意見が党内には強いだけに、慎重論の台頭によって議連の議論にブレーキが掛からないか心配だ。
 日本では成人の7.6%がLGBTに該当するという調査結果がある。ただ、学校や職場でLGBTであることを打ち明けられない人が約9割に上るとも報告されている。彼らが「見えない」「隠れた」存在としての生き方を強いられ、活躍する機会を奪われているとすれば、社会にとっても大きな損失だ。
 必要なのはLGBTがいない前提の社会システムの転換だ。性の多様性に対する社会の理解を深める一歩として差別禁止法の制定が急がれる。


フクシマで考える(下) 私たちはどこへ向かう
 中国の旧正月、春節を祝うギョーザが食卓に並んだ。雪が舞った二月、福島市内の仮設住宅に左官業の中野敏信さん(72)=写真=を訪ねた。四畳半二間。薄いサッシ窓が曇る。中国東北部出身の妻(49)が「今日は寒いね」と首をすくめた。
 原発事故の前年に結婚した夫妻は敏信さんの郷里、浪江町で暮らしていた。だが事故で土地を追われ、一時は中国にも避難した。
 二〇一七年三月までに、放射線量が高い「帰還困難区域」を除く全地域で避難指示の解除が計画されている。全町避難が続く浪江町も対象だが帰還希望者は少ない。
 中野さんも、資材が置ける一戸建てを郷里に近い南相馬市やいわき市に考えているが、移住者が殺到し地価が跳ね上がった。手元資金では足りず、毎日早朝から約七十キロ離れた南相馬市の建設現場に通っていたが、三カ月前に足を痛めて働けなくなった。「原発事故がなければ、古い家でもそれなりに暮らせたのに。生活の立て直しはそんな簡単なものではねえな」
 避難指示が解除されれば一年後には賠償も打ち切られる。解除の後も被ばくの影響を心配し、避難先に残る人々はすべて「自主避難者」となっていく。
 福島県が自主避難を続ける人に行う住宅の無償提供は、一七年三月に打ち切られる予定だ。南相馬市から神奈川県に避難し、被害の完全賠償を求める集団訴訟で原告になった山田俊子さん(75)は言う。「私たちも本当は帰りたい。でも…。住まいという生活基盤を奪うのは、被ばくを避ける権利の侵害ではないでしょうか」
 「避難の選択」は震災翌年に成立した子ども・被災者支援法で認められているが、政府は柱の政策を骨抜きにしようとする。
 「俺たちはどこに向かっていくのか、羅針盤がほしい」と中野さんは言う。未曽有の原発災害を起こした責任は国と東電にある。その原点に返り、苦境に立つ避難者を切り捨てるようなことをせず、救済と、長くかかる生活再建を支えていくべきだ。 (佐藤直子)


炉心溶融過小評価 東電の「闇」を徹底解明せよ
 東京電力は2011年3月に発生した福島第1原発事故当初の原子炉の状況をめぐり、極めて深刻な事態の「炉心溶融(メルトダウン)」ではなく、前段階の「炉心損傷」と説明し続けたことが誤りだったと発表した。
 当時の社内マニュアルに炉心溶融の判断基準が明記されていたにもかかわらず、事故後に全面改定され、かつて基準が存在したことを5年間も見過ごしていた。
 自分たちで作ったマニュアルなのに、5年も気付かない。しかも柏崎刈羽原発を抱え、事故対応を検証している新潟県の技術委員会の求めで調査を始め、判明したという。あまりにお粗末だ。
 原発周辺住民、国民にとって重要な事象が過小評価に基づき説明されていたことは極めて遺憾で、重大情報の隠蔽(いんぺい)にほかならない。
 炉心溶融か否かの判定は、事故対策や避難対策にも関わる重要なものだ。情報が正確でなかったことで住民の避難判断、事故対策などに支障を来した可能性もある。
 事故から2カ月後の11年5月、東電は詳しい解析の結果として1号機で大部分の燃料が溶けたと推定し、ようやく1号機の炉心溶融を認めた。
 それまでは、放射性物質の放出状況などから炉心溶融の可能性が高いと多くの専門家が指摘していたにもかかわらず「溶融を判断する根拠がない」と説明していた。炉心溶融という言葉を避け「炉心損傷」で押し通していた。
 事故発生の翌日、炉心溶融に言及した原子力安全・保安院(当時)の広報担当者が交代させられている。その後、政府や東電の担当者からは、炉心溶融に対し慎重な発言が目立つようになった。
 政府の事故調査委員会の聴取などで当時、東電や保安院に対し、記者会見での説明内容について事前調整を徹底するよう官邸から指示があったことが判明している。
 こうした状況を考えれば、深刻な事態を連想させる炉心溶融の認定を意図的に避けていた可能性さえ疑われる。
 これまで東電には社内情報共有や情報公開の不十分さを何度も見せられてきた。今回の説明にも不可解な点がある。第三者を交えた今後の社内調査には東電に対して批判的な人物を複数加え、経緯や背景、誰の指示だったのか、政治的圧力の有無など、東電をめぐる闇の部分を徹底的に解明すべきだ。


かかりつけ  人材育成と情報発信を
 丹後半島の東端、京都府伊根町で診療所長を務める石野秀岳さんが、本紙の丹後中丹・丹波版のコラムにこんな体験を書いている。
 具合が悪いはずなのに、お年寄りに「調子はどうですか」と尋ねると「ええです」と答える人が少なくない。ある時「あんびゃあ(塩梅)はどうなん?」と地元の言葉で聞き直したところ、一転して「先生、あんびゃあは悪い」と膝や腰の痛みを打ち明けてくれるようになったという。
 以来、なるべく方言で話しかけているそうだ。ささいなようだが、患者と医師の信頼関係とは、そんなことから始まるのだろう。
 病気やけがの際に医療機関に支払う診療報酬について、2年に1度の改定内容が中央社会保険医療協議会で決まった。4月からは診療所の紹介状なしで大病院に行くと、初診時5千円以上、再診時2500円以上の追加負担がかかるようになる。
 まずは身近なかかりつけ医に診てもらい、必要な時だけ大病院へ。これを習慣づけてもらおうというのが改定の狙いだ。
 高齢化に伴って増え続ける医療ニーズに対応するには、限られた人員や設備を有効に使う工夫が要る。医療の仕組み全体を効率化していくことは避けられない。患者や家族の理解が得られるよう、医療機関は丁寧な対応を心がけてもらいたい。
 今回の改定では、医師だけでなく薬剤師の「かかりつけ」も普及させることを目指す。複数の病院に通う患者の場合、それぞれから処方される薬が重複することがある。かかりつけ薬局を決めれば一カ所で薬を管理でき、重複をなくして薬代のムダを省いたり、悪い飲み合わせを避けたりすることができる。
 そこで、こうした薬剤師の服薬指導に対する報酬を新設する。大病院の前にある大手チェーンなどの「門前薬局」のサービス向上も促し、立地の良さに依存しない経営へ転換させる。
 かかりつけ医の機能も強化する。訪問診療に特化した診療所の開設を解禁するほか、複数の病気をもつ認知症患者を継続的に診たり、末期がん患者の緩和ケアに取り組んだりする医師を報酬面で優遇する。
 ただ、これらの施策が狙いどおりの効果を生むとは限らない。患者が大病院に頼りがちなのは、近くで自分に合った医師や薬剤師を選ぶための情報が不足しているからだ。そもそも診療所のない地域もある。専門外の疾患に対応できる総合診療医の育成も、喫緊の課題だ。
 報酬を増やしても医療の質と量が伴わなければ、患者は負担に見合ったサービスを受けることができない。信頼される医師、薬剤師を増やすとともに、住民に向けた情報発信が不可欠だ。国や自治体、大学、医師会、薬剤師会などが連携し、知恵を絞ってほしい。
 伊根診療所の石野さんによれば、患者と気軽に会話し、コミュニケーションがとれれば、それだけで病気を診断できることもあるという。何でも話せる医師や薬剤師が身近にいるという安心感を、どの地域にも広げたい。


読書しない大学生は45% 過去最高
大学生の1日の読書時間は平均でおよそ29分で、全く読まない学生の割合は45%を超えて、これまでで最も高くなったことが大学生協でつくる連合会の調査で分かりました。
この調査は全国大学生活協同組合連合会が毎年行っていて、去年は30の大学の9700人余りから回答を得ました。
このなかで1日の読書時間を尋ねたところ、平均で28.8分と前の年よりおよそ3分短くなりました。全く読まないと答えた学生の割合は45.2%で、前の年より4.3ポイント増加し、同じ方法で調査を始めた平成16年以降で最も高くなりました。一方で、スマートフォンの1日の平均利用時間は155.9分で、なかには10時間以上利用していると答えた学生もいたということです。
また、夏の参議院選挙から選挙権年齢が18歳以上になることを受けて、政治への関心について尋ねたところ、「大いにある」、「まあまあある」と答えた学生が合わせて64.5%と、同じ質問をした平成25年に比べて3ポイント近く増えました。さらに、参議院選挙の投票に「必ず行く」、「なるべく行く」と答えた学生は71.1%でした。


【誤解だらけの沖縄基地】(18)日米地位協定改定、動かぬ日本政府
 「日米地位協定が諸悪の根源という感じさえする」
 2012年10月、県内で米兵2人が集団強姦(ごうかん)致傷で逮捕された事件を受け、当時の仲井真弘多知事は、米軍関係者に特権を与えている地位協定が、事件・事故を引き起こす要因ではないか、との見解を示した。
 そして「運用改善だけでは無理だ」と、改定に取り組むよう日本政府に注文を付けた。
 沖縄県はあらゆる機会を通じて、地位協定の抜本的な見直しを求めてきたが、締結から56年間、一度も改定されていない。
 在日米軍基地を抱える14都道県の知事でつくる渉外知事会、日本労働組合総連合会(連合)、日本弁護士連合会などが独自の改定案を作成するなど機運の醸成を図ったものの、実現には至っていない。
 外務省は「他国の地位協定と比べ、不平等とは思えない。見直しすれば他国でも改定要求が出てくる」と説明する。多くの国と同様の協定を結ぶ米側の事情にも配慮し、条文を書き換えたり、付け加えたりするのではなく、今のままで運用を改善することが合理的な対応という考えだ。
 しかし、同じ敗戦国のドイツでは3度、北朝鮮と休戦状態の韓国では2度、地位協定改定を重ねている。
 例えば、ドイツのボン補足協定は1993年の改定で、提供施設や区域の内部でも原則国内法が適用されるようになった。施設や区域外で訓練する場合にはドイツ当局の同意が必要と定めている。
 韓米地位協定は2001年の改定で、殺人や強姦など12種の犯罪で、米軍容疑者の身柄引き渡し時期を「裁判が終結した時点」から「起訴の時点」に早めた。また、環境条項も新設した。特に00年2月に米兵が首都ソウルで韓国人女性を殺害する事件が発生し、国民の反米感情が噴出したことが改定につながったという見方が広まっている。
 各国で歴史的な経緯や同盟の目的に違いがあり、日米地位協定の内容と単純に比べることはできないが、いずれにしてもドイツ、韓国の国民、政府が問題意識を持って、主権回復に取り組んだ成果と言える。
 一方で、日本はどうだろうか。
 航空機騒音の被害は神奈川や鳥取でも顕著で、大分や北海道でも実弾射撃訓練が実施されるなど、沖縄以外でも米軍の影響を受けているが、全国的な「問題」という認識は低い。
 地位協定に詳しい沖縄国際大学の前泊博盛教授は「在日米軍専用施設面積の74%が集中する沖縄だけの問題に矮小(わいしょう)化されている」と指摘する。
 その上で国民的な議論に結びつかない現状に歯がゆさを感じている。「国民のバックアップを受けて取り組むべきだが、米軍絡みの事件や事故、騒音被害なども全国紙が大きく報じないと事実上『なかったこと』にされ、永田町や霞ケ関は動かない」(「沖縄基地」取材班)


東電旧経営陣3人強制起訴へ 勝俣元会長「有罪」の現実味は
 世界が震撼した「フクシマ原発事故」から5年。必要な津波対策を怠り、未曽有の大事故を“招いた”東電の旧経営陣3人が、週明けの29日、業務上過失致死傷罪で強制起訴されることになった。
 起訴されるのは、勝俣恒久元会長(75)、武藤栄(65)、武黒一郎(69)両元副社長。被災者らでつくる原告団の告訴・告発を受けた東京地検は3人を含む旧経営陣を不起訴にしたが、東京第5検察審査会は昨夏、「起訴相当」と議決していた。あらためて原告団団長の武藤類子さんはこう言う。
「(被告は)津波対策が必要と分かっていながら何もせず、大惨事を招いた。それが『犯罪』として裁かれないのはおかしい。強制起訴は『事故の責任を取らせるべきだ』という多くの国民の強い思いに支えられていると思います」
 裁判の行方はどうなるのか。3人は有罪になるのか。
「昨夏、検察官役に指定された弁護士は3人。このうち1人は第5検察審で審査員に対する助言役を務めるなど事件に熟知しています。その後、新たに2人の弁護士を加え、5人体制になりました。原告団の関係者は『これ以上ない最強の布陣』と有罪判決を勝ち取れると自信を深めています」(司法記者)
「有罪」の“決定打”になりそうなのは、東電が2008年9月の社内会議で「津波対策は不可避」との文書を作成していたことだ。強制起訴に至る決め手となった重要証拠のひとつである。
「おそらく強制起訴される旧経営陣3人の弁護団は『あの津波を予測するのは困難だった』と従来の主張を繰り返しつつ、津波対策は不可避とした08年9月の内部文書についても『仮に08年から防潮堤を造り始めていても11年3月の東日本大震災までには間に合わなかった』などと反論するでしょう。裁判の争点は、3人が津波の危険性をどこまで認識していたかです。旧経営陣の不作為と事故の因果関係を立証するのは容易ではないが、指定弁護士が法廷で直接、『東電のドン』と呼ばれた勝俣元会長を厳しく追及すれば、トボケ切れず、ボロを出す可能性だってあります」(前出の司法記者)
 刑事被告人となった勝俣元会長ら3人は今、どこで何をしているのか。東電に確認すると「当社を退任したこと以外の内容については回答を控えさせていただいている」(広報室)と答えた。
 事故後、国民の説明責任を求める声を無視して雲隠れした勝俣元会長ら旧経営陣が公判廷に引きずり出される日は刻々と迫っている。


原発事故強制起訴 安全軽視の企業体質が問われる
 東京電力福島第1原発事故からもうすぐ5年。未曽有の原子力災害は、刑事裁判という新たな局面を迎える。
 検察審査会の議決により強制起訴が決まっていた東電の勝俣恒久元会長ら元幹部3人が、あす業務上過失致死傷罪で在宅起訴される。原因解明と責任の所在の明確化、再発防止につながる審理を強く求めたい。
 最大の争点は、甚大な被害をもたらした津波を予見できたかどうかだ。検審は、原発事業者は「万が一」に備えた高度な注意義務を負うと断じた上で、東電が2008年に最大15.7メートルの津波を試算していた点を重くみた。「元会長らは試算結果の報告を受けていた」とし、予見可能性はあったと結論付けた。
 さらに09年9月ごろ、原子力安全・保安院(当時)の審査官が、低い地盤にあった冷却用ポンプの移設など具体的な津波対策を検討するよう求めたのに対し、東電の担当者が拒否していたことも明らかになっている。事故は「想定外」ではなかったと言わざるを得ない。
 試算を基にした安全対策を取らなかったのは元会長らの指示か、情報は社内で共有されていたのか―など、明らかにすべきことは山ほどある。検審は「安全より経済合理性を優先させ、効果的な対策を講じなかった」と批判した。関係者の証言を詳細に洗い出し、東電の安全意識と事故との関係を徹底的に検証しなければなるまい。
 鍵になり得る資料がある。政府の事故調査・検証委員会が、772人の関係者から聴取した調書だ。旧経営陣を含め、多くが公開されていない。元会長らが法廷で自らの言葉で語ることはもちろんだが、調書の全面公開も政府に求めておく。
 検審の議決に基づく強制起訴は9件目となる。東京地裁は検察官役の指定弁護士に過去最多の5人を選任したが、公判での立証は容易ではなかろう。尼崎JR脱線事故では、強制起訴されたJR西日本の歴代3社長に一、二審とも無罪判決が出された。組織による重大事故で、個人の刑事責任を問う難しさを示したといえる。
 脱線事故判決は個人の過失を否定しつつ、安全対策を進めるJR西の責任に踏み込んだ。とはいえ現行刑法では法人の過失責任は問えず、経営トップらを法廷に立たせるほかない。原発事故の被災者も、特定の個人の責任を追及するのは必ずしも本意ではあるまい。審理を尽くすべきなのは当然だが、一方で、法人に刑事罰を科す仕組みの創設に向けた議論も急ぎたい。
 原発事故をめぐっては「誰も責任を取っていない」との批判が根強い。裁判を通じ、検審が安全軽視を批判した東電の企業体質を明らかにするとともに、国や電力業界の「安全神話」にも迫る必要があろう。「事故は防げたのではないか」という被災者らの問いに真摯(しんし)に答える責務を、元会長ら3人は肝に銘じなければならない。


原発立地対策費 約1000億円の税収不足
すべての電気利用者が納めている税金で原発などの立地自治体に交付金などを出す国の「立地対策」が原発事故の影響で費用が膨らみ、昨年度からの3年間で1000億円近く税収不足になっていることが関係省庁への取材で分かりました。国は不足分を補うため積立金などを取り崩していますが、その残高も1年分程度しかなく、専門家は立地対策の在り方を見直す時期だと指摘しています。
国は電気を利用するすべての人が納める「電源開発促進税」を財源にして、原発などを受け入れた自治体に交付金などを出す立地対策を行っています。この税金は資源エネルギー庁などの特別会計で管理され、かつては余るほど潤沢でしたが、5年前の原発事故のあと、除染で出た廃棄物の中間貯蔵施設の整備費が必要になるなどした結果、支出の規模が税収よりも多い年間1700億円以上に膨らんでいます。
こうした立地対策の財政状況について、特別会計の分析や関係省庁への取材を基にまとめたところ、昨年度の決算から来年度の予算案までの3年間に各年度433億円から263億円税収が不足し、その総額が992億円に上ることが分かりました。
国は、不足分を財源に余裕があった時代に積み立てるなどした1200億円余りの資金を取り崩すなどして補っていますが、残高は1年分程度の275億円しかないことが明らかになり、立地対策の厳しい財政事情が浮かび上がりました。
これについて、エネルギー政策に詳しい慶応大学経済学部の川本明教授は「原発事故以降、大きな問題があるのに議論が先送りされてきた。国は本当に必要な立地対策は何なのかしっかりと検証し、支出の削減など制度を一から見直す時期にきている」と指摘しています。
また資源エネルギー庁は「立地自治体との調整を行って必要な予算は要求するが、削らなければいけない予算は削り支出を見直していく」と話しています。
原発立地対策は税金が財源に
原発がある自治体などに交付金を出す国の立地対策は電気を使うすべての人が納めている税金を財源にしています。「電源開発促進税」というこの税金は、電気料金と一緒に払い電力会社を通じて国に納める仕組みになっていますが、料金の明細書にも内訳が記載されていないことから納税していることを認識していない人も少なくありません。この税金は、電気使用量が標準的な2人以上の世帯では月におよそ160円です。毎年およそ3200億円の税収があり、立地自治体に交付金などを出す「立地対策」のほか、高速増殖炉「もんじゅ」の運営主体への交付金などの「利用対策」、事故に備えた「安全対策」に使われます。この3つの使いみちの配分は来年度の予算案では、立地対策に最も多い1373億円、率にして43%が充てられていますが、立地対策の支出は1741億円を見込んでいて、税収だけでは368億円足りない状態になっています。
かつては多額の税金余る状況も
国の立地対策は、電気料金に上乗せされる「電源開発促進税」が昭和49年に導入されたことで始まりました。特別会計で管理されていて、立地対策の中心は、自治体が原発などを受け入れ建設が始まると多額の交付金が出される制度でした。しかし、新しい原発の建設が予定どおり進まなかったため支出は増えず、この特別会計は多額の税金が余る状況が続きました。会計検査院からは「国民が負担をした税金が使われないままたまり、もったいない」などと指摘され、たびたび改善を求められました。平成15年に当時の塩川財務大臣が一般会計の財政事情が厳しいなか、「母屋でおかゆをすすっているときに離れですき焼きを食べている」と特別会計を批判した際にも焦点の1つとなりました。
平成15年度からは余った税金の使いみちをはっきりさせて透明性を確保しようと、資源エネルギー庁が将来、原発が建設されるときに備えた「積立」として管理するようになりました。また、平成19年度からは毎年借金を重ね、やりくりが厳しい国の予算を助けようといつかは資源エネルギー庁に返すという約束のもと、財務省が余った税金の一部を一般会計で使うようになりました。
しかし、原発事故の影響で昨年度からは一転して税収が足りなくなる正反対の状況となり、平成28年度予算案では資源エネルギー庁の積立は1200億円以上あった残高が初めてなくなってゼロになる見通しで、一般会計から返してもらえるとされるお金も275億円まで減少する見通しとなっています。
支出減らす取り組み 行われず
国が「電源開発促進税」を財源にして原発などの立地自治体に支払う交付金や補助金は20種類以上あり、発電量や稼働年数が多いほど増えるのが特徴です。5年前に福島第一原発事故が起きてからも新たな交付金の導入や特例の適用が相次ぎ、支出を減らす取り組みはほとんど行われていないのが現状です。
現在、各地の原発は多くが運転を停止していますが、一定の割合で稼働しているとみなす特例によって立地自治体には多額の交付金が出されていて、この特例は当面、継続されます。さらに、来年度の予算案には原発が再稼働すれば地元の県や道に5年間で最大25億円の交付金を出すことが盛り込まれ、再稼働を進めやすい環境作りが行われています。
一方、廃炉が決まった自治体に対しては従来の交付金は打ち切られますが、財政運営への影響を和らげるため別の形での財政支援を新たに決めるなど、配慮されています。
立地対策を巡っては、去年11月に政府の行政改革推進会議が行った「秋のレビュー」でも議題に挙がり、制度が複雑で事後の評価も行われていないとして情報開示の必要性が指摘されました。
1基の廃炉が決まった敦賀市 脱交付金依存へ
国の立地対策の財政が厳しくなるなか、40年以上前から原発が立地し多額の交付金を受けてきた福井県敦賀市は本格的な支出の削減に乗り出しています。
敦賀市では昭和45年に敦賀原発1号機の営業運転が始まり、市の財政や地元の経済は40年以上にわたって原発とともに歩んできました。これまでに市が国から受けた交付金は500億円以上に上り、福祉施設や市民ホールなどが整備されたほか病院や保育園の人件費などにも充てられ、市の財政にとっては欠かせないものでした。
しかし、去年、市内にある原発1基の廃炉が決まったことで、来年度から交付金は6億円余り減ります。国はそれに代わる新たな支援策も導入しますが、金額は年々減って一定の期間がすぎれば無くなるため、市は支出の削減に乗り出しています。
市は、他の自治体と同じ水準まで福祉や医療のサービスを引き下げる計画を作るなど、予算の抜本的な見直しを進めています。また40年近く前に建設され、温泉や健康設備を備えた福祉施設についても毎年の赤字が3600万円に上り、改修にも多額の費用がかかるとして、ことしの秋にも廃止する方針です。
今月、開かれた市民説明会では参加者から「お年寄りの憩いの場を奪わないでほしい」といった戸惑いの声や、「簡素な代替施設を作ってほしい」という要望が出されていました。
敦賀市の渕上隆信市長は「今までの敦賀市は何もしなくても国の交付金をもらえる街だった。今はそんな時代ではなくなり、財政のスリム化に取り組んでいる。全国の原発の立地自治体は小さい経済が原子力に頼る歪んだ構造になっている。緩やかに変わっていくことしかできないので、国の支援を期待している」と話しています。

日本と原発4年後/福島からの避難者のメッセージ/ミニオンズラン

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20 ans ! Poké-manne
Deux décennies de jeux vidéo, série animée, mangas Pokémon… et le potentiel kawaii de Pikachu n’a pas pris une ride. De quoi lancer une septième génération sur Nintendo 3DS, ≪Lune≫ et ≪Soleil≫, en 2016.
A comme anniversaire
Il y a vingt ans, au Japon, le 27 février 1996, sortaient sur Game Boy deux jeux flambant neufs : Pokémon Rouge et Pokémon Vert. Ils ont mis trois ans à atteindre le marché européen, sur lequel Nintendo ne fondait pas beaucoup d’espoir : jeu de rôle avec des combats au tour par tour, Pokémon était un produit culturel purement japonais. Mais dès 1999, Pikachu fait un carton monstrueux. Le bombardement de produits dérivés commence. Pour 2016, le programme est encore chargé : jeux, cartes, série… et surtout distribution de Pokémon rares dans la console de tous ceux qui en feront la demande, à commencer par Mew, la souris rose ultrasecrète qui, en 1996, n’apparaissait sur les Game Boy que dans un bug.
B comme ≪Bleu≫ et ≪Rouge≫
Vert et Rouge au Japon, Bleu et Rouge à l’Ouest : c’étaient les deux premiers jeux Pokémon de l’histoire. On y incarnait Sacha, garçon intrépide quittant le cocon familial pour capturer les 150 Pokémon de la création. Car il s’agit autant d’un jeu de collection (on remplit son répertoire ≪Pokédex≫ avec les photos, géolocalisation et même enregistrement des cris de toutes les bestioles attrapées) que d’un jeu de combat : on envoie ses Pokémon castagner nos rivaux jusqu’au K.-O. Pour que personne ne crie à la maltraitance animale, le jeu répète que ≪les Pokémon sont nos amis≫, et heureux de leur sort. Mouais. Les versions Bleu, Rouge et leur bonus Jaune ressortent ce week-end sur la boutique de la Nintendo 3DS.
D comme défense Pikachu
Voilà une expression marrante du jargon wikipédien qui traduit bien le mépris pour la culture populaire de certains contributeurs de l’encyclopédie en ligne. Quand un internaute veut créer sur le site la fiche d’un obscur réalisateur et qu’un autre l’inscrit directement dans les ≪pages à supprimer≫ pour cause de notoriété insuffisante, le premier s’étrangle souvent : ≪Mais pourquoi vous refusez qu’on parle de mon génie qui a réinventé le cinéma direct alors que même ce p*** de Pikachu a droit à son article ?≫ C’est la défense Pikachu, et c’est un argument invalide : l’admissibilité des articles se règle au cas par cas selon les sources qui peuvent étayer leurs informations. Et comme la notoriété prime sur la noblesse des sujets, la star mondiale qu’est Pikachu est intouchable.
E comme échanges
Les jeux Pokémon sortent toujours en duo. Rouge et Bleu en 1996, Or et Argent en 1999, Rubis et Saphir en 2001, Diamant et Perle en 2006, Noir et Blanc en 2010 et enfin X et Y en 2013. Chaque ≪génération≫ est ainsi composée de deux versions complémentaires qui ne proposent pas les mêmes Pokémon dans ses buissons de pixels. Impossible de ≪tous les attraper≫, comme dit le slogan. Pour garnir son Pokédex, il faut impérativement la jouer collectif et échanger des Pokémon avec un copain qui possède l’autre couleur. Dans les premiers temps, on reliait deux Game Boy par le câble ≪link≫. L’arrivée de la Nintendo DS a permis à ces échanges interconsoles de passer par les ondes. Aujourd’hui, on peut même échanger des Pokémon avec des inconnus rencontrés sur Internet. Une bonne chose, car il est parfois difficile pour les trentenaires que sont devenus les fans de Pokémon de trouver un collègue de bureau qui aurait Cabriolaine en double.
F comme fric
On n’osait imaginer la fortune rapportée par la franchise Pokémon en vingt ans… mais le magazine License ! Global nous en a donnés en 2014 une idée assez précise : 1,5 milliard de dollars (1,36 milliard d’euros) par an. L’argent coule à flots : des jeux, du dessin animé (plus de 900 épisodes à ce jour), des films (18 longs métrages), des mangas (9 séries), des peluches et des fringues, des figurines et des cartes à collectionner, dont 21,5 milliards d’exemplaires ont été distribués à ce jour. Et encore, on oublie la bouffe : les rayons japonais regorgent de bonbons, cornflakes et sauces au curry gélifiées estampillées Pikachu. Sérieux, ça va trop loin.
G comme ≪Pokémon Go≫
Le prochain jeu Pokémon, attendu cette année, est une déclinaison inédite, mobile et en réalité augmentée. ≪Imagine des Pokémon dans le monde réel≫, nous dit la bande-annonce, qui surgiraient au coin de la rue, dans un parc, devant l’arrêt de bus en faisant vibrer un bracelet connecté. Vite, une Pokéball pour l’attraper ! Smartphone en main, on pourra aussi agresser le Ronflex d’un autre joueur croisé dehors ou échanger ses bestioles avec les voisins. Ciblé pour le super-grand public, Pokémon Go rappelle beaucoup le principe d’ Ingress, un autre jeu mobile basé sur la géolocalisation, dans lequel il faut capturer et attaquer des ≪portails≫ disséminés dans la nature. Les deux titres viennent du studio Niantic, fondé en 2010 au sein de Google, et qui vient de lever 5 millions de dollars (environ 4,5 millions d’euros).
H comme humour
Les jeux Pokémon sont tordants. Les dialogues, les noms de lieux, mais surtout les noms des Pokémon eux-mêmes sont prétextes à des blagues absurdes ou des jeux de mots en japonais, brillamment traduits dans la version française et adaptés à nos propres références culturelles. Comment rester sérieux quand on envoie au combat Fantominus ou Canarticho ? Et encore, les meilleures vannes restent confidentielles : il faut interviewer le traducteur français des premiers jeux, Julien Bardakoff, pour découvrir que le jeune rival du héros au début de la saga a été baptisé Régis dans les années 90 à cause des Nuls… Car même dans Pokémon, ≪Régis est un con≫.
P comme Pikachu
Comme personne chez Nintendo n’avait prévu le succès de Pokémon, personne n’avait pensé à trouver une mascotte… L’un des tout premiers produits dérivés, le manga Pokémon Pocket Monsters, mettait en avant sur sa couverture le Pokémon Mélofée, un machin rose à la bouille vaguement sympathique qui capitalisait sur sa ressemblance avec un autre personnage de Nintendo, Kirby. Mais c’est le dessin animé qui permit de sonder le public : quand, à l’écran, Sacha insiste pour adopter Pikachu (ci-contre) , une souris électrique qui n’en fait qu’à sa tête, alors qu’on lui proposait trois autres Pokémon plus dociles, les jeunes téléspectateurs ont un coup de cœur. Tout le monde craque pour Pikachu, les filles comme les garçons. Vendu ! Peint sur des avions, invité dans les Simpsons, le personnage devient une icône kawaii qui concurrence aujourd’hui la popularité de Mickey Mouse à travers le monde.
S comme Satoshi Tajiri
Satoshi Tajiri est le créateur des Pokémon. Féru de jeux d’arcade, il a créé le fanzine japonais Game Freak à 17 ans avant de lancer un studio de développement du même nom en 1989, avec l’illustrateur de son canard, Ken Sugimori. Tajiri nourrissait depuis l’enfance un amour profond des insectes : petit, il les collectionnait et voulait devenir entomologue. Le concept de Pokémon était déjà là, en friche, dans son esprit créatif mais diagnostiqué autiste. Il n’a fallu qu’une étincelle pour faire germer le projet : l’observation, en 1990, de deux enfants jouant l’un contre l’autre grâce au câble qui reliait leur Game Boy. Tajiri imaginait un insecte courir sur le fil… C’était le premier échange Pokémon de l’histoire.
W comme Wiki
Les fans de Pokémon ont leur propre encyclopédie en ligne, baptisée Poképédia en français et Bulbapedia en anglais, en hommage à Bulbizarre, le Pokémon numéro 001, en forme de grenouille prête à éclore. Parcourir Poképédia est fascinant. On y glousse en lisant le nom japonais des 722 Pokémon recensés à l’heure actuelle, on s’instruit en découvrant la formule mathématique qui définit les points de ≪dégâts≫ infligés dans les combats selon les capacités du Pokémon, on y apprend comment exploiter un bug pour atteindre le ≪Paradis fleuri≫ dans Pokémon Perle… Une mine d’or.
≪X≫ et ≪Y≫
Pour un monde imaginaire, Pokémon ressemble pas mal à la réalité : son équipe de développement a toujours adoré copier la géographie, les décors et l’architecture de lieux existants. Comme Gotham City est le New York de Batman, chaque jeu Pokémon s’inspire d’une région japonaise. Jusqu’en 2013, ou, surprise : la carte des lieux dans Pokémon X et Y est clairement celle de la France !
On y chasse les Pokémon derrière les menhirs de Cromlac’h (Carnac), on visite la galerie des Glaces du palais Chaydeuvre (Versailles), et on parcourt à rollers les boulevards haussmaniens d’Illumis (Paris) avec sa tour Prismatique (Eiffel). Il y a même la presqu’ile du Mont-Saint-Michel et l’aquarium de La Rochelle. C’est émouvant.
Z comme Pokémon Z
C’était le nom de code du prochain jeu Pokémon, dont on ignorait tout encore jusqu’à cette semaine. Puis des noms ont fuité, et des logos, et Nintendo a confirmé les rumeurs ce vendredi dans une miniconférence en ligne : le prochain duo de jeux - la septième génération - est baptisé Pokémon Soleil et Pokémon Lune. Ils sortiront d’ici à la fin de l’année 2016. Ce seront les derniers jeux Pokémon sur la Nintendo 3DS puisque l’entreprise concocte actuellement sa prochaine console, dite ≪NX≫. Quelques sources informées croient savoir qu’elle sera hybride entre console de salon et console portable.
Camille Gévaudan
フランス語
フランス語の勉強?
時論公論「原発事故 責任の所在はどこに」橋本淳解説委員
福島の原発事故の刑事責任をめぐって、東京電力の旧経営陣3人が業務上過失致死傷の疑いで強制起訴される見込みとなった。原子力災害の責任の所在を明らかにできるのか解説
ETV特集「最後の一人まで救う〜KOBE発・災害ボランティアの21年〜」
阪神・淡路大震災から21年。災害大国・日本で欠かせない存在となった災害ボランティア。その先駆者・神戸の村井雅清さん(65)のモットーは “一人ひとりに寄り添い、最後の一人まで救う”。去年9月に起きた常総水害でもいち早く現地に入り、地元NPOを中心とした支援の組織づくりにあたった。全国から集まった団体がネットワークを組み、一人ひとりの被災者に向き合い、支援を続ける災害ボランティアの最前線を見つめる。
村井雅清,頼政良太,横田能洋,前原土武, 杉浦圭子


天神橋のフィリピン料理でお昼ご飯を頂きました.スープが酸っぱくてなんかよくわからない感じです.ヴァイキングなので食べ過ぎてしまいました.
天満の大阪弁護士会で映画・日本と原発4年後を見ました.100円で見ることができるというのはある意味すごいですが,いろいろ考えさせられます.それよりも福島からの避難者の森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団・東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream 代表)のメッセージが強烈に響きました.チラシを見てひだんれんの全国集会に行こうか悩んでいます.原発賠償関西訴訟公判が3月3日に大阪地裁であるのにも行こうかな?と考えています.
大阪城の梅林に行くと,ミニオンズランのイベントでたくさんの人が歩いていました.

「津波の脅威伝わらぬ」 震災交流館に指摘
 仙台市議会2月定例会の予算等審査特別委員会が26日あり、東日本大震災発生時の状況や復興過程をパネル展示などで紹介する「せんだい3.11メモリアル交流館」に関し、委員から「津波の恐ろしさが伝わらない」と注文が付いた。
 交流館は市が市地下鉄東西線荒井駅の駅舎内に整備し、13日に全館オープンした。パネル展示とともに震災前の沿岸部の街並みを再現した模型を設けた一方で、津波が襲来する様子や被害の深刻さを伝える映像資料などはない。
 市は施設面積の制約に触れた上で「震災前の地域の暮らしを知るのがコンセプト。沿岸部に近いため、被災者に配慮して津波の直接的な表現を避けた」と説明した。
 質問した木村勝好氏(市民フォーラム仙台)は「『思い出したくない』を積み重ねて記憶は風化する」と懸念を示し、見直しを求めた。奥山恵美子市長は「開館後にさまざまな意見が寄せられている。指摘を踏まえて改善したい」と答弁した。


<再生の針路>東松島/野蒜の観光復興課題
◎震災5年 被災地の首長に聞く(4)阿部秀保市長
 −復興まちづくりの進展状況をどう見るか。
 「防災集団移転事業の宅地(717区画)と災害公営住宅(1010戸)の引き渡しは、2014年度末の時点では当初計画の3割程度の達成だったが、本年度末で7割弱になる。地権者や工事関係者の尽力もあり、この1年で復興を加速できた。新年度は後回しになっていた市民センターや学校といった社会福祉施設の整備を本格化させたい」
 −産業面はどうか。
<工業団地は順調>
 「大曲浜地区の被災跡地に整備している工業団地(約24ヘクタール)は、区画の8割に事業者が入る。現在も市に問い合わせがあり、工場が完成して工業地帯として機能していけば、残りの2割の区画にも事業者が入ると期待している」
 −現時点における復興の最大の課題は何か。
 「野蒜海水浴場を中心とした観光だ。県が現在、野蒜海岸沿いに防潮堤と県道を整備している。工事は当初、ことし3月に完了する予定だったが、2年遅れることになった。工事が終わらなければ、海水浴場の再開はできない。津波の1次避難所整備については、震災前、海水浴場近くにあった旧松島自然の家跡地を活用したいと考えている」
 「東名運河の南側から野蒜海岸にかけての洲崎地区の被災跡地の利用も課題だ。土地の所有権がばらばらで、権利を集約しなければ整備に着手できない。国の特別名勝エリアに位置しているため、防災緑地にするということも悪くはないが、あくまで最終手段だ。より有効な使い道を模索したい」
 −ことしは市最大級の防災集団移転団地「野蒜北部丘陵地区」の宅地(278区画)の引き渡しが始まる。移転元地と移転先地を含めた野蒜地域全体のまちづくりをどう考えるのか。
<一体意識持続を>
 「野蒜北部丘陵地区に住宅が完成し、住民の生活が定着する来年のお盆以降にコミュニティー再編の議論が本格化するだろう。移転元地と移転先地がそれぞれに自治会を設立する流れになると思われるが、『野蒜は一つ』との意識は持ち続けたい」
 −「東松島市は復興の先頭を走っている」と評価されることもあるが、その原動力は何か。
 「03年に県北部連続地震を経験したことと、市民の力に尽きる。北部連続地震の際も、仮設住宅の設置やがれき処理に取り組んだ。規模は違うが経験が今回の震災にも生きている。市民のまちづくりに対する意識も高く、自分たちで防災集団移転先を早期に決めることができた」(聞き手は石巻総局・八木高寛)


東松島市の野蒜小学校 閉校式
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた、東松島市の野蒜小学校の閉校式が行われ、児童や卒業生が、142年の歴史がある学校との別れを惜しむとともに、復興を誓いました。
野蒜小学校では、震災の津波が校舎や周辺に押し寄せ、下校した子ども9人と、体育館に避難した住民など少なくとも13人が亡くなりました。
子どもたちは、この5年間、仮設の校舎に通ってきましたが、野蒜小学校は、震災と過疎化で児童数が減ってとなりの地区にある別の小学校と統合されることになり、27日、閉校式が行われました。
式典には、児童や卒業生などおよそ600人が参加し、相澤日出夫校長が「142年の輝かしい足跡は語り継がれていくでしょう」とあいさつし、歴史がある学校との別れを惜しみました。
このあと、5年生と6年生およそ60人が、震災からの復興をイメージした太鼓を力強く演奏し、街の復興を誓っていました。
卒業生の60代の女性は、「子どもたちの元気な姿を見られてよかったです。新しい学校でも頑張ってもらいたい」と話していました。


宮城・野蒜小 サヨナラわが母校、閉校式 津波犠牲忘れず
児童数減少による統廃合で3月末に閉校
 東日本大震災の津波で被災し、児童数減少による統廃合で3月末に閉校する宮城県東松島市立野蒜(のびる)小学校(相沢日出夫校長、児童数131人)の閉校式が27日、同市の小野地区体育館であり、在校生や卒業生が142年の歴史に別れを告げた。
 野蒜地区は住民約4600人のうち野蒜小児童9人を含む515人が津波の犠牲になった。指定避難所だった野蒜小体育館も津波に襲われ、少なくとも住民ら13人が死亡。300人以上が6時間近く孤立し、児童らが「ファイト」とかけ声を上げて励まし合ったことで知られている。震災後は仮設校舎で授業を続けていた。
 閉校式では児童代表が校旗を返納し、参加者全員で校歌を斉唱。卒業生で青山学院大陸上競技部4年だった2015年1月に箱根駅伝で優勝した高橋宗司(そうし)さん(23)=東京都江戸川区=が「未来へのメッセージ」と題して講演した。
 野蒜小は4月に宮戸小(児童数18人)と統合して「宮野森(みやのもり)小学校」となり、来年1月に高台の集団移転地に建設される新校舎に移る。旧校舎には記念碑が設置される。【伊藤直孝】


東松島 野蒜小閉校式 築いた伝統は宮野森へ
 東松島市立野蒜小学校(相澤日出夫校長、児童131人)の閉校式が27日、校舎に隣接する小野地区体育館で開かれた。震災と過疎の影響で新年度から宮戸小と統合し宮野森小となるため142年の歴史に幕を下ろす。式典には在校生のほか同窓生や歴代教職員、地域住民ら約500人が訪れ、地域の学び舎の最後を惜しみつつ新たな伝統の始まりに期待を寄せた。
 野蒜小は明治6年に開校。昭和43年に亀岡地区に鉄筋コンクリートの新校舎が完成した。しかし震災で使えなくなり平成23年は市役所鳴瀬庁舎内、24年からは現在の小野地区の仮設プレハブ校舎で授業を行ってきた。
 閉校式では全校児童が来場者の前に立ち「野蒜小が大好きだから閉校は寂しい。しかしこれまでと同じく未来でも楽しい思い出を作っていける」と力強く宣言。住民が震災から立ち上がる様子を音で表現した「野蒜復興太鼓」も披露され、会場は拍手に包まれた。
 このほか、同校OBで、昨年1月の第91回箱根駅伝で区間賞を獲得し青山学院大学の初優勝に貢献した高橋宗司さん(23)が講話。「今もっている夢は変わることがあってもいい。しかし諦めないで頑張ってほしい」と激励した。
 現在、野蒜北部丘陵団地に建設中の宮野森小新校舎は来年1月の供用開始予定。それまでは野蒜小仮設校舎を使用する。


「3.11」につどい 犠牲者の冥福祈り、バルーン空へ 石巻
 東日本大震災から5年となる3月11日、石巻市門脇町5丁目の「がんばろう!石巻」の看板前などで「震災追悼3.11のつどい」が行われる。
 ことしも市民有志でつくる実行委員会をつくり実施。約3000個の灯籠、キャンドルをともすなどして犠牲者の冥福を祈る。
 看板前には献花台を設け、午前9時半から献花できる。震災発生時刻の午後2時46分に参加者が黙とう。用意する600個のバルーンを配り空に放す。この後、灯籠、キャンドルを配置し午後4時半に点灯する。午後11時終了。
 灯籠、キャンドルは門脇町2丁目の日和山石段入口付近にある「まねきコミュニティー」会場にも並べ、午後5時から点灯する。午後10時終了。
 実行委は灯籠制作のワークショップや当日の会場設営に参加できるボランティアを募集している。
 連絡先は事務局0225(23)9638。


「龍の松」保存の処置終え式典
気仙沼市で震災の後「龍の松」と呼ばれ復興のシンボルとなっていた松の木が長期的に保存するための加工を終えたことを祝い、記念の式典が行われました。
「龍の松」は気仙沼市の景勝地「岩井崎」に生えていたクロマツで、震災の津波に耐えて残った幹や枝が「龍」に見えるとして、地元の人たちから「龍の松」と呼ばれています。
去年から進められてきた、長期的に保存するための処置が終わり、今月17日に松がもとの場所に戻されたことから、27日、記念の式典が開かれました。
気仙沼市の菅原茂市長は「震災の発生から5年がたち、観光客の数も戻らない中、震災の教訓と復興に向かう人々の姿を残す象徴として、地域全体でこの松を守っていきたい」とあいさつしました。
このあと「龍の松」と呼ばれるようになった由来を説明するプレートの除幕が行われました。
「龍の松」は、幹の部分に腐敗や変色を防ぐための処置が施され、龍の頭にあたる枝の部分は、プラスチックで復元されています。
近くに住む76歳の女性は「津波で残った松を見るとはげまされます。松を見に来る多くの人でにぎわう場所になってほしい」と話していました。


閖上さいかい市場 4周年祝う
震災で被災した名取市閖上地区の飲食店などが入る仮設商店街ができて4年になるのを祝う催しが開かれ、大勢の人でにぎわいました。
仮設商店街「閖上さいかい市場」は、市内の閖上地区で被災した29の商店などが集まって、震災のよくとしに作られました。
27日はオープンから4年になるのを祝い、閖上漁港で水揚げされた新鮮な赤貝の寿司や地元特産のせりを使ったせり鍋などが販売され、多くの人でにぎわいました。
「閖上さいかい市場」は、現在23の店舗が営業を続けていて、平成30年度末までの延長が決まっています。
仙台市から家族で訪れた30代の男性は「せり鍋を食べるのを楽しみにしていました。これからも営業を続けてほしいと思います」と話していました。
「閖上さいかい市場振興会」の会長は「4周年を祝って、地元の食材をたくさん味わってもらえる催しにしました。これからも地元に愛される活気ある商店街にしていきたい」と話していました。


<その先へ>幸せと希望はためく
◎黄色いハンカチの会会長 菅野寛美さん=宮城県亘理町
 カタ、カタ、カタ−。
 ミシンが軽快な音を刻み、30センチ四方の黄色いハンカチが次々と仕上がっていく。宮城県山元町の仮設住宅集会所。「黄色いハンカチの会」のメンバー7人が週1回集まり、ハンカチ作りに取り組む。
 東日本大震災から5年を控え、メンバーは特別な思いで作業に当たる。「ことしも3月11日が来るね」。会長の菅野寛美さん(71)が作業の手を止めて語り掛ける。「あれからもう5年だよわ」。仲間は静かに応えた。
 ハンカチは、地元のボランティアガイド組織「やまもと語りべの会」が再生の象徴として町内に掲げる「幸せの黄色いハンカチプロジェクト」で活用する。2枚1組400円で販売し、国内外の購入者にメッセージを書き入れて返送してもらう。菅野さんらは2012年9月から製作を請け負い、これまで6000枚以上を作った。
 7人は山元町内で震災に遭い、町内の仮設住宅で出会った。JR旧山下駅前にあった菅野さんの自宅は津波で大規模半壊。仮設での生活が落ち着いた頃、ハンカチ作りの依頼を受けた。社交的な性格を生かして積極的に仲間を募った。
 「被災した悲しみで、みんな沈んでいた。これ以上の不幸はもうないだろうから、黄色いハンカチ作りを通じて少しでも幸せな時間を共に過ごしたかった」と当時の思いを語る。
 今は7人全員が仮設を出て、岩沼市など町内外に散り散りになった。それでも週1回の作業日には、以前暮らした山元に集う。菅野さんも自宅を再建した北隣の亘理町から車で駆け付ける。仮設で共に暮らした仲間同士の絆を確かめ、近況を語り合う貴重な場だ。
 「自分たちが作ったハンカチが人の心を癒やしたり、国内外の方々が住民にエールを送ったりする機会になったことに、やりがいを感じる」と話す。ささやかな工賃をためて出掛ける温泉旅行も楽しみだ。
 菅野さんらに作業を依頼した語りべの会の渡辺修次代表(64)は「コツコツと作業してくれたおかげで、プロジェクトを続けることができる」と感謝する。
 27日には津波で壊滅した山元町の墓地跡に語りべの会が設置した掲揚台に、ハンカチ3000枚を掲げる。「どんなふうにはためくのか楽しみ」と菅野さん。仲間と縫い上げた幸せの象徴が、復興途上の被災地を鮮やかに彩る姿を心待ちにする。(原口靖志)


<南三陸防災庁舎>4月から立ち入り制限
 南三陸町は4月1日から東日本大震災で被災した町防災対策庁舎周辺の立ち入りを制限する。復興事業が本格化することによる措置で、規制期間は2018年3月末までの2年間を予定している。
 庁舎周辺では新年度、八幡川の堤防工事や庁舎を含む約6ヘクタールで震災復興祈念公園の整備工事が始まる。町は約150メートル北側に献花台を移し、周辺に駐車場を設けて来訪者に対応する。
 26日の定例記者会見で佐藤仁町長は「安全確保のためには規制せざるを得ない。少し離れた場所で献花していただきたい」と説明した。
 庁舎は屋上まで津波に襲われて職員を含む43人が死亡、行方不明になった。骨組みを残した姿が震災の脅威を伝えるとして国内外からの来訪者が後を絶たない。県が31年まで維持管理する間、町が保存するかどうかを決める。


<国勢調査>石巻市の沿岸部が激減
 石巻市は26日、2015年国勢調査の旧市町別人口の速報値を発表した。東日本大震災で被災した旧雄勝町が10年の前回と比較して7割以上の人口を失った一方で、旧河南町の人口が増えるなど、市民らの内陸移転が進む状況があらためて浮き彫りになった。
(1.2面に関連記事) 増減は=表=の通り。減少率は、旧雄勝町が74.54%(2977人減)で最大。旧牡鹿町の43.32%(1872人減)、旧北上町の34.51%(1283人減)と続く。増加は旧河南町だけで、増加率は16.12%(2732人)だった。
 旧市の地区別では、石巻地区が1万3638人(19.10%)減、渡波地区が2501人(15.28%)減に対し、集団移転が進む蛇田地区が3726人(20.89%)増、稲井地区が3423人(55.95%)増で内陸移転の動きが顕著だった。
 市全体の減少数は県内自治体で最多の1万3590人(減少率8.45%)だが、総数14万7236人で、仙台市に次ぐ県内第2位にとどまった。
 市は半島部で拠点整備や交流人口拡大、買い物支援といった施策を展開する方針。亀山紘市長は「厳しい状況を再認識した。復興を着実に進め、少子化や人口減少問題、定住対策などに最大限の力で取り組む」とコメントを出した。


<アーカイブ大震災>生きたかったら残れ
 志津川湾から約300メートルの平地に立つ宮城県南三陸町の総合結婚式場「高野会館」。震災時、利用客や従業員ら約330人は会館にとどまった。「帰したら、津波で危険だ」。避難誘導に当たった従業員らのとっさの判断が、全員の命を救った。
◎逃げる その時(3)帰さず(宮城・南三陸町、高野会館)
 会館を出ようと、ロビーに殺到した人だかりが歩みを止めた。階段の前で、従業員らが大きく手を広げ、仁王立ちになって行く手を遮っていた。
 「生きたかったら、ここに残れ」。男性の怒鳴り声が響いた。
 「頑丈なこの会館が崩壊するなら町は全滅する」。同会館営業部長の佐藤由成さん(64)は、1988年の開館当初から勤務。設計段階から知り尽くした建物の強度に自信を持っていた。
 「お年寄りの足では途中で津波に遭遇してしまう」と判断したのは町社会福祉協議会総務課長の猪又隆弘さん(52)。経験と利用客の状況を踏まえ、4階建ての会館にとどまるのが最善と考えた。
 地震発生時、3階の宴会場は老人クラブによる「高齢者芸能発表会」の閉会式のさなか。強烈な横揺れに大勢の客はパニック状態になった。
 1階にいたマネジャーの高野志つ子さん(67)が階段を駆け上がると、従業員らが来館者を上階に誘導するのが見えた。
 最高齢90代後半、平均80歳前後。来館者の避難は困難を極めた。
 「早ぐ上がって、早ぐ上がって」。営業課長の西條正喜さん(44)は列の最後尾で追い立てた。階段は人でびっしり。「このままでは津波にのまれる」。体力のある人がお年寄りを背負った。
 町社協老人クラブ担当の佐々木真さん(39)は4階への階段を上りながら、背後に津波を感じた。ガチャン、バキバキ。1階の窓ガラスが割れ、2階にもがれきが流れ込んだのが音で分かった。3階を振り返ると、ロビーの窓ガラスを大量の水が突き破った。足元もぬれていた。
 屋上には既に水が押し寄せていた。水位は膝まである。「ここもだめか」。西條さんと佐々木さんらは、普段人が入らないエレベーター室や高架水槽などがある会館最上部へ避難誘導を急いだ。
 四方を水で囲まれた会館はまるで孤島のようだった。佐藤さんの手帳には津波の記録が残る。
 <午後3時26分、第1波。40分、引き始め>
 <4時13分、第2波。28分、引き方開始>
 <5時、第3波。10分、引き波開始>
 そう書いたところで手が止まった。2キロ弱先の荒島までの海底が姿を現している。
 「次の波が来たらみんな死んでしまう」。スーツの内ポケットに手帳を仕舞い、ボタンを掛けた。自分が流されても記録は残るように―。
 佐藤さんの記録によると、第4波は午後5時32分に襲来。屋上までには到達しなかった。
 会館に孤立したのは約330人。4階にある約25平方メートルと約30平方メートルの会議室二つは人であふれ、廊下や更衣室まで埋め尽くされた。
 室内は人いきれで息苦しいほどだった。深夜、80代の女性が意識もうろうとなった。
 「脳梗塞の疑いがある」と町社協の看護師。佐藤さんは最上部に上がり、公立志津川病院へ向かって大声で呼び掛けた。
 「先生、倒れている女性がいます。波が引いたら、そちらで診ていただけませんか」
 医師とみられる男性の声が返ってきた。「こちらは薬も電気もない。7人が亡くなりました」
 風通しのよい場所で寝かせるよう助言された佐藤さんは、全員に屋上に出るよう促した。「外の空気吸ってきてけさい」。10分ほどの短時間だったが、室内に外気が入ると女性は持ち直した。
 職員らの判断と機転。会館で命拾いしたお年寄りは口をそろえて言う。「よく生きていられた。従業員らの指示に従い会館に残ってよかった」(村上俊、渡辺龍)=2011年6月23日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<新岩手農協津波訴訟>遺族の控訴棄却
 東日本大震災の津波で死亡した宮古市の男性=当時(22)=の遺族が、男性の勤務先の新岩手農協(滝沢市)に2200万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は26日、請求を棄却した盛岡地裁判決を支持し、遺族の控訴を棄却した。
 小野洋一裁判長は、震災前に避難訓練を実施していないなど農協による防災教育の不備を指摘した上で「男性は上司の指示で車で避難した後、同僚が避難場所付近で下車を促したのに従わなかった」と述べた。
 遺族の代理人は「大変残念な結果で、上告を検討したい」と話した。
 農協は「防災活動を一層強化し、利用者と職員の安全確保に全力を尽くす」との談話を出した。
 判決によると、男性は地震直後、勤務先の農協山田支所(岩手県山田町)の上司の避難指示に従い、いったんは同僚と車で近くの避難場所付近に到着した。その後、支所に引き返し、自家用車で自宅がある宮古市へ向かう途中、津波にのまれた。
 地裁は昨年2月の判決で「農協が安全配慮を怠ったとまでは認められない」と判断。遺族が控訴した。


<3.11と今>次代へつなぐ神職に
◎壊滅したまち 石巻市門脇・南浜(4)祈り、紡ぐ
 眼下の海が光を放つ。更地の目立つ地域で少しずつ復旧作業が進む。
 石巻市の鹿島御児神社は旧北上川西岸の日和山の山上に鎮座する。標高約60メートル。鳥居の前の日和山公園から、東日本大震災で被災した門脇・南浜地区や石巻湾を一望できる。
 公園は桜とツツジの名所として市民に親しまれてきた。震災後、訪れた人が犠牲者らに祈りをささげ、手を合わせる場になった。
 神社は一時、献花用のおけを備え、古くなった花と水を換えた。慰霊のための訪問者は減ったが、今も花を手向ける人がいる。
 権禰宜(ごんねぎ)の窪木好文さん(44)は、あの日の記憶を深く呼び起こそうとはしない。津波で失われた知人の姿がよぎり、言葉に詰まるからだ。
 境内で巨大地震に見舞われた。子どもを迎えに行った後、公園から信じ難い光景を目にした。
 視界は吹雪で時々白い。海に向かう船が押し戻され、遠くに見える駐車場で車が浮いた。バキバキバキという破裂音。黄色い粉じんが山の高さまで舞い、家の屋根が流れた。「あー」。避難した人々の間で力のない声が漏れた。
 暗くなり、山の下で「助けて」と声がした。避難者と共に何人かを救出したが、壊れた建物に阻まれ、十分にできなかった。
 鹿島御児神社は平安期の書物に記録が残る。総代約20人のうち門脇・南浜に住む4人が亡くなった。新潟県の神主の息子で1999年に石巻に婿入りした窪木さんにとって、いずれも神社の歩みを一から教えてくれた存在だった。
 震災当時は石巻青年会議所の理事長だった。3月下旬に発足した被災地支援のNPOとNG0の連絡会を手伝い、炊き出しや復興イベントに携わった。「できることを探し、向き合うだけだった」
 地域が大きく傷ついても5月の例祭は続けた。災害に遭っても立ち直り、新たなまちを紡ぐとき、中心に神社がある。「昔から同じだ」との思いがあった。
 氏子たちは家が流され散り散りになり、神社の会合に集まるのも難しい。東京都あきる野市の友人の協力で、関東の神社みこし会の有志が祭りの運営を支えてくれた。
 地区のがれきが撤去された2012年の例祭。みこしを担いだ一行が門脇小近くの道路を練り歩いた。復興を願い、30〜40年前の風景が再現された。震災前にわが家があった更地に立ち、見守る人々がいた。
 5年で意を強くした。
 神職は神様に仕え、神意を伝える「ミコトモチ」。つまり、つなぎ役だ。
 震災で全国から石巻を訪れるボランティアと避難所を結ぶ役割を担った。仲間と共にコミュニティーを維持し次世代につなぐ。「与えられた使命」と心得る。(沼田雅佳)


<国勢調査>石巻市の沿岸部が激減
 石巻市は26日、2015年国勢調査の旧市町別人口の速報値を発表した。東日本大震災で被災した旧雄勝町が10年の前回と比較して7割以上の人口を失った一方で、旧河南町の人口が増えるなど、市民らの内陸移転が進む状況があらためて浮き彫りになった。
(1.2面に関連記事) 増減は=表=の通り。減少率は、旧雄勝町が74.54%(2977人減)で最大。旧牡鹿町の43.32%(1872人減)、旧北上町の34.51%(1283人減)と続く。増加は旧河南町だけで、増加率は16.12%(2732人)だった。
 旧市の地区別では、石巻地区が1万3638人(19.10%)減、渡波地区が2501人(15.28%)減に対し、集団移転が進む蛇田地区が3726人(20.89%)増、稲井地区が3423人(55.95%)増で内陸移転の動きが顕著だった。
 市全体の減少数は県内自治体で最多の1万3590人(減少率8.45%)だが、総数14万7236人で、仙台市に次ぐ県内第2位にとどまった。
 市は半島部で拠点整備や交流人口拡大、買い物支援といった施策を展開する方針。亀山紘市長は「厳しい状況を再認識した。復興を着実に進め、少子化や人口減少問題、定住対策などに最大限の力で取り組む」とコメントを出した。


<国勢調査>東北に再生のヒント
 2015年国勢調査は、日本の総人口が増加から減少に変わる歴史的な転換点となった。東日本大震災で人口減少が加速した東北には、本格的な人口減時代を迎えた日本を再生するヒントがある。
 既に年間出生数は1973年の約209万人から減少傾向が続き、100万人割れが目前となっている。このタイミングで総人口が減少に転じたことは、戦後のベビーブームや平均寿命の伸びが積み上げた「貯金」が底を突いたことを意味する。国立社会保障・人口問題研究所は2060年の人口が8674万人になると推計する。
 女性1人が生涯に産む子の数を示す合計特殊出生率は14年が1.42。人口増減のない状態を保つ出生率は日本では約2.1とされる。政府が掲げる「希望出生率1.8」が25年に達成され、35年に2.1に上昇しても、人口は95年の約9500万人まで減る。
 人口減には過疎、衰退という暗いイメージがある。明治の富国強兵以来、人口は国力の象徴だった。もはや人口増に国力を求める環境にはない。日本社会は少子高齢化を伴う人口減に、数世代にわたって直面する可能性が非常に大きい。
 21世紀をバブル崩壊後の「失われた10年」「失われた20年」に続く「失われた世紀」にしないためには、人口減の中でも将来を悲観せず、安心して暮らせる「適少社会」の実現が不可欠だ。政府、地方自治体、国民が英知を尽くさなければならない。人口増を是とした経済、国土整備の在り方、豊かさの価値基準も見直す必要があるだろう。
 東北6県の総人口は00年国勢調査以降、4回連続で減少した。自治体によっては半世紀以上、活性化に試行錯誤してきた歴史もある。東北は人口減に付きまとう負のイメージを転換するための経験を積み重ねてきた。(解説=報道部・中島剛)


<検証福島の海>厳格検査も食卓遠く
◎震災5年へ(中)風評の壁     
 安全安心は膨大な検査作業の先にある。手間を惜しんではいられない。
 試験操業が行われた17日、いわき市の小名浜魚市場に、各浜の水揚げが集まってきた。マガレイ、マダラ、アンコウ。出荷に向けて漁協職員らが選別、計量に追われながら、魚種ごとに必要な数を小さなバケツへと入れる。放射性物質検査のサンプルだ。
 市場内の専用施設でミンチ状や切り身に処理し、9台の検査機にかける。結果が出るまで約30分。導入したばかりの新型機なら最短約3分で終わる。この過程をクリアしなければ、魚が出回ることはない。
 「どの船が、何時に、どこで捕ったかを特定した上で検査する。安全性の確認は福島の漁業再興の生命線だ」。いわき市漁協の担当者が口調を強めた。
<回復進展示す>
 法定の放射性セシウム濃度の基準値は1キログラム当たり100ベクレル。福島県漁連は独自に50ベクレルと定めている。検査体制を整え厳格に基準を運用していても、東京電力福島第1原発事故がもたらした風評被害は収まらない。
 消費者庁の調査では、2割近くの市民が福島の産品の購入をためらっている。いわき仲買組合の遠藤浩光組合長(56)は「原発事故という事実は風化しても、フクシマというイメージは風化しない」と嘆く。
 各種の数値を見る限り、福島の海洋環境は着実に回復している。
 福島県水産試験場の調査では、2011年に法定基準を超えた検体は4割近く。翌年から急減し、15年には全体の0.1%を割り込んだ。9割近くは検出限界値にも届いていない。
 全量検査して出荷すれば、一定の信頼回復が見込める。しかし、処理過程で鮮度が落ちれば、商品価値そのものが失われかねない。
 「コメのように袋ごと検査するわけにはいかない。魚介類特有の難しさがあるんです」。試験場の藤田恒雄漁場環境部長(56)が苦り切った表情を見せた。
<直接消費者に>
 消費者になかなか届かない安全安心のメッセージ。浜では、食卓に直接アプローチする取り組みも進む。
 相馬市の漁業者でつくる産直研究会は1月、カレイの一夜干しづくりを始めた。原発事故で休止に追い込まれ、ことしは再開2年目。300匹をセット販売する計画だ。
 顔の見える関係で消費回復を図る狙いだが、限界もある。試験操業の水揚げは港ごとに一括して取引される。自分の魚だけを仕入れることはできない。
 「以前は自分の魚箱を競り落とせばよかった。『俺の魚だ』と胸を張れれば、訴求力も高まるのだが…」。研究会の市田良夫会長(57)が唇をかんだ。


<全町避難>激励の黒板 落書き目立ち撤去
 東京電力福島第1原発事故に伴い全町避難が続く福島県浪江町は26日、津波に襲われた請戸小の黒板の搬出を始めた。「請戸、必ず復興する」などと救助で出動した自衛隊員らのメッセージが数多く記されている。最近になって復興と関係のない書き込みが目立ち始め、撤去を決めた。当面、近くの小学校で保管する。
 校舎は海岸から約200メートルにあり、津波で1階部分が全壊。2階は無事だった。原発事故で退避指示が出され、本格的な捜索は事故1カ月後に再開。自衛隊員や警察官が校舎に入った。
 その際、教室の黒板とホワイトボード計13枚に「請戸を忘れない」「天は乗り越える事の出来る試練しか与えない」などと励ましの言葉を書き込んだ。窓から吹き込む潮風に長期間さらされ、字は薄れてきている。
 黒板は町の委託業者が近くの幾世橋(きよはし)小の体育館に運び入れた。グランドピアノや時計なども3月上旬までに移す。校舎の扱いは決まっていない。
 2013年4月、避難区域の再編に伴い、請戸地区は日中の立ち入りが可能になり、「憲法9条守れ」「安保法反対」などの書き込みが増えた。
 宮口勝美副町長は「激励の言葉は町民を勇気づけてきた。今後どのような形で保存していくか、住民の意見を聞いて決めたい」と話した。


東北の被災地に手話で「花は咲く」 神戸の支援学校がDVD贈る
 東日本大震災の被災地に支援の気持ちを伝えようと、兵庫県立神戸聴覚特別支援学校(神戸市垂水区)の生徒らが、復興支援曲「花は咲く」を耳の不自由な人も楽しめるよう手話で表現した「サインソング」にした。26日に卒業した高等部の生徒らが中心となり、サインソングの映像をDVDに収録。交流を続けている宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の仮設住宅などに贈るという。
 同校では昨年4月から、高等部の生徒らが東日本大震災などについて学ぶ「防災プロジェクトチーム」を結成し、被災地への募金活動などに取り組んできた。活動を引っ張ってきた3年生の卒業に合わせて、初年度の活動の集大成として、サインソングの映像をDVDにすることにした。
 映像の編集作業は、パソコンに詳しいIT部の生徒が担当。曲に合わせて数人ずつが手話をする動画をつなぎ合わせ、フィナーレでは、全員がそろって手を動かす様子を収録した。
 IT部の部長を務めた鍵本直哉さん(19)は「映像の編集作業で手の動きがずれていない場面を選ぶのが大変だった。被災地を応援する元気な気持ちを込めて、淡路島のヒマワリ畑の画像を入れて完成させた」と振り返る。
 同校では、平成26年9月に生徒の有志が閖上地区を訪ね、清掃のボランティアをしたことがきっかけで、被災者らが阪神大震災が起きた1月17日に合わせて神戸を訪れるなど、交流を続けている。DVDは6月、プロジェクトチームを指導した教員が仮設住宅に届けるという。
 チームのリーダーで愛知県内の企業に就職する木嶋健一さん(18)は「みんなで取り組めてよかった。社会に出ても、被災地を支援する気持ちを持ち続けたい」と笑顔で話した。


【原発事故から5年】 散らばったランドセル、積み上がる黒い袋…福島の帰還困難区域への一時帰宅に同行して見たものは
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から間もなく5年となる。いまだに立ち入りすら制限されている「帰還困難区域」に指定されている福島県大熊町へ2月、地権者の男性の一時帰宅に同行させてもらった。主を失った住宅は荒廃が進み、子供たちの声の聞こえなくなった教室には“あの日”のまま、ランドセルやノートが散らばっていた。除染廃棄物の黒い袋が積み上がるこの場所に、人の気配が戻るのはいつになるのだろうか。(緒方優子)
防護服姿でゲートの内側へ
 「はい、富岡」「0・5(マイクロシーベルト)」
 午前10時すぎ、大熊町へ向かう車内。ハンドルを握る男性が通過した地点を告げると、後部座席の友人が測定した放射線量を読み上げる。常磐道を走る車窓から、所々に除染廃棄物の黒い塊が目に入る。
 50代の男性の家は、福島第1原発から約2キロの距離にある。結婚後、初めて建てた「マイホーム」。その家で子育てもした。仕事で転勤を重ねたが、定年後は夫婦でゆっくりと大熊で暮らしたい。そんなささやかな夢は、原発事故で遠のいた。
 男性は事故の5カ月後から、知人らとともに定期的に一時帰宅を続け、自宅と周辺の放射線量の測定を続けている。家にはもう住めないかもしれないが、この地域がどう変化していくのか、どこへ向かっているのか−。その手がかりをつかむための「定点観測」に、1年前から同行させてもらっている。
 高速道路のインターチェンジ(IC)を降り、スクリーニング場で許可証を提示していつもの“装備”を受け取る。白いキャップに、防護服とマスク。足下は布とビニールカバーで2重に覆い、手にも綿手袋の上からゴム手袋をつける。汚染を区域外に持ち出さないようにするため、装備は厳重だ。スクリーニング場には数名のスタッフが待機し、手続きや着替えの手伝いをしてくれる。女性スタッフが多いのが印象的だ。
 国道6号から脇道に入り、警備員のいるゲートを超える。この先が、「帰還困難区域」だ。
「娘と通った」道、乱れた教室、朽ちていく家…
 男性が一時帰宅で必ず立ち寄るのが、自宅から車で10分ほどの大熊町立熊町小だ。「昔、娘とこの道を歩いて通ったんだよ」。道中、そう教えてくれた。
 小さなグラウンドには、草が背丈ほどに伸び放題になって枯れていた。校舎のアスファルトの隙間からも草が伸び、5年という月日の長さを改めて感じた。
 窓越しに教室の中を見ると、床にはランドセルやノートが散乱し、机の上には開かれたままの辞書が置かれていた。事故前、熊町小には300人以上の生徒が在籍していたという。ここにいた子供たちはあの日、どんな混乱の中にあったのだろうか。今、避難先でどんなふうに生活しているのだろうか。
 「たくましく」
 こう刻まれた石碑の近くには、ひっそりと梅の花が咲いていた。
 昼過ぎ、男性の家に到着した。2階建ての家と庭を今、支配しているのは、植物だ。庭にはツタ性の植物がはい回り、家の外壁やひさしにまで伸びている。
 家の1階のガラス戸は割れ、和室の網戸も倒れている。不在の間に何者かに石を投げ込まれたといい、修復してもまた壊されたため、今はそのままになっている。
 家の中に入ると、湿った空気とカビの臭いが鼻をつく。瓦が落ちた屋根からの雨漏りは次第に激しくなり、2階の床が腐食して1階まで崩れ落ちた。天井板はほとんどはがれ落ち、階段には、動物のふんも転がっている。
 「はじめに1人で来たときは、気が狂いそうになったよ」。男性は、放射線量の測定を続けながら、当時の思いをそう打ち明ける。
 1階の居間と廊下を仕切る扉の枠に、「H(平成)9」「H10」いくつも刻まれた印があった。「これはね、娘の身長」と、男性がうれしそうに指さした。
 変わり果てたように見える家の中にはまだ、あちこちに家族の大切な思い出が残っている。
廃棄物の黒い袋がぎっしりと
 男性の家は、福島県内の除染で出た汚染土などを長期保管する「中間貯蔵施設」の建設予定地内にある。実施主体である国と地権者との交渉が進まず、これまでに取得できたのは用地全体(1600ヘクタール)の1%未満にとどまっているが、予定地内には県内各地から次々と汚染土が運び込まれている。
 この日も、除染廃棄物を運ぶ大型トラックがひっきりなしに行き来し、昨年4月にはがらんとしていた保管場には、黒い袋がびっしりと積み上げられていた。「いつまで来られるか、わからないな」。男性は、そう思い始めている。
 帰還困難区域に入るたびに、着実に何かが変わってきていることを肌で感じる。
 ただ、これが「復興」に向かっている町の光景なのだろうか。だとすれば、一体誰のための「復興」なのだろうか。
 間もなく事故から5年。住民不在の町はまだ、将来像を描けずにいる。


ふくしまの光と影を伝える自治体初のドキュメンタリーアニメーション『みらいへの手紙〜この道の途中から〜』全国上映会 スタート
福島県
全国6都市を巡り、作品に込められた想いが伝わる制作ドキュメンタリー映像や映像パネルを同時展示
福島県は、震災後に起きた出来事やふくしまに存在する様々な思いを伝えるオムニバス形式のドキュメンタリーアニメーション『みらいへの手紙〜この道の途中から〜』を制作・公開し、全国6都市を巡る上映会を、2月26日(土)に大阪会場からスタートしました。
全国上映会の第1弾として、大阪市の堂島リバーフォーラムにて2月26日(金)〜2月28日(日)の3日間 で開催。会場では、全10エピソードのほか、制作過程を収めたドキュメンタリー映像、作中でストーリーテラーを務めた俳優のディーン・フジオカさんのメッセージ映像が上映され、各エピソードのパネル展示と併せて観賞できる構成となっています。初日にあたる26日(金)には、平日にも関わらず多くの方が会場を訪れ、光と影を持ち合わせた“ふくしまの現在”に触れる様子が見られました。
大阪会場に続く上映会の第2弾は、名古屋市のART SPACE A-1にて3月3日(木)〜6日(日)の4日間で開催します。その後も福岡・那覇・札幌と続いていき、福島で幕を閉じる予定です。ラストを飾る福島会場では、各会場での上映会の様子を収めた映像を流して、県外からの福島への想いを届けます。
『みらいへの手紙〜この道の途中から〜』全国上映会 今後のスケジュール
【名古屋】
日程:3月3日(木)〜3月6日(日)/会場:ART SPACE A-1(愛知県 名古屋市 中区 栄1-24-28)
【福  岡】
日程:3月7日(月)〜3月9日(水)/会場:アクロス福岡(福岡県 福岡市 中央区 天神1-1-1)
※那覇・札幌・福島の日程・会場は決定次第、特設サイト上(http://miraitegami.jp)でご案内します。


JR脱線事故遺族が「組織罰を実現する会」を設立
 尼崎JR脱線事故の遺族らでつくる「組織罰を考える勉強会」は27日、重大事故を起こした企業や法人などの刑事責任を問える法制度創設を目指し、活動を始めることを決めた。4月に「組織罰を実現する会」を設立し、国会や世論への働きかけを強める。
 JR西日本の刑事責任が争われた歴代3社長の裁判は、一審、二審とも無罪(上告中)が言い渡された。刑事事件で過失を問う対象は個人であるため、遺族らは勉強会を立ち上げ「組織罰」の必要性を議論してきた。
 この日、大阪で開いた第12回会合で講師を務めた川崎友巳・同志社大教授(刑法)が「尼崎脱線事故は誰も処罰できない状態で、現行法制度のエアポケットにはまる事件」と指摘。法制度づくりに向け「一番大きな推進力は被害者が声を上げ、社会が共感すること」と話した。
 勉強会の代表、大森重美さん(67)=神戸市北区=は「遺族が声を上げないと何も動かないと分かった。組織を罰することが必要だと、広く知ってもらえるよう発信していく」と話した。(段 貴則)


原発事故起訴へ やはり「人災」でないか
 福島第一原発事故は東京電力が津波対策を怠ったためだ−。検察官役の弁護士が元会長らを近く強制起訴する。想定外の事故ではなく、「人災」ではないか、公の裁判で真相に迫ってほしい。
 大地震と大津波という自然現象に伴う原発事故ではあった。自然現象に不確実性はあるものの、原発事故という大災害が起こり得るケースに対しては、「万が一」という細心の注意が必要で、できる限りの十分な措置も事前に講じておかねばならない。
 検察庁が東電元会長ら三人の幹部に対して、「不起訴」という立場をとったため、市民による検察審査会が検討した。その結論が「強制起訴」であり、それに基づき検察官役の指定弁護士が二十九日に起訴すると明らかにした。
 確かに大地震の可能性は発信されていた。政府の地震調査研究推進本部の長期評価では二〇〇二年段階で、マグニチュード(M)8・2クラスの津波地震が発生する可能性があるとされた。〇八年の段階では、長期評価を用い、東電側で明治三陸地震をモデルに試算すると、一五・七メートルもの大津波が押し寄せる−。そんな結果も出していた。巨大津波が来れば、原発は水に覆われてしまう。
 そんな重大な指摘があったのに、東電側はまるで時間稼ぎをするかのように土木学会に検討を委ね、対策を先送りしていた。国側に試算の報告をしたのは、東日本大震災の直前になってからだ。
 〇六年段階でも、津波によって非常用海水ポンプが機能を失い、炉心損傷に至る危険性があることや、全電源喪失の危険性があることも分かっていた。なぜ必要な対策をとらなかったのか。
 国際原子力機関(IAEA)の報告書では「『日本の原発は安全』との思い込みにより、関係機関には、安全レベル(向上)に挑もうとしない傾向があった」と明確に記している。
 原発運転では核分裂を伴う以上、機器の故障や運転ミスだけではなく、あらゆる過酷な状況を想定しておくべきなのだ。IAEAの報告書はそのような観点にたっている。東電はまさに「安全だ」という思い込みに陥っていたのか。それとも組織的怠慢だったか。
 刑事裁判が開かれることで当時の幹部らが原発事故とどう向き合っていたのか、肉声を聞くことができる。「レベル7」の最悪事態を招いた根本原因を突き止める裁判でありたい。


炉心溶融/東電の体質お粗末すぎる
 東京電力の体質が疑われる出来事だ。福島第1原発事故に真面目に向き合ってきたのか。国民を甘く見ているのではないか。そんな腹立たしさすら感じさせる不祥事である。
 事故で第1原発の3基が炉心溶融した。当時の社内マニュアルに炉心溶融を判定する基準が明記されていた。ところが、その存在に5年間、気付かなかったというのだ。
 東電が炉心溶融を認めたのは事故から2カ月後の2011年5月。マニュアルに気付いていれば、事故3日後の3月14日には1、3号機を炉心溶融と判定できたという。
 原子力事業者として失格だ。
 いまごろなぜ、それが分かったのか。その理由を知って、またあぜんとなる。原発事故の検証を続けている新潟県の技術委員会から求められ、当時の経緯を調べ直す中で、今月になって基準が記載されていることに社員が気付いたという。
 東電は独自に事故検証を行い、報告書も出している。どんな検証をしてきたのか。中身の妥当性を疑わざるを得ない。
 いうまでもなく、炉心溶融か否かの判定は、事故対策や避難対策にも関わる重要なものだ。
 第1原発事故は、炉心溶融後の水素爆発で大量の放射能がまき散らされた。一方で、運が味方した面もある。4号機の使用済み燃料プールの水が漏出していれば、もっと深刻な事故になっていた可能性がある。
 正確な状況を把握できなければ対策の取りようがない。非常時の動向を決める判定基準に気付かないというのは、そもそもどういうことか。マニュアルが社内で共有されていないなら、それも問題だ。はなから過酷事故を想定していないということなのか。いずれにせよ、東電は経緯を説明すべきだ。
 仮にも国内最大の電力事業者である。所有する原発はまだ1基も再稼働していないが、新潟県の柏崎刈羽原発の再稼働を経営再建の柱に据える。しかし、東電の事故検証が不十分として泉田裕彦知事は厳しい姿勢を取り続けている。
 そうした県側の懸念を裏書きした不祥事といえる。事故に真摯(しんし)に向き合う姿勢、再発防止を真面目に考える意識を東電は欠いていないか。
 最悪の事故を起こしてなお、この状態では再建は多難だろう。いっそ原発から手を引いたらどうか。


東電が福島県に陳謝 炉心溶融の判断基準見過ごし
 東京電力が判断基準を見過ごし福島第1原発事故発生後の「炉心溶融(メルトダウン)」を「炉心損傷」と説明し続けていた問題で、東電の林孝之執行役員福島復興本社副代表は26日、県庁で樵隆男危機管理部長と面会し、「情報公開の在り方で県民にご迷惑をお掛けし大変申し訳なく思う」と陳謝した。樵部長は、経緯や原因の究明などを申し入れた。
 林副代表と五十嵐信二原子力・立地本部原子力運営管理部長が経緯を説明。樵部長は原因究明のほか、迅速かつ正確な通報・連絡の徹底などを申し入れ、「マニュアルを作成した人物は、炉心溶融の基準があることを知っていたはずだ」と指摘した。東電が実施する第三者を交えた調査を公開で行うことなども求めた。
 林副代表らは、「マニュアルの策定に当たった担当者は基準を知っていたはず」と認め、どの程度社内で情報が共有されていたかを調査するとした。
 東電の当時の社内マニュアルには炉心溶融の判断基準が明記されていたものの、基準が存在することを見過ごしていた。東電は「マニュアルは社員教育などに使われ、原発事故当時は別な手引に従い対応していた」としている。


<炉心溶融誤判断>第三者委参加を要求
 東京電力福島第1原発1〜3号機の炉心溶融(メルトダウン)をめぐり東電が誤った判断をしていた問題で、福島県は26日、原因調査のために東電が設置する第三者委員会への参加を求めた。
 樵隆男危機管理部長が東電福島復興本社の林孝之副本部長を県庁に呼び、「事故から5年もたって誤りを公表したことに県民は怒っている」と抗議。第三者委の会合を公開し、県がオブザーバーとして出席できるよう要求した。
 東電が1〜3号機の炉心溶融を正式に公表したのは2011年5月。社内マニュアルに従えば、事故直後に判断できたにもかかわらず、今月24日に存在を発表するまで「マニュアルがなく、判断基準がなかった」と説明していた。


同一労働同一賃金/成否は社会の根幹にも及ぶ
 格差を放置していては、経済の好循環など望むべくもない。自らの経済政策が格差を広げたことを省みる言葉はなくとも、個人消費の低迷で政策のほころびが際立つ中、そのことに首相もようやく気付いた。そう受け止めていいのかもしれない。
 首相が施政方針演説で実現に意欲を示し、本格化してきた「同一労働同一賃金」をめぐる議論のことである。
 職務内容が同じなら同一の賃金を支払うべきだとの考え方であり、正社員と、派遣やパートといった非正規労働者との著しい格差を縮める、そうした格差是正を目指す。
 「非正規で働く人の待遇改善は待ったなしの重要課題だ」。首相はこうも強調した。
 大半が低賃金にあえぐ非正規労働は貧困、若者の未婚、少子化という社会の、日本の将来の根幹にも関わる課題である。いつまでに、どの程度、非正規の底上げを図るのか、議論の行方を注視したい。
 首相の唐突な「宣言」に、参院選を控えて格差問題に対する姿勢をアピールし、野党の主張を封じる狙いがあるとの指摘もある。が、その取り組みに国民が目を凝らしていることを忘れてはならない。
 政府は、5月にまとめる「1億総活躍プラン」でその実現を柱に据え、どのような場合に賃金の格差が許されるかを示す指針を年内につくり、その上で法制化する考えだ。
 注目したいのは指針づくりだ。正規と非正規という雇用形態の違いで賃金に差をつけるのを禁ずる。それを「原則」とすれば、賃金差が許されるケースは「例外」となる。
 先進地である欧州でも、勤続年数や資格の有無、幹部候補かどうかという「合理的な理由」があれば、例外として賃金差が認められている。
 そこで問題になるのが、年功序列を軸に残業や転勤、異動が伴う正社員の日本型賃金体系との兼ね合いだ。この賃金体系に配慮し、「合理的な理由」、格差を認める「例外」の範囲が広がれば、非正規の待遇改善につながらない恐れが強くなるのではないか。
 フルタイム労働者に対するパート労働者の時間当たりの賃金水準は日本で57%と、6割に満たない。フランスは9割、ドイツは8割だ。まずは仏独の水準に近づける指針づくりが求められよう。
 一方で企業の総人件費の問題がある。正社員の賃金を維持したまま、非正規の賃金を上げれば総人件費は膨らむ。総人件費を増やさず非正規の賃金を上げるには、正社員の賃金を下げるしかない。
 この問題をめぐり、特に中小企業にどんな支援が要るのか、とことん議論すべきだ。
 非正規は2千万人に上る。若い世代がしわ寄せを受け、中でも正社員の仕事がなく不本意ながら非正規の人が25〜34歳で3割近い。結婚もできず、少子化に拍車がかかる。
 女性に非正規が多く、特にシングルマザーや単身世帯の貧困が深刻だ。子どもへの貧困の連鎖とともに、将来の低年金層をも拡大しかねない。
 正社員化を含む非正規の待遇改善は、経済成長のみならず、そうした格差社会の改善に不可欠だ。社会のありようを問い直す議論を望みたい。


清原容疑者 留置場で読書の日々 既に20冊…弘法大師の教えで心を修復
 覚せい剤使用容疑で再逮捕された元プロ野球選手の清原和博容疑者(48)が警視庁の留置場で、弘法大師やお遍路に関する書籍を読んでいることが26日、分かった。捜査関係者は「留置場では読書していることが多い。弁護士に依頼して本を差し入れてもらっているようで、もう20冊近くになったのでは」と明かしている。
 清原容疑者は薬物疑惑の渦中にあった昨年、「自分を見つめ直すため」と話して、弘法大師ゆかりの四国八十八カ所霊場を巡る「お遍路」を歩いた。現役時代の1999年には、弘法大師が開祖である真言宗の最福寺(鹿児島)に5日間、泊まり込み。炎の前で不動真言を唱える「護摩行」などの精神修養を行ったこともあった。
 それでも覚せい剤に手を出し、愛する息子たちに迷惑を掛けてしまった。自分の弱さを痛感する中、手に取ったのが弘法大師に関する書籍。最福寺住職の池口恵観法主(79)はスポニチ本紙の取材に「(罪を犯すのは)気持ちが弱いから。(弘法大師の教えでは)一日一日を大切に強く生きることで、心を修復できる。心を取り戻そうとしているのだろう」と推測。17年前、修行の毎日を送った後、清原容疑者は「高校時代の純真な気持ちに戻れた」と話して帰ったといい、池口法主は「あの気持ちを思い出してほしい」と訴える。愛媛までの約900キロを歩いたところでストップしたお遍路についても「もう一度、ゴールを目指すべき」と語る。
 池口法主は「(最福寺の本尊である)不動明王は地獄に落ちようとする者を、縄でしばり、剣をつきつけても本道に戻そうとする、“最後の砦(とりで)”の仏さま」と説明。身元引受人がいないとされる清原容疑者に「私が手を差し伸べたい。お不動様と一緒に大きなパワーを用意しているよと、伝えてほしい」と話した。

ホテルの予約などで忙しい/小保方さんの記事/やはりしんどい

ブログネタ
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Fig15

Japon : Tepco reconnaît avoir menti sur la gravité de la catastrophe de Fukushima
Tepco fait son mea culpa. Cinq ans après la catastrophe de Fukushima, en mars 2011, l'opérateur de la centrale a avoué, mercredi 24 février, avoir minimisé la gravité de l'état des réacteurs en ne reconnaissant pas aussi rapidement que possible le fait que trois d'entre eux étaient en fusion.
"Nous nous excusons profondément pour avoir affirmé, par erreur, que rien ne permettait de déterminer qu'une fusion du cœur de réacteur était en cours", a déclaré Tepco lors d'une conférence de presse et dans un communiqué.
Deux mois pour employer les mots "fusion du cœur"
Il a fallu attendre deux mois, en mai 2011, pour que l'exploitant, Tokyo Electric Power (Tepco), emploie le mot fusion, alors même que ses propres manuels de gestion de crise, s'ils avaient été correctement utilisés, lui auraient permis de porter plus vite un jugement plus exact sur la situation, a-t-il expliqué. Tepco a évité durant des semaines d'employer l'expression effrayante "fusion du cœur" de réacteur.
Pourtant, la compagnie disposait des informations nécessaires dès les premiers jours suivant le 11 mars, quand la centrale a été dévastée par le tsunami provoqué par un violent séisme de magnitude 9.0.
Dans ses manuels, il était écrit "si l'endommagement d'un cœur de réacteur dépasse 5%, on peut en déduire que la fusion du cœur est en cours", mais ces critères n'ont pas été appliqués sur le moment alors même que la dégradation du combustible avait été évaluée et dépassait ce niveau dans plusieurs unités, a admis Tepco. "Nous avons aussi analysé les autres informations transmises immédiatement après l'accident et il s'avère que nous aurions pu communiquer plus tot sur divers points", a aussi écrit Tepco lors de ce mea culpa très rare.
フランス語
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ためしてガッテン「日本人の知恵が大集結 使える!スゴ技6連発」
今回は皆さんから送られてきたご自慢の独自ワザを6連発。家でできる超健康法、白菜がおいしい新野菜に、ゆでないパスタ、痛くないハイヒール技、ニンニクの消臭ワザなど!
ガッテンがかつてお伝えしたレタスのシャキシャキワザ。50℃のお湯に2分つけるワザを白菜で試したところ新野菜が生まれちゃった!味が濃くてなんとビタミンもアップ!パスタの1分ゆでワザに対してはゆでずに作れちゃう不思議なパスタ。そのルーツはイタリアに?さらにスロージョギングに影響されて発明した驚きの健康法も。専門家も納得のポイントとは?皆さんがためした末にたどり着いたお得なスゴ技が盛りだくさんです!
笑福亭笑瓶,壇蜜,山瀬まみ, 立川志の輔,小野文惠, 生野文治

クローズアップ現代「大統領選挙に“異変”あり〜アメリカ社会に渦巻く不満〜」
混迷の米大統領選。政治経験の全くないトランプ氏が高い人気を維持しているのはなぜか?一方サンダース氏に猛追されるクリントン氏。民主共和両党の選挙戦最新情勢に迫る。
中山俊宏, 国谷裕子

NHKスペシャル▽震度7 何が生死を分けたのか〜埋もれたデータ21年目の真実
6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災。「生と死」に関する膨大なデータを分析すると、何が命を奪ったのか、その真の姿が明らかに。大地震からどう命を守るか考える。
21年前、被災直後に集められた「生と死」に関するデータ。死の原因、家屋の倒壊状況、火災の広がり方、救助の動き…。数十万件におよぶデータはさまざまな教訓を導き出した一方で、必ずしも十分な分析を受けないまま残されてきた。これらを最新の「データビジュアライゼーション技術」で、時間経過も組み合わせて分析すると、都市直下地震がどのように命を奪うのか、その知られざる姿、そして残されたままの課題が見えてきた。


3月にいろいろ出かけるので,ホテルの予約などをしました.以前していたのですが,再検討してみました.それに予約の日にちが間違っていたりとかで結構大変でした.
小保方さんの記事を読んで悲しくなりました.
それとは関係なく気持ちがしんどいです.

<3.11と今>激励 伝承 変わる役目
◎壊滅したまち 石巻市門脇・南浜(3)思いつなぐ
 背丈ほどの雑草が生い茂る一角に、ベニヤ板の看板が立つ。風雨にさらされて色はくすみ、所々ひび割れているが、「がんばろう!石巻」の文字は力強さを失っていない。
 石巻市門脇地区で配管工事業を営んでいた黒沢健一さん(45)が東日本大震災の1カ月後、津波で流失した店舗兼自宅跡に建てた。
 「自分も含め、生き残った人たちへのエールであり、ファイティングポーズだった」
 激震が襲ったときは仕事で東松島市にいた。車で帰宅する途中、津波に遭い、道路脇の木によじ登って間一髪で助かった。翌日にたどり着いた門脇はがれきの海だった。
 市内陸部の出身で、門脇の水道会社に就職した。お年寄りが路地に集い、子どもの笑い声が響く街の雰囲気に引かれ、独立する際にこの地に店を構えた。
 大好きだった街が消えた。自衛隊員が毛布にくるんだ遺体を運んでいた。絶望の中、誰もがうつむきながら歩いていた。「津波に負けたくない」。悔しさがこみ上げ、自分にできることを探した。
 「大きな看板に希望になる言葉を書こう」。友人らの手を借り、拾った板で看板を製作した。「自分たちも被災した。頑張れじゃなく、前を向ける人から頑張ろうと呼び掛けよう」
 完成後、通りすがりの人が足を止めて見入っている。涙を流す人もいる。近所の男性は「俺も頑張るから」と声を掛けてくれた。
 犠牲の大きさが次第に分かった。友人や仕事仲間も亡くなった。看板に手を合わせる人や花を手向ける人がいた。2011年の8月、看板前で追悼のキャンドルをともした。以後、毎年3月11日などの節目に追悼行事を重ねる。
 門脇、隣接の南浜両地区で539人が死亡・行方不明になった。遺族の複雑な思いが交差する場所だ。「脚光を浴びたいのか」「看板なんて見たくない」。そんな言葉も浴びた。
 震災直後、店舗にいたはずの妻を捜し、壊滅した街をさまよった。「もう駄目か」。諦めかけて訪れた避難所で、やっと姿を見つけた。「あのときの苦しい気持ちを、ずっと抱え続ける人がいる。寄り添うと言ったらおこがましいが、思いは大切にしたい」
 追悼行事では前を向けない遺族に配慮し「復興するぞ」の文字をキャンドルで作るのをやめた。明かりが消えると「亡くなった息子が帰っていくようでさみしい」と言われ、夜中まで火がともるようにした。
 「震災に向き合い、自分は正しいのかどうかを問い続けた5年間だった」。震災を伝え続ける難しさも感じる。一帯は草むらになり、住宅地の造成が進む。震災の痕跡は薄れ、自分の記憶も曖昧になった。
 看板前に据え置いた記帳ノートは24冊目になった。県内外のたくさんの人が思いをつづる。看板は南浜に整備される復興祈念公園に移設される。「1年で役目を終えると思ったが、作った自分たちの手を離れたようだ」
 激励、追悼、伝承−。看板は時とともに移ろう思いを受け止め続ける。(高橋公彦)


【東日本大震災5年】 「少しずつ前に進むお手伝いを」 米中枢同時テロで夫を亡くした精神対話士の杉山晴美さん
 2001年の米中枢同時テロで家族を亡くした遺族が、東日本大震災の被災者支援に取り組んでいる。対話を通じて相談者の心のケアを行う精神対話士の杉山晴美さん(50)=東京都。大震災から間もなく5年を迎えるが、「当時はなかった辛さも出てくるはず。少しずつ前に進むお手伝いをしたい」。悲しみに暮れた日々を経て、自身の体験を糧に活動を続ける。(三宅陽子)
 よみがえった記憶
 時間が経過しても、心の傷は簡単に癒えないと思い知らされたのが大震災だった。あれは大震災の発生から数日後だったと思う。自宅でテレビのニュース映像に目を奪われた。映し出されていたのは、廃虚と化した街を家族の安否を求めてさまよい歩く人々の姿。心の奥にしまっていたはずの感情があふれ、泣いた。
 よみがえったのは“あの日”の記憶だった。2001年9月11日朝。ニューヨーク支店勤務となった銀行員の夫、陽一さん=当時(34)=をいつも通り送り出し、3歳の長男を保育園に送る準備を整えた午前9時ごろ、テレビから臨時ニュースが流れた。
 映し出されたのは夫が働く世界貿易センタービル。飛行機が突っ込み、大きな穴が開いていた。さらに、2機目がもう一つのビルに突入。ツインのビルはいずれも崩壊してしまった。
 「ぶーちゃが死んじゃった。どうして、どうして」
 陽一さんのあだ名を呼びながら、絶叫していた。
 消息を求め、妊娠4カ月の体で捜索活動にも参加。だが、切迫流産のため約2カ月間、自宅で絶対安静を余儀なくされた。安否は一向につかめず、三男が誕生したのは半年後。遺体発見の知らせは、それから約3週間後のことだった。
 「前に進む」お手伝い
 精神対話士の資格を取得しようと思ったのは、精神的に追い込まれたとき「辛い」という気持ちを表に出すことの大切さを知っていたからだ。資格取得から約半年後、大震災が起きた。
 家族を失った人々の悲しみがこれから先、どれほど長く続くのかと思うと「何かしなければ」との思いが募った。大震災発生から約5カ月後、仲間とともに宮城県塩釜市・浦戸諸島に入り、避難生活で孤立しがちな高齢者ら被災者の言葉に耳を傾けた。滞在期間は5日間と短かったが、今も福島の被災者らが暮らす東京都江東区の東雲住宅に通うなど、「自分にできること」を続けている。
 「被災地の人にとっては『もう5年』でなく、『まだまだ5年』だと思う。だけど、混乱した心は、少しずつでも言葉にしていくことで整理され、自分はどこに向かいたいのかが見えてくる。少しずつ前に進むお手伝いをしたい」
 ◇
 精神対話士 一般財団法人のメンタルケア協会が認定する資格制度。悩みを抱える人との対話を通じて解決策を探すなど精神的支援を行う。いじめや引きこもりに悩む青少年、一人暮らしの高齢者ケアにも力を入れており、活動に際しては精神科医によるサポート体制もある。現在、全国に約950人の有資格者がいる。


<再生の針路>気仙沼/被災宅地の活用が鍵
◎震災5年 被災地の首長に聞く(3)菅原茂市長
 −東日本大震災からの復興状況をどう見るか。
 「住宅再建も産業再生も歩みは想定より1、2年は遅い。海と山が入り組んだリアス海岸地形のため、震災直後から用地の確保に苦しんだ。3月までに防災集団移転宅地910区画は97%の887区画、災害公営住宅2133戸は32%の681戸が完成する」
 「産業の核となる水産加工業の集積2地区も、地盤沈下した土地をかさ上げする造成が昨春完了した。市民や業者には辛抱させてしまったが、ことしは被災者の住まいが落ち着いて工場の再建、稼働が相次ぐ」
 −市が進める土地区画整理事業3地区は仮設住宅からの住宅再建世帯数が計81戸にとどまり、復興まちづくりに不安が生じている。
<企業誘致進める>
 「どのような街になるのか再度、関係者の意向を把握したい。商店を再建する人々は心配していると思うが、3地区で災害公営住宅計679戸を先行して建てており、ある程度の来客の目算は立つはずだ」
 −一番の市政課題は。
 「集団移転に伴い、市が買い取った被災宅地は105.6ヘクタール(東京ドーム約23個分)に上る。具体的な用途が決まっていない土地が多い。雑草が生えるなど環境悪化の懸念があり、土地の維持管理は国の復興交付金を使えるよう求めているが、認められていない」
 「三陸沿岸道路が延伸すれば交通アクセスは改善する。市内には企業誘致できる団地がない。新年度は買い取った被災宅地を活用し、多様な企業を呼び込める団地形成を検討する」
 −どんな企業の誘致を考えているか。
 「気仙沼市魚市場の昨年の水揚げ額は全国6位に輝いた。三陸トップの水産都市として生き残る手は打ってきたが、水揚げ量は震災前の75%。先行きに不安もあり、水産業以外の産業の誘致、創出を図らないといけない。復興支援に入る人々や中央の企業の力を借りなければならない」
 −加速する人口減少にどう向き合うか。
<交流人口増に力>
 「交流人口の拡大に力を入れる。国が推進する地域主体の観光マネジメント組織『日本版DMO』を取り入れ、戦略的に観光誘客に取り組む。震災後に観光プラットホーム組織もできており、下地はある」
 −市はJR気仙沼線のBRT化に対する結論を保留し、JR東日本に観光振興策などを求めている。
 「JR東に踏み込んだ協力を求めているが、どんな振興策がいいのか市として検討すべき点も多い。もう少し時間がかかる」(聞き手は気仙沼総局・高橋鉄男)


震災から5年 ハワイに漂着した雄勝の和船、古里に向け出港
 米ハワイで見つかった石巻市雄勝町の和船「第2勝丸」が24日、県の海洋総合実習船「宮城丸」に積み込まれた。
 現地で作業を見守った関係者は、東日本大震災被災地の復興を願いながら航海の無事を祈った。帰還に関わった現地の人々と、宮城丸関係者の交流も見られるなど、日米友好のひとときもあった。(ホノルル・伊藤浩)
 第2勝丸は東日本大震災の津波で流され、昨年4月、オアフ島の海岸に漂着しているのが見つかり、州政府に保管されていた。およそ8000キロ離れた島で見つかった船は、震災5年となる3月11日、宮城丸と共に石巻に帰還する予定。
 宮城水産高の生徒たちが乗船した県の海洋総合実習船「宮城丸」は24日午後4時ごろ(日本時間25日午前11時ごろ)、寄港地の米ハワイ州ホノルル港で、石巻市雄勝町波板の和船「第2勝丸」(0.5トン)を積載し、石巻港に向け出港した。
 積載作業は宮城丸が入港した20日にあり、ハワイ州土地資源局のスザンヌD・ケイス局長、在ホノルル日本国領事館の三沢康総領事ら関係者10人ほどが出席してセレモニーが開かれた。
 三沢総領事は「奇跡のようなすごいストーリー。震災で苦しまれた方々に希望を与え、震災の象徴となるだろう」とあいさつ。
 ケイス局長は「多くの人たちの尽力で日本にお返しすることができ、皆さんに感謝申し上げる」と述べた。
 乗組員らが見守る中、繊維強化プラスチック(FRP)製の船体をクレーンでつり上げ、船尾の上部甲板に積み込んだ。船は荒波で内側部分が傷ついているものの原形をとどめ、船名が記されている。
 友人たちと船を発見したハワイ在住の会社員マーラ・スギタンさん(43)は「自分たちが発見した船がこのような形で日本に戻り、保存されることになるなんて信じられない。石巻(日本)とハワイの友好の橋渡しになることができうれしい」と笑顔を見せた。
 船は2003年に亡くなった故伊藤恭一さん=当時(66)=が釣り船として愛用していた。その後、廃船処理されたが、いきさつを知る妻のたけのさん=当時(68)=が震災で行方不明になった。次女の早苗さん(43)=東松島市=が帰還を希望し、渡波地区の住民らと保存会を結成活動してきた。帰還する船は、波板地区で展示・保存する計画という。
 早苗さんは「発見してくれたマーラさんと周藤さんらのおかげ。本当に感謝の気持ちでいっぱい」と話した。
■宮城丸船長・日野浩之さん(55)
「保存会の皆さんが心待ちしているので、無事に持ち帰りたい」
■宮城丸一等機関士・佐藤敏彦さん(50)
「(出身の)石巻市雄勝町のことに少しでも関わることができ感無量」
■実習生・千葉哲平君(17)=石巻市雄勝町味噌作=
「雄勝の船がハワイにたどり着くなんて不思議な感じがした。同時に、持ち帰る使命感のようなものを感じた。忘れられない航海になった」
■実習生・阿部剛巳君(17)=東松島市=
「歴史的な瞬間に立ち会え、貴重な体験になった」
■(帰還に尽力した)ハワイのホテル経営者・周藤宏樹さん(54)
「保存会の皆さんのお役に立てて良かった。ぜひ、震災遺構として大事にしてほしい」


<アーカイブ大震災>700人混乱 迫る波
 仙台港近くの展示場「夢メッセみやぎ」は震災時、イベントの最中だった。混乱に陥った来場者約700人をイベントの運営者が屋上へ避難誘導することで、幸いにも死傷者は出なかった。だが、これがもし数千人規模の大イベントだったら―。「避難場所が足りず、大惨事になっていたはず」。関係者は血の気が引く思いで振り返る。
◎逃げる その時(2)イベント会場(仙台港・夢メッセみやぎ)
 建物がミシミシときしみ、はりがたわんだ。食器は散乱。照明が消えると、パニック状態に陥った人々は出口に殺到した。
 2011年3月11日。メッセ展示棟は平日ながら大勢の来場者でにぎわっていた。全国のご当地グルメ100店を集めた「グルメコロシアム」が開幕。華やかな食が並ぶ会場を午後2時46分、激しい揺れが襲った。
 会場にいた仙台市青葉区の自営業泉田智行さん(35)は「多くの女性がしゃがみ込み、泣き叫んでいた」と語る。
 「大津波警報が出ています。落ち着いて。ここを離れないでください」。揺れが収まった午後3時すぎ、避難が始まった。メッセ会議棟と、隣接する仙台港国際ビジネスサポートセンター(アクセル)の二手に分かれ、会場スタッフ50人が誘導した。
 いち早く動けたのは理由がある。2日前にあった震度5弱の地震を受け、この日朝に津波を想定した避難手順を打ち合わせしていた。障害者、高齢者らの避難には来場者も協力し、車いすを担いで屋上への階段を上った。
 それでも避難は間一髪だった。「どうせ津波なんて来ない。帰らせろ」。車に乗り込もうとする来場者を、スタッフは半ば強制的に押しとどめた。「無理にでも屋上へ避難させて正解だった」。イベント主催者である仙台放送の倉内宏事業部長(46)が振り返る。
 午後3時53分。隣接する仙台港の輸出用モータープールの車を押し流しながら、茶色い水が押し寄せてきた。200人が避難した会議棟周辺には、津波に気付かないまま走る車がいた。
 「運転手さん 止まってー」「急いで高い場所に上がれー」。屋上から拡声器で必死に呼び掛けたが、何台もの車が津波に流されていく。
 宮城県亘理町の主婦(40)は「車中で聞こえなかったのだろう。地獄絵図だった」と声を震わせる。高さ13メートル、2階建ての会議棟も屋上の数メートル下まで水が迫り、女性と子どもは給水タンクに上らせた。
 会議棟入り口に津波で激突した車3台から炎が噴き出し、建物に黒煙が入り込んできた。目の前のコンビナートも火の海になっている。
 出店者の渡辺真奈美さん(43)=北海道利尻富士町=は「建物がいつまで持つか、みな恐怖の絶頂だった」。吹雪が容赦なく吹きつけ、うずくまる避難者も出てきた。
 「もう限界だ」。歩けるくらいに波が引いたのを見計らい、会議棟の200人は裏口から、5階建てのアクセルを目指し脱出した。「今また津波が来たら…」。渡辺さんは祈るような気持ちだったという。
 もともといた人も含め、アクセルには700人を超える避難者が集まった。ペットボトル10本程度の水と菓子を分け合い、一晩をしのいだ。防寒用に配られたのは新聞紙1人1枚。幸い医師と看護師が居合わせ、妊婦や透析患者のケアができた。
 主催者のマイクロバスで来場者をJR陸前高砂駅へピストン輸送し終えたのは翌日夕だった。
 アクセルが収容できるのは700人が限度とみられる。「平日だったのが幸運だった。数千人の訪れる土日だったら、逃げ場がなく誘導も無理だった」。メッセを管理するみやぎ産業交流センターの高橋一夫常務(63)は胸をなで下ろしつつ、こう指摘する。
 「津波はいつか再び来る。水、食料を備蓄できる避難ビルを早く仙台港に造ってほしい」(酒井原雄平)=2011年6月22日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<震災5年へ>鎮魂と再生祈り カンバン展示
 東日本大震災で被災した気仙沼市唐桑町などに伝わる漁師の祝い着「カンバン」を展示する「小さなおひなさま会と三陸の大漁カンバン展」が27、28の両日、仙台市青葉区の良覚院丁庭園の茶室「緑水庵」で開かれる。震災から5年を前に、唐桑の人々が受け継いできた海と共に生きる心意気を、カンバンを通して伝える。
 市民グループ「良覚院丁庭園を守る会」の主催。カンバンは着物に似た漁村のハレの衣装。明治から昭和にかけ、大漁の時に船主らが漁師たちに贈った。鶴亀や松竹梅があしらわれている。
 唐桑地域に伝わるカンバンは、多くが津波で失われたという。カンバン展では、ひな人形を飾った茶室に、流失を免れたカンバン5着を並べる。
 同会は、代表の千葉孝子さん(64)の姉が唐桑に嫁いでいる縁などから、震災後に唐桑への支援を続けてきた。
 千葉さんは「唐桑の人々の心をつないできたカンバンの展示に、あらためて鎮魂と再生の祈りを込めたい」と話す。
 27、28の両日とも午前10時〜午後4時。抹茶とお菓子付きで入場料600円。
 連絡先は千葉さん090(9422)2630。


位牌や表札…震災拾得物 返却会始まる
 気仙沼市の一般社団法人気仙沼復興協会は25日、東日本大震災後に見つかった位牌(いはい)や表札などを巡回展示する「思い出の品返却会」を始めた。3月16日まで市内7カ所で開く。
 初日は本吉公民館を会場に、トロフィーやメダル、ランドセル、学校の名札など約600点と写真多数を展示した。写真はパソコンで検索でき、来場者は真剣な表情で画面を見つめた。
 協会が保管してきた津波による拾得物は写真100万枚、物品2万5000点。7割が所有者に戻った。主に同市長磯船原の事務所で常設展示しているが、震災から5年を機に物品中心の巡回展示を初企画した。
 協会職員の鈴木貴志さん(44)は「住まいが落ち着き、思い出の品を回収できるようになった人が増えている。5年の節目に探してほしい」と話す。
 次回以降は、29日に大谷公民館、3月6日に市保健福祉センター燦(さん)さん館、7日に舘老人憩いの家、12日に市営南郷住宅集会所、15日に気仙沼市民会館、16日に鹿折復興マート。いずれも午前10時〜午後3時。


南三陸町の防災対策庁舎 周囲の立ち入り禁止へ
東日本大震災で大きな被害を受け、今も多くの人が追悼に訪れる宮城県の防災対策庁舎について、町は周辺の復興工事が本格化することから、ことし4月から2年間、周囲の立ち入りを禁止することを決めました。
津波で職員など43人が犠牲になったとされる南三陸町の防災対策庁舎は、保存するか解体するか時間をかけて議論するため、宮城県が震災発生から20年後まで維持管理することになっています。
庁舎前に設置された献花台には、今も全国から多くの人が訪れていますが、周辺で復興工事が本格化することから、南三陸町は安全対策として、ことし4月から2年間、周囲の立ち入りを禁止することを決めました。庁舎前の献花台は、今の場所から北におよそ100メートル離れた町有地に移されるということです。
防災対策庁舎の周囲を立ち入り禁止にしたことについて、南三陸町の佐藤仁町長は「2年間は長いと感じるかもしれないが、復興工事が本格化するなかで安全確保の観点から立ち入りを禁止せざるをえないと判断した」と話しています。


津波到達地点を伝える桜を植樹
震災の時に津波が到達した名取市の公園で、浸水域の目印として役立ててもらおうと、地元の高校生が桜の木を植えました。
これは、400年以上前に起きた「慶長三陸津波」の際に津波が到達した場所に建てられたと伝わる仙台市の浪分神社にちなんで、市民団体が「浪分桜」と呼んで行っているものです。
26日は、津波が到達した名取市美田園地区の海岸からおよそ3キロ離れた公園で、市内の県農業高校で造園を学ぶ高校生3人が参加して桜の木の植樹が行われました。
高校生たちは園内に掘られた穴の中にクレーン車でつり上げられた高さおよそ7メートルのヒガンザクラの木がまっすぐに立てられると、桜の根元にスコップを使って土をかけたり、踏み固めたりしていました。
参加した高校生は「未来の人たちが1人でもこの桜によって津波から助かればいいと思います」と話しました。
市民団体によりますと、浪分桜は26日までに県内のあわせて10か所に植えられ、27日も岩沼市で植樹が予定されています。


津波跡地46%活用見通しなし
東日本大震災の津波で浸水した地域の内、住民の移転を後押しするため各自治体が買い取りを進めている土地について、NHKが活用方法を調べたところ宮城県では全体の半分近くで今後の活用の見通しがたっていないことがわかりました。
東日本大震災の津波で浸水した地域のうち、住民の高台や内陸への移転を後押しするため、各自治体は住宅の跡地の買い取りを進めていて、宮城県内の12の市と町がこれまでに買い取った土地は1087ヘクタールに上ります。
この土地について、NHKがそれぞれの自治体に取材したところ、▽活用計画がなかったり、現状維持の状態になったりしているのは498ヘクタール、全体の半分近くにあたる46%で今後の活用の見通しがたっていないことがわかりました。
これは去年3月の時点の43%とほぼ変わらず、この1年間でも、津波で浸水した跡地の活用はほとんど進んでいない状況となっています。
一方、活用計画がある跡地は592ヘクタールで全体の54%でした。
このうち、すでに事業に着手した土地は73%となっています。
跡地の主な活用方法としては、▽産業用地や▽商店街にするほか、▽農地や▽公園の整備などが計画されています。
津波跡地をめぐっては、宮城県の震災復興計画には、防災の観点から住民を高台移転させるとともに、浸水した沿岸部には産業を誘致する「職住分離」の方針が掲げられています。
ただ、自治体によりますと、事業者が高台の住宅地から離れた沿岸部に店を再建することをためらうケースも出ているということです。
震災から5年がたつ中、津波が浸水した跡地をどう活用し、再生させるのかが課題となりそうです。


<検証福島の海>船離れ加速の懸念も
◎震災5年へ(上)本格操業 遠い道のり
 たとえ不漁でも実入りが大きく左右されるわけではない。それでも新年最初の出漁は気合が入る。「1年を占う気持ちになっちまうんだ」。長年染みついた癖はなかなか抜けない。
<生きがい喪失>
 1月12日未明、相馬市の高橋範雄さん(56)は出漁準備に追われていた。タコが狙いだ。カゴ状のわなに、えさとなる冷凍の小魚を次々と仕掛けていく。
 船上では26歳になる次男が忙しく働いている。東日本大震災後に東京から戻り、一緒に船に乗ってくれている。いずれは後継に据えるつもりだが、「今のようなペースじゃ操業技術が身に付かない」。出漁頻度を自由に決められない現状がもどかしい。
 東京電力福島第1原発事故から放出された放射性物質は生活圏を侵し、あふれ出た水は海を汚した。福島は全面的な漁の休止に追い込まれ、今も本格再開はできていない。2012年6月から試験操業だけが続けられている。
 小型船の出漁は週に2、3回。水揚げも制限されている。県内の15年実績は約1500トンと、以前の1割にも満たない。主力のヒラメを含め、出荷対象から外れたままの魚種は多い。
 原発事故後、福島の漁師は東電からの賠償を受けている。金額は最低で以前の水揚げの8割程度。暮らしは維持できても、将来の不安が消えるわけではない。
 いわき市の漁協関係者は「きょうは駄目でも明日取り戻そうというのが漁師。今は生きがいを奪われた状態だ」と話す。
<時間との勝負>
 いわき市久之浜の漁師が1月8日、出初め式を行った。大漁旗をなびかせて30隻が沖に出る。お神酒や海水で船を清め、船上から三つの神社に一礼する。原発事故前は恒例行事だった。
 「今のような状態が続けば気力も落ちる。みんなで頑張ろうとの気持ちで5年ぶりに復活させたんだ」と地元の江川章さん(69)が言う。船に乗って50年以上になる。
 出漁の前日は寝付けないほど気が高ぶるが、普段は漁をおっくうと感じるときもある。「魚のことばかり考えて毎日潮をかぶっていた男が、ずっと家にいるんだからな」と苦笑する。
 漁師からは「賠償に甘えて操業意欲を失った仲間もいる」との嘆きが聞かれる。足踏み状態が続けば、船離れが加速するのは避けられない。海の再生は時間との勝負でもある。
 当面の仕事を探そうにも、試験操業の片手間では、職種はアルバイトの作業員程度に限られる。かといって本操業の道筋がついているわけでもない。「先が見えないのが一番つらい」。相馬市の若手漁師が揺れる思いを口にした。
     ◇
 震災と原発事故によって、福島の水産業は壊滅的な被害を受けた。漁業者はもちろん、水産加工などの関連産業も風評と長引く停滞にあえぐ。海の正常化に向け、関係者の苦闘が続いている。(斎藤秀之、古田耕一)


【福島第1原発事故 5年目の真実(4)】 今もピンハネある、口を出すと解雇される…作業員は弱い立場だ
「自分より若いのを行かせられない」
 街がまだ目を覚まさない午前5時。作業服姿の男性たちを乗せたバスの明かりが、東京電力福島第1原発へと向かう国道6号を照らす。「最初は眠くてしようがなかったけれど、もう慣れたね」。建設会社の下請けで働く男性(54)は力なく笑った。
 男性が個人事業で行き詰まり、仕事を探し始めたのは、東日本大震災から2年ほどたったころ。関東の自宅マンションの家賃も、子供の学費の支払いも続いていた。「原発で働こうと思ったのは、お金以外にない。『友達には話せないな』と子供に言われたのは少し、寂しかったけどね」
 投入されたのは、高濃度の汚染水をためた簡易タンクの解体現場だった。放射線量が高い場所だったが、「この年齢だし気にしていない。むしろ線量が下がって、手当が下がるほうが心配だよ」。
 10年先も、ここで働いているとは思わない。ただ、「廃炉が少しでも、現実的になっていてほしい」と男性は願う。
×  ×  ×
 「いつまで、“そこ”で仕事してんだ?」
 大手建設会社に勤める男性(48)は電話口で両親からそう問いかけられた言葉が忘れられない。
 男性は平成23年3月の原発事故から数カ月後に現場に入った。事故時は西日本の支社に勤めていたが、まさか自分がそこで働くとは、思ってもみなかった。
 初めは後輩が名乗り出たが、「自分より若いのを行かせるわけにはいかない」と志願した。背中を押してくれたのは妻だった。「普段と同じように『行ってらっしゃい』と送り出してくれた。それが一番、ありがたかった」
 直後の応援は数週間で終わったが、26年春から再び、原発構内の建設工事に入ることになった。夏場の過酷な現場では、熱中症も続出する。「もう少し、残ってくれないか」。会社にそう言われて、もうすぐ3度目の春を迎える。
×  ×  ×
 「現場はまだ収束なんかしてないよ」
 1日に12人ほどの作業員を現場に送り出す「東北エンタープライズ」(福島県いわき市)の名嘉幸照(なか・ゆきてる)会長(74)は厳しい表情でこう語る。
 事故前から福島第1原発の仕事を請け負っていた。現場の人材不足は深刻だ。政府が定めた被曝(ひばく)線量の上限(5年間で計100ミリシーベルト、1年の限度は50ミリシーベルト)に達し、溶接や機械工などの熟練の技術者が現場を去らざるを得ない現実がある。「作業員は技術がなくても誰でもよくなっている。これでは時間がかかるばかりだ」。名嘉さんはそう懸念する。
 社員のほとんどは、震災と原発事故の「被災者」でもある。母親が津波で行方不明になり遺体安置所を捜し回っていた人もいた。
 「社員には『頑張らなくていいよ』と言っているんだ。『自分がやらなきゃ』という思いはあるだろうが、もうずいぶんやったでしょ、と。でも彼らには『なんとか早く廃炉にしたい』という使命感が強い」
被曝に上限、困難な人材確保 
 東京電力福島第1原発敷地内の作業環境は、事故後のこの5年間で大きく改善した。大部分で除染が進み、普段着で立ち入りが可能なエリアもある。これまでは弁当しか支給されなかったが、温かい食事を提供する食堂を備えた大型休憩所も開設され、見た目には通常の工事現場に近づきつつある。
 「作業員の高齢化が確実に進んでいる。労働時間が限られる福島第1原発では、人材育成も難しく、経験と技術のある質の高い人材を中長期的に確保していくことは、極めて厳しい状況だ」。原発労働者のあり方を研究している東京大の縄田和満教授(計量経済学)はこう指摘する。
 東電によると、福島第1原発では事故のあった平成23年3月以降、27年12月末までに延べ約8万7千人が作業員として登録されている。当初3千人程度だった1日当たりの作業員数は、大規模工事が本格化した26年夏ごろから増え続け、現在は7千人程度が現場で働いている。
 内訳は東電社員が1割、残りの9割は「協力企業」と呼ばれる元請けや下請け会社の作業員で、4割が50代以上。下請けは6次近くまであるといわれ、重層的な下請け構造が問題を浮き彫りにした。
 東電が実施した作業員への24年のアンケートでは、雇用者と給与の支払者が異なる「偽装請負」の疑いのある作業員が、全体の半数近くにもなるという結果が出た。現在は15%程度に縮小している。下請け会社で働く20代の作業員は「今もピンハネ(中間搾取)はある。口を出して解雇されることもあり、作業員は弱い立場だ」と打ち明ける。
 「有能な人材を継続的に確保するためには、特別法を制定して直接雇用の仕組みをつくるなど、構造そのものを変える必要がある」。縄田教授はそう強調する。
×  ×  ×
 被曝(ひばく)の上限が作業員を確保する上で大きな障害ともなっている。「5年間で100ミリシーベルト」などと法令で定められているが、事故後の混乱で一時期250ミリシーベルトに上げたことがあった。
 これまでに170人以上が線量を超過し現場を去った。この中には250ミリシーベルトを超える作業員が6人いる。24年7月には悪質な「被曝隠し」が明らかになった。下請け会社の役員が、作業員が装着する線量計に、遮蔽効果がある「鉛のカバー」で覆うよう強要したのだ。事故直後に発生した高濃度汚染水の浄化処理や、敷地内の表土を除去してアスファルトなどで覆ったことで、敷地内の大部分の線量は毎時5マイクロシーベルト以下に下がっている。顔全体を覆う全面マスクは、敷地全体の9割で不要となった。
 だが、原子炉建屋周辺では、依然として線量の高い状態が続く。廃炉工程によると、1号機のがれき撤去や3号機の燃料取り出しのための機材の設置など、高線量のエリアでの作業がこれから待ち受ける。
×  ×  ×
 「廃炉作業は『危険』『地位の低い仕事』というイメージばかりが先行し、社会としてその必要性や意義を共有できていない。このままでは、住民にとっても『誇れないふるさと』になってしまう」。一般社団法人「AFW(アプリシエイト・フクシマ・ワーカーズ)」代表で、元東電社員の吉川彰浩さん(35)はこう話す。
 AFWは廃炉作業を地域で支えるため、25年11月に設立された。昨年からは、福島県沿岸部の住民らの理解を深めるため、原発構内に案内する活動を始めた。事前に放射線や廃炉作業の現状に関する勉強会を開き、車で構内を見学する。これまで7回開催し、県内の沿岸地域の住民ら約140人が参加した。「原発事故後、住民と原発で働く人の間にできた溝を埋めたかった」と吉川さんは活動を始めた理由を説明する。
 福島第1原発で働く作業員の半数は地元の人間だが、そうした事実も一般にはあまり知られていない。住民に実際に自分の目で見てもらうことで、作業員への目線が変わる。「ありがとう」「お疲れさま」。その一言で、作業員の中にも「見られている」「期待されている」という意識が芽生えるという。
 「廃炉作業に対するイメージを一つずつ変えていくことが、作業員の働きやすさ、住みやすさにもつながる。その先に、この地域の未来が形作られていくのだと思う」。吉川さんはそう信じている。


<原発事故>東電元会長ら強制起訴へ
 東京電力福島第1原発事故で、検察官役の指定弁護士が26日にも、大津波の対策を怠ったとして業務上過失致死傷罪で、勝俣恒久元会長(75)ら旧東電経営陣3人を東京地裁に在宅で強制起訴する方針を固めたことが、関係者への取材で分かった。
 東京第5検察審査会の議決で昨年7月、強制起訴が決まっていた。未曽有の事故をめぐり、証拠や争点を整理するだけでも相当な時間を要するとみられ、初公判は来年になる公算が大きい。裁判の長期化は必至だ。
 ほかに起訴されるのはいずれも東電の原子力・立地本部長を務めた武黒一郎元副社長(69)と武藤栄元副社長(65)。


東電旧経営陣3人の強制起訴 29日に
福島第一原子力発電所の事故を巡る東京電力の勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人の強制起訴について、検察官役の指定弁護士が記者会見を行い、26日は手続きを取らず、週明けの月曜日、今月29日に業務上過失致死傷の罪で強制起訴することを明らかにしました。裁判で3人は無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが罪に当たるかどうかが初めて法廷で争われることになります。
福島第一原子力発電所の事故を巡って、検察は東京電力の勝俣恒久元会長(75)、武黒一郎元副社長(69)、武藤栄元副社長(65)の3人を不起訴にしましたが、去年7月、検察審査会が「起訴すべき」と議決しました。
これを受けて、裁判所から選任された検察官役の指定弁護士が26日午後、強制起訴について記者会見を行いました。この中で指定弁護士は26日は手続きを取らず、週明けの月曜日、今月29日に業務上過失致死傷の罪で在宅のまま強制起訴することを明らかにしました。
3人は今後の裁判で「巨大な津波は予測できなかった」などと無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが罪に当たるかどうかが初めて法廷で争われることになります。
福島の人たちは
強制起訴について、浪江町から避難し、今は郡山市で暮らしている68歳の男性は、「誰も責任を取らないのはおかしいと思っている。個人を責めるつもりはないが、誰かは責任を取らなくてはならないので、責任の所在をはっきりしてもらい、補償問題などにもきちんと対応してもらいたい」と話していました。
楢葉町の住民が暮らす、いわき市の仮設住宅で、夫婦で避難を続ける74歳の男性は、「それまで原発は安全だと言っていたのに実際は安全ではなかった。今まで事故の責任を誰も取っていないので、裁判で責任を認めてほしいです」と話していました。
会津若松市の仮設住宅に避難している大熊町の74歳の男性は、「東京電力の幹部として責任をとるのは当然です。私たちは5年間も避難しているので、それで責任を取らないのはおかしい。津波に対する対応が早ければ被害も少なかっただろうし、避難もここまで長引かなかったと思う」と話していました。


原発の延命/「40年」のルールはどこへ
 原発の寿命を40年とするルールができたのは2011年3月の原発事故後。事故のリスクを小さくするためだ。一度だけ最大20年の延長を認めるが、あくまで例外で、延命のハードルは高いと目されてきた。
 だが、このルールは早くも骨抜きにされかねない状況だ。
 原子力規制委員会が、運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機(福井県)の安全対策が新規制基準に適合するとの審査書案を了承した。まだ重要な手続きを残すが、関電にすれば延命へ大きな関門を一つ越えたことになる。
 高浜1号機の運転開始は1974年11月、2号機は75年11月。共に40年を超え、廃炉とすべきところだ。ところが、例外適用を受け、新基準の施行から3年に当たる7月7日までに審査合格と詳細な工事計画、運転延長の認可を受ければよいとなった。そのため規制委は他の原発を後回しにして審査を進めてきた。
 なぜ、そうまでしなければならないのか。規制委が急いだ背景には時間切れで廃炉になる事態を避ける意図があったとみられる。廃炉になれば電力会社の損失は大きい。規制委が訴えられるリスクもある。それを避ける狙いもあっただろう。
 政府は2030年度の電源構成で原発比率を20〜22%とする方針を示した。それを保つには運転延長も見込まねばならない。そうした配慮が働いた可能性もある。規制委自ら規制の手足を縛ってこなかったか。
 関電は2基の運転延長に伴い安全対策に約2千億円かける。重要なのは費用ではなく安全性である。そうした点でも懸念は残る。
 一つはケーブルの問題だ。老朽原発で使われる可燃性ケーブルは1基で延長数百キロに達し、不燃性に取り換えねばならない。関電は不可能な場所は防火シートで巻く代替策を取るが、それで安全が保てるのか。
 原則40年の例外適用に厳しい見方を示していたのはほかでもない田中俊一規制委員長だ。その人が「(老朽原発も)費用をかければ技術的な点は克服できる」と関電の姿勢を擁護するように言うのは、どうか。
 老朽原発の新規制基準適合第1号のケースである。40年を超えるリスクや、事業者に必要な自覚、覚悟をもっと強く指摘するべきだ。
 ものわかりのいい規制委では役目を果たせない。国民も求めない。


炉心溶融 不信募らす東電の「発見」
 なぜ今ごろになってこんな重要なことが「発見」されるのか。福島第1原発の過酷事故は、東京電力のマニュアルに照らせば事故から3日後の2011年3月14日の時点で1、3号機は「炉心溶融(メルトダウン)」と判断できていたという。
 実際に東電がメルトダウンを認めたのは2カ月後の5月。それまで「炉心損傷」という言葉は使っていたが「炉心溶融」は正式に認めていなかった。経済産業省の原子力安全・保安院(当時)も「炉心溶融」という言葉を避け「燃料破損」や「炉心損傷」という言葉を多用していた。
 確かに、メルトダウンは定義があいまいな言葉ではある。しかし、「炉心溶融」は原発の緊急事態を政府に通報する際の要件のひとつとなっており、自社の判断基準を知らなかったというのは極めて不自然だ。5年後の「発見」を、単なる「言葉の使い方の問題」で片付けることはできない。
 事故当時、原子炉がどういう状態にあるかは国民にとっても専門家にとっても重大な関心事だった。海外の人々にとっても同じだ。もし、言葉の印象を弱めることで事故を過小に見せようとしていたとするなら隠蔽(いんぺい)であり、東電の信頼性を改めて損なうものだ。
 しかも、マニュアルの中身がなぜ今まで明らかにされなかったのか、疑問は大きい。新潟県に事故の経緯を説明する過程で初めて気づいたというが、これまで政府や国会の事故調査が行われた際にも点検されなかったのか。経緯を明らかにすることが欠かせない。
 東電は「この件で収束作業が遅れたとは考えていない」と述べているが、後付けで言っても説得力がない。「炉心溶融」と公表していなかったことによって、事故対応にあたった人々を危険にさらした恐れはあるし、住民の対応や避難対策に影響した可能性も否定できない。
 専門家の中には「メルトダウンと認めれば国民がパニックを起こす。知らせるメリットはなかった」との見方もあるようだが、筋違いだ。もし、情報隠しを前提としなければ成立しないシステムなら、運用してはならないはずだ。
 平時でも事故時でも情報を隠さず国民に伝えるのは当然のことだ。今回の事故でも情報不足によって放射能の高い地域に避難した人々がいたことを思えば、なおさらだ。
 最悪の事態を想定した上で、国民に情報をどのように伝え、国民をどう守るか。電力会社と政府の責任であり、その準備ができていないなら再稼働は許されない。今回の遅すぎた「発見」を契機に、電力会社も政府も再点検してほしい。


東電の溶融判断  隠ぺいの疑念も拭えぬ
 福島第1原発事故からまもなく5年。「安全神話」に寄りかかってきた東京電力の体質の甘さがあらためて浮き彫りになった。
 東電は、事故当初の原子炉の状況をめぐり、極めて深刻な事態を示す「炉心溶融(メルトダウン)」が起きていたのに前段階の「炉心損傷」と説明。発生から2カ月後の2011年5月にようやく1号機で大部分の燃料が溶けたと推定し、正式に炉心溶融を認めた。それまでは「溶融を判断する根拠がない」と説明していた。
 ところが、当時、社内には炉心溶融の判断基準を明記したマニュアルがあったといい、それに従えば、事故から3日後の3月14日の時点で判断できていたという。
 東電の説明では、柏崎刈羽原発を抱え、原発事故の検証をしている新潟県の技術委員会の求めで調査したところ、今月になって基準があったことに気付いたという。東電は、基準の存在を知らなかったために判断を誤ったと謝罪したが、5年間も見過ごしてきたことに、関係自治体の首長や避難者から不信の声が上がったのは当然だろう。
 事態の過小評価は、住民の避難の判断に支障を来たした可能性もある。「収束作業への影響はなかった」としているが、原発を運転する資格さえ疑われる深刻な問題と言わざるを得ない。
 マニュアルは、炉心が5%を超えて損傷していれば「炉心溶融」と定義していた。東電は3月15日の時点で、1〜3号機で定義を大幅に超える割合で損傷しているとの評価を公表したが、炉心溶融の表現は避け続けた。
 だが、原因は本当に組織の情報共有の甘さだけにあったのか。
 事故翌日に「炉心溶融がほぼ進んでいる」と発言した経済産業省原子力安全・保安院の審議官は、官邸の指示で会見担当を更迭された。以後、政府や東電の担当者からは炉心溶融に慎重な発言が目立つようになった経緯がある。
 当時、東電や保安院に対し、記者会見での説明内容について事前調整を徹底するよう官邸から指示があったことも政府の事故調査委員会などの聴取で判明している。意図的な情報隠ぺいや官邸の関与はなかったのか、疑念は拭えない。
 東電は「基準見過ごし」の理由について、第三者を交えた社内調査を行う方針だが、外部組織による客観的な目に真相解明を委ねることも必要ではないか。問題点を徹底して検証しない限り、事故の教訓は生きない。


普天間返還25年以降 固定化以外の何物でもない
 名護市辺野古への新基地建設に固執する限り、米軍普天間飛行場の危険性は除去できない。そのことがあらためてはっきりした。
 米太平洋軍のハリス司令官は、米軍普天間飛行場の辺野古移設完了時期が2025年以降になるとの見通しを示した。国防総省は「普天間の代替施設が完成し、海兵隊が移駐するまで普天間を維持することを約束している」と説明している。
 つまり新基地建設による普天間飛行場の危険性除去には最低でもあと9年は要するということだ。米側は「5年以内運用停止」に応じる意思がないことも、あらためて表明したと言えよう。
 移設作業が予定より遅れるとの司令官発言は、辺野古移設が困難であることの証しである。その認識を安倍政権も共有すべきだ。
 中谷元・防衛相は司令官発言を受けて「順調に進めば埋め立て工事が5年で完了し、22年には普天間は返還可能となる」と述べた。日米で見通しが異なるのは、新基地の完成時期が不透明ということにほかならない。
 いずれにせよ、辺野古移設では長期間にわたって普天間飛行場が居座り、住民は危険にさらされ続けることになる。辺野古移設は普天間飛行場の危険性を放置する固定化以外の何物でもない。
 安倍晋三首相は「最も大切なのは住宅や学校に囲まれ、市街地の真ん中にある普天間の固定化を絶対に避けなければならないことだ。一日も早い返還実現が問題の原点だ」と述べていた。それを実現するには辺野古移設断念しかない。そのことにいい加減気付くべきだ。
 日米両政府が交わした海兵隊の移駐完了まで普天間飛行場の継続使用を認めるとの約束を安倍政権がこの間、県民にしっかり説明していないことは看過できない。説明するどころか埋め立て承認欲しさに仲井真弘多前知事の求めに応じ、5年以内運用停止の実現に取り組むことを約束している。
 安倍政権は宜野湾市長選で5年以内運用停止を公約に掲げ、再選された佐喜真淳市長を支援した。5年以内の期限となる19年2月までの運用停止に政権が責任を持つと市民の多くが期待したことは想像に難くない。
 だが安倍政権は5年以内運用停止について米側にはいまだに要求していない。公約の実現を期待した市民を愚弄するもので、許されることではない。


保育園落ちた日本死ね!大渕愛子弁護士「私も諦めた。多くのママが同じ思い」
日本死ね!―なんとも乱暴な文章なのだが、あるインターネット投稿が主婦層から支持を得ている。タイトルは「保育園落ちた日本死ね!」。そしてこう書く。
「一億総活躍社会じゃねーのかよ どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか 子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ どうすんだよ 会社やめなくちゃならねーだろ 不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ」
1億総活躍社会なんてどこの話?
街の主婦たちの反応はこうだ。「言葉は悪いですけど、でも、言いたいことは共感できると思います」「不倫とかあまり自分の直接関係ないことなんで、もっと時間をかけて欲しいところはありますね」
なぜ解決しないのか
つい先日、1歳の息子の保育園入園を諦めたことが話題になった大渕愛子弁護士はこう言う。「申し込んでも無駄って判断しました。そもそも一つの保育園の定員が凄く少ないんですよね。3人とか5人とか。そこに何百人もの人が申請してくる。こういう書き込みのように、大きな声を出さないと振り向いてもらえないし、政府も本気で解決しようとしてくれない。そういう思いがママさんたちの中には強くあると思います」
書き込んだ主婦「会社を辞めなくてはならない現状に怒り」
書きこんだ主婦に「モーニングショー」が連絡したところ、「保育園に落ちてしまい、働き続ける予定だった会社を辞めなくてはならない現状に怒りを感じ、独り言のつもりで書きました」という返事が来た。
司会の羽鳥慎一「非常にこれ、乱暴な言葉です。ただ、ポイントが詰まっているというか、1行1行すべて的を射ているかもしれません」
吉永みちこ(作家)「政府は『女性が輝く』とか『一億総活躍』とか言ってますが、それをなぜ解決しないのかっていう、すごく根源的な問題を投げかけてますよね。たしかに予算の壁はあるでしょうが、いかにオリンピックにお金をジャブジャブ使ってるか。ここをキチッと枠を作ればいいんですけどね」
長嶋一茂(スポーツプロデューサー)「『保育園落ちた』って書いてるけど、日本のことをこの人はちゃんと考えてるなと思います」
この投稿、さらに共感の輪が広がりそうだ。


麻生財務相「農家は税金を1回も払ったことない」
 麻生太郎財務相は25日の衆院財務金融委員会で「農家は税金を1回も払ったこともない人もいるだろう。地元で3人ぐらいから聞いた」と述べた。税務当局から見て、サラリーマンに比べて自営業者や農家の方が所得を把握しにくいことを表す言葉として使われた「トーゴーサン(10・5・3)」を例示した。
 消費税の軽減税率制度をめぐる質疑の中で、話が脱線。民主党の鈴木克昌氏は「農家が(一般的に)税金を払っていないというニュアンスだ」とただした。
 麻生氏は地方創生の議論でも、地元の福岡県内で福岡市の税収が伸び、北九州市の税収が減少傾向にあることに触れ「市長のリーダーシップの差がかなり影響する」とも語った。
 安倍政権では、丸川珠代環境相ら閣僚が問題発言を連発。麻生氏も15日、軽減税率が導入された場合に倒産する中小企業が「100や1000は出てくる」と発言し、誤解を招くとして訂正したばかりだった。


小保方晴子氏の『あの日』は男性研究者のセクハラ告発本だった!? 関係者が分析
 STAP細胞騒動のヒロイン、理化学研究所の元研究員、小保方晴子氏の手記『あの日』(講談社)が売れに売れまくっている。紀伊國屋書店の2月13日〜19日の週間ランキングでは、和書総合5位にランクインしている。前編は小保方氏のサクセスストーリー、後半はES細胞の窃盗の濡れ衣を晴らすために釈明する内容になっている。一方で、現役の研究者たちの間では、この本の狙いは「セクハラ告発」だという説が囁かれている。
■苦労知らずのプリンセス
 STAP細胞論文捏造問題を取材してきたノンフィクションライターの杉浦由美子氏は手記を読んだ感想をこう述べた。
「純粋に研究者の手記として読むと違和感だらけです。実験の具体的な様子がまったく描かれておらず、こういう苦労をしたというディテールが一切ないんです。その一方で、周囲の“おじさま”研究者たちが彼女に与えた賞賛の言葉はかなり詳細に明確に記されていますね」
 確かに『あの日』を読むと、“おじさま”研究者たちの小保方氏へのメッセージは強烈だ。米ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授は「これから先の留学にかかる生活費、渡航費は僕が援助する」と宣言し、また、小保方氏が若山照彦教授に「キメラマウス作製の胚操作を教えてください」という旨を願い出ると、「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」と返答されたという。まるで蜜月カップルの甘い会話を聞かされているようだ。
 杉浦氏のいうように、世紀の発見をしたと主張する研究者・小保方晴子氏の手記でなぜこのような蜜月エピソードが事細かに書かれるのか不思議である。この疑問を、現役の文系・理系の研究者や大学教職員たちに尋ねてまわると、「セクハラ告発が目的では」という説が複数の人の口から出てきた。
■セクハラを匂わす描写が目立つ
 セクハラ対策を担当した経験がある大学教授がいう。
「セクハラを匂わす描写が目立ちました。特に印象的だったのは、小保方さんがハーバードに留学するきっかけになった東京の宴席での話です。普段まったくお酒を飲まないのに、注がれるままに飲んでしまい、畳の上で寝てしまった、というエピソードがあります。アメリカの大学ならば教員が学生を酔いつぶしたら、セクハラですよ」
 また、東京大学の理学部出身で、小保方氏とは同世代で研究職の女性がいう。
「その酔いつぶされたエピソードの中で、女子医大の大和雅之先生が“はるさん、帰るよ!”と声をかけたとあって、驚きました。男性教員が女子学生をファーストネームで呼ぶってありえないですよ。それをわざわざ書くのもヘンですよね。私が先生に下の名前で呼ばれたとして、それを他人に話すとしたら、“あの先生は馴れ馴れしく、私を下の名前で呼んだ”とセクハラを訴える時だけです」
 また、別の40代の理系研究者はこうも話す。
「小保方氏はES細胞窃盗に関連し、参考人として任意で警察の事情聴取を受けています。そのため、小保方さんにマイナスになるような証言をしないように、若山さんをはじめ、男性の研究者たちを牽制しているのかもしれません。彼女とおじさん研究者たちの間には、もっとすごい秘事があって、“もし私に不利なことを警察やマスコミに話したら、あんたたちが私にしたことを全部世間にバラすわよ”というメッセージが『あの日』の随所にちりばめられているように感じました。その証拠として、自殺した笹井芳樹さんの“恥ずかしい発言”は書かれていない。NHK特集で笹井さんが小保方さんに送ったメールが公開されましたが、まるで、ラブレターみたいな文面でしたから、他にもあったと思うのですが、死人に口なしで、笹井さんを脅す必要はないからでしょう。僕は男なので、『あの日』は怖くて泣きながら読みました」
■不倫は力関係を逆転させる
 この「セクハラ告発本では」という説をどう思うか。先出のノンフィションライターの杉浦氏に意見を求めてみた。杉浦氏は大学内におけるセクハラについての取材経験がある。
「私は『セクハラ告発本』とまでは深読みしませんでした。単に『おじさんたちは、これだけ私をチヤホヤしておいて、私が劣勢になると、はしごを外して逃げた』と、自分こそが被害者であるとアピールしているのかな、と。実際、その効果はあって、彼女への同情論はまた高まっており、それが『あの日』をベストセラーにしている要因だと思います」
 杉浦氏は「セクハラ告発本」説に同調しなかったが、こうも話してくれた。
「毎日新聞の須藤桃子記者がSTAP細胞論文問題について書いた『捏造の科学者』(文藝春秋)の中で、若山教授が会合の席で実験にアドバイスをすると、小保方氏が『そんな大変なことをできるわけがない』と怒り出したというエピソードがありました。それを読んで上下関係が逆転している、まるで、指導教官と不倫している女子学生みたいだな、とは思いました。あくまでも私の個人的な感想です。大学で教員と女子学生が男女の関係になると、男性側が後ろめたいので、女子学生の方が上になる例を見てきました。そうなると、人前でも女子学生が指導教官に対して横柄な態度をとるようになり、他の学生が“こんな乱倫な雰囲気耐えられない”と大学側に訴えるというケースがしばしばあります」
 実際、小保方氏が男性教授陣たちと“乱倫”な関係にあって、それを今さら「セクハラ」として告発したいのかどうかは定かではない。だが、彼女には、「なにかあったのでは?」と、妄想させる言動が多いと報じられているのは事実で、『あの日』でもそれが全開になっているのである。(木原友見)

初ニュートラム♪/インテックス大阪/高浜原発再稼働反対/南?

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Fukushima: 5 ans après, Tepco avoue avoir minimisé la gravité de l'état des réacteurs
Dans les manuels de Tepco, il était écrit ≪ si l’endommagement d’un cœur de réacteur dépasse 5 %, on peut en déduire que la fusion du cœur est en cours ≫. Cinq ans après la catastrophe de Fukushima en mars 2011, l’opérateur de la centrale a avoué mercredi avoir minimisé la gravité de l’état des réacteurs en ne reconnaissant pas aussi rapidement que possible le fait que trois d’entre eux étaient en fusion.
≪ Nous nous excusons profondément pour avoir affirmé par erreur que rien ne permettait de déterminer qu’une fusion du cœur de réacteur était en cours ≫, a déclaré Tokyo Electric Power. Il a fallu attendre deux mois, en mai 2011, pour que l’exploitant emploie le mot fusion, alors même que ses propres manuels de gestion de crise, s’ils avaient été correctement utilisés, lui auraient permis de porter plus vite un jugement plus exact sur la situation, a-t-il expliqué. Tepco a évité durant des semaines d’employer l’expression effrayante ≪ fusion du cœur ≫ de réacteur.
Les cœurs de trois des six réacteurs ont fondu
Pourtant, la compagnie disposait des informations qui permettaient de déterminer qu’un tel processus était en cours dans les tout premiers jours suivant le 11 mars, quand la centrale a été dévastée par le tsunami provoqué par un violent séisme de magnitude 9.0.
Les installations ont été un temps submergées, l’électricité coupée, les systèmes de refroidissement du combustible nucléaire totalement arrêtés et la situation est devenue vite impossible à maîtriser. Les cœurs de trois des six réacteurs de Fukushima Daiichi ont fondu. ≪ Nous avons aussi analysé les autres informations transmises immédiatement après l’accident et il s’avère que nous aurions pu communiquer plus tôt sur divers points ≫, a aussi écrit Tepco lors d’un rare mea culpa.
Rétention de données
A sa décharge, la compagnie peut dire que les circonstances à la centrale étaient exceptionnelles : installations sens dessus dessous, pas d’électricité, 4 réacteurs simultanément gravement touchés, deux autres également affectés quoique moins sévèrement, traumatisme lié au séisme et au tsunami et une deuxième centrale, Fukushima Daini, à une douzaine de kilomètres, également endommagée.
Reste que nombre d’experts s’inquiétaient dès le départ de la nature des informations données par Tepco et les autorités, soupçonnés de volontairement faire de la rétention de données afin de ne pas entraîner un mouvement de panique.
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時論公論「“同一労働 同一賃金”法改正を検討」竹田忠解説委員
非正規の待遇改善策として期待される「同一労働同一賃金」。安倍総理大臣は一億総活躍国民会議で法改正に踏み込む考えを表明。なぜ今か。実現に向けた課題は。詳しく解説。
NEXT 未来のために「バスドライバー 長野スキーバス事故から1か月」
13人の若者の命を奪った事故から1か月。いまバス業界は、改めてハンドルを握る重みを問われている。利益か安全か。あるバス会社に密着し、厳しい過当競争の実態に迫る。
「バス業界の実態を知ってほしい」。事故後、多くのバス会社が口を閉ざす中、千葉県の会社が取材に応じた。ドライバー7人を雇う経営者は、車両の点検や運転手の健康管理など、安全に手を抜かないことが信条。国が示した基準より安く仕事を請け負うという今回の事故で発覚した業界の慣行も、頑としてはねつけてきた。そのため仕事は他社に流れ、厳しい経営が続く。客の命を預かる責任とは何か。あるバス会社の密着取材から探る。

サイエンスzero 惑星誕生! ジャイアントインパクト
巨大な天体同士が衝突する「ジャイアントインパクト」。太陽系の創世記に起こり、地球や火星、金星などの惑星をつくったと考えられている。この巨大衝突の“回数”や“衝突の角度”などの詳細がシミュレーションで明らかになってきた。さらに、昨年探査機が到着した冥王星にも、ジャイアントインパクトの痕跡があるというのだ。40億年以上前の一大天体イベントを紐解き、太陽系の惑星や準惑星が誕生したプロセスに迫る。/ ジャイアントインパクトが惑星を育てた!?/ なぜジャイアントインパクトを調べるのか(東京工業大学地球生命研究所 玄田英典特任准教授)/ 40億年以上前に起こった巨大天体同士の衝突・ジャイアントインパクト/ 40億年以上前、現在の水星から火星にかけてのエリアには、「原始惑星」と呼ばれる天体が10〜20個あり、これらが次々に衝突・合体して水星、金星、地球、火星になったと考えられている。/ 去年、探査機が到着した冥王星。茶色いクジラと呼ばれる模様もジャイアントインパクトの痕跡ではないか、と考える研究者もいる。/ ジャイアントインパクトをシミュレーションする東京工業大学の玄田英典さん。

インテックス大阪に出張です.そのためにニュートラムに乗りました.初ニュートラム♪コスモスクエアという駅がありますが,なんだかイメージできません.
さて男の人が多い会場です.コンパニオン?的な女性がいて,男性のためなんだろうなぁ・・・と思わざるを得ません.ある講演を聞いたのですが,とても参考になりました.
その後,中崎町を経由して関電本社前の高浜原発再稼働反対の集会に参加しました.寒いけど熱気でムンムン.
南からメール.ちょっと安心.

被災少女の思いを絵本に 26日出版
 東日本大震災で祖父を亡くした宮城県女川町出身の東北芸術工科大2年神田瑞季さん(20)=山形市=が作画を手掛けた絵本「なみだはあふれるままに」が26日、出版される。自身の体験が基になったストーリーに合わせ、津波で大切な存在を失った少女が悲しみから立ち直り、笑顔を取り戻していく姿を心温まるタッチで描いた。
 物語は「おれたち、ともだち!」シリーズなどで知られる童話作家内田麟太郎さんが書いた。神田さんをモデルに少女の心象風景を表現した詩に、神田さんが3年近くかけて水彩の絵を添えた。
 津波に破壊された町、喪失感に打ちひしがれる少女の姿がつらい記憶と重なり、筆が進まなかった。「暗い場面では多くの被災者の思いを想像し、明るい場面も元気が出ず描けなかった。技術も未熟で、描いては中断する繰り返しだった」
 震災当時中学3年だった神田さんは、祖父明夫さん=当時(78)=を津波に奪われた。行政区長だった明夫さんは住民に避難を呼び掛け、逃げ遅れたらしい。
 幼いころから絵を学んでいた神田さんは仙台市宮城野区の宮城野高美術科に入学。がれきと化した女川を前に手をつなぎ、立ちすくむ子どもたちの後ろ姿を描いた作品「生きる」が反響を呼び、復興支援の絵はがきなどに採用された。
 絵はがきに注目した出版社から絵本の出版話を打診され、2012年冬に内田さんを紹介された。神田さんは「震災を経験した人もしていない人も読めるよう詩の絵本にしてはどうか」と提案。内田さんが1カ月ほどで詩を作ってくれた。
 「人は誰でも誰かに愛され、幸せになるため生まれてきたというメッセージが伝わってきた」。まだ悲しみの中にいる人にも届けたいと、葛藤しながら絵筆を握った。
 表紙の少女の後ろ姿は「生きる」の子どもたちのその後を重ねた。震災後には描けなかった海を描くこともでき、自身も絵も成長していると感じた。
 「最後まで人のために頑張った祖父の思いを引き継げた気がする。難産だったけれど、すてきな作品になった」と神田さんは語る。
 「なみだはあふれるままに」(PHP研究所)はB5変型判、32ページ。価格は税別1300円。一般書店で購入できる。


<アーカイブ大震災>行き場なく悪臭、ハエ
 東日本大震災による津波で市内の3分の1が浸水した多賀城市では、被災を免れた内陸部の学校の近くにも、がれきが積み上げられている。市内にまとまった仮置き場の場所を確保できないための緊急措置だったが、震災発生から4カ月近くたった今も、2次仮置き場への搬出のめどは立っていない。梅雨に入って蒸し暑い日が続き、臭いや虫の発生も目立つようになった。児童、生徒は我慢を強いられながら学校生活を送っている。
◎学校で何が(6)隣接地にがれきの山(多賀城)
 多賀城市南宮の多賀城二中前の路上に時折、生ごみの腐ったような臭いが風に乗って流れてくる。思わず息を止めるほどの強い臭気だ。
 悪臭の出どころは、がれきの緊急仮置き場となっている三陸自動車道多賀城インターチェンジの予定地。多賀城二中の東隣にあり、2ヘクタールの土地に可燃物や木材、古タイヤが野ざらしとなっている。
 「臭いがきつくて授業中も窓を開けていられない。暑くて集中できない」。下校途中の同中1年の男子生徒(12)はそう言って顔をしかめた。
 辺りではハエも飛び交う。「給食にたかってうるさい。早く何とかしてほしい」と男子生徒は語気を強める。
 喉の痛みやせきを訴える生徒も出ているという。学校側はマスクを2枚ずつ配布した。
 「ここに置くの?」。同中に次男(13)が通う佐藤三千代さん(41)は5月、校舎の隣に現れたがれきを見て驚いた。「粉じんと一緒に体に悪い物質が出ているのではないか」と気をもむ。
 学区内の地区懇談会では、悪臭や粉じん対策、今後の見通しについて、保護者らから質問が相次いだ。
 「危ないものは子どものそばに置きたくない。何が運ばれてきているのか、それが安全かどうか知りたいが、保護者には一度も説明がない」。地区懇談会に出席した40代の女性は、市や学校の対応を批判する。
 鈴木啓二郎校長は「仮置き場は当初、8月いっぱいと聞いていた。震災の現状を考えれば致し方ない」と説明する。
 多賀城市では家屋、家財、車両など計61万トンの災害廃棄物が発生した。市の面積は約20平方キロと狭く、仮置き場となるまとまった土地の確保が難しい。市内に12カ所ある仮置き場のうち、3カ所が学校近くにある。
 市生活環境課は「学校や住宅地の近くには置きたくないが、他に場所がない」と頭を抱える。
 宮城県による2次仮置き場の整備は大幅に遅れている。市は仮置き場に消毒剤や消臭剤を散布、分別などの中間処理を進めるとともに、津波の浸水域に土地を確保して可燃物の移動を始めた。
 「しばらくは様子を見るしかないのかな」。佐藤さんは理解を示す一方で、「いつまであの状態が続くのか、市は広報誌やホームページで情報を出してほしい」と注文を付ける。
 JR東北線国府多賀城駅近くの城南小。線路北側の市中央公園、多賀城跡あやめ園が仮置き場となっていて、がれきを運ぶ大型車が通学路の周辺を行き来する。
 「できれば、すぐに撤去してもらいたい」と石川敏彦校長は本音を漏らす。 心配しているのは、安全性や衛生面の問題だけではない。
 同小には津波で親を亡くした児童がいる。「いつまでもがれきを目にすることで、子どもの心が落ち着かないのではないか」とおもんばかる。(伊東由紀子)


旧女川交番保存に活用を 元警察官が寄付
 東日本大震災の遺構として保存される宮城県女川町の旧女川交番をめぐり、震災当時勤務していた同県警の元警察官松田博さん(64)=宮城県美里町=が24日、町に5万円を寄付した。津波で変わり果てた町で遺体の捜索や収容に当たった松田さん。震災から5年を前に「微力ながら寄付を交番の保存に役立ててもらい、津波の威力や命の大切さを伝えてほしい」と願う。
 松田さんは町役場仮設庁舎で須田善明町長に寄付金を手渡した後、1本の鍵を見せた。「交番で使っていた机の鍵。お守り代わりに持っています」
 須田町長は「交番は復興の原点。絶望的な状況から再起するメッセージを伝えたい」と述べた。
 町中心部にあった交番で巨大地震に見舞われた松田さんはパトカーに乗り、町内を巡回した。女川港付近を走行中、助手席の同僚が叫んだ。「津波が来た!」。ルームミラーを見ると、200メートルほど後ろに黒い津波が迫っていた。
 高台へ逃げて難を逃れたが、鉄筋コンクリート2階の交番は横倒しになった。
 交番勤務を始めて約1年。近隣の商店主や親交のあった夫婦らが犠牲となった。警察官として老若男女の遺体と対面し、亡きがらを引き取りに来た遺族らに接した。「胸が締め付けられた」と目を赤くする。
 河北署交通課を経て2012年3月、約40年間の警察官人生に幕を下ろした。再就職後も女川町へ足が向かなかった。震災当時の映像を見るたび、つらい記憶を思い出して涙が出た。
 交番について町は13年11月、遺構として保存する方針を表明。県震災遺構有識者会議は津波で横倒しになった点を「希少な事例」と評価した。
 「できるだけ長く交番を残し、多くの人に見てほしい」。松田さんはことし1月に女川町を再訪し、町に寄付の意向を伝えた。
 町内は復興まちづくりが進み、中心部に新しいJR女川駅や商店街が並ぶ。松田さんは「今後は町に足を運んで復興の状況を見て、親しかった方々を慰霊したい」と語る。


<検証水産業>人材確保へ対策次々
◎震災5年へ(下)加工
 東日本大震災後の水産加工場で、人手不足が深刻の度を増している。求人を出しても応募がない。だからといって、賃金は高くできない。慢性的に働き手が足りない。
 そんな状況を打破しようと、宮城、岩手両県は外国人技能実習生の受け入れ枠を拡大する構造改革特区を共同申請し、昨年、塩釜市の4社と釜石市の1社が認定を受けた。
<実習生枠倍に>
 塩釜市では15日、「特区1期生」のベトナム人実習生が配属された。4社に3人ずつ、計12人が練り製品などの工場で働く。
 「人手不足解消という点で大変ありがたい。水産加工業は労働環境が過酷な3K職場と言われ、どこも人集めには苦労しているから」。実習生を事業所に派遣する監理団体、塩釜魚市場水産加工業協同組合の内海勝男組合長(76)は特区の意義を語る。
 認定された会社は、これまで年間3人だった受け入れ枠が6人に増え、3年間の実習期間で最大18人の受け入れが可能になる。
 塩釜公共職業安定所によると、管内の昨年12月の有効求人倍率は1.02倍で33カ月(2年9カ月)ぶりに1倍を超えた。ある水産加工業者は「他業種と競争になっても、経営が圧迫されて賃金を上げられない」と言う。特区に期待する声は少なくない。
 ただし、来日する外国人はあくまで実習生だ。3年たてば帰国するため、業者が求める熟練の社員にはなれない。市水産振興課の担当者は「現時点で特区効果は、業界全体から見ると限定的だ」と受け止める。
 他にも対策は打たれた。宮城、岩手両県は本年度、水産加工業の人材確保の支援策として、社員の宿舎整備の補助制度を始めた。
 岩手県では昨年12月末時点で、陸前高田市や大船渡市などで計5件の利用があった。家賃も補助しており、釜石市で2件申請された。補助金交付は計約3000万円。それでも、利用は予算額約1億円の3分の1に達していない。
 県は2016年度当初予算案で約5500万円を計上し、制度を続ける。県復興局産業再生課は「水産加工業は岩手沿岸の基幹産業。人材確保に向けて積極的に活用してほしい」と呼び掛ける。
<3K職場改善>
 気仙沼市では、水産加工場の建設ラッシュが続く。本年度中に9工場が完成し、さらに春まで8工場の稼働が見込まれる。
 気仙沼公共職業安定所が力を入れるのは、求職者向けの職場見学会や説明会だ。昨年12月には畠和水産(気仙沼市)の新食品工場で見学会があり、参加した6人のうち男性1人の採用にこぎつけた。
 新工場は重労働にならないよう、機械を使って箱詰めやかご洗いができる設備を導入。清潔で広い食堂休憩室も備える。
 家本美千代常務(52)は「3Kのイメージが強い業界だが、今だからこそ変わらなければならない」と新工場をアピールし、見学会への参加を促す。「人手不足で注文を取れず、チャンスを逃す同業者が多い。人も仕事も増やしたい」と、これからを見据える。(山野公寛、中村紳哉、高橋鉄男)


<3.11と今>歴史途切れさせまい
◎壊滅したまち 石巻市門脇・南浜(中)とどまる
 黄土色に整地された区画を縫って復興事業の工事車両が行き交う。東日本大震災で大津波に洗われるように壊滅した石巻市門脇地区。3年後、400戸1000人規模のまちに生まれ変わる計画だ。
 現在、暮らすのは25世帯だけ。商店や郵便局、病院はない。地区内に建設中の災害公営住宅への入居希望者は3割に届かない。
 「買い物もままならず不便になった。津波の恐怖が残る人もいるだろう」。門脇でテニスコートを経営する本間英一さん(66)は語る。
 あの日、不安を押し抱いて日和山の斜面を駆け上った。眼下でまちが津波にのみ込まれていった。家々が押しつぶされる音が今も消えない。それでも、生まれ育った門脇を去ることはなかった。
 2012年、被災に伴う建築規制を外れた所有敷地の一画に、いち早く自宅を再建。地域再生の基盤をつくろうと住民組織「まねきコミュニティ」を設立した。
 日和山に続く階段の清掃、昼食会などを通じて「つながりは震災前より強い」と胸を張る。まねきの名は、日和山中腹から旗を振って千石船を誘導した職業を「マネキ」と呼んだ故事に由来する。
 石巻湾を一望する日和山は本間さんにとって勝手知ったる裏山だ。春は桜を楽しみ、冬晴れの日ははるか向こうに見える福島・いわきの海岸線に目を凝らした。
 江戸時代は、仙台藩の米を江戸に輸送する千石船の往来が一望できただろう。
 20年ほど前、市内の回船問屋の子孫や郷土史愛好家による「石巻千石船の会」が発足した。本間さんの先祖は千石船船主。会報作成や研修旅行で地域の歴史を学ぶうちに、誇りが芽生えた。
 「門脇には腕利きの船大工が多かった。石巻の舟運を支えていた」
 何もかも流されてしまった敷地で、1897年建築の本間家の土蔵が原形をとどめた。中の古文書も無事だった。周辺の甚大な被害を見ればそれは奇跡に近い。
 先祖が土蔵を守り、地元での再出発を応援してくれているのだろうか。がれきに立つ土蔵は門脇再生の象徴となった。
 建築の専門家らに保存を後押しされ、寄付で修復した。「歴史を途切れさせてはいけない」。覚悟ができた。
 先祖から受け継いだ土地や資産を地域のために使おうと決意した。震災の教訓を刻むメモリアル施設として土蔵を公開。被災の状況や歴史資料を伝える。大型バスを止められる駐車場と売店を整備し、日和山に観光客を誘致したいと考えている。
 売店には日用品も置くつもりだ。「もうけ抜きで、ここで暮らし続けるお年寄りの役に立てれば」と妻の信子さん(64)は話す。
 門脇を再びにぎわいあるまちに−。夢を描いて日和山から招きの旗を振り続ける。(伊東由紀子)


<教習所津波訴訟>仙台高裁が和解勧告
 東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県山元町の常磐山元自動車学校の教習生ら26人の遺族が、学校側に約19億6700万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審の口頭弁論が24日、仙台高裁であり、小野洋一裁判長が和解を勧告した。仙台地裁からの審理を通じて和解協議に入るのは初めて。
 小野裁判長は「最終的に和解で解決できれば、それが最善ではないか」と述べ、4月27日に和解案を示す意向を示した。
 教習生遺族の1人は閉廷後、取材に対し「高裁が示す和解案を見なければ何とも言えない」と話した。従業員遺族の代理人は「法的責任の所在を明らかにした上で、追悼場所の設置などを学校に求めたい」と述べた。
 学校の代理人は「対応は話せない」と語った。
 昨年1月の仙台地裁判決は遺族側の主張を認め、学校に約19億1300万円の支払いを命じた。高裁で和解すれば減額される公算が大きいが、謝罪や再発防止策といった和解条件を協議して決められる利点がある。ただ、遺族側が望む謝罪などの条件に学校側が応じるかは不透明で、協議が難航する可能性もある。
 地裁判決は、津波の到達を予測して速やかな避難が可能だったとして学校の責任を認める一方、当時教習所にいなかった経営者ら個人の責任については、警報や防災行政無線を聞いていなかったなどとして否定。遺族、学校の双方が控訴した。


<震災5年>被災13市町で3月11日追悼式
 東日本大震災から5年を迎える3月11日、石巻市など沿岸の被災13市町は、それぞれ追悼式や慰霊祭を開く。
 各地の式典は表の通り。各会場では政府主催の追悼式中継が放映され、地震発生時刻の午後2時46分に黙とうをささげる。村井嘉浩知事は女川町の追悼式に参加する。
 県は、県庁2階講堂と大崎、大河原の両合同庁舎に献花台と記帳所を設置。利府町の県総合体育館には県スポーツ振興公益財団が献花台と記帳所を設ける。
 3月11日は県条例で震災の犠牲者を悼み、被災記憶を風化させずに後世に確実に語り継ぐ「みやぎ鎮魂の日」に制定されている。


<プレハブ仮設>宮城の入居率5割超
 東日本大震災の発生から5年近くになる今なお、県内のプレハブ仮設住宅の入居率は全体で5割を超えることが、県や被災市町への取材で分かった。入居率は2017年3月末に3割を下回り、仙台市や亘理町など5市町では入居者ゼロになる見通しだが、被災程度が大きい市町はプレハブ仮設解消までにさらに時間を要すると見込まれる。
 プレハブ仮設が整備された県内15市町の1月末時点の入居状況と、17年3月末時点の見通しは表の通り。県震災援護室は1月末の1万1125戸が、災害公営住宅整備や防災集団移転団地造成に伴い17年3月末には6000戸程度になると見込む。
 仙台、多賀城、岩沼、亘理、七ケ浜の5市町は17年3月末には入居戸数がほぼゼロになる予定。大郷、美里両町は既に被災者が退去し、解体された。
 整備戸数が最も多い石巻市の1月末時点の入居戸数は4231戸。17年3月末の見通しは非公表としているが、「入居率は40%は割る」と説明。南三陸町も30%程度になるとみている。
 仮設住宅の集約化を視野に見通しを算定中の東松島市は、防災集団移転用地や公営住宅の整備時期から逆算し「仮設住宅解消に、あと2〜3年はかかる」との見方を示す。女川町も同様で、5年で解消した阪神大震災より仮設暮らしが長引いている。
 一方、県は16年度以降に被災者の退去で県全体で月400〜500戸のペースで減るとして、これまで部分的に行ってきた仮設解体を本格化させる。16年度は仙台、岩沼両市を中心に70団地4000戸を解体する計画だ。
 県震災援護室は「既に1万戸が空いており、民有地や校庭などから優先的に解体を進める。仮設から退去した後の行き先が決まっていない被災者の住宅確保支援も、市町と連携して取り組む」と話す。


<再生の針路>石巻/自立支援早急に対応
◎震災5年 被災地の首長に聞く(2)亀山 紘市長
 −復興の進展状況をどう見るか。
 「本年度は新市街地のまちびらきやJR仙石線の全線復旧などがあり、復興を実感できた。一方で、2011年12月に策定した復興基本計画の目標からすれば、防潮堤や漁港、高盛り土道路などの整備は目標年度から少なくとも1、2年遅れている。16、17年度が正念場だ」
 −いまだに約9000人が仮設住宅で暮らす。
<仮設集約 丁寧に>
 「住まいの再建が進まないと復興が進んだとはいえない。本年度末までに完成する災害公営住宅は2452戸で目標の4500戸の54%だが、新年度末には80%を超す見込みだ」
 −最大の課題は。
 「仮設住宅に入居する自立困難な方々の対策だ。調査では、1117世帯が住まいの再建方法を決めかねている。高齢者や生活困難者が多い。支援策として3月には自立再建プログラムを作り、早急に対応する」
 −入居率30%以下の仮設住宅団地には集約の計画もある。
 「学校のグラウンドに仮設住宅があって運動がままならない所や、地権者に返還を求められている所を優先する。集約する拠点の団地を決め、移転してもらう方針だ。入居者の心身に負担を掛けるため、理解を得ながら丁寧に進める」
 −15年国勢調査で市の人口は14万7236。前回10年より8.5%減った。離半島部ではさらに深刻だ。
 「11年2月とことし1月の人口を比較すると、雄勝は46%、牡鹿は35%、北上は31%の減少。住民が戻るには住宅はもちろん、総合支所や観光施設、消防署などの施設を集約し、拠点をつくることが必要だ」
 「雄勝では、9.7メートルの防潮堤の高さに反対意見が出て工事が進んでいない。拠点には8.7メートル盛り土をして商業施設などをつくり、さらに高台に住宅を建設する。計画の見直しは難しいが、反対の人に丁寧に説明しながら早く整備し、人を戻したい」
 −再建した石巻魚市場が昨夏、全面運用を始めた。
<販路海外展開も>
 「魚市場の機能を生かすには、原材料となる魚を確保するための漁船誘致が重要。市場には冷凍カツオのベルトコンベヤーと選別機があり、カツオの一本釣り船の誘致に取り組む。国内市場の縮小に伴い、販路の海外展開も図る」
 −南浜地区に整備される復興祈念公園への思いは。
 「震災の追悼と伝承の役割があり、伝承のための施設整備を国、県に対応してほしい。津波や自然環境を学んだり、子どもたちがスポーツして遊んだりする機能も持たせたい」(聞き手は石巻総局・高橋公彦)


心揺さぶられる「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展 東京・目黒区美術館
 リアス・アーク美術館が平成25年4月から行っている常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」の一部はいま、東京でも見ることができる。目黒区美術館で「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展として公開中なのだ。友好都市の縁で、震災から5年というタイミングで展示が実現した。
 会場で目を引くのは「被災現場写真」のパネル。津波に遭った直後の町の様子はさまざまなメディアで目にしたが、日付や場所だけでなく、自らも被災した学芸員の言葉が添えられることで、壮絶な景色を前に一緒に立ち尽くしているような気分になる。
 「被災物」も強いメッセージ性を持つ。拾い集められた携帯電話や時計、カメラ、タイル片などの生活用品に、創作された「物語」が付されているのだ。たとえばキャラクター目覚まし時計なら「小学校3年生のとき、これからは自分で起きなさいって、ばあちゃんが買ってくれた…」というように。フィクションだとわかっていても、心を揺さぶられる。
 ほかに、昭和や明治の津波に関する歴史資料や、地元の暮らしを伝える民俗資料なども展示されているが、とにかく膨大なテキストが刺激的。次の世代に何をどう伝えればいいのか、どんな社会を目指すのか、表現とは何なのか、会場には切実な問いがあふれている。
 3月21日まで、月曜休。入場無料。(電)03・3714・1201。


高浜原発 「40年ルール」が崩れる
 原子力発電所は、運転開始から40年で原則として廃炉にする。福島第1原発の事故後に作られたこの「40年廃炉ルール」が早くも骨抜きにされようとしている。
 原子力規制委員会は、福井県の関西電力高浜原発1、2号機について、新規制基準に適合しているとする、事実上の合格証をまとめた。7月までに追加の審査に通れば、最長20年の延長が可能になる。
 高浜1号機の運転開始は1974年11月、2号機は翌75年11月だ。両方ともすでに稼働から40年を超す老朽原発である。そんな原発を延命させるのは、安全面からも、将来の脱原発の道筋からも認められない。
 40年廃炉ルールは、2013年7月施行の改正原子炉等規制法に盛り込まれた。法改正当時の民主党政権が「圧力容器が中性子の照射を受けて劣化する目安」とした。最長20年の延長は「例外」に過ぎない。
 このルールは施行後3年の猶予期間があり、今年7月が期限になる。規制委は高浜1、2号機について他の原発よりも早く、わずか11カ月で審査を終えた。厚遇が目立つ。
 原子炉の圧力容器は、核分裂で発生する中性子を浴びることでもろくなる。高温、高圧力の冷却水が通る配管も年月とともに劣化する。
 高浜1、2号機はケーブル類の大部分が可燃性だった。新規制基準は難燃性ケーブルの使用を求めている。このため、関電はケーブルの6割を難燃性に交換し、残りは防火シートで覆うことにした。規制委はこの対策を了承したが、十分な耐火性能が保てるのか疑問が残る。
 古い原発は最新鋭のものに比べると設計や施工方法の面で不十分さが否めない。機器類は新しいものと交換できても、安全性の向上にはおのずと限界がある。
 福島の事故発生時、70年代に運転を始めた原発は18基あり、11基はすでに廃炉が決まった。残る7基のうち5基が関電の保有だ。原発の延命にこだわる関電の姿勢は、他の電力会社に比べ際立つ。老朽原発を稼働できれば、経営上は大きなプラスだからだろう。
 そもそも政府は原発依存を低減していくと公約している。そのためには、40年廃炉の原則を守ることが必要だ。例外の枠を広げれば、逆に原発への依存を強めてしまう。
 40年ルールを守れば、既存の原発や建設中の原発をすべて稼働させても、2030年度の電源構成で原発比率は15%程度となる。ところが、安倍政権は20〜22%と想定する。
 高浜の延長は、矛盾を抱えた政府のエネルギー政策の追認となる。規制委には、追加の審査で、期限ありきでない厳格な対応を求めたい。


高浜原発40年超へ 安全文化はどこへ
 四十年を超えた関西電力高浜原発1、2号機が、新規制基準に適合と判断された。安全のために定めた「寿命」の原則は、もう、反故(ほご)にされたのか。
 五年前のあのころに、気持ちを戻してみてほしい。
 3・11を教訓として、私たちは繰り返し訴えてきたはずである。
 今世紀に入って新たに運転を始めた原発は、東北電力東通1号機など五基しかない。
 四十年寿命を厳格に適用し、役目を終えれば直ちに停止、廃炉に向かう。おおむね二〇三〇年代に原発は停止して、北海道電力泊3号機の寿命が尽きる四九年の暮れまでに国内の原発はゼロになる。
 その間に、不要になった送電網や港湾施設を活用しつつ、風力や太陽光など再生可能エネルギーを普及させていくべきだ−と。
 国民の大勢も、そのように感じていたはずだ。
 折しも3・11は、東京電力福島第一原発の1号機が、運転開始四十年を迎えるちょうど半月前。四十年の当日には、原発の廃炉と福島の未来を考えようという市民グループ「ハイロアクション福島原発四十年実行委員会」が、結成イベントを開くはずだった。
 廃炉時代は3・11以前から、始まっていたのである。
 一二年の年明け早々、当時の民主党政権が「原発の運転期間は原則四十年」の方針を打ち出した。
 「ほとんどの原子炉は中性子の照射により四十年で脆化(ぜいか)する」という設計思想に基づいて設定された“寿命”である。
 脆化とは「もろくなる」ということだ。
 原子炉の心臓部に当たる圧力容器の内側には、核分裂で生じる中性子が当たり続けてもろくなる。つまり、こわれやすくなるのである。その限界が四十年。高レベルの放射能を浴びており、交換も不可能だ。原発の寿命が最長四十年という理屈は通る。
 旧式の圧力容器は材質が悪く劣化が早い。四十年も持たないと、前倒しを求める意見も目立つ。
 それなのに「一度だけ最大二十年延長できる」という例外規定が、法律に付いてきたのはなぜか。
 そして3・11の教訓をこめた新しい原発規制に、なぜそれが踏襲されたのか。
 「世界の潮流にならい」というのが政府の説明だった。要は「米国のルールを取り入れた」ということなのだろう。
 ところが、本家の米国でさえ、3・11以降、求められる補修や改善に費用がかかり過ぎるとして、延命をやめて、閉鎖、廃炉に踏み切る原発が増えている。二十年という延長期間の方こそ、根拠が薄いのではないか。
◆“不老神話”の誕生か
 原子力規制委員会は例外を認める条件として、通常より格段厳しい特別点検や安全対策の大幅な強化を義務付けてはいる。
 しかし、心臓部は交換不能、新しい部品のつなぎ目から問題が生じる恐れがあるとの指摘もある。補修による延命にはやはり、限界があるとは言えないか。
 経済産業省が昨春示した三〇年の電源構成(ベストミックス)案は、総発電量に占める原発の割合を「20〜22%」と見込んでいる。
 四十年寿命を守っていては、達成できない数字である。
 例外規定の背後には、福島の教訓放棄、安全神話の復活、そして、新増設をも視野に収めた原発回帰の未来が透けて見えないか。
 関電は、同じ老朽原発の中でも、出力が低い小型の美浜1、2号機はすでに運転を終了し、美浜3号機を含む中型の運転延長を願い出た=図参照。
 安全への配慮からというよりも、補修にかかる費用と再稼働の利益をてんびんにかけ、そろばんをはじいた上での判断だ。
◆工学は寿命を決める
 一九五〇年代前半、世界初のジェット旅客機である「コメット」の事故が相次いだ。航空機業界はその反省に立ち「安全寿命設計」という考え方を採り入れた。
 たとえば長距離型のジャンボでは、総飛行六万時間、離着陸二万回が“寿命”になるという。
 電力業界に安全思想、安全文化が根付いているとは、言い難い。
 私たちは、もう一度訴える。
 原発の四十年寿命は厳格に守り、円滑な廃炉や核のごみの処分に備えるべきである。


東電の溶融基準、5年間も気付かず 福島県や自治体から憤りの声
 東京電力は24日、福島第1原発事故当初の原子炉の状況をめぐり、極めて深刻な事態の「炉心溶融(メルトダウン)」ではなく、前段階の「炉心損傷」と説明し続けたことが誤りだったと発表した。東電が結果的に国や関係自治体への説明でも事態を過小評価していたことになる。ただ、東電は判断の誤りが事故対応に与えた影響はなかったとしている。
 当時の社内マニュアルに炉心溶融の判断基準が明記されていたものの、事故から5年間、基準があったことを見過ごしていたという。東電柏崎刈羽原発があり、事故対応を検証している新潟県技術委員会の求めで調査を始め、今月判明したとしている。
 東京電力が福島第1原発事故発生後の「炉心溶融」を「炉心損傷」と誤って説明し続けていたことについて、県や周辺市町村では24日、憤りの声が広がった。
 事故から約5年もの間、社内マニュアルの基準が見過ごされていたことについて、県原子力安全対策課の菅野信志課長は「社内の対策マニュアルの記述にどうして5年間気付かなかったのか驚きだ」と組織や調査の在り方にあきれた様子で語った。事故から間もなく丸5年がたとうとする中で、避難指示が解除された地域では帰還した住民が生活している。菅野課長は「第1原発では廃炉作業が続いている。第1原発の状況については的確な情報公開を求めたい」とくぎを刺した。
 第1原発が立地する双葉町の伊沢史朗町長は「原発事故直後、正確な情報が発表されていれば避難の状況は変わった。(東電も)厳しい状況に追い込まれていたと思うが、危機管理は徹底すべきだった」と憤った。
 富岡町の宮本皓一町長は「大変遺憾なこと。5年たってから、そういう話が出てくるのは残念だ」とコメントした。
 県庁で24日に会見した東電の担当者は「当時は炉心の損傷か溶融かといった議論をする余裕すらなく、炉心溶融と判定していても事故対応の内容に変わりはなかったと思う。事故を小さく見せようという認識もなかった」と釈明した。


東電 炉心溶融基準気付かず 第一原発事故危機管理甘さ露呈
 東京電力は24日、福島第一原発事故発生時に核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)の社内基準があったにもかかわらず、存在に気付かなかったと発表した。基準に従えば事故発生から3日後には炉心溶融状態と判定できた。当時は「判断基準がない」としており、極めて深刻な事態と公式に認めたのは約2カ月後だった。東電の危機管理体制や情報公開の不備があらためて浮き彫りとなった。
 基準は「原子力災害対策マニュアル」に盛り込まれていた。基準は「炉心損傷割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定する」としていた。
 福島第一原発では平成23年3月14日に原子炉格納容器内の放射線量を測定する監視計器が回復し、3号機の炉心損傷の割合が約30%、1号機が約55%に達していることを確認したが当時、東電は国や自治体に対して極めて深刻な事態の「炉心溶融」の前段階の「炉心損傷」との説明を続けていた。
 基準は11年に茨城県東海村で起きたJCO臨界事故を受けて15年に作成された。東電柏崎刈羽原発の安全確保について協議する新潟県技術委員会が炉心溶融公表の遅れを指摘したことを受けて社内で調査し、今月になって基準の存在が判明したという。
 東電は24日に記者会見を開き、マニュアルの中に炉心溶融の基準があったことが分からなかったと説明。東電は会見で陳謝し、「基準を社内で共有できていなかった。今後、調査を行い、気付かなかった経緯を明らかにしたい」とした。
■求められる説明責任
 東京電力は基準を作成しておきながら、福島第一原発事故に生かさなかった。
 福島第一原発事故直後、経済産業省原子力安全・保安院は炉心溶融の見解を示していたが、東電は「炉心溶融の定義がない」として前段階の「炉心損傷」と説明し続けた。
 しかし、実際には判断基準が存在していた。震災から3日後の平成23年3月14日には基準を大きく超える割合で炉心が損傷しており、炉心溶融はその時点で判断できたはずだった。
 基準は事故前に防災訓練で使用しており、事故当時に存在を誰も指摘しなかったとは信じ難い。東電は公表遅れによる影響はなかったとするが、的確に使われていれば県民への正確な情報発信につながったはずだ。
 東電の情報公開の在り方に対する県民の不信感は根強い。今回の炉心溶融も極めて重大な事態で、原発を抱える電力事業者が今まで存在に「気付かなかった」というのは理解し難い。東電が明確に説明責任を果たさなければ過小評価のための隠蔽(いんぺい)と受け止められかねず、県民の新たな不信を招く。(本社報道部・菊池 匡起)


菅氏「東電は検証と反省を」 メルトダウン過小評価
 菅義偉官房長官は25日の記者会見で、東京電力が福島第1原発事故当初の原子炉の状況をめぐり「炉心溶融(メルトダウン)」ではないと誤った説明をしてきたことに関し「極めて遺憾だ」と強い口調で批判した。引き続き、当時の反省と検証をするよう求めた。
 東電は、炉心溶融の判断基準を明記した社内マニュアルの存在を5年間見過ごしていた。新潟県の技術委員会の求めで調査し、判明したという。
 菅氏は「原発は立地地域の理解と国民の信頼が無ければ成り立たない」と強調。東電に対し「経済産業省から厳しく指導したい」と述べた上で、新潟県など関係地に丁寧に説明するよう要請した。


文化庁、一部機能を除き京都へ 地方移転の方針原案に明記
 中央省庁の地方移転に関する政府の基本方針原案の概要が25日、明らかになった。京都府が要望している文化庁は、外交関係や国会対応、企画立案などの機能を除き移転すると明記した。文化庁長官のほか、文化財保護を担う部局や、国内の文化振興に関する部局の大半が検討対象になるとみられる。
 国会対応などを理由に移転に消極的だった省庁側の意見を一部取り入れつつ、地方側の要望も反映させた形だ。
 具体的な移転対象の部署や時期は、国や自治体などによる協議会を新設して年内をめどに決定する。政府は関係省庁や与党と調整し、3月末までに基本方針を決める。


京大入試、今年はカービィ登場 恒例の折田先生像変身
 2次試験が始まった京都大の吉田南キャンパス(京都市左京区)に25日、恒例の「折田先生像」が登場した。今年は、任天堂のゲームキャラクター「カービィ」になり、手を振って試験に挑む受験生にエールを贈った。
 張りぼての折田先生像は、同地にあった旧制三高初代校長・折田彦市の銅像にちなんで毎年出現する。制作者は謎のままだ。
 カービィは、吸い込んだ相手の能力をコピーするのが特徴。受験生には「コピペ」に頼らないよう、反面教師にしてほしい−との思いを込めたのかも。


国公立大2次試験始まる
国公立大学の2次試験が25日から始まり、関西各地でも受験生が試験に臨んでいます。
このうち、京都市左京区の京都大学では10の学部すべてで入学試験が行われ、7700人余りが試験に臨んでいます。
受験生は午前8時すぎから集まり始め、高校や予備校の関係者などから激励を受けながら、試験会場に向かいました。
京都大学は、通信や計算の機能を備えた腕時計型の「ウエアラブル端末」が悪用されるのを防ぐため、今回の2次試験から私物の時計の使用をすべて禁止しました。
試験会場では、大学の職員が腕時計などをかばんの中に入れるよう指示し、▼終了30分前と10分前に時刻を知らせることや、▼壁にかけた時計が見えにくい場合は試験監督の担当者が時刻を伝えることなどを説明しました。
文部科学省によりますと、全国の国公立大学の2次試験の志願者はあわせて47万人余りで、平均の倍率は去年とほぼ同じ4.7倍となっています。
京都大学の入学試験は学部によって26日または27日まで行われ、合格発表は3月9日に行われます。


梅田事故 運転中に病気発症か
大阪の阪急・梅田駅前の交差点で、乗用車が歩行者を次々にはねて、運転手を含む2人が死亡、9人が重軽傷を負った事故で、当時、運転手が、心臓の近くの血管が破裂する病気を発症して意識を失っていた可能性があることが、捜査関係者への取材で分かりました。
警察は、正常な運転ができない状態で赤信号の交差点に進入したとみて調べています。
きょう午後0時半すぎ、大阪の阪急・梅田駅前のスクランブル交差点で、乗用車が、横断歩道を渡っていた歩行者を次々にはねたあと歩道に乗り上げ、さらに歩行者をはねました。
この事故で、歩行者の50代の男性と乗用車を運転していた50代の男性が死亡し、歩行者の20代の女性が意識不明の重体となるなど、9人が重軽傷を負いました。
警察が、運転していた男性の遺体などを調べたところ、運転中に、心臓の近くの血管が破裂する突発性の病気を発症して意識を失っていた可能性があることが、捜査関係者への取材で分かりました。
警察は、正常な運転ができない状態で、スピードを落とさないまま赤信号の交差点に進入したとみて、健康状態や医療機関の受診状況を調べるとともに、司法解剖して、詳しい死因を特定することにしています。
事故があった大阪・梅田は、JR大阪駅や私鉄のターミナル駅、それに、百貨店や家電量販店などが集まる大阪を代表する繁華街で、事故当時は、大勢の人でにぎわっていました。


同一労働賃金/実現へハードルは高いが
 正社員と非正規社員の格差是正を目指す「同一労働同一賃金」の議論が本格化してきた。
 安倍晋三首相が施政方針演説で打ち出し、予算委員会で法制化に言及した。法制化に先立ち、1億総活躍国民会議の議論もスタートした。どのような場合に正社員と非正規社員の賃金差が許容されるかを示す指針を年内に作成するという。
 同一労働同一賃金の実現には越えねばならないハードルは高い。
 そもそも定義自体があいまいだ。同じ仕事内容なら同じ賃金水準にする「均等」を目指すのか。仕事の責任や転勤の有無を考慮してバランスを取る「均衡」にとどめるのか。まずは根本的な議論が要る。
 日本の年功序列型賃金の抜本的な見直しが必要という指摘もある。
 企業にとっては、非正規の賃金の底上げは負担増につながるとの懸念は根強い。一方で、正社員の待遇を引き下げる可能性もあり、正社員側の反発も予想される。
 だが、非正規社員の月給は正社員の6割で、賃金格差は依然大きいままだ。フルタイム労働者に対するパートタイム労働者の時間当たりの賃金水準はフランス約9割、ドイツ約8割に対し、日本は約6割にとどまる。国際的にも差は歴然だ。
 低賃金の非正規雇用の増加が結婚や出産を阻み、少子化の要因にもなっている。非正規の待遇改善を急がねばらならない。
 厚生労働省は非正規の正社員化などを進める「正社員転換・待遇改善実現プラン」をまとめた。非正規雇用は約2千万人に上り、そのうち約2割は正社員を希望しているのに機会がない「不本意非正規労働者」という。とくに、25〜34歳では約3割と他の年齢層よりも割合が高い。
 プランは2020年度までに不本意非正規の正社員への転換などを進め、その比率を10%以下に半減する。若年層の不本意非正規は現状から半減を目指す。
 具体策として、正社員就職を後押しするため既卒3年以内の若者や中退者を採用した場合の助成金制度を創設する。フリーターやニート、ひきこもりの人にはトライアル雇用奨励金の活用や相談、職業訓練などの支援を続ける。
 非正規の待遇改善には、こうした若い世代への支援を着実に実行していくことも欠かせない。


米軍ごみ 治外法権が諸悪の根源
 米軍は日本のルールを守らない。これもその実例の一つであろう。
 県内の米軍基地が2014年度に排出した一般廃棄物(ごみ)が2万3064トンだったことが分かった。米軍は11年を最後に軍人・軍属・家族の総数を公表していないため詳細は不明だが、仮に11年の人数で割ると1人1日当たり排出量は1335グラムとなる。県民830グラム(13年度)の1・6倍だ。
 米軍は、県民と同じ程度には分別を実行していない。そう考えない限り、説明がつかない開きである。分別を実行していないなら、注射針などの危険ごみが一般廃棄物に紛れている恐れもある。危険極まりない。
 問題は、なぜこうなったかだ。
 日米地位協定第3条により、日本にある米軍基地は米軍が全ての権限を持ち(排他的管理権)、日本側は口出しできない仕組みである。基地内に日本の法令を適用しない、すなわち治外法権としているのだから、ごみの排出ルールが守られないのも当然だ。治外法権を許す「不平等条約」を放置する限り、この種の問題が繰り返されるのはいわば必然なのである。
 この排他的管理権は、諸外国の米軍基地も同じだと思われがちだが、間違いだ。ドイツにある米軍基地はドイツ国内法順守が義務付けられ、韓国で環境汚染があれば米国が浄化の義務を負う。
 現状を抜本的に是正するのは、日米地位協定の排他的管理権を改めない限り不可能である。政府は抜本改定を交渉すべきだ。もししないのなら、外交・安全保障を「国の専管事項」とせず、少なくとも在沖米軍基地に関しては交渉権を沖縄に委ねるのが筋であろう。
 県環境部は、基地からの1人当たり排出量は県民の2倍程度とみている。米軍の排出量は過去5年間、2万トン台で推移しており、抜本的減量化には程遠いのが現状だ。
 米軍基地は、沖縄側の意思を問うことなく日米両政府が勝手に沖縄に置いているのだから、政府には現状を改める義務がある。最低限、ごみ分別ルールの順守を要求すべきだ。そしてその交渉結果を県民に開示してもらいたい。
 さらに言えば、廃棄物、なかんずく危険ごみ・有害ごみは米国に持ち帰らせるのが筋だ。少なくとも、県が求めているように、米国の責任で廃棄物焼却施設なども整備させたい。基地返還時の米国の原状回復も義務付けるべきだ

住民票/サボってた家計簿少し記入

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Au Japon, l'opinion publique craint l'invasion des casinos
REPORTAGE - Les autorités nationales veulent légaliser le jeu à grande échelle pour attirer les touristes. Une mesure qui suscite pourtant l'inquiétude et le rejet.

À Kobe/Tottori
La session parlementaire qui s'ouvre au Japon en avril prochain pourrait entériner définitivement l'adoption d'une réforme majeure au Japon: la légalisation des établissements de jeu. A la clé: un marché potentiel de 40 milliards de dollars soit environ 1% du PIB, selon les observateurs. Le Parti libéral-démocrate (conservateur) de Shinzô Abe y est largement favorable. Problème: c'est très loin d'être le cas de l'opinion publique.
≪Baisse de la morale≫
En octobre 2014, avant la présentation du projet de loi devant la Diète, un sondage publié par le quotidien Asahi Shimbun indiquait que seules 30 % des personnes interrogées soutenaient la mesure. Au fur et à mesure des débats, malgré le soutien dont bénéficie pourtant Shinzô Abe dans l'opinion, l'adhésion populaire n'est jamais remontée. Les Japonais ne sont guère enthousiastes à l'idée de voir leur pays se couvrir de ≪resorts≫, dans le style de Las Vegas, pour attirer la manne des touristes asiatiques. La mesure devait être l'un des atouts majeurs du développement touristique du Japon en vue des JO de Tokyo en 2020. Elle est sans cesse repoussée, avant de revenir sur la table à chaque session parlementaire.
Mais la méfiance envers la mesure ne s'arrête pas à la seule opinion publique. La fronde vient aussi des ≪gouverneurs≫ (les têtes des exécutifs des 47 préfectures japonaises), y compris ceux soutenus par la majorité dirigeante. Plus particulièrement ceux des préfectures les plus rurales du Japon qui refusent que la seule opportunité de développement qui leur soit proposée passe par le tapis vert et les bandits manchots. ≪Je suis fermement opposé à la présence d'un quelconque casino sur la préfecture que je dirige≫, affirme sans ambiguité au Figaro Toshizô Ido, le gouverneur conservateur de la préfecture du Hyôgo (centre de l'île principale). Et celui qui a été pourtant soutenu par le parti de Shinzô Abe n'hésite pas à porter le débat sur le terrain des valeurs: ≪Les casinos ont un impact négatif majeur sur la société, des effets nocifs sur les jeunes et entraînent une baisse de la morale en développant l'idée que l'on peut gagner de l'argent sans travailler≫.
Même son de cloche chez Shinji Hirai, le gouverneur de la préfecture de Tottori (sud de l'île principale), la moins peuplée et l'une des plus reculées: ≪Nous avons d'autres ambitions que le jeu d'argent pour développer notre territoire. Nous croyons plutôt en des valeurs comme la nature ou la culture, plutôt que les casinos≫. A l'inverse, Tôru Hashimoto le maire d'Osaka, deuxième pôle urbain du pays, a déjà fait part de son vif intérêt pour de tels établissements. Mais la personnalité de ce politique iconoclaste cristallise à elle seule la peur des Japonais envers les casinos: l'homme , à l'origine un avocat médiatique, fils d'un membre de la pègre, a fondé un parti ultranationaliste, et apprécie les déclarations politiques tonitruantes. S'il domine dans son fief politique, il inspire plutôt la crainte dans le reste du pays...
Pari perdant?
Et les craintes des Japonais se focalisent aussi sur les risques pour la santé publique des locaux de vouloir installer des casinos pour attirer les visiteurs étrangers. Les opposants au projet de loi mettent ainsi en avant une étude du ministère de la Santé rappelant que 5,36 millions de Japonais souffrent déjà de problèmes liés aux rares formes de jeu autorisées dans le pays (le pachinko et les paris sportifs principalement) soit 4,8 % de la population adulte. De quoi faire craindre le pire pour les opposants quand plus rien n'empêchera le jeu d'argent de se généraliser.
Et cette mesure, probablement sans retour quand l'on considère l'importance des infrastructures à mettre en place, pourrait bien s'avérer moins rentable que prévu. Si le Japon lorgne sur le pactole de Macao, qui légalise le jeu (et accessoirement la prostitution) ce qui apporte au microscopique territoire 30 millions de visiteurs annuels (le Japon n'en recevant que 20), la donne du moment pourrait faire déchanter les optimistes. Durement touché par la perte de dynamisme de l'économie chinoise, qui alimente de fait la mono-activité de Macao, la croissance du territoire pour 2015 affiche le chiffre terrifiant de... -23%. La faute à des casinos qui commencent à sonner creux, par manque d'argent à y perdre. De quoi faire réfléchir Tokyo, avant de miser sur cette activité
Japon: des poupées sexuelles infantiles pour lutter contre la pédophilie?
Une société japonaise s'est lancée dans la fabrication de poupées gonflables sexuelles à l'effigie de petites filles. Si ce business sordide fait polémique, pour son patron Shin Takagi, il s'agit d'un moyen efficace pour combattre les abus sexuels sur mineurs.
La poupée gonflable infantile est-elle une forme de pédophilie "éthique" de nature à combattre les abus sexuels sur mineurs ? C'est en tout cas ce que défend Shin Takagi, dirigeant de l'entreprise Trottla, qui produit des poupées sexuelles représentant des petites filles, parfois âgées de 5 ans.
Lors d'un entretien accordé à The Atlantic, le fondateur de l'entreprise japonaise avance que le lancement de ces poupées vise à "aider les gens à exprimer leurs désirs légalement et de manière éthique". En témoignent selon lui, les nombreux courriers de remerciement qu'il recoit.
La poupée sexuelle infantile, un appel à la pédophilie?
Mais qu'en est-il de l'opinion générale? Car si Shin Takagi prête un aspect "thérapeutique" à son business, les internautes eux, n'ont pas tardé à réagir avec effroi devant son caractère sordide. Certains même affirment que le chef d'entreprise "appelle directement à la pédophilie" en encourageant la vente de poupée sexuelles représentant des enfants.
"Je pense que cela encourage (les pédophiles, NDLR), tôt ou tard, ils voudront avoir une personne réelle plutôt que du plastique", réagit un lecteur du journal britannique The Independent. "Dégouttant", "absurde", "ridicule"... Les réactions des internautes sont sans appel.
C'est seulement le 18 juin 2014 que le parlement japonais a adopté une législation interdisant la possession de matériel pornographique mettant en scène des enfants, alors que le nombre de cas de pornographie infantile était en recrudescence depuis 2008.
フランス語
フランス語の勉強?

いろいろ考えて住民票をとりにいくことにしました.200円です.意外に早く済みました.
2月になってサボっていた家計簿を少し頑張りました.でもまだまだなんですが・・・
学生の頃,というとだいぶ前ですが,美穂という女子がいたのを思い出しました.ミホは・・・とよく言ってました.野球部の権(ゴン)ちゃんを叱ったのも思い出しました.教えていて泣きそうになってこっちが困りました.2人とも今はどうしているでしょうか?

<3.11と今>夢でもいい。私の前に
 震災の最大被災地の一つ石巻市で、門脇・南浜地区は広域的に壊滅した。深い喪失を突き付けられた人々はどんな思いで5年の時を刻み、いまどこに向かおうとしているのだろうか。
◎壊滅したまち 石巻市門脇・南浜(上)会いたい
 東日本大震災で行方不明だった宮城県石巻市南浜町の女性の右大腿(だいたい)骨の一部が発見され、ことし1月下旬、5年越しで遺族の元に戻った。門脇・南浜地区のがれき分別場で見つかった。
 家族3人を失った加藤啓子さん(65)はそのニュースに驚いた。「もしかしたら…」。かすかな期待を抱かずにはいられなかった。
 あの日まで門脇町の自宅兼店舗で夫和行さん=当時(60)=、父吉一さん=同(87)=、叔父郁男さん=同(81)=と同居していた。
 門脇・南浜地区は今も150人の行方が分からない。行方不明者の率は27.8%。市全体の11.7%よりもはるかに高い。
 夫と父も含まれている。「会いたい。会いたい。会いたい」。思いが募る。
 「加藤屋商店」で燃料を扱っていた。地震後、和行さんは「気になる年寄りがいる」と車で店を飛び出し、吉一さんは「2階にいる」と言った。
 先に避難した啓子さんは、門脇や南浜を一望する日和山に向かう階段を上りながら振り返った。自宅が津波に流されていった。体が硬直した。
 どうして引き留めなかったのか。どうして一緒に逃げなかったのか。自分を責めた。「ごめんね、ごめんね」。避難先から人けのない自宅跡に通っては、がれきに隠れて大声で泣いた。
 子どももいない。生きる意味を見失った。「みんなのところに行く」。病院でもらった睡眠導入剤をため込み、身辺を整理した。
 「今日はクリスマス。何でひとりぼっちにさせたの」「結婚記念日だよ。どこにも連れて行ってくれないんだね」
 寂しくて、携帯電話で夫に届かないメールを作成しては、保存を繰り返した。
 思い詰めた自分を支えてくれたのは、生まれ育った門脇の幼なじみや町内会の友人たちだった。
 かつては毎年一緒に旅行に出掛け、自宅でもカラオケなどで盛り上がった。震災でちりぢりになった。
 町内会は解散したが、同い年の相沢えよ子さん(65)らがまた旅行に誘ってくれた。楽しむことがつらくて断っていた。何度も誘われ参加するようになった。
 仲間の一人が暮らす仮設住宅の集会所で手芸をしたりと交流が続いた。「少しずつ気持ちが強くなれた」
 自宅跡地周辺は住宅地にするための復興事業が進む。花を供えられなくなり、ついに立ち入り禁止になった。足が遠のいた。市内の別の場所に建てた自宅で仏壇に手を合わせ、月命日に墓参する。心は落ち着くが、遺骨がないことに申し訳なさも感じる。
 南浜地区には犠牲者を追悼する復興祈念公園が整備される。夫や父のようなたくさんの行方不明者がそのどこかにいるかもしれない。複雑な気持ちになる。
 捜索するにも自分一人ではどうしようもない。地域全体の土をくまなく掘り起こしてほしい。一方で復興を遅らせるのは心苦しい。
 「かんちゃん(和行さん)おっとやん(吉一さん)どこにいるの? 夢でもいい。お化けでもいい。私の前に来て、どこにいるのか教えて。一日も早く私の元に帰ってきてください」(坂井直人)
[石巻市門脇・南浜地区] 日和山(56メートル)の南側に位置し震災前は約2000世帯、約4700人が暮らしていた。震災で死者389人(石巻市全体の12%)、行方不明者150人(同35%)と市内で最大規模の被害を受けた。市は門脇に災害公営住宅や宅地を造る一方、南浜全域を災害危険区域に指定。宮城県と復興祈念公園を整備する。


「被災地で幽霊」社会的背景は
東日本大震災の被災地で語られる、「幽霊を見た」という体験について、その社会的な背景を探ろうというシンポジウムが、仙台市で開かれました。
このシンポジウムは、東北学院大学の教授などが開いたもので、会場となった、仙台市青葉区の大学のホールには大学の研究者など150人が集まりました。
シンポジウムでは、まず、大学4年生の工藤優花さんが石巻市や気仙沼市で、タクシーの運転手から聞き取った、「幽霊を見た」という体験について発表しました。
体験を語った人たちから、「恐怖心」よりも「震災の犠牲者を敬う感情」がみられたということで、発表した工藤さんは、こうした現象が語られる背景には震災で生き残ったことに対する負い目があるのではないかと指摘しました。
このあと、宗教学者や栗原市の寺の住職などが講演し、震災をきっかけに、死に対する考え方や心の変化について発表が行われ、集まった人たちは震災からまもなく5年を迎えるのを前に、命の大切さを改めて感じ取っている様子でした。


自動車学校訴訟高裁が和解勧告
東日本大震災の津波で犠牲になった山元町にある常磐山元自動車学校の教習生などの遺族が損害賠償を求めている裁判で、仙台高等裁判所は、和解を勧告しました。
仙台高裁での、津波の犠牲者の遺族などが訴えた裁判では、これまでに石巻市の日和幼稚園を巡る裁判などで和解が成立しています。
震災の津波で犠牲になった山元町にある常磐山元自動車学校の教習生など26人の遺族は、学校側に対し、大津波を予測し迅速に避難させていれば被害を防ぐことができたとして、損害賠償を求めています。
1審の仙台地方裁判所は去年1月、「学校は速やかに教習生らを避難させる義務があった」と指摘し、学校側に19億円あまりの支払いを命じる判決を言い渡し、これを不服とする学校側と一部の遺族が控訴しています。
24日の裁判で仙台高等裁判所の小野洋一裁判長は、、「和解で解決できれば最善と判断した」と述べ、和解を勧告しました。
仙台高裁での、津波の犠牲者の遺族などが訴えた裁判では、これまでに▼石巻市の日和幼稚園を巡る裁判と、▼山元町にある東保育所を巡る裁判の一部の遺族について、和解が成立しています。


<高田診療所>被災者ケア4年半、3月閉鎖へ
 岩手県医師会が東日本大震災後、岩手県陸前高田市に開設した週末診療の高田診療所が3月末で閉鎖される。医師会が役目を終えたと判断した。診療科のうち心の不調をケアする心療内科は、震災からほぼ5年たっても受診者が絶えない。4月以降は県立高田病院が引き継ぐことを決めている。
 高田診療所は2011年8月に開業。同10月に設けた心療内科は、カウンセリングや投薬など心身両面の診療で不調の原因を和らげたり、取り除いたりする。
 昨年12月までの診療所全体の受診者は約2万7000人。うち心療内科の延べ受診者は約2500人と9%余りを占める。14年は667人、15年は592人が受診した。
 高田病院の田畑潔院長は「5年が経過してもケアを必要とする人は一定数いる。仮設の病院でスペースやスタッフは厳しいが、可能な限り対応する」と引き継ぐ意義を説明する。
 市内の仮設住宅に住む女性(77)は1年ほど前に夫を病気で亡くし、将来への不安から不眠を訴え心療内科に通い始めた。
 「内科だと薬の治療だけ。心療内科は先生が話を聞いてくれるので精神的に軽くなった。廃止されたら自分で我慢するしかないので助かります」と存続に安堵(あんど)する。
 昨年11月に盛岡市であった日本心療内科学会のシンポジウムでは「妻を亡くし、張り詰めた気持ちから腹痛や下痢が続く」「自分だけ被災していないのがつらく、眠れない」など被災地の症例が報告された。県内の心療内科医は「震災による環境変化で不調を訴える人はいまも多い」と実態を強調した。
 県立高田病院で診療は続くが、態勢は厳しい。心療内科医はもともと少なく、岩手県内でも十数人、沿岸にはほとんどいない。現在は県内外の医師が交代で派遣されているが、4月以降は平日診療となるため、開業医の協力は得にくくなる。
 高田診療所への応援医師の調整役を担い、診察にも出向く岩手医大の鈴木順准教授は「これまでより少ない人数で対応せざるを得ず、永続的な診療は難しい。態勢を維持しつつ、被災地で受け継ぐための支援も考えなければならない」と話す。


震災の記憶を立体映像で体験
東日本大震災の発生からまもなく5年になるのにあわせて震災の記憶を伝えようと、被災地の震災遺構などを立体的に映し出した映像を体験できる上映会が、仙台市で始まりました。
この上映会は、東北大学などが震災の記憶を広く伝えようと、仙台市の宮城県議会の庁舎で開きました。
会場では、▼震災遺構の南三陸町の防災対策庁舎や▼気仙沼市の内陸に打ち上げられその後解体された大型漁船などを、再現された3次元のデジタル映像で立体的にみることができます。
訪れた人は、特殊なゴーグルを身につけて、体や視線を動かしながら、最新技術を駆使した映像を体験していました。
地元の62歳の男性は、「自分の視点を変えると立体的に見ることができておもしろかった。震災の記憶はいろいろな形で残すことが大事だ」と話していました。
この上映会は、来月3日まで県議会庁舎1階のラウンジで行われています。


<検証水産業>活路求めて漁場改革
 震災で大きな被害を受けた東北沿岸部の水産業はこの5年、着実に復興の道を歩んできた。しかし、販路喪失、加工会社の人手不足など直面する課題は多く、なお波高しだ。
◎震災5年へ(上)養殖
 東日本大震災の津波で大打撃を受けた三陸の養殖現場が、再建途上で試練を迎えている。
 ホヤの一大産地として知られる宮城県女川町。県漁協女川町支所の約110人がホヤの養殖に取り組む。
 同町竹浦の阿部次夫さん(64)は4日、漁船を操りホヤ養殖場へ向かった。2〜3年かけて丹念に育てたホヤの状態を確かめる。水揚げを春に控え、その表情に笑みはない。
 「生産量はある程度、元の水準に回復したけれど、販売先がない。先が見えなくなってきた」
 震災で養殖いかだや漁船、ホヤの種などを失い、1億円近い損害が出た。会社を辞めた長男(27)が後継の道を歩み始めたばかりの時期だった。
 宮城県産ホヤは震災前、約8000トン水揚げされ、その7〜8割が韓国で消費された。阿部さんも大半を韓国へ輸出し、年間収入は約1500万円に上った。韓国では「3年物」のニーズがあり、ほぼ1年を通して出荷できた。日本ではより成熟した「4年物」が主に取引され、出荷は3〜8月ごろに限られる。
<禁輸解除望む>
 「何年か辛抱して育てれば、活路を見いだせるのではないか」。震災後、阿部さんは竹浦の仲間とグループを結成。被災した養殖漁業者への国の支援を受け、再起を図った。
 だが、韓国は2013年9月、東京電力福島第1原発事故の影響を理由に岩手、宮城、福島など8県の水産物の輸入を禁止。日本の生産量の90%以上を占める岩手、宮城産のホヤが韓国に輸出できない状態が続く。
 ホヤは関東や西日本では消費が少なく、国内では供給が需要を上回り、単価が下落している。阿部さんは生活費を賄うためホヤの生産を減らし、ワカメやカキの養殖も考える。「震災前は想像できなかった状況。一日も早く韓国が輸入を再開してほしい」と訴える。
 震災を機に、カキ養殖の品質や労働環境を向上させる動きが、宮城県南三陸町で芽生えている。
 同町戸倉のカキ養殖場は環境に配慮した養殖を後押しするASC(水産養殖管理協議会)の国際認証取得を目指す。昨年11月に審査があり、3月にも認証を受けられる見込み。養殖場の認証は国内で例がない。
<作業効率向上>
 「震災前の養殖は自然を征服し、力でねじ伏せてきた面があった」。県漁協志津川支所戸倉出張所カキ部会長の後藤清広さん(55)は反省する。
 カキ部会は従来の「力」を自ら削り、あえて養殖いかだを震災前と比べ3分の1に減らす「漁場改革」を断行した。一粒一粒に栄養分が行き渡るようになり、成育期間は2〜3年から1年に短縮された。
 改革で作業効率は向上。朝から夕方までかかっていた収穫作業は午前中で終わる。カキの殻が3年物よりも薄く軽くなり、小型船でも収容できるため燃料代が節約できる。女性たちの殻むき作業も楽になった。
 ASCの認証取得となれば、海外への販路も開けるはず。後藤さんは「若い世代に自信を持ってこの仕事を薦められる。研究を重ね、強い1次産業として漁業を盛り上げたい」と語る。(水野良将、古賀佑美)


<検証水産業>営業力強化を 異業種連携鍵に
 東日本大震災の被災地の漁業・水産加工業に打開策はあるか。マーケティングや営業力強化といった観点から、被災企業と新たなビジネスモデル構築に挑む石巻専修大の石原慎士教授(地域産業論)に聞いた。(聞き手は丹野綾子)
 −販路が戻らない要因は何か。
 「震災前からの問題で、国内は水産物の消費が低迷する一方、海外に競合する加工場が増えた。水産資源が減り、人口も減る国内では今後も消費拡大は見込めず、ビジネスの仕方を変えなければならない。欧州連合(EU)などへの輸出を目指し高度衛生管理型の魚市場や加工場が再建されたが、ハード整備以前にまず衛生基準が厳格なEUにどれだけ売れるか調べるべきだった」
 「特に石巻の水産加工業界は原魚を業務用に加工する会社が多く、最終製品まで手掛けて消費者に売り込む製品力と営業力が弱かった。高価格でも質が高くて安心な国内製品を好んで買う消費者がいるし、流通業者も積極的な提案を喜ぶ。それには営業力が必要だ」
 −漁業では6次産業化に取り組む生産者も現れたが、成功事例は少ない。
 「国は6次化の主体を漁業者や農家と位置付け、加工、販売までやれと旗を振った。しかし資金や販売ノウハウ、販路などを考えれば漁業者や農家だけでは難しい。異業種が手を組んで組織化し、互いの強みを生かすことが重要になる」
 −具体的には。
 「石巻市の飯野川地区に伝わるサバだしや地元産の小麦を使った『サバだしラーメン』を開発し、2011年から地元飲食店が販売している。マーケティングや商品開発を学ぶ学生が水産加工業者と農事組合法人、製麺業者、商店街に呼び掛けて生み出した。家庭用やカップラーメンにもなり、20万食以上売れた」
 −連携の鍵は。
「単に原料をやりとりするのではなく、対等なパートナーシップで市場動向も調べながら取り組んだ。売れるとなれば各企業の意欲も高まり、ひいては地域の産業活性化につながる」
 「収益性を高めるためには、顧客が望むものを作るマーケットインの発想が不可欠だ。異業種をつなぐコーディネーターも重要で、大学を含め産業活性化を長期的に支援する体制づくりが求められる」


<検証水産業>進む施設復旧 水揚げは8割
 東日本大震災で大打撃を受けた岩手、宮城、福島の水産業。岩手や宮城ではこの5年で漁港や漁船など生産施設・設備の復旧が順調に進み水揚げが戻りつつあるが、加工業などで肝心の販路が回復せず、売り上げが伸びない傾向が続く。一方、福島では東京電力福島第1原発事故が重くのしかかかり、本格操業に至っていない。
 岩手、宮城、福島3県の水産業の復旧状況は地図中の表の通り。水産庁によると、漁港は震災で260漁港が被災したが、96%に当たる250漁港で水産物の陸揚げができるようになった(2015年11月末現在、部分的可能な場合を含む)。
 岩手、宮城の養殖施設は再開希望者の施設の整備が、14年3月末で既に完了。福島を加えた3県で再開を希望する水産加工業は、824施設のうち85%の699施設で業務を再開した(15年9月末現在)。
 漁船は3県で2万6173隻が被災した(稼働していなかった船も含む)。3県の漁船復旧目標に対する稼働可能漁船数の割合は、岩手97%(15年12月末現在)、宮城96%(16年1月末現在)とほぼ復旧が完了。福島も79%(15年9月末現在)まで戻している(各県調べ)。
 3県の主な漁港の水揚げ量と金額の推移は地図右のグラフの通り。3県全体では震災前に比べ、水揚げ量でおよそ80%、金額で87%まで回復した。
 石巻では15年、年間水揚げ金額が震災前の10年と同じ180億円台に乗った。気仙沼でも15年、震災後初めて200億円の大台を突破。宮古では15年はサンマやサケの不漁により伸び悩んだものの、14年は震災前と同じ71億円台に戻した。
 一方、東京電力福島第1原発事故の影響が続く福島県浜通り沿岸部では、操業自粛が続き、先が見通せない。遠洋のカツオ、サンマ漁船が入港する小名浜は、震災前に比べ水揚げ量で52%、金額で34%にとどまる。
 今後の課題について岩手県は「ハード面では整備が進んだが、販路回復や担い手確保に時間がかかる」(水産振興課)。宮城県は「水産物の消費拡大にさらに力を入れる必要がある」(水産業振興課)とみる。
 一方、福島県は「一刻も早い操業再開を目指す。試験操業拡大の努力を続け、本格操業のタイミングを探りたい」(水産課)としている。


<再生の針路>仙台/住宅再建の柱達成へ
 東日本大震災の発生から間もなく5年。大津波の爪痕は徐々に薄れ、復興の息吹を感じさせるまち、人、暮らしの風景が広がってきた。一方で、人口減、産業再生、被災者の心のケアなど、被災自治体が抱える課題は難しさを増す。復興のかじを握る沿岸15市町の首長に、被災地の今と展望を聞く。
◎震災5年 被災地の首長に聞く(1)奥山恵美子市長
 −復興の進捗(しんちょく)状況をどう見るか。
 「住まい再建の3本柱としてきた宅地被害の回復と復興公営住宅の建設、防災集団移転を本年度中に達成できる見込みとなった。5年間の復興事業の成果と言える」
 「一方、かさ上げ道路の整備や宮城野区蒲生地区の土地区画整理事業にはまだ4、5年かかる。コミュニティーの再生や生活再建に課題がある人への継続的な支援も必要だ。市東部では農地整備が続いており、大規模化した農地で出荷して初めて農業が復興したと言える。復興の達成度は65〜70%だろう」
<職員派遣を継続>
 −市の復興計画は本年度で終了する。
 「どこの被災自治体も喉から手が出るほどマンパワーを欲している。専門職が多くいる政令市として引き続き応援職員を派遣する」
 −震災後、人口増が続く仙台には「独り勝ち」との意見もある。先日の記者会見では「葉が茂るには根が豊かでないといけない」と述べた。
 「東北の地域経済が持続可能な形で回っていなければ、仙台がどれだけ栄えたとしても、(経済的資源を)使い尽くしてしまえば先はないということだ」
 「市は国の地方創生特区に指定されている。東北唯一の100万都市の責任としてもイノベーション(技術革新)に挑戦する必要がある」
 −将来的には仙台も人口減少が予想されている。
 「日本全体が人口減少社会への対応を試みる中、立ち遅れの感は否めない。先行する全国の自治体に追い付き、存在感を発揮するには相当の努力がいる。復興と地方創生の二兎(にと)を追わなければならない」
<観光で雇用創出>
 −人口減対応で仙台の役割をどう考える。
 「どれほど古里を愛していても仕事がなければ定住できない。将来の雇用創出に向けて何ができるかを考える必要がある。東北一丸となった取り組みを、まずは観光分野で始めたい。各自治体とコラボレーションし、遠回りでも相乗効果を生み出すことが大事だ」
 「被災地の交通基盤は5年間で急回復した。三陸自動車道の整備前倒しや常磐自動車道の全線開通、JR仙石線仙台−石巻間の所要時間短縮に続き、3月には市のIC乗車券イクスカとJR東日本のSuica(スイカ)の相互利用が始まる。こうした動きを復興から先に向かうバネと考えるべきだ。仙台はそのバネを生かす音頭取りや仕組みづくりに力を尽くしたい」(聞き手は報道部・関川洋平)


<アーカイブ大震災>自治体超え異例の同居
 東日本大震災で校舎が被災した岩手県大槌町大槌小(児童205人)と岩手県山田町船越小(児童159人)は、山田町にある県の研修施設「陸中海岸青少年の家」を一緒に間借りしている。自治体が異なる2校の「寄り合い所帯」は、不慣れな施設で可能な限りの教育機能を果たそうとしている。「授業に支障が出ないように」。さまざまな制約の中、教職員らは施設利用の調整に苦心を重ねている。
◎学校で何が(5)寄り合い所帯(岩手・山田町の船越小と大槌町の大槌小)
 朝の登校時間、2校の児童を乗せた9台の通学バスが、続々と青少年の家に到着する。2011年7月5日はボランティアの男性が扮(ふん)するピエロが、皿回しを披露して出迎えた。児童は大喜びでピエロに「おはよう」とあいさつし「校舎」に入った。
 「今日は朝から元気いっぱいね」。大槌小の小野寺美恵子校長(58)は笑みを浮かべた。
 震災前と環境はがらりと変わったが、子どもたちの元気な姿が学校に徐々に戻ってきている。
 2校は校舎が震災の被害に遭い、使用不能になった。それぞれ他校を間借りすることも考えたが、受け入れ人数に限りがあった。
 山田、大槌の両町教委ともに「児童を離れ離れにしたくない」と、一校丸ごと入れる施設を探した。たどり着いたのが、大槌小から直線で約7キロ、船越小からは約4キロ離れた青少年の家だった。
 異例の学校生活は4月下旬に始まった。
 2校は青少年の家の体育館や研修室を間借りしている。高さ約2メートルの板材の間仕切りや段ボールを使い、2校の計12学級の教室と職員室のスペースを設けた。
 震災前のそれぞれの学校と比べると、不自由さは否めない。
 間仕切りがあっても隣のクラスの声が聞こえ、気になることも多い。顕微鏡などの器具がそろわず、理科の実験も満足にできない。体育はグラウンドで行うが、プールはない。雨の日は体育館を使いたいところだが、既に職員室や教室に転用されてしまっている。
 子どもたちが落ち着きを取り戻せるように、授業を最優先させたため、船越小は5月に開催予定の運動会を10月に、大槌小は修学旅行や遠足を2学期に延期した。
 「制約は覚悟していた。それでも工夫し、できる範囲で取り組んでいる」。船越小の佐々木道雄校長(54)は説明する。
 ある学級の音楽の時間には、隣の学級は外で体育の授業。グラウンドの使用が重なる時は片方に広く割り当て、もう一方は狭い方を使い、次の機会に入れ替える。
 演奏家や著名人の慰問があるときは、互いに参加を呼び掛けるなど交流も図った。「できないこともあるが、この場所だからできることもある」。2校の校長は口をそろえる。
 そんな教育現場の「寄り合い所帯」も今月下旬に始まる夏休みが明けると、解消される。
 大槌小が、大槌町寺野地区に9月に完成する見込みの仮設校舎へ、被災した同町の小中学校計4校とともに移るからだ。
 町教委の鎌田精造学務課長(50)は「児童や教職員の負担を軽くする意味でも、一日も早く町内で学校生活を送らせてあげたい」と言う。
 残る船越小は大槌小の移転で、体育館や研修室を広く使えるようになるが、青少年の家での間借りは少なくとも2012年度まで続く見通しだ。
 山田町教委の甲斐谷義昭教育次長(56)は「仮設ではなく、本校舎の新築を考えている。少しでも早く建てたい」と強調する。(布施谷吉一)=2011年7月9日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


生もの品質キープし急速解凍 レンジ開発
 魚介類など「生もの」の品質を保ったまま急速解凍する電子レンジ「電磁波解凍機」を、東北大大学院農学研究科の佐藤実教授(水産化学)のグループが開発した。東日本大震災で被災した企業と連携して製品化を目指したいとしている。
 これまで8台を試作し、家庭用電子レンジ程度の小型化を実現。昨年末に仙台国際センター(仙台市青葉区)であった「東北大イノベーションフェア」にも出品された。
 普及している家庭用電子レンジ(2450メガヘルツ)でも生ものの解凍はできるが、均等な解凍は至難で表面に火が通ってしまうこともある。一方、業務用解凍機(13メガヘルツ)は解凍するのに数時間を要するのが難点だった。
 新たな解凍機は100メガヘルツの電磁波を採用。数分間の照射で、うま味成分が「ドリップ」となってしみ出すことなく解凍できる。解凍したすしの試食会では「ネタはひんやり、シャリは人肌程度」と好評を博した。
 ただ、実用化には電波法の規制をクリアする必要がある。家庭用電子レンジや従来の業務用解凍機は電子機器に割り当てられている周波数を使用しているのに対し、新たな解凍機に用いた100メガヘルツは放送用の周波数に指定されているためだ。
 佐藤教授は「冷凍技術の進歩に比べ、解凍法は開発が遅れていた」と指摘。電波法上の問題も技術力で解決できるとしており「できれば被災地の企業と実用化を目指したい」と話している。


<点検復興創生>創造的事業と両立挑む
◎16年度宮城県予算案から(下)新たな地元負担
 ダンプカーが行き来し、ショベルカーが慌ただしく土をならす。登米市中田町の三陸自動車道登米インターチェンジ付近で、県が2020年度全線開通を目指す「みやぎ県北高速幹線道路」(全長24キロ)の建設が進む。
<建設遅れ不安も>
 県は東日本大震災後、1995年着工の県北高速を沿岸と内陸を結ぶ復興支援道路と位置付けた。集中復興期間(11〜15年度)は全額国費で97億4000万円をつぎ込んだが、15年度末の執行率は事業費ベースで3割にとどまる。
 16年度は、復興事業に地元負担が生じる復興・創生期間(〜20年度)の初年度。県は16年度の事業費32億9600万円のうち7200万円を負担する。地元からは「負担が建設の遅れにつながる」との不安も漏れるが、県土木部は「問題ない。事業は計画通り進める」と説明する。
 県北高速分をはじめ、16年度に新たに生じる地元負担は、ハード整備を中心に30事業計18億円。道路整備4億円、防潮堤建設5億円などで、橋の耐震化や漁港整備も自己負担が増える。
 県は20年度までに見込まれる負担50億円を、ほぼ県債で充当する計画。16年度末の県債残高見込みの1兆6000億円と比べると少額だが、「県の借金に変わりはない」と県幹部。財政運営への影響を危惧する。
 仮に20年度で事業が完了しなかった場合、その後も同じ負担割合で事業が継続できるかは不透明だ。20年の東京五輪需要で、被災地から資材や人手が流出するとの懸念も庁内に漂う。
<民間支援手厚く>
 復興事業に新たな地元負担が発生するというステージに立ちながら、村井嘉浩知事は自ら掲げた「創造的復興」の完遂に向かってまい進する。
 東北第1号の商用水素ステーション整備費用の一部として3億8000万円を補助。7月に完全民営化される仙台空港の活性化には1億円を拠出。東北医科薬科大(仙台市青葉区)の医学生向け修学資金の原資と新キャンパス整備補助には30億円を充てた。
 いずれも支援の直接の対象は民間だ。初当選した05年知事選当時から、民間活力の導入に力を入れる村井流が色濃くにじむ。
 村井知事は9日の予算案発表で「まいた種が花を咲かせ、実がなる時期になった」と語った。厳しい財政運営と目玉プロジェクトの両立という難題に挑む。(県政取材班)


<女川原発>30km圏住民の会発足へ
 東北電力女川原発(宮城県石巻市、女川町)の半径30キロ圏で緊急時防護措置区域(UPZ)に指定されている7市町のうち、立地2市町を除く5市町の住民がまとまり、市民団体「女川原発UPZ住民の会」を発足させる。3月12日に登米市で設立総会を開き、原発再稼働反対などを訴えていく。
 会に参加するのは、登米市の「原発問題を考える登米市民の会」、美里町の「女川原発再稼働ストップの会」、涌谷町の「女川原発の再稼動に反対する会」のメンバーと、東松島市と南三陸町の住民有志。会員数は計約200人を見込む。
 昨年秋に「ストップの会」の呼び掛けで準備を開始。原発問題への住民の関心を高める啓発活動を連携して展開したり、首長や県などに働き掛けたりする団体の方向性を議論してきた。
 当面の目標に、5市町と東北電力が昨年4月に交わした安全協定の見直しを掲げる。ストップの会事務局の自営業橋本史俊さん(61)は「協定では原発再稼働につながる設備変更の『事前了解』の権限は盛り込まれなかった。事前了解を実現し、5市町が立地自治体並みに再稼働への拒否権を持てるようにしたい」と話す。
 設立総会は3月12日午前10時半から登米市中田町のみやぎ生協加賀野店2階集会室で開かれる。専門家を講師に招いて学習会も開く予定で、一般参加も受け付ける。
 連絡先はストップの会の橋本さん090(4315)3930。


<福島第1>染水対策の「切り札」凍土遮水壁
 経済産業省と東京電力は23日、東京電力福島第1原発の地下に氷の壁を造って建屋への地下水流入量を減らす「凍土遮水壁」の設備を公開した。国や東電は汚染水対策の切り札と位置付け、ことし3月中の凍結開始を目指している。
 1〜4号機の周囲1.5キロに配管を敷設。1メートル置きに地下30メートルまで凍結管を打ち込み、マイナス30度の冷却材を循環させる。国が345億円を投じ、工事は9日に完了した。1日500トン発生している高濃度の汚染水が、氷の壁で150トンにまで減ると試算する。
 全体の95%まで凍らせる手順は決まっているが、原子力規制委員会は地下水位の急激な低下による汚染水漏れを懸念。東電に慎重な運用を求めており、凍結開始を認可していない。
 資源エネルギー庁の木野正登汚染水対策官は「遮水壁で汚染水発生量は激減する。一日も早く凍結できるよう、しっかりとしたデータを示し規制委の理解を得ることが重要」と語った。


ダイエー仙台店閉店 イオン3月12日開店
 仙台市青葉区中心部で40年以上営業してきた「ダイエー仙台店」が3月8日に閉店し、同12日に「イオン仙台店」としてリニューアルオープンすることが23日、分かった。イオンは昨年1月にダイエーを完全子会社にしており、仙台店を仙台圏の拠点に位置付ける。
 イオンは昨年9月以降、全国のダイエー88店をイオングループの事業会社に移管している。東北は仙台店だけで、管轄はイオンの事業会社イオンリテールの東北カンパニー(仙台市)に変わる。従業員約360人の雇用は継続する方針。
 売り場は4月下旬の大型連休をめどに順次、切り替える。食品は野菜、魚介など地元食材の販売に力を入れる。住まい関連や子ども向け商品、衣料品の品ぞろえも充実させる。
 イオン仙台店は総合スーパーで東北42店目。東日本大震災発生から5年の3月11日にプレオープンし、翌12日に本格営業を始める。
 家坂有朋東北カンパニー支社長は「ダイエーとイオン、両方の強みを生かす。シニア層に加え、家族連れや単身者の普段の暮らしに役立つ店をつくる。仙台、東北の情報を発信する拠点にしたい」と説明する。
 ダイエー仙台店は1975年9月9日に開店。地上8階、地下2階の売り場で、食品、衣料品、化粧品、生活雑貨などを販売してきた。震災時は2日後に営業を再開し買い物客に対応するなど市民生活を支えた。


<選挙カー問題>社民宮城県連 県警提訴へ
 昨年8月の仙台市議選太白選挙区に社民党公認で立候補し落選した猪股由美氏(37)が宮城県警の審査ミスで選挙カーを告示後2日間使えなかった問題で、社民党宮城県連などが損害賠償と慰謝料の支払いを県警に求める訴訟を起こす方針を固めたことが23日、分かった。3月1日に会合を開き、請求額を含めて正式決定する。
 社民党県連によると、猪股氏陣営は県警が誤って使用許可を出さなかったために選挙カーを計3台用意することになり、レンタル費用など約77万円の損害を受けた。猪股氏や大槻正俊選対本部長らが対応に追われ、予定していた選挙運動も制限されたとしている。
 両者の協議で県警からは、選挙カー費用の補償に約65万円、猪股氏への慰謝料として30万円の支払いが提示されたという。これに対し県連は、補償額の積み上げと陣営関係者への慰謝料が必要と判断した。
 猪股氏は市議選告示前に仙台南署であった事前審査で選挙カーの使用許可が下りず、後日申請した別の車も許可されなかった。県警捜査2課の担当者が参照した公選法の解説資料が古かったことが原因とされる。
 県警監察課は「示談が成立しなかったことは残念。訴訟の内容が分からずコメントできない」と話した。


ドカベン像存続 「残留交渉」まとまる
 新潟市の商店街にあり、撤去の危機にひんしていた人気野球漫画「ドカベン」のキャラクター銅像の存続が決まったことが23日、商店街側への取材で分かった。昨年春、作者の水島新司さんの事務所が取り除きを要請、存続を求める商店街と話し合いを重ねていた。
 水島さんは新潟市出身。同市中央区の「古町通五番町商店街」には、ドカベンの山田太郎や里中智、「あぶさん」の景浦安武といった銅像7体がある。同商店街振興組合などが2002年に設置した。
 池一樹組合理事長は「水島先生の計らいでこれまで通りとなった。市民や観光客に楽しんでほしい」とほっとした様子だった。


NHK会長 衆院総務委で差別用語、撤回
 NHKの籾井勝人会長が23日の衆院総務委員会で、聴覚障害者に対する差別用語を使い、発言を撤回する場面があった。
 籾井会長は、自身が主導し、後に断念したNHKのグループ会社による共同土地購入計画について質問を受け「こういう大問題をみんなに対して私が『つんぼ桟敷』において進めるということはない」などと述べた。
 出席者らから指摘を受け、籾井会長は「不適切な発言があり、ご迷惑をお掛けしました。心からおわび申し上げます」と発言を撤回した。


「5年内停止」市民の総意 知事、「普天間」協議再開要求へ
 県議会2月定例会の代表質問が23日、始まった。米軍普天間飛行場がある宜野湾市の市長選で佐喜真淳市長が再選されたことについて、翁長雄志知事は「現職の市長も(翁長氏が推した)こちら側の候補者も共通して(普天間飛行場の)5年以内の運用停止をしっかり実現すべきだと言った。普天間飛行場負担軽減推進会議をあらためて設置する中で物事を進められるようにしたい」と述べ、市民が運用停止を強く求めているとして、前県政で開かれていた協議の再開をあらためて政府に求めていく方針を示した。具志孝助氏(自民)への答弁。
 具志氏のほか、新垣哲司氏、新垣良俊氏(いずれも自民)が登壇した。
 宜野湾市長選について、「オール沖縄の候補が敗れたことで辺野古移設について民意が変わったとの認識はあるか」との質問に対し、町田優知事公室長は「一方の候補者は辺野古移設の是非について意見を明らかにしていない。明確な争点になっておらず、民意が変わったとは認識していない」と答えた。
 翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消し処分の取り消しを求めて国土交通相が提起した代執行訴訟で県が敗訴した場合の対応について、町田公室長は「代執行に敗訴し、その後に(埋め立て工事に関して)新たな変更承認申請が行われた場合、あらためて申請内容の適否を法令に基づき審査していく」との考えを示した。


使用済みMOX燃料/難題先送りの再稼働急ぐな
 通常の原発より始末の悪い「核のごみ」を排出する。新規制基準に基づく原子力規制委員会の審査でも、その宿命的な欠点は問われていない。 関西電力高浜原発(福井県高浜町)の4号機が近く再稼働し、先月下旬に運転を再開した3号機と同様に「プルサーマル発電」を開始する。完全に行き詰まった核燃料サイクルの一翼を担わされての再稼働であることに、より注意を向けるべきだろう。
 使用するのは一般的なウラン燃料ではなく、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料。通常の原発から排出される使用済みウラン燃料を再処理し、プルトニウムと燃え残ったウランを取り出して作る。
 MOX燃料は、ウラン燃料に比べ、毒性の高いネプツニウムやアメリシウムといった放射性物質を約5倍も発生させる。使用後も極めて高い放射線を放ち、比較的長く発熱量が減少しないといった管理上の難点もある。
 通常の使用済みウラン燃料は、とりあえず青森県六ケ所村に運ばれ、再処理することになっている。しかし、使用済みMOX燃料は六ケ所村の再処理工場では取り扱うことができず、処分方法は何一つ決まっていない。原発内で長期間、保管せざるを得ないのが現状だ。
 3号機に加え、4号機が稼働すれば、高浜原発は国内の商用炉で最多となる約18.5トンの使用済みMOX燃料を抱えることになるという。同原発の貯蔵プールは今後7〜8年で満杯になる見通し。保管期間の見通しもつかない使用済みMOX燃料は安全上、深刻な懸念材料となる。
 使用済み核燃料の全量リサイクルを掲げる国は、使用済みMOX燃料向けに「第2再処理工場」を建設する方針だった。2005年策定の原子力政策大綱には「10年ごろから検討を開始」すると明記。その後「45年ごろの操業開始」(06年策定の原子力立国計画)を目指すとしていたが、東京電力福島第1原発事故で議論はストップしたままだ。
 六ケ所村の再処理工場でさえ、試運転中の事故、トラブルで完工の延期が繰り返され、着工から20年以上がたった今も「未完成」となっている状況を踏まえれば、第2再処理工場が果たして実現可能なのか、大いに疑問だ。
 プルサーマル発電は、MOX燃料の主な活用先と想定された高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」の相次ぐトラブルで利用が進まず、だぶついていたプルトニウムの消費策として便宜的に始まった。軍事転用可能な余剰プルトニウムの保有は、核不拡散の観点から国際的な批判を招くからだ。
 プルサーマル発電をめぐっては、核反応を調節する制御棒の利きが悪いなど、MOX燃料の取り扱いの難しさが指摘されてきた。ウラン燃料しか想定していない軽水炉での利用には慎重であるべきだとする専門家も少なくない。
 福島第1原発事故の後もなお、核燃料サイクルにしがみつき、難題の「核のごみ」対応を先送りしようとしている。高浜原発の再稼働からは、そうした国と電力会社の姿が透けて見える。


官房機密費訴訟 2審も一部開示命令 大阪高裁
 官房機密費の支出に関する文書の情報公開請求をした市民団体「政治資金オンブズマン」(大阪市)のメンバーが、国に不開示決定の取り消しを求めた2件の訴訟の控訴審判決が24日、大阪高裁であった。田中敦裁判長は2012年の1審・大阪地裁判決と同様、具体的な使途や支払先が特定されないと判断した一部文書の開示を命じた。
 訴訟の対象は、安倍晋三首相が官房長官を務めていた時期(05〜06年)に支出された計約11億円と、当時の河村建夫官房長官(自民)が政権交代直前の09年9月1〜16日に引き出した計2億5000万円の領収書や支出した相手が分かる文書など。
 開示を命じたのは、政策推進費の支払いの合計額などを記した受払簿▽機密費の出入りを集計した出納管理簿の一部▽大まかな用途別に分類した会計検査院に提出する支払明細書。田中裁判長は「開示しても支払い目的や相手は特定されない。臆測を呼んだとしても、事業の遂行に支障を及ぼす具体的な恐れがあるとは言えない」などと指摘した。
 一方、河村長官時代分の訴訟の1審判決が開示すべきだとした、公共交通機関の領収書については開示を認めなかった。
 判決後、大阪市内で記者会見した同オンブズマン共同代表の上脇博之・神戸学院大教授は「地裁に続き、高裁も一部開示の判断をしたのは画期的だ」と評価した。
 官房機密費の文書開示を巡っては、13年に菅義偉官房長官が引き出した計約13億6000万円についても大阪地裁が昨年10月、受払簿などの開示を命じた。原告と被告の双方が控訴し、大阪高裁で係争中。【堀江拓哉】


自主避難の賠償/個々の事情をくんでこそ
 2011年3月の原発事故で福島県から避難した人は今も約10万人いる。うち、指定区域外からの自主避難者は約1万8千人とみられる。
 東京電力の賠償金は指定区域の内と外で大きな差があり、避難生活の長期化は自主避難者には大きな経済的、精神的負担を強いている。
 こうした人たちへ、判決はかすかな希望となるだろうか。
 福島県郡山市から京都市へ避難した夫婦らが損害賠償を求めた裁判で、京都地裁は東電に約3千万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
 夫は会社を経営していたが、原発事故で自主避難を始める。避難後に不眠症やうつ病になり、同年5月ごろから就労不能状態となった。
 判決は、不眠症とうつ病は原発事故が原因と因果関係を認め、夫婦が求めた就労不能による損害についても関係性を認めた。住み慣れた福島から全く縁のない土地へ転居を余儀なくされ、安定した生活を失った慰謝料も一定期間分を認めた。
 自主避難者への賠償が裁判で認められたのは初めてとみられる。
 夫婦らは、原子力損害賠償紛争解決センターの裁判外紛争解決手続き(ADR)で計約1100万円の賠償額を示されたが、拒否して提訴した。裁判で勝ち取った損害額はADRの約3倍に相当する。
 この開きは裁判所の認定が甘いからではない。原子力損害賠償紛争審査会が定める賠償基準のハードルが高すぎるのだ。
 一定の基準は公平性を期す上で必要だが、個別事情を反映しにくい制度になっている。被災状況も家庭の事情もさまざまなケースに柔軟に対応する仕組みが欠かせない。
 被災者は、ADRの調停に納得いかなければ訴訟で賠償を求めることはできる。だが、長期裁判も覚悟せねばならず、経済的、精神的にゆとりのない被災者は泣き寝入りするしかない。二重三重の負担を強いる制度はどう見てもおかしい。
 自主避難者も含め、原発事故の被害者に全く落ち度がなく、損害は100%回復されるべきだ。
 福島県から避難した約1万人が全国で国、東電相手に訴訟を起こしている。国の避難指示が出た地域にいたかどうかで賠償額に違いが出る状況の是非が、法廷で問われる。
 それぞれの事情に配慮した対応の在り方を、政府は考えるべきだ。


東電、メルトダウンを過小評価 社内基準、5年間見過ごし
 東京電力は24日、福島第1原発事故当初の原子炉の状況をめぐり、極めて深刻な事態の「炉心溶融(メルトダウン)」ではなく、前段階の「炉心損傷」と説明し続けたことが誤りだったと発表した。結果的に国や関係自治体への説明でも事態を過小評価していたことになる。
 当時の社内マニュアルに炉心溶融の判断基準が明記されていたものの、事故から5年間、基準があったことを見過ごしていたという。事故対応を検証している新潟県技術委員会の求めで調査を始め、今月判明した。
 東電はこの日の記者会見で「基準に照らせば事故4日目の2011年3月14日の段階で炉心溶融と判断できた」と陳謝した。


メルトダウンの公表に関する新たな事実の公表についての知事コメント
 本日、東京電力から、福島第一原発事故の炉心溶融(メルトダウン)の公表に関し、新たな事実が判明したとの報道発表がありました。
 これまで東京電力は、県の安全管理に関する技術委員会において、メルトダウンの定義がなかったため、炉心状況の解析結果に基づき、メルトダウンの公表が2か月後となったと説明してきました。
 このたび、社内調査で当時のマニュアルにメルトダウンの定義が記載されていることが判明したとのことです。
 社内で作成したマニュアルであり、事故当時にあっても、この定義は組織的に共有されていたはずです。
 事故後5年もの間、このような重要な事実を公表せず、技術委員会の議論に真摯に対応してこなかったことは、極めて遺憾です。
 ようやくこのような事実が公表されましたが、メルトダウンを隠ぺいした背景や、それが誰の指示であったかなどについて、今後真摯に調査し、真実を明らかにしていただきたいと思います。
本件についてのお問い合わせ先
 原子力安全対策課長 須貝
(直通)025-282-1690 (内線) 6450

午前中の打合せでクタクタ/ペコロスの母に会いに行く

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Notre-Dame-des-Landes

Notre-Dame-des-Landes : toutes et tous mobilisés ce 27 février !
Le projet d’aéroport à Notre-Dame-des-Landes près de Nantes est vieux de près de cinquante ans. Mais la situation s’est accélérée au cours des dernières semaines. Raison de plus de se mobiliser dans quelques jours...
Le 25 janvier, un jugement a confirmé les expulsions des habitants et paysans historiques. Avant et après ce jugement, les actions contre le projet d’aéroport et en soutien aux occupants restent nombreuses et massives : mobilisation de 20 000 personnes et de près de 500 tracteurs sur le périphérique nantais le 9 janvier, actions de blocages, occupations et mobilisations paysannes, rassemblement devant le tribunal de Nantes, et une quarantaine de manifestations en France et au-delà...
Hollande annonce un référendum local d’ici le mois d’octobre. Et Valls précise : ≪ pas pour abandonner le projet mais pour le légitimer et pouvoir évacuer la ZAD ≫... Alors que les recours juridiques nationaux et européens ne sont pas épuisés et que de nouvelles études sont menées à propos de l’intérêt de l’actuel aéroport de Nantes- Atlantique ; alors que la décision de bétonner la ZAD est en contradiction avec les objectifs d’action contre le dérèglement climatique ; alors que la déclaration d’utilité publique est émise par l’Etat et ne peut donc être remise en cause par un vote local, ce référendum serait un piège pseudo-démocratique. Personne ne sait si le référendum aura lieu, quels seront son périmètre, la question posée... Mais cette annonce prouve qu’il est possible d’abandonner le projet, puisque Hollande dit que ≪ Si c’est non, le gouvernement en tirera les conséquences. ≫
C’est le moment de frapper un grand coup !
Il faut faire la démonstration de la force de la mobilisation. La manifestation nationale du samedi 27 février, appelée par toutes les composantes de la lutte, soutenue nationalement par de très nombreuses organisations syndicales (Solidaires, FSU, Confédération Paysanne), politiques (EELV, PG, Ensemble, NPA, décroissants), ATTAC, Naturalistes en lutte, Greenpeace, RAC… est décisive.
Celles et ceux qui s’opposent au projet défendent les terres agricoles, leurs emplois, la biodiversité. Ils et elles luttent contre l’aéroport et son monde, celui des groupes capitalistes comme Vinci et des éluEs et gouvernants qui les servent. C’est le combat de toute une population, unissant salariéEs, paysanEs et habitantEs, mêlant les générations, les facons de lutter et démontrant dans et autour de la ZAD (Zone à défendre) que la solidarité, la démocratie, des rapports humains sans exploitation ni oppression sont possibles.
C’est aussi le combat des anticapitalistes. Le NPA fait donc de cette journée une mobilisation nationale.
Dans de nombreuses villes, des actions de soutien ont été organisées (rassemblements, banquets, blocages ciblant Vinci, ses autoroutes, ses parkings...). Des déplacements en car s’organisent aussi pour le 27. C’est l’occasion d’impliquer très largement toutes celles et ceux qui ont de la sympathie pour ce combat, de faire le lien entre des secteurs différents. L’abandon du projet serait la première victoire contre un gouvernement dévoué aux bétonneurs et autres capitalistes. Cette victoire donnerait force et espoir à toutes les autres luttes contre ce gouvernement qui défend un monde dont nous ne voulons pas, et pour des projets utiles aux populations et décidés par elles.
Christine Poupin
フランス語
フランス語の勉強?

朝職場に着くといきなりHyさんから,「これ検討しよう♪」と言われました.コーヒー一服したいところでしたが,そんな雰囲気ではありません.しかたなくあれこれと議論.12時過ぎまでかかってクタクタです.一応終わったけどまだ1/3です.
夜にペコロスの母に会いに行くを見ました.認知症になってもお母さんには生きていてほしいと強く思いました.それにしても認知症の演技がうまいと思いました.

被災し消えた学びや 紙芝居で後世に
 東日本大震災で被災した宮城県山元町で語り部を続ける「やまもと民話の会」が、津波被害で閉校した旧中浜小を題材にした紙芝居を作った。学校の歴史や震災時の様子を、当時の教諭と共同で物語にした。震災で消えた学びやの思い出と災害への備えを後世に伝える。
 タイトルは「中浜小学校物語パート2」。昨年制作した「朝日はきっと昇る」の続編で、同校の歴史をより詳しく描いた。
 中浜地区の地名の由来や、住民総出で参加した「けんこまつり」などの思い出を紹介。1989年完成の鉄筋2階の校舎は津波対策で1.5メートルかさ上げした敷地に建ち、屋根裏部屋に逃げた児童ら90人を津波から守ったことも説明した。
 物語は「津波に耐えた中浜小を町の誇りとしていつまでも伝え続けてほしい」との願いで締めくくる。
 脚本は民話の会の庄司アイ代表(81)と、震災当時の同校教諭で、3年前に定年退職した門間裕子さんが共同で執筆した。温かみのあるタッチの絵は会員3人が協力して描いた。
 門間さんは同校の卒業生でもあり「中浜小の終わりを見届けた卒業生として、学校の記憶を後世に伝える紙芝居をぜひ作りたいと思った」と話す。庄司代表は「被災して散り散りになった元住民や町内の子どもたちに見てほしい」と話す。
 2人は紙芝居を町教育委員会に寄贈した。


<検証地域医療>看護師実働世代 帰還進まず
◎震災5年へ(下)人材確保の壁
 「看護師募集」。待合室の張り紙の前を医療スタッフが慌ただしく行き交う。福島県南相馬市原町区の大町病院。2月になってインフルエンザが流行したこともあり、院内はいつにも増して混雑している。
 「今春の求人15人に対して内定は1人だけ。採用状況は厳しいままですよ」。藤原珠世看護部長(57)が疲れた表情で話す。
<避難先で就職>
 もともと100人いた看護師は東日本大震災とそれに続く東京電力福島第1原発事故で20人程度に激減。今は80人まで復調したものの、関西などから短期での応援組を含めた数字だ。地元に戻る退職者の補充に追われ、現状維持で手いっぱいの状態が続く。
 病院は休日増や託児所開設といった待遇改善も進める。「マンパワーが足りなければ、入院の受け入れを絞らねばならない。地域の医療機関として責務を果たしたいのですが…」。藤原部長は焦りをにじませる。
 南相馬市を中心とした相馬地方で、看護スタッフ不足は恒常化しつつある。福島県によると、ことし1月時点の就労者(病院のみ)は619人。事故直前と比較すると、140人近く落ち込んだままだ。
 相馬地方の減少幅は、原発事故の影響が続く福島県でも突出している。いわきや県中央部など、原発事故時より人数が増えている地方が少なくない。
 南相馬市の担当者は「看護師が市外の避難先に再就職することで、他地域を押し上げる形になった。実働世代の帰還が進まないのが響いている」と話す。
<中高生に焦点>
 求人難を解消しようと、市は昨年2回の合同面接会を開催した。15医療機関の参加に対し、集まった求職者は計7人。資格職確保の難しさを浮き彫りにした。
 相馬郡医師会も関係機関に窮状を訴えているものの、抜本的な解決策は見つからない。市内では、人手不足で診察時間の短縮を強いられている診療所もある。
 同医師会の志賀ゆかり事務局長(55)は「医師なら他地域からの単身赴任という手がある。女性が多い看護スタッフは、地元採用が主体となるだけに対応が難しい」と指摘する。
 看護人材のニーズは、原発事故による欠員補充にとどまらない。
 南相馬市総合病院は来年、新たに脳卒中センターをオープンさせる。2018年度までの増員計画は80人超。病院では看護師が中学校で出前授業をしたり、地元高校の進路ガイダンスに参加するなど、組織を挙げた求人活動を展開する。
 採用担当者は「地域の健康は地域で守るのが原則。たとえ遠回りでも、看護の道を志す子どもを増やし、地元の医療機関全体に人材供給できるよう努めたい」と話す。(斎藤秀之)


<検証地域医療>被災し看護師退職の施設4割
 公益社団法人日本看護協会(東京)が昨年公表した「被災地域における看護職員実態調査」(2014年6〜7月実施)によると、岩手、宮城、福島3県で東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で退職した看護職員がいる施設は40.1%に達した。震災直後の11年度中の退職者総数は468人に上った。
 退職者がいた施設は回答した252施設のうち101施設。県別で福島は53.8%(57施設)と県内施設の半数を超え、原発事故による避難の影響が大きいとみられる。宮城は30.6%(33施設)、岩手は28.9%(11施設)だった。
 14年の調査時点では、震災前に比べ看護職員は3県全体で2.5%(349人)増えたものの、回答施設の29.6%に当たる74施設は依然として職員数が元に戻らない。原発事故による避難区域を抱える福島県相双地方は、看護職員不足の施設は41.7%と突出している。
 厚生労働省がまとめた3県の看護師・准看護師の常勤換算従事者数を震災前の10年と比較すると、14年時点で、岩手、宮城は大きく増えているものの、福島は500人以上少ない。
 日本看護協会の中板育美常任理事(災害担当)は「岩手、宮城両県も盛岡市や仙台市など都市部の職員数が増加要因で、沿岸部では足りていない。福島は原発事故直後の退職者を穴埋めできていない」と指摘する。
 被災地には地域外から応援看護師も派遣されているが、長期派遣は難しく、短期派遣では受け入れ病院側の負担増にもなる。
 中板理事は「人材を移動させるより、地元で働いてもらう『地産地消』が最善。地域偏在を解消し、若い人が地元で働きたいと思ってもらえる環境整備が重要になる」と強調。人材育成に向け、看護学校生への修学資金支援制度の充実や被災地域の住環境のインフラ整備、看護職を進路選択してもらう高校生らへの働き掛けといった複合的な取り組みが必要と訴える。


<その先へ>地図手に被災の古里伝える
 「津波が来たぞ!」。叫び声を聞き、急いでギャラリーを目指し階段を駆け上がった。体育館がガソリンの臭いと水流のごう音に包まれる。ふと近くの窓から外を見ると、目の高さに車が浮かんでいる。
◎野蒜小OGの震災語り部 尾形祐月さん=仙台白百合学園高2年
 東日本大震災のあの日。宮城県東松島市野蒜小6年だった尾形祐月さん(17)=仙台白百合学園高2年=は、小学校体育館で津波に襲われた。同市のJR仙石線旧野蒜駅で今月上旬、地元住民にそのときの状況を丁寧に語った。
 「津波が来たとき、誰かに『下を見るな』と言われた。人が流されていたのだと思う。もし見ていたらトラウマ(心的外傷)になっていたでしょう」。落ち着いた口調で続けた。
 昨年8月から、小学校時代の同級生の女子で取り組む震災の語り部「TSUNAGU Teenager Tourguide of NOBIRU(TTT)」の一員として活動している。
 この3月11日には東京都武蔵野市で単身、語り部として体験を話す。地元を訪れたツアー客やボランティア向けに活動するTTTが遠征することは少ない。活動が縁となり誘われた。
 当初は戸惑ったが、「野蒜に来られない人も多い。首都圏の人に地元のことを知ってもらえる」と買って出た。
 野蒜を知ってほしい−。あの日もそうだった。児童が総合学習の一環で地域を調べた成果を、保護者や住民に発表していた。同級生6人と学校周辺の商店などを写真と聞き書きで紹介する「野蒜銀座マップ」を作って配った。
 古里の魅力を地域に伝えた直後、その風景は跡形もなく消えた。「マップは駅に掲示されることも決まっていた。地域に貢献できたと達成感があったのに…。皮肉ですね」
 マップは発表を見に来ていた祖母エミ子さん(71)のバッグに入っていた。孫娘と共に体育館に避難したエミ子さんは津波にのまれかけたが、バッグは手放さなかった。
 「震災前の野蒜の様子が分かる物は今、これくらいしかない」。語り部を務めるにつれ、マップは欠かせない資料になった。
 旧野蒜駅であった語り部の活動でも、地元住民にマップを配布した。マップには震災前の郷里の姿が写っている。小学校時代の思い出も詰まった宝物だ。
 東京で3月11日、マップを手に震災、古里のことを伝える。「古里や日常はいつ崩れるか分からない、人とのつながりが大切だと話したい」(八木高寛)


<アーカイブ大震災>校舎失い ハンディ山積
 仙台市泉区の南光台小は東日本大震災で校舎が大きな被害を受け、全面的に使用できなくなった。近隣に児童772人を収容できるような施設はなく、子どもたちは3カ所に分かれて学校生活を送る。学校はボランティアや地域の人たち、保護者らの協力を得ながら、教育環境を少しでも整えようと工夫を凝らす。
◎学校で何が(4)分散授業(仙台・南光台小)
 南光台小は地震で、校舎と体育館の壁や柱に亀裂が入り、校庭も地割れした。1週間後の応急危険度診断では「危険」の判定を受けた。
 1年生4学級は入学以来、学校に隣接する南光台コミュニティ・センター多目的室で授業を受ける。段ボールで四つに仕切った空間が「教室」だ。他の学級の声や音が漏れ、先生の声が聞きにくかったり、児童の集中力を妨げたりもする。
 「こうするときれいに貼れるね」。2011年7月4日、1年4組の図工の授業で、宮城学院女子大4年の柳内亜希子さん(22)がテープやはさみの使い方を子どもたちに教えた。
 柳内さんは同大の災害復興ボランティア。大学側が協力を申し出て支援に当たっている。落ち着かない状況の中で、学習につまずかないようにするのが役目だ。先生の声が児童に届いているかどうかを確認し、学習を手助けする。
 1年生の学年主任の五十嵐深和子教諭(53)は「普通の学校でできることは、ここでもする。不自由さの克服を、子どもの自信につなげたい」と強調する。
 新学期は市内の他の小学校より4日遅い4月15日に始まった。当初は近くの学校や公共施設4カ所に分散。5月23日からは1年生がコミュニティ・センター、2〜4年生が南光台中、5、6年が八乙女中に間借りしている。
 教員は、原則として担任する学年が利用する施設に通勤する。全員がそろうのは週2回の打ち合わせの時だけ。飯塚巌校長と教頭、養護教諭が1日2回以上、3カ所を巡回し、配布物を届けるとともに、子どもたちの様子の把握に努める。
 授業とともに、学校行事でも苦労する。
 新学期が始まってから全校児童が一堂に会したのは、5月21日の運動会しかない。学校には久々に児童の歓声が戻ったが、校庭の補修が終わったのは運動会の3日前だった。玉入れ、綱引きなど事前練習の要らない種目が中心となった。
 4月23日の授業参観では、保護者に負担がかかった。きょうだいが通う家庭では、授業中に離れた施設の間を移動せざるを得なかった。
 6年生の息子と3年生の娘の母親(39)は「南光台中から八乙女中への移動で10分かかり、最後の5分しか見られなかった」と言う。学校はこのため、7月中旬の授業参観は、施設ごとに実施日をずらすことを決めた。
 子どもたちの環境を良くしようと、懸命の努力が続く。
 学校は校舎の図書室から持ち出した数十冊を段ボール箱に並べ、各施設の教室の近くに置いた。教員が定期的に本を入れ替える。
 離れた施設に通う児童の安全を確保するため、登下校の時間には、地域の人たちが通学路に立って子どもたちを見守り、学年を確認しながら誘導に当たっている。
 分散しての授業は、校庭にプレハブ校舎が完成する11月まで続く見通しだ。損壊した校舎について、地域住民や保護者らは建て替えを要望しているが、学校によると、補修か建て替えかの結論は出ていないという。
 飯塚校長は「児童を含め、多くの協力があって学校生活が送れている」と感謝しつつ、「早く全学年がそろって授業をしたい」と本来の姿に戻ることを待ち望む。(佐藤素子)=2011年7月7日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<震災>臨床宗教師定着目指す 全国組織設立へ
◎東北大に事務局/信頼向上へ共通資格認定
 東日本大震災を契機に生まれた「臨床宗教師」を普及させるため、東北大などで養成講座を受けた臨床宗教師らが28日、全国組織「日本臨床宗教師会」を設ける。各大学に養成の動きが広がる中、会が共通の資格を認定することで信頼性を向上させ、社会への定着を図るのが狙い。
 臨床宗教師の養成に当たっている東北大、龍谷大(京都市)、高野山大(和歌山県高野町)、ともに2016年度に養成を始める種智院大(京都市)と武蔵野大(東京)などの修了者らで構成する。
 事務局は東北大大学院文学研究科宗教学研究室に置き、28日に龍谷大で発会式を開く。
 計画では各大学で研修を終えた臨床宗教師らを対象に、フォローアップ研修を実施する。研修後に資格「認定臨床宗教師」(仮称)を与える。
 一方、布教の疑いのある行為などを禁じる倫理綱領を定め、会が違反者を処分できる仕組みをつくる。
 臨床宗教師は宗教者が布教を目的とせず、宗教や宗派の枠を超えて震災の被災者や終末期患者らの苦悩と向き合う。
 震災後の12年度に東北大の実践宗教学寄付講座が全国に先駆けて研修を始め、これまで延べ126人が修了した。被災者との交流の場や医療、福祉施設などで活動している。
 会に参加する北海道東北臨床宗教師会の高橋悦堂代表(36)=栗原市=は「関西や九州など各地に臨床宗教師会が生まれ、活動を始めている。より連携を深めて活動を広く知ってもらい、ともに研さんに励みたい」と話す。
 東北大の寄付講座主任を務める鈴木岩弓教授(宗教民俗学)は「各大学で養成される臨床宗教師の理念が統一できることは喜ばしい。これまで以上に社会で活躍できることを願う」と期待する。


災害時の遺体検死で協定
宮城県警察本部は、大規模災害の時に遺体の検視に立ち会う医師の確保をスムーズに行うため、仙台市医師会と協定を結びました。
協定の調印式は、宮城県警察本部の中尾克彦本部長や仙台市医師会の永井幸夫会長らが出席して行われました。
警察によりますと、災害時には遺体の検視を医師の立ち会いのもとで行うことで死亡した時期や死因などを特定し遺族に引き渡すことにしています。
東日本大震災の時には、多い時で県内26か所であわせて9539人の遺体の検視が行われましたが、医師の確保が困難な状態が続いたということです。
今回の協定によって、警察は大規模災害が発生した際仙台市医師会を通じて提携する横浜市や神戸市など13の都市の医師会からも医師の派遣を受けられるということです。
宮城県警察本部の富澤俊幸総括検視官は「今回の協定によって大規模災害が発生した際には迅速に検視、検案にあたる体制を確保できるようになった」と話していました。


<山形大>「災害復興学入門」盛況
 山形大が東日本大震災後の2012年度に開講した教養科目「災害復興学入門」が、学生に支持されている。受講生は毎年想定を上回り、本年度は過去最高の110人になった。宮城教育大と福島大の教員も講師を務める授業を通じ、学生は震災の教訓や被災地の現状と向き合っている。
 宮教大の田端健人教授(教育学)は今月、「災害と学校」と題して講義した。教育現場の被害実態を示した上で、日常の備えの大切さを強調。津波の到達時刻や高さを考慮して児童生徒を誘導した事例を挙げ「修羅場の中で生み出された知恵や行動を知ってほしい」と呼び掛けると、学生は真剣な表情で聞き入った。
 テーマは「原発事故と福島の復興」「子どもと築く復興まちづくり」など多岐にわたり、毎年後期(10〜3月)に15回前後の授業を行う。50人程度の想定に対し、初年度から約80人を超える学生が受講する。
 仙台市出身の人文学部1年加藤駿さん(19)は「風評被害の実態を知り、自分も含めて知識不足が風評被害につながっているのかもしれないと思った。ニュースを見ているだけでは気付かなかった」と振り返る。
 地元山形市から通学する地域教育文化学部1年の奥山文葉さん(19)は「教員を目指しているので、子どもを巻き込んだまちづくりに関する授業が興味深かった。今度は自分の目で現地を見てみたい」と言う。
 災害復興学は11年、3大学が始めた共同研究分野。単なる防災教育と一線を画し、災害から立ち直る方策を探り、人材育成に主眼を置く。
 授業を担当する人文学部の下平裕之教授(経済学史)は「学生の多くは震災を経験していて、復興に高い関心を持っている。現場の変化も踏まえながら授業を行っていきたい」と話す。授業は来年度も開講する予定という。


<地ビール>被災の東松島再生 希望の一杯
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市で、地元産大麦を使った地ビールが発売され、人気を集めている。ビールには東松島をアピールし、震災の記憶の風化を防ぐ狙いが込められている。
 名称は「GRAND HOPE」で、瓶詰330ミリリットル入り。一般社団法人東松島みらいとし機構(HOPE)が同市小松地区で栽培し、昨年6月に収穫した大麦を使い、宮城県加美町の第三セクター薬莱振興公社が醸造した。ホップの種類と調合を工夫し、かんきつ系の香りが広がる。
 緑色の瓶は奥松島の自然をイメージ。ラベルのデザインは地元デザイナーが担当、市の観光資源である航空自衛隊松島基地の曲技飛行隊「ブルーインパルス」と大麦を組み合わせた。プロジェクト名「希望の大麦」も明記した。
 市野蒜地区の農業法人アグリードなるせの施設「NOBICO」などで500〜550円で販売。市内の飲食店でも取り扱う。限定3000本だが、完売した際は追加生産も検討する。
 HOPEの担当者は「さっぱりとした味が魅力。市特産品のカキやノリと一緒に楽しんでほしい」と話す。連絡先はHOPE0225(98)7311。


ネパール復興岩手に学べ 現地NPOが視察
 昨年4月のネパール大地震からの復興に取り組む同国のNPO民間団体「エデュケーティング・ネパール」のメンバー3人が、東日本大震災の被災地視察のため盛岡市を訪れ、復興支援団体と懇談した。
 3人は同国北東部のジョロング村で活動する。村は大地震で多くの住宅が倒壊。仮設住宅の建設や、がれき撤去に携わっている。
 ネパールで復興を支援したNPO法人遠野まごころネットの多田一彦前理事長(57)と現地で知り合った縁で来日した。岩手沿岸被災地の基盤整備や住宅環境を視察し、復興に役立てる。
 懇談には15人が参加。代表のビノード・バスネットさん(28)はネパールの被災状況を映像で紹介。「わが国には日本のようなインフラも技術もない。勉強したことを国に持ち帰り力にしたい」と話した。
 多田さんは「震災の支援に感謝の気持ちで応えよう」とネパールの支援に協力を呼び掛けた。


半導体「福島SiC応用技研」福島・楢葉に進出
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が昨年解除された福島県楢葉町に、半導体応用製品の「福島SiC応用技研」(いわき市)の進出が決まり、町と同社が22日、基本協定を締結した。
 福島SiC応用技研は、堀場製作所(京都)創業者の故堀場雅夫氏やローム(同)が中心となり、福島の復興支援を目的に2014年9月に設立。最先端半導体技術であるシリコンカーバイド(SiC)応用製品の開発・生産を手掛ける。
 楢葉南工業団地の使用されていない工場(床面積3500平方メートル)を改修。研究・生産拠点とし、本社も移す。17年4月の操業開始予定で、SiCを応用したがん治療装置の小型化や低コスト化などに取り組む。
 技術者ら20人程度を雇用し、当初は年5億円の売り上げを見込む。投資額は約20億円。津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金を受ける。
 楢葉町での調印式で、古久保雄二社長は「最先端の職場を提供することで、日本全国から若手技術者を引きつけ、復興に貢献したい」と述べた。


<集団移転>空き区画 被災者以外にも分譲
 東日本大震災被災地の防災集団移転用に整備したものの、買い手がついていない宅地をめぐり、仙台市と宮城県山元町が被災者に限らず他市町村を含む一般住民にも分譲する方針を決めたことが22日、分かった。仙台は法人も対象に含める。国土交通省によると、被災者に限っていた条件を事実上撤廃して分譲するのは被災地で初めて。
 仙台市の分譲対象は8団地計79区画。5月中旬に一般競争入札を実施し、それでも決まらない区画は常時公募して先着順で決める。詳しい募集要項を3月中旬に公表する。
 6団地は若林区にある。内訳は(1)荒井公共区画整理3区画(2)荒井東11区画(3)荒井西15区画(4)荒井南1区画(5)六郷7区画(6)七郷5区画。荒井地区の4団地計30区画は市地下鉄東西線の沿線開発を促進するため一括分譲する。残る2団地は宮城野区で田子西7区画、田子西隣接30区画。
 市は昨年9月、集団移転用に整備した13団地計843区画のうち空きが出た10団地計97区画の分譲の公募を開始。2回の募集で6団地計18区画しか決まらなかった。
 一方、山元町が募集を広げるのは、内陸移設するJR常磐線の新山下駅周辺のつばめの杜52区画と、新坂元駅周辺3区画。これまで5回の募集では埋まらず、防災集団移転による居住希望をこれ以上は見込めないと判断。空き区画を被災の有無を問わない津波復興拠点整備事業に組み替えた。
 募集期間は24日〜3月25日。申し込み区画の重複に備え(1)町内被災者(2)被災者以外の町民(3)町外の子育て、新婚世帯(4)それ以外の町外希望者−の優先順位を設定した。
 町震災復興企画課は「子育て施策の一環で、町外からの転入促進に重きを置いた。被災した子育て世帯もいると思う」と説明した。


防集宅地を被災者以外にも
仙台市は東日本大震災の津波で被災した地域の防災集団移転先として整備した840区画あまりの宅地のうち、空いたままになっているおよそ1割について、ことし4月から被災者以外にも分譲する方針を固めました。
仙台市は、震災の津波の被害を受け災害危険区域となった地域の防災集団移転先として、13か所の団地に843区画の宅地を整備し、当初、災害危険区域に指定された地域の住民だけを対象に提供してきました。
そして、整備した宅地に多くの空きが出ていることから、仙台市は去年、災害危険区域以外の被災者へも分譲できるよう対象を広げましたが、希望は10件あまりとわずかにとどまっていました。
このため仙台市は、整備した宅地全体のうち、およそ1割に当たる、空いたままの79区画について、被災者以外の個人や企業にも分譲する方針を固めました。
仙台市はことし4月から公募を始めるということです。
県によりますと、仙台市のほかにも亘理町が災害危険区域外の被災者に宅地を分譲したほか、石巻市も道路の整備などで土地を提供して立ち退く住民にも分譲するなど、空き区画を解消するための取り組みが進められています。


松井大阪知事「東京に年10万人流入、日本は成り立たない」 大阪・近畿の人口減少浮き彫り、自治体も危機感
 全国的に少子高齢化が進むなか、平成27年国勢調査の速報値で人口が戦後初めて減少に転じた大阪府。大阪市など都市部では人口増になったものの、特に府南部では減少傾向が著しい。その他の近畿の各府県でもすでに人口減少が深刻化している。首都圏への一極集中の加速も要因とみられ、各自治体は危機感を募らせる。
 「放っておけばさらに減っていくだけ。東京に毎年10万人近くが流入しており、この状況では日本は成り立たない」。今回の調査結果を受け、大阪府の松井一郎知事は危機感をあらわにした。
 減少率が著しい府南部にある富田林市は、前回の22年調査と比べ4・6%減。平成16年以降、減少傾向が続き、転入を促進するため親と同居する世帯に住宅購入費の一部を市が補助するなどの対策を進めている。
同市の広報担当者は「特に南部の市町村では急速な高齢化が進み、今回の結果は予想できた。いかに住民にとどまってもらい、新規転入につなげられるか、知恵を絞りたい」と語った。
 減少率が11・95%で最も高かった府最北端の能勢町の担当者は厳しい現状を踏まえた上で「農村暮らしを求めて移住する若者も増えている。府内では貴重な農村地域という特色を生かし、魅力を発信していきたい」と話した。
 近畿の他府県でも、すでに人口の減少傾向は顕著になっている。
 兵庫県内の人口減少率は前回調査比0・92%で、阪神大震災があった7年を上回り、過去2番目の高さ。前回調査より6340人減少した神戸市は、福岡市に抜かれ政令市で6位に転落した。久元喜造市長は22日の定例記者会見で「都市の規模を追い求める時代ではない。神戸の良さに磨きをかけ、人口減に対応したい」と述べた。
 京都府は減少率1%で前回調査から2回連続減となった。ただ、京都市など4市2町は増加しており、府内でも二極化が進む。
 平成17年から、人口減少が続いているのは奈良県。今回は調査を取り始めた大正9年以降、最も高い2・6%の減少率となった。
 滋賀県は25年の総務省の人口推計では、近畿2府4県で唯一の「人口増加県」となった。平成27年国勢調査の速報値はまだ出ていないが、近年は首都圏や中京圏への人口流出が目立ち、25年12月をピークに減少傾向にある。
 近畿大の久隆浩教授(都市・まちづくり)は「交通の便が悪かったり、密集市街地が多く高齢化が進んでいたりする自治体では人口が減少する傾向にある。今後劇的な好転は望めないが、空き家の活用など、今まで以上の創意工夫が求められる」と話している。


石炭火力容認/「脱化石」に逆行しないか
 「地球温暖化の防止」という大目標はどこにいったのか。そんな懸念を抱かざるを得ない。
 環境省は、石炭火力発電の新設について、二酸化炭素(CO2)の排出量が多いため「是認できない」などとしてきた従来の方針を転換した。電力業界の排出量削減の取り組みを条件に容認する判断を示し、経済産業省との間で合意した。
 経産省は今後、業界の取り組みを監視するルールをつくる。石炭を含む火力発電に数値目標を定め、発電効率の悪い設備の廃炉を促す。電力業界も温室効果ガスの排出量を削減する自主目標を実行する。
 環境省は、経産省から電力会社の取り組み状況の資料を毎年受け取り、点検する。電力業界の目標達成が危ぶまれる場合は対策の見直しを検討する。これらが容認の条件だ。
 石炭は液化天然ガス(LNG)の約2倍のCO2を排出するとされる。環境に与える負荷は大きく、発電所はいったん建設されると長期間稼働する。行政の規制を緩め、業界の自主的な努力に委ねる余地を広げるやり方で、温室効果ガス削減の実効性を上げることは可能なのか。
 石炭火力発電所は、大手電力や都市ガス、石油元売りなどのエネルギー企業が相次いで計画している。兵庫県内でも神戸製鋼所などから建設計画が出ている。
 石炭火力はLNGに比べて燃料費が安く、低コストで供給できる電源として注目が集まっている。4月からの電力自由化による価格競争を見据え、各社は需要の大きい大都市圏でシェアを拡大したい考えだ。
 丸川珠代環境相は「自由化市場になるので(新設は)経営者が判断することだ」と述べた。政府の方針転換は、電力・エネルギー業界のニーズに合わせたとする見方が強い。
 ただ、火力発電所はかつてばい煙など公害問題を引き起こしてきた。産業界への配慮が環境破壊や汚染を招くようでは、環境行政の逆行との批判は免れない。
 昨年末にまとまった地球温暖化対策の新枠組み「パリ協定」は、今世紀後半の温室効果ガス排出を実質ゼロにする目標を掲げており、日本もこれに合意した。国際社会は脱化石燃料に着実にかじを切っている。
 政府は石炭火力の新設容認について、国民と国際社会が納得できるようきちんと説明すべきだ。


高浜冷却水漏れ  拙速な再稼働を見直せ
 再稼働を目指している関西電力高浜原発4号機(福井県高浜町)の原子炉補助建屋内で、1次冷却水の漏れが判明した。関電は、含まれる放射性物質は国への報告基準値以下で、環境への影響はないとしている。
 しかし、原子炉などを冷やす1次冷却水が漏れた事態を軽く見るわけにはいかない。再稼働への世論の反発や不安は根強く、安全への最大限の配慮と慎重な作業が求められる中での失態だけになおさらだ。十分な整備が行われていたのか疑念を抱かざるを得ない。
 関電によると、20日午後にホウ素濃度を調整する系統に通水した際、警報が鳴り、1次冷却水の不純物を取り除く設備の周辺に水がたまっていた。漏れた水は約34リットル。配管に取り付けた弁のボルトの締め付けが不十分だったことが原因という。
 4号機はすでに核燃料の装填(そうてん)を終えており、検査で問題がなければ、関電は26日ごろの再稼働を目指していた。再発防止が確約できない限り、再稼働は進めるべきではない。
 住民避難計画が必要な半径30キロ圏を含む京都府や滋賀県への通報をめぐっても、問題が明らかになった。
 京都府によると、「20日午後3時42分に水漏れを確認した」との通報が関電からファクスであったのは同日午後5時15分ごろ。同日夜にかけ、水たまりの放射線量の観測結果などについてファクスが計4回送られてきたが、21日に行われた調査に関する報告はなかったという。
 滋賀県が1月に関電と締結した高浜原発に関する原子力安全協定では、不測の事態が起きた場合、直ちに県に連絡することになっている。しかし、最初の通報は発生から2時間以上経過した午後6時前だった。
 これまで、関電に限らず、原発や原子力関連施設での事故、トラブルについて、通報の遅れや情報隠しがあった。迅速な連絡がなければ、周辺の住民や自治体の原発に対する不信は高まるばかりだということを関電は再認識すべきだ。
 高浜原発では3号機が1月29日に再稼働した。運転開始から40年を超えた1、2号機についても、原子力規制委員会が近く審査書案を決定し、事実上の審査合格となる見通しだ。だが、避難先を含めた全ての関係自治体が参加する訓練もまだ実施されていない。再稼働ありきで拙速に作業を進めることは許されない。


同性カップル結婚認定へ 那覇市7月めどに制度スタート
 「性の多様性を尊重する都市・なは(通称・レインボーなは)」宣言した那覇市は、同性カップルを結婚と同等の関係と認める「パートナーシップ制度」を、「ピンクドット沖縄2016」が開催される7月17日をめどにスタートさせる。また同制度に加え、市独自の取り組みとして市職員で通称名の使用を希望する場合は、辞令交付などの行政処分にかかる場合を除き許可していく方針。
 22日の市議会定例会で、久場健護総務部長が前泊美紀氏(無所属の会)に答えた。市は昨年7月の「レインボーなは宣言」以降、性的マイノリティーへの理解を深める取り組みを実施し、パートナーシップ制度の導入に関する施策を検討してきた。当事者から「存在が社会的に容認されると感じられ、精神的な支えになる」と早期導入を求める声があり、議会事項ではなく、市長決裁でより早く制定できる要綱で導入する方針を固めた。
 対象者や証明書発行の有無など具体的な中身については、当事者団体と意見交換しながら決めていく。
 市はまた、パートナー宣言した職員に対する、市職員厚生会からの結婚祝い金の贈呈についても、同会評議員会内で協議していく。 久場部長は「当事者に寄り添い、スピード感を持って実施したい」と決意を込めた。


[国会包囲行動]共感の輪が変革の力に
 名護市辺野古への新基地建設に反対する国会包囲行動や支援集会が21日、全国9カ所で一斉に開かれた。
 東京での包囲行動は4回目。前回を大幅に上回る約2万8千人(主催者発表)が参加し、これまでで最多の人数となった。本土での取り組みは新基地建設に反対する沖縄の人々を勇気づける。
 沖縄と本土の関係は明治期の琉球併合以来、寄せては返す波のように「包摂と排除」「同情と反発」が繰り返され、過去何度も「日本にとって沖縄とは何か」という問いが沖縄側から発せられてきた。
 本土での「止めよう!辺野古埋め立て」の取り組みは、安保法廃案と新基地建設反対の二つの運動をつなげたところに大きな特徴がある。
 与党圧勝の空気が漂う参院選を前に、「このままでは…」という市民の危機感が安保法廃案と新基地建設反対をつなげたとみることもできる。
 両者の運動に共通するのは、「憲法」「立憲主義」「民主主義」「地方自治」が押しつぶされそうになっている、との危機感である。
 「国家の安全保障」が絶対視され、「沖縄の自治」や「法的安定性」などの守るべき価値が犠牲になっていることへの危機感である。
 北朝鮮の核開発や中国の海洋進出に象徴されるように、東アジアの安全保障環境が変化したのは疑いない。世界が不安定化し、何の罪もない市民の犠牲もあとを絶たない。 だが、片山杜秀・慶応大教授が指摘するように、「時務の論理」が突出して独り歩きするのは危うい。
■    ■
 「時務の論理」ということばは、日中戦争が始まった昭和10年代に好んで使われたという。危機の時代に、緊急事態への即応力を高めるため、「目先の都合にあわせて法解釈も何も変えていく論理」−それが時務の論理だと片山教授は指摘する(2014年7月2日付朝日新聞)。
 国の存立に関わるという決めぜりふで無理を通してきた結果、軍部が暴走し、政党もメディアもそれを止めることができず「戦争・敗戦・占領」という悲劇を招いたことを忘れるわけにはいかない。
 戦後、敗戦国民が憲法を受け入れ、三権分立というチェック・アンド・バランスの制度を導入したのは、行政権力の暴走を食い止めるためだったはずだ。
 その機能が日本の政治から損なわれつつあるという危機感は今、多くの国民が共有し始めている。「安保法」と「辺野古」はその象徴である。
■    ■
 「辺野古」をめぐって沖縄と本土との間には、かつてないほど深い亀裂が生じている。「安保法」についても、メディアを含めて国論の分裂が生じている。
 だからこそ時の政権には慎重さ、丁寧さ、説明責任が求められるのである。だが、安倍政権は国会の数の力を頼りに強引にことを進めるのをためらわない。それが可能になっているのは、国会野党の力が弱いからだ。
 野党5党は23日、参院選の候補者調整に向け、幹事長・書記局長会談を開く。正念場と心得てもらいたい。


国会を最多包囲 人ごとの論理決別の契機に
 沖縄戦後70年を超えてもなお、豊かな海を埋め立てて新基地を造る強権政治に抗(あらが)う民意が広がっている。民主主義を国民の手に取り戻そうとする行動だ。心強い。
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を伴う新基地建設計画の断念を求め、国会を取り囲む行動に過去最多の2万8千人が結集した。前日を含め全国9都市で同時行動があり、3万1千人を超える市民が参加した。
 国会周辺、全国の会場には辺野古の海を示す青い服を着込んだり、プラカードを持ったりした老若男女が参加した。「基地を造るな。埋め立てやめろ」などの訴えが寒空に響いた。
 新基地を拒む沖縄と手を携えた民意のうねりが強さを増している。安倍政権は目を背けてはならない。
 ルポライターの鎌田慧氏は「沖縄に犠牲を押し付けて私たちはのうのうと暮らしていいのか。そこが問われている」と述べ、沖縄の苦痛を共有しようと訴えた。
 残念ながら、基地が集中し、新たな基地建設が進む沖縄の苦難に「見て見ぬふり」をする国民がまだ多数を占めていよう。在京大手メディアの中では、今回の国会包囲を全く報じなかった社が多い。
 安倍政権が推す現職が再選を果たした1月の宜野湾市長選挙が示した民意は「辺野古移設容認」ではなかった。だが、1週間後の共同通信の世論調査は政府方針を支持する回答が上回り、逆転した。
 「辺野古が唯一の解決策」と繰り返す政府の印象操作が沖縄への無関心と相まって効果を上げている。それを断ち切らねばならない。
 今回の一連の行動には、沖縄に平然と基地を置き続ける「人ごとの論理」と決別して痛みを分かち合い、新基地建設断念を迫る主権者意識が色濃く打ち出された。
 新基地ノーを訴える国会包囲は4回目だ。回を重ねるごとに参加者が増えている。2万2千人が結集した2015年9月の前回の後、翁長雄志知事が辺野古埋め立て承認を取り消した。だが、国は代執行訴訟を起こして知事権限を剥奪する挙に出た。県は抗告訴訟などで対抗している。
 さらに防衛省は名護市の頭越しに地元の久辺3区に補助金を直接交付した。裁判と同様、地方自治への露骨な介入である。
 沖縄の民意を無視し、民主主義と地方自治を危機に追いやる強権体質への反発は強い。安倍政権は新基地建設を断念すべきだ。


翁長知事、普天間5年内停止働きかけへ 辺野古3訴訟費用は3400万円
 沖縄県議会(喜納昌春議長)2月定例会の代表質問が23日午前、始まった。翁長雄志知事は宜野湾市長選の結果を受けた米軍普天間飛行場の返還への対応について「選挙では(同飛行場を)どこに持って行くかという話はされていない。両候補者に共通していたのは5年以内の運用停止だ」と述べ、「5年以内」の進展に向けて協議の場の設置など政府に働きかけていく考えを示した。
 名護市辺野古の新基地建設をめぐる国と県の訴訟で、町田優知事公室長は代執行、抗告、係争委不服の三つの訴訟費用が、合計3453万9千円になると明らかにした。
 いずれも具志孝助氏(自民)への答弁。


介護疲れで妻殺害容疑の夫 逮捕後に食事拒み続け死亡
今月5日、埼玉県小川町の住宅で無理心中を図ろうと77歳の妻を殺害したとして、83歳の夫が逮捕されましたが、夫は逮捕後、食事をとることを拒み続け、23日、入院していた病院で死亡しました。
今月5日、埼玉県小川町の住宅で國崎誠一容疑者(83)が妻の恭子さん(77)の首を刃物で刺して殺害したうえ、みずからの首や手首も刃物で切りつけ、殺人の疑いで逮捕されました。
警察によりますと、國崎容疑者は調べに対して、「認知症の妻の介護に疲れ、無理心中を図った」などと話していたということです。
警察によりますと、國崎容疑者は逮捕後にはほとんど取り調べに応じず、食事もとらなかったため、警察は医師と相談したうえで今月17日、町内の病院に入院させていました。しかし、入院後も食事をほとんどとろうとしなかったため、点滴などで栄養補給をしていましたが、23日午前10時ごろ病院で死亡が確認されました。
國崎容疑者を留置していた小川警察署は、「本人はほとんど何も話さなかったので、なぜ食事をとることを拒み続けたのか理由は分からない。警察としても食事をとるよう説得していただけに、このような結果となり残念だ」としています。


精液とタバコの匂いが染み付いた女の子たち 今井絵理子の彼氏報道から考える沖縄の貧困問題
 実は結婚を前提にお付き合いしている、昔のダニエル・ラドクリフ君を日系にした感じのイケメン彼氏がいます。というわけですので、シングルマザー卒業します!! 今まで、ありがとうございました!! ……この手の妄想を繰り広げて半年以上経過しました。シングルマザー女子大生・上原由佳子です。
 お金と彼氏が欲しくてたまらないのですが、何ひとつ上手くいきません。妄想だけじゃ足りず、貴族が落ちぶれていく話の小説を5回くらい読んで「人の不幸は蜜の味」感覚を堪能しています。美味しい!! 大好きです!!
 しかし、現実に起こる不幸は、なかなか「蜜の味」を感じられないものです。沖縄出身で、自民党から出馬表明をした元SPEEDの今井絵理子さんが週刊誌で叩かれているのをみていると、複雑な気持ちで、もやもやしています。全然美味しくない。
 沖縄生まれ、沖縄育ちな上原。今回の報道をみていると「一連の流れが沖縄っぽいな」と、思いました。率直な感想を言えば「沖縄のシングルマザーが逮捕歴のある人と付き合うなんて、そんなに特別な話じゃないのでは?」と思いました。
 というわけで、今回は沖縄で暮らす上原が「今井さんの一連の報道を“特別なこと”だと思わなかった理由」を書いてみたいと思います。
「友達の友達の友達がヤクザ」は普通
 まずは今井絵理子さんに関する報道を整理しておきます。
 2月9日、今年の夏に予定されている参院選に比例代表で出馬することを表明。「週刊女性」(2016年3月1月号、主婦と生活社)で半同棲中の彼氏がいること。また、今井絵理子さんが、自身の父親に交際している男性を紹介しようと考えていることが報道されていました。そして、「週刊ポスト」(小学館)が2月19日にweb版で「今井絵理子の彼氏が児童福祉法違反で逮捕歴がある」と、報じました。
 今回絵理子は、「聴覚障害を持つ子どもがいる、苦労しているシングルマザー」を売りにして出馬表明した今井さんに、18歳以下の少女らに淫らな行為をさせていた疑いで逮捕されたことがある彼氏がいることへの批判があがっているのだと思います。批判内容は「そんな人と付き合うって、どうなの!?」「芸能人を出馬させるから、こんなことになるんだ!!」といったものでしょう。
 でも沖縄では今井さんの彼氏みたいな人と繋がりがあることは、わりと当たり前のことです。ましてや、今井絵理子さんと彼氏は「地元の同級生」。地元に戻れば、ひとりやふたりくらい逮捕歴があったり、前科があったりする人がいても不思議ではありません。ちょっぴり過激な表現をするなら「友達の友達の友達くらいにヤクザがいて普通」ですもの。
今井絵理子は特別なケースじゃない
 彼氏いない歴3年目の上原からすると、どんな経歴であれ、自分と子供に害がなければ、シングルマザーに彼氏がいるだけで羨ましいです。つい最近、先輩に「だれか紹介して!! 出逢いが欲しいの!!」と電話してみたら、「うーん。オレの身の周りが、どんな感じか想像つくでしょ?」「……闇金とか、風俗系でしょうね」「分かってるじゃん!!(笑)」という残念極まりない会話で、上原の恋活は始まりさえしませんでした。泣きたい。でもまあ、それが現実です。
 上原の場合は、飲み会(合コン)に声をかけられたら、どんな人が来るのかあらかじめ聞いて、参加するかしないかを決めています。「そんなの当たり前だろう」と思われるかもしれませんが、「イケメンかどうか」とかを聞いているわけではありませんよ(笑)。また、上原が大学生になってからは、昔から付き合いのある先輩達が「上原にはクリーンな人じゃないと紹介できない」と気を使ってくれるようになりました。だから今は、逮捕歴があるとか、前科がある人と出会うこともなく平和に過ごしてします。
 でも、こうやってかなり意識的に、関わらないように、出会わないようにしなくてはいけない時期があったくらい身近に“そんな人”達がいたってことなんです。
 それから芸能人やタレント、アーティストとの距離感も近いのが沖縄の特徴だと思います。
 なんせ芸能人の話題になると「あにゃー(あいつ)、しぃじゃーむにぃあらいばーよ!!(先輩風吹かせてきてウザいんだよ)」「あいつ、ちゅーばーむにぃして(強がって)るんだはずよ(笑)」「昔は悪い事していたけど、今は本当に頑張ってる」という会話ばっかり。悪口だって、良い話だって、一般人への扱いと何も変わらない(笑)。
 つまり、今井さんの「芸能人」という属性はそんなに特別なことでもないし、彼氏に逮捕歴があったことだって、よくあることだったりする。今井さんは珍しい人でもなくて、「沖縄出身のシングルマザー」の側面を持っている、そこらへんの人とあまり変わらない、と上原には感じられます。
精液と消毒液とタバコの匂いが染み付いた女の子達
 ところで、一連の今井さん叩きを見ていると、あまり良い気持ちにはなりません。今井さんが出馬表明をした後に、自民党から出馬することに対しての「出馬撤回署名」が行われていますが、今回の報道が「出馬撤回」に署名する動機になった人も少なからずいるでしょう。
 「自民党からの出馬」に対する批判はさておき、今井さん自身が18歳未満の女の子を雇って、風俗店を経営していたわけではありません。だから、一連の報道が今井さん叩きに使われるのは、筋違いだと思います。それに、社会が今井さんを叩き続けることで、今井さんとお子さんの、実生活に悪い影響が出るのであれば、考えものです。
 ただ、上原が個人的に、残念に思っているのは……。
 「沖縄出身で、聴覚障がいを持つ、シングルマザー」という、当事者性を前面に出しているにもかかわらず、彼氏のお店で働いていたような沖縄の女の子たちという存在と真摯に向き合う気はないのかな? と、感じてしまうことです。
 「スポニチ」によれば、今井さんは彼氏から、経営していたのは「キャバクラ店」だと説明されていたそうです。「キャバクラ」だろうが、「ピンサロ」だろうが、18歳未満の女の子を雇うのはアウトだと思うのですが……。18歳未満の女の子が働いている状況がおかしいですし、そこを見なかったことにされるのは悲しいです。
 上原は「いつかどこかで書けたらいいな♪」くらいの気持ちで、18歳未満でピンサロに勤めていた女の子と4年ほどかかわり続け、話を聞いています。また、今回の報道があった後には、風俗店の関係者の方からも、「当時、お店で働いていた(18歳未満の)女の子たちの家庭環境」について話を伺うことが出来ました。その中で、見えてきたのは“貧困問題”でした。
 今井さんの彼氏のお店で働いていた18歳未満の女の子達の家庭環境は、決して良いとは言えないものでした。上原もシングルマザーなので、自ら誤解を生まないように慎重な表現を使わないといけませんが、「ひとり親家庭の子供が多かった」とのことです。女の子のうち数名は、保護者に「スナック(キャバクラ)で働いている」と説明していたそうです。本当はピンサロなんだけど……。
 沖縄では、田舎のスナックであれば18歳未満の女の子(中学生含む)を雇うお店があります。でも、それでも、お金が足りないから性風俗店に流れてくるんです。そして、自分で稼いだお金を、親に渡している女の子達がいます。
 ちょっぴり過激な言い方をすると「18歳未満の子供が夜の仕事をすることに対して、親の理解がある」んです。「え!? どういうこと!?」と、混乱するかもしれないけど、そのままの意味。親に経済力が無いから、子供が働いてくれると少しだけ生活が楽になりますよね。
 ピンサロを経営している人達、働いている女の子、女の子達の親。みんな、それぞれ違う事情を抱えながら、貧困の中を生き抜いています。性を商品化すること、児童労働へのハードルが低くなっている“沖縄”の現状を見つめ直し、改善策を打ち出していってほしいものです。
 繰り返しになりますが上原は、今回の報道で今井さんに何の責任もないと思っています。だけど、大きな音楽が流れている真っ暗な箱の中で、不特定多数の男性を相手にしなければ「普通の生活」が出来ない。精液と消毒液とタバコの匂いが洋服に染み付いている18歳未満の女の子達の存在を思うと……。やりきれない気持ちでいっぱいになります。
沖縄的な出来事
 最後に、誤解しないで欲しいのですが、上原は自民党を支持するわけでもなければ、批判するつもりもありません(笑)。
 あくまでも、反社会的と言われるような人も含むいろいろな人達との距離感が近くて、シングルマザーと付き合うことにもあまり抵抗がない男性がいる沖縄で起きた、そして18歳未満の女の子が性風俗店で働かないと生き抜けない沖縄で起きた、沖縄的な出来事だったな、と思って取り上げました。
 上原的には、政治絡みの今井問題よりも「上原彼氏いない問題」の方が深刻です。妄想をやめてスタバ等の洒落たカフェで、ドヤ顔をして原稿を書いていれば、昔のダニエル・ラドクリフ君を日系にした感じの彼氏ができるのでしょうか? と、この一文を書くのは実は4回目。さっきPCがバグって、データが全部飛んでしまいました。もしかして、もしかすると、PCが「上原に彼氏は必要ねーよ!!」と、伝えようとしていたのかな……。

春画の記事/マイナンバー学習会/クエ?

ブログネタ
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日本と原発4年後

Japon/Okinawa: des milliers de manifestants encerclent le parlement
Des milliers de manifestants ont formé une chaîne humaine dimanche autour du parlement de Tokyo pour protester contre la construction d’une nouvelle base américaine à Okinawa.
28.000 personnes, selon les médias, encerclaient le parlement en brandissant des banderoles où l’on pouvait lire ≪plus de bases US à Okinawa≫ et ≪respectez la volonté d’Okinawa≫.
Située à l’extrême sud de l’archipel nippon, Okinawa représente un point stratégique en cas de conflit en Asie.
Occupée par les Américains après la Deuxième guerre mondiale et rétrocédée aux Japonais en 1972, l’île d’Okinawa, qui représente moins de 1% du territoire nippon, héberge plus de la moitié des 47.000 soldats américains présents au Japon, une cohabitation forcée qui est mal vécue. Les habitants se plaignent de nuisances sonores, des risques d’accidents et y voient la porte ouverte à la criminalité.
フランス語
フランス語の勉強?

図書館で春画の記事をコピーしました.東京の永青文庫に見に行ったときはよくわからなかったけど,少しわかるような気がしました.
夕方マイナンバーの勉強会に参加しました.でもなんだかよくわからないような感じです.非婚シングルマザーやHIV支援,釜ヶ崎支援の人の報告にショックでした.会場から外国籍で日本語で会話はできるけど,読み書きができないので大変だと発言しているのにも衝撃を受けました.
クエが食べたいとのメール.
ドイツ旅行のShさんは足にまめができて痛いそうです.

仮設商店街4周年で記念の催し
宮城県南三陸町で、仮設商店街ができてから4年を迎えるのにあわせて、地元特産の水産物を使った催しが開かれました。
この催しは、南三陸町の仮設商店街「南三陸さんさん商店街」が今月25日に、できてから4年を迎えるのを記念して、開かれました。
催しでは、地元で採れたのりやワカメの詰め合わせが通常よりも2割ほど安く販売されているほか、笹かまぼこを1回500円でつかみどりできるコーナーなども設けられています。
また、特産のタコのから揚げを販売する店もあり、訪れた人たちは、揚げたての味を楽しんでいました。
この仮設商店街は、年内で営業を終了し、来年には、多くの店が近くの造成地に移転する予定です。
秋田県から訪れた女性は、「さまざまな店が頑張っている感じがしました。地元の人が安心して暮らせる町になってほしいと思います」と話していました。
商店街の阿部忠彦組合長は、「仮設店舗でできる工夫を商店街一体となって続けてきました。4年間の感謝をこめて、地元の人にも観光客にも楽しんでもらえるように営業終了までにぎわいをだしていきたい」と話していました。


女川町復興の歩み 映画が完成
東日本大震災で大きな被害を受けた女川町のこれまでの復興の歩みを撮影したドキュメンタリー映画が完成し、試写会が開かれました。
「サンマとカタール 女川つながる人々」というタイトルのこの映画は、東京の映像制作会社などが、おととしの夏からおよそ1年半かけて、女川町の復興の歩みを撮影したドキュメンタリー映画です。
町民や報道関係者などを招いた試写会が、町の施設で開かれました。
映画の中では、津波による被害でさら地となった場所に徐々に建物が建っていく様子や、去年12月にまちびらきが行われた駅前商店街の開業までの動きなどが描かれています。
また、タイトルにも入れられた、中東・カタールからの支援で、大型の冷蔵施設が完成し、地元の水産業が活況を取り戻していく様子も描かれています。
上映後に、監督や出演した町民らが壇上に上がると、観客からは大きな拍手が送られていました。
震災後、女川町から石巻市の仮設住宅に移ったという60代の女性は、「自分のふるさとが復興していく姿を見て元気をもらいました」と話していました。
監督を務めた乾弘明さんは「女川町が元気で頑張っている姿を多くの人に知ってもらう機会になってほしいです」と話していました。
この映画は、5月から、全国各地の映画館で上映されます。


女川復興の軌跡描く 苦悩追う映画先行試写会
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町の復興の軌跡を描いたドキュメンタリー映画「サンマとカタール〜女川つながる人々」の先行試写会が21日、町まちなか交流館であった。実行委員会が主催。町民ら約150人が鑑賞した。
 タイトルは港町・女川を代表するサンマと、水産業の中核施設の大型冷蔵庫「マスカー」の建設を支援した中東のカタールから。再起に懸ける水産関係者や大切な人を失った住民の苦悩、まちづくりの様子や国境を越えた支援などを2年間にわたって追い、約1時間10分の作品に仕上げた。
 町民約30人が登場。映画の中で、マスカー建設に奔走した石森洋悦さん(59)は「町民に前を向いてほしかった」と明かし、復興イベント「復幸祭」実行委員長の阿部淳さん(41)は「『人が死んでいるのにお祭りか』などと非難も浴びたが、やり遂げた事実は残る」と思いを語った。
 阿部由理さん(55)は津波で自宅を失い、2012年に復興に尽力した町職員の夫を亡くした。上映後のあいさつで「主人のような人間がいたことを思い出してもらえたらいい」と語り掛けた。乾弘明監督(52)は「まちづくりの大変さや皆さんの苦労を肌で感じ、女川に力をもらった」と謝辞を述べた。
 映画は5月7日から東京都のヒューマントラストシネマ有楽町など全国で公開。県内では翌8日から仙台市青葉区の桜井薬局セントラルホールで上映される。


仮設住宅で独居 182人死亡
東日本大震災で被害を受け、仮設住宅でひとり暮らしをしている人が死亡して見つかったケースは、宮城、福島、岩手の3県でこの5年間で182人にのぼったことが警察のまとめで分かりました。専門家は災害公営住宅への転居が進む中仮設に残る人たちの孤立を防ぐ支援の継続が必要だと指摘しています。
宮城・福島・岩手の各県の警察によりますと、プレハブの仮設住宅でひとり暮らしをしている人が仮設住宅の内外で病気などで死亡して見つかったケースは去年までのおよそ5年間であわせて182人にのぼっています。
県別の内訳は、▼宮城県が84人、▼福島県が66人、▼岩手県が32人でこのうち65歳以上の高齢者はあわせて107人で全体の6割となっています。
震災の発生からまもなく5年となる現在でも、3県でおよそ5万9000人がプレハブの仮設住宅での暮らしを余儀なくされている一方、災害公営住宅への転居などで仮設の空き家はおよそ2万3000戸にのぼっています。
被災者の生活に詳しい仙台白百合女子大学の大坂純教授は「仮設から人が減ると孤立感が強くなる。
集会所も統合などで遠くなり行かなくなってしまうので、声かけを増やすなど支援の継続が必要だ」と指摘しています。
さらに大坂教授は災害公営住宅に転居した人たちも孤立化が懸念されると指摘していて、「震災後、何度も環境が変わり新しい環境に慣れることに疲れて閉じこもってしまう。仮設とは違い、近所の人との距離も遠くなるので入居者どうしや地域の人たちとのつながりを作る支援をしていかないといけない」と話していました。


民生委員の欠員 沿岸部に集中
高齢者や生活困窮世帯を回って相談に応じる民生委員の欠員が各地で相次いでいて県内全体で118人に上ることが県などの調べでわかりました。欠員の90%以上は震災で被災した沿岸部に集中していて対策が課題となっています。
民生委員は地域の高齢者や生活困窮世帯などを回って相談に応じたり要望を行政に届けたりする特別職の地方公務員です。ところが民生委員の欠員が各地で相次いでいて、県内4578人の定員に対し欠員は去年12月時点で118人に上ることが県や自治体の調べでわかりました。
市町村別では▼石巻市が32人と最も多く次いで▼仙台市が31人、▼気仙沼市が16人など欠員の93%は震災で被災した沿岸部の自治体に集中しています。
欠員が出ている自治体にNHKが理由を尋ねたところ民生委員が震災で被災し死亡したり転居したりしたまま後任が見つからないケースが目立っています。
欠員が出ている地区の60%では隣の地区の民生委員などが兼務していてそのほかの地区でも社会福祉協議会が見守りを行うなどしていますが対策が課題となっています。
民生委員の問題に詳しい東北学院大学の増子正教授は「被災地には見守りの必要な人が多くこうした人が福祉の網にかかりにくくなる懸念がある。残った民生委員も被災している人が少なくなく新たな民政委員の確保とともに地域全体で活動を支える仕組みを作る必要がある」と指摘しています。


津波被害の土地 活用策公募へ
津波の被害を受けた土地の買い取り事業を進めている仙台市は、活用計画が決まっていない区域について、市民や企業を対象に活用方法を公募し、貸し出すことになりました。
仙台市は津波の被害を受けた地域で暮らしていた住民の高台への移転を進めるため、津波が浸水した区域のおよそ1200ヘクタールの土地を買い取る事業を行っています。買い取った土地のうち5地区およそ60ヘクタールについて仙台市は、今後の活用計画が決まっていないことから、市民や企業を対象に活用方法を公募し、貸し出すことになりました。
具体的には新年度から活用方法を募り、貸し出し先を決めた上で、来年4月以降、貸し出し先の市民や企業と協議して利用を始めたいとしています。
また、市は、借地料を低く設定し、芸術や文化面での活用や新技術の実験場所の設置など利用者が自由な発想で活用方法を生み出すよう促したいとしています。
仙台市は「安い料金で場所を提供することで新しいことにチャレンジしたい人たちをサポートしたい。
そのことが新たな地域の魅力になるので多くの人に意見を募りたい」としています。


<アーカイブ大震災>心理士巡回、ケア支える
 不安、恐怖、怒り、喪失感―。東日本大震災は、被災した多くの子どもの心に傷を残した。日常を取り戻しつつある学校現場で、子どもの心のケアは重要性を増している。東松島市はスクールカウンセラーの巡回など、多方面からのサポートに力を入れている。
◎学校で何が(3)スクールカウンセリング(東松島)不安・恐怖、耐える幼心
 東松島市の川下公民館で避難生活を送る野蒜小5年の京野瑞樹君(10)は活発な野球少年。お気に入りの野球帽をかぶり、練習に打ち込む。
 3月11日は、学校からの帰り道で巨大地震に襲われ、恐怖で動けなくなった。通行人に助けられ、父親の文彦さん(37)らと一緒に野蒜小の屋上に避難し、助かった。津波は学校の校舎を破壊し、仲良しのクラスメート2人の命を奪った。
 「友達が亡くなってさみしい。地震が来ると、あの時みたいに胸がどきどきする」と瑞樹君。文彦さんは「普段は口に出さなくても、心の中には(恐怖が)あるかもしれない」と思いやる。
 大曲地区センターに避難する主婦千葉理恵さん(30)は、大曲小3年の次女(8)が余震の時に示す反応が気掛かり。「顔色が変わり、パニックのような感じ。いざという時、冷静に逃げられるかどうか心配」と話す。
 1000人を超える犠牲者を出した同市で、小中学校の児童、生徒の死者、行方不明者は計32人、両親の一方か両方を亡くした子どもは36人を数える(5月6日現在)。避難所生活が長引く中、学区外からのスクールバス通学者は約500人に上る。
 地震で受けたショックや慢性化する震災ストレスとどう向き合うか。東松島市は、宮城県教委を通じ、岐阜、徳島両県のスクールカウンセラーの派遣を受けている。
 岐阜県の心理士神谷文子さん(36)は、鳴瀬一中に間借りする鳴瀬二中に派遣された。隣接する小野小に入る浜市小も巡回する。両校とも津波で校舎が使えなくなった。
 5月中旬、初めて学校を訪れた神谷さんは子どもの異変に気付いた。
 「おなかが痛い」「頭痛がする」という訴えを耳にする中で、首や肩を触ってみると、パンパンに張っていた。ささいな事でいら立つ様子も気になった。リラックスするための呼吸や体操の時間をつくった。
 「環境が変わり、日ごろ感じないストレスで神経が過敏になっている。心身の緊張を緩める時間の確保が必要だ」と神谷さんは強調する。
 子どもの心のケアは、震災前から子どもと親しい人々が、日常生活の中で話に耳を傾けたり、リラックスさせたりするのが最も効果的とされる。
 徳島県から矢本一中に派遣されている心理士の森世歩さん(29)は「子どもは事情を抱えながら精いっぱい頑張っている状態。周囲の大人たちの安定が欠かせない」と、保護者と教員の役割の重要性を指摘する。
 市は4月下旬、東大医学部の専門チームと連携し、小中学校全ての児童、生徒約3600人に対し、震災後の心理状況について調査を実施した。心的外傷後ストレス障害(PTSD)が疑われる児童・生徒らの心のケアを行う。
 心理士でつくるケア・宮城と公益財団法人「プラン・ジャパン」(東京都)が6月28日、大曲小で教員を対象に心のケア研修会を開いた。「子どもに希望を持たせたいが、簡単に『乗り越えよう』などと言っていいのだろうか」。教師らにとってスキルを学ぶとともに、互いに抱える悩みを吐露する場になった。
 講師を務めた東北大教育ネットワークセンター長の本郷一夫教授(教育学)は「災害直後の心身のストレスは、誰にでも起こる正常な反応。子どもの拙い言葉を受け止め安心感を与えてほしい」と強調。「長い時間がかかる。先生が心と体の健康を保つことも大切だ」と助言した。(浅井哲朗)


<集団移転>ご近所同士「よろしく」
 東日本大震災の被災世帯向けに宮城県山元町が整備する集団移転先の宮城病院周辺地区新市街地への転入予定者と周辺住民の交流会が11日、移転先に近い同町の合戦原学堂であった。新市街地が完成する2016年度末まで住民の絆を保つ目的で、同地区の復興まちづくり協議会が昨年3月に続いて企画した。
 「復興鍋まつり」と銘打ち、双方の住民ら約50人が参加。地元の磯浜漁港で水揚げされた特産のホッキガイを使った手作りカレー100人分や地元の野菜をふんだんに入れた芋煮などを囲み、会話を楽しんだ。各種景品が当たる抽選会でも盛り上がった。最後に記念写真を撮影し、住民同士の末永い融和を誓い合った。
 災害公営住宅に入居予定という、調理を担当した角田市の会社員女性(39)は「住民同士が顔を合わせることで転居への不安が解消される」と喜んだ。
 同地区は敷地内に埋まった医療系などの廃棄物処理に手間取り、新市街地の完成予定が当初より1年先送りされた。協議会の鈴木勝雄会長(68)は「完成までの残り1年間、さまざまな交流の場を持ち住民同士の絆を強めたい」と話した。


宮城県外避難者定住先決まらず45%
 東日本大震災で被災し、宮城県外避難した世帯の45%がまだ定住先を決めていないことが、県が実施したアンケートで明らかになった。県は災害公営住宅の建設状況など復興情報の提供を続け、生活再建を促す。
 避難終了後の定住先について「現時点で決まっていない」が45.1%で最も多く、「震災前と同じ市町村に戻る」は26.9%、「避難先に定住」は17.5%、「震災前とは別の県内市町村に移る」は6.5%、「県外に移る」は2.3%だった。
 県内に戻る意向の世帯にその時期を尋ねると、1年以内が31.0%、3年以内が28.2%、5年以内が3.4%で、未定は28.7%に上った。
 定住先や県内に戻る時期が未定と回答した理由(複数回答)は「家の再建のめどが不明」が31.8%、「地元に仕事が見つからない」が26.0%、「自分や家族が避難先に就職している」が23.8%だった。
 避難先は岩手県が145世帯で最も多かった。東京117世帯、神奈川87世帯、埼玉62世帯と続いた。
 2015年9月からことし1月にかけて、県が把握している県外避難者2736世帯に郵送でアンケート用紙を配布した。回答率は33.6%(919世帯)。
 県は12年度からアンケートを実施。初年度は避難世帯が4402世帯あり、この4年間で約1700世帯減った計算になる。


捕鯨の町「鮎川」明治の姿 NY博物館で発見
 宮城県石巻市鮎川地区に捕鯨産業が進出して間もない1910(明治43)年に地区を撮影した写真が、米ニューヨークのアメリカ自然史博物館に保管されていることが分かった。明治期の捕鯨産業や日常を写した貴重な資料という。調査した研究者らは今夏、鮎川での展示会を計画している。
 撮影したのは映画「インディ・ジョーンズ」のモデルとされる米国人探検家ロイ・チャップマン・アンドリュース(1884〜1960年)。モンゴル・ゴビ砂漠で恐竜の卵の化石を発見するなど、20世紀を代表する探検家として知られる。
 アンドリュースは鯨類研究にも取り組み、1909〜10年に日本の捕鯨基地を調査。鮎川には10年5月から3カ月ほど滞在した。
 アンドリュースの鯨類調査を研究する東京農大オホーツクキャンパス(北海道網走市)の宇仁義和嘱託准教授らが2011〜13年、自然史博物館で特別な許可を得て調査。国内で撮影された約730点のうち、36点を鮎川と特定した。
 鮎川に最初の捕鯨会社が立地したのは1906年。その4年後の写真となる。捕鯨の事業所や作業員、ノルウェー人砲手らの姿、水揚げされたシロナガスクジラなどを活写。湾内に多くの捕鯨船が停泊する光景もあり、捕鯨産業が急速に集積したことを裏付ける。
 宇仁准教授は「宝の山を見つけたと思った。近代捕鯨の初期を記録した貴重な資料だ」と話す。明治末期には写真が普及していたが、産業や日常の暮らしを切り取った写真は少ないという。
 アンドリュースの日誌や手紙も数多く残されている。鮎川での生活を「米と魚と鯨肉で気がめいる。いまは何も食べたくない」と手紙につづった。
 写真は、鮎川地区で文化財保護に取り組む東北学院大などと協力し、地元で展示される予定。宇仁准教授は「貴重な古里の写真を多くの人たちに見てもらいたい」と語った。


河北春秋
 気仙沼市と宮城県南三陸町で構成する広域行政事務組合が運営するリアス・アーク美術館。たびたび津波に襲われてきた地域の歴史を、東日本大震災以前から企画展などで紹介してきた▼震災では大きな揺れで建物が損壊。学芸員らは館内に泊まり込み、被災状況の調査・記録に走り回った。2年後、館の再開と同時に実現した常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」は、その活動が形になったものだ▼当時集めた被災物は、人々の暮らしの記録を再生させる装置として陳列。被災地の写真には詳しい状況説明とともに撮影者の思いを記した。写真を中心に約400点が東京の目黒区美術館に送られ、3月21日まで開催中の「気仙沼と、東日本大震災の記憶」であの時の惨状を再現して見せる▼毎年秋の「目黒のさんま祭」に魚を提供する縁で、気仙沼市は目黒区と友好都市の関係にある。区美術館の佐川夕子学芸員は「震災から5年たって、報道が少なくなると首都圏では被災地のことを忘れがち。震災の状況を伝えて減災意識を高めることは大切」と話す▼訪れた人は真剣な表情で雄弁に語り掛ける展示物を見詰めているという。東京もまた、直下型地震など災害の危険と無縁ではない。関係者は震災を自分のこととして考える契機に、と願う。

デスク日誌 最後の仕事
 長崎県に住む知人からメールが届いた。「宮城県議会が始まりますね。論戦に注目しています」と。
 いただいたメールで初めて知ったのだが、宮城の市町村は非核宣言の採択率が100%。日本非核宣言自治体協議会への加入率は、長崎、広島に次いで全国3位だという。
 「それだけに宮城の皆さんには、被爆地に暮らす者として特別な親近感を覚えます」とあり、誇らしい気持ちになった。
 2年前まで宮城県美里町の町長だった佐々木功悦さん(67)の功績による。県町村会長として市町村を一つ一つ訪ね歩き、核廃絶を説いて回った成果だ。
 非核行脚は隣県福島にも及んでいたが、東京電力福島第1原発事故が起きて途絶えてしまった。
 一度は一線を退きながら「やり残した仕事がある」と昨年秋、原発再稼働反対を訴えて県議選に打って出た。核廃絶を政治信条とする人が震災を経て、脱原発を最後の仕事と決めた。
 今任期の県議会は、東北電力女川原発の再稼働の是非が最大の焦点になる。開会した2月定例会には佐々木さんも登壇し、本格論戦が始まる。(報道部副部長 矢野奨)


原発とともに盛衰 商店街帰還か決別か
 東京電力福島第1原発事故で全町避難する福島県浪江町には、原発とともに発展し、双葉郡では最も規模が大きい商店街があった。町は早ければ来年春の避難指示解除を目指している。商店街から人影が消えて5年。帰還か決別か。商店主らにも決断の時期が近づく。(福島総局・桐生薫子)
 「シャッターを下ろしている店さえなかったんだ。古びた商店街でも、正直に商売していたのに…」
 1月下旬、一時帰宅した浪江町商工会長の原田雄一さん(66)は、静まり返った商店街を見詰めた。
 先輩の精肉店は昨年末、取り壊された。地元に愛された老舗だったのに、いとも簡単に。スーパーを営んでいた同級生は3年前、将来を悲観し自ら命を絶った。
 JR常磐線浪江駅から北東に延びる商店街は原発とともに発展した。1960年代に建設が始まると、夜は飲食店に原発作業員が集い、地元の人と酒を酌み交わした。東電や関連会社の従業員の家族らが買い物をし、家族ぐるみの付き合いも多かった。
 通りごとに七つの商店街で構成されていた。世間の不景気も関係なく、客足は途絶えず、住民1人当たりの飲食店数の多さが全国でトップ級になった時期もあった。
 昭和元年に創業した時計店の3代目である原田さんも恩恵を受けた一人だった。お客さんが店に入る前から90度のお辞儀をする名物店主。年間数億円を売り上げた時期もあった。
 「うちなんて古い店に比べたらひよっこだけど、かわいがってもらったな」。1万人分の顧客リストはもう使えない。
 明治初期に始まった「十日市祭り」が風物詩だった。11月下旬、瀬戸物や植木、服などを売る出店が並び、3日間で10万人の人出でにぎわった。
 祭りは仮役場がある二本松市で震災半年後に復活し、今も続くが、規模も熱気も違う。「こうなって初めて、地域のつながりはいいなって気付く。もう遅いかな」
 双葉郡で最も大きい商店街に育てたのが原発なら、半世紀後に崩壊させたのも原発だった。商店主と家族は全国に散らばった。避難先で商売を再開した人もいれば、賠償金を「退職金」代わりに廃業した人もいる。
 県商工会連合会の調べでは、浪江の事業再開率は1月時点で36%。復興需要がある建設関係が中心で、商圏を喪失した小売業、卸売業は伸び悩む。商店街で営業を再開したのはガソリンスタンド2軒だけだ。
 町商工会が昨年9月に実施したアンケートによると、避難指示解除後、町での事業再開を望んだ事業者は回答数(243人)の37%にとどまった。
 5年の月日が流れる中で店主の高齢化が進み、後継ぎたちも離れていった。「古里を思う気持ちだけじゃやっていけない。それが現実だよ」。原田さんがため息をついた。


<原発事故>転身 すし店「古里誇りに東京で」
 福島県浪江町は東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされ、双葉郡随一の規模を誇った商店街も崩壊した。古里を追われた商店主らを訪ねた。
 古里を店名に刻んだ。原発事故で変わってしまったいまも誇りに思っている。
 東京・赤坂の大通りに面した雑居ビルの2階。「鮨(すし)なみえ」の看板に小さな明かりがともる。
 経営者の木場智久さん(39)は浪江町の商店街で鮮魚店「木場魚店」を営んでいた。一番早く出勤して店内を清掃した後、接客に当たる。
 鮮魚店は130年続く老舗だった。木場さんが4代目。15人の従業員を抱え、地元の請戸漁港で水揚げされた新鮮な魚を店頭に並べていた。「家庭の食卓に上がる魚だけでなく、高級魚も扱ってみたい」。社長に就いた2009年ごろから店内ですしを握り、宅配もしていた。
 胸に秘めた夢が、原発事故という望まぬきっかけで実現する。
 避難先で魚の加工などに従事していたが、「夢をかなえるなら今しかない」と一念発起した。
 出店場所はあえて選んだ激戦区。「やるなら、ど真ん中で勝負だ」。北海道や東京の有名店で腕を磨いた板長をスカウトし、15年4月にオープンした。
 常連客をつかむのは容易ではない。浪江にいたころ、皆が顔なじみだった地域密着のありがたみを感じることもある。
 請戸漁港の水揚げ再開は見通しが立たず、風評被害も続いている。町での再開は無理だと思う。「自分はここで真っすぐ歩いていくしかない」。東京の一等地で、文字通り古里の看板を背負う。


<原発事故>断念 理容室「帰還信じられぬ」
 福島県浪江町は東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされ、双葉郡随一の規模を誇った商店街も崩壊した。古里を追われた商店主らを訪ねた。
 愛用のはさみとくしは持ち出した。ただ、避難先で店を再開する気力は湧かなかった。
 浪江町の商店街で「モンマ理容室」を営んでいた門馬光男さん(74)は、長男夫婦や孫が住む会津若松市の借り上げアパートに身を寄せる。
 横浜市で修行を終えた45年前に店を構えた。「裕福じゃなくても納得できる生活だった。それが突然、プツンと切られるなんて」。やりきれなさが募る。
 昨年8月、福島市であった葬式の会場で、時計店を営んでいた同級生の男性と再会した。「店はどうすんだ?」。門馬さんが尋ねると、男性は「俺らみたいな個人事業主は信用が第一。避難先で一朝一夕で築けるもんじゃねえ」と力なく答えた。「俺もだ」。うなずくしかなかった。
 来年春の避難指示解除を視野に、町はことし10月、役場敷地に仮設商業施設を整備する。門馬さんの下にも出店の意向を確認するアンケートが送られてきたが、「希望しない」に丸を付けた。
 町には以前、約2万1000人が住んでいた。町が昨年実施した意向調査で帰還を希望した住民は17.8%。「町は約5000人が戻ると言うが、信じられない。お祭りに屋台を出すのとは違う」
 最近、グラウンドゴルフを始めた。新たな友人もでき、ぽっかり空いた心の穴を埋めてくれた。「ずっと部屋にこもっていたから、思い切って参加してよかった」。難しいことを考えるのは、少し疲れた。


<原発事故>再開 GS「俺がやらなきゃ」
 福島県浪江町は東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされ、双葉郡随一の規模を誇った商店街も崩壊した。古里を追われた商店主らを訪ねた。
 給油する車両は1日1000台。無人の町に渋滞ができる。
 福島県浪江町の商店街で2014年7月、ガソリンスタンド「渡辺商店」は営業を再開した。常務の渡辺良一さん(53)が無駄のない動きで給油や車の補修に当たる。
 福島第1原発1号機が危機的状況に陥った11年3月12日早朝、避難を促す防災無線が聞こえた。避難しようとすると、店の前に長蛇の車の列ができていた。
 「お願いだ。売ってくれ」。住民たちは殺気立っていた。「自分だけ逃げるわけにいかない」。正午すぎ、最後の1台が去っていくまで給油を続けた。
 13年4月に避難区域が再編されて日中の事業再開が可能になったが、渡辺さんは戻るつもりはなかった。生まれ育った埼玉県所沢市に移り、古巣の運送会社で働いていた。
 14年1月、建設会社の知り合いから電話があった。「避難区域で給油できる店がほとんどなく、復旧作業に支障が出そうだ」
 久しぶりに町内へ一時帰宅し、除染や工事の車両が頻繁に行き来しているのを目の当たりにして、目が覚めた。「給油はパン屋にもパーマ屋にもできない。俺がやらなきゃいけない仕事だ」。再開準備を始めた。
 あまりの忙しさに逃げたいと思うことがある。復旧関連の需要もいつまで続くか分からない。渡辺さんは「流れに身を任せるしかない」と笑い、駆け足で仕事に戻った。


<全村避難>までい牛PR SNS通じ結集
 東京電力福島第1原発事故で全村避難する福島県飯舘村出身の東大大学院生らがSNS(会員制交流サイト)を通じて集まり、飯舘牛の血を引く「までい牛」のPRに取り組んでいる。復興を願う気持ちが引き寄せ、若者16人が参加。避難する畜産農家も協力し、5月の東大大学祭で焼き肉1000食分を販売する。
 1月10日、東京都文京区の東大農学部キャンパスで開かれた物産展。までい牛の焼き肉を売る露店は客が絶えず、約180食は3時間余りで完売した。「軟らかくて食べやすい」「食味は米国産と全く違う」と好評だった。
 出店したのは、飯舘村出身の若者4人と東大大学院生12人による「までいラボ」。大学院農学生命科学研究科1年で村出身の佐藤聡太さん(23)が呼び掛け、昨年9月に活動を始めた。までい(丁寧な)は村のキャッチフレーズだ。
 物産展は大学祭に向けた試金石。運営資金はメンバーがカンパした。佐藤さんは手応えを感じ、大学祭では5倍超を用意する。
 村のために何かできないか−。上京した若者の間でくすぶるジレンマを、佐藤さんはSNSのやりとりから感じていた。ラボの意義は彼らの漠然とした思いを形にすることにもあった。
 都内で芸能活動をする久保内由衣さん(23)は高校卒業後、村から遠く離れて暮らすことに引け目を感じていた。「少しでも村の力になれれば」と参加した。
 までい牛は、村から千葉県山武市に避難する畜産農家小林将男さん(59)が育てる黒毛和牛だ。原発事故後「とにかく牛は守ろう」と、2011年6月に142頭を連れて移り、飯舘牛の血統を守ってきた。
 飯舘牛の血を引いても、山武市で生まれた牛は「飯舘産」と表示できない。だが、古里ゆかりの牛を物産展で懸命にアピールする姿に「パワーをもらった」と小林さん。メンバーは小林さんの牛舎で餌付けや掃除も手伝ってきた。
 村は帰還困難区域を除き、来年3月までの避難指示解除を見込む。佐藤さんは「牛が村に帰れば堆肥ができ、田畑も戻る。帰還のきっかけになる。村の誇りを取り戻したい」と話す。
 活動は就職活動や研究などで大学祭でいったん休止するが、「復興のため、村出身者を中心に多くの人を巻き込んだ活動を続けたい」と佐藤さん。その後の展開に思いを巡らせている。


<検証地域医療>繁忙でも経営苦しく
 震災と東京電力福島第1原発事故の影響で、被災地では医療資源の確保に苦心する状況が続く。特有の医療ニーズも生じ、新たな対応が求められている。
◎震災5年へ(上)続く仮設診療
 岩手県では、東日本大震災で被災した高田(陸前高田市)、大槌(大槌町)、山田(山田町)の3県立病院が今も仮設施設での診療を続ける。5月に開院する大槌を皮切りに再建が進むが、震災前から続く深刻な医師不足と震災後の急速な人口流出という難題が立ちはだかる。
 プレハブの大槌病院の仮設診療所。廊下に外来患者がぎっしり並ぶ。常勤医は内科と外科の計5人だけ。応援医師による週1回の眼科や整形外科の診察日は患者がさらに増える。
 外科の坂下伸夫院長は「高齢化で整形外科の需要は高いが、新患を受け付ける余裕はほとんどない。湿布や飲み薬の処方で済む患者は外科の自分が診る」と現状を説明する。
<14年度は赤字>
 新病院は常勤医が足りず、震災前は対応した休日と夜間の救急患者の受け入れを断念した。病床も10少ない50とし、休診中の産婦人科などを廃止して8科から6科に絞る。病床復活で必要となる当直は、岩手医大(盛岡市)や周辺の開業医の応援でしのぐ予定だ。
 ただ、加速する人口減少は病院経営を圧迫する。町人口は2015年の国勢調査(速報値)で1万1732。前回10年より3544人(23.2%)減った。1日の外来患者数は、10年度の150人から15年度は84人へとほぼ半減した。
 大槌病院は14年度決算の経常損益で約7600万円の赤字だった。再建後は病床の稼働で収入増を見込むが、増員する看護師の人件費など経費もかさみ、赤字が続く見通しだ。
 それでも、入院機能の回復は医療圏にとって大きな意味を持つ。急性期を過ぎた患者や経過観察の必要な高齢者の引き受けが可能になる。そうなれば、大半を受け入れている県立釜石病院(釜石市)の負担を減らせるからだ。
 坂下院長は「町内の開業医も近場に入転院の受け皿ができて安心するはず。急性期の対応は釜石病院に任せる役割分担で地域医療を支えたい」と展望を描く。
<ストレス訴え>
 被災地では心のケアの重要性も増している。仮設住宅暮らしの長期化などに伴うストレスから体調を崩し、片頭痛や腹痛といった症状が現れる被災者は多い。
 県医師会が11年8月に陸前高田市に開設した高田診療所。日本心療内科学会の協力で設けた心療内科を訪れる患者は後を絶たない。県内外の医師による週末だけの診察だが、15年は延べ約600人が受診した。
 県医師会は「役目を終えた」として3月で診療所を閉鎖する。心療内科は県立高田病院が引き継ぐ。田畑潔院長は「精神的にダメージを受けている被災者は多く、公立病院としてニーズに応えなければならない」と態勢整備を急ぐ。(東野滋、太楽裕克)


NZ地震、5年迎え追悼式 日本遺族ら出席、着実に復興
 【クライストチャーチ共同】2011年2月に日本人留学生28人を含む計185人が亡くなったニュージーランド地震は22日、発生から5年を迎えた。被災地クライストチャーチ市の公園で現地時間正午(日本時間午前8時)から市主催の追悼式典が開かれた。
 式典には、ブラウンリー地震復興相やクライストチャーチ市のダルジール市長のほか、日本から現地入りした遺族が参列し、黄川田仁志外務政務官も出席。市内には空き地が目立つものの、市中心部の象徴だった大聖堂の再建方針が昨年末に決まり美術館も再開するなど、道半ばながら着実な復興が進んでいる。


ラーメン「政宗ブラック」登場
日本郵便東北支社は、新たな仙台名物を作ろうと濃厚な黒みそを使ったラーメンのカタログ販売を始め、お披露目の試食会が開かれました。
この試食会は、全国各地のラーメンをカタログ販売している日本郵便東北支社が、市内の郵便局で開いたものです。
披露されたのは、「政宗ブラック」と名付けられた濃厚な黒みそのスープでつくる、見た目も味もインパクトのあるラーメンです。
日本郵便東北支社が新たな仙台名物を作ろうと、県内の製麺会社などの商品から今回、伊達政宗の真っ黒なかっちゅうをイメージできるなどとして採用を決めました。
会場では、かっちゅうに身を包んだ郵便局員が伊達政宗の家臣にふんして登場し、訪れた人に出来上がったラーメンをふるまいました。
試食した人の中には、真っ黒なスープを飲み干している人もいました。
試食した40代の主婦は「見た目よりはあっさりしていておいしかったです」と話していました。
仙台北郵便局の浅野不二男局長は「仙台市の新たな名物になるようPRしていきたい」と話していました。
「政宗ブラック」は来月末まで、東北6県の郵便局窓口などで販売を受け付けることにしています。


高齢者宅、若者に下宿のススメ 京都府、孤立防止狙う
 京都府は2016年度、高齢者が暮らす住宅の一室を若者に提供し、交流を図りながら同居する「次世代下宿」事業に着手する。同様の試みは欧州で始まり、日本でも東京などで行われている。府は、若者の府内定住や、高齢者の孤立防止にもつなげたい考え。16年度当初予算案に1400万円を計上し、年度内に10組のマッチングを目指す。
 次世代下宿は、異世代同居とも呼ばれる。府によると、1990年代に欧州で始まり、2003年の猛暑で、多くの独居高齢者が亡くなったことを機に広がった。日本でも、東京都や福井県などでNPOなどが取り組んでいる。
 府は同居により、高齢者の生活面の不安解消につなげるほか、若者が家賃を安く抑えられるなどのメリットを想定している。同居の在り方はお互いの希望によって異なるが、府が調査した他地域では、一緒に食卓を囲んだり、若者が力仕事を手伝ったりする事例があり、高齢者の家族からも「若い人が夜にいてくれるのは安心」との意見が出ているという。
 実際のマッチングは民間団体や企業が担い、府は若者や高齢者団体への呼び掛けのほか、同居の際に必要となる住宅改修費補助などでも支援する。今後、関心のある団体や企業に声を掛け、協議しながら具体的なシステムを検討していく。学生が多い京都市内で先行例を作り、最終的には府全域に広げていく。
 府高齢者健康福祉計画によると、府内で、独居を含む高齢者世帯は、10年前に比べて1・5倍に増え、15年時点で総世帯の25・3%を占めている。
 今後もさらに増加が見込まれることから、府住宅課は「若者と高齢者が住宅を介して支え合う仕組みを作りたい」としている。


高校生ら各地で「戦争いらない」 一斉、リズムに乗り
 安全保障関連法に反対する高校生らが21日、仙台、東京、大阪など各地で一斉に声を上げた。「うちらの未来に戦争いらへん!」「武器を持たすな、希望を持たせろ」。プラカードを掲げ、ヒップホップ調のリズムに乗ってデモ行進。「選挙に行こう」「野党は共闘」とのアピールもあった。
 東京のデモを主催したグループ「ティーンズ・ソウル」によると、この日は15都府県で高校生らがデモや集会、街宣活動などをした。
 東京・渋谷では約5千人(主催者発表、以下同)が「集団的自衛権はいらない」「賛成議員は落選させよう」と訴えた。
 仙台市の繁華街では、時折小雨が降る中、約200人が参加。


「辺野古移設に反対」 全国8集会、札幌でも450人がデモ
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する集会「止めよう!辺野古埋め立て2・21北海道アクション」が21日、札幌市中央区で開かれた。主催者発表で約450人が参加し、プラカードを掲げながら札幌駅前通などをデモ行進した。
 国会周辺で行われた抗議集会「止めよう!辺野古埋め立て2・21首都圏アクション国会大包囲」をはじめとする、全国8カ所の「同時アクション」の一つ。北海道平和運動フォーラムや道労連などでつくる実行委員会が主催した。
 元琉球新報記者で沖縄国際大大学院の前泊博盛教授が「沖縄が問うこの国の民主主義の品格と風格」と題して講演。辺野古沿岸での米軍基地建設について「日米地位協定上も日本が建設費用を負担する法的根拠がない。埋め立てが強行されたとき、この国が法治国家ではなく、問題を放置する“放置国家”になる」と批判した。


辺野古移設にNO、全国で集会 京都でもデモ
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する集会が21日、京都など全国各地で開かれた。
 京都市では、市民ら約100人が辺野古沿岸部の埋め立て反対を訴え、観光客や買い物客らでにぎわう繁華街をデモ行進した。
 平和団体や労働組合などでつくる「京都沖縄連帯集会実行委員会」が主催。東山区の円山公園で集会があり、同実行委の大湾宗則共同代表が「政府のやり方は強引だ。沖縄県の自治権が試されている」と、埋め立て阻止の行動を強めるよう呼び掛けた。
 参加者らは、同公園から市中心部の四条通や河原町通、市役所までを練り歩き、「辺野古を守れ」「基地はいらない」などとシュプレヒコールを上げた。


大阪府人口が68年ぶり減少 国勢調査速報「少子化影響大きい」
 大阪府は22日、2015年国勢調査(10月1日現在)の速報値を発表した。府の人口は883万8908人と、10年調査と比べ2万6337人(0・3%)減で、戦争の影響で減った1947年の臨時国勢調査以来68年ぶりに減少に転じた。
 府は人口減少の詳細な原因は分析中としているが「少子化の影響が大きい」とみている。
 府によると、府内43自治体のうち、堺市や東大阪市など25市8町村で10年調査より人口が減少。最も減少したのは門真市で7474人減だった。一方、大阪市や吹田市、茨木市など8市2町は増加。最も増えたのは大阪市で2万6428人増だった。
 男女別では、男性が3万485人減少したのに対し、女性は4148人増加していた。
 府の人口は1920年の国勢調査以降、47年を除いて一貫して増加。ただ増加幅は、60〜65年の約115万人増をピークにその後は縮小傾向だった。
 松井一郎知事は記者団に「毎年東京に人が流れている。基礎自治体のトップが自分の身を削ってでも子育て世代のサービスを拡充していくべきだ」と述べた。


同一文面で育鵬社「支持」 大阪市教科書アンケート、動員か
 大阪市教育委員会が昨年8月の中学社会科教科書採択で参考にするため保護者らを対象に実施した無記名のアンケートをめぐり、採択された育鵬社版を支持した回答中、1人で10枚以上記載したと疑われるケースが多数あることが22日、分かった。文面や筆跡が似通っていた。企業の動員が背景にある可能性もあり、採択の公正さをどう担保するか議論を呼びそうだ。
 市教委は採択審議冒頭、育鵬社に肯定的な意見が約7割、否定的な意見が約3割と報告した。市民団体が情報公開請求で回答の写しを入手。共同通信が分析したところほぼ同じ文面で筆跡の似た回答が10枚以上あるケースが少なくとも8例あった。

サザン??/本を読んで過ごしました

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Japon: Une fuite d'eau radioactive empêche le redémarrage d'un réacteur nucléaire
Les opérations de redémarrage d'un réacteur nucléaire dans une centrale de l'ouest du Japon ont été suspendues à cause d'une fuite d'eau radioactive, a annoncé dimanche son opérateur.
Les opérations de redémarrage d'un réacteur nucléaire dans une centrale de l'ouest du Japon ont été suspendues à cause d'une fuite d'eau radioactive, a annoncé dimanche son opérateur.
La compagnie d'électricité Kansai Electric Power a expliqué qu'une fuite de 34 litres d'eau de refroidissement contenant des substances radioactives s'était produite sur ce réacteur de la centrale de Takahama, à près de 400 kilomètres à l'ouest de Tokyo. ≪Les procédures de reprise (...) ont été suspendues car nous sommes toujours en train d'enquêter sur les causes≫ de l'incident, a déclaré un porte-parole de la compagnie, ajoutant qu'il n'y avait aucun danger pour l'environnement au voisinage de la centrale.
43 réacteurs exploitables dans le pays
Les pouvoirs publics comme les compagnies d'électricité font pression pour relancer les réacteurs japonais près de cinq ans après le tremblement de terre et le tsunami qui avaient provoqué la catastrophe nucléaire de Fukushima. Le mois dernier, un autre réacteur de la centrale de Takahama avait redémarré au grand dam des écologistes, le troisième à reprendre du service dans l'archipel.
Il ne reste dans le pays que 43 unités potentiellement exploitables, contre 54 avant la catastrophe de Fukushima. Fervent partisan de l'atome pour des raisons économiques, le gouvernement du Premier ministre conservateur Shinzo Abe plaide depuis trois ans pour que tous les réacteurs jugés surs par l'Autorité de régulation nucléaire soient relancés. Mais de nombreux Japonais restent méfiants vis à vis de l'énergie nucléaire et des milliers d'anciens habitants refusent de revenir dans les zones affectées par la catastrophe de Fukushima.
フランス語
フランス語の勉強?
サンデーモーニング 相次ぐ問題発言で国会紛糾▽テロ情報に韓国警戒▽オープン戦開幕
◎世界と日本の出来事を掘り下げるカバーストーリー▽「奴隷が大統領」…相次ぐ問題発言で国会紛糾▽テロ情報に韓国警戒▽中東でテロ連鎖 ◎おなじみ・スポーツ御意見番は張本勲&川口和久「喝!&あっぱれ」▽▽張さんのキャンプレポート▽球春オープン戦開幕▽宮原知子 ◎関口宏の「一週間」ニュース▽”働かないアリ”のナゾ ◎時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」〜高齢者と介護〜
関口宏 姜尚中 大宅映子 安田菜津紀 涌井雅之 岸井成格 橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美 張本勲&川口和久 三枝成彰

明日へ つなげよう 証言記録 東日本大震災 第50回「福島県浪江町」
福島県浪江町の「双葉消防本部」は福島第一原発の周辺地域を管轄していた。1号機建屋が水素爆発した翌日の2011年3月13日、3号機にもメルトダウンの危機が迫り、東電から冷却水供給の要請が来る。3号機建屋が爆発した後も、けが人の搬送や原発火災の消火のために繰り返し出動した。本格的な冷却体制が整うまでの6日間、放射能汚染の恐怖と闘いながら、原発事故の収束に奔走した隊員たちの知られざる活動を証言でつづる。 畠山智之
NNNドキュメント "一歩 一歩"が人生 女性登山家・田部井淳子
1975年、女性で世界初のエベレスト登頂に成功した登山家・田部井淳子さん(76)。まだ女性が働くことが珍しい時代、子育てをしながら世界7大陸の最高峰を制覇するなど、 "元祖・山ガール"として活躍してきた。4年前、ガンを宣告された。抗がん剤治療の後遺症に苦しみながら、それでも山に挑み続けている。数々の"壁"を乗り越える不屈の精神が多くの共感を呼んでいる。命ある限り"一歩一歩"歩く、生き方を追った。
玉川砂記子 日本テレビ

テレメンタリ- 「ママの悲鳴〜少子化対策 “逆行” 制度〜」
札幌市の鎌田こずえさん(40)は介護関係のパートで働き、3歳から中学3年生までの6人の子を病院事務職員の夫と共働きで育てている。「外食はしない」「旅行は夢」。コメは10キロ2千円以下のものを探す。切り詰めた生活の中、去年9月から下の子2人の保育料があわせて4万6千円の負担に変わった。月に3万円も値上がりしたのだ。「子ども・子育て支援新制度」によるものだ。少子化対策に“逆行”する制度の矛盾をあぶり出す。
小山茉美 北海道テレビ放送

駆け込みドクター!名医がスタジオ生診断 カラダの不調の新常識SP
久本雅美 オードリー(若林正恭・春日俊彰) 吉田明世 青木さやか・大島麻衣・島大輔・城之内早苗・スピードワゴン・中村昌也・布施博・安田美沙子 森田豊 池谷敏郎 大竹真一郎 友利新 山西敏朗 新井基洋 中村格子 町田英一  田子千尋 永田亮子
名医がスタジオ生診断 カラダの不調の新常識 ▽睡眠と風邪が関係!! ▽鼻水の病気…後鼻漏 ▽600万人悩むめまい ▽肩こり治す簡単予防 ▽巻き爪正しい切り方 ▽ぎっくり腰の改善法 ▽寝だめで心臓病…!? ▽むくみ&冷え性体操 ▽腰痛ストレッチ

NHKスペシャル 新・映像の世紀「第5集 若者の反乱が世界に連鎖した」
1960年代に、世界で連鎖的に起こった若者たちの反乱を取り上げる。その爆発的なエネルギーは、新しい文化を生んだ。ビートルズなど60年代のスーパースターが登場する
東西両陣営で同時に起こった若者たちの反乱を引き起こしたのはテレビだった。衛星中継が実用化され、あらゆる出来事が世界に瞬時に伝わるようになっていた。デモで若者たちはふたりの人物の肖像を掲げた。キューバ革命を起こしたチェ・ゲバラ、中国を建国した毛沢東。60年代に出現したスーパースターの貴重な映像も続々と登場。ビートルズ、ミック・ジャガー、ボブ・ディラン、デビッド・ボウイ。従来の価値観を壊した反乱の時代
山田孝之,伊東敏恵

ナラク―ゴビンダ・マイナリ獄中日記
ゴビンダ・プラサド マイナリ
希の樹出版
2013-07


司法の堕落を浮き彫りにした冤罪事件  パラムトゥギ
 事件が無事解決して、このような本が出されたのは喜ばしいことである‥‥と最初は思った。
 だがこの冤罪事件を「終わった」とするには、あまりに問題の多い日本の司法。事件の経過からゴビンダさんの帰郷後までを追ったこの本であぶり出しにされるのは、最高裁を頂点とする日本の司法のどうしようもない堕落ぶりだ。
 ゴビンダさんの日記は、本人の性格と、国民性もあるのだろうか、ユーモラスなくらいに正直な気持ちが吐露されている。
 しかし同時に一読者としては、各日記のタイトル下にある「獄中生活:○○日目」というさりげない表記と、その数字が4桁に及ぶという途方もない事実に、めまいを覚えないわけにはいかない。
 故郷にもどったゴビンダさんの顔に陰りを見ることがあるというエピローグからも、無実の一個人に日本という国家が与えた15年の理不尽な歳月の重さを想像できようというものだ。
 この本は、誤った裁判を引き起こし、いまだ反省の言葉も発しない司法関係者こそが、まず第一に読むべきものではないかと思う。


サザン???少し不明ですが・・・
今日一日本を読んで過ごしました.
鹿児島の人から「正直シンドイ」とメールが来ました.とりあえず頑張って.

<アーカイブ大震災>余震、冠水…遠距離通学
 震災による津波で大きな被害を受けた宮城県女川町では町外に身を寄せ、遠距離通学する子どもが数多くいる。余震の頻発や地盤沈下による道路の冠水など、当初は登下校に多くの困難を抱えた。町教委は町内外にスクールバスを運行させ、教員や保護者も子どもたちをサポートした。
◎学校で何が(2)15km車とバス乗り継ぐ(宮城・女川町)
 平日の午前7時前、宮城県石巻市中心部のアパートを出た庄子宙(そら)君(10)が父和行さん(41)と車に乗り込んだ。
 宙君は女川一小(宮城県女川町)の5年生。アパートから約15キロ離れた学校に通う。町との境に近い市東部にあるスクールバスの停留所まで、和行さんが車で送る。
 「お父さんや友達と一緒に学校に行けるから楽しい」。登校に約1時間を費やす毎日にも、宙君は屈託がない。
 庄子さん一家は和行さん、妻由美恵さん(37)と宙君、長女礼ちゃん(4)の4人暮らし。和行さんと由美恵さんは石巻市内の会社に勤めている。2011年3月11日まで暮らしていた女川町内の自宅は津波で全壊し、震災後は町内の避難所や仙台市内の親類宅などを転々とした。
 「女川には賃貸住宅がないし、小さい子どもがいると避難所では周囲に迷惑を掛ける」(和行さん)と、4月初旬に石巻市のアパートに移った。「女川の学校に行きたい」という宙君の思いを尊重し、石巻から女川に通わせることにした。
 スクールバスは町内の5小中学校に通う児童、生徒が利用する。運行は4月21日に始まった。
 当初、由美恵さんは心配だった。「いつ大きな余震が起きるか分からない。通学途中に津波が来たり、周りの建物が倒れたりしたらどうしよう」。万が一に備え、宙君に携帯電話を持たせた。
 女川一小は避難所となったため、授業は約2キロ東に離れた女川一中で行っている。同中は津波被害を受けた女川港近くの高台にあり、通学には津波で浸水した区域を通らなければならない。
 女川一小では児童約200人の大半がバス通学することになった。「学校にとって、登下校時の児童の安全確保が重要な課題になった」と星圭校長は振り返る。
 学校側は町教委やバス会社と打ち合わせを重ねた。バスの運行ルートは高台の道を優先し、地震発生時にはバスを停車させ、運転手が児童を避難誘導するなどの対応策を決めた。「当初はがれきで埋まった道路があり、運行ルートを選ぶのは大変だった」と4年生を担任する中沢健一さん(35)は言う。
 安全対策の一環として、学校は5月末まで、15人の教員を交代で登下校時のバスに同乗させた。発着状況は随時、電子メールで保護者に伝えた。「子どものことを親身になって考えてくれた」と由美恵さんは感謝する。
 町教委によると、小中学校の全児童・生徒の8割に当たる476人がスクールバスで通学(2011年6月20日現在)。うち町外居住者は計40人に上る。
 バスの運行が軌道に乗った後も、庄子さん夫婦には別の心配事があった。石巻市渡波地区など、アパートからスクールバスの停留所までの道のりの一部は震災で地盤沈下し、冠水しやすい。登校時間と満潮が重なり、停留所に向かう道路が冠水してバス停にたどり着けないこともあった。
 仮堤防の設置や幹線道路のかさ上げなど対策が施され、最近は送迎途中に道路が冠水することもほとんどなくなった。
 「今は安心して学校に通わせることができている。ただ、女川の復興の兆しが見えないので、先の見通しは立てられない」。庄子さん夫婦は口をそろえた。(肘井大祐)=2011年7月5日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<七十七銀津波訴訟>「悲劇繰り返さないで」
 東日本大震災の津波で従業員が犠牲になった七十七銀行女川支店をめぐる訴訟で、20日に記者会見したほかの遺族も、企業の防災意識の徹底を求めた。
 妻祐子さん=当時(47)=の行方が分からない女川町の高松康雄さん(59)は「いいかげんな避難行動を裁判所が良しとしたことで、同じ事が繰り返されないか心配だ。残念としか言いようがない」と落胆した。
 姉美智子さん=当時(54)=を失った仙台市太白区の丹野礼子さん(57)は「12人の犠牲を無駄にせず、職場の防災意識徹底を社会で広く図ってほしい。それが故人の供養になり、今後の命を救うことにつながる」と望んだ。
 弁護団の佐藤靖祥弁護士は「津波訴訟は各地であり、最高裁として安全配慮義務の統一的解釈を示してほしかった」と悔やんだ。


<七十七銀津波訴訟>遺族「企業防災向上を」
 東日本大震災の津波による七十七銀行女川支店(宮城県女川町)従業員の犠牲をめぐる訴訟で、最高裁で敗訴が確定した原告の遺族は20日、仙台市内で記者会見した。「企業防災の指針となる判断が示されずに幕を閉じた」と強調。遺族は安全な社会の実現に懸ける思いを一層強めた。
 長男健太さん=当時(25)=を亡くした大崎市の田村孝行さん(55)は決意を語った。「働く者の安全が担保されていない。原因を究明し、企業防災の在り方を追求していく」
 田村さんと妻弘美さん(53)は訴訟と並行して女川町で語り部をし、健太さんらの身に降り掛かったことを伝えてきた。早期退職して企業防災の向上を訴える活動に専念するべきかどうか、心が揺らぐ。震災から間もなく5年。田村さんは寝ても覚めても今回の悲劇が頭から離れず、心が安らぐ日はなかった。「銀行は法的責任を免れたが、息子ら12人が犠牲になった責任がある。真剣に向き合い改善策を示してほしい」と切望する。
 弘美さんは18日、1985年の日航ジャンボ機墜落事故遺族の美谷島邦子さん(69)に上告が退けられたことを電話で伝えた。「声を上げて活動してきたことは大切。頑張って続けてほしい」と激励され、勇気が湧いた。
 遺族と企業が向き合い命を守る。弘美さんが美谷島さんから学び目指す姿だ。「家族と銀行が歩み寄り、人命最優先の体制をつくることが息子にとって一番の慰めになる」と願う。


<3.11と今>正解なき苦しさ直視
◎古里を離れて(6完)郡山市→広島市 石森雄一郎さん
 福島第1原発事故で広島県内に避難した11世帯28人が、東京電力に損害賠償を求めた「福島原発ひろしま訴訟」。弁護団の石森雄一郎さん(36)は原告の1人でもある。
 福島県鏡石町生まれ。2013年春、郡山市の法律事務所を辞めて妻子の住む広島市に移った。
 原発事故当時、妊娠12週だった妻真理さん(37)はすぐに広島の実家に避難した。
 真理さんは被ばく3世だ。原爆投下後、広範囲に放射能汚染をもたらした黒い雨を思い起こした。結婚や就職での「被ばく者差別の恐ろしさ」も嫌というほど知っていた。
 長女が生まれた後も別居は続き、電話口で2人はぶつかり合った。「いつになったら帰るんだ」「戻らない。私は子どもを守る」
 多くの人が福島を去った。娘を案じる妻の気持ちを理解する一方、古里が世の中から見捨てられたように感じた。
 中学生のころ、法律を武器に暴力団と闘う女性弁護士の映画を見て弁護士を志した。社会の不条理に苦しむ弱者を法で守るのが使命と誓う。
 「福島に住み続ける人たちを置いて、自分が逃げだすことはできない」
 職業上の責任感と家族への愛情。はざまで悩み、一時は離婚も決意した。
 疲れ果てた心を解きほぐしたのは、腕に抱いたわが子のぬくもりだった。「この子を父のない子にしたくない」
 広島市中区に法律事務所を開設し、親子3人の暮らしを得た。弁護士は地域に根差した仕事だという信念を持つ。福島に戻る予定はない。
 この街に来て知った。戦後70年が過ぎても、原爆を背負って生きる人がいることを。
 因果関係が解明されないまま、自身や子の病気を「8月6日」と結び付けてしまう。長い間、被ばくの不安と向き合わなければならないのは、福島も同じだ。
 低線量被ばくは未解明な部分が多い。安全と思うか、危険とみなすか。とどまるか、逃げるか。国が避難を指示した区域以外は、個人に判断が任された。
 専門家でも答えのそろわない問いを突き付けられ、家族や仲間、地域が分断された。原発事故の被害は健康面だけではない。
 「避難した人も残る人も、分からないことの不安、正解のない苦しさが根底にある。一方的に不安を背負わされた同じ被害者だ」と雄一郎さんは強調する。
 真理さんは今、広島大大学院で放射線災害の復興を担う人材育成プログラムを学ぶ。「夫を福島から引き離してしまった。私の決断を科学的に検証したい」
 夫と妻はそれぞれの立場であの日に向き合う。
 「広島に来たことに悔いはない」と前を向く雄一郎さん。家族離散を経験した福島出身の弁護士として荷を負った。原発事故に人生を翻弄(ほんろう)された人々の代弁者として、言葉を紡いでいく。(伊東由紀子)


<検証学びや>心の傷 生き抜く力に
◎震災5年へ(下)防災教育の試行錯誤
 生き抜く力をどう身に付けるか。東日本大震災の被災地では、子どもと教師が試行錯誤を重ねている。
 宮城県七ケ浜町向洋中の1年生94人は、昨年9月から震災を見つめ直す総合学習に臨んでいる。自身の震災体験を振り返って作文につづり、船や店を流された町内の漁業者や商店主らを訪ねて話に耳を傾けた。
 青果店の聞き取りを担当した阿部杏珠さん(13)は、取る物も取りあえず客と一緒に津波から逃げ、生と死の分かれ目を実感した女性店主の話に衝撃を受けた。町内では94人が犠牲になり、阿部さん自身も肉親を亡くした。
 「あらためて命の重さを学んだ。津波の恐ろしさも分かった。震災を伝えていきたい気持ちが強くなった」。1月にあった聞き取り結果の発表会で阿部さんは発言をそう締めくくった。
 「震災を思い出したくない」「悲しいだけ」。当初そう感想を記していた生徒たちが「つらいのは自分だけでない」と気付き、震災をより身近に感じ取っていく。指導した瀬成田実教諭は変化に目を見張った。
<共に向き合う>
 「互いの思いを共有することが必要。共に震災と向き合い、乗り越えることで生きる力や命の大切さを学ぶことができた」と瀬成田教諭は手応えを語る。
 多くの子どもが家や思い出の場所を失い、肉親や友人を亡くして心に傷を負った大震災。授業などで正面から向き合うことに慎重な学校は少なくない。
 宮城県内陸部の学校は被災した生徒の転入を機に、全校で沿岸部に出向く支援活動を見合わせた。「つらい経験を思い返させることになる」との理由だった。
 数見隆生東北福祉大教授(学校保健学)は「被災状況や年齢などに留意が必要」としながらも「精神科医は震災に触れるなと言うが、自身で乗り越えることも重要。町の将来を共に考えるといった実践の意義は大きい」と説明する。
<古里見つめる>
 厳しい状況を学びの力に変える試みも始まった。
 郷土愛を育み、復興を担う人材の育成に主眼を置く「復興教育」に取り組む岩手県。大槌町が本年度から小中を一体化した大槌、吉里吉里の2学園で本格的に始めた「ふるさと科」は代表例だ。
 子どもたちは郷土食の新巻きザケ作りに挑戦し、地域に伝わる虎舞や鹿子踊りに触れた。仮設商店街で職場体験もした。講師らと学校との調整は住民が担う。
 町は昨年の国勢調査速報値で人口減少率が県内最大。古里を見つめ直し、地域で奮闘する大人たちに触れることで、町と自らの将来を深く考える狙いがある。
 成果も表れ始めている。中学3年に当たる大槌学園9年生は語り部として町の現状や将来像を全国に発信した。「町を離れる人も残る人もそれぞれに大槌を思い復興に携わっていく」。決意表明もあった。
 伊藤正治教育長は「古里に誇りを持ち、厳しい現状に負けず未来を創り出す人材が求められている。震災は逆境だがうまく利用し、子どもたちに生きる力を身に付けさせたい」と話す。(田柳暁、東野滋)


<検証学びや>学校と地域 連携が鍵
◎態勢築く時間ない現場も
 東日本大震災を踏まえ、地域との連携が防災教育の鍵になっている。震災時、学校は避難所となり、子どもや住民らの対応に追われ混乱した。大規模災害の発生に備え、学校と地域が手を携える動きが広がるが、態勢づくりは課題も残る。
 宮城県亘理町の荒浜中で昨年6月にあった総合防災訓練。「気を付けて階段を上って」。3年生が地元のお年寄りに優しく声を掛け校舎の屋上へと誘導した。
<防災教育で表彰>
 海から約700メートルの場所にあった校舎は津波で被災した。1階部分を柱だけの構造にして2014年8月に再建された。津波再来に備えた高床式造りで、地域の命を守る防災拠点になる。
 訓練前には入念に準備した。町の防災担当者や行政区長、教諭らが何度も協議を重ねた。訓練後も話し合いの場を定期的に設け、「次」に備える。豪雨や突風など地区ごとに災害を想定した取り組みを今後進める考えだ。
 防災主任の高橋健一教諭は「日頃から顔が見える関係を築くことが大切だ。地域とより強い連携が求められる」と話す。
 住民は訓練を通じ、非常時に太陽光発電を使えることや、備蓄品がある場所などを知った。同校は本年度、優れた防災教育に取り組む学校・団体をたたえる「ぼうさい甲子園(1.17防災未来賞)」で表彰された。
 同県内陸部にある川崎町富岡中は昨年8月、「生徒が大人になった時」との想定で防災キャンプを実施した。生徒を将来の地域防災の担い手と想定し、知識とノウハウを身に付けてもらう狙いだ。
 3年生が指示を出し、地域住民と一緒に段ボールの簡易ベッドを作ったり非常食の調理を手伝ったりする実践的な訓練をこなした。
 ただ地域との連携は手探り状態という学校は多い。
 宮城県南部の防災担当主幹教諭は「授業や部活もあり防災に割ける時間は1割以下だ」と打ち明ける。「周辺の行政区や企業と連携したいが、態勢をつくる時間が足りない」と嘆く。
 県教委は新年度、防災にいじめや不登校対策も含めた担当主幹に改める方針だ。現場には「防災力向上に充てる時間がますますなくなる」との不安が広がる。
<学校が調整役に>
 誰が学校と地域との連携をリードするのか。ある公立小学校長は「学校、地域、行政が同じ意識でないと話が進まない。学校だけでは限界がある」と指摘する。一方で「学校が調整役になって地域と連動した動きをつくっていくのが効率的」とみる関係者もいる。
 仙台市仙台大志高(宮城野区)は、13年から住民向けに防災だよりを継続的に発行して啓発に一役買うほか、地元町内会と一緒に避難所開設訓練に取り組む。1月には、仙台管区気象台と町内会が開いた防災ワークショップに協力した。
 金沢隆志校長は「小回りが効き、横のつながりをつくりやすい学校が動くと物事は早く進む。災害時の混乱は避難所となる学校への影響も大きく、地域の防災力を高めることは学校防災向上にもつながる」と話す。(田柳暁)


<はまなす>最後の急行40秒で完売
 北海道新幹線開業により廃止される夜行急行「はまなす」(青森―札幌)の青森発下り最終列車の切符が21日、全国のみどりの窓口で発売され、午前10時の開始から約40秒後に売り切れた。JRが定期運行する全国最後の急行列車で、国鉄時代から続いた急行列車の歴史の幕引きとなる。
 JR北海道によると、はまなすの下り最終列車は3月21日夜に青森を出発、翌22日朝に札幌に着き、青函トンネルを通る在来線最後の旅客列車となる。
 はまなすは青函トンネルが開通した1988年3月に運転を開始。夜間に移動でき、特急に比べて割安なため、本州と北海道を結ぶ足として親しまれてきた。


【発言全文】「同性愛は個人的趣味」 支援を疑問視する杉並区議の発言に批判
異性愛が趣味ではないように、同性愛も趣味ではない。
東京都杉並区の小林ゆみ区議が「同性愛は個人的趣味」「自治体が時間と予算を使う必要があるのか」などと議会で発言した。これに対し、当事者たちから「趣味の話ではない」などと反発が出ている。
小林議員の発言は2月15日の杉並区議会で出た(8分20秒から)。定例議会で区への質問に立った小林議員は「性的マイノリティについて質問をします」と述べて、次のように発言した(抜粋、全文は記事末尾)。
「レズ・ゲイ・バイは性的指向であるのに対し、トランスジェンダーは性的自認であり、医師の認定が必要である明らかな障害であると言えます。トランスジェンダーの方は法律的に保護する必要があり、世間的な目からの誤解を解かねばなりませんので、彼らの人権のために区が啓蒙活動をするのは問題ないと考えます」
「そもそも地方自治体が現段階で、性的指向、すなわち個人的趣味の分野にまで多くの時間と予算を費やすのは、本当に必要なのでしょうか」
小林区議は、このようにトランスジェンダーと同性愛者を区別し、行政による後者への支援を疑問視した。
区議会後にアップした自身のブログでは、こうも書いている。
「レズ、ゲイ、バイは性的指向(好み)、トランスジェンダーは性的自認(障害)であるという大きな性質の違いがあるため、私はそれらを一括りにすること自体に疑問を抱かざるを得ません」
「性的指向は選びとれるとの誤解は本当に多い」
これに対し、同性愛の当事者らからは批判の声が上がった。
ゲイであることを公表して活動している豊島区の石川大我区議は「性的指向はほぼ生得的なもので、個人的趣味ではない。誤り。性的指向は選び取れるとの誤解はほんとうに多い」とツイート。
レズビアンの立場から発信している村田悠のブログも小林区議の発言を取り上げた。
「正式な場所だからこそ差別的なニュアンスも持つ”レズ”ではなくて”レズビアン”と呼んでほしい」「同性愛、バイセクシャルは趣味でないってところだけでも認識してほしいです。そんなほいほいやめられないから、頑張っていきやすい道を探してるんですし」
同性愛や両性愛は、異性愛と同じく「性的指向」の一つ。同じ読み方をする「性的嗜好」が性に関する好みや趣味的な意味を持つのと異なり、「性的指向」は生まれついてのものとされる。
異性愛の男性が女性を、女性が男性を愛するように、同性愛の男性は男性を、女性は女性を自然と愛するようになる。趣味や好みを意味する「嗜好」ではなく、初めからその方向に向かっていることを示す「指向」という文字が使われる所以だ。
国連人権理事会は2011年6月、「人権、性的指向および性同一性」に関する決議で、性的指向と性同一 性障害を理由にしたすべての暴力や差別行為の対策に取り組む姿勢を明確にした。この決議には日本も賛成している。
日本は性的少数者への差別が少ない国?
また、小林議員はアメリカやロシアでの同性愛への差別や、同性愛を犯罪行為と認定している国がある中東やアフリカを例に挙げ、「日本は性的マイノリティへの差別が少ない」と指摘した。
しかし、日本の法務省サイトでは「内閣府の人権擁護に関する調査」をもとに「差別的な言動」「職場や学校などでのいじめ」などの事例を取り上げ、こう訴えている。
「同性愛者,両性愛者の人々は,少数派であるがために正常と思われず,場合によっては職場を追われることさえあります。このような性的指向を理由とする差別的取扱いについては,現在では,不当なことであるという認識が広がっていますが,いまだ偏見や差別が起きているのが現状です」
「こうした性的指向や性同一性障害を理由とする偏見や差別をなくし,理解を深めることが必要です」
小林区議が同性愛差別が根強い国として例に挙げたアメリカでは昨年6月、最高裁がアメリカの全州で同性婚が合法だという判決を下している。
小林区議の性的少数者に関する質問全文
杉並区議会・小林ゆみ議員(自民・無所属・維新クラブ)
最後に性的マイノリティについての質問をします。
昨年に実施された電通総研の調査によると、日本人の約13人に1人が性的マイノリティであるという結果が出ています。今までよりもそう言った話題が俎上に登ることが多くなったこともあり、区としても実態把握に努める必要があるのではないか、と思えるほどに性的マイノリティの人権を守るための運動は日本でも広がってきています。
同性パートナーシップに関する渋谷区の条例、世田谷区の要綱はその象徴といえるでしょう。ただし、これらは憲法24条、94条に違反している疑いが強いことが指摘されています。
確かに性的マイノリティの方々のアパート入居、病院での面会などの不利益が存在するのであれば、彼らの苦しみを取り除き、彼らを救済する必要があります。しかし、それら個々の問題が発生した時には、それらに対する個別の運用で十分に対応が可能ではないでしょうか。例えば、アパート入居や病院での面会権を家族以外にまで広げることは不可能ではないですし、財産に関する問題は公証人役場で遺言、公正証書を作成すれば、新たな条例などは不要です。また、家族ではないから、といってアパート入居や病院での面会を断られる問題は本当に多く発生しているのでしょうか。
現在、日本には性的マイノリティ向けの心理カウンセラーや同性結婚式を行う神社や結婚式場、性同一性障害の患者を積極的に診察する病院が存在します。さらに厚生労働省が精神障害者保険福祉手帳から性別欄を削除するなど、性的マイノリティに配慮した対応が国内ですでに進んでいます。このように日本は他国に比べると、性的マイノリティに対して、目に見えた差別が少ない国であると言えます。
例えば、アメリカではキリスト教の教えによって同性愛は罪とされているため、同性愛に対する差別が根強くあります。また、ロシアでは、2013年に同性愛宣伝禁止法が定められ、去年は動画サイトのYouTubeで同性カップルが手をつないで歩いているだけで、周囲の人々がそのカップルに対して暴言を浴びせたり、殴りかかってくる動画が2日間で200万再生され、話題となりました。
さらに中東やアフリカには同性愛自体が犯罪行為とされており、死刑を含む刑罰で罰せられる国も存在します。そのため日本では、性的マイノリティへの差別は比較的少ないと言えます。しかし、それは裏を返せば、国民が彼らについての正しい知識を持っていないという裏付けでもあります。
そのため、ここで整理をしておきたいのですが、レズ・ゲイ・バイは性的指向であるのに対し、トランスジェンダーは性的自認であり、医師の認定が必要である明らかな障害であると言えます。トランスジェンダーの方は法律的に保護する必要があり、世間的な目からの誤解を解かねばなりませんので、彼らの人権のために区が啓蒙活動をするのは問題ないと考えます。また、トランスジェンダーの方は、障害であると認められているからこそ、性別を変更できるなどの法的な救済策が定められています。
それに対し、レズ・ゲイ・バイは性的指向であり、現時点では障害であるかどうかが医学的にはっきりしていません。そもそも地方自治体が現段階で、性的指向、すなわち個人的趣味の分野にまで多くの時間と予算を費やすことは、本当に必要なのでしょうか。その前提に基づき、幾つか質問をしていきます。
杉並区男女共同参画行動計画においては、性的少数者(性同一性障害者等)と記載されていますが、ここでいう「等」には具体的に何が含まれているのでしょうか。うかがいます。
また、関連して杉並区男女共同参画行動計画は今年改定されますが、そこでは性的マイノリティについて、どのように表現されるのか、うかがいます。
杉並区は性的少数者とひとくくりに表現していますが、本来、レズ・ゲイ・バイとトランスジェンダーは本質的に異なるため、区別されなければなりません。実際に私の友人のトランスジェンダーの方に話を聞くと、レズ・ゲイ・バイとひとまとめにされることには抵抗があるとのことでした。そのため、区はレズ・ゲイ・バイとトランスジェンダーは異なるものであると周知し、LGBTや性的少数者という性的指向と性的自認をひとまとめにした表現を改めるべきだと考えますが、区の見解はいかがでしょうか。
障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律が今年4月1日から施行されますが、性同一性障害の方々は対象になるのか、杉並区の見解を問います。
最後の質問となりますが、杉並区は今後も性的マイノリティの人権を守る活動を続けていくのでしょうか。また、杉並区は今後、渋谷区の条例や世田谷区の要綱のようなものを出すことがありうるのかうかがいます。
以上、性的マイノリティに関して幾つか質問させていただきましたが、それはトランスジェンダーである私の親友がここ最近のLGBTに関する運動の盛り上がりに不信感を抱いており、「自分はカムアウトはしたくないし、そもそも世間にここまで大きく、性について取り合げて欲しくない」という彼女の言葉を聞いたことがきっかけでした。
多様な思想や個性を持つ私たちが共生していくにあたり、身近に性的マイノリティの方々がいるということを認識することは重要です。その上で、マジョリティ側がマイノリティの気持ちを理解し、その気持ちに寄り添うことで、様々な状況が改善するはずです。
ただ、そこで注意すべきこととして、マイノリティを助ける側の人々が、人助けをしようという気持ちが過剰に膨らみ、上から目線となり、マイノリティの方々に差別的な目線を送っている可能性があります。また、その逆のパターンで、マジョリティの力よりもマイノリティの力が大きくなり、マジョリティ側を迫害する構図が生まれることも考えられます。
実際にアメリカのコロラド州では、キリスト教の信仰から同性婚のためのウエディングケーキの販売はできないと断った洋菓子職人の男性が、日本円にして約1700万円の賠償金支払いを命じられたという事例があります。洋菓子職人の男性は同性カップルにウエディングケーキを作ることを強いることは、信教の自由と言論の自由を迫害していると主張したにもかかわらず、訴訟に負け、自身の宗教的信条を否定される苦痛を味わうことになりました。
海外ではこのような性的マイノリティによる、過剰な人権訴訟が増えており、敗訴した企業や店舗は営業停止に追いこまれるなど、本末転倒なケースが少なくありません。性的マイノリティ支援において本当に重要なことは彼らが本当に求めていることは何であるのかを見極め、一人一人にあった対応をすることです。それにもかかわらず、結果的に差別のなかったところに差別が生まれてしまうという逆説的な結果が生まれてしまうこともあります。
すべての人がマジョリティに対してもマイノリティに対しても思想・信条の自由を侵害しないことを願い、私の一般質問を終わらせていただきます。(拍手)


社民党大会 5野党結集、共闘訴え
 社民党は二十日、東京都内で党大会を開いた。吉田忠智党首は「夏の参院選で安倍政治を終わらせる足掛かりを築く。社民党が接着剤、要石の役割を果たし、野党統一候補擁立に全力を挙げる」と訴えた。民主、共産、維新、生活の四党の党首らが出席し、五党の結束をアピールした。
 旧社会党時代を含め社民党大会に共産党幹部として初めて出席した志位和夫委員長は、参院選に向け「力を合わせて勝ち抜き、安倍政権を倒し、憲法違反の戦争法(安全保障関連法)を廃止しよう」と述べた。
 民主党の枝野幸男幹事長は「立憲主義、国民生活、民主主義、三つの危機を食い止めるために、違いを乗り越えて戦っていかなければならない」と強調。維新の党の今井雅人幹事長、生活の党の小沢一郎共同代表もそれぞれ共闘を訴えた。
 野党五党は十九日の党首会談で、国政選挙での選挙協力を進める方針を確認。安保法廃止の関連二法案を衆院に共同提出している。
 社民党大会は二日間の日程。二十一日に運動方針を採択する。 (宮尾幹成)


マイナス金利 銀行の機能をゆがめる
 日銀が導入した初のマイナス金利政策により、民間の金融機関の収益悪化が懸念されている。
 マイナス金利政策の発表後、株価の下落が特に目立つ業種が銀行だ。金利収入が減り、利益が圧縮されると予想されているためである。資金の出し手(預金者)と借り手をつなぎ、経済活動を支える根幹の機能を銀行が果たせなくなれば、国民のくらしをはじめ経済全体に悪影響が及びかねない。
 日銀のマイナス金利が適用されるのは、民間の金融機関が日銀に預けている資金の一部に過ぎない。だが、政策の効果により、さまざまな金利が下がっている。日銀は追加の利下げも辞さない構えで、今後、貸出金利が一段と下がる可能性もある。
 住宅ローンを借りたい個人や、設備投資などの資金が必要な企業にとっては、金利コストが下がり朗報といえよう。しかし、民間の銀行にはマイナスだ。資金を貸して得る利子が減る一方で、預金者への利子をマイナスにすることは今のところご法度とみなされているためだ。
 今後、日銀が金利のマイナス幅を大きくすれば、金融機関の収益基盤は一段と弱まり、金融機関は自己防衛に動かざるを得なくなる。
 貸出先のリスクに見合う利子を取れないとなると、金融機関は新たな貸し出しに慎重になる。無理に貸し出しを増やそうとすれば、不良債権を抱え込むことになろう。
 貸出金利の下落が続くと、どこかで銀行は預金者に負担を求めるかもしれない。預金残高に応じて徴収する手数料などだ。マイナス金利で先行する欧州では一部で実施されており、全国銀行協会会長も欧州の事例を「調査研究している」と述べた。
 安全とされる公社債で運用する投資信託(MMF)や貯蓄性の高い一時払い終身保険など、利回りの確保が困難だとの理由でサービスが停止される例も出ているようだ。
 個人の間でも自衛的な動きが始まっている。銀行の預金よりも事実上の利回りが高いとして、大手百貨店の積立金サービスなどが関心を集めているという。
 マイナス金利政策がもたらす自衛の対応は、日銀の期待とは反対にデフレ心理を広げる恐れがある。預金に偏った個人の金融資産を投資に向かわせる効果を指摘する向きもあるが、人為的に作り出される投資ブームは長続きしないだろう。
 銀行の仲介機能が損なわれる一方で、国債市場ばかりが過熱し、バブルになっている。満期まで保有すれば損をするのが確実でも、日銀に売れば必ずもうかると信じられているからだ。こうしたゆがんだ金融が経済にプラスになるとは思えない。


[「保険証」届かぬ子]自治体は救済に全力を
 子どもの健康、ひいては命に関わる重大な問題である。
 親が国民健康保険(国保)の保険料を滞納している世帯で、「保険証」が届いていない高校生世代以下の子どもが129人に上ることが沖縄タイムスの調べで分かった。
 内訳は、那覇市の13世帯24人を筆頭に、15市町村の86世帯である。
 2008年、親が保険料を滞納し保険証を返還させられたため、無保険状態になった中学生以下の子どもが全国で約3万3千人に上ると厚生労働省の調査で明らかになり、社会問題化した。背景には景気悪化に伴う失業や非正規労働者の増加があった。
 国保法を改正し、09年から中学生以下の子どもに保険証が交付されるようになった。さらに10年には高校生世代以下まで交付されるようになり、救済幅を広げてきた。
 保険証がないまま、子どもが医療機関にかかると、窓口で医療費を全額負担しなければならない。このため、親が子どもに医療機関を受診させることを躊(ちゅう)躇(ちょ)し、必要な治療を受けにくくする「受診抑制」につながりかねない。
 保険証を持っていても、困窮世帯では窓口負担が厳しいため、子どもに医療機関を受診させるのに二の足を踏む親がいるとみられる。
 少々の病気や虫歯では医療機関で治療を受けさせず、病状を悪化させてしまうケースは珍しくない。
 滞納の根っこに貧困があるのは容易に想像がつく。払いたくても払えないのである。
■    ■
 なぜ、保険証が届かないのか。気になるのは、滞納者の自宅を訪問したり、電話連絡をして滞納者との接触を積極的に試みたりする自治体がある一方で、窓口受け取りにこだわる自治体があることだ。
 県内では郵送が主流だが、窓口交付を原則とする自治体は交付に併せて、親に保険料を督促する考えがある。
 ただ、保険料を滞納している親はそれだけで「負い目」を感じているはずである。親の足取りが重くなるのは当然ではないだろうか。自治体には交付方法でもっと柔軟な対応を求めたい。
 保険証の届いていない15市町村の高校生世代以下は1〜24人である。子どもの実情を把握することが可能な数字である。そのためには、国保担当部署と連携しながら、学校を中心に、教育と福祉をつなぐスクールソーシャルワーカーらが児童・生徒にアプローチする方法もあろう。
■    ■
 自治体の担当者には滞納世帯との接触も欠かさないでほしい。親が抱えるさまざまな問題や子どもが置かれた状況を捉え、行政支援につなげるきっかけになるかもしれないからである。
 滞納者の相談に丁寧に応じる必要がある。病気やけがなど保険料を納付することができないと認められる「特別な事情」があるかもしれない。
 そもそも滞納している親は、子どもが保険証を受け取ることができることを知っているのだろうか。日々の仕事や生活に追われていれば、情報が届きにくいはずである。
 自治体には制度の周知も徹底してもらいたい。


県内外国籍児、100人就学不明 5市が調査せず
 住民票がある外国籍の子どものうち義務教育年齢であるにもかかわらず自治体が就学の有無を把握していない児童生徒が、県内10市のうち5市で100人に上ることが琉球新報などの調べで20日までに分かった。外国籍でも希望すれば自治体の小中学校で受け入れは可能だが、就学や届け出を義務としていないため自治体の多くは「申請がなければ把握できない」として就学先を調べていない。一方で中には公立校に入っていない児童生徒について追跡調査をしている自治体もあり、対応が分かれている。
 公立校に在籍していなくても、私立の小中学校かアメリカンスクール、フリースクールなどに通学している場合や、住民票を残したまま帰国している場合が考えられるが、学校に通わないままとなっている可能性も否定できない。
 調べた10市のうち外国籍で公立校などで在籍が確認できておらず、就学先を調べていない自治体は那覇市(未調査児童生徒数16人)、沖縄市(29人)、うるま市(13人)、宜野湾市(39人)、石垣市(3人)の5市。残る浦添市は「調査中」。
 最も多い宜野湾市の市教育委員会は「外国籍の児童生徒は保護者から申請があって通学許可を出す。申請がない場合は把握しようがない」と説明する。
 一方、公立校に在籍していない外国籍の児童生徒を追跡調査しているのは名護市、豊見城市、宮古島市、糸満市。これら4市は就学先を調べており、把握していない児童生徒数はゼロ。南城市は現在、該当者はいないが「いれば実態は把握したい」と前向きだ。
 未調査の子どもの数は学齢の子ども総数から、在籍が確認された数を差し引いて算出した。一部の市は6〜15歳の外国人の数で算出しており、未就学児や高校1年の子が含まれる可能性もある。(知花亜美)


戦争映画よりリアル NHK「新・映像の世紀」は迫力度満点
 大人にも「面白い!」と思える番組がある。NHKの「新・映像の世紀」をご存じだろうか。主に日曜(土日連続の場合もある)の21時台に放送されている「NHKスペシャル」の中のシリーズだ。
「NHKスペシャル」は、原発事故や先週の「司馬遼太郎思索紀行」など、現代の問題や故人の回想録までさまざまな特集を組んでいるが、「新・映像の世紀」は世界史、特に世界の戦争を扱っていて、映像がすごい!
 昨年10月、「百年の悲劇はここから始まった 第1次世界大戦」からスタートし、12月の「時代は独裁者を求めた 第2次世界大戦」では、心中した愛人の遺品から発見されたヒトラーのプライベートフィルムが公開された。初めて報じられるVTRが多く、独裁者が戦争に突き進む様子が解説され、充実した内容だった。
 今年1月の「世界は秘密と嘘に覆われた 冷戦」では米ソそれぞれに侵入したスパイ(CIAとKGB)の話を軸に、諜報活動の映像を公開。スパイの文書が両国の核戦争を止めるまでのシリアスな攻防が伝わる。これは2月上旬に再放送され、他の回も再放送があったから、チラッとでも見た中高年は多いのではないか。まとめて再度、放送してほしい。
 知っている史実も多いのだが、「こんなのを撮っていたのか」「残っていたのか!」と驚かされることばかりで、戦争映画よりリアル。
 で、明日21日は「第5集」の「若者の反乱が世界に連鎖した 激動の1960年代」のオンエアがある。キューバ革命のチェ・ゲバラ、中国建国の毛沢東らの革命家・政治家に絡め、米国、フランス、チェコスロバキアなど、反戦や民主化を訴える若者たちのデモの映像を通して、カウンターカルチャーの新時代が描かれるようだ。
 何と60年代に現れたビートルズやデモに参加した時のミック・ジャガー、さらにはデビッド・ボウイのベルリンの壁前でのライブなど、貴重な映像も流れるらしい。団塊の世代にはストライクな時代だ。
 国内のニュース報道がバラエティー化している今、「新・映像の世紀」は実に骨太なドキュメント。池上彰の解説番組もいいけど、世界情勢を知るには“映像の力”にはかなわない。これを見ると、日本の政治家がスケール小さく見えちゃうなぁ。(作家・松野大介)


自衛隊の監視/違法性確定の意味は重い
 自衛隊による市民の監視活動について違法とする判決が確定した。
 自衛隊の情報保全隊がイラク派遣反対集会に参加した住民の個人情報を収集したことの違法性が争われた訴訟で、男性1人へのプライバシー侵害を認めた仙台高裁判決に対し、防衛省は上告を断念した。
 違法性を認めたのは一部とはいえ、重い司法判断である。自衛隊は情報収集活動の在り方を根本から見直すべきだ。
 提訴のきっかけは、共産党が2007年に公表した情報保全隊の「内部文書」だった。資料には集会やデモの日時や人数だけでなく、参加者の写真や発言内容があった。反戦ライブを開いたこの男性の場合、芸名だけでなく、公表していない本名や勤務先まで記されていた。
 高裁は、文書について一審判決と同様に情報保全隊が作成したと認定し、男性の反戦ライブ活動は「自衛隊員らに有意な影響があるとは考えにくい。本名などを探索する必要性は認めがたい」とした。
 情報保全隊は、自衛隊の秘密情報を守るために編成され、部隊を外部からの働き掛けから守り、機密漏えいを防ぐのが任務である。集会参加者らの個人情報収集は本来の仕事とはいえず、明らかに行き過ぎだ。
 一審仙台地裁判決は他に4人への賠償も認めたが、高裁は、いずれも地方議員として活動していたことを理由に請求を退けた。住民側は全員への賠償や監視差し止め請求が認められなかったのを不服として、確定した1人を除く75人が上告した。
 高裁判決は一審に比べ原告には後退した内容で、情報収集活動について「反対運動が自衛隊に直接的対応を迫るような形でなされた場合、必要性がある」としている。
 それでも違法性を認めた意味は大きい。反対集会に参加しただけで監視対象となり、個人情報を収集されるのでは市民活動を萎縮させる。
 心配なのは市民を監視する行為がより見えにくくなりそうな状況があることだ。機密を漏えいした公務員に厳罰を科す特定秘密保護法が施行された。今回のように内部文書で情報保全隊の活動を明らかにすることはより困難になる恐れがある。
 市民監視はプライバシー侵害だけでなく、表現の自由を脅かしかねない。判決確定を機にこうした活動に歯止めをかけねばならない。

携帯と財布を忘れて大ピンチ/Radiostars/天満飲み会

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Les personnages arabes dans les jeux vidéo, des stéréotypes qui évoluent lentement
Essentiellement produits au Japon et aux Etats-Unis, les jeux vidéo ont longtemps perpétué des images stéréotypées du monde arabe.
≪ Je suis Rachid du vent turbulent. Retenez bien mon nom ! ≫ Mardi 16 février, l’éditeur japonais Capcom a commercialisé Street Fighter V, la nouvelle génération d’une série de jeux vidéo de combat née en 1987. Cas rare dans l’industrie, elle met en scène un héros issu du Moyen-Orient, que Capcom avait présenté le 11 septembre 2015.
Le Moyen-Orient, un marché émergent
L’annonce du personnage, à cette date symbolique, avait été perçue comme une provocation par certains joueurs occidentaux. L’idée vient de Capcom Europe et de Sony, qui ont relevé l’existence d’un marché du jeu vidéo en pleine explosion dans le monde arabophone. ≪ Je me suis dit “pourquoi pas ?” ≫, se justifie de manière très pragmatique Yoshinori Ono, producteur exécutif de la série.
Capcom imagine alors un fauconnier virevoltant, non sans tâtonner. ≪ Les soucis étaient surtout dans les détails. Un peu comme quand un développeur occidental essaie de dessiner un Japonais, et lui attribue un mauvais kimono ≫, explique Yoshinori Ono. Mais il peut s’appuyer sur les conseils du distributeur régional du jeu, par exemple pour la manière de nouer la guthra, la coiffe.
Clichés orientalistes
Le progrès est net. Longtemps, les jeux vidéo se sont contentés d’une représentation fantasmée du Moyen-Orient, issue de l’imagerie orientaliste du XIXe siècle. Prince of Persia (1989) en est le plus célèbre exemple. ≪ Les Perses ne sont pas arabes, mais il est important de le mentionner, parce que dans l’esprit de nombreux Occidentaux, son héros est considéré comme d’origine arabe ≫, pointe Aïda Amer, une ancienne employée d’Ubisoft, dans un article du site oriental Qahwa Project.
The Magic of Scheherazade (1989), Arabian Nights (1993), Al-Qadim: the Genie’s Curse (1994), ou encore Beyond Oasis (1995) s’inscriront dans cette même veine, caractérisée par des motifs récurrents : turbans, chameaux, danseuses du ventre, oasis, califes et bédouins.
≪ L’orientalisme recrée la société islamique comme une entité exotique et intemporelle ≫, analyse dans une étude le chercheur tchèque Vit Sisler. Cette représentation s’est même immiscée dans des jeux aux paysages urbains occidentaux, à l’image du français Les Aventures de Moktar (1991).
Un problème de visibilité
Depuis ses débuts, le jeu vidéo a ainsi longtemps échoué à représenter la population arabe — alors que de très nombreux jeux comptent des héros ou personnages principaux blancs ou asiatiques, voire noirs, de McDonaldland (1992) à The Walking Dead (2012).
Pourquoi une telle différence ? Parce qu’aux Etats-Unis, premier marché mondial du jeu vidéo, l’immigration en provenance d’un des vingt-deux pays de la sphère arabophone est quasi nulle : 1,2 million de personnes sur 281,4 millions d’Américains. Au Japon, terre de production historique, la population d’origine étrangère n’est même que de 0,5 %, toutes nationalités confondues.
Dès lors, le jeu vidéo a longtemps pu relayer des clichés. Les chercheurs Philipp Reichmuth et Stefan Werning l’expliquent également par son statut de ≪ média négligé ≫ : faute de reconnaissance culturelle et de discours extérieur critique, les stéréotypes y sont reproduits de manière plus désinvolte que dans des médias reconnus, plus surveillés.
L’ennemi autorisé
Les évolutions géopolitiques ont même empiré la situation. La guerre du Golfe puis le 11 septembre 2001 ont donné naissance dans l’imaginaire collectif anglo-saxon à la figure de l’Arabe soldat, puis de l’Arabe terroriste. Les exemples sont légion : War in the Gulf (1993), Delta Force (1998), Conflict: Desert Storm (2002), Full Spectrum Warrior (2004), Conflict: Global Terror (2005), Call of Duty: Modern Warfare (2007)…
Dans les années 2000, l’industrie du jeu vidéo et l’armée américaine se rapprochent, soit pour recruter (America’s Army, 2002), soit pour justifier la ≪ guerre contre la terreur ≫ (Kuma/War, 2004). Des jeux qui tiennent le même rôle que le cinéma des années 1940, celui d’un instrument de propagande. La figure de l’Arabe terroriste devient dès lors ≪ l’ennemi autorisé ≫.
Même les jeux grand public, comme la trilogie Call of Duty: Modern Warfare (2007, 2009, 2011), ne se donnent pas la peine de mettre en perspective les hypothétiques motivations des actions de ces ennemis attitrés. Vit Sisler relève l’étrange paradoxe des superproductions qui portent une extrême attention aux détails techniques et graphiques des armes, mais sont muettes quant à la contextualisation du conflit et de ses enjeux géopolitiques.
S’agissant de la religion musulmane, Vit Sisler dresse un inventaire accablant de sa représentation :
≪ Les discours dominants présentent de manière écrasante les fidèles de l’islam comme une menace. L’islam est régulièrement associé au terrorisme, la représentation des musulmans ordinaires est marginalisée, et le cadre scénaristique qui prédomine est celui du conflit. ≫
Contre-propagande pro-palestinienne
Face à l’omniprésence du terroriste arabe dans les jeux vidéo américains, certaines voix tentent de s’élever. Surtout sur la scène locale, par exemple chez Afkar Media, un studio syrien auquel on doit Taht-al-ramad (2001) et sa suite Tahta al-Hisar (2005). Le premier met en scène la première intifada : après avoir été pris dans une fusillade de civils par des soldats israéliens, le joueur doit rejoindre la résistance palestinienne.
≪ Les joueurs [du Proche-Orient] étaient intéressés par un jeu offrant un point de vue différent, alors que tous ceux disponibles, comme Delta Force, supposaient de tirer sur des ennemis arabophones, disait en 2005 Radwan Kasmiya, le responsable du studio. Les joueurs arabes ressentaient un malaise, une amertume après avoir fini ce genre de jeux, comme un sentiment de culpabilité, vous voyez ? ≫ Cinquante mille copies en auraient été distribuées.
Le jeu vidéo devient ici aussi instrument d’embrigadement. La branche Internet du Hezbollah, parti chiite libanais pro-iranien, produit et distribue régionalement Al Quwwat al-Khasa (2003), qui glorifie ses combattants et la mort en martyr, puis sa suite Al-Quwwat al-Khasa 2: Al-Wa’d as-Sadiq (2007). Certains jeux sont plus cérébraux, à l’instar du stratégique Quraish, qui relate les débuts de l’Islam. Suyuf al-Janna devait quant à lui raconter le temps des croisades du point de vue du monde musulman. Mais son studio, Afkar Media, a fermé en 2006.
≪ Assassin’s Creed ≫, cosmopolite et policé
Par un étrange retournement de situation, c’est finalement un éditeur occidental, le français Ubisoft, qui aborde le premier l’épineux sujet du temps des croisades, dans Assassin’s Creed (2007). Le jeu est d’une audace inattendue pour une production occidentale : le joueur n’incarne pas un templier chrétien, mais un musulman ismaélite membre de la confrérie des Assassins, Altaïr Ibn La’ahad. Pour Aïda Amer, il est ≪ le meilleur exemple d’une représentation positive des Arabes dans un jeu vidéo ≫.
L’équipe de développement compte plusieurs anciens d’Ubisoft Casablanca, plus sensibles à une représentation équilibrée et apaisée. A l’image du Français Vincent Monnier, globe-trotter du jeu vidéo :
≪ A l’époque dépeinte dans le jeu, Jérusalem était une ville où se croisaient les trois religions monothéistes majeures, et pour moi c’était important d’avoir l’islam, le judaïsme et la chrétienté. ≫
Mais le jeu, développé dans l’Amérique du Nord post-11 septembre 2001, n’échappe pas à une certaine autocensure. ≪ Nous avions de très belles scènes, très poignantes, qui ont malheureusement été édulcorées ≫, regrette Vincent Monnier. Et de citer les personnages qui parlaient dans la rue en arabe, ou la reconstitution d’un enterrement musulman, disparus.
Même le héros Altaïr n’aura finalement d’arabe que le nom : visage encapuchonné, il n’exprime que de manière discrète son origine, comme s’il s’agissait de ne pas exclure le joueur blanc occidental. Sa religion est également mise de côté. Comme le relève la chaîne YouTube Jeux Vidéo & Histoire, ≪ Altaïr est le fils d’une chrétienne et d’un musulman. Difficile de faire plus neutre ≫.
Un prince saoudien contre les stéréotypes
Et si la solution venait de la production régionale ? C’est l’idée qu’avance Aïda Amer :
≪ Malgré l’émergence de représentations esthétiques et sociales plus fidèles dans les jeux vidéo, il doit être dit que la représentation d’une véritable authenticité ne viendra jamais de développeurs japonais ou occidentaux. Si les Arabes et les musulmans cherchent une représentation authentique, ils doivent s’en charger. ≫
Une jeune scène indépendante commence à émerger. Des exemples récents de productions innovantes — tel le projet Saudi Girls Revolution, avec ses huit Saoudiennes qui combattent un empire arabe dystopique — montrent comment le jeu vidéo peut se réapproprier ses représentations, parfois en jouant avec les contraintes politiques.
Financé par un prince saoudien et codéveloppé au Danemark, le jeu va même jusqu’à mettre en scène une héroïne lesbienne, prenant le contre-pied total des représentations traditionnelles.
フランス語
フランス語の勉強?
時論公論「介護現場を変えるには〜川崎市老人ホーム転落死事件」寒川由美子解説委員
川崎市の老人ホーム転落死事件で元職員が殺人の疑いで逮捕された。厚労省の調査では施設での高齢者虐待件数が過去最多に。介護現場が抱える課題と解消策について解説する。
ETV特集「書家・金澤翔子30歳〜娘と母 新たな旅立ち〜」
世界の人々に力と希望を与え続けているダウン症の書家・金澤翔子さん。30歳になった去年、これまで支えてきた母と共に、新たな一歩を踏み出した。親子の一年を追った。
いきいきとエネルギッシュに躍動する筆。全身から生み出される自由でのびのびとした「書」。金澤翔子さんは去年ニューヨーク国連本部に「世界ダウン症の日」日本代表として招待された。30歳となった翔子さんは、書家として成長したい一心で、一緒に暮らしてきた母・泰子さんに一人暮らしを宣言。泰子さんも自立を応援するため懸命に部屋探しを始めた。重さ25キロの大筆に初めて挑む翔子さん。親子の新たな旅立ちを見つめた。
室井滋, 大沼ひろみ

SONGS「岩崎宏美〜デビュー40周年・ピアノ×ソングス〜」
40年にわたってさまざまなスタイルに挑戦し、日本を代表する実力派歌手として活躍してきた岩崎宏美。ジャズピアニストの国府弘子とともに、息のあったデュオライブを送る。新たに生まれ変わった「聖母たちのララバイ」「ロマンス」などヒット曲の数々を披露。また、2人ならではの特別企画では、客席のリクエストにこたえ、リハーサルなしのぶっつけ本番で名曲を歌唱。また、デビュー以来の貴重な映像でその軌跡をたどる。
岩崎宏美,国府弘子, 小田切千


お好み焼きを食べた後に,携帯と財布を忘れていることに気が付きました.お好み焼きの代金はたまたまあった小銭入れから700円を支払してセーフ.でも財布がないということはマンションの入館カードもないのでヤバいです.後の100円でマンションの管理人さんに電話してどうにか部屋に戻って財布と携帯を手にして一安心.何と言ってもその時点では小銭入れに7円しかなかったのですごくさみしい気持ちだったんです.
さて夕方Radiostarsの映画を見ました.フランス映画なのはいいけど,ちょっとイマイチ感があるかな?
天満で知り合いと飲み会です.在日の人とお話しました.NHKの受信料払っていないと帰化できないし前科があってもダメなんだって.ビックリです.

<津波訴訟>遺族ら無念「まだ言葉にならぬ」
 東日本大震災の津波による七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の従業員と同県山元町東保育所の園児の犠牲をめぐり、施設管理者の責任が問われた2件の訴訟で、遺族側敗訴の判決が最高裁で確定したことを受け、遺族は19日、無念の思いを口にした。
 銀行員だった長男健太さん=当時(25)=を亡くした田村弘美さん(53)は「せめて最高裁で審理してほしかった。法的責任は問えなくなったが、銀行管理下で12人が犠牲になったことは紛れもない事実。今後も教訓を語り継いでいく」と話した。原告・弁護団は「司法の限界を痛感し、裁判所の判断に失望した。企業防災の必要性と実行を今後も訴えていく」との談話を出した。
 同保育所に通っていた長男将宏ちゃん=当時(6)=を失った鈴木あけみさん(50)は「災害に隠された人災を見逃せば反省や検証にならない。息子が納得できるようにと、主張を書面にまとめていた中での(敗訴確定の)知らせだった。志半ばに終わってしまった」と語った。判決の度、遺影に報告してきたが、今回は「まだ言葉にならない」と声を落とした。
 施設管理者の七十七銀行は「従業員12人の尊い命が失われ、悲しみ悼む気持ちは変わらない。今後とも防災に取り組み、従業員一人一人の防災意識を一層強化する」、斎藤俊夫山元町長は「園児の命が帰ってくるわけでもなく、あらためて哀悼の意を表し、今後の防災と町の復興に尽くしたい」との談話をそれぞれ出した。
 2件の訴訟で仙台地裁判決はいずれも津波の予見可能性を否定し、遺族の請求を棄却。仙台高裁も支持し、最高裁第2小法廷が17日付で遺族側の上告を退ける決定をした。


<3.11と今>帰還信じ農業続ける
◎古里を離れて(5)南相馬市→愛媛県伊予市 渡部寛志さん
 心の中に「二つの時計」がある。新天地で時を刻む時計と、あの日を境に止まった福島の時計だ。「本来の生活、生きる場がそこにあったと思うと、古里は捨てられない」。福島の土を耕した日々を思い出す。
 松山市から南へ6キロ、愛媛県伊予市の小高い丘に、黄金色に染まったミカン畑が現れる。手入れに励むのは農業渡部寛志さん(37)。東京電力福島第1原発事故で南相馬市小高区の自宅が避難区域になり、2011年4月に移り住んだ。
 福島ではコメや野菜作りのほか、養鶏も手掛ける専業農家だった。先祖代々受け継いだ土地には、大量の放射能が降り注いだ。
 「先祖はコメ作りを絶やしたことはなかった。農民であることを諦めたくない」。当時6歳だった長女明歩さん(11)の小学校入学を落ち着いて迎えたい気持ちも強かった。大学時代を過ごした愛媛に逃れた。
 避難後、すぐにミカン栽培を始めた。「放射能の心配のない農作物を福島の人に食べてほしい」。コメや野菜は、風評被害に苦しむ福島の農家と競合してしまう。温暖な土地ならではの果物を選んだ。
 11年11月、ミカンを初収穫すると、自らトラックで福島の知人の元へ届けた。陸路で1200キロも離れている。周囲から「宅配便を使ったら」と言われたが、「古里とつながっている実感を持ちたい」と配達を続けた。翌年からは収穫量が増え、年10回のペースで通った。
 子どもにとっては愛媛が第二の古里になりつつある。
 3年前、明歩さんが愛媛県のイベントで作文を発表した。「はやく、ふくしまに帰りたい。えひめに来てきおんはあったかかったけど、心はさむかったです。こわくてハッピーな毎日です」
 ちぐはぐな文章に、幼いながらの正直な気持ちが表れる。「『子は親の鏡』と言うけど、どっちつかずの親の姿が影響を与えているのかな」
 明歩さんや次女明理さん(7)は最近、伊予弁を口にするようになった。渡部さんが福島弁を話すと、くすっと笑う。「伊予の言葉は家の中では禁止だぞ」。冗談半分で注意するが、心の中は複雑だ。
 安住の地を求めたはずの愛媛で昨年10月、衝撃的なニュースが飛び込んできた。愛媛県知事が四国電力伊方原発(伊方町)3号機の再稼働に同意した。
 原発までは自宅を構える伊予市から40キロほど。「避難当時、原発が愛媛にあるかどうかは移住の判断材料にならなかった」。全国の原発がなくなると信じて疑わなかったからだ。
 渡部さんはあの日から5年となる3月11日に向け、愛媛の避難者の思いをつづった文集を発行する。避難する仲間と設立したNPO法人「えひめ311」の活動の一環。愛媛の人々に読んでほしいと願う。
 「原発を動かすべきか、もう一度耳を傾けてほしい」
 南相馬では今春の帰還を視野に入れた動きが始まっているが、子どもたちが高校を卒業するまでは愛媛で暮らすつもりだ。時計の針を動かすのは、その後でいいと思っている。(桐生薫子)


<検証学びや>国の都合で現場混乱
◎震災5年へ(上)細る教育支援
 「寺子屋」は東日本大震災で被災した子どもたちにとって、大切な学びやだった。それが3月いっぱいで閉鎖される。
 NPO法人ロシナンテス(北九州市)が2011年、名取市や宮城県亘理町の仮設住宅で開講。小中学生の学習支援を続けてきたが、4月以降の運営費を調達できるめどが立たなくなったという。
<自治体に移管>
 NPO法人による自主事業として始まった活動の仕組みはめまぐるしく変わってきた。
 12年度からは緊急スクールカウンセラー等派遣事業の一環として、国から直接委託を受けて運営。財政的に安定したものの、15年度には国が自治体に委託、自治体がさらにNPO法人に再委託する方式になった。
 そして4月以降の16年度は自治体が実施する事業に、国が補助する形に変更。これを受け、名取市と亘理町は「ニーズが減った」などを理由に、NPO法人による寺子屋事業を継続しないことを決めた。
 支援形式の変更理由について、文部科学省は「(15年度までの)集中復興期間が終わる段階になり、自治体の関与が薄いのは好ましくないと判断した」と説明するが、現場は混乱した。
 名取市は2月に入り、独自に寺子屋塾長の工藤博康さん(50)に補助して16年度も続ける方向で検討を開始。工藤さんは「仮設住宅がある間は続けるべきだと思っていた」と胸をなで下ろすが、市教委の担当者は「国の動向に現場が振り回されている」と率直だ。
 震災から6年目となる16年度、被災児童生徒に対する国の支援は縮小する。文部科学予算の復興関連分は15年度の約2195億円から約620億円に激減。被災校の耐震化事業(約1400億円)を一般会計に付け替えた点が大きいが、大学進学者への奨学金貸与や授業料減免など廃止、減額となった事業も目立つ。
<需要まだ多い>
 緊急スクールカウンセラー等派遣事業のように、仕組みの変更で実質的に縮小・廃止に至る例もある。宮城県内では昨年、同事業枠で被災地の公立小中高校の授業補助などで派遣された学校支援員が、国の予算減額を理由に半年で雇用を打ち切られるケースが出た。
 宮城県教委の担当者は「16年度から事業をどう進めるかの要綱が国から示されていない」と困惑する。県は16年度当初予算案に事業費見込み分約14億円を計上したが「実際の補助額は分からない」と言う。
 被災地で教育支援を続ける民間8団体が仙台市で11日に開いたシンポジウムでは、団体側から「1200人を支援したが、その10倍以上から支援要請がある。ニーズはまだ多い」「単発の助成や補助ではない長期的な仕組みが必要だ」といった指摘が相次いだ。
 学習支援に対する国の別の補助も16年度は大幅減となり、対象は限定される。事業主体の一つの宮城教育大で実行委員を務めた山口哲男日専連理事長(仙台市)は「国の都合ではしごを外されたと感じる。子どもたちの10年、20年後までを見通し、支えていくのが役割でないのか」と疑問を投げ掛ける。(若林雅人)

 被災地の学びやは少しずつ落ち着きを取り戻している。一方で教育支援は細りつつあり、予算減額や事業縮小に翻弄(ほんろう)される現場がある。子どもたちをどう支え、成長に導くのか。教訓を踏まえた防災、復興教育の模索も始まった。


<検証学びや>寄付減少支援断念も
◎しわ寄せひとり親家庭へ
 東日本大震災の被災地では、縮小の兆しを見せる子どもたちへの支援が家庭に影を落とす。しわ寄せはひとり親家庭など立場の弱い人たちに向かい、行政の手が届きにくい部分を補ってきた民間団体は、企業の寄付の減少などで運営資金の工面に頭を悩ませている。
 「本来は5年、10年先まで活動を続けていく予定でした」。仙台市の市民団体「仙台青い鳥プロジェクト」は昨年12月、岩手、宮城、福島3県の高校生らに1人100万円の進学支援金を出す活動を終えた。団体のブログには打ち切りの無念さがつづられている。
<手弁当に限界>
 全国からの寄付金を原資に2011年から33人に支援金を提供して進学を後押しした。ただ法人でないため行政の助成は受けられず、大口寄付を見合わせる企業も出てきて資金調達が難航。活動継続を断念した。
 代表を務めた早坂照夫さん(71)は「『親に迷惑を掛けられない』と進学を諦める子は今も多いが、手弁当の支援には限りがある」と唇をかむ。
 「震災5年の節目が、被災地に関心を持ってもらう最後のチャンスかもしれない」。被災したシングルマザーらを支援するNPO法人マザーリンク・ジャパン(東京)の寝占(ねじめ)理絵代表は震災の風化に強い危機感を抱く。活動費を賄う個人や企業の寄付、助成金が年々集まりにくくなっている。
<綱渡りの事業>
 「子の支援には親の経済的自立が不可欠」と、陸前高田、大船渡、気仙沼各市のひとり親家庭約200世帯を訪問して食料を提供し、就労を支援。シングルマザーには中古パソコンを支給して使い方を指導し、企業から受託したデータ入力などを担ってもらう在宅ワーク事業を実施している。
 陸前高田市の仮設住宅で中学生と小学生の子2人と暮らす女性(40)は夜間や休日に入力作業を行い、パート収入を含め月8万円前後を得る。女性は「子どもに高校だけは行かせてあげたい。母子家庭は簡単に借金もできず、こうした支援はありがたい」と話す。
 ひとり親の期待は大きいが事業は綱渡りだ。4月以降に活動を支援してくれる企業・団体は見つかっていない。寝占代表は「資金がなければスタッフも雇えない」と焦りを募らせる。
 「子どもの支援は今後もまだまだ必要」と言うのはNPO法人キッズドア(東京)の渡辺由美子理事長。宮城県南三陸町の志津川中や仙台市で放課後の学習支援や見守り活動を続ける。
 学習支援は行政の委託だが、委託費は減額続き。経済的に苦しい家庭の中高生向けに仙台市で開く無料講座は企業の助成金頼みだ。厳しいやりくりが続く。
 昨年秋、無料講座を受けていた中学3年生の母親(39)が病死した。ひとり親家庭で被災。母親は家計を立て直そうと懸命に働き、がんが見つかったときには手遅れの状態だった。
 渡辺理事長は「今になって深刻度が増したケースもある。子どもの支援を従来と異なる枠組みで考える必要がある」と指摘する。(若林雅人、古賀佑美)


<適少社会>融和模索する「新住民」
◎人口減 復興のかたち[10]第2部急減地(4)無人の町再生(楢葉)
 福島第1原発事故は、避難区域がある福島県の自治体人口を破壊した。楢葉町は2015年9月、全域避難した県内7町村で初めて、避難指示が解かれた。15年国勢調査の人口は976。前回10年の7700から87.3%の減となった。
 帰町者はさらに少ない。15年末現在、住民登録する7376人のうち、町内居住は262人で4%を切る。4日以上の滞在者に範囲を広げても、16年1月現在で421人にとどまる。
 「7700が400に減ったのではない。ゼロが400になったとみるべきだ」。松本幸英町長(55)はプラス思考を貫き、生活環境の再生に取り組む。
 帰町率の目標は期待を込めて5割に置く。「願いは町民の生活再建。幸せに自立できれば、楢葉でもいわきでも郡山でもいい」。戻ってほしいが、戻れとは言えない。苦境が透ける。
 空前の人口減をどう乗り越えるか。町の復興計画は施策の一つに「復興に伴う新規流入人口の受け入れ」をうたう。町の周辺では原発廃炉や復興に数万人規模の作業員が携わる。
 住居が整備されれば数千人の街はすぐできる。前田建設工業環境省復興関連工事統括所長の原稔さん(49)はそう請け合う。12年夏から町に事務所を構え、除染などに当たってきた。
 廃炉作業は数十年は続く。居住を望む人は相当いるという。雇用が生まれ、教育や医療も充実する。好循環が起きる。「われわれのお金が地域に落ちる仕組みを早くつくってほしい」
 だが、作業員と地域の共生は簡単ではない。「なんか怖い」。先入観やレッテル張りに、作業員絡みの事件が拍車を掛ける。帰町を見合わす理由に作業員の存在を挙げる町民もいる。
 町民の警戒感は原さんも重々承知する。「地域活動に積極的に協力して信頼を築きたい。今は住民が少なく機会はほとんどないが、思いは伝え続ける」。「新住民」は融和を模索する。
 帰町する、しないは個々が決める問題。理由もそれぞれ違っていい。「町民間に分断が起きてはならない」。楢葉出身で町の復興を支援する団体「ナラノハ」代表の佐藤努さん(37)は指摘する。
 立場の差異を認め、輪をつくり支え合う。その足掛かりにと、町外にある仮設住宅と楢葉をつなぐイベントの開催や、郷土料理、舞踊の創出に取り組む。
 佐藤さんは昨夏、避難先のいわき市に家を建て「移住した」。妻、3人の子と暮らす。それでも古里の復興に尽くす。いつか分からないが、将来戻る時、住みやすい町であってほしいと願う。
 「楢葉に思いがあれば、離れても、まちづくりに関われると示したい」。今すぐ戻れない人と町の連携をどう維持するか。試金石になると感じている。


<防潮堤>石巻・雄勝 震災前と同じ高さ完成
 東日本大震災の津波で被害を受け、復旧工事が行われていた宮城県石巻市雄勝町波板地区の防潮堤が完成し、19日、現地で式典があった。住民の要望を踏まえて高さを震災前と同じ約4.8メートルとしたほか、地元特産の玄昌石を埋め込み意匠を凝らした。雄勝町で震災後に防潮堤ができたのは初めて。
 防潮堤は延長約100メートル。震災の影響で沈下した約1メートル分をかさ上げした。工期は昨年3月2日から今月10日までで、総工費は約5000万円。玄昌石約1000枚を階段と展望部に配置した。地域住民や支援者が連携し扇形と三日月形にデザイン、加工した。
 式典には住民ら約40人が出席。波板地区会会長の鈴木紀雄さん(75)は「震災で集落が崩壊し、多くのNPOやボランティアらの協力でここまでやってきた。身の丈に合った地域づくりにまい進する」と述べた。
 亀山紘市長は「防災・減災だけにとどまらず、地域づくりの新たな可能性に期待したい。自然と一体となり、震災前にも増して素晴らしい地域となるよう最大限支援する」と話した。
 波板地区は震災前、21世帯約60人だったが、津波で17世帯の家が流された。仮設住宅などで生活する6世帯15人ほどが5月にも、地区の高台にできる災害公営住宅などに住む見通し。


<東北薬科大>新医学部に東北37人合格
 東日本大震災からの復興支援で4月に新設される「東北医科薬科大医学部」の合格発表が19日あった。新医学部開設に合わせて改称する東北薬科大の小松島キャンパス(仙台市青葉区)に午後4時、合格者100人の受験番号が張り出された。
 合格者の出身高別内訳は、東北37人、関東36人、北海道4人、その他の地域23人。男女別では男72人、女28人だった。
 ともに仙台二高卒で合格した青葉区の佐藤恵里花さん(19)は「高齢者医療に携わりたい」、若林区の蛯名広貴さん(19)は「災害に対応できる医師になりたい」と話した。
 2人とも国公立大2次試験の結果を待って進学先を決めるという。合格者が入学を辞退した場合、大学は順次、繰り上げ合格で入学生の定員(100人)を確保する。
 薬科大の高柳元明理事長は「多くの学生が東北の医療復興に貢献していただけると期待している。学生とともに新医学部を充実、発展させていきたい」とのコメントを出した。


<三陸沿岸道>特性生かした発展が鍵
◎岩手復興 大動脈北へ(6)港が沸く
<ダブル効果期待>
 海を望む広大な土地で造成工事が進む。大船渡港(大船渡市)東部の永浜・山口地区。埠頭(ふとう)に隣接する面積11.7ヘクタールの工業団地だ。
 岩手県が2016年度中の完成を目指す。埠頭は1994年、国が国際コンテナターミナル化を狙い整備を始めた。07年、県内初の国際貿易コンテナ航路が韓国との間で就航した。
 当初は県内港湾のコンテナ取扱量の8割以上を同港が占めたが、東日本大震災後に航路は休止。港湾の物流拠点は、北に約30キロの釜石港(釜石市)に取って代わられる形になった。
 大船渡市内では既に三陸沿岸道路(仙台−八戸、総延長359キロ)の一部が開通。2カ所のインターチェンジもある。「飛鳥供廚覆病膩織ルーズ船の入港も活発だ。
 市港湾経済課の佐々木義久課長は「道路網がつながれば、内陸の企業や気仙沼市からの利用が見込める。貨物の取扱量増加に期待したい」と港の復活に懸ける。
 「岩手の内陸が発展したのは東北自動車道や東北新幹線が要因の一つ。三陸沿岸には港湾があり、高速交通網もできる。ダブルで物流促進の効果が出る」
 2月2日、県が東京で開催したポートセミナーで、講演した東北地方整備局の川滝弘之局長は岩手沿岸の優位性を強調した。
 三陸沿岸道路は18年度に開通率60%。釜石市、宮古市から東北道にそれぞれ直結する横断道路の整備も進めば、交通ネットワークの大転換を迎える。
<ニーズ把握必要>
 沿岸には久慈、宮古、釜石、大船渡の重要港湾がある。県はアクセス条件の改善を機に利用促進の戦略を練る。県港湾課の千葉行有課長は「道路環境が整備されることで、港湾の特徴を生かした色分けができるようになった」と説明する。
 プランには釜石、大船渡両港にコンテナ貨物を集約する方針を盛り込んだ。大船渡港は大型クルーズ船の誘致も積極的に進める。
 18年春に県内初のカーフェリー航路が室蘭との間で就航する宮古港は、貨物や旅客の確保が最重点。バイオマスや風力など再生可能エネルギーの発電施設計画が近隣で進む久慈港は、輸入燃料や資材を運び込む基地として活用を図る。
 東北工業大工学部の稲村肇名誉教授(交通政策論)は「三陸沿岸は道路など陸上交通が不便だったため、同じような規模の四つの港湾が発達した」と成り立ちを解説する。
 利用促進に向けては、荷主となる企業のニーズ把握が不可欠になることを指摘。「陸上交通が便利になれば同じような性格の港湾は不要になる。釜石港は拠点性を高め、ほかの3港は特性を生かすことが必要だ」と予測する。


河北抄
 受験シーズン真っただ中。高校、大学を目指す中高生は踏ん張りどころだ。周りの大人にとっても季節柄、子どもの体調など何かと気遣いが多いことだろう。
 試練の冬を乗り越えれば春はもうすぐ。新生活を迎える若者には、もう一つ新たな経験が待ち受ける。今夏の参院選。18歳、19歳が投票できるようになる。「18歳と政治」と言うと堅苦しいが、10代の若者の社会への関心は、東日本大震災の被災地で確実に芽生え始めている。
 石巻市で先日あった公聴会。被災した小学校舎を震災遺構として残すか、解体するか。市の最終判断を前に、高校生ら若者が「後世に伝えたい」などと自らの考えを述べた。岩手県大槌町の旧役場庁舎をめぐり、町の解体方針に「待った」をかけたのも地元高校生だ。
 震災遺構は意見が二分する難しい問題で、そもそも正解はない。議論し互いの立場に理解を深める。その手法、過程こそ民主主義の原点と言っていい。結論が全てではない。復興する古里のよりよい姿に若者の関心は向く。その延長線上に「政治」がある。国政はそう遠くない。


安保廃止法案/国会で問題点を明らかに
 安全保障関連法が成立して5カ月が過ぎた。安倍政権は3月末までに法を施行し、自衛隊と米軍の連携強化や国連平和維持活動(PKO)の「駆け付け警護」などを前に進める方針だ。
 この節目に合わせて民主、共産、維新、社民、生活の野党5党はきのう、同法を廃止する法案を衆院に共同提出した。夏の参院選に向けて争点を明確にし、共同歩調で自民、公明両党に対抗する狙いがある。
 そもそも安保関連法は、集団的自衛権の行使を盛り込むなど、戦後日本の「平和国家」としての歩みを大きく転換するものだ。
 採決を強行した与党の姿勢にも、国民は違和感を抱いている。
 「粘り強く説明していく」と述べた安倍晋三首相の約束はいまだに実行されていない。まず国民への説明に力を尽くすのが筋ではないか。
 政府、与党がまともな説明をしない中、野党が国会で論戦を挑むのは当然だ。国民目線で疑問点をぶつけ、議論を深めてもらいたい。
 5カ月前、約10万の市民が国会を取り囲み、法成立への「反対」の意思表示を行った。世論調査でも6割超が早期成立に反対していた。それが当時の「民意」だった。
 採決強行で、与党はそうした国民の声に背を向けたと言える。直後の世論調査で約8割が「審議が尽くされたと思わない」と答えた。不信感は今も尾を引いている。学生をはじめとする幅広い層の異議申し立ての動きが続いている。
 もちろん、問題点は国民を置き去りにした政府、与党の強引な姿勢だけではない。安倍政権は集団的自衛権の行使を禁じるとしてきた従来の憲法解釈を変更した。それを基にした法制度は「違憲」の疑いを払拭(ふっしょく)しきれない。大半の憲法学者が「憲法違反」と指摘している。
 政府が集団的自衛権行使の具体例とした中東・ホルムズ海峡での機雷掃海も、昨年の国会審議で根拠が揺らいだ。審議を重ねるほど議論の焦点が曖昧になる。やはり法の内容に無理があるのではないか。
 民主、維新両党は今回、武力攻撃に至らない「グレーゾーン」での離島警備や、自衛隊の海外派遣に歯止めをかける法案も提出した。本当に必要な安保政策は何か。踏み越えてはいけない一線は何か。時間をかけて議論を尽くすべきだ。


安保法廃止案  あらためて深く議論を
 安倍政権が昨年9月19日に安全保障関連法を成立させて5カ月になる。その廃止を求める2法案を民主、維新、共産、社民、生活の野党5党が衆院へ共同提出した。
 多くの憲法学者が「違憲」の疑いを指摘する中、与党の数の力で強引に可決された法律である。安倍政権の安保政策の是非が夏の参院選でも争点になるのは間違いなく、3月中の施行を前に、野党各党が一致して廃止法案を提出した意義は大きい。
 専守防衛に基づく戦後の平和主義を変質させる安保法に対し、国民の理解が広がっているとは言い難い。前日には、民主、維新が安保法の対案として領域警備法案など3法案も提出し、集団的自衛権によらず自衛隊活動を充実させるとした。与党は論戦から逃げず、堂々と審議に応じるべきだ。
 安保法の成立直後に実施された共同通信の世論調査では、審議を不十分とする見方が約8割を占めた。こうした状況を受け、安倍晋三首相は丁寧に説明し、理解を得ていくとしてきたが、むしろ議論を避けてきたのが実態だろう。
 例えば、安保法で、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)に「駆け付け警護」を加え、襲撃を受けた国連要員などを武器を使って救えるようにしたが、参院選への影響を避けるため、適用は秋以降にするとされる。
 内戦が続く南スーダンでは、陸上自衛隊がPKOに参加しているが、駆け付け警護が海外での武力行使を禁じた憲法に違反しないかなど多くの疑問が積み残されている。そうした議論を遠ざけていては誠実な態度とは言えまい。
 安倍政権は、歴代内閣が禁じてきた集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更で限定容認し、安保法を成立させた。これに対し、憲法学者をはじめ、市民や学生ら幅広い層が、憲法で権力を縛る立憲主義に反し、9条を空洞化させるとして根強く反対の声を上げ続けている。
 今回の廃止法案提出は、そうした世論に促された側面もあろう。自民「1強」に対抗するためにも、野党は国民の声をしっかり受け止め連携を広げていく必要がある。
 安倍首相は「戦力の不保持」を定めた憲法9条2項の改正の必要性にも言及を始めている。自民党改憲草案に沿えば、集団的自衛権行使の全面容認にもつながりかねない。平和国家の道を誤らないためには、安保法の議論がもっと要る。多くの国民が抱く疑念や不安を放置しておいてはならない。


原発事故 政府の力では皆様を守り切れません 首都圏避難で首相談話草案
 二〇一一年三月の東京電力福島第一原発事故の際、首都圏で大規模な避難が必要になる最悪のシナリオに備え、当時の菅直人・民主党政権下で首相談話の作成が極秘に行われていたことが分かった。本紙が入手した草案には「ことここに至っては、政府の力だけ、自治体の力だけでは、皆様(みなさま)の生活をすべてお守りすることができません」などと万策尽きた状況を想定した部分もあり、原発事故直後の政府内の危機感をあらためて示している。
 草案を作成したのは、民主党政権で官邸の情報発信担当の内閣官房参与を務めていた劇作家の平田オリザ氏。当時、文部科学副大臣だった鈴木寛・元民主党参院議員が原発事故発生から一週間後の一一年三月十八日、作成を依頼し、平田氏は二日後の二十日に書き上げた。四百字詰め原稿用紙七枚に相当する約二千八百字の長文で、避難の範囲といった具体的な数値については、発表時の放射性物質の拡散状況に対応できるよう「○○キロ圏内」などとした。
 赤字で「重要原稿草案 2011・3・20」と書かれた草案は冒頭、政府の責任を認めて謝罪し、原発を所管する経済産業省や東電の責任追及を約束。その上で「国民のみなさまの健康に影響を及ぼす被害の可能性が出てまいりました」などと避難を呼び掛けた。パニックを警戒し「西日本に向かう列車などに、妊娠中、乳幼児を連れた方を優先して乗車させていただきたい」「どうか、国民一人ひとりが、冷静に行動し、いたわり合い、支え合う精神で、どうかこの難局を共に乗り切っていただきたい」などと訴えている。
 平田氏はパソコンで草案を書き、鈴木氏に渡した。福島原発事故の放射能汚染が首都圏に及ぶ可能性が少なくなったことから、公表しなかった。
 鈴木氏は本紙の取材に「官邸の指示ではない。私が独断で準備した」と説明。ただ、原発事故の影響がさらに拡大すれば、菅首相らに提案するつもりだったという。平田氏は「談話が必要になる可能性は極めて低いという前提で、シミュレーションとして作った。実際に発表する場合にはさらに専門家を加えた検討が必要だと思っていた」と話した。
 首都圏避難を伴う「最悪のシナリオ」をめぐっては当時の近藤駿介原子力委員長が一一年三月二十五日に作成。福島第一原発1〜4号機の使用済み核燃料プールが空だきになって燃料が溶融するなどの想定で、首都圏の住民数千万人の避難を示唆する内容だった。
◆私は知らない
 菅直人元首相の話 東京を含め五千万人の避難が必要になるという最悪の事態は、事故発生当初から私の頭にあった。スタッフはいろんなことを想定して準備する。ただ私は(首相談話草案の存在を)知らないし、見たのも初めて。本当に避難が必要になった場合は、特別立法を含めて何らかの手だてをしたはずだ。


「首相はウソついた」 民主・野田前首相が批判
 野田佳彦前首相は19日、衆院予算委員会の質問後に報道陣の取材に応じ、質問直前に安倍晋三首相が議員定数10削減の前倒し方針を示したことに「できるなら最初からやれ。どや顔で言うな」と不快感をあらわにした。
 野田氏は、安倍首相が示した方針について「(これまで)自民党があまりにも後ろ向きだった。普通の政党並みにしただけ。サプライズでも何でもない」と批判した。
 前・現首相対決となった異例の討論には「定数削減問題がこう着状態のまま4年目を迎えた。決着をつけないといけない時期」と強調。2013年の合意書に基づいて結論を出せなかったことに「(首相は)ウソをついたことになる。恥じてほしい」と訴えた。


原発避難者判決 柔軟な救済への一歩に
 福島第1原発事故による自主避難者の救済を後押しする司法判断だ。原発事故で福島県郡山市から京都市に避難した夫婦に約3000万円を支払うよう京都地裁が東京電力に命じた。全国各地で同様の集団訴訟が起こされているが、自主避難者への賠償を認めた判決は初めてという。
 飲食店を経営していた原告の40代男性は2011年3月の原発事故直後に避難を始め、不眠症やうつ病になり働けなくなった。男性宅は避難指示区域外にあるが、東電が賠償金を払う自主避難対象区域となり東電は約300万円を賠償した。男性は不服として政府の原子力損害賠償紛争解決センターに裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てたが交渉はうまくいかず提訴した。
 判決は、原発事故がうつ病などの発症原因の一つと認定し、就労不能による休業損害と事故との因果関係も認めた。「転居を余儀なくされ、安定した生活が失われた」として男性と妻への慰謝料支払いも命じた。賠償額はADRで示された約1100万円を大きく上回り、自主避難者の救済拡大に弾みをつけるものだ。
 賠償問題の迅速な解決を目的にしたADRには約1万9000件の申し立てがあり、一律・定額の基準によって約1万3500件が既に和解している。強制的に避難させられた住民と自主避難者との間に慰謝料などで大きな格差があるという指摘があった。判決は「個別具体的な事情に応じて損害と認められることがある」とし、賠償のあり方に厳しい姿勢を見せた。
 一方で判決は賠償期間を12年8月までと限った。それ以降は男性宅のある地域の放射線量が被害のない程度に下がり、自主避難を続ける合理性がないという理由からだ。東電は国の審査会の指針に基づき賠償時期を12年8月までと決めており、判決はこれを追認したとも言えるが、原告側には不満が残る結論だろう。
 政府は今後、賠償制度を見直す考えだ。その際、一律の線引きではなく、個別の被害状況に応じた柔軟な対応を検討すべきではないか。
 原発事故による自主避難者は約1万8000人と推定され、国や福島県は帰還を促しているものの、放射線への不安はいまだに大きい。家族がばらばらに避難生活を送ったり、心身の不調を訴えたりする住民は多い。福島県は避難先の住宅の無償提供を来年3月で打ち切るが、避難者の生活が困窮しないよう、きめ細かな支援策をとらねばならない。
 事故から間もなく5年たつ。避難生活の長期化は経済的だけでなく精神的・肉体的に被災者を苦しめる。自主避難者の置かれた現実に見合った救済方法を考える必要がある。


丸山氏発言 議員辞職に値する放言だ
 にわかには信じ難い発言だ。国会議員としての資質も疑わざるを得ない。辞職に値する放言だ。
 自民党法務部会長の丸山和也参院議員がオバマ米大統領について「今、米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」と述べた。発言後に「誤解を与えるような発言で大変申し訳ない」と陳謝したが、それで許される問題ではない。
 丸山氏は「米国は人種に関係なく大統領になれる国だと言いたかった」と釈明した。19世紀までの米国の奴隷制が念頭にあったようだが、オバマ氏の父はケニアから米国に留学した黒人で、母は米カンザス州出身の白人だ。奴隷の子孫ではなく、丸山氏は事実をはき違えている。
 何より黒人という事実と奴隷を結び付けている考え方自体が由々しき問題だ。根底に人種差別意識が潜んでいると言わざるを得ない。他国の民族に対する敬意を全く感じさせない言葉に憤りを覚える。
 丸山氏はさらに問題発言をしている。「日本が米国の51番目の州になることに、憲法上どのような問題があるのか」と質問、日本が米国に組み込まれたとしたら「集団的自衛権は全く問題ない。拉致問題すら起こっていないだろう。『日本州』出身が米大統領になる可能性が出てくる」と語った。
 この発言を「売国的」と言わずして何と言えばいいのか。立法府にいる人間が独立を否定するかのような発言をしたのは看過できない。
 丸山氏は発言をした参院憲法調査会の幹事と委員を辞任したが、議員辞職は否定した。「問題を引き起こしやすい発言をしたと反省している」と発言は撤回したが、「良心に恥じるところは何もない」などと開き直る姿勢も示している。
 丸山氏の発言に関して質問した野党議員に対し、自民党の長坂康正衆院議員は「言論統制するのか」とやじを飛ばした。今国会では閣僚の不祥事や失言も相次いでいる。不倫を認めて辞職した若手衆院議員の騒動もあったばかりだ。自民党議員らの「劣化」が目に余る。
 安倍晋三首相は丸山氏発言について国会で答弁し、謝罪は避ける一方、民主党議員による「首相の睡眠障害を勝ち取ろう」との発言を取り上げ、同党に反論した。与野党ともに身を正すべきは当然だが、党首としてまずは身内議員の放言に厳正に対処すべきだ。


普天間運用停止 所属機分散には理がある
 沖縄の米軍基地をめぐる政府のウソ、方便、その場しのぎは枚挙にいとまがない。「普天間飛行場の5年内運用停止」もその一つだ。
 仲井真弘多前知事が辺野古埋め立てを認める条件として求めたのに対し、安倍晋三首相は「努力を十二分にする」と述べた。何の具体策も示さないままだったが、仲井真氏は「首相が言ったことが担保だ」と述べた。
 だが首相がその後、日米首脳会談で運用停止を自らの意思として要求したためしはない。岸田文雄外相が米国務長官に「沖縄側が求めている」と、いわばひとごとのように「伝言」しただけだ。
 いかに仲井真氏の弁が、公約破りに対する空疎なつじつま合わせだったとしても、「できることは全てやる」と大見えを切った以上、首相は「できること」をすべきだ。
 その意味でこれはその誠実性を試す踏み絵となろう。安慶田光男副知事は普天間基地所属機を全国に分散することで「航空機が飛ばない状態をつくる」よう求めた。
 普天間を辺野古に移設しようとすれば工事に10年はかかる。だからあと3年に迫った運用停止の期限に間に合わせるなら、辺野古移設と切り離して作業する以外ない。論理的に考えればそうなる。
 「飛行機が飛ばない状態」にするためには、普天間の無条件閉鎖か所属機の国外移転、もしくは県外移転、この三つしかない。3年以内という条件を考えれば、現実的には安慶田氏の言う通り、所属機の全国分散しかあるまい。
 2010年、県外移設を阻む理由として政府は突然「米軍の基準で演習場から65カイリ(約120キロ)以内にヘリ部隊がないといけない」と言い出した。
 だが、少し考えればこんな基準があるはずないのはすぐ分かる。海兵隊が山梨や岐阜から沖縄に移ってきたのは1950年代だが、今、普天間にいる海兵航空団が山口の岩国基地から沖縄に来たのは76年だ。その間、演習する部隊とヘリ部隊は沖縄と本土で別々に存在していたのである。県外移転できない理由はない。
 あるとすれば、沖縄の民意は踏みにじるが、本土の民意は大切にするという二重基準だけである。
 そう考えれば全国分散には理がある。例えば3年後から7年、全国に分散する。最終期限までは10年。その間に在沖海兵隊の本国撤退か県外移設を日米間で徹底交渉する。そんな議論があっていい。


「もうあかん やめます!」名物靴店がほんまに閉店
 「もうあかん やめます!」などの垂れ幕で20年以上親しまれた大阪市北区の名物靴店「靴のオットー」が20日、本当に閉店した。多数の報道陣や客が押し寄せ、閉店時間の午後3時には「ほんとうに閉店」「ありがとうございました!」と書かれた“最後の垂れ幕”が登場。明るくラストを飾った。
 同店は昭和52年に開業。ビジネスシューズを中心に、ディスカウント形式で販売を展開した。バブル経済がはじけた平成5年ごろから「もうあかん やめます!」と書かれた垂れ幕を掲げ、大阪名物として親しまれていた。
 20日は営業時間を1時間前倒しで開店。靴を次々と買い求める客や、記念写真を撮る見物人などでごった返した。閉店時間になると、店主に代わって店を切り盛りしていた司法書士、小山秀司さん(64)が歌う「蛍の光」が流れ、小山さん手作りの垂れ幕が登場するなどし、最後を盛り上げた。
 体調を崩した店主の竹部浅夫さん(74)も立ち会い、「だますつもりはなかったが、客との掛け合いが楽しくてここまで続けてきた。ほんまにありがとう」とうれし涙を見せた。


天地人
 喉元過ぎれば熱さを忘れる。下野して嘗(な)めた辛酸も、とっくに忘れてしまったか。安倍政権を支える閣僚や自民党議員の失言・放言が目に余る。「1強」政治の慢心、驕(おご)りと指弾されても仕方あるまい。
 直近では参院憲法審査会での丸山和也議員の発言だ。「米国は黒人が大統領になっている。これは奴隷ですよ」。大国のリーダーを「奴隷」呼ばわりする無神経さにあきれる。しかもオバマ氏は奴隷の子孫ではない。「言葉足らずだった」と発言を撤回した。
 波風の強さに慌てて幕を引く。毎度おなじみの失言劇場である。政治家にとって命同然に重いはずの言葉が、こうも軽んじられては政治家としての資質を疑わざるを得ない。
 安倍晋三首相とて、脛(すね)に傷を持つ。2012年11月の党首討論。野党・自民党総裁として当時の野田佳彦首相と対決し、衆院解散を迫った。野田氏から定数削減の「身を切る改革」を条件に突きつけられ、これをのんだ。「国民の前での約束」を、首相はいまだ果たさずにいる。
 党首討論以来の「因縁の対決」がきのう実現した。「国民にうそをついた」と迫る野田氏。首相は「先送りせずに決めていく」と切り返した。定数10減の実施時期を突如、自民党案の「2020年以降」から前倒しすると表明した。3年余を経過し、2度目の約束である。随分と軽い男の契りだ。

自主避難賠償 被害実態に即し救済を
 大きな負担を強いられている自主避難者の救済につながる意義のある判決だ。
 東京電力福島第1原発事故で政府から避難指示などを受けず、福島県から京都市に自主避難した夫婦に、約3千万円の賠償金を支払うよう京都地裁が東電に命じた。
 自主避難者は滞在費や生活費の負担が大きい。仕事を失ったり、精神的な疾患を発症したりすれば、東電などが提示する賠償額では生活できない。そのため、十分な賠償を求めて、東電を提訴する人たちが全国で増えている。
 今回の判決は、原告が発症した不眠症、うつ病の原因や就労不能になった要因が原発事故にあると認め、慰謝料の支払いも命じている。被害者救済の視点に立ち、実態に即した賠償が必要と認めたといえる。
 原告夫婦の苦難は現在も続いている。東電は判決を重く受け止め、控訴しないで早急に賠償金を支払うべきだ。
 原告側の代理人によると、自主避難者に対する東電の賠償責任が判決で認められたのは、今回が初めてとみられる。全国で起きている同様の訴訟でも、健康状態の悪化などの被害をより広く救済する判決を期待したい。
 自主避難者に対する東電の賠償は、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会の指針が基本になっている。2011年12月末までの損害分だけで妊婦と子どもが1人当たり60万円、それ以外の人が1人8万円になる。ほかの被害の賠償は、東電と被害者が個別に交渉して決めている。
 東電が示した賠償額を受け入れられない場合は、同省の原子力損害賠償紛争解決センターに対し、裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てることができる。提示される額は、避難指示などの対象となった地域の住民より大幅に少ない額となる例が大半だ。
 今回の判決の賠償金は、ADRで示された約1100万円の3倍近い。紛争解決センターも被害実態を過小にみたといえる。
 裁判は判決が出るまで時間や費用がかかり、自主避難者には大きな負担になる。被害が深刻でも低額での和解に応じている自主避難者は多いとみられる。
 文科省のまとめによると、ADRは昨年末までに約1万8千件あり、既に約1万3千件が和解した。一方で約2600件が打ち切りや取り下げになっている。東電や紛争解決センターは、被害を詳しく調査し、十分な賠償額を提示していくべきだ。

安保法案廃棄を!!/CD借りる/ミュンヘンだって

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Tous vieux et fous... mais heureux ? Ce que la France pourrait apprendre des Japonais sur l’accompagnement de la démence sénile
Une récente étude prouve que d’ici 2025, un japonais sur cinq souffrira de démence. Une maladie qui touche beaucoup de pays développés, notamment la France. Pour lutter contre ce phénomène le Japon a proposé plusieurs mesures.
Atlantico : Le Japon a annoncé la mise en place d’une assurance santé qui permettrait de couvrir les patients éligibles en mettant à leur disposition des aides en cas de neurodégénérescence grave. Qu’en pensez-vous ?
Thierry Gallarda : L’assurance santé est une mesure intéressante. Ce qu’on sait, c’est qu’il y a un décalage majeur entre l’installation des maladies neurodégénératives au tréfonds des sutures cérébrales et leurs expressions symptomatiques. Un décalage qui dure au minimum dix ans, plutôt quinze. Il ne faut donc pas s’inscrire dans une démarche curative mais plutôt dans une démarche de prévention. Pour des patients qui sont par exemple atteints de maladie d’Alzheimer débutante à l’âge de 70 ans, on peut imaginer qu’ils ont des déficits cérébraux qui sont déjà palliés depuis 15 ans. L’idée d’une assurance dès l’âge de 40 ans est donc très bonne.
De toute façon la notion de prévention est majeure dans ce champ là. Contrairement à d’autres maladies, le champ des maladies neurodégénératives amène automatiquement une prévention précoce. On ne descendra pas en deça de 40 ans sauf évidemment pour ceux qui ont des maladies génétiques qui peuvent débuter plus tôt. Dans tous les cas, la notion de prévention est primordiale.
La deuxième mesure concerne la possibilité d’un emploi du temps flexible pour les employés, est-il nécessaire en France ?
C’est essentiel. Certains se retrouvent totalement démunis face au manque de flexibilité. Ils ne peuvent pas se permettre d’arrêter de travailler. Ils doivent souvent laisser leur ≪ malade ≫, leurs parents âgés chez eux le matin avec quelques aides à domicile. Repartir au travail et revenir le soir pour finalement trouver un parent qui n’a rien fait de la journée. L’histoire de la flexibilité dans la vie des personnes qui sont amenées à côtoyer des proches ou des individus atteints de démence est essentielle. D’ailleurs le projet de loi d’une adaptation de la société au vieillissement avait été évoqué à l’Assemblée Nationale. La question des aidants, du temps consacré par les aidants nuit et jour ou de leurs dépenses est une question qui n’est absolument pas prise en compte à sa juste mesure en France. Les gens se reposaient il y a quelques années sur l’amour filial. Dans la majorité des familles traditionnelles, les aidants donnaient tout le temps qu’ils pouvaient pour les patients. Dans les quinze, vingt prochaines années, avec les familles éclatées ou recomposées, ca ne sera probablement plus le cas. Donc la flexibilité de l’emploi du temps est une mesure très pertinente.
Est-ce que la mise en place d’une formation spécialisée afin que le corps médical, les infirmières, les physiciens puissent secourir ou prendre soin d’un patient atteint de démence est déjà effective dans notre pays ?
Non, très honnêtement non. Nous faisons par exemple depuis quelques années une formation de trois jours pour les aider à accompagner la souffrance psychique des personnes âgées et mieux la comprendre. On voit à quel point aides-soignants, infirmiers, kinésithérapeutes, ou les médecins spécialisés dans d’autres domaines sont très loin d’avoir des compétences requises pour soigner les patients atteints de démence. Mis à part les généralistes qui sont forcément un peu sensibilisés lorsqu’ils ont des patients très âgés, des médecins très compétents comme des chirurgiens, mêmes certains psychiatres, sont très loin d’avoir le minimum de connaissances nécessaires pour gérer des histoires comme ça. Même pour les urgences c’est parfois délicat. La formation spécialisée et la sensibilisation du corps médical à ce type de maladie sont un énorme sujet de discussion.
Pour lutter contre les accidents de la route au Japon, le vote d’une loi qui oblige les patients atteints de démence à présenter un certificat médical est envisagé. Pensez vous qu’une telle loi est nécessaire en France ?
Beaucoup de gens réfléchissent sur cette question dans notre milieu et chez les médecins. C’est un sujet extrêmement sensible car les seniors sont extrêmement vigilants sur les restrictions de leurs libertés d’aller et venir ou de circuler… Honnêtement je pense que les accidents de la route qui sont provoqués par les personnes atteintes d’une quelconque démence sont très minoritaires par rapport aux accidents provoqués par les jeunes alcoolisés, drogués ou autres. C’est un sujet très sensible politiquement. Je ne suis pas sur qu’une loi qui obligerait les personnes atteintes à présenter un certificat médical serait effectivement bien accueillie. Je ne suis même pas sur qu’il y ait un débat sur ce sujet à l’heure actuelle en France. Sans légiférer sur le fait qu’il y ait des patients qui sont dans des processus démentiels très débutants et qui conduisent bien mieux que des jeunes qui viennent d’obtenir leur permis. Au niveau du corps médical il faudrait mettre en place des procédures très objectives sur d’éventuelles déficiences visuelles ou attentionnelles qui seraient vraiment à haut risque. Comme ce sont des maladies qui agissent sur de nombreuses années, ce serait très difficile de juger.
Qu’en est-il de la mise en place, comme au Japon, de centre pour permettre aux patients atteints de démence de s’exercer physiquement et psychologiquement à travers des activités intergénérationnelles ?
Cela se fait un tout petit peu en France dans les accueils de jour. Ce qui est dommage, c’est que ce sont souvent des accueils de jour destinés à des patients assez atteints de la maladie d’Alzheimer. L’idée des japonais correspond plus à des lieux de sociabilité pour les personnes âgées. On en est très loin en France. Dans les pays du sud de l’Europe, en Scandinavie ou au Canada, ces lieux de brassage de population et de générations sont évidemment très porteurs. En France il y a une stigmatisation très précise des vieillards. Les vieillards eux-mêmes sont phobiques des autres vieillards. Ils ont horreur de se retrouver à faire par exemple de la pâtisserie avec des gens dont la moyenne d’âge sera de 85 ans. Cette idée de brassage générationnelle, de mettre en place des situations où des expériences sont transmises, de voir même ce qui se fait un peu en France, où on mélange parfois des crèches et des maisons de retraites, c’est quelque chose d’assez porteur.
フランス語
フランス語の勉強?
助けて!きわめびと「心に届け!わたしの言葉」
「伝え方が9割」の著者・佐々木圭一さんがきわめびと。伝わる言葉にはシンプルな技術があるという。父親の食生活を改善したいという女性のお悩み、言葉の力で解決できる?
仕事のプレゼン、就職活動、恋愛…。思いをうまく伝えられなかった経験、ありますよね。お悩みを寄せてくれたのは、糖尿病のお父さんに「もっと健康に気をつかってほしい」と気をもむ50代の女性。白米を玄米に変えるように説得しますが、聞き入れてもらえません。対するきわめびとは、「心を動かす言葉には技術がある」と信じるコピーライター・佐々木圭一さん。言葉の力で、お父さんは玄米を食べるようになるのでしょうか。
三宅裕司,松嶋尚美,一柳亜矢子,佐々木圭一, 本上まなみ

ドキュメント72時間「大阪・天神橋筋 商店街のベンチにて」
日本一長いといわれる一本筋の商店街、天神橋筋商店街。今回の舞台は、その片隅にあるベンチだ。座る人が絶えないこのベンチで3日間、訪れる人の話に耳を傾けると、実にさまざまな人間ドラマが浮かび上がってくる。ドキドキして待ち合わせする人、仕事場代わりに使う人、道行く人をながめ、人間観察する人…。皆、このベンチで一息入れ、笑い、そしてまた立ち上がって歩み始める。人々が羽を休める不思議なベンチの72時間。 小出恵介
おんな酒場放浪記「一ノ割・やまよし」万波奈穂
厳選された名酒場の暖簾を、“お酒大好き女子”がふらりとくぐります。「川口・松ちゃん」(寺澤ひろみ)
東武スカイツリーラインの一ノ割駅からほど近いすずらん通り商店街の一角にある「やまよし」は、食の道で修業した店主が平成元年に創業した大衆割烹である。日本各地の食材が、店主の手により見た目も味も素晴らしく調理され、飲兵衛の目の前に供される。メニューの一つ「その日の白和え」は、決まった食材ではなく店主の気まぐれでオリジナルの白和えになる。地酒の選定もレベルが高い。

空爆の日に会いましょう
小林 エリカ
マガジンハウス
2002-08-22


「私は、空爆の日に、恋をする」空爆の日に、他人の家で、セックスもなく、ただ夢を見る。どこかで起きた「殺戮」を忘れないために、こんな風変わりで個人的な反戦プロジェクトが行われた。空爆の夜に波紋を投げかけた23歳の女の子の133日の記録。
文章の面白さだと思う。 ぽーーー
うーん、ね。
下の2人の意見は最もだと思う。「人の痛みの上に立つ」ような行為に見えるだろうし、「深読み」しなきゃ良くは取れないだろうと思う。
男の家に泊まり歩くことが、果たして国に戦争を止めさせる手段と成りうるかというと、あったり前だけどNO。それにおいては不毛。
ただ、それにおいて無意味だから、人の意識に刻むものとして有効なんじゃないか、っていうのは考えさせられた。
「私を見たら忘れないでしょ。空爆の日の事を。」
私たちは、いくらニュースを見て同情しても、私たちの生活の範囲から出ることはまず無い訳で(むしろ、出ちゃいけない。とは言わないまでも、それを蔑ろにして何かを与えるのは絶対的に善とは言えない。)、それを踏まえた上でどう見つめるべきかっていうのは、誰も気づかないから。
忘れなければそれだけでいいっていうのは最も間違いだけど、それ以上をやらなければ評価できないと思うけど、ただ、この本から十分得るものはあると思う。
それは、アフガンの難民への目、ではなく、私たちの日常、消費生活、意識を問い直すっていう点で。
ぐだぐだ理屈こねてしまったけど、この本結局何が好きだったかって、この人の日記自体が面白かったこと。凄くニュートラルな文書く人だなって思った。


野党が安保法案廃棄の法案を提出しました.ガンバレ野党.
今日は図書館でCD借りました.
Shさんからメールが来ました.ミュンヘンに着いたって.Munichです.ドイツ語だとMü:nchen.

津波訴訟2件で遺族の敗訴確定
東日本大震災の津波で女川町の銀行の従業員と山元町の保育園児が犠牲になったことをめぐりそれぞれの遺族が銀行や町に賠償を求めた2つの裁判で、最高裁判所はいずれも上告を退ける決定を出し遺族の敗訴が確定しました。
女川町にある七十七銀行女川支店で避難した屋上を越える高さの津波で犠牲になった従業員の遺族と、沿岸から1.5キロ離れた山元町の町立東保育所で津波に巻き込まれ亡くなった園児の遺族は、それぞれ、銀行や町に賠償を求める裁判を起こしていました。
2つの裁判は避難の責任者が津波の到達を予測できたかどうかが最大の争点となり、1審の仙台地方裁判所と2審の仙台高等裁判所はいずれも「津波の到達を予測することはできなかった」として遺族の訴えを退けました。
このため遺族が上告しましたが、最高裁判所第2小法廷は「上告が許されるのは判決が憲法に違反する場合などに限られていて、本件は該当しない」としていずれも上告を退ける決定を出し、遺族の敗訴が確定しました。
震災の津波で犠牲になった人の遺族が起こした裁判が最高裁で確定したのは初めてです。


東日本大震災 虹の架け橋、この手で…3児失った木工作家
 東日本大震災の被災地で遊具型の木製オブジェ「虹の架け橋」を連作している宮城県石巻市の木工作家、遠藤伸一さん(47)が、市内の高台に3基目を完成させた。子ども3人を津波に奪われ「生きていて地獄」だった遠藤さんは、周囲に支えられてこの5年間を乗り越えてきた。3基目の制作では、被災後に精神疾患を患って表情を失った17歳の「ひろ君」に木工の仕事を教えた。オブジェを前に笑顔を見せたひろ君の姿に、遠藤さんは言う。「今度は自分が支える側になる」【森田剛史】
オブジェ制作共にした少年の成長が励み
 3基目は、虹をかたどった橋や展望台が付いた高さ4メートル、幅約11メートルのやぐらで、すべり台が付いている。震災で家族を亡くすなどして心に傷を負った子どもたちのケアや復学支援をする「こころスマイルハウス」の敷地に作られた。
 ハウスを運営する一般社団法人から昨秋、制作を依頼され、ハウスに通うひろ君をアルバイトとして紹介された。ひろ君は被災後に精神障害を患い、高校を中退していた。
 働き始めたころのひろ君は無表情で発する言葉も少なかったが、初めて給料を渡すと明るい表情を見せた。遠藤さんは、ひろ君がどんな過去を背負っているのか知らされていなかったが、「寄り添えるおんちゃん(おじさん)に、俺がなりたい」と思った。黙々と木材の皮むきややすりがけをしていたひろ君に笑みが浮かぶようになっていった。
 遠藤さんは8歳から13歳の我が子3人を津波に奪われた。「『生きていて地獄』というのがあるんだ」。守れなかった自分を責め続けて死を考えたこともあったが、ボランティアらの励ましに支えられ、「人と人とのつながりの証しを形にしたい」と「虹の架け橋」を作り始めた。
 ひろ君は今年初めに受験勉強を始め、単位制高校に合格した。遠藤さんは、支援されるばかりだった自分でも、誰かを支えられることを知った。
 遠藤さんは1月末の誕生日に、ひろ君から芯の太さ0・4ミリ用のシャープペンシルを贈られた。手帳に細かい字で予定を書く遠藤さんの姿を見ていたからだった。「社会に出ようと立ち向かうひろ君の姿に、逆に励まされる」とも話す。
 人を救えるのは人の心だけ−−遠藤さんは思う。「自分が壊れずに生きて木工を続けてこられたのは、出会った人たちの真心に支えられたから。人の思いが詰まったこの仕事は、もう自分だけのものじゃない」。「虹の架け橋」が雲間から差し込む日の光で輝いた。


約180社が被災地進出検討
津波で浸水した土地などへの企業誘致を進めている宮城県が5200社あまりの企業や小売業者などを対象に進出の意思があるかどうかアンケートを行ったところ、180社近くが進出を検討したいと回答したことがわかりました。
宮城県は、津波で浸水した土地や、内陸部に新たに整備した土地などへの企業誘致を進めていて、去年12月からことし1月にかけて県内外の5244社の企業や小売業者を対象に進出の意思があるかどうかアンケートを行いました。
それによりますと、回答を寄せた983社の企業などのうち今後進出を検討していると回答したのは177社で、率にして18%でした。
このうち、自動車部品の工場や物流倉庫などといった製造・物流業は30社でしたが、飲食店や小売業などの非製造業は144社で、これまで県が誘致に力をいれてきた製造・物流業以外の分野でも進出を検討している企業などが多いことが分かりました。
また関心のある自治体を複数回答で聞いたところ、最も多かったのが仙台市で16%、次いで石巻市が13%、気仙沼市が9%、多賀城市が7%などとなっています。
宮城県は「思った以上に好意的な回答があったので、今後企業への聞き取りを進めて中心部のにぎわいを取り戻したい」と話しています。


気仙沼市も医療費免除継続へ
気仙沼市は、国民健康保険に加入する被災者の一部を対象に行っている医療費の窓口負担を免除する制度について、新年度・平成28年度も継続することを決めました。
震災の被災者のうち、国民健康保険に加入し住民税が非課税になっている一部の世帯は、医療費の窓口での負担が免除されています。
この制度について、来月で、国の財政支援が一部打ち切られることから、各自治体の負担で制度を続けるかどうかが焦点となっていました。
こうした中で、気仙沼市は、被災者の中には仮設住宅での生活が長引いている人もおり引き続き手厚い支援が必要だとして、新年度も免除制度を継続することを決めました。
気仙沼市によりますと、この制度の新年度の対象者はおよそ1800人で、継続には5000万円が必要だということです。
また、気仙沼市は同じ条件で行われていた介護保険サービスの利用者負担を免除する制度についても新年度継続することにしています。
こうした免除制度をめぐっては、仙台市や南三陸町など今年度いっぱいで終了する方針を明らかにしているところもあり、自治体によって判断が分かれる形となっています。


石巻市立病院の診療 9月から
東日本大震災の津波で大きな被害を受け再建工事が進められている石巻市の市立病院が、ことし9月から診療を始めることになりました。
石巻市立病院は、震災の津波で1階部分が浸水したことから元の場所から2キロほど離れたJR石巻駅付近に移転することになり、現在再建に向けた工事が進められています。
この新たな病院について、石巻市はことし9月1日から診療を始める方針を固めました。
新しい病院は、地上7階建てで病床数は180と以前より20ほど少なくなる一方で、がん患者などの痛みを和らげることを重点に置いた「緩和ケア病棟」が新たに設けられます。
また、病院内には、ことし4月に新たに医学部が設けられる仙台市の東北医科薬科大学の学生が地域医療について学ぶ拠点も置かれることになっています。
病院は、現在仮設開成団地に診療所を開設していますが、この診療所は病院の再建後も引き続き患者を受け入れることにしています。


復興の祈り込め、仮設商店街にフラッグ
 かさ上げ工事のため移転した南三陸町歌津地区の仮設商店街「伊里前福幸商店街」をプロスポーツのチームフラッグが彩っている。東日本大震災からの復興支援の気持ちを形にしようと全国から贈られたものだ。
 商店街は今月7日に移転。14日にフラッグを張り出す「植フラッグ祭」が開かれ、選手やサポーターら約50人が参加。サッカーやフットサル、バスケットボールなどのプロチームの旗約50枚を店先などに立てた。
 フットサルクラブ「ヴォスクオーレ仙台」の清水誠選手は「フラッグで町に笑顔が増えればうれいい。東北のプロ選手として、プレーでも被災地を励ましていきたい」と話した。
 震災後、南三陸町出身のサッカーJ1仙台のサポーターがフラッグの提供を全国に呼び掛けた。これまで選手やサポーターのメッセージが入ったフラッグが300枚以上届き、日本サッカー協会からJリーグ公式フラッグも贈られた。移転前の商店街でも大漁旗に見立てて飾ってきた。
 歌津のスポーツ施設「平成の森」がJ1鹿島の合宿場になったこともあり、サッカーと縁が深い。伊里前福幸仮設商店街運営組合の高橋武一組合長は「これだけの旗が集まる場所は全国でも珍しいのではないか。全国のサポーターが息の長い応援をしてくれて心強い」と感謝している。


<3.11と今>帰郷願い料理の道に
◎古里を離れて(4)宮古市→盛岡市 梶山幸永さん
 コック帽をかぶるようになって8カ月になる。フライパンを振る姿はすっかり板についた。
 親子連れやサラリーマンでにぎわう昼時。盛岡市のレストラン「ひな野津志田店」の厨房(ちゅうぼう)で、宮古市田老出身の梶山幸永さん(49)が次々と客の注文に応える。
 東日本大震災の津波で田老の自宅を失った。仮設住宅で3年間暮らし、2014年3月に盛岡市の復興支援施設「しぇあハート村」の学生寮に入った。専門学校で一から料理を学ぶためだった。
 家は代々続く漁師。会社勤めの傍ら船に乗り、ウニやアワビ漁を手伝ってきた。恵みの海は突然、日常を奪い、仮設には両親と妹の4人で入った。
 交代で食事を作ったり、気晴らしにみんなで車で出掛けたり。12年冬には新居を建てるめどが立った。
 家族に明るさが戻ろうとした矢先の13年2月、母のミヨさん=当時(68)=が急性大動脈解離で亡くなった。仮設暮らしで食事が偏りがちになり、持病の高血圧が悪化した。
 後悔にさいなまれた。「普段から食べ物に気をつけていれば、母は助かったかもしれない。自分を責めました」
 生活習慣病は食事で改善できる。おいしい料理を食べれば気持ちも晴れる。「食で人の心と健康を支え、明日を生きる希望を届けたい」。料理人になりたいとの思いが心に湧いた。
 「頑張ってみなよ。コック、似合うと思うぞ」
 いつも衝突してばかりいた父の亨治郎さん(76)の言葉が背中を押した。会社を辞め、古里を離れた。
 専門学校卒業後、すぐには宮古に戻れなかった。復興途上の街で飲食店を営むのは厳しい。昨年6月、ひな野の求人に応募し、調理師として雇われた。
 焼き物、揚げ物、盛り付けなど全ての部門を任される。帰宅後は寝る間を惜しんで料理の勉強にいそしむ。やりがいをかみしめる。
 休日はしぇあハート村に足を運び、支援員や寮生に昼食を振る舞うのが恒例になった。「おいしい」「レシピ教えてよ」。応援してくれた仲間の笑顔を見ると疲れは吹っ飛ぶ。
 5年後、10年後を思う。盛岡にいるか、宮古にいるかはまだ分からない。自分を雇ってくれた店に恩義を感じるし、気の置けない仲間もできた。
 それでも「いつの日か一流のコックになって古里に戻りたい」と胸に刻む。外出できないお年寄り、心に傷を負った被災者の家に出向いて料理をこしらえる。笑顔と健康を運ぶ「出張シェフ」になるのが夢だ。
 「津波、母の死、寮の仲間との出会い、いまの職場。振り返ると、全ての出来事が必然に思える。今やれることに全力を尽くしたい。やがて道は開ける」
 きょうも厨房に立ち、その思いを一つ一つの料理に込める。一歩ずつ古里に近づく自分を信じて。(横山勲)


<和太鼓グループ>津波耐えた山車に別れ
 東日本大震災で被災した亘理町の和太鼓グループが、所有してきた角山車5基のうち4基を利府町と相馬市の住民団体に寄贈する。保管場所を襲った津波に耐えたが、震災後の住民減で引き手が足りなくなった。「新天地で住民を楽しませて」。グループは21日に寄贈式を開き、再生の願いを込めた演奏で送り出す。
 震災前、角山車は港町・荒浜地区で毎年8月に開かれる「わたりふるさと夏まつり」のパレードで巡行した。いずれも高さと長さ約5メートル、幅約2メートル。「倭多里(わたり)道の会」(現・道岳館)が2004年、地元企業から贈られた台車を活用して手作りした。
 巡行の際は、会員や住民ら約300人が角山車に乗せた太鼓を鳴らして漁港周辺を練り歩いた。富山道岳代表(53)は「パレードに参加するため会員の練習に熱が入った」と懐かしむ。
 震災時は保管する倉庫が津波に遭い、台車が50センチほど水没したが、大きな被害はなかった。しかし、60人いた会員の9割が被災。会員は他地区からの加入者を含めても約40人に減った。荒浜地区の人口は震災前の4割になり、山車を組み立てる職人もいなくなった。
 震災後休止していた夏祭りは昨年再開したが、祭りの規模縮小で参加できなかった。「荒浜でもう一度巡行したかったが、震災前からのメンバーと新加入の会員の山車への思いは違う。手放すのは寂しくてつらいが仕方ない」と話す。
 寄贈式には引き取り先の関係者も駆け付ける予定。「必要とされる場所で新たな命を吹き込んでもらった方がいい。震災の犠牲者も喜んでくれるはず」と富山さんは語る。残る山車1基で、祭りへの参加を目指す。


宮城産カキ存分に 東京に期間限定店
 宮城県は、地元産の殻付きカキを首都圏の消費者にPRしようと、東京・大手町の東京サンケイビルに「宮城牡蠣(かき)の家」を開設している。4月3日まで。
 宮城県漁協の協力を得て、気仙沼市唐桑、石巻市の長面浦、万石浦、荻浜、東松島市鳴瀬の計5地区で養殖されたカキを提供する。
 17日には宮城のカキと地酒を楽しんでもらうイベントを開き、東日本大震災で被害を受けた塩釜市と気仙沼市の地酒を紹介した。
 オイスター職人を名乗ってカキの魅力をイベントなどで発信している佐久間知彦さん(49)=東京都練馬区=が案内役を務め、「カキの香りを楽しむには純米酒が良い」と説明。蒸しガキの殻に残ったスープに日本酒を垂らして飲むなどカキと日本酒のユニークな楽しみ方を紹介した。


復興への願い込めた人形 仙台駅で展示
 東日本大震災の被災者が復興への願いを込めて作った人形を紹介する「いま、ここで生きている」展が18日、仙台市青葉区のJR仙台駅2階コンコースで始まった。19日まで。
 アートを通じた被災地支援を続ける「ARTS for HOPE(アーツフォーホープ)」(東京)の主催。岩手、宮城、福島3県の仮設住宅などで暮らす被災者が、布やボタンなど身近な材料で作った人形800体を掲げたパネル4枚と被災者の声を記したパネル11枚を展示している。
 アーツフォーホープ代表の高橋雅子さん(59)は「この展示が被災された方々の励みにつながればうれしい」と語る。会場に立ち寄った青葉区の無職森屋芳徳さん(78)は「どの人形も明るい雰囲気。前向きな姿勢が伝わる」と話した。
 同展は被災3県を主会場に1月中旬に始まった巡回展。これまで南相馬、石巻、大船渡、盛岡の4市であった。25〜27日はJR福島駅、3月5、6両日はJR上野駅でそれぞれ開かれる。


<検証福祉の現場>各地に専門家チーム
◎震災5年ヘ(下)災害弱者支援
 釜石市の介護支援専門員松田宇善(たかよし)さん(44)は、東日本大震災後に市内の避難所で目にした光景が忘れられない。
 他人の靴を持ち出し、持ち主とかみ合わない口げんかをする認知症の高齢者。症状を悪化させて失禁した被災者もいた。本来はケアを必要とする人たちが一般住民との不自由な共同生活を余儀なくされていた。
 避難所では、大人用の紙おむつや車いすといった要援護者の支援に必要な物資や機材も足りていなかった。多くの福祉関係者が被災者になり、人材不足も顕著だった。
 「大災害の直後は外から支援に来てくれる福祉の専門家集団が必要だ」。松田さんは切実に訴える。
<避難所で活動>
 震災の教訓を踏まえ、要介護高齢者や障害者、妊婦といった災害弱者の支援をどう進めるか−。答えの一つとして、官民の協力による災害派遣福祉チーム(DCAT)の結成が東北各地で進んでいる。災害時の緊急医療を担う災害派遣医療チーム(DMAT)の福祉版に例えられる。
 岩手県は2013年9月、東北で初めて派遣組織を設立した。社会福祉士や介護福祉士といった専門職6人で構成し、県内の避難所で応急支援やニーズの把握に携わる。派遣の期間は1チーム5日間で、さらに支援が必要であれば別のチームと交代する。234人が登録した。
 福島県は13年11月に派遣組織を設けた。登録者は192人。専門家5人前後のチームが県内の避難所で活動する。派遣期間は7日間で必要に応じて延長する。
 宮城県は近く、県社会福祉協議会や東北福祉大など22団体と共に派遣組織をつくる。青森県も設立を検討する。
 知識や技術の習得が当面の課題だ。福島県災害福祉広域支援ネットワークの島野光正事務局長は「同じマニュアルを持ち、同じ研修を積む東北のスタンダードをつくろう」と呼び掛ける。
<発生翌日出動>
 実際の災害に出動した全国でも数少ない事例が東北にある。大崎市社会福祉協議会が13年11月に結成したDCAT。市町村単位で組織した全国でも珍しいチームで、昨年9月の関東・東北豪雨で本格的に活動した。
 激しい雨で市内を流れる渋井川の堤防が3カ所で決壊し、700戸が浸水被害を受けた。発生翌日、3グループ計15人のDCATが避難所に入り、福祉の支援を必要とする被災者の有無を調査。車を失い、病院に行けなくなった高齢者と障害者の親子を見つけ、市担当課につないだ。
 「勝手を知っている地域だったため円滑に活動できた」と市社協の本田民夫常務理事。「市外に派遣した時も今回と同様に動けるように、スキルを高めたい」と気を引き締めた。(柏葉竜)


<宮城指定廃>一時保管の地元困惑
 東京電力福島第1原発事故で発生した県内の指定廃棄物をめぐり、環境省は放射能濃度の再測定の結果、国の基準値(1キログラム当たり8000ベクレル超)を上回る廃棄物が全体の3分の1以下に減ったことを県に伝えた。その翌日の18日、2年後に基準値超の廃棄物がさらに激減するとの試算が明るみに出た。処理方針を揺るがすような数字が相次ぐ状況に、関係自治体は困惑を深める。
 指定廃棄物は、汚染稲わらといった廃棄物を抱える市町村などが放射能濃度を測定して申請し、環境相が指定する。原発事故後に指定された県内の廃棄物は3404トンだった。
 再測定では、3分の2超の2314トンが基準値を下回った。環境省は時間の経過による自然減衰で936トン程度が基準値を下回ると推計していたが、結果はその2.5倍に上った。
 要因について、同省は市町村などが指定申請時に用いたデータが偏っていた可能性を指摘。「あくまで推測だが、複数の測定結果の中からより放射能濃度の高いデータを使用したなどと考えられる」と説明する。
 18日には、2018年までに基準値を超える廃棄物は当初の7%に当たる約250トンに減るとの専門家の試算結果が判明した。
 県の担当者は「何も聞いていない」と困惑。村井嘉浩知事は17日の井上信治環境副大臣との会談で年度内の市町村長会議開催を明言しており、担当者は「首長の意見を聞くためにも、まず環境省にはきちんと説明してほしい」と話す。
 県内で登米市に次ぐ大量の指定廃棄物を抱える白石市の幹部は「『国が責任を持って処理する』と言いながら、年数がたったら市町村に押し付けるのはおかしい。環境省は、なし崩しにしようとしている」と批判。県に対しても「オブザーバーの態度を取り続けるのはいかがなものか。市町村の味方ではないのか」といら立ちを隠さない。
 同省は取材に対し、専門家の試算に関して「環境省として算出したデータではない。再測定で出た放射能濃度や測定日時から、理論上計算できる内容」と明確な説明を避けた。


自主避難者「救済の後押しに」 東電に初の賠償命令
 東京電力に福島第1原発事故による自主避難者への賠償を初めて命じた18日の京都地裁判決に、京都の避難者らは「勝手に避難したと周囲から言われてきた自主避難者にとって、後押しになる」と、励ましだと受け止めた。
 判決後に京都市中京区で記者会見した原告代理人の井戸謙一弁護士は「原発事故は被害者に落ち度は何もないのに、東電の賠償金や裁判外紛争解決手続き(ADR)の和解金の基準は低い」と指摘。今回の判決は、ADRの和解案で示された1100万円の3倍近い額を認めており、井戸弁護士は「賠償額に納得できない自主避難者も、諦める必要はない。裁判で堂々と主張するための先鞭(せんべん)になる」と語った。
 一方、提訴から3年弱に及ぶ訴訟を支えたのは、京都地裁がこの一家への賠償金仮払いを命じた全国初の決定だった。井戸弁護士は「訴訟には時間がかかるので、不十分な額でもADRで早く話をまとめがちだ。仮払いがあったことで生活破綻を防げた。この制度を使って、東電と闘う人がもっと出てほしい」と力を込める。
 東日本大震災に伴う京都府内の避難者数は今年1月末時点で697人で、自主避難者が多くを占める。
 京都地裁では今回の家族の裁判とは別に、自主避難者ら58世帯175人が東電と国に損害賠償を求めた集団訴訟が係争中。
 木津川市に福島市から自主避難し、集団訴訟の原告でもある宇野朗子さん(44)は「判決の賠償金額や自主避難の合理性を認めた時期には疑問があるが、東電の責任を認めたことは、自主避難が間違っていなかったと後押しする内容だ」と語った。


自主避難賠償  被害実態踏まえた判決
 東京電力福島第1原発事故で福島県から京都市に自主避難した40代男性と家族が、事故で仕事を失い、うつ病になったとして、東電に約1億8千万円の損害賠償を求めた訴訟で、京都地裁が約3千万円の支払いを命じた。自主避難者への賠償命令は全国初という。
 原発事故による避難指示区域外から移り住んだ自主避難者に対する東電の賠償額は低額で、避難者は経済的、精神的に厳しい状況に置かれている。京都地裁判決は、被害実態を踏まえた適切な判断を示したと評価できる。
 避難者それぞれに個別事情があり、今回の判決と同じ判断が示されるわけではないが、賠償基準などを見直すきっかけにすべきだ。
 判決によると、一家は福島県から2011年に京都市内に避難した。夫は会社を経営していたが収入を失い、不眠症やうつ病で就労不能状態になった。
 判決は、原発事故をうつ病の原因の一つと認定して、休業に伴う損害賠償などを命じ、「転居を余儀なくされ安定した生活が失われた」として、夫と妻にそれぞれ慰謝料の支払いも命じた。
 さらに、注目すべきは、判決で認められた賠償額が、原子力損害賠償紛争解決センターの裁判外紛争解決手続き(ADR)で提示されていた和解額約1100万円を大きく上回ったことだ。
 この訴訟に関しては、原告が賠償金の仮払いを求める仮処分も申し立て、京都地裁は東電に月額40万円の仮払いを命じ、判決までの延長も認めている。
 裁判が続く間も苦しい生活は続くため、不本意ながら和解に応じ低額の賠償金で決着するケースは少なくない。裁判で納得が得られる解決を目指せるよう、環境を整えることは重要だ。
 ただ、事故からまもなく5年を迎え、自主避難者が生活を維持するには厳しい現状がある。
 福島県は昨年6月、自主避難者について災害救助法に基づく避難先の住宅の無償提供を、17年3月で打ち切る方針を決定した。県内外に自主避難しているのは推定で約2万5千人いるとみられ、不安を抱えながら「望まない帰郷」を迫られる可能性もある。
 京都地裁では、京都府内に自主避難した58世帯175人が、精神的苦痛や不利益を被ったとして東電と国に損害賠償を求める集団訴訟も続いている。
 事故の風化が懸念される中、自主避難者が置かれた現実を直視した支援が求められている。


野党5党 安保関連法廃止法案を共同で提出
民主党や共産党など野党5党は、来月施行される安全保障関連法について、憲法違反であり認められないとして、19日、法律を廃止する法案を衆議院に共同で提出しました。これを踏まえ、5党は、夏の参議院選挙もにらんで、今後の国会審議で安全保障関連法の問題点を厳しくただしていきたい考えです。
政府は、去年、成立した安全保障関連法について、法律の公布から6か月となる来月29日に施行する方針です。
これに対し、民主党、共産党、維新の党、社民党、生活の党と山本太郎となかまたちの野党5党は、「安全保障関連法は明確な憲法違反であり、認められない」として、19日、5党の国会対策委員長が、法律を廃止する法案を衆議院に共同で提出しました。
法案を提出したあと、5党の国会対策委員長が国会内でそろって記者会見し、民主党の高木国会対策委員長は「速やかに安全保障関連法を廃止する法案を審議入りさせ、改めて国民的な議論を巻き起こしていきたい」と述べました。
野党5党は、夏の参議院選挙で安全保障関連法の是非も主要な争点に据えたい考えで、法律に反対する市民グループとも連携しながら、今後の国会審議で法律の問題点を厳しくただしていきたい考えです。


廃止法案きょう提出 安保の根幹 正さねば
 いくら積み重ねたとしても土台が揺らいでいれば、いつかは崩れてしまう。憲法違反と指摘される安全保障関連法。今こそ根幹を正さなければならない。
 昨年九月十九日未明、安倍政権が「平和安全法制」と呼び、採決を強行した安全保障関連法が参院本会議で可決、成立した。
 あれからちょうど五カ月。政権のおごりか、ほころびか、閣僚や議員の相次ぐスキャンダルで、国会はすっかり政府・自民党の釈明の場と化し、安保法をめぐる議論は隅に追いやられた感がある。
 しかし、安倍政権の安保関連法をこのまま放置し、既成事実化させるわけにはいかない。他国同士の戦争に参加する「集団的自衛権の行使」を可能にし、多くの憲法学者ら専門家が「憲法違反」と指摘する法律だからである。
 民主、共産、維新、社民、生活の野党五党はきょう安保関連法を廃止するための法案を提出する。
 野党側には安倍政権による安保政策の是非を、夏の参院選で争点化したい狙いもあるのだろうが、あえてその意義を認めたい。
 廃止法案に先立ち、衆院で統一会派を組む民主、維新両党はきのう、安保関連法の対案となる領域警備法案など三法案を提出した。
 安倍晋三首相が「全体像を一括して示してほしい」と野党側に求めていた対案の提出である。与党側は、廃止法案と合わせて、真摯(しんし)に法案審議に応じるのが筋だ。
 安倍政権が成立を強行した安保関連法の最大の問題点は、主に自民党が担ってきた歴代内閣が踏襲してきた、集団的自衛権の行使をめぐる政府の憲法解釈を、安倍内閣が一内閣の判断で変更してしまったことにある。
◆専守防衛、本来の姿に
 おさらいしよう。
 戦後制定された日本国憲法は九条で、国際紛争を解決するための戦争や武力の行使、武力による威嚇は行わないと定めた。
 日本国民だけで三百十万人の犠牲を出し、交戦国にとどまらず、近隣諸国にも多大な犠牲を強いた先の大戦に対する痛切な反省に基づく、国際的な宣言でもある。
 その後、日米安全保障条約によって米軍の日本駐留を認め、実力組織である自衛隊を持つには至ったが、自衛権の行使は、日本防衛のための必要最小限の範囲にとどめる「専守防衛」を貫いてきた。
 一方、集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する、国連憲章で認められた国際法上の権利だ。
 歴代内閣は、日本が集団的自衛権を有していることは主権国家である以上、当然だが、その行使は専守防衛の範囲を超え、許されない、との見解を貫いてきた。
 国際法との整合に挑んだこの憲法解釈は、国権の最高機関である国会や政府部内での議論の積み重ねの結果、導き出された英知の結集でもある。
 自国に対する武力攻撃は実力で排除しても、海外で武力を行使することはない。日本国民の血肉と化した憲法の平和主義は、戦後日本の「国のかたち」であり、安全保障政策の根幹である。
 安倍内閣が二〇一四年七月に行った、集団的自衛権の行使を一転認める閣議決定は、憲法の法的安定性を損ない、安保政策の根幹をゆがめるものだ。この閣議決定に基づく安保関連法に対して、多くの憲法学者が「憲法違反」と断じるのは当然だろう。
 日本の安保政策を、専守防衛という本来の在り方に戻すには、集団的自衛権の行使を認める閣議決定を撤回し、安保関連法を廃止する必要がある。
 野党側による安保関連法廃止法案の提出を、専守防衛を逸脱しつつある安保政策の根幹を正す第一歩としたい。与党側も逃げずに、堂々と論戦に応じるべきだ。安保関連法は三月末までに施行されるが、とりあえず施行の延期を検討してはどうだろうか。
◆無関心が暴走を許す
 憲法を逸脱しつつある安保政策を根幹から正すには、世論の後押しが必要だ。国会周辺をはじめ全国各地できょうも行われる路上の訴えに、安倍政権はあらためて耳を傾けるべきだろう。
 そして何よりも、専守防衛という戦後日本の国是を守り抜く決意を、国民が自ら選挙で示すことが重要だ。諦めや無関心は、政権の暴走を許すだけだ。
 私たちの新聞が、平和主義を貫こうとする国民の側に立つのは当然だ。政府の言い分をうのみにせず、自らの判断力で問題提起を続ける。新聞として当然の役割を、この機にあらためて自任したい。


トランプ氏の発言をローマ法王が批判
アメリカ大統領選挙で、野党・共和党の候補者の1人、不動産王のトランプ氏が、移民政策を巡り過激な発言を繰り返していることについて、ローマ法王が「キリスト教徒の発言ではない」と述べて批判し、カトリック教会の最高指導者まで反応する事態となっています。
ことし11月のアメリカ大統領選挙に向けて、共和党で支持率がトップのトランプ氏は、移民政策を巡り、「隣国のメキシコからの不法移民を防ぐために国境に壁を築くべきだ」と述べるなど、過激な発言を繰り返しています。
こうしたトランプ氏の発言について、メキシコを訪れたローマ法王のフランシスコ法王は、18日、バチカンに戻る機内で記者団の質問に答え、「壁を築くことを考え、橋を架けることを考えない人は、キリスト教徒ではない」と述べました。そのうえで、アメリカ国内のカトリックの信者がトランプ氏に投票するかどうかについては干渉するつもりはないとしながらも、「同じような発言を続けるなら、キリスト教徒ではない」と重ねて強調しました。
これに対し、トランプ氏は18日、声明を発表し、「キリスト教徒であることを誇りに思っている。宗教指導者が個人の信仰に疑いを差し挟むことは恥ずべきことだ」と法王に反論しました。
アメリカではカトリックの信者は国民のおよそ20%ですが、ローマ法王はキリスト教徒の間で広く尊敬を集めているだけに、今後の候補者選びの行方に影響を与えるのかどうか、関心が集まっています。


続く問題発言 1強のおごりが透ける
 聞くに堪えない発言である。陳謝で済む問題ではない。
 自民党の丸山和也参院議員が一昨日の参院憲法審査会で、オバマ米大統領に関し、「米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」などと、人種差別と受け取られかねない発言をした。
 憲法が定める衆参二院制の中で参院が果たすべき役割について話し合っているときのことだ。
 丸山氏は日本が米国の州になれば集団的自衛権、日米安全保障条約は問題なくなるとした。「日本州出身が米大統領になる可能性が出てくる」とも語り、オバマ氏の話へと移っていった。
 初めに「例えば」と断ってはいるものの、発言の内容は薄っぺらで荒っぽいものだ。
 丸山氏は弁護士で、党の法務部会長を務めている。重責を担っているとの意識や緊張感が感じられない。民主党など野党3党はきのう辞職勧告決議案を参院に出した。国会議員としての資質を厳しく問わねばなるまい。
 安倍晋三政権の閣僚や自民党議員の間でこのところ問題発言、不祥事が相次いでいる。
 甘利明前経済再生担当相の金銭授受問題は、いまだに真相が分からない。野党は国会招致を求めているが、甘利氏は国会を欠席し続け、「睡眠障害」との理由で1カ月間の自宅療養に入った。
 丸川珠代環境相の発言も納得しにくい展開だ。今月上旬、松本市であった若林健太参院議員の集会で福島第1原発の事故後に国が定めた除染の長期目標1ミリシーベルト以下について、「何の根拠もなく、時の環境大臣が決めた」などと語った問題である。
 丸川氏は謝罪し、発言を撤回した。内容は論理が粗雑だ。発言の該当部分を読むと民主党などを攻撃し、自民党の宣伝目的だったことが分かる。そもそも放射能汚染を甘く考えている人物に環境行政のトップを任せ続けていいのか、疑問が拭えない。
 高市早苗総務相が放送局に電波停止を命じる可能性に再三言及している問題も、国会論戦の焦点となっている。島尻安伊子沖縄北方担当相は北方領土の「歯舞(はぼまい)群島」を読めなかった。閣僚が物議を醸すケースが後を絶たない。
 「イクメン議員」をアピールしていた若手議員は不倫問題で辞職に至る不祥事を起こした。
 議員の数は多いが、質が劣化しているとのそしりが免れないだろう。「自民1強」のおごりや緩みは否定できない。


閣僚らの失言、不祥事 安倍政権の質 問われる
 「自民1強」の弊害か、閣僚や議員の失言、暴言、不祥事が相次いでいる。安倍晋三首相は「襟を正して国民の負託に応えていきたい」と参院選への影響を意識し言葉を選ぶが、議員の質そのものが劣化している状況さえ垣間見える。
 相次ぐ問題発言などで谷垣禎一幹事長が「国民の目線は、常に厳しい」と自覚を促したその矢先、丸山和也法務部会長が参院憲法審査会で、オバマ米大統領について「今、米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」と述べた。
 丸山氏は審査会後の記者会見で「誤解を与えるような発言で大変申し訳ない」と陳謝した。「誤解を与える」は失言議員の常套句(じょうとうく)である。「真意は別にあった」と言い訳したいのだろうが、国民から選ばれた議員が発言に責任を持つのは当然のことではないか。
 批判を強める野党側は議員辞職勧告決議案を参院に提出したが、個人的発言では終わらない。問われるのは「日本の見識」である。
 閣僚らの失言、不祥事は今に始まったことではないにしても昨今、目に余る。
 安倍内閣の中枢だった甘利明前経済再生担当相の自身や秘書の金銭授受をめぐる閣僚辞任は、直後の世論調査で内閣支持率が落ちず「影響がなかった」と楽観視する向きもある。甘利氏は辞任の仕方が潔かったことも評価されたようだが、事実関係が徐々に明らかになるにつれ、無責任な幕引きが露呈してきている。
 内閣の高支持率が緊張感の欠如を招いているように見える。果たしてそれだけであろうか。
 記者会見で「歯舞(はぼまい)」を読めなかった島尻安伊子沖縄・北方担当相、まともに答弁できず右往左往した岩城光英法相は言うに及ばず。東京電力福島第1原発事故後、民主党政権下で国が定めた除染の長期目標1ミリシーベルト以下について「何の科学的根拠もなく、時の環境大臣が決めた。誰にも相談しないで」などと発言した丸川珠代環境相は閣僚としての適格性が疑われる。
 長野県松本市であった自民党参院議員の集会での発言だ。多分に選挙を意識し、民主党をおとしめる意図があったのではないか。長期目標は国際放射線防護委員会の勧告を基に定めた最も厳しい水準である。
 いったん発言を撤回したものの二転三転し、その後入念な発言調整をうかがわせるような自己正当化に終始している。5年たっても帰還できない避難住民の苦しく厳しい現状に向き合っているのか疑問だ。「素人閣僚」以前の問題である。
 不倫問題が発覚した宮崎謙介衆院議員の速やかな辞任は、焦る官邸の指示であろう。こうした一連の問題は気の緩みと言うより、数の力を背景にした安倍政権のおごりと慢心が党全体にまん延しているからではないか。「1強」の落とし穴は「大穴」になりかねない。


相次ぐ放言 政治家の軽すぎる言葉
 信じられないような政治家の放言が与野党で相次いでいる。いずれも「軽率だった」「誤解を招き陳謝して撤回する」だけでは済まされない発言だ。各党はもっと深刻に受け止め、猛省すべきである。
 まず、自民党の丸山和也参院議員の「今、米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」という発言だ。
 憲法のあり方を議論する参院憲法審査会で丸山氏は唐突に「日本が米国の51番目の州となることに憲法上どんな問題があるのか」と提起して「日本州出身が米大統領になる可能性が出てくる」とも語った。
 後に「米国は人種に関係なく大統領になれる国だと言いたかった」と陳謝したが、人種差別的な発言と受け取られるとは当初は思いもしなかったようだ。しかもオバマ氏は奴隷の末裔(まつえい)ではない。日本が米国の州の一つになるという話も荒唐無稽(むけい)というほかない。
 一方、民主党の中川正春・元文部科学相の発言も看過できない。
 現金授受問題で閣僚を辞めた甘利明前経済再生担当相が「睡眠障害」のため1カ月の自宅療養が必要と診断されたとの報告を受け、党の会合で「いよいよ攻勢をかけていく時だ。(安倍晋三)首相の睡眠障害を勝ち取りましょう」と呼びかけた。
 冗談のつもりで軽々しく口にしてしまうのが、むしろ問題だ。睡眠障害で苦しんでいる人や、その家族らはどんな思いで聞いただろう。
 両氏に共通しているのは、自らの発言がどう受け止められるか、配慮や想像力を著しく欠いている点だ。自分の立場や発言の場もわきまえていない。その発言の基となる知識も中途半端で、思いつくままに語っているとしか見えない。
 その意味で丸川珠代環境相が除染などによる年間の追加被ばく線量の長期目標について「何の科学的根拠もない」などと語って撤回したのも同じような放言といっていい。
 麻生太郎財務相の答弁も見過ごせない。「軽減税率の導入で廃業する零細事業者が出るのでは」との野党の質問に対し、「そういった例がないとは言わない。一つや二つ、100、1000あったとかいろいろ出てくると思う」と答えた。これも後に訂正したが、廃業が出ないよう努力すべき担当閣僚として乱暴な答弁だ。
 仮に官僚が同じような発言をしていたら政治家側は直ちに厳しい処分に乗り出すのではなかろうか。言うまでもなく政治家が最も大切にしないといけないのは言葉だ。身内の放言に対し、所属政党が毎回、厳しく対処すべきである。そうでないとますます政治家の劣化は進み、その存在自体が軽いものとなっていく。


2・28賠償命令 人権意識に基づく判決だ
 高い人権意識に基づく判決だ。不幸な歴史を乗り越え、アジア各国との信頼を築く上でも意義深い。
 台湾の国民党政権が住民多数を殺害した1947年の「2・28事件」に巻き込まれ、犠牲となった県出身者の遺族が台湾政府に損害賠償を求めた訴訟で、台北高等行政法院(裁判所)は政府側に600万台湾元(約2千万円)の支払いを命じた。
 台湾政府は上訴を検討しているが、支払いが決まれば、この事件で外国人が賠償を受ける初めてのケースとなる。
 判決が画期的なのは国際人権規約を踏まえ、賠償を認めたことだ。
 台湾政府は、犠牲になった県出身者を事件による失踪者と認定している。だが慰安婦などへの賠償請求などに日本側が応じていないことを理由に、遺族の請求を却下した。それに対し判決は、犠牲者を事件の失踪者と認めた以上、政府は賠償に応じるべきだとした。
 根拠となったのは国際人権規約「市民的および政治的権利に関する国際規約」(B規約)である。台湾がこの規約を批准していることを挙げ「人権に関して外国人も賠償を受ける権利がある」と判断したのである。
 「2・28事件」の犠牲者遺族を支援する又吉盛清沖縄大客員教授は「台湾の裁判所は政治的理由を退け、人権意識の高さを示した」と述べた。人権規約を踏まえた判決は国際的にも評価されよう。
 自国の犯した罪と不幸な歴史に向き合う姿勢も注目される。
 国民党独裁政権下では「2・28事件」はタブー視されてきたが、90年代以降は民主化に伴い台湾政府は真相解明や賠償を進めてきた。95年には当時の李登輝総統(国民党主席)が「国家元首として過ちを深く反省する」と表明した。
 過去の政権が犯した罪を償う困難な作業は、不幸な歴史の克服につながる。外国人犠牲者の遺族への賠償を命じた判決は、日本とアジアの国々の間にある不幸な関係を打開する上でも大きな意味を持つ。
 慰安婦問題で、日本は中国や韓国との関係を悪化させてきた。過去の過ちを認め、被害者に謝罪する真摯(しんし)な態度に欠けるからだ。韓国との合意が成立したものの、歴史認識や法的責任はあいまいだ。
 日本は不幸な歴史と向き合うことで、アジア各国と信頼関係を醸成しなければならない。そのためにも今回の判決から学ぶべきだ。


[「2・28事件」勝訴]事実掘り起こす契機に
 歴史的事実に司法が真摯(しんし)に向き合った画期的な判決が台湾で示された。
 中国から台湾に移った国民党政権が、多くの住民らを虐殺した1947年の「2・28事件」で父を失ったとして、県内の遺族が台湾政府に損害賠償を求めていた訴訟の判決で、台北高等行政法院(裁判所)は政府側に600万台湾元(約2千万円)の支払いを命じた。
 政府側は上訴するか検討中だが、支払いが決まれば同事件で外国人が補償を受ける初めてのケースとなる。
 提訴した浦添市の青山惠昭さん(72)の父で、漁師だった惠先さんは、38歳で事件に巻き込まれた。一家は日本統治下だった台湾の基隆で暮らしていたが、惠先さんは出征しベトナムで終戦を迎えた。戦後復員し、家族を捜しに台湾へ渡ったところ、連れ去られ行方不明になったという。
 青山さんは2013年に台湾政府の委託を受けた基金会に父への賠償を申請した。惠先さんが事件で失踪したことは認められたものの、賠償については昨年7月に却下された。「慰安婦」など戦争中の台湾人に対する賠償請求に日本政府が応じていないことなどがその理由だった。青山さんはこれを不服として同年9月に提訴していた。
 判決は、事件への賠償を定めた特別条例に、外国人への支払いを認めない条文はない、などとして、賠償に応じるべきだとした。
 青山さんは判決後、「やっと無念を晴らせた」と喜びを語った。国籍を超えて救済の手を差し伸べた今回の司法判断を評価したい。
■    ■
 台湾は、地理的な近さから沖縄とのつながりが深く、人的な交流も活発に行われてきた。日本の植民地だった時代には多くの沖縄出身者が暮らし、第2次大戦末期には先島の住民らが疎開した。
 日本の敗戦で植民地支配から解放されて間もないころに起きた「2・28事件」。犠牲者は2万人余りとされ、台湾社会に深い傷を残した。
 国民党独裁時代にはタブー視され、今も謎が残るという。だが、1987年の戒厳令解除に伴い民主化が進み、95年に当時の李登輝総統が公式に謝罪してからは、真相究明や補償が進んでいる。
 県内では、台湾研究者の又吉盛清氏を代表に同事件の沖縄調査委員会が発足し、沖縄出身者の被害解明に努めてきた。同委員会によると、犠牲者はほかに3人が判明している。
 どのような状況で事件に巻き込まれたのか、二度と悲劇を繰り返さないためにも、今回の判決が事実を掘り起こす契機となるよう期待したい。
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 1月の台湾総統選では、台湾独立志向の最大野党、民主進歩党(民進党)の蔡英文主席が初当選し、8年ぶりに民進党が政権を奪還することになった。
 今回の司法判断は、選挙による政権交代が当たり前になるなど民主化が進み、経済的にも豊かになった台湾社会の成熟の現れともみることができる。戦後処理のあり方などで日本政府にとっても参考となりそうな判決だ。


大リーグ 清原容疑者に社会復帰の道を…ダルビッシュ言及
 米大リーグ、レンジャーズのダルビッシュ有投手が18日、キャンプ地の米アリゾナ州サプライズで、覚醒剤所持容疑で逮捕された元プロ野球選手の清原和博容疑者について「良くないことだけど、誰にでも間違いはある。単にたたくだけでは何もならない」と、更生プログラムなどを受けた上で球界などに社会復帰する道を閉ざすべきではないとの考えを示した。清原容疑者とは親交があるという。
 同投手は過去に薬物に手を染めた大リーグのチームメートの名を挙げ、「米国ではそういう選手でも再びチャンスをもらえる」と指摘した。


米大統領選 民主クリントン氏ピンチ 全米支持率2位
サンダース上院議員が首位に
 【ラスベガス(米ネバダ州)長野宏美】米FOXニュースは18日、米大統領選の民主党候補指名争いの全米支持率で、バーニー・サンダース上院議員(74)が47%、ヒラリー・クリントン前国務長官(68)が44%という世論調査結果を発表した。昨年4月に出馬表明したサンダース氏が首位になるのは初めて。西部の初戦となるネバダ州の党員集会を20日に控え、クリントン陣営には厳しい結果だ。
 政治専門サイトの集計する世論調査の平均値では依然としてクリントン氏が優勢。NBCなどが18日発表した調査でもクリントン氏が53%で、サンダース氏の42%を上回る。だが、1カ月前の調査では25ポイントあったリードが11ポイント差に縮まった。
 初戦のアイオワ州で善戦し、2戦目のニューハンプシャー州で圧勝したサンダース氏が勢いに乗っているのは明確だ。
 ネバダ州の党員集会を2日後に控え、両者はラスベガスで開かれたテレビ局「MSNBC」主催の対話集会に出演。州内の有権者の17%がヒスパニック系であることを意識する両者は、不法移民の合法化につながる移民制度改革に最優先で取り組むと訴えた。
 サンダース氏は「移民制度改革法案を通過させるため全力を尽くし、市民権獲得に道を開く」と強調したが、実現時期を問われると「独裁者ではないので議会と協調しなければならない」と慎重姿勢を見せた。一方、クリントン氏は就任100日以内の法案提出を約束。これまでより踏み込んだ発言でサンダース氏との違いを見せようと攻勢に出た。
 ネバダ州ではヒスパニックに人気の高いクリントン氏が有利とみられていた。だが、サンダース氏は若者を取り込んで支持を広げている。
 運転手のブライアン・アリアスさん(22)は米国生まれだが、母親はホンジュラスからの不法移民で5年前に合法的な滞在資格を得た。母はクリントン氏を応援するが、ブライアンさんと兄(23)はサンダース氏支持だ。
 ブライアンさんは、「サンダース氏は数十年、同じことを言い続けていて信用できる。ヒラリー(クリントン氏)は一貫性がない」と強調。「サンダース氏の方が移民や平等な社会のことを考えていると母にも薦めている」と話した。

図書館閉まっていた/おしゃべりがうるさくてイライラ

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Adjani, Marceau... leur dernier hommage à Andrzej Zulawski
RÉACTIONS - Le réalisateur polonais, et ex-mari de Sophie Marceau, s'est éteint dans la nuit de mardi 16 à mercredi 17 février, des suites d'un cancer. Sa mort a suscité de nombreux messages d'adieu sur les réseaux ainsi que dans les médias.
Andrzej Zulawski était l'un des réalisateurs polonais le plus talentueux de sa génération. Le cinéaste et écrivain polonais est décédé dans la nuit du 16 au 17 février à l'âge de 75 ans, des suites d'un cancer.
Il avait réalisé de nombreux films où il donnait une place prépondérante aux actrices françaises comme Romy Schneider, Isabelle Adjani ou encore Sophie Marceau, avec laquelle il a entretenu une liaison. Il a créé des œuvres célèbres par leurs succès critique et public comme L'important c'est d'aimer (1975), L'amour braque (1985) ,ou encore Possession sorti en 1981.
Nombreux sont les artistes qui ont rendu hommage au talentueux metteur en scène. Parmi eux, Francis Huster, ancien pensionnaire de la Comédie Française, a salué la mémoire de l'artiste: ≪Je ne me serais jamais rapproché de personnages que je n'aurais peut-être jamais interprétés comme Richard III ou Hamlet≫, a confié l'acteur au micro de France Info.
Avant d'ajouter: ≪Zulawski poussait les acteurs à une modernité dans le jeu et à une cruauté inégalable et avait 30 ans d'avance. Il disait souvent que l'acteur est une braise et le metteur en scène était là pour souffler cette braise et incendier l'acteur. Aucun des comédiens qui a tourné avec lui n'est sorti sans blessure ou sans cicatrice≫.
Nathalie Kosciusko-Morizet, a elle aussi réagit sur le réseau social. ≪Évidemment, L'important, c'est d'aimer... Hommage et merci à Andrzej Zulawski pour sa curiosité et son travail≫.
La politicienne Carole Delga s'est exprimée sur Twitter. ≪Plus que jamais, Andrzej Zulawski avait raison: L'important c'est d'aimer ! Hommage à ce grand réalisateur, et à son cinéma inimitable≫
La nouvelle ministre de la Culture Audrey Azoulay a salué ≪un grand ami de la France≫, évoquant ≪l'univers à la fois éclatant et très sombre, déchiré et déchirant≫ du cinéaste disparu.
L'actrice Isabelle Adjani, qui a joué dans son film Possession, a déclaré, très émue: ≪Andrzej était fasciné par l'aspect inique et mystique des relations intimes entre ses personnages. Il cherchait à filmer ses acteurs, pris dans son vertige visionnaire≫.
De son côté, Sophie Marceau s'est dite très émue par la mort de son ex-compagnon. Sur twitter, l'ancien président du festival de Cannes, Gilles Jacob regrette la disparition du cinéaste.
Andrzej Wajda, un réalisateur polonais a aussi rendu hommage à son confrère en confiant notamment que ce dernier ≪avait joué un rôle décisif≫ dans son choix de tourner La Terre de la grande promesse, un de ses films culte. ≪Sans lui, je n'aurais jamais fait ce film. Zulawski, que j'ai toujours écouté avec attention, était un homme très cultivé. Ses années parisiennes lui ont donné une formation qu'il n'aurait pu trouver en Pologne≫, a raconté le plus célèbre cinéaste polonais, dont Zulawski avait été l'assistant au début des années 60.
Japanese lawmaker Kazuya Maruyama apologises after calling President Obama a descendant of slaves
A Japanese lawmaker was forced to apologise on 17 February after making racist remarks about US President Barack Obama. Kazuya Maruyama, a member of the Diet whose part of Prime Minister Shinzo Abe's Liberal Democratic Party, said the American president was a descendant of slaves.
"In the United States, a black man became president. To be blunt, he has the blood of black people who were slaves," Maruyama said during a session of the House of Councillors commission on the Constitution, according to NTV. The head of the party's judicial affairs division added: "When the United States was founded, no one expected a black, or a slave, to become a president. It's a country that has transformed dynamically."
According to WWLP, Maruyama also asked what issues would come up if Japan became the 51st state of the US, a key ally of the East Asia nation.
The former lawyer turned lawmaker later apologised at a press conference held after the session. "I'm truly sorry I made remarks that could be misunderstood," he said, according to JapanToday. During the press conference, Maruyama added that the wanted to "correct or retract" his remarks from the meeting's minutes.
The lawmaker's comments were not only offensive but wrong. Obama, the first African American to be US president, is the son of a Kenyan exchange student to the US and a white woman from Kansas.
JapanToday noted that Maruyama's comments are bound to draw wide-spread criticisms from opposition parties. Prime Minister Abe has been confronted with a series of scandals involving party members, including resignations by his economic policy minister over political funds and a Diet member following an extramarital affair.
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クローズアップ現代「黒字企業が消えていく〜自主廃業3万社の衝撃〜」
倒産件数の7倍近くに上る中小企業の廃業。背景には、後継者不在で事業承継が進まない実態がある。雇用の受け皿となる中小企業をどう次世代に繋げるか、解決の糸口を探る。
山口義行, 国谷裕子


図書館に行ったら閉まっていました.第3木曜日は休館なのでした.残念.
おじさんとおばさんのおしゃべりがうるさくてイライラです.

<3.11と今>浜を描いた油絵飾る
◎古里を離れて(3)宮城県南三陸町→仙台市 畠山武人さん、悦子さん夫妻
 いったん近づいた古里から、遠ざかる決断をした。
 東日本大震災で宮城県南三陸町の住まいを失った畠山武人(77)、悦子さん(74)夫妻は、名古屋市、登米市と転々とした末に昨年7月、仙台市の災害公営住宅に腰を落ち着けた。
 「本当に入居できるのか不安で緊張しっぱなしだった」。ほっとしたためか、悦子さんは片付けが一段落すると、しばらく気力が湧いてこなかった。
 震災から半月後、先々を考える余裕などないまま、長男が住む名古屋に避難した。当分は戻れないだろうと市営住宅に入居し、家具を買いそろえた。
 周囲は声を掛けてくれたが、気質の違いも感じた。9階の自室からの景色は家ばかり。息苦しくなった。「東海地震が起きてまた被災したら…」と怖かった。
 約半年で、登米市の南三陸町民向け仮設住宅に移った。共有する被災体験を地元の言葉で話せて心地よかった。入居者たちとグラウンドゴルフ、川柳、手芸などを楽しんだ。狭い部屋も苦にならなかった。
 ただ、いずれ退去しなければならない。ほとんどの人は登米に残るか帰郷を考えていた。
 武人さんは週3回の透析治療が欠かせず、南三陸で医療環境が整うのかまだ見通せなかった。子どもたちは中部や関西地方にいる。高齢の自分たちに何かあったときを考え、交通の便を優先する選択肢に傾いた。
 高速バスで何度も仙台市に通い、市に災害公営住宅の入居条件などを確認。迷った末に住民票を仙台に移した。抽選に外れ、入居先決定まで1年以上待った。
 仮設住宅を去る日、両腕でアーチをつくった住民たちが、笑顔で見送ってくれた。「10年若ければ…。古里に戻りたい気持ちはあるけれど、やっぱり夢。後戻りできない」と悦子さん。
 仙台では南三陸のころと同じ3LDKの部屋に入居した。同じような位置にお気に入りの油絵を飾った。
 津波が突き抜けた部屋に流されず残っていた絵。悦子さんが昔アワビを捕って遊んだ志津川の浜が描かれていた。「忘れるな」と訴えているように思えた。
 同郷の入居者はほかに1世帯だけ。気軽にお茶飲みできる親しい友人はまだいない。
 武人さんは市内でグラウンドゴルフを始めた。「車で通院し続けられるよう、健康を維持したい」。悦子さんもことしのえとにちなんだサルの縫いぐるみを作り、入居者らの展示会に出品した。
 「ここに来なければよかったと思いたくない。助かった命。楽しく生きたい」
 あの日、暮らしていた海沿いの町営住宅の屋上で見た青い津波は、まちをのみ込み黒くなった。
 5年近い時を経て、買っていた震災写真集に、初めてしっかりと目を通している。(坂井直人)


<集団移転>復興後押しコンビニ出店
 東日本大震災で被災した山元町坂元地区の集団移転先への出店第1号となるコンビニ「ローソン坂元駅前店」が18日、オープンする。17日に現地で式典があり、住民ら約60人が身近な買い物場所の誕生を喜んだ。
 出店先は、内陸移設するJR常磐線坂元駅周辺に町が整備する新坂元駅周辺地区新市街地(9.7ヘクタール)の東側。国道6号を挟み災害公営住宅や集団移転の分譲宅地計96戸分が並ぶ。
 新店舗は24時間営業で駐車場40台分を設けた。ローソンは今後、敷地内にテナント2棟を建て地元事業主を誘致するという。
 この日店内を見学した住民らは、同店限定で販売する地元のイチゴを使ったサンドイッチを試食。あいさつでオーナーの遊佐宗之さん(49)は「復興の旗頭を担えることに感動している」と述べた。
 遊佐さんは同店の約2キロ南でコンビニを経営。町の出店者公募にローソンと合同で応募し選ばれた。「地域で買い物できる場所が少ないと、高齢者から悩みを聞いていた。出店で地域と住民の心に明かりをともしたかった」と思いを語る。
 周辺住民も出店を歓迎した。災害公営住宅に住む無職斎藤敏雄さん(68)は「歩いて買い物に行けて楽になる。深夜でも店の明かりがともり安心できる」と笑顔を見せた。
 ただ、出店先の隣接地には約9080平方メートルの商業用大区画が整備されているものの、コンビニ以外は出店業者は未定となっている。


<ダンボルギーニ>マナー違反横行 車体に傷
 宮城県女川町のテナント型商店街「シーパルピア女川」の店に展示され、人気を集めるスーパーカーの実物大模型「ダンボルギーニ」が、故意にたたかれたり押されたりし、しわが生じるなどの事態となっている。店側は、手で触れないよう呼び掛ける張り紙で注意喚起している。
 ダンボルギーニは、石巻市桃生町の梱包(こんぽう)資材会社・今野梱包が段ボールで製作。商店街の「KONPO’S FACTORY」(コンポズファクトリー)に置かれている。
 店には昨年12月23日のオープン以来、数万人が訪れた。間近で質感を見たり、製作者の思いを感じたりしてほしいと、店側は間仕切りは設けず、手で触れないよう口頭で伝えてきた。だが、一部の客がボンネットなどをためらいなくたたいたりするケースが発生。「触っちゃ駄目と書いてないじゃないか」などと開き直る人もいた。
 今野英樹社長(43)は「ダンボルギーニは分解できる造りでなく、しわやへこみが付くと二度と直せない」と強調。今月15日にやむを得ず張り紙した。「マナー違反がなくなれば張り紙を外したい」と理解を求める。


<アーカイブ大震災>沖へ全速力 瞬時の判断
 2011年3月11日の巨大地震発生時、宮城県石巻市の離島・金華山の港では、最終便となる定期船「ホエール」(19トン、72人乗り)が鮎川港への出発を待っていた。突然の大きな揺れと津波の恐怖。乗客を守るため、乗員は瞬時の判断を迫られた。
◎逃げる その時(8完)金華山定期船(石巻)
 大きな揺れが港を襲った瞬間、待合所にいた乗客の男性2人が青ざめた表情で船に飛び乗った。
 午後3時の出発を待っていた「ホエール」。待合所には、ほかにも黄金山神社の参拝客とみられる十数人がいたが、一様にどうしていいか、分からない様子だった。
 ホエールは地元の金華山観光が運航する小型旅客船。この日は非番の船長に代わり、機関長の鈴木孝さん(63)が、かじを取っていた。
 揺れから約5分後に突然、潮が上がり始めた。
 「まずい」。鈴木さんは船をバックさせ、いったん岸壁を離れた。
 無線から金華山観光社長遠藤得也さん(70)の声が響いた。「客を乗せて沖に避難してくれ」
 再び接岸して残りの客を乗せようか。鈴木さんは迷ったが、岸壁は既に水没しかけている。「だめだ。間に合わない」
 「危ないから神社に逃げて」。鈴木さんは陸にいる人たちに船のマイクで何度も叫ぶと、全速力で沖を目指した。
 左手の金華山沖から、ものすごい高さの黒い波が迫った。「幅500メートルぐらいはあったか」。鈴木さんは必死で逃げた。
 鮎川港で地震に遭った遠藤社長は同じころ、海上タクシーとして使っている「くろしお」を守るため、沖に向かって出港。操舵室から全速力で逃げるホエールが見えた。
 金華山にぶつかった波がホエールを追いかけているかのようだった。
 遠藤社長が振り返る。
 「お客さんのことと自分の安全確保のことで、頭はパニックだった」
 ホエールに乗り込んだ2人は、宮城県大和町の無職甘竹三郎さん(67)と仙台市太白区の無職三浦正靖さん(67)。石巻高OBでつくる山歩きサークルの例会で金華山を訪れていた。
 甘竹さんは「白波を立てて津波が迫ってきた。船にぶつかったら、終わりだと思った」と言う。
 サークル仲間で仙台市青葉区の山岳写真家東野良さん(67)は、待合所から避難する途中、沖に逃げるホエールを手持ちのカメラで撮影。「とにかく無事を祈りながらシャッターを押した」
 2隻は牡鹿半島の先端、黒崎灯台から約5キロ南まで避難。金華山と牡鹿半島の海峡は、引き波で海底が露出するほどだったが、その海域を脱したホエールは無事だった。
 2隻は金華山と網地島の中間点で一夜を明かした。余震は収まらない。サーチライトで照らし出された海面には、無数のがれきが漂っていた。
 ホエールには鈴木さんと客2人のほか、乗務員2人が乗船。恐怖で眠れない甘竹さんに、乗務員は励ましの言葉をかけた。「水も食料もある。大丈夫。無事に帰れる」
 翌12日、遠藤社長は沖に避難していた数隻の小型船の助けを借り、ホエールの乗客と、黄金山神社に避難していた計約30人を鮎川港に搬送した。
 鈴木さんが鮎川港に上陸できたのは、地震発生から3日後の3月14日。「あの時、全員の乗船を待っていたら、きっと助からなかった」(浅井哲朗)=2011年6月30日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<原発事故>自主避難で東電に賠償命令
 東京電力福島第1原発事故の影響で、福島県から京都市内に自主避難した40代の夫婦と子どもが、仕事を失った上、精神疾患を発症したとして、東電に計約1億8千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、京都地裁(三木昌之裁判長)は18日、夫婦への計約3千万円の支払いを命じた。
 原告側の代理人によると、自主避難で賠償責任が認められるのは初めてとみられる。
 認容額は原子力損害賠償紛争解決センターの裁判外紛争解決手続き(ADR)で提示されていた約1100万円を上回った。原告側は「ADRでの提示額に納得いかなくとも諦める必要はないと判決が先鞭をつけた」と評価した。


「黒人、奴隷が米大統領」 参院憲法審で自民・丸山氏
 自民党の丸山和也参院議員(70)は十七日の参院憲法審査会で、オバマ米大統領について「米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。はっきり言って」と人種差別的な発言をした。各党の参院議員が憲法のあり方を公式に議論する場での発言だ。その後に記者会見を開き、陳謝した。 (中根政人)
 丸山氏は憲法審査会での質疑で「日本が米国の五十一番目の州になることに憲法上どのような問題があるのか」と提起。日本が米国の州になった場合は「日本州出身(者)が米大統領になる可能性が出てくる」と自説を開陳した。続けて「米国の建国当初には、黒人、奴隷が米国の大統領になるようなことは考えもしない」と述べた。
 衆参両院の憲法審査会は、憲法に関する総合的な調査や改正原案の審査を担う機関。この日は、衆院、参院の二院制をめぐり、自民、民主両党がそれぞれ推薦した学識経験者の参考人二人から意見を聴取。各党委員が順次、参考人に質問する形式で持論を述べた。丸山氏は参院の役割を論じる中で、唐突に「米国の五十一番目の州」を取り上げ、「奴隷」発言に及んだ。
 審査会後、丸山氏は国会内で緊急に会見し「議事録を精査した上で削除、修正したい。誤解を与える発言をしてしまって大変申し訳ない」と述べた。自身の発言について「(米国では)人種に関係なく大統領になれるということだ。ダイナミックな変化を受け入れる国だということを言いたかった」と記者団に釈明した。
 丸山氏は当選二回。自民党法務部会長。弁護士、タレントを経て、二〇〇七年の参院選比例代表で初当選した。
◆丸山議員の発言要旨
 【参院憲法審査会】
 ややユートピア的かもしれないが、例えば、日本が米国の五十一番目の州になることに憲法上どのような問題があるのか。(米国の州になれば)集団的自衛権、(日米)安全保障条約は全く問題ない。拉致問題すら起こっていないだろう。いわゆる国の借金問題についても、行政監視のきかないような、ずたずたの状態には絶対なっていない。
 米国の制度にあれば、人口で下院議員の数が決まる。おそらく「日本州」は最大の下院議員選出数を持つ。世界の中の日本と言うけど、日本州出身が米大統領になる可能性が出てくる。ということは世界の中心で行動できる。
 ばかみたいな話だと思われるかもしれないが、今、米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。はっきり言って。まさか米国の建国当初には黒人、奴隷が大統領になるとは考えもしない。ダイナミックな変革をしていく国だ。
 【記者会見】
 私の意図するところと違う発言をしてしまった。議事録を精査し、(参院憲法審査会)幹事の了解を得て、訂正か削除をしたい。誤解を与えるような発言で大変申し訳ない。
 発言しているときには全然気が付かなかったが、いろいろ考えてみると誤解を与えるところがあった。


<奴隷発言>丸山氏を口頭注意 参院憲法審委員を辞任
 自民党の谷垣禎一幹事長は18日、オバマ米大統領に対し「奴隷」との表現で人種差別と受け取られかねない発言をした党法務部会長の丸山和也参院議員と国会内で会い、口頭で注意した。民主、社民、生活の3党は丸山氏の議員辞職勧告決議案を参院に共同提出。政権批判を強める構えだ。丸山氏は、発言を行った参院憲法審査会の委員を同日付で辞任した。
 丸山氏は谷垣氏に「米国のチャレンジング(挑戦的)なところを説明しようと思ったら、言葉足らずで誤解を招いてしまった」と釈明。この後、出席を予定していた党法務部会を欠席した。


「黒人奴隷が大統領」 丸山議員の暴言に安倍政権も“絶句”
 「黒人、奴隷が米大統領」と同盟国のトップを愚弄する人種差別発言に、安倍政権も自民党も見放すことを決めたようだ。17日の参院憲法審査会で、丸山和也・法務部会長(70)は唐突にこう言い放った。
「今、黒人の血を引く人が大統領になっている。これは奴隷ですよ、はっきり言って。まさか建国当初、黒人、奴隷が大統領になるとは考えもしなかった。ダイナミックな変革をしていく国だ」
 この発言は18日の衆院予算委員会で、野党の追及を受け、菅官房長官は「今後ともしっかり説明責任を果たす必要がある」と、丸山議員にさらなる説明を求めた。民主党の神山洋介氏への答弁。
 丸山議員は17日の審査会後、愛知治郎・参院政審会長代理に付き添われて会見。「誤解を与えた発言について大変申し訳ない」と謝罪したが、どの発言が誤解を与えたのかを聞かれても、「正確にどういう発言をしたかは精査しないとわからない」とはぐらかした。同席した愛知議員は「(丸山議員)本人は問題と思っていない」と言い切った。
 小此木八郎国対委員長代理は18日の会見で、「すぐ謝罪するくらいなら、もっと気を付けて言うべきだ」と苦言を呈したが、「奴隷」発言の問題性に気付かない時点で、丸山議員は議員失格だ。
 ちなみに、オバマ米大統領はアフリカ系(黒人)初の大統領だが、ケニアから米国に留学した黒人の父と白人の母との間に生まれており、奴隷の子孫ではない。勉強不足の勘違い暴言とは、もうムチャクチャだ。
 米国務省当局者は「われわれは議員の発言に関してはコメントしない」と論評を避けたが、日本の木っ端議員の妄言にいちいち目くじら立ててられないという態度がありあり。
 同盟国のトップに対する人種差別発言は外交問題に発展し、また米国に付け入るスキを与えるだけ。もはや存在自体が罪深い丸山氏は、潔く議員バッジを外すべきである。


野党3党 自民・丸山議員の辞職勧告決議案を提出
民主党など野党3党は、自民党の丸山和也参議院議員の参議院憲法審査会での発言について、「国民の政治に対する信頼を著しく失墜させた」などとして、18日、丸山議員に対する議員辞職勧告決議案を参議院に提出しました。
自民党の丸山和也参議院議員は、17日の参議院憲法審査会で、「今、アメリカは黒人が大統領になっている。これは奴隷ですよ、はっきり言って。まさか、建国当初に、黒人、奴隷が大統領になるなんて考えもしなかった」などと発言し、その後、謝罪しました。
この発言を受けて、民主党、社民党、生活の党と山本太郎となかまたちの野党3党は18日、丸山議員に対する議員辞職勧告決議案を参議院の輿石副議長に提出しました。
決議案では、丸山議員の発言について、「日米間の信頼を大きく損ねるのみならず、基本的人権をないがしろにするものであり、決して看過できない。国民の政治に対する信頼を著しく失墜させ、良識の府である参議院の権威と名誉を著しく傷つけるものだ」としています。
これに先立って自民党と民主党の参議院国会対策委員長が会談し、民主党の加藤参議院国会対策委員長は「丸山議員の発言は、事実誤認に基づくもので許せない」と指摘したのに対し、自民党の吉田参議院国会対策委員長は「事実に基づかない発言であり、お騒がせして申し訳ない」と陳謝しました。


パッキャオ、同性愛者差別発言でナイキ契約破棄 ボクシング6階級制覇
 ボクシングの世界主要4団体で6階級を制覇したフィリピンの国民的英雄、マニー・パッキャオ(37)が、同性愛者を「動物以下」と発言して非難を浴び、謝罪した騒動で、パッキャオのスポンサーである世界的スポーツ企業「ナイキ」は17日、「我々は彼の発言を忌まわしく思う。ナイキはあらゆる種類の差別に反対する」との声明を出し、契約を全面的に破棄したと発表した。
 フィリピンの下院議員を務めるパッキャオは現在、上院議員選挙に出馬しているが、その選挙戦で出演した同国のテレビ番組で同性愛者に言及。「あなたは動物の雄と雄、あるいは雌と雌が関係しているところを見たことがあるか。男同士、女同士の組み合わせを認めれば、人間は動物以下になる」などと語った。
 発言は世界中の反発を招き、数時間後にツイッターで謝罪したが、クリスチャンであるパッキャオは同時に、「同性同士の結婚に反対する私の立場は変わらない」とも主張した。
 ナイキは過去8年以上にわたって、パッキャオのスポンサーを務めてきたが、今回の騒動で同社のリストから永久に外れたという。パッキャオは4月9日の試合を最後に引退することが決まっている。


石炭と環境省 世界の目にはどう映る
 “てのひらを返したように”ということか。温暖化対策の国際交渉がヤマ場を越えたと思ったら、環境省も温室効果ガス排出源の石炭火力を一転容認へ。脱炭素社会へ向かう世界の目にはどう映る。
 昨年夏、望月義夫前環境相は、山口県宇部市など三カ所の石炭火力発電所新規建設計画に対し、環境への影響面から「是認できない」との意見を相次いで表明した。それがあっさり翻された。
 原発再稼働が思うようにいかないままに、電力小売りの自由化が迫る。燃料費が価格競争のハンディになる。だから、コストの安い石炭火力を増やしたい−。これが既存の電力事業者の危機感だ。
 日本の火力は進化を遂げている。石炭を蒸し焼きにしてガス化してタービンを回転させ、その際の排熱で蒸気タービンも回すという超高効率の複合発電(IGCC)も実証段階だ。二酸化炭素(CO2)の分離・回収も視野にある。
 原発の運転寿命が尽きる日が来るまでの“つなぎ”としては、技術を磨いていくべきだ。
 とはいえ、世界の潮流は、脱炭素、脱石炭である。高効率といってもCO2の排出量は天然ガスの約二倍。温暖化対策を理由に、米国でも石炭火力の閉鎖が相次ぎ、英国やカナダでは段階的廃止を目指す。中国も石炭火力の大気汚染には手を焼いている。
 昨年末、パリのCOP21で結ばれた温暖化対策の新ルール(パリ協定)では、すべての国が力を合わせ、今世紀後半には排出をゼロにするという。
 国内ではエネルギー消費に伴うCO2排出量の四割を電力業界が占めている。大量排出元の電力業界も、より高い削減目標を掲げるべき局面なのだ。
 それなのにCOP21が終わるや、経済産業省と手を携えるようにして石炭容認に転じた環境省を、世界はどのように見るだろう。
 石炭容認の前提として、両省は発電部門の温暖化対策を公表した。効率の悪い火力発電所の建設や運転を抑制し、再生可能エネルギーや原発などの非化石電源を44%以上にするという。
 温暖化対策を名目に、原発再稼働も後押しするとも読めないか。
 脱炭素社会の実現にはまだしばらく時間がかかる。だが大きな流れは、石炭でも石油でも、もちろん原発でもあり得ない。太陽や風、再生可能エネルギーなのである。環境省を名乗るなら、率先してその流れに棹(さお)さすべきだ。


司法と住民 地域間格差をなくそう
 中規模の都市を中心に配置されている裁判所支部の活用を拡大することが、最高裁と日本弁護士連合会の協議で決まった。
 主に県庁所在地都市に置かれている地方裁判所・家庭裁判所の本庁50カ所以外に、全国には203カ所の支部がある。だが、裁判官が常駐していなかったり、扱える事件が限定されていたりするため、住民にとって利用しづらいのが現状だ。
 全国どこに住んでいても法的に紛争を解決できる手段が確保されることは大切だ。裁判所支部の活用拡大を、地域住民にとって司法を身近なものとする一歩にしたい。
 裁判官が常駐していない場合、別の裁判所から裁判官が出張してくるため、月に数回しか開廷されない。このため、審理される期日の間隔が空き、訴訟や家事調停などによる解決が遅れる傾向にあるという。
 また、重要な案件を慎重に審理するため裁判官3人で担当する合議事件は、小規模な支部では取り扱われない。近くに支部がある人たちでも、数時間かけて県庁所在地まで出かけることを余儀なくされている。
 事件数が少ないなどの理由で支部の統廃合が進められてきた経緯がある。ただし、時間的、労力的に裁判所との距離が遠くなれば、司法の場での紛争解決をあきらめることにつながりかねない。
 憲法で保障された「裁判を受ける権利」に照らしても問題がある。近年、弁護士を中心に改善を求める声が強まっていたのは当然だろう。
 今回、最高裁と日弁連の協議で決まったのが、労働審判の実施支部拡大だ。本庁以外は、2支部でしか実施されていないが、来年4月から新たに3支部を加える方向だ。
 労働審判は、解雇や賃金の未払いなどの労働紛争が対象で、裁判官1人と労働問題に詳しい一般人2人が調停と審判に携わる制度だ。審理は迅速で解決案に異議があれば訴訟に移行するが、約8割の事件が3カ月以内に解決している。使い勝手の良さが評価され、2006年の制度導入以来、利用件数は増え続け、申し立ては年間3000件を超える。
 ブラックバイトをはじめ、労働をめぐるトラブルの迅速な解決は社会的要請であり、実施する支部の一段の拡大を望みたい。
 この他、市民の要望が強い複数の支部で、別の裁判所からの裁判官の出張回数を増やす。また、近ごろ増加傾向のストーカーや配偶者間暴力(DV)など緊急的な事件への対応も、臨時の出張で対応する。司法の対応遅れが命に関わることもある。市民にとって切実な司法による紛争解決の手段については、今後もさらなる充実を図ってもらいたい。


河北抄
 東大生産技術研究所のリム・チャンキュ教授は寒風沢島(塩釜市)をちょくちょく訪れる。「最低でも月2回、私か研究室の誰かが行ってます」。目的は島に設置した潮流発電装置の研究。試験段階だが、島内の冷凍庫に実際に電気を供給して利用してもらっているという。
 リム教授らはこの夏、久慈市で波力発電の試験も始める。潮流も波力も海にある自然エネルギーで発電機を動かすわけだが、原理は少し異なる。
 「潮流は潮の満ち干、つまり大本は月の重力になります。波力は波の上下運動なので主に風です」とリム教授。塩釜と久慈のちょうど中間に当たる釜石市でも地元企業が集まって海洋エネルギーの開発に取り組み始めた。
 研究会の会長を務める泉修一・及川工務店社長は「震災からもうすぐ5年。自立することを考えないと。待っているだけでは、復興工事が終わったら何も残らなくなってしまう」と話す。
 本当にその通り。三陸と海は切っても切れない間柄。無限の海のエネルギーを自ら開拓するのは理にかなっている。


<八戸えんぶり>厳かに太夫舞う
 国の重要無形民俗文化財「八戸えんぶり」が17日、八戸市で開幕した。華やかな烏帽子(えぼし)をかぶった太夫が厳かな摺(す)りを披露した。20日まで。
 各えんぶり組が朝7時から長者山新羅神社をお参りし、摺りを奉納。行列で市中心部に移動し、32組が一斉摺りを行った。大勢の観客を前に、子どもたちも祝福芸を堂々と演じた。
 18日まで市公会堂で「えんぶり公演」(有料)、19、20日は市役所前市民広場で「えんぶり一般公開」を実施。市民広場では連夜、「かがり火えんぶり」が楽しめる。


<議長政活費疑惑>監査請求受理 4月までに結果
 宮城県議会の安部孝議長(60)=宮城選挙区(松島町、利府町)、5期=が、仙台市の仙台事務所費に政務活動費(政活費)を不正支出したとされる問題で、仙台市民オンブズマンから8日に出された住民監査請求を県監査委員が受理したことが17日、分かった。監査委員は、請求を受け付けた翌日から60日以内の4月8日までに監査結果を示す。
 16日の委員協議で受理を正式に決めた。監査委員は常勤の識見委員2人と非常勤の議会委員2人で構成されるが、議会委員2人は委員協議参加を辞退した。
 監査委員は来週にも意見陳述を公開で行い、オンブズマン側から請求内容について詳細な説明を受ける。安部氏に対しては、文書で説明を求めていく方針。
 オンブズマンは8日、安部氏の当時内縁だった妻が所有する仙台事務所の維持費に2009年11月〜15年3月、政活費540万円を支出したのは県議会が定めた手引に反しているとして、全額を返還させるよう村井嘉浩知事に求める住民監査請求をした。
 監査委員は、オンブズマンが不適切な支出の根拠として挙げた(1)選挙区外の必要のない事務所(2)外観上、事務所と分かる看板がない(3)生計が同一の妻が所有する建物内にある−を中心に監査を進める見通し。
 安部氏は記者会見で「県庁がある仙台にも政治活動の拠点が必要。東日本大震災の際には視察などを受け入れた」と強調してきた。
 生計については「事務所は3階で、妻は4階に住んでいる。食事は一緒にするが、食費は別々に出すなど同一ではない」と反論。県議会の各会派に対する説明では、電気料金が妻と別払いであることを示す領収書を出した。
 これに対し、オンブズマン事務局は「事務所としての実体はなく、2人が暮らす場所に政活費を使っていたことは明らか。安部氏は当時、事実婚だったと認めている。事実婚なのに生計が同一でないのはあり得ない」と話している。
 安部氏は540万円を全額返還する方針だが、議長職は続ける意向を示している。県議会2月定例会に出された県政史上初の議長辞職勧告決議案は16日、反対多数で否決された。


<宮城指定廃>処分場候補地は反発
 東京電力福島第1原発事故に伴う指定廃棄物の最終処分場建設問題で17日、環境省は放射性濃度が基準値を上回る廃棄物は3分の1以下に減ったとする再測定結果を公表したが、宮城県内への処分場建設の方針は従来通りとした。建設候補地の返上を訴える栗原、加美、大和の3市町は怒りや戸惑いをあらわにし、廃棄物を抱える自治体も「新たな地元負担が増す」と窮状を訴えた。
 処分場を建設する環境省の方針に異議を唱え、放射性濃度の再測定を求めた猪股洋文加美町長は「『廃棄物の量が多く、放射性濃度の減衰に時間がかかるので処分場が必要』という国の前提は崩れた。処分場建設は誤った前提に基づく、ずさんな計画だったことが示された」と主張した。
 同町で現地調査を阻止してきた住民団体の高橋福継会長(73)は「時間がたてば放射性濃度が下がると証明されたのに、それでも処分場を建てる考えは理解できない」と憤った。
 候補地の一つで、未指定の廃棄物を多く抱える栗原市の佐藤勇市長は「未指定も測定した上で報告に来るのが筋だ」と反発。基準値を下回った廃棄物の扱いについても「市町村任せはおかしい。国と東電の責任で処理すべきだ」と訴えた。
 浅野元大和町長は「状況が以前と変化している。(集約管理という)一つの考えにこだわるのでなく、状況に応じた方策があるはずだ」と疑問を投げ掛けた。
 基準値を下回った廃棄物は一般廃棄物として、市町村や広域行政事務組合の焼却施設で処理することになっている。が、実際には施設の処理能力や住民不安を避けるといった理由で処分は滞っている。
 県内最多の汚染稲わらを一時保管する登米市の布施孝尚市長は「放射性濃度が下がったのは、環境省の無策で事態が長引いた結果なのに、そのつけを市町村に押し付けるのか。登米の処分場の処理能力はそう高くなく、指定廃棄物から一般廃棄物になった分を処分するのに何年かかるか分からない」と頭を抱えた。


兵庫県警 小保方元研究員を参考人聴取 ES細胞窃盗告発
 STAP細胞論文を巡り、理化学研究所の研究室からES細胞(胚性幹細胞)が盗まれたとして告発があった問題で、兵庫県警が小保方晴子元理研研究員(32)から参考人として任意で事情聴取していたことが、捜査関係者への取材で分かった。
 この問題を巡っては、理研OBの男性(61)が昨年1月、容疑者不詳で窃盗容疑の告発状を県警に提出し、県警は同5月に受理していた。
 理研発生・再生科学総合研究センター(神戸市中央区)にあった研究室から何者かがES細胞を持ち出したとの告発内容。論文は2014年7月に撤回され、理研の調査委員会が同年12月、「STAP細胞はES細胞が混入した可能性が高い」とする最終調査報告書を発表していた。【矢澤秀範】


老後の支え
 まるで人ごとではないか。年金の積立金運用が悪化している状況への安倍晋三首相の国会答弁である。想定した利益が出なければ「当然支払いに影響する」と年金給付額を減らす可能性を言明した▼運用悪化の理由は株価下落だ。株や債券で135兆円を運用しているが、昨夏の世界同時株安で3カ月間に7兆8千億円もの損失を出した▼一時戻った国内株価も年明けから15%以上急落し、昨夏を上回る損失状況との見方もある。株など「持たざる者」も気が気でない▼安倍政権は積極運用を成長戦略に掲げ、株式で運用する比率を5割に倍増させた。高い利回りとともに巨額資金の投入による株高が狙いだった。年金積立金という「人のふんどし」を都合良く使いながら、失敗した場合のツケは国民に回すという姿勢はいかがなものか▼年金は皆の老後を支える貴重な財産だ。日本は現役世代が払う保険料で高齢者に給付する方式のため、少子高齢化で重くなる子、孫世代の負担軽減に積立金の備えが欠かせない▼ここ2、3年通しての運用黒字はまだ一定あるが、株相場のもうけと損は表裏一体。年金資金がさらされる市場リスクは格段に高まった。かつて年金改革で掲げられた「百年安心」どころか、日々気をもむようでは家計の財布のひもも緩むはずない。

変わる...廃炉の現場 震災・原発事故から5年、第1原発の今
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から丸5年になるのを前に、福島民友新聞社は17日、第1原発に入った。史上最悪レベルの惨事を起こし、放射性物質で汚染された構内はこの5年間で環境改善が進み、一部エリアでは防護服を着用せずに一般作業服で移動できるまでに様変わりした。一方、核燃料集合体の取り出しや汚染水対策に向き合う日々はいまだ続き、廃炉作業が本格化するのはまだこれからだ。
 「ご安全に」。第1原発の作業員らの出入りを管理する施設の外に出ると、防護服を着用せずに軽装の作業服で歩く作業員の姿があった。同施設から企業棟まで続く道路の空間放射線量は2011(平成23)年4月当時は毎時200〜300マイクロシーベルトほどだった。現在は除染などが進み同1.5マイクロシーベルトほどまで低下。昨年12月、移動に限り一般作業服での通行が可能になった。
 海抜35メートルの高台から同10メートルの建屋側に下る斜面は、かつて草木が生い茂っていたが、現在はモルタルを吹き付け放射線量を低減する「フェーシング」で一帯が灰色一色となり、要塞のような様相を呈していた。
 一方建屋に近づくほど放射線量が高く、2、3号機建屋の間で毎時420マイクロシーベルトが計測された。汚染水対策の切り札「凍土遮水壁」の建屋海側では、放射線を遮る効果が高い金属製のベストを着た作業員が配管周辺の整備に汗を流していた。敷地北側の海沿いにはがれき保管場が広がり、防護服が詰められたコンテナが整然と並んでいた。廃炉作業で日々増える廃棄物の保管、処理は長期的な課題だ。
 30〜40年かかるとされる廃炉作業で、5年が過ぎようとしても、事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)の状態は分かっていない。東電の広報担当者は「廃炉作業はまだ緒に就いたばかり。自分たちが起こした事故のマイナスを少しでもゼロに近づけていきたい」と語った。


iPhone テロ容疑者使用…アップルがロック解除拒否
 【ロサンゼルス長野宏美】昨年12月に米カリフォルニア州で起きた銃乱射テロで、同州連邦地裁は16日、死亡した容疑者が使っていた「iPhone(アイフォーン)」のロックを解除し、連邦捜査局(FBI)に協力するよう米アップルに命令した。これに対しアップルのクック最高経営責任者(CEO)は同日、命令を拒否すると表明。プライバシー保護かテロとの戦いかが論議を呼んでいる。
 クックCEOは公開書簡で「FBIはセキュリティーを回避する新しいソフトウエアを作ってほしいのだ」と批判し「悪用された場合、全てのロックが解除される可能性がある」と危険性を訴えた。解除の技術は数千万の鍵を開けられるマスターキーに相当し、政府のプライバシー侵害が拡大する恐れがあると指摘した。同社は近く異議を申し立てる方針。
 アーネスト大統領報道官は17日、「単に一つの端末に影響を与えるものを頼んでいるだけだ」と強調した。大統領選に向けた共和党の候補者指名争いで首位を走る不動産王ドナルド・トランプ氏(69)は同日、テレビ番組で「裁判所に100%同意する。解除すべきだ」と同社を批判、「14人が殺された。警戒が必要だ」と語り、安全保障を優先すべきだという考えを示した。
 国家安全保障局(NSA)による個人情報収集活動を中央情報局(CIA)元職員が暴露して以降、米国では当局への不信感が高まっており、IT企業は当局への協力に消極的な姿勢を見せている。


日本政府「慰安婦」強制連行を否定 国連委で強い批判 女性差別の撤廃を審議
 【ジュネーブ=玉田文子】国連女性差別撤廃委員会による日本報告に対する審議が16日、ジュネーブの国連欧州本部でおこなわれ、日本軍「慰安婦」問題に対する日本政府の対応が厳しく批判されました。
 政府代表団の杉山晋輔外務審議官は「慰安婦」問題について、「日本政府が発見した資料の中には軍や官憲による、いわゆる強制連行を確認できるものはなかった」と説明しました。さらに、「性奴隷という表現は事実に反する」とのべるとともに、昨年12月の日韓合意で「最終的かつ不可逆的に解決した」などと主張しました。
 これに対し委員は、「非常に不満で許容できない。だれも歴史を変えることはできないし、逆行することもできない。問題を否定する一方で、日韓合意をすすめる政府の態度は矛盾している。問題がないのであればなぜ、合意する必要があったのか」と強烈な不満を突きつけました。
 女性差別撤廃委員会は日本政府に対し1994年以来繰り返し、日本軍「慰安婦」問題の解決を勧告しています。
 ところが政府は、第7、8回報告で「本条約を締結(1985年)する以前に生じた問題に対して遡(さかのぼ)って適用されないため、慰安婦問題を本条約の実施状況の報告において取り上げることは適切でない」として、開き直ってきました。
「国際社会で 通用しない」
 審議を傍聴した日本婦人団体連合会の柴田真佐子会長の話
 委員会は、日本軍「慰安婦」問題について被害者への補償、加害者処罰、教育を含む永続的な解決を繰り返し勧告してきました。重大な人権侵害であり、今も続いている紛争下での性暴力を根絶する上で、この問題の解決が欠かせないという立場なのです。日本政府の対応は、人権問題だという認識がまったく欠如していることを示すものであり、国際社会では通用するものではありません。


「宇宙最大の爆発」も観測 重力波とほぼ同時に
世界を驚かせた「重力波」の観測とほぼ同時に、「宇宙最大の爆発」とも呼ばれる「ガンマ線バースト」という現象を、人工衛星が捉えていたことが分かりました。重力波と同じ天体で起きたとみられていますが、従来の学説では説明がつかず、宇宙の謎がさらに深まっています。
今月、アメリカなどの国際研究チームが世界で初めて観測に成功したと発表した「重力波」は、2つのブラックホールが合体した際に放出されたと考えられています。この観測の0.4秒後、アメリカや日本などが運営する天体観測衛星「フェルミ」が、同じブラックホールの合体で起きたとみられる「ガンマ線バースト」という現象を捉えていたことが分かりました。
「ガンマ線バースト」は、宇宙を飛び交う電磁波の一種のガンマ線が爆発的に強くなる現象で、「宇宙最大の爆発現象」とも呼ばれています。
しかし、ブラックホールが合体する際は、強い重力の影響などでガンマ線バーストは起きないと考えられていて、今回の観測は、従来の学説では説明できないということです。
「フェルミ」の研究チームのメンバーで、広島大学の深沢泰司教授は、「今まで知られていなかった現象が起きていると考えられる。重力波に加えて電磁波などでも同時に観測することで、未知の現象のメカニズムに迫りたい」と話しています。
「ガンマ線バースト」とは
「ガンマ線バースト」は、宇宙を飛び交う電磁波の一種のガンマ線が爆発的に強くなる現象で、「宇宙最大の爆発現象」とも呼ばれています。
宇宙のかなたで太陽よりもはるかに重い星が一生を終える際に爆発する「超新星爆発」とともに観測されるケースがあり、その際には、爆発した星から上下2つの方向にガンマ線が放出されると考えられています。
このほか、「中性子星」という極めて密度の高い星どうしが衝突するときなどにも起きると考えられていますが、詳しいメカニズムは、よく分かっていません。ガンマ線バーストのメカニズムを調べることで、宇宙が誕生した初期の状態の解明につながると期待されていて、世界の研究者が観測を続けています。


民主 「甘利氏事務所が深く関与」新たな音声データ公開
民主党は、甘利前経済再生担当大臣を巡る問題で、千葉県の建設会社との補償交渉に関連して、甘利氏の元秘書2人と建設会社の担当者らとのやり取りを記録したとする音声データを新たに公開し、甘利氏の事務所が交渉に深く関与していたことを示すものだとして、追及していく方針です。
民主党は、甘利前経済再生担当大臣を巡る問題で、千葉県の建設会社との補償交渉に関連して、去年10月に甘利氏の元秘書2人と建設会社の担当者、それにUR=都市再生機構の担当者の4人が面会した際のやり取りを記録したとする音声データを、新たに公開しました。これについて、民主党は、やり取りの中で県道工事を巡る補償交渉の状況などについて話し合いが行われていて、甘利氏の事務所が交渉に深く関与していたことを示すものだとしています。
民主党は、16日公開した音声データで、元秘書の1人が、交渉が成功した場合の見返りに建設会社側に高級車を要求していたことも明らかになったと主張していて、今後の国会審議で厳しく追及していく方針です。
一方、甘利氏の事務所は「録音は確認できていないので回答できない。現在、弁護士に依頼して事実関係を精査しているところで、URに対する東京地検の捜査が始まったとの報道もあるため、捜査に支障がないよう今後の対応を検討したい」としています。


共産党の志位委員長が社民党大会出席へ
 共産党の志位和夫委員長は、来賓として招かれた20日の社民党大会に出席することを決めた。18日の社民党常任幹事会で報告された。関係者によると、1996年に旧社会党から党名変更して以降の党大会で、共産党幹部が出席するのは初めてという。
 社民党が「安倍政権の暴走を止める野党の結束姿勢をアピールしたい」と出席を呼び掛けた。東京都内で開く党大会には他に、民主党の枝野幸男幹事長、維新の党の今井雅人幹事長、生活の党の小沢一郎共同代表も出席する。

きぬた歯科/甑島のプロポーズと精霊流しに/気持ち落ち着く

ブログネタ
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Fig14

Japon: Un acteur de 33 ans tué d'un coup de sabre en pleine répétition
L’acteur japonais Daigo Kashino a été tué, ce mardi, d’un coup de sabre samouraï dans l’estomac en pleine répétition d’une scène. Le jeune homme de 33 ans répétait avec plusieurs autres acteurs dans un studio de Tokyo au moment du drame, a rapporté la chaîne NHK. Il est décédé peu après son arrivée à l’hôpital.
Pas de témoin fiable
La police a ouvert une enquête afin de savoir s’il s’agit ici ≪ d’un accident ou d’un crime ≫. Aucun témoin n’a apparemment vu précisément comment s’est déroulée la scène, a-t-elle indiqué dans la presse locale.
Plusieurs acteurs ont affirmé s’être retournés après avoir entendu Daigo Kashino gémir et l’ont alors vu s’effondrer, croit savoir NHK.
Un acteur est mort sur scène en Italie
Ce décès suit de peu la mort en Italie de l’acteur Raphael Schumacher, qui s’était pendu sur scène à Pise (centre) fin janvier. Le jeune homme de 27 ans était censé simuler une pendaison, rappelle l’AFP, mais l’alerte n’a été donnée que lorsqu’un spectateur horrifié s’est rendu compte, trop tard, de la catastrophe.
Une enquête a été ouverte pour ≪ homicide involontaire ≫ à l’encontre de deux directeurs et deux techniciens du théâtre.
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水トク!「人生最大のサプライズ プロポーズ大作戦2016」
爆笑&号泣プロポーズ10連発!矢部浩之&青木裕子夫婦なれそめ番組が8年ぶりの復活
矢部浩之 吉田明世 宮川大輔 スピードワゴン 山里亮太 いとうあさこ 渡辺直美 滝沢カレン ほか
全国から募集した「一生の思い出に残るプロポーズをしたい男達」をサプライズ演出にはうるさいプロポーズプランナー達が応援! プロポーズ大好物な女性ゲストがその演出プランをジャッジ…のはずが感動号泣10連発

精霊流し
一本のバイオリンがつなぐ、美しくも悲しい《母と子》の愛の物語
解説
一本のバイオリンに託された想いと、受けとめる重さ。ひとりの少年がおとなになってゆくさまを、暖かく静かに見守る心優しき人々。愛する母が死ぬまで胸に秘めて語らなかった、ある真実……。切ないまでの《母》の愛の深さに、胸がしめつけられるような、今年いちばん泣ける映画が完成した。この映画『精霊流し』を見た後、あなたはきっと、遠くにいるお母さんと話がしたくなるはず。
亡くなった大切な人の魂を、華やかに装飾した「精霊船」に乗せて海の彼方に送り出す、長崎の伝統行事《精霊流し》。古来より何百年にも亘って続けられてきたこの慰霊の行事は、1945年長崎に原爆が投下されたわずか1週間後にもとり行われた。大きな悲劇に負けまいとする長崎の人びとの強い意志の力が、伝統行事を断ち切ることなく続けさせたのだろう。映画『精霊流し』の主人公のひとり節子も、1945年8月9日に長崎にいた。彼女もまた、自分に降りかかった運命に負けず、強く生き抜こうとしてゆく。映画では、長崎市民の協力で再現された《精霊流し》の場面が、クライマックスを鮮やかに彩る。
原作は、日本のミュージックシーンを代表するアーティスト、さだまさし。自作の名曲「精霊流し」をモチーフとした自伝的な原作小説は、2001年幻冬舎より発表され、40万部を超えるベストセラーとなった。企画・翻案は、『陰陽師』の近藤晋。NHKで「男たちの旅路」など衝撃的な話題作を世に出してきた敏腕プロデューサーは、原作では表記されていない、あるポイントを浮き上がらせた。それは、1945年8月9日に、節子も長崎にいた、というものである。
この意欲的な作品の映像化を託された監督は『化粧師』の田中光敏。定評ある映像美は本作でも遺憾なく発揮され、母と子の切ない物語を情感豊かに描き上げることに成功している。
結集したキャストも魅力的だ。
主人公・雅彦役は新星・内田朝陽。堂々たるその演技は早くも大成を予感させる。その叔母・節子役に日本を代表する女優の松坂慶子。母には、美しさと清楚さが光る高島礼子。そのほか、『ロックンロール・ミシン』の池内博之、『愛する』の酒井美紀、『化粧師』の椎名桔平、『居酒屋兆治』の田中邦衛などの実力派の演技陣が出演。美しくも悲しい物語に、深い奥行きを作っている。
ストーリー【ネタバレの可能性あり】
青い海が見わたせる長崎の家で、美しく優しい母(高島礼子)の深い愛に包まれ、幼い日の櫻井雅彦はまっすぐに育っていた。母は、雅彦がバイオリン奏者になることを夢見ていた。その思いに応えようと、雅彦は東京で学ぶことを決める。そのために、母の妹・節子(松坂慶子)の嫁いだ鎌倉の家で暮らしはじめる。その家には、後妻の節子とは血の繋がっていない春人という息子がいた。ある日のこと、長崎の母が、鎌倉にやって来た。鎌倉での暮らしの中で、まるで母のように雅彦をいたわる叔母と、懐かしい長崎の母。ふたりの《母》の前で、雅彦はバイオリンを弾いてみせる。その音色に聴き入るふたりの、ほんとうの胸のうちを雅彦が知ったのは、ずっと後になってからだった……。
時は過ぎ、大学生になった雅彦(内田朝陽)は、人の良い野川(椎名桔平)が経営する小さな自動車修理工場でのアルバイトに明け暮れる毎日を送っていた。長崎の母もすでに亡く、母の思いがこもったバイオリンは、部屋の隅に置き去りにされていた。そのような日々の中、叔母の節子が、突然、離婚して長崎へ帰ることを決める。節子を母として愛してきた春人(池内博之)は、予想もしていなかったなりゆきに、激しく戸惑う。なにかが静かに、しかし大きく動き始めた。
長崎に戻った節子は、海が見える小高い丘の上にジャズバー《椎の実》を開いた。 鎌倉では、雅彦と春人がともに好意を寄せていた徳恵(酒井美紀)が、雅彦への想いを打ち明ける。だが、半端な自分に苦しむ雅彦は、徳恵の気持ちを受け入れられない。傷ついた徳恵の前に、母を失った春人が現れた。春人は、《母》節子と暮らすことを決め、長崎に向かう。《息子》春人との再会を喜ぶ節子であったが、幸せな時間は長くは続かなかった。春人が、海でボートから転落し、亡くなってしまったのだ。春人の死を知り、駆けつける雅彦と徳恵。節子と雅彦は、徳恵が春人の子を身籠っていることを知った。
節子は自分の人生を大切に生きている。春人も自分の道を歩き始めたところだった。そう気づいた雅彦は、自分を見つめなおそうと、長崎に戻ることを決めた。長崎に帰った雅彦は、節子の入院を知る。見舞いに訪れた雅彦に節子が語ったのは、これまで胸の内に秘めていた1945年8月9日の遠い記憶だった。そして、自分が血液のガンに冒されていることも。病院から戻った雅彦に父(田中邦衛)は、雅彦の本当の母親は節子であることを伝える。驚く雅彦だったが、《実の母だと思っていた育ての母》と《母代わりの叔母だと思っていた本当の母》―ふたりの《母》が自分に向けていた愛情の深さと重みを、はじめて知るのだった。
夏。《精霊流し》がにぎやかに始まった。節子と春人の魂を送る「精霊船」を海に流した雅彦は、初めてこう呼んだ。「ありがとう、かあさん」


おじゃmap見ました.きぬた歯科の看板が八王子だけでなくて,近隣にたくさんあるというのが面白かったです.
帰ってから甑島のプロポーズと精霊流しに感動しました.
沈みがちだった気持ちもどうにか落ち着きました.

<アーカイブ大震災>「避難」言葉の壁厚く
 大震災では、大勢の外国人も被災した。警察庁によると、2011年6月27日現在、死亡した外国人は29人。うち7割近い20人が宮城県内で亡くなった。震災発生直後、外国人が取った行動を調べると、運に加え、「日本語」「近所付き合い」「防災意識」の3点が生死を分けた要因として浮かび上がった。
◎逃げる その時(7)外国人(宮城)
 「高台に避難してください」
 津波から多くの日本人の命を救った防災無線やラジオの呼び掛けが、宮城県南三陸町のフィリピン人にはほとんど理解されていなかった。
 35年前に来日した英語講師佐々木アメリアさん(57)は「心配していた通りになった」と表情を曇らせる。
 震災後、フィリピン人妻ら十数人に聞いたところ、「高台」「避難」の意味が分からなかった人が多かった。大半は日本人の夫と逃げたか、隣近所の日本人に促されて逃げ、一命を取り留めたが、女性(29)が津波で亡くなった。
 アメリアさんによると、女性は日常会話はできたものの、防災無線の日本語は聞き取れなかった可能性が高い。石巻市のスナック勤めで、南三陸町のフィリピン人社会や、隣近所との付き合いはほとんどなかった。「日本人の夫以外に、避難するよう教えてくれる隣人はいなかったはず」とアメリアさんはみる。
 流ちょうな日本語を話す千葉ジョイさん(44)は「私も『高台』『避難』の意味は分からなかった。『高い所に逃げて』と繰り返し言われれば、助かったかもしれない」と同胞の死を悼む。
 志津川中で避難生活を送る来日20年の小山ジュリエットさん(44)を救ったのは、防災無線を聞き取る日本語能力と夫からの電話だった。
 地震と停電で通話できないと思っていた携帯電話が午後3時10分すぎ、突然、鳴った。「大津波が来る。できるだけ高い所に逃げろ」。夫の宣広さん(42)だった。
 宣広さんは近海マグロはえ縄船の漁師。太平洋の沖合数十キロで津波をいち早くキャッチし、衛星電話で危機を知らせた。
 地震発生時、海沿いにある水産会社の加工場にいたジュリエットさんは防災無線に従い、既に指定避難所の志津川小へ向かっていた。途中、志津川保健センターにほど近い夫の実家に立ち寄った。
 直後、宣広さんから電話があった。忠告に従い、義父母と一緒に高台に逃げた。振り返ると「真っ黒な濁流が、数分前までいた小高い場所をのみ込んでいた」という。
 ジュリエットさんの友人の斎藤ジュリエットさん(44)は同じころ、日本人の夫と逃げた高台で、泣きながら上空を見上げていた。「この世が終わる。イエス・キリストが降臨する」と。
 あの時、中国・大連出身の広岡燕燕さん(37)は宮城県山元町の自宅にいた。海岸まで約1.2キロ。「地震が起きたら津波が来る。すぐ役場へ逃げて」。日本人の夫の口癖が頭に浮かんだ。
 サンダル履きのまま、3キロ以上離れた町役場を目指し、長女歩実さん(7)と自宅を飛び出した。道路はひび割れ、水が噴き出す。空は暗く、海岸から真っ黒い土煙が追い掛けてくる。
 津波の恐怖と闘いながら、十数分走り続けた。息も絶え絶えになり、道路に飛び出して白いワゴン車を止め、叫んだ。「娘だけでも」。ワタナベと名乗る男性が2人を乗せてくれた。
 津波は町役場の近くまで迫り、自宅1階は水に漬かっていた。
 「夫の口癖と、親切な日本人のおかげ」。山元町の仮設住宅で、燕燕さんは歩実さんの髪を優しくなでた。(山崎敦、片桐大介)=2011年6月28日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


被災地支援に感謝の花束 NPOが活動終了
 東日本大震災で被災した名取市閖上地区や宮城県亘理町の復興支援に取り組むNPO法人「ロシナンテス」(北九州市)が本年度で被災地支援活動を終了することになり、閖上の住民が7日、感謝を込めて「お別れ会」を開いた。
 会場の美田園第1仮設住宅集会所には、川原尚行理事長(50)らロシナンテスのメンバー6人と閖上の住民約30人が参加。地域情報紙「閖上復興だより」編集長の格井直光さん(57)が「多くの支援をもらい、いくら頭を下げても足りないほどだ。このつながりを今後も継続していきましょう」とあいさつした。
 住民はメンバーに花束や記念品を贈呈して感謝の気持ちを伝えたほか、一緒に酒を酌み交わしながら5年間の歩みを振り返った。
 ロシナンテスは震災直後から宮城県南地域で緊急医療支援やがれき撤去に奔走。名取市では、閖上復興だよりの発行支援や、小中学生の学習を支える寺子屋の運営に取り組んだ。自治体からの支援事業委託が本年度で切れるため、やむなく活動終了を決めたという。
 川原理事長は「被災地支援を続けられないのは悔しいが、宮城を第二の古里のように思っており、これからも定期的に訪れたい。住民が心を一つにし、震災前より素晴らしい閖上ができるよう願っている」とエールを送った。


「龍の松」加工終え気仙沼に
気仙沼市で、震災の後「龍の松」と呼ばれて復興のシンボルとなっていた松の木が、長期的に保存するための加工を終え現地に戻されました。
この松は、震災の時気仙沼市の景勝地「岩井崎」で津波に耐え、残った幹や枝が竜に見えることから、地元の人たちから「龍の松」と呼ばれているクロマツです。
地元の人たちから復興のシンボルとして大切にされていましたが、幹や枝の腐敗が進んだことから、去年7月気仙沼市が加工を東京の業者に依頼していました。
加工を終え、17日現地に戻ってきた「龍の松」は、幹の部分に腐敗や変色を防ぐための処置が施されているほか、竜の頭にあたる枝の部分はプラスチックで復元されています。
気仙沼市観光課の今井裕介技術主査は「一部はプラスチックで復元しているが、本物のように見えます。震災の悲劇を伝えるものとして多くの人たちに見に来てもらいたい」と話していました。
気仙沼市は今後「龍の松」の周辺にフェンスを設置し、今月27日には記念の式典を開くということです。


<3・11と今>郷土の味覚 再生胸に
◎古里を離れて(2)福島県浪江町→由利本荘市 菅家清進さん
 由利本荘市の第三セクター「岩城」。東京電力福島第1原発事故で福島県浪江町から一家4人で同市へ避難した菅家清進さん(43)の勤務先だ。この会社が営むワイン醸造所「天鷺(あまさぎ)ワイン城」の副支配人として特産プラムワインの販路拡大に奔走する。
 多くの浪江町民が今も避難生活を送るいわき市と同じ名前の職場に、不思議な縁を感じている。2014年夏にいわき市のイベントに出店した際は、同市に避難する浪江の知人がワインを箱ごと買ってくれた。
 浪江から避難する前は、町役場裏で自動車整備工場を営んでいた。極太麺が特徴のご当地グルメ「なみえ焼そば」の普及組織「浪江焼麺太国(やきそばたいこく)」の一員として、まちおこしにも取り組んだ。
 新潟市や横浜市を転々としていた11年3月下旬、由利本荘に避難した焼麺太国の仲間から「住みやすそう。来ないか」と誘われた。
 ご当地グルメ「本荘ハムフライ」をPRする「ハム民の会」の関係者らが、着の身着のままで来た菅家さん一家に家電や家具をそろえてくれた。5月には市の臨時職員の職を得た。
 それぞれの住む土地は変わっても、十数人いる焼麺太国のメンバーと全国のイベントに出店する活動は続けた。「太国の存在が、離れ離れになった町民の心の支えになれば」と思った。
 13年11月、焼麺太国は愛知県であったご当地グルメの祭典「B−1グランプリ」で悲願の1位に輝く。以降、焼麺太国の活動方針は「世の中に浪江町の名前を残すこと」に変わった。
 人当たりの良さなどを市幹部に見込まれ14年4月、副支配人に転職した。
 由利本荘には浪江と同じように美しい海や山、川がある。被災当時小学2年だった長男は中学1年に、5歳だった長女は小学4年になった。今はすっかり地域に解け込んでいる。
 表面上は穏やかな日常を取り戻した。だが、古里を追われた悔しさがふと、胸の奥からこみ上げてくる。
 ことし1月、二本松市で開かれた町の成人式の様子をニュースで知った時もそうだった。「いつか新しく生まれ変わった浪江でみんなと再会したい」。新成人の女性の言葉が胸に響いた。
 「若い人たちのために、自分たちの世代が復興の道しるべになるような何かをしてあげたい」。浪江町は17年3月の避難指示解除を見込む。町の機能がどの程度回復するかは不透明だ。町に戻るか、ここに残るか。子どもたちが高校を卒業するころまでには決めたいと考えている。
 焼きそばにワイン。食と関わる人生を歩む。「人が古里に誇りや愛着を持つ要素の一つに、郷土の味がある」と言う。
 15年産プラムの新作ワイン2種が3月上旬に解禁になる。「由利本荘の人たちに地元の味として楽しんでほしい」。できれば浪江の人々にも。「なみえ焼そばとの相性も間違いなくいいから」と笑った。(橋本智子)


八戸えんぶり始まる
北国に春を呼ぶとされる民俗芸能「八戸えんぶり」が八戸市で始まり、雪が降る中、舞い手たちが豊作を願う舞を披露しました。
およそ800年前の鎌倉時代から伝わるとされる「八戸えんぶり」は、その年の豊作を願って農作業の様子を舞で表現する民俗芸能で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
初日の17日は、雪が降る中、八戸市中心部の大通りで、地区ごとに結成された「えんぶり組」と呼ばれる32のグループの舞い手たちが舞を披露する「一斉摺り」が行われました。
烏帽子をかぶった「太夫」と呼ばれる舞い手たちが笛や太鼓などの演奏にあわせ、大きく頭を揺らしたり、大地の眠りをさますため棒で地面を突いたりする、勇壮な舞を披露しました。
また、華やかな衣装を身にまとった子どもたちが、扇を手に、幸福や繁栄を願うかわいらしい舞を披露し、沿道に詰め掛けた人たちから大きな拍手が送られていました。
毎年えんぶりを見に来ているという八戸市の女性は「えんぶりを見ると春が待っているな、という感じがします」と話していました。
また、青森市から訪れた女性は「大人から小さい子どもまで、寒い中、舞を披露していて、すごいと思いました」と話していました。
「八戸えんぶり」は、今月20日まで行われます。


<議長政活費疑惑>議会なぜ身内に甘い
 県議会の安部孝議長による政務活動費(政活費)の不正支出疑惑で、県議会は16日、共産党県議団(8人)が提出した議長辞職勧告決議案を否決した。2月定例会開会日に早々と議長信任のお墨付きを与えた形。身内に甘い県議会の体質が浮き彫りとなった。
 「県民から『仲間同士がかばい合っている』と見られても仕方がない」
 安部氏の15日の説明に対し、「疑惑が晴れない」として県政史上初の決議案提出に踏み切った共産党県議団。否決後、三浦一敏幹事長は怒りをあらわにした。
 安部氏が所属する最大会派、自民党・県民会議(32人)は開会前の会派総会で反対を確認。記名投票の採決では1人が白票を投じたが、中島源陽会長は「圧倒的多数で否決された事実は重い」と総括した。
 民主党系第2会派、みやぎ県民の声(10人)の賛成は1人。藤原範典会長は「議長の説明は理解できた」と話す。公明党県議団(4人)は全員が反対した。
 2人とも白票を投じた社民党県議団の岸田清実団長は「疑わしいだけで辞職勧告はできない」と説明した。無所属の会(2人)は採決前に退席、21世紀クラブ(1人)は反対した。
 野党会派が賛成に回れなかった理由の一つに昨年11月の議長選がある。議長は第1会派から選出するとの申し合わせを全会派が了承した。ある議員は「3カ月もたたないうちに辞められては選んだ側の責任も問われかねない」と言う。
 1人当たり35万円が各会派に渡される政活費には仙台市民オンブズマンが厳しい目を向けてきた。「『人ごとでない』との守りの意識が追及をためらわせている」と明かす議員もいた。
 議会改革に詳しい山梨学院大大学院の江藤俊昭教授(政治学)は「県議会は議長に説明責任を果たさせると同時に透明性の高いルールを作らなければならない。後手に回れば議会の権威は失墜する」と話した。


マイナス金利 国民生活にプラスか
 生活には功罪両面あるだろうが言葉の印象からマイナス面が大きそう−。日銀が始めたマイナス金利政策に国民の多くが不安を感じている。日銀は独善的にならずに、もっと国民生活に目を向けよ。
 日銀の黒田東彦総裁は、たとえ話が巧(うま)い。むずかしい金融政策だから、わかりやすく説明しようと努力しているのだろう。「デフレという慢性疾患を完全に克服するためには薬は最後まで飲みきる必要がある」というのも、その一つ。一年ほど前の講演で、長期に及んだデフレから脱却するには追加の金融緩和が欠かせないことに理解を求めたものだ。
 ではマイナス金利についてはどうか。中身がわかりにくく、何より経済取引の常識を覆す政策である。漠然とした不安を抱く国民が多いのは各種の世論調査で明らかになっている。日銀はホームページにQ&Aも載せてはいるが、それでいいはずはない。
 国会で黒田総裁は「預金金利がマイナスになることはおそらくない」と答弁した。確かに銀行同士の競争があるから表立ってマイナスにはしないかもしれない。しかし、振り込みなどの手数料引き上げや口座維持費の新設といった預金者への負担転嫁があれば、すずめの涙ほどの利息をすぐに上回り、事実上のマイナス金利だ。
 低金利で運用難から生命保険料の引き上げもあり得る。預貯金や年金に頼る高齢者をはじめ国民への影響は幅広い。総裁はもっと真摯(しんし)に説明すべきではないか。
 住宅ローンなどの貸出金利が下がったことはプラスだが、目先の動きだけで判断すべきでない。マイナス金利を導入している海外では逆に住宅ローン金利を引き上げた金融機関もある。
 マイナス金利は、金融機関の利ざやを縮小させ、経営を圧迫する政策である。米格付け会社によれば、初年度に邦銀は本業のもうけが大手銀で約8%、地方銀は約16%も押し下げられるという。その結果、懸念されるのは、貸し倒れを恐れて中小・零細企業への貸し渋りが起こるなど最初に弱者へしわ寄せが及ぶことである。
 異次元緩和という「薬」は、量も種類も増えるばかりだ。もうじき三年になるが一体、いつまで飲み続けるのか。副作用で倒れる前に処方箋を変えるべきである。
 金融政策だけで物価を上げようというのがそもそもの間違いだ。賃金増や消費拡大を伴う正しい物価上昇を目指し、中間層を重視した政策に転換する必要がある。


サラリーマン川柳 100作品が入選
世相や働く人の本音を軽妙に詠んだサラリーマン川柳コンクールのことしの入選作が17日発表され、マイナンバーや、ラグビー日本代表として活躍した五郎丸歩選手など最近の話題をテーマにした句など100作品が選ばれました。
サラリーマン川柳は大手保険会社の第一生命が毎年募集しているもので、29回目となる今回は全国からおよそ4万句が寄せられ、このうち入選した100作品が17日発表されました。
今回は、去年ラグビーの日本代表として活躍した五郎丸歩選手にちなんだ句が多く寄せられ「世の夫 五郎丸より 拝んでる」「トライして ずっと寝たママ ごろん丸」などが入選しました。
また、すでに通知が始まっているマイナンバーに関連して「キミだけは オレのものだよ マイナンバー」「マイナンバー 夫婦間でも 機密事項」などが選ばれました。
ことしは職場の人間関係をテーマにした作品も多く「ただでさえ 無礼な部下の 無礼講」「決めるのは いつも現場に いない人」「部下の言う 『課長やばい』は 褒め言葉」などがありました。
また、定年や退職をテーマに「定年後 帰りは何時 聞く側に」「花束を 妻へも分けて 定年日」と夫婦のきずなを感じさせる作品が選ばれる一方で、「退職金 もらった瞬間 妻ドローン」という作品もありました。
このほか、ノーベル医学・生理学賞を受賞した大村智さんの微生物の研究をテーマに「俺よりも 役に立ってる 微生物」や、外国からの観光客が大量に買い物する姿にちなんだ「本物の ビール3本 わが爆買い」など、最近の話題にユーモアや悲哀を織りこんだ作品が選ばれました。
これら100の作品の中から、一般の投票によりベストテンが5月下旬に決められます。
若い世代の応募多い
サラリーマン川柳を主催する第一生命の井口早苗課長は、今回の特徴について「例年よりも職場の人間関係、中でも上司と部下の悩みが描かれている作品が多くありました。メールやラインなどコミュニケーションのツールが増えるなかで感じる『なんで分かってもらえないのか』という気持ちが込められているのではないかと思います」と話していました。
また、今回は20代や30代といった、若い世代からの応募が例年より多かったということで「若い世代はツイッターやSNSなどを使って、短いことばで自分を表現するのに慣れているので川柳という形式が受け入れやすいのではないか」と分析していました。


ましゃロスの 妻を救った 五郎丸
 「ましゃロスの 妻を救った 五郎丸」―。第一生命保険は17日、「第29回サラリーマン川柳コンクール」の入選作100句を発表した。歌手の福山雅治さんの結婚を嘆く女性ファンを表す流行語「ましゃロス」と、ラグビーの五郎丸歩選手を組み合わせるなど、家庭や職場の悲哀や喜びを世相にかけて詠んだ句がそろった。
 昨年10月に通知が開始されたマイナンバー制度では「マイナンバー 国より厳しい 妻管理」と家庭での夫の苦しい立場を吐露。「球拾い だったオレにも 背番号(マイナンバー)」と番号をもらった複雑な感情をつづった。


演技の稽古中、刀が刺さり死亡か…33歳の役者
 15日午前11時50分頃、東京都台東区日本堤の建物内で男性の腹に刃物が刺さったと119番があった。
 救急隊が駆けつけたところ、貸しスペースで演技の稽古をしていたという男性の腹部に刀(刃体約73センチ)が刺さっており、病院に搬送したが、間もなく死亡した。
 警視庁浅草署によると、死亡したのは、国立市富士見台、役者の菓子野大悟さん(33)。刀を持っての稽古中、「ウッ」という声を聞いた仲間が菓子野さんの方を見たところ、うずくまっていたという。同署は、菓子野さんが自分で持っていた稽古用の刀が何らかの原因で刺さった可能性があるとみて調べている。


いま、学校で(2) 制服買えず入学式欠席
 3年前の春、九州北部のある公立中学校。入学式に新入生の陽介(仮名、12)の姿はなかった。2日目も、3日目も。母親は電話で「体調が悪いから」と説明するばかり。ぴんときた担任教諭は学校指定の制服業者に電話した。
 「ああ、その子、受け取りに来てませんよ」
 採寸して注文はしたが、約3万5千円のお金がなくて取りに行けず、登校させられなかった−。母親は、そう打ち明けた。
 校長が立て替え、制服を陽介の家に届けた。担任の勧めで母親は就学援助を申請し、校長に少しずつ返済すると約束した。
 4日目、陽介は真新しい制服に身を包み、ようやく校門をくぐった。
 翌年からこの中学では、制服を取りに来ていない生徒がいないか、入学式前に制服業者に確認するようにした。スタートから子どもがつまずくようなことがあってはならない。
   ◇   ◇
 「制服だけじゃない。収入のある家庭には何でもないことも、貧しい家庭の子にとっては関門なんです」。福岡市の学校関係者は打ち明ける。
 市立中学校に修学旅行をためらっている佳純(同、14)がいた。担任が「旅行代は就学援助で賄えますよ」と説明すると、母親は消え入りそうな声で答えた。
 「でも、きれいな下着やパジャマをそろえてあげられない。お小遣いも1万円なんて無理。惨めな思いをさせるくらいなら」。佳純は結局、参加しなかった。
 〈男子11万2972円。女子12万1572円〉
 福岡市のある市立中学校で、入学前後にかかる制服や運動着、通学かばん、校納金(テスト代など)の保護者負担金の合計だ。就学援助を受けても、1年生への年間支給額は約4万8千円で約4割しか賄えない。さらに部活に入れば、例えば野球部ならスパイク、グラブなどで初年度に約15万円かかる。
 「義務教育は、これを無償とする」。憲法26条はこううたうが、実際は公立校であっても保護者の負担は重い。家庭の懐事情によって学びの場に格差が生じる。それを防ぐため、対策に乗り出した自治体もある。
   ◇   ◇
 福岡県古賀市は2007年度から、中学、高校の卒業生に制服を無償提供してもらい、買うお金がない生徒に回す「制服リユース」の取り組みを続ける。毎年100人前後が制服を残し、すぐなくなってしまう。「小さくなった」と2、3年生がもらいに来る場合も多いが、新入生も30人前後が利用する。
 同県嘉麻市では、小学校で行う単元テストや、年間約4千円かかる中学校の学力分析テストを11年度から全額公費で行っている。部活のユニホームや中学の体育で使う柔道着なども学校が購入して、貸与する。
 旧産炭地の嘉麻市で、小中学生の就学援助率は41・6%と県内2番目の高さ。生活保護家庭も1割近い。
 「家庭環境が厳しい子が途中でつまずくことのないようにしたい。そのために公でできることはする」。同市教育委員会の木本寛昭教育長は力を込めた。


【政界徒然草】 「大臣にならないと上にはいけない」…パンティー疑惑の高木毅復興相は被災地置き去りで一体何を目指すのか?
 高木毅復興相から耳を疑う発言が飛び出した。2月上旬に都内ホテルで開かれた自民党の小此木八郎国対委員長代理の政治資金パーティーで、「政治家たるもの一度、大臣にならないと上には行けない」とあいさつ。復興相は政治家としての自身のステップアップに過ぎないとも受け取れる発言で、軽率のそしりは免れない。発言の真意を国会で追及されたが相変わらず、のらりくらりとやり過ごす。被災地を置き去りにしたままの“復興大臣”は何を目指そうとしているのか。
 まずは高木氏の発言に耳を傾けてみよう。
 「なぜか一足先に大臣になってしまいましたが、ぜひ小此木代理にも早く大臣になっていただいて。大臣というのは本当に厳しいものでございまして、私を見ればよく分かるかと思いますけど、やっぱりどんなに厳しいとしても政治家たるもの一度、大臣になっていかないと上には行けません」
 「明後日から衆院予算委員会も始まります。私もどうなるかわかりませんけれど、耐えて耐えて耐え抜いて頑張り抜きますので、小此木先生とともに温かいご支援を賜れば大変、ありがたいと思います」
 高木氏はパーティー会場に到着するのが遅れたため、場を盛り上げたかったようだ。
 しかし安堵の気持ちがあったのも否定できないはずだ。甘利明経済再生担当相が秘書らの金銭授受疑惑を受けて閣僚を辞任したばかり。数々のスキャンダルを抱える高木氏も甘利氏とともに更迭されるのではないか−という観測が永田町で浮上していたからだ。
 その慢心とも受け取れる発言に野党が噛みついた。
 2月8日の衆院予算委員会で、維新の党の井出庸生氏が高木氏の一連の発言について真意をただした。
 井出氏はまず高木氏の発言を取り上げ、「『本当に厳しい、大変だ』との意味を改めてうかがいたい」と聞いた。
 高木氏は「あの時は、わが党の国会対策の責任者の一人、国対委員長代理のパーティーでご挨拶させていただいた」と事実関係を認めた上で、「国会論戦も始まり、国会運営も厳しい。そうした中で、委員長代理には『頑張っていただきたい』という思いが一つ。私にとっても初めて本格的な大臣としての国会だから、どういう国会になるかは分からないが、頑張って乗り切りたいとの思いで発言した」と答弁した。
 井出氏は、高木氏が「『私を見れば分かると思うが大変、厳しい』と発言すると、会場から笑いが起こった」というエピソードを紹介した上で、「仕事と向き合った時の『厳しさ』は頭の片隅にも浮かばなかったのか」と詰め寄った。
 高木氏といえば、復興相に就任して早々、女性下着窃盗疑惑や「政治とカネ」問題で窮地に立たされてきた。会場で笑った出席者らの脳裏には、そういうスキャンダルを抱える高木氏が浮かんだのだろう。
 だが、高木氏は「もとより大変な災害が起きて、復興という仕事を任されている。ちょうど5年の節目を迎える時の大臣であり、常に責任を認識している」と反論し、スキャンダルには一言も触れなかった。
 井出氏は追及の手を緩めず、「『一度、大臣にならないと上には行けない』と発言したが、高木氏にとって復興大臣は何かのステップなのか」と核心に迫った。
 これに対し、高木氏は「全くの間違いだ」と“踏み台”発言を全否定。その上で、「復興大臣はまさに安倍晋三内閣の最重要課題と認識しており、復興相の仕事は重い」と述べ、胸を張った。
 さらに「国政にあるものは大臣になって、さらにそのポジションで、自分の手腕でやっていきたいというのはどなたもあるのではないか」と問いかけた。その上で、「大臣を経験することで自らのスキルも上がり、違うステージで、さらに大きな仕事もできる」と強調した。
 そして、「強い思い、大きな責任を持っている。(スキャンダルもあったが)仕事で取り戻せということだった。しっかりと復興の仕事に邁進したい」とも語り、改めて決意を表明した。
 これだけ復興への「強い思い」を持つ高木氏だが、井出氏が東京電力福島第1原発の汚染水問題に対する認識をただすと、「直接所管ではない」「所管ではない」を繰り返した。高木氏は住宅再建や産業再生、観光復興についても語ったが、どれも通り一辺倒の説明ばかりだった。大臣という「職」「立場」に対しては人一倍強いこだわりを見せたものの、肝心の復興政策についてはボソボソとつぶやくのみだった。
 高木氏が復興相に就任後、国会ではまともな復興政策についての議論はほとんどなされていない。予算委員会では、過去の女性下着窃盗疑惑や「政治とカネ」の問題、果ては復興相としての姿勢、資質など政策とは全く関係のない質疑ばかりが繰り返される。被災地が抱えるさまざまな課題については置き去りのままだった。
 高木氏が国会の場で「復興に全力を尽くす」と決意を表明してから2日後の2月10日、東日本大震災から5年を前に復興庁でグループインタビューが行われた。
 今度こそ、高木氏自身の言葉で、被災地の復興について語ってくれると期待したが、その期待はあっけなく裏切られた。
 高木氏はインタビューの間、ずっと顔を伏せ、官僚が作成した文書を読み続けた。そして事前に通告した質問以外は一切受け付けず、30分間、文書を読み終えると、逃げるようにそそくさと大臣室に立ち去っていった。
 国会の場での決意表明は方便に過ぎず、やはり高木氏にとっての復興相は政治家としてのキャリアアップの踏み台にしか過ぎないとの思いを新たにした。(政治部 千田恒弥)

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Le physique, deuxième cause de discrimination
D’après le 9e baromètre du Défenseur des droits et de l’OIT, l’apparence physique, notamment l’obésité, pèse fortement à l’embauche, surtout pour les femmes.
Critère de discrimination peu mobilisé devant les juges, l’apparence physique pèse pourtant lourdement lors du processus de recrutement. C’est ce que confirme le neuvième baromètre du Défenseur des droits (ex-Halde) et de l’Organisation internationale du travail (OIT) sur la perception des discriminations, présenté hier. Pour cette édition 2016 consacrée au ≪ physique de l’emploi ≫, les deux institutions ont réalisé une étude auprès de 998 chômeurs pour cerner l’ampleur de ce type de discrimination, qui se révèle concerner plus les femmes que les hommes.
L’≪ apparence physique ≫ a été rajoutée par une loi de novembre 2001 à la liste de motifs de discrimination interdits dans le Code du travail, qui en comporte aujourd’hui vingt (origine, sexe, mœurs, âge, opinions politiques, activités syndicales…). Dans l’esprit du législateur, cet ajout visait surtout la couleur de peau, se rattachant à la discrimination raciale donc. Mais la formulation est plus large. Le Défenseur des droits, dirigé par Jacques Toubon, et l’OIT définissent la notion comme ≪ l’ensemble des caractéristiques physiques et des attributs propres à une personne ≫, avec d’un côté des caractéristiques dites ≪ inaltérables ≫, comme la corpulence, les traits du visage, la couleur de peau, et de l’autre des caractéristiques ≪ modifiables ≫, comme le style, notamment vestimentaire.
Des actions en justice sont toujours aussi rares
Sur l’échantillon de chômeurs interrogés, 33 % estiment avoir subi une discrimination dans leur recherche d’emploi, surtout à travers des questions posées ou sujets évoqués par les recruteurs lors de l’entretien d’embauche. Le critère de l’apparence physique arrive en deuxième position derrière l’âge, avec 8 % des chômeurs qui en ont fait l’expérience. Cette moyenne masque un grand écart entre hommes et femmes, les premiers étant touchés à hauteur de 6 %, les secondes de 10 %, soit 1,7 fois plus. Parmi les personnes ayant subi une discrimination sur le physique, 63 % la relient aux caractéristiques corporelles, 31 % aux attributs extérieurs, et 16 % aux deux à la fois. L’étude pointe la place première occupée par l’obésité, source d’une ≪ stigmatisation ≫ qui pèse surtout sur les femmes : les femmes obèses ont huit fois plus de chances qu’une femme d’indice corporel ≪ normal ≫ d’avoir subi une différenciation, alors que ce rapport est de trois fois seulement chez les hommes. Quant au simple surpoids, il joue pour les femmes, mais pas pour les hommes. Globalement, les contraintes liées à l’apparence pèsent plus fortement sur les femmes que sur les hommes.
Même si les actions en justice sur ce thème sont encore rares, le Défenseur des droits et l’OIT en concluent donc que le critère de l’apparence physique a ≪ toute sa place parmi les motifs de discrimination prohibés ≫. Le Défenseur des droits dresse une série de recommandations aux employeurs pour réduire ce risque de discrimination. En 2013, l’institution s’était autosaisie suite à des articles de presse relatant les pratiques de recrutement de l’enseigne américaine de vêtements Abercrombie, qui sélectionnait ses vendeurs sur leur apparence physique (taille mannequin, etc.). Les managers étaient chargés de repérer et de recruter des jeunes au physique parfait parmi la clientèle, dans les parcs, les campus universitaires. Après une enquête approfondie, le Défenseur a formulé en novembre 2014 des recommandations qui ont poussé la société à revoir ses procédures de recrutement.
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池上彰が直撃取材!アメリカ激変〜大統領選を揺るがす超格差社会
8年ぶりの新大統領を選ぶ戦いが始まったアメリカを池上彰が現地取材。
大本命とみられてきたのが、実績十分の民主党の候補、ヒラリー・クリントン氏。ところが異変が。意外な苦戦を強いられている。一方で続々台頭するのが意外な候補たち。資産1兆円、政治経験のない"不動産王"トランプ氏に、「民主社会主義者」と自称するバーニー・サンダース氏...。その背景にあるのが、アメリカの激変。その一つが、拡大し続ける超格差社会。ネオンきらめくラスベガスのホテル街の地下に暮らす、驚きの"モグラ族"とは!?
突如吹き始めたサンダース旋風
元ファーストレディー、そして剛腕の国務長官だったヒラリー・クリントン氏。抜群の知名度を誇り盤石と思われていた彼女の前に立ちはだかったのが、出馬時にほぼ無名だった74歳の“おじいちゃん”候補だった。「民主社会主義者」を自称するバーニー・サンダース氏。「富裕層だけでなく、全国民のための政府の実現!」を掲げ、大学の無料化や時給の引き上げなど、格差是正の政策を次々と提言。若者の間で「サンダース旋風」を巻き起こしたのだ。その背景には、驚くべきアメリカの“超格差社会”の実態があった。
ラスベガスの地下に住む“モグラ族”
アメリカ一大の観光地、ラスベガス。豪華カジノホテルのネオンで煌めくこの街の地下に、全く別の世界が広がっている。排水路の中をのぞくと・・真っ暗なごみ溜めの中で息をひそめて暮らしている人たちがいる。暗いトンネルの中に棲みついた彼らは“モグラ族”と呼ばれるホームレス。失業、薬物中毒、家庭崩壊・・彼らが地下の潜った理由はさまざま。ゴミの中から生活に必要なものを調達し、何とか食いつないでいる。景気も回復し失業率が改善する中、なぜこのような生活を続けているのか?知られざるアメリカ社会の暗部に切り込む。
Navigator
池上彰
未来世紀ジパング33回目の登場。1950年長野県生まれ。1973年にNHK入局。
報道局社会部記者などを経て94年から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役を務める。2005年からフリージャーナリストとして世界各地を取材。2012年4月から東京工業大学リベラルアーツセンター教授。

プレミアムよるドラマ はぶらし/女友だち(7)「真実」
鈴音(内田有紀)は倒れた母(岡まゆみ)を見舞うため急きょ故郷の静岡へ向かった。鈴音が東京に戻るまでに家を出ると約束した水絵(池脇千鶴)は、こっそり作った合鍵で鈴音の仕事場に入り金品の物色をする。実家を訪ねてきた水絵の夫・梅森(岡田義徳)から、妻子の居場所を聞かれた鈴音は思わず知らないと答えた。だが、子どものことを気にかける梅森の誠実さを知り、水絵が話した夫のDV話はやはりうそかもしれないと感じる。
内田有紀,池脇千鶴,金子ノブアキ,尾美としのり,市川実和子,岡まゆみ,岡田義徳,牧田哲也,手塚勇輝,森篤夫,佐倉星,替地桃子,森山栄治,吉野晃弘
近藤史恵, 横田理恵

哲学カフェのつくりかた (シリーズ臨床哲学)
松川絵里
大阪大学出版会
2014-06-15


哲学カフェの軌跡 Yuji
好著だと思います。
これを「ゆるい」と考えるか、「貴重な場」と考えるか、受け手しだいです。
確実に言えるのは、哲学カフェは、哲学学者や哲学屋のためのものではなく、哲学的に対話するためのもの、ということ。
知識の習得や議論を期待すると肩透かしを食うかもしれませんが、震災を哲学的に考えることや、みんなが哲学者になろうとすることなど、志が高いことだと思います。
この本では、哲学カフェが立ち上がりの頃からの試行錯誤や軌跡が記されており、昨今、ビジネス・パーソンに求められるリベラル・アーツ教育のヒントにもなると思います。


jpgファイルの整理にMSDOSのコマンドを使う必要があって,いろいろ調べてどうにかできました.ちょっとうれしい感じです.
通院して医師に3キロ痩せなさいと言われました.本当はもっと痩せないとダメなんでしょうけど,とりあえず3キロです.
気持ちしんどくてコーヒーがぶがぶです.

<3.11と今>悩み抜き妻子の元へ
◎古里を離れて(1)宮城県大河原町→北海道旭川市 長尾英次さん
 北海道旭川市の商店街に昨年暮れ、家族の未来を託したチーズ専門店の明かりがともった。
 宮城県大河原町から移住した店主の長尾英次さん(43)は「試行錯誤の連続で泊まり込む日もある」と慌ただしく手を動かす。
 旭川市は妻絵里子さん(40)の生まれ故郷。2011年2月27日に実家で次男(4)を出産した。
 2週間もたたないうちに東日本大震災と福島第1原発事故が起きた。絵里子さんは被ばくリスクへの不安から長男(8)、次男と実家にとどまった。
 英次さんは働いていた宮城県蔵王町の蔵王酪農センターを14年9月末に退職して合流。経営の基礎を学びながら開店にこぎ着けた。
 店名は「ジャパチーズ旭川」。より多くの日本人にチーズを親しんでほしいとの願いを込めた。
 原発事故が起こるまでは順調な人生だった。
 同僚だった絵里子さんと06年に結婚し、翌年に長男が生まれた。「酪農センターの職場が好きだったし、定年退職まで働くつもりだった」。2人目の子も授かり、さらに幸せな暮らしに想像を膨らませていたところだった。
 それが原発事故で放射性物質が大河原町にも飛散してしまった。自宅の軒下のまきからは指定廃棄物相当の1キログラム当たり8000ベクレル超の値が検出された。
 旭川にいる絵里子さんは、安心して子育てできるかどうか心配になった。被ばくに関して宮城県は福島県より早く落ち着きを取り戻しているように感じ、「不安に思うことさえ周囲と共有できないのではないか」と懸念した。
 英次さんは戸惑い、説得を試みた。東北大の教授の講演では手を挙げて質問。人体への影響が少ないというデータを集めて絵里子さんに伝えたが、話し合いはいつも平行線をたどった。
 電話や手紙でやりとりしながら3、4カ月に1度は会いに行った。格安飛行機やフェリーを使っても2年が過ぎたころには貯金が底を突いてきた。
 精神的にもめいり、自宅のパソコンで放射線情報を調べながらウイスキーで酔いつぶれた。次第に表情が暗くなり、洗面台の鏡の前で笑う練習をしてから出勤するようになった。
 家族にとっての幸せは何か。単なる意地の張り合いなのか。息子たちに苦労を掛けていないか。
 悩み抜いた結論として13年末、絵里子さんに「旭川に行く」と告げた。
 選んだ道が正解かどうかはまだ分からないが、家族との生活は元に戻った。
 開店の日、長男はうれしくて店の宣伝カードを学校で配った。休みの日はチーズ作りを手伝ってくれる。
 「まずはこの生活を続けたい」と英次さん。あの日からもうすぐ5年。ささやかな日常のありがたみを胸に新天地で奮闘する。
(鈴木拓也)
 数多くの被災者が、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故のため、住み慣れた土地を離れた。いや応なく避難を強いられ戻るに戻れない人、考え抜いた末に移住を決断した人…。被災が変えた自らの人生と向き合い、それぞれが古里への思いを胸に今を生きる。


復興事業最大5年遅れの見通し
宮城県は東日本大震災からの復旧・復興事業について、完了までの事業期間を新たに見直し、防潮堤や道路などの建設は当初の計画と比べて最大で5年遅れる見通しとなりました。
東日本大震災からの復旧・復興事業を進めている宮城県は防潮堤や道路、住宅などの主な事業について当初の計画で今年度末までに完了するとしていましたが、予定通りに進んでいないとしてこれまで、最大で2年遅れるという見通しを示していました。
そのあと、県は、それぞれの事業の進ちょく状況について改めて精査したところ、地元の住民との合意形成や用地買収の遅れの影響が続いているとして、改めて事業が完了するまでの期間を見直すことになりました。
それによりますと、防潮堤と道路、河川の堤防は事業の完了時期を平成32年度末まで延ばし、当初の計画と比べ、最大で5年遅れる見通しとなっています。
また、主な住宅整備については、津波の被害を受けた地域から高台や内陸に移転する防災集団移転促進事業は前回の見直しからは遅れず、平成29年度末までに終えるとしているものの、災害公営住宅の建設は当初の計画と比べ最大で3年遅れる見通しとなっています。
県は事業の遅れについて、被災者に理解を求めるとともに、事業の加速化に向けて全力をあげたいとしています。


復興に関わりたい子ども減少
石巻市で震災後の復興に関わりたいと考える子どもの割合が震災発生直後に比べ減少していることが国際NGOなどの調査でわかりました。
これは、石巻市役所で15日開かれた学校防災に関する会議で明らかにされました。
世界各地で子どもの支援を行う国際NGOが石巻市教育委員会と合同で去年11月から12月にかけて市内の小学生から高校生までの8100人余りに調査したところ石巻市の復興に関わりたいかとの問いに対し、62%が「はい」と答えたのに対し、37%が「いいえ」と答えました。
「はい」と答えた割合は震災が発生した平成23年の調査に比べ20ポイントほど落ち込んでいるということです。
また「いいえ」と答えた人にその理由を聞いたところ、全体の56%が「何をしたらいいか分からないから」と答え、次いで「関わる機会がないから」や「勉強が忙しい」といった回答も目立ちました。
調査結果について国際NGOは「復興に関わるための情報や機会が、分かりやすく提供されず、意欲が低下したのではないか」と分析しています。
石巻市教育委員会の境直彦教育長は「今後も授業などを通じて、復興事業の意義などを伝え、参加の機会を増やしたい」と話しています。


災害FMの存続求める署名活動
東日本大震災をきっかけに開設され、来月いっぱいで業務を終了する亘理町の臨時災害放送局の「FMあおぞら」を、常設のコミュニティーFMに移行させようという署名活動が、JR常磐線の亘理駅前で行われました。
「FMあおぞら」は、被災者支援などに関する情報を発信するため、町から委託を受けたNPO法人が震災が発生した直後の平成23年3月から運営していますが、運営費となっていた国の緊急雇用創出事業の補助金と放送免許の期限が終了することから、来月いっぱいで、業務を終了することになっています。
ところが、多くの町民から継続を望む声があがったことから、常設のコミュニティーFMへの移行を目指し、町に運営費などの支援を求めて署名活動が行われることになりました。
「FMあおぞら」の運営をしているNPOのスタッフら5人がJR常磐線の亘理駅で、駅を利用している高校生や主婦などに「ラジオを通して亘理町を活性化させましょう」などと話しかけながら署名を呼びかけました。
署名活動は、来月上旬まで行われる予定で、およそ1万3000人分を目標に集めて町に提出することにしています。
署名を呼びかけているNPO法人、「FMあおぞら」の吉田圭代表理事は、「これまでの5年間で、亘理町にはラジオの力を知っている人が多くいると感じている。亘理町独自の放送で、町の活性化につながる放送を作っていきたい」と話していました。
【災害FM 県内の状況】
「災害FM」とも呼ばれる「臨時災害放送局」は、大規模な災害が発生した時に、人命救助や被災者支援などに関する情報発信を目的に、市町村が開設できる放送局です。東日本大震災のあと、宮城県内では新たに、名取市や大崎市、亘理町など7つの市と町で新しく災害FMが設置されました。
その後、災害FMの役割が終了したという自治体の判断で、名取市と大崎市の災害FMは常設のコミュニティーFMに移行したほか、南三陸町では廃止されました。
現在も、▼気仙沼市、▼亘理町、▼女川町、▼山元町では、災害FMとして放送が続けられています。
これらの災害FMは、国の緊急雇用創出事業の補助金や企業からの寄付金などを運営費に市町から委託を受けたNPO法人などが運営しています。
放送が続けられている4つの災害FMのうち、亘理町と女川町は来月中に廃止する方針ですが、気仙沼市では、来年度中に、コミュニティーFMへ移行する方針です。
また、山元町は、被災者への生活再建に向けての情報発信が必要だとして、来年度以降も続ける方針だということです。


被災の海水浴場6年ぶり再開へ
東日本大震災の津波で被害を受けた、宮城県内で2番目の規模の七ヶ浜町の海水浴場が、復興工事が一部で終わったことから、ことしの夏、6年ぶりに再開することになりました。
震災から5年を前に、地元からは「多くの人に訪れて欲しい」と歓迎する声が上がっています。
6年ぶりに再開する七ヶ浜町の菖蒲田海水浴場は、震災の前の年には、気仙沼市の大谷海水浴場に次いで県内で2番目に多い5万2000人の人が訪れ、にぎわっていました。
しかし、東日本大震災の津波で、がれきが押し寄せたほか、その後、防潮堤の建設も続き、遊泳が禁止されてきました。
七ヶ浜町は、沿岸でのがれきの撤去や防潮堤の建設が一部で終わったことから、ことしの夏、工事が終了した場所に限って、海水浴場を震災の前の年以来、6年ぶりに再開することを決めました。
再開する期間は、子どもたちの夏休みに合わせて、7月下旬から、10日間ほどに限定する予定で、本格的な再開は来年の夏になる見通しだということです。
また再開に合わせて、これまで七ヶ浜町の復興を支援してきた、全国のボランティアなどを招いた感謝祭も開きたいということです。
七ヶ浜町の寺沢薫町長は、「6年ぶりの再開を町としても喜んでいます。復興が進む七ヶ浜町を多くの人に見てもらいたい」と話しています。
海水浴場の近くに住む60代の男性は、「震災のあと、若い人が少なくなり静かになってしまったので再開は大歓迎です。多くの人に訪れてもらいたい」と話していました。


<検証地域農業>稲作再興を阻む風評
◎震災5年へ(下)原発影響いまだ色濃く
 農業再生を探る議論は堂々巡りを繰り返す。「どうしよう」。自問の先の答えが見つからない。
 南相馬市小高区のコメ農家でつくる上浦生産組合。「最後はみんな黙ってしまうんだ」。志賀隆義組合長(62)の表情はさえない。
<地場産を敬遠>
 小高区は東京電力福島第1原発事故による住民避難が続く。地域は今春にも避難指示の解除が見込まれ、営農再開が視野に入る。だが、農地活用の妙案が見つからない。
 30ヘクタールを4人のメンバーで守ってきた。うち2人は市外への転出が決まっている。志賀組合長も生まれ育った小高区を離れ、市内の避難区域外に新居を構えた。帰る家はもう故郷にない。
 かつて小高区では900戸が稲作を営んでいた。帰還意欲を示す住民は一部にとどまり、多くを高齢者が占める。農の担い手が戻る保証はない。「今の米価では人も雇えない。八方ふさがりだ」。志賀組合長が深いため息をついた。
 避難区域を除き、南相馬では昨年からコメづくりが本格再開している。ことしの作付け見込みは1800ヘクタール。昨年の2.5倍に拡大するとはいえ、原発事故前の半分に届かない。
 昨年産米から基準を超える放射性物質は検出されていない。相場も隣県産と遜色ない水準に回復している。それでも農家の生産意欲は簡単には高まらない。理由の一つが「風評」だ。
 「子や孫さえ地場産を敬遠する」。市内には今もこんな悲嘆の声があふれる。足元からの逆風が、食卓を支えてきたプライドを傷つける。
 南相馬市原町区の高田光定さん(63)は今春、仲間と20ヘクタールで作付けする。ほぼ全量を飼料用に振り向けるという。
<花作りに活路>
 かつては有機栽培に取り組み、豊かな食味は近所でも評判だった。「喜んでもらえないのを植えても仕方ないしね」。高田さんが悔しさをにじませた。
 地元の支持がなければ農産物の市場開拓はおぼつかない。そうま農協(南相馬市)の幹部は「避難の実体験を伴うだけに、住民の不安解消は難しい」と嘆く。
 原発事故の影を引きずる福島の農業。食用に見切りをつけ、商品作物に活路を求める動きも加速する。
 県は2013年度、広野、浪江など5町村で花の実証栽培に着手した。観賞用のトルコキキョウなどの産地化を目指している。
 広野町の池田政明さん(66)は、従来の野菜作りに加え、花の栽培を拡大する生産者の一人。これまで手掛けた花は市場で高評価を得ている。「今はご祝儀相場。勝負はこれからだ」と意気込む。
 県農林地再生対策室は「風評に左右されにくいのが花の利点。技術員を配置するなどして栽培を後押ししたい」と今後を見据える。(斎藤秀之、桐生薫子)


<福島第1>凍土遮水壁 凍結完了秋以降に
 東京電力は15日、福島第1原発への地下水流入を減らす「凍土遮水壁」の運用計画を見直し、建屋の海側を先行して凍結させる手順案を原子力規制委員会に示した。地下水の水位が急変して建屋内から汚染水が流出するリスクに対応するためで、規制委の指摘内容に沿って見直した。早ければ3月中に規制委に認可されるが、政府と東電が目標としていた年度内の遮水壁の凍結完了は秋以降にずれ込む見通しとなった。
 遮水壁は、1〜4号機の周囲1.5キロに約1500本の凍結管を打ち込み、地下30メートルの氷の壁を造る対策で、今月9日に設置工事が完了した。ただ規制委から認可が出ず、運用開始の時期が未定となっていた。
 東電は15日にあった規制委の廃炉に関する検討会合で、遮水壁の海側を先に凍結させた後、約8カ月かけて山側を段階的に凍結させる手順案を提示した。これまでは地下水流入量の抑制を優先させるため、地下水の上流に当たる山側から作業を始める計画だった。
 規制委はこれまで、山側から凍結させた場合、地下水位が急激に低下するなどし、建屋内にたまった汚染水の水位の方が高くなって流出するリスクがあると指摘。具体的な対策を示すよう東電に求めていた。
 会合で規制委の更田豊志委員長代理は「(規制委の)以前からの提案に沿った内容だ」と見直し案に一定の評価を示しつつ、山側の凍結手順をより詳細に検討するよう東電に指示した。
 凍土壁は、建屋の手前で地下水をくみ上げて海に放出する「地下水バイパス」などとともに、汚染水対策の柱に位置付けられている。建設には約350億円の国費が投じられている。


<放射線監視装置>新旧装置並ぶ異例の事態
 東京電力福島第1原発事故の避難区域などに福島県が設置した放射線監視装置(モニタリングポスト)で数値の異常が多発した問題を受け、県は15日、新しい装置の設置を始めた。不具合の解消が見込めないことを理由に、県が契約を解除した納入業者が装置を撤去していないため、同一地点に2台が並ぶ事態になっている。
 15日は南相馬市鹿島区に2台を据え付けた。3月末までに新たに64台を導入し、学校の統廃合などで不要になった既存の40台を移設する。うち76カ所で2台の装置が併存する見通し。
 不具合が頻発した装置は福島電子計算センター(福島市)が昨年3月までに、8市町村に計77台を設置。運用開始直後から数値が異常に高くなるなど33台が正常に作動しなかったため、県は契約を解除し、速やかな撤去を通知した。
 これに対し、同社は昨年9月、「契約解除は一方的だ」として受け取るはずだった契約金など約5500万円の支払いを求め、県を提訴。県も装置の撤去を求める訴訟を起こす方針。
 県放射線監視室の和田穣室長は「新設分は問題がないよう管理したい。前の装置は県民に誤解を招かないため、早急に撤去するよう努力する」と話している。


<議長政活費疑惑>辞職勧告決議案提出へ
 県議会の安部孝議長が政務活動費(政活費)を不正支出したとして、仙台市民オンブズマンが県に監査請求した問題で、共産党県議団(8人)は15日、安部氏に対する議長辞職勧告決議案を2月定例会に提出する方針を決めた。開会日の16日、本会議で採決が行われる。県議会事務局によると、議長の辞職勧告決議案が出されるのは初めて。
 15日にあった議会運営委員会で、同党県議団の三浦一敏幹事長が「安部氏の説明が不十分で、納得することができない。けじめをつけるべきだ」と述べ、提案の方針を明らかにした。
 16日の採決では、安部氏と議長代理の長谷川洋一副議長を除く57人のうち過半数の29人が賛成すれば可決される。可決されても決議に法的拘束力はなく、辞職するかどうかは安部氏の判断に委ねられる。
 最大会派の自民党・県民会議(32人)は30人、公明党県議団も4人全員が反対する見通し。他会派も「議長辞職を勧告するだけの決定的な不正支出の証拠がない」などとして否決に回る議員が多いとみられる。
 民主党系第2会派、みやぎ県民の声(10人)は一部に賛同する声もあるため、16日の本会議前に会派総会を開き、対応を決める。記名投票とするか起立採決とするかは開会直前の議運で決まる。
 安部氏は15日、議運に先立ち共産党県議団の会派控室を訪ね、あらためて不正を否定した。安部氏は「丁寧に説明したつもりだが、理解を得られず残念だ」と話した。
 共産党県議団は昨年秋の県議選で改選前の4人から8人に倍増し、5人以上の会派に与えられる議案提出権を得た。県議団として議案を提出するのは今回が初めてとなる。
 安部氏はオンブズマンから不正支出が指摘された540万円を全額返還する方針だが、議長職は続ける意向を示している。


震災と日航機事故 遺族が思い共有
 東日本大震災で被災した名取市閖上地区で14日、1985年の日航ジャンボ機墜落事故の遺族と、閖上や石巻市大川小、七十七銀行女川支店(宮城県女川町)などで愛する人を失った遺族が集い、交流した。悲痛な体験を語り合い、失った命の重さを共有した。
 震災の記憶を継承する施設「閖上の記憶」には、墜落事故の遺族会「8.12連絡会」の3人を含め計17人の遺族らが集まった。大川小で次女千聖(ちさと)さん=当時(11)=を亡くした紫桃隆洋さん(52)は「家族という言葉が突然遺族に変わり、ためらいながら5年が過ぎた」と複雑な胸中を明かした。
 七十七銀行女川支店行員だった長男健太さん=当時(25)=を失った田村孝行さん(55)は「つらさ、悲しみはあるが涙も出ない。同じ苦しみを繰り返さないために学んだことを後世に伝えたい」と述べた。
 墜落事故で次男健君=当時(9)=を亡くした8.12連絡会事務局長の美谷島邦子さん(69)は「私たちは風車と同じで、風の中でくるくる回ったり止まったりする。一緒に泣いたりしながら少しずつ前に進んでいければいい」と話した。
 この日の交流は、閖上中で長男公太君=当時(13)=を失った同中遺族会代表丹野祐子さん(47)や、美谷島さんが呼び掛けた。
 丹野さんは昨年夏、墜落現場の御巣鷹の尾根(群馬県上野村)に登り、深い悲しみを抱えて30年間活動してきた遺族の思いに胸を打たれた。「場所は違っても失った命を忘れないという思いは同じ。何も言わなくても分かり合える遺族同士のつながりを今後も大事にしたい」と力を込めた。


<アーカイブ大震災>警報あだ 避難に油断
 東日本大震災の本震後、気象庁はすぐに大津波警報を発表した。岩手県沿岸の当初の予想は「高さ3メートル」。気象庁はその後、高さを6メートル、10メートルと更新したが、停電などの影響で、多くの住民には最初の3メートルしか伝わらなかった。警告を促すはずの警報が逆に、3メートルという「安心情報」となった側面がある。逃げ遅れた人も少なくない。
◎逃げる その時(6)当初「津波は3m」(岩手沿岸)
 「3メートルという数字に振り回された」
 釜石市北部、根浜地区に自宅があった元漁師の佐々木国男さん(72)は、同市野田町の仮設住宅であの日を振り返る。
 妻モトさん(69)と国道45号を南下し、宮古市から帰宅途中だった。岩手県山田町付近で車が大きく揺さぶられた。ラジオでは「予想される津波の高さは3メートル」と繰り返していた。
 昭和三陸津波(1933年)の際、付近を襲った津波の高さは4.8メートルとされる。国道45号沿いの堤防はそれより80センチ低い4メートル。以前からそう頭にたたき込んでいた。
 「3メートルなら大丈夫だろう」。佐々木さんは車を再び走らせた。自宅がある根浜の手前、釜石市鵜住居町に入っても、避難する人は見掛けない。「津波は来ないのかな」。気を抜いた時だった。
 突然、悲鳴が聞こえた。鵜住居小、釜石東中の子どもたちが泣きながら坂を駆け上がってくる。慌てて車を降りると、鵜住居川の河口から黒っぽい煙が見えた。
 2人は高台にいたため難を逃れたが、鵜住居地区では逃げ遅れた多くの住民が犠牲になった。
 「初期段階で3メートルと言うべきではない」「テレビなどで3メートルと聞いた後、停電になり、逃げなかった住民もいたらしい」。佐々木さん夫婦は「3メートル」の情報が住民の判断に影響したとみる。
 大船渡市赤崎町の漁師東善兵衛さん(79)は地震発生時、自宅から約200メートル離れた蛸ノ浦漁港のカキ養殖作業小屋に仲間約20人といた。すさまじい揺れに「津波が来る」と直感。みんなばらばらに逃げた。
 東さんは自宅に走った。その途中、市の防災無線が高さ3メートルの大津波警報を伝えた。
 チリ地震津波(60年)の時、当時住んでいた陸前高田市を襲った津波は3メートルほどだったという。今の自宅裏の市道は標高約5〜6メートル。そこで様子を眺めようとした。
 「ところが、10メートル以上の津波が一気に来た」。約50メートル流され、海水も飲んだ。死を覚悟したが、小屋に引っかかり、屋根から下がったロープを必死につかんだ。
 今は近くの蛸ノ浦小の校庭に建設された仮設住宅に1人で住む。「10メートルの警報が出ていれば、さすがに指定避難所まで逃げた。油断した」
 2011年6月8日、気象庁2階の講堂。気象庁が有識者や防災関係者を招いて「勉強会」を開き、3月11日の津波警報について検証した。
 「津波の高さは不要だった」「全体像を知るためには必要」。議論は津波警報の発表内容やタイミングに集中した。
 気象庁によると、地震の3分後「岩手では3メートル以上」とする大津波警報を発表。岩手県沿岸では約30分後に6メートル、約45分後に10メートル以上と予想を更新した。沖合の衛星利用測位システム(GPS)波浪計で観測されたデータによるもので、更新は初のケース。
 勉強会では、数値発表に否定的な意見が多く出た。「予想を最大値と受け取り、住民の避難が遅れた」「過信を生んだ」「非常事態を知らせることが先」…。
 メンバーの一人で、釜石市の防災教育に携わってきた片田敏孝群馬大教授は「釜石市では3メートルという数字を信じて行動が決定づけられた。詳細情報は不要だ」と語った。
 今回の教訓をどう生かすのか。気象庁はことし秋をめどに改善策をまとめる。(喜田浩一、山口達也、中本亮)=2011年6月27日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<ハンセン病訴訟>「家族の苦しみも知って」
 ハンセン病元患者の家族による集団提訴では、宮城県の50代男性も原告団に加わった。80代の父が東北の国立療養所で暮らす。国の強制隔離政策の違法性を全面的に認めたハンセン病国家賠償訴訟の熊本地裁判決から15年。「苦しんだのは当事者だけではない。深刻な被害を受けた家族の存在も知ってほしい」と参加を決意した。
 男性は療養所の近くで育った。生後すぐ、父が療養所に入所。父は療養所外で働く「労務外出」をしており、母子の待つ家に毎週末、帰宅した。
 父の病気に対する差別や偏見は家族にも向けられた。男性は周囲の子どもに「らい病の子」といじめられ、小中学校では常に1人で過ごした。氷の張った池に突き落とされたことも。男性がいじめを受けるたび、病弱な母が校長や担任に訴えてくれたという。
 10代で母が亡くなり、古里を離れた。父のことを隠して就職したが、妻には結婚前に事情を話した。父と男性の子どもは、ごく普通の「祖父と孫」の関係を築いている。ただ、他県出身の父は親類の反対で、今も表立って里帰りできない。
 集団提訴の動きは昨年末、インターネットで知った。「ずっと苦しんできたし、亡くなったお母さんのためにも闘ったら」。妻の励ましで弁護団に連絡した。
 男性は「人生は取り返しが付かない。お金が欲しいのでもない。ただ、国に誠意ある言葉で謝罪してほしい」と思いを語った。


<アウガ>青森市が買い取り公共化へ
 青森市は15日、市の第三セクター「青森駅前再開発ビル」(社長・佐々木淳一副市長)が運営するJR青森駅前のアウガについて、複合商業施設としての再生を断念し、全館を公共化する方針を示した。売り上げの低迷が続き、現状では今後も経営改善が見込めないと判断した。
 記者会見した鹿内博市長は「従来のやり方では成り立たない。経済効果の低下は避けられないが、市の重要な役割を担う施設として生まれ変わらせる必要がある」と説明した。
 方針によると、市は新年度以降、アウガの商業フロア(地下1階〜4階)と、底地を取得する。取得価格は鑑定評価に基づいて設定し、三セクとアウガの地権者らと協議を進める。
 地下1階は現在営業している「新鮮市場」を中心に構成。1〜4階には市役所の一部機能のほか、市民美術展示館や子育て支援機能などの導入を想定する。一方、現在地の建て替えで計画を進めている市庁舎整備事業の規模も圧縮を図る。
 アウガ再生をめぐっては、三セクが依頼した外部専門家チームが商業施設での存続は困難で公共化を図るべきだとする提言を1月にまとめた。三セクは15日、提言に沿った方針を市に報告した。
 鹿内市長は「責任を明確化し、今後は市の責任者として進めていく」と述べ、昨年7月に就任した同社の代表取締役会長を15日付で辞任した。


借り上げ復興住宅 市、明け渡しなど求め提訴 神戸
 阪神・淡路大震災の被災者向けに神戸市が都市再生機構(UR)から借り上げ、提供した復興住宅「キャナルタウンウェスト1〜3号棟」(神戸市兵庫区)が1月30日に契約期限を迎えた問題で、神戸市は16日、同住宅に住み続ける3世帯(3人)に対し、明け渡しと損害賠償を求め神戸地裁に提訴した。阪神・淡路の借り上げ復興住宅をめぐり、自治体が提訴するのは初めて。
 同住宅は1996年2月に入居が始まり、同市では最も早く20年の契約期限を迎えた。
 市は85歳以上などの要件を定めて継続入居を認め、該当しない世帯には他の市営住宅を予約する制度を設けて転居を促している。
 同住宅では158世帯いた住民のうち118世帯は退去。他の市営住宅を予約している21世帯は転居を5年間猶予されており、16世帯は年齢や要介護度によって継続入居が認められている。
 市は提訴について、「退去に応じた住民との公平性」などを理由に挙げている。久元喜造神戸市長は「可能な限り丁寧な対応を心がけてきたが、理解いただけず残念。司法に判断を委ね、できるだけ速やかに問題解決を図りたい」とコメントした。
 一方、入居者らを支援する借上復興住宅弁護団は「交渉による解決が最善で、提訴に出たことは復興災害の最たるもので極めて残念」としている。
 この問題では、神戸市より早い15年9月末に西宮市の住宅が期限を迎え、市が継続入居を認めていない7世帯が住み続けている。同市は退去を求めて提訴する方針だが、市議会は提訴議案を継続審議にし、話し合いを求めている。(阿部江利)


ハンセン病集団提訴/家族の差別被害早期救済を
 国の誤った隔離政策で差別や偏見の被害を受けたとして、ハンセン病元患者の子どもら家族がきのう、国に謝罪と損害賠償を求める初の集団訴訟を熊本地裁に起こした。
 原告には東北も含めて全国から59人が参加し、今後は追加提訴も予定されている。
 積み残しになっていた重い課題にこの社会がきちんと向き合って、答えを出すべき時が来たと言えるだろう。
 家族に与えた過酷な苦しみを社会全体で直視する機会と捉えるべきであり、国は司法判断を待つまでもなく、早期に責任を認めて救済の仕組みづくりに動いてほしい。
 ハンセン病救済では、国の隔離政策を憲法違反と断じて患者に賠償責任を命ずる判決が2001年に確定、政府と国会が過ちを認め謝罪し、補償の仕組みが動きだした。
 しかし、家族に対する謝罪や差別被害を救う措置までは設けられなかった。死亡した元患者の賠償請求権を引き継ぐ権利がある場合でも、元患者の家族であることを隠したいとして、請求を見送っているケースがあるという。
 強制隔離政策の根拠となったらい予防法の廃止(1996年)から20年になり、この3月末で損害賠償請求権が消滅することを受けて、集団提訴は準備されてきた。
 声を上げることすら困難な状況の中、期限に追い込まれる形で家族らが立ち上がったことの意味をまず私たちは重く受け止める必要がある。
 元患者の家族が単独で起こした訴訟では昨年9月、鳥取地裁判決が一般論ながら、国の賠償責任を認める初の司法判断を示している。
 「国は患者の子どもに対する偏見を排除する必要があったのに、相当の措置を取らなかった点で違法だった」として、家族への差別解消に国が積極的に取り組まなかった過ちを明確に指摘した。
 判決は今回の集団訴訟でも原告側の論拠の一つとして重みを持つことになるだろう。
 両親が強制隔離され、「孤児」として人生を歩まざるを得なかった人がいる。
 親がハンセン病患者であることを理由に結婚目前で破談になった人がいる。
 地域の差別を恐れて患者の帰郷を避けた過去を悔やみ続ける人たちもいる。
 石を投げられる、学校でいじめに遭う、就職先が閉ざされる…。数々の差別にさらされ、おびえてきた人たちの苦悩を思えば、感染力が弱く治療薬で完治する病にもかかわらず、隔離政策を漫然と続けた国の責任が家族にも及ぶと考えるのは当然ではないか。
 家族らは「差別と偏見は終わっていない。今も続いている」と訴えている。
 名乗り出られない多くの家族、家族への影響を心配しながら療養所で余生を送る入所者たちの思いを社会はいまこそくみ取り、支援に向けて一歩を踏み出すべきだ。
 ハンセン病関連では、患者が被告人となった裁判を事実上非公開で審理した「特別法廷」の差別についても、最高裁の検証議論がようやく昨年から本格化している。
 深刻な人権侵害を続けた暗黒の歴史に向き合う重みをもう一度確かめ合いたい。


丸川環境相 自覚と誠実さに欠ける
 放射線量がどれぐらいになったら安心して古里に戻れるのか。福島第1原発の過酷事故で放射能に汚染された地域の人々にとって非常に深刻な問題である。
 政府は国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に基づき帰還の条件や除染の目標を定めているが、人々の納得が得られているとはいえない。帰還する人としない人の判断は分かれ、結果的に家族やコミュニティーの分断も招いている。
 そんな中、丸川珠代環境相が7日に長野県松本市で開かれた会合で、除染などによる年間の追加被ばく線量の長期目標について「何の科学的根拠もなく、誰にも相談せず、その時の環境大臣が1ミリシーベルトまで下げた」と発言した。「その結果、帰れるはずのところにいまだに帰れない人がいる」とも述べたという。
 長期目標はICRPが事故後に目指すべき線量として勧告する年1〜20ミリシーベルトのうちの最も低い値だ。この政策を現政権も維持している。にもかかわらず、除染の責任を担う環境相自らが、それは前の政権が決めた政策で意味がない、と言わんばかりの発言をするのは無責任だ。
 丸川環境相は先週末になって発言を撤回しているが、当然のことだ。ただ、発言の中身や、その後の対応を併せて考えると、撤回すればすむような「失言」とは思えない。
 この発言が報道された直後の記者会見や国会答弁で、丸川環境相は「そういう言い回しを使ったかどうか記憶にない」と述べた。その後も「誤解を招いたとしたら言葉足らずで申し訳ない」と釈明しつつ、発言は撤回しなかった。それが12日の夕方になって、「自分の発言内容が確認できた」として、「福島に関する発言を撤回する」と表明した。
 こうした一連の対応や受け答えからは、自分の誤った発言を率直に認め、責任を取ろうとする誠実さが感じられない。記者会見でも国会答弁でも質問に正面から答えず、はぐらかしているようにみえる。ICRPの勧告を知りつつ、野党批判のために被ばく線量を持ち出したのだとすれば、なおさら問題だ。環境相としての自覚に欠け、適性にも疑問を感じる。
 原発事故から5年。除染と被ばくの問題は福島の人々を翻弄(ほんろう)し続けてきた。古里に帰りたい人々に安心して帰ってもらうためにどうすればいいのか。帰らないと判断した人々をどう支援していくか。政府が人々の信頼を得つつ解決しなくてはならない課題は山積しているのに、十分な対策が取られてきたとはいえない。
 そうした中での丸川発言は、政府への信頼をさらに失わせ、解決を遠のかせてしまう。


<ガイナックス>原発事故後を短編アニメに
 福島県は15日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後の県内の状況を伝える短編アニメーション「みらいへの手紙 この道の途中から」の完成試写会を東京・秋葉原で開いた。インターネットの特設サイトでの公開も始まった。
 人気アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の制作会社が福島県三春町に設立した福島ガイナックスが手掛けたアニメで、費用は県が負担。避難区域の高校の生徒との間で、復興が進むまで髪を切らないと約束した長髪の男性教諭の話など、実話に基づく各2分程度の物語、計10本で構成される。
 試写会に出席した福島県の内堀雅雄知事は、「10本のストーリーには今の福島の現実が投影されている。アニメという分かりやすい形で全国の方に、福島の頑張っている部分と苦しんでいるところの両方を感じていただきたい」と述べた。


<福島よしもと>お笑いの力で復興支援
 ◇…気温1度。雪が舞う中、海水パンツ1枚という季節外れの姿で凍えていたのは、全裸に見えるポーズでおなじみのお笑い芸人「とにかく明るい安村」さん。 ◇…お笑いの力で福島の復興を応援しようと、吉本興業がJR郡山駅前に情報発信拠点「福島よしもと」を開設した。 ◇…安心できないほどの薄着で、いざテープカットへ。寒さに震えながらも笑顔ではさみを入れる様子に、詰め掛けた客も通行人も大受け。一瞬で会場の空気が温まった。(郡山)

もんじゅ廃炉に3000億円 原子力機構試算
 高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)を運営する日本原子力研究開発機構が、もんじゅを廃炉にするには30年間で約3千億円の費用が必要との試算を2012年にまとめていたことが16日、分かった。馳浩文部科学相が閣議後の記者会見で明らかにした。原子力機構はこれまで廃炉費用を公表していなかった。
 1兆円を超える費用を投入しながらトラブル続きで運転実績がほとんどないもんじゅの維持には今後も年間200億円程度が掛かるとされ、廃炉を選択する場合でも巨額の費用が発生することになる。


政官の接触記録 法の要請を無視するな
 国の官僚が国会議員と接触した場合、相手や会見の内容について記録を作ることが国家公務員制度改革基本法で定められている。「政」から「官」への不当な介入を防ぐために2008年に施行された法律だ。
 ところが、毎日新聞の情報公開請求で、国の全11省が今年度、政官接触記録を「作成していない」か「保有していない」ことが判明した。
 官僚側のずさんな運用によって、制度が骨抜きになっている。立法や行政の意思決定にかかわる記録の保存は、民主主義が適切に機能しているのかを検証するために欠かせないものだ。制度の原点に立ち返り、透明性のある運用をすべきだ。
 とりわけ、内閣法制局の横畠裕介長官が政官接触記録を残していなかった問題の根は深い。横畠長官は一昨年、集団的自衛権の行使容認に伴う憲法9条の解釈変更をめぐり、与党である自民党や公明党幹部と非公式に協議していた。戦後の安全保障法制の大転換に関わる政治課題だ。
 与党の有力政治家がその意思決定にどう関わったのか、検証が必要だ。だが、記録がなければ、責任の所在はうやむやになってしまう。
 法制局は、公文書管理法の趣旨に反し、憲法解釈変更についての内部議論の記録も残していなかったことが分かっている。記録は歴史的文書であり、国民共有の知的資源だ。二重の意味で、法の精神に反する。
 政官接触記録の制度化は、小泉内閣時代、当時の鈴木宗男衆院議員が外務省へ介入したのがきっかけだった。内閣の一員でないのに省庁に影響力を及ぼす「族議員」の力をそぎ、政策を決める内閣と実行する官僚の役割を明確化する狙いもあった。
 だが、情報公開の結果を見れば、複数の省が法施行後、一通も記録を作っていない。「不当な要求があった場合だけ記録を残す」と、法を狭く解釈している。内閣と与党の有力者が一体となって政策を決めていく日本の政治風土を背景に、官僚側の政治家への配慮が垣間見える。
 第2次安倍内閣は発足時に、「基本法と公文書管理法に基づく政官接触記録の作成、保存、公開に適切に対処する」と申し合わせている。公文書管理法を入れた点について「政策決定過程をきちんと残しておくべきだとの精神を踏まえている」との担当閣僚答弁もある。
 記録がないことは、この申し合わせにも反していることになる。
 記録の公開の時期などについて定めがないため、記録を残さない方向に意識が働いている可能性がある。仮に現行法に不備があるのならば、改正の議論をすればいい。官僚の判断でなし崩し的に法を有名無実化している現状は許されない。


[代執行訴訟和解案]分かれ道の判断誤るな
 名護市辺野古の公有水面埋め立てをめぐって県と国が争っている三つの基地訴訟のうち、「代執行訴訟」と「係争委不服訴訟」の二つの裁判が15日、福岡高裁那覇支部で開かれた。
 「代執行訴訟」は、翁長雄志知事が埋め立て承認を取り消したのは違法だとして、取り消し処分の取り消しを国が求めているもの。この日は翁長知事の本人尋問が行われた。
 裁判に敗れた場合の対応について翁長知事は、国側の質問に答え、「判決に従う」と語った。最高裁まで争って敗れた場合、判決に従うのは行政としてはある意味で「言わずもがな」のことである。この時期にあえてこの発言をしたのはなぜか。
 前回、1月29日の第3回口頭弁論後、多見谷寿郎裁判長は「根本的解決案」と「暫定的解決案」の二つの和解案を提示した。
 県側弁護人によると、暫定案は(1)国は代執行訴訟を取り下げ、沖縄防衛局長も行政不服審査法に基づく審査請求を取り下げ、埋め立て工事を停止する(2)その上で、違法確認訴訟などの手続きを進め、判決が出るまで県と国が解決に向け話し合う(3)判決が出た場合、県と国は結果に従う−という内容だ。
 閉廷後の和解協議で、県は暫定案について「前向きに検討する」との考えを示したという。暫定案を受け入れるかどうかは、辺野古問題の行方を大きく左右する。決定的な分かれ道になる可能性もあるだけに、公開の原則に立って慎重な対応を求めたい。
■    ■
 和解案の根本案は、知事が埋め立て承認取り消し処分を取り消すことを前提に、基地建設後、30年以内の返還を国が米国と交渉する、という内容である。県がのめる要素はまったくない。
 これに対し、暫定案が県側のこれまでの主張に沿った内容であることは確かだ。
 ただ、暫定案には解釈のあいまいな部分が多い。国にとっても受け入れのハードルは高い。和解が成立しない場合、代執行訴訟の最高裁判決を待つことになるが、果たしてどちらが得策か。
 和解案を受け入れるにせよ拒否するにせよ、知事には「辺野古に新基地は造らせない」という公約との整合性を保つことが求められる。
 名護市長選、県知事選、衆院選で示された「辺野古ノー」の民意は重い。民意を失望させるような和解案に合意すれば、知事は政治的存立基盤を失うことになるだろう。
■    ■
 法廷でのこれまでのやりとりを通して浮かび上がってきたのは、「沖縄の基地のありようを議論すべきではない」と主張し、取り消し処分の法律論を前面に押し出してきた国側の姿勢である。
 問われているのは公有水面埋立法に基づく承認取り消しの是非だけではない。
 「辺野古が唯一の選択肢」という政府の主張には沖縄県民の視点が欠けている。「普天間の危険性除去」という主張も、辺野古が完成するまでに数年以上かかることを考えれば説得力に欠ける。新基地建設が目的化してしまっているのだ。


知事尋問 司法は正面から向き合え
 今の時代に生きる沖縄県知事として、名護市辺野古の新基地建設を認めるわけにはいかないというその訳を、理と情を尽くして説明した内容だった。
 米軍普天間飛行場の移設に伴う新基地建設計画で、辺野古の埋め立てをめぐる二つの訴訟の弁論が福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)であった。埋め立て承認を取り消した翁長雄志知事を国土交通相が訴えた代執行訴訟の第4回口頭弁論には本人尋問で知事が出廷した。
 翁長知事は埋め立て承認取り消しの適法性を訴え、国による代執行訴訟は地方自治法上の要件を欠いていると主張した。承認の法的瑕疵(かし)にも重ねて触れた。前知事の承認が環境保全や災害防止に十分に配慮されたものではないという主張は、県が設置した第三者委員会の検証結果やそれを受けた承認取り消しまでの経緯からも、得心がいくものだと言えよう。
 知事が尋問であらためて強調したのは沖縄の過重な基地負担だ。苛烈を極めた沖縄戦で甚大な犠牲を払わされ、収容所に入れられている間に先祖伝来の土地を米軍に強制接収された歴史の理不尽さについて、重ねて強く訴えた。
 私たちが自ら望んで負担を背負ったわけではないという主張は県民の思いを率直に代弁したものだ。戦後70年経た今、沖縄県知事として、圧倒的多数の声に反して強行される新基地建設には決して同意できないという、その主張の根幹部分を裁判所は正面から受け止めてほしい。
 もう一つの訴訟の初弁論もあった。辺野古埋め立てをめぐり、国地方係争処理委員会が県の不服申し出を却下したことに対し、この決定の取り消しを求めて県が新たに国を訴えた訴訟だ。多見谷裁判長は、代執行訴訟と同じ29日に結審する方針を示した。
 弁論後、知事は裁判所が先に示した和解案のうち、国が訴訟を取り下げて工事を中断し、県と協議す
るよう求めた暫定案に前向きな姿勢を示した。だが安倍政権は県の同様の要請を何度も無視してきた。仮に応じたとしても平行線をたどるだろう。
 知事は訴訟を通して沖縄にだけ過重な負担を強いる日米安保の不正義と、日本の地方自治や民主主義の在り方を問い掛けている。裁判所がその核心部分と向き合うと同時に、多くの国民がその主張を正面から受け止めてもらいたい。


辺野古訴訟 知事、和解暫定案に「前向き」 国側は「のめない」
 米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設先、名護市辺野古(へのこ)沿岸部の埋め立て承認を取り消した翁長雄志(おながたけし)知事に、国が撤回を求めた代執行訴訟で、翁長氏は十五日、福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)が提示した暫定的な和解案について「前向きに検討すると(非公開の協議の場で)回答した」と明らかにした。訴訟の第四回弁論後、県庁で記者団の取材に答えた。
 暫定的な和解案は、国が訴訟を取り下げ、辺野古での工事を中断した上で県と協議するよう求める内容。しかし、国側は取材に「絶対にのめない」(政府筋)と否定的な立場を示した。和解が成立する可能性は低い。
 裁判所は、翁長氏が埋め立て承認取り消しを撤回する代わりに、移設後三十年以内の返還か軍民共用化を米国と交渉するよう国に促す根本的な解決案も示したが、こちらは県が否定的だ。
 この日の弁論では翁長氏の尋問があり「辺野古移設は決して容認できない」との姿勢をあらためて示した。国側から敗訴した場合の対応を問われ、「判決に従う」と答えた。
 法律は他に手段がある場合、代執行できないと規定。県側の「知事に対する違法確認訴訟も起こせる」との主張に、国側は「知事の反対の意思は固く、最終的に代執行で対応するしかない」と反論した。
 この日は取り消しの効力を国土交通相が停止したのは違法と翁長氏が主張した訴訟の初弁論もあり、多見谷裁判長が代執行訴訟と同じ二十九日に結審する方針を示した。


GDPマイナス アベノミクスは限界だ
 アベノミクスの行き詰まりが鮮明になったと言えよう。
 内閣府が発表した2015年10〜12月期の国内総生産(GDP)速報値は、物価変動の影響を除いた実質で前期比0・4%減、年率換算は1・4%減で2四半期ぶりのマイナス成長となった。
 足踏みというより、後退局面入りさえ疑われる景気の現状は、安倍晋三政権が目指す経済の好循環がほとんど機能していないことをはっきり示している。
 日銀による異次元の金融緩和で円安が進み、輸出関連の大企業が空前の利益を上げても国内に還元されない。株高で富裕層が潤っても消費は盛り上がらない。
 第2次安倍政権発足から3年以上経過し、好循環実現には時間がかかるとの言い訳はもはや通るまい。政府はアベノミクス自体に問題があることを認めるべきだ。
 今回、マイナス成長に沈んだ要因は、内需の柱である個人消費の低迷だ。暖冬による冬物衣料の不振に加え、15年の実質賃金が4年連続で減少したのが大きい。
 大企業が春闘でベースアップを2年連続で実施したが、全体では円安などに伴う物価上昇に賃上げが追いついていない。
 むしろ、家計が節約志向を強めていることがうかがえる。
 石原伸晃経済再生担当相は「日本経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)は良好」と述べた。輸出も減少に転じ、景気のけん引役が見当たらない現状を考えれば、甘い認識と言わざるを得ない。
 年明け以降、中国経済の減速懸念から円高・株安が進行し、輸出企業の業績にも不透明感が強まっている。日銀がマイナス金利という奇策に訴えても、効果は表れず金融市場の動揺は収まらない。
 政府は経済界に賃上げと設備投資を迫っているが、こうした状況が長引けば、大企業ですら応じる余裕がなくなる恐れがある。
 大企業や富裕層から富が滴り落ちるトリクルダウンは起きそうにない。ありもしないことを待つのではなく、低所得者対策など格差是正に取り組むべきだ。
 特に、消費の活性化には、労働者の4割を占めるに至った非正規社員の待遇改善が急務である。
 政府は、最低賃金引き上げや同一労働同一賃金の実現を目指す方針を示す一方、雇用を劣化させかねない労働規制の緩和を成長戦略に位置付けている。
 ポーズでは困る。大企業優遇の成長戦略を見直し、全体の底上げを図る必要がある。


<自衛隊監視訴訟>住民側75人が上告
 東北の住民や地方議員ら91人が自衛隊の情報保全隊による市民運動の監視差し止めなどを求めた訴訟の控訴審で、原告の住民側は15日、住民1人にのみプライバシー権の侵害を認めつつ、監視差し止めの訴えを退けた仙台高裁判決を不服とし、上告した。
 住民側によると、上告したのは91人のうち、病床の住民らを除く75人。プライバシー権侵害が認められた男性については「監視行為を違法と認めた控訴審判決を確定させたい」(弁護団)として上告を見送った。
 仙台市内で記者会見した原告と弁護団は「監視は憲法違反。自己の情報をコントロールする権利について、高裁は『法的保護に値しない』と否定したが、具体的な権利だと認定してほしい」と訴えた。
 高裁判決によると、情報保全隊は2003年11月〜04年2月、全国各地で自衛隊のイラク派遣に反対する市民運動に参加した住民の氏名や職業などを収集した。高裁は上告を見送った男性1人に限り、「本名や勤務先まで探る必要性は認められない」と国に10万円の損害賠償を命令。差し止めの訴えについては「対象が特定されておらず、不適法」と却下した。


宇宙の重力波/100年越しの課題を解決か
 米国の研究チームが、ブラックホールが合体したときに放たれた重力波を初めて観測したという。
 あの物理学者アインシュタインが、ちょうど100年前に予言した理論が証明されたことになる。
 事実とすれば、研究チームの功績は称賛に値する。証明に1世紀かかる宇宙理論を築いた偉大な先達(せんだつ)にも脱帽せずにいられない。
 重い物体が動くと、周囲の時間の流れや空間が揺れて波のように伝わる。これが重力波だ。
 例えれば高速で走り去る新幹線の風圧のようなものか。卑近な例を持ち出すなとしかられそうだが。
 研究チームは米国内にある巨大観測装置「LIGO」を使って昨年9月、重力波を検出した。
 地球から13億光年離れた二つのブラックホールが合体したときに出たとみられる重力波という。
 一辺4キロのL字形の装置の中心部から直角方向へ同時にレーザー光線を放ち、4キロ先の鏡に反射させる。重力波が届くと鏡までの距離が伸縮し、光の戻る時間にわずかなずれが生じる。それをつかまえる。
 研究チームが検出したのは水素の原子核の1万分の1程度というわずかなひずみ。「13億光年先から届いたシグナルをとらえた」とのコメントに、実感がこもる。
 研究チームはブラックホールそのものも観測した。これも初めてだ。宇宙には無数のブラックホールがあるとみられる。強い重力で光も吸い込むとされ、これまで十分に観測できなかった。重力波の理論が証明され、研究に弾みがつくのは間違いない。宇宙誕生から数十億年の空白期間の解明につながるとみられる。
 ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章・東京大宇宙線研究所長も次の目標に重力波を挙げる。岐阜県飛騨市にできたLIGOとほぼ同じ機能を持つ「かぐら」で2017年度から本格観測を始める。
 宇宙膨張を説明する場合、重力と反対の作用をする未知のエネルギーの存在を考えないと説明できないという。それは何か。新たな難問だ。
 膨大な資金、技術を要する宇宙研究は一国だけでは難しい。系統的研究を踏まえ、学際的、国境を超えた交流があってこそ花が開く。
 宇宙研究で実績を重ねた日本が重力波天文学という新たな分野でどんな成果を見せるか、楽しみだ。


神戸空港10年/関西全体の浮揚策を示せ
 神戸空港が開港10周年を迎えた。
 神戸市が建設、運営し、自治体の管理空港では旅客数が全国一とされる。過去の日本航空の撤退やスカイマークの経営破綻といった逆風にさらされながらも、一定の成果を上げていると言える。
 だが、10年たった今も、旅客数は当初の需要予測を大きく下回る。空港の管理収支も2009年度から単年度の実質赤字が続く。借金の返済に充てる空港島の土地売却も進んでいない。運営は依然、厳しい状況と言わざるを得ない。
 神戸空港は06年、神戸沖の埋め立て地に国内線専用空港として開港した。1970年代に国が国際空港の候補地として構想したが、当時の市長が反対し、その後一転して市が単独での建設を決めた。
 そうした経緯もあって、国管理の関西国際、大阪(伊丹)の両空港とのすみ分けのため、1日30往復の発着枠や午前7時〜午後10時までという運用時間の制限が設けられた。
 14年度の旅客数は244万人で、当初の需要予測の約6割程度にとどまる。航空機の小型化も要因とみられるが、規制が障害になっていることは否めない。
 市や地元経済界は規制緩和を国に要望しているが、壁は厚い。搭乗率の向上やチャーター便の増便などで利用実績を高め、粘り強く交渉を続ける必要がある。
 関空と大阪空港は運営権が民間企業に売却され、4月からオリックスなどが設立した運営会社が一体運営する。神戸市は、この新会社に運営権を売却することで、3空港の一体運営に活路を求める方針だ。売却に向け、15年度予算に調査委託費を計上し、準備を進めている。
 3空港を一体運営すれば24時間運用が可能な神戸空港の強みが生かされる。新たな航空需要も掘り起こせるだろう。将来の発着枠などの規制緩和につながる可能性もある。
 新運営会社の経営幹部や関西財界も、将来的な神戸空港との一体運営には前向きな姿勢を示す。ただ、その実現は見通せない。関空の発着枠にはまだ余裕がある。まず、関空と伊丹の一体運営を軌道に乗せることが優先されるからだ。
 神戸空港の運営権売却の実現には航空需要を生む産業や観光振興など、関西全体の浮揚策を示すことが欠かせない。


いま、学校で(1) 生徒の食「配給」が命綱
 高校3年の大樹(18)はカップラーメンをリュックサックにいっぱい詰め込んでもらうと、頭を下げた。
 「先生、ありがとうございます」
 福岡県のある公立高校。「生徒指導室」に置かれた段ボール箱にはパック入りのご飯やカップラーメン、レトルトのカレー、缶詰が入れられている。家で十分な食事が取れない生徒が持ち帰る。他の生徒には知らせていない。
 指導室に米やカップ麺
 大樹は生活保護を受ける父親と2人で暮らし、奨学金をもらい高校に通う。生徒支援を担当する教諭の田中幸四郎(31)が大樹の異変に気付いたのは2年生の時。修学旅行費の積み立てなど、月に約1万円の校納金がまったく入金されなくなった。
 家庭訪問しても、父親は居留守。何度も通うと「うるさい! せからしい!」と怒鳴られた。父親は息子に食事を全く与えず、大樹の奨学金も流用していた。
 大樹は週に数回、夕方飲食店でアルバイトをし、店のまかないで食いつなぐ。生徒指導室の食料は、大樹の「生命線」だ。
 間もなく卒業。本当は専門学校に進学したかった。学力は申し分なかった。だが、田中はこう伝えた。
 「1年間で100万円かかる。奨学金をもらっても、お父さんが流用する。就職したほうがいい」。大樹は泣く泣く進学を諦めた。
 田中が生徒指導室で食料提供を始めたのは約3年前。生徒の相談に乗っているうちに、経済的な理由や養育放棄で食に困窮するケースが少なくないことに気付いた。がりがりに痩せ、「最後に何を食べたか覚えていない」と話す生徒もいた。
 民間の支援団体代表にそうした現状を話すと、「私たちが食品を提供しましょう」と申し出てくれた。これまで継続的に受け取った生徒は約10人。田中の個人的努力と民間団体の取り組みが、子どもたちの食をかろうじてつなぐ。
 「学校は子どもを救う最前線。子どもたちが抱える問題は、目を凝らさなければ見過ごしてしまう」
 家庭や行政の福祉部局を日々、走り回る田中は自らにこう言い聞かせる。
   ◇   ◇
 小学2年の葵(8)は、母子家庭で中学1年の兄と3人暮らし。母親は精神疾患を抱え、育児もままならない。自宅アパートは脱ぎ捨てた服やごみ袋であふれ、足の踏み場もない。
 母親は、体調がいい日は食事を作るが、それ以外はコンビニ弁当か菓子パン。一日の食事が給食だけの日も珍しくない。教師たちがおにぎりやパンを買い、職員室で隠れて食べさせるのが日課だ。
 スクールソーシャルワーカーの山田由希子(50)によると、葵がある日、口元に前日の給食で飲んだ牛乳の跡を付けて登校した。顔を拭きながら「ちゃんと顔を洗っている」と聞くと、葵は「顔とか洗ったことないよ」。「歯磨きは?」と聞くと、「保育園のときにしたことがある」。
 様子を見かねた山田が昨年夏、母親に「夏休みの間だけ、児童相談所の一時保護施設に預けませんか」と提案すると、母親は二つ返事で応じた。
 寂しい思いをしているだろうと山田が施設へ面会に行くと、葵は「ご飯が3回あって、おやつも出るとよ」「お部屋がきれいで、お布団も1人ずつにあるんよ」と満面の笑みで話した。
 「食事を満足に取れない子には、児相の保護施設ですら天国なんです」と山田は言う。
 葵にとって、1カ月間の施設生活は楽しい思い出。 「またあそこに行きたいんだけど、どうしたら行けると?」。葵が山田に尋ねる。「もう行かん方がいいよ」と諭すと、葵は不満そうにつぶやく。
 「なんで? また行きたいなぁ」 (登場人物はいずれも仮名)
   ◇   ◇
 深刻化する子どもの貧困。その現実を教育現場から報告する。

ヤクザと憲法・・・清勇会会長がカッコいい/誕生日♪だって

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Kobe0117-1

Rugby-Top 14 : le Japonais Goromaru a signé à Toulon
L'arrière du XV du Japon Ayumu Goromaru, qui avait fait sensation lors du dernier Mondial en Angleterre, aurait signé au RCT. Mais son équipe actuelle dément.
L'arrière vedette japonais Ayumu Goromaru aurait paraphé un contrat de deux ans avec le club de Toulon et arriverait donc l'été prochain en Top 14, a affirmé dimanche Canal +. Sensation de la dernière Coupe du monde, Goromaru, 29 ans et 56 sélections au compteur, est actuellement engagé pour une saison avec la franchise australienne des Queensland Reds, qui a d'ailleurs démenti l'information. L'arrière fera dans une dizaine de jours des débuts très scrutés en Super-18, le championnat des provinces de l'hémisphère sud.
Pas de confirmation du RCT. Selon la chaîne cryptée, ce buteur métronomique (618 points au pied en sélection, auxquels il faut ajouter 18 essais) a signé pour un an sur la Rade, plus une autre année en option. Le président du RCT Mourad Boudjellal n'a pas souhaité s'exprimer et le club, qui disputait dimanche après-midi une rencontre en retard de Top 14 à Bordeaux, n'a pas confirmé l'information. La franchise australienne des Queensland Reds, basée à Brisbane, a par ailleurs démenti lundi le transfert. Un porte-parole des Reds a déclaré que cette information "n'était pas vraie", sans donner plus de détails.
En concurrence avec Halfpenny. Pour le RCT, il s'agirait à la fois d'un coup sportif, médiatique et marketing. Goromaru est en effet une star au Japon, notamment après la retentissante victoire des "Brave Blossoms" contre l'Afrique du Sud à l'automne dernier lors de laquelle il a inscrit 24 des 34 points du Japon (34-32). Goromaru se retrouverait en concurrence pour le numéro 15 avec l'international gallois Leigh Halfpenny.
Une star adulée au Japon. Arrière au gabarit très solide (1,85 m, 100 kg), Goromaru a été très tôt identifié comme la tête d'affiche du rugby de l'archipel, faisant ses débuts en équipe nationale à 19 ans. Il ne s'est cependant réellement installé chez les Brave Blossoms qu'à partir de 2012, sous la houlette d'Eddie Jones, l'actuel patron du XV d'Angleterre, tout en faisant les beaux jours du Yamaha Jubilo, club quitté en janvier pour les Reds de Brisbane. Accueilli en héros à son retour de la Coupe du monde, Goromaru a reçu différentes distinctions, parmi lesquelles celle de "Maître Ninja". Une statue en bronze à son effigie a été inaugurée à Tokyo en novembre et un bébé girafe a reçu son nom dans un zoo de la préfecture de Shizuoka.
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ハートネットTV 静かでうるさい居酒屋
週末は満席。なのに、店内はやけに静か。東京・大久保にあるこの居酒屋は、手話が飛び交う不思議な店。聴覚障害のある夫婦が営み、注文も手話なため、店の“公用語”は手話。
その噂を聞きつけ、ろう者の間ではかなりの有名店。日頃手話ではなかなかコミュニケーションを取れずストレスを抱える人たちが、この店を憩いの場にしています。もちろん、手話が飛び交う雰囲気に魅せられてやってくる、耳が聞こえる人たちもたくさんいます。
聞こえる聞こえない関係なく生まれる交流。ここは人との絆を考えずにはいられない人生の交差点です。年の瀬、居酒屋に集う人々の交流を見つめました。
原田 泰造 吉岡 富佐男(ふさお)


仕事サボって映画見に行きました.ヤクザと憲法.ヤクザだからといって人権を無視していいわけありません.清勇会会長がカッコいいです.ファンレター書きたくなってしまいました.
Shさんからメール.誕生日なんだって.*9歳だそうです.

<アーカイブ大震災>より早くより高く 一貫
 海岸からわずか200メートルの低地にある岩手県大船渡市三陸町の越喜来小は、東日本大震災の津波で校舎が全壊しながらも、児童73人と職員13人が全員、無事に避難した。命を救ったのは、校舎2階と市道を結んで新設された避難階段と高い防災意識だった。
◎逃げる その時(5)意識(大船渡・越喜来小)
 「早く逃げろ」。遠藤耕生副校長(50)は各教室に声を掛けて回り、避難階段の鍵を開けた。
 2011年3月11日午後2時46分。1年生は下校間際、2〜6年生は6時間目が始まったばかりだ。校内放送で、机の下に隠れるよう呼び掛けようとしたが、停電でスイッチが入らない。津波と校舎倒壊の不安がよぎった。
 子どもたちは学年ごとに避難階段を通り、約100メートル西にある1次避難所の三陸鉄道三陸駅の駅前広場に駆けた。
 3年生担任の平阿貴子教諭(49)は「着いた途端に、『大津波警報発令』と繰り返す防災無線が聞こえた」と振り返る。
 市によると、警報発令を最初に伝えたのは午後2時52分だった。
 避難階段によって短縮できる避難時間は3分程度にすぎないが、遠藤副校長は「すぐに波が入ってくる可能性があった。一刻を争う状況で、避難階段があって助かった」と胸をなで下ろす。
 階段は昨年12月、市議平田武さん(65)の後押しがあって設置された。
 「海の近くで川のそばにある越喜来小は、津波で一番危ない。命の尊さを言っているんだ」
 3年前の市議会3月定例会。平田さんは予算審査特別委で、母校への避難階段設置を再三訴え、実現させた。
 学校百年史によると、1877年開校の越喜来小(当時は浦浜小)は、明治三陸津波(1896年)で全壊。昭和三陸津波(1933年)でも、校舎が浸水する被害を受けていた。
 駅前広場で点呼を終えた後、教職員は子どもたちを誘導して、約300メートル西の高台にある公民館に移動。間もなく誰か叫んだ。
 「津波が学校に来た」
 全員でさらに約300メートル西の山中まで逃げた。眼下では校舎が3階まで浸水し、家や車が流されていた。
 「家族は大丈夫かな」
 「津波なんか嫌いだ」
 恐怖と不安で泣く子もいたが、皆、無事だった。平田さんの孫涼介君(9)=3年=も、その中にいた。涼介君は「揺れや津波にびっくりしたけれど、先生がいつも言うように落ち着いて行動できた」と振り返る。
 「大きな津波は絶対に来る」と、とにかく早く逃げることの大切さを説き続けた平田さんは、震災の9日前に病死した。
 「避難はより早く、より高く」。越喜来小は年2回の津波避難訓練を欠かさず、児童、教職員の防災意識を高めていた。
 震災2日前の3月9日にも、三陸沖を震源とする震度5弱の地震で津波が発生し、実際に避難した。避難先を3カ所も変えながら、子どもたちが素早く避難できた大きな要因だった。
 反省点もあった。駅前で一部の児童を、迎えに来た祖父母らに引き渡したことだ。大船渡市内では今回の震災で、児童を親元に帰したために犠牲になったケースもある。
 遠藤副校長は「今思えば、危なかったなと思う」と言う。学校は新しい避難マニュアルに「家族が迎えに来ても状況によっては帰さない」との一項目を加えた。(坂井直人)
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


岩手で奇祭「蘇民祭」 下帯姿の男衆が袋奪い合う
 豊作や無病息災を祈って、下帯姿の男衆が護符の入った麻袋を奪い合う奇祭「蘇民祭」が14日夜から15日早朝にかけて、岩手県奥州市の黒石寺で開かれた。厳しい寒さの中、約140人の男衆が激しくぶつかり合い、寺は熱気に包まれた。
 午後10時ごろ、男衆が「ジャッソージョヤサ」の掛け声とともに水をかぶり、身を清めた。男衆が燃えさかる井の字に組んだ木の上に次々と登り、火の粉を浴びながら気勢を上げると、観衆たちは大きな歓声を送った。
 祭りのクライマックスは午前5時。護符が入った「蘇民袋」の争奪戦では、本堂に集まった男衆が体から湯気を立ち上らせ、必死の形相で袋を奪い合った。


三鉄貸し切り、大船渡PRのCM撮影 市民120人参加
 東日本大震災で被災した地域の情報発信に取り組む大船渡市のみんなのしるし合同会社(前川十之朗代表)は13日、三陸鉄道南リアス線を貸し切り、同市をPRするCM「ばばば結婚行進曲」を撮影した。市民120人が大船渡の人、魚、言葉など魅力たっぷりのCMを作り上げた。
 「ばばば」は驚きを表す気仙地区の言葉。市内のカップルを市民挙げて祝福する120秒のCMは、市民や、合唱愛好者の「第九を歌う会」メンバーが「結婚行進曲」を全て「ばばば」で歌う。
 同市盛町の盛駅では、レトロ車両を使い、新郎新婦の入場シーンを撮影。参加者が「ばばば」の歓声で2人を出迎えた。
 CM撮影は、大船渡の人の魅力を発信し、誇りを持ってもらうことで人口流出抑制につなげる「大船渡プロモーション推進事業」の一環。3月5日、特設サイトで公開する。


柏崎原発立地 薄い経済効果
柏崎 主要産業40年データを分析
 東京電力柏崎刈羽原発が地元・柏崎市の産業に与えた影響について、新潟日報社が原発建設前の1975年から直近まで約40年間の各種統計データを集計し、新潟大学経済学部の藤堂史明准教授(43)と共同で分析した結果、立地による経済効果は限定的だったことが13日、分かった。原発の建設期に地元の建設業が一時的に総生産を伸ばしたものの、基幹産業である製造業のほか、サービス業、卸売・小売業への波及効果はデータ上、見えなかった。
 東電が再稼働を目指す柏崎刈羽6、7号機は原子力規制委員会による審査が最終段階に入っている。経済界などからは、原発が立地地域に及ぼす経済効果を強調し、再稼働を求める声が上がっている。だが、今回の分析結果は、そうした「経済効果説」に疑問符を突きつけた形だ。
 県統計などを使い、柏崎市の市内総生産額(89年までは純生産額)や製造品出荷額等などの75年から直近までの推移をまとめ、分析した。全国の推移や、柏崎と人口がほぼ同規模の三条、新発田の両市の推移と比較して検討した。
 柏崎を支える製造業の総生産額=グラフ参照=を見ると、原発建設期の70〜80年代は上昇傾向にあるが、原発が全基完成したのと同じ97年から大きく落ち込んだ。製造品出荷額等の推移もほぼ同様の傾向だった。
 ただ、製造業が盛んな三条も柏崎に似た推移を示していた。さらに、全国の出荷額等の動きも柏崎にそっくりで、原発立地の効果が柏崎の製造業に及んだ形跡は見られなかった。
 サービス業と卸売・小売業の総生産額も新発田、三条とほぼ同じ推移をしており、原発立地によって柏崎だけが特別伸びた様子はうかがえない。建設業だけが原発建設期に三条、新発田よりも総生産額を大きく伸ばしており、一時的な効果はあったとみられる。
 藤堂准教授は「原発は柏崎市の経済に部分的なプラスの影響を与えたが、地域産業全体を見ると持続的な経済拡大をもたらす効果は薄い」と指摘した。
■市内総生産(純生産)と製造品出荷額等
 市内総生産は、1年間に市内の各産業の生産活動で生み出された価値を推計し、金額で示したもの。そこから設備機器などの資産価値の目減り分を考慮し、除いた額が純生産。製造品出荷額等は、1年間に工場などでつくられた製品の出荷額や、他社製品を加工した賃料などの合計金額。


【軽井沢スキーバス転落1カ月】 運行会社社長が未明の事故現場で献花「当日は寒かったろう。ただただ申し訳ない…」
 スキー客の大学生ら15人が死亡した長野県軽井沢町のスキーバス転落事故から1カ月となる15日、発生時刻の午前1時55分に合わせてバス運行会社「イーエスピー」(東京)の高橋美作社長が現場を訪れて献花し、犠牲者を追悼した。失われた多くの若い命に「ただただ申し訳ない」とあらためて謝罪した。
 時折通るトラックのライトを除き、真っ暗な国道18号碓氷バイパス。高橋社長ら2人は、多くの花束が供えられた献花台で線香を上げ、手を合わせた。
 「この場所のこの時間帯を肌で実感する必要があると感じていた」と高橋社長。「当日は寒かったと思う。ただただ申し訳ない」と沈痛な面持ちで話した。
 一方、長野県警軽井沢署では午前8時半ごろ、雪が舞う中、署員ら約30人が事故車両の前に集まり、黙祷をささげた。坂井厳司次長は「まだまだ捜査は継続中。事故原因を明らかにするために全力を尽くす」と話した。


軽井沢のバス事故1カ月、途切れぬ哀悼
 北佐久郡軽井沢町でスキーツアーの大学生13人、運転手2人が死亡した大型バスの転落事故は15日、発生から1カ月がたった。事故が起きた午前1時55分ごろ、運行会社の社長らが現場を訪れて慰霊し、あらためて謝罪の言葉を述べた。朝になると、県内外から花束などを手にした人たちが相次いで訪れ、突然の事故に巻き込まれた犠牲者を悼んだ。軽井沢署の捜査本部は、100人体制でバスが速度を制御できなくなり、転落時に時速96キロに達した原因を中心に捜査。現場の国道18号碓氷バイパスで、夜間に同型のバスを使った走行実験を行うことも検討している。
 15日午前の現場は事故後に積もった雪の多くが解け、バスが横倒しになった地面は半分程度が露出していた。都内のタクシー会社で運行管理者を務めているという外山雅一さん(60)=東京都=は、死亡した運転手らが点呼無しで出発したことなどを挙げ、「運行会社の管理はずさんすぎる」と憤った。
 小諸市の塩川宗一さん(68)、玲子さん(64)夫婦は献花台に花を供えて合掌。宗一さんは今回の事故で学生4人が亡くなった法政大のOBといい、「相当の速度が出ていたのだろう。言葉が出ない」と、バスが衝突した傷が残る木を見つめた。
 事故の原因については、国土交通省の要請を受けた事業用自動車事故調査委員会も調査を継続。専門家が分析を進めているが、事務局の交通事故総合分析センター(東京)は報告書をまとめる時期は未定としている。国交省は、バス事故の再発防止のために有識者らによる検討委員会を設け、事業者への監査の実効性を高める方策を議論している。
 一方、犠牲者遺族の一部は今月7日に「軽井沢スキーバス転落事件被害者遺族の会」を発足。国交省の検討委に遺族の声を聴くよう求める方針で、運行会社などに対し、民事、刑事両面での法的責任追及も視野に入れている。けがをした乗客26人のうち、4人は今も佐久、小諸両市の2病院に入院中。群馬県内の病院は、入院中の乗客がいるかどうか明らかにしていない。


<邦人女性殺害>市長発言に批判噴出、辞任へ
 【ロサンゼルス共同】トリニダード・トバゴで打楽器奏者、長木谷麻美さん(30)が殺害された事件で、遺体が発見された首都ポートオブスペインの市長が、被害者が事件を誘発したかのような発言をしたとして批判が噴出したことを受け、14日までに辞任の意向を示した。地元メディアが報じた。
 レイモンド・ティムキー市長は、長木谷さんが発見時に露出が多いカーニバルの衣装を身につけていたことを念頭に「女性たちは被害に遭わないよう自らの身を守る責任がある」などと発言。女性団体が「女性への暴力の責任は女性側にあるとする危険な発言」などと反発、市民らが辞任を求める抗議デモを行った。


【清原容疑者逮捕】 桑田真澄氏は言った 「野球にはピンチになれば代打やリリーフがあるが、人生にはそれがない…」
 何ともやるせない表情だった。覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された清原和博容疑者について語った野球評論家の桑田真澄氏である。大阪・PL学園高1年の夏からともに投打の柱として活躍し、全国に「KKコンビ」の名をとどろかせた、かつての「盟友」だけに心境はいかばかりだったか。桑田氏が口を開いたのは2月4日、巨人のキャンプ地・宮崎でのことだった。詳細は次の通り。
◇   ◇   ◇
 (事件は)知人から電話で聞いたが、非常にびっくりした。お互い現役を引退したあと、これからの野球界についていろいろ話していたし、僕たちの立場も。これだけ野球にたくさんの幸せをいただいたので、「これからは恩返ししなくちゃいけないね」と何年か話していたが、2年半、3年くらい前からちょっと連絡を取らないようになっていたので、もうちょっと僕が言い続けていた方がよかったのかなというね、そういう思いはあった。
 (事件の詳細は)まだ知らない。スポーツマンである以上、暴力とドラッグというのは一番遠い存在であるべきだと思う。スポーツマンは。それも彼ともいろいろ話してしてきた。そういった意味で非常に残念な思いはある。人はそれぞれ僕もそうだし弱い面はあるが、彼は本当に野球が大好きで、ひたすら野球を追い続けてきた男。残念と言うしかない。彼にもたくさんいいところがあって、いいところが前面に出ない残念さがある。
 (清原容疑者には)人柄も、残してきた実績というものもあると思う。プロ野球だけでなく、高校時代の実績も。本当に2人はいい思いをさせてもらったけど、その分やはり学生野球、アマチュア野球、そしてプロ野球にも恩返ししていかなければならない。われわれ2人にはそういう使命があると思う。その使命へ向けて2人で力を合わせて貢献できたらいいなと思っていたし、またそうできる日を心待ちにしたい。
 (最後に会ったのは)もう3年前になるかな。僕も小姑のように「こういうことはよくない」とか「こうしなきゃいけない」とか言い続けてきた。それを(清原容疑者へ)言えるのが僕だと思うので、その小言に嫌気がさしたんでしょう。「一切、関わらないでくれ」といわれて3年ぐらいになるか。それくらい電話もしていないし、会ってもいない。
 (関わらないことについて)何度も確認したが、「それでいい」というので。お互い大人だし、「お前がそういうならそうしよう」と。僕も現役時代より、引退してからの方がよく電話で話をしたのでね。まあ、僕自身はやれることはやってきたと思う。
 (今会えたら何と言いたいか)うーん、そうですね。まあ、彼の性格を一番知っているから、どういうふうに時間を過ごしているかというのも分かる。ただ、今言えるのは、野球にはピンチになれば代打とかやリリーフというのがあるが、自分の人生には代打もリリーフもない。現役時代、数々のホームランを打ってきた男なので、また自分の人生できれいな放物線を描く逆転満塁ホームランを打ってもらいたい。それが今の一番の思いです。その一言に尽きる。自分がやるしかないので、本当に素晴らしい一打をまた打ってもらいたい。
 僕は彼ともよく話をしたが、野球には3つの側面があると。1つはプレーする野球。現役時代はプレーで、全力で見せていくことが大事だが、引退後は支える野球と、見る野球だと思う。われわれ2人は、ゆっくり野球を見るのは早すぎる。次のステージだと思うので、これからは支える野球を全力でやっていけなければならない。
 支える野球のステージでも4番であり、エースになれるようにこれからしっかり野球界を支えていこうという話もしていたので。そこにうまく移行できなかったんじゃないかなと。気持ちの切り替えがね。いつまでもプレーする野球の4番打者でいる。自分が忘れられなかったというか、変わりきれなかったというかね。そこが非常に残念なところでもある。間違いなく、誰もが引退するわけなので、今度はプレーする野球でなく、支える野球でエースなり、4番になれるように僕自身そうやって意識しながらいろんなことを勉強させてもらっているんですが。
 (連絡をくれるなと言われて)お互い大人なので、何度も確認したが「本当にいいのか」とね。まあ「いい」ということだったので「分かった」と。もう3年近く前になるか。でも昨年末、よくテレビとか出ていたので安心して。「ああ頑張っているな」と思って、1月のPL学園のOB会で同級生みんなで喜んでいたんですけどね。「またみんなで会いたいな」と話もしたし。そういう矢先だったので、非常にびっくりしている感じ。
 (野球界への貢献について)そういう使命があると思う。なぜなら僕たち2人は高校時代から、野球からあれだけ幸せをいただいたわけですよね。他の選手以上に恩返ししなければいけないと僕は思っている。そのためにも、何度もピンチを救ってきた(清原容疑者の)起死回生のホームランをまた見てみたい。
 (距離を置いたきっかけとは)いろいろあるが、本当の彼は優しくて、人に思いやりがあり、いっぱいいいところがある。頭も切れる男だ。本当の清原和博という男を知っている1人として心痛い噂をよく聞くと「そうじゃないだろ。スポーツマンであり、これから野球界に貢献し、恩返ししていかなければいけない立場であるわれわれ2人はいろいろな噂が出るのはよくない。僕もだが、お前も気をつけなければダメだぞ」と、ことあるごとに電話していっていた。
 聞いたらすぐに電話して「こんな噂が流れているが、どうなっているんだ」とかね。そういうことを言っていたので、彼にとっては非常に耳障りだったと思う。そういうのが4〜5年続いたので、彼も「ほっといてくれ」ということになったのだと思うが。
 (会いに行く意思は)僕だけではなく、彼は僕と違って社交的でたくさんの知り合いがいると思う。みんなで彼を支えてあげることも大事だと思う。彼が頑張ることが大前提だが。


被告「やってません」 札幌連続ボンベ爆発事件裁判
 「私はやっていません」。札幌市北区の連続爆発事件で、名須川早苗被告が2014年4月に逮捕されてから約1年10カ月。一貫して関与を否定してきた名須川被告の裁判員裁判が15日始まり、検察側との全面対決の幕が上がった。
 名須川被告が公の場に姿を見せるのは、14年8月7日に開かれた勾留理由を開示する法廷以来、1年半ぶり。灰色のジャケットとスカートに白いブラウス姿で法廷に姿をみせると、傍聴席をゆっくりと見渡した。
 人定質問や罪状認否では、裁判長からの質問にはっきりとした声で答えた。その後、検察官が冒頭陳述を続ける間、弁護人の横で眼鏡を掛けて検察官をまっすぐに見つめ、聞き入っていた。
 警察や報道機関に犯行声明文が送り付けられるなど「劇場型犯罪」として全国的に注目を集めた今回の事件。公判前には約50席の一般傍聴席を求め、市民や報道関係者ら104人が抽選のために列をつくった。


米軍訓練 指揮官演習場外でジョギング
 在沖縄米軍指揮官のニール・オーウェンズ大隊長(中佐)が15日朝、演習場外の由布市湯布院町でジョギングをしていたことが分かった。米兵の活動を監視している住民グループが気付いた。行動範囲の拡大を警戒し、住民グループは米軍と九州防衛局に抗議文を提出する。
 九州防衛局によると、ジョギングをしたのはオーウェンズ大隊長1人で、防衛局職員が車で同行した。午前6時45分ごろ演習場を出て、湯布院町若杉地区を経由して県道安心院湯布院線を走り、約30分後に演習場へ戻った。訓練を安全に実施するため周辺の視察を兼ねジョギングしたという。
 住民グループ「ローカルネット大分・日出生台」の浦田龍次事務局長は「これまで確認したことがない事態。他の米軍訓練移転先でもジョギングが問題になったことがある。演習場がずるずると何でもできる場所になる可能性がある」と懸念している。


民主“甘利氏元秘書と建設会社担当者 面会”音声公開
民主党は、甘利前経済再生担当大臣を巡る問題で、千葉県の建設会社との補償交渉に関連して、甘利氏の元秘書と建設会社の担当者との面会を記録したとする音声データと議事録を公開しました。民主党は、事実関係をただすため、甘利前大臣らの国会への参考人招致などを強く求めていく方針です。
15日の衆議院予算委員会の集中審議で、民主党の玉木選挙対策委員長代理は、千葉県の建設会社と、UR=都市再生機構の補償交渉を巡り、「われわれは、甘利事務所の秘書がURとの補償交渉に深く介入していたことを裏付ける音声データと議事録を独自に入手した」と述べました。
そして民主党は、委員会終了後、甘利前大臣を巡る問題などを追及するチームの会合を国会内で開き、党が入手した音声データと議事録を公開しました。
民主党によりますと、音声データと議事録は、去年11月に甘利前大臣の元秘書が建設会社の関係者と面会した際のやり取りを記録したもので、元秘書が補償額をUR側に提示するよう促すなど、補償交渉に深く関与していることを示すものだとしています。
そして会合では、事実関係をただすため、甘利前大臣の国会への参考人招致や、元秘書らの証人喚問を強く求めていく方針を確認しました。
一方、甘利前大臣の事務所は、「録音は確認していないので回答しかねるが、現在、弁護士に依頼して事実関係を精査しているところだ。URに対する東京地検の捜査が始まったという報道もあるので、捜査に支障がないよう、今後の対応を検討したい」としています。
音声データ 詳しいやり取りが
公開されたのは、去年11月2日、神奈川県大和市の飲食店での、甘利氏の当時の公設秘書と千葉県の建設会社の総務担当者のやり取りを録音したとする音声データです。
このやり取りは、公設秘書がUR=都市再生機構の担当者から聞き取った補償交渉の状況を総務担当者に伝える内容になっています。
音声データで公設秘書は、「具体的に数字を言わないと向こうはどうしていいか分からないみたいなんですよ」と話し、UR側は、建設会社がどの程度の補償金を求めているのか分からないことを交渉が進まない理由として挙げていると伝えています。
そのうえで、「一応推定20億かかりますとか、そういうことばにしてほしいんですね。あっちの言い分も明確なあれがないって話だったんで、明確にしなきゃですよね。もしかしたら実際の金額について細かいところまで絡めないですよね」などと、UR側に具体的な金額を伝えるよう助言する発言をしています。
こうした音声データの内容は、URがこれまでに公表した秘書との面会の概要メモとも符合しています。
音声が録音されたとされる日の5日前、10月28日にも、別の秘書がUR側と面会し、建設会社が具体的な要求額を示さないこともあって、交渉が平行線になっていると説明を受けていました。
この面会では、秘書は建設会社の要求額について、「いったい先方はいくら欲しいのか。私から先方に聞いてもよい」と述べたということです。
これに対しUR側は、「これ以上は関与されないほうがよろしいように思う。URの提示額は限度額いっぱいであり、工夫の余地がない。先方に聞いてしまうと、そちらも当方も厳しくなる」などと、交渉に深入りしないようくぎを刺したということです。
しかし、今回の音声データでは、その後も公設秘書が積極的に関わっていたような状況がうかがえます。
また甘利氏は、先月、辞任を表明した会見で、「公設秘書は弁護士の調査に対して『補償交渉で金額には介入していない』と話している」と述べていますが、音声データの内容はその説明と食い違う形になっています。


ビヨンセさん演出が波紋 スーパーボウルのパフォーマンス、「政治的」と保守系から批判…背景に差別問題
 米国の人気黒人女性歌手ビヨンセさんが、プロフットボールの祭典「スーパーボウル」で見せたパフォーマンスを、保守系メディアや政治家が「政治的」と批判し波紋が広がっている。過激な公民権運動を想起させる演出のためで、背景には米国の根深い黒人差別問題が横たわっている。
 ハーフタイムショーでビヨンセさんが従えた数十人の女性ダンサーは、黒ずくめの衣装。アフロヘアの頭に載せた黒いベレー帽は、1960〜70年代に急進的な黒人解放闘争を展開した政治組織「ブラックパンサー党」のトレードマーク。
 今年で50回目を迎えたスーパーボウルは、ベイエリアと呼ばれるカリフォルニア州北部のサンタクララで7日行われた。ブラックパンサーが結成されたのも約50年前のベイエリア。ビヨンセさんのスタイリストは、黒人女性の強さと連帯意識を表現しようとビヨンセさんが意図的にブラックパンサーをモチーフにしたと述べた。


広島「鞆の浦」架橋事業 9年間の裁判終結
歴史的な港の景観で知られる、広島県福山市の鞆の浦の一部を埋め立てて橋を架ける事業を巡る裁判で、広島県はこれまでの計画を撤回して、埋め立ての申請を取り下げる方針を示しました。これを受けて住民側は事業の中止を求める訴えを取り下げる手続きを行い、およそ9年にわたる裁判が終結しました。
広島県と福山市は、交通の混雑緩和などを目的に、江戸時代の町並みなどが残る鞆の浦の一部を埋め立てて橋を架ける計画を、昭和58年に策定しましたが、広島地方裁判所は平成21年、「鞆の浦は文化的、歴史的な価値がある国民の財産で、埋め立て後に復元するのは不可能だ」として、住民側の訴えを認め、広島県に埋め立ての中止を命じました。
2審の広島高等裁判所で、広島県は橋を架ける計画の撤回に向けて住民側と話し合いを続け、15日開かれた弁論で、鞆の浦周辺を埋め立てるための免許の申請を取り下げる方針を伝えました。
これを受けて住民側は事業の中止を求める訴えを取り下げる手続きを行い、平成19年以降およそ9年にわたり続いた裁判が終結しました。
原告団の松居秀子事務局長は記者会見し、「鞆の浦の景観が損なわれる事態が回避され、うれしい。広島県と福山市には、遅れていた住環境の整備や文化財の保全などの事業を早急に進めてほしい」と話していました。
裁判が終結したことについて、広島県の湯崎知事は記者団に対し、「長期化していた裁判が終わったことは、鞆の浦のまちづくりを進めていくうえで意義があることだ。広島県としてはすでに架橋計画を撤回し、トンネルの整備と併せて護岸などの防災対策を行う考え方を示しており、今後、事業をしっかりと進めていきたい」と述べました。

ShさんがインフルエンザB型/ホヤを買ったけど

オビリン

Deux Palestiniens de 15 ans abattus après avoir tiré sur des soldats israéliens
L'armée israélienne a annoncé dimanche avoir abattu deux Palestiniens âgés de 15 ans dont un avait tiré sur des soldats dans le nord de la Cisjordanie occupée, dernière d'une longue série d'attaques qui secouent depuis quatre mois Israël et les Territoires palestiniens.
Ces attaques, menées par des Palestiniens isolés, ainsi que des heurts entre jeunes lanceurs de pierres palestiniens et soldats israéliens, ont fait depuis début octobre 169 morts côté palestinien, 26 côté israélien, ainsi qu'un Erythréen, un Américain et un Soudanais, selon un décompte de l'AFP.
La majorité des Palestiniens tués sont des auteurs ou auteurs présumés d'attaques contre des civils ou des membres des forces israéliennes, commises principalement à l'arme blanche. Les attaques à l'arme à feu sont restées relativement rares, alors que quasi-quotidiennement, les autorités israéliennes assurent arrêter des Palestiniens en possession de couteaux.
Le ministère de la Santé palestinien a identifié les deux morts comme Nihad et Fouad Waked, tous les deux âgés de 15 ans mais sans lien de parenté direct.
L'armée israélienne a expliqué que les deux jeunes, originaires selon les sources palestiniennes de Aqraba, "lançaient des pierres sur des véhicules" passant à proximité de ce village situé à l'ouest de la ville de Jénine. "Quand les soldats sont arrivés sur les lieux, l'un des assaillants à tiré dans leur direction avec un fusil et les soldats ont répliqué par des tirs qui les ont tués", a indiqué une porte-parole de l'armée à l'AFP.
Une Saint-Valentin à la japonaise
Le 14 février, une fête que bon nombre de couples célèbrent à travers le monde, s’échangeant des présents en gage de leur amour. Au Japon, ce jour-là, ce sont exclusivement les femmes qui cassent leur tirelire.
Au Japon, la Saint-Valentin est qualifiée de fête commerciale ou, non pas les hommes mais les femmes, offrent des honmei-choco signifiant chocolats de la destinée, à leur tendre moitié ou à celui pour qui leur cœur bat. Il y a également plusieurs types de douceur brune, pour les différentes relations. Pour les amis, ce sont les tomo-choco chocolat de l’amitié, et pour les pères les papa-choco. Un cadeau symbolisant son affection pour celui qui le reçoit, mais pas seulement. Par pure politesse envers leurs collègues, ce sont soit le giri-choco chocolat de la courtoisie, soit le chô-giri-choco chocolat d’ultra-obligation. Pour les plus gourmandes d’entre-elles, jibun-choco chocolat pour soi, dont le principe est comme la traduction l’indique, de ce l’offrir soi-même.
Un mois après, c’est au tour des hommes de mettre la main au portefeuille. Le 14 mars, les japonais fêtent le withe day, afin de répondre aux sentiments partagés ou de remercier de l’attention que celle-ci lui a portée. Les présents de ces messieurs sont du chocolat, de la lingerie ou des bijoux, dont la couleur doit être le blanc. Cependant certains refusent cette idée d’offrir en retour notamment à cause de la règle du sanbai-gaeshi retour au triple. Les adolescents montrent leur attachement en offrant un ruban blanc, si le lendemain la destinataire le noue sur elle, cela signifie que les sentiments sont réciproques.
Quelques hommes refusent d’attendre un mois pour exprimer leurs sentiments, ils offrent donc le jour même de la Saint-Valentin le gyaku-choco chocolat inversé, se rapprochant ainsi un peu plus de la fête telle que nous la connaissons en occident.
Les chocolatiers proposent un choix variés de produits, plus colorés pour certains, plus artisanaux pour d’autres, chacun trouvera son bonheur. Ces célébrations sont très rentables pour ces derniers puisqu’on estime un chiffre d’affaire global de plus de 50 milliards de yens.
Solène Perdiaux
フランス語
フランス語の勉強?
サンデーモーニング【北朝鮮ミサイル発射で波紋▽問題議員が辞職に▽4連覇へ・錦織】
◎世界と日本の出来事を掘り下げるカバーストーリー▽北朝鮮ミサイル発射で波紋▽問題議員が辞職に▽止まらない世界株安▽重力波のナゾ解明? ◎おなじみ・スポーツ御意見番は張本勲&山本昌「喝!&あっぱれ」▽4連覇へ発進・錦織▽大谷快投▽オコエは▽松山がV2 ◎関口宏の「一週間」ニュース▽時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」
関口宏 田中秀征 浅井慎平 目加田説子 大崎麻子 岸井成格
橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美
張本勲&山本昌 三枝成彰

明日へ つなげよう 復興サポート「高校生が描く地域の未来〜宮城・気仙沼市〜」
復興の担い手となる若い世代の流出が続く気仙沼では、高校生たちが地域を盛り上げようと動き始めている。気仙沼向洋高校では地元産の酒かすを生かしたスイーツを開発。本吉響高校では地域の高齢者との交流に力を入れている。こうした活動をさらに活発にし、若い世代が住みたい気仙沼を作るにはどうすればいいのか。島根県海士町で教育改革と地域づくりを同時に進め注目を集める、島根県教育庁の岩本悠さんを招いて話しあう。
岩本悠, 内多勝康

ガリレオX #118「手足の機能を模倣する?義肢の最新技術を追う?」
手や腕に必要な機能を補う義手・義足。新たなテクノロジーや技術の進展から、これまでの「補完する」という機能にとどまらず、身体能力をさらに拡張させていくものへと姿を変えつつある。変貌を遂げつつある新しい義肢の世界を紹介する。
北山一郎  田澤英二  山中俊治  横井浩史

テレメンタリー 「息子よ、黄金の穂波に笑え〜九州から日本一のコメを〜」
過疎・高齢化が進む熊本県のある農村で、ふるさとを守るために60歳を超えた親たちが立ち上がった。目指すのはおいしい米日本一。田んぼを真っ赤に染めるクローバーに、サンゴの粉。これまでの米作りを見直した。しかし、数少ない後継者にとって米への不安は尽きない。立ちはだかる様々な壁。それでも親たちは米を信じて表情は明るい。おいしい米を決める大会にも出品した。立ち止まることを知らない親たちの挑戦から今後の農業を見る。
國村隼 熊本朝日放送

NNNドキュメント丸山夏鈴〜最期までアイドル〜
「薬のせいで眠いです、じゃあさようなら、バイバイ」去年5月にこの世を去った福島県出身のアイドル丸山夏鈴(かりん)さんが亡くなる前日にファンに発信した動画だ。小学生で発症した脳腫瘍は幾度も再発し肺に転移、取材を始めた一昨年11月には残された時間が少ないことを悟っていた。痛みと闘いながらも笑顔を絶やさずデビュー曲のレコーディングやライブと次々と夢を叶えた。最期まで彼女を突き動かした原動力、彼女が遺したものとは。
大橋聡子 福島中央テレビ 


Shさんがカゼらしいことはメールで聞いていましたが,なんとインフルエンザB型だったそうです.十分な睡眠などで元気になってほしいものです.
スーパーで宮城県産のホヤを売っていました.早速買いました.でもどう食べたらいいのかわかりません.

仮設住宅でコンサート
バレンタインデーの14日、東日本大震災の被災者に音楽をプレゼントしようと、関東を拠点に活動するジャズの奏者たちが、石巻市の仮設住宅でコンサートを開きました。
このコンサートは、関東を拠点に活動するジャズの奏者3人が、震災の被災者を音楽で励まそうと今もおよそ600世帯が暮らす石巻市の仮設開成団地の集会所で開きました。
会場では、「ムーン・リバー」や「オーバー・ザ・レインボー」など10曲余りが次々と演奏され、集まった住民およそ20人は、手拍子をしたり、体を揺らしたりしながら、テンポ良いジャズのリズムや歌声に聞き入っていました。
仮設住宅で暮らす50代の男性は「日々の生活で悩んでいることを音楽で一時的に忘れさせてくれるのでとてもよかったです」と話していました。
演奏したタカ瀬裕さんは「これからもこうした演奏活動を続け、被災者の人たちとの交流を続けていきたい」と話していました。


被災農家のイチゴ チョコで
東日本大震災の被災地、気仙沼市では、震災後に再建された農業ハウスで、バレンタインデーに合わせて、収穫したばかりのイチゴをチョコレートとともに味わう催しが行われ、家族連れなどでにぎわいました。
この催しは、気仙沼市の市民グループがバレンタインデーに合わせて開き会場となった、階上地区の三浦拓也さん(32)の農業用ハウスには、地元の家族連れや女性など20人が参加しました。
震災のとき、三浦さんは、収穫前のイチゴを津波によってハウスごとすべて流されましたが、よくとしには、同じ場所に、25アール分の新たなハウスを建設しイチゴを一から育ててきました。
きょうの催しでは、まず三浦さんが地元に20軒あったイチゴ農家のほとんどが津波の被害に遭ったことなど、被害や復興の状況を説明しました。
このあと参加者は、自分たちで収穫したばかりのイチゴに、溶かしたチョコレートをかけて一緒に味わい、子どもたちは、笑顔で、口いっぱいにほおばっていました。
娘とともに参加した地元の30代の女性は、「仕事で来られなかった夫には、ハート型の容器に入れたイチゴを、子どもから渡そうと思います」と話していました。
三浦さんは、「震災の直後は将来どうなるかわからなかったが、再びイチゴを育てることができて幸せです。これからも愛されるイチゴを作っていきたい」と話していました。


高校生の震災体験ネット配信へ
東日本大震災の体験をもとに語り部の活動をしている東松島市の高校生3人が、震災5年に合わせて出版した体験記の内容を、ネット上の音声で配信することになり、その収録が行われています。
収録を行っているのは、東松島市の高校1年生、相澤朱音さんなど3人です。
相澤さんなど3人は、平成27年3月から、震災の体験や、学んだ教訓などを伝える語り部として活動していて、その内容を盛り込んだ本が、震災5年に合わせて2月に東京の出版社から出版されました。
14日は、本の内容をネット上の音声で配信するために、東松島市で朗読の収録が行われ、午前中、相澤さんが震災当日の様子や親友や愛犬を失ったつらさを話しました。
そして、震災後一時、悲しみで生きる意味を見失い、ふさぎがちな生活を送ったことや、中学に進んでからは、生徒会活動を通じて前向きになれたことなどを、マイクに向かって丁寧に語っていきました。
収録のあと相澤さんは「自分の気持ちを話し言葉で伝えるのがとても難しいと思いました。震災があっても前を見て生きていけることが多くの人に伝わればいいです」と話していました。
収録した内容は、震災発生から5年を迎える3月11日からネット上で配信される予定だということです。


<アーカイブ大震災>訓練通り 迅速に誘導
 地域を挙げて避難訓練を重ね、手助けが必要な障害者やお年寄りの把握にも努めてきた宮城県気仙沼市唐桑町小鯖地区(155世帯)では、住民がほぼ訓練通りに行動し、犠牲者を最小限に食い止めた。自治会が「隣組」ごとに編成した12班は、それぞれ事前に決めていた避難場所に組織的に避難。各班の責任者に配備されたトランシーバーも、安否確認や責任者同士の連絡に威力を発揮した。
◎逃げる その時(4)備え(気仙沼・唐桑町小鯖地区)
 「迷わず、訓練通りに体が動いた」。7班責任者の衣料店経営鈴木茂さん(56)が、地震直後の行動を振り返る。
 玄関に常備するトランシーバーを手に外に出た鈴木さんは、7班の全10世帯を避難路に誘導し、体が不自由なお年寄りだけを車に乗せて避難場所へと運んだ。「うちにいたい」と拒む人もいたが、親類を連れて再び迎えに行き、説得した。
 「5班は大丈夫」「異常なし」。住民の安否確認を終えた各班の責任者から、相次いでトランシーバーに連絡が入った。
 鈴木さんは「携帯電話がつながらない中、班ごとに安否が確認できた。大きな安心感があった」と振り返る。
 小鯖漁港のそばで釣具店を営む小松好子さん(82)を救ったのは、近所のガソリンスタンドの男性社員の声だった。
 「地震の次は津波が来るから。もう1段、もう1段上がりなさい」
 当時自宅にいたのは、6人家族のうち小松さんだけ。避難を促す声に背中を押されるように、自宅裏の避難階段を夢中で上った。
 午後3時10分すぎ。後ろから10メートル以上の黒い波が迫ってきた。高台に上った小松さんは、引き波で店舗を兼ねた自宅が湾内に流されるのを見た。
 最後尾で誘導した尾形和洋さん(34)は「お年寄りの足では、津波にのまれかねなかった。高齢者の避難に最も気を使った」と言う。
 小鯖自治会副会長の鈴木貞治さん(62)は「迅速に避難を誘導できたのは、日ごろの訓練のおかげ」と強調する。12班はそれぞれ最寄りの高台を1次避難場所に指定し、経路を示した避難地図を全戸に配布。要援護者を把握するため、「住民名簿」や「家族カード」を作り、訓練を重ねて、近所ごとに要援護者を誘導する取り組みも進めていた。
 津波で海岸沿いの住宅53世帯が被災したが、1次避難場所は全て無事だった。浸水域は、避難地図作成のベースになった宮城県沖地震の想定浸水範囲「標高10メートルライン」と重なる。1次避難場所は標高20メートル前後の場所に指定していた。
 避難場所に逃げたのは12カ所で計151人。自宅にいたほとんどの住民が助かったが、3世帯6人が行方不明となった。
 住民によると、このうち1世帯3人はいったん避難路を上ったが、「忘れ物」と言って自宅に戻った。家族の一人は元遠洋漁船員。航海が長く、日ごろ訓練に参加できなかった。
 12班の責任者、後藤一郎さん(63)も行方が分からない。地震発生後、トランシーバーで「異常なし」と仲間に連絡していた。妻光子さん(55)は「近所の安否確認をした後、つないでいた愛犬を逃がすため自宅に戻ったのでは」とみている。
 ほかに、お年寄りと娘の1世帯2人が逃げ遅れた。
 万全だったはずの備え。想定通りの津波。それでも犠牲者が出た。
 住民は言う。「津波から逃げるには、備えが要る。でも、いざとなれば何が起こるか分からない。失敗こそ教訓にして、記憶にとどめたい」(高橋鉄男)=2011年6月24日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<子ども会議>支え合う相馬に 再生策提言
 福島県相馬市内の小中学生でつくる「子ども復興会議」は12日、東日本大震災からの再生策を市に提言した。子どもたちの意見を踏まえ、「防災対策の強化」「情報発信体制の充実」「助け合いの社会づくり」の3項目が盛り込まれた。
 議長役の但野友香さん(13)が、立谷秀清市長に提言書を手渡した。但野さんは「どんなシステムも人の支え合いがなければ機能しないと思う。その点を最も重視してほしい」と要望した。
 子ども復興会議は2011年度から市教委が毎年実施。今回の提言は、市内15校が行った防災教育の成果に基づいてまとめられた。


<いのちの伝言>被災地思い絆強める
◎娘が愛した台湾へ(下)遺志を継ぐ
<震災で留学決意>
 送愛到台湾(台湾に愛を送ろう)−。
 台湾南部で6日起きた地震を受け、小学校教諭小野幸三さん(56)=名取市閖上地区=は7日、プラカードを持って早速、ゆりあげ港朝市に立った。「娘が生きていたら支援に動いたはず」。有志の仲間と一緒に台湾への募金を呼び掛けた。
 台湾政治大に留学した長女愛さん=当時(20)=は昨年3月、住んでいたアパートで起きた一酸化炭素中毒事故で亡くなった。台湾から東日本大震災被災地への支援に感謝するイベント「日台・心の絆 謝謝台湾」で、愛さんは生前、実行委員を務めていた。
 留学したのも震災がきっかけだった。古里の閖上は津波で壊滅的被害を受けた。愛さんの自宅は内陸寄りで無事だったが、親しい人が多数犠牲になった。
 仙台二華高3年の時、家族に宛てた手紙には、閖上中の吹奏楽部の後輩を亡くした苦悩をつづった。
 <震災後、もう正直よく分からなくなった。14歳で死ぬなんて何が残るんだろう。何で生きるんだろう>
 命の意味をあらためて見詰めた愛さんは、ずっとあこがれを抱いていた台湾に留学する決意を記した。
 <どうしてもこれを実現したい。後悔はしない>
 留学後も被災地を思い続けた。謝謝台湾実行委員として日本と台湾を何度も往復。2014年3月には台湾でのイベント後、仲間と閖上を訪れて「日台絆シート」を届けた。そこには、台湾の人々が折った無数の折り鶴と「日本加油(頑張れ)」の文字があった。
 「台湾との絆が強くなっていくことを、娘は誰よりもうれしく思っていた」と小野さんは振り返る。
<安全な社会願う>
 愛さんが亡くなった当時、台湾では日本人女性の事故死に強い関心が集まった。小野さんが遺体安置所に行くと報道カメラが群がり、無遠慮な質問が飛んだ。事実とは異なる情報を流すメディアもあった。
 小野さんは事故の1週間後、台湾政治大の了解を得て講義室に立ち、ジャーナリストなどを目指す学生らに呼び掛けた。「真実を伝えてほしい。遺族の心情を理解してほしい。そしてどうか、安全な社会を築いてほしい」。娘の死が、少しでも台湾社会を良くする力になることを願った。
<葛藤抱えて活動>
 あれから間もなく1年。「心のとげは今も抜けない。それは、5年が経過した震災の遺族も同じかもしれません」とつぶやく。
 小野さんは葛藤を抱えながら地道に活動を続ける。閖上の現状を伝える「閖上復興だより」を編集したり、子どもたちの防災教育に取り組んだり。立ち止まると苦しいから歩き続ける。
 5回目となる謝謝台湾は、偶然にも愛さんの命日の3月6日に重なった。小野さんは愛さんが残した実行委員のTシャツを着て参加する。胸には、日本と台湾がハートマークで結ばれたデザイン。思いはきっと伝わると信じている。


被災3県 仮設から通学なお3800人
◎学習環境への影響長期化
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で被災した岩手、宮城、福島3県の35市町村で、プレハブ仮設住宅から学校に通う小中学生は約3800人に上ることが13日、各教育委員会への取材で分かった。住宅再建の遅れや原発事故避難のため、仮設から通う子どもの割合が40%以上の自治体もあり、震災5年を前に、学習環境への影響長期化が懸念されている。
 多賀城、仙台、岩沼、南相馬、いわきの5市と、福島県川俣町、同県飯舘村はプレハブ仮設住まいの子どもを集計しておらず、実態はさらに多いとみられる。狭い仮設は子どもたちのストレスなど成長への悪影響につながるとの指摘があり、放課後学習の場を提供するといった環境改善が求められる。
 津波被害に遭った沿岸部と原発事故後に避難区域となった42市町村を対象に、昨年5月1日時点の小中学生数を聞いた。未集計を除く35市町村の総数は約6万6千人。
 プレハブ仮設の子どもの県別内訳は、岩手が12市町村1267人、宮城が12市町2007人、福島が11市町村522人。
 中心部が壊滅的被害に遭った宮城県女川町は、全体の41%が仮設住まい。岩手県大槌町では2012年度に比べ150人以上減ったが、29%が仮設住まいだ。よりよい学習環境を求め、子育て世代が町外に引っ越す要因にもなっている。
 福島県富岡町は、原発事故で避難区域となった影響で同県三春町に小中学校を移転。この学校に通う39人中16人は仮設住宅に住んでいる。ほかの避難先で学校に通う児童生徒もいるとみられ、町教委は「仮設暮らしの子どもはもっといるはず」と話す。
 プレハブ仮設は一般の住宅より狭く、物音が響きやすいため、学習面の弊害も。高校受験を控えた中学3年の息子を持つ東松島市の女性(42)は「4畳半の部屋を兄弟2人で使っている。落ち着いて勉強できる環境ではない」と嘆いた。
 宮城県義務教育課の桂島晃課長は「生活基盤が安定せず、不安を抱える子どもは多い。学習環境や相談態勢を整え、一人一人に寄り添うことが必要だ」と話した。
[仮設住宅と子ども]仮設住宅は災害で自宅を失った被災者に自治体が無償で提供する。プレハブの長屋形式が多く、標準的な広さは1戸当たり29.7平方メートル。子育て世代にとっては狭く、隣に音が響きやすいためストレスになりやすい。換気の悪さでカビが発生し、子どものアレルギー疾患への影響も指摘される。入居期間は原則2年間だが、東日本大震災では復興の遅れから大幅に延長している。岩手、宮城、福島3県のプレハブ仮設には1月末時点で約5万9千人が入居している。


<防潮堤>海の眺望遮り、住民対応求める
 東日本大震災の災害復旧事業で、宮城県が同県亘理町の景勝地「鳥の海」に整備中の防潮堤に住民から不満が出ている。津波防御で高くした結果、視界が遮られて海が見えづらくなったためだ。災害時の備えや観光地としてのにぎわい再生に向け、町などに水面(みなも)の眺望を取り戻す対策を求めている。
 「すっかり海が見えなくなってしまった」
 沿岸から約200メートルの場所に暮らす同町荒浜地区箱根田東行政区の桜井幸次区長は、視界を阻むコンクリートの壁を寂しそうに見つめる。
 鳥の海は阿武隈川河口の南にある内湾状の汽水湖。震災前は沿岸に路面から高さ約60センチ程度の低い堤があった程度で、周遊して眺望を楽しめる観光スポットだった。
 震災では、津波が堤を越えて大きな被害が出た。農林水産省は県の業務を代行し、鳥の海の湾内全長3.9キロの堤を、海抜3.6メートルの高さの防潮堤として整備し直す復旧工事に着手。北岸の1.2キロ分は昨年7月に完成した=地図=。この結果、路面からの高さは2メートル近くになり、湾内の様子が見えづらくなった。
 町独自に防潮堤をさらに高くする構想もある。町が2014年に開いた同行政区の住民説明会では、防潮堤をさらに1.4メートル高くして海抜5メートルにする計画を示した。
 震災前に210戸あった同行政区は、自宅の再建や新たな転入などで170戸まで戻った。
 「震災時に鳥の海の引き波を見て避難して助かった住民もおり、海が見えないと不安に感じる。眺望が望めない景勝地でにぎわいを再生できるかも疑問だ」と桜井区長。荒浜地区の区長会は、防潮堤の集落側を並行して走る道路をかさ上げして視界を保つよう町に要望している。
 町企画財政課は「将来を見据えた防災事業の在り方を精査している最中で、町独自での防潮堤のかさ上げはまだ決定していない。住民の要望には関係機関と協議して対応を検討したい」と話している。


<検証地域農業>地力回復へ試行錯誤
◎震災5年へ(中)本格復旧なお道半ば
 営農再開のトップランナーが、想定を超える地力の低下に直面している。陸前高田市小友町の農事組合法人「サンファーム小友」は作付け2年目の2015年秋、著しい収量減に見舞われた。
 広田半島の付け根にある小友地区は、東西から押し寄せた最大16メートルの津波に農地110ヘクタールが丸ごとのみ込まれた。再起は14年3月。301戸が参加して集落営農型の法人を設立し、市内で最も早く復興へのスタートラインに着いた。
 14年は84ヘクタールの圃場に、市が農業再生のシンボルとして展開する地域ブランド米「たかたのゆめ」やひとめぼれなどを作付けした。10アール当たりの収量は市内の平均を上回る500〜530キロに達し、まずまずの滑り出しをみせた。
<肥切れ著しく>
 変調が訪れたのは15年夏。青々とした稲の成長が7月に入り、ぴたりと止まった。「たかたのゆめ」は前年比170キロ減の360キロまで収量が下がり、500万円の営農赤字になった。
 専務理事の佐藤悦男さん(65)は「高温少雨など天候の影響もあるだろうが、『肥切れ』が明らかだった。復旧農地は2年目が難しいと言われるが、ここまで土がやせていたとは…」と表情を曇らせる。
 東日本大震災の地震で約1メートル沈下した田んぼのかさ上げに三陸道の工事などで出た山土を使い、表土にはがれきが混じった田んぼの土を分別して戻したが、震災前の土壌には程遠かった。作付けを90ヘクタールに拡大する16年は堆肥を多めに入れるなどし、対策を強化するつもりだ。
 佐藤さんは「米価低迷にもかかわらず肥料などの価格は上がっており、採算を考えると厳しい。圃場は30〜50アール区画に整ったが、足元の生産回復はかなり時間がかかる」と思い悩む。
 地力は落ち込み、地割れするなどした用水路は手直しが続く。客土をした復旧農地には岩も混じる。5年近くを経てもなお、険しい道のりが続く。
<前例なき開拓>
 農地復旧を山から切り出した土に頼らざるを得ない宮城県南三陸町。町内の在郷営農組合は15年、畑地でネギ栽培に初挑戦した。だが8、9月の日照不足や大雨による根腐れで生育不良が多発。落胆が広がった。
 県本吉農業改良普及センターなどの現地検討会では、固まりやすい粘土質で有機物が少ない搬入土による水はけの悪さが要因とされた。今後、畑の下層を破砕するなど対応を検討する。
 栄養分がほとんどない復旧農地を改善するため、県は堆肥を通常の3倍投入するなど5年間の土壌改良プログラムにも取り組む。県気仙沼地方振興事務所の佐々木久則南三陸支所長は「前例のない『開拓』のようなものだが、少しずつ豊かな土に変えていくしかない」と話す。(元柏和幸)


被災地未復興54% 震災の記憶持ち続けよう
 東日本大震災に関して、共同通信社が岩手、宮城、福島3県の沿岸部に住み、津波などで避難生活を強いられた300人を対象に実施したアンケートで、地域の復興が進んでいないと捉えている人が計54%に上った。
 未曽有の被害、犠牲者をもたらした大震災から間もなく5年を迎える。政府は3月までの5年間を集中復興期間として約26兆円を確保、復興に取り組んでいる。だが被災者の期待と、ふるさと再生の進捗(しんちょく)状況に大きな隔たりがあることが、アンケートから浮き彫りになっている。
 復興を加速させ、あらゆる手段を講じて、被災各地域の実情と住民のニーズに合った生活再建、地域の再生を早期に成し遂げることをあらためて政府に求めたい。
 アンケートで、地域の復興が進んでいないと感じる理由として、高台移転など宅地や住宅整備の遅れが指摘されている。高台移転事業は昨年末時点で宅地造成完了が3県で約30%、災害公営住宅の整備も岩手、宮城両県は50%弱という状況だ。福島県は東京電力福島第1原発事故の影響で整備計画の策定自体が遅れている。
 宅地や道路の整備がもう少し早ければ、地元に残る人はもっといたのではないかという被災者らの指摘もある。今後もインフラや宅地整備の遅れが人口流出を深刻化させる要因になりかねない。スピード感を持って対応したい。
 このほかアンケート結果から分かるのは、被災者らは医療の充実、人口減少対策、地域の再生などを強く望んでいることだ。
 安全、安心な町に整備しても仕事がなければ人は出て行く。地域産業の再生も大きな課題だ。若者の流出が続けば町の活力が失われる。若者の雇用の場を優先的につくり、子ども向けの施策を充実させる必要がある。医療機関の整備も欠かせない。
 復興は、道路や港湾など生活基盤の復旧を迅速に進めつつ、地域のあるべき将来像、自立をきちっと考えた長期的目標を持って進めていきたい。
 5年という時間の経過とともに震災の記憶を「風化」させてはならない。国民の間に無関心が広がることを被災地の人々は恐れている。関心や理解が薄まれば、復興に影響が及ぶ。震災から5年目に入るのを契機に、被災地、被災者の現状に一層関心を持ち、何ができるのか、さらに知恵を絞りたい。


<石巻長面浦叙景>手掛かり捜し今もなお
◎潟の震災史(2)遺族
<地面に目凝らす>
 長靴に作業着姿の人々が一列に並び、くわなどで土を掘り返す。小さな手掛かりも見逃すまいと地面に目を凝らす。
 東日本大震災で被災した石巻市の長面地区。行方不明者の捜索に昨年11月、初めて家族らが加わった。
 長面浦に面する尾崎、長面の両地区は、津波で92人が死亡し、23人が行方不明になった。長面の一部は水没が続き、陸上捜索は昨年7月まで待たされた。
 永沼梅夫さん(65)は父梅人さん=当時(89)=と母禮子さん=同(82)=、妻千鶴子さん=同(59)=の行方が分からない。
 永沼さんは当時、女川町の女川郵便局に勤務。2日後、住民が身を寄せる内陸部の避難所にたどり着き、長面の被害状況を知った。家族3人は自宅にいたと聞かされる。
 遺体の身元確認に2週間ほど通い、仕事に復帰した。「働いている間は悲しさを忘れられる」。3カ月後に死亡診断書を提出。お盆には地区の合同葬儀に参列した。
 3人は夢にも現れない。「なぜ逃げなかったと、俺に怒られると思っているからだろうか」。死者へ思いをはせる。
<霊媒師を訪問も>
 何かにすがりたいと、霊媒師を訪ねたことがある。成仏しているのかどうか、3カ月で死亡診断書を出したことをどう思っているのか、知りたかった。自分を責めていないと聞き、安心したが「誰の骨もないのはつらい。愚痴を言える妻がいないのはさみしい」とつぶやく。
 工務店を営む三條経三郎さん(64)は、長面の自宅で妻と共に暮らしていた三男泰寛さん=当時(18)=を亡くした。
 泰寛さんは当時、石巻商高3年。電子部品メーカーに就職が決まっていた。社会人生活に向け、車の免許を取得しようと自動車学校に通っていた。
 三條さんが振り返る。「仮免許の合格を喜んでいた。就職に間に合うと話し、震災直前に車も買った。一度も乗らないままになってしまった」
<割り切れぬ思い>
 震災当日、三條さんは亘理町で住宅の新築工事に携わっていた。妻も外出していた。泰寛さんは自宅で津波にのまれたとみられる。
 長面周辺は冠水。三條さんは3日目に山側から長面にたどり着き、泰寛さんを見付けた。
 「もう大工を辞めようか」と思ったが、周囲には自宅が被災した顧客が待っていた。仕事を再開し、市の内陸部に14年12月、工場再建を果たした。
 「考えても息子は戻らない。この寿命で生まれたと思うしかない。線香を付けてやれる生活力がないと、供養もできない」
 そう言い聞かせるが、なかなか割り切れない。「泰寛は寒かっただろうと考えると、温かいものを食べると悪いなと思う」
 震災から間もなく5年。心はまだ揺れ動く。


<震災遺構>悲しみの母校 向き合う卒業生
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市の大川、門脇両小校舎の遺構保存をめぐり、市民を対象とした公聴会が13日、同市内であった。遺族や地元住民ら男女計21人が持論を展開。「震災の教訓を後世に伝えるため必要」「見るたびにつらくなる」などと複雑な感情が交錯した。
◎大川小「風化させたくない」/永沼悠斗さん(21)
 多くの大切なものを失った震災から5年近くがたち、やっと一歩前へ進めた。
 大学3年永沼悠斗さん(21)は大川小の公聴会に臨み、約70人を前に母校の保存を訴えた。「大川小を見て防災意識を高め、多くの命が救えるなら残した方がいい」
 2011年3月11日。石巻市長面地区にあった自宅は津波で流され、大川小2年だった弟=当時(8)=を亡くした。永沼さんはしばらく、思い出が詰まった大川小を見ることも、足を運ぶこともできなかった。
 小学校卒業後に通った旧大川中が震災の影響で13年3月に閉校となり、校舎は解体。愛着ある学びやが姿を消し、寂しさと悔しさが募った。
 「震災を経験した者にとって風化させず、警鐘を鳴らし続けることは使命。せめて大川小だけでも残したい」。公聴会開催を知り、公の場で意見を述べる決意をした。
 会場で解体を求める遺族らの切実な声にも耳を傾けた。「遺族のつらさはよく分かる。保存、解体どちらの意見も大事。どちらかが多いから良いというわけでもない」
 亀山紘市長は本年度内に保存の可否を判断する見通しだが、永沼さんは時期尚早と考える。「もっと話し合いの場を設け、広く、深く意見を聞いてから結論を出してほしい」と切望する。
◎門脇小「世代超え残したい」/阿部桃花さん(17)
 母校の遺構保存をめぐる議論を聞き、震災時の在校児童として意見を言いたいと思いマイクを握った。
 「門脇小を残してほしい」。石巻高2年の阿部桃花さん(17)は静かに話しだした。当時は6年生。地震の後、教師の引率で背後の日和山に登り、難を逃れた。
 同校は、学校にいた児童約270人が日和山に避難して無事だった。訓練で地震が来たら高台に逃げろと教えられていたという。
 自宅は被災を免れたが、津波やがれきに引火して炎が迫った。門脇、南浜両地区では400人以上が死亡・行方不明。友人の多くは家や家族を失った。
 阿部さんは「悲惨な姿になった校舎は震災を伝えるシンボル。何世代も先に伝えていきたい」と訴えた。
 校舎近くに住む宮城水産高教諭平居高志さん(53)は解体を主張し、防災教育の在り方に疑問を呈した。「過去の災害が伝えられていなかったと言うが、実際はたくさんあった。ただ、私たちに歴史に学ぶ姿勢がなかっただけ」と断じる。
 それでは多大な費用を掛けて校舎を残しても、防災につながらない。平居さんは「校舎の保存よりも、過去に学ぶ心を教育していくことにエネルギーを費やすべきだ」と呼び掛けた。


<震災遺構>大川、門脇小の保存めぐり公聴会
 石巻市は13日、東日本大震災で被災した大川小と門脇小の校舎の遺構保存をめぐり、市民を対象とした公聴会を市内で開いた。大川小の公聴会では12人が意見を述べ、うち8人は保存に賛成し、4人は解体を求めた。亀山紘市長はこの日の意見などを踏まえ、年度内に保存の可否を判断する考えをあらためて示した。
 児童と教職員計84人が犠牲となった大川小の公聴会は飯野川中であり、遺族や地元住民ら約70人が参加した。6年だった次女みずほさん=当時(12)=を失った佐藤敏郎さん(52)は保存を求め「遺構としての意義を考える上で最も大切なのは未来のために有益かどうか。楽しく学び遊んだ子どもと先生がいたことを深い悲しみとともに伝えていくべきだ」と語った。
 6年だった長女小晴さん=当時(12)=を亡くした平塚真一郎さん(49)は解体を訴えた。市が昨年実施した大川小校舎に関するアンケートで、地元住民の54.4%が「解体」と答えた経緯などに触れ「悲しみを想起させ、遺族に苦しみを与える校舎は必要ない。遺族や集う方々の心安らぐ場にしてほしい」と望んだ。
 門脇中であった門脇小の公聴会には約40人が出席。意見を述べた9人のうち5人が保存を支持、3人が解体を訴えた。1人は「是非を急いで決めるべきでない」との立場だった。
 門脇小では下校していた児童7人が犠牲になった。当時、校長だった鈴木洋子さん(65)は「未来の子どもたちを津波から守りたい。校舎を学びの場として多くの人に足を運んでもらい、風化を押しとどめたい」と保存を要請した。
 一方で菊池康博さん(76)は「子ども3人が門脇小を卒業し、思い入れはあるが、公費での保存には反対。費用は復興に使うべきだ」と解体を主張した。
 両会場とも意見発表者からは時間をかけて議論を尽くすよう求める声が相次いだ。亀山市長は終了後、「遺族らの率直な思いを聞くことができた。保存、解体の両者が納得できるような解決策が見いだせないか考えたい」と話した。


仮設巡回の美容師 「一区切り」活動終える
 神戸市の女性美容師が東日本大震災で大きな被害が出た宮城、福島両県の仮設住宅などで続けてきたカットのボランティア活動を終えた。生活再建が進み居住者が減ったことから、震災5年を区切りと考え、決めた。髪の手入れを通じて明るさを取り戻した被災女性らは、これまでの支援に感謝している。
 最後の活動は今月8日、亘理町の公共ゾーン仮設住宅であった。美容師久保〓(じゅん)子さんは椅子に座る被災者に「切るのは1センチぐらい?」と語り掛けながら、はさみを動かした。
 久保さんは2011年7月からボランティアを続けてきた。神戸市内の友人らでつくる支援団体「ご縁を支援に救援隊」の一員として月1回ほどのペースで亘理町と南相馬市の仮設住宅を回って無償でカットしてきた。転居先への出張も気軽に応じた。
 活動を継続した理由を「カットして喜ぶ皆さんの顔が見たい一心だった」と久保さん。1995年の阪神大震災で当時の店舗が全壊して3年後に再建した経験を持ち、東北の被災者が人ごとと思えなかった。
 忘れられない出来事もあった。昨年2月、南相馬市で常連の高齢女性がカットしてわずか2日後に亡くなった。「いつも無口なのに、その時だけ『ありがとう。またね』と言ってくれた。それが別れになるとは思わなかった」と思い返す。
 久保さんは3月に団体主催のイベントで再び被災地を訪れるが、カットのボランティアは今回が最後と決めた。
 「名残惜しいけど、みんなが元気で自立することを願っている」と久保さん。亘理町の仮設住宅でよくカットしてもらい、現在は再建した自宅に戻った丸田和子さん(77)は「久保さんが来るのがみんな楽しみだった。被災の悲しみから前を向くことができた」と感謝する。
〓はにんべんに旬


処理水放出の重要性強調 田中規制委員長、凍土壁効果を疑問視
 原子力規制委員会の田中俊一委員長(福島市出身)は13日、東京電力福島第1原発を視察した。視察後に取材を受けた田中委員長は、多核種除去設備(ALPS)での浄化後に地上タンクで保管されているトリチウムを含む水を海洋放出することが汚染水問題の解決につながるとの持論を展開した。
 運用開始の可否が注目される凍土遮水壁について、これまで凍土遮水壁の効果に疑問を呈している田中委員長は「あまり関心がない。凍土遮水壁で少しばかり建屋内に入る地下水量を減らしても何も解決しない」とし、「(ALPSで)処理した水を海に捨てる持続性のあるスタイルをつくらないと廃炉は進まない」と語った。また廃棄物の保管状況を視察した田中委員長は「タンクを造る場所がない状況も確認した。汚染水を保管するタンクの増設は廃棄物の増加につながる」と述べ、増加の一途をたどる廃棄物処理の観点からもトリチウム水の海洋放出の必要性を強調した。
 政府と東電は、1〜4号機建屋周辺の地中を凍らせて氷の壁を造る凍土遮水壁を汚染水対策の切り札に位置付けており、凍土遮水壁の運用で1日当たり約400トンとされる汚染水の発生量を同100トンに減らせると試算する。トリチウム以外の62種類の放射性物質を除去できるALPSで浄化された汚染水は地上タンクでの保管が続いている。


社会保障費の偏り 若者が声を上げる番だ
 若い世代の社会保障費が極端に少ないのが日本の特徴だ。人口減少を食い止め、持続可能な社会にするためには「支える側」を拡充する必要がある。
 自民党は長期的な社会保障制度などを検討する「2020年以降の経済財政構想小委員会」を設置し、事務局長に34歳の小泉進次郎氏を就けた。選挙権年齢が「18歳以上」となる夏の参院選に向けた若い有権者へのアピールではあろう。しかし、とかく高齢者受けする公約が目立っていたのが従来の選挙だ。各党には現役世代の暮らしを安定させる政策を競い合ってほしい。
 日本の社会保障の給付費は年金と医療で約8割を占める。医療費のうち65歳以上が全体の58%を占め、現役世代とは1人当たりで4倍の開きがある。子育てや職業訓練・紹介などが充実し、現役世代と高齢者の給付費が均衡しているスウェーデンなどの北欧諸国とは雲泥の差だ。
 日本の高齢化は世界で最も進んでおり、高齢者向け経費がある程度かさむのはやむを得ないとしても、若者への支出は少な過ぎる。
 背景には、若年層の雇用が比較的安定し、知識やスキルが乏しい新卒者を企業が一括採用して人材育成も担ってきた日本独特の雇用慣行がある。正社員は年齢とともに賃金が上がり、家族の生活給も含めた賃金を得られたため、妻が家庭内で専業主婦として保育や介護を担ってきた。政府は、人々が生活基盤を失う定年退職後に備えて、年金など老後の社会保障を優先的に拡充してきた。
 ところが、現在は低賃金の非正規雇用が4割を占め、共働き世帯が専業主婦世帯より多くなった。さらに現政権は「1億総活躍社会」で女性の就労を促す政策を進めている。非正規社員の待遇改善やひとり親家庭への支援、保育の拡充などが不可欠となっているのだ。
 財政規律を守り、社会保障費全体を抑制する中で若い世代に予算を投入するには、働き続けられる人への年金支給を遅らせ、経済的に余裕のある高齢者の医療や介護の自己負担を引き上げるなどの政策が必要だ。
 これまで政府は高齢者に厳しい政策を検討はしてきたが、実行は後回しにされることが多かった。高齢者の方が若者より投票率がはるかに高いうえ、高齢化の進展で年々高齢者の数が増えていくため、選挙のたびに高齢者に歓迎される公約が掲げられてきたためだ。
 「2020年以降」に高齢化は急な上り坂を迎えるが、さらにその後は加速度的な人口減少が予想されている。そのころ老後を迎える今の若い世代こそが自らの問題として偏りを正すよう声を上げるべきだ。


週のはじめに考える 人工知能は恋をする?
 人工知能(AI)が大活躍です。囲碁ではプロ棋士を破り、車の運転も認められました。チョコを交換するようなパートナーになっていくのでしょうか。
 米グーグルの開発したAI「アルファ碁」が、プロ棋士に連勝したことが先月、発表されました。
 思い返せば、米IBMの「ディープブルー」がチェスの世界チャンピオンに勝ち越したのが一九九七年。当時、盤面の広さから将棋や囲碁は難しいといわれました。
 予想以上に強くなったのは、ディープラーニング(深層学習)と呼ばれる技術が生まれたからです。大量のデータの中から「特徴」を探し出し、応用することができるようになりました。
◆ゲームには強いAI
 例を挙げると、AIに大量の動物の写真の中からネコの写真を選び出させます。ネコを知りませんから、最初は間違いを繰り返します。そのうち、ネコと他の動物の違い、つまり「特徴」を見つけ出します。初めて見るネコの写真に「特徴」があれば、ネコだと判断するようになります。
 アルファ碁は、大量のプロの棋譜を学習し、どこに打つのがいいのかを判断できるそうです。プロ棋士の持つ直感とか、大局観とかを手にしたのかもしれません。
 どうも人間の方が分が悪いようです。なぜでしょうか。
 AIは大量のデータを処理するのが得意です。ルールがはっきりしていて、データに基づいて最適なものを選んでいくチェスや囲碁は、その能力が最大限に発揮できるのです。
 人間としては「現実社会ではそうはいかないよ」と言いたいところですが、野村総研が昨年十二月、英オックスフォード大学のオズボーン准教授らとの共同研究として、日本の労働人口の49%の職種が十〜二十年後までにロボットやAIと置き換えることが可能だという研究報告を発表しました。
◆ホワイトカラーも代替
 対象とした六百一職種のうち、代替可能性が高いのは、一般事務員、医療事務員、行政事務員、経理事務員などのいわゆるホワイトカラーの仕事です。給食調理人、自動車組立工、測量士、タクシー運転手など、技術や資格が必要な職業も含まれています。
 代替が難しいのは、医師、教員、芸術家などです。ネイルアーティスト、バーテンダー、ツアーコンダクター、ソムリエといった片仮名の職業も入っています。創造的な仕事や社会性が必要な仕事は置き換えが難しいのです。
 オズボーン准教授は「ネイルアーティストの仕事のうち、爪に絵を描くことはロボットでもできるようになる。でも、お客の一人一人の好みを察して、デザインを提案するのはAIには難しい」と説明しました。
 実際、十日には米道路交通安全局(NHTSA)が、自動運転車に搭載されるAIについて「運転手とみなすのが妥当」との見解を出したことが報道されました。
 医師の仕事は残りますが、診断は別です。米IBMのAI「ワトソン」は、画像データなどから、医師よりも正確に診断することを目指しています。データをAIが調べ、医師が患者に説明する日が来そうです。過去の膨大な判例の知識が必要な弁護士や、大量のデータの分析をする公認会計士でも、AIは賢いアシスタントになりそうです。
 記者も人ごとではありません。米国のAP通信はすでに、中小企業の決算記事などをAIに書かせています。(企業や政府の)発表通りに記事を書くのならAIで十分。AIにできないのは質問をすることとか。耳の痛い話です。
 この分野は今、米国が先行しています。しかし、AIだけでできることは限られています。AIを組み込んだロボットも必要です。そこは日本の出番です。
 すでに、ソフトバンクの人型ロボット「ペッパー」は銀行やホテルの受付にもいます。二〇二〇年の東京五輪までには、英語、中国語などの外国語を話すロボットが「おもてなし」の最前線で活躍しているかもしれません。
◆最後に決めるのは人間
 もちろん、未来がばら色とは限りません。職が奪われると心配する人もいます。AIの調子がおかしくなったとき、人間が修理できるのかも不安です。でも、どう利用するのかを決めるのは、AIではなく、人間です。時間をかけて議論していけばいいでしょう。
 日本人にとって、ロボットは鉄腕アトムの時代から親しみのある存在です。バレンタインデーにチョコレートを贈りたくなるようなロボットが現れるといいですね。逆に、AIはいつか、人に恋をするようになるでしょうか。実は専門家でも意見が割れています。進歩が楽しみですね。


機動隊「無表情」で市民排除 重なる「本土の無関心」
 国と沖縄県の双方が、名護市辺野古(へのこ)への米軍新基地建設をめぐり訴訟を起こしている。名護市内では、工事に反対する市民の抗議行動が続く。現場で何が起きているのか。昨年末に約一カ月間、沖縄を取材したフリージャーナリストの木佐美有(きさみゆう)さん(35)に語ってもらった。 (聞き手・篠ケ瀬祐司)
 −印象的だったのは何か。
 「機動隊員や海上保安官の目だ。二十代、三十代の機動隊員らは、感情を表に出すことを禁じられているような無表情で、工事車両を止めようと座り込む市民を排除していた」
 −それでも市民は毎日抗議を続けている。
 「『これ以上、沖縄に米軍基地はいらない』『(埋め立てで)大浦湾の自然を壊さないで』と米軍キャンプ・シュワブのゲート前で声を上げ『私たちの誇りが踏みにじられるのが許せない』とカヌーで海に出ていく。新基地はいらないとの強い決意、自分たちの歴史や文化、自然への誇りに支えられた強いアイデンティティー(主体性)を感じた」
 −機動隊員の無表情と市民の決意との差が大きい。
 「東京出身の私も含めて『本土(沖縄県以外の地域)』の人間は、沖縄の基地反対運動をどうとらえているか。日本の安全のために仕方がない、国が決めたことだからどうしようもないと考える人が多いのではないか。そうした『本土』の無関心や、東京大の高橋哲哉教授が著書で指摘している無意識的な沖縄差別は、機動隊員の無表情さと重なると気付いた」
 −政府は「辺野古への移設が唯一の選択肢だ」と繰り返している。
 「辺野古でなければならない必然性を十分示さないまま、新基地に反対する市民を弾圧していないか。地域分断政策をとっていないか。関心を持ち、自分の問題ととらえて考えてほしい。今、大浦湾の自然やジュゴンにまつわるドキュメンタリー映像の制作に取り組んでいる。新基地反対の様子も織り込む。辺野古の現実を知ることが、より多くの人が自分の頭で考え、意見を持てる社会に変わるきっかけになればと思う」
<きさみ・ゆう> 1980年東京生まれ。ネットメディア勤務などをへて、フリージャーナリスト。東京電力福島第一原発事故の被災地や辺野古新基地建設の抗議現場を取材し、海外への発信にも取り組む。


安保法に反対 若者らがデモ行進 東京
憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法について若者のグループなどが都内でデモ行進し、「憲法を守ろう」などと訴えました。
デモは安全保障関連法に反対する活動を続けている若者のグループ「SEALDs」などが行い、出発前に東京の代々木公園で開かれた集会には、主催者の発表で4000人以上が集まりました。
この中で精神科医の香山リカさんは「今や平和は静かに作り上げるものではなくなった。平和で希望のある社会を取り戻すために、一緒に立ち上がりましょう」と呼びかけました。また、「SEALDs」のメンバーで大学4年生の牛田悦正さんは「何度も同じようなデモをしてきましたが、あきらめてはいけない。一緒に抗議の声をあげ続けましょう」などと訴えました。
このあと参加した人たちは「民主主義を取り戻せ」などと書かれたプラカードを掲げながら渋谷の繁華街をデモ行進し、「憲法を守ろう」と訴えたり来月に施行される安全保障関連法に反対を訴えたりしました。


9割弱も売れ残る神戸空港の企業用地 開港10年も先行き見えず
 16日に開港10周年を迎える神戸空港で、神戸市が造成した空港島の企業用地の約9割が売れ残っていることが13日、市への取材で分かった。企業用地の売却収入は、総事業費約3140億円の約7割をまかなう市債約2100億円の償還財源に充てる“頼みの綱”だった。2年前には航空貨物が撤退、旅客数も伸び悩んでおり、企業進出には依然不利な状況が続いている。
わずか13%…平成25年度を最後に売却進まず
 市によると、空港島全272ヘクタールのうち、滑走路といった空港関連用地などを除き、82・8ヘクタールの売却を進めてきた。今年1月末までに売却や賃貸契約を結ぶことができたのはレンタカーやヘリコプター、結婚式場など計8社で、面積は全体の13%にあたる10・8ヘクタール。これまでの賃貸・売却収入は115億円にとどまり、用地売却は平成25年度を最後に進んでいない。
 市は当初、借り入れた市債の償還に用地売却収入を充てる計画を立て11〜16年度に約1982億円を起債。26年度に償還を終える予定だったが、売却が進まなかったため22年度からは償還が困難になった。新たに市債を発行して穴埋めしているが、借入金の利子など返済額はふくらんでいる。
 市担当者は今後の用地売却に関し「航空産業数社から引き合いはある」とする一方で「(関西国際、大阪・伊丹との)関西3空港一体運営交渉を成功させれば収益構造も改善する。売り急ぐことはない」としている。
大型機こず着陸料低迷
 神戸空港の平成26年度の旅客数は244万人。全国97空港中15位で、自治体管理の空港としては1位だ。しかし「1日30往復、15時間」の発着枠、運用時間制限が足かせとなり、着陸料収入や旅客数は頭打ちとなり、管理収支は23年度から実質赤字に陥った。
 神戸空港は昭和40〜50年代、国の国際空港構想の有力候補だったが、当時の市長が建設反対を表明し、一時棚上げとなった。地元経済界などの強い要望や、平成7年の阪神大震災からの復興の起爆剤としての期待が高まり、国内線専用空港として神戸港沖に18年2月に開港した。
 市は開港前、「着陸料の高い大型機が就航し、旅客数は22年度以降に400万人超で推移。島内に造成した企業用地の売却で、市が大半をまかなった事業費の債務を返済する」という未来図を描いていた。
 しかし、26年度の旅客数は244万人と当初予測の約6割で、発着する旅客機も小型機中心。用地売却は進まず、空港の管理収支は23年度から実質赤字に転落した。市はそれ以降毎年度、別の新都市整備事業会計から資金を繰り入れ、赤字の穴埋めをしている。
発着枠規制が足かせに
 神戸空港には、関係自治体や経済団体などでつくる関西3空港懇談会で17年に合意した発着枠(1日最大30往復)、運用時間(午前7時〜午後10時)の規制がある。現在は6路線で29往復が就航するなど発着枠はほぼ上限に達している。海上空港で騒音問題の懸念が少ないにもかかわらず、深夜の発着も不可能だ。
 需要予測と現実の数字について、市担当者は「需要予測は大型機の就航を見込んだ数字。期待もあった」と見通しの甘さを認めるが、旅客数低迷の背景には機材の小型化や関空を拠点とする格安航空会社(LCC)の台頭に加え、発着枠規制という「足かせ」の存在があることは間違いない。
一体運営は不透明
関西国際、大阪(伊丹)両空港は4月から民間の関西エアポートによる一体運営が始まる。
 神戸市の担当者は、この一体運営に活路を見いだそうとしている。神戸空港の運営権を売却して3空港一体運営が実現すると、発着枠などの制限が緩和され、潜在需要が掘り起こされるとみる。
 「建設に伴い発行した市債の償還は26年度(18億4400万円)がピーク。今後は返済額も減っていく。規制緩和が進めば再び黒字化も可能だ」と担当者。
 ただ、神戸空港の発着便の約7割を占めるスカイマークは経営再建中で、他社の大型機導入の目途はたたない。久元喜造市長は「さまざまなルートから、3空港一体運営は実現できると確信している」と自信を見せるものの、その実現は不透明なままだ。関西エアポートの山谷佳之社長も「当面は関空と伊丹の運営で精いっぱい。今後余裕が出てくれば前向きに検討したい」と、運営権の譲渡に慎重な姿勢を崩していない。

三宮で東北しるもんフェスタ/福島みずほさん講演会

必ず明日はやって来る

Toutes et tous faucheurs de chaises
L’argent de la transition écologique et sociale existe : il est dans les paradis fiscaux ! Pour répondre à la menace grave et imminente que représente l’évasion fiscale, des citoyen.ne.s ont déjà mené des dizaines d’actions de réquisitions citoyennes dans les agences des banques les plus implantées dans les paradis fiscaux.
En 2016, les actions des faucheurs de chaises vont se multiplier, jusqu’à faire céder BNP Paribas et les banques impliquées dans l’évasion fiscale.
Faites un don ou contactez nous si vous souhaitez passer à l’action.
Toutes et tous #FaucheursDeChaises
Notre-Dame-des-Landes : le référendum, une ≪fausse bonne idée≫ pour une fédération d'usagers
François Hollande a annoncé ce jeudi un référendum local sur le projet d'aéroport Notre-Dame-des-Landes. Pas vraiment une bonne idée pour la Fédération nationale des usagers des transports.
Le référendum local sur le projet controversé d’aéroport de Notre-Dame-des-Landes (Loire-Atlantique) est une ≪fausse bonne idée≫ a jugé samedi la Fédération nationale des usagers des transports (Fnaut), hostile au projet.
Qualifiant l’initiative annoncée jeudi par le président de la République François Hollande d'≪improvisée≫, elle pointe dans un communiqué les ≪multiples difficultés≫ d’organisation, comme la question exacte qui sera posée, le périmètre géographique de la consultation, la qualité et l’objectivité des informations fournies au public.
≪Qui décidera des modalités de consultation? L’Etat et les collectivités locales, promoteurs du projet, ne peuvent être juge et partie≫, estime-t-elle. Selon elle, ≪le projet concerne la collectivité nationale≫, car c’est l’Etat qui en est le maître d’ouvrage et qui s’est engagé financièrement et ≪ce n’est pas aux régions de décider des grands investissements nationaux≫.
Vendredi soir en déplacement en Allemagne, le premier ministre Manuel Valls a espéré que ce référendum soit organisé ≪avant l’ été≫ pour permettre, si le oui l’emportait, d’éventuels travaux de commencer en octobre.
フランス語
フランス語の勉強?
ETV特集「下神白(しもかじろ)団地の人々」
去年2月、福島県いわき市に原発事故の避難者が入居するアパートが完成した。県営下神白(しもかじろ)団地。第一原発に近い四つの町、富岡、大熊、双葉、浪江の住民337人が入居した。住民の多くは高齢者で、長引く避難生活のなか体調を崩した人も少なくない。阪神淡路大震災ではこうしたアパートで900人近い人たちが孤独死した。事故がなければ出会うことがなかった人たちが、団地で始めた新たな暮らし。カメラが見つめた。
濱中博久

食糧危機の切り札!? 耐塩性作物
世界の食糧生産が大きな危機に直面している。「国際土壌年」と定められた今年、国連は農地の土壌が次々と劣化していると発表した。原因の1つが、土壌に塩分がたまる「塩類集積」。特に世界中の灌漑農地で被害が広がっている。その対策として注目されるのが塩分濃度の強い土壌でも育つ「耐塩性作物」だ。今年、植物が取り込んだ塩分を排除するメカニズムが世界で初めて明らかになった。世界の食糧危機は乗り越えられるのか!?
これが塩類集積のメカニズム/ 私たちの選ぶこれから(京都大学大学院農学研究科科 間藤徹教授)/ インド・パンジャブ州の塩類集積が起きた畑。元々小麦などを育てていたが、過剰な灌漑により塩分がたまり耕作放棄地となってしまった。このような塩類集積がいま世界各地で起き、食糧生産に大きな打撃を与えている。/ 塩類集積が灌漑農地で起きるメカニズム。水をやりすぎると水分が地下に浸透し、地下水の上昇が起こる。やがて地表にまで上がってきた地下水は蒸発し塩分が残る。これを繰り返すとどんどん塩分がたまり、塩類集積となる。/ 日本でも塩害は起きている。宮城県石巻市。東日本大震災の津波で、海水が水田にたまったままとなっている。塩分の含まれていない土を盛り、農地として整備するため、営農再開まではあと4年かかるといわれている。/ 海水を入れて試験栽培されている耐塩性イネ。岩手生物工学研究センターの高木宏樹主任研究員は、東日本大震災をきっかけに開発に着手した。/ 普通のイネと、耐塩性イネの成長比較。塩水に浸した状態で成長を比較した。岩手生物工学研究センターで開発された耐塩性イネは、枯れることなく成長を保っている。/ 京都大学大学院農学研究科・間藤徹教授。日本土壌肥料学会会長も務め、土壌と植物の関係について研究を続けている。/ 東京農業大学応用生物科学部・樋口恭子教授。ヨシのナトリウム排除の仕組みを解明した。ヨシの体内では、一度根に取り込まれたナトリウムが、茎の付けねまで上がったところでUターンし、根の先に送り返されているという動きを世界で初めて明らかにした。/ ヨシはイネの仲間だが、塩分濃度の高いところでも育つ。ヨシがどのようなメカニズムでナトリウムに対抗しているのかが解明できれば、耐塩性作物の開発にいかせると期待されている。

しんがりの思想 ―反リーダーシップ論― (角川新書)
KADOKAWA/角川マガジンズ
2015-04-10


「消費させられる」から、「選ぶこと」への転換という考え方に、新たな視点を感じる。  西山達弘
副題に反リーダーシップ論とある。と言っても、組織論に関する本ではない。独自の視点で今の日本を憂い、市民性の復活を願うエッセイ集である。
いくつか、印象に残った言葉がある。
「その人たち(=政治家たち)は、次の世代が経済を回すための需要を経済成長の名で先食いしようとしている。」
「2013年の秋に人口減少をめぐるレポートが公表された。…そこから地方中核都市への地方交付税の集中的な配分が必須だと言うのだが、これは出生率が地方・農村で高くて大都市圏で低下してきている事実からしても危うい政策だろう。」
「日本社会は明治以降近代化の過程で、…地域社会における相互支援の活動を国家や企業が公共的なサービスとして引き取り市民はそのサービスを税金やサービス料と引き換えに消費するという仕組みに変えていった。…西欧がそうした相互支援の活動を行政機構と個人の間にある中間集団に残しておいたのとは対照的に。」
「では、トラブルが起こった時、サービスが劣化した時に私たちにできることは何か。皮肉にも行政やサービス企業の担当者にクレームをつけることだけなのである。」
「コミュニティの再建ということで今必要なのは…各人があの押し付けとおまかせという安楽の貪りとその惰性を超えて地域社会の運営に関与していく当事者性をどのように取り戻して行くかの構想と方法論である。」
以上の議論を踏まえて、宇沢先生の社会的共通資本の考え方を使って、市民の関わりを取り戻すことを提言する。
この市民性の発揮にあたって、フォロワーシップ(しんがりの思想)ともいうべき行動が重要となると説く。
と言っても、受身ではなく、
「リーダーに、そしてシステムに全部を預けず、しかし自分が丸ごと引き受けるのでもなく、いつも全体の気遣いをできるところで責任を担う。そんな伸縮可能な関わり方」を説いている。
もう一つ惹かれた言葉が、「押し返しの思想」である。
特に次のような文章が心に残った。
「お金とはどんな社会に一票を投じるかということである。お金という対価を通じてそれを売る人、作る人を支持し、応援する行為である。」
「消費させられる」から、「選ぶこと」への転換という考え方に、新たな視点を感じる。


三宮で東北しるもんフェスタがあるというので出かけていきました.甲南女子大学・神戸学院大学・兵庫県立大学の3大学の学生たちが頑張っていました.甲南女子大学は岡本のちかくということをなんとなく知っているくらいで神戸学院大学と兵庫県立大学はどこにあるかわかりませんが,とりあえず関係ないです.宮城のふかふか汁,岩手のあらあら汁そして福島のざくざく汁はとてもおいしかったです.お酒も売っていたので昼から飲んでしまいました.蒼天伝・あさ開・末廣でどれもおいしいです.スペイン料理に行くつもりだったのですが,おなかいっぱいです.
雨が降っていましたが場所を移動して,福島みずほさんの講演会です.とてもわかりやすく時々冗談を交えてのお話は楽しくもありました.

仮設の被災小中学生3800人 学習環境への影響長期化
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で被災した岩手、宮城、福島3県の35市町村で、プレハブ仮設住宅から学校に通う小中学生は約3800人に上ることが13日、各教育委員会への取材で分かった。住宅再建の遅れや原発事故避難のため、仮設から通う子どもの割合が40%以上の自治体もあり、震災5年を前に、学習環境への影響長期化が懸念されている。
 仙台市など7市町村はプレハブ仮設住まいの子どもを集計しておらず、実態はさらに多いとみられる。狭い仮設は子どもたちのストレスなど成長への悪影響につながるとの指摘があり、放課後学習の場を提供するといった環境改善が求められる。


追悼施設候補地 内湾など5カ所
 宮城県気仙沼市は12日の市議会震災調査特別委員会で、市が整備を計画している東日本大震災の追悼・祈念施設の候補地5カ所を明らかにした。
 候補地は漁火(いさりび)パーク(同市唐桑町)、内湾地区、片浜地区、日門漁港、津谷川右岸(ともに同市本吉町)。
 昨年9月に設立した庁内検討会が、「震災級の津波がかぶらない高台」「一定の広さを確保する」などを条件に市内9地区10候補地を選出。市が委託したコンサルタントの評価を経て、5カ所に絞り込んだ。
 市は「建設地に集会を開くような広さを確保することは想定していない。市民がいつでも祈りをささげ、眺望も良い場所を選びたい」と説明した。
 庁内検討会は震災から5年となる3月11日までに建設地を決め、4月以降に基本計画を策定。2017年度中の完成を目指す。


<アーカイブ大震災>生きたかったら残れ
 志津川湾から約300メートルの平地に立つ宮城県南三陸町の総合結婚式場「高野会館」。震災時、利用客や従業員ら約330人は会館にとどまった。「帰したら、津波で危険だ」。避難誘導に当たった従業員らのとっさの判断が、全員の命を救った。
◎逃げる その時(3)帰さず(宮城・南三陸町、高野会館)
 会館を出ようと、ロビーに殺到した人だかりが歩みを止めた。階段の前で、従業員らが大きく手を広げ、仁王立ちになって行く手を遮っていた。
 「生きたかったら、ここに残れ」。男性の怒鳴り声が響いた。
 「頑丈なこの会館が崩壊するなら町は全滅する」。同会館営業部長の佐藤由成さん(64)は、1988年の開館当初から勤務。設計段階から知り尽くした建物の強度に自信を持っていた。
 「お年寄りの足では途中で津波に遭遇してしまう」と判断したのは町社会福祉協議会総務課長の猪又隆弘さん(52)。経験と利用客の状況を踏まえ、4階建ての会館にとどまるのが最善と考えた。
 地震発生時、3階の宴会場は老人クラブによる「高齢者芸能発表会」の閉会式のさなか。強烈な横揺れに大勢の客はパニック状態になった。
 1階にいたマネジャーの高野志つ子さん(67)が階段を駆け上がると、従業員らが来館者を上階に誘導するのが見えた。
 最高齢90代後半、平均80歳前後。来館者の避難は困難を極めた。
 「早ぐ上がって、早ぐ上がって」。営業課長の西條正喜さん(44)は列の最後尾で追い立てた。階段は人でびっしり。「このままでは津波にのまれる」。体力のある人がお年寄りを背負った。
 町社協老人クラブ担当の佐々木真さん(39)は4階への階段を上りながら、背後に津波を感じた。ガチャン、バキバキ。1階の窓ガラスが割れ、2階にもがれきが流れ込んだのが音で分かった。3階を振り返ると、ロビーの窓ガラスを大量の水が突き破った。足元もぬれていた。
 屋上には既に水が押し寄せていた。水位は膝まである。「ここもだめか」。西條さんと佐々木さんらは、普段人が入らないエレベーター室や高架水槽などがある会館最上部へ避難誘導を急いだ。
 四方を水で囲まれた会館はまるで孤島のようだった。佐藤さんの手帳には津波の記録が残る。
 <午後3時26分、第1波。40分、引き始め>
 <4時13分、第2波。28分、引き方開始>
 <5時、第3波。10分、引き波開始>
 そう書いたところで手が止まった。2キロ弱先の荒島までの海底が姿を現している。
 「次の波が来たらみんな死んでしまう」。スーツの内ポケットに手帳を仕舞い、ボタンを掛けた。自分が流されても記録は残るように―。
 佐藤さんの記録によると、第4波は午後5時32分に襲来。屋上までには到達しなかった。
 会館に孤立したのは約330人。4階にある約25平方メートルと約30平方メートルの会議室二つは人であふれ、廊下や更衣室まで埋め尽くされた。
 室内は人いきれで息苦しいほどだった。深夜、80代の女性が意識もうろうとなった。
 「脳梗塞の疑いがある」と町社協の看護師。佐藤さんは最上部に上がり、公立志津川病院へ向かって大声で呼び掛けた。
 「先生、倒れている女性がいます。波が引いたら、そちらで診ていただけませんか」
 医師とみられる男性の声が返ってきた。「こちらは薬も電気もない。7人が亡くなりました」
 風通しのよい場所で寝かせるよう助言された佐藤さんは、全員に屋上に出るよう促した。「外の空気吸ってきてけさい」。10分ほどの短時間だったが、室内に外気が入ると女性は持ち直した。
 職員らの判断と機転。会館で命拾いしたお年寄りは口をそろえて言う。「よく生きていられた。従業員らの指示に従い会館に残ってよかった」(村上俊、渡辺龍)=2011年6月23日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


【東日本大震災】 被災した大川小校舎 保存か解体か 遺族が訴え
 宮城県石巻市は13日、東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が死亡、行方不明となった市立大川小の被災校舎を震災遺構として残すかどうか意見を聞く公聴会を開いた。遺族ら計12人が保存、解体双方の立場から発言し「後世に警鐘となるものが必要だ」「もう校舎は見たくない」と訴えた。亀山紘市長は3月末までに結論を出す方針。
 小2の弟=当時(8)=を亡くした大学3年、永沼悠斗さん(21)は保存、解体どちらの意見も理解できるとした上で「震災を風化させず、警鐘を鳴らし続けることが使命。大川小を見て防災意識が高まり、多くの人の命が救えるなら残した方がいい」と述べた。
 小学6年の長女=当時(12)=が犠牲になった平塚真一郎さん(49)は、地元の大川地区の住民アンケートで過半数が解体を求めたことを挙げ「この数の重みを考えてほしい」と強調。「当面は保存しつつ、検討を進めるべきだ」と議論の継続を呼び掛ける声も出た。


<検証地域農業>自立へ安定収益必要
◎震災5年へ(上)規模拡大はしたけれど
 東松島市西矢本地区の株式会社「めぐいーと」は3シーズン目の今春、農地140ヘクタールにコメや大豆などの作付けを計画する。耕作規模は宮城県内トップクラスだ。
 「数年後には150ヘクタールを超えるだろう。一気に10年は時が進んだ感じだ」。社長の武田恵喜さん(61)が東日本大震災後の慌ただしい移ろいをかみしめる。
 西矢本地区にはかつて兼業農家など約200戸があった。津波は農機具や施設だけでなく、小規模農業の仕組みごと押し流した。被災地の農業復興は、2013年11月に6人が設立した同社にまとめて託された。
 地盤のかさ上げや除塩など復旧工事に加え、10アールを1ヘクタールに大区画化する圃場整備事業を実施。大型トラクターやコンバイン、乾燥調整施設などは復興交付金に基づく支援制度で市から無償貸与され、先進的な大規模営農の形は整った。
<多角化策探る>
 安定した収益基盤の構築はこれからだ。営農再開した14年は過去最低水準の米価下落に泣いた。5〜10年後には1台1000万円もする機械などの更新期が到来する。会社の持続には自前で巨額の資金を蓄えなければならない。
 副社長の土井芳伸さん(55)は「(乾いた田んぼに種もみを直接まく)乾田直播による効率化や機械維持など経費抑制に努め、いかに販売先を多角化するか。自立への取り組みを急がなければならない」と模索する。
 被災地では、5年前には想像もしなかった大規模営農が次々誕生した。劇的な構造変化に追い付こうと担い手たちがもがいている。
 津波で農地120ヘクタールががれきに覆われ、農機具や施設などが全て流された岩沼市林地区。13年2月に設立された農事組合法人「林ライス」が、手探りで地域営農の立て直しに挑む。
 圃場整備完了に伴い、今シーズンはコメの作付けが70ヘクタールに拡大する見通し。大豆や露地野菜などを含めれば90ヘクタール規模に達する。代表理事の田村善洋さん(65)は「コメだけで何とかできる時代でない。面積があれば稼げる状況でもない」と厳しい現状を明かす。
<後継者問題も>
 林地区も、個別営農で維持されていた30アール区画の田んぼが1ヘクタール規模に変貌。農機具や施設が市から無償貸与されたが、作り手は約10人の法人メンバーだけになった。
 法人は高収益作物で冬場の作業の幅を広げようと、キャベツの露地栽培など園芸分野に活路を見いだそうとしている。役員6人中5人が60代。後継者育成も見据えなければならない。
 「大きくなった営農の維持だけでなく、福利厚生など若手受け入れへの組織づくりも図る必要がある。ともに数年で答えを出さなければならない難題だ」。田村さんは気を引き締める。(元柏和幸)
     ◇
 震災から5年を迎える農業の現場は、平野部が急進的な変革にもまれる一方、三陸沿岸の条件不利地などは復旧すら道半ばだ。東京電力福島第1原発事故の影響は依然、農家を苦しめ続ける。地域ごとに直面する課題は複雑で、復興の針路をより難しくしている。


<いのちの伝言>感謝、代わりに届ける
◎娘が愛した台湾へ(上)絶たれた夢
 日台友好の懸け橋になる夢を追った娘は昨年3月、留学先の台湾で不慮の事故で亡くなった。名取市閖上地区に住む小学校教諭小野幸三さん(56)は娘の一周忌を迎える来月、台湾へ行く。発生から丸5年となる東日本大震災の教訓とともに、失われた命の意味を問い掛ける。(岩沼支局・成田浩二)
<教訓を紙芝居に>
 1月末、名取市市民活動支援センターの一室。小野さんは防災教育に取り組む仲間の前で紙芝居を演じてみせた。演目は、津波で父親を失った女の子を描いた絵本作品「マンホールのステージ」。何度も練習するが、「なかなか上達しなくて」と頭をかく。
 小野さんは来月6日、台湾新北市・淡水で開かれる交流行事「日台・心の絆 謝謝(ありがとう)台湾」に参加する。震災後に日本に寄せられた多くの被災地支援に感謝を示すため、台湾で学ぶ日本の留学生が2012年から毎年開いているイベント。会場で紙芝居を演じ、震災の教訓を伝える。
 1枚の写真を持っていく。昨年1月、一時帰国して成人式に出席した時の長女愛さん=当時(20)=。2カ月後の同3月6日、命を落とした。「娘は謝謝台湾の実行委員を務めていた。今回は私が代わりに被災地の思いを届けます」
<アパートで事故>
 愛さんは名取市閖上小、中、仙台二華高を卒業し、13年9月に台湾政治大に進学した。台湾の映画やドラマが大好きで、中国語を猛勉強して難関大学の扉を開いた。将来は台湾文化を発信するメディア関係への就職を目指していた。
 同じ大学の先輩女性とルームシェアしていた台北市内のアパートで事故は起きた。部屋の所有者で日本に住む先輩の母親が「娘と連絡がつかない」と現地の親戚に連絡。親戚が訪ねると、先輩はバスタブで意識を失っていた。一酸化炭素中毒だった。
 通報を受けた消防隊員が先輩を病院に緊急搬送。しかし、別の部屋で倒れていた愛さんはそのまま取り残された。親戚も消防も先輩が一人住まいと思い込み、存在に気付かなかった。
 愛さんが見つかったのはその翌日。日本から駆け付けた先輩の母親が発見した。既に息はなかった。
 集中治療室(ICU)に入った先輩はその後、一命を取り留めた。愛さんも一緒に搬送されていれば助かった可能性が高い。
 一酸化炭素中毒の原因は湯沸かし器だった。部屋の構造に欠陥があり、室外機の排気が充満していた。アパート管理、事故後の連絡の不徹底、消防の対応…。さまざまな理由が重なって愛さんは亡くなった。
<悲劇繰り返さぬ>
 「訴える用意はあるか」。娘の訃報を受けて台北市に入った小野さんは警察の事情聴取を受け、最後にそう尋ねられた。
 静かに、首を振った。愛さんは台湾の被災地支援に心から感謝していた。台湾を愛し、友好関係を深めようと努力していた。
 「誰も望まない事故だった。誰かを責めても娘は帰らない。二度と同じ悲劇を繰り返さないためにやれることをやろう」。自問自答の末、心に誓った。


<加藤登紀子作>被災地統合小の校歌お披露目
 東日本大震災で被災した東松島市に4月、野蒜小と宮戸小が統合し開校する「宮野森小」の校歌が完成し、12日、お披露目された。作詞作曲を手掛けた歌手の加藤登紀子さんも駆け付け、両校の児童が合唱。新しい学校への希望を歌声に込めた。
 市コミュニティセンターであった式典には、児童や保護者、宮野森小設立に協力した作家のC・W・ニコルさんら約200人が出席。児童がステージで加藤さんの指導を受けた。
 歌詞には「大高森」や「野蒜の里」など地域の情景が盛り込まれ「ここはふるさと みんなのふるさと 森も海も川も」と故郷への思いが込められた。
 加藤さんは「地域の歴史を受け継いでいくというメッセージを、児童が受け取ってくれればうれしい」と話した。
 野蒜小は津波で浸水。宮戸小は津波被害はなかったが、児童数減少で統合が決まった。宮野森小の校舎は建設中で、12月に完成する予定。児童は完成まで、野蒜小仮設校舎で学ぶ。


<復興補助金問題>宮城県、告訴取り下げ
 東日本大震災の被災企業を支援する国のグループ化補助金を不正受給したとして、宮城県が石巻市の水産加工会社「シンコー」を補助金適正化法違反の疑いで県警に告訴した問題で、県が告訴を取り下げたことが12日、分かった。取り下げは昨年3月27日付。県は「シンコーから非公表にするよう求められた」として公表していなかった。
 刑事告訴の取り下げについて、県は「話し合いの結果、不正受給を認め、返還に応じるとしたため。返還するに当たり、刑事告訴されていると事業に支障が出ると言われ、対応した」と説明する。シンコー側は県に補助金を返還しておらず、双方が協議している。
 シンコーは、震災の津波で石巻市の渡波工場が被災。2011年8月に一部事業を再開した一方で、13年2月に登米市豊里町に新工場を建設した。
 シンコーは新工場で、魚肉エキスの製造プラントを導入。機器購入代金などとして、取引先メーカーに約1億8000万円を支払ったとして県に約1億3000万円を申請し、13年1月末に交付された。
 県は13年6月、匿名の通報で調査を始め、約1億8000万円はメーカーに支払われていないと判断。同11月に交付決定を取り消して返還を命じるとともに、刑事告訴した。県はさらに、14年3月には補助対象とした設備投資のほとんどが実行不可能と判断し、補助金の9割に当たる約6億2000万円の返還を命じた。
 シンコー側は「一度はメーカー側に支払い、その後、同額を借り受けた。不正受給はしていない」と話す。
[グループ化補助金]被災中小企業の施設、設備の復旧支援を目的に国が創設した。被災企業がグループを組み、復興事業計画を作成。地域の経済・雇用などに重要と認められれば、国と県から最大で復旧費の4分の3が補助される。交付は、納品や代金の支払いが完了した後に行う。


【アイドル発見】 宮城・仙台「みちのく仙台ORI☆姫隊」(下)復興支援アイドルはタカラヅカ並み規律! サンタ姿で被災地慰問も
 仙台市、石巻市など、東日本大震災の被害が大きかった地域の女性たちが、復興支援を旗印にして集まったご当地アイドル「みちのく仙台ORI☆姫隊」(みちのくせんだいおりひめたい)。洒落者で知られる伊達政宗のおひざ元だけに、衣装が80パターンあるのが特徴。被災地だからこそ明るい衣装でみんなを元気したいと、触れあいを大切にしながら笑顔と勇気を全国に届ける。(昌林龍一)
1曲ずつに衣装あり!
 「楽曲1曲ごとに1着ずつ衣装があります。衣装の名前も1着ずつちゃんと付いています。80着以上あるので私たちも覚えるのがたいへん!」
 YUNA(ユウナ)が紹介するように、衣装がバラエティーに富んでいるところが持ち味だ。
 「ORI☆ナンバー」の数字が1桁のメンバーと、2桁の研修生、ボランティアメンバーのIKUE(イクエ)で構成する。
 現在、活動中のメンバーは、NODOCA(ノドカ16)、RINA(リナ、17)、ANNE(アン、15)、YUNA(ユウナ、16)、ERIN(エリン、16)、SORA(ソラ、14)、KAREN(カレン、13)と、研修生のMIHO(ミホ、11)とSEIKA(セイカ、12)の計9人。
1曲6回早変わり
 ユニット内に、派生ユニットがあるのも特徴だ。リーダーのNODOCAと、3人組「オレンジペコ」で構成する「NODOCA&オレンジペコ」。
 「ORANGE Ole! Ole!、という曲があり、私が歌い、後ろでカワイイ3人のオレンジペコメンバーがコーラスをしながら踊ります!。サビで、手をオレンジの形にしながら大きな声で『Ole!Ole!』とかけ声をかけます!」(NODOCA)という甘酸っぱい青春LOVEソング。
 ORI☆姫隊の代表曲といえば、平成25年、ご当地アイドル日本一を決定するBSスカパー!の「ご当地アイドルお取り寄せ図鑑コンテスト」で優勝したことを記念して作られた曲「君に届く風になれ」。
 1曲5分弱の間にステージ上で6回の衣装早変わりが見もの。翌年には「ダンスサミットinJAPAN」で国際交流基金理事長賞を受賞した。
 「早着替えの練習は、成功するまで何回もする」とSORAは話す。
クレド5カ条
 よく知られている宝塚歌劇団のモットー「清く 正しく 美しく」のように、「みちのく仙台ORI☆姫隊」には、ORI☆姫隊であるためのクレド(信条)5カ条がある。
 (1)すべてのものに優しくいたわりの心を持ち弱いものを助けること
 (2)笑顔でいつも明朗快活でいること 
 (3)学ぶことを怠らず知性と教養をもつこと
 (4)身だしなみを整え、立ち居振る舞いを美しくし品性をもつこと
 (5)日本東北宮城仙台を、世界にむけて情報発信できる国際人になること
 メンバーは、ドジを踏んだり、ユニークな発言を連発しながらも、締めるところは締める。
 「トークは頑張っていますが、メンバーからは『天然』といわれ、なかなか、伝わらないです」とおっとり型のKARENだが、「朝、早起きをして宿題を全部終わらせています。部活もある学校なので、たくさんの人に助けてもらいながら両立しています。学校で大会などがあるときは、終わってから急いでORI☆姫隊のイベントに出演することもあります」と頑張り屋さんだ。
ネパールに支援
 「ライオンズ祭 L−1グランプリ炊き出しコンテストでは、ORI☆姫鍋が優勝しました。毎冬に行う『サンタガールズプロジェクト』では、医療型・福祉型障害児入所施設を慰問し、ORI☆姫隊がサンタの衣装で、歌や踊りやクリスマスプレゼントを届けています」と活動を語るSEIKA。
 27年、ユニットは、水害に見舞われた常総市の石下中学校に、義援金や物資を3回届けた。海外に向けた支援では、ネパール大震災を支援。同国のダーディン地区に「ORI☆HIME CLASS ROOM」を建設するため、みちのく仙台ORI☆姫隊が募金を募る。土やレンガでできていたために倒壊した学校を、コンクリートで建て直し、震災時の避難所にもなるようにする。
 最後にメンバーは、今後の活動について、自分の気持ちを熱く語った。
 「復興支援アイドルとして、東日本大震災が風化しないように情報を発信し続けること。地元の良いところを、全国へ、世界へ、お届けしていきます」(ERIN)
 「将来は震災のことを伝えていきたいです。命は大切だということ、感謝して生きていくことも伝えていきたい。これからも笑顔で頑張ります!」(MIHO)
 みちのくへの深い愛情と、復興にかける強い意志を持ち続ける。=敬称略


河北春秋
 一瞬のひらめきが、科学を発展させることがある。英の化学者アーチャー・マーチンは、ろ紙にこぼれたコーヒーの染みが周辺ほど薄い色になるのを見て、アミノ酸の分離にクロマトグラフィー法の応用を思い付いた。1952年にノーベル賞を受賞している▼100年かかることもある。アルベルト・アインシュタインが存在を予言していた重力波が、米のチームによって初めて観測された。競い合っていた日本を含む世界の研究者が「天文学の革命」と手放しで称賛する快挙だ▼素人なりに意義を考えてみると、光や電磁波、素粒子といった宇宙を観測する手段に、強力な新顔が加わるということだろう。宇宙の始まりであるビッグバンや138億年の歴史が、よりつまびらかになると思うとワクワクする▼捉えられた重力波は、13億光年も離れたところで二つのブラックホールが合体したときに発生した。光の速さは秒速約30万キロで、太陽の光が地球に届くのに約8分。それが13億年だ。悠久のロマンなどという言葉では到底太刀打ちできない時間である▼東京証券取引所では約7割がコンピューターによる超高速取引で、1秒間に数千の注文が行き来しているという。スピードに息が詰まりそうな現代。時には空を仰いで宇宙に思いをはせては? 

宮崎議員辞職/「育休宣言」が泣いている
 政治家の資質以前に、人としての品性が問われるスキャンダルだ。
 育児休暇取得を宣言し、「イクメン議員」として注目を集めた自民党の宮崎謙介衆院議員が、週刊誌が報じた女性タレントとの不倫疑惑を認め、議員辞職を表明した。
 宮崎氏は記者会見で「自分の主張と、軽率な行動のつじつまが合わない。深く反省する」と述べ、ほかにも不倫関係があったと認めた。
 週刊文春によると、宮崎氏は同じ自民党の衆院議員である妻の出産6日前、自宅に女性タレントを招き入れ、泊まらせた。臨月の女性にとって信頼できる人に一番そばにいてほしい時期だ。出産や育児を妻とともに担う「育休宣言」は売名行為だったと疑われても仕方がない。
 宮崎氏の育休宣言には、選挙で選ばれた国会議員が長期間休むことへの批判がある一方で、男性の育休取得への理解を深めるきっかけになる、とする声も多かった。育休問題を真剣に考えようとしていた関係者や、多くの有権者の信頼を最低の形で裏切った。公人として自らを律する姿勢にも欠ける。議員辞職は当然といえる。
 ただ、宮崎氏の辞職と、男性議員の育休の是非は別問題だ。
 育児や介護と両立できる働き方は、国会議員にとっても重要な課題である。国民の代表として求められる議員活動とは何かを考えるきっかけにもなるだろう。党派を超えた議論をさらに深めるべきだ。
 安倍政権は、金銭授受疑惑を受けた甘利明前経済再生担当相の閣僚辞任に続き、今回も本人の議員辞職で早々に幕引きを図った。4月に行われる補欠選と政権へのダメージを最小限に抑える狙いだろう。
 だが、閣僚らの資質が問われる言動はほかにも相次いでいる。
 島尻安伊子沖縄北方担当相が所管の「歯舞(はぼまい)群島」を読めず、丸川珠代環境相は国が定めた除染目標について「何の根拠もなく時の環境相が決めた」と発言し、後に撤回した。環太平洋連携協定(TPP)署名式に臨んだ内閣府副大臣は、現地のチーズが「おいしかった」とブログに書き、国内酪農家の反感を買った。
 「自民1強」に安住したおごりや気の緩みが、若手から閣僚までの無責任な言動を許しているのではないか。安倍晋三首相は政権全体の問題として重く受け止めるべきだ。


宮崎議員辞職 政党は資質を見極めよ
 私的な醜聞では済まされない。男性国会議員として初の育児休暇取得を宣言して注目されていた自民党の宮崎謙介衆院議員(35)=京都3区=が不倫疑惑の責任を取り、議員辞職願を衆院に提出した。
 不倫騒動で男性の育児休暇論議をゆがめた責任は重い。辞職は当然だ。自民党は議員の資質を欠くような人物を国会に送り込んだことを深く反省すべきだ。
 「未熟な人間としての欲が勝ってしまった」。週刊誌の報じた疑惑に加え、議員としての不適格さを自ら認めたに等しいような宮崎氏の記者会見だった。
 若手の宮崎氏が脚光を浴びたきっかけは、妻の国会議員が出産した後に1カ月程度、男性の国会議員として育児休暇を取ることに名乗りを上げ、制度化を主張したことだ。
 与野党からは宮崎氏の活動に反対論も出た。だが、男性議員が率先して育休を取ることで社会の空気を変えようとする議論自体はまっとうだったと言えよう。
 ところが、その当人が地元の京都で、妻の妊娠中に他の女性と不適切な交際をしていた。これでは、育休論議も売名が目的だったのではなかったかと疑わざるを得ない。議論する資格がないどころか、冷や水を浴びせる背信行為である。
 一連のてんまつはテレビで盛んに報道され、自民党には夏の参院選などへの影響を危ぶむ声も広がっていた。党からも見限られての辞職というのが実態だろう。
 一方で、今回の問題で男性の育休取得をめぐる議論がしぼむようなことがあってはならない。
 日本の男性の育休取得率は2・3%で、2020年までに13%という政府目標に遠く及ばないのが現実だ。与野党は宮崎氏の問題と切り離し、男性の育休取得推進に向けた検討を本格化しなければならない。
 宮崎氏を公認し、結果的に政治不信を強めた自民党の責任は大きい。
 民間勤務を経て宮崎氏は公募で公認を得て、2度当選した。今回の育休議論も与野党の一部議員には、軽率な言動がみられる宮崎氏がリードすることに違和感を指摘する声があったという。
 自民党議員については昨年、武藤貴也衆院議員(36)=滋賀4区=がソフトウエア会社の未公開株購入を「国会議員枠で買える」と知人らに勧めたとされる金銭トラブル疑惑で同党を離党する問題が起きた。武藤氏も公募で公認を得た若手議員だ。
 小選挙区制度は政党による対決を基本として、候補を有権者が選ぶ制度だ。公認する候補の吟味について、自民党をはじめ政党は真剣に再点検すべきだ。


辞職の宮崎議員 国民への大きな裏切り
 自民党の宮崎謙介衆院議員(35)が辞職願を提出した。国会議員である妻の出産直前の、女性タレントとの不倫が報じられた。国民をも裏切る不適切な行為であり、断じて許されない。辞職は当然だ。
 今となっては片腹痛いが、重大な問題提起ではあった。宮崎氏が表明した国会議員としての育児休暇(育休)取得である。
 妻は同じ自民党の金子恵美衆院議員(37)。宮崎氏は、金子氏の出産に合わせて育児のために国会を一カ月程度休むと表明し、男性の育休を推進する議員勉強会の呼び掛け人にもなっていた。
 給与が減額される一般企業などの育休とは違い、議員歳費を全額受け取りながらの育休取得には賛否はあろうが、これを機に、男性が育休を取りやすい環境づくりが進めば、意味はあったのだろう。
 だからこそ、妻の出産間近に自宅マンションに女性タレントを招き入れた行為には怒りを禁じ得ない。男性の育休推進を訴えるのと同時進行の不倫は、妻に対してはもちろん、国民全体に対する裏切り行為にほかならないからだ。
 宮崎氏が不倫で議員を辞職するとはいえ、男性の育休推進は引き続き重要課題である。男性の育休取得は依然ハードルが高く、二〇一四年度の厚生労働省調査で男性の取得率は2・3%にとどまる。
 子育て中の女性が働きやすい環境をつくるためにも男性が育休を取りやすくしなければならない。
 この際、宮崎氏の件とは切り離して、男性の育休取得を強力に推進する政策を立案、実行することが必要だ。それが、国民から与野党に与えられた課題だろう。
 宮崎氏は記者会見で「自分が主張してきたことと、軽率な行動のつじつまが合わない」と述べた。報道でようやくそれに気付くようでは、そもそも政治家としての資質を欠いていたのではないか。
 宮崎氏は自民党の公募に応じて衆院京都3区の候補となり、当選した。公募には世襲を避け、人材を発掘する狙いがあるが、自民党は結果として資質を欠く人物を候補者とした不明を恥じるべきだろう。
 宮崎氏の辞職は来週許可される予定で、京都3区の補選は衆院北海道5区と合わせて四月二十四日に行われる。自民党が憲法改正の足場づくりを目指す夏の参院選の前哨戦である。
 与野党ともに、国会議員たるにふさわしい候補者を擁立し、正々堂々と政策論争をしてほしい。国民を裏切り、議員辞職を迫られるような候補は二度とごめんだ。


宮崎議員の不倫「うらやましい」 自民幹部の呆れた“本音”
「ゲス不倫」で議員辞職した宮崎謙介衆院議員も問題だが、周りの自民党議員も似たり寄ったり。国会議員としての資質に欠ける連中ばかりだ。
「うらやましい」。宮崎議員の不倫に対し、思わず“本音”を漏らした溝手顕正・党参院議員会長。その後、記者団から真意を追及されると「(参院選)宮崎選挙区の話。(選挙情勢で)うらやましい人もいる」なんて子供じみた言い訳を繰り返したから呆れるばかりだ。
 辞職を願い出た宮崎議員に対し、慰留した自民党議員の発言が報じられているが、これまたビックリ。「刑事罰に問われようかという人だって辞めていないのだから(辞めるな)」と語ったというのだ。政治資金規正法違反や“口利きワイロ疑惑”で大臣を辞任した甘利明前経済再生担当相と比較したのだろうが、この党の無責任体質ぶりがよく表れているではないか。


ゲス議員の不倫より遥かに悪質 安倍政権の犯罪的情報隠し
「自分が主張したことと軽率な行動のつじつまが合わないことを深く反省し」――と、不倫がバレた自民党の宮崎謙介衆院議員(35)が辞職を表明した。
 エラソーに男の育児参加の重要性を説き、「育休取得」を宣言していたくせに、なんのことはない、妻が臨月だというのに、愛人を選挙区の京都にまで呼び寄せ、肉欲生活を満喫していたのだから話にならない。しかも、「いろんな方々を傷つけてきた」と、第2、第3のオンナの存在までほのめかしたのだから、まさにゲスの極みだ。
「宮崎本人は、議員を辞めるつもりはなかったようです。安倍官邸が引導を渡したのでしょう。政権への打撃が大きくなる前にスキャンダル議員のクビを切るのが安倍内閣のリスク管理のやり方です。甘利大臣も疑惑発覚後、1週間で辞任した。もし、宮崎議員を放置していたら、内閣支持率が急落し、最悪、4月に行われる衆院北海道5区の補欠選挙にも影響していたでしょう。自民党幹部は、宮崎議員が早期辞職したことで世論の批判は収まるだろう、と一安心しています」(自民党事情通)
 それにしても、ゲイの愛人を議員宿舎に連れ込んでいた武藤貴也議員といい、自民党にマトモな議員はいないのか。自民党議員は、全員ビョーキなのか。
■これでは“口利き”はやりたい放題
 しかし、呆れ返る話ではあるが、ゲス議員の不倫辞職は、しょせん、ゴミみたいな話だ。バカな議員が、バカなことをしたに過ぎない。それよりも衝撃的というか、「まさか」と虚を突かれたのは、全11省庁が、国会議員との「面談記録」を一切、残していないというニュースだ。メディアは「清原問題」一色になり、ほとんど報じていないが、この事実は、驚愕である。
 国会議員との「面談」を記録に残すことは、国家公務員制度改革基本法で定められている。政治家の行政への介入を防ぐことが目的である。政治家がどんな要求をしてきたか、「面談記録」を残せば、抑止力が働き、国会議員も露骨な“口利き”はしないだろうという考えである。
 ところが、安倍内閣がスタートしてから3年間、霞が関の全省庁はこのルールを無視し、「面談記録」をまったく残していないことが発覚した。
 いったい、どういうつもりなのか。信じられない話だ。
 福田内閣の時、行革担当補佐官として公務員制度改革を担当した元経産官僚の原英史氏(政策工房社長)はこう言う。
「当初の法案は、政官接触の原則禁止、政治家と接触できる官僚を限定するというものでした。ところが、国会議員から厳しすぎるという声が上がり、接触を認める代わりに、面談の内容を記録・公開することになった。すべての接触記録を残し、開示するのが基本法の趣旨です。なのに、“不当な要求”があった場合に記録を残す、という運用になり、完全に骨抜きにされている形です。恐らく、官僚は政治家との面談を“私的メモ”として残しているはずです。公式の面談記録を作成していないのは、情報公開を請求されても、記録がない、と開示しなくて済むからでしょう。政治家との接触は、表に出したくないということです」
 しかし、記録がなければ、政治家が口利きしたのかどうか、検証することもできない。これでは自民党議員は口利きのやりたい放題である。ゲス議員が愛人と不倫しようが、国民生活に大きな影響はないが、ワイロによって行政が歪められているとしたら、国民生活に直結する。
2億2000万円の入金当日、500万円の謝礼
 そうした状況で飛び出したのが、甘利明前経済再生相の“口利き”疑惑である。
 安倍内閣は、甘利大臣が早期辞任したことで一件落着にするつもりだが、絶対に幕引きを許してはダメだ。辞任後、新事実が次々に明らかになり、口利き疑惑は、むしろ深まっている。
 甘利前大臣は口利きを否定しているが、どう考えても、典型的な“あっせん利得処罰法違反”だろう。
 疑惑の構図は単純で分かりやすい。URとの補償交渉が難航していた建設業者が甘利事務所に“口利き”を依頼した途端、トントン拍子で交渉が進み、補償金が億単位にハネ上がった、というもの。
 当初の補償提示額は、1600万円だったのに、甘利事務所が動くと1カ月もしないうちに、URから「補償に関して、別途提案がある」という文書が届き、補償提示額は1億8000万円、2億円と上がり、建設業者が「もう少し、なんとかならないか」と求めると、UR側は「計算してみましょう」と応じ、最終的に2億2000万円が支払われている。依頼から3カ月後のことだ。
 URは「金額は妥当」と甘利サイドからの圧力を否定しているが、1600万円の補償金が、2億2000万円にハネ上がるのは、あまりにも不自然。さすがに会計検査院が問題視し、検査に入っているくらいだ。ジャーナリストの横田一氏が言う。
「口利き疑惑の疑いが消えないのは、2億2000万円の補償金が入金された当日、建設業者が甘利事務所を訪ね、秘書に500万円を渡していることです。口利きの成功報酬、ワイロだったと疑われても仕方がない。カネを渡した一色武氏本人が、『入金されたのでお礼に伺いました』と、補償交渉の謝礼だったことを認めています」
■完全に復活した「政官財」癒着
 安倍政権が誕生してから3年。甘利前大臣の口利き疑惑を見れば、政界に怪しいカネが飛びかい、かつての「政官財」の癒着が完全復活していることは、もはや明らかだ。
 実際、安倍1強体制がつづいていることで、「政官財」のトライアングルは、以前よりも強固になっている。
 全省庁が「面談記録」を残していないため、真相は闇に葬られているが、自民党議員による“口利き”が横行している疑いがある。甘利疑惑は、氷山の一角に過ぎないのではないか。
 しかも本来、政権の「政治とカネ」は、メディアが徹底追及するものだが、安倍内閣の恫喝に怯え、大新聞・テレビはスキャンダルを解明しようともしない。人事を握られている検察も、捜査に動こうとしない。これでは、安倍内閣は怖いモノなしである。
「甘利疑惑は、甘利さん個人の疑惑ではないと思う。業者から頼まれて役所に口利きをし、見返りとしてカネを受け取ってきたのが、自民党の歴史です。口利きは自民党が、なかば“制度化”してきたもの。政権交代が頻繁に起これば、政官財の癒着は一掃されます。でも、自民党の1強体制が盤石になったことで、安心して口利きが復活している疑いがあります。なぜ、全省庁が国会議員との“面談記録”を残そうとしないのか。甘利疑惑の裏には、とてつもない闇が広がっている可能性があります」(政治学者・五十嵐仁氏)
 大手メディアが、ゲス議員の不倫辞職に大騒ぎしている裏で、この国の闇はどんどん大きくなっている。


美浜原発2基廃炉完了に30年 廃止措置計画、敦賀は24年
 関西電力と日本原電は12日、美浜原発1、2号機(福井県美浜町)と敦賀1号機(福井県敦賀市)の廃炉に向けた工程を示す「廃止措置計画」を原子力規制委員会に申請した。廃炉作業はいずれも2016年度に着手し、美浜の2基は45年度までの30年間、敦賀は39年度まで24年間で完了する予定。
 福井県内では日本原子力研究開発機構の新型転換炉ふげん(敦賀市)が廃炉作業中だが、商業炉の廃炉計画が申請されたのは初めて。規制委の認可を受け次第、作業に着手する。
 廃炉工程に大きな影響を与える原発内の使用済み核燃料の搬出について、美浜1、2号機は廃炉作業開始から19年後の35年度までに完了、敦賀1号機が8年後の24年度までに終えるとした。ただ、いずれも最終的な搬出先となる再処理工場(青森県六ケ所村)の稼働を前提とし、先行きは不透明だ。
 美浜2基の計画で、関電は工程を4段階に分けた。第1段階(6年間)は、配管などに付着する放射性物質を薬液で除染し2次系設備の解体に入る。第2段階(14年間)で低線量設備の撤去に着手。第3段階(6年間)で原子炉周辺、第4段階(4年間)で建屋などを撤去する。
 敦賀の工程は、東京電力福島第1原発事故前から16年で運転を終える方針を示し廃炉準備を進めてきたため、美浜より完了時期が6年早い。計画は3段階に分け、第1段階(9年間)で低線量設備の撤去に入り、第2段階(9年間)で原子炉周辺、第3段階(6年間)で建屋を解体する。
 解体で出る廃棄物の総量は、美浜2基が計35万トン、敦賀が16万トン。うち埋設処分が必要な放射性廃棄物は美浜計5040トン、敦賀1万2790トンとなるが、処分場は決まっていない。
 廃炉費用は美浜2基が計680億円、敦賀は363億円の見通し。廃炉に備えた引当金は14年度末時点で、美浜549億円、敦賀330億円を積み立てた。
 関電と原電は昨年3月、運転開始から40年を超えた3基の廃炉を決定。今月10日には県、敦賀市、美浜町と廃炉作業中の安全対策や地域振興策に関する全国初の廃炉協定を結び、安全協定も改定した。この日は安全協定に基づき、県と両市町に廃炉計画を申請前に連絡した。


元監督のセクハラ提訴 北海道の女子サッカー元選手2人
 女子サッカーのノルディーア北海道(札幌)に所属していた元選手2人が12日、男性の元監督(49)からセクハラ(性的嫌がらせ)を受けたとして、元監督とノルディーアを相手取り、1千万円の慰謝料を求める訴訟を札幌地裁に起こした。
 元選手2人はともに20代で、昨年までノルディーアに所属。元監督は2011年から昨年5月まで監督を務めていた。
 訴えによると、2人は13年10月、それぞれ練習後に「今日は泊まっていけ」などと言われ、元監督宅に宿泊。就寝前に布団の中に入ってきた元監督に体を触られたり、「大好きだ。めんこいんだ」などと言われ、しつこくキスを迫られたりしたとしている。
 2人がチームにセクハラを訴えたところ、元監督は成績不振を理由に辞任。2人も昨年7月と11月に退団させられたという。提訴後に札幌市内で会見した元選手の1人は「選手を退団させて問題を隠そうとするのは許せない」と話した。
 今年1月に就任したノルディーア北海道の曽田雄志球団代表は「訴状は届いていないが、事実関係を確認し、誠実に対応していきたい」とコメントした。


重力波観測 宇宙への新しい窓開く
 アインシュタインが100年前に予言した重力波の観測に米国を中心とする国際チームが世界で初めて成功したと発表した。重力波は質量のあるものが運動する時に生じるが、その効果は極めて小さく、検出は非常にむずかしかった。
 重力波の検出はアインシュタインの一般相対性理論の検証にとどまらない。ブラックホールの誕生や超新星爆発の中心部の様子など、可視光やエックス線、電波など従来の手法では見ることのできなかった宇宙の現象が観測できるようになる。誕生直後の宇宙の観測にもつながる。
 ガリレオが初めて望遠鏡を宇宙に向けた時と同じように、宇宙観測の新しい窓を開く第一歩であり、今後の「重力波天文学」の発展に期待したい。
 一般相対性理論によれば質量をもった物体が存在すると周囲の時空がゆがむ。物体が運動すると、このゆがみがさざ波のように宇宙空間を光速で伝わっていく。これが重力波で、間接的な証拠はあったが、直接観測されたことがなかった。
 今回、観測に成功したと公表したのは、米国など15カ国から1000人以上の科学者が参加する国際チームだ。13億光年かなたで二つのブラックホールがお互いの周りを回りながら合体する時に発した重力波を、米国内の2カ所に設置した検出器「LIGO」でとらえた。
 初観測であり、さらなる検証は必要だが、ほぼ同時に2カ所で同様の信号が観測されたこと、理論によるシミュレーションとよく合っていることを考えると、証拠は十分といっていいだろう。
 LIGOと基本的に同じ仕組みで重力波をとらえる装置には、欧州チームがイタリアに建設した「VIRGO」、日本が岐阜県飛騨市の旧神岡鉱山の地下に建設中の「KAGRA」がある。LIGOの成果は、この仕組みで重力波が検出可能であることを示すもので、他の装置にとっても朗報だ。
 今後、観測装置が増えることで、重力波の発生源を特定できるだけでなく、発生源のさらに詳しい情報も得られる。初検出で先を越されても、他の装置の意義が減るわけではない。2017年度に開始するKAGRAの観測にも期待したい。
 LIGOの記者会見では、この計画に資金提供してきた米国立科学財団代表が「私たちはこうした先駆的研究に大きな資金を拠出するリスクを取り、基礎科学を支援している」と述べた。重力波の検出は日常生活に役立つものではないが、人類の知的好奇心に応える意義は大きい。若者が基礎科学に関心を抱くきっかけにもなってほしい。


重力波キャッチ 次は「かぐら」も一緒に
 米国の研究チームが「重力波」をとらえた、と発表した。研究者も興奮するような成果だ。岐阜県に建設中の「かぐら」も来月から試験観測を始める。国際協力で新しい物理学を切り開いてほしい。
 重力波はアインシュタインがちょうど百年前に予言した。時間のずれや空間のひずみが、さざ波のように伝わる、と。このさざ波は、今回のようなブラックホールの衝突でも「陽子の大きさ千分の一ぐらいの動き」という。
 理論的には、私たちが体を動かすだけでも重力波は出る。しかし、非常に小さな変化しか起こさないので、観測は不可能だった。
 この観測に巨大で精密な重力波望遠鏡二台で挑んでいたのが、米国を中心とするチーム「LIGO(ライゴ)」だ。
 二〇〇二年から一〇年までの観測では、とらえられなかったが、性能アップのための大規模改修を終えた直後に成功した。ブラックホールの衝突という珍しい現象に間に合った。準備をしていれば、幸運の神さまが来るのだ。
 思い出すのが、岐阜県にあった観測装置カミオカンデだ。超新星爆発で生まれたニュートリノの観測に成功。小柴昌俊博士がノーベル賞を受賞した。この時も、超新星爆発というまれな現象に備えていたことが成果につながった。
 日本と欧州でも重力波望遠鏡を開発している。日本の「かぐら」はカミオカンデと同じ旧神岡鉱山の地下に建設され、来月、試験観測を始める。イタリアの「VIRGO(バーゴ)」はすでに試験観測を始めた。
 重力波望遠鏡は水平に固定されているので、真上から来る重力波は観測しやすいが、横からは難しいという。日米欧にあれば、どこから来た重力波でも逃さない。国際協力が欠かせない。
 「波」は情報を伝える。今回もブラックホールの衝突に特有の波だったという。
 観測の意義は重力波の存在を確かめただけではない。重力波天文学が誕生した。光、電磁波など天文学の観測手段は増えてきた。重力波の魅力は、これまで直接、見ることができなかったブラックホールのような天体も観測できることだ。精度が飛躍的に増せば、誕生直後の宇宙の姿も直接、観測できると考えられている。
 LIGOは別の重力波をとらえた可能性もあるという。「かぐら」にも、宇宙の謎に迫る成果を出してほしい。期待は膨らむ。


パレスチナ・アッバス議長 米の協議関与期待 和平交渉足踏み続く
 【エルサレム大治朋子】パレスチナ自治政府のアッバス議長は毎日新聞のインタビューで、中東和平交渉を促進させる多国間協議の開催を呼びかけた。一方で、占領地におけるイスラエルの入植活動を非難する決議を国連安全保障理事会に求める構えも見せている。米国やイスラエルに揺さぶりをかけ、多国間協議への参加を促す狙いもありそうだが、オバマ米政権がどこまで関与するかは不透明だ。
 聖地エルサレムやイスラエルが占領するヨルダン川西岸では、昨年10月以降、パレスチナ人の若者がユダヤ人を襲撃する事件が続いている。「パレスチナ世論の中には、暴力支持の声も少なくない」(外交筋)が、パレスチナ自治政府はイスラエル治安当局との連携を維持。事件の抑止や摘発に努めてきた。日本政府はこうした「内政上のリスクを冒しながら、和平路線を堅持するリーダーシップ」(政府関係者)を評価し、アッバス政権を引き続き支援する方針だ。
 ただイスラエルとの和平交渉は2014年春に頓挫。アッバス氏が「外圧」として期待するのが、アラブ諸国など親パレスチナの国々がより主導的に関わる多国間協議の創設と、ユダヤ人入植地に関する国連安保理決議だ。
 議長が多国間協議のイメージとして挙げたのは、2007年11月開催の「アナポリス会議」。会議を主導した当時のブッシュ米大統領の任期内の合意を目指し、イスラエル、パレスチナ両当事者からなる調整委員会を設置。交渉チームの作業を監督したり、両首脳の会談を定期的に設けたりするなど、両者の迅速な交渉を促した。
 今回、パレスチナ側が目指す多国間協議にイスラエルが参加するには、その「後ろ盾」としての米国の存在は欠かせない。外交関係者によると、パレスチナは国連安保理常任理事国に参加を要請したい考えだが、オバマ政権がどこまで関与するかは不明だ。
 ファビウス仏外相は1月、中東和平促進のための国際和平会議の開催を提案。アッバス氏はこれを受け入れ、仏側との協議も開始した。しかし、仏は取り組みが失敗した場合、パレスチナを独自に「国家」として承認する考えも示し、イスラエル側は猛反発している。多国間協議の枠組みが最終的に「アナポリス型」に収れんされればイスラエルの参加はより容易になるが、それには米国の積極関与が欠かせない。


パレスチナ・アッバス議長 中東和平、非暴力堅持 多国間協議「新枠組みを」
 【ラマラ(ヨルダン川西岸)大治朋子】パレスチナ自治政府のアッバス議長が毎日新聞のインタビューに応じた。イスラエルとの和平交渉が頓挫し、パレスチナの若者らによるユダヤ人襲撃が続く中、「非暴力の方針を堅持する」と訴えた。「若者には希望が必要だ」と語り、和平交渉を促す新たな「メカニズム(仕組み)を作りたい」と強調した。親パレスチナのアラブ諸国がより主導的に関わる多国間協議の枠組み創設を目指し、イスラエルへの圧力を高めて事態打開を図る考えとみられる。
 アッバス氏は14日から訪日する。安倍晋三首相との会談で、多国間協議への参加を求める。日本政府は、イスラエルとの「2国家共存」を支持。協議は双方の直接交渉によるべきだとの立場だ。ただ、昨年1月には、「多国間協議が開催されれば参加する用意がある」と表明している。
 アッバス氏は、米国が仲介したイスラエルとの和平交渉が2014年春に決裂した原因について、占領地でのユダヤ人入植地の建設を続けたためだと批判。若者がパレスチナ国家建設への「絶望と不満のふちにある」との危機感を示した。非暴力路線を貫く一方で、次世代に希望を与えるためにも和平交渉再開に向けた取り組みが急務と訴えた。
 フランスのファビウス外相は1月、中東和平の交渉再開を促す国際会議の開催を提唱。アッバス氏は歓迎の意向を示した。仏政府は詳細を明らかにしていないが、パレスチナはこうした動きに連携して和平機運を盛り上げようとしている。アッバス氏はイスラエルとの直接交渉を「諦めたわけではない」と語り、むしろこれを再開し、活性化させるための「メカニズム」として多国間協議の枠組みを確立したいようだ。
 アッバス氏はモデルとして、07年11月に米アナポリスで40カ国以上の外相級が参加した「アナポリス会議」を挙げた。会議では、アッバス氏自身がパレスチナ代表として7年ぶりの交渉再開に合意した。同会議は08年末までの交渉妥結を目指したが、交渉は中断されたままだ。外交筋によると、アッバス氏はエジプト主導の「アラブ閣僚委員会」などを推進母体に、親パレスチナ色の強い枠組みの創設を期待している。米国やイスラエルの対応が注目される。

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Ondes gravitationnelles : vers la fin d’un suspense centenaire ?
Fin d’un long suspense jeudi 11 février à 16 h 30. Une vaste collaboration scientifique internationale d’environ 1 000 personnes livrera son bilan de l’écoute de signaux mystérieux attendus sur Terre depuis un siècle : les ondes gravitationnelles.
Si l’Univers était un lac immense, ces ondes feraient vibrer sa surface à la manière d’un caillou jeté dans l’eau. Mais l’Univers est plus compliqué, et ces ondes qui le traversent à la vitesse de la lumière ont l’étrange propriété de déformer notre espace au point de raccourcir ou dilater les distances. Aucune autre onde radio, sonore, lumineuse n’en fait autant.
Ce phénomène pour le moins étrange est prévu par la célèbre théorie de la relativité d’Albert Einstein de 1915, qui décrit notamment comment la force de gravitation structure l’Univers. Mais personne n’a jamais vu ces ondes – dont Einstein avait formellement postulé l’existence l’année suivante – arriver jusqu’à nous. L’annonce d’une telle découverte serait donc un événement scientifique majeur, à la hauteur de la détection des premières planètes hors de notre système solaire en 1995 ou de la particule dite du boson de Higgs en 2012.
La tâche n’est cependant pas simple car l’effet sur Terre de ces rides de l’espace-temps est infime, à peine capable de faire varier les distances de dix millièmes de la taille d’une particule élémentaire.
Pourtant, depuis près de quarante ans, les physiciens pensent pouvoir y arriver. Ils ont construit à cet effet plusieurs instruments ≪ amplificateurs ≫, dont LIGO (Laser Interferometer Gravitational-wave Observatory) aux Etats-Unis et Virgo en Europe, qui publient conjointement leur analyse aujourd’hui.
Voir des objets jamais vus
Ces détecteurs sont constitués de deux tunnels de 4 kilomètres de long chacun (3 pour VIRGO) dans lesquels circulent des faisceaux lasers parfaitement synchronisés entre eux à l’entrée. Si rien ne vient les perturber, en sortie, ils restent en phase, mais si une onde gravitationnelle parvient jusqu’à la Terre et la déforme sur son passage, alors un bras peut s’allonger tandis que l’autre rétrécit, et la synchronisation sera perdue. Bingo !
Pour secouer ainsi notre espace, il faut être costaud. Seuls des objets plus lourds que le Soleil et en mouvement rapide peuvent y parvenir. Ce peut être l’explosion d’une étoile. Ou bien sa transformation en trou noir. Ou encore deux trous noirs en collision. A fortiori, le Big Bang, événement primordial et violent de l’Univers, a créé des ondes gravitationnelles.
Si la découverte est confirmée, elle ouvrira une nouvelle fenêtre sur l’Univers en permettant de voir des objets jamais vus car n’émettant pas de ≪ lumière ≫ (qu’elle soit visible, en infrarouge, ou en rayons X), comme par exemple les trous noirs. De l’analyse des signaux reçus, les physiciens pourraient déduire la distance et la masse de ces structures invisibles.
Sentir le souffle ou les courants d’airs créés par deux lutteurs tournoyant dans l’obscurité, c’est un peu, pour les trous noirs, ce que LIGO ou VIRGO promettent d’observer.
Japon : des passagers fantômes prennent place à bord des taxis !
Au Japon, dans la ville d'Ishinomaki, des chauffeurs de taxi ont été témoins de phénomènes inexpliqués. Certains d'entre eux rapportent avoir pris à bord de leurs voitures… des fantômes ! Il y a-t-il des fantômes qui hantent la ville d'Ishinomaki au Japon ? Oui, si l'on en croit les témoignages de nombreux chauffeurs de taxi qui assurent avoir pris des clients décédés à bord de leurs véhicules. Une clientèle fantôme Depuis le tsunami qui a ravagé la ville en 2011, plusieurs conducteurs de taxi ont raconté avoir eu des fantômes comme clients. Ces derniers en ont d'ailleurs fait part à Yuka Kudo, une étudiante en sociologie de l’université de Tohoku Gakuin, qui a enquêté au sujet de ces curieux phénomènes. Celle-ci a rapporté par exemple l'histoire étonnante de ce chauffeur qui un jour a pris dans sa voiture une jeune femme qui désirait se rendre dans le district de Minamisoma, un quartier aujourd'hui totalement détruit après le tsunami. Quand il lui a expliqué que le quartier n'existait plus, la passagère lui aurait alors demandé : "Est-ce que je suis morte ?", avant de disparaître. Guérir d'un traumatisme Lors de son enquête, Yuka Kudo a aussi recueilli le témoignage d'un autre conducteur qui se souvient avoir embarqué un jeune homme d'une vingtaine d'années. Après être arrivé à destination, le passager aurait subitement disparu, comme par enchantement. A Ishinomaki, une ville de 146 000 habitants où 3 100 personnes ont perdu la vie lors de la catastrophe, ces récits de fantômes sont donc monnaie courante. Pour les psychologues qui se veulent cependant plus rationnels, ces histoires de spectres ne sont pourtant rien d'autre que le signe d'un processus de guérison enclenché par toute une société afin de guérir d'un traumatisme passé.
Japon: un député qui se voulait père exemplaire démissionne pour... adultère
Un jeune parlementaire conservateur, qui s’était récemment fait connaître pour avoir décidé de prendre un congé de paternité, a annoncé vendredi sa démission après avoir trompé sa femme sur le point d’accoucher.
Un hebdomadaire nippon spécialiste des scoops de ce genre a révélé il y a quelques jours que Kensuke Miyazaki, 35 ans, avait eu une relation adultère avec une vedette des ≪gravia≫ (photos en petites tenues) alors que sa femme s’apprêtait à donner naissance à leur premier enfant.
Celui qui traîne déjà un peu une réputation de coureur de jupons dans la presse à scandale a reconnu à demi-mot avoir fauté, vendredi lors d’une conférence de presse.
≪Après avoir rencontré la personne dont il est question dans la presse (Mayu Miyazawa) pour la première fois en janvier, j’ai reçu d’elle un message par un réseau social et nous avons commencé à communiquer≫, a-t-il avoué, la gorge serrée, criblé de flashs.
M. Miyazaki s’est longuement prosterné devant les caméras, un exercice imposé au Japon pour qui est nolens volens impliqué dans une vilaine affaire.
≪J’ai culpabilisé en voyant le visage de mon fils (né peu après), et j’ai discuté avec ma femme en lui disant que je voulais poursuivre ma vie avec elle≫, a-t-il dit en retenant son émotion.
≪Il est naturel qu’il démissionne≫, a réagi l’opposition, tandis que des membres de sa formation ont jugé qu’il s’agissait ≪d’une affaire personnelle qui n’impliquait pas son parti≫.
Ses agissements ont d’autant plus d’impact médiatique que le même M. Miyazaki a récemment déchaîné la chronique en annonçant son intention de prendre un congé de paternité.
Il a alors suscité autant de reproches que de soutiens, une partie des Japonais jugeant qu’un élu politique de ce niveau ne devait pas s’absenter de son poste pour ce prétexte, en l’absence de suppléant.
Peu d’hommes japonais, quel que soit leur travail, prennent un congé de paternité, et même dans le cas où ils usent de ce droit, cela excède rarement quelques jours.
≪Je pense que le congé de paternité est une chose absolument nécessaire≫, a cependant insisté M. Miyazaki, disant souhaiter que d’autres responsables politiques partagent ce point de vue qui ne va pas du tout de soi au Japon, surtout dans le parti de droite du Premier ministre Shinzo Abe.
No, women are not responsible for their murders
A woman has been murdered, a homicide investigation is ongoing and the Mayor of Port-of-Spain has dropped the ball, with no reprimand in sight
PORT OF SPAIN — In what must count as one of the most curious responses to a murder, the Mayor of the Trinidad capital of Port-of-Spain has said that women have a responsibility to avoid being attacked.
Mayor Raymond Tim Kee’s comments came after the slashed and bruised body of Japanese national, Asami Nagakiya, was found in Queen’s Park Savannah on Ash Wednesday morning — a day after carnival festivities concluded. Autopsy results would later confirm that Nagakiya was strangled to death in a homicidal attack.
Saying that women had a duty to ensure that they were not abused during the Carnival season, Tim Kee went on record to admonish them for their “vulgarity” and “lewdness”, adding that women could enjoy Carnival without going through such routines.
The Mayor is not on our record as making any such edict on the behaviour of males, neither has the media been apprised of the motive behind Nagakiya’s killing.
“Let your imagination flow”— Tim Kee pronounced even before the murder victim’s autopsy — “was there any evidence of resistance? was it alcohol-controlled and therefore involuntary actions engaged in? I could well imagine what will be said by the country from which she came, about one of their people coming here to participate in our Carnival and end up dead… It is not [that she was hit by a truck], it is a matter that she was jumping up in a costume.”
Screen Shot 2016-02-11 at 9.11.52 AMTim Kee’s comments came after grim and dehumanizing images of Nagakiya’s corpse were circulated on social media. The woman remained undiscovered among bushes, and unidentified for several hours before the Japanese Embassy in Port of Spain was able to give the Homicide Bureau of Investigation her name.
We have since learned that she was a regular visitor to Trinidad’s Carnival, and that she and other Japanese nationals played in the Silver Stars Orchestra band. Her final Facebook posts paint a picture of a woman who loved Trinidad and Tobago, and who loved Carnival. But Tim Kee’s comments muted her story, and placed her death squarely at her feet.
As her story went viral, and calls for Tim Kee’s removal from office mounted, Prime Minister Keith Rowley broke his silence; only to dismiss Tim Kee’s comments as “tongue in cheek”, and not worthy of his dismissal from Mayoral office.
Further defending Tim Kee, Rowley said that the Mayor “misspoke” – but reduced the conversation on Nagakiya’s death to it being a “blemish” on Trinidad & Tobago’s image.
It was the second time that the Government would frame the death as mark against the twin-island state’s tourism sector: Tim Kee earlier said the murder was “not only an embarrassment to Carnival, but to the city of Port of Spain.”
The mayor’s problematic comments on women’s respectability serves only to absolve, in the public eye, the actions of her attacker, and to lift the responsibility of the state in providing adequate mechanisms through which violence against women is deterred. It is also patently fallacious — given the number of otherwise-respectable women who have met their deaths or been abused, simply by avoiding “lewd” advances.
After a firestorm of criticism, Tim Kee issued a loose apology which, for the first time, expressed sympathy for the victim of the crime. His apology, for statements which he said “could have been considered out of line”, nonetheless emphasized that he had also received calls of support for his stance.
Caribbean feminist group WOMANTRA has launched a petition seeking the Mayor’s removal, and remains undeterred by Tim Kee’s apology and Prime Minister Rowley’s steadfast defence of the Mayor. A march on City Hall is also planned for tomorrow.
In the midst of this ongoing homicide investigation, Tim Kee’s opinion on the murder has, even in death, dealt another brutal injustice to Asami Nagakiya.
This story has been updated throughout to include the most recent developments related to autopsy results, remarks by Raymond Tim Kee, and further remarks by Prime Minister Keith Rowley.
フランス語
フランス語の勉強?
時論公論「覚醒剤 狙われる中高年」寒川由美子解説委員
覚醒剤事件で元プロ野球選手が逮捕された。覚醒剤の検挙者は6割が40歳以上。密売人のターゲットになりやすく、依存症対策も急務となっている。薬物対策の課題を考える。
バリバラ〜障害者情報バラエティー〜▽寝たきり芸人あそどっぐの修学旅行・前編
知らない土地への旅は、交通や宿泊などがバリアーとなり、重度障害者にとっては容易でない。難病のためにほとんど体を動かせない“寝たきり芸人”あそどっぐもそのひとり。小学校の修学旅行は、車椅子のため参加NG。中学高校では、親が同伴しての旅行となった。今回は20年越しの念願かなって、京都への「オトナの修学旅行」を決行。人びととの出会いを楽しみながら、バリアフリーな旅の可能性を追求する。
森公美子,あそどっぐ, 玉木幸則, 山本シュウ, 大西瞳, 神戸浩,伊藤愛子


アメリカのグループが重力波検出したそうです.よくわからないけどスゴイみたいです.
いい気分でいるのに,自民党京都の宮崎とかいうドアホのニュースでイヤな感じ.議員辞職は当然ですが,自民党って本当にダメだと思いました.大阪維新の小林とかいうこれもまたドアホの証言拒否にもイヤになって
しまいました.
ジムで少しだけ頑張ったあとTSUTAYAに行きました.CD1枚タダで借りれるのでどうしようかな??と思って探したのですがZARDデビューから25年というのでそれを借りることにしました.負けないでと揺れる想いしか知らなかったのですが,いいですね.ついでにフランス映画のDVDもレンタルしました.

<震災4年11カ月>変わる街 変わらぬ思い
◎南三陸消防署跡地 月命日に遺族が祈り
 東日本大震災で全壊した宮城県南三陸町の南三陸消防署の跡地で、死亡・行方不明になった消防士の遺族が月命日に祈りをささげ続けている。建物が解体されて新たな施設ができ、仮設消防署に慰霊碑が建っても、大切な人がいた場所に足が向く。11日で震災から4年11カ月。変わりゆく街に、変わらない思いがある。
 JR気仙沼線バス高速輸送システム(BRT)が発着する志津川駅の片隅に、目立たない簡素な祈りの場がある。11日、喪服の女性たちが集まった。
 「ココア、温かいよ」。コンクリートブロックの周辺に花や団子、飲み物などを供え、手を合わせた。もうすぐバレンタインデー。愛する夫や息子へのチョコレートも忘れなかった。
 海から約1.5キロ離れたこの地に南三陸消防署があった。気仙沼・本吉地域広域消防本部は職員10人が殉職。ほとんどが南三陸消防署内や、その周辺で活動中、津波に遭った。
 全壊した署の建物が2012年に解体されると、祭壇も撤去された。祈りの場を失った遺族は、敷地内に残っていた鉄塔の土台部分の近くでほそぼそと花を手向けるようになった。
 14年に町内の仮設消防署に慰霊碑が建立されてからも、「家族を感じられる」とまず最初に立ち寄る。
 佐藤せつ子さん(60)は夫武敏さん=当時(56)=を亡くした。消防署隣の宮城県合同庁舎に勤務していたせつ子さん。あの日の朝、夕方から仙台市内に一緒に出掛ける約束をして別れた。「最後に会った場所」につながりを求める。
 跡地はBRTの駅に変わった。隣は仮設商店街になった。復興の歩みとともに街の記憶は上書きされていく。
 「消防署があったことが分からなくなるのが悔しい」と、夫を亡くした女性(58)は消防車や救急車のおもちゃを置いている。
 「モノは壊れたら元通りにできるが、亡くなった人は戻らない。心の復興はまだできていない」と心境を明かす。「そばにいたのが昨日のことのよう。私たちは忘れることはない」


<その先へ>苦悩する子 支えたい
◎NPO法人「TEDIC」代表理事 門馬優さん(石巻市)
 一人の男子中学生との出会いが運命を変えた。
 門馬優さん(26)は、古里である東日本大震災の被災地石巻市で、子ども支援を続ける。4カ月だけの予定だった活動は、間もなく5年となる。
 震災後、石巻に駆け付けて2011年5月、被災した子どものケアを兼ねた学習支援を避難所などで始めた。当時は早大教職大学院(東京)の1年生。
 大学院に通う仲間と週末にレンタカーで石巻に通った。実習がある後期は忙しくなる。活動は8月末までの予定だった。
 ある日、男子中学生が勉強しながら漏らした。「語弊があるかもしれないけれど、震災で僕は救われたって思っているんだ」
 生徒は自宅が被災、家族で避難所に身を寄せていた。震災前から1年以上、不登校だという。父親がリストラに遭い、酒を飲んで暴力を振るった。家に閉じこもり、誰にも助けを求められない日々だった。
 震災で休校していた学校が再開しても登校できず、避難所に残った。ボランティアが不登校の話に耳を傾けてくれて、気持ちが楽になったという。「震災前からずっとつらかった」
 その言葉が門馬さんの脳裏に張り付いた。「震災も悲惨だが、大変な家庭環境の子どもたちがいる」。このままでは終われない。仲間を募り、いったんやめた活動を再開した。
 被災地と東京を往復する大学院2年の夏、東京都の教員採用試験に受かった。教師は高校時代からの夢。希望に胸が膨らんだ。
 試験から2日後、石巻から仙台市に避難していた祖父が亡くなった。柔道場開設に関わるなど、地元の柔道界では著名人。多くの人が別れを惜しんだ。
 「自分は死ぬまでに何を残せるだろう。いま一番やるべきことは、教師なのだろうか」。迷った末、東京都に断りの電話を入れた。
 13年4月、石巻に事務所を構えた。困窮したり、学校や家庭で孤立したりしている子どもの学習支援をする。不登校の子どもにフリースペースを提供する。そんな活動を始めた。
 厚生労働省によると、平均所得を下回る世帯で暮らす18歳未満の子どもは全国で6人に1人。石巻では震災で、子どもを取り巻く環境はさらに厳しい。
 そうした子どもたちを支えたい。「でも、教員になることを期待していた両親には、決断を打ち明けられなかった」。宮城県の教員採用試験に落ちたとごまかした。
 昨年10月、NPO法人「TEDIC(テディック)」の設立1周年を記念したフォーラムの際、両親に思いを伝えた。「貧困や孤独の中にいる子どもに家でも学校でもない居場所を用意したい。民間だからこそできることがある」
 選択に後悔はない。(高橋公彦)


3.11の星空再現「希望や悲しみ見上げて」
 仙台市天文台(青葉区)は13日から毎週土曜、東日本大震災の発生当日の夜空を再現する特別プログラム「星空とともに」をプラネタリウムで上映する。3月は震災発生から丸5年となる11日などにも予定。大停電となった被災地で多くの人が見た満天の星を投影し、「あの日を忘れない」とのメッセージを発信する。
 プログラムは市天文台が2012年に制作した。毎年3・11に合わせて上映し、ことしで5回目となる。
 プラネタリウムでは、夕方から日没、夜へと時間がたつにつれて瞬く星が増え、オリオン座やしし座、おとめ座などが現れる。「3月11日は冬の星座から春の星座に移り変わる時期」と市天文台。被災者が河北新報の投書欄に寄せた、震災発生当日の星空にまつわるエピソードも紹介する。
 プログラムは13年6月に日本プラネタリウム協議会の全国大会で紹介され、各地に反響が広がっている。15年までに全国14カ所で上映され、ことしは北海道から福岡県まで全国21のプラネタリウムなどで投影される予定だ。
 市天文台の担当者は「震災当日の極限状態でも多くの人が星空を見上げ、希望や悲しみを感じ取っていた。そうさせる力が星の光にはあると伝えたい」と話す。
 特別プログラム「星空とともに」は3月26日までの毎週土曜、午後5時40分から上映する。土曜以外では3月7、8、10日に午後2時半、同11日に午後2時からそれぞれ上映する。観覧無料。いずれも当日午前9時から整理券を配る。連絡先は市天文台022(391)1300。


<震災4年11カ月>廃棄物 課題 山積み
 東日本大震災から4年11カ月となった11日、東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県大熊、双葉両町を上空から望んだ。
 廃炉作業が進む第1原発の原子炉建屋付近は大型クレーンが林立する。かつて雑木林が広がっていた南側には、汚染水タンクが所狭しと並んでいた。
 原発から3キロほど離れた双葉工業団地。除染廃棄物の中間貯蔵施設建設に向け、県内から搬入された廃棄物の一時保管場がある。クレーンを使った積み上げ作業が行われていた。
 沿岸部に目を向けると、県警や消防が月命日に合わせ、行方不明者の一斉捜索に当たっていた。一帯は帰還困難区域。一時帰宅は認められているが、住民の姿は確認できなかった。(写真部・川村公俊)


あの日の遺産...忘れない 最大規模の「震災遺産特集展」開幕
 震災遺産の特集展「震災から5年を迎えて」が11日、会津若松市の県立博物館で開幕した。「震災遺産を考える―ガレキから我歴へ」をテーマにした震災遺産の展示に、来場者らは震災の発生からこれまでを振り返っていた。3月21日まで。
 同博物館などが2014(平成26)年度から始めた「ふくしま震災遺産保全プロジェクト」の一環で、同博物館としては過去最大規模の震災特集企画。
 午後2時46分で止まったままの美容室の時計、避難誘導に当たったパトカーの屋根やドア、人の背丈ほどの津波の跡が残る老人保健施設の壁紙。津波で被災したJR常磐線富岡駅の駅名板など約120点が展示されている。
 「3Dデジタル震災遺構アーカイブ体験」も1日2回行われており、JR富岡駅や浪江町請戸地区の漁港などの震災遺構を映像で体感することができる。


震災5年を前に富岡の避難住民ら都内でシンポ
 東京電力福島第1原発事故で富岡町から避難する住民でつくるNPO「とみおか子ども未来ネットワーク」(市村高志理事長)が11日、東京都内でシンポジウムを開いた。震災5年を前に、今の復興政策により避難者に生じた悩みや葛藤などから問題点を議論。埋もれがちな避難者の声をくみ取り、政策に結びつけるべきだとの意見が相次いだ。
 研究者、支援者、避難者ら110人が参加。パネル討論では「復興政策と避難当事者の想いとは」をテーマに、市村理事長ら5人が意見交換した。
 東京大大学院の金井利之教授(自治体行政学)は「国は除染やビル建設など具体的に形にしやすい事業は思い付くが、なかなか住民の思いは反映できていない」と指摘。礒野弥生東京経済大教授(行政法・環境法)は「自治体はすぐに復興計画策定を迫られ、金と計画という形に縛られる。災害復興は形式主義になっている」と問題点を論じた。
 タウンミーティング事業を通して町民と対話している市村理事長は「どうしていいか分からない状況で(復興を)進めなければいけない。行政も住民も一緒になって落ち着いて考えたい。今、ようやく震災のことを話す子どももいる」と丁寧な政策形成を訴えた。
 登壇者と聴衆によるワークショップも実施し、避難者の「未来予想図」の作成を通して問題意識を共有した。ネットワークは2012年に設立。町民の真の声を届けるため、全国で活動を続けている。


福島の避難住民と岩手のボランティア団体が交流
 東日本大震災の被災者を支援する岩手県紫波町のボランティア団体「虹」のメンバー26人と、東京電力福島第1原発事故で福島県浪江町から福島市に避難した住民らが11日、福島市内であった交流会に参加し、親睦を深めた。
 福島大の岩崎由美子教授(地域計画論)とゼミ生が企画。福島市でエゴマ栽培などに挑戦している農業石井絹江さん(63)や、「大堀相馬焼」を復活させた半谷貞辰さん(63)が、避難生活や復興の取り組みを紹介した。
 手料理を持ち寄り、昼食を取った後、原発事故で不明者の捜索を断念せざるを得なかった浪江町請戸地区の消防隊の苦悩を描いた紙芝居「無念」を、岡洋子さん(55)が上演した。
 「虹」は、津波で内陸に避難した被災者をサポートしている。メンバーで、岩手県大槌町の自宅を流され夫を亡くした菊池鏡子さん(68)は「福島にも苦難を味わった仲間がいる。環境は違っても手を携えて前に進みたい」と語った。
 石井さんは「福島と岩手の懸け橋ができた。今後も知らないことを伝え合い、双方で交流の輪が広がればうれしい」と喜んだ。


ワカメ褐色の輝き 松島湾で収穫最盛期
 松島湾特産の養殖ワカメの収穫が、最盛期を迎えている。
 11日早朝は快晴。前日夜からの強い風もやんだ。「こんな日はめったにない」。塩釜市の漁業赤間広志さん(67)が、目印のブイのある漁場まで快調に船を走らせた。
 船に積んだ小型クレーンで海中のロープを引き上げると、長さ約1.5メートルに成長した褐色の海藻が朝日に照らされた。
 ワカメは1株に20本ほど付く。鎌で切り、収穫する。品種は「三陸金華の誉(ほまれ)」。赤間さんらが種苗を開発した。「葉の表面がつるっとしている。波が穏やかな松島湾で育つので、食感は軟らかい」
 松島湾のワカメ養殖は東日本大震災の津波で大打撃を受けたが、その年の秋に再開。水揚げは震災前の水準に戻ったという。
 水深が浅い松島湾は、秋口の水温変化が早いためワカメの成長に適した環境にあり、全国で最も早い12月に収穫が始まる産地として知られる。宮城県内の種苗生産の中心地でもある。作業は4月ごろまで続く。


<議長政活費疑惑>領収書 ネット公開を
◎仙台オンブズ 条例改正請願へ
 宮城県議会の安部孝議長(60)=宮城選挙区、5期、自民党=の政務活動費(政活費)不正疑惑を受け、仙台市民オンブズマンが領収書のインターネット公開を柱とする条例改正を県議会に請願する方針を固めた。早ければ16日開会の2月定例会に提出する。
 オンブズマンは「政活費の適正な支出を担保するには、透明性の確保が不可欠だ」として、領収書や会計帳簿、実績報告書など政活費に関する書類を県議会のホームページ(HP)で公開するよう求める。
 宮城県議会では県議1人に付き月額35万円の政活費の支出が認められ、2014年度の使用実績は90.7%に上る。現在、県議会がHPで公開しているのは各会派の収支報告書に限られる。具体的な使途を閲覧するには書面による手続きが必要で、コピーも有料だ。
 全国市民オンブズマン連絡会議によると、大阪府や須賀川市など全国24の地方議会が領収書類をHPで公開。会計帳簿まで公開している函館市議会の場合、14年度の使用実績は48.4%だった。透明性の確保が、税金の無駄遣いを防止する役目を果たしている。
 仙台市民オンブズマンが昨年10月の宮城県議選前に実施した立候補者アンケートによると、回答した51人中34人が政活費のネット公開に賛成した。ただ、安部議長が所属する最大会派の自由民主党・県民会議(32人)は、賛成が1人だけだった。
 オンブズマンは「領収書がHPで公開されていれば、安部議長も疑惑を持たれる行為はしなかったはずだ。市民が手軽に政活費の使途をチェックでき、議員が税金の使い道を意識する仕組みが必要だ」と訴える。
 宮城県議会は09年、オンブズマンが提起した05年度政務調査費の返還請求訴訟で、県内の調査研究旅費を定額支給する方式を違法とした仙台地裁判決を受け、運用を一部、見直した経緯がある。


大学入試改革 疲労困憊する制度では
 受験のチャンスを増やすという眼目はどこへ消えたのか。大学入試センター試験に代わる新しい共通テストの制度づくりが気にかかる。受験生が疲労困憊(こんぱい)して勉強する意欲を失っては本末転倒だ。
 文部科学省が二〇二〇年度からの実施を目指す「大学入学希望者学力評価テスト」の青写真である。いまの中学一年が初代受験生になるスケジュールだ。有識者会議で三月に最終報告をまとめる。
 ただ、議論の流れを見ると、教育現場の実情が度外視され、改革そのものが目的化してしまったようにも見える。
 懸念されるのは、マークシート式に加え、記述式の問題を採用することへの執着である。当面は国語と数学にとどめる構えだが、検討が尽くされたとは言い難い。
 与えられた問題の正解を素早く見つけ出す力ではなく、自ら問いを立て、考えをまとめ、表現する力を測るのに優れているというわけだ。高校での能動的な学びを促す効果も期待できるという。
 そうした目的にはうなずけるが、実現させるには、技術や費用などの面で多大な課題が生じる。
 五十万人の答案を適切、迅速に採点できるか。教育業界の手を借りる方向も示されたが、公平、公正に評価できるか。コンピューターの導入を含め、作問から判定までの費用見込みはどうか。個々の具体論は事実上の先送りだ。
 殊に看過できないのは、採点に手間暇を要するからとマークシート式の日程と切り離し、前年の秋辺りに前倒しで実施する案が持ち上がっていることだ。
 大学の個別試験までの受験期間は大幅に延びてしまう。高校の授業や行事の段取り、部活動に甚大な影響も及ぶ。受験生の負担も格段に重くなるのは間違いない。
 しかも、一発勝負方式の弊を断ち切り、受験機会を増やすという新共通テストの狙いは、記述式を採り入れることによって、もはや雲散霧消の様相を呈している。
 確かに、マークシート式のみでも、年二回以上行えば、高校教育に支障を来すという批判はかねて出ていた。しかし、だからこそ、有識者会議の知恵に委ねられたのではなかったか。
 十八歳人口も減り、年一回きりの一点刻みの選抜方式でふるい落とすような時代ではない。社会人や外国人も含めて学び手の伸び代を見極め、高等教育の門戸を開放する。そうした発想が大切だ。
 大学の個別試験と併せ考え、地に足の着いた改革を望みたい。


重力波 世界初観測 国際研究チーム 宇宙誕生のなぞに光
一般相対性理論の正しさを改めて裏付け
 物理学者のアインシュタインが100年前に予言した「重力波」を探索している米マサチューセッツ工科大など米国を中心とした国際研究チーム「LIGO(ライゴ)」は12日未明、宇宙からやってきた重力波を初めて直接観測することに成功したと発表した。重力波の存在を予言したアインシュタインの一般相対性理論の正しさを改めて裏付けると共に、宇宙誕生のなぞや、光や電波では観測できない天体現象の解明に期待がかかる。
 重力波は、ブラックホールなど質量の非常に大きな物体が動く際、周りの時空(時間と空間)がゆがみ、そのゆがみが波のように伝わる現象だ。アインシュタインが1915〜16年に発表した一般相対性理論に基づき予言した。この理論は、宇宙の膨張やブラックホールの存在を示す数多くの観測などから正しさが確かめられてきたが、重力波による時空のゆがみは極めて小さいため、観測に成功した例はこれまでなかった。
 LIGOの重力波検出装置は、1辺4キロの管をL字形に配置。直角に交わる部分から2方向にレーザー光を同時に放ち、4キロ先の鏡によって戻ってきた光を重ね合わせる仕組みだ。重力波によって時空がゆがみ、光源と鏡との間の距離がわずかに変化するのを、重ね合わせたレーザー光のずれなどから検出する。
 LIGOは昨年9月から今年1月まで実施した観測のデータを詳しく分析。昨年9月に二つのブラックホールが合体した際に出た重力波を観測したとしている。
 LIGOチームは、米マサチューセッツ工科大と米カリフォルニア工科大を中心に15カ国の大学に所属する1000人以上の研究者が参加。2002〜10年の観測では成功しなかったが、検出器の性能を向上させ、15年に観測を再開した。【河内敏康】
重力波
 質量を持った物体が動いたとき、周囲の時空(時間と空間)にゆがみが生じ、そのゆがみが光速でさざ波のように宇宙空間に伝わる現象。物理学者アインシュタインが1915〜16年に完成させた「一般相対性理論」でその存在を予言した。宇宙の誕生直後に放出されたほか、重い天体同士が互いの周りを回る連星や、ブラックホールの合体などでも生じると考えられている。米国の「LIGO」のほか、欧州でも「VIRGO」(バーゴ)という検出装置が稼働中。日本でも東京大宇宙線研究所などが大型低温重力波望遠鏡「KAGRA(かぐら)」(岐阜県飛騨市)を建設し、昨年ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章・同所長らが検出を目指している。


重力波 「ノーベル賞級の成果」…その訳は
一般相対性理論の予言から100年、「最後の宿題」と呼ばれ
 一般相対性理論の予言から100年もの長きにわたって直接観測されなかった重力波は、「アインシュタインからの最後の宿題」とも呼ばれ、観測一番乗りを目指して世界の物理学者が挑戦を続けてきた。今回のLIGOチームの観測が確実なら、物理学の歴史に新たな一ページを書き加えるノーベル賞級の成果と言える。
 宇宙の膨張やブラックホールの存在など、想像を超えた現象を数多く予言してきた一般相対性理論では、質量を持つ物体の周りに生じる「時空(時間と空間)のゆがみ」こそが万有引力(重力)の源だと考える。さらに重い物体が動くと、そのゆがみが変動し波のように伝わる。これが重力波の正体だ。
 その存在は間接的には証明されていたが、直接検出するのは極めて困難な試みだった。例えば、遠くの重い星同士が互いの周りを回ることで生じる重力波は、地球と太陽との距離(約1億5000万キロ)がわずか水素原子1個分変化する程度の効果しかもたらさない。今回、LIGOは感度を向上させる改造を行い、検出に成功した。
 重力波の観測は、誕生したばかりの宇宙の解明や、光や電波では見えない新たな現象の発見につながる。日本でも、今年から岐阜県の鉱山跡の地下トンネルで重力波の検出を目指す装置「KAGRA(かぐら)」が本格始動する。重力波の出元を突き止めるには複数の場所で観測する必要があるため、今後の貢献が期待される。【河内敏康】


重力波 「KAGRAも貢献したい」 梶田氏コメント全文
 重力波の初観測の発表を受け、日本の重力波研究チームを率いるノーベル受賞者でKAGRA計画代表の梶田隆章氏が12日、コメントを発表した。
コメント全文は以下の通り。
LIGO-Virgoの重力波発見に関するKAGRAグループからのコメント
 我々KAGRAグループは、LIGO-Virgoが重力波信号を発見したことを心より祝福します。これは重力波および一般相対性理論の研究者が待ち望んでいた歴史的快挙です。
 現在我々が建設中のKAGRAを含む第2世代の重力波望遠鏡(レーザー干渉計)によって、重力波そのものや、ブラックホールや中性子星という高密度星の研究が可能であることが実証されたという意味で、このニュースは本当にエキサイティングです。
 我々は今後も引き続きKAGRAの建設を進めて完成させ、高い感度を実現して重力波国際観測ネットワークに一刻も早く参加し、重力波天文学という新たな学問分野に貢献していくつもりです。KAGRAは地下に設置されて低温ミラーを装着しているため100ヘルツ以下の帯域で感度が高く、その周波数帯にある重力波源の探査に適していますが、そこはまさに今回LIGOで観測されたブラックホール連星の合体イベントがたくさんあると予想されているところです。まず、KAGRAはそこを目指していきます。
 もちろん、宇宙にはブラックホール連星合体の他にも、重力波を観測手段として研究すべき天体現象がたくさんあります。例えば、KAGRAでは、連星中性子星合体によるブラックホールの誕生を検出したいと考えています。それは、他の重力波望遠鏡やマルチメッセンジャー天文学のパートナーと連携して継続時間の短いガンマ線バースト源の謎を解明することにつながると考えています。ご期待ください。
 梶田隆章
 KAGRA計画代表


アインシュタイン予言の「重力波」、米で初観測
 【ワシントン=三井誠】米カリフォルニア工科大と米マサチューセッツ工科大などの研究チームは11日、物理学者アインシュタイン(1879〜1955年)が100年前に一般相対性理論で存在を予言した重力波について「初めて観測した」と発表した。
 これまで直接観測した例はなく、宇宙初期の状態などを重力波で観測する「重力波天文学」の道を開く成果だ。
 重力波は、物体の重さが時間と空間(時空)にゆがみを作り、物体が運動した時、そのゆがみがさざ波のように、光速で宇宙に伝わる現象。物体が重くて速く動くほど、強い重力波が出る。
 研究チームによると、米国にある巨大観測装置LIGOが昨年9月14日、重力波を検出した。質量が太陽の29倍と36倍のブラックホールが13億年前に合体した時に、太陽3個分の質量がエネルギーとなった重力波が発生し、地球に届いたとみられる。ブラックホールが合体する瞬間を捉えたのも、世界初の快挙となる。
 ワシントンで11日に記者会見したデビッド・ライツLIGOリーダーは「我々は重力波を手に入れた」と宣言。会場から、大きな拍手が起きた。


「重力波」捉えられれば天文学も飛躍的発展
「重力波」を直接捉えられるようになると、天文学の分野でも飛躍的な発展につながると期待されています。
古代、天文学の起源は星が放つ目に見える光の観測でした。現在も光の分析は星の温度や物質の構成のほかブラックホールの研究にも利用されています。
一方、「ビックバン」の名残などとして宇宙には電波が飛び交っていて、20世紀に入るとこうした電波をはじめとした電磁波を捉える研究が進み、光では見ることができないさまざまな天体現象の発見につながりました。
その次の観測手段として注目されているのが「素粒子」、とりわけ宇宙の初期に大量に作られた「ニュートリノ」です。ニュートリノはさまざまな物質の影響を受けにくく、宇宙が誕生した時の状態を今もとどめていると考えられているため、これを観測することで宇宙の誕生と進化の過程の解明につながると期待されています。
そして、光、電磁波、素粒子に続く第4の観測手段が「重力波」です。今回、アメリカの「LIGO」が観測したと発表したのは、地球から13億光年離れた太陽の29倍と36倍という極めて大きな質量を持つ2つのブラックホールが合体する際に生じた重力波です。重力波の観測が確認されれば、「一般相対性理論」の最後の難題が確かめられ、宇宙の成り立ちの解明につながるだけでなく、強力な重力で光さえも飲み込んでしまうブラックホールの誕生の瞬間を直接観測できるようになるなど天文学に新たな発見をもたらすと期待されています。
「天文学の発展につながる成果」
素粒子物理学を研究している東京大学数物連携宇宙研究機構の村山斉機構長は首都ワシントンでNHKのインタビューに応じ、「興奮しました。重力波を通して、ブラックホールの合体を検出できたのは、歴史的な偉業で、新しい天文学の時代が幕を開け、さらに新しい宇宙物理学が見えてくることが期待できる。まさに歴史的な瞬間だと思います」と述べ、天文学の飛躍的な発展につながる成果だとして、高く評価しました。
そのうえで、村山さんは、「重力波というまったく新しい手段によって、今ままで見えなかった宇宙でのさまざま現象を重力波を通して『聞く』ことができるようになり、これまで想像もしなかったような新しい現象が見つかる可能性がある。ワクワクしている」と話し、今後の研究への期待を示しました。
村山さんは、東京大学などが岐阜県飛騨市に建設した巨大な観測装置、「KAGRA」について、「KAGRAが完成すると、どこから重力波が来ているのかを特定できるようになる。アメリカ、ヨーロッパ、日本と、世界の3か所に観測装置があることがポイントで、世界的に見ても重要な装置になる」と述べています。
世界中の研究者が確認へ
アメリカを中心とした国際研究チームが、「重力波の観測に成功した」と発表したことを受けて、本当にデータが確かなのか今後、世界中の研究者が確認を進めることになります。
今後、地球上の複数の場所で第2、第3の重力波を観測することができれば、重力波が届いた時間の差から三角測量のようにどの方向から来たかが特定でき、光などでは観測できなかった宇宙のさまざまな現象が見えてくる可能性があります。これには、日本の「KAGRA」やヨーロッパの「VIRGO」など世界の観測施設が連携することが必要で、日本にもその役割が期待されています。
一方、重力波の観測は極めて難しいため、これまでにも発表後にデータの誤りが見つかったケースがあります。おととし、アメリカの研究チームが「重力波の痕跡を世界で初めて観測した」と発表しましたが、去年になって、「観測を裏付けられなかった」と訂正しています。


「重力波を初観測」米中心の国際研究チーム 発表
アメリカを中心とした国際研究チームは、11日、宇宙空間にできた「ゆがみ」が波となって伝わる現象、いわゆる「重力波」を初めて直接観測することに成功したと発表しました。重力波の観測は、ノーベル賞に値する成果とも言われ、日本の専門家も「天文学の飛躍的な発展につながる」と述べて高く評価しています。
アメリカにある「LIGO重力波観測所」の国際研究チームは、現地時間の11日午前首都ワシントンで会見し、アインシュタインがちょうど100年前に「一般相対性理論」の中で提唱した現象である「重力波」を初めて直接観測することに成功したと発表しました。
重力波は、ブラックホールなどの天体によって生み出された宇宙空間の「ゆがみ」が波となって伝わる現象で、研究チームによりますと、2つのブラックホールが合体するときに出た重力波を去年9月に観測したということです。2つのブラックホールは、質量がそれぞれ太陽の29倍と36倍と極めて大きく、観測された重力波は13億年前に出たものだと説明しています。重力波はこれまで直接観測されたことがなく、アメリカだけでなく日本やヨーロッパなど世界の科学者が観測を目指していました。
観測に成功した「LIGO重力波観測所」は、アメリカの西部ワシントン州と南部ルイジアナ州の2か所に施設があり、研究チームを率いるカリフォルニア工科大学のデビッド・ライツィー教授は会見の冒頭で「重力波を観測したぞ!」と叫び、喜びを表していました。
重力波の観測はノーベル賞に値する成果とも言われ、今後は世界各国の科学者による観測データの検証が進められることになります。
アインシュタインの「最後の宿題」
アインシュタインが発表した「一般相対性理論」は宇宙の数多くの現象を言い当て、現在の物理学の土台となっていますが、そのなかで唯一、直接観測されていなかったのが100年前に予言した「重力波」です。このため、アインシュタインの「最後の宿題」といわれていました。
「一般相対性理論」では、すべての質量がある物体はその質量に応じて空間をゆがめ、そこを流れる時間の早さも変わるとされています。「重力波」は、その物体が動いた際に空間のゆがみが波となり、光の速さで周囲に伝わるもので、何にも遮られることはないと予言しています。
1993年には、アメリカの2人の物理学者がお互いの周りを回っている2つの星の軌道の分析から重力波の存在を間接的に証明したとして、ノーベル物理学賞を受賞しています。
しかし、予言された空間のゆがみは極めて小さいため、これまで理論の発表から100年間、重力波を直接観測した例はなく、世界の研究機関がしのぎを削っていました。
歴史に残る発表
NASA=アメリカ航空宇宙局などによりますと、重力波は、半世紀前から観測が試みられていて、どの国の研究チームが実際の観測に成功するのか注目が集まっていました。このため、数日前にLIGO重力波観測所の研究チームが「最新の成果を報告する」と発表すると、世界各国で憶測の記事が出て、ワシントンの会場には多くのメディアが詰めかけました。そして、研究チームを率いるカリフォルニア工科大学のデビッド・ライツィー教授が会見の冒頭で、「重力波を観測したぞ!」と述べると、メディア関係者からも大きな拍手が起きました。
会見では、観測された重力波の波の形が紹介され、ライツィー教授によりますと、2つの施設でそれぞれ観測された波の形が驚くほどそっくりだったということで、「最初に見たときは驚いた。ほかの現象を見ているということはないのかなど、あらゆる可能性をつぶした」と説明しました。
また、ライツィー教授のあとに会見した別の研究者は、この波の形を基に重力波を音で表してみたことを明らかにし、初めて紹介された何かがはじけるような短い音に、会場の関心が集まっていました。
日本の専門家も発表見守る
重力波の観測を目指して日本が建設を進めている観測装置、「KAGRA」の研究プロジェクトで、観測データの分析を担当する大阪市立大学の神田展行教授は、研究室のメンバーとともに大阪・住吉区の大学の会議室に集まり、国際研究チームの発表をインターネット中継で見守りました。時折メモを取りながら耳を傾け、発表が終わるとメンバーから拍手が沸きました。
神田教授は、「論文を読み込んで検証する必要はあるが、発表を聞いたかぎりではものすごい快挙で驚いている。アインシュタインが存在を予言した『重力波』を世界で初めて捉えたこと自体すごいが、その重力波がブラックホールから出たとみられる点にもびっくりしている。光を発しないブラックホールは重力波を捉える以外、観測する方法はないとされてきたが、今回の成果はブラックホールの存在を裏付ける証拠を観測したことになる」と話していました。
そのうえで、「今回の発表で、日本の観測装置、『KAGRA』でも重力波を観測できるはずだと勇気づけられた。今後、日本を含む世界各地で観測体制を整え、今回の研究成果を検証していくことが、物理学や天文学の発展のために重要だ」と話していました。
「天文学の新時代が幕を開けた」
素粒子物理学を研究している東京大学数物連携宇宙研究機構の村山斉機構長は「大変興奮しています。天文学の新時代が幕を開けました」と述べてその成果を高く評価しました。
村山教授は、出張先の首都ワシントンでNHKの取材にメールで応じ、「アインシュタインは時空が震えることを予言していましたが、それが確認されました。小さな『さざ波』をとらえた技術的に見ても、とんでもない離れわざです」と述べました。そのうえで、「これで、ブラックホールを重力波を使って『聞く』ことができるようになります。『KAGRA』という重力波の観測施設を作っている日本の仲間たちにとってもすばらしいニュースです。これから驚くべき発見が次々とあることを期待します」とコメントしています。
LIGO重力波観測所とは
「LIGO重力波観測所」はアメリカのカリフォルニア工科大学とマサチューセッツ工科大学が中心となって建設した観測施設で、実験には、世界15か国の1000人以上の科学者が参加しています。
長さ4キロメートルの2本の長大なパイプをL字型に組み合わせ、そのパイプの中を真空に保っている施設で、アメリカの西部ワシントン州と南部ルイジアナ州の2か所に同じ施設が2つあります。2つの施設では、パイプの中でレーザー光線を照射していて、その光線が往復する時間に僅かな変化があると、それが重力波による変化である可能性が高いとされ、同じ変化を2か所の施設で同時に観測して互いに検証することで重力波かどうかを判定できるということです。
LIGOでの重力波の観測は2002年から始まりましたが、2010年までの8年間一度も重力波を観測できず、いったん運用を終えています。その後、観測の能力を10倍に上げるための改修工事がおよそ5年かけて行われ、「アドバンストLIGO」より高度になったLIGOとして去年9月から再び観測を始めていました。
重力波の観測施設はほかにもあり、ヨーロッパの研究機関がイタリアに建設し2007年から運用を始めた「VIRGO」のほか、日本の岐阜県飛騨市には「KAGRA」という施設があります。
NASA「待ちに待った一歩」
アメリカを中心とした国際研究チームが、アインシュタインが提唱した「重力波」を初めて直接観測したと発表したことについて、NASA=アメリカ航空宇宙局も11日プレスリリースを出し「宇宙物理に新たな分野を切りひらく待ちに待った第一歩だ」と述べています。
NASAのプレスリリースは11日ホームページに掲載され、はじめに首都ワシントンで発表されたLIGO重力波観測所での観測結果を紹介し、「私たちの宇宙に関する知識のほとんどは、星々などが出す光の観測を通して形づくられてきた。重力波で研究できるということは、たとえるならば、新しい窓を通して宇宙を見ることができるということで、ほかの手法による観測を多いに補ってくれるだろう」とコメントして観測結果を高く評価しました。
そのうえで、NASAは、LIGOが今回重力波を通して直接観測したという2つのブラックホールが合体する現象について、「X線などを通して観測を試みている。複数の手法による観測ができれば、この現象をより深く理解できることにつながる」と述べていて、ヨーロッパ宇宙機関などと共同で探査に取り組んでいくとしています。


日本も目指した「重力波」の初観測
「重力波」を巡っては、これまで、最初の観測を目指して世界の研究者がしのぎを削っていました。
このうち日本で計画を中心的に進めてきたのが、「ニュートリノ」と呼ばれる素粒子の研究でノーベル物理学賞を受賞した東京大学宇宙線研究所の梶田隆章所長です。重力波の観測を目指し、東京大学宇宙線研究所と国立天文台などが岐阜県飛騨市に建設したのが、重力波望遠鏡と呼ばれる巨大な観測装置、「KAGRA」です。
この装置は長さ3キロもある2本のパイプがL字型につなげられていて、この中でレーザーを使って精密に距離を測ることで重力波による空間のゆがみをとらえます。アインシュタインが予言した空間のゆがみは極めて小さいため、装置は振動や温度変化の少ない地下200メートル以上のトンネルの中に設けられたほか、装置の中は真空に保たれレーザー光線を反射する鏡は分子の振動を抑えるためにマイナス253度まで冷やされます。
「KAGRA」は来月から試験運転に入り、2年後までに本格的な観測を始める予定でした。
一方、今回発表を行ったアメリカの「LIGO」のほかに、ヨーロッパの「VIRGO」という施設も観測に挑んでいます。
梶田さん「われわれも一刻も早く参加」
アメリカなどの研究チームによる「重力波」の観測成功の発表について、日本で重力波を観測する計画を中心的に進めてきた東京大学宇宙線研究所の梶田隆章所長は「重力波や、アインシュタインの一般相対性理論の研究者が待ち望んでいた歴史的快挙です」というコメントを発表しました。
そのうえで、「われわれは今後も引き続き、KAGRAの建設を進めて完成させ、高い感度を実現して重力波の国際観測ネットワークに一刻も早く参加し、重力波天文学という新たな学問分野に貢献していくつもりです」と今後の抱負を示しています。


自民 宮崎謙介議員 女性関係報道で議員辞職へ
今の国会中に育児のための休暇を取る考えを示していた、自民党の宮崎謙介衆議院議員は、みずからの女性関係について週刊誌で報じられたことを受け、議員辞職する意向を固め周辺に伝えました。
衆議院京都3区選出の自民党の宮崎謙介衆議院議員は、男性の育児参加を促したいとして今の国会中に育児のための休暇を取る考えを示していましたが、今週発売された週刊文春で、妻の出産直前にほかの女性と不適切な関係を持っていたと報じられました。
これを受けて宮崎議員は「これ以上、党に迷惑をかけられず、いちから出直したい」として、議員辞職する意向を固め周辺に伝えました。宮崎議員は、このあと午前11時前から国会内で記者会見することにしていて、こうした意向を明らかにするものとみられます。


自民・宮崎氏、議員辞職へ 「大変酷なことした」不倫認め謝罪
 自民党の宮崎謙介衆院議員(35)=京都3区=が12日、女性タレントとの不倫疑惑を週刊誌で報じられたことを受けて東京都内で会見を開き、事実関係を認めた上で、議員辞職する意向を表明した。国会議員として育児休暇の取得を表明したことで注目を集めたが、「京都3区や有権者のみなさまに申し訳ない。一からやり直したい」と陳謝した。
 宮崎氏は辞職理由を「主張してきたことと、軽率に行動したことのつじつまが合わない。深く反省し、決意した」と語った。5日に第1子を出産したばかりの妻の金子恵美衆院議員(37)=新潟4区=に対しては「産後直後にもかかわらず、大変酷なことをした。一生涯つぐないたい」とし、金子議員から「(辞職について)けじめをつけてこい、と言葉をもらった」と説明した。
 男性の育休取得に与える影響には「軽率な行動で水を差したことに申し訳ない気持ちでいっぱい。論じる資格はないが、この流れがとまらないことを願う」と謝罪した。「理想と実現したい政治を追い求めることができる資格を与えてもらえるように、一から出直したい」とし、離党はせずに再起を図る意向を示した。
 週刊文春によると、宮崎氏は1月30日、京都市伏見区の自宅に女性を招き入れ、女性は1泊したという。
 京都府選挙管理委員会によると、3月15日までに辞職すれば、補欠選挙が4月24日投開票で実施される。宮崎氏は辞職願を「できるだけ早く提出する」としており、北海道5区と同日に京都3区も補選が実施される見通しで、夏の参院選の前哨戦として注目される。


差別解消法4月施行 障害者の「窓口」整備遅れる 準備自治体1%
 障害者差別解消法が四月に施行されるのに伴い、障害者の身近な相談窓口として、政府が全国の市区町村などに設置を勧めている「障害者差別解消支援地域協議会」の準備が、ほとんど進んでいないことが分かった。政府は全国約千八百の自治体への設置を目指しているが、準備に入ったのは二十程度と1%にとどまり、協議会がほとんどないまま四月を迎えることになる。協議会は法律の実効性を高める柱と位置づけられており、障害者の要望が反映されにくくなる懸念が強まっている。 (城島建治)
 設置が進まない原因の一つは、政府の対応の遅れだ。法を所管する内閣府がすべての県と市区町村に設置を促す文書を出したのは昨年十一月で、自治体側の準備期間が短いからだ。内閣府によると、準備を始めたのはさいたま市、千葉県松戸市、東京都世田谷区などにとどまる。
 地域協議会は障害者の相談を受け、解決に向けて対応するのが役割。自治体や国の出先機関、障害者団体、家族会、医師、学識経験者らで構成され、自治体が庶務を担う。設置は義務ではないが、法に「差別解消の取り組みを効果的かつ円滑に行うため協議会を組織できる」と規定。内閣府は協議会に寄せられた相談内容や解決例を集約し、ノウハウを全国に広げる方針で、協議会の増加が法運用に不可欠とみる。
 衆参両院は二〇一三年の法成立時に、付帯決議で「制度の谷間やたらい回しが生じない体制を構築するため、設置を促進させる」と協議会の重要性を指摘した。
 内閣府は「施行までに一つでも多くの協議会ができるよう促していく」と話すが、四月時点で設置自治体がごくわずかになる可能性を認める。政府に法制定を働きかけてきた十三の障害者団体でつくる「日本障害フォーラム」は「法律が施行されても、障害者の生活が何も変わらない事態になりかねない。政府は自治体に強く働きかけてほしい」と求める。
 障害者差別解消法をめぐっては、施行直後は民間事業者らの認識不足から、障害者の要望が受け入れられず、トラブルになる可能性が専門家から指摘されている。法律は関係する十五省庁がそれぞれ、民間事業者向けに対応指針をつくるよう義務づけたが、省庁の対応は遅れ、各省庁が事業者への通知を出し終えたのは一月中旬だった。
 <障害者差別解消法> 2013年6月に成立した。国の機関、地方自治体、民間事業者に対し、不当な差別的対応を禁止した上で、合理的な配慮(その場で可能な配慮)を義務づけた。合理的な配慮とは、例えば車いすを利用する人に建物入り口に段差スロープを設置すること。行政機関は法的義務、民間は一律に対応できないとして努力義務にしたが、民間事業者が政府から報告を求められても従わなかったり、虚偽の報告をした場合、罰則が科される。法の趣旨を周知するには時間が必要との理由で、施行は16年4月になった。


貧困ビジネス、生活保護費を回収 支援者「監視され、事実上の強制」
 無料低額宿泊所の入居者が生活保護費の大半を搾取されている「貧困ビジネス」。生活保護費が支給された今月5日、さいたま市岩槻区役所の目の前で、宿泊所の関係者が入居者から生活保護費を回収していた。
 生活困窮者を支援する団体によると、このような行動は支給日に恒常的に行われているという。入居者は「仕方ない」と話すが、支援団体は「事実上強制的に回収されている」と指摘している。
 5日午前8時半ごろから、岩槻区役所の前には、施設のマイクロバスやワゴン車複数台が次々到着した。
 複数の施設関係者が名前の書かれたリストを元に、バスから降りてきた入居者を確認。施設ごとに色分けされたリボンを胸に付けた入居者は順次、4階の窓口へ向かった。入居者は全て男性で、中には歩行が困難な高齢者もいた。
 4階に向かう途中の各階にも関係者とみられる人の姿があり、入居者は常に関係者の目が届く状況に見えた。
 岩槻区役所の外にある共有スペースには、7〜8人の施設関係者が待機。入居者は手渡された封筒の中身を確認することなく、そのまま関係者に手渡していた。
 共有スペースには区役所職員もいたが、関係者は堂々と約2時間にわたり、受け取った生活保護費を紙袋に入れる作業を繰り返した。入居者の多くが関係者の目を気にし、「何も答えられない」とこぼしていた。
 封筒を受け取った入居者をチェックリストで確認していた施設関係者の女性は、生活保護費を回収している現状について、「入ったばかりなので詳しいことは分からない」と繰り返した。
 入居する50代男性は「住所も仕事もなく、生活保護を申請しても自力では通らなかった。今日の飯をどうするかと考えたときに、ここに入るしかなかった」。
 けがをして働けなくなったという男性も「生活保護費の回収は悔しいが、仕方がない。早くここから出たいが、手元に残る数万円ではまた困窮してしまう」と力なく答えた。
 さいたま市生活福祉課の担当者は「生活保護費の回収は問題視している。改善されるよう、対応を図っていきたい」としている。
 生活困窮者を支援している反貧困ネットワーク埼玉の広瀬隆事務局長は「施設関係者に監視される中、事実上強制的に保護費が回収されている。入居者の多様な選択肢が認められるべき」と指摘した。
 同ネットワークは随時、入居者からの相談を受け付けている。問い合わせは、反貧困ネットワーク埼玉(070・6653・4104)へ。


セクハラ 女子サッカー元選手が監督ら提訴 札幌地裁
 女子サッカー3部リーグ「ノルディーア北海道」に所属していた際、監督からセクハラを受けたなどとして、同チームの元選手2人が12日、チームを運営する一般社団法人と当時の男性監督(49)を相手取り、計1000万円の損害賠償を求め、札幌地裁に提訴した。ノルディーアの曽田雄志・球団代表は「事実関係を確認し、誠実に対応したい」とのコメントを出した。
 訴状によると、男性監督は2013年10月、自宅で当時19歳の女子選手(21)に性的な質問をし、抱きつくなどした。また、別の日には自宅で女子選手(22)に抱きついたり、キスを迫ったりしたという。
 2人は15年5月、球団側に改善を要求。その後、監督が同月に辞任し、2人は同7〜11月、練習態度などを理由に相次いで退団させられた。記者会見した一人は「セクハラ隠蔽(いんぺい)のため、退団させられた。納得できない」と主張している。
 男性監督は今年2月、コンサドーレ札幌と提携するタイ男子リーグ「コンケーンFC」の監督に就任している。【日下部元美】

東日本大震災から4年11ヶ月・・・気持ちがつらい

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石川一雄さんは無実です

Jean-Luc Mélenchon annonce sa candidature à l’élection présidentielle
A plus d’un an du scrutin, Jean-Luc Mélenchon a annoncé, mercredi 10 février, qu’il sera à nouveau candidat, en 2017, à l’élection présidentielle. En 2012, sous la bannière du Front de gauche, il était arrivé à la quatrième place du scrutin, avec 11,1 % des suffrages.
Jean-Luc Mélenchon, qui fustige l’idée d’une primaire à gauche, entend représenter ≪ la France insoumise et fière de l’être ≫, a-t-il déclaré sur le plateau de TF1.
≪ L’intérêt général humain (…) doit prévaloir aujourd’hui. Le changement climatique est commencé, c’est maintenant qu’il faut changer la façon de produire, d’échanger, de consommer.
A la question de savoir qui le soutenait, M. Mélenchon a répondu : ≪ Des convictions, c’est le plus important, et peut-être le peuple français. Il ne peut rien faire de tout ce que je viens de dire tant qu’il est ficelé dans les traités européens. ≫
Cette annonce fragilise un peu plus l’alliance que le fondateur du Parti de gauche avait nouée avec les communistes ces dernières années. Elle ≪ n’a été ni discutée ni décidée dans le cadre du Front de gauche ≫, a regretté auprès de l’Agence France-Presse le porte-parole du Parti communiste français, Olivier Dartigolles, assurant l’avoir ≪ apprise en regardant TF1 ≫.
Le PCF s’est impliqué dans l’organisation d’une primaire à gauche, contre l’avis de M. Mélenchon qui l’avait catégoriquement refusée le soir même de la publication, le 11 janvier, d’un appel d’intellectuels et d’écologistes pour l’organiser.
フランス語
フランス語の勉強?
母乳がいいって絶対ですか?
田房 永子
朝日新聞出版
2015-12-18


著者の意見へ共感できれば Amazonのお客様
高いな、と思ったら本でした。マンガエッセイではなかったので高かったんですね。
内容ですが、著者の目線から育児のおかしなところ、男性社会に対する考え方などが書かれています。
母乳に関する記述はそんなに多くはないですが、私が常々疑問に思っていた、SDISと母乳育児との関連性に言及しています。
ミルク育児ママの事、母親として型にはめられている女達のこと、女として生きることの矛盾、男性社会の中に生きることを強いられている女達……
著者の意見は置いておいても、興味深い内容ばかりでした。
個人的な批判もチラホラ入って来ていますが!
それはそれで著者の味なのかもしれませんね。
共感できれば、面白い本だと思います!

新しい見方です。 non
母乳がいいというのはいつの時代も同じで、随分昔にはなるのですが母乳絶対の流れの中にいました。幸いたっぷりあったので、足りなくて困ることはなかったのですが、その後の変化については考えたこともありませんでした。母としての一面だけで母乳絶対なのですが、人として今後生き続けるために忘れてはいけないし、大切にしないといけないことなのかもしれません。その他の事情で体形が崩れることは許せないし、何らかのケアをする人が多い中で、確かに見逃されていることだとハッとしました。いいか悪いか、必要か不要かは人それぞれだと思うのですが、とても新鮮な気がしました。おすすめです。

東日本大震災から4年11ヶ月です.そのせいか気持ちがつらい感じです.お昼は梅田にメキシコ料理で気分転換.でもその後お仕事で出勤.休日なのでだらだら仕事らしきことをしました.
夕方になって気がつくと鹿児島のMiさんからメールが届いていました.どうしたのかな?

津波被災地の復興 「進まず」が過半数 NHK調査
東日本大震災の発生から5年になるのを前に、NHKが行った調査で、全体の過半数の人が、津波による被災地の復興が進んでいないと感じていることが分かりました。原発事故の除染が進んでいないと回答した人も、全体の80%近くに上り、多くの人が復興の進展を実感できていない現状が改めて示される形となりました。
この調査は、NHK放送文化研究所が、東日本大震災や日頃の防災の意識を探るため、去年の12月に全国の16歳以上の3600人を対象に行い、71%に当たる2549人から回答を得ました。
この中で、津波による被災地の復興がどの程度進んでいると思うか尋ねたところ、「あまり進んでいない」が48%、「全く進んでいない」が6%で、合わせて54%に上り、震災発生から3年を前に行った前回の調査と比べて10ポイント減少したものの、依然として全体の過半数が、「復興が進んでいない」と感じていることが分かりました。
また、東京電力福島第一原子力発電所の事故の被災地の除染が進んでいると思うか訪ねたところ、「あまり進んでいない」が56%、「全く進んでいない」が22%で、依然として8割近くの人が除染が進んでいないと感じていると回答しました。
また、国の復興対応についてどんなことが課題と考えるか複数回答で訪ねたところ、最も多かったのは「原発事故への対応」で73%、次いで「住宅再建への支援」が72%、「復興予算の使い道」が60%、「被災地の産業への支援」が57%、「心のケアへの支援」が54%でした。
防災心理学が専門の兵庫県立大学の木村玲欧准教授は「震災発生から5年近くたっても、国民の多くが復興が進んでいることを実感できず、漠然とした“復興の遅れ”がイメージとして定着し始めているのではないか。イメージが固定化され無関心につながらないように、国は今後も被災地の復興状況や必要な支援策について、丁寧に示していく必要がある」と話しています。


震災4年11か月 遺骨のない墓に墓参り
東日本大震災から4年11か月の11日、宮城県石巻市で両親と妻が今も行方不明のままの男性が、3人の遺骨のない墓に墓参りをしました。
仙台市に住む永沼梅夫さん(65)は11日、震災前に暮らしていた北上川の河口近くの石巻市長面地区にある墓を訪れました。
震災が起きたとき、永沼さんは仕事で地元を離れていて無事でしたが、自宅は津波で流され、父親の梅人さん(当時89)と母親の禮子さん(当時82)、それに妻の千鶴子さん(当時59)の3人は今も行方不明のままです。
永沼さんは3人の遺骨が入っていない墓の前に花やお菓子などを供えて手を合わせました。
永沼さんは「墓には遺骨がないので墓参りにきても寂しいです。震災から時間が経過してもふいに思い出して涙がでることもありますが、亡くなった人のためにも強く生きていかないといけないと思います」と話していました。
4年たってようやく捜索可能に
永沼さんの家族の捜索が行われいる場所は、震災の発生から4年以上たってようやく捜索できるようになった場所です。
現場は宮城県石巻市の北上川の河口に近い長面地区で、津波や地盤沈下の影響で水につかった状態が続き、排水作業が行われて去年8月からようやく捜索ができるようになりました。
この地区の周辺では永沼さんの3人の家族を含め36人の行方が分かっておらず、管轄する河北警察署は平日はほぼ毎日捜索を行っています。15人の警察官による9日の捜索では永沼さんも現場を訪れ、警察官に「寒いなか、ごくろうさまです。いつもありがとうございます」と感謝のことばをかけていました。
永沼さんは「時間が経過するなかで難しいと思うが、骨のひとかけらでもいいから見つかってほしいと思っています」と話していました。
一方、警察官は不明者の家族の思いを胸に捜索に当たっています。その1人、廣畑智教巡査は、被災者のためになりたいと3年前に、希望して内陸部の警察署から河北警察署に異動し、今はこの地域の駐在所に配属されています。廣畑巡査は地域をまわるパトロールの中で家族を亡くした住民などからかけられることばや手紙が心の支えになっているといいます。
廣畑巡査は「『ごくろうさまです』とか、『ありがとう』とかそういうことばをかけてもらって励みになって、地域住民の顔を思い浮かべながら捜索に当たっている。身近で話しを聞いているので、なんとしても見つけないといけないという思いです」と話していました。
遺骨の発見 年々困難に
警察などによる行方不明者の捜索で見つかる遺骨は、年々少なくなっています。
宮城県警察本部によりますと宮城県内で警察やボランティアによる捜索や復興事業の工事などの際に見つかった震災の犠牲者とみられる遺骨は、骨の数で4年前の平成24年3月11日からの1年間と3年前からの1年間はいずれも40でしたが、おととしからの1年間は大きく減って11でした。さらに、去年の3月11日から先月末までに見つかった遺骨は僅か3と年々少なくなっています。
また、岩手県警察本部によりますと岩手県内で見つかった遺骨は4年前の平成24年の1月から12月までが6人、3年前の1年間は7人でしたが、おととしと去年の1年間はそれぞれ2人となっています。
捜索巡る状況厳しく
東日本大震災で行方が分からない人は依然として宮城・岩手・福島の3県で合わせて2500人以上に上りますが、沿岸部で進められている復旧工事などの影響で捜索する範囲を狭めざるをえないところも出てきています。
警察庁によりますと、警察に届け出があった行方不明者は、宮城県が1237人、岩手県が1124人、福島県が197人で合わせて2558人となっています。
このうち宮城・岩手のそれぞれの県警によりますと沿岸部で進められている復旧工事などの影響で捜索する範囲を狭めざるをえなかったり、工事関係者と調整しながら捜索せざるをえなかったりする地域もあるということです。
また、福島県では、原発事故による帰還困難区域の沿岸部など依然として捜索が十分でない地域もありますが、ボランティアや一般の人は加わらず、警察官が中心になって捜索しているということです。
一方、行方不明者の家族などからの捜索の要望は年々少なくなってきていますが、宮城県警などは今後も捜索を続けたいとしています。
宮城県で捜索を指揮している宮城県警察本部警備課の太田裕幸次長は「防潮堤工事や区画整理などが進み、震災直後とは状況が一変している場所や容易に入れないところがあり、捜索を巡る環境は厳しくなってきている。警察としては情報や要望があれば月命日だけにかぎらず、捜索を実施していきたい」と話しています。


震災4年11か月 ボランティアが不明者捜索
東日本大震災の発生から11日で4年11か月となり、堤防の建設工事が進むなかで津波で行方不明になっている人を捜索できる範囲も次第に狭まってきています。こうしたなか、宮城県気仙沼市では、全国から集まったボランティアが行方不明者の捜索を行っています。
捜索が行われたのは気仙沼市本吉町の小泉地区の海岸沿いで、はじめに全国各地から集まったボランティアおよそ50人が海に向かって黙とうをささげました。そして、海岸の砂利や漂着物、それに河口近くの草木をかき分けながら、行方不明者の手がかりを捜していました。
この場所では、今月下旬から堤防の建設工事が始まることになっていて、今後、捜索ができる範囲が狭まるということです。
岩手県から捜索に参加した20代の男性は「行方不明者がまだいるので見つけてあげたい」と話していました。
捜索を行ったボランティア団体の三浦清和さんは「捜索の範囲は今後狭くなりますが、必要があれば工事関係者と調整していきたい」と話していました。
震災で大きな被害を受けた宮城県内では、今も1237人の行方が分かっていません。


【東日本大震災4年11カ月】 福島、岩手両県警、沿岸部を集中捜索 新人警察官も参加
 東日本大震災から4年11カ月となる11日、岩手、福島の両県警などが行方不明者の手掛かりを求め、沿岸部を集中捜索した。宮城県警も10日に実施した。
 福島県浪江町の請戸地区では、警察官らが約100人態勢でスコップや金属探知機を使い、地面やがれきの中の遺留品を探した。岩手県山田町では、県警宮古署員17人が、近く海水浴場の工事が始まる砂浜を捜索。1月末に警察学校を出たばかりの新人警察官も参加した。
 佐々木貴博巡査(20)は「5年近くたった今でも、何かは見つかるはず。待っている方々にお返しできるよう、しっかり探したい」と足元のがれきに目を凝らした。
 警察庁によると、10日現在、被災3県で計2558人の行方が分かっていない。3県警とも、震災発生から5年が過ぎても、集中捜索を続ける方針だ。


震災4年11か月 遺族らが墓参り 宮城・岩沼
東日本大震災の発生から4年11か月となる11日、多くの人が犠牲になった宮城県岩沼市では遺族たちが墓参りする姿が見られました。
宮城県岩沼市に住む小林茂さん(51)は震災の津波で次女の芙美さん(当時13)と母のとし子さん(当時73)を亡くしました。
2人と一緒に津波に流され、奇跡的に助かった小林さんはこの4年11か月、2人を助けられなかったという後悔の思いを抱えながら過ごしてきました。
月命日の11日は残された妻と長女の美咲さんと墓参りに訪れ、亡くなった2人が好きだった干し柿や菓子を供えたあと静かに手を合わせました。そして、美咲さんの振り袖姿の写真をお墓に向かって見せながら美咲さんがことし成人式を迎えたことを報告しました。
このあと小林さんは流された自宅が建っていた場所に整備が進められている公園を訪れ、2人の名前が刻まれた慰霊碑の前で手を合わせ亡き娘と母をしのんでいました。
小林さんは「きょうで4年と11か月ですが、私の胸の中にはいつも次女の芙美とおふくろがいます。2人が見守ってくれていると思うので心が負けないように頑張って生きていきたいと思います」と話していました。


復興誓い手を合わせ…津波犠牲者の月命日供養
 福島県いわき市で、津波の犠牲者の月命日供養が行われました。
 いわき市薄磯地区は、津波などで106人が死亡、9人の行方が分かっていません。地区にある修徳院では、毎月11日の月命日に犠牲者の供養が行われていて、遺族らが慰霊台の前で手を合わせました。
 いわき市薄磯地区・鈴木幸長区長:「亡くなった人も復興が一番、これから先が見えることだと思う。(復興を)皆で誓っている」
 この地区では防災緑地などの整備が進んでいますが、震災後、人口は減少していて、訪れた人たちは地区の復興も願っていました。


仮設店舗の撤去負担2年延長
東日本大震災で被災した商店などが営業する仮設の店舗について国は原則5年以内としてきた撤去や移転にかかる費用の自治体への補助を平成30年度末まで延長することになりました。
岩手、宮城、福島を中心に被災地ではいまもおよそ2500の事業者が仮設店舗での営業を続けていますが、国は5年以内に店舗を撤去・移転する場合は、保有する自治体に費用を補助するとしてきました。
しかし、仮設店舗を整備した中小企業基盤機構によりますと被災地によっては、かさ上げなどの工事が遅れ、次に入居する商店街がまだ整備されていなかったり、福島県では避難指示が長期化したりして店舗の再建が進んでいないということです。
このため国は原則5年以内としてきた撤去や移転にかかる費用の補助を平成31年3月末まで延長することにしました。
宮城県の調査によりますと、仮設店舗で営業する3割の事業者が再建するかどうか決めていないと答えている一方で自治体のなかには来年度から仮設店舗の撤去や移転を始めるところも少なくないということです。
今回の見直しで入居期限を延長する商店街も増えてくるとみられていて、中小企業基盤機構は「再建が決まっていない事業者が安心して次の再建に向けて準備できるのはないか」と話しています。


<アーカイブ大震災>大橋目がけて100台超
 東日本大震災が発生した2011年3月11日、最大震度7の激震、大津波警報の発令を受けて、人々は避難のため走りだした。予想を超える巨大津波は、必死で逃げた人たちをものみ込み、多くの犠牲者を生んだ。「ドキュメント 大震災」のシリーズ第2弾「逃げる その時」では、生死の分かれ目ともなったあの日の避難行動を検証する。
◎逃げる その時(1)大渋滞(気仙沼市街地)
 宮城県気仙沼市魚市場から西に約400メートルの幸町地区では東日本大震災の後、積み重なったがれきの下から100台以上の車が見つかった。避難しようとした車が内陸部につながる市道に殺到し、大渋滞が発生。身動きできない車の列に津波が襲い、多くの人が車内で犠牲になった。
 目の前を何台もの車が流れていく。ドンドン、ドンドン。助けを求め、車内から懸命に窓をたたく音が耳に届いた。「今行くぞ」と叫んではみたものの、どうすることもできなかった。
 2011年3月11日、気仙沼市幸町2丁目の無職畠山覚四郎さん(79)は夢中でよじ登った隣家の物置の屋根に立ちすくんでいた。
 自宅で大地震に見舞われた畠山さんは、すぐに妻かつ子さん(77)と隣に住む足の不自由な伯母を車に乗せて逃げた。防災無線は大津波警報を伝えていた。
 内陸部につながる気仙沼大橋に向かう市道は、渋滞でほとんど前に進めない。目の前の大川から突然水があふれてきた。
 「まずい」「徒歩で逃げるしかないか」
 自宅に引き返して車を止めた時、今度は海からの津波が押し寄せ、車を降りたかつ子さんと伯母が流された。車内にいた覚四郎さんは偶然、車ごと隣家の物置に押し付けられたことで助かった。
 かつ子さんと伯母は数日後、遺体で見つかった。自宅近くには高台の笹が陣地区がある。覚四郎さんは「坂が急で歩くのは大変だと思って車を使ったが、裏目に出た。2人を死なせたのがつらい」とうなだれる。
 離島の気仙沼大島で旅館を営む堺健さん(60)も、市魚市場近くの知人宅で地震に遭い、軽乗用車で気仙沼大橋へ向かった。
 幸町でやはり大渋滞に巻き込まれた。バックミラーを見る。がれきが壁のように折り重なり、3メートル近い高さの塊になって迫る。塊には後続の車も交じっていた。
 とっさに右の脇道に入った。幸運にも車は大破した建物などのがれきの上に乗って、浮いた。窓から抜け出し、民家の屋根に飛び移った。
 堺さんは「なぜ助かったか分からない。車で移動しようとしたのは間違いだった」と反省する。
 大渋滞が発生した市道は、気仙沼港と大川の間を東西に走る。気仙沼大橋を渡れば最短距離で内陸部に向かうことができる。だが津波は、この道を「挟み撃ち」にした。
 気仙沼署によると、震災後、市道周辺には何層にもがれきが重なり、下層からは建物に押し込まれた車100台以上が見つかった。その多くに、避難途中で犠牲になったとみられる遺体があったという。
 佐藤宏樹署長(49)は「渋滞時、署員が車を捨てて逃げるよう呼び掛けたが、誰も出てこなかった。『ここまでは波も来ないだろう』『車を置いていけない』という思いが悲劇を拡大したのではないか」と指摘する。
 震災前に市が定期的に行ってきた防災講座では、市中心部の住民には徒歩で逃げるよう呼び掛けてきた。
 東北大災害制御研究センターの今村文彦教授(津波工学)は「本当に車での避難が必要な高齢者、乳幼児らがいち早く安全な場所に避難できるよう、徒歩で逃げられる人は車の使用を控えるべきだ」と話す。(丹野綾子)=2011年6月21日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


震災で不明の息子の墓参り
東日本大震災の発生から4年11か月となる11日、津波で多くの人が犠牲になった陸前高田市では、震災の津波で当時43歳の息子が行方不明になっている夫婦が墓参りに訪れました。
陸前高田市に住む吉田税さんの長男、当時43歳だった利行さんは、震災の津波で今も行方がわかっていません。
吉田さんは、震災のあと遺体安置所を訪ねて、利行さんを捜し続けましたが見つからず、震災から2年後に家族で死亡届を提出して以来、月命日には欠かさず墓参りに訪れています。
利行さんの墓には、遺骨の代わりに大好きだったという野球のボールが納められています。
11日は、妻のエイ子さんとともに市内の寺に墓参りに訪れ、墓前に花を供えたあと、静かに手を合わせていました。
吉田さんは、「爪でも、足の骨1本でも墓に入れてあげたいというのが親としての思いです。あきらめたらとも言われますが、どうあきらめていいかのかわかりません」と話していました。
吉田さんは、震災の発生から5年になるのを前に、警察などに利行さんの捜索を求める署名活動を行っていて、これまでに3100人分の署名が集まっているということです。


震災月命日で遺族らが墓参り
東日本大震災の発生から4年11か月となる月命日の11日、多くの人が犠牲になった岩沼市では遺族たちが墓参りする姿が見られました。
岩沼市に住む小林茂さん(51)は震災の津波で次女の芙美さん(当時13歳)と母のとし子さん(当時73歳)を亡くしました。
2人と一緒に津波に流され奇跡的に助かった小林さんは、この4年11か月、2人を助けられなかった後悔とともに過ごしてきました。
月命日の11日は残された妻と長女の美咲さんと墓参りに訪れ、亡くなった2人が好きだった干し柿や菓子を供えたあと、静かに手を合わせました。
そして美咲さんの振り袖姿の写真をお墓に向かって見せながら美咲さんがことし無事に成人を迎えたことを報告しました。
このあと小林さんは流された自宅が建っていた場所に整備が進められている公園を訪れ、2人の名前が刻まれた慰霊碑の前で手を合わせ亡き娘と母をしのんでいました。
小林さんは「きょうで4年と11か月ですが私の胸の中にはいつも次女の芙美とおふくろがいます。
2人が見守ってくれていると思うので心が負けないように頑張って生きていきたいと思います」と話していました。


<震災4年11カ月>新生活の拠点 整備着々
 東日本大震災は11日で発生から4年11カ月を迎えた。宮城県山元町では被災者の集団移転先となる新市街地の整備や、JR常磐線を1キロ内陸側に移設する工事などが急ピッチで進む。
 町は3地区で新市街地を整備中。最大の「つばめの杜地区」(37.4ヘクタール)では計約550戸分の分譲宅地や災害公営住宅などができる予定。計画は95%まで進み、来月末には完成する。
 地区は新たな常磐線が貫き、中心部に建設された高架式の山下駅ホームからは真新しい住宅が見渡せる。駒ケ嶺(福島県新地町)−浜吉田(宮城県亘理町)間の14.6キロで続く線路の移設工事も順調で、ことし12月には運転再開予定だ。
 2015年国勢調査で町人口は1万2314となり、震災前の10年調査から26.3%も減った。今夏には小学校などが地区内に開設する。町の担当者は「新しい街の姿をますます実感してもらえるようになる」と活性化に期待をつなぐ。


<私の復興>子ども育み浜を巡礼
◎震災4年11カ月〜石巻市渡波の洞源院住職 小野崎秀通さん
 石巻市渡波の本堂前から海と街を望む。「地域の光になってほしい」
 理事長を務める社会福祉法人が4月、内陸の蛇田地区で「石巻たから保育園」を開園させる。園の周りは東日本大震災の被災者の集団移転地の整備が進む。2014年、沿岸部のJR渡波駅近くに建てた「石巻ひがし保育園」に続き2カ所目となる。
 子どもはまちの宝物。歴史のある牡鹿半島の人口流出を食い止める東のとりでに−。二つの園名にそんな願いを込めた。
 渡波地区の死者・行方不明者は519人。保育所2カ所と幼稚園1カ所が津波に襲われた。高台にあって被害を免れた寺は最大で約400人の住民を受け入れ、5カ月後まで暮らした。
 11年のゴールデンウイーク後に学校が再開し、小中高生約25人が寺から通った。お年寄り数人が本堂の外で座っていた。子どもたちの帰りを待っていた。声が聞こえてきただけで顔がパッと明るくなった。
 大きな力に気付いた。
 「子どものいないまちは消えてしまう。育てる環境こそ地域に必要だ」
 12年夏ごろから保育園の整備に走る。2億円近い借金を抱えたが「やめるわけにはいかない」。
 ひがし保育園は0〜5歳児計86人を預かる。カニ。カメ。ラッコ。ペンギン。イルカ。クジラ。クラス名は海の生き物だ。
 「つらいことが多くても海を嫌いになってほしくないから。海なくしてこの地域の復興はない」
 曹洞宗永平寺(福井県)で修行し、1977年に帰郷。90年に住職になった。お勤めでは震災犠牲者にも祈りをささげる。
 被災地の海で「浜供養」を重ねる。
 お勤めに加わりお経を覚えた避難者から「支援を受けてばかり。何かお返しできないか」との声が上がった。世話になったことを人に向ける仏教の「回向」を実践するため、11年6月の月命日に始めた。
 3カ所を巡った初回は約70人が参加した。家族を津波で失った檀家(だんか)もいた。
 供養を始めると雨が降り、終わると上がった。寺に戻り、お経を上げた。
 晴れ間が見えた。
 みんなの表情が穏やかになった。
 牡鹿半島の44浜をはじめ北は南三陸町、南は山元町と計86カ所を回った。一周忌を終えた12年4月から冬場を除いて毎月続ける。
 巡礼用の装束を着た檀家有志と車で向かう。仮設の祭壇の前で読経し、高知県の仲間の寺から託された地蔵の札を海に流す。
 「生きながらえることができなかった人の思いはどれほど無念か。苦しみながら亡くなられた御霊(みたま)が仏縁で救われてほしい」
 4月から再び浜に立つ。巡礼は終わらない。(沼田雅佳)


「被災者に対し何もできなかった」と…
 「被災者に対し何もできなかった」という悔いを、東日本大震災時に活動した多くのソーシャルワーカー(SW)が抱えていたという。学生らが証言をまとめて分析し、肯定的に評価したことで「やっと認められた」「ほっとした」と涙ながらに感謝した人もいた ▼被災地のSWの声を聞く活動をしている関西福祉科学大の学生らが先日、沖縄国際大など県内大学を訪れて報告した。分析結果を各地で伝えるのも取り組みの一つ
 ▼暮らしにくさを抱えた人をサポート。学生からすれば「スーパーマンみたいに、めっちゃかっこいい」働きをしながら、評価されないことで疲弊していたとすれば痛ましい ▼これまで災害下のSWの働きはあまり語られず、振り返る機会がなかったという。専門性の高い働きをしたと意義付ける学生らの分析は、離れた場所から、現場を力づけるだろう ▼報告を聞いた学生を指導している沖国大福祉・ボランティア支援室の稲垣暁さんは、21年前の阪神淡路大震災で被災した。数年後、四国など遠くで震災の記憶をつなぐイベントが続いていると知り「忘れられてはいない」と感じ、心強かったという ▼あと1カ月であの日から5年。県内でも東北を思う企画が、これからいくつかある。少しでも支える力になれるよう、震災を心に刻みたい。(安里真己)


<閖上津波訴訟>必要と知りつつ基礎資料廃棄?
 一般社団法人「減災・復興支援機構」(東京)が、東日本大震災で名取市閖上地区の被災状況を調べた市の第三者検証委員会の最終報告書の基礎資料について、同地区の津波訴訟の原告側が「訴訟に必要」と伝えていたにもかかわらず、廃棄していたことが10日、分かった。仙台地裁で同日あった閖上地区の津波犠牲者をめぐる損害賠償請求訴訟の口頭弁論で原告の遺族側が明らかにした。
 遺族側は2015年2月5日、機構に電話で基礎資料の開示を要望。6月19日には地裁が、遺族側の申し立てを受け、提出を求める文書を機構に送付した。機構はいずれも拒否した。
 地裁が理由を問うと、機構は「保管義務はなく、情報漏えいを防ぐため5月ごろ廃棄した。市とは事前に協議していない」と文書で回答した。
 遺族側は10日の口頭弁論で、廃棄に至った詳しい経緯を明らかにするよう主張。地裁は機構をさらに尋問する考えを示した。
 遺族側は「機構は訴訟に必要と知りつつ、廃棄したことになる。(被告の)市と事前協議した可能性が高く、極めて不自然だ」と批判した。
 市などによると、基礎資料には市災害対策本部の対応や市民の避難行動、防災無線の不具合に関する佐々木一十郎市長らへの聴取記録が含まれていた。報告書は14年4月に完成した。


「死者」とともに歩む街 なぜ、被災地に「幽霊」がでるのか?
そして、大切な人の死と、どう向き合うのか。
石戸諭

被災地の幽霊
ある学生が書いた卒業論文が話題になっている。「呼び覚まされる霊性の震災学」(新曜社)に収録された「死者たちが通う街—タクシードライバーの幽霊現象」だ。
東北学院大の工藤優花さんが宮城県石巻市のタクシー運転手が実際にあった幽霊について聞き取り、まとめたものだ。
津波被災地で幽霊をのせたタクシー運転手がいる。そこだけが切り取られ、「幽霊はいる」「非科学的なもので、論文とはいえない」といった声がネットにあふれた。
現場から問う死生観 『死者』『喪失感』と向き合う
卒論を指導した社会学者の金菱清教授は、苦笑混じりに語る。
「幽霊をみることもよりも、幽霊現象を通して死生観、『死者』との向き合い方を考察することがこの論文の主題なのに」
金菱さんはフィールドワークを専門とする社会学者だ。
大学進学を決めた1995年に、阪神淡路大震災を経験している。その時、疑問を抱いたのは目線の位置だった。崩れ落ちる高速道路、被害があった神戸市内。強調されたのは上からの映像だ。
「伝えられる映像の多くは、上空からみる鳥瞰図目線になっていて、そこにいる人の目線が抜けている」
復興も同じだ。常に地図上の科学的なシミュレーションがベースになり、鳥瞰図から一見、合理的な計画が打ち出される。
割り切れない思い
「大事な人を亡くす、行方不明になる。それだけでなく、街そのものが変わったという喪失感がある。復興を考えるなら、現場に住む人が持っている人間観、死生観、感情から考えないといけない」
死者や喪失と人はどう向き合うのか。学生たちと東日本大震災の被災地を歩き、インタビューを重ね、調査を続けている。
幽霊現象はまさに、被災地域の死生観が象徴的に現れている事例だと考えている。
「生きている人と死者の中間に、行方不明に象徴される『あいまいな死』があります」
「当事者のあいだでも、生と死はきれいにわかれていない。遺体が見つからないため、死への実感がわかず、わりきれない思いを持っている人の気持ちとどう向き合うのか。幽霊現象から問われているのは慰霊の問題であり、置き去りにされた人々の感情の問題なのです」
夏場、コートを着込んだ女性は「南浜まで」と告げた
工藤さんがタクシー運転手の体験を聞き取った石巻市では、津波などによる死者は3277人、行方不明者は428人に達している。
論文から、証言を抜粋してみる。
震災で娘を亡くしたタクシー運転手(56歳)は石巻駅周辺で客を待っていた。震災があった3月11日から数ヶ月たった初夏、ある日の深夜だった。ファー付きのコートを着た30代くらいの女性が乗車してきた。目的を尋ねると、女性はこう言った。
「南浜まで」
「あそこはもうほとんど更地ですけど構いませんか。コートは暑くないですか?」
「私は死んだのですか?」
女性は震えた声で応えた。運転手がミラーから後部座席を見たところ、誰もいなかった。
「『東日本大震災でたくさんの人が亡くなったじゃない? この世に未練がある人だっていて当然だもの。(中略)今はもう恐怖心なんてものはないね。また同じように季節外れの冬服を着た人がタクシーを待っていることがあっても乗せるし、普通のお客さんと同じ扱いをするよ』。ドライバーは微笑んで言った」
「おじちゃん、ありがとう」。少女はすっと姿を消した
別の運転手(49歳)は小学生くらいの女の子を乗せた、と証言している。2013年の夏、時間は深夜だった。コート、マフラー、ブーツを着た少女がひとりで立っていた。不審に思いながらも「ひとりぼっちなの」と話す少女。家の場所を答えたので、そこまで連れて行き、手をとって少女を降ろした。
「おじちゃん、ありがとう」
そう話した少女は、すっと姿を消した。
運転手は「『お父さんとお母さんに会いにきたんだろうな〜って思っている。私だけの秘密だよ』。その表情はどこか悲しげで、でもそれでいて、確かに嬉しそうだった」。
幽霊現象に遭遇した各タクシー会社の記録では、無賃乗車があった扱いになるという。客を確かに乗せたが、代金は支払われなかったという扱いだ。
「(亡くなった人が)会いにくるの」
被災地で幽霊の話を聞くのは決して、珍しいことではない。取材をするなか、私も思い返したことがある。石巻市内の居酒屋で聞いたこんな話だ。もうすぐ、震災1年を迎えようという時期だった。
この店を切り盛りする50代女性は、震災後、店を休み、炊き出しなどボランティア活動をしていた。見慣れた街の様子は一変していた。遺体を前に泣き崩れる遺族、そして行方が分からない家族を連日探す人々を何度も見たという。
「ご遺体が見つからないんだよ。あんなに悲しいことはないよ」
「だからなのかね…」。私1人になった店内で、女性は私のコップにビールを注ぎながら、こう口を開いた。
「言いにくいことだけどね、会いにくるのよ。見つけてほしって」
「誰がです?」
「亡くなった人が」
これも震災の年、ある夏の日だったという。車で津波被害が甚大だった地区を走っていたところ、コート姿の女性が立っていた。
「なんで、この季節にコート?」
驚いて通り過ぎたあと、すぐにサイドミラーで確認したが、誰も立っていなかった。
この女性も、楽しい思い出話を語るように微笑みながら話していた。
「『幽霊』なんて言うな」 運転手が持つ畏敬の念
工藤さんの調査と共通しているのは、恐怖感がないことだ。単なる怪奇現象ではなく、自分たちが出会った相手への敬意がある。
工藤さんは、タクシー運転手への聞き取りを重ねる中で、こんな経験をした。
「私が『幽霊』というと、そんな風に言うなと怒る方がいました。きっと、『幽霊』という言葉に興味本位だと思われる響きがあったからでしょう。怪奇現象とか、心霊写真とか恐怖を楽しむような言葉だと思われてしまった。『亡くなられた方』とか『(亡くなった方の)魂』というと、お話してもらえました」
運転手から、こう問われたこともある。
「きみは大事な人を亡くしたことがあるかい? 人は亡くなると、眠っているように見えるんだ。あのとき、こうすれば良かったと後悔する。亡くなっても、会いに来てくれたら嬉しいんじゃないかな」
彼らは「幽霊」の存在に理解を示し、温かい気持ちで受け入れている。そこにあるのは死者に対する畏敬の念だ、と工藤さんはそう考えている。
生と死の中間にある「あいまいな死」
金菱さんは、東日本大震災を特徴づけているのは「『あいまいな死』が多いこと」であり、「地震から津波到達まで時間があったため、『もっと自分がこうしていれば、助かったのではないか』という後悔の念が強く起きること」だと指摘する。
「あいまいな死」は、生きている人にとっては、本人が死んだのかどうか明確にはわからない。「本当に私の大切な人は死んでしまったのか」と問い続け、死を受け入れられない。
そして、「あのとき、電話をしておけば…」「もっと声をかければよかった」と自分を責め続けることになる。仮に葬儀をしたとしても、その気持ちはおさまえることはない。
無念に寄り添う
運転手らの言葉には「あいまいな死」とどう向き合うか、そのヒントが詰まっている。彼らは「あいまいな死者」の存在を肯定し、人々の無念さにすっと寄り添っている。
「大事なのは、幽霊現象があるかないかという問題ではない。体験した人が『死を受けいれられない』という声に寄り添い、その存在を肯定していること。中間領域を消さずに、丸ごと肯定し、死者に対して敬意を払っていることが大事だ」と金菱さんは話す。
死者への敬意は別の調査からもうかがえる。
死者への敬意
ゼミ生の小田島武道さんは同じ石巻市内で、仮埋葬という形で土葬した遺体を、遺族の要望で掘り返し、さらに火葬した葬儀会社の取り組みを調査した。
土葬された672人もの遺体を、葬儀会社のスタッフたちは作業服姿で掘り起こしにあたった。作業服姿は敬意を欠いているように思えるが、そうではない。
土葬され、梅雨、夏場が近くなり腐敗も進む、遺体の泥を丁寧に拭い、棺に納めるには作業服しか選択肢がなかったのだ。一人一人の遺体に合掌し、効率を優先せずトラックを使わなかった。遺族感情を重んじ、霊柩車を模した10台の車で遺体を運んだ。
被災者は投げかける「人は死んだら終わりですか?」
ニュースや記録を通じ、私たちは死者や行方不明者を数字としてまとめてみてしまうことが多い。しかし、そこには一人一人の死があり、それぞれの家族や地域の感情がある。死も一様ではない。
自分たちの死生観にもとづいて、生と死をきっぱりわけることは、中間領域の存在を否定することであり、あらゆる死と向き合ってきた当事者の感情を否定することにつながってくるのではないか、と金菱さんは問う。
金菱さんは新刊「震災学入門」(ちくま新書)の中で、子供を亡くした被災者が、生前に子供が使っていた机に刻んだ言葉を紹介している。
「街の復興はとても大切なことです。でも沢山の人達の命がここにある事を忘れないでほしい。死んだら終わりですか?」
金菱さんは言う。
「この問いにどう応えるでしょうか?被災地の人々が多様な死者へ払っている敬意から私たちはもっと学ばないといけない。死者の思いを受け止めない慰霊は、誰の感情に寄り添っているのか。もっと被災者の視点から問われないといけないのです」


新医学部生を支援 クウェート寄付で基金設立
 4月に開学する東北医科薬科大医学部(仙台市青葉区)の医学生向け修学資金貸付資金について、宮城県は10日、東日本大震災直後にクウェートから寄せられた支援が原資になったとして「クウェート国友好医学生修学基金」を創設した。
 県庁であった記念式典には村井嘉浩知事と医学部を新設する東北薬科大の高柳元明理事長、同国のアブドルラフマーン・アルオタイビ駐日全権大使らが出席。
 村井知事は「震災から5年。復興は進んだが、沿岸部の住民生活に不可欠な医師確保に困っている。支援金は医学生の修学資金として末永く役立てたい」と感謝した。基金を運営する東北地域医療支援機構の代表理事も務める高柳理事長は「支援により毎年30人の学生が6年間、資金の貸与を受ける」と述べた。
 アルオタイビ大使は「支援金を医学教育に使う決断は被災者を励まし、医学を志す学生への力強い後押しになる。被災地が以前より良い形で復興を遂げることを期待する」と激励した。
 新医学部に対するクウェートからの支援の流れは図の通り。2011年4月、クウェート政府は震災からの復興支援のため原油500万バレル(当時価格400億円程度)を日本に無償提供すると決定。日赤を通じて岩手、宮城、福島の被災3県に寄付金が届いた。
 宮城県には162億円が配分され、県は全額を「東日本大震災復興基金」として積んだ。このうち90億円を今回の修学資金の原資に充てた。


被災地の課題解決へ活動紹介
東日本大震災の発生から4年11か月となる11日、被災地が抱える、人口減少や産業空洞化などの課題に取り組む企業や団体を一堂に集め、その活動を紹介する催しが仙台市で開かれました。
この催しは、国や経済団体などが、被災地の課題解決に向けたさまざまな取り組みを、広く知ってもらおうと開きました。
仙台市内の会場には、およそ90の企業や団体が参加し、それぞれブースに分かれて取り組みを紹介していました。
このうち、東松島市の団体は、被災地に新たな産業を興そうと、地域の女性たちを集めて、ハンカチなどに、デンマークに伝わる刺繍を施してもらって、販売していることを紹介していました。
また、岩手県大船渡市の若者たちで作る団体は、ほかの地域の大学生に地元の企業で職業体験をしてもらうことで、若者の移住促進につなげようと、活動していることを紹介していました。
会場を訪れた山形県の50代の女性は、「小さいかもしれないが、新しいものが生まれていて、被災地がさらに前に進もうとしているのを感じました。私たちも被災地のために頑張らないといけないと思いました」と話していました。


<議長政活費疑惑>共産が全員協開催申し入れ
 県議会の安部孝議長が政務活動費(政活費)を不正支出したとして、仙台市民オンブズマンが県に監査請求した問題で、共産党県議団は10日、安部議長に全議員への説明責任を果たすよう求める申し入れ書を出した。説明期限は2月定例会開会日の16日とした。
 申し入れ書では、9日にあった7会派代表による会長懇話会での安部議長の説明について「裏付ける資料がなく、説明責任を果たしていない」と指摘。全員協議会などの場を設けるようあらためて要請した。
 遠藤いく子団長が、代理の西條力議会事務局長に申し入れ書を手渡した。遠藤団長は「議長の疑惑が晴れないまま、2月定例会を迎えるわけにはいかない。県民が納得できる説明をするべきだ」と話した。
 共産県議団は10日、安部議長が所属する最大会派の自民党・県民会議にも同様の申し入れをした。
 オンブズマンは、安部議長が政活費から仙台事務所の賃料や光熱費、電話料金などを6年間で計540万円支出したのは違法だとして、安部議長に返還させるよう村井嘉浩知事に求める監査請求をした。


<臨時災害FM>地域局で放送を 署名活動
 東日本大震災の臨時災害局としての業務を3月末で終了する亘理町の「FMあおぞら」が、恒久的なコミュニティー(地域)局への移行による放送の継続を目指して活動を始めた。町内外から1万3000人分を目標に署名を集めて町に提出する予定。FM局側は「被災地の活性化と防災に地域放送は欠かせない」と賛同の声を示すことで、放送継続に欠かせない町の支援を促したい考えだ。
 署名活動は1月下旬にスタート。スタッフ7人がインターネットなどを通じて賛同者を募っている。FM局によると、これまでに約2000人分の署名が寄せられた。FM局の吉