フランス語の勉強?

mars 2016

久しぶりのネクネク/Yuさんお疲れ/震災関連番組をまとめて見ました

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Fig19

L’impériale succession se décline toujours au masculin au Japon
Lettre de Tokyo. La question continue de susciter interrogations et débats au Japon. Dans son édition du 24 mars, le tabloïd hebdomadaire Shukan Bunshun est revenu sur l’intention du Comité pour l’élimination des discriminations à l’égard des femmes de l’ONU de mentionner le système de succession impériale fondé sur la primogéniture mâle dans ses critiques adressées à l’Archipel. Il s’agissait de souligner l’exclusion des femmes du processus.
Ce point apparaissait dans une première mouture du texte. Les vives protestations nippones ont incité ses auteurs à l’en retirer. Il n’était donc pas dans la version finale rendue publique le 8 mars. ≪ Cette remarque fut une surprise totale, explique le ministère japonais des affaires étrangères. Le sujet n’a pas été discuté pendant les réunions préparatoires du mois de février. ≫
La question était dès lors : d’où vient l’initiative ? Certains ont évoqué des pressions d’organisations sud-coréennes hostiles au Japon. La diplomatie nippone soupçonne plutôt des manœuvres chinoises. Pékin s’inquiéterait d’un rapprochement entre Tokyo et Séoul depuis la conclusion, fin décembre 2015, d’un accord sur les femmes dites ≪ de réconfort ≫. La Chine aurait voulu toucher l’opinion sud-coréenne, sensible aux questions liées au système impérial japonais, qui évoque chez elle la période de colonisation, entre 1910 et 1945.
Et le Shukan Bunshun de rappeler que l’enquête sur le Japon, la première depuis 2009, a été menée par Zou Xiaoqiao, issue de la Fédération nationale des femmes chinoises, une organisation pilotée par le Parti communiste chinois. L’instance onusienne est présidée par une Japonaise, l’avocate Yoko Hayashi, mais sa nationalité lui interdisait de participer aux travaux concernant son pays.
≪ Soutien de la population ≫
Au-delà de ces interrogations, le simple fait de soulever le sujet a titillé les très nationalistes sensibilités du gouvernement. Le 14 mars, le premier ministre, Shinzo Abe, est revenu sur la question, invoquant la tradition et l’histoire du Japon. ≪ Il est évident que la loi n’a rien de discriminatoire pour les femmes ≫, a-t-il déclaré, avant de qualifier de ≪ totalement inappropriée ≫ l’initiative de la commission. Le porte-parole du gouvernement, Yoshihide Suga, a renchéri : ≪ Le système impérial de notre pays, de même que les monarchies de différentes nations du monde reposent sur le soutien de la population. ≫
≪ Il est évident que la loi n’a rien de discriminatoire pour les femmes ≫
Au Japon, la primogéniture mâle s’est imposée pendant l’ère Meiji (1868-1912), avec l’adoption en 1889 de la législation régissant la maison impériale. Inspirée du modèle prussien, elle excluait totalement les femmes des successions. Ce principe a été confirmé après la seconde guerre mondiale dans la loi de 1947 sur la famille impériale. ≪ Le trône impérial doit revenir à un enfant mâle issu d’hommes de la lignée impériale ≫, précise l’article 1 de ce texte.
≪ Le trône impérial doit revenir à un enfant mâle issu d’hommes de la lignée impériale ≫
La disposition a pourtant été remise en question après la naissance, le 1er décembre 2001, de la princesse Aiko, enfant unique du prince héritier Naruhito et de son épouse, Masako. Le frère cadet de Naruhito, le prince Akishino, avait lui aussi des filles. A terme, la question de l’arrivée d’une femme sur le trône pouvait donc se poser.
Le premier ministre, Junichiro Koizumi, en poste de 2001 à 2006 et par ailleurs mentor de M. Abe, mais plus progressiste, a alors lancé les débats sur une modification de la législation pour permettre aux femmes de monter sur le trône impérial. Il avait même évoqué la question lors de son discours de politique générale en janvier 2006.
Huit impératrices dans l’histoire du Japon
La naissance, le mois suivant, du prince Hisahito, fils d’Akishino et premier garçon à voir le jour dans la famille impériale depuis quarante et un ans, a mis fin au débat. Shinzo Abe, qui a succédé à M. Koizumi pour un premier mandat à la tête du gouvernement en 2006-2007, avait indiqué qu’il rejetterait toute tentative de changer la loi.
De nouveau au pouvoir, il ne semble pas près de changer d’avis. L’histoire montre pourtant que la famille impériale nippone, héritière du légendaire Jinmu, qui aurait régné de 660 à 585 avant Jésus-Christ et, selon les chroniques anciennes Kojiki et Nihon Shoki, serait un descendant de la divinité symbolisant le soleil Amaterasu, a donné 125 souverains à l’Archipel, dont 8 femmes. La dernière, Go-Sakuramachi (1740-1813), a régné de 1762 à 1770.
Il y a même l’exemple d’une femme succédant à une autre femme. L’impératrice Gensho (680-748) a hérité du trône en 715 de sa mère, Genmei (661-721), connue pour avoir installé la cour impériale à Nara, marquant le début de l’ère (710-794) du même nom.
Et, comme sur bien d’autres questions, les Japonais semblent bien plus ouverts que leurs dirigeants actuels. Un sondage de 2012 de l’agence de presse Kyodo révélait que 66 % de la population étaient favorables à l’avènement d’une impératrice.
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NEXT 未来のために・選「“それでも学びたい” 奨学金に揺れる母と娘」
いま、大学卒業後、学生時代に受けた奨学金の返済に苦しむ若者が増えている。中には非正規雇用のため経済的に厳しく返済が難しくなる人もいる。若者たちの葛藤を描く。
学費の高騰、世帯収入が減少するなか、大学などに進学する際に奨学金を受ける学生の数が増えている。いまやふたりに一人が受けている割合。その一方で、卒業後に非正規雇用などの為、経済的に厳しく返済が難しくなる人が相次いでいる。豊かさを求め、将来の夢をかなえるはずの奨学金を巡って何がおきているのか、若者たちの葛藤を描く。
柴田祐規子

NHKスペシャル シリーズ東日本大震災 “26兆円”復興はどこまで進んだか 
「集中復興期間」の5年にわたり、26兆円あまりが注ぎ込まれてきた東日本大震災の復興事業。様々な分野でかつてない規模の国費が使われてきた。それぞれの事業によって、被災地はどう姿を変えたのか。そして、どれだけ復興が進んだのか。26兆円がいつ、どのように使われたのか、「住宅の整備」「雇用・産業」「暮らし」といった分野を中心に分析を行う。そこに、復興の進捗状況に関する様々なデータや人々の「復興感」に関するアンケートなどを組み合わせ、この5年で見えてきた可能性や課題を見つめる。今後、巨大地震が予想されている日本にとって、被災地の歩みは「巨大災害からどう復興すべきか」様々な示唆を提示している。被災地の全体像を徹底的に浮かび上がらせることで、被災地はもとより全国への教訓やヒントも紡ぎ出したい。
NHKスペシャル 私を襲った津波〜その時 何が起きたのか〜
1000年に一度とも言われる東日本大震災の「巨大津波」。多くの市民がその様子を撮影し、膨大な映像が残されたが、実は「映像に記録されていない」さまざまなメカニズムと恐ろしさがあることがわかってきた。「あの日、津波はどのように動き命を奪ったのか」。番組は、津波にのみ込まれた人たちの体験を各々の目線で描き、そこに専門家の最新の研究成果を組み合わせて、「あの日の津波」に改めて向き合う。
番組で伝えるひとつの現場は岩手県釜石市。スーパーコンピューター“京”を使い、津波が町をどのように襲ったのか1秒単位で再現する研究が進められてきた。その結果、ある時間、ある場所で、何メートルの高さの津波がどの方向からどのくらいの流速で進んだのか、明らかになった。番組は、CGやVFXなどさまざまな映像表現を使い、映像に残されていないものの「映像化」を行いながら、あの日の津波の詳細を伝えていく。

震災から5年 明日へコンサート
東日本大震災から5年の節目となる2016年も「震災から5年 明日へコンサート」を放送します。東北・福島のメイン会場に、アーティストの皆さんが集まり、「音楽の力」を通して復興へのメッセージを届けるとともに、震災の記憶を風化させないように、被災地の今や復興への取り組みを紹介します。
中居正広(SMAP)、有働由美子
綾瀬はるか、Kis-My-Ft2、北島三郎、Kiroro、さだまさし、SMAP、SEKAI NO OWARI、乃木坂46、プリンセス プリンセス、Perfume、八代亜紀、ゆず
會津風雅堂(福島県会津若松市)


久しぶりのネクネクです.半年ぶり??ちょっと緊張する感じ?
今日はジムに行くので少し早めに帰ります.明日からYuさんが寝屋川での仕事になるので2年間お世話になりました,と挨拶をしました.元気な女性です.お疲れ様でした.
ジムは水曜日に行くことが多いので,知らない人ばかりだなぁ・・・と思っていたらそのうち何人か見かけた顔の人がやってきました.
エアロバイクに乗りながら激突!!ニッポン仕事人 若き才能VSベテランの技を見ました.浜田雅功・平井理央・カルーセル麻紀・北山宏光・GENKING・齋藤学・佐野ひなこ・柴田理恵・高橋英樹・TKO・松木安太郎・メイプル超合金・ケンドーコバヤシが出ていました.ネット仲買人やモテ髪師に◎です♪
部屋に帰ってシャワーで汗を流してから,録画したけど見ないでいた震災関連の番組をまとめて見ました.

震災、解散危機…天国の友へ届け歌声
 宮城県気仙沼市の女声合唱団「コール・カルトヘル」が4月2日、結成50年記念演奏会を気仙沼市民会館で開く。東日本大震災で会員の大半が家や店舗を流され、2人が命を落とすなどし、存続が危ぶまれた。苦難を乗り越えてきたメンバーは「天国の仲間に届くよう、元気な声で歌いたい」と練習に熱が入る。
 ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のナンバーや梶浦由記「夢の大地」など20曲ほどを披露する。現在指導に当たっている榊原英夫さんのほか、歴代指導者の高瀬能夫さん、吉田広志さん、増沢輝明さんも指揮を執る。
 市内の主婦らが1967年6月に設立。その後、誰からも親しまれる合唱団にしようと、ドイツ語でジャガイモを意味する「カルトヘル」を団名に取り入れた。会員は現在、40〜80代の21人で、毎週集まり歌っている。
 会員は気仙沼港に近い南気仙沼地区に住んでいた人が多く、震災では津波の直撃を受けて8割が住む家を流された。何より、音楽で心を通じ合った2人の友を失った悲しみは深く、解散の危機に直面した。
 小山逸子コンサート実行委員長(80)は当時、「救われた命を大切に、2人の分まで元気で歌い継いでいきましょう」と、会員を励ました。3カ月後に、合唱団は活動を再開した。
 避難先や仮設住宅などでの生活の苦労も、練習中は忘れることができた。再開後は県内外の音楽祭に積極的に出演し、被災地を元気づけてきた。
 演奏会の幕開けには、亡くなった2人の友にささげて、カッチーニ「アベ・マリア」を合唱する。
 津波で夫を亡くした鈴木美智子会長(76)は「震災の悲しみは消えないが、みんなと一緒に声を出し、これからも毎日を大切に過ごしていきたい」と話す。
 午後1時半開演。入場無料。連絡先は小山さん0226(22)2414。


仮設集約18年4月以降 女川町、町民野球場に
 宮城県女川町は30日、東日本大震災のプレハブ仮設住宅の集約化方針を公表した。多くが退去済みとなる2018年4月以降に、原則として町民野球場仮設住宅に集約する。町議会復興まちづくり特別委員会で示した。
 入居者への意向確認などを踏まえまとめた。仮設住宅は現在、町内と石巻市内に約30カ所。入居戸数は現在983で、17年3月末に622、18年3月末に218に減少すると見込む。
 18年4月以降は特定延長制度の対象者のみ入居可能になる予定。同年6月末は29戸で、20年3月末に不在になる見込み。ただ、制度対象外の83戸は退去時期や再建先が確定していない。
 集約について町は、維持管理の効率化や防犯面での不安を理由に挙げる。町生活支援課は「集約では入居者の意向を十分尊重し、コミュニティーの維持や最低限の転居に努める」と理解を求め、集約に伴う引っ越し費用などを支援する。
 町議会臨時会は同日、102億1888万円を追加する15年度一般会計補正予算など2議案を原案通り可決し、閉会した。


南三陸町防災庁舎の献花台移設
震災の津波で職員など43人が犠牲になったとされる南三陸町の防災対策庁舎周辺への立ち入りが4月1日から禁止されるのを前に、献花台の移設作業が行われました。
31日は移設作業を行う町の職員4人が防災対策庁舎を訪れ、はじめに犠牲になった人たちを悼み、黙とうをささげました。
このあと庁舎の前に設けられていた献花台や地蔵を車に積み込み、元の場所から北に100メートル離れた町有地に移設させました。
町の職員など43人が犠牲になったとされる防災対策庁舎は、遺族や住民、それに全国各地から訪れる人たちの祈りの場になっています。
しかし町は、周辺で堤防の工事などが本格化することから、1日から2年間、周囲への立ち入りを禁止することを決めています。
南三陸町管財課の仲村孝二課長は「訪れる人の安全を考え、2年間立ち入り禁止にしました。庁舎を正面から見ることはできなくなりますが、移設した献花台の前で犠牲者を悼んで欲しい」と話していました。


27年度末 任期付き職員退職
3月31日、平成27年度最後の日の動きです。
震災の復興事業に携わる職員不足のため仙台市が任期付きで採用していた職員が任期を終え、市長から退職の辞令を手渡されました。
仙台市は県内の沿岸自治体で初めて、他の自治体からの応援や任期付き職員などの支援職員がゼロになります。
仙台市は、震災の復興事業に携わる職員が不足し、震災翌年の平成24年、56人の職員を任期付きで採用しました。
31日は仙台市役所で任期が最も長かった職員およそ20人に、奥山市長から退職の辞令が手渡されました。
奥山市長は「限られた期間でしたが大切な仕事を担っていただき復興を進めることができました。市民を代表して感謝します」と職員たちをねぎらいました。
退職する職員の中には来月から別の自治体で任期付き職員として働く人もいるということです。
農業の復興支援を行ってきた粒来かほりさんは、「農家の方たちの復興が目に見えるようになり、少しは役に立てたと思います。来月から岩沼市でまた任期付き職員になるので、仙台の経験を生かしたいです」と話していました。
仙台市では、他の自治体からの応援職員の受け入れは平成25年度いっぱいで終了し、任期付き職員もこれですべて退職することから、県内の沿岸自治体では初めて、震災に伴う支援職員がゼロになります。
仙台市で震災からの復興政策を担ってきた「復興事業局」が31日で廃止され、局長室のプレートが取り外されました。
被災者の生活再建支援など震災関連の事業は他の部署に移行することになります。
仙台市の「復興事業局」は、震災翌年の平成24年に震災からの復興に関する政策を中心的に進める部署として設置され、今年度はおよそ120人の職員が公務にあたりました。
31日は、今年度いっぱいで「復興事業局」が廃止されるのにあわせて、部屋の入り口に掲げられた「復興事業局長室」のプレートが取り外されました。
「復興事業局」を廃止する理由について仙台市は、沿岸部の集団移転事業など住宅再建を中心に主な復興事業がおおむね完了したためとしています。
しかし仙台市では先月末の時点でまだ650人あまりがプレハブの仮設住宅にいて、被災者の生活再建支援など震災関連の事業は他の部署に引き継がれるということです。
鈴木三津也復興事業局長は「復興事業局は廃止となるが、生活の再建やサポートはこれから求められる部分もあるため、しっかり対応していきたい」と話していました。
10年間にわたり県政を支えてきた宮城県の三浦秀一副知事が31日、退任し、多くの職員に惜しまれながら県庁をあとにしました。
三浦副知事は67歳。
昭和47年に県庁に入り、東京事務所長や総務部長を歴任したあと、平成18年に副知事に就任し、10年あまりにわたり職務にあたりました。
三浦副知事の3期目の任期は来年12月末までとなっていますが、「後進に道を譲りたい」として、31日で退任することになりました。
県庁の講堂で行われた退任式には職員およそ600人が集まり、はじめに村井知事が「私が失敗しそうな時にそっとケアをしたり、職員を慰め励まし、ずっと右腕、左腕として支え続けてくれました」と述べ、ねぎらいました。
続いて三浦副知事があいさつし、「県庁での辛く苦しい経験も、いまは楽しい思い出として心に深く刻まれています。震災からの復興は6年目を迎え、行く手には大きな困難も待ち構えているでしょうが、チーム宮城として一致団結し、一日も早い復興を成し遂げることを固く信じています」と話すと、職員から大きな拍手が送られました。
そして、三浦副知事は県庁の玄関で職員から花束を受け取り、見送りに来た大勢の職員と握手を交わしながら県庁をあとにしました。
三浦副知事の後任には山田義輝総務部長が就任します。


被災地に新しい多目的施設
震災で被害を受けた東松島市宮戸地区の新たな観光名所にしようと、観光客が特産のカキを味わったり、漁業を体験したりする多目的施設が建設されることになり、30日から工事が始まりました。
新しい多目的施設が建設されるのは、震災の津波で大きな被害を受けた東松島市の宮戸地区で、建設予定地で開かれた着工式には、およそ50人が出席しました。
東松島市が建設するこの施設は木造平屋建てと2階建ての建物5棟からなり、延べ床面積は1080平方メートルで、地区の被災した施設を集約したのが特徴です。
そして施設では、特産のカキを味わえる施設や漁業や農業を体験できる施設のほか、足湯も設けられ、散策する人が安らげるようしています。
また東松島市は害虫による被害を受けた木材を燃料にする、バイオマス発電の施設なども作り施設全体の電力を賄う計画です。
宮戸地区は、「奥松島」と呼ばれる県内有数の景勝地として知られ、東松島市は、年間で10万人の利用を見込んでいるということです。
また総事業費のおよそ6億4000万円は、主に復興交付金を使う計画で完成は来年1月の予定だということです。
東松島市の阿部秀保市長は「旅館の復旧が進まないなど観光業は依然として厳しいが、住民とともに『おもてなし』の気持ちでにぎわいを取り戻したい」と話していました。


島倉千代子さんの歌碑除幕「犠牲者の道しるべに」
 東日本大震災で被災した岩手県釜石市の根浜海岸近くに、2013年に死去した歌手島倉千代子さんの歌碑が完成し30日、除幕式が開かれた。07年に発表された「おかえりなさい」の歌詞が刻まれ、後援会代表の吉田恵美子さん(65)=大阪府吹田市=は「見つかっていない方が故郷に戻る道しるべになってほしい」と話した。
 高さ90センチ、幅140センチの白御影石製で、ファンが寄付金を集めて作った。裏側には島倉さんが歌う姿が施されている。島倉さんの誕生日の30日に合わせて式典を開き、ファン約70人が「おかえりなさい」を全員で歌った。

福島に「被ばく者手帳を」 医療補償求め市民団体発足
 東京電力福島第一原発事故の被災者向けに「被ばく者手帳」を国に交付させ、医療や健康診断を無料で受けられるようにしようと、「福島に被ばく者手帳を作る会」が設立された。四月十六日午後一時からビッグパレットふくしま(郡山市)で設立説明会を開き、会員や賛同者を広く募る。 (坂本充孝)
 現在、福島県は十八歳以下の医療費は無料。さらに事故後に始まった県民健康調査で事故当時十八歳以下で甲状腺がん、その疑いがあると診断された人には、調査名目の予算で手術費などをサポートする制度がある。しかし、これを超える年齢の県民には原発事故に関わる特段の医療費補助はない。
 「作る会」の発起人代表は、郡山市で広告代理店を経営しフリーペーパーを発行する三田公美子さん。顧問に佐藤彌右衛門・会津電力社長、吉原毅・城南信金相談役、河合弘之弁護士、民俗学者赤坂憲雄氏らが名を連ねる。
 設立趣意書によると、会の目的は、原発事故で放射線被害を受けた福島県民に、原爆被ばく者と同等の公的医療保障を確保するよう国に要求し、法律を作らせることや、恒久安定的な制度として実行させることなど。
 具体的には、被災の証明書ともなる手帳を交付させ、手帳を提示した者が、全国で医療費を免除され、無料健康診断を受けられる権利の取得を目指す。
 手帳交付の対象者は、原発事故当時に福島県にいた人、事故後に救助、収束作業などで福島県に入った人が中心。細かな線引きは今後の議論で詰める。三田さんによると、現在の会員は約五百人。県外からの賛助会員も集まっているという。
 三田さんは「原発政策を容認し、環境を汚した責任は日本人すべてにある。特に子どもたちには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。国は原発事故による健康被害の存在を一切認めないが、将来にわたって補償させる制度を、子どもたちへの謝罪として作っておきたい」と話している。
 問い合わせは、三田さんが経営する企画室コア=電024(961)8822。


<原発事故>自主避難者「極限状態」と陳述
 東京電力福島第1原発事故に伴い、福島県の避難指示区域外から千葉県に自主避難した6世帯20人が、国と東電に計2億2千万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が31日、千葉地裁(鹿子木康裁判長)で開かれ、原告が「体力的、精神的に極限状態になった」と意見陳述した。
 原告の一人で、福島県南相馬市原町区から千葉県四街道市に家族で避難した女性(37)は「国が一方的に線引きした避難区域外から逃げたため、損害賠償がまともに受けられていない」と声を震わせた。国と東電側は請求棄却を求めた。


障害者差別/法施行を共生への弾みに
 障害を理由とした「不当な取り扱い」を禁止する障害者差別解消法が明日、施行される。
 サービス提供の拒否など、障害のある人の社会参加を阻む「壁」を取り除くのが、この法律の目的だ。
 役所や国公立学校などの公的機関は、差別を解消する具体的な取り組みが義務付けられる。民間事業者は努力義務だが、取り組みが求められる点は全く同じだ。
 法の成立から3年近い周知期間を置いての施行である。混乱がないようスムーズに実施したい。
 法が制定されたのは2013年6月だ。06年国連総会の障害者権利条約の採択を受けた立法だが、法整備は7年も遅れた。政権交代で議論が中断したのが一因とされる。
 条約は障害者の差別を禁止し、健常者と同様の権利を保障することを加盟国に要請する。これを受けて解消法は障害者に対する「不当な取り扱い」の禁止だけでなく、差別をなくす「合理的な配慮」を求める。
 手だてがあるのに何もしない不作為も「差別」とされ、現状を放置することは許されない。
 問題を繰り返す事業者には国が助言や指導、勧告を行い、悪質な場合は報告を求める。報告を怠るなどすれば過料の対象にもなる。
 法律の内容には戸惑いの声もある。とりわけ議論を呼んだのは、どんな行為が「差別」で、何が「合理的な配慮」か、である。
 例えば、目の不自由な人は飲食店に入ってもメニューがよく分からず、いつも同じものを注文する場合が多いという。店員がメニューを読み上げるなど、できる支援は何かを考えなければならない。
 学校では、身体障害や発達障害など個々の児童・生徒の事情に応じた指導計画が必要となるだろう。金融機関の中には、聴力が弱い人のために、窓口にスピーカーやマイクを設置している事例もある。
 関係省庁や自治体は具体的な事例を集め、指針を示してきた。兵庫県は新たに「相談センター」を開設し、県弁護士会と共同で電話での法律相談も実施する。
 どんな配慮をすべきかは一概に言えない。多様な実践を重ねることが大切だ。それが「心のバリアフリー」を育むことにもなるだろう。障害への配慮が当たり前になれば、誰にも優しい共生の実現につながる。


差別解消法施行 障害者に一層の配慮を
 障害者差別解消法が4月に施行される。障害を理由に不利な扱いをしないだけでなく、個々人の障害特性に対する「合理的配慮」を行政や企業に義務づけたところが重要だ。
 とかく横並びの協調性が重視される社会に息苦しさを感じる人は多いはずだ。障害者だけでなく誰もが個性を認め合える社会にするため、この法律を生かしていくべきである。
 表面上、障害者を一般の人と区別して不利に扱わないというだけでは、真の平等にならない場合が多い。
 車いすの学生が一般の学生と分け隔てなく入学を認められても、校舎にエレベーターがなければ、2階以上の教室から閉め出されているのと同じだ。市役所の窓口で目や耳の不自由な人が手話通訳や点訳の資料なしで説明されても、十分に理解できないことが多いだろう。
 こうした場合に学校や行政に対して過重な負担にならない範囲で、エレベーター設置や補助的な情報手段を求めることができる。これが合理的配慮だ。同時に施行される改正障害者雇用促進法でも合理的配慮が企業に義務づけられた。
 塩素濃度に過敏で学校の水道水を飲めない、黒板の文字がゆがんで読み取れない、などの特性を持つ発達障害の子がいる。自宅から水筒を持参することや、文字のゆがみを修正するパソコンソフトの利用を求めたところ、学校から「1人だけ特別扱いできない」と許可されない。そんなトラブルが各地で起きている。
 視力の弱い子には眼鏡やコンタクトレンズ、食物アレルギーのある子には特別食が認められるように、見た目で障害がわかりにくい子にも合理的配慮は必要なのだ。
 仕事や生活に不自由な思いをしている障害者に配慮する文化を育てると、一般の人へも恩恵が広がる可能性がある。車いす用トイレが多目的トイレに進化し、多くの人が便利になった。知的障害者へのわかりやすい説明は、外国人観光客にも優しさを感じてもらえるはずである。
 課題は、相談や紛争解決の体制が不十分なことだ。法務局や労働局など国の出先機関や教育委員会、警察、弁護士会などが連携する「障害者差別解消支援地域協議会」の設置が同法で規定された。都道府県は8割以上が4月に設置する予定だが、市区町村は2割程度にとどまるという。
 障害者からの要求が高まり、事務負担も増すことを警戒する自治体は多い。だが、内閣府が実施したモデル事業では、同地域協議会の円滑な運営によって障害者からの苦情が減り、行政の事務負担も軽減される例も示された。誰もが暮らしやすい社会を実現するため、各自治体は前向きに取り組むべきである。


朝鮮学校補助金 子供を中心に考えよう
 朝鮮学校への補助金交付について文部科学省が「透明性」などを求める通知を関係都道府県に出した。
 補助金の公益性、目的に沿った執行、住民への情報提供などである。
 文科省は「これは北朝鮮への制裁とは関係ない。減額や停止を求めたものではない」としている。
 だが、地方自治体の権限である補助金交付に関して、中央から通知を出すのは異例のことだ。自治体側がこれを事実上の停止圧力と受け止め、全体に交付「自粛」へとつながる可能性がある。
 国家的な犯罪である日本人拉致問題、東アジアの平和を脅かす核実験、弾道ミサイル開発など、外交上厳しく対峙(たいじ)を続ける北朝鮮である。
 制裁措置にからみ、自民党などから朝鮮学校への補助金を停止すべきだとの意見が出ていた。使途が不透明とする指摘もあった。通知の背景にはこうした状況がある。
 子供を中心に据えて考えたい。
 重い制裁措置など外交上の圧力は当然だが、それと子供の教育の場への締めつけは別だろう。
 「各種学校」である朝鮮学校は28都道府県が認可し、休校中も含め68校ある。日本の幼稚園、小、中、高校の児童生徒に相当する六千数百人が通う。このほか朝鮮大学校がある。
 文科省によると、補助金交付は2010年度ごろから減る傾向にあり、14年度の実績で18道府県から計1億8603万円、114市区町から計1億8591万円だった。
 学校運営費のほか、保護者補助などに充てられるという。
 私立学校と同様、多くの教育機関に公的財政支援があるのは、教育を受ける権利と機会の保障という理念に基づく。朝鮮学校も民族文化教育のほか、日本の学習指導要領を踏まえた教科学習をし、日本の大学へ進学する生徒も多い。
 学校側も変わる必要はないか。
 通知は、学校の教育内容や人事、財政に密接に在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が影響を及ぼしているという政府認識を前提にした。
 指導者礼賛や歴史観などへ違和感を持つ人は過去においても少なくなかった。学校側は、今回は差別問題であり、教育内容は関係ないとの考え方のようだ。しかし、こうした状況も見据え、もっと開かれた学校づくりを試みてはどうか。
 朝鮮学校の子供たちは、日本の社会風土に育った。環境も流行も価値観も国籍を超えて重なり合う。
 スポーツなどを通じ、親しまれる学校もある。行事を地域社会と協力して催す例もあり、新たな共生の境地を開く余地は十分にあろう。
 締めつけより、息長く得るものを求めたい。


安保法廃止法案 まだ決着はついてない
 安倍政権はなぜ安全保障関連法廃止法案の審議に応じないのか。専守防衛を転換し、憲法違反とも指摘される法律だ。国民の理解が十分得られたとも言えない。「決着」はまだ、ついていない。
 自民、公明両党の幹事長らがきのう会談し、民進党に合流する前の旧民主、維新両党と共産、社民、生活の計五党が共同提出した安保関連法廃止法案の審議には応じないことを決めた。「決着のついた議論を再び蒸し返すだけ」(佐藤勉自民党国対委員長)というのが理由だという。
 安保関連法は昨年、衆参両院で計二百十六時間の審議を行い、参院では野党の一部の賛成も得て成立。二十九日に施行された。
 しかし、国内外で多くの犠牲を強いた先の大戦の反省から、戦後日本が貫いてきた「専守防衛」政策を転換し、他国同士の戦争に加わる集団的自衛権を行使できるようにする法律だ。
 ましてや歴代内閣が長年、憲法違反だとして禁じてきた集団的自衛権の行使を一転、安倍晋三首相が、一内閣の判断で認めた新しい憲法解釈を反映したものである。
 国の在り方や国民の命運を大きく左右する安全保障政策は国民の大方の理解を得ることが必要だ。成立後でも、問題点が指摘されれば、とことん審議するのは国会の役割である。審議時間が長ければいいというものではあるまい。
 共同通信社が安保関連法施行直前に行った世論調査では、関連法を「評価しない」との答えがほぼ半数を占めた。首相がいくら関連法について「廃止すれば、日米の同盟の絆は大きく毀損(きそん)される」と強弁しても、国民の理解が十分に得られないことの表れだろう。
 旧民主、維新両党は民進党への合流前、日本領域での事態には迅速に対応する一方、海外での自衛隊活動には歯止めをかけるため、領域警備法案など三法案を共同で提出した。廃止法案と合わせて安保関連法の対案を成すものだ。
 野党には対案がないと批判し、「全体像を一括して示してほしい」と挑発していたのは首相自身である。たとえ成立の見込みがない対案でも、提出を促しながら提出されたら審議に応じないというのでは、不誠実極まりない。
 安倍政権は廃止法案の審議に堂々と応じるべきだ。審議すれば安保関連法の問題点が次々と明らかになり、夏の参院選や四月の衆院補選に影響が出ることを政権は恐れている−。審議を避けるのならそう思われても仕方があるまい。


特定秘密の監視  国会の体制不備明らか
 これで国会の責任を果たせるだろうか。
 特定秘密保護法の運用状況をチェックする衆参両院の情報監視審査会が、2014年12月の法施行後初の報告書をまとめた。
 14年に防衛省や外務省など10機関が特定秘密に指定した計382件の審査結果だ。報告書は、特定秘密の概要に関する記述を具体的にするなどの改善を政府に求めたものの「お願い」どまりで、政府の秘密指定が適切だったかどうか肝心の判断に踏み込まなかった。
 そもそも何が秘密かも秘密とされ、ほとんど中身も確認しないまま妥当性を審査できるはずがない。政府の恣意(しい)的な運用を防ぐ国会の監視体制の不備は明白で、法制度の見直しを含む抜本的な監視強化を求めたい。
 審査会は特定秘密の概要をリスト化した「特定秘密指定管理簿」を基に政府の担当者から指定状況を聴取したが、非公開の秘密会のため実態は見えにくい。衆院の報告書が管理簿の記述の具体化を求めたのは、抽象的で同一表記が多数あったためというが、これをどう判別して審査したのか疑問だ。
 審査会は秘密指定の解除を政府に勧告する権限を持つが強制力はなく、実効性が疑問視されてきた。今回の報告書も政府の説明不足への指摘を「意見」にとどめ、より重い「勧告」は見送っており、その懸念は深まるばかりだ。
 参院審査会では昨年12月、国会安全保障会議(NSC)などが指定した特定秘密の資料提示を求める動議を民主党が出したが、自民、公明両党の反対で否決された。多数を占める与党の同意なしに政府に提示請求することすら困難なのが実態で、国会の監視体制の限界は明らかだろう。
 危惧するのは、29日に施行された安全保障関連法との関わりだ。政府は自衛隊の海外派遣について国会承認を求める際、特定秘密は公開しない考えだ。派遣判断に重要な情報が秘匿されれば国会承認が形骸化し、誤った派遣で戦火に隊員を巻き込みかねない。
 政府は、憲法90条に基づく会計検査院の資料請求への対応でも、特定秘密の提供は「内容次第」としている。政府判断による聖域化に道を開くもので、容認しがたい。
 後世に検証可能とする情報開示制度も不十分なまま、国会が政府の情報秘匿の「追認機関」となれば、国民の知る権利は脅かされ、民主主義の足元が揺らぐ。「国権の最高機関」としての権能を国会は発揮しなければならない。


ハンセン病訴訟 国の責任で完全補償を行え
 自らの出自を隠さざるを得ないほど、かつてハンセン病への偏見・差別はひどかった。それは元患者だけでなく、家族も同じ境遇だった。沖縄出身の父が元患者で、差別を受けた経験をつづった「生まれてはならない子として」の著者・宮里良子さんは、嫁ぎ先や職場で「両親は死んだ」と偽り、父の最期をみとる際も職場に「姉が危篤」とうそをついた。
 そうした遺族や家族らが、差別・偏見の原因は国の強制隔離政策にあったとして、国に謝罪と損害賠償を求めて提訴した。
 治療可能で感染力が弱いハンセン病への偏見を助長したのが国の政策にあることは、これまでの裁判などで明らかだ。国は患者だけでなく、家族らに対しても責任を認め、完全な補償を行うべきだ。
 訴訟は1次、2次合わせて568人が原告となり、県内からは全国最多の244人が参加した。
 31日で「らい予防法」の廃止から20年。民法の規定で損害賠償請求権が消滅するぎりぎりのタイミングだ。司法の場でハンセン病差別の背景を解き明かし、国の責任が追及されるのも最後の機会となるだろう。裁判所も家族らの訴えをしっかり受け止めてほしい。
 ハンセン病家族訴訟で最初に集団訴訟を提起した「れんげ草の会(ハンセン病遺族・家族の会)」(熊本市)の会報を読むと、いかに元患者や家族が苦しんできたか分かる。肉親に患者がいるというだけで、子どもたちは学校で石を投げられ、のけ者にされた。就職や進学、結婚の機会を奪われた人もいる。さらには家族自身が元患者の肉親を避け、周囲にうそをつかなければならない状況に追い込まれた。家族や人生そのものを奪った被害は過去のものでなく、「現在進行中」だと会報は強調する。
 ハンセン病への差別・偏見は一義的に国の責任だが、患者や家族を苦しめた一因は社会にもある。例えば元患者本人が国の隔離政策による人権侵害を訴え、補償を求めて提訴したのは県内で約70人にとどまる。非入所者だけで県内には400人いるとされるが、弁護士や支援団体などによると「偏見を恐れて名乗り出ない」からだという。
 家族訴訟原告団長の林力さん(福岡市)は「無知は差別の始まり」と強調する。悲劇を繰り返さぬよう裁判を通して一人一人がハンセン病の歴史と向き合い、わが事として捉える契機にしたい。


[ハンセン病訴訟]家族の苦しみ直視せよ
 国が間違って取り続けたハンセン病患者の強制隔離政策によって差別や偏見を受けたとして、家族509人が29日、国家賠償法に基づき、謝罪と損害賠償を求め熊本地裁に提訴した。
 2月に第1陣の家族59人が提訴しており、第2陣と合わせると、原告は計568人になった。今回沖縄から244人が加わり、九州・沖縄地域の4分の3を占める。
 いわれなき差別や偏見は家族にも及んでいるのは明らかである。
 国の誤った隔離政策に原因があることは言うまでもないが、医学的根拠も何もないのに差別や偏見を広げた私たち一人一人も深刻に受け止めなければならない。
 国の隔離政策が「ハンセン病は恐ろしい伝染病で、患者は療養所に隔離し、地域社会から排除すべき存在である」と差別や偏見を助長し、生活を共にする家族にまで及んだ−と原告らは訴える。
 学校で、地域社会で、差別され、一家離散だけでなく、結婚や就職など人生のさまざまな局面で家族であることを隠して生きることを余儀なくされた。家族が受ける被害に対し、国は謝罪や賠償をすることなく放置してきた−などと強く批判している。
 原告は元患者の子のほか、発症時に同居していた兄弟姉妹、配偶者、親、孫、おいやめいら20〜90代の男女である。
 名前を変えたり、家族関係を隠したりして生きざるを得なかった原告らは患者と同様、過酷な生を強いられた。
■    ■
 ハンセン病患者の隔離は1907年に始まった。31年の旧「らい予防法」で強制隔離が法制化された。
 実際は感染力や発病力が極めて弱い。40年代以降は特効薬が開発され、治癒できるようになった。にもかかわらず、国は96年まで、らい予防法を廃止することなく、隔離政策を継続した。熊本地裁は2001年、元患者らの訴えに対し、隔離政策の違憲性を認め、賠償を命令。判決は確定した。
 らい予防法の廃止から3月末で20年となる。民法の規定で損害賠償請求権が消滅するため第1陣の提訴に続き、弁護団が原告を募り、今回の第2陣につながった。
 家族はこれで救済されることになるのだろうか。弁護団代表の徳田靖之弁護士は「実際に被害を受けた家族は数千人以上と思われる」と指摘している。原告の数との乖(かい)離(り)を考えると、ハンセン病への差別や偏見がまだまだ残っていると言わざるを得ない。
■    ■
 ハンセン病をめぐっては、いまだ解決への道は遠い。
 患者の裁判が1948〜72年に、療養所などに設置された「特別法廷」で95件開かれていることがわかっている。
 特別法廷は非公開で、憲法が保障する「裁判の公開の原則」に反する。無実を訴えながら死刑判決が言い渡され、執行された被告がいる。人権の砦(とりで)の司法も差別と偏見に縛られ、公正な審理だったか、重大な疑問が生じている。
 療養所で暮らす元患者の平均年齢は83歳を超え、約4分の1が認知症であるとの調査がある。家族への賠償問題など積み残した課題は多い。


「精神鑑定受けた方がいい」 札幌市議会、「自民からやじ」共産が撤回要求へ
 札幌市議会の共産党は30日、同党市議が29日の本会議で登壇して討論している最中に、自民党市議から「精神鑑定受けた方がいいんじゃないか」とヤジを飛ばされたとして、自民党に対し、近く発言の撤回と謝罪を求めることを決めた。
 共産党によると、同党の小形香織氏(中央区)が安全保障関連法の廃止を求める意見書案の賛成討論を行った際、自民党市議がヤジを飛ばしたという。自民党は同意見書案に反対した。
 小形氏は「戦争法(安保関連法)に反対するすべての人に対する発言で、許されない。基本的人権を踏みにじるようなヤジを飛ばす行為はあってはならない」と批判している。
 自民党幹部は「自民党席からそうした発言が聞こえた」と述べた。同党の三上洋右会長は「申し入れを受けたら対応を検討したい」と話している。(相川康暁、鹿内朗代)


安倍首相赤っ恥 クルーグマン教授が極秘会合の中身を暴露
 極秘会合の中身をすべて暴露されてしまった。それも当事者に――。
 安倍首相が増税延期の“お墨付き”を得ようとして開いた「国際金融経済分析会合」。マスコミ取材は冒頭のみの非公開会合だったのに、今月22日の第3回会合に招かれたノーベル賞学者のクルーグマン・ニューヨーク市立大教授が詳細な英文の議事録をネットにアップしてしまったのだ。
 安倍首相が「これはオフレコで」と念押しした発言までバラされ、官邸は大慌てだ。
〈ポール・クルーグマン‥日本政府との会合 16年3月22日〉
 こう題された英文の議事録はA4判で12ページ。これをクルーグマン教授は今月26日、ツイッターで公開した。
 会合は前半、クルーグマン教授の提言で、「世界経済は弱さが蔓延している」「金融政策だけでは足りず、財政出動が必要」などと発言。「マイナス金利をこれ以上進めるのは難しい」と、黒田日銀にとって耳の痛い話もしている。
 後半は政府側との討議になったが、「わざわざ米国から呼んでおいて、日本政府の質問はこの程度?」と思わざるを得ない次元の低い質問がやたら目立つ。
■安倍首相や菅官房長官の質問を否定
 例えば安倍首相は「難民のための住宅投資や教育投資は景気刺激になるのではないか」と質問。
 これに対し教授は「難民受け入れは、とてつもない社会的緊張をもたらすが、実のところ金額的には大したことはない」とやんわり否定。人道問題である難民を、経済的価値でしか見ていない安倍首相の底の浅さが透けて見える。
 また、菅官房長官は「商品価格の下落が発展途上国に大きな打撃となっている」と発言したが、教授は「商品価格ではなく、需要不足こそが問題だ」とこれまた否定した。
 極めつきは、安倍首相が「これはオフレコで」とあえて断った発言までオープンにされていることだ。安倍首相が「ドイツは財政出動の余地が最も大きい」として、「訪独の際に財政出動を説得したいが、いい知恵はないか?」と尋ねると、教授は気候政策などを挙げた上で、「もっといい提案ができればよいのですが、私は外交の専門家ではないので……」と答えている。
 会合の最後に、司会者が「首相の発言は極秘でお願いします」と言っているが、それもすべて暴露されてしまった。
 極秘会合なのにクルーグマン教授はなぜ議事録をアップしたのか。そのヒントが、会合終了後に記者のぶら下がり取材を受ける写真とともに載せた教授のこのツイートだ。
〈Aftermath(no,I dont enjoy this sort of thing)=余波(ノー、私はこういうのは好きじゃない)〉
 シグマ・キャピタルのチーフエコノミスト、田代秀敏氏はこうみる。
「大勢の記者に囲まれた写真を載せたツイッターは、『こんなの嫌だなあ、私は芸能人じゃなく経済学者なのに』という気持ちの表れなのではないでしょうか。世界的に権威のある学者なのですから、政府は本来なら記者会見を開き提言を表明してもらうべきで、配慮が足りません。議事録を読むと、クルーグマン教授と安倍首相らとの議論は噛み合っていない。教授は『生産年齢人口が毎年1%ずつ減っていく中で、需要も減る。この大問題に日本はどう向き合うのか』などの重要な提言をしています。しかし安倍首相らは、教授の提言を聞きたいというよりも、消費増税の判断材料にするなど、政権にとって都合のいい話をつまみ食いしようとしている。クルーグマン教授は、話をつまみ食いされたくないので、自ら議事録を全文公開したのかもしれませんね」
 クルーグマン教授のツイートを官邸も把握していて、「外国人だから守秘義務に法的拘束力はないし……」(官邸関係者)と困惑ムード。ま、日本政府首脳の“低レベル”を全世界が知ることになったのは間違いない。


ショーンKと同じなのか 高市早苗大臣に「経歴詐称」疑惑
 「経歴詐称」でコメンテーター辞任に追い込まれたショーンK。テンプル大卒も、パリ第1大留学も、ハーバードMBAも、すべてウソだったというのだから、今までバレなかったのが不思議なくらいだ。恐らく、海外の経歴なら誰も調べないと高をくくっていたのだろう。
 今「ショーンKと同じように経歴を詐称しているのではないか」と、高市早苗総務大臣(55)に経歴詐称疑惑が浮上している。
 高市大臣は「議会立法調査官」として、アメリカ議会で働いていたことを最大のセールスポイントにしているが、「議会立法調査官なんて聞いたことがない」「官職名をデッチ上げているのではないか」と、疑惑の目を向けられているのだ。
 きっかけはジャーナリスト、鳥越俊太郎氏の発言だ。先月29日、ジャーナリスト有志が、高市大臣の「電波停止」発言に抗議する記者会見を開いた。
 この時、鳥越氏はこう発言したのだ。
「趣旨から少し外れるんだけど、これ言っておかないといけないかなって。高市早苗さんは、議会立法調査官をやっていたという触れ込みで日本に帰ってきて、田原さんの“朝まで生テレビ!”に出たんですよ」「ところが、彼女は見習い待遇で、無給で、未契約のフェロー、つまりコピー取り程度、お茶くみ程度のことしかやっていない」「だから、経歴詐称だよね、僕に言わせれば。経歴詐称」
 鳥越氏はよほど発言に自信があるのか、「もし、これで私が名誉毀損で訴えられるなら、受けて立ちます」とも話している。実際、高市大臣がアメリカの議会に採用されたという記録は見つからないようだ。それどころか「議会立法調査官」という名称さえ見当たらない。
 高市大臣は、本当に「議会立法調査官」としてアメリカ議会に採用されていたのか。もし、虚偽だったら議員を辞めざるを得ないのではないか。高市大臣の事務所はこう言う。
「高市がコングレッショナルフェロー(議会研究員)をしていたのは事実です。確かに議会から報酬は出ていませんが、松下政経塾のアメリカの研究所が高市のスポンサーとなり、議員事務所で働いていたのです。コングレッショナルフェローには、選ばれた人しかなれません。ただし、“議会立法調査官”は造語です。現在は、誤解を招くので、その名称は使っていません」
 “造語”って、勝手に肩書を作ったってことではないのか。経歴詐称なのかどうか、国会できちんと明らかにした方がよさそうだ。


子宮頸がんワクチン 提訴へ
子宮頸がんワクチンを接種した中学生や高校生などに、原因不明の痛みなどを訴える人が相次いでいる問題で、患者らが、国と製薬会社に賠償を求める訴えを大阪地方裁判所に起こすことになりました。
子宮頸がんワクチンをめぐっては、接種した中学生や高校生などに、原因不明の痛みなどを訴える人が相次ぎ、厚生労働省が、積極的な接種の呼びかけを中止する事態になっています。
この問題で、患者らが、国と製薬会社に賠償を求める訴えを起こすことになり、31日、大阪の弁護士らが記者会見して、裁判への参加を呼びかけました。
弁護士によりますと、ことしの夏ごろに、大阪など全国4か所で一斉に訴えを起こす予定で、これまでに12人が参加する意向を表明しているということです。
山西美明弁護士は「このワクチンによって、大切な青春の時期をなくしてしまった人がいる。少女たちの悲痛な思いを放置してはいけない」と話しています。
弁護団は、4月23日と5月21日に大阪で説明会を開くほか、電話での相談を随時、受け付けています。
問い合わせの電話番号は、06ー6316ー8824です。


神戸の市民運動を長年支える 中田作成さん偲ぶ会
 神戸空港の是非を問う住民投票運動など、神戸の市民運動を長年支え、2月26日に77歳で亡くなった元大阪工業大助教授の中田作成さんを偲ぶ会が31日、神戸市内であり、市民ら120人が中田さんの行動と人柄をしのんだ。
 中田さんは老衰のため神戸市内の福祉施設で亡くなった。専門はドイツ文学だったが、「住吉川の環境を守る会」を1985年に結成して以降、環境問題や議会改革、情報公開など多くの住民運動を引っ張ってきた。
 偲ぶ会では中田さんの活動記録をスライドで映し出し、ゆかりの人が思い出を語り合った。米軍基地の是非を問う住民投票で交流があった宮城保さんは沖縄県名護市から駆け付け、「学者肌で淡々と民主主義の大切さを訴えた人だった」と悼んだ。
 「市民とは何かを問い続けた人だった」「民主主義が危機に立つ今こそ、中田先生の思いを受け継がなくては」「今日はまるで住民運動に関わった仲間の同窓会のよう」。中田さんを惜しむ言葉は尽きなかった。(木村信行)


小保方氏がHP開設 STAP作製手順など記載
 STAP細胞論文の著者だった理化学研究所の元研究員、小保方晴子氏(32)が31日、STAP細胞の作製手順などを記したホームページ(HP)を公開した。小保方氏は、理研が否定したSTAP現象の存在を主張しており、HPで「将来、他の科学者がSTAP細胞を作製できるよう、手順を公開する」としている。
 HPの名称は「STAP HOPE PAGE」(スタップ ホープ ページ)で、全文英語で表記。「STAP細胞を開発した」と発表した当時の資料のほか、理研による検証実験の写真や図表、自身が行ったとするSTAP細胞の作製過程で使った薬品やその濃度なども示した。
 小保方氏は2014年1月、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(現多細胞システム形成研究センター、神戸市中央区)の研究ユニットリーダーとして、万能細胞の「STAP細胞」を作ったと英科学誌ネイチャーに発表。画像や文章に不自然な点が発覚し、理研は小保方氏にねつ造と改ざんがあったと認定した。論文は14年7月に撤回され、成果は白紙に戻された。(山路 進)
小保方氏のHPはこちら


小保方氏開設のHP アクセス殺到でダウン
 STAP細胞論文の著者だった理化学研究所の元研究員、小保方晴子氏(32)が31日に開設し、自身がSTAP細胞を作製したとする手順などを載せたホームページ(HP)にアクセスが殺到し、同日夜にダウンしたことが分かった。
 小保方氏の代理人の弁護士が明らかにし、「原因について調査中」としている。
 同日公開したHPには、「STAP細胞を開発した」と発表した当時の資料のほか、理研による検証実験の写真や図表、自身が行ったとするSTAP細胞の作製過程で使った薬品やその濃度なども示していた。(山路 進)


都をどり、花街に春告げる 京都・祇園甲部、大ざらえ
 「都をどりはー、ヨーイヤサー」。祇園甲部歌舞会の「第144回都をどり」(4月1〜30日)の大ざらえが31日、京都市東山区の祇園甲部歌舞練場であり、花街に春を告げる高らかな掛け声が響き渡った。
 今年の演題は「名所巡四季寿(めいしょめぐりしきのことぶき)」で、名所・旧跡を舞台に全8景を繰り広げた。梅香る早春の城南宮、藤の花が映える初夏の毘沙門堂、紅葉が色めく金福寺、雪が降り積む三千院などが舞台となり、芸舞妓が四季の趣を醸し出しながら舞を披露した。第5景「落窪姫末繁昌(おちくぼひめすえのはんじょう)」は、シンデレラをイメージさせる親しみやすい物語が招待客を魅了した。フィナーレは姫路城を背景に満開の桜の下、総踊りでにぎやかに締めくくった。初舞台の舞妓まめ柳さん(17)は「できるだけ全力を出し切ってがんばりとおす」と話していた。
 期間中は午後0時半、2時、3時半、4時50分の4回公演。2500〜4800円。学割千円。祇園甲部歌舞会TEL075(541)3391。


自公 ヘイトスピーチ解消に向けた法案の原案
自民・公明両党は、「ヘイトスピーチ」と呼ばれる民族差別的な言動を繰り返す街宣活動の解消に向けて、国に相談体制の整備や啓発活動に取り組むよう求めるなどとした、与党としての法案の原案をまとめました。
自民・公明両党は、いわゆる「ヘイトスピーチ」を解消するための法整備に向け、作業チームを設けて検討を進めていて、31日に開いた会合で与党としての法案の原案をまとめました。
それによりますと、ヘイトスピーチを「公然と、生命や身体、自由や財産などに危害を加えることを告知するなど、日本以外の国や地域の出身者を地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」と定義しています。
そのうえで、国にはヘイトスピーチの解消に向けた施策を実施する責務があるとして、相談体制の整備や教育、それに啓発活動に取り組むよう求めているほか、地方自治体に対しても、地域の実情に応じた施策を講じるよう努めることを求めています。
ヘイトスピーチを巡っては、民進党などが去年の通常国会に規制するための法案を提出していて、自民・公明両党は、与党内の意見集約を図ったうえで、野党側と協議したい考えです。


ハンセン病 隔離法廷「違憲の疑い」…最高裁有識者委
 ハンセン病患者の裁判が裁判所外の隔離施設などに設置された「特別法廷」で開かれていた問題で、最高裁の有識者委員会が「特別法廷は、憲法が保障する法の下の平等や裁判の公開原則に反する疑いがある」との見解を大筋でまとめたことが分かった。正式に意見を集約し、近く最高裁に報告書を提出する。【山本将克、江刺正嘉】
 法廷は裁判所で開かれるのが原則だが、災害で庁舎が損壊したような極めて例外的な場合に、裁判所法の規定に基づき最高裁が必要と認めれば特別法廷を設置できる。有識者委は、ハンセン病を理由とした特別法廷設置は差別的な措置で、裁判所法に違反していたとみている。「違法、違憲の疑い」という指摘を踏まえ、最高裁が最終的にどのような検証結果を示すか注目される。
 ハンセン病患者の裁判は伝染の恐れを理由に一律に特別法廷で開く運用がなされていたとされる。
 最高裁によると、1948〜72年までにハンセン病を理由とする地裁などからの上申は96件あり、うち95件(99%)が許可された。残る1件は撤回で、最高裁が却下した例はなかった。ハンセン病以外の病気や老衰を理由とする特別法廷の許可率は15%にとどまり、ハンセン病とそれ以外の病気で扱いに大きな開きがあった。
月内にも公表
 有識者委は、隔離施設内で開かれる法廷は一般の人の立ち入りが困難だったことも踏まえ、裁判の公開原則が貫かれておらず、法の下の平等に反していた疑いがあるとの見方でほぼ一致したとみられる。ただ、最高裁の調査では、裁判所が特別法廷の開廷を掲示で知らせるよう療養所に促す記録や、傍聴人がいた裁判もあったことを伝える新聞記事などが見つかっている。最高裁は有識者の意見も踏まえて、4月中にも検証結果をまとめ、公表する方針だ。

解任辞令/ジツジツ女性に引き継ぎ/311の新聞コピー

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井上小野近藤

Donald Trump persiste: le Japon doit se doter de l'arme nucléaire
Le candidat républicain à la Maison Blanche Donald Trump a répété mardi qu'il était favorable à ce que le Japon acquière l'arme nucléaire pour se protéger de la Corée du Nord, estimant que la protection américaine coutait trop cher.
"La plupart des gens ne savent pas qu'on s'occupe des besoins militaires du Japon", a-t-il assuré lors d'une émission sur CNN. "Il faut peut-être changer. Le Pakistan en a (des armes nucléaires, ndlr). La Chine en a. Beaucoup d'autres pays" en possèdent.
"On s'en tirera mieux si le Japon se protège lui-même contre ce fou en Corée du Nord", a-t-il ajouté. "Ne préféreriez-vous pas d'une certaine manière que le Japon ait l'arme nucléaire quand la Corée du nord a des armes nucléaires?"
"C'est très simple, on ne peut pas se le permettre", a enfin affirmé Donald Trump.
Le milliardaire républicain avait lancé l'idée lors d'une interview publiée ce week-end par le New York Times. Il avait suggéré de retirer les troupes américaines en Corée du Sud et au Japon si les deux pays asiatiques n'augmentaient pas leurs contributions au budget pour le déploiement de ces forces américaines.
Trump revient encore sur sa promesse de respecter le vote des primaires
Donald Trump est également une nouvelle fois revenu sur son engagement de soutenir, en cas de défaite, le candidat qui remporterait l'investiture du parti. "Continuez-vous à le promettre, quel que soit le candidat républicain?", lui a demandé le journaliste de la chaîne CNN. "Non, plus maintenant", a répondu le milliardaire, favori des primaires. "Nous verrons qui ce sera".
"J'ai été traité de façon très injuste, par le comité national républicain, le parti républicain, l'establishment", a déclaré M. Trump pour justifier sa position.
"Je verrai qui c'est, je ne cherche à blesser personne, j'aime le parti républicain", a-t-il encore dit. M. Trump a assuré qu'il allait de toute façon gagner les primaires et affirmé qu'il n'avait pas besoin du soutien du sénateur Ted Cruz, le deuxième homme de la course, qui est récemment devenu ambigu sur son éventuel ralliement en cas de défaite.
Les relations entre les deux hommes sont au plus bas après une semaine nourrie d'invectives et de menaces très personnelles entre eux, leurs épouses ayant été impliquées dans la bataille, après une publicité mettant en scène une ancienne photo nue de Melania Trump, un ancien mannequin, et un retweet de Donald Trump d'une photo d'Heidi Cruz grimaçante et peu flatteuse.
La campagne des primaires avait commencé de façon spectaculaire par le refus de Donald Trump, lors du premier débat télévisé en aout, de s'engager à soutenir le candidat qui remporterait les primaires et à ne pas se présenter à la présidentielle en candidat tiers.
Il avait ensuite accepté de signer une sorte de "serment" avec le parti républicain en septembre, mais s'en était déclaré libéré en février, s'estimant maltraité par le parti républicain. Lors d'un débat le 3 mars, il avait à nouveau changé d'avis et promis d'honorer le serment.
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MBS映像'16 よみがえる科学者〜水戸巌と3・11〜
山間の仮設住宅で暮らすひとりの男性がつぶやいた。
「あの人の言葉に耳を傾けていれば、こんなことにはならなかった…」
男性は福島県浪江町の漁師。「あの人」とは物理学者の水戸巌である。
水戸巌は東大原子核研究所の研究者。日本の原子力研究の最前線に立った。
だが原子力の利用はあまりにもリスクが大きいと、原子力政策に警鐘を鳴らすようになる。
1970年代以降、東海村を皮切りに各地の原発訴訟では科学者の立場から原告の住民を支援。福島第一原発の周辺地域にも通い、浪江町の漁師たちとも交流した。そしておきた「3・11」。
番組では、科学者水戸巌の足跡を辿ることで日本の原子力政策の歴史と課題を振り返り、科学者のありようについても考えてみる。1986年、厳冬の剣岳で2人の息子とともに遭難死した水戸巌。没後30年、そして「3・11東日本大震災」から5年を迎えるいま、「行動する科学者」水戸巌がよみがえってきた。
取材ディレクターより
2015年の暮れ、私たち番組取材班はまだ暗いうちから北アルプスの剱岳を仰ぎ見ていた。科学者 水戸巌(1933-1986)が挑んだ厳冬の剱。「これが最後の挑戦だからね」と笑顔で水戸が妻に伝えた、その山の麓で夜明けを待った。視線の向こうに水戸と双子の息子たちが志半ばで遭難した北方稜線。しばらくして、その稜線から朝日が差し込んできた。静寂の中、この瞬間を逃すまいとするカメラマン。神々しい剱岳が姿を現した。私は思わず手を合わせ、携帯のカメラで写真を撮り、ご家族にメール送信した。「天国みたい。3人の魂が降りてきたのかもしれませんね」。返信を読んで涙がこぼれ、胸が熱くなった。
 この番組の主人公、水戸巌は山と音楽をこよなく愛したという。1960年代後半から国と科学官僚らが推進する原子力政策に対し、「私たちは『原子力平和利用の技術』をまだ手にしていない」と批判し、反原発の立場で発言を続けた。原発建設に反対の声を上げる住民に頼まれれば、全国各地どこにでも出かけていった。東北での集会では、講演料も受け取らず、混雑する列車で立ったまま東京に帰ったという。弱い立場の人たちにどこまでも優しかった、と水戸を知る人たちは言う。
私が水戸巌を知ったのは、大飯、高浜原発の再稼動差し止めを求めた、妻の喜世子さんとの出会いからだった。水戸巌の論文や講演録に触れるにつれ、水戸をいまに蘇らせたいと思うようになった。その論考や肉声は、古びていないどころか新鮮に感じられる。30年以上も前のものなのに・・・。  
3.11福島原発事故から5年を迎えるいま、ひとりの科学者が、社会的責任を自らに問い、どのように生きようとしていたのか、多くの視聴者に届けたいと思う。そして、この国の原発政策について、いま一度、深く考えるきっかけになればと願っている。

TOMORROW「知られざる現実〜弁護士が見る原発避難者の今〜」
原発事故により故郷を離れて暮らす避難者は10万人にのぼる。避難指示で避難を強いられた人々。健康への影響に不安を抱き自主的に避難した人々。それぞれ複雑に絡み合う事情を抱え、先の見えない不安の中で暮らしている。賠償請求の方法や金額に対する不公平感や、家族が別々に暮らす経済的かつ精神的な負担。こうした人々の声を聞き、法律相談のみならずカウンセラー的な役割も果たす弁護士たちの活動を通して、震災被害を探る。
ステュウット・ヴァーナム・アットキン


なんと!!!Koさんから解任の辞令をもらってしまいました.4月から採用になるのにいったんクビというわけです.
パン屋さんでランチした後,ジツジツの引き継ぎ.オジサン相手かと思っていたら女性でした.1時間くらいで簡単に引き継ぎしたのですが,結構疲れました.
夕方図書館に行って今年の3月11日前後の新聞をコピーしました.その後スキャナで電子化しました.あまり悲しく感じなかったです.

震災を語り始めた子どもたち
 東日本大震災から5年が経ちましたが、当時小学生だった子どもたちが今、「語り部」としての活動を始めています。目の前で人が流され、助けられなかった少年、親友を亡くした少女。彼らのメッセージは同じ若い世代の意識を変えようとしています。
 去年暮れ、東京で開かれた講演会で、5年前のあの日を振り返る3人の高校生がいました。
 「無数の車、その中に遺体。田んぼの中に遺体があったり、体の一部があったり、凄惨な状況がありました」(宮城・石巻高校 雁部那由多君)
 「自分の家があったはずの所に家が無くて、それも基礎しか残ってなくて」(宮城・石巻高校 津田穂乃果さん)
 「友人が死んだという実感はなかったが、しばらくして学校が始まって、学校に行ったら、その子がいないんですよ」(宮城・石巻西高校 相澤朱音さん)
 彼らは、震災発生時、小学5年生でした。住んでいた宮城県東松島市では、津波の被害で1000人を超える人が死亡しました。5年前のあの日、雁部那由多君(16)は小学校の校舎入り口に立っていました。ふと見ると、5人ほどの男性が校庭を走って逃げ込んできました。すると、次の瞬間・・・。
 「(逃げてきた男性が)この辺りで波に足を取られて、こっちに流されていった。僕の方に右手を伸ばしたまま流された・・・」(雁部那由多君)
 助けを求め、手を伸ばした男性。しかし、津波は瞬く間に男性らをのみ込んでいきました。数日後、雁部くんは、その男性の遺体を学校のすぐそばで見つけました。
 「実際に亡くなっているのを見ると、自分が殺しちゃったんじゃないか、自分が殺したんだな・・・ 後悔と罪悪感」(雁部那由多君)
 多くが肉親や友人を亡くす中、被災地の学校では、震災の話題はタブーとなり、雁部君は、その罪の意識を胸の奥にずっとしまってきました。転機が訪れたのは、おととし。通っていた中学校に赴任してきた佐藤敏郎さんが、自分の体験談を語ってみないかと声をかけました。佐藤さん自身、津波で多数の児童が犠牲となった大川小学校で次女を亡くした遺族です。
 「迷ったり悩んだり、衝撃を受けて、“言葉を失ったまま”ではなく、言葉にすることで(気持ちを)整理できたり、他の人のヒントになったりする。私自身、3・11から強く思った」(NPO法人キッズナウジャパン 佐藤敏郎氏【元中学校教師】)
 雁部君は同じ小学校の同級生とともに、3人で「語り部」の活動を始めました。去年秋には、神奈川県から訪れた高校生に自身の体験を語りました。
 「なんでたった1メートルも離れていないのに、自分だけ助かって、他の人が死んじゃうのか」(雁部那由多君)
 「当時一番仲良くしていた“親友”くらいの友達が亡くなった。なんであいつが死んだのに私が生きているんだ。私が死んだ方がよかったんじゃないかと」(相澤朱音さん)
 被災地の外から訪れた同世代の生徒たちに、雁部君はある言葉を強調しました。
 「日本全国“災害が来ない保障のある地域”はない。『被災地』という言葉が使われるなら、それ以外のところは『未災地』だ」(雁部那由多君)
 どんな場所も今後災害が起こりうる「未災地」。だからこそ、どこに住んでいても備えをしてほしい・・・。そう訴えたのです。
 「つらい思いをした人たちがいろいろ教えてくれたので、これを持ち帰って伝えていかないと」(神奈川県の高校生)
 「この前も避難訓練があったが、中途半端に終わったりした。そういうのを“なあなあ”にしてはいけないのでは」(神奈川県の高校生)
 震災から5年。災害への関心が薄れていく今だからこそ伝えなくては。若き語り部たちはそう思っています。
 「目の前で人が流される光景はもう絶対に見たくない。人が流されること自体あってはいけない。自分の思いを伝えることで周りの人の命が助かるなら」(雁部那由多君)
 5年目の3月11日。神奈川県の高校では、ある集まりが開かれていました。去年、雁部君たちの話を聞いた生徒たちが、地域住民を招いて災害対策を話し合うことにしたのです。
 「学校の帰り道に地震があったら皆さんの問題にもなる。地域のどこかの家に入り込んだらいいとか、お互い助け合いもできる」(学校近くの住人)
 「隣の人は名前しか知らないとか、地域の人との交流がないのが一番の問題点じゃないか」
 災害に備えて普段から何ができるのか。問題点を1つずつ検証していきました。
 「1つ年下の高校生が自分の体験を語っている。被災者たちの気持ちを考え、一緒に話したこの経験を忘れず、風化させないようにしてほしい」(湘南学園高校 樋口諒君)
 「未災地」の命を守りたい。雁部君たちの思いは確実に広がっています。
 「自分たちの語りに何かを感じ取ってくれて、災害関係の動きに発展させてくれるのはすごくありがたい。僕らの教訓が少しでも生かされるのなら、それが自分たちが望むこと」(雁部那由多君)


<仮設住宅>特定延長 南三陸町165世帯
 宮城県南三陸町は29日、仮設住宅の入居期限を7年目まで延長する「特定延長」の対象世帯が165世帯に上るとの見通しを町議会臨時会で示した。2018年度には全ての仮設住宅を解消する方針。
 17年度末までの特定延長は、再建先が決まっている世帯が対象。町のまとめによると、仮設住宅の入居者は同年度末には67世帯、入居率3.1%まで減少する。一方で、再建先が決まらず、特定延長の対象にならない約30世帯には災害公営住宅などへの転居を促す。
 町は入居率が3割を切る仮設住宅に対し、8カ所の団地への集約を進める。16年度は17団地が対象で10世帯ほどが集約先へ移転する見込み。17年度は27団地が対象となる。
 町議会臨時会は同日、復興交付金の第14次配分を含む45億7980万円を追加する15年度一般会計補正予算など7議案を原案通り可決し、閉会した。


震災の記憶風化感じるが7割に
東日本大震災の発生から5年がたち、宮城県内では震災の記憶の風化が進んでいると感じている人が7割にのぼることが、県の調査でわかりました。
宮城県は県内に住む20歳以上の男女を対象に、毎年、震災からの復興など県が進める施策についての調査を行っていて去年12月に行った調査では、対象の4000人のうち半数近い1900人あまりから回答を得ました。
それによりますと、「震災の記憶の風化が進んでいるか」という質問に対し、▽進んでいると感じると回答したのは23.8%、▽やや進んでいると感じると回答したのは48.7%で、あわせて72.5%にのぼりました。
また記憶の風化を防ぐために強化すべき取り組みについて複数回答で聞いたところ▽広報誌など印刷物の発行が22.6%、▽全国の公共施設や駅などでのポスターの掲示が20.5%、▽県外でのイベントの開催が16.6%にのぼりました。
一方、宮城県の復興の進捗について聞いたところ、▽進んでいると回答したのは6.3%、▽やや進んでいるは22%であわせて28.3%にとどまっています。
宮城県は今回の結果について「今回初めて風化に関する質問を設けたが、5年がたって以前にも増して風化を食い止める取り組みが必要になってきていると感じ、県としても力を入れたい」と話しています。


お笑い芸人仙台に移住し米作り
農業で注目を集めて地域を活性化させようと、吉本興業のお笑い芸人2人がコメづくりのために来月から仙台市に1年間移住することになり、30日、東京で記者会見が行われました。
仙台市に移住することになったのは、吉本興業のお笑いコンビ「キングビスケット」の▽藤城翔威さんと▽平井夏樹さんの2人です。
30日、東京・池袋の宮城県のアンテナショップで記者会見が行われ、2人が仙台市に移住し、今後1年間、稲作が盛んな太白区坪沼地区の田んぼで地元の人たちから教わりながら特産の「ひとめぼれ」をつくるプロジェクトが発表されました。
2人は4月1日に仙台に入って、神社の社務所に住みコメづくりをスタートさせ、地元の祭りに参加したり畑仕事を手伝ったりしながら地域おこしの活動にも取り組むということです。
仙台市は、このプロジェクトを通じて仙台市の農業を積極的にPRし、米など農作物のブランド化や地元食材を使った加工品の開発などにつなげて地域の活性化を図りたいとしています。
2人は「若さを武器にドンドンお米を作りたいです。地元の人たちとの交流も楽しみです」とこれから始まる移住とコメ作りに向けて意気込みを話していました。


震災復興の派遣職員に感謝状
震災からの復興を支援するため、全国の自治体から岩手県復興局に派遣され、31日で任期を終える職員に対し、県庁で30日、感謝状が贈られました。
岩手県復興局には、全国の自治体から職員が派遣され、復興を支援する業務にあたっています。
30日は、31日で任期を終える7人の職員に対する感謝状の贈呈式が県庁で行われました。
この中で、福井県から派遣された職員は、「3月11日に行われた県の追悼式を担当しました。震災の記憶を風化させないため地元に戻っても被災地のことを伝えていきます」と述べました。
このあと、県復興局の中村一郎局長が職員1人1人に感謝状を手渡し、「地元に戻っても、岩手に派遣された経験を生かして業務にあたってください。岩手が復興する姿を見届けてください」と感謝の気持ちを伝えていました。
岩手県には、全国の自治体から169人の職員が派遣されていますが、このうち、109人が31日で任期を終え、地元に戻るということです。
新年度は、新たに加わる職員を含め、全国の自治体から合わせて164人が派遣されるということです。
東京都から1年間、派遣された吉成恵子さんは「被災者のアンケート調査を担当をして課題がよくわかりました。東京では、首都直下地震の防災対策に力を注ぎたいです」と話していました。


<福島で生きる>復興と幸せ 2人で育む
◎女性と原発事故(2)嫁ぐ 小林奈保子さん
 ウエディングドレスをまとい、幸せな花嫁になる。生まれ育った大好きな福島の地で。
 小林奈保子さん(28)は昨年11月、福島県浪江町役場職員の直樹さん(33)と結婚した。直樹さんとは東京電力福島第1原発事故の復興支援の仕事を通して知り合った。ことし5月、式を挙げる。
 福島県田村市が委託する「復興応援隊」の一員だ。避難区域が設定されていた同市都路地区を中心にお年寄りの見守り活動や生活支援を担う。
 東日本大震災が起きた時は求職中だった。震災直後、知り合いとともに県内の避難所を訪れた。何もできず、悔しさが募った。2013年9月、応援隊員を募集しているのを知り、勤めていた食品会社を辞めて飛び込んだ。
 応援隊は当初、お年寄りたちに警戒された。何か支援できることはないかと一軒一軒訪ね歩いた。「あんたたち誰だ。やることねえから帰れ」。追い返されることもしばしばあった。
 距離を縮めたのが、14年2月の豪雪だった。スコップを手に住民宅を訪ね、2週間にわたって雪かきを続けた。
 春が訪れるころには、住民とすっかり打ち解けた。最近は「頑張りすぎちゃ駄目よ」と気遣われることも多い。温かい言葉を掛けられると、思わず涙腺が緩む。
 応援隊の活動で悩んでいたとき、陰で支えてくれたのが直樹さんだった。
 13年11月、県外からの視察団体に同行し、福島県二本松市に仮役場を置く浪江町役場を訪れた。その夜の懇親会。直樹さんが語るタブレット端末による町民への情報発信や、県外避難者への支援が興味深かった。
 出会って1年後に交際を始め、昨年6月にプロポーズされた。奈保子さんは田村市に、直樹さんは二本松市のアパートに離れて暮らす。来春、浪江の避難指示が解除され、役場機能を町へ移すことになれば、さらに距離が広がるかもしれない。
 避難指示が解除されたとはいえ、放射能の不安が全くないわけではない。風邪をひいた時、「もしかしたら体に良くないのかな」と弱気になることもある。それでも「都路の人たちを支援する仕事のやりがいは何物にも代え難い」と思う。
 いずれは福島で子どもを生み育てたい。「放射能より、自分がきちんと子育てできるかとか、ママ友とうまく付き合えるか、そっちの方が心配」と笑う。
 福島の女性が県外に避難するのも、県内に住み続けるのも、それぞれの選択と尊重したい。「生きたい場所で生きるのが一番じゃないかな」
          ◇         ◇         ◇
 東京電力福島第1原発事故から5年が過ぎた。福島から県外へ避難する人がクローズアップされる一方、県内には約96万人の女性が住み、働き、結婚し、子育てに励んでいる。福島で暮らし続ける女性たちを取材した。(福島総局・桐生薫子)


職員不足 宮城被災15市町175人
 東日本大震災で被災した宮城県沿岸15市町で、2016年度当初に職員175人が不足することが29日、明らかになった。県と被災市町でつくる「市町村震災関係職員確保連絡会議」で県が報告した。前年同期より83人減るが、技術職中心に職員不足は慢性化している。
 4月1日時点の必要人数は同期比74人減の1509人で、国や県、他自治体などからの派遣や任期付き職員採用による充足数は22人増の1281人。4月2日以降の採用などでさらに53人確保できそうだが、残りはめどが立っていない。
 市町別で不足が最も多いのは気仙沼市の56人で、これに石巻市53人、名取市15人と続く。職種別では土木や建築など技術が108人、一般事務67人。一方、仙台市が被災市町で初めて必要人数がゼロになる。
 県は市町と合同で任期付き職員採用試験を開催したり、全国の自治体に職員派遣を要請したりする。派遣の継続につなげるため、本年度に続き全国の自治体トップを被災地視察に招く。


<適少社会>小さい自治体ほど警戒
◎人口減 復興のかたち[18]第4部首長アンケート(2)集中の是非
 東日本大震災の被災地が、本格的な人口減少時代の中で持続可能な未来を築くために必要なのは「選択と集中」か「分散と均衡」か。
 全国の市町村の半分以上が将来消滅するかもしれない−との人口推計をまとめた「日本創成会議」(座長・増田寛也元総務相)は、地方再興を図るには「若者に魅力ある地域拠点都市への投資と施策の集中」が欠かせないと提言した。
 岩手、宮城、福島3県の被災42市町村の首長を対象としたアンケートでは、提言への評価を尋ねた。「地方の衰退を加速させる」との懸念がある一方、仙台市や福島県いわき市など都市部を中心に「集中は必要」と肯定的な見方も寄せられた。
 アンケート対象の12市町村全てが消滅可能性都市に分類された岩手からは強い批判が相次いだ。
 久慈市の遠藤譲一市長は「拠点都市でない市町村は消滅してよいことになる」と憤る。陸前高田市の戸羽太市長は「このような提言が復興のさなかに出てくるのは残念」と答えた。
 釜石市の野田武則市長は「人口流出のダム機能となる拠点都市の確立は有効な施策」と理解を示した。
 宮城は15市町のうち、8市町に消滅の危機が指摘された。その一つ、気仙沼市の菅原茂市長は「ミニ東京、ミニ仙台をつくる」と異を唱える。
 2015年国勢調査で5年間の人口減少率が37%と、宮城県最大の女川町の須田善明町長は「拠点都市の機能高度化は必須」とした上で、「集積された都市機能を共有できるよう道路などのインフラ整備促進は拠点都市以外でも進めなければならない」と指摘した。
 仙台市の奥山恵美子市長は「周辺自治体をけん引する役割を果たすためには制度拡充や財源充実などの集中が必要」とコメント。東北の中心都市としての自負をにじませた。
 福島県では、原発事故で全域避難する飯舘村の菅野典雄村長が「効率一辺倒では小さな自治体の未来はない。平成の大合併の過ちを繰り返すな」と主張した。
 新地町の加藤憲郎町長は「人口減を考えることができた」と問題提起の意義を評価。「大都市へ流出する人の流れを地方拠点都市への通勤、通学に変えられるなら」との条件付きで機能集中を認めた。日本創成会議は福島県について原発事故の影響で消滅可能性都市の分類を見送っている。
 首都大学東京の山下祐介准教授(地域社会学)は「社会増が比較的多い自治体は『集中』を評価し、小さい自治体ほど不安を表現している」とアンケート結果を分析した。法政大大学院の小峰隆夫教授(経済学)は「首長は自らの自治体が利益を受けるかどうかで判断する。自治体の立場を超えて、ビジョンを語るのは難しい」と述べた。


複合施設賃料高く入居低迷 駅前にぎわい暗雲
 JR気仙沼駅前ににぎわいを生もうと宮城県気仙沼市が整備する複合施設の計画が、見直しを迫られている。既に施設を3階建てから2階建てに変更した。東日本大震災の復興需要に伴う建設費高騰により、賃料が上昇し、入居希望の取り下げなどでテナントが埋まらないためで、好転に向けてさらなる変更を検討せざるを得ない状況だ。
 施設は駅前の市有地に整備され、2階建てで延べ床面積1250平方メートル。集会所と高齢者相談室、商業・公益スペースを設ける。2018年1〜3月に完成する予定。
 そばに災害公営住宅の12階建て(64戸)と13階建て(130戸)を建設中で、複合施設の整備に復興交付金を一部活用する。商業・公益スペースの整備費は、20年かけてテナント賃料で回収することを見込んで計画を練ってきた。
 しかし、事業費が想定の1.5倍になることが判明。賃料が1坪(3.3平方メートル)当たり8000〜1万2000円と震災前の倍ほどに上昇したのを敬遠し、入居を希望した国の出先機関2施設のうち1施設が離脱した。市は階数を減らしたが、駅前広場に面した1階商業スペース150平方メートルは空いたままだ。
 市は、出店希望の有無をみて整備規模を判断する方針。「駅前活性化のチャンス」(市議)との声は大きく、市は新年度に商業者向け説明会を開いて出店希望者を募るほか、賃料の引き下げを検討する。
 市災害公営住宅整備課は「駅は気仙沼の観光の玄関口で、にぎわい創出は災害公営住宅の入居者も期待している。何らかの手を打ちたい」と話す。市内では建設費上昇や物件不足の影響で、全体的にテナント賃料が高騰している。


仮設商店街で気軽に一杯
 東日本大震災で被災した店舗が集まる南三陸町歌津の仮設商店街「伊里前福幸商店街」で27日、創業約100年の老舗酒店が店内の一角に飲食スペースを設けて新装開店した。商店街への客足が減るなか、若い世代が集まってにぎわいを取り戻したいとの思いがきっかけとなった。
 新装開店したのは佐藤酒店で、4代目店長の佐藤裕さん(22)が切り盛りしている。歌津地区では震災後、再建を諦める居酒屋もあり、気軽に酒を楽しみながら集える場所が減っていたという。仮設商店街の高橋武一組合長(66)は「若い人が頑張ってくれて刺激になる」と語る。
 27日夜にオープンすると、近所の漁師らがさっそく訪れ、カウンターで、オーブンで焼き上げたシイタケをつつきながらビールを飲んだり、子どもの話などで盛り上がったりしていた。佐藤さんは「笑いの絶えない店にしたい」と話していた。
 飲食スペースの営業時間は午後7時〜11時(水曜定休)。来年3月に全面開業を予定する新しい商店街で店を本格再建したあとも、飲食業は続けるという。


被災地の女性の悩み「希望進路選べず」半年で400件以上
東日本大震災をきっかけに、10代から20代の女性が抱えるようになった課題について考えるシンポジウムが東京で開かれ、去年、開設された電話相談に「希望する進路を選べなかった」などの悩みが半年間で400件以上寄せられたことが報告されました。
シンポジウムは岩手、宮城、福島に住む若い女性専用の電話相談などを運営する団体が開いたもので、東京・文京区の会場には女性支援に取り組む市民など、およそ100人が参加しました。
この中で電話相談の責任者が、主に20代の女性から、進路の選択を迫られる20歳前後で震災に遭ったことで、希望する進学や就職ができなかったとか、就職先がないため被災地を離れて都会で働くことを希望しているなど、去年6月の開設以来、半年間で453件の悩みが寄せられたことを報告しました。
これを受けて内閣官房の担当者は、「こうした声を受け止め、地方で若者が自立して働ける環境を作っていくことが大事だ」と述べました。
主催した団体では、「被災地の若い女性が震災から5年がたっても、どうやって生きていけばいいのか先が見えていないことが分かった。非常に厳しい状況を広く知ってもらい、一緒に考えてほしい」としています。


似顔絵で被災者癒やす 兵庫・西宮の美術講師、東北で交流「できること続けたい」
 東日本大震災の被災地で、被災者の似顔絵を描き、心を癒やす活動を繰り広げる女性がいる。西宮市の美術講師、川端あす香さん(25)。川端さんは、震災と同じ平成23年の紀伊半島豪雨で大きな被害を受けた和歌山県那智勝浦町の出身。豪雨では実家が損壊し、住むことができなくなる被害を受けた。川端さんは、同じように災害で被害を受けた人たちと交流しようと東北の被災地で似顔絵を描き続けている。「東北では絵を描くことで喜んでくれる人がいた。自分にできることを続けていきたい」と話す。
 震災が発生した23年、京都市内の芸術大で日本画を学んでいた川端さんは、遠い東北で発生した災害に、「リアリティーはなかった」という。
 しかし半年後、生まれ故郷を台風が襲い、氾濫した川に実家の一部が流された。家族は無事だったが、生まれ育った家には二度と住むことができなかった。
 ただ、豪雨を直接経験していない川端さんは、被災した家族らとの温度差を感じ、戸惑っていた。絵を描くことにもつらさを感じていた。
 24年3月、東北の被災地の現状を確認しようと宮城県気仙沼市をふと訪れた。同市では被災した商店主らから震災当時の話を聞き、そのお礼に持っていた鉛筆で商店主らの似顔絵をスケッチした。すると、商店主らが喜んでくれた。
 「自分の絵で喜んでくれる人がいる」。川端さんは似顔絵を通して被災者の力になろうと決心した。
 25年3月には再び同市を訪れ、仮設住宅などを回って似顔絵を描いた。以来、年に数回同市を訪れ、被災者の似顔絵を描く活動を展開。これまで数十枚の似顔絵を描いたという。
 今月上旬には、震災5年に合わせて神戸市灘区の画廊で、似顔絵など約10点を集めた個展を開いた。
 4月からは、和歌山市内の中学校で美術教師となる。気仙沼市を頻繁に訪れるのは難しくなるが、「気仙沼の人や土地をたくさん知ることで、絵に思いを込めることができる。これからもできる限り気仙沼を訪れ、似顔絵を描き続けたい」と力を込めた。


大学入試改革 理念ばかり並べても
 大学入試をがらりと変え、知識偏重の高校教育の改善をも促すという。文部科学省の有識者会議が出した最終報告は、しかし、新テストの理念と課題の羅列に見える。実現へもっと熟議をせねば。
 有識者会議は、高校と大学の教育を見直し、橋渡しをするための方策を議論してきた。最大の焦点だったのは、大学入試センター試験に代わる「大学入学希望者学力評価テスト」の導入である。
 この新しい共通テストでは、知識の暗記量や解法テクニックというよりも、論理的に考え、筋道を立てて表現する力を試すことに狙いを定める。そのためにマークシート式の改良に加え、記述式の問題を採り入れる。
 グローバル化、少子高齢化や地方創生…。既成の知識や解法パターンでは、先行きを読み解くことが難しい時代だ。正解を素早く発見する力ではなく、自ら問いを立て、一つとは限らない答えを探る力こそが重要になっている。
 新テストをてこに、知識の詰め込みに陥りがちな高校教育を、考えさせる教育へと脱皮させる意図もある。入試の影響力を利用する発想も、理解できなくはない。
 懸念されるのは、課題山積の記述式の採用である。有識者会議は、実施体制を含めて具体の制度設計を先送りしてしまった。実現までの道筋を描ききれなかった。
 五十万人を超える受験生が見込まれる。膨大な答案の採点者をどう集めるのか。採点の公平性をどう担保するのか。民間委託や人工知能(AI)の活用も挙げられたが、信頼性を確約できるのか。
 採点時間を確保するためにマークシート式と切り離し、記述式のみを前倒しで実施する案も出された。これには、高校生活が侵食されるとして反対の声も根強い。
 入試は人生の大きな節目だ。だからこそ政府の教育再生実行会議は、挑戦できる機会の複数化を提言していた。やり直しが利く社会への転換をというメッセージでもあった。それを置き去りにしては、改革の意義も薄れよう。
 こうした根幹に関わる課題は、宙に浮いたままだ。なのに文科省は二〇二〇年度開始という工程表に従い、一七年度初めまでに新テストの実施方針を詰めるという。拙速を避け、開かれた場での議論があらためて必要だ。
 国籍や文化、年齢、性などを問わず、多様な背景を持つ人々が力を合わせねばならない時代である。大事な才を見逃さないよう大学は個別試験を工夫してほしい。


東大合格への登竜門「サピックス」「鉄緑会」が有名進学校を支配! 平等性を喪失させた“塾歴社会”
 立て続けに、東大生をひな壇に並べたバラエティ番組を見た。3月13日放送『日曜ファミリア・さんまの東大方程式』(フジテレビ)と、22日放送『ケンカ上等!大激論!好きか嫌いか言う時間 日本イライラ解消SP』(TBS)だ。大雑把に言えば、東大生を「やっぱりすごい」「さすがに変わった人ばかりだ」「でも悩みもある」「そして変わりつつある」と上げたり下げたりする内容。番組改編期に手早く作られる番組として、「東大」を抜群のブランドとして突出させる構成がまだまだ重宝されていることに驚いてしまう。
 自分が中高生だった20年近く前にもこの手の番組を頻繁に見かけたが、いざ学生期を通り過ぎると、この辺りの変遷への興味が薄れ、「少子化で大学全入時代が到来、定員割れした大学が経営に苦しんでいる」といった断片的な情報を得るに留まってしまう。そんな相当前に得ていた情報を一気に改めてくれるのが、「学歴ではなく“塾歴”が『勝ち組』を作る」と指摘する、おおたとしまさ『ルポ 塾歴社会』(幻冬舎新書)である。学歴ピラミッドの構造は変わらずとも、受験エリートの“生成方法”がガラリと変わっていたことを知らされる。
「今、日本の受験勉強においては、サピックスから鉄緑会そして東大へと、1本の『王道』が存在する」と著者。自分の学生時代に一世を風靡していた塾といえば「四谷大塚」「日能研」である。しかし、今、進学校の中学受験塾として突出した成績を上げているのが「サピックス小学部」であり、著者作成・2015年度のデータによれば、それぞれの合格者における占有率として、開成62.0%、筑波大付属駒場70.3%、桜蔭63.1%という圧倒的な数値を叩き出している。首都圏の中学受験塾大手6社の学力帯別合格者比率を比べてみても、偏差値65以上の最難関校の割合が26%と、サピックスが抜きん出ている。他の塾の数値を抽出すると、四谷大塚9%、日能研7%、私事ながら小学生の時に自分が通っていた市進学院はわずか4%に甘んじている。
 学力最上位層をターゲットにした塾「TAP」から独立してできた「サピックス」は、09年に中学部が、10年に小学部が、それぞれ代々木ゼミナールに買収される。小学部はとりわけ好調な成績を収めていただけに塾自体が「大衆化してしまうのではないか」との懸念もあったようだが、サピックスの快進撃は続く。知識の詰め込みではなく、「知識を素早くなめらかに使いこなす方法」を重視、授業に休み時間はなく、小学6年生になれば17時から21時までぶっ続け。復習主義に徹し、何度も繰り返すことで頭に知識を定着させる。塾の費用も、3年間で約250万円と割高なわけでもない。
 これだけ一つの塾が寡占気味の状態を築くと、塾と学校のパワーバランスも崩れてくる。中高一貫校は、大学入学実績の良さで小学生を誘い出す。少子化の時代、出来の良い子にいかにして入ってもらうかが学校側の使命にもなる。そこで存在感を強めるのがサピックス。塾側が、生徒に対してどの学校を受験するように薦めるかも大きな“商材”なのだ。
 本書で最も驚いたエピソードが、著者が得た、ある名門校の教師の談。7〜8年前、校長宛にサピックスの職員から書簡が届いた。その手紙には「貴校の入試問題は癖がありすぎて努力した子供が報われないこともある。努力した子が報われやすい、もっと素直な問題に出題傾向を改めない限り、志望校を迷っている生徒に貴校をお薦めすることはできない」とあった。「出来の良い子」を欲する学校が、塾側におもねる事態が生じているというのか。あくまでも一つの事例でしかないが、パワーバランスの反転を知らされる事例である。
 そして、名門中学校に入学した生徒が一挙に入塾するのが「鉄緑会」。限られた学校の生徒だけが入会テストを免除される。その指定校制度が適用されるのはたったの13校。それ以外の学校の生徒が入塾を希望する場合は、入会テストを受け、相応の学力が備わっていることを立証しなければならない。結果的に、東大医学部合格者の6割が鉄緑会という最高レベルの生徒を輩出し続けている。元々、東大医学部の同窓会組織「鉄門倶楽部」と東大法学部の自治会「緑会」をルーツに持つ鉄緑会は、教える先生も全員東大生か卒業生。あたかも牛1頭からこれだけしかとれない稀少部位のごとく、あらかじめ量が限られ、質が確約されているのだ。
 鉄緑会の指定校に入っている事実を売り文句とする学校もある。指定校は固定されているわけではなく、その都度流動するので、ここでもまた、学校ではなく塾がイニシアチブを取る。鉄緑会のウェブサイトでは会の特色として「制限時間に縛られない徹底した指導」を掲げ、「全員に東大現役合格する学力をつけてもらうため、居残り指導も厭いません。また、余力のある優秀な生徒、やる気のある生徒にも個人指導は行われます。生徒一人一人に合った方法で、できる限り高い学力をつける、それが鉄緑会です」と力説されている。
 特段、スパルタ教育というわけではない。しかし、生徒にとって「いいほうに出るケースと悪いほうに出るケースの差が激しい」という。これだけの好条件が揃っていると、親は子に、なんとしてでも鉄緑会で奮闘してもらいたいと願う。願うだけならまだしも、強いる場合もあるだろう。そのなかでうまく機能しなくなると、塾でも学校でも生気を失う生徒がしばしば出てきてしまう。本の中では「鉄緑廃人」と形容されているが、なかなか笑えない。一つのレールが明確になれば、そのレールから脱線したが最後、元に戻れなくなる。それが競争社会の鉄則、と断じることもできるのだろうが、学校へ入る前段階である塾がそのレールを管轄することで新たに浮上する問題は多いだろう。
 著者は言う。「日本の教育の平等性や公正さの中で発展してきた受験システムが『制度疲労』を迎えている」と。制度疲労の弊害を真っ先に食らうのは、一概には言えないとはいえ、塾ではなく学校でもなく、個人。今現在、大学入試改革により欧米型にシフトチェンジをはかろうとしている。小論文や面接なども含めた人間性の評価を強めようとしているのだ。旧来の塾が作る「ひとつのレール」と、人間性を定める「新しいけど曖昧なレール」がぶつかることになる。
 東京大学学生委員会・学生生活調査室の「2014年(第64回)学生生活実態調査の結果報告書」によれば、年収1050万位以上の家庭が35.8%、450万未満の家庭がわずか13.6%と、親の収入が生む学歴格差は年々ひどくなる一方だ。限られたエリート街道を更に強固に作り出す「塾歴社会」、その疲弊構造が見えてくる好著である。(武田砂鉄)
■武田砂鉄プロフィール
1982年生まれ。ライター/編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「マイナビ」「Yahoo!ニュース個人」などのネットに加え、多くの雑誌でも執筆中。さらに、最近、「文學界」「Quick Japan」「VERY」で連載を開始した。『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社で、2015年ドゥマゴ文学賞受賞。


安保廃止法案は審議せず 自公一致「決着済み」
 自民、公明両党は三十日、野党が共同提出した安全保障関連法の廃止法案について「決着済み」として、今国会で審議しない方針を決めた。野党側は早期の審議入りを求めていた。 (中根政人)
 自民党の谷垣禎一、公明党の井上義久両幹事長らが同日午前、都内で会談し、廃止法案の取り扱いを協議した。
 他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を柱とした安保法は昨年の通常国会で、衆参両院で計二百十六時間の審議を行い、参院で野党の一部も賛成して成立したことなどを理由に「野党が国会審議の経緯を踏まえず、廃止だけを求めることには応じられない」との考えで一致した。
 自民党の佐藤勉国対委員長は会談で、廃止法案について「決着のついた議論を再び蒸し返すだけ」と、審議の必要性がないことを強調した。
 民進党の山井和則国対委員長代理は記者会見で「廃止法案そのものを政府・与党が審議拒否するのは、あってはならないこと」と反発。「安保法の問題点が明らかになり、参院選や衆院補選の争点になれば与党が負けるという不安の裏返しだ」と批判した。
 廃止法案は、集団的自衛権行使を可能にする武力攻撃事態法など関連法十本を改正した「平和安全法制整備法」と、国際貢献を目的に他国軍支援を随時可能にする「国際平和支援法」の二法を廃止する内容。
 共産、社民、生活の各党と民進党に合流する前の民主、維新両党の計五党が、安保法成立から五カ月の節目となった二月十九日に衆院に共同提出。衆院議院運営委員会理事会などで、与党側に審議入りを求めていた。
 廃止法案は、今国会の会期末に衆院の議院運営委員会と本会議で継続審議の手続きがされない場合、廃案となる。


露骨な票目当て 安倍政権の“3B政策”に騙されてはいけない
「負けないよう身を引き締めて頑張る」――28日の参院予算委で、民進党結成について対決姿勢を鮮明にした安倍首相。夏の参院選をにらみ、目玉づくりに躍起になっているが、出てくるのは“票目当て”の愚策ばかり。とりわけ「3B(バカ)政策」と揶揄されているのが次の3つだ。
【高齢者1人につき3万円の給付金】
 15年度の補正予算で成立した、所得の低い高齢者に1人あたり3万円を配る「臨時福祉給付金」。約1250万人を対象に総額3900億円をバラまく内容だが、過去の「地域振興券」(99年)や「定額給付金」(09年)と同様、自民党が選挙前に打ち出す“札ビラ”作戦と言っていい。
 一時のバラまきが景気浮揚につながらないのは明らかで、安倍政権が消費税先送りのアリバイづくりに招いたポール・クルーグマン米ニューヨーク市立大教授もかつて、「定額給付金」に対して「米国などではほとんど貯蓄に回り失敗した。日本がなぜ実施するのか理解できない」と苦言を呈していた。せっかくだから、安倍首相は高齢者給付金についても経済効果を質問するべきだったろう。
【若者向け商品券】
 政府が16年度補正予算案に盛り込む方針を固めた――と産経新聞が報じたのが、低所得者の若者向けの商品券の配布だ。1月の家計調査(2人以上世帯)で、34歳以下の若年層の消費支出が前年同月比11・7%減と落ち込み、個人消費の底上げには、若年層の消費刺激策が必要と判断したらしい。だが、ネット上では早くも〈俺らをバカにしてんのか〉〈選挙権が18歳以上に引き下げられたためのバラまき策〉などと非難囂々だ。
 そもそも安倍首相自身も1月の参院予算委で、高齢者向けの給付金について問われた際、「高齢者層は、他の年齢層に比べ消費性向が高い傾向にあります」と答弁していた。それが一転して「若い人にもバラまくよ」なんてデタラメ過ぎるだろう。
【叙勲】
「保育園落ちた日本死ね」――で一気に注目が高まった待機児童問題は、保育所の数だけでなく、保育士の人数・質の確保も問題だ。保育士の賃金は全産業の平均に比べ約11万円も低く、賃金アップは急務の課題だが、安倍政権は待遇改善にはビタ一文使いたくないらしい。そこで出てきたのが、ナント! 「叙勲」だ。
 参院予算委で保育士の待遇改善策を問われた安倍首相は「叙勲において積極的に評価することについても検討したい」なんて答えていた。
「日々の生活が大変なのに、数十年先にもらえるかどうかも分からない『叙勲』で保育士が増えると思っているのならトンチンカンもいいところ」(都内の20代保育士)
 元毎日新聞政治部記者の板垣英憲氏はこう言う。
「『3B政策』とは第1次大戦前にドイツが進めた帝国主義政策を意味しますが、安倍政権が今、進めていることも帝国主義政策のようなものだから、言い得て妙です。付け加えるなら、どの政策も選挙ウケを狙った買収みたいなもの。Bには買収の意味も含まれているかもしれません」
 しょせん、安倍政権にとって「憲法改正」さえ実現できれば、あとは野となれ山となれ。マトモな政策が出てこないワケだ。


「無戸籍」の人に専用カード
親の離婚などが原因で出生届が出されず戸籍がない人でも行政手続きをスムーズに行えるように、兵庫県の明石市は、窓口に専用のカードを示すだけで戸籍がない事情の説明を省くことができる新たなサービスを始めることを決めました。
離婚やDV=ドメスティックバイオレンスの問題などを抱えた夫婦に生まれた子どもの中には、出生届が出されず戸籍がないままの人もいて、生活するうえでのさまざまな不利益が問題になっています。
兵庫県明石市は、こうした戸籍がない人でも行政手続きをスムーズに行えるように、来月から新しいサービスを始めることを決めました。
具体的には、希望する人に名前や生年月日などを記した専用のカードを発行し、市の窓口に示すだけで戸籍がない事情の説明を省けるようにして手当の給付などの手続きにかかる時間を短縮します。
また、戸籍がない人のさまざまな相談にのる専門の職員を配置し、行政の担当部署への橋渡しなども行うということです。
明石市には、戸籍がない人が少なくとも3人いるということで、泉房穂市長は「無戸籍は全国的に取り組むべき社会問題だ。幅広く行政サービスを提供していきたい」と話しています。
法務省によりますと、戸籍がない人に専用のカードを発行してサービスの向上を図る自治体は全国でも初めてとみられるということです。


厳しすぎた?京大特色入試、要件を緩和
 京都大は30日、2016年度から導入した特色入試について、17年度以降、一部の学部学科で出願要件に課していた科学オリンピック大会の出場を削除するなど、受験機会を拡大すると発表した。16年度入試では、同要件を課した学科で志願者が低迷し、高校などから緩和を求める声が上がっていた。
 16年度の特色入試では、工学部の地球工学科、情報学科、工業化学科で国際科学オリンピックの日本代表で世界大会への出場を出願要件としていたが、志願者は3学科で計1人にとどまった。17年度入試からは同要件の削除のほか、他の学部学科でも高校の評定平均値の基準を引き下げるなどの緩和措置を取る。
 北野正雄理事・副学長は16年度の入試結果について「一般入試と比べると、女性比率が高く、多様な高校からの出願があり、入学者の多様化に貢献できた」と評価する一方、「高校からの意見を基に出願要件や選抜日程を見直した。定員の拡大についても考えていきたい」と話した。
 17年度入試からは農学部の全学科で、18年度からは薬学部薬学科、工学部の建築学科、物理工学科でも順次導入し、同年度に全学部全学科で実施する。


子宮頸がんワクチン 国とメーカー2社へ集団賠償訴訟へ
接種した後に健康被害 女性4人が記者会見
 子宮頸(けい)がんワクチンを接種した後に健康被害を訴えた17〜21歳の女性4人が30日、東京都内で記者会見し、国とワクチンメーカー2社を相手に損害賠償を求める集団訴訟を起こす方針を発表した。現段階で計12人が提訴する意向という。今後同様の被害を訴える全国の女性にも参加を呼びかけ、6月以降に全国4地裁に一斉提訴する。
 子宮頸がんワクチンを巡っては、販売開始の2009年12月から14年11月までに接種した約338万人のうち、医師や製薬企業から約2600人の頭痛などの健康被害報告があった。
 会見に同席した弁護団は、国はワクチンの承認や定期接種などに積極的に関わった責任があり、グラクソ・スミスクライン、MSDのメーカー2社は製造物責任があるとしている。
 弁護団の水口真寿美共同代表は「訴訟により国と企業の法的責任を明確にし、真の救済と再発防止を実現したい」と話した。国はワクチン接種と健康被害の因果関係を調査中だが、弁護団は「裁判を起こすのに必要な因果関係は十分に明らかになっている」と主張している。
 会見した埼玉県の大学生、酒井七海さん(21)は高校1年の時にワクチンを2回接種した後、体のしびれや歩行障害などの症状が出た。「なぜ自分が被害を受けたのか。国やメーカーは裁判で問題の背景を明らかにし、同じような被害を繰り返さないようにしてほしい」と語った。
 中学時代に接種後、発熱や記憶障害の症状が出るようになって入退院を繰り返した奈良県の高校2年、谷口結衣さん(17)は「普通の高校生活を送りたい。被害を理解してほしいと思って裁判に参加することにした」と話した。
 国とグ社は「訴えの詳細を承知していないのでコメントを差し控えたい」、MSDは「提訴されれば法廷で証拠を提出する考えだ」としている。【古関俊樹】
子宮頸がんワクチン
 子宮頸がんの原因、ヒトパピローマウイルスの感染を防ぐ効果があるとされるワクチン。日本では2010年度に国の助成事業になり、予防接種法の改正で13年4月、小学6年から高校1年を対象にした定期接種になった。健康被害の報告が相次いだため、国は同年6月から積極的に接種を勧めることを差し控えている。厚生労働省の研究班がワクチン接種と健康被害の因果関係を調査している。

女川さいがいFM閉局/SEALSs関西梅田街頭宣伝

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Le frère Obama
Nous n’avons pas besoin que l’empire nous fasse cadeau de quoi que ce soit. Nos efforts seront légaux et pacifiques, parce que tel est notre engagement envers la paix et la fraternité de tous les êtres humains qui vivons sur cette planète
Les rois d’Espagne nous ont amenés les conquistadors et les propriétaires, dont les traces sont restées empreintes dans les parcelles de terre circulaires assignées aux chercheurs d’or dans les sables des rivières, une forme abusive et honteuse d’exploitation dont on peut apercevoir encore les vestiges depuis les airs dans de nombreux endroits du pays.
Le tourisme, aujourd’hui, consiste en grande partie à montrer les délices des paysages et à savourer les mets exquis de nos mers, à condition de les partager avec le capital privé des grandes sociétés étrangères, dont les recettes ne méritent aucune attention si elles ne se chiffrent pas par milliards de dollars per capita.
Puisque je me suis vu obligé de mentionner le sujet, je me dois d’ajouter, notamment à l’attention des jeunes, que rares sont ceux qui se rendent compte de l’importance d’une telle condition en ce moment singulier de l’histoire humaine. Je n’irai pas jusqu’à dire que le temps a été perdu, mais je n’hésite pas à affirmer que nous ne sommes pas suffisamment informés, ni vous, ni nous, des connaissances, de la prise de conscience qu’il nous faudrait pour relever les défis de la réalité. La première chose à prendre en compte, c’est que nos vies sont une fraction de seconde au regard de l’Histoire, qu’il faut aussi partager les besoins vitaux de tout être humain. Une des particularités de celui-ci réside dans la tendance à la surévaluation de son rôle, ce qui contraste par ailleurs avec le nombre extraordinaire de personnes qui incarnent les rêves les plus élevés.
Personne, cependant n’est bon ni mauvais en soi. Aucun d’entre nous n’est préparé au rôle qu’il est appelé à assumer dans la société révolutionnaire. En partie, nous, les Cubains, avons eu le privilège de compter sur l’exemple de José Marti. Je me demande même s’il aurait dû mourir ou pas à Dos Rios, lorsqu’il dit ≪ Pour moi, il est temps ≫, et qu’il chargea les forces espagnoles retranchées derrière une solide ligne de feu. Il ne voulait pas retourner aux États-Unis et personne n’aurait pu l’en obliger. Quelqu’un arracha quelques feuilles de son journal. Qui a bien pu commettre cette faute perfide, si ce n’est sans aucun doute un intrigant sans scrupules ? On connaît les divergences qu’il y avait entre les Chefs, mais jamais d’indisciplines.
≪ Quiconque tentera de s’emparer de Cuba ne recueillera que la poussière de son sol baigné de sang, s’il ne périt pas dans la bataille ! ≫, s’était écrié le glorieux leader noir Antonio Maceo. Maximo Gomez est également reconnu comme le chef militaire le plus discipliné et discret de notre histoire.
Vu sous un autre angle, comment ne pas être saisi d’admiration devant l’indignation de Bonifacio Byrne lorsque, depuis l’embarcation lointaine qui le ramenait à Cuba, ayant apercu un autre drapeau à côté de la bannière de l’étoile solitaire, déclara : ≪ Mon drapeau est celui qui n’a jamais été mercenaire… ≫, avant d’ajouter aussitôt l’une des plus belles phrases qu’il m’ait été donné d’entendre : ≪ Si un jour mon drapeau est déchiré en petits morceaux / nos morts levant les bras / sauront encore le défendre ! ≫ Jamais je n’oublierai non plus les paroles enflammées de Camilo Cienfuegos ce soir-là, lorsqu’à plusieurs dizaine de mètres des bazookas et des mitrailleuses d’origine nord-américaine aux mains de contre-révolutionnaires, était braquées sur la terrasse où nous étions. Obama était né en août 1961, comme il l’a lui-même expliqué. Plus d’un demi-siècle devait s’écouler depuis ce moment-là.
Voyons cependant comment pense aujourd’hui notre illustre visiteur :
Je suis venu pour enterrer les derniers vestiges de la guerre froide dans les Amériques. Je suis venu tendre la main de l’amitié au peuple cubain ≫.
Tout de suite après, un déluge de concepts, complètement nouveaux pour la plupart d’entre nous :
Vous comme nous, nous vivons dans un nouveau monde colonisés par les Européens ≫, devait ajouter le Président des États-Unis. ≪ Cuba, à l’instar des États-Unis, a été construite en partie par les esclaves amenés ici en provenance d'Afrique. Comme les États-Unis, le peuple cubain a un héritage d’esclaves et d’esclavagistes ≫.
Les populations autochtones n’existent en rien dans l’esprit d’Obama. Il ne dit pas non plus que la discrimination raciale fut balayée par la Révolution ; que les retraites et les salaires de tous les Cubains furent décrétés par cette même Révolution avant que M. Obama lui-même n’est fêté ses 10 ans. L’odieuse habitude bourgeoise et raciste d’engager des sbires pour que les citoyens noirs soient expulsés des centres de loisirs fut balayée par la Révolution cubaine. Celle-ci entrera dans l’Histoire pour la bataille qu’elle a livrée en Angola contre l’apartheid, en mettant fin à la présence d’armes nucléaires dans un continent de plus d’un milliard d’habitants. Tel n’était pas le but de notre solidarité, mais d’aider les peuples d’Angola, du Mozambique, de Guinée Bissau et autres de la domination coloniale fasciste du Portugal.
En 1961, à peine un an et trois mois après le triomphe de la Révolution, une force mercenaire équipée de canons et d’infanterie blindée et d’avions, entraînée et escortée par des bâtiments de guerre et des porte-avions des États-Unis, lanca une attaque surprise contre notre pays. Rien ne pourra justifier cette attaque en traître qui coûta à notre pays des centaines de pertes, entre morts et blessés. Sur cette brigade d’assaut pro-yankee, il n’est établi nulle part qu’un seul mercenaire aurait pu être évacué. Des avions de combats yankees furent présentés aux Nations Unies comme appartenant à des forces cubaines mutinées.
Nous connaissons largement l’expérience militaire et la puissance de ce pays. En Afrique, ils ont également cru que la Cuba révolutionnaire serait facilement mise hors de combat. L’attaque lancée par le sud de l’Angola par les brigades motorisées de l’Afrique du Sud raciste les amena aux abords de Luanda, la capitale de ce pays. Ici s’engagea une bataille qui allait durer pas moins de 15 ans. Je ne parlerais même pas de ces choses-là, s’il n’avait pas été de mon devoir élémentaire de répondre au discours d’Obama au Grand théâtre de La Havane Alicia Alonso.
Je ne tenterai pas non plus de donner des détails. Je tiens juste à souligner que sur ces terres fut écrite une page glorieuse de la lutte pour la libération de l’être humain. D’une certaine manière, j’aurais souhaité que la conduite d’Obama fût correcte. Ses origines humbles et son intelligence naturelle étaient évidentes. Mandela était prisonnier à vie et il était devenu un géant de la lutte pour la dignité humaine. Un jour, j’ai pu avoir entre mes mains une copie du livre qui raconte une partie de la vie de Mandela, et quelle ne fut pas ma surprise en découvrant qu’elle était préfacée par Barack Obama. Je l’ai feuilleté rapidement. C’était incroyable de voir l’écriture minuscule de Mandela, ses notes précisant des données. Cela vaut la peine d’avoir connu des hommes tels que lui.
Concernant l’épisode d’Afrique du Sud, j’aimerais rappeler une autre expérience. Je souhaitais vraiment connaître plus en détails la manière dont les Sud-africains s’étaient procuré les armes nucléaires. Je ne disposais que de l’information précise selon laquelle ils n’avaient pas plus de 10 ou 12 bombes. Une source de confiance serait le professeur et chercheur Piero Gleijeses, qui avait rédigé le texte de ≪ Missions en conflit : La Havane, Washington et l’Afrique 1959-1976 ≫, un excellent travail. Je savais qu’il constituait la source la plus sûre sur ces événements, et je le lui ai fait savoir. Il m’a répondu qu’il n’avait plus reparlé de la question, car dans le texte il avait répondu à la question du camarade Jorge Risquet, qui avait été ambassadeur ou coopérant cubain en Angola, et dont il était un ami très proche. J’ai réussi à joindre Risquet, qui s’acquittait d’autres tâches importantes et était attelé à terminer un cours qui devait encore lui prendre quelques semaines. Cette tâche coïncida avec un voyage assez récent de Piero à notre pays. Je lui avais fait savoir que Risquet avait un certain âge et que son état de santé n’était pas optimal. Quelques jours après, il s’est passé ce que je redoutais. L’état de Risquet a empiré et il est décédé. À l’arrivée de Piero, il n’y avait plus rien à faire, à part des promesses, mais j’avais quand même pu obtenir des informations sur ce qui avait trait à ce genre d’armes et sur l’aide que l’Afrique du Sud raciste avait obtenue de Reagan et d’Israël.
J’ignore ce qu’Obama aura à dire sur cette histoire. J’ignore ce qu’il savait ou pas, même s’il est difficile de croire qu’il ne savait absolument rien. Ma modeste suggestion est qu’il réfléchisse et qu’il n’essaie pas d’élaborer des théories sur la politique cubaine.
Il y a une question importante :
Obama a prononcé un discours où il utilise des mots mielleux pour signaler : ≪ Il est temps d’oublier le passé, laissons le passé en arrière, regardons vers l’avenir, regardons-le ensemble, un avenir d’espoir. Et ceci ne sera pas facile, il y aura des défis, et nous allons leur laisser le temps. Mais mon séjour ici me remplit d’espoir sur ce que nous pouvons faire ensemble comme des amis, comme des familles, comme des voisins, ensemble ≫.
Il est à supposer que chacun d’entre nous a frôlé l’infarctus en écoutant ces paroles du Président des États-Unis. Après un blocus impitoyable qui dure depuis près de 60 ans… et ceux qui sont morts victimes des attaques mercenaires contre des bateaux et des ports cubains… un avion de ligne plein de passagers fait exploser en plein vol, des invasions mercenaires, toutes sortes d’actes de violence et de force ?
Que personne ne se fasse d’illusions sur le fait que le peuple de ce pays noble et désintéressé renoncera à la gloire et aux droits, à la richesse spirituelle qu’il a acquise par le développement de l’éducation, la science et la culture.
J’avertis en outre que nous sommes capables de produire des aliments et les richesses matérielles dont nous avons besoin grâce aux efforts et à l’intelligence de notre peuple. Nous n’avons pas besoin que l’empire nous fasse cadeau de quoi que ce soit. Nos efforts seront légaux et pacifiques, parce que tel est notre engagement envers la paix et la fraternité de tous les êtres humains qui vivons sur cette planète.
Fidel Castro Ruz
Japon: les nouvelles lois de défense très contestées entrent en vigueur
Les nouvelles et très impopulaires lois de défense votées l'an dernier au Japon sont entrées en vigueur mardi, donnant en théorie la possibilité aux soldats japonais d'appuyer un allié en difficulté dans un conflit à l'étranger.
Approuvée par le Parlement en septembre en dépit d'une forte opposition de la rue, cette législation basée sur le concept de "l'autodéfense collective" marque un tournant dans la politique pacifiste du Japon en étendant les prérogatives de ses forces armées.
Le Premier ministre Shinzo Abe s'est appuyé pour faire passer ces textes sur une réinterprétation de la Constitution, faute d'être parvenu à amender la loi fondamentale d'après-guerre qui interdit au Japon d'employer les armes de facon offensive pour régler un contentieux international.
Bien que nombre d'experts les jugent anticonstitutionnelles et que des recours aient été déposés, les nouvelles lois autorisent, sous conditions, le Japon à envoyer des soldats aider des troupes américaines ou autres considérées comme des alliées.
Elles permettent aussi d'étendre les possibilités dans le cadre des missions internationales de maintien de la paix et d'engager des moyens militaires pour aller secourir des civils Japonais en danger hors du pays.
"Ces lois sont nécessaires pour protéger la sécurité et la paix alors que s'intensifient les tensions autour du Japon", a justifié mardi devant les journalistes le porte-parole du gouvernement, Yoshihide Suga.
Il a rappelé l'essai nucléaire et les tirs de missile de la Corée du Nord ces dernières semaines, tout en insistant sur le fait que "le Japon continuera à mener une action pacifiste via la diplomatie".
M. Abe devrait de nouveau défendre mardi les textes qu'il a promus avec vigueur, lors d'une d'une conférence de presse.
Des rassemblements d'opposants ont eu lieu en fin de semaine dernière tout comme lundi, et un autre était prévu mardi soir à Tokyo. Mais tout comme les importantes manifestations de l'été 2015, exceptionnelles au Japon, ils n'ont pas d'effet sur la volonté du Premier ministre de muscler la défense du pays. M. Abe justifie cette position par la nécessité selon lui de se protéger de la montée en puissance de la Chine qui pousse ses pions dans les mers avoisinantes et d'une Corée du Nord instable qui menace régulièrement l'archipel.
フランス語
フランス語の勉強?
京都音めぐり「祇園 三味線の調べ」
春の京都を彩る「都をどり」。祇園で芸の基本=三味線の稽古に励む芸舞妓たちの姿を描く。
SEALDs KANSAI@3/29街宣
安保法制の施行に反対する関西緊急街宣終わりました!約1700人もの人が梅田に集まりました。ありがとうございました。これからもこの社会の当事者として、声を上げ続けましょう。
No War, Just Peace.
SEALDs KANSAI


女川さいがいFM閉局です.なんだか悲しいです.
昨日夜から少し気持ち下向きなこともあって久しぶりに妙.少しスッキリした気がします.
梅田ヨドバシ前に行きました.SEALDs関西の人たちが戦争法案という安保法案への抗議の街頭宣伝をしていました.ぱっと見た感じ1000人くらい,あるいはもっといるかもしれません.「弁護士」という腕章をして回っているひとが何人かいました.何かあった時のための対応なのでしょう.うれしい思いです.
部屋に帰るとファンクラブの案内.その一方でメールはありません.

女川さいがいFM閉局でサザンの「TSUNAMI」
 東日本大震災の被災地・宮城県女川町で11年4月21日に開局した臨時災害放送局「女川さいがいFM」が29日、最後の放送を終え、電波の停波と、インターネットで配信されるサイマルラジオを停止し、閉局した。この日は須田善明町長(43)が生出演し、閉局を迎えるにあたっての思いを語った。そして最後の曲として、28日にサプライズでミニライブを開いた桑田佳祐(60)率いるサザンオールスターズの代表曲で、震災後、流すこと自体が自粛ムードにあった「TSUNAMI」を流した。
 須田町長は、スタッフとリスナーへの感謝の思いを語り続けた。
 「本当に…いよいよ終了ということになりました。スタッフ、関わったそれぞれの皆さんに心から感謝申し上げます。歴代、関わるメンバーの変遷もあったんですけど、全部つながっていますよね。関わっているそれぞれが、つながって広がっていき…5年間の間にいろいろな人に届いた。正直、臨時災害放送局は応急、緊急のもの。被免許者は自治体(女川町)になります。(開局初年度の)11年時点での閉局が、行政の判断としてはなかったわけではない事実があったわけです。でも果たす役割、意義は…住んでいる我々、被災した方、女川に関心があり支えてくださった皆さんには大変、重要な存在。町も(免許)延長の交渉をさせていただき、ご了解いただいた国のご理解もあった。運用には我々も意見があったが(国は)斟酌(しんしゃく)して免許を出してくださった。資金も寄付など、いろいろな形で成り立ってきた。被免許者として(スタッフ)の皆さんに任せっぱなしで(スタッフが)エンジンとなってくださった」
 女川さいがいFMは今後、「onagawafm」(オナガワエフエム)プロジェクトとして新たなスタートを切る。4月3日からは、仙台市の東北放送(TBC)の1番組「佐藤敏郎のonagawa now! 〜大人のたまり場〜」(日曜午後11時)として放送される形で継続する。同番組は被災地と呼ばれた町の「いま」を伝え、少しずつ元気を取り戻している人々の「声」を伝える30分のトーク&音楽番組。NPO法人キッズ・ナウ・ジャパン事務局長で、女川さいがいFMをはじめ全国のコミュニティーFMなどで放送された「佐藤敏郎の大人のたまり場〜牡鹿半島フォークジャンボリー〜」に出演の佐藤敏郎氏と、女川さいがいFMで、生放送含め1日3度、放送された人気番組「女川地域情報ラジオおながわ☆なう」パーソナリティーを務めた阿部真知子が出演。番組はradiko.jpでパソコン、スマートフォンでも聴取可能で、有料のradikoなら全国で聴取可能。
 須田町長は、今後についても言及した。
 「これから、新しい形で魂、イズムがスタートする。一歩はTBCさんのAMラジオ。展開は(番組を継続するスタッフに)アイデアを出してもらって、皆さんにお願いする場面も出てくる。新しいスタートを切るということで、ご理解いただきたい。多くの皆様に温かいメッセージを送っていただき、遊びに来てほしい。町としては支えていただいた、それぞれのお立場の皆さんに感謝の思いしかありません。ここで気付いた、気付かされた、積み上げたものを、これからにつなげたい。今後、同様なことが起きた場合、どうあるべきか、新しい枠組みもあったら、いいということもございました。私だけでなく、関わる皆さんと将来の温かい道を切り開いていきたい。女川だからできる道を我々は開きたい」
 須田町長は、女川さいがいFMの番組「須田善明 THE VOICE」では、パーソナリティーも務めた。そのことについても振り返った。
 「的確にちゃんとお届けできたのか、自分自身、客観視できていないところがございまして、どうだったのか…というところある。今のあり方、考えた方、現実がある中、今をどう捕らえていくか、自分なりに全力でお届けした。番組はなくなるが、(今後、自分の考えを)お伝えする機会があれば」
 そして須田町長は最後の1曲として、「震災後、自粛を余儀なくされてきたが、待ち望んだ1曲。女川さいがいFM閉局のタイミングだからこそかけられる1曲」として、サザンオールスターズの「TSUNAMI」のタイトルをコールした。
 「名曲がある。その曲に罪があるわけじゃない。歌い継がれ、語り継ぐことに意味があり、人々の心に届く。私からご紹介させていただきます。先日は、ご協力いただきありがとうございます。サザンオールスターズで『TSUNAMI』」
 「TSUNAMI」が流れた後、MCとスタッフが「これを持ちまして、全ての放送を終了し、停波いたします。開局から今日まで5年間にわたって、女川町で放送を続けてきました。町民の皆さん、全国からインターネットで応援してくれた皆さん、ありがとうございます。お聴きのラジオは、女川さいがいFMでした。それでは皆さん、明日に向かって、がんばっぺ!!」とあいさつし拍手した後、時報が流れ、午後12時に放送は終了した。さらにインターネットで聴取する全国のリスナーに向け、同12時5分にスタッフが「現在、スタジオの周りには、たくさんのマスコミの方と関係者がいらっしゃいます。ありがとうございました」と言い、インターネットでの配信も完全に終了し、女川さいがいFMは5年の歴史に幕を下ろした。
 今後、始動する「onagawafm」プロジェクトは、TBCの番組だけではない。開局初年度からMCを務めた慶大総合政策学部3年の阿部真奈さんが(21)MCを務め、「onagawafm」が制作する番組「しぶや★なう」が、4月に開局するコミュニティーFM「渋谷のラジオ」で2日にスタートし、毎週土曜日午後4時から放送される。阿部さんは「女川の経験を生かしながら、渋谷で頑張っていきたいと思います」と抱負を語った。またツイッターやフェイスブックでは毎日、女川の話題や魚市場情報などを発信。女川の現在を伝えるインターネット放送の展開も検討中で、将来的には通販にもつなげていく方向だ。
 MCの木村太悦はJリーグ昇格を目指して、今季は東北社会人1部リーグで戦うサッカーチーム「コバルトーレ女川」のスタジアムDJを継続する。開幕戦は4月10日午後2時から、女川町総合運動公園で猿田興業(秋田)と対戦する。木村は「地元女川に根ざしたサッカーチーム。東北社会人1部で全力で戦っていきます。チーム一丸となって、Jと名の付く舞台に立てるようチーム全力で立ち向かっていくつもりです。10日の開幕戦は町民、町外の皆さん、1000人の動員を目指しています。多目的人工芝グラウンドでお会いしましょう」と呼び掛けた。


女川・ラジオ閉局ねぎらう 桑田佳祐さん、町民の前で公開生放送
 人気アーティストの桑田佳祐さんが26日夜、サプライズで女川町を訪れ、自身のレギュラーラジオ番組を公開生放送した。特設会場からヒット曲の数々を熱唱。29日で閉局する臨時災害放送局「女川さいがいFM」のスタッフやボランティアらをねぎらう一方、被災者らに復興祈願のメッセージを送った。
 桑田さんは、東日本大震災後の2011年4月から防災情報などを提供してきた女川さいがいFMが閉局するということを知り、毎週土曜日午後11時からTokyoFMで放送している「桑田佳祐のやさしい夜遊び」の女川での公開生放送を決めた。
 JR女川駅に併設する町営「女川温泉ゆぽっぽ」2階であった放送には、応募者の中から選ばれた約50人のリスナーらが集合。
 桑田さんは、妻でキーボードを担当する原由子さん、ギター、パーカッションのミュージシャン仲間とともに登場し、「勝手にシンドバッド」を皮切りに、同町出身の俳優中村雅俊さんに提供した「恋人も濡れる街角」などを力強く歌い上げた。
 「明日へのマーチ」や「祭りのあと」では、「女川ありがとう」「くじけちゃだめだよ」と激励する場面も。感動で涙を見せる女性の姿もあった。
 歌の合間には中村さんとの交流を紹介したり、さいがいFMのスタッフ、ボランティアに「本当にお疲れさま、ご苦労さまでした」などと温かい言葉を掛けたりしていた。
 全国ネットでの公開生放送は1時間弱で終了したが、その後も「波乗りジョニー」や「蛍」などを披露。「お元気で。また帰ってきます」と締めくくり、大歓声に包まれた。
 女川町浦宿に住む両親と一緒に訪れた大学2年の木村峻さんは「マイク越しから伝わるエネルギーがすごく、迫力があった。女川町の名を何度も発信してくれて、全国にもアピールできた。本当にありがたかった」とうれしそうに話した。
■5年間ありがとう 女川さいがいFM、きょう停波
 「女川さいがいFM」は27日、最後の生放送を行った。第1部を町まちなか交流館前で行い、作家の柳美里さんや、26日の町復幸祭「復幸男」で連覇した千葉県の男性らをゲストに進行した。第2部は女川小敷地内にあるスタジオに戻り、計約5時間にわたって生放送した。
 開局当初、スーパーなどの開店情報などを東京から提供していたという東京都台東区の市川美穂さん(42)は「ネットを通じてラジオを聴いていた。お疲れさまでしたと伝えたい」と話した。
 中学卒業後から3年間パーソナリティーを務めた阿部紗季さん(18)は、4月から福島県の大学に進む。「コミュニケーションの勉強の一つになったし、皆さんから愛をたくさん感じることができてすごくうれしかった。将来は女川に帰ってくる」と話した。
 約5年間、放送を続けてきた同局は29日に停波し、閉局を迎える。


東日本大震災 放送自粛のヒット曲「TSUNAMI」、被災者に届けた きょう閉局の女川さいがいFM /宮城
「大人のたまり場」出演者が合唱、サザンも現地でエール
 東日本大震災を機に開設された女川町の臨時災害放送局「女川さいがいFM」が29日、放送を終了する。女川中の元国語教諭、佐藤敏郎さん(52)がパーソナリティーを務める番組「大人のたまり場」は25日の最終回で、震災後に放送が自粛されてきたサザンオールスターズの「TSUNAMI」を最後のリクエスト曲に選んだ。【百武信幸】
 「大人のたまり場」はリスナーのリクエストを中心に、傷ついた心を励ますような歌を届けてきた。佐藤さんが最終回でTSUNAMIを流したのは、女川に住んでいた母親を津波で亡くした埼玉の男性から1年前に届いたメールがきっかけだった。<この曲は震災とは関係なく、人を愛する感情を表現した名曲。FMの皆さんがかけてもよいと思ったら流してほしい>
 当時、佐藤さんはメールの内容を紹介したが、TSUNAMIは流さなかった。佐藤さん自身、大川小6年生の次女を津波で亡くした。しかし最終回の放送でこう語りかけた。「このリクエストがずっと気にかかっていました。必要なのは時間ではなく、一歩を踏み出すタイミング。このリスクエストに応えずに最終回にするわけにはいかなかった。みんなで歌います」。スタジオに集ったリスナーとともにTSUNAMIを歌い上げた。
 翌26日。サザンの桑田佳祐さんたちが同FMのスタッフや被災者を励ましに女川町を訪れ、午後11時から女川駅2階の温泉施設でライブ演奏を披露した。同FMのリスナーら約100人でいっぱいの会場に入った桑田さんは、手を伸ばせば触れられる距離からデビュー曲「勝手にシンドバッド」や女川町出身の中村雅俊さんのヒット曲「恋人も濡(ぬ)れる街角」を熱唱。TSUNAMIの演奏はなかったが、同FMが全国のボランティアやリスナーに支えられてきたことに触れ「その思いが、東北、女川の真の復興につながればいいと思います」とエールを送った。
 会場で桑田さんの歌声をかみしめた同町の阿部理恵さん(48)は約30年前、仙台市であったサザンのライブに体調不良で行けなかったといい「夢のよう」と喜んだ。津波で実家が流され、両親とおいを亡くしたが、震災後の日々をこう振り返った。
 「直後は歌を聴く気分ではなかった。半年、1年と過ぎ、町中で流れるさいがいFMの曲が少しずつ心に入ってきた。聴くのがつらかった『TSUNAMI』も昔のように聴けたし、桑田さんのライブも今は心から楽しめる。スタッフの心に支えられた5年でした」


<3・11と今>被災女性支え続ける
◎東北魂(3)NPO職員 足立千佳子さん=仙台市
 タコの足はくるっと丸く、ホタテは「耳」と呼ばれるちょうつがいがぴんと立つ。三陸の海の幸を題材にした毛糸のエコたわし「編んだもんだら」。東日本大震災で被災した気仙沼市と宮城県南三陸町、登米市の女性23人が仮設住宅などで編む。
 エコたわし作りは、登米市のNPO法人「とめタウンネット」職員の足立千佳子さん(50)=仙台市=が企画し、2011年の震災発生から間もない時期に始まった。
 編み手の多くが初心者。製品化のため同じく初心者の足立さんが編み物教室に3カ月通った。一つ一つ色や形が違うのは味のうち。
 「メカブはさ、海では茶色いんだ」「生きのいいサンマはくちばしが黄色くてね」。海と共に生きてきた被災地の女性は、毛糸の海産物にも鮮度を追求する。
 「リアリティーにこだわるのは地域への愛着の証し。お母さんたちの海自慢は始まったら止まらない」と足立さんは目を細める。
 登米や仙台で長くまちづくり活動に携わってきた。震災後に訪れた登米の避難所で、被災女性への支援の必要性を痛感した。
 間仕切りがなく布団の中で着替える人。女性だけに当てられた食事当番で重い大鍋を運ぶ人。津波で家族や友達を失い「自分だけ生き残って申し訳ない」とうなだれるお年寄りもいた。
 「命あることに喜びを感じてほしい。被災した女性に寄り添い、楽になる方法を考えよう。それが私の仕事だ」。仙台の大学を卒業する直前に「田舎の長男の嫁」となり、女としての生きづらさは身をもって経験していた。
 女性支援センター設置などを経て、11年6月に「おんなたちの復興プロジェクト・さざほざ」を始めた。
 さざほざは和気あいあい、気負わずにといった意味の方言。女性の手仕事、宮城の食の提供、被災地の情報発信−の3事業を展開する。手仕事部門の取り組みの柱が編んだもんだらだ。
 エコたわしは1個500円のうち4割が作り手の収入となる。「小遣い程度の額でも自分の意思で行動することにつながる」と足立さん。久しぶりにパーマを当てた、孫と回転ずしを食べてきた−などの報告がメンバーから次々と届く。
 趣旨に賛同する個人が購入し、企業のノベルティー(販売促進品)製作など大口の注文もたまに入るが、在庫を抱える状態が長い。ビジネスとして採算の合う商品開発や、編み物が難しくなった高齢者にもできる作業の考案が課題だ。
 「海の仕事を思い出しながら編んでいる。みんなと一緒に編めて楽しい」。南三陸で被災し、登米の仮設住宅に身を寄せる女性(63)は顔をほころばせる。
 人生の大半を過ごしてきた海との暮らしを突然奪われた女性たちは、生きがいと新たな居場所、明るさを取り戻しつつある。
 あれから5年。災害公営住宅への入居、自宅の再建。次のステップに踏み出す人たちもいる。足立さんは慎重に先を見据える。
 「震災で全てを失った人の心の復興には、まだまだ時間がかかる」
 後ろからそっと手を添え、声を掛け、伴走は続く。「さざほざ」と魔法のつえで行く先を示しながら。(伊東由紀子)


<閖上津波訴訟>資料廃棄 理事長の尋問要求
 東日本大震災の津波による名取市閖上地区の犠牲をめぐる訴訟の口頭弁論が28日、仙台地裁であり、遺族側が一般社団法人「減災・復興支援機構」(東京)の木村拓郎理事長を呼び出し、対面で尋問するよう地裁に要請した。機構が同地区の被災状況を調べた第三者検証委員会の基礎資料を廃棄した問題を受け、書面での尋問には限界があると判断した。
 民事訴訟法は訴訟に参加していない第三者に文書の提出を命じる際、尋問が必要と規定。地裁は通例に従い、3度の尋問を全て書面で行い、機構は「昨年5月中旬ごろ、理事長の判断で廃棄した。紙資料は裁断し、記録媒体は粉砕した」と回答していた。
 遺族側は機構が廃棄する3カ月前の昨年2月、任意で開示を要望。さらに5月下旬、地裁を通じて提出を求める手続きをしていた。
 遺族側は、裁判所が資料提出を機構に命じる可能性が浮上したことを受け、機構が廃棄した可能性があるとして、廃棄時期や意思決定の経緯を疑問視。「理事長を地裁に呼び、証人尋問に準じる尋問が必要だ」と要請した。
 長男=当時8カ月=を失った40代の女性は、同日の意見陳述で「減災に取り組む機構の理事長が後世に残すべき資料を廃棄したことが分かり、今後の防災・減災に絶望せざるを得ない」と指摘した。
 基礎資料には市災害対策本部の対応や防災無線の不具合に関する佐々木一十郎市長らへの聴取記録が含まれていたとみられる。


<福島で生きる>古里の良さ伝えるだけ
◎女性と原発事故(1)働く 常盤梨花さん
 東京電力福島第1原発事故から5年が過ぎた。福島から県外へ避難する人がクローズアップされる一方、県内には約96万人の女性が住み、働き、結婚し、子育てに励んでいる。福島で暮らし続ける女性たちを取材した。
(福島総局・桐生薫子)=4回続き
 福島で生きる女性が「かわいそうだ」と思われたくない。自分は前を向いて生きていく。
 本宮市のJR本宮駅前にあるコミュニティーFM「モットコム」。毎週月曜日の午前、スタジオに明るい女性の声が響く。
 常盤梨花さん(22)は、短大2年だった2013年4月から郡山市の司会業の会社に勤める。ラジオのパーソナリティーのほか、結婚式やイベントの司会など忙しい毎日を送る。
 浪江町出身。ご当地グルメ「なみえ焼そば」をPRするアイドル「NYTS(ナイツ)」が歌う曲の作詞を担当するなど、学生時代から町おこしにかかわってきた。
 高校2年の時に原発事故が起きた。11年3月12日早朝、親に起こされ、南相馬市の親戚宅へ向かった。
 避難指示は3キロ、10キロ、20キロ圏と同心円状に広がっていった。「いったいここは何キロなんだ?」。テレビの前に陣取った父が地図帳を引っ張り出す。25キロぐらいか。「命に関わることなのかな」。身震いがした。
 父の仕事の都合で11年4月、郡山市の借り上げアパートに移った。第1原発から50キロ以上離れ、空間放射線量も下がった。放射能の不安は少し和らいだ。
 福島を応援してくれる人がいる一方、偏見や差別が根強いことを身をもって知った。
 13年5月、所属していたよさこい踊りチームの一員として訪れた広島市。イベント会場で若い男性に声を掛けられた。「どこから来たの?」「福島です」。男性の顔色が変わった。
 「福島に出張するよう会社に言われたけど断ったんだ。まだ死にたくねえから」「お兄さんはイケメンだから、まだ死んでほしくないな」。悔しさを押し殺し、笑って返すのが精いっぱいだった。
 県外の別のイベントに招かれた時も、差別的なメールがチームに届いたことがあった。空港で着替えてから来てください−。
 そのころは、県産のコメや野菜を普通に食べ、落ち着いた生活を取り戻しつつあった。それだけに福島のイメージが固定化していることがショックだった。
 「福島イコール放射能」。そうしたイメージを完全に払拭(ふっしょく)するのは難しいと今も感じる。「『風評克服』と声高に言わず、福島の良さを真っすぐに伝えていく。それだけでいいと思う」
 事故後に作詞したNYTSの新曲「道〜伝えたい思い〜」。古里を追われた町民へのエールとともに、自分の決意を詩に込めた。
 <進み続けよう 自分の道を 自分の足で 自分のために>
 原発事故を「人生の中の一つの出来事」と捉える。平たんな人生などない。「前を向かないともったいない」


釜石 ガッツポーズをしない理由…甲子園で伝えた様々な「感謝」
 第88回選抜高校野球大会(甲子園)は4強が出そろい、大詰めを迎えた。今年も数々の熱戦が繰り広げられているが、中でも1回戦の釜石(岩手)―小豆島(香川)の21世紀枠対決は注目を集めた。釜石は2回戦で滋賀学園に敗れて姿を消したが、プレー以外の面でも強く印象に残った。
 春夏の甲子園では、毎試合前に室内ブルペンで選手や監督らを取材する時間が設けられている。ベンチ入りメンバー18人は背番号順に整列し、ベンチ外のサポートメンバー数人やマネジャーは室内の隅で待機していることが多い。ところが、釜石の取材で室内ブルペンに入ると様子が違った。
 ベンチ外の選手が入り口付近に整列し、50人以上の記者やアナウンサー一人一人に対し「おはようございます」と元気よく挨拶していたのだ。取材後にも「ありがとうざいました」と丁寧にお辞儀していた。他のチームでは見ない光景だった。
 釜石の部員数はマネジャー1人を除くと23人。佐々木偉彦監督(32)はセンバツ開幕前、ベンチ入りできない5人について「この子たちが本当に大事になる」と気にかけていた。甲子園のベンチに入れない悔しさやもどかしさを胸にしまい、自分の役割を考えてサポート役に徹する姿はとても清々しく映った。
 グラウンドでの姿も目を引いた。釜石の選手は適時打を打ってもガッツポーズをしなかった。「相手チームに敬意を払うため」だという。試合後には自軍側のアルプス席へ一礼した後、反対側のアルプス席や内野席にも頭を下げていた。様々な「感謝」の思いが伝わってきた。小学5、6年時に東日本大震災で被災し、未曾有の困難を乗り越えて、堂々と戦った釜石ナイン。プレーだけでなく礼儀正しい振る舞いや周囲を敬う姿も多くの人に感動を与えたはずだ。
 4強を目標に掲げていた菊池智哉主将(3年)は「また私立に勝てなかった」と悔しがった。夏に戻って来るためには、花巻東や盛岡大付など岩手県内の強豪私立校の壁を乗り越えなければならない。この春の経験をどう夏につなげていくのか、今から楽しみである。(記者コラム・青木貴紀)


<安保法施行>若者ら「戦争するな」仙台
 安全保障関連法の施行を控えた28日夜、市民団体「野党共闘で安保法制を廃止するオールみやぎの会」は仙台市青葉区の中心部で街頭宣伝を行い、若者らが安保関連法廃止を求めた。
 学生団体「SEALDs(シールズ)」の中心メンバーの1人、筑波大3年本間信和さん(21)は「俺たちの税金や未来は戦争のためにあるんじゃない。一人一人の力で政治を動かす」と声を張り上げた。
 山形県から訪れた高校2年女子(17)もマイクを握り「安倍晋三首相ら安保関連法を作った大人たちに自分の未来は任せられない。さっさと辞めてほしい」と叫んだ。
 民進、共産、生活各党の国会議員も訪れ「安倍政権の間違った政治を正す。野党共闘で戦う」などと力を込めた。会場には約350人が足を止めた。


<安保法施行>岩手の研究者ら法廃止求め声明
 岩手県内の大学教授や研究者、弁護士らの有志は28日、安全保障関連法の廃止を求める声明を発表した。29日施行される安保関連法は憲法違反と指摘し、野党各党の共闘を求めている。
 岩手大や岩手県立大、盛岡大の教授のほか岩手弁護士会所属の弁護士ら計306人が賛同した。声明は「立憲主義と法の支配をないがしろにする安保法の施行を座視することはできない。野党各党には法の廃止に向けて最大限の共闘を求める」と主張している。
 呼び掛け人の岩手大人文社会科学部の高塚龍之名誉教授は「日本の将来において大きな分かれ道になる法。戦争をする国になると日本もテロの対象になる」と強調した。
 同学部の横山英信教授は「法の廃止を求める署名運動や市民団体との連携も視野に、持続的な活動を展開したい」と話した。


作業員の被ばく、事故前の6倍超 福島原発事故後5年間
 東京電力福島第1原発事故後の約5年間に、同原発で働く作業員が被ばくした放射線量の総量である「集団被ばく線量」が、事故前の5年間に比べ6倍以上に上ることが28日、分かった。
 集団被ばく線量は、作業員一人一人の被ばく線量を足した総数で、単位は「人シーベルト」。個人の被ばく線量とは別の観点で、作業全体の被ばく状況を管理する目安の数字となる。第1原発では、事故があった2011年3月から今年1月末までは約590で、事故前の約5年間の計約91から大きく跳ね上がった。
 事故で大量の放射性物質が放出され、収束作業に大勢の作業員が従事していることが数字を押し上げた要因。


<安保法施行>若者ら「戦争するな」
 安全保障関連法の施行を控えた28日夜、市民団体「野党共闘で安保法制を廃止するオールみやぎの会」は仙台市青葉区の中心部で街頭宣伝を行い、若者らが安保関連法廃止を求めた。
 学生団体「SEALDs(シールズ)」の中心メンバーの1人、筑波大3年本間信和さん(21)は「俺たちの税金や未来は戦争のためにあるんじゃない。一人一人の力で政治を動かす」と声を張り上げた。
 山形県から訪れた高校2年女子(17)もマイクを握り「安倍晋三首相ら安保関連法を作った大人たちに自分の未来は任せられない。さっさと辞めてほしい」と叫んだ。
 民進、共産、生活各党の国会議員も訪れ「安倍政権の間違った政治を正す。野党共闘で戦う」などと力を込めた。会場には約350人が足を止めた。


安全保障関連法 成立後も反対集会続く
国会前などでは、安全保障関連法が成立した去年9月以降も、この半年間、毎月、安保法の廃止を求める集会が開かれています。
憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法は、去年9月19日に成立し、それまでの間、国会周辺では安保法に反対する人たちが正門前の道路を埋め尽くす日もありました。
この法律に反対した人たちは、その後も施行されるまでの半年間、成立した日付に合わせ、毎月19日に国会前や東京都心にある日比谷公園の野外音楽堂などで、合わせて6回の集会を開いています。
また、大学生や高校生などの若者や大学の研究者それに母親などのグループが、国会前や東京の渋谷や新宿、それに大阪や名古屋、福岡などの各都市で集会やデモ行進を行っています。
こうした活動に参加している合わせて29のグループは、安保法の廃止を求める署名を呼びかけていて、成立から半年となる今月19日までにおよそ500万人分の署名が寄せられたということです。
国会前では29日も午後6時半から、安保法の廃止を求める集会が開かれることになっています。


国会前で安保法の廃止求め集会
憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法の施行を受け、安保法の廃止を求める人たちが29日夜、国会前で集会を開いています。
国会前では28日に続いて29日午後6時半から安保法の廃止を求める人たちが集会を開いていて正門前の道路沿いの歩道には多くの人が詰めかけています。
参加した人たちは「憲法9条を守れ」とか「誰も殺すな」などと書かれたプラカードを手に「戦争する国、絶対反対」などと声をあげています。
3人の孫がいるという千葉県の75歳の女性は「自分たちは親の世代に対して、なぜあの戦争を止められなかったのかという思いを持ってきました。だからこそ、孫や後世のためにあきらめず、これからも声を上げていかなければいけないと思います。法律は施行されましたが、みんなが力を合わせれば現状は変えられると思います」と話していました。
東京都内の大学に通う男性は「安保法が施行され、その怒りをどこにぶつけていいのか葛藤を感じています。憲法違反だと指摘されているうえに運用にも問題があると思うので心配です。SNSを通じて安保法には問題があると発信し続け、殺したり殺されたりするかもしれない法律だということに、多くの人に気づいてほしい」と話していました。
また「日本を死なすな」と書いたプラカードを掲げていた埼玉県の50代の女性は「法律が施行されたことで自衛隊員が傷つき、70年余り守られてきた日本の平和主義が殺されてしまうという思いでここに来ました。『戦争は嫌だ』という人たちに、この法律が戦争につながっていると気づいてもらいたい」と話していました。


自衛官、覚悟と不安 任務拡大で増す危険
 集団的自衛権行使の根拠になる安全保障関連法が29日午前0時に施行され、戦後日本の平和主義が転換点を迎えた。「専守防衛」が旗印だった自衛隊に入隊した自衛官たちは、任務が拡大し、危険性も増すとみられる安保法施行に「覚悟」を語りつつ、いらだちや揺れる胸中も明かした。【町田徳丈、田辺佑介、梅田啓祐】
 法施行を踏まえ、ある自衛隊幹部は取材に表情を曇らせた。「自衛隊の仕事は、いつまでに何をするかをまず決めて仕事にとりかかるが、安保法に関してはあいまいだ」。実際、安保法が成立した昨年、部隊幹部から「何を準備すればいいのか」と電話で戸惑いを打ち明けられたという。
 別の幹部は「安保法で世間の注目を集めるような動きはするなと言われるが、早く訓練したい。それが周到な準備につながるのに」と不満を口にした。
 自衛隊の任務が拡大する懸念について、将官クラスの幹部はこう表現する。「選択肢が増える分、自衛隊はこれからまさに政治的に利用される。軍事的に不合理な場合、いかに政治に利用されないか。『やらない』ではなく『今はできない』こととその理由を説明できるか」
 新たな任務を現実のものとしてとらえ始めている隊員もいる。
 関西地方の30代の陸上自衛隊員は離島防衛を想定した装備品の取得が進むことをあげて「隊内の雰囲気は、確実にここ数年で変わった。入隊時には意識していなかった『人を撃つ』という判断を下す状況が近づいていると実感する」と話す。
 だが、願いがある。「東日本大震災など災害派遣が評価され、最近は子どもたちの声援を受けるようになって誇らしい。安保法でも我々は任務を果たすだけだが、国民の支持がほしい」
 自衛隊はまだ1発も相手に向けて撃っていない。関西地方の別の30代隊員は「簡単に人を撃てない」と語りつつ「仲間を死なせられないから撃つ覚悟が自分にはある。だがその結果が国民の支持を得られるのか考えてしまう」と話した。
 妻子がいる北海道の30代の陸自隊員の心は揺れる。「安保法は日本のために必要。今の国際情勢では米国などとの連携が不可欠だ」と理解を示しながらも「誰も口にしないが、不安のない隊員はいないと思う」と率直に語った。
 中国船の活動が活発な沖縄県・尖閣諸島の近海では、海上自衛隊による警戒が続く。海上自衛隊佐世保基地(長崎県)配備の艦船に乗り組む男性隊員によると、中国軍とみられる艦船の接近に、上官から「作業着の階級章をテープで覆い隠せ」と指示が出た。撮影されて隊員構成などの情報を収集されるのを防ぐためという。男性隊員は「既に緊張感は高まっている」と安全保障を巡る現場の実態を指摘する。「我々は上官の命令に従う。自衛隊の役割が国際的に認められるのは大切なことだ」
 海自舞鶴基地(京都府)に勤務する30代の海自隊員の男性は「人手は足らず勤務のローテーションはきつい。任務に見合うように人員と予算を増やして」と現場の窮状を訴えつつ「私もプロの自衛官だ。苦しく思っても任務を投げ出しはしない」と語った。


安保法施行 思考停止せずに議論を
 集団的自衛権の行使や地球規模での他国軍支援を可能にする安全保障関連法が29日、施行された。戦後日本の安全保障政策の大転換となる法律は、運用の段階に入る。
 自衛隊の運用という国の基本にかかわる問題では、国民の幅広い支持と主要野党の賛同が不可欠だ。だが、この法律は、憲法9条の恣意(しい)的な解釈変更や、集団的自衛権を行使する要件のあいまいさから、専門家からも憲法違反と指摘されている。
国論割れたまま運用へ
 昨年9月19日、多くの反対を押し切って、強行採決により法律が成立してから半年余り。安倍政権は、国民の理解を深めようという努力をほとんどしてこなかった。逆に、反対世論の沈静化を図るかのように、昨秋の臨時国会の召集を見送った。国論は今も割れたままだ。
 安保関連法で可能になる新たな任務が自衛隊に付与されるのも、今秋以降になる。
 いずれも、夏の参院選への影響を考えて、安保法制の問題が蒸し返されるのを避けたいというのが、大きな理由と見られている。
 安倍政権は安保法制の整備を喫緊の課題だと強調していたのではなかったか。選挙のために先送りできるぐらいなら、安保関連法を拙速に成立させる必要はなかったはずだ。
 安倍政権は、安保法制の宣伝には極めて熱心だ。
 安倍晋三首相は、今月18日の参院予算委員会で、北朝鮮への対応で安保関連法や日米防衛協力の指針(ガイドライン)改定が果たした役割を問われて、「日米の信頼関係は大きく向上し、同盟関係はいっそう強固になった。北朝鮮の核実験、弾道ミサイル発射への対処では、日米の連携は従来よりもいっそう緊密かつ円滑に行われた」と語った。
 新たなガイドラインで、日米が平時から連絡や政策調整をする仕組みとして同盟調整メカニズム(ACM)が設置されたことが円滑な対応に役立った面はある。
 だが、この時点では安保関連法は施行前でもあり、北朝鮮対応に直接の関係があったわけではない。米軍のモチベーション(やる気)を高める程度の効果はあっただろうと言われている。
 政府・与党が、安全保障環境が厳しいから安保法制が必要だというなら、最近の情勢を踏まえて、野党が国会に提出した廃止法案と対案の審議に応じ、堂々と議論すればいい。
 昨年の国会審議は、集団的自衛権をめぐる憲法の解釈変更に焦点があたり、その他の多くの論点は未消化に終わった。国連平和維持活動(PKO)協力法の改正などは、ほとんど議論されていない。その状態のまま今秋以降、日本のPKOの性格はがらりと変わる。異常なことだ。
 だが政府・与党には、野党の対案を審議することで、安保法制の議論をさらに深めようという気はなさそうだ。議論はもう終わったとでもいうかのようだ。
 いま政府が、日米同盟との関係で神経をとがらせているのが、米大統領選の共和党候補者指名争いで首位を走る、実業家ドナルド・トランプ氏の言動だ。
 トランプ氏は米紙ニューヨーク・タイムズのインタビューで、日米安全保障条約について「米国が攻撃されても日本は何もしなくていいが、日本が攻撃されれば米国は全力で防衛しなければならない。極めて一方的な合意だ」と不満を示した。
同盟強化一辺倒を懸念
 日本が在日米軍の駐留経費負担を増額しなければ在日米軍を撤退させる考えや、日本の核兵器保有を容認する姿勢も示した。
 日米安保条約は、米国が日本防衛の義務を負う代わりに、日本は米軍基地を提供し、米国は基地を極東の軍事拠点として使える枠組みだ。
 トランプ氏が言う「日本は何もしなくていい」というのは誤解であり、それどころか日本は広大な米軍基地を提供し、多額の在日米軍駐留経費を日米地位協定の枠を超えてまで負担している。
 トランプ氏の発言は、米国の国力の低下による内向き志向を反映している。過剰反応すべきではないが、「日米安保ただ乗り論」を公然と語る人物が、大統領指名候補をうかがう時代になったことには注意を払う必要があるだろう。
 安保法制は、集団的自衛権の行使や地球規模での後方支援によって日米同盟を強化し、内向きになりつつある米国にアジア太平洋への関与を続けさせ、中国や北朝鮮の情勢に対応するのが目的とされる。
 だからといって米国の要求にあわせて、日本がどこまでも米軍への軍事貢献を拡大するのは、およそ現実的ではない。
 安倍政権が安保法制の推進にあたり強調してきたような、日本の軍事的貢献を強めれば、日米同盟による抑止力が自動的に高まるという考え方も安易に過ぎる。
 日米同盟は重要だ。だが、同盟強化一辺倒では、国際秩序の大きな構造変化に対応できないだろう。日本は思考停止に陥ってはならない。外交と防衛のバランスをとりながら安全保障政策のあり方を点検していく必要がある。


安保関連法施行 「無言館」からの警鐘
 集団的自衛権を行使できるようにする安全保障関連法が施行された。戦後貫いてきた専守防衛政策の変質だ。平和憲法の重みをいま一度思い起こしたい。
 長野県上田市の南西部に広がる塩田平(しおだだいら)。その山裾に「無言館(むごんかん)」は立つ。昭和の時代、画家を目指しながら志半ばで戦火に散った画学生の作品を集め、展示する慰霊のための美術館だ。
 コンクリート打ちっ放しの瀟洒(しょうしゃ)な建物。扉を開けると、戦没画学生の作品が目に飛び込む。館内を包む静寂。作品は何も語らず、圧倒的な存在感が、向き合う者を無言にさせる。故に「無言館」。
◆戦火に散った画学生
 無言館は、館主の窪島誠一郎(くぼしませいいちろう)さん(74)が一九九七年、近くで経営する「信濃デッサン館」の分館として開館した。
 きっかけは、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を繰り上げ卒業した後、旧満州(中国東北部)に出征した経験を持つ洋画家の野見山暁治(のみやまぎょうじ)さんとの出会いだった。
 「戦死した仲間たちの絵をこのまま見捨てておくわけにはゆかない」という野見山さんとともに戦没画学生の遺族を全国に訪ね、作品収集を続けた。
 召集され入営する直前まで、また戦地に赴いても絵筆や鉛筆を握り続けた画学生たち。無言館に展示されている絵の大半は、妻や両親、兄弟姉妹らごく親しい人や、身近な山や川を描いたものだ。
 死を覚悟しながらも、絵を描き続けたいという情熱。そのひた向きさ、家族への感謝や愛情の深さが、無言館を訪れる多くの人を無言にさせ、涙を誘う。
 戦争さえなければ、彼らの中から日本を代表する芸術家が、何人も生まれたかもしれない。その好機を奪った戦争は嫌だ、平和は尊い。それが無言館のメッセージであることは確かだ。
◆平和憲法耕し、花咲く
 窪島さんには無言館が反戦・平和の象徴とされることへのためらいがあるという。「絵を描くという純粋な行為を、政治利用することはできない」と考えるからだ。その考えは今も変わらない。
 しかし、安倍晋三首相の政権が成立を強行した特定秘密保護法と安保関連法をきっかけに、時代への危機感が募り始めたという。
 防衛・外交などの「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す特定秘密保護法は、国民の「知る権利」を脅かしかねない。真実を隠蔽(いんぺい)し、画学生たちをも戦地へと駆り立てた戦中の記憶と重なる。
 そして、きょう施行日を迎えた安保関連法である。
 軍民合わせて日本国民だけで三百十万人、アジア全域では二千万人以上に犠牲を強いた反省から、戦後、先人は憲法九条に戦争放棄と戦力不保持を書き込んだ。
 その後、日米安全保障条約を結び、米軍の日本駐留を認める一方で、急迫不正の侵害を排除する必要最小限度の実力組織として自衛隊を保有するには至った。
 政府は、自らを守る個別的自衛権のみ行使する専守防衛に徹し、外国同士の戦争に加わる集団的自衛権の行使を禁じてきた。
 歴代内閣が継承してきたこの憲法解釈を、一内閣の判断で変え、集団的自衛権の行使に道を開く安保関連法の成立を強行したのが安倍政権である。
 自衛隊はきょうを境に「戦争できる」組織へと法的に変わった。
 首相が視野に入れるのはそれだけではない。
 自民党の党是は憲法改正。夏の参院選で他党を含めて「改憲派」で三分の二以上の議席を確保し、改正の発議を目指す。究極の狙いは九条改正による「国防軍」創設と集団的自衛権の行使を明文規定で認めることだ。
 窪島さんには今、声を大にして言いたいことがあるという。
 「平和憲法を耕していた年月がある。先人は憲法を耕し、育てた。種をまいたのはマッカーサー(連合国軍最高司令官)かもしれないが、耕し続けたのは日本人。無数の花が咲いている。そのことをもっと誇りに思うべきだ」
◆「厭戦」という遺伝子
 画学生が生き、そして戦火に散った戦争の時代。その時代に近づくいかなる兆候も見逃してはならない。それが命を受け継ぎ、今を生きる私たちの責務だろう。
 戦中、戦後の苦しい時代を生き抜いた窪島さんは、「厭戦(えんせん)」という遺伝子を持つという。地元長野で、特定秘密保護法や安保関連法の廃止を目指す市民団体の呼び掛け人にも名を連ね、五十年以上ぶりにデモにも参加した。
 「日本は一センチでも戦争に近寄ってはいけない国だ。角を曲がって戦争の臭いがしたら、戻ってこなければいけない。このままほっておけば『無言館』がもう一つ増える時代がやってくる」。窪島さんが無言館から鳴らす警鐘である。


安保法施行/「理解を得た」とは言い難い
 安全保障関連法がきょうの午前0時をもって施行された。
 これまでは日本周辺に限定された自衛隊と米軍との連携が地球規模に拡大する。「邦人救出」や他国部隊などの「駆け付け警護」によって自衛隊の海外任務は飛躍的に広がり、その分、隊員らの危険も増す。
 きょうからはこうした懸念が法律の運用として現実の問題となる。
 国民の命と平和な暮らしを守るための法整備で、「戦争法」との指摘は当たらないと政府は強調する。だが、憲法9条の下で「平和主義」を掲げた戦後日本の安保政策が大きく変容することは間違いない。
 国の針路の転換ともいえるこの法律の内容と必要性を、政府はどれだけ丁寧に説明したか。国民の多くは今も首をかしげており、「理解を得た」とは言い難い状況だ。
 疑問点を曖昧にしたまま既成事実化を図る。その姿勢は「国民不在」と批判されても仕方がない。
       ◇
 そもそも、この法律で政府、与党は何を目指しているのか。いくら説明を聞いてもよく分からない。
 私たちは半年前にそう指摘したが、状況は今も同じだ。
 共同通信社の先週末の世論調査では、49・9%が安保法を「評価しない」としている。昨年9月の法成立直後も「反対」と「憲法違反」の回答がともに約5割を占めていた。
 「時が経ていく中で理解は広がっていく」と安倍晋三首相は述べていた。そうした政府の思惑と異なり、疑問視する声は依然、強い。
 おととい、全国の高校生が連絡を取り合い、東京で安保法施行に反対するデモを行った。そうした動きは地域や世代を超えて広がる。
 明確な反対だけでなく、戸惑いや疑問、不安、憤りなど、さまざまな思いが渦巻いている。それが国民の受け止め方ではないか。
政府判断の危うさ
 昨年の国会での法案審議は210時間を超えた。与党などは「議論を尽くした」として質疑を打ち切ったが、審議を重ねるほど答弁のつじつまが合わなくなっていた。
 例えば、邦人を救出する米艦船を守る−とした事例である。
 2年前の会見で、首相は子どもと母親が米艦船に乗ったイラストを掲げ、「国民を守るには集団的自衛権の行使が必要」と訴えた。
 ところが昨年の国会審議で、中谷元・防衛相は「必ずしも日本人が乗った船が防護の対象ではない」と述べ、議論の迷走を招いた。
 集団的自衛権行使の前提として、政府は「日本の存立が脅かされる明白な危険がある」(存立危機事態)など武力行使の新要件を定め、法に盛り込んだ。政府が「行使はあくまで限定的」とする根拠だ。
 それに照らせば、日本人が乗船しているかどうかだけで判断するのは無理がある。結局は政府もそう認めたことになる。
 首相が集団的自衛権行使の例として挙げた中東ホルムズ海峡での機雷掃海活動も、「現実味に欠ける」と答弁せざるを得なくなった。
 一方で矛盾点を追及されれば、最後は「政府の総合判断」と繰り返した。明らかになったのは、武力行使が時の政権の恣意(しい)的な判断に委ねられる制度自体の危うさだ。
丁寧な説明もなく
 政府の説明を「不十分」とする人は直後の世論調査で8割に上った。さすがに首相も民意との乖離(かいり)を気にしたのか、「丁寧に粘り強く説明していきたい」と語っていた。
 その約束が果たされたと考える国民はどれだけいるのか。
 憲法学者の大半が「違憲」と批判する集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更について、内閣法制局は協議の過程を明らかにしていない。政府は行使容認を「合憲」と主張し、議論が深まらない。
 当の首相は「経済が最優先」と発言し、安保問題にあまり言及しなくなった。野党は安保法の廃止法案を共同提出したが、与党は審議入りに応じない。これでは本当に説明する気があるのか疑わしい。
 武装集団などに捕らわれた邦人を救出する。襲撃された国連要員らを救出する。安保法では、国連平和維持活動(PKO)の駆け付け警護などが新たに任務に加わった。いずれも自衛隊に犠牲者が出る危険性は否定できない。
 政府は今のところ、これらの任務の実施を見送ったままだ。平時の米艦船の防護についても当面、実施を見合わせるという。
 夏の参院選への影響を恐れて先送りしたのなら姑息(こそく)というしかない。
 政府は安保法制の運用を全面的に見合わせた上で、国民への説明にもっと力を注ぐべきだ。国会も野党の廃止法案を取り上げ、時間をかけて議論しなければならない。国民の懸念に誠実に向き合うか。問われているのは政府、与党の姿勢である。


安保法施行  「違憲」の問題点は消えない
 集団的自衛権の行使を認めることを柱とする安全保障関連法がきょう施行された。
 大勢の市民が国会前を埋め尽くす中、法成立への反対や疑問の声を押し切って与党が採決を強行したのは昨年9月だった。歴代の内閣が憲法違反としてきた集団的自衛権の行使を、憲法の改正手続きを踏まないまま解釈変更によって法制化した。立憲主義に反し、民主主義を侵す行為である。
 法が施行されても、その汚点が消えるわけではない。国会審議の過程で指摘された数々の問題点が過去のものになるわけでもない。
 反対世論なお根強く
 共同通信社が26、27日に実施した世論調査では、安保法を「評価しない」がほぼ半数を占め、「評価する」を11ポイント近く上回った。
 国民の反対はなお根強い。「違憲」法制の廃止と、安保政策に関する議論のやり直しを政府、与野党にあらためて求めたい。
 民主と維新(現・民進)、共産、社民、生活の野党5党は先月、安保法の廃止法案を衆院に共同提出した。さらに民主と維新は安保法の対案として、領域警備法案など3法案を提出した。遅まきながら世論に呼応した形だが、法案はいまだ審議されず、たなざらしのままだ。
 野党提出法案の審議に与党が応じず、時間切れで廃案になるのは珍しいことではない。だが、年明けに行われた安倍晋三首相の施政方針演説に対する各党代表質問で、対案提出の意向を示した民主の岡田克也代表に「全体像を一括して示してほしい」と求めたのは、ほかならぬ首相である。
 経緯を無視し、審議に応じようとしない与党の姿勢は不誠実だ。数をたのんだ「おごり」そのものではないのか。
 安倍首相は安保法について「国民のさらなる理解が得られるよう、丁寧な説明に努める」と繰り返し述べているが、この半年間、説明はほとんどない。むしろ経済政策や女性活躍推進などを前面に出すことで、安保法の議論を避け続けている。
 首相の言う「説明」の場をつくるいい機会である。野党提出法案の審議に、政府・与党は早急に応じるべきだ。堂々と論戦し、国民の疑問に答えてほしい。
 昨年の安保国会では、重大な問題点がいくつも浮かび上がった。
 海外での武力行使を禁じた憲法9条に反する「違憲立法」の疑いがある点。武力行使に実質的な歯止めがなく、いわば時の政権の一存で際限なく自衛隊を海外に派遣し得る点。さらに、米軍以外の外国軍隊の後方支援も可能となり、それによって他国の戦争に日本が巻き込まれかねない点だ。
 原点に返って議論を
 野党の対案が示すように、遠く海外での武力行使に道を開くよりも日本とその周辺を中心に、合憲の枠内で自衛隊の活動を拡充する方がより民意に沿うとの声も多い。日本の安全にとって真に必要な備えは何か、国際平和への貢献はどうあるべきか、原点に立ち返った議論が要る。
 世界の情勢は今年に入って大きく動いている。過激派組織「イスラム国」(IS)の関与が指摘される大規模テロが頻発し、シリアの和平協議は混迷、国交を断絶したサウジアラビアとイランの今後も不透明だ。北朝鮮は核実験に続いてミサイルを使った威嚇を重ね、中国は東・南シナ海への進出を加速している。
 安保法の施行と日米同盟の強化が、刻々と変化する国際情勢の中で常に政府が描くような紛争抑止力をもつとは限らない。過激な挑発を繰り返す相手には、同盟を軸に毅然(きぜん)とした対応が必要な場合がある一方、いたずらに警戒の度を高めれば、むしろ相手をより刺激し、軍拡競争や対立がエスカレートしかねない。
 冷静に状況を見極め、外交や経済協力を含めた硬軟両様の手法で緊張を緩和していく方が現実的であるはずだ。だが、政府・与党はむしろ東アジアの不穏に乗じ、安保法を強引な手続きで成立させたことを正当化しようとしているようにみえる。
 立憲主義の回復こそ
 夏には参院選が控える。衆参同日選の可能性も取り沙汰される中、政府は安保法に基づく自衛隊の新たな任務の付与を秋以降に先送りする考えだ。国連平和維持活動(PKO)に派遣する自衛隊の「駆け付け警護」や、自衛隊が平時から米艦などを守る「武器等防護」など当面のリスクが最も大きい任務であり、選挙への影響を避ける意図は明らかだ。
 立憲主義を傷つけ、世論にも耳を貸さず、重要な争点を先送りして逃げ切ろうとするのなら、それは責任ある政権与党の態度ではない。野党各党は、互いの安保政策に隔たりはあっても民意の受け皿として連帯し、法の欠点や運用上の問題点を粘り強く指摘していく必要がある。
 若者グループ「SEALDs(シールズ)」をはじめ、京滋を含む全国の多くの大学・高校生や学者、弁護士、子育て中の母親らが安保法廃止の訴えを続けている。諦めることなく、市民の声を結集して国会を動かしたい。


オバマ大統領演説「甘言」 カストロ前議長が批判
 【サンパウロ=宮本英威】キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は27日付の共産党機関紙グランマ(電子版)に寄稿し、オバマ米大統領がハバナで実施した演説について「甘言だ」と批判した。米大統領として88年ぶりにキューバを訪問したオバマ氏について、カストロ前議長の反応が明らかになるのは初めて。
 寄稿文の題は「兄弟オバマ」。オバマ氏が演説で「過去を忘れ、未来を見よう」と述べたことについて、カストロ氏は「我々みんなが心臓発作になるリスクがあった」と皮肉った。
 カストロ氏は、米国が半世紀以上にわたり経済封鎖を続けている点を改めて批判。米国が支援した1961年の反体制派による武力侵攻については「決して正当化させない」と指摘した。
 教育や医療の無償化といったキューバ革命の成果を強調して「この国が栄光と権利を放棄するという幻想を描くべきではない」とも言及した。「我々は食料も物資も必要なものは自ら生産できる。帝国(米国)からの施しは何も必要としていない」とも指摘した。


「帝国の贈り物いらない」 カストロ前議長、オバマ氏訪問を批判
キューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長(89)は、28日に公開された書簡でバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領の歴史的なキューバ訪問を痛烈に批判し、キューバは米国という「帝国からの贈り物」など必要としていないと述べた。
 キューバ革命を率いたフィデル氏が、オバマ大統領のキューバ訪問についてコメントを公表したのは初めて。フィデル氏はこれまでも米キューバ関係の改善に冷ややかな反応を示している。
 フィデル氏は、オバマ大統領が東西冷戦(Cold War)時代から50年以上続く敵対関係を許し合い、水に流そうと呼び掛けたことを一笑に付し、「あの米大統領の言葉を聞いていると、みんな心臓発作を起こしかねない」「少し提案させてもらうなら、オバマ氏は頭を働かせて、キューバ政治の理論化など試みないことだ」などと書簡に記した。
 オバマ大統領は先週、現職米大統領として88年ぶりのキューバ訪問でラウル・カストロ(Raul Castro)国家評議会議長と会談したが、兄のフィデル氏とは会わなかった。訪問に際しキューバ政府からは内政干渉しないよう警告があったものの、オバマ氏はこれを無視。反カストロ派と面会したほか、民主主義や自由の拡大を呼び掛ける演説を行った。
 3日間のオバマ氏訪問中、公の場に姿を見せなかったフィデル氏は、この演説を「甘言」だと一蹴。「高潔で無私無欲なわが国の人々が、教育・科学・文化に培われた栄光と権利と精神的な豊かさを放棄するという幻想など、誰も抱いてはいない」「われわれは、国民の労働と知性によって、必要な食料や物質的な富を生み出すことができる。(米国という)帝国からの贈り物など必要としていない」と述べた。(c)AFP/Alexandre GROSBOIS


被差別部落本の出版差し止め 横浜地裁が仮処分
 全国の被差別部落の所在地などを掲載した書籍の出版や販売の禁止を求める仮処分を部落解放同盟などが申し立て、横浜地裁(有賀直樹裁判官)は28日、川崎市の出版社「示現舎」に出版と販売の禁止を命じる決定を出した。
 解放同盟側の代理人弁護士によると、書籍には所在地のほか、住民の職業などが掲載され、4月1日の出版予定だった。解放同盟関係者が示現舎のホームページで出版予告を見つけ、22日に仮処分を申し立て「差別を助長する」と主張していた。
 示現舎側は取材に対し「4月1日の出版はもともと不可能だった」とし、異議を申し立てるかどうかを明らかにしなかった。


【実名公開】高浜原発「止めようとした裁判官」「動かそうとした裁判官」 選んだのは「国民の生命」か「自分の出世」か
動き出した原発が、ある裁判官によって再び停止した。だが、懲りずに再々稼働を目指す者たちがいる。あの大事故の記憶を彼らは失っているのか。もう二度と地震も事故も起きないとなぜ言えるのか。
「原因究明ができていない」
福島第一原発事故から5年の節目を目前に控えた3月9日、大津地裁の山本善彦裁判長(61歳)は高浜原発の3、4号機について運転を差し止める仮処分を決定した。
高浜原発は、3号機が今年の1月から再稼働、2月から営業運転中だったが、4号機は2月26日に再稼働してからわずか3日後の29日、変圧器にトラブルが発生して運転は自動停止していた。
山本氏は、'14年の4月に大津地裁へと着任。その年の11月には、今回と同様に高浜原発3、4号機に関する同様の仮処分申請を受けたが、「原子力規制委員会が早急に、再稼働を容認するとは考えがたく、今の状況で裁判所が差し止めする必要性はない」と、住民たちの訴えを却下しており、理性的な判断をする裁判官として知られる。
「山口地裁で部総括判事を務めていた'12年の12月には、中国電力の上関原発建設予定地を巡って、反対派住民が強引な手法をとった際には、反対派住民の訴えを棄却していました。原発に対しても極めてフラットに判断する裁判官だと言えます」(全国紙記者)
3月9日に下した決定の中では、関電の主張に一定の合理性を認めた上でなお、重大事故への備えと、福島第一原発事故の原因究明が不十分だと判断した。
運転中の原発を止める判断は、日本では初めてのこと。20年来、脱原発に向けての活動を続け、今回の差し止め申請でも住民側の代理人を務める河合弘之弁護士が語る。
「昨年、鹿児島・川内原発の1、2号機が再稼働してから世の中の流れが再稼働容認に傾きつつあった中で、山本裁判長は勇気ある決定を下してくれたと思っています。昨年末、福井地裁が再稼働差し止めの仮処分を取り消したときと、議論の内容は同じですが、結論が180度変わりました」
山本氏と同じように、原発差し止めの仮処分を決定した裁判官がいる。
'14年に大飯原発、'15年に高浜原発の再稼働差し止めを決めた福井地裁(当時)の樋口英明裁判長(63歳)だ。福井在住のジャーナリストが、樋口氏を評して言う。
「樋口さんは法律に対して極めて厳格な、昔気質の裁判官というタイプ。仕事に誇りを持っていて、相手が誰であっても信念を曲げない人だという印象です」
国民の生命を最優先に考える裁判官がいることは、安心できる。だが、事態はまだ流動的だ。翌10日、関西電力は原発を停止させる一方、11日以降に仮処分に異議を申し立てる方針を示した。
そもそも高浜原発には、樋口氏の仮処分命令に対して関電から取り消しを求める申し立てがあり、昨年末に同じ福井地裁で仮処分取り消しが決定していた。一度止めると決まった原発を「もう一度動かす」判断を下した裁判官がいたのである。
その判断を下したのが、樋口氏と入れ替わりに福井地裁へ着任した林潤裁判長(46歳)、山口敦士裁判官(39歳)、中村修輔裁判官(37歳)という、法曹界でも超エリートと言われる3名の裁判官だ。
実は、福井地裁にこうしてエリートが揃うのは、異例のこと。元裁判官の現役弁護士が、こう語る。
「本来、福井地裁は名古屋高裁管内でも比較的ヒマな裁判所で、アブラの乗った裁判官が来るところではない。しかも、この3人は東京や大阪など、他の高裁管内からの異動で、この人事には、各裁判所の人事権を握る最高裁の意向が反映されていると見るべきです」
前出の、「原発を止めようとした」山本・樋口両裁判官と違い、「動かそうとした」裁判官3人の経歴には共通点がある。それは、全国の裁判所と裁判官の管理、運営、人事までを仕切る最高裁判所事務総局での勤務経験があることだ。
「最高裁事務総局といえば、ゆくゆくは最高裁判事や、全国の裁判官と裁判所職員を含めた人々のトップとなる最高裁長官を狙えるようなエリートが集まるところ。彼ら3名は、全国の裁判官の中でも選り抜きの、いわば『将来を約束された』人々だと言えるでしょう」(明治大学政治経済学部教授の西川伸一氏)
凄い早さで出世中
裁判長を務める林氏は、'97年に任官して2年で事務総局の民事局へ異動。その後は、一度宮崎地裁で判事補を務めた以外、東京・大阪・福岡と都市圏の高裁と地裁の裁判官を歴任している。
「任官して初の赴任地が東京地裁という点で、人事権を握っている事務総局から、目をかけてもらっていることが窺えます。その上、初任明けと呼ばれる2ヵ所目の赴任地が事務総局。これは、林裁判官の同期108人の中でも6名しかいません。実際、任官から18年で部総括判事の役職に就くのもかなり早い出世です」(西川氏)
判事補の中村氏は、任官から福井地裁に着任するまでの9年間を東京、横浜、大阪で過ごした。
「通常、若手の裁判官は少なくとも一度、北海道や九州などの遠隔地へ赴任させられます。しかし、そうしたこともなく事務総局総務局付という、国会対策などを担当する部署に登用された。初任地も大阪ですし、エリートコースと言って差し支えないでしょう」(西川氏)
3名の中で最も異色の経歴を持つのが、山口氏だ。任官して約5年で外務省へ出向。「外務官僚の中でも花形のポジション」(外務省職員)と言われる国連日本代表部で二等書記官として2年間を過ごした。帰任後は大阪高裁の判事を務め、福井地裁へと異動になった。
刑事局付の経験を持ち刑事裁判に詳しいだけでなく、行政官としてのキャリアも積んだ山口氏は、福井地裁で民事裁判を担当している。今年1月には、住宅リフォーム会社が、ノルマ未達成を理由として従業員に降格や転勤を命じた事件で「同社のノルマ規定は過酷で不合理」と指摘、会社側に1000万円の支払いを命じる判決を下した。
山口氏とともに札幌で司法修習生時代を過ごした弁護士が言う。
「仕事も勉強もマジメにこなし、同期の中でも一、二を争うくらい優秀でした。彼の合理的な性格が滲む判決です」
また飛ばされる?
こんな華々しい経歴を持つエリートたちは、高浜原発再稼働を容認するために、'15年4月に送り込まれてきた。着任後の3名は、すぐに関電が申し立てた異議の審理へ取りかかった。前出の河合弁護士が語る。
「審理の結果、原発の安全性について具体的に検討することなく、『危険性が社会通念上無視しうる程度にまで管理されている』から高浜は安全だと言ってしまった。だから、核燃料がメルトダウンするかもしれないとか、福島第一原発の事故のように放射性物質が周辺に拡散する事態になるかもしれないとか、付近の住民が避難できるかどうかといった部分は考える必要がないと結論づけたんです。この決定は、『原子炉等規制法』に完全に違反しています」
異動から決定まで、おかしいことずくめな事態が、なぜ起きるのか。
「ある一連の事件について、上層部の気に入らない判決を書いた裁判官を外して、上の意向に沿った判断を下す裁判官を配置することを、『送り込み人事』と言います。公明正大なはずの司法界でも、こうしたことが起きていると思わせるに足る状況証拠があります」
そう語るのは、前出の西川氏。'04年から'13年にかけて訴訟が続いた、「携帯電話基地局の撤去を求める裁判」でも、「送り込み人事」が行われた可能性があるという。
「基地局の近隣住民が、基地局から出るマイクロ波ががんを誘発すると主張して起こした訴訟ですが、'04年当時に熊本地裁で事業者側を勝たせた田中哲郎裁判官が、その後、福岡地家裁久留米支部や福岡高裁宮崎支部で同様の訴えが起こされると、それを追うようにして当該裁判所へ異動し、住民側に有利に進んでいた訴訟をひっくり返し事業者側を勝たせたのです」(西川氏)
前出の元裁判官も、件の3人は「安倍政権の意向を汲んだ最高裁から送り込まれたのだろう」と推測する。
「いくら独立が保障されているとはいえ、裁判所も上層部に行けば行くほど政権との接触は増えるため、考え方が政権の意向に沿ったものになる。彼ら3名を含め、事務総局に勤務経験のある裁判官は、そうした阿吽の呼吸を最もよく心得た人々です。将来の地位を約束されたエリート裁判官だからこそ、『下』を見ず『上』ばかり見た判決を下すことになる」
今回の大津地裁の決定は画期的ではあったが、これを受けても、河合氏は気を緩めてはいない。
「原発を止める決定を出して名古屋家裁に飛ばされた樋口さん同様、山本さんが飛ばされて、また中央から再稼働推進派の判事を送り込まれ、決定を再度ひっくり返される恐れは十分にあります。高浜原発はいったん止まりますが、全国的に原発再稼働の流れが強まっている以上、訴訟や係争はまだまだ続くでしょう」
原発裁判を通じて「真の信念」を持つ裁判官は誰か、今後も浮き彫りになっていくだろう。


河北抄
 貧困家庭が宮城県でも増えていることをひしひし感じるという。「去年あたりから特にそうです」とコープ東北フードバンクの中村礼子事務局長。
 「個人の方からフードバンクへ直接、『食べる物がないので、分けてもらえないか』という問い合わせが来るようになりました。以前はなかったこと」。仙台市に住む人が目立つという。提供したいのはやまやまでも、「はい、分かりました」というわけにはいかない。
 多くの企業から賞味期限が迫っている食品などを受け取り、必要な人に無償で届けるのがフードバンクだが、契約している社会福祉協議会や支援団体からそれぞれの家庭に配ってもらうのが原則。
 本当に支援が必要なのかどうか、「住む地域の社協や市町村によって線引きしてもらわないと。フードバンクには判断材料がありませんから」(中村さん)
 できれば県レベルの社協がもっと前面に出て、フードバンクと一括契約するような仕組みが望ましいという。貧困家庭はこれからも増える勢い。行政や社協のさらなる奮起が欠かせない。

袴田巖 夢の間の世の中/クタクタ

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Japon: une collégienne séquestrée depuis deux ans parvient à s'échapper
Son ravisseur a oublié de fermer la porte de l'appartement, a raconté l'adolescente de 15 ans, séquestrée depuis mars 2014. Le kidnappeur présumé, un étudiant de 23 ans, a tenté de mettre fin à ses jours.
Plusieurs interrogations persistent après la réapparition soudaine d'une adolescente de 15 ans à Tokyo ce dimanche. Celle-ci a été enlevée et retenue durant deux ans par un étudiant âgé de 23 ans, rapportent la police et les médias. Son ravisseur présumé a été retrouvé ce lundi matin.
La jeune fille aurait profité de l'absence de son kidnappeur, qui avait oublié de fermer la porte à clef, pour sortir. Depuis un téléphone public d'une gare, elle a alors appelé sa mère et la police. Le kidnappeur a, quant à lui, été retrouvé à une centaine de kilomètres de son domicile, après avoir tenté de mettre fin à ses jours, ce lundi. Il a ensuite été transporté à l'hôpital dans la préfecture de Shizuoka, à l'ouest de Tokyo, pour soigner des blessures sur son cou, rapporte The Japan Times. Il devrait être interrogé dans les jours qui viennent.
"Ne me cherchez pas"
Que s'est-il passé? Les faits remontent à mars 2014, lorsque cette collégienne de Saitama, en banlieue de Tokyo, avait disparu. Peu de temps après, ses parents avaient alors recu deux lettres. "J'ai besoin de m'éloigner quelque temps de la maison et de l'école. A partir de maintenant, je serai chez un ami. S'il vous plaît, ne me cherchez pas", indiquait l'un des manuscrits, cité par Japan Today, le 15 mars 2014.
Selon les premiers éléments de l'enquête, son ravisseur s'était apparemment fait passer pour un avocat chargé de s'occuper d'elle pendant une procédure de divorce de ses parents. Une histoire inventée de toutes pièces: Kabu Terauchi était en réalité un étudiant fraîchement diplômé de l'Université de Chiba. Il devait commencer à travailler dans une société d'équipements pour pompiers en avril, selon des sources citées par la NHK. Si la jeune fille n'était pas attachée, elle semble avoir passé ces deux dernières années enfermée au domicile de son ravisseur. Les motivations de cet étudiant restent encore à établir.
フランス語
フランス語の勉強?
映像’16 “自主避難”〜原発事故から5年・真実と風化
福島第一原発事故から、まる5年。放射能に汚染された被災地をはじめ、国内では記憶の風化が進んでいるが、2月1日現在で県外へ避難している人たちの数は、4万3千人に上る。
郡山市から大阪市に避難した森松明希子さんは、夫を福島に残し、8歳の長男と5歳の長女との3人暮らしを続けている。国と東京電力に賠償を求める裁判を起こし、「風化を感じるからこそ、声を上げ続ける」と、裁判所に通う。
福島市で働く荒木田岳さんは、妻と11歳の長男、8歳の長女を新潟市に避難させている。週末に車で3時間以上かけて新潟の家族のもとへ帰るが、「新しい生活を始めようにも、今以上の待遇の仕事が見つけるのは難しい」と語る。
ともに強制避難区域外からの“自主避難”のため、東京電力からの賠償金で生活を賄えない。ごく普通の家族をこうした袋小路に追い込んだ国や東京電力は、責任を十分に取っているのだろうか。二つの家族をとおして、原発事故5年目の真実と風化を問う。
取材ディレクターより
2年前の3月の映像'14「“自主避難”〜原発事故から3年・家族の苦悩」放送後、主人公の森松さん、荒木田さんに「原発事故で人々が苦しむ状況が終わらない限り、取材を続けます」と約束した。それから2年、自主避難中の二家族の取材を続ける中で、状況に終わりはなく、ますます厳しいものになっていると感じる。
「命綱」である住宅の無償提供が、一年ごとにしか延長されず、いつ打ち切られるか分からない不安な期間が続いた後、2016年度末でとうとう打ち切られることになった。これにより、元住んでいた場所への望まない帰還を迫られる人も出てくるだろう。
福島県では、原発事故直後と比べると空間放射線量の数値は下がっているとはいえ、家々の軒先には除染で出た放射性廃棄物が持って行き場のないまま、シートに覆われて置かれている。特に子供がまだ小さい場合、安心して育てられるかどうかは疑問だ。
また、事故から5年の地元ではこうした不安や疑問を、口にすることができない状況になっているのも大きな問題だ。放射能汚染から目をそむけたいという人間心理に、原発事故の影響を小さく見せたい国や県の思惑が一致し、猛烈な勢いで「事故はもう終わった」ことにされかかっている。自主避難者への支援打ち切り措置も、間違いなくこの流れの中にある。
ごく普通に子育てをしていた家族が、離散の憂き目に遭い、避難先で歯を食いしばって生きることにさえ手が差し伸べられない、この国の「平和」や「安全」とは一体何なのだろうか、と率直に思う。6年後、7年後とこれから時間が経過していく中で、二家族の生活は大きく変わっていくのかもしれない。しかし、そこから目をそむけず、目撃し続ける。そのことこそ、あの震災と原発事故を経験した私たち国民に、最低限求められることなのではないだろうか。


お昼から十三に映画を見に行きました.袴田巖 夢の間の世の中です.死刑囚として長い間獄中で過ごさざるを得ず精神を病んでしまっていた袴田さん.釈放されて普通の生活に適応していく様子が描かれていました.等身大に袴田さんを理解するいい映画だと思いました.
中津で長崎料理を食べてさてお仕事.大した仕事しないのにクタクタです.まったくもう って感じ.
夜,映像’16 “自主避難”〜原発事故から5年・真実と風化を見ました.森松明希子さんがお子さんとパパに会いに郡山に帰って楽しい時間を過ごした後,パパと別れるので泣き出す子どもを見てとても悲しいです.あの子はわたしそのものではないかと思えるほどです.原発被害の恐ろしさを感じました.

<震災5年>津波犠牲の遺族 悲しみ変わらず
 東日本大震災の津波でわが子を奪われた親が集う「遺族による震災フォーラム」が27日、仙台市であった。震災から5年が過ぎて初めて思いを語った母親もおり、「何も終わっていない」「犠牲を生んだ反省を忘れて、復興もない」と口々に訴えた。
 4回目となるフォーラムには約70人が参加した。遺族の母親4人が登壇した。
 岩沼署員だった長男=当時(36)=を亡くした女性は「自分は避難誘導中に遭難したとしか聞いていなかった。津波到来が分かっていて出動させられるのでは特攻隊と同じ」と話した。
 長男の死について人前で語るのは初めて。殉職者の慰霊碑を訪ねた際、観光客が「お役目だからね」と話していたのが無念で、登壇を決意したという。
 仙台市若林区荒浜の消防団員だった長男和地克倫さん=当時(31)=を亡くした母理恵さん(59)は形見のヘルメットを披露した。
 「息子は避難中の人たちを荒浜小に導いていた。危険な状況になっても逃げ遅れた人を助けに行き、校舎の昇降口で津波に流された」と話した。市は荒浜小校舎を震災遺構として保存する方針だが、「私は反対だった。生きられた人だけでなく、遺族の声も伝承してほしい」と訴えた。
 主催したつむぎの会の田中幸子世話人は「話す内容を整理しようとして一晩泣いた人もいる。怒り、悲しみは当時のまま。遺族の心の回復なくして復興もない。失われた命の意味を今後も伝えていく」と話した。


<震災5年>スペインで鎮魂と再生祈り演奏
 慶長遣欧使節団ゆかりの街スペイン・セビリア県のコリア・デル・リオ市で、東日本大震災の発生から5年がたった被災地に思いを寄せる追悼式典とメモリアルピアノコンサートがあった。仙台市在住の女性ピアニスト佐藤アソカさんが招かれ、鎮魂の祈りや再生への願いを込め、現地の人々を前にピアノを奏でた。
 コンサートはコリア・デル・リオ市にある仙台記念館で開かれた。佐藤さんは震災直後の被災地の状況をイメージした曲を中心に、プログラムを構成した。
 ラベルの「悲しい鳥たち」、ドビュッシーの「月の光」などを演奏。震災で犠牲になった大切な人に思いが届くようにと「オーバー・ザ・レインボー」も奏でた。被災地の思いをにじますピアノの音色が、スペインの聴衆の心に響いた。
 コリア・デル・リオ市は慶長遣欧使節団が降り立った地。使節団員の子孫といわれる人が今も暮らす。
 佐藤さんは2013年にも同市で演奏を行うなどした縁で、今回のコンサートの奏者に招かれた。「現地では仙台や石巻に特別の思い入れがある人が多く、再生への祈りの気持ちを強く感じた」と話している。


<3・11と今>つながり 復興の力に
◎東北魂(3)東北OM運営委員 後藤好邦さん=山形市
 かさ上げ用の盛り土が映り込む海岸線を見つめた。
 「復興は着実に進んでいるとは思う。でも、やはり一朝一夕にはいかない」
 山形市職員で、東北まちづくりオフサイトミーティング(東北OM)運営委員の後藤好邦さん(44)。東日本大震災から6年目に入った12日、OMメンバーと宮城県南三陸町を訪れ「5年」の意味をかみしめた。
 東北の自治体職員を中心に全国の公務員や民間人でつくる東北OMは、2009年に自らが発起人となり28人で結成した。現在は850人以上が参加するネットワークとなった。
 年3、4回の地域づくり勉強会とインターネットによる情報交換が活動の柱。「敷居は低く、志は高く」を掲げ、人と人がつながるプラットホームを目指す。
 あの日は山形市役所で地震に見舞われた。職場のテレビで仙台平野に押し寄せる津波を見て「ただ事ではない」と背筋が凍った。その後は宮城、福島からの避難者の対応に追われた。
 東北0Mのメンバーと再会できたのは4月下旬だった。「まずは自分たちに何ができるか考えよう」と話し合い、津波で被災した名取市などをバスで回った。
 惨状は想像以上。街は跡形もなく、がれきの山と化した。一変した景色に足がすくんだ。「東北OMにできることなんてあるのだろうか」。無力感が募った。
 ちょうどその頃、秋田県大館市臨時職員の女性メンバーからメールで相談があった。幼なじみがボーカルを務めるロックバンド「チャットモンチー」が、集めた募金で被災地の学校を支援したいと言っている、との内容だった。
 メーリングリストをたどり、岩手県釜石市職員の男性メンバーに話をつないだ。約半年後、バンドは津波で校舎が被災した釜石東中にキーボードなど楽器をプレゼント。「歌声も届けたい」と話はさらに膨らんだ。
 12年4月、市内の古い体育館でチャリティーライブを開いた。東北OMメンバーが集結し、手弁当で会場設営などに当たった。釜石東中の生徒や保護者ら約100人を招待した。
 最後から2曲目だった。ボーカルが「次はみんなが知っている歌」と紹介すると、聞き覚えのある歌詞が流れた。アップテンポにアレンジされた釜石東中の校歌だった。生徒たちの顔がパッと明るくなった。
 「やって良かった」。会場の盛り上がりに胸が熱くなった。1通のメールから生まれた復興支援ライブ。「個人と個人がつながることで、被災地に笑顔を届けることができた」。ネットワークの底力を知った。
 13年5月、岩手県陸前高田市で開いた東北OM勉強会。講師を務めた戸羽太市長の言葉に心を揺さぶられた。
 「自分にない能力を持つ友人をつくることで可能性が広がる」。震災で多くを失ったが、人のつながりを生かすことで復興は成し遂げられるという極意だ。
 東北OMの役割が、はっきりと分かった気がした。
 人と人、地域と地域、東北と東北以外を結び付け、被災地の可能性を広げられたらいい。つながりは復興のエンジンになる。本領発揮はこれからだと思う。(長谷美龍蔵)


<災害FM>桑田佳祐さん 閉局前に熱唱
 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町の臨時災害放送局「女川さいがいFM」が、29日に放送を終了する。閉局を前に人気バンド「サザンオールスターズ」の桑田佳祐さんらが26日夜、町内でラジオ番組の生放送に臨んだ。町民らを前にアコースティックライブを披露し、復興の歩みを伝えた放送局の最後に花を添えた。
◎「健やかに、幸せに、ゆっくり歩んでいってほしい」
 桑田さんは町営「女川温泉ゆぽっぽ」で午後11時から、町民や関係者計約100人を前に全国ネット番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」を放送した。所属レコード会社から閉局の話を聞き、同FMの関係者や町民を慰労しようと実現した。
 桑田さんは番組で、妻の原由子さんらと共に、「勝手にシンドバッド」や「いとしのエリー」、俳優の中村雅俊さん(女川町出身)に提供した「恋人も濡れる街角」など8曲を披露。「リスナーの思いが女川や東北の復興につながればと思う」と語った。
 桑田さんは番組終了後、さらに3曲を披露。「蛍」を聴き涙を流す町民もいた。桑田さんは「健やかに、幸せに、ゆっくり歩んでいってほしい」と語り、ライブを締めくくった。
 同FMへの出演経験があり、町内でカフェを経営する堂賀光枝さん(56)は「5年間頑張った局へのご褒美だ」と喜んだ。同FMのパーソナリティー木村太悦さん(35)は「5年間の歩みが次々と思い出された。閉局は寂しいが達成感もある」と語った。
 同FMは震災発生から間もない2011年4月に開局。町民有志らが被災者向けの生活情報などを放送してきたが、財政難や人手不足などから閉局する。
 スタッフらは4月以降、名称を「ONAGAWA FM」に変えてチームとして活動する。インターネットを活用して情報を発信するほか、東北放送(TBC)と番組を共同制作し、TBCラジオで放送する。(石巻総局・八木高寛)


女川災害FM、生放送終了…大震災直後に開局
 東日本大震災直後から生活情報などを届けてきた宮城県女川町の臨時災害放送局「女川さいがいFM」で27日、最後の生放送が終了した。
 29日に閉局する。
 「本当にありがとうございました。これから明日に向かってがんばっぺ」。5時間におよぶ生放送の最後、パーソナリティーの木村太悦さん(35)は、そう締めくくった。ラジオ局周辺には住民ら約30人が詰めかけ、涙ながらに拍手を送った。
 津波被害で防災無線などの情報伝達手段を失った女川町で、2011年4月に開局。きめ細かな避難情報などを伝え、同局をモデルにしたテレビドラマが放送されるなど全国から注目を集めた。しかし、運営スタッフが就職や進学で退局するなど、人手不足を理由に昨年末、閉局を決めた。
 4月以降は、番組の一部が既存のFM局に移行するほか、インターネット配信などを中心に発信する予定だ。木村さんは「支えてくださった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです」と話した。
 県内の臨時災害放送局では、亘理町の「FMあおぞら」も24日に閉局した。最後の放送で、チーフスタッフの吉田圭さん(55)は「いざという時、ラジオは味方。必ず、またラジオで会いましょう」と締めくくった。吉田さんらは、今年中のコミュニティーFM開局を目指して活動していくという。


女川さいがいFM役目果たし29日に閉局
東日本大震災後の女川町に開設された臨時災害放送局「女川さいがいFM」が29日に閉局する。町の復旧復興の中で役割を果たしてきた同局は終止符を打つが、一部番組を東北放送(TBC)から流すほか、インターネットを使った情報発信も検討している。
 町は大津波で壊滅被害を受け、役場も全壊し、住民に情報を届ける手段を失った。町出身の有志らは町の委託で平成23年4月に同局を開局。被災者向けの生活情報などを伝え続け、復旧復興に合わせた番組編成で町民に親しまれてきた。
 同局でレギュラー番組を担当していた佐藤敏郎さん(52)は「リクエストやメールで多くの人の思いを番組で伝えることができ、私にとっても大きな財産になった」と語った。番組編成などボランティアでサポートしてきた東京在住の放送作家、大嶋智行さん(42)は「やり切ったという思いが強い。女川町は面白いまちづくりに励んでおり、今後も支えていきたい」と話していた。
 生放送番組「おながわ☆なう」は週6日放送してきたが、最後のなった27日は、町まちなか交流館前から公開放送を行った。停波は29日昼の見込み。
サザン桑田さんねぎらい熱唱
 女川さいがいFMの閉局が近づいた26日深夜、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが、女川町から全国ネットのレギュラーラジオ番組を生放送した。閉局を知った桑田さんの熱い思いから実現した。特設会場を女川温泉ゆぽっぽに設け、同日午後11時から「桑田佳祐のやさしい夜遊び」を生放送。会場にはさいがいFMの公開放送として参加した約50人とゆぽっぽの関係者など計100人ほどしかおらず、「サプライズ」での登場に驚き、喜んだ。
 桑田さんは「明日からまた、女川の真の復興につながってほしい」と語った。同町出身の佐々木千枝さん(50)=横浜市在住=は「震災で亡くなった友人を思い出した。泣くことで少しすっきりできた」と涙を流して聞き入った。木村純子さん(55)=女川町大沢=は「桑田さんの一言一言に感動した。さいがいFMの最後にこんな素晴らしいプレゼントをもらえたのは、頑張ってきたごほうびだと思う」と興奮気味に語っていた。」


<災害FM>被災地相次ぎ幕 資金確保が壁
 東日本大震災で自治体が開設したFMの臨時災害放送局が、相次いで姿を消している。岩手、宮城、福島3県で24市町が運用したが、18日に岩手県大槌町が廃止するなど新年度は6市町に減る。役目を終えたとする自治体の判断や国の補助金打ち切りが理由だ。放送継続のためにはコミュニティーFMへの移行が必要で、資金確保が難関となる。(大船渡支局・太楽裕克、釜石支局・東野滋)
 <移行を断念>
 2012年3月から続いた放送を終えた大槌町の「おおつちさいがいエフエム」。町に運営を委託されたNPO法人まちづくり・ぐるっとおおつちは、2年前からコミュニティーFMへの移行を模索したが断念した。
 小向幹雄代表理事(80)は「広告が集まる見通しが立たず、運営費を継続的に確保することは難しいと判断した」と説明する。
 年間運営費は2000万円。津波で中心市街地が壊滅した町では商業者の再建が遅れ、広告の営業に回ることすら困難だ。一部の商店主に意向を聞いたが、スポンサーにはなれないとの回答だった。
 震災発生から5年。地元パーソナリティーの声や音楽で被災者を元気づける地域密着の番組にファンも増えていた。小向代表理事は「震災前にはなかったラジオが、町の新しい文化として育ちつつあっただけに残念だ」と肩を落とす。
 <「支援必要」>
 宮城県女川、亘理両町も資金難を理由に本年度で閉局する。一方、コミュニティーFMとして再出発した局の多くも、市などの支援に頼らざるを得ないのが実情だ。
 岩手県大船渡市のNPO法人防災・市民メディア推進協議会などが13年4月に開局したコミュニティーFM「FMねまらいん」。年間運営費3000万円の半分は国の緊急雇用創出事業の補助金を充てている。
 当初の運営費の大半は、法人会費や東京の企業の寄付で賄った。今野雅光放送局長(54)は「広告が収入のメーンとなる通常のやり方では運営がほぼ不可能だった」と振り返る。
 現在は広告収入が年間1200万〜1300万円に上る。被災後も市内の有力な企業や工場は健在。岩手県陸前高田市から企業が移転するなど地域経済が比較的堅調なことに支えられている。
 ただ補助金は本年度で終了する。今野局長は「広告収入には伸びしろが期待できるが限界もある。ラジオには公的な役割があり、災害に備えた情報伝達手段の多重化という面からも市の支援が必要だ」と訴える。
[臨時災害放送局]災害時に被害状況や住民の安否、支援情報を伝えるため、自治体が開局する。1995年の阪神大震災で初めて運用され、制度化された。東日本大震災の開局数は過去最多で期間も最長。3県で新年度も放送を続けるのは岩手県釜石市、岩手県陸前高田市、宮城県気仙沼市、宮城県山元町、福島県南相馬市、福島県富岡町。岩手県花巻、宮城県石巻など8市は既存のコミュニティーFMを活用し廃止で元に戻った。岩手県宮古、岩手県大船渡、宮城県大崎、宮城県名取の4市は新規のコミュニティー局に移行した。


<仮設商店街>岩手沿岸7割で利用客減少
 東日本大震災で被災した岩手県沿岸部で営業する仮設商店街の約7割で、開店当初と比べて利用客が減少していることが、県の商店街実態調査で分かった。復興工事の作業員の減少などが要因とみられる。
 沿岸部は宮古市や陸前高田市など6市町25カ所の仮設商店街を調査。開店当初より来店者が「減った」は68.0%、「変わらない」は32.0%、「増えた」はゼロだった。内陸部の商店街は「減った」が65.5%、「変わらない」は26.4%。
 仮設商店街への来客が減った原因(複数回答)は「公共工事の終了による土木関係者の減少」が最も多く58.8%。「近隣での大型店の出店」「店舗の魅力低下」がそれぞれ41.2%で続いた。当面の問題点(同)は「本格再建への移行」が84.0%で最多。復興特需の終了(52.0%)、経営者の高齢化・後継者不足(44.0%)など。
 後継者がいる店舗割合が3割未満の商店街は、通常の商店街が60.1%で仮設は76.0%。後継者不足も仮設の方が深刻だった。県経営支援課の高橋毅総括課長は「本格再建に向け経営の専門家の派遣や資金面の支援に取り組みたい」と話す。調査は昨年9月、県内の商店街振興組合や仮設商店街組織など174団体を対象に実施。173団体から回答があった。


<原発事故>福島の避難者ら7割が住居未定
 福島県は25日、2017年3月末で仮設住宅の無償提供を終える東京電力福島第1原発事故の自主避難者や地震・津波による被災者のうち、約7割が同年4月以降の住居を決めていないとする意向調査の中間結果を発表した。県は新年度、全国に約20カ所の相談拠点を設け、住宅確保を支援する。
 意向調査に回答した6091世帯のうち、4285世帯(70.3%)が居住先を決めていないと回答した。県内に避難している世帯では61.4%(1784世帯)、県外では78.5%(2501世帯)に上った。
 県内避難世帯は転居先が決まっているかどうかにかかわらず、約9割が県内での居住継続を希望。県外避難世帯は居住先を決めた世帯の約5割、決まっていない世帯の約7割が県外にとどまる意向を示した。
 県は1月下旬〜2月下旬、新潟県を除く福島県内外の借り上げ住宅に入居する9944世帯に郵送調査を実施、6091世帯(61.3%)から回答を得た。17年4月以降も無償提供が続く原発事故の避難区域の住民は調査の対象外。
 県避難者支援課は「相談拠点の設置に加え、避難先の都道府県などとともに戸別訪問を行い、情報提供して住まいの確保を後押しする」としている。


河北春秋
 世界の災害支援の現場で東日本大震災の経験が生かされつつある。犠牲者が約9千人に上った昨年4月のネパール大地震。東北の被災地で活動した日本の国際協力NGOも次々と現地に駆け付け、日本で得たノウハウを投入した▼ピースボート災害ボランティアセンター(東京)が取り組んだのは災害ボランティアを受け入れ、支援先と結ぶ態勢をつくる支援だった。首都カトマンズには地震直後から、復旧支援に熱意を抱く現地の若者たちが大勢集結。ただ地元の支援団体には調整の経験が乏しく、対応に苦慮していた▼協力要請を受けたピースボートは各団体の職員向け研修会を開催。支援ニーズ収集とマッチング、安全管理の手法を伝授した。センターの合田茂広理事(37)は「東北での活動を踏まえてボランティア人材の育成事業を行い、研修を体系化していたのが大きかった」と振り返る▼石巻市を拠点に支援を続けてきたセンターは震災5年を機に現地態勢を見直し、メンバーが市に設立した団体が活動を引き継ぐ。被災地では今春、支援団体の撤収や態勢変更が相次いでいる▼寂しいが、頼もしい彼らの力が世界各地で必要とされていると考えれば誇らしくもある。東北での経験が、次の被災地や多くの困っている人たちに役立つと信じたい。

<女川原発>再稼働反対600人デモ行進
 東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)の再稼働反対を訴える集会「3.27 NO NUKES Parade! 〜みんなで止めよう女川原発〜」が27日、仙台市青葉区の勾当台公園市民広場で開かれ、参加者約600人が市内中心部をデモ行進した。
 集会で、高野博女川町議は「原発立地の町民として福島の事故は人ごとでない。事故が起きれば取り返しのつかない惨事になる。再稼働を許さない運動を広げよう」と訴えた。「脱原発をめざす県議の会」の佐々木功悦会長は「福島の事故原因が究明されていない中で、なぜ稼働申請するのか分からない。科学や技術、経済も大切だが、何より人の命が大切だと皆さんと一緒に訴えたい」と述べた。
 集会後、参加者は旗やプラカードを持ち、「女川原発再稼働するな」「命が大事」などと声を上げて行進した。


筆洗
 作家の向田邦子さんが、あるテレビプロデューサーに質問した。今まで食べた物の中で何が一番おいしかったか▼プロデューサーは答えた。「おふくろがつくったカレーだな」。<「コマ切れ(肉)の入った、うどん粉で固めたようなのでしょ?」といったら、「うん…」と答えたその目が潤んでいた。私だけではないのだな、と思った>▼寺山修司はカレー屋さんの前を通るたびに母親代わりだった、おばさんのことを思い出した。おばさんはいつも「食べざかりの私のためにライスカレーをお盆に盛ってくれた」。カレーの匂いや、おなかいっぱいの幸せ。カレーライスには「過去」の扉を優しく開ける不思議な魔力がありそうだ▼三月が尽きようとしている。四月からの新生活でわが子が家を離れて暮らすという、ご家庭もあるだろう。となれば、親子そろっての晩ごはんの回数も幾日しか残っていないことになる。当たり前の光景が当たり前ではなくなる。心からご同情申し上げる▼向田さんによれば「金を払っておもてで食べるのがカレーライス」で「自分の家で食べるのがライスカレー」だそうだ。巣立つ子との「別れの晩ごはん」はそれぞれの家の思い出味の「ライスカレー」がふさわしかろう▼いつもの皿に大盛りで。「いつでもカレーを食べに帰って来いよ」とだけ言えばいい。飛び立つ子はその味を忘れまい。

精神医療施策 デイケアの“縮小”なぜ
 精神科外来でデイケアと呼ばれる集団療法の長期利用が厳しく制約される。患者の社会復帰を支える場でもあり、国が重視する“かかりつけ機能”に近い役割も担っている。それなのに、なぜ。
 原則二年ごとに国が見直す医療の公定価格(診療報酬)が改定された。だが中には、首をかしげたくなる内容もある。
 精神医療分野のデイケアの制度変更は、その一つだ。
 厚生労働省などによれば、精神科デイケアなどの患者の七割近くは統合失調症。うつ病などの気分障害やアルコール、薬物依存症などの疾患も対象だ。
 大半が専門の医院やクリニックで運営され、十数人など一定数の患者が通いながら、主治医の治療と併せ、集団活動に取り組む。
 教室の授業さながら病気について学んだり、機能訓練、スポーツなど多彩なプログラムを重ねる。孤立する患者の“心のリハビリ”は欠かせないという。
 ところが今回の改定で、そんな患者のよりどころが“縮小”されかねない制約が、一年以上の長期継続利用に設けられた。
 現在、一年を超える利用は「週五日」を限度に診療報酬に算定する。だが、四月からは「精神保健福祉士による患者の意向聴取」など、定められた三要件をすべて満たさなければ、その日数は「週三日」に短縮されてしまう。
 しわ寄せは確実に患者に来る。医療団体の呼び掛けに、見直し撤回の署名は四万人分を超えた。
 厚労省は「より自立した生活への移行を促す」ための見直しと説明したが、どこまで誠実に現場の実情を見たのか。
 再発や挫折を繰り返す患者も少なくない。「自立」には根気と時間がいる。デイケア参加を何日続けられるか、生活リズムをどう取り戻すかが意味を持つのだ。
 「福祉士がいない医療機関は通常の運営自体も難しくなる」と、危機感を抱く精神科医もいた。
 患者数が三百万人を超え、なお増えている精神疾患。国もがんや脳卒中などに加え五大疾病に指定、重点対策を訴えたはず。
 程度の差はあれ、デイケア併設の医療機関は、長期入院者の受け皿や大病院への橋渡しなど地域の「かかりつけ」の役割も持つ。
 患者の人生同様、仮に病名が同じでも症状は一人一人違う。一律にデイケア利用を縮めるような改定は、やはりおかしい。効率優先ではなく少し長い目で、患者本位の改善案を考えるべきだろう。


自殺対策法 いのち救う支え合いを
 日本の自殺者は6年連続で減少し、2015年は2万5000人を下回った。とはいえ、自殺率(人口10万人当たりの自殺者数)は欧米主要国と比べ依然高い水準だ。
 すべての自治体に自殺予防を義務づける改正自殺対策基本法が成立した。これを契機に、対策をいっそう進めたい。
 自殺者は1998年以降に3万人台が続き、社会問題になった。06年に自殺対策基本法が成立し、対策が本格化した。原因分析が進み、自治体の啓発・相談活動も活発化したことが減少の要因とみられる。
 貸金業法改正で多重債務問題が改善されたほか、経済状況がやや持ち直したことも影響しているようだ。
 だが、今なお1日平均70人近くが自ら命を絶っている。自殺率は米国の約2倍、英国の約3倍だ。
 対策は自治体によって取り組みに温度差があった。このため改正基本法は、自治体が地域での自殺の実態を分析し、対策計画を策定することを義務づける。国は自治体に助言や援助をする。
 自治体だけでは有効な対策を進められない。自殺防止に取り組むNPOなどの民間団体との連携が欠かせない。電話相談など民間の活動を支える十分な補助金も必要だ。
 厚生労働省も精神保健福祉士などの専門家が電話や面談で悩み相談に応じる予防情報センターの拡充を計画している。これまでの31カ所から67カ所に増やすという。自治体と協力して予防を図ってほしい。
 東京都足立区では12年度から「いのち支える寄り添い支援事業」を行っている。
 仕事や家庭の悩みに関する相談会を開き、自殺のリスクが高い人を見つける。そのうえで、民間の社会福祉士や精神保健福祉士に支援員としてサポートしてもらう。福祉事務所や消費者センターとも連絡を取り合い、借金苦などの問題解決に取り組んでいる。
 足立区では単身の無職男性の自殺が多かった。こうした取り組みによって、98年のピーク時に全体で193人だった自殺者は14年には142人にまで減った。
 区の担当者は「自殺リスクの高い人を支援して生活の自立につなげれば、多くの人が危機的な状況を脱することができる」と言う。
 若年層の自殺対策も急務だ。15〜34歳の場合、欧米主要国の大半は事故が死因の1位だが、日本は自殺が最も多い。ネットを使った相談窓口の充実も求められる。
 学校も、従来の「命の大切さ」を教える授業ばかりでは自殺を防げない。どんな相談先があるのかを教える具体的な指導も必要ではないか。


「理科系の作文技術」百万部突破 80回増刷
 中央公論新社は28日、物理学者木下是雄さんの「理科系の作文技術」(中公新書)が、発行部数100万部を突破したと明らかにした。1981年9月の初版刊行から、ことし3月までの35年間で80回増刷されるロングセラーとなった。
 木下さんは学習院大学長などを歴任し、2014年に死去。同書は、理系の研究者や学生向けに論文やリポートの書き方を指南する内容で、各地の大学生協などで売れているという。同社の担当者は「分かりやすい文章が書けるため、文系の学生やビジネスマンにも人気で、ずっと売れ続けてきた」と話す。


米NGO 「核燃料再処理延期を」安倍首相に書簡
 31日から米ワシントンで始まる核安全保障サミットを前に、内外の科学者やNGO関係者らが28日、日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)の運転の無期限延期を求める書簡を安倍晋三首相宛てに出した。サミットを主催するオバマ米政権が核物質の管理を強めようとする中、軍事転用が可能なプルトニウムをこれ以上増やさないよう日本に求めている。
 米軍縮NGO「軍備管理協会」のダリル・キンボール事務局長ら183個人・組織が署名した。「核セキュリティー強化に向けた世界的な取り組みに対する貢献となる」として、運転を無期限に延期することをサミットの場で発表するよう安倍首相に促している。
 日本が保有するプルトニウムをめぐっては、米国が日本から引き取ることに合意していた研究用プルトニウム331キロを積んだとみられる輸送船が22日に茨城県東海村の港を出港。オバマ政権は国際的な核セキュリティー対策の成果としてアピールするとみられる。
 しかし、日本は既に核兵器約6000発に相当するプルトニウム約48トンを保有しており、米国に送られる331キロはごく一部に過ぎない。再処理工場の運転が始まれば、最大で年間8トンものプルトニウムを使用済み核燃料から取り出す計画になっており、核燃料サイクルの実現の見通しが立たない中、さらに保有量が増えることになる。【隅俊之】


袴田事件 弁護団が元警察官2人を証人申請
いわゆる「袴田事件」で、再審=裁判のやり直しを求めている袴田巌さんの弁護団は、犯人のものとされる衣類がねつ造された可能性を示すためとして、東京高等裁判所に対して、関係先の捜索に当たった当時の警察官2人を証人として呼ぶよう求めました。
昭和41年に今の静岡市清水区で一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田巌さん(80)について、静岡地方裁判所はおととし3月、再審を認める決定を出し、検察が抗告したことから、東京高等裁判所で審理が続いています。
弁護団は、事件直後の捜索では犯人のものとされる衣類が見つからなかったのに、1年余りあとで見つかったのは不自然だとして、事件直後に関係先を捜索した75歳と91歳の元警察官2人に、当時の状況について詳しい説明を求めたということです。
元警察官らは「裁判所に求められたら証言する」などと答えたということで、28日に東京高裁で開かれた協議で、弁護団は、衣類がねつ造された可能性を示すためとして、2人を証人として呼ぶよう裁判所に求めました。
弁護団によりますと、裁判所が証人として呼ぶかどうかは、5月に開かれる次回の協議で決まる見通しだということです。
弁護団の西嶋勝彦団長は「2人の証言は袴田さんの無実の立証に大きな力になると思う」と話しています。


安保法制 「シールズ」国会前で施行反対訴え
 安保法制に反対する学生たちの団体「SEALDs(シールズ)」による抗議行動が28日夜、東京・永田町の国会前であり、若者らを中心とする市民が施行反対を訴えた。
 午後7時ごろ、中心メンバーの奥田愛基(あき)さん(23)がマイクを握り、「施行されるのだから、法律は何のためで、どうなるのか安倍総理にきちんと説明してほしい。全然おれたち忘れてないですよ」と呼びかけた。高校生らも「施行に悔しい気持ちでいっぱい」などとスピーチした。横浜市の私立大1年の女子大生(19)は取材に「この法は戦争につながっている。集団的自衛権行使は納得できない」と話した。
 これに先立ち、安保法に反対する市民らが同日午後、国会議員会館前に座り込む抗議活動を展開。太平洋戦争で親類が特攻により戦死したという東京都稲城市の無職女性(68)は「戦争は多くの若者を犠牲にする。日本の宝である彼らを失ってはならない」と声を張り上げた。【山崎征克、狩野智彦】


日本で死刑が執行されたことを受けたEUの現地声明
駐日欧州連合(EU)代表部は、駐日EU加盟国大使との合意の下、以下の声明を発表する。
「3月25日、日本で2人の死刑囚に対する刑が執行され、2012年3月以来、死刑に処された21人に加わることとなった。欧州連合(EU)とその加盟国は一貫して、かつ繰り返し、日本当局に対し、2012年3月まで20カ月にわたり死刑が執行されなかったことを思い起こし、モラトリアム(執行停止)を導入するよう求めてきた。
EUは死刑に対し、強固で原則に基づいた立場を取っており、いかなる状況においても極刑に反対している。死刑は残忍かつ冷酷であり、犯罪抑止効果があるとは全く示されてない。さらに、どの司法制度でも避けられない、過ちは、極刑の場合は不可逆である。我々は、世界中での死刑廃止を積極的に追求し続ける決意である。
EUは、日本国内外において、日本の現行制度の徹底した見直しを求める全ての人々と手を携える」

昨日遅かったのに今日もですか?

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Japon: Excédé par le comportement des touristes, il abat son arbre devenu célèbre
Le paysage, magnifique, était devenu célèbre auprès d’un public de chasseurs d’images. Chaque année, ils accouraient de tout le Japon et même de l’étranger pour contempler, et mitrailler, ce peuplier solitaire qui dominait un champ de Biei, sur l’île japonaise d’Hokkaido. Mais tout à coup, la vue a gagné en sérénité, ou perdu en relief : le propriétaire des lieux, excédé par les touristes qui venaient piétiner son champ à longueur d’année, a décidé fin février d’abattre l’arbre iconique.
≪ Il a toujours été là, à vieillir avec moi. Il me manquera ≫, raconte l’agriculteur de 68 ans à l’agence de presse japonaise Kyodo. L’arbre, planté au milieu des années 1960, avait atteint la hauteur vénérable de 30 m, pour 1,80m de diamètre. Il avait été surnommé ≪ l’arbre philosophe ≫ à cause de sa forme faisant, paraît-il, penser à la tête penchée du penseur.
Mais l’état du peuplier, un arbre à la durée de vie relativement courte, inquiétait le propriétaire des lieux. Balayé chaque année par les tempêtes et le blizzard, il menaçait de s’effondrer sur les cultures ou sur un visiteur imprudent.
Car malgré les précautions prises par l’agriculteur pour maintenir les touristes à l’écart, notamment l’installation d’un panneau en chinois et en anglais, les curieux étaient nombreux à s’aventurer dans le champ pour photographier le ≪ philosophe ≫, ou à se garer au milieu de la route, peu réceptifs aux mises en garde des habitants du coin.
≪ Quand j’ai demandé à un touriste de ne pas marcher dans le champ, il m’a crié dessus ≫, raconte un photographe local de 44 ans. Un manque de sagesse qui a eu raison de l’arbre philosophe.
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今夜も生でさだまさしスペシャル「朝まで生でがんばらんば・東北!」
東日本大震災から5年の今回は宮城県気仙沼市民会館から生放送。ゲストと一緒に元気いっぱい、にぎやかにお送りする。糸井重里、熊谷育美、佐渡裕、サンドウィッチマン、トワ・エ・モワ、ナオト・インティライミ、元ちとせ、畠山美由紀、マギー審司、May J.、箭内道彦、若旦那 ハガキもたっぷりご紹介。年に一度のスペシャルをお楽しみに!
さだまさし,井上知幸,住吉昇, 糸井重里,熊谷育美,佐渡裕,サンドウィッチマン,トワ・エ・モワ,ナオト・インティライミ,元ちとせ,畠山美由紀,マギー審司,May J.,箭内道彦ほか
テレメンタリー 「スイス 消えてゆく氷河〜地球温暖化最前線をゆく」
スイス、世界の観光客をひきつけるアルプスの氷河がいま危機に瀕している。世界の氷河研究をリードする北海道大学杉山研究室の氷河実習調査にカメラは同行。美しいスイスの絶景に隠れて地球温暖化の影響でスイスの氷河が消えてゆこうとしている。温暖化は海水面の上昇もさることながら、私達の住む日本列島を襲う気象災害のもとになる大規模な気候変動を引き起こしている。私達の地球はどうなっていくのか?未来の地球の姿を考える。
滝川クリステル 北海道テレビ放送

NNNドキュメント 3・11大震災シリーズ(70) ふるさと
人は誰しも、ふるさとがある。時を経て、姿を変えても心には、ふるさとの情景が浮かぶ。あの日、多くの人が家族を失い、ふるさとを奪われた。変わりゆく風景を写真に収めながら追憶に生きる人、孤独を感じながら仮設住宅や災害公営住宅で暮らす人、原発事故で先の見えない生活に苦悩する人。震災5年を迎える3月、岩手・宮城・福島の3つの地元局の共同制作で、震災を生きのびた人たちの5年、そしてこれからの暮らしをみつめる。
クミコ  テレビ岩手・ミヤギテレビ・福島中央テレビ

NNNドキュメント 3・11大震災シリーズ(72) 傷む心
東北の被災地では一見して生活再建が進むが、心に癒えない傷を抱えた被災者がいる。津波で妻を失った複雑性悲嘆の夫。震災でアルコールの量が増えた夫、疲れ切ってしまった妻。一方で彼らと向き合い、支えようと奔走する支援スタッフがいる。被災者の多くが仮設から復興住宅など新たな住まいに移るとされる2016年。今も消えない喪失の痛み。先が見えず深まる不安。壊れそうな家族の絆。5年目の「心の風景」とは。
中里雅子 日本テレビ

ガリレオX「動物も楽しい動物園〜環境エンリッチメントの試み〜」
今、動物園が面白くなっています。動物の目線に立ち動物本来の行動を引き出す「環境エンリッチメント」という取り組みにより生き生きとした、動物の姿が見られるようになったのです。動物園では単調で刺激のない生活が続くので、寝ているかウロウロするといった行為が見られますがその様な行動をなくしていく試みが環境エンリッチメントなのです。天王寺動物園、多摩動物公園、大牟田市動物園の取り組みを紹介します。
落合 知美 さん(市民ZOOネットワーク) 下村 幸治 さん(天王寺動物園) 油家 謙二 さん(天王寺動物園) 中島 舞衣 さん(多摩動物公園) 椎原 春一 さん(大牟田市動物園) 伴 和幸 さん(大牟田市動物園) 河野 成克 さん(大牟田市動物園)

BS1スペシャル「それでもなぜ戦場に行くのですか」
過激派組織ISによる後藤健二さん殺害事件をきっかけに「なぜ、わざわざ戦場に行くのか?」と批判にさらされたフリージャーナリストたち。様々な葛藤や心の揺れを抱える彼らを追った。イラク取材を続ける綿井健陽さん。シリアでISの戦闘員に囲まれた横田徹さん。クルド人の現実を見つめる玉本英子さん。イスラエル軍兵士に銃撃され左目を失明した亀山亮さん。数々の戦場を取材し今は東北の被災者にカメラを向ける高橋邦典さん。
奥貫薫

NHKスペシャル「ママたちが非常事態!?II 最新科学で迫るニッポンの子育て」
1月31日に放送したNHKスペシャル「ママたちが非常事態!?」は、育児で深い孤独や不安を感じる現代ニッポンのママたちの問題に科学の視点で迫り、「育児がつらい本当の理由がわかって救われた!」などたくさんの反響をいただきました。中でも多かった声が、
「大変な育児が少しでも楽になる科学的なヒントはないの?」
「男性と育児の関わりはどうなっているの?」
という2つの疑問。実はそのいずれについても最新の研究で興味深いことが次々と明らかになってきています。
そこで今回は、激しい「イヤイヤ」や「人見知り泣き」といった悩ましい行動の裏にある子どもの脳の不思議。そして、「イクメン」パパの脳や体に起きる思いがけない変化の謎に迫ります。
「イヤイヤを我慢する脳の育て方が、アメリカで大規模研究されている?」
「人見知りで泣かれないヒントが最新脳科学で見つかった?」
などなど、気になる最新の育児科学情報が満載!さらに子育て中の夫婦の不和を解消するヒントも登場します。育児に積極的な男性の体内では、子育て中の母親と同じように“愛情を司るホルモン”が多く分泌されることが判明。このホルモンが男性に引き起こす変化が鍵を握るというのです。子育ての「なぜ?」の数々、その裏に潜む人類の進化の中で埋め込まれた深いワケ。それがわかると「新しい子育ての形」が見えてきます。子育て真っ最中の恵俊彰・眞鍋かをり・虻川美穂子・ユージの4人が、専門家とともにとことん探ります!


さだまさしの番組が気仙沼からだというのでちょっと見よう・・・と思っていたのが,結構見てしまいました.つまり夜更かししました.
朝は少しゆっくりで午前中テレビを見て午後休日出勤です.守衛さんからは「昨日遅かったのに今日もですか?」と言われてしまいました.確かに・・・
スキャナ作業など雑用みたいなことであっという間に時間は過ぎてしまいました.

<大川小保存>遺族や住民ら思い複雑
 東日本大震災で児童と教職員計84人が犠牲となった宮城県石巻市大川小の被災校舎について、亀山紘市長は26日、保存する判断を示した。「教訓を後世に伝えるために必要」「解体を望む人にも心を配ってほしい」。遺族や住民らは胸の内を明かし、具体的な保存の在り方をめぐる今後の議論を見据えた。
 6年だった長男大輔君=当時(12)=を失った今野浩行さん(54)は、市長の判断を聞き胸をなで下ろした。震災直後から「大川小の悲劇を二度と繰り返さないために校舎を残すべきだ」と信念を抱き続けてきたからだ。一方では、残す意義をみんなで考える機会が足りなかったとも感じるという。
 児童23人の19遺族が市と宮城県を相手に起こした訴訟の原告団長を担う。その傍らで校舎に足を運ぶ。「死にたくなかった。なぜ助けてくれなかったのか」。早世した息子の悔しさに思いをはせ、自らを奮い立たせる場になっている。
 石巻市内の仮設住宅で暮らす男性が静かに語る。「解体の声は上げにくいのが実情。願いは通じないだろう、と諦めの境地だった」
 震災後、校舎が立つ大川地区を離れた。地域住民らに親しまれた校舎の変わり果てた姿を見るのがつらい。月命日に学校へ行っても、観光客を目にすると手を合わせることができない。
 男性は「校舎が周囲から見えないような工夫を望む。保存すると決めた以上は100年後、200年後も形をとどめる残し方をしてほしい」と訴える。
 住民団体「大川地区復興協議会」の大槻幹夫会長(73)は「市長の判断を尊重する。熟慮したのだろう」と話す。協議会は昨年5月、校舎全体を保存し周辺を「鎮魂の森」として整備するよう市に要望した。
 具体的な保存方法について、亀山市長は協議会を中心に話し合う意向を示す。
 大槻会長は「校舎は鎮魂や慰霊の場であるとともに、津波の恐ろしさや逃げることの大切さを学べる場になればいい」と主張。「保存と解体のどちらかが正しいということはない。解体を求める人にも配慮しながら市との協議に臨みたい」と話す。


<震災遺構>大川小保存表明「伝承に重要」
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市の小学校校舎の保存について、亀山紘市長は26日、記者会見し、大川小校舎は全体を残し、門脇小校舎は一部を保存すると正式に表明した。児童・教職員計84人が犠牲になった大川小校舎は周辺を公園化するなど慰霊や鎮魂の場として整備する。津波と火災の被害に遭った門脇小校舎は震災遺構として、教訓を伝承する。最大被災地の石巻に事実上二つの遺構が保存される。
 亀山市長は「次の災害に備え、教訓を伝えることが石巻の使命。二つとも震災の伝承や犠牲者の追悼の場として重要な施設と判断した」と理由を説明した。
 一部保存の門脇小について、市は保存範囲や公開の有無を地元住民でつくる新門脇地区復興街づくり協議会を軸に話し合う方針。現地で保存するか、隣接地に整備する復興祈念公園に移設するかは今後検討する。
 周辺では土地区画整理事業が進み、町並みが完成する2018年度までには結論を出す見通し。遺構としての整備完了は、復興祈念公園が完成する21年度末までを目指す。
 大川小は原則として現状のまま保存し、危険箇所に事故防止の柵などを設置。周辺の公園化や公開の有無は新年度、住民組織の大川地区復興協議会を中心に協議する。
 同小をめぐっては、児童の遺族が損害賠償訴訟を起こしており、着工時期は未定。市は現地で活動する語り部と連携しトイレなどの施設の設置要望に応える。
 市民アンケートでは、両校舎とも保存と解体の意見が拮抗(きっこう)した。市は解体を求める遺族らに配慮し、門脇小は一部保存にとどめ、大川小は植栽などで周りを囲む。
 市震災遺構調整会議の試算によると、校舎の維持管理には年間約250万〜1700万円掛かる。市は国の支援や、ふるさと納税制度の活用を検討する。
 被災自治体で1カ所の遺構の保存初期費用に認められる復興交付金は、老朽化した門脇小校舎に活用。大川小周辺の公園化は国の補助金を見込む。


<門脇小保存>一部の規模「方向性早く」
 東日本大震災の津波と火災で被災した宮城県石巻市門脇小校舎について、亀山紘市長が震災遺構として一部保存すると表明したのを受け、保存と解体を求めていた住民双方から今後の注文、要望の声が上がった。
 一貫して校舎の解体を求めてきた住民組織「新門脇地区復興街づくり協議会」の浅野清一会長(68)は「われわれの訴えが届かなかったことは非常に残念だが、市は隣接地の南浜地区にできる復興祈念公園への移転も視野に入れると聞いている。その方向であれば望ましい」と期待する。
 亀山市長は記者会見で、一部保存はコストに加え、解体を求める住民への配慮だと説明した。さらに校舎を植栽で囲み、見えにくくすることも検討する。
 門脇小周辺では、土地区画整理事業による住宅地の整備が着々と進む。浅野会長は「一部保存がどれほどの規模になるか想像できない。早く市と話し合いを始め、方向性を見いだしたい」と語った。
 門脇小卒業生のパート榊美紗子さん(27)は「保存が決まってうれしい。これでいつでも校舎を見られる」と話す。
 震災の津波で、門脇小校舎前の自宅で一緒に暮らしていた母と祖母が犠牲になり、父が行方不明になった。榊さんにとって、校舎は家族を思い出し、心を落ち着かせられる場所だ。
 語り部も務める榊さんは「校舎を見た人が防災について考えることが大切だ。できれば真ん中の部分を3階まで残し、元の形が想像できるようにしてほしい」と要望する。


<震災遺構>悲しみ伴う事実伝える
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市の大川、門脇両小の校舎について、亀山紘市長が26日、保存することを正式表明した。記者会見での主なやりとりは次の通り。
◎遺族への配慮 在り方探る
 −保存を決めた理由は。
 「最大被災地の石巻市で、大災害の教訓を伝えていくことが重要。命が奪われたことが一番の教訓。大川小は児童と教職員計84人が犠牲となった。悲しみを伴う事実を伝えるためにも校舎を残す意義はある。門脇小は津波と火災の痕跡があり、校舎にいた人は裏山の日和山に逃げて助かった」
 「実際に被害を受けた建物を見るのと、映像を見るのとでは伝わり方が違う。保存の期限は決めていない。できるだけ長期にわたり伝承していくことが必要だ。語り部をしている遺族らの協力も受け、防災・減災の取り組みをしていきたい」
 −もっと議論すべきではなかったかとの声がある。
 「民主的にさまざまな意見を聞き、結論に至った。保存、解体の両論が拮抗(きっこう)しているのは間違いないが、震災から5年を迎えた今、先送りせず保存を決めるべきだと考えた。解体を望む遺族らのつらい思いに配慮した保存の在り方を検討していく」
 −仮に亀山市長が交代した場合、後任に両校舎をどうつないでいくのか。
 「住民らとの話し合いを今後進める中で両校舎の具体的な残し方について合意していけば、首長が代わったとしても重要な遺構として伝わっていき、保存方針が変更されることはないと思っている」


女川さいがいFM最後の生放送
東日本大震災の発生直後から暮らしや復興の情報を伝え続けてきた女川町のラジオ局、「女川さいがいFM」が27日、最後の生放送を行いました。
「女川さいがいFM」は、震災の1か月後に町の臨時の災害放送局として放送を始め、パーソナリティを務めた地元の高校生がドラマ化されるなど、全国的にも知名度が高まりました。
しかし、震災の発生から5年がたち、運営スタッフの確保が難しくなったことなどから、今月で放送を終えることになり、27日、最後の生放送が行われました。
生放送は、これまで使われてきた、小学校の校庭にあるプレハブのスタジオで行われ、運営スタッフひとりひとりが自分たちの震災の経験を語りました。
スタジオの周りには、県内外から30人ほどのリスナーが集まり、このうち、仙台市青葉区から訪れたという61歳の男性は、「ラジオを通して町が再生していく様子が伝わってきました」と話していました。
そして、最後にパーソナリティの木村太悦さんがリスナーへの感謝のことばを述べ、スタッフ全員で、「がんばっぺ」と声を出し、生放送を終了しました。
木村さんは、「『何を伝えるべきか』、みんなで手探りの中、放送してきました。今後もそれぞれの形で女川の復興に貢献したい」と話していました。
女川さいがいFMは、29日まで、収録した番組の放送を続けることになっています。


明治創立の被災2小学校 校旗を返還し閉校
 東日本大震災で被災し、今月末に閉校する仙台市若林区の荒浜小(児童16人)と宮城野区の中野小(40人)で26日、閉校式があった。ともに1873(明治6)年創立の伝統校。各校長が市の大越裕光教育長に校旗を返還し、142年の歴史に幕を閉じた。
 荒浜小の式は宮城野区の東宮城野小体育館であり、児童や住民ら約300人が出席。桜場直志校長は式辞で「震災でつらい経験もあったが、全世界から支援を受けて心温かい人たちと出会えたことは宝。東北の復興に力を尽くしてほしい」と語り掛けた。
 壇上で全校児童が「震災を糧に強く生きていく」などと一人ずつ言葉をつないで決意を語り、復興ソング「希望の道」を合唱した。
 震災時、荒浜小は校舎2階まで津波に襲われたが、児童や住民らが屋上などに逃れて無事だった。若林区の卒業生佐藤初男さん(75)は「私も校舎に守られた。家族代々学んできた学校がなくなるのは寂しい」と話した。
 式終了後、震災遺構として保存される荒浜小校舎前で閉校記念碑も除幕した。6年畠山颯太君(12)は「防災を考えるための記念碑になってほしい」と願った。
 中野小の式は宮城野区の中野栄小で実施。三塚修校長が「地域に愛された中野小の伝統と古里の良さを語り継いでほしい」と述べた。児童たちは「前を向いて歩く気持ちで頑張りたい」と感謝の言葉を述べた。校内で受け継がれてきた和太鼓の演奏を6年生15人が披露し、出席者約400人から盛大な拍手が送られた。
 5年結城晃太君(11)は「4月から田子小で新しい友達をつくり、中野小のことを話したい」と話した。
 荒浜、中野両小はともに7000人以上の卒業生を送り出した。4月から荒浜小児童は七郷小など3校に、中野小児童は中野栄小や高砂小など7校に分かれて通う。


<3.11と今>生きる力 歌声にのせ
◎東北魂(2)臼沢みさきさん=岩手県大槌町出身
 伸びやかな声が空に吸い込まれていく。
 東日本大震災で壊滅的被害を受けた岩手県大槌町で生まれ育った歌手臼沢みさきさん(17)。2014年春、盛岡市の高校に進んだ。盛岡を拠点に音楽活動に打ち込む。
 今月半ば、震災関連のテレビ番組出演のため宮城県を訪問。津波で壊滅し再生を期す名取市閖上で熱唱した。
 幼いころから民謡で鍛えた歌唱力が評価され、震災から1年が過ぎた12年にデビューした。被災地支援のコンサートで歌ったり、岩手冬季国体のイメージソングを担当したりと、東北に根差した活動を続ける。
 11年3月11日は大槌小の6年生だった。卒業式を数日後に控え、校舎で激しい揺れに襲われた。
 避難した裏山で、町が海にのみこまれていくのを見た。これが現実?
 「怖いというより、不思議な感覚だった」と振り返る。
 町の犠牲者は1200人余りに上る。家族や自宅は無事だったが、知り合いや友人が命を落とした。
 余震におびえた避難生活。近くにいた人がふいにいなくなる怖さ。「あしたが来る保証なんて誰にもないんだ」。失って初めて当たり前の生活のありがたさに気が付いた。
 民謡を始めたのは小学3年のとき。近所の人に誘われ、民謡教室をのぞいたのがきっかけだった。なぜか、初めて聴く曲を懐かしく感じた。
 節回し、発声。練習を重ねて上手にできるようになると夢中になった。10年には民謡コンクールで小学生の部の最高賞を受賞した。
 震災の1カ月後、民謡教室のメンバーと避難所の慰問に出向いた。被災した人たちは着の身着のまま、段ボールで仕切った狭いスペースに身を寄せていた。
 「みんな着る服もままならない中で、着物なんか着て歌っていいのだろうか」。大きな被害のなかった自分が和服姿でいることが申し訳なかった。
 岩手県の民謡「外山節」を歌うと、会場の雰囲気が変わった。お年寄りが涙を流して口ずさんだり、一緒に手拍子をしたり。
 「また歌ってね」。力強く手を握ってくれた人もいた。
 歌に希望や勇気を感じてもらえるのなら「聴いている時だけでも嫌なことを忘れてほしい」。心を込めて歌った。
 あの日から5年。復興事業が進むにつれ通い慣れた道は消え、かさ上げされた整地が姿を見せ始めた。津波が何もかも奪い去った町の風景は、日々変わりゆく。
 けれども大槌らしさは今も変わらないと思う。人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルと言われる湾内の蓬莱島、防災無線から流れるひょっこりひょうたん島のテーマソング。何より、人々の温かさ。盛岡から大槌に戻るたびに実感する。
 ふるさとの再生とともに、歌手臼沢みさきも前を向いて歩いていく。
 大好きな歌で大槌に、東北に、そして世界に届けよう。あしたも生きていこうと思えるような、心のエネルギーになる歌を。(伊東由紀子)


<仙石線>新駅開業 生活再建へ鉄路で一歩
 宮城県石巻市でJR仙石線の新駅「石巻あゆみ野駅」が開業した26日、現地であった式典には地元住民らが多く駆け付け、新駅誕生を祝福した。「復興や新しい社会、未来への歩み」。駅名に込められた思いをかみしめ、東日本大震災からの復興、生活再建を願い、駅を拠点とするまちの発展に期待を寄せた。
 駅の近くには、被災者向けの防災集団移転団地「新蛇田地区」と「新蛇田南地区」が広がる。2018年3月までに5300人が移る見込み。大規模な市街地が形成され、新駅はまちづくりの核となる。
 新蛇田の災害公営住宅に住む無職杉山百合子さん(69)は待合室で時刻表を確認。「夫を市中心部の病院に週3回、車で送迎している。今後は電車が利用でき負担が減る」と歓迎した。
 駅周辺には石巻西高や石巻運転免許センター、医療・福祉機関といった公共施設も多く立地する。新駅は震災以前から課題だったアクセスの不便さ解消にもつながる。
 東松島市矢本地区に住む石巻西高2年木村優花さん(17)は4月から、自転車通学から電車通学に切り替える予定。「駅舎は予想以上に立派で、通学が楽しくなりそう。集団移転団地の住民の生活が便利になればうれしい」と喜んだ。
 集団移転団地と駅を同時に整備する取り組みを見学に来た人もいた。名取市の看護師野崎美奈子さん(29)は「団地の居住者が増えれば、この駅の存在はきっと大きくなる」と語った。


<仙石線>石巻あゆみ野駅開業 復興へ前進
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市で26日、JR仙石線の新駅「石巻あゆみ野駅」が開業した。仙石線の新駅誕生は、2004年の小鶴新田(仙台市宮城野区)以来12年ぶり。
 あゆみ野駅は陸前赤井(宮城県東松島市)−蛇田(石巻市)間に立地し、石巻市の防災集団移転団地「新蛇田南地区」に隣接する。待合室やスロープのある上下線兼用ホーム(長さ85メートル)の無人駅。駅前には石巻市が整備した広場や駐輪場などが広がる。1日約300人の利用を見込む。
 現地であった式典には、関係者ら約80人が出席。午前11時31分の上り列車出発と同時に、テープカットとくす玉で開業を祝った。
 亀山紘石巻市長は「駅名には復興への強い思いが込められている。駅周辺の交通利便性向上に大いに期待している」とあいさつ。JR東日本の松木茂仙台支社長は「駅周辺にどんなまちができるか楽しみ。駅と仙石線を通しまちの発展を見届ける」と式辞を述べた。
 あゆみ野駅は、石巻市が移転者の交通手段確保のためJR東日本に要望した請願駅。事業費は約4億8200万円で、市が国の補助を受けて負担した。


<女川町復幸祭>高台へ走れ走れ「復幸男」
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町で26日、「女川町復幸祭2016」(実行委員会主催)が開かれ、県内外からの多くの来場者でにぎわった。
 町の魅力と震災からの復興過程を全国にアピールしようと企画。会場となったJR女川駅前には、地元の水産会社などがサンマのつみれ汁や水産加工品の販売ブースを並べた。
 津波避難の教訓を後世に伝えようと、坂道を駆け上がって順位を競う「津波伝承 女川復幸男」もあり、県内外の222人が参加。女川駅北側の約300メートルを駆け上がった。
 商店街「シーパルピア女川」では、入居する店舗が商品を手作りする体験教室を開いた。サンマの炭火焼き2000匹が無料で振る舞われるなど多彩な催しが繰り広げられ、来場者は思い思いに祭りを楽しんだ。
 仙台市宮城野区から友人2人と訪れた田頭保雄さん(70)は「町の雰囲気も明るく、こちらも元気になる。また町を訪れたい」と話した。


<あなたに伝えたい>いまもファンクラブ会員
岩崎満さん(相馬市)から友美子さんへ
 満さん 震災から5年の間に長男(22)と次男(20)は社会人になりました。4月から長女(17)は高3、次女(11)は小6になります。
 心配しているかもしれませんが、みんな元気にやっています。自宅は2014年8月に再建し、仮設住宅から移りました。
 妻の話を意識して毎日するようにしています。子どもたちの行儀が悪ければ「お母さん、怒るぞ」とか。人間の記憶はいつの間にか薄れてしまいますが、そのスピードを遅くするのはできると信じています。
 妻が大好きだったロックバンド「GLAY」のファンクラブは入会したままです。友美子の名前で会報や誕生日カードが届くのがうれしくて。5年もたつと、妻宛ての郵便物はほとんどなくなりました。
 昨年は限定発売されたライブ映像のブルーレイディスクを買って仏壇に供えました。もし生きていたら買うのを我慢させていたかもしれませんが、今はこれぐらいしかやってあげられません。
 私は26年働いた工場が14年に閉鎖したのを機に退職し、自分で切り抜いた型紙の上からスプレーで色付けするステンシルアートの仕事を自宅で始めました。
 趣味でやっていたのを「その技術もったいない」と言ってくれていましたね。注文がない時も焦らずにやろうと思っています。
 毎朝仏壇に「子どもたちをお願いします」と祈っています。これからも見守っていてください。
◎大好きだったロックバンド「GLAY」
 岩崎友美子さん=当時(41)= 相馬市磯部地区の自宅で津波に巻き込まれ、亡くなった。夫の満さん(46)と子ども4人は無事だった。同居していた満さんの祖母=同(89)=と父親=同(74)=も遺体で見つかり、母親=同(67)=は行方不明のままだ。


<アーカイブ大震災>患者を守れ 懸命の往復
 東日本大震災では物流機能が寸断する中、医薬品不足に対する不安が高まった。卸会社のバイタルネット(仙台市)は地震発生直後に大量の注文を想定し、物流センターの在庫確認や整理などに当たった。津波の被害を受けた沿岸部では、現地支店の社員が被災者が殺到する病院と支店の間を往復し、命をつなぐ取り組みに奔走した。
◎苦闘 企業の前線供複粥鉾鏈卉呂北運ぶ(仙台・バイタルネット)
 2011年3月11日、宮城県名取市にあるバイタルネットの名取物流センター。物流企画室の上野勝己課長(38)は激しい揺れが収まったのを受け、社員20人とヘルメットをかぶり、停電で機能が止まった保冷庫に向かった。
 中にはワクチンや血液製剤が入っている。温度が上がれば全部駄目になってしまう。「急いで移さなければ」。災害マニュアルに従って、バケツリレーで駐車場の保冷車に運び込んだ。
 続いて、上野課長は今後の事態を予測し、ヘルメットのひもを締め直した。
 新潟物流センター(新潟市)に勤務していた2004年、新潟県中越地震に遭っている。被災地でどれほど医薬品が必要とされるのか。患者治療に加え、家と一緒に常備薬を失った被災者対応で混乱する医療機関の様子が浮かんだ。
 「すぐに大量注文が来る。発送できる準備を急いで整えるんだ」と指示した。
 センターは建物に大きな損傷はなかった。ただ停電でホストコンピューターが停止。棚から散乱した8500種類に及ぶ在庫の確認は、全て手作業で行うしかない。
 社員はヘッドライトの明かりを頼りに、余震の恐怖に身を固くしながら、種類ごとに整理した。
 併せて、災害優先電話を使って関西のグループ会社やメーカーに新たな医薬品の納入を依頼。センター併設の南仙台支店を通じて近隣の医療機関への発送も始めた。
 バイタルネットは新潟を含む東北7県と関東などに47の支店を持つ。震災ではこのうち岩手、宮城、福島3県を中心に15支店が被害を受けた。納入先の医療機関、調剤薬局の被災は約800カ所に上った。
 津波と大規模火災に見舞われた宮城県気仙沼市でも、多くの開業医や調剤薬局が被災した。高台にある市立病院には1日1000人を超す患者が詰め掛けた。
 駐車場の浸水にとどまったバイタルの気仙沼支店は連日、社員が交代で病院に張り付いた。「手書きの注文書を手に支店との間を自転車や徒歩で往復した」と、畠山和義係長(41)は振り返る。
 同支店は中心部が壊滅的となった宮城県南三陸町も管轄する。薬の注文は増え、通常2週間分の在庫はみるみる減った。
 名取物流センターからの1日1便の配送が確保されたのは震災3日後の14日朝。社員らは薄氷を踏む思いだった。佐々木昭支店長(51)は「在庫は13日でなくなっていた。ギリギリで間に合った」と打ち明ける。
 その後、ガソリン不足などの要因も加わった医薬品不足は業界挙げての取り組みで解消。名取物流センターの在庫も3月17日時点で震災前を上回った。気仙沼を含む支店の在庫も同時期に8割まで戻った。
 一方で業界の課題も浮き彫りになった。避難所には医薬品が十分に届かなかったのだ。卸会社は医療機関への供給が基本で、それ以外には都道府県の要請がなければ届けられない仕組みがネックになったともされる。
 「避難所に医師を派遣する大学病院や災害派遣チームなどと、どう連携するか」とバイタルの村井泰介副社長(57)。東北の9社が加盟する東北医薬品卸業連合会での緊急時共同配送のシステム化も検討中で、「震災の教訓を踏まえ、連携強化を図りたい」と語る。(山形泰史)=2011年9月6日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


追悼の竹灯ろう ネパールへ
ネパール大地震から1年にあわせて行われる現地の追悼式で、阪神・淡路大震災の追悼行事で使われた竹灯ろうがともされることになり27日、神戸市で現地に向かうNGO団体に竹灯ろうが手渡されました。
去年4月25日にネパールで起きた大地震では、およそ9000人が犠牲になり、90万棟の建物が被害を受けました。
地震で親を亡くした子どもたちの支援をしている兵庫県西宮市のNGO団体は、地震から1年の来月、現地で追悼式を行い、ことし1月の阪神大震災の追悼行事で使われた竹灯ろうをともすことにしていて、27日、神戸市中央区の東遊園地で地元のボランティア団体から竹灯ろうが贈られました。
また阪神大震災の犠牲者を悼む「希望の灯り」からランタンに火が移され、NGO団体に渡されました。
NGO団体は現地の遺児たちのために文房具やボールなども届けることにしていて、団体の吉岡昌子さんは「現地では復興した神戸の経験を紹介してどんな災害の中でも希望をもって生きていくことが大切だと伝えたい」と話していました。


河北春秋
 源氏物語の主人公、光源氏が「塩釜に住んでいたかもしれない」と聞いて歴史ロマンをかき立てられた。光源氏のモデルの一人とされる源(みなもとの)融(とおる)(822〜95年)は、陸奥出羽按察使(あぜち)に任命され、塩釜に屋敷があったと伝わる▼京都市下京区には「本塩釜町」「塩釜町」の町名が残っている。融はこの付近に塩釜の海風景を再現した「河原院の庭園」を造営した。わざわざ海水を運んで池に注ぎ、魚を放った。塩釜の御釜神社に伝わる藻塩焼(もしおやき)神事と同様に塩も作ったらしい▼按察使は東北を監督するのが職務だが、実際は赴任しない遥任(ようにん)で、塩釜を訪れなかったという説もある。ただ、今で言うテーマパークを京に造ってしまったことからして、憧れの地であったのは間違いなさそうだ▼融が時の政府高官だった869年、津波の規模で東日本大震災と比較される貞観地震が起きている。「朝廷にあって、震災復興の指揮を担ったのがこの人物だったのではないか」。本紙「持論時論」で以前、郷土史家の方が歴史を読み解いていた▼NPO法人が運営する明治初期の建築物「旧えびや旅館」(塩釜市本町)に4月、京都・本覚寺にある融像をかたどった木像が置かれる。融は1100年ぶりに塩釜に居を構え、愛してやまなかった第二の故郷の復興を見守る。

週のはじめに考える 福島はふるさとだから
 東日本大震災から五年たち、被災地の復興はまだら模様です。福島第一原発事故に苦しむ福島県で、幸せな暮らしを求めて動きだした人たちがいます。
 「宮城や岩手の住宅再建のスケジュールは見えてきた。原発事故のあった福島県は除染に時間がかかる。賠償もある。復興はその後になる。復旧のスピードが被災地間で色分けされてきた」と復興庁の岡本全勝(まさかつ)次官は総括します。
 福島県では今も十万人近い人が避難生活を送っています。津波被災地ではやっとがれきの処理に手が付いたところです。スピードを上げて進める必要があります。
◆「いいたて」の名を
 それでも五年です。
 原発事故後、ツイッターに「放射能が降っています。静かな夜です。」と書いた福島市在住の詩人和合亮一さん。「最近やっと、福島の回復を表現したいと考えるようになりました」と話します。
 住民の考え方はさまざまです。今回はふるさとに戻ろうとしている人たちの話を書きます。
 「日本で最も美しい村」連合に入っている飯舘村。今も全村避難が続いています。帰還に向けて、菅野元一さんは作業小屋を建て直しています。
 生まれたとき、両親が植えた杉を使います。イグネと呼ばれる屋敷林でしたが、除染のために伐採しました。表皮を剥げば放射能の心配はないそうです。作業小屋というより立派なログハウスになりそうです。今日二十七日、上棟式をします。
 震災時、岩瀬農業高校校長だった菅野さんは、これまでにジャガイモ「イータテベイク」やカボチャ「いいたて雪っ娘(こ)」などの新品種を作りました。今もナスの改良に取り組み、完成したら「いいたて」の名を付けた新品種にするつもりです。
◆スイーツで振興を
 一昨年春、避難指示が解除された田村市都路町。対象地域の住民約三百四十人のうち、戻った人は六割ぐらいです。
 先週、黄色いトレーラーハウスの「みやこじスイーツゆい」が開店しました。地元の特産品「都路のたまご」を使ったスイーツ「とろ〜りなめらかプリン」や「じゅうねんシフォンケーキ」などを販売しています。
 仕掛け人は同町商工会長の渡辺辰夫さん。東京で修業した後、故郷に戻ってレストランを開業しました。自宅は原発から二十キロ圏内。レストランは二十キロ圏から約六十メートル外側でした。
 地元の農産物を加工、販売することで、若いお母さんが働ける場を、と考えたのです。女子高生らに案を出してもらいました。昔からの人脈のおかげで、ザ・プリンス・パークタワー東京の製菓料理長、内藤武志さんがレシピを書いてくれました。
 エゴマは「食べると十年長生きする」と言われ「じゅうねん」と呼ばれます。地元の農家が栽培します。スイーツで地域の活性化を目指しています。
 同じ阿武隈山地にある川内村も、住民の帰還率は六割ぐらいですが、「新村民」が少しずつ現れています。
 商工会には「村がなくなる可能性があると聞いて」仙台市からUターンした男性が働いています。
 村役場には「夫の故郷なので、二年前、家族で引っ越してきた」という若いお母さんや、大手自動車会社を早期退職して第二の人生を歩み出した男性がいます。
 同村では今年からマラソン大会を開きます。村外のマラソン大会に出た小学生が「これからの村」を考えて出したアイデアを、村中で実現させたのです。
 もちろん、問題もあります。
 同県三春町在住の芥川賞作家玄侑宗久さんは「今、この国は東京五輪がしたい。そのために原発を動かしたいのだろう。新潟県の柏崎刈羽原発がダメなら福島第二原発を、とならないか」と心配します。第二原発のある楢葉町は、避難解除後も住民は約5%しか戻っていません。
 不安があっても頑張る人が現れるのはなぜでしょうか。答えを年配の女性に教えてもらいました。
 「私たちは原発事故で大変な目に遭ったの。だから、幸せにならなくてはいけないのよ」
◆知識や技術で支援
 堤防を造ったり、住宅地を整備したりするのにはまだ、時間もお金もかかるでしょう。しかし、もう五年です。住民一人一人が幸せになることも考えるときです。
 実は、菅野さんの造る作業小屋は、東大の研究者らの協力で室内の放射線量を継続的に測定する予定です。帰還を考える村民の参考になると考えています。
 被災地では手に入りにくい知識、情報、技術などを提供することも重要な支援なのです。


再稼働止める 代々木で大規模集会
 東京電力福島第一原発事故から五年が経過した中、原発再稼働ストップなどを呼び掛ける大規模集会が二十六日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれた。主催者発表で約三万五千人が集まり、参加者らは「原発のない未来へ」「つながろう福島」などと訴えた紙を掲げ、脱原発への思いを新たにした。
 作家の沢地久枝さんが登壇し、原発輸出推進や安全保障関連法施行など安倍政権の政策に触れ、「私たちはなめられている」「それが日本人の意思であるように言う政治家らを、このままにしておいていいとは思わない」と憤った。東電元幹部らの刑事責任を追及している福島原発告訴団副団長の佐藤和良さんも「福島を切り捨てる政権の原子力推進政策を許すわけにはいかない」と怒りをぶつけた。
 生後十一カ月の長女を連れて参加した横浜市の主婦戸原貴子さん(39)は「五年前の事故で原発や放射能の怖さを知った。事故処理も終わっていない中で原発を再稼働することには反対」ときっぱり。祖母が広島で被爆したという東京都練馬区の元教師西田昭司さん(69)も「核兵器だけでなく、原発も絶対やめなければならない」と訴えた。
 参加者らは集会後、代々木公園周辺をデモ行進し、脱原発への理解を呼び掛けた。


機児童 子供本位の抜本対策を
 「保育園落ちた」の匿名ブログを機にクローズアップされた待機児童問題で、政府は小規模保育や一時預かりなどを拡充する緊急対策を検討している。だが、既存の施設に乳幼児を詰め込むような小手先の案が多く、これで親たちの怒りや不安が静まるとは思えない。
 国がまず考えるべきは子供が健全に育つ環境の整備であり、緊急対策とは別に子供本位の抜本的な改革が必要だ。
 認可保育所は年々増えているのに待機児童が減らないのは、低賃金の非正規雇用や夫婦共働きの増加によるものと言われてきた。しかし、切実に保育所を求める親たちが多数いるのに、国も自治体も「待機児童」の定義を狭くしてニーズから目を背けてきたことに大きな原因がある。
 塩崎恭久厚生労働相は、定義から外れて待機児童と認定されなかった子供が昨年4月時点で4万9000人いたことを明らかにした。同時点で自治体が待機児童と認定したのは計2万3167人。その2倍以上の潜在的な待機児童がいたわけだ。
 従来の厚労省の定義では、自治体が提示した施設を断って別の施設を希望したり、自治体が補助する認可外施設に入ったりした場合、待機児童の対象外になる。しかし、通勤経路から離れた施設やきょうだい別々の施設を提示され、やむを得ず断る人もいる。空きがないため育児休業を延長したり、保育所を求めて別の自治体に転居したりする人も考慮すると潜在待機児童はさらに膨らむ。
 待機児童の8割以上が0〜2歳児で、その多くが首都圏や大阪などの大都市に住んでいる。緊急対策で定員増が検討されている小規模保育所は、原則0〜2歳児を預かり、空き店舗やマンションの一室でも開設できるため、都市部の受け皿として有力視されている。
 しかし、職員全員に保育士資格を求められる認可保育所と違って、職員の半数以上が保育士であれば認可される。狭い部屋に多数の乳幼児が預けられることと合わせ、保育の質の低下が懸念される。
 一時預かりを常時利用できるようにする案もあるが、緊急時に一時預かりが不足する心配もある。
 匿名ブログについて国会で質問された当初、政府の対応は鈍かった。親たちの怒りが噴き出し、慌てて対策を迫られた認識の浅さが緊急対策に表れているのではないか。
 抜本的には保育士の量と質を高め、認可保育所を増設することが必要だ。野党側は保育士の給与を月5万円増やす法案を提出する予定という。定員割れしている幼稚園の活用も含め、考えられる政策を総動員して待機児童の解消に努めるべきだ。


大学入試改革 具体的な設計で着実に
 大学入試が変われば高校と大学の教育も改善される。古くからそう論じられてきた。
 だが容易ではない。
 現大学入試センター試験に代わる「大学入学希望者学力評価テスト」を軸に、高校と大学をつなぐ「抜本的な改革」を論議した文部科学省の専門家会議が最終報告を出した。
 知識や技能だけでなく、思考、判断、表現の力や主体的な探求性などを重視し、従来のマークシート解答方式のほか、記述式を導入する。
 グローバル化や産業構造などの急速な変化にも対応できる人材育成が念頭にある。暗記と択一解答的な学力から、主体的な思考で一つではない「正解」を探る「課題解決型」学力への転換は、時代の要請ともいえよう。記述式だけでなく、マークシート方式でもそうした考えに沿って、設問を改めるという。
 その理念には賛成だ。
 しかし、2020年度から実施予定という差し迫ったタイムスケジュールの中で、50万人を超すと想定される受験生の記述答案を、安定した採点基準で、短期間に公平に処理する人手やシステムは組めるのか。
 民間への委託や人工知能(AI)の活用なども論じられているが、確たる見通しはない。
 また記述式出題の教科や量も、当面国語と数学に限り、40〜80字の短文から始める。かたちは自由な記述ではなく、条件をつける。採点しやすくするためだが、「それでどこまで思考力が測れるだろうか」という疑問の声もある。
 さらに気になるのは、この論議がまだ高校や大学側の理解を十分に得ているといい難いことだ。
 高校は授業方法や学力観の転換が必要になり、大学は「評価テスト」の結果を生かしながら個別入試の独自性を強め、時間をかけた人物評価など多面的な選抜を求められる。
 また高校は「高等学校基礎学力テスト」も設けて利用できるようにし、学習改善指導に生かす考えだ。
 それらが一体にかみ合って改革は実を結ぶが、それにはまだ遠い。
 特に画期的なこととして注目される「評価テスト」の記述式は、実現性に不透明感もあり、将来の受験生が困惑、混乱する事態を避けるためにも実証的な検討を重ねたい。
 今後、文科省は改革全体の制度設計を進め、17年度初めには新共通テストの実施方針を示すという。
 その間開かれた論議をし、とりわけ高校や大学の現場の実情や意見を踏まえながら具体化すべきだろう。
 「結論ありき」ではなく、地に足の着いた着実性を求めたい。何より「ここまで来たら引き返せない」という空気は禁物である。

赤軍-PFLP 世界戦争宣言(1971)

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縁切榎

Au Japon, le Shinkansen relie désormais Tokyo à l’île d’Hokkaido
Et le ≪ rêve des habitants d’Hokkaido ≫ devint réalité. Harumi Takahashi, la gouverneure du département insulaire le plus au nord du Japon peut se réjouir. Le Shinkansen, le système de trains à grande vitesse japonais, connu depuis sa création en 1964 pour la qualité de ses services et sa métronomique ponctualité, s’est enrichi d’un tronçon de 149 km samedi 26 mars. Celui-ci relie Shin-Aomori, dans le nord de l’île principale de Honshu, et Shin-Hakodate-Hokuto, nouvelle gare proche de la ville portuaire d’Hakodate, dans le sud de l’île d’Hokkaido.
D’un coût de 550 milliards de yens (4,3 milliards d’euros), cette prolongation de la ligne qui reliait jusqu’à présent Tokyo à Aomori place désormais la capitale à 4 h 02 de Shin-Hakodate-Hokuto, soit 53 minutes de moins qu’auparavant. Aujourd’hui longue de 863 km, la ligne devrait rejoindre la capitale régionale Sapporo au plus tard en 2031.
Cette ouverture représente une nouvelle étape du vieux projet de liaison ferroviaire de l’île principale avec Hokkaido. Evoqué pendant l’ère Taisho (1912-1925), celui-ci a pris une tournure décisive après le naufrage, en 1954, du Toya Maru, un ferry géré par la compagnie nationale des trains et assurant la liaison entre Honshu et Hokkaido. Le drame avait fait plus de 1 100 morts. Il avait incité les autorités à creuser le tunnel ferroviaire de Seikan, inauguré en 1988 et mesurant 53,85 km de long. Le projet d’une ligne de Shinkansen, lui, datait de novembre 1973.
Territoire rural et hivers rudes
Ayant constaté que l’ouverture, en 2015, du Hokuriku Shinkansen – qui dessert Kanazawa, sur la cote de la mer du Japon, depuis Tokyo – avait permis d’augmenter de 80 % la fréquentation touristique de la région, les autorités d’Hokkaido attendent beaucoup de leur liaison. ≪ Elle va dynamiser l’économie du département ≫, estime la gouverneure, qui table sur une intensification des échanges touristiques avec l’Asie.
La nouvelle liaison est gérée par les compagnies ferroviaires régionales JR East et JR Hokkaido. Pour cette dernière, c’est une occasion d’améliorer une image ternie par plusieurs scandales. JR Hokkaido a complètement réformé sa direction en 2014 après des révélations sur des falsifications de rapports d’inspection et des négligences dans l’entretien de pièces défectueuses à l’origine du déraillement d’un train en septembre 2013.
La compagnie a enregistré un déficit d’exploitation à 41,5 milliards de yens à l’exercice clos fin mars 2015. Outre l’impact des scandales, ses difficultés viennent des conditions particulières du territoire qu’elle couvre. Région essentiellement rurale, Hokkaido souffre d’un déclin démographique régulier et connaît des hivers particulièrement rudes, qui obligent la compagnie à continuer d’utiliser des trains au diesel.
Dans le même temps, des doutes s’expriment sur la rentabilité de ce nouveau tronçon. Dans le tunnel de Seikan, les trains rapides partageront les lignes avec les convois de marchandises, ce qui augmente les exigences en matière de sécurité. JR Hokkaido pourrait perdre 5 milliards de yens par an pendant trois ans uniquement sur l’entretien du réseau dans le tunnel. Il faut par ailleurs surveiller l’accumulation de la neige sur les caténaires.
Taiji legal battle: court backs activist over baby dolphin kept in aquarium
Victory for animal rights after Japanese court awards Australian activist 110,000 yen after museum refused her entry to check on captive bottlenose
Animal rights activists have claimed a significant victory in its battle to end Japan’s dolphin slaughter after a court ruled that an aquarium in Taiji – where hundreds of dolphins are killed every year – acted illegally when it refused entry to an Australian campaigner.
The court in Wakayama, western Japan, on Friday awarded 110,000 yen (£690) to Sarah Lucas, head of Australia for Dolphins, who had attempted to enter the Taiji whale museum in 2014 but was turned away and shown a cardboard sign saying “anti-whalers” were not welcome.
Lucas had intended to check on the welfare of a baby albino bottlenose that had been kept at the museum since being separated from its pod and captured earlier in the year. The museum reportedly paid $500,0000 (£354,000) for the animal.
Lucas said the rare dolphin, called Angel, was being kept in a tiny crowded tank full of chlorine, and was being bullied by other dolphins.
“The legal battle to save Angel is much bigger than a rescue mission to save one albino dolphin calf,” Lucas said after the verdict.
“This win proves the Taiji whale museum, the institution at the heart of the dolphin hunting trade, behaved illegally. It also shows the Taiji dolphin hunts are not above the law, which means the Japanese legal system can be used to end the cruel dolphin hunts for good.”
Tetsuo Kirihata, deputy chief of the Taiji museum, said he was satisfied with the verdict because the initial demand for damages had been for about 3m yen.
“We feel much of our case was taken into account by the court,” he told Associated Press. Kirihata said the dolphin was eating well and getting along with other dolphins, with regular blood tests showing it was healthy. What to some might look like bullying was, in fact, “part of regular activity in nature,” he added.
The museum is owned by the town government in Taiji, the setting for the Oscar-winning 2009 documentary The Cove, which showed fishermen driving pods of dolphins into shallow water before killing them with knives.
The use of the drive method has attracted widespread criticism, including from the US ambassador to Japan, Caroline Kennedy.
International pressure on Taiji to distance itself from the global trade in dolphins intensified last year when aquariums in Japan voted to stop buying live specimens from the town to avoid expulsion from the world’s leading zoo organisation.
The move came after the Guardian revealed that the World Association of Zoos and Aquariums (Waza) had been targeted in a court action launched by Australia for Dolphins. The group accused Waza of being complicit in the hunts by failing to take decisive action against Japanese aquariums.
The museum in Taiji, however, quit the Japanese branch of the world association in protest, with local fishermen vowing to continue the hunts.
During the most recent season, which ended last month, Taiji’s fishermen killed 652 dolphins and took 111 into captivity, according to figures supplied by the Sea Shepherd marine conservation group.
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NNNドキュメント 3・11大震災シリーズ(71)
THE 放射能 人間vs.放射線 科学はどこまで迫れるか?

福島第一原発事故は、推定90万テラベクレルという膨大な放射能を放出した。セシウム、ストロンチウムをはじめ、聞いた事もないテルルといった多様な核種が大地を汚染した。人も動物も昆虫も植物もその中で生きていかねばならない。「放射能」は、人や生態にどんな影響を与えるのか。100ミリ以下=低線量被ばくの健康への影響はあるのかないのか?科学者の間でも意見が真っ二つに分かれるのはなぜか?最先端の研究と映像で迫る。
nona 日本テレビ 

希望の街、列車が走る〜石巻線・ゆめのまち列車プロジェクト〜
去年3月、震災以来4年ぶりに全線開通した石巻線。その車体に被災地の小学生が自由にイラストを描いて走らせる企画が立ち上がった。テーマは「街の魅力」。初めはうまく表現できない子供たち。しかし、絵本作家・荒井良二さんのアドバイスを受けながら、少しずつ自分の記憶の中にある大切な街の風景を思い出していく。それぞれが自らの内面と向き合った記録。

EN系の問題に関して第5回までどうにか頑張りました.でもクタクタ.
映画を見に行くことにしました.赤軍-PFLP 世界戦争宣言(1971)です.九条の映画館で上映なのに間違って十三に行ってしまいました.しまった〜ということで慌てて南に.どうにか間に合いました.
映画では武装闘争が高く評価されていたのは70年代という時代背景があってのことかもしれません.共産主義者同盟赤軍派のメンバーや日本赤軍の若き重信房子さんなどが出ています.国際連帯を高く掲げているのは現時点でも評価できるのではないかと思いました.

<震災遺構>大川小全体保存 門脇小は一部
 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の被災校舎について、亀山紘市長が震災遺構として全体を保存する方針を決めたことが25日、分かった。もう一つの候補に挙がっていた門脇小の校舎も一部を保存する。26日に記者会見を開いて保存を正式に表明する。
 関係者によると、市は1自治体一つしか認められていない復興庁負担の震災遺構の初期費用を門脇小に充て、大川小は防災教育のモニュメントと位置付けて保存する方向で国と細部を詰めている。門脇小の方が保存のための費用がかさむためという。
 大川小は「存置」という考え方で校舎をそのまま残す。「校舎を見たくない」という遺族らの心情に配慮し、周辺を公園化して植栽などで囲むことを検討している。
 老朽化している門脇小校舎は耐震補強に掛かるコストが膨らむ上、地元住民の反対もあり、市は全体保存は難しいと判断。一部もしくは部分的な保存にとどめることにした。保存場所は現地か、隣接する南浜地区にできる復興祈念公園に移設する方向で調整している。
 市の庁内組織・震災遺構調整会議の試算によると、大川小の全体保存には、校舎内部の公開活用の有無で6億6700万〜2億2300万円の費用が必要。門脇小の部分保存では、公開活用の有無で7億600万〜2億9100万円掛かる。
 両校舎をめぐっては、市の震災伝承検討委員会が2014年12月、亀山市長に門脇小の保存を提言した。昨年5月には地元住民でつくる大川地区復興協議会が大川小の全体保存を要望し、市は両校舎を同列にして保存是非の検討を開始。亀山市長はともに遺構としての価値を認め、保存を検討してきた。
 市が昨年10月に実施した市民アンケートでは、両校舎ともに保存と解体の賛否が拮抗(きっこう)。「時間をかけて話し合うべきだ」という意見も多かったが、亀山市長は「残すべきものは早く残した方がいい」と年度内に結論を出す考えを示していた。
[石巻市大川小、門脇小]大川小の校舎は1985年に完成。震災で児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明、教職員13人のうち10人が死亡した。現在は二俣小の校舎で授業をする。門脇小の校舎は1956〜59年に段階的に建築。震災で津波と火災の被害を受けた。既に下校していた児童7人が犠牲となった。昨年4月、石巻小と統合した。


【東日本大震災5年】 大川小保存、歓迎と落胆 揺れる遺族「議論熟成していない」「変わり果てた校舎、子供は喜ばない」
 大川小の被災校舎が震災遺構として保存される見通しになったことを受け、保存賛成派の遺族は歓迎の意向を示す一方で、反対派の遺族は複雑な心境を吐露した。
 6年生だった長男=当時(12)=を亡くした今野浩行さん(54)は、保存方針を好意的に受け止めた。ただ、「保存をめぐる住民の議論はまだ熟成していない。そうした中で保存方針が示され、反対派の理解が得られるかどうか心配だ」と話し、市が結論を急いだことに伴う弊害を懸念する。
 当時、高学年に在籍していた娘を失った40代の母親は解体を望む立場だ。「震災遺構として残す意義は否定しない」としながらも、「子供たちが大好きだった校舎は震災前の姿で、津波で変わり果てた校舎を保存しても子供たちは喜ぶだろうか」と話した。
 遺族らを対象にした今年2月の市の公聴会では、発言者のうち3分の2が「保存」を、残り3分の1が「解体」を求めた。保存派は「教訓を後世に伝え、悲劇を二度と繰り返さない機運を高める」と述べ、解体派は「被災校舎を見るたびに思い出してつらくなる」などと語っていた。


<楽天>紀香さん「被災地支える」誓いの一球
 楽天Koboスタジアム宮城で行われたプロ野球東北楽天の今季開幕戦(対ソフトバンク)では、女優の藤原紀香さん(44)が始球式を務めた。
 自身の誕生日にちなんだ「628」番のユニホーム姿で登場。山なりに投じたボールは、ワンバウンドして嶋基宏捕手のミットに収まった。藤原さんは「気持ち良かった。本当にきれいな球場でいい雰囲気。風も心地よく、夢のようでした」と感激で瞳を潤ませた。
 藤原さんは日本赤十字社と共に東日本大震災の被災地で支援活動を続けている。「東北の皆さんの思いと他の地域の人の思いが離れないように、東北に寄り添えるように。あれから5年というより、6年目の春という思いで投げました」と話し「できることはまだある」と支援継続を誓った。


<3.11と今>頑張る人 全力後押し
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が突き付けた困難とどう向き合っていくか−。あの日から、東北生まれの人々はそれぞれの立場でふるさとの明日を思い、行動してきた。その先に再生の道が開けてくると信じて。
◎東北魂(1)青空応援団団長 平了さん=仙台市
 膝下まである長い学ラン、ズボンは幅広のドカン。30〜40代の男たち10人が、底冷えのする体育館にはだしで立つ。
 社会人応援団「青空応援団」が1月、宮城県亘理町逢隈中を訪れた。団長、平了さん(37)=仙台市青葉区=の講演と応援指導だ。
 くすくす。ニヤリ。ひそひそ。バンカラな風体に、生徒たちはざわついた。
 「こら。人が一生懸命やっていることを笑ったり、ばかにしたりするな」
 一喝され、水を打ったように静まる生徒たち。
 「人を応援できない人に応援される資格はない。君たちには、夢に向かって頑張る友達を応援できる人になってほしい」。平さんは言葉をつないだ。
 「フレェー、フレェー」
 高く腕を掲げ、体を反らし、声を振り絞ってエールを送る。団旗が舞う。
 青空応援団は2013年6月、元仙台一高応援団長の平さんが結成した。
 団員は全国に約100人。自営業の平さんをはじめ、仕事の合間に手弁当で活動を続ける。週1回の練習を欠かさず、体を鍛え、己を律す。
 マラソン大会、運動会、結婚式、夏祭り。依頼があれば全国どこへでも。14年にはパリのジャパンエキスポで演舞を披露した。
 個人の応援も請け負う。余命3カ月と告げられ自暴自棄になっていた男性はエールに自らを奮い立たせ、1年半生き抜いた。頑張る人を応援で後押しする。
 東日本大震災。平さんは友人の女性を仙台市若林区を襲った津波で亡くした。「友人の子どもの視界から、母親を奪った震災の爪跡を消したい」。直ちに行動を起こした。スコップを握り、山となっていたがれきを取り除いた。
 直後に人助け集団「スコップ団」を組織。有志を募り、沿岸で泥かきや家屋の清掃に当たった。
 土を掘るのが怖くなるほど多くの遺体に出合った。女性とみられる手は、別の小さな手を握りしめたままだった。
 志半ばで絶たれた数々の命に触れ、人生の「持ち時間」を意識した。時間を無駄にすることは命を浪費することだ。きょうを死ぬ気で生きよう。
 支援の手薄な部分に目が向いた。被災ペットの保護や遺体安置所にドライアイスを運ぶ活動などにも力を注いだ。
 〈何かっこつけてんだ〉。情熱をせせら笑いたがるやからはいつの世もいる。
 唾を吐くようにまき散らされた書き込みを一蹴した。「やりもしないくせに足を引っ張るひきょう者を、相手にしている暇はない」
 12年3月10日、犠牲者の鎮魂を祈る2万発の花火を打ち上げ、延べ約8000人に上るスコップ団の活動を休止した。過剰な支援は、被災した人の成長の芽を摘んでしまうのではないかと懸念したからだ。
 助けが要る時はいつでも声を掛けてほしい。でも、ここから先、頑張るのはあなた自身だ。
 支援から応援へ。
 できることに力を貸すのではなく、力を出せるように応援しよう。そして、頑張っても笑われない社会を子どもたちに残そう。
 だから声を張り上げる。心にかかった雨雲は、青空応援団が吹き飛ばす。(伊東由紀子)


漁船で先生離任 被災児童「ありがとう」
 岩手県大船渡市赤崎町の蛸ノ浦小で25日、転任する教職員が船で蛸ノ浦漁港を去る伝統の離任式があった。東日本大震災で校舎が被災し、同小で授業をしている赤崎小の教職員3人と合わせ9人が、児童や地元住民に見送られた。
 教職員は両校児童124人が作る花道を通り、児童一人一人に「ありがとう」「これからも頑張って」と声を掛け、船に乗り込んだ。
 船が大漁旗をはためかせながら漁港を周回すると、児童は全員でお世話になった先生の名前を呼び、見えなくなるまで手を振った。
 蛸ノ浦小に4年間勤務し、定年退職を迎えた小笠原厚子副校長(60)は「明るく素直な子どもたちと一緒に楽しい4年間を過ごせた。これからも元気な姿を見守りたい」と話した。
 船を使った離任は約70年前に始まった。当時はバスの運行がなく、蛸ノ浦小の教職員が渡し船で通ったのがきっかけという。


<震災遺構>校舎保存 教訓伝承の意義重視
 【解説】東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川、門脇両小の校舎について、亀山紘市長が保存する方針を固めた背景には、震災から5年が過ぎ、記憶の風化が進むことへの懸念がある。津波や火災の爪跡が刻まれた学びやを「形ある語り部」として残し、教訓を後世に伝えていく意義を重視した。
 大川小は学校管理下で前例のない惨事が起き、校舎が立つ釜谷地区は住民の約4割が犠牲になった。門脇小が立地する門脇、南浜両地区では539人が死亡・行方不明になった。遺族や住民らの悲しみや喪失感は峻烈(しゅんれつ)だ。
 亀山市長は両校舎を同列に捉え「犠牲者を追悼し、伝承する遺構としての価値は十分にある」として保存、解体の両者が納得できるような解決策を模索。解体を望む人にも配慮した形で残す道を選択した。
 苦渋の政治決断は、校舎を生かした教訓の伝え方や防災の在り方について議論を深める出発点となる。「校舎を見るのがつらい」「校舎を壊して隅々まで捜し、わが子の手掛かりを一つでも見つけたい」などの沈痛な思いや、声を上げられない人の心情をくみ取る努力も求められる。
 両校舎の維持管理には多額の税金が要る。生活再建の途上にあり、遺構に思いをいたす余裕がない被災者らにも保存の意義を丁寧に説明する必要がある。大震災の教訓を次代を担う若者や未来の子どもたちにどう引き継ぐのか。最大被災地のトップが負う責任は一層重みを増す。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の被災校舎について、亀山紘市長が震災遺構として全体を保存する方針を決めたことが25日、分かった。もう一つの候補に挙がっていた門脇小の校舎も一部を保存する。26日に記者会見を開いて保存を正式に表明する。


<アーカイブ大震災>駅前拠点に帰宅難民殺到
帰宅難民 地下街に収容
 東日本大震災では、東北の中枢都市・仙台の宿泊施設の災害対応が試された。震災発生当日、大量に発生した帰宅難民にどう対処すればいいか。全国から駆けつけた復旧作業関係者を、どう支援するか。仙台駅前に立地するJR東日本グループのホテルメトロポリタン仙台は、設備損傷などの被害を受けた状況下で、可能な対応を続けた。
◎苦闘 企業の前線供複魁飽汰瓦鯊莪譴法淵曠謄襯瓮肇蹈櫂螢織鸚臑罅
 2011年3月11日午後8時すぎ、ロビーとレストランがあるホテルの1、2階は800人を超える避難者でほぼいっぱいになっていた。
 従業員や利用客は地震発生直後、屋外にいったん避難。雪が降りだしたため屋内に戻った。
 そこに仙台駅が立ち入り禁止となり、帰宅難民となった駅利用者が続々と集まってきた。
 20階建てのホテルも給水タンクが壊れるなどした。天井からの水漏れは激しくなるばかり。非常用電源も漏水の影響でフル稼働できず、館内の気温は下がり続けた。
 現場を指揮していた吉田亀義企画部長(54)は「これ以上はお客さまをここに置いておけない」と強く感じた。
 隣のエスパル仙台店は非常用電源が保たれていた。エスパル、ホテルを運営する仙台ターミナルビルの菊池真澄社長(64)や、ホテル総支配人でもある紺野純一常務(61)は東京出張中。吉田部長は現場の判断で、避難場所をビル地下の飲食店街に移すことを決めた。
 避難者には、ホテルの調理場で作ったおにぎりやビルのテナントから提供してもらったパンなどを配り、一夜を明かしてもらうことにした。
 吉田部長らは同時に、1回線だけ利用できた災害用電話を使い、受け入れ可能な公的避難所を探した。余震が続く中、ホテルもエスパルも安全かはまだ分からず、食料確保のめども立たないためだ。
 翌12日午前7時すぎ、「近くの避難所に移動してください」と避難者に伝えた。複数の避難所の場所を記した地図も希望者一人一人にコピーして渡した。
 「観光客から『ホテルでは受け入れてもらえないのか』と言われ、『お使いいただけません』と答えるのはつらかった」。吉田部長は振り返る。
 この日、ホテル再開に向けた取り組みもスタートした。菊池社長、紺野常務らが東京からタクシーで到着。エスパル1階の広場に設けた対策本部で幹部会議を開いた。
 「中心部にあるホテルは被災地復旧の拠点になる。全国から集まる支援団体の受け入れが想定される。ホテル自体の復旧速度を上げよう」。菊池社長はこう呼び掛けた。
 その後、社長の言葉通り、宿泊の問い合わせが相次ぐ。シャワーは一部しか使えないが、安全は確保されていた。ホテルは4月1日の暫定営業再開を決め、復旧応援の行政や企業の関係者優先で受け入れを始めた。
 受け入れ2日目の朝、朝食会場には洋食が並んだ。調理場は未復旧のガスに代わり、電磁調理器で対応した。
 「被災地の復旧を早く進めてもらうためにも、食事はしっかり出したかった」。総支配人の紺野常務は強調する。
 ホテルは4月16日、損傷した設備やガス復旧などを受けて通常営業に戻った。6月半ばまでは復旧作業の関係者と一般客で満室状態が続いた。
 その建物壁面には4月8日からお盆まで、大きな懸垂幕が掲げられた。
 「頑張ろう東北〜『宮城』『杜の都・仙台』の絆と力を信じて」
 内容を考えた一人が営業企画担当課長の鈴木陽子さん(43)。「人と人とのつながりを深め、一緒に前に進んでいきたい」。利用客や市民の安全を第一に考え、被災地復旧の後方支援に取り組んだスタッフみんなの願いを、メッセージに込めた。(山形泰史)=2011年9月5日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


河北抄
 5年前と言えば、東日本大震災発生から半月後。まだまだ混乱の中にあった。発生後の課題の一つに安否確認がある。
 地震被害が大きかった大崎市。サーバーの転倒などで市ホームページ(HP)が更新不能となり、講じた手段が代理掲載だった。3月11日夕に姉妹都市の北海道当別町に衛星電話で依頼。被害状況や避難所開設一覧を衛星電話や職員の携帯電話メールなどで懸命に町に伝え、数時間後に町HPに第1弾が掲載された。
 並行して総務省と宮城県の各HPに当別町HPへのリンクを依頼。18日の市HP復旧まで威力を発揮した。「当別町HPへのアクセス数は普段の10〜20倍だったそうです」と当時の市秘書広報課補佐の八木文孝さん(現生涯学習課長)。
 「震災3年前の岩手・宮城内陸地震で市HPへのアクセス数が3倍に増えた経験から、市として必ず発信したかった」。災害時、HP代理掲載の協定締結の動きは今、全国で広がりつつあるという。
 見知らぬ土地で新生活を始める人々も多い新年度。備えは重層的に過ぎることはない。教訓や知恵を生かしたい。


7割「住宅決まらず」 無償提供打ち切り後、福島県調査
 震災と原発事故に伴う自主避難者らへの民間借り上げ住宅などの無償提供が来年3月で打ち切られることを受け、県は25日、対象世帯への意向調査の中間取りまとめ状況を発表した。打ち切り後の住宅が決まっていない世帯は回答した6091世帯のうち70%の4285世帯に上り、早急な対策が求められる状況が浮き彫りとなった。
 25日に県庁で開かれた新生ふくしま復興推進本部会議で示した。調査は1月25日から県内外の1万2600世帯を対象に郵送で実施。県内外に避難している自主避難者のほか、地震や津波で被災し、仮設住宅で暮らす避難者が含まれる。県内外の借り上げ住宅に住む9944世帯のうち、回収率は2月末時点で61.3%。
 県内避難世帯のうち住宅が決まっているのは1101世帯(37.9%)で、決まっていないとする1784世帯(61.4%)を大きく下回った。県外避難世帯は「住宅が決まっている」が673世帯(21.1%)、「住宅が決まっていない」が2501世帯(78.5%)と県内より差が広がった。
 また、「来年4月以降に県内で生活する」とする割合について、県内避難世帯は住宅が決まっているかどうかにかかわらず、ともに約90%になった一方、県外避難世帯は住宅が決まっている世帯が約50%、決まっていない世帯が約10%と意識の差が明確に表れた。
 県は5月上旬から、住宅を確保できないと回答した世帯や回答のない世帯を対象に戸別訪問し、総合的な住宅支援策を紹介するなどして住宅確保に向けてサポートする方針。


河北春秋
 九州新幹線が全線開通したのは震災の翌日だった。そのため、お祝いCMがしばらく放映自粛になった。走行中の車内から新幹線に手を振る住民を撮ったその映像は感動的だ。5年後のいま、動画投稿サイトで見ても喜びが伝わってくる▼ホームで田んぼで校庭で。屋根で歩道橋で船の上で。ダンスするグループや花嫁衣装の女性もいる。博多−鹿児島中央間約260キロの地域が、鉄路開通をキーワードに一つになった。きょう開業する北海道新幹線沿線も、きっとそうだろう▼被災地を一つにしたのが、選抜高校野球に出場した釜石だ。きのうの2回戦で敗れたが、初戦は胸を熱くさせた。相手の小豆島(香川)も選手は地元の子ばかり。打った、捕ったにドキドキする互いのスタンドと地元。学区民運動会のような素朴で温かい応援が、とてもよかった▼何かに似ている。そう、祭りだ。思いを同じくすることで醸し出される地域愛。長く住んでいる人も移り住んできた人も、気持ちを通い合わせられるフラットな時間。そんなことを続けたり積み重ねたりしながら、郷土は出来上がっていくのだろう▼JR仙石線にきょう、「石巻あゆみ野駅」が開業する。列車に手を振る人もいるかな。集団移転した被災者が、地域と溶け合う機会になればいい。

消費増税延期論/経済失政認めることが先だ
 税率を10%に引き上げる来年4月の消費税増税を見送ることが、あたかも決まったかのような政治状況である。
 そのための布石を、安倍晋三首相とその周辺は次々と打ってきた節がある。
 増税を延期する条件として首相は「リーマン・ショックや(東日本)大震災級の事態」をずっと挙げてきた。
 だが年明け以降、「世界経済の大幅な収縮」が条件に加わり、さらには「税率を上げても、税収が上がらなくては元も子もない」と、増税に伴い景気が悪化する場合も延期を排除しない考えを示し、ハードルを自ら下げた。
 首相の経済ブレーンたちは増税延期と共に景気テコ入れの財政出動を提唱し、外堀を埋める役割を果たしてきた。
 極め付きは、中国経済の減速などから先行き不安が高まる世界の経済状況に、5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)の議長国として適切に対応するための「勉強会」と称し設置した国際金融経済分析会合である。
 既に3回の会合があり、共にノーベル経済学賞を受けた米経済学界の重鎮2人が、予定通りの増税に反対した。2人からお墨付きを得た形で、流れは固まりつつある。
 だが、思い起こしてほしい。首相が2014年11月、翌15年10月予定の増税延期を決め、アベノミクスを「この道しかない」として、衆院解散を表明した際の記者会見だ。
 「国民の所得をしっかり押し上げ、地方経済にも景気回復の効果を十分に波及させていく。そうすれば、消費税率引き上げの環境を整えることができる」と訴えた。
 しかし、再延期なら、アベノミクスによって増税環境は整えられなかったことになるのではないか。
 確かに世界経済という外的要因はある。が、「リーマン」を増税延期の条件にしたからには、その変動をある程度は織り込んでいたはずだ。現状が「大幅な収縮」に当たるのかどうかさえ疑問だ。
 重鎮2人は、増税反対を提言しただけではない。「金融政策は役割を全うした」などとして、金融緩和は限界にあることを指摘している。
 アベノミクスは、日銀の大規模緩和を頼りに円安、株高で大企業や富裕層が受ける恩恵を中小や地方に及ぼすことを狙いながら、一向にその政策効果が上がらない。それどころか、格差の拡大を招いている。個人消費が低迷したままなのが、その証しだ。
 スティグリッツ米コロンビア大教授は先進国で進むその格差拡大を問題視。格差縮小が経済の改善に必要だとし、富の再配分に向けた相続税や金融取引税の増税、教育に対する政府支出増についても提言した。まさにアベノミクスに欠けた視点ではないか。
 増税を見送るなら、経済失政を認め、路線の転換を図るのが先だ。スティグリッツ氏らの提言の一部を強調し増税延期だけを決めるのは筋が通らない。「耳の痛い」指摘にこそ、耳を傾けるべきだ。
 増税延期について、再び国民に信を問うとして衆院を解散し「衆参同日選」に打って出ようものなら、ご都合主義以外の何物でもあるまい。


障害者差別、劇で問い掛け 京都、実体験交え上演へ
 障害者が運営する京都市南区の日本自立生活センター(JCIL)のメンバーが、27日に開かれる「国際障害者年連続シンポジウム」に向けて劇団を結成し、稽古に励んでいる。買い物や入浴といった地域生活で直面した差別をシナリオにし、車いすで舞台に立つ。
 このほどシンポ会場(中京区)の京都アスニーで行った舞台稽古では、JCIL劇団の約20人が参加。脳性まひで車いすの女性が、病院で男性看護師から入浴介助されるシーンなどを練習した。「本当はお風呂が大好き。だけど男性に体を洗われるのは嫌」「体を見られるのも嫌」との声を無視される様子を再現し、「あなたたちはどう思いますか」と問い掛けた。
 言語障害があり、車いすで自立生活を送る香田晴子さん(54)は、冷蔵庫を買いに行った時に店員から子どもに話しかける口調で「親御さんと一緒じゃないの」と言われた実体験を自ら演じる。
 シンポジウムは27日午前11時から。4月施行の障害者差別解消法について話しあう。参加費500円。要約筆記あり。問い合わせはJCILTEL075(671)8484。


「ヘイトスピーチに法規制を」9割 朝鮮学校の高校生
 人種差別のヘイトスピーチ(憎悪表現)について、全国の朝鮮学校などに通う高校生のうち9割以上が法規制を求めているとの調査結果を、龍谷大の金尚均教授らがまとめた。27日に京都市上京区の同志社大で開かれる集会で報告する。
■「いつか分かり合える」も最多
 各地の街頭で繰り返されるヘイトスピーチを受け、金教授らは昨年夏、国内9カ所の朝鮮学校や民族学校、外国にルーツがある高校生ら計1483人を対象にアンケートを実施した。
 ヘイトスピーチの街宣に参加する人たちをどう思うかを尋ねたところ、「許せないけど同じ社会に生きる人間だからいつか分かり合える」が39%と最多で、「許せない・絶対に理解しあえない」は37%、「無視する・放っておくべき」は17%だった。全体の95%が「問題解決に対する法律の必要性」を感じていた。
 2009年に起きた南区の朝鮮第一初級学校(当時)への街宣について「恐怖を感じた」と回答した女性の割合は66%と、男性より2倍近かった。
 金教授は「若い世代も差別を感じている。社会の多様性が十分に培われておらず、日本の民主主義が問われている」と話す。
 集会「京都でつくる!有効なヘイトスピーチ対策は」は27日午後2時から、明徳館M1教室で。大学教員や弁護士でつくる「京都府・京都市に有効なヘイトスピーチ対策の推進を求める会」の主催。資料代500円。


九電免震撤回 規制委も問われている
 審査さえパスすれば、約束をほごにしてもいい−。そんなのありか。原発に免震施設があるかないかは、住民の命に関わる重大事。このまま見過ごしてしまっては、規制委への信頼も保てまい。
 川内原発は、事故発生時の対策拠点となる免震施設の新設を安全対策のメニューに盛り込んで、再稼働の審査に“合格”した。
 しかも、3・11後の新規制基準下での再稼働第一号として、約二年の原発ゼロ状態に終止符を打ち、後続の“お手本”にもされていた。
 ところが、免震棟は造らず耐震施設で済ますという。
 パスさえすれば態度を翻す。
 商売で言えば契約違反、選挙で言うなら公約違反、入試ならカンニングにも相当するような、地域を代表する大企業らしからぬ振る舞いとは言えないか。
 免震施設建設の実績がないという理由は、いかにも説得力に欠けている。従来のレベルを超える対策こそが、今必要とされている。
 規制委はなぜ、“合格”を取り消すことができないか、非常に素朴な疑問である。
 一般に耐震では建物自体を強化する。しかし、地震の揺れを抑えるのは難しい。
 免震は地面と建物を切り離し、建物に揺れを伝わりにくくする。従って、建物内での作業性が保たれる。だからこそ、3・11当時の東京電力社長が国会事故調で「あれがなかったらと思うとぞっとする」と、ふり返っているのである。免震施設は、コストがかさむ。もし対策費を考えての変更だとするならば、3・11の教訓を踏みにじり、安全神話を復活に導くことにならないか。
 九州電力の瓜生道明社長は林幹雄経済産業相に「地域への説明不足があった」と詫(わ)びた。
 地域への説明やコミュニケーション不足以前に、安全への配慮が足りなくないか。
 3・11を教訓に生まれたはずの規制基準は、「緊急時対策所」の免震化を求めてはいない。設置にも猶予期間を設け、未整備のままの再稼働を認めている。
 巨大地震は明日来るかも分からない。規制基準や規制委に対する信頼性も問われている。
 規制委への信頼なしに、原発は動かせない。
 再稼働の審査を申請中の原発の約半数が、川内のように免震の撤回や再検討を始めているという。
 九電の翻意を、このまま認めてしまってはならない。


川内原発 免震棟撤回は許されぬ
 九州電力がきのう、昨年8〜10月に再稼働した川内原発(鹿児島県)に免震重要棟を新設する計画の撤回を、原子力規制委員会に申請した。耐震設備で代用するという。
 免震重要棟は東京電力福島第1原発の事故で収束作業の拠点となり、重要性が再認識された。川内原発の再稼働に向けた新基準の適合性審査では、九電は今月までに建設すると説明していた。新設は合格の前提だったはずだ。
 九電は昨年12月にも免震棟を撤回することを申請している。規制委から「納得できない」と批判されたため、九電が再検討していた。その結果、耐震設備で安全性に問題はないと判断したという。
 当初の計画通りなら、免震棟はすでに完成していた。それがないまま川内原発の運転を続けるのは、規制委の適合性審査を無視しているのに等しい。規制委は審査合格を取り消し、停止させるのが筋である。
 今回の計画変更は安全性向上に逆行する懸念もある。規制委は厳しく対応するべきだ。
 変更の背景には、費用面の問題があるとみられる。
 免震棟は、建物と地盤の間に緩衝装置を設け地震の揺れを建物に直接伝えない構造だ。これに対し、耐震施設は壁や骨組みなど建物の強度を高め損傷を抑える。
 一般的に免震構造は室内の揺れを抑える効果が最も大きい一方、建設費や維持費は高いとされる。九電は昨年末に計画変更を表明した際「費用面も全く無関係ではない」と説明した。コストを優先した変更は許されない。九電の姿勢に疑念を抱かざるを得ない。
 免震棟完成前の再稼働を認めた規制委の対応にも問題がある。
 災害はいつ起きるか分からない。完成前に事故が発生し対応が後手に回ると、被害を受けるのは周辺住民である。
 2007年の新潟県中越沖地震では、東電柏崎刈羽原発(新潟県)の外部変圧器に火災が発生し、専用の通信設備がある事務本館の緊急対策室に入れず、通報が遅れた。東電が福島第1原発に免震重要棟を建設したのは、その反省からだ。完成したのは事故発生の8カ月前だった。
 東電社長だった清水正孝氏は国会事故調査委員会で「あれ(免震重要棟)がなかったら、と思うとぞっとする」と語っている。
 九電や規制委には、福島事故の教訓が生きているのか。安全性確保に何が必要なのか、もう一度考える必要がある。


伊方1号機廃炉 採算より40年ルールだ
 四国電力は、来年9月で運転開始からまる40年となる伊方原発1号機(愛媛県)の廃炉を決めた。
 東京電力福島第1原発事故後、政府は原発の運転期間を原則40年とする新ルールを定めた。原子力規制委員会の許認可を受ければ、最長で20年延長できる。四電は伊方1号機の運転延長を目指したが、多額の安全対策費が必要となるため、採算性がないと判断したという。
 40年は、圧力容器が中性子の照射を受けて劣化する目安とされる。原発の安全性確保の観点からは、採算性とは関係なく、廃炉にしていく必要がある。今回の四電の決定をルール定着につなげたい。
 運転開始から40年となる老朽原発を巡っては昨年3月、関西電力美浜1、2号機(福井県)や九州電力玄海原発1号機(佐賀県)など5基の廃炉が決まった。伊方1号機も廃炉になれば日本の原発は42基に減る。
 廃炉が決まった6基はいずれも出力が30万キロワット級から50万キロワット級で、100万キロワット級が主流となったその後の原発と比べると規模が小さい。
 廃炉の判断は電力会社に任されており、四電以外の電力会社が廃炉に踏み切ったのも採算性の問題だ。規模が小さな原子炉では、多額の安全対策費をかけても、それに見合う発電電力量が得られないためだ。
 一方、関電は、出力が80万キロワット級の高浜原発1、2号機と美浜3号機(いずれも福井県)の運転延長を規制委に申請中だ。安全対策費をかけても割に合うと判断したからだ。
 しかし、老朽原発には、圧力容器の劣化以外にも問題がある。運転開始から時間がたつほど、古い技術の継承者はいなくなる。設計思想自体が古いため、安全性の向上には限界があるという指摘もある。廃炉の判断と原発の出力や経済性とは、切り離して考えるべきなのだ。
 廃炉を着実に進めるためには、その他にも課題が山積している。
 まず、原発の解体で生じる大量の放射性廃棄物の最終処分先が決まっていない。原子炉内の部品など汚染が激しいものについては、処分のための規制基準すらまだない。
 原発の使用済み核燃料を保管する場所の確保も重要だ。政府が掲げる核燃料サイクル路線に基づけば、最終的には青森県六ケ所村の再処理工場に運ばれる。だが、再処理工場は規制委の安全審査中で、稼働時期のめどは立っていない。
 電力会社や政府は、こうした問題を克服していく必要がある。
 廃炉は、原発関連の交付金などに頼ってきた地元自治体の財政や地域経済にも大きく影響する。廃炉ビジネスと地域振興を結びつけるなど、政府の支援も欠かせない。


核、原発なき世界模索 28日まで都内フォーラム 再稼働など話し合う
 核兵器と原発のない「もうひとつの世界」を模索する「反核世界社会フォーラム」(同フォーラム実行委員会主催)が、二十八日まで東京都内で開かれている。原発再稼働や被ばく労働者の権利問題などについて話し合う。呼びかけ団体は、ATTACジャパン(首都圏)やたんぽぽ舎など多数。
 二十六日午後六時から、千代田区三崎町のスペースたんぽぽで、元フランス原子力庁・環境エネルギー庁高官らを招いて、分科会「クライメート・ジャスティスの観点からCOP21交渉と原発再稼働を考える」を開催。午後七時からは千代田区の在日本韓国YMCA会議室で、映画「サクリファイス」を上映する。
 二十七日は「原発を輸出しないで!アジアの人びとの叫び」(午前十時、在日本韓国YMCA会議室)、「広島・長崎・ビキニ・福島を体験した国で、原発はなぜ再稼働されてしまうのか?」(午後一時、スペースたんぽぽ)などの分科会がある。二十八日は「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム」院内集会(午後一時、参院議員会館講堂)のほか、「被曝(ひばく)労働者の権利を求める国際連帯シンポジウム」(午後六時半、在日本韓国YMCA国際ホール)を予定している。
 問い合わせは、同実行委=電070(5553)5495=へ。


「損賠請求」発言  脱原発訴訟をけん制か
 関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の運転差し止めを命じた大津地裁の仮処分決定をめぐる、関電の八木誠社長の発言に危惧の念を覚える。
 関電側が逆転勝訴し確定すれば、原告住民に対し「一般的に原発停止に伴う損害賠償請求は考えられる」と、会長を務める電気事業連合会の記者会見で先週語った。
 ただ「会社として現時点では何も決めていない」と述べている。しかし、たとえ「一般的に」「決めていない」と断っても、損賠請求への言及は聞き流せない。
 脱原発弁護団全国連絡会は発言の撤回を求め、「申立人らをどう喝するもので容認できない」と抗議した。大津の住民側弁護団長の井戸謙一弁護士も「新たに全国で運転禁止の仮処分が申し立てられることをけん制するもの」と批判している。関電側は「どう喝やけん制が目的ではなく、あくまで一般論」とコメントしたが、今後の対応に厳しい目が向けられよう。
 仮に原告住民への損賠請求となれば、「嫌がらせを目的とする『スラップ訴訟』そのもの」と指摘する法律家もいる。
 スラップ訴訟とは一般になじみのない言葉だ。フリージャーナリスト烏賀陽(うがや)弘道氏によると、米国で法概念が生まれ、「社会参加を妨害する目的の訴訟」の英語表記の頭文字からスラップと名付けられたそうだ。1990年代初めからスラップ防止の法律が広まり、過半数の州に及ぶという。
 住民の反対運動やジャーナリストの言論などに対し、自治体や企業などが「名誉毀損(きそん)」「通行妨害」などを理由に損害賠償を求める訴訟が米国では後を絶たない。訴えられると裁判にかかる費用や労力、時間、敗訴の時の賠償金などの負担は大きく、苦痛も伴う。訴訟を恐れて言動を抑制、あるいは断念に追い込まれることもある。
 そこで提訴された住民らはスラップだと裁判所に申し立て、企業はスラップでない証明を求められる。こうしたスラップ防止の仕組みは言論の自由を保護するためと烏賀陽氏は指摘する。合衆国憲法は提訴する権利を保障するが、言論の自由を民主主義の根幹とみて重視しているのである。
 米国以外ではスラップ防止の法整備はみられないという。日本でもスラップと指摘される訴訟が少なくない。まっとうな言動を萎縮させては健全な民主社会は成り立たない。スラップかどうか。広く議論し、見分ける仕組みを考える時ではないだろうか。


「上関原発 建てさせない」 児童文学作家ら集会で訴え
 中国電力が山口県上関(かみのせき)町で計画する上関原発の建設反対を訴える集会が二十六日、山口市の維新百年記念公園で開かれた。市民ら約二千人(主催者発表)が参加し、集会後のデモ行進で「いらんちゃ原発」と声を上げた。
 二〇一四年から毎年開催。発起人の一人で、小学生三人の冒険を描いた児童文学「ズッコケ三人組」シリーズで知られる作家那須正幹(まさもと)さん(73)=同県防府市=は、冒頭のあいさつで「新規の原発を建てさせないためにも、山口でしつこく反対活動を続けていきましょう」と呼び掛けた。
 中国電は〇九年に上関原発の埋め立て工事を始めたが、一一年三月の福島原発事故後に中断。事実上の凍結状態が続いている。


アイヌ民族の遺骨返還 札幌地裁で和解 北大、浦河の16体
 北大が1930年代などに日高管内浦河町のアイヌ民族の墓から研究目的で遺骨を持ち去ったとして、アイヌ民族で同町出身の小川隆吉さん(80)=札幌市=らが北大に遺骨返還と慰謝料計900万円を求めた訴訟は25日、札幌地裁(本田晃裁判長)で和解が成立した。北大は遺骨を返還する一方、原告は慰謝料請求を放棄する。北大がアイヌ民族の遺骨を返還するのは15年ぶり。司法手続きによる返還は初めて。
 合意した和解条項によると、返還対象は、北大の研究者らが浦河町杵臼(きねうす)の墓地から掘り出した16体。このうち、小川さんの伯父の遺骨と特定された1体と身元不明の11体については、北大が5月30日以降、原告ら日高管内ゆかりのアイヌ民族有志の団体「コタンの会」に速やかに返還する。同会が墓地に再埋葬し、維持管理も担う。埋葬費など106万円と現地までの搬送費は、北大が負担する。
 残る4体は「身元の特定が可能」(北大)としており、北大がホームページで情報を提供し、子孫など遺骨の引き取り手が現れるかを見極める。1年経過しても子孫などが名乗り出なければ、遺骨をコタンの会に引き渡す。子孫などが現れて返還を求めた場合、北大と原告側などであらためて協議する。
 紋別市や十勝管内浦幌町のアイヌ民族が遺骨返還を求めた訴訟も札幌地裁で係争中。原告側は同様の枠組みで和解の成立を目指す。 和解後、札幌市内で記者会見した原告の小川さんは「裁判長に『ありがとう』と言いたい」と述べた。北大は「(紋別と浦幌の)訴訟が続いているのでコメントできない」としている。


アイヌ訴訟 遺骨を返還へ 北大と遺族らが和解
 北海道大が1930〜50年代ごろ、研究目的で墓地からアイヌの遺骨を掘り出したのは供養の侵害に当たるなどとして、アイヌや浦幌アイヌ協会が北大を相手取り、遺骨返還などを求めた訴訟で、札幌地裁(本田晃裁判長)は25日、原告の居住地域から掘り出された身元不明遺骨11体をコタン(集落)再建を目指す「コタンの会」(清水裕二代表)に返還することを柱とする和解案を提示し、双方が受け入れた。
 アイヌの遺骨は全国12大学に1636体保管されているが、大半は北大が保管。国は2014年5月、遺骨返還のガイドラインを策定し、身元不明遺骨は北海道白老町に建設される複合施設「民族共生の象徴となる空間」内の慰霊施設に集約し、身元判明遺骨は遺族(祭祀=さいし=承継者)に返還すると定めている。
 1636体のうち、身元判明遺骨はわずか23体に過ぎないが、原告側は「アイヌはコタンで先祖供養していた。身元が分からなくてもコタンに返してほしい」と訴え、第1次分として計78体の遺骨返還を求めていた。
 この日の協議では、原告の居住する浦河町杵臼(きねうす)で掘り出されたと認定された身元不明遺骨11体と身元判明遺骨1体を返還。祭祀承継者が分からない身元判明遺骨4体は北大が開設するウェブサイトで返還先の特定に努め、見つからなかった場合には、浦河町などでコタン再建を目指しているコタンの会に返還することを決めた。
 おじの遺骨が返還されることになった同町出身で原告の一人の小川隆吉さん(80)=札幌市=は「返還はとてもうれしい。裁判長に『ありがとう』と言いたい」と話した。身元不明遺骨11体はコタンの会が引き取り、再埋葬や供養を行う予定。再埋葬の費用は北大側が負担する。
 原告側の市川守弘弁護士は「祭祀承継者の概念は和人の家制度の名残であり、コタンで先祖供養していたアイヌの実態を無視している」とした上で、「和解内容はコタンに返還するという発想に立っており、多くの身元不明遺骨の返還につながる一歩だ」と指摘した。
 この訴訟は第3次提訴まであり、この日は第1次分の和解が成立。係争中のため、北大側はコメントしなかった。【日下部元美、安達恒太郎】


北海道新幹線 経営は大丈夫なのか
 「道民の悲願」という北海道新幹線が部分開業し、新幹線が初めて北の大地を走る。観光面の期待は大きいが当初は赤字が続く。赤字在来線も抱えるJR北海道は、どう経営を再建するのか。
 新幹線に乗る機会のなかった道民も多く、四十年がかりの悲願実現に地元は祝福ムードだろう。ただ、この間に格安航空の台頭など環境は大きく変わった。昨年の北陸新幹線金沢ルート開業ほどの成功は見込めない現実がある。
 今回開業するのは新函館北斗−新青森間の百五十キロ弱だ。新青森で東北新幹線と接続して東京まで直結となるが、所要時間は最速でも四時間二分かかる。新幹線か飛行機かを選ぶ目安とされる「四時間の壁」を破れなかった。加えて函館市街地までは空港の方が新幹線駅より近く、時間的に空路の優位は明らかだ。
 北陸新幹線の成功は、東京−金沢間が二時間半で結ばれ時間短縮効果が大きかったのである。
 だから北海道の経済界がターゲットを、首都圏より北関東や東北としたのは正鵠(せいこく)を得ている。北陸新幹線も長野と北陸間の人やモノの交流が強まったことを踏まえれば、函館など道南と東北方面との観光周遊ルートづくりなどに力を入れるべきだろう。二〇三一年春の札幌延伸まで地道に乗車率の向上策を図っていくことが大事だ。
 新幹線は北海道の発展に重要だろうが、気掛かりなのはJR北海道の経営である。鉄道事業は年間四百億円の赤字で、一四年度は在来線十四路線全てが赤字。頼みの新幹線も、老朽化した青函トンネルの維持費などで開業から三年は年五十億円規模の赤字が出る。
 人口減少が進む中で長大な路線の維持は困難を極める。雪など自然環境も厳しい。脆弱(ぜいじゃく)な財務基盤から安全投資を削り、それが事故やトラブルを生んだ。安全投資の増額を義務づけられたが、今度はそれが経営を圧迫する。
 国鉄分割民営化の設計が破綻しているのである。もともと年間五百億円近い赤字が出ることを前提に、国が基金(経営安定基金)を積み、その運用益で赤字を穴埋めするはずだった。
 だが、低金利で運用益が半分に減った。不採算路線を見直そうにも地元から「切り捨てか」と反対に遭い、効率化を進めにくい。行政の支援も薄く、自助努力の限界を超えているのは明らかだ。
 必要とされる路線の維持は税金で賄い、運営は民間が担うといった抜本的な改革が必要だろう。


ロンブー淳「保育園落ちた」待機児童問題で思うこと
ロンドンブーツ1号2号の田村淳に、日刊スポーツの記者が取材する連載「ロンブー淳の崖っぷちタイトロープ」。今回は「保育園落ちた。日本死ね」のブログと待機児童問題について聞いた。待機児童問題は、淳自身が以前から関心を持っている事柄でもある。
「保育園落ちた。日本死ね」っていう、言葉の良しあしは置いておいて…。この人が訴えている内容って、本当に今耳を傾けなきゃいけないことですよね。あれくらい激しい訴えだったから、みんなが注目して広まったというのもあると思います。「子どもを預けたくても預けられない。それで、働きたいけど働けない」という人の心からの叫びだったから、多くの人に刺さったのだと思う。
でも、政治家の皆さんはどう思ってるんでしょうか?
国会では、「匿名だから、確認しようがない」っていう意見もあったようだけど…。匿名であったとしても、こういう意見が出ていて「あなたに刺さるかどうか」ということが問題なのに、信ぴょう性がない、とか言っている。信ぴょう性の確認も大事だけれど、それよりも「この訴えを聞いて、人として政治家として、あなたの心は何かを感じないのか」って所が大切だと思うんですよねぇ。
待機児童を抱えて、保育園に入れるのをずっと待っている人が、実際にいるわけじゃないですか。一億総活躍社会といいながら、活躍しようにも働こうにも、働ける環境にない。そりゃあ、怒りますよね。
保育所が増えない理由の一つは、保育士さんに支払われるお給料が、圧倒的に少ないということもある。職は違うけれど、介護士さんの報酬も少ないんですよね。保育士と介護士。ひとの人生の始まりと終わりを担っていて、すごく重要な仕事なのに、そこで働く人々の給料が少ない。だからなり手も少ない。
保育や介護の問題をつきつめると、国民の覚悟も必要になってくると思うんです。限られた財源の中でどうするのか?税金を増やすのか?否か…今後、少子化の一方で高齢化も進む。福祉にかかるお金もかさんでいく。そんな状況で、どうしていくのか。
誤解を恐れずに言うと、人間も動物の一種で、みんなが豊かになるのはやっぱり無理な話。貯えがある人と無い人に差が生じるのは仕方のないこと…その差をどうやって埋めるのか?
みんなでお金を出し合って助け合おうとするのが公助ですよね。公助という考え方をとるなら、政治家は、「財源が足りないんで、みなさん、もっとお金を出してくださいね」っていうしかない。
逆に自助という考え方ならば「老後も自分で面倒をみてください」っていうことになる。
日本では、自助をとるのか公助をとるのか、そこの意思決定と覚悟ができていないのでは? と感じます。目先の選挙へ向けて、政治家は票の集まる方ばかりに目を向けているし、若い人たちは投票にいかない。
だから、政治家だけが悪いのではなくて、それを選ぶ側の国民の覚悟が足りないんじゃないかと思うんです。そういうことが保育や介護の問題を解決しないままにしていることにもつながっているんじゃないかなと感じます。この先の高齢者が増え続ける日本がどうなるか?を考えたら不安な事しか頭をよぎらない…これからどうしていくのか? 残りの人生が長い人ほど声を上げるべきだし覚悟が必要なのだと思います。


1時間1000円の“おっさんレンタル” 女性記者が試してみた
 誰かをとっ捕まえて話すほどでもないけど、何だかたまっている。しゃべりたい。そんな微妙なニーズにもこたえてくれるのが「おっさんレンタル」。文字通り、おっさんをレンタルするサービスで、料金は1時間1000円。エッチなお願い以外は何でも聞いてくれるらしい。本紙記者(39)が注文してみた。
 HPを開くと、おっさんの写真がズラリと並んでいる。人気ランキングはないし、均一料金なのでプロフィルで選別するしかない。15分ほど悩んで、新着のおっさん(47)に決めた。〈心理カウンセラーとして活動〉〈優しそう・聞き上手と言われます〉〈ホルモンのお店がある街は大好き〉と書いてあったからだ。ショッピングカートにおっさん2時間分を入れて、クレジットカードで支払い。翌日、おっさんからのメールが来た。知らない人と、しらふで向き合うのは気が重いので、〈ホルモンを食べながら職場の愚痴を聞いてもらいたい〉とリクエストすると、希望通り3日後に会うことになった。
 3月某日。おっさんのホームだというJR五反田駅で午後7時に待ち合わせ。あいにくの雨模様だったが、おっさんは時間に正確だった。案内に従い、駅チカのホルモン焼き店へ。
 生ビールで乾杯し、キムチやホルモン盛り合わせなどを注文。奉行役を務めてくれるのかと思ったが、皿を前にしても手が動きそうにないので自分で焼く。ついでに、女友達2人から立て続けにスピリチュアルにハマっていると明かされた衝撃も聞いてもらう。たわいもない話をおっさんはウンウンうなずいて聞いてくれる。初見なのに、なんだか古い知り合いみたい。シメて7400円。実費はこちらの負担だが、レンタル代を加味しても満足度は上々だ。
■1日に20~30件注目
 2012年2月に「おっさんレンタル」をスタートさせた西本貴信氏(48)はこう言う。
「〈おっさん=キモい〉という図式を何とかしたくて、おっさんのいいところを見せたいと思いつきで始めたんです。需要があるのか不安でしたが、僕ひとりだけで2950人からレンタルされました。話を聞いてもらいたい、というお客さんは少なくないですよ」
 利用者は女性と男性が7:3。おばあさんから愛猫の捜索を頼まれたり、元カレの荷物を処分できない女性から断捨離を依頼されたり。釣りにつきあったり、プロレスに興じることもある。
 15年2月からおっさんを公募し、現在57人が登録。月額1万円の加盟料を徴収するが、レンタル代は全額おっさんの懐に入る仕組みだ。1日に20〜30件ほど注文が入る。
「平均利用は2〜3時間ほど。おっさんを3000人ほど面接して気づいたのですが、肩書とかポストではなく、大人の男として“選ばれたい”という欲求を感じますね。求められたり、必要とされたいんでしょう。選考のポイントは人間性。優しい雰囲気のおっさんが売れ筋です。本業が役者のおっさんもカッコいいから引き合いがある。32歳から62歳までのおっさんを随時募集しています」(西本氏)
 西本氏の審美眼にかなっても、一度もレンタルされないおっさんもいるそうだ。


乙武騒動が追い打ち 安倍自民を襲う「女性の怒り」の連鎖
 参院選で自民党からの出馬が固まっていた乙武洋匡氏の不倫騒動、大西英男衆院議員の「巫女さんのくせに」発言――。今週も安倍自民党がらみの「女性を敵に回す言動」が相次いだ。自民党内からはこんな嘆き節が聞こえてくる。
「いやな流れだ。政局においてこういうことが、ままあるんだ。誰かが仕組んだわけでもなく、一つ一つは別々の無関係な出来事なのに、結果的につながってくる。次から次へと『女性の怒り』を招いている現状が、まさにそうだ」(ベテラン議員)
 確かにその通りだ。安倍政権が“オンナの怒り”を招いた最初のきっかけは、昨年の安保法制。学者やシールズら学生に続く形で、「誰の子供も戦争に行かせない」と「ママの会」ができた。
 次いで年明けの宮崎謙介元衆院議員の「ゲス不倫」。
「ただのイケメン議員の不倫というだけでなく、『イクメン宣言』をしていた議員だったことで女性がより強く反応した。表向きは子育てや働く女性に理解のある顔をして、裏では不倫。『女をバカにするな』というわけです」(自民党関係者)
 追い打ちをかけるように、今年2月、厚労省が「要介護1、2」をサービス認定から外す検討を始めた。「介護を家庭に戻す」ことになり、女性の負担が増えるのは確実。これで怒りは増殖した。
 そして2月中旬の「保育園落ちた」ブログである。ついに怒りは火を噴いた。
「極め付きが、北海道5区補選の野党統一候補です。2人の子どもを育てるシングルマザーで、介護や福祉の専門家。14年衆院選で北海道の別の選挙区から出馬していて、補選で民主が擁立しようとしたのも昨年のこと。女性をめぐる一連の騒動とは無関係に候補者に決まりましたが、結果的にいまの安倍政権批判の受け皿として、ピタリとハマる経歴なのです」(前出の自民党関係者)
 恐ろしいほどの連鎖ではないか。政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう言う。
「女性政策が与野党の争点になるなんて、ついこの間まで誰ひとり、予測していませんでした。こういう政局の流れが、それも世論主体でできてしまうと、覆すのは簡単じゃない。安倍政権は保育の拡充などの政策を大慌てでまとめていますが、後手後手で、選挙目当ての人気取りが透けて見えてしまう。今後“女性の審判”が安倍さんにとって最大の試練になるでしょう」
 25日、加藤勝信1億総活躍相は、選挙で女性候補者が一定割合を占めるよう、与野党各党に数値目標設定を要請する考えを表明した。女性候補発掘に最も消極的で、他の党よりも女性議員を“客寄せパンダ”としか思っていない自民党が、よく言うよ、だ。浅知恵はミエミエ。ますます女性の怒りを買うに違いない。


和解から20年…「薬害エイズ裁判」集会
 ウイルスに汚染された薬で患者がHIVに感染し、国と製薬会社に賠償を求めた「薬害エイズ裁判」。26日、和解成立から20年の集会が開かれた。
 元原告・川田龍平参議院議員「薬害が本当になくなる社会で、エイズでも安心して生きられる、そういう社会を作って残しておかなければ私は死にきれない」
 薬害エイズ裁判の和解から20年の集会には、元原告や塩崎厚生労働相らが出席した。
 薬害エイズ裁判は、ウイルスが混入した血液製剤によって、血友病の患者約2000人がHIVに感染し、患者と遺族が製薬会社と国に損害賠償を求めたもの。
 被告だった化血研(化学及血清療法研究所)が、和解当時から去年まで国の承認を得ていない方法で血液製剤をつくり続けていたことが去年、発覚した。元原告らは、「製薬会社の悪事を見抜くことができなかった国の制度を何とかしなければ」と述べ、「薬害の苦しみを忘れないで」と訴えた。

会議でエキサイト?/死刑執行に抗議する/小保方さん

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26全国大集会

Japon: deux condamnés à mort exécutés vendredi
Le Japon a exécuté vendredi deux condamnés à mort, a annoncé le gouvernement, tandis que des organisations internationales de défense des droits de l'Homme continuent d'appeler le pays à renoncer à la peine capitale.
"Deux condamnés à mort ont été exécutés, Yasutoshi Kamata et Junko Yoshida", a déclaré à l'AFP un responsable du ministère de la Justice, confirmant des informations de presse.
Le premier, âgé de 75 ans, avait tué cinq personnes dont une fillette de neuf ans entre 1985 et 1994, la seconde, une ancienne infirmière de 56 ans, avait commandité le meurtre de deux hommes à la fin des années 1990 pour percevoir des indemnités d'assurance, a rapporté l'agence Kyodo.
Le Japon et les Etats-Unis sont les seules démocraties industrialisées à appliquer la peine capitale, une pratique régulièrement dénoncée par les associations internationales de défense des droits de l'Homme.
"Bien que 140 pays environ aient déjà abandonné la peine de mort ou suspendu les exécutions depuis plus d'une décennie, le gouvernement japonais tourne le dos à cette tendance", a déclaré à l'AFP Hideki Wakabayashi, secrétaire général d'Amnesty International Japon.
Les organisations soulignent en outre que le système japonais est cruel car les condamnés peuvent attendre leur exécution pendant des années et ne sont informés du moment de leur mort que quelques heures avant.
Les sondages montrent cependant que la peine capitale est largement soutenue par les Japonais. Deux condamnés à mort avaient été pendus en décembre au Japon, dont pour la première fois un homme jugé par une cour comprenant des citoyens jurés aux côtés de magistrats professionnels.
L'Union européenne avait alors protesté contre ces exécutions, appelant "les autorités japonaises à adopter un moratoire". "La peine de mort est cruelle et inhumaine et n'a jamais fait montre d'un quelconque effet dissuasif contre les crimes", soulignait le communiqué.
Les pendaisons de vendredi portent à 16 le nombre total de condamnés à mort exécutés depuis le retour au pouvoir fin 2012 du Premier ministre de droite Shinzo Abe.
Japon: démantèlement d'un sixième réacteur
La compagnie d'électricité Shikoku Electric Power a finalement renoncé aujourd'hui à relancer un de ses réacteurs âgé de 39 ans, considérant qu'il serait trop coûteux de prolonger sa durée de vie. Elle prévoit de déconstruire l'unité Ikata 1 située dans la préfecture d'Ehime dans le Sud-Ouest et mise en exploitation en septembre 1977, une décision qui porte à six le nombre de démantèlements d'installations nucléaires précipités par l'accident de Fukushima qui avait par ailleurs condamné les six réacteurs du complexe accidenté Fukushima Daiichi.
Depuis ce drame, les réacteurs au Japon ne doivent pas fonctionner plus de quatre décennies. Mais, moyennant des contrôles poussés et modifications techniques, ils peuvent en théorie obtenir une dérogation pour 20 ans supplémentaires. Dans le cas présent, le coût des travaux de mise en conformité a toutefois été jugé trop élevé au regard de la faible capacité du réacteur (moins de 600 mégawatts), a expliqué la compagnie exploitante dans un communiqué. Celui-ci a été évalué à environ 200 milliards de yens (1,6 milliard d'euros), selon le quotidien économique Nikkei, citant des estimations de l'entreprise.
Dans cette centrale d'Ikata, la tranche numéro 3, plus récente, pourrait être remise en exploitation en juillet. Cinq autres démantèlements avaient été décidés l'an dernier, pour la première fois depuis le désastre de mars 2011. Actuellement, sur les 43 réacteurs restants dans l'archipel (contre 54 avant l'accident de Fukushima), seulement deux ont été remis en service (Sendai 1 et 2, sud) après deux ans sans énergie nucléaire.
Deux autres (Takahama 3 et 4, ouest) avaient été relancés en tout ou partie, mais la justice a contraint l'opérateur, Kansai Electric, à les stopper pour des raisons de sûreté. Les deux autres unités du site (Takahama 1 et 2) ont aussi été jugées conformes aux nouvelles normes édictées après Fukushima. Mais du fait de leur grand âge (plus de 40 ans), elles doivent encore obtenir un certificat d'exception afin d'être utilisées deux décennies de plus.
Fervent partisan de l'atome pour des raisons économiques (l'industrie a besoin d'énergie et l'importer coûte cher), le gouvernement du Premier ministre Shinzo Abe plaide depuis trois ans pour que tous les réacteurs jugés sûrs par l'Autorité de régulation nucléaire soient relancés, en dépit d'une opinion publique majoritairement contre.
フランス語
フランス語の勉強?
STAP細胞に群がった悪いヤツら
小畑 峰太郎
新潮社
2014-11-27


STAP細胞というビジネス lefty hand
事実誤認や科学的に明確に誤った記述が数多くあります。
また、まったく論理的でない主観的なジャッジメントが至るところに下されています。
研究者としてジンマシンがたくさん出ました。
なぜ星を4つ、つけたか?
STAP細胞事件に関して詳しい人なら誰もがわかっている、わかっていながらも踏み込めない多くの領域に真正面から突っ込んでいるからです。
将来性の見込める再生医療利権にドライブされた産・官・学の一部面々が科学や生命倫理を蹂躙しまわっているのは周知の事です。その象徴がSTAP細胞だったという解釈も大筋で間違ってないと思います。
高橋先生や市川先生への細かいインタビューもたいへん良かったです。
低俗なイタコ芸などやめてV氏のベンチャービジネスまで取材していたら星5つでした。

STAP細胞 残された謎 (Parade books)
佐藤貴彦
パレード
2015-12-07


まるで理系弁護士、真実をえぐり出す論理展開は見事  ざんくさん
小保方さんの「あの日」を読んで、報道されていた印象と全く違っていたストーリーに愕然としていたら、その本のカスターレビューに本書「STAP細胞 残された謎」と合わせて読むべき、とのコメントがあったので、さっそく買って読んでみたら、これまたびっくりポン!小保方さんが語る様子をまさに客観的な情報をもとに見事に言い当てているではありませんか。本書が出たのが2015年12月7日、小保方さんの「あの日」が出版されたのが2016年1月28日なので、本書の著者 佐藤貴彦さんは小保方さんの本を読むことなく、公開されている情報だけで真実にせまっているのです。しかも、報道の数々の嘘を見事に見破っています。小保方さんの本だけでは信じられないという人は、本書を読めば小保方さんの言っていることを信じられると思います。全く客観的に論理的に偏向した報道の裏に隠された真実を暴いています。須田桃子さんの本「捏造の科学者」とは全く違った現実が浮かび上がってきます。われわれ一般peopleはマスメディアに騙されていたことがわかるはずです。小保方さんの本と本書を合わせて読んでください。
元教授の感想(2)やはりそうか Amazon カスタマー
小保方氏の「あの日の」レビューで用いた見出しの評判がよかったようなので、本書の場合にも使いました。本書の著者は高度の専門的知識を持つ人物と思われ、その解説には説得力がある。必ずしも全部をフォローできたわけではないが、そうだったのか、とガッテンできるところも多い。1例を挙げると、小保方氏が200回以上成功したと述べた点に関して、「STAP細胞の作製が単にOct4-GFP(多機能性のマーカー)の陽性を意味するのならあり得る数字である。」として小保方氏の朝日新聞デジタルの記事を引いている(31-34頁)。小保方氏はキメラマウスを作る技術は持っていなかったので、W教授からキメラマウスが出来たと聞いて、自分が渡したものからキメラマウスができたので、渡したものはSTAP細胞と呼べるものであると思い込んだと解釈できる。前に読んだ「捏造の科学者」48頁には、若山氏は「STAP細胞由来の細胞が全身に散らばるキメラマウス作製に成功し、万能性の証明で重要な役割を果たした」とある。Nature誌の論文作りに寄与したはずのキメラマウスが、後でES細胞を用いて作られた可能性が高いことがわかり、W教授は最初に論文撤回を呼びかけた。繰り返すが、小保方氏はキメラマウスを作製できない。では誰が作ったのか?W教授が疑われる理由も本書から読み取れる。やはり、小保方氏だけが責任を取らされるのは、不当と思う。一方、記者会見で丹羽氏が「・・・確かにSTAP細胞由来と思われるGFP陽性細胞が胎盤組織にインテグレートしていることを見てます」と証言したと本書70頁に記されており、実際にSTAP細胞ができた可能性が捨てきれず、希望がつながっていると感じた。本書を読んだあと、パソコンで武田邦彦教授の2015/01/28の動画があることがわかり、それを見ると、大いに参考になった。やはり、W教授の責任は重い。
テレメンタリー「希望の一滴〜遺伝子治療が運命を変えた〜」
有効な治療法がなかった希少難病、AADC欠損症。発作に苦しみ、寝たきりの状態となる病気だ。この患者に希望の光が差し込んだ。それは『遺伝子治療』。自治医大チームは、2015年夏、AADCをつくる遺伝子を組み込んだ『ベクター』と呼ばれる遺伝子治療薬をこの患者の脳内に入れる手術を実施。数か月後には、歩行練習を始めるほどに運動機能が劇的に改善する。番組では、自治医大の遺伝子治療チームを独占取材し、難病患者・家族の苦悩と先端医療への期待を伝える。
加藤登紀子 山形テレビ

サイエンスzero 祝!命名権獲得 113番元素はこうして作られた
去年の大晦日、科学界にビッグニュースが飛び込んできた。周期表で113番目の元素の命名権が、理化学研究所のグループに贈られたのだ。これはアジア初となる快挙。実は周期表の元素のうち、93番目以降は全て人工的に作られたものだ。これまで新元素を作った国はアメリカ、ロシア、ドイツの3カ国のみだったが、そこに日本が割って入ったのだ。113番元素はどのように誕生したのか。徹底解説する!
原子核の大きさってどれくらい?/ 新元素を作る意義(九州大学大学院理学研究院物理学部門 森田浩介教授)/ 113番目の新元素の命名権を得たグループのリーダー、九州大学の森田浩介教授。アジア初となる快挙だ。/ 原子番号30番の亜鉛と、83番のビスマスを衝突させ、核融合させることで原子番号113番となる新元素が誕生した。/ 新元素を作るために必要な加速器。この装置で亜鉛の元素を光の速度の10%まで加速させ、ビスマスに衝突させた。/ これこそが新元素ができた”印”。


今日も会議.モノ関係です.午前中はなんてことなかったけれど,午後の会議では一人がエキサイトしていました.感情的に言われても困るのですが・・・.でも他の人が冷静に対応されたので無事に会議終わって安心です.疲れたけども.
昼過ぎにUeさんからメールがあってアベによる殺人があったとのこと.死刑執行は人権に反すると思います.国家による殺人です.強く抗議します.
STAP関連の本を読みました.一般的に言われているのとは事実が違うようです.理研の利権みたいなドロドロしているのもわかってきた気がします.小保方さんガンバレというところです.

<野蒜小津波訴訟>引き渡しは安全確保大前提
 仙台地裁が24日、東日本大震災発生後、宮城県東松島市野蒜小の児童引き渡し時の過失を認め、設置者の市に損害賠償を命じた津波訴訟。地裁判決が問うたのは、児童の安全を確認しないまま、保護者ではない同級生の親に小学3年の女児=当時(9)=を引き渡し、犠牲になった学校側の判断ミスだった。「引き渡しは安全確保が大前提」。教育現場に送られた司法の強いメッセージだ。
 「野蒜小は市が定める要避難区域外。2010年のチリ地震でも津波は来なかった。もし津波が襲来しても海岸までだと思った」。当時の校長は、避難住民から津波の情報を聞いた直後の認識について尋問でこう証言した。
 震災の2年前に着任し、市の津波ハザードマップに何度も目を通していたという校長。地震発生から津波の到達まで約1時間あったが、積極的に情報収集に当たることはなかった。「車のラジオや携帯電話のワンセグ機能で津波情報を入手できた」。判決は情報収集に消極的だった学校側の責任にも言及した。
 女児の自宅は海から約700メートル。1.3キロ離れた学校よりさらに海に近い。自宅、学校ともに、予測された津波浸水域外だが、判決は「どの帰宅ルートも津波浸水域を通過しなければならない」「自宅で確実に保護者に保護される保証はない」などと指摘し、学校側の過失を認めた。
 震災後、津波注意報や警報発表時、児童・生徒の引き渡しを原則禁止する動きが教育現場で広がる。岩手県教委は震災後、(1)津波警報が解除されるまで引き渡しを行わない(2)注意報では状況に応じて学校が判断−と改め、引き渡す相手は保護者に限定した。
 一方、宮城県は、引き渡しの判断基準の設定を各学校に委ねた上、事前に確認している場合は保護者以外への引き渡しを認めている。
 釜石市教委は13年3月、保護者が学校に子どもを迎えに来ないで自らも避難するよう求めるなど、さらに進んだ防災マニュアルの策定を各校に通知した。
 子どもたちの命を預かる教育現場のゴールなき模索が続く。
◎浸水予測偏重を懸念
<米村滋人東大大学院法学政治学研究科准教授(民法)の話>
 現場が津波浸水予測地域の内か外かが重視された「ハザードマップ至上主義」の判決だ。浸水予測地域の外であれば、津波のことは考えなくてもよいとする風潮を助長しかねない。引き渡しは、その後の児童の行動を想定し、十分配慮した上でしなければいけないということだろう。引き渡す相手が親の場合は、別の判断になる可能性もある。
◎学校の責任認定妥当
<徳島大環境防災研究センター・中野晋センター長(地域防災学)の話>
 児童・生徒の安全確保は学校の大事な責務。学校側の責任と過失を認めた点は妥当な判決だ。児童の安全が確保できる前提でなければ、学校は引き渡してはいけないとの指摘は、まさにその通り。教育関係者は今後、引き渡しの方法を考えるより、どのようにして児童を守るのかを突き詰めてほしい。


<野蒜小津波訴訟>引き渡し犠牲 学校に過失
 東日本大震災で宮城県東松島市野蒜小体育館に避難した後、津波で亡くなった住民2人と児童1人の遺族が、学校側の判断に過失があったとして学校設置者の市に計約5300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は24日、「安全が確認されない限り、児童を引き渡すべきではなかった」として、同級生の親に引き渡された後に津波にのまれて亡くなった小学3年の女児=当時(9)=の遺族に約2660万円を支払うよう市に命じた。災害発生時の児童引き渡しの在り方をめぐる司法判断は初めてとみられる。
 大嶋洋志裁判長は校長の指示で引き渡された女児について「学校から自宅までの帰路で市の津波浸水予測地域を必ず通過しなくてはならず、女児に危険が及ぶことは具体的に予見できた」と指摘した。
 判決は一方で「体育館は当時最大級の地震を想定した津波浸水予測地域の外にあり、学校側は津波の到達を予見できなかった」と判断。体育館内で死亡した当時86歳と71歳の女性2人の遺族の請求は棄却した。
 遺族の代理人は「コメントできない」と話した。阿部秀保市長は「早急に判決内容を精査し対応を検討する。市民の尊い命が失われたことを重く受け止め、哀悼の意を表するとともに、災害対策への取り組みを一層強化していく」との談話を出した。
 判決によると、2011年3月11日の地震発生後、野蒜地区の住民は市の地域防災計画で避難場所に指定された野蒜小に向かい、体育館に避難した。体育館には約3.5メートルの津波が押し寄せ、女性2人は体育館内で溺死。女児1人は引き渡された後、学校より海側の自宅周辺で死亡した。野蒜小体育館では訴訟対象の女性2人を含め、計13人の遺体が確認された。
 津波犠牲をめぐる訴訟の仙台地裁判決で、賠償命令は3件目。過去2件は私立幼稚園や自動車学校などが被告で、今回、初めて地方自治体の責任が認められた。


<野蒜小津波訴訟>命守る意識 徹底求める
 【解説】宮城県東松島市野蒜小をめぐる津波訴訟の仙台地裁判決は、教育現場に子どもの命を守る意識を徹底するよう強く求める内容となった。「安全の確認ができない限り、児童を引き渡してはならない」。教育界は災害時の引き渡しの在り方を示した司法判断を重く受け止め、行動に移す必要がある。
 判決は教育現場の責任について「安全とされている避難場所の野蒜小から移動させても危険がないかを確認する注意義務を負う」と指摘。その上で、野蒜小から児童宅までの間に津波浸水域があることを挙げ「同級生の親に引き渡すことの結果を具体的に予見できた」と結論付け、学校側の行動を問題視した。
 有事の際の保護者への引き渡しは、不審者対策などを理由に震災前から半ば常態化していた。国の調査では、震災時に安全が確認できるまで児童・生徒を待機させた学校は半数以下。岩手、宮城、福島3県の小中学校と特別支援学校に在籍していて犠牲になった児童・生徒計351人のうち、引き渡し後だったのは120人(34%)に上る。
 全国の教育現場では震災後、津波注意報・警報が出た際に引き渡しを原則、禁止する動きが広がりつつある。ただ、こうした対策を含めた判断基準は学校が地理的条件などを基にそれぞれ策定すべきだとされ、国や県などによる明確な基準がないのが現状だ。
 学校は子どもたちの教育を担うだけでなく、大切な命を預かる施設という側面を併せ持つ。教育界は次の大災害に備え、子どもの命と向き合った防災対策を徹底すべきだ。(報道部・斉藤隼人)
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 東日本大震災で宮城県東松島市野蒜小体育館に避難した後、津波で亡くなった住民2人と児童1人の遺族が、学校側の判断に過失があったとして学校設置者の市に計約5300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は24日、「安全が確認されない限り、児童を引き渡すべきではなかった」として、同級生の親に引き渡された後に津波にのまれて亡くなった小学3年の女児=当時(9)=の遺族に約2660万円を支払うよう市に命じた。災害発生時の児童引き渡しの在り方をめぐる司法判断は初めてとみられる。
被災地支援 出向警察官離任式
東日本大震災の被災地支援のため全国の警察から宮城県警に出向し任期を終える警察官の離任式が行われました。
1年間の任期を終えるのは愛知県などから宮城県警に出向していた13人の警察官で25日宮城県警察本部で辞令が交付されました。
中尾克彦本部長は「震災から5年が経つなか、被災者の生活再建を支える中核として、全力で職務にあたってもらった」と述べました。
これに対し、愛知県警から出向した日々野圭祐巡査部長は「復興に力を尽くした誇りを胸に、被災地での経験を今後の職務にいかしたい」と述べました。
出向の警察官は仮設住宅の見回りや沿岸部のパトロールなどを行い宮城県警にはこれまでに、のべ500人あまりが業務にあたりましたが警察によりますと、ことしの4月からの11人が最後の出向者になる見通しだということです。
離任式のあと愛知県警から出向した日々野圭祐巡査部長(34)は「沿岸部の警らにあたり、5年たっても震災の爪痕が残っていることを強く感じた。この経験をこれから同僚などに話して、次の災害に備えたい」と話しました。
また、皇宮警察から出向した青木忠之巡査部長(33)は「仮設住宅を出て災害公営住宅に入っても、地域のつながりがないなど、仮設の見回りを通して住宅を移す大変さを実感した。これからも被災地で暮らす人たちのことを胸に刻み、恥じることのないよう職務に励みたい」と話しました。


石巻大川小「保存」で国と調整
東日本大震災の津波で児童ら84人が犠牲になり保存か解体か議論が続いている石巻市の大川小学校の旧校舎について石巻市は震災遺構として保存する方向で国と調整を進めていることがわかりました。
市は近く、結論を公表する方針です。
震災の津波で児童と教職員あわせて84人が犠牲になった石巻市の大川小学校をめぐっては「教訓を伝えるために保存すべきだ」という意見と「見るのがつらく解体すべき」という意見があり議論が続いています。
市が去年行った住民の意向調査でも「一部保存」または「全部保存」という回答が市全体で過半数を占める一方地元の大川地区では逆に「解体」が過半数を占め意見が分かれています。
これについて石巻市は▽犠牲者を悼む鎮魂の場所であり▽震災の教訓を伝承し将来の防災にも役立つなどとして震災遺構として保存する方向で国と調整を進めていることがわかりました。
石巻市は津波と火災の被害を受けた門脇小学校の旧校舎についても保存したい考えで保存費用の問題などについて国と調整を進め近く、結論を公表する方針です。


石巻市立大川小 被災校舎保存で市が国と調整
 東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の被災校舎について、亀山紘市長が震災遺構として保存する方針を固め、国と調整していることが25日分かった。近く表明する見通し。
 保存か解体かをめぐっては遺族らの意見が分かれているが、二度と悲劇を繰り返さないため、追悼、伝承の場として残すことが重要だと判断したとみられる。
 市は津波と火災の被害に遭った市立門脇小の旧校舎も保存を検討。1自治体一つしか認められない震災遺構の保存初期費用を門脇小に充て、大川小は周辺を環境整備する方向で国と協議している。
 大川小では地震後、教職員と児童が約50分間校庭にとどまり、避難を始めた直後に津波に遭った。学校管理下では最大の被害で、亀山市長は「学校現場で多くが犠牲になった。悲惨な事実を後世に伝えることが必要だ」と繰り返し述べていた。
 鉄筋2階建ての校舎には2階の天井まで津波が押し寄せた。市は教室など内部を公開しない場合の建物整備費を約1億5000万円と試算。年間の維持管理・運営費は1100万円としている。
 市は昨年5月、地元住民でつくる大川地区復興協議会から保存の要望を受け、被災校舎の今後について検討を開始。市民や大川地区住民へのアンケートも行った。ただ、保存と解体で意見が割れたため、保存を求める遺族からも「時間をかけて慎重に判断してほしい」との声が上がっていた。
 6年の三男雄樹君(当時12歳)を亡くした佐藤和隆さん(49)は「解体したら議論もできなくなり、取り返しがつかない。どのような形で残すのか、地域住民と話し合い、良い方向に進めてほしい」と話した。


南三陸町長の告発状を提出
南三陸町の防災対策庁舎などで町の職員が震災の津波で犠牲になったのは佐藤仁町長が適切な避難指示を出さなかったためだとして職員の遺族らが業務上過失致死の疑いで25日警察に告発状を提出しました。
佐藤町長は以前にも同じ問題で告訴され、不起訴処分になっています。
南三陸町の防災対策庁舎では、東日本大震災の津波で町の職員など43人が犠牲になったとされています。
警察などによりますと、防災対策庁舎などで亡くなった職員の遺族9人は、職員が犠牲になったのは佐藤町長が適切な避難指示を出さなかったためだとして、25日業務上過失致死の疑いで告発状を南三陸警察署に提出したということです。
防災対策庁舎の被害をめぐっては、佐藤町長は職員の遺族から告訴され去年不起訴処分になっています。
今回の告発状は役場から防災対策庁舎に移動し亡くなった職員のほか別の場所で津波の犠牲になった職員の遺族が提出したということです。
警察は告発状を受理するかどうか検討するとしています。


<アーカイブ大震災>缶と瓶一つ一つ手で回収
 キリンビール仙台工場(仙台市宮城野区)は東日本大震災による揺れで、巨大な貯蔵タンク4基が倒壊し、一部の製造設備も被害を受けた。「9月の操業再開を目指す」。本社は震災から約1カ月後、大方針を掲げた。その復旧の現場に、350ミリリットル缶に換算して1700万缶分もの散乱した製品が、大きな壁となって立ちはだかった。
◎苦闘 企業の前線供複押烹隠沓娃伊缶分の製品散乱(キリンビール仙台工場)
 総務担当の山田祥子さん(38)は2011年4月6日、仙台工場の現状を目の当たりにし、途方に暮れるしかなかった。
 1カ月近い自宅待機を経て、震災後初の出勤だった。約32ヘクタールという広大な敷地には、整然と倉庫に並んでいた出荷前の缶や瓶のビール、プラスチックケース、空のたるが散乱していた。場所によっては腰の高さまで積み上がっていた。
 山田さんは3月11日の地震発生直後、事務所棟の屋上に避難し、津波が襲う瞬間を目撃している。被害の大きさは分かっていたが、あまりにひどいありさまだ。
 「どうやって片付けるの?」。思わず、そう独りごちた。
 操業再開の目標時期は翌7日に発表された。松沢幸一社長が仙台市内で記者会見し、「(醸造設備の)大きな被害は免れた。9月を最低限の目標にしたい」と強調した。
 工場幹部は設備の復旧計画を前提に「6月末までに散乱した缶などを片付ける必要がある」と判断した。
 問題はその方法だ。重機を使えば簡単だが、缶がつぶれるなどしてビールが敷地に流れ出す事態は避けたい。最終的に缶と瓶を分別する必要もあり、「一つ一つ手で拾い集める」と決まった。
 大半の社員は自宅待機が続いていた。各職場のリーダーら約80人が作業に当たることになった。
 ひたすら拾っては、一輪車で集積所のグラウンドに運ぶことの繰り返しだった。最初のころは、ただやみくもに取り組んだ。
 1日7時間半。慣れない作業に腰痛や体調不良を訴える従業員も出始めた。 「いくら片付けても、後から後からあふれ出てくる。そんな錯覚に陥った」。作業の責任者となった志賀伸一さん(49)は当時を思い起こす。
 「従業員の負担を少しでも和らげよう」「作業効率を上げられないか」。そう考えた志賀さんらは片付ける場所を職場ごとにブロック分けした。
 「ノルマは設けない。それぞれのペースでやってほしい」。志賀さんは指示を出すとともに、遅れ気味のブロックに応援要員も出した。
 「1日ごとに担当ブロックの散乱物が減っていく。成果が目に見えた」と山田さん。復旧に携わっている実感も「意欲につながった」と言う。
 5月11日には従業員約200人の大半が勤務に復帰し、作業スピードは上がった。それからさらに1カ月余り。ついに全ての片付けが終了した。
 敷地に重機などが入れるようになり、工場は操業再開に向けて大きく前進した。6月25日には倒壊したタンクが撤去され、浸水した受電設備も7月9日に復旧した。
 仕込みは9月26日、計画通りに再開できる見通し。11月には遠野市産ホップを使ったビールが初出荷される予定だ。
 「工場に新しい命を吹き込み、おいしいビールを早く届けたい。みんなその一心で作業に当たった」と志賀さんは振り返る。
 「あれだけの散乱物を、よくぞ、短期間で片付けてくれた」と震災後間もなくに赴任した横田乃里也工場長(50)。黙々と作業に臨む従業員の姿に「東北人の粘り強さを見る思いがした」と言う。(鈴木美智代)=2011年9月4日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


石巻市に26日JR新駅が開業
東日本大震災の被災者が移り住む大規模な集団移転が進められている石巻市に26日JRの新しい駅が開業します。
震災後、被災地に新しいJRの駅ができるのは初めてです。
26日開業するのはJR仙石線の「石巻あゆみ野駅」です。
石巻市の蛇田駅と東松島市の陸前赤井駅の間に設けられます。
駅の北側にある蛇田地区では東日本大震災で被災した2000世帯あまりが移り住む被災地で最大規模の集団移転が進められていて、石巻市がJR東日本に駅の設置を要望していました。
JR東日本によりますと1日に上下あわせて38本の列車が停車し通勤や通学などおよそ300人の利用を見込んでいるということです。
駅名の「あゆみ野」は▽被災地の復興や▽集団移転先での新たな暮らしをイメージして名付けられ、駅前には公園や駐輪場なども整備されています。
26日はJRや地元の関係者らが出席して駅前の広場で記念の式典が開かれ、新しい駅の完成を祝うことになっています。
震災後、被災地に新しいJRの駅ができるのは初めてです。


金曜日の原発抗議、市民の姿見て 京都で写真展
 脱原発を求める市民らが毎週金曜の夕方に関西電力京都支社前(京都市下京区)で続けている抗議デモの写真展「金曜日の人びと」が25日から、同区のひと・まち交流館京都で開かれる。
 抗議デモは2012年6月に始まり、毎週金曜午後5〜7時に行われている。主催者は設けていないため、市民は個人として参加し、毎回約100人が集まる。
 写真展は、有志でつくる実行委員会が主催。抗議デモに参加する市民に焦点を当てた写真約300点を展示する。作品には、自作のパネルを掲げる姿や、お遍路姿で街頭に立つ人、楽器を奏でる人など、脱原発をアピールする多彩な顔ぶれが並ぶ。
 実行委員会の吉田典夫さん(74)=北区=は「原発ゼロに向けて、元気に希望を持って行動している市民の姿を見てほしい」と話している。27日まで。無料。


<亘理FM>被災地に情報伝え5年、閉局
 東日本大震災直後の2011年3月24日に放送を始めた宮城県亘理町の臨時災害局「FMあおぞら」が24日、閉局した。町の委託で局を運営するNPO法人は、コミュニティー(地域)局での再開を目指し、町に支援を求めていく。
 最終日はスタッフ7人が総出演した特別番組を放送。5年間の足跡や番組制作の思い出を語り合った。最後は開局以来の女性スタッフ2人が終了を報告した。
 吉田圭チーフ(55)は涙で声を詰まらせ、「放送を続けることができたのは皆さんのおかげ。必ずまた会いましょう」とあいさつ。終了時間の午後4時、「FMあおぞら閉局です」と告げ、名残を断ち切るように送信コードを引き抜いた。
 FMあおぞらは町役場敷地内のプレハブで放送を始め、震災で寸断されたライフラインなどの生活情報を伝え続けた。その後はJR駅東側の公共施設にスタジオを構え、町内の支援イベントや学校行事、行政情報などを放送してきた。
 閉局は総務省の放送免許と運営費に充てた国の交付金がともに今月末で切れるため。NPO法人は地域局での再開に向け、町に9358人分の署名とともに支援を要望。運営計画の策定やスポンサー集めに取り組む。法人代表を務める吉田さんは「亘理の日常を生き生きとさせる放送が必要。地域局が活性化に役立つと確信している」と話した。


<集団移転>つばめの杜大橋あす開通
 宮城県山元町が東日本大震災の被災住民の集団移転先に整備した「つばめの杜大橋」が26日、開通する。移転先と国道、町役場を直結し、アクセス向上が期待される。
 橋は全長137メートル、幅員14メートルで、南北を走る町道をまたぐ。移転先の新市街地つばめの杜地区(34.3ヘクタール)の東西を貫く約1キロの町道の一部。町道は、内陸移設して12月末に再開予定のJR常磐線の新しい山下駅や国道6号と交差し、高台の町役場をつなぐ。
 沿道には、大型遊具などを配置した中央公園(約1.6ヘクタール)、今夏に利用が始まる保育所など子育て拠点施設、移転、再建する山下二小などがある。
 つばめの杜地区は分譲宅地と災害公営住宅547戸分で構成。町が約152億円を掛け、5月末までの工期で整備している。
 町震災復興整備課は「国道と駅を最短で結ぶアクセス道路として、新市街地の発展につながる希望の架け橋になってほしい」と話す。
 26日午前10時半に開通式があり、午後2時に利用を始める。


<仙石線>新市街の核「新駅誕生」膨らむ期待
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市で26日にJR仙石線に開業する新駅「石巻あゆみ野駅」は、被災者が移り住む新市街地に隣接する。新たな街づくりの核となることが期待される。近くの石巻西高への通学の便などが向上し、地域では歓迎ムードが高まっている。
 石巻駅近くに住む石巻西高2年の阿部友紀乃さん(17)は、陸前赤井(宮城県東松島市)−蛇田(石巻市)間に誕生する新駅に期待を寄せる。「高校は蛇田、陸前赤井両駅から中途半端な位置にある。これまでは自宅から約30分かけて自転車で通学していた。今後は電車で通学できる」
 雨天時などは母から車で学校へ送ってもらっていたという。「電車通学になれば、仕事をしている母の負担も減る」と喜ぶ。
 あゆみ野駅の周辺には、被災者の集団移転地である新蛇田南地区が広がる。ことし2月に災害公営住宅への入居、3月に一戸建て住宅用地の供給が始まった。新築移転する県石巻合同庁舎も2018年度に使用開始となる予定。隣接する集団移転地「新蛇田地区」と合わせ、18年3月までに5300人の居住が見込まれ、市の新たな拠点となる。
 新蛇田地区の災害公営住宅に暮らす樋口敏雄さん(67)は「駅が近くなって電車で出掛けるのが楽になったと、近所の人と喜んでいる。石巻駅前にできる市立病院にも渋滞を気にせず行ける。今後は駅と地区を結ぶバスなどを整備してほしい」と話した。
 ミヤコーバスは新年度に、あゆみ野駅を既存のバス路線に編入する計画。石巻市は同駅をJR石巻駅などに次ぐ交通結節点と位置付け、公共交通網の再編事業に取り組んでいる。
 東松島市は、新駅に隣接する柳ノ目地区にパーク・アンド・ライド駐車場の整備を検討する。車から仙石線に乗り継いでもらい、慢性化している国道45号渋滞緩和につなげる狙い。
 課題もある。あゆみ野駅の北側が発展する一方で、南側の青葉西地区は耕作を放棄した水田などが広がる。現在は市街化調整区域で、地権者は宅地開発が可能な市街化区域への編入を市に要望。今後、どんな地域を形成するのか、市と住民らが検討を進める。


組合活動アンケート、二審も大阪市敗訴 賠償命じる判決
 大阪市が職員に回答を義務付けた組合活動に関する記名式のアンケート調査を巡り、職員ら59人が市に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁(田中敦裁判長)は25日、一審・大阪地裁に続き一部の設問を違法と認めた。賠償額は一審より減額し、市に計29万5千円(1人当たり5千円)の支払いを命じた。
 判決理由で田中裁判長は、アンケートの22の設問のうち「特定の政治家を応援する活動に参加したか」など4問は「憲法が保障する労働的基本権やプライバシー権を侵害する」と認定した一方、一審が違法と認定したもう1問は、違法性を否定。一審の賠償額を計5万9千円(1人当たり1千円)減額した。
 判決などによると、アンケートは2012年2月、職員約3万人を対象に実施。当時市長だった橋下徹氏が職務命令で回答を義務付け、正確に答えなければ処分対象になり得るとしていた。労組側が大阪府労働委員会へ救済を申し立てるなどしたため凍結され、回答は未開封のまま破棄された。


河北春秋
 マントに高げた、それが旧制二高のスタイルだった。高歌放吟し、桜舞う学びやのある仙台市の北六番丁通を行く。手に名物教授粟野健次郎の英語テキストを抱えて▼粟野教授は語学のほか、科学にも通じた博識と卓見をもって「二高の至宝」と称された。人となりを知る夏目漱石は『三四郎』に登場する広田先生のモデルにしたといわれる。先生も目にしただろう。通りに水をたたえた四ツ谷用水の清流を▼大正から昭和にかけて北六番丁は緑にあふれていた。やがて水路は地下へ潜り、二高の地は曲折を経て東北大農学部(青葉区堤通雨宮町)となった。景色は変われど、四ツ谷用水の本流はいまも通りの下を流れている▼藩制期に広瀬川から取水した手法をそのままに道路の下、浅い所にある導水管(約1メートル四方)を通る。仙台港の石油事業所など39社の工業用水として使われ、なくてはならない産業の水脈である。宮城県企業局の技術者は「勾配の角度が絶妙、あの時代にどうして算出できたのか驚きです」▼農学部移転と大規模な住宅・商業施設計画が決まり、この機会に水辺をよみがえらせようという声が高まっている。工業用の水は余っていて、地上に出すのも技術的には問題ないという。粟野先生は言うだろう。「悪くないね、待ってるよ」

デスク日誌 更地から
 建物がなくなった商店街に、海風が吹きすさぶ。往時の名残は、さびたレールと名所の案内板だけだ。
 JR富岡駅前。2、3カ月前までは、津波が突き抜けたホテルや商店などがそのまま残っていた。
 富岡町は北10キロに東京電力福島第1原発があり、全町避難が続いている。町は早ければ来年4月の帰還開始を目指し、駅前一帯を更地から造り替える。
 町の歩みを記す文書や物品を後世に残そうと、町の「歴史・文化等保存プロジェクトチーム」が2014年6月から活動する。
 駅前商店街の美容室にあった時計も収集品の一つ。あの日の午後2時47分ごろ、停電で針が止まった。
 2軒隣の薬局が使っていた電池式時計は泥にまみれ、午後3時37分、動かなくなった。停止した時刻から、周辺は第2波の津波で浸水したとみられる。
 チームは被災した建物や景観を3次元の映像で記録している。夜の森の桜並木も満開のころ撮影するという。
 3月半ば、早咲きの桜が人けのない町をわずかに彩り始めていた。めでる人がいない春は、ことしが最後となるか。(福島総局長 木村正祥)


河北抄
 A「イヤーイヤ ハタケデ クサトリ シテキタゲンドモヤ ホーント アツガッタ(いやいや 畑で草取りしてきたけれどもさ 本当 暑かった)」
 B「アーラ オカエンナサイ ハガイッタスカ(あら お帰りなさい はかどりましたか)」
 東日本大震災の被災地における、何げない日常会話を記録する取り組みが、東北大方言研究センターによって進められている。その成果は「生活を伝える 被災地方言会話集」にまとめられた。2012年から気仙沼市と名取市で収録を続け、今月末には第3集が出る。
 震災後、人口の流出が進む被災地。もともと近所の人同士を結びつけていた方言は、コミュニケーションの機会が減少する中で、ますます語られなくなっている。ある意味では、被災地における方言も危機的な状況を迎えているのだ。
 「復興には物質的なものだけでなく、文化も戻ってこなければいけない。その根本は言葉だ」と同センター教授の小林隆さん。方言を記録することが、被災地の再生に役立つことを願っている。


死刑執行に対する抗議声明
アムネスティ・インターナショナル日本は、本日、福岡拘置所の吉田純子さんと大阪拘置所の鎌田安利さんに死刑が執行されたことに対して強く抗議する。
岩城光英法務大臣は、昨年10月に就任してから12月に2名をすでに執行し、その3カ月後である本日に2名、計4名というハイペースで執行を進めている。安倍政権下では、2006年の第一次安倍内閣と合わせて実に26人が処刑されたことになる。近年の政権では、極めて突出した執行数であり政権が命を軽視していることの表れである。
鎌田安利さんは75歳という高齢であった。高齢者の死刑囚に対する死刑執行は、国際的には未成年者や精神疾患を有する者に並び、残虐であるため禁止すべきとされている。
世界では事実上死刑を廃止している国を含めると、140カ国と大多数が死刑廃止国である。OECD(経済協力開発機構)加盟国の中で死刑制度を維持しているのは、日本以外では米国だけである。その米国でも、死刑の判決数・執行数は激減し、毎年のように死刑を廃止する州が増えており、死刑廃止へ舵を切っている。
国際的には、この残虐で非人道的な刑罰を維持することは、死刑廃止の潮流に対して背を背け、人権を無視した少数国であると見なされる。国際社会をリードする役割を担うG7伊勢志摩サミットのホスト国として、今回の死刑の執行は極めて残念である。
死刑は生きる権利の侵害であり、残虐で非人道的な人の尊厳を傷つける刑罰である。アムネスティは日本政府に対し、死刑廃止への第一歩として公式に死刑の執行停止措置を導入し、全社会的な議論を速やかに開始することを要請する。
2016年3月25日
アムネスティ・インターナショナル日本
※死刑執行抗議声明における「敬称」について アムネスティ日本は、現在、ニュースリリースや公式声明などで使用する敬称を、原則として「さん」に統一しています。また、人権擁護団体として、人間はす べて平等であるという原則に基づいて活動しており、死刑確定者とその他の人々を差別しない、差別してはならない、という立場に立っています。そのため、死刑確定者や執行された人の敬称も原則として「さん」を使用しています。


岩城法務大臣による死刑執行に抗議する
NPO法人監獄人権センター
岩城光英法務大臣は,本日(3月25日)鎌田安利氏(大阪拘置所)および吉田純子氏(福岡拘置所)に対し,死刑を執行した。今回の執行は,昨年10月に就任した岩城法務大臣による,昨年12月に続く二度目の執行である。
鎌田氏は,75歳と高齢であり,人権団体が昨年実施したアンケートに対し「ボケがすすんでむつかしい事が分りません」と回答している。鎌田氏に対する執行は,「高齢者の執行に関し,より人道的なアプローチをとることを考慮すべきである」とした国連自由権規約委員会による勧告(2008年)に照らしても,問題があると言わざるを得ない。
吉田氏は,死刑判決確定後,再審請求を行っていたものの,昨年棄却されていたと伝えられている。再審請求棄却後,更なる再審請求が行われるまでの期間を狙った死刑執行である可能性が高い。2014年における国連自由権規約委員会の勧告をはじめ,死刑確定者およびその家族に対し,事前に予定されている死刑の執行日時を伝えるべきことは,繰り返し国連諸機関から求められてきたが,日本政府は一顧だにしない状況が続いている。
2020年,日本は国連の第14回犯罪防止刑事司法会議(コングレス)の開催国となる。日本政府が,死刑制度とその運用に対する国際社会からの勧告をことごとく無視し,死刑の執行に固執し続けることは,わが国の汚点を世界に晒すことにほかならない。今こそ日本政府は,死刑制度をめぐる上記を含めた数々の問題点を直視し,制度の廃止を視野にいれ,直ちに死刑制度自体の見直しを行うべきである。
監獄人権センターは,今回の死刑執行に強く抗議するとともに,死刑執行の停止,そして死刑制度廃止の政策的実現に向け,今後も取り組んでいく決意である。


死刑執行に強く抗議する(談話)
社会民主党
幹事長 又市征治
1.本日法務省は、大阪拘置所と福岡拘置所で各1人、計2人の死刑を執行し、死刑囚の氏名や犯罪事実を公表した。社民党は死刑制度が人権に反するものとして、その存置に強い疑問を呈してきた立場から、今回の死刑執行に厳しく抗議する。
2.第3次安倍政権下では3度目、2012年12月の自公政権発足からは9度目、計16人目という異例のハイペースでの大量執行が続いている。政権交代前の慎重な議論の積み重ねを全く顧みず、死刑制度の維持・正当化を狙う安倍政権の偏向した姿勢の表われに他ならず、昨年12月の前回からわずか3ヵ月しかたっていない中で今回の執行に踏み切った岩城光英法相は強い批判を免れない。
3.「袴田事件」再審開始決定から2年。昨年10月に再審開始が決まった大阪市東住吉区の小学生焼死事件では検察が有罪主張を撤回して再審無罪が確実となっているほか、今年1月にも鹿児島市で強姦罪に問われた男性に福岡高裁宮崎支部が無罪判決を出し鹿児島県警のDNA型鑑定の手法を「著しく稚拙」と指弾するなど、警察・検察による捜査や司法のあり方、死刑という刑罰に世論の厳しい視線が向けられている現状で、度重なる死刑執行は許されない。
4.政府および法務大臣は、早急に国際人権基準に沿った法改正への道筋をつけるとともに、死刑制度に関して存廃や死刑に代わる措置など刑罰の在り方についてより開かれた国民的な議論を尽くし、その間は死刑の執行を停止すべきである。社民党は今後も、死刑制度の見直しに全力を挙げて取り組む。


死刑執行に強く抗議し、改めて死刑執行を停止し、死刑制度の廃止についての全社会的議論を求める会長声明
本日、大阪拘置所及び福岡拘置所において各1名に対して死刑が執行された。岩城光英法務大臣による2度目の執行であり、第2次安倍内閣以降、死刑が執行されたのは、9回目で、合わせて16名になる。
当連合会は、2015年12月9日、岩城法務大臣に対し、「死刑制度の廃止について全社会的議論を開始し、死刑の執行を停止するとともに、死刑えん罪事件を未然に防ぐ措置を緊急に講じることを求める要請書」を提出して、死刑制度とその運用に関する情報を広く公開し、死刑制度に関する世界の情勢について調査の上、調査結果と議論に基づき、今後の死刑制度の在り方について結論を出すこと、そのような議論が尽くされるまでの間、全ての死刑の執行を停止すること等を求め、また前回死刑が執行された同年12月18日には、死刑執行に抗議する声明を公表した。
このような状況における死刑の執行は極めて遺憾であり、当連合会は改めて死刑執行に強く抗議する。
2014年3月、静岡地方裁判所が袴田巖氏の第2次再審請求事件について、再審を開始し、死刑及び拘置の執行を停止する決定をした。現在、東京高等裁判所において即時抗告審が行われているが、もし死刑の執行がなされていたならば、まさに取り返しのつかない事態となっていた。袴田氏は48年ぶりに釈放されたが、その心身に不調を来しており、袴田事件は、えん罪の恐ろしさはもちろんのこと、死刑制度の問題点を浮き彫りにしている。
死刑の廃止は国際的な趨勢であり、世界で死刑を廃止又は停止している国は140か国に上っている。死刑を存置している国は58か国であるが、2014年に実際に死刑を執行した国は更に少なく、日本を含め22か国であった。いわゆる先進国グループであるOECD(経済協力開発機構)加盟国(34か国)の中で死刑制度を存置している国は、日本・韓国・米国の3か国のみであるが、韓国は17年以上にわたって死刑の執行を停止、米国の19州は死刑を廃止しており、死刑を国家として統一して執行しているのは日本のみである。こうした状況を受け、国際人権(自由権)規約委員会は、2014年、日本政府に対し、死刑の廃止について十分に考慮すること等を勧告している。
2014年11月に実施された死刑制度に関する政府の世論調査の結果、「死刑もやむを得ない」との回答が80.3%であったものの、そのうち40.5%は「将来的には、死刑を廃止してもよい」とした。また仮釈放のない終身刑が導入されるならば、「死刑を廃止する方がよい」37.7%、「死刑を廃止しない方がよい」51.5%と回答している。この結果からも死刑廃止について議論する必要性があると言える。
当連合会は、これまでの死刑執行に対しても強く抗議してきたところであるが、今回の死刑執行に対し強く抗議するとともに、改めて死刑執行を停止し、死刑に関する情報を広く国民に公開し、死刑制度の廃止についての全社会的議論を求めるものである。
2016年(平成28年)3月25日
        日本弁護士連合会
       会長 村 越   進


愛媛・伊方原発1号機、5月廃炉 四国電、40年控え決定
 四国電力は25日、運転開始から40年近い伊方原発1号機(愛媛県伊方町、56万6千キロワット)の廃炉を決定したと発表した。同日午前の取締役会で決議した。廃炉予定日は5月10日。原発の運転期間は、原子力規制委員会が認めれば最長20年の延長が可能だが、多額の安全対策費がかかるため投資に見合う収益が得られないと判断。2011年9月に定期検査で停止した1号機を再稼働させないことにした。一方で3号機は7月再稼働を目指す。
 四国電の佐伯勇人社長は25日午前、松山市の愛媛県庁で中村時広知事と会い、廃炉方針を伝えた。


SNSで拡散中 高浜原発停止命じた裁判長への“応援”広がる
 画期的な判決を下した裁判官に激励のハガキを送ろう――。そんな運動が盛り上がりつつある。今月9日に滋賀の大津地裁が下した関西電力の高浜原発3、4号機の「運転差し止め」の仮処分決定。稼働中の原発の停止を直ちに命じる史上初の司法判断は大きなインパクトを与えた。
 実は今、大胆な判決に踏み切った大津地裁の山本善彦裁判長を応援する運動がSNSを通じて広がりを見せている。参加方法は簡単。大津地裁民事部宛てに判決を下した山本裁判長ら3人の裁判官を励ますハガキを送るだけでいい。
 運動のきっかけは、判決に対してメディアが批判的に報道していることだという。メディアの批判に山本裁判長が負けないように励ますのが目的だそうだ。運動の呼びかけ人のひとりで、高浜原発停止を求めた住民側弁護団の石川賢治氏が言う。
「実際に高浜原発が停止した直後から在阪メディアの報道は、判決に反対の世論が強いかのような内容が目立ちます。『5月からの電気料金の値下げを期待していたのに、がっかり』という大阪市民の声や『地域経済の活性化のために再稼働して欲しい』という高浜町民の声などを、しきりに取り上げるのです」
 訴訟の支援サイトのメールフォームにも、「電気料金据え置きに対する公式声明を出せ」といった批判が大量に書き込まれているという。
「おそらく大津地裁にも苦情は殺到していることでしょう。これから地裁では関電が申し立てた保全異議の審尋手続きが始まります。この手続きも大津地裁は人手不足のため、引き続き山本裁判長が担当します。裁判官も人の子。苦情殺到に『私の判決は世論に支持されていない』と弱気になれば、異議審の行方にも悪影響を与えかねません。裁判長に『国民が大歓迎している正しい判決』との自信を深めていただくことが重要だと考え、運動を思い立ちました」
 メッセージ内容は自由だが、異議審に触れると、「進行中手続きの心証形成に影響を与えるとの理由で、裁判官に直接、届かない可能性が高まる」(石川賢治氏)とのこと。ハガキの記入例はツイッターなどで拡散している。再稼働反対の人々は、一筆いかが?


地方はセクシュアル・マイノリティへの偏見が強い 名古屋のLGBT成人式に苦情電話も
 レズビアンやゲイなどセクシュアル・マイノリティ(LGBT)がありのままの姿で成人の節目を迎えようという「LGBT成人式」が3月19日、愛知県名古屋市の中区役所ホールで開催された。このLGBT成人式は当事者の実行委員によって運営されており、2011年に初開催された東京のほか、大阪や札幌、盛岡、静岡など、今年度は過去最多の11カ所で行われている。
■就職活動中、カミングアウトせざるを得ないと感じた
 名古屋の実行委員によると、この日の参加者は100人。入場無料で、セクシュアリティや年齢を問わず参加できることから、中には親と一緒に参加した小学生もいたという。
 式では、来賓の挨拶、参加者の演説やパフォーマンス、東ちづる、乙武洋匡、IVANといった著名人からのメッセージ映像の上映と、ゲストによるトークショーが行われた。
 トークショーのテーマは「LGBTと就職」で、地元のケーブルテレビでキャスターとして働く高倉唯さん、NPO法人「PROUD LIFE」代表理事の安間優希さん、タレントの一ノ瀬文香さんが、就職や職場でのカミングアウトなどについて、それぞれの経験を語った。
 マスコミを希望していたレズビアンの高倉さんは、就職活動中、面接官に志望理由を話すとき、カミングアウトせざるを得ないと感じたという。
「マスコミはいろんなことに目を向けて取り上げないといけないから、『LGBT(の問題)をやりたいのならNPOに就職したほうがいいんじゃないか』と言われました。そこでLGBTだけでなく、いろいろな社会的マイノリティに目を向けないといけないと気づいたんです。就活しながら成長していきました」(高倉さん)
 現在は女性として生活している安間さんは、就職した時は男性だった。当時はまだ性同一性障害特例法もない時代だったが、性別への違和感が強くなり、自分の希望する性で生きていきたいという気持ちが募って、途中から女性として仕事をするようになった。
「(自分の性別について話すことは)恥ずかしいことだと思っていました。市役所で市会議員の秘書のような堅い仕事をしていたのですが、いろいろせめぎ合いがあるところで、敵の弱みを握ってやろうという人がいる中、『あそこの奴はオカマだ』ということになったら、格好の餌食だから絶対言えないと思っていました」(安間さん)
 徐々に性同一性障害を人権の問題として捉えるようになるとともに、男性の身体への違和感が強くなり、公表しないといけないと思うようになったという。
「カミングアウトは37〜38歳の時。上司の議員に話をしました。いろいろな反応がありましたが、『仕事は今まで通りやってくれればいい』という人が多かったです」(安間さん)
 一ノ瀬さんが世間にレズビアンであることを公表したのは09年。
「当時は、ほかにレズビアンで芸能活動している人がいなかったので、マイナスだとは思っていました。でも、いずれ(状況は)良くなると信じていたんです。(LGBTをテーマにした)漫画の原作や映像の企画書を自分で出して、セルフプロデュースしていました。そういう仕事をした経緯があって、自信がついたことで今があるんです」(一ノ瀬さん)
■地方は偏見や差別が強い傾向
 高倉さんと安間さんは、セクシュアル・マイノリティであることを公表して名古屋で活動しているが、カミングアウトをすることで人間関係が円滑になったり、信頼関係が生まれたりすると感じている。
 一方で、名古屋という土地柄、職場で公表できないとか、なかなか自分をさらけ出せないという人も少なくないようだ。関係者は、「名古屋は東京と比べて、LGBTへの偏見や差別が強い傾向がある」と語る。実際、今回の成人式についての記事が新聞に掲載されると、「病気が蔓延するからやめろ」という苦情電話があったという。
 2月には、埼玉のLGBT成人式の主催団体が、埼玉県と県教育委員会、県議会にイベントの後援を申請し、却下されるという一件もあった。
 昨年から自治体での同性パートナーシップ制度への取り組みが拡大しつつあり、セクシュアル・マイノリティについてメディアで取り上げられる機会も増えたが、地方の隅々へ理解が浸透するまでにはまだ時間がかかりそうだ。


NHKに「情報操作」疑惑…キャスターら抗議会見も取材せず
「何でいないんですかね。こういう所にNHKは来るべきですよ」――ジャーナリストの大御所たちがカンカンだった。
 24日、外国特派員協会の主催で、ジャーナリスト5人が記者会見を行った。登壇したのは岸井成格氏(71)、田原総一朗氏(81)、鳥越俊太郎氏(76)、大谷昭宏氏(70)、青木理氏(50)。青木氏以外は70歳を越えるベテランばかりだ。
 彼らの結束は、高市早苗総務相の「電波停止」発言をはじめ、安倍政権のメディア潰しと、それに萎縮する腑抜けメディアに抗議するため。この日も「(高市発言は)憲法と放送法の精神に真っ向から反する。知らなかったら大臣失格。故意に曲解したなら、言論統制への布石だ。どこまでも責任追及していく」(岸井氏)、「あれは安倍総理へのゴマスリ。安倍さんが高市さん以外の女性を相当信頼しているから、『私だってこんなにやっているんだぞ』と」(田原氏)などと、ボルテージは上がりっぱなし。
■国会論戦ニュースは“政府答弁”で終了
 批判の矛先はNHKの報道姿勢にも向かった。冒頭の発言の主は岸井氏で、怒りのワケは会見の取材にNHKは記者もカメラも誰ひとり、参加しなかったこと。2月末に同じメンバーがそろった高市大臣への抗議会見の取材にも、NHKは来なかった。完全に無視を決め込んでいるのだ。
 大谷氏は「国民の受信料で成り立つ公共放送が、海外メディアですら高い関心を持っているにもかかわらず、何ら見向きもしない。この姿を(特派員に)見てもらえるだけで、日本のメディアの状況を分かってもらえる」と皮肉ったが、驚くのは次のやりとりだ。
 岸井氏が「(NHKは)いつも最後に政府与党の言い分をくっつけることでニュースを完結させようとしている」と指摘すると、大谷氏は「NHK内部の人」から聞いた話として、国会論戦のニュースは「必ず政府側答弁で終わらないといけない」と応じ、制作サイドで義務づけているように語ったのだ。
「テレビニュースは演説のようにメッセージを連呼できないだけに、視聴者の印象に残るのは、やはり最後の言葉となる。活字媒体なら記事を読み返せますが、ニュースを録画して見直す人はまずいない。しかも、視聴者は常に結論を待ってニュースを聞き流しているから、なおさらです。ニュースの結論を必ず政府の言い分で締めるのは、一種の情報操作と言えます」(明大講師・関修氏=心理学)
 NHKに事実関係を確認すると、「ご指摘のような事実はありません」との回答だった。


府内五番街で連動企画 俺たちのフランス展
 大分市府内町のトキハ本店で春の恒例イベント「フランス展」が24日に開幕。同町の府内五番街商店街は、同店と商店街の回遊性を高めようとする初コラボ企画「俺たちのフランス展」を同日から始めた。商店街を挙げての試みで、27日まで。同商店街振興組合の安達了剛理事長は「取り組みを定着させ、いずれは大分の街全体に広げたい」と期待している。
 府内五番街商店街にたなびくトリコロールカラーの仏国旗。期間中、レストランやカフェ、パン、ファッションブランド、雑貨、酒店、コンビニエンスストアなど約20店にフランスにまつわる自慢の品が並ぶ。パリのブランドの服、フランスの伝統料理、フレンチプレスで入れたコーヒー、エッフェル塔の置物など。限定ランチやシャンソンの生演奏も楽しめる。
 安達理事長がイベントの連動を申し入れたところ、トキハ本店が快諾したという。同店営業政策部の園田博之さんは「街を盛り上げるための第一歩にしたい。府内町を行き来してフランスの香りを感じてもらえたら」。今後は「カレー博」「イタリア展」の同時開催を予定している。
 同商店街の情報が詰まった季刊誌「ゴウガイ」も創刊。第1号では俺たちのフランス展を紹介。新店舗や老舗の特集もある。誌名は「五番街」「号外」「GO!街」にちなみ命名。個性あふれる商店街の「人」を知ってほしいという思いから、商店主やおかみ、店員らが表紙を飾る。A4判カラー、年4回発行。無料で同商店街の各店舗に置く。安達理事長は「さまざまな試みで街の魅力を掘り起こしたい」。
 JR大分駅ビルと県立美術館のオープンから1年。五番街の人通りは大きくは増えなかったというが、独自の文化・集客イベントを展開してきた。安達理事長は「買い物だけでなく、無駄にブラブラできる通りになるのが理想。昔ながらの商店街の良さと、おしゃれな街並みを併せ持つ五番街の魅力を引き出し、発信したい」と話している。
 「俺たちのフランス展」の問い合わせは同組合(TEL097・534・2483)へ。


反捕鯨で入館拒否 賠償命じる
和歌山県の「太地町立くじらの博物館」の入館を拒否されたとして、環境保護団体のオーストラリア人の女性が賠償を求めた裁判で、和歌山地方裁判所は、「博物館の情報に接する機会を不当に制約するものだ」として町に11万円の支払いを命じました。
環境保護団体の代表のオーストラリア人の女性は、おととし、和歌山県の「太地町立くじらの博物館」を訪れた際、「捕鯨反対の方は入館できません」と英語などで書かれたカードを示され、入館を拒否されました。
女性は「思想・良心や人種による差別にあたる」などと主張し、町におよそ330万円の賠償を求め、これに対し、町は、「女性は、以前、館内で無断で撮影や取材をしたことがあり、ほかの人の迷惑になるおそれがあると判断した」と反論していました。
25日の判決で、和歌山地方裁判所の橋本眞一裁判長は「博物館は、女性に何ら質問することなく即座にカードを提示していて、管理の支障を生じる相当の可能性があったとは認められない。博物館の情報に接する機会を不当に制約するものだ」として町に11万円の支払いを命じました。
判決で橋本裁判長は、博物館が女性に示したカードについて「反捕鯨という思想を理由に入館を拒否するもので、憲法上問題があるといわざるを得ない」として、適切でないという判断を示しました。
原告で、環境保護団体の代表のサラ・ルーカスさんは「迷惑行為をするつもりはまったくなかった。
反捕鯨的な思想を理由に入館を拒否をすることは違法だと判断してもらってとても満足している」と話していました。
「太地町立くじらの博物館」の林克紀館長は「カードを提示すること自体は施設の管理上必要なことだったと認められたと解釈している。カードの内容に問題があったということだが現在は使用していないし反捕鯨団体の入館も認めている。ただし過激な行動があれば、今後も警察に通報するなどの対応をとっていきたい」と話しています。

会議の後みんなでバスで梅田→飲みすぎ

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Denis Baupin : ≪ Fukushima en France, un scénario probable ≫
Opinion Internationale a rencontré Denis Baupin, vice-président de l’Assemblée Nationale et député Europe Écologie-Les Verts de Paris. Il nous donne son éclairage sur l’avenir du nucléaire en France. Cet entretien inaugure des rendez-vous politiques réguliers dans la perspective des élections présidentielles.
Cinq ans après le triste anniversaire de l’accident nucléaire de Fukushima, la question du nucléaire fait plus que jamais débat. Ségolène Royal a choqué il y a quelques semaines en annoncant que l’exploitation de certaines centrales pourrait être allongée de dix ans. Interrogée sur la question de la transition énergétique le 6 mars dernier, alors qu’elle était l’invitée du Grand Jury RTL-Le Figaro-LCI, la ministre du Logement, Emmanuelle Cosse annoncait que Francois Hollande voulait voir Fessenheim fermée d’ici la fin de l’année 2016. Ce qu’Emmanuel Macron démentait deux jours plus tard, tout en confirmant le lancement de la procédure de fermeture pour l’année 2016. En effet, expliquait-il, le processus étant long, il était impossible pour l’instant de fixer un calendrier précis.
C’est dans ce contexte d’incertitude que nous avons interrogé le député EELV Denis Baupin pour la 10e circonscription de Paris. Selon lui, depuis Fukushima, la perception du nucléaire a changé en Europe. Suite à une demande du Conseil européen en mars 2011 de réaliser des ≪ tests de résistances de sûreté ≫, l’Autorité de sûreté nucléaire francaise a instauré l’évaluation complémentaire de sûreté (ECS). Néanmoins, Denis Baupin reste prudent : ≪ Fukushima, c’est possible en France, c’est même probable ≫. En tant que rapporteur sur la loi de transition nucléaire, il considère que ces évènements auraient dû amorcer le mouvement permettant de passer de 75 à 50 % la part du nucléaire dans la production énergétique francaise. D’autant plus que le nucléaire coûte cher. Un rapport de la Cour des comptes a démontré que le coût d’entretien s’était multiplié par quatre, soit plus de 100 milliards si EDF voulait rénover toutes ses centrales (de 3 à 5 milliards par réacteur). Autant d’argent que les écologistes aimeraient voir réinjecté dans les énergies renouvelables. Une seule solution pour atteindre l’objectif des 50 %, fermer plusieurs centrales. ≪ Il faut fermer en priorité les installations les moins sûres ≫ estime le député EELV, à commencer par Tricastin qui a déjà montré des signes de fissure. Cette transition doit également passer par une mutation d’EDF. L’entreprise ne peut plus investir dans le nucléaire, sous peine de se retrouver remplacée par des entreprises privées étrangères plus performantes dans le domaine des énergies renouvelables.
Le 9 Mars, Denis Baupin prenait la parole à l’occasion des Questions au gouvernement et interrogeait Ségolène Royal sur le futur d’EDF : ≪ Il est encore possible de sauver EDF à condition de regarder vers l’avenir et non pas vers son glorieux passé ≫. Ce à quoi la ministre de l’Environnement, de l’Energie et de la Mer a répondu en insistant sur les créations d’emplois générées par la vente des EPR, argument classique de la classe politique lorsqu’elle rechigne à avancer sur la question. A noter que Ségolène Royal a lancé le 9 mars 2015 les travaux de la Programmation pluriannuelle de l’énergie, une période d’évaluation durant laquelle l’ensemble des intéressés devra faire l’état des lieux de l’énergie en France. Le PPE devrait aboutir à la présentation d’un décret et d’un rapport au Parlement d’ici la fin de l’année.
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大阪に帰ってきました.疲れが残っている感じです.
数に関しての会議のがあって,その後懇親会の飲み会です.バスで梅田に向かいました.
隣の席が新人,と言っても60代なのですが,で飲みすぎてしまいました.

<震災月命日捜索>一斉を見直し 各署判断に
 東日本大震災の行方不明者の捜索をめぐり、宮城県警が月命日の11日前後に実施してきた一斉集中捜索を新年度から見直す方針を固めたことが23日、県警関係者への取材で分かった。捜索は継続するが一斉ではなく、家族の要望が多い地域や行方不明者を多数抱える地域など実情に応じて警察署ごとに実施を判断する方式に改める。
 宮城県内の行方不明者は10日現在、1236人。県警は延べ約14万4000人の警察官を動員し、11日の月命日前後に沿岸部で一斉集中捜索を実施してきた。
 震災後1年目は、頭蓋骨のある完全遺体が9510体見つかったが、2年目は23体に激減。3〜5年目は各2体の収容にとどまった。沿岸部のほぼ全域で大規模な捜索が終了したことに加え、用地のかさ上げなど復旧復興工事が進み、捜索できる範囲が狭まってきたことなどが背景にある。
 県警は被災者の心情や沿岸部の各警察署が抱える実情に配慮。各署に月命日の対応を含め捜索の手法を一任する方針。県警幹部は「捜索打ち切りでは決してない。各署の判断で月命日の捜索を継続する場合もある」と説明する。
 内閣府によると、不明者の捜索終了を判断する主体は明確に決まっていないという。宮城県は「捜索終了を議論する段階にはない」としている。
 1124人が行方不明の岩手県、197人が行方不明の福島県では、両県警とも月命日の一斉集中捜索を継続するという。


<震災月命日捜索>被災者、象徴的な日続けて
 宮城県警が東日本大震災の月命日の11日前後に実施してきた行方不明者の一斉集中捜索を見直す方針について、家族の帰りを待つ被災者からは「月命日は象徴的な日。今後も続けて」「遺体の発見状況を考えればやむを得ない」といった声が上がった。
 妻麗子さん=当時(57)=が見つかっていない東松島市の阿部直安さん(62)は「月命日はいろんなことを思い出す大事な日。捜索する警察官の姿に励まされている家族もいる」と話す。その一方で「5年がたち、手掛かりが見つかりにくくなっている。見直しは仕方がない部分もある」と複雑な胸中を明かした。
 気仙沼市の柴田静佳さん(33)は、長女日向(にこ)ちゃん=当時(2)=の行方が今も分かっていない。「毎月11日に大勢の警察官やボランティアが捜してくれたことが、心のよりどころだった。できれば今後も続けてほしい」と要望した。
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 東日本大震災の行方不明者の捜索をめぐり、宮城県警が月命日の11日前後に実施してきた一斉集中捜索を新年度から見直す方針を固めたことが23日、県警関係者への取材で分かった。捜索は継続するが一斉ではなく、家族の要望が多い地域や行方不明者を多数抱える地域など実情に応じて警察署ごとに実施を判断する方式に改める。


<全町避難>苦難越え 一人だけの卒業生
 東京電力福島第1原発事故で全町避難している福島県双葉町の双葉北小、南小の卒業式が23日、いわき市の仮校舎体育館で行われた。唯一の卒業生となった北小の大高滉士(あきひと)君(12)は南小を合わせた在校生9人に送られ、母校を巣立った。
 大高君は別れの言葉で「たくさん勉強し、町の復興を支える大人になりたい」と抱負を語り「震災はたくさんの悲しみだけでなく、たくさんの喜びも与えてくれた。僕はこれからも自分の夢を信じ諦めずに努力していきたい」と述べた。
 原発事故が発生した2011年3月、大高君は1年生だった。翌月、家族5人で新潟県上越市に避難したものの、心ない言葉を掛けられ登校できなくなった。
 14年6月、いわき市で授業を再開した北小に戻り同市の借り上げ住宅から通った。「双葉の学校だから友達がいるかも」と期待したが同級生はいなかった。
 大高君は当初、誰とも話そうとしなかった。担任の林香世子さん(50)らはパズルやブロックで一緒に遊ぶなど、心を通わせようと知恵を絞った。家庭とは連絡帳を毎日交換し、両親の不安解消にも努めた。
 学校生活に次第に慣れ、下級生の面倒をよく見るようになった。母の美穂さん(42)は「先生方が暗いトンネルに手を突っ込み、引っ張り出してくれた」と振り返る。
 渡辺由起子校長から「この2年間の成長は目を見張るものがありました」と褒められた大高君。「学校にまた通えるようになって良かった。2年間の全てが思い出」と笑顔を浮かべた。4月から仮校舎の2階にある双葉中に通う。


野蒜小津波訴訟 賠償命じる
東日本大震災で宮城県東松島市の小学校に避難していてその後津波に巻き込まれて死亡した児童や住民の遺族が起こした裁判で、仙台地方裁判所は学校から近所の人に引き渡され帰宅して死亡した児童について学校側の責任を認め市に2600万円あまりの支払いを命じました。
5年前の震災で、東松島市の野蒜小学校から津波が来る前に近所に住む同級生の親に引き渡され家に戻り死亡した当時9歳の児童の遺族と学校の体育館に避難していて死亡した住民の遺族が学校の対応に問題があったとして学校を管理する市にあわせて5300万円あまりの損害賠償を求めています。
裁判の中で原告は、災害時に児童を引き渡す人を保護者などが登録されていたにもかかわらずそれ以外の人に児童を引き渡し、津波に巻き込まれることが予測できるのに帰宅させたと主張したのに対し学校側は、津波は予測できず帰宅した児童の家の近くには高台もあったと主張していました。
24日の判決で仙台地方裁判所の大嶋洋志裁判長は「児童が家に帰るためには津波の予想浸水域を通らなければならず津波に巻き込まれることは予測できた」と指摘しました。
そのうえで「安全が確認できない限り登録のない人に児童を引き渡してはならず注意義務に違反した過失が認められる」として学校側の責任を認め、市に対し2600万円あまりの賠償の支払いを命じました。
一方、体育館に避難して死亡した住民の遺族の訴えは退けました。
弁護士などによりますと宮城県で津波で犠牲になった人の遺族が賠償を求めた裁判で1審で賠償を命じた判決は今回が3件目で、小学生の児童の引き渡しを巡って賠償が命じられるのは初めてです。


<野蒜小津波訴訟>一部遺族への賠償命じる
 東日本大震災で東松島市野蒜小体育館に避難した住民2人と児童1人が津波で死亡したのは、学校側の判断に過失があったためだとして、遺族が市に計約5300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は24日、児童1人の遺族に約2660万円を支払うよう市に命じた。
 判決は、同級生の親に引き渡された後に犠牲になった児童をめぐる請求についてのみ認容。体育館内で死亡したとされる住民2人の遺族の請求は棄却した。
 訴えによると、2011年3月11日の地震発生後、野蒜地区の住民は地域防災計画で避難場所に指定された野蒜小に向かい、校長らに体育館に誘導された。体育館には約3・5メートルの津波が押し寄せ、住民2人は体育館内で溺死。児童1人は引き渡し後に自宅周辺で死亡したとされる。
 市によると、野蒜小体育館では計13人の遺体が確認された。


<野蒜小津波訴訟>児童引き渡し自治体に責任
 東日本大震災で宮城県東松島市野蒜小体育館に避難後、津波で亡くなった住民2人と児童1人の遺族が、学校側の判断に過失があったとして市に計約5300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁(大嶋洋志裁判長)は24日、「安全が確認されない限り児童を引き渡すべきではなかった」として、同級生の親に引き渡された後、津波にのまれた児童の遺族に約2660万円を賠償するよう市に命じた。災害発生時の児童の引き渡しをめぐる司法判断は初とみられる。
 賠償が認められたのは、体育館に避難後に校長の指示で同級生の親に引き渡され、海側の自宅に帰宅後、津波に巻き込まれて亡くなった小学3年の女児=当時(9)=の遺族。大嶋裁判長は「学校から自宅までの帰路で市の津波浸水予測地域を必ず通過しなくてはならず、児童に危険が及ぶことは具体的に予見できた」と指摘した。
 一方で判決は「体育館は津波浸水予測地域の外にあり、学校側は津波の到達を予見できなかった」と認定。体育館内で死亡したとされる当時86歳と71歳の女性2人の遺族の請求については棄却した。
 阿部秀保市長は「現時点で判決の詳細を把握していない。あらためてコメントしたい」との談話を出した。
 判決によると、2011年3月11日の地震発生後、野蒜地区の住民は地域防災計画で避難場所に指定された野蒜小に向かい、体育館に避難した。体育館には約3.5メートルの津波が押し寄せ、女性2人は体育館内で溺死。女児1人は引き渡し後に自宅周辺で死亡した。野蒜小体育館では訴訟対象の女性2人を含め、計13人の遺体が確認された。
 津波犠牲をめぐる訴訟の仙台地裁判決で、賠償命令は3件目。過去2件は私立幼稚園や自動車学校が被告で、今回、初めて地方自治体の責任が認められた。


デスク日誌 3月11日
 3月11日14時46分を、政府の東日本大震災追悼式会場で迎えた後、都内のプラネタリウムに足を延ばした。仙台市天文台が震災当日の夜空を再現したプログラム「星空とともに」の上映会があった。
 震災があった日は仙台の本社で一夜を過ごしたため夜空を見ていない。地震直後、社の駐車場に一時避難した際に舞っていた雪の印象が強すぎて、夜に星空が広がっていたと聞いても、現実感がなかった。
 プラネタリウムに映し出されたのは天を埋めた星々。雪がやんで空気が澄み停電が重なって現れた天体ショーを、多くの被災者が余震と寒さに震えながら見ていたことを知った。
 「亡くなった人が迷わず天国に行くための道しるべ」「絶望とは対極の希望の光」。無数の輝きの受け止め方は人それぞれ。あの夜、自分も星空に気付いていたとして、何を思ったかは想像できなかった。
 投影が終わると会場は拍手に包まれた。アンケートには「震災を忘れないためにも上映会を続けて」との声が多数あったという。離れた地から被災地を思う人々に触れながら「5年」をかみしめた。(東京支社編集部長 石川雄康)


大地震のネパール高校生と交流
去年4月に大地震の被害を受けたネパールの高校生が日本の同世代の人たちと災害時の対応などについて学ぶツアーが仙台市で開かれました。
ツアーは、東北出身の大学生で作る団体が震災の際に受けた海外からの支援への恩返しとして企画したもので、ネパールから招待された高校生3人が日本の高校生と交流しました。
高校生たちは、3月21日から県内を中心に訪問していて、24日は、仙台市にある東北大学の災害科学国際研究所で災害について学びました。
研究所では、東北大学が作成した災害時にとるべき行動をイラストにしたカードを選ぶゲームが行われました。
司会者が、地震や土砂崩れなど災害時の対応を英語で問いかけると、高校生たちは教室の机の下で頭を隠したり、山のそばから離れようとしたりする人の様子が描かれたカードにすばやく手を伸ばしていました。
参加したネパールの高校生は、「ゲームを通じ地震の時にどう動くべきかが分かりました。被災地の復興の様子を見学し、ネパールの復興に役立てたい」と話していました。
また、ツアーを企画した団体の代表、東北大学2年生の白井森隆さんは「今回参加した高校生にも、自分で出来ることを考えてほしい」と話していました。
高校生たちは、25日以降、南三陸町の仮設の商店街を訪問するなどして今月末に帰国する予定だということです。


<台湾南部地震>早い復興を 被災高校生激励
 台湾の台南第一高級中学と交流がある宮城一高(仙台市青葉区)の生徒が、台湾南部地震で被災した台南の友人らに向け、応援のメッセージを書き込んだ横断幕などを送る準備を進めている。生徒たちは「同じ被災地に私たちの元気を届けたい」と意気込んでいる。
 宮城一高はことし1月26日、教育旅行で県内を訪れていた台南第一高級中学の生徒72人を受け入れ。英語での会話や部活動見学などを通じて、同年代の生徒同士で交流した。
 その11日後、台湾南部地震が発生。東日本大震災の被災地を思いやってくれた台南の生徒たちと、今後も継続的に交流を深めていこうと準備に取り掛かる矢先の地震だった。
 学友会のメンバーが中心となり、横断幕とメッセージ動画づくり、募金活動を企画。横断幕は「祝早日重建家園!(一日も早い復興を)」と大きく書いた白い布に、英語や日本語で応援メッセージを寄せた。
 校内で集めた募金は計2万6297円。4月に台湾を訪れる県に託し、届けてもらう予定だ。動画はエールの輪を広げるため、動画サイト「ユーチューブ」でも発信したい考え。
 学友会長を務める2年の山田萌結さん(17)には地震の直後、LINE(ライン)で交流を続けていた台南の生徒から「地震怖かった」と日本語でメッセージが届いた。山田さんは「同じ被災地の高校生同士。少しでも元気を届けたい」と話す。


人生に正解なし…卒業生激励 震災影響で中退の男性
 盛岡市上堂の会社員伊東優駿(ゆうしゅん)さん(22)は、2013年夏まで1年半通った盛岡大の卒業式で、かつての級友らにメッセージを送った。東日本大震災の影響で退学した大学と友人たちに思いをはせ、人生にはさまざまな道があることを激励の思いと共に届けた。
 「君らにとって懐かしい仲間からメッセージが来ています」。盛岡市内で15日行われた同大卒業式で、伊東さんの恩師が読み上げた。
 「あの時こうしていればとかあの時やれていれば、ということはあるでしょう。でも人生にこうでなければいけないという正解はありません」(抜粋)。一瞬ざわついた会場は静まり、学生は静かに耳を傾けた。
 大船渡市赤崎町出身の伊東さんは、大船渡高2年の時に被災。自宅は全壊し、多くの知人を失った。母の「援助するから好きにしなさい」の言葉と教員の後押しで、夢だった教員への道を進んだ。しかし大学では震災時の様子が話せず、古里を離れ、何もなかったかのように過ごす自分に後ろめたさを感じた。「親へこれ以上負担を掛けたくない」という思いが募り、2年生の夏に退学。劣等感や将来への不安と闘いながら就職活動に励み、14年の春に盛岡北郵便局に就職した。
 飾らない言葉で自身の経験や思いをつづった伊東さんは「4月以降の進路が定まっていない人にも、いろいろな生き方があることを知ってほしかった」と、学生の背中を押す。


<センバツ>釜石の義足の左腕 躍動
 第88回選抜高校野球大会に21世紀枠で出場し初戦を突破した釜石(岩手)で、右脚に義足を着けた左腕沢田一輝投手(新3年生)が25日の2回戦、滋賀学園戦への出場を目指して練習に励んでいる。「自分の役割を果たして勝利に貢献したい」と意気込む。
 同じ21世紀枠の小豆島(香川)を2−1で下した1回戦は縁の下で勝利に貢献。相手の主戦左腕を想定した練習で打撃投手を務めた。先制打を含む3安打の佐々木航太外野手は「左から来る球をイメージでき、球に慣れることができた」と感謝する。「チームプレーができた。でも打ったのは選手の力」と沢田投手は仲間の活躍をたたえる。
 生まれつき右脚が不自由で、2歳の時に膝から下を切断して義足に。野球を始めたのは小学5年の時。父祐一さん(45)には競技の厳しさや義足のこともあり反対されたが、「途中で辞めない」と説得し切った。
 祐一さんも釜石工高(現釜石商工高)の元球児。高校3年時に夏の岩手大会決勝で敗れ、甲子園出場を逃しているだけに「出場を喜んでくれた」という。「試合に出て成長した姿を両親に見せたい」。大舞台で恩返ししたい思いは強い。
 外野手だったが、1年の秋、投手の練習を始めた。その後一塁手を務め、再び昨秋から投手に。直球にシュートやカーブ、カットボールを織り交ぜ、打たせて取る。「同じように義足を着けてスポーツをしている方がいる。自分のプレーを見てもらうことで、考えがマイナスからプラスになってくれたら」と願う。
 佐々木偉彦監督には大会前から「起用するならワンポイント」と言われているという。滋賀学園戦に向け「対戦するならどの打者かイメージし、準備している」と沢田投手。義足の投手として注目されるが、「脚のことは考えていない。与えられた役割を全うして勝ちたい」と力強く語った。(スポーツ部・及川智子)


原発事故後に父が自殺 残された農地を守る家族を追った映画
 二〇一一年三月二十四日、福島県の須賀川市で農業を営んでいた男性が原発事故のあと、せっかく作った農作物が汚染され、出荷出来なくなったのを苦にして、自殺した。あとには長男とその母親が取残されてしまった。それから四年たって、二人は困難ななか農業を続けている。先祖から受継いできた農地を守りたいという気持が強い。
 東京の若者たちが、二人の話を聞きに行く。ドキュメンタリー「大地を受け継ぐ」は、この時の様子をとらえている。農家の一室で、若者たちが長男(四十代)と、その母親を取り囲むように座り、二人の話を聞く。
 見る前は、若者たちと二人の対話が始まるのかと思っていたが、まったくそうはならない。父親の自殺について語り始めた長男は、次第に話が熱を帯び、とまらなくなってしまう。あふれる思いを懸命に話し続ける。若者たちは、黙ってその話に引きこまれてゆく。
 カメラはほぼ、語り続ける長男と、その隣りに座った母親をとらえ続ける。撮影者も、長男の話にただ耳を傾ける。余計なコメントも、解説もない。通常の意味での演出もない。こういうドキュメンタリーは珍しい。
 長男は大学を卒業したあと八年間、いわき市のプラント会社で働いた。そして会社を辞め、家の仕事を手伝うようになった。そこに原発事故が起きた。大事に育てたキャベツもブロッコリーも出荷出来なくなった。
 自殺する前に、父親は言ったという。
「おめえのこと間違った道にすすめた」
「農業を継がせて失敗だった」
 家は突然、大黒柱を失なった。「会社で言えば、社長が亡くなって、平社員が二人残されたようなもの」。父親の無念を思うと、農業を続けるしかない。決して、ありきたりの原発批判をしたいのではない。ただ、いままで通り、普通に農業を続けてゆきたい。農家として誇りを持って生きてゆきたい。3.11のあと普通であることがいかに困難か。
 あふれる気持を抑えられなくなり、それでも冷静に、正確に言葉を選びながら話し続ける長男の話には、若者たちだけではなく観客もまた圧倒される。地に足が着いている。土に生きようとする者の覚悟が確実に伝わってくる。
 ほとんど喋らず、隣りに座って息子の話を聞いている母親の深いしわに刻まれた顔、部屋に掛けられた先祖たちの顔写真が、農家の歴史を無言で語っている。最後、東京に戻った若者たちは駅で三々五々、別れてゆく。おそらく大きな宿題を背負って。文■川本三郎


<アーカイブ大震災>空港がれき 撤去1カ月
 東日本大震災の発生から間もなく半年が経過する。被害を受けた公共施設などの機能は回復し、地域経済も着実に前進している。企業は現場で復旧をどう支え、いかに事業再生に取り組んだのか。「ドキュメント大震災」のシリーズ第6弾は、第4弾に続いて企業の格闘を追う。
◎苦闘 企業の前線供複院剖路復活(前田道路仙台南営業所)
 津波で大きな被害を受けた仙台空港は2011年9月25日、国際定期便の運航が再開し、空港機能が全面回復する。がれきで埋まった空港は震災約1カ月後の4月13日には、国内臨時便の受け入れを再開していた。短期間での復旧は、米軍が自衛隊とともに実施した「トモダチ作戦」の象徴的な成果とされたが、この活動の中核を担ったのは、道路舗装大手の前田道路(東京)だった。
 「がれきを撤去してほしい」
 滑走路などの維持管理を担う前田道路仙台南営業所(宮城県岩沼市)に、国土交通省から連絡が入ったのは3月12日夜だった。
 営業所の幹部は翌日、国交省側と打ち合わせを行い、エプロン側から撤去を始める方針を確認した。話し合ったのは空港内のビル2階。1階には津波で流された車が突っ込んでいた。
 作業は14日に着手。工事課係長の中鉢哲也さん(43)はまず、敷地内の状況を調べた。深さ5、6センチの土砂に覆われ、津波で流された住宅や車が至る所に散乱していた。遠目には遺体も見えた。
 当日、現場に集まることができたのは10人弱。使える作業車は2台だけ。「復旧にどれだけ時間がかかるのか」。4000件を超える現場経験を持つ中鉢さんにも、全く見通しがつかなかった。
 この日夕、国交省から手順変更の指示が下る。「被災地支援の米軍機が着陸する。1500メートル分を使えるようにしてほしい」。到着予定は2日後の16日。猶予は15日の1日しかなかった。
 指定されたのは3000メートル滑走路の一部。幸い、がれきは少ない。営業所の社員らは道路清掃車を使い、除雪を行う要領で土砂を取り除いた。
 最も注意を払ったのは異物の確認だ。滑走路にくぎ1本でも残っていれば、エンジンに入り込み、重大なトラブルにつながりかねない。
 日は暮れ、停電が続く現場は真っ暗闇になった。「ヘッドライトをともした車両を1列に並べ、社員が慎重に確かめた」。営業所の北原正俊所長(46)が説明する。
 米軍機は予定通り着陸した。本格的な復旧作業が、ここから始まった。
 協力会社を含む全国からの応援で、震災1週間後に人員は200人以上に膨らんだ。作業車両はクレーン車を含め100台を超え、「大規模なダム工事並みの陣容」(中鉢さん)になった。
 東北支店も車両の燃料や作業員の宿舎確保に奔走した。当時副支店長だった大西国雄支店長(49)は「仙台空港は復興の象徴。何としても早期に正常化させたかった」と振り返る。
 ただ、がれき処理は通常の土木工事のようにはいかない。潜んでいたくぎで作業車がパンクしたり、鉄の棒がエンジンに刺さったりする事態も起きた。
 北原所長は米軍との調整役も担った。作業分担のほか、機材や燃料の融通も交渉。通訳を呼ぶ余裕がないときには、身ぶり手ぶりに加え、タブレット型多機能端末の自動翻訳機能も使って、意思疎通を図った。
 北原所長は「うまく連携できるか不安もあったが、何とか円滑に共同作業ができた」と語る。
 238ヘクタールの空港敷地のがれき撤去は4月10日に完了した。がれきは最終的に計3万6000立方メートルに達し、3カ所に設けた仮置き場には高さ5メートルを超える山ができた。
 3日後、国内臨時便が就航した。その後も国内定期便の運航再開、国際臨時便の就航と、着実に復旧の歩みを進めた。
 仙台南営業所は8月末、空港敷地内の草刈り作業に取り掛かった。震災前から請け負っている維持管理業務の一環だ。
 「雑草とはいえ、ここに緑地が戻るなんて想像もできなかった」。北原所長は夏草の生い茂る光景に、空路復活の実感を深めている。(斎藤秀之)=2011年9月3日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


ベルギーテロ たび重なる非道を憎む
 欧州連合(EU)本部のあるベルギーの首都ブリュッセルで同時爆弾テロがあり、30人以上が死亡した。負傷者は計200人以上に上り、日本人2人も巻き込まれた。
 欧州では昨年11月にも過激派組織「イスラム国」(IS)に影響された若者がパリの劇場やカフェなどを襲撃し、130人が死亡する事件があったばかりだ。たび重なる卑劣な暴力に強い憤りを覚える。
 今回もISがインターネット上で犯行声明を出した。シリアなどで対IS空爆を続ける米欧主導の有志国連合を「十字軍」に見立て、その本拠地を狙ったと主張している。だがどんな理由でもテロを正当化することはできない。米欧や日本の首脳が厳しく非難したのは当然だ。
 疑問なのは、昨年のパリの事件以降、厳戒態勢が敷かれていたはずの国際空港や地下鉄駅でなぜテロを防げなかったのか、ということだ。
 利用客の便を考えれば、監視に限界があるという事情も理解できる。しかし、ブリュッセルは昨年11月のパリ同時多発テロで襲撃犯グループの出撃拠点だった。今回の同時テロのわずか4日前には、逃走していたパリの実行犯の1人が逮捕された。潜伏先の捜索から、ブリュッセルでテロが計画されていることがわかっていたともいう。捜査当局間の情報共有や警備態勢に問題はなかったのか、再点検が必要だ。
 昨年の同時多発テロを受けて、フランスやベルギーの捜査当局には強い権限が与えられ、行き過ぎた強制捜査に対する批判の声も上がっている。これが市民の不信感を生み、捜査への協力を妨げているのだとすれば再考すべき点もあるだろう。新たな警備機器の導入を含めた対応策は世界的な検討課題だ。
 日本でも5月に三重県で主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)が予定されている。改めてテロ対策への入念な取り組みを望みたい。
 懸念されるのは、テロへの不安から欧州で移民や難民に対する不寛容の機運が醸成されることだ。
 ドイツの地方選では反移民を掲げる右派政党が台頭した。フランスや英国でも極右政党が勢いづいている。疎外感を強めたイスラム系住民がテロ予備軍になるという負のスパイラルが生まれれば欧州の政治危機は深まる。失業や差別など構造的な社会問題にテロリストがつけ込もうとしていることを直視し、各国は冷静に粘り強く対策を進めてほしい。
 テロの呼び水になっているISの脅威に対抗するためには国際社会の結束が最も重要だ。IS台頭の原因となったシリア内戦の解決に向け、米欧やロシアなど関係国はさらに努力を重ねてほしい。


ベルギー連続爆発 テロには理性で戦う
 少しの高性能爆薬と数人の自爆テロ犯が欧州を揺すぶりかねない。もちろん揺すぶられてはならない。社会の分断を狙うテロのわなに陥ってはならない。
 ベルギーでのテロは、空港、地下鉄という人の移動の中心、だれもが集まり、だれもが来てもいいところで起きた。卑劣きわまりない。
 だが、つまりどれほど警戒を強めようと、犯人が指名手配者でもなく、その顔も知られていないのなら、防ぎたくとも防げないことになる。
◆狙いは混乱とパニック
 銃をもった制服警官やマシンガンを抱える兵士、また私服の警備の配置は必要だ。欠かせぬ対策である。テロ犯に対する威嚇であり、不審者の自爆を寸前に止めてくれるかもしれない。
 だがそれでも完全に防ぐことは無理かもしれない。そこがテロ犯の狙いであり、日常をおびえさせようとし、それは昨年のパリで示され、ベルギーで今あらためて私たちは知ることになった。
 一般論でいうと、テロの原理とは、混乱やパニック感情を引き起こし、うまく進むのなら、社会に沈積していた不満を爆発させ暴動につなげることである。政権を倒すことさえある。
 だから、冷静さが求められ、テロ犯罪に対する団結が不可欠となり、テロの仕掛けるわなには陥らぬ理性こそが武器となる。
 シリアとイラクを拠点とする過激派組織「イスラム国」(IS)のニュースサイトが犯行声明を出した。
 昨年十一月のパリ同時多発テロで逃走中だった実行犯が逮捕された直後の犯行だった。
 パリ事件の犯人グループはベルギーの首都ブリュッセルの移民街モレンベークを拠点にしていた。失業率が約四割と極めて高く、若者の不満も大きかった。 
◆ドイツの寛容政策は
 武器が簡単に手に入る闇市場があるとも指摘される。捜査、国際共助は十分だったか、若者の疎外感を解消する手だてはなかったのか、検証が必要だ。
 テロの狙いの一つは社会の分断にある。
 イスラムと非イスラム、欧州人と非欧州人の分断は差別と抑圧を生み、さらにもし混乱が進むのなら欧州人内部の分断すら招きかねない。団結は混乱の防波堤でもある。
 メルケル独首相の側近で、保守与党の重鎮フォルカー・カウダー氏はちょうど来日中だった。サミットの事前調整がある。親日家でもある。きのうの日本記者クラブの会見でこう語った。
 「テロは難民と直接の関係はない。内戦で追われ迫害された人々にはドイツや欧州に滞在する権利がある。言葉を学び、職業訓練を受け、社会に統合されるようにしたい。大きな試練だが、克服できる」
 では欧州連合(EU)内のきしみ、亀裂はどうか。
 加盟国が国境審査を免除し合うシェンゲン協定はEUの理念を体現してきた。今は協定の一時適用中止の動きも出始めている。
 テロにより物流、経済への影響が出てきそうだが、最小にせねば混乱が広がりかねない。テロとの戦いは実に多岐にわたるが、乗り越えねばならない。
 ISとその前身でもある国際テロ組織「アルカイダ」は、ともに西洋文明を敵視するが目標も組織形態も異なるようだ。
 アルカイダは軍事訓練を行い、目標をアメリカに絞っていた。組織はピラミッド型。9・11テロを仕掛けた。
 ISは戦闘員はそれほど訓練を受けずとも参加でき、欧州で生まれ育った若者もいる。組織はピラミッド型というより、ツイッターやフェイスブックでつながる平たいネット型といえる。監視の強いアメリカでなく、比較的弱い欧州を狙う。
 捕捉は難しいともいえる。長い戦いを覚悟せねばならないかもしれない。悪くすれば拡散する。
 テロを機会に社会の分断、亀裂のようなことが起きれば、若者はさらにテロに駆り立てられかねない。
◆イスラム側の発信も
 イスラムの側もテロはイスラムの敵であるとあらためて発信せねばならない。
 イスラエルとパレスチナの問題、サウジアラビアとイランとの対立も遠く不安の背景にある。外交の力を合わせて解決、解消したい課題だ。
 かつて植民地主義を唱道した欧州と、植民地主義の犠牲になったアラブ・イスラム世界との歴史的な傷をテロ組織は繰り返し吹聴する。それらに打ち勝てるのは両者の理性しかない。
 テロの仕掛ける、社会の分断を避けるのはまさに一人ひとりの理性にかかる。


教科書検定/「金太郎あめ」でいいのか
 これでは「金太郎あめ」のような教科書になりかねない。
 来春から高校生が使う教科書の検定結果が公表された。領土に関する政府見解の記述が大幅に増えるなど政府の意向が色濃く反映され、内容の画一化は一層進んだといえる。
 こうした傾向が強まった背景には、2014年に文部科学省が、教科書作成の指針となる解説書と検定基準を見直したことがある。
 基準などは、近現代史を扱う際に「政府の統一的な見解に基づく記述」「通説的な見解がない場合はそのことの明示」を求めた。昨年の中学教科書に続き、高校向けでも政府の立場に沿う記述が増えた。
 従来の検定では事実関係の誤りの指摘が中心だったが、政府の取り組みまで積極的に記述させる姿勢が目立つのも特徴だ。「書かせる検定」に進みつつあると指摘される。
 領土問題に触れた公民教科書では、竹島の位置や日本固有の領土との紹介だけでは十分でないとされ、調査官の提案に基づき「日本は韓国に司法裁判所への付託を提案した」など日本側の対応の説明を加えた例があったという。政府の立場ばかりを強調し、教科書の記述に似たような表現が並ぶ形になっている。
 領土問題の記述や政府見解を示すことは必要だとしても歴史的な経緯などにも触れなければ、主体的に考えることにつながらないだろう。
 このほか、「憲法解釈によって、憲法の内容を変更するやり方を、解釈改憲と呼ぶ」との記述が「誤解の恐れがある」として、後半部分を「…変更するやり方を批判する際、解釈改憲という言葉が使われる」と加筆・修正された例もあった。
 こうした「厳しいチェック」に対し、教科書会社は不合格を恐れて指摘を受け入れざるを得ないという。中には重箱の隅をつつくような細かな意見もあり、記述の幅を狭くしている面は否めない。
 今、中央教育審議会が高校の学習指導要領改定に向けた議論の中で、世界史と日本史を統合して近現代史中心に学ぶ「歴史総合」や「18歳選挙権」を見据えた「公共」などの科目新設を検討している。狙いは、主体的に取り組もうとする意欲や、多様性を尊重する態度を養うことだ。
 生徒たちが多角的な観点から考える力を付ける。そのための教科書づくりこそが今、求められている。


政府公表資料はウソ 安倍官邸が隠した米教授“本当の提言”
 22日に第3回が開かれた「国際金融経済分析会合」。米ニューヨーク市立大・クルーグマン教授も来年4月の消費増税反対を提言したが、増税延期の風向きが強くなったのは、先週16日に行われた第1回の米コロンビア大・スティグリッツ教授の提言がきっかけだった。
 だが、ちょっと待って欲しい。会合から2日後の18日に政府が公表したスティグリッツ教授提出の資料を見ると、消費増税についての記述はどこにもない。むしろ教授が提言したのは、TPPの欺瞞や量的緩和政策の失敗、格差の是正、つまりアベノミクスの全否定だった。
 提言のレジュメとみられる資料は48ページにわたり、例えばTPPについて次のように手厳しい。
〈米国にとってTPPの効果はほぼゼロと推計される〉〈TPPは悪い貿易協定であるというコンセンサスが広がりつつあり、米国議会で批准されないであろう〉〈特に投資条項が好ましくない――新しい差別をもたらし、より強い成長や環境保護等のための経済規制手段を制限する〉
 ただ、これは官邸の事務局による和訳で、本来の英文と比較すると、これでも「意図的に差し障りのない表現にしている」と言うのは、シグマ・キャピタルのチーフエコノミスト、田代秀敏氏だ。
「〈特に投資条項が好ましくない=Investment provisions especially objectionable〉ですが、強い不快感を表す単語【objectionable】を使っています。正確には、〈投資条項が、とりわけ、いかがわしい〉と訳すべきでしょう」
 他にも【inequality】を和訳で、アベノミクスに好都合な場合は「格差」とし、不都合な場合は「不平等」とする“都合のいい”使い分けが散見されると指摘する。
「『大不況に関する誤った診断』と題するスライドでは、旧『第1の矢』の金融緩和には期待された効果がないとし、『企業が投資に積極的にならないのは、需要が足りないからだ』と断言しています。世界で最も権威のある経済学者が日本国民のために全力で提言した結果が、アベノミクスの全否定でした。スティグリッツ教授は安倍首相に、アベノミクスを停止し、経済政策を百八十度転換することによって、7月のG7サミットで主導権を取ることを提言しているのです」(田代秀敏氏)
 それにしても、スティグリッツ教授の資料はどうして会合当日に公表されず、2日も遅れたのか。内閣官房の担当者は「和訳の適切性について疑義が出たりしまして……」と弁解していた。
 政府にとって“好ましくない”ことを隠し、消費増税への教授の意見を必要以上に“強調”したのだとすれば、大問題だ。


自由の学風、京大卒業式 仮装学生の姿も
 京都大の卒業式が24日、京都市左京区のみやこめっせであった。東日本大震災の発生から5年を迎えたことに、山極寿一総長は「皆さんが入学した前後には震災が起こり、原発に支えられてきた暮らしの見直しが求められるようになった」と述べ、卒業後も京大伝統の創造の精神を大切にして未来を切り開くよう激励した。
 スーツやはかま姿のほか、着ぐるみを身に着けるなど仮装した卒業生約2900人が出席した。山極総長は式辞で、科学技術の発展を象徴した大阪万博があったり開発による自然破壊が進んだりした自身の学生時代に触れ、「日本が大きく変わった」と振り返った。
 その上で、卒業生が過ごした数年間も世界が変貌を遂げたと指摘。「現代は多様な考えを持つ人々の共存が危うくなっている」と懸念し、「京大で培った『対話を根幹とした自由の学風』がきっと役に立つ」と語りかけた。


河北抄
 これはいずれぜひ、東日本大震災の被災地にも欲しい−。そう思わされたのが秋田県沖の洋上風力発電。今後、環境影響評価(アセスメント)に入るが、最大で45万キロワットというからかなりの規模。もちろん立派な再生可能エネルギーになる。
 もし日本海側の秋田でうまく運べば太平洋側でもできないものか。推進する大手ゼネコンの大林組に聞いたら「秋田は風車を海底に固定する着床式。一般的に言うと、遠浅の日本海が適している」。
 どうやら同じ方式では難しいらしい。太平洋側だと風車を海に浮かせる「浮体式」が有力なようで、大手商社の丸紅などが福島県楢葉町の沖で研究中。
 炉心溶融(メルトダウン)事故を起こした福島第1原発の南の沖合約20キロになる。「ここは黒潮の流れが強くて、条件的には結構厳しい。ただ、この海域で浮体式を実用化させられれば、世界中どこに行ってもできるはず」と丸紅。
 東北の太平洋沖合に巨大な風車が立ち並び、せっせと電気を生産するのも夢ではない。津波と原発事故の被災からの復興にふさわしい風景になるはず。

朝からキムチチゲ/東京芸術劇場でUeさんと/女川/アラック

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海南友子

Le Japon ouvrira un centre national du manga
On pourra légitimement se demander pourquoi une telle structure n'existe pas, mais le gouvernement japonais va y remédier : un centre national du manga ouvrira ses portes dans l'archipel d'ici le printemps 2020, avant les événements olympiques organisés par le pays. Une ouverture qui s'inscrit dans une politique de promotion de la culture japonaise, et du manga en particulier.
La politique ≪ Cool Japan ≫, mise en place par le gouvernement japonais depuis quelques mois, se base essentiellement sur la promotion culturelle : le Japon avait ainsi décidé d'ouvrir son secteur de l'animation aux travailleurs étrangers, ou, dans un autre style, de renforcer la lutte contre le piratage et la contrefacon de manga.
La phase suivante sera donc l'ouverture de ce musée entièrement dédié à l'art du manga et aux grands créateurs du genre : le coût a été estimé autour de 10 milliards de yens (un peu plus de 80 millions €). Pour financer le musée, le gouvernement mettra à contribution différents acteurs privés, et probablement des maisons d'édition et sociétés de production, mais le financement public sera minimal.
Le projet est porté au Parlement japonais par le libéral Keiji Furuya, ancien ministre de la gestion des crises. L'ancien Premier ministre et actuel vice-premier ministre du gouvernement Abe, Taro Aso, fait également partie des soutiens du projet, et son appui est assez important, puisqu'il se déclare lui-même grand amateur de mangas.
Le centre national du manga sera composé d'un musée, qui sera la pièce principale de la structure. Cette dernière sera d'ailleurs proche de la Bibliothèque nationale du Japon, la National Diet Library. Anime et manga seront à l'honneur, évidemment, mais cela n'exclut pas la présence d'autres objets culturels, notamment les jeux vidéo.
フランス語
フランス語の勉強?

上野泊なので朝少し上野公園付近を散歩しました.さて朝ごはんはキムチチゲ.24時間のお店でテレビは韓国MBS.ドラマやっているけどよくわかりません.少し酸味が強い味に感じました.本当のチゲなのかもしれません.
銀座まで移動して東京駅まで適当に歩きました.東京駅前の郵便局でShさんにハガキを書きました.最近彼女からメールないのでどうしているのか気になります.その後東京駅で「東京駅から,はじまる,つながる 青森・北海道めぐりあい」に行ってみました.いろいろ売っていました.とりあえずゆべしを買いました.
丸の内で赤いベルギービール飲んで池袋に移動.埼玉のUeさんとお話しです.東京芸術劇場のカフェでおしゃべり.久しぶりであれこれと2時間以上もお話して楽しみました.Ueさんはお勉強で忙しいので頑張ってほしいです.
夕方になって門前仲町に行って女川の生ホヤをたしなんで,さらに広尾でアラブ酒のアラック.透明なのに水を入れると濁りました.味はウゾに似てる気がします.

<野蒜小津波訴訟>避難誘導 市責任どう判断
 東日本大震災で宮城県東松島市野蒜小体育館に避難した住民と児童計3人が津波で死亡したのは、学校側の判断に過失があったためだとして、遺族が市に計約5300万円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁(大嶋洋志裁判長)は24日、判決を言い渡す。指定避難場所の学校をめぐる津波訴訟の判決は初めて。学校側が津波の到達を予見できたかどうかが最大の焦点となる。
 主な争点は表の通り。津波到達の予見可能性の有無のほか、体育館への避難誘導の是非、児童の引き渡しの在り方などが審理された。
 遺族側は校内の携帯ラジオなどを使い、津波情報は容易に得られたと指摘。市地域防災計画が津波避難場所を「校舎の2階以上」と定めていたことを挙げ「海抜約1メートルの体育館に避難させたのは判断ミスだ」と主張している。市側は「情報収集は試みたが、テレビやラジオは停電で使えなかった。野蒜小は市の津波浸水予測地域に含まれていなかった。校長も積極的に住民を誘導しておらず、住民は自主的に体育館へ避難した」と反論している。
 同級生の親に引き渡された後に犠牲になった児童について、遺族側は「自宅は学校より海側の低地にあるのに、安全確認をしないまま帰宅させた」と指摘。市側は「児童の家は津波浸水予測地域外で、帰宅した後の犠牲は予見できなかった」と述べている。
 訴えによると、2011年3月11日の地震発生後、野蒜地区の住民は地域防災計画で避難場所に指定された野蒜小に向かい、校長らに体育館に誘導された。体育館には約3.5メートルの津波が押し寄せ、住民2人は体育館内で溺死。児童1人は引き渡し後に自宅周辺で死亡したとされる。市によると、野蒜小体育館では計13人の遺体が確認された。
[仙台地裁の津波訴訟判決]東日本大震災の津波訴訟で仙台地裁が言い渡した判決は過去4件あり、いずれも民間事業者や自治体が被告となった。遺族の請求が認められたのは、石巻市の私立日和幼稚園(仙台高裁で和解)と宮城県山元町の常磐山元自動車学校(高裁で審理中)の2件。同県女川町の七十七銀行女川支店と山元町東保育所(1遺族は高裁で和解)をめぐる2件は2月に最高裁で遺族敗訴が確定した。いずれの訴訟も津波を予見できたかどうかが主な争点となり、地裁の判断が分かれた。


<その先へ>復興の歩み撮り 長く伝えていく
◎仙台育英学園高1年 中村綾杜さん=東松島市大曲
 A4判の写真を大きめな色紙に丁寧に貼った手作りのパネルが並ぶ。昨年に全線再開したJR仙石線、津波で被災した宮城県東松島市の旧野蒜駅、建設が進む石巻市市立病院…。
 東日本大震災から5年となる11日、東松島市大曲地区に住む中村綾杜(りょうと)さん(16)=仙台育英学園高1年=は、地元の大曲市民センターで写真展を開いた。
 2011年から、石巻地域を歩いて、見て、復興の歩みをカメラに収めてきた。その一部を企画展として6日と11日の2回、市内で発表した。
 「被災の爪痕がはっきりと分かる写真よりも、見た人が笑顔になるような写真を選んだ」
 震災時は大曲小5年だった。学校で地震に遭い、自宅に戻って避難の準備をしていた。家の前で海の方角を見ると、黒い水が家屋の2階部分やがれきとともに押し寄せてきた。急いで家族と車に乗り込み、間一髪、難を逃れた。
 小学6年の11年夏まで、支援物資の配布などボランティアに携わった。配る物資が少なくなり、ふと思った。次は何をすれば、人の役に立てるのだろう…。
 頭に浮かんだのが、この現実を記録し、残すこと。「子どもだからこそ、大人よりずっと長く、伝えていける」。プロジェクト「写真で伝える被災地」と名付け、時間を見つけては被災地を巡り始めた。
 気になった光景を写真に撮る。それをフェイスブックで公開する。反響が返ってくる。何を伝えればいいのか、考える。そしてまた、被災地へ。
 そうして撮りためた写真を地元の人にも見てもらおう。仲間も増やしたい。そんな思いで今回、手作りの写真展を企画した。
 会場には、市民だけでなく、市内の仮設住宅で支援活動を続ける関東の高校生も訪れた。大曲浜地区に完成した防潮堤の写真に目を向けている。すかさず、中村さんが説明する。
 「高い堤防ができて、安全面は向上したけれど、逆に海の様子が分かりにくくなった。災害時に海を見に行って犠牲になる人を出さないためには、何が必要かを考えなくちゃいけない。無線など周知体制の整備も大事だと思う」
 写真を見て分かる復興だけでなく、その背景にある課題も伝えたかった。
 1人で取り組むプロジェクトだけに、継続するのが大変なときもある。それでも、震災を今後、後世にずっと語り続けられるのは自分たちの世代だ、と強く思う。「ここで終わってしまっては意味がない」
 会場でアンケートを記入してもらった。「高校1年でここまでやるとは頭が下がる」「貴重な写真を見せてくれてありがとう」…。 ちょっぴり、光が差し込んだ気がした。(八木高寛)


<アーカイブ大震災>通信網断絶 避難に障害
 2010年2月のチリ大地震津波で、宮城県岩沼市は宮城県内で最も公的避難所への避難率が高かったにもかかわらず、2011年3月の東日本大震災では184人もの死者・行方不明者が出た。歴史的に津波の経験が少なく、チリ大地震津波でも大きな被害がなかったという油断に加え、情報通信網の断絶などが複合的に重なり、多くの人が逃げ遅れる結果となった。
◎逃げる その時供複郡亜頬漂厂祇は整備途上(岩沼市)
 「避難だよ」。3月11日午後3時20分ごろ、岩沼市相野釜地区の町内会長中川勝義さん(72)は隣家に住む兄熊雄さん(83)に呼び掛けた。
 1階の茶の間で散乱した家財道具を片付けていた熊雄さんは、逃げるそぶりを見せない。中川さんの家族が数分後にも再度注意したが、やはり動かなった。熊雄さんは妻ちよさん(82)とともに津波の犠牲になった。
 相野釜地区では、市沿岸6地区の中で最も多い43人が亡くなった。消防団員、消防協力隊のメンバー6人も、ポンプ車や乗用車で高齢者に避難を促しているさなか、津波にのまれたとみられる。
 岩沼市史などによると明治三陸地震(1896年)、昭和三陸地震(1933年)、チリ地震津波(1960年)でも市内は津波の被害をほとんど受けていない。
 中川さんは「昨年のチリ大地震津波の際も、あれだけ騒いで仙台空港に避難したが津波は来なかった。私自身、今度も来ないと思っていた」と住民の気持ちを代弁する。
 37人の犠牲者が出た長谷釜地区。町内会会計を務める斎市雄さん(59)は3月11日、地区内の民家の下水道工事をしていた際に激しい揺れに襲われた。「並の地震ではない」。すぐに避難誘導に取り掛かった。
 外に集まりだした地域住民ら十数人を町内会役員の車3台で搬送。指定避難場所の玉浦小に午後3時15分ごろに到着し、さらに市中心部にも回った。午後3時50分ごろ、再び長谷釜に戻ろうとしたが、沿岸部に向かう道路は封鎖されていた。
 車内のテレビからは、約5キロ北にある仙台空港を津波が襲う映像が流れていた。「この様子ではもう長谷釜も駄目だ。もっと多くの住民を救いたかった」。津波の急襲に対応しきれなかったことを斎さんは悔やんだ。
 避難活動で重責を担う町内会役員たちを何よりも惑わせたのは、テレビや電話など情報通信網の途絶だ。斎さんは他の町内会役員に何度も連絡を試みたがほとんど通じることはなく、組織的な活動を封じられた。
 宮城県内に初めて大津波警報が発令された昨年2月のチリ大地震津波の際、岩沼市民の公的避難所への避難率は22.0%と、県内沿岸15市町の平均6.6%を大きく上回った。
 市防災課は(1)コミュニティーFMを通じた避難呼び掛け(2)町内会役員への津波情報の伝達、避難広報(3)広報車の出動(4)自主防災組織を通じた各戸訪問―が機能したためと分析している。
 しかし、被害がなかった昨年の経験が今回の油断につながった面が否めず、市の情報伝達などの防御策も巨大地震の後には機能しなかった。
 市は沿岸部に防災無線を整備中だったが、運用開始は4月からの予定で大惨事に間に合わなかった。昨年のチリ大地震津波では、体制整備の遅れを地域の連帯や行政のマンパワーで補うことができたにすぎない。
 中川さんは「今回逃げなかった人たちの多くには警報が届かなかった可能性が高い。電源も途絶える中、ラジオをまともに聞ける環境にあった人がどれだけいただろうか」と話す。
 斎さんも確信したという。「いち早く住民に危険を知らせるには、防災行政無線が必要だ」(小木曽崇)=2011年8月25日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


デスク日誌 震災5年とは
 東日本大震災から5年が過ぎた。「忘れないでほしい」。そんな思いから、3月11日が近づくと、報道に力が入る。河北新報だけでなく全国の新聞、テレビなど多くのメディアが、被災地で集中的に取材する。
 全国に、世界に、被災地の現状を知ってもらう機会である一方、「取材ラッシュ」に、時として「迷惑だ」と感じる住民がいる。心苦しい思いもある。取材に応じてもらえることは、本当にありがたいことだ。
 そもそも「5年」とは何だろう。何事も半年、1年、3年、5年を「節目」と捉えるが、震災で最愛の人を亡くした人にとっては何年たっても心は癒えない。5年も、特別な節目ではないという声も聞く。
 釜石市に住む友人で、母親が津波の犠牲になった地元テレビ局のカメラマンがいる。「遺族としては、七回忌の法要を迎える来年こそが節目」と言う。
 震災前から釜石で暮らしながら取材し、震災を経て今後も伝え続ける彼の言葉は説得力があった。
 悲しみ、怒り、喜び、感謝。震災6年目に入っても、被災地の新聞社として地域のその時々の思いを伝える意義は何も変わらない。(報道部副部長 玉應雅史)


阪神大震災 借り上げ復興住宅、明け渡し提訴議案可決 協議継続決議も 西宮市議会 /兵庫
 西宮市の阪神大震災借り上げ復興住宅を巡り、住民7世帯が退去を拒んでいる問題で、西宮市議会は22日の本会議で、明け渡しを求める提訴議案を賛成多数で可決した。また、訴訟手続きと並行し、住民と市の代理人同士で協議を続けるよう今村岳司市長に求める決議も全会一致で可決した。市は2〜3カ月後に提訴する見通し。
 市は昨年11月、明け渡しを求める訴訟議案を提出したが、市議会は12月議会で住民側との対話を求め継続審議にした。住民側と市は昨年12月以降、互いの代理人が協議。3月議会までに具体的な合意に至らなかった。
 市議会閉会後、住民側弁護団が記者会見を開き、協議継続を求める共同声明を発表。声明は西宮市の政策を「阪神大震災被災者の居住環境を最も毀損(きそん)する政策で、『復興災害』の最たるものである」と批判。その上で「市は全員転居に固執せず、入居継続できる方策について検討する責務を負っている」と主張した。
 今村岳司市長も記者会見を開き「訴訟のスケジュールをなるべく速やかに進めると同時に、明け渡しに応じていただけるよう協議を続けたい」と述べた。
 また、この日の本会議では2016年度一般会計当初予算案が一部の修正を経て可決された。修正案では「広報アドバイザーの配置」と、市民向けに休日の過ごし方を提案する「西宮の休日事業」が削除された。
 一方、西宮市立留守家庭児童育成センターの育成料値上げに関する条例改正案が全会一致で否決された。市議会事務局によると、市が立案し、提案した条例案が否決されるのは27年ぶりという。改正案は、学童保育の開始時間を30分繰り上げるため、育成料の1000円値上げを盛り込んでいたが、否決により、値上げなしに開始時間を繰り上げることになった。【石川勝義】


文化庁京都移転  新しい価値の発信こそ
 政府が国機関の地方移転に関する基本方針を決定し、文化庁を数年以内に京都府に移転すると明記した。国会対応や外交など一部業務は残すものの、中央省庁が大規模に地方に移るのは初となる。
 国宝の5割、重要文化財の4割が関西に集中し、茶道、華道など幅広い伝統文化の中心地である京都の地域特性を考えれば、移転は自然な流れともいえよう。東京一極集中を是正する地方創生のモデルケースにしてもらいたい。
 ただ、全体としては政府の本気度が疑われる結果となった。
 文化庁以外では、観光、特許など4庁の移転を見送り、徳島県が要望する消費者庁と和歌山県が求めた総務省統計局は可否の判断を8月末まで先延ばしにした。
 国や独立行政法人の22の研究機関・研修施設も移転の対象に選んだが、滋賀県が求めた国立環境研究所の移転は湖沼環境研究分野の「分室」設置にとどまるなど共同研究や現地研修などの対応が大半を占めた。これでは地方創生戦略の柱としては看板倒れと言わざるをえない。引き続き、省庁移転の可能性を探ってほしい。
 京都移転で、文化財保護行政や伝統文化の振興など、文化庁の従来の役割をより身近な場で充実させることが期待される。だが、それだけでは地方創生の観点から十分とはいえない。大切なのは文化の意味を問い直し、新しい文化行政を展開する契機にすることだ。
 政治、経済に限らず、現代の日本では文化の創造、発信も東京に一極集中している。音楽や演劇の公演数、出版社数や出版点数、ポップカルチャーの発信地などをみれば明らかだ。
 一方で、日本各地には、その地の歴史や生活に根ざし、養われた独自の文化がある。そうした価値を見直す場にしてこそ、地方移転の意味は出てくるのではないか。東京以外の場所から、日本全体の文化を考え、画一性より多様性を、集中よりネットワーク化を目指す機会にしたい。
 幸い、京都には伝統文化のみならず、映画や音楽、マンガ、アニメ、ゲームなどの新しい文化資源もあり、増加する海外の観光客の注目を集めている。そうした多層性はプラスになるはずだ。
 京都府、京都市に課せられた責任は重い。日本の文化拠点にふさわしいまちづくり、人づくりが求められる。同時に、行き過ぎた京都中心主義を戒めつつ、全国各地の文化を尊重し、交流の結節点としての役割を果たしたい。


資産課税の大幅強化 貯蓄税や死亡消費税まで検討
 税法学者、経済学者、税理士らが「税制を主権者である納税者の手に取り戻そう」と昨年2月に発足したのが「民間税制調査会(以下、民間税調)」だ。三木義一・青山学院大学法学部教授(専門は租税法、弁護士)と水野和夫・日本大学国際関係学部教授が共同代表を務める。
 民間税調は1年間の議論を経て、独自の「2016年度税制改革大綱」を発表。そこから浮かび上がったのは、日本の税制に隠された嘘だ。その一つが資産課税について預金からも死者からも税を取るというものだ。
 いま、じわじわと進んでいるのが資産課税の大幅強化だ。来年から「空き家対策」名目で非居住住宅の固定資産税が4倍にアップ、さらに「農地集約化」の名目で未耕作農地の固定資産税も1.8倍に引き上げられる。
 その先にはマイナンバー導入で個人の預金を把握して預金残高に応じて課税する「貯蓄税」や、死亡時に残った遺産に一定税率をかけて徴収する「死亡消費税」まで検討されている。
 所得税を納めたうえで地道に蓄えた貯金にさらに税を課すのは所得税の二重取りだ。国民が税の矛盾に本気で声をあげない限り、そうした“取れるところから取る”という滅茶苦茶な税制改革が罷り通ってしまう。三木氏が語る。
「日本は昭和40年代まで一億総中流社会といわれ、その時代は税制による再分配が機能していた。しかし、いまや富裕層の課税を増やし、再分配しようとすると個人も かっている企業も国境を越えて税金の安い国に逃げていく。そのために政府は法人税をどんどん引き下げ、所得税でも富裕層を優遇し、税制の機能は非常に弱まった。
 このままでは、本来、富裕層が負担すべき税金を、国境を越えられない貧しい人が負担する社会になっていく。こうした税制の制度疲労と格差拡大は世界的な問題です」
 税制の矛盾、制度疲労のしわ寄せを一方的に押しつけられないために、税制の決定権を再び国民の手に取り戻す必要がある。


ふるさと納税 特典競争はやめたい
 郷里や応援したい自治体に寄付する「ふるさと納税」の特典競争が過熱している。本来見返りを求めない寄付が、返礼品目当ての買い物になっては本末転倒だ。自治体には良識ある対応を求めたい。
 ふるさと納税のポータルサイト「ふるさとチョイス」によると、二〇一五年にふるさと納税が最も多かったのは宮崎県都城市の三十五億二千七百万円。一四年のトップ、長崎県平戸市の二・八倍に達した。二位は静岡県焼津市の三十四億九千二百万円だった。
 都城市は特産の宮崎牛と焼酎を中心とした特典、焼津市はマグロをはじめ五百種以上の品ぞろえが人気を呼んだ。年間の住民税を上回る自治体も増えているという。
 制度は〇八年に導入された。寄付者は居住地の住民税などが控除される。カード決済の普及もあって、寄付額はうなぎ上り。一五年度から控除限度額が二倍となり、各自治体の競争に拍車が掛かる。
 返礼は特産品のカタログギフトまでなら許容範囲だ。富山県氷見市が始める、寄付者が持つ空き家の管理サービスなどはユニークな“品”として評価できる。
 しかし「一千万円の寄付で七百五十万円の土地」「三百万円で肉牛一頭」など、豪華さを競う例が増えた。プリペイドカードなど換金性の高いものも登場した。
 ここまでくると、故郷への恩返しやまちづくりの応援という制度本来の趣旨から逸脱する。見かねた総務省が、節度を持った対応を求める通知を出したほどだ。
 返礼品のなかった静岡市は昨年十二月から、金沢市は今年四月から返礼組に。「寄付は無償行為」との立場だが、寄付金の“出超”が続き、背に腹は代えられないようだ。
 このように、自治体間で税金を食い合っている。政府は競争をあおるだけでなく、財政格差の是正も考えなければならない。
 ふるさと納税は、使い道が指定できる唯一の税でもある。特典で誘うだけでなく、魅力ある政策で競い合ってほしい。「寄付してみよう」という動機づけから「行ってみよう」へ。旅行者に体験を提供することで「住んでみよう」と思うかもしれない。こうしたビジョンを描いてほしい。
 政府は新年度から、ふるさと納税の企業版を導入する予定だ。個人が返礼品を選ぶように、公共工事の受注や物品調達、許認可などを当て込む企業と自治体の癒着を招く恐れはないか。透明性の確保を含め慎重な対応を求めたい。

鶴見/サガサガ/日航機墜落事故展示/千鳥ヶ淵

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Au Japon, pèlerinage sur les monts fleuris de Kii
Cette péninsule nippone concentre les sites sacrés. Fidèles et randonneurs parcourent les sentiers qui y conduisent, de préférence au printemps pour admirer les cerisiers en fleurs.
La péninsule de Kii s’enfonce dans la mer intérieure de Seto, au centre de la côte sud de Honshu, l’île principale du Japon. Depuis des millénaires, ses montagnes de Yoshino, Omine, Kumano et Koya sont des lieux sacrés pour le peuple nippon. Des sentiers de pèlerinage, souvent pavés, les relient aux capitales historiques Nara et Kyoto. Les fidèles vêtus de blanc les parcourent, mais aussi de nombreux randonneurs. Depuis Osaka, la route 371 conduit, vers le sud, au pied du plus révéré de ces sites, le mont Koya (Koya San), situé au coeur de la péninsule. Là, un téléphérique emporte les visiteurs jusqu’à une haute vallée suspendue entre les pics, où se nichent les 120 temples qui constituent le sanctuaire de Kongobuji. Environ la moitié servent de "shukubo", des logements où passer la nuit. Le monastère est le siège mondial du "shingon" (parole vraie), le bouddhisme tantrique japonais. Son fondateur, Kobo Daishi, est d’ailleurs enterré ici, dans le temple Okunoin.
La région est riche en "onsen", des sources chaudes naturelles, où se délassent pèlerins et excursionnistes. L’auberge de la source chaude de Ryujin, au sud du Koya San, accueille ainsi les voyageurs depuis 1657. De là, la route 168 file vers le sud et la ville de Hongu, point de départ des chemins pour le site religieux de Kumano. Ses trois sanctuaires shintoïstes (la religion ancestrale du Japon) et ses deux temples bouddhistes sont disséminés dans une forêt millénaire de cèdres et de cryptomères géants.
Cap maintenant vers le nord sur la route 168, avant de bifurquer vers l’est sur les voies 53 puis 21, pour faire halte à Yoshino, non loin de Nara. Dans cette paisible station de montagne, le voyageur peut se détendre sur le balcon en bambou d’une maison de thé, bercé par l’appel des prêtres qui souffl ent dans leurs conques. Les pèlerins s’arrêtent ici pour prier, avant d’entreprendre leur marche de 80 kilomètres vers le mont Omine, sous une dense forêt striée de torrents et de cascades.
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朝から鶴見.川崎のすぐ近くです.子どもたちが広場で遊んでいました.わたしは買い物をしました.帰りにBell Roadを通りました.
ランチは浜松町のアフリカ料理のお店.サガサガ saga sagaというmali料理.どこかで食べたような記憶がありますが,よくわかりません.おいしいから◎です.浜松町と大門は近く.
初めての東京モノレール.なんか楽しいです.日航機墜落事故展示を見に行くためです.こういう展示があること自体は悪くないと思うのですが,加害企業である日本航空の誠意が感じられない展示だと感じました.
晩は広尾.Hiroo散歩ど〜りはいい感じです.想定外なことに,ウゾouzoがありました.
その後千鳥ヶ淵あたりを散歩.ジョギングしている人がすごく多くてびっくりです.

借り上げ復興住宅問題 入居者「話し合いで決着を」
 阪神・淡路大震災の被災者向け「借り上げ復興住宅」をめぐる問題で、兵庫県の西宮市議会は22日、市が入居者に明け渡しと損害賠償を求める提訴議案を賛成多数で可決した。入居者を支援する弁護団は同日、会見を開き、「裁判は問題の早期解決の道を閉ざしてしまう」と協議による解決を訴えた。
 議案は、昨年9月に返還期限を迎えた「シティハイツ西宮北口」(同市青木町)の入居者7世帯を相手取って提訴するもので、同年12月の定例会では「双方の歩み寄りが必要」として継続審議になっていた。
 その後、代理人同士の協議が3回開かれたが、合意に至らなかったことから、市議会は「現市長の下では解決は難しく、司法の判断に委ねざるを得ない」などと判断。並行して協議継続を求める付帯決議も出され、全会一致で可決した。
 市は早ければ5月に提訴するといい、入居者の女性(78)は「市民を訴えるなんてとんでもないこと。裁判ではなく、ちゃんと話し合いで決着をつけてほしい」と話した。(篠原拓真)


歴史刻んだ学びや、忘れない 沿岸3校で閉校式
 宮古市の和井内小(高橋浩幸校長、児童10人)と蟇目小(菅野亨校長、同21人)、陸前高田市の横田中(大久保裕明校長、生徒14人)の閉校式は20日、各校で行われた。和井内小と蟇目小は新里地区に新設される新里小、横田中は一中に統合される。幾多の歴史を刻んだ学びやとの別れを惜しみ、感謝を込めた児童生徒の歌声が響き渡った。
<力強く全校で太鼓 宮古・和井内小>
 約150人が出席。1875(明治8)年の創立から141年の歴史を振り返り、地域に支えられた学校生活に感謝を込め、全校児童が創作太鼓を披露した。
 高橋校長が郷土の偉人・牧庵鞭牛和尚ゆかりの寺院内で開校した校史を紹介し、「最後の1年、児童たちは大きく成長してくれた」と語り掛けた。児童と卒業生15人によって「青雲太鼓」が力強く演奏された。
<感謝の心込め合唱 宮古・蟇目小>
 約230人が出席。地域の中心として1876(明治9)年の創立から140年の校史を刻み、健康づくりや郷土芸能の伝承に力を入れた学校生活に別れを告げた。
 蟇目地区で生まれたフォークグループ「NSP」の中村貴之さん(62)のコンサートも開催。児童は「蟇目小の心を忘れずに、新しい一歩を踏み出す」と宣言し、中村さんと感謝の思いを込め、高らかに合唱した。
<生徒自作の歌披露 陸前高田・横田中>
 生徒、歴代教職員、卒業生ら計約120人が参加。大久保校長は「1人何役もこなし、自分たちができることを懸命にやってきた。自信を持って進んでいってほしい」と激励した。
 在校生が「横田中はなくなるが、思い出は色あせず、母校は心に生き続ける」と別れの言葉を述べ、自分たちが作詞作曲したオリジナル曲「未来へ〜ふるさとの空の下で〜」を合唱し、学校と地域の人々に感謝した。


湖国の共同参画  日常を問うまなざしを
 滋賀県は新年度から5年を期間とする新しい男女共同参画計画を近く策定する。男女ともに伸びやかに力を発揮できる社会へ、たゆまず進みたい。
 湖国の性別役割分担の意識は根強い。2014年度の調査では、「男性は仕事をし、女性は家庭を守るべき」という考え方に同感する割合はなお41・2%に上った。男性では48・1%と同感しない人を上回る。全国の同種調査に比べ、性別の役割にこだわる男性が多く、男女の意識に開きがある。
 「日常生活で男女の不平等を感じるところ」として最も多く挙がったのは地域社会だ。確かに、女性の代表や副代表がいる自治会は昨年4月1日現在で10・3%しかない。一方、公立幼稚園や保育所、小中学校のPTAでは80・3%に上り、地域での子育てを女性の役割とする姿がうかがえる。
 地域格差は大きい。同日現在、大津市や草津市の自治会は四つに一つが女性の代表や副代表を擁するが、郡部では100に一つもない。日野、豊郷、甲良、多賀の4町では皆無だった。湖南市議の4割近くは女性だが、竜王、甲良、多賀の3町議会に女性議員はいない。政治が男性だけが担うものになっていないか危惧する。
 共同参画が進んでいない自治体は、人口減少が急速に進むまちにほぼ重なる。女性ゼロ議会の3町も、日本創成会議のリポートで「消滅可能性都市」とされた。
 性別に縛られず男女ともに生きやすい社会を目指さなければ、新住民を呼び込むことはおろか、住民の力を生かせず立ちゆかなくなる。そんな危機感を抱くべきなのに、一部の町が共同参画の施策に消極的なのはどうしたことか。
 4月施行の女性活躍推進法を踏まえて策定する県の新計画は、性別役割分担意識の解消をはじめ、子育て期の女性の就業率、男性の育児休業取得率などに重点推進目標値を設ける。
 一昨年から昨年にかけ、市町議や県や市町の管理職に占める女性の割合は減っている。女性の代表・副代表がいる自治会の割合も同様だ。だが、男女共同参画社会の推進に足踏みの余裕はないはずだ。
 男性ばかり、女性ばかりの場に疑問を抱き、一歩ずつでも改善を進める。福祉分野の人手不足を嘆く前に、子育てや介護で離職せずに済む環境を整える。継承の危機に立つ地域の民俗行事や祭りの担い手として、女性を育てる。
 日常のあらゆる場を絶えず問い直すまなざしを持ちたい。


再就職支援制度  リストラを誘発するな
 違法な退職強要を招くとの批判が出ている国の再就職支援助成金について、厚生労働省は企業への支給要件を4月から厳格化する方針だ。
 企業が再就職支援を職業紹介事業者に任せれば助成金が出る仕組みを悪用されかねないためで、強要が確認されれば支給しないという。当然である。しっかり監視を強化してもらいたい。
 見直すのは「労働移動支援助成金」で、企業が業績不振などで人員整理する際に、退職する労働者が速やかに再就職できるように職業紹介事業者に支援を委託すると支給される仕組みだ。企業には委託時に1人あたり10万円、再就職が決まると最大50万円が追加支給される。
 ところが本来、離職を余儀なくされた人のための制度なのに、職業紹介事業者がマニュアルを作成し、能力不足の社員の解雇を企業に働きかけていた事例があるという。そんな実態が広がっているなら到底看過できない。厚労省は過去にさかのぼって調査を進め、場合によっては制度の廃止も視野に入れるべきだろう。
 安倍政権は2013年、成長戦略で成熟産業から成長産業に人材を移すことが経済の活性化につながるとして、労働政策をこれまでの雇用維持型から転職支援型へと切り替える方針を打ち出した。その柱の一つが、労働移動支援助成金の大幅拡充だ。
 財源は従業員の雇用を維持した企業に支給している「雇用調整助成金」を削減して捻出し、14年度は前年度比で150倍の約300億円を計上。対象を中小企業だけでなく大企業にも広げ、転職先の企業が職業訓練を実施した場合も助成を受けられるなど企業側の使い勝手を良くして活用を促した。
 しかし、労働界などでは、企業のリストラ対象者が追い込まれる「追い出し部屋」の支援につながりかねないとの懸念が当初から指摘されていた。厚労省内でも「本当に雇用の安定につながるのか、もともと悪名の高い助成金だった」との声が出ているという。
 成長産業への労働移動が円滑に進むなら、それに越したことはない。だが、労働移動支援という名目で国がリストラに手を貸すようでは、本末転倒もはなはだしい。
 安倍政権下では、労働者の不当解雇を職場復帰ではなく、金銭で決着する制度の導入も検討が進むが、雇用の安定こそが社会の基礎だ。労働の規制緩和を安易に経済成長の手段とすべきではない。


「保育園落ちた」/名もなき声にも向き合え
 「保育園落ちた日本死ね」。子どもが保育園に入れない憤りをつづった匿名のブログが反響を呼び、政府が待機児童解消の追加対策を検討する展開になっている。
 ブログは2月中旬、インターネット上に投稿された。子どもの預け先が見つからず、このままでは仕事を辞めるしかない。言葉遣いは過激だが、追い詰められた親のやり場のない怒りが伝わってくる。
 当事者の切実な声に政治が応え、課題解決に向かうのが望ましい姿といえる。ところが政権側の反応は鈍かった。衆院予算委員会で民主党議員が取り上げたところ、安倍晋三首相は「匿名なので本当かどうか確かめようがない」と取り合わなかった。自民党議員からは「誰が書いたんだ」などのやじも飛んだ。
 2015年4月時点の待機児童は2万3千人余りで5年ぶりに増えた。ブログの匿名性を盾に追及をはぐらかした首相らの言動は問題意識に欠け、現実を直視していない。
 必死に保育園を探す多くの保護者がブログに共感し、怒ったのは当然だ。保育の充実を求める約2万8千人分の署名が短期間で集まった。批判の広がりに慌てたのか、首相は後日の国会答弁で「働くお母さんたちの声を受け止め、待機児童ゼロを必ず実現する」と強調した。
 待機児童解消は長年の懸案であり、そうたやすくはない。安倍政権は「1億総活躍社会」実現の一環として、17年度末までに保育の受け皿50万人分と保育士9万人の確保を掲げている。資格があっても保育職場で働かない「潜在保育士」の現場復帰などが鍵を握るが、最大のネックは保育士の賃金の低さにある。
 追加対策として給与アップに取り組むのは評価できるが、全業種平均より月額10万円程度低い給与水準を抜本的に改善するにはかなりの財源が必要になる。その確保策と実施時期を明示すべきだ。
 その後も首相が保育所を「保健所」と読み違え、自民議員が「東京での子育てを不便にしないと駄目だ」と発言するなど、政権の認識を疑いたくなる場面が続く。野党は保育士の処遇改善法案提出を検討しており、待機児童対策が参院選の争点に浮上する可能性がある。
 選挙向けのアピール合戦に終わらせず、政治がどれだけ本気で取り組むかに有権者も目を光らせたい。


米兵事件抗議集会 これ以上人権蹂躙許さない
 名護市辺野古のキャンプ・シュワブ前で開かれた米兵による女性暴行事件に抗議する「緊急県民抗議集会」には、主催者発表で2500人が集まった。目標の千人を大きく上回る人々が駆け付けた。事件に対する県民の怒りが大きいことを示すものだ。日米両政府は深刻に受け止めるべきだ。
 沖縄の施政権が日本に返還された1972年以降、米軍関係者による刑法犯摘発は2015年末時点で5896件、5815人に上る。このうち女性暴行事件はことし最初に摘発された今回の事件を含めると130件、148人となる。これらの数字は沖縄に過重な基地が集中していることによって、住民の人権が蹂躙(じゅうりん)されてきた傷痕といえる。
 集会場所のシュワブ前の歩道は次々と駆け付ける人々でぎっしりと埋め尽くされた。そして女性の姿が多く見受けられた。乳児を胸に抱えた若い母親は真剣な表情で登壇者の話に耳を傾け、子どもたちを連れて来た母親のグループは「だれの子どももころさせない」と書かれた横断幕を基地に向けて掲げていた。参加者一人一人が事件をひとごとではなく、わが事として受け止めているのだ。
 性的暴行という犯罪は相手の気持ちを踏みにじり一方的な力でねじ伏せて陵辱する非道行為だ。事件だけではない。相手の気持ちを踏みにじり、一方的な力でねじ伏せる行為が県内でほかにも起きている。米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設計画だ。
 名護市長、県知事、沖縄4選挙区で当選した衆院議員の全員が移設反対を掲げ、県内世論調査でも県内移設反対が7〜8割を占める中、政府は沖縄の民意を踏みにじって建設を強行してきた。
 2011年、当時の沖縄防衛局長は辺野古移設の環境影響評価書の提出時期を明言しない理由について「犯す前にこれから犯しますよと言いますか」と発言した。政府の本音だろう。新基地建設こそ県民に対する陵辱ではないか。
 集会では「すべての米軍は沖縄から撤退すること」を求める決議が採択された。新基地だけでなく全基地撤去も求めた。最後に参加者全員で「沖縄を返せ」を合唱した。その歌声は「基地のない平和な沖縄を返せ」との願いだ。これ以上、軍事基地による人権蹂躙を繰り返すことは決して許されない。


防衛大「任官拒否」が倍増…安保法で“自衛隊離れ”急加速
 21日に卒業式が行われた防大生419人のうち、47人が自衛隊への任官を拒否した。昨年の25人から倍増し、この24年間で最多だ。辞退者の26人が「他業種に就職したい」と説明したというが、安保関連法が29日に施行されれば、自衛隊が直面するリスクは格段に大きくなる。それで逃げ出す若者が増えているのだ。
 任官拒否は東日本大震災翌年の2012年に4人まで減少したが、その後は増加。過去最多の94人に上った91年は、湾岸戦争をめぐる自衛隊海外派遣の議論が重なった時期で、約10人が「湾岸戦争の影響」を理由にしていた。いまと似たり寄ったりの状況だ。
 軍事ジャーナリストの神浦元彰氏はこう言う。
「海上保安学校の卒業式(19日)に現職総理として初めて安倍首相が出席したのを見て、防大生の任官拒否が想定以上に膨らみ、話題作りの顔出しだろうとピンときました。安保法制による海外派遣で死者が出ようものなら、任官拒否の流れは止められません。そもそも、最近の防大生の多くは本命に落ちて第2、第3志望で入るケースが少なくないんです。学費がかからないし、給料も出るしで、経済的に優しいですからね。災害派遣や国際貢献に憧れはあっても、紛争地などでの活動は頭にありません」
 確かに、防大生のモチベーションはそう高くなさそうだ。15年入試の合格者は1436人だったが、入校者は540人にとどまった。一方で、東大文科砧爐蝋膤兵圍苅隠舷佑全員入学。慶大総合政策学部は合格者536人に対して入学者434人で、早大政経学部は合格者1559人中892人が入学している。
 そうやって見ると、「自衛隊の最高指揮官」として卒業式で意気揚々と訓示をたれた安倍首相はいい面の皮だ。「全ては国民のリスクを下げるため、その任務は誠に崇高なものであります。諸君は私の誇りであり、日本の誇りであります」と持ち上げ、1世紀以上前の日露戦争勝利を引き合いに出して「世界の平和は諸君の双肩にかかっている」と前のめりだった。吉田茂元首相が「君たちが日陰者である時の方が国民や日本は幸せなのだ」と淡々と1期生を送り出したのとはあまりにも対照的だ。
 特別職国家公務員に位置付けられる防大生は学費(4年間で約250万円相当)が免除される上、月10万9400円の学生手当と年約33万9000円のボーナスを受け取る。原資は税金だ。任官を拒んでも返還義務はない。


“安倍首相の天敵”山尾議員…無知な総理の改憲論議に異議
 安倍首相が一番嫌いな女性議員と言われる山尾志桜里議員。国会審議では舌鋒鋭い追及や、ひるまない姿勢が際立つ。しかも理路整然。首相の憲法観の乏しさや無知を浮き彫りにしたのも、「保育園問題」で政府を動かすきっかけをつくったのもこの人だ。1強多弱の永田町だが、新たな野党のヒロイン登場で面白くなってきた。
■ニヤニヤ、言い訳、批判は不安の裏返し
――予算委員会では4度も質問に立ち、安倍首相から注目される答弁をたくさん引き出しました。首相と対峙してみて、どうでしたか。
 総理と議論するのは今回初めてだったんですけど、自分の庇護の下にある女性には紳士だけれど、自分の範疇を超えてくると、ものすごく不安になるんだなということがよくわかりました。前の女性活躍担当の有村大臣に「看板娘です、頑張れ」と言いましたが、自分の範疇にいる女性には「応援するよ、サポートするよ」と言う。しかし、いざ対等になってくると不安になる。その不安がニヤニヤしたり、言い訳をひたすら続けたり、批判してかぶせてきたり、尋常じゃない対応になって表れるんだなと思いました。
――「精神的自由の経済的自由に対する優越的地位」という憲法の基本について質問されましたが、安倍首相はまともに答えられなかった。あれには驚きました。
 実は私の前に同僚の大串議員が同じ質問をしたんです。その際、総理は「自由の証しである」と、法律的には使わない、歌詞に出てくるような言葉でごまかした。たぶん知らないんだなと思ったので、あらためて質問してみることにしたのです。
――知らないものだから、最後は「クイズは意味がない」と逆ギレでした。
 憲法の技術的な議論をしようと思っているわけではありませんが、次の参院選で憲法改正を争点にすると言っている総理だから、だったら今の憲法の中核部分は知っていないと困る。メディアの規制を含め、放送法を巡る表現の自由の問題もあるし、デモがテロだと言った大臣もいる。個人に表現の自由があるということを、この政権がどう捉えているのかは、国民の関心事です。
――まさに憲法を改正しようとしている首相が憲法をわかっていない。恐ろしい話です。
 象徴的なのが「自民党改憲草案」です。憲法を知らない政党で憲法を知らない人が書いたんだということが一目瞭然。例えば「個人の尊厳」ですが、自民党改憲草案では、個人を全部、人あるいは人間に置き換えて、個を消している。人間であるための最低限の権利は保障するけれども、人と違う個人であるという最低限の権利は保障しない。個の抹殺です。憲法を少しでも学んだことのある者なら本当にびっくりします。
――放送法について高市総務相が「停波もあり得る」とした発言も大問題です。
 あれは2つのポイントがあります。ひとつは政治的公平を判断するのが政治家では本来ダメだろうということ。もうひとつは、ひとつの番組だけで政治的公平性がないと判断されれば停波し得るとしたこと。第1次安倍政権ですらそこまでは踏み込まなかったのに、去年、自民党参院議員の質問に高市大臣が呼応する形で出てきた。マッチポンプじゃないかと私は思っているんだけれど、「ひとつの番組でも判断し得る」という“高市基準”が、ある市民団体の質問書に答える形で「高市ペーパー」となり、今年の予算委で「安倍ペーパー」に格上げされた。強権的な解釈が政府の統一見解となったことは重大です。
――高市大臣はブログで「テレビでテロを呼びかけるような放送があったら、停波しなくていいのか」と、突拍子もない事例を挙げていましたね。
 テロは犯罪ですから、停波の問題ではなく、現行犯逮捕ですよ。それに、これまでは一応、「ひとつの番組でも繰り返し直らない場合には」と言っていたんですが、テロを呼びかける番組を停波する場合には、たぶん繰り返し要件もない。瞬間的に停波し得ると解釈できる。どうしてそんな現実離れした事案を出してくるのか。結局、問題があるから解決しなきゃいけないのではなく、発言が先にあって、事案を後付けするから、おかしな話になってしまう。憲法改正もそうだと思うんです。最初は96条改正だった。しかし、国民的な常識の中で潰れ、今度は緊急事態条項だと。
――参院予算委で首相はついに「私の在任中に憲法改正をしたい」と明言しました。
「そんなこと起きない」「実際、困っていない」と潰されても、「僕、やりたいんだ」と思いが募る。これから先もいろんな事案を出してくるでしょう。憲法に無知な総理が自己実現のために憲法に手をつけようとしているというこの国の不幸な状況を、次の参院選で脱しなければならないという思いを強くしています。
政府の「待機児童ゼロ」は“打ち上げ花火”にならないかチェックが必要
――保育園問題でも首相を追い詰めましたね。「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログに対する答弁はひどかった。
 あれは匿名なんで私は知らないけどね、というのがいまの政権です。世論の支持が広がったのは、社会問題だからです。2月29日に質問した後、涙の電話も来るし、涙のあとが付いた手紙も来ましたよ。「子供が待機児童になって、自分は仕事に戻れない。でも仕事に復帰しないと、これから先、絶対子供を大学にも入れられない。将来のことを考えて泣いている」と言うんです。保育士さんも、「自分は保育を20年以上やってきた。子供の未来のために誇りを持って仕事をしてきたけれども、給料が低いうえ、最後は心身を壊して辞めた」って言う。
――批判が広がり、塩崎厚労相が署名を受け取って、安倍首相は「待機児童ゼロを必ず実現させていく」と言いだしましたが……。
 最初は冷たい態度だった総理が、社会が動いたら手のひら返しの対応です。塩崎大臣は「山尾さんと総理が向いている方向は同じ」と言っていましたが、まったく違います。勘弁して欲しい。安倍政権は政策の“打ち上げ花火”がうまいので、保育園問題についても、今後、本腰を入れて取り組むのかどうか、チェックする必要があります。(消費増税とセットで決まった)子育て支援3000億円について、きちんと財源をつけて実現させるのか。私たちが提出する「保育士の給与を引き上げる法案」に政府は賛成するのか。国民のみなさんも、しっかり見ていて欲しい。
■日本のリアルが総理の風景には見えない
――パートで25万円とか、景気が良くなったから働く女性が増えたとか、安倍首相は感覚がズレていませんか。
 総理の言う女性活躍って、子育てを終えたゆとりのある主婦が、カッコいいスーツを着て、能力高く、正社員となって、成長戦略に貢献する。そういうイメージなんでしょうね。一般庶民というのは、得であっても、損であっても働かないといけない。子供のため、家族のため、自分の老後のために。そういう日本のリアルが総理の風景には全く見えていない。
――結局、女性活躍って掛け声だけですね。
 来年度予算の女性活躍の大柱のひとつが「トイレの整備」ですよ。女性が力を発揮するためには快適な環境が必要だと。被災地のトイレや男性のトイレも整備するっていうんです。子供の貧困対策や男女の賃金格差改善など、他にやるべきことがある。要は本気じゃないということ。一昨年の秋に女性活躍を打ち上げ、解散をした時に、総理の中の女性活躍の役割は終わった。だから、1億総活躍に衣替えして、今回の女性活躍の予算の柱がトイレになってしまった。それが証左です。
――最後に、甘利前経済再生相の口利き疑惑について。元検事の郷原信郎弁護士などは、捜査機関がすぐ着手できる案件だと言っています。山尾さんは元検事として、どうご覧になっていますか。
 郷原先生がそうおっしゃるのは理があると思います。でも私は、三権分立で立法府の国会議員なので、個別の事案について、捜査に入るべきだとか、起訴すべきだということは控えるべきだ、と思っているんです。ただ、ひとつ言えるのは、恐らく「あっせん利得」が法制化されたのは、今回のような事案でも、行われたことが適法か違法かにかかわらず、お金の力で政治を曲げちゃいけない、ということだった。こういう事案も、しっかり法の網がかかるようにすることで、再発を防ぐというのが国会の意思だったと思います。
▽やまお・しおり 1974年、宮城県仙台市生まれの東京育ち。小6と中1の時、ミュージカル「アニー」で初代アニー役を務める。東大法卒。2002年司法試験合格、04年検察官任官。東京地検、名古屋地検などに勤務後、09年の衆院選で民主党から出馬し、初当選(愛知7区)。12年衆院選は落選するも、14年に政界復帰。現在2期目。

住友〇〇のMaさん/初めての小平で映画/クスクス

ブログネタ
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Fig18

331 kg de plutonium bientôt acheminés du Japon vers les Etats-Unis
Deux navires britanniques de transport nucléaire sont arrivés lundi 21 mars sous haute sécurité dans un port au nord-est de Tokyo. A une date tenue secrète, le Pacific-Egret et le Pacific-Heron doivent embarquer à destination des Etats-Unis leur importante cargaison de plutonium.
Ce sont 331 kg de plutonium qui doivent être restitués aux Etats-Unis selon les termes d’un accord bilatéral passé en 2014, dans le cadre de la politique de non-prolifération. Washington estime que le plutonium sera plus en sécurité aux Etats-Unis. Des chaînes de télévision ont diffusé des images de l’arrivée des bâtiments dans le port de Tokai-Mura, près du lieu où la substance hautement toxique a été entreposée.
≪ L’échec de la politique nucléaire du Japon ≫
≪ Ce sera la plus grande cargaison de plutonium depuis celle de 1,8 tonne acheminée au Japon en 1992 ≫, fait remarquer Greenpeace. Ces stocks avaient été fournis par les Etats-Unis, la France et la Grande-Bretagne il y a plusieurs décennies à des fins de recherche.
Vendredi, Greenpeace ainsi que plusieurs autres organisations non gouvernementales ont dénoncé ce transport. Dans un communiqué, ils évoquent ≪ l’échec de la politique nucléaire du Japon ≫, génératrice selon elles de produits dangereux ingérables.
≪ Depuis plus de cinq décennies, la politique nucléaire japonaise a été basée sur la production et l’utilisation du plutonium comme combustible nucléaire. Cependant, l’échec du programme et des plans d’utilisation du plutonium sous forme de mélange d’oxydes (mox) a finalement conduit le Japon à accumuler le plus grand stock de plutonium utilisable à des fins militaires de tous les Etats sans arme atomique. ≫
Le Japon ne dispose toujours pas de solution pour le devenir des déchets hautement radioactifs. Le pays a un stock de 47 tonnes de plutonium dont une dizaine de tonnes sur son sol, le reste étant à l’étranger, dont une partie en France.
Construit au début des années 90, en partenariat entre le groupe nucléaire francais Areva, le site de retraitement des déchets de Rokkasho (département d’Aomori, nord) n’a toujours pas été activé. Sans cesse retardée, son ouverture a encore été reportée, en novembre, à 2018.
Route tenue secrète
Les 331 kg concernés lors de ce transport sont de qualité militaire. Vu la dangerosité du chargement, la route que prendra le convoi est tenue secrète. Des organisations non gouvernementales (ONG) antinucléaires ont toutefois expliqué qu’il lui faudrait deux mois pour rejoindre des installations nucléaires de Caroline du Sud.
Selon les ONG, les gouvernements américain et japonais présentent ce transport comme la preuve de leur engagement à réduire la menace des matières fissiles et veulent annoncer le succès de l’opération lors du quatrième Sommet sur la sécurité nucléaire qui doit se tenir les 31 mars et 1er avril à Washington.
Mais ≪ saluer le déplacement d’une cargaison de centaines de kilogrammes de plutonium comme un triomphe pour la sécurité nucléaire, tout en ignorant les plus de 9 tonnes encore stockées au Japon, est non seulement un échec de la non-prolifération nucléaire et de la politique de sécurité, mais une illusion dangereuse ≫, souligne Shaun Burnie, expert du nucléaire pour Greenpeace.
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目黒区の大岡山に行きました.住友〇〇のMaさんとお話ししました.タングのお話を聞いた後急いで駅に向かいました.
南武線,武蔵野線を経て新小平に着きました.南武線は一度乗ったことあるけど武蔵野線は初めて.どのあたりを移動しているのかよくわかりませんが,街中には西武の電車が走っていました.
この街に来たのは映画を見るためです.原発の町を追われて〜避難民・双葉町の記録 です.なかなか意欲的な映画でした.
今度は西国分寺から渋谷に向かいました.
表参道からお寺に行ってその後日暮里.忙しいですね.クスクスはおいしかったです.

<アーカイブ大震災>津波見張り 児童救う
 宮城県石巻市の牡鹿半島にある谷川(やがわ)小は、宮城県で最も海に近い小学校だった。2階建ての校舎は津波にのまれ、避難場所の体育館は跡形もなく破壊された。だが、津波襲来を警戒した住民の機転と、背後に山が迫り「逃げ場」を確保しやすい地形のおかげで、児童、教職員や避難してきた近隣住民は全員助かった。
◎逃げる その時供複機暴嗣韻竜‥勝弊亟・谷川小)
 校舎に荷物を取りに戻った千葉幸子校長(58)がふと校庭を見ると、児童が一目散に駆け出していた。後を追った千葉さんが次に目にしたのは、校舎と体育館の間から押し寄せる津波だった。
 谷川小は児童14人の小さな学校。すぐ脇は鮫浦湾で、海抜十数メートルの切り立った崖の上に立つ。
 2011年3月11日の大地震発生後、児童と7人の教職員は校庭で余震が収まるのを待った。学校は指定避難所になっており、職員らは毛布と衛星携帯電話を体育館に運び込んだ。
 保護者や近隣の住民も校庭に集まってきた。乳児やお年寄りもいて、避難者は総勢50人近くに上っていた。
 消防団元分団長の渥美浩晃さん(50)は校庭から海に通じる小道を下り、防波堤に立っていた。
 防波堤は7メートルの津波に耐える設計だった。防災無線で聞こえた津波の高さは6メートル。予想通りなら、津波は防波堤を超えず学校も安全なはずだ。明治三陸大津波(1896年)をはじめ、過去の津波で学校のある場所は浸水していない。
 渥美さんが警戒していたのは、気になることがあったからだ。分団長だった数年前、地域の避難場所を決める際、「海の見える高台にすべきだ」と市に提案した。想定を超える津波にも対応できると考えたためだ。
 体育館が視界をさえぎり、谷川小の校庭から直接、海は見通せない。もう1人の団員と共に海面の変化に目を凝らし、別の団員には連絡役として校庭より10メートルほど高い場所を走る県道に立つよう頼んだ。
 午後3時前、海面がじわじわと上がり始めた。係留ロープがはじけ飛び、船が沈み、流され出した。波は防波堤を越えて流れ込んできた。
 県道の団員に向かって手で「バツ印」をつくり合図を送った。「駄目だ。上がれ、上がれ」。坂を上りながら叫んだ。県道の団員も大声を出した。児童ははじけるように走りだし、県道に通じる斜面をよじ登った。
 児童を追って県道にたどり着いた千葉校長が振り向くと、体育館と校舎1階は水没していた。校庭より4、5メートル高く、津波の際の2次避難場所だった駐車場まで第1波は達していた。
 県道に逃げた人々はその後、海水が異常な速度で引いていくのを目撃する。水深30メートル付近の海の底が見えた。「こんなの今まで見だこどねえ」。千葉校長は90歳すぎのお年寄りがつぶやくのを聞いた。
 「とんでもない波が来る」。渥美さんも直感した。児童と教職員は地域住民と県道脇の杉林を上った。
 午後5時半ごろ、児童は住民と共に山から下りた。学校裏の高台に立つ「二渡神社」に移動するためだった。小さいながらも社殿があって風雪はしのげる。地盤が固いことも住民は知っていた。
 県道には第2波の痕跡が残っていた。ガードレールが折れ曲がり、止めていた車の多くは流されていた。校舎も屋上まで水が達していた。
 消防団員が神社に通じる斜面にロープを張り、若い教職員は足が不自由なお年寄りをおぶった。児童らは15畳ほどの社殿で身を寄せ合った。住民は境内で夜通し火をたき、夜明けを待った。
 学区内の集落はほぼ全滅した。翌12日朝、児童たちは比較的被害が少なかった泊浜まで、約7キロを徒歩と車で約2時間かけて移動した。炊き出しのおにぎりとふかし芋にありつけたのは、正午すぎのことだった。(大友庸一)=2011年8月23日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<その先へ>被災者と共に再出発
◎アコースティックデュオ「ひまり」
 「亘理町ただいま!」。
 今月4日夜、東日本大震災で大きな被害が出た宮城県亘理町のカフェレストランでのコンサート。ステージに立った「ひまり」の松瀬一昭さん(37)=東京都=、門松良祐さん(34)=大阪府=はいつものように客席にあいさつし、ギターを鳴らし息の合ったハーモニーを響かせた。震災後、同町で2人が20回ほど続けたライブの最終回が始まった。
 2002年に結成した実力派のアコースティックデュオ。08年からエフエム仙台でレギュラー番組を持つなど宮城と縁が深い。震災を受け、知人の紹介で同町と気仙沼市の仮設住宅などを回って支援ライブを開いた。
 亘理での活動は11年5月から。通うにつれ、仮設住宅の住民や被災者の生活支援に携わる関係者、町の臨時災害FM局のスタッフら顔なじみが増えた。
 住宅再建をどうしようか決めかねる被災者、行政と被災者の間で板挟みになった支援者などさまざまな人の苦悩を聞いた。復興のつち音にかき消された、被災地の現実に胸が痛んだ。
 「被災地で悩んでいるみんなに、僕らの歌が届けばいい」と松瀬さん。門松さんも「自分の生活を横に置いて、町の再生に取り組む方々の力になりたかった」と思いを語る。
 切なる願いが一つの作品になった。13年2月にリリースした「櫻(さくら)」。冬の寒さに耐えて春に開花する桜の力強さを、復興へ向かう被災地の人々の姿と重ね合わせた。思いを作詞家に伝え完成させた。
 プロモーションビデオは、被災し解体する直前の地元の旧荒浜中で撮影した。「校舎を記録に残したい」という卒業生の要望に応えた。仮設住宅で披露すると「私の母校です」と涙を流す住民もいたという。
 今月末に「ひまり」を解散する。方向性の違いを感じての決断だった。「亘理のみんなとのつながりがなかったら、もっと早くなくなっていたかも」と門松さん。今回の最後のライブは、「ひまり」と時を合わせるように24日で閉局する臨時災害FM局が主催した。スタッフを含めこれまで出会った住民らに2人は「櫻」を感謝を込めて届けた。
 <櫻舞う道の先に 夢もまた花をつける さみしさに ひとり立ち止まる日も 次に行く場所を告げる 春のなごりを残して>
 春から松瀬さんは東京、門松さんは大阪を拠点に活動する。現在は最後の全国ツアー中。ファイナルは27日、仙台市のクラブジャンクボックスで迎える。「これはゴールでなく分岐点」と松瀬さん。門松さんも思いは同じ。この春、震災5年を迎えた被災者と共に新たなスタートを切る。(原口靖志)


<被災校舎の行方>記憶風化させぬ「壁」
◎石巻・震災遺構を考える(8)阪神大震災
<当初は姉も反対>
 災害の痕跡をとどめる建造物を残すかどうか。1995年の阪神大震災の被災地でも、住民らの複雑な感情が交錯した。
 兵庫県淡路市の北淡震災記念公園にコンクリートの防火壁が立つ。「神戸の壁」と呼ばれ、阪神大震災の数少ない遺構の一つだ。大火に耐え、神戸市長田区から移された。
 壁の元所有者で保存に同意した山下都子さん(63)=神戸市中央区=が語る。「形ある物として残すことができて、今は良かったと思う。見る人の心を打つ力が映像や写真とは違う。理解のある方々の縁がつながって保存できた」
 95年1月17日。壁に隣接していた山下さんの実家を猛火が襲い、父浅吉さんと母としゑさんが犠牲となった。両親亡き後、焦げ跡が残った壁の所有者は山下さんと姉2人となった。「見ると涙が出る」などと2人の姉は保存に反対だった。
 現地では震災前から再開発が計画されていた。「被災者の生活再建が優先。壁に何の価値があるのか」。まちづくり関係者からは、そんな声も漏れた。
 山下さんの心は揺れた。「保存すれば、残す必要はないと両親に怒られるんちゃうか」。それでも、壁の保存活動に取り組む人々の熱意に突き動かされた。
 「壁は震災の語り部。記憶を風化させたくないし、防災のためにも必要だ」。山下さんらは壁の公費解体延長を市に要請し、認められた。旧津名町(現淡路市)が受け入れることになり2009年、北淡震災記念公園に移設された。
 山下さんは震災後、鬱(うつ)を繰り返してきた。不意に気持ちが沈み、寝込む。1月17日が近づくと胸が締め付けられる。
 保存活動が元気の源でもあった。今では2人の姉も壁を残した意義を理解してくれている。
 「悲しみを乗り越えるのは難しい。未来のために間違ったことはしていない、と自分に言い聞かせてきた。壁は今、多くの人に見てもらえる」
<心の傷癒えずに>
 震災から20年がたった15年1月。コミュニティーづくりを支援する長田区のNPO法人「まち・コミュニケーション」で震災体験を語ってきた男性が世を去った。寺田孝さん、75歳。震災で当時30歳の長女を失った。
 長女がいたアパートは火災で焼け崩れた。長女の住まいが残っていたとしても、遺構の保存には「悲しみが鮮明になる」と否定的だった。
 大切な人の死にかかわる震災遺構の保存・解体は、長く突き付けられてきた課題だ。
 まち・コミ理事の田中保三さん(75)は「寺田さんは最期まで、娘を亡くした心の傷が癒えなかったやろな」と察して訴える。
 「神戸では人の心など目に見えないものへの対策が手薄だった。もっと丁寧に気持ちをすくい取り、教訓の伝え方や遺構の在り方を考えるべきだったのではないか」


<WUG>ろっけんパーク閉館でイベント
 東日本大震災後に開設した仙台市青葉区のクリスロード商店街にある情報発信拠点「東北ろっけんパーク」が22日、閉館する。施設のお別れ会として20日、同市を舞台にしたアニメ「Wake Up,Girls!(WUG)」にちなんだイベントが開かれた。
 2015年に公開されたWUGの映画にろっけんパークも登場しており、シーンを再現して閉館をしのぼうと、サブカルチャーイベントなどを手掛ける一般社団法人ニューロトランス(七ケ浜町)が企画した。
 映画では、メンバーが物販を通してファンと交流する姿が描かれており、物産展会場に映画に登場した看板を模して掲げたり、コスプレ姿のファンらが駆け付けたりして盛り上げた。
 ニューロトランスの東海林泰士代表理事は「ろっけんパークはファンにとって聖地。なくなるのはさみしいが、ずっと記憶にとどめたい」と話した。
 ろっけんパークは、仙台市が東北の復興支援と中心商店街の活性化を目的に2012年5月に開設。東北の物産展や併設の起業家向けのチャレンジショップ目当てに多い時には1日約3000人が訪れたという。
 市は当初、国の緊急雇用創出事業として国費で委託費を賄ったが、国の事業終了に伴い、本年度は市の一般財源で負担していた。市震災復興計画が本年度で終わるのに伴い、閉館を決めた。チャレンジショップは4月、青葉区の市ガス局ショールーム内に移転。物産展はアーケードの街頭イベントなどで続ける予定。


<まちびらき1年>女川再生 確かな息吹
 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町中心部の「まちびらき」から1年がたった。移転再建されたJR女川駅の開業を皮切りに、新たな商業エリアの整備が本格化。商店街や交流施設が次々と誕生し、街は目まぐるしく姿を変えた。1年前に駅だけがあった場所は今、買い物や町歩きを楽しむ人々でにぎわう。
 JR石巻線が全線再開し、女川駅と町営「女川温泉ゆぽっぽ」の併設施設が開業したのが昨年3月21日。町は駅前エリアの「まちびらき」を宣言。震災後、がれき撤去やかさ上げ工事が続いていた中心部に、4年ぶりに人の往来が戻った。
 6月には水産業体験館「あがいんステーション」がオープン。被災事業者の自立再建店舗も7月から順次営業を始めた。駅前から海に向かって延びるプロムナードは9月に完成した。
 そして12月23日、にぎわい創出の核となるテナント型商店街「シーパルピア女川」が開業。「町まちなか交流館」も同日開館し、町は第2弾の「まちびらき」を実施した。
 プロムナード沿いに立つシーパルピアは、開放的で洗練された雰囲気が漂う。カフェや居酒屋といった飲食店、製作体験や見学を楽しめるスペインタイルやギターの工房、町民生活を支えるスーパーなど27店が入居する。
 中心部には週末を中心に大勢の観光客が訪れている。商業エリアを運営する民間まちづくり会社「女川みらい創造」の鈴木敬幸社長は「予想以上の人出」と手応えを口にする。
 今秋には海産物などを販売する「物産センター」(仮称)の開業も予定。2018年度には全体で約70店舗になる見込み。鈴木社長は「1年前は駅しかなかったが、今は食べる店も体験を楽しむ場所もできた。今後もエリア全体で協力し、交流人口を増やしていきたい」と語る。


<災害公営住宅>シェフ17人 本格フレンチ
 国内のフランス料理シェフでつくる一般社団法人日本エスコフィエ協会は20日、東日本大震災の被災者が暮らす南三陸町歌津の災害公営住宅「町営名足復興住宅」で、地元の魚介や野菜を使った「南三陸ブイヤベース」を作り、住民らをもてなした。
 約120人が参加。有名ホテルなどで働くシェフ17人が本格フランス料理に腕を振るった。ブイヤベースには銀ザケやタコに加え、仮設住宅の住民が育てた大根やカキ菜を使った。
 町内の仮設住宅に住む渡辺きよ子さん(75)は「スープに魚介のうまみが出ておいしい。高齢で食べに出掛けられないので、ありがたい」と喜んだ。
 同協会は被災者を料理で元気づけようと岩手、宮城、福島3県で年1回、イベントを開いている。大庭巌会長(ホテルオークラ東京洋食調理名誉総料理長)は「地元の物をたくさん使い格別な料理に仕上げた。おいしい物を食べて笑顔が増えるとうれしい」と話した。


【震災5年 再訪】 津波にのまれた渡波小の卒業生「もう小学生とは違う」仮設で学び育んだ夢
 東日本大震災で津波に校舎をのまれた宮城県石巻市立渡波(わたのは)小学校。産経新聞では震災1カ月後から「負けないよ!! 石巻・渡波小学校の復興日記」として、同小の復興と子供たちが成長していく姿を伝えてきた。あれから5年。小学校を卒業した子供たちは、仮設校舎での中学校生活を送りながら、少しずつ大人への階段を上っている。
 「あの2人、最近仲いいよね、付き合ってるの?」「もう授業が始まるから音楽室行かないと!」
 休み時間になると、渡波中学校の仮設校舎は生徒の声でにぎやかになる。机を囲んでおしゃべりする女子生徒、廊下を走り回る男子生徒、それをたしなめる教諭−。
 津波で被災した渡波中は、元の校舎から山を隔てて約5キロ離れた市立稲井小の校庭を間借りしている。みんな仮設校舎の中にいるのは、校庭を小学生が使うためだ。放課後まで中学生は使用禁止なのだ。
 登下校ではバスに乗る。「自転車通学するのが夢だったのに」。渡波中2年2組の木村杏名(あんな)さん(14)は「思い描いてた中学校生活とはだいぶ違う」と口をとがらせる。
 陸上部に入ったが、練習中はサッカー部や野球部のボールが飛んでくる。学校が終わった後や休みの日も部活で、友達と遊ぶ時間はあまりない。家に帰れば夕食を食べ、宿題をしたり、友達とスマートフォンで連絡を取り合ったりして午後10時には寝てしまう。「結構忙しいんですよね。もう小学生とは違うんで」
■  ■  ■
 普段はおしゃべりに熱心な女子生徒も、最近は自分の進路について真剣に考え始めるようになった。
 小6の時、「パティシエになりたい」と語っていた2年2組の丹野ここあさん(14)は、「あれは適当に言っただけ」と照れ笑い。今は保育士を目指している。避難所で過ごしていた頃から、近所の小さい子や友達の弟になつかれ、公園などで一緒に遊んであげてきた。母から「目指してみたら」と言われたのがきっかけで、「仕事としてやってみたい」と話すまなざしは真剣そのものだ。
 「警察犬の訓練士になりたい」。2年2組の阿部璃奈(りな)さん(14)がそう決めたのは、震災で多くの人が警察や消防、自衛隊などに救助されるのを見たから。「専門学校のパンフレットを見たりして訓練士になるにはどうしたらいいか調べてます」
 夢としてしか語れなかった将来は、いつの間にか目標に変わっていた。
■  ■  ■
 渡波中の生徒は来年4月から新校舎に移る。仮設校舎は今の2年生が卒業後の来年3月に役目を終えて解体される。うるさいし、夏は暑い。でも愛着もある。「母校が解体されて、ただの校庭になっちゃうのは少し寂しい」。2年1組の内海永理(えり)さん(14)はいう。
 一方、渡波小では元の校舎が平成26年4月に修築された。内海さんは今も友達と一緒に当時の担任らに会いに行く。「部活の話とか、友達が最近ちょっとつらそうとか、そういう話を聞いてもらって、懐かしい校舎を見ると元気が出る」
 渡波小2階には、26年夏に「学校の鐘」と名付けた鐘が設置され、チャイムとは別に小学5、6年生が朝夕2回鳴らす。「地域の人に『渡波に小学校が帰ってきたよ』と伝えている」と渡波小の井上雄大教諭(47)。
 ただ、鐘が鳴るのは中学生が仮設校舎にいる時間帯だ。鐘のことを聞くと、内海さんは「全然聞いてない! 先生、なんで教えてくれないの? 私も鳴らしてみたい!」。その目は小学生の頃と負けないぐらい輝いていた。(橋本昌宗)


【センバツ】 釜石が被災した故郷に笑顔を届ける白星
 釜石ナインが甲子園で躍動した。小豆島との息詰まる21世紀枠対決を制してチームカラーの青に染まった一塁側アルプス席を熱狂させ、先制適時打の佐々木航は「やっぱり勝利を楽しみにしてくれていたと思うのでよかった」とほほ笑んだ。
 2−0で迎えた九回に試練が待っていた。連打に失策が絡んで1点差に詰め寄られ、なおも2死三塁。「少し動揺したけど、みんなの顔を見たら勝てると思えた」というエース岩間が小豆島の宝来を二ゴロに打ち取り、初勝利を手にした。
 東日本大震災後、それぞれが苦労を乗り越えてきた。マネジャーを含む部員24人のうち9人が自宅を失い、現在も仮設住宅での生活を余儀なくされている選手もいる。厳しい現実にさらされ、大好きな野球を諦めかけたこともあった。


大震災5年 帰還困難区域見直し/除染の方向性 早期に明示を
 バリケードの向こう側に立ち並ぶ住宅。車や子ども用の自転車が放置され、さび付いている。封鎖されて、帰ることが許されない地区にも生活となりわいがあった。
 東京電力福島第1原発事故で指定された「帰還困難区域」が、浪江町や飯舘村など福島県の7市町村に残る。
 避難指示解除の見通しが立たないまま、住民は避難先で6度目の春を迎えている。
 東日本大震災から5年を経過。安倍晋三首相は今夏までにこの区域の見直しに関する考え方を明らかにすると表明した。放射線量の低下が継続して確認されれば、帰還が視野に入る「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に段階的に再編し、帰還困難区域を縮小するとみられる。
 現状では、対象の住民は帰還を諦めるか、その際、避難先を新天地と定めるかを迫られるような状況にある。古里に戻ることが将来的な願望ではなく、実現可能な選択肢として新たに加われば、地域の再生、ひいては福島の復興に向け、大きな弾みとなろう。
 ただ、道筋を描く前に、対象地域の現実を直視しなければならない。家屋は手付かずのまま、荒廃が進んでいる。家の中は動物に踏み荒らされ、手の付けようがない。
 最優先課題は除染である。帰還開始の大前提であるが、この5年の間、本格的に始まったのは大熊町下野上地区(約95ヘクタール)だけだ。環境省は今夏にも、双葉町のJR双葉駅西地区の市街地(約40ヘクタール)でも着手する意向だが、ほかの地区は具体化していない。
 第1原発が立地する双葉町は帰還困難区域が96%を占める。町は駅西地区を復興拠点として整備する方針で、除染の進み具合が町づくりの鍵を握る。
 帰還困難区域は、空間放射線量が2011年度末に年50ミリシーベルトを超えた地域が指定された。範囲は7市町村の計337平方キロメートルで、人口は約2万4000。面積、人口とも避難区域の約3割を占める。
 道路を隔てて居住制限区域や避難指示解除準備区域と線引きされた。境界線周辺は線量に大きな差はみられない。立ち入りを禁止するバリケードの外側であっても、帰還を否定的に考えている住民が多い。こうした状況にも配慮し、隣接するエリアの除染に優先的に取り組むべきだ。
 政府が帰還困難区域を除く避難指示解除の期限とした来年3月まで、あと1年となった。これまで田村市都路地区、川内村東部地区、楢葉町全域が解除されたものの、帰還の足取りは重い。戻った住民の多くは高齢者である。
 南相馬市、川俣町、葛尾村、川内村で、帰還を見据えた準備宿泊が行われているが、南相馬では除染効果を不安視する声が多いなど、地元には早期解除に異論が根強い。
 政府は地域ごとの実情に基づき、地元と丁寧な協議を行うべきだ。解除の要件に掲げる「年間被ばく線量20ミリシーベルト以下」をクリアしたからといって、帰還困難区域の再編を進めるのは早計である。
 東京五輪が開催される20年に、復興を世界にアピールするがためであれば、拙速のそしりは免れまい。


河北春秋
 気仙沼市の真ん中、内湾地区に新エネルギー施設が本格稼働した。「リアスの森バイオマスパワープラント」。間伐材をガス化し1年間で約1700世帯分の使用量を発電できる。電力会社に買い取ってもらい、併せて廃熱は市内二つのホテルに販売する▼「東日本大震災からの復興に、豊富な地域のエネルギー源を使わない手はないでしょう」。運営会社の高橋正樹社長(52)は意気込む。それにしても海の街でなぜ木質バイオマス?▼山地が水際まで落ち込むリアス海岸で知られる気仙沼は平野が少ない。海の街と言いつつ、市域の7割以上が山林なのだ。盛んだった林業は、安い外材の輸入による価格低迷などのあおりで衰退。放置されている山は多い▼間伐材は市場の値の倍額で買い取り、代金の半額は地域通貨で支払う。地域の中でエネルギーが循環し、経済は活性化。山林に手が入ることで、海を含めた環境保全にもつなげる。なかなかのアイデアだ▼「震災では全国から支援をいただいた。気仙沼の良さを磨いて、全国に発信することが恩返し」。志も高い。効率最優先の現代社会は、震災による原発事故という悲劇を生んだ。地域の産物の価値を見直し、ゆっくり進む。スローフード都市を宣言する街ならではの取り組み。成果を見守ろう。

SPEEDI 位置づけを明確にせよ
 原発事故時に放射性物質の拡散を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」について、政府の原子力関係閣僚会議は、自治体の裁量で住民避難に活用することを認めた。
 全国知事会の要請を受けての判断だ。知事会の危機管理・防災特別委員長を務める泉田裕彦新潟県知事は「避難計画を作る端緒がつかめた」と、政府の対応を評価した。
 だが、国の原子力安全規制を担う原子力規制委員会は、住民避難にSPEEDIは使わないと決めている。予測は信頼性が低く、活用は「弊害が多い」というのだ。
 SPEEDIは役に立つのか、立たないのか。これでは、原発周辺の住民は戸惑うばかりだろう。事故時に規制委と自治体の判断が分かれ、避難を巡って無用の混乱を招く事態が生じないか、心配になる。
 SPEEDIは放射性物質の放出量や時期、気象条件などから、放射性物質の拡散範囲や大気中の濃度を予測する。しかし、東京電力福島第1原発事故では放出量などが分からず、正確な予測はできなかった。
 このため、規制委が改定した原子力災害対策指針では、緊急事態が生じたら、原発5キロ圏の住民は放射性物質放出前でも避難すると定めた。5〜30キロ圏の住民は屋内退避させると共に、現地で放射線量を実測して避難の必要性を判断する。
 放射性物質の放出時刻を正確に予想する技術はまだない。仮定を置いた計算では、実際に放出が起きた時と風向きが違うかもしれない。事前予測に信頼性はない、という規制委の指摘は理解できる。
 一方、東電柏崎刈羽原発を抱える新潟県は、原発事故と地震などの自然災害が重なれば、道路の寸断で即時避難は難しいと懸念する。こうした場合、SPEEDIの予測と実測値を併用し、避難経路などを検討することは有用だと考えているのだ。
 日本気象学会も、緊急時にはSPEEDIなどの予測データを活用すべきだと規制委に提言している。
 SPEEDIの信頼性はどこまで高められるのか。放射性物質の放出後に活用することはできないのか。政府は自らの責任で、SPEEDIの活用方法について、位置づけを明確にすべきだ。
 柏崎刈羽原発の安全審査は大詰めを迎えている。再稼働には泉田知事の同意がいる。今回の活用容認は経済産業省が主導しており、泉田知事の主張に配慮したようにも見える。
 事故時の避難計画が安全審査の対象外で、自治体任せになっていることが、規制委と知事会の見解の相違の背景にある。政府は、避難計画も一元的に責任を負うべきだ。

仙台メディアテークで映画/新幹線乗り間違う

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"La Désolation": le désastre des "humains jetables de Fukushima"
Centrale nucléaire de Fukushima-daiichi, Japon, été 2013: près de deux ans après le tsunami qui a provoqué l'explosion et l'arrêt des réacteurs, des dizaines de milliers de travailleurs, souvent précaires, sont intervenus sur la centrale depuis 2011. Ils seront encore des dizaines de milliers à défiler sur le site, au moins les 40 prochaines années, dans des conditions plus qu'éprouvantes.
En témoigne "La Désolation", le livre-enquête du journaliste de "Libération", Arnaud Vaulerin, qui dénonce le sort des "humains jetables de Fukushima".
Près de 2.000 décès indirects liés au nucléaire
Il y a cinq ans, le 11 mars 2011, un tremblement de terre suivi d'un tsunami géant tuait 15.894 personnes et faisait 2.562 disparus au Japon. Dans la région de Fukushima, où la vague noire géante, haute de plus de 15 mètres, a tué 1.607 personnes et dévasté la centrale nucléaire de Fukushima-daiichi, les autorités ont reconnu officiellement que l'atome avait provoqué 1.656 décès indirects (stress de l'évacuation, suicides, maladies aggravées par l'absence de soin). Sur le site de la centrale elle-même, dix travailleurs ont trouvé la mort depuis 2011 : deux le 11 mars, cinq de maladie (arrêt cardiaque, hyperthermie et leucémie) et trois d'accidents survenus sur le chantier.
Un seul lien reconnu avec la radioactivité de la centrale pour la leucémie d'un ouvrier
En août 2014, une étude sur l'impact des radiations de la catastrophe de Fukushima a révélé que plus d'une centaine de jeunes âgés de moins de 18 ans au moment de l'accident nucléaire de 2011 avaient développé un cancer de la thyroïde confirmé par chirurgie ou fortement soupconné. Le lien avec le désastre atomique n'est cependant pas entièrement établi. Concernant les travailleurs de l'atome sur le site de Fukushima, à ce jour, un seul lien lien officiel a été établi par les autorités japonaises, en décembre 2015, entre un ouvrier souffrant d'une leucémie et la radioactivité de la centrale.
Un bilan sanitaire qui devrait être moins lourd qu'à Tchernobyl
Si l'on est en droit de craindre une hausse de certains types de cancer au Japon suite à la catatrophe, elle devrait être moins lourde qu'à Tchernobyl (Ukraine, 1986) où plusieurs centaines de liquidateurs sont déjà morts et où plus de 6 800 cancers de la thyroïde avaient été recensés de 1986 à 2008. Il y a eu en effet dix fois moins d'énergie radioactive émise à Fukushima qu'en Ukraine. Par ailleurs, le Japon a pris toutes les mesures de restriction nécessaires pour éliminer au maximum les sources de contamination interne, en interdisant la circulation et la commercialisation des produits issus de la zone polluée. Les autorités ont également mis en place un suivi sanitaire systématique de 360 000 enfants de la préfecture de Fukushima, âgés de 0 à 8 ans.
Quel suivi sanitaire pour les intérimaires de Fukushima ?
Ce qui n'est pas vraiment le cas pour ces quelque 42.200 travailleurs (8.000 par jour) qui se sont succédé sur le site de la centrale de Fukushima depuis 2011, dans des conditions particulièrement éprouvantes. Si la situation s'est améliorée et que le pire a été évité, c'est grâce à ces hommes. Qui sont-ils ? "Ils sont sans visage, sans parole, ne se montrent pas, n'existent pas. Leur vie est consacrée à la destruction d'un ennemi invisible au coeur d'une région fantôme", écrit dans son livre Arnaud Vaulerin. Pour leur donner un visage, le journaliste correspondant de "Libération" au Japon, s'est immergé, durant de longs mois, au pays de la mort invisible et incertaine, sur une terre contaminée d'où la catastrophe a chassé plus de 200.000 personnes et où des dizaines de grues, pelleteuses, bulldozers et des milliers de silhouettes s'affairent pour tâcher de réparer les dégâts.
Les "sacrifiés"
Pas toujours vraiment rassuré pour sa propre sécurité sanitaire (et on le comprend), il est allé à la rencontre de ces ouvriers dévoués, condamnés à la loi du silence, chargés de nettoyer les écuries d'Augias de l'atome et de ramasser les débris radioactifs : une mission quasi impossible, une tâche sans fin et dangereuse, réservée à des milliers d'hommes pour la plupart sans qualification, qui opèrent souvent sans combinaison. Et qui planquent parfois leur dosimètre pour pouvoir continuer à travailler quand ils ont dépassé les doses admissibles. Ce sont les "sacrifiés", vaste armée de travailleurs précaires, venus par patriotisme sacrificiel d'abord, puis par nécessité financière, oeuvrer au démantèlement de la centrale. Isolés et considérés comme des pestiférés dans leur propre pays, méconnus ailleurs, sous-payés et broyés par une administration tentaculaire où les sous-traitants sont légion, Arnaud Vaulerin les a suivis pendant plus de deux ans et a enquêté jusque dans les bureaux aseptisés de la puissante Tepco (Tokyo electric power company), dont trois ex-dirigeants sont aujourd'hui mise en cause devant la justice, dans la catastrophe de Fukushima-daiichi.
Et chez nous ?
Les niveaux de radiation auxquels ces "gitans du nucléaires" sont exposés, sont bien supérieurs au seuil maximal sur un site où règnent l'anarchie et l'omerta. Mais le récit du journaliste le laisse deviner : le pire est peut-être encore à venir : niveaux de radiation records, sécurité limitée, travaux effectués à la va-vite, fuites, bricolage et risques médicaux encore méconnus, la catastrophe nucléaire est loin d'être terminée. Au-delà, Arnaud Vaulerin nous fait réfléchir sur les risques nucléaires qui menacent nos sociétés. Qui aurait pu imaginer qu'une catastrophe majeure de cette nature et d'une telle envergure puisse se produire au Japon, troisième puissance mondiale et pays des plus hautes technologies ? "Et chez nous, en France, si semblable désastre nous arrive, y aura-t-il des dizaines de milliers d'hommes prêts à faire le sacrifice de leur vie pour sauver une partie de leur territoire ? Notre démocratie saura-t-elle y répondre et y survivre ?" Voilà au moins deux questions qui nous hantent, après la lecture de ce récit, véritable documentaire exceptionnel et précieux, dans la lignée de "La supplication", le livre de Svetlana Alexievitch (prix Nobel 2015), consacré à une autre apocalypse nucléaire : celle de Tchernobyl.
Cathy Lafon
フランス語
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仙台メディアテークに行きました.映画は昨日だったのか・・・と思っていたら私の勘違いで本日.さて前売券買っていないし,見ることができるの?という感じでしたがとりあえず聞いてみました.ムリっていう感じでしたが,受付の人が試しに行ってみて・・・というので行くとギリギリセーフ.東北の新月というカナダに住む日系女性監督による作品です.リンダ・オオハマさんのページで視聴できます.
ランチはなんと佐世保バーガーで,お腹いっぱいになりました.今日もまた泉です.駅前のアリオにはなんと餃子の王将がありました.ビックリ.
脱原発や環境問題などいろいろ参考になるお話でした.
新幹線で東京に移動でwifiが使える新幹線ということで切符買っていたのに,使えないことがわかりました.文句を言うと担当者に厳しく言っておきます,とのこと.その人も気の毒だなぁと思いながら乗車.しかし.イライラしていたせいか列車を間違えてしまいました.切符ははやぶさなのですが各駅停車のやまびこに乗ってしまいました.東京につくのが1時間以上遅くなりました.

<あなたに伝えたい>でも生きていてほしかった
◎菊池真智子さん(山形県酒田市)から高橋歩さん、凛ちゃんへ
 真智子さん 2人の5回目の命日は、宮城県女川町の海で手を合わせてきました。
 初孫の凛は6カ月になったばかりでした。歩は「やんちゃ坊主になるよ」と言っていましたが、成長した姿を思い描くことができません。
 歩と凛は揺れの後、社宅に住む人たちと広場に出ていて津波にのまれました。
 凛を抱いた歩は石垣にはい上がろうとしていたそうです。先に上っていた人が歩に「子どもを放せ」と叫んだらしいのですが、「放せない」と答え、そのまま流されていったそうです。
 前々日に地震があった夜、歩と電話で津波の話をしました。「4階の自宅に逃げれば大丈夫」と話してくれましたが、実際には屋上も泥をかぶっていました。日本海側では想像もできないような大きな津波だったのですね。
 2カ月近く探し回ってようやく、歩に会えました。変わり果てた姿でした。
 親より先に子どもが逝くのはつらいことです。あの時、凛を放せば歩だけでも助かったのか。命を選ぶことはできないけれど、それでも歩には生きていてほしかった。でも、そうすれば今の私と同じ思いをさせてしまう…。
 歩は小さいころから、きょうだいの面倒をよく見てくれました。高校では生徒会長を務め、結婚前には看護師をしていました。正義感の強い子でしたから、凛を放すことは絶対になかったでしょう。
 凛はまだ行方が分かりませんが、もしかしたらどこかで誰かに育ててもらっているかもしれない。見つからないことでそう考えられるのが救いです。
◎乳児抱えて津波にのまれた娘
 高橋歩さん=当時(26)=、凛ちゃん=同(6カ月)= 酒田市の保育士菊池真智子さん(52)の長女歩さんは、宮城県女川町にあった電力会社の社宅アパート4階に夫(31)と長男凛ちゃんの3人で暮らしていた。約2カ月後に歩さんの身元を確認。凛ちゃんはいまも行方が分かっていない。


<震災5年>節目の日 古里に別れ
 3月11日、福島県楢葉町の追悼式に参列した阿野田登美夫さん(66)は「一つの区切り、けじめかな」と語った。式の前、住民票を楢葉からいわき市に移した。「精神的に新たな自立というか。きょうから、いわき市民として前に進むよ」
 津波が自宅を襲い、母を失った。原発事故。遺体を隣家の納屋に安置し避難した。数日後、納棺に戻ったものの、放射能の影響で運び出せない。「顔もよく拭いてあげられなかった」
 自宅は災害危険区域になった。2013年秋、避難先のいわきに家を建て、仮設住宅を出た。原発事故で町に出ていた避難指示が解除された昨年9月5日、「住民票を移そうかと思ったが、踏み切れなかった」
 楢葉の家はもともと別の場所にあった。そこには今、福島第2原発が立つ。いわき市に転入届を出したとき「母や昔のことを思い出した。寂しく、悔しかった」。本籍は楢葉に残した。
 3月11日、メモを取りながら、被災地の今をあらためて胸に刻んだ。(いわき支局・古田耕一)


<被災校舎の行方>痕跡伝えるシンボル
◎石巻・震災遺構を考える(7)門脇小卒業生
<思い出の品ない>
 変わり果てた古里への郷愁と防災への願い。二つの思いを被災校舎に重ねる。
 仙台市の仙台南高2年佐藤真歩さん(17)は東日本大震災の発生当時、震災遺構の候補に挙がる石巻市門脇小の6年生だった。保存と解体の間で地域が揺れる中、母校の保存を願う。
 門脇地区に隣接する南浜地区に両親と弟の家族4人で暮らしていた。震災の津波で自宅は流失し、沿岸部の缶詰工場に勤めていた父正さん=当時(52)=が犠牲になった。
 「住み慣れた家も優しかった父も失った。残った思い出の品はほとんどない。校舎は学校生活を思い出させてくれる」
 母親と祖父も門脇小を卒業した。石巻を離れた今、校舎は散り散りになった同級生も含め、多くの人とのつながりを確認できる大事な存在だ。
 門脇小は震災で津波と火災に見舞われたが、300人いた児童のほとんどは教員の誘導で高台の日和山に避難して無事だった。真歩さんは弟と石巻高に身を寄せた。家族と連絡が取れず、3日目に母親と再会するまで不安な夜を過ごした。
 仙台に引っ越して「星がきれいな夜だったね」という友人の話に驚いた。自分の過ごした3月11日の夜とは全く違う。震災についての感覚が内陸部と沿岸部で異なることを学んだ。
 中学生のとき、広島市の原爆ドームを見た。教科書などで知ってはいたが、実際に見て原爆の怖さを感じた。言葉や写真でいくら説明されても分からないことがある。
 「門脇小も津波の脅威や防災の必要性を感じる場になってほしい。見ることで、命を守る行動につながる人がいるかもしれない」
 世代が若くなればなるほど、震災の記憶は薄れる。しかし、建物は後世に伝わる。
 真歩さんは「地域の人がつらいと思うのであれば目隠ししても、移設でも、中央部分を残して解体してもいい。とにかく校舎を残して」と願う。
<「残し方に疑問」>
 石巻高2年阿部桃花さん(17)も震災当時、門脇小6年だった。桃花さんも校舎の保存を望む。
 昨年12月の修学旅行で、阪神大震災で被災した神戸市長田区を訪れた。ビルとビルの間の狭い道に、地震で崩れずに残ったというブロック片があった。
 案内してくれた現地の人は、大きな1枚のコンクリート壁が地震にも崩れず、一部を遺構としたと説明した。震災から20年がすぎ、その場所を訪れる人はほとんどいないという。「残し方に疑問がある」と現地の人は語った。
 「神戸は復興し、震災の痕跡が分からなかった。モニュメントでは伝わらないことがある。門脇小は悲惨な姿になったが、震災を発信するシンボルになるはず。全部残してほしい」


最後の思い出胸に 閉校する中野小で卒業式
 東日本大震災の津波で被災し、今月末に閉校する仙台市宮城野区の中野小(児童40人)の卒業式が19日、同区の中野栄小体育館であった。15人が最後の卒業生として、在校生や保護者に見送られて巣立った。
 三塚修校長は「震災時1年生だった皆さんは多くの人に支えられ、笑顔と元気を取り戻してきた。誇りと自信を持って中学生活を送ってほしい」と励ました。
 卒業生全員で6年間の思い出や感謝の言葉を述べ、卒業にちなんだ「旅立ちの日に」を合唱。学びやへの思いも込め、あふれる涙をぬぐいながら歌った。
 式終了後、佐藤響君(12)は「震災をみんなと乗り越え、楽しい思い出がたくさんできた」と振り返った。十二町優希さん(12)は「先生になる夢をかなえるため中学では勉強を頑張りたい」と抱負を語った。
 蒲生干潟の近くにあった校舎は解体され、児童は隣接する中野栄小で学校生活を送る。学区の大半が災害危険区域に指定されて居住地が分散し、震災前に150人以上いた児童は大幅に減少。142年の歴史に幕を下ろすことになった。在校生は新年度から中野栄や田子、高砂など周辺の7校に通う。
 市立小は全123校のうち116校が18日に卒業式を実施。19日は今月末に閉校する若林区の荒浜小、来年3月に閉校する同区の東六郷小でも卒業式があった。


大震災5年 介護人材不足/政策の貧困被災地にツケ
 介護関連の人材不足は全国共通の課題だが、東日本大震災の被災地にとりわけ深刻な影響を与えている。せっかく施設が復旧しても、担い手不足のため、急増するニーズに対応しきれていないのだ。
 被災地での安心の破綻は人口減少に拍車を掛け、復興の足かせとなる恐れがある。
 政府が進める処遇改善などの対策は中途半端で、今のところ十分な成果を挙げていない。政策の貧困が、ここでも被災地を苦しめていると言わざるを得ない。
 震災で被災した岩手、宮城、福島の3県にある特別養護老人ホームなどの入居型高齢者福祉施設265カ所のうち、約95%に当たる252カ所が2月上旬までに運営を再開した。
 ただ、実際には介護職員の不足から、震災前に比べ、受け入れる入所者を減らしている施設が少なくない。例えば、大船渡市にある介護施設は、本来の定員は29人だが、職員がそろわないため19人しか受け入れられずにいる。
 宮城県が訪問介護なども含む107事業所に行ったアンケート結果(速報値)でも、介護職員の不足数は91人で、半数以上を特別養護老人ホームなどの入居型が占めた。
 被災自治体の危機感は特に強く、気仙沼市と宮城県南三陸町は1月、関連事業者らと人材確保に向けた協議会を設立している。
 介護職員の有効求人倍率(1月)は、宮城、福島とも2.99倍で、それぞれ県内全職種平均の2倍以上。岩手も1.93倍で、全職種平均の1.16倍を大きく上回る。
 被災地では復興事業関連の求人と競合している側面があるにしても、求職者が少ないのは、重労働に見合う給料が得られないといった処遇が根本的な原因だと言っていい。
 厚生労働省の賃金構造基本統計調査(2014年)によると、介護職員の賃金は全産業平均の29万9000円に比べ、約8万円も低い。
 「介護離職ゼロ」を掲げる政府は15年度の介護報酬改定に合わせ、1人当たり月額1万2000円の賃上げを狙って「処遇改善加算」を実施した。
 ところが、介護業界最大の労働組合「UAゼンセン日本介護クラフトユニオン」(東京)が昨年9月に行った調査では、賃金は6000円程度しか上がらず、むしろ人手不足が進む中で勤務時間が長くなる傾向が浮かび上がった。
 介護報酬の改定でサービス単価が引き下げられるなどした影響で、施設経営が厳しくなっていることを背景に挙げる声もあるという。
 厚労省研究班の追跡調査によると、宮城県では震災後の4年間で要介護高齢者の増加が全国平均の14倍ものペースで進んだとされる。被災によるストレスと仮設住宅などでの不自由な生活で、今も睡眠障害や抑うつ状態の人の割合は全国平均を上回る。
 介護需要の高まりは、今後もしばらく続くとみなければならない。
 介護人材の確保に向け、思い切った処遇改善策が求められるのはもちろん、復興施策として施設経営への支援を拡充していく必要がある。


センバツ開幕 被災地に元気届けよう
 第88回選抜高校野球大会がきょう、阪神甲子園球場で開幕する。東日本大震災の発生から5年の節目の大会となる。野球ができる幸せをかみしめながら、力強いプレーで被災地に元気を届けてほしい。
 ハンディ克服や地域貢献など野球の実力以外の要素も加味して選ばれる21世紀枠では釜石(岩手)、長田(兵庫)、小豆島(香川)の3校が出場する。
 東日本大震災で親が犠牲になるか行方不明のままの野球部員が3人いる釜石は、全校生の3分の1以上が被災者でほとんどが今も仮設住宅で暮らしている。菊池智哉主将は「被災地に元気を、支援していただいた方に感謝を伝えられるよう全力を尽くす」と意気込む。
 21年前の阪神大震災で校舎のある神戸市長田区が壊滅的な被害を受けた長田は、1月17日と3月11日に合わせて防災教育を重ね、音楽部が東北の被災地の子どもたちとの交流を毎年続けてきた。永井伸哉監督は「普通に野球や勉強ができることの幸せを考えてほしい」と部員に繰り返し話している。
 大会第2日に釜石と対戦する小豆島は部員17人で甲子園の土を踏む。離島という事情に加え、少子化・過疎化という困難を乗り越えて出場を決めた。開会式では樋本尚也主将が選手宣誓でメッセージを発信する。同じ問題を抱える多くの地域へのエールになることだろう。
 昨年の大会で北陸勢としては春夏通じて初優勝を飾った敦賀気比(福井)は、今まで2校しか達成していないセンバツ連覇に挑む。
 これまで紫紺の優勝旗を手にしていない19道県から10校が出場する。昨年に続いてセンバツ優勝の全国地図を塗り替えるチームが現れるのかも注目される。
 センバツ大会は関東大震災の発生から半年後の1924年に産声を上げ、復興の象徴的な大会となった。その第1回大会の覇者である高松商(香川)が20年ぶりに出場する、また優勝4回の東邦(愛知)が11年ぶりに出場し、龍谷大平安(京都)は最多出場記録を40回に伸ばした。古豪校の登場は、戦前から刻み続けたセンバツの歴史や意義を見つめ直す好機をもたらしてくれる。
 センバツ出場校は成績や技術だけでなく、野球に対する姿勢や仲間への思いやりも含めて総合的に選ばれる。何よりもフェアプレーが重んじられることは言うまでもない。意図的に体当たりするなどのラフプレーは避けなければならない。大会後半の休養日の設置などで進めてきた選手の健康管理にはさらに取り組むべきだろう。常にベストコンディションでフェアプレーに徹してほしい。


<センバツ>「釜石×小豆島」に不思議な縁
 選抜高校野球大会(20日開幕・甲子園)で21日、釜石と小豆島(香川)が対戦することに、岩手県大槌町赤浜地区の一部住民が特別な思いを抱いている。かつて約870キロ離れた小豆島から先祖が移り住んだという伝承があり「小豆島」「小豆嶋」の姓を持つからだ。21世紀枠同士の組み合わせに加え、釜石の主戦岩間大選手(17)は赤浜出身。町は東日本大震災で大きな被害を受け島から支援を受けた経緯もあり、不思議な縁を感じている。
 姓は島名と異なり「しょうずしま」と読み、震災前は十数軒あり、現在も仮設住宅などに住む。名乗り始めた人が移住した時期は江戸時代末期とも言われるが、はっきりしない。
 水産加工会社社長の小豆嶋敏明さん(53)は「もちろん赤浜育ちの岩間さんに勝ってほしいが、名前の由来を考えると小豆島も応援したい」と笑う。
 旧姓が小豆嶋の金属加工会社専務山岸千鶴子さん(56)は「テレビで見るたびに、いつかはルーツである島を訪れてみたいと考えていた。選抜の試合をきっかけに若い世代の交流が生まれるといい」と期待する。
 震災後、島名と同じ姓の人が赤浜にいることを知った香川県小豆島町は大槌町を支援。物資や本のほか、特産の菊を祭壇や献花用に贈った。元大槌町中央公民館赤浜分館長の神田義信さん(70)は「当時は手向ける花を買いたくても売っている店がない状態が続き、遺族には泣いて喜ぶ人もいた。本当にありがたかった」と振り返る。
 小豆島には同様の姓はないという。支援物資を運ぶバスで大槌を訪れたことがある秋長正幸町議(66)は「対戦相手に赤浜出身の選手がいると聞いて驚いた。21世紀枠同士の試合も奇遇だ。甲子園で応援する際は周囲に岩間さんのことを教え、盛り上がりたい」と楽しみにする。


<宮城指定廃>「事実上の白紙撤回」
 東京電力福島第1原発事故で発生した宮城県内の指定廃棄物の最終処分場建設問題で、村井嘉浩知事が19日の市町村長会議で建設候補地の返上も含め再検討するとしたことを受け、3候補地の首長は「事実上の白紙撤回」と歓迎した。一方、国の基準値(1キログラム当たり8000ベクレル超)を下回る廃棄物や未指定分の処理に対しては、国の責任で行うよう求める声が相次いだ。
◎基準値以下 国責任で
 「村井知事が候補地返上を受け止めたことは重い。白紙撤回だと受け止めた」。報道関係者をシャットアウトして行われた会議終了後、そろって取材に応じた佐藤勇栗原市長、猪股洋文加美町長、浅野元・大和町長は、一様にほっとした表情を見せた。
 会議の冒頭、井上信治環境副大臣は県内1カ所に最終処分場を整備する方針を変えないことを強調。佐藤市長は「環境省は市町村長会議の決定を重んじて候補地を選定した。今回の会議では返上が了承されたのだから、重く受け止めるだろう」とけん制した。
 3候補地の現地調査についても猪股町長は「知事が雪解け後の現地調査入りはいったん中止を申し入れると明言した」と説明。「環境省も処分場建設が困難で現実的な対応に変わってきた。再度別の候補地を選定する流れにはならないのではないか」と語った。
 浅野町長は「3市町が求めた候補地返上を受け止めてもらい感謝している」と述べる一方、環境省が行った放射能濃度の再測定で基準値を下回った廃棄物は一般廃棄物となり市町村が処理責任を負うことについては「国がしっかり処理してほしい」と要望した。
 県内で最多の汚染稲わらを抱える布施孝尚登米市長も「環境省の資料に『処分先の確保についても県や市町村とともに国も調整に当たる』とあるが、指定廃棄物は国の責任で処理するはずだった。調整ではなく主体的に関わるべきだし、そう要請した」とくぎを刺した。
 会議が非公開で行われたことについて、奥山恵美子仙台市長は「ある程度忌憚(きたん)のない意見が出て国に対して厳しい意見もあったが、この問題は住民への説明抜きには進まない。今後も非公開を続けるかどうかとなると、市町村から異論も出るだろう」と述べた。


<宮城指定廃>3候補地返上も 対応再検討へ
 東京電力福島第1原発で発生した指定廃棄物の最終処分場建設問題で、村井嘉浩宮城県知事は19日に仙台市で開いた県内の市町村長会議で栗原市、加美町、大和町の3候補地の白紙返上も視野に、県内1カ所での集約処分を進める環境省への対応を再検討する考えを示した。県として新たな方針を示すまで、3候補地の現地調査を自粛するよう環境省に申し入れる。
 県主催による会議は非公開で約2時間行った。井上信治環境副大臣が集約処分に理解を求めた後、環境省関係者を全員退席させた上で意見交換した。
 終了後に記者会見した村井知事によると、4月下旬〜5月上旬に開く次回の市町村長会議で候補地選定の在り方を一から議論する。
 村井知事は「(返上を訴える)候補地の気持ちを受け止めたい。1カ所集約が大前提だが、やはり三つのうちの1カ所か、別の候補地を探すのか市町村長会議で議論する」と話した。
 会議で村井知事は、県内の指定廃棄物3400トンの3分の2について、放射能濃度が基準値(1キログラム当たり8000ベクレル)以下となった環境省の再測定結果に基づき、市町村負担が原則の一般廃棄物として処理を加速させる考えを表明。自治体の意向を受け、指定解除を後押しする考えも示唆した。
 県内の放射性物質汚染廃棄物の全容把握を進めることでは合意。基準値を超えながら未指定の廃棄物なども含め県全域を対象に環境省の再測定を受ける。
 井上副大臣は取材に「長期管理施設の必要性は変わらないが、基準値以下となった廃棄物処理に国は責任を持つ」と従来方針を繰り返した。


週のはじめに考える 普天間代替基地は国外へ
 安倍政権は裁判所の和解案を受け入れ、沖縄県名護市辺野古での米軍基地新設工事を一時中断しました。「辺野古が唯一の選択肢」なのか考えてみます。
 新設工事は宜野湾市の市街地にある海兵隊の普天間飛行場を辺野古に移設するものです。和解案を受け入れた菅義偉官房長官は会見で「日米同盟の抑止力の維持と普天間の危険性除去を考えた時に、辺野古への移設が唯一の解決策である」と述べました。
 「危険性除去」を目指すなら、移設先は辺野古でなくてもよいはずです。「日米同盟の抑止力」は辺野古移設でなければ維持できないのでしょうか。
◆海兵隊の抑止力に疑問
 抑止力とは攻撃すれば耐え難い反撃を受けるとして、攻撃を思いとどまらせる機能のこと。そもそも沖縄の海兵隊は抑止力となっているのか疑問です。
 沖縄の海兵隊は一九五〇年代、岐阜県と山梨県の基地から移転してきました。当時の沖縄は米軍の施政権下にありました。米政府の狙いは日本各地に広がった基地反対闘争の沈静化にあり、抑止力の議論とは無縁でした。
 海兵隊は、地上部隊、航空部隊を海軍の揚陸艦と組み合わせて敵前上陸できる機動性、即応性に特徴があります。ところが、沖縄海兵隊の「移動の足」となる揚陸艦は長崎県の佐世保基地に配備され、大型輸送機は米本土に置かれていて、最初から機動性、即応性に欠けるのです。
 東西冷戦期こそ兵員は二万人を超えていましたが、二〇〇六年、日米合意した米軍再編によって海兵隊八千人がグアム島へ移転することが決まりました。沖縄県の資料によると、この年の海兵隊は一万三千四百八十人。定員一万八千人なので移転後に残る兵員は定員ベースなら一万人ですが、実員ならば五千人強となり、心もとない兵力となります。それでも移転は司令部などにとどまり、実戦部隊はそっくり残るはずでした。
◆海外移転する実戦部隊
 すると仰天の出来事がありました。日米は一二年、米軍再編を見直し、司令部を残すことにする一方で、実戦部隊の第四海兵連隊をグアムへ移転させ、第一二海兵連隊を国外へ移転させることにしたのです。合意の中身ががらりと変わり、実戦部隊の国外移転が決まったのです。
 これで沖縄に残る実戦部隊は兵員二千二百人の第三一海兵遠征隊(31MEU)だけ。31MEUはローテーションでアジア太平洋での訓練、洋上待機、休養を繰り返し、沖縄には年に数カ月しかいない部隊です。抑止力の維持はどうなったのでしょうか。
 結局、日本政府は米政府の打ち出す計画に追従しているだけではないのか。その証拠に「海兵隊は抑止力」と強調しながら、それが薄氷となっても気にするふうはなく、その一方で日米で合意した辺野古新基地計画にはしがみつく。軍事合理性からみて、支離滅裂というほかありません。
 米政府が辺野古新基地にこだわるのは、普天間飛行場になかった弾薬搭載エリアや揚陸艦が横付けできる岸壁を持ち、滑走路が一本から二本に増えるという格段に強化された基地だからです。米政府にも辺野古移転を断念してもらうにはどうすればよいのか。
 防衛省出身で安全保障担当の内閣官房副長官補だった柳沢協二氏は「31MEUの役割は、武力紛争における関連任務よりも、東アジアにおける人道支援・災害救援にある。アクセス拠点は沖縄でなくてもいい」と主張します。
 柳沢氏は31MEUをグアムもしくは海兵隊の新基地があるオーストラリアのダーウィンに移転させる構想を描きます。普天間代替基地は「日本のどこにも造らず、米軍の裁量に任せる。あえて挙げるなら空軍基地のあるグアム」といい、辺野古新基地建設に見込まれる日本の防衛費三千五百億円を、海外新基地の整備費用や海外移転に伴って必要となる高速輸送船などの購入費用に充てるべきだとの案を示します。
 抑止力は戦力を東アジアに投入する能力がある海軍、空軍で十分というのです。
◆移転費用は日本持ちで
 和解受け入れから三日後、政府は沖縄県に埋め立て承認取り消し処分の是正を指示しました。沖縄側は反発し、再び訴訟になりそうです。「日米同盟の抑止力」を考えるなら、対立を続けるべきではありません。空軍の拠点である嘉手納基地まで県民の批判の的になれば、抑止力が危うくなります。
 和解により、解決策を探る時間が生まれました。海兵隊のうち、すべての実戦部隊を普天間代替基地と一緒に国外へ移転させる、その代わり関連費用は日本側が負担する。米政府とぜひ議論してほしい実現可能な案と考えます。


「市民も野党も結集を」 安保法廃止訴え集会
 安全保障関連法の成立から半年を迎えた十九日、法律に反対する「戦争法廃止!安倍政権の暴走許さない3・19総がかり日比谷大集会」が、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂で開かれた。五千六百人(主催者発表)が会場を埋め尽くし、「戦争法の施行は反対」と二十九日に施行される安保法の廃止を訴えた。
 「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催。子育て世代の代表や憲法問題に詳しい弁護士らがマイクを握り、安保法の廃止に向け「夏の参院選で待ったをかけられるように、市民も野党もまとまろう」と呼び掛けた。
 安保法に反対する高校生グループ「ティーンズソウル」の鈴木あいねさん(17)は「(この半年で)反対の動きが弱くなっている気がする。私たちが大人になった時に戦争がなく、子どもたちが社会に希望を持てるように活動していく」と語りかけた。
 夏の参院選で野党を支援する市民団体「ミナセン全国連絡会」の武井由起子さん(48)は「安保法の成立はすごく悔しかった。課題を解決するには数の力でひっくり返さないといけない」と指摘した。民主党の枝野幸男幹事長と共産党の小池晃副委員長も出席。枝野氏は「与党を一人でも少なくするために全力を挙げる」と述べた。集会後は、雨脚が強くなる中、銀座までの二キロをデモ行進し「参院選は野党が勝利」などと声を上げた。


安保法 「やっぱりノー」 成立半年、各地でデモ
 安全保障関連法の成立から半年となった19日、各地で廃止を求める市民らが集会を開いた。国のかたちを変える法の施行が29日に予定される中で、若い人たちを含めた市民らが未来に向けてそれぞれの思いを訴えた。
 東京都千代田区の日比谷野外音楽堂では、時折雨が降る中、約5600人(主催者発表)が集まった。野党議員や弁護士らの他に、高校生のグループ「ティーンズソウル」で活動する女子生徒(16)が登壇。「私が大人になっても、戦争がなく、未来の子どもたちが希望を持てる社会であるために行動していきたい」と呼び掛けた。立ち見席を合わせて約3000人を収容する野外音楽堂が「戦争法廃止!」と書かれたプラカードを持つ参加者で満員となり、会場の外でも声を上げる人たちの姿が見られた。
 長女(3)と参加した主婦、関宏子さん(30)は「憲法のことは学校で習ってから考えたこともなかった。子どもを持つ親として、平和の意味を勉強したくて足を運んだ」。
 集会後の銀座に向けたデモを少し距離を置いて見守った女性(74)は「安保法制の流れは、戦争の被害者となるだけでなく、加害者になってしまう恐れがある。私にできる方法があれば訴え続けたい」と強調した。
 京都市左京区の京都大であった集会では、学生団体「SEALDs(シールズ)」の中心メンバー、奥田愛基(あき)さんが約300人を前に「憲法には主権者は国民だとある。国民が訴えれば、各政党の方針も変えられるかもしれない。デモだけでなく、選挙に行き政治に関わることが必要だと主張していきたい」と話した。
 広島市では、改憲論者として知られる小林節・慶応大名誉教授(憲法)が講演し、安保関連法を「『戦争法』以外の何ものでもなく、憲法違反だ」と訴えた。福岡市、長崎市などでも集会やデモ行進があった。【飯田憲、村田拓也、加藤小夜】


サリン事件から21年 霞ケ関駅で駅員黙とう
 13人が死亡、6千人以上が重軽症を負った1995年の地下鉄サリン事件から21年となった20日、駅員や乗客が巻き込まれた東京メトロ霞ケ関駅で慰霊式が開かれ、発生時刻に近い午前8時に駅員が黙とうした。
 霞ケ関駅や小伝馬町駅、築地駅など死亡者が出た6駅には、一般向けの献花台を設置。
 事件では、オウム真理教幹部が5車両に猛毒サリンをまいた。これまでに、松本智津夫死刑囚(61)=教祖名麻原彰晃=ら事件に関与した10人の死刑、4人の無期懲役が確定。サリン散布役を送迎した元信者高橋克也被告(57)は、一審の裁判員裁判で無期懲役判決を受け、控訴した。


センバツ開幕 被災地に元気届けよう
 第88回選抜高校野球大会がきょう、阪神甲子園球場で開幕する。東日本大震災の発生から5年の節目の大会となる。野球ができる幸せをかみしめながら、力強いプレーで被災地に元気を届けてほしい。
 ハンディ克服や地域貢献など野球の実力以外の要素も加味して選ばれる21世紀枠では釜石(岩手)、長田(兵庫)、小豆島(香川)の3校が出場する。
 東日本大震災で親が犠牲になるか行方不明のままの野球部員が3人いる釜石は、全校生の3分の1以上が被災者でほとんどが今も仮設住宅で暮らしている。菊池智哉主将は「被災地に元気を、支援していただいた方に感謝を伝えられるよう全力を尽くす」と意気込む。
 21年前の阪神大震災で校舎のある神戸市長田区が壊滅的な被害を受けた長田は、1月17日と3月11日に合わせて防災教育を重ね、音楽部が東北の被災地の子どもたちとの交流を毎年続けてきた。永井伸哉監督は「普通に野球や勉強ができることの幸せを考えてほしい」と部員に繰り返し話している。
 大会第2日に釜石と対戦する小豆島は部員17人で甲子園の土を踏む。離島という事情に加え、少子化・過疎化という困難を乗り越えて出場を決めた。開会式では樋本尚也主将が選手宣誓でメッセージを発信する。同じ問題を抱える多くの地域へのエールになることだろう。
 昨年の大会で北陸勢としては春夏通じて初優勝を飾った敦賀気比(福井)は、今まで2校しか達成していないセンバツ連覇に挑む。
 これまで紫紺の優勝旗を手にしていない19道県から10校が出場する。昨年に続いてセンバツ優勝の全国地図を塗り替えるチームが現れるのかも注目される。
 センバツ大会は関東大震災の発生から半年後の1924年に産声を上げ、復興の象徴的な大会となった。その第1回大会の覇者である高松商(香川)が20年ぶりに出場する、また優勝4回の東邦(愛知)が11年ぶりに出場し、龍谷大平安(京都)は最多出場記録を40回に伸ばした。古豪校の登場は、戦前から刻み続けたセンバツの歴史や意義を見つめ直す好機をもたらしてくれる。
 センバツ出場校は成績や技術だけでなく、野球に対する姿勢や仲間への思いやりも含めて総合的に選ばれる。何よりもフェアプレーが重んじられることは言うまでもない。意図的に体当たりするなどのラフプレーは避けなければならない。大会後半の休養日の設置などで進めてきた選手の健康管理にはさらに取り組むべきだろう。常にベストコンディションでフェアプレーに徹してほしい。


【書評】 関西大教授の河田惠昭が読む『震災学入門 死生観からの社会構想』金菱清著 災害死の意味を再考する
 防災研究の専門家として、大変重要な情報の提供に感謝したい。21年前の阪神大震災や5年前の東日本大震災を経験し、これらの災害の教訓を「伝える、生かす、備える」困難さに私自身が直面している現在、災害犠牲者となることへの意味を改めて考えさせてくれる好著である。
 著者の研究者としての立場の根底には、私たち命ある存在への畏敬の念がある。各章ごとに死生観につながる具体例を紹介し、それらに対する著者の見解を述べながら、必ずしもそれが唯一の解釈ではないとする姿勢は、類書には見られない謙虚さである。
 政府が設けた東日本大震災専門調査会の座長として私が提案したレベル1とレベル2の津波対策に対する素朴な疑問も提示され、コミュニケーションの難しさを改めて感じている。私は、津波に対しては基本的に“逃げる”ことが唯一の生存手段であり、すべての津波が2つのグループに分類されるわけではないと考えている。しかし、津波発生のメカニズムが科学的に解明されたわけでもないのに、数値シミュレーションで再現するような虚構が跋扈(ばっこ)している。それならば、震災前の堤防の高さを暫定的に踏襲し、被災者の生活再建を最優先して、高台移転や津波対策を一体としてまちづくりを進め、最終的に堤防高を決めればよいのである。
 しかし、事前にまちづくりや堤防建設の研修も受けず、かつ縦割りでしか動こうとしない地元行政関係者がいきなり事業推進してしまっているのだ。災害による死が、これほど軽く考えられている国は世界中に例がないと断言できる。
 原因の一つに、わが国ではメディアによって写真や映像で死者の姿が直接伝えられなかったことがある。東日本大震災がどれほど悲惨な災害だったか、流された市街地、難破した大型船、火災などの光景や2万2千人という死者・行方不明者数だけで伝わっただろうか。記憶の風化を止められず、命を失ったことに対する深い思慮を欠くことは、これからも起きる災害による被害規模を左右するだろう。

仙台で泉に違和感/生ホヤ/スコッチと女性

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Le Japon dans le collimateur de Trump
Donald Trump, candidat à la Maison Blanche, a récemment intensifié ses attaques contre le Japon. Il veut remettre l’état des relations économiques entre les États-Unis et son allié nippon au cœur du débat.
À quelques mois des élections, le candidat du Parti Républicain, Donald Trump, poursuit son inexorable ascension lors des primaires. Rien ne semble l’arrêter pas même ses nombreuses prises de parole dont la virulence ne fait que croître.
Les médias francais n’en finissent d’ailleurs plus de relayer les frasques du milliardaire new-yorkais. Il est vrai que chaque meeting, chaque débat est prétexte à son lot de phrases saillantes. Trump ne manque décidément pas d’inspiration et n’hésite jamais à s’attaquer avec véhémence aux personnes, pays, ethnies qui constitueraient à son sens une ≪ menace ≫ pour les Etats-Unis. Il a fréquemment mentionné son mépris pour la Chine ou le Mexique, mais le Japon est également une cible privilégiée de l’extravagant candidat, au point que le gouvernement et le peuple japonais suivent de très près la campagne américaine, inquiets au vu des victoires multiples du camp Trump.
Le fait n’est pas nouveau. Voilà des années que Donald Trump dénigre le Japon pour un point précis qu’il ressasse continuellement et qui se trouve être la balance commerciale du Japon vis-à-vis des Etats-Unis. Le favori des primaires républicaines accuse le Japon d’avoir manipulé le cours de sa monnaie ces dernières années et de profiter de traités commerciaux inégaux dans le but de rendre les produits nippons plus compétitifs que ceux des États-Unis. Trump affirme que de nombreux emplois sont menacés (voire ≪ volés ≫ par le Japon pour reprendre ses termes) et que la balance commerciale du Japon vis-à-vis de son partenaire américain est excédentaire de plus de 100 milliards de dollars par an. Un chiffre exagéré comme le rapporte le Département de commerce des États-Unis, et qui est officiellement de 69 milliards en 2015. La récente signature de l’Accord de partenariat transpacifique (TPP), que le milliardaire critique, ne fait que le conforter dans ses idées.
Les propos de Donald Trump agacent aussi bien les spécialistes de l’économie japonaise que les Japonais eux-mêmes. Ils voient dans ces accusations le retour du ≪ Japan Bashing ≫ des années 1980, décennie durant laquelle le Japon faisait surgir de nombreuses inquiétudes en Occident, relatives à son appétit économique et à une croissance au beau fixe. Seulement, la situation a bien évolué depuis la crise des années 1990 alors que le discours du candidat à la Maison Blanche n’a pas changé.
Interrogé par l’Agence Kyodo, James Schoff, spécialiste des relations nippo-américaines, estime qu’une victoire de Trump durant ces primaires républicaines suffirait à affecter durablement l’entente entre les deux États. De plus, il est nécessaire d’ajouter que d’autres candidats à la présidence des États-Unis ont critiqué le Japon durant cette campagne. Hillary Clinton à titre d’exemple a également émis ses réserves sur l’intérêt du TPP pour les États-Unis.
Ainsi, peu importe qui sera élu à la précieuse fonction en novembre 2016, il sera nécessaire pour les officiels japonais de s’interroger sur la posture à adopter avec le futur chef d’ État américain.
フランス語
フランス語の勉強?

朝早く起きて石巻から泉に向かいました.泉市ではなくて仙台市泉区です.うーんという感じ.
教育について少し考えて お昼は仙台牛タンカレーです.確かに牛タンは入っているけど普通のカレー??
昨日は蒸ホヤだったので今日こそと思ってお店に突入.女川のおいしい生ホヤ.でもカウンターの板前さんがうっとうしいです.
気分を変えようと思ってスコッチバーに.軽く飲んで帰ろうと思ったら,女性が話しかけてきました.おじさんだと面倒なのですが,少し楽しくお話できたかな?

<卒業式>感謝忘れず前へ 津波被災の中野小
 東日本大震災の津波で被災し、今月末に閉校する仙台市宮城野区の中野小(児童40人)の卒業式が19日、同区の中野栄小体育館であった。15人が最後の卒業生として、在校生や保護者に見送られて巣立った。
 三塚修校長は「震災当時1年生だった皆さんは多くの人に支えられ、笑顔と元気を取り戻してきた。感謝の気持ちを忘れず、未来を切り開いてほしい」と激励した。
 卒業生は一人一人壇上で6年間の思い出や将来の抱負を述べた。寺島海斗君(12)は「たくさんの人に優しくしてもらった。自分も優しくできる人になりたい」、菅原梨花子さん(12)は「介護士として人の役に立ちたい」と語った。
 蒲生干潟の近くにあった校舎は既に解体され、児童は隣接する中野栄小で学校生活を送る。学区の大半が災害危険区域に指定され、居住地が分散したため、震災前に150人以上いた児童は大幅に減少。142年の歴史に幕を下ろすことになった。在校生は新年度から、中野栄をはじめ付近の7校に通う。
 市立小の卒業式は123校のうち116校で18日に実施。19日は今月末に閉校する若林区の荒浜小、来年3月に閉校する同区の東六郷小でも卒業式があった。


<被災校舎の行方>命考える場保存訴え
◎石巻・震災遺構を考える(6)大川小卒業生
<日常生活に戻る>
 部活動の柔道の調子が悪い。学校のテストはうまくいくかな…。
 そんな悩みや不安があるのは、生きているからこそだ。東日本大震災の津波で被災した校舎を訪れるたび、そう実感する。
 宮城県石巻市の高校1年只野哲也さん(16)は今月11日午後2時46分、同市大川小の5年生教室で黙とうした。同級生の男女15人のうち、6人が犠牲となった。
 「小さなことで悩んでいては天国で、仲間に胸を張って会えない」。気持ちを奮い立たせ、日常の生活に戻る。大川小校舎は仲間への思いをはせる場となっている。
 5年前の同じ時刻、5年生教室にいた。巨大地震の後、約50分間校庭にとどまった。避難誘導されるさなか、北上川から黒い波が向かってきた。必死に駆けだし、裏山をはい上がった。濁流にのまれ気を失った。
 3年だった妹未捺さん=当時(9)=と母しろえさん=同(41)=、祖父弘さん=同(67)=を失った。
 「一歩足を置く場所が違ったら自分も死んでいたかもしれない」。津波の恐怖が心に染み付くが、あの日の体験を公の場で語ってきた。「今後、自分たちと同じ思いをする人を出してはいけない」と願うからだ。
 震災後に父英昭さん(44)らと大川地区を離れた。大川小で始めた柔道を石巻市内の中学、高校で続けてきた。現在の階級は100キロ。強豪校の部員約15人としのぎを削る。
 学校生活で大川小が話題になることは少ない。卒業生として校舎の保存を訴える自分と、一人の高校生として今を生きる自分。2人の自分に葛藤する。
<悲劇背負い歩む>
 時折、カメラで故郷の空を撮影する。校舎周辺の街は姿を消したけれど、自然は変わらない。同級生と泊まりがけで合宿したり、未捺さんらとふざけながら歩いて登校したりした楽しい記憶を思い出す。
 震災が過去の出来事になりつつあると危機感を抱く。同じような悲劇がいつ起きるか分からない。只野さんら卒業生でつくる「チーム大川」は2014年春以降、校舎の保存を訴える活動を続けてきた。
 メンバーの大学生佐藤そのみさん(19)は「大川小への思いを発信できている子どもは一握り。チーム大川の中でも本音をなかなか言えていない」と言う。
 大川小をめぐっては、心に深い傷を負い不登校になった子もいる。卒業生は少なからず、大川小の悲劇を背負って歩む。佐藤さんも6年だった妹みずほさん=当時(12)=を亡くした。
 それでも、大川小校舎を残してほしいと願う。全国の小さな命を救う場、小さな命を考える場になる、と信じる。「大好きな大川小、大川地区について一緒に考えたい」。大川地区との関係が途絶えてしまった卒業生に、佐藤さんはそう呼び掛けている。


【東日本大震災】 犠牲児童と一緒に卒業 大川小、震災時の1年生
 東日本大震災の津波で、児童・教職員計84人が死亡、行方不明となった宮城県石巻市立大川小は19日、市内の仮設校舎で卒業式を開いた。震災時1年だった7人が学びやを去り、これで当時在籍していた児童全員が学校を離れた。
 当時の1年生は14人で、うち5人が犠牲となった。この日、亡くなった児童の保護者らにも卒業証書が渡された。卒業した男児(12)の母親は「息子も亡くなった子たちと卒業できて、うれしかったと思う。いっときも忘れたことはないでしょうから」と話した。
 大川小は河口から約5キロ内陸にあり、地震発生から約50分後、津波に襲われた。被災した校舎は震災遺構として残すか議論されており、亀山紘市長が今月末、結論を出す。


まちのにぎわい創出図る 再開発ビル3棟完成
 JR仙石線多賀城駅北地区に整備する再開発ビル3棟が完成し、宮城県多賀城市文化センターで18日、式典があった。市は東日本大震災からの復興のシンボルに位置付け、入居する21日開館の市立図書館を核にまちのにぎわい創出を図る。
 再開発ビルはA〜C棟の3棟で総事業費約68億円。A棟は鉄骨3階(地下1階)で延べ床面積約7000平方メートル。レンタル大手TSUTAYA(ツタヤ)を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が指定管理者になる新図書館をはじめ書店、カフェ、レストランが入る。
 B棟は4階で延べ床面積約4000平方メートル。子育てサポートセンター、保育園、デーサービスセンターなどが入居する。仙石線を挟んで駅南側にあるC棟は駐車場で鉄骨5階、延べ床面積7300平方メートル。351台を収容できる。
 菊地健次郎市長は式典で、「市の40年来の悲願である中心市街地形成の大きな一歩だ。多くの人が集い、出会い、交流する場を目指す」と述べた。CCCの増田宗昭社長も出席した。
 式典後、駅北側のロータリーで記念植樹を実施。震災の記憶を後世に残すため、京都市の造園家佐野藤右衛門さん(87)が手掛けた高さ約6メートルの「波分(なみわけ)桜」を植えた。


忘れない畑の思い出 被災高齢者支援に幕
 東日本大震災で被災した宮城県亘理町の高齢者を対象にNPO法人「ロシナンテス」(北九州市)が実施してきた、農作業を通じた支援事業「亘理いちご畑」が18日で活動を終了した。国の補助金が今月限りで切れ、運営費の調達のめどが立たなくなったため。3年にわたって畑仕事をしながら交流を続けた高齢者やスタッフは、「いつまでも元気で」と名残を惜しんだ。19日に「さよなら会」として全員参加の昼食会を町内で開く。
 亘理いちご畑は2013年1月にスタートし、現在は被災者52人が参加。亘理町荒浜地区の畑などで曜日ごとに週1回、健康維持や引きこもり防止を目的に農作業を楽しんできた。
 最後の活動には高齢者ら8人とスタッフ5人が参加。かき菜やちぢみ菜の収穫や畑に残った野菜の茎と根などを抜き取る作業に汗を流し、「葉が柔らかくておいしそう」などと会話を弾ませた。
 当初は参加者の多くが仮設住宅から通ったが、現在はほとんどが再建先や災害公営住宅に移った。初回から参加し、現在は町内の集団移転先で暮らす小野光子さん(78)は「会話や野菜作りが楽しくて、週1回の活動が待ち遠しかった。移転先では近所付き合いが少ないので、終了は寂しい」と話した。
 19日は昼食後、希望する高齢者は地元の防潮林再生に取り組むNPO法人「わたりグリーンベルトプロジェクト」が行う松の苗作りや野菜栽培に加わる。
 ロシナンテスで事業を担当した田地野茜さん(29)は「活動を楽しみにしていた皆さんとの別れは寂しい。終了後もできるだけ外出する機会をつくってほしい」と案じた。


震災犠牲者1人身元判明 陸前高田の女性
 県警は、2011年4月4日に陸前高田市米崎町の海上で発見した遺体の身元を、東日本大震災で行方不明となっていた同市高田町の伊藤テツさん=当時(75)=と確認した。
 DNA鑑定や着衣を手掛かりに14日に身元を特定。18日午後親族に遺体を引き渡した。
 県内の収容遺体は4672体で、伊藤さんら4614体の身元が判明。58体が身元不明のままになっている。


「復興人」に小笠原選手 県新作ポスター、上原投手も
 県は、東日本大震災5年に当たり、復興に向けて取り組む人々を紹介する「いわて復興人」のポスターを新たに2種類作成し、首都圏の地下鉄の中づり広告などとして張り出している。被災地支援に継続して取り組む盛岡市出身で鹿島アントラーズの小笠原満男選手と、大阪府出身でボストンレッドソックスの上原浩治投手を起用。震災の風化防止と震災復興の支援継続につなげる。
 B3判横とB2判縦、上原投手はB1判縦を作成。首都圏では、7日から都営地下鉄全線の車両に2週間、中づり広告として掲出。今年初めて張り出した関西地区には上原投手のポスターを使用。JR大阪駅構内や、JR西日本の関西エリアの車両の中づり広告として、11日を中心に数日間張り出した。
 小笠原選手は、震災直後からの支援活動や復興への思いを伝える動画も制作。県ホームページなどで公開している。


被災地の合唱団がコンサート 復興の思い重ね
 戦後にラジオから流れた童謡で被災地を元気づけるコンサート「東北うたの本・こころの歌」が12日、宮城県気仙沼市民会館であった。同市と仙台市の三つの合唱団が出演。戦後と東日本大震災後の復興との思いを重ね合わせながら、歌声を響かせた。
 仙台市の合唱関係者らでつくる「『東北うたの本』を歌う会」が主催した。歌う会は、1946〜64年にNHK仙台中央放送局(現仙台放送局)で放送された番組「東北うたの本」の功績を再評価する活動に取り組んでいる。
 地元の気仙沼アマチュアコーラス連絡会と、ともに仙台市の仙台童謡愛好会、男声合唱団「いずみオッチェンコール」の合わせて約130人が出演した。各団は「東北うたの本」を中心にそれぞれのレパートリーを披露した。
 さらに「春のあしおと」「しあわせ運べるように」を合同演奏。最後に、来場者も一緒に唱歌「故郷(ふるさと)」を歌った。
 「東北うたの本」を歌う会は、19日にも石巻市の石巻中央公民館で支援演奏会を開く。入場無料。


<アーカイブ大震災>徒歩避難の自主防災浸透
 2010年2月のチリ大地震津波で、地区を通る国道45号が渋滞した岩手県釜石市両石地区では東日本大震災の直前、自主防災組織が避難時の車の利用を制限する方針を固めていた。具体的な内容の周知は間に合わなかったものの、住民に考え方は伝わっていた。援助が必要な高齢者らを運ぶ人以外は車での避難を自主的に控え、人的な被害の低減につながった。
◎逃げる その時供複粥房屬陵用制限(釜石・両石地区)
 「悪夢のようだ」
 釜石市両石町自主防災会会長の瀬戸元さん(66)は2011年3月11日、避難した高台で、津波の襲来をビデオカメラに収めながら思った。
 両石地区に津波の第1波が到達したのは午後3時10分ごろ。続けて襲った第2波は、両石漁港の高さ10メートルの防潮堤を軽々と越えて押し寄せた。
 国道45号には津波襲来の直前まで、避難者の車が往来していた。両石漁港の防潮堤が視界を遮り、ドライバーは津波に気付かない。多くの悲劇が目の前で起きた。
 海抜約40メートルの小高い場所にある両石公園で海を眺めていた主婦久保久美子さん(57)は「他の地区の人だろうが、車で波の方へ向かって走っていた。見ていられなかった」と当時を振り返る。
 津波はピーク時で25メートル近くに達した。押し波と引き波が交錯する。家屋は音を立てて崩れ、流されていく。流失を免れたのは地区内の約250世帯のうち、10世帯ほどにすぎず、漁港沿いに走る国道45号も約300メートルにわたって流失した。
 地区外の住民は車に乗ったまま犠牲になった人が少なくないが、両石地区の住民は車の利用を控えた。住民のうち約100人は徒歩で両石公園に避難。歩行困難な高齢者は、軽トラックで高台に運んだ。
 瀬戸さんは「車の利用は、要援護者を運ぶだけにとどまった」と語る。背景には、震災前の取り組みがあった。
 昨年2月のチリ大地震津波。国道45号は交通規制も加わり、避難者の車で大渋滞となった。
 地区住民約600人のほぼ半数は、65歳以上の高齢者だ。「もし津波が襲っていたら、多くの人が逃げ遅れていた」
 危機感を強めた住民は昨年12月、自主防災組織「両石町自主防災会」を設立。あらためて津波対策を検討し、こんな方針を決めた。
 「車の利用は、歩行困難な高齢者や要援護者を運ぶため登録した車に限定する」「ほかの住民は指定した高台に徒歩で避難する」
 具体的には、地区を10〜25世帯ごとの12班に分け、1班当たりの登録車を2台ほどに制限する内容。4月1日の防災会総会で正式決定し、周知を図る予定だった。
 東日本大震災の津波は地区の新たな取り組みの開始を待ってくれなかったが、住民はこう口をそろえる。
 「登録車を決めることまで、みんなが知っていたわけではないが、車の利用を制限する防災会の考えは伝わっていた」
 防災会と町内会が繰り返し、車での避難が危険なことを広報紙などで訴えていたためとみられる。
 地区の目の前の両石湾は、太平洋に向かってV字型に広がる。この地形が明治三陸大津波(1896年)や昭和三陸津波(1933年)で、大きな被害をもたらした。
 特に明治三陸大津波では、当時の地区人口の9割に上る約820人が亡くなった。
 東日本大震災での両石地区の死者・行方不明者は計約40人。多くは地区で申し合わせた避難場所にたどり着きながらも、想定を超える大津波にのまれ、犠牲になった人たちだったという。(山口達也)=2011年8月22日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<震災5年>津波訴訟 和解は6件1遺族
 東日本大震災の津波犠牲者の遺族らが地方自治体や企業などに損害賠償を求めた訴訟は、震災発生から5年間で少なくとも東北で15件提起された。これまで和解が成立したのは6件と、「山元・東保育所訴訟」の1遺族。同訴訟の1遺族と、ほかの1件が最高裁で敗訴が確定した。15件中8件が終結したが、今も半数近い7件が未確定だ。
 主な津波訴訟は表の通り。賠償命令は2件にとどまる。教習生ら26人の遺族に対し、仙台地裁が学校側に約19億1300万円の支払いを命じた「山元自動車学校訴訟」は仙台高裁が和解を勧告。送迎バスで亡くなった園児4人の遺族に対し、同地裁が園側に約1億7700万円の賠償を命じた「石巻・日和幼稚園訴訟」は、園側が6000万円を支払うことなどで仙台高裁で和解が成立した。
 2015年度中に和解が成立したのは「山元・ふじ幼稚園訴訟」「石巻・ボート転覆訴訟」の2件。同年度中、裁判所が和解を勧告したのは「山元自動車学校訴訟」「新岩手農協津波訴訟(不成立)」(いずれも仙台高裁)、「東松島・野蒜小訴訟(不成立)」(仙台地裁)の3件だった。
 和解は判決と異なり、事実認定を行わない。一方、謝罪や再発防止策、慰霊碑の建立など遺族側が求める条件を盛り込める利点や、訴訟の長期化を避けられる側面もある。遺族側が「金銭より、肉親の死への誠実な対応」を求め、和解に応じるケースも少なくない。
 和解が増えた背景には、津波訴訟の争点が「大津波の襲来を予測できたかどうか」という予見可能性の有無に絞られている現状がある。「震災直後、何があったのか知りたい」。遺族の強い思いが訴訟の提起につながっているが、賠償責任の前提となる津波の予見可能性についての判断が優先され、「真実を知りたい」という願いは十分かなえられていないのが実情だ。
 残る訴訟は7件。そのうち「石巻市大川小訴訟」「名取・閖上訴訟」「釜石・鵜住居防災センター訴訟」の3件は現在も事実関係の審理が続いている。1件は上告中、1件は仙台高裁が和解を勧告、2件は結審し、近く判決が出る。


石巻市の大規模移転先に保育園
東日本大震災で被災した人たちの大規模な移転が行われている石巻市の蛇田地区に新しい保育園が完成し、式典が行われました。
蛇田地区に新しく完成したのは「石巻たから保育園」で、19日は市の関係者など100人あまりが出席して、完成を祝う式典が行われました。
はじめに保育園を設置した市の社会福祉法人の理事長が「被災した人たちが安心して暮らせる地域を目指したい」とあいさつし、入園予定の子どもたちが歌を披露しました。
保育園は木造平屋建てで敷地の面積は3700平方メートルあまり。
来月から58人の子どもが入園する予定です。
一方、石巻市によりますと、震災で3か所の保育園が被災し、平成29年度まで再建できないことなどから、保育所への入所を申し込んだものの入所できていない待機児童が、先月までに53人いるということです。
石巻市の庄司勝彦福祉部長は「震災後、人口の流動が激しく、保育のニーズに対応しきれていないうえ、保育士の確保も難しい。民間の保育所の誘致なども進めたい」と話していました。


高校教科書 心配な国の出しゃばり
 多文化共生が求められるグローバル化の時代である。高校生ともなれば、教科書の記述や内容について、多様な視点から考えることができる力が大切になる。教える側ももちろん、そうありたい。
 文部科学省はきのう、主に高校一年生が来春から使う教科書の検定結果を公表した。自民党の意向を踏まえて二年前、政府見解などを明記するよう見直した編集ルールに即してチェックされた。
 案の定、とりわけ地理歴史や公民では、国の立場が前面に押し出され、それにそぐわない見方や立場は薄められた。領土の記述が現行教科書の約一・六倍に増えている。
 もっとも、教科書会社が萎縮して、まるで国の顔色をうかがったような痕跡も読み取れる。右傾化の空気や表現行為への抑圧的な動きをおそれた面もあったのか。あってはならないが、憂うべきは自主規制の風潮である。
 国旗掲揚や国歌斉唱への「強制の動きがある」とした現行教科書の記述をあらかじめ消して、検定に申請した出版社もあった。背景には、東京都や神奈川県などの教育委員会が異を唱え、シェアが落ち込んだ経緯があるようだ。
 教科書会社にとって検定の合格はもとより、販売競争での生き残りは大きな課題に違いない。とはいえ、戦前の国定教科書に基づく軍国教育の反省に立ち、戦後は民間に編集が任された歴史がある。その意義を忘れてはなるまい。
 教科書の自主性や多様性が危ぶまれるなら、以前にも増して試されるのは現場の先生の力量だ。
 教科書にとらわれず、高校生がさまざまな立場に身を置き、自らの考えを形づくるための創意工夫が重要になる。先生が思考を停止して教科書をなぞるようでは、国の“代弁者”になってしまう。
 目下の教育改革の目標のひとつに、独創的な授業への転換がある。先生が一方的に知識を伝えるのではなく、学び手が問いを立て仲間と議論して解を探る。狙いは主体的に学ぶ力を培うこと。先生も発想を変えねばならないのだ。
 選挙権年齢の引き下げに伴い、高校生は政治活動にも参加できるようになった。学校で配られる分厚い本ばかりが教科書ではないことに気づきたい。
 今度の結果を見てあらためて素朴な疑問が浮かぶ。義務教育でもない高校に、なぜ学習指導要領が必要なのか。なぜ教科書検定が強いられるのか。国民的議論を巻き起こす時期ではないだろうか。


安保法を問う 廃止法案審議に応じよ
 安全保障関連法の成立強行からきょうで半年。野党側は廃止法案や対案を提出したが、安倍政権側は審議に応じようとしない。このまま「無視」を続けるつもりか。議会制民主主義の危機である。
 きょう会期百五十日間の折り返し点を迎えた通常国会。一月に行われた安倍晋三首相の施政方針演説に対する各党代表質問では、民主党の岡田克也代表が、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法を憲法違反と断じ、廃止法案と対案提出の意向を表明。首相は「全体像を一括して示してほしい」と答弁した。
 民主党と維新の党は二月十八日、対案として領域警備法案など三法案を、その翌日、両党を含む野党五党が安保関連法の廃止法案を衆院に提出した。あれから一カ月。廃止法案と対案は国会で全く審議されず、政府は安保関連法を二十九日に施行する予定だ。
 与党が圧倒的多数を占める衆院で野党提出法案が審議すらされず廃案になることはよくあることではある。ましてや政権が反対を押し切って成立を強行した法案だ。廃止法案や対案を審議すれば、自らの非を認めたことにもなる。
 しかし、「全体像を一括して示してほしい」として対案提出を促していたのは首相自身である。対案提出を促しながら、提出されたら審議に応じようとしない。こんなことがまかり通るのなら、議会制民主主義が機能するはずがない。
 安倍政権は野党が求める廃止法案と対案の審議に応じるべきだ。
 共同通信が二月に行った世論調査では、安保関連法を「廃止するべきでない」は47%で、「廃止するべきだ」は38%だった。
 安保関連法の存続論が廃止論を上回るが、差はわずか9ポイント。成立五カ月後の調査にもかかわらず、四割近くが廃止すべきだと答えていることにむしろ注目したい。
 首相は「国民のさらなる理解が得られるよう、丁寧な説明に努める」と繰り返し述べてきたが、説明を尽くしたとも、理解を得たともいえないことが、世論調査に表れているのではないか。
 若者グループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」など二十九の団体は、安保関連法廃止の請願提出を目指して全国で署名活動を展開している。目標は五月三日の憲法記念日までに二千万筆だ。
 主権者である私たち国民の声を結集すれば、大きな力となる。必ず国会に届くと信じたい。


灘、筑駒、麻布など有名校がなぜ? 唯一慰安婦記述の中学歴史教科書「学び舎」、30校超で採択
 4月から全国の中学校で使用される歴史教科書のうち唯一、慰安婦に関する記述を採用した「学び舎」(東京)の教科書が、筑波大付属駒場中や灘中など最難関校と呼ばれる学校を含め、少なくとも30以上の国立、私立中で採択されていたことが18日、分かった。国立と私立中では採択権が教育委員会ではなく学校長にあり、関係法令に基づき採択理由を公表する努力義務もあるが、取材した学校の大半が採択理由を非公表とした。
 同社の歴史教科書は平成16年度検定以降、中学校教科書で各社が一切採用しなかった慰安婦に言及し河野談話も取り上げた。当初、申請した教科書では強制連行を強くにじませながら大きく取り上げたが、不合格とされた後、再申請の際に大幅に修正した。
 南京事件では中国人の証言を採用するなど手厚く記述する一方、北朝鮮による日本人拉致事件では各社が特集などで記述を盛り込む中、年表で「北朝鮮から拉致事件被害者の一部が帰国する」とだけ記述している。
 文部科学省によると、同社の歴史教科書の採択数は全国で約5700冊(占有率0・5%)。業界では「参入組にとって障壁が特に高い教科書業界では異例の部数」(教科書関係者)と受け止められ、「執筆者らの人的ネットワークで採択が広がった」(業界関係者)との見方もある。
 採択したのは少なくとも国立5校、私立30校以上。国立は筑波大付属駒場中のほか、東京学芸大付属世田谷中▽同国際中等教育学校▽東大付属中等教育学校▽奈良教育大付属中。私立では灘中、麻布中など。
 採択理由について、奈良教育大付属中の担当者は、「物語風に書かれ、内容も詳しい。慰安婦の記述などで話題になったが、検定を通っており、許容される内容だと考える」としている。
 一方、義務教育の教科書を配布するための教科書無償措置法では、採択理由を公表する努力義務が市町村教委や都道府県教委と同様に国立中や私立中の校長にもあるが、奈良教育大付属中以外は「取材を受けない」などと回答。私立では灘中が「検定を通っている教科書であり、理由を公表する必要はないと考えている」。麻布中は「回答を控える」とした上で「慰安婦の記述で選んだということは全くない」とした。
 学び舎は産経新聞の取材に対し、「難関校を対象とした編集方針はまったくありません」とし、教科書の執筆者と採択校との関係についても「執筆者の個人情報に関することはお答えできません」と回答した。
 採択理由について、奈良教育大付属中の担当者は、「物語風に書かれ、内容も詳しい。慰安婦の記述などで話題になったが、検定を通っており、許容される内容だと考える」としている。
 一方、義務教育の教科書を配布するための教科書無償措置法では、採択理由を公表する努力義務が市町村教委や都道府県教委と同様に国立中や私立中の校長にもあるが、奈良教育大付属中以外は「取材を受けない」などと回答。私立では灘中が「検定を通っている教科書であり、理由を公表する必要はないと考えている」。麻布中は「回答を控える」とした上で「慰安婦の記述で選んだということは全くない」とした。
 学び舎は産経新聞の取材に対し、「難関校を対象とした編集方針はまったくありません」とし、教科書の執筆者と採択校との関係についても「執筆者の個人情報に関することはお答えできません」と回答した。


経済分析会合  増税延期なら責任重い
 国内外の学識者を招いて安倍晋三首相と閣僚らが意見を聞く国際金融経済分析会合が始まった。
 中国の成長鈍化をはじめ世界経済の先行き不安と株式市況の乱高下が続く中、議長を務める5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)で重要議題となる経済政策の参考にするという。
 今週開かれた2回の会合で焦点となったのは、来年4月の消費税10%への引き上げだ。3月になって首相自ら会合設置を表明し、賛否に耳を傾ける姿に、消費増税を再び先送りする布石ではとの見方が広がっている。
 安倍首相が2014年11月、翌年秋としていた10%への消費増税の先送りと衆院解散を決めた際も、事前に有識者から意見聴取を行って判断の根拠にしたからだ。
 今回はサミット前に5回程度開く。招いたノーベル経済学賞受賞の米学者2人のうち、スティグリッツ教授は世界経済の大幅減速を指摘し、消費増税の先送りと需要創出への財政出動を提言した。
 22日に迎えるクルーグマン教授もデフレ脱却前の増税実施に慎重とされる。アベノミクスを評価してきた著名学者の見方を通し、再延期という選択肢を浮かび上がらせる狙いにも見える。
 安倍首相はきのうの国会答弁で、増税実施は経済状況を注意深く見た上で「経済が失速すれば元も子もなくなる」と含みを持たせた。だが前回の先送りの際、「リーマン・ショックや大震災のような重大事態がない限り再延期しない」と首相は断言した。増税できる経済環境を整えると訴え、停止を可能にする景気条項も削った。
 経済危機で国民生活への大打撃が必至なら見送りは当然だが、現況がそういう重大事態でないことは明らかだろう。再延期論の復活は、アベノミクスの頓挫を自ら認めたに等しい。
 消費増税は、少子高齢化社会を支える財源として社会保障の充実策に使うと国民に理解を求めてきたものだ。介護や保育の受け皿拡充が急がれる中、再延期となれば財源をどう賄うかの手当てが要る。先進国最悪水準の財政立て直しに向け、20年に基礎的財政収支を黒字化する目標実現も一層遠ざかる。
 与野党には、安倍首相が夏の参院選で消費増税の争点化を避け、再び先送りの信を問うとして衆参同日選に打って出るのではという臆測が消えない。先の自民党大会で首相は野党共闘を選挙目当てで「無責任」と攻撃したが、将来にツケを回すような増税再延期なら批判は自らに返ってこよう。


衆参ダブル 共産党200選挙区擁立見送りで“自公59人敗北”
 ノーベル賞経済学者が「消費税10%の見送り」を安倍首相に提言し、17日は自民党の稲田政調会長も増税延期解散は「あり得る」と言及。永田町で「衆参ダブル選」ムードが急拡大している。
 だが、安倍の描く「ダブルで衆参圧勝」シナリオは甘い。野党共闘の一環として、共産党は衆院選の小選挙区についても候補者を取り下げる方針で、その数、実に200選挙区。全295選挙区の7割弱で野党統一候補ができれば、自公はガタガタだ。
「今月上旬の野党5党の幹事長・書記局長会談の場で、共産党が200選挙区で候補者擁立を見送る用意のあることを明らかにした。公式発表になっていないのは、民主党内のハレーションを避けるためではないか。『民共共闘』と騒がれ、自公に攻撃材料を与えてしまう。民主党は表向き共産党との選挙協力に距離を置いていますが、共産党の覚悟は相当のものです。京都3区補選で民主府連は『共産党とは共闘しない』と宣言しましたが、それでも共産党は候補者を立てなかった。衆院選でも同様の行動を取ると思う」(野党関係者)
 共産党が200選挙区で候補者擁立を見送れば、「20〜30は容易に結果がひっくり返る」(自民党関係者)というが、2014年衆院選の得票で計算すると、逆転区はそんなもんじゃない。少なく見積もっても59選挙区で野党5党の得票が自公候補を上回っていた(別表参照)。
 北海道、埼玉、東京、愛知など、もともと民主党が強く、共産党も票の多い地域、各県の1区など都市部で逆転現象が起こる。自公は多くが当選2期や3期の若手で、あのゲス議員の妻・金子恵美(新潟4区)も敗北だ。閣僚経験者では、松島みどり元法相(東京14区)や伊藤達也元金融担当相(東京22区)も苦杯をなめることになる。
 5野党の幹事長は15日夜も都内の日本料理屋で会談。「いい関係が築けている」(前出の関係者)という。大量落選覚悟で安倍首相は解散を打てるのか。

壁ドンより女川ドン/お墓参り/石巻焼きそば

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おかせい 女川ドン

Japon. La photo d'un homme sur une baleine morte scandalise la Toile
Gagnante d'un concours lancé par un musée japonais, une photographie montrant un homme victorieux sur une baleine morte a été mal accueillie par les internautes.
Le cliché a de quoi surprendre. Intitulé ≪ La Conquête ≫, on y voit une baleine morte, échouée sur une plage avec, sur son corps, un homme au point levé en signe de victoire.
Alors que la photographie prise sur l’île d’Hokkaido, la plus au nord de l'archipel du Japon, a remporté le premier prix du concours lancé par le musée de la banquise d’Okhotsk, elle a surtout déclenché une vague de protestations sur la Toile, rapporte 20 Minutes.
Le concours de photo annulé
Du laconique ≪ c’est dégueulasse ≫ à la condamnation morale ≪ c’est une profanation de la vie et de la nature ≫, les commentaires des internautes nippons, relayés par le quotidien Asahi, ont fusé.
En réponse, le concours de photographie sur le thème ≪ Quatre saisons à Okhotsk ≫ a été annulé mercredi par le musée. ≪ Nous considérons que cette polémique est née de notre manque de soin et d’attention à la nature et à l’environnement, bien que nous soyons une institution qui les étudie ≫, a précisé Shuhei Takahashi, son directeur.
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仙台に来ました.ネットカフェで時間調整して仙石東北ラインで石巻に.初めての石巻です.まずはホテルに荷物を預けて駅のあたりをブラブラ.石ノ森章太郎のサイボーグ009の等身大像があちこちにあります.時間になってバスで女川に向かいました.客はおばあさんが多いです.と言ってもガラガラ.これじゃ赤字路線だねって感じです.バスからの風景は更地が多いような気がします.50分くらいで女川到着.テレビで見た女川駅と女川温泉ゆぽっぽがありました.でもそこだけ.周りはかさ上げ工事中でかえってさみしい感じもしました.とりあえず女川さいがいエフエムに行ってみました.その後ランチのおススメを聞くとおかせいがいい,というので車で送ってもらいました.女川ドンです.壁ドンより女川ドン!で有名?な女川ドン.美味しいです.ホヤも食べたかったのですが,今度かな?
お彼岸でもあるので駅前の商店街シーパルピア女川で花を買ってお墓に向かうことにしました.仙石線で移動です.駅は高台の上なのでお寺までが遠いです.知らない人からこんにちわ,と声をかけられました.お墓参りするからでしょうか?お彼岸のお墓参りは初めてです.お線香はもってきましたがお供えするお茶がありません.でも父と母には安らかに眠っていてほしいと思いました.
高台の駅まではすごく距離があるように感じました.電車の発車時刻に間に合うよう少し走ってハアハアです.再び石巻.今度はホテルにチェックインです.
晩ご飯はどこがいいかな???というので駅前の石巻立町ふれあい商店街に行ってみたらごはん食べられるお店は閉まっていたみたいでした.生ホヤが食べたいなぁと思って入った居酒屋では蒸ホヤでした.それよりも感動したのは一ノ蔵の特別純米生原酒3.11未来へつなぐバトンです.売上の全額を被災した子どものために寄付するというのだそうです.涙が出そうな思いです.
石巻焼きそばも食べました.だしの味の焼きそば?という感じでした.

統合へ 野蒜小 最後の卒業式
県内のほとんどの公立の小学校で18日、卒業式が開かれる中、震災の津波で被害を受け、新年度から別の小学校と統合する東松島市の野蒜小学校の、最後の卒業式が行われました。
東松島市の野蒜小学校は、震災の津波で、下校した児童9人が犠牲になり、校舎も被災して使えなくなり、子どもたちはこの5年間仮設の校舎に通ってきました。
震災発生後、児童数が減り新年度からとなりの地区の小学校と統合するため、野蒜小学校は今年度で142年の歴史に幕を閉じます。
18日は、地元の市民センターで最後の卒業式が開かれ、卒業生20人と震災で犠牲になった4人の児童の家族も出席しました。
そして、卒業生と、亡くなった児童の家族に卒業証書が手渡されました。
相澤日出夫校長は「失った大切な友達を一日たりとも忘れず、最高学年の強い自覚を持ってがんばってきました。これからも一人ひとりが努力を重ね、一歩踏み出してください」とことばを贈りました。
これに対して卒業生全員で「空から見守っている友達との思い出を大切にして支え合い、励まし合いながら力強く歩んでいきます」と大きな声で誓いのことばを発表しました。


「BRTで」気仙沼市長が表明
震災で被害を受けたJR気仙沼線について、気仙沼市の菅原茂市長は定例の記者会見で、鉄道の復旧を断念し、「BRT」と呼ばれるバスで今後も代替していくことを正式に表明しました。
JR気仙沼線は、震災の津波の影響で、一部の区間が不通となっていて、沿線の南三陸町と登米市は去年12月、鉄道の復旧を断念し「BRT」と呼ばれるバスで今後も代替するというJRの方針を受け入れる考えを示しましたが、気仙沼市は回答を保留し、JRと個別に協議を続けてきました。
その後、気仙沼市の菅原市長はことし1月の特別委員会で費用の問題などから鉄道の復旧を断念する方向でJRと調整していることを明らかにしていましたが、18日の定例の記者会見で「これ以上、結論を先延ばしすると復興事業に大きな遅れが生じる可能性もあるので、今回受け入れる決断をした」と述べ、鉄道の復旧を断念することを正式に表明しました。
気仙沼市は、受け入れる条件として、仙台へのアクセスの確保や地域振興や観光振興への貢献などを求めてきましたが、JR側が、仙台までの割引切符の販売を検討することや、被災した道の駅の再建に計画段階から関わり、利用者の増加に協力するなどと表明したため、受け入れを決めたということです。


彼岸の入り、静かに手合わせ 「先祖や震災犠牲者に」
 17日は彼岸の入り。澄んだ青空の下、釜石市大只越町の石応禅寺(都築利昭(りしょう)住職)には早朝から市民らが次々と訪れ、先祖や東日本大震災の犠牲者の冥福を祈った。
 同寺の墓地からは被災した大町商店街や釜石湾まで見渡せる。訪れた人々は墓を丁寧に掃除し、故人が好きだった花などを供えた。
 同市甲子(かっし)町出身の男性(65)=盛岡市=と妻(64)は震災で親戚や知人を多く亡くし、「先祖だけでなく、震災で亡くなった方々への祈りもささげたい」と静かに手を合わせた。後方に広がる市街地を見詰め、「大きな支援はできないが、せめて被害から立ち上がる古里の姿を見守り続ける」と誓った。
 同寺では2千人以上の檀家(だんか)のうち確認できているだけで約240人が震災の犠牲となっている。


仮設商店街、集客に正念場 県内「減少」68%実感
 県や県内の経済4団体は17日、2015年度の県商店街実態調査の結果を発表し、東日本大震災からの復旧のために整備された仮設商店街のうち、開設当初と比べ「訪れる人の数が減った」と答えたのは68・0%に上った。同調査で仮設商店街を調べたのは初めて。減少原因は「公共事業完了による土木関係者の減少」が最も多い。沿岸被災地の商店の厳しい現状があらためて浮き彫りになり、対策が急がれている。
 昨年9月1日を基準日に148の通常商店街、25の仮設商店街から回答を得た。後継者不足も課題だ。仮設商店街で後継者がいる事業者の割合が「0〜30%未満」は76・0%、「30〜50%未満」20・0%で、通常商店街(「0〜30%未満」60・1%、「30〜50%未満」29・7%)よりも深刻な結果が出た。
 県内では、後継者不足や資金難などで本設店舗に移行できない商業者らが解体期限後も仮設で営業できるよう、大船渡市が仮設店舗を無償譲渡する方針を固めるなど独自の対策を進める自治体もある。
 県経営支援課の高橋毅総括課長は「イベント開催や個別店舗の魅力向上などへの支援の重要性が大事だと感じた。仮設商店街は、本設移行など引き続き支援していく」と話す。


高校と政治活動 届け出制は行き過ぎだ
 主権者教育の推進にそぐわない動きである。
 選挙権年齢の18歳以上への引き下げに対応し、生徒によるデモや集会への参加など、学校外での政治活動に事前届け出を義務づける動きが具体化している。愛媛県は59ある全ての県立高校が届け出制を採用するため、校則を改めることが分かった。
 届け出制は生徒の自主的な活動を妨げるおそれがあり、行き過ぎた学校による関与だ。とりわけ、県教育委員会が主導した愛媛のケースは突出している。同様の対応が広がらぬよう、政府は届け出制を容認した見解を速やかに改めるべきだ。
 選挙で投票できる年齢は参院選から18歳以上に引き下げられる。
 これを受けて文部科学省は1969年以来、学校外での高校生の政治活動を認めてこなかった通知を撤廃し、参加を容認した。高校生の一部は有権者として選挙運動が認められるうえ、主権者教育の一環として若者の政治への関心を育むためだ。 
 ところが、いくつかの自治体の教委は届け出制を検討し、文科省は教育現場向けの「Q&A」で「必要かつ合理的な範囲内の制約」として導入を認めてしまった。愛媛県の場合、政治活動への参加を1週間前に担任に届け出る校則を県教委が例示していた。
 県教委は届け出制を「生徒の所在確認など安全管理に必要」だとし、「思想信条を調べたり、活動を抑制したりする意図はない」と説明する。生徒の活動をできるだけ把握したいという理屈だ。校則の例示もあくまで参考としてであり、学校の自主判断が前提だと強調している。
 だが、届け出をする際に担任とのやり取りなどが生じれば、実際は集会などに参加しにくくなるおそれがある。愛媛県教委は校則を変える場合は報告するよう学校側に求めている。結果的に一律対応を誘導したと取られても仕方あるまい。
 解せないのは、校外の政治活動を解禁する一方で、届け出制を認める文科省の対応だ。
 「Q&A」は届け出制について「個人的な政治的信条の是非を問わない配慮が必要」とも指摘している。だが、大阪府教委は「事実上の許可制になる恐れがある」として届け出は不要とのガイドラインを策定した。届け出制がそれほど広がっていないのも、生徒の自主性確保との両立が難しいことの表れだろう。
 校外活動を解禁した文科省の新通知は学校が禁止、制限できる例外として「違法、暴力的なおそれが高い」「学業や生活に支障がある」場合などを示す。全般的な届け出制はこうした趣旨すら逸脱する。生徒の主権者としての行動を尊重すべきだ。


広島の中3自殺 外された信頼のはしご
 子どもと向き合うとはどういう意味か。広島県の中学三年生が自らの命を犠牲にして投げかけた重い問いではなかろうか。学校はもちろん、親たちもよく考えてみたい。悲劇を繰り返さないために。
 府中町立中学校の男子生徒が自殺したのは昨年十二月。
 一年時に万引したとのぬれぎぬを着せられたうえ、その誤った記録を理由に、志望する私立高校には推薦できないと担任の先生から伝えられていた。
 万引したのは他の生徒だった。なのに、パソコンには誤って男子生徒の名前が入力されていた。生徒指導の会議では人違いと指摘されながら元データは修正されず、そのまま進路指導に利用されたという。学校の調査結果である。
 子どもの将来を左右しかねない重大情報が、かくも乱暴に取り扱われていた実態に言葉を失う。管理責任者さえはっきりせず、人権意識の希薄さが強く疑われる。
 なぜ学校は取り返しのつかないミスを重ねたのか。
 職場の多忙や風通しの悪さも浮かぶが、それ以前に、子どもへの無条件の信頼や愛情が欠けていたのではないかと考える。成長を喜び、支えるという血の通った教育が見失われていた、と。
 昨年十一月、学校は私立高受験の推薦基準を厳しくした。万引などの触法行為があれば推薦しないとする期間を、三年時のみから一年時からの三年間にまで広げたのだ。不幸にも、男子生徒は対象者にふくまれてしまった。
 失敗しながら成長するのが人間だろう。ましてや、多感な中学生である。秩序の維持ばかりを重んじ、未熟な生徒を導くどころか切り捨てる。そうした負の評価を優先する風土があったとすれば、およそ学びの場とは呼べまい。
 男子生徒がなによりも深く傷ついたのは、万引記録は“冤罪(えんざい)”であると、担任がとうとう信じてくれなかったことではないか。教育現場にはそう見る向きもある。
 精神的なよりどころとする相手に裏切られたと感じたとき、子どもは強烈なショックを受ける。「どうせ言っても、先生は聞いてくれない」と、生前、親に打ち明けた言葉には悔しさや諦めがにじんでいるようだ。
 生身の子どもは日々変わる。蓄積された記録は成績であれ、非行歴であれ、過去の一部でしかない。教育の足場は常に現在に置かれるべきである。全国の学校で、家庭で、目の前の子どもをあらためて見つめ直したい。


女性差別勧告/日本はどう見えているか
 国連の女性差別撤廃委員会が公表した「最終見解」で、日本への厳しい視線があらためて示された。
 委員会は、女性に対するあらゆる差別を禁止した女性差別撤廃条約の履行状況を審査する機関で、異なる国籍の専門家が4〜6年ごとに各国を調査し、改善を勧告する。
 差別的とされたのは、旧日本軍の従軍慰安婦問題への対応や、夫婦同姓を義務付け、女性にだけ再婚禁止期間を定めた民法規定などだ。当初は、男系男子の皇位継承を定める皇室典範も女性差別とする勧告が含まれていたが、日本政府の抗議で最終見解では削除されたという。
 とりわけ厳しかったのは慰安婦問題をめぐる勧告だ。昨年末の日韓合意を「被害者中心のアプローチが不十分」と批判し、合意を実行する際は元慰安婦らの意向に十分配慮するよう日本側に注文を付けた。
 2月の審査会合で、政府は「強制連行を確認する資料はなかった」とし、日韓合意は両国政府間の「最終的かつ不可逆的な解決だ」と主張した。だが、被害者の視点を重視する委員会との溝は埋まらなかった。
 日本側は抗議を繰り返しているが、それだけでは問題解決に消極的との印象が強まり、逆効果になりかねない。日韓が連携し、合意内容を着実に実行することで被害の救済に努力する姿勢が不可欠だ。
 加えて、子どもの人身売買やポルノ問題に関する国連報告書には、女子高生らに男性の接待をさせる「JKビジネス」の禁止勧告が盛り込まれた。政府はこれにも「客観的な情報に基づかない意見」と抗議した。
 一部誤解があるにしても、批判封じに躍起になるより国際社会が日本をどう見ているかを冷静に受け止めるべきだ。「差別に甘い国」とのイメージがぬぐいきれない日本の現状にこそ目を向ける必要がある。
 妊娠・出産した女性が職場で不利益や嫌がらせを受けるマタニティーハラスメント、配偶者や恋人などから受ける暴力、女性の貧困などへの対策は後手に回っている。
 男女の賃金格差は厳然とあり、管理職や政治家に占める女性の割合は世界でも下位にとどまる。地方、国政を問わず政治家のセクハラ発言がなくならない。
 社会全体で問題意識を共有し、改善に取り組むことで、国際社会の見る目を変えていきたい。


「安田さん」拘束/国は邦人救出を最優先に
 シリアで行方不明になっていたジャーナリストの安田純平さん(42)は武装組織に拘束されていることがほぼ確実になった。本人を名乗る男性の映像がネット上で公開された。
 拘束しているのはアルカイダ系国際テロ組織とされる。日本に身代金を要求しているとの情報もある。政府は慎重な対応を迫られる。
 テロ組織の不当な要求に応じるわけにはいかない。当然のことだ。とはいえ、邦人の安全確保は国が果たすべき最重要の責務である。政府は情報の確認を急ぎ、救出に全力を挙げねばならない。
 1年ほど前、シリアで過激派組織「イスラム国」(IS)に捕らわれたジャーナリスト後藤健二さんら2人が殺害された。今回は別組織の犯行のようだが、楽観はできない。
 過去には拘束された邦人が解放された例もある。安田さん自身、12年前にイラクで武装組織に拉致されたが、現地の宗教指導者の働き掛けで解放されている。
 事態の打開に向けてあらゆる可能性を探る努力が不可欠だ。
 安田さんは昨年6月、取材目的でトルコ南部からシリアに入国し消息を絶った。入国を手引きしたという関係者はテロ組織「ヌスラ戦線」に拘束されたと語っていた。
 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」も昨年末に同様の声明を発表し、「武装勢力が身代金を要求している」と伝えた。
 その後、「記者団」は情報を撤回したが、今回、本人とみられる男性が家族や日本へのメッセージを読み上げる姿が新たに公開された。事実に間違いはなさそうだ。
 政府は昨年の7月上旬ごろに「安田さん拘束」の情報をつかんでいたという。周辺国の在外公館などを通じて情報収集に当たったが、事実が確認できなかったとされる。政府は「記者団」の発表まで、そうした経緯を明らかにしていなかった。
 昨年の邦人殺害事件を受けて、政府は検証報告書をまとめている。再び同様の事件が起きた際に有効な手だてが打てるようにするためだ。
 その中では外国機関との連携強化や民間の個人、団体の情報活用が検討課題とされた。そうした教訓をどう生かすのか、政府の対応が問われることになる。
 危機にひんした邦人の命を救う。それが最優先だ。


名古屋市議報酬 適正額の議論を尽くせ
 市長主導で年八百万円に半減された名古屋市議の報酬を、議会側が巻き返して千四百五十五万円に引き上げるという。適正な報酬とは何かという議論を欠けば、どちらも市民の理解は得られまい。
 河村たかし市長が議員報酬半減などを柱とする議会改革案を打ち出したのは二〇〇九年。議会側の反発に対し、一一年三月には政令指定都市初のリコールによる出直し市議選に持ち込み、自身が結成した地域政党「減税日本」を最大会派に躍進させた。
 これを受けて市議会は四月、条例で規定された千六百万円余を当面の間、八百万円に半減する特例条例案を全会一致で可決した。
 ところが、昨年四月の市議選では自民、民主、公明の既存勢力が巻き返し、三会派で三分の二の議席を獲得。議会側は報酬見直しに向けて動きだした。
 三会派は、市特別職報酬等審議会に報酬の適正額を諮問するよう市長に求めたが、市長は「報酬八百万円の恒久化」だけを諮問。報酬審は「市長の政治理念に基づくもので、報酬審の審議になじまない」と答申した。
 市長が適正額の諮問を拒否したことを受け、三会派は、月額給与は本来の規定から15%減とする年千四百五十五万円への報酬引き上げと七五から六八への定数削減の条例案を提出。本会議で一時間弱の議論を経て、即日可決した。
 市長は、この報酬の条例に異議があるとして再議に付すことを表明。二月定例会最終日の十八日に再び審議されることになった。
 このまま進めば、適正な額はいくらかという根幹部分の議論を尽くさぬまま報酬が引き上げられることになる。市長も議会側も、これではとても市民への説明責任を果たしたとは言えまい。
 「報酬半減」という看板は分かりやすく、強烈だ。河村市政の特徴を象徴的に示すが、では八百万円という額に合理性はあるか。
 一方、それではやっていけないという議会側も、何が足りないのか、なぜ千四百五十五万円とするのかの説明はできていない。
 その手法の是非は別にして、河村市長が主導した報酬半減の試みは、議員の仕事、議員の報酬はいかにあるべきか、地方自治とは何かを考えるまたとないきっかけだったはずである。市長と議会側が意地を張り合って増減させるような報酬額であれば、とても市民の理解は得られまい。
 それが適正な報酬か。駆け引きで事を進めるべきではない。

彼岸入り/昨日すれ違ったって・・・

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Un Japonais disparu en Syrie dans une vidéo
Le gouvernement japonais étudie une vidéo sur laquelle apparaît un journaliste japonais disparu en Syrie et dont on était sans nouvelles depuis la mi-2015, document diffusé sur Internet où il semble demander l'aide de Tokyo pour sa libération. "Nous avons connaissance de cette vidéo et sommes en train de l'analyser", a déclaré jeudi le ministre japonais des Affaires étrangères, Fumio Kishida. Il s'agit d'un journaliste indépendant appelé Jumpei Yasuda dont le cas avait été notamment signalé par Reporters sans frontières (RSF).
La chaîne publique NHK et le quotidien Asahi Shimbun rapportent que ces images ont été mises en ligne par un Syrien vivant en Turquie et indiquent que le journaliste a été pris en otage en Syrie par le Front al Nosra, lié à al-Qaida. Ces médias citent des conversations téléphoniques avec cet homme dont ils ne révèlent pas le nom. La chaîne Nippon TV a indiqué avoir parlé par téléphone avec une personne qu'elle qualifie de négociateur pour ce groupe qui demande une rancon. Le porte-parole du gouvernement japonais Yoshihide Suga a dit "ne pas être au courant" d'une telle requête. Dans la vidéo d'une minute, le Japonais, barbu et vêtu d'un pull noir et d'une écharpe, dit en anglais: "Bonjour, je suis Jumpei Yasuda. C'est aujourd'hui, 16 mars, mon anniversaire".
Il est dans l'ensemble calme mais l'émotion transparaît lorsqu'il adresse un message à sa famille. Puis, parlant de "son pays", il affirme n'avoir constaté aucune réaction officielle concernant son sort. Des membres du groupe Etat islamique (EI) avaient décapité l'an dernier le correspondant de guerre japonais Kenji Goto et son ami Haruna Yukawa. Le gouvernement avait été accusé de s'être laissé prendre au dépourvu dans cette affaire et d'avoir apparemment manqué des occasions de sauver les deux hommes.
M. Yasuda avait souvent publié des commentaires sur son compte Twitter dans lesquels il exprimait sa frustration de voir nombre de journalistes éviter la Syrie mais ses messages avaient subitement pris fin le 21 juin. Dans son dernier tweet ce jour-là, il disait: "J'ai raconté ce qui se passe par l'intermédiaire de mon blog et Twitter sans dire où je me trouvais" et il ajoutait que les "interférences", dont il ne précisait pas la nature, dans ses activités de journaliste s'étaient considérablement accrues et qu'il était possible qu'il soit obligé de cesser son travail.
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お彼岸の入りです.かといって何かをするわけではありませんが・・・
お昼に国道沿いのいつものお店でランチ.
「昨日すれ違ったけど,声かけなかった・・・」って言われました.
全く気が付いていませんでした.

<被災校舎の行方>新居で惨状の姿見たくない
◎石巻・震災遺構を考える(4)門脇小・解体
<廃校に思い複雑>
 大型重機が土を盛り上げ、一戸建て住宅用の宅地を整える。宮城県石巻市の日和山から眼下に広がる更地で、災害公営住宅の工事が進む。
 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた石巻市門脇地区は3年後、400戸1000人が住む街に生まれ変わる。
 震災遺構の候補に挙がる門脇小はその中心部にある。津波と火災に遭い、色あせ、ほこりをかぶった校舎は、灰色の目隠しシートで覆われている。
 地元の町内会でつくる住民組織「新門脇地区復興街づくり協議会」は「新しいまちにふさわしくない」と一貫して校舎の解体を求めてきた。
 協議会の浅野清一会長(68)は約20年前に門脇に家を建て、門脇小に子どもを通わせた。「学校をはじめ、病院、スーパー、文化センターなど地域には何でもあった。年老いても便利だろうと居を構えた」と振り返る。
 震災で全てがなくなった。自宅も流失した。惨状を目の当たりにし「門脇には二度と住めない」と思ったが、市は人が住める場所に指定した。宅地の造成が完了後、この地に息子と妻の3人で自宅を再建する。
 門脇小は住民が集う地域の核だったが、児童数の減少で2015年3月、石巻小と統合した。
 「震災前には300人の児童がいた。廃校になるとは思ってもいなかった。学校がなくなれば若い人が住まなくなり、集落がなくなるのではないか」
 宅地の本格供給はことし始まる。新しいまちづくりをどうするか。協議会は、地域コミュニティーの形成には子育ての場が必要として、市に保育所の整備を要望している。
 「震災遺構は必要だと思うが、新しい住宅地には合わない。可住地にしたのは行政だ。なぜいまさら、住民の意向に反することをするのか」
 浅野さんは夏に宅地が引き渡される。新居で年を越せるかもしれない。その時、被災した校舎の姿は見たくない。
<教訓の伝承が先>
 門脇で生まれ育った阿部豊和さん(64)の自宅は日和山のふもとにあり、津波の被害を免れた。地域に残った住民と一緒に地域再生に取り組む。
 門脇と隣接する南浜地区では、震災で539人が死亡・行方不明になった。市は住宅地のかさ上げのほか、南側に高さ3.5メートルを超える高盛り土道路を造るなど、津波防御を進める。
 それでも住民の不安は消えない。阿部さんは「すぐ近くに山があるのに多くの犠牲者が出た。遺構を残す前に、その教訓を生かすべきだ」と言う。
 日和山に逃げる道の多くは階段で、地域は高齢化が進む。「安全を考え、市有地である門脇小の敷地に車で日和山に逃げられる避難道をつくるべきだ」と阿部さんは提案する。
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)


<三陸沿岸道>誘客促進へ発信力強化
◎岩手復興 大動脈北へ(8)「通過点」回避
<大規模な道の駅>
 大動脈が貫くことになる岩手県久慈市圏域の観光関係者に、一つの不安が広まりつつある。
 「三陸沿岸道路がつながれば、移動時間が短くなる。地域一帯が丸ごと、単なる通過点になりはしないか」
 例えば、岩手県宮古市から青森県八戸市への移動時間は現在、久慈市を通って3時間弱。これが沿岸道路開通によって、1時間40分程度と大幅に短縮される。
 アクセスが格段に向上する分だけ、道路利用客が久慈に寄らないまま素通りしてしまうのではないかという懸念だ。
 「通過点」を回避しようと、久慈市と周辺の洋野町、野田村、普代村は誘客促進で連携する態勢を打ち出した。軸となるのは、三陸沿岸道路沿線での大規模な道の駅の新設だ。国の補助金を活用して建設場所や運営形態、経済効果を調査している。年度内には整備の方向性を示す。
 久慈市政策推進課の重浩一郎課長は「三陸沿岸道路を降りて道の駅に寄ってもらい、観光地や中心市街地に人を環流させる仕組みが必要。沿岸自治体が一丸となって情報を発信したい」と青写真を描く。
 道路開通を見越し、沿線では地場産品を前面に出した誘客プランも動きだした。
<特産ワイン醸造>
 久慈市の南隣にある野田村。沿岸道路建設地近くの高台でワイナリーの整備が進む。村が出資する第三セクターが運営し、特産のヤマブドウを使ったワインを醸造する。
 「ワインのほかにも地元物産の販売やイベントを開くなどアイデアを練りたい。せっかくの沿岸道路。とにかく多くの県内外の人に来てほしい」。醸造責任者で国民宿舎えぼし荘支配人の坂下誠さん(45)は意気込みを語る。
 岩手はヤマブドウの生産量が日本一。野田村では約11ヘクタールで栽培され県内2位の生産量だが、生産農家は減りつつある。付加価値を高めた新たな産品として、2012年にワイン造りを始めた。
 これまでは内陸の葛巻町のワイナリーに醸造を委託してきたが、本年産から自社醸造に切り替える。坂下さんは「沿岸道路のメリットを取り込むためにも、情報発信の核となる施設や工夫が必要だ」と強調する。
 三陸沿岸では震災後、復興支援として環境省が整備を進める自然歩道「みちのく潮風トレイル」や自然公園「三陸ジオパーク」など広域の観光資源が注目されつつある。沿岸道路を生かし、人を呼び込む攻めの戦略が一段と求められる。
 岩手大農学部の広田純一教授(地域計画・農村計画)は「行政と民間が協力して観光地や地元食材といった情報発信を強め、観光客に立ち寄ってもらうきっかけをつくることが重要だ」と提言する。


<アーカイブ大震災>運転士「そっちは危険」
 倒壊した家々の残骸の中で、列車が斜めにねじれる。宮城県気仙沼市岩月千岩田の住宅地。3月13日付の朝刊に、津波に流されたJR気仙沼線の車両の写真が掲載された。その時点で安否が分からない乗客も少なくなく、関係者は気をもんだ。乗客約30人は津波が襲来する直前、乗務員の指示で車内を脱出していた。
◎逃げる その時供複魁肪出(JR気仙沼線)
 帰宅途中の高校生の笑い声が響く。お年寄りはうとうとと居眠りしている。2011年3月11日。午後の列車内には、いつもと変わらぬ光景があった。
 2両編成の気仙沼発小牛田行き上り列車。松岩駅(気仙沼市松崎片浜)を午後2時45分の定時に出発し、その約1分後のことだった。列車を突然、跳ね上げるような衝撃が襲った。
 「脱線?」。気仙沼高3年の小野寺晴海さん(18)は、とっさに床にしゃがみ込んだ。列車が停止する。それでも揺れは収まらない。「しばらくして、ようやく地震だと分かった」
 線路は、気仙沼湾の海沿いを海岸線と並行して南北に走る。停止したのは、高さ約5メートルの高架の上だった。
 同校3年の小野寺明日香さん(17)と三浦美波さん(17)が窓の外を見た。ものすごい勢いで海水が沖に引いていく。海底が現れ、大きな魚が跳ねていた。
 車内にアナウンスが流れた。「津波の恐れがあります。列車を降りてください」。JR東日本列車指令から指示を受けた男性運転士が、乗客に列車からの脱出と高台への避難を呼び掛けた。
 列車前方のドアが開き、乗客たちは順番に高さ約1.5メートルのはしごで線路に降りた。
 「死んじゃうかもしれない」。涙ぐむ三浦さんを、晴海さんや明日香さんが懸命に励ました。
 3人のうち、最も自宅が近いのは晴海さんだった。最知駅の次の陸前階上駅に程近い場所に家がある。3人は他校の友人らと一緒に、晴海さんの自宅がある階上方面に向かおうと、線路沿いに南に向かって歩いた。
 後ろを追いかけてきた運転士が叫んだ。「そっちは危ない。踏切が見えたら、そこから(内陸部に向かう)道路に出なさい」
 津波の恐怖から、みんな必死に走った。明日香さんと三浦さんは、そこで晴海さんとはぐれた。
 2人は国道45号にたどり着き、階上方面に南下しようとした時、目の前を津波が横切っていった。ごう音とともに家が流されていく。
 2人は、今度は夢中で西側に走った。たどり着いたのは、内陸部にある面瀬中。そこで無事、晴海さんと合流することができた。
 乗客が列車を離れて間もなく、自宅前の線路から海を見ていた無職内藤周司さん(66)は、津波の襲来に驚き、慌てて避難した。その時、50メートルほど離れた線路上に、さっきまであった列車が消えていることに気付く。
 「あっという間に流されたようだ。乗客が列車を降りるのは見たが、全員が脱出できたのか分からず、肝を冷やした」
 乗客たちは通信手段が途絶えた中で、安否を家族に連絡できずにいた。3日ほど後、避難先の友人宅で明日香さんはやっと家族と再会できた。
 新聞で列車の写真を見た母(41)は「列車に乗ったまま、津波にのまれたんじゃないかと思った」と、明日香さんを抱きしめて泣いた。明日香さんはそのとき、初めて列車がどうなったかを知る。
 JR東日本盛岡支社によると、乗客は全員避難したが、その後の安否については把握していないという。
 JR気仙沼線は今も不通のままだ。明日香さんら3人は今も通学に苦労しているが、運転士への感謝は忘れない。
 「助かったのは運転士さんのおかげ。的確に避難を指示してくれなかったら、どうなっていたか分からなかった」(丹野綾子)=2011年8月20日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


彼岸の入り 被災の寺で墓参り
彼岸の入りの17日、東日本大震災の津波で被害を受けた仙台市宮城野区の寺では、家族や友人を亡くした人たちなどが訪れ祈りをささげました。
彼岸の入りとなった17日の県内は青空の広がる天気となり、県内各地の寺や霊園には朝から大勢の人が墓参りに訪れています。
約450の墓がある仙台市宮城野区にある「照徳寺」にも、午前中から震災で親族や友人を亡くした人たちなどが訪れました。
訪れた人たちは墓を掃除したあと花や線香を供えて静かに祈りをささげていました。
この寺は、海岸から1キロあまりの場所にあり5年前の東日本大震災では津波が押し寄せ本堂や墓地が被害を受け、また檀家の約60人が死亡したということです。
先祖と震災で亡くなった友人の墓参りに訪れた79歳の女性は、「震災のあと住宅も再建し、頑張って生きていることを報告しました」と話していました。
また、震災で亡くなった夫と長男の墓参りに訪れた79歳の女性は「今も寂しい気持ちでいっぱいです」と話していました。


河北春秋
 弥生も半ばを過ぎ、きょうは彼岸の入りである。彼岸は春分と秋分がある。太陽が真西に沈み、昼夜の時間のほぼ等しいときに仏事を営む。俳諧の世界では春を指し、長い冬を越した喜びが込められる▼ところが、近代俳句を打ち立てた正岡子規にかかると、<毎年よ彼岸の入に寒いのは>。母親のぼやきをそのまま句にしたといい、この時代にあってこれほど平明で口語調の作品もそう多くない▼日本で最初の国語辞書である大槻文彦著『大言海』によると、「生死流転に悩む川のこちら側を此岸(しがん)とする。中流にある煩悩を越えて、彼岸という涅槃(ねはん)(悟り)の境地に至る」とある。舟をこいで真西へ向かうイメージだろうか▼子規や大槻、または夏目漱石といった明治の文筆家は国語の統一という大事業をなしたとされている。近代以前は地方によって使い方がばらばらな上に、外来語が入ってきたために混乱した。彼らによって文章の規範を手にできたという。そう言われれば、そのころを境に大きく変わったような▼言葉は世の中とともに生きる。「つなぐ」「絆」「明日へ」−。5年前の震災からたくさんの言葉が交わされ、人から人へと伝えられた。再建のかなった墓や海の前で手を合わせる家族を思う。幾多の言葉が岸にこだまするのだろう。

被災住宅ローン  生活再建へ柔軟対応を
 これでは被災住民の生活再建がますます厳しくなっていく。
 東日本大震災で家や仕事を失っても、残る住宅ローン。住宅金融支援機構が設けた上限5年の返済猶予が今月から終了し、被災住民に返済が重くのしかかる。
 復興の公共工事は進むが、こうした困難を抱えた被災住民にこそ目を向けたい。それぞれの実情に沿った対応が必要だ。
 機構によると、震災で1〜5年の返済猶予を設定した住宅ローンは2015年末で累計4385件、総額402億円。返済再開となるのは5年猶予のうち計1184件、総額153億円分で、深刻な被害の人が多い。専門家から経済的窮乏や自己破産の増加を懸念する声が上がっているという。
 岩手、宮城、福島3県で約11万人が仮設住宅や災害公営住宅などで暮らしているが、住めなくなった自宅のローンに悩み、新たな生活に踏みだせない人が少なくない。家を建てるにも二重ローンの負担が重い。
 こうした事態を見越して、震災後に被災ローン減免制度を導入したはずだが、思うように利用が進んでいないのが現状だ。
 まさに住宅ローンなどの返済困難な人を救済するのが目的で、当初1万件の利用を想定していた。ところが、実際は1343件。相談は5600件以上あり、被災者のニーズに応えられていない。
 第三者が債務状況を審査し、金融機関に返済額の減免を促す仕組みだが、弁護士らは要件が厳しすぎると指摘している。一定以上の所得や、震災前に滞納がある人は、一律に対象から外されてしまうという。
 当初の告知も不十分だった。さらに要件の厳しさが広まって、被災住民は制度ではなく金融機関の返済猶予の方に流れたのでは、との見方もある。
 いずれにしても、被災住民の苦境を放置するのは許されない。生活再建が取り残されれば、まちづくりは遅れ、真の復興は遠のく。国や金融機関には柔軟な対応、施策を求めたい。
 阪神大震災のあと、作家の故小田実氏らの市民運動によって、国による個別支援の突破口が開かれ、被災者生活再建支援法ができた。いま、東北の被災地で活動する弁護士らから、生活再建を促す二重ローン問題対策の立法措置を求める声が上がっている。耳を傾けたい。
 災害の多い日本で暮らす私たちにとって、被災地の現実は決してひとごとではないからだ。


経済分析会合 いいとこ取りはやめよ
 政府が内外有識者の意見を聴く国際金融経済分析会合は、消費税増税延期や補正予算編成のお墨付きを得るためではないか。そんな臆測が強い。都合のいい部分だけを取り出してもらっては困る。
 「消費税を増税するタイミングではない」「緊縮財政をやめ、政府支出の増加こそ望まれている」−。第一回の分析会合に招かれたノーベル経済学賞受賞のスティグリッツ・米コロンビア大教授は、確かに消費税の延期や財政出動の重要性に言及した。
 しかし、格差是正や幸福度の研究に目を向けてきた教授は、世界経済が抱える問題に幅広く提言したはずだ。最も重要な点は、景気は後退または停滞する可能性が高い中で、緩慢な成長の果実が一部のトップ層に偏り、格差が一段と拡大していると指摘したことだ。
 景気低迷の原因は需要不足にあり、平等性を高める政策は需要を増やして効果的だと強調。具体的には賃金上昇と労働者保護を強める政策、財政出動なら教育や若者の健康への政府支出を求めた。
 政権は、参院選を意識して補正予算編成のお墨付きとしたいのかもしれないが、教授はやみくもに財政出動を促したわけではない。むしろ法人税減税は投資に寄与しないから反対し、炭素税や相続税、株などの譲渡益課税については増税すべきだと主張した。
 日銀のいわゆる異次元緩和政策についても「限界が近い」と指摘し、過度に金融緩和に依存する政策に警鐘を鳴らした。こうした「耳の痛い」提言こそ傾聴すべきで、消費税増税延期や補正予算編成の方便だけに利用することは許されない。
 安倍晋三首相は一昨年、10%への消費税引き上げ延期を決めた際に「再延期はない。アベノミクスで増税できる経済環境にする」と明言した。増税を見送るなら、アベノミクスの失敗を認め、速やかに軌道修正すべきだ。有識者の提言を免罪符に増税延期だけ決めるのは筋が通らない。
 だからといって、再び増税延期について国民に信を問うとして衆院を解散し、衆参ダブル選に打って出るのなら、ご都合主義も甚だしいと言わざるを得ない。
 そもそも分析会合は、五月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に向け、世界経済や金融情勢について有識者の意見を聴くというのが政府の説明だ。仮にも消費税増税や補正予算の判断に利用しようというのなら、納税者への裏切り行為ではないか。


[沖縄戦国賠訴訟]被害に背向けた判決だ
 沖縄戦で負傷したり、家族を亡くしたりした住民や遺族79人が国に謝罪と損害賠償を求めた訴訟の判決で、那覇地裁は原告の請求を棄却した。
 沖縄戦の実態を踏まえることなく、被害者の苦しみに背を向ける冷たい判決である。
 平均年齢80歳近い原告らが最後の力を振り絞り「国や日本軍は国民を保護する義務を怠り、戦闘で住民に損害を与えた」と起こした裁判である。
 争点となったのは国民保護義務違反という国の不法行為責任。地裁は「戦時中、国の権力行使について賠償責任を認める法律はなかった」と国家無答責の法理によりこれを否定した。日本軍の加害行為、住民の被害事実といった沖縄戦の特殊性には踏み込まず、一般論に終始した内容だ。
 戦争被害で国は、元軍人や軍属に年金を支払うなど手厚い補償を敷いている。
 原告が訴えたのは「人の命に尊い命とそうでない命があるのか。救済が不十分なのは憲法の平等原則に反する」との立法の不作為でもあった。
 しかし判決は「戦争被害者は多数に上り、誰に対して補償をするかは立法府に委ねられるべき。軍の指揮命令下で被害を受けた軍人らへの補償は不合理ではない」と訴えを退けた。
 最高裁で原告敗訴が確定したものの被害を認定した東京大空襲国賠訴訟などと比べ「判決は後退している」(瑞慶山茂弁護団長)と指摘されるように、救済の扉のノブに手をかけることもなく、国の姿勢をことごとく追認するものである。  
■    ■
 各地の空襲訴訟も同様に民間人への損害賠償を求めるものだが、地上戦の舞台となった沖縄と本土では戦争体験の質がまったく異なっている。
 本土決戦の時間を稼ぐための「捨て石」となった沖縄戦の特徴は、軍人よりも住民犠牲が多かったことだ。
 「軍官民共生共死の一体化」の方針の下、日本軍は住民を戦場へとかり出し、捕虜になることを許さなかった。陣地に使うからと住民をガマから追い出したり、スパイ容疑で虐殺したり、「集団自決(強制集団死)」に追い込むなど住民を守るという視点が決定的に欠けていたのである。
 その中には戦闘参加者として援護法の適用を受けたケースがある一方、沖縄・民間戦争被害者の会の調査によると適用を受けずに亡くなった人が6万7千人に上っている。
 判決は「実際に戦地に赴いた」特殊性を軍人・軍属への補償の理由に挙げるが、沖縄では多くの住民が戦地体験を強いられたようなものだ。
■    ■
 今回の裁判の過程で、原告の約半数が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えていることが明らかになった。
 戦争で肉親を失い、けがを負い、戦後はトラウマに苦しんでいるというのに、誰も責任をとらないのはおかしい。
 住民らは控訴する方針である。原告は高齢化し、地裁判決までの3年半の間に6人の方が亡くなった。
 司法には人権保障の最後の砦(とりで)としての役割を、国会には救済の道を開く新たな制度の創設を求めたい。


沖縄戦訴訟棄却 国民全てに平等な補償を
 全ての国民が法の下に平等であるという憲法14条がむなしく感じられる。沖縄戦で被害を受けた民間人や遺族ら79人が国に謝罪と損害賠償を求めた「沖縄戦被害国家賠償訴訟」で、那覇地裁(鈴木博裁判長)は原告の訴えを棄却した。
 判決は、国家賠償法施行前だったため、国が賠償責任を負わないとする「国家無答責の法理」によって遺族らの求めを退けた。
 判決はさらに、旧軍人や軍属が「戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)」で補償されるのに対し、被告らへの補償がないことを「不合理であるということはできない」としている。
 憲法14条は人種、性別、信条のほか「社会的身分」により、差別されないと規定している。「軍人・軍属」という身分によって補償の有無が決まるのは憲法の理念に照らして不条理としかいえない。
 沖縄戦で被害を受けた人のうち、直接戦闘行為に加わらなかった「軍属」「準軍属」として援護法に基づく補償を受けたのは陣地構築や弾薬・患者輸送、「強制集団死」(集団自決)、スパイ嫌疑による犠牲者などとなっている。今回の訴訟の原告は米軍の爆撃などによる負傷者、旧日本軍に壕を追い出された人、近親者が戦死した人、戦争孤児などだ。
 沖縄戦の特徴は「住民を巻き込んだ国内唯一の地上戦」という言葉に示される。生活の場に軍隊が土足で踏み込み、本土決戦への時間稼ぎ、捨て石とされた。国策の名の下、県民は個人の意思と関係なく、戦争に巻き込まれたのだ。
 判決はそうした沖縄戦の実態に向き合おうとしていない。原告の中には、戦争当時の記憶が心の傷となり心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された人もいる。補償が不十分というだけでなく、被害は現在も続いている。
 国立国会図書館がまとめた「戦後処理の残された課題」(2008年12月)によると「欧米諸国の戦争犠牲者補償制度には、『国民平等主義』と『内外人平等主義』という2つの共通する特徴がある」という。民間人と軍人・軍属、自国民と外国人の差別なく国の責任で補償するという考え方だ。
 戦後70年以上、日本政府は戦争被害者の補償を差別し、裁判所もそれを追認している。これ以上放置することは許されない。政府は戦争への責任を認め、新たな補償の在り方を早急に検討すべきだ。


社会学者の作田啓一氏死去 京大名誉教授「恥の文化再考」
 京都大名誉教授で社会学者の作田啓一(さくた・けいいち)氏が15日午前3時31分、肺炎のため、京都市中京区の病院で死去した。94歳。山口県出身。自宅は非公表。葬儀は本人の遺志で行わない。
 京都帝国大文学部哲学科を卒業後、西京大(現・京都府立大)助教授などを経て京都大教授を務めた。1967年発表の「恥の文化再考」では、日本人の「恥」の意識は人の目を気にしてのものではなく、弱さの自覚から生まれる「羞恥(しゅうち)」とし、地域共同体など社会構造から捉え直した。
 「価値の社会学」(72年)は、言語にならない深い経験に根差した価値観や共感など非合理的なものに、人間の行動や感情の深層を探り、現代日本社会学に影響を与えた。
 近年は、文学や哲学、精神分析を総合しつつ、社会学を論じた。元日本社会学会会長。京都府文化賞特別功労賞受賞。


しぼむ官製春闘 首相は政策の転換を
 首相が呼び掛けても、日銀総裁が求めても、経営側回答は昨年を大きく下回るベアだった。経済の好循環への期待は再びしぼんだ。首相は経済政策の転換を決断すべき時を迎えている。
 きのうの集中回答は相場のリード役であるトヨタ自動車と電機がベースアップ(ベア)千五百円、ホンダは千百円。昨年実績はもちろん、低めに抑えた要求額も大きく下回った。
 政府が賃上げに介入する官製春闘は額はともあれ三年連続のベアを実現した。これから始まる中堅・中小企業の交渉で大手との格差が縮まれば、今春闘の連合の目標でもあり、ぎりぎり評価に堪える結果となるかもしれない。
 しかし、官製春闘の最大の狙いだった賃上げによる消費の拡大、経済の好循環、デフレ脱却ははるか遠のき、その姿さえ見えなくなった。
 各種の世論調査でも、八割が景気回復を実感できていないと答えているが、その責任を経営者や労組に負わせるわけにはいかない。責任は政府と日銀にある。安倍晋三首相も黒田東彦日銀総裁も、これまで進めてきた企業収益重視の経済政策の限界をはっきりと感じているはずだ。このままではいけないと。
 その証しだろう、首相の口から、上から下へお金がしたたる「トリクルダウン」という言葉が聞かれなくなった。代わりに、実態そのものである「格差」を口にするようになっている。
 金融の緩和でお金がだぶついている。しかし資金需要がなく、成長に結び付かない−そう論じられるがほんとうか。首相は現実を直視してほしい。
 お金を必要としている人、懸命に働きながら低収入にあえぎ、喉から手が出るほどお金を必要としている勤労者が国内にはあふれている。
 例えば子どもの将来のために必死で働くシングルマザーなどひとり親世帯、低賃金の代名詞になっている介護士や保育士、奨学金の返済負担に苦しむ若い社会人、高額の授業料に二の足を踏んで進学を諦める学生…。この人たちがどれほどお金を必要とし、お金を得ることで未来を切り開く可能性を手にすることができるか。それがデフレを脱却し、少子高齢化を乗り切る道であるはずだ。
 格差の是正は成長を促す。過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ−故事に学ぶは無論、恥ずかしいことではない。


「官製春闘」失速 経済の好循環はどこに
 2016年春闘はきのう主要企業の集中回答日を迎えた。
 基本給を一律で引き上げるベースアップ(ベア)は、多くの企業が3年連続実施を回答したものの、トヨタ自動車が月額1500円と前年を2500円下回るなど総じて低調だった。
 輸出関連をはじめ大手企業の利益は過去最高水準で、巨額の内部留保は増える一方だ。グループ企業を含め社員への還元が十分なのか、労組側に不満が残る。
 経済の好循環の主力と期待される大手自らが、ブレーキをかけてしまった印象が否めない。
 アベノミクスは、円安方向に働く金融緩和、法人税減税といった優遇策で大手の業績改善を促し、賃上げや国内の設備投資を通じて経済全体の好循環を図る政策だ。
 ところが、実質賃金は低迷し、工場の国内回帰もほとんど見られず、行き詰まりの様相だ。政府は経済政策全般を見直すべきだ。
 政府が経済団体に賃上げを求めたりする官製春闘は3年目となる。本来、労働条件は労使の話し合いで決めるものだ。効果さえ不確かな官製春闘は疑問が多い。
 自動車大手3社はボーナスは満額回答だったもののベアは前年を大きく下回り、電機5社は前年の半額の1500円にとどまった。
 企業側は、失速した回答の理由に、1年前に上昇していた物価が横ばいで推移しているほか、中国経済の減速や足元の円高で経営の先行きが不透明な点を挙げる。
 とはいえ、大手は、低調な集中回答が今後の中堅、中小企業の交渉を萎縮させかねない悪影響を踏まえるべきだった。
 今春闘は、労働者の4割を占める非正規社員と正規社員の賃金の差など格差是正も大きな課題だ。
 大手の回答には、改善を図る兆しも見られた。トヨタ自動車は非正規の期間従業員の賃金を月額換算で3千円程度上げるとし、正社員をしのぐ上げ幅となった。こうした対応を広めたい。
 連合は、大手主導型の春闘からの転換を宣言し、大手の要求水準を抑える一方で、中小企業、非正規労働者の処遇改善を重視した。
 大手に対し、利益を適正配分する公平な取引を促し、中小の業績改善と賃上げにつなげる戦略だ。
 この方針転換が裏目に出て大手の低調な回答につながったとしたら残念だ。ただ、全体の底上げを図る考え方は理解できる。
 今後、中堅、中小企業を含む春闘が本格化する。労使双方が格差を埋めるよう努めてほしい。


大学学費、10年で半額に=参院選へ若年層政策−共産
 共産党の志位和夫委員長は17日の記者会見で、国公立・私立大学の学費を10年後に約半額にすることを柱とする若年層政策を発表した。学生1人当たり月額3万円の給付奨学金制度創設も盛り込んだ。18歳選挙権が導入される夏の参院選をにらんだ対応で、選挙公約に明記する。
 学費半額への値下げは、国立大学に対する運営費交付金や私学助成金を10年間、一定額ずつ増やしていくことで実現させる構想で、10年後の予算規模は1兆1000億円程度。給付奨学金の対象は現在の貸与奨学金受給者の半数に相当する70万人とし、その後拡大する。年間予算は2500億円程度という。 
 若年層政策には、最低賃金を全国一律1500円に引き上げることも掲げた。志位氏は「若い世代の未来に責任を持つ政治が強く求められる」と指摘。他の野党との共通公約としても打ち出したいとの考えを示した。


中止から11年…東大医学部「入試面接」来年復活の深刻事情
「東大理科3類」といえば、日本で一番難しい医学部。その理3が2018年2月の入学試験から面接を復活させる。
 東大入試課によると、理3では1999年から医学教育を受けるにふさわしい意欲と適性を備えているかを見極めるため面接をおこなっていたが、07年に中止。中止の理由は志願者が型にはまった応答をするようになったからだという。復活を決めたのは「コミュニケーション能力」「プロフェッショナリズム」「社会的視点」があるかをみるのが目的で、面接の結果で不合格になることもある。
 東大理3は偏差値79で日本の最高峰。それだけに昔から学生が「他人としゃべれない」「自殺者が多い」「患者の気持ちを理解できない」などとウワサされてきた。つまり、今回の面接復活は「コミュニケーション能力」のない学生が多いことの裏返しだろう。
「当たらずとも遠からずです」とは医療ジャーナリスト。
「子供のころから勉強ばかりしてきたので『東大医学部』と持ち上げられて、自分は偉いんだと思い込む人が多い。患者に接するときは常に上から目線でものを言う。他人に同情できず、軽い口調で“あなたは長く生きられない”などと宣言する医師もいると聞いています。東大卒の開業医が少ないのはコミュニケーション能力が低いからとの説もあります」
 生まれつきの頭の良さのせいで、医学からドロップアウトするケースもある。医学博士の米山公啓氏が言う。
「東大の教授に聞いた話ですが、理3の学生の2割はどんな試験問題でも簡単に解いてしまう。医学の勉強も簡単すぎてすぐに飽き、大学を辞めて他の業種に進んだり起業したりする人も多いそうです。自分が並はずれて頭がいいことを理解できないため、患者に治療法などを分かりやすく説明できないのも特徴だといいます」
 米山氏によれば、米国では大学を4年間で卒業してからあらためて医学部に進む仕組みになっている。人間性を磨いてから医師を目指すため、患者との摩擦も少ないという。日本とは大違いだ。

半年ぶりの通帳記帳/スーツ姿の学生多し

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"Je vous souhaite de ne pas avoir de Fukushima en France"
Sciences et Avenir a rencontré à Paris Yayoi Hitomi, militante anti-nucléaire qui vit toujours à 60 km à l'ouest de la centrale de Fukushima.
Conférence-débat avec Mme Yayoi Hitomi, militante locale de la lutte anti-nucléaire et Bernard Laponche, physicien, membre de Global Chance. Co-organisé avec le réseau des ressortissants japonais contre le nucléaire (Yosomono-net), le réseau Sortir du nucléaire et la mairie du 2e arrondissement de Paris.
A 19h, lundi 14 mars 2016, espace Jean Dame, 17 rue Leopold Bellan, Paris 2e

INTERVIEW. Quel est le vœu de Mme Yayoi Hitomi, cinq ans après les débuts de la catastrophe nucléaire de Fukushima, le 11 mars 2011, à l'occasion d'une tournée de conférences en France et, plus largement, en Europe ? "Que les Français disent au Japon d'arrêter le nucléaire, et de ne pas en exporter. Il y a beaucoup de séismes dans notre pays, le danger existe toujours", insiste-t-elle. Sciences et Avenir a rencontré à Paris cette militante anti-nucléaire, au visage étonnamment jeune pour ses 54 ans, qui vit toujours à Koriyama, à 60 km à l'ouest de la centrale de Fukushima. Des lieux qu'elle n'a pas quittés car elle y prenait soin de son père malade (décédé depuis) et de sa mère, près de qui elle réside toujours.
Sciences et Avenir : Si vous étiez au pouvoir, que feriez-vous aujourd'hui à Fukushima ?
Yayoi Hitomi : Je dirais qu'il ne faut pas retourner dans les zones contaminées. Avec l'argent de l'Etat, il faudrait reconstruire ailleurs, sur des terres non contaminées, l'équivalent des villages et des communes d'origine. En fait, c'est ce qu'il aurait fallu faire tout de suite, il y a cinq ans, maintenant c'est trop tard. Lors d'une évacuation, il faut prévoir où on va installer les gens. Il faut penser à cette destination finale avant une catastrophe, car il est terrible pour une communauté de se disloquer. Il ne faut pas évacuer de façon individuelle, mais préserver les groupes qui se connaissent. Car les gens sont très attachés à leur communauté.
Comme on le sait depuis Tchernobyl, vivre en subissant en permanence des faibles doses de radioactivité pendant des années peut provoquer toutes sortes de maladies."
Aujourd'hui, le gouvernement japonais incite les habitants à retourner chez eux. Qu'en pensez-vous?
C'est dangereux ! Actuellement, est menée une véritable propagande, affirmant que les gens sont en sécurité, qu'il n'y a pas eu beaucoup de dégâts à Fukushima, que tout ce qui se dit d'inquiétant n'est en fait que de l'ordre de la rumeur (Fu hyô)... Alors qu'au contraire, comme on le sait depuis Tchernobyl, vivre en subissant en permanence des faibles doses de radioactivité pendant des années peut provoquer toutes sortes de maladies, pas seulement des cancers de la thyroïde (lire l'encadré). Autour de moi, j'entends parler de plus en plus de leucémies et de maladies cardio-vasculaires.
Les gens ne sont pourtant pas obligés de revenir ?
Le gouvernement n'y oblige pas. Mais s'il annule la notion de zone interdite et qu'il n'y a plus d'indemnisation, les gens n'ont plus de quoi vivre. Ils n'ont pas d'autre choix que de retourner chez eux.
Qui veut revenir alors ?
Ceux qui reviennent sont les personnes âgées, mais elles gardent en poche la clé de leur logement provisoire. Car, pour pouvoir vivre dans les zones qui ont été évacuées, il faudrait des infrastructures, des magasins de ravitaillement, des hôpitaux... Et ceux qui ne veulent pas revenir, ce sont les jeunes couples, les familles avec des enfants. Sans hôpital, sans moyen de faire ses courses, on ne peut pas avoir une vie normale.
Pensez-vous cependant que des jeunes vont finir par revenir ?
C'est possible que certains finissent par y aller. Surtout qu'actuellement, il y a donc cette propagande pour montrer que tout peut être normal. Le mois dernier, en février 2016, une chaîne de télévision locale a ainsi présenté, comme un exemple positif, l'installation d'une supérette, une "konbini" ouverte 24h/24 sur le site même de la centrale de Fukushima. Avec fréquentation par des travailleurs, sans masques, sans protection particulière, les vendeurs arborant l'uniforme de cette chaîne de supérettes et non une combinaison de protection contre les rayonnements. La chaîne insistait sur le fait que les travailleurs du site pouvaient maintenant s'y acheter des repas chauds. Autrement dit, que la situation redevient normale.
Combien de temps tout cela va-t-il durer ?
Indéfiniment ! Vous savez que selon Tepco (l'opérateur de la centrale de Fukushima), il faudra au moins quarante ans pour démanteler les réacteurs. Ils vont avoir besoin de main d'œuvre et les premiers emplois dans le secteur viendront de la centrale. Au collège-lycée de la communauté de Futaba, les jeunes commencent à apprendre les techniques de décontamination et la manipulation des robots pour le démantèlement. Au collège de Koriyama, Tepco et Hitachi (co-constructeur de la centrale) sont venus donner un cours intitulé "Réfléchir à ce qu'on peut faire contre la rumeur et pour la reconstruction". En faisant vibrer la corde sensible - amour de la terre natale, appel à la générosité et au cœur des enfants...
Il y a évidemment une raison financière à ces appels au retour : c'est arrêter les indemnisations."
Dès octobre 2011, vous protestiez avec 200 personnes à Tokyo pendant au moins trois jours devant le grand ministère de l'Industrie. Que réclamiez-vous à l'époque ? Et que faites-vous maintenant ?
Nous avions 4 grandes revendications : arrêter et démanteler toutes les centrales ; ne jamais les redémarrer ; faire évacuer les enfants des zones contaminées ; indemniser toutes les évacuations. Depuis, nous continuons. En 2012, nous avons protesté contre le redémarrage des réacteurs de la centrale de Oi (aujourd'hui ré-arrêtés); Aujourd'hui, nous protestons contre les directives concernant les zones d'évacuation...
Il y a évidemment une raison financière à ces appels au retour: c'est arrêter les indemnisations. Mais, encore plus important, il y a la volonté de montrer que Fukushima est devenu propre avant les Jeux Olympiques (prévus pour 2020) ! Il est même question de faire passer la flamme sur la route nationale (parallèle à la côte et passant devant la centrale, NDLR) qui fut fermée au début de la catastrophe. Tout un symbole.
Comment se fait-il qu'on parle toujours des "mouvements de femmes au Japon" et pas de "mouvements d'hommes" ?
Les femmes sont si peu considérées... Moi, je n'ai rien à perdre. Les hommes, eux, avec beaucoup de devoirs et accablés de responsabilités, ont beaucoup à perdre. Mais certains s'engagent quand même. Surtout les retraités qui ont du temps à consacrer à cet engagement.
Auriez-vous un conseil à donner aux Français ?
Qu'ils disent au Japon d'arrêter le nucléaire et de ne pas en exporter. Il y a beaucoup de séismes dans notre pays, le danger existe toujours. Surtout, ce que je vous souhaite, c'est que vous n'ayez pas de Fukushima en France!
Propos recueillis par Dominique Leglu
116 cancers de la thyroïde avérés
Le 15 février 2016, les responsables de la santé de Fukushima ont donné les derniers chiffres officiels (actés au 31 décembre 2015) des conséquences sanitaires de la catastrophe. Après une deuxième série d'examens (d'avril 2014 à mars 2016, donc encore en cours) de la thyroïde chez les mineurs de la région (*), ce sont aujourd'hui 166 cas présentant des cellules malignes ou suspectées telles qui ont été constatés. Dont 116 cas de cancer avérés. "Or, au Japon, dans la tranche d'âge de 0 à 18 ans, fait remarquer Yomosono-net, l'incidence du cancer de la thyroïde n'est que de 0,9 pour 100 000 personnes". Soit quarante à cinquante fois moins environ... Officiellement, il n'est cependant toujours pas admis qu'il y ait un rapport direct entre les rayonnements post-catastrophe nucléaire et ces cas de cancers de la thyroïde. C'est "peu probable" affirme même le docteur Hokuto Hoshi, qui préside le comité procédant à l'enquête sur la santé autour de Fukushima. Une affirmation contestée par tous ceux qui insistent, justement, sur le fait que "les cas de cancer de la thyroïde ne cessent d'augmenter".
(*) 300 000 mineurs de 0 à 18 ans lors d'une première série d'examens, menée de façon systématique dans les écoles, seulement 236 000 lors de la deuxième série, faite sur une base individuelle et volontaire.
フランス語
フランス語の勉強?

図書館に行ってその後家賃振込みでATM.せっかくなので通帳記帳をしました.半年も記帳していなかったみたいです.100件以上たまると合計の金額だけになってしまうので3カ月に一度は記帳しようと思いました.
スーツ姿の学生が多いです.シューカツです.初々しい感じです.みんな頑張って〜♪

<震災5年>震災前水準 まだ戻らず
◎東北大災害研 今村文彦所長に聞く
 東日本大震災の発生から5年に合わせ、河北新報社と東北大災害科学国際研究所は、宮城県内で被災者アンケートを行った。震災2年後に始まった継続調査で、復興の進展が被災者の意識にどのような変化をもたらすかを把握する試みだ。
 東北大災害研の今村文彦所長に、今回の調査結果を読み解いてもらった。
     ◇
 被災者にとっての「復興」とは「震災前の生活に戻ること」と言っていいだろう。震災発生から5年がたって復興はかなり進んでいるはずだが、調査で浮かび上がったのは「まだ途上」との結果だ。
 暮らしの充実度や満足度、1年後の見通しから導き出した「生活復興感」は全体的に上昇している。安定した生活が営まれる状況に、ようやくなりつつあるのではないか。
 「脱『被災者』意識」を尋ねたのは、被災者意識の推移が今後の自立や復興の加速度を計る上での重要な指標となるからだ。
 結果は、被災者であることを「意識している人」「意識しなくなった人」を抑えて「どちらともいえない人」が最多となった。被災者は、まだ支援を必要としており、自立する自信が持てないでいる。
 「生きることに意味を感じる」「その後の人生を変える出会いがあった」と回答した人の割合が最も多かったのはプレハブ仮設住宅だった。これまで多くの人たちの支援を受けてきたということだろう。
 人口増加が見込めない現状では、交流人口の拡大による地域活性化が求められる。仮設住宅から災害公営住宅に移った後も、これまでの出会いを大切にし、つながりを保つ努力が必要だ。そうしないとコミュニティーが廃れてしまう。
 「生きる力」得点は「再建した持ち家」「借り上げ仮設住宅」の方が「プレハブ仮設住宅」「災害公営住宅」より高かった。自立するパワーがもともと強かったといえる。災害公営住宅でもコミュニティー形成を進めれば今後、得点は高くなるだろう。
 被災世帯の収入は、震災の2年後と5年後で大きな変化はなかったが、中身は相当変わったのではないか。2年後はがれき処理など行政から提供された仕事による収入が多かったが、現在は自立した収入が中心だと思う。
 もともと被災地では、水産業や農業を営みながら食べ物を自分で確保する人が多く、低収入でも生活の質は高かった。それが震災で生活様式の変化を強いられ、家計の負担も増している。
 前年と同様、生活再建に向けて「くらしむき」を重要視する回答が最も多かったのも、こうした理由からだろう。生活の充実度や満足度を高めるには、安定した収入が欠かせない。収入がある程度増えないと、今後の地域定住やまちづくりにも影響が出る。


<震災5年>生きる力 借り上げ・持ち家高い
 東日本大震災の発生から5年に合わせ、河北新報社と東北大災害科学国際研究所は、宮城県内で被災者アンケートを行った。震災2年後に始まった継続調査で、復興の進展が被災者の意識にどのような変化をもたらすかを把握する試みだ。調査の設計と集計を担った災害研の佐藤翔輔助教(災害社会情報学)とともに分析する。
 住まいの形態によって災害を乗り越えて生き抜く力に違いがあるのかどうかを探った。
 性格や考え方、生活習慣に関する設問34問について6段階で評定してもらった。設問を「リーダーシップ(指導力)」「問題解決(力)」「愛他性(包容力)」「頑固さ(初志貫徹力)」「エチケット(マナー力)」「感情制御(力)」「自己超越(力)」「能動的健康(健康力)」の8項目に分類し、得点を算出した。
 住まいを失った被災者では「借り上げ仮設住宅」「再建した持ち家」に住む層が8項目全般で高い得点を示した。特に「問題解決力」の得点が高い。
 「マナー力」では「プレハブ仮設住宅」「災害公営住宅」がともに77.1点で比較的高得点だった。
 「健康力」では「修繕した持ち家」(67.1点)と「プレハブ仮設住宅」(58.0点)で9.1ポイントの差があった。
◎分析/住居確保能力相関か
 住まいの自力再建や震災直後の混乱期に自力で賃貸住宅を見つけた被災者に「生きる力」が備わっている可能性が確認された。この傾向は、「頑固さ(初志貫徹力)」で特徴的。住まいの形態別で見たときは、それぞれの平均年齢などが異なっており、解釈には注意が必要となるが、個人の内的な生きる力と復興に何らかの関係性があることを示した調査結果だ。


<震災5年>収入の悩み より深まる
 東日本大震災の発生から5年に合わせ、河北新報社と東北大災害科学国際研究所は、宮城県内で被災者アンケートを行った。震災2年後に始まった継続調査で、復興の進展が被災者の意識にどのような変化をもたらすかを把握する試みだ。調査の設計と集計を担った災害研の佐藤翔輔助教(災害社会情報学)とともに分析する。
 「仕事」「収入」「住まいの再建・移転」など10項目で、それぞれの「不安度」を5段階で評定してもらった。このうち「大変不安である」「不安である」と回答した人の割合を合算し、震災後の推移を見た。
 時間の経過とともに不安度が高まっているのは「仕事」と「収入」の2項目。なりわいの復興が進んでいないことを裏付けた。「収入」に不安を抱いている被災者は本年調査で47.8%。全項目中で最も高い数値になった。
 不安度が低減しているのは「住まいの再建・移転」「まちの復興」「仮設住宅で暮らせる期間」の3項目。いずれも震災発生から3年後の調査で大きく減少している。住宅再建の方向性が見え始めた時期との一致がうかがえる。
 「からだ(健康)」「震災の風化」「被災した土地の今後」「集落・地域の離散」「仮設住宅での近所付き合い」の5項目は、不安度がほぼ横ばいで推移している。
 「仮設住宅での近所付き合い」への不安度が一貫して低いのは、自治会設立の取り組みや入居者に対する外部支援が手厚く行われてきた成果と言えそうだ。
◎分析/被災土地今後に関心
 「仕事」「収入」「震災の風化」「被災した土地の今後」で「不安度」が高い傾向は、過去4年間一貫している。「仕事」「収入」は、暮らし向きが生活を再建する上で最も重要である証拠。「震災の風化」は「忘れてほしくない」という被災者の気持ちの表れだろう。「被災した土地の今後」は、金銭面に加え、土地の物理的変化や復興事業への関心を反映していると考えられる。


<震災5年>災害公営住宅の満足度低く
 東日本大震災の発生から5年に合わせ、河北新報社と東北大災害科学国際研究所は、宮城県内で被災者アンケートを行った。震災2年後に始まった継続調査で、復興の進展が被災者の意識にどのような変化をもたらすかを把握する試みだ。調査の設計と集計を担った災害研の佐藤翔輔助教(災害社会情報学)とともに分析する。
 「生活の充実度」「生活の満足度」「1年後の生活の見通し」に関する計15項目を5段階で評定してもらった。評定結果を点数に置き換え、75点満点で「生活復興感」を得点化した。
 3年間の推移を見ると、被災12市町の平均得点は毎年、わずかずつ上昇している。市町別では、得点を積み上げている自治体と減っている自治体の二極分化傾向が読み取れる。
 時間の経過とともに生活復興感が増しているのは、南三陸、女川、多賀城、仙台、名取の5市町。逆に山元町では、復興の進展に逆行して生活復興感が低減している。
 徐々に進む仮設住宅の解消に着目して集計した住まいの形態別では、転居先によって生活復興感に格差が生じている実態がうかがえた。
 プレハブ仮設住宅から転居した場合の生活復興感は「修繕した持ち家」「再建した持ち家」などで得点が高かった。借り上げ仮設住宅からの転居では「再建した持ち家」「民間賃貸住宅」が高得点だった。
 「災害公営住宅」に入居した被災者の生活復興感は低く、プレハブ仮設住宅からの転居者で37.3点、借り上げ仮設住宅からの転居者で37.0点にとどまった。継続してプレハブ仮設住宅に住んでいる被災者(39.7点)や借り上げ仮設住宅に住んでいる被災者(40.3点)をも下回っている。
 復興の象徴とされる災害公営住宅だが、入居が被災者の生活復興感を高めているとは言い難い結果になった。
◎分析/まちづくりなど影響
 過去4年間の「生活復興感」得点は、震災1年後から2年後にかけては「やや上昇」、2年後から3年後にかけては「やや下降」、3年後から4年後にかけては「やや上昇」と上下動を繰り返してきた。今回の調査結果は、揺れ動いてきた生活復興感に微妙な変化の兆しが感じ取れる。市町別の推移と併せて分析すると、住まいの再建、その見通し、まちの復興などが影響していると考えられる。


<震災5年>脱「被災者」意識 住まいで差
 東日本大震災の発生から5年が経過してなお、災害公営住宅の入居者は「『被災者』ではなくなった」との思いを抱けずにいることが、宮城県沿岸12市町の被災者を対象としたアンケートで分かった。経済的理由などで住宅の自力再建を果たせなかったことなどが要因とみられる。河北新報社と東北大災害科学国際研究所が共同で調査した。
 「自分が被災者だと意識しなくなったか」を尋ね、5段階で評定してもらった。「とてもよく当てはまる」「どちらかといえば当てはまる」と回答した人の割合を、住まいの形態別に集計した。
 脱「被災者」意識が最も高かったのは「民間賃貸住宅」の43.4%。次いで「修繕した持ち家」の41.8%、「借り上げ仮設住宅」の40.3%となった。逆に「プレハブ仮設住宅」は23.3%、「災害公営住宅」は28.3%と、脱「被災者」意識が希薄だった。
 災害研の今村文彦所長は「災害公営住宅に転居した人々は、環境の大きな変化に対応しきれていないのではないか」と分析。住まいの形態が復興へと向かう被災者の気持ちに影響していることをうかがわせる結果となった。
 生活の復興をどの程度実感しているかを探るため「今後の暮らしのめどが立っているか」「生きることに意味を感じるか」「その後の人生を変える出会いがあったか」も併せて聞いた。
 「今後の暮らしのめどが立った」との回答は全体では35.4%に達したが、災害公営住宅では25.2%にとどまった。今村所長は「高齢者の孤立をどう防ぐかが今後の重要な課題であり、地域ぐるみでのケアが必要だ」と指摘する。
 郵送、ポスティング、インターネットでことし1月下旬、宮城県沿岸の被災者に調査票を配布し、計3470人から回答を得た。性別は男性58.7%、女性41.2%。平均年齢は50.5歳。


<震災5年>歯形照合を再実施 遺体の身元判明
 宮城県警は15日、東日本大震災後に石巻市網地浜沖の海上で見つかり、似顔絵を公開していた身元不明の遺体が、同市南浜町3丁目の女性=当時(69)=と判明したと発表した。遺骨を保管していた塩釜市が同日、塩釜署で、女性の妹(70)ら遺族に遺骨を渡した。
 県警によると、遺体は2011年3月31日、宮城海上保安部(塩釜市)の巡視船が発見。DNA鑑定できょうだいと照合したが特定できなかった。ことし別のきょうだいとDNA鑑定を進め、歯型を再度照合した結果、身元を確認できた。
 県内で見つかり、身元が判明していない犠牲者は15人となった。


<震災5年>身元判明 妹「肩の荷下りた」
 身元が判明した女性の妹(70)=宮城県東松島市=は遺骨を渡された後、取材に「これで(義理の)兄の元に帰してあげられる。肩の荷が下りた」と話した。
 震災後、避難所や遺体安置所を回り、写真やファイルを調べて歩いた。それでも見つけられなかった。震災から丸5年。諦めかけた一方で、「どこかで生きているのでは」という気持ちも残っていたという。
 「身元が判明したと聞いたときは、遺体の写真を見ても分からなかったので、半分信じられなかった。説明を受けてすっかり力が抜けてしまった」
 姉は介護していた夫を亡くした後、1人暮らしだった。世話好きで、近所のお年寄りの面倒を見ていたという。震災後、自宅を訪れてみると施錠されていたので「お年寄りのところに行く途中だったのかもしれない」と想像する。
 「亡くなった兄も心配していたと思う。姉には『2人でゆっくり話ができるね』と声を掛けたい」。骨箱を抱き、しみじみと語った。
          ◇         ◇         ◇
 宮城県警は15日、東日本大震災後に石巻市網地浜沖の海上で見つかり、似顔絵を公開していた身元不明の遺体が、同市南浜町3丁目の女性=当時(69)=と判明したと発表した。遺骨を保管していた塩釜市が同日、塩釜署で、女性の妹(70)ら遺族に遺骨を渡した。


<被災校舎の行方>表に出せぬ声 尊重を
◎石巻・震災遺構を考える(2)大川小・解体
<心痛める遺族も>
 生きている人たちが心からの笑顔を取り戻す。それが、天国の子どもたちをも笑顔にする。
 宮城県石巻市大川小6年だった長女小晴さん=当時(12)=を亡くした平塚真一郎さん(49)はそう信じる。
 東日本大震災の津波で変わり果てた校舎に毎日通い、手を合わせる。「みんな幸せになっていますように。まだ見つかっていない子を早く帰してあげて」
 2011年8月。校舎から数キロ離れた海で遺体の一部が見つかった。DNA型鑑定の結果、小晴さんと確認された。幼い弟と妹をあやして笑わせる面倒見のいい姉だった。「本当によく帰ってきたね」。一緒に捜してくれた不明児童の親らと涙を流して喜び合った。
 大川小では今も児童4人の行方が分からない。校舎を壊して隅々まで捜したい。わが子の手掛かりを一つでも見つけたい。そう願う家族がいる。校舎を背景に写真を撮る来訪者の姿に、胸が締め付けられる遺族もいる。
 「校舎を見て心を痛めている人たちに寄り添い、少しでも悲しみを取り除きたい」。校舎の遺構保存をめぐる2月の公聴会で、平塚さんは解体を強く訴えた。
 保存を望む意見は、頭では理解できる。でも、心がついていかない。きれいに整備し、たくさんの花が咲き、集う人々の心が安らぐ場にしてほしい。全てを忘れたいがためでは決してない。
 市が昨年実施した校舎に関するアンケートで、地元住民の54.4%が「解体」と回答した。ただし、表面には現れにくい「解体」の声もあるという。
<家族の間でも差>
 アンケートは世帯主宛てに送付。世帯主が世帯の意見を代表して答える仕組みだった。ある地元の遺族は家族で話し合った結果、「一部保存」との結論を出した。世帯主の男性は「いつまでも校舎を見ていたくない」と解体を望んだが、最後は家族の意向を尊重した。
 世帯主の男性は、大川小で子どもを亡くした他の遺族の話にも耳を傾けた。「家族の間でも遺族の間でもそれぞれ考え方は違う。誰の考えも否定はできない」
 校舎が立つ釜谷地区は津波で大きな被害を受け、住民の約4割に当たる193人が犠牲になった。釜谷地区で長く暮らした男性が振り返る。「あちこちに遺体があった。地獄だった」
 震災前の釜谷地区の写真を、移転先の仮設住宅で大事に保管している。大川小のほか、民家やスーパー、郵便局、診療所、交番などが立ち並ぶ。
 男性は暇さえあれば大川小の餅つきなどの行事を見学し、孫らの成長を見守ってきた。「大川小は地域のよりどころでもあった。くたびれた姿はもう見たくない」と解体を求め、こう静かに続けた。
 「解体の思いは一個人の感情と捉えられがち。声を上げにくい面があることを理解してほしい」
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)


<アーカイブ大震災>園児の命 脚立が救う
 宮城県石巻市の石巻工業港に近い石巻みづほ第二幼稚園(同市新館2丁目)では、東日本大震災による津波が園舎2階まで達した。津波の襲来前、周囲の道路は避難しようとする車で渋滞し、近くに高い建物もない。児童と職員は園に残るしか、すべがなかった。園にあった一つの脚立が園児ら全員の命を救った。
◎逃げる その時供複押鵬虻へ(石巻みづほ第二幼稚園)
 ラジオは床に落ちて壊れた。防災無線や携帯電話のワンセグで情報を得ようにも、断片的な言葉しか伝わってこない。「津波」「午後3時○○分」「鮎川」「9メートル」…。
 2011年3月11日、地震の発生時、園には預かり保育の3〜5歳の13人と職員11人が残っていた。鉄筋2階の建物に大きな被害はなく、園長の津田広明さん(71)らは2階に子どもたちを集め、保護者の迎えを待った。
 しばらくして、保護者が迎えに来て園児2人が帰っていった。
 「本当に大津波が来るのか」。海の水が引く様子もなく、津田さんは半信半疑だった。
 園は工業港の岸壁からわずか約200メートル。津田さんは「津波」「9メートル」の言葉が脳裏から離れなかった。念のため屋根に上る脚立を用意しておくよう、職員に頼んだ。
 園舎2階からは工業港を横切る「臨港道路」と大街道方面に向かう「工業港通り」が見える。ともに4車線の道路は渋滞が激しくなっていた。
 臨港道路より数メートル低い園の周囲には住宅や商店が立ち並び、高い建物はない。送迎バスで遠くに逃げるか―。「いや無理だ」と津田さんは思った。園に着いた保護者も車での避難を諦めた。
 「津波が来たっ」。教頭の佐藤順子さん(52)は職員のうわずった声を覚えている。反射的に海の方を向くと、工業港の方から濁流が猛スピードで迫ってくるのが見えた。
 園庭にいた職員(33)が証言する。「津波は電柱を覆うほどの高さだった」
 職員らは廊下に机を並べて踏み台にし、園児を窓から、棟続きのボイラー室の屋根に移動させた。さらに普段は二つ折りで使う脚立を真っすぐに伸ばし、約3.5メートル上の園舎屋上に立てかけた。
 ズボンをつかんで園児を脚立に載せ、屋上から職員2、3人が引っ張り上げた。脚立はほぼ垂直で、途中は園児の力だけが頼り。泣きだす園児もいた。
 最後に残った職員が脚立に手を掛けた時、水はボイラー室の屋根までひたひたと迫っていた。
 園舎屋上の三角屋根の上で、子どもたちは肩を寄せ合った。周囲の家が次々と流されていく。「これ以上、高い波は来ないで」。佐藤さんらは祈るような気持ちで、海を見詰めるしかなかった。
 水が引き始めたのは午後7時ごろ。全員が2階に戻った。がれきが流れ込み、床は泥だらけ。壁には高さ約1.5メートルまで津波の跡が残っていた。
 携帯電話がつながった職員がいた。また津波が来るという。再び屋根に上った。体操用マットを風よけにして寒さをしのいだ。午前2時すぎ、2階に戻った。
 園児と職員は翌12日午前、海上保安庁のレスキュー隊に救助され、仙台湾上の海上自衛隊の護衛艦に収容された。
 園には震災当時、約140人の子どもたちが通っていた。園に残っていた11人は間一髪で難を逃れたが、既に帰宅していた7人が津波に巻き込まれ亡くなった。地震後、保護者に引き取られた1人も犠牲になった。
 津田さんは振り返る。「園児が100人以上残っている時間帯だったら、どうなっていたか。全員が屋根に上ることは不可能。屋根より高い津波が来たら、それこそ終わりだった」(大友庸一)=2011年8月19日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


被災者支援 活動資金が課題に
東日本大震災の被災地で活動するNPO法人などの90パーセント近くが「活動資金の不足」を今後の課題だと考えていることがNHKのアンケートでわかりました。
NHKは震災発生から5年になるのを前に先月、宮城、岩手、福島の3県などで被災者支援に取り組むNPO法人など58団体を対象にアンケートを行い、31団体から回答を得ました。
まず、来年度以降も活動を行う予定かたずねたところ▼「活動を行う」という回答が83%に上る一方、▼「未定」という回答も16%ありました。
また「活動を行う」とした団体でも▼「いつまで継続するか決まっていない」という回答が53%に上り全体のおよそ6割は今後の活動について具体的な見通しがたっていないことがわかりました。
さらに活動を継続する上での課題を複数回答でたずねたところ▽「活動資金の不足」が87%と最も多く次いで▽「人材の不足」が65%▽「活動拠点の不足」が29%などとなりました。
震災の発生から5年が過ぎても支援を求める被災者のニーズは依然、高い一方で、民間企業による助成金などは次第に減る傾向にありこうした団体をどのように支えていくのかが課題となっています。


デスク日誌 被災者の視点に
 仙台市太白区あすと長町の災害公営住宅の南隣で、高層マンションの建設が進み、被災者が「日光が当たらなくなる」と心配している。こんな記事が先日、夕刊に掲載された。
 新人記者が災害公営住宅入居後の課題を探して連載企画の取材を進めるうちに知った。津波で自宅を失って仮設暮らしを強いられ、やっと手に入れた住まい。「マンション側に問題はないが、何とも気の毒だ」という割り切れない思いが記事のきっかけになった。
 震災から5年。被災者の住環境整備は遅れとともに地域差が目立っている。河北新報の調べで、岩手、宮城、福島3県の被災者向け住宅用地の整備率は計画の35.1%(1月末)。
 仙台市の災害公営住宅の整備率は3月中にほぼ100%になる。長町地域は南の副都心として、病院や商業・スポーツ施設の集約が進み、恵まれた環境だ。それでも被災住民の視点に立つと、行政側が予想もしなかった課題が見つかる。
 夕刊の記事では、公営住宅の住民の女性が「災害公営住宅のせいで日陰になった地域もあり、マンション建設は仕方ない」と話した。切なさが増した。(報道部次長 藤原陽)


<被災校舎の行方>全てなくして どう伝える
◎石巻・震災遺構を考える(3)門脇小・保存
<店解体受け入れ>
 もう二度と津波の犠牲者を出さない。その願いを被災した校舎に託す。
 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市門脇地区でラーメン店を営んでいた尾形勝寿さん(70)は、門脇小の保存を求める。
 激しい揺れに見舞われた際、今も行方が分からない妻きみ子さん=当時(59)=と店にいた。津波に気付いて逃げようと玄関を出た瞬間、濁流にのまれた。勝寿さんは流れてきた屋根にしがみついて助かったが、きみ子さんの姿はなかった。
 「なぜ2人で早く逃げなかったのか」。後悔の日々が続いた。2012年7月、津波で鉄骨だけになった店舗兼自宅で本格的に仕事を再開。宮城県大郷町の借家から通い、キッチンカーでご当地グルメ「石巻焼きそば」を販売し、求められれば語り部も務めた。
 震災から時間がたつにつれ、市内各地で被災した建物が解体されていった。隣接する南浜地区にあった市立病院も姿を消した。
 「全部壊して何もなくなったら、後世にどう伝えるのか」。危機感が募り、鉄骨の店を民間の震災遺構として残そうと奔走した。しかし、門脇では住宅地を整備する土地区画整理事業が本格化。「復興を遅らせられない」と、15年春に店の解体を受け入れた。
 地区に残った被災建築物の門脇小には、国内外から震災学習のため人々が足を運ぶ。「妻は同じことを繰り返してはならないと叫んでいる。なんとか校舎を残してもらいたい」
<見ると安心する>
 門脇小卒業生のパート榊美紗子さん(27)は、校舎前の自宅で家族ともども津波にのまれ、母のひとみさん=当時(51)=と祖母の美代子さん=同(79)=が犠牲になり、父の健之(たけし)さん=同(53)=が行方不明になった。
 自宅は跡形もないが、月に何度か立ち寄る。悲しみだけではなく、家族を思い出し、心を落ち着かせられる場所だ。校舎も生活の一部。被災した姿だとしても、見ると安心する。
 「震災後、敷地内のプールが壊されただけでも悲しかった。校舎がなくなると心に穴が空いてしまう気がする。これ以上、何も失いたくない」
 自宅からは学校の校庭で子どもたちが鼓笛隊の練習をする様子や、幼稚園や町内会の運動会など住民の楽しそうな姿が見えた。津波で全てが失われたと思ったが、震災後に高校生が校庭で体育の授業をしているのを見て、思わず涙があふれた。かつての様子と重なった。
 「校舎を見るのがつらい人には申し訳ないし、傷つけてしまったらどうしようかとも思う。それでも、校舎に愛着がある。解体されてみんなが門脇小を忘れ、なかったことになるのは耐えられない」
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)


津波被災の気仙沼署 復興支える新庁舎完成
 東日本大震災の津波で被災した宮城県警気仙沼署の庁舎が気仙沼市赤岩杉ノ沢に移転新築された。仮設庁舎で続けられてきた業務は22日から新庁舎に移る。
 新庁舎は鉄筋コンクリート3階、延べ床面積4420平方メートルで、宮城県が海抜15メートルにある旧鼎が浦高跡地(敷地1万4250平方メートル)に建設。交通課に免許係を新設し、7月から運転免許証の即日交付と月1回の日曜窓口を実施する。事業費は29億4000万円。
 15日の内覧会には住民ら約100人が出席。木川田衛署長が「新庁舎でも被災した地域の人々に寄り添い、治安維持から復興を後押しする」と決意を語った。
 同市南郷にあった庁舎は津波で床上1.5メートル浸水し使用不能となった。宮城県内24署のうち同様に浸水した塩釜署は復旧、南三陸署は仮設庁舎で業務を続けている。


東北被災地 復興支援イベント
被災地の復興支援につなげようと、東北地方特産の食品や工芸品を販売するイベントが16日、京都市で始まりました。
このイベントは京都市下京区のデパートが4年前から毎年この時期に開いていて、東北地方特産の食品や工芸品などを販売する64の店舗が集まりました。
このうち、岩手県大船渡市の寿司店は、三陸特産のアワビやかき、うになどを豪快に盛りつけた弁当を販売していて人気を集めていました。
また、山形市の工芸品店は、大きい頭に太めの胴が特徴の「こけし」を取りそろえていて、絵付けができる体験コーナーも開いています。
会場では岩手県釜石市など被災地の復興の様子をとらえた写真もパネルで展示しています。
主催したデパートの担当者は「こうしたイベントを通じて東北のおいしさや楽しさを伝えていきたい」と話していました。
このイベントは3月21日まで京都市のデパート、京都高島屋で開かれています。


3.11後の夢、手記集め本に 京都の出版社
 東日本大震災から5年の節目に、被災者らが震災後に生まれた夢をつづった本「3・11からの夢」を、京都の出版社が発行した。制作を担当した編集者の女性は、2年間で26回、延べ156日現地に入り、今も続く絶望のなかで前を向こうとする人たちに手記を依頼した。「被災地に関わりのない人にも、自分の生き方を考えるきっかけにしてほしい」と話す。
 制作したのは、「いろは出版」(京都市左京区)の末永光さん(24)。大阪府寝屋川市出身で大学2年だった震災当時は「何もできなかった」が、2014年春に入社して現地に通い、「被災地の人たちが希望を持てるきっかけをつくりたい」との思いで、夢の手記を集め始めた。
 登場するのは、6歳〜87歳の30人。震災孤児となった大学生の阿部真奈さん(21)は、母の遺体が見つからないときの絶望感やラジオ放送のボランティアを経験してアナウンサーを目指した心の変化に触れながら「忘れられないために伝える仕事をする。『被災者』ではない私になりたい」と書く。「陸前高田を復興の象徴にする」夢を掲げた陸前高田市の戸羽太市長(51)は、家族よりも市長の使命を優先したときの心の葛藤や、妻の遺体を前に「俺は人として間違っていたのかもしれない」と何度もわびた経験をつづった。
 このほか、「福島をもう一度みんなでつくりたい」(福島の母親)、「この海で三陸の誇りを担っていく」(家も会社も流されたホタテ屋2代目)「当たり前の生活」(仮設住宅から新居に引っ越したおばあちゃん)「やきゅうせんしゅになるよ」(震災当時1歳だった男の子)などの夢が笑顔の写真とともに紹介されている。
 「3年間被災地に関わりもせず傷口に塩を塗るな、と支援者に言われ、人と話すことが怖くなったときもある」という末永さん。何度も挫折しかけたが、「夢について聞かれたのは初めて」「希望の宿題をもらったみたい」という被災者の言葉に勇気づけられたという。「5年間必死で生きてきた人がいる。自分はどうか、と見つめ直す一冊になればうれしい。私のように震災に向き合い切れなかった人にも読んでもらえれば」と話す。


大震災5年 国の姿勢/復興を未来につなげよ
 「被災地の復興なくして日本の未来はない」。東日本大震災後、復興に取り組む姿勢を強調する安倍晋三首相の言葉を何度聞いたことだろう。
 被災地の現状との落差から、その決まり文句に心がこもっていないことを感じながらも、その言葉にすがる気持ちを捨てきれないのもまた、被災地なのである。
 鉄道や道路などのインフラは回復しているが、生活や事業再建への道筋など、被災した住民が抱える問題は複雑で多岐にわたる。復興事業の進み具合は一様ではない。
 それでも政府は「一定程度復興は進んでいる」と総括。2016〜20年度を「復興・創生期間」と位置付け、津波被災地の復興からの総仕上げを掲げる。15年度までの集中復興期間に認められた復興予算の全額国費負担は改められ、被災地負担が導入される。
 復興の新たなステージを迎え、国は被災地に「自立」を求めるという。竹下亘復興相(当時)が阪神淡路大震災など過去の例を挙げて復興事業への被災地負担を打ち出した際、「被災自治体は自立し得る気概を」と強調した。
 今も約17万人が避難生活を強いられ、約6万人はプレハブの仮設住宅で暮らす。それだけの大災害だったことが忘れられていないか。
 国に依存し努力を怠っているとでも言うような言葉は、主体性のない市町村が取り残されてしまう格差にも目をつぶる「地方創生」に通じる。全てを失ったところから始まった被災地の復興と、アイデアを競わせる地域づくりを同列で扱うとすれば疑問だ。
 被災地では高齢者の孤立や産業衰退など日本が抱える問題が凝縮、顕在化している。復興への実践をモデルとしてつないでいくことこそが「日本の未来」への一歩のはず。
 国がすべきは自立したくてもできない被災地の課題に細かく目を配り、国民の理解を得ながら解決に最善を尽くすことであって、ことさら自立をあおることではあるまい。
 過去の災害を検証し、命を守る取り組みを教訓として引き継ぐ努力も国の責務だ。
 兵庫県の災害復興住宅では昨年、33人が孤独死した。阪神淡路大震災から20年を経ても続く「災後」の現実だ。
 東日本大震災でも被災者の見守りや心のケアの必要性が指摘されながら、重要な役割を果たす生活支援相談員の身分は不安定なまま。生きることが恐怖になっている阪神淡路の悲劇を、東日本の被災地で繰り返させてはならない。
 5年前の大震災では病院が被災し混乱したことで、本来救えた多くの命が失われ、災害時に医師や物資の支援を円滑に受け入れる準備の必要性が認識された。しかし、南海トラフ地震が心配される東海から九州の病院で対応を終えたのはわずか8%。次の災害への備えも進んでいない。
 日本は「自然災害大国」。防災・減災社会づくりから災害対応、復興までを一貫して担う組織が必要ではないか。復興庁の業務を復興が見通せない福島を軸に見直し、法改正で期限の20年度以降も残すのも一案で、大震災の教訓を受け継ぐ司令塔の存続は、被災地を超えて共感されよう。


選抜高校野球 義足で踏んだ夢に見た土 釜石高・沢田投手
 第88回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)に21世紀枠で出場する釜石(岩手)が16日、甲子園練習に臨み、左腕の沢田一輝投手(2年)が憧れの土を踏んだ。2歳の時に右脚を切断し、義足を着けている。この日は、一塁の守備練習。懸命にゴロをさばいた。「野球を続けるのがやっとで、甲子園は目標でさえなかった。野球を続けてきてよかった」と話した。
 生まれつき右脚が不自由だった。医師から「このままでは歩けなくなる」と告げられ、2歳の時に膝から下を切断。小学5年で野球チームに入ろうとした。父祐一さん(45)は「練習についていけるか心配」と反対したが、最後は「音を上げてやめると言うな」と後押ししてくれた。
 小6だった2011年3月11日。岩手県釜石市を大津波が襲った。一緒にいた友達と高台へ向かったが、脚を再手術したばかりで、思うように走れない。友達に「先に行っていいよ」と告げたが、背負って逃げてくれた。
 津波で街は一変し、自宅は全壊。民間賃貸住宅を借り上げたみなし仮設で暮らす。生きるのに必死なのに、中学で野球を続けるべきか迷った。全国から野球道具が届き、家族から「好きなことをやればいい」と背中を押されて軟式野球部に入った。高校には硬式しかない。ためらっていると中学の先輩が「野球部でいいんじゃないか」と声を掛けてくれた。数々の岐路で両親や友達らに支えられた。
 高校で投手に転じた。手先が器用で、カーブやシュートを次々と覚えた。控えなので、試合中は大きな声でチームを盛り上げ、捕手の防具着装を手伝う。中村翔斗選手(2年)は「あいつは義足を言い訳にするのが嫌い。練習内容はみんなと一緒で、手を貸すこともない」と話す。今月上旬の練習試合で打ち込まれた。佐々木偉彦(たけひこ)監督(32)は「まだまだ全部が足りない」と厳しい。
 03年夏の甲子園で「義足の三塁手」として活躍した今治西(愛媛)の曽我健太さん(30)をネット動画で見たことがある。励みになった。曽我さんは「脚のことは気にせず、自分のプレーをしてほしい。後になって、多くの人を勇気づけたことに気づくと思う」とエールを送る。
 今大会の始球式は、障害のある中高生が投手と捕手を務める。沢田投手は「同じ境遇にある人がプラスに考えてくれればいい」と思うが、脚に注目されるのは歯がゆい。「実力で評価され、試合でマウンドに立ちたい」【藤井朋子、武内彩】


広島の中3自殺/指導の在り方が問われる
 なぜ男子生徒は自ら命を絶ったのか。経緯や背景が次第に明らかになってきたが、疑問はさらに膨らむ。生徒の気持ちに気づき、寄り添った指導ができなかったのか。学校側の配慮に欠ける対応ばかりが浮かび上がるのは残念と言うしかない。
 広島県府中町の中学3年の男子生徒が昨年12月、誤った万引記録に基づく進路指導を受けた後に自殺していたことが分かった。
 町教育委員会などによると、男子生徒は、1年生の時に万引をしたことがあるとの記録を理由に、志望していた高校の推薦を出せないと担任に言われた。昨年12月8日、両親を交えた三者懇談を欠席し、その日に自宅で自殺しているのが見つかった。その後、万引したのは別の生徒だったことが判明した。
 男子生徒の両親は「ずさんなデータ管理、間違った進路指導がなければ、わが子は命を絶つことは決してなかったと親として断言できます」とのコメントを発表している。その無念さは察するに余りある。
 学校側がまとめた調査報告書の内容には、両親が疑念を抱いている。町教委はあらためて第三者委員会を発足させるとし、文部科学省も調査を支援する方針だ。事実関係を徹底的に調べて課題を明確にし、再発防止策を示す必要がある。
 学校の報告書で明らかになった問題点も多い。万引の誤認は、元のデータの誤りを修正していなかった管理ミスのためだった。
 担任教諭は男子生徒に計5回の進路指導を行ったが、教室前の廊下での立ち話で5分程度だった。その場で万引についても聞いた。
 生徒は悩みを相談できず、「どうせ言っても先生は聞いてくれない」と保護者に話していたという。
 ずさんな情報管理や教諭間の連携不足は当然問題だが、将来を左右する進路指導でデータを頼り、生徒の思いをくみ取ろうとする姿勢が乏しかったことはより深刻だ。生徒に向き合うことができていれば、今回の事態は防げたのではないか。
 さらに、1年生時の非行歴を基に推薦の判断を下すという、しゃくし定規な「線引き」にも疑問の声が上がっている。
 学校の報告書には「指導の際の『魂』が欠落していた」との言葉がある。学校の指導そのものに問題はなかったのか。検証が必要だ。


梅光学院理事長退任求める署名、1万6千人近く集まる−下関
下関市の学校法人梅光学院(本間政雄理事長)の教育環境が破壊される−などとして、同窓生らが中心になって設立した「梅光の未来を考える会」が、経営方針の転換、本間理事長の退任を求めて呼び掛けた署名の集計が15日あり、同日夕までに1万6千人近い署名が集まった。
14日までの9日間で1万人の署名を目標に活動を展開したが、学院運営に納得できない同窓生らが運動の輪を広げて、北海道から沖縄まで全国から署名が集まった。梅光には縁のない市民からも多くの署名が寄せられた。同日夕までの集計では1万5631人、今後も増えそうだという。
同窓会役員で元教員の梶間真寿美さん(79)は「梅光で受けた教育は素晴らしいものだった。それがここ数年、改革という名のもとで信じられない状況になっている。卒業生として黙っておれない、何日間か立ち上がろうと呼び掛けた結果だ。学院は重く受け止めてほしい」と語った。
梅光学院大学教職員組合の委員長を務める渡辺玄英文学部専任講師は、署名の数に「皆さんの関心、学校への愛情の深さを示すものだ」とし、「市民の方々からもたくさん寄せられたのには驚いた。学院執行部がやっていることが、いかに社会通念からはずれているかということ」と話している。
同会は16日午後、署名簿を持って同市向洋町の学院本部で本間理事長に会い、署名の本旨を伝える。17日以降も下関市や山口県、文部科学省などを訪れ、同様に訴える予定だ。
5日に設立された同会は6日から署名活動を展開。財政健全化などを理由に同学院が中学校高校で一気に11人の希望退職を募集する際に、研修名目の面談に参加した教員から「パワハラだ」と反発の声が上がり、大学で特任准教授の突然の雇い止め通告など人事で混乱が続く学校運営を、「計画性のない人事」「専横的な学校運営で教育環境が破壊されつつある」などと訴えていた。大学では4月からのカリキュラムが決まらない学科、ゼミもあるという。


甘利氏 弁護士団体が刑事告発 あっせん利得容疑
 甘利明前経済再生担当相(66)=1月に辞任=の現金授受問題で、弁護士でつくる「社会文化法律センター」が16日、甘利氏と元公設秘書にあっせん利得処罰法違反の疑いがあるとして、東京地検に告発状を出した。
 告発状によると、都市再生機構(UR)との間で補償契約を巡るトラブルを抱えていた千葉県白井市の建設会社側から、甘利氏は2013年11月と14年2月に現金50万円ずつ計100万円を、元秘書は13年8月に500万円を受領し、同社が有利な契約を結べるようURに違法な口利きをした疑いがあるとしている。
 甘利氏は閣僚辞任を表明した記者会見で現金授受は認めたが、自身の口利き行為はなく、秘書については確認中と説明していた。UR側も甘利氏側からの違法な口利きを否定している。
 センター代表の宮里邦雄弁護士は記者会見して「金銭授受は客観的に明らかで、捜査機関により刑事責任が追及されるべきだ。秘書の責任だけでなく、甘利前大臣の共犯も問えると判断した」と説明した。
 甘利氏の事務所は「早期に解決していただくよう捜査に協力する」とのコメントを出した。【石山絵歩】


再審で無罪言い渡しの見通し
21年前、大阪市で住宅が全焼し、小学6年生だった女の子が死亡した火事で、無期懲役が確定した母親ら2人の再審=やり直しの裁判で、検察は、有罪を主張しない方針を決めました。これにより2人に無罪が言い渡される見通しになりました。
平成7年、大阪・東住吉区で、小学6年生だった当時11歳の女の子が死亡した火事では、母親の青木惠子さん(52)と、内縁関係にあった朴龍皓さん(50)が、放火や殺人の罪で無期懲役が確定しました。
大阪高等裁判所は去年10月、「火事は、車の給油口から漏れたガソリンに風呂釜から引火して起きた自然発火の可能性が否定できない」として、再審=裁判のやり直しと、刑の執行の停止を認め、2人は、服役していた刑務所から釈放されました。
4月以降に開かれる予定の再審について、検察は、2人の有罪を主張しない方針を決め、裁判所と弁護団に伝えました。
これにより、2人に無罪が言い渡される見通しになりました。
朴さんの主任弁護人の乘井弥生弁護士は「有罪を主張・立証する証拠はなく、これ以上の引き延ばしは人権侵害になる。有罪を主張しないのは当然の判断だ」と話しています。
青木惠子さん(52)は「私の無罪主張を認めてもらってうれしいです。ただ、もっと早く有罪主張を取り消してこの判断をして欲しかったです」とコメントしています。
朴龍皓さん(50)は「びっくりしました。検察が素直に事実を受け止めて、適切な対応をしてくれたものと思っています。再審公判でも無実を訴えていきます」とコメントしています。


スティグリッツ氏「消費増税すべきでない」 国際経済分析会合
 政府は16日午前、世界経済について有識者と意見交換する「国際金融経済分析会合」を初めて開いた。講師として招いたノーベル経済学賞の受賞者であるジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授は、世界経済は難局にあり「2016年はより弱くなるだろう」との見解を示した。「現在のタイミングでは消費税を引き上げる時期ではない」とも述べ、来年4月の消費税率10%への引き上げを見送るよう提言した。
 菅義偉官房長官は16日午前の記者会見で「スティグリッツ氏から税制について、総需要を喚起するものではないとの観点から、消費税引き上げはいまのタイミングではないとの趣旨の発言があった」と説明した。
 分析会合の終了後、安倍晋三首相とスティグリッツ氏のほか、首相の経済政策のブレーンを務める浜田宏一、本田悦朗両内閣官房参与を交え意見交換した。スティグリッツ氏は首相官邸で記者団に「首相は(消費増税先送りを)恐らく、確実に検討するだろう」と述べた。
 首相は分析会合の冒頭で「伊勢志摩サミットの議長の責任を果たすため、世界の経済・金融情勢について率直な意見交換をしたい。アベノミクスに関しても、どしどし意見を頂きたい」とあいさつした。
 スティグリッツ氏は分析会合で「世界経済は低迷している」との認識を表明。「日銀の金融政策だけでは限界がある。次に財政政策をとることが重要だ」と強調し、政府に財政出動を促した。
 分析会合の座長には石原伸晃経済財政・再生相が就いた。林幹雄経済産業相や加藤勝信一億総活躍相、菅氏や日銀の黒田東彦総裁が出席。本田、浜田両氏も陪席した。
 分析会合は17日に米ハーバード大学のデール・ジョルゲンソン教授と元日銀副総裁で日本経済研究センターの岩田一政理事長を招く。22日にはノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏を呼ぶ。
 首相はこれまでの国会答弁で増税の是非について「世界経済の収縮が起こっているか、専門的見地から分析し判断していかねばならない」と発言している。首相周辺は「有識者が経済収縮のリスクを指摘するなら増税見送りの判断はありうる」と語る。
 サミットまで継続的に開く予定で、5月の大型連休に安倍首相が欧州を歴訪する際にも外遊先で現地の経済学者らを招いた分析会合を開く方向で調整している。


在日コリアン 「ヘイトスピーチは人権侵害」法務局に申告
 在日コリアンが多数住む川崎市川崎区の臨海地域でのヘイトスピーチで人権を侵害されたとして、地元の在日コリアンら3人が16日、被害救済や予防措置を講じるよう求める申告書を横浜地方法務局に提出した。特定地域でのヘイトスピーチを巡って地元住民が法務局に救済を求めるのは初とみられる。今後、同法務局が調査を進める。
 被害を訴えたのは在日1世の趙良葉(チョウ・ヤンヨプ)さん(78)、在日3世の崔江以子(チェ・カンイジャ)さん(42)と夫で日本人の中根正一さん(53)。
 申告書によると、市内に住む男性らが1月31日、川崎区の公園で在日コリアンを攻撃する集会を開催。抗議のために公園を訪れた被害者らに対し、拡声機を使って「ゴキブリ朝鮮人は出て行け」「じわじわと真綿で首絞めてやる」などと差別的発言を繰り返した。集会後は在日コリアンが多数住む臨海地域を通って京急川崎駅までデモをした。この日を含め、川崎市内では同様のデモが2013年以降計12回行われているという。
 ヘイトスピーチを巡っては、東京法務局が昨年12月、朝鮮大学校(東京都小平市)前で脅迫的言動を繰り返したとして「在日特権を許さない市民の会」の元代表に同様の行為を行わないよう勧告した例があるが、不特定多数に対する差別的発言自体は現行法での規制が難しいとされている。【後藤由耶】
救済へ法整備必要
 ヘイトスピーチ問題に詳しい師岡康子弁護士の話 現行法制度下で救済を求めるには、被害者本人が名乗り出る必要がある。今回は住民が名乗り出ているので、特定地域に向けたヘイトスピーチによる人権侵害が認められる可能性があるが、通常は2次被害を恐れて訴え出ない人が多い。裁判とは異なり、法務局への申告は無料、迅速、非公開という利点がある一方、強制力がない。国は人種差別撤廃条約に沿った法整備をし、実効性がある被害防止策を講じるべきだ。
「いつか殺されるのでは」恐怖
 横浜地方法務局宛ての申告書を提出した在日コリアンら3人は16日、川崎市役所で記者会見し「いつか殺されるのでは」「夜眠れない」とヘイトスピーチ被害の深刻さを訴えた。「自分たちが悪いことをしているわけではない」として実名も公表した。
 会見で崔江以子さん(42)は「白昼堂々と成人男性から『朝鮮人は敵だ、敵はぶち殺せ』と言われた。いつか本当に殺されてしまうのではないかと思う」と不安な思いを口にした。「普通に仕事をして、休日には家族と余暇を過ごすなど平穏な日常を送りたい」と訴えた。
 趙良葉さん(78)は「あまりにもしんどくて心が傷ついた。夜になるとフッと思い出して眠れないことが続いている」と強調した。【後藤由耶】


【私説・論説室から】 あの人も観てほしい
 フランスで二〇一四年に公開され、国民の五人に一人が観(み)たというヒット映画の試写をみた。邦題「最高の花婿」は近く日本で公開されるが、はたして受けるか。
 というのも日本人にとってはテーマが少々不慣れなのだ。ネタバレしない範囲で紹介すると、美人四姉妹のいる家庭が舞台。姉妹は次々嫁いでいくが、相手は順にユダヤ教、イスラム教、そして中国人。両親は四女こそ自分たちと同じカトリック信者と結婚してほしいと願うが、四女が選んだのは…。
 多民族・多宗教が混在する移民大国フランス。異人種間の結婚は全体の二割近くを占めるといわれ世界一だ。映画はかの国でありえないとは言い切れない内容なのである。
 そして日本公開。なじみの薄い宗教の儀式や習慣やフランスが抱える植民地支配の負の歴史が映画のベースだけに日本人にとって分かりにくいのは確か。ただ、今ほど人種や宗教の差異を認め合い、「違い」を受け入れる寛容さが問われている時代はない。
 万人にお勧めしたいが、とりわけ観てほしい人がいる。メキシコ国境に移民対策の壁を造るとか、イスラム教徒入国拒否など暴言を重ねるT氏。「日本を取り戻す」と拳を振り、時に波風を立ててしまう、あの人も。フランスは女性活躍や少子化対策に成功した国だ。保健所、いや保育所不足や一億総活躍のヒントも得られるかもしれない。 (久原穏)


申し入れ 豊橋技術科学大の軍事研究反対 岡山大名誉教授ら /愛知
 「大学の軍事研究に反対する署名運動」事務局長の野田隆三郎・岡山大名誉教授(79)らは15日、防衛省の安全保障技術研究推進制度に「有害ガス吸着シートの開発」が採択された豊橋市の豊橋技術科学大を訪れ、9000人以上の署名を添え、軍事研究を行わないよう求める大西隆学長あての申し入れ書を提出した。
 同大は2015年度から3年間、防衛省から開発研究の委託を受け、委託費(初年度は約475万円)も支給される。野田氏は、大西学長が軍事目的の科学研究を行わない声明を出した日本学術会議の会長でもあることを指摘。「国民の大多数は研究成果の軍事利用を望んでいない」として、軍事に寄与する研究を行わない規定の作成を要望した。
 署名運動は大学教授ら22人の学者・研究者が呼びかけ人となり、昨年10月から今年2月まで行われた。申し入れは関西大に次いで2校目で、応募が判明した計16大学で行う。【吉富裕倫】

Yuさん寝屋川へ/枚方と八幡/家賃催促

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Fig17

Un soldat américain accusé de viol au Japon
La police japonaise a arrêté dimanche un soldat américain de 24 ans soupçonné de viol à Okinawa, un fait divers qui pourrait renforcer l'hostilité des habitants de l'île envers la présence militaire des Etats-Unis. Le suspect, basé dans le camp de Marines Schwab, est accusé d'avoir agressé sexuellement une femme le même jour, dans un hôtel de Naha, chef-lieu de ce territoire de l'extrême-sud du Japon, a indiqué ce lundi un représentant de la préfecture de police d'Okinawa.
Le porte-parole du gouvernement, Yoshihide Suga, a déploré un incident "extrêmement regrettable". Le Japon a "vivement protesté" auprès de son allié américain qui a assuré "prendre l'affaire très au sérieux", a souligné M. Suga lors de son point presse régulier, ajoutant qu'il espérait que la police pourrait résoudre rapidement l'affaire. De son côté, le gouverneur d'Okinawa, Takeshi Onaga, a fait part de son "ressentiment". "C'est un acte criminel grave qui ne saurait être toléré", a-t-il déclaré, selon des propos rapportés par l'agence Kyodo. D'après les médias japonais, le soldat a trouvé la victime, une touriste en visite à Okinawa, endormie dans le couloir de l'hôtel et l'a amenée dans sa chambre dans cet état avant de la violer.
Les deux logeaient dans le même établissement mais ils ne se connaissaient pas. L'armée américaine a refusé de commenter l'information. En 1995, l'enlèvement et le viol d'une écolière de 12 ans par trois militaires avaient suscité la colère de la population locale. Les Etats-Unis avaient alors promis de renforcer la discipline de leurs troupes et décidé de déplacer la base de Futenma. Actuellement située dans la ville de Ginowan, cette installation doit être transférée vers une région littorale moins peuplée, à Henoko, mais les autorités d'Okinawa réclament sa disparition pure et simple de leur région. Alors que le différend a récemment été porté devant les tribunaux, le premier ministre japonais, Shinzo Abe, a tenté de calmer le jeu début mars en annonçant la suspension des travaux, afin de reprendre de façon sereine les discussions avec la préfecture.
Occupée par les Américains après la Deuxième guerre mondiale et rétrocédée aux Japonais en 1972, l'île d'Okinawa, qui représente moins de 1% du territoire nippon, héberge plus de la moitié des 47.000 soldats américains présents au Japon, une cohabitation forcée qui est mal vécue. Les habitants se plaignent de nuisances sonores, des risques d'accidents et y voient la porte ouverte à la criminalité.
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アインシュタイン一般相対性理論の予言から100年の物理学の歩みをわかりやすく解説する一冊  坂元竜
重力波、膨張宇宙、ブラックホール。
アインシュタインの一般相対性理論の中核をなす3つのテーマについて、アインシュタイン以後の100年間の歩みをわかりやすく解説している。
そのことによってアインシュタインの業績がいかに偉大で同時に時代に先駆けていて革新的であったかが理解できる内容となっている。
ある意味科学史を通じてアインシュタインの業績を明らかにする伝記としての側面も持っている。
奇しくも一般相対性理論から100年後の今年、アインシュタイン最後の宿題とも言われた重力波が初めて直接観測することに成功したと報じられた。
この100年の物理学史を振り返るのにもこの著作はわかりやすく、おすすめだ。

サイエンスZERO 電気刺激で“脳”力アップ! 脳刺激研究最前線
脳の力をアップする。ドイツやアメリカを中心に今、画期的な治療法が注目を集めている。脳に電気刺激を与えて、脳の活動を“操る”「tDCS」と呼ばれる手法だ。頭の表面に微弱な電流を流すことで、運動野や言語野などが刺激され、脳の活動を高めるのだ。応用が進んでいるのが医療分野。脳卒中の後遺症やうつ病などの脳疾患を治療する装置として臨床試験が行われ、効果が報告されている。ドイツの事例を中心に最先端技術に迫る。
イップスって精神的な物では無い!?/ 指を動かす不思議な脳の働き/ tDCSは脳の力を引き出す(国立精神神経医療研究センター 花川隆部長)/ 頭に電極をつけ、電流を流して脳を刺激する。/ 脳の中でも運動に関わる「運動野」などを刺激することで、脳の能力を引き出していく。/ ドイツで行われている臨床試験の様子。脳梗塞で麻痺が出るなど運動機能が落ちた人の脳を電気で刺激することで、リハビリにどんな効果が出るかなど、検証が行われている。/ これがtDCSの装置。流す電流はわずか2mA。この微弱な電流こそが、治療のカギだという。

テレメンタリー 「いじめは空気だ〜届かなかったSOS」
2014年1月8日、3学期の始業式の朝、長崎県新上五島町立奈良尾中3年の松竹景虎君(当時15)が自宅近くの公衆トイレで首をつって自殺した。町の第三者委員会は2016年1月「過酷ないじめが原因で自殺した」とする調査報告書をまとめた。LINEでの自殺予告やいじめの原因を「空気」と書いた作文など景虎君は自殺する前、何度もSOSを発信していた。誰かが食い止めることは出来なかったのか?再発防止策とともに検証する。
佐々木彩夏(ももいろクローバーZ) 長崎文化放送


朝Hyさんと打ち合わせをしている時にYuさんが「4月から部署移動で寝屋川です」,だって.ご苦労様でした.
わたしは枚方出張です.樟葉で降りてさらにバス.1年ぶりかな?いつもとは違うバス.下車したところは八幡.つまり京都府なのでした.なんかスゴイ.仕事自体は1時間のところが45分程度で済んでよかったのでした.
夜電話がかかってきました.誰かな?と思っていたら家賃の催促でした.すみません.振り込んでいなかったようです.

<被災校舎の行方>表に出せぬ声 尊重を
◎石巻・震災遺構を考える(2)大川小・解体
<心痛める遺族も>
 生きている人たちが心からの笑顔を取り戻す。それが、天国の子どもたちをも笑顔にする。
 宮城県石巻市大川小6年だった長女小晴さん=当時(12)=を亡くした平塚真一郎さん(49)はそう信じる。
 東日本大震災の津波で変わり果てた校舎に毎日通い、手を合わせる。「みんな幸せになっていますように。まだ見つかっていない子を早く帰してあげて」
 2011年8月。校舎から数キロ離れた海で遺体の一部が見つかった。DNA型鑑定の結果、小晴さんと確認された。幼い弟と妹をあやして笑わせる面倒見のいい姉だった。「本当によく帰ってきたね」。一緒に捜してくれた不明児童の親らと涙を流して喜び合った。
 大川小では今も児童4人の行方が分からない。校舎を壊して隅々まで捜したい。わが子の手掛かりを一つでも見つけたい。そう願う家族がいる。校舎を背景に写真を撮る来訪者の姿に、胸が締め付けられる遺族もいる。
 「校舎を見て心を痛めている人たちに寄り添い、少しでも悲しみを取り除きたい」。校舎の遺構保存をめぐる2月の公聴会で、平塚さんは解体を強く訴えた。
 保存を望む意見は、頭では理解できる。でも、心がついていかない。きれいに整備し、たくさんの花が咲き、集う人々の心が安らぐ場にしてほしい。全てを忘れたいがためでは決してない。
 市が昨年実施した校舎に関するアンケートで、地元住民の54.4%が「解体」と回答した。ただし、表面には現れにくい「解体」の声もあるという。
<家族の間でも差>
 アンケートは世帯主宛てに送付。世帯主が世帯の意見を代表して答える仕組みだった。ある地元の遺族は家族で話し合った結果、「一部保存」との結論を出した。世帯主の男性は「いつまでも校舎を見ていたくない」と解体を望んだが、最後は家族の意向を尊重した。
 世帯主の男性は、大川小で子どもを亡くした他の遺族の話にも耳を傾けた。「家族の間でも遺族の間でもそれぞれ考え方は違う。誰の考えも否定はできない」
 校舎が立つ釜谷地区は津波で大きな被害を受け、住民の約4割に当たる193人が犠牲になった。釜谷地区で長く暮らした男性が振り返る。「あちこちに遺体があった。地獄だった」
 震災前の釜谷地区の写真を、移転先の仮設住宅で大事に保管している。大川小のほか、民家やスーパー、郵便局、診療所、交番などが立ち並ぶ。
 男性は暇さえあれば大川小の餅つきなどの行事を見学し、孫らの成長を見守ってきた。「大川小は地域のよりどころでもあった。くたびれた姿はもう見たくない」と解体を求め、こう静かに続けた。
 「解体の思いは一個人の感情と捉えられがち。声を上げにくい面があることを理解してほしい」
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)


震災前後の北上川が語る教訓 写真集制作
 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市北上町の写真愛好家らが、震災前後の地元の姿を収めた写真集「北上川河口物語」を制作した。かつての美しい風景や津波が町を襲う決定的瞬間などを掲載。古里の自然や風土、震災の教訓を後世に残す願いを込めた。
 プロのカメラマンや地元の写真愛好家ら14人が撮影した150枚を載せた。最も古い写真は約40年前、皿貝川に架かる木橋を写した1枚。震災前に全国有数の規模を誇ったヨシ原や、砂浜で地引き網をする住民らを活写した作品が並ぶ。
 震災後は、町内の避難所や仮設住宅を捉えた写真のほか、法印神楽の演舞や新しい建物の上棟式など、復旧・復興に向かう地域の様子を収録した。
 費用は、インターネットで少額の寄付を募る「クラウドファンディング」で賄い、昨年10月から2カ月間で約200万円を集めた。
 北上町では2010年までの13年間、町おこしの一環でプロの写真家を招いた写真教室を開催。参加した地元のカメラマンらが「震災前の豊かな自然と地域の復興を一冊にまとめたい」と写真集を作った。
 写真教室の代表を務めた地元のアマチュアカメラマン茂木一郎さん(65)は「津波で仲間2人が亡くなり、多くの景色も失った。悲しい思いや被害を繰り返さないよう記録にとどめた。手に取って見てほしい」と話した。
 AB判、120ページ。3000円(税別)。石巻市や東京都内の書店のほか、市内の追分温泉や道の駅「上品の郷」などで販売する。連絡先は北上川河口物語プロジェクト事務局080(8200)0687。


<仮設住宅>宮城3市町 供与7年目まで延長へ
 東日本大震災の被災者が暮らす仮設住宅の供与期間について、宮城県は14日、石巻、名取、女川の3市町の全入居者を対象に、震災発生から7年目まで一律に延長する方向で国と協議すると発表した。塩釜、気仙沼、多賀城、東松島、山元、南三陸の6市町は、特定の被災者のみ7年目延長とする方針。
 被災市町のうち供与期間を6年目まで延長しているのは12市町。7年目まで一律延長する3市町は、大半の災害公営住宅の完成が2017年度までかかる見通し。プレハブ仮設の被災者は完成日から、みなし仮設は入居開始日から満7年まで入居できる。
 特定延長とする6市町は、16年度中に災害公営住宅の整備や土地造成に一定のめどが立つ。このため災害公営住宅完成が17年度までずれ込むといった一部のみ7年目まで延長する。仙台、亘理、七ケ浜の3市町は6年で全て供与を終える。
 県は国の同意を得て、対象者の入居期間延長の再契約手続きを行う。6年で供与が終了する被災者を7月中に確認し、転居先未定の被災者には県被災者転居支援センターが入居先確保を後押しする。
 村井嘉浩知事は14日の定例記者会見で「公営住宅が整備されれば仮設住宅を縮小しなければならず、さまざまな問題が出てくる。市町の要望に添い、対応したい」と述べた。


<震災5年>3.11に100歳迎える
 東日本大震災から5年の3月11日に100歳の誕生日を迎えた宮城県大河原町の高田喜一さんのお祝い会が14日、入所する同県柴田町の特別養護老人ホーム常盤園であった。家族や利用者が長寿を祝った。
 高田さんは2010年末に脳梗塞で倒れ、岩沼市の病院に入院。同市の介護施設に移った時に震災に遭った。水や燃料が優先的に届けられ、健康を害することはなかったという。11年6月に現在の施設に入所した。耳は遠いものの、テレビを見るのが日課という。
 1916年、大河原町生まれ。尋常小学校を卒業後、樺太の炭鉱で働き、旧船岡町(現柴田町)の海軍の火薬工場で終戦を迎えた。妻きえ子さん(故人)との間に4男2女をもうけ、コメや野菜作りに励んだ。
 お祝い会で高田さんは「100歳を迎えられたのは家族の支えや地域の皆さんの支援のおかげ。健康に留意して長生きしたい」とあいさつ。滝口茂柴田町長が記念品を手渡し、施設職員が歌をプレゼントした。
 現在、孫が12人、ひ孫が10人いる。三男の敏雄さん(68)は「昔は気が短く怒ると怖かったが、年を取りすっかり丸くなった」と話した。


大震災5年 避難者への対応/住宅支援と心身ケア重要に
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故による山形県内への避難者が、ピーク時の4分の1に当たる3442人となった。2012年1月に全国最多の1万3797人を数えて以降、減少が続く。
 山形県が11年から毎年実施している避難者アンケートでは、5年間で定住希望者の割合が増加する一方、心身の不調を訴える人は8割に上る。避難生活の長期化で、年々孤立感を募らせる実態も明らかになっている。
 「山形での定住、就労に力を貸してほしい」「心身のケアの充実を」
 山形県が10日開いた意見交換会では、いま求められる支援策が浮き彫りになった。
 山形県の3日現在の集計によると、3442人のうち、避難元は福島県3121人、宮城県291人、岩手県21人など。大半を占める福島県からの避難者は、この1年間だけで約840人が転出した。
 復興庁の2月12日時点のデータでは、避難者は全国で17万4471人で、震災直後の推計約47万人から約5年間で6割以上減少した。
 避難者が暮らす都道府県は福島が最多の5万5321人で、宮城4万7106人、岩手2万2131人と続いた。県外に避難しているのは、福島からが4万3139人、宮城からは6396人、岩手からは1454人だった。
 避難先は47都道府県の1139市区町村に及ぶ。山形県内の避難者数は被災3県を除き全国6番目。減り続けていて、6876人と11年からほぼ横ばい状態で最多の東京都とは対照的な推移となった。
 山形県の場合、被災地の隣県のため、夫を避難元に残した母子避難世帯が多いのが特徴だ。県のアンケートによると、母子避難世帯の割合は12年に最多の39.5%に上り、15年でも28.1%。自主避難者は全体の約8割を占め、子どもの進級や進学に合わせた年度末の帰還が目立つ。
 福島県は自主避難者への借り上げ住宅提供を17年3月に終了する方針を示した。山形県内の支援関係者は「学校の区切りに合わせ、この1年間で帰還する避難者はかなりの数に上るだろう」とみる。
 帰還が進んだ結果、定住希望者の割合は相対的に増加している。15年の調査では28.3%が山形県を希望し、避難元の20.7%を上回った。ただし最多は「わからない、未定」の40.7%だった。
 被災3県をはじめ避難者を受け入れる自治体は新年度、生活の基本となる定住、住宅支援に力を入れる。
 山形県はこれまでの生活支援に加えて、定住に特化した相談窓口を初めて設置する。村山、置賜、庄内3地域で相談会を初めて開催するほか、福島県職員と共同で、戸別訪問も計画している。
 秋田県は県内に新たに転居する際の費用補助を始める。福島県は自主避難者のうち、住宅確保が困難な世帯を対象に、県営住宅に優先的に入居できる措置を講じる。
 避難先での定住か帰還か。避難者は人間関係の葛藤を抱えながら選択を迫られる。いまなお17万人に上る避難者には、個別の事情に配慮した柔軟な対応が必要といえる。


被災地転職 「復興の力に」…全国から福島に派遣の職員
 東京電力福島第1原発事故後に福島県内の自治体に派遣されて実情を目の当たりにし、派遣先の自治体職員に転職するなど復興に人生をかける決断をする人々がいる。出身地は北海道から九州までさまざま。採用した自治体は、新たな人材流入による未来に期待をかける。【栗田慎一】
「求められている」と決意
 「ほな、これでどないでっしゃろ」。同県いわき市にある双葉町仮役場に関西弁はよく響く。建築施工管理技士の小林博幸さん(45)は大阪出身の元大津市職員。復興支援員として大津市から1年間派遣され、任期を終えた2015年4月、正規の町職員に転じた。
双葉町、広野町、いわき市の位置
 第1原発が立地する双葉町は面積の96%が帰還困難区域で、東日本大震災から5年をすぎても地震で壊れた街並みは放置され、国の除染も始まっていない。震災と原発事故という複合災害が残した傷痕の深さは「見ると聞くとでは大違い」だった。
 道路などインフラ復旧はこれからなのに、計画作りに必要な建築技士は待遇のいいゼネコンなどに流れ、町の募集に応募者ゼロが続いていた。「僕だからできる仕事がある。残りの人生をかけるのも悪くないと思った」と小林さん。京都で働く妻とは離ればなれの生活だ。
 13年4月から広野町職員として町民の健康管理に当たる保健師の藤田奈緒美さん(43)も、1年の任期で派遣された北海道下川町職員だった。福島県沿岸部は以前から「医療過疎地」と呼ばれ、事故後は人材流出による人手不足に苦しむ。お年寄りたちとの交流が深まるにつれ、「自分が求められている」と広野に骨をうずめる決意をした。
 双葉町の志賀公夫・秘書広報課長は「自らが被災者となった自治体職員には、発想の限界や打ち破れない常識がつきまとう。人材流入こそ新しい地域を作る源になっていくと思う」と期待する。
 福島第1原発周辺の自治体は即戦力となる人材を集めようと採用年齢を広げた結果、社会人の応募が増えた。採用数は各自治体とも数人程度だが、今後も増えるとみられる。
正規職員の割合増やす
 総務省や復興庁は震災後、被災3県への職員派遣を全国の自治体に求める一方、民間経験者を派遣し、数カ月から2年程度の期限で給与を「復興特別交付金」で肩代わりする事業を続ける。だが、政府の「復興・創生期間」が終わる20年度で打ち切りとなる見通しで、被災自治体の多くが、自前の職員で対応できるよう職員構成の転換を始めている。
 福島県南相馬市の正規職員は震災当時612人いたが、自己退職や定年退職で昨年度は536人に。減少分は派遣職員や定年退職後の臨時職員で補い、職員総数681人のうち、正規でない職員が2割を占める。市の人事担当者は「国の派遣事業が終わってもいいように、正規職員の割合を増やし始めている」と話す。


緊急事態条項「むしろ被災地に権限を」 7首長を本紙調査 否定的な声複数
 東日本大震災で大きな被害があった岩手、宮城両県沿岸部の七首長に、自民党が改憲テーマの一つに挙げる緊急事態条項の必要性などを聞いたところ、条項が必要としたのは一人だけで、「むしろ現場に権限を下ろしてほしい」など否定的な回答が複数あった。緊急事態条項は内閣への権限集中を規定しており、被災自治体のニーズとのずれが浮かんだ。(小林由比)
 本紙は二〜三月、人災の要素が強い原子力災害と異なり、自然災害で大きな被害を受けた岩手、宮城県の自治体のうち、一千人超の死者を出した陸前高田(岩手)、石巻、気仙沼、東松島(宮城)の四市と政令市の仙台市に加え、4%超の住民が死亡した岩手県山田町、一つの地区で七百人を超える死者を出した宮城県名取市の計七自治体を選び、各首長に取材を申し込み、面談や文書で回答を得た。条項が「不必要」と明言したのは仙台、気仙沼の両市長で、名取市長は「必要」との立場を示した。
 緊急事態条項は、大災害や有事の際、内閣に権限を集中し、財産権など個人の権利を制限することなどを定める。震災後に自民党幹部などから憲法に規定するよう求める声が上がり、二〇一二年の党改憲草案に盛り込んだ。
 「条項が必要か」という問いに、菅原茂・気仙沼市長と奥山恵美子・仙台市長は、「自治体の権限強化が大事だ」などとして、不要と明言。菅原市長は、草案発表後に災害対策基本法が改正され、災害で道路をふさいだ車両の撤去などが可能になった点を挙げ、「緊急事態条項があれば、人の命が救えたのか。災害対策基本法の中にある災害緊急事態条項で十分だ」との考えを示した。
 戸羽(とば)太・陸前高田市長も「震災時は、国に権力を集中しても何にもならない」とし、否定的な見方を示した。
 佐藤信逸(しんいつ)・山田町長は「小さな町の場合、県や国に全体を俯瞰(ふかん)してもらう必要はある」として一定の理解を示したが、実際の被害食い止めや救出には「起きてからではなく、事前に必要な政令などを作っておくべきだ」と主張した。
 佐々木一十郎(いそお)・名取市長は「未曽有の大災害があれば、トップダウンが必要な局面がある」として「必要」と書面で回答した。
 亀山紘・石巻市長と阿部秀保・東松島市長は条項の必要性について回答を避けた。
 <緊急事態条項> 大災害や戦争が起きた時、政府の権限を強化したり、国会議員の任期延長を可能にする規定。いまの憲法にはなく、基本的人権を制約する可能性もある。自民党は2012年に公表した改憲草案に、この条項の新設を盛り込み、具体案を提示。首相が緊急事態を宣言すれば(1)内閣は法律と同じ効力を持つ政令を制定できる(2)首相は必要な財政支出や地方自治体への指示ができる(3)何人も、国民の生命・財産を守るための国や公の機関の指示に従わなければならない−などと定めている。安倍晋三首相はこの条項の新設について「極めて重く大切な課題だ」と意欲を示している。


河北春秋
 震災5年の翌日の小紙に宗教学者山折哲雄さんが寄稿していた。要介護者や要支援者など生活弱者とされる人を救ってほしいと指摘する。高齢者の多い沿岸部で役割を担ったのが、住民との窓口である地域包括支援センターだった▼仙台市若林区の三本塚、井土地区など農業地帯を受け持つ六郷地域包括支援センターの職員は震災時、車を流される中で、要支援者らの家を自転車で訪ねた。町内会や民生委員と手分けして水や食料を配り、買い物できない人を助けた▼平穏を取り戻したかにみえる地域のコミュニティーに、変化が生じている。三世代同居だった家族で、息子夫婦が被災をきっかけに仕事場近くの生活の便利な所へ新居を構え、親と別れて住むケースが出てきた▼センター長の渡辺美智子さんは「子どもさんが近くにいないと高齢者への目が届きにくくなります。それから気になることがもう一つ」と語る。災害公営住宅への転居などで濃密だった近所付き合いが薄れてきていると▼「声掛けして体を動かす教室に集まってくれたメンバーが分散すると、体調維持が心配です。交流を続け、本人も健康レベルを落とさないよう関心を高めてほしい」。自らの健康に対する自助意識の目覚めと、センターのような担い手への支援が欠かせない。

【震災5年 3・11】 あの日との距離を見つめ直す フジのドラマ「いつ恋」 NHK「恋の三陸」
 東日本大震災を直接、間接的に描いたテレビドラマはこの5年、相次いで生まれてきた。最終回を目前に控えたフジテレビ系「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(いつ恋)でも、劇中で震災以前と以後が明確に分けられ、登場人物たちの心情の変化が細やかに描かれている。ドラマは震災の爪痕と、どう向き合おうとしているのだろうか。(三品貴志)
 「いつ恋」は、それぞれつらい過去を背負った音(有村架純)と練(高良健吾)の男女2人を中心に、若者たちの恋愛や社会への葛藤を描いた群像劇。福島の祖父に育てられ、上京して働いていた練は5話で、震災前日に福島に戻る。物語は6話で5年後に飛び、大きく境遇の変わった登場人物たちの姿が描かれる。
 被災体験は直接的には描かれないが、7話では震災後、練の祖父が認知症を患い、練に暴言を繰り返して亡くなったことが明かされる。傷ついた練と再会した音は、祖父の残した買い物のレシートを読み上げ、亡くなる直前の足取りに思いをはせる。音たちを見守る静恵(八千草薫)が「私たち、死んだ人とも、これから生まれてくる人とも一緒に生きていくのね」と練を慰める場面は、深い優しさがにじんでいた。
想像力に委ねる
 ドラマの脚本を手掛ける坂元裕二さんは震災後、さまざまな作品にその記憶を盛り込んできた作家の一人だ。平成25年のフジ系「最高の離婚」では、震災発生時、帰宅難民として偶然、距離を縮めた男女2人の結婚と離婚を描いた。
 ドラマ評論家の成馬零一さんは「坂元ドラマでは震災そのものが直接、描かれることはない。その体験を日常の言葉の中に溶け込ませることで、フィクションだからこそ描けるものを模索しているのではないか」と推測する。
 「いつ恋」でも、震災はあくまで物語の「背景」にあり、登場人物たちが恋愛や仕事といった日常の中でもがき、心を通わせ合う姿に重点が置かれている。
 成馬さんは「ドラマは報道やドキュメンタリーと違い、『あの日を忘れない』と振り返るだけでは、現在から過去を切り離してしまうことにもなりかねない。あえて震災の渦中を描かず、視聴者の想像力に委ねることで、過去が現在と地続きであることを思い出させてくれる」と指摘する。
「距離」見つめる
 一方、NHK総合で今月12日まで放送された「恋の三陸 列車コンで行こう!」は、現在の東北・三陸地方を舞台にした物語。津波で行方不明になった家族への思いを抱えつつ、恋愛に突き進む男女たちをコメディータッチで描いた。
 演出を担当したNHKの一木正恵さんは2月の会見で、「震災の風景はワンカットもないが、出演者が現地を訪れ、すべてをのみ込んだ上で芝居をしていただいた」と話した。
 5年が経過したからこそ、現在と震災との「距離」を見つめ直す−。作り手たちのアプローチもまた、変化しつつあるのだろう。


被災地に寄り添う渡辺謙 NYから毎日“直筆FAX”の心意気
 東日本大震災から5年――。先週の3月11日当日こそテレビ各局は宮城や福島から生中継で被災地の現状を伝えたが復興は道半ば。にもかかわらず人々の関心は次第に薄れ始めている。そんな中、他とは一線を画した復興支援をひっそりと続けているのが渡辺謙(56)だ。
 宮城県気仙沼市の港にある「気仙沼復興商店街」。そこに自身がオーナーを務めるカフェ「K−port」をオープンさせたのは震災から2年半後の2013年11月のことだった。設計は渡辺が親交のある建築家・伊東豊雄氏にオファーし、芝居小屋をイメージしたデザインに。時にイベントスペースとして使用されることもあるそうで、カフェの存在自体は知られていたが、実はカフェには渡辺からほぼ毎日、直筆のメッセージがFAXで送られてきていて、店頭に飾られているのである。
■主演舞台の合間を縫って伝え続ける
 東日本大震災から6年目の初日、3月12日の書き出しは「さ、新しい一日です」。中盤には「この週末まで走り切ったらしばし休息です。さすがにちょっとくたびれました」と渡辺自身の気持ちが吐露されている部分も。これは日本時間9日から主演を務めているブロードウェーミュージカル「王様と私」の疲れのことだろうか。
 ちなみにこのFAXはニューヨークの「リンカーンセンター・シアター」から送信されている。2月に早期の胃がんが見つかり、内視鏡手術を受けたばかりにもかかわらず、自宅療養後の今月5日に渡米。過酷なスケジュールと体調の中、震災を忘れず、毎日のようにFAXを送り続ける心情には頭が下がる。芸能リポーターの川内天子氏は言う。
「渡辺さんは白血病、離婚、借金問題などいろいろな痛みを経験してきたからこそ、人の苦しみが分かるのではないでしょうか。気仙沼にお店をつくったことを大々的に宣伝しないのも、被災地の人の気持ちを考えてのこと。長い目で復興を支援するという覚悟と静かな情熱が感じられます」
 店員によると渡辺が妻の南果歩(52)と一緒に店を訪れることもあるという。ミュージカルが終われば、ふらっと姿を見せるかもしれない。


遠いふるさと 震災5年 (中)南相馬の南原さん一家、旅立ち
 政府の原子力災害現地対策本部は二月二十日、福島県南相馬市で開いた住民説明会で、帰還困難区域以外の地域に出ていた避難指示を四月中にも解除したい意向を示した。避難区域の住宅周辺の除染作業が今月いっぱいで終了する見通しとなったのが理由。しかし、住民からは「時期尚早」などと反発が相次ぎ、桜井勝延市長も「解除は難しい」と、慎重姿勢を見せた。
 同市小高区から避難した南原聖寿さん(56)=君津市=の住宅は、避難指示解除準備区域にある。
 五年前に避難して出たままになっている自宅アパートをこれまで二度訪れた。近所の小学校のグラウンドには汚染土が山になって残っていた。友人からはそんなふるさとの風景を苦々しく描いた絵はがきが届いた。
 南相馬市小高区が昨年一〜三月、住民登録がある三千四百二十六世帯(一万九百七十九人)を対象に行った同市への帰還意向調査(回収率74・2%)では、「戻る」と答えた人は20・2%にとどまった。「条件が整えば戻る」は26・4%で、「戻らない」と答えた人は28・8%。「分からない」と答えた人は21・7%で、住民の考えに開きがあることが分かった。
 「戻らない」と決めた理由で最も多かったのは「放射能汚染への不安」だ。
 南原さんも同じ思いだけに、避難指示の解除を急ぐ政府にはいら立ちを覚える。「四月に解除して戻ったとして、元の暮らしができる人がどれだけいるのか。無理じゃないか」
     ◇
 南原さんの長男(19)は今春、定時制高校を卒業し、首都圏の空港で警備の仕事に就く。見るのも乗るのも大好きだった飛行機に携わることは、小さなころからの夢だった。空港のそばで初めての寮生活がスタートする。
 長男は高校に入ってから、南相馬市から避難してきたことを友人に話してこなかった。話すことを避けてきた。「言っても仕方がないし、言いたくない。特別に思われたくないから」。首都圏での就職もごく自然の流れだった。南相馬へ戻る選択肢は頭に無かった。
 でも時折、住んでいたあのまちへ帰りたくなる時がある。「住んでた家はどうなっているかなあ。地元のことは分からなくて、友人が今どこで何をしているのかほとんど知らない」とつぶやいた。
 仕事を始めたら、警備の仕事に関わる資格をたくさん取りたい。四年後の東京五輪・パラリンピックに向けて英語も勉強したい。「まじめに頑張って、偉くなりたい」
 新たな旅立ちに胸を膨らませる長男。その頼もしい姿を見て、南原さんも思いを強くした。「どこまでやったら復興したと言えるのだろう。南相馬にはもう戻れない」 (柚木まり)
<避難指示区域> 政府は東電福島第一原発事故により住民に指示する避難区域を、放射線量の高い方から「帰還困難」「居住制限」「避難指示解除準備」の3段階に分類。このうち南相馬市について、小高区の帰宅困難区域(昨年9月5日時点1世帯2人)を除き、同区の居住制限区域(同126世帯477人)と、隣接する原町区の一部を含めた避難指示解除準備区域(同3536世帯1万1186人)を対象に、今年4月にも避難指示を解除する方針を示した。


福島第1原発事故から5年「周辺自治体の選択」(4)
 関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転禁止を周辺自治体である滋賀県の住民が申し立てた仮処分が、大津地裁で認められた。福島第1原発事故で、原子力災害の過酷性や広域性は共通認識となった。中国電力島根原発2号機(松江市鹿島町)の再稼働に向けた審査が進む中、周辺自治体の原発に向き合う姿勢が今後いっそう問われる。
■同意権
 30キロ圏に福井、滋賀、京都の3府県がまたがる高浜原発。関電と京都府、滋賀県が結んだ安全協定は再稼働に対して立地自治体と同様の同意権がない「不平等協定」だ。
 鳥取県と境港、米子、安来、出雲、雲南5市の島根原発周辺自治体は、再稼働などについて立地自治体と同様に同意権を認める協定改定を求めてきた。廃炉については鳥取県、米子、境港、出雲3市で同等対応になったものの、再稼働に対する同意権は依然としてない。
 溝口善兵衛島根県知事は「それぞれが事前了解の権限(同意権)を持てば意見が違った場合、調整する機能がない」として「周辺自治体の意見を聞いて総合的に判断する」考えを堅持する。
■情報なく避難
 福島第1原発事故では、浪江町と東京電力の間で連絡通報協定の履行が問題となった。発災時に「国や東電からの連絡がなかった」とする浪江町。東電は「繰り返し連絡を試みたが、連絡が取れなかった」と協定違反を否定する。
 情報がない状態で避難した町民は、放射性物質が風に乗って流れたのと同じ方向に避難し、被ばくした。まとまって避難できなかったことも後に避難者が県内外に離散する結果を招いた。
 馬場有町長は「双葉郡内で面積も人口も最大の浪江町は、最大の被害に遭った。協定は意味をなさなかった」と憤る。
■山積みの袋
 福島県内の被災地には、至る所に除染ではぎ取った表土や草木を入れた黒い袋「フレコンバッグ」が山積みにされている。原発が立地する双葉、大熊両町に建設予定の中間貯蔵施設に運ばれるまでの「仮置き場」とされる。だが地権者との交渉が難航し、同施設は建設のめどが立っていない。田畑に山積みされたフレコンバッグが“出口のない”原発の現状を物語る。
 地域経済に組み込まれた原発と電力会社との安全協定に対する思いは、周辺自治体でもさまざまだ。広野町の遠藤智町長は「協定の範囲をどこまで広げるかは重い課題。福島の事故を専門家に検証してもらい、教訓を生かしてほしい」と話す。
 田村市の渡辺清徳総務部長は「国策で原発を進めているのだから30キロ圏が県をまたぐ場合、自治体と電力会社の安全協定というより国が取り決めを主導すべき」と指摘する。
 全村避難が続く飯舘村の菅野典雄村長は、原発周辺自治体の住民に問い掛ける。「高度経済成長の幻を追うのをやめ、成熟社会の中で日本を発展させる方策を考えるのが次世代への贈り物ではないか。そうしないとわれわれの避難生活が無駄になってしまう」


県内しばらく原発稼働ゼロ 高浜差し止め、大飯年内困難か
 高浜原発3、4号機(高浜町)の運転を差し止める仮処分決定を不服として十四日、関西電力が大津地裁に執行停止と異議を申し立てた。関電はどちらかが認められない限り、3、4号機を再稼働することができない上、審理にどれくらいの期間がかかるかも不明だ。県内の他の原発も原子力規制委員会の審査や追加工事が残っており、しばらくは再び稼働ゼロが続きそうだ。
 現在、規制委による新規制基準への適合性審査を受けているのは六基。関電大飯3、4号機(おおい町)は、新規制基準対応の基本設計の審査が大詰めで「すでに大半が完了したと認識している」(関電)。ただ、詳細設計の工事計画の審査と追加工事に時間がかかる見通しで、今年中の稼働は厳しい情勢だ。
 四十年超運転を目指す関電高浜1、2号機は二月中旬に新規制基準対応の基本設計の審査はほぼ終了し、現在は意見公募中。運転期間満了を迎える七月七日までに老朽化の審査と工事計画の審査に通過する必要がある。その上、格納容器上部を覆ったりと工事に三年以上かかる見込みだ。
 同じく四十年超運転を目指す関電美浜3号機(美浜町)。昨年八月に耐震設計の目安となる基準地震動を変更し、おおむね了承された。二月に現地調査した規制委の更田豊志委員長代理は「今後二、三カ月がヤマ場」と言及。
 ただ、基本設計の審査を通過しても、十一月末までに工事計画と老朽化の両認可も得る必要がある。追加工事も大規模になる見込みだ。
 日本原子力発電の敦賀原発2号機(敦賀市)はまだ審査序盤。規制委の有識者調査団が原子炉建屋直下に「活断層」があると指摘しており、厳しい審査となりそうだ。 (塚田真裕)


待機児童対策  政府は親の声に応えよ
 「保育園落ちた 日本死ね」などと、子どもが保育園に入れず、離職の危機にあると強い言葉で訴えた母親の匿名ブログをきっかけに、政府が待機児童解消のための追加対策を検討している。
 衆院予算委で2月末、民主党議員が質問で取り上げたが、安倍晋三首相が「匿名なので実際に本当かどうか確かめようがない」と答弁したことから、同じ境遇にある人たちが「私だ」などと書かれたカードを掲げて国会前で集会を開き、保育の充実を求める約2万8千人分の署名も集まった。
 首相は参院本会議で「待機児童ゼロを必ず実現させる」と決意を強調し、署名を受け取った塩崎恭久厚生労働相は実態調査を行うと表明するなど、政府は批判回避に躍起だ。予算委でのやじを謝罪した自民党議員もいる。
 署名を提出した一人が「政府の認識と私たちの現状にものすごい温度差がある」と訴えた言葉に現状が端的に表れていよう。
 首相は「1億総活躍社会」を掲げた施政方針演説で、2017年度末までに50万人分の保育の受け皿を整備し、9万人の保育士を確保すると表明。子育て支援の充実などで、希望出生率1・8を実現させるとしてきた。
 しかし、子育て世帯にとって十分な力になっておらず、充実の道筋も見えていないのが現状だ。政府は保育をめぐる厳しい現実に正面から向き合う必要がある。
 保育園は徐々に増えてきたとはいえ、近年、都市部で子どもの入園を希望する人が増え、15年4月時点の待機児童は2万3千人余りと5年ぶりに増加した。しかも、実際にはさまざまな理由で入園できない子はもっと多い。
 保育士の待遇改善も急務だ。月給は約22万円で全職種平均より約11万円も安く、人材が集まらず定着しない原因となっている。
 政府は保育士の給与引き上げや子どもが近隣自治体に通いやすくなる制度の促進など追加対策を検討中だ。民主、維新両党も処遇改善の法案を提出する予定という。
 ただ、いずれも今、困っている人たちにとっては不十分だろう。子育てしやすい環境づくりには待機児童対策だけでなく総合的な政策が求められる。参院選向けのパフォーマンスに終わっては困る。
 本紙「天眼」で、作家瀬戸内寂聴さんは匿名ブログを名文とたたえ「問題はまだつづくだろう。それだけの力のある文だ」と評した。国民が政治の対応に注目していることを忘れてはならない。


首相の改憲発言 気になる使い分けの論法
 憲法改正をめぐり、安倍晋三首相はアクセルとブレーキを使い分けて具体的論議を避けながら、実現を目指しているのではないか。
 まずはアクセルだ。1月4日の年頭会見で夏の参院選での争点化を言明したと思ったら「どの条項を改正すべきかという現実的段階に移ってきた」(同21日)「私の在任中に成し遂げたい」(今月2日)とエスカレートしている。きのうの参院予算委員会でも9条改正の必要性に言及した。
 前のめりの首相だが、国民は冷静だ。本社加盟の日本世論調査会によると、夏の参院選で改憲賛成議員が国会発議に必要な3分の2の議席に「達しない方がよい」は47%で「達した方がよい」の44%を上回った。首相の悲願である9条改正については「必要ない」が57%と過半数を占めた。
 与党内にも「ちょっと唐突な感じがする」(公明党の石田祝稔政調会長)「参院選に悪影響を与える」(自民党の山東昭子元参院副議長)など懸念が広がっている。
 そもそも今なぜ、何条のどこをどう変えるのか、首相は具体的に説明しない。国会でも国民の間でも議論が深まらないのは当然だ。
 13日の自民党大会では谷垣禎一幹事長が手短に「憲法改正に向けて国民的議論を深める」と述べた以外、首相も含めて改憲への言及はなかった。採択した運動方針も、当初は改憲を参院選の主要争点とする姿勢を打ち出す方針だったが、この部分を削除した。こちらはブレーキである。
 ただし運動方針の改憲部分は、2014年が166文字、15年が270文字、今回が489文字と年々詳細になる。天皇を「元首」と定め、自衛隊を「国防軍」とし、基本的人権に制限を加える自民党憲法改正草案への国民の理解を促すことを今回は盛り込んだ。
 個別、具体的な論議はしなくても、選挙の公約や運動方針に項目を挙げたから、選挙で勝てば白紙委任を受けたことになる−。安全保障関連法や特定秘密保護法と同じ手法をまた使うつもりなら、国民と国会の軽視でしかない。


ナイジェリア人再審請求 神戸地裁に差し戻し決定
 兵庫県姫路市で2001年に起きた郵便局強盗事件をめぐり、強盗罪で懲役6年の実刑が確定したナイジェリア人男性(39)が申し立てた再審請求の即時抗告審で、大阪高裁(笹野明義裁判長)は15日、神戸地裁姫路支部で審理が尽くされず、防御権侵害の違法もあったとして神戸地裁に審理を差し戻す決定をした。
 事件は01年6月に発生。男性は、親族男性=実刑確定=と2人で局内に押し入って職員を模造銃で脅し、約2275万円を奪ったとして逮捕、起訴された。06年に最高裁で有罪が確定。09年に出所し、12年3月に再審請求した。
 神戸地裁姫路支部は14年3月、奪われた現金が男性の管理する倉庫から見つかった点などを重視し「男性が実行犯に含まれていないとしても、共犯の1人だと強く推認される」と判断し、再審請求を棄却していた。
 だが、笹野裁判長は、これまでは実行犯2人のうち1人が男性だったかどうかがほぼ唯一の争点だったと指摘。共犯の可能性があるとした姫路支部決定について「争点化させたことも、男性側や検察側に主張や証拠提出の機会を与えたこともなく、男性の防御権を侵害した違法がある」とした。
 さらに「男性以外の人物が倉庫に立ち入ることができたかどうか検討しておらず、審理も尽くされていない」と述べた。
 事件では男性が一貫して無罪を主張し、親族男性も「もう1人の実行犯は別人だ」と供述。弁護団は再審請求で、犯人が使ったとされる目出し帽に付いたDNA型が男性と一致しないとの鑑定結果を新証拠と主張し「真犯人は別人の可能性がある」と訴えた。
 即時抗告審で弁護側は、仮に再審開始が認められなくても審理を差し戻すべきだと求めており、弁護人の山下潔弁護士は「当然で妥当な決定だ」と話した。
■「真犯人がいるなら捕まえて」
 大阪高裁が再審請求の審理を神戸地裁に差し戻す決定をした姫路市の強盗事件。被害に遭った姫路花田郵便局(同市花田町小川)の関係者は決定を受けて15年前を振り返った。
 事件当時から同局を運営する男性局長(50)は「当時はこんなのどかな地域で事件が起きて、とても驚いたし怖かった」と話す。事件後、再発防止策で窓口に透明の仕切り板を取り付けたという。
 ただ、その後の裁判などについては「警察や裁判所にお任せしているので」と言葉少な。決定を受けて「もし真犯人がいるなら捕まえてほしい」と話した。


「保育園落ちた」私も 九州の母親から悲痛な声
 私たちも落ちた−。「保育園落ちた日本死ね」とつづった匿名のブログが国会で取り上げられるなど反響を呼ぶ中、九州でも認可保育所に入れなかった母親たちの間でブログへの共感が広がっている。安倍晋三首相は当初、国会で「匿名なので確かめようがない」などと素っ気ない答弁をしていたが、認可保育所などに入れない待機児童は増えている現実がある。「認可外は高額で生活が苦しい」「もう子どもは産めない」。子育て世帯から悲痛な声が上がる。
 「利用決定とはなりませんでした」
 福岡市在住の30代の会社員女性は今年2月、申し込んでいた認可保育所に「落選」したとの通知を区役所から受け取り、落ち込んだ。2010年度から申し込んでいるが、一度も入所できていない。長男(6)と長女(2)は仕方なく認可外保育所に通わせており、月に約11万円も掛かる。認可施設の2倍だ。女性の給与は保育所料でほぼなくなる。月の手取りが約15万円の夫の収入で暮らす。
 「社会から滑落したような気持ちになった。収入が多くないと、子育てもままならないなんて、全然“1億総活躍社会”なんかではない」と憤る。
 福岡市南区の会社員女性(33)は生後10カ月の長男がいる。勤務先の人手不足で育児休業を延長できず、4月に職場復帰しなければならない。認可保育所への入所は保留された。長男の面倒を見るため50代の母が近く仕事を辞める。子宮から不正出血が起き、病院に行くと、医師から「ストレスですね」と言われた。
 区役所に保留の理由を尋ねると、担当者からは「0〜1歳児の申し込みが多い。同じ条件ならば、収入で差をつけている」と告げられた。通常、入所の可否は職場の勤務時間、保護者の健康状態、家族構成や世帯収入などが考慮される。女性は「がむしゃらに働いて税金を納めたら認可保育所に入れないなんて納得できない。もう一人産みたいけど、この状況では難しい」と肩を落とす。
 福岡市の待機児童数は昨年10月現在で295人。14年4月に「待機児童ゼロを達成」と発表した当時、希望した認可保育所に入れない人を含む「未入所児童」は約1100人に上っていた。全国的にみても施設整備は、都市部やベッドタウンで追い付いていない。
 東京の会社員女性(35)は生後5カ月の長男がおり、認可保育所の選考に落ちたため職場復帰を延期した。今月9日、保育の充実を求める約2万8千人分の署名を塩崎恭久厚生労働相に渡すため国会を訪れた。
 「保育所が見つからなければ仕事を辞めるしかない。こんな切羽詰まった状況の母親が全国にいる。政治家は目を向けてほしい」と強調した。

自転車空気抜け?→タクシー通勤/だらだら打合せ?

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Seize ans après l'≪Erika≫, le préjudice écologique bientôt gravé dans la loi ?
Un amendement à la loi biodiversité, déposé par des députés PS, permettrait de graver dans le marbre le préjudice écologique sans toucher au principe pollueur-payeur. Ce dernier avait été menacé début mars par un amendement du gouvernement, très vite retiré.
Pas de mauvaise surprise cette fois-ci. La jurisprudence sur le préjudice écologique devrait bien être gravée dans le marbre. C’est en tout cas ce que propose un amendement sur le projet de loi biodiversité déposé vendredi soir par des députés PS, dont Libération a obtenu une copie (l’amendement n’était pas encore visible sur le site de l’Assemblée nationale ce week-end).
En janvier, les sénateurs, à l’initiative de leur collègue Bruno Retailleau (LR, Vendée), avaient introduit dans ce projet de loi un article 2 bis selon lequel ≪toute personne qui cause un dommage grave et durable à l’environnement est tenue de le réparer≫. Façon d’inscrire dans la loi la notion de préjudice écologique, validée en 2012 par une jurisprudence de la Cour de cassation dans le cadre du procès de l’ Erika, le pétrolier affrété par Total à l’origine d’une marée noire en Bretagne en 1999.
Mais le 1er mars, à quelques heures de l’examen en seconde lecture et en commission développement durable du projet de loi à l’Assemblée nationale, le gouvernement avait déposé une autre version de cet article qui changeait tout. Remettant de facto en cause le principe pollueur-payeur, ce texte était un vrai cadeau aux industriels car il leur aurait donné un ≪permis de polluer≫ aux frais du contribuable. Il disait que ≪le préjudice résultant d’une atteinte autorisée par les lois, règlements et engagements internationaux de la France ou par un titre délivré pour leur application≫ n’était ≪pas réparable≫. Traduction : il suffirait qu’une pollution (causée par une marée noire, des boues rouges, des nitrates…) résulte d’une activité ayant bénéficié d’une autorisation administrative (permis de construire, autorisation d’exploiter ou de forer…) pour que l’auteur de cette pollution soit exonéré de toute responsabilité pour la réparation du préjudice écologique. Devant le tollé provoqué par son contenu, le gouvernement avait été contraint de rétropédaler et de retirer son amendement.
Compromis
Députés et gouvernement ont eu quinze jours pour en rédiger un nouveau, avant l’examen du projet de loi en séance publique à partir de mardi. Selon nos informations, la secrétaire d’Etat à la Biodiversité, Barbara Pompili, qui avait été prise de court le 1er mars en découvrant au dernier moment la teneur de l’amendement de son propre gouvernement, s’est cette fois-ci très impliquée dans ce dossier, recevant longuement juristes et ONG.
Présenté par la rapporteure du projet de loi, Geneviève Gaillard (ainsi que huit autres députés PS, dont Delphine Batho), soutenu par les écologistes et quasi arbitré à ce jour par le gouvernement, le nouveau texte devrait contenter tout le monde. Sauf, peut-être, les organisations patronales Medef et Afep, vent debout depuis le début contre l’inscription du préjudice écologique dans la loi. Un préjudice pourtant déjà reconnu en droit car validé par la jurisprudence Erika. ≪L’enjeu, ici, n’était pas de créer le préjudice écologique, puisqu’il existe déjà. Mais que le Parlement organise les conditions de sa réparation≫, rappelle l’avocat en droit de l’environnement Arnaud Gossement. C’est ce que tente de faire ce nouvel amendement de compromis, qui permettrait au gouvernement de sortir par le haut dans cette affaire.
L’amendement – dans lequel ont disparu les phrases qui avaient provoqué l’émoi de plusieurs juristes – propose désormais d’inscrire le préjudice écologique dans le code civil. En introduisant d’abord un principe général : ≪Toute personne qui cause un préjudice écologique est tenue de le réparer.≫ Puis en définissant celui-ci comme ≪résultant d’une atteinte non négligeable aux éléments ou aux fonctions des écosystèmes, ou aux bénéfices collectifs tirés par l’homme de l’environnement≫. La définition retenue est ≪très proche de celle de la cour d’appel de Paris dans l’affaire de l’ Erika. C’est majeur, c’est une vraie avancée≫, remarque Arnaud Gossement.
Réparation en nature
La réparation du préjudice s’effectuerait en priorité en nature, prévoit le texte. Qui précise : ≪En cas d’impossibilité de droit ou de fait, ou d’insuffisance des mesures de réparation, le juge condamne le responsable à verser, au demandeur, des dommages et intérêts qui sont affectés, prioritairement, à des fins de réparation de l’environnement et, subsidiairement, à des fins de protection de l’environnement.≫ En clair, celui qui perçoit des dommages et intérêts devra démontrer ce qu’il en fait. Il ≪ne pourra pas se payer avec cet argent un voyage au Canada≫, illustre Arnaud Gossement. D’ailleurs, le texte stipule que ≪si le demandeur n’est pas en mesure d’affecter les dommages et intérêts à des fins de réparation ou de protection de l’environnement, [ces sommes] seront versé(e)s […] à l’Etat ou à toute personne qu’il a désignée≫.
Ce texte ≪garantit que, dans tous les cas, les dommages et intérêts versés au titre du préjudice écologique seront affectés à la protection de l’environnement et de la biodiversité. C’est une avancée primordiale≫, commente l’avocat en droit de l’environnement Sébastien Mabile. ≪Dans le cas de l’Erika, il n’y avait eu aucune garantie de ce type.≫ L’avocat, qui juge le nouvel amendement ≪très bon≫ et à même ≪d’éteindre la polémique≫, a largement contribué à sa rédaction, avec notamment Arnaud Gossement et Laurent Neyret, juriste spécialisé lui aussi dans ce domaine, et dont les travaux portent en particulier sur la reconnaissance du préjudice écologique et des crimes contre l’environnement.
Autre disposition importante de l’amendement, le délai de prescription en matière de dommages à l’environnement est porté à ≪trente ans à compter du jour où le titulaire de l’action [collectivité, Etat, ONG…, ndlr] a connu ou aurait dû connaître la manifestation du dommage≫, et non plus à ≪trente ans à compter du fait générateur du dommage≫, comme il est aujourd’hui prévu dans le code de l’environnement. ≪C’est une avancée capitale, car la disposition actuelle ne tenait pas compte du fait qu’il y a des dommages dont on ne se rend compte que très tardivement≫, explique Sébastien Mabile.
Qui peut demander réparation ?
Après une première réunion interministérielle vendredi soir, qui aurait quasiment acté tous les points de l’amendement, une nouvelle réunion est prévue ce lundi après-midi pour se pencher sur un point précis, et non des moindres : qui peut demander réparation ? L’amendement des députés PS prévoit que ≪l’action en réparation du préjudice écologique est ouverte à l’Etat, au ministère public, à l’Agence française pour la biodiversité [créée par le projet de loi biodiversité], aux collectivités territoriales et à leurs groupements dont le territoire est concerné, ainsi qu’à toute personne ayant qualité et intérêt à agir≫. C’est ce dernier point qui resterait à discuter. Car ≪toute personne ayant qualité et intérêt à agir≫, c’est ≪quasiment tout le monde, et c’est le juge qui ferait office de filtre≫, décrypte Arnaud Gossement.
Quoi qu’il en soit, hormis ce ≪point de vigilance≫ qui reste à trancher, l’avocat se dit ≪sûr à 99 % que le gouvernement va soutenir≫ l’amendement, et que celui-ci sera adopté. ≪Les élus des communes qui ont été touchées par la catastrophe de l’ Erika sont souvent de droite, ils n’accepteraient pas que leur formation politique ne soutienne pas ce texte. Je pense qu’il sera voté en séance à l’Assemblée nationale et que le Sénat ne s’y opposera pas en deuxième lecture.≫
Coralie Schaub
フランス語
フランス語の勉強?
サイエンスZERO “記憶”のミステリー 〜最新脳科学が解き明かす記憶の正体〜
記憶 ― それは、ヒトの持つ、知識・意識・思考といったあらゆる機能の根幹だ。では、記憶はどこに保管され、どう思い出されているのか? 脳科学の長年の謎が、今、急速に解明されつつある。さらに記憶を人工的に作ったり切り離したりと、「記憶を操れる」可能性さえ見えてきたのだ。どうすれば記憶力がよくなるのか、といった素朴な疑問から医療への応用まで、新たなステージに入った“記憶”の科学。記憶の正体に迫る!
記憶の仕組みはPCと同じ/ “記憶”研究の最前線に迫る。/ 約1000億個の神経細胞で出来ている脳。その神経細胞が手をつないだようにネットワークを張り巡らし、入ってきた情報を「記憶」として保存している。/ 海馬には記憶に重要な“どこ”の情報を認識する『場所細胞』がある。場所細胞は以前通った道や場所の情報を反復する『リプレイ』を行い、記憶を固定すると考えられている。/ 記憶の中枢である海馬では神経が新たに生まれている。この神経新生が行われると同時に海馬の記憶は大脳へと転送され、海馬の記憶は消去されることがわかってきた。/ 30年以上に渡り記憶の研究を続ける富山大学大学院医学薬学研究部・井ノ口馨教授。

テレメンタリー「“3.11”を忘れない61 その時、『テレビ』は逃げた〜黙殺されたSOS〜」
東日本大震災、福島原発事故から5年。当時、福島から多数の「SOS」が様々な形で、我々に届いていた。その多くが、事故直後から、しばらく続いた「屋内退避指示区域」からの悲痛な声。そこで起きていたのは予想もしない命にかかわる混乱だった。しかし我々は、「取材者の安全確保」を理由に、福島県浜通り地域から引き揚げていた。多数の一般住民が取り残されているのに、『テレビ』は逃げてしまった。あの時、何が起きていて、なぜ“テレビは逃げた”のか。
中里雅子 テレビ朝日、福島放送


自転車の空気が抜けてしまっています.前もこんなことがありました.今日は急がねばならないので仕方なくタクシー通勤.840円かかりました.以前は760円だったのに・・・でも10分くらいで着いたのはよかったです.
HyさんとNaさんと少し打合せしてから お昼は懇親会みたいな打合せ.お弁当が出たので少し食費的にプラスと思うことにします.でもだらだら話しただけでほとんど意味なしでした.

<被災校舎の行方>大川小 わが子はここに
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川小、門脇小の両校舎を残すのかどうか、遺族や市民の意見が割れている。保存を求める声、解体を望む人、または、そのはざまで揺れる思い。亀山紘市長は今月中に保存の可否を判断する。震災遺構について考える。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)
◎石巻・震災遺構を考える(1)大川小・保存
<記憶をたどる場>
 鈴木典行さん(51)が大川小6年だった次女真衣さん=当時(12)=を失い、5年がたった。
 津波の脅威を今も生々しく伝える校舎の2階に足を運ぶ。教室のロッカーと廊下の上着掛けを必ず見る。真衣さんら児童一人一人の名前のシールが残る。
 「真衣に会える気がする。思いは変わらない。遺族に節目はないんです」
 平穏な朝だった。2011年3月11日。鈴木さんはいつも通りハイタッチをして学校へ送り出した。「行ってきます」
 真衣さんの「ただいま」の声は永遠に聞くことができない。「なぜ、亡くなったわが子を抱きしめなければいけないのか」。現実を受け入れられなかった。
 校舎と体育館を結ぶ渡り廊下が津波で横倒しになっている。体育館は原形をとどめていない。
 真衣さんは4年からミニバスケットボールのチームに所属。体育館で練習に励み、「中学でもバスケをやりたい」と胸を躍らせていた。鈴木さんは指導者としてチームに関わった。
 大川小は真衣さんの存在を確かめる場でもある。子どもたちとの記憶をたどるよすがとなる校舎、体育館を残してほしい。学校の近くに仮設事務所を構え、管理人として常駐したい。現地を訪れた人に津波の痕跡を見てもらい、ここで起きた出来事、教訓を語り伝えたい。鈴木さんの思いだ。
<「時が止まった」>
 中村次男さん(41)と妻まゆみさん(42)は3年だった一人娘の香奈さん=当時(9)=を亡くした。
 仕事中は悲しみや喪失感を頭の隅に置くよう努める。家に帰ると気持ちが底まで沈む。その繰り返し。
 香奈さんの分もお菓子やデザートを買う。中村さんは「生活は香奈を中心に回っていた。震災から時が止まったままだ」と言う。
 香奈さんは帰宅すると、学校での出来事を生き生きと話してくれた。「下の学年の子と遊んで疲れた」「友達と一輪車に乗った。転んだけど楽しかったよ」
 中村さん夫妻は校舎の全部保存を望む。せめて全校集会があったホールなどは残してほしい、と願う。「現物があれば、今後の子どもたちにも大川小であったことを伝えやすい」
 住民団体「大川地区復興協議会」は校舎全体の保存などを市に求めている。浜畑幹夫事務局長(57)は石巻市職員時代に被災。遺族や地元住民、全国から来た人たちの意見を聞いた。
 「校舎を見るのがつらい。壊してほしい」という声は理解できる。ただ、「未来の命を守るために校舎を残してほしい」との声により説得力を感じた。
 13年10月に早期退職し、今は個人的にも保存を望む。「市には50年後、100年後を見据えた判断をしてほしい」と訴える。
[石巻市大川小、門脇小]大川小は校舎が1985年に完成。震災で児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明、教職員13人のうち10人が死亡した。現在は二俣小の校舎で授業をする。門脇小は1873年創立。震災で津波と火災の被害を受けた。既に下校していた児童7人が犠牲となった。昨年4月、石巻小と統合した。


<震災5年>刻む/慰霊碑が完成 復興誓う
 宮城県気仙沼市大島の大島みどりのふれあい広場に、東日本大震災の犠牲者を慰め、被災の記憶を後世に伝える慰霊碑が建立された。
 大島地区振興協議会や社会福祉協議会、震災遺族会などが建立実行委員会(小野寺修会長)を組織。震災5年の節目に建立した。
 碑は高さ1.8メートル、幅2.3メートル、奥行き1.2メートルの御影石製。慰霊とともに震災の記憶を伝える碑文、島の犠牲者38人の名を刻んだ。費用260万円は、島民の寄付と、震災の際に島外から寄せられた支援金などで賄った。
 除幕式は11日にあり、約150人が出席。島で1人暮らしだった母を亡くした気仙沼市の会社役員千葉昌俊さん(68)は「立派な石碑に母の名が刻まれ、ありがたい。仕事に追われて過ごした5年間だったが、今後は気仙沼の復興に協力していきたい」と話した。


<震災5年>結ぶ/支援19自治体の逸品並ぶ
 宮城県塩釜市に職員を派遣するなど東日本大震災からの復興を支援する19自治体の特産品を集めた「ご当地!自慢の“逸品”フェア」が13日、市内のホテルで開かれた。
 「マンゴーケーキ」(沖縄県南城市)「うなぎのかば焼き」(長野県岡谷市)「富山ブラックラーメン」(富山県魚津市)など、各地の自慢の産品が並んだ。詰め合わせの「まんぷく福袋」が1000円で販売され、100袋があっという間に売り切れた。
 塩釜市と災害時相互応援協定を結ぶ愛知県碧南市は、特産のニンジン「へきなん美人」を約350キロ持参。来場者に配ったり、生絞りジュースにして振る舞ったりした。
 塩釜市は1月現在、18自治体から38人の派遣を受けている。


<震災5年>継ぐ/震災教訓伝える紙芝居
 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県七ケ浜町で13日、「3.11メモリアルイベント」(実行委員会主催)が開かれ、住民の証言を基に制作した紙芝居「あの日の僕。七ケ浜の3.11」が上映された。
 紙芝居は、今春に中学校に入学する「僕」を主人公に、発災、避難行動、避難所生活、復旧、支援活動を振り返る内容。絵を撮影した画像をスクリーンに拡大して映し、3人の語り手が読み進めた。絵は実行委メンバーが下絵を描き、同町向洋中の生徒が彩色した。
 会場の町中央公民館には、町外から駆け付けたボランティア150人を含む約400人が来場。紙芝居の上映が終わると盛んな拍手を送った。
 被災体験と教訓を語り合うシンポジウムやコンサートもあった。実行委員長の舘岡百合子さん(67)は「私たちが前を向いて進むことが、ボランティアの方々への恩返しになる」とあいさつした。


被災3県の「ふるさと納税」激減 「復興」優先で返礼品の余裕なし
 東日本大震災の被災自治体に対する「ふるさと納税」の寄付が激減している。震災直後には、復興に役立ててもらおうと全国から多額の善意が寄せられたが、一時的な急増にとどまった。特産品などを贈る「返礼品」でふるさと納税が全国的なブームになるにつれ、返礼品を贈る余裕のない被災自治体があおりを受けている。 (山口哲人)
 総務省によると、震災直後の二〇一一年度、岩手、宮城、福島の被災三県に寄せられたふるさと納税を中心とした寄付額は計四十八億円近く。全国の寄付総額約百二十一億円の39%を占めた。全国のふるさと納税は一三年度以降、返礼品の効果もあり急増。一四年度は約三百八十九億円と一一年度の三倍以上になった。
 一方、被災三県への寄付総額は反比例するように落ち込んだ。一四年度は一一年度の半分に満たない計約二十億円で、全国に占める割合は5%に縮小。三県内の自治体別では、津波に襲われた沿岸部の三十七市町村のうち、二十四市町村で一一年度の寄付額を下回った。岩手県釜石市では一一年度の十一億円から一四年度は千七百万円に激減。担当者は「震災の記憶の風化が影響している」と話す。
 こうした状況を改善するため、返礼品の充実に力を入れている被災自治体もある。
 宮城県石巻市は三陸沖で捕れたサバとイワシ、サンマが入った「干物セット」など海産物を中心に約百種類の返礼品を用意。福島県広野町は三万円以上の寄付者に地元産コシヒカリを一俵(六十キログラム)贈り、東京電力福島第一原発事故の風評被害の払拭(ふっしょく)を図る。岩手県陸前高田市も、市内の商店で使えるお買い物券など約百種類から選べる。
 だが、復興が最優先で返礼品を拡充できていない自治体も多い。寄付額が一一年度の二億円から、一四年度は三千五百万円に減った岩手県宮古市の担当職員は「返礼品を準備する余裕がなかった」と説明。原発事故の影響で昨年九月まで避難指示が出ていた福島県楢葉町への寄付は年間五十万円程度。担当者は「原発事故対応で返礼品を用意できなかった」と明かした。
 返礼品を売りにする自治体には、ふるさと納税は地方の活性化に役立つと歓迎する声もあるが、岩手大の井上博夫教授(財政学)は「ふるさと納税が特産品の『ネットショッピング』になり、返礼品を充実させられない被災自治体への寄付が減っている。お得な返礼品を贈る自治体に寄付が偏っている」と指摘した。
<ふるさと納税> 自治体に2000円以上の寄付をすると、2000円を超えた額が所得税と住民税から差し引かれる制度。出身地以外の自治体に対しても可能。寄付額に制限はない。減税対象となる寄付額には上限があり、世帯構成や所得によって決まる。各自治体が返礼品に知恵を絞る寄付獲得競争になりつつあり、総務省は高額な商品や換金性の高い品物は贈らないよう通知している。


福島原発事故、証拠全面開示へ 検察官役、保管の4千点
 福島第1原発事故の対策を怠ったとして、東京電力の勝俣恒久元会長(75)ら旧経営陣3人を業務上過失致死傷罪で強制起訴した検察官役の指定弁護士は14日、原則として全ての証拠を3人の弁護側に開示すると明らかにした。
 指定弁護士によると、保管している証拠は約4千点で、14日に一覧表を弁護側に渡した。その上で、公判を早急に開くよう東京地裁(大野勝則裁判長)に要請した。
 一覧表の交付は国会で継続審議となっている刑事訴訟法改正案に盛り込まれている。検察官が捜査に支障があると判断した場合などは例外とする規定もあり、日弁連は全証拠の開示を求めている。


<震災5年>チェルノブイリ 健康は回善傾向
◎秋田で現地の小児科医講演
 秋田大医学部付属病院で研修を受けているベラルーシの小児科医が11日、秋田市で、1986年に発生したウクライナ北部のチェルノブイリ原発事故の被害や、子どもの健康管理の現状を報告した。
 昨年10月に来日したアレクサンドル・ヤヌコビッチ医師(34)が講演。ウクライナの北隣に位置するベラルーシの環境放射線量を「除染などが適切に行われた結果、5年目まで高かった値は10年目以降に急激に下がっている」と紹介した。
 ストレスなどが原因となる子どもの精神疾患も減少傾向にあり、「子ども健康増進センターや海外ホームステイの取り組みが成果を上げている」と説明した。
 講演会は、チェルノブイリ事故の被災地支援に取り組む秋田市のNPO法人「日本ベラルーシ友好協会」が主催した。


<震災5年>若手漁師育成 滑り出し上々
 東日本大震災後、被災地の人口減少に伴い、なりわいの再生が課題になる中、宮城県石巻市水産業担い手センターが、基幹産業である水産業の就業者を育成する取り組みを始めた。同市の牡鹿半島で2月中旬、漁業に関心のある若者ら向けに短期研修を初めて開催。参加者の中には移住を決めた人がおり、早くも効果が出ている。
 研修には山形県や東京都から20〜50代の男性4人が参加。2泊3日の日程で同市桃浦地区の民宿に泊まり、カキの水揚げや殻むき、ナマコ漁などを体験した。
 漁師と夕食を共にし「大変なことは何ですか」「収入はいくらですか」などと尋ね、仕事について理解を深めた。若手漁師の体験談の紹介や、実際に移住して漁師になる過程を考えるワークショップもあった。
 山形県大江町の畜産会社勤務伊藤賢さん(24)は「漁業に憧れがあった。獲物を捕った時はうれしく、漁師が楽しそうに仕事をしていた。石巻で漁師になりたい」と話した。
 担い手センターによると、参加者のうち2人が既に石巻への移住を決めたほか、1人が移住を希望しているという。
 市の2013年の漁業者は2107人。震災前の08年から37.3%減少した。約半数が55歳以上で、高齢化も進む。市は昨年11月に担い手センターを設置し、後継者確保に乗り出した。
 事業は県内の若手漁師らでつくる一般社団法人「フィッシャーマン・ジャパン」(石巻市)に委託、県漁協石巻地区支所と筑波大が協力する。荻浜地区にシェアハウスを整備し、若者らが数カ月から数年間、漁業を学びながら生活できる環境を整える計画だ。
 石巻地区支所の小野寺賢支所長(40)は「今後も中身の濃い研修プログラムをつくり、人を呼び込んで水産業を次代につなげたい」と語る。


<震災5年>大船渡の玄関口 再生
<大船渡>駅前広場完成、まちびらき
 東日本大震災で被災し、津波復興拠点整備事業で再整備する大船渡大船渡市の大船渡駅周辺地区で駅前交通広場が完成し13日、第1期まちびらきがあった。夏までにショッピングセンターが開業し、新たな中心部として生まれ変わる。
 復興拠点事業地区10.4ヘクタールのうち、先行区域2.3ヘクタールが完成した。交通広場は広さ2400平方メートル。バス高速輸送システム(BRT)で運行するJR大船渡線の大船渡駅前にタクシープールとバス発着所が整備され、新市街地の玄関口となる。
 隣接地にはかさ上げ予定地から移転新築した大船渡プラザホテルが完成し、12日に開業した。地区内では4月以降、まちづくり会社キャッセン大船渡や仮設から移転する商店街が順次オープンする。
 式典で戸田公明市長は「交通広場が完成し、1〜2年後には新しい街が出来上がる。商業の中心地としてにぎわいが増す取り組みを続けたい」と話した。
 かさ上げ工事に伴い、一部で県道を通行していた大船渡線のBRTは13日、専用道に切り替わり、小友(陸前高田市)−盛(大船渡市)間の13.3キロが専用道でつながった。


<避難解除>帰還の高齢者点在 支援模索続く
 東京電力福島第1原発事故で福島県楢葉町に出ていた避難指示が解除され、半年が過ぎた。帰還した町民は6.2%の459人(4日現在)で、65歳以上が51.2%を占める。コミュニティーが崩れ、生活環境も整わない中、高齢者をどう守り支えるのか。関係者の努力と模索が続いている。
 午前10時、町社会福祉協議会の生活支援相談員大塚美恵さん(50)と鈴木由美子さん(48)が車で出発した。帰町者らを訪問して話を聞き、支援の必要があれば関係機関につなぐ。
 「留守だね」。最初の4軒は空振りだった。5軒目。「こんにちは。あー、お父さん」。猪狩好光さん(78)が笑顔で現れた。2人も笑顔で「風邪ひいてなかった?」。軒先でまきストーブを囲み、猪狩さん自慢の蜂蜜入りコーヒーを飲みながら談笑が始まった。
 猪狩さんは、いわき市の避難先から毎日、車で通う。泊まりはしない。「こっちにいると、本当にせいせいする。でも夜は真っ暗で寂しくて、いられねえ」
<1日50軒訪問も>
 話し込むこと1時間以上。「顔色が良くて安心した。運転には気を付けてくださいね」と鈴木さん。猪狩さんは「また寄ってくんちぇ」と2人を見送った。
 訪問活動は相談員2人1組が交代で動く。1月末までに町内全戸を回り、住宅地図に「完全帰町」「週の半分以上宿泊」などと色分けした。不在続きで1日50軒に上る日もあった。話が尽きず数軒の日も。「ただ普通に接し、世間話をする。結果的に何かの役に立てれば」と大塚さん。
 点在する高齢者の孤立をどう防ぐのか。訪問・見守り活動と共に求められるのがコミュニティーの場だ。
 社協が運営し、昨年11月に再開したデイサービスセンター「やまゆり荘」。介護サービスに加え、交流の拠点としても期待される。
<一般に門戸開放>
 登録者24人のうち要介護・支援は15人。介護予防のため、一般にも門戸を広げている。多い日は十数人が温泉に入ったり、リハビリ器具を使ったり。「どこも行く所がない。ここで皆さんと話すのがうんと楽しみ」と佐藤静子さん(85)。
 社協の松本和也事務局長(62)は「元気な高齢者が多いが、近所不在で寂しい人もいる。まず外に出てもらうことが大切」と話す。
 4年半にわたって全町避難した楢葉町は、超高齢化の中で、一から保健・福祉の再構築を迫られる。特養ホームは3月末に再開する予定だが、介護老人保健施設は未定だ。
 町地域包括支援センター長の磐城美樹さん(52)は「今も試行錯誤の状態だが、帰町が進めば高齢者がさらに増える。若い有資格者などマンパワー不足の中、医療・介護・福祉の連携をどう図るのかが課題だ」と指摘。「公的支援を補うためにも、介護予防や交流に力を入れ、高齢者同士、住民の誰もが支え合う地域づくりが必要」と強調する。


大震災から5年 福島原発の廃炉 司令塔の整備が必要だ
 1〜4号機が次々に危機的な状況に陥った東京電力福島第1原発事故から5年。廃炉作業が続く敷地内では除染が進み、全面マスク着用が必要なエリアは全体の1割となった。休憩施設内にコンビニも出店するなど、労働環境は大幅に改善した。
 だが、最大の難所である原子炉内で溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の回収はめどが立っていない。廃炉作業は30〜40年続くとされるが、まだほんの入り口に過ぎない。
 廃炉の前提となるのが、原子炉建屋に地下水が流入して生じる汚染水対策だ。建屋には地下水が今も1日当たり150〜200トン流入し、汚染水は増え続けている。
 政府と東電は、1〜4号機の周囲を氷の壁で囲い、地下水の流入を防ぐ「凍土遮水壁」を対策の切り札と位置づける。近く稼働するが、地下水位のコントロールを誤れば、建屋内の高濃度汚染水が外にあふれ出る恐れがある。慎重な運用が必要だ。
 汚染水の浄化処理は進んだ。ただし、放射性物質のトリチウムは除去できず、約60万トンのトリチウム水がタンクに貯蔵されている。東電は海への放出を視野に入れる。先月、東電が事故から3日後には炉心溶融の判断ができたはずだったことが判明した。こうした隠蔽(いんぺい)体質を改め、地元了解を得ることが大前提となる。
 燃料デブリの取り出しについて政府と東電は、2018年度中に取り出し方法を決め、21年中に回収を始める計画だ。ところが、高い放射線などに邪魔され、今年度中に実施予定だった1、2号機の格納容器内のロボット調査は延期された。デブリの姿すら観察できていない。
 政府は廃炉技術の研究開発などに2000億円超を投じており、来月には福島県楢葉町で日本原子力研究開発機構の新施設が本格稼働する。2号機の格納容器下部の実物大模型などがあり、燃料デブリ取り出しの手順決定などに役立てる。このほかにも、廃炉に使うロボットや遠隔操作技術の開発に、大学やメーカーなどが取り組んでいる。
 長期にわたる廃炉を成功させるには、基礎から応用まで幅広い研究開発を一元的に管理し、進捗(しんちょく)状況に応じて的確な指示を出す司令塔が必要だ。
 そのため政府は一昨年、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」を国の認可法人として発足させた。昨年7月には同機構の下に東電や研究機関が集う連携会議が設置されたが、まだ情報交換の段階だ。
 同機構の廃炉担当者は約50人で、福島第1原発には2人しかいない。政府は、同機構の機能強化を図るべきだろう。


大震災5年 人口減少/原発被災地切り捨てないで
 発表された2015年国勢調査の速報値に厳しい数字が並んだ。10年の前回調査からの減少率は全国平均0.7%。これが東北では3.8%で、東日本大震災の被災42市町村に限れば4.1%となる。
 全国から東北、さらには被災地へと焦点を絞るに従って減少幅は拡大し、ついに東京電力福島第1原発事故で全域避難が続く浪江、大熊、双葉、富岡の4町の減少率は100%となった。
 ただし「居住人口ゼロ」は、早くから予想された事態である。避難の長期化は避け得ないと判断した現場からは、ある種の覚悟をもって「仮の町構想」「二重の住民登録」など次善の提案もなされていたはずだ。
 それにもかかわらず実際の避難者ケアは、避難先での住居斡旋(あっせん)程度だった。結果、統計上のみならず、被災者支援の網からも原発避難者は消されようとしている。まずもってこの5年間の不作為を猛省しなければならない。
 飯舘、葛尾、楢葉の3町村は辛くも居住人口ゼロを免れた。が、ここにも重い現実が横たわっている。
 飯舘村の41人は全員、移動が困難で特別養護老人ホームに残された高齢者である。葛尾村の18人は、古里への帰還に向けて準備宿泊を続ける住民たちだった。
 居住者一人一人の属性や事情をつぶさに把握できること自体が、逆説的に原発事故の異様さを物語る。
 調査基準日(10月1日)の1カ月前に避難指示が解除された楢葉町は、居住人口976人で87.3%の大幅減となった。廃炉や除染に従事する長期滞在の作業員も多数含んでの数字だ。
 事前に準備期間を設けたにもかかわらず、住民の9割超が戻っていない事実が指し示すのは、国の思惑と住民感情のずれにほかならない。
 政府は「加速化」という単一スローガンで復興を推し進め、避難解除に邁進(まいしん)する。しかも避難住民に求めるのは「帰還」か「移住」かの単純な二者択一なのだから、これはもはや原発避難者に対する自己責任論の押し付けだ。
 古里から切り離された避難住民が今は、除染への不安を払拭(ふっしょく)できないまま、せき立てられるように結論を求められている。避難住民の心の葛藤こそが「居住人口976人」の意味するところだろう。
 国勢調査の結果に基づいて算定される地方交付税の行方も気になる。
 被災自治体に政府は、前回調査を基準に交付税を算定し、段階的に引き下げる特例を用意した。だが、これとて曲がりなりにも復興が進む津波被災地と、自治体再建の道筋すら見通せない原発被災地を仕分けし、きめ細かく支える設計にはなっていない。
 特例措置が終了した時点で人口が回復していなければ、原発被災地は「復興の見込みなし」と見なされかねない。
 人口減少の先にある自治体消滅が現実味を増しつつある原発被災地の現状を考えたとき、震災発生から5年の節目に私たちが自覚すべきは、簡単に「切り捨てる」ことではなく、何とかして「すくい取る」ことであると心得たい。


広島中3自殺 「なぜ」の徹底的検証を
 広島県府中町で昨年12月、中学3年の男子生徒が自殺した。学校側は進路指導が原因と見られると説明しているが不明確なことが多い。男子生徒はなぜ自殺に追い込まれたのか。疑問を払拭(ふっしょく)するための調査を尽くすべきだ。
 学校側の報告書によると、男子生徒が1年生の時、生徒指導の会議資料に万引きをした別の生徒と間違って男子生徒の名前が記載されてしまった。会議で誤記載に気付いたが、学校の電子データには誤ったままの記録が保管されていた。担任教諭は誤記載のままの記録に基づき、万引き行為のために志望校への推薦はできないと伝えた。男子生徒は面談の直後に自宅で自殺した。
 学校の情報管理はあまりにずさんだった。生徒の万引き行為の報告を全て口頭で済まし、パソコン入力で名前を間違えていた。資料の修正や閲覧の仕方は、各教員の裁量に任されていた。非行行為の記録という重要な個人情報の取り扱いについての検証が求められる。
 各教員が進路指導に当たる直前の昨年11月に、校長は私立高校への推薦基準を見直して非行歴の調査対象を3年生時のみから1年生以降に変更した。担任教諭は10日間ほどで非行歴を確認するよう求められ、当時の担任や保護者にまでは確認しなかった。進路の選択に重大な影響を与える変更をなぜ入試直前に強行したのか。解明が必要だ。
 万引きを生徒本人に確認するため担任教諭は計5回面談したが、いずれも廊下で5〜15分程度の立ち話で済ませた。男子生徒は進路指導をめぐるやり取りで「どうせ言っても先生は聞いてくれない」と保護者に打ち明けていたという。教師と生徒の信頼関係ができていたのだろうか。疑問が残る。
 中学校学習指導要領では指導計画の作成に当たって配慮すべきこととして「生徒のよい点や進歩の状況などを積極的に評価し、指導の過程や成果を評価する」としている。できるだけ生徒の良い点を見つけ、良くない点が改善していった過程を重要視しようという考え方だ。現場での進路指導がデータに頼った形式的なものになっていないか、今一度チェックする必要がある。
 学校がまとめた報告書に対し両親は「他の生徒たちにも話を聞く必要がある」と指摘している。保護者への説明会では批判や質問が噴出した。学校は保護者や生徒たちの「なぜ」に誠実に答えなければならない。
 町教委は第三者委員会を設けて調査に入る。文部科学省は緊急の対策チームを設置した。二度と悲劇を繰り返さないため、不明確な点を徹底的に検証する必要がある。


<同一労働同一賃金>政府変心に戸惑い広がる
 今夏の参院選を前に、正規、非正規に関係なく同じ仕事には同じ賃金が支払われるべきだとする「同一労働同一賃金」の論戦が熱を帯びてきた。政府が目玉に掲げる「1億総活躍」実現を理由に法制化を目指す安倍政権に対し、宮城県内の労働組合は「参院選目当てのごまかし」と警戒する。経済界も「実情に合うのか」と真意をいぶかる。
◎労組「参院選目当て」/経済界「実情の合うのか」
 同一労働同一賃金は、もともとは労働界が賃金格差の是正を図るため企業や政府に要求してきた。安倍晋三首相がことし2月の1億総活躍国民会議などで法制化に意欲を示し、労働界を戸惑わせている。
 賃金格差は統計上の数字からも明確だ。厚生労働省によると、県内の男性平均賃金(昨年6月)は時給換算で正規が1855円。これに対し、非正規は1093円にとどまる。
 同一労働同一賃金は労働者にとっては朗報に聞こえるが、連合宮城(約7万8000人)の小出裕一会長は「参院選が近づき、国民受けの良いフレーズを掲げてきた。期待感を持たせて終わるだけだろう」と突き放す。
 労働界の疑念は、政府の労働者政策に端を発している。昨年9月、企業の派遣労働者受け入れ期間制限を撤廃する改正労働者派遣法が成立。一般業務で最長3年という派遣期間への違反が直接雇用のきっかけになると予想された改正前の制度と、大きく変わった。政府はさらに、年収の高い専門職に「残業代ゼロ」制を導入する労働基準法改正を目指している。
 改正労働者派遣法と同時に成立した同一労働同一賃金推進法は、民主党などによる当初案では「待遇の均等の実現」だった。
 しかし自民党などの要求で「事情に応じた均衡(バランス)のとれた待遇の実現」とトーンが弱められた経緯がある。「今まで労働環境の改善につながる政策を何らやっていない。安倍政権を信用できない」と小出会長は言う。
 県労連(約1万4000人)の安藤満議長も「参院選で争点化されるのを避けようと、見せ掛けの希望を打ち出したのだろう。絵に描いた餅だ」と断じる。
 政権の「変心」には、企業側からも戸惑いの声が上がる。
 県経営者協会の海輪誠会長は「終身雇用が前提の国内労働市場では、一般論として経験、年数、能力を含めて賃金が決まる。合理的な格差はあり得るのではないか」と指摘。政府内の議論を注視していくという。
 政府は5月にまとめる1億総活躍プランに、同一労働同一賃金対策を盛り込む見通し。


「とがった人材」どんな人? 京大特色入試合格者の素顔
 「意欲的でとがった人材」を求めて、京都大が2016年度入試から始めた特色入試の合格者が法学部をのぞき出そろった。高校での課外活動や入学後の「学びの設計書」などを通じての審査に加え、理学部では数学オリンピック級の超難問が出題されるなど筆記試験の難易度の高さも注目を集めた。一体どんな高校生が合格したのだろう? その素顔に迫った。
■約数の定理発見
 「学校での数学の成績は平均的でした」。理学部合格の洛北高3年ホッジ・ルネ・倫(りん)さん(18)は明かす。中学と高校では剣道に熱中し、5段階評価の通知表では大半が2か3だった。数学でも3か4。「一般入試での合格は無理だった」と率直に語る。
 理学部では、調査書や報告書などの書類選考を経て、難問ぞろいの数学の筆記試験がある2次選考に進む。飛び抜けた数学力が必要なはずだが、合格の秘密は何だろうか。
 「研究ノート」を見せてもらった。計6冊すべて数式で埋め尽くされている。ホッジさんは中学1年から独自に好きな数学研究に取り組んできた。約数の和に関する定理を独力で発見するなど研究者並の成果もある。「自分で考えたりインターネットで調べたりして追究しました」。自主的な研究活動で培った思考力が難関突破に結びついた。
 幼なじみで、同じく理学部特色入試に受かった同高3年の吉永公平さん(17)はすぐそばで興味を共有してきた。中学時代は一緒に通学。バスに揺られながら、ホッジさんの研究内容をしばしば語り合った。
 吉永さんの成績は学年トップクラスで、既に大学の物質化学の研究室に出入りして先端科学にも触れてきた。しかし、ホッジさんには一目置く。「自分で研究している人が身近にいて、刺激を受けました」
 切磋琢磨(せっさたくま)し合った2人は春からまた同じ道に進む。「入りたかった京大で研究を深め、学業以外でも経験を積みたい」と声をそろえた。
■チャレンジ精神
 工学部に合格した京都教育大付属高3年の八鳥孝志さん(18)は、高校2〜3年時、自らつてを探してノルウェーに留学した。ホストファミリーの元に暮らし、まったく話せなかったノルウェー語も日常会話程度は習得した。現地で数学五輪の予選に挑戦し、最終ラウンドまで残った。担任の種岡和哉教諭(35)は「研究熱心でチャレンジ精神にあふれている。受かるべくして受かった」と納得の表情を浮かべる。
■要約は得意
 特定分野の飛び抜けた能力を測る試験がある一方、論文などを通して総合的な学力を重視する学部もあった。経済学部に入学する洛南高3年の山万純さん(18)は、長文要約や自分の考え方を記述する試験に挑んだ。「文章の要約は得意」という山さん。「現代における自由」について、個人と企業といった立場の違いから多角的に論じた。高校で書道などに熱心に取り組んだ結果も評価されたようだ。
 京大の特色入試では定員割れの学部もあり、課題は残した。だが、入試企画課は「一般入試だけでは得られない人材を得られた」として、改善しながら続ける意向だ。従来の学力テストだけでは測れない個性的な人材を獲得するため、各大学の模索が始まった。

ヒロシマ、そしてフクシマ/池袋で狗肉料理/小さき声のカノン

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Marine Lorphelin et Christophe : Amoureux au Japon, le duo inséparable
La capitale du pays du Soleil-Levant n'a plus de secrets pour l'ex-reine de beauté...
Pour Marine Lorphelin et Christophe, amour rime plus que jamais avec évasion. Le tendre duo continue de s'aimer aux quatre coins du monde et le prouve, comme toujours, sur les réseaux sociaux pour notre plus grand bonheur.
Après des semaines de séparation (L'ex-Miss France 2013 vit en métropole, Christophe à Tahiti !), c'est au Japon que nos deux tourtereaux se sont rendus fin février pour passer une semaine des plus dépaysantes en amoureux... Après avoir testé les pistes de ski de la station Hakuba (à 300km de Tokyo), Marine et Christophe (alias Zack Dugong sur Instagram) ont enchaîné les visites à Tokyo.
Que ce soit au restaurant au milieu des sushis et des bonsaï, au Owl Café (un café rempli de chouettes !), dans le "quartier manga" d'Akihabara ou devant le temple bouddhiste Senso-ji, Marine (22 ans) et son compagnon ont multiplié les cartes postales sur Instagram.... Chacune étant évidemment associée à un petit mot d'amour caché dans les hashtags #TheWorldWithYou et #Nextplease. Ces deux-là ne sont donc pas près de se lâcher !
Une chose est sûre, leur bonheur fait plaisir à voir car comme chacun sait désormais, quand Marine Lorphelin est en France pour poursuivre ses études de médecine à Lyon, la Miss souffre de la distance qui la sépare de l'être aimé.... Il y a quelques semaines, l'ex-Miss indiquait en légende d'un cliché montrant deux mains formant un coeur : "Avant j'avais peur de vieillir, maintenant j'ai hâte de vivre. Après, plus jamais sans toi. #sunset #bestsmoments #Tahiti #pensée."
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ヒロシマ、そしてフクシマを見ました.昨日もらった前売り券を使いました.ユーロスペースで映画見るのは初めてです.
フクシマだけでなくヒロシマの時からヒバクシャはモルモットのように扱われていたのを見てとても悲しくなりました.これもいい映画なのでぜひ皆さんみましょう.
フランス人監督が追う肥田舜太郎医師96歳 最後の闘い
1945年8月6日の原爆投下の日 広島近郊で被爆者の治療にあたった医師が問いかけるものとは―
ヒロシマ、そしてフクシマ

肥田舜太郎医師のことを話す時、誰もが「肥田先生」と親しみと尊厳を込めて呼びます。肥田先生は原爆投下の1945年8月6日以来、若い軍医として広島で被爆者の治療にあたり続けました。そのうち、この日に広島にいなくて爆撃を直接身に受けなかった人々が、後になって突然発病し、被爆者と同じ症状を示して死んでいくという例を数多く目撃しました。それが内部被爆によるものであることを突きとめた先生は、それまで知られていなかった内部被爆というものの脅威を世界に向けて訴えつづけています。
カメラは、原発事故の被災者が暮らす町へと赴く先生を写し出します。先生には戦後65年にわたり広島・長崎の生存者を診療し続けてきたという治療体験があります。内部被爆の危険性は、核所有国の政府当局者達によって隠蔽されてきたのです。最後の力を振り絞り、愚かな選択と歴史から何も学ぼうとしない体制に向けて警鐘を鳴らし続けています。そして、肥田先生の足は沖縄にも向かいます。日本に原爆を投下した米軍や日本の民間用原子力産業を導入したアメリカに対して、ハッキリとノーと言います。先生が願ってやまない、平和で核のない新しい日本の到来に向けて…。本作は一人の被爆医師の執念ともいうべき言葉を追ったドキュメンタリーです。
2015年/日本、フランス/80分/HD/配給:太秦
監督:マルク・プティジャン/出演:肥田舜太郎、野原千代、三田茂
De Hiroshima à Fukushima
Le désastre de Fukushima vu à travers les yeux du docteur Hida, 96 ans, survivant et témoin de la bombe atomique de Hiroshima. Après avoir soigné les irradiés pendant 60 ans, il continue de se battre pour un monde meilleur, dénonçant avec humour et provocation l’attitude des pouvoirs publics. Son association, Hidankyo, a été nominée pour le Prix Nobel de la Paix.
“De Hiroshima à Fukushima” montre comment les autorités japonaises essayent de minimiser l’impact réel des radiations sur la population pour ne pas avoir à indémniser les victimes et à payer leurs soins médicaux. “L’histoire semble se répeter depuis le bombardement atomique de 1945” dit me docteur Hida.

お昼は池袋で延辺料理.中国で朝鮮民族が住んでいるところのようです.狗肉とは何?と店員さんに聞いたら返事は「イヌ」.早速食べてみることにしました.栄養料理としてメニューにあった蚕はちょっと無理ですが・・・
ネットカフェで時間調整をしてまたしても映画.小さき声のカノンという鎌仲ひとみさんの映画です.これもまた素晴らしい映画.福島から避難できないで頑張っている人もいるし,またチェルノブイリからの日本への保養などいい感じです.関西でも保養やっているの知っていますが,なんだかよくわからなくてカンパも少ししかしていなかったのを恥ずかしく思いました.

野蒜小で被災の3人 神戸の同世代に体験語る
 東日本大震災発生時に東松島市野蒜小6年だった女子高校生で構成される震災語り部が12日、現地の野蒜地区で神戸大付属中等教育学校の生徒らに被災経験を話した。東日本、阪神それぞれの大震災被災地の子どもたちが交流し、復興の捉え方について考えた。
 出迎えた語り部は内海真由さん(17)=石巻高2年=、小山綾さん(17)=石巻市桜坂高2年=、斎藤茉弥乃さん(17)=宮城一高2年=の3人。高校生に当たる中等教育学校の4、5年生8人と仙台白百合学園高の生徒6人を案内した。
 訪れた生徒たちは新旧のJR仙石線野蒜駅で現状の説明を受けた後、津波被害に遭った野蒜小旧校舎で3人の語りに耳を傾けた。3人は避難した野蒜小の体育館で津波にのまれながらも着衣泳で助かったこと、小学校での避難経験や語り部の活動が将来の進路を固めるきっかけになったことなどを話した。
 生徒は真剣にメモを取り、「国が掲げる復興計画に不満があるか」「旧野蒜駅の震災遺構化をどう思うか」などと率直に質問をぶつけた。中等教育学校4年の長野里音さん(16)は「つらい経験を必死で伝える3人の話を誠意をもって聞いた」と語った。


<あなたに伝えたい>私も子ども好きになれたよ
◎畑中みゆきさん(宮城県塩釜市)から幸夫さんへ
 みゆきさん 震災が発生したとき、長野県内のスキー場にいました。山が揺れて、てっきり富士山が噴火したのかと。インターネットで大津波警報が出たのを知りました。選手たちが「大丈夫なの?」とメールで気遣ってくれました。
 叔父は避難ビルになっていた体育館に逃げたらしいのですが、津波が2階まで押し寄せ、流されてしまった。仙台港の埠頭(ふとう)で遺体で見つかりました。
 3月11日は、定年退職を控えて最後の勤務日でした。子どもが大好きで、私にもとても優しくしてくれた「おんちゃん」。塩釜市の浦戸諸島産のノリをよく、送ってくれたんですよ。
 震災後、支援物資を持って浦戸の桂島に行きました。若い人たちがドラム缶で海水を沸かし、ペットボトルに入れて湯たんぽにして配っていた。気持ちの温かさを感じました。
 叔父が送ってくれた浦戸のノリを食べていたこともあり「ここで支援を続けよう」と決め、ノリ養殖を手伝いました。2012年1月にNPO法人を発足させ、支援を続けています。
 個人の復興支援活動として、子どもたちにスキーを教えています。初めてでも諦めなければ、リフトに乗って降りてこられる。やり遂げたときのあのキラキラした目は最高。19、20の両日はスプリングバレー泉高原(仙台市)で教室を開きます。
 子どもが笑顔になると、周りの大人も笑顔になる。実は以前、子どもが苦手でした。子どもが大好きだったおんちゃんのおかげで、大好きになれた。感謝の気持ちでいっぱいです。
◎スキー教室開き、支援に奔走
 畑中幸夫さん=享年(67)= 東日本大震災の発生時、仙台港近くで働いていた。避難ビルに逃げたが、津波に襲われ、命を落とした。フリースタイルスキーモーグルの元五輪選手、畑中みゆきさん(40)=塩釜市=は、叔父の幸夫さんの思い出を抱きながら、復興支援に奔走する。


大震災から5年 子供の心のケア 見えない傷に寄り添う
 被災地の子らの笑顔に希望を感じる人は多いだろう。しかし、心に深い傷を負いながらSOSを言えず、時が過ぎてから苦しみ出す子供たちがいる。震災から5年、復興が少しずつ進み、人々の関心が薄れていくこれからが、子供のケアは本番だ。
 笑顔を見せ、周囲には気丈に振る舞っても、誰にも悩みを言えない子がいる。東日本大震災で親を亡くした遺児は1700人を超える。友だちを亡くし、住み慣れた家を津波で流された子はさらに多い。
 被災直後は必死にがんばってきたが、時間がたつにつれて気持ちが落ち込み、食欲をなくしてボーッとしたり、感情が不安定になったりする。阪神大震災では3〜4年後にピークを迎えたとの指摘もある。心に深い傷を残すトラウマを放置しておくと症状が悪化し長期的なうつやひきこもりにつながるケースもある。
 あしなが育英会では遺児のケアをする施設を宮城県と岩手県に計3カ所開設した。週末や夏休みに子供たちが集まり、安心して弱音を吐ける仲間づくりをしている。がれきの処理や建物の再建に比べて、子供の心の問題は見えにくく後回しにされがちだが、国や自治体の公的支援がもっと必要ではないか。
 仮設住宅でのストレス、親の生活困窮も子供たちに深刻な影を落としている。震災当時に保育園児だった子の4人に1人が心の問題で医療的なケアが必要との調査がある。
 特に、原発事故の影響で県内外での避難生活を強いられている福島県の子供たちは複雑だ。もともと福島県は不登校が最も少ない地域の一つだが、震災後は増加傾向をたどっている。心のケアセンターは県内各地にあるものの、アルコール依存やギャンブル依存になった大人の対応に追われ、子供には手が回らないところが多いという。
 福島大学は医師や心理士を学校や仮設住宅に派遣して「心の教育プログラム」を実施している。子供が見せる症状は似ていても原因はそれぞれ違う。「被災のトラウマ、ストレスや親の不適切な養育の影響、もともと子供が持っている発達障害など、個々に応じたケアが必要だが、専門家によるチーム医療ができる体制にない」と医師は指摘する。
 最近は震災後に生まれた子供が保育園で不適応を起こしている例も増えている。親の不安定な精神状態や避難生活が影響しているとみられる。適切なケアが受けられないまま小学校に上がると、さらに集団適応が難しくなり深刻な問題行動が生じる恐れがある。長期にわたる継続的なケアが不可欠なのだ。


<アーカイブ大震災>待ってる人いる 再起へ
 東日本大震災による津波は沿岸部の幾多の工場ものみ込んだ。壊滅的な被害の現場で、東北の企業は再起に向けて奮闘する。宮城県名取市の笹かまぼこ製造会社「ささ圭」は三つの工場が全壊した。いったんは全従業員に解雇を通告したものの、「特産品を守る」と撤回。小さな工房で、「手焼き」の原点に立ち返り、笹かま作りを再開した。
◎苦闘 企業の前線(6)20平方mの工房(名取の笹かま製造会社・ささ圭)
 広さわずか20平方メートル。そこに二つのガス式の焼き台や、原料のスケソウダラを石臼で練りつぶす小型機械などが、備え付けられている。
 再起を懸けた工房は2011年7月1日、JR名取駅東口近くに設けた。販売専門の名取増田店の一部を約500万円で改装した。
 材料を型枠に入れ、上から手でペタペタ。それにステンレス製の串を刺し、一枚一枚丁寧に焼き上げる。
 「手焼きを見るなんて小学生のころ以来」。社長の佐々木圭亮さん(59)は吹っ切れた様子で作業を見詰める。
 ささ圭は1966年創業。笹かまに加え、牛タンソーセージなどの加工品も手掛けてきた。
 工場は閖上漁港近くに3棟あり、笹かまだけで1日7万〜8万枚を製造してきた。昨年の売上高は1億1800万円に上った。
 3月11日、閖上漁港には高さ約8メートルの津波が押し寄せた。3工場と併設する冷凍冷蔵倉庫がのみ込まれた。
 58人の従業員は地震後に全員が退社。工場長を含む3人が途中で津波の犠牲になった。
 佐々木さんは閖上の自宅も失った。「効率を求めて閖上に3工場を集中配置していた。リスク分散で一つは離れた場所に設けるべきだった」。後悔しても現実は変わらない。経営者としての心はぽっきり折れた。
 3月23日、従業員に解雇を告げ、不明だった従業員の安否確認のため名取市役所に向かった。
 市役所では、社会保険労務士がボランティアで被災企業の相談に応じていた。自然と足が向き、解雇の方針を伝えた。
 「国の支援制度もある。考え直した方がいいですよ」。そういえば津波被害を受けた同業者からも「うちは再開を目指す。そっちもやめるなよ」と言われていた。心の底で変化が起きた。
 佐々木さんは翌日、再び従業員を集めて前言を撤回した。
 決断は間違っていなかった。5月中旬、手焼き工房の準備を始めると、通行人が「いつから再開すんの」と尋ねてきた。「待っている人がいる。そう実感させられた」と佐々木さんは言う。
 工房には今、父で創業者の会長圭司さん(90)と母あつさん(84)が立ち、従業員に手焼きの手本を示している。ステンレス製の串は震災後、従業員ががれきの中から探しだして磨き上げた。
 1日に焼けるのは約3000枚で震災前には遠く及ばない。残った従業員50人のうち作業に携われるのは15人。他は休職扱いにせざるを得ない。
 それでも佐々木さんは前を向く。今秋には、名取市植松の国道4号バイパス沿いの社有地で、新工場の建設を始める計画だ。
 投資額は5億6000万円を見込む。被災した工場の借金も残り、二重ローンの不安を抱えながらの着工となる。
 工房で作る2種類のかまぼこの商品名は「福興(ふっこう)手わざ笹蒲鉾(かまぼこ)」と「福興遊里揚(ゆりあげ)」。第2の創業に会社と地域の未来を託した。
 「数はこなせなくても、おいしさで応えたい」と従業員の高橋久美さん(26)。赤川香奈さん(23)は「新工場ができても、手焼き笹かまは作り続けたい」と笑う。
 「毎日、薄氷を踏む思い。それでもみんなの力で、笹かまを待っている人たちの要望に応えられているのではないか」。佐々木さんは復興への一歩一歩に手応えを感じている。(山形泰史)=2011年7月29日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<大仏グラブ>大きな手 被災地の思いキャッチ
 東日本大震災からの復興を願い、奈良・東大寺の大仏の手の大きさに合わせて作った野球グラブが11日、福島県いわき市内の商業施設で披露された。被災地を中心に延べ2000人以上の子どもたちが作り上げた。
 奈良県大和郡山市でグラブ工房を営む梅原伸宏さん(51)らが実行委員会をつくり、昨年3月から取り組んだ。牛革を用いたグラブの全長約3.6メートルで、重さは約180キロ。いわき市や東松島市などを回り、子どもたちが一針ずつ縫い上げた。東大寺も協力し、昨年12月に奉納された。
 制作に参加した野球部の中学生や大和郡山市長ら関係者約200人が、大仏グラブの完成を喜び、笑顔で記念写真を撮った。梅原さんは「みんなで作り上げることで気持ちが一つになる。勇気や希望に変えていけたらうれしい」と話した。


市街地再生へ一歩 岩手・大槌まちびらき式
 東日本大震災で被災した岩手県大槌町の末広町地区の一部で土地区画整理事業が完了し、町中心部で初の「まちびらき式」が12日、現地であった。今後本格化する宅地引き渡しと災害公営住宅への入居で、市街地再生への一歩を踏み出す。
 約4.3ヘクタールに107宅地を設ける。2月から引き渡しており、元の住民が住宅を順次再建する。完成した町営の災害公営住宅(53戸)は4月1日に入居を始める。
 式典で平野公三町長は「いよいよ中心市街地の新たなまちづくりがスタートする」と宣言。公園となる予定の場所にマツを植樹し、災害公営住宅の2階から餅まきをして祝った。
 3月末にも住宅工事が始まるとび職三枚堂正文さん(47)は「生まれ育った大槌に家を再建すると被災直後から決めていた。3年ほどで建つという当初の見込みより時間がかかったが、以前のご近所さんも戻ってくるので良かった」と笑顔を見せた。
 災害公営住宅に入る無職女性(79)は「完成を待っていた。以前の住所に近く、津波で流された夫や家のことを思い出しながら暮らしたい」と語った。


デスク日誌 「仮設」見出し
 新聞の見出しは字数が限られている。記事の要点を少ない字数に盛り込もうとするから、見出しを付ける作業は「文字数の制約」との闘いといっても過言ではない。いきおい見出しには略語が氾濫する。
 政務活動費が「政活費」、調査特別委員会が「調特委」と略されるのは、読者にも抵抗はないだろう。
 個人的には「略しすぎでは」と思える単語も見出しに取られることがある。例えば「仮設」。被災地にまだ多く残るプレハブ仮設住宅や店舗を指す。東日本大震災から5年、紙面で見掛けるたびに、心に引っ掛かりを感じている。
 言葉を省略する行為は、略された側にとって心穏やかでない場合がある。
 入居期間が原則2年の仮設住宅であったはずなのに、5年以上も継続しているのは、復興事業が遅れているからにほかならない。被災者からは「好きで『仮設』に暮らしているわけではない」との嘆きが聞こえてきそうだ。「仮設」が固定化して、新たな暮らしへの一歩を踏み出す気力がなえないか、心配する。
 見出しはできるだけ省略せずに「仮設住宅」としたいと、お願いしている。(整理部副部長 新迫宏)


<震災5年>被災沿岸見詰める竹あかり
 東日本大震災で大きな被害が出た宮城県山元町で12日夜、竹の筒にろうそくの火をともす「竹あかり」があった。被災した沿岸部を見下ろす高台の公園が、古里再生を誓うほのかな明かりに照らされた。13日も。
 町南部の磯崎山公園に、全国から寄せられた竹筒600本が飾られた。ドリルで思い思いに開けた穴から漏れる光が、夕闇を幻想的に彩り、訪れた住民らを魅了した。
 公園がある磯地区の実家が津波で流されたという同町の70代女性は「見たことのない素晴らしい光景。震災で数多く亡くなった親類も喜んでくれると思う」としんみり語った。
 催しは、被災地を明るく照らそうと地元や全国から参加する若者グループが企画。岩佐勝太代表は「被災地を思う多くの人々の縁がつながる一夜にしたい」と話した。


大震災5年 「食」産業の復興/消費者とつながってこそ
 魚を捕って加工もし、コメや野菜を作り、売って暮らしの糧を得る。「食」産業が成り立つのは、買って食する人たちがいればこそである。
 その消費者が、何を欲しているのか。そのことをつかんで、経営に生かす。
 当たり前のことながら、その取り組みが大震災から5年を迎え「壁」にぶつかる漁業・水産業・農業の復興、ひいては、若い担い手の確保を含め持続可能な食産業の構築に道を開く一つの鍵になるのではないか。直接的であれ間接的であれ消費者と向き合うこと、つながることである。
 被災地を見渡せば、原発事故の影響で復旧さえままならない福島をはじめ、復旧・復興状況には地域格差がある。
 だが、その中でも宮城、岩手を中心に漁港、農地、水産加工の設備など生産基盤は整ってきた。漁業では協業化や養殖漁場の再編、農業では震災を機にした離農に伴う大規模化や経営体の法人化と、共に構造改革が進み、6次産業化も視野に入れる。
 だが、濃淡はあれ、直面するのは経営の課題だ。どうやって収益を上げていくのか。
 沿岸部の主力産業であり地域の復興に不可欠な水産加工業は、震災後にほかに奪われた販路の開拓が重い宿題だ。
 その窮状の打開に向け、東北の官民が広域連携に乗り出す。三陸地域の水産加工品を国内外に売り込むため、世界に通用する統一ブランドを構築し、販路の拡大を目指すという。大いに期待したい。
 ただ、輸出を見据え魚市場や加工場に国際的な食品衛生管理システムを導入したとはいえ、それを十分生かすためにも、どこの国・地域の人がどんな商品を求めているか、確かな市場調査を通し、そのことをまずは把握したい。
 沿岸平野部で相次いで誕生し、稲作を軸に複合経営に乗りだした大規模な農業生産法人が悩むのは、収益性の高い園芸作物は何か、だ。
 公的助成が厚い水田農業に慣らされてきた法人経営者らが、いま口にするのは「マーケットイン」の必要性だ。消費者が望むものを作る。収益向上に不可欠な、その発想にようやく目覚めたといえる。
 ある経営者は農協に取り組みを求め、別の経営者は企業との連携でノウハウを追う。
 食産業復興へ行政、関係団体、企業、大学も含めた経営の支援体制づくりは急務だ。
 全国農協中央会が1月に全国の男女千人に実施した震災意識調査がある。3回目の調査で、震災の記憶の風化が進みつつあり、被災地産品の買い控え層が2割近くと、風評被害が根強いことも示した。
 が、注目したいのは「復興支援に今後も協力したい」、具体策として「被災地の物を買うことが大事」との回答が共に8割にも上ったことだ。
 「消費で支援」と考える人がこれだけいる。やむなく生業をやめ後事を託した仲間のためにも、食産業の担い手はその応援団を「震災のおかげ」と前向きに捉え、いかに「パートナー」たらしめるかに思いを巡らしたい。
 可能な限り交流し声を聞いて、消費者とつながり続けることが、明日をたぐり寄せることになるのではないか。


鎮魂のたこ被災地の空に 岩手、ガザで復興願う
 東日本大震災で被災した岩手県の陸前高田市と釜石市で13日、犠牲者を悼むたこ揚げ大会が開かれた。釜石市では震災を機に交流を続けるパレスチナ自治区ガザと電話をつなぎ、互いの状況を報告した。
 陸前高田市では、隣の大船渡市と合わせた犠牲者数と同じ計約2千枚のたこを用意。白い連だこが空に揚がると、参加者が大切な人を思った。
 「震災の記憶を後世に伝えたい」と地元有志が企画し今年で4回目。陸前高田市の吉田より子さん(64)は「もう5年だけど、友達も行方不明のまま。皆待っているから、早く家族の元に帰れたらいいのに」。孫の沙樹ちゃん(3)の手を握り、たこを見上げた。


ガザ地区  たこ揚げで東日本大震災の被災者激励
 2014年夏のイスラエルとの戦闘で多数の家屋が破壊されたパレスチナ自治区ガザ地区の南部ハンユニスで13日、東日本大震災の被災者を激励する恒例のたこ揚げがあり、1300人余りの子供たちが参加した。被災地・岩手県釜石市の子供たちも同日、たこ揚げを開催。インターネット電話でガザの子供たちと交流し、「未来への希望」などを語り合った。【ハンユニス(ガザ地区)大治朋子】
 インターネットで釜石の子供たちと話した9年生のラワン・サフィさん(14)は「日本で大学に通いたい」と話した。サフィさんは昨年11月、寄付金でガザの教諭や同級生ら3人とともに来日、釜石も訪ねた。釜石の復興ぶりについて「再建が早くて驚いた。日本は戦後は何もないところから立ち直った。私たちも同じように復興できると希望を持ちたい」と話した。
 子供を代表して演説したラナ・アボエルエールさん(14)は「被災地への支援と連帯の思いを示すためのたこ揚げです」と語った。
 ガザの子供たちは11年夏、約1万3000枚のたこを一斉に揚げ、ギネスの世界記録に認定された。兵庫県・淡路島の住民がこれを知り、震災が起きた3月11日に国内外でたこを揚げるイベントを提唱。ガザでは12年、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の主催で始まった。今年は台湾や韓国、ネパールなどでも開催したり、同様の行事が催されたりする予定。


エチオピアのJICA震災展 日本大使館が「反原発」と難色、中止に
 東アフリカのエチオピアで昨年十月三十一日、日本紹介イベントの一環として、国際協力機構(JICA)のボランティアが東日本大震災や東京電力福島第一原発事故に関する展示を企画したところ、共催の日本大使館が「反原発」的だと難色を示し、展示が中止になっていたことが関係者への取材で分かった。
 展示は首都アディスアベバで「おもてなし」をテーマに開かれたイベントで企画され、被災者のメッセージや津波の映像と写真、震災関連死の資料などの掲示を予定していた。
 ボランティア関係者によると、大使館側は福島県が原発事故の影響を調べている県民健康調査の結果の展示などを問題視。担当者が十月上旬、JICA側に「政府と東電の責任を追及するものになる可能性がある。『反原発』のように政府方針に反するものであれば共催はできない」と、資金を含めた協力が難しいとするメールを送ってきた。
 ボランティア側は公的機関のデータを使っていることや、事故後の放射線の影響による健康被害は考えにくいとの注釈を付けることを説明。しかし十月下旬、大使館から「復興に取り組んでいるときにマイナスイメージになる」として震災関連の展示を全てやめなければ共催しないと伝えられた。JICAは中止を決め、同時に企画されていた広島、長崎の原爆展のみが行われた。
 ボランティア関係者は「責任追及や原発の是非を問う目的ではないと再三伝えた。共催してもらうために従わざるを得なかった」と話している。
 大使館側は取材に対し「特定の国や機関の責任を追及する目的なら共催できないと伝えただけ。また原発事故と原爆をひとくくりに扱うと誤ったメッセージを送ってしまいかねない。中止の要請をしたわけではない」としている。JICAエチオピア事務所は「関係団体の総意として、イベントの趣旨に鑑み結論を出した」とコメントした。
 イベントは二〇〇九年から毎年、同事務所などが日本を知ってもらうためにさまざまなテーマで開催し、大使館が共催。一二年一月には東日本大震災と原発事故、原爆の展示ブースを設けた。昨年は約五百八十人が来場した。
<JICAボランティア> 独立行政法人国際協力機構(JICA)が、発展途上国の経済、社会的発展への寄与や、友好親善と相互理解の深化などを目的として実施するボランティア派遣事業。日本の政府開発援助(ODA)を予算とし、活動分野は行政、農業、保健・医療、教育、スポーツなど多岐にわたる。20〜39歳の「青年海外協力隊」や、40〜69歳の「シニア海外ボランティア」など4種類がある。



<女川原発>30km圏再稼働反対 住民団体設立
 東北電力女川原発(宮城県石巻市、女川町)の再稼働に反対する住民団体「女川原発UPZ住民の会」が12日、設立総会を登米市で開いた。女川原発の30キロ圏で緊急時防護措置区域(UPZ)に指定されている7市町のうち、立地2市町を除く5市町の住民が参加。生活者として脱原発の思いを鮮明にした。
 設立総会には登米市、東松島市、美里町、南三陸町、涌谷町の住民ら約100人が参加。5市町と東北電力が昨年4月に交わした安全協定の見直しを当面の目標に掲げ、最終的に原発のない社会の実現に向けて活動する方針を確認した。
 代表に、美里町の住民団体「女川原発再稼働ストップの会」代表で元教員の勝又治子さん(68)が就任した。「昨年4月の協定では、5市町に再稼働に対する拒否権を与えられなかった。大切な古里を失わないため、新たな一歩を踏み出したい」とあいさつした。
 「ストップの会」は昨年9月、UPZの住民組織設立を呼び掛けた。これに登米市の「原発問題を考える登米市民の会」、涌谷町の「女川原発の再稼動に反対する会」、南三陸町の住民有志が賛同。東松島市ではことし2月末、今回の会の設立に向けて「女川原発の再稼働に反対する東松島市民の会」が結成された。
 今後は協定の見直しに向けて2市3町の首長に働き掛けていくほか、学習会などを通じて地域住民に協定の問題点などを広くアピールしていく。


復興基本方針/生活再建に政策の軸足を
 東日本大震災から5年の「集中復興期間」が3月で終わる。政府は2020年度までの5年間を「復興・創生期間」とし、新たな基本方針の下で復興の総仕上げに取り組む。
 集中期間には約26兆円が予算化され、かさ上げ工事や防潮堤が姿を見せ始めた。安倍晋三首相は「復興は確実に前進している」と強調した。
 だが、5年を経て厳しい現状も見えてきた。復興事業は長期化し、完成しても住民が戻らないまちがある。仮設住宅にあと5年も住み続けなければならない人もいる。地域経済をけん引するはずだった新産業は思うように育っていない。
 被災者が思い描いていた復興の姿と、国の事業の進め方にずれがあるのではないか−。懸念は被災地内外に広がっている。日本世論調査会の全国面接調査で「復興が進んでいない」と答えた人が72%、国の取り組みを「評価しない」は52%だった。
 新たな基本方針は、5年で約6兆5千億円を投じ、半分以上をインフラ整備に使う。住宅再建や道路網の整備などの目標年次を明記する一方、被災者支援と産業・なりわいの再生の事業費は合わせて1割程度にとどまり、施策の具体性も乏しい。
 国は「被災地の自立」を名目に全額国費の方針を転じ、一部に地元負担を求める。被災3県の負担は計約220億円に上る見込みだ。
 インフラ優先の路線が変わらない中、人口減少が進む被災地では自立どころか、過大な事業費負担が重荷となって被災者の生活支援やコミュニティーの再生を妨げかねない。
 地域差は拡大し、被災者のニーズは刻々と変化する。国と自治体は被災者の声を聞き、これまでの事業を総括した上で、地域の実情に合わせて事業計画の修正を図るべきだ。生活再建に政策の軸足を移し、きめ細かく、利用しやすい支援策を充実させる必要がある。
 原発事故被災地の復興はさらに遠い。政府は基本方針で、21年度以降も「国が前面に立つ」とし、17年3月までに帰還困難区域を除いて避難指示を解除する目標を示した。
 だが、除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設などはめどが立たず、帰還をためらう避難者は少なくない。
 一人一人が安心できる暮らしを取り戻してこその復興である。避難者の意向を丁寧に把握し、国の責任で支援を続けるべきだ。


指定廃棄物が今も公園に 寒河江・放射性物質検出の汚泥2.5トン
 東京電力福島第1原発事故により汚染された汚泥に、今も県内の一部自治体が悩まされている。寒河江市の公園には2012年夏から、放射性セシウム濃度が国の基準値を超え、指定廃棄物となった汚泥約2.5トンが仮保管されたままだ。指定廃棄物は国が責任を持って処理するとされているが、その方法が決まっていない。市民生活への影響も出ている。また、側溝から上げた汚泥を処分場に搬入できず、住民による清掃ができない自治体もある。
 寒河江市島の住宅街にある島北緑地(島児童遊園)。ブランコがある小さな公園の端にブルーシートで全体が覆われた物体がある。施錠された囲いもあり、外からはうかがい知れないが、中はドラム缶に入った汚泥だ。同様の光景は、少し離れた若葉町公園にもある。
 同市では12年春、島北と若葉町の側溝の汚泥から、基準値(1キログラム当たり8千ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された。島北の3カ所は1万2390〜9430ベクレル、若葉町の3カ所は2万1350〜9180ベクレル。汚泥は国が処理する指定廃棄物となり、二つの公園に仮保管された。
 その後の13年9月の測定で両公園に保管された汚泥は基準値を下回った。空間放射線量にも問題はない。そのため市は指定を解除し、一般の廃棄物として国が処理する方向を望んだ。
2年半前に基準下回る―解除の定めなく
 しかし、指定する基準はあっても、解除する定めがない。その結果、指定が解かれないまま、住宅地の公園に3年半以上も置かれている。近くの住民は「子どもが公園で遊ばなくなった。早く元に戻ってほしい」と訴える。公園は盆踊りにも使えなくなった。
 全国12都県に膨大な量がある指定廃棄物をめぐっては、国が建設を計画する処分場の候補地選定が難航し処分のめどが立っていない。国は先月になって初めて、濃度が基準を下回った場合、指定を解除し、一般ごみと同様に処分することを認める新ルールを示した。
 市側が望むルールだが、同市担当者の反応は鈍い。これまで、市が指定解除の要望を強く訴え、環境省側から期待できそうな返事があっても、話が進まなかった経緯があるからだ。この担当者は「手続きがしっかり決まらないと、安心はできない」と話している。
【指定廃棄物】東京電力福島第1原発事故で放出された放射性物質を含む汚泥や焼却灰、稲わらなどで、放射性セシウムの濃度が1キログラム当たり8千ベクレルを超える廃棄物。昨年末の時点で、本県を含む12都県で計17万トン。このうち本県には2.7トンある。


山本善彦さんは国家権力におもねる必要がない…
 山本善彦さんは国家権力におもねる必要がない。組織や上司の意向に縛られることもない。あくまで自らの良心に従って判断を下す。彼の職権を拘束するのは憲法と諸法令のみだ。今回もその立場に揺らぎはなかったろう▼山本さんとは大津地裁の部総括判事。関西電力高浜原発3、4号機の運転を差し止める仮処分決定を出した。国や電力会社などは「承服できない」「司法判断で原発行政が揺れるのは迷惑」と反発している
▼どうやら、司法の存在意義が分かっていないようだ。山本さんに限らず裁判官はすべて独立した存在。最初から国の基準を是認したり、過去の判例に従ったりすることが職責ではない▼むしろ複雑・多様化する世の中で、政治・行政が見失いがちな「人権」を見据え、時代状況に則した判例を示す役割を担う。だからこそ裁判官によって判断が分かれることもある▼今回の決定は原発自体を否定しているわけではない。「3・11」の教訓に照らせば安全対策にはなお不安がある−という国民目線に沿った判断だ▼最近は“ヒラメ判事”が増えた、と聞く。裁判所の人事権を握る最高裁の顔色ばかりをうかがい、国民目線が欠落した判事のことだ。無論、山本さんは当てはまらない。さて永田町はどうか。国会議員も本来は個々に独立した存在。なのに首相官邸の意向だけに流される“ヒラメ族”がうようよ。彼らの動きも差し止めたい。


傍観者の心理
 事件は52年前の今日、ニューヨークで起きた。若い女性が自宅前で暴漢に襲われた。付近の住民38人が叫び声を聞いたり、目撃したりしたのに、誰も警察に通報せず、助けに行こうともしなかった▲
 都会人の冷淡さを示す事件と報じられたが、その後、心理学者は「気付いた人が多かったため、もう誰かが通報したと思い込んでしまったのでは」との説を唱えた。集団心理の一つで「傍観者効果」と呼ばれる。人数が多いほど効果が高まるという▲  もしかしたらそんな心理が働いたのだろうか。広島県府中町の中学3年の男子生徒が、誤った万引記録に基づいた進路指導を受けた後に自殺した。何人もの教員が記録の誤りに気付いていながら、誰も元のデータを修正しなかった▲  当初は進路指導に使う予定がなかったとはいえ、他人任せの無責任さにあきれる。生徒は陸上部で活躍、成績も優秀で友達も多かった。なぜ今の彼を素直に見ることができなかったのか▲  「どうせ言っても先生は聞いてくれない」。生徒が生前、保護者に漏らした言葉に表れる、教員との間の深い溝。反論を諦めざるを得ないほどの絶望があったとすれば、悲しすぎる▲  非行歴の記録を見て驚いたという担任が、他の教員に確かめれば済んだ話。結局、教員全員が「傍観者」だった。生徒の一生を左右しかねない進路指導の実態がこんなにも血の通わないものだったとしたら、問題の根はあまりにも深い。


9条維持、過半数 改憲2/3議席「望まぬ」が上回る 憲法世論調査
 本社加盟の日本世論調査会が憲法に関する世論調査を実施した結果、九条改憲の「必要はない」が二〇一四年六月の前回調査より3ポイント減ったものの57%で過半数。「必要がある」の38%(前回比3ポイント増)を大きく上回った。夏の参院選で、改憲に賛成の議員が国会発議に必要な三分の二の議席に「達しない方がよい」は47%で、「三分の二以上を占めた方がよい」の44%より多かった。
 憲法を「改正する必要がある」「どちらかといえば改正する必要がある」の回答を合わせた改憲派は54%(前回56%)。「改正する必要はない」「どちらかといえば改正する必要はない」の反対派は40%(前回38%)となった。
 調査は二月二十七、二十八両日、面接方式で実施。昨年十二月の参院選に関する調査では質問が一部異なるが、改憲勢力による三分の二の議席を望む回答は57%、望まないは33%で今回逆転した。安倍晋三首相は改憲に強い意欲を示しているが、世論は慎重に考えている現状がうかがえる。
 改憲派に理由を聞いたところ、61%が「憲法の条文や内容が時代に合わなくなっているから」と回答。「新たな権利や義務などを盛り込む必要があるから」が二番手だった。改憲で議論すべき対象(二つまで回答)を聞くと「憲法九条と自衛隊」が52%で首位。「知る権利・プライバシー保護」が23%で続いた。
 反対派の理由は「戦争放棄を掲げ平和が保たれているから」が40%、「改正すれば『軍備拡張』につながる恐れがあるから」が28%。九条改憲の必要があると答えた人に重視すべき点を聞いたところ「現在の自衛隊の存在を明記すべきだ」が42%で最多だった。
 ▽調査の方法=層化2段無作為抽出法により、1億人余の有権者の縮図となるように全国250地点から20歳以上の男女3000人を調査対象者に選び、2月27、28の両日、調査員がそれぞれ直接面接して答えてもらった。転居、旅行などで会えなかった人を除き1744人から回答を得た。回収率は58・1%で、回答者の内訳は男性49・3%、女性50・7%。
 東日本大震災の被災地のうち、3県について被害の大きかった一部地域を調査対象から除いた。
 ▽日本世論調査会=共同通信社と、その加盟社のうちの38社とで構成している世論調査の全国組織。


[「保育園落ちた」] もっと怒っていいのだ
 安倍政権が慌てている。「保育園落ちた日本死ね」とつづった匿名ブログの怒りがうねりとなり、政権に向かってきたからである。
 誤解を恐れずに言えば、税の使い道について国民はもっと怒っていいのだ。
 「昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。会社やめなくちゃならねーだろ。ふざけんな日本」
 ブログの言葉は乱暴である。眉をひそめる人だっているだろう。しかし、子どもを保育園に入れられず、離職の危機にいるとの内容は切実だった。
 2月中旬にネットに投稿されてから共感が広がり、国会でも取り上げられた。共働きが増えた今、待機児童は深刻な問題なのだ。
 安倍晋三首相は施政方針演説で「待機児童ゼロ」を宣言した。2017年度末までに50万人分の保育の受け皿を整備し、9万人の保育士を確保と踏み込んでいる。
 熱心に取り組んでいるとの思いがあったのだろう。国会での質問に首相は「匿名なので本当かどうか」と答弁した。
 質問をはぐらかした対応が、同じ境遇の母親たちに火をつけた。「保育園落ちたの私だ」と書いたプラカードを掲げる集会が国会前で開かれ、ブログの趣旨に賛同する約2万8000人の署名が塩崎恭久厚生労働相に届いた。
 一連の流れからうかがえるのは政治の貧困である。「1億総活躍社会」「女性活躍」の看板を掲げるのはいい。問題は現に困っている母親の助けになっていない、ということだ。
 「子育て家庭の切実な声に応えるよう全力を尽くしたい」「気持ちは分かる。党内で議論したい。スピード感が重要」。菅義偉官房長官をはじめ、政府自民党は沈静化に躍起である。
 国民の声に敏感なのは、夏の参院選をにらんでいるからだろう。首相は国会で「待機児童ゼロを必ず実現させる」との決意をあらためて表明した。
 政府も保育士給与の引き上げなど追加対策の検討を始めている。保育士の月給は全職種平均より10万円以上安い。思いきった待遇改善は必要だ。
 ただ、歴代政権が先送りしてきた問題である。口で言うほど待機児童ゼロの実現は簡単でない。
 「希望出生率1.8の実現」という看板も安倍政権は掲げる。どこまで本気か、国民が注視していることを肝に銘じるべきだ。
 少子化はこの国が抱える難題である。待機児童問題にしろ特効薬があるわけではない。身近な課題として若者こそ声を上げたい。


「機動隊撤退が和解の前提」ヘリ基地反対協が声明
 ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表らは13日、名護市辺野古のテント村で記者会見し、辺野古新基地建設をめぐる県と国の和解に関する声明を発表した。キャンプ・シュワブゲート前や海上で警備している警視庁機動隊や海上保安庁、民間警備会社などが撤退することが、和解に盛り込まれた「円満解決に向けた協議」の前提になるとの考えを示した。
 安次富共同代表は、和解に伴い現場での工事作業が止まったことを歓迎しつつ「海上の作業船やフロート、オイルフェンスは置かれたまま。警視庁機動隊もなお配置についており、警戒を緩めることができない」と指摘した。
 その上で、ゝ‘安癲海保、民間警備会社の撤退▲押璽帆阿侶挌車両と波形鉄板の撤去B膠栽僂領彁制限区域の撤廃ぅ侫蹇璽函Εイルフェンス・コンクリートブロック撤去、作業船の撤退ノ上のすべての関連工事の中止―の5点が和解の前提と強調。「それなくして和解も円満解決もあり得ない」とした。


古代史研究 上田正昭さん死去
日本の古代史研究の第一人者で京都大学名誉教授の上田正昭さんが13日、病気のため京都府内の自宅で亡くなりました。88歳でした。
上田正昭さんは兵庫県出身で、京都大学で歴史学を学び、高校の教諭を務めたあと京都大学の教授や島根県にある古代出雲歴史博物館の名誉館長などを歴任しました。
東アジアや世界とのかかわりの中で日本の古代国家の政治や宗教を分析し、幅広い視野で日本の古代史研究を長年にわたってリードしてきました。
また、国際的な人権問題や被差別部落の問題にも取り組み、京都市にある世界人権問題研究センターの設立にも尽力しました。
こうした業績が認められ平成15年には勲二等瑞宝章を受章したほか、平成21年には日本と朝鮮半島の歴史に関する研究で韓国政府から勲章を贈られました。
上田さんは、12日、京都府亀岡市で行われた式典に出席していましたが、その後、体調が急変し、13日午前8時前、病気のため88歳で亡くなりました。

抱くHUG 海南友子/フクシマから自主避難のママ/映画前売り券

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Cinq ans après Fukushima, l'Allemagne à mi-chemin de sa transition énergétique
Après l'accident nucléaire survenu au Japon, Berlin a opté pour le retrait définitif et progressif de l'atome civil.

Très vite après la catastrophe intervenue au Japon, Berlin a décidé d'un virage drastique avec l'abandon - définitif et progressif - du nucléaire. Dans une étude dédiée au sujet - à savoir le bilan cinq ans après de la révolution énergétique allemande -, la société de conseil Alcimed met en perspective ce bouleversement du paysage. En rappelant notamment deux objectifs clés assignés par l'≪Energiewende≫ (≪tournant énergétique≫): d'une part, une réduction des émissions de CO2 de 40% en 2020 par rapport à 1990, d'autre part, une augmentation graduelle de la part de la production d'électricité à partir des énergies renouvelables jusqu'à 80% en 2050.
Pour ce second point - la montée en puissance du renouvelable -, le cap a été suivi assez vite puisqu'en 2014, les énergies renouvelables représentaient 25,8% de la production d'électricité, en augmentation de plus de 10 points par rapport à 2009, note Alcimed. En revanche, le bilan carbone reste grandement à améliorer ≪car la part du lignite et du charbon dans la production d'électricité n'a pas diminué au profit des énergies renouvelables, mais a même augmenté légèrement depuis 5 ans pour compenser la sortie du nucléaire et profitant de la baisse des prix du charbon.≫
Inverser la courbe du charbon
≪L'Allemagne est le seul pays dans le monde de cette importance, avec peut-être quelques états américains, à avoir amorcer un tel virage énergétique, commente Jean-Philippe Tridant-Bel, directeur de la business unit (BU) Energie et Environnement au sein du cabinet Alcimed. Elle est à mi-parcours de son plan et de ses objectifs in fine: l'arrêt du nucléaire, acté dans les faits et dans le paysage des énergéticiens allemands à présent, a permis un développement sans précédent des renouvelables, du stockage, du recours à l'efficacité énergétique et de la responsabilisation des particuliers dans leurs consommations.≫
Pour Jean-Philippe Tridant-Bel, la moitié du chemin qu'il reste à parcourir est maintenant d'inverser le recours au charbon, qui a été choisi comme ≪palliatif compensatoire pragmatique≫ au nucléaire et comme complément aux renouvelables mais aussi de préparer l'après subventions de certaines initiatives et d'accompagner la mutation des transports et des industries vers l'électrique vert. Il note au passage que l'Allemagne est devenu un véritable laboratoire d'expérimentations sans tabous sur le mixte énergétique et les mesures fiscales.
Japon : la vie à Fukushima cinq ans après la catastrophe
Cinq ans après la catastrophe, tous les secteurs d'activité sont toujours en berne dans la région de Fukushima. Avec les rejets radioactifs de la centrale, la pêche est en péril. Sur le marché, les ventes sont toujours faibles. Difficile pour les commerçants de gagner la confiance des consommateurs. "Aujourd'hui encore, beaucoup de clients nous demandent si le poisson d'ici est fiable, ça me fait tellement mal au coeur", déplore un commerçant à France 3.
Plus de 100 000 sinistrés
La ville de Fukushima reste figée. Les boutiques sont délabrées, les rues désertes, la gare est à l'abandon. Aujourd'hui, plus de 100 000 sinistrés vivent dans des logements précaires en attendant peut-être un jour de retourner à Fukushima. Beaucoup ont vécu presque cinq ans dans l'une de ces cités pour réfugiés. Aujourd'hui, les regards restent portés sur cette centrale. Il faudra encore quelques années aux sinistrés pour reconstruire la zone, et panser les blessures de Fukushima.
フランス語
フランス語の勉強?

抱く hugを見ました.監督は海南友子(かなともこ)さんです.チラシから妊婦の映画だとわかっていましたが,やはり実際に映画を見るとスゴイ.関西では京都シネマとナナゲイで上映のようですが,関東だとなかなか上映が難しいと上映後のトークショーで監督が自ら言われていました.おススメです.みなさんぜひ見ましょう.
夕方フクシマから自主避難のママのお話を聞く機会がありました.本当に大変な状況なのだとわかった気がしました.これからもいろいろ話を聞きに行きたいと思いました.
その場で映画の前売り券をもらいました.映画館のサービスかと思っていたら,個人が本当に名もない個人がいい映画だからぜひ見てということで100枚前売り券を購入してみたい人に配布しているのだそうです.何と感動的.わたしもそういうことをできたら・・・と思いました.
早稲田で少し飲んでホテルに向かいました.疲れたぁ・・・

東日本大震災5年 3市町で追悼式 冥福祈り、誓い新た
 東日本大震災から5年を迎えた11日、石巻地方3市町で追悼式、慰霊祭が催された。出席者は今日までの災後の歩みを振り返りながら、祭壇に献花をして犠牲者の冥福を祈るとともに、あらためて復興の加速を誓った。
 行方不明者の捜索や民間主催の追悼行事なども各地であり、参加した人たちはそれぞれの思いを胸に祈りの一日を過ごした。
■「あの時を語り続ける」石巻市
 石巻市は、河北総合センターで追悼式を開き、遺族や来賓ら1100人が参列した。
 石巻合唱連盟の市民有志による「花は咲く」「ふるさと」の追悼合唱でスタート。
 式辞で、亀山紘市長は「誰もが住み続けたいと思える魅力と元気あふれるまちに発展・成長させることを誓う。震災を絶対に風化させることなく、震災の経験と教訓、感謝の心を全世界の人々に伝えていく」と強調した。
 震災が起きた午後2時46分に参列者全員で1分間黙とうした。遺族を代表し、津波で鮎川の実家が流され両親を亡くした石巻市の建設会社「丸本組」社長の佐藤昌良さん(56)が「全世界に色あせることなくあの時の事を伝え、語り続けていく」と決意を述べた。
■「新しいもの育てる」東松島市
 東松島市の慰霊祭は市民体育館で開かれた。遺族ら約700人が参列し、行方不明者24人を含む1134人の犠牲者の冥福を祈るとともに、古里の復興を誓った。
 阿部秀保市長は「復興道半ばだが、震災で亡くなった追悼の思いを胸に市民全てが元の生活に戻れるよう強い意志と固い絆を持ち、さらに前に進んでいくことを誓う」と式辞を述べた。
 遺族を代表し、あおい2丁目の会社役員相沢良章さん(59)が、28歳で亡くなった長女ミキさんとの思い出を披露しながら「失ったものに落胆しないで、新しく生まれ、できるものを大切に育てていきたい。新しい古里を再生、復興させることを報告したい」と言葉を添えた。
■「これからは幸せに」女川町
 女川町の追悼式は町総合体育館で開かれ、遺族ら約1100人が参列した。
 須田善明町長は式辞で、「いつか新しい古里の姿が日常の風景になったとしても、それが多くの尊い犠牲と、悲しみを携えて歩み続けた先に築いたものだと伝え続けていく」と述べた。
 鷲神浜地区で被災し、同居していた祖父を亡くした東北芸術工科大2年の神田瑞季さん(20)が遺族代表の言葉を述べ、「天国の方々も私たちが幸せになることを強く望んでくれているのではないか。震災から私たちは本当に、本当に頑張った。これからはたくさん、たくさん幸せになりましょう」と語った。
 地震発生の時刻に黙とうし、参列者一人一人が祭壇に花をささげた。


石巻・大川小で遺族会法要 「ごめんね」と黙とう
 東日本大震災で児童と教職員計84人が死亡・行方不明になった石巻市大川小の校舎で11日、遺族会による法要が営まれた。
 遺族会の永沼由美子会長(45)が「私の中での時間は進んでいないのかもしれない。それでもこうして集まれることを大事に、これからも遺族会としてできることをしていきたい」などとあいさつ。震災が発生した午後2時46分、全員で黙とうをささげた。
 6年生だった次女みずほさん=当時(12)=を亡くした佐藤敏郎さん(52)は「時間が止まっているようで、すごく昔のことのような感じもする」と振り返った。
 紫桃隆洋さん(51)は、5年生だった次女の千聖(ちさと)さん=当時(11)=を亡くした。「親として『ごめんね』の一言しかない」と述べた。
 2005年に兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線脱線事故の遺族、14年の韓国の旅客船セウォル号の沈没事故の遺族も参列し手を合わせた。


大川小の遺族 神戸で思い語る
東日本大震災で、児童など84人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校で当時6年生だった次女を亡くした男性が神戸市内で講演し、「どうすれば子どもたちを救えたのか社会全体で考え続けることが失われた命を未来に生かすことにつながる」と訴えました。
講演をしたのは、石巻市の元中学校教諭佐藤敏郎さん(52)です。
当時、大川小学校の6年生だった佐藤さんの次女は、東日本大震災の津波で亡くなりました。
大川小学校では、地震が起きてからおよそ50分間、児童らが校庭にとどまり避難が遅れたことから、佐藤さんの次女を含む児童と教職員あわせて84人が犠牲になっています。
佐藤さんは12日、神戸市中央区の会場でおよそ100人を前に東日本大震災当時の状況や娘を失った思いなどについて語りました。
この中で佐藤さんは、津波の3日後に、遺体で見つかった次女と対面したということで、「顔についた土を拭いてあげることしかできず、娘の死を受け入れることができなかった」と当時の心境を語りました。
また佐藤さんは「小学校の裏には山があり、時間もあったのに、なぜ、もっと早く避難することができなかったのか。教育委員会などからは納得できる説明がない」と学校側の対応を批判しました。
その上で、「震災から5年がたったが、事実を知ってもらいどうすれば子どもたちを救うことができたのか、社会全体で考え続けることが失われた命を未来に生かすことにつながる」と訴えました。
佐藤さんら大川小学校で犠牲になった子どもの遺族は「語り部の会」を立ち上げて、今後、全国で講演活動を行うことにしていて、佐藤さんは、「誰にもこの悲しみを経験して欲しくないので、これからもみずからの体験を伝え続けていきたい」と話していました。


胸張れるまちに 気仙沼市と南三陸町で追悼式
 東日本大震災の発生から丸5年を迎えた11日、気仙沼市と南三陸町では、それぞれ住民らが大地震が発生した午後2時46分に合わせて黙とう、犠牲者を悼んだ。
 市、町主催の追悼式には合わせて2300人が参列。家族や友人、知人など故人をしのびながら、一日も早い復興への誓いを新たにした。
 追悼式で気仙沼市の菅原茂市長は「未来への礎を築くため、日々精進し、犠牲者に胸を張って気仙沼の様子を伝えられるようにしたい」、南三陸町の佐藤仁町長は「天に召された方々が育んできた町の底力や伝統を復興に生かしたい。空から見守って」と語った。


悲しみ癒えずとも 未来へ踏み出す一歩
 東日本大震災から11日で5年となった。死亡・行方不明者が約5900人にのぼる2市1町では、発災時刻の午後2時46分にあわせて国と中継を結んだ追悼式が行われた。「あの日を忘れない」「見守ってほしい」。参列者はそんな思いを胸に、亡き人を偲んで花をたむけた。
風化させることなく 石巻市追悼式
 震災で最も多い3975人が死亡(関連死含む)・行方不明となった石巻市の追悼式はビッグバンであり、1100人が献花した。遺族を代表して、鮎川浜で両親を亡くした佐藤昌良さん(56)=丸本組社長=があいさつ。「自然からの完膚なき敗北。しかし、復興の権利まで失ったわけではない。小さいけれども確かな一歩を自らの力で踏み出す。小さな波紋がやがて大きなうねりに変わると信じて前に進むしかない」と語った。式では、石巻合唱連盟と市民有志による追悼合唱も捧げられた。亀山紘市長は式辞で、「震災を風化させることなく、経験と教訓、感謝の心を伝えていくことが、歴史的大災害に遭遇した者の役割」と復興を誓った。
東松島市慰霊祭 活力みなぎる古里を
 東松島市の慰霊祭は市民体育館で開かれ、遺族ら約700人が参列した。市内の震災犠牲者は1110人で行方不明者は24人。阿部秀保市長は式辞で「東松島に向けられた絆と志に応え、復興を加速させるのが私たちの使命。追悼の思いを胸に再び地域に活力がみなぎるよう、この節目からさらに前進させることを誓う」と述べた。
 遺族代表の言葉は長女のミキさん(享年28)を亡くした相澤良章さん(59)=同市あおい二丁目=。「家族を失った悲しみは消えることはない。平凡で何もないことが幸せで大切だと思う」と癒えない思いを切々と述べつつも「戻りたいがそれは叶わない。自慢できる新しい古里を再生し亡くなった方々に報告したい」と未来を見据えた。
祭壇に向かって献花する遺族ら(東松島市慰霊祭)
女川町追悼式 たくさん幸せに
 女川町では、震災で872人が死亡・行方不明となった。追悼式は町総合体育館であり、遺族ら約1100人が参列。須田善明町長は「悲しみを背負わなかった町民はおらず、それでも前に進まなくてはならなかった。あの日の体験や歩みを残された者の責務として伝えていく」と式辞を述べ、村井嘉浩知事も「県民と心一つに復興にまい進する」と誓った。
 遺族代表の言葉は、祖父を亡くした東北芸術工科大学2年の神田瑞季さん(20)。「私たちが天国の人を思うように、天国の人たちも私たちのことを思い、幸せを強く望んでいる。震災から私たちは本当に、本当に頑張った。よく歩んでこられたと思う。これからはたくさん幸せになりましょう」と語った。


被災3県の住宅計画戸数 当初比14%減
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の3県では、急速な人口減少によって災害公営住宅や高台の住宅地を供給する計画の見直しを迫られる自治体が出ていて、NHKが調べたところ、当初の計画より全体で14%、7200戸余り減っていることが分かりました。
NHKは、東日本大震災の発生から5年になるのを前に先月、被災地で自治体が被災者に供給する住まいの計画がどれだけ変化したか、被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県の44市町村を対象に取材しました。
その結果、復興庁が3年前の平成25年3月に発表した「住まいの復興工程表」と比較すると、災害公営住宅は全体で2万3512戸の計画が4%、984戸増えて、2万4496戸となっていました。
また、高台や内陸に移転する被災者の住宅地は全体で2万8060戸から29%、8186戸減って、1万9874戸となり、災害公営住宅と合わせると14%、7202戸減っています。
主な自治体の減少率を見ますと、岩手県が大船渡市で18%、陸前高田市で12%、宮城県が名取市で67%、女川町で23%、南三陸町で22%、福島県がいわき市で29%などとなっています。
さらに、計画を見直したあとに移転を取りやめる人も相次いでいて、NHKが調べたところ、先月末までに完成した2万134戸のうち7%、1422戸で空きが出ています。
被災地では、被災者の意向の変化に住まいの再建計画の見直しが追いつかないという課題が浮き彫りになっています。


[大震災5年 心の傷]支え合いが生きる力に
 東日本大震災の発生から11日で5年。復興格差は、街づくりや企業再建などの「モノの復興」だけなく、目には見えない「心の復興」にも表れている。
 震災発生当初、被災者に広範に見られたのは「生存者罪悪感」(サバイバーズ・ギルト)と呼ばれる自責の感情だった。
 義理の母親と一緒に津波にのまれ、つかんでいた手が離れて自分だけが助かった女性がいる。
 宮城県南三陸町に勤めていた男性は津波に流されていく妻を防災対策庁舎の屋上からただ見ているしかなかった。妻の遺骨はまだ墓に入れていない。「一人きりはかわいそう。同じ家にいるだけでいいんだ」
 携帯電話はつながらないけれども、行方不明の息子に今もメールを送り続ける父親がいる。「待ってるからね」
 潜水士の資格を取得し、海に潜って行方不明の妻を捜し続ける男性もいる。
 「日常生活を早く取り戻したい」という被災者の思いは切実だが、時間が心の傷をいやすのではなく、逆に時間がたつにつれて生活再建の展望が持てなくなり生きがいを喪失するケースも少なくない。
 長引く仮設住宅での暮らしは、心身に影響を及ぼす。夫婦同居ならまだしも仮設住宅での高齢者の独り暮らしは、いいようのない孤独感にさいなまれる。仮設住宅を出て災害公営住宅に移るのにも不安が伴う。
 生きる力と生きていることの喜びを取り戻すためには「支え合い」が欠かせない。
■    ■
 震災は子どもたちの生活をずたずたに引き裂いた。岩手、宮城、福島の3県から県外の学校に移った子どもは昨年5月の段階でも1万人を超える。そのうちの8割あまりは、原発事故の起きた福島の子どもたちだ。
 家族を失った子どもは、その話題を避けたがる傾向があるという。心の中にしまい込んだ悲しみや怒りをどのように受け止め、心身の回復を図っていくか。
 子どもから被災の状況を聞き出すのは「被災時のつらさや悲しさをもう一度体験させるのと同じ」で避けるべき、だと村上佳津美・近畿大准教授は指摘する。
 原発事故で全町避難が続く福島県双葉中は11日、移転先のいわき市で卒業式を開いた。卒業生の荒木和人さん(15)は「将来は双葉町のためになる人間になりたい」と前向きだ。成長過程にある子どもたちの回復力が意気消沈する大人たちを元気づける。
■    ■
 震災から5年たって新たな課題も浮かび上がってきた。 復興業務の最前線に立つ自治体職員や応援職員らの疲労が目立ち、心を病む職員が後を絶たない。
 2014年4月には、岩手県山田町で、親族を失いながら農地復旧にあたっていた50代の男性職員が、仕事への悩みをつづり、役場から飛び降り自殺した。
 震災からの復興は、まだ道半ばである。原発被害に関してはあまりにも問題が多く、被災者は道半ばとさえいえない状況に置かれている。


原発事故5年/復興と両立する廃炉を目指せ
 原発事故で汚染された地域の再生と本格化する廃炉作業を両立させる。作業の安全を保つ。原発事故から5年となる福島の課題だ。
 除染が一段落した自治体は住民の帰還と復興へ踏み出した。水、土、空気の汚染に不安を残し、帰還をためらう人も多い。影響は深刻だ。政府は危険を直視し、「脱原発依存」の努力を怠ってはならない。
 廃炉作業も本格化する。使用済み燃料の取り出し、溶融燃料(燃料デブリ)の回収は危険を伴う。汚染土などを保管する中間貯蔵施設が住民の意思に反して固定化することは許されない。5年の節目にしっかりした方向付けが必要だ。
       ◇
 家を失い、土地を追われ、将来の見込みが立たない。渡部栄造さん(64)千恵子さん(64)夫妻は、多くの被災者と同じ悩みを抱える。
 東京電力福島第1原発から2・8キロの自宅と3ヘクタールの田畑は「帰宅困難区域」となり、環境省が進める中間貯蔵施設の建設予定地に入った。
 施設は30年の期限付きだ。環境省から「調査の承諾がほしい」と要請があり、昨年12月に調べていった。渡部さんは決心がつきかねている。
 「賃貸契約が切れ、土地が戻ったとして息子は70、孫は30歳。息子はやると言うけど、廃炉作業をやってる目の前だ。事故の記憶がない孫は『こんなところで』と思わないか」
 地権者2365件。交渉成立は2月末現在、やっと66件。遅れは職員不足だけが理由ではない。不在地主が多く、将来、土地がどんな形で戻るのかはっきりしないことも二の足を踏ませる。国が買いたたこうとしていることへの不満や、土地が国有化され、中間貯蔵施設が最終処分場になることへの警戒感もある。
 息子夫婦や2人の孫と離ればなれになり、渡部さん夫妻は原発から約40キロの田村郡三春町で過ごす。
 県内外での避難者がまだ10万人近くいる。事故の深い傷痕を思う。
■食い違う除染の根拠
 第1原発周辺では放射線量が高い帰還困難区域を除き、除染作業をおおむね終えた。田村市の一部地域や楢葉町などでは避難指示が解除された。南相馬市でも解除が予定されている。しかし、住民の帰還は思うように進んでいない。放射線量が年間1ミリシーベルトになるまで徹底除染してほしいという声は根強い。
 政府は国際放射線防護委員会の基準に沿い、年間20ミリシーベルト以下を避難指示解除の目安とする。平時で許容される1ミリシーベルトとは大きな隔たりがあり、被ばく線量を年間5ミリシーベルト以上とした白血病の労災認定基準とも矛盾する。除染の遅れや食い違いは原発事故を想定外とし、国が備えを考えてこなかった証しだ。住民の声を軽んじてはならない。健康への不安などに配慮する柔軟な姿勢がほしい。
 阿武隈山地は被災地の林業などに大きな役割を果たしてきた。その森林除染に国が応じてこなかったことも復興の遅れにつながっている。全村避難した飯舘村は夏に行政機能を福島市から戻し、来春の住民帰還に備える。基幹産業の山林や牧草地の除染が手つかずで将来像が描けない。98%が山林の川内村も同じだ。
 関係者の要求を受け入れ、環境省は森林除染に腰を上げたが、遅すぎる。5年の空白は人口減や過疎と向き合う地域の産業立て直しやコミュニティー再生にどれほど痛手か。
 帰還困難区域の除染にも同じことがいえる。第1原発がある大熊町は6割が帰還困難区域だ。沿岸部を南北に走る国道6号は開通したが、両側にバリケードが並び、区域内に原則立ち入れない。町は放射線量が比較的低い地域に復興拠点を整備中だが、バリケードを見ながらの暮らしは復興とは言えない。ここにも国と住民の目指す復興の違いがのぞく。
■作業の安全どう保つ
 安倍晋三首相は、帰還困難区域の一部見直しについて夏までに考え方を示すと語ったが、やはり遅い。
 第1原発の廃炉作業を安全に進める上でも見直しは必要だ。原発は帰還困難区域に囲まれ、毎日約7千人の作業員が働く。劣悪な労働環境を放置すれば作業の安全に影響が出ることを心配する声もある。
 深刻なトラブルが起きる不安を多くの県民が感じている。東電の事故対応や危機管理はそれほど問題が多い。判定基準の存在に気付かず、炉心溶融という重大事を過小評価していたことも最近、分かった。
 1〜3号機と、廃炉研究施設に転用となる5、6号機の燃料プールには多くの使用済み燃料が残り、取り出し作業は失敗が許されない。その先に燃料デブリを取り出す最難関の作業が待ち受ける。廃炉には最長40年かかり、安全に作業を進める態勢づくりは急務だ。
 先の見えない避難生活は5年が限界という声を聞く。原発被災地の復興に、何が必要か。国と住民が目指す姿を一つにすることが重要だ。


原発事故5年  エネルギー政策を再考せよ
 人類史上最悪の原子力災害となった東京電力福島第1原発事故の発生から5年が過ぎた。事故はいまだ収束が見通せず、福島県では10万人近くが避難を続けている。政府は昨年、復興指針を改定し被災者の自立を促す姿勢に方針転換したが、住民の帰還が順調に進むとはいえない状況だ。
 住民の帰還見通せず
 福島第1原発では、廃炉に向けた工程が進められているが、その中心は汚染水対策だ。保管タンクは約千基、総量は80万トンに上る。国が建設費350億円を投じ、対策の柱となる「凍土遮水壁」は先月、ようやく完成した。
 廃炉作業ははるか先だ。放射線量が高くて近づけないため、原子炉内で溶けた核燃料の場所や状態がはっきりせず、取り出しや処分には新技術の開発が前提となる。30〜40年もかかる長い作業だ。
 政府は昨年9月、一部自治体の避難指示を解除した。住民の帰還を促す方針だが、子育て世代にとって、原発事故による環境への不安は切実だ。除染作業は進んでいるものの放射線の影響に関する懸念は根強い。中間貯蔵施設計画も難航し、除染廃棄物は仮置き場や住宅の一部に保管されたままだ。雇用環境の不安や病院、商業施設の不足なども住民の帰還をためらわせる要因となっている。
 しかし、政府は2016年度末までに居住制限区域と避難指示解除準備区域を解除し、避難者への賠償を17年度末で一律終了、商工業者への賠償を原則16年度末で打ち切る方針だ。
 東電による賠償は総額7兆円を超える見通しだが、負担を抑えるねらいで、被災者の支援を後退させることは許されない。自主避難者への公営住宅無償提供も来年3月で終了する。被災者を孤立させてはならない。実情に応じたきめ細かな支援を続けるべきだ。
 再稼働に司法の警告
 過酷な原発事故の経験を踏まえるなら、日本が目指すべき方向は「脱原発」のはずだ。
 ところが、現実は逆に進んでいる。原子力規制委員会の新規制基準に合格したとして、昨年8月から九州電力川内原発(鹿児島県)が、今年1月からは関西電力高浜原発(福井県)が運転を再開した。川内原発については、日本火山学会が噴火予測の限界などを踏まえて審査基準を見直すよう提言しており、高浜原発では、隣接する京都府、滋賀県の住民の避難計画や共同避難訓練に課題を残したままだ。
 4月からの電力自由化への競争力をつけるため、原発の再稼働を急いで電気料金を引き下げたい電力会社の思惑も透ける。経済を優先して安全を後回しにする「安全神話」の復活すら疑われる。
 事故後、民主党政権は「2030年代に原発ゼロ」「原発の新増設は行わない」などを原則とする「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめた。エネルギーの将来をめぐって各地で意見聴取会が開かれ、日本で初の討論型世論調査も行われた。そこで示された「脱原発」の民意を反映させた形だ。
 ところが、政権交代後、安倍内閣は原発をベースロード電源として使い続けると決定。30年の電源構成比率で、原発を20〜22%として法定寿命の40年を超える原発の運転延長をも想定している。
 国民世論は一貫して「脱原発」を求め続けている。京都新聞社など加盟の日本世論調査会が今年2月末に行った世論調査でも、原発の将来についての質問で「即時ゼロ」が12%、「段階的に減らし将来はゼロ」が50%を占めた。
 明快に示された民意を基にしたエネルギー政策を、簡単に覆したことに正当性は認められまい。
 再稼働の流れの中、大津地裁が9日、高浜原発の運転を差し止める仮処分決定を出した。福島事故の現実を踏まえ、安倍内閣が「世界一厳しい」と繰り返す新規制基準に疑問を呈した内容だ。国主導による住民の避難計画策定も求めた。司法からの警告を謙虚に受け止めなければならない。
 先送りする余裕なし
 「脱原発」が必要なのは、それだけではない。原発を動かし続けるための核燃料サイクルが事実上破綻し、高レベル放射性廃棄物の最終処分も見通せないからだ。
 使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す中核施設の再処理工場(青森県)は23回も完成を延期し、プルトニウムを使う高速増殖炉もんじゅ(福井県)は度重なるトラブルでほとんど稼働できないまま、規制委に運営主体の変更を勧告されている。
 再処理工場が動かないため、各原発で使用済み核燃料の貯蔵プールは平均7割埋まり、2〜3年で満杯になる原発もある。新しい貯蔵場所の確保も容易ではない。
 最終処分場について、政府は公募方式から国が候補地を提示する方式に変更したが、積極的に受け入れを表明する自治体はない。政府は腰を据えて取り組む必要がある。問題を先送りにする余裕はない。
 再生可能エネルギーの推進や電力市場の自由化などの電力改革は徐々にではあるが進んできた。後戻りは許されない。政府にエネルギー政策の再考を強く求めたい。


原発政策 教訓が生かされていない
 廃虚のような4棟の原子炉建屋を取り囲むように、約1500本の凍結管が地中に埋め込まれた。
 東京電力福島第1原発。周囲から建屋に流れ込む地下水は、放射性物質に触れて汚染水に姿を変える。これまでくみ上げた汚染水は約80万トン。凍結管は地盤を凍らせ、流入を遮断するために設けた。汚染水対策の切り札として、国が350億円を投じた。
 事故から5年。これまでの廃炉作業は汚染水との闘いだった。溶融燃料の取り出しに向けた作業はまだ建屋内の調査段階だ。完了まで30〜40年。気の遠くなるような作業が続く。
<「脱・脱原発」の流れ>
 福島県内外では10万人近い人々が避難生活を送っている。故郷に帰りたくても、かなわない人もいるだろう。
 事故は、暴走した原発が国土と後世に多大な影響を与えることを示した。脱原発は現在も世論の多くを占めている。それなのにこの1年間で4基の原発が再稼働された。「脱・脱原発」の流れを止めなければならない。
 再稼働に走る政府と電力会社は目先の利益を優先している。
 電力会社が原子力規制委員会に再稼働に向けた審査を申請したのは26基に上る。電力会社からは「原発は競争力の源泉」(北陸電力)など、再稼働で経営改善を図りたい本音が漏れる。
 約1兆4千億円。原発が1基も稼働していなかった2014年度に電力9社が原発の維持管理にかけた経費だ。原発は動かなければ金食い虫にすぎない。
 これまでは経費を消費者に請求できる総括原価方式をとってきた。4月からは電力小売り全面自由化が始まり、価格を競い合う時代になる。総括原価方式も廃止される。動かない原発を抱える余裕はない。廃炉にも経費がかかる。電力会社が再稼働を急ぐ理由だ。
 安倍政権は昨年決めた30年の電源構成比率で、原発を20〜22%に設定した。法定寿命の40年を超えて運転する原発がなければ実現できない。14年4月に閣議決定したエネルギー基本計画で示した「原発依存度を可能な限り低減する」という方針を、電気料金値上げを嫌う産業界の要請に応え、簡単に転換したといえる。
 効率や利益を重要視し、最も大切な安全性の確保がおろそかになっていないか―。国民の不安はそこにある。
 大津地裁は9日、規制委の新規制基準に適合して再稼働した関西電力高浜原発3、4号機について、運転を差し止める仮処分を決定した。「過酷事故対策や緊急時の対応方法に危惧すべき点がある」という判断だった。
 国民が求めているのは福島と同様の事故を二度と起こさないことだ。事故の防止対策では、考えられる最大限の自然災害を想定しなければならない。さらに万が一、想定外の事態が起きたとしても、事故につながらない対策が必要だ。対応できない原発は運転するべきではない。
<安全意識への疑問>
 国や電力会社は、福島の教訓を生かしているとは思えない。
 規制委の田中俊一委員長は「新規制基準の審査に合格しても十分ではない」と繰り返す。一方の政府は基準に適合すれば安全とみなして、今後も再稼働を続ける方針だ。安全性に対する責任の所在は不明確なままだ。
 九州電力は、川内原発(鹿児島県)の審査適合の前提だった免震重要棟の建設を撤回する方針を明らかにした。福島事故では免震重要棟に被害がなく現地本部が置かれた。東電社長だった清水正孝氏は国会事故調査委員会で「あれ(免震重要棟)がなかったら、と思うとぞっとする」と語っている。
 九電は規制委の批判を受け再検討する意向を示したものの、撤回方針は取り下げていない。川内原発は今も免震重要棟がないまま運転が続いている。
 志賀原発1号機(石川県)では、原子炉建屋直下の断層に活動性があると、規制委の調査団が判断した。規制委が追認すれば再稼働はできない。北陸電力は反発し、反論していく構えだ。
 事故時の住民の避難計画が機能するのか検証も足りない。再稼働で増える使用済み核燃料の処理問題も解決されていない。山積する課題の多くは放置されたままだ。
<長期の行動計画を>
 福島事故を受け脱原発にかじを切ったドイツは、22年末までに全原発を停止し、代替として再生可能エネルギーを普及させる長期計画を進めている。
 メルケル首相は11年6月の施政方針演説で福島の事故を取り上げ、「日本のようなハイテク国家であってさえ、原子力エネルギーのリスクを確実に制することはできないと認識した」と述べ、脱原発の必要性を強調した。
 日本は事故をどう受け止めたのか。福島を見つめ直して脱原発に向けた長期計画をとりまとめ、新たなスタートを切りたい。


福島の子どもの甲状腺がんで「家族の会」結成
東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、甲状腺がんと診断された福島県内の子どもの家族が、将来への不安や治療の情報を互いに共有したいと、12日に「家族の会」を結成しました。
福島県では、原発事故当時18歳以下だった38万人余りを対象に甲状腺の検査が行われ、これまでに167人が、がん、またはがんの疑いと診断されていますが、県の検討委員会は、被ばく量が少ないなどとして、現時点で「放射線の影響とは考えにくい」という見解を示しています。
一方で、がんと診断された子どもやその家族は、手術など治療の負担や将来への不安があることから、12日に家族どうしの情報共有を図る「311甲状腺がん家族の会」を結成しました。
都内で行われた会見では、世話人の河合弘之弁護士があいさつしたあと、甲状腺がんと診断された、いずれも10代の子どもを持つ父親2人が、テレビ電話で会見に参加しました。
このうち父親の1人は「突然、子どもががんと言われ、ショックが大きく、つらい思いをしてきましたが、同じ境遇の人と話をして、心が救われました。がんになった本当の原因を知りたいです」と訴えていました。
家族の会には、現在、甲状腺がんと診断された子どもを持つ5つの家族が参加していて、今後、ほかの家族の参加も呼びかけ、交流会を行うことにしています。


3・11から5年 フクシマから日出ずる
 原発の代わりはそこにある。省エネは最強の再生可能エネルギー源−。そうと決めたら、この国は資源の宝庫。フクシマから始める風と光と大地の時代。
 福島県いわき市の「いわきおてんとSUN企業組合」が保有する「おてんと号」は、世界に一台しかない特別な自動車だ。
 元は広島の民放テレビの中継車。使用済みの廃食油を回収し、製油して、ディーゼル発電機を回せるよう、改造を施した。
 太陽光、風力、マイクロ水力といった各種発電システムや、蓄電池、直流を交流に変換するインバーターなども搭載された、まさに究極の電源車。
 目の前でつくりたての電気を使って料理をしたり、映像を見せたり、音楽を流したり…。コンサートの音響や夜間イベントのライトアップなどにも威力を発揮する。
 はんだごてを用いて太陽光パネルの手作りを試みるレトロな「おでかけ教室」は、子どもたちにも特に人気が高い。
 ボディーに描かれた笑顔満開の子どもたちのイラストは、遠くからでもよく目立つ。
 おてんと号を操って、県内や隣県を駆け回るのは、事務局長の島村守彦さん(58)である。
◆省エネから始めよう
 十年前に関西からいわきへ移り住み、オール電化住宅の普及をなりわいにした。
 阪神大震災を経験し、「電気は火よりも安全だ」と信じたからだった。
 広野町以北。後に避難区域や帰還困難区域と呼ばれたところが主な仕事場だった。
 「電気を使え、たくさん使え」と言い続けてきたような仕事にも、便利、快適、速さを過剰に追い求め、肥大しすぎたエネルギー社会にも、何となく息苦しさを感じ始めていたころに、今度は原発事故に出くわした。
 島村さんは、NPOの仲間たちと考えた。
 国や東京電力を責めるだけでは、本当の解決には至らない。ある意味、私たち自身が求め、許してきたことの結果じゃないか。
 原発はもうこりごりだ。だとすれば、代替手段を示さねば。地産地消の電気をつくること、それは、地域の未来をつくること−。
 「誰にでも電気はつくれます。こんなにたくさん種類もある」
 おてんと号が、一番伝えたいことだ。
 自分で電気をつくってみると、電気が見えるようになる。その大切さを実感できる。むだづかいはしたくない。
 自然エネルギーの教室は、省エネの学校でもあったのだ。
 ドイツは福島の事故を教訓に、二〇二二年までの原発全廃を決断した。
 そのためにも「まず省エネを進めよう」と考える。
 一昨年、発電に占める再生可能エネルギーの割合が26%を超えて、電源構成比のトップに初めて躍り出た。五〇年までに八割にするのが目標だ。
 それと同時に、エネルギー消費を〇八年の半分に減らすという。
 高緯度のドイツは寒い。家庭部門のエネルギー消費の大部分を暖房と給湯が占めている。
 福島の事故が、「パッシブハウス」の新築に拍車を掛けた。
 窓は三重ガラスにし、天井や壁に断熱材を分厚く仕込み、太陽の貴重な熱を外へ逃さず、燃料を節約しながら快適に暮らせるように工夫を凝らした“厚着の家”だ。
 省エネが脱原発の基礎にある。そしてその省エネの土台になるのが、お日さまの恵みなのである。
 フクシマは告げている。誰でも電気をつくっていいと。
◆日本をエネルギー大国に
 その気になって周りを見れば、お日さま、風、光、地熱に森林(バイオマス)…。日照時間は年平均ドイツの一・二倍。“日出(い)ずる国”は未利用資源の宝の山だ。厚着にせずとも、心地よいパッシブハウスを建てられる。
 原発はエネルギー大量消費時代の申し子だった。しかし、いつまでも続くものではないと、多くの人がうすうす感じてきたはずだ。
 あれから五年。エネルギーのつくり方、そして使い方ともに、大きく変えてもいいころだ。


国連が慰安婦を「性奴隷制」と指摘 日本反論
慰安婦問題を巡って、国連は人権理事会で元慰安婦を「日本軍による性奴隷制度を生き延びた女性たち」だと指摘し、これに対して日本側は「事実に基づいていない」と反論しました。
国連のゼイド・フセイン人権高等弁務官は、スイスのジュネーブで開かれている人権理事会で10日、各国の人権状況に関する演説を行い、元慰安婦について「第2次世界大戦中の日本軍による性奴隷制度を生き延びた女性たち」だと指摘しました。
さらに、慰安婦問題を巡る去年12月の日韓両政府の合意について、「元慰安婦自身から疑問の声が出ていることが非常に重大だ」としたうえで、「勇気と尊厳を持った女性たちに手を差し伸べることが根本的に重要だ」と述べ、元慰安婦から理解を得られるよう両政府に求める見解を示しました。
これに対してジュネーブ国際機関日本政府代表部は、日韓両政府の合意について「元慰安婦の名誉を回復し、傷を癒やすためのものだ」としたうえで、「性奴隷制度という表現は事実に基づいていない」と反論しました。
一方、国連は11日、人権問題などの専門家らによる声明を発表し、「日韓両政府の合意は元慰安婦の要求を満たしていない」としたうえで、「十分な賠償とともに、日本政府や軍のすべての責任を認めたあいまいでない公式の謝罪が、被害者の権利を守り維持することになる」などと指摘しました。

震災から5年/東日本大震災被災者復興祈願法会

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6h46, le Japon se fige en hommage aux victimes du tsunami de 2011
Une minute de silence a été observée vendredi à 14h46 (6h46, heure française) au Japon, en hommage aux victimes du séisme et du tsunami survenus le 11 mars 2011 dans le nord-est de l'archipel.
Malgré le froid, des milliers de personnes se sont recueillies tout au long des plus de 500 kilomètres de côtes sinistrées.
Lors d'une cérémonie à Tokyo, le couple impérial et le Premier ministre ont prié en même temps que leurs compatriotes à la mémoire des 18 500 tués du raz-de-marée provoqué par une secousse sismique d'une magnitude 9, et des quelque 3 000 autres décédés plus tard des suites du drame.
Face à des centaines d'invités tout de noir et gris vêtus, l'empereur a remercié les soldats, les pompiers et les autres personnes qui ont participé aux secours, qui se sont engagés dans les opérations de soutien aux familles de victimes et sinistrés.
Une allocution du Premier ministre Shinzo Abe avait précédé celle d'Akihito, elle-même suivie de témoignages de familles de victimes des trois préfectures les plus meurtries, Miyagi, Iwate et Fukushima.
Le 11 mars 2011, les vidéos amateurs témoignent de la violence de la catastrophe, quelque 18 500 personnes ont été emportées par le tsunami, et les corps de 2 561 d'entre elles restent introuvables, à la suite d'un tremblement de terre sous-marin au large de l'île principale de Honshu.
Près de 100 000 personnes ne sont toujours pas rentrées chez elles
A la panique et la sidération succédaient, à la fin de la journée, les premiers signaux alarmants en provenance de deux centrales nucléaires à Fukushima (Daiichi et Daini), les ordres d'évacuation dans un rayon de 2, puis 3 puis 10 et 20 kilomètres alentour. S'ensuivirent des jours d'incertitude et de peur, dans un archipel qui avait déjà connu l'horreur nucléaire, avec les bombes lâchées le 6 août 1945 sur Hiroshima et Nagasaki.
Près de 100 000 personnes ne sont toujours pas rentrées chez elles. Moins de la moitié des 29 900 habitations pérennes à loyer modéré promises aux personnes qui n'ont pas les moyens de se reloger ont été construites, reconnaît le gouvernement. Depuis cinq ans, Kenichi Hasegawa habite un préfabriqué provisoire, avec sa femme, chassé de sa belle maison de bois dans laquelle il vivait depuis 60 ans à Iitatemura, une des agglomérations totalement évacuées. ≪ On endure cette vie sans s'y habituer, on est fatigué ≫, a confié à la NHK son épouse.
≪ Dans ces régions rurales, les familles vivaient souvent à trois générations, elles sont désormais éparpillées à cause de l'accident ≫, se désole M. Hasegawa, un agriculteur aujourd'hui désoeuvré. ≪ Ce qui a commencé comme une catastrophe naturelle s'est transformé en un des pires accidents industriels de l'histoire de l'humanité ≫, déplore Junichi Sato, directeur exécutif de Greenpeace Japon, dans un courriel à l'AFP.
Outre les victimes du tsunami, 3 405 décès ultérieurs sont attribués par les autorités aux conséquences de la catastrophe. L'évacuation en urgence, la dégradation des conditions de vie et de santé ont entraîné des morts prématurées, et des suicides. Le bilan est loin d'être établi. Selon le rapport récent de deux ONG, les radiations devraient causer 10 000 cancers de plus. Au minimum.
Tepco, qui a achevé la construction d'une barrière d'étanchéité entre la mer et les centrales, a récemment admis avoir minimisé la gravité de l'état des réacteurs, en cours de démantèlement.
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テレビで七ヶ浜の人を見ました.みんな頑張っているみたいです.

3・11から5年 故きを温ね次に備える
 巨大地震の恐怖に向き合わねばならぬことは、日本列島に暮らすわたしたちの宿命である。東日本大震災の教訓を風化させず、次に備えねばならない。
 渥美半島の先端近く、太平洋に面する愛知県田原市の堀切地区に「かいがらぼた」と呼ばれる江戸時代の盛り土が残っている。
 海岸沿いに二・五キロほど、高さは地面から三メートル程度。頂上部分で海抜十メートルほどになるという。
 一八五四年の安政東海地震で大きな津波被害を受けた後、先人たちが土砂と一緒に貝殻を積み上げて築いたと伝えられる。今でいうところの防潮堤である。
◆先人が残したもの
 草木に覆われ、海岸の風景に溶け込む何げない盛り土だが、確かに浸水抑制に効果のあることが近年、科学的に示された。
 田原市が二〇一二年に行った東海・東南海・南海の三連動地震が起きた場合の被害想定調査では、堀切地区は津波による浸水がないと予測された。ところが、かいがらぼたを除去した地形データを使ったシミュレーションでは、安政東海地震の時と同じように浸水するという結果が出たのである。
 もちろん、もっと規模の大きな地震を想定すれば、かいがらぼたで津波を食い止めることはできない。だからといって、先人の遺産を軽視することはできないのである。
 かいがらぼたの存在は、そこが津波被害に遭った場所であることを目に見える形で教えている。それは、心の準備につながる。その地区の子どもたちは大震災後、揺れたら一キロほど先の高台まで全力で走る訓練を繰り返してもきた。
 いざというとき、一人一人が自分の命を守る基本動作ができるかどうか。東日本大震災で再確認した最も大事な教訓である。
 そこでは何が起きうるのか。まずは、災害の痕跡が発するメッセージに謙虚に耳を傾けよう。
◆繰り返す南海トラフ
 東日本大震災の大津波は仙台平野を奥深くまで襲い、思ってもみなかった場所にまで大きな被害をもたらした。想定外だったと言っていいのだろうか。
 海岸から四キロ入った所でも、地面を掘り返せば砂が出る。それが貞観地震(八六九年)の津波で運ばれた砂であることも分かっていた。つまり、その一帯がかつて大津波に襲われた場所であることは分かっていたのである。
 災害の痕跡を軽視していたことが福島第一原発事故にまでつながったことを忘れてはならない。
 大地に刻まれた災害の痕跡、文献に残る記録から列島の宿命として警戒しなければならないのが東海・東南海・南海の三連動地震、南海トラフ巨大地震である。
 「日本書紀」に記録が残る白鳳地震(六八四年)以降だけでも駿河湾から四国沖を震源とする巨大地震は九回も起きている。
 最後に起きたのは一九四四年の昭和東南海地震と四六年の昭和南海地震。これまでの知見から、次がいつ起きてもおかしくないと覚悟しなくてはならない。
 どんな被害が予想されるか。
 これまでの大地震の経験から、地震の被害は、場所によって形態が大きく変わることが分かる。
 例えば、九五年の阪神大震災では建物被害で多くの犠牲者が出たが、東日本大震災は津波被害が突出した。あるいは東日本大震災でも、東京湾岸では液状化による被害が大きくなった。
 同じ津波でも、東日本大震災よりも震源が近い南海トラフ地震なら、到達時間は早くなろう。津波到達より前に河川の堤防が崩れて浸水する恐れもある。
 地震史は、つまり、予断を持ってはいけないと教えている。
 東日本大震災では、津波を封じ込めるべく造られた新しい防潮堤が破壊され、古い防潮堤が持ちこたえた事例も知られる。防潮堤が高い場所ほど逃げ遅れの犠牲が目立つという傾向も見られた。
 物だけでは守れない。行動を忘れるな、ということだろう。
 国土交通省東北地方整備局の防災ヘリコプターは地震発生直後、乗員が機転を利かして格納庫の壊れたシャッターを切断し、仙台空港が津波にのみ込まれる前に離陸できたことで脚光を浴びた。同整備局が後にまとめた「災害初動期指揮心得」には「備えていたことしか、役には立たなかった。備えていただけでは、十分ではなかった」とある。最後にものをいうのは、一人一人の状況判断と応用力、ということである。
◆史実には謙虚に
 温故知新という通り、地震対策も、故(ふる)きを温(たず)ねて次に備えることが欠かせない。心構えに必要な教訓は歴史の中から、五年前のつらい経験の中からいくつでも見つけ出すことができるはずである。
 何が起きうるのか。史実を謙虚に見詰め、その日に備えよう。


<震災5年>あすへ歩む あの日胸に
 東日本大震災の発生から11日午後2時46分で5年がたつ。未曽有の大災害が突き付けた困難と向き合い、積み重ねてきた災後の日々。再生への道は長く、まだまだ半ばだ。少しずつ開く復興の扉。差し込む光は道を照らしているだろうか。
 津波で壊滅的な被害を受けた街や集落では、新たなまちづくりが進む。かさ上げで大量の土を盛った被災地はまるで異空間だ。5年がたった復興途上の景観が問い掛けるものを思う。
 震災と東京電力福島第1原発事故は、長い仮住まいを強いた。なお17万4000人が避難生活を送る。コミュニティーは揺らぎ、家族の分断も招いた。特に福島では、古里に戻るか否か、戻れるのかどうか、少なからぬ人が答えを出せずにいる。
 大切な人を失った悲しみは、時が経過したから癒えるものではない。掛け替えのない亡き人を思い続け、これからも共に生きる。
 被災直後の混乱を極める中、みんなで支え合おうとする姿があちこちで見られた。再生に向けた第一歩を象徴する光景だったのかもしれない。
 被災地のあすを思う各地の人々が、震災を語り継ぎ、見守り続けてくれている。心をつなぎ、東北は今あらためて前を向く。


<震災5年>復興この先は/くらし
 2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から5年を経た東北の被災地は、復興に向けた着実な歩みと、再生の視界が開けず足踏みするようなもどかしさが交錯する。
 甚大な津波被害を受けた地域は住宅再建やインフラ整備、なりわいの再生が少しずつ進む。
 原発事故の影響は影を落とし続けている。福島は原発周辺でJR常磐線の運行再開が20年春になる見通し。農地の復旧率も低い。
<学校>
 震災で校舎などが損傷し国庫補助申請した公立の幼稚園、小学校、中学校、高校、中等教育、特別支援学校は3県合わせて1789校に上る。うち1710校で復旧工事が完了した。復旧率は95.5%。福島の避難指示区域にある7校は被災校数に含まれていない。
<防潮堤>
 住民の命を守る防潮堤は1月末までに3県で13.9%が完成したが、宮城県は住民との調整が続く計画も含め36.7%が着工に至っていない。福島は原発事故の影響で20キロ圏内の災害査定が遅れた。景観などに配慮し、高さや位置について議論が盛んに交わされた。


<震災5年>復興この先は/産業
 2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から5年を経た東北の被災地は、復興に向けた着実な歩みと、再生の視界が開けず足踏みするようなもどかしさが交錯する。
 甚大な津波被害を受けた地域は住宅再建やインフラ整備、なりわいの再生が少しずつ進む。
 原発事故の影響は影を落とし続けている。福島は原発周辺でJR常磐線の運行再開が20年春になる見通し。農地の復旧率も低い。
<漁港>
 水産庁によると、3県の漁港で水揚げできるまで復旧したのは15年11月末現在で96.1%。同庁は3月末までに全て復旧すると見込んでいたが、台風被害などの影響で完了していない。福島は請戸(浪江町)と富岡(富岡町)が原発事故の影響で遅れている。
<農地>
 3県の被災農地計2万530ヘクタールのうち、年度内に1万4970ヘクタールの復旧が見込まれる。春には7割を超す農地で営農が可能となる。復旧率は宮城88.2%、岩手67.1%。福島は33.3%にとどまっており、被災農地の約4割に上る6市町の2120ヘクタールが避難指示区域内にある。
<観光>
 観光庁の宿泊旅行統計調査によると、観光客が比較的多い宿泊施設の15年の年間延べ利用者は、10年に比べ宮城89.9%、岩手85.1%、福島83.7%にとどまった。津波や原発事故で廃業した施設もあり、沿岸を中心に宿泊旅行者が減ったとみられる。


福島県、避難者なお9万7333人 「震災関連死」は2031人
 県が発表した東日本大震災の被害状況速報によると、10日午前8時現在、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響による避難者数は9万7333人で、内訳は県内避難が5万4174人、県外避難が4万3139人、避難先不明者が20人となっている。
 また、3859人が亡くなり、183人が重軽傷を負った。このうち地震や津波などで亡くなった「直接死」は1604人、避難による体調不良などで亡くなった「震災関連死」は2031人に上った。224人は遺体が見つかっていないが死亡届などが提出された。遺体も見つからず、死亡届も提出されていない行方不明者は3人となっている。
 住宅は1万5171棟が全壊、7万9032棟が半壊した。


「心の復興」に格差、多角的支援を 震災5年アンケート
 東日本大震災から11日で丸5年。岩手日報社が震災犠牲者の遺族を対象に行ったアンケートには、掛け替えのない人を失い、いまだ癒えぬ悲しみが切々とつづられた。悲嘆の回復度合いには格差があり、5年間の心の軌跡を線で表す「復興曲線」からは復興過程の多様さが見えてくる。住宅再建に加え、地域のコミュニティーづくりや安定した収入など多様な要因が心の復興に影響していることが浮かび上がり、多角的な支援が求められている。
 震災で家族を亡くしたことによる心身の変化を問う質問では、「非常にある」「かなりある」と答えた人が26・4%に上り、今もなお続く悲しみの深さが示された。2014年から3年間継続してアンケートに答えた227人の回答を比較すると、年々回復する傾向が見てとれるが、時間の経過とともに悲しみを深めている人もおり、心の復興の過程には格差が生まれていることが浮かび上がった。
 227人のうち、「非常にある」「かなりある」と答えた割合は14年35・7%、15年28・2%、16年20・3%と年々減少。少しずつではあるが、遺族の気持ちの回復傾向がみてとれる。「悲しみは消えないが、前向きに生きることが供養になる」と悲しみとの付き合い方を見いだす人もいた。
 ただ、皆が皆、回復の経過をたどっているわけではない。15年と16年の一人一人の回答がどう変化しているかを見ると、悲しみの度合いが回復しているのは28・2%だったのに対し、18・5%は悪化している。変化がなかった人は51・5%に上った。心の回復に「格差」が出ていることが分かる。


<震災5年>復興の限界感 「出る杭」まず伸ばそう
 思い描いていたものとは、どうも違う。東日本大震災から5年を迎えた今、そんな声が復興に携わる人から聞かれるようになった。
 県の行政マンは漏らす。「役所ができることはハード中心。なりわいや産業を公の力で創るのは難しい」
 NPOの関係者は語る。「復興が進んでも、もともと被災地にあった『壁』にぶつかる。その壁は厚い」
 「壁」は、震災前から三陸沿岸に立ちはだかる。人口減と産業の沈滞による地域の衰退を指す。復興は当初、壁を突き崩し、全国のモデルにすることを目指した。
 「この地に、時代をリードする経済社会の可能性を追求する」。政府の復興構想会議は震災2カ月後、技術革新を通じて被災地を日本の先端とする理念を掲げた。
 国の予算の4分の1に上る巨費を投じ、道路や防潮堤を造り、高台移転と暮らしの再建を後押しする。一方、特区や研究開発で新産業を生み、集積させるはずだった。
 そして5年。国や県は復興の総仕上げに入るが、その姿は当初の理念から懸け離れている。新しい街ができても、人はみるみる減り、新産業は生まれていない。「壁」は厚く残ったままだ。
 巨額の公共投資がなくなれば、被災地はますます衰退するのではないか。復興の限界感が語られている。それは行政主導の限界でもある。
 現実は厳しい。だが復興は立ち止まることなく続く。人が残る。戻ってくる。新たに招き入れる。今後の大きなテーマになるだろう。
 宮古市のNPO法人みやっこベースは、高校生に自分たちの街づくりや地元で働くことを考えてもらう活動をしてきた。主体的に地域に加わる若者を育てている。
 「残る、戻る理由がないと人の流出は続く。それは地域への愛着しかない」。事務局長の早川輝(あきら)さんは言う。
 29歳の早川さんは、被災地の力になりたいと北九州市から縁もゆかりもない宮古に飛び込んだ。復興を支えたのはこのような外部の力、特に若者の存在が大きい。
 被災地に活動の場を求める若者がいることで、沿岸部の人口は20代前半だけは増えている。Uターンして社会的起業に取り組む人もいる。
 若い力を地域戦略の軸にしようと、大船渡市は「出る杭(くい)育てる」プロジェクトの開始を宣言した。起業を全面支援し、復興需要が消えた後も経済の活力を保つ狙いだ。
 リスクを取って挑戦する民間の「出る杭」を伸ばし、支える仕組みと雰囲気をつくる。さらに外からの刺激を加えて化学反応を起こす。
 そこに限界の突破口があるのではないか。


大震災から5年 福島の現実 向き合い、そして前へ
 日本中が震えたあの日から5年を迎えた。地震と津波による死者・行方不明者は1万8000人を超える。今も約17万4000人が避難生活を余儀なくされている。復興はまだ途上である。国を挙げて被災地の支援を続けたい。
 とりわけ、原発事故に見舞われた福島の現状は厳しい。原子力災害からの復旧のめどは立たず、古里を追われた人は全都道府県に散り散りになっている。2000人を超える震災関連死は、被災各県の中で突出している。心と体への重い負担が現在進行形で続いているのが現状だ。
被害の全体像なお不明
 除染後の廃棄物が詰まった大きな黒い袋が日々、山のように積み重ねられていく。福島の被災地のあちこちでみられる光景だ。
 どれだけの土地がどれほどの放射能で汚染され、被害回復はどんなかたちで図れるのか。避難した人たちは将来的に古里に戻れるのか。
 その問いに答えるには、放射能汚染の実態と、今も続く被害を正確に把握しなければならない。
 福島と真剣に向き合い、共に前へ進んでいくことこそ、いま求められていることだろう。
 原発事故については、政府の事故調査・検証委員会のほか、国会や民間の事故調査委員会などが、事故の経緯を検証し、報告書をまとめた。だが、原子力災害による被害に焦点を当てた政府の総括的な調査や検証はいまだ不十分だ。一定のデータの蓄積はあっても、体系化された記録は残されていない。
 福島大の小山良太教授は「原子力災害の政府報告書がないことは、事故の総括がまだされていないということだ」と指摘する。
 具体的には、避難状況や土壌などの汚染実態の把握、健康調査、農産物の検査結果などの現状分析、放射線対策への取り組みと、それに対する評価が必要だと説く。
 中でも、県内外で避難を続けている約10万人の詳細な状況調査は欠かせないのではないか。移住を決めた人が増えているが、将来を見通せない人はなお多い。
 自主避難者を含め、どんな困難に直面しているのか。その現実を把握して初めて個々の人に寄り添った選択肢の提示が可能になるはずだ。
 たとえば、チェルノブイリ原発事故を起こした旧ソ連のウクライナと隣国ベラルーシは事故後、5年に1度、詳細な報告書を作成している。
 ウクライナの報告書には、放射能汚染の動向や住民の健康状態、経済的影響といった項目が並ぶ。政府が責任を持って報告書を公表する姿勢は評価できるだろう。
 本来、被害の実態が明らかになって初めて復興の過程が描ける。回復すべき損害の範囲も見えてくる。現在はその出発点があいまいなまま、復興政策が独り歩きしている。
 品質に定評があった福島の米は、全量全袋検査で安全性が担保されるが、震災前の評価に戻っていない。風評被害でブランドイメージが損なわれ、流通の段階で価格が安く抑えられる構図が定着してしまった。だが、そうした構造的な問題は、賠償には反映されない。農業政策の見直しにもつながっていない。
「福島白書」の作成を
 住民への賠償問題がこじれているのも根っこは同じだろう。各地の地裁に起こされた集団訴訟の原告はいまや1万2000人以上だ。政府が決めた指針と賠償の枠組みが、被災者の感じる被害の実態とかけ離れているのだろう。
 この現状をどう見るか。国会事故調で委員長を務めた黒川清・政策研究大学院大客員教授が先週、日本記者クラブで会見し、こう述べた。
 「何をするにも誰が責任者かはっきりしない。リーダーの無責任という日本社会の現実が、ご都合主義のごまかしの対応を生み、国際社会の信頼を失っている」
 この国の根幹にかかわる指摘だ。今後の5年を、これまでと同じスタンスで歩んではならない。地に足をつけた政策が求められる。その礎とするために、原子力災害による被害を真っ正面から見据えた年次の「福島白書」の作成に国を挙げて取り組むべき時ではないか。
 そして、作成に責任を持つことこそ政治の役割だ。
 省庁のタテ割りというしがらみにとらわれないためには、国会事故調のようなかたちで、国会が主導するのも一案だ。検討してもらいたい。
 福島の被災地でも、少しずつ復興のきざしが見え始めている。
 南相馬市の小高区について、政府は来月の避難指示解除を打診した。生活インフラは不十分で、帰還をめぐる住民の意見も割れる。それでも、一時帰宅者が増え、真っ暗だった夜間の住宅街に、ぽつりぽつりと明かりがともり始めたと住民は語る。
 古里を取り戻すまでの道のりは遠いが、未来に向けこの明かりを確かなものにしなければならない。国民の支えがその原動力になるだろう。


3.11から5年/前を向き未来ひらく起点に
 「応援されるより、応援する方が元気になる。誰かのために何かをする喜びが人を元気にする」。本紙「震災5年・識者に聞く」で医師の鎌田實さんが話している。
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から5年。きのうよりきょう、きょうよりあした...。より多くの人々が応援する側に回る好循環を生みだし、「新生ふくしま」をつくる原動力にしたい。
 復興をめぐる思いはさまざまだ。5年間を振り返れば、あんぽ柿の出荷再開、国道6号の通行規制解除、常磐道の全線開通、ふたば未来学園高の開校など、少しずつだが着実に積み重ねられてきたものがある。
 一方で、いまも9万7千人余の県民が避難生活を続けている。昨年9月に避難指示が解除された楢葉町に戻った住民は1割に届かず、帰還困難区域など解除のめどが立たない地域もある。原発事故の風評はやまず農産物や観光が敬遠されているという現実がある。復興はまだまだ途上だ。
 この5年間、一時も忘れられないことがある。2011年3月11日午後7時3分、内閣総理大臣が発した第1原発の「原子力緊急事態宣言」が解除されないまま継続中であることだ。
 原発事故を完全に収束させ、廃炉作業を安定的に進めることが本県復興の大前提だ。そのためには凍土遮水壁など汚染水対策をしっかり機能させ、本格的な廃炉作業へと確実に前進させなければならない。政府と東電にはその責任を全うするよう重ねて求めたい。
 政府が決めた震災の復興期間は10年。前半5年の集中復興期間を終え、来月から復興・創生期間に入る。復興の進み具合は地域や業種によって一様ではない。少子高齢化に加え過疎化や中心商業地の空洞化など震災前からの課題も立ちはだかる。しかしこれらの難題を乗り越えてこそ、未来がひらけると信じて県民が力を合わせたい。
 復興に向かって頼もしい手本がたくさん誕生している。県産清酒は昨年、全国新酒鑑評会で24銘柄が金賞を獲得し、3年連続で「日本一」に輝いた。原発事故後、業界全体で危機感を共有し、研さんを重ねた成果だ。
 福島市の土湯温泉で進められている温泉熱利用のバイナリー発電は目標を上回る実績を挙げ、再生可能エネルギーでまちおこしを目指す自治体などの視察が相次ぐ。原発事故で避難、休業を余儀なくされた相双地方の酪農家が再起をかける福島市の「復興牧場」は乳牛が500頭まで増えた。
 苦境をバネに変えるたくましさがあれば、さらなる高みを目指す勇気をもつことができる。県内では各地で新しい取り組みが始まり、前を向き自ら立ち上がることの大切さを教えてくれる。
 幸福になろうと欲しなければ、幸福にはなれない―。フランスの哲学者アランの言葉だ。まだまだ心のやりどころがないという人も多いが、5年の節目、自らのいまと向き合い、新しい「幸せのかたち」を見いだす出発点にしたい。


大震災から5年/「共に前へ」の思い 再確認を
 長い闘いになることを覚悟してはいても、この現状をどう評価すればいいのだろう。
 東日本大震災から、きょうで5年。復興の姿はまだ見えない。暮らし、なりわいの基盤を整備する「まちづくり」は道半ば。胸突き八丁の局面にある。正念場を迎えているとの認識を共有したい。
 もう5年、まだ5年。襲いかかる弱気を振り払い、必死の思いで復興に向けた日々を刻む被災地や被災者の受け止めはさまざま。もっとも、記念日的な感慨だけはない。
 復興の進展のばらつきが顕著になってきている。
 特需に恵まれた都市があり、新しい街の一端が姿を現した自治体がある。住宅再建を成し遂げ、事業や仕事が軌道に乗り始めた人がいる。
 課題山積、後れを取る自治体もある。ついのすみかを決めかね、仮設住宅で疲労と失望を深くしている人もいる。復興から取り残されるわびしさが被災弱者をさいなむ。
 被災の態様は千差万別。もともとの環境も異なる。時が解決の糸口になるはずだった。が、復興は想像以上に時間を要し、被災者の癒やしと再出発の道程を狂わせる。
 原発被災地、福島の復興はなお遠い。帰還かなわぬ避難生活が住民の分断化と家族離散の固定化に拍車を掛ける。
 遺族、特に行方不明者のいる遺族に区切りはない。「透明な喪失感」が沈潜し、歳月が寂しさを募らせもする。
 事業の多くは計画通りに運んでいない。用地買収、合意形成の遅れや人手不足が要因とされるが、そもそも内容が適正で、執行への環境整備に手抜かりはなかったのか。
 巨大な防潮堤建造に対する住民の不満がくすぶる地域がある。安全安心が原点と承知しつつ、かさ上げしたまちづくり用地や高台の住宅向け造成地の規模に圧倒される。「新しい町」が見通せぬまま人口流出や高齢化が進む。
 政府などは「創造的復興」や地方創生のモデル事業にと勇ましい。予算の後押しを受け、現地のトレンドを脇に置き一発逆転にも似た発想でハード優先に向かわせた側面もあるのかもしれない。
 ただ、過ぎたるは後々の重荷となるだけでなく、地域再生の遅れにつながり被災者の意欲をもそぎかねない。
 仮設住宅ではコミュニティーの維持、新住区では連帯感育成という難題を抱える。心の復興は基盤の整備と同じ時間軸では測れない。見えにくいからこそ留意が要る。地域活性化は主役を担う住民が元気を取り戻してこそ。暮らしの再建に軸足を移し、再生の起点として人の復興を支える仕組みの充実に努めたい。
 行政は被災者との連携を強化、思いに沿いながら取り組みを丁寧に総括し、過大と過小を見極めて必要な計画の修正を図らねばならない。5年の節目に意味があるとすれば、その好機ということだ。
 未曽有の災害対応で見込み違いは避け難い。検証と見直しを通じて地域の永続性を高める、より効果的で現実的な事業推進に知恵を絞りたい。
 未来を信じて、あらためて「共に前へ」の思いを強固に、あすにつながる、きょうの確かな一歩を重ねていこう。


3・11から5年 故きを温ね次に備える
 巨大地震の恐怖に向き合わねばならぬことは、日本列島に暮らすわたしたちの宿命である。東日本大震災の教訓を風化させず、次に備えねばならない。
 渥美半島の先端近く、太平洋に面する愛知県田原市の堀切地区に「かいがらぼた」と呼ばれる江戸時代の盛り土が残っている。
 海岸沿いに二・五キロほど、高さは地面から三メートル程度。頂上部分で海抜十メートルほどになるという。
 一八五四年の安政東海地震で大きな津波被害を受けた後、先人たちが土砂と一緒に貝殻を積み上げて築いたと伝えられる。今でいうところの防潮堤である。
◆先人が残したもの
 草木に覆われ、海岸の風景に溶け込む何げない盛り土だが、確かに浸水抑制に効果のあることが近年、科学的に示された。
 田原市が二〇一二年に行った東海・東南海・南海の三連動地震が起きた場合の被害想定調査では、堀切地区は津波による浸水がないと予測された。ところが、かいがらぼたを除去した地形データを使ったシミュレーションでは、安政東海地震の時と同じように浸水するという結果が出たのである。
 もちろん、もっと規模の大きな地震を想定すれば、かいがらぼたで津波を食い止めることはできない。だからといって、先人の遺産を軽視することはできないのである。
 かいがらぼたの存在は、そこが津波被害に遭った場所であることを目に見える形で教えている。それは、心の準備につながる。その地区の子どもたちは大震災後、揺れたら一キロほど先の高台まで全力で走る訓練を繰り返してもきた。
 いざというとき、一人一人が自分の命を守る基本動作ができるかどうか。東日本大震災で再確認した最も大事な教訓である。
 そこでは何が起きうるのか。まずは、災害の痕跡が発するメッセージに謙虚に耳を傾けよう。
◆繰り返す南海トラフ
 東日本大震災の大津波は仙台平野を奥深くまで襲い、思ってもみなかった場所にまで大きな被害をもたらした。想定外だったと言っていいのだろうか。
 海岸から四キロ入った所でも、地面を掘り返せば砂が出る。それが貞観地震(八六九年)の津波で運ばれた砂であることも分かっていた。つまり、その一帯がかつて大津波に襲われた場所であることは分かっていたのである。
 災害の痕跡を軽視していたことが福島第一原発事故にまでつながったことを忘れてはならない。
 大地に刻まれた災害の痕跡、文献に残る記録から列島の宿命として警戒しなければならないのが東海・東南海・南海の三連動地震、南海トラフ巨大地震である。
 「日本書紀」に記録が残る白鳳地震(六八四年)以降だけでも駿河湾から四国沖を震源とする巨大地震は九回も起きている。
 最後に起きたのは一九四四年の昭和東南海地震と四六年の昭和南海地震。これまでの知見から、次がいつ起きてもおかしくないと覚悟しなくてはならない。
 どんな被害が予想されるか。
 これまでの大地震の経験から、地震の被害は、場所によって形態が大きく変わることが分かる。
 例えば、九五年の阪神大震災では建物被害で多くの犠牲者が出たが、東日本大震災は津波被害が突出した。あるいは東日本大震災でも、東京湾岸では液状化による被害が大きくなった。
 同じ津波でも、東日本大震災よりも震源が近い南海トラフ地震なら、到達時間は早くなろう。津波到達より前に河川の堤防が崩れて浸水する恐れもある。
 地震史は、つまり、予断を持ってはいけないと教えている。
 東日本大震災では、津波を封じ込めるべく造られた新しい防潮堤が破壊され、古い防潮堤が持ちこたえた事例も知られる。防潮堤が高い場所ほど逃げ遅れの犠牲が目立つという傾向も見られた。
 物だけでは守れない。行動を忘れるな、ということだろう。
 国土交通省東北地方整備局の防災ヘリコプターは地震発生直後、乗員が機転を利かして格納庫の壊れたシャッターを切断し、仙台空港が津波にのみ込まれる前に離陸できたことで脚光を浴びた。同整備局が後にまとめた「災害初動期指揮心得」には「備えていたことしか、役には立たなかった。備えていただけでは、十分ではなかった」とある。最後にものをいうのは、一人一人の状況判断と応用力、ということである。
◆史実には謙虚に
 温故知新という通り、地震対策も、故(ふる)きを温(たず)ねて次に備えることが欠かせない。心構えに必要な教訓は歴史の中から、五年前のつらい経験の中からいくつでも見つけ出すことができるはずである。
 何が起きうるのか。史実を謙虚に見詰め、その日に備えよう。


[大震災5年 生活再建]心の復興に目向けたい
 2011年3月11日、私たちは想像をはるかに超える自然の驚異を目の当たりにした。
 東日本大震災による死者は10日現在で1万5894人に上り、行方不明者が2561人もいる。避難生活での体調悪化や自殺による震災関連死は3410人を数える。
 節目の日に犠牲者の冥福を祈るとともに、「震災を忘れないで」と訴える被災地の人々の思いを心に刻みたい。
 あの日から5年がたったが、「3・11」が進行中であることを、先月、公表された国勢調査が浮かび上がらせた。
 震災後初めての調査を、前回10年と比較すると、宮城県女川町で37%、岩手県大槌町で23%も人口が減るなど、被災地の人口減少が著しい。
 福島第1原発に近い大熊、双葉、浪江、富岡の4町は人口「0」の数字が並び、収束しない事故を映し出した。
 震災と原発事故により、いまだ17万人余の人たちが、自宅以外での生活を余儀なくされているのが現実だ。避難が長引けば長引くほど避難先で定住する人が増え、その傾向は原発事故による健康被害を心配する子育て世代に強い。結果、被災地では人口減と高齢化がこれまでにないスピードで進んでいる。
 災害公営住宅の整備の遅れも、故郷への帰還を断念する要因となっている。阪神大震災では震災から5年で仮設住宅がゼロになったが、岩手、宮城、福島の3県では今も6万人近い人たちがプレハブの仮設住宅で暮らす。
 住まいの課題と健康不安が、復興のハードルを高くしている。
■    ■
 時間の経過とともに、仕事を再開し、住宅を再建し、新しい生活を送る人と、生きがいや仕事を失うなど、さまざまな事情から厳しい生活を強いられる人たちの復興格差も目立ってきた。
 仮設住宅での「孤独死」は、昨年末までに202人。住まいを確保した人たちの退去により空き室が増え、ひとりで暮らす高齢者への目が届きにくくなったためという。
 震災による失業など親世代の困難が、子どもの成長にも影を落としている。
 岩手、宮城、福島の3県では、行政の就学援助の対象となる小中学生が、震災を境に10%から15%以上へと高い水準で推移している。中学3年生が将来の進学先として「大学以上」を挙げた割合が、全国と比べ1割低いという調査結果もある。
 保護者の生活再建が進まなければ、被災地で教育格差が広がることになりかねない。
■    ■
 人口減少、高齢化、子どもの貧困などは、日本全体が抱える共通の課題である。
 政府は被災地を地方創生のモデルにと意気込むが、それを成功させるためには復興のスピードアップと、地域の実情に応じたより細やかな政策の実施が求められる。
 インフラ整備とともに、被災者一人一人が抱える課題に寄り添った生活支援を復興の両輪とすべきだ。
 生活支援で重要なのは、コミュニティーの活性化や被災者の孤立を防ぐ「心の復興」である。


東日本大震災5年 復興に全力尽くせ 政府は優先順位誤るな
 街をのみ込んだ大津波の傷痕は今も被災地に残されたままだ。多くの被災者が仮設住宅で不自由な生活を送っている。住み慣れた土地を離れ、県外避難を余儀なくされている人も多い。放射線による健康被害も懸念されている。
 東日本大震災から5年を迎えた被災地の現状である。復興の足取りは重い。被災した多くの自治体は地域再生に苦しんでいる。
 5年間の復興事業を検証する必要がある。そして被災者が震災前の生活を取り戻せるよう、息の長い支援策を講じるべきだ。被災地や被災者への「寄り添いの心」を、より確かなものとしたい。
「復興五輪」の本末転倒
 大震災と東京電力福島第1原発事故で被災した岩手、宮城、福島3県の仮設住宅で生活している人は5万8千人に上る。高台の住宅地整備が遅れている。原発事故避難も長引いている。
 被災者全員が仮設住宅を退去するのは、早くとも被災10年後の2021年3月になる見通しだ。その前年には「復興五輪」と銘打った東京五輪が開催される。
 華やかな五輪の陰で、被災者が仮設住宅で暮らし続けるのは本末転倒だ。仮設住宅での不安定な生活を放置したまま「復興五輪」に巨費を注ぎ込むようなありさまを国民は容認しないのではないか。
 膨大な建設費が批判された国立競技場をはじめとする五輪関連施設の整備より、被災地復興を急ぐべきだというのが国民の願いではないか。優先順位を誤れば被災地の復興はさらに遅れる。政府は復興事業の根本を考え直すべきだ。
 政府が16年度から復興事業の一部で最大3・3%の地元負担を求める方針を示しているのも大いに疑問だ。市町村の復興事業が頓挫しかねない。これも五輪経費を回すことができれば、地元負担は軽減できるのではないか。被災地再生は政府の全面的な支援で達成されるべきだ。
 政府の地元負担方針は、阪神大震災の10年間の復興事業費16兆3千億円のうち6兆円を地元自治体などが負担したことが念頭にある。しかし東日本大震災の被災地とは財政規模が違う。
 震災後初となる国勢調査速報値によると、前回調査に比べて人口は岩手が3・8%、宮城0・6%、福島5・7%減少した。震災犠牲者に加え、住宅建設など復興事業の遅れで人口流出が進み歯止めがかかっていないのだ。
 人口流出は被災地復興にとって大きな痛手である。自治体の窮状を考えるならば、復興事業の地元負担方針は改めるべきだ。政府に再考を求めたい。
被災地支援の心発信を
 警察庁によると、大震災の死者は1万5894人、行方不明者は2561人である。忘れてはならないのが、震災被害は今も進行中だということだ。避難生活による体調悪化で亡くなった「震災関連死」は3400人を数える。原発事故があった福島から県外に避難した住民は4万3千人にも上る。
 震災から5年がたち、国民の脳裏から被災地の惨状が少しずつ薄れようとしている。しかし、復興事業の真価が問われるのは、むしろこれからだ。
 被災者に対する公的支援策の多くが16年度から打ち切られる。そのことによって被災者が将来設計を放棄することがあってはならない。被災者支援を縮小してよいのか、議論し直してほしい。
 被災3県から沖縄県内に避難している人は昨年末現在で710人に上る。孤立しないよう悩みに耳を傾け、支援の手を差し伸べよう。
 米誌「タイム」は敗戦後の1949年、どこからも顧みられることがないまま米軍の圧政に苦しむ沖縄を「忘れられた島」として報じた。私たち沖縄は忘れられる苦悩を体験した地である。
 被災地の苦悩を私たちは忘れてはならない。激しい地上戦による犠牲とその後の苦難の歩みを踏まえた被災地支援の心を沖縄から発信していきたい。


復興とは/人口減見据えたまちづくりを
 「復興」とは何だろう。東日本大震災の被災地の現状を見ると、そんな問いを発したくなる。
 震災からきょうで5年となり、「集中復興期間」は区切りを迎える。阪神・淡路大震災の復興事業費の1・5倍を超える約26兆円がハード面を中心に予算化されたが、被災者には進展に実感がない。人口減少が再生への道をより険しくしている。
       ◇
 元通りに戻す復旧に対し、復興はより安全で、より水準の高いまちづくり、暮らしの再建とされる。災害の教訓を生かした、新たな視点からの地域再生でもある。
 東日本大震災後、政府は「単なる復旧ではなく、未来に向けた創造的復興」を掲げた。それは阪神・淡路大震災後に兵庫県が「創造的復興」を目指したことに重なる。
 だが、現実は厳しい。
 岩手、宮城、福島3県のプレハブ仮設住宅入居戸数は最大時の半分に減ったが、1月末時点でまだ約5万9千人が暮らす。約2万9千戸が計画された災害公営住宅(復興住宅)はようやく半分程度が完成した。集落がまとまって移る高台移転事業も宅地造成完了が約3割にとどまる。
 津波対策の大規模なかさ上げ工事に時間がかかったことに加え、資材費や人件費の高騰も影響した。
 阪神・淡路の場合、4年4カ月後に全復興公営住宅が完成し、5年の時点で仮設住宅が解消された。事情が違うとはいえ、仮住まいの長期化が過酷であることは確かだ。
■減少する帰還希望
 大災害が起こると、社会の抱える課題が浮かび上がるとされる。
 阪神・淡路のときは、高齢者が数多く暮らす仮設住宅や復興住宅が将来の高齢社会の「先取り」といわれた。これは東日本にも共通するが、東北の被災地は「人口減社会」という、より深刻な問題に直面する。
 2015年国勢調査の速報値では、震災前の10年に比べ、3県の人口はいずれも減少、被災42市町村は約10万6千人(4・1%)も減った。
 原発事故の避難区域を抱える福島県を除いても、宮城県女川町が37・0%減、南三陸町が29・0%減と沿岸部は急激に減った。中心市街地が津波に襲われた岩手県大槌町は約1万5千人だった人口が約1万1700人になり、町は「震災で人口減少が10年分進んだ」とする。
 阪神・淡路では当時の被災10市10町の推計人口が7年弱で震災前を上回った。人口回復は復興のバロメーターと見られた。その意味で人口減に苦しむ東日本の被災地は、従来の形での復興が難しくなっている。
 住宅整備やまちづくりが遅れる中、被災者が転居先で定住する傾向が強まって沿岸部の人口は回復せず、減少に歯止めがかからない。
 岩手県が内陸部や県外に転居した被災者に昨夏実施したアンケートで「(沿岸部の)元の市町村に戻りたい」と答えた人は2割を切った。逆に転居先に住み続けたいとの回答は5割を超えた。震災1年半時点では「戻りたい」と「転居先で定住」がともに3割余りだったが、帰還をあきらめる人が増えた。
 転居先に定住する理由は「利便性」「仕事の関係」「復興に時間がかかっている」などだ。「地元に戻っても仕事があるか不安です。故郷への思いは強くありますが」との被災者の声が5年の断面を物語る。
■「縮小」を乗り越え
 震災後、住宅再建や復興まちづくりを支援してきた宮城県建築住宅センター前理事長の三部(さんべ)佳英氏は「復興は、暮らし・なりわい・まちづくりの三位一体で行うべきで、地域性に応じた対応が要る」と話す。
 被災地の多くは過疎地の上、生活と生産の場が一体で被災し、震災後の人口流出や地域産業の停滞は予想されていた。しかし、「行政が縮小する形の復興プランを示すことは難しかった」と指摘する。身の丈に合った新しいまちづくりを考える−。5年はそんな時期だともいえる。
 もはや右肩上がりの時代の「復興」は難しい。「縮む社会」を見据え人口や経済の指標では測れない「豊かさ」を目指す。そうした復興の取り組みも始まっている。
 岩手県釜石市がまとめている総合戦略は、定住人口だけにこだわらず市外から地域に関わる「つながり人口」を増やすとの考え方が盛り込まれた。ボランティアや観光客などを対象に、繰り返し訪れる「釜石ファン」を増やし、つながりを強めることをまちづくりに生かすという。
 賛否はあるが、宮城県山元町が集団移転先を限定し、商業施設やJR新駅などを整備する「コンパクトシティー」構想を進めるなど、人口減への対応策が模索されている。
 地域の再生、暮らしの再生が正念場を迎えた被災地。そこには10年後、20年後の日本が直面する現実がある。私たちも自らの課題として直視し、支援を続けていく必要がある。


河北春秋
 海岸の風が記憶を呼び覚ます。家の跡地にはだしで座り込んで泣きじゃくる女性、肉親をのみ込んだ海を見つめる女の子、無言で水を運ぶ少年…。人は無力でちっぽけなものと知らされた▼5年がたって人はまたぽつんと立ちすくむ。そびえ立つ白いコンクリート防潮堤を前にして。見えていた島や灯台は壁の向こう。阪神大震災の翌年に亡くなった司馬遼太郎さんは、日本人への遺言といわれる文をつづっている▼神戸の街に白いコンクリート建築が目立ち始めていた。「夕日を見ても川を見ても食材でも、ああ美しい、いい国に生まれたという思いを子どもたちに残す。景色を全て元に戻せといっても無理だから、これ以上壊さないようにしよう。そうでないと子孫に顔向けができないじゃないか」▼震災によって気付かされたことがある。さほど大きくない地域の中で、一つ一つの浜や集落ごとに風土と文化が異なることを。祭りの神楽に太鼓、運動会はそれぞれの歴史を刻む。伝承の記録誌に「忘れないでいることはできる」とあった▼浜の方々が久しぶりに戻り、地場の食材を取り寄せて土地の味を振る舞う取り組みが増えてきた。その営みがいつしか風景をよみがえらせる力となるのでは。本当の豊かさという道しるべを見つめ、歩みは続く。

河北抄
 「灰色の世界の中で過ごしていたような…」。東松島市でカキを養殖している斎藤裕さん(45)は、あのころの記憶から色が消えている気がするという。
 消防団員の斎藤さんは東日本大震災の揺れの後すぐ、海辺の水門を閉じに行った。ところが停電。手動で閉じようとしているうちに津波が来た。近くの堤防が次々になぎ倒されて「もうだめか」と覚悟したが、水門は倒されず助かった。
 それからの1カ月間は来る日も来る日も不明者の捜索や遺体の収容。「慣れていないことで、つらかった」
 カキの養殖設備も全滅。まずは海の中に残されたがれきを片付けなければならなかった。年末までかかったという。幸いにも津波で流されなかった種ガキが見つかり、震災の年も同業者と協力して養殖することができた。
 カキの出荷は、ついおととい終わったばかり。わずかな種ガキを元手に再チャレンジしてから5回目のシーズンで「生産量はやっと震災前に戻りました」(斎藤さん)。今を色にたとえるなら「海の青さ。それが真っ先に浮かぶ」。


デスク日誌 日にち薬
 あの日、降った雪の冷たさを鮮明に覚えている。
 仙台市青葉区の本社5階にいて、強烈な揺れに見舞われた。外に避難した。先輩記者が携帯電話をのぞき込んでいる。釜石市が津波に襲われている映像だった。息をのんだ。
 会社を飛び出すと、市中心部に勤務する人たちが一斉に自宅に向かっている。携帯電話は通じない。妙にしんとしていて、靴音だけがザワザワザワと響いた。
 そこに、雪が降った。頭や肩に積もる。
 感情が渦巻いた。家族は無事か。生活は、仕事はどうなるのか。焦り、心配、悲嘆、無力感、怒り。「こんなときに、なんで雪なんて降るんだ」。声が出た。
 「日にち薬」という言葉を最近知った。月日の経過が薬代わりになるという意味で、関西ではよく使うらしい。いい言葉だと思う。ただ、「薬」の効能が津波被災地に行き渡るには、経た歳月が短すぎる。
 きょう、「あの日」から丸5年を迎えた。ふーっと深呼吸をする。自分は何ができるのかと言えば、書き続けること、伝え続けることしかない。一記者にとって「いちばん長い日」はまだ終わっていない。
(塩釜支局長 山野公寛)


東日本大震災および東京電力福島第一原発事故から5年を迎えて(声明)
社会民主党
 筆舌に尽くし難い東日本大震災および東京電力福島第一原発事故から、本日で丸5年を迎えました。犠牲となられた全ての方々のご冥福をお祈りするとともに、2500人を上回る行方不明の方々が一日も早くご家族の元に戻れますよう、心からご祈念申し上げます。
 現在も17万人以上の方々が不自由な避難生活を強いられています。避難生活の長期化や震災の精神的ショックなどで体調を崩し命を落とす「震災関連死」は3400人を超え、震災や原発事故に関連する自殺者も増え続けています。あの日から丸5年が経過しても多くの被災者が生活再建の途上にあり、将来への希望を見出し得ない現実は、政治の怠慢と言うほかありません。
 社民党は、政治が果たさなければならない責任を今一度深く胸に刻み、一刻も早い被災地の復旧・復興、被災者の心に寄り添った生活再建に全力を挙げることを改めて誓います。
 岩手・宮城・福島の被災3県では、鉄道や自動車道の再開・開通が進むなど、復興に一定の前進がみられる一方で、災害公営住宅や防災集団移転、土地の区画整理などの生活基盤の整備は依然、立ち遅れています。生活基盤の整備が長引く中、自治体が造成する宅地での自宅再建を断念するケースも相次いでいます。現在も3県で約6万人が暮らすプレハブ仮設住宅は、当初の使用期限(2年間)を大幅に超えて住環境が悪化し、入居者の孤独死も5年間で200人近くに及んでいます。安心して暮らせる住まいの確保は、一刻の猶予も許されません。また3県の公立学校の約4割が現在も仮校舎や他校に間借りして授業を行うなど、被災地の将来展望に欠かせない公共インフラの整備・復興も未だ道半ばです。そして、被災3県の市町村では、復旧・復興を担う職員や医師、看護師、介護職員の不足が続いています。復興が進み人口が増える自治体がある一方で、被害の大きかった沿岸部では5年間の人口減少率が2割を超える自治体も13町村に上るなど、「復興格差」が拡大しています。
 こうした今も多くの課題を抱えている被災地の苦境を尻目に、安倍政権は震災の「集中復興期間」の延長に応じず、国が復興事業費を全額負担してきた従来の姿勢を改め被災自治体にも財政負担を求める方針に転換しました。震災被害が大きく、今後佳境を迎える事業が多い自治体ほど負担が重くなり、「復興格差」をさらに広げかねません。また、復興交付金の使い道が国土交通省など5省庁の40事業に限定されているなど、硬直化した復興予算の使い勝手の悪さも依然、改められていません。
 社民党は復旧・復興が成し遂げられるまで、被災自治体に負担を求めないよう、国の財政支援の継続・拡充を安倍政権に強く求めるとともに、復興予算の無駄づかいの一掃、被災地が真に必要とする事業に予算・資材・人材を迅速・柔軟に充当できる制度への改善を追求していきます。
 福島県内の広い範囲に除染廃棄物を詰めた膨大な数の「フレコンバッグ」が野積みされている光景は、現在進行形の東京電力福島第一原発事故の深刻さと罪深さを雄弁に物語っています。安倍政権は「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」の避難指示を17年3月までに解除する姿勢ですが、事故の収束が未だ見通せない中、帰還の強制につながってはならず、被災者が自らの意思に基づき居住・避難・帰還の選択が行えるよう国の支援を定めた、「子ども・被災者支援法」の理念を十分に踏まえた、柔軟できめ細やかな国の対応が欠かせません。また国や東電は、両区域住民への精神的損害賠償を17年度末に一律終了するとともに、被災した商工業者への営業損害賠償も16年度中に終える方針ですが、社民党は原発事故の被災者切り捨てを断じて許さず、事故前と同様の生活が営めるようになるまで、補償や公的支援を継続するよう強く要求していきます。
 今年2月、京都地裁は自主避難者に約3000万円を賠償するよう東電に命じる判決を出しました。自主避難者をめぐっては、昨年、安倍政権が支援法の基本方針を「避難指示区域以外から避難する状況にはない」と一方的に改め、福島県も住宅無償提供を17年3月末で打ち切る方針です。しかし、事故は「もう終わった」と言わんばかりの、帰還圧力や行政支援の先細りは論外です。「帰還」・「自立」を名目に、国や県が避難者の生殺与奪の権を握ることは許されません。どのような選択に対しても十分な生活補償を行うよう、求めていきます。
 国の追加被ばく線量の長期目標1ミリシーベルトについて、「何の科学的根拠もない」などと放言する環境大臣の下で、住み慣れた故郷に未だ帰れぬ約10万人の福島県民の不安に寄り添う政治など実現できるはずがありません。社民党は、安倍政権に対し、支援対象地域を、福島県内全域と年間追加被ばく線量が1ミリシーベルトを上回る全地域に拡大するとともに、予防原則に基づく健診体制の改善と適用範囲の拡大、被災者の心的ストレスへのサポート体制整備や子どもたちのリフレッシュ保養の制度化、被災者の意見を幅広く施策に反映するための常設協議機関の設置などを早急に決断し、支援対象地域の内外を問わず十分な被災者支援策を確立するよう強く求めていきます。
 未曾有の被害を出し世界にも大きな衝撃を与えた東京電力福島第一原発の事故によって、原発の「安全神話」は完全に崩壊し、原発事故の恐ろしさが白日の下にさらされることとなりました。しかも、福島第一原発事故では、地震や津波の被害と原発の放射能の被害が複合・増幅し合い、「原発震災」となり、これまでの原発事故対策が全く役立たなかったことが露呈しました。その福島第一原発事故は今も収束していませんし、その原因も解明されていません。核燃料の位置や形状はいまだ不明のままで、ロボットによる内部調査も強い放射線などが障害となって進んでいません。廃炉作業もこの5年間で、目標の未達成と工程の見直しが繰り返され、計画通りに進むかどうか予断を許しません。敷地の建屋内やタンクに保管されている放射能汚染水も増え続け、その一方で、濃度を下げる作業も遅れ、処理を終えた水をどうするかも決まっていません。
 にもかかわらず、原子力ムラや財界の要求に応え、原子力を成長戦略に位置づけた安倍政権は、東京電力福島第一原子力発電所の事故が収束せず、放射性廃棄物の処理方策も確定しないまま、川内原発や高浜原発の再稼働を強行し、伊方原発などの再稼働に向けた準備を進めるとともに、海外への原発輸出に躍起になっています。新たな「安全神話」と無責任体制の復活を許してはなりません。
 東日本大震災と福島原発事故から5年、チェルノブイリ原発事故から30年。私たちは歴史的な岐路に立っています。丸5年もたち、「人間の復興」も原発事故の収束もできていない現実をかみしめ、未曾有の惨禍を教訓に、将来世代に責任を持って「原発なき未来」を引き渡すのか、欺瞞に満ちた「原発安全神話」に再びしがみつくのか。社民党は被災者一人ひとりと対話を深め「人間の復興」に全力を尽くすとともに、原発再稼働を許さず「脱原発社会」の実現に邁進することを本日、改めて誓います。


国会や東電前で抗議集会 声上げ「福島守れ」
 国会と東京・内幸町の東京電力本店の前で11日、原発に反対する市民団体による抗議集会が開かれ、「再稼働反対」などと書かれたプラカードを持った多くの人たちが「原発やめろ」「福島守れ」と声を上げた。
 福島市生まれという女性(33)は2歳の娘を連れて国会前の集会に参加。「5年たってもたくさんの人が帰れないままでいる。原発のない社会にすることが親である私たちの責任」と訴えた。
 東電本店前でも別の団体の呼び掛けに応じて市民らが多数集まり、「東電は責任を取れ」とシュプレヒコールを上げた。

東日本大震災犠牲者追悼供養法会/やはり悲しい

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Cinq ans après Fukushima
les villes fantômes du Japon

Le nord-est ravagé par le séisme, le tsunami et la catastrophe nucléaire du 11 mars 2011 se reconstruit difficilement et compte encore 174 000 personnes hébergées dans des logements provisoires.
≪ J’ai couru 40 minutes ce matin. J’ai longé l’océan. Il y avait du vent. Le ciel changeait vite. C’était beau. ≫ Marathonien par passion, Katsunobu Sakurai est aussi maire de Minamisoma, ville du département de Fukushima dans le nord-est du Japon. Cet homme à la voix douce mène sa ville par amour d’une terre qui l’a vu naître en 1956, comme ses parents éleveurs de bovins et cultivateurs de riz, et comme tous les Sakurai du lieu depuis ≪ 15 à 20 générations ≫.
A l’ouest, Minamisoma est dominé par le mont Kunimi. A l’est, c’est l’immensité du Pacifique. Le 11 mars 2011, la bonhomie de cette ville rurale, vivant de l’agriculture et de la production de pièces détachées d’automobile, s’est perdue dans le séisme, le tsunami et la catastrophe nucléaire qui ont ravagé le Tohoku, le nord-est du Japon, faisant 15 893 morts et 2 565 disparus.
Minamisoma a perdu 650 de ses habitants. Sa côte a été ravagée par le tsunami. La fusion des trois cœurs de la centrale installée au sud de la ville et les rejets massifs de substances radioactives ont contraint les autorités à évacuer les habitants dans un rayon de 20 kilomètres autour du site. Le sud de Minamisoma en faisait partie. A l’époque, la peur avait précipité des milliers d’habitants sur les routes. La population de la ville avait plongé de 71 000 à 10 000 âmes.
Cinq ans après, elle s’établit à 55 000, dont 4 000, souvent âgées et désœuvrées, habitent dans des ≪ kasetsu jutaku ≫, des logements provisoires installés à la hâte à l’été 2011, trop petits et mal isolés. Et pourtant, M. Sakurai rêve de faire de sa ville ≪ un nouveau paradis ≫. Louable ambition, mais aujourd’hui, malgré les efforts, Minamisoma concentre les problèmes, psychologiques et matériels, des zones sinistrées.
Il faut arpenter les rues désertes d’Odaka pour mesurer l’ampleur du défi. Ce bourg occupe le sud de Minamisoma, dans la zone des 20 kilomètres. Ses 13 000 habitants ont dû partir. Comme une centaine d’autres villes, dont la moitié dans le département de Fukushima, Odaka fait l’objet d’une importante opération de décontamination. Les arbres ont été élagués, 5 centimètres d’épaisseur de sol ont été retirés et les bâtiments ont été passés au Karcher, avec pour objectif de réduire l’exposition externe annuelle des lieux traités à 1 millisievert (1 msv) – la limite maximale autorisée sur un an.
L’opération a déjà coûté à Minamisoma 400 milliards de yens (3,2 milliards d’euros). Elle devrait se terminer d’ici deux ans, malgré les retards dus à la difficulté à trouver des sites de stockage des sacs plein des détritus qui, au total, devraient atteindre 29 millions de tonnes.
La décontamination a permis d’assouplir l’accès à Odaka. Les gens ont le droit d’y passer la nuit s’ils veulent récupérer des affaires ou ranger leur maison. Dans les faits, une certaine tolérance prévaut, et un peu plus de 1 000 personnes, essentiellement âgées, sont revenues y vivre. ≪ Tous les services publics sont restaurés et sont gratuits à Odaka ≫, souligne le maire. Mais les magasins restent fermés et, le soir tombant, les rues désertes donnent l’impression d’une ville fantôme.
≪ Défi passionnant ≫
Natif du lieu, Tomoyuki Wada veut croire à la résurrection de sa ville. Cet ingénieur informatique dans la trentaine a créé une ≪ Odaka Worker’s Base ≫ pour ≪ aider tous ceux qui veulent développer une activité ici ≫. Son centre aux allures de boutique se dresse face à la gare refaite à neuf mais vide, le trafic ferroviaire n’ayant pas été relancé. Il offre un accès gratuit à Internet et abrite un atelier de fabrication d’accessoires de mode en verre, parrainé par le joaillier tokyoïte Hario LWF. Sa société gère également une supérette, aujourd’hui seul magasin actif d’Odaka. ≪ Ce point de vente attire 200 clients par jour, majoritairement des ouvriers de la décontamination. ≫
Karin Taira, âgée également d’une trentaine d’années, a quitté son emploi à Japan Platform, une agence semi-publique d’aide aux ONG, pour aider M. Wada. ≪ J’ai trouvé le défi passionnant ≫, avoue-t-elle. Sa présence intrigue. La plupart des jeunes femmes fuient Fukushima par crainte des radiations, ce qui ≪ nuit à l’équilibre de la population, déplore le médecin Tomoyoshi Oikawa, de l’hôpital général de Minamisoma. Cela perturbe même le fonctionnement de l’hôpital, car beaucoup d’infirmières refusent de venir travailler ici ≫.
Karin Taira ne s’inquiète pas. ≪ Cela aurait été à Namie ou Futaba [villes plus proches de la centrale, totalement interdites d’accès], je ne l’aurais pas fait ≫, nuance-t-elle. Tomoyuki Wada non plus ne se fait guère de souci. ≪ Ma femme et mes enfants reviendront quand l’école rouvrira ≫, précise-t-il. Ils vivent aujourd’hui à Aizuwakamatsu, 150 kilomètres plus à l’ouest.
Les progrès restent conditionnés à la levée définitive de l’interdiction d’accès à Odaka.Le gouvernement devait le décider en avril, comme il l’a fait depuis 2014 pour d’autres villes de la zone des 20kilomètres. Mais les habitants craignent de perdre les aides versées et ils s’inquiètent aussi de la radioactivité dans ces zones.
Les doutes alimentent le désarroi persistant des populations. Le docteur Oikawa a constaté une multiplication des cas de troubles de stress post-traumatique. En cause, selon lui, ≪ le tsunami, mais surtout l’évacuation ≫. Il déplore également une hausse des dépressions et des problèmes d’obésité dans une population d’agriculteurs≪ aujourd’hui prisonnière de logements provisoires où elle se morfond ≫.
≪ Il y a des tensions entre les gens, regrette-t-il par ailleurs, notamment sur les différences de dédommagement. ≫
Les habitants de la zone des 20 kilomètres reçoivent toujours 100 000 yens (800 euros) par personne et par mois de Tepco, la compagnie d’électricité de Tokyo responsable de Fukushima. Ceux de la zone entre 20 et 30 kilomètres ont été dédommagés pendant six mois. Les autres n’ont rien. La présence à Minamisoma de 8 000 travailleurs de la décontamination est également source de conflits.
Situation désespérante
≪ L’amertume est trop pesante ≫, regrette Tokuun Tanaka, prêtre du temple bouddhiste Doukeiji perché sur une hauteur, au milieu de cryptomérias centenaires et des tombes de samouraïs qui ont fait la renommée de la région, mais qui se situent dans la zone des 20 kilomètres. Le problème vient de ≪ la destruction des communautés. Ici, beaucoup de petits festivals ne sont plus fêtés. Je ressens profondément ce qui a été perdu ≫, confie M. Tanaka.
D’après l’agence de la reconstruction, 3 407 rescapés de la triple catastrophe sont décédés des conséquences psychologiques du drame, dans l’ensemble du Tohoku, entre mars 2011 et la fin septembre 2015 ; 58 % de ces victimes proviennent du département de Fukushima.
L’ensemble des zones sinistrées comptent encore 174 000 personnes toujours dans des logements provisoires. A Ishinomaki, à une centaine de kilomètres au nord de Minamisoma, le tsunami a fait 4 600 morts et disparus, et détruit 46 % de la ville. Les bâtiments toujours debout se dressent esseulés au milieu des silhouettes de ceux que la vague a emportés. Des statues bigarrées de personnages de manga colorent timidement la ville, rappelant qu’Ishinomaki abrite un musée dédié à cet art.
La loi interdit désormais d’habiter dans les zones détruites par le tsunami. Elle y autorise uniquement les activités commerciales, les usines ou les magasins. Les habitants sont en passe d’être relogés dans une vaste zone résidentielle à l’intérieur des terres, autour d’un immense centre commercial Aeon. De quoi inquiéter les commerçants de l’ancien centre-ville, aujourd’hui installés dans des préfabriqués à deux pas de la mairie, derrière une palissade ornée de quelques fresques naïves déjà défraîchies.
Hidehiro Sato dirige la communauté. Installé dans un bric-à-brac mêlant platine 33 tours, disques de jazz ou encore dessins de la fameuse Jeep Willys américaine, réalisés par son père, ce propriétaire du magasin d’électronique Panacc détruit par le tsunami juge la situation désespérante. Il ne sait pas s’il doit réintégrer son ancien magasin ou s’il doit se rapprocher des nouvelles zones résidentielles. Dans les deux cas, les perspectives ne sont pas bonnes. Il a jusqu’à la fin octobre, date de sa réinstallation, pour se décider. ≪ Enfin! ≫, estime-t-il toutefois, le déménagement ayant été plusieurs fois reporté.
De fait, l’explosion des coûts des matières premières pour la construction et la pénurie de main-d’œuvre retardent les travaux. Les prix de l’immobilier explosent. ≪ Le prix du tsubo [3,3 m2, mesure de base de l’immobilier au Japon] a quasiment triplé à 130 000 yens [1 043 euros] ≫, s’indigne Shinichiro Raku, agriculteur d’un logement provisoire de Minamisoma.
D’après l’agence de la reconstruction, la moitié environ des nouveaux logements étaient bâtis en mars 2016, et l’objectif reste de finir la réinstallation des évacués en mars 2019. Or beaucoup de logements neufs ne trouvent pas preneurs pour des raisons financières.
Ententes illégales
Quel avenir économique pour la région ? ≪ Les progrès sont réels et se poursuivent sans relâche ≫, affirme le ministre de la reconstruction, Tsuyoshi Takagi. D’après les chiffres officiels, les infrastructures sont quasiment terminées, de même que 90 % des écoles et des établissements médicaux. L’essentiel des travaux devrait être fini d’ici à 2020.
Pour l’instant, le Tohoku reste un vaste chantier, même si la bulle n’exclut pas des dérives. En janvier, les sièges des géants de la construction Maeda Road, Nippon Road ou encore Taisei Rotec ont été perquisitionnés pour des soupçons d’ententes illégales sur les travaux routiers du Tohoku. ≪ Les géants de la construction touchent l’argent de la reconstruction, qui finit dans leurs coffres à Tokyo ≫, regrette M. Sakurai, le maire de Minamisoma.
Une fois la reconstruction terminée, les milliers d’ouvriers et de techniciens partiront pour de nouveaux grands projets, sans doute les Jeux olympiques de Tokyo de 2020. Quelle activité prendra le relais ? Le gouvernement accorde des aides pour faciliter l’installation des entreprises. Mais le coût devenu exorbitant des terrains et des travaux reste dissuasif. En outre, les jeunes désertent une région qui connaissait déjà un vieillissement accéléré avant la catastrophe. ≪ A Ishinomaki, note Hiroyuki Takeuchi, rédacteur en chef du quotidien local Ishinomaki Hibi, 25 % de la population avait plus de 65 ans avant 2011. Aujourd’hui, la part est de 30 %. ≫
Les activités traditionnelles, liées à la pêche ou l’agriculture, peinent à redémarrer. Certaines municipalités tablent sur de grands projets. Kamaishi, dans le département d’Iwate, plus au nord, fait partie des villes hôtes de la Coupe du monde de rugby de 2019. Un stade doit y être construit.
Toutes les villes n’ont pas les mêmes possibilités. ≪ Le problème est très lié à l’image, souligne Satoru Iioka, dirigeant d’entreprise de Sendai, la capitale économique du Tohoku. Pour les départements de Miyagi et Iwate, il y a de l’espoir, mais Fukushima reste assimilé à la centrale et à la catastrophe nucléaire. La relance économique s’annonce encore plus difficile. ≫
フランス語
フランス語の勉強?

10時半から東日本大震災犠牲者追悼供養法会がありました.最初はまばらだったのですが,定時になると結構人が集まっていました.平日だと思うとかなりの参加者かと思います.
法会のあとはずっとテレビを見ました.
やはり悲しいです.

大震災5年 未来の命守るため…被災者願い「忘れないで」
 東日本大震災の発生から5年を迎えた11日午後2時46分、各地で犠牲者を悼み黙とうをささげる人々の姿があった。被災体験の風化が懸念される中、大切な人を亡くした遺族たちは多くの命が奪われた場所や追悼式の壇上に立ち、「震災を忘れないで」と訴えた。
 児童・教職員84人の命が奪われた宮城県石巻市の大川小学校。地震発生時刻に被災校舎で営まれた法要に、当時5年生で奇跡的に助かった只野哲也さん(16)の姿があった。津波で多くの友人を失い、母、妹、祖父も亡くなった。自宅は流され、父英昭さん(44)と祖母の3人で石巻市内陸部に暮らし、勉強と柔道部の練習に明け暮れる。
 地震発生後、約50分間校庭に待機し、津波に押され意識を失った。山の斜面に上がった同級生に引っぱられ、命をつないだ。あの日は母しろえさんの41回目の誕生日。「優しかった声が、なかなか思い出せない。一生忘れないと思ったのに、新しい記憶が入るとどんどん下に沈んでいく」
 午後2時46分には、校舎2階の教室で亡き友を思い、津波到達時刻にも黙とうをささげた。震災遺構として被災校舎の保存を求める活動をしている。思い悩んだ時は校舎に足を運び、「やるしかねえ」と自らを奮い立たせる。「未来の命を守るため、これからも大川小のことを伝えていく」と話した。
 約80人が犠牲になった宮城県七ケ浜町の追悼式。津波で祖母たけよさん(当時82歳)を失った鈴木杏奈さん(23)が遺族代表として登壇し、約500人を前に被災体験を語った。
 5年前。鈴木さんは祖母と自宅裏の約10メートルの高台に避難したが、津波にのまれた。恐怖で祖母とつないでいた手を離してしまった。「たけばあちゃん、ごめんね。寒かったよね」。自身は木に引っ掛かり、助かった。5年間、公の場で語ることはなかった。「心のもやもやは一生消えることはありません」。時折、涙ぐみながら話した。
 被災地で復旧・復興工事が進むと震災の爪痕も消えていく。記憶も自然と薄れていくことに危機感を持った。遺族代表を引き受けた理由は「一人でも多くの方に震災を忘れないでほしいから」。
 岩手県宮古市田老地区の巨大防潮堤の上には、地震発生時刻に地元住民ら約300人が立ち、手をつないで黙とうをした。その一人、堀子朝子さん(76)は東日本大震災の津波で、夫の活朗さん(当時75歳)を亡くした。あの日、激しい揺れに襲われた後、活朗さんは海の様子を見るため堤に上って流された。
 明治、昭和の大津波で市街地が壊滅的な被害を受けた田老地区。高台移転を避けるために建設された防潮堤は、東日本大震災当時も国内最大級の高さで「万里の長城」とも呼ばれた。しかし、津波は堤を越え、住民ら約180人が犠牲になった。
 地元のNPOの呼び掛けで2012年から、この時刻に手をつなぎ合い犠牲者を悼む。集まった人々は自然の脅威を忘れないことを誓う。「夫が波にのまれた防潮堤の上に立つのは正直つらい」と堀子さん。友人と一緒に上り「防潮堤があっても高台に逃げるよう孫たちに伝えていきたい」と話した。【百武信幸、渡辺豊、安藤いく子】


大震災5年 不明女房に贈る家「洗濯物すぐ乾く日当たり」
 「洗濯物がすぐ乾くような日当たりの良い家がいい」。宮城県南三陸町の自宅が津波で流された大工、山口勝男さん(72)は、見合いで一目ぼれした妻の望み通りの家を、自分の手で丘の上に再建した。でも、肝心の恋女房は津波のあと、行方が分からないままだ。「恥ずかしくてプレゼントなどしたことがなかったけれど、朝から晩まで日が当たる家にしたから、早く戻ってきてくれ」。山口さんは11日、元の自宅跡と墓に手を合わせた。
 くぼ地に建っていた以前の家は日中も薄暗かった。「中学卒業後に神奈川県に行っていて、あか抜けていた」自慢の妻、恵美子さん(当時65歳)は、口癖のように新しい家をせがんだ。築30年を超え「そこまで言うなら」と考えていた折だった。
 「今夜遅いの?」
 「普通の時間だ」
 朝、隣の気仙沼市へ仕事に行き、大きな揺れに襲われた。橋が崩落して自宅に戻れず、翌日たどり着くと残っていたのはがれきだけ。捜し歩いても妻は見つからなかった。骨つぼに畑で見つけた妻の農作業帽と虫よけめがねを入れて、葬儀を済ませた。
 恵美子さんがいた時は冷蔵庫すら開けたことがなかった山口さんは、仮設住宅に入ると慣れない家事で失敗ばかりだった。夜は人に聞かれないように、布団をかぶって泣いた。酒とたばこが倍に増え、仮設にこもった。
 2011年11月、仮設住宅の敷地にボランティアの大学生らが交流施設を建設する構想が持ち上がり、自治会長の依頼で協力したことが転機になった。技術系の優秀な大学生たちだったが、材木の組み方や重機なしで作業をどう進めるかなど実務のノウハウはあまりない。「勉強になりました」と感謝され、自分の腕に誇りを取り戻した。仕事を再開した。
 3軒目の交流施設建設が13年9月、一段落した。自宅再建を住宅メーカーに頼むことも考えたが、恵美子さんの写真を見て「この腕で」と決めた。元の家から3キロ離れた南三陸町北部の歌津地区に、見晴らしのいい丘陵地を購入。設計図を自分で引き、15年8月に同業の仲間と着工した。
 寒さも緩み始めた2月中旬、丘の上に2階建ての木造住宅が姿を見せた。今春から長男夫婦と孫との4人暮らしが始まる。
 いつも陽光が入る1階南向きの角部屋を仏間にした。掘りごたつとテレビがある小さな部屋だ。「おっかあと2人でいる気持ちになって落ち着くんだ。仏壇に家内だと思って声をかけるよ」。照れくさそうだった。【山本有紀、竹内麻子】


大震災5年 「お兄ちゃん,どこ?今私は社会人だよ」
 両親を剣道のインターハイに連れて行きたかった−−。大好きな兄は、行方不明になる1カ月ほど前、手紙にこんな思いをつづっていた。後を託された妹の吉田那奈(なな)さん(21)=福島県郡山市=も有力選手だったが、あと一歩で果たせなかった。押しつぶされた日もあったが立ち上がり、11日、仙台市の美容専門学校を卒業。東京で美容師への道を歩む。
 那奈さんは黒いスーツの背筋をピンと伸ばし、卒業証書を受け取った。「お兄ちゃんは社会人になる前にいなくなった。私はその社会人になる。一生懸命生きないと」
 2月下旬。那奈さんは福島県浪江町請戸(うけど)の地元住民が建立した慰霊碑に手を合わせた。二つ上の兄裕紀(ゆうき)さん(当時18歳)はこの付近で同級生と一緒に津波にさらわれた。
 那奈さんが初めて現場に来たのは2012年夏。避難指示区域のためがれき撤去は遅れていた。兄の黒色の乗用車は運転席側を地面にめり込ませて横転し、助手席のドアが空に向かって開いていた。
 震災時、高校を卒業したばかりの裕紀さんは、中学の同窓会を恩師が住む浪江町で開こうと、車で同町に住む友人とお店を見に行った。地震の後、母浩美さん(45)に「大丈夫」とのメールが届いた。だが、裕紀さんは、友人の祖父母を助けに行ったらしい。友人は5月に遺体で見つかった。同県葛尾村にある自宅も避難指示区域となり、両親と郡山市の親類宅に身を寄せた。
 「こんな手紙をもらったのよ」。浩美さんは裕紀さんの高校の卒業式で渡された手紙を見せてくれた。両親への感謝の言葉の後、こうあった。「結局インターハイには連れていくことができずにごめんなさい。全国は那奈に期待してください」
 兄妹は小学生の頃から剣道を始めた。那奈さんは裕紀さんの技を見よう見まねで練習した。裕紀さんは県立高校の剣道部で活躍したが、インターハイには届かなかった。那奈さんは中2の時に県大会個人戦で優勝。郡山市にある強豪高校にスポーツ推薦で入学し、国体強化選手に選ばれた。
 「兄の最期の言葉に応えたい」。部活から帰宅後も夜中まで素振りした。12年6月、インターハイにつながる最後の大会を迎えた。だが、個人、団体とも準々決勝で敗退。個人で東北大会に出場する権利だけを得た。帰りの車で浩美さんが「頑張ったね」と声をかけたが、黙ったまま。兄の遺影に報告もせず、部屋にこもった。
 その夜、夢を見た。高台の那奈さんに向かって裕紀さんが何か叫んでいる。黒い濁流が裕紀さんをのみ込む。朝、浩美さんが見に行くと「お兄ちゃんが……」と泣きじゃくった。1カ月間、同じ夢にうなされ学校を休んだ。4、5キロやせた。
 東北大会が近づき、登校して監督と相談した。監督は出場を勧めてくれた。「このままでは中途半端に投げ出すことになる。お兄ちゃんに怒られる」。練習を始めた。大会まで1週間だった。
 初戦。一本を決めたと思ったが、旗は相手に上がった。那奈さんは会場で撮影していた浩美さんの元に行き「ビデオ見せて」と言った。浩美さんは「いつもの負けず嫌いの那奈だ」と思った。那奈さんも「負けたけど、最後の1週間は本気で剣道に向き合えたよ」。帰宅して遺影に報告すると、久しぶりに兄の顔を見た気がした。
 進路選択の時期が来た。剣道を続けるのではなく、美容専門学校を選んだ。ファッションに興味があったが、剣道部では短髪が決まりだ。「短くてもかわいくしてあげる」と言ってくれた美容師さんに憧れた。「自分の手で人の気持ちを明るくできるのなら、震災で助けてくれた人たちに恩返しできるかも」
 浪江町請戸には年に数回足を運ぶ。「ここなら私の声が届きそうな気がして」。慰霊碑に手を合わせた後、遠くを見た。「お兄ちゃん、どこ? ヒントだけでもちょうだいよ」。髪が潮風になびいた。【宮崎稔樹】


東日本大震災5年 あなたは今どこ 不明なお2561人
 東日本大震災は11日、発生から5年の朝を迎えた。津波にのまれるなどして行方不明の人は、いまだに2561人。警察庁によると、捜索に延べ65万人以上を投入してきたが、時間の経過とともに見つかる遺体は減り半年間で身元を確認できたのは4人(2月末現在)にとどまる。「気持ちの整理がつかない」「あなたに会いたい」。行方不明者の家族はこの日を、胸が締め付けられる思いで迎えた。
「3歳娘心の中に」 宮城・南三陸
法要が始まり、手を合わせる三浦菜緒さん=宮城県南三陸町で11日午前10時31
 宮城県南三陸町の寺院で11日、法要が営まれ、家族4人が犠牲になった三浦菜緒さん(40)が遺族代表としてあいさつした。4人のうち長女ゆうちゃん(当時3歳)の行方は今もわからない。集まったのは約170人。人前で話すのを避けてきたが、幼なじみの住職に頼まれ引き受けた。「生きていれば8歳。小学生の姿も想像してみますが、思い浮かぶのは小さくてかわいい女の子のままです」
 震災当日、体調を崩した三浦さんは一緒に暮らす義理の両親にゆうちゃんを預け、遠くの病院にいた。自宅は海から約1キロ。津波で寸断された道を数日かけて戻ると、跡形もなくなっていた。義理の両親と、町職員で防災対策庁舎にいた夫の洋さん(当時40歳)の遺体は見つかったが、ゆうちゃんは見つからない。
 にぎやかな5人暮らしから、仮設住宅での1人暮らしに。小さい女の子を見ると、ゆうちゃんの姿が重なり、引きこもることが多くなった。津波にのまれて苦しむゆうちゃんの姿ばかりが脳裏に浮かんだ。
 飛行機好きのゆうちゃんと何度も遊びに行った仙台空港近くに2014年夏、引っ越した。会える気がして、何時間も飛行機を眺めたこともある。「ゆうはかくれんぼをしていて、どこかで私のことを笑って見ているのかなと。でも、見つからないので、気持ちを整理することができない」
 最近、ゆうちゃんと過ごした日々を振り返ることができるようになった。実家の両親や姉と集まると、思い出話に花が咲く。ゆうちゃんの将来の夢は「テントウムシになること」。三浦さんが乗っていた黄色い車を「バナナぶっぶ」と名付け、いろんなところに一緒に出かけた。「生きた時間は短いけれど、今でもゆうはみんなのアイドル。ゆうの存在は私たちの心の中にある」【喜屋武真之介】
「会いてえさ」 岩手・大槌
 2人並んだ写真のそばに骨つぼは一つだけ。岩手県大槌町で妻志知子(しちこ)さん(当時50歳)と高校2年だった次女彬乃(あきの)さん(同17歳)が犠牲になった小松則明さん(55)。11日朝、再建した自宅の仏壇で線香を立て、お経を10分間唱えた。終わると両手で目をぬぐった。「彬乃が見つかるまでは、家内の骨もここに置いておく」。彬乃さんは今も行方不明だ。
 あの日、消防団員で町議の小松さんは2人と自宅にいた。津波を警戒して水門を閉めに向かった。「あとは頼むぞ」。そう言って家を出たことを、今でも後悔している。「逃げろと言うべきだった」。3日目。車の中で妻を見つけた。彬乃さんは遺体安置所に通っても見つからない。「家内と娘との時間、もっと取ってやれば良かった」
 震災の1年後、高校の卒業式があった。担任だった教諭が彬乃さんの名前を呼んでくれた。大泣きした。「あそこで幽霊を見た」と聞けば、娘の行方を教えてもらおうと車で向かう。ライトを消し「出てきてくれ」と闇に語りかける。
 「会いてえさ。なあ、時間って戻すことできねえのかな」。心の氷が少しは解ける日が来るのか、まだ分からない。【神足俊輔】


伝えたい 東日本大震災5年 妻へ 父子で夢へ一歩ずつ 宮城・多賀城市 会社員・川辺伸晃さん(42)
 あの日、「行ってきます」と玄関を出る早苗(当時37歳)を、私は生返事で見送りました。これが最後の会話になりましたね。仙台市の職場からタクシーで多賀城市の自宅に戻る途中、津波にのまれてしまった。知的障害のある長男の歩夢(あゆむ)(7)が心配で、無理に戻ろうとしたのでしょう。歩夢はおばあちゃんと2階に逃げて無事でした。
 私は出張も多く、家のことは全て任せきりでした。それでも、毎晩帰ると、「おかえり」と笑顔で迎えてくれた。ほっとする瞬間でした。どれほどいやされたことか。
 家は津波で全壊し、2013年春に市内で新しい家を建てました。歩夢に残したいと思ったからです。父子だけの生活に慣れてきた頃、仕事帰りの夜空に光るオリオン座に気づきました。デートの帰り道、2人でよく夜空を見上げ、オリオン座しか知らない私は笑われたものです。今では星の輝きがあなたに代わって「おかえり」と言ってくれている気がします。
 夢に向かって歩いてほしい。早苗が「歩夢」の名に託した思いを受け止め、父子で一歩一歩、進んでいきます。【聞き手・本橋敦子】


若者から若者へ 震災を語り継ぐ
東日本大震災から5年。震災当時、中学生だった子どもたちが大学生になり、震災を経験していない被災地の外の若者にあの日何が起きたか語り継ぐ活動を始めています。若者から若者へ、記憶を語り継ぐ輪が広がり始めています。生活情報チームの伊達裕子記者が取材しました。
被災した若者たちが感じた「ギャップ」
東日本大震災の津波で浸水し、その後閉校となった宮城県南三陸町の戸倉中学校を先月、8人の若者たちが訪れました。案内したのは南三陸町出身で横浜市の神奈川大学に通う小野寺翔さん(19)と、同じく関東の大学に進学するなどした4人の同級生。この日、栃木県内の大学に通うまだ一度も被災した沿岸部を訪れたことがなかった3人の若者たちを連れ、町内に残る震災の跡をたどりました。小野寺さんは、震災を経験していない関東の若者を被災地に案内する活動を去年から始めているのです。
震災当時、小野寺さんは中学2年生でした。津波で自宅を無くし、今も家族は仮設住宅で暮らしています。小野寺さんは、去年、横浜市内にある大学に進学しましたが、周囲の若者が被災地に関心を持っていないことに、がく然としたといいます。友人を連れて被災地をめぐる活動を始めた理由について小野寺さんは「全国どこでも震災について報道されていたと思うし、東北、宮城、南三陸っていうイメージも固定できていたんじゃないかなと思っていたけど全然違った。ギャップを感じた。実際に現地に行ってもらうということが重要なのかなと感じた」と話しています。
今回、小野寺さんは、自分たちが体験した震災の現実を実感してほしいと、同級生とともに、迫り来る津波から必死に逃げまどった中学校の付近を案内しました。校舎の裏山に案内した際は、「津波が迫ってくるのを見て、みんなで必死にこの土手を駆け上がった」。「ある男子生徒が、『つないでいた同級生の女子生徒の手を離してしまったために、その子が津波に流されてしまった』と自分を責めて泣いていた」など当時の状況を説明すると、壮絶な体験談に初めて被災地を訪れた若者たちはことばを失っていました。
震災の跡をたどりながら親しい友人から当時の体験を聞いた若者たち。その意識には、少しずつ変化が生まれていました。参加した一人、栃木県内の大学に通う古館佳奈さんは「友達になったからといって、私のほうから被災した経験を尋ねていいものかどうか、迷いがあった。でも、友達から、直接、経験したことを聞けたことで、私の中で、より身近に感じられ震災に対する受け止め方が変わったと思う」と話していました。
語り継ぐ活動 若者から若者へ広がる
一方、小野寺さんの案内で去年、南三陸町を訪れたことをきっかけに、みずから、震災を伝える側になろうとしている若者もいます。小野寺さんと同じ大学に通う大矢翔さん(19)は、小野寺さんの案内で、去年9月、南三陸町を訪ねました。それからおよそ半年。自分の中の変化について大矢さんは、「被災した地域の距離がすごく近く感じられるようになったというか、被災地について注目するようになって、関心が高まった。自分も何か変わらなきゃいけないと思い、できることから始めようと思った」と話します。
被災地で聞いた小野寺さんの体験をもとに、大矢さんがまず始めたのが食糧の備蓄です。一人暮らしをするアパートで大矢さんは段ボールいっぱいに水やレトルト食品など食料を備蓄するようになりました。大矢さんは、「小野寺くんから、震災直後はあまり食べるものがなくて、少ないご飯を分け合って食べていたと聞いていたので、備蓄を増やしておけばいざというときに、周りの人にも分けられるなと思い、たくさん準備しています」と話していました。
さらに、大矢さんは去年10月に、小野寺さんとともに西東京市で開かれた防災会議にみずから出席して、「ぜひ、一度、被災地を訪れ、現状を自分の目で見てほしい」と訴えました。大矢さんは、「自分にできることは、周りの人たちにとりあえず現地に行ってみるといいよと伝えること。小野寺くんが案内する被災地への旅行にも企画者の側として参加して、輪を広げていきたい」と話していました。
こうした大矢さんの意識の変化を目の当たりにした小野寺さんは、さらに多くの若者に被災地を訪れてもらいたいと思うようになりました。
震災から5年 ここから語り継ぐために
今後、どのようにすれば大矢さんのようにみずから行動を起こしてくれる若者を増やしていけるのか。小野寺さんは、被災地の支援を続ける専門家のアドバイスを聞くことにしました。先月末、小野寺さんたちは被災した子どもたちの支援を続けている東洋大学の森田明美教授のもとを訪ねました。小野寺さんの相談を受けた森田教授は復興事業の一環として、被災地の外から訪れた若者に、空いた仮設住宅を無料で貸す取り組みをしているほかの自治体をモデルに、南三陸町にも協力を要請してはどうかと提案しました。町の復興事業として認められれば、資金的な援助や宿泊先の確保なども見込めるというのです。
小野寺さんは、町に協力を求めていくことを決めさっそく企画書作りなどに取りかかることにしています。小野寺さんは「私たち大学生が震災の風化を止めるためにできることを考えていきたい。地元の人間ができることと、被災地の外の人ができること、そしてともに協力してできることを学生のうちに継続してやっていきたい」と話していました。
被災地に足を運び共有を
ちょうど5年前、中学生だった小野寺さんたちは家族の安否も分からないなか、迫り来る津波から必死で逃げながら、逃げ遅れた人たちを引き上げたり人工呼吸をしたりしたそうです。あの日、目の前で起きたことを決して風化させてはならない。その強い思いが、今、被災地の外の若者へと伝わり、ともに”語り継ぐ”活動が広がっています。
「被災地を訪れたことがない同じ世代の若者たちに、被災地に足を運んでもらい、震災の教訓を共有してほしい。そして、その教訓を今後の災害にいかすためにも、震災の記憶を風化させてはならない」
震災から5年。小野寺さんのこのことばを改めて受け止め、これからも被災地の課題に目を向け続けたいと思います。


今はない我が家 思い出はいつまでも
戻らない人に寂しさ
 松原町 内海さん
 石巻市松原町の内海麻男さん(73)、陽子さん(69)は、全壊した渡波の自宅跡地に一昨年、家を再建した。道路を挟んだ海側は非可住地域。「これ以上、人は戻らないかもね」と寂しげにつぶやいた。
 家から海岸が近く波の音を聞いて育ってきた。「生活や再建など普通の暮らしなら考えなくていいことを震災によって考えなくてはならなくなった。あの日を忘れることはなく心の隅にいつもある」。記憶の風化はない。
夢にかつての風景
 南浜町 高城さん
 石巻市南浜町に住宅の基礎が残る。「今も夢に出る家や風景は震災前の姿。でも目が覚めると家はもうない」。高城有香さん(37)=東京都大田区=は、石巻を離れても長年住み続けた我が家を忘れることはない。
 隣地はすでに盛り土され、自宅跡地もやがて復興事業の一部になる。「状況は受け入れにくいが、理解はしている。でも帰ってきたらまちも家も元に戻っているのではとちょっと考える」。時計の針を5年前に戻したい。かなわないけど高城さんの願いだ。


東日本大震災5年 行方不明者432人 気仙沼市南三陸町
 東日本大震災の発生からきょう11日で丸5年。気仙沼市、南三陸町の復旧・復興はいまだ道半ばだ。2月末現在、両市町合わせて8千人以上が仮設住宅で暮らし、行方不明者も432人いる。
 気仙沼市の死者数は10日現在1042人で、うち1人が身元不明(警察発表)。関連死は108人。行方不明者は220人おり、気仙沼署、気仙沼海上保安署などによる捜索活動が続けられている。
 市の仮設住宅では、2071世帯4763人が生活している。ピーク時の24年1月から比べると1084世帯3525人減った。
 住宅再建事業はこれから終盤。1日現在、防災集団移転の区画引き渡しは全体の約半数で、災害公営住宅の入居開始は3割ほど。
 南三陸町は死者が566人で、行方不明者が212人(警察発表)となっている。関連死は20人。
 仮設住宅は町内と登米市に58団地あり、1189世帯3283人が暮らす。防集は全体の4割で区画の引き渡しを開始。災害公営は3割で入居を開始した。


行方不明者数いまだに709人 石巻地方3市町
 県は10日までに、2月末現在の東日本大震災の被害状況を公表した。
 震災による犠牲者は、関連死を含めると石巻市で3548人(全県の33.6%)、東松島市で1129人(10.7%)、女川町で613人(5.8%)となっている。
 3市町合わせた行方不明者数は709人で、県全体の57.3%。警察、消防などの地道な捜索活動で新たな遺骨発見と身元判明があり、この1年で行方不明者は4人減少した。
 人口は昨年10月に行われた国勢調査の速報値が先ごろ発表されており、前回調査(2010年)からの変動率は石巻市が8.45%、東松島市が7.89%、女川町が36.98%の減少率となった。石巻地方3市町の人口は19万3088人(前回比9.7%減)。


震災から5年 データで見る石巻地方
 東日本大震災後、石巻地方ではやむなく古里を離れるケースが相次ぎ、人口減少が止まらない。仮設住宅での生活を余儀なくされている住民も1万9000人近くいる。一方で、災害公営住宅など恒久の住まいの建設が進み、つち音の響きは増している。
 復興はどこまで進んでいるのか。石巻地方の現状をデータで紹介する。
■住まいの再建/住宅整備進む
 災害公営住宅の建設は、東松島市の進捗(しんちょく)が早く、6割を超えた。石巻市は5割台、女川町は3割台。地域差はあるものの住宅の整備は着々と進んでいる。防災集団移転促進事業は、東松島市が2016年度、石巻市と女川町は18年度で終了する見込み。
■水揚げの推移[魚市場]/震災前と同額
 2015年の水揚げは、震災前年の10年と比べ、石巻と女川の魚市場とも金額がほぼ同額に回復した。数量は石巻が8割に、女川は7割の水準となった。石巻は昨年9月、現地に再建された新魚市場が完成。女川は17年3月に全施設の完成を見込む。
■農地の復旧/6次化目指す
 石巻市と東松島市は共に、被災した農地のうち9割が復旧した。農業者は、生産物に付加価値を創出する取り組みだけでなく、農業生産法人を立ち上げて、営農規模を拡大した栽培も実践、6次産業化を目指す動きも進んでいる。
■商工会議所・商工会会員の再開状況/半数超が継続
 営業を継続させた会員は半数を超えた。「復興需要」の恩恵を受ける企業もある。一方で被災した会員のうち、石巻市で19%、東松島市で24%、女川町で41%が高齢化や担い手不足から廃業を決めるなど、震災が地域経済に落とした影は消えていない。
■石巻公共職業安定所館内の有効求人倍率/高止まり続く
 有効求人倍率は、震災直後は低迷したが、1年を過ぎると全国平均を上回るようになった。事業所の復旧が進むにつれて伸び、2014年12月には41年ぶりに2倍を超えた。依然として全国平均を大きく上回っており、現状は高止まりの状態が続く。
■震災による小中学校の統廃合/移転先未定も
 震災の影響による学校の統廃合は女川町が終了し、今後は石巻市が4校、東松島市が2校の統廃合を進める。統廃合はしないが、他校を間借りして仮設校舎で授業をしながら、いまだに移転先が決まらない学校もある。
■人口、世帯、仮説入居者の推移


 被災者は今 自立再建、仮設暮らし… 思いを聞く
 東日本大震災から5年の間に、災害公営住宅や地域の高台に自立再建した住まいで新たな生活を始めた人たちがいる。一方で、住居の完成を待っていまだに仮設住宅などに住んでいる人たちもいる。
 石巻地方の被災者に、これまでの苦労や現状、今後の生活への思いなどを聞いた。
■無職・鈴木さだ子さん(89)=石巻市北上町十三浜=
<あっという間の5年間>
 にっこりサンパークの仮設住宅で、長男夫婦と暮らしてきました。振り返ってみると、いろいろなことがありましたが、あっと言う間の5年間という感じがしています。
 4月には、仮設住宅の近くで自宅の建築が始まり、お盆の頃には完成する予定です。仮設と違って、気持ちが楽になり、自由な生活を送ることができるようになります。その半面、仮設住宅で知り合った人たちと別れることが寂しく、つらいですね。それでも、近所には知人たちが住むので、お茶飲みを楽しみながら暮らしたい。
■ホタテ養殖業・砂金弘樹さん(53)=石巻市雄勝町水浜=
<これからが踏ん張り時>
 取引先や漁業関係者らの協力支援、国の補助制度があり、再開できました。船が流され、ホタテの養殖施設も全滅し、震災直後は続けるかどうか悩みましたが、父親が始めた養殖業をやめるわけにはいかなかった。生活も掛かっており、がれきの撤去作業に取り組みながら、再開に向け準備を進め、翌年にはほぼ復活することができました。
 旧飯野川高の仮設住宅から通う日々が続きましたが、先月、水浜地区の高台に自立再建した住居が完成。やっと落ち着けますが、これからが本当の踏ん張り時です。頑張りたい。
■建設業・小野寺邦彦さん(32)=石巻市大原浜=
<古里を離れずに暮らす>
 津波で家族4人と住んでいた家は全壊しましたが、修理をして同じ場所で暮らしています。震災前は折浜で漁師をしていました。今は知人の紹介で建設業に従事しています。仕事で造成現場などに行くと、本当に起きたことなんだなと当日を思い出してしまうこともあります。
 時間の経過とともに、地区には少しずつ笑顔と活気が戻ってきました。伝統行事の御神祭も復活することができて良かったです。地元で生まれ育ったことに誇りを持っているので、これから先も、大原浜を離れることはないでしょう。
■無職・坂本進哉さん(42)=石巻市大森=
<働き場見つけ生活安定>
 震災前まで住んでいた石巻市住吉町のアパートは全壊。住吉小校舎に逃げ、住吉中体育館で避難生活を送った後、今の仮設住宅に入りました。知り合いもでき、毎週土曜に行うカラオケなど住民同士の行事も楽しいです。
 来年2月完成予定の災害公営住宅に住みます。今は体調を崩したため仕事をしていませんが、公営住宅に住むまでに治し、働き場を見つけて生活基盤を安定させたいです。団地内の行事で焼きそばなどを作って振る舞い、楽しかったので料理関係の仕事に興味があります。
■主婦・鈴木明美さん(55)=石巻市蛇田新立野=
<近隣と交流を深めたい>
 昨年5月、仮設大橋団地から引っ越しました。仮設住宅の頃と比べると住民同士のつながりが希薄な感じがします。仮設住宅では入居時、住む場所、食べる物が十分でないという状況だったことから団結心がありました。
 復興住宅はついのすみかと考えています。もっと交流を深めたいと考え、復興住宅集会所で毎朝8時半から行われるラジオ体操に参加しています。少しずつ知り合いができ、生活のリズムができるなど良い感じです。もっと近隣と仲良くなっで楽しい生活を送りたいです。
■生花店スタッフ・佐藤伶奈さん(25)=女川町鷲神浜=
<息子2人が好きな町に>
 震災後に結婚、出産し、現在は3歳と1歳になる2人の息子を育てながらJR女川駅前のテナント型商店街「シーパルピア女川」にある生花店で母、姉と共に働いています。
 昨年冬に災害公営住宅に引っ越すことができましたが、町に人が住める場所や働き盛りの世代は少なくなったと思います。他の地域と比べ早く復興が進み、活気あるイベントも開催されるようになったことはうれしい。町がさらににぎわって、子どもたちが「女川が好き。住み続けたい」と思える場所や景色が増えてほしいです。
■無職・雫石良一さん(80)=東松島市大曲堺堀=
<新居に長男一家と住む>
 妻と2人で、2011年7月から矢本運動公園の仮設住宅で暮らしています。当初は大曲浜の自宅が被災し、ふさぎ込む日々が続きましたが、多くの方々の温かい支援や出会いのおかげで、元気を取り戻すようになりました。
 4月下旬には、あおい地区に建設していた自宅の引き渡しがあり、5月からは長男一家と住み始めます。これからの願いは家族全員が仲良く元気に過ごすこと。そのためにも仮設住宅の皆さんとのラジオ体操や、散歩、グラウンドゴルフなどで健康維持に努めています。
■主婦・藤下綾子さん(74)=東松島市牛網駅前1丁目=
<お茶飲みや趣味楽しむ>
 2014年5月ごろから小野駅前北の災害公営住宅に夫(76)と2人で暮らしています。仮設住宅では4畳半の和室2部屋での生活でしたが、ここは6畳の和室に洋室、リビングも広く気持ち良く毎日を過ごしています。
 目下の楽しみはお茶飲み会。災害公営住宅や仮設住宅で知り合った皆さんとの交流は元気が出ます。趣味もゲームやマージャン、カラオケなど楽しんでいます。数十年前の交通事故、震災でも危険な目に遭いました。それでも助かった命、一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています。


<震災5年>もっとそばに きっとそばへ
 多くの命と平穏な暮らしを奪った東日本大震災から11日で5年の節目を迎えた。津波が家々を流した太平洋沿岸では早朝から遺族らが鎮魂の思いをささげた。
 仙台市宮城野区蒲生の旧中野小跡地では、地元住民らが慰霊碑の前で犠牲者をしのんだ。同区白鳥の無職加藤昭さん(65)は「散歩の途中に折を見て手を合わせています」と話した。
 太白区の男性会社員(42)は同僚が犠牲になった若林区荒浜の職場跡地を訪れ、「亡くなった人の分まで頑張って生きます」と誓い、花を手向けた。
 名取市閖上の友人を失った太白区の会社員日下敞之さん(73)は、閖上の日和山で「みんな元気でいますよ」と慰霊碑に語り掛けた。閖上はかさ上げが進む。「だいぶ風景も変わった」としみじみと語った。
 仙台市などでは地震発生の午後2時46分に合わせて追悼の式典や催しを実施。亡き人に向けて風船を飛ばすなどして、冥福を祈る。


<震災5年>風化を実感 宮城県民7割超
 東日本大震災から5年が経過し、宮城県民の7割以上が被災記憶の風化を実感していることが10日、県が発表した県民意識調査結果で分かった。復興が進んでいると感じる県民は3割未満にとどまった。
 記憶の風化について「進んでいる」は23.8%。「やや進んでいる」の48.7%と合わせ72.5%に上った。「あまり進んでいない」(13.8%)「進んでいない」(6.0%)の計19.8%を大幅に上回った。
 風化を実感する時や場面(複数回答)は「新聞やテレビなどでの取り上げ方」が30.2%でトップ。「自分自身の意識」(28.0%)「ボランティアなど被災地への支援の減少」(14.2%)と続いた。
 風化の防止に向けて強化すべき取り組み(複数回答)として、順に「広報誌などの印刷物の発行」(22.6%)「全国公共施設などでのポスター掲示」(20.5%)「県外でのイベント開催」(16.6%)が挙がった。
 県民意識調査は2012年に開始し、4回目。震災から5年を機に、初めて風化に関する質問を設けた。
 毎年調査する質問では、復旧・復興が「進んでいる」(6.3%)「やや進んでいる」(22.0%)は計28.3%。前年度より7.6ポイント改善した。「遅れている」(24.5%)「やや遅れている」(21.0%)は45.5%で、初めて50%を下回った。
 施策別の満足度で「満足」「やや満足」が最も多かったのは「未来を担う子どもたちへの支援」で47.6%。逆に「不満」「やや不満」が最多だったのは「海岸、河川などの県土保全」(28.2%)だった。
 調査は昨年12月、県内の20歳以上の男女4000人を対象に行った。1911人から回答があり、回収率は47.8%。


<震災5年>祈り 感謝 刻む教訓
 東日本大震災の発生から5年となった11日、宮城県内では人々が犠牲者の冥福を静かに祈った。仙台市若林区の校舎が津波で使えなくなった市荒浜小の児童16人は、授業を受けている宮城野区の東宮城野小の体育館で同小児童約170人と朝会に臨み、黙とうした。
 朝会で荒浜小の桜場直志校長は「人間の力では自然災害を防ぐことはできないが、私たちには知恵がある。家の周りの避難所を確認し、防災グッズを用意してほしい。災害への備えを皆さんともっと考えていきたい」と呼び掛けた。
 両校の児童代表が作文を朗読。荒浜小4年庄子ひかりさん(10)は車が津波にのみ込まれた様子を見た5年前を振り返った。「今は新しい家ができて震災のときのようにお風呂に入れない日がなくなりました。支援してくれた人に感謝しています」と話した。
 続いて全員で市教委が作った復興ソング「希望の道」を歌った。
 荒浜小は4階建て校舎が津波で2階まで浸水。児童は移転先の住まいや仮設住宅からスクールバスなどで東宮城野小に通う。児童数が減少したため140年余りの歴史を閉じ、4月に七郷小と統合する。26日に東宮城野小で閉校式を開く。


<アーカイブ大震災>物流寸断 食品絶やすな
 岩手県内を中心にスーパーを展開するマイヤ(岩手県大船渡市)は、東日本大震災で大船渡、陸前高田両市の6店のうち5店の休業を余儀なくされた。唯一、営業できたのは津波被害を免れた大船渡インター店。2011年3月11日、地震発生の1時間後に店頭での販売を始め、住民の暮らしをつないだ。物流ルートが滞る中、「地域スーパーを守ろう」という各方面からの支援が商品調達を可能にした。
◎苦闘 企業の前線(4)命つないだ1店舗(大船渡の地元スーパー)
 マイヤ商品部の河野俊則さん(60)は震災発生の翌日、3月12日の朝、一夜を過ごした陸前高田市の避難所から自分の車を出した。目指したのは北上市にある自社の物流センターだった。
 大船渡インター店には、購入客が殺到していた。在庫がすぐに尽きるのは目に見えた。
 大船渡湾に近い本社は津波で壊滅的な被害を受けた。発注システムはダウンし、通信手段も失った。「内陸部に行って、とにかく電話をかけるしかない」。北上で河野さんは東北の取引先に片っ端からダイヤルした。
 岩手県にはパン製造の白石食品工業(盛岡市)がある。「パンがあれば急場をしのげる」。両社には「何かあったら助け合おう」との約束もあった。
 白石食品に連絡は付かず、やっと電話がつながったのは盛岡市の菓子問屋だった。白石食品と取引がないのは分かっていたが、無理を承知で「パンを送るように白石さんに頼んでください」と受話器を手に頭を下げた。
 菓子問屋は社員を白石食品に走らせた。その日の午後、大船渡インター店に着いた1台のトラックにはパン約6000個が満載されていた。
 首都圏では12日未明から、ミネラルウオーターやカップ麺、ガスボンベなどを積んだ10トントラック3台が、大船渡に向けて相次いで出発した。
 商品を供給したのはシジシージャパン(東京)。マイヤなど全国の中堅・中小スーパーが加盟する協業組織、CGCグループの本部機能を担う。
 シジシーは地震発生直後、災害対策本部を設置した。東京に出張中だった東北地区本部(岩手県矢巾町)商品部のマネージャー山岸美昭さん(62)も加わった。
 マイヤの状況はつかめない。「どの店舗に商品を届けるんだ」。シジシーの物流部長から問われた山岸さんは「とにかく大船渡に」と求めた。
 CGCグループは1973年、オイルショックを受けて結成された。中小のスーパーが全国でまとまり、商品を安定的に供給するのが狙いだ。
 災害マニュアルは2004年の新潟県中越地震を教訓に改定され、「被災地と連絡が取れない場合でも物資を送り込む」と定めていた。
 卸やメーカーがガソリン不足などを理由に「商品を送れない」と言う中、シジシーから連日届く商品が、大船渡インター店の生命線になった。
 バイヤーも仕入れ先の倉庫に出かけて交渉するなど独自の努力を重ねた。苦境を知った隣県の地元企業が商品供給を申し出たケースもあった。
 大船渡インター店は3月15日、本格的な店内販売を再開し、乳製品や生鮮食品も並んだ。「内陸部より商品が豊富」。震災から1週間後、来店客からはそんな声が上がったという。
 マイヤは震災後、陸前高田市などで空き地にテントを張り、仮設店舗を開いた。津波被害を受けた5店が営業できない状況を補うため、8月4日には陸前高田市竹駒町に新店舗をオープンさせる。
 米谷春夫社長(64)は「中小が支え合うCGCへの参加と、地元取引先との信頼関係づくりが生きた。社員も奮闘し、ライフラインを守る使命を果たせた」と語った。(鈴木美智代)=2011年7月27日河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<震災遺構>たろう観光ホテル4月公開
 東日本大震災で被災し、震災遺構として保存工事が施された岩手県宮古市田老の「たろう観光ホテル」の一般公開が4月1日に始まる。浸水した1階に見学通路を設け、上階に通じる専用の外階段も整備した。宮古観光文化交流協会の「学ぶ防災」事業を通して、震災の記憶を伝える。
 ホテルは震災の津波で、6階建ての4階まで浸水。1、2階は骨組みだけが残った。1階を内側から見学できる通路を備えた。客室が残る5、6階には外階段で上がる。6階にはホテルから撮影された津波の映像を見るスペースを設けた。
 2013年11月に国費での保存が認められ、市は建物の無償譲渡を受けた。事業費は約2億900万円。今後、駐車場を整備する。
 20年で約7800万円と試算する維持費は市が負担し、「学ぶ防災ガイド」利用者の協力金や寄付で賄う計画。ふるさと寄付金を利用した市津波遺構保存基金には2月末現在までに、約1890万円が集まった。
 市商業観光課の下島野悟課長は「実際に被害に遭った建物に立つことで、津波の恐ろしさを体感してもらいたい。長く保存するため寄付にも協力してほしい」と話す。
 学ぶ防災ガイドを務める元田久美子さん(58)は「つらい記憶を持つ建物だが、震災を伝える大きな力になる。ぜひホテルから復興が進む田老の街を見てほしい」と呼び掛ける。学ぶ防災の連絡先は宮古観光文化交流協会0193(77)3305。


東日本大震災5年神戸で黙とう
東日本大震災の発生から5年がたったきょう、神戸市の公園では、21年前、阪神・淡路大震災を経験した人たちが、「3.11」の文字の形に並べたろうそくに火をともし、5年前に地震が起きた時刻にあわせて犠牲者に黙とうをささげました。
阪神・淡路大震災の慰霊と復興のモニュメントがある神戸市中央区の公園、「東遊園地」には、およそ300本のろうそくが「3.11」の文字の形に並べられました。
公園には21年前の阪神・淡路大震災を経験した人たちなどおよそ50人が集まり、復興を願ってともされ続けている「希望の灯り」の火をろうそくに移していきました。
会場は5年前に津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市とインターネット中継で結ばれ、地震が起きた午後2時46分にあわせて現地の被災者とともに黙とうをささげ、犠牲になった人たちを悼みました。
阪神・淡路大震災で神戸市東灘区の自宅が全壊し、26歳の長女を亡くした77歳の女性は、「娘を思うといまでもつらいです。東北の人たちはまだまだ大変だと思いますが、皆さんで助け合って元気で頑張って欲しいです」と話していました。
また西宮市に住む27歳の会社員の男性は、「それぞれの震災は時間がたつにつれて、関心が薄れてきており、私たち若い世代が積極的に関わり、震災の記憶を伝えていくことが大切だと思います」と話していました。


手掛かり少しでも 宮城海上保安部の潜水士が不明者捜索
 宮城海上保安部は9日、東日本大震災行方不明者の潜水捜索を南三陸町志津川の袖浜漁港沖で行った。家族の要請を受けて実施したが、手掛かりなどは見つからなかった。
 巡視船「くりこま」の乗組員や気仙沼海上保安署の署員ら15人が参加。捜索を前に、袖浜漁港で犠牲者に黙とうをささげたあと、潜水士6人が被災した人工海水浴場「サンオーレそではま」近くにある荒島付近で捜索した。
 「くりこま」の寺門嘉之潜水班長は「これまでも、行方不明者の手掛かりを見つけたいとの強い思いで捜索に当たってきた。家族の要望があれば今後もできるだけ応えていきたい」と話した。


<震災5年>再起と奮起 幾千の夢
 深い悲しみに包まれた。そこから一歩一歩、前に進んできた。東日本大震災で傷ついた被災地で、人々は支え合いながら懸命に生きている。涙も合った。笑顔もあった。
◎歳月重ねた わたしの思い きのう、きょう、あした
<福島を背負い舞う>
 福島県いわき市の温泉レジャー施設のダンスチーム「フラガール」。リーダーのモアナ梨江さん(本名・大森梨江)は「5年間、仲間と無我夢中で走り続けた」。
 震災と原発事故で「全てが終わった」と思う日もあった。メンバーが初めて集まったのは約1カ月後。「踊りたい」。福島の元気を伝える「全国きずなキャラバン」を5月から敢行し、125カ所を巡った。
 「やるしかないと思った。踊れる喜びも感じた」。フラガールは復興を目指す福島のシンボルとなった。
 福島第1原発が立地する双葉町の帰還困難区域に自宅がある。「最初はまだ、人が住んでいた空気があった。時がたつにつれ、家が朽ち、空気も景色も変わった。一時帰宅する度に、心にずっしりくる」。切なさは胸に秘める。
 フラガールは半世紀前、炭鉱町を崩壊から救うため結成された。歴史は重なる。「震災後、復興の先頭に立ってチャレンジする気持ちを強く持った。5年たっても、これから先も、私たちは使命を背負っていく」
 風化はさせない。「福島で起きたことを、福島で生きる人たちの姿をもっと見てほしい」。復興のステージで、情熱的に舞う。
 福島第1原発事故で避難を強いられた福島県富岡町立養護老人ホーム東風荘。郡山市に仮設施設を開いて3年が過ぎた。故郷へ戻る日を待ち望む入所者も少なくない。町は2017年春の帰還開始を目指すが、施設長の佐々木誠司さん(58)は高齢者が安定した生活を送るには時間がかかると見る。地域や家族との分断を背負い、職員は明るく振る舞う。「もうしばらくここで頑張ろうね」
 津波で被災した仙台市宮城野区蒲生北部地区。震災前から地元の和田町内会長を務める高橋実さん(78)が、全壊した自宅跡を訪ね、津波に耐えた門柱の前で古里に思いを巡らせる。町内会長として震災直後から奔走。がれき撤去など地域の課題について住民と行政の橋渡し役を担った。町内会は間もなく解散する。「笑顔を絶やさなければ道は開ける。これからも地域再生に貢献したい」と誓う。
 「地震が来たらすぐに逃げて」。宮城県山元町で被災した渡辺修次さん(64)=同県亘理町=は、震災語り部として避難の大切さを訴え続ける。山元・山下中校長の時、卒業式の直後に震災に遭い生徒4人を亡くした。「犠牲になった生徒たちに『逃げろ』と言いたかった。こんなつらい経験、誰にも二度とさせたくない」。教え子の鎮魂と地域再生を願い、各所に幸せの黄色いハンカチを掲げる。
 宮城県石巻市のパート榊美紗子さん(27)が高台にある市内の日和山公園から門脇小一帯を見下ろす。津波で流された自宅があった場所だ。目を閉じると、震災で亡くなった母と祖母、行方不明になった父の在りし日が思い浮かぶ。姿は見えない。存在を身近に感じながら一人で生きる。「あの日から5年たっても、震災のニュースに触れるたび涙が出る。歩き続けられるのは家族が見守ってくれるから」
 宮城県栗原市花山出身の農業阿部麻衣子さん(31)は2008年、岩手・宮城内陸地震に見舞われ、花山の自宅が全壊。仮設住宅暮らしを経て、宮城県東松島市へ嫁いだ。新婚4カ月で自宅、イチゴハウスが津波に襲われた。「2度目の仮設住宅暮らしが今も続きます」。義母恵美子さん(56)とアルバイトをしながらイチゴ復活を期し、13年に出荷を再開。「おいしいイチゴを届けたい」。その思いが実った。
 福島県広野町の大和田瑠華さん(16)は、原発事故からの教育復興を目指して昨春開校した「ふたば未来学園高」の1期生。古里の課題を解決する「社会起業部」の部長だ。「まちおこしや復興にすごく興味がある」。原発事故で一時、避難した。悲しいこと、学んだこと、起きた全てを受け入れて前に進もうと思っている。「自分たちが動けば変わる。やりたいことを全力でやって、後悔しない」
 震災後に覚えたデジタルカメラが、岩手県大槌町の越田ミサさん(77)を支えた。仮設住宅の仲間やボランティアを撮ると笑顔が広がり、沈みがちな心が軽くなった。昨年11月に娘夫婦が建てた家に入ったが、ことし1月に60年連れ添った夫が82歳で他界。かつての自宅近くの高台に夫が建てた山小屋を訪ね、周囲のツバキを眺める春の日を待つ。「くよくよしても始まらない。明るく生きないと」
 自殺対策の傍ら津波で被災した経営者の相談に応じる、秋田市のNPO法人「蜘蛛の糸」理事長の佐藤久男さん(72)。釜石市などを訪問するほか定期的に電話をかけ、経営に失敗した自身の経験を基に助言する。弁当店や旅館などの再建を見守ってきた。今後は災害公営住宅で暮らす人たちの声にも耳を傾けたいと考える。「復興の速度は遅く感じる。あと10年は通って彼らの復興を見届けたい」
 「失った家族4人は心の中にいる」。岩手県陸前高田市の電器店経営小島幸久さん(44)は昨秋、気持ちを受け止めてくれる人と出会い再婚した。家族のことを口にしても嫌な顔をせず聞いてくれる。亡き妻の懐かしい味を思い出して頼むと作ってくれる。思い出を封印しなくていい。固まっていた心がほぐれるのを感じる。年内にも高台に店舗兼住宅を建てる。「子どもも欲しい。夢のある家にしたい」
福島県南相馬市から山形県南陽市へ避難する中島明日香さん(33)。人と向き合う仕事がしたいとヨガ講師の資格を取り、新たな一歩を踏み出した。本当は何回も、両親や祖父母が暮らす古里へ帰りたいと思った。帰還をとどまらせたのは、友人に恵まれ元気に学校へ通う息子の存在。2人ともサッカーに夢中だ。「今は南陽にいたいという息子の気持ちを大切にしたい。3人で協力して、ここで頑張っていく」


<震災5年>絶望と希望 1827日間
 深い悲しみに包まれた。そこから一歩一歩、前に進んできた。東日本大震災で傷ついた被災地で、人々は支え合いながら懸命に生きている。涙も合った。笑顔もあった。
◎歳月重ねた わたしの思い きのう、きょう、あした
<恵みの海と生きる>
 「ミサゴがホバリングしている。魚を狙ってるぞ」。海と山が入り組んだ湾に笑い声が響く。宮城県気仙沼市唐桑町舞根地区のNPO法人「森は海の恋人」理事長の畠山重篤さん(72)、信さん(37)親子はよみがえった自然を見渡した。
 津波で護岸が壊れて地下水が海に入り込みやすくなり、養殖するカキやホタテは成長が早い。被災した地区は70〜90センチ地盤沈下し、淡水と海水が混じり合う汽水域の湿地ができた。アサリやハゼ、水鳥など多様な生き物がすみつく。
 重篤さんは震災で最愛の母を亡くした。地区に防潮堤計画が持ち上がったが、高台移転する住民は「コンクリートの壁は必要ない」と撤回。重篤さんが湿地1ヘクタールを買い取り、環境教育のフィールドにした。
 この1年で国内外から約1600人が訪れた。「ここの自然こそが価値」と信さん。重篤さんは「生物が暮らすいい環境を残していけば、人はやって来て、地域に人が生きていける。コンクリは復興と真逆なものなんだ」と訴える。
 高台に25世帯の住宅が建ち始めた。「高齢化? 大丈夫だよ。恵みの海がある」。震災で強まった信念で復興をたぐり寄せる。
 教訓を未来へ−。宮城県女川町の庭足神社で女川中出身の高校生が「いのちの石碑」を囲む。中学時代から町内の津波到達点より高い所に9基を建て、各浜に計21基の建立を目指す。2014年春の中学卒業後に「女川1000年後の命を守る会」を設け、約15人で活動を継続。災害から命を守るための教科書づくりも進める。会長の阿部由季さん(17)は「震災の記憶を伝え続けたい」
 宮城県塩釜市の小泉善雅さん(41)は、浦戸諸島の桂島でカキ養殖を始めようとした矢先、大震災が発生した。打撃を受けた漁業者を支えようと1口1万円のオーナー制度を開始。全国の1万人以上から1億8700万円が集まる。資金は施設修繕や資材購入に充て、オーナーに海産物を送った。現在、カキやアサリをネット販売する「海の子net」代表。「松島湾の恵みを食べて、喜んでもらいたい」
 宮城県名取市閖上地区の高橋善夫さん(73)は美田園第1仮設住宅自治会長として住民の見守りを続ける。「みんなが家族だと思っています」と目を細める。津波で家族4人を失った。「なぜ自分だけ生き残ったのか」。苦しいときも住民の絆が支えになった。妻京子さん=当時(61)=は長く民生委員を務め、お年寄りを避難させようとして津波にのまれた。妻の分も、地域に尽くそうと決意している。
 青森県八戸市の三菱製紙八戸工場は、津波で300億円を超す被害が出た。当時工場長の金浜福美さん(66)は設備の復旧に追われた。供給が一時止まり競争力が低下したが、主力工場の製品を愛用し続けてくれる顧客に励まされた。今もグループ会社社長として工場に通う。「ペーパーレス化で収益的には厳しい時代。それでも復旧を果たした従業員たちは困難を乗り越える力を持っていると信じている」
 岩手県山田町でレストラン「ロカーレ・アーシャ」を営んでいた駒場利行さん(41)は新装開店の日に店ごと津波に流され、九死に一生を得た。娘2人は学校にいて無事だったが、妻の愛子さん=当時(30)=を失った。実家のある盛岡市に移り「山田の味を届けるのが使命」と店を再開。カキやワ