フランス語の勉強?

octobre 2016

造花の判決から42年/圏論?/ザ・ベストテン/少ししんどい

ブログネタ
フランス語 に参加中!
mihk1

Ukyio: tous les plaisirs et beautés du Japon ancien
C’est un rare et magnifique plaisir que nous offre le musée du Cinquantenaire avec une exposition exceptionnelle de 400 estampes japonaises sélectionnées par Nathalie Vanderperre dans la collection du musée de 7 500 estampes, l’une des plus riches et des mieux conservées au monde. Pour des raisons de fragilité, elles sont présentées en deux parties. Et les œuvres changeront le 19 décembre. De quoi retourner alors voir ces merveilles. Un plaisir d’autant plus rare qu’hélas, le musée japonais et chinois de Laeken reste fermé depuis 2013 pour des travaux urgents de consolidation et que c’est la première fois qu’un tel nombre d’estampes sont présentées depuis Europalia Japon en 1989.
L’essentiel de la collection du musée provient d’un achat qu’il fit en 1905, de 4 500 estampes, à Edmond Michotte, musicien belge fortuné installé à Paris et grand collectionneur, achetant au marchand Bing.
Le monde flottant
L’art de l’ukiyo-e, les "images du monde flottant", est né à Edo (l’actuelle Tokyo). Il est caractéristique de cette longue période qui débuta en 1600 où le Japon se replia sur lui-même avant de s’ouvrir à nouveau avec la restauration Meiji, mais à partir de 1868 seulement.
L’ukiyo-e reflète la passion des gens pour le théâtre kabuki, les restaurants, les geishas et les shunga (images érotiques). Ce monde en marge, surveillé étroitement par les shoguns, s’appelait "le monde flottant" et fut le mieux narré par Hokusai, friand des belles qui y vivaient.
フランス語
フランス語の勉強?
小さな旅「心に花を〜宮城県 女川町〜」
宮城県女川町は水産業のさかんな港町。震災後の復興をめざし、若者を中心とした町づくりが進んでいます。実は女川は、600種類以上の山野草が自生する、植物の宝庫。ふるさとの風景や大切なものを失った人々が、身近にある自然に心を癒やされています。震災前と変わらずに山の草花に出会う人、花を育てることで励まされ、生きてきた夫婦など、自然に勇気づけられながら、復興に向かう人たちと出会います。
山田敦子

ハロウィン音楽祭2016〜ザ・ベストテンも復活!「歌手が仮装で歌って踊る」
徹子&安住で甦る「ザ・ベストテン」百恵&聖子の名場面★ピコ太郎7時台から登場…SPなPPAP★USJ緊急生中継★NEWSキスマイAKBも仮装★平井いきものセカオワきゃりー金爆(他)
この日だけ歌手の皆さんが特別“仮装”で歌って踊る豪華4時間生放送!オバケな夜にオバケ番組復活!黒柳徹子&安住紳一郎が送る「ザ・ベストテン」が甦る!山口百恵&松田聖子の名場面に、アノ人のお宝◯◯な姿、超貴重映像も今夜解禁!アイドルから大物歌手、芸人までが海賊・忍者・魔女・お姫様などなどの姿に…USJ企画「渡辺直美×ケント・モリ×3000人ゾンビ」が嵐よぶ踊るでスリラー完全生中継!
いきものがかり、E-girls、AKB48、A.B.C-Z、HKT48、EXILE THE SECOND、SKE48、NMB48、Kis-My-Ft2、きゃりーぱみゅぱみゅ、欅坂46、小林幸子、三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE、SEKAI NO OWARI (50音順)GENERATIONS from EXILE TRIBE、Sexy Zone、新妻聖子、NEWS、ピコ太郎、森三中、山崎育三郎、山本彩、RADIO FISH 『ザ・ベストテン ハロウィン音楽祭2016』 MC黒柳徹子・安住紳一郎 ゴールデンボンバー、JUJU、乃木坂46、平井堅、 松坂慶子 USJ企画:ケント・モリ、渡辺直美 及川光博 Dream Ami / ハロウィンマエストロ:葉加瀬太郎 高島彩

クローズアップ現代+「ピラミッド透視 謎の空間を発見!」
“古代史最大のミステリー”といわれる、エジプト・クフ王の大ピラミッド。その内部から“謎の空間”が発見された。これは一体何?最新の調査成果に基づき、大胆に予測!!
森島邦博,河江肖剰, 久保田祐佳

国民アンケートクイズ リアル日本人!
クイズを楽しみながら、今の日本人のリアルな実態にとことん迫るバラエティー!「旅行・レジャー」をテーマにした様々なアンケート結果からは意外な日本人の姿が見えてくる
今回は「旅行・レジャー」にちなんだアンケートを実施。「移動中に…」「宿泊先で…」「絶景スポットで…」「温泉入浴中に…」など様々なシチュエーションで、今の日本人はどんな行動をして何を考えるのか?アンケート結果からは意外な日本人の姿を明らかになる。例えば「女子旅に出かけたとき夫に土産は?」「三世代旅行の費用は誰が出す?」「節約旅行 昼食をコンビニで我慢できる?」など結果が気になるアンケート目白押し!
中山秀征,片山千恵子, 三戸なつめ,優木まおみ,泉谷しげる,厚切りジェイソン,原日出子,ビビる大木, 森永卓郎,牛窪恵,篠原菊紀, 銀河万丈

原田裕史 ‏@harada_hirofumi
奨学金ですら返済義務がある国で、東電に返済義務がないのか!

造花の判決から42年になります.その当時のことをよくわからないですが,判決は事実から目をそむけたものであって,造花の判決と呼ばれるのが当然だったと思います.石川さんは仮出獄で刑務所から出たとはいえ,見えない手錠をはめられていることには変わりありません.東京高裁は事実調べ・証拠開示をもとに,一日も早く再審(裁判のやり直し)を開始すべきです.
圏論という本を持っている人がいました.わたしにはわかりません.
テレビではハロウイーン限定でザ・ベストテンをやっていました.松田聖子は歌がうまいのかもしれないですが,わたしはあまり好きではないです.
ここ数日のしんどい気持ちが少し落ち着いてきた感じはありますが,まだしんどいです.

<大川小訴訟>遺族悲嘆「誰を信用すれば」
 「誰を信用すればいいんだ」。宮城県石巻市大川小津波訴訟で30日、市が提出した控訴関連議案が市議会臨時会で可決された。「市議会の良心」を信じていた原告遺族は失望し、悲嘆に暮れた。
 結果が出た瞬間、傍聴席にいた遺族たちが泣き崩れた。「子どもたちを返して」。午後6時25分ごろ、本会議での起立採決。遺族約20人の目の前で市議が次々と立ち上がり、議案は賛成多数で通った。
 3年生だった長女香奈さん=当時(9)=を亡くした中村まゆみさん(43)は「ショックで言葉になりません」と声を震わせた。一人娘の香奈さんとの料理が楽しみだった。卵焼きの作り方を教えると、「香奈もやってみる」と喜んで作った。生前の娘の姿を思い起こしながら言う。「これでは子どもたちが浮かばれない」
 亀山紘市長は臨時会で、控訴の理由を「現場にいた先生に重い責任を負わせるのは酷だ」と説明した。
 6年生だった三男雄樹君=同(12)=を失った佐藤和隆さん(49)は「市議会は、子どもの命を最優先に守らなくていいという議決をした。悔しくてならない」と怒りをあらわにした。
 東日本大震災から5年7カ月、提訴から2年7カ月。佐藤さんは臨時会の前、「子どもたちもこれ以上の不毛な争いは喜ばない。正常な形で話し合いがしたい」と思っていたが、その望みはかなわなくなった。
 臨時会で境直彦教育長は「判決の内容にかかわらず、防災教育の充実、強化に努めていく」と述べた。
 6年生だった長男堅登君=同(12)=を亡くし、4年生だった長女巴那(はな)さん=同(9)=が行方不明の鈴木義明さん(54)は「行政や教育委員会、議会がこのような対応をしていたら、今後も学校防災は変わらない」と語気を強めた。


<大川小訴訟>6票差控訴可決 難しい判断
 宮城県石巻市議会は30日の臨時会で、市から提出された大川小津波訴訟での控訴関連議案を4時間近い審議の末に6票差で可決し、市の方針に賛同した。最大会派のニュー石巻(12人)と創生会(5人)は同一会派内で賛否が割れるなど、各議員は難しい判断を迫られた。(1.4.27面に関連記事)
 遺族ら約100人の傍聴人が見守る中、臨時会は午後1時開会。議員4人が緊急質問し、亀山紘市長に対し仙台地裁判決を不服とする理由を繰り返し尋ねた。
 地裁判決が「7分間で裏山に避難できた」と認定したことなどについて、亀山市長は「教職員にあまりにも大きな責任を負わせている。学校防災にも重大な影響を与える」と控訴に踏み切る理由を述べた。
 訴訟関連費600万円を盛り込んだ本年度一般会計補正予算案など2議案は午後6時半ごろ、欠席者2人と議長の計3人を除く26人で起立採決が行われ、賛成16、反対10の賛成多数で可決された。
 市議会5会派の対応は自主投票、賛成、反対と三つに分かれた。自主投票の最大会派ニュー石巻で、賛成した阿部欽一郎議員は「指定避難所の学校からさらに避難する場合、行政側の責任が問われることを懸念している」と指摘した。
 賛成の共産党市議団(2人)の水沢冨士江議員は取材に対し「判決を徹夜で読み、市民の意見も聞いた上で賛成は致し方ないと判断した。亡くなった先生方の過失とするのは酷だ」と話した。
 反対した高橋憲悦議員(ニュー石巻)は緊急質問で「判決から2日後の28日に市の控訴方針が明らかになり、憤りと失望を禁じ得ない」と批判。亀山市長は「判決は市の主張と異なっており、27日に代理人弁護士らと話し合って決めた」と答弁した。
 一方、山口荘一郎議員(創生会)は市の考えに理解を示しつつ、「児童の命が亡くなった事実は大きい。市には大きな責任がある」として反対に回った。
 丹野清議長は閉会後「市民に対する立場などを考えると、各議員は相当苦労しただろう」と語った。


<学校と命>津波の川遡上再び警鐘
◎大川小津波訴訟の教訓(4)災害史
<郷土史にも記載>
 「津波が松原を越えてきました。高台へ避難してください」
 宮城県石巻市の広報車が避難を呼び掛けながら大川小前の県道を通り過ぎたのは、遅くとも2011年3月11日午後3時30分ごろだった。児童・教職員計84人が津波に襲われる約7分前だ。
 松原は、大川小から約4キロ離れた長面地区沿岸に広がる松林を指す。
 「『松林を越えた』との情報から、教員は大津波の襲来を予見できた。津波が北上川を遡上(そじょう)したり、陸地を進んだりすることは大川小の教員なら容易に想定できたはずだ」
 大川小津波訴訟の判決で、仙台地裁はこう認定した。教員は勤務先周辺に土地勘があり、津波が川を遡上するという知識を持っていることを前提にしている。
 市が09年に作製・配布した津波ハザードマップは、宮城県沖地震(連動型、マグニチュード8.0)発生時、大川小近くの堤防(標高5〜6メートル)を1〜2メートル上回る津波が押し寄せると明記。津波が川を遡上することは郷土史「石巻の歴史」にも記載されていた。
 原告遺族はこうした情報を基に、訴訟で「津波が北上川を遡上して被害を拡大させることは、石巻市で働く人の間では一般的に知られていた」と訴えた。地裁判決は、遺族の主張を追認した格好だ。
 「津波が川を遡上すること自体、全く想定していなかった。たまたま橋浦小には津波が来なかったが、危機感は本当になかった」
 北上川を挟み、大川小の対岸にある旧橋浦小(現北上小)に勤務していた男性教諭はこう振り返る。
 旧橋浦小では、教員が押し寄せる津波を確認し、児童を校舎2階に避難させた。海岸や北上川の下流方向を見ていたかどうか。この差が明暗を分けた。
<様子を確認せず>
 実は震災2日前の3月9日の津波注意報発令時、大川小の教員は北上川の状況を確認していた。当時、校長や教頭、男性教務主任の3人で「津波が来たら、山に登るしかないかな」と話し合っていた。
 津波に関する知識を持っていたことをうかがわせるやりとりだが、震災当日は、誰も北上川の様子を確認していなかった。
 地震発生から約45分間、教員は児童を校庭に待機させ、津波襲来直前、向かった先は津波が押し寄せてきた北上川方向だった。
 地裁が唯一、生き残った男性教務主任への尋問を見送ったため、遺族が知りたい「なぜ裏山に逃げなかったのか」という核心部分は謎のままだ。
 津波は内陸部の米どころ、登米市にまで達した。河口から49キロも遡上した計算になる。宝永地震(1707年)や安政東海地震(1854年)でも、川をさかのぼった津波によって多くの犠牲者が出ている。
 滋賀大の藤岡達也教授(防災教育)は「川を遡上した津波は度々、大きな被害をもたらしてきた。今度こそ大川小の教訓に学ばなければ、南海トラフでも悲劇を繰り返す」と警鐘を鳴らす。
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小を巡る訴訟で、仙台地裁は26日、子どもの命を預かり、守る覚悟を学校に求める判決を言い渡した。2年7カ月に及ぶ訴訟や関係者の証言から教訓を探る。(報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


<大川小訴訟>石巻市議会が控訴可決
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族への損害賠償を市と宮城県に命じた仙台地裁判決を巡り、市議会は30日の臨時会で、判決を不服として控訴する市提出の関連2議案を賛成多数で可決した。市は期限の11月9日までに控訴する。県も市の対応に同調する方針。遺族側は県の対応を見極めた上で控訴するかどうか判断する。
 亀山紘市長は本会議で、津波の予見と結果回避の可能性の2点について「受け入れ難い」と強調。「小学校は指定避難所で教員は大規模津波を予見できなかった。児童だけでなく地域住民を含む100人以上が7分間で崩壊の危険がある裏山に無事に避難できたとは考えていない」と述べた。
 市議が「どういう話し合いで控訴に至ったのか」などと追及。採決は議長を除く出席議員26人で行われ、過半数の16人が賛成した。
 終了後、亀山市長は「苦渋の選択だった。議会での議論も重かった。控訴審で争点の2点について明らかにしたい」と話した。
 傍聴席には遺族も多く詰め掛けた。6年生だった長男大輔君=当時(12)=を亡くした原告団長の今野浩行さん(54)は「予想だにしなかった結果。言葉も出ない。最大被災地の石巻では子どもの命を見捨てるということか」と憤った。
 村井嘉浩知事は30日、「市議会の決断は非常に重く、意思を尊重したい」との考えを示した。31日に幹部会を開き、意思決定する。
 判決によると、大川小教職員は地震発生後の約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。午後3時37分ごろ、校庭近くの北上川堤防付近(三角地帯、標高約7メートル)に向かう途中で津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明となった。
 判決は、市広報車が避難を呼び掛けた午後3時30分ごろには教員らが大津波の襲来を予見し、認識したと認定。「裏山は避難場所として何ら支障がなく、堤防付近への避難は不適当だった」とし、計約14億2660万円の支払いを命じた。


<大川小訴訟>宮城知事も控訴表明
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に損害賠償を求めた訴訟で、村井嘉浩知事は31日、学校の責任を認めた仙台地裁判決を不服として控訴する方針を表明した。既に控訴方針を決めた市に歩調を合わせた。控訴期限は11月9日。
 村井知事は定例記者会見で、「判決では津波の予見可能性など主張が受け入れられなかった部分がある。その場にいた教員を一方的に断罪するのは納得できない」と述べた。
 県は31日午前に幹部会を開き、控訴方針を決めた。県議会は招集せず、専決処分する。
 石巻市議会は30日の臨時会で、控訴に向けた市提出の関連2議案を賛成多数で可決した。遺族側は県の対応を見極めた上で、控訴するかどうか判断する。
 判決によると、大川小教職員は地震発生後の約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。午後3時37分ごろ、校庭近くの北上川堤防付近に向かう途中で津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。
 判決は、市広報車が避難を呼び掛けた午後3時半ごろまでには教員らが大津波襲来を予見できたと認定。「堤防付近への避難は不適当だった」とし、市と県に計約14億2660万円の支払いを命じた。


<台風10号>手掛かり求めて 岩泉合同捜索
 台風10号豪雨が岩手県内を襲ってから2カ月となる30日、県警と消防、地元消防団はいまだ2人が行方不明となっている岩泉町の安家(あっか)川で合同捜索を行った。「何とか家族の元に帰してあげたい」と総勢約50人が手掛かりを捜した。
 3班に分かれて実施した捜索には、災害救助犬も導入。署員らは同町安家の年々口橋付近を中心に、大量に残された流木をチェーンソーなどで取り除きながら安家川流域の約14キロを見て回った。人が立ち入れない場所は、上空からヘリコプターで確認した。
 町消防団の漆畑竹男第8分団長(64)は「団員には地域の仲間のためにという強い思いがある。何か一つでも手掛かりを見つけてあげたい」と話した。
 岩泉署は週に数回の捜索を続けているほか、今後も月命日を中心に大規模な合同捜索を実施する方針。同署警備課の及川亮課長(38)は「2カ月がたったが、まだ捜せていない所もある。消防団などの応援をもらいながら捜索を続けていきたい」と強調した。
 岩手県内では台風10号豪雨で20人が死亡。3人が行方不明となっている。


<三陸沿岸道>復興への連携 太く密に
 国が復興道路と位置付ける三陸沿岸道の三滝堂(宮城県登米市)−志津川インターチェンジ(IC、宮城県南三陸町)間が利用開始された30日、志津川IC近くで開通記念式典があり、出席者は東日本大震災からの復興加速化や経済再生効果を期待した。
 式典には南三陸町や登米市、国土交通省の関係者ら約300人が出席。安倍晋三首相は「震災から5年7カ月。仙台から南三陸町まで三陸道がつながり、水産業の発展など地域の復興創生が期待できる」と祝辞を述べた。
 佐藤仁南三陸町長は「復興はまだ途上だが、三陸道が後押ししてくれる。交流人口増を目指す町の発展につながる」、布施孝尚登米市長は「市と南三陸町の心理的距離が縮まった。より連携を深められる」とあいさつした。
 会場では登米市の佐沼高吹奏楽部が演奏、南三陸町の入谷打囃子(うちばやし)は笛や太鼓の音を響かせた。関係者の祝賀パレードに続き、午後3時半に一般車両の通行が始まった。
 三滝堂−志津川IC間は2011年度着工。15年度開通予定だったが、同年9月の宮城豪雨に伴うのり面補修工事で延期された。志津川−南三陸海岸IC(仮称)間の3キロは16年度中に開通、20年度までに気仙沼港IC(同)まで延伸される計画。


<三陸沿岸道>「命の道」で産業再生
 宮城県南三陸町は30日、三陸沿岸道志津川インターチェンジ(IC)の運用開始で、大消費地の仙台市と高規格道路でつながった。地元は歓喜に沸く一方、東日本大震災からの再興に結び付けるため、交通ネットワークを最大限に生かす知恵を絞らなければならないとの声も上がる。
 「皆さんの思いがやっと実現した」。佐藤仁町長は、30日の開通式典でこうあいさつした。町は1980年代後半から、三陸沿岸道延伸の要望を繰り返した。当時は過剰な公共投資だと指摘する声があり、計画は具体化されなかった。
 震災で風向きが変わる。津波で国道が寸断され、被災地が孤立した。国は三陸沿岸道を災害時の代替輸送を可能にする「命の道」と位置づけ、整備を加速させた。
 悲願の延伸が着々と進む半面、2015年の国勢調査で町の人口は5年間で29%減少した。観光客は震災後、12年の90万人をピークに伸びていない。町は交流人口の拡大を目指し、高規格道路に期待を寄せる。
 観光と並ぶ基幹産業の水産業にも追い風となるのは確実。輸送が効率化し、大消費地の仙台や首都圏へ海産物を出荷しやすくなる。深刻な人手不足に陥る水産加工業は通勤圏が広がることで、町外から労働者を呼び込める環境が整う。
 ただ、ICを起爆剤にした産業振興策は進んでいない。周辺の被災跡地の土地利用策も白紙のまま。「町以北の三陸沿岸の水産物を集荷する物流拠点が必要」(町内の運送会社関係者)との声もある。
 高速交通網の整備は、商圏の変化に伴う消費者の流出にもつながりかねない。「南三陸さんさん商店街」の移転先で、来年3月にオープンする商業施設の運営会社「南三陸まちづくり未来」の三浦洋昭社長は「開通してからが正念場。観光客だけでなく地域に愛される商店街にしなければならない」と策を練る。


熊本地震 益城町、最後の避難所閉鎖
 4月の熊本地震で震度7の激震に2度見舞われた熊本県益城(ましき)町に1カ所だけ残っていた町総合体育館の避難所が31日午前10時、閉鎖された。同日夕には大津(おおづ)、御船(みふね)両町の避難所も閉鎖予定。10月中にも県内全避難所が閉鎖されるとみられていたが、西原村などで残っている。
 益城町総合体育館には5月11日に被災者約1350人が避難していたが、10月31日で9世帯18人になった。避難者は荷物を手に「長い間お世話になりました。また会いましょう」などと避難所の職員らと言葉を交わして移転先に向かった。
 自宅が修理中などの3世帯7人は町が宿泊場所として提供する待機所に移った。
 県内の避難所は本震翌日の4月17日に最多の855カ所が設置され、18万3882人が身を寄せた。その後、修理を終えた自宅に戻ったり、応急仮設住宅やみなし仮設への入居が進んだりして避難者は減少していた。【福岡賢正、柿崎誠】


<鳥取地震>被災者応援へ白鵬関らパレード
 最大震度6弱を観測した鳥取県中部の地震で、生活などへの影響が続く県民を励ますため、横綱白鵬関(31)や新番付発表で新入幕が決まった鳥取市出身の石浦関(26)らが31日、オープンカーで同市内をパレードした。「復興頑張ります」の横断幕を持った市民らが駆け付け、笑顔で声援を送った。
 パレードに先立ち、鳥取県庁前で行われた出発式では、白鵬関らが応援メッセージの書かれた色紙を平井伸治知事に贈呈し「パレードで皆さんに勇気と笑顔を与えたい」と話した。
 パレードは県出身の力士として53年ぶりの入幕となった石浦関を応援するために母校の鳥取城北高などが企画。


人と防災未来センター、毎月17日無料へ 兵庫県
 兵庫県は31日、阪神・淡路大震災の教訓を発信する「人と防災未来センター」(神戸市中央区脇浜海岸通1)の入館料を、来年から毎月17日は無料にすると発表した。震災から21年がたち、記憶の風化が懸念される中、より多くの人に備えの大切さなどを伝える。
 同センターは、2002年4月に開設。阪神・淡路大震災を映像と音響で体感できるシアターや、震災直後のまち並みを再現したジオラマ模型などがあり、防災・減災について学ぶことができる。国内外から年間約50万人が訪れ、03年からは毎年、震災の発生日である1月17日の入館料を無料にしていた。
 県などでつくる「ひょうご安全の日推進県民会議」は、毎月17日を「減災活動の日」と設定。ボランティアの語り部による体験紹介は、団体を対象としていたが、来年2月以降の毎月17日は個人でも聴くことができる。
 通常の入館料は大人600円、大学生450円、高校生300円。中学生以下は無料。井戸敏三知事は「阪神・淡路大震災の記憶が薄れつつあり、忘れないことを実践することが大切」と話した。(斉藤正志)


原発避難者住宅 支援打ち切る時でない
 原発事故の自主避難者向けに福島県が行っている住宅の無償提供が五カ月後に打ち切られる。住まいという生活基盤を一方的に奪うのか。国は原発事故を招いた責任を自覚し率先して支援すべきだ。
 原発被害者と支援者でつくる「原発事故被害者の救済を求める全国運動」は、来春廃止が迫る避難先での住宅無償提供の継続を求め十九万人の署名を国会に出した。
 住宅の無償提供は、福島県が県内外に避難した住民を対象に、国の避難指示の有無にかかわらず、仮設住宅や民間住宅を借りて行う。災害救助法を適用し一年ずつ延長してきた。終了を決めたのは放射性物質の除染が進み、住民帰還を促すためだという。
 だが、支援の廃止を一方的に通告された避難者は納得できない。除染が進んだといっても放射線量は下がりきっていない。故郷の家もそのままでは住めない。自主避難者は政府が決めた「避難指示区域」の外から避難しており、避難指示を受けた住民が受けている月十万円の精神的賠償もない。故郷に戻るにしても、避難先の町に住み続けるにしても、新しい住まいを確保するのは至難である。
 だから、原発事故の被害者がこれ以上追い詰められないよう、自主避難者にとって唯一の公的支援ともいえる住宅支援の継続を望むのは当然ではないか。
 今年六月に福島県が自主避難世帯に行った調査では、来春以降の住居が決まっていない世帯が多い。原発事故以来、避難者を受け入れてきた自治体には、この先も住宅支援が必要と理解し、公営住宅入居の優先枠や家賃補助など、独自支援を決めた例もある。だが、こうした策にも財政負担が伴う。公営住宅入居には収入や世帯に要件があり、すべての希望者が入れるわけでない。避難先の自治体の努力には限りがある。
 本来、長期に及ぶ原発避難者の住宅支援は、都道府県が可否を判断する災害救助法に基づいて行うのではなく、原発事故に責任のある国が率先して取り組まなければならない課題である。
 その対応を政府は怠ってきた。原発事故翌年に議員立法で成立した「子ども・被災者支援法」は「避難の権利」を認めているのに骨抜きにされた。四年後の東京五輪開催を控え、政府は避難指示区域を解除し賠償も終わらせようとしている。福島県の内外で自主避難者があふれ、困窮者が増えるのは明らかだ。政府はこの状況を放置してはならない。


原発賠償「とにかく謝れ」 激務で睡眠不足うつ病に 東電社員が体験証言
 東京電力の社員で福島第一原発事故の損害賠償業務を担当した東京都の一井唯史(いちいただふみ)さん(35)が本紙の取材に応じ、職場での過酷な体験を語った。一井さんは三年前にうつ病と診断され休職中。東電から休職期間終了のため十一月五日付で解雇すると通知されており、三十一日に中央労働基準監督署(東京)に労災申請をする。 (片山夏子)
 一井さんによると、二〇一一年九月から、避難区域内外で営業していて廃業や移転を余儀なくされた会社や個人事業主らを対象に、事故で発生した逸失利益を計算して賠償金を支払う業務を担当した。東京都多摩市内の職場で、審査内容や賠償金額に納得してもらえない場合に電話で対応するのが仕事だった。
 多いときには一人で百八十社を担当。相手から三時間、しかられ続けたこともある。それでも、上司からは「審査内容や賠償金額は変えられない。とにかく謝れ」と言われたという。
 「国は賠償の支払いを早めるよう求めていたが、東電の賠償金額を審査する部門が急ぐと、審査が雑になり、支払われるべきものが支払われないなどの間違いが起き、自分たちが受ける苦情の電話が増えた」
 一三年二月からは江東区内の職場に移り、特殊な案件について、賠償基準の適用の仕方を社員にアドバイスする担当になった。十一グループ四百五十人から相談を受ける係だった。
 どこまでが賠償の対象になるかなどの判断が難しいケースが多く、深夜帰宅が続いた。家に帰っても神経が張り詰めていて眠れず、睡眠時間は毎日三、四時間になった。
 朝、寝床から起き上がれなくなり、視野が狭まり、吐き気を覚えた。「忙しすぎて倒れそう」「帰って寝て通勤で勉強してまた帰る感じ。フラフラです」。家族や友人に出したメールが携帯電話に残っている。
 同年七月、立川支社に異動したが、めまいや激しい嘔吐(おうと)で早退や休みを繰り返した。上司に勧められて九月、心療内科を受診すると、うつ病と診断され休職した。直前の二〜六月の給与明細に記録された残業時間は月五十八〜八十九時間だが、休日に仕事を持ち帰った時間などは含まれておらず、一井さんの計算では九十一〜百六十九時間に上った。
 今も週に数回、起き上がれない日がある。東電の上司や労務担当者に労災だと訴えたが、「『多くの社員が事故対応をしてきて特別なことではない』と労災申請をしてくれなかった」という。
 一井さんは「原発事故を起こした会社の社員として申し訳なく、被災した人たちに少しでも多く賠償したいと思った。でも自分がどこまで力になれるかというと…。苦情の窓口では、ひたすら謝って聞くしかできないのがつらかった」と語った。
<福島第一原発事故の損害賠償> 被害に遭った人や企業、個人事業主などへの賠償金は、国の認可法人「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」から資金の交付を受けて東京電力が支払っている。東電によると10月21日現在、延べ約250万件、計約6兆3000億円。東電を含む大手電力会社が負担金を機構に納付している。


「泊」の津波対策 震災の教訓生かしたか
 北海道電力は泊原発(後志管内泊村)について、津波で敷地前面の港の防波堤が流される可能性や、防潮堤が地震による地盤の液状化で沈下する恐れがあることを明らかにした。
 原子力規制委員会の会合で示した。今後、詳細な調査の上で補強工事を行う方針という。
 いずれも北電自身の調査で判明した。泊原発を再稼働させたいと言う以上、安全対策を尽くすのは当然だ。
 ただ、東日本大震災、東京電力福島第1原発の事故からもう5年半以上が過ぎている。北電が震災や事故の教訓をどこまで踏まえていたのか、疑問が残る。
 とりわけ、防波堤の構造物が流されて原発の海水取水口がふさがれた場合、原子炉を冷却する重要な機能への影響が懸念される。
 安全の根幹に関わる問題だ。対策を十分に施すとともに、住民への丁寧な説明が欠かせない。
 防波堤は2本で、泊原発専用の港を囲んでいる。想定する高さ12・63メートルの最大津波が起きた場合、横方向に40メートル流される可能性があるという。
 付近には泊3号機の取水口がある。非常時に原子炉内の核分裂反応を停止させる上で欠かせない冷却機能が損なわれかねない。
 福島第1原発では、電源喪失で炉心を冷やせなくなり、核燃料が溶融したとされる。
 北電は、海から取水できなくても、他の複数の対応で炉の冷却は可能とする。それでも、海から確実に取水できる環境は整えておくべきである。
 震災の津波で東北の港湾施設が破壊されたことは周知の事実だ。問題把握が今になったことについて、北電は規制委の審査が地震や津波の想定で長引いたとするが、もっと早く対応できなかったか。
 また防潮堤は、海抜16・5メートルの高さで築かれている。地震の揺れによる液状化で防潮堤が沈み込めば、津波によって原発が浸水する事態も否定できない。
 北電はこれまで、後志管内の市町村や札幌市で泊原発の安全対策について説明し、再稼働への理解を求めてきた。
 しかし、今回判明した防波堤と防潮堤の問題には触れていない。再度の説明が求められよう。
 規制委は、泊原発のある積丹半島西岸の隆起が地震によるものかどうかの確認作業も進めている。
 北電が再稼働を急ぐ泊原発にある、こうした立地環境そのものに関わる課題も見逃せない。


元都議の後藤雄一氏 「豊洲問題は都の隠蔽体質の集大成」
 混迷極める豊洲問題で、歴代の都知事と市場長に住民監査請求したのが元都議の後藤雄一氏だ。東京・世田谷区で40年近く続くパン屋を営みながら、オンブズマンとして活動。「行革110番」の会派名で都議を2期(2001〜09年)務め、都庁の役人から恐れられていた。都が抱える“病巣”を最もよく知る人物のひとり。洗いざらい語ってもらった。
■都庁で続く「どうせバレやしない」
――豊洲の“消えた盛り土”問題について、どうみていますか。
 今回の一件は、起こって当たり前で、驚きません。これまでの都の公共工事などの進め方と照らし合わせても、そんなに不自然なことではありませんね。
――昔からこんなにズサンだったのですか。
 例えば、私は04年、都が進めていた伊豆七島の式根島での浚渫工事問題を追及しました。都は、式根島の漁港付近で掘り返した「砂まじりの岩」を、島から東方10キロ沖に投棄する契約を地元建設会社と結んだにもかかわらず、実際は漁港からわずか200メートルほどの地点で投棄していた。沖に出ないで、近くで投棄してカネを浮かせていたのです。島の住民からの告発を受け、都に情報開示請求したり、現地の海を潜るなど徹底的に調査すると、都の職員は事実を認めました。住民監査請求の結果、港湾局から地元建設会社に約940万円を返還させました。
――都はなぜこんな“ごまかし”をするのでしょう。
 似たような話は他にもあります。07年に伊豆大島に「し尿処理施設」がない問題も追及しました。ジェット機が離着陸するほど多くの人が行き来する島なのに、いくら探しても処理施設が見当たらない。どうも、島の北部の池に、し尿を捨てていたようで、現地を視察すると、臭いが外に漏れないよう、池の表面にコールタールが張ってあった。島は火山島で、し尿は土壌から海水に染み込む。周辺には海水浴場もあるのに、都は隠蔽していたのです。やっている工事、やっていない工事、役人は全部知っているのに「オレたちは関係ない。どうせバレやしない」と考えている。長年、「黙っていればわからない」と続けてきて、感覚がマヒしている。豊洲の問題も“根っこ”は同じで、都の隠蔽体質の集大成と言っていい。
――都は専門家会議や技術会議など、有識者から「盛り土せよ」との提言を受けていたはずです。
 有識者は都から報酬をもらっていて、形だけの会議が少なくありません。私が都議だったころ、ある会議の後に有識者のひとりと偶然会ったので、詳しく話を聞こうとしたら、「もういいんだよ」と素っ気ない対応でした。「会議に出席して日当をもらって帰ればいい」という感覚なのでしょう。
――とはいえ、豊洲の問題では専門家会議も技術会議も、盛り土の必要性を訴えていました。
 確かに、豊洲は問題があまりにも大きすぎたので、有識者も真面目に議論していたと思います。食品を取り扱う市場であるうえ、有害物質のベンゼンが環境基準の最大4万3000倍も検出されましたから。しかし、役所側が「ええわ、ええわ」で議論を骨抜きにしてしまったということでしょう。
■歴代3知事に住民監査請求
――今月3日に行った住民監査請求では、役人である市場長だけでなく、石原、猪瀬、舛添の歴代3都知事も対象にしています。やはりトップの責任は重い。
 そもそも、住民監査請求で問えるのは「財務会計上の行為」に限られます。つまり、“カネ”に関することのみです。豊洲の問題で問えるのは、「契約者」「支出負担行為者」「支出命令者」の3者です。今回、「命令者」に該当する人物はいない。「負担行為者」は市場長だと考えられます。そして、豊洲の土地に市場を建設するハンコを押した「契約者」は、当時の石原都知事です。土壌汚染対策法上、対策工事後2年間、土壌のモニタリングをしなければなりません。同時進行で建設することに問題はないものの、最終的に農水大臣の「安全」という“お墨付き”を得る必要があります。問題はそのモニタリング期間中に、環境基準を超えるベンゼンが検出されてしまったことです。
今の都議会には“うるさい人”がいない
――そうなると、なぜ石原元知事の責任になるのか。
 建物下の空間の床部分には薄いコンクリを張っていると言いますが、安全を確保するため将来的に補修しなければなりません。契約者である石原さんは、補修についての責任を負う。そして、より明確な責任があるのは舛添前知事です。
――舛添前知事の責任とは何でしょうか。
 舛添さんは、2年間のモニタリングを待たずに、11月7日の開場を決めた。基準値を超えるベンゼンが検出された以上、開場時期は遅れ、事業者にかかる負担はその分だけ重くなります。開場時期をロクな科学的根拠に基づかず決めた舛添さんは、事業者が負うコストを補償する責任があります。3億円ほどの価値がある別荘を持っているんですから、売ってもらわないといけませんね。
――役人、都知事の無責任体質は目に余りますが、チェックすべき都議会議員はどうなんでしょう。
 ハッキリ言って、都議は“やりたい放題”です。監査請求で一部の資金を返納させましたが、公用車を公務ではない選挙運動などに“使い放題”の人もいた。議会などに出席した際に自治体から支払われる「費用弁償」もそうですが、結局、みな“小遣い”が欲しいんです。「もらえるものはもらっておけ」という感覚なんです。
――だから、肝心のチェック機能が働かなかった。
 都議がちゃんとチェックしていれば、豊洲の問題がここまで深刻になることはなかった。少なくとも、HPの表記(盛り土あり)と現実が違っていたわけですから、気付いた時点で指摘すればよかった。一部の都議は現実を把握していたと思いますが、声は上がらなかった。私が落選したのは09年でしたが、その1年前に土壌汚染対策工事が始まった。私が都議を続けていられれば、告発が寄せられていたかもしれません。
――都の情報公開のあり方については?
 こちらが情報公開請求すると、都側は積極的に情報を出してきますよ。しかし、不都合な部分はみな(黒塗りで)隠す。今、報道でよく指摘されているような“のり弁”資料はいくらでもありました。かつて、情報公開の担当者に「隠すなら裁判にかけるよ」と伝え、実際に法廷の場で「あなたはこう言いましたね」と担当者に質問すると、「一切言っていません」の一点張り。でも、この担当者はすごくいい方で、以前からやりとりをしていたんです。本当は法律にのっとり、情報を出したかったんでしょうけれど「上から(隠すよう)指示がきた」と嘆いていた。都には、それだけ「隠したいことが多い」ということでしょう。
――都の隠蔽体質は根が深いですね。
 “うるさい人”がチェックしていれば変わるかもしれませんが、今の都議会には“うるさい人”はいませんね。いたらもっと早く豊洲の問題は露見していたはずです。私のような“うるさい人”がいなくなって、役人も安心しているかもしれません。
――どうすれば隠蔽体質は変わるのでしょうか。
 一般の方でも、都の役人を追及することはできます。コツを教えましょう。役人が何か言ってきたら、「紙ある?」と聞くんです。「紙」とはすなわち、「根拠」を指しています。役人の“答弁”は地方公務員法や条例に基づいていなければなりません。役人の発言に対し「根拠となる条例や規則があるはずだよね。教えて」と聞くと、大抵「調べます」と逃げる。そこからさらに問いただすと、役人は答えに窮することが多い。法律に基づいて戦えばいいのです。本来、これは議会の役目なんですけどね。(聞き手=本紙・小幡元太)
▽ごとう・ゆういち 1949年、東京都世田谷区生まれ。72年、成蹊大経済学部卒。サラリーマン生活を経て、78年ベーカリーウッドペッカー開店。85年「世田谷行革110番」を結成、税金の無駄遣いの徹底追及を始める。01年の都議選(世田谷選挙区)で無所属で初当選。政治団体「行革110番」として都議会に議席を得る。05年再選。09年落選。


努力してもムダな仕事が「若者の貧困」を生む 大人は、高度経済成長期の感覚で物を言うな
藤田 孝典 :NPO法人ほっとプラス代表理事
生活困窮者支援を行うソーシャルワーカーである筆者は、若者たちの支援活動を行っていると、決まって言われることがある。「どうしてまだ若いのに働けないのか?」「なぜそのような状態になってしまうのか?」「怠けているだけではないのか?」「支援を行うことで、本人の甘えを助長してしまうのではないか?」などである。
要するに、"若者への支援は本当に必要なのか?"という疑念である。これは若者たちの置かれている現状の厳しさが、いまだに多くの人々の間で共有されていないことを端的に表している。今回の連載を通して、「若者なんだから、努力すれば報われる」という主張など、ナンセンスであることを明らかにしていきたい。
「努力至上主義」も神話にすぎない
必死に努力しても、報われない社会が到来している。非正規雇用でどれだけ努力をしても、正社員になれない若者がいかに多いことだろうか。非正規社員の力や経験に大きく依存しながら、企業の経営や社会の存続が保たれているのにもかかわらず、「機械の歯車」のような位置づけである。若いうちは努力をするべきで、それは一時的な苦労だという考え方(努力至上主義説)も神話にすぎない。
取って代わるような人々はいくらでもいると言わんばかりに、企業は労働者を大切に扱わない。ましてや正社員化を進めようとしない。雇用は増え続けているが、もっぱら非正規雇用の拡大であり、その不安定な働き方に抑制が利かない。いかに人件費を削ればよいかということが企業目標にもなっており、若者たちの労働環境はこれまでにないほど劣化している。
このような労働環境の劣化を放置しながら、若者にただただ努力を求めるのは酷ではないだろうか。たとえば、ビジネスマンが目指す理想の企業経営者で有名な、京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者の稲盛和夫氏は、「一日一日を懸命に生きれば、未来が開かれてくるのです。正確に将来を見通すということは、今日を努力して生きることの延長線上にしかないのです」(『成功への情熱─PASSION』PHP研究所)と述べている。
しかし、この時代にその考えは当てはまるだろうか。わたしは今日、このような努力至上主義を信奉することこそ、若者たちを追いつめていくと批判せざるを得ない。彼のように、企業経営者の中には少なからず、自身の成功体験もあるせいか、努力至上主義を主張する者がいる。
もちろん、努力が必要ではないと言っているわけでは決してない。わたしは努力をして「報われる労働」と「報われない労働」の2種類にハッキリ分かれることを確信しているのだ。この2種類があることを説明することなく、すべてにおいて「努力すれば報われる」と述べるのは、時代錯誤的、あるいは無責任であると考えている。
熟練を必要としない単純作業の先にあるものは
こんなアルバイト作業を想像してみてほしい。
工場で1日8時間、ベルトコンベヤーで次から次へと運ばれてくる「あんぱん」に異常がないかを見定め、淡々と白ゴマを振りかけ、ひとつ流してはまた白ゴマを振りかけて流す─―誰にでもできる機械的作業であるため、低賃金で非正規雇用のアルバイト要員が交替で従事する。熟練を要しない単純労働で、その仕事内容が本人の成長や技術獲得、将来の生活の安定にどのように寄与するだろうか。どれだけ努力をし続けても時給は最低賃金で、その作業が毎日繰り返される。
そこにどのような展望を見出せばよいのか。ワーキングプア状態からどのように抜け出せばいいのか。「一日一日を懸命に生きれば、未来が開かれてくる」と本気でその労働者に向かって言い切れるだろうか。はなはだ疑問である。
とりわけ、熟練を要しない単純労働に従事している非正規雇用の労働者は、容易に仕事を辞めていく。将来のビジョンが見えないし、生活が安定しない、なおかつ自分以外の誰もができる仕事であるため、職業への愛着・帰属意識が育まれない。つまり、働いても報われる仕事だと思えないし、自分の能力を高めていくこともできない。このような仕事が非正規雇用を中心にして増え続けている。
同じく前掲書で稲盛和夫氏は、「本当の成功を収め、偉大な成果を生むには、まず自分の仕事にほれ込むことです」と述べている。古き良き時代を生きてきたとしか言いようがない。ほれ込める仕事とは、おカネを稼ぐだけではなくて、やりがいの感じられる仕事であり、創造的な、自分の個性を多少なりとも発揮できる仕事ではないだろうか。それによって、自尊感情や社会から認められたという意識も育まれ、徐々に自信や社会人としての自負を深めていくのだろう。
端的に言って、自分の仕事にほれ込むことができない労働条件や労働環境が増えている。これらの労働環境を考えることなくして、努力が一様にすべて報われるのだという「おとぎ話」が通用する時代ではもはやないことは繰り返し強調したい。若者たちは実態を見て、冷静に先人たちの言葉を解釈してほしい。すなわち、時代が違うので、昔話に決して惑わされないでほしいということだ。
高度経済成長期を支えた企業経営者の言葉から得られる教訓は、残念ながら時代遅れとなってしまった。あまりにも雇用環境が悪化し、理想や夢、将来を見通せて、報われる仕事に就ける人々は少数である。だからこそ、努力が報われようと報われまいと、最低限、普通に暮らせる労働環境を整える必要がある。
本当に努力するに値する仕事なのか
つまり、仕事にほれ込まなくても、過度な努力をしなくても、労働者が普通の暮らしを送れるようにするべきである。それこそが現代の経営者にとって必要なはずだが、ブラック企業と指摘される会社を中心に、労働者へ過度な努力を要請する。その労働者の大半は数年で離職していき、ほとんどかなわないにもかかわらず、就職時にはしばしば何かしらの「夢」を抱かせる。だからこそ、離職したり、転職した際の挫折感も大きい。
強調しなければならないのは、いま就いている労働は、本当に努力するに値するものか否かを、貧困世代が冷静に見極めることである。
別の視点から考えてみよう。
懸命に努力を重ねて、大学を卒業して就職する際に、以前よりも相当に厳しい企業の審査の目に学生がさらされる。就職活動をしても、自分の希望する企業や就労形態で働くことができない。これは当たり前のことである。もともとあるべき多くの人々が希望する安定的な働き方という「座れるいす」の数が減っているのだから。
その少ないいすをめぐって、多くの若者たちは「がんばれ、がんばれ」と就職活動で追い立てられる。そのいすに座れなかった者たちは、努力が足りなかったせいだと思い込み、精神的に追い込まれてしまう。
1960年代ごろからの高度経済成長期を考えていただきたい。企業は必死の努力を今ほど若者たちに求めただろうか。誰でもいいから企業に入ってもらい、その後に定着できるように研修体制を整えていったではないか。若者たちを大切にして、福利厚生も整え、家族形成を助けたはずである。いずれも今はない過去の話になってしまった。労働者一人ひとりの価値が大きく低下している社会をわたしたちは生きている。


東電社長 国民負担なく原発の廃炉費用捻出したい
東京電力の廣瀬直己社長は、31日記者会見し、巨額に膨らむと見込まれる福島第一原子力発電所の廃炉費用について、国民に負担をかけることなく、経営改革を進めて自社で捻出していきたいという考えを示しました。
この中で、廣瀬社長は、今後、1年間に数千億円規模が必要になると見込まれている福島第一原発の廃炉費用について、「現時点では総額はわからない」と述べました。そのうえで、「収益向上とコスト削減でしっかりと利益を出し、国民に負担をかけることなく廃炉費用を捻出していく覚悟だ」と述べ、ほかの業種との提携など経営改革を進めることで費用を捻出していきたいという考えを示しました。
また、東京電力の廃炉費用などを検証している経済産業省の有識者会議が、新潟県の柏崎刈羽原発など原子力事業を分社化して、ほかの大手電力会社との連携を進めるべきという案を示したことについては、「有識者会議での議論を待ちたい」と述べるにとどめました。
一方、東京電力の中間決算は、去年の同じ時期と比べて原油価格が下落したのに伴って電気料金が下がった影響で、グループ全体の経常利益は、去年の同じ時期より24.9%少ない2742億円余りでした。


福島原発 広瀬・東電社長「廃炉費用、国民に負担かけず」
 東京電力ホールディングス(HD)の広瀬直己社長は31日、東京都内で開いた記者会見で、福島第1原発の廃炉費用が大幅に上振れする見通しになっていることについて、「収益向上とコスト削減に取り組むことで、国民に負担をかけずに廃炉費用を捻出したい」と述べ、自力で負担する方針を改めて強調した。
 福島原発の廃炉費用は、東電が2兆円を工面しているが、数兆円規模で上振れする見通し。東電が来年1月をめどに新たな再建計画をまとめるのを前に、経済産業省が設置した有識者会議「東京電力改革・1F問題委員会(東電委員会)」が、廃炉費用の負担のあり方や、原子力事業の分社化などを通じた東電の収益向上策について議論している。広瀬氏は分社化について「委員会の議論を待ちたい」と述べるにとどめた。
 新潟県知事に柏崎刈羽原発(同県)の再稼働に慎重な米山隆一氏が就任したことについては「できるだけ早く会って知事の意見を聞きたい」と述べ、面会を申し入れたことを明らかにした。【工藤昭久】


みえにくい国民負担の制度化を懸念 「原発廃炉」「原発事故損害賠償」でパルシステムが意見書
 パルシステム生協連は、政府が検討している原発廃炉費用問題と原発事故損害賠償費用をめぐる電気料金へ転嫁する制度について、国民に見えにくい形で負担させる制度化を懸念し、10月28日に政府に意見書を出した。
 国は、原子力発電に関連して2つの国民負担を検討している。1つは原発の廃炉費用を託送料金に上乗せし、原発を持たない新電力からも徴収し、すべての消費者から電気料金として負担させようとするもの。もう1つは原発事故の損害賠償に上限を設け、不足分を税又は電気料金として国民に
負担させようとする案だ。
 パルシステムでは、こうした原子力発電の後始末のための費用が、国民に見えにくい形で制度化され、回収されていくのは、消費者の負担に関わる重大な問題であるととらえ、それぞれについて意見を政府へ提出した。
 意見の概要は次の通り。
1:原子力発電の廃炉費用に関する意見
 経済産業省総合資源エネルギー調査会の「電力システム改革貫徹のための政策小委員会財務会計ワーキンググループ」は、廃炉費用を着実に回収していくための制度変更を検討しており、そのなかで、原子力発電所の廃炉費用について「電力自由化に伴い、旧一般電気事業者の販売電力量が想定を下回ることや原価での販売が維持できなくなることにより、規制料金の下で保証されてきた原価回収が見込めなくなる」として、総括原価方式の残る託送料金に廃炉費用を計上し、原発を持たない新電力も含めて、確実に回収できるよう制度変更することが検討されている。小委員会では年内にも一定のとりまとめを行うこととして進められている。
2:原子力損害の賠償に関する意見
 内閣府原子力委員会の原子力損害賠償制度専門部会では、原子力損害賠償法を見直し、原発事故を起こした電力会社などの賠償責任に上限を設け、超えた分は税金や電気料金などの国民負担で補う「有限責任」案が検討されている。これらの費用の転嫁先として想定されているのが、電力自由化後も公共料金として残る託送料金だ。託送料金への上乗せは新電力の損益に直結する。政府は、新電力が原子力発電の電気を安く仕入れることができる市場整備も別途検討しているが、再生可能エネルギーを中心に調達する新電力には恩恵はない。
◎意見書全文
【原子力発電の廃炉費用に関する意見】世耕弘成経済産業大臣あて
 経済産業省は、電力自由化の下での公益的課題への対応を検討するためとして、総合資源エネルギー調査会の下に「電力システム改革貫徹のための政策小委員会(以下、小委員会)」を設置されました。
 同委員会の下には「財務会計ワーキンググループ(以下、WG)」が置かれ、主として廃炉費用を着実に回収するための制度変更について検討されています。
 小委員会及びWGでは、昨年の電気料金審査専門小委員会廃炉に係る会計制度検証ワーキンググループの報告書を引き継ぐ形で、将来は「送配電部門の料金(託送料金)の仕組みを利用し、費用回収が可能な制度とする」方向で検討が進められるものと思われますが、私たちは以下の理由から方向性の見直しを要望します。
1.既に廃炉費用は積み立ててきており、今後も廃炉費用は発電事業者の責任で引き当て、必要に応
じてその発電事業者の売電価格に反映させるべきものです。
 これまでも廃炉に要する費用は原子力発電施設解体引当金により引き当てられ、また、福島第一原発事故後も廃炉会計の見直しが措置されてきました。これまでの原子力発電を供給してきた発電事業者の電力を利用してきた消費者は、廃炉費用を負担してきた訳であり、他の電力を利用する選択肢はありませんでした。電力の自由化によって、消費者は選択が可能となりました。今後は原子力発電を行う事業者が責任を持って廃炉費用を引き当て、売電価格に反映させるべきです。こうした廃炉費用の負担の違いも含め消費者が電力を選択できるようにすべきです。廃炉費用を託送料金に上乗せすることは、電力を利用するすべての国民に負担を求めることであり、原発以外の電力を利用したいと要望する消費者の理解を得られるとは思えません。
2.託送料金は送配電のネットワークに要する費用として明確に限定すべきです。
 公共料金である託送料金の透明性・納得性を確保していくために、託送料金はその名の通り、送配電のネットワークに要する費用に厳しく限定すべきです。廃炉費用は発電に関わる費用であり、託送料金に含めることは適切ではありません。
【原子力損害の賠償に関する意見】岡芳明内閣府原子力委員会委員長あて
 原子力委員会の原子力損害賠償制度専門部会において、原子力損害賠償法を見直し、原発事故を起こした電力会社などの賠償責任に上限を設け、超えた分は税金や電気料金などの国民負担で補う「有限責任」案が検討されています。私たちは以下の理由から方向性の見直しを要望します。
1.原子力発電事故への賠償は、事故を引き起こした事業者に無限責任を負わせるべきです。
 原子力発電所でひとたび事故が発生した場合の被害の甚大さは、私たちが福島第一原発事故で目の当たりにしたところであり、決して取り返しがつかず、賠償金などでは償うことができないものです。あれから5年半を経過してもなお世論の多数が原子力発電に頼らないエネルギー政策への転換を求め続ける所以でもあります。
 原子力発電事業者が無限責任を負えないほどの安全に関わるリスクが高いのであれば、そもそも原子力発電を行うべきではありません。国民世論も、政府のエネルギー基本計画においても、原子力発電については「可能な限り低減させる」方向性の中で、あえて原子力発電事業を行おうとする事業者には、本来、安全に対する全面的な責任が求められるはずです。事故が起きた場合の責任の一を他に転嫁できることで、発電事業者のモラルが低下しかねない点も危惧されます。
2.原子力発電事業者の責任で賠償リスクを含めて見積もり、価格に反映させるべきです。
 賠償責任に上限を設け、超えた分は税金や電気料金などの国民負担で補うとする案が検討されていますが、それでは原子力発電の持つリスクが価格に反映されたことにはなりません。原子力発電のリスクに備えるこうした費用が、原子力発電を利用する需要家の負担とは異なる形で制度化され、国民に見えにくい形で回収されていくことには問題があると考えます。原子力発電は「もっとも安価な電源」であるとしてきた経過からも、万が一事故が発生した場合の費用も含めてコストを見直し、原子力発電を行う事業者がきちんと引き当て、売電価格に反映させるべきです。


乃木坂46橋本奈々未「弟の学費負担」を美談ですませるな!「ロケ弁ほしさに芸能人になった」彼女が語る貧困の現実
 先日、乃木坂46からの卒業と芸能界引退を発表した橋本奈々未。橋本は乃木坂の第一期生で“選抜メンバーの中の超選抜”である“福神”に全シングルで選ばれてきた人気メンバーなのだが、そんなトップアイドルである彼女が語った“卒業理由”がいま、話題を集めている。
 というのも、橋本がテレビ番組で語った卒業理由が、“弟の学費の目処が立った”というものだったからだ。
 しかも、橋本は31日放送の『乃木坂工事中』(テレビ東京)で、自身が芸能界入りを決めたのも“家族の経済状況”が理由だったとし、こう話した。
「もともと(芸能界に)入ったのは、本当にお金だったんですよ」
「めっちゃ貧乏だったんですよ。水道止まる、ガス止まる、みたいな。実家が。それでもなんとか(私は)1人目だからいろいろしてくれた。私にしてくれたから、弟にまで(お金が)回る余裕があるのかって思ったときに、私のせいで、弟は男の子だし……」
「それでなんとかしなきゃってところで、この年齢でいろいろ模索しているなかで、ここにきたという感じがある」
 自分が大学に進んだことで弟が進学できない状況になる……それをどうにかするために芸能界に入った、というのだ。
 大ブレイク中のアイドルグループの人気メンバーという華やかなイメージとかけ離れたこの告白に、ネット上では「しっかりしたお姉ちゃんをもってよかったね」「家族を支えるなんて偉い!」と、“美談”として盛り上がっている。
 だが、これは“美談”で消費されるような問題ではない。橋本の告白は、この国の多くの学生たちが背負わされている現実だからだ。
 じつは、橋本は昨年公開された乃木坂のドキュメンタリー映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』でも、乃木坂加入以前の困窮した生活について言及。彼女は地元・北海道から美大ではトップクラスの難関度である東京の武蔵野美術大学に進学したのだが、「大学内での思い出って、華やかだったというよりかは、ただ生活がつらい」と話している。
「奨学金はほとんど学費につぎ込んで、生活費はもう自分でバイト掛け持ちしてやりました。無理でした(苦笑)」
「親から完全に自立してやってくって啖呵切って(東京に)来てるから、なんか弱音も吐けないし、ってところでだんだん精神的に不安定になって」
 橋本は雑誌のインタビューでも当時を「おにぎり1個の生活でしたから」(「FLASHスペシャル」14年9月10日号/光文社)と振り返っているが、なかでも橋本が語る乃木坂のオーディションを受けた理由は象徴的だ。
「どうにか東京で生活、自分でする術はないかって考えたときに、芸能界のロケ弁が頭に浮かんで。芸能人になればロケ弁をもらえる」(前出ドキュメンタリー映画内の発言)
 オーディションを受けた動機が「アイドルになりたい」ではなく「ロケ弁がもらえるから」。夢も希望もないと感じる人もいるかもしれないが、しかしこの言葉は現実をよく表している。せっかく希望の大学に入っても、ただ生活費を稼ぐことでいっぱいいっぱいの毎日を強いられている学生は少なくないからだ。
 私大では学費が高騰をつづけ、国公立でも40年前と比較すると15倍にあたる年間約54万円(2015年度)とOECD加盟国のなかでも日本はとくに授業料が高い国だが、当然、しわ寄せを受けるのは家計であり、学生だ。藤田孝典氏の著書『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』(講談社)では、現在の学生が立たされている苦境を大内裕和・中京大学教授がこのように述べている。
「学生が、親からもらえる家計からの給付は、この10年間で150万〜160万円から120万円へと、約40万円下がりました。仕送り額は、1990年代半ばは6割以上が月に10万円以上だったのが、いま、10万円以上は3割を割っていて、むしろ5万円未満がどんどん増えている。
 東京でアパートを借りて、親からの仕送りが5万円未満で、働かないで生活できるはずがないのです。首都圏の私大・短大生を対象にした調査では、仕送り額から家賃を除き、30日で割った「1日当たりの生活費」は、1990年の2460円から、2014年にはついに897円となりました。1日900円も使えないのが、いまの大学生です」
 家計支出の減少、そして奨学金を利用する学生が2人に1人という状況の背景にあるのは、親の経済状況の変化だ。現に、1世帯あたりの平均所得は2015年で約541万円だったが、これはピーク時の94年と比較すると122万円も減少している。さらに、非正規雇用の世帯やひとり親世帯となると、家計から学費や仕送りを捻出するのは困難な状況だ。
 結果、橋本のように多くの学生が、奨学金制度を利用しても「おにぎり1個」でしのいだり、バイトを掛け持ちするなどして学業に集中したくてもできないでいる。そして、橋本は“食い扶持を稼ぐ”ためにアイドルのオーディションを受けたわけだが、同じ動機でキャバクラやガールズバー、なかには風俗で働くことによって学費や生活費を賄っている学生がいるのである。
 家庭の所得の差によって子どもが将来の選択肢が狭められ、苦労を強いられる。その状況を、前掲書で著者の藤田氏は〈不公正で不平等と言わざるを得ない〉とし、〈年功賃金、終身雇用のないところで、私費負担で学費をまかなうことはもはや無理だということを認識しなくてはならない〉と指摘。だが同時に、社会で一向に理解が進まない理由を、こう述べている。
〈当然のように、高等教育に対する公費負担増加や公費予算増加が必要なのだが、そのようなことは、「高等教育にかかる経費は受益者の私費負担」という感覚がしみこんだ日本では、なかなか理解されない〉
 同様に、貧困問題への無理解もある。記憶に新しい「貧困女子高生」バッシングもそうだが、厳しい生活によって進学を諦めざるを得ないと話しても、「もっと我慢すればいい」「何も食べられないほど貧乏じゃないくせに」などと最低限の生活を水準にして非難する。
 きっと橋本も、貧困女子高生に向けられたような言葉を投げ付けられた経験があるのだろう。そう思うのは、ドキュメンタリー映画のなかで彼女が念を押すように、こう話しているからだ。
「まあ、そんなにお金がある家庭じゃないので。『言ってもそうでもないでしょ』って思われたり言われたりすることあるんですけど、本当にそうでもあるくらい結構お金がないんで」
 苦しいんだと声を上げても、「言ってもそうでもないでしょ」というマジックワードで封じ込められてしまう。貧困をめぐる議論は、こうしてなかなか先に進まない。橋本の苛立ちを隠さない言葉は、この社会の偏狭さを言い当てるものだった。
 引用してきた映画のなかで、今後の夢や目標を語るメンバーのなかにあって橋本は「自分ががんばるゴールは明確」と言い、「来年度に弟の初年度入学費を全額納入」ときっぱり明言していた。夢より生活──これを「美談」ともてはやすこの国は、なんと豊かなことだろう。(大方 草)


乃木坂46・橋本奈々未 引退決意は弟の学費にめど、母から感謝の手紙も バナナマンに涙で報告 結婚は否定 
 アイドルグループ「乃木坂46」からの卒業と芸能界引退を発表した橋本奈々未さんが、30日深夜のバラエティー番組「乃木坂工事中」(テレビ東京系)で、司会のお笑いコンビ「バナナマン」へ卒業・引退を報告した。橋本さんはアイドルになった目的を弟の学費など「本当にお金だった」と明かし、引退を決意したのは、弟が大学に入学し、母から「無理しないで、好きなことをしてください」と手紙をもらったことがきっかけだったと告白した。
 橋本さんは19日放送のラジオ番組「乃木坂46のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)で、2017年2月20日の24歳の誕生日をめどに卒業、引退することを発表。放送翌日に急きょバナナマンの二人への報告が収録された。番組でバナナマンの日村勇紀さんが「何かしら続けていこうと思わなかったの?」と聞くと、橋本さんは「自分が表に立っていうよりも、誰かをサポートする方が合っていると思った」と答えた。
 さらに設楽統さんが「自分の中でここまで成し遂げたから卒業みたいなものがあるの?」と質問すると、橋本さんは「元々入ったのが本当にお金だった。めっちゃ貧乏で、水道止まる、ガス止まる、みたいな。私は一人目だったから、学校とか行かせてもらったので、弟まで回るのか、弟、男の子だったので、何とかしなきゃって思って、この年齢で模索しているところでこの道があった」と思わず涙をこぼした。設楽さんが「めどがついたの?」と聞くと、橋本さんが「弟も大学ちゃんといけて、彼も頑張ってくれて、学費免除になった。あと4年あるけど勉強頑張れば大丈夫になった。それで母親から、『いままでごめんね。無理しないで、好きなことをしてください。弟も自立してくれるようになったし、私も私で生活できるから』という手紙が来て」と告白した。
 さらに設楽さんから「また(芸能界)戻ってきたっていいんだろうけど、何年かたって、やりたいなと思ったら……。結婚すんの?」とツッコむと、橋本さんは「そう言われましたけど、しないです。大丈夫です」と否定した。日村さんが「引退してからはそういうことだもんね」というと、「結婚はしたいです」と笑顔で答えていた。
 番組では、橋本さんが初センターを務め、ラストとなる16作目のシングル「サヨナラの意味」(11月9日発売)のキャンペーンで、橋本さんの地元・北海道を1日で回る“弾丸ロケ”の模様が放送された。


「なぜ私は示談したのか」高畑裕太レイプ事件、被害者女性が告白 性犯罪被害者にしかわからない恐怖
前号(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50023)で被害者が事件の詳細を告白した後、「示談せずに裁判で闘えばよかったじゃないか」という声がネット上にあがった。だが、今号の告白を読めば、それが見当外れの批判だったことが分かるだろう。
取材・文/齋藤剛(週刊現代記者)
「知人男性」は何者なのか
「心はいまだに闇の中にあり、傷も一生消えないような苦しみにあります。なぜこんなに不安を感じているのかも、正直いまだによくわかりません」
こう話すのは、俳優の高畑裕太(23歳)によるレイプ被害を受けたAさんだ。本誌の先週号にて、Aさんは、高畑による「強姦致傷」がどのようなものだったか、勇気を振り絞り、以下のように赤裸々に明かした。
・ドアを開けた瞬間に、凄い力で部屋に引きずり込まれ、耳元で『脱げ』と言われた
・頭を押さえられ、『咥えろ』などと命令された
・ホテルの従業員が騒ぎを起こすわけにはいかず、なにより高畑の目つきが恐ろしく、大声を上げることはできなかった
・必死に抵抗を続けたが、最後はズボンを脱がされて無理やり挿入されてしまい、中で射精された
これは「高畑裕太さんは合意があると思っていた」とする高畑側の代理人の主張や、高畑の供述に基づいて作成された週刊文春9月29日号に掲載された記事の内容とはまったく異なるものだ。
だが、「合意の感情は一切なかった」というAさん本人の告白を受けてもなお、高畑側の弁護士はすぐさま10月14日に、
「女性のお話によっても、明らかな暴行や脅迫は認められないものと認識しています」
というコメントを発表した。こうした一連の高畑側の主張は、様々な憶測報道を呼び、事件当日以降もAさんを苦しめ続ける要因になっている。
「事件を警察に通報したAさんの知人男性は暴力団関係者で、Aさんに診断書を取るために病院へ行くよう指示した」
「知人男性は高畑側と示談をめぐって交渉し、破格の示談金を要求した」
——こうしてAさんは性犯罪の被害者でありながら、「金目当ての美人局」という疑惑をかけられてしまう。
知人男性は、どのような役割を果たしたのか。そして、なぜ示談をしたのか。今回、ついにAさんが事件の最大の謎を明かす。
* * *
加害者(高畑)にレイプされた後、怒りを通りこした絶望的な気持ちを抱えたままホテルを出て、あてもなく車を走らせました。警察に通報することも考えましたが、家族に伝わってしまうかもしれないと考えて躊躇してしまいました。強姦されたなんて、家族には絶対に言えません。
私が被害に遭ったことを知ったら、家族はショックを受け、ひどく傷つくでしょう。その結果、家族関係までぎくしゃくしてしまうかもしれないと考えました。
一人で抱え込むべきか、それとも警察に言うべきなのか。どうしていいかわからず、結局、ホテルの近くに住む知人男性に相談することにしました。
その知人の職業について、いろいろメディアに書かれたそうですが、相当昔にやんちゃをしていて暴力団に関係していた時期が少しあったということを聞いていますが、現在は、一切暴力団関係者との付き合いはなく、普通の仕事をしている男性です。
自分がされたことを知人に打ち明けた瞬間、はじめて涙が出てきて、泣き崩れました。必死に我慢していたものが、一気にあふれてしまったのだと思います。私の話を聞いた知人は、
「それは明らかなレイプ事件だよ。傷つけられた人が我慢することなんてないよ」
と言ってくれ、被害届を出すようにアドバイスしてくれました。しかし私は、警察に事情を説明することも嫌でした。そこで知人が、
「俺が警察に電話するから」
と言って通報し、そこで警察の指示に従い、ホテルに引き返しました。ホテルに着くと、すでに警察の方がいて、空いている部屋で事情を聴かれました。病院に行くことになったのも警察の方からの指示です。その際、
「体内に(加害者の)精液が残っているのであれば、それは証拠になります。一緒に病院に行きましょう」
という説明がありました。警察の車に乗り、女性警察官の方と一緒に群馬大学医学部附属病院の産科婦人科に行ったのです。
病院では、膣内に残っている精液を採取された後、用意されていたアフターピルを服用しました。病院を出たのは、午前8時か9時頃だったと思います。その後、知人と一緒に前橋署に向かい、再び事情を聴かれました。
闘う心が折れた瞬間
一部の報道では、知人の存在が事件解決のネックになったと書かれていたと聞きました。たしかにホテルで加害者側の関係者と顔を合わせたとき、警察官の目の前で、知人が「なんてことをしたんだ」などと大声を出したことは事実です。
しかし、レイプされた私のために感情を露にして怒ったことが、責められることなのでしょうか。知人は示談交渉には一切関与していません。
前橋署の会議室で、加害者が所属していた芸能プロダクションの社長らが、私と知人に向かって、「示談にしてほしい」と言ってきました。それを受けて、双方の弁護士同士で交渉が始まりました。知人が交渉の場に立ち会ったことはありませんし、示談交渉について双方の弁護士と話をしたこともありません。
* * *
示談後、Aさんの代理人を務めている入江源太弁護士が補足する。
「もし仮に美人局の事実があったとしたならば、高畑氏は恐喝罪の被害者になりますから、加害者の代理人もそう主張していたでしょう。そもそも『美人局』という言葉はマスコミから一方的に出たもので、加害者弁護士サイドも美人局などということを一切口にしていません。
示談内容についても無責任な報道が次々となされて、Aさんは困惑しています。示談について、Aさんは当時の弁護士に一任しており、経緯の報告を受けていただけです」
Aさんの告白に戻る。
* * *
今回の事件が様々な憶測を呼んでしまった一番の原因は、私が急に示談したからだと思います。
私は加害者に対し、絶対に許すことはできないと思ってましたし、刑務所に行ってほしいとも考えました。
しかし、前橋地検で行われた聴取で心が折れてしまったのです。
聴取を担当してくださったのは、若い男性検事さんと女性検事さんです。ただでさえ、初対面の人に被害内容を話すことは憚られます。
ところが、担当の女性検事さんから、
「なぜ大きな声を出さなかったのか」
「なぜ壁を叩かなかったのか」
などと淡々とした口調で質問を浴びせられ、だんだん自分に非があるのかもしれないと思ってしまいました。そして、女性検事さんから、
「自分の身を守るためなら大声を出すべきだったと思う。何でそうしなかったの」
という言葉を聞き、検察は自分を守ってくれるところではないと思ってしまったのです。
さらに検事さんからは、強姦致傷罪の場合、裁判員制度の対象にされるという説明もあり、
「裁判員裁判になれば、相手側の弁護士からもっときつい追及がある」
と訊かされ、裁判が進めば、加害者側の弁護士に何をされたのかを根掘り葉掘り聞かれて、検事さんの事情聴取のほかに裁判所でまた恥ずかしい思いをすることになるのかと思いました。
その日の聴取は5時間に及びました。
もちろん、検事さんがしつこく確認するのは加害者の有罪を立証するためだと理解しています。しかし、聴取を終えたときには、これ以上つらい思いをするなんてもう耐えられない、被害にあった私を守ってくれるところはどこにもない、早く終わりにしてしまいたい。そう思うようになり、それ以上何も考えることができず、もう終わりにしたほうがいいと考えるようになりました。
これが示談に応じた理由です。正直、示談したことが正解だったのかわかりません。いまでも気持ちが整理できず、食欲もわかず、体重が落ちてしまいました。頑張って食べても吐いて戻してしまうのです。
被害者にしか分からないこと
家族の前では以前と何も変わらないように努めていますが、一人になったときにその反動が押し寄せてきてしまいます。
テレビもインターネットも極力見ないようにして、ベッドで横になっている時間が多いのですが、目を閉じると、突然あの夜の加害者の目がフラッシュバックするんです。加害者は釈放されたときに睨むような目をしていましたが、あれよりも鋭い目つきです。怖くなってしまい、結局、毎日2時間くらいしか眠ることができません。
* * *
以上がAさんの証言である。彼女の悲痛な言葉は、裏を返せば、性犯罪被害の実態を訴えることができない女性が数多く存在するという現実を物語っている。
現在、高畑は埼玉県内の心療内科の専門病院に入院しているという。
Aさんに高畑への思いを聞いた。
「いまは自分のことで精一杯です。しかし、釈放後は謝罪ではなく、むしろ開き直りともとれる加害者側弁護士のコメントを知り、怒りを覚えます。
性犯罪の被害者にとって、大声で助けを求めればよかったのではないかという決めつけが一番傷つきます。自分なりの精いっぱいの抵抗をしたつもりですし、相手の言いなりにならなかったら、大ケガをさせられていたといまでも思っています。それくらい怖くて何もできない状態だったことを分かってほしいです。
仮に裁判において、抵抗が弱かった、叫んで助けを求めなかったなどという理由で加害者が無罪になってしまうのであれば、被害者は泣き寝入りするほかありません。
私の容貌や自宅が特定されかねない報道もあり、本当に怖いんです。被害者にしかわからない恐怖、痛みをわかってほしいと思います」
今回の事件は、芸能一家に起きた衝撃的な事件として世間の注目を集めた。しかし、芸能人が関わる事件だからと言って、被害者について何を報じてもいいというわけではない。性犯罪の被害者がどれほど深い傷を負い、苦しむのか。その現実を忘れてはいけない。


基礎科学推進に資金と教員を 34国立大理学部長が声明
 全国各地にある34の国立大の理学部長らは31日、基礎科学の推進のための資金と教員を確保するよう訴える声明を発表した。役に立つことを前提にした研究では、ノーベル医学生理学賞に決まった大隅良典・東京工大栄誉教授のような新発見は「決して生まれない」と強調している。
 東京都内で記者会見した東京大の福田裕穂・理学系研究科長は「大隅教授の受賞のもとになった論文は20年以上前の仕事だ。その頃と比べると、かなり基礎体力が落ちていると言わざるを得ない。基礎科学をやろうという若い人の芽を摘んでしまっているのではないか」と話した。

パレスチナ講演会・・・ユダヤ国家を自称するイスラエル/明石焼き

ブログネタ
フランス語 に参加中!
Fig32

Saki Fujita, du Japon à la Flandre
Saki Fujita est japonaise. Elle est arrivée en France, mi-août, grâce à un programme d’échange du Rotary club. Scolarisée à Armentières, elle vit à Bailleul dans une famille d’accueil. Trois mois après son arrivée en France, entre anglais et français, Saki nous raconte ce qui a changé dans sa vie.
L’échange
Saki Fujita a 18 ans et elle vient de Fukuoka, dans le sud du Japon. Elle prépare son échange international avec le Rotary club depuis le mois de février, mois pendant lequel elle a commencé à apprendre le français. Elle est arrivée le 22 août à Bailleul, où elle a été accueillie par une famille ≪ full of love ≫ (pleine d’amour). Elle restera à Bailleul jusqu’en janvier, où elle sera accueillie par une autre famille à Armentières.
La raison de sa venue, l’opportunité de découvrir l’ensemble de la culture française. ≪ Le Japon, et même l’Asie de manière plus générale, ont une culture vraiment différente de la France. Je suis curieuse de connaitre cette culture, les coutumes, l’histoire, la vie, et de pouvoir apprendre la mienne aux Français. ≫
L’école
Saki est scolarisée en Première économique et sociale au lycée Paul-Hazard à Armentières. C’est avec une excitation non dissimulée que Saki évoque son expérience de l’école en France. ≪ Au Japon, les journées d’école sont très lourdes. Les cours commencent à 7 h 30 le matin et finissent vers 19 h avec des activités périscolaires imposées. Ici, les horaires sont beaucoup plus légers, ça m’a vraiment surprise!
L’accueil qui lui a été réservé en classe la ravit. ≪ Mes camarades et mes professeurs sont très gentils, ils prennent le temps de bien m’expliquer. C’est la première fois que j’apprends l’économie, ce n’est pas facile!
Le manque
De son pays, ce qui manque le plus à Saki, c’est la nourriture ! La nourriture japonaise est très ≪healthy≫ (saine), il y a beaucoup de légumes, de poisson, peu de matières grasses. ≫ Forcément, en arrivant dans nos contrées humides, les plats se doivent de tenir au corps ! Mais Saki rassure, l’un n’empêche pas l’autre, elle aime quand même la nourriture française. D’ailleurs, il y a quelques jours elle a goûté un plat qu’elle a particulièrement apprécié, et qu’elle montre en photo, trop compliqué à dire pour elle pour le moment. De la tartiflette. Pas trop de légumes, en effet.
Au début, je trouvais ça fou que les gens s’embrassent pour se dire bonjour !
La surprise
En arrivant en France, Saki s’attendait bien à des différences de coutumes et de comportements. Ce qui l’a le plus étonnée, c’est la proximité entre les gens. La bise, plus particulièrement.
Au début, je trouvais ça fou que les gens s’embrassent pour se dire bonjour! Les copains se font très facilement des câlins aussi ! Au Japon, il n’y a pas de contact physique direct, les gens sont très froids. ≫ Pour se saluer, les Japonais s’inclinent l’un devant l’autre.
La deuxième chose qui a surpris Saki, c’est l’ouverture d’esprit des Français. ≪ Au Japon, nous avons une image des Français comme étant très racistes. J’étais excitée de venir en France mais cette réputation me freinait... J’avais un peu peur pour mon intégration. ≫ Finalement, quelques remarques déplacées la première semaine, quelques clichés qui ont eu besoin d’être mis à mal... et puis c’est tout.
Le souvenir
Pour son anniversaire, le 16 octobre, la famille d’accueil de Saki a vu les choses en grand. Le soir même de son anniversaire, une fête surprise lui a été organisée. Ses camarades de classe ont été invités ainsi que les amis de sa famille (dont les parents ont tous les deux une trentaine d’années). Tous étaient réunis pour fêter ses 18 ans. Le lendemain, elle est allée au Louvre-Lens puis dans le centre-ville de Lille, pour faire du shopping. avec une copine. Elle se souvient de ce week-end avec un grand sourire, comme si cette famille d’accueil était réellement la sienne. ≪ Amazing ≫ !
フランス語
フランス語の勉強?
明日へ つなげよう 証言記録 東日本大震災 第57回「福島県須賀川市」
福島県須賀川市は原発から60キロ離れ避難対象にはならなかった。しかし放射能情報は入らない。公立岩瀬病院は災害ラジオ局を立ち上げ市民の不安に応えようと奮闘する。
福島県の内陸部で最大の揺れに見舞われた須賀川市は、原発から60キロ離れ避難対象にはならなかった。しかし市民は原発情報がないなか、避難すべきかどうか悩んでいた。長年市民の医療を担ってきた公立岩瀬病院の院長は放射線管理士が集めた、線量データを活用しようと災害ラジオ局を立ち上げる。しかしどんな情報を流せばいいのか手探りの状態だった。試行錯誤しながら、放射能への不安を解消しようと闘った病院スタッフの証言。
石井かおる

NNNドキュメント 斉藤さんちの豆腐〜笑顔満載!はたらく障害者〜
富山県小矢部市の斉藤寛明さん。「豆腐」づくりに障害者ともに汗する毎日です。その取り組みのきっかけは息子の知的障害の存在でした。現在は7人の障害者と毎日豆腐作りに悪戦苦闘しています。日々、失敗を繰り返しながらも、一歩ずつ成長していく7人の姿に密着!障害者の働き場所が不足している現代社会が障害者とどのようにして向き合い、受け入れていけばいいのか?そして、障害者がどのように自立していくのかを考えます。
永田亮子   北日本放送

バリバラ「“見た目”の悩み」
あざやけがなど、病気や事故が原因で“見た目”に症状がある人たちが直面する悩みに向き合う。円形脱毛症に悩む女性が、人前で初めてウィッグを取りたいという企画に密着。
あざややけどなど、病気や事故が原因で“見た目”に症状がある人達が直面する社会の様々なバリア。街での視線や就職差別など、“見た目”で生きづらさを抱える当事者の悩みに向き合う。また、「世間のまなざしを変えたい」と一人芝居を始めた女性や、「自分の本当の姿を知ってほしい」と隠し続けてきた脱毛症を姉に告白する女性など、自分の“見た目”と向き合い、前向きに生きようとする人たちの挑戦を見つめる。
松村邦洋, 大橋グレース, 山本シュウ,岡本真希, 玉木幸則, 神戸浩

激動の世界をゆく「キューバ〜変わる経済 したたかに生きる/革命の理想はいま〜」
アメリカの国交回復から1年が過ぎたキューバ。海外から押し寄せる変化の波と、革命の誇りの狭間で人々の心は揺れている。大越健介キャスターが激動のキューバに迫る。
アメリカとの国交回復から1年、キューバには、海外から多くの人が押し寄せている。一方、アメリカが課した経済制裁はいまだ解けず、国内経済は疲弊。押し寄せる変化と、変わらない日常との狭間(はざま)で、人々の心は大きく揺れている。新たなビジネスに可能性を見いだす若者たち。支えあいの社会を守る革命の世代。一方、祖国を捨て、アメリカを目指す人は後を絶たない。巨大な変化の波と向き合うキューバの今を見つめる。
大越健介

東北魂TV #132
★「スター狩野英孝が真夏の盛岡でやりたい7のこと」ロケ完結編!爆笑ライブ&絶景温泉・ご当地グルメを堪能!?サプライズも!?
“笑いで東北を、日本を元気に!"をテーマに、サンドウィッチマンやマギー審司、狩野英孝、鳥居みゆきなど東北出身のお笑い芸人が“東北魂"として一挙集結! 他の番組では観ることのできない、爆笑のユニットコントやロケ企画を繰り広げる! 「スター狩野英孝が真夏の盛岡でやりたい7のこと」ロケ完結編! 爆笑ライブ&絶景温泉・ご当地グルメを堪能!?サプライズも!?
サンドウィッチマン(伊達みきお・富澤たけし) マギー審司 狩野英孝 鳥居みゆき トミドコロ ◆ゲスト◆ あばれる君 タイムマシーン3号

きらり!えん旅「八代亜紀・コロッケの“負けんばい!熊本”」
今年4月、2度の震度7の地震で甚大な被害を出した熊本県。歌手の八代亜紀さんとものまねタレントのコロッケさんがふるさと熊本を応援しようと駆けつけた。
東北に何度も足を運んで復興を応援してきた八代亜紀さんとコロッケさん。今回二人は、東北とのご縁、絆を熊本へもと、ふるさと応援の旅に出た。熊本城の惨状に心痛めた二人。コロッケさんは益城町で、とにかく上を向いてほしいと気球を上げるメンバーを応援。八代亜紀さんは酪農の盛んな西原村で搾乳を体験したり、一部復旧したトロッコ列車の旅を楽しんだ。二人のジョイントコンサートでは「上を向いて歩こう」を大合唱した。
八代亜紀,コロッケ,冨永みーな

テレメンタリー「ラストソング 〜病室に響く歌〜」
末期がん患者が入院する青森市の緩和ケア病棟。会話も笑い声も生まれないような病室から、ハープやギターの音色が聞こえてきます。
終末期医療専門の音楽療法士・佐藤由美子さん。アメリカでその資格を取得後、15年間音楽療法士の仕事をし、何百人というがん患者を、音楽とともに見送ってきました。
彼女はなぜ死と向き合う仕事を選んだのか、死期が近い患者の病室でどのような心の交流が生まれているのか、彼女と患者の姿を追いました。
石塚絵里子 青森朝日放送

サイエンスzero 秋の夜長のワイン夜話
日本でも年々人気が高まるワイン。そのワインに去年、新発見が! ワインのおいしさは「香り」で決まるが、香りはブドウの品種に左右されると考えられてきた。ところが最新研究によって、香りには「酵母」が大きく関わっていたことが判明したのだ! この発見で、香りを自在にコントロールしたワインが誕生する可能性も見えてきた。秋の夜長のこの季節、思わず一本開けたくなる、とっておきのワイン夜話をお届けする!
味は5種類、においは何種類?/ ワイン作りの新しい発見/ 日本でも消費量が増えているワイン。その美味しさの秘密は「香り」にある。/ スタジオもすっかり秋の装いで、ワイン夜話。/ ワインの香り成分は500種類とも言われる。香り成分の分析機で奈央さんがかぎ分けを体験。/ そのワインの香りに、大きく関わっているのが、酵母であることがわかった。/ ニュージーランド、オークランド大学のサラ・ナイト博士。酵母がワインの香りに大きな影響を与えることを科学的に証明した。/ 東京大学大学院農学生命科学研究科教授の東原和成さん/ フランス国家認定醸造士の佐々木佳津子さん

無限の天才
ロバート・カニーゲル
工作舎
1994-09-25


インド人もびっくりの人間ラマヌジャン mayumi
南インドの天才数学者「ラマヌジャン」の伝記です。
ラマヌジャンは脳関係や藤原正彦さんの書籍で断片的には知っていて、大変興味をそそられる人物でした。
今回この書籍に出会えて、本当に良かったと思います。
関係者、関連資料をベースに人間ラマヌジャンを読者に伝えてくれます。
なりより、この書籍での重要なのは、当時のインド(南インド)の政治的・経済的・宗教的状況とイギリスとの大いなる関係です。また、その状態を引きずる今日のインドです。
政治・経済・宗教というより、インド人の生き方そのもの、特にラマヌジャンが生まれ育った、南インドそのものと西洋文化とのかかわり方(または、深い乖離)を深く掘り下げてあり、考えさせられます。
数学の苦手な方(私もその一人ですが)でも充分楽しく、読み応えのある作品だと思います。
ラマヌジャンが大学を辞めた後、インド国内での放浪。
ケンブリッジ時代、友達の婚約者たちに3杯めのスープの御代わりを断られて、オックスフォードまで逃避していく話。
死に到るまでの療養に対するの彼の姿勢。
家族との繋がりと軋轢。
ハーディの性格。
など等、興味深く読ませていただきました。
数学者って不思議と言うより、インド人もびっくりの人間ラマヌジャンの話です。

本当の天才とは・・・ JBHHLW
20世紀の天才といえばアインシュタインと相場は決まっていますが、特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくても誰かが発見しただろうと言われています。
ラマヌジャンの数学的発見は、ラマヌジャンがいなければ影も形もなかったと言われます。数学や自然科学の発見のほとんど全ては、ある種の歴史的必然があると言われますが、それを超えたところに天才の存在があるような気がします。
それにしても、ハーディーが彼を見出さなければ、その存在すら歴史の影に埋もれていたということを考えると、天才の存在には歴史的偶然が必要なのかもしれません。


パレスチナ講演会が明石であります.通過したことはあるけど,初めて明石に降り立ちました.
岡真理さんの講演会は先ず,メディアへの批判から始まりました.イスラエルによる大規模な攻撃でパレスチナの人々が多くなくなっているような場合にはメディアは報道するけど,そうでないときにはあたかもないかのように報道がなくなってしまう.でも本当に何もないの?単にガザへの空爆が当たり前になってしまってニュースにならなくなってしまったということではないの?
この夏ヨーロッパで難民問題が大きく報道されたけれども,それは今まであった中東の難民問題が可視化されたことだけではないの?それも単に今まで報道されていなかっただけではないの?
一番インパクトを受けたのはイスラエルと「イスラム国」の類似性に関しての指摘でした.
「イスラム国」は,いわばその人たちが勝手に名乗っているだけであって,国として認めないし,本来のイスラム教とも関係ないという立場からカッコをつけて「イスラム国」としているはず.ならどうしてイスラエルだけそのような議論を適用しないの?自分たちでユダヤ教の国と名乗っているだけであって自称ユダヤ国家のイスラエルと呼ぶべきではないの?という点です.まさにしっくりきました.
講演の後魚の棚商店街に行ってみました.「うおんたな」です.近くの明石焼きのお店で明石焼きをたのんでみました.軽食というつもりだったのですが,意外にお腹がいっぱいになってしまいました.

大川小津波訴訟判決 悲劇を繰り返すまい
東日本大震災で津波にのまれ、犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の児童の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は14億円余りの支払いを市と県に命じた。学校を襲った最大の津波被害を巡り、教員は津波の襲来を予見できたとの判断を示し、児童らを安全な避難先に導かなかった責任を厳しく指摘した。
大川小では地震後、児童と教職員が校庭に集まり、その場に50分近くとどまった。この間、大津波警報の発令が伝えられ、裏山への避難を訴える声もあった。市の広報車による高台避難の呼び掛けで、川沿いの交差点付近を目指して避難を始めたが、その途中で津波に襲われ、児童74人と教職員10人が犠牲になった。
なぜ、わが子の命は奪われたのか。どうすれば、悲劇を防ぐことができたか。裁判を通じて遺族は問い続けた。学校で災害に遭遇したとき、児童たちは全面的に教員の判断と指示に頼らざるを得ない。教員は、どのような事態であっても、児童を守るため臨機応変に可能な限りの対応をしなくてはならないということを判決は言っている。
学校現場に重い課題を突き付けたといえる。日本列島のどこでも地震や津波に遭遇する可能性はあり、学校では最悪の事態を想定して日ごろから避難の場所や方法を話し合い、訓練を行うなど常に備えを怠らないことが求められよう。悲劇を繰り返してはならない。
裁判では、学校側が津波の襲来を予見できたかが争点になった。大川小はハザードマップにある津波の浸水想定区域の外にあった。市の指定避難場所にもなっており、当日は地域住民も身を寄せていた。こうしたことから、学校側は予見可能性を否定。交差点付近への避難についても、校庭より標高が高く、住民と協議して決めたとした。
判決も、校庭に児童を集めたころに津波の到来を予見するのは困難だったとしている。しかし広報車による高台避難の呼び掛けで「校庭にとどまっていれば、児童の生命身体に具体的な危険が生じると予見できた」と判断。「被災を回避できる可能性が高かった裏山ではなく、交差点付近に移動しようとした結果、児童らが死亡した」と教員らの過失を認定した。
震災後、津波の犠牲者の遺族が学校や企業などの管理責任を問う訴訟が相次いだが、浸水想定区域外の被災について予見は困難との理由から、遺族の賠償請求が退けられる例が多い。そんな中で今回の判決は教員にかなり厳しい注意義務を求め、踏み込んだ判断をしたということができる。
学校現場は子どもの命を預かる責任の重さを改めて胸に刻み、防災の取り組みを積み重ねることに力を注いでほしい。
判決後、遺族らは「子どもたちの声が届いた」と、ほっとした表情を見せた。ただ一方で「真相が明らかになっていない」「本当の検証はこれから」という声も多く聞かれた。背景には市などへの根強い不信感がある。震災後の保護者説明会で市側は、校庭で児童が裏山に逃げようと訴えた事実をいったん認めながら「確認できていない」とし、後に再び認めた。
市教育委員会が生き残った児童らの聞き取りメモを廃棄したことも発覚した。災害で大きな被害が出た場合の遺族や被害者への情報提供の在り方も課題だろう。


大川小賠償判決 子供守る責任、再認識を
 宮城県石巻市立大川小の児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった東日本大震災の津波被害を巡り、児童23人の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は学校側の責任を認め、市と県に計14億円余りの支払いを命じる判決を言い渡した。
 学校側が津波の襲来を予見できたか、児童を適切に避難させることが可能だったかなどが争点で、石巻市は、大川小は海岸から4キロ離れ津波浸水想定区域の外にあり到来は予測できなかったなどと主張していた。
 判決は、学校の前を通った市の広報車が津波接近を伝えて高台避難を呼び掛けたのを教員が聞いていたことから、「程なく津波が襲来すると予見できた」と認定。被害を回避できる可能性があった学校の裏山ではなく、別の場所に避難しようとして児童が犠牲になったのは教員らの過失による、と判断した。
 震災は未曽有の規模で、まさに想定外の災害だった。そのような状況下でも学校側は手を尽くし、子供たちの命を守る責任がある、と強く指摘した判決である。石巻市は判決を不服として控訴する方針だが、全国の学校現場は判決を人ごととせず、災害時の対応を再点検してほしい。
 大川小の被害を受け文部科学省は2012年、地震と津波を想定した学校防災マニュアル作成のための手引をまとめた。マニュアル作成後も避難訓練などを通じて課題を洗い出し、常に見直しを行いより実践的なものにするよう求めたことが大きな特徴だ。
 県教育庁保健体育課によると、マニュアルは県内全ての公立幼稚園・保育所、小中高校、特別支援学校で作成済み。年間の防災教育の進め方や避難訓練の実施の仕方、教職員研修の内容などを盛り込んだ学校安全計画の策定率も毎年100%に達している。
 同課は12年度から年間約60校を訪問し、防災をはじめ学校の安全に関する点検を続けている。校内を巡回して地震時に倒れたり落下したりする物がないかどうかや、避難訓練の内容などを確認。「抜き打ちなど実践的な避難訓練が増えている。マニュアルの見直しもほとんどの学校で行われている」と言う。
 一方、校内の教職員研修の実施率は78%(14年度)にとどまる。防災についての意識を共有する機会になるだけに、より多くの学校での実施を望みたい。
 「想定外」を防ぐには、防災を担当教職員任せにせず、多くの目でマニュアルを点検し、さまざまな観点から意見を出し合うことが重要だ。
 そのためには、自由に発言できる雰囲気があるか、教員間で良好なコミュニケーションが取れているか、といった基本的なことが大切になる。役割分担も含め、みんなで子供たちを守るというチームとしての意識を醸成する必要がある。


大川小津波訴訟判決 悲劇を繰り返すまい
東日本大震災で津波にのまれ、犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の児童の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は14億円余りの支払いを市と県に命じた。学校を襲った最大の津波被害を巡り、教員は津波の襲来を予見できたとの判断を示し、児童らを安全な避難先に導かなかった責任を厳しく指摘した。
大川小では地震後、児童と教職員が校庭に集まり、その場に50分近くとどまった。この間、大津波警報の発令が伝えられ、裏山への避難を訴える声もあった。市の広報車による高台避難の呼び掛けで、川沿いの交差点付近を目指して避難を始めたが、その途中で津波に襲われ、児童74人と教職員10人が犠牲になった。
なぜ、わが子の命は奪われたのか。どうすれば、悲劇を防ぐことができたか。裁判を通じて遺族は問い続けた。学校で災害に遭遇したとき、児童たちは全面的に教員の判断と指示に頼らざるを得ない。教員は、どのような事態であっても、児童を守るため臨機応変に可能な限りの対応をしなくてはならないということを判決は言っている。
学校現場に重い課題を突き付けたといえる。日本列島のどこでも地震や津波に遭遇する可能性はあり、学校では最悪の事態を想定して日ごろから避難の場所や方法を話し合い、訓練を行うなど常に備えを怠らないことが求められよう。悲劇を繰り返してはならない。
裁判では、学校側が津波の襲来を予見できたかが争点になった。大川小はハザードマップにある津波の浸水想定区域の外にあった。市の指定避難場所にもなっており、当日は地域住民も身を寄せていた。こうしたことから、学校側は予見可能性を否定。交差点付近への避難についても、校庭より標高が高く、住民と協議して決めたとした。
判決も、校庭に児童を集めたころに津波の到来を予見するのは困難だったとしている。しかし広報車による高台避難の呼び掛けで「校庭にとどまっていれば、児童の生命身体に具体的な危険が生じると予見できた」と判断。「被災を回避できる可能性が高かった裏山ではなく、交差点付近に移動しようとした結果、児童らが死亡した」と教員らの過失を認定した。
震災後、津波の犠牲者の遺族が学校や企業などの管理責任を問う訴訟が相次いだが、浸水想定区域外の被災について予見は困難との理由から、遺族の賠償請求が退けられる例が多い。そんな中で今回の判決は教員にかなり厳しい注意義務を求め、踏み込んだ判断をしたということができる。
学校現場は子どもの命を預かる責任の重さを改めて胸に刻み、防災の取り組みを積み重ねることに力を注いでほしい。
判決後、遺族らは「子どもたちの声が届いた」と、ほっとした表情を見せた。ただ一方で「真相が明らかになっていない」「本当の検証はこれから」という声も多く聞かれた。背景には市などへの根強い不信感がある。震災後の保護者説明会で市側は、校庭で児童が裏山に逃げようと訴えた事実をいったん認めながら「確認できていない」とし、後に再び認めた。
市教育委員会が生き残った児童らの聞き取りメモを廃棄したことも発覚した。災害で大きな被害が出た場合の遺族や被害者への情報提供の在り方も課題だろう。


<大川小訴訟>「市議会の良心を示して」
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟を巡り、遺族側は29日、市内で緊急記者会見を開いた。30日の市議会臨時会で市が提出する控訴の関連議案が審議されることを受け「心が折れる。市議会の良心を示してほしい」と議案の否決を切望した。
 原告の遺族11人が参加。「子供たちの声が届いた判決に、市長は従ってください」「これ以上、苦しめないで!」などとメッセージを記した紙を手で掲げ、思いを口にした。
 6年生だった長男堅登君=当時(12)=を亡くし、4年生だった長女巴那(はな)さん=同(9)=の行方が分からない鈴木義明さん(54)は「仙台地裁判決には納得がいかないけれど、納得しようと思っていた。亀山紘市長は敗訴したらすぐに控訴する考えだったのだろう。残念だ」と非難。
 3年生だった一人息子の健太君=当時(9)=が犠牲となった佐藤美広(みつひろ)さん(55)は強調する。「わが子を失い、市長の言動で深く傷つけられている。市議には思いを酌んでほしい」
 遺族側は30日午前9時ごろから、市役所前で街頭活動をする。市議や市民に対し、命の大切さや控訴断念の必要性などを広く訴える。午後は臨時会を傍聴する予定だ。
 5年生だった次女千聖(ちさと)さん=同(11)=を失った紫桃(しとう)隆洋さん(52)は「まだ声は届くはず。人として血の通った判断ができる方々だと信じたい」と願う。
 大川小では津波で児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。
 26日の地裁判決は「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と学校の責任を認め、計約14億2660万円の支払いを命じた。
 亀山市長は28日、判決を不服として控訴する方針を表明。「学校管理下で多くの児童が命を失ったことに、遺族の方々には申し訳ないと思っているが、判決を見ると学校の防災教育に非常に大きな影響を与える」などと理由を述べた。


大川小津波訴訟 控訴議案可決
東日本大震災の津波で犠牲になった石巻市の大川小学校の裁判で、石巻市は、賠償を命じた判決を不服として、控訴の承認を求める議案を30日の臨時議会に提案し、採決の結果、可決されました。
宮城県も同調する方針で、石巻市と宮城県は、控訴期限の11月9日までに控訴することにしています。
震災の津波で犠牲になった石巻市の大川小学校の74人の児童のうち、23人の児童の遺族が訴えた裁判で、10月26日、仙台地方裁判所は「津波が襲ってくるおよそ7分前までには市の広報車が避難を呼びかけたのを教員らが聞いていたと認められ、津波が到達する危険を予測できた」と指摘して、石巻市と宮城県に対し原告全員に、あわせて14億2600万円余りの賠償を支払うよう命じました。
これを受けて、石巻市の亀山市長は28日、控訴の方針を示し、市は30日、臨時議会を招集し、控訴の承認を求める議案を提出しました。
本会議は原告の遺族が見守る中、午後から開かれ、亀山市長は議員から控訴の理由を問われ、「教職員が、小学校に大規模な津波が来ることを予見することは不可能であったと認識している。また、およそ7分間で、崩壊の危険がある裏山に全員が無事避難できたとは考えられない」と述べました。
一方、控訴に反対する議員からは、「遺族をこれ以上苦しめることなく、控訴の方針を取り下げるべきだ」とか「子どもたちは市長の控訴の判断に悲しんでいる。判決を真摯に受け入れるべきだ」などの意見が出されました。
このあと採決が行われ、議案は、賛成16、反対10の賛成多数で可決されました。
宮城県も同調する方針で、石巻市と宮城県は、控訴期限の11月9日までに控訴することにしています。


大川小訴訟 石巻市議会、控訴議案を可決 16対10
 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の訴訟で、児童23人の遺族に14億円余りを支払うよう同市と宮城県に命じた仙台地裁判決を巡り、同市は30日、控訴するための議案を臨時市議会に提案し、賛成多数で可決された。県も同調するとみられ、同市は近く控訴手続きをとる。採決を見守った遺族ら約20人からは失望と憤りの声が上がった。
 26日に言い渡された判決は「教員らは津波襲来の7分前には危険性を具体的に予見したのに、安全な裏山でなく不適当な場所へ避難しようとした」と学校側の過失を認定した。
 亀山紘市長は30日の議会で、「教員らが入手できた情報は極めて限られていた。津波を具体的に予見できず、学校にいた児童と地域住民ら100人以上で裏山の斜面を登るのは事実上困難だった。今後の学校防災に重要な影響を与える事情も考慮した」と控訴理由を説明した。
 一方、議員からは「早期解決のために判決を受け入れるべきだ」「不服もある遺族が受け入れようとしているのであれば、市もそうすべきだ」と控訴断念を求める意見も多く出た。約6時間に及ぶ質疑・討論の末、議案は16対10で可決された。
 遺族らはこの日朝、市役所前で「議会の良心を示して!」と書かれた紙を掲げて否決を呼びかけた。小6だった長男を亡くした原告団長の今野浩行さん(54)は議案可決を受け、「学校では子どもの命を守らなくていいと行政と市教委のトップが主張し、それを議会も承認した。怒りしかない」と話した。遺族は11月3日に弁護士と協議し、控訴するか検討するという。【百武信幸、川口裕之】


控訴議案可決 市長は遺族は
石巻市役所で開かれたきょうの臨時議会には多くの原告の遺族が傍聴に訪れ審議の行方を見守りました。
そして控訴の議案が可決されると遺族からは驚きや怒りの声があがり涙を流す人の姿もみられました。
小学6年生だった三男を亡くした佐藤和隆さんは「市議会議員は良識ある人の集まりだと思っていたが学校は子どもの命は守らないという決議をした。本当に憤りを感じ悔しくてなりません」と話していました。
控訴の議案が可決されたことについて原告団長で小学6年生の長男を亡くした今野浩行さんは「予想だにしない結果で言葉も出ない。
東日本大震災の一番の被災地である石巻市から、学校ではこどもの命を守らなくてもいいと行政のトップと教育委員会のトップが主張してそれを議会が承認した。子どもの命を見捨てると議会で決定されたことについて、非常に危機感を持っている。怒りしかありません」とと話していました。
本会議のあと石巻市の亀山市長は「非常に苦渋の選択をして頂いた。
重い判断だったと受けとめている。
私たちもこの問題について責任を感じている部分もある。上級審で原因を検証して今後の教訓にしていきたい」と話していました。


<学校と命>想定外を常に想定内に
<学校と命>想定外を常に想定内に
◎大川小津波訴訟の教訓(3)先入観
<悔い残す姉の死>
 石巻市の大川地区復興協議会長を務める大槻幹夫さん(74)は、東日本大震災の津波で犠牲になった姉=当時(78)=の死を独り思い悩んできた。
 「おらほは大丈夫なんだべ」「心配すんな。揺れても津波は来ない」
 震災の5年ほど前、姉とこんなやりとりをした。
 「心配ない」の根拠は、宮城県沖地震を想定して県が2004年に作製した「津波浸水予測図」。予想浸水域は、児童・教職員計84人が津波の犠牲になった石巻市大川小の500メートル以上、手前で止まっている。
 「姉の犠牲は俺のせいかも…」。大槻さんの姉は大川小から海側に約100メートル離れた場所に住んでいた。今も見つかっていない。
 大川小近くの自宅が流された釜谷地区長の阿部良助さん(69)は「ハザードマップなんて見たこともなかった」と振り返る。
 孫の大川小4年生の菜桜(なお)さん=同(10)=と、3年生の舞さん=同(9)=姉妹が学校の管理下で犠牲になった。
 10年2月、近所でサイレンが鳴り響き、チリ地震の大津波警報発令を告げた。結局、来たのは海岸付近に数十センチの津波。「釜谷に津波は来ない」。阿部さんの先入観が補強された。
 釜谷地区では、山あいの入釜谷を除くと、住民209人のうち約8割が死亡した。市側は訴訟で、この数字やハザードマップを基に「行政の事前想定に基づく教職員の認識はやむを得ない。地域住民も多数亡くなった」と主張した。
 26日の仙台地裁判決も市の主張を追認した。ハザードマップの情報や過去に津波が到達した記録がないことなどを理由に、市の広報車が高台避難を呼び掛けるまで「教員が津波を予見するのは困難」と結論付けた。
 原告遺族は猛反発した。結審前に提出した最終準備書面でも「地域住民ら一般人と異なり、教員には児童に対する非常に重い安全配慮義務が課され、津波の予見義務や被災を回避する義務がある」と訴えていたためだ。
 宮城県内の学校で敷地内まで津波が到達したのは89校あり、6割の54校は予想浸水区域外だった。学校の管理下で大勢の児童が亡くなったのは大川小だけだ。
<命は自分で守る>
 ハザードマップ神話は崩れた。しかし、国は12年6月に全面施行された津波防災地域づくり法で、最大クラスの津波を念頭に浸水想定の策定を自治体に求めている。
 宮城県は「復興事業で地形は変わるため、新たな策定時期は未定」としている。石巻市は昨年3月、震災時の浸水実績を書き込んだ新たな津波避難地図を市内5万戸に配布した。防災意識の啓発が狙いという。
 東大地震研究所の纐纈(こうけつ)一起教授(地震学)は「地震の予測は、現在の科学では非常に難しい。住民は行政の予測をうのみにせず、自分の命は自分で守る意識が重要だ」と強調する。
 大槻さんは「予想浸水域の外も決して安全ではない。想定外を常に想定内にする意識こそが大切だ」と自戒を込める。
 新しい津波避難地図は、テレビ台の奥にしまわれている。


閖上の新たな街 住民ら復興工事現場を見学
 東日本大震災で被災した名取市閖上地区で29日、市が進める土地区画整理事業の住民向け見学会が開かれた。2019年12月の事業完了を目指して集合型の災害公営住宅の整備などが行われており、参加者は新しい街区を眺めつつ一日も早い完工を望んだ。開催は15年11月に続き2回目。
 見学会には市内のみなし仮設住宅の住民ら約60人が参加。市職員や施工業者が(1)7月に引き渡しが始まった防災集団移転地(2)集合型の災害公営住宅(3)一戸建ての災害公営住宅団地−の整備状況を説明した。
 土地区画整理事業の対象地約57ヘクタールのうち、約32ヘクタールは海抜約5メートルの高さにかさ上げしている。東京ドーム1.4杯分、約170万立方メートルの土砂が必要で県内5カ所の山から採取しており、現在は77%、約132万立方メートルの搬入が終わった。
 みなし仮設の雇用促進愛島宿舎自治会長の橋浦武さん(73)は「15年より区画の整備や舗装がなされ、事業は目に見えて進んだが、隣の仙台や岩沼に比べれば遅い。名取も早く工事を進めてほしい」と話した。
 見学会は一人でも多くの市民らが閖上地区に居住してもらえるようにと、市が主催した。


震災遺産 教育現場で活用
 東日本大震災や東京電力福島第1原発事故を物語る「震災遺産」の学校現場での活用や検討が、福島県内で広がりつつある。保存を進める「ふくしま震災遺産保全プロジェクト」実行委員会(事務局・福島県立博物館)が出前授業などを展開。関係者は「福島の経験を若い世代に継承する取り組みが欠かせない」と語る。
 プロジェクトでは津波被災地や原発事故の避難区域などで遺産を収集。ゆがんだ道路標識や避難後に残された新聞の束など計1500点を保全している。
 学校との連携は2015年度に始めた。メンバーはこれまで、高校での出前授業や教員向けの研修会などに10回ほど足を運んだ。
 授業では、避難区域となった富岡町の富岡高にあったバドミントンラケットなどの写真パネルを見せ、生徒に印象に残った物を尋ねる。避難所で明かりを取るため、ろうそくを立てたマグカップなどの実物を手に、当時の様子を一緒に考えることもある。
 「がれきと聞くと目を背けたくなるが、経験を後世に伝える活動に共鳴した」「小学生は記憶のない子が増えている。教師が活動を知ることは大切」。研修会に参加した教員からはこうした感想が寄せられた。
 生徒たちの積極的な動きも出てきた。福島北高(福島市)では30日、3年生が震災遺産を借り文化祭に展示する。敷地には原発事故で避難する富岡高のサテライト校があり、富岡高関連の遺産を中心に紹介する。
 生徒会顧問の斎藤毅教諭(53)は「教員と生徒が震災とその後の5年半について、きちんと向き合い考える場にしたい」と話す。
 県立博物館の高橋満主任学芸員は「震災を知らない世代が育ち始めている。震災の多様な事実を伝える『物』を通し、何が起きたのか想像力を働かせてほしい」と、震災遺産活用のさらなる広がりに期待する。


<台風10号>岩泉 仮設住宅入居始まる
 岩手県内で20人が死亡し、3人が行方不明となっている台風10号豪雨は30日、発生から2カ月となる。被害が甚大だった岩手県岩泉町では29日、被災住民が入居する仮設住宅の鍵の引き渡しが始まった。入居が決まった住民は早速引っ越したり、部屋の下見をしたりして新生活に備えた。冬本番を前に、被災者の生活再建が本格化する。
 引き渡しが始まった仮設住宅は、いずれも東日本大震災の仮設住宅を修繕した同町小本(おもと)地区の小本団地(32戸)と小成団地(20戸)。それぞれ31世帯と9世帯が入る。部屋は1DK、2DK、3Kの3タイプ。
 同町袰野(ほろの)の加藤セツさん(71)は、自宅が1メートル以上浸水し、台風後は2階で寝泊まりしていた。同日、小本団地の部屋に荷物を運び込み「新築ではないが十分きれいだし、壁が剥がれるなどした自宅よりも暖かい。元の生活に戻るにはまだまだ先が長そうですが、ほっとしました」と話した。
 町はさらに8団地204戸の仮設住宅を新設予定で、12月上旬の完成と年内の入居完了を目指す。災害公営住宅については入居の意向調査を実施し、本年度中に用地を選定する。
 町内の住宅被害は全壊435棟、大規模半壊234棟で、半壊以下を含めると計938棟に上る。29日現在、いまだ166人が避難所生活を続ける。
 岩手県全体の被害総額は1440億5729万円(26日現在)で、県内の大雨被害としては過去最大となっている。


三陸沿岸道 南三陸町まで延伸
震災からの復興に向けて整備が進められている三陸沿岸道路のうち、登米市と、東日本大震災で大きな被害を受けた南三陸町を結ぶ区間が開通しました。
開通したのは、三陸沿岸道路のうち、登米市の三滝堂インターチェンジから、震災で大きな被害を受けた南三陸町の志津川インターチェンジまでの、9.1キロの区間です。
30日は、国や南三陸町の関係者などおよそ300人が出席して記念の式典が開かれ、安倍総理大臣や地元の子どもたちがテープカットを行いました。
そして、午後3時半に開通すると、志津川インターチェンジには多くの車が列をつくって次々と入っていきました。
30日の開通で仙台市から南三陸町まで結ばれ、宮城県沿岸北部の交通の利便性が向上し、観光客の増加や水産物の輸送の効率化などが期待されます。
三陸沿岸道路は、国が復興道路と位置づけ、仙台市と青森県八戸市のおよそ360キロを結ぶ自動車専用道路として整備を進めていて、平成32年度までの全線開通を目指しています。
開通を待っていた南三陸町の40代の女性は「一番乗りを目指して来ました。買い物でよく登米市に行くので、便利になると思います」と話していました。


<道しるべ探して>役割あれば遊び心爆発
 座して消滅を待つのか、それとも流れにあらがってもがくのか。地域社会に用意されている未来が、そんな単純な二者択一であってはならない。人と人のしなやかなつながりが今、第3の道を切り開く。
◎第5部つながり(上)まちぐ(る)み
 八戸市の中心商店街が、何か大変なことになっていた。
 「八戸は、美人が多いですが、なまってるらしいよ。」とプリントした自虐Tシャツを店頭販売。呉服店に、帯をほどかれて「あーれぇー」と叫ぶマネキンが登場したこともあった。
 街中に遊び心があふれ出す。
 仕掛けたのは「楽しそうな八戸にしよう」と2014年10月に活動を始めた市民集団「まちぐみ」だ。小学生から80代まで350人超の市民が参加する。
 空き店舗を改装したまちぐみの活動拠点では、「組長」を名乗るアーティスト山本耕一郎さん(47)と「組員」たちが次なる「企て」を練っていた。
 「グッズ開発部」「まかない部」「ミシン部」など15の部があり、組員はいずれかの部に所属する。必要なら自分で部を立ち上げる。
 一人一人がちょっとした空き時間を利用し、少しずつ力を出し合ってまちづくりに参加できる「場」と「機会」を設けた。こうして南部せんべいのパッケージをデザインしたり、南部菱(ひし)刺しのコースターや名刺入れを作ったり。
 「役割をクリアにすると、人は自分に何ができるかを考えるようになる。まちづくりも一緒だと思う」と山本さん。今年3月に加入したばかりの平井ゆかりさん(39)が「世代を超えて知り合える。ここは居心地がいいんです」と応じた。
 山本さんは仙台の中学、高校を出て、筑波大で芸術を学んだ。英国に渡って取り組んだ彫刻で、個展を常時開催する売れっ子作家に上り詰めたのもつかの間、閉鎖的な美術界に興味がうせた。
 帰国後は、アートの力で人と人、人とまちをつなぐユニークな芸術活動を全国各地で展開。10年6月に八戸の人たちから声が掛かり、ぶらりとまちにやって来た。
 寂れた商店街を取材して歩くうち、気付いたことがある。「これからは地方がいかに元気に生き残るかが大切」。「何かとても大切なことを感じさせてくれた八戸の役に立ちたい」と港町に根を張った。
 組員のユニホームにしているTシャツのロゴが、組長と組員の心意気を物語る。「まちぐ(る)み」。自分が楽しくて、みんなも喜ぶ。それがまちづくりの極意だ。


放射光新施設本格検討へ 東北が積極誘致
 文部科学省は、物質の構造を原子レベルで解析する次世代の大型放射光施設の建設に向けて本格的な検討に入った。専門家らを集めた量子科学技術委員会量子ビーム利用推進小委員会の初会合を11月7日、東京都内で開く。東北では全国に先駆けて産官学を挙げた誘致活動を展開しており、実現への動きが一歩前進する。
 同省が検討に入るのは、紫外線より波長の短い軟エックス線専用の放射光施設。炭素、酸素、窒素など軽い元素の解析に適する。材料表面の詳細な分析が可能になり、製薬、燃料電池など多様な新製品開発に活用できる。
 軟エックス線の放射光施設は近年、欧米や台湾、ブラジルで建設が進む。ものづくりの国際競争力強化のため、国内での新設を求める声が学者や産業界から上がっている。
 小委員会では専門家を交えて国内外の研究動向、求められる性能、政策的意義に加え、立地場所や運営主体も議論する見通し。検討期限は設けない。
 東北大など東北の国立7大学が2012年6月に設立した東北放射光施設推進会議は、1周約350メートルのリング型施設を計画。世界最大のスプリング8(兵庫県佐用町)より100倍明るい光の性能を想定し、建設費は約300億円を見込む。
 東北の7大学や東北6県、経済団体は14年7月に東北放射光施設推進協議会を設け、東北での建設に向けて国への要望やニーズを掘り起こしてきた。東北経済連合会は、民間で建設費の一部を賄おうと財団の設立も模索している。
 文科省研究開発基盤課量子研究推進室は「東北の動きは把握しているが、立地の優位性はゼロベースで検討する」と説明。東北の協議会関係者も「まだ喜べる段階ではない。慎重に進めたい」と話す。
[大型放射光施設]電子を光に等しい速度まで加速させ、磁場の力で電子を曲げた際に発生する放射光を利用して物質の構造を分析する装置。原子レベルで物質を見る巨大な顕微鏡とも言われる。学術研究のほか医薬品、農業・食品、燃料電池の新開発など幅広い分野に利用されている。現在、国内には世界最大の「スプリング8」(兵庫県佐用町)など大小9施設ある。東北での立地はない。


原発有識者会議 オープンな議論が必要だ
 福島第1原発の廃炉費用捻出と、事故処理に責任を持つ東京電力の経営改革を巡る検討が進んでいる。
 経済産業省が今月初めに設けた有識者会議が舞台だ。25日にあった2回目の会合で、廃炉費用が大幅に増加する試算が初めて公表された。今までの年間約800億円から一気に年間数千億円へ膨らんだ。総額はまだ示されていないが、廃炉は30年以上かかるとみられ、東電が用意している総額2兆円を数兆円規模で上回るのは確実だ。
 東電が収支改善の柱に期待する柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働は、慎重姿勢を示す知事の誕生で難航が見込まれる。電力自由化で顧客の流出も進む。経営の先行きに不透明感が漂う上、試算された廃炉費用は現状の東電の負担能力を超えている。
 経産省は、廃炉費用の急増は、原子炉内に溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)を取り出す作業によると説明しているが、これまでの見通しが甘過ぎたとの批判は免れまい。
 費用確保のために経産省が示し、有識者会議の了承も得たのは、東電の経営を改革して収益力を高め、自前で廃炉費用を捻出させる方法だ。具体的には、東電本体から福島以外の原発事業を切り離して他の電力会社と連携させるなど、業界再編を進める内容になっている。
 ただこれで、急増した廃炉費用を賄える保証はない。政府は国民負担増にはならないと説明しているが、収益アップに失敗すれば費用が不足する。結局は税金投入や電気料金への転嫁といった形になり、国民が新たな負担を求められるのではないかという懸念は払拭(ふっしょく)できない。
 さらに、原発事業の再編には他の電力会社からすでに警戒感が示されており、簡単には進みそうもない。廃炉費用の総額がはっきりしない段階で、そもそも精緻な議論を進められるのか疑問もある。
 有識者会議は年内をめどに提言をまとめる予定だが、10人の委員は原発を推進してきた経済界の首脳らが中心だ。安易に国民負担へ流れないよう、注視が必要だろう。
 そのとき問題なのは、有識者会議がオープンな形で議論されていないことだ。経産省は「企業の内部情報を扱う」との理由で、原則非公開としている。代わりに事後説明し、議事概要を公表しているが、やり取りの詳細や発言者は分からない。
 開催自体を公表していない非公式の会議が複数回開かれていたことも判明した。委員長をはじめ公式会議とほぼ同じ顔ぶれが参加している。直近の非公式会議では東電ホールディングスの広瀬直己社長から廃炉費用や収支計画について説明を受けていた。
 オープンな場で廃炉費用の捻出方法や負担の在り方を詳細に示さなければ、国民の理解は遠のくばかりだ。まずは議論の透明化を図る姿勢が重要である。


核兵器禁止条約 被爆国の役割忘れてはならない
 「核兵器なき世界」へ、日本政府は果たすべき役割を自らに問い直してもらいたい。
 国連総会第1委員会は「核兵器禁止条約」制定交渉の開始を定めた決議を採択した。広島、長崎の被爆から71年。法による核兵器の禁止に向け一歩を踏み出すところまでようやくたどり着いた。その意味は大きい。
 しかし、日本は決議案に反対票を投じた。唯一の戦争被爆国として、惨禍を二度と繰り返さないよう先導する立場でありながら、米国の「核の傘」に依存する安全保障を優先した。政府の判断は納得し難く、受け入れられない。平和を願い続ける被爆者たちの切実な思いとこれまでの努力を踏みにじり、国際社会の信頼を損なうものだと肝に銘じるべきだ。
 決議は核兵器使用による破滅的な人道的結末に深い懸念を表明し、核兵器を「違法な兵器」と明確に位置付けて禁止するよう、来年から条約文書の制定交渉に入るとしている。着実な実行に向け、国際社会は連携し、具体的な道筋をつくっていく必要がある。
 だが先行きは極めて厳しい。核軍縮が一向に進まないことに危機感を持つオーストリアやメキシコなど非核保有国が主導して、途上国を中心に123カ国が賛成したが、世界の核弾頭の9割以上を保有する米・ロシア両国など38カ国が反対、中国など16カ国が棄権した。保有国が条約に参加する見通しはなく非保有国との分断は深刻だ。ただ将来的な核廃絶という目標に違いはない。大きな展望を見失うことなく、両者の溝を地道に埋める努力が欠かせない。
 特に米国にはかたくなな態度を改めるよう求めたい。決議は安全保障のバランスを崩すとして、北大西洋条約機構(NATO)加盟国や日本に書簡を送って反対するよう強く圧力をかけた。大国の力を振りかざす姿勢は非保有国の反発を買うだけである。核開発を続ける北朝鮮と中国を抑止するには米の核戦力が不可欠だと力説するが、自国の保有だけは正当化する都合の良い論理は通用しない。北朝鮮は決議に賛成しており、本気で核なき世界を追求するなら、議論から逃げるべきではない。
 振り返れば、オバマ大統領はつい5カ月前に広島を訪れ、核なき世界の実現を約束したばかり。演説は偽りだったのかとの失望も禁じ得ない。その「二枚舌」に追随する日本は情けないというほかあるまい。
 日本は例年同様、核による安全保障を考慮しつつ段階的な核軍縮を目指す、法的拘束力のない核兵器廃絶決議案を国連委に提出し、採択された。だが、廃絶のアピールを繰り返すだけでは、もはや軍縮の進展は見込めないのではないか。
 日本政府は決議に反対したものの今後の交渉には参加するという。保有国と非保有国の橋渡し役という本来の責務に立ち返り、国際社会の分断を解消する議論をリードするよう求める。


核禁止条約採択 被爆国の決意が問われる
 核兵器を法で禁止する枠組みについて、国連で初めて本格的な議論が行われる。画期的な出来事である。
 国連総会第1委員会が、2017年から「核兵器禁止条約」の制定交渉を始めることを定めた決議案を、123カ国の賛成で採択した。
 残念なのは、唯一の被爆国である日本が、核保有国の米国やロシアと共に反対したことだ。
 日本は、安全保障を米国の「核の傘」に依存する微妙な立場に置かれている。それでも、勇気を持って決議を支持すべきだっただろう。
 メキシコやオーストリアなど非核保有国が主導する決議は、年内に国連総会本会議で採択される見通しだ。
 決議には「国連総会は核兵器全廃に向け、核兵器を禁じる法的拘束力のある措置を交渉するため、17年に国連会議を招集することを決定する」と明記された。
 17年3月27〜31日と、6月15日〜7月7日が会期で、国連の全加盟国に参加を促している。
 ただ、条約案には核兵器の使用禁止が盛り込まれる見通しで核保有国の反発が強い。
 第1委の議論では、米国が強い反対の意思を表明し「核軍縮と安全保障環境は切り離せないことに気付くことが大切だ」と強調した。
 核保有国による切り崩し工作があり、日本も米国から反対するよう促されたようだ。
 岸田文雄外相は決議に反対した理由として「核保有国と非核保有国の対立を一層助長し亀裂を深める」と述べたが「交渉に積極的に参加し、唯一の被爆国としてしっかり主張したい」と明言した。
 被爆者からは「本来先頭になって廃絶を叫ぶべきだ」と不満の声が上がっている。
 日本が交渉でどんな主張をしても、国内世論や世界の注目を集めるのは必至だ。
 決議の背景には、核軍縮への動きが鈍い核保有国への不満がある。決議の採択を阻止できなかった核保有国は条約の制定交渉には参加しない構えだが、後ろ向きな態度には納得できない。
 第1委は、日本が主導した核兵器廃絶決議案も、賛成多数で可決した。
 5月のオバマ米大統領の広島訪問を歓迎し、被爆の実相を知ってもらうため、世界の指導者らに被爆者との交流を促す内容だ。北朝鮮による核実験についても最も強い口調で非難している。
 米国など167カ国の賛成を得たことは、同種の決議を長年主導してきた日本の地道な努力の現れである。
 それでも、二つの決議で賛否を異にした日本の対応は、国内的にも国際的にも理解され難い。
 広島と長崎で甚大な核の惨禍を経験した日本には、核廃絶への決意を国際社会に態度で示す責務があるはずだ。
 核兵器禁止条約の制定交渉に向けて、日本が唯一の被爆国にふさわしい対応を取るよう求める。


[核禁止条約に反対] 「核の傘」依存が露骨だ
 核廃絶に向けた歴史的一歩となる決議の採決で、「唯一の被爆国」である日本が反対票を投じた。政府にも言い分はあるだろうが、情けない話である。被爆者の思いは踏みにじられ、国際社会からの信用にも傷がついた。
 国連総会第1委員会で、核兵器禁止条約の交渉開始を定めた決議案が採択された。
 核兵器を「違法な兵器」と明確に位置付け、開発や実験、保有、使用などを全面的に禁止する条約である。
 決議はオーストリアやメキシコなど非核保有国が主導し123カ国が賛成、米英仏ロの核保有国や日本など38カ国が反対し、中国など16カ国が棄権した。
 「本来先頭になって廃絶を叫ぶべきなのに」と、広島や長崎の被爆者が怒るのはもっともである。
 被爆者の声に心を動かされて反核運動に取り組んできた国際NGOからも批判の声が上がっている。
 決議に棄権することもできたはずなのに、あえて反対に回った理由は何なのか。
 米国が反対を求める書簡を北大西洋条約機構(NATO)諸国に送ったことが明らかになっている。日本政府にも同様の圧力があったのだろう。
 今回、第1委員会では日本が主導した法的拘束力のない核兵器廃絶決議案も賛成多数で採択されている。その際、昨年は棄権した米国が賛成に回った。
 核廃絶を訴えながら、禁止条約には反対するという分かりにくい態度に、米国の影がちらつく。
■    ■
 分かりにくさの背景には、ロシアのクリミア併合、北朝鮮の核・ミサイル開発など、冷戦の再来を思わせる安全保障環境の変化がある。
 米国による核抑止力の維持を、NATOやアジア太平洋地域の同盟国が求めているのである。
 戦争被爆国として「核なき世界の実現」を訴える日本も、現実には米国の「核の傘」に頼るという政策の矛盾を整理できていない。
 日本政府は決議に反対した理由を「北朝鮮の核・ミサイル開発に直面する中、核保有国と非核保有国の対立を深める」などと説明している。
 核拡散防止条約(NPT)で核保有国に「誠実に核軍縮交渉を行う」ことが義務付けられているにもかかわらず、遅々として進んでいないのが現状だ。
 「核の傘」への依存度が高まれば、北朝鮮の核開発に対する批判の正当性が弱まることを直視すべきである。 
■    ■
 核兵器の開発や使用を禁じる交渉は、来年3月以降本格化する見通しだ。
 核兵器使用は国際司法裁判所で国際法や人道法に「一般的に反する」との勧告的意見も出ており、非合法化に向けた具体的試みが持つ意味は小さくない。
 決議採択の原動力となったのは、核兵器の非人道性を訴えるNGO活動の広がりである。それを後押ししたのが被爆者一人一人の声だった。
 被爆者の人類史上の体験を核廃絶につなげていくため、政府は核抑止論を乗り越える道を打ち出してほしい。 


[核兵器禁止条約] 被爆国反対でどうする
 「核兵器のない世界を必ず実現する」(安倍晋三首相)
 「わが国のように核を保有している国々は、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」(オバマ米大統領)
 被爆地・広島で5月、日米首脳が世界へ発信したこの「誓い」はいったい何だったのだろう。
 「核兵器禁止条約」の制定交渉を、軍縮を討議する国連の委員会が来春から始めるという決議案に両国はこぞって反対した。
 米国は北大西洋条約機構(NATO)諸国に、「条約は国際的な安保体制を支えた戦略的安定性を崩す」として、反対するよう圧力をかけたとされる。日本にも同じメッセージが届いたという。
 これでは唯一の被爆国日本は圧力に屈し、米国は核なき世界を求める勇気がなかったに等しい。
 「満腔(まんこう)の怒りを込めて抗議する」(長崎の被爆者5団体)などと被爆地が憤るのはもっともだ。日本政府を厳しく指弾したい。
 決議案には日米を含む38カ国が反対したが、オーストリアやメキシコなど123カ国が賛成して採択された。中国など16カ国は棄権した。
 3月から核兵器を非合法化する作業が始まり、核廃絶へ向けた動きが本格化する。
 決議案が核兵器使用による破滅的な結末を深く懸念していたことから、まず使用禁止などが盛り込まれる見通しだ。
 仮に条約が制定されても、核保有国不在では核兵器の削減など実効性が乏しいのは否めない。
 しかし核兵器が違法との認識が広まれば、国際社会から保有国への削減圧力が高まることは期待できる。
 それなのに日本は「(交渉は)国際社会の総意の下で進めるべきだと主張したが、反映されなかった」(佐野利男軍縮大使)、「具体的で実践的な措置を積み重ね、核兵器のない世界を目指す日本の基本姿勢に合わない」(岸田文雄外相)などと反対した。
 では聞きたい。核兵器禁止が国際社会の総意になる日はいつ来るのか。具体的で実践的などんな措置を積み重ねてきたのか。
 そもそも日本や核保有国の「段階的で悠長」な核軍縮ではらちが明かないから、禁止条約へ各国を駆り立てたのではないか。
 それを後押ししたのが、被爆者たちが身をもって訴え続けた「核の非人道性」だった。
 北朝鮮が核開発を急ぎ、抑止力として日本が米国の「核の傘」の下にあるのは事実だ。だからといって、「核の非人道性」に被爆国が背を向けてはなるまい。


[川内原発再稼働] 知事は弱気になったか
 鹿児島県の三反園訓知事はおとといの定例会見で、定期検査で停止している九州電力川内原発1号機(薩摩川内市)の再稼働についてこう述べた。
 「私に稼働させるか否かの権限はない」とした上で、「仮に私がどういう対応をとろうが、九電は稼働させていくのではないか」と語った。
 まさか知事は再稼働をすんなり容認したわけではないだろうが、弱気に映る。だとすれば、これまで表明してきたことから大きく後退する。
 知事は12月8日に予定される1号機の再稼働に関し、「検討委員会の議論を踏まえて対応する」との考えを示してきたからだ。
 検討委員会は、原発の安全性や事故時の避難計画などを専門家が議論する県独自の組織である。
 全国では、廃炉に取り組む福島を除き、九電の原発が立地する鹿児島、佐賀両県以外の10道県に組織や制度がある。設置は知事の公約の目玉だった。
 しかし、知事は会見でも、設置時期や顔ぶれなど具体的な中身を明らかにしなかった。
 人選が難航しているのか。予算が伴う検討委設置は議会の承認が必要だ。副知事人事で最大会派の自民党県議団の反感を買ったような事態を避けるため、慎重になっているのか。
 これまでの進行状況について、会見で丁寧に説明すべきだ。30分で会見を打ち切るのも納得がいかない。
 逆に日程を考えれば、検討委の設置を急いでも再稼働期限までに十分な論議はできまい。ならば検討委の結論が出るまで再稼働の判断は先送りするのが筋である。
 そうした背景があるのだろう。知事は来月半ばに複数の専門家と川内原発を視察する考えだ。その結果を踏まえ、再稼働の判断を示す腹積もりのようだ。
 もしそうなら、大きな軌道修正である。専門家と言っても、短時間で判断できるものなのか。
 知事は就任後、熊本地震で高まった不安を受け、九電に2度の原発停止要請を行った。九電は拒否したが、その代わり知事は「特別点検」や避難支援などを引き出し、一定の成果を得たとの思いもあろう。
 しかし、懸命にやっているという姿勢を見せるだけで再稼働問題を乗り切ろうとするなら、「その場限り」との批判は免れまい。
 再稼働について知事の権限を具体的に定めた法律はない。だが、これまで再稼働には知事の同意が不可欠だった。知事の不退転の決意が厳しく問われている。


ヒラリーもトランプもTPP反対なのに日本だけがなぜ強行するのか? 安倍政権のTPPインチキ説明総まくり
「結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」と言ったのは誰だったのか。──安倍政権は早ければ11月1日に環太平洋経済連携協定(TPP)承認案と関連法案を衆院で強行採決する見込みだという。
 しかし、一体何のために政府はこれほどまでにTPPに前のめりなのか。安倍首相は「日米関係の強化」などと述べ、政府筋も「オバマが成立したがっているのだから仕方がない」と言うが、当のアメリカの世論はTPPに批判的で、トランプもヒラリーも反TPPの姿勢を強調。さらにオバマ大統領が任期中にTPP発効の承認を議会で得ることは難しく、アメリカが批准する可能性はゼロに近づきつつある。こうした事態に自民党の茂木敏充政調会長も「TPPも通せないような大統領は、私はアメリカの大統領じゃないなと思いますね」と言い出す始末だ。
「アメリカのためのTPP協調」だったならば、日本にもはや意味をなさなくなったはず。なのになぜ強行採決までして押し進めようと躍起なのか。その理由は、呆気にとられるようなものだ。
「オバマなんてたんなる言い訳で、TPPは経産省の“悲願”だからですよ。戦前、軍部が悲願のために暴走したのと同じで、走り続けてきたものをもう引き返せなくなっているだけ。とくに安倍首相の主席秘書官である今井尚哉氏は経産省出身で第二次安倍政権のTPP交渉を後押ししてきた人物。官邸も“TPPありき”で進んできたので、何の合理性もないんです」(大手新聞政治部記者)
 制御不能のフリーズ状態に陥りながら、満足な説明もないままTPP承認案・関連法案はいままさに強行採決されようとしているというのだ。国民を馬鹿にするにも程があるだろう。
 しかも、安倍政権は馬鹿にするだけでなく、嘘の説明によって国民をあざむき続けている。
 まず、安倍首相は「TPPの誕生は、我が国のGDPを14兆円押し上げ、80万人もの新しい雇用を生み出します」と今年1月の所信表明演説で述べたが、これは空言虚説と言うべき恣意的な数字だ。
 そもそも、安倍政権は2013年の段階では「TPPによって10年間でGDPが3兆2000億円上昇」と公表していたが、これに対して理論経済学や農業経済学、財務会計論などの多岐にわたる研究者たちで構成された「TPP参加交渉からの即時脱退を求める大学教員の会」は、同年、「GDPは約4兆8000億円減少」「全産業で約190万人の雇用減」という影響試算を出している。
 さらに、アメリカのタフツ大学も今年1月、「日本のGDPは10年間で0.12%(約56億4000万円)減少、約7万4000人の雇用減」という影響試算を公表。これらは政府とはまったく真逆の評価だ。
 この影響試算の食い違いについて、元農林相でTPP批准に反対してきた山田正彦氏は著書『アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!』(サイゾー)で、政府試算は〈関連産業や雇用への影響など、ネガティブな面を考慮に入れず、地域別の試算もなされていないため国民生活への悪影響が出てこない〉ものだとし、一方の「大学教員の会」やタフツ大学の試算はネガティブな面も含めて試算された結果であることを指摘している。つまり、政府試算は〈ネガティブな面をほぼ無視した数字〉でしかないのだ。
 しかも、安倍首相は昨年10月のTPP大筋合意の後の記者会見で、農産物重要5品目(コメ、麦、牛肉、豚肉、乳製品、砂糖)の“聖域”を死守したとし、「国民の皆様とのお約束はしっかりと守ることができた」「関税撤廃の例外をしっかりと確保することができました」と語ったが、これもとんだ詭弁だ。山田氏は前掲書で、〈重要5品目の分野が586品目あり、そのうちに関税が撤廃されるものは174品目、残りは関税が削減されるものなので、それだけでも約3割は「聖域は守れなかった」と断定できる〉と批判する。
 さらに、同年11月に公表された協定案では、アメリカ、オーストラリアなど5カ国と、相手国から要請があれば協定発効から7年後には農林水産物の関税撤廃の再協議に応じる規定があることがわかった。これはあきらかに日本を狙い撃ちした規定であり、7年間の“執行猶予”を与えられただけだったのだ。
 にもかかわらず、テレビは大筋合意を政権の言うままに「歴史的快挙」などと大々的に取り上げ、「牛肉や豚肉が安くなる」「これで品薄状態のバターも安価で手に入りやすくなる」などと強調。報道によって、他方で甚大なリスクがあるという事実を隠してしまったのだ。
 少し考えればすぐわかるように、輸入品が増えることによって国内の農畜産物が大打撃を受けることは明々白々で、廃業に追い込まれる生産者は続出するだろう。となれば、食料自給率も低下するのは必然だ。日本の食料自給率は2015年のデータでもカロリーベースで39%と主要先進国のなかでも最低水準なのだが、農林水産省は2010年の試算でTPPが発効されれば食料自給率は14%に低下すると発表している。それでなくても命に直結する食を海外に依存している状態であるのに、もしも気候変動で農作物が凶作となり輸入がストップしても、そのとき国内に広がっているのは生産者のいない荒廃した農地だけだ。
 それだけではない。アメリカなどでは牛肉や豚肉、鶏肉などに発がん性リスクが懸念されている成長ホルモン剤を使っており、食肉だけではなく牛乳などの乳製品にも健康リスクへの不安は高まる。くわえて心配なのが、遺伝子組み換え食品の問題だ。前述した山田氏は〈TPP協定では、何とこれらの遺伝子組み換え鮭など数多くの遺伝子組み換え食品を安全なものとして、域内での自由な貿易を前提にさまざまな規定が置かれている〉と指摘し、現行では遺伝子組み換え食品には表示がなされているが、これもTPP協定下ではできなくなってしまう可能性にも言及。そればかりか、「国産」「産地」といった表示もできなくなる可能性すらあるのだという。
 しかし、こうした問題点は氷山の一角にすぎない。TPPをめぐる問題は、挙げ出せばキリがないほど多岐にわたる。たとえば、山田氏が前掲書で提起している問題を一部だけ取り出しても、この通りだ。
・リンゴやミカンなどの果樹農家が打撃を受け、水産業・関連産業で500億円の生産額減少
・残留農薬や食品添加物などの安全基準が大幅に下がる
・薬の臨床試験や検査が大幅にカット。また、ジェネリック薬品が作れなくなる可能性
・医薬品はさらに高額となり、タミフル1錠7万円のアメリカ並みかそれ以上に
・健康保険料が現在の2〜3倍になり、国民皆保険も解体される可能性
・パロディなどの二次創作物が特許権に反するとして巨額の損害賠償を求められるように
・政府はプロバイダを規制できるようになるため「知る権利」「表現の自由」が大きく損なわれる
・外国企業から訴えられるために最低賃金引き上げができなくなる
 そして、最大の問題が、「ISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項)」だ。前述した遺伝子組み換えの食品表示などもISD条項が問題の根本にあるが、それはISD条項が企業などの投資家を守るためのものであるためだ。しかも、国内法ではなく国際仲裁機関が判断を下すISD条項は、〈最高裁判所の判決よりも、ワシントンD.C.の世界銀行にある仲裁判断の決定が効力を生じることになっている〉(前掲書より)。これは日本国憲法76条第1項「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」に反することになる。さらに〈私たちに憲法上保障されている基本的人権もTPP協定によって損なわれていくことになる。憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるが、TPPでは貧富の格差がさらに拡大して、金持ちでないと医療も受けられず、安全な食料も手に入らなくなってくる〉のだ。
 昨年、来日したノーベル経済学者のジョセフ・E・スティグリッツ教授は「ISD条項で日本国の主権が損なわれる」と指摘したというが、この言葉通り、TPPはわたしたちのいまの生活を悪化させるだけでなく、憲法という根底さえも崩す。そう、「TPPは、グローバル企業のロビイストたちが書き上げた世界の富を支配しようとする管理貿易協定」(スティグリッツ教授)でしかないのだ。
 このような問題点は国会でも野党が追及、参考人質疑でも専門家から厳しく指摘がなされたが、安倍首相は「TPP協定には、わが国の食品の安全を脅かすルールは一切ない」などと大嘘をつくだけで、同じように山本有二農水相も石原伸晃TPP担当相も納得のいく具体的な説明を一切行っていない。情報開示を求められた交渉記録さえ、いまだ黒塗りのままだ。
 国民からあらゆるリスクを隠蔽し法案を強行採決する──特定秘密保護法や安保法制でも安倍首相のそのやり口を見てきたが、またしても同じことが、いままさに繰り返されようとしているのである。
(野尻民夫)

箕面の図書館で三陸新報・河北新報・石巻日日新聞

ブログネタ
フランス語 に参加中!
NO!OSPREY

La série Jeu, Set et Match ! bientôt en Blu-ray au Japon
La série animée Ace wo Nerae!, alias Jeu, Set et Match ! chez nous, va se voir éditée au haute définition au format Blu-ray au Japon chez l’éditeur Victor.
Série de 26 épisodes basée sur le manga de Sumika YAMAMOTO, elle fut produite entre 1973 et 1973 par le studio Madhouse pour le compte de TMS (Tokyo Movie Shinsha), dirigée par feu le célèbre réalisateur Osamu DEZAKI (Ashita no Joe, Cobra, Lady Oscar) sur un chara-design d’Akio SUGINO (Ashita no Joe, Cobra, Lady Oscar, Cat’s Eye) et de Takeo KITAHARA (Lupin III: Part II).
Deux Blu-ray Box seront proposées (contenant 5 disques chacune) : la première contiendra l’intégralité de la série Ace wo Nerae! (634 minutes environ) remasterisée en haute définition via la réutilisation des films 35mm originaux, et sera disponible à partir du 14 décembre prochain
La seconde contiendra sa séquelle de 25 épisodes (611 minutes environ) produite entre 1978 et 1979, Shin Ace wo Nerae! , remasterisée en haute définition via la réutilisation des films originaux 16mm, disponible le 15 février 2017.
Les box contiendront, chacune, un livret de 20 pages contenant des entretiens avec Osamu DEZAKI et d’autres personnes ayant travaillé sur les séries ainsi qu’un carnet d’illustrations de 40 pages
Elles seront proposées pour 24.800 yens H.T. l’une.
フランス語
フランス語の勉強?
ETV特集「事態を侮らず 過度に恐れず〜“福島プロジェクト”の挑戦〜」
毎月福島に通って、不安を拭えない住民の依頼で放射線を測定、専門家の視点からアドバイスを続けている人たちがいる。科学者とエンジニアで結成したボランティア集団「福島プロジェクト」。リーダーは安斎育郎さん(76)、反原発の論客として知られた放射線防護学者である。「福島プロジェクト」の基本方針は「事態を侮らず、過度に怖れず、理性的に向きあう」。彼らの活動を追いながら、事故から5年半経った福島の現実を描く。
安斎育郎, 濱中博久

人生デザイン U−29「保育施設職員」
元山ビアンカ美恵子さんは、山梨県中央市の保育施設で働く24歳。乳幼児のお世話をしながら日系人の子どもたちに日本語を教えている。8歳で来日し、日本の学校になじめず、つらい経験をしたビアンカさん。自分と同じような思いをしてほしくないと1年前からこの施設で働き始めた。今、ビアンカさんが気にかけているのは小学6年のアナちゃん。引きこもりがちで一歩が踏み出せないアナにビアンカが取った行動とは?
松坂桃李

助けて!きわめびと「たまった疲れを すっきり解消!」
科学的な疲労研究が明らかにしたとっておきの疲労回復法をご紹介。キーワードは「脳」。ちょっとした工夫で疲労回復のカギとなるある行為の質が大幅に改善するといいます。
スマホの使いすぎで目の疲れを感じたり、歩き続けて足の疲れを感じたりしますが、実は疲労を感じたときに最も疲れているのは「脳」。これが、今回のきわめびと、疲労科学のスペシャリストたちが明らかにしてきた最大のポイントです。本当に効果のある疲労回復法もわかってきました。これまでの疲労回復法は正しかったのか?科学的に意味のある疲労回復法とはどんなものなのか?疲労研究の最新の成果をおしみなく伝授します。
三宅裕司,松嶋尚美,一柳亜矢子,梶本修身, 本上まなみ

ろうを生きる 難聴を生きる「支えあう日々」(後編)
琵琶湖の沖島。ここにある老夫婦が暮らしている。ろうの中島孝さんと、足に障害がある多賀子さんだ。漁や畑仕事をしながら支えあう2人を、2回にわたり追う。今回は後編。
長い夫婦生活の間にはさまざまなことがあった。出会ったばかりの頃、孝さんは多賀子さんと離れて歩くことがあった。足について人目を気にしていたのだ。他にも問題があった。当時、多賀子さんは手話ができなかった。そのため悩みを相談しようにも会話が通じず、ストレスがたまった。そうした中、孝さんは行動で誠意を見せようとする。こうしてふたりの絆は次第に深まっていった。後編では、これまでのふたりの歩みを振り返る。
佐田明,高山久美子

NHKスペシャル「あなたもなれる“健康長寿” 徹底解明 100歳の世界」
過去最高の6万5千人を超えた100歳以上の“センテナリアン”。最新科学で、誰でも実践できる「健康長寿」の秘密が明らかに。105歳の医師・日野原重明さんと迫る!
「実は誰でも健康長寿を実現できる!」そう断言するのは、今年105歳となった医師の日野原重明さん。番組には、世界最高齢116歳の女性や、100歳を超えてもボーリングや水泳を楽しむ“スーパー高齢者”が次々と登場。最新の科学で「センテナリアン(百寿者)」たちの、健康の秘密に迫る。そこには人類が健康長寿を実現するカギが隠されていた!そして健康長寿は、遺伝だけではなく“誰もが実践できる”可能性があった!
日野原重明,鍋島陽一,都築毅, 三宅民夫,桑子真帆


角岡伸彦さんの講演を聞きに箕面に行きました.箕面は2回目です.駅前の商店街を通って,適当にお店に入ってランチ.ワンちゃんOKのお店でした.
そこから会場まで歩いていきます.人通りがほとんどなくちょっと心配になってきましたが,池が見えるあたりで人が増え始め,無事にたどり着きました.
角岡さんの快適なテンポのお話は面白く,「肩ひじ張らずに」部落問題を考えることができる感じでした.「肩ひじ張らずに」というのは,変な言い方かもしれないのですが,本音で語り合うための第一歩ではないかと思われます.建前の「差別はいけない」で終わらせない何かがあるような気がしました.
1階の図書館でぶらぶらすると,新聞がありました.赤旗とか公明新聞とか興味ないのですが,河北新報・三陸新報
・石巻日日新聞など東北地方の,正確に言えば東日本大震災で被害を受けた地域の新聞がありました.地域の新聞とはいえ,震災のこと以外も乗っているわけですが,少なくとも「震災を風化させない」という強い意志を感じ,わたしはとてもうれしく思えました.

<大川小訴訟>遺族「これ以上苦しめないで」
 石巻市大川小津波訴訟で28日、亀山紘市長が控訴する方針を固めたことを受け、原告遺族に怒り、落胆が広がった。「これ以上、苦しめないで」。悲痛な声も漏れた。
 6年生だった長男大輔君=当時(12)=を亡くした原告団長の今野浩行さん(54)は「犠牲になった子どもの命や未来の命よりも、組織や自分の立場を守るために裁判と向き合っている」と憤る。
 なぜ、大川小の74人の児童が学校管理下で亡くなったのか。真実を知ることは裁判でもかなわなかった、と今野さんは感じる。「裁判は結果が目的ではない。市は控訴した場合、行政や教育関係者が子どもの命を守らなくてもいいとの主張を繰り返すのか」と語る。
 仙台地裁判決が言い渡された26日、主張が退けられた亀山市長は「結果について大変重く受け止めている」と述べていた。
 3年生だった一人娘の香奈さん=同(9)=を失った原告の中村次男さん(42)は「判決から2日しかたっておらず、即日控訴のようなもの」と、性急な亀山市長の判断を批判する。
 30日の市議会臨時会で市は控訴に関する議案を提出する。焦点となる市議会の対応に、中村さんは「学校や市教委の事後対応でも深く傷ついた。裁判を長引かせ、亡くなった子どもたちや遺族をこれ以上、苦しめないでほしい」と訴える。
 津波で被災した大川小校舎には28日も、多くの人が献花などに訪れた。
 子どもたちの冥福を祈った埼玉県戸田市の無職大矢美菜子さん(47)は「原告、被告のどちらの主張が正しい、と軽々しくは言えない。ただ、先生たちは子どもたちを津波被害に遭わせたいわけではなかったと思う」と話し、「大川小のような悲劇が二度と起きないよう全国の教育現場で対策を講じてほしい」と求めた。


大川小津波訴訟 悲劇繰り返さぬために
 東日本大震災で津波にのまれて犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の児童の遺族が損害賠償を求めた裁判。仙台地裁は「津波の襲来は予見できた」として、合わせて約14億2600万円を支払うよう市と県に命じた。
 なぜ、わが子は死なねばならなかったのか−。遺族は子どもたちの写真とともに「先生の言うことを聞いていたのに!」というメッセージを掲げた。問われたのは、地震発生から津波がやってくるまでの約50分間、学校側の行動が適切だったかどうかだ。
 大川小ではいったん児童を校庭に避難させたが、津波発生を知らせる広報車の放送を受けて、約150メートル離れた堤防「三角地帯」へ向けて移動を開始する。その途中で津波にのまれ、児童74人と教職員10人が犠牲になった。
 広報車の放送から、津波が来るまでは約7分間。判決は、わずか1〜2分で行き着く裏山に逃れていれば、子どもたちは助かっていた可能性が高いと認定した。
 児童とともに教職員も亡くなっており、その責任を問うのは酷かもしれない。震災後の保護者説明会で、石巻市の亀山紘市長は子どもたちの犠牲を「自然災害における宿命」と述べていたが、本当にそうだろうか。巨大災害だからやむを得なかったのだと目をそらして思考停止に陥ってしまっては、ふたたび悲劇を繰り返すことになりはしないか。
 今回の判決で、学校現場には重い責任が突きつけられた。菅義偉官房長官は「効果的な防災教育や避難訓練により、災害時に児童、生徒の安全が確保されるようしっかり取り組んでいきたい」と表明した。子どもたちが自ら命を守る行動をとれるよう徹底するとともに、教職員に対しても極限状態に置かれてもより適切な判断ができるように防災教育を見直していかねばならないだろう。
 佐賀県の場合は巨大津波に襲われる可能性は低いが、人ごとと済ませるわけにはいかない。もはや日本列島のどこにも災害と無縁な場所はないからだ。東日本大震災後も、熊本地震をはじめ各地で地震が頻発し、台風など異常気象も猛威を振るう。原発の事故も忘れてはならない。
 学校の多くは地域住民の避難場所に位置づけられ、安全性が高いと考えられてきた。今回の大川小にしてもハザードマップでは津波の浸水想定区域の外にあり、避難場所に指定されていた。従来を超える「想定外」を、いかに想定するか、その努力が求められているわけだ。
 石巻市は判決を不服として控訴する方針を決めた。遺族にとってはつらい時間が続くが、さらなる真相究明を望みたい。
 今回の判決で、助けられたはずの命が失われた状況が浮き彫りになったが、学校側はこれまで児童から聞き取り調査した資料を廃棄するなど、不可解な行動を見せている。唯一生き残った男性教諭の説明と、児童らの証言には食い違いが残ったままだ。真相はいまだ闇の中にある。
 私たちは災害の時代に生きている。大川小の校舎は「震災遺構」として保存される。悲劇を二度と繰り返さないという決意とともに、学校現場が、保護者が、それぞれの足元から防災体制を見直すきっかけにしたい。(古賀史生)


<学校と命>避難方針事前に共有を
◎大川小津波訴訟の教訓(2)判断
<重苦しい雰囲気>
 「自らの判断で児童の安全を優先し、裏山への避難を決断すべきだった」
 仙台地裁で26日にあった石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決は、教員の判断ミスが児童の犠牲を生んだと指摘した。
 判決直後、「勝訴 子供たちの声が届いた!!」と書かれた横断幕を掲げた遺族だが、その後の記者会見は原告敗訴のような重苦しい空気に包まれた。
 最大の争点だった「津波の予見可能性」について、司法は襲来直前のわずかな時間しか認めなかった。「判決骨子」「判決要旨」「判決文」と読み進めるうち、遺族の落胆は深まっていった。
 津波を予見できたタイミングについて、地裁は市の広報車が高台への避難を呼び掛けた3月11日午後3時30分ごろと認定。津波が襲来した午後3時37分ごろまでの「7分間」限定で教員の過失を認めた。
 遺族側代理人の吉岡和弘弁護士は記者会見で「大津波警報が出たら子どもたちを避難させなければならない、という当たり前のことをきちんと認定してほしかった」と語気を強めた。
 地震から津波到達までの51分間、校庭のスピーカーは大津波警報の発令を伝え、教職員はラジオで津波の情報を得ていた。亡くなった6年生の男子児童は「先生、山さ逃げよう」と訴え、女性保護者は「津波が来る。山に逃げて」と叫んでいた。
 教職員と児童が北上川堤防道路(三角地帯)に向けて移動を始めたのは津波襲来の直前。授業で登ったことのある140メートル先の裏山は「小走りで1分、歩いて2分」(判決文)だった。
<疑問残ったまま>
 いくつもの警報や警告は避難行動に生かされず、司法は「津波襲来7分前」以前の「判断」は問題視しなかった。「なぜ、避難しなかったのか」。遺族の「なぜ」は判決後も疑問符が付いたままだ。
 「経験したことのない揺れに津波が来ると思った。校舎は倒壊しかねないと、注意されたが、子どもを守ることが最優先だった」
 海から3キロ離れた石巻市開北小の校長だった岸澄夫さん(66)は、校舎倒壊の危険性と津波被害のリスクを天秤(てんびん)に掛け、児童を2階、3階と上の階に避難させ、命を守った。
 石巻市内の小中学校64校のうち、1校を除き、市の津波浸水予想区域外にある。大川小を除く31校では、高台や校舎上階などに避難先を次々と変え、刻一刻と変化する緊急事態に対応した。
 下校時を除くと、学校の管理下で児童生徒が犠牲になったのは大川小だけだ。遺族の一人は「大川小では万が一、津波が来なかった場合を考えたのではないか。けがをしたときの責任問題を避けたかったのかも」といぶかる。
 早稲田大の西條剛央客員准教授(心理学)は「事なかれ主義は大川小に限った話ではない。協調性を重視し、リーダーシップが育ちにくい日本だからこそ、重要な避難方針を事前に共有すべきだった」と指摘する。


<大川小訴訟>石巻市が控訴へ 宮城県同調か
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、学校の責任を認めた仙台地裁判決を不服として、市が控訴する方針を固めたことが28日、分かった。市議会の議決を経て正式に決める。県も市に歩調を合わせるとみられる。控訴期限は11月9日。
 亀山紘市長は河北新報社などの取材に「判決は学校の防災教育に非常に大きな影響を与える。津波到達を予見できたかどうかという点と、結果回避責任については受け入れられない内容を含んでいる」と述べた。
 市は30日に市議会臨時会を招集し、控訴提起に関する議案を提出する。
 村井嘉浩知事は「石巻市から正式な話はまだ聞いていないが、足並みをそろえていくことになる。市とよく話し合いながら対応を判断したい」と話した。
 一方、遺族側代理人は「控訴は遺憾。本来は期限まで熟慮して判断すべきだ。亀山市長が軽々に判断したことに、遺族は強い憤りを感じている」と非難した。
 26日に言い渡された判決は「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と判断。計約14億2660万円の支払いを命じた。
 判決によると、2011年3月11日午後2時46分に地震が発生し、大川小教職員は約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。午後3時37分ごろ、校庭近くの北上川堤防付近(三角地帯、標高約7メートル)へ向かう途中で高さ8メートルを超す津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。
 地裁は「津波が来る7分前の午後3時30分ごろ、市広報車が高台への避難を呼び掛けており、教員らはこの段階で大津波の襲来を予見し、認識した」と認定。「裏山は避難場所として何ら支障がなく、堤防付近への避難は不適当だった」と結論付けた。


<大川小訴訟>市長「予見可能性で譲れない点」
 大川小津波訴訟で控訴の方針を固めた石巻市の亀山紘市長は28日正午ごろ、市役所で報道陣の取材に応じた。一問一答は次の通り。
 −控訴する理由は。
 「学校管理下で多くの児童が命を失ったことに、遺族の方々には申し訳ないと思っているが、判決を見た限りでは(津波を)予見できたかどうかという点と、結果回避責任について受け入れられない内容も含んでいたので控訴したい」
 −遺族感情についてはどう思うか。
 「私どもとしてはこの裁判で、これまで主張してきた点について譲れない点がある。そこは二審でしっかり述べていきたい」
 −控訴しないという選択肢はなかったのか。
 「控訴しない方向もあったと思うが、判決を見ると学校の防災教育に非常に大きな影響を与える内容になっている。私としては今後のことを考えて控訴すべきであろうと判断した」
 −学校防災に与える影響とはどういうことか。
 「結果回避責任に対して亡くなられた先生に対する思いというか、(先生たちも)しっかり頑張って何とか子どもたちを助けたいという思いで行動されたと思う。そういう面では、判決のように先生たちに全て責任を負わせるのは私としても非常につらい」
 −午後3時半ごろには津波を予見できたとする判決については。
 「津波が来るまで7分間。その7分間でも行動は取ったわけです。ただ、避難先の問題になるが、7分間で判決内容のように裏山に逃げることができたかというと、私としては非常に難しかったのではないかと思っている」


<大川小訴訟>教員遺族は控訴に期待
 石巻市大川小津波訴訟で、市が控訴する方針を固めたことを受け、亡くなった教員の父親は取材に「このまま教員だけが悪者にされるのは親として惨め。市は改めて法廷できちんと主張してほしい」と期待を込めた。
 仙台地裁判決は、教員の避難判断の過ちが児童の犠牲を招いたと断じた。父親は「過去に同じような判決を出した裁判長なので覚悟はしていたが、やはりショック。言葉が出ないくらいの衝撃を受けている」と打ち明けた。
 司法は「裏山へ避難すべきだった」とも指摘した。父親は「裏山は昔からあった。なぜ、当時、学校にいた教職員10人だけが責めを負うのか。(津波が来たら)裏山に登ると決めておけば良かった」と疑問を呈した。


<大川小訴訟>控訴へ石巻市議会判断難しく
 宮城県石巻市大川小津波訴訟で、市が28日、控訴する方針を固めたことを巡り、30日に開かれる市議会臨時会での議論が注目される。急きょセッティングされたため、臨時会は異例の日曜開催。控訴の議案が可決されれば市は控訴の手続きに入るが、再び遺族側と争うことに否定的な市議もいる。市議会がどんな結論を下すのか、難しい判断が求められそうだ。
 28日午前、市幹部が丹野清議長を訪ね、「控訴したいので議会を開いてほしい」と伝えた。
 丹野議長は「控訴の中身について議場で説明を受け、各議員がどう反応するのか。いずれにしろ慎重に考えなければいけない」と語る。
 現在の議員数は29人。最大会派のニュー石巻(12人)は是々非々の立場を取り、阿部欽一郎会長は「30日午前に会派としての対応を決めたい」と話す。
 ただ同会派の森山行輝議員は「個人の意見」とした上で「判決を受け入れるべきだ」と指摘。亀山紘市長が2011年6月の保護者説明会で「自然災害の宿命」と発言したことを巡って市議会で追及した経緯もあり「はじめから真摯(しんし)に対応する必要があった」と振り返る。
 亀山市長に批判的な黒須光男議員は「被災弱者の気持ちを逆なでして、政治家としてのモラルがない」と話した。
 30日の臨時会では、控訴の議案と、控訴に伴う訴訟関係費を追加する本年度一般会計補正予算の議案が審議される。


<仮設住宅>仙台の全入居者が退去
 東日本大震災の被災者が暮らした仙台市内のプレハブ仮設住宅から28日、全入居者が退去した。プレハブ仮設住宅の解消は、津波被害を受けた宮城県内の沿岸市町では岩沼市に次いで2例目。仙台市は来年3月末までに市内全18カ所の仮設住宅団地のプレハブ解体、撤去を目指す。
 宮城野区の岡田西町公園仮設住宅で28日夕、最後の入居者だった建設業鈴木正典さん(40)一家が市建設公社に住戸の鍵を返し、退去手続きを終えた。5年4カ月暮らした鈴木さんは「ここにはもう戻ってこないだろう。ちょっと寂しい」と話した。
 市内では2011年4月完成のあすと長町(太白区)を皮切りに、18カ所で計1505戸のプレハブ仮設住宅が整備された。ピーク時の12年3月末には、1346世帯3042人が暮らした。
 市は入居者への戸別訪問や情報提供などで住まいや生活の再建を支援。今年7月には市内で最後に完成した六郷災害公営住宅(若林区)への入居が始まり、仮設住宅の解消が進んだ。
 あすと長町仮設団地で17日に住宅の解体作業が始まったのを皮切りに、残る17団地でも11月以降に解体作業が本格化する。
 一方、市内では今月1日現在、借り上げの民間賃貸住宅や公営住宅などの「みなし仮設住宅」に1029世帯2369人が住む。市仮設住宅室は「今後も今までと変わらず、入居者への支援を続ける」と話す。


<仮設住宅>「みなし」入居なお1000世帯
 東日本大震災に伴う仙台市内のプレハブ仮設住宅は28日に解消されたが、民間賃貸住宅や公営住宅などを活用した「みなし仮設住宅」には依然、1029世帯2369人(1日現在)が暮らす。ほとんどが市外からの避難世帯だ。戻りたくても避難元の災害公営住宅の整備が遅れたり、健康や家賃負担に不安を抱えていたりする。生活再建へ市や関係団体は引き続き支援する。
 仙台市内のみなし仮設の入居者のうち、市外からの避難者は961世帯で93%を占める。避難元は石巻市が最も多く273世帯。南相馬市が215世帯、名取市が149世帯と続く。
 みなしを含む仮設から民間賃貸住宅への転居について、仙台市の委託を受ける「仙台市住まいと暮らしの再建サポートセンター」は2015年度に55件、16年度は111件(9月現在)の転居先決定を支えた。物件探しから転居後のケアまで支援は複数回に及ぶケースが多く、半年間の対応件数は延べ千数百件に上る。
 みなし仮設の入居者も、家賃負担が難しい生活困窮者や、通院、介護で居住環境の変化を望まない高齢者など事情はさまざま。退去期限が迫り慌てて探し始める傾向もあるという。
 センターの氏家武則課長(41)は「引っ越しシーズンに入る1月中旬以降は、物件が限られてしまう。家賃や環境を比較できる選択肢が多いうちに転居先を選び、安定的に生活できるよう支援したい」と言う。
 みなし仮設は退去期限が、避難元の自治体や契約時期などによって異なり、仙台市では来年4月以降も約800世帯が残る見通し。市生活再建推進部の佐藤俊宏部長は「納得できる転居先が見つかるよう関係機関と連携し個別支援に力を入れる」と話す。


<復興へのリレー>病に負けず向上心強く
◎石巻・スポーツの群像(4)車いすバスケットボール「宮城MAX」本田怜さん
 車いすバスケットボールの強豪「宮城MAX(マックス)」の副主将、本田怜(りょう)さん(30)がシュートを放つ。子どもたちが本田さんから教えを請う。
 仙台市宮城野区の体育館で8月にあった車いすバスケの体験教室。指導を受けた中学3年伊藤明伸さん(14)は「宮城マックスで一緒にプレーしたい」と声を弾ませた。幼稚園から車いす生活。今年6月に車いすバスケを体験するまで、思い切り車いすを走らせることはなかった。
<事故で脊髄損傷>
 本田さんは石巻市南境地区出身。歩いた記憶はほとんどない。1歳の時に交通事故で脊髄を損傷、3歳ごろから車いすが体の一部となった。幼少時は水泳に励み、高校では往復約6キロの通学路を車いすで通った。
 車いすバスケとの出合いは2001年、宮城県であった全国障害者スポーツ大会だ。中学生で水泳の県代表として出場した際、偶然、車いすバスケの練習を見た。「格好いいな」。高校から県内のチームで競技を始め、04年に宮城マックスへ移った。
 車いすバスケは障害の程度に応じて1〜4.5点の持ち点が与えられる。1点が最も障害が重い。コート内の5人の合計は14点以内と定められている。5人の組み合わせが戦略の鍵を握る。1点の本田さんは障害が軽い味方のプレーを生かすべく、攻守にわたり献身的に動く。
 大学時代、23歳以下日本代表として世界選手権で準優勝するなど順風だったが、暗雲が垂れ込める。背骨が極度に曲がって内臓などを圧迫する「側湾(そくわん)症」を患い、チームを離れた。
 それに東日本大震災が追い打ちを掛ける。仙台市の職場にいた本田さんは無事だったが、石巻市釜谷地区の親族が津波の犠牲となった。「いたたまれなかった。被害を受けた石巻のことを思うとつらかった」
<東京パラ見据え>
 15年1月、チームに戻った本田さんは、背中の痛みと闘いながら、ガードとしてレベルアップを目指した。チームには、リオデジャネイロ・パラリンピック日本代表のガード藤井新悟さん(38)=秋田県美郷町出身=らがいる。
 藤井さんは言う。「彼は30歳でチームの中堅。志があり、向上心が強いが、人の良さから控えめな面がある。もっと感情をむき出しにしていい」
 チームは今年5月、日本選手権で8連覇を果たした。本田さんは終盤に出場し初めて決勝の舞台を踏んだ。異様な雰囲気にのまれたが、貴重な経験を積んだ。
 「車いすバスケを通じて石巻を元気にできたらいい。20年東京パラリンピックでプレーすることが恩返しになる」。前を見据えて力を込めた。


震災犠牲者の詩を歌に
東日本大震災の津波で犠牲になった男性が作った詩に、曲をつけた歌を披露するコンサートが大槌町で開かれました。
披露されたのは、東日本大震災の津波で犠牲になった大槌町の山崎正通さんが作った「大槌川の詩」という詩に曲をつけた歌です。
この詩は、地元を流れる大槌川で生まれ、多くの困難を乗り越えて再び川に帰ってくるサケを題材にしたもので、地元の小学校では震災の前、朗読の教材に使われていました。
会場の大槌町の大念寺には、山崎さんを知る地元の人などおよそ40人が集まり、震災のあと町内でコンサートを行っている横浜市のグループが歌を披露すると、大きな拍手が送られていました。
大槌町の85歳の男性は「歌を聴いて感動しました。山崎さんはほんとうによい詩を残してくれたと思いました」と話していました。


防災林復活へ 東松島で植樹式
東日本大震災で大きな被害を受けた東松島市の沿岸部に防災林を復活させようと、アカマツなどの苗木を植える植樹式が行われました。
東松島市の浜市地区の海岸には、風や砂を防ぐ防災林が広がっていましたが、震災の津波でほとんどが流されました。
防災林を復活させようと29日は、市の職員や地元のボランティア団体など、およそ60人が集まり、海岸からおよそ200メートルほど離れた場所に苗木を植えました。
植えたのはアカマツのほか、山形の小学生から贈られたクロマツなどあわせて3000本あまりで、防災林となるのはおよそ30年後だということです。
東松島市の小野英治産業部長は「たくさんの人の協力があって植えることができました。子どもたちが大きくなるころに防災林としてしっかりと役割を果たしてほしい」と話していました。
東松島市では防災林の復活に向け平成27年、野蒜地区で植樹が行われていて、11月には大曲浜地区でもアカマツの苗木が植えられるということです。


<台風10号>被災地食材の料理で応援
 台風10号豪雨で被災した岩手県岩泉町や久慈市の生産者を支援しようと、県内などのシェフたちが28日、盛岡市のイタリア料理店「dacotta(ダコッタ)」で食事会を開き、被災地産食材を使ったフルコースを提供した。被災から30日で2カ月。収益全額を農家や漁業者に寄付し、再建に役立ててもらう。
 同市のイタリア料理店「Ristorante SHIKAZAWA(リストランテ シカザワ)」の鹿沢靖幸さん(36)ら県内のシェフ4人が中心となって企画した。鹿沢さんが東日本大震災の復興支援イベントを通じて知り合った石巻市と東京のシェフ3人も協力した。
 食材は各シェフが被災地に出向き、農家や漁業者約30人から買い付けた。久慈市山形町産の短角牛の薄切りステーキなど計8品の料理が、次々とテーブルに運ばれた。
 紅色の皮が特徴の岩泉町安家地区の伝統野菜「安家(あっか)地大根」で色付けしたポタージュや、同町で冬場の保存食とされるドングリを粉末状にして練り込んだパスタも登場。趣向を凝らしたフルコースは1人前1万5000円で、参加した市民約30人が舌鼓を打った。
 鹿沢シェフは「以前から被災地産の食材を店で使っていたので、何か恩返しをしたいと思っていた。被災地の食材と食文化に興味を持ち、足を運んでもらえたらうれしい」と話した。
 収益は生産者たちと相談し、配分や活用方法を決めていくという。


<三陸沿岸道>20年度に9割開通が確定
 国土交通省は28日、仙台市と八戸市を結ぶ三陸沿岸道と岩手、福島両県の横断道路の一部区間について開通見通しを発表した。三陸沿岸道は総延長359キロのうち、約9割に当たる320キロが2020年度までに開通することが確定した。
 発表された開通見通しは表の通り。宮城県内の三陸沿岸道は仙台港北インターチェンジ(IC)−気仙沼港IC間114.5キロが20年度中につながる。
 三陸沿岸道で開通見通しが立っていないのは、岩手県内が普代村の普代バイパス−久慈IC間25キロと田野畑南IC−田野畑IC間の6キロ。用地取得や橋の工事が難航している。宮城県内は気仙沼港IC−唐桑南IC間7.3キロ。気仙沼湾をまたぐ横断橋の工期が定まっていないという。
 宮古、盛岡両市を結ぶ宮古盛岡横断道は総延長66キロのうち59キロ、東北中央自動車道の相馬−福島間45キロのうち、42.2キロの開通日程が固まった。
 いずれの道路も、東日本大震災の復興期間で最終年と定めた20年度までの完成を目標とした。東北地方整備局は「開通見通しが未定の区間の作業を急ぎたい」と説明する。


<三陸沿岸道>岩手・宮城から歓迎の声
 国土交通省が三陸沿岸道路(八戸−仙台、359キロ)や東日本大震災の沿岸被災地と内陸を結ぶ横断道路の新たな開通見通しを示した28日、岩手、宮城両県の自治体や経済関係者は「復興や経済再生の後押しになる」と歓迎した。
 三陸沿岸道路は約9割に当たる320キロが2020年度までに開通することが確定した。仙台市から気仙沼市までは18年度につながる見通しとなった。
 気仙沼市中心部の気仙沼インターチェンジ(IC)までつながるのは20年度。それまでの間も国道45号津谷バイパスや18年度完成の本吉−気仙沼IC経由によりアクセスが便利になる。
 菅原茂市長は「鳴瀬奥松島IC(東松島市)以北は無料区間である強みをアピールし、暮らしや仕事の復興につなげていきたい」と歓迎した。
 岩手県内の三陸沿岸道路は新たに、釜石北−大槌IC(4.8キロ)が19年度、侍浜−階上IC(青森県内区間を除く20キロ)、田野畑北IC−普代村(8キロ)が20年度に開通する見通し。
 県内の213キロのうち85%に当たる182キロの開通時期が示されたことになる。20年度までには田野畑南IC以南の133.5キロが全通する。残る北部の79.5キロのうち開通未定は31キロとなった。石原弘田野畑村長は「三陸連携がさらに進む。開通時期が明確になれば企業誘致にも取り組みやすくなる」と意気込む。
 盛岡市と沿岸の宮古市をつなぐ宮古盛岡横断道路(100キロ)は宮古市の2区間計14キロが20年度内に開通する。開通区間は93キロとなり、未定は宮古市の平津戸−松草(7キロ)のみ。
 既存路線の国道106号は、8月末の台風10号で路面流失などの被害が出て11日間通行止めとなった。宮古商工会議所の花坂康太郎会頭は「復旧や経済活動に大きな支障が出た。災害に強い道路の必要性がはっきりした」と強調する。
 達増拓也知事は「早期復興への後押しになる。効果を最大限生かし産業再生に努める」との談話を出した。


<東北大>雨宮キャンパス感謝祭始まる
 東北大農学部の青葉山移転に伴って閉鎖される仙台市青葉区の雨宮キャンパスで28日、学生らによる感謝祭が始まった。30日まで。
 来場者は農学部で生産した新米や野菜、ブルーベリージャムを買い求めたり、抹茶を味わったりした。1925(大正14)年の旧制二高時代からの移り変わりを振り返る写真展や、記念品の配布もあった。
 かつて近所に住み、現在は長男が農学部に通う山形市の主婦高橋早奈江さん(47)は「よく遊びに来ていた思い出のキャンパスがなくなるのは寂しい。校舎を見学して目に焼き付けておきたい」と語った。
 感謝祭は29日正午〜午後5時、30日午前9時〜午後3時。農学部の移転作業は11月1日に始まり、跡地はイオンモール(千葉市)が商業施設などを整備する。


ボージョレ・ヌーボー初荷到着 バランス取れた秋の味
 11月17日解禁のフランス産の新酒ワイン「ボージョレ・ヌーボー」の初荷が29日朝、全日空の旅客機で羽田空港に到着した。ボージョレ地区の生産者団体によると、今年は春にひょうの被害を受けた地域もあったがその後は好天が続き、酸味や果実の風味のバランスが取れたワインになった。
 輸入販売元のサントリーワインインターナショナルの初荷は750ミリリットルボトル2640本。ワインを積んだコンテナは、到着したばかりの客が空港ビルから眺める中を貨物ターミナルに運ばれ、税関職員が瓶のラベルと申告書類を照合した。
 29日は成田、関西両空港にも到着。


ディラン氏、文学賞に「光栄」 授賞式出席か
【ロンドン共同】ノーベル文学賞の選考主体、スウェーデン・アカデミーは28日の声明で、今年の文学賞授賞決定に沈黙していた米シンガー・ソングライター、ボブ・ディラン氏(75)が「大変光栄に思う」などと述べて、賞を受ける意向を示したと発表した。今週連絡があった。
 12月10日にストックホルムで行われる授賞式への出席について、アカデミーは「まだ決まっていない」と発表したが、英紙デーリー・テレグラフ(電子版)は28日、単独インタビューに応じたディラン氏が「可能なら」出席するつもりだと語ったと報じた。


核兵器禁止交渉/被爆国なのに「反対」とは
 軍縮を討議する国連総会第1委員会が、核兵器禁止条約の制定に向けた交渉を2017年に始める決議案を採択した。年末の本会議で正式に承認される見通しだ。
 核兵器を非合法化することで廃絶を目指す。それは広島、長崎の被爆者の願いでもある。賛成は123カ国に上り、「禁止」の動きは国際社会の確かな流れといえる。
 広島の松井一実市長は今年8月、平和宣言で核兵器を「絶対悪」と指摘し、「この世から消し去るための行動を」と呼び掛けた。被爆地の願いと世界の人々の平和への思いを一つに結ぶ。本来なら、唯一の被爆国である日本はその取り組みの先頭に立たねばならない。
 ところが、採決で日本は米国などとともに反対に回った。米国の「核の傘」に安全保障を委ねる立場から歩調を合わせたとみられる。
 核の「廃絶」を呼び掛ける一方で「禁止」の交渉には後ろ向きの姿勢を示す。そうした対応には国内外から批判の声が上がる。政府は米国などを説得し、議論が前に進むよう力を尽くすべきではないか。
 決議によると、来年3月と6月にニューヨークで交渉が行われ、非政府組織(NGO)や市民代表も議論に参加する。主導したのはオーストリアやメキシコなど非核保有国である。核兵器使用による破滅的な事態に深い懸念を表明し、条約加盟国を法的に拘束する条約文書の制定を目指すという。
 これに米国や英国、フランス、ロシアの核保有国など38カ国が反対した。とりわけ核大国の米国は「欧州やアジア太平洋地域の核抑止力に直接影響が及ぶ」と禁止条約の内容を厳しく批判し、北大西洋条約機構(NATO)諸国に事前に書簡を送って反対への同調を求めた。
 なりふり構わぬ米国の動きに非保有国の不満は高まり、対立が表面化した。日本政府は、国際社会の亀裂の深まりを懸念したのが反対票を投じた理由だと説明する。
 「核なき世界」の呼び掛けに反対する国はほとんどない。日本が主導した核廃絶決議案には禁止条約を上回る167カ国が賛成した。核保有国と非保有国の「橋渡し役」を果たすというのなら、禁止の議論に反対票で水を差さず、対話を促す努力をすべきだ。それが唯一の被爆国である日本の責務だろう。


「核禁止条約 日本反対」絶対悪廃絶の先頭に立て
 唯一の戦争被爆国である日本が「核兵器禁止条約」制定交渉開始を定めた決議案に「反対」を投じた。つまり核兵器保有を是認するということだ。安倍晋三首相は「核廃絶」を強調しながら、米国の「核の傘」の下にあることを正当化。理念に行動が伴わない矛盾を世界にさらけ出した。「なぜ反対する必要があるのか。悲しく、怒りしかない」と悲嘆する被爆者の肉声が聞こえないのだろうか。
 国連総会第1委員会(軍縮)の決議案は、核兵器使用がもたらす破滅的な人道的結末を深く懸念。核の非合法化へ、2017年に法的拘束力のある文書制定交渉を開始する内容だ。
 決議は今年12月の国連総会本会議に送られ、正式に成立する見通し。来年3月以降、核兵器開発や保有、使用などを禁じる交渉が本格化することになる。
 核兵器の「非人道性」を強く訴えるオーストリアやメキシコなど非核保有国が主導し、賛成は途上国中心に123カ国に上った。米英仏やロシアなど核保有国含め38カ国が反対、中国など16カ国は棄権した。
 反対した米国の論理は、たとえ条約の発効前でも、核抑止力に直接影響が及ぶというものだ。戦後築き上げてきた核秩序へのあからさまな挑戦と映っているのだろう。NATO諸国など同盟国に対して猛烈な圧力をかけ、日本も同調した。地域の安全保障を重視して核への依存を強める現実主義が浮き彫りになる。
 今回の決議採択は、世界が核なき社会へ向かう重要な分岐点となるはずだ。
 にもかかわらず、国際社会は「非人道性の極み」を巡って核保有、非保有国との間に深い溝をつくっている。日本は双方の橋渡し役を自認するが、明らかな論理矛盾、説得力はない。
 岸田文雄外相は反対理由に、具体的で実践的な措置の積み重ねを重視する日本の基本姿勢に合致しないことを挙げた。また北朝鮮の核・ミサイル開発など厳しい安全保障環境に直面し、交渉開始はかえって対立を一層助長、亀裂を深めると主張する。理由はあれど、米国との「核の同盟」を最優先させたのは明らかだ。
 日本は今回も別の核廃絶決議案を提出した。世界の指導者と被爆者との交流を求め、被爆の実相に共通理解を深める取り組みだ。時間を掛けた段階的な核軍縮の主張には一理あるが、一定の拘束力がなければ非核化は進むはずもない。
 これまで「空想的」とされてきた核兵器禁止条約だ。核兵器の使用や配備、製造、貯蔵などを禁じ、「絶対悪」廃絶を実効性あるものにする必要がある。このままでは、オバマ米大統領の広島訪問も任期終了を前にしたレガシー(政治的遺産)になりかねない。
 ヒロシマ、ナガサキの悲劇から既に71年。「(交渉の)足を引っ張るなら、被爆国と言ってほしくない」と政府を批判する被爆者らの声もある。言い換えればそれだけ日本に強いリーダーシップを求めているのだ。年々、か細くなる声を裏切ってはならない。


核禁止条約決議  被爆国の責務を果たせ
 核兵器廃絶に向けた国際社会の重要な一歩に、唯一の戦争被爆国の日本が背を向けてはならない。
 国連総会第1委員会(軍縮)は「核兵器禁止条約」作りに向けた交渉を始める決議を採択した。広島、長崎の被爆から70年以上を経て、核兵器を国際的に非合法化する取り組みが本格的に始まることを歓迎したい。
 ところが、日本は米国の「核の傘」に固執して決議に反対票を投じた。被爆国としての国際的な使命と核廃絶を願う国民世論への裏切りではないのか。
 決議は、オーストリアなど非核保有国が主導し、国連加盟国の6割超の123カ国が賛成した。12月の総会本会議で正式採択される見通しだ。核兵器の使用による非人道的結末に深い懸念を表明し、禁止する法的拘束力ある文書制定交渉の開始を定めている。理想論とも揶揄(やゆ)されてきた核廃絶を具現化していく転機になるものだ。
 これに対し、核保有五大国のうち米英仏とロシアを含む38カ国が反対、中国など16カ国は棄権した。日本は「国際社会の総意で進めるべき」と核保有国の拒絶を反対理由に挙げた。だが、自ら主導した別の核廃絶決議と同様、核兵器の非人道性を訴える条約作りを阻むのは筋が通らず、理解できない。
 政府の判断は、北朝鮮の核ミサイル開発などへの安全保障を優先する考えからだろう。棄権ではなく、米国が同盟国に呼び掛けた反対に回ったのは、被爆国でありながら、米国の「核の傘」の下にあるという矛盾が露呈したといえ、掲げてきた核廃絶への姿勢を大きく傷つけるものだ。
 そもそも非核保有国を中心とした核禁止条約を求める動きは、五大国が主導してきた核拡散防止条約(NPT)体制での核軍縮の停滞が背景にある。五大国は段階的な削減を主張するが、特権的な核保有による抑止力を安保政策の軸に据え続け、ロシアは露骨に威嚇に用いている。
 進まぬ核軍縮の一方、核の脅威は南アジアや中東、北朝鮮へと拡散している。核抑止力に依存し続ければ、破滅的な結果を招きかねないという危機感が広がっていると言えよう。
 決議に反対した日本だが、来春から始まる条約案作りの交渉には参加すると表明した。核保有国の反発で厳しい協議が予想されるが、核なき世界に向けて踏みだそうとする世界の潮流を受け止め、正面から向き合うよう働き掛けるのが被爆国の責務であろう。


核兵器禁止条約/日本の判断は正しいのか
 核兵器禁止条約の2017年制定交渉開始を定めた決議案が国連総会第1委員会(軍縮)で採択された。核兵器の「非人道性」をキーワードに交渉開始を推進してきたオーストリアやメキシコなど核廃絶推進国の動きに多くの国が賛同、賛成票は123カ国に上った。
 決議は国連総会本会議に送られ、正式に成立する見通しで、来年3月以降、核兵器の開発や保有、使用などを禁じる交渉が本格化する。
 核保有国は参加しないとみられるが、「絶対悪」の核兵器を非合法化する具体的な試みは、人類と核の歴史を考える上で、大きな転換となる。
 第1委員会の採決では米英仏やロシアなど38カ国が反対し、中国など16カ国が棄権した。反対票を投じた国には、世界唯一の被爆国である日本も含まれていた。
 岸田文雄外相は反対理由として次の二つを挙げた。(1)具体的で実践的な措置を積み重ね「核兵器のない世界」を目指す日本の基本姿勢に合致しない(2)北朝鮮の核・ミサイル開発の深刻化など厳しい安全保障環境に直面する中、交渉開始は核保有国と非保有国の対立と亀裂を深める−。
 日本の態度決定には、同盟国の米国の姿勢も大きく影響した。米国は今回、相当な危機感を抱いて議論に臨んだ。
 そのことは、米国が北大西洋条約機構(NATO)諸国に送った書簡からも明らかだ。書簡は「核の同盟」であるNATOの「不朽の安全保障関係」が禁止条約で損なわれると懸念を表明。
 さらに「第2次大戦以降の国際的な安保体制を支えた戦略的安定性を崩す」として、NATO諸国に対し決議案には棄権でなく反対するよう圧力をかけている。日本政府当局者によると、日本にも同じメッセージが寄せられた。
 米国がNATO諸国や日韓などに提供してきた「核の傘」は今も西側防衛の中核的要素だ。そうした中、核使用のみならず核抑止論までにも「汚名」を着せて、核兵器を全面否定しようとする禁止条約交渉は、米国にしてみれば、自分たちが戦後築き上げてきた核秩序への挑戦と映っているのだろう。
 日本の提案した別の核廃絶決議案を巡り、米国が最終局面で共同提案国として名を連ね、賛成した経緯も考え合わせると、日本が交渉開始に反対した背景が見えてくる。日本は核抑止力に依拠した、米国との同盟関係を最優先させたのだ。
 「被爆国でありながら…。腹が立つばかり。オバマ大統領の広島訪問も結局個人プレーだったのか」。長崎の被爆者、谷口稜曄さん(87)は憤りを表現した。
 同盟関係と核抑止という安全保障上の「論理」は確かに重要だが、被爆者が訴え続けた核絶対否定のメッセージと反核世論という、被爆国でしか表明できない「倫理」を決してないがしろにしてはならない。両者の均衡を図る方策を探る必要がある。
 現にNATOの一員であるオランダは、国内世論に配慮し反対でなく棄権に回った。日本はオランダの動きも参照しながら、棄権という選択肢を選べなかったのか。日本が求め続ける「非核」への道は遠のいたのではないか。今回の判断は大きな問題点を抱えている。


【核兵器禁止条約】理解できぬ被爆国の反対
 「核兵器禁止条約」制定に向けた交渉が2017年春、国連で始まる見通しになった。国連総会の担当委員会が開始の決議案を採択した。
 核兵器の廃絶は国際社会の悲願である。その実現に不可欠な条約の論議がようやく本格化する。
 推進国が目指すのは、核兵器の使用はもちろん、開発や実験、保有も全て禁止にする条約だ。核兵器を国際的に非合法にする。
 ところが、世界の思惑は一致していない。決議案には、オーストリアやメキシコのほか発展途上国を中心に123カ国が賛成したが、核保有国の米英仏やロシアを含む38カ国が反対し、同じく保有国の中国を含む16カ国が棄権した。
 失望の声が相次いだのは日本が反対に回ったことだ。「唯一の被爆国」として核廃絶を訴えながら米国の「核の傘」の下にあり、核保有国と足並みをそろえる。到底理解できるものではない。
 禁止条約は、国際司法裁判所が1996年、核兵器使用は国際法や人道法に「一般的に反する」との勧告的意見を示し、翌年にコスタリカがモデル案を国連に提出して論議されるようになった。
 ところが、国連安保理の常任理事国でもある五大核保有国はあくまで保有国中心の核軍縮を前提にしてきた。五大国に保有の特権を認めた核拡散防止条約(NPT)だ。
 そのためか核軍縮は遅々として進まず、核廃絶を切望する非核保有国は反発を強め、2015年のNPT再検討会議も決裂した。それが今回の決議案採択にもつながっている。
 世界には1万5千発以上の核兵器が存在するといわれる。五大国以外にも事実上の保有国がある。北朝鮮は米国などを強く意識し、核開発を続けている。五大国が核禁止に向かわなければ、核の脅威が消えることはないだろう。
 五大国は、自分たちの思惑の外側で非核の大きな法的規範が生まれることを警戒する。来年の交渉にも参加しない方針だ。米国は北大西洋条約機構(NATO)諸国に対しても反対投票と交渉不参加を強く求める書簡を配布していた。
 日本の外交筋は、今回の反対理由を「決議案の文面に安全保障上の考慮がなかった」とし、五大国が交渉に加わる見通しがない条約の実効性にも疑問を投げ掛けたが、同様の圧力がかかっていた可能性が高い。五大国の姿勢も日本の主体性も問われよう。
 オバマ米大統領は「核兵器なき世界」の実現を呼び掛け、ノーベル平和賞を受賞した。5月には広島を訪問し、原爆犠牲者を慰霊した。それでも米国は核抑止力を維持する保有国の論理に立ち続けている。
 政府は交渉には参加する意向を示しているが、核保有国の代弁者になってはならない。政府はこれまで核保有国と非核保有国の橋渡し役を自任してきたはずだ。保有国を説得していく側に立つことが被爆国としての役割だ。


核兵器禁止条約 交渉入りは大きな前進だ
 核兵器の非合法化を目指す交渉が、来年から始まることになった。「核なき世界」への具体的な一歩になるよう期待したい。
 国連総会第1委員会は27日、2017年の「核兵器禁止条約」制定交渉開始を定めた決議案を圧倒的な賛成多数で採択した。
 核兵器禁止条約は、核兵器の開発や保有、使用などを全面的に禁止する条約で、現在は構想段階である。核兵器の非人道性を強調することにより、核兵器を国際法で禁じてしまおうとする方法論だ。
 オーストリアなど非核保有国グループが熱心に推し進め、とうとう国連での交渉開始決定にこぎ着けた。最近の核廃絶運動の大きな潮流となっており、多くの広島・長崎の被爆者も支持している。
 今回の決議案を巡っては「核抑止の戦略的安定を損ねる」などとして核保有国が反対・棄権した。米国は日本や北大西洋条約機構(NATO)加盟国に、賛成しないよう圧力をかけたとされる。
 実際に条約制定の交渉が始まっても、現時点で保有国が条約に加わる見通しはほとんどない。核保有国が参加しない禁止条約を作ったところで、核廃絶への実効性はないとする懐疑論もある。
 しかし、それでも禁止条約制定の意義は十分にある。条約に多数の国家が参加すれば「核兵器は非人道的であり、法的な正当性がない」という国際社会の規範となって、核保有国に核軍縮を促す圧力となるからだ。
 残念なのは、日本政府が今回の決議案採決で反対に回ったことだ。日本は核廃絶を訴えながらも、米国の「核の傘」に依存するという難しい立場をとってきた。そのジレンマは分かるが、やはり「唯一の戦争被爆国」には核廃絶への特別な責任があるはずだ。
 政府は「核保有国と非保有国との橋渡し役」が日本の役どころだと主張するが、核廃絶で曖昧な立場にとどまる言い訳にしか聞こえない。「橋渡し役」を自任するのなら、せめて来年からの条約交渉で、実効性のある条文作りに積極的な役割を果たしてほしい。


核禁止交渉へ 失望招いた日本の対応
 核兵器を国際的に非合法化する作業が始まることになった。
 軍縮を扱う国連総会第1委員会が、禁止条約制定に向け、来年の交渉入りを定めた決議案を賛成多数で採択した。
 条約実現への道は険しい。
 世界の核弾頭の9割を持つ米国とロシアが交渉つぶしに出て、圧力を強める可能性がある。
 日本政府の姿勢も厳しく問われる。核廃絶の必要性を訴えてきたにもかかわらず、決議案に反対した。被爆者の切実な願いに背を向けるもので納得できない。
 「核なき世界」の実現を求める声は高まりを見せている。日本はこの潮流を確かなものにすることにこそ尽力するべきだ。
 決議は、核兵器の非人道性に関する国際会議を主催したオーストリアやメキシコなどが主導した。禁止条約制定に向けた国連の会議を来年3月と6〜7月の2回にわたって行うとした。
 採決では途上国を中心に123カ国が賛成した。核保有国など38カ国が反対に回り、中国など16カ国は棄権している。
 決議は12月の国連総会に送られて正式に成立する見通しだ。
 国際司核兵器禁止条約 問われる日本の交渉姿勢法裁判所が核兵器の使用は国際法や人道法に「一般的に反する」との勧告的意見を出したのは1996年。それから20年の節目に、ようやく具体化に向けた動きが本格化することになる。
 今回の採択では、米国が核抑止力に影響を及ぼすとし、同盟関係にある国々に反対を呼び掛けていた。日本が反対したのは、米の「核の傘」に依存する安全保障を優先したとみられる。
 政府は交渉に積極的に参加する意向も示している。決議を巡っては、核保有国と非核国の間に深刻な溝が生まれた。岸田文雄外相は双方を協力させるため「唯一の被爆国としてしっかり主張したい」と語っている。
 しかし、具体的にどうするのかがはっきりしない。決議に反対したことで国際社会は失望し、日本の主張に耳を傾けなくなるのではないか。問題が多い。
 核保有国が反対する中、条約の実効性を懸念する声が出ている。核使用を違法とするなど、最初は簡素な形で発効させ、順次肉付けしていく方法もある。
 条約が核保有国に対する包囲網形成の軸となり、核への依存度を低減させる圧力になる可能性もあるのではないか。被爆国の役割とは何か、政府は再考するべきだ。いつまでも条約に消極的な態度を取り続けるべきではない。


核兵器禁止条約 問われる日本の交渉姿勢
 唯一の戦争被爆国としての姿勢が問われることになる。
 国連総会第1委員会(軍縮)は「核兵器禁止条約」制定への交渉開始を定めた決議案について、賛成多数で採択した。
 決議は、核兵器がもたらす破滅的な結末を深く懸念し、核兵器を禁止する法的拘束力のある文書が必要−などとしている。
 12月に開かれる国連総会本会議で正式に成立する見通しで、来年3月から条約交渉を始める。
 広島、長崎に原爆が投下され、多くの犠牲者が出てから71年、ようやく法的に核兵器を禁止する具体的な取り組みが始まる。
 採決では途上国を中心に約7割の国が賛成した。「核なき世界」に向け、国際社会が一歩前進したことは評価したい。
 決議を主導したオーストリアなどはまず、核兵器の開発や実験などを禁ずる簡潔な規範づくりを検討しているとされる。
 ただ、道のりは険しいと言わざるを得ない。
 多国間交渉が始まるのは確実とはいえ、核抑止力を安全保障の中軸とする米国、ロシアなど核保有五大国が交渉に応じない方針とみられるからだ。むしろ反発を強める可能性がある。
 残念なのは日本の対応だ。
 同じ第1委で、世界の指導者らに被爆者との交流を促す核兵器廃絶決議案を主導して採択する一方で、核兵器禁止条約の決議案には米国などとともに反対した。
 核保有国と非保有国の分断がさらに進み、意味ある条約交渉にならないというのが理由である。
 米国の「傘の下」にあり、「安全保障なくして核軍縮なし」との原則論を優先する安倍政権の基本姿勢が背景にあるとみていい。
 北朝鮮で核開発が進むなど、わが国を取り巻く環境が厳しさを増しているのは確かだ。
 だが、日本は本来、先頭に立って核廃絶を叫ぶ立場にあるはずだ。被爆者から落胆の声が上がるのは当然だろう。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は今月上旬、核兵器禁止条約の制定を求める約56万人分の署名を第1委に提出した。
 被団協によると、毎年8千〜9千人の被爆者が亡くなっているという。政府は被爆者の思いと、原爆の惨禍が今なお続いている現実に向き合うべきではないか。
 日本が決議に反対したことに、外国などからは驚きの声が上がったという。
 このままでは、被爆をした経験から核軍縮で熱心な取り組みを続けてきた日本の姿勢が疑われかねない。国際的な地位や信用を損なう恐れもあろう。
 決議を受け、岸田文雄外相は来年から始まる交渉に参加する意向を表明し、「唯一の被爆国としてしっかり主張したい」と語った。
 交渉は、核なき世界が本当に実現するかどうかの分岐点になると言っていい。
 日本に求められているのは、核保有国と非核保有国との溝を埋めることだ。
 橋渡し役をどこまで果たすことができるか、注視したい。


核兵器禁止条約 日本の反対容認できぬ
 核廃絶への歴史的な一歩だ。
 国連総会第1委員会(軍縮)は、「核兵器禁止条約」制定に向けた交渉を来年開始すると定めた決議を賛成多数で採択した。
 年末の国連総会本会議で正式に成立し、来年3月から交渉が始まる。核兵器は非人道的との認識は世界の潮流だ。ぜひ成果を上げてもらいたい。
 容認できないのは日本が反対したことだ。唯一の被爆国として核廃絶を訴える国の取るべき行動だろうか。被爆者が怒りをあらわにするのも当然である。
 岸田文雄外相は、反対理由として核保有国と非核保有国の対立を一層助長すると述べたが、米国の「核の傘」に依存する姿勢を鮮明にしたことは、多くの国々を失望させたに違いない。
 一方で交渉には参加し、被爆国としてしっかり主張するという。ちぐはぐな説明である。
 条約づくりに積極的に関与し、米国などを説得していく―。これこそが日本の責務のはずだ。
 決議はオーストリアやメキシコなどが主導し、123カ国が賛成。米英仏やロシアなど38カ国が反対、中国など16カ国が棄権した。
 核使用は破滅的結末をもたらすと指摘、核禁止を定めた法的拘束力のある文書制定を求めている。
 交渉には市民団体も参加する。短期間で結論を出すのは難しいだろうが、核は非人道的だと定め、開発や保有、使用などを最終的に全面禁止できるかが焦点となる。
 禁止条約ができれば国際規範となり、保有国が加わらなくても、その行動を強く制約するはずだ。
 米国は採決前、北大西洋条約機構(NATO)諸国や日本に反対投票と交渉不参加を強く求めた。
 理由として、禁止条約は国際安全保障を損なう危険性があり、既存の核拡散防止条約(NPT)体制と相いれないと強調する。
 つまり米国の核抑止力を減じるものは認められぬとの立場だ。
 米国はウクライナを巡りロシアと対立し、北朝鮮は核実験を繰り返す。だから核を手放せないと言うのなら、今後も核を持つ新たな理由が出てくるだろう。
 非保有国側にはNPTが保有国に課している核軍縮が進まないことへの強い不満がある。
 オバマ米大統領は広島で「核なき世界へ勇気を」と訴えたが、今回の行動は明らかに矛盾する。
 核抑止力論からの脱却が求められる。今回、日本は核廃絶を目指す取り組みで大きな後れを取った。深刻に受け止めるべきだ。


核兵器禁止条約 日本の「反対」を憂える
 「核兵器禁止条約」の交渉入りを定める決議が、国連総会第1委員会(軍縮)で賛成多数で採択された。賛同する国々の中に日本の名前はなかった。それどころかまさかの反対。唯一の被爆国として疑問が残る選択だ。
 米国の「核の傘」の下にある同盟国の立場を優先したためだ。反対か棄権か。ぎりぎりまで悩んだとはいえ、政府に賛成という選択肢が初めからなかったことが残念だ。
 世界に「被爆の実相」を訴えてきた日本でさえ、核という「恐怖の抑止力」にとらわれている。安全保障という現実論があるとしても、唯一の被爆国が理想を忘れていいのだろうか。
 条約実現は日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の悲願だった。「核なき世界」を目指してきた国内外の失望を招くことを恐れる。
 決議は「あらゆる核兵器の使用は人道的に破滅的な結末をもたらす」と強調。来年3月に国連の会議を開き、法的拘束力のある文書制定交渉に入ることになる。
 オーストリア、メキシコ、南アフリカなど50カ国以上が共同提案。東南アジア、アフリカ、中南米諸国の大多数が含まれている。
 昨年開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、最終文書も採択できずに決裂した。核軍縮どころか核が拡散し、「核テロ」の脅威さえある。賛成が123カ国に上ったことは、この現状に対する多くの非保有国のいらだちを反映している。
 しかし、五大核保有国のうち、棄権の中国を除く米国、英国、フランス、ロシアは真っ向から反対した。核のバランスが崩れれば、抑止力に影響が及びかねないというのがその理由だ。
 NPT再検討会議でも、非保有国が核兵器禁止条約を強く求めたのに対して、核保有国は「段階的なアプローチ」が現実的な選択肢だとして反発、溝が深まっていた。
 米国は、北大西洋条約機構(NATO)諸国に反対するよう求めるなど賛成派の切り崩しに動いた。日本の選択もこの延長線上にある。
 条約交渉に五大核保有国が参加する意思はなく、実効性が薄いという見方が強い。それでも、核兵器を法で禁止する本格的な議論が初めて国連で行われる意義は大きい。
 とはいえ、反対・棄権が核保有国と同盟国を中心に投票総数の3分の1程度あったことは、世界の分断をあらためて印象づけた。
 日本は核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任してきた。岸田文雄外相は交渉に参加する意思を表明したが、反対姿勢を明確にした後も核廃絶の議論をリードできるのか極めて不透明になった。


安倍政権下での改憲に反対55% 改正「必要」は過半数
 共同通信社は28日、憲法公布70年に当たり郵送方式で実施した世論調査の結果をまとめた。安倍晋三首相の下での改憲に55%が反対し、賛成の42%を上回った。7月の参院選で改憲が争点だったかどうかに関し「そう思わない」は71%に上った。「そう思う」は27%だった。一方、改憲が「必要」「どちらかといえば必要」とする改憲派は計58%。9条改正は「必要ない」が49%で、「必要」の45%より多かった。
 改憲派が過半数となる中、安倍政権下での改憲には反対論が根強い現状が鮮明となった。9条改正を宿願とする首相への警戒感もあるとみられる。


“強行採決”暴言の山本農相 なんとTPP反対に署名していた
 驚きの事実が発覚した。衆院で審議中のTPP承認案をめぐって「強行採決」に言及した山本有二農相が、地元・高知のJAまつりで「TPP反対」の署名をしていたというのだ。TPP批准を急ぐ安倍政権では“閣内不一致”となる。山本農相は安倍首相にTPPの「撤回」を進言するか、さもなければ大臣を辞任すべきじゃないか。
 山本大臣が署名したのは「TPPの詳細を速やかに開示し、国会・国民の議論を保障すること」「『合意』は撤回し、協定への調印・批准は行わないこと」を求めた文書。全国規模で署名が集められ、最終的に衆参両院議長宛ての請願として提出された。
 昨年11月、山本大臣の選挙区の高知県須崎市で開かれたJA土佐くろしお主催のJAまつり。毎年4000人が集まる年に一度の大イベントの一角で、農商工団体が「消費税10%増税中止」と「TPP合意撤回」の署名集めをしていた。そこで団体のメンバーが、もち投げに参加していた山本大臣を見つけ、声をかけた。
「自民党議員だし、無理だろうな」とあきらめ半分だったが、山本大臣は「増税中止は署名できないが、TPPは大筋合意以外に対策は必要。今の段階では反対なので署名させていただく」と言ってサインしたという。
 「うれしかったです。金融相も務めた有力者の山本さんが署名してくれた。心強い気持ちになりました。自民党の『TPP反対』の公約もウソじゃなかったのかなと思いました」(須崎民商事務局長の西森克記氏)
 山本大臣は「増税反対」にはあえて署名せず、「TPP反対」だけに進んで署名した。心底「TPPは問題あり」と考えていたのだろう。
 ところが、である。今年8月の内閣改造で農相になったが、安倍政権の路線を踏襲し、TPPの情報公開に消極的。国会では当を得ない答弁に終始している。揚げ句、「(TPP法案)を強行採決するかどうかは、(議運委員長の)佐藤勉さんが決める」と発言し、陳謝させられた。反対署名をした1年前とは、別人かと思うような“変節”である。
 反対署名の重みをどう考えているのか。事務所に問い合わせたが、期限までに回答はなかった。


原発廃炉費用 国民負担が前提は論外
 東京電力福島第1原発を含めた原発の廃炉費用をどう確保するかについての議論が続いている。電力自由化で新規参入した「新電力」の利用者の電気料金に廃炉費用を上乗せして回収する案が有力視されている。
 福島第1原発の最終的な廃炉費用は当初予想の2兆円から数兆円規模で膨れると予想され、国民負担につながる恐れが出てきた。経済産業省は年内にも廃炉費用に関する新制度をまとめる方針だが、国民負担を前提にした「東電救済」「原発救済」先に在りき、の安易な議論は論外だ。
 経産省は東電改革や支援策を議論する有識者委員会(東電委員会)の初会合をこのほど開催し、廃炉費用支援策などの検討に入った。そこには、費用を捻出するために新電力が東電の送配電網を使用する際に支払う「託送料金」に上乗せする案も含まれている。「新電力に移行した利用者も以前は原発による電気を使ってきた」という理屈だ。
 だが廃炉費用は原発を所有する電力会社が積み立ててきた。利用者は既に電気料金に含まれる形で負担してきたのだ。検討案は「二重取り」ではないのか。
 電力自由化の狙いの一つに、多くの新電力が手掛ける再生エネルギーの導入促進があった。「自由化により顧客が流出して大手電力の経営が厳しくなった」といわれるが当初から予想されたことだ。「原発由来の電気を使いたくない」と新電力に移行した利用者も多い。
 福島第1原発は、溶融したまま手付かずの核燃料処理を含めると廃炉総費用は「底なし沼」といわれる。通常の原発の廃炉費用も大型炉では800億円にも及ぶとされる。
 経産省は東電委員会とは別の検討部会で、通常の原発の廃炉費用についても託送料金に上乗せする案を検討している。新電力が大手電力の原発による「安い」電気も調達できる仕組みと引き換えという。だが「原発のコストは安い」という理屈は今や説得力を持たない。
 「反原発」の世論は依然強い。新潟県知事選の結果、東電柏崎刈羽原発の再稼働のめどは立たなくなった。東電は既に事実上国有化されているが、「東電再建」のためにさらに国費を投入する案も議論の場に提示されている。料金への上乗せに加え、税金を投入するシナリオだ。
 東電委員会は「公開」としながら裏では非公式の会合を開いていた。今この国に必要なのは「低炭素社会」を目指したエネルギー政策の大転換のはずだ。安易に国民負担増を求める密室での議論は許されない。


[「土人」発言で抗議決議]喧嘩両成敗ではすまぬ
 米軍北部訓練場へのヘリパッド建設に反対する市民に向かって大阪府警機動隊員が「土人」「シナ人」などと暴言を吐いたことに対し、県議会は28日、臨時会を開き、抗議決議と意見書を与党などの賛成多数で可決した。
 野党の自民党はこの抗議決議と意見書に反対し、独自の意見書案を提出した。
 否決された自民案も機動隊員の発言が「不穏当」「不適切」だったことは認めているものの、警察官に対する反対派の発言を列記し、「警察官の人格、尊厳を傷つける発言は問題とせず、警察官の発言のみを取り上げることは、あまりに一方的」だと指摘している。
 売り言葉に買い言葉のようなものなのだから一方だけを批判するのはおかしい−と言いたいのだろうが、今回のケースは私人と私人、集団対集団の喧嘩(けんか)騒ぎではない。
 1人の機動隊員は「どこつかんどんじゃ、ぼけ。土人が」と発言した。もう1人の隊員は「黙れ、こら、シナ人」などと語った。
 法務省人権擁護局が中心になって、インターネットを悪用した人権侵害や街頭でのヘイトスピーチ(憎悪表現)をなくすキャンペーンに取り組んでいるその足元で、人権擁護の番人であるべき警察官が、公務中に、「土人」「シナ人」という差別用語を使って、市民をののしった。
 それがことの本質だ。弁解の余地はない。決して喧嘩両成敗(せいばい)で処理できるような軽いものではない。問われているのは人権感覚であり、足元における人権教育である。
■    ■
 大阪府警が20代の2人の隊員を急きょ、大阪に戻し、「警察の信用を失墜させた」との理由で戒告の懲戒処分にしたのは、暴言を深刻に受け止めたからである。
 この一件は憲法違反、警察法違反の疑いがある。
 憲法は集会・結社・表現の自由を保障し、差別を禁じている。立憲主義の立場に立って大臣や国会議員、公務員などに対し、憲法を尊重し擁護する義務を課している。警察法第2条2項はこの法律の中でもとりわけ重要だ。
 「その責務の遂行に当たっては、不偏不党かつ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用(らんよう)することがあってはならない」
 辺野古問題で県と政府が対立する構図が続いており、ネット上では「沖縄ヘイト」とも言うべき露骨な沖縄たたきや事実に基づかないデマ情報が飛び交っている。
■    ■
 街頭でのヘイトスピーチやネット上の罵詈(ばり)雑言に接した機動隊員が、知らず知らずのうちに影響を受け、そのような考えを内面化しているとすれば、日本の人権擁護の取り組みは極めて危うい。
 政府が話し合いに応じ、県との妥協点を真剣に模索しない限り、沖縄の状況は良くならない。
 それを放棄し、話し合いにも応じず、工事だけを強行すれば、市民の反対が強まり、沖縄ヘイトも過熱するだろう。政府が沖縄ヘイトを助長することになるのだ。


土人発言抗議決議 沖縄差別の政策やめよ 国民と県民の分断強める
 県議会はヘリパッド建設現場での機動隊員による「土人」「シナ人」発言について「県民の誇りと尊厳を踏みにじる」とする抗議決議、意見書を可決した。政府、警察は重く受け止めるべきだ。
 ただ決議の文言調整で当初の「機動隊撤収」は削除され「警備体制の改善を求める」との訴えにとどまった。自民会派は「市民側にも暴言があった」との意見書案で対抗し、与党・中立会派の決議案を賛成多数で可決した。
 県議会の抗議を全会一致で示せなかったのは残念だ。県民が共有する怒りと抗議が分断され、国民世論への訴えが弱まった形だ。
偏見を再生産
 県議会の会派が分断され、決議が全会一致とならなかったことを政府は内心、喜んでいることだろう。しかしそれは大きな間違いだ。今回の差別発言問題は県議会、県民の間だけでなく、国民と県民にも大きな分断と亀裂を生じさせたからだ。
 機動隊員の「土人」発言に県民は激怒した。だが「シナ人」発言に戸惑った県民も多かったのではないか。20代の機動隊員が、死語に近い「土人・シナ人」の言葉を発したことも不思議だった。
 ネット上で国策の基地建設に反対する県民が「土人・シナ人」呼ばわりされ、県民を異端視し偏見を助長する言説が流布されていることが背景にある。
 政府の沖縄への基地集中政策と、これに抗(あらが)う県民の対立が県民に対する偏見を助長し、若い世代の差別感を再生産しているのだ。
 公人たる松井一郎大阪府知事の機動隊員を擁護する発言が、さらに差別と偏見の再生産を強めた。
 基地建設を巡る政府と沖縄の対立だけでなく、「日本」対「沖縄」の対立構図が深まりつつあることを危惧する。
 日本復帰前の米軍占領から復帰後の日本政府に引き続く沖縄統治政策は、県民を分断する歴史でもあった。日本復帰運動に対しては「イモはだし論」で反対する主張があった。復帰後も基地問題を中心に保革対立の政治は続いた。
 県民世論が反対する辺野古新基地建設を巡り政府と県が対立を深める中で、政府の「基地と振興のリンク」が公然化した。沖縄担当相の「選挙と振興のリンク」など、沖縄に対する「アメとムチ」の政策が、県民分断の背景にある。
 政治学の用語に「分断統治政策」がある。「支配される側を分断し、統治者への反発を抑える」統治法で、植民地政策の常套(じょうとう)手法だ。沖縄の歴史は日米両政府による分断統治の歴史と言っていい。
見えぬ米軍の姿
 辺野古新基地もヘリパッドも米軍基地建設なのに、そこに米軍の姿は見えない。「沖縄の負担軽減」を名目に、日本政府が経費を負担し、建設を進めているからだ。
 米軍は背後に隠れ、政府と県民の対立、現場での機動隊と県民の対立が激化しているのである。
 2004年の辺野古沖調査で、大型台船の前に反対運動の市民が飛び込み台船を止めた。命を賭しても工事を止めるという悲壮な決意をうかがわせた。金武町伊芸区の米軍都市型戦闘訓練施設の建設反対運動では、基地内で実力阻止すべきだとの声を聞いた。 
 ヘリパッド建設では米軍北部訓練場内の抗議行動で反対運動のリーダーが逮捕された。本来、平和的で非暴力の基地反対運動が、言論の訴えが顧みられない状況下で市民を物理的行動に駆り立てているのである。現場の対立は先鋭化し、臨界点を迎えつつある。
 差別発言を契機に、「自治権確立」、さらに「琉球独立」の声すら高まりつつあるように思われる。独立論の高まりは「日本」対「沖縄」の対立をさらに深めることになるだろう。
 日米両政府は沖縄への差別政策をやめるべきだ。沖縄に基地を集中する「構造的差別」が続く限り、県民の分断、「日本」対「沖縄」の亀裂は埋まらない。


核兵器禁止条約 橋渡し役を降りるのか
 唯一の戦争被爆国として「核なき世界」への動きを主導すべき日本が、その歴史的な第一歩となる決議案に反対した。日本は核保有国と非核保有国の「橋渡し役」を自任してきたが、これでは役割は果たせない。
 国連総会の第1委員会(軍縮)で、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」の制定に向けた交渉を、2017年から開始するよう求める決議案が賛成多数で採択された。
 国際司法裁判所が1996年に核兵器の使用は「一般的に人道法に反する」との勧告的意見を出し、禁止条約の議論が始まって20年。決議案は12月に国連総会の本会議で採択され、来年から交渉が始まるのは確実だ。禁止条約の制定への動きがいよいよ具体化する。
 決議案はオーストリアやメキシコなどが共同提案し、123カ国が賛成したが、日本や核保有国の米露英仏など38カ国が反対し、中国など16カ国が棄権した。
 日本は、被爆国であると同時に米国の「核の傘」の下にいる。核軍縮について、核兵器の「非人道性」と安全保障環境の両方を踏まえ、核保有国と非核保有国が協力して段階的に進めるべきだという考えだ。
 岸田文雄外相は、決議案に反対した理由を「核兵器国と非核兵器国の対立をいっそう助長し、亀裂を深めるものだからだ」と説明した。
 しかし、対立が深いのなら、なおのこと日本は決議案に反対すべきではなかった。反対しておいて、今後、橋渡し役を果たすと言っても、どれだけ説得力を持つのか疑問だ。
 今回、米国は決議案が、自国や同盟国の核抑止力に悪影響を及ぼすと強硬に反対し、北大西洋条約機構(NATO)加盟国やアジア諸国に反対するよう求めた。豪州、カナダ、ドイツ、韓国など米国の核抑止力に依存する国々が反対に回り、日本にも圧力が加わったとみられる。
 「核なき世界」の提唱国が、核保有国と非核保有国の対立をいっそう深めるような後ろ向きな態度をとったことは受け入れられない。
 決議案には禁止条約の内容はほとんど書かれておらず、詳細を決めるのはこれからだ。交渉は来年3月から始まる予定で、岸田氏は参加に前向きな考えを示している。日本は積極的に参加し、核保有国と非核保有国の溝を埋める努力をすべきだ。
 一方、日本が提出した核兵器廃絶決議案は、167カ国の賛成多数で採択された。昨年は棄権した米国も、共同提案国となり賛成した。
 被爆国として究極的な核廃絶を目指しながら、核兵器禁止条約の具体的な動きに反対する日本の姿勢はわかりにくく、国際社会の疑念を招きかねない。


近畿で木枯らし1号 昨年より4日遅く
 大阪管区気象台は29日、近畿地方で「木枯らし1号」が吹いたと発表した。昨年より4日遅い。
 同気象台によると、同日午前10時ごろまでに、京都府舞鶴市で最大瞬間風速17・2メートル、滋賀県彦根市で13・2メートル、神戸市で12メートル、和歌山市で11・4メートルなど奈良県以外の近畿2府3県で観測した。
 秋から冬にかけ、西高東低の冬型の気圧配置で、最大風速8メートル以上の北寄りの風が初めて吹いた日を木枯らし1号の発生日としている。
 同気象台によると、29日から冬型の気圧配置となり、週明け以降は例年よりも冷え込むという。


<ハロウィーン>小池都知事「リボンの騎士」に
 東京都の小池百合子知事が29日、東京・池袋で開かれたハロウィーンイベントに登場し「リボンの騎士」の主人公サファイアのコスプレ姿を披露した。大きな帽子に赤いマント、手には剣を持って笑顔で手を振ると、会場からは「かわいい」と歓声があがった。
 イベントは、動画配信サイト運営のドワンゴ(東京都中央区)などが主催する「池袋ハロウィンコスプレフェス2016」。小池知事はオープニングセレモニーのサプライズゲストで、「アニメ、マンガはクールジャパンの代表格。東京五輪ではスポーツのみならず、サブカルを含めた日本の文化を発信していきたい」とあいさつした。


狭山事件、再審求める集会に3000人 弁護団「誘導の自白明らか」
 狭山市で1963年、女子高校生=当時(16)=が殺害された狭山事件で無期懲役となり、服役後に仮釈放された石川一雄さん(77)の再審を求める市民集会が28日、東京都内で開かれ、支援者ら約3千人が参加した。弁護団は8月、石川さんの自宅で見つかった万年筆が「被害者のものではない」ことを裏付ける鑑定書を東京高裁に提出しており、支援者らは「石川さんの見えない手錠を外そう」と決意を新たにした。
 集会では石川さん夫妻が登壇。石川さんは万年筆の鑑定結果に触れ、「万年筆/闇夜切り裂く/鑑定で/科学の力で/司法を咎める」と詠んだ歌を披露。「人はうそをつくが物はうそをつかないことを、万年筆が物語っている。今度こそ司法を動かさなければいけない」と無実を訴えた。妻の早智子さんは「科学の力が確定判決を打ち破り、再審が開始されると信じている」と呼び掛けた。
 弁護団の中山武敏、中北龍太郎の両弁護士は、第3次再審請求によって検察官から185点の証拠が開示されたと報告。取り調べ録音テープから「取り調べ時の誘導によって自白がつくられたことは明らか」などと主張した。
 集会には、冤罪(えんざい)となった袴田事件の袴田巌さんの姉秀子さん、布川事件の桜井昌司さんらも駆け付けた。集団アピールでは、判決確定から42年間、事実調べが行われていない実態を問題視。東京高裁が検察官に証拠開示を勧告し、事実調べを行うよう求めるなどの決議を行った。

鳥取地震から1週間/石巻市と宮城県の控訴が悲しい

ブログネタ
フランス語 に参加中!
SMSNP6

Halloween : le Japon aime jouer à se faire peur
Louise Berthoux
Bien qu’éloignées de la culture locale, les fêtes de Noël et la Saint-Valentin sont très populaires au Japon, et depuis quelques années, c'est aussi le cas pour Halloween. Les commerçants nippons ont fait le pari de l'horreur à la fin des années 90, et depuis, le phénomène prend un peu plus d'ampleur tous les 31 octobre. Décryptage.
Halloween est, avec la Saint-Patrick, la fête anglo-saxonne la plus mondialisée. C’est donc en toute logique qu’elle séduit, depuis quelques années, le pays du soleil levant. Alexandre Roy, historien économiste du Japon, maître de conférences à INALCO, nous explique le phénomène : ≪ Halloween a été introduit sur l’Archipel, dans le cadre du développement promotionnel des parcs d’attractions américains tels que Disneyland Tokyo ou Universal Studio Japan à la fin des années 90. Une aubaine pour l’industrie du divertissement dans une période creuse comme l’automne. ≫ Manami TANIMOTO, de l’Office National du Tourisme Japonais, confirme ces propos et ajoute que ≪ contrairement à Obon [fête religieuse japonaise célébrant les morts, ayant lieu en août N.D.L.R], Halloween n’est pas une fête traditionnelle mais commerciale. Si elle était inconnue il y a 10 ans, elle semble récemment être entrée dans la conscience collective ≫ et les commerçants ont su sauter sur l’occasion.
Dès le mois de septembre, les Japonais commencent à s’équiper : décoration, maquillage, costumes… La chaîne japonaise Donki, sorte de BHV local, a ainsi vu les ventes de sa gamme “Halloween” multipliées par dix de 2009 à 2014 et Loft, chaîne de grande distribution très appréciée au Japon, confie que, chaque automne, ses ventes augmentent de 40% tous les ans. Selon le Centre pour la coopération industrielle entre l’UE et le Japon, Halloween a généré 930 millions d’euros en 2015 pour l’industrie du commerce au Japon, contre 750 millions d’euros deux ans en arrière. Le Japan Times prévoit donc, en toute logique, une recette encore plus importante pour l’année 2016.
A qui profite le crime ?
Yashushi Senoo, chef de recherche à Mitsubishi UFJ Research & Consulting à Tokyo, a étudié l’impact économique d’Halloween : ≪le secteur de la décoration d’intérieur est celui qui profite le plus de cet engouement, les recettes devraient augmenter de 20 % d’ici 2020≫. Il conseille par ailleurs aux compagnies intéressées par le marché japonais, d’y introduire des objets design, d’une gamme plus élevée que ceux que l’on trouve actuellement qui se gardent plusieurs années et bénéficient d’une bonne image de marque. Loin du toc et du kitsch pourtant marques de fabrique d’Halloween et son folklore…
Un sushi à la citrouille ?
L’archipel nippon développe chaque année une quantité de nouveaux produits dérivés pour l’événement. ≪Chaque grande marque à sa propre gamme spéciale Halloween ≫ nous confie Myriam Camara, expatriée française à Tokyo. Les grandes marques de l’alimentaire jouent sur le buzz autour de leurs produits insolites, la sauce à la citrouille pour les célèbres frites McDonald, par exemple, a fait un carton sur les réseaux sociaux. La hype du cucurbitacée s’est étendue à d’autres chaînes fast-food comme Lotteria ou KFC, mais elle a aussi conquis les produits patissiers (Krispy Kreme), apéritifs (Doritos) et les sodas (Coca-Cola). Chaque marque a son produit phare couleur orange, ≪un merchandising devenue la norme dans les grandes villes ≫ d’après Myriam Camara. Même son de cloche chez KitKat qui nous confie avoir saisi l’opportunité en lançant dès fin août ses friandises à la citrouille. Alors que le business de Noël s’essouffle, la rentabilité d’Halloween tombe à pic. Et le marché n’est qu’au début de son évolution, selon Alexandre Roy selon qui ≪le public d’Halloween est jeune, les anciens n’étant pas encore habitués à cette fête. Les enfants qui s’achètent des bonbons aujourd’hui seront les nouveaux consommateurs de demain ≫.
Halloween oui, mais à la japonaise !
A la question ≪ Trick or treats ?≫, un Japonais ne saura pas vous répondre. Comme nous le précise Manami Tanimoto, les Nippons ont une autre façon de fêter Jack O’Lantern : ≪c’est davantage une occasion de se déguiser et de faire la fête entre amis, qu’un événement pour les enfants ≫. Berceau du Cosplay, ces déguisements inspirés des héros de BD ou de jeux-vidéos, les Japonais ne ratent pas une occasion de se grimer. Et si les sorcières et les vampires restent des classiques, le ≪kawaii ≫ (ou la culture du mignon) a toujours sa place. L’an dernier, ce sont plus de 3 000 monstres qui ont défilé sur plus d’un kilomètre à Kawasaki, LA ville d’Halloween.
フランス語
フランス語の勉強?
鶴瓶の家族に乾杯「古舘伊知郎とトークバトル 新潟県南魚沼市ぶっつけ本番旅」
今回は古舘伊知郎が新潟県南魚沼市でぶっつけ本番旅に挑戦。田んぼの中の神社で待ち合わせた鶴瓶と古舘。ひょんなことからお邪魔したお宅では、おいしいお米とお酒をいただき、ご夫婦のなれそめ等で二人のトークも盛り上がる。一人旅になった古舘は、田んぼの中にあった、ある施設を訪問することに。そこで出会った男性にお宅にお邪魔したいと頼むと、思わぬ展開が…。一方の鶴瓶は、番組初の驚きの展開となり、登場したのは…。
古舘伊知郎, 笑福亭鶴瓶,小野文惠, 久米明,常盤貴子

黒服物語
杏子(佐々木希)に別れを告げられ、傷心の彰(中島健人)…。そんな中、『ジュリエット』が何者かに放火される!『ジュリエット』のホステスと黒服たちは散り散りに系列店へ。売上至上主義の方針に疑問を抱いた彰は『ジュリエット』復活のために奔走する。しかしライバル店『デリシャス』の背後にいる銀龍会の妨害に遭い、なかなか上手く進まない。そこで彰は予想だにしない行動に打って出るのだった!
中島健人(Sexy Zone)、佐々木希、山本裕典、柏木由紀(AKB48)、中尾明慶、黒川智花、安井謙太郎(ジャニーズJr.)、柳俊太郎、入山杏奈(AKB48)、筧美和子、杉本有美、柳ゆり菜、福吉真璃奈、相葉裕樹、山下真司、宮川一朗太、神保悟志、北村有起哉、要潤、竹中直人


鳥取地震から1週間です.
しかしそれよりも,大川小裁判で石巻市と宮城県が控訴の方針と知りました.わたしは遺族ではないのですが,遺族の気持ちを思うといたたまれないです.

大川小学校、ついに判決で明らかになった「法的責任」
池上正樹 [ジャーナリスト],加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]
5年7ヵ月の闘いがついに決着
遺族の思いは報われたか?
 東日本大震災で、学校管理下の児童74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の23人の児童の遺族19家族が、市と県を相手に総額23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が10月26日に行われ、仙台地裁(高宮健二裁判長)は、学校側の過失を一部認め、14億2600万円あまりの損害賠償を命じた。
 この判決は、学校管理下における惨事としては我が国では例を見ない犠牲者を出した大川小を巡り、東日本大震災における施設管理下での津波被災事故の裁判というだけでなく、学校に預けられた子どもたちの命を教員がどう守るのかという学校防災の基本を問う判断が示されるという点で、教育現場に与える影響は大きいと注目が集まっていた。
 遺族は裁判で、児童が津波の犠牲になったのは、学校が事前の安全対策を怠った上、大津波警報発表下でも、徒歩1分でたどり着く裏山があるにもかかわらず、児童を校庭に長時間待機させ、速やかに安全な高台に避難しなかったためだと訴えてきた。また、事故後に救命要請を行わなかった学校や、説明を尽くそうとしてこなかった市教委の対応のあり方についても、問題があったとしていた。
 一方、市と県は、教職員が学校までの津波襲来を予見することは不可能だったと主張。その理由として、地域には過去津波に襲われた記録がなかったことや、当時の津波浸水予測図では「大川小までは到達しないものと予測されていた」ことを挙げている。地震発生直後には、教職員が様々な形で情報収集を行い、想定通りに避難行動したために、情報収集義務違反や結果回避義務違反はなかったとしていた。
 つまり、市と県は「津波が学校まで到達することを事前に予見できなかった」と反論してきたものの、遺族側は「万一、津波が来たときの子どもたちへの危害発生を予見すべき義務を怠ったのは学校側の落ち度」だと主張。「津波の予見性」とは何かという中身を巡って、真っ向から対立していた。
  判決で高宮裁判長は、「市の広報車が高台への避難を呼びかけていることや、ラジオで津波予想を聞いた段階では、教員らは津波が学校に襲来することを予見し、認識した」と認定。その上で、「津波を回避できる可能性が高い裏山ではなく、避難場所としては不適当というべき(川沿いの)交差点付近に向かって移動しようとした(生存教諭を除く)教員らには、児童らの死亡回避義務違反の過失がある」と指摘した。
 一方で、事前に危機管理マニュアルで避難場所や方法、手順を明記しなかったなどの安全対策を怠ったこと、当時不在だった校長や生存教諭らが被災後、救命救助活動を行わなかったこと、市教委や学校の事後対応に関しての注意義務違反は認めなかった。
 地裁が、学校に子どもの命を守る法的責任があると確認したことは、学校防災全般にとって大きな意味がある。また、大川小の現場で、津波が迫ることを知りながら、教諭らが児童を適切に避難させていなかった点が判決で認められたことも、遺族にとって非常に意味が大きい。
判決後も燻る遺族たちの不満
「なぜ死ななくてはならなかったのか?」
当時 5年生だった次女を亡くした紫桃さよみさんは、「事後対応に対して何一つ責任はなかったという判決は、私は100%不満です」と話した(2016年10月 26日、仙台市内)
 26日の判決は、原告の一部勝訴だった。しかし、判決後に開かれた原告団の会見では、勝訴したとは思えないような重い空気が漂っていた。
「なぜ死ななくてはならなかったのか、裁判では明らかになっていない」「事後対応についての判決は、何1つ納得していません」
 原告の遺族側から、不満が次々に噴出したのだ。
 今回の訴訟は、「津波の予見性」以外にも、事前の対策に不備があった点や石巻市の事後対応の適正性も争われたことが大きな特徴だ。
 当時の校長が初めて被災校舎に来たのが震災から6日も経ってからだったことや、市教委が震災直後の聴き取りメモを廃棄し、津波が来る前に「山へ逃げよう」と訴えた子どもの証言がなかったことにされたことなど、遺族たちの受けた震災後の不誠実な事後対応による精神的苦痛についても、遺族の強い意向により加味されたのだ。
 少しだけ、大川小の遺族が提訴に至るまでの経緯を振り返りたい。
「あの日」の津波被災事故からほどなくして、学校や市からの説明ではあまりにも不十分だとして、捜索活動を終えた遺族たちのなかから、真相を究明するためのグループが自然とでき上がっていった。
 遺族は、説明会や話し合いを求め市教委にかけ合った。市教委は、真相究明に向けた協働歩調を取ろうとはしなかった。初めての説明会の場では、市教委は、遺族が当時の現場の状況を唯一知る生存教諭に質問することを許さず、2回目の説明会でも、時間が来たからと、一方的に席を立ち説明を切り上げた。さらに、生存児童らに聞き取りを行った調査のメモを、担当指導主事が廃棄していたことも発覚。このメモ廃棄を、遺族は隠蔽行為だと受け取った。
 2012年8月になって、当時の平野博文・文部科学大臣が大川小を訪れた。大臣が遺族の訴えに耳を傾けたことをきっかけに、翌 2013年の2月、第三者の防災の専門家らでつくる検証委員会が設置された。すでに発災から2年が経とうとしていた。
学校、行政、検証委の誰も
きちんと答えようとしなかった
当時6年生の三男を亡くした佐藤和隆さんは、「(地震が起きた後の)3時ぐらいから『ここにいたら死ぬ』と言っていたという息子のことが今でも忘れられない。どんだけ怖かったか」と涙ぐんだ(2016年10月 26日、仙台市内)
 ところが、その検証委では、事務局と委員の選定や検証方法、委員の言動などの問題が次々に噴出。結局、約5700万円もの高額な費用をかけた「権威」の検証では、新たな事実は明らかにできなかった。真相究明に期待を寄せ、積極的に傍聴に足を運んでいた遺族のなかには、「ここで心が折れた」という人もいる。
「あのとき、大川小で何が起きたのか?」「学校の子どもたちの命を教員はどう守るのか?」といった遺族の問いに、学校や行政関係者、検証委の誰もきちんと答えようとしてこなかった、一連のプロセスの積み重ねが、訴訟の引き金になった。
「最も安全なはずの学校管理下で、なぜ死ななければならなかったのか。どんな状況で、なぜ死にいたったのか。なぜ大川小だけなのか。その真実の解明のため、被災から3年後、提訴に踏み切ったんです」
 会見で、当時小学6年生の大輔君を犠牲にした原告団長の今野浩行さんは、そんな経緯を交えながら、感想を語った。
 しかし判決では、学校で教職員が、大津波警報のような子どもたちの命への危険を予見したとき、回避行動や回避対策をとるべきではないのか、という学校管理下での明確な基準を示すことはできなかった。
「学校は津波を予見して子どもたちの命を守らなければいけないと、学校側の責任を認めたことについては、一定の評価をしたい。しかし、そんな当たり前のことが司法の場で確認されただけに過ぎない。道義的責任ではなく、やっと法的責任が認められたものの、被災から5年7ヵ月もかかったのは残念。裁判の結果が我々の目的ではない。真実を解明するための1つの手段にしか過ぎない。知りたかった真実は裁判では知ることができなかった。裁判が終了してから、本当の検証作業になると覚悟している」(今野原告団長)
 被告の石巻市と宮城県は、判決文を分析しながら、控訴するかどうかを検討しているという。
「歴史を刻み 未来をひらく判決」
残された課題の重さと新たな闘い
勝訴の一報を伝える横断幕は遺族 3人が自ら掲げた。「歴史を刻む」「未来をひらく」は、大川小の校歌の一節(2016年10月 26日、仙台地裁)
 今後、仮に被告が控訴した場合、原告側も「当時の校長や生存教諭が責任から除外されたこと」や「遺族への事後対応に関する責任」などを含め、付帯控訴する可能性もある。
「勝訴は勝訴。だけども、中身を知れば知るほど、なぜ勝ったのかわからない。事前の防災対策をいい加減にしていてもいいんだ、津波がすぐそこに来るまで何もせずにいていいんだ、資料も廃棄していいんだという判決。みんな納得していない」
 当初からいち早く真相究明に取り組んできた遺族の紫桃隆洋さんは、そう振り返った。
 その言葉に、「あの日」から続いた5年7ヵ月の闘いが報われたと思うのと同時に、今後の学校防災に広く役立つわかりやすい判決を勝ち取れなかったという悔しさもにじむ。
「歴史を刻み 未来をひらく判決」
 勝訴判決を受けて掲げた横断幕には、大川小学校の校歌の一節を借りた言葉があった。子どもたちの命が、いつか起きる災害で、未来の子どもたちの命を救う枠組みにつながる判決になってほしいと、原告団が期待を込めたものだ。
 今回、現場にいた教師の責任を認める形で判決は出されたが、遺族が期待した学校の防災体制のあり方、事故後の対応のあり方についての判断は、原告の期待に対して大きな課題が残ったと言える。(取材・文/池上正樹、加藤順子)


大川小津波判決 悲劇の教訓に学んでこそ
 脆弱(ぜいじゃく)ともいえる防災教育や防災計画に大きな警鐘を鳴らした判決といえるだろう。東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童の遺族による損害賠償請求訴訟の判決で、仙台地裁は学校側が児童を裏山に避難させなかったことを「過失」と認め、市と県に賠償を命じた。
 過去の三陸地震で学んだ「高台へ逃げる」という教訓が生かされなかったことが改めて悔やまれてならない。九州でも大津波が想定される南海トラフ巨大地震などへの備えに万全を期したい。
 大川小は市の防災計画では津波の浸水想定区域に入っていなかった。判決は市の広報車が津波の到来を告げた地震発生約45分後までには教員らは津波を予見できたと認定した。裏山には校舎から小走りだと約1分で登ることができる。実際に避難した教員1人と児童4人は助かった。犠牲になったのは、近くの堤防付近に誘導された児童らだった。
 大川小がある地区は、明治三陸地震(1896年)と昭和三陸地震(1933年)で津波を経験している。東日本大震災で石巻市と同様の地震と津波に襲われた岩手県釜石市では、地震が起きたら迷わず各人が高台に逃げる訓練が繰り返されてきた。「命てんでんこ(命はめいめいが守る)」と呼ばれる伝承だ。当日は訓練通りに避難して学校管理下の小中学生2900人余は全員無事だった。
 地形の違いなどから一概に比較はできないが、結果的に津波に対する日常的な警戒感や避難訓練が生死の明暗を分けたといえよう。
 そもそも大川小は学校自体が津波の避難所だった。大川小のように、浸水想定区域外なのに津波に襲われた学校は宮城、岩手、福島3県で約70校あった。正確な災害予測は困難としても、地域の実情や最新の知見を踏まえて防災計画を不断に見直す努力が必要だ。
 大川小の悲劇を繰り返さないためにも、「命を守る」防災教育を徹底するとともに、学校、家庭、行政など関係機関が一体となって「地域の防災力」を高めたい。


大川小津波訴訟 万全の備えで児童を守れ
 「先生の言うことを聞いていたのに」という原告遺族の悲痛な訴えを認めた判決だ。児童の命を守る教員の重責を再確認し、重大な自然災害への備えを固めたい。
 東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の児童の遺族が損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は学校側の過失を認定し、約14億円余の支払いを県と市に命じた。
 学校側が津波の襲来を予見できたか、児童を安全な場所に避難させることができたかが、裁判の重要な争点となった。
 判決は広報車による避難呼び掛けを教員が聞いた時点で津波の襲来を予見できた上、助かった可能性が高い裏山を避難先に選ばなかった過失があると指摘した。
 生命に関わる自然災害で自ら判断することが難しい児童を安全な場所に誘導しなかった学校側の責任を厳しく指摘した。津波が襲った学校が岩手、宮城、福島3県で約70校あったことを踏まえ、津波襲来は予見できなかったとする市の主張は退けられた。
 東日本大震災のような極限状態で、児童の生命を守る学校、教職員の責務を求めた判決は学校現場に重い課題を突き付けた。判決から学ぶべきことは多い。大災害への備えを怠ってはならない。
 元日大教授の橋本恭宏氏(民法、教育法)は宮城県の沿岸地域に津波被害の長い歴史があることを踏まえ「教訓から学び、いざというときに児童をいかに安全に避難させるかという真剣な議論が欠けていた。他の学校も人ごとではなく、判決を機に防災態勢を見直すべきだ」と指摘している。
 東日本大震災以降、防災地図や防災マニュアルの作成が全国の自治体で進んでいる。地震や津波を想定し、民間の建築物を避難場所に指定する動きも広まった。学校単位でもやるべきことは多い。
 大規模災害の発生時、教職員はどう行動し、安全な場所へ児童を導くかという行動指針を確立すべきだ。さまざまな災害に対応できる柔軟な発想ときめ細かな議論を重ねたい。
 本県の場合、自然災害のみならず、米軍基地から派生する重大事故への対応も必要だ。宮森小ジェット機墜落事故の悲しい経験を過去の出来事にとどめてはならない。
 児童の命が失われる事態は「想定外だった」と釈明しても遺族は納得しない。悲しい犠牲を繰り返さぬためにも備えを万全にしたい。


大川小津波判決]重い教訓 今後に生かせ
 東日本大震災で津波に襲われ、犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の児童23人の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は計約14億2600万円の支払いを命じた。
 学校側は津波の襲来を予測できたのに、児童を安全な場所に避難させなかった−。司法は、その責任を厳しく指摘した。
 子どもの命を預かる教育現場は、想定を超える自然災害であっても臨機応変に対応し命を守る責務がある、との判断だ。悲劇を繰り返さぬため防災はどうあるべきか。学校は重い課題を抱えることとなった。
 大川小では震災当日、地震の揺れが収まった後、教員が児童を校庭に誘導した。一部の児童は迎えの保護者と下校し、残りは50分近く校庭にとどまった。その後、学校より高い標高約7メートルの堤防付近へ移動を始めたところ、途中で津波に襲われた。児童74人と教職員10人が犠牲になった。
 裁判で争点となったのは、学校側が津波の襲来を予見できたかどうか、である。
 大川小は海岸から約4キロ離れ、ハザードマップで津波の浸水想定区域の外にあった。市は「津波がここまで到達するとは予想できなかった」と主張した。これに対し、判決は、学校前を通った市の広報車が、津波の接近を知らせ、高台避難を呼び掛けたのを教員が聞いたことを理由に、教員は津波は予見できたとした。「被災を回避できる可能性が高かった裏山に避難しなかった結果、津波に巻き込まれた」と、学校側の過失と死亡との因果関係を認めた。
■    ■
 判決は、「わが子の命は救えたはずだ」と訴え続けてきた遺族に寄り添う内容となった。ただ、「なぜ助からなかったのか」の疑問が完全に解消されたとは言い難い。
 校庭で待機する間、教員や児童らの中から、裏山への避難を提案する声が出たという。にもかかわらず適切な決断ができず、結果として、東日本大震災で学校で起きた最大の津波被害になった。
 「何があったのか知りたい」との遺族の思いに、市側の対応は誠実さを欠いた。児童が裏山に逃げようと訴えた事実を、一度認めた後に否定し、再度認めるなど説明は二転三転した。
 生き残った児童や教師に聞き取りをしたメモを、市教育委員会が破棄していたことも判明した。第三者委員会の調査も十分ではなかった。学校側に求められているのは、事実を検証して今後の防災対策に役立てる真摯(しんし)な姿勢だ。
■    ■
 地震や津波などの自然災害は突然襲ってくる。沖縄を含め、どこでも起こり得る。県教育庁の2011年調査では、県内の小中高校のうち海抜10メートル未満に立地する学校が全体の3割に上った。
 備えを万全にするため、危機管理マニュアルを充実させ、想定外の事態にも対応できるよう教員への研修の徹底が求められる。災害情報の収集の在り方も議論すべきだ。
 災害弱者は子どもたちだけではない。高齢者や障がい者らの避難を含め、地域ぐるみで防災を考える必要がある。


<仮設商店街>前向き卒業 石巻31日閉鎖
 宮城県石巻市の石巻立町復興ふれあい商店街が31日で閉鎖される。東日本大震災で被災した商店主が再建の足掛かりにしようと、2011年12月に営業をスタート。退去を迫られた危機もあったが、結束して維持してきた。今後の生活への不安を抱えながらも、最後の週末となる29日は音楽イベントを開き、それぞれが次のステップに踏み出す。
 24店舗で始まった仮設商店街は当初、2年間の予定だった。スポーツ店を営む梅雅弘さん(62)は「その頃には街も復旧すると思っていた」と明かす。
 しかし、参加した市街地再開発は昨年になって頓挫し、自力再建しようにも人件費や資材の高騰に戸惑った。
 期限は一度延長され昨年12月末に設定されたが、多くの店が移転先を決められず、市に要望して10カ月の延長が認められた。
 梅さんは最終的に今年2月に現地再建を決断。新店舗は年末にも完成する。「広さは以前の約半分だが、身の丈に合った商売をしたい」と先を見据える。
 震災から5年7カ月余り。石巻市の街はまだ復興の道半ばだ。
 旧北上沿いの同市八幡町で被災した青果店の磯崎洋一さん(66)も現地再建するが、目の前に架かる新内海橋の工事はまだ橋脚が姿を現した程度。完成は20年度の予定で、商売を左右する人通りや車の流れはなかなか見通せない。
 磯崎さんは「思ったより整備が進んでいない。どうなろうが、生まれた土地に帰るだけ」と自分に言い聞かせるように語る。
 仮設商店街の開設当初から営業する弁当店は閉鎖を機にいったん店を閉める。店長の武山さとみさんは仮設住宅暮らし。防災集団移転先の二子地区は造成に時間がかかり、宅地の引き渡しは来年10月の見込み。家を建てて住めるのは18年になる。
 「あっという間の5年だったので少し休みたい」と武山さん。「今度の住宅地でも商売ができるのか、ゆっくり考えたい」と気負わずに人生設計を描く。
 商店街では29日、仙台市のミュージックベルグループなどが参加し、最後の週末を音楽で盛り上げる。
 店主でつくる仮設店舗会の会長で電器店経営の佐藤秀博さん(60)は「商店街のコミュニティーや外部の人とつながる場が消えるのは残念だが、終わりではなく卒業と考えて前向きに最終日を迎えたい」と語る。
[石巻立町復興ふれあい商店街]石巻市中心部の民間駐車場に中小企業基盤整備機構がプレハブの長屋を整備した仮設商店街。現在は起業を目指す新規店を含め理髪店や喫茶店など15店舗と、市が設置する農林漁業者の支援センターが入居する。仮設店舗会によると、閉鎖を機に4店舗が閉店する方針。10月末で入居期限が切れ、来年3月末までに解体される。


<学校と命>子どもを守る覚悟問う
 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小を巡る訴訟で、仙台地裁は26日、子どもの命を預かり、守る覚悟を学校に求める判決を言い渡した。2年7カ月に及ぶ訴訟や関係者の証言から教訓を探る。(報道部・斉藤隼人、畠山嵩)
◎大川小津波訴訟の教訓(1)備え
<耳を疑う証言も>
 「校長、教頭が何も決められず、学校をまとめられない。教育委員会は判決を真摯(しんし)に受け止め、実力本位の人事をすべきだ」
 勝訴判決後、長男と長女を失った原告の鈴木義明さん(54)が記者会見で訴えた。
 あの日、児童は約45分間、校庭で待機させられた。「なぜ、子どもが死んだのか」。震災から5年7カ月、毎日、問い続けてきた遺族は教育者としての資質にまで踏み込み、検証を続けてきた。
 地裁で4月8日にあった証人尋問のやりとりに、遺族は耳を疑った。
 証言したのは大川小の元校長で、地震発生時は不在だった柏葉照幸氏。
 「万が一、大川小まで津波が来たら山に逃げるしかないかな、と話した」
 柏葉氏は、震災の2日前と1カ月前の2度、津波を想定し、教頭や教務主任と協議した事実を認めつつ、「万が一は言葉の中での話」と釈明した。
 遺族側の弁護士が「『万が一』を考えるのが校長の役割ではないか」とただすと、原告席の遺族は柏葉氏に厳しい視線を向けた。
 2009年4月に大川小に着任した柏葉氏は、市教委の指示で10年度の危機管理マニュアルに津波対応を盛り込んだ。ただ、避難場所は標高1メートル程度の低地のまま。「十分考えた上での安全計画ではなかった」と認めている。
<対策の不備 免責>
 訴訟で、遺族側は「教員はマニュアルを適切に改訂し、津波対策をする義務があった」と主張。市側は「津波到達は想定できず、教職員に求められる水準は満たしていた」と反論した。
 09年4月に施行された学校保健安全法は、災害などに備えたマニュアルの策定や研修など「事前の備え」を学校に強く求めた。判決は法の趣旨に触れつつ、「行政も想定外だった」などとして事前対策の不備を免責した。
 京都精華大の住友剛教授(教育学)は「学校現場は『詰め詰めの弁当箱』状態で、防災が入る隙間はない。教育委員会は、命を守る対策に十分時間を割くべきだ」と提言する。
 「地震から津波到達までの51分間や3.11前に、子どもたちを救う手掛かりはなかったか。徹底的に考えてほしい」
 兵庫県の小中学校の新任教員40人が8月25日、大川小を訪れ、語り部の言葉に耳を傾けた。
 命の現場と向き合い、教員としての覚悟を問う−。同県教委は本年度、新任研修に東北の被災地視察を取り入れ、大川小は必ず立ち寄っている。
 「命あってこその教育。被災地・兵庫は学力向上はもちろん、全国一の防災教育に努める」と担当者は言う。
 大川小で語り部を続ける原告遺族の只野英昭さん(45)が警鐘を鳴らす。
 「大川小に来るのは宮城県外の教育関係者ばかり。宮城県や石巻市の教育委員会は全く触れようともしない。これでは悲劇を繰り返す」


命預かる学校の責任重い/宮城・大川小津波訴訟判決
 東日本大震災で津波にのまれ、犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の児童の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は14億円余りの支払いを市と県に命じた。学校を襲った最大の津波被害を巡り判決は、教員は津波の襲来を予見できたとの判断を示し、児童らを安全な避難先に導かなかった責任を厳しく指摘した。
 大川小では地震後、児童と教職員が校庭に50分近くとどまった。この間、大津波警報の発令が伝えられ裏山への避難を訴える声もあった。市の広報車による高台避難の呼び掛けで、川沿いの交差点付近を目指し避難を始めたが、途中で津波に襲われ児童74人と教職員10人が犠牲になった。
 なぜ、わが子の命は奪われたのか。どうすれば悲劇を防ぐことができたか。裁判を通じて遺族は問い続けた。学校で災害に遭遇したとき、児童たちは教員の判断と指示に頼らざるを得ない。教員はどのような事態でも、児童を守るため臨機応変に可能な限りの対応をしなくてはならないことを判決は示している。
 学校現場は最悪の事態を想定して日ごろから避難場所や方法を話し合い、訓練を行うなど常に備えを怠らないことが求められよう。
 裁判では、学校側が津波の襲来を予見できたかが争点になった。大川小は津波の浸水想定区域の外にあり、市の指定避難場所にもなっていたことなどから学校側は予見可能性を否定した。
 判決も、校庭に児童を集めたころに津波の到来を予見するのは困難だったとしている。しかし広報車による高台避難の呼び掛けがあった段階で「校庭にとどまっていれば児童の生命身体に具体的な危険が生じる、と予見できた」と判断。「被災を回避できる可能性が高かった裏山でなく、交差点付近に移動しようとした結果、児童らが死亡した」と教員らの過失を認定した。
 震災後、津波の犠牲者の遺族が学校や企業などの管理責任を問う訴訟が相次いだが、浸水想定区域外の被災について予見は困難との理由で遺族の賠償請求を退ける例が多い。そんな中で今回の判決は教員にかなり厳しい注意義務を求め、踏み込んだ判断を示した。
 学校は子どもの命を預かる責任の重さをあらためて胸に刻み、防災の取り組みを一層積み重ねる必要がある。悲劇を繰り返してはならない。


大川小津波訴訟 悲劇を繰り返さぬために
 高台への避難の呼び掛けを聞いてから津波に襲われるまでの7分間、教員の適切な判断があれば救えたはずだった―。子どもの命を守る責務の重さを、学校や教員にあらためて突き付ける司法判断が示された。
 2011年3月11日の東日本大震災で、学校の管理下で最多の犠牲者を出したのが宮城県石巻市立大川小だった。仙台地裁は、遺族が損害賠償を求めた訴訟で学校側の過失を認め、学校を管理する市と教員給与を負担する県に計14億円余りの支払いを命じた。
 地震発生後、大川小では児童が校庭に待機した。約50分後、約150メートル先の、校庭より小高い堤防付近を目指して移動を始めたが、すぐに一帯を津波が襲い、児童74人と教職員10人が犠牲になった。一緒に行動していた中で助かったのは児童4人、教員1人だけだった。
 焦点となったのは津波被害が予見できたか否かだった。大川小は海岸から約4キロ離れており、市の防災計画でも津波の避難対象区域外で、津波の際の避難場所にも指定されていた。判決では、震災前には教員が津波での被災を予見できなかったことは認めた上で、津波襲来までの7分間の対応を問題視した。
 大川小への津波到達は午後3時37分。遅くとも同3時半までには市の広報車が津波接近を告げ、高台への避難を呼び掛けており、校庭にいた教員も聞いていた。判決は、その段階で津波襲来は予見できたと指摘。「裏山に避難しなかった結果、津波に巻き込まれた」と学校側の過失と死亡との因果関係を認めた。遺族側の主張に沿ったもので、裏山は崩落や倒木などの危険があったと反論していた市側の主張は退けられた。
 遺族らが行った実験で、裏山には校庭から小走りで1分程度で登れることが分かっている。一帯を襲った津波は高さ約8・7メートル。標高10メートル以上の裏山に逃げていれば、助かった可能性が高い。生存者の証言では、校庭で「山へ逃げよう」と教師に訴え、実際に登ろうとした子もいた。それでも学校側は待機を指示し、児童は自分の判断で逃げることもできなかった。遺族の無念さは察するに余りある。
 震災当日、校長が休暇を取り、責任者不在だった。そこに「まさか」の津波の情報が届き、現場が混乱したのは想像に難くない。それでも判決は、教頭が自らの判断で裏山への避難を決断するべきだったと指摘。堤防付近へ移動した行為は過失と認めた。
 現実に起きていることをしっかりと見極め、臨機応変に判断する。判決は教員に対して、そんな災害発生時の高い危機管理能力を求めたといえる。学校の管理下では子どもの生死は教員に委ねられている。全ての教員が大川小の教訓に学び、重い責務をかみしめる必要がある。それが悲劇を繰り返さないための一歩となろう。


大川小津波訴訟判決/学校現場に重い課題
 東日本大震災で津波にのまれ、犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の児童の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は14億円余りの支払いを市と県に命じた。学校を襲った最大の津波被害を巡り判決は、教員は津波の襲来を予見できたとの判断を示し、児童らを安全な避難先に導かなかった責任を厳しく指摘した。
 大川小では地震後、児童と教職員が校庭に集まり、その場に50分近くとどまった。この間、大津波警報の発令が伝えられ、裏山への避難を訴える声もあった。市の広報車による高台避難の呼び掛けで、川沿いの交差点付近を目指して避難を始めたが、その途中で津波に襲われ、児童74人と教職員10人が犠牲になった。
 なぜ、わが子の命は奪われたのか。どうすれば悲劇を防ぐことができたか。裁判を通じて遺族は問い続けた。学校で災害に遭遇したとき、児童たちは全面的に教員の判断と指示に頼らざるを得ない。教員は、どのような事態であっても、児童を守るため臨機応変に可能な限りの対応をしなくてはならないということを判決は言っている。
 学校現場に重い課題を突き付けたと言える。日本のどこでも地震や津波に遭遇する可能性はある。学校は最悪の事態を想定して日ごろから避難の場所や方法を話し合い、訓練を行うなど常に備えを怠らないことが求められよう。悲劇を繰り返してはならない。
 裁判では、学校側が津波の襲来を予見できたかが争点になった。大川小はハザードマップにある津波の浸水想定区域の外にあった。市の指定避難場所にもなっており、当日は地域住民も身を寄せていた。こうしたことから学校側は予見可能性を否定。交差点付近への避難についても、校庭より標高が高く、住民と協議して決めたとした。
 判決も、校庭に児童を集めたころに津波の到来を予見するのは困難だったとしている。しかし広報車による高台避難の呼び掛けで「校庭にとどまっていれば、児童の生命身体に具体的な危険が生じると予見できた」と判断。「被災を回避できる可能性が高かった裏山ではなく、交差点付近に移動しようとした結果、児童らが死亡した」と教員らの過失を認定した。
 震災後、津波の犠牲者の遺族が学校や企業などの管理責任を問う訴訟が相次いだが、浸水想定区域外の被災について予見は困難との理由から、遺族の賠償請求が退けられる例が多い。そんな中で今回の判決は教員に厳しい注意義務を求め、踏み込んだ判断をしたと言える。学校現場は子どもの命を預かる責任の重さを改めて胸に刻み、防災の取り組みを積み重ねてほしい。
 判決後、遺族らは、ほっとした表情を見せた。一方で「真相が明らかになっていない」「本当の検証はこれから」との声も聞かれた。背景には市などへの根強い不信感がある。震災後の保護者説明会で市側は、校庭で児童が裏山に逃げようと訴えた事実を一度は認めながら「確認できていない」とし、後に再び認めた。
 市教育委員会が生き残った児童らの聞き取りメモを廃棄したことも発覚した。災害で大きな被害が出た場合の遺族や被害者への情報提供の在り方も大きな課題だろう。


大川小津波判決 悲劇の教訓に学んでこそ
 脆弱(ぜいじゃく)ともいえる防災教育や防災計画に大きな警鐘を鳴らした判決といえるだろう。東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童の遺族による損害賠償請求訴訟の判決で、仙台地裁は学校側が児童を裏山に避難させなかったことを「過失」と認め、市と県に賠償を命じた。
 過去の三陸地震で学んだ「高台へ逃げる」という教訓が生かされなかったことが改めて悔やまれてならない。九州でも大津波が想定される南海トラフ巨大地震などへの備えに万全を期したい。
 大川小は市の防災計画では津波の浸水想定区域に入っていなかった。判決は市の広報車が津波の到来を告げた地震発生約45分後までには教員らは津波を予見できたと認定した。裏山には校舎から小走りだと約1分で登ることができる。実際に避難した教員1人と児童4人は助かった。犠牲になったのは、近くの堤防付近に誘導された児童らだった。
 大川小がある地区は、明治三陸地震(1896年)と昭和三陸地震(1933年)で津波を経験している。東日本大震災で石巻市と同様の地震と津波に襲われた岩手県釜石市では、地震が起きたら迷わず各人が高台に逃げる訓練が繰り返されてきた。「命てんでんこ(命はめいめいが守る)」と呼ばれる伝承だ。当日は訓練通りに避難して学校管理下の小中学生2900人余は全員無事だった。
 地形の違いなどから一概に比較はできないが、結果的に津波に対する日常的な警戒感や避難訓練が生死の明暗を分けたといえよう。
 そもそも大川小は学校自体が津波の避難所だった。大川小のように、浸水想定区域外なのに津波に襲われた学校は宮城、岩手、福島3県で約70校あった。正確な災害予測は困難としても、地域の実情や最新の知見を踏まえて防災計画を不断に見直す努力が必要だ。
 大川小の悲劇を繰り返さないためにも、「命を守る」防災教育を徹底するとともに、学校、家庭、行政など関係機関が一体となって「地域の防災力」を高めたい。


[大川小津波訴訟] 児童の命守る重い責任
 自分で判断することが難しい児童を、災害時に安全な避難先に導かなかった学校側の責任を厳しく指摘する判決となった。
 東日本大震災の津波で74人の児童が犠牲になった宮城県石巻市立大川小を巡り、児童23人の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は計14億2600万円の支払いを命じた。
 学校側は津波襲来を予見できた上、助かった可能性が高い裏山を避難先に選ばなかった過失があると認定した。
 想定外の事態でも、教員には柔軟な対応で預かった子どもたちの命を守る責務があると警鐘を鳴らす内容だ。学校現場に重い課題を突きつけた。
 いざというときにどうすれば子どもたちを安全に避難させられるのか。全国の学校が真剣に防災対策を構築する契機としなければならない。
 大川小は海岸から約4キロ離れ、津波の浸水想定区域の外にあった。しかし、津波は約200メートル離れた北上川をさかのぼり、堤防付近に避難中の児童のほか教職員10人が亡くなった。
 裁判で争点となったのは、学校側が津波の到来を予見できたのか、避難場所は妥当だったのか、という点だ。
 判決は市の広報車が津波の接近を伝え、高台避難を呼び掛けたのを教員が聞いたことを理由に「予見できた」と踏み込んだ。
 さらに、市側の「裏山は避難場所として適切でなかった」との主張も退けた。児童はシイタケ栽培学習などで登っており、「裏山に避難しなかった結果、津波に巻き込まれた」とした。
 「山に逃げよう」という声は教員や児童からも上がっていたという。学校側の過失を認めたのは妥当で、遺族の心情にも寄り添ったものといえよう。
 一方、訴訟では唯一生き残った教員の証人申請が却下された。証言していれば、状況がより明確になった可能性もあり、残念だ。
 遺族が訴訟に踏み切った背景には、市側の説明があいまいだったり、生き残った児童や教師への聞き取りのメモを市教委が廃棄したりしたことへ不信感がある。
 行政側には、遺族と真摯(しんし)に向き合い、真実を明らかにする姿勢をあらためて求めたい。
 東日本大震災後、鹿児島県内でも地震や津波を想定した避難訓練を行う学校が増えた。
 悲劇を繰り返さないためには、教員の防災研修や的確な情報収集などが欠かせない。学校と保護者、地域が手を携え、防災意識を高めていかなければならない。


<学校と命>子どもを守る覚悟問う
 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小を巡る訴訟で、仙台地裁は26日、子どもの命を預かり、守る覚悟を学校に求める判決を言い渡した。2年7カ月に及ぶ訴訟や関係者の証言から教訓を探る。(報道部・斉藤隼人、畠山嵩)
◎大川小津波訴訟の教訓(1)備え
<耳を疑う証言も>
 「校長、教頭が何も決められず、学校をまとめられない。教育委員会は判決を真摯(しんし)に受け止め、実力本位の人事をすべきだ」
 勝訴判決後、長男と長女を失った原告の鈴木義明さん(54)が記者会見で訴えた。
 あの日、児童は約45分間、校庭で待機させられた。「なぜ、子どもが死んだのか」。震災から5年7カ月、毎日、問い続けてきた遺族は教育者としての資質にまで踏み込み、検証を続けてきた。
 地裁で4月8日にあった証人尋問のやりとりに、遺族は耳を疑った。
 証言したのは大川小の元校長で、地震発生時は不在だった柏葉照幸氏。
 「万が一、大川小まで津波が来たら山に逃げるしかないかな、と話した」
 柏葉氏は、震災の2日前と1カ月前の2度、津波を想定し、教頭や教務主任と協議した事実を認めつつ、「万が一は言葉の中での話」と釈明した。
 遺族側の弁護士が「『万が一』を考えるのが校長の役割ではないか」とただすと、原告席の遺族は柏葉氏に厳しい視線を向けた。
 2009年4月に大川小に着任した柏葉氏は、市教委の指示で10年度の危機管理マニュアルに津波対応を盛り込んだ。ただ、避難場所は標高1メートル程度の低地のまま。「十分考えた上での安全計画ではなかった」と認めている。
<対策の不備 免責>
 訴訟で、遺族側は「教員はマニュアルを適切に改訂し、津波対策をする義務があった」と主張。市側は「津波到達は想定できず、教職員に求められる水準は満たしていた」と反論した。
 09年4月に施行された学校保健安全法は、災害などに備えたマニュアルの策定や研修など「事前の備え」を学校に強く求めた。判決は法の趣旨に触れつつ、「行政も想定外だった」などとして事前対策の不備を免責した。
 京都精華大の住友剛教授(教育学)は「学校現場は『詰め詰めの弁当箱』状態で、防災が入る隙間はない。教育委員会は、命を守る対策に十分時間を割くべきだ」と提言する。
 「地震から津波到達までの51分間や3.11前に、子どもたちを救う手掛かりはなかったか。徹底的に考えてほしい」
 兵庫県の小中学校の新任教員40人が8月25日、大川小を訪れ、語り部の言葉に耳を傾けた。
 命の現場と向き合い、教員としての覚悟を問う−。同県教委は本年度、新任研修に東北の被災地視察を取り入れ、大川小は必ず立ち寄っている。
 「命あってこその教育。被災地・兵庫は学力向上はもちろん、全国一の防災教育に努める」と担当者は言う。
 大川小で語り部を続ける原告遺族の只野英昭さん(45)が警鐘を鳴らす。
 「大川小に来るのは宮城県外の教育関係者ばかり。宮城県や石巻市の教育委員会は全く触れようともしない。これでは悲劇を繰り返す」


<大川小訴訟>石巻市と宮城県が控訴へ
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、学校の責任を認めた仙台地裁判決を不服として、市が控訴する方針を固めたことが28日、分かった。市議会の議決を経て正式に決める。県も市に歩調を合わせるとみられる。
 亀山紘市長は河北新報社の取材に「判決を見た限り、受け入れられない内容を含んでいるので控訴したい」と話した。
 市は30日にも市議会臨時会を招集し、控訴提起に関する議案を提出する。
 県側代理人は取材に「最大の争点になった津波到達の予見可能性について、他の津波訴訟と比べ検討が不十分だ。控訴審で判断を仰いだ方がいい」との見解を示した。
 6年生だった長男大輔君=当時(12)=を亡くした原告団長の今野浩行さん(54)は「犠牲になった子どもの命や未来の命よりも、組織や自分の立場を守るために裁判と向き合っていると感じ、残念。行政や教育関係者が子どもの命を守らなくてもいいとの主張を繰り返すのか」と憤った。
 26日に言い渡された判決は「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と判断。計約14億2660万円の支払いを命じた。
 判決によると、2011年3月11日午後2時46分に地震が発生し、大川小教職員は約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。午後3時37分ごろ、校庭近くの北上川堤防付近(三角地帯、標高約7メートル)へ向かう途中で高さ8メートルを超す津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。
 地裁は「津波が来る7分前の午後3時30分ごろ、市広報車が高台への避難を呼び掛けており、教員らはこの段階で大津波の襲来を予見し、認識した」と認定。堤防付近への避難については「裏山は避難場所として何ら支障がなく、堤防付近への避難は不適当だった」と結論付けた。


大川小津波訴訟、石巻市控訴へ 14億円賠償命令に不服
 東日本大震災の津波で多数の犠牲を出した宮城県石巻市立大川小を巡る訴訟で、市は28日、児童23人の遺族に対する14億円余りの損害賠償を命じた仙台地裁判決を不服として、仙台高裁に控訴する方針を固めた。遺族側は「極めて遺憾だ」と反発した。
 石巻市は控訴方針について、30日の市議会臨時会で説明する。宮城県の村井嘉浩知事は「判決文の内容を精査している。今後の対応は石巻市の対応を見守りつつ、慎重に判断する」とのコメントを出した。
 原告団長の今野浩行さん(54)は「判決は学校の責任を認めたもので、市の控訴は未来の命を守るわれわれの主張と反する」と語った。


大川小津波訴訟 石巻市が控訴の方針 議会に伝える
東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判で、石巻市は、仙台地方裁判所が14億円余りの賠償を支払うよう命じた判決を不服として控訴する方針を、28日午前、市議会側に伝えたことがわかりました。30日開かれる予定の臨時議会で、承認を得たいとしています。
震災の津波で犠牲になった石巻市の大川小学校の74人の児童のうち、23人の児童の遺族が訴えた裁判で仙台地方裁判所は、26日、「市の広報車が避難を呼びかけたのを教員らが聞いた時点で、津波が到達する危険を予測できた」と指摘して、石巻市と宮城県に対し原告全員に合わせて14億2600万円余りの賠償を支払うよう命じました。
これを受けて、石巻市は、対応を検討していましたが、判決を不服として仙台高等裁判所に控訴する方針を28日午前、市議会側に伝えたことがわかりました。
30日開かれる予定の臨時議会に控訴の承認を求める議案を提出することにしています。
一方、宮城県の村井知事は28日午前、「現時点では控訴するかどうかは決めていない。石巻市で臨時議会が開かれるという話も出ているので、石巻市とよく話し合って判断したい」と述べました。
原告の弁護士は、石巻市の控訴の方針を受けて「極めて不当で、判決を重く受け止めると言いながら、遺族の感情を逆なでする遺憾な対応だ。遺族と協議の場を持ち対応を検討したい」と話しています。


台風10号豪雨2カ月/復興に震災体験を生かそう
 岩手県岩泉町に大きな爪跡を残した台風10号豪雨は、30日で発生から2カ月となる。町は復旧・復興推進本部を設置し、被災者の生活再建に本格的に乗りだしている。
 町内のライフラインはほぼ復旧した。これまでに延べ1万9000人以上のボランティアが現地に入り、被災家屋の泥出しも進んだ。仮設住宅の建設工事も始まった。
 県や町には、東日本大震災で培った被災者支援の経験を生かし、加速的な生活再建を図ることを強く望みたい。
 町内の被害を振り返ると、東日本大震災を大きく上回る規模になった。家屋の全壊は432棟、半壊は455棟(26日現在)に上る。震災では全壊が177棟、半壊は23棟だった。濁流のすさまじい破壊力が数字に表れた。
 復旧でまず急ぐべきは、仮設住宅の整備だ。町は被災家屋調査で全壊と判定された世帯を対象に入居意識調査を実施。岩泉、小川、安家(あっか)の3地区に約200戸を新設するほか、小本(おもと)地区と田野畑村にある震災の仮設住宅を活用し、計260戸を整備する。
 被災者からは「雪がちらつく前には何とか仮設に入りたい」という声が上がる。町は11月下旬までに全戸への入居を完了させたい考えだ。
 切実な問題もある。自宅が全壊した被災者は生活用品の多くを失った。震災時には仮設143戸にテレビや冷蔵庫、洗濯機など家電6点が日本赤十字社から寄贈された。今回は配備のめどが立たず、町は「震災並みに支援してほしい」と県に要望していた。
 県と県社会福祉協議会は入居世帯に生活家電を提供しようと、企業や団体、個人から支援金を募り始めた。購入金額は1世帯当たり20万〜25万円を見込む。被災者にとっては貴重な援助となる。
 仮設住宅で生活が始まれば、新たなコミュニティーの構築、お年寄りらの孤立をどう防ぐかなどが課題となる。住民交流の活発化や心身の健康維持に向けては、震災体験で蓄積したノウハウを生かした取り組みが不可欠となる。
 町の雇用を支える第三セクターの再生も見えてきた。岩泉乳業は来年8月に操業を再開する見通しとなった。被災前と同じ1日ヨーグルト約10トン、牛乳約2トンの製造を目指す。工場の改修や新設に29億円かかるが、半分の14億5000万円は県を通じて国が支援する。残りの負担は町などと調整を進める。
 岩泉産業開発も人気商品のミネラルウオーターの生産を再開。主力の缶コーヒーの生産も順次再開する計画だ。同社は道の駅「いわいずみ」と畑ワサビや短角牛の加工場も被災した。再開の見通しは立たず被害額は約10億円に上るという。復旧に当たっては国の応分の支援が必要だ。
 被災規模は甚大で、震災と同じく復興の道のりは長い。震災体験を逆手に取った力強い地域再生を実現したい。


<小池都知事>五輪で復興と感謝伝えるべき
 小池百合子東京都知事は27日の河北新報社のインタビューで、2020年東京五輪・パラリンピックが東日本大震災からの復興に果たす役割を重視する考えを示した。(聞き手は東京支社・片山佐和子、小沢邦嘉)
 −「復興五輪」をどう考えているか。
 「招致活動で国内外に喧伝(けんでん)された復興五輪が、いつの間にか忘れ去られたことを残念に思っていた。被災地では仮設住宅に暮らす人も(東京電力福島第1原発事故の影響で)帰還できない人もいる。復興を促し、20年の時点で復興は順調に進んだと世界の励ましに感謝のメッセージを大会で伝えるべきだ」
 −都として大会の開催経費の検証を進めている。
 「コスト削減のために、都が負担する施設を都外にばらまくのではない。国内の皆が納得し、将来有効活用でき、ランニングコストで大赤字を出さないためにどうするか。同時に感動を日本中で分け合えるようなシステムも。安ければいいと思っていない」
 −ボート、カヌー・スプリントの会場候補の一つ、宮城県長沼ボート場(登米市)の視察は市民約3000人が歓迎した。
 「3000人もさることながら村井嘉浩宮城県知事の思いはすごく熱い。(経費を)『自分たちで何とかする』という心意気は高く買いたい。思いがしっかり伝わることを期待する。復興五輪は重要なキーワードだと思うし、被災者が住んだ仮設住宅が有効活用されることはそれだけでもメッセージになる」
 「長沼は東京から遠いと言われるが東京が基準だから遠い。スポーツを通じて被災地が元気になり、宮城に人が訪れることはプラス効果を生むのではないか」
 −調査チームは3案に絞り込んだが、長沼案は小池知事の最終結論に残るか。
 「もう残っている。3案の中に。主催はあくまでIOC(国際オリンピック委員会)。どうするかは連携して決める」


鳥取中部地震から1週間、住宅被害が増え“避難生活”長期に
 鳥取県で震度6弱の地震が発生してから28日で1週間です。日を追うごとに住宅の被害件数は増え、いまも450人が避難生活を余儀なくされています。現地から報告です。
 鳥取県倉吉市の中心部にある成徳小学校です。ここでは、およそ50人が避難生活を送っています。鳥取県全体ではいまだ450人が自宅に帰れず、避難生活は長期化しそうです。
 「やはり着替えがないのと、お風呂に入れないのと、夜やはり眠れない」(避難している人)
 「店をしている。なるべく早く帰って開けないと。早く帰りたい一心」(避難している人)
 また、今回の地震では、日を追うごとに住宅被害の数が増えていて、県の調べでは全壊2棟、半壊3棟、一部損壊は2644棟にも上っています。ブルーシートで覆われた住宅が増え、「町の風景が青一色に変わった」、そんな印象を受けます。
 今回の地震ですが、これまで断層の存在が知られていなかった場所で発生しました。その理由について鳥取大学の研究者は「ひずみが解放されたから」と考えています。
 「山陰の方向には東南東から西北西に向かうような力、圧縮がかかっている。その圧縮がかかっている力によって、今回の断層面が左横ずれした」(鳥取大学大学院工学研究科 香川敬生教授)
 鳥取大学の香川教授によりますと、複数のプレートに押されることで日本列島には「ひずみ」がたまっていて、特に山陰は、その「ひずみ」がたまりやすい場所だといいます。そして今回、鳥取県中部で揺れが大きくなった原因については次のように分析します。
 「東部は1943年の鳥取地震でM7.2を、西部は2000年の鳥取県西部地震でM7.3を起こしている。中部はまだM7級のひずみを解放しきれていない。何回かにわけてエネルギーとひずみを解放している場所になっていて、それのひとつが今回の地震だったのでないか」(鳥取大学大学院工学研究科 香川敬生教授)
 震度6弱の地震発生から1週間、被災地では28日朝から断続的に雨が降っていて土砂災害への注意が必要です。


鳥取地震から1週間 450人超が避難生活
 鳥取県中部で発生した最大震度6弱の地震から28日で1週間だが、今も450人以上が避難生活を余儀なくされている。
 今月21日の地震では、鳥取県中部の倉吉市、湯梨浜町、北栄町で震度6弱を観測し、19人が重軽傷を負った。28日で地震から1週間。鳥取県では、3000棟以上の建物に被害があり、これまでに214棟が倒壊のおそれなどがある「危険」と判定されている。また、今も小学校などに452人が避難していて、避難生活の長期化も懸念されている。
 気象庁は、今後も震度1から3程度の地震がしばらくの間、続く見込みだとして注意を呼びかけている。


逝去した三笠宮が語っていた歴史修正主義批判! 日本軍の南京での行為を「虐殺以外の何物でもない」と
 昭和天皇の末弟で、今上天皇の叔父にあたる三笠宮崇仁親王が、昨日27日、心不全により逝去した。享年100歳だった。一部メディアは、崇仁親王の先の戦争に対する反省の念や、戦争反対への思いなどを伝えているが、その発言は、マスコミが報じている以上に踏み込んだものだった。崇仁親王は、いまこの時代を支配している右傾化に対して、早くから警鐘を鳴らしてきたとさえ言える。
 それを象徴するのが、右派の“南京大虐殺はなかった”という歴史修正主義に対する強い批判だろう。
 1915年生まれの崇仁親王は、陸軍士官学校に進み、軍人となり、日中戦争時の1934年1月から1年間、「若杉参謀」の名で参謀として中国・南京に派遣された。このとき崇仁親王は「支那派遣軍総司令部」で「支那事変に対する日本人としての内省」という文書を書き、日本の侵略主義を批判したのだが、その文書が発見された1994年には、月刊誌のインタビューで“南京大虐殺はなかった”という論についてどう思うか聞かれ、このように述べている。
「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)
 このインタビューが収録された当時は、羽田内閣の永野茂門法相が毎日新聞のインタビューで「南京大虐殺はでっち上げだと思う」「太平洋戦争を侵略戦争というのは間違っている」などと発言するなど、戦中日本の戦争犯罪を公然と否定する流れが、すでに一部の右派だけでなくかなりの勢いを持ち始めていた時期である。
 とくに、日中戦争初期の1937年12月の首都・南京陥落以降に日本軍が行った捕虜や民間人の殺害行為については、論者・研究者によってその人数に20万人から数百人、そして「そもそも虐殺は存在しなかった」といういわゆる“マボロシ論”まで論じられていた。その“数字”をとりたてる流れは現在も続き、現日本政府もまた「被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としている。
 だが、崇仁親王はこうした“数字”の論に対して“むごたらしく殺せば人数は関係ありません”と、はっきりと批判したのだ。さらに同インタビューでは、自身の南京での従軍経験としてこうも述べている。
「また、南京の総司令部では、満州にいた日本の舞台の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう」
 言うまでもなく、崇仁親王が戦争犯罪を正視し、歴史修正主義をけん制したのは、再びこの国が戦争をすることがないようにという強い思いがあったからだ。1956年の著書『帝王と墓と民衆』(光文社)に付した「わが思い出の記」のなかでも、南京に配属された当時を振り返り、こう記している。
〈わたしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実態に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいつかない結果を招いてしまった〉
〈わたしがここで言いたいのは、聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないかということである〉
 昨年、ユネスコの世界記憶遺産に「南京大虐殺」が登録されたことに対して、ユネスコへの分担金を留保するという“報復”に出た安倍首相にこそ聞かせたい言葉だ。だが、そうした誠実な態度を貫き通した崇仁親王に対し、これまで右派は「赤い宮様」などと揶揄し、「左翼」と批判してきた。前述した著書の一部が新聞で紹介されたときには、“これは日本軍を傷つけるものだ”という趣旨の脅迫まがいの手紙が当時品川区にあった三笠宮邸に届いたこともあったという。
 しかし、崇仁親王はイデオロギーから発言したわけではない。崇仁親王がオリエント史などの歴史研究を愛し、大学の教壇にも立ったことはよく知られているが、その根本には、たとえそれがどれほど自分にとって正視し難い事実であったとしても、歴史には真摯に向き合わなければならないという覚悟があった。そしてなにより、崇仁親王自身が皇族という極めて特殊な立場にありながら、“権威”が大衆を惑わすこと、そして、自由な言論が封鎖されることこそ、民主主義にとって一番の障壁であると、60年以上前から指摘してきた。
 マスコミはあまり取り上げないが、崇仁親王の思いが、皇室と国民の垣根を越える“民主主義”にあったことは明らかだ。たとえば1952年の「婦人公論」(中央公論社、当時)2月号に掲載された「皇族と自由」と題した聞き書きのなかで、崇仁親王は、昭和天皇の地方巡幸の際に警官が万歳しない人に対して叱りつけたという話を受けて、「これでは少しも人間と人間との感情が流れてきません。こんなとき号令をかけられた人がなぜ抗議しないのでしょう」「同じ人間同しなのですからハダカとハダカでぶつかり合ってほしい」としたうえで、「これが民主主義の基礎であることはいうまでもありません」と語っている。
 あるいは1966年の「女性自身」(光文社)のインタビューでは、皇室の民主化の停滞を嘆きながら、侵略戦争の認識についてこう述べている。
「太平洋戦争が終わったときには、もうこれで地球上から悲惨な戦争はいっさいなくなったのだと思いましたが、現状をみると、まことにあさはかな考えだったことがわかります。
 どんな大義名分をつけても、しょせん戦争は殺人です。人を殺すことは最大の罪悪です。戦争放棄を明記した新憲法の精神は、いつまでも大切にしなければなりません」
 しかし、2016年の日本はどうか。安倍政権はメディアに圧力を加え、言論弾圧まがいの行為を繰り返し、さらに憲法を変えてこの国を戦争へと導こうとしている。そして、天皇の「生前退位」についても一代限りの特別法でお茶を濁し、抜本的な天皇や皇族の人権問題には決して触れようとしない。さらには、国民の多くはそんな安倍政権を支持し続け、歴史修正やその強権政治への国内外の批判に対しては、束になって「反日」だと襲いかかる。まるで、みずから民主主義を手放そうとしているかのようだ。
 非民主的な存在である皇族のほうが国民や政治家よりよっぽど自由や人権、民主主義について考えを巡らし、また、負の歴史を正面から見据えていた。その歪な現実を、わたしたちはよく受け止めなくてはならない。(宮島みつや)


三笠宮さま逝去/歴史の真実に向き合った
 昭和天皇の末弟で、天皇陛下の叔父に当たる三笠宮さまが亡くなられた。100歳だった。
 オリエント史の研究者としても知られ、気さくな人柄で多くの人々に親しまれた。兵庫県内も家島諸島の学術調査や丹波焼の施設見学などで訪問された。
 何より激動の時代の証言者として大きな存在だった。明治以降では最長寿の皇族であり、大正、昭和、平成と三つの時代を生きた。軍人としての体験を基に、平和の大切さを強く訴えてこられた姿が印象に残る。その思いを受け継いでいきたい。
 大正天皇の四男として誕生。陸軍大学校を卒業し、1943年に中国・南京に赴任した。帰国後は大本営陸軍参謀などを務めた。
 「今もなお良心の呵責(かしゃく)にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」。戦後にそう振り返った言葉は有名だが、戦時中も軍部を批判した。南京での講話では、満州事変を「現地軍の独断」と指弾した。
 「聖戦」との大義名分が事実とはかけ離れたものであったことに苦悩し、歴史の真実を伝えようと、積極的に発言された。
 南京大虐殺について犠牲者数ばかりが問題になる状況に疑問を呈したことがあった。「建国記念の日」制定問題では紀元節復活の動きに、歴史学的根拠がないと反対されたのも「学者殿下」らしいエピソードだ。
 一方、皇室の在り方への発言も注目された。終戦直後、天皇の生前退位について「真にやむをえない事情が起きることを予想すれば必要最小限の基本的人権としての譲位を考えた方がよいと思っている」と今の議論につながる意見を発表された。
 皇位継承順位5位の三笠宮さまが亡くなったことで、天皇と皇族からなる皇室は19人に、皇位継承資格者も4人に減った。皇族減少問題の深刻さが表面化する形となった。
 菅義偉官房長官は、天皇陛下の生前退位に関する有識者会議の検討項目に減少問題は加えないとの考えを示し、「(減少問題は)政府内で検討を進めている」とした。
 政府は、安倍晋三首相が否定的な女系天皇や女性宮家など、皇族減少への対応は後回しにする姿勢がみられる。だが、将来を見据えた皇室制度全般の議論も先送りできない課題としっかり認識してもらいたい。


三笠宮さま逝去 学究の道を貫いた生涯
 天皇陛下の叔父で歴史学者の三笠宮崇仁(たかひと)さまがきのう、逝去された。
 自由に真理を求める学究の姿と飾らず気さくなお人柄は、戦後の「開かれた皇室」を印象づけ、国民に親しまれた。その姿勢は戦争への深い反省に裏打ちされていた。
 三笠宮さまは昭和天皇の末弟にあたる。その100歳のご生涯は時代の大きな変動と重なる。
 皇族男子が武官に任じられる旧制度で軍務に就き、戦争中、陸軍参謀として中国・南京の派遣軍総司令部に赴任した。そこで知らされた日本軍の残虐行為に強い衝撃を受ける。
 著書「古代オリエント史と私」(1984年)には「これらのショックこそ私をして古代オリエント史に向かわせた第一原因なのですから、どうしてもそれを避けて通りすぎることはできません」とある。
 そして、戦地に行く前を振り返り「今もなお良心の呵責(かしゃく)にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」とも記す。
 戦後、東京大学の研究生として学究の世界に入った。過去に失望して信じられなくなり、新しいものを探求し、抱いていた疑問を歴史研究で解明したい思いがあったという。研究テーマは時代をさかのぼって古代オリエント史に至った。
 培われた歴史学者としての視点で、戦後の50年代から顕著になった「紀元節復活」の動きも「歴史学的、考古学的裏づけがない」と批判、反発も受けた。
 その頃編者となった書「日本のあけぼの−−建国と紀元をめぐって」(59年)の「はじめに」には「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵(ののし)られた世の中を、私は経験してきた」と、過去からの戒めと憂慮がにじむ。
 皇族として伝統や公務を大切にしながら、行動も幅広かった。現地調査や研究のかたわら、東京女子大学などで講師として教壇に立ち、電車やバスで通勤、学生食堂でうどんをすすりながら学生らと語らった。
 テレビやラジオを通じても古代オリエント史の魅力を伝えた。レクリエーションとしてのダンスの普及に寄与し、俳句もよく詠まれた。
 今、天皇陛下が「おことば」として生前退位(譲位)の意向を示唆され、象徴天皇や皇室のあり方について論議が高まろうとしている。
 三笠宮さまは戦後間もない頃、天皇が終身その位にあらねばならぬのは、奴隷的拘束を禁じた新憲法に反しはしないか、などの疑問を呈されたこともある。
 今はどのようなお考えであったか、うかがうすべはないが、熟慮と自由な論議の広がりこそ望まれるところだろう。


三笠宮さま逝去 戦争の悔恨と親しみと
 激動の時代を生き抜いた皇族が亡くなられた。昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父の三笠宮崇仁さま。日本軍参謀として中国・南京に赴任した経験から、戦争への悔恨を抱き続けた生涯でもあった。
 国民に親しみやすくも、信念の人だったに違いない。
 三笠宮さまの南京赴任は陥落から約五年後の一九四三年。軍紀の乱れを知り、現地将校を前に「略奪暴行を行いながら何の皇軍か」などと激烈な講話をしたという。
 当時を回顧した著書に「内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」と記している。非難する文書が三笠宮さまの周辺に配られても、批判的な視点を変えることはなかった。
 国民により親しみがあるのは歴史学者として古代オリエント史の研究に情熱を注いだ姿だろう。
 戦後、東大文学部の研究生としてヘブライ史を学んだ。五四年には日本オリエント学会の会長に就任。東京女子大や青山学院大の講師として二十年あまり教えた。大学には電車で通い、学食でうどんを食べることもあったという。
 「紀元節」復活の動きには、五七年に歴史学者の会合で「反対運動を展開してはどうか」と呼び掛けた。歴史学者として、学問的根拠のあいまいな「歴史」には異を唱えざるを得なかったのだろう。
 反発した復活賛成派が三笠宮邸に押しかけるなどしたが、自らの見解は曲げなかった。
 天皇や皇族のお立場をひと言で言い表すのは難しい。
 しかし、戦後の皇室の在り方を振り返ると、国民とともに歩み、国民に寄り添う存在であってほしいというのが国民の願いであり、皇室自身も目指してきた姿ではなかろうか。
 つい先ごろ、天皇陛下が生前退位を望まれ、ビデオメッセージで静かに、また力強く、その胸中と意思を述べられたのは記憶に鮮やかであり、陛下の人間としての魅力と存在感に、聞く者は深く胸打たれもした。
 同時に、日本の皇室の在り方について、国民一人ひとりが考える機会ともなっている。
 三笠宮さまの率直な発言や親しみにあふれた行動を振り返る時、そこに皇室・皇族のひとつの理想像を思い浮かべてもいい。
 昭和天皇の兄弟がすべて亡くなられ、昭和は遠く離れるが、戦争の時代を含め、皇室が私たちに語りかけるものは少なくない。


辺野古訴訟、国が異例の意見書 最高裁に上告棄却要求
 翁長雄志知事による名護市辺野古の埋め立て承認取り消しを巡り、国が県を相手に起こした不作為の違法確認訴訟で国は27日までに、県の上告を退けるよう求める意見書を最高裁に提出した。21日付。最高裁が弁論を開くか審理している段階で、意見書が提出されるのは極めて異例だ。
 国が提出したのは「上告理由書に対する意見書」と「上告受理申立理由書に対する意見書」。関係者によると、両意見書とも従来の国の主張でまとめられ、県敗訴を言い渡した福岡高裁那覇支部の判決の正当性を主張する内容だという。
 上告事件では通常、弁論実施が決まり答弁書の提出が求められるまで、上告された側が書類提出などをすることはない。
 県関係者は「求められていないものまで勝手に出して、国は相当焦っているのではないか」と述べた。


札幌市教委 ずさんすぎる石綿放置
 健康に有害なアスベスト(石綿)を含む断熱材を使った学校施設について、札幌市教委が国の指示に従わず、点検を怠っていたことが明らかになった。
 耐火性や断熱性に優れ、建材に広く使われたアスベストは、発がん性があるとして、2006年に製造、使用が全面禁止された。
 学校で使われていた断熱材は、空気中への飛散が懸念される吹きつけアスベストではなく、内部にアスベストが含まれる疑いがあるものだという。
 それでも、多くの子供たちが通う学校で、わずかでも吸い込む可能性を放置していた市教委の怠慢は許されるものではない。
 市は全ての公共施設について、飛散の恐れがある場合は早急に改修する必要がある。
 札幌市では今月、区民センターなどで、アスベストを含む断熱材が煙突内部に落下していたことが分かった。
 これを受けて各学校施設を調べたところ、小中10校の給食調理用ボイラーの煙突などからも、断熱材の落下が確認されたという。
 アスベストを含む断熱材は、14年から規制対象となった。そのため文部科学省は、これまでに2回、全国の学校施設に点検を指示してきた。
 ところが、市教委は06年の独自調査後、点検していないにもかかわらず、いずれも「問題なし」と文科省に報告していた。
 各校から問題があるとの連絡がなかったため、過去の調査結果をそのまま報告したという。
 子供の安全と健康を第一に考えなければならない市教委が、このようなずさんな対応をしていたことには驚くばかりだ。
 法律上は、建材内部のアスベストについて定期的に点検を行う義務はない。
 だが、建材の剥離部分から、飛散した可能性はないのだろうか。
 アスベストによる肺がんや中皮腫は、長い潜伏期間を経て発症することがある。
 学校施設でアスベストが飛散していたかどうかを調べる大気中濃度の測定結果は、まだ出ていない。子供や保護者らの不安と不信は簡単には拭い去れまい。
 国内では、高度経済成長期に建てられた建物が一斉に更新時期を迎えている。アスベストを使った建物も少なくないだろう。
 札幌だけの問題とせず、道内の各自治体も改めて調査、点検した上で、適正な施設管理に努めるよう望みたい。


日本酒「獺祭」パリ進出 仏料理のロブション氏と共同
 人気の日本酒「獺祭」を造る旭酒造(山口県岩国市)は28日、世界的なフランス料理シェフのジョエル・ロブション氏と共同で、来年春をめどにパリに店舗を開くと発表した。日本酒の認知を海外で広め、輸出につなげる。地方の酒造会社が海外に出店するのは珍しい。
 パリの店舗では獺祭を販売するほか、バーやロブション氏が手掛けるレストランも併設する。フランス料理と獺祭を合わせて楽しめるようにし、現地のフランス人に日本酒文化を広めたい考えだ。
 東京都内で記者会見したロブション氏は「獺祭は私の料理に合う」と相性の良さを強調した。


リンゴに名画 フランスへ
 ルノアールやフェルメールの名画をリンゴの表面に浮かび上がらせた絵入りリンゴの箱詰め作業が27日、青森県弘前市内で行われた。フランスの大統領やベルサイユ宮殿、在日仏大使館など国内外6カ所に計約120個を贈る。
 同市の農業資材会社「佐藤袋店」が2002年から贈呈している。今年は定番のエッフェル塔、モナリザに加え、モネが浮世絵をモチーフに描いた「ラ・ジャポネーゼ」など新柄9種を加えた全19種の絵入りリンゴを計200個収穫した。
 絵入りリンゴは「むつ」に袋をかぶせて育て、実が大きくなったら袋を外して黒の絵柄シールを貼り、日光に当ててシールのない部分を赤く色づかせて作る。今年は、日光の当て具合を調節してピンク色の絵入りリンゴにも挑戦した。
 佐藤義博社長は「古くから続く日仏交流をリンゴで表現したかった。印象派の絵画は色彩のにじみを表現するのが難しかった」と話す。


通天閣60周年 「これからも大阪文化の発信基地」
展望台で記念セレモニー
 大阪のシンボル「通天閣」(大阪市浪速区)は28日、再建されてから60周年を迎えた。通天閣の展望台で記念セレモニーがあり、運営会社の通天閣観光の西上雅章社長が「これからも大阪文化の発信基地として、おもろいことを企画して盛り上げたい」とあいさつした。再建以来の入場者が4100万人を超える還暦の通天閣。28日も大勢の観光客でにぎわった。
 初代通天閣は1912年に建設されたが、43年に焼損し、解体された。しかし、復活を望む声が強く、地元「新世界」の商店主らが資金集めや関係先との交渉に奔走。56年、2代目通天閣が完成した。
 新世界で洋品雑貨店を経営する雑野裕史さん(51)の祖父貞二さん(故人)は再建の中心人物だった。雑野さんが生まれたとき、貞二さんは既に亡くなっていたが、祖父の奔走ぶりは父母から聞いた。建築家との交渉のため東京と大阪を頻繁に往来し、大阪市との話し合いも担った祖父。完工式で男泣きをして喜んだという。雑野さんは「復興途上の大阪を盛り上げるには、通天閣のようなシンボルが必要と考えたのでしょう。すばらしい物を残してくれた」と感謝している。
 再建翌年の57年度には約155万人の入場者を記録したが、70年代中盤以降、20万〜30万人台に落ち込む。関係者が打開策としたのは「コテコテのおもしろさ」。幸福の神様「ビリケンさん」をマスコットとして前面に押し出し、明るい印象をアピールした。
 それが奏功し、入場者数は2007年度に100万人台まで回復。通天閣をはるかにしのぐ日本一高いビル「あべのハルカス」(300メートル)ができても勢いは落ちず、15年度は約112万人の入場者を集めた。通天閣観光の高井隆光副社長は「かつて怖い、汚いとみられた新世界だったが変わった。今では街の雰囲気に誘われ、空きテナントも埋まり、街全体が伸びている」と話す。
 還暦と知り、訪れた大阪府四條畷市の無職、高橋信さん(68)は「ハルカスなどができても、大阪人にとったら通天閣が一番値打ちがある」と話した。【村田拓也、藤顕一郎】


<通天閣>戦後再建 還暦迎える
 大阪・新世界にある観光スポット、通天閣(大阪市浪速区、高さ108メートル)が戦後再建され、開業してから28日で60年を迎えた。展望台では記念セレモニーが開かれ、通常は大人700円の入場料を、28日は「ツーテン」にちなんで210円とした。
 セレモニーではくす玉が割られ、運営会社「通天閣観光」の西上雅章社長が「山あり谷ありの60年でしたが、還暦を迎え、原点に立ち返り大阪のシンボルとして頑張っていきたい」とあいさつした。60周年記念ソング「ここ(通天閣)が青春、ハニー」も披露された。
 展望台に設置されている幸福の神様「ビリケンさん」は赤いちゃんちゃんこを着用。


<奨学金>成績基準撤廃し追加募集
 文部科学省は28日、日本学生支援機構による2017年度の大学進学者らに向けた無利子奨学金の追加募集を始めたと発表した。対象は高校3年生らのうち所得が低い住民税非課税世帯の全員で、これまでの貸与条件だった成績基準を撤廃する。卒業後の所得に応じて返還額が変わる制度も利用できる。
 文科省は同日付で成績基準撤廃を教育委員会などに通知。撤廃で対象者が1学年当たり約2万人増えると試算しており、経済的な事情を抱える学生の進学を後押ししたい考えだ。
 これまでは、世帯所得が一定水準を下回っていることに加え、高校の成績が5段階評定の平均で3・5を上回っているのが条件だった。


連合が自民へシフトしても動かぬ民進
 ★26日、ついに自民党幹事長・二階俊博と連合会長・神津里季生が会談した。民進党最大の支持母体というものの、組織内候補にしか票は入れず、組合員やその家族に積極的民進党支持は皆無だ。労働貴族たちは潤沢な資金を使い、政治活動費という名の豪遊資金を組合員から吸い上げる。働き方の変化や非正規労働者の問題、ワーキングプアや過労死など多くの問題を抱えている労働界は変化に対応し、労使間のけじめをつけるべき時代に、政策的な優先順位を国家像に位置づけ、働く者の声を反映させることを怠った、連合の理念とかけ離れた政治圧力団体と化してしまった。 ★「連合の最大の弱点は民進党しか支援する政党がないこと」(自民党中堅議員)だったが、ここにきて本格的に自民党シフトになったということだ。しかし、この一連の支援団体とは言い難いやり放題の行動に、連合内部からも民進党内部からも批判の声やいぶかる声すら聞こえてこない。野党各党幹部が言うように、連合は応援団であり、支援団体であり、主体は党にあるし、決定権も党にあるはずだが、何やら連合の判断や決定に民進党が引きずられているようだ。 ★しかし、民進党が沈黙を守っている限り、維新の党を野党でもない、与党でもないとして「ゆ党」呼ばわりしていた民進党自体が「ゆ党第1党」と呼ばれても仕方があるまい。そしてゆ党第1党が自民党と連合を媒介に急接近するなど健全な民主主義を否定し、政治の劣化を招き、大政翼賛的政治を連合と民進党は模索しているとしか国民からは見えない。二階に誘われてふらふらと会いに行く連合などの顔色を見るくらいならば民進党などと名乗らず、直ちに連合党として自民党に連立を申し込めばいい。無論、自民党がバカでなければ拒否するはずだが。日本の政治をダメにしつつある連合と民進党の中に良識はないのか。(K)※敬称略

電車で化粧は「みっともない」? 日本のエチケット広告に賛否
通勤電車の中で化粧をするのはエチケット違反か?――。ある日本の鉄道会社はそうだと考え、動画広告を制作した。
動画では、電車の席に座ってマスカラや口紅を塗る2人の女性が映し出され、その様子を見ている別の女性が「みっともない」とつぶやく。そして化粧をやめるように2人をとがめる。
これは東急電鉄が先月16日に公開したエチケット広告シリーズのひとつだ。しかし、一部からは乗客の行動に踏み込み過ぎだとして非難する声が出ている。
30秒の動画は、「都会の女はみんなキレイだ」「でも時々、みっともないんだ」という言葉で始まる。
電車で化粧する女性を注意する役は、女優の仁村紗和さんが演じている。動画は、「車内での化粧はご遠慮ください」という呼びかけで締めくくられる。
ツイッターユーザーの「龍堂薫子」さんは、「社内での化粧は、粉が飛び散ったり匂いがキツかったり車内や他人の服を汚す可能性があるから迷惑だしやめてねというのならわかるんですけど」とした上で、「鉄道会社にキレイだとかみっともないとか言われる筋合いはないと思います」とコメントした。
また「ししゃも」さんは、「みんなが怒っている理由は『電車で化粧がしたいから』では断じてない」とし、「『さまざまな理由を見つけ出して自己の女性に対する嫌悪を正当化し、女性を抑圧しようとする社会』に抵抗しているんだ」とコメントした。
酔っ払いや痴漢など、電車の中ではもっと迷惑な行為があると指摘した人たちもいる。
しかし、多くの人は東急電鉄の広告を支持しており、電車の中での化粧は排泄と同じだという意見さえあった。
公衆の前で化粧をする女性は身元が疑わしいという、伝統的な見方に言及する人もいる。
「パプリカ」さんは、「欧米では人前で化粧することは娼婦の証と見られるそうですが、Her Majesty エリザベス女王は公衆の面前でしばしば口紅を塗り直すことで有名です(何のブランド使ってるのかで注目されてるだけで別に批判もされてない)」とコメントした。
東急電鉄は、今回の動画は電車の利用客にルールやエチケットを守ってもらうよう促すキャンペーン動画のひとつだと説明している。
一連の動画には、歩きながらのスマートフォン使用をやめるよう呼びかけるものや、混雑した電車への大きなカバンの持ち込みに注意を呼びかけるものが含まれる。
東急電鉄によると、動画のテーマは日本民営鉄道協会が実施した、乗客から多く出る苦情に関するアンケートを基に選ばれたという。
最も多かった苦情は騒音だった。(取材・加藤祐子記者)
(英語記事 Japan etiquette video discourages applying make-up on trains


車内の化粧は誰に迷惑なのか?
小田嶋 隆
 電車内で化粧をする女性を「みっともない」という言葉で切って捨てるマナー広告が物議を醸している。
 現物を見てみよう。
 炎上しているブツは、リンク先のページ(私の東急線通学日記)の上から4番目、「車内化粧篇」だ。
 リンク先には、駅貼りポスターと、動画バージョン(マナーダンス篇)が掲載されている。
 ポスター版では、上半分に頬杖をついて車両内を観察する主人公の女の子、下半分に電車の座席に座って鏡に向かってアイメイクをしている女性の写真を配置している。
 キャッチコピーは、手書き文字でこう書かれている。
 「都会の女はみんなキレイだ。」
 「でも時々、みっともないんだ。」
 動画版は、車両の向かい側の座席で化粧をする女性たちを見て、顔をしかめて
 「みっともな!」
 とつぶやいた(「吐き捨てた」と言った方が正確でしょうね)主人公の女の子が、突然メイクアップ中の女性たちに向かって「マナーダンス」という攻撃的な振り付けのダンスを踊り出すプロットだ。
 ダンスのBGMで流れる音楽には歌詞がついている。内容は
 「教養ないないないなーい。みっともないないないなーい」
 と、化粧する女性を断罪するコーラスだ。
 この広告を見て、ツイッター上には、かなりの数の女性が反発のコメントを書き込んでいる。
 「ポスターの中で化粧をしている女性は、隣に誰も座っていない空いた車両でメイクをしているんだけど、いったい誰に迷惑をかけているわけ?」
 「女性だけに『たしなみ』を求める姿勢がなんかいけ好かない」
 「こういうマナー広告って、新手の嫁いびりよね」
 なるほど。
 私個人も、この広告の押し付けがましさには、ちょっとあきれた。
 ちなみに、車両内で化粧をすることの是非そのものについては、一概には言えないと思っている。
 迷惑な場合もあるし、迷惑に感じないケースもある。
 同じメイク作業でも、迷惑を感じる人もあれば、まったく気にしない人もいるはずだ。
 実際には、車両がどの程度の混雑度なのかによって、化粧から受ける感じはかなり違う。また、化粧とひとくちにいっても、口紅を塗り直す程度の最低限の化粧直しもあれば、下地から塗り上げにかかる本格的な建築工程もある。どの状況でどういうメイクをするのかによって、判断は分かれる。
 なので、この問題にはこれ以上深入りしない。
 ずっと以前、どこかに書いた原稿で、公共の場所で女性が化粧をはじめることについて
「電車の中で化粧する女性を男が嫌うのは、楽屋仕事を見せられることが心外だからだ。つまり、女性が自分の前で化粧を始めるということは、彼女が自分を完成形以前のメイクアップ過程を見せて差し支えない相手だと判断したことを意味していて、そのことは取りも直さず、あんたは性的な意味で対象外だと宣言されたに等しいことだからではないか」
 という憶測を述べた記憶がある。この見解は、いま思えば、穿ち過ぎだった。
 話はもう少し単純だ。
 車両内のマナーを言い立てる人たちは、要するに、「定型的な規格にハマれない人間」に苛立っているのだと思う。
 たとえば、ヘッドフォンステレオから漏れるチャカチャカ音をうるさがる人たちは、騒音そのものに不快を感じているのではない。彼らは、本来なら小さく縮こまって過ごすべき通勤列車の中で、ノリノリで音楽を聴いている若いヤツのその快適そうな状態を憎んでいる。彼らからすれば、音楽を聴いてゴキゲンになることや、周囲の目を気にせず化粧に専念することは、公共の場所にプライベートを持ち込む逸脱行為なのであって、だからこそ彼らは通勤電車という人間が荷物になり変わって運搬されなければならない閉鎖空間の中でくつろぐ人間を嫌うのである。
 おそらく、日本人のうちの半分ぐらいは、リラックスした人間を憎んでいる。
 誰もが自分たちのように、びくびくして、周囲に気を使って、神経をすり減らしているべきだと考えている……というのはちょっと言い過ぎかもしれないが、撤回はしない。
 以上の事情を踏まえて、私が思うのは、
 「いったいこの広告は誰に向けて発信されているのだろうか」
 ということだ。
 ポスターは、現実に東急の電車の車内で化粧を励行している女性たちに向けて、
「あなたたちが実行しているメイクアップ行為はほかの乗客の迷惑だからやめてください」
 ということを啓発するために掲示されているのだろうか。
 おそらく答えはNOだ。
 この広告は、むしろ、車両内で化粧をする女性に腹を立てているおっさんに向けて、
「ほら、わたくしたちは、このようにちゃーんと啓発広告を打って迷惑防止キャンペーンを展開しているのですよー」
 ということをアピールするために制作されている。つまり、これはアリバイなのだ。
 であるからして、ポスターや動画を見て腹を立てた女性たちも、
 「化粧ぐらいでガタガタ言うなよ」
 と言いたかったのではない。彼女たちは、鉄道会社が
 「ほーんと、近頃の若いオンナって常識なくてイヤですよねー」
 ってな調子で爺さんたちに媚びを売っている気配を感じ取って、そのことに反発したのである。
 マナーについては、2009年に短いコラムを書いたことがある。
 いまはもう無くなってしまった政党の機関紙に書いた原稿だ。
 以下にざっとした内容を抜粋する。
《 電車の中で化粧をする人がいる。げげげ、と、既にオールドモデルの人間になりつつある私は、単純にびっくりする。で、この驚きをネタに、たとえばマナーの低下を嘆くテの原稿を書くと、おそらく一定の支持を集める。実際、新聞コラムの世界では、「世の中が乱れている」という前提でモノを書いた方が評判が良いことになっている。なぜなら、コラム読者の多くは、自分たちをモラル崩壊の被害者であるとは考えても、マナー低下の元凶だというふうには決して考えない人たちだからだ。要するに、マナーやモラルは、常に「他人事」として観察されるのだ。
 というよりも、マナーは口臭と同じで、そもそも他人のものなのだね。きっと。
 あらためて振り返ってみるに、私が子供だった頃、電車の中の品行は今よりずっとひどかった。走り出す列車に飛び乗る大人はいっぱいいたし、手すりにぶら下がって吊り輪をする子供(←オレだよ)も珍しくなかった。
 −−略−−
 あの時点から比べると、最近の日本人はずっとお行儀が良い。これは認めなければならない。そりゃたしかに携帯電話の使い方など、色々と問題はある。でも、そもそも昭和の時代には、携帯電話自体、影も形も無かったわけで、ともあれ、全体として、われわれのマナーは向上している。
 昭和の日本に比べて現在の社会でイヤな感じになっているのは、むしろ、「マナー違反に対する寛大さが失われている点」だと思う。マナー違反だけではない。われわれは、老人や、杖をついた人や、病人や、ベビーカーを押している母親といった、「異質」で「非生産的な」乗客を邪魔者扱いにしている。でもって、不良学生や、吊り革で遊ぶ子供や、酔ってふらふらしている人々に対しても、笑って眺める余裕を持てなくなっている。なんというのか、社会全体の包容力が低下しているのだな。だからこそこんなにマナーが向上しているにもかかわらず、雑誌のコラム欄は、相も変わらずマナーの崩壊を嘆くテキストで埋まっているってわけだ。うん、モラル違反だと思うよ。そういうのは(笑)。》
 21世紀のわれわれの社会にマナー広告が溢れている理由は、私たちが住んでいるこの国が「マナーの崩壊」に直面しているからではない。
 上の原稿でも指摘している通り、日本人のマナーは、この何十年か、一貫して向上している。
 われわれは、昭和の日本人と比べれば、はるかに洗練された所作を身に着けているし、大人も子供も他人に迷惑をかけない身の処し方を自分のものにしている。
 にもかかわらず、駅貼りのポスターや深夜のテレビCMの中にマナー広告の占める割合が増えている。理由は、日本人のマナーが低下しているからではなくて、われわれの「他人のマナーへの許容度」が低下しているからだ。
  私たちは、杖を突いた老人や、車椅子に乗った障害者や、ベビーカーと共に現れる母親が、通勤電車に乗りこんで来ることを許容しなくなっている。
 なんとなれば、彼らは「規格外」で、ということはつまり、標準的な乗客としての条件を備えておらず、結局のところ「迷惑」だからだ。
 昭和40年代までの東京の電車には、身の丈の半分ほどもある巨大な籠を背負った農家のおばあさんや、ツルハシやスコップをかついだ工事労働者や、赤ん坊におっぱいを含ませた状態の母親が平気な顔で乗り込んできたものだった。人々のマナーは今と比べれば明らかに劣悪だったが、その分だけ、他人の逸脱には寛大だった。というよりも、寛大もなにも、「いろんな人たち」が乗ってくるということが電車の基本設定で、化粧どころか、着替えをはじめるオヤジや、弁当を食べる学生やタバコに火を点ける爺さんも含めて、電車は無法地帯だったのである。
 私は、21世紀の都会を走る電車の車両内を、1960年代標準の無法者天国に戻せと言っているのではない。
 そんなことは不可能だし、実現できたとしてもあんまり素敵な未来像ではない。
 私が言いたいのは、21世紀の私たちが、昭和の日本人が(やむなく)そうであったように、他人が自分と同じでないことに対して、もう少し鷹揚であっても良いはずだということだ。
 2014年の5月、東京メトロのマナー広告について、私はツイッターで、こんなやりとりをしている。
《東京メトロのマナー広告は「マナーを見守る女の子」の「ミテルちゃん」というキャラクターを立てている。で、その広告が訴える乗客マナーは「他のお客さまの迷惑にならないように」ということを訴えているようでいて、結局のところ「黙っておとなしく運ばれてやがれ」と言ってたりする。》
《一般の客よりクレーマーの声が尊重される時代になっているということなのだろうな。》
《「他の乗客の話し声が大きすぎる」とクレームをつけるのが「一般の客」のマナーになったわけですか。 RT @jun_goro オダジマおじさん、それって一般の客からのクレームだと思いますよ。RT 一般の客よりクレーマーの声が尊重……》
《「他人に迷惑をかけない」というマナーは、結果として、「他者に頼らずに生きていける人間」→「自立した人間」→「社会的な強者」の権益のみを強調することにつながる気がするということを、さきほどから申し上げています。》
 2009年以来、私が抱いていた懸念は、どうやら現実化している。
 つまり、鉄道会社は、もっぱらクレーマーの目線に配慮した姿勢でマナー広告を制作しているということだ。
 これは、彼らがクレーマーにコントロールされているということでもある。
 おそらく、鉄道会社にとって、クレーマー対策は、相当にアタマの痛い問題なのだろう。
 車内のマナーに、あるいは、列車が遅延する度に、居丈高に怒鳴り散らすクレーマーに、駅員や乗務員は、決して口答えをすることができない。
 その苦労は、いかばかりかと思う。
 でも、落ち着いて考えてみれば、駅員という「決して反論できない人間」に詰め寄るクレーマーは、人間としては明らかな卑怯者である。
 その卑怯者に鉄道会社が迎合することは、結果として、一般の乗客をスポイルしてしまうことになる。
 そのあたりの出入りについて、一度真剣に考えてみるべきなのではなかろうか。
 鉄道会社に限らず、21世紀の企業は、おしなべてクレーマーに弱い。
 たとえば、つい2日ほど前、元女優の高樹沙耶容疑者(本名:益戸育江)が、大麻所持の容疑で逮捕されたことを受けて、テレビ朝日が、再放送を予定していた人気ドラマ「相棒」の内容を、高樹容疑者が出演していない放送回の録画放送に差し替えたが、これなども、私は、幻のクレーマーにおびえて、テレビ局が先手を打った形だと思っている。
 何十人もいる出演者の一人に、大麻で捕まった容疑者が含まれているのだとして、一体そのことで誰が迷惑を被るというのだろう。あるいは、その容疑者が映っている場面を放送することで、われわれの社会のどの部分が傷つき、毀損され、危機に陥るというのだろうか。
 こんなバカなことが起こるのは、クレームに対応する立場の人間が、クレーマーに対して毅然と対応する気力を持っていないのか、でなければ、苦情をはねのける説得の言葉を用意できていないからだ。そして、彼らは、視聴者の総数からすれば0.1パーセントにも満たない卑怯なクレーマーの声に屈して放送を楽しみにしている何十万人ものファンを裏切っている。なんとも愚かな展開ではないか。
 公共交通機関は、多様な人間を乗せて走るものだ。
 「多様な」というのはつまり「他の乗客に負担をかける乗客を含んでいる」ということだ。
 ベビーカーを押す母親は、通勤客にとって、迷惑な乗客だ。
 しかしながら、迷惑だからという理由で乗客を排除したら、電車は電車ではなくなってしまう。
 とすれば、マナー広告が発信するべきメッセージは、
 「ベビーカーは迷惑にならないように、車内では折りたたむように」
 というお話ではなくて、
 「ベビーカーと同じ車両に乗る乗客は、ベビーカーのために力を貸してあげましょう」
 であらねばならない。
 杖をついて歩く人間でも、車椅子移動者でも同じことだ。
 公共交通機関は、迷惑な乗客を折り込んだ上で運行されなければならない。
とすれば、電車に乗る人間は、他人の迷惑をいやがるのではなくて、同じ車両に乗る乗客の負担を分かち、移動や乗車が困難な乗客を助けなければならないはずなのだ。
 もちろん、そんなことは乗客のほとんどが分かっている。
分かっていても多くの人が協力できないのは、日本の通勤時間帯の電車があまりに混みすぎているからだ。
そして、スペースがないという物理的な問題を「マナー」で解決しよう、というのは、根本的に方向が間違っている。
 ベビーカーは錦の御旗ではない。だが、まずはお互い、荷物扱いされていることを怒るべきで、荷物どうしで八つ当たりしあっても仕方がない。
 その意味で、化粧をする程度のほんのささいな迷惑を、踊り付きで糾弾してやまないあの広告の凶悪さは、何度強調しても足りない。まあ、そこがギャグなんですということなのかもしれないが。
 結論を述べる。マナー広告は、むしろ“迷惑”を歓迎するマナーを啓発しないといけない。
 最大の問題は、人間に荷物のマナーを強要する日本の都市構造や勤務体制にある。だからといって心の底から荷物になっていいものなのか。
 わたくしどもは迷惑をもたらすお客様を歓迎します、と、ウソでも良いからそう言うのが、大人のマナーってものだぞ。


水俣病患者、原告ら74人に調査 「期限切らず救済を」72%
 水俣病患者や補償を求め訴訟を起こしている原告ら74人に、共同通信がアンケートした結果、問題解決に向けて望むこととして、複数回答で72%が期限を区切らない救済、58%が患者認定基準の緩和を挙げた。水俣病は公式確認から60年たったが、なお助けを求める人たちが多い現状が浮かんだ。29日は熊本地震で延期された犠牲者慰霊式が熊本県水俣市で開かれる。
 調査は患者団体、訴訟を支援する団体を通じて4月から郵送で実施。認定患者や1995年以降の救済策の対象になった人、訴訟の原告ら熊本、鹿児島両県に住む40〜90代の男女が回答した。

無気力な1日/ひと月前の文献調査

ブログネタ
フランス語 に参加中!
北海道電力は

Keyakizaka46: les idoles japonaises s’habillent en nazi pour Halloween
Une autre année, et un autre groupe d’idoles pop habillé comme des nazis et cette fois-ci c’est le tour du groupe Keyakizaka46.
Dans le passé, des groupes pop asiatiques ont fait scandale pour avoir porté des uniformes inspirés des nazis comme le groupe k-pop Pritz il y a quelques années, alors que la Corée essayait de créer un groupe plus rock à la BABYMETAL.
En 2008, par exemple, le groupe d’idole japonaise Morning Musume a eu des ennuis lorsque la chanteuse Reina Tanaka a parlé de Adolf Hitler comme étant une ≫ grande personne ≫ à la télévision. Les jeunes idoles avaient dessiné une image du dictateur nazi et l’appelaient ≪ Oncle Hitler. ≫
Le groupe Keyakizaka46 ne précise pas explicitement que ce sont des uniformes nazis, mais disons que ce n’est pas très subtile. Les tenues de style nazi n’apparaissent pas tous les ans, mais cela arrive régulièrement un peu partout en asie. Et donc, nous sommes ici ≪ en 2016 ≫, et comme 2ch souligne, Keyakizaka46 est le dernier groupe de pop de porter ce genre d’uniformes.
Le Japon a combattu avec les nazis pendant la Seconde Guerre mondiale, et certains Japonais ne semblent pas être aussi sensible à ce que l’uniforme nazi représente ou les horreurs que ceux qui portaient ces costumes ont infligé aux autres. De plus, l’ambivalence de l’iconographie nazie pourrait être aussi parce que la croix gammée inversé, ou manji comme on l’appelle en japonais, est traditionnellement utilisé au Japon sur les cartes pour désigner les temples bouddhistes.
Keyakizaka46
Keyakizaka46 (prononcé ≪ Keyakizaka forty-six ≫) est un groupe d’idoles féminin japonais créé par son producteur Yasushi Akimoto en août 2015 après la création de son groupe sœur Nogizaka46 quatre ans plus tôt.
Le nom du groupe étant auparavant Toriizaka46, il est finalement renommé en son nom actuel après le recrutement des membres de la première génération. Il fait ses débuts sous le label Sony Music Entertainment Japan. Il s’agit du tout premier groupe sœur de Nogizaka46 (groupe désigné comme étant le rival officiel du groupe d’AKB48, créé par le même producteur, Yasushi Akimoto).
フランス語
フランス語の勉強?

本を読んだのですが,それ以外は無気力なのでした.生きる気力がないんです.ちょっとヤバいと自分ながらに思います.机の上を整理していて,ひと月前に検索していた文献に関しての書類が出てきました.図書館に行ってみました.

福島集客へフラガールとフラ女将タッグ
 「フラガール」で知られるいわき市の温泉レジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」と、着物姿でフラを踊る「フラ女将(おかみ)」が活動するいわき湯本温泉の旅館協同組合が、ハワイアンズと温泉旅館に1日ずつ宿泊してもらう商品を発売する。東京電力福島第1原発事故で減少した観光客を呼び戻すため、両者が初めて本格的に連携する。
 商品は「フラガール&フラ女将のおもてなし連泊プラン」で、大人2万600円(平日)から。2泊とも朝・夕食付きで、宿泊代だけで通常料金より5000〜6000円安く、ハワイアンズ施設の3日間利用券が付く。
 温泉旅館は14施設から選び、ハワイアンズが東京、横浜から運行する無料送迎バスを利用できる。11月1日に発売予定で、期間は12月1日〜来年2月17日。
 ハワイアンズと温泉街は車で10分ほどの距離。2004年から温泉旅館の宿泊者には、ハワイアンズ施設の2日間利用券をハワイアンズ宿泊者と同じ価格で販売している。
 いわき湯本温泉は原発事故による風評被害で、宿泊者が事故前の5〜6割にとどまる。旅館協同組合の草野昭男理事長は「これまでは両者がすみ分けてきたが、今後は連携を深めて誘客し、一緒にいわきの観光を盛り上げたい」と話す。連絡先はスパリゾートハワイアンズいわき営業所(0570)550550。


<鳥取地震1週間>430人避難続く 2600棟被害
 鳥取県中部で最大震度6弱を観測した地震は、28日で発生から1週間。同県や大阪、兵庫、和歌山、岡山各府県のまとめで、けが人は計27人、住宅被害は計2627棟となった。鳥取県では434人が避難を続け、農業や観光への影響も。余震も続き、気象庁は注意を呼び掛けている。
 27日時点で、鳥取のけが人は重傷3人を含む19人で、ほかに大阪1人、兵庫3人、和歌山1人、岡山3人。住宅被害は鳥取で全壊2棟、半壊4棟、一部損壊が2602棟に上る。岡山の19棟も一部損壊。
 鳥取県倉吉市、湯梨浜、三朝、北栄の各町では自宅の被災や余震への警戒から、住民らが避難を続けている。


地震で落ちた鳥取の梨を買い取り無料配布 東京 港区
今月21日に発生した鳥取県中部の地震で被害を受けた梨農家を支援しようと、東京・港区は枝から落ちた梨を買い取り、区のイベントなどで無料で配る取り組みを始めました。
梨の配布は、JR新橋駅の周辺で27日から始まった物産展の会場で行われ、港区の職員らが物産展に参加している鳥取県の北栄町のブースで、訪れた人たちに無料で梨を配りました。
区内に「お台場」がある港区は、北栄町にも「由良台場跡」と呼ばれる江戸時代につくられた砲台跡がある縁で以前から交流があったことなどから、地震によって枝から落ちた鳥取県産の梨およそ2200個を買い取りました。
梨は「王秋」という大ぶりの品種で、傷も少なく、午前中に用意したおよそ50個の梨は配布から数分でなくなっていました。
会場には鳥取県の平井知事も訪れ、「落ちた梨は、普通は売れないので大変ありがたい。鳥取県は元気です。ぜひ皆さんに訪れて欲しい」とピーアールしました。
港区では買い取った梨を28日も開かれる物産展や、今月30日の別のイベントで配るほか、区立の小中学校などの給食でも使う予定だということです。
港区の武井雅昭区長は、「自治体どうしのつながりを大切に今後も被災地の支援を続けていきたい」と話していました。


核禁止に政府反対 廃絶求める世論に背く
 多くの国連加盟国が支持する「核兵器禁止条約」交渉開始決議案に日本政府は賛同しない方針だ。唯一の被爆国としての国際的な使命、核廃絶を求める国民世論を裏切るものであり、容認できない。
 政府は国会で説明し、広く国民の議論を仰ぐべきだ。
 オーストリアなどが提出した決議案は「核兵器を禁止し、廃絶につながる核兵器禁止条約の交渉を2017年から開始する」というものだ。
 国民投票にかければ圧倒的多数の賛成を得られるはずだ。
 決議案に核兵器を持たない100カ国以上が賛同している。核廃絶の声は国際的潮流だ。しかし米国など核保有国が反対し、日本政府は米国に追従している。
 日米両政府は核兵器が戦争を抑止するという倒錯した「核抑止論」に立ち、日本政府は米国の「核の傘」が日本を守るという安全保障政策に固執している。
 政府は4月に「憲法9条は一切の核兵器保有と使用を禁止しているわけではない」とする答弁書を閣議決定した。安倍晋三首相はかつて「小型の原子爆弾を保有することは問題ない」と発言している。
 安倍政権は「武器輸出三原則」を改悪して武器輸出を解禁し、安保法制で自衛隊の海外派兵に道を開いた。防衛予算は5兆円を突破し、歯止めなき膨張を続けている。
 片やオバマ米政権は「核実験の自制を求める決議案」を国連で可決させる一方、今後30年間で1兆ドル(約100兆円)を投じて核兵器を近代化する計画を進めている。自国の核兵器を近代化しながら他国に「核実験の自制」を求め、核廃絶に背を向ける二枚舌外交を続けているのである。
 日米の核保有容認、核軍拡路線の中に「核兵器禁止条約」への不賛同が位置付けられる。
 北朝鮮の度重なる核ミサイル実験に対し、韓国与党内に核武装論、先制攻撃論が強まっている。在韓米軍への「戦術核再配備」を求める声もある。
 北朝鮮の核開発に核兵器で対抗する。韓国の危険な兆候に、同盟国の日米がどう応じるか、注視する必要がある。
 米軍は日本復帰前の沖縄に核兵器を貯蔵していた。返還交渉の中で、有事の際の再持ち込みの密約が交わされたことが米国防総省文書に記されている。核兵器の脅威は沖縄にとって過去のものではない。核廃絶の声を沖縄から発信したい。


国境なき記者団声明 取材の自由を保障せよ
 国際社会は、沖縄で取材の自由が脅かされていることを深く憂慮している。
 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF)は、米軍北部訓練場でヘリパッド建設の取材に当たる琉球新報、沖縄タイムス両紙記者を警察が現場から排除したことなどについて「沖縄の報道の自由が脅かされている」とする声明を発表した。米軍による取材監視にも触れ、懸念を表明した。
 日本政府はRSFの声明を重く受け止めるべきだ。取材の自由、国民の知る権利の侵害は決して許されない。
 本紙記者は市民の座り込み行動を取材中に、県警の腕章をした警察官、機動隊員に拘束され強制排除された。記者は琉球新報社の腕章を着け、警察官に本紙記者であることを訴え、近くにいた弁護士も本社の記者であることを指摘していた。
 しかし、日本政府は記者拘束について事実関係を検証もせず、根拠も明らかにしないまま「報道の自由は十分に尊重されている」とする答弁書を閣議決定した。警察の恣意(しい)的な権限行使を擁護する無責任な決定である。RSFはこの答弁書に触れ「安倍晋三首相率いる政府は機動隊のこのような活動を容認し、ジャーナリストにとって危険な前例を作った」と問題視している。
 RSFは2002年から180カ国・地域を対象に報道自由度ランキングを作成している。日本は「12年に安倍氏が再び首相になって以来、報道の自由度が著しく低下している」と危惧する。16年は特定秘密保護法の影響で「自己検閲の状況に陥っている」と指摘され、72位と大幅に順位を下げた。
 一方、RSFは英国人ジャーナリストの取材監視にも触れ「日本国内での活動一切を注意深く監視していることを明確に示しており、極めて深い懸念を示す」と指摘している。
 国連の自由人権規約は、収集・発表・伝達の全ての過程が保障されることで表現の自由は実現するとしている。新聞に当てはめると、取材・報道・配布の自由が全て保障されることで、十分なジャーナリズム活動が実現することになる。
 報道の自由と同時に取材の自由が保障されなければ、国民の知る権利は弱体化する。権力の監視こそ報道の使命である。


[米軍の環境事故通報]「隠蔽の指示」は許せぬ
 米側が基地を返還する場合に、原状回復義務が免除されている。汚染されていても原状回復義務は日本政府が負う。これを許しているのが日米地位協定である。
 この不平等な地位協定に、さらに輪を掛けるような米軍の内部文書が明らかになった。「隠蔽(いんぺい)の指示」というほかない内容だ。
 米軍由来の環境問題を追及している本紙特約通信員のジョン・ミッチェル氏が情報公開請求で入手した米軍普天間飛行場の「環境事故対処ハンドブック」である。
 その中で米軍は「緊急でないか、政治的に注意を要する事故」は、日本側に通報しないよう命じている。
 「緊急でない」かどうか、それを判断するのは米軍であり、通報するかどうかも米軍の裁量次第である。
 「政治的に注意を要する事故」とは何なのだろうか。県民の反基地感情が高まり、政治問題に発展する事故、つまり、深刻な環境事故ということではないのか。
 住民の視点が欠落しているばかりか、環境事故を「なかったことにすること」を意味し、許されない。
 環境事故が及ぼす影響はフェンス内外を選ばない。環境事故が起これば基地周辺の住民が直接的な被害を受ける。
 自治体が環境事故現場へ立ち入り調査をすることができず、情報へのアクセスが制限されているのが現状だ。
 そんな中で都合が悪いと米軍が判断すれば通報しないのは、住民の生命や安全をないがしろにするものである。
■    ■
 ミッチェル氏は「隠蔽の指示」を裏付けるような海兵隊の内部文書も入手している。普天間飛行場では2005年から16年の間に少なくとも156件の流出事故が発生しているが、日本側に通報されたのはわずか4件にすぎない。
 通報された環境事故も問題をはらむ。事故を矮(わい)小(しょう)化して伝えているからである。
 普天間飛行場で今年6月15日午後、航空機用燃料タンクから最大で約6908リットルが漏れ出したとの通報があった。
 米軍は「即座に」対処したと説明したが、事故が完全に収束したのは翌日で、その後、3028リットルの汚染水とドラム缶(208リットル)11本分の汚染土を廃棄していた。
 「情報隠し」は普天間に限ったことなのだろうか。そうではあるまい。嘉手納基地でも10〜14年に流出事故が206件発生したが、通報は23件にすぎないことをミッチェル氏が突き止めているからだ。
■    ■
 政府は「隠蔽の指示」の事実関係を米軍にただし、環境事故の大小にかかわらず日本側に通報する体制を構築すべきだ。基地の汚染履歴も開示させなければならない。
 ドイツは緊急時に通告なしで立ち入り調査ができる。ドイツのように国内法を適用させるにはやはり、米軍に排他的管理権などを与えている地位協定の改定が必要だ。
 15年に日米両政府が締結した環境補足協定では、立ち入り調査の申請には「米側からの通報」が前提だ。その通報がない中で、どう調査できるというのか。環境補足協定の欠陥が露呈している。


JRの廃線方針 あまりにも安易すぎる
 JR北海道が、根室線の一部など3路線3区間の廃止とバス転換を検討していることが分かった。
 さらに、これらを含む10路線13区間は単独での維持が困難とし、沿線自治体などと地元負担を含む協議を行う姿勢のようだ。維持困難路線の全長は、道内鉄路のほぼ半分に及ぶ。
 人口が減り高速道路などの整備で車の利用が進む中、広い道内で鉄道を維持する難しさはあろう。
 しかし、赤字だからといって公共交通機関のJRが自治体に負担を求めるのは、安易すぎないか。
 まず、JRが経営努力で何ができるかを示さなければ、理解は得られまい。
 バス転換を検討する3区間は、札沼線の北海道医療大学―新十津川間、根室線の富良野―新得間、留萌線の深川―留萌間だ。いずれも1日の平均輸送人員が200人未満という。
 とはいえ、富良野―新得間の一部は先の台風被害で不通のままだ。復旧できないから廃線を持ち出すのかと受け取られかねない。
 その他の維持困難路線は輸送人員が2千人を下回っている。石北線の新旭川―網走間、宗谷線の名寄―稚内間など幹線も含まれる。
 JRは維持困難路線を年内に公表し、自治体との協議に入る構えだ。鉄路の存続を目指す場合、自治体が線路や駅を所有する上下分離方式を提案するとみられる。
 自治体財政の窮状を考えれば、条件によっては上下分離が廃線の口実になりかねない。
 JRは、鉄道事業の赤字を穴埋めする経営安定基金の運用益減少で、安全投資を抑えざるを得ない状況にあるとして、路線を見直して安全運行を図る考えだ。
 運行の安全を保つというより、安全な路線だけ運行すると聞こえる。本末転倒ではないのか。
 しかも、JRの安全投資はこれまで決して十分とはいえなかった。それが、石勝線での特急脱線炎上事故やレール検査データの改ざんを招いたとの見方は根強い。
 廃線の検討は、そのツケを利用者や沿線自治体に回しているようにも映る。疑問が拭えない。
 一方で、鉄路存続には住民の積極的な利用も欠かせない。廃線か、地元負担かの二者択一ではなく、利用しやすいダイヤ編成や駅周辺の活性化など、建設的な議論が求められる。
 北海道を切り離す国鉄分割民営化の枠組みに限界が見えてきた側面も否めない。その意味で、鉄路維持へ国も関与を検討すべきだ。


放射性廃棄物 10万年先に責任持てるか
 10万年先という気が遠くなるほどはるか先の未来にまで、責任を負うことができるのだろうか。
 原子力発電所を廃炉にする際に出る放射性廃棄物のことだ。廃棄物は高レベルと低レベルに分類される。政府の原子力規制委員会は低レベル廃棄物のうち、比較的放射能のレベルが高い制御棒などに関する基本方針をまとめた。
 地震や火山の影響を受けにくくて資源のない地下70メートル以下に埋める。最初の300〜400年は電力会社が監視し、その後10万年まで国が管理する−という内容だ。
 10万年とはどんな時間軸なのだろう。ホモ・サピエンスがアフリカから世界各地に向け旅立ったのが10万年前とされる。400年前にしても徳川幕府の初期である。
 SFのような話にも思えるが、根拠はある。原発稼働で生成されるプルトニウム239の半減期は2万4千年で健康に害のない段階には10万年かかるという。低レベルの範囲でも10万年という数字に事態の深刻さを思い知らされる。
 問題は国が10万年先、電力会社が300〜400年先に責任を持てるか−ということだ。地震や火山の影響を受けにくい場所が国内にあるのかとの疑問もある。
 低レベル廃棄物は、放射能のレベルが高い順に制御棒などのL1、原子炉圧力容器の一部などL2、建屋内部のコンクリートなどL3に分かれる。
 今回、基本方針がまとまったのはL1の廃棄物で、L2はコンクリートで覆って地下数十メートルに、L3は地下数メートルにそれぞれ埋める方針が既に固まっている。
 これに対して、使用済み核燃料などの高レベル廃棄物は、再処理工場で使用可能なプルトニウムとウランを回収し、それ以外はガラスと混ぜて固体化させ、地下300メートル以下に同じく10万年埋めることになっている。
 高レベル廃棄物を埋める最終処分地の適性がある「科学的有望地」について、政府は年内にも公表する方針だ。どのレベルの廃棄物も地球や人類の未来に向き合って対応に英知を集めるしかない。


[東電分社案] 国民負担につなげるな
 原発再編が一気に現実味を帯びてきたといえよう。
 経済産業省は東京電力の再建計画を議論する有識者委員会で、東電の原子力事業を分社化する再編案を提示した。
 背景に、福島第1原発の廃炉費用が想定よりも大幅に膨らむことが確実になったことがある。
 分社化は、福島第1原発関連事業は東電本体に残すものの、柏崎刈羽原発(新潟県)などほかの原発事業を切り離して新たな子会社に移行させるというものだ。
 東電改革は重要だ。念押ししておきたいのは、安易に国民負担につながるような再編であってはならないということだ。
 菅義偉官房長官は記者会見で、「国民の負担増とならないよう、東京電力が資金を確保する制度を検討する」と述べた。
 この大原則に沿って改革を進めるべきだ。
 それにしても、廃炉費用の拡大には驚く。経産省によると、年間800億円と見積もっていた試算が年間数千億円に膨張した。
 廃炉作業に30年以上かかることを考慮すれば、東電が試算した総額2兆円をはるかに上回るのは明らかである。
 費用が膨らんだのは、福島第1原発1〜3号機で溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の取り出し作業が本格化するからだ。通常の廃炉と異なり、技術から開発しなければならないという。
 経産省は、より具体的な試算は年末から年明けになると説明している。事故原発の廃炉にどれくらいの費用がかかるのか、国際社会も注目している。丁寧な説明を求めたい。
 分社化については、東電は既に発電、小売り、送配電の3分野で実施済みだ。発電では中部電力と共同出資会社を設立し、小売りはソフトバンクと提携している。
 原発事業でも、ほかの電力会社に出資を求めるとみられる。再編では、東北電力との提携構想が浮上しているが、実現するかは定かでない。
 さらに、新潟県知事に柏崎刈羽原発の再稼働に慎重派の米山隆一氏が就任したことで、先行きは見通せなくなった。
 米山氏は、「福島原発事故の検証なしに再稼働の議論はしない」との泉田裕彦前知事の路線を堅持する考えを示している。
 再編案は、来年1月に改定を迎える東電の「新総合特別事業計画」に盛り込まれる見込みだ。
 福島原発を巡っては、廃炉費用以外にも賠償や除染費用の増加も見込まれる。国や電力会社は責任を持って対応する必要がある。


28日にも採決 TPP特別委“議論より時間”のゴリ押し運営
 前代未聞の強引な運営が続いている。安倍政権が承認案の早期成立に向け、シャカリキの衆院TPP特別委員会。日本維新の会を除く野党は、26日の地方公聴会に参加するまで審議を欠席していたが、それもそのはずだ。
 TPPの審議を巡っては、山本有二農相の強行採決の可能性に触れる暴言に始まり、政権与党のゴリ押し姿勢が目に余る。審議を預かる塩谷立委員長も21、25日に野党の合意を得ず、参考人質疑を委員長職権で強行開催。この強引な議院運営に野党は猛抗議し、参考人質疑を欠席したが、問題はこの後だ。
■早期批准ありきの強硬姿勢
「野党不在の場合、与党サイドは審議時間を積み上げるため、欠席した党の持ち時間を何もせずにやり過ごす、“空回し”に打って出るのが通例です。ところが、今回は欠席した民進、共産の持ち時間をバッサリとカットし、サッサと参考人質疑を終えてしまった。野党推薦の参考人による反対意見など、ハナから耳を貸さないような姿勢には唖然とします」(野党関係者)
 ある自民党議員は「はしょった野党の持ち分を“みなし時間”として、審議時間にカウントできないか」という虫のいい本音を漏らしていた。もう、ムチャクチャだ。
 さすがに与党の強硬姿勢には、衆院の佐藤勉議院運営委員長も異論を唱えたことで、野党も特別委の正常化に合意。27日午前には積み残しとなっていた野党推薦の参考人質疑を、午後には安倍首相が出席する集中審議を行うこととなった。
 28日の定例日も野党による一般質疑が行われる予定だが、参考人質疑と首相出席の集中審議を終えれば、採決の段取りは整ってしまう。与党幹部からは「28日にも採決を」という発言も飛び交っており、衆院の早期通過を巡り緊迫した状況が続く。
 21分野にも及ぶTPPで、国民はどんな分野でどんな影響を受けるのか。その中身をちっとも明かさず、議論も尽くさないまま、早期批准ありきの強行採決なんて絶対に許されない。


大儲けの「JR東海リニア」に融資する3兆円の一部でもあれば、ジリ貧の「JR北海道」を救済できる
 10月11日、今年度の第二次補正予算(総額3兆2869億円)が参院本会議で可決、成立した。同補正予算は、今年8月に閣議決定した事業規模28兆円超の経済対策の一環。この経済対策には「中央リニア新幹線の大阪延伸を8年前倒しするため」との理由で、JR東海に対してゼロ金利に近い超優遇金利での3兆円融資が盛り込まれている。政府はこれまでも、JR東海に対しては土地を取得する際の税金をゼロにすることを決定するなど、リニア建設に関する優遇政策を進めてきた。
鉄道の維持管理費すら不足するJR北海道
 超党派の国会議員の「公共事業チェック議員の会」は8月31日、山梨県内のリニア建設予定地を視察。事務局長の初鹿明博衆院議員(民進党)は「このプロジェクトには本当に実現可能性があるのか、政府がお金を出すのが妥当なのかを国会できちんと追及しなければいけない」と強調した。JR東海の幹部を国会に呼ぶことも視野に入れているという。
 リニア問題に詳しい全国紙記者のA氏は、「3兆円融資はまったく意味不明」「国会で徹底的に議論するべき」と語る。
「これまでJR東海は『自力でリニア整備をする』と啖呵を切り、政治家が口を挟むのを嫌っていたのに突然、融資が決まりました。JR東海内部では『安倍晋三首相と懇意の葛西敬之・代表取締役名誉会長との関係が背景にある』と囁かれているようです。安倍首相にとっては、莫大なキャッシュフローを誇る超優良企業のJR東海に融資するなら焦げつく心配もなく、景気対策の“見た目”の金額を膨らますことができるので好都合です」
 しかし、ドル箱路線の東海道新幹線を抱えるJR東海とは対照的に、JR北海道の赤字は年間500億円。もはや自力での経営改善を断念する寸前にまで追い込まれている。
「JR北海道は『自力では再建できない』という”万歳宣言”を出そうとしています。北海道は人口減少に陥っていて、運賃収入が増える見込みはありません。JR北海道が経営危機に陥った一因は、道内で鉄道と並行する高速道路が整備されていき、しかも他地域に比べて無料区間が多いことがあります。高速道路を無料で走る車との競争に負けたのです。その結果、JR北海道は鉄道の維持管理費すら十分に捻出するのに苦労して、整備不足から事故が相次ぐことになり、それがさらなる鉄道離れを招く悪循環に陥ってしまったのです」(A記者)
JR北海道の年間赤字は約500億円、10年でも5000億円
 第三者からみれば、「ぼろ儲けをしているJR東海から瀕死のJR北海道に利益の一部を回す仕組みを作ればいい」と考えたくなる。しかし、国鉄分割民営化の基本精神は相互不干渉。JR北海道も、つい最近まで自力での再建を目指していた。
「JR北海道にも『相互不干渉のJRの矜持』があったのですが、これほどの経営危機になった今、国会議員が政治課題として取り組むべきです。国会議員は『高速道路整備』『リニア新幹線早期開業』など、政治的アピールができて“票になる”テーマには熱心ですが、JR北海道をはじめ、瀕死の状態にある全国のローカル線の問題には不熱心です。
 政治家がやる気になれば、ローカル線の救済方法はいろいろ考えられます。潤沢な道路特定財源の一部を鉄道にも回せるようにする『総合交通財源案』もその一つで、道路特定財源の暫定税率見直しの議論の際にも『鉄道にも回すといい』と提案した専門家もいました」(A記者)
 JR北海道の年間赤字は約500億円、10年間でも約5000億円であるのに比べ、今回のリニア中央新幹線への融資は3兆円。
「多くのローカル路線は、数百万円から数千万円といった額を捻出するのに頭を悩ませています。リニアに使うお金の一部でもローカル線の方に回せるようになれば、問題解決するのです」(A記者)
リニアは「地方創生」とは真逆のプロジェクト
 南アルプスの環境破壊など、リニア中央新幹線整備にあたって懸念されている問題についても十分な議論がされたとは言い難い。また、「リニアで東京と大阪間の飛行機の需要はもらう」とJR東海は鼻息が荒いが、日本航空や全日空などにとっては東京・大阪間のドル箱路線が激減すれば経営悪化の恐れも出てくる。
 さらに、東京と名古屋・大阪を往復する人は便利になるかもしれないが、既存の東海道新幹線(特にのぞみ号)の本数は減るので、新横浜・京都などの利用客は不便になる。また新神戸以西で山陽新幹線を利用している人は、新大阪や名古屋で乗り換える必要が生じてくる。
「こうしたリニア整備に伴うデメリットについても国会で検証し、そもそもリニアに公益性があるのかについて国民的な合意を得るべきです。
 安倍首相は所信表明演説で、リニア中央新幹線への融資が『地方創生回廊になる』と言ったのですが、東京と名古屋と大阪の3大都市ばかりが便利になるリニアは『地方創生』とは真逆の巨大プロジェクト。それよりも、JR北海道をはじめ全国各地のローカル線が瀕死の状態にあるのをどう解決していくのかについて、徹底的に議論する必要があります」(A記者)
取材・文/横田一(ジャーナリスト。小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」に関する発言をまとめた最新刊『黙って寝てはいられない』<小泉純一郎/談、吉原毅/編>に編集協力)


最高裁がひそかに進める原発訴訟「封じ込め工作」の真相
日本の裁判所は「権力補完機構」なのか
瀬木 比呂志 明治大学教授 元裁判官
司法権力の中枢であり、日本の奥の院ともいわれる最高裁判所の「闇」を描いた『黒い巨塔 最高裁判所』(瀬木比呂志著)が10月28日に刊行される。
本作では、自己承認と出世のラットレースの中で人生を翻弄されていく多数の司法エリートたちのリアルな人間模様が描かれているが、実は、この作品には、もうひとつの重要なテーマがある。最高裁判所がひそかに進める原発訴訟の「封じ込め工作」だ。
福島第一原発事故以後、稼働中の原発の運転を差し止める画期的な判決や仮処分が相次いでいるが、最高裁はこのような状況に危機感を覚え、なりふり構わぬ策を講じている、という。原発訴訟をめぐって、いま最高裁で何が起きているのか、瀬木さんに話を聞いた。
最高裁の「思惑」
ーー前回のインタビューでは、最高裁判所の権力機構のカラクリと、そこで働く裁判官たちの生態についてうかがいました(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49800)。今回は『黒い巨塔 最高裁判所』のモチーフとなっている、最高裁内部で進行する原発訴訟封じ込め工作についてお聞きします。
『黒い巨塔 最高裁判所』の時代背景は1980年代後半ですが、2016年現在、最高裁内部でひそかに進められている原発訴訟封じ込め工作をルポルタージュした作品を読んでいるかのような感覚がありました。
瀬木 本作は純然たるフィクションですが、大飯・高浜原発訴訟(仮処分を含む)など、福島第一原発事故の後で多くの熾烈な原発訴訟が係争中である事実からインスパイアされた部分があることは、否定しません。
また、本作の初稿を書いている時にも、小説の中で描いているのと似たような事態が現実の世界で起こってくる、現実が僕が想像した事態を密着しながら追いかけてくるような、そんな時期もありました。
そのため、おっしゃるとおり、時代を過去に設定していながら、あたかも現在ないし近未来の日本を描いているような雰囲気も出てきたのだと思います。前回のインタビューでもお答えしたとおり、これは、SFが始め、やがては主流文学にも広まった文学形式である「パラレルワールド小説」でもあります。
ですから、この小説が、あたかも現代、あるいは近未来ディストピアを描いたかのような印象を読者に与えるとすれば、著者のもくろみは、その点では成功したといえると思っています。
本書の中で、原発訴訟と広い意味でそれに関わる裁判官たち、あるいは政治家やジャーナリストの暗躍がどう描かれているかについては、いわゆる「ネタバレ」になるため、詳しい説明は控えますが、私は、現在の最高裁、あるいは裁判所内部でも、この小説に描かれているのときわめてよく似た事態が進行している可能性はある、そうみています。
具体的にいうと、最高裁と最高裁事務総局は、現在では、間違いなく、電力会社や政権寄りの判決、決定(仮処分の場合)が出るように強力に裁判官を誘導しようという意図をもっているだろうし、また、例によって外部からは明確にはわからない巧妙な形で、そのような誘導を行っている、あるいは行う準備を進めているだろうと思います。
さらに、過去の事実や文献等から推測してみますと、以上と並行するような何らかの立法の動きが出てくることも、ありうると思います。
露骨すぎる人事異動
ーー私は、まさにそのように読みました。「ああ、原発訴訟はこのように統制され、このように決着させられてゆくのか……」といった、暗いリアリティーをひしひしと感じたのです。
でも、現実の世界では、2014年5月の大飯原発差止め判決、2015年4月と2016年3月の2つの高浜原発差止め仮処分(前の2つの判決、仮処分は樋口英明裁判長、最後の仮処分は山本善彦裁判長)と、稼働中の原発の運転を差し止める画期的な判決、仮処分が複数出ましたね。
日本の原発の構造は基本的に同じで、立地や技術上の問題点も共通していますから、こうした裁判に続く方向の裁判が、続々と出てくる可能性はないのでしょうか?
瀬木 まず、僕は、原発に関しては、推進派、反対派などといった二項対立的な図式に色分けして考えるべきではないと思っています。
唯一の問題は、「日本の原発が、まずは間違いなく安全であるといえるか。再び悲惨な事故を起こさないといえるか」という問いであり、この問いに明確にイエスといえるような状況ができているか否かだけが、問題だと思います。僕自身、元裁判官の学者ですから、そうした観点から、また、白紙の状態から、客観的に、この問題を考えてきました。
そういう検討を経ての、原発、原発行政、原発訴訟についての僕の分析の大筋は、この小説でも骨格として使っています。そして、これまでの分析、検討の結果、僕は、福島第一原発事故は、日本の原発に関するずさんな安全対策、危機管理の結果としての人災という側面が大きく、また、その原因究明も相当に不十分、にもかかわらずなし崩しの再稼働への動きが進んでいるというように、現在の状況をみています。
ですから、原発訴訟が今おっしゃったような方向に進めばいいとは僕も思いますが、客観的な予測としては、司法、政治、世論の方向が今のままだとすれば、より悲観的ですね。
その根拠を述べましょう。
第一に、福島第一原発事故後、今おっしゃった判決や決定がある一方で、高浜原発に関する第一の仮処分の取消し決定(2015年12月)など、福島第一原発事故以前の裁判の大勢、その枠組みに従う方向の判決や決定も、同じくらい出ているからです。
第二に、最高裁が、『ニッポンの裁判』でもふれた2012年1月の司法研修所での裁判官研究会から1年余り後の、2013年2月に行われた2回目の研究会では、強力に「国のエネルギー政策に司法が口をはさむべきではない。ことに仮処分については消極」という方向性を打ち出していると解されるからです。この研究会については、文書も入手しています。
第三に、原発訴訟については、過去にも、ことに判決の時期が近付いたときに、最高裁寄りの裁判長がその裁判所に異動になって事件を担当するといった動きが出ているという事実があります。
福島第一原発事故後はそれがいっそう露骨で、先の高浜原発差止め仮処分取消し決定に至っては、異動してきた3人の裁判官すべてが最高裁事務総局勤務の経験者なのですよ。これが偶然的なものだとしたら、宝くじ上位当選レヴェルの確率でしょうね(笑)。もう、120パーセントの露骨さです。
報じないマスメディアの問題
ーー私も、原発には昔から関心をもっていて、原発訴訟についても断片的な情報はもっていたのですが、そこまで露骨な誘導が行われているとは恥ずかしながら知りませんでした。
福島第一原発事故後は原発行政に批判的な大手新聞社も、今おっしゃったようなところまで踏み込んだ報道は行っていませんね。もしも、多くの国民が、瀬木さんのおっしゃったような実態を知れば、黙ってはいないと思うのですが。
瀬木 残念ながら、僕の知る限りでは、少なくとも今では、大手新聞社やテレビの司法担当記者で最高裁に対して批判的な議論を息長く展開できるような気骨のある記者は、ほとんどいないのではないかと思わざるをえないですね。
たとえば、新聞の看板ではあるが実際に読む人は限られる社説では、原発の危険性を声高に、あるいはある程度詳しく論じている場合はあります。しかし、司法記者が行う社会面の報道では、おおむね裁判所の判決を淡々と報じ、型通りに解説するにとどまっています。
先ほどの高浜原発差止め仮処分取消し決定に関わった裁判官についての不可解な異動、過去の経歴などは、欧米のメディアなら、原発の始まった国であるアメリカでさえ、徹底的に暴き、叩いてゆくと思います。
しかし、日本では、ほとんど取り上げられていません。僕の発言、文章を除けば、一部の週刊誌、ネットメディアくらいだと思います。先のような裁判官たちの経歴は、「意見」ではなく、インターネット上でも容易に調べられる明らかな「事実」であるにもかかわらず、です。
なお、僕の文章は、果敢な有力地方紙、また、大全国紙関係では比較的自由なその周辺メディア上のものであって、かつ、あくまで、「学者、元判事である瀬木教授が書く」という形であって、直接の報道ではないですね。
もっとも、最高裁事務総局は、問われれば、「この裁判官たちの人事も定期の普通の異動であって、特段の意図はない」と答えるでしょう。そこに込められた主観的意図を「証明」することは難しい。しかし、少なくとも、「事実」を報道し、それに適切な「評価」を加えることはできるはずです。
だって、主観的意図の証明なんて、ニューヨーク・タイムズにだって、ル・モンドにだって、ガーディアン(イギリス。スノーデン報道で注目された比較的先鋭な自由主義紙)にだって、およそできっこないような種類の事柄ですよ。当たり前です。最高裁長官、事務総長、事務総局人事局長にインタビューして認めさせるくらいしか手段はないんだから(笑)。
しかし、だからといって、「書かない」という選択を、欧米の自由主義的新聞、中道派新聞が、採るでしょうか? 国民が最注目する裁判の担当についての先のような不自然な人事は、明らかにおかしい。報道機関には、その事実を広く知らしめる、国民、市民に対する「義務」、「責任」があるはずです。
残念ながら、日本のマスメディアの司法担当記者、より広くいえば報道部門の記者の多数派は、思考停止しているか、最高裁判所等の権力に対して大変遠慮して、自己規制をしているようにみえますね。そのことは、たとえばさっき挙げたような海外の3つのメディアとの比較でも明らかです。
なお、付け加えれば、僕は、この3つのメディアが手放しでいいなどとは全く思っていません。たとえば、ニューヨーク・タイムズには、近年、権力に寄り添うような方向の記事も、出てきていると思います。ただ、基本的な姿勢の違い、そうした意味での客観性や批判精神は、なお失っていないと思います。それが、ジャーナリズムの国際標準だと思います。
全国の裁判官への「警告」
ーー日本のマスメディアのあり方については、本当におっしゃるとおりだと思います。その問題点は、本書でも、フィクションという形ではありますが、これまた非常に的確に、かつ深く描かれていますね。
ところで、大飯原発差止め判決の樋口裁判長は、名古屋地裁に異動になったように記憶していますが、それでも、執念で、職務代行という形で、第一の高浜原発差止め仮処分決定を出しましたね。これは、相当に異例のことでは?
瀬木 異動は、名古屋地裁ではなく、名古屋家裁です。
そして、この異動は、この裁判長のこれまでの経歴を考えれば、非常に不自然です。地裁裁判長を続けるのが当然のところで、急に家裁に異動になっている。キャリアのこの時期に家裁に異動になる裁判官は、いわゆる「窓際」的な異動の場合が多いのです。また、そういう裁判官については、過去の経歴をみても、あまりぱっとしないことが多いのです。
しかし、樋口裁判長の場合には、そういう経歴ではなく、家裁人事は、「青天の霹靂(へきれき)」的な印象が強いものだと思います。
第一に地裁の裁判の現場から引き離す、第二に見せしめによる全国の裁判官たちへの警告、という2つの意図がうかがわれますね。
ただ、形としては、家裁とはいえ、近くの高裁所在地である名古屋の裁判長への異動ですから、露骨な左遷とまでは言い切りにくいものになっています。
こういうところが、裁判所当局のやり方の、大変「上手」なところだともいえます。また、彼の裁判が非常に注目されている状況で、あまりに露骨な左遷はできなかったという側面もあるでしょう。
ーーしかし、こうした圧迫によっても、この裁判長の決意は変わりませんでしたよね。その意味では、最高裁事務総局のコントロールは失敗したことになりませんか?
瀬木 そうですね。この裁判長についていえば、そういえるかと思います。
しかし、この人事の本質は、さっきも申し上げたとおり、全国の裁判官、とりわけ原発訴訟担当裁判官に対しての、はっきりとした「警告」です。
この異例の人事のもつ意味は、どんな裁判官でも、ことに人事異動や出世にきわめて敏感な昨今の裁判官ならなおさら、瞬時に理解します。稼働中の原発を差し止める判決、仮処分を出すような裁判官は、人事面で報復を受ける、不遇になる可能性が高いのだと。
その名前が広く知られることになった先の樋口裁判長でさえ、しかも直後の異動で、それをやられているのですからね(通常は、『絶望の裁判所』にも記したとおり、最高裁の報復は、ある程度時間が経ってから行われます)。
関連しての問題は、マスメディアが原発訴訟に注目しなくなってからの彼の処遇です。より微妙かつ陰湿な人事が行われる可能性も否定できません。山本裁判長の今後の人事と併せ、世論の監視、バックアップが必要なのです。
福島第一原発事故以前の原発訴訟で勝訴判決を出した2人の裁判長についてみると、これも『ニッポンの裁判』に記したとおり、1人が弁護士転身、もう1人は、定年まで6年余りを残して退官されています。ことに後者の退官は気になります。
また、詳細にふれることは控えますが、国の政策に関わる重大事件で国側を負かした高裁裁判長が直後に自殺されたなどという事件も、僕自身、非常にショックを受けたので、よく覚えています。
少なくとも、定年の65歳までもうそれほど長い任期は残っていない50代半ばくらいより上の裁判長でないと、広い意味での統治と支配の根幹に関わるような裁判について勇気ある判決が出しにくいということ、これだけは、厳然たる事実でしょうね。
また、原発稼働を差し止めた裁判官には、東京ないしその周辺におおむね勤務し続けかつ最高裁でも勤務した経験のあるような裁判官がいないことも、事実です。
ーーまるで、アメリカの謀略映画を見ているような感じがして、こわいですねえ。
芸術的ともいえる思想統制
ーー私たちは、瀬木さんの一連の著作や文章が出るまでは、裁判官は「法の番人」としての誇りをもって、公正な審理を行っていると信じていました。
でも、「法の支配」とは無縁の、上命下服、上意下達の見えざる過酷なシステムがあることを『絶望の裁判所』で知り、また、そこで行われている裁判のリアルな悲惨さを『ニッポンの裁判』や瀬木さんのその後の発言で知って、本当に驚愕しました。
ジャーナリストの魚住昭さんが、『絶望の裁判所』について、「最高裁に投じられた爆弾。十年に一度の破壊力、衝撃」と評されたことを思い出します。それくらい、誰も、何も、知らなかったわけです。
瀬木 きわめて巧妙かつ複雑なシステムですよ。すべてが、「見えざる手」によって絶妙にコントロールされている。ある意味、芸術的ともいえる思想統制です。まさに超絶技巧です(笑)。
建前上は、すべての裁判官は、独立しているわけです。裁判官は、法と良心に照らして、みずからのよしと信じる判決を書くことができる。
建前上はそうです。欧米先進国と同じ。
ところが、特に、権力や統治、支配の根幹に関わる憲法訴訟、行政訴訟、刑事訴訟、そして原発訴訟(これは民事と行政の双方がある)のような裁判では、結局、ごく一部の良心的な裁判官がある意味覚悟の上で勇気ある判断を行うような場合を除けば、大多数は、「どこを切っても金太郎」の金太郎飴のような権力寄りの判決になる。
独立しているはずの裁判官が、あたかも中枢神経系をもつ多細胞生物を構成する一個の細胞のように、一糸乱れぬ対応をとる。最高裁長官を頂点とする最高裁事務総局がその司令塔であることは今や公然の秘密ですが、外部からは、どこに中枢があって、どのような形で統制が行われているのかが、そのシステムの構造が、とてもみえにくい。
しかも、多くの裁判官は、精神的「収容所」の囚人化してしまって、自分がそういう構造の中にいることすら見えなくなっている。
実際には、退官した裁判官や、ヴェテラン裁判官の中には、「大筋瀬木さんの分析したとおりだ」と言っている人も多いと聞きますし、裁判所当局によって無効化され悪用されたところの大きい「司法制度改革」に協力してしまった弁護士(これには、左派の、弁護士・元裁判官弁護士の一部も含まれています)を除けば、弁護士も、少なくともそのハイレベル層は、そうではないかと思います。
僕の分析についての反応は、学界もほぼ同様で、ことに民事訴訟法学界の長老たちの多くは「やはりそうだったのか」という感想です。法社会学者の多くも同様。また、東大で授業を受けたことのある民法学界の長老がわざわざ僕の講演会におみえになり、後から、専門誌に載せられた賛辞の文章をお送り下さったこともあります。
もっとも、中堅若手の裁判官の中には、「我々はちゃんとした裁判をしているし、雰囲気も自由」と反発する人もいます。
しかし、もし本当にそうなら、『ニッポンの裁判』で詳しく分析したような、およそほかの先進諸国には例のない惨憺たる裁判の現状は、どう説明するのでしょうか? あいつぐ裁判官の不祥事、ことに、2000年以降9件も起こっている目立った性的不祥事(実に裁判官300人に1人です)の数々は、どう説明するのでしょうか?
弁護士数激増にもかかわらず民事事件新受件数は逆に減少し、ことに複雑な大きい事件が減っている傾向、そして、やはり2000年度以降の3回の大規模アンケートで民事訴訟利用者の満足度が2割前後とやはり惨憺たる低さであることは、どう説明するのでしょうか?
2冊の新書で詳細に論じたこうした事柄についてのきちんとした反論がない限り、さっきのような反発に、およそ説得力はないと思います。
知られざる裁判官「協議会」の実態
ーーところで、『黒い巨塔』を読むと、裁判官協議会が、暗黙の、最高裁事務総局の方針、意向伝達機関として機能していることがよく理解でき、また、暗澹たる気持ちにもなりました。この裁判官協議会というものには、何か法的な裏付けがあるのでしょうか?
瀬木 これは、最高裁が、建前上は、裁判官の自由な協議を行う場として、やってきたものです。
本書の記述と重複しますが、裁判官協議会のあらましについて説明しましょう。協議会を主催するのは、最高裁事務総局です。協議会には、たとえば執行や破産等の特定の事件を対象とする小規模不定期のものと、全庁参加の大規模定期的なものがあります。後者の中で最も重要なのが、民事局の、全庁参加の協議会でしょうね。
この協議会は、年一度、秋に開催され、全国から高地裁裁判官、主として地裁裁判長クラスの判事が参加します。全国の裁判官たちに与える影響の大きい重要な会合です。この小説の中の原発訴訟協議会では、原発訴訟に民事と行政があるため、民事局と行政局の共催となっています。
こうした協議会は、学者たちが行っている研究会とは全く性格が異なります。名称こそ「協議会」ですが、その実態は、基本的に、「上意下達、上命下服会議、事務総局の意向貫徹のためのてこ入れ会議」に近いものです。
テーマは、民事局等の事件局が、最高裁長官や事務総長の意向に基づきつつ決定し、出席者は高裁長官や地家裁所長が決めます。出席者のうち東京の裁判官や事務総局と関係の深い裁判官に対しては、事前に一定の情報提供や根回しが行われることもあります。
もっとも、協議問題は、事件局が決めたテーマに沿って、協議会に参加する全裁判所、つまり「各庁」が提出します。あくまでも、「建前」は、裁判官による自主的な意見が述べられる場なのです。しかし、これにも抜け穴があって、東京の出席者や事務総局と関係の深い出席者は、事件局の求める協議問題を「やらせ」で出題することがあります。事務総局の課長や局付が、内々にお願いして、提出してもらうのです。
以上のとおり、実際には、最高裁事務総局主導の、その意向を伝える協議会という側面が強いのです。
ーーつまり、実際には露骨な上意下達のテコ入れ会議なのですが、あくまでも、建前上は、裁判官の自主的な協議の場と位置付けられているのですね。
瀬木 そうです。参加する裁判官は皆、そのことは知っていますが、もちろん、誰も問題にしない。ふれてはいけないタブーですから。
協議は粛々と行われます。司会は、東京高裁のヴェテラン裁判長が務めるのが慣例になっています。同種の問題をまとめた問題群ごとに、出題を行った裁判所の裁判官がまずみずから意見を述べ、その後、議長が、発言者を求めるというのが通例です。
「協議会」でありながら、みずから積極的に発言する裁判官は多くないのが普通です。そうした発言者がいないことも多く、そのような場合には、議長が一人、二人の裁判官に意見を求めます。
実は、重要なのは、議論ではなく、担当局が発表する「局見解」なんです。各問題群検討の最後には、民事局(この小説では、民事・行政局共催の協議会なので、行政局も)の課長たちが、すでに書面にまとめられている局議の結果を、「局見解」として述べます。この見解は、本来、当日の議論を踏まえたものであるべきですが、草案となる原稿はすでに出来上がっており、当日の議論については申し訳程度にふれるだけです。
つまり、最高裁事務総局は、そもそも協議会参加裁判官たちの議論など最初から重視していないのです。事務総局関係者は「局見解」を述べるために出席し、裁判官たちの大多数も「局見解」を聞くために参加しているにすぎません。
だから、多くの出席者は、各庁の意見は聞き流していても、局見解だけは必死でメモします。そこで鉛筆やシャープペンシルが一斉に動き始める様は、スターリン時代のソ連の会議もかくやと思わせる異様な光景です。一度見たら決して忘れられません。
協議会終了後に、その結果を、関係局、事務総局が、いわゆる「執務資料」というものにまとめます。事務総局の執務資料は味も素っ気もない白い表紙のものと決まっているので、裁判官たちは、これを「白表紙(しらびょうし)」と呼んでいます。そこに掲載された「局見解」は、全国の裁判官たちに絶大な影響を与えます。
実際、水害訴訟や原発訴訟など、協議会が開かれた訴訟類型の判決では、「白表紙」中の局見解と趣旨を同じくする判決があるのはもちろん、中には、表現までそっくりの「丸写し判決」まで存在しました。
日本の裁判所は「権力補完機構」
ーーこれはもう、「法の支配」とはおよそ無縁の、権力による統制システムそのものですね。「法の番人」の頂点にあるはずの最高裁判所の司法行政部門である最高裁事務総局のエリート裁判官たちが、「法の支配」を有名無実化する判決統制、思想統制の執行者になっている。これは、何というか、もう、ブラックジョークの極みですね。
瀬木 そうですね。
「法の支配」ではなく「人の支配」が行われているのが日本の裁判所なのだということは、本書でも、小説という枠組みをこわさない形で、明確に、詳細に描いています。
これは、欧米先進国の人間にはおよそ理解できないシステムでしょう。世界的にみても、いわゆる先進諸国で、こうした説明不能な奇怪な司法システムをもっている、もち続けている国は、おそらく、ほかには存在しないと思います。
韓国が、日本にならう形でよく似た制度を採っていましたが、民主化後、市民の批判が大変に強くなったため、アメリカ的な法曹一元、つまり、経験を積んだ弁護士等の在野法曹から裁判官を採用する制度に踏み切りました。
また、たとえば北朝鮮、あるいはそれよりはベターであろう中国でも、近代的な意味での司法が本当に成立しているのかはかなり疑問ですが、しかし、ある意味、権力の中枢がどこにあるかは明瞭ですから、システムの問題は、わかりやすい。
ところが、裁判所に限らず、日本の権力システムは、表と裏の二重構造になっている上、本当の中枢、意思決定機関がどこにあってどのように意思決定が行われているのかがよくわからないし、そもそも、何を守ろうとしているのかについてすら、よくわからない。
おそらく、権力の内部にいる人間でさえ、多くは、正確に理解できていないのではないでしょうか。僕は、自分の見聞きした経験から、そう思います。
その特色を別の言い方で述べれば、日本の裁判所は、本来あるべき「権力チェック機構」ではなく、「権力補完機構」だということです。
このことは、実は、マスメディア、日弁連、あるいは東大等の官学的傾向の強い大学等をも含め、日本の組織には非常によくあることで、それが、裁判所では、「象徴的」な、かつ「表と裏では大変な落差がある」という形で、出ているのだと思います。
ーー「日本の裁判所は権力補完機構に堕している」。日本の司法の実態をこれ以上端的に現している言葉はないような気がします。
ところで、原発再稼働を推し進めたい勢力は、頻発する原発訴訟、そして、稼働中の原発の運転差止め判決、仮処分について大変苦慮しており、こうした現状を抜本的に解決する方策を検討している可能性もある。次回は、このお話を中心に、さらに詳しくうかがいたいと思います。(つづく)


問題はボート会場じゃない、「東京五輪開催」そのものを疑え! メディアにはびこる「どうせやるなら」論の罠
 迷走に迷走を重ねる2020年東京五輪。今度は、ボート・カヌー会場をめぐる問題だ。海の森水上競技場建設に491億円なんてありえない、なぜ当初予算の7倍に膨れあがったのか、仙台の長沼に移せば復興に繋がるのに、なぜ組織委の森喜朗会長らは抵抗するのか……。テレビからは毎日のようにそんな声が聞こえてくる。
 たしかに、招致段階では施設工事費7000億円と示されていたのが、都の調査で総費用が3兆円を超すことが判明しており、このまま海の森水上競技場の建設なんてありえないだろう。
 だが、いま起きていることは本当にボート会場を移せばすむ話なのか。問題はもっと根本的なところ、つまり五輪を開催するということにあるのではないか。
 しかし、テレビや新聞は費用のかけすぎや会場選定の不透明さは指摘しても、そのことには絶対に触れようとしない。最後は結局、「夢」や「感動」というフレーズをもちだし、「どうせやるならちゃんとやらないと」「アスリートファーストの素晴らしい東京五輪にためにみんなで知恵を絞らないと」などというきれいごとで終わらせてしまう。
 そんななか、東京での五輪開催自体に根源的な疑義を唱え、開催を返上するべきと主張する学者たちが現れた。今年8月末に出版された『反東京オリンピック宣言』(航思社)という本で、社会学系の学者・研究者たちを中心にした16人の論客がさまざまな視点から問題を指摘し、東京五輪の開催そのものにNOの声をあげているのだ。
 論者たちの多くが触れている最初の欺瞞が、安倍晋三首相が招致演説で口にした「アンダーコントロール」発言だ。鵜飼哲(一橋大学大学院教授)は、官邸HPに掲載の訳文──「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、及ぼすことはありません」──を引いたうえで、〈これほど公然たる嘘の前で、人はともすると虚を衝かれ、息を飲んでしまう〉〈この凶悪な言語行為〉と批判している。
 酒井隆史(大阪府立大学教授)は、この発言をほとんど問題視しなかったメディアの責任を問いつつ、「公人の無責任な虚言」を許容してしまう昨今の日本社会と、安倍発言に込められた暗黙のメッセージを次のように指摘する。
〈庶民の小さな「欺瞞」には、あるいは、特定の政治家が福島についてこぼした「真実」には、ときに、よってたかって血祭りにあげるこの社会の奇妙な「寛容」である。ここまで露骨に発言をひるがえし、あきらかに嘘をつき、それにひらきなおって、なお、立場がゆるぎもしない国や地方の首長がいる、という現象に筆者はこれまでおぼえがない〉
〈つまり、その発言で問題になっているのは、現実に福島第一原発がコントロールされているということではなく、「日本の状況」が完全にコントロールされているということ、そして、これからもコントロールするという約束である〉
 福島の原発災害を隠蔽しつつ利用する、このようなやり口は「災害資本主義」と呼ばれる。自然災害・戦争・大きな事件といった惨事に便乗するかたちで、復興の名のもとに収奪的・急進的な資本主義が市場を席巻し、一部の者に利益が集中する事例は世界中で枚挙に暇がないと塚原東吾(神戸大学大学院教授)は言い、間近に見た神戸の震災復興を例にこう書く。
〈神戸の時がそうであったように、地元にお金が落ちるのではない。市場化=自由化の名のもとに地元企業を押しのけて東京のゼネコンが復興事業をもぎ取り、地元にはお涙の、まさにおこぼれ頂戴程度にしか、お金は落ちてこないのが現実だった。そこでは古い利益誘導型政治と相乗りしながら、旧態依然とした自民党による利権政治に回帰していき、ますます東京への一極集中が進んでいる。そのなかで東北「地方」の東京という「中央」への従属が、さらに進行している〉
 だが、この災害資本主義は、惨事や非常事態に直面した人のなかに生まれる「ノーマルシー・バイアス」──たいしたことはない、自分は大丈夫だと被害を過小評価し、平常を取り戻すことを希求する心理──とも結びつき、社会全体が五輪というメガイベントへ突き進んでゆく。
 わずか2週間のスポーツイベントに巨額の公金を費やし、都市整備や治安を理由に貧困層を都心から追いやり、言論すら統制してゆく五輪に対しては、リオやロンドンなど近年の開催地でも反対運動が巻き起こった。そうした動きを封じ込めるため、喧伝されるようになったのが「レガシー(遺産)」という概念だ。東京大会組織委の「アクション&レガシープラン」を検証しながら、阿部潔(関西学院大学教授)がその問題点を論じている。
 同プランの説くレガシーとは、スポーツ・健康の分野以上に、文化・教育(「和の精神」の再評価と継承)、経済・テクノロジー(AIやビッグデータによる「ジャパンブランド」の復権)、さらには、東京だけでなく日本全体で取り組む「オールジャパン」体制に力点が置かれているという。阿部はここに、戦前の国家総動員体制にも似たナショナリズムの影を見る。
 阿部によれば、そもそもレガシーとは〈宗教的な権威と使命のもとに派遣された人物(特使)が、その赴任地において果たすべき営為(ミッション)〉が本来の意味であり、ということは、ここで語られているのは、現在の権力、つまりは安倍政権が自らの権威付けのために欲し、後世に残すべきとあらかじめ決めた、極めて政治的な「遺産」なのである。
〈このように考える時、一見すると健全で誰にでも受け入れられるかのように思われる「未来に残すべきレガシー」という発想自体に、実のところおぞましい暴力が潜んでいることが明らかになる〉
 こうしてスポーツやアスリートから乖離してゆく国威発揚イベントに対し、〈スポーツはもはやオリンピックを必要としない〉(池内了・総合研究大学院大学名誉教授)と決別を宣言するのが本書の意図だが、編著者である小笠原博毅(神戸大学大学院教授)が興味深い論を展開している。なぜ、これほど問題の多いメガイベントへの反対論がほとんど語られず、礼賛一色になってしまうのか。
 そこには、冒頭で指摘したような「どうせやるなら」派ともいうべき人たちの存在がある、という。
〈(「どうせやるなら」派は)初期設定においては批判的であり、できるならやるべきではないと思っている。しかし、招致活動が終わり、税金が捨てられ、インフラ整備を含む準備が始められ、開催権の返上や中止が逆に莫大なコストを必要としてしまうということを理由に、事実上後戻りできないと結論づけて、むしろそれまでかかった投資をどのようにすれば「資本貴族」たちの手から奪うことができるのかを提案する〉
〈オリンピックを「機会」ととらえ、統治側の計画を逆手にとって、本当に市民のためになると考えられる、都市の再開発も含めた「オルタナティヴ」を求めようというのである〉
 五輪が権力者の仕掛ける「サーカス」であり、国威発揚のスペクタクルであり、メダル数を競う勝利至上主義やスポンサー・関連企業への富の集中、環境破壊や都市の分断を加速するという「ありきたりな批判」を彼らもいちおう口にはする。だが、反対に回ることは決してない。経済情勢や国際関係、あるいは「ビジネスだからしょうがない」「もう反対しても遅い」といった“現実的判断”から流れに抗わず、「どうせやるなら」と消極的なポーズで現状を追認し、結局は賛同一色の空気に加担してしまう。そういう人たちが世の多数派だというのである。
 彼らは、権力者が決まり文句のように言う「批判するだけではなく代替案を出せ」という言葉に乗っかり、最初から「やらない」という選択肢を切り捨てている、と小笠原は批判する。いくら文化的で健全な「オルタナティヴ」を提案しようとも、それは「少し違ったサーカス」を見せようとしているにすぎないのだ、と。
〈「どうせやるなら」派は、「うまくやる」ことができると思っている。(略)オリンピックを食うことはできても食われることはないと思っている〉
〈オリンピックを中止にしても「資本貴族」たちはまた別のオリンピックのようなスペクタクルをつくり上げるのだからこのままやり尽くしてしまえ〉
 そんな一見賢しらな物言いを取り込んで五輪待望の世論が作られてゆく様は、政治や社会をめぐる報道・言論状況にも通じる。いまの日本に蔓延する「空気」の正体を突く鋭い指摘だろう。
 本書の出版イベントで小笠原が語ったところによれば、この論考集は当初、ある雑誌の特集として企画が進んでいたという。それが途中まで進んだところで、出版社から「やっぱりできない」と断りがあった。「反五輪」を明確に掲げるのは得策ではない、できれば避けたいという判断が働いたのだろう、と。いまのメディアや社会を覆う、こうした事なかれ主義と決別し、オリンピックやスポーツの意義を正面から見つめ直すための貴重な書である。(大黒仙介)


<原発事故>東電委 廃炉費用など密室議論
 東京電力の経営改革や福島第1原発の廃炉支援策を検討する経済産業省の有識者会合「東京電力改革・1F(福島第1原発)問題委員会」が、開催自体を公表していない非公式の会合を複数回開き、廃炉費用の試算や東電の支援策など重要案件を議論していたことが27日、分かった。経産省が委員会について「公開する」としているにもかかわらず、国民負担につながる恐れのある議論が、密室で行われていることに批判が集まりそうだ。
 参加者は日程が明らかにされている公式会合とほぼ同じで、実質的に同格の位置付けとなっている。
 非公式会合は26日に東京都港区のホテルで午前7時から約2時間開かれた。


<北海道新幹線>東京から3時間台 3年遅れに
 国土交通省は27日、東北、北海道両新幹線の東京―新函館北斗で1日1往復に限って3時間台の運行が実現するのが、当初予定の2018年春から3年程度遅れるとの見通しを明らかにした。21年春までの実現を目指す。
 青函トンネルを含む貨物列車との共用走行区間で、高速走行に備えたレールと架線の整備や、貨物列車とのダイヤ調整に当初見込みより時間がかかることが判明したため。
 国交省は、共用区間で貨物列車が走行しない時間帯を設定し、1日1往復に限って最高時速260キロで走らせる方針。これにより所要時間が19分短縮され、東京―新函館北斗を結ぶ最速列車が4時間を切る。


NHKに受信料返還命令 レオパレス滞在者徴収
 テレビなどの家電が備え付けられたアパート「レオパレス」に約1カ月入居した福岡市の男性が、放送受信料を徴収されたのは不当としてNHKに返還を求めた訴訟の判決で、東京地裁は27日、請求をほぼ認めて1310円の支払いを命じた。
 佐久間健吉裁判長は「テレビは入居時点で設置されており、男性が据え付けていないのは明らか。放送法は『受信設備を設置した者は契約をしなければならない』と定めているが、男性は該当せず、契約は無効だ」と指摘した。
 NHK広報局は「契約を締結する義務が居住者側にあることを、引き続き二審で訴えていく」とのコメントを出した。


沖縄県議会、「土人」発言の抗議決議へ 自民は「抗議者への発言」と反対
 沖縄県議会の与党・中立5会派は26日、東村高江で米軍ヘリパッド建設に反対する市民に対し機動隊員が「土人」「シナ人」などと発言したことを「侮辱発言」として抗議する決議・意見書の両案を28日の臨時会に提案することを決めた。26日の総務企画委員会(渡久地修委員長)で決議・意見書案を協議したが沖縄・自民が反対したため全会一致とならず、与党・中立28人の連名で提案する。賛成多数で可決される見通し。
 総務企画委は25日の協議で全会一致を目指し、当初与党内から上がっていた「機動隊撤退」を盛り込まず、「法を守り人権を守るべき機動隊員らによる発言に県内外から非難が出ており、不信感が広がっている」と抗議に絞る内容で文言を調整していた。
 沖縄・自民は調整した文案を持ち帰り会派内で検討した結果、26日の総務企画委で「発言は県民全体ではなく抗議運動参加者への発言。売り言葉に買い言葉だ」として県民への侮辱と捉えての抗議には賛成できないと回答。委員会で意見が一致しなかったため、与党3会派(社民・社大・結、おきなわ、共産)と中立2会派(公明、維新)が議員提案を決定した。
 沖縄・自民は対案として、国家公安委員長と警察庁長官宛ての意見書を提案するが、議席の過半数を占める与党が反対するため否決の見通し。
 意見書は機動隊の発言を「不穏当発言」として抗議し防止策を図るよう求めると同時に、建設に反対する市民による機動隊員への発言も看過できないとして「警察官の十分な休養と心のケア」も要請している。


連合の役割終わった
 ★民進党幹事長・野田佳彦と連合会長・神津里季生といえば野党共闘の敵、または本籍自民党安倍派ともいえる「超ド級A級戦犯」だ。野田は首相時代に自民党との連立政権をもくろみ解散して民主党の同僚議員を壊滅させた過去を持ち、現連合執行部の神津は90年から3年間、連合からの派遣で在タイ日本国大使館に外交官として派遣されている。この頃の大使は安倍側近の1人だった一昨年に他界した岡崎久彦だ。 ★もう1人、連合事務局長・逢見直人は連合副会長(UAゼンセン会長)時代の昨年6月、秘密裏に首相公邸で約2時間にわたり首相・安倍晋三と会談、「今後も定期的に意見交換することで一致した」としている。つまり今の連合会長・事務局長は親安倍の労働貴族であるということは間違いない。地に落ちた野党第1党幹事長と連合幹部による野党共闘分断工作は日夜続く。 ★社民党幹事長・又市征治は25日、「私も労組出身だが、あまり政党にいろんな注文をつけすぎて政党への介入にならないように」と連合の対応にくぎを刺した。自由党代表・小沢一郎も同日「あくまでも組合は応援団であって政党ではない。いろんな意見を言ったり要請したりするのはいいが支援者だ」とけん制した。野田は今年3月、連合の集会で「一番足を引っ張った(小沢一郎)元代表さえ来なければ、後は全部のみ込む」との考えを示している。 ★しかし、民進党内では、もはやこの執行部と連合との心中では選挙に勝てないという不信感をぬぐえない。民主党時代に閣僚経験のある議員は「連合の役割は終わったという現実とともに政界再編につながるだろう。もう民間労組と党執行部系は原発再稼働と憲法改正を目的とした自民党別動隊とか第2自民党と言われても文句は言えまい」。(K)※敬称略

「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」を読んで

ブログネタ
フランス語 に参加中!
民族学校1

Japon. Les plus de 75 ans sont plus nombreux que les moins de 15 ans
Au Japon, les plus de 75 ans sont plus nombreux que les moins de 15 ans, selon les données définitives du dernier recensement effectué l'an dernier sur l'ensemble de la population. Dans ce pays vieillissant, la population totale s'établit à 127,09 millions d'habitants en 2015, contre 128,06 millions cinq ans plus tôt.
Au Japon, les plus de 75 ans sont désormais plus nombreux que les moins de 15 ans. Ils représentent en effet 12,8 % de la population, contre 12,6 % pour les seconds. Tel est le constat formulé par les pouvoirs publics du pays, qui viennent de publier les résultats définitifs du dernier recensement, effectué en 2015 sur la population totale du Japon, étrangers compris.
La population totale diminue
Auparavant, l'âge pris en compte pour comparer était en général les plus de 65 ans, qui comptent pour 26,6 % de l'ensemble des habitants du Japon, avec une proportion de plus de 30 % dans 12 des 47 préfectures du pays. Depuis des années déjà, leur total est supérieur à celui des enfants. Cette fois, et même en placant la barre à 75 ans, le constat est le même.
De manière générale, la population du Japon tend à diminuer
. Elle s'établit en effet à 127,09 millions d'habitants en 2015, contre 128,06 millions cinq ans plus tôt. S'il se dit conscient du grave problème démographique qu'affronte le pays, le gouvernement de Shinzo Abe reste cependant réticent à l'accueil en masse d'étrangers. Ceux-ci ne totalisent qu'1,75 million des habitants du Japon, soit 1,38 % de la population.
フランス語
フランス語の勉強?
時論公論「大川小津波判決 遺族の思いは」清永聡解説委員
東日本大震災の津波で児童74人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校。遺族が起こした裁判の判決が言い渡されます。裁判を通じて見えてきた司法の課題を考えます。
えれも田貴久 ‏@eremoremo
大川小、日和幼稚園、七十七女川支店、亘理の自動車教習所の津波犠牲者の裁判のニュースはとても平常心で聞く事が出来ないのでそれぞれの判決についても私は冷静に考えられないよ。
✩りりり&たみぃ✩ ‏@ririritammy2011
@IzumiShizukaHi ご遺族の方々は、はじめはただ真実を知りたかっただけなのに、教育委員会の不誠実な対応がここまでの確執となってしまったのでしょう。大川小のことは震災当初から気にかけていました。今回の記事のみを見て心ないツイートしてる方がたくさん居て、心が痛みますね。
kopikepi(こぴけぴ) ‏@kopikepi
大川小の遺族の方々の中でも、裁判に参加してる人とそうでない人がいて、狭い地域の中で分断されて、そのことでも辛い思いをしているんだろう。故郷も子どもも繋がりも失わ、そんな中で5年以上の年月をかけて裁判でここまでたどり着けたのはちょっと言い表せないが並大抵の苦悩ではなかっただろうなと
つぶつぶ ‏@tsuzukick
大川小の件。
遺族の皆さんは、あの日学校で何があったのか、市や学校側から誠意ある対応を得られず、止むに止まれず訴訟した、と思ったのだけど。事後の鬱積した怒りが『断罪』という言葉になってしまったのか。
1人生き残った先生に、せめてあの日のありのままを伝えてもらえないんだろうか。



真実を ぽんぽこ
この大川小学校の問題の本質は、犯人探しでもなければ、責任論でもなければ、心のケアでもありません。
隠蔽との戦いなのです。
いじめ問題の本質と同じです。学校や教育委員会や行政が隠蔽しようとすることが問題なのです。
子供たちの命はいまさら戻ってきません。
遺族の思いは、ただ真実を知りたいということです。
そして、多くの第三者がこの大川小学校問題に対して思いを持つのも、隠蔽されてはいけないという素朴な正義感からです。
真実への追求は、ジャーナリストやメディアの正当な業務です。
この本はそういう役割を持った本です。

人災レベルを切り出すための事実関係検証の重要性 punting univ.
この本は、ダイヤモンド・オンラインの特集「大津波の惨事・大川小学校〜揺らぐ真実」[...] の記事の一部が元になっています。 
一部というのは、本書が2012年11月11日発行された後も、ダイヤモンド・オンラインの特集は、震災から丸2年が経過した2013年3月11現在も、現在進行形でつづいているからです。本書公刊後、5件の特集記事が追加的にアップされています。
直近の記事は、2013年2月13日 第20回「なぜ記者会見に出席したのは委員長だけだったのか。大川小検証委・初会合で抱いた真相解明への懸念」というタイトルです。これらの内容も併せて確認されることをおすすめしますが、依然として、石巻市立大川小学校の児童74名(うち行方不明4名)教員10名が津波の犠牲となった事実関係の真相は、究明されていないのです。
本書を少し読めば、子どもの命を奪われて正気を失った親たちのエゴイズム、どうしても責任追及しないではいられない人間のエゴイズムだという評価ないし認識は、完全に誤りであることに気づかされるでしょう。
人災のレベルを解明することと、魔女狩りをすることは完全に異なる二つの別の次元の事柄です。大川小学校の児童の大量被災に関心を持つ多くの国民は、人災のレベルの解明、実際に何があったかを知ることで得られる遺族の方々の納得、そして、あくまで事実を元に防災への教訓が得られることを期待していると思います。
1人だけ生き残った教員、4人生き残った児童、周辺住民、遺族、津波警報を伝えに車で学校へ寄った市職員、これらの人々の証言が食い違ったままで整合性を持ったものとして提示できる状態にさえなっていない。本書の著者が、さまざまな立場の方にいくら証言を聞いても、いくら公文書を請求して客観的な内容確認をしても、整合的な事実関係の認知に到達できないのです。これは実に驚くべきことです。本書では、さまざまな角度から当日の背景を綿密に追った上で、震災当日休暇を取っており現地にいなかった当時の校長(現在は退職)と石巻市教育委員会関係者に、津波被害の直後から事実関係真相を隠蔽する何らかの意図があったのではないか、被災から18ヶ月以上を経て、そのままの状態が続いているのではないかということが示唆されています。
大川小のことでは「残された児童の心のケアが大切」「未曾有の震災・津波だったのだから、残された"大人たち" が仲良くやることが、亡くなった児童達への供養になる」「地震や津波の専門家による第三者に検証をまかせるべきだ」などという意見が聞かれます。残念ながら、これらはすべて、事実関係の検証と、事実関係をもとに全国でこれから起こりうる津波の被害に対する防災の教訓を引き出すという目的においては、十分とは言えないでしょう。
児童の心のケアは、もちろんとても大切ですが、これは起こってしまった事を既成事実化し、問題を学校の外に出してカウンセラーに任せるということを意味します。また、児童の供養は、宗教心にもとづく事柄であり、供養のために何が一番大切かは、児童をもっとも愛していたご両親や遺族に任せるべき事柄でしょう。他人が判断することではありません。そして、地震や津波の専門家が検証しても、地震の大きさ、被害を受けた建物の危険さ、津波の到達規模や到達速度、到達の衝撃は検証できるでしょうが、「人災」のレベルを切り出し、人災を検証できるとは限りません。
2011年3月11日14:46 に地震が発生してから、何度かの大きな余震を経て、2012年3月11日 15:37頃に津波が到達するまでの51分間、教員たちの現場での最終判断がどのようなプロセスで行われたのか? 教員、校長、教育委員会関係者、市職員が、この51分間に防災のために何を考えどのように行動したのか? さらには、3.11被害発生後の本件の取り扱い方針を、石巻市教育委員会や石巻市行政は、どのような議論、コミュニケーションによって判断し決めたのか? といった事柄は、地震や津波を検証しても分かりようがないのです。
ケーススタディという言葉がありますが、関係者の合意に基づいて「事実の検証」を適切に行うことは、事実から教訓を引き出し、今後の防災に活かすために一義的に重要なことです。逆にそれが当事者の納得を得るような形でできない限り、事実から適切に教訓を引き出すことは無理でしょう。大川小の事件に関しては、当日14:46〜15:37の間の51分間に、誰が何を認知し、判断し、集団として行動したのか、その正確な時系列の再構成がとにかく重要です。学校関係者、教育委員会、行政、遺族、すなわち、すべての当事者が「これが事実ということで認定できる」「これが事実だったということで、間違いない」というところまで認識を合わせ、認識レベルを一致させることができなければ、教訓を引き出すことは無理だと思います。事実を客観的に検証せずに、公にできることは、単に意気込みを示すだけのスローガン、誰かの主観に基づく恣意的な防災案、根拠薄弱なマニュアルのレベルに留まるのではないでしょうか。
他人事ではなく、今後、日本のどこかで大地震が発生し、その後大津波が起きた場合、仮に、現場の教員たちが心理的に追い詰められ、通信の手段が奪われていたとしても、孤立した公立学校の中で、最適なプロセスを経て最適な意志決定が行われ、最適な避難行動が選択されるために、大川小学校の件が「事実関係」の検証を経て、自然災害のレベルと人災レベルを遺族の納得できる形で明確に切り分けた上で、防災の教訓に活かされることを期待したいと思います。すべてを自然災害に起因するかのように見立てるのではなく、事実にしたがって再構成された確かな時系列をベースに、人災レベルを適切に切り出した上で、防災について議論し教訓を引き出すことこそが、一義的に重要であり、有益な防災設計のために絶対に必要ではないかと思います。
本書を読めば、ご遺族の方々は皆良心的な方々であり、行政や教育委員会を敵視し、とにかく糾弾することだけを目的にするようなヒステリックな人は一人も居ないことが分かります。自分の子を大切に思うだけでなく、日本の他の地域で地震が津波が起きても、子どもの命が犠牲にならないことを切実に願う方ばかりです。


お昼ご飯前に,図書館に行って「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」を借りました.帯にはこれまで,ひた隠しにされてきた「空白の51分」の悲劇が明らかになった!とあります.ファミレスでのんびりしながら,半分くらい読んで,夕方一気に読み進めました.読み進むにつれて石巻市教育委員会の不誠実な対応が明らかになってきて,とても悲しい思いです.遺族がやむにやまれぬ気持ちで裁判を起こしたのだと理解できました.
教育委員会に対してはマイナスイメージが大きいです.大津中2自殺事件でも教育委員会の対応がひどくて、確か尾木ママが怒っていたと思います.大阪でもハシモト君のオトモダチが教育長で,結局辞任しましたが,あまりにもひどいものでした.その意味では「またしても・・・」という感じなのですが,遺族としてはそんな悠長なことは言ってられないのでしょう.震災後なんと1年5か月後に文部科学大臣の平野博文が大川小を視察に来たことも記されています.わたしはこの視察をとても遅いものだと思うし,残念ながら被災者に寄り添っているとも思えないのですが,石巻市教委の対応を見ると,そんな人ですらとてもよい人のように思えてしまいます.そのくらいに教育委員会の不誠実さが大きいと感じました.

<大川小訴訟>「司法に願い届いた」
 司法に託した願いが届いた。石巻市大川小津波訴訟判決で、仙台地裁は26日、学校の責任を認めた。児童23人の19遺族が市の対応に失望を深め、提訴に踏み切ってから約2年7カ月。「一つの山を越えた」。長い道のりの末、苦闘がようやく実を結んだ。
 「学校は津波を予見し、子どもの命を守らねばならないとの判決は一定の評価をしたい」
 遺族16人が出席した判決後の記者会見。6年生だった長男大輔君=当時(12)=を亡くした原告団長の今野浩行さん(54)は険しい表情を崩さぬまま、こう総括した。
 3年生だった一人息子の健太君=同(9)=が犠牲となった佐藤美広(みつひろ)さん(55)は「学校や、子どもたちの安全とは何か。裁判所が判決でくぎを刺してくれた。健太の眠る墓にやっと入れるとの気持ちだ」。胸のつかえが取れた様子でマイクを握った。
 遺族は東日本大震災後、市への不信感を募らせてきた。関係者の証言メモ廃棄、亀山紘市長の「自然災害の宿命」発言−。判決は、市の事後対応を巡る責任を認めなかった。3年生だった長女未捺(みな)さん=同(9)=を亡くした只野英昭さん(45)は「原告の意見が通らなかった」と、勝訴の判決でも不満が残ると強調した。
 児童たちがあの日、校庭にとどまった約45分間に何が起きたのか。遺族はその真相を求めてきたが、新たに判明した事実はほぼなかった。遺族は「もやもやが残る」とする一方、市などとの協議を視野に「これから本当の検証が始まる」と口をそろえる。
 「裁判でなぜ子どもが死んだのか、原因究明はできていない。自問自答しても、何に勝ったのか答えが出ない。原因を究明しないと、再発防止にならない。判決はスタートだ」
 6年生だった三男雄樹君=同(12)=を亡くした佐藤和隆さん(49)は改めて覚悟をにじませた。


<大川小訴訟>「骨一本でも見つけたい」
 大川小津波訴訟の判決が言い渡されてから約15分後、原告の鈴木義明さん(54)が仙台地裁前に姿を現した。原告仲間2人と判決内容を記した用紙を掲げる。
 「勝訴 子供たちの声が届いた」
 その文字を記したのは妻の実穂さん(48)。まな娘が習字で使っていた筆で、願いを込めて書いた。
 大川小4年生だった長女巴那(はな)さん=当時(9)=は今も行方が分からない。6年生だった長男堅登君=同(12)=は亡くなった。
 鈴木さんが言う。「判決の結果についてはほっとしている。だが、学校や市教委の事後対応については判断されず、残念です」
 2011年3月11日。震災発生後、鈴木さんは幼いきょうだいの安否確認を急いだ。その夜、石巻市の河北総合センターで、発生当時大川小にはいなかった柏葉照幸校長と会って告げられた。
 「大丈夫です。津波が来たら(校舎の)2階か山に逃げるよう言ってあります」
 息子は8日後、川岸で遺体で見つかった。「何で助けてやれなかったんだ」。悔しさと無念さで涙が止まらず、ひざまずいた。
 火葬された際、堅登君には真新しい学生服が掛けられた。診療放射線技師を志し、仙台市の私立中学へ進む予定だった。
 実穂さんは長年勤めた職場を辞めた。「巴那を早く見つけてお化粧をしてあげたい。ドレスを着させてあげたい」。足の裏が焼けるような夏の砂浜、荒れる冬の海の周辺などを捜し歩いた。
 ピアノと英語を習っていた巴那さん。「中学生になったら外国でホームステイをして、『エリーゼのために』を弾いて聴かせてあげたい」と夢見ていた。
 大川小では巴那さんを含む児童4人の行方が不明のまま。大川小遺族会は各地から届く支援金などを捜索に役立てている。
 多くの支援への感謝を伝えたいと、鈴木さんは26日、初めて訴訟の記者会見に臨んだ。ネクタイは娘が好きだった青色を選んだ。
 「骨一本でも見つけたい。今も一生懸命、わが子を捜している親がいる。支えてくれた皆さん、ありがとうございます」。マイクを手に声を詰まらせ、同席した実穂さんの頬を涙が伝った。


<大川小訴訟>津波予見できた 学校側に責任
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は26日、「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と学校の責任を認め、計約14億2660万円の支払いを命じた。学校の管理下で震災の津波の犠牲になった児童生徒を巡る司法判断は初めて。大災害時でも臨機応変な対応を学校に求める内容で、全国の教育現場に大きな影響を与える可能性がある。
 高宮健二裁判長は「教員は、自らの判断で避難できない児童の安全を確保すべき義務を負う」と指摘。海から約4キロ離れた大川小は、市の津波浸水予想区域からも外れていたが、「津波が来る7分前の午後3時30分ごろ、市広報車が高台への避難を呼び掛けており、教員らはこの段階で大津波の襲来を予見し、認識した」と認定した。
 津波の襲来直前に校庭近くの北上川堤防付近(三角地帯、標高約7メートル)に避難を始めた点については「小走りで1分程度で行ける裏山は学習で児童も登っており、避難場所として何ら支障がない。堤防付近への避難は不適当だった」と結論付けた。
 遺族側代理人の吉岡和弘弁護士は「子どもたちの声が届いた。原告らが望んでいた結論、判決を頂いた」と評価した。
 亀山紘石巻市長は「結果を重く受け止めている。判決内容を精査し、対応を決めたい」と説明。村井嘉浩知事は「家族の心痛は大きく、思いを受け止めなければならない。市と協議し、対応を判断したい」と述べた。
 判決によると、2011年3月11日午後2時46分に地震が発生し、大川小教職員は約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。市広報車が高台への避難を呼び掛けた約7分後の午後3時37分ごろ、北上川堤防付近へ向かう途中で高さ8メートルを超す津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。
 遺族は14年3月に提訴し、今年6月に結審した。同地裁で言い渡された津波訴訟判決は6件目。行政の賠償責任が認められたのは、東松島市野蒜小を巡る訴訟(仙台高裁で審理中)に続き2件目となる。


<大川小訴訟>「想定外」免罪符にならず
 【解説】石巻市大川小津波訴訟の仙台地裁判決は学校教員に対し、震災発生から刻々と変化する事態に的確に対処する判断力と行動力を求めた。「想定外」は免罪符にはならないと、教育界に警鐘を鳴らした意義は大きい。子どもの命を預かり、守る覚悟が改めて教育現場に問われている。
 津波を予見できたタイミングについて、地裁は市広報車が高台への避難を呼び掛けた3月11日午後3時30分と認定。「津波の襲来まで7分間の余裕があり、教員は可能な限り被災を回避できる場所に児童を移動させる義務を負っていた」と指摘した。
 避難先を巡っては、土砂災害の恐れがあったとされる裏山と、避難先に選んだ標高約7メートルの北上川堤防付近(三角地帯)の安全性を比較。「大津波が迫る中、児童の生命を最優先すべきだった」と緊急時の判断ミスを過失と認定した。学校が住民と協議して避難先を決めたとされる点は「児童の安全を優先し、学校自ら決断すべきだ」と自主性を求めた。
 一方、大川小の危機管理マニュアルは、津波に対する検討の不備が遺族側から指摘されていたが、判決は詳しい言及を避けた。
 津波が襲来するまでの51分間を知る、唯一の生存教諭(男性教務主任)への尋問は見送られ、「避難が遅れた理由」は十分解明されなかった。病気休職中とはいえ、教諭は第三者事故検証委員会の聞き取りに複数回、最長3時間応じており、地裁の判断は極めて残念だった。
 岩手県の洪水被害や熊本地震など全国各地で災害が頻発する中、「想定外」という言葉が今も繰り返されている。大川小の児童・教職員84人の犠牲を無にしない、との誓いは教育界にとどまらないはずだ。(報道部・斉藤隼人)


<大川小訴訟>予見性 分かれる判断
 東日本大震災の津波の犠牲を巡り、仙台地裁が判決を言い渡した訴訟は石巻市大川小訴訟で6件目になる。いずれも遺族が自治体や民間事業者に損害賠償を求め、施設管理者らが津波の襲来を予測できたかという「予見可能性」が主な争点となった。「1000年に1度」「未曽有」と形容される巨大津波に対し、地裁の判断は当時の状況や立地条件などによって分かれた。
 仙台地裁が判決を言い渡した津波訴訟は表の通り。大川小訴訟以前の5件は、行政の事前想定を重視する傾向が顕著にみられた。
 特に、市町村が県の想定を基に作成するハザードマップで、津波浸水が予想されていたかどうかは大きなポイントになった。東松島市野蒜小訴訟では、浸水区域外の体育館にいた女性2人と、浸水区域を通らなければ帰宅できなかった女児の犠牲を巡り、法的責任の有無が線引きされた。こうした傾向を「ハザードマップ至上主義」と批判する識者も少なくない。
 常磐山元自動車学校(宮城県山元町)を巡る訴訟では、地裁は教習所が浸水予想区域外にあることなどから地震直後の津波予見可能性を否定。しかし、「教官らは消防車による避難の呼び掛けを聞いたと推認できる」として、地震発生後の周辺状況の変化を踏まえ、予見可能性を認めた。
 大川小訴訟は同じ高宮健二裁判長が担当し、予見可能性についてこの判断基準を踏襲した。「学校前の県道を通った市広報車が高台への避難を呼び掛けていることを聞き、教員らは大津波の襲来を予見し、認識した」と認定した。
 学校は海から約4キロ離れ、津波浸水予想区域外にあった。このため、震災前や地震発生直後の予見可能性は否定されたが、津波襲来ぎりぎりになって教職員が得られた一つの重要な情報を重視した判断と言える。
 さらに、大川小は約140メートル裏手に傾斜が緩やかな裏山があり、小走りで1分、徒歩でも2分程度で避難できた。地裁判決は児童の犠牲を防げた可能性を指摘し、大津波襲来の危険性を認識していた教職員に対し、安全な避難先を適切に選択できなかった点を過失とした。


<大川小訴訟>学校 教訓生かせるか
 仙台地裁で26日にあった石巻市大川小の津波災害を巡る訴訟の判決は、教員の避難判断の過ちが児童の犠牲を招いたと指摘した。大川小の悲劇に何を学び、学校の管理下で子どもの安全をどう守るか。行方不明を含め、失われた児童74人の命は教育現場の一人一人に未来永劫(えいごう)、問い続ける。
 「あまりにも犠牲が大きく、遺族側に寄り添った判決になると思っていた。短時間での判断を教員に求めた点は、子どもの命を預かる現場にとって非常に厳しい」。宮城県沿岸部の小学校の男性校長は複雑な胸の内を明かす。
 震災時は仙台市の小学校に勤務していた。避難者が体育館や校舎にあふれ、対応に追われた。訓練もマニュアルも機能しなかった。
 「裁判の勝ち負けではなく、学校防災の教訓として、亡くなった子どもたちと教員仲間のような思いを二度とさせてはならない」
 自分なら冷静な判断を下せたのか。折に触れて大川小を訪ねて冥福を祈り、自問自答を重ねる。
 学校防災に詳しい数見隆生東北福祉大教授は「子どもにとって学校は一番安全な場所でなければならない。全国全ての教員が判決をかみしめ、子どもの命と向き合う仕事の重さを考えてほしい」と語る。
 数見教授は大川小事故検証委員会の委員を務めた。判決が、地震発生前の注意義務や児童を約45分間、校庭に待機させた判断について、教員の責任に踏み込まなかった点には「教訓という意味では足りない」と指摘する。
 「『自然災害だから仕方なかった』で済ませてはならない。誰か一人でも、避難を主導する強い動きが、あの場所にいた大人にあれば児童は助かった。教育行政の在り方、教員の資質を問い直す必要がある」と数見教授は訴える。
 岩手県教委の小野寺哲男学力・復興教育課長は「判決にはコメントできない」とした上で「緊急時、災害時は校長の判断を待てない場合もある。教員が短時間で適切に判断できる力を養うことが重要だ」と述べた。大船渡市教委の千田晃一学校教育課長は「震災を経験した教員の大半は内陸部に転勤した。教訓を伝えなければ」と気を引き締める。
 福島県教委健康教育課の担当者は「大川小の事例は人ごとではない。震災以降一貫して積み重ねた教訓を生かし、学校の防災体制を強化する」と話した。火山や活断層にも触れ「想定外の事態に直面した時、教職員が臨機応変に対応できる体制を整えたい」と語った。


<大川小訴訟>石巻市長「重く受け止める」
 「市の主張が認められなかった結果について大変重く受け止めている」。大川小津波訴訟判決で、主張が退けられた石巻市の亀山紘市長は26日、市役所で記者会見し、苦渋の表情を浮かべた。
 亀山市長は午後4時に始めた会見の冒頭で、用意した資料を見ながら「ご遺族の皆さまに心からお悔やみ申し上げる。今後の対応は判決の内容を十分精査し、代理人弁護士と協議して決定したい」と読み上げた。
 判決は「津波の予見可能性はなかった」とする市側の主張を認めず、教員らに注意義務違反があったと指摘した。こうした具体的な争点について、亀山市長は「判決の内容を把握していない」と繰り返し、踏み込んだ言明を避けた。
 東日本大震災以降、市側と遺族の溝は話し合いを重ねても埋まらず、訴訟にまで発展した。2011年6月の保護者説明会で亀山市長が「自然災害の宿命」と発言し、遺族感情を逆なでしたこともあった。
 亀山市長はこうした遺族対応を巡る経過について、「当時の混乱した状況の中でご遺族に不信感を抱かせた」と説明。多くの児童が犠牲になったことに「道義的責任を感じ、おわび申し上げてきた。改めて謝罪するかどうかは判決を精査して検討したい」と語った。
 今後の市の防災対策、防災教育に判決が与える影響については「この悲劇をしっかりと伝承していくことが大きな課題。安心安全なまちづくりに生かすことが私の役割と認識している」と強調した。


<大川小訴訟>跡地に献花絶えず
 石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の仙台地裁判決があった26日、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった学校跡地には、絶えることなく慰めの花を手向ける人々が訪れた。学校の責任を認め、遺族への賠償を命じた判決を犠牲者に報告し、改めて教訓を胸に刻んだ。
 判決が出た午後3時すぎ、旧大川小を訪れるのは、あの日から数えて三十数度目という仙台市青葉区の学校ボランティア崎山芳男さん(81)が、静かに手を合わせていた。
 「ここに来るたび、なぜ裏山に逃げなかったのかと悔やむ。子どもは大人が守らなければならない。遺族に寄り添う判決が出てほっとしている」。目に涙が浮かんでいた。
 石巻市渡波の無職阿部栄さん(69)は旧大川小で判決を聞き、「人災という側面もあった。行政は控訴せず、判決を受け入れてほしい」と話した。
 語り部タクシー運転手藤畑一彦さん(58)=石巻市蛇田=はこの日、弔問客2人を旧校舎に案内した。
 「計り知れない悲しみがあったと思う」と遺族をおもんぱかる藤畑さん。校舎は震災遺構として市が保存する方針を示しており、「今後もここであったことをできるだけ詳しく伝えたい」と誓った。


<大川小訴訟>傍聴券求め長蛇の列
 石巻市大川小津波訴訟の判決公判で、仙台地裁には26日午後1時半ごろ、傍聴券を求める長い列ができた。48席に対して希望者は271人に上り、中には遺族の姿もあった。
 大川小6年だった孫の雄樹君=当時(12)=を亡くした農業佐藤達雄さん(80)=石巻市針岡=は「孫に会えるかもしれない」と裁判所に足を運んだ。5倍超の倍率をくぐり抜けて傍聴券を獲得すると、「後世に残る判決が出ることを期待している」と述べ、法廷に向かった。
 午後3時すぎ、原告勝訴の判決が出ると、佐藤さんは「安心した。大川小の出来事はあってはならないことだと、世界中の人たちに知ってもらいたい」と語った。
 今でも孫が帰ってくる気がして時折、学校を訪れるという佐藤さんは「傍聴券は雄樹が取らせてくれた」と振り返り、目を潤ませた。


<大川小訴訟>他の津波訴訟の元原告の声
 石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟で、学校の責任を認めた26日の仙台地裁判決を受け、同じ悲しみを抱える他の津波訴訟の元原告からは、学校の防災体制強化を求める声が相次いだ。
 園児5人が亡くなった石巻市の私立日和幼稚園訴訟(仙台高裁で和解)の原告だった佐藤美香さん(41)は「被告の市と県は判決を真摯(しんし)に受け止めてほしい」と行政側に求めた。
 東日本大震災発生後、長女愛梨ちゃん=当時(6)=らを乗せたバスは、高台にある園から沿岸部へ向かった。佐藤さんは「子どもは先生の言うことを聞くしかない。大人の判断で、助かる命と助からない命とに二分されてしまうようなことがあってはならない」と訴える。
 行員ら12人が犠牲となった女川町の七十七銀行女川支店を巡る訴訟(最高裁で敗訴確定)の原告だった田村孝行さん(56)は、元行員の長男健太さん=当時(25)=が犠牲になった。
 日和幼稚園や大川小の遺族と「3.11ネットワーク」を結成し、来年2月11日にフォーラムを開く。「失われた命は二度と戻らない。悲劇を繰り返さないために負の財産を教訓とし、安全な社会にしたい」と遺族同士の結束を強めていく覚悟だ。
 園児3人が亡くなった山元町東保育所を巡る訴訟(最高裁で敗訴確定)の原告で、一人息子の鈴木将宏ちゃん=当時(6)=を亡くしたあけみさん(51)は「市の主張が認められると、行政が反省する機会が永遠に失われてしまうと思っていた」と話す。
 大川小訴訟の遺族と交流を続ける鈴木さんは「自分の息子も、大川小の子も、最後まで先生を信頼していたはず。命が戻ってくるわけではないが、公正な判断だと感じる」と語った。


<大川小訴訟>裁判長 山元自動車学校訴訟も担当
 石巻市大川小津波訴訟で、児童遺族への賠償を市などに命じる判決を言い渡した高宮健二裁判長(53)は1994年に判事補に任官。東京地裁などを経て2014年4月、仙台地裁に着任した。
 宮城県山元町の常磐山元自動車学校を巡る訴訟も担当。昨年1月の判決で、教習生とアルバイト女性計26人の遺族の請求を認め、学校に約19億円の賠償を命じた。学校の前を通過した消防車が避難を呼び掛けた事実を重視し、「津波を予見できた」と判断した。
 このほか、東日本大震災に関連した訴訟を複数手掛ける。東京都出身。


大川小訴訟で賠償命令/災害弱者守る責任は重い
 言葉の本当の意味で未曽有の犠牲者を出した東日本大震災。被災地は数え切れない悲しみに見舞われたが、中でも84人が死亡・行方不明になった石巻市大川小のケースは深く記憶に刻まれている。
 そのうちの74人は児童だった。救うことはできなかったのかと、遺族が痛切に思うのはごく自然なことだ。
 石巻市と宮城県を相手に遺族が23億円の損害賠償を求めた裁判の判決で、仙台地裁は26日、約14億3千万円の支払いを命じた。
 判決はまず、津波が学校に襲来するかもしれないという「予見可能性」を認めた。さらに避難先として選んだ場所は不適当であり、「結果回避義務違反の過失がある」と判断した。ほぼ遺族側の主張を採り入れた内容になった。
 裁判で争われたいくつかのポイントについての地裁の判断にはうなずける点が多い。内容を詳しく調べた上でのことになるだろうが、石巻市などは控訴せず、判決を受け入れる方向で検討を進めるべきだ。これ以上、遺族に負担を強いるべきではない。
 損害賠償責任の追及には、一般的に「過失」が必要になる。具体的には「事故などの結果を予見できたのに、それを避けるための行動を取らなかった」ことを指す。
 裁判では津波襲来の予見可能性は「あった」とする原告側と、「なかった」という被告側の主張が対立した。地裁は「石巻市の広報車が『津波が長面地区沿岸の松林を越えてきた』ことを告げて、高台避難を呼び掛けていることを聞いた段階」で予見できたはずと認定した。
 長面は大川小から東へ最短距離で2〜3キロの地区であり、間に津波を妨げる高台などはないという。校庭に待機したままでは、子供たちに重大な危険が生じることは予期できたと指摘した。
 予見可能性は司法の場でも判断が分かれやすい。過去に津波が襲来したか、ハザードマップで浸水区域に入っているかどうかでも判断は可能だろうが、今回の判決の方がより実質的で理解しやすい。
 広報車が来た時点で既に危険は差し迫り、津波の襲来まで10分もなかった。裏山に登るのが最善だったにもかかわらず、北上川沿いの場所を目指したのは「結果回避義務違反」とみなされた。
 単なる仮定でなく、実際に裏山に避難して助かった人がいたことは、判決の内容を後押ししただろう。
 学校側に厳しいようにも映るが、守るべきは子供たちだった。自分の判断で避難するのは困難だし、それは許されなかったわけだから、学校側の責任は格段に重くなる。
 判決が判断の基礎に据えたのは、子供たちには何の責任も負わせられず、周囲の果たす役割が厳しく問われるということ。子供たちのような災害弱者を守るためには、決して忘れてはならない。


河北春秋
 10年前の秋、気仙沼市のリアス・アーク美術館が、津波災害への備えを訴える企画展を開いた。学芸員がとりわけ熱を込めた展示があった。明治三陸大津波(1896年)の犠牲者と同じ数の紙人形2万7122体を手作りし並べたのだ▼数字では現実感が薄れてしまう大惨事を、林立した人形の固まりを見せることで実感してもらう狙いだった。警鐘は鳴らされた。なのに東日本大震災は、1万8451人の死者・不明者を出した▼なぜこれほどの命が? 多くの人が同じ問いを発したと思う。児童と教職員84人が死亡・行方不明になった石巻市大川小のケースは、その象徴だ。「なぜ命を守れなかったのか」。遺族が学校の安全管理を問うた損害賠償訴訟の判決が、きのう言い渡された。仙台地裁の出した解答は、学校側の避難判断の誤りだった▼大川小に教訓を得ようと、現地を訪ねる人は多い。北上川からの風が吹き抜ける被災校舎で、遺族が語る「あの時」に、耳を傾けている。数字になど置き換えられない子どもたち一人一人の生と死に、触れている▼人は、悲しみを乗り越えることなどできない。胸がつぶれるほど苦しいから、未来の子や孫を守るために語り続ける。被災地から投げ掛けられる「なぜ」を、私たちは手放してはならない。

宮城・大川小判決 命を預かることの重さ
 教員は、子どもを守るために、事前の想定にとらわれず臨機応変に対応する責任がある。そう判決は指摘した。
 東日本大震災の津波で74人の児童と10人の教職員が死亡・行方不明になった宮城県の石巻市立大川小学校を巡る裁判だ。うち児童23人の遺族が市と県に23億円の損害賠償を求めたのに対し、仙台地裁は遺族全員に約14億円を支払うよう命じた。
 東日本大震災で、学校にいた児童がこれだけ多数犠牲になった例はほかにない。災害大国である我が国で、自然災害の発生は今後も避けて通ることはできない。
不適当だった避難場所
 災害が起きた時、どう子どもの命を守るのか。全国どこの学校でも共通する課題だ。学校が子どもの命を預かることの重みを示した判決だと受け止めたい。
 2011年3月11日の地震発生後、同小は児童を校庭に待機させた。約50分後の午後3時33分ごろ、校庭より約6メートル高い近くの北上川の橋のたもとへ避難を開始したが、児童らはその直後に津波に襲われた。
 同小は海岸から4キロ離れている。「津波が大川小まで到達することを予測できたのか」「津波から避難することは可能だったのか」が、主な争点だった。
 裁判所の判断はこうだ。
 市のハザードマップでは、同小は津波の浸水予測区域に含まれておらず、過去に津波が同小まで来たこともなかった。このため事前に津波の襲来は予見できなかった。
 ただし当日午後3時30分ごろまでに、市の広報車が津波の襲来と高台避難を呼びかける放送をし、教員が聞いていた。
 その時点で津波の危険は予見でき、津波を回避し得る場所に児童を避難させる注意義務を負った。教員が川沿いの場所を避難場所に選んだのは不適当で、過去に児童が授業で登ったことがある裏山に避難すべきだった、というものだ。
 「子どもたちはなぜ、安全な場所に迅速に避難することなく、津波にのみ込まれてしまったのか」
 そこが遺族が最も知りたかったことだ。石巻市教委は震災後に児童から聞き取りをしたが、その手書きのメモは廃棄してしまった。
 遺族が提訴に踏み切ったのは、裁判を通じ真相を明らかにしたかったからだという。裏山に逃げるべきだったという遺族の主張をくんだ判決は、遺族の思いに応えたものだろう。遺族の一人は判決後の記者会見で「この青空の下、子どもたちが聞いていると思う」と述べた。
 東日本大震災では、学校や職場などさまざまな場所で津波による犠牲者を生み、管理者の責任を問う訴訟も多く提起された。
 これまでの判決で法的責任の有無を分けたのは、地震の発生から津波が襲ってくるまでの間に、関係者が広く情報を収集し、合理的な判断をしたか否かだ。
 石巻市の私立日和幼稚園の園児5人が津波で死亡したケースでは、高台にあった幼稚園が被害を免れたにもかかわらず、園が地震直後に園児を送迎バスに乗せて低地の沿岸部へと向かわせた責任を地裁は認定した。訴訟はその後、高裁で和解した。
事前の備えに万全期せ
 預かっているのが、自ら避難行動を選択できない子どもである以上、施設側の責任はとりわけ重いということだ。高齢者や障害のある人のための施設、病院なども同じだろう。
 今回の判決は、こうした災害弱者のいる施設全体に対して、警鐘を鳴らしたものといえる。
 東日本大震災では、大川小の犠牲者を含め児童や生徒、教職員らの死者が600人を超えた。
 学校保健安全法は、学校防災マニュアルの作成を各学校に義務付け、校長にはマニュアルの周知や訓練の実施など必要な措置を講じるよう定める。だが、防災への力の入れ方は自治体や学校によってばらつきがあることが東日本大震災で浮き彫りになった。
 大川小でも防災対策を10年度に見直し、津波対応を追加したが、津波を想定した避難訓練や引き渡し訓練は一度も行われていなかった。
 今回の訴訟で、原告側は、学校側の事前の備えの不十分さも主張したが、判決はそこまで踏み込まず、原告側には不満も残る。
 もちろんマニュアルが全てではないが、学校全体で事前に備えてこそ、いざという時に個々の教員が臨機応変に対応できるのではないか。
 文部科学省は震災後、防災対策や防災教育の見直しを進め、「学校防災マニュアル作成の手引き」を作り、全国の学校に配った。
 そこでは、やはり事前の備えが全ての対応の基本となると強調している。その上で、立地する場所や環境に即した学校独自のマニュアル作りが大切だと説いている。
 沿岸部の学校が津波の想定を新たにマニュアルに加えたり、防災教育を授業に取り入れたりする取り組みが今、全国各地の学校で進められている。
 学校で子どもの命を守るために何をすべきか。今回の判決はそれを問い直す第一歩だ。


大川小判決 悲劇を繰り返さぬよう
 七十四人の児童が東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校。避難指示の過失を仙台地裁は認め、遺族らに約十四億円の賠償を命じた。悲劇を繰り返さぬ徹底した対策がいる。
 大川小は海岸から約四キロ離れている。大地震が発生して、津波が押し寄せてくるまで、学校側の判断で児童は校庭で待機していた。五十分間ほどだった。避難を始めたのは、津波が来るわずか一分ぐらい前で、大勢の児童が犠牲になってしまった。
 五十分という時間を考えると、もし適切な避難指示があれば救われた命だっただろう。避難も津波が来る川の方向だった。校舎のすぐ裏には山があり、一、二分でたどり着ける。「山に逃げましょう」と児童が先生に訴えた証言もあったという。
 教職員は防災無線やラジオなどで、大津波警報や避難指示が出ていることも知っていた。サイレンが鳴り、市の広報車が高台への避難を呼びかけてもいた。それでも学校側は「待機」の指示…。児童は自らの判断で避難することもできなかったのだ。
 川の堤防の高さは海抜六メートルから七メートル。大川小に来た津波の高さは八・七メートルだったと推定されている。川に向かって避難したのは、結果論としては誤りだった。
 仙台地裁が「津波は予測できた」「避難指示に過失があった」とし、二十三人の原告遺族らの言い分を認めたのは当然である。市と県は大川小は浸水予想区域外で津波は予測できず、裏山は崩壊や倒木の恐れがあったなどと反論していたが、それは退けられた。
 何よりも遺族側の不信が募ったのは悲劇後の市側の対応にも問題があったからだ。不在だった校長が現場に来たのは六日後だし、生き残った教諭らの聞き取りメモも市教委が廃棄していた。児童の証言も「確認できない」という態度だった。不誠実で責任逃れの姿勢だったのではないか。第三者委員会も設けられたが、結局は真相までたどり着けなかった。
 地震はまた来る。その時に備えた十分なマニュアルは不可欠であるし、常に見直しもいる。日ごろの避難訓練も必要だ。大川小の場合は、津波が来た時の避難場所は「高台」となっていたが、高台とはどこかが決めていなかったという。事実なら論外である。
 今回の判決は、全国の学校防災のあり方につながる。子どもは学校の管理下にある重みをかみしめてほしい。


大川小津波訴訟/遺族の思いは届いたのか
 東日本大震災の津波で亡くなった宮城県石巻市立大川小学校の児童74人のうち、23人の遺族が宮城県と石巻市を訴えた訴訟で、仙台地裁は県と市に約14億円の支払いを命じた。
 大川小では地震発生後、教員らの指示で児童の多くが学校内に待機し、その後、近くの堤防道路へと避難する途中で津波に襲われた。判決は、待機中に市の広報車が高台避難を呼び掛けた段階で、津波の襲来が予見できたと指摘。児童が学校行事で登っていた裏山に避難すれば、逃れることが可能だったと断じた。
 遺族の主張をほぼ全面的に認めた内容である。避難場所に指定されている学校に危険が迫った場合、より安全な場所へと児童を避難させる義務が学校側にあることを示したともいえる。
 遺族は法廷で、校内に待機した時間を「空白の51分」として、学校側が防災無線や広報車の情報を積極的に収集すれば、津波襲来を予測できたと主張。裏山に避難すれば命を救えたはずで、学校側は安全配慮義務を怠ったと訴えた。
 県と市は学校が海岸から約4キロ離れており、過去に津波到達の記録はなく市の浸水想定区域からも外れていたことから、津波の危険性を予測するのは不可能と主張した。
 裁判では裁判官が現場を視察、裏山の避難ルートを確認した。その上で示された司法判断を重く受け止めなければならない。
 勝訴判決にも遺族らの表情は硬かった。なぜ子どもたちの命は奪われたのか。真実を知りたいと、やむなく踏み切った裁判だった。
 学校や市教委は責任逃れと映る姿勢が目立った。難を逃れた教諭らの聞き取りメモを廃棄し、児童が裏山へ逃げるよう訴えた事実を認めようとしない。「(大川小の悲劇は)自然災害の宿命」との発言もあり、遺族は不信感を募らせた。
 何があったのかをつまびらかにする姿勢が学校側に乏しかったことが遺族を苦しめてきたといえる。
 現場にいた教職員で唯一生き残った教諭の証言は却下され、法廷で遺族の望む事実が十分に明らかになることはなかった。
 災害時は思い込みにとらわれず情報収集を怠らない。学校が危険になったときにはどこへ避難するのかを、あらかじめ決めておく。浮かび上がった課題を今後に生かしたい。


大川小津波訴訟 専門家が裁判の限界指摘
 未明の激震が引き起こした阪神・淡路大震災と比べ、昼間の大津波で被害が拡大した東日本大震災では避難誘導などを巡り、数多くの訴訟が起こされている。宮城県石巻市立大川小の訴訟は遺族側が勝訴したが、父親の一人は「なぜ息子たちは死ななければならなかったのか。裁判ではその部分が明らかになっていない」と声を詰まらせた。繰り返される遺族の「なぜ」。その答えを出す仕組みの必要性を、兵庫県内の専門家らは訴える。
 「学校や地域をより安全にするための警鐘として意義がある」。兵庫県立大防災教育研究センターの室崎益輝センター長は、行政の責任を認めた判決を評価した一方、こう指摘した。「先生たちはなぜ逃げようとしなかったのか。判断力が持てなかったのか。それを考えることが、次の防災につながる」
 大川小の津波被害では、室崎センター長が委員長を務めた第三者検証委員会が、遺族の問いに答えようとした。だが、震災後2年近く経てからの発足で、既に資料は散逸。室崎センター長は「証言を求める強制力もなく、核心に踏み込めない点が残った」と限界を認め、「鉄道や航空機事故のように検証委を設置するルールを決めておくべきだ。震災後速やかに発足させ、当事者に証言を求める権限も付与することが必要だ」と話す。
 遺族が真相究明を求めた今回の訴訟でも、現場にいて唯一助かった男性教諭の証人申請は却下された。日弁連災害復興支援委員会の津久井進委員長(兵庫県弁護士会)は「今の裁判制度では、学校側の予見可能性を追及するだけで、真相究明にはつながりにくい」と指摘。検証の仕組みとともに、訴訟以外で遺族が救われる支援の大切さを訴える。「この二つが充実すれば、裁判の役目は責任追及一本に絞られる」
 阪神・淡路大震災の発生以降、防災や減災の重要性は社会に広まった。津久井委員長は「これからの災害では、常識的な防災に取り組んでいなければ、訴訟で問われるだろう。他者の命を預かる人は、責任を持たなければならない」と強調する。(高田康夫、阿部江利)


児童74人犠牲の大川小 「真実を知りたい」遺族の訴え
 東日本大震災の津波で児童74人が犠牲になった宮城県石巻市の小学校をめぐる裁判です。遺族はなぜ、裁判で学校側を訴えることになったのか? その背景には「真実を知りたい」という強い願いがありました。
 先週、大川小学校で亡くなった児童の遺族が学校を訪れました。今野浩行さん(54)とひとみさん(46)夫婦です。3人の子どもを津波で亡くしました。
 「大輔(長男)がここにいるような気がする。魂があるなら、おそらくここで遊んでいる」(子ども3人を亡くした 今野浩行さん)
 当時6年生だった大輔君。活発な男の子でした。今野さん夫婦は震災の翌年、中学校の制服を合成した大輔君の写真をつくりました。
 「中学生にはなれなかったけど、亡くなった子どもにできることというか」(ひとみさん)
 児童74人、教職員10人が犠牲になった大川小学校。あの日、児童は教諭の指示で50分近く校庭で待機した後、川の堤防へと避難し始めて間もなく津波に遭いました。今野さん夫婦は、助かった児童らの証言から、息子が「学校前の山に逃げよう」と教諭に訴えていたことを知りました。
 「息子が先生に、山に逃げよう、ここにいたら全員死ぬと進言していた」(今野浩行さん)
 しかし、大輔君の訴えは聞き入れられることはありませんでした。なぜ悲劇を防げなかったのか。真実を知りたいと、今野さん夫婦は、ほかの遺族とともに訴えを起こしました。
 「遺族が今までぶつけていた疑問に、全て納得いくように説明してもらう必要」(今野浩行さん おととし)
 去年の大みそかの夜。浩行さんは祭壇の鐘を何度も鳴らしました。
 「年越しを子どもと一緒に過ごしたい。子どもたちも、何で私たちが死んでしまったのと全員そう思っている。それに答えを出してあげたい」(今野浩行さん)
 そして、判決の日の朝。
 「生き返ることはできないのですけど、(判決が)教訓となって生かされてくれればという思いで、今日は頑張ってくるからねと」(ひとみさん)
 「学校で子どもの命を失うなんて考えて通わせている親はいないはず。そういう常識的なところを確認するのに5年7か月もかかっている」(今野浩行さん)
 我が子の犠牲をせめて未来に生かしたい。今野さん夫婦は法廷に向かいました。そして、判決は遺族側の訴えを認めるものでした。
 「大川小学校の真実を明らかにすることによって、きちんとした教訓が生まれ、次の事故を未然に防ぐことができる。次の命を守ることができる。亡くなった子どもが生きた証になるのではないかと思って」(今野浩行さん)


大川小津波訴訟 石巻市や県の対応に注目
東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判で、仙台地方裁判所は、26日、避難についての学校側の過失を認め、石巻市などに対し14億円余りの賠償を支払うよう命じました。石巻市などが判決を不服として控訴するかどうか今後の対応が注目されます。
震災の津波で犠牲になった石巻市の大川小学校の74人の児童のうち、23人の児童の遺族が賠償を求めた裁判で仙台地方裁判所は、26日、石巻市と宮城県に対し原告全員にあわせて14億2600万円余りの賠償を支払うよう命じました。
判決の中で高宮健二裁判長は「市の広報車が避難を呼びかけたのを教員らが聞いた時点で津波が到達する危険を予測できた」とした上で、「近くの裏山には小走りで1分程度で移動できた上、過去に児童も登っていた場所で避難するのに支障はなく避難についての過失があった」と指摘しました。
判決を受けて石巻市の亀山市長は記者会見し、控訴するかどうかについて、「判決の内容を精査したうえで、宮城県とも話し合いを進め、できるだけ早く判断したい」と述べました。一方、原告の弁護士は会見で、「宮城県知事や石巻市長は速やかに判決に従うべきだ。被告側が控訴するのであれば、原告側としても対応を検討していきたい」と述べました。今後の石巻市などの対応が注目されます。


大川小津波訴訟 子供の命を守る教訓に
 子供の命を預かる教育現場や行政への大きな警鐘と言えよう。
 東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族が、学校側の避難誘導に過失があったと訴えた損害賠償請求訴訟で、仙台地裁がきのう、遺族側勝訴の判決を言い渡した。
 「学校側は津波の到来を予測できたのに、子供たちを即座に安全な場所へ避難させなかった」などとして、市と県の責任を認めた。
 津波に限らず、自然災害はいつ襲ってくるか分からない。想定を上回る規模になる恐れもある。
 判決を教訓にしなければならない。学校や行政はハザードマップや避難計画の点検を急ぐ必要がある。教職員への防災教育・研修にも力を入れるべきだ。
 子供たちは地震発生後、教職員の指示で約50分間も校庭にとどまっていた。やや高い場所にある川の堤防付近を目指して移動し始めた直後、津波に襲われた。
 児童74人が死亡、行方不明となり、教職員10人も犠牲になった。
 遺族側の主張を認めた判決から読み取れるのは、予想される津波の高さが刻々と高くなっているのに、即座の避難を意思決定できなかった危機管理能力の弱さだ。
 教職員らは無論、子供たちを守るために一生懸命だったろう。
 だが判決は、一部の教職員が早い段階で校庭からの移動を協議、検討していたにもかかわらず実行されなかったと認定した。
 学校の近くにあった裏山へ避難することもなかった。
 一方、なぜそうなったのかについては明確にならなかった。
 訴訟では、教職員のうち唯一生き残った男性の証人尋問が行われていない。心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されていたことなどを考慮したとみられる。
 遺族が求めていたのは、真相の究明だ。その意味では、訴訟によらずとも、関係者は可能な方法で、この男性から話を聞く努力を続けるべきではないか。再発防止の手がかりになるかもしれない。
 大川小の被害を受け、各地で校舎を高くしたり、高台に移転する対策が講じられている。
 気になるのは、それが大きな動きになっていないことだ。文部科学省が2年前にまとめた調査によると、道内でも津波浸水が想定される205校のうち、施設整備の予定がない学校が半数を超えた。
 財政事情もあろうが、学校の安全対策は優先度が高いはずだ。各自治体が知恵を絞るとともに、国も手厚く支援してほしい。


大川小訴訟判決  学校の命守る責任重い
 わが子を失った遺族の無念の思いが司法を動かした。
 東日本大震災の大津波で犠牲となった宮城県石巻市・市立大川小の児童のうち、23人の19遺族が損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は学校側の過失を認定し、市と県に約14億円の支払いを命じた。
 裁判で市側は、大川小が浸水が想定された区域の外にあることから津波到達は予見できず、学校に過失はなかったとした。これに対し遺族側は、市広報車の呼び掛けやラジオ情報で大津波の到来を予見できたとし、河川堤防ではなく、より安全な裏山へ迅速に避難させる義務があったと主張した。
 判決は、子どもの命を預かる学校に危険回避義務違反の過失があったとし、遺族側の主張をほぼ認めた。学校現場や自治体にとっては厳しい判決といえるが、教職員に従って行動中の児童が74人も死亡・行方不明となった事実は極めて重く、妥当な判決と言えよう。
 ただ、地震から津波到達までの「51分間」の具体的な行動や責任の所在が裁判で十分明らかにならなかったのは残念だ。生存者が極めて少ないうえ、唯一生き残った教員は病気休職中で、証人尋問が行われなかった。被災直後、市教委はこの教員と児童から状況を聞き取ったが、そのメモを廃棄したことも真相解明を難しくした。
 保護者説明会では、石巻市長が「自然災害の宿命」と発言し、後に謝罪に追い込まれた。こうした責任回避の姿勢が遺族を傷つけ、不信と反発を招いた。市と市教委には改めて猛省を求めたい。
 判決を受け、原告団長は「悲劇を繰り返さないよう、未来の命につながる判決だ」と語った。遺族に共通の思いだろう。
 最近、過去に例を見ない豪雨や洪水などの異常気象のほか、強い地震や火山の噴火が各地で起きている。大津波を伴う南海トラフ巨大地震も予想されている。
 そんなとき、学校にいる子どもたちをどう守るのか。判決は学校の責任を厳しく問うたが、緊急時には教職員だけでなく、自治体や地域住民も一緒に子どもたちを守るために行動せねばならない。
 大川小に押し寄せた津波は事前の想定や危機管理マニュアルを超えていた。「想定外」は起こりうる。まず、その認識を共有することが惨事を回避する一歩になる。
 大津波から5年半。心労で今も体調を崩す遺族が少なくない。深い悲しみを社会全体で受け止め、教訓を生かすことが、ささやかでも癒やしにつながると信じたい。


大川小判決 事実に向き合ってこそ
 津波に襲われるまでに何があったのか。なぜ子どもたちの命を守れなかったのか。事実を明らかにしたい―。原告遺族の訴えに行政・学校は誠実に向き合うべきだ。司法の判断を事実解明と再検証の一歩にしたい。
 東日本大震災の津波で犠牲となった大川小の児童の遺族が石巻市と宮城県に損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁が市と県に賠償を命じる判決を出した。津波は予見できたとする遺族側の主張を認め、学校側の責任を認定した。
 震災時、学校で起きた最大の被害である。地震直後に校庭へ避難した子どもたちは、およそ45分間待機した後、川の堤防付近に移動しようとして津波にのまれた。子ども74人と教職員10人が死亡・行方不明になっている。
 遺族が提訴に踏み切ったのは、震災から丸3年を経た2014年3月だった。そのこと自体、学校や市の姿勢に遺族が不信を募らせたことを示している。
 保護者説明会で市側の説明は二転三転し、市長からは「自然災害における宿命」という発言も出た。学校は子どもの命を預かる場所なのに、災害だから仕方ないでは済まされない―。遺族が怒りをあらわにしたのはもっともだ。
 助かった子や教員に聞き取り調査をした市教育委員会が、そのメモを廃棄していたことも明らかになっている。第三者委員会による検証も、避難の遅れや避難先の判断が直接の要因と指摘しつつ、それ以上は踏み込まなかった。
 裁判も、遺族側が勝訴したとはいえ、詳しい事実の解明につながったとは言いがたい。現場にいた教職員で唯一助かった教諭の証人尋問は、病気療養を理由に実現しなかった。
 提訴に際しては、責任を問われる側も被災者だとして、反発もあったという。けれども、失われた多くの命のためにも、再び悲劇を繰り返さないためにも、事実を直視することは欠かせない。
 批判されるべきは、遺族の声を正面から受けとめてこなかった市や学校側の姿勢である。責任回避にきゅうきゅうとし、事実の解明をおろそかにした。
 根本的に改めない限り、根深い不信は解けないだろう。保護者や住民と力を合わせなければ、子どもの命を守り、安心して通える学校にすることはできない。
 災害はどこでも起こり得る。遺族が「命の裁判」と呼ぶ訴訟が投げかけたものを、震災被災地以外の学校、自治体もわが事として受けとめ、教訓を生かしたい。


<大川小訴訟>仙台地裁 判決要旨
 津波で犠牲になった石巻市大川小の児童の遺族が県と市に賠償を求めた訴訟の26日の仙台地裁判決の要旨は次の通り。
 【事実経過】
 大川小の教員らは地震直後、児童を校庭へ避難誘導し、保護者らが迎えに来た児童以外の下校を見合わせた。学校は海岸から約4キロ離れ、県の浸水予測では津波は及ばないとされていた。集まってきた地域住民の対応をしながら、ラジオ放送で情報を収集。午後3時半ごろまでに、従来と格段に規模の異なる大きな津波が三陸沿岸に到来し、大津波警報の対象範囲が拡大されたことを認識した。
 石巻市の広報車は、遅くとも午後3時半ごろまでに津波が北上川河口付近の松林を越えたことを告げて高台への避難を拡声器で呼び掛け、学校前の県道を通過。教員らはこれを聞いていた。
 教員らはこの直後ごろ、大川小から西に約150メートル離れた河川堤防近くの県道と国道の交差点付近に向け、校庭にいた70人余りの児童とともに移動を決め、同35分ごろまでに出発した。大川小には同37分ごろ津波が到来。教職員と児童は歩いている間に津波にのまれ、裏山に逃れた教員1人と児童4人が生き残った以外、全員が死亡した。
 【注意義務】
 広報車による避難呼び掛けを聞く前は、学校に津波が到来し、児童に具体的な危険が及ぶ事態を教員らが予見可能だったということは困難だ。この段階では県内に津波が襲来するという情報しか得ていない。裏山も土砂災害の危険はあった。
 だが、広報車の呼び掛けを聞いた段階では、程なく津波が襲来すると予見、認識できた。地震は経験したことがない規模で、ラジオで伝えられた予想津波高は6〜10メートル。大川小の標高は1〜1.5メートルしかなく、教員らは遅くともこの時点で、可能な限り津波を回避できる場所に児童を避難させる注意義務を負った。
 【結果回避義務】
 移動先として目指した交差点付近は標高7メートル余りしかなく、津波到達時にさらに避難する場所がない。現実に大津波到来が予期される中、避難場所として不適当だった。
 一方、裏山は津波から逃れる十分な高さの標高10メートル付近に達するまで、校庭から百数十メートル移動する必要があったが、原告らの実験では、移動は徒歩で2分程度、小走りで1分程度だった。斜面の傾斜が20度を上回る場所はあるが、児童はシイタケ栽培の学習などで登っていた。避難場所とする支障は認められない。
 被災が回避できる可能性が高い裏山ではなく、交差点付近に移動しようとした結果、児童らが死亡した。教員らには結果回避義務違反の過失がある。


<大川小訴訟>勝訴にも不満が残る遺族
 司法に託した願いが届いた。宮城県石巻市大川小津波訴訟判決で、仙台地裁は26日、学校の責任を認めた。児童23人の19遺族が市の対応に失望を深め、提訴に踏み切ってから約2年7カ月。「一つの山を越えた」。長い道のりの末、苦闘がようやく実を結んだ。
 「学校は津波を予見し、子どもの命を守らねばならないとの判決は一定の評価をしたい」
 遺族16人が出席した判決後の記者会見。6年生だった長男大輔君=当時(12)=を亡くした原告団長の今野浩行さん(54)は険しい表情を崩さぬまま、こう総括した。
 3年生だった一人息子の健太君=同(9)=が犠牲となった佐藤美広(みつひろ)さん(55)は「学校や、子どもたちの安全とは何か。裁判所が判決でくぎを刺してくれた。健太の眠る墓にやっと入れるとの気持ちだ」。胸のつかえが取れた様子でマイクを握った。
 遺族は東日本大震災後、市への不信感を募らせてきた。関係者の証言メモ廃棄、亀山紘市長の「自然災害の宿命」発言−。判決は、市の事後対応を巡る責任を認めなかった。3年生だった長女未捺(みな)さん=同(9)=を亡くした只野英昭さん(45)は「原告の意見が通らなかった」と、勝訴の判決でも不満が残ると強調した。
 児童たちがあの日、校庭にとどまった約45分間に何が起きたのか。遺族はその真相を求めてきたが、新たに判明した事実はほぼなかった。遺族は「もやもやが残る」とする一方、市などとの協議を視野に「これから本当の検証が始まる」と口をそろえる。
 「裁判でなぜ子どもが死んだのか、原因究明はできていない。自問自答しても、何に勝ったのか答えが出ない。原因を究明しないと、再発防止にならない。判決はスタートだ」
 6年生だった三男雄樹君=同(12)=を亡くした佐藤和隆さん(49)は改めて覚悟をにじませた。


大川小判決 命守る重責を真摯に受け止めよ
 「学校側は、市の広報車による避難の呼び掛けを聞いた段階で、大規模な津波の襲来が予見できた」「裏山に避難させるべきだった」―。義務教育の場で子どもの命を守れなかった責任の重さを厳しく問う、大きな意義のある判決が下された。
 東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童のうち23人の遺族が、市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁が昨日、市と県の過失責任を認めて約14億円の支払いを命じた。
 想像を絶する災害規模ではあったが、結果の重大性と、常に未知の危険に対処せねばならない防災意識の欠如を鑑みれば、学校や市側の責任は免れない。予見可能性や結果回避義務違反を認めた判決は妥当であり、真摯に受け止めるべきだ。二度と悲劇を繰り返さぬよう、すべての学校関係者が安全への取り組みを改めて誓う契機としたい。
 児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となり、被災地の学校では最大の犠牲を出した大惨事から5年半、提訴からでも2年半以上が過ぎた。しかし、いまだに市側からは納得のいく説明はなされていないという。多くの遺族は「あの日から時間が止まったまま」と苦しみ、真相究明と責任の明確化を求めてきた。提訴は市への不信感と、真実を知るすべがない遺族の、やむにやまれぬ思いの表れであることを忘れてはならない。
 判決では遺族側の主張がほぼ認められた形だが、当時の状況や対応が十分に解明されたとは言い難い。現場にいた教職員の中で唯一助かった男性教諭の証人尋問は却下され、元校長らは「学校に津波は来ないと思っていた」「記憶にない」「分からない」と述べるばかり。裁判でも組織防衛や責任回避に傾く学校側の姿勢は、2度遺族を傷つけるもので到底容認できない。
 「山さ逃げよう」。津波に襲われる前、約45分間も校庭にとどめられていた児童の一人が、そう先生に訴えたという。生き残った児童が証言したが、市は一度否定し、後に認めたものの聞き取り記録は残さなかった。その後第三者検証委員会が「意思決定が遅く、避難先を河川堤防付近としたことが事故の直接的な要因」と結論づけたが、責任の所在は曖昧なまま。勝訴しても命は戻らない。それでも心からの謝罪と反省なくしては前を向くことさえ難しい。命の訴えを無にせぬよう、真相究明の努力を途絶させてはならない。
 大川小の被災校舎は今春、保存が決まった。一方で市教委は今週、別の小学校への統合を、「時期尚早」とする保護者らの意見に配慮して1年延期する方針を示した。大川小の悲劇を未来に伝え、命を救うことにつなげたいとの思いも、遺族の間で揺れている。悲しみをこらえ、記憶や教訓を風化させないよういかに語り継ぐか。難題に正面から向き合い、判決を一里塚として遺族に寄り添い続けることが行政に求められている。


命を預かる責任は重大だ 大川小原告勝訴
 安全なはずの学校で、なぜわが子が犠牲になったのか。真相を知りたいと願い、学校側の過失を追及した親たちの訴えが認められた。
 東日本大震災の津波で亡くなった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族が、市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁が約14億円の賠償を命じる判決を言い渡した。
 学校側は大規模な津波の襲来を予測でき、裏山に児童を避難させるべきだったという判断だ。
 子どもたちの命を預かる学校現場の責任は重大である。教育関係者らは判決を真摯(しんし)に受け止め、改めて防災体制の強化や防災教育の充実に全力で当たってもらいたい。
 大川小は海岸から約4キロの場所にあり、約200メートル先には北上川があった。
 訴状などによると、2011年3月11日、3分ほど続いた激しい揺れの後、教職員が児童を校庭に集めた。約45分にわたってとどまり、避難先の堤防付近へ移動を始めた直後、津波に襲われた。
 犠牲になったのは児童74人と教職員10人の計84人で、大震災時に学校の管理下で発生した被害では最大である。
 遺族らは被災から3年後の14年3月に提訴した。経緯の説明を変遷させた市に不信感を抱き、市の第三者検証委員会の報告でも、責任の所在が明確にならなかったためだ。
 市側は「学校は浸水想定区域外にあり、想定を上回る津波は予測できなかった」とし、裏山については、地震で崩れる恐れがあり、避難場所として適切でなかったと主張した。
 これに対して判決は、教職員らは市の広報車による避難の呼び掛けを聞いた段階で、津波が予見できたと指摘。裏山に避難すれば被災を免れることは可能だったとした。
 現場にいた人がほとんど亡くなり、被災状況の解明には難しい面があった。そうした中、裁判官が事前に裏山を現地視察するなど、地裁は可能な限り真実に迫ろうとした。予見可能性を認めたのは妥当と言えよう。
 津波を予見できたかどうかについては、石巻市の私立日和(ひより)幼稚園児の遺族による訴訟で、仙台地裁が13年、「容易に予想できた」と認定した。
 一方、宮城県山元町の町立東保育所園児の遺族による訴訟では、同地裁が14年、海岸から1・5キロ離れていることなどを理由に「予測できなかった」としている。
 それぞれ事情が異なり、司法判断が分かれるのは当然だろう。ただ、そこからくみ取るべきことは共通している。想定外の事態は起こり得るという教訓である。
 大川小訴訟の原告の一人は「このままでは第二、第三の悲劇が生まれてしまう」と、提訴した理由を語っていた。
 救える命をどう救うのか。災害への備えを進め、安全確保にしっかりと取り組むことが、遺族らの訴えに応える道である。


【真実を探して「大川小津波訴訟」判決】 遺族ら 勝訴も残る不満「原因究明されていない」 
 「なぜ我が子が亡くならなければならなかったのか。真実の究明を続けたい」−。東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が亡くなった石巻市立大川小の津波訴訟。遺族らは勝訴を喜ぶ一方、多くの子供たちが犠牲となった原因が明らかにならなかったことや、同市が津波の資料を廃棄するなど不適切な対応をとったことについて責任が問われなかったことについて不満も出た。判決後の会見ではそれぞれの思いが交錯した。
 当時6年生の三男、雄樹君=当時(12)=を亡くした佐藤和隆さん(49)は「息子のことが忘れられない。どれだけ怖かったのかなって、宮城、石巻の教育関係者には分かってもらいたい」と話し、涙を浮かべた。その上で、「裁判では子供がなぜ死んだのか、という原因究明はされてない。勝訴はしたが、自問自答して『何に勝ったのかな』って思う。どう究明していくかは白紙状態だが、みんなで話し合って進めていきたい」と話した。
 また、原告団長の今野浩行さん(54)も「知りたかったことは(地震発生から津波到達までの)51分間に学校で何があったのか。なぜ我が子は死ななくてはならなかったのか。それが分からないまま、裁判を終えてしまう」と無念さをにじませた。
 また、3年生の一人息子、健太君=当時(9)=を亡くした佐藤美広さん(55)は市のこれまでの対応について「大川小で起きたことを素直に受け止めてほしい。市や県では防災講習をやっているが、大川小のことは何も出ない。大川小(の事故の総括)をきちんとしない限り、次の防災はあり得ない。きちんと認めて、次に役立てるようにしてほしい」と語気を強めた。
 また、次女の千聖さん=当時(11)=を亡くした紫桃さよみさんは「市の(資料を廃棄するなどした不適切な)事後対応に対して、何一つ責任を認めなかった判決。100%不満です」と怒りをにじませた。


【大川小津波訴訟】 分かれる司法判断…背景に過失認定の難しさ
 東日本大震災の津波犠牲者の遺族らが学校や企業などの過失を追及した同様の訴訟はこれまでに少なくとも15件あるが、司法判断は分かれてきた。その背景には、過失の認定をめぐる判断の難しさがある。
 今回の判決を除き、1審で遺族側が勝訴したのは3件のみ。日和幼稚園(宮城県石巻市)をめぐる訴訟では、仙台地裁は「園側が津波の情報収集を怠った」などと園側の過失を認定した。常磐山元自動車学校(同県山元町)の訴訟でも、同地裁は「消防車両が避難を呼びかけていた」として学校側の過失を認めた。ただ、この2件は仙台高裁で遺族側が1審判決から譲歩する形で和解。残る1件も同高裁で係争中だ。
 一方、七十七銀行女川支店(同県女川町)や東保育所(同県山元町)をめぐる訴訟では、最高裁が「津波の予測は困難だった」とした1、2審判決を支持、遺族側の上告を退ける決定をした。
 各判決は、(1)津波を予測できる状況だったか(2)避難方法は適切だったか−などを個別的・具体的に検討した上で裁判官が経験則などに照らし判断したものだ。ベテラン裁判官は「過失事件は主観が反映される余地が大きく、判断が分かれやすい」と指摘している。


【大川小津波訴訟】 津波襲来までの「51分間」に何が起きたのか 仙台地裁判決や市の資料から再現
 津波で多くの尊い子供の命が失われた宮城県石巻市立大川小。あの日、何が起きたのか。地震発生から津波が襲うまでの51分間を、仙台地裁の判決や市の資料から再現した。
 午後2時46分、各学年とも、ちょうど帰りの会が終わるころだった。「さようなら」。ガタ、ガタ、ガタ。大きな揺れが襲う。児童たちは机の下に潜り必死に耐えた。「怖い」「お母さん」。低学年の教室では泣き叫ぶ声が響く。石巻市内の震度は6強。揺れは約3分間続いた。
 「落ち着いて避難しよう」。揺れが収まり、教師が呼びかけた。2階の児童は階段を下り、1階の児童は窓から逃げて校庭に並んだ。2時52分、校庭の防災行政無線が大津波警報の発令を伝えた。
 3時前、校舎内の見回りを終えた教務主任が校庭へ。「山へ行くか」。裏山への避難を提案したが「難しい」という判断になった。校長は娘の卒業式のため休暇を取り、不在だった。
 校庭では地震直後から、集まった保護者へ児童の引き渡しが行われている。「山さ逃げよう」。そんな声は児童からも親からも上がった。児童は手をつないで「大丈夫」「大丈夫」と励まし合っていた。
 「松林から津波が抜けてきた。避難を」。市の広報車が大川小の前を通り、拡声器で呼びかけた。時刻は遅くとも3時30分。「津波が来ますよ。どうしますか」。再び教務主任が裏山への避難を提案したが、教頭らから明確な答えはなかった。
 教員たちは3時30分から35分ごろ、川沿いの通称・三角地帯(標高約7メートル)を避難場所に決め、避難を開始した。約150メートル先で、標高1〜1・5メートルの校庭より5、6メートル高い。
 移動を始めて間もなく、教頭が叫んだ。「津波が来ている」。津波襲来は3時37分ごろ。波は次々と児童をのみ込んでいった。列の前の方にいた5年の児童は、偶然流れてきた冷蔵庫の中に入り山へ流され、奇跡的に助かった。そこで土に埋まった同級生を見つけ、手で掘って助けた。
 校庭にいた児童70人余りのうち、助かったのはこの児童2人を含む4人。教職員は10人が犠牲となり、「山へ」と訴えた教務主任だけが生き延びた。


【大川小津波訴訟】 「ここに来るたびに『何で逃げなかったのか』と…」悲劇の現場、静かに手を合わせ
 判決が言い渡された26日午後3時ごろ、宮城県石巻市の大川小旧校舎前には、犠牲となった子供たちを悼んで全国から訪れた人たちが集まり、静かに手を合わせていた。
 同市の無職、阿部栄さん(69)は「テレビで遺族の訴えを聞いた。遺族にとって今回の判決は良かったと思う」、仙台市青葉区の崎山芳男さん(81)は「賠償が認められ良かった。ここに来るたびに『何で逃げなかったのか』と疑問に思う。子供たちがかわいそうだ」と話した。
 静岡県伊東市の元小学校教師、千葉剛さん(70)は「津波が来た当時の対応はとても難しかっただろう。一瞬の判断が生死を分ける。先生たちもつらいだろう。自分だったらどうするかと考えさせられる」と語った。
 判決を控えたこの日午前には、多くの遺族も旧校舎を訪れた。次女の千聖さん=当時(11)=を亡くした紫桃隆洋さん(52)もその一人。紫桃さんは判決後、「子供たちが勝訴を後押ししてくれた。『逃げたい』と言った子供たちの判断が正しかったということを、(次女に)分かりやすい言葉で伝えたい」と話した。


【大川小と津波】命の現場に油断許されぬ
 命を預かる現場に、油断は許されない。司法の警鐘が鳴らされた。
 東日本大震災による津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童の一部遺族が、市と県に損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は学校側の過失を認め、14億円余りの支払いを命じた。
 未曽有の災害とはいえ、地域で最も安全であるべき学校が、なぜ多くの幼い命を守れなかったのか。全ての疑問が解消されたとはいえないにしても、遺族の思いに向き合った判決とはいえよう。
 大川小では在籍児童108人のうち、74人が死亡・行方不明となり、教職員10人も亡くなった。震災時に学校の管理下で発生した最大の津波被害だった。
 石巻市は第三者委員会による検証で、避難の遅れや河川に近い場所を避難先に選んだことが、被災の直接的要因とする報告書をまとめた。
 だが、真相に迫ったとは言い難い上、責任の所在が曖昧だとして、児童23人の遺族が提訴した。
 津波被害を巡り、学校や企業などの管理者に損害賠償を求めた同様の訴訟は岩手、宮城の両県で少なくとも15件ある。いずれでも、管理者側が大津波の襲来を予測できたか否かが争点となった。
 訴状などによれば、激しい揺れの後、児童は校庭に集められ約50分にわたり待機した。やっと移動を始めた直後に津波に襲われ、結果的には貴重な時間の空費が運命を暗転させたというほかない。
 仙台地裁は予見性について、遺族側の訴えを認めた。市の広報車による避難の呼び掛けを聞いた段階で予見可能との判断を示し、「学校の裏山に児童を避難させるべきだった」と学校側の過失を認めた。
 市側は、被害を「予測できなかった」と反論していた。学校が海岸から約4キロの内陸で、浸水想定区域の外だったからだ。
 学校側にとっても経験したことのない過酷な状況だったのは間違いあるまい。だが一方では、いち早くてんでばらばらにでも避難する「津波てんでんこ」の実践で被害を免れた学校は多い。
 市側の主張は、学校側の油断を端的に示していよう。
 ほとんどの関係者が犠牲になったため裁判でも明らかにならなかった部分が残るにせよ、津波は来ない、との思い込みが刻々と変わる状況への判断、対応を遅らせたと言わざるを得ない。
 将来の南海トラフ巨大地震に備える私たちにとっても、決して人ごとではない。
 大川小にも津波対策を盛り込んだ危機管理マニュアルは存在した。しかし、危機意識や日ごろの訓練が十分に伴わなかったため機能せず、命を守ることができなかった。
 大川小の多大な犠牲は、全国の学校や企業などに減災への苦い教訓を残した。命を預かる責任の重さ、たゆまぬ備えの大切さを、いま一度かみしめる必要がある。


大川小津波訴訟 「人災」の訴え認められた
「人災だ」という遺族の訴えが認められた。
 東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小児童の遺族が、市と県に損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は学校側に過失があったとして、市と県に計約14億円の支払いを命じた。
 裁判での最大の争点は、学校側が大規模な津波到達を予見でき、児童を安全に逃がすことができたかということだった。
 判決は、学校側は「津波の襲来が予見できた」と判断した。教員らが学校の前を通った市の広報車による高台避難の呼び掛けを聞いていたということなどが理由だ。
 さらに、学校の裏山に避難すれば「児童の被災を免れることは可能だった」と指摘した。
 児童らが犠牲になったのは、学校側が安全配慮義務を果たさなかったためだという遺族側の主張が受け入れられた。
 市の第三者検証委員会も「意思決定が遅く、避難先を河川堤防付近としたことが事故の直接的な要因」と結論付けている。判決は妥当な判断と言えるのではないか。
 津波では在籍児童108人のうち74人が犠牲となり、教職員10人も亡くなった。
 東日本大震災時の、学校管理下で最大の被害となったのである。
 大川小では激しい揺れの後、教職員は児童を校庭に集めた。裏山に逃げようと訴えた児童もいたが待機は約45分に及んだ。
 避難先の堤防付近へ移動を始めた直後、海岸から約4キロ離れた辺り一帯を襲った津波に巻き込まれたのである。
 遺族側が津波は予見可能だったと主張したのに対し、市や県は津波の予見はできなかったなどとして争った。
 大川小はハザードマップで津波浸水区域にはなく、周辺地区で住民多数が犠牲になったことも挙げ「津波を予見できなかったのはやむを得ない」と主張した。
 裏山へ児童を安全に避難させる経路はなく、校庭での待機時間は「余震の中、児童に寄り添い、落ち着かせようとしているうちに過ぎた」と、教職員に過失はなかったとしていたのである。
 判決を受け、石巻市の亀山紘市長は「結果を重く受け止めている」と表明したが、控訴するかどうかについては「判決内容を精査し、早い段階で決めたい」と述べるにとどめた。
 遺族らが損害賠償訴訟に踏み切った背景には、説明が二転三転するなどした市の対応への強い不信感がある。改めて謝罪するとともに、誠意ある対応をするべきだ。
 津波犠牲者の遺族が管理者側に賠償を求めた訴訟では、石巻市の私立日和幼稚園の一審判決でも園側の過失を認定し、二審で和解に至っている。
 津波に限らず、自然災害で犠牲になりやすいのは子供や高齢者などの「災害弱者」だ。
 今回の判決は、安全への取り組みを高めるよう促すものとも言えるだろう。
 悲劇が繰り返されぬよう、行政はもちろん、私たちも日頃から万が一に備えたい。


津波犠牲 学校に過失 「想定外」言い訳にできず
 なぜ巨大な津波から子どもたちを守れなかったのか。
東日本大震災で児童74人の津波犠牲者を出した宮城県石巻市立大川小を巡り、遺族23人が市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟判決で、仙台地裁は学校側に過失があったと認定、計約14億円の支払いを命じた。
 想定外の大災害は人知を超えた「天災」として、責任を問うのは困難との見方もある。しかし、どこかに「人災」が隠れている。裁判は、想定外を言い訳にせず、最適な対応を学校側に厳しく求めたものだ。災害列島の中で、この悲劇を傍観してはならない。
 遺族は「先生の言うことを聞いていたのに」という横断幕を掲げた。学校側が巨大な津波の到達を予見し、児童を安全に逃すことができたかが問われた裁判だ。命の安全は学校側の判断に託されていた。
 判決理由で裁判長は「教員らは広報車の高台への避難呼び掛けを聞いた段階で津波襲来を予見できた」と判断。堤防付近への避難は不適当で「裏山に避難すれば、児童の被災を免れることは可能だった」とした。
 大川小は海岸から約4キロに位置。訴状などによると教職員は地震発生後、児童を校庭に集め待機させた。避難先の堤防付近へ移動を始めた直後に川を遡上(そじょう)してきた津波で被災した。地震から約50分後だ。教職員10人も犠牲になった。
 学校は避難場所に指定され、市側は浸水想定区域外にあったとして津波の予見可能性を否定したが、裁判長は遺族側の主張する津波予見や裏山避難の必要性を全面的に認めた。
 救えた命。「真相を知りたい」と念じる遺族が訴訟に踏み切った背景には、無責任とも思える対応を繰り返す市側への不信感があった。生き残った児童や教師の聞き取りメモを廃棄した事実まで発覚。市設置の事故検証委員会報告でも責任の所在があいまいで、遺族の怒りが増すのは当然だ。ただ、こうした市側の事後対応については原告側の主張が認められなかった。
 災害時に児童生徒の安全をどう確保するか。実害が不可避の中で、大切なのは「絶対に犠牲者を出さない」という覚悟と的確な対応力だ。東北は過去何度も大津波被害に遭ってきた。
 死者・不明が2万人を超えた大震災の津波は「石巻の悲劇」と「釜石の奇跡」を引き起こした。大川小は全校児童108人の約7割が犠牲になった。想定や防災マニュアルの不備、教師の弱い危機意識、避難先の判断の誤りなど「ミスの連鎖」が悲劇を招いたと指摘されてきた。
 一方で死者・不明が千人を超えた岩手県釜石市では小中学生の死者が5人、生存率は99・8%に上った。市教委では徹底した防災教育を実施し、▽想定にとらわれるな▽最善を尽くせ▽率先避難者たれ、という3原則が実行されたのだ。
 日本は想定を超える地震が各地で発生し、南海トラフ巨大地震の脅威にもさらされている。「正しく恐れ、正しく逃げる」ことを身に付ける必要がある。


大川小訴訟 未来の命に判決生かせ
 児童74人が死亡・行方不明となり、東日本大震災時に学校管理下で最大の被害となった宮城県石巻市の大川小。遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は26日、学校側の過失を認定し、賠償を命じる判決を下した。
 あの日、なぜ児童は約50分間も校庭にとどまっていたのか。なぜ裏山に逃げなかったのか。被災各地の学校で子どもたちの命を懸命に守った教職員らの行動と比較すればするほど、大川小の対応に数々の疑問を禁じ得ない。
 子どもの命を守る学校の責任を重く見て対応を厳しく批判した判決を、市と県は真摯(しんし)に受け止めるべきだ。未来の命を守るため、「想定外」を言い訳にせず、判決を生かさなければならない。
 本県では、学校管理下にあった児童生徒は全員無事だったが、判決を機にあらためて悲劇を心に刻み、防災対策を進めたい。
 訴状などによると、大川小では地震後、教員が児童を校庭に集めた。約45分たって避難先の堤防付近へ移動を始めた直後、津波が襲った。
 学校側が津波の到達を予見し、児童を安全に避難させることができたかが争点。判決は、教員らが学校の前を通った市広報車の避難の呼び掛けを聞いており「津波の襲来は予見できた」と指摘。さらに「児童を裏山に避難させれば被災を免れる可能性は高かった」とした。
 「学校は浸水想定区域外」「裏山は地震で崩れる可能性があった」などとする市側の主張を退け、遺族側の訴えを認めた。
 遺族が提訴に踏み切ったのは、あの日の真実を知りたいがためだ。保護者説明会での市側の説明は二転三転し、第三者の事故検証委員会の報告書も、真相解明にはほど遠い内容だった。
 裁判は勝訴となったが、「空白の50分」の真実が明らかになったわけではない。現場にいた教職員で唯一助かった男性教諭の証人申請は却下された。
 そもそも、裁判で勝っても失われた命は戻ってこない。震災5年の今年3月に仙台市で開かれたフォーラムでの、遺族の悲痛な言葉が思い起こされる。
 「犠牲になった74人の児童は、教訓になるために生まれたわけではない。…どんなことをしても息子が生き返ることはない。…同じ思いをしてもらいたくない」
 悲劇の舞台となった大川小校舎は今年3月、被災遺構として保存が決まった。
 多くの人が校舎を訪れ、祈り、奪われた小さな命の意味を考えてほしい。震災を、大川小の悲劇を風化させず、貴重な教訓として継承してこそ、未来の命につながる。


遺族、笑顔なき勝訴 大川小訴訟で賠償命令 真相解明なお不満
 津波にのまれたわが子を思い、あふれる涙をぬぐった。東日本大震災で74人の児童が犠牲になった大川小を巡る訴訟。仙台地裁は26日の判決で、学校側の過失を明確に認めた。「子供たちの声が届いた」「未来につながる」。評価の声が上がる一方、真相は解明されていないとの不満も。どうすれば命は守れたのか。遺族たちは悲劇を繰り返さないようにと願った。
 原告団長を務める今野浩行さん(54)は6年生だった長男の大輔君(当時12)の声を代弁するため裁判に臨んだ。児童を預かる学校の責任を認めた判決に「未来の命を守ることができる」とかみしめた。
 この日は48席の一般傍聴席を求めて、271人が並んだ。閉廷後、遺族らは裁判所の正門前で「勝訴」の横断幕を掲げた。訴えが認められ、感極まった遺族らだったが、子供たちの笑顔の写真を背に、硬い表情で記者会見に臨んだ。
 6年生だった三男の雄樹君(同12)を失った佐藤和隆さん(49)は「息子がなぜ死ななければならなかったのか、判決では明らかになっていない。今日が始まりのような気持ちだ」とあふれる涙をぬぐった。次女の千聖さん(同11)を亡くした紫桃隆洋さん(52)も「本当の検証はこれから」と表情を引き締めた。
 犠牲になった児童74人のうち提訴したのは23人の遺族。「裁判で子供が戻るわけではない」などと訴訟に加わらなかった遺族も多い。23人の遺族が損害賠償訴訟に踏み切った背景には、説明が二転三転し、検証も不十分と感じるなど市の対応への強い不信感があった。
 訴訟では遺族側の強い求めに反し、唯一生き残った男性教員の証人尋問が実現しなかった。長女の未捺さん(同9)が犠牲になった只野英昭さん(45)は「法廷に出てきて真実を証言してほしかった。(出廷を不要とした)裁判所の判断には納得できない」と憤った。
 当時の校長がすぐに捜索に加わらなかったり、市側が資料を破棄したりした事後対応についても、原告側が主張した「注意義務違反」が認められなかった。代理人の吉岡和弘弁護士は「遺族に寄り添った文言が入っていない」と批判した。


【大川小 津波判決】本当は争いたくなかった
 三男の雄樹君(当時12歳)を亡くした佐藤和隆さん(49)は今月11日、農作業を終えて、石巻市立大川小学校の旧校舎に立ち寄った。「昔、雄樹をトラクターに乗せてあげると喜んでいたっけな」。学校周辺の風景は変わっても、佐藤さんの思い出は止まったままだ。
 雄樹君は野球がうまく、地元の野球チームではセンターを任され、佐藤さんは土日の練習試合には必ず応援に駆けつけた。そして雄樹君の夢は「人を助ける海上保安官になること」だった。自宅で海上保安官が遭難者を救助して活躍する映画「海猿」を見て、そう思ったのだという。だが、その夢はかなえられなくなった。
 震災から11日後、学校から約1キロ離れた場所で、雄樹君の遺体は見つかった。いつも履きつぶしていた上履きのかかとをきちんと履いていた。「逃げようと思っていたのかな」。雄樹君が大好きだった先生や学校と争うなんて本当はしたくなかった。それでも、息子の最期を思うと、知りたい真実があった。
 なぜ逃げられなかったのか――。佐藤さんは他の遺族と話し合い、証言を集めた。しかし、学校の説明会では納得のいく答えは出てこなかった。有識者による第三者検証委員会でも、新しい事実は分からず、司法の場に答えを求めた。
 佐藤さんは一昨年6月に大川中学校の跡地に完成した野菜工場で働いている。雄樹君が通うはずだった場所に、今は佐藤さんが通勤する。「雄樹がまだ学校にいるように思える。だから、俺のほうが離れたくないんだ」。旧校舎の前で、あの日のことを語り継ぐ活動も続けている。
 一日も早く判決を聞きたかったという佐藤さんは、そわそわと落ち着かない様子で、法廷の後ろの時計に何度も目を向けていた。判決を受けて、佐藤さんは「勝っても息子が帰ってくるわけではないが、ほっとしている」と胸の内を明かしながらも、「義務教育の管理下で命を落とし、悲しい思いをする家族を生み出さないよう、今後も啓発活動を続けたい」と話した。


大川小訴訟の原点、生き残り教諭の聞き取り焦点
 東日本大震災で児童74人が死亡し、学校管理下で最悪の津波災害となった宮城県石巻市立大川小の児童23人の19家族が、市と県を相手に23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日、学校側の責任を認め、市と県に計約14億2660万円を支払うように命じた。
 勝訴判決を得た原告団だが、裁判を起こした原点は、唯一生き残ったA教諭の証人尋問だった。しかし、精神疾患を理由に証言台に立たなかった。A教諭は震災直後、津波にのまれたが助かったとしていたが、A教諭が避難した自動車整備工場の関係者は「水にぬれていなかった」と証言している。長女未捺(みな)ちゃん(当時小3)を亡くした只野英昭さんは「彼の真実の言葉を聞きたくて裁判を起こした。うその証言をしているのは間違いない。必ず、彼はテレビを見ているはず。彼の話を聞きたい」と訴えた。再開を目指す検証作業でもA教諭の聞き取り実現が中心となってくる。


<大川小訴訟>不明の娘の筆で「勝訴」
 宮城県石巻市大川小津波訴訟の判決が言い渡されてから約15分後、原告の鈴木義明さん(54)が仙台地裁前に姿を現した。原告仲間2人と判決内容を記した用紙を掲げる。
 「勝訴 子供たちの声が届いた」
 その文字を記したのは妻の実穂さん(48)。まな娘が習字で使っていた筆で、願いを込めて書いた。
 大川小4年生だった長女巴那(はな)さん=当時(9)=は今も行方が分からない。6年生だった長男堅登君=同(12)=は亡くなった。
 鈴木さんが言う。「判決の結果についてはほっとしている。だが、学校や市教委の事後対応については判断されず、残念です」
 2011年3月11日。震災発生後、鈴木さんは幼いきょうだいの安否確認を急いだ。その夜、石巻市の河北総合センターで、発生当時大川小にはいなかった柏葉照幸校長と会って告げられた。
 「大丈夫です。津波が来たら(校舎の)2階か山に逃げるよう言ってあります」
 息子は8日後、川岸で遺体で見つかった。「何で助けてやれなかったんだ」。悔しさと無念さで涙が止まらず、ひざまずいた。
 火葬された際、堅登君には真新しい学生服が掛けられた。診療放射線技師を志し、仙台市の私立中学へ進む予定だった。
 実穂さんは長年勤めた職場を辞めた。「巴那を早く見つけてお化粧をしてあげたい。ドレスを着させてあげたい」。足の裏が焼けるような夏の砂浜、荒れる冬の海の周辺などを捜し歩いた。
 ピアノと英語を習っていた巴那さん。「中学生になったら外国でホームステイをして、『エリーゼのために』を弾いて聴かせてあげたい」と夢見ていた。
 大川小では巴那さんを含む児童4人の行方が不明のまま。大川小遺族会は各地から届く支援金などを捜索に役立てている。
 多くの支援への感謝を伝えたいと、鈴木さんは26日、初めて訴訟の記者会見に臨んだ。ネクタイは娘が好きだった青色を選んだ。
 「骨一本でも見つけたい。今も一生懸命、わが子を捜している親がいる。支えてくれた皆さん、ありがとうございます」。マイクを手に声を詰まらせ、同席した実穂さんの頬を涙が伝った。
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は26日、「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と学校の責任を認め、計約14億2660万円の支払いを命じた。学校の管理下で震災の津波の犠牲になった児童生徒を巡る司法判断は初めて。

久しぶりのミサキ/ラマヌジャン/大川小裁判判決

ブログネタ
フランス語 に参加中!
八丁畷

Familles d'écoliers tués par le tsunami indemnisées
Japon Une Cour a donné raison aux familles des victimes d'une école primaire qui estimaient que les dispositions permettant de sauver les vies de 74 élèves n'avaient pas été prises.
Un tribunal japonais a ordonné mercredi aux pouvoirs publics de payer une indemnité totale de 1,43 milliard de yens (12,5 millions d'euros) aux familles de 23 écoliers tués par le tsunami de mars 2011 dans le nord-est, a indiqué une porte-parole de l'instance judiciaire. ≪C'est un bon résultat≫, a réagi modestement devant les caméras des télévisions un des plaignants à la sortie du tribunal local.
La Cour de Sendai a donné en partie raison aux familles des victimes de l'école primaire Okawa qui estimaient que n'avaient pas été prises les dispositions qui auraient permis de sauver les vies de 74 écoliers.
Les parents de 23 d'entre eux ont bataillé pour obtenir réparation auprès de la municipalité d'Ishinomaki et de la préfecture de Miyagi, arguant notamment que le risque de tsunami était connu et qu'une fuite dans la montagne aurait été salvatrice. Ils souhaitaient au total 2,3 milliards de yens, 100 millions par enfant.
Incompréhension
Plus de cinq ans après, ils ne comprennent toujours pas pourquoi de telles consignes de bons sens n'ont pas été données au personnel de l'école élémentaire. ≪Les enseignants étaient a priori en mesure de prévoir le fait que le tsunami atteindrait l'école≫, a déclaré le juge Kenji Takamiya, cité par les médias.Le maire d'Ishinomaki, Hiroshi Kameyama, a dit à la presse accueillir ce jugement ≪avec gravité≫, promettant que la municipalité déciderait rapidement si elle fait appel ou non.
L'école Okawa était située dans une vallée au bord d'un large cours d'eau, qui est largement sorti de son lit et a noyé un vaste périmètre de la région environnante. Cette école primaire est depuis restée un des symboles de la tragédie du 11 mars 2011 et le lieu de recueillement de dizaines de familles éplorées.
Ce jour-là, un vendredi en plein après-midi, un tsunami gigantesque déclenché par un puissant séisme au large, a déferlé sur plus de 500 kilomètres de la côte nord-est, tuant plus de 18.500 personnes et provoquant l'accident de la centrale nucléaire Fukushima Daiichi. ≪J'espère que cela servira pour la prévention face au tsunami dans les écoles≫, a déclaré un membre des familles de victimes face aux télévisions.
フランス語
フランス語の勉強?
時論公論「若者に広がる過労自殺“命より大切な仕事はない”」村田英明解説委員
長時間労働による睡眠不足…厳しいノルマやパワハラ…働き過ぎが原因で自ら命を絶つ、「過労自殺」が若い世代で相次いでいます。対策を考えます。
NHKスペシャル マネー・ワールド 資本主義の未来(2)国家VS.超巨大企業
グローバル企業が国家を訴える裁判が多発。なかには財政に深刻な影響が出た国が現れている。国家が企業をコントロールしてきた資本主義。この先に何があるのか、考える。
私たちの暮らしやお金、格差問題まで、すべてに関わる資本主義。シリーズ2回目は、経済を誰がコントロールすればいいのかを考える。国境を越えてグローバルに活動する巨大企業が次々と誕生。なかにはビジネスに支障が出たとして国家を訴える裁判が多発。財政に深刻な影響の出た国まで現れている。国家が企業をコントロールしてきた資本主義。それが今、企業が国家を飲み込む事態が起きている。この先に一体何があるのか、考える。
爆笑問題,諸富徹, 渡邊佐和子

『この世界の片隅に』11/12(土)公開 ‏@konosekai_movie
昨日からスタートした《東京国際映画祭2016》。
『この世界の片隅に』が特別招待作品として上映されます!
六本木駅から六本木ヒルズに向かう通路には、たくさんの上映作品のポスターが並ぶなか、すずさんの姿もありました!
#この世界の片隅に

奇蹟がくれた数式The Man Who Knew Infinity
マシュー・ブラウン デブ・パテル、ジェレミー・アイアンズ、デビカ・ビセ、トビー・ジョーンズ
アメリカ、イギリス、そして世界が二人の友情に涙した、心を揺さぶる感動作
 もしもこの二人が出会わなかったら、世界は違う姿になっていたかもしれない。英国人数学者のG.H.ハーディと、インドの名もない事務員ラマヌジャン――生まれも境遇も全く違う二人の天才が出会い、世界を変える奇蹟を起こした実話が映画化された。
 独学で数学を学び、数学解析、数論、無限級数及び連分数において数学界に多大な貢献をもたらした“アインシュタイン並みの天才”と称えられるラマヌジャンを、『スラムドッグ$ミリオネア』のデヴ・パテルが熱演。インドの神々に守られた、神秘的な存在感を見事に体現した。ハーディ教授にはアカデミー賞俳優のジェレミー・アイアンズ。ラマヌジャンとの共同研究に人生を懸けた英国紳士をエレガントに演じた。
 ケンブリッジの最高峰トリニティ・カレッジで撮影され、映画で初めて許可された。荘厳な知性の殿堂を舞台に、かけがえのない友情が生んだ歴史的瞬間がドラマティックに再現される。さらに、インドのエキゾチックな寺院や壮大な自然を背景に、ラマヌジャンの望郷の念と妻への愛を描き切った。二人が発見した、人生で最も素晴らしいものとは?その答えが待つ胸を揺さぶる感動のラストをあなたに――。


久しぶりにミサキに逢いました.帽子が似合っていてとてもオシャレでした.
その後,梅田に映画を見に行きました.奇蹟の数式という映画で,インドの数学者ラマヌジャンのお話です.英国で才能が開花するもインド人だからという理由で差別されるシーンが悲しかったです.また結婚しているのに単身赴任というのも悲しく,最後の結末も・・・
ジムで汗を流したあと,大川小学校の裁判判決を知りました.子どもを亡くした遺族の勝訴という点ではよかったと思いますが,勝ったからいいというものではないですね.亡くなった子どもは帰ってきません.

<大川小訴訟>問われる学校の責任
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日午後3時、判決を言い渡す。同校では訴訟対象の23人を含む児童74人が教師と行動中に犠牲になった。学校の管理下における惨事としては戦後最悪とされ、司法が学校の責任をどう判断するか注目される。
 遺族は震災直後から一貫して避難が遅れた原因の究明を求めてきたが、市教委との協議は平行線をたどった。市が設けた第三者事故検証委員会の調査でも十分な回答を得られなかったなどとして、19遺族は2014年3月、司直の手に解明を委ねた。
 遺族は、現場にいた教職員11人のうち、唯一助かった男性教務主任の証言を「児童の最期を究明する唯一の手段」と位置付け、証人尋問を請求した。教務主任は病気休職中で、地裁は尋問を見送った。
 訴訟では(1)津波の到達を予見できたか(2)津波被害を回避し、児童を救えた可能性があったか−が主に審理された。震災当日の対応のほか、前日までの防災体制が適切だったかも争われた。判決の内容次第では、全国の学校関係者に大きな影響を与える可能性がある。
 訴えによると、11年3月11日に起きた地震による津波で、大川小では児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。教職員は約45分間にわたって児童を校庭に待機させ、避難を開始した直後に高さ8メートルを超す津波に巻き込まれたとされる。


<大川小訴訟>災害時学校 安全配慮どう判断
 宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。同地裁が判決を言い渡した過去5件の津波訴訟判決の内容を分析してきた東大大学院法学政治学研究科の米村滋人准教授(民法)に、大川小訴訟の焦点や意義を聞いた。(報道部・斉藤隼人)
◎東大大学院法学政治学研究科 米村滋人准教授に聞く
 大川小訴訟は学校管理下で多数の児童・教諭が被災した点で他の津波訴訟と大きく異なる。一般的に学校は、子どもの安全に配慮すべき重い義務を負っている。災害時における学校の安全配慮義務をどう判断するか注目したい。
 他の津波訴訟と同様、予見可能性が争点となっている。学校は市の浸水予想区域外にあり、過去に津波が来た記録もないことなどから、立証のハードルは高い。市側は周辺住民の著しい被災事実をもって「教職員が予見できなかったのもやむを得ない」と主張しており、この点が考慮されるかもポイントになる。
 一方、過去の津波訴訟で、消防車が付近で避難を呼び掛けていた事実を理由に予見可能性を認めた判決がある。大川小でも消防車や市広報車が脇の県道を通ったことが指摘されており、事前の予見はできなくとも、地震直後の情報によって予見すべきだったとされる可能性はある。
 特徴的なのは、危機管理マニュアルなど事前防災の不備を遺族側が追及していることだ。東日本大震災の前年に津波に関する記述を盛り込んだのに、津波に対応できる十分な高さを備えた避難場所を決めていなかった。教職員は内容を十分把握せず、震災当日もマニュアル通りの行動を取っていない。川に向かって避難し、被害を拡大させた判断が適切だったかどうかは当然問われる。
 震災2日前の津波注意報発令後、当時の校長が「大川小まで万が一津波が来たらどうする」「裏山に登って逃げるしかないかな」という話を教頭や教務主任としたことを認めている。あくまで抽象的な検討にすぎないとみることもできるが、津波襲来を具体的に想定していたと判断される可能性もある。
 遺族が強く解明を求めているのは地震発生から津波襲来までの51分間の行動。生存者が少なく、石巻市が設置した第三者事故検証委員会は十分解明できなかった。裁判所がどこまで事実関係を明らかにできるかにも注目したい。
 自然災害に関する訴訟は近年までほとんど存在せず、その意味でも今回の判決は重要な意味を持つ。


<津波訴訟>過去5件 判断分かれる
 東日本大震災の津波訴訟を巡り、仙台地裁が言い渡した判決は過去5件ある。いずれも自治体や民間事業者が被告で、「大津波の襲来を予測できたか」という予見可能性が主な争点だった。当時の状況や対応の違いで、地裁の判断は二分されている。
 遺族の請求が認められたのは、宮城県石巻市の私立日和幼稚園(休園中)と宮城県山元町の常磐山元自動車学校(いずれも仙台高裁で和解)、洞県東松島市野蒜小の1遺族(高裁で審理中)の3件。
 一方、同県女川町の七十七銀行女川支店と山元町東保育所(1遺族は高裁で和解)を巡る2件は請求が棄却され、2月に最高裁で遺族敗訴が確定した。野蒜小は残る2遺族の請求が棄却され、そのうち1遺族は控訴した。
          ◇         ◇         ◇
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日午後3時、判決を言い渡す。同校では訴訟対象の23人を含む児童74人が教師と行動中に犠牲になった。学校の管理下における惨事としては戦後最悪とされ、司法が学校の責任をどう判断するか注目される。


大川小津波訴訟きょう判決
東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童の遺族が石巻市などに対し賠償を求めた裁判の判決が26日、仙台地方裁判所で言い渡されます。
大川小学校では学校の管理下としては震災で最も多くの子どもたちが犠牲になり、裁判所の判断が注目されます。
石巻市の大川小学校では震災の津波で74人の児童が犠牲になり、このうち23人の児童の遺族が石巻市と宮城県に対し1人あたり1億円、あわせて23億円の損害賠償を求めています。
裁判では海岸からおよそ4キロ離れた小学校まで津波が来ることを学校側が予測できたかどうかや、地震からおよそ50分後に川沿いの場所を目指して移動を始めた対応に問題がなかったかどうかなどが争点になっています。
遺族側は「津波は予測でき児童を校庭にとどめたあと近くの裏山ではなく津波が来る方向に向かわせたのは重大な過失だ」と主張したのに対し、市と県側は「学校は市の避難場所にも指定され津波は予測できず、念のため高台の堤防の方向への避難も決断していて過失はない」と主張しました。
大川小学校では学校の管理下としては震災で最も多い子どもたちが犠牲になり、津波の避難場所に指定された小学校からさらに避難する際に責任が問われるかどうかについても、裁判所の判断が注目されます。
判決は、26日午後3時に仙台地方裁判所で言い渡されます。


大川小津波訴訟 石巻市と宮城県に14億円賠償命令
 東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校を巡り、児童23人の遺族が市と県を相手取り23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日、市と県に約14億円の支払いを命じた。
 判決で高宮裁判長は、震災発生後、市広報車が学校周辺で津波が迫っていることを告げていたことから、「呼びかけを聞いた後では、大規模な津波の襲来は予見したと認められる」と認定。学校の裏山に避難させず、結果回避義務違反の過失があると判断した。
ことば「大川小津波訴訟」
 2011年3月11日に発生した東日本大震災の津波で、宮城県石巻市を流れる北上川の河口から約4キロにあった市立大川小(当時の全校児童108人)の児童74人が死亡・行方不明となった。このうち23人の遺族が市と県に計23億円の損害賠償を求め、仙台地裁に提訴した。地震発生後、約50分間校庭で待機した後、校庭より約6メートル高い北上川に架かる橋のたもとへ避難を始め、津波にのまれたとされる。学校にいた教職員10人も死亡。唯一助かった教務主任の男性は病気休職中で、訴訟では遺族側が証人尋問を求めたが採用されなかった。


<大川小訴訟>石巻市と県に14億円賠償命令
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日、学校の責任を認め、計約14億2660万円を支払うよう市と県に命じた。公立学校教職員の管理監督下で震災の津波で犠牲となった児童生徒を巡る司法判断は初めて。全国の教育現場に大きな影響を与える可能性がある。
 19遺族は2014年3月に提訴。訴訟では(1)津波の到達を予見できたか(2)津波の被害を回避し、児童を救えた可能性があったか―が主に争われた。遺族側は「防災無線や市広報車からの情報で津波の襲来は認識できた。裏山などへ避難すれば全員助かった」と主張。市側は「当時得られた情報から想定を超える規模の津波は予見できず、結果は回避できなかった」と反論していた。
 訴えによると、11年3月11日午後2時46分の地震発生後、大川小の教職員は約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。校庭近くの北上川堤防付近(標高6〜7メートル)に避難を開始した直後の午後3時37分ごろ、高さ8メートルを超す津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。
 当時、校内にいて助かったのは教職員11人のうち男性教務主任1人と、児童4人のみ。学校の管理下で子どもが犠牲になった戦後最悪の惨事とされ、遺族らは真相究明を求めてきた。
 仙台地裁で言い渡された津波訴訟判決は6件目。行政の賠償責任が認められたのは、東松島市野蒜小を巡る訴訟(仙台高裁で審理中)に続き2件目となる。


大川小裁判で賠償命令
東日本大震災の津波で犠牲になった石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判で、仙台地方裁判所は「市の広報車などの避難の呼びかけで津波の危険が予測でき、近くの裏山に避難すべきだったのに、不適当な場所に避難しようとしたのは過失がある」として、石巻市などに対し原告全員に14億円余りの賠償を支払うよう命じました。
石巻市の大川小学校は、震災の津波で74人の児童が犠牲になり、このうち23人の児童の遺族は石巻市と宮城県に対し1人あたり1億円、あわせて23億円の賠償を求める訴えを起こしました。
裁判では、海岸からおよそ4キロ離れた小学校まで津波が来ることを学校側が予測できたかどうかが大きな争点となりました。
26日の判決で仙台地方裁判所の高宮健二裁判長は、石巻市と宮城県に対し、原告全員にあわせて14億2600万円余りの賠償を支払うよう命じました。
判決では「津波が襲ってくる7分前の遅くとも午後3時半ごろまでには石巻市の広報車が津波が近くの松林を越えたことを告げ、避難を呼びかけたのを教員らは聞いていたと認められ、小学校に津波が到達することを予測できた」と指摘しました。
その上で、「津波が到達する直前、教員らが校庭からの移動先として目指した川沿いの交差点の標高は7メートル余りしかなく、避難場所としては不適当だった。一方で、近くの裏山は過去に学習の場などで児童も登っていた場所で、小走りで1分程度で移動でき、避難するのに具体的支障はなく避難についての過失があった」と指摘しました。
一方、原告は地震が起きる前の学校の防災体制についても問題があったと主張していましたが、「小学校は震災前、県の調査などでも津波は到達しないとされ、避難場所にもなっていた。学校が事前に津波の避難場所や方法を決めるべきだったとまでは言えない」としました。
宮城、岩手、福島の3県の教育委員会によりますと、震災をめぐる裁判で、避難場所に指定された学校からさらに避難することについて過失が認められたのは初めてです。
大川小学校では、学校の管理下としては震災で最も多い子どもたちが犠牲になり、裁判所の判断が注目されていました。


判決を受け原告の遺族側は
判決のあと、原告の遺族が記者会見を開き、小学6年生の長男を亡くした原告団長の今野浩行さんは「みなさんは想像できるでしょうか。51分間もの長い時間、自分が死ぬかもしれないという恐怖の中、死んでいった未来ある子どもたちのことを」と述べたうえで、「学校は津波を予見して子どもの命を守らなければならないという判決が下されたことに一定の評価をしたい」と話しました。
小学6年生の三男を亡くした佐藤和隆さんは「震災から5年以上、『なぜ、なぜ、なぜ』でした。なぜ息子たちは死ななければいけなかったのか。裁判では、その部分が明らかになっていません。息子はどれだけ怖かったのか、石巻市と宮城県の教育関係者にわかってもらいたい」と涙ぐみながら語りました。
そのうえで佐藤さんは「きょう判決は出ましたが、『なぜ』の部分の真実が明らかにされないかぎり、今後も同じことが繰り返されるという思いも強くなりました」と語りました。
小学3年生の長男を亡くした佐藤美広さんは「この裁判を訴える前から、子どもたち74人が死んだことについて問い続けてきました。
先生というのは、子どもの命を預かることを覚悟したうえで教員の職についてほしいと思っています。
子どもを守ると言うことをきょうの判決を受けて心に刻んでほしい」と話していました。
小学5年生の次女を亡くした紫桃隆洋さんは「判決が出て、学校で先生が予見できたという意味で、子ども達は『救えた命、助かった命』だったということを改めて感じました」と述べました。
そのうえで紫桃さんは「石巻市と宮城県側も『先生は予見できなかった』と主張を続けてきましたが、判決は『予見できた』ということだった。『なぜ予見できた先生が動けなかったのか』は、今回の判決ではまだ分かっていません。『命を救えなかった』という部分では、これから本当の検証が始まる」と語りました。
原告側の吉岡和弘弁護士は、判決後の記者会見で、「金額的には1億円の請求に対し認められたのは6000万から6500万という問題はあるが、責任を認めてもらいたいという思いで提訴した部分は、原告の皆さんも『認められた』という思いだろう」と述べ、判決の内容に一定の評価をしました。
そのうえで吉岡弁護士は「宮城県知事や石巻市長は速やかに判決に従うべきだ。もし被告側からの控訴がないのであれば、原告側から控訴することはないかもしれない。
一方で、被告側が控訴するのであれば、原告側としても対応を検討していきたい」と述べました。


判決を迎えた遺族の思い
原告の1人、紫桃隆洋さん(52)は大川小学校で5年生だった次女の千聖さんを亡くしました。
千聖さんを亡くしてから紫桃さんは毎日のように大川小学校を訪れ、日々の出来事を報告するのが日課になりました。
判決を迎えた26日も午前8時ごろ大川小学校を訪れ、慰霊碑の前で手をあわせました。
そして千聖さんに26日、判決が言い渡されることを報告しました。
紫桃さんは「娘に『学校が判断を誤り命を守れなかった。ごめんね』と報告したい。二度とこのようなことが起こらないよう判決では学校の責任を認めてほしい」と話していました。
このあと、自宅に戻った紫桃さんは妻のさよみさんと並んで仏壇に手を合わせました。
そして千聖さんの写真とお気に入りだった白いマフラーを大切に持って裁判所に向かいました。
紫桃さんはこのマフラーを身につけてほかの遺族と一緒に裁判所に入り、廷内では表情を変えずに一点を見つめて判決を聞きました。
判決のあと、紫桃さんは「学校に責任があったことをようやく認めてもらい、亡くなった娘に報告したい。市と県、学校には命を預かる学校、先生の責任の重さを受け止め二度と同じ悲劇を起こしてほしくない」とときおり涙を浮かべながら話していました。


判決を受け石巻市や県は
判決のあと、被告の石巻市が会見を開き、亀山紘市長は「東日本大震災の際に、大川小学校の多くの児童が犠牲になったことについて、改めてご冥福を申し上げる」と話したうえで、「ご遺族の思いや心の痛みに真摯に対応してきたつもりだったが、石巻市の主張が認められなかったという結果については大変重く受け止めている」と述べました。
また亀山市長は、「判決の結果に関わらず、学校の防災教育を含めて安心安全なまちづくりを進めていくことが課題であり、この悲劇をしっかりと伝承していかなければならない」と話しました。
そのうえで控訴について、「判決の内容をしっかりと精査したうえで宮城県とも話し合いを進め、できるだけ早い段階で判断したい」と述べました。
また、判決について宮城県の村井知事は、「改めて亡くなった児童の皆さんのご冥福を心からお祈りします」と話したうえで、控訴については「宮城県の主張が認められなかったことは受け止めなければならないが、今後どうするかは判決文を精査し石巻市とよく協議をして判断したい」と述べました。
そして、宮城県教育委員会の高橋仁教育長は「犠牲となられた児童の皆様のご冥福を改めて、お祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。県の主張が受け入れられない結果となりましたが、今後、判決文を精査し、石巻市とも協議した上で対応を検討してまいります」とコメントを出しました。


大川小学校を訪れた人たちは
判決の言い渡しが行われた26日午後、石巻市の大川小学校には地元の人などが訪れ、校舎の前で手をあわせ祈りをささげていました。
このうち、大川小学校の前で判決を伝えるニュースをラジオを聴いていた石巻市の69歳の男性は「私も被災したので判決がどういう結果でも子どもたちを弔いたいと思いここに来ました。遺族の方たちの訴えが認められよかったと思います」と話していました。
また、仙台市の81歳の男性は「ここに30回以上来ています。判決を聞いて『本当によかったね』と祈りました。この教訓を忘れないことが大切だと思います」と話していました。


判決が認定した51分間
遺族は裁判を通じて地震の発生から津波が到達するまでの51分間に学校で何があったのかを明らかにしてほしいと裁判を起こしました。
判決が認定した51分間です。
平成23年3月11日午後2時46分、大川小学校で激しい揺れに襲われました。
学校では揺れが収まったあとに校庭への避難を開始し、午後3時ごろまでに100人あまりの児童と11人の教員全員の避難を終えました。
当時、学校では校長が不在だったため、教頭が避難の指揮を執りました。
校庭では地震の直後から児童を迎えに来た保護者が続々と訪れたほか、地域の住民も避難してきて、学校側は対応に追われました。
学校では午後3時前から、大津波警報の発令や沿岸に近づかないように呼びかける防災行政無線の音声が流れていました。
しかし当時はこの学校が津波からの避難場所に指定されていることなどから、学校は校庭にとどまり続けました。
この間、一部の住民が教員に「津波だから高いところへ登れ」と言ったほか、児童を迎えに来た保護者の中にも、学校の裏山を指しながら「山に逃げて」と話す人もいました。
一方で、「学校にいた方が安全だ」と話す住民もいたということです。
地震から40分あまりが経過したころ、学校近くの沿岸部に巨大な津波が到達し、近くで広報車を運転していた市の職員が松林を襲う津波を目撃しました。
この職員は遅くとも午後3時半までに、広報車で津波が松林を襲ったことを告げ、高台への避難を呼びかけました。
当時校庭にいた教職員の中で唯一生き残った男性教員は、この広報車の呼びかけを聞き、教頭に「危なくても山へ逃げますか」と問いかけたと言います。
その後、学校は裏山ではなく、標高7メートルあまりの川沿いの交差点に移動することを決め、午後3時35分ごろまでに歩いて校庭を出発しました。
そして、その途中で津波に襲われました。
学校に津波が到達したのは、地震発生から51分後、午後3時37分ごろでした。


判決に津波訴訟の専門家は
今回の判決について津波訴訟に詳しい東京大学大学院法学政治学研究科の米村滋人准教授は、「大きな地震で気が動転し判断が難しい状況でも、津波が来るという情報を得た以上、学校は避難行動をとるべきだったとして賠償を認めていて、市や学校関係者などにはかなり厳しい判決だ。裏山ではなく交差点付近に避難したことについて市側の過失を認めたのは、原告の主張のままで、かなり原告側の立場に立った判断が下されたと感じている」と指摘しました。
一方、危機管理マニュアルで学校側が事前に避難の手順や場所を整備する義務があったという原告の主張が認められなかった点については、「これまで経験したことがない災害で、大きな津波が想像できなかったことが考慮されたと考えられるが、今回の判決とは別に、今後、教育現場では事前にしっかり防災計画や防災教育などを整備しておくことが重要だ」と話していました。


【「大川小津波訴訟」勝訴】 「その日ばっかりは、一目散に逃げてほしかった」…12歳の雄樹君を亡くした佐藤和隆さん 
「子供は悪くない」…悲劇語り継ぐ
 宮城県石巻市の北上川河口から西に4キロ。強い風が吹きすさぶ中に大川小の被災校舎がぽつんと立つ。当時6年生の三男、雄樹君=当時(12)=を亡くした佐藤和隆さん(49)が、訪問者たちにこの場所で起きた悲劇を語る。
 「あの近くで、雄樹は見つかりました」。校舎から先を指さし説明する。雄樹君はあの日の朝、黒のダウンを着て登校したが、見つかった遺体はグレーのパーカー姿だった。
 「寒かっただろうな」とふと思い出す。5年半の月日が流れても、校舎の前に立ち、息子のことを話すのはつらい。
 でも、最もつらく悲しい思いをしたのは亡くなった子供たち。それに比べれば、大したことはない。「事実を伝えることができるのは、生かされた大人である俺たちしかいない」。自身をそう奮い立たせる。
               ×  ×  ×  
 「宝物だった」。三男坊の小学6年生。兄の姿を見てきたからか、小学生にしては大人びた部分もあったし、三男らしい幼さもあった。大人に向けて背伸びしたい時期だが、ふとしたときに甘えてくるなど、親から見ると幼い部分がまだまだあった。
 震災直後の4月には石巻市立大川中に進む予定で、野球部に入りたいと言っていた。運動神経もよく、キャッチボールは年々上手になっていた。元気でいてくれたら、少しずつ親離れしていったのだろう。
 佐藤さんは震災後、友人に誘われ市内の水耕栽培工場で勤め始めた。津波で浸水し、廃校となった大川中の跡地に工場は建っている。働き始めてから数カ月たった頃、ふと思った。ここは、息子が生きていれば毎日通っていたはずの場所だ−。
 「何で俺が毎日通ってるんだろう」
 「山さ上がろう」。あの日、校庭で待機していた雄樹君が、先生に裏山への避難を訴えていたと生き残った児童は証言した。
 〈はっきり意思を示したのは雄樹らしい。ただ、雄樹の“らしさ”を出すなら、大人の言うことなんか聞かないでよかった〉
 「先生の言うことを聞くんだぞ」。やんちゃな息子にそう言い聞かせていたことさえ、悔やまれる。
 「その日ばっかりは、一目散に逃げてほしかった」
 息子は「ここにいたら死ぬかもしれない」と意識したまま死んでいったかもしれない。そう考えると胸が締め付けられる。
 しかし、石巻市教育委員会は助かった子供の聞き取りメモを廃棄。山に逃げようと訴えた児童の存在も記録に残されなかった。
 市は子供たちの証言を“隠蔽(いんぺい)”した。なかったことにするのは許せない。佐藤さんらは学校を管理していた石巻市と県を相手取って裁判を起こした。
 民事裁判を起こす以上、損害賠償を請求せざるをえないが、裁判では賠償責任の判断が優先され、遺族が知りたい「あの日の真実」を明らかにするのは難しいというジレンマもある。
 それでも、「子供たちは悪くなかった」ということが認められるだけでも成果だ。白黒をつけるには、それしかない。
                   ◇
 東日本大震災の津波で児童・教職員の計84人が犠牲となった石巻市立大川小の児童23人の遺族29人が、市と県に計23億円の損害賠償を求めた訴訟は26日、仙台地裁で判決が言い渡され、学校側の過失を認定し計約14億円の支払いを市と県に命じた。「なぜ、最愛の我が子は犠牲になったのか」。真実を究明するために提訴してから2年半。判決を迎えた遺族の心情を追った。(上田直輝)


【「大川小津波訴訟」勝訴】 「ここに来れば娘に会えるような気がする」9歳の長女、未捺さんを亡くした只野英昭さん
「『会いに来たよ』と、娘に語りかけている感覚で訪れている」
 吹きさらしになったままの石巻市立大川小の被災校舎で、只野英昭さん(45)は掃除を続けている。当時5年生だった長男の哲也さん(17)は一命を取り留めたが、3年生だった長女、未捺(みな)さん=当時(9)=は津波の犠牲となった。
 「『会いに来たよ』と、娘に語りかけている感覚で訪れている」
 おとなしく照れ屋さん。東日本大震災直前のバレンタインデーにはちょっぴり恥ずかしそうにチョコを渡してくれた。結局、チョコは甘い物が好きな未捺さんと一緒に食べた。
 ホワイトデーには何を買ってあげようか。今乗っている哲也君の“お下がり”の自転車を買い替えてあげることも考えたが、おもちゃのピアノしか持っていなかったため、電子ピアノを買うことにした。
 未捺さんはピアノ教室に通い、日に日に上達していた。震災が起こったのは、電子ピアノの配達予定日の3日前のことだった。
 未捺さんは震災から9日後に発見された。妻のしろえさん=当時(41)、父の弘さん=同(67)=も亡くなった。「申し訳ありませんが、(ピアノを)キャンセルしたい」。業者に涙声で事情を説明した。
 震災から3年余り。墓地を建て直したとき、未捺さんのためにピアノの形をした物入れを備えた。
 「やっと、約束のお返しを届けたよ。ママとおじいちゃんに弾いてあげてね」
 震災後、只野さんは哲也君と一緒に家族の思い出の場所に足を運んだ。
 最初はどこにも行けなかったという。レストランに行き、いつも4人で座っていた席に2人で座る。思わず涙がこぼれた。
 それでも、ありとあらゆる場所に行った。雄勝町の公園を訪れたとき、哲也さんが「未捺とここに来て、遊んだよね」とつぶやいた。それを聞いて、『こいつも前向きになれたんだろうか』とも感じた。
               ×  ×  ×
 一方で、市の遺族に対する説明会での対応には落胆するばかりだった。震災発生当時の状況をつぶさに語った哲也さんの証言は、「子供の記憶は変わる」として切り捨てられた。
 悪しき前例は作りたくない。繰り返してほしくもない。「このままにはできない」。そんな思いで提訴に踏み切った。
 本来ならば、裁判にもつれこむような話ではないと思う。「こんな事やってるうちに、『次の大川小の悲劇』があったらどうするんだ」と憤りを感じる。
 仕事や裁判を進める傍ら、被災校舎に通い続けた。掃除をしたり、訪れた人たちを案内したり。ここで起きた悲劇を伝えてきた。「この場所に来てくれた人に、ここで何があったのか知ってもらいたい」
 つらいからと言って、何もしないわけにはいかない。しろえさんに「あんた、何してきたの?」と怒られてしまう。それより「ご苦労さま」と言ってもらいたい。そんな思いで、やれることを精いっぱいやってきた。
 最愛の娘を亡くした悲しみは癒えない。あの日、児童たちが裏山に避難せず、結果として津波にのまれた「空白の51分」がずっと続いているような感覚だ。
 「判決が出るまで、あの日をさまよっているような気がする」(上田直輝)


【大川小津波訴訟】 津波襲来「市広報車呼び掛け後は予見できた」と認定
 仙台地裁判決では、最大の争点となった津波到達の予見可能性について、「市広報車が大津波の襲来を告げているのを教職員が聞いた段階で予見できた」と認定した。
 判決によると、教職員は震災当日の午後2時46分以降、児童を校庭に避難させて待機させた。その後、学校脇を流れる北上川の堤防を目指して児童を引率し、川を乗り越えた津波に巻き込まれた。
 注意義務違反についての分岐点が、市の広報車が津波に関する呼びかけを行った午後3時半だ。広報車は津波が川下の松林を越えてきたことを告げ、高台への避難を促していた。判決は「それ以前の津波の危険性は抽象的で予見は困難だったが、呼びかけ後は津波の襲来を具体的に予見できた」として注意義務に違反すると判断した。
 一方、裏山への避難については、「徒歩でも2分程度、小走りだと1分程度で足りた」「傾斜のきつい所もあるが、過去にシイタケ栽培の学習の場として使われ、避難場所として具体的支障はなかった」ことなどを挙げて避難すべきだったと指摘した。
 その上で、教員について「自らの判断で避難できない児童の安全を確保すべき義務を負う」として、結果回避義務違反があったと判断した。


大川小津波訴訟 遺族「娘は救えた命だったと改めて…」
「学校が子どもを守るのは当然、司法で確認したに過ぎない」
 東日本大震災の学校現場で最悪の犠牲者数となった宮城県石巻市立大川小学校について、想定を上回る津波でも児童を守るべきだったと司法が明確な判断を下した。「悲惨な過ちを繰り返さない」。26日の判決後、原告遺族は安堵(あんど)の表情を浮かべながら、学校の防災体制の検証を今後も続けると誓った。【百武信幸、本橋敦子】
 「未来の命につながる判決。死んだ子は生き返らないが、事故を防ぎ次の命を守れば亡くなった子の生きた証しになると思って……」
 大川小6年だった長男大輔さん(当時12歳)を亡くした今野浩行さん(54)は、仙台地裁前で涙を浮かべた。
 今野さんは原告団長として訴訟の先頭に立ってきた。大輔さんも含め子ども3人を津波で奪われ、夫婦げんかが絶えないこと、子どもが欲しくて不妊治療を受けていることを打ち明けてきた。勤務先の電気設備会社も提訴2カ月後の2014年5月、「迷惑を掛けられない」と退職した。
 今も大輔さんの同級生の言葉が耳に残る。「大ちゃんたちは山に逃げようと泣きながら訴えていた」。今野さんは「あの日に戻り、助けられたら。せめて一緒に死んでやりたかった」と悔やむ。
 会見では「想像できるでしょうか。死ぬかもしれない恐怖の中で死んだ子どもたちのことを」と訴え、「判決は一定の評価をしたいが、命を預かる学校が子どもを守るのは当然で、司法で確認したに過ぎない。本当の検証作業の戦いは裁判が終わってからになると覚悟している」と言い聞かせるように語った。
 同じく会見に並んだ遺族たちも学校防災への思いを語った。3年だった長男の健太さん(当時9歳)を亡くした佐藤美広(みつひろ)さん(55)は「親としてやってきたことは間違いではなかった。教員になる人は、子どもを守る覚悟を胸に判決を心に刻んでほしい」と語気を強めた。
 5年だった次女の千聖(ちさと)さん(当時11歳)を亡くした紫桃隆洋さん(52)は「先生たちは津波を予見したと認められ、娘は救えた命だったと改めて感じた」と話す。一方、避難マニュアルの具体化など防災体制の過失は認められず、「なぜ(速やかに)避難できなかったのか、これから本当の検証が始まる」とかみ締めた。
 また「精神的苦痛を受けた」と主張する学校側の震災後の説明不足なども認定されず、判決には不満も残る。6年の長男堅登(けんと)さん(当時12歳)を亡くし、4年だった長女巴那(はな)さん(当時9歳)の捜索を続けている鈴木義明さん(54)は「遺族が苦労したことも重くみてもらいたかった」と悔しさをにじませた。
 原告以外の遺族もこの日、法廷で耳を澄ませた。「亡くなった先生を責められない」「当時のことを考えるのはつらい」。訴訟に参加しなかった理由はさまざま。6年だった次女みずほさんを亡くした佐藤かつらさん(51)は「学校は児童の命を守るものという当たり前のことを、やっと言ってくれた」と話した。


大川小津波訴訟 原告以外の遺族は
大川小学校では児童74人が犠牲になっていますが今回の23人を除く51人の遺族は裁判に加わりませんでした。このうち小学6年生だった次女を亡くした佐藤敏郎さんは教訓を伝える活動に最優先で取り組みたいと裁判に加わりませんでした。26日の判決について佐藤さんは「震災から6年目に入り被災地以外で大川小の出来事が忘れられている気がする。そうした中、今回の判決を命を守る基準とし社会全体でもう一度、大川小の教訓について考え、防災の取り組みを積み重ねていくことが求められると思う」と話しています。

大川小津波訴訟 死亡した教員の遺族は
大川小学校では児童74人のほか教職員10人も犠牲になりました。このうち大川小学校の教員だった父親を亡くした佐々木奏太さん(21)は26日、裁判所を訪れ判決を傍聴しました。判決のあと、佐々木さんは「あの日の出来事に示された司法の判断を重く受け止めたいと思います。父親には『お父さんが守れなかった命の分まで次の世代の命を守れるよう自分のできることを頑張ります』と伝えたい」と話していました。

鹿児島から支援11回目 青果1.2トン、仮設住民に配る 石巻
 東日本大震災からの復興支援のため、物資を積んだ2トントラック「エスペランサ号」が23日、鹿児島県から石巻市向陽町5丁目の仮設住宅団地内に到着した。キャベツやかんきつ類、唐芋など計1200キロを仮設住宅で暮らす住民約150人に届けた。
 企画したのは、鹿児島県鹿屋市の唐芋菓子製造業「フェスティバロ社」。2011年夏から「こーぷ福祉会」(仙台市)が橋渡し役となり、毎年春と秋に唐芋などを載せたエスペランサ号で支援を続けている。
 11回目となる今回は、心待ちにしていた住民が開始時間前から約40メートルの列を作った。配布された袋にずっしりと詰まった愛情いっぱいの支援に、被災者は笑顔だった。
 仮設住宅に入居して5年になる女性(77)は「継続的な支援はありがたい。唐芋は天ぷらやふかし芋にして味わいたい」と話した。
 野村春仁社長(50)は「支援をしてきた中で、地域住民と顔なじみになってきた社員もいる。これからも(仮設住宅がある限り)物資提供を続け、被災者を支えていきたい」と述べた。


津波 「てんでんこ」7割知らず 「薄情」と感じる人も
 「津波が来たら家族ら他人のことに構わずすぐに避難しろ」という意味の「津波てんでんこ」という言葉について、7割の人が知らないうえ、多くの人が「自分だけ助かればよい」という自己中心的な行為だと感じるとの調査結果を、東洋大の及川康准教授(災害社会工学)がまとめた。本来は各自で避難することを事前に家族で話し合っておくことなども含めた心構えを示した言葉だが、浸透していない実態が浮かんだ。
 「てんでん」は「てんでんばらばらに」という意味。岩手県大船渡市出身で子供のころに昭和三陸大津波(1933年)を経験した津波研究家の山下文男氏(故人)が広め、東日本大震災を機に津波防災の啓発で改めて注目されている。
 調査は2014年度、インターネット調査会社の全国の登録者を対象に年代や地域が偏らないよう調整して実施、767人が回答した。このうち約7割にあたる529人が「津波てんでんこという言葉を聞いたことがない」と答えた。この529人に言葉の意味を知らせたうえで、津波てんでんこに賛同するかしないかを尋ねたところ、約7割が「賛同しない」と回答した。「薄情だ」「利己主義」などネガティブに受け取る人が多かった。
 京都大防災研究所の矢守克也教授(防災教育学)は、「津波てんでんこ」には迅速な避難で自分の身を守るという直接的な意味に加え、避難する姿を見せることで他者の避難を促進する▽事前にそれぞれが避難するという信頼関係を構築する▽自分だけが助かってしまったという生存者の自責の念を軽減する−−などの意味があると指摘する。
 表面的な言葉だけが独り歩きすることを懸念する防災関係者も多く、及川准教授は「津波てんでんこという言葉を繰り返すだけでは、防災に生かせない。丁寧にその意味を説明することが必要だ」と話した。【飯田和樹】


被災地再生住民の手で 仙台の町内会が学習会
 東日本大震災で被災した地域の再生に取り組む仙台市宮城野区岡田の新浜町内会が23日、地元の自然や歴史に触れる学習会を開いた。新浜海岸や貞山堀周辺を巡って石碑などを見学したほか、一帯の自然環境の再生を目指す専門家らの話を聞いた。
 住民主体で地域づくりを考えようと企画した学習会は2回目で、町内会関係者や学生ら約60人が参加。前半はバスで新浜海岸周辺を回った。貞山堀沿いにあり、震災で流失した汀沈(ちょうちん)稲荷神社の跡地では、町内会顧問の瀬戸勲さん(73)がかつて住民の憩いの場として親しまれた歴史を紹介した。
 後半は東北学院大の菊池慶子教授(日本近世史)と教授のゼミで学ぶ学生が、地区に残る石碑や地蔵などに関するフィールドワークを基にした新浜海岸での植林の歴史や人々の暮らし、信仰について報告した。
 新浜地区は400年以上続く半農半漁の地域。震災で被災し、150世帯あった住宅は半分近くに減ったが、町内会が復興に向けた独自のアクションプランや海を生かしたまちづくり計画を作成するなど地域再生に主体的に取り組んでいる。
 瀬戸さんは「先人の思い入れの深い場所だからこそ、流失した神社などを再興させたい。勉強会を開くことで老若男女が集い、地元の歴史を受け継ぐとともに交流を大切にしていきたい」と語った。


津波で7万本流失…高田松原復活へ
 東日本大震災で1本を残して約7万本のマツが流失した岩手県陸前高田市の高田松原の再生を目指し、岩手県は25日、復旧工事中の跡地に苗木を試験的に植栽した。
 県や地元のNPO法人「高田松原を守る会」の会員ら約40人が参加。暴風柵で囲んだ400平方メートルに、生育2〜3年のクロマツやアカマツの苗木約150本を植えた。肥料や土、植栽時期など条件を変えて適切な生育環境を調べる。
 計画では、高さ4メートル前後まで盛り土をした全長約1.8キロ、約8ヘクタールに約4万本を植える。来年度から3年かけ、県が約3万本、守る会が約1万本を担当。震災前に高田松原で拾われた松ぼっくりから種を採って育てたゆかりの苗木も約600本ある。
 守る会の鈴木善久理事長(71)は「多くの思い出がある高田松原の復活への第一歩で感無量だ」と話した。
 高さ20メートルほどの松林に育つまでは約50年を見込む。


「漂流ポスト」の手紙を供養
東日本大震災で亡くなった家族や友人に宛てて陸前高田市にある「漂流ポスト」と呼ばれる郵便受けに届いた手紙が26日、地元の寺で供養されました。
「漂流ポスト」は陸前高田市で喫茶店を営む赤川勇治さん(67)が東日本大震災で家族や友人を亡くした人たちの心を癒やそうと、2年半前、店の前に設置した郵便受けです。
手紙は全国から寄せられ、これまでにおよそ400通が届いているということです。
26日はポストの近くにある「慈恩寺」でこの1年間に届いたおよそ100通の供養が行われ、住職が読経をあげる中、赤川さんは静かに手を合わせて、祈りをささげていました。
「漂流ポスト」に届いた手紙には、「頑張っているから安心してほしい」とか「もっと生きてほしかった」など、大切な人を思い続ける気持ちがつづられています。
赤川さんによりますと、遺族からは「書くことで気持ちが癒やされた」などといった声が寄せられているということです。
赤川さんは「ことしも無事、供養ができてほっとしている。悲しくなった時はまた手紙を書いてほしい」と話していました。


再稼働「現状では認めぬ」 米山知事 就任会見で強調
 25日に就任した米山隆一知事は初めての記者会見に臨み、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働について「現状では認められないという立場を堅持したい」と述べ、知事選の公約と同じ考えを改めて強調した。その上で、県技術委員会の検証結果に関し「4年間で出ないというのは、普通に考えればない」とし、2020年10月までの知事任期中に結論が示されるとの見通しを示した。日本海横断航路計画の中古船購入問題については、速やかに解決する方針を重ねて示した。
 再稼働問題については「県民の命と暮らしが守られない現状では認められない。徹底的な検証を技術委員会で進める」と、従来の考えを繰り返した。同時に「対話を閉ざすことはない。関係各所と協力体制を築き、しっかり対処したい」と述べた。
 柏崎刈羽原発の安全性を議論する県技術委員会の検証の見通しに関しては「重視するのは合理的な判断。完全な回答は常に出てこないが、一つの判断指針となるレベルまで検証したい」との考えを示した。
 船の売り主の韓国企業が損害賠償などを求めて、買い主の県の第三セクターを提訴した日本海横断航路計画の中古船購入問題に関しては「いつまでも争うことではない。可能な限り速やかに解決したい」とした。問題の責任については「(原因)解明のプロセスも進め、きちんと公表したい」と語った。
 また今国会で焦点となっている環太平洋連携協定(TPP)の承認案について「(コメなど重要5項目の)聖域が全く守られていない」と批判し、現在の政府与党案への反対を表明した。その上で「本県を含む日本農業に対する影響は甚大のように見える」とも述べ、TPPが批准された場合の本県農業などへの影響を検証し、国に提示する考えを明らかにした。
 米山知事は新人4人が出た16日の知事選で初当選。共産、自由、社民の野党3党の推薦を受けて戦い、本県初の野党系知事となる。3期12年の任期を終えた泉田裕彦氏と交代した。魚沼市(旧湯之谷村)出身。東大卒。医師で弁護士。


「土人」発言の背景…警官に極右ヘイト思想を教育する警察専用雑誌が! ヘイトデモ指導者まで起用し差別扇動
 安倍政権が沖縄県高江で強行している米軍ヘリパッド建設をめぐり、大阪府警の機動隊員が反対派市民に「ボケ、土人が」「黙れコラ、シナ人」などと差別発言をした事件で、府警は「軽率で不適切な発言で警察の信用を失墜させた」として発言者2名を懲戒免職にした。
 しかし、これは2名の機動隊員がたまたま差別思想をもっていたという話ではない。実は、警察組織の中では、こうした沖縄差別、外国人差別は日常化しており、今回の一件はそれがたまたま露呈したにすぎない。全国紙の公安担当記者がこう解説する。
「警察組織内部、とくに警備や公安の間で、沖縄の基地反対派への差別的な悪口がかわされるのは、けっして珍しい話じゃない。彼らは、基地反対派にかぎらず、共産党、解放同盟、朝鮮総連、さらには在日外国人などに対しても、聞くに堪えないような侮蔑語を平気で口にする。我々の前でもそうですからね。これにはもちろん理由があって、警察では内部の研修や勉強会、上司からの訓示など、さまざまな機会を通じて、警察官に市民運動やマイノリティの団体、在日外国人などを『社会の敵』とみなす教育が徹底的に行われるからです。その結果、警察官たちには、彼らに対する憎悪、差別意識が植え付けられていく。軍隊ではよく、敵国の人間を自分たちとまったくちがう下等な生物扱いをして兵隊の戦意を煽るといいますが、それとまったく同じやり方ですね」
 実は、こうした警察の“差別思想養成教育”の存在を裏付けるような話をキャッチした。警察では「専門の雑誌を使って、極右ヘイト思想を警察官に植え付けている」というのだ。
 その専門の雑誌というのは「BAN」(株式会社教育システム)。聞きなれない名前だが、警察官しか読むことのできない警察官のための月刊誌だという。
「『BAN』は警察官専用の『29万人のための総合教養情報雑誌』というフレコミで、警官の昇進試験の対策本を出版している警察の天下り会社が発行しています。警官ならば、直接購入もできますが、そのほとんどは各警察署の図書係を通じて購入するシステムです。たしか警察の図書係を通じて買うと、割引になるんじゃないですかね。各警察署で推薦、斡旋もしていますし、いわゆる警察の“推薦図書”“専用雑誌”ですね」(警察関係者)
 ところがその“警察推薦専用雑誌”の最新号、2016年11月号を調べてみると、とんでもない人物が寄稿していることがわかった。同号は「どうする沖縄 米軍基地の今後」という特集を組んでいるのだが、あの恵隆之介氏が寄稿しているのだ。
 恵氏といえば、沖縄出身のジャーナリストを自称しているが、元海上自衛隊で基地反対派に“デマ攻撃”を仕掛けてきた人物。たとえば、先の沖縄県知事選では“翁長氏の娘は北京大学に留学”“その娘の婿は中国太子党出身”などとメディアで語っていたが、当時、翁長氏の娘は「埼玉の小さな大学」におり、未婚だった。
 しかも、今回の機動隊による「土人」「シナ人」差別発言についても、恵氏はFacebookでこんな投稿をしていた。
〈昨年、翁長知事は国連人権委員会で「沖縄人は先住民、自決権を尊重せよ」と自己差別的発言をしました。要するに自らを一種の「土人」とアピールしたのです。
 今度は大阪府警の機動隊員が基地反対派左翼に「土人」と発言しただけで「差別」ですって?〉
「土人」の意味を強引にすり替えることで、かえって自身の差別意識をさらけ出している恵氏だが、恐ろしいのは、警察推薦の雑誌がこんなトンデモな言論を放つ人間を堂々と起用していることだろう。
 もちろん内容も推して知るべしで、くだんのFacebookで恵氏は「BAN」に書いた記事をこう紹介している。
〈私は幸運にも本日発売の全国警察官雑誌「BAN」沖縄特集にその実態を書きました。要するに恩知らずの左翼をグサリと批判しました。
 沖縄に派遣されて基地反対派に罵声を浴びせられながらも必死に国家秩序維持に頑張る警察官諸兄に大きなエールとなると確信します。〉
 恵氏の文章が警察官の沖縄差別、基地反対派への憎悪を煽ることになるのは確実だが、「BAN」のこうした偏向記事は同号だけの話ではない。バックナンバーを見てみると、執筆者や登場人物には、極右、ヘイト言論人がずらり。そのラインナップは「正論」(産経新聞社)や「WiLL」(ワック)と同じ、いや、「ジャパニズム」(青林堂)レベルの“ネトウヨ雑誌”かと見紛うほどなのだ。以下、ざっと挙げてみよう。
 まずインタビューの人選からして、その傾向がモロに出ている。数々の歴史修正発言を繰り返し、沖縄ヘイトにも定評のあるネトウヨ作家の百田尚樹氏(15年9月号)、大物保守論客でこれまた歴史修正主義者である渡部昇一上智大学名誉教授(14年11月号)に西尾幹二電気通信大学名誉教授(14年9月、8月)、近年では報道弾圧活動も行っているイエローハット創業者・鍵山秀三郎氏(14年7月)、嫌韓ヘイト本や歴史修正本を量産している呉善花拓殖大学教授(14年2月)。
 外国人に対する差別意識の植え付けと思しき記事もある。たとえば、16年9月号で「初めて明るみに出る『在日』外国人犯罪の実態」と題した記事を寄稿しているのは、ネトウヨ雑誌「ジャパニズム」常連の元警視庁通訳捜査官・坂東忠信氏。坂東氏は「BAN」の常連でもあるのだが、今年10月発売の著書『在日特権と犯罪』(青林堂)のほか、これまで多くの反中嫌韓本・ヘイト本を上梓してきた。
 また、「BAN」を購入できるのは警察職員のみにもかかわらず、歴史認識の特集が多いのも特徴的だ。14年11月号の特集「『慰安婦問題』って何?――反日を加速させる韓国といかに付き合うか」は、タイトルからしてネトウヨ雑誌さながら。寄稿者は“慰安婦問題は存在しない”が持論の「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)会長・西岡力氏、「平成文化チャンネル桜」キャスターで最近積極的に沖縄ヘイトを展開している大高未貴氏らである。
 歴史認識に関しては、15年6月号から同年12月号にかけても複数執筆者による「戦後70年シリーズ〜戦後史はここから始まった〜」なる連載を行っているのだが、その執筆陣は、戦前の修身教育復活を提唱する小池松次氏、戦後日本や憲法への攻撃を繰り返す作家の吉本貞昭氏、そして保守系コミンテルン陰謀史観でおなじみの倉山満氏だ。
 さらに、日本最大の極右団体「日本会議」に関わる人物の姿までちらつく。たとえば年始の特集では、2年連続(「平成27年 躍進する日本」「平成28年 輝け日本」)で新田均皇學館大学教授が登場。14年3月号では高橋史朗明星大学教授が「立ち直りに欠かせない『親学』」なる記事を寄稿している。両者は日本会議の事務方的存在といわれる元生長の家活動家グループだ。
 他にも、「BAN」の過去3年間の寄稿者をあげていくと、一色正春氏(元海上保安官)、潮匡人氏(評論家)、加瀬英明氏(外交評論家)、河添恵子氏(作家)、黄文雄氏(評論家)、渡邉哲也氏(経済評論家)……などなど、タカ派国防論者から日本スゴイ本やヘイト本著者、日本会議代表委員、さらにはネトウヨツイッタラーまで勢揃い。
 しかし、一番驚かされたのは、06年11月号の特集「外国人犯罪の現場」だ。なんとこの特集に、近年のヘイトデモの中心人物のひとりである瀬戸弘幸氏を登場させ、持論を展開させているのだ。
 瀬戸氏はネオナチ思想に傾倒し、在特会の桜井誠元会長や、主権回復を目指す会代表の西村修平氏らとともに、「行動する保守」を名乗る運動を牽引してきたキーパーソンで、「NPO外国人犯罪追放運動」なるヘイト団体の顧問も務めている。2010年代に各地のヘイトデモが社会問題化するなか、警察はなぜヘイトスピーチの被害者ではなくヘイトデモ隊を守るのかと批判が殺到していたが、ヘイトデモの代表的存在が警察専門誌に登場していたのだとすれば、それも納得がいく。
 それにしても、極右言論界とヘイト界隈をごった煮にしたようなこんなトンデモ編集方針の雑誌を、中立公正であるべき公務員の警察が組織をあげて推薦し、図書係を通じて購読を斡旋していたというのは、今更ながら問題の根深さを感じずにはいられない。
 いや、警察はたんにこの雑誌を斡旋していただけではない。「BAN」の発行元である株式会社教育システムは、前述したように警官の昇進試験の対策雑誌や警官向けの専門書を出版している会社なのだが、同社には多数の警察OBが天下りしている。そして、同社の代表取締役に名前を連ねているのは、元神奈川県警監察官室長のT氏なのだが、このT氏は神奈川県警時代、不祥事事件で、逮捕、起訴されているのだ。
 この不祥事は、県警の外事課警部補が覚せい剤使用を打ち明けたにもかかわらず、本部長の指示により組織ぐるみで事実をもみ消しそうとした事件。当時“警察の警察”とよばれる監察官の室長の役職にあったT氏は不祥事を正す立場にありながら、具体的な隠蔽工作を主導したとされ、本部長の共犯として執行猶予付きの有罪判決を受けた。
 そんな人物に、警察の昇進試験対策の出版物を取り扱う会社を任せ、半独占的に警察に出入りする権利を与えているというのは、さすが身内に甘い警察というしかないが、いずれにしても、この天下り会社と警察組織の関係を考えると、同社が発行している「BAN」の内容は、当然、警察上層部の意向を反映したものと言えるだろう。右派界隈の外国人差別や沖縄差別の意識を刷り込み、現場の警官の士気を高める――。
 しかも、「BAN」のケースは、氷山の一角にすぎない。前述したように、警察組織内では差別意識を植え付けるような講演や勉強会が日々行われており、その結果として、今回の高江で「土人」「シナ人」発言が出てきたのだ。
 あらためて指摘しておくが、差別発言を行った機動隊員を処分するだけでは問題は解決しない。この警察の構造的問題の根源を断たねば、その弾圧や暴力の矛先はますます市民に向かっていく。そのことをゆめゆめ忘れてはならない。(編集部)


能年玲奈が主演のアニメ映画プロモで元所属事務所からテレビ局に妨害圧力!? 直前に出演を差し止めた番組も…
 過去の所属事務所であったレプロエンタテインメントからの不当な干し上げと「洗脳報道」を始めとしたメディアを介したバッシングを受け、挙げ句の果てには改名まで余儀なくされた能年玲奈改めのん。
 そんな彼女にまたもや試練が訪れている。のんが主演の声優を務めた長編アニメ映画『この世界の片隅に』が11月12日から公開されるのだが、ほとんどのメディアがこの映画のプロモーションを無視しているのだ。
 テレビ番組では特にその傾向が顕著で、いまのところ、のんが出演した在京キー局の番組は10月19日に放送された『おはよう日本』(NHK)のみ。
 実は、今年8月、『この世界の片隅に』の主演声優としてのんの名前が発表された際、『めざましテレビ アクア』(フジテレビ)への出演が告知されたものの、実際の放送に彼女の姿はなかったという騒動も起きている。急きょ出演がなくなった理由は明かされていないが、その裏には、レプロとそのバックにいるバーニングからの圧力があったのではないかと言われている。
 この映画は太平洋戦争時の広島を舞台にしているため、中国地方で放送されているローカル番組(10月20日放送『イマなまっ!』(RCCテレビ)、11月11日放送予定『てっぺん』(広島テレビ))には出演しているが、通常、芸能人を声優に迎えたアニメ映画は大々的にプロモーションされるのが一般的であるのに対し、この扱いには違和感を抱かざるを得ない。
 このことを考えると、どうしても思い出さずにいられないのは、彼女が改名した直後に宮藤官九郎が「週刊文春」(文藝春秋)2016年7月7日掲載の連載コラムで書いていたエピソードだ。
〈そう言えばトーク番組で『あまちゃん』の話題になり懐かしい映像が流れたのですが、映像使用の許諾が取れなかったのか、アキ(能年玲奈さん)がワンカットも映ってなかった。代わりに前髪クネ男(勝地涼くん)がガッツリ映ってて笑った。あまちゃんは能年さんの主演作ですよ、念のため〉
 ラジオでもこの状況はほとんど変わらない。10月20日に『クロノス』(TOKYO FM)と同日の『荻上チキ・Session-22』(TBSラジオ)に出演しただけで、他には一切露出できていない。ラジオ局もテレビと同じく、プロダクションからの圧力におびえ、出演オファーをかけることのできない状況がつくられていると見て間違いないだろう。
 周知の通り、レプロ側はのんが事務所を離れてからも継続して妨害を続けている。「週刊文春」16年7月28日号の記事によれば、契約が終了する間近の6月下旬、レプロから能年側に、昨年4月から今年の6月まで彼女が事務所側からの面談に応じなかったため仕事を提供できなかったとして、その15カ月分の契約延長を求める文書が送付されてくるとともに、もう一つ申入れがあったと記されている。
 それは、契約が終了しても「能年玲奈」を芸名として使用する場合には、レプロの許可が必要というものであった。「能年玲奈」は本名であるため、前所属事務所に使用を制限される謂れはなく、法的には公序良俗違反でこの契約条項は無効になるのではとの見方が強いが、「週刊文春」の取材を受けたレプロ側の担当者は「一般論として、その旨の契約がタレントとの間で締結されている場合には、当事者はその契約に拘束されるものと考えます」と答えたと言う。
 周知の通り、こうして彼女は芸名を「のん」に変え、再スタートを切ることになるのだが、その皮切りに「FRIDAY」(講談社)16年7月29日号と「週刊文春」16年7月21日号にグラビアで登場した際、またもや騒動が起こる。この二誌が発売された直後、レプロは文書でコメントを発表。15年1月から今年6月までの期間は能年側が仕事や話し合いを拒否していたため契約不履行とみなし、その分の契約延長を申し入れているため、まだ契約は終了していないと主張したのだ。また、能年が改名して活動を再開したことに関し、同社は法的対処も含め検討しているとしている。そういった妨害工作はいまでも続いているようで、10月25日現在でもレプロのホームページ内にはまだ能年玲奈が所属タレントとして掲載されたままだ。
 では、もう彼女の味方をしてくれるメディアはどこにもないのかというと、そんなことはない。雑誌メディアの多くは『この世界の片隅に』に関する記事を掲載しているのだ。
「映画秘宝」(洋泉社)、「キネマ旬報」(キネマ旬報社)、「CUT」(ロッキング・オン)といった映画専門誌。アニメ専門誌の「アニメージュ」(徳間書店)。「エンタミクス」(KADOKAWA)、「月刊ENTAME」(徳間書店)、「EX大衆」(双葉社)といった総合エンタメ誌。「CREA」(文藝春秋)、「SPUR」(集英社)、「リンネル」(宝島社)といった女性ファッション誌までジャンル問わず幅広く『この世界の片隅に』を取り上げている。
 改名直後、復帰に向けたバックアップをした「FRIDAY」「週刊文春」をはじめ、公開週が近づくにつれ、その数はさらに増えていくだろう。
 しかし、すべての出版社がプロダクション側の圧力をはねのけているわけではない。上記のリストのなかに、日本三大出版社と呼ばれる、集英社、講談社、小学館のなかから、小学館の雑誌だけないことがとりわけ目立つ。
 小学館といえば、のんの「洗脳報道」が加熱するなか、同社が発行する「週刊ポスト」「女性セブン」が、彼女は現場マネージャーの心身が壊れるまで恫喝していたと真偽不明な話を掲載するなど、プロダクション側の言いなりとなってバッシングの急先鋒になっていたことは記憶に新しい。両誌、特に「女性セブン」はバーニングに近いといわれる媒体だ。
 おそらく今後も、レプロやバーニングに忖度する姿勢を貫く、テレビ、ラジオ、また、べったりの姿勢の出版社のメディアにのんが出演することは難しいだろう。
 しかし、業界から一旦干されてもネットで再ブレイクしたことにより紅白歌合戦の舞台に戻ることのできた小林幸子の例を見れば分かる通り、現在は既存の大手メディアに頼らずとも十分仕事をすることはできるし、そこで確固たる人気を獲得することができれば、その人気を武器に元の舞台に返り咲くことも不可能ではない。
『この世界の片隅に』は、試写を観た評論家からの評価はすこぶる高く、片渕須直監督の手腕とともに、のんの声優としての演技に絶賛の声が多く寄せられている。映画通として知られ、映画に関する書籍やエッセイも多く著している大槻ケンヂ氏もこの映画について「今までにないタイプの戦争映画ですね。これは文句なしの傑作よ!」(「映画秘宝」16年12月号)と惜しみない賛辞を送っている。
『シンゴジラ』『君の名は。』の大ヒットの例を見るまでもなく、現在の映画業界においてSNSを通じた口コミの宣伝効果は、テレビやラジオなどの既存メディア以上に大きい。前評判の高さからいって、『この世界の片隅に』も口コミからヒットする可能性は十分にあるといっていいだろう。
 女優としての本格的な再スタート作1発目から、のんは最大のチャンスを迎えている。前所属プロダクションの圧力をはねのけ、成功を手に入れることを期待して止まない。(新田 樹)


JR分割民営30年 経営格差の影を見よ
 JR九州が株式上場を果たした。東日本、西日本、東海に続いたが、残る北海道、四国、貨物はめどが立たない。分割民営化から三十年、格差が鮮明だ。
 「本州三社はぬれ手で粟(あわ)で大もうけだが(北海道、四国、九州の)三島会社と貨物は七転八倒だ。国鉄改革法に見直し規定を盛り込むべきだった」。十年以上前に運輸相経験者が発した言葉だ。
 ドル箱路線の東海道新幹線や需要が大きい大都市圏を持つ本州三社は一九九〇年代に上場した。対して三島会社は当初から赤字が見込まれ、国からの持参金(経営安定基金)頼みの経営。当時7%台の高金利で運用益を充てるはずが超低金利で目算は崩れた。
◆のしかかる地方路線
 それでもJR九州はまだいい。マンション開発や駅ビル事業など多角経営で収益源が育った。九州各地の観光地を周遊する豪華列車「ななつ星」が人気を博すなど鉄道ビジネスも花開き、時間はかかったが上場にこぎつけたからだ。
 だが石炭など基幹産業が衰退し、過疎化が急速に進む北海道は特に厳しい。広大な営業区域に寒冷地という険しい条件が加わる。自然災害が起きれば負担は重い。
 社員は効率化の名の下に発足当初の一万三千人からほぼ半減。四百三十五駅のうち無人駅が四分の三以上を占める。今年初めて発表した路線別収支では全区間が赤字であることが明らかになった。自助努力の限界を超え、鉄道の根幹である安全運行すら揺らいだ。
 「自力では維持困難な路線」を近く発表し、地元自治体と協議に入る。だが自治体側にも鉄道維持を支援するほどの財政的な余裕はないだろう。
 JR四国も事情は同じようなものだ。電化や複線化が遅れる一方、明石海峡大橋など高速道路の割引料金で乗客を奪われた。競争力がなかったといえばそれまでだが、政府の場当たり的な交通政策の被害者といってもいい。
◆廃線名乗り上げた夕張
 地方路線の窮状は今や北海道や四国に限らない。JR東日本は東日本大震災で被災した気仙沼線など二路線の鉄路を閉じ、バス高速輸送システムに転換。JR西日本は先月、島根県と広島県にまたがる三江線の廃止を決めた。
 国鉄再建法は、乗客減により鉄道からバスへ転換する目安を四千人未満(一日・一キロ当たり)と定めたが、現在は全JR路線のうちの半分がこれに該当する。
 高収益企業に成長したJR東日本、西日本でも過疎化や予期せぬ災害に遭えば廃線を免れない。言い換えれば、沿線自治体や住民は全国どの路線でも廃線は起こり得ると危機感を持つべきなのだ。
 納得がいかないのは「地方創生」を声高に叫びながら地方路線の存廃問題をJRと地元に任せきりの政府の姿勢である。整備新幹線やリニア中央新幹線に数兆円の財政投融資を決め、建設に前のめりなのとはあまりに対照的だ。
 そもそも国鉄が行き詰まった一因に、政治に翻弄(ほんろう)され続けた面があったはずだ。「我田引鉄」といわれながら全国津々浦々にまで鉄道を敷き、国鉄の巨額の設備投資は政治家の関連企業も受注したといわれた。利権には目ざといが、「負の遺産」の後始末は知らんぷりとの批判は免れまい。
 安倍晋三首相は「整備新幹線の建設加速によって地方創生回廊をできるだけ早くつくりあげる」と意気込むが、切実な地方路線問題にもっと目を向けるべきだ。これでは地域格差がますます広がり、過疎地軽視にならないか。
 北海道新幹線も政治主導で進んだ。だが青函トンネルがJR貨物との共用運行のため、システムコストがかさむうえ速度が百四十キロメートルしか出せないのがネック。今のままではJR北海道の救世主となり得ない。青函トンネルを国策のインフラとして捉え、維持費を国費負担とするなどの支援を考えてもいいのではないか。
 地方路線の整理については、北海道夕張市の対応が参考になる。自ら赤字廃止路線に名乗りを上げ、代わりにJR北海道による公共交通づくりへの協力を求めた。
 「鉄道がなくなると町が衰退する」「安易にバスに代替すれば、いずれバスも廃止されるのではないか」といった不安の声があるのは確かだ。だが、本当に鉄道の方が利便性や経済合理性にかなうのか。バスや乗用車の乗り合いサービスのような、より住民の意向を反映できる仕組みも考えられる。
◆時代にそぐわぬもの
 それでもなお、レールの重みが勝るケースがあるかもしれない。地域の交通の将来像をいかに描くかは住民や自治体の丁寧な議論が欠かせない。同時に時代にそぐわなくなったJR関連の法制度を見直していくことは、政府や政治家が向き合う重い役割のはずだ。



比大統領、2年以内に米軍撤退を 都内で講演、初めて期限提示

 来日中のフィリピンのドゥテルテ大統領は26日、東京都内で講演し「2年以内にフィリピンから外国軍部隊がいなくなってほしい」と述べ、改めて米軍部隊の撤退を求める考えを表明した。ドゥテルテ氏が撤退の期限を示したのは初めて。
 ドゥテルテ氏は講演で、アキノ前政権時代に結ばれ、米軍のフィリピン常駐に道を開いた米比防衛協力強化協定を念頭に「合意を見直したり破棄したりする必要があれば、やる。米国とフィリピンの間に残っている問題が軍の駐留だ」と語った。
 また、中国と対立してきた南シナ海問題を念頭に「中国の友人でありたいと思っている」と強調した。

つけナポリタンブイヤベース風/寝屋川からYuさん

ブログネタ
フランス語 に参加中!
はにたん

Junko Tabei, première femme à avoir gravi l'Everest, est morte
La première femme à avoir grimpé l'Everest, la Japonaise Junko Tabei, est morte jeudi dernier d'un cancer dans un hôpital près de Tokyo (Japon). Elle avait 77 ans.
L'alpiniste a marché sur le toit du monde en 1975, alors qu'elle avait 35 ans, soit 22 ans après le premier homme, Edmund Hillary. ≪ Je ne comprends pas pourquoi les hommes font tout ce tapage sur l'Everest, ce n'est qu'une montagne ≫, avait-elle raconté à l'époque. Une montagne qui culmineà 8 848 m d'altitude tout de meme !
Les ≪ sept sommets ≫
Junko Tabei a aussi été la première femme à accomplir l'exploit des ≪ sept sommets ≫ - soit celui d'avoir montré la montagne la plus haute de chacun des sept continents
Le Japon pratique "la chasse à la baleine commerciale sous couvert de pêche scientifique"
Du lundi 24 octobre au vendredi 28 octobre se tient en Slovénie la 66e réunion bisanuelle de la Commission baleinière internationale. L'association Robin des bois dénonce les pratiques de chasse menées par le Japon, l'Islande et la Norvège.
Elles sont traquées par les chasseurs, percutées par des paquebots ou se retrouvent piégées dans les filets des pêcheurs. Les baleines sont en danger. Les 88 pays de la Commission baleinière internationale se retrouvent à Portoroz (Slovénie) du lundi 24 octobre au vendredi 28 octobre pour évoquer le sort de ces mammifères marins.
Au centre des débats : la chasse à la baleine que mène le Japon au nom de la science. Une pratique dénoncée par Charlotte Nithart, porte-parole de l'association de défense de l'environnement Robin des bois.
franceinfo : En quoi consiste la pêche à la baleine scientifique que pratique le Japon ?
Charlotte Nithart : La pêche dite "scientifique" n'est pas du tout scientifique. Elle consiste à tuer des baleines, afin d'examiner leur constitution ou ce que contient leur estomac. Mais cela consiste surtout à mettre sur le marché de la viande de baleine, qui est alors vendue dans des restaurants et des supermarchés. Cette pratique permet également au Japon d'assurer une présence physique de sa flotte baleinière en Antarctique, ce qui est très important pour le pays d'un point de vue géopolitique. C'est une chasse commerciale réalisée sous couvert de pêche scientifique.
Il existe en revanche de véritables recherches réalisées de manière non-létale. C'est ce que font notamment l'Australie et la Nouvelle-Zélande, en collaboration avec la France. Dans ce cas précis, il s'agit de mieux comprendre les routes de migrations des baleines, leur comportement, leurs structures sociales, etc... C'est un vaste domaine de recherche qui nécessite beaucoup d'efforts.
Combien de baleines sont tuées dans le monde chaque année ?
On estime qu'un millier de baleines sont tuées chaque année, notamment par le Japon, mais aussi par l'Islande et la Norvège. Ces deux pays ont fait savoir à la Commission baleinière internationale, qu'ils ne se sentaient pas liés par le moratoire sur la chasse commerciale pris dans les années 1980.
Aujourd'hui, la baleine bleue est très gravement menacée. On ne compte plus que quelques centaines d'individus dans l'hémisphère sud. Les plus optimistes parlent de 2 000 individus. Il y a un réel risque d'extinction. Pareil pour les baleines grises. Et pareil pour de petits cétacés dont on parle beaucoup moins, comme les dauphins d'eau douce ou de la mer de Cortez.
Lors de cette réunion internationale, la Commission devra entre autres se prononcer sur la création d'un sanctuaire de vingt millions de kilomètres carrés dans l'Atlantique Sud... C'est une bonne solution ?
La proposition a été formulée par des pays d'Amérique latine, notamment par le Brésil et l'Argentine. Elle a aussi été appuyée par l'Afrique du Sud et le Gabon. Ce sanctuaire rejoindrait celui qui existe déjà en Antarctique, là ou le Japon pratique sa chasse baleinière. Le but est de renforcer la coopération internationale dans cette zone, de réduire les menaces, d'essayer de contrer les risques de collision avec les navires. Il s'agit aussi d'atténuer les risques de marées noires et de réduire les nuisances sonores, qui perturbent les mammifères marins.
L'enjeu est également de réduire la présence des déchets dans l'océan. Les sacs plastiques sont un facteur de mortalité important. Lors d'un récent échouage en Europe du Nord, l'un des cachalots a même été retrouvé avec un pare-chocs de voiture dans l'estomac..
Japon: le coût de démantèlement de Fukushima Daiichi dépassera largement l'estimation de 17 mds EUR (ministère)
Tokyo - Le coût du démantèlement de la centrale nucléaire accidentée Fukushima Daiichi dépassera largement les 2.000 milliards de yens (17 milliards d'euros) précédemment estimés, a indiqué mardi un comité du ministère de l'Industrie.
Dans un programme "d'accélération de la reconstruction de la région de Fukushima" datant de 2013, le gouvernement avait évalué à 2.000 milliards de yens (le double du précédent montant), le coût de l'assainissement des six réacteurs de la centrale mise en péril par le tsunami du 11 mars 2011.
Mais cette somme (qui comprend le total consacré à la gestion de l'eau contaminée et au démantèlement) sera largement dépassée, selon les documents rendus publics mardi par l'instance mise en place pour étudier en détail le "problème de la compagnie Tepco" (Tokyo Electric Power) qui gère le site.
"X milliers de milliards de yens" seront requis, écrivent les experts.
Il faudra au moins trois décennies pour récupérer le combustible fondu dans trois unités et nettoyer les lieux du mieux possible.
S'ajouteront au coût du démantèlement au moins 10.000 milliards de yens (88 milliards d'euros) de dommages et intérêts versés aux particuliers et entreprises de la région affectés par cette catastrophe, prévient le comité.
Le désastre de Fukushima a chassé de chez elles des dizaines de milliers de personnes et stoppé net des activités industrielles, artisanales et commerciales.
Mi-2014 déjà, un universitaire japonais, Kenichi Oshima, professeur d'économie environnementale à l'Université Ritsumeikan, avait chiffré à "au minimum 11.082 milliards de yens" (96 milliards d'euros actuels) les sommes à débourser pour payer les dégats de cette catastrophe survenue à la suite d'un gigantesque séisme dans le nord-est de l'archipel.
Selon M. Oshima, la particularité de ce type d'accident est que le coût pour la société augmente au fil du temps et qu'on ne parvient pas à le prévoir et à l'appréhender dans son intégralité.
Le groupe Tepco est dans l'incapacité de payer seul les sommes astronomiques dont il s'agit, et l'Etat, qui est devenu son premier actionnaire, tente de trouver divers moyens pour ne pas susciter la colère des contribuables, notamment en demandant publiquement à la compagnie de faire des économies et en tancant de temps à autre ses dirigeants.
フランス語
フランス語の勉強?

お昼どうしようかな???と迷って,結局よくわからない漁師風つけナポリタンブイヤベース風をいただきました.ブイヤベースとしては美味しいと思うのですが,ナポリタンと言えるのでしょうか?とりあえず珍しいランチということで.
夕方寝屋川からYuさんが来ていました.研修があったみたいで,相変わらず元気でした.

<大川小訴訟>津波予見可能性が焦点
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった宮城県石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が26日、仙台地裁(高宮健二裁判長)で言い渡される。学校の管理下で起きた未曽有の大惨事を巡り、学校側が津波の襲来を予見し、犠牲を回避できたかどうかが最大の焦点となる。
 主な争点は表の通り。地震発生後、教職員は防災無線やラジオで大津波警報や津波の情報を得たが、その後約45分間にわたって児童を校庭に待機させ、津波襲来直前に海抜約6〜7メートルの堤防道路に向かったとされる。訴訟では、一連の行動が小学校教員として児童の安全に配慮すべき義務に違反するかどうかで主張が分かれた。
 遺族側は(1)学校は震災前に危機管理マニュアルを改訂し、津波に関する具体的な記述を盛り込んでいた(2)震災前、校長は教頭らと津波発生時の避難先を複数回話し合い、津波の到達を想定していたが、適切な対策を取らなかった(3)裏山などに避難すれば児童は全員助かったのに、長時間校庭で待機させた−と主張した。
 市側は(1)大川小は津波の浸水予想区域外にあり、津波の避難所に指定されていた(2)当時得られた情報から津波の到達を予測するのは不可能だった(3)裏山は余震で崩壊する恐れがあり、地区住民と協議した結果、堤防道路へ避難した判断は合理的だった−と反論した。
 県側は「事前の科学的な知見に基づく限り、津波の到来は予見できなかった」と述べた。
 訴えによると、2011年3月11日に起きた地震による津波で、大川小では訴訟対象の23人を含む児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。同校には約8.6メートルの津波が襲来したとされる。


<大川小訴訟>教員の防災意識どう判断
 学校の管理下にある児童の命を守るため、教職員に求められる防災意識とは−。宮城県石巻市大川小津波訴訟では、仙台地裁がこの点をどう判断するかも重要な焦点となる。遺族側は「教職員は児童の安全を最優先に配慮すべき規範的立場にあり、安全を守るため専門知識や判断力が求められる」と主張。一方、市側は「行政の被害想定に基づく当時の認識は、公立小学校の一教職員としてやむを得ない」と反論する。過去の訴訟では、災害発生時の状況や事前の科学的知見を基に責任の有無が判断されてきた。
 最高裁は1990年3月、東京都立高専の山岳部員が雪崩で犠牲となった事故を巡る「木曽駒雪崩遭難事故訴訟」で、「教師は事故を防止すべき一般的な注意義務を負う」と指摘。「引率教師が通常の注意を怠らなければ、雪崩の危険を十分予見できた」と認めた東京高裁判決を支持し、雪崩は不可抗力だったとする都側の主張を退けた。
 最高裁が登山を引率した教師の過失責任を認めたのは初めて。大川小訴訟でも遺族側が引き合いに出し、「小学生は高校生より教員に対する依存度が高く、安全配慮義務の程度は一層大きい」と主張した。
 「サッカー落雷事故訴訟」で最高裁は2006年3月、落雷事故を回避する方法が多くの一般書籍や児童書にも記載されていた点を挙げ、「暗雲が立ち込め、雷鳴が聞こえていた状況から、危険が迫っていることは予見できた」と判断。「落雷事故は予見不可能」とした一、二審判決を覆し、児童生徒の命を預かる教育関係者に警鐘を鳴らした。
 落雷訴訟で遺族側の代理人を務めた津田玄児弁護士(東京)は「津波発生時、川や海に近づかず、高い所に避難すべきだというのは震災当時も一般的な認識だった。行政の事前想定にただ従うのではなく、命を預かる学校が子どもをどう守るかという視点が重要になる」と話す。
[木曽駒雪崩遭難事故訴訟]1977年3月、東京都立高専山岳部のパーティー10人が長野県の中央アルプス駒ケ岳で雪崩に襲われ、死亡した生徒ら7人の遺族が都に損害賠償を求めた。最高裁は90年3月、「学校行事で引率する教師には、学生を危険から保護する注意義務がある」とし、都に計約4億2000万円の支払いを命じた二審判決を支持し、都側の上告を棄却した。
[サッカー落雷事故訴訟]1996年8月、大阪府内で高知市の私立高1年の男子生徒=当時(16)=がサッカー大会の試合中、落雷に遭い失明した。生徒側は学校などに損害賠償を求め提訴。一、二審判決は請求を棄却したが、最高裁は「教諭は落雷を予見できた」として審理を差し戻した。高松高裁は2008年9月、約3億円の支払いを学校などに命じ、確定した。


あす26日大川小津波訴訟判決
東日本大震災の津波で犠牲になった石巻市の大川小学校の、児童の遺族が石巻市などに対し賠償を求めた裁判の判決が26日、仙台地方裁判所で言い渡されます。
海岸からおよそ4キロ離れた小学校まで津波が来ることを学校側が予測できたかどうかが大きな争点で、裁判所の判断が注目されます。
石巻市の大川小学校では、震災の津波で74人の児童が犠牲になり、このうち23人の児童の遺族が石巻市と宮城県に対し、1人あたり1億円、あわせて23億円の損害賠償を求めています。
裁判では、海岸からおよそ4キロ離れた小学校まで津波が来ることを学校側が予測できたかどうかや、児童を校庭にとどめ、地震からおよそ50分後に、川沿いの場所を目指して移動を始めた対応に問題がなかったかどうかなどが争点になっています。
遺族側は「津波は予測でき、児童を校庭にとどめたあと、近くの裏山ではなく、津波が来る川の方向に向かわせたのは重大な過失だ」と主張したのに対し、市と県側は、「学校は市の避難場所にも指定され、津波は予測できず、念のため高台の堤防の方向への避難も決断していて、過失はない」と主張しました。
判決の内容によっては、今後の自治体や学校の防災のあり方に影響を与える可能性もあり、裁判所の判断が注目されます。
判決は、26日午後3時から仙台地方裁判所で言い渡されます。


【「大川小津波訴訟」判決へ】 (上)一目散に逃げてほしかった
 ■「子供は悪くない」 悲劇語り継ぐ三男を亡くした佐藤和隆さん
 宮城県石巻市の北上川河口から西に4キロ。強い風が吹きすさぶ中に大川小の被災校舎がぽつんと立つ。当時6年生の三男、雄樹君=当時(12)=を亡くした佐藤和隆さん(49)が、訪問者たちにこの場所で起きた悲劇を語る。
 「あの近くで、雄樹は見つかりました」。校舎から先を指さし説明する。雄樹君はあの日の朝、黒のダウンを着て登校したが、見つかった遺体はグレーのパーカー姿だった。
 「寒かっただろうな」とふと思い出す。5年半の月日が流れても、校舎の前に立ち、息子のことを話すのはつらい。
 でも、最もつらく悲しい思いをしたのは亡くなった子供たち。それに比べれば、大したことはない。「事実を伝えることができるのは、生かされた大人である俺たちしかいない」。自身をそう奮い立たせる。
               ×  ×  ×  
 「宝物だった」。三男坊の小学6年生。兄の姿を見てきたからか、小学生にしては大人びた部分もあったし、三男らしい幼さもあった。大人に向けて背伸びしたい時期だが、ふとしたときに甘えてくるなど、親から見ると幼い部分がまだまだあった。
 震災直後の4月には石巻市立大川中に進む予定で、野球部に入りたいと言っていた。運動神経もよく、キャッチボールは年々上手になっていた。元気でいてくれたら、少しずつ親離れしていったのだろう。
 佐藤さんは震災後、友人に誘われ市内の水耕栽培工場で勤め始めた。津波で浸水し、廃校となった大川中の跡地に工場は建っている。働き始めてから数カ月たった頃、ふと思った。ここは、息子が生きていれば毎日通っていたはずの場所だ−。
 「何で俺が毎日通ってるんだろう」
               ×  ×  ×  
 「山さ上がろう」。あの日、校庭で待機していた雄樹君が、先生に裏山への避難を訴えていたと生き残った児童は証言した。
 〈はっきり意思を示したのは雄樹らしい。ただ、雄樹の“らしさ”を出すなら、大人の言うことなんか聞かないでよかった〉
 「先生の言うことを聞くんだぞ」。やんちゃな息子にそう言い聞かせていたことさえ、悔やまれる。
 「その日ばっかりは、一目散に逃げてほしかった」
 息子は「ここにいたら死ぬかもしれない」と意識したまま死んでいったかもしれない。そう考えると胸が締め付けられる。
 しかし、石巻市教育委員会は助かった子供の聞き取りメモを廃棄。山に逃げようと訴えた児童の存在も記録に残されなかった。
 市は子供たちの証言を“隠蔽(いんぺい)”した。なかったことにするのは許せない。佐藤さんらは学校を管理していた石巻市と県を相手取って裁判を起こした。
 民事裁判を起こす以上、損害賠償を請求せざるをえないが、裁判では賠償責任の判断が優先され、遺族が知りたい「あの日の真実」を明らかにするのは難しいというジレンマもある。
 それでも、「子供たちは悪くなかった」ということが認められるだけでも成果だ。白黒をつけるには、それしかない。
 やることはやった。あとは、迫る司法判断を静かに待つだけだ。
                   ◇
 東日本大震災の津波で児童・教職員の計84人が犠牲となった石巻市立大川小の児童23人の遺族29人が、市と県に計23億円の損害賠償を求めた訴訟の仙台地裁判決が26日、言い渡される。「なぜ、最愛の我が子は犠牲になったのか」。真実を追い求めての提訴から2年半。審判の瞬間を待つ遺族の心情を追った。


74人死亡の大川小裁判、判決にかける遺族の思い
 東日本大震災で児童74人が死亡、行方不明となり学校管理下で最悪の津波災害となった宮城県石巻市立大川小の児童23人の19家族が、市と県を相手に23億円の損害賠償を求めた裁判が明日26日、仙台地裁で判決公判を迎える。大川小で長男大輔くん(当時小6)を失い、原告団の団長を務める今野浩行さん(54=会社員)。「裁判に負ければ、子どもが亡くなった時の真実を追究する機会が断たれてしまう」と重圧につぶされそうな日々を送っていた。
 「息つく暇もない、悲しみと怒りが連続した5年7カ月だった」。今野さんは大輔くんと同時に、長女麻里さん(当時高3)次女理加さん(当時高2)も津波で亡くした。
 3年がたった14年3月、仙台地裁に提訴。震災直後から10回に及んだ石巻市教委らとの話し合いや、行政側が行った検証委員会の報告でも、子どもたちが死ななければならなかった理由と真実が分からなかった。
 学校のすぐ近くには裏山があるが、午後2時46分の地震発生から51分もの間、学校側が児童を高台に避難させず、なぜグラウンドに待機するに至ったか。真実を解明することが再発防止につながると信じて、戦ってきた。
 「大輔の目からは血の涙が流れてきました。拭いても拭いてもまたすぐに流れてきます。まるで、死にたくなかった、生きたかったと私に訴えるかのように、何度も流れてきました」
 今野さんの陳述書の一節。遺体安置所で棺に入っていた大輔くんの様子だ。津波から生還した只野哲也さん(17=当時小5)は大輔くんが「先生、山さ逃げよう」と話していたことを震災直後、証言した。小学6年の児童が津波襲来の恐れを訴えていた中、当時の校長、柏葉照幸氏(震災時は出張中で不在)は今年4月の公判で「大川小に津波は来ないとの前提で、学校運営をしていた」と証言した。
 しかし、同校の「危機管理マニュアル」では津波襲来を想定した内容になっていた。さらに震災2日前の前震時、柏葉氏は津波対策を話し合っていたという。
 このように争点は「津波の予見性」に終始した。「目的は真実の検証だった。でも争点が限定的になってしまった」と今野さん。教職員10人が犠牲となる中、唯一生還した男性教諭の証人尋問も精神疾患を理由に実現しなかった。
 それでも敗訴はできない。「負ければ検証する道が断たれる。行政に説明を求めるテーブルにさえつけなくなる。不明者4人の家族は今も捜索を続けるが、その費用負担も大変。勝てば捜索費も行政が出すことになる。再検証も始まる」。
 自宅2階にある3人の遺品置き場には携帯電話がある。「番号を残しておきたかった。出るはずはないけど、かけたこともある。番号がなくなると全てが終わってしまう気がして」。
 津波予見ばかりに焦点が当たったが「判決文には『命の重み』という文言を入れてほしい」と切に語る。勝訴し、再発防止に向けての再検証が始まるまで、墓前で報告は出来ないと考えている。【三須一紀】


避難させず50分「なぜ」問い続け 大川小津波訴訟、26日に判決
 東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の児童二十三人の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟は二十六日、仙台地裁で判決を迎える。「子どもたちがなぜ、犠牲にならねばならなかったのか」を問い続けてきた遺族たち。悲劇を繰り返さないための判決が出ることを願う。
 「山さ逃げっぺ」。六年の今野大輔君=当時(12)=は、大きな揺れの後に校庭で待機していた際、避難先を決断できない教師たちに、学校の裏山に逃げようと強く訴えていた。その後、教師の誘導で、学校のそばを流れる北上川近くの高台へと避難中、川を逆流してきた津波にのまれた。助かったのは児童四人と男性教諭一人だけだった。
 今野君の父で原告団長の浩行さん(54)は「大輔は生きたかった。このまま死ぬかもしれないと思っていたのに、校庭に五十分近くも座らされた。これほど残酷なことがあるか」と話す。
 大川小近くの自宅を津波で流され、高校三年の長女と高校二年の次女、同居していた両親も亡くした。妻のひとみさん(46)が絞り出した「世の中で私、一番不幸な人間だ。あんたが先に死んだら、私一人になっぺ」との言葉が、今も胸に残る。「大輔たちを救えたのは先生たちしかいなかった。二度と大川小のような悲劇を繰り返してはいけない」
 今野君の同級生で仲良しだった佐藤雄樹君=当時(12)=も犠牲に。父親で原告の一人の和隆さん(49)は「めったに泣かない雄樹が校庭で『津波が来るのにいつまで校庭にいるのか』と、涙を流して先生に強く聞いていたそうです」と語る。
 和隆さんは二年前から、息子が通うはずだった大川中学の跡地で水耕栽培の仕事を始めた。
 全国から大川小校舎を訪れる人に、語り部として体験談を伝える活動もしている。「息子が背中を押してくれる。学校防災の礎になる判決が出てほしい」と願いながら。 (柚木まり)


<復興へのリレー>遊び場から世界目指せ
 東日本大震災の最大被災地、宮城県石巻市ゆかりの人々が東北のスポーツ界で活躍している。子どもから大人まで、選手や指導者、競技を支える住民…。震災からの復興を願いながら一線で奮闘する思い、群像を描く。(石巻総局・水野良将)
◎石巻・スポーツの群像(1)スケートボード場「ワンパーク」運営 勝又秀樹さん
<震災で人生一変>
 津波で被害を受けた石巻市魚町に、スケートボードを手に子どもたちが集う。
 屋内スケボー場「Onepark(ワンパーク)」。約1000平方メートルの建物は壁の一部に穴が開き、ブルーシートに覆われている。いずれも床に設置された傾斜のある台や手すりのような鉄の棒で、子どもたちが次々にスケボーの技を決める。
 運営する勝又秀樹さん(38)が語る。「一つしかない遊び場を作りたい。子どもたちにはここで多くの人と交流し、新しい一歩を踏みだしてほしい」
 石巻市大街道地区出身。関東の大学を卒業後、古里へ戻った。コンビニエンスストアや美容業、不動産業と職を転々としながら、海辺の公園で仲間とスケボーに熱中してきた。
 震災を境に人生が一変した。津波で公園が流され、いとこの女性が24歳で亡くなった。一人っ子だった勝又さんにとって妹同然の存在だった。祖父母は今も行方が分からない。
 自問自答した。「好き勝手やってきた自分は何か残したのか。子どもたちにチャンスを与え、好きな石巻のために貢献できたら、生き残った意味があるのではないか」
<冷凍庫 自ら改修>
 2011年秋ごろ、地元の知人らとの食事会で、水産加工会社「木の屋石巻水産」(石巻市)の木村隆之副社長(61)とスケボーの話題になった。「スケボーをする場所がないんです」「適当な大きさの冷凍庫があるぞ」
 勝又さんはすぐに木村さんと冷凍庫を訪れた。床上には10センチ程度ヘドロがたまり、電気、ガス、水道は使えなかった。「ここをスケボー場にしよう」。無償で借り受けた。
 知人らと共に改修を重ね、13年4月、ワンパークのオープンにこぎ着けた。週2回、プロの選手を招き、初心者らを対象としたスクールを実施。プロへとつながる大会も開く。
 運営に力を注ぐため仕事を辞め、貯金を取り崩して生活する。「石巻が好き。地域の協力も得て石巻にスケボーを根付かせ、世界の人が足を運ぶ街にしたい」
<「五輪に出たい」>
 追い風が吹く。20年東京五輪の追加種目にスケボーが選ばれた。木村さんは「石巻の官民が一体となって機運を盛り上げ、地元からオリンピック選手が出てほしい」と期待する。
 秋田市の中学3年木島すぐりさん(15)は何度もワンパークを訪れ、練習や大会に参加した。小4の時に競技を始めたが、同市内の練習場所に来る人の大半が大人。同年代が競うワンパークでは刺激を受ける。
 「努力すれば技を覚えられるのが楽しい。プロになって世界の舞台で戦い、東京五輪に出たい」
 津波の爪痕残る冷凍庫が今、子どもの夢をつなぐ。


岩泉町で高校生が炊き出し
台風10号の豪雨で大きな被害を受けた岩泉町で、宮古市の高校生が炊き出しのボランティアに訪れ、カレーをふるまいました。
炊き出しを行ったのは、宮古市の宮古水産高校の生徒6人で、岩泉町小本地区の「小本津波防災センター」の避難所を訪れました。
このボランティアは、東日本大震災の被災地で炊きだしなどを行ってきた、東京でレストランを経営する坂田幹靖さんの呼びかけで行われました。
用意したのは、高校で仕込んだカレー300食で、お年寄りの避難者でも食べやすいようスープ状になっています。
温め直したカレーを皿に盛りつけてふるまうと、避難所に避難している人たちは「おいしい」とか「ありがとう」などと言って食べていました。
参加した高校3年生の青名端一乃さんは、「避難している人たちに少しでも元気になってもらえるよう作りました。喜んでもらえて嬉しいです」と話していました。
炊き出しを企画した坂田さんは、「豪雨で被災した岩泉町を見て、何かできないか考えていました。
生徒がよく頑張ってくれました」と話していました。
カレーは、町内のほかの避難所などにも届けられたということです。


鳥取地震 建物判定47棟「危険」 全半壊は4棟
 鳥取県中部で起きた地震の被災地で県が進める「応急危険度判定」で、既に47棟が「危険」と判断されたことが24日分かった。県の建物被害まとめでは全半壊は計4棟にとどまっているが、実際には修繕しなければ危険な建物が多数ある可能性が高い。2次被害の危険もあり、県は他県からも応急危険度判定士の応援を受け、調査を加速している。
 応急危険度判定は、認定登録された判定士が建物の安全性を調べ、▽危険(赤)▽要注意(黄)▽被災程度は小さい(緑)−−に分類する。2次被害防止が目的で、赤は中に入るのが危険な場合のほか、壁の落下など外部に被害を与える場合などにも適用される。市町村が被害を証明し、被災者が公的な支援金や税・保険料の軽減措置などを受ける際に必要な罹災(りさい)証明書とは別の制度で、判断基準も異なる。
 県は地震翌日の22日、判定士登録を受けている県職員10人で調査を開始。23日は17人、24日は徳島や島根など5県と国土交通省などから職員の派遣を受け、約50人態勢に拡充した。3日間で計1278棟を調べ、▽赤47棟▽黄287棟▽緑944棟−−と判定した。
 24日の調査で、倉吉市福光の会社員男性(41)の自宅は地盤沈下で家が傾いているとして「危険」と判断された。男性は「ショックです。移住も含め、今後どうするかは家族と相談して決めようと思う。地震保険にも入っておらず、修繕費用の補助が行政から出るのか気になる」と話した。
 一方、県が24日午後6時現在でまとめた住宅被害は▽全壊2棟▽半壊2棟▽一部損壊413棟−−。県によると、市町では依然、建物被害の規模を把握しきれていないのが実情で、全半壊がさらに増えることも想定している。【高嶋将之、園部仁史】


老舗銭湯 無残な姿 創業100年「大社湯」
 放送タレントの故永六輔さんも通った老舗銭湯も無残な姿に―。21日に鳥取県中部で震度6弱を観測した地震では、1907(明治40)年から続く「大社湯」(倉吉市新町3丁目)も被災した。明治期の貴重な絵付けタイルが大量に剝がれるなど、再開のめどが立たない状況。昭和レトロな建物が並ぶ国重要伝統的建造物群保存地区に位置することから足を運ぶ県外客も多く、倉吉を象徴する“社交場”が存続の危機を迎えている。
 21日午後2時すぎ、夕方の営業開始に向けて主人の牧田慎太郎さん(79)が湯を沸かす準備をしていたところ、「ドーン」という音と共に激しい揺れが襲った。同時に浴場壁面のタイルが次々と剝がれ落ち一目散に外へ逃げ出した。夫婦で切り盛りする妻の智子(さとこ)さん(79)も発生当時の恐怖を回想する。
 昨年2月にボイラーが故障して一時休業。「年を取ったし、もう閉店しようか」(慎太郎さん)と考えたこともあった。ただ通い続ける高齢者も多いことから、「コミュニケーションの場を提供するボランティアのつもりで続けようか」(智子さん)と、行政の補助を受けて修理。その際にはタイルなど浴場の耐震補強も済ませていただけに、今回の地震は夫婦に大きなショックを与えた。
 昭和の時代には、市内の旅館に泊まった永さんが、湯船に漬かりに来たことも。映画やテレビのロケにもたびたび登場し、インターネットで調べて訪れる人もいる。当時の姿をそのまま残す銭湯の再開を願う声は強い。
 25日には徳島県内に住む長男が帰省し、家族で今後について話し合うという。智子さんは力なくつぶやいた。
 「つらい。どうしていいのか分からん」(小谷和之)


<福島第1>廃炉費用 年数千億円に拡大
 経済産業省は25日、東京電力福島第1原発の廃炉に必要な資金が現状の年間800億円から数千億円に拡大するとの試算を明らかにした。総額2兆円としていた想定を大幅に上回ることが確実となった。より具体的な額の試算は年末から年明けになるとした。廃炉費用以外に賠償費用などの増加も見込まれることから、国民負担につながる可能性がある。
 廃炉費用は、福島第1原発1〜3号機で溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の取り出し作業によって膨らむ見通しだ。
 東京電力ホールディングスは既に発電、小売り、送配電の3社に分社化しているが、経産省はさらに原子力事業会社を設立させる案も提示。他の大手電力との再編などを通じ、廃炉費用などを捻出させたい考えだ。
 経産省が、25日開いた東電ホールディングスの経営改革や福島第1原発(1F)の廃炉費用支援を議論する「東電改革・1F問題委員会」の会合で示した。


福島廃炉 年数千億円 経産省試算、800億円から拡大
 経済産業省は25日、東京電力福島第1原発事故の処理費用負担を協議する有識者会議で、現状で年間800億円の廃炉費用が今後、溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の取り出し作業などで、年間数千億円程度に膨らむとの試算を明らかにした。廃炉には30年以上かかるとみられており、総額2兆円としていた想定を大幅に上回ることが確実となった。具体的な額の試算は年末までに公表する。
 会議では、東電の収益を改善させることで国民負担を最小限に抑える方針を確認。新たに東電の原子力事業を分社化する案を提示した。東電が事故炉の廃炉費用を長期返済できるようにするための基金創設案なども議論した。
 政府は2013年、原発事故の賠償費用を5.4兆円▽除染費用2.5兆円▽中間貯蔵施設の建設費などを1.1兆円と見込み、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」を通し、東電に9兆円を交付している。だが賠償費用、除染費用とも数兆円単位で膨らむ見通しで、廃炉費も、東電が工面した2兆円では大幅に不足する公算が大きくなっている。経産省は会議後の記者会見で、「東電改革の議論を進めるには費用の規模感を示す必要がある。ただ額に明確な根拠はなく、数百億か数千億か数兆円かを示した」と説明した。
 会議では、東電の経営改革案として、原子力部門と送配電部門の再編や、他業界との提携強化、原発再稼働などを議論した。15年4月に東京電力フュエル&パワーと中部電力が共同出資して設立した火力発電事業者「JERA(ジェラ)」のヘンドリック・ゴーデンカー会長らが出席し、共同出資事業の効果や、収益増が見込める海外事業の戦略などを説明した。
 一方、経営改善で賄い切れない費用については、事故炉の廃炉費用を長期返済する基金を設置する案が示された。このほか、事故炉の廃炉費用を新電力が大手電力の送電網を利用する時に支払う託送料金に上乗せする案などが、今後、議論される見通しだ。
 だが託送料金は電気料金に転嫁される可能性が高く、東電の経営努力が不十分とみられれば、費用負担に国民の同意が得られにくい可能性もある。【宮川裕章、工藤昭久】



若者が「東京四畳半暮らし」にハマる理由 都心への集中が進むと郊外はどうなるのか

三浦 展 :カルチャースタディーズ研究所主宰
今、若い世代に共通する感覚として、「職住一致」志向があります。ご存じのように、戦後には職場と住まいを分ける「職住分離」が進み、首都圏郊外には、都心へ通勤する人の住宅地を中心に発達したベッドタウンが広がっていきました。それ以前は、サラリーマンはもちろん、商店や工場で働く人も、自宅が店を兼ねていたり、住み込みで働いていたのですが、次第に職場と離れたところに住むようになったのです。
「父親のように長距離通勤はしたくない…」
しかし、その結果として働くお父さんたちが直面することになったのは、職場までの長距離通勤です。そして、毎日長い時間をかけて自宅と会社を行き来し、疲れ果てる親の姿を見てきた今の若い世代の中には、「自分はそういう生き方はイヤだ」と、できるだけ会社の近くに住みたがる人が増えたのです。
そんな若者たちからの人気を集めている、面白い不動産会社があります。「EARLY AGE(アールエイジ)」という会社です。扱っているのは、狭いと7平米、いわゆる四畳半程度の小さな部屋。早稲田や蔵前、門前仲町など、大都心近くの、駅から近い立地を中心に展開しています。そこには、トイレとシャワー、洗面所と流し台を兼ねたシンクがあり、下に洗濯機がはめ込まれています。部屋によっては、トイレの仕切りがない場合もある。一見、びっくりする間取りですが、空室が出るとすぐに埋まってしまうそうです。
こんな狭い部屋に暮らせるのかって?それが、暮らせるのです。この部屋に住みたいと思う人たちは、スマホさえあれば生きていけるからです。冷蔵庫が置けなくても、コンビニがその役割を果たしてくれます。それよりも、とにかく会社から家に帰るまでの時間が惜しいということのようです。通勤時間を極力短くして、早く寝たい、と。
大きな会社があるような都心の近くで住もうとすると、当然ながら家賃の相場は高い。もちろん、おカネがある人はそれでもある程度の広さの家に住むのでしょうが、そうでなければ、住居の広さよりは会社からの近さを選ぶというわけです。とはいえ、この不動産会社が扱っている物件の場合は、狭くてもデザイナーズマンションなので、そこまで安くはありませんが…。
これは、昔の苦学生たちがしていた四畳半暮らしとはまた異なる形態です。私はこれを、「新・四畳半暮らし」と呼んでいます。1970年代の四畳半暮らしは、地方から都会に出てきた若者たちが、おカネのない学生時代などを過ごす場所でした。しかし、生活が豊かになるにつれて、テレビを買い、ステレオを買い…とだんだんモノが増えていき、いずれ広い部屋に引っ越していきました。そして、家庭を持つと、郊外に出て家を買ったのです。
高収入の男性が住みたい街は、銀座!?
一方、現在「新・四畳半暮らし」をしているのは、郊外で生まれて、都心で就職した、未婚の若者です。そして、彼らがいずれ郊外へ戻っていくかというと、必ずしもそうではありません。現在、都心の人口は増え続けていますが、それは流入が増えているのではなく、流出が減っているからです。都心に、未婚者、既婚者、子持ちなど、多様な人々のための住宅が供給されているのです。
また、50代くらいになっておカネがある独身男性の中には、都心で何十万もする部屋を借りる人も少なくありません。私が行った「住みたい街」に関する調査の中では、「年収の高い男性が住みたい街」の5位に銀座がランクインしています。実際、私の知り合いの某大手企業に勤める50代独身男性は、銀座に住んでいますよ。ちょっと外食しようとした時に、高いお店ばかりなので困ることはあるようですが(笑)。
また、結婚して家族がいる、特に子どもが2人以上いる場合は、都心からの距離が近い割に比較的安く住める、江戸川区、千葉県の津田沼や千葉、埼玉県の大宮などが人気です。郊外が拡大していった時代の、夫が働き、妻は専業主婦という家族モデルと異なり、今は共働きが増えて世帯収入も上がっています。すると、家族がいてもできるだけ都心の近くに住んで、通勤時間を短くしたいと考えるようです。
その結果、今後は「働くための街」、「住むための街」という区別がなくなっていくでしょう。現に、アメリカのマンハッタンはこの区別がない街です。
都心に住む人が増えていった場合、人口が減っていく郊外に未来はあるのでしょうか。私は、ベッドタウンの印象が強い「郊外」という呼称はもうやめて、個性を持った「地方」として見ていくべきだと思います。
西武線沿線は、「週末リゾート」に向いている
郊外が個性ある地方として再生するために必要な条件は、以下の3つです。1つ目は、「ワーカブル」な街になることです。楽天が二子玉川に本社を移したように、大きな企業を誘致する。あるいは、在宅勤務に向いている街にすることです。
2つ目は、退職後の人たちが住む、「リタイアメント・サバーブ」化することです。ただ、これからは退職しても完全に働くことをやめるのは難しいから、在宅勤務がしやすい環境であることが条件です。そして、おしゃれな買い物スポットがあればなお良い。吉祥寺のようにね。必要なものはアマゾンで買えるので、大型店は必要ありませんが、小さくて個性的なお店があるとよいでしょう。そして、仕事で煮詰まったときなどに散歩して楽しい環境があることです。
そして3つ目は、「週末リゾート」として売り出すことです。平日は都心で働いて、会社の近くの家に帰る人たちが、週末だけはその街に出て、別宅でゆっくり過ごす。緑が多い、水辺がある、などの要素を持った街は、これに適しています。西武線の沿線などは比較的これに向いているといえます。もちろん、普段は在宅勤務で、週に数回都心の会社に出ればいい、という働き方の人の場合は、ここに本宅を構えても問題はありません。
退職後の人や在宅勤務をする若い世代が混ざり合って住んでいたら、お喋りもはずむでしょう。歩いて楽しい「ウォーカブル」と、働いて楽しい「ワーカブル」、この2つが重要な条件です。
私は、2012年に出した『第四の消費』という本の中で、リーマン・ショック後からは、個人がモノの所有にこだわらない、シェアの消費である「第四の消費」に移り変わっていることを書きました。そして、第四の次にあたる、第五の消費とは何かというと、それは「場所」をどうするのか、ということなのですね。どんな住まいに、そしてどんな街に住むのかは、消費を考える上で、残されたテーマです。
前回、日本のファッションは80年代の個性の時代を経て、現在はシンプル化していることを書きました(「毎日同じ服はおしゃれ」が招く百貨店不況」)。ただ、住まいに関してはまだ遅れていて、ファッションに置き換えると80年代前の状況、つまり個性の時代が到来していないのです。ようやく、古い家を買って自分好みにリノベーションするのがおしゃれ、という風潮は出てきましたが、それはまだクリエイティブな人に限った動き。これからは、どんな街のどんな家に住み、どこで余暇を過ごすのか、ということで個性を出して行く時代になっていくでしょう。


幼稚園児が座禅に挑戦
奈良県王寺町の寺で、子どもたちが僧侶の指導を受けながら座禅に挑戦しました。
奈良県王寺町の王寺北幼稚園では、子どもたちに集中力を高めてもらおうと、25日、地元にある聖徳太子ゆかりの寺、達磨寺で座禅の体験を行い、園児およそ20人が参加しました。
最初に住職から、座禅をしている時は体を動かさず、余計なことを考えないことなど座禅の作法が説明され、このあと子どもたちは向かい合って足を組んで座りました。
最初は言われた通り、じっと目を閉じて座禅を始めた子どもたちでしたが、時間がたつと中には集中力が切れて体を動かす子どももいて、すかさず住職から背中を警策という木の棒でたたかれると居ずまいを正し、ふたたび座禅に集中していました。
参加した6歳の女の子は「楽しかった。背中をたたかれて気持ちよかったです」と話していました。


「国境なき記者団」 沖縄で報道の自由脅かされたと声明
国際的なジャーナリスト団体「国境なき記者団」は、ことし8月、沖縄でアメリカ軍施設の建設に抗議する人たちを現場で取材していた記者が警察に移動させられ、一時、取材ができなくなったことなどについて、「沖縄での報道の自由が脅かされた」とする声明を出しました。
声明は、パリに本部を置く国際的なジャーナリスト団体「国境なき記者団」が23日に出しました。
ヘリコプター発着場の建設が進められている沖縄のアメリカ軍北部訓練場では、ことし8月、抗議する人たちを取材していた沖縄の新聞社の記者が警察に移動させられ、一時取材ができなくなりました。これについて声明では、「沖縄での報道の自由が脅かされた」としています。
そのうえで「記者たちはジャーナリストだと示していたにもかかわらず警察に排除された。日本政府が警察の行動を容認したことは危険な先例になる」としています。また、イギリス人ジャーナリストがアメリカ軍に行った情報公開請求の結果、沖縄に駐留するアメリカ軍が日本の市民やジャーナリストの活動を広く監視している実態が明らかになったとして、アメリカ軍と日本政府に説明するよう求めています。
「国境なき記者団」のベンジャミン・イスマイールアジア太平洋デスクは、NHKの取材に対し「記者には他者に伝える権利がある。それができないようであれば、政府や当局は『民主主義が成り立っている』と言うことはできない」と話しています。


仏・カレー 難民などが暮らすキャンプ、立ち退き作業始まる
 イギリスに渡ろうとする難民や移民が暮らすフランス北部のキャンプが撤去されることになり24日、立ち退き作業が始まりました。
 英仏海峡に面したフランス北部のカレーには“ジャングル”と呼ばれるキャンプがあり、中東やアフリカなどからイギリスに渡ろうとする移民や難民たちが少なくとも6500人滞在しています。
 衛生状態も悪化し、イギリスへ向かうトラックに乗り込もうとして難民たちが死亡する事故も相次いでいることから、フランス政府はキャンプを撤去することを決め、24日、難民たちを国内の施設にバスで移送する手続きを開始し、およそ2300人が施設に移されました。イギリス行きを目指す難民たちの一部は撤去に反対していて、退去開始前夜の23日の夜には警察官との間で小規模な衝突が起きました。
 「バスに乗りたくない。(Q.なぜ?)イギリスに行きたい。イギリスが好きだし、兄もいるから」(アフガニスタン移民)
 25日にはテントの撤去作業が始まりますが、混乱も予想されます。フランス政府は難民たちを全国450か所の施設に移し、難民申請を促す方針ですが、一部の施設の周辺住民からは受け入れ反対の声もあがっています。


仏北部の難民キャンプ撤去開始 受け入れ先の反発懸念
イギリスを目指す多くの難民や移民が滞在していたフランス北部のキャンプが撤去されることになり、難民たちを国内各地の施設に移す作業が始まりましたが、受け入れ先では早速住民の抗議デモが起きていて、今後、各地で反発が強まることも懸念されています。
英仏海峡に面したフランス北部のカレーでは、アフリカや中東などからイギリスへの渡航を目指す難民や移民がキャンプを作って滞在するようになり、周辺の治安や衛生状態が悪化したため、地元の住民などがキャンプの撤去を求めていました。このためフランス政府はキャンプを撤去して、およそ8000人を国内のおよそ450の施設に移すことを決めたもので、難民や移民たちは24日、政府が用意したバスに次々と乗り込み、フランス各地に向かいました。初日は2300人余りを退去させ、トラブルなどはありませんでしたが、アフガニスタン出身の21歳の男性は「イギリスならば職を得られると思い来ましたが、残念ながらもはや行くことはできません」と話していました。
フランス政府は、難民たちが立ち退いた場所から順次キャンプを撤去する方針です。しかし難民や移民の受け入れ先に指定されたフランス北部の村、クロワジルでは、地元の住民が早速施設の前で受け入れに反対する抗議デモを行い、今後、各地で住民の反発が強まることも懸念されています。


比大統領にハシゴ外され 安倍首相「中国包囲網」は大失敗
 フィリピンのドゥテルテ大統領が南シナ海の領有権問題を棚上げし、「米軍は去るべきだ」と唱え、「親中」姿勢を鮮明にした。日本政府が巡視船を供与するなどフィリピンへの軍事支援を強化している時で、安倍首相が狙った「中国包囲網」は完全にはしごを外されてしまった。
 ドゥテルテは25日来日して安倍首相と会談するが、「協議のほとんどは経済協力」と語っている。軍事面で“ともに中国に対抗”という話にはなりそうもない。
 日比の軍事協力は親米だったアキノ前大統領の時からの話。日本は米国の要求に応じる形で、中国を牽制するため、比に新造巡視船10隻の供与を決めた。ところがドゥテルテは、南シナ海での日米共同のパトロールに参加しないことを表明。何のために巡視船を供与するのか、訳が分からない状況になってしまった。
■比と中国の和解で巡視船は“記念碑”に
 安倍政権の比に対する前のめりな軍事援助について、昨年からコラムなどで警鐘を鳴らしていた軍事評論家の田岡俊次氏はこう言う。
「船は寿命が30年以上あり、公海上で活動するから目立つ。国際情勢が変化し、比が中国と和解すれば、供与した巡視船は日本が比と中国を対抗させようと狙った“記念碑”になりかねない。比の大統領がドゥテルテ氏に代わって早くも情勢が変化したわけです。間の悪いことにドゥテルテ氏の暴言騒ぎの最中、8月18日に日本で建造した最初の巡視船1隻がマニラ湾に到着し、残り9隻も今後2年間に次々到着する予定です。さらに、全長90メートル級の大型巡視船2隻の供与や海自の双発練習機5機の貸与も決まっています。その教育訓練に教官や整備の技術者も派遣される。反米・親中の国の軍隊の訓練を日本の自衛官がするのだから、気まずいでしょう」
 安倍首相は、ドゥテルテの地元ミンダナオ島の農業開発支援に50億円の円借款を用意して、何とかドゥテルテを取り込みたいと考えているようだが……。
「フィリピンはかつてスペイン領。米西戦争で米国支配下に入った点でキューバと似ている。ドゥテルテ氏は共産党シンパらしく、なかなかの調略家ですから、懐柔は難しいと思います。フィリピンに限らず、豪州でも昨年、首相が親中派に代わっています。『中国包囲網』は妄想に過ぎなかった」(田岡俊次氏)
 対米従属と嫌中の結果がこれだ。安倍政権は滑稽極まりない。


電通過労自殺「私のことかと」 長時間労働にセクハラ、テレビ局で働く20代女子の証言
消えたいと思ったことは、何度もあった。
Kota Hatachi籏智 広太
過労が原因で自殺をした国内最大の広告代理店・電通の高橋まつりさん(当時24)。長時間労働だけでなく、パワハラにも悩んでいた。Twitterにはセクハラを示唆する内容も書かれていた。
同じような現実に悩まされている人たちは、少なからずいる。特にメディア企業では、それが顕著だ。
BuzzFeed Newsは、マスコミで働く20代女性に、その実情を聞いた。
「まるで私のことかと、思いました」
そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、都内に暮らす20代の女性。テレビ局で働いている。高橋さんのニュースを見て「自分も同じような働き方をしていた」と感じたという。
「終電に間に合うことは、ほとんどありませんでしたね」
女性はそう、自らの経験を話し始めた。
毎日1時や2時まで働くことや、土日出勤は当たり前。会社を出て軽く食事をしたら、もう空が白んでいたこともあったという。
椅子で寝たり、家に帰ってシャワーを浴びて、30分だけ寝たり……。睡眠不足が続き、昼間、営業先の広告代理店のトイレで寝てしまっていた、なんてことがしょっちゅうだった。
ただでさえ仕事に慣れず辛いなか、追い討ちをかけたのが飲み会の多さだ。
社内の飲み会というより、ほとんどが「代理店さん」や「お得意さん」の接待。年末は土日も含めて、月のほとんどが飲み会で埋まってしまったこともあるという。
「若い女子だったからということもあるのか、二次会から呼び出されることも多かったですね。別の飲み会が早めに終わって家に帰れたとしても、電話がなって、代理店の先輩から、『いまから六本木な』とか」
繁忙期は、飲み会が終わったあと、会社に戻って仕事をすることもあった。そうしないと、仕事が終わらないからだ。
残業時間は「わからない」
女性の手帳。平日一週間分、丸で囲んだ部分は飲み会だ。
労働時間はどれくらいだったのか。
女性は「わかりません」と静かに答えた。
会社ではパソコンを通じて、労働時間を提出する。しかし、時間外労働の限度は40時間程に設定されており、それ以上の申請をしたことは、入社後一度もなかったという。
「限度以上を申請すると、上司が呼ばれちゃうと聞いているので、申請しようと思ったこともありません。そもそも人が足りないので、みんな同じくらい働いていますし……」
実際の労働時間を重ねて聞くと、「月に120〜130時間くらい」と話す。しかし、出入りを端末で記録しているわけでも、ノートに特段記録を取っているわけでもない。
「報道の人たちはもっとひどい現状がありますから。私たちの部署が80時間とかつけて、社内で残業時間の多い部署として“ランクイン”してしまうのは、良くない気もしています」
厚生労働省が企業約1万社(回答1743 件)、労働者約2万人(回答1万9583人)を対象に昨年、実施したアンケート結果が「過労死白書」に載せられている。
それによると、1年で残業が一番多い月の残業時間が「過労死ライン」とされている80時間以上だった企業の割合は、テレビ局、新聞、出版業を含む「情報通信業」が44.4% (平均22.7%)と一番高い。
電通の過労自殺問題を、メディアは一斉に批判的な目線で取り上げた。しかし、そのメディアで働く人たち自身も、やはり過労に悩まされているのだ。
私も全国紙で記者をしていた経験がある。月の休みが数日だけだったり、残業が100時間を超えたりするなんて、正直当たり前だった。事件が起きれば、1〜2ヶ月休みなし、寝られない日が続くなんてこともある。
女性は言う。
「マスコミってやっぱり、世間から見たら働き方が普通じゃない気がしています。午前1時や2時まで働いて、夜遅くまで飲み会をするのが頑張っていることみたいに、思いがちなんじゃないんでしょうか」
男社会で受ける「セクハラ」
セクハラもひどかった。特に、飲み会で。
「広告もテレビも男社会なので、自分で言うのもなんですけど、若い女子だからということで呼ばれる私は、『マスコット・キャラ』なんだなと感じることもありました」
体を触られることもある。太ももやお尻、ひどいときは、股間まで手を伸ばしてきた人もいた。いくら、嫌がってもだ。
「それでも、飲み会に行って気に入られれば、仕事が取れないときに、助けてもらえる。だから、行かないといけないんですよね」
会社では、「彼氏もいないのか」「そんなんじゃ、良い営業マンになれない」と上司から言われる。飲み会でのセクハラを、相談する気は起きなかったという。
セクハラの泣き寝入りは6割超
厚労省が実施した、セクハラの実態調査がある。
昨年9〜10月、全国6500社で働く25〜44歳の女性約1万人から回答を得たアンケートでは、セクハラ被害を受けたという正社員の割合は34.7%にのぼった。
セクハラの内容は「容姿や年齢、身体的特徴を話題にされた」が53.9%と最多で、さらに「不必要に体を触られた」(40.1%)と続く。
その対応としては、「我慢した、特に何もしなかった」が最多の63.4%。半分以上が、取材に応じた女性のように「泣き寝入り」しているのだ。
また、先出の過労死白書によると、昨年度、「精神障害」を患い労災認定された146人の女性(男性326人)のうち、セクハラが要因なのは24人(男性0人)で全要因中2番目の多さだった。
取材に応じた女性のように、長時間労働やセクハラに悩むことは、決して「特別」ではない。同じような問題に悩んでいる人たちがいることは、調査の結果から明らかだ。
過労死白書によると、「平均的な1週間の残業時間」は、男性が8.6時間、女性が5.2時間。20時間以上だった女性は5.1%(男性は11.6%)と、男性の働き方も依然として厳しい状況にある。
「多少の理不尽は我慢しろ」
営業部門に配属されたころ。女性は上司に「いい給料をもらっているんだから、多少の理不尽は我慢しろ」と告げられた。
だから、必死に働いた。我慢もした。それでも、その年の後半には、体のあちらこちらに不調が出て、病院に通うことが多くなった。体調を崩して家で寝ていたら、母親が久しぶりに訪ねてきた。その顔を見ただけで、涙が止まらなくなった。
「それくらいなら辞めちゃえば良い、という人もいる。でも、ここで辞めたら他の仕事なんかできないんだろうな、という気持ちになってしまうんです。視野が狭くなって、他の選択肢なんて見つけられなくもなる」
「消えたい、と思ったことも何度もありました。それが、死にたいに変わってしまう気持ちは、全然、わかります」
それでも、かろうじて仕事を続けられたのは、相談に乗ってくれる人たちがいたからだ。高橋さんの過労自殺が報じられてから、たくさんの友人や先輩、家族が連絡をくれた。
仕事に追い詰められていった高橋さんの姿が自分と重なり、心配してくれる人たちの言葉で、自分も同じ状況に立たされていたことに気づいた。
「働くことは、辛さを伴うことと思い込んでいました」
高橋さんの自殺に関する報道で、長時間労働に批判的な世論が高まっても、職場の状況は変わっていない。
「1年以内には辞めたいですね」
死にたくなってまで働かないといけない仕事ではない。いまなら、そう思える。


誕生から10年、「草食男子」生みの親が真逆の使われ方に怒りの告白! 流行語を保守的に誤用するメディア
 草食男子──現在ではごく当たり前に使われているこの言葉が生まれてから実は今月で10年になる。「草食男子」なる言葉が初めて使われたのは、2006年10月13日、ウェブサイト「日経ビジネスオンライン」の連載コラム「U35男子マーケティング図鑑」のなかでコラムニストの深澤真紀氏が用いたのが初出となる。
「週刊プレイボーイ」(集英社)16年10月24日号では、「草食男子」誕生10周年を記念して深澤氏にインタビューを行っているのだが、そこで彼女から発せられたのは、本来の意味を誤解されて「草食男子」という言葉が広まってしまったことに対する悔恨と怒りだった。深澤氏はこう語る。
「戻れるなら10年前に戻ってあの原稿を破りたい。『草食男子』と呼ばれている人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいです」
 というのも、現在広く使われている「草食男子」は、その言葉をつくった彼女がもともともたせていた意味とはかけ離れたものになってしまっているからだ。
 深澤氏がもともと「草食男子」という言葉にもたせていたのは、家父長的で女性を見下す割には家事や栄養管理のスキルをもたず、麻雀やゴルフぐらいしか余暇にやることがなくてひとりっきりでも充実した人生を送っていけるような趣味ももたない、団塊・バブル世代のオヤジとは真逆の感性をもった若者たちを讃える意味だった。
「当時39歳だった私は、バブル世代や団塊世代のオヤジから否定されていた20、30代の男性たちを肯定するためにあの言葉をつくったんです。
 “草食”という言葉も、日本人に根づく仏教マインド(不殺生など)に基づいてポジティブな意味合いで採用したものでした。
(中略)
 モテることを自分の価値として、女性をトロフィー扱いするような団塊・バブル世代のオヤジたちに対して、女性をリスペクトでき、人間として対等に付き合える新しい世代の男性たちのことを正しく理解させたかったというだけなんですよ」
 しかし、この言葉はその後、180度真逆に転換。ネガティブな意味を付けられていくわけだが、その変化には二つの段階があった。一つは、「草食男子」という言葉が生まれた翌年、07年に起きる。
「ネガティブな意味合いで世に認知され始めたきっかけは、2007年に『non-no』や『an・an』といった女性ファッション誌が『私たちがモテないのは草食男子のせい』といった趣旨の特集を組んだこと。
『男子のせいじゃなくて、あなたたちももっと頑張れよ!』と思ってはいましたが、女性ファッション誌での流行語が一般に広まることはあまりないですし、ただのキャッチーな言葉として消費されて終わるはずだと思っていました」
 しかし、この次に起きることに比べれば女性ファッション誌による誤解はまだ小さいものといえる。二つ目の変化は、08年のリーマン・ショックをきっかけにして起こる。深刻な不況に突入していくなかで、「草食男子」という言葉は、批判していた当の団塊・バブル世代のオヤジたちによって「イマドキの若者たちはけしからん」論に矮小化されてしまったのだ。
「2008年のリーマン・ショックで景気が悪化したことが大きかったですね。
『車が売れなくなったのは草食男子が増えたからだ』と新聞・テレビが取り上げたんです。Wikipediaに私が名づけ親だと書かれるようになり、取材も増えたので、責任感から『違います、褒め言葉ですよ!!』と慌てて火消しを始めましたが、間に合わず、燃え広がる一方でした」
 オヤジ世代による若者への説教の道具と変化した結果、「草食男子」という言葉は、09年に「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に選ばれるが、実はこのときから深澤氏は明らかな誤用が広まっていることに警鐘を鳴らし続けている。この「流行語大賞」の表彰式でも彼女は「草食男子は、この難しい時代を、“よりよく”よりも“ほどよく”生きていこうとする『古くて新しい男らしさ』を持っています。彼らは面白い、素敵な存在です」とスピーチしていた。
 その後、深澤氏は「草食男子」という誤用された言葉を盾に若者を揶揄するオヤジたちの論調に対し反論を開始する。
「CREA」(文藝春秋)12年7月号では、「いまの若者は留学をしないので内向き」という巷間言われている論評に対し、1985年には1万5000人強しかいなかった留学生は、リーマン・ショックの影響で留学生が減った2008年ですら6万7000人弱もいるとデータを示しつつ、そのような報道が出る理由として、かつては留学先にアメリカを選ぶ生徒が75%もいたのに対し、現在では50%ほどに減っているからではないかと推察。そういったことを考慮すると、アメリカ以外の国にも目を向けるようになった現在のほうがよほどグローバルではないかと看破している。
 また、「THE 21」(PHP研究所)12年10月号では、「現在の若者は恋愛しない。だから、少子化も止まらない」という意見に対しても疑問を呈している。そういった報道が出る論拠として提示されているのは厚生労働省が発表した「出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」にある「異性の交際相手がいるか」というアンケートに対する回答の比較なのだが、そのデータを仔細に見ると、ある疑問点が出ると深澤氏は語る。「友人として交際している異性がいる」という、現在の若者にとっては意味のよく分からない質問が入っているのだ。
 1987年の数字を見ると、「婚約者がいる」3%、「恋人として交際している異性がいる」19%、「交際している異性がいない」49%、「友人として交際している異性がいる」24%となっている。
 一方、2010年のデータでは、「婚約者がいる」2%、「恋人として交際している異性がいる」23%と、これらは1980年代の数字と大して変わらない。そして、確かに「交際している異性がいない」は61%と跳ね上がっているのだが、「友人として交際している異性がいる」の数字は9%と激減している。この数字を挙げて深澤氏は、いまの若者にとって「友人として交際している」は単なる「友人」なのだから、「交際相手」を聞くこのアンケートでわざわざカウントしないのではないかと主張している。
 事実、同じ調査で「性体験の有無」を聞いた項では、男性は53%から60%に、女性は30%から55%に増えており、若者が本当に恋愛しなくなっているのかどうか疑問が残る。先のアンケートで「交際している異性がいない」の数字が上昇したのは、20年前なら「友人として交際している異性がいる」に入れていたであろう人たちが「交際している異性がいない」に入れたという、感性の変化なのではないかと言うのだ。
 またこういった問題は抜きにしても、そもそも、少子化は恋愛云々とは何の関係もない。前出「週刊プレイボーイ」で深澤氏はこのように語っている。
「ギリシャ人は日本人の2.5倍セックスをしているというデータがありますが、少子化は進んでいます。結局、結婚や子づくりは経済面に強く関わることなので、できるかできないかは社会に影響される部分が大きい。個人の思想の変化なんかで解決される問題じゃないんですよ」
 以上のように、深澤氏は「草食男子」という言葉の誤用と、その誤用を裏付けるためにマスコミが流した情報の誤りを指摘し続けているのだが、このようにメディアによって誤って解釈されて広まり、その言葉の生みの親を困惑させるケースは多い。
 その典型例として最近話題となったのが、昨年「流行語大賞」にエントリーされた「プロ彼女」だ。この言葉はもともと、エッセイストの能町みね子氏が「週刊文春」(文藝春秋)の連載コラムのなかで、ロンドンブーツ1号2号・田村淳の結婚相手について〈「彼女は一般女性というよりはプロの女性だろう」みたいに書いた〉(能町氏のツイッターより)ことがきっかけで生まれた。「夫に尽くす従順な妻」というイメージで報じられた田村淳の妻を、男に召し使いのごとくかしずくことで有名人の妻の座を射止める女性を旧来的な女性像として批判した言葉だった。
 しかし、この言葉も「草食男子」同様、意味が180度真逆に変化していく。男の要求をすべて飲み込んで尽くす女は最上級の女性、だから「プロ彼女」なのだとカテゴライズし直され、能町氏が批判したタイプの女性を賞讃する意味に転倒してしまった。
 女性ファッション誌「ViVi」(講談社)15年4月号の特集「なれるものなら“プロ彼女”!!」は、まさしくその典型で、〈今、モテ男性有名人が続々結婚している相手として話題の“プロ彼女”。男性の要求をすべて飲みとことん尽くすのが特徴。なるのは大変そうだけど、なれば一流の男をGETできる!?〉などと煽られていた。
 能町氏はこのことに激怒。「週刊文春」のコラム上で「ViVi」から取材依頼があったことを明かしつつ、わざと意味を歪めようとしているのだと主張した。
〈私はこの単語を褒め言葉として広める気はないので(取材依頼を)断ったのです。だから、あとで私に文句を言われないようにやたら定義が丁寧に書いてあるんでしょう〉
〈言うまでもないけど、私は皮肉で言ってたのです。今どき召し使いに徹して芸能人の妻という名誉や財産を手にするなんて「プロ」の女だ、と〉
〈皮肉な言葉が褒め言葉として使われているのが悔しい。(中略)これでは私の生み出した言葉が古すぎる価値観の女を再生産することになってしまう〉
 時代に先んじた意味をもっていたはずの言葉が意味をねじ曲げられ、保守的な意味合いに矮小化される。現在の世の中の風潮を見る限り、今後も「草食男子」「プロ彼女」と同じ運命をたどる新語が生まれ続けるのではないかと考えると、暗澹とした気分になってしまうのである。(新田 樹)


「孤独死は独居老人より独身40代のほうが多い」特殊清掃人が断言
 2035年には50歳男性の3人に1人が未婚者になると言われる「生涯未婚」時代。10/25発売の週刊SPA!に掲載されている特集『[40歳独身]の危機』でのアンケートでも独身男性の実に50.4%の人が「生涯独身」を受け入れている。しかし、自由気ままな生活は突如思わぬ弊害を発生させるのも事実。ここでは、40代独身者の最期の瞬間について取り上げたい。
人知れずに死んでいく……。独居老人よりも多い中年孤独死
 真夏のある日、東京都大田区にあるマンションの一室のドアを開けると、視界を完全に塞ぐほどの黒い虫の大群が襲いかかってきた。よく見ると、コバエだ。そして、部屋の奥から漂う強烈な死臭が防臭マスク越しの鼻をつんざく。
 部屋で亡くなっていたのは、某上場企業の中間管理職だった42歳の独身男性(写真参照)。すでに死後1か月が経過し、腐乱した遺体から流れ出た体液は、畳裏の板張りにまで達していた。死因は糖尿病による合併症。糖尿病や精神疾患を患った男性は、長期療養のため会社を休んでいた。そのため、死後1か月が経っても、誰にも発見されることはなかったという。
 孤独死の現場は凄惨だ。特殊清掃人として長年、孤独死現場を見てきた石見良教氏は、散乱するゴミの中から糖尿病の患者に配布されるマニュアルを拾い上げ「またか」と思ったという。
「孤独死=独居老人のイメージは、間違い。実は40〜50代の独身中年にこそ多い。糖尿病など病気による離職や休職、リストラをきっかけに、唯一の社会との接点だった会社での人間関係が断たれ、孤独死へと向かうのです」(石見氏)
 部屋の中は足の踏み場もないほど荒れ果て、おそらく亡くなっていたであろう黒ずんだシミの場所だけがぽっかり空いている。遺品整理の立ち会い人は、亡くなった男性の会社の同僚だ。高齢の両親は地方に住んでおり、付き合いのある親族や友人もいなかった。
 特殊清掃人として孤独死の最前線に立つ石見氏によれば、中年の孤独死には共通する特徴があるという。50代の独身男性が都内自宅で孤独死していたケースでは、遺体発見時には死後3か月が経過。メーカー系プログラマーとして活躍していたが、糖尿病で療養中だった。この男性の部屋も例に漏れず大量のゴミが床を埋め尽くしていたが、整理収納に関する書籍が複数発見されたという。自身の生活に危機意識を持ちながらも抜け出せなかったようだ。
「ほかにも『健康は精神の安定から』などといった自戒メモが大量に残されていることも、中壮年男性の孤独死現場にはよくあります。また、アニメのDVDやフィギュア、ワインなどの収集品が大量に残されていることが多いのも特徴。アウトドアな人よりは、インドアな人が孤独死に陥りやすい」
 厚生労働省が発表した平成27年版「厚生労働白書」によると、日本人男性の生涯未婚率(50歳までに一度も結婚したことがない人の割合)は22.8%。さらに、’35年には約3人に1人の29%に上ると推計され、現役世代の孤独死予備軍は今後も増加の一途を辿る。淑徳大学教授で孤独死に詳しい結城康博氏もこう指摘する。
「ここ数年は現役世代の孤独死が増加傾向にあり、20〜25%を40代、50代が占めています。そんななか、女性よりも社交性に乏しい男性は、さらに孤独死の可能性が高い。例えばマンションの廊下などで隣人と会っても挨拶もしないような独身男性は、立派な孤独死予備軍と言っていい。地方出身で周りに親族もいなければなおさら。また、独身男性は食生活が乱れやすく、脳梗塞などで突然死するリスクも高いでしょうね」
 同特集では、孤独死だけでなく、健康不安や地方左遷など「生涯未婚予備軍」を取り巻くヤバすぎる日常に密着。「仕事面」「健康面」「恋愛面」において、どんな危機的状況が彼らを待ち構えているのか徹底取材している。彼らのクライシスな日々を目撃し、独身者なら今後の人生を考え直すきっかけになるかもしれず、また既婚者ならば「結婚してるだけマシだった」と溜飲を下げられるかも!? <取材・文/週刊SPA!編集部>
【特殊清掃人・石見良教氏】
アールキューブあんしんネット事業部長。孤立死問題や高齢者のゴミ問題など講演も各地で実施 http://www.r-anshin.net
【社会福祉学者・結城康博氏】
地域包括支援センターでの社会福祉士勤務を経て、現在は淑徳大学教授。著書に『孤独死のリアル』(講談社現代新書)など


【電通女性社員自殺】 「日本は全く変わっていない」遺族側弁護士、厚労省会合で訴える
 過労死をなくすための対策を話し合う厚生労働省の協議会が25日、開かれ、過労自殺した電通女性新入社員、高橋まつりさん=当時(24)=の遺族側代理人を務める川人(かわひと)博弁護士が出席し、「日本の現実が全く変わっていない」と訴えた。
 川人弁護士は、過労死等防止対策推進法が平成26年に制定された後に、高橋さんが過労自殺したことに触れ、「その事実からしても日本は全く変わっていないことを痛感した。残念でならない」と話した。
 高橋さんは長時間労働に加え、深夜労働や上司のパワーハラスメントがあったことも指摘。その上で、「亡くなるまでの過程で、健康診断など医師が面談する機会もあったが十分なチェック機能を果たすことができなかった。これは深刻な問題を提起している。今後の労働行政においても反省と教訓を踏まえていく必要がある」と改善を訴えた。
 協議会は過労死対策法に基づき設置され、労使の関係者や遺族、有識者らで構成される。26年12月に初会合が開かれた。


消費者団体訴訟/泣き寝入りを減らしたい
 悪質商法で金をだまし取られた人らに代わって国が認定する消費者団体が、業者側に被害回復の訴訟を起こせるようにした「消費者裁判手続き特例法」が施行された。
 従来の制度では、消費者団体は不当な勧誘行為などの差し止め請求はできるが、消費者が財産を取り戻すには個別に業者に請求するしかなかった。今回の法施行で損害賠償請求まで踏み込めるようになり、被害者の一括救済が期待される。
 消費者庁によると、悪質商法などの消費者被害の推計総額は2015年で約6・1兆円に上る。だが被害を訴えた人の約4割が被害回復に向けた行動を取らず、訴訟を起こした人は1%にも満たない。訴訟は費用や手間がかかる。泣き寝入りしがちだった被害者の救済を進めたい。
 対象となるのは、「必ずもうかる」と虚偽の説明をされて金を支払った▽語学学校を解約したのに学費が戻らない▽エステティックで契約と異なる施術をされた▽購入した製品やマンションに欠陥があった−など。今月1日の施行以降の事例で、被害者が数十人以上のケースだ。
 訴訟は2段階で進められる。同じような被害が多数あった場合、まず、国が認定する「特定適格消費者団体」が業者を提訴する。裁判所が業者の損害賠償の義務があると判断すれば、同団体がホームページなどを通じて被害者を募り、裁判所は被害者ごとに賠償金額を確定させる。
 行方をくらます業者も多いため、業者の口座や財産の差し押さえを申し立てられるようにした。
 ただ、課題もある。補償は業者に支払った金額に限られ、けがをした場合の治療費や個人情報流出による慰謝料などは対象外になっていることだ。経済界には「訴訟の乱発で企業の活動に影響が出る恐れがある」といった懸念もある。だが、欠陥のない商品やサービスを提供し問題があれば誠実に対応するのは、企業として当然のことだ。
 今後、国が特定適格団体を認定し、提訴は17年以降になる見通しだ。現行の差し止め請求で認定を受けている兵庫など全国14団体が対象となる。新制度では個別の被害者への対応で作業が大幅に増えるため、団体の人員、財政面などでの体制整備が必要になる。新しい制度の実効性を上げるために、国が責任を持って団体を育成していくべきだ。


衆院2補選/中途半端な野党共闘では
 東京10区と福岡6区の二つの衆院補選は、いずれも自民党系候補が野党系候補を破って初当選した。
 7月の参院選後初の国政選挙である。第3次安倍再改造内閣への評価が問われ、安倍晋三首相が描く衆院解散のシナリオにも大きく影響する選挙として注目された。
 安倍政権は両選挙区の圧勝を追い風として、環太平洋連携協定(TPP)関連法案などの早期成立を図りたいところだろう。早期解散風が勢いを増すとの見方もある。
 だが、選挙戦では明確な争点を掲げた政策論争が行われたとは言い難い。いずれも保守層の厚い選挙区で、自民党が元の議席を守った。この2勝を政権への積極的な信任と受け止めるのは早計だ。
 東京10区は、都知事に転身した小池百合子氏の地盤だ。自民党は都知事選で党の方針に従わず小池氏を応援した小池氏側近を公認した。都政改革を唱える小池知事の人気の高さに便乗した勝利と言える。
 鳩山邦夫元総務相の死去に伴う福岡6区の補選では、自民党系無所属2人のどちらにも党公認を見送り、分裂選挙となった。「弔い合戦」を掲げた鳩山氏次男の当選直後に追加公認したが、どちらが勝っても議席を確保できるように様子見を決め込んだにすぎない。
 最近は、TPPを巡る閣僚の強行採決発言など政権のおごりや慢心が目立つ。安倍首相は政権を引き締め、山積する課題に緊張感を持って取り組むべきだ。
 野党共闘のもろさもあらわになった。自民党が一枚岩と言えない状況にもかかわらず接戦にすら持ち込めず、立て直しが迫られる。
 特に分かりにくかったのは、民進党の対応だ。民進党候補への一本化にこぎつけながら、他の野党の推薦を拒むなど中途半端な姿勢が目に付いた。政権批判の受け皿を求める有権者は戸惑うだろう。
 鹿児島、新潟県知事選や、7月の参院選の改選1人区の一部では、東日本大震災からの復興や原発政策、基地問題などが争点となり、有権者を動かした。この成果を次期衆院選に生かせるかが課題だ。
 民進党の蓮舫代表は「選挙の顔」としての存在感を発揮できなかった。政権を担える党を目指し、「もう一つの選択肢」を示す政策づくりに全力を挙げねばならない。


2補選自民勝利  野党共闘立て直し急げ
 衆院東京10区、福岡6区の補欠選挙は、ともに自民党系の候補が当選した。
 第3次安倍再改造内閣の発足後初の国政選挙として注目されたが、自民が元の2議席を維持した形で、安倍晋三首相は政権運営の追い風にしたい考えだろう。
 野党は共闘効果を出せず、民進党は蓮舫代表の国政選挙の初陣でつまづいた。次期衆院選に向け共闘態勢の立て直しが求められよう。
 ともに大差で与野党対決を制したが、自民の完勝とは言い難い。
 東京10区は党方針に反し都知事選で小池百合子氏を推した若狭勝氏を擁立。全面支援した小池氏の人気に頼っての勝利だ。福岡6区は公認調整の失敗で保守分裂選挙となり、故鳩山邦夫元総務相の後継と訴えて当選した次男の二郎氏を事後公認する苦肉の策をとった。しこりが残っても「敗戦回避」という実利を優先したと言える。
 対する野党側は厳しい現実を突き付けられた。小池氏や元総務相の強い地盤だったとはいえ、4野党が民進候補に一本化しても太刀打ちできなかった。与野党間の争点を明確にできず、自民内部の争いに埋没した感さえある。
 対照的だったのが1週間前の新潟県知事選だ。原発再稼働の是非が争点となり、慎重姿勢の野党系候補が、劣勢を覆して与党推薦の候補を破った。民意に応える明確な政策で対峙すれば、幅広い支持を結集しうることを示している。
 ネックは野党共闘の軸となる民進の立ち位置が定まらないことだ。候補を一本化しながら他の3野党の推薦を受けず、距離を置く「共闘隠し」が目に付いた。支持基盤である連合の共産党への拒否感が強いためだが、野党の候補者調整だけで与党に勝てないことは今回の結果でも明らかだ。「選挙の顔」と期待される蓮舫代表も腰が引けているようでは、政権奪回への覚悟を疑われよう。
 政権を選択する衆院選では共闘の在り方により厳しい目が注がれる。各野党が一致して結集でき、有権者にはっきり違いが分かる争点の構築と、安倍政治に代わる受け皿を示していけるよう、早急に協議を詰めていく必要がある。
 与党内の「新潟ショック」の連鎖に一応の歯止めをかけ、安倍首相は解散総選挙をにらんだ政局での主導権を強めるとみられる。今国会の焦点である環太平洋連携協定(TPP)承認案の早期成立を推し進める構えだが、巨大与党のおごりを慎み、より謙虚な政権運営を求めたい。


自民2補選勝利 「国民期待」の表れなのか
 衆院東京10区、福岡6区の2補欠選挙で自民党系の候補が野党共闘の候補を制した。第3次安倍再改造内閣発足後、初の国政選挙だ。しかも、原発再稼働が争点だった先の新潟県知事選で与党推薦候補が敗れただけに、ほっとしているだろう。基盤の強さを証明できたことは収穫だ。
 しかし、両補選は与党、野党にとって課題が浮き彫りになった選挙でもある。来年の衆院解散・総選挙が視野に入る中で、いかに国民の信任を得るか、体制の再構築が求められる。
 自民党は両補選とも決して一枚岩ではなく、むしろ不協和音を抱えた選挙だった。小池百合子氏の都知事転身に伴う東京10区補選で、自民党は小池氏を応援した若狭勝前衆院議員を公認した。若狭氏は都知事選で党方針に反し、小池氏支援に走った。当然ながら自民都連内には反発もあったが、それを抑えて若狭氏を公認したのは「小池ブーム」に対抗できる候補を立てられなかったからだ。
 安倍晋三首相は小池氏と並んで応援演説に立ち、関係修復をアピールしたが、内実は苦い勝利である。
 鳩山邦夫元総務相の死去に伴う福岡6区の補選は、自民党から鳩山氏の次男の二郎氏と党県連が推す蔵内謙氏が立候補。候補一本化失敗による同士打ちの分裂選挙となった。党本部は公認を決めず、当選した候補を追加公認する苦肉の策を取らざるを得なかった。両陣営にしこりが残り、その解消は容易ではない。
 今回の補選は「結果」が欲しかった政権の焦りにも映る。候補者調整が困難な現実があぶり出され、次期総選挙に向けて党内調整が課題となってくる。「安倍1強」も一皮むけば、決して盤石とは言えない。
 一方、野党共闘の要となる民進党にとっても、9月に就任した蓮舫代表の初陣を飾れず、厳しい結果となった。新潟県知事選のように明確な争点がなく、政策が有権者にアピールしにくかった点もある。
 共産、自由、社民3党が連携。民進党候補に一本化したものの、民進は共産党への拒否感が強い連合への配慮もあり、政策協定を結ばず他党推薦も受けなかった。党内にも共闘に異論を示す声は少なくない。
 だが、共闘は巨大与党に対抗するために不可欠の陣形である。戦略を練り直し、どれだけ訴求力のある政策課題を前面に打ち出せるかだ。衆院選は「政権選択選挙」であることを肝に銘じる必要がある。
 与党内には今回の勝利で「安倍政権の政策運営に信任を得た」「国民の期待の表れ」などの発言が湧き出ている。安倍首相は焦点の環太平洋連携協定(TPP)承認案の審議に強気で望む構えだ。ただ、山本有二農相の強行採決発言など与党のおごりは看過できない。与野党とも謙虚な姿勢で国民と向き合い、熟議に徹するべきである。


衆院2補選/慢心せず丁寧な運営を
 7月の参院選後、初めての国政選挙となった衆院東京10区、福岡6区の二つの補欠選挙は、いずれも自民党系の候補が制した。両補選とも自民党の議席の後継を選ぶ選挙で、自民、公明の与党側が基盤の強さを示したと言える。一方、9月に就任した民進党の蓮舫代表には初陣での厳しい結果となった。
 ただ今回の補選は、環太平洋連携協定(TPP)や憲法改正問題などの争点はぼやけたままで、政策論争が活発だったとは言い難い。与党側が分裂選挙で内向きの戦いになった影響もあろう。
 臨時国会では、TPP承認案の審議を巡る山本有二農相の強行採決発言など「自民1強体制」のおごりとも言える姿勢が目立つ。両補選の結果は安倍政権への積極的な信任とは言えまい。安倍晋三首相と与党は勝利に慢心せず、丁寧な国会運営を肝に銘ずべきだ。
 野党側は共闘し、民進党の候補に一本化したものの及ばなかった。自民党が分裂など一枚岩とは言えない状況での敗北は、しっかりとした基盤が築けていない実情をあらわにしたと言えよう。
 安倍首相が来年1月に衆院解散・総選挙に踏み切るとの観測もある。次の総選挙でも「1強体制」を許すのか。民進党は選挙に向けた戦略を再構築し、野党共闘への対応を早急に詰めるべきだ。
 選挙戦で野党はアベノミクスや安全保障関連法などに力点を置いて批判したが、有権者を引きつけることはできなかった。総選挙に向けてどう争点を明確にしていくのか。知恵を絞る必要がある。
 特に民進党の選挙対応は課題が多い。両補選ともに共産、自由、社民の3党と共闘し、共産党が候補を取り下げて民進党公認に一本化した。参院選の選挙区選挙で一定の成果を上げた枠組みだ。
 しかし今回の補選では政策協定を結ばず、他党の推薦も受けなかった。共産党との連携に異論がある党内や支持団体・連合への配慮だろう。
 蓮舫氏は「綱領や政策が違う政党とは連立は組まない」とする一方、次の総選挙も小選挙区では野党候補の一本化を目指す考えを示している。だが総選挙は政権選択が問われる選挙だ。民進党は野党共闘への対応と連合との関係をきちんと整理すべきだ。
 自民党は両補選ともに不協和音を抱えた選挙となった。小池百合子氏が党を割って都知事に転身したのに伴う東京10区の補選では、小池氏を応援した若狭勝前衆院議員を公認した。東京都連内には不満も残ったが、小池氏が支援する若狭氏に対抗できる候補を立てられなかった結果だ。
 安倍首相は小池氏と並んで応援演説に立ち関係修復をアピールしたが、党内の不満は完全には解消されていない。
 鳩山邦夫元総務相の死去に伴う福岡6区の補選では、自民党から鳩山氏の次男の二郎氏と党県連が推す蔵内謙氏が立候補した。政権中枢の幹部がそれぞれの陣営を支援して対立したため、党本部は公認を決めず、当選した候補を追加公認する形をとった。
 自民党の分裂選挙は、現職議員と立候補希望者を多く抱え、候補者調整が難しさを増している証左と言える。次期総選挙に向けて党内にきしみが生じる可能性もあり、執行部の調整力が課題となる。


衆院ダブル補選 与党は慢心せず政権運営を
 衆院東京10区、福岡6区のダブル補欠選挙は“自民2勝”に終わった。東京10区は公明党が推薦する自民党前職若狭勝氏(59)、福岡6区は保守分裂選挙となり、自民党は新人鳩山二郎氏(37)を選挙後に追加公認した。
 自民2勝とはいえ、その内実は必ずしも盤石ではない。
 東京10区は、自民党への支持というよりも、小池百合子都知事の人気が後押ししたのは間違いないだろう。安倍晋三首相が小池知事とともに応援演説に入り関係修復をアピールしてみせたが、その足元では依然として都知事選のしこりがくすぶったままだ。
 自民都連は、都知事選で小池氏を支援した豊島、練馬両区議7人を離党勧告処分としており、この問題をどうさばくかが、今後の課題として残っているからだ。
 福岡6区にしても、候補者調整に失敗して保守分裂に陥り、当選後の追加公認でどうにか議席を守った格好だ。急逝した鳩山邦夫元総務相の次男による「弔い合戦」だったが、鳩山氏を支援する菅義偉官房長官に対し、麻生太郎副総理は別の新人に回り、今後の政権運営にも微妙な影を落とす。
 臨時国会では、環太平洋連携協定(TPP)の審議を巡って、山本有二農相から「強行採決」発言が飛び出すなど、巨大与党のおごりが目立つ。今回の選挙結果を受けて、菅官房長官は「政権運営が理解された」と強調したが、与党は慢心せずに引き締めるべきだ。
 曲がりなりにも2議席を確保した自民に対して、蓮舫代表の初陣となった民進党はふがいない。「民進党の公認候補」を前面に出して闘ったが、どうにも分かりにくかった。党内や支持母体の根強い共産アレルギーに配慮して“共産隠し”に徹したようだが、共産党から候補者を取り下げてもらっても政策協定は結ばず、他党からの推薦も受けようとはしなかった。こうした姿勢は有権者にどう映っただろうか。
 次の衆院選挙は政権選択の選挙でもある。蓮舫氏は「綱領や政策が違う政党とは連立は組まない」としているが、小選挙区で候補者を一本化する野党共闘路線そのものは続けるつもりのようだ。今回のように他党の推薦を断り、政策協定も結ばず、野党共闘の先にある将来像をあいまいにしたまま、有権者に白紙委任を求めるようなやり方は通用しないのではないか。
 16日の新潟県知事選は原発再稼働が争点となり、共産など3党推薦の候補が自公推薦候補を破る“新潟ショック”となった。対立軸をはっきりと示しつつ野党が共闘して政策論争に挑めば、有権者の支持につながるということだろう。
 巨大与党にどう対抗するのか。民進党には、野党第1党として有権者に選択肢を示す責務がある。
 安倍首相が来年1月にも衆院解散・総選挙に踏み切るという観測が消えない。ここまで解散風をあおってきた自民党の二階俊博幹事長は「日本中で自民党が支持されているかどうかは慎重に検討して対応すべきだ」と、ややトーンダウンしたが、いつ解散してもおかしくはない。国会ではTPPをはじめ、重要法案が山積している。論戦を通じて、与野党ともに対立軸を鮮明にするよう求めたい。(古賀史生)


[補選自民2勝] 積極的な信任ではない
 7月の参院選後、初の国政選挙となった衆院東京10区、福岡6区の補欠選挙は、いずれも自民党系の候補が制した。
 野党側は共闘が力を発揮しきれず、民進党の蓮舫代表は国政選挙での初陣を飾れなかった。
 自民は勝ったとはいえ、東京10区では小池百合子都知事の集票力を利用し、分裂選挙となった福岡6区は、当選した候補を追加公認するという形をとった。
 原発再稼働の是非が争点となった新潟県知事選とは異なり、政策論争が活発だったとは言い難い。「自民2勝」を積極的な安倍政権への信任と受け止めるのは早計だろう。
 安倍晋三首相と与党は慢心してはならない。環太平洋連携協定(TPP)承認案の審議など、丁寧な国会運営に努めるべきだ。
 自民は、両補選とも内部に不協和音を抱えた選挙となった。
 東京10区は、都知事選で党の方針に反して小池氏を応援した若狭勝氏を公認した。東京都連内に不満が残る中、小池人気にあやかるしかなかった結果である。
 鳩山邦夫元総務相の死去に伴う福岡6区では、鳩山氏の次男・二郎氏と、党県連が推す蔵内謙氏が立候補し、政権幹部も対立した。追加公認という苦肉の策をとったが、両陣営にはしこりが残った。
 自民党は、TPP承認案を巡る山本有二農相の強行採決発言など、自民1強体制のおごりとも言える姿勢が目立つ。
 選挙結果を受け、菅義偉官房長官は「安倍政権への政策運営に理解をいただいた」と述べた。だが、謙虚さを忘れれば、国民にそっぽを向かれることを肝に銘じてもらいたい。
 一方の野党は、選挙協力の在り方に課題を残した。
 問題は、本格的な野党共闘に踏み込めない民進党の姿勢である。
 民進、共産、自由、社民の4党で民進党候補に一本化したものの、政策協定は結ばず、他党の推薦も受けなかった。
 背景にあるのは、共産党との連携に異論を持つ民進党内の保守系グループや支持団体「連合」への配慮だ。
 安倍首相は、来年1月にも衆院を解散するのではとの観測もある。総選挙で巨大与党と対峙(たいじ)するには、野党の結束がカギとなろう。
 共産党や社民党などからは、「本気の共闘でなければ勝てない」「4党の足並みがそろわなければ勝負にならない」と、不満の声が上がる。
 民進党は総選挙に向けた野党共闘の対応を整理し、早急に戦略を構築しなければならない。


衆院2補選 与野党とも内省のとき
 野党系候補が与党系候補を退けた先の新潟県知事選に続き、与野党対決の構図となった衆院東京10区と福岡6区の補欠選挙は、いずれも自民党系候補が勝利した。
 表向き、与党が新潟の失点を挽回し政権運営に弾みを付けた格好だが、その内情は単純な総括を許さない。
 自民党の二階俊博幹事長は結果を受けて「真摯(しんし)に受け止める。謙虚な姿勢を忘れず、しっかり対応したい」とコメント。まるで敗者のような物言いなのは、それぞれに内紛を露呈する選挙戦となったのが要因だろう。
 東京では小池百合子知事と党都連の確執が顕在化。党執行部は都連の不満より小池氏との協調を優先した。その人気にあやかって、議席を維持することを最優先としたからに違いない。
 政権幹部の支援が二手に割れる分裂選挙となった福岡でも、党執行部の判断は一貫している。あるベテラン議員によれば、両陣営の公認要請に執行部が決断を見送ったのは「敗戦回避優先」のため。新潟知事選で野党系に敗れたショックが尾を引いている。
 臨時国会では、環太平洋連携協定(TPP)承認案の審議を巡る山本有二農相の強行採決発言もあり、風向きは与党に厳しい。二階氏の「謙虚な姿勢」発言からは、取り沙汰される解散戦略も含め、民意の在りかを慎重に探る姿勢がうかがえる。
 一方の野党側は、与党の内紛にも攻め手を欠いて埋没した。民進、共産、自由、社民4党は両補選で民進候補に一本化したが、各党の推薦は受けない形式を取った。
 これに先立つ新潟県知事選で、民進党は支援を受ける連合との関係から野党候補の推薦に加わらないなど、一連の選挙戦で共闘は中途半端に終始。蓮舫代表は新潟で、野党系優勢が伝えられた最終盤になって応援のマイクを握るなど、自由党の小沢一郎代表から「主体性がなさすぎる」との批判を買っている。
 自民党が選挙で勝つことを優先して内部の異論を押さえ込んだのと対照的に、民進党は内部事情に翻弄され続けているように見える。それもこれも経済や外交、安全保障、憲法観など、現政権の重要テーマで党の方針が不鮮明なのが要因ではないか。
 巨大与党への対抗上、野党共闘は重要な選択肢ではあるが、それ自体が政策課題のようになっては本末転倒。政治理念が混在する政権のもろさは旧民主党の最大の教訓だ。
 その意味で、今回の補選は現状の野党共闘の限界を示唆するようでもある。「1強」のおごりを警戒する政権与党とは別の意味で、民進党も野党第1党としての立ち位置を内省する必要がある。


福岡6区も「勝者」は小池氏 自民危機感「次期小選挙区86減」
 二十三日投開票の衆院補選で、小池百合子東京都知事は、後継指名して勝利した東京10区の自民前職の若狭勝氏に加え、福岡6区では圧勝した無所属の鳩山二郎氏(選挙後に自民党が追加公認)を支援していた。与党は補選で「二勝」したが、いずれも小池氏が勝者とみることもできる。与党は推薦候補が逆転負けした新潟県知事選の打撃も尾を引き、危機感は消えていない。
 鳩山氏は、別の新人を推した自民党福岡県連と対立する形で立候補。小池氏は今月十日、福岡入りして鳩山氏を応援し、党東京都連と対立して知事選を戦った自身と重ね「都知事選と図式が似たようなもの。二郎さんと私の立場は全く同じだ」と支援を呼び掛けた。主催者発表で聴衆は五千人に上ったという。
 自民党は二十四日、若手衆院議員を対象とした二回目の研修会を国会内で開催。補選で二勝したにもかかわらず、下村博文幹事長代行は次期衆院選の小選挙区で、自民党の獲得議席が前回より八十六減る可能性に言及。自民党は二〇一四年の前回衆院選の小選挙区で二百二十三議席(追加公認を含む)を獲得したが、野党が候補者を一本化した場合の分析として、百三十七になる可能性もあるとした。
 年明けの衆院解散・総選挙が取り沙汰される中、自民党幹部は「衆院議員は若手が多い。若手がしっかりしなければ選挙をやって政権が維持できるか分からない」と危機感を募らせている。 (金杉貴雄)


社民 又市幹事長「野党共闘は中途半端」民進を批判
社民党の又市幹事長は、先の衆議院の補欠選挙での野党4党の連携について「最後まで中途半端だった」と指摘し、民進党の対応を批判したうえで、次の衆議院選挙に向けて連携を強化するため協議を急ぎたいという考えを示しました。
23日投票が行われた衆議院東京10区と福岡6区の補欠選挙で、民進党や共産党など野党4党はいずれも民進党の候補者に一本化しましたが、民進党は各党の推薦を受けませんでした。
これについて社民党の又市幹事長は、記者会見で「野党共闘が最後まで中途半端だったと言わざるをえない。民進党が強い相手に対して、本当に勝とうという姿勢があったのか批判せざるをえない」と述べ、民進党の対応を批判しました。
そのうえで又市氏は「選挙協力を行うには、一定の政策合意が前提になるしギブアンドテイクは当然のことで、これを踏み外すと実効性のある選挙協力にならない。早急に野党4党の幹事長・書記局長会談を開く必要がある」と述べ、次の衆議院選挙に向けて、野党連携を強化するため協議を急ぎたいという考えを示しました。


自宅・テント捜索 県警は「過剰捜査」慎め
 ヘリパッド建設反対運動の中心人物が逮捕され、自宅や現場の運動拠点のテントが県警の捜索を受けた。必要な捜査だったのか。市民の反対運動を萎縮させる過剰捜査がないよう自制すべきだ。
 沖縄平和運動センターの山城博治議長は米軍北部訓練場内のフェンスの鉄線を切断した器物損壊容疑で逮捕、勾留されている。
 県警は21日、山城議長の自宅と東村高江の反対市民のテントを強制捜索した。
 沖縄平和運動センターは5・15平和行進を主催、県道104号越え実弾砲撃演習の廃止要求、オスプレイ配備、辺野古新基地建設反対や米軍事故・事件への抗議など、県内の反戦・平和運動を担い続ける大衆運動組織である。
 中心幹部の山城議長の逮捕で組織、反対運動のダメージは大きく、運動の萎縮を意図した「狙い撃ち」の批判が根強い。
 警察や検察の逮捕・勾留は「証拠隠滅、逃亡の恐れ」など要件の規定がある。鉄線切断の立証のために逮捕し、さらに10日間も勾留する捜査上の必要があるのか。その上、自宅にまで踏み込む強制捜査が必要か疑問を拭えない。
 那覇地検の勾留請求を那覇簡裁は却下した。勾留の必要性に相当の疑義があったからだろう。
 簡裁の却下に検察が異議を唱え、那覇地裁が勾留を認めた。一方、これと並行して県警は「那覇防衛施設局職員を揺さぶった」とする傷害などの新たな容疑で山城議長を再逮捕している。
 一事案の容疑で逮捕捜査中に、別件での逮捕は異例だ。弁護士らは「器物損壊での勾留は厳しいと見て傷害容疑で再逮捕したのでは」「逮捕自体が目的では」と疑問視している。何が何でも山城議長の身柄拘束を継続する。恣意(しい)的で過剰な捜査と疑われているのである。
 反対運動のテントの捜索も問題だ。不必要で安易な強制捜査は、反対運動の市民を犯罪人視する誤解や偏見を助長しかねない。
 議長宅やテントの捜索と同じ日に、名護署では87歳の高齢女性の聴取も行われた。沖縄戦で火炎放射を浴び、全身に大やけどを負った体験を持つ女性である。聴取の最中、反対運動を批判する団体のサイレン音が繰り返し流されたという。
 基地に反対する県民は被害者であって加害者ではない。基地建設に反対する県民の活動の自由は最大限、保証されねばならない。


慈波力発電所を公開 18年度まで稼働
 東京大生産技術研究所(東京)は24日、久慈市の久慈湾玉の脇地区に設置した、国内で初めて波を利用する「久慈波力発電所」(出力43キロワット)を一般公開した。発電装置は既に東北電力の配電線への接続を完了し、今月末以降の国の認可を経て正式運用となる見通し。2018年度まで約2年間稼働させ、耐久性や発電効率を探る。丸山康樹特任教授は「海洋エネルギーの活用は遅れている分野。実用化につなげたい」と力を込めた。

ジュゴンどこへ 辺野古ブロック投下以降、確認されず
 沖縄防衛局が名護市辺野古沿岸海域に大型コンクリートブロックを投下した2015年1月以降、大浦湾で国の天然記念物「ジュゴン」の姿を確認していなかったことが24日までに分かった。フロート(浮具)やアンカー(重り)が設置された14年8月から辺野古崎北側でジュゴンの新たな食み跡も確認しておらず、自然保護団体は新基地建設に向けた作業や警戒船の影響を指摘した。
 日本自然保護協会の安部真理子主任、調査団体OEJPの吉川秀樹代表が、赤嶺政賢衆院議員(共産)を通して入手した防衛局の「シュワブ(H26)水域生物等調査報告書」で明らかになった。報告書は16年3月付と記載されているが、防衛局は公表していない。
 報告書によると、防衛局は15年に航空調査した20日間のうち古宇利島、嘉陽の両海域でジュゴンを18回(述べ21頭)を確認。14年は追跡調査で個体Cを中心に大浦湾周辺(安部崎より西側)に移動する様子が2回確認されたが、15年は一度も確認されなかった。
 辺野古崎北側の新たな食み跡も、フロートやブイが設置された14年8月から15年の調査終了まで一カ所もなかった。設置直前の14年4〜7月には述べ77本が確認されていた。
 安部主任は「ジュゴンは音に敏感。これまで個体Cは辺野古崎周辺や大浦湾を利用してきたが、工事に伴う作業音で近寄れなくなっているのではないか」と話した。埋め立てを巡る代執行訴訟で県と国が和解した16年3月以降、防衛局はジュゴンの調査を中断している。(社会部・篠原知恵、知花徳和) 


ユネスコ分担金 日本の存在感低下避けよ
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)に対する今年の分担金の支払いを、日本政府が留保している。岸田文雄外相はその理由を明らかにしていないが、ユネスコの「世界の記憶」(世界記憶遺産から表記変更)の登録制度の改善を促したい思惑があるようだ。
 背景には、中国が申請した旧日本軍による南京大虐殺に関する資料が、昨年10月に記憶遺産に登録されたことがある。内容は、犠牲者数を「30万人以上」とした南京軍事法廷の記録や、旧日本軍が撮影したとされる写真などだ。日本側は「中国の一方的な主張に基づくもので、文書は完全性や真正性に問題がある」とし、制度を政治的に利用したものだと反発してきた。
 犠牲者数に関しては、日本の研究者には20万人から数万人まで諸説ある。虐殺自体を否定する意見もあって、論争が続いている。そうした中で一方の主張だけに依拠したことを、日本政府が問題視するのは当然だ。制度を政治的なカードとして使うかのような中国の姿勢は残念と言わざるを得ない。
 人類共通の文化遺産の保護や、世界の子どもたちへの教育機会の提供などに取り組むユネスコは、活動資金の分担を加盟国に義務付けている。日本は2016年度は約38億円を計上している。ユネスコ内での分担率は9・6%で、米国(22%)に次いで高い。ただ、米国はパレスチナの加盟に反発して11年から凍結しており、ここ数年は日本が最も多く負担してきた。
 それだけに、このまま日本が支払い留保を続ければ、これまで貢献してきた実績や信頼に傷がつきかねない。日米が共に分担を拒めば、分担率が3位の中国の重みが増し、日本の存在感や発言力が薄れる恐れもあろう。
 記憶遺産の登録の在り方は確かに問題を抱えている。同じユネスコの「世界遺産」や「無形文化遺産」は、国際条約で定めた手続きに沿って行われ、各国代表が公開の場で登録の可否を決めている。これに対し、記憶遺産には根拠となる条約はなく、専門家14人からなる委員会が非公開で審査した上で、ユネスコ事務局長が単独で決定している。
 こうした制度の改善を日本が求めたことに対し、ユネスコも見直しの必要性を認めている。今年4月には手続きを定めたガイドラインの改定を決議した。決定に至る過程の透明性を確保し、登録申請の意図の中立性や議論の客観性に関する基準作りなどを手掛ける方向だ。日本の働き掛けが一定の成果を挙げつつあるといえよう。
 日中韓などの市民団体が登録申請した旧日本軍による従軍慰安婦関連資料の審査は来年行われる見通しだ。公正な手続きを早急に実現しなくてはならない。日本としては、国際社会に対する責任をしっかりと果たしつつ、ユネスコに制度改革を促していくことが求められる。


[死刑廃止宣言] まず情報公開し議論を
 日弁連は福井市で開いた人権擁護大会で、2020年までの死刑制度廃止と終身刑の導入を国に求める宣言を採択した。
 11年の大会では死刑制度に関する「全社会的な議論」を呼び掛ける宣言を採択し、執行されるたびに抗議声明を出してきた。だが、制度自体の廃止目標にまで踏み込んだのは初めてである。
 理由に挙げたのは、冤(えん)罪の恐れや廃止に向かう世界の潮流だ。
 一方で、被害者を支援する側の弁護士らは反発している。犯罪被害者や家族が厳罰を求める心情は理解できる。
 問題なのは、一般の人が死刑制度や執行についての情報をほとんど知らされずにいることだ。これでは廃止か存続か、判断することは難しい。
 国は今回の宣言を国民的な議論の契機とし、積極的に情報公開を進めるべきだ。
 大会に出席した786人のうち、546人が宣言に賛成した。
 死刑を法律上または事実上廃止している国は140カ国に上る。日本は国連からも繰り返し、廃止の検討を勧告されている。
 廃止派は14年に再審開始が決まった袴田事件を挙げ、「誤判・冤罪の危険性が具体的、現実的であることを改めて認識させた」と指摘した。冤罪で人の命を奪う可能性があることは見過ごせない。
 これに対し、地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんは「冤罪を防ぐシステム作りや被害者、遺族への支援が不十分なまま死刑廃止を打ち出すのには違和感がある」と述べる。被害者に寄り添い、支援態勢を充実させることが議論の大前提だ。
 内閣府が14年に実施した死刑制度に関する世論調査では「死刑もやむを得ない」が80.3%で、「廃止すべき」の9.7%を大きく上回った。だが、「仮釈放のない終身刑」導入を前提に聞くと、廃止は37.7%に上昇する。
 日弁連が終身刑の導入を提案したのは、こうした世論を受けてのことだ。ただ、終身刑は「一生外に出られず、死刑より残虐」という意見もある。海外の事例などを参考に具体的な検討が必要だ。
 裁判員制度の導入で、一般の人が死刑判決の言い渡しに関わる事例も出てきている。
 しかし、死刑に関する情報公開は、旧民主党政権下で当時の法相が東京拘置所の「刑場」を報道機関に公開し、国民的議論を呼び掛けたのを最後に停滞したままだ。
 廃止に否定的な見解を示すばかりで、情報公開を拒む国の姿勢は、存廃の議論から逃げていると批判されても仕方ないだろう。


強制わいせつ事件の東大院生 執行猶予付き有罪判決
東京大学の大学院生が、サークルの仲間とともに女子大学生の体を触った罪などに問われた裁判で、東京地方裁判所は、「ゲームの罰として半ば強制的に酒を飲ませた計画的犯行だ」として懲役1年10か月、執行猶予3年の判決を言い渡しました。
この事件は、ことし5月、東京・豊島区のマンションで、女子大学生が体を触られたうえ、たたかれるなどの暴行を受けたもので、東京大学の大学院生の松本昂樹被告(23)が、サークルの仲間2人とともに強制わいせつなどの罪に問われました。裁判では起訴された内容を認め、検察は、懲役2年を求刑していました。
25日の判決で、東京地方裁判所の島田一裁判官は、「ゲームに負けた罰として半ば強制的に酒を飲ませた集団による計画的犯行で、被告は、好意を寄せられているのをいいことに被害者の女性を誘い、執ように酒を飲ませていて、責任は重い」と指摘しました。一方で、「被害者から示談を拒否されているが、引き続き、謝罪や弁償に向けて努力する意向を示している」などとして、懲役1年10か月、執行猶予3年を言い渡しました。
この事件で、松本被告とともに起訴された東京大学の学生2人は、先月、いずれも執行猶予の付いた有罪判決を言い渡され、確定しています。


集団強制わいせつ事件で有罪判決 東大大学院生、東京地裁
 サークル仲間と集団で大学生の女性を裸にし、体を触ったり背中をたたいたりしたとして、強制わいせつと暴行の罪に問われた東大大学院生松本昂樹被告(23)に、東京地裁は25日、懲役1年10月、執行猶予3年(求刑懲役2年)の判決を言い渡した。
 島田一裁判官は「わいせつ行為をしようと被害者を飲み会に誘い、共犯者をあおった。被害者の人格をさげすみ、軽んじた犯行で刑事責任は重い」と指摘した。
 判決によると、松本被告は仲間の東大生らと共謀、5月11日未明、東京都豊島区のマンションの一室で女性を全裸にし、またがってキスするなどしたほか、女性の背中をたたいた。


現代の科挙――なぜ中国の受験戦争は過酷なのか?(後編)
 中国の受験制度は一見公平な制度に見えるが、公平性を求めるが故により不公平になる矛盾を抱えている。その背景には、豊かになった都市部とまだまだ貧しい農村部の教育格差のほか、その双方を分断する戸籍問題など中国特有の政治課題がある。若者たちを苦しめる「現代の科挙」は今後、その矛盾を解消できるのか。中国の事情を取材しているジャーナリストの中島恵さんが分析する。
複雑怪奇な制度のワケ
 前編で紹介したように、中国の大学入学試験「高考」は1年に1度、全国統一で2日間だけ行われる一斉試験だ。そういうと、一見「公平性」が保たれているように感じる。中国でも、この試験のやり方を「ある程度、公平」だと評価する声もある。だが、あまりにも人口が多すぎ、国土が広すぎるために、本来、公平であるべき大学入試は、複雑さを極めたわかりにくい制度になってしまっている。
 「高考」を簡単に説明すると、次のようになる。
 地区ごとに合格者数を決め、合格基準を設定して行われる大学入学試験。各地区の人数割り当ての詳細は明らかにされていないが、大学が集中する大都市の戸籍を持つ学生が優遇され、経済水準の低い地域の農村戸籍の学生は不利に置かれる。農村の学生に対する合格点数は、都市の学生のそれよりも高く設定されるという矛盾が生じている。
 これは私が2012年に執筆した著書『中国人エリートは日本人をこう見る』の中で、解説した短い文章だ。あれから4年。各地区の合格者数は、一部明らかにされるようになってきたが、都市の学生が農村の学生よりも有利であることは今も変わりがない。
 このように書くと「日本だって、都市のほうが塾や学校の選択肢がたくさんあって有利だ」という人がいるかもしれないが、中国の地域間格差は、日本人の想像をはるかに超えるほど深刻だ。
北京大学にはどこ出身の受験生が合格しやすいか
 都市と農村の経済格差は、そのまま教育格差と言い変えることもできる。数少ない「良い大学」は都市部に集中し、良い教師(中国では、教師にランク付けがあり、特級、1級などに区分けされ、それぞれ給料も異なる)も都市に集められるため、農村に生まれたというだけで、良い教育を受ける機会は得にくい。
 政府は教育レベルの低い農村の学生でも都市の大学に進学できるように、と各大学の合格点を地域別に設定している。たとえば、北京にある北京大学の合格者は、四川省から50人、雲南省から30人、江蘇省から400人、といった具合だ。また、北京にある大学は北京市から最も多くの学生を採るため、北京市出身ならば、四川省出身者よりもはるかに北京大学(や、その他の北京の有名大学)に進学しやすい。
 このような「地域別合格点の設定」は、一見すると「公平」だ。というのは、学力だけで全国一斉にヨーイドン、で受験させたら、子どもの頃から進学塾に通って高い教育を受けてきた都市部の学生ばかりが合格してしまい、農村からはほとんど合格できないという結果になってしまうからである。たとえわずかでも、合格者数を確保できる、というのは良いという見方もある。
 だが、一方で、もし受験者数が多く、競争が激しい別の省から北京大学を受験したら、四川省出身者よりも総合成績がよいのに合格できない、という不公平も生じてしまう可能性がある。人口分布や学力に関係なく、各省ごとに「○○人」と合格枠が決まっているからだ。
合格には政府による“内密の調整”も
 今年6月の入試シーズンでは、教育部(日本の文部科学省に相当)などが「大学など高等教育機関が比較的多い12省に割り当てた10万人分以上の合格者の枠を、大学が少ない中西部の10省に移す」といきなり発表。合格者の割り当てが激減した湖北省などでは猛烈な抗議デモが起こったこともあった。
 このように、毎年の受験者数と合格点数が異なり、地域(北京、上海、江蘇省、広東省など一部地域では独自の試験問題を導入)によっては統一試験とうたいながら試験問題が異なるほか、実は中央政府や地方政府、各大学による“内密の調整”も加味される。政府が決めた制度によって、合格者数や合格ラインは毎年変わるため、入試制度は複雑さを極めてしまっている、というのが現状なのだ。
 ここまで長々と説明してきたが、なぜこのような複雑な入試制度になっているかというと、前述したように、中国には都市戸籍と農村戸籍という二つの戸籍があるからである。
 中国の戸籍制度は日本とは大きく異なっている。結婚・出産・就職と、中国人の人生すべてに関わる重大なことだが、日本ではほとんど知られていない。
 複雑すぎるので、ごく簡単に説明すると、農村戸籍(農業戸籍)と都市戸籍(非農業戸籍)に分けられており、その数は約半々だといわれている。戸籍制度ができたのは1958年。計画経済時代に導入されたものだ。その頃から、中国では農村から都市への人口移動を厳しく制限してきており、そのため、戸籍によって受験の条件も変えざるを得ないのだ。
 都市への人口流入の制限は、基本的に労働者に対して実施していることだが、農村から都市の大学に進学した者も、そのまま都市で就職して都市住民となる可能性が高いため、大学合格者も一定数に制限しているという事情が背景にある。
 政府は戸籍制度改革を実施中で、段階的に戸籍制度は廃止される方向で動いている。すでに一部では「撤廃された」との話も聞くが、現実にはそんなにたやすいことではない。戸籍制度がなくなっても、長年にわたる教育資源の不均衡、学習環境の違いなどは一朝一夕に変えられるはずはない。農村出身者にとって都市にある大学入学の道が険しいのはもちろんのこと、都市出身者もまた、都市の学生同士での争いは激化している。どちらに生まれたとしても、中国に住む限り、受験戦争は避けて通れないのだ。
 こうした事情により、中国人はどうしても「勉強至上主義」にならざるを得ない。だから、中国人は学生時代に、勉強以外のことをした経験がほとんどない。昨今は日本の影響を強く受けて、学園祭もどきを行う学校も増えてきているが、日本と同じようなクラブ活動はほとんどない。あっても「お遊び」程度のことしかする時間がないし、もともと中国からきた「文武両道」という考え方は、今はほとんど残っていないからだ。
中国人の親が過保護になる理由
 とにかく中国人は何よりも子どもに学業を優先させ、子どもの立身出世を望む。だから「子どもは勉強するだけで大変だ」「子どもがかわいいから」「プレッシャーが多くてかわいそうだから」といって、都市部では小学校だけでなく、中学生や高校でさえも、夕方になると、子どもを出迎える車が学校の校門近くに縦列駐車しているのを見かける。
 ベンツやBMWといった高級車も少なくなく、下校時間になると、自分より身長の大きい大きな子どものカバンを持ってあげている親やお手伝いさんの姿をよく見かける。ここまでのことは日本ではあまり考えられないが、富裕層でなくても、親が過保護なのは中国人にかなり共通しているといえる(もちろん、全員ではないが)。
 だが、最近は少し違う動きも出てきた。私の最新刊『中国人エリートは日本をめざす』に記したが、中国のあまりにも過酷な受験戦争から脱しようと、欧米や日本留学を目指す若者が増えてきているのだ。日本のアニメの楽しそうなクラブ活動や、学生同士の恋愛を見て憧れたり、経済的に豊かになって海外留学がブームになっている、ということも影響している。
 その証拠に、ここ数年「高考」の受験者数は、わずかずつ減少してきている。中国情報サイト「中国教育在線」が16年6月に発表したデータによると、大学入試の志願者は08年(1050万人)をピークとして減少し続けている。
 特徴的なのは、内陸部の四川省などでは志願者が増加しているのに、北京市や上海市に隣接する江蘇省などの都市部では逆に志願者が減少している点だ。これはあくまでも私の想像だが、都市部の学生は日本や欧米の高校とも交換留学の機会などが多く、海外旅行の経験も多い。情報も内陸部よりもずっと多く、海外が身近だ。そこで、国内の激しい競争を避け、留学する道を選択する若者が増えているからではないかと考えられる。
 「現代の科挙」と評された中国の受験戦争。今もその伝統は残っているが、経済的な豊かさ、社会の急激な変化を反映して、今後、大きな変貌を遂げる可能性も出てきている。

瀬戸内寂聴「孤独を生き切る」/梅田で飲みすぎ

ブログネタ
フランス語 に参加中!
焼肉牛浪漫高槻

Fatigue, espoirs ou refus de partir : paroles de migrants à Calais
Après nombre de désillusions, un nouveau saut dans l’inconnu attend les migrants de Calais après l’opération de démantèlement de la ≪ jungle ≫.
Des files et des files de migrants, des files et des files de bagages… En ce jour de démantèlement, à Calais, les regards de ceux qui habitaient par milliers le bidonville trahissent fatigue et inquiétude. Après tant de désillusions déjà vécues, un nouveau saut dans l’inconnu les attend. Ils ont fait part de leurs craintes et de leurs espoirs aux envoyés spéciaux du Monde.
Firaol, 16 ans : ≪ Je ne sais pas encore si c’est une chance ≫
Firaol est parmi les tout premiers dans la file d’attente pour entrer dans le hangar qui doit répartir les migrants dans les centres d’accueil et d’orientation de 11 régions de France. A 16 ans, cet Oromo, une ethnie d’Ethiopie en conflit avec le pouvoir, en a assez du froid et de la peur qui ne le quittent pas depuis qu’il est arrivé dans la ≪ jungle ≫, il y a deux mois. Mineur, il rêve encore de pouvoir rejoindre Londres, mais sait que ce n’est pas gagné.
≪ Je ne sais pas encore si c’est une chance ce qui se passe… Peut-être que oui, peut-être que non… mais je tente le coup ! ≫, dit-il.
Muhammad Ibrahim : l’espoir de ≪ changer de vie ≫
Muhammad vient du Soudan. Il est arrivé ≪ là ≫ il y a seize mois. Malgré la fatigue du voyage et de la vie dans le camp, il sourit en ce lundi matin glacé d’octobre. ≪ Je n’ai pas peur, je suis content. J’ai besoin de changer de vie… Alors je suis prêt à rester en France, n’importe ou ! ≫
L’épuisement d’un Soudanais de 24 ans
Un sac contenant toute sa vie accroché à l’épaule, un autre Soudanais raconte son épuisement. A 24 ans, voilà deux années qu’il vit dans le bidonville de Calais. ≪ C’est long ≫, raconte-t-il dans cette nouvelle langue qu’il a appris seul, le francais. Pour lui, ≪ ce qui compte, c’est de vivre en Europe ≫.
Mohajir veut rester dans la ≪ jungle ≫
Mohajir, lui, refuse de monter dans le bus. Vivre en Angleterre, c’est son ≪ rêve ≫, alors personne ne l’empêchera d’aller là-bas, ou de la famille l’attend. Dans la ≪ jungle ≫ depuis un an, il restera là, ou reviendra, mais il tentera ≪ encore et encore ≫ de passer.
• Marc Bettinelli
Journaliste au Monde

フランス語
フランス語の勉強?
アスリートの魂「俺たちは勝つ 東大野球部」
六大学野球で「万年最下位」の東大野球部。それが最近あなどれない存在になってきた。野球エリートが集まる他大学にどう立ち向かっているのか。秋のリーグ戦を見つめた。
万年最下位の東大野球部が変わろうとしている。ことし春のリーグ戦では12年ぶりの3勝。プロも注目のエース宮台康平投手の存在だけでなく、チーム全体が強くなってきているのだ。チーム改革の秘密は「選手の発掘」。とはいっても、長打力はあっても守備はまるでダメといった一長一短な選手たち。能力を補いながらどうやって秋のリーグ戦を乗り切るか。「弱者の兵法」で強豪に立ち向かう東大野球部の苦闘を伝える。
山本耕史

孤独を生ききる (光文社文庫)
瀬戸内 寂聴
光文社
1998-10


心に寂しさを抱えた人に是非^^ mimi9925
瀬戸内寂聴さんのことは、テレビ等で知ってはいたのですが
本を読んだことは今までなくて、この本で初めて寂聴さんの世界を
知ることができました。
この本を読んでいるとなぜかその時間は
いつもよりゆっくりと時が流れていくような不思議な感覚がします。
この本の一部に
「食べるものも食べず、泣き悲しんで化粧も忘れ、身なりもかまわず
私は悲しいのよといい続けたって孤独から抜け出せるわけではありません。
そういう態度も甘えの一つだと思います。」という文章があります。
私はこの言葉に非常に感銘を受けました。
それともう一つ。私はこの本を読んでから、自分の父、母のそれぞれの孤独が
少しですが理解できるようになったのも事実です。これは私にとって
大きな進歩でもあります。以前ならそんな事、考えたこともなかったですから。
心に傷を負った人に是非おすすめの本です。
辛いとき、温かい飲み物を飲みながら、
この本を読んでみてはいかかでしょうか?

孤独であることを覚悟をもって生ききることを痛感できる名著 青空
 瀬戸内寂聴さんのお名前は存じ上げていたのですが、実際に本を読むのは初めてでした。どれだけ説教くさいのだろうかと予測していたのですが、ご本人いわく「もっとも手紙をいただいた著作」というだけあって、個人的にはとても学びのあった本です。
 この本は、月夜の晩に、問題をかかえて瀬戸内さんのところに来訪したお客さんに対して、瀬戸内さんが語り聞かせるというような文体で書かれています。つまり、読みやすいのです。
 問題を抱えている人というのは、「親子」、「夫婦」、「男女」、「友人」、「同僚」、「不倫」、「未亡人」、「愛人」、「老い」というような内容で、不倫や愛人は別としても、その他は誰もが体験する人間関係や事象なので、きわめてわかりやすいです。
 ここから先はネタバレですので、内容を知りたくないかたは読まないでくださいね。
(以下、ネタバレ)
 瀬戸内さんの立ち位置は明確です。
 「何があっても人は孤独。孤独だということを痛感し、それを前提にしていけば、人への対応も優しくなるし、自分も苦しまなくてすむ。さらに、孤独を愉しむことだってできる」というのです。
 ほんとかなぁ、と読み進むと、出家前は瀬戸内さんご自身が愛人であったことの告白もあり、また、サガンの「悲しみよこんにちは」、トルストイの「アンナ・カレーニナ」、北原白秋や有島武郎の修羅場、哲学者サルトルの失禁といった実例があり、それらから、瀬戸内さんの「孤独観」が語られます。これが心に響きます。
 前提は、相手も自分も孤独ということなので、「相手を理解しようとする努力に終点はない」ということに気づくし、「相手にわかるように語り続けることは重要」ということも、「相手(親、子、同僚、上司、友人)を認めていることを表現することが大切」ということも理解できます。
 さらに、孤独を飼い馴らす=自分は孤独であることを覚悟をもって生ききる、というメッセージが印象的です。そこには、「あの人はわかってくれると思っていたのにがっかり」という視点がないのです。
 誰かに認めてもらえたほうがうれしいのですが、それでも、他人に左右されずに自分自身を生ききることが原点にないと、自分がブレてしまいますので、「生ききる覚悟」を再認識した本でした。


午前中痛み止めの薬をもらいに病院に行って,その後近くのお店でランチ.前を通ったことはあるけど初めてのお店.いい雰囲気です.マンガや雑誌,新聞があるのはよくあるパターンだと思いますが,いくつか文庫本がありました.その中の一冊を手に取りました.瀬戸内寂聴さんの「孤独を行ききる」です.一遍上人の「生ぜしもひとりなり, 死するも独りなり.されば人と共に住するも独なり,そひはつべき人なき故なり.」とか瀬戸内さんの「私は多く傷つき,多く苦しんだ人が好きです.挫折感の深い人は,その分,愛の深い人になります.」とかいうことばに元気づけられました.ランチもおいしかったけど,この本が大収穫でした.
夕方Shさんと梅田でお食事です.久しぶりでいろいろお話しできてよかったけど,飲みすぎてしまいました.

大川小津波訴訟26日判決 「なぜ」避難まで50分
 東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の児童二十三人の遺族が、市と県に損害賠償を求めた訴訟が二十六日、仙台地裁で判決を迎える。震災から五年七カ月。遺族は「子どもたちがなぜ、犠牲にならねばならなかったのか」の答えを、今も求め続けている。 (柚木まり)
 「山さ逃げっぺ」。六年生の今野大輔君=当時(12)=は大きな揺れの後に校庭で待機していた際、避難先を決断できない教師たちに学校の裏山に逃げようと強く訴えていた。
 児童たちはその後、教師の誘導で学校のそばを流れる北上川近くの高台へと避難中、川を逆流してきた津波にのまれた。助かったのは、児童四人と男性教諭一人だけだった。
 今野君の父で、訴訟の原告団長の浩行さん(54)は「大輔は生きたかった。このまま死ぬかもしれないと思っていたのに、校庭に五十分も座らされた。これほど残酷なことがあるか」と声を詰まらせる。
 大川小近くの自宅を津波で流され、高校三年の長女と高校二年の次女、同居していた両親も亡くした。「世の中で私、一番不幸な人間だ。あんたが先に死んだら、私一人になっぺ」。妻のひとみさん(46)が絞り出した言葉が、今も胸に残る。子ども全員を失った悲しみを抱えながら、二人で不妊治療にも通った。
 二人は「大輔たちを救えたのは先生たちしかいなかった。二度と大川小のような悲劇を繰り返してはいけない」と訴える。
 今野君の同級生で仲良しだった佐藤雄樹君=当時(12)=も犠牲になった。父親で原告の一人の和隆さん(49)は「めったに泣かない雄樹が校庭で、『津波が来るのにいつまで校庭にいるのか』と、涙を流して先生に強く聞いていたそうです」と語る。
 訴訟の審理は、学校側が津波の襲来を予測できたかに集中。原告側は、現場にいた教職員で唯一助かった男性教諭の証人尋問を申請したが認められなかった。遺族は証言を法廷で聞くことができないまま、判決の日を迎えることになった。
 和隆さんは二年前から、息子が通うはずだった大川中学校の跡地で水耕栽培の仕事を始めた。全国から大川小校舎を訪れる人に、語り部として体験談を伝える活動もしている。「息子が背中を押してくれる。学校防災の礎になる判決が出てほしい」と願いながら。
<大川小学校の津波訴訟> 2011年3月11日、東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童74人のうち23人の遺族が14年3月、市と県に計23億円の損害賠償を求めて提訴。学校側が津波の襲来を予測できたかが争点となり、遺族側は「教員らは防災行政無線やラジオ情報で大津波警報を認識しており、津波を具体的に予測できた」と主張。市と県は「市のハザードマップは津波が大川小まで到達しないと予測されていた」と、予測可能性を否定した。今年6月に双方が最終準備書面を出し、結審した。


只見線の行方/被災から5年 議論加速を
 いつになったら復旧の方向性がはっきり定まるのか。関係者は議論を加速させる必要があるだろう。
 福島、新潟両県を結ぶJR只見線のうち、福島県内の会津川口(金山町)−只見(只見町)間の不通が続く。2011年7月末の新潟・福島豪雨で鉄橋流失などの被害に見舞われてから、既に5年以上が経過した。
 JR東日本によると、被災前2010年度の只見線の1日1キロ当たり利用者(平均通過人員)は370人。同社の当時の在来67線で66番目。不通となった27.6キロの区間に限ると49人にとどまる。
 典型的な赤字路線、赤字区間で、復旧に否定的なJRは代行バスの運行継続を主張。沿線自治体など地元側は「地域振興に欠かせない」と鉄路維持を求めてきた。
 膠着(こうちゃく)した状態は今年5月、一気に動きだすかに見えた。JRが鉄路を復旧させる場合の方策として、自治体が線路などを所有する「上下分離方式」を提案。地元の判断に注目が集まった。
 ところが、9月の地元とJRによる会議で、3年前に85億円と示された復旧費が108億円に膨らむことが判明。福島県が一部工費を圧縮できる可能性を指摘し、県とJRで再検討することになった。
 復旧費精査は確かに大切だが、議論が一歩手前に逆戻りしたように見えなくもない。
 復旧費が膨らんだ背景には、東日本大震災後の資材費高騰に加え、5年という期間がもたらした設備の劣化という問題もあり、やみくもに議論を長引かせることはぜひとも避けたい。
 しっかり検討しなければならないのは、上下分離方式を本当に受け入れるかどうかなのではないか。
 沿線自治体は「鉄路復旧こそが奥会津の地方創生に欠かせない」(目黒吉久只見町長)と説明。「(一定の)負担と覚悟が必要だ」(長谷川盛雄金山町長)などと、上下分離方式を採用する意向とも取れる発言をしている。
 だが、上下分離方式が示された5月以降、住民を交えた議論が十分に行われたようには見えない。
 JRによると、上下分離で生じる地元負担は年間運営費のうち、線路の保守費用など約2億1千万円に上る。今後の設備更新も含め、将来にわたって負担し続けるのかどうか。沿線と周辺を含む各自治体の負担割合をどうするのか。水面下ではなく表に見える形で、きちんと話し合って結論を導いてほしい。
 赤字ローカル線の災害復旧を巡っては、JR東のような黒字鉄道事業者への国費投入を可能にする法律改正を目指す動きが自民党内で以前からある。福島県内でも「只見線の復旧につながる」と議員立法の成立に期待する声は根強いが、法改正を待つ形で議論を遅らせることはあってはならないとくぎを刺したい。


鳥取地震 友達に会えて一安心…小中学校で授業再開
 鳥取県中部で最大震度6弱を観測した地震から3日たった24日、被災地の学校は地震後最初の登校日を迎えた。一部が避難所になっている学校も含め、県内全ての公立小中学校が授業を再開。友人や先生と再会した児童・生徒たちに笑顔が戻った。倉吉市のボランティアセンターには、臨時休校になった高校の生徒も駆けつけた。県内では656人(午前7時現在)が避難所生活を続けている。
笑顔で再会
 倉吉市立西郷小学校(283人)では、普段は児童が集団登校するが、この日は保護者が車や徒歩で送り届けた。県外避難している家庭などもあり、10人が欠席した。
 児童は地震が発生した先週金曜日、ランドセルを教室に置いて校庭に避難し、そのまま帰宅するなどしており、教室で友達と再会すると元気いっぱいに。28人全員が出席した3年1組の小椋環さん(9)は「先生もみんなもいて、学校にいると安心する。家の壊れた物とかを報告し合った」。松尾一樹さん(8)は「地震は怖いけれど、みんなと会えて良かった。早く鬼ごっこがしたい」と笑顔を見せた。
 同小では音楽室が避難所になっており、前夜も3人が利用した。明徳一志校長は「児童が元気に登校してくれ、うれしく思う。児童と避難されている方がそれぞれ安心して過ごせるようにしたい」と話した。
児童も片付け
 同市立成徳小学校(143人)では「地震が来たらこうなるということを実感してもらいたい」と、図書館や教室の一部をそのままにしておいた。児童は1時間目の授業として、片付けに取り組んだ。学校図書館で絵本コーナーを片付けた6年の湯浅孔貴さん(11)は「地震が起きた後、誰かが元通りにしようと頑張っているんだろうなと感じることができた」と話した。
ボランティアに地元高校生も
 同市内の県立高校4校と養護学校1校、同市と湯梨浜(ゆりはま)町の私立中学・高校計3校は、校舎の環境が十分ではないなどとして24日は臨時休校となった。いずれも25日に授業を再開する予定。
 休校になった県立倉吉西高3年の山本悠貴さん(18)は、自宅も食器が散乱するなどの被害を受けたが、地元の復旧に協力しようと友人2人と倉吉市のボランティアセンターを訪れた。「体は野球部で鍛えたので自信がある。地元で困った人やお年寄りの力になりたい」と意気込んでいた。【長宗拓弥、園部仁史、李英浩】


鳥取地震 ようやく相談できる…倉吉市役所本庁舎が再開
 鳥取県中部で最大震度6弱を観測した地震で、被災地では県内の全小中学校で子供たちが登校し、使えなくなっていた倉吉市役所本庁舎でほとんどの業務が再開するなど、日常生活が戻りつつある。一方、避難所で生活する被災者も多く、同市の給食センターの復旧のめどが立たないなど影響も残っている。
 地震で広範囲にわたって窓ガラスが割れ、階段が壊れるなどして業務ができなくなっていた倉吉市役所の4階建て本庁舎で24日、災害対策本部以外の業務が再開された。早朝から罹災(りさい)証明の問い合わせなどが相次ぎ、職員らは対応に追われた。
 本庁舎は建物の安全性に問題がないことが判明したため、ガラスを入れ替えたり、窓をビニールシートで覆ったりして復旧。この日は午前7時ごろから、市民からの問い合わせの電話が鳴り続けた。総務課などだけでは対応できず、被災に関する相談窓口が緊急に設置された。
 本庁舎を訪れた1人暮らしの常葉みどりさん(90)は自宅の風呂の壁がはがれ、窓ガラスも割れた。「風呂場が寒くて寒くて。ようやく相談できる場所ができた」と笑顔で話した。【黄在龍】


4市町で422人避難
NHKが鳥取県内の自治体に聞いたところ24日午後5時現在、4つの市と町であわせて422人が避難しています。
このうち、震度6弱の揺れを観測した倉吉市には19か所の避難所が設置されあわせて335人が避難しています。
また、北栄町では3か所にあわせて31人が、湯梨浜町では3か所にあわせて42人が避難しています。
さらに三朝町でも1か所に14人が避難しています。
琴浦町に設置されていた避難所は避難する人がいなくなったため4日正午にすべて閉鎖されました。


給食はパンと牛乳だけに
震度6弱の揺れを観測した倉吉市では、市内の小中学校向けに給食を作っている学校給食センターが被災し、24日はパンと牛乳だけの給食となりました。
倉吉市では今月21日の地震で学校給食センターの天井や壁などが壊れる被害があり、市内の小中学校に提供する給食が作れなくなりました。
家庭によっては自宅が被災して弁当を持ってこられない可能性もあることから市の教育委員会は、パンと牛乳だけの給食を出すことを決め、隣町の業者の協力も得ながらおよそ4200食分を用意しました。
このうち、倉吉市宮川町の東中学校には、午前10時にコッペパンと牛乳およそ280個が届けられ、3年生の教室では生徒たちがおしゃべりをしながら給食を食べていました。
いつもの給食では、副菜やデザートなどがついているだけに特に男子生徒は物足りない様子で、あまったパンを誰が食べるのかを、じゃんけんで決めていました。
中学3年生の男の子は「実際に食べてとても足らなかったのでじゃんけんをして半分パンをもらいました。せめておかずだけでも自宅から持ってきたいです」と話していました。
また、担任の先生は、「子どもたち全員が無事でいっしょに食事ができるのは幸せなことですが、育ち盛りの子どもたちなのでパンと牛乳だけでは足りないと思いますし、学校活動や勉強にも影響が出るのではないかと心配です」と不安を話していました。
教育委員会によりますと、学校給食センターの復旧のめどはたっておらず、当面はパンと牛乳だけの給食になるということです。


トリチウム水「海洋放出」を危惧する福島の漁業者
寺島英弥
 廃炉工程にある東京電力福島第1原発でいま、汚染水の処理後、構内のタンクで保管中の水が約80万トンに上っている。「浄化水」ではなく、水と唯一分離不可能な放射性物質トリチウムが溶け込んだ廃液だ。それを希釈して海に放出し、汚染水問題を一気に解消したい政府に対して、地元福島県の漁業者たちは絶対反対の構えだ。科学的に安全なレベルに薄められても汚染水に変わりはなく、大量放出となれば計り知れぬ「風評被害」再燃の恐れがある――との理由からだ。こつこつと試験操業が続けられてきた福島の漁業復興の上で最大の懸案になっている。
市場再建祝う6年ぶりの祭り
「ようやく施設の再建にこぎつけた。これから、ここで交流イベントを企画し、我々の試験操業で捕れた魚が安全だと消費者に知ってもらい、安心して食べてほしい。風評は漁業復興の上で最大の問題。払拭はなかなか難しいが、本格操業に向けて努力を重ねていきたい」
 福島県相馬市の松川浦漁港で10月1日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を挟んで6年ぶりに催された「ふくしまおさかなフェスティバル イン 相馬」。大津波で荷さばき場(魚市場)と事務所を壊され、仮施設で試験操業を続けてきた相馬双葉漁協の佐藤弘之組合長は、再建された拠点を披露する祭りの開会式で、集まった市民に復興を誓った。
 同漁協の試験操業は2012年6月から、漁協組合員が週2、3回ほど船を出し、監督機関である福島県地域漁業復興協議会(県、流通業者、消費者、水産専門家らが参加)の専門委員会が「安全」と判定した魚種のみ、限られた量だけ漁獲している。水揚げされた魚介類は放射性物質の検査を経て、通常の競りでなく業者との相対取引で売られている。福島第1原発事故の1カ月後、東電が原発構内の汚染水1万1500トンを海に放出処分し、それが原因で同県の漁業者は操業自粛を強いられてきた。試験操業が許されるには、県と合同のモニタリング調査で、魚種ごとに基準値を継続してクリアするのが条件。「当初わずか3魚種だった試験操業は今、92魚種に増えた」と佐藤組合長は、辛抱を積み重ねた成果に胸を張り、全国の市場、消費者から信頼を得ての本格操業再開へ希望をにじませた。
 4800平方メートルの明るい荷さばき場は大漁旗で飾られ、魚のつかみ取りや名物のカレイの塩焼きに大勢の人の輪ができ、岸壁に停泊した漁船に家族連れが試乗するなど、約8000人の来場者でにぎわった。「震災前の祭りのにぎわいがよみがえった」と漁協関係者は喜んだ。他にも明るいニュースはある。試験操業で捕っているコウナゴが、西日本の産地の禁漁措置(高水温が原因)のため震災前のような高値で売れたり、相馬の浜を代表する魚であったヒラメ、アイナメが8月以降、新たに試験操業の対象魚に加わったりした。
 しかし、祭りに参加した漁業者の表情は厳しいままだった。
「相馬産のコウナゴの好況は一時的な需給関係の結果で、他産地の水揚げが元に戻れば、また、風評を織り込んだ『2等級下』の値で買いたたかれるのではないか」
「再建されたとはいえ、相馬の市場の大きさは本来、年に50億円の売上がないと自立も維持もできない。道はまだまだ遠い」
 そして、共通して聞かれたのが「福島第1原発の汚染水処理がどうなるか」という懸念だ。沖合底曳き船主の高橋通さん(61)は言う。
「(原発構内には)最後に残った“やっかいもの”のトリチウム水の保管タンクが山ほどある。『それを海に放出したらいい』という話が政府から出ている。東京オリンピック(2020年)の1年前には片付けてしまいたいのだろう。しかし、そうなったら『風評』はどうする? これまでの努力が帳消しにされる」
「放出やむなし」の世論づくり                   
 トリチウム(三重水素)は放射性物質の1種で、水素と性質が似ている。そのため、それが溶け込んだ水から分離できず、13年3月から福島第1原発の汚染水(約60種の放射性物質を含む)処理で東電が稼働させている「多核種除去設備(ALPS)」でも唯一除去できないでいる。汚染水処理を東電は当初「浄化」としていたが、実際には半減期12年のトリチウムを含んだ廃水は現在約80万トンが保管タンクにためられている。汚染水は、溶けた核燃料が残る原子炉建屋に地下水が流入して毎日発生。それを減らそうと東電が建屋の周囲に開設した「凍土壁」などの対策にも劇的な効果が見えず、トリチウム水は増え続けている。
 漁業者が懸念する海洋放出は、13年9月、日本原子力学会の福島第1原発事故調査委員会が最終報告案で「自然の濃度まで薄めて放出」を提案。以後、せきを切ったように政府の原子力規制委員会、経済産業省の幹部らが「放出はやむなし」との見解を相次いで表明し、今年4月には政府の汚染水処理対策委員会が「海洋放出が最も短期間に、低コストで処分できる」とする試算を明らかにした。(1)深い地層に注入(2)海洋放出(3)蒸発(4)水素に変化させて大気放出(5)固化またはゲル化し地下に埋設――の方法を検討した結果で、これからの処分方法の絞り込みに向けた議論のたたき台にするという。
 トリチウムは原発の運転過程でも発生し、これまで各地の原子力施設から海に放出されてきた事実がある。田中俊一原子力規制委員長も「廃炉に伴う廃棄物が増える中で、タンクは延々と増やせない。(汚染水処理設備で取り除けない)トリチウムは分離できず、濃度基準を下回る水は何十年も世界で放出されている」(16年3月8日の河北新報の記事より)と述べるなど、科学的に問題はないとたびたび発言している。
 しかし、そうした事実そのものが、一般にほとんど知られてこなかったのではないか?
「海に放出されたら、また大きな風評が起きる。それは感情論だと田中委員長は言うかもしれないが、人の不安の感情から始まるのが風評問題なんじゃないか」
 やはり10月1日、松川浦漁港での祭りに自らの小型漁船とともに参加した今野智光さん(58)はこう語った。
 相馬の漁業者にとっては、トリチウム水も汚染水に変わりはないという。汚染水という言葉自体が、トラウマになるほど苦い経験の数々と重なっているからだ。漁業を復活させたい一心で試験操業を続けていた13年7月22日、東電がそれまで隠していた福島第1原発での汚染水海洋流出事故を突然公表し、相馬双葉漁協は、漁の最盛期だったタコの取引を中京地方の市場から半ば門前払いされた(当時、その風評は同県内陸の農産物などに及び、福島市周辺の桃の売上も減った)。
 15年2月にも別の長期にわたる汚染水流出事故の隠ぺいが発覚。漁協は風評再燃を恐れ、試験操業中だったシラス漁を延期せざるを得なかった。不信感は、そのたびに漁協組合員への対策説明会を開いて謝罪を繰り返す東電だけでなく、同じ場で「東電任せでなく、国が前面に出て汚染水対策、風評対策に取り組む」との約束を重ねてきた経産省など政府にも向けられてきた。過去の説明会で漁業者たちは、トリチウム水の海洋放出への懸念と拒否の意思を訴えてきたが、東電側はそのたびに放出の可能性を否定してきた。それゆえに漁業者たちは、新聞で知るしかない政府関係者のトリチウムをめぐる発言や動きを、自分たちの声も手も届かぬ場所での「世論づくり」とみる。 
ソウルではPR行事中止
 9月23日、福島市で「北日本漁業経済学会」が福島第1原発事故と漁業復興をテーマにしたシンポジウムを開き、福島の浜を歩いている大学の研究者、県漁協やメディアの関係者ら約60人が集った。発表者になった同市内の生協の幹部がこう語った。
「九州と沖縄の7県の生協が東日本大震災の被災3県(岩手、宮城、山形)の復興支援カタログを統一して作り、産品を取り扱っている。ところが、今年5月の新聞報道を見た、あるコープの会員から『国がトリチウム水を海洋放出することになったら、コープ九州の復興支援カタログで東北の海産物は企画しないでほしい』という声が寄せられた。普通の国民の感覚、消費者の感覚からすれば当然の反応なのかな、と思う」
 この幹部は、前述の汚染水処理対策委員会の基礎的な検討作業に参加の依頼があり、民間人の視点で携わりながら、驚かされることがたびたびあったと述べた。
「そもそも福島第1原発のトリチウム水の原水濃度は30万〜42万ベクレル/リットルと知ったが、海洋放出案では、それを薄めて6万ベクレル/リットル程度の濃度で海に流すという。だが、薄めればよい、という発想が住民、消費者の目線からは受け入れられないのではないか。専門家の発言の中に、トリチウム水はいわゆる汚染水とは違う、ということを強調する場面がしばしば見られることも気になる」
 この生協傘下の地元食品会社では、福島県産大豆を使った豆腐製品の売上が、昨年も原発事故の前年比2割減の状況で、水産品以外でも消費者の厳しい反応は続く。トリチウム水の海洋放出が実施されれば、前述の九州からの反応のような事態が広がると危惧する。
 現実に風評は福島県以外の被災地でも復興を阻む「壁」となり、珍味で知られるホヤの主産地・宮城県の漁業者たちは13年7月の福島第1原発の汚染水海洋流出を理由にした韓国政府の輸入規制(東日本8県の水産物が対象)で、原発事故前に出荷の7〜8割を占めた韓国市場を失った。大津波で壊滅したホヤ養殖は14年から復活したが、今年ついに生産過剰となり、同県漁協が苦渋の選択で国内出荷分を除く計1万4000トンを水揚げ後に廃棄した。石巻市でホヤ養殖を営むある漁業者は「輸入規制そのものが風評問題。この上、福島第1原発のトリチウム水を海に流されたら国内外の風評はさらに長引き、輸出再開はもう望めない」と話す。
 2月には、外務省が東日本大震災の被災地復興を韓国・ソウルでPRする行事の中止を余儀なくされた。
《東北地方の菓子や日本酒の宣伝も予定したが、韓国の市民団体が東京電力福島第1原発事故を理由に食品の安全性に疑問があるとして反発、抗議する動きを見せていた。聯合ニュースによると(開催地の)城東区は「公の場所で原発事故発生地の生産物を無料で配ったり販売したりすることは適切でない」としている》(2月20日の共同通信より)。
 シンポジウムに出席した別の同県生協連幹部は「政府関係者の発言などを報道でみると、『福島県の漁業者』に当事者を限定し、現実を小さくしているように見える。国民全体に関わる問題なのに、他県では報道、関心も薄いのではないか」と語り、宮城、岩手、茨城各県の漁業者らも参加できる、開かれた議論の場を求める意見も自由討論で出された。                
協力してきたのに……
 これに対し、シンポジウムに出席した野崎哲福島県漁連会長(傘下は相馬双葉、いわき市各漁協)は、あくまで漁業復興と廃炉作業の両立を政府、東電は守るよう訴えた。毎日約400トン発生していた汚染水を減らす対策として、これまで県漁連は「地下水バイパス」「サブドレン」(汚染前の地下水をくみ上げ、海に放出する方法)などの提案に協力してきた。風評発生の懸念に対する組合員の激論を説得しながら、「廃炉作業に協力するのが漁業復興への道でもある」と苦渋の決断で認めてきた経緯がある。だが、トリチウム水の海洋放出に関して、野崎会長は「我々の漁業の死滅を意味する」と受け入れない考えを示し、「デブリ(溶融した核燃料)の取り出しまで、少なくとも10年間はタンクでの保管を続けてほしい、というのが県漁連の立ち位置」と訴えた。
 シンポジウムを企画した学会メンバーの濱田武士北海学園大教授(地域経済論)は、試験操業を監督する前述の同県地域漁業復興協議会の一員として福島の浜を歩いてきた。その経験から取材に次のように語った。
「トリチウム水の海洋放出の動きに漁業界など地元が強く反発する(内堀雅雄同県知事も政府に慎重対応を要望)のは、処理前の状態は福島第1原発の原子炉内で発生した高レベル汚染水であったからに他ならず、地下水バイパス、サブドレンでくみ上げる地下水と同じものとは扱えない。しかも放水となれば、安全性に問題がないとしても、報道を介した波紋は計り知れず、消費者に向けて福島の魚の安全を証明し、信頼を取り戻そうと慎重に行われてきた試験操業が振り出しに戻る可能性がある。風評収束を福島の漁業者が望んでも、政府の進め方が強引だと逆効果になりかねない」
「国が前面に出ると政府は繰り返してきた。福島県の漁業者も汚染水対策を承認する条件として、トリチウム水の海洋放出だけはしないでほしい、と求めてきた。それだけ影響の大きな問題なのに、政府は合理性を前面に押し出して福島県の漁業者を追い込むような空気をつくり、最終判断の責任をひとり負わせようとしているのはどうなのか」
「五輪前の処理」が本音?
 トリチウム水の海洋放出が最も低コストとする試算を報告した政府の汚染水処理対策委員会(委員長・大西有三京都大名誉教授)は9月27日、処分方法を絞り込むための新たに小委員会を設置した。前述のトリチウム水の処分方法について 6月に出した報告書を基に、技術的な観点だけでなく、風評被害などの社会的な問題も検討し、適切な処分方法について評価をまとめるという。
 福島第1原発の廃炉を急ぐ上で最大の課題になったトリチウム水の処理について、海洋放出を唯一の方針として理論武装しつつ固める作業を急ぐように見える政府の動き。2013年7月に汚染水海洋流出事故が明るみに出て間もなく、ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会総会で安倍晋三首相が、汚染水の状況は「 コンプリートリー・ アンダーコントロール」(完全に制御されている)と国際公約して2020年東京オリンピック招致に成功したのは記憶に新しい。相馬の漁業者が「東京オリンピックの1年前には(トリチウム水問題を)片付けてしまいたいのだろう」と指摘したように、公約の手前、オリンピックの前に、福島第1原発が抱える問題の目に見える解決や復興ぶりを見せたいというのが政府の本音なのではないか。


未指定廃棄物 自治体首長は
村井知事は記者会見で、「来月3日に市町村長会議を開催し、未指定廃棄物や汚染廃棄物の濃度や量の調査結果を踏まえて処分の方針を示したい。指定廃棄物は前回の市町村長会議で、『今後時間をかけて協議しよう』ということになったので、ちょっと横に置いておく」と述べ、処分場の建設をめぐって自治体の反発が強い指定廃棄物の処分は、いったん棚上げにして、放射性物質の濃度が国の基準以下の汚染廃棄物の処分を急ぐ考えを示しました。
宮城県内で最も多い未指定廃棄物を保管している栗原市の佐藤勇市長は記者団に対し、国が改めて測定した結果、およそ77%が国の基準以下になっていることについて、「そもそもの発端は原発事故の影響で出てきたものなので、濃度が下がったとしても国や東京電力の責任で処分してもらいたい」と述べ、当初、濃度が国の基準を超えていた未指定廃棄物は、あくまで、国の責任で処分すべきだという考えを示しました。
また、当初から国の基準を下回っていた汚染廃棄物の処理方法については、「県の説明を受けてから検討したいが、市内で焼却処分をするなら住民の中に反対意見もあるので、まずは聞いてみないといけない。他の自治体に協力をお願いするかどうかも今は答えられる段階にない」と述べました。
県内で最大規模のゴミ処理施設がある仙台市の奥山市長は、記者会見で、自前では処分しきれない他の自治体の汚染廃棄物を受け入れるかどうかについて、「汚染廃棄物の実態に関する測定結果を踏まえ、来月の市町村長会議で県が処分の方針を提示すると聞いているので、それを聞かないと判断する材料がない。汚染廃棄物の問題は全県の問題として取り組んでいくことを確認しているが、自治体によって個別の事情はあるので、その辺はまだまだ議論が必要だ」と述べ、県の処分の方針を聞いた上で精査する考えを示しました。


金華山灯台初点灯から140年
5年前の巨大地震の震源地に最も近い建築物で、牡鹿半島の東にある島、金華山にある灯台が明治9年に初めて点灯されてから140年になるのを前に報道陣に内部が公開されました。
金華山灯台は、北米航路で日本に来る船舶が太平洋で初めて目にする灯台で、第2管区海上保安本部によりますと東日本大震災を引き起こした巨大地震の震源地に最も近い建築物です。
明治9年に建設され東北地方では、2番目に古い灯台で、初めて点灯されてから11月で140年になるのを前に灯台の内部が23日報道陣に公開されました。
内部は5年前の地震で壁がところどころひび割れていましたが光を放つ赤と白のレンズは台座が耐震構造となっていたため被害はありませんでした。
震災の発生の2日後には灯台への電気が復旧し、点灯を再開したということです。
金華山灯台は平成17年から無人で運用され現在は3か月に1度点検作業が行われています。
灯台を管理する宮城海上保安部の谷地舘清光次長は、「震災があっても太平洋を照らし続け感慨深いものがあります。このまま未来永劫引き継がれてほしいです」と話していました。


<津軽鉄道>「人間失格号」運行
 津軽鉄道(五所川原市)は、同市金木町出身の作家・太宰治らをイメージしたキャラクターが登場するアニメ「文豪ストレイドッグス(文スト)」とコラボレーションした「人間失格号」を、期間限定で運行している。
 普段は「走れメロス号」として走る列車を、文スト仕様に模様替えした。車体にはキャラクター「太宰治」が描かれた人間失格号のヘッドマークを付け、車内の荷物棚の上部にアニメ場面のポスターが並ぶ。車内設備に描かれた二重マントを羽織った等身大の太宰のイラストは、女性客らの注目を集めている。
 他のキャラクターがあしらわれた中づりも展示し、太宰ゆかりの観光スポットやコラボ商品なども紹介。弘前市の黒石商高1年嘉瀬玲音さん(16)は「装飾が文スト一色で格好よく、興奮した。記念切符のイラストもきれい」と話した。
 人間失格号は、津軽五所川原(五所川原市)−津軽中里(青森県中泊町)駅間を1日5往復する。今月の運行は30日まで。11月3〜13日、12月3〜11日も運行する。


多死社会  みとり支える仕組みを
 高齢化社会はさまざまなひずみを生むが、その一つが「多死社会」の到来だ。年々、死亡する人の数が増えることで病院や火葬場の不足が懸念され、一人暮らしのお年寄りも増えている。死を迎えた人々をどう支え、みとっていくのか。真剣に向き合わなければならない問題だ。
 国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、現在、年間約130万人の死者数が2030年に160万人を突破、ピークの40年には170万人に達するという。
 平均寿命の伸長により死者の8割が65歳以上の高齢者で、特に女性が多い。しかも自宅でなくなる人が減り、病院や診療所で死ぬ人が増えている。
 厚生労働省によると、在宅死の割合は1950年前後まで8割を超えていたが、76年を境に病院や診療所での死亡割合が上回り、90年代以降、在宅死は1割代で推移している。大半の人が自宅でなく、病院で死を迎えている。
 死者数が今後も右肩上がりで増えるなか、当然、病院の受け入れ態勢が問題となるが、同省は逆に医療費抑制のため2025年までに全国の病院ベッド数を削減していく構えだ。
 そうなると新たに患者30万人の受け皿が必要になり、これを在宅ケアの充実で対応するという。しかし、核家族が増えるなど家族のあり方が大きく変化している現状で簡単にシフトできるだろうか。
 特に心配されるのが1人暮らしのお年寄りだ。高齢者に占める割合も15年の21・3%から20年後には23・4%になるとみられ、誰がどう支えていくのか。今でも在宅介護のマンパワー不足が指摘されている。人材確保ができないと多死社会を乗り切れないということだ。
 内閣府の調査では、自宅で死を希望する人の割合は5割を超え、高齢になるほどその思いが強い傾向が出ている。日本人には「畳の上で死にたい」という死生観があり、自宅で最期を迎えたいと思っている人はまだまだ多い。
 その意味で在宅ケアへのシフトは妥当だろうが、かつてのように家族が面倒をみて、最期をみとってきた時代には戻れまい。やはり社会で支える仕組みを新たに構築していかなければならない。
 また、多死社会に備え延命治療のあり方や尊厳死の問題をあらためて考える必要があろう。その人にとってどんな最期が望ましいのか。家族とは何か、いま一度問い直すことが大切ではないか。


ユネスコ分担金 支払い留保は最善の手か
 日本政府が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の分担金など計約44億円の支払いを留保していることが分かった。
 岸田文雄外相は理由を述べなかったが、昨年、ユネスコが、中国が申請した旧日本軍による「南京大虐殺」の関連資料を世界記憶遺産に登録した反発とみられる。
 世界記憶遺産の登録については、審査の議論が非公開で関係国を含めた議論の場がない。日本政府が透明性の向上を含め、制度の見直しを求めているのは当然だ。
 だからと言って、加盟国に義務付けられている分担金の支払いを留保するのは果たして主張を実現させるための最善の手だろうか。
 経済力を背景にわが意を通そうとする大人げない振る舞いと見られ、かえって国際社会から反感を持たれるのではないか。
 各国に情理を尽くして地道に訴えることを求めたい。
 今年の日本のユネスコ分担金は約38億5千万円、分担率は9・6%で、22%の米国に次ぐ2位の大口拠出国だ。7・9%の中国は、日本の次に位置する。
 ところが米国は2011年からパレスチナの加盟に反発し分担金の拠出を凍結している。近年は日本が最大のスポンサーだ。日本の支払い留保でユネスコが困惑していることは想像に難くない。
 南京大虐殺の資料の世界遺産登録に関して、日本政府は、ユネスコの場を政治的に利用していると、中国の申請に抗議し、取り下げを求めてきた経緯がある。
 南京大虐殺について、日中間で犠牲者の数などで主張が食い違っている。
 中国側は日中の認識の違いに構わず、日本の資料開示要求にも応じず登録申請をした。一方的な対応は到底、許されるものでない。むろん、日中の認識の差を埋める努力は必要だ。
 こうした関係国で隔たる歴史認識に関する資料を、関係国の意見を聞かないまま登録したユネスコの対応には大きな問題がある。
 関係国の意見を聞く仕組みをつくり、十分な透明性を確保して選定すべきだとの日本の主張は多くの国に理解が得られるはずだ。
 昨年11月、ユネスコのイリナ・ボコバ事務局長は馳浩文部科学大臣(当時)と会談し、世界記憶遺産制度について「透明性の確保が重要だ」と述べ、改善の検討に着手したことを明らかにした。
 馳氏は会談後「思いは伝わっている。改善に向けた方向性は共有できた」と語った。その際、政府内で分担金の削減や停止を求める声が出たと説明したが、今後の対応には踏み込まなかった。
 今回、一歩エスカレートしたのは残念だと言わざるを得ない。
 ユネスコは世界文化遺産の審査もする。財政難や人手不足から、年間の審査件数を減らす方向を打ち出している。
 そうなれば今後の登録ペースが落ち、佐渡鉱山の登録実現はより狭き門になるかもしれない。
 日本が支払い留保にとどまらず凍結や停止をしたら、各国の不興を買うに違いない。本来、関係がない審査に影響なしと信じたい。


沖縄への暴言 潜在する「差別意識」を憂慮する
 沖縄県の米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設工事を巡り、大阪府警から派遣された機動隊員2人が反対派の人たちに向かって「土人」「シナ人」という暴言を吐いた。まだ20代の隊員から沖縄への露骨な差別の言葉が出たことに驚きと失望を禁じ得ない。
 府警は当事者2人をいずれも戒告の懲戒処分としたが、単なる個人的な問題で片付けてはならない。発言は、本土の一部の者が沖縄に向ける差別意識が影響している可能性がある。府警はもちろん、全国の警察組織が警察官への再教育を徹底し、再発防止に努めるべきだ。
 「シナ」は中国の古い呼称。戦前、戦中の日本による中国占領期の呼び方と重なり、侮辱的な言葉とされる。「土人」と合わせ、米軍基地問題を巡る沖縄の反対運動をあざけり、沖縄の人たちをののしる言葉として近年、ネット上で頻繁に見かけるようになった。街頭でのヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返す者たちが在日外国人を侮辱する言葉ともつながる。
 隊員2人は日ごろの職務などを通じて、こうした言葉に接していた可能性が否定できない。「差別的な意味や歴史的な意味を持つ言葉とは知らなかった」という釈明は、ヘイトスピーチに目を光らせるべき警察官としても信じがたい。
 沖縄は1879年、明治政府の廃藩置県により琉球藩が廃止されて以来、差別的な扱いに苦しめられてきた。1903年には大阪で開かれた内国勧業博覧会で、沖縄の女性2人が朝鮮人やアイヌ民族らとともに見せ物扱いされる「人類館」事件が起きた。先の大戦では本土防衛の「捨て石」とされ、県民の4人に1人が犠牲になった。
 隊員たちが沖縄のこうした歴史を知っていれば、「土人」などの言葉を浴びせられた人たちがどれだけ傷つくか、容易に想像できるはずだ。仮に知らなかったのなら、府警が厳しく指導しなければならない。
 沖縄に他の都道府県警から多数の機動隊員が送られるようになったのは今年から。反対派とにらみ合う形となり、隊員らの間に、沖縄県民を「反政府」と敵視する風潮が広がっているのではないかと危惧する。
 あきれるのは大阪府の松井一郎知事が自身のツイッターに、派遣された機動隊員をねぎらう発言を書き込んだことだ。翁長雄志沖縄県知事から不快感を示された後も、反対行動をする人たちに責任があるかのような主張を重ねている。府警を管理する知事として極めて不適切な態度と言わざるを得ない。発言を撤回するべきだ。
 沖縄県民は選挙を通じて何度も、米軍の基地負担に「ノー」の民意を示している。反対行動は、その思いを踏みにじり工事を強行する政府に対するやむにやまれぬ抗議活動でもある。戦後70年余りを経た今もなお、沖縄に犠牲を強いる政府こそが態度を改めなければならない。


両論併記は危険なロジック
 ★沖縄の米軍ヘリパッド建設現場で抗議活動中の市民に機動隊員が「土人」と叫んだことについて大阪府知事・松井一郎は「(抗議する)相手もむちゃくちゃ言っている。相手は全て許されるのか。それをもって1人の警官が日本中からたたかれるのはちょっと違うと思う」と擁護。タレントのフィフィはツイッターで「1人の機動隊員による暴言をクローズアップするなら、反対派による機動隊員への暴言も報道するべき」とした。同様にネットでは「報道は正確に、中立に」と賛同の声があふれる。 ★今国会の首相・安倍晋三の所信表明では、自衛隊、海上保安庁、警察の活動をたたえて「心からの敬意を表そう」と呼び掛け、自民党議員が起立して拍手した。民進、共産、日本維新の会の野党3党は「異常な事態」と抗議したが09年10月、当時の首相・鳩山由紀夫が所信表明を終えた後、民主党議員らが起立して拍手したからお互いさまだとの理屈でまぜかえされた。あたかも両論併記が民主主義の根幹のような、中立の担保と誤解しているようだが立場も形も、趣旨も全く違うものを並べても意味がない。 ★今夏の参院選の前に発売された雑誌「通販生活」には「自民党支持の読者の皆さん、今回ばかりは野党に一票、考えていただけませんか」という特集が掲載され話題になった。最近発売されたその冬号では読者の総括が掲載された。172人の読者の批判はおおむね3つに集約されるとし、その1つに「政治的記事を載せるのなら両論併記型にするべき」があったという。 ★編集部はその答えに両論併記を「『対立する異論を理解しあう形式』の1つと考えて実行してきた。これからも実行していく。しかし憲法学者の9割が違憲としたほどの『安倍内閣の集団的自衛権の行使容認に関する決め方』は両論併記以前の問題と考えた次第」と回答した。両論併記は比較すべきものでもないものすら“論”に昇格させてしまう危険なロジックだ。(K)※敬称略

ヘイトスピーチ防止へ条例を 神戸の集会に60人
 ヘイトスピーチ防止に向けた神戸市の条例制定を目指す集会が23日、県私学会館(同市中央区北長狭通4)であった。今年6月に施行された「ヘイトスピーチ解消法」の意義や課題についての講演などを通じ、差別解消への具体策を考えた。
 市民団体「すべての人に尊厳と人権を!ヘイトクライムをなくそう!神戸連絡会」が主催。約60人が参加した。
 ヘイトスピーチ問題に詳しい師岡康子弁護士が、同法を解説。ヘイトスピーチに一定の定義付けをし「許されない」としたことを評価する一方、罰則規定がない点を指摘。「市民が使っていくために、条例制定が必要だ」と話した。
 大阪市でヘイトスピーチ抑止の条例制定を求めて運動したNPO法人多民族共生人権教育センターの文公輝(ムンゴンフィ)事務局次長は、「実行者の名前を市が発表することは社会的に意味がある」と制裁措置の効果に期待。しかし、審査会による審議に時間がかかることなどから「行政も積極的に情報収集し、措置を講じてほしい」と訴えた。(金 慶順)


選挙で民進3連敗 野田幹事長と連合はまるで“減票マシン”
 新潟県知事選の不戦敗に続き、衆院東京10区・福岡6区補選でも惨敗─―。蓮舫代表以下、新執行部体制になってから「3連敗」を喫した民進党。相変わらず国民からの信頼回復にはホド遠い状況と言わざるを得ないが、あらためてハッキリしたことがある。「特A級戦犯」は、幹事長の野田佳彦元首相と、裏で揺さぶる「連合」(日本労働組合総連合会)という事実だ。
 党の要石である「幹事長」は、選挙時の候補者調整から支援体制の指示、資金面のバックアップ――と全てを取り仕切る「番頭」だ。ところが、野田氏は東京10区、福岡6区でも“アリバイ程度”の演説に立っただけ。しかも、この期に及んでも、「これからも民進党は独自候補を出し闘う。現在、共産党との共闘は考えていない」とか寝言を言っていた。新潟県知事選で「自主投票」となった民進以外の野党がタッグを組み、圧勝とみられていた自公を破った現実からナ〜ンも学んでいなかったのだ。
 これじゃあ、「大人の対応」をしてきた共産党が怒るのもムリはない。志位和夫委員長は都内で開かれた講演で、「国民の切実な願いに応えて一致点を見つけ、協力するのが政党間協力の当たり前の姿だ」と苦言を呈していたが、これがまっとうな政治家の見識だ。
■連合の地方組織は“開店休業”状態
 野田氏のケツをせっついているのが「連合」だ。神津里季生会長は、新潟県知事選で最終日に蓮舫氏が野党候補の応援に入ったことについて、「(自公候補を支援した)連合新潟にとっては、火に油を注ぐようなものだった」と批判。その上で、「国の原子力規制委員会で安全が確認され、地元住民の同意があるものは再稼働すべきだというのが基本的な流れ」と言っていた。まるで安倍政権の主張と同じだ。野田氏はそんな自公の“別動隊”と一緒に野党共闘を阻むことに力を注いでいるのだ。
 だが、連合の「集票力」なんて幻想だ。地方組織は「開店休業」状態で、神津会長など一部の大企業に所属する幹部が「目先のカネ」に目がくらんで政権に擦り寄っているのが実態だ。新潟県知事選と、衆院補選を密着取材したジャーナリストの横田一氏がこう言う。
「知事選で野党が勝利を収めた教訓は、うまく共闘できれば連合の支援は不要ということ。補選でもその流れを引き継ぐべきだったのに、民進が連合に配慮して野党そろい踏みとはなりませんでした。野田幹事長が単独で応援演説していましたが、有権者の反応は冷めていて、まるで『動く減票マシン』でしたね」
 民進党が安倍政権を倒すには、野田氏のクビを切り、連合と決別することが不可欠だ。


ボブ・ディラン 「傲慢」は個人的見解 ノーベル賞選考主体が声明
 ノーベル文学賞の選考主体スウェーデン・アカデミーは22日、今年の授賞が決まったことに沈黙を続ける米シンガー・ソングライター、ボブ・ディラン(75)をアカデミーのメンバーの一人が「無礼かつ傲慢(ごうまん)」と批判したことについて「個人的な見解でアカデミーの公式の立場でない」とする声明を発表した。
 共同電によると、アカデミーはディランに授与の連絡もできず、17日時点で連絡を断念。アカデミーのペール・ウェストベリ氏は21日、地元テレビで「ノーベル賞を欲しくないのだろう。自分はもっと大物だと思っているのかもしれない。あるいは反抗的なイメージのままでいたいのかもしれない」と述べた。
 アカデミーはダニウス事務局長名の声明で、ディラン氏の授賞式出席について「受賞者自身が決めることで、アカデミーはその決定について見解を持たない」とした。


[インタビュー] 「性少数者が自らカミングアウトして変化がはじまった」
日本のトランスジェンダー政治家、上川あや区議
 彼は20代までは「男性の会社員」として暮らした。30代になって彼は「女性政治家」になることを選択した。その選択は自分と社会を「変えていく」ことでもあった。社会がタブーとすることを、平等と自由の名で可能にすること、「彼女」は「それが政治の役割」だと語る。
 22日午後4時、ソウル東橋洞(トンギョドン)のメディアカフェ<フー>で、東京都世田谷区の4期当選議員である上川あやの自叙伝「変えていく勇気」(ハンウルエムプラス)出版記念会が開かれた。この場には80人を超える人々が集まった。上川議員は日本の政治史上で初めて自分がトランスジェンダーであることを明らかにして出馬し当選した政治家だ。
27歳まで「まともな」職場に通っていた男性
性転換後、98年から女性の人生
性マイノリティの権益のために政治に挑戦
東京の富裕層地域の世田谷区で4期当選
同性結婚認定の区訓令引き出し
「マイノリティが直接声を上げることが重要」

 世田谷区は東京で最も人口が多く、経済的に豊かな地域だ。彼女はここで性マイノリティをはじめとする障害者、高齢者など社会的弱者の権利を保障するための多くの政策を作り出し、変化を引き出した。区長や区議会を説得し、同性間の結婚を認める自治区の訓令を作り、企業が社員や顧客を対象に福祉やサービスを提供する際、同姓夫婦を家族として認めるようにした。彼女の努力は区だけにとどまらず、日本全体に影響を及ぼしている。彼女は国会議員を一人ずつ説得し、性の変更を認める法案の可決を引き出した。現在、東京では自治区が同性間の結婚を認める条例や訓令を制定する事例が徐々に増えている。通信社は同性の家族にも家族割引を適用し、多くの会社は同姓カップルの家族に対して家族手当や各種の休暇を認めている。
 彼女は「日本も最初から良い環境だったわけではない」と語る。1968年に男として生まれた彼女は、幼い頃から自分の体に違和感を感じたという。まともな職場に通っていた1995年、これ以上男性として生きることを諦めた。27歳だったその時、彼女は日本を脱出することに決めた。その頃は日本は性転換手術をタブー視し、トランスジェンダーは怪物のように思われていた。
 彼女はシンガポールで性転換手術をした後、1998年から再び日本で女性の人生をスタートした。しかし、彼女が日本で女性として生きることができたのは、自分が元々男性として生まれた過去を隠し、それによるあらゆる不便を受け入れてこそ可能だった。すべての公的書類には彼女が男性であることを証明する記録で満ちあふれていた。彼女は区役所で住民票の性別を修正してほしいと要請し、年金保険事務所を訪ね公的年金手帳の性別を修正してほしいと要請し、厚生省には医療保険の性別を修正してほしいと要請したが、どこも頑として応じなかった。訴訟も起こしたが2002年に敗訴した。政府も裁判所も動かないと考えた彼女が頼れるところは、立法府だけだった。政治家らを訪ねたが、顔を見ることすら難しかった。そしてようやく会えた人が、自分が「後天性免疫欠乏症(HIV)感染者」だということを明らかにして国会議員になった民主党の家西悟議員だった。家西議員は彼女に「当事者が後ろに隠れて動いていては何も変えられない。自ら姿を現して人の共感を得るために努力すべきだ。政治家が会ってくれないなら自分が直に政治家になりなさい」と出馬を勧めた。区議会議員選挙が二カ月後に迫った時期だった。上川議員はそのようにして政治家の道に踏み込んだ。
 彼女が人々の前に姿を現すと、状況は変わった。激しい反対と抵抗もあったが、メディアは大きな関心を示し、政治家から市民まで耳を傾けた。投票日には彼女が当選したかどうかを見るために集まった取材陣で彼女の部屋がいっぱいになった。当選するやいなや有名なトークショーに出演した。
 だからといって状況が変わったわけではなかった。現実は相変わらず性的マイノリティには厳しかった。女性として出馬するため、書類提出の時から選挙管理委員会と闘わなければならなかった。議会には自分を支持してくれる同僚議員は一人もいなかった。代わりに熱心に反対する議員はいた。彼女が相手にしなければならない区当局は規定と慣例に縛られていた。
 彼らを変えるために最初に行ったことは、権利の当事者を変えることだった。隠れていた同性カップルやトランスジェンダーの人々を説得し、彼らが区民であることを示す住民票と納税証明書を持って区長や官吏に会わせた。彼らが直接自分の声を上げるようにした。上川議員は「目の前に見えなければ変わるものはなかった。変化の始まりは、私がここに存在しているということを証明することだった」と語った。
 露骨に反対はしないが、誰も積極的に支持はしないのが、少数者の権利だ。それで彼女は政党にも所属できなかった。彼女は無所属で自民党、民主党をはじめ、すべての政党のすべての議員に絶えず会って説得してきた。
 彼女は「性マイノリティの権利はすなわちすべての人間の普遍的な権利」だと語る。彼女は「世田谷区ではトランスジェンダーのために性別表記のない1人用トイレを拡大する政策が推進中だ。しかし、1人用トイレはトランスジェンダーだけの問題ではない。息子が押す車椅子に乗った老いた母は、男女どちらのトイレに行けばよいのか」と問う。
 上川議員は25日まで韓国での性マイノリティ問題に関心を持つ政党と活動家に会い話を交わし、連帯を模索する予定だ。韓国では極右キリスト教勢力を中心に性マイノリティに対する差別的発言や脅しが頻繁に発生し、一部の政治家までこのような雰囲気に便乗している。彼女は「日本が変わったのもわずか十数年のことであり、欧州でも1980年代まで同性愛を犯罪として処罰する法があった。『社会は変化する』という可能性をあきらめないでほしい」とし、「より良い社会を作るための可能性を放棄しないことが本来政治家の役割」だと強調した。
ホ・スン記者


記者拘束「危険な先例を作った」 国境なき記者団の沖縄声明全文
 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は22日、沖縄における報道の自由侵害を懸念する声明を発表した。1985年にフランスで創設された国際非政府組織(NGO)で、毎年世界各国の報道の自由度ランキングを発表している。ウェブサイトに英仏両文の声明を掲載した。声明全文は次の通り。
 国境なき記者団は、在沖米軍が日本の市民、NGO、ジャーナリストを広範囲に監視していることについて、米軍と日本政府に説明を求める。
 監視活動は英国人ジャーナリスト、ジョン・ミッチェル氏が情報公開請求で入手した305ページの文書で明らかになった。ことし5〜7月の在沖米海兵隊捜査当局による監視活動の日報、幹部が出した電子メール、ある基地の憲兵隊が回覧した報告書が含まれる。
 6月9日付の日報には、ミッチェル氏が米軍の環境汚染について講演したことが、写真や短いプロフィル付きで記述されている。ある電子メールはミッチェル氏を「敵対的」「協力関係を築く見込みがない。彼には方針があり、それを隠そうとしない」と表現している。
 沖縄の2つの日刊紙、沖縄タイムスと琉球新報についても日報で言及されている。
 米軍がミッチェル氏を監視するのは、沖縄における軍事活動、環境汚染、冷戦中の化学兵器投棄などを報じてきた結果だという。地元の平和運動、米軍基地や日本政府の政策への抗議行動も取材しており、ミッチェル氏はこれも監視下に置かれた理由になったと考えている。
 国境なき記者団アジア太平洋事務所のベンジャミン・イズマイル所長は「ミッチェル氏が入手した文書は、米軍が彼の日本における全ての行動を注意深く監視していることを明確に示しており、非常に深い懸念を抱く。文書に照らし、米軍はこの監視活動の決定を説明すべきだ。在日米軍による監視活動は、報道の自由を保障する日本政府の責務を脅かしている。日本政府もこれらの活動に関与したかどうかを明確にする必要がある」と述べた。
 国境なき記者団は在沖米海兵隊が監視活動を説明すべきだと信じ、連絡したが返事がなかった。ミッチェル氏は米国防総省に監視活動の程度や、どのレベルで許可されたのかを照会したが、拒否された。
 国境なき記者団はテストを実施し、ミッチェル氏の自宅のIPアドレスがインターネット接続遮断の標的になっていることを突き止めた。嘉手納基地を含むいくつかの米軍ウェブサイトを閲覧することができなくなっている。
 沖縄での抗議活動の取材に関連して、標的にされたジャーナリストはミッチェル氏だけではない。8月、県北部での米軍ヘリパッド建設に対する抗議行動を取材していた沖縄タイムスと琉球新報の記者を、機動隊員が拘束した。記者であることを警察に証明したにもかかわらず、現場から連れ去られた。両紙やマスメディアの労働組合は「国による報道の自由の深刻な侵害だ」と非難した。しかし、安倍晋三首相が率いる政府は警察のこうした行動を容認し、将来抗議行動を取材するジャーナリストにとって危険な先例を作った。
 与党自民党のメンバーは昨年、政府に批判的なメディアには財政的圧力を加えるべきだと言い、公共放送NHKの前経営委員は沖縄タイムスと琉球新報がつぶれるべきだと発言した。
 国境なき記者団は国連の表現の自由に関する特別報告者、デイビッド・ケイ氏が4月に日本を訪問する直前、日本における報道の自由を巡る状況が深刻だとの評価を発表した。
 安倍氏が2012年12月に再び首相に就任して以来、報道の自由への配慮は大幅に後退している。16年の報道の自由度ランキングでは日本は180カ国中72位で、ランキングが02年に創設されて以来、過去最悪となった。


「国境なき記者団」が声明を発表
ジャーナリストの国際組織「国境なき記者団」が沖縄での報道の自由を懸念するとの声明を発表しました。
声明では、アメリカ軍基地に起因する環境汚染問題などを報じているイギリス人ジャーナリスト、ジョン・ミッチェルさんの活動をアメリカ軍が監視していることや、沖縄の地元紙2紙の記者が抗議活動の取材中に拘束され連れ去られたことなどを指摘し、ジャーナリストの今後の取材に危険な先例を作ったと国の姿勢を厳しく非難しています。
また、毎年公表している報道の自由度ランキングで、日本が180ヵ国中72位と、過去最悪になったことを明らかにし、安倍総理の就任以来報道の自由への配慮が大幅に後退していると現政権への危機感をあらわにしています。


安倍政権の沖縄での報道弾圧に「国境なき記者団」が批判声明! 一方、官邸は国連の「表現の自由」調査を監視する暴挙
 機動隊員が市民に対し「土人」「シナ人」などと発した暴言問題にくわえ、松井一郎大阪府知事が差別発言を肯定した問題は、批判や責任追及の声がネット上であがる一方で、暴言の当事者である警官2名の戒告処分で幕引きされそうな気配だ。
 そんななか、フランスに本部を置く国際的なジャーナリストのNGO「国境なき記者団」が、沖縄における報道の自由が侵害されていると指摘する声明を22日に公表した。
「国境なき記者団」の声明ではまず、イギリス人ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏が沖縄の在日米軍の活動について報道してきたことを理由に米軍から監視を受けていることを示し、アジア太平洋事務所所長のコメントとして「日本政府もこれらの活動に関与したかどうかを明確にする必要がある」と批判。そして、沖縄の報道に関し、標的にされているジャーナリストはミッチェル氏だけではないとし、沖縄2紙の問題についてこのように言及している。
〈8月、県北部での米軍ヘリパッド建設に対する抗議行動を取材していた沖縄タイムスと琉球新報の記者を、機動隊員が拘束した。記者であることを警察に証明したにもかかわらず、現場から連れ去られた〉(沖縄タイムス掲載「声明全文」より)
 これは本サイトでも当時伝えたが、今年8月20日、ヘリパッド建設工事のために砂利を積んだ車両の搬入を止めようと約50人の反対派市民が座り込みで抵抗。それを機動隊が力づくで市民を強制排除したのだが、そのなかには取材中の沖縄タイムスと琉球新報の記者2名がおり、腕章を見せて記者であることを伝えたにもかかわらず、強制的に排除、警察に拘束されたのだ。
 市民の抗議活動を取材することは、報道機関として当然の職務であり、国民の知る権利を守るものだ。それを警察が記者を拘束し取材活動を妨害するというのは、あきらかに報道の自由を侵害するものである。当然、沖縄2紙のみならず日本新聞労連も抗議声明を発表したが、政府は10月11日に「県警においては警察の職務を達成するための業務を適切に行っており、報道の自由は十分に尊重されている」などとする答弁を閣議決定。記者の拘束を正当化したのだ。
 この政府の態度に対し、「国境なき記者団」は今回の声明でこう強く非難している。
〈安倍晋三首相が率いる政府は警察のこうした行動を容認し、将来抗議行動を取材するジャーナリストにとって危険な先例を作った〉(同前)
 この声明は世界的に見ても高江がいかに異常な状態に晒されているかを証明するものであり、同時に日本全体への警告と言えるだろう。高江ではいま、市民への不当な弾圧だけでなく報道の自由さえ奪われている。そして、これは安倍政権による“将来の日本”の姿でもあるのだ。
 いや、“将来”などではなく、もう現実になっているのかもしれない。たとえば政府は、2015年12月に「表現の自由」の状況を調査するために来日予定だった国連特別報告者であるデイビッド・ケイ氏(米カリフォルニア大学教授)に対し、直前になって「受け入れ態勢が整わない」などとして調査を一方的にキャンセル。今年4月にようやく来日したが、そのときも、何度も高市早苗総務相に面会を申し入れたものの断られたことをケイ氏が明かしている。
 しかも、ケイ氏の来日調査に際して、首相官邸は驚くような動きをしていたと「FACTA」(ファクタ出版)6月号が報じている。
〈「自民党のゲッペルス」と揶揄される世耕弘成内閣官房副長官が、ケイ氏の来日を前に、通訳など仲介役を担う女性弁護士らに関心を寄せ、内閣情報調査室などインテリジェンス・コミュニティ部員に彼女らの動向を監視するよう指示したと囁かれる〉
 記事によれば、〈この情報機関関係者が作成したとみられるメモの一部が永田町に流出〉したというが、そこには「弁護士はヒューマンライツ・ナウ事務局長であり、過激派関係者などと交流」「弁護士は昨年12月の訪日をデービッド(・ケイ)氏に働きかけた。今回の訪日においては同氏の通訳を担当予定」「市民団体A会は弁護士を介して、デービッド氏に対し、特定秘密保護法が国民の知る権利を侵害していることを訴えるレポートを提出しようとしている」などと書かれていたという。
 つまり、ケイ氏の調査に過敏になった官邸は、ヒューマンライツ・ナウ事務局長である伊藤和子弁護士をマークするために監視していたというのだ。
 しかも、この報道に対し、伊藤弁護士はブログで「政府による監視など、プライバシー侵害の人権侵害です」と批判した上で、「国連調査団の通訳は、国連がプロの通訳を有料で雇うのが常識です。私が通訳など、ありえませんし、国連システムを知っている人なら笑ってしまいます」「私は今回はコーディネートもしていません」と、ケイ氏の調査への関わりを否定している。
 いかに内調の情報が出鱈目なのかがよくわかるというものだが、しかし、笑い話などで済ませられるはずがない。これが事実なら、官邸はケイ氏も監視対象にしていたことは間違いないからだ。よりにもよって「表現の自由」の実態を調査しに来日した国連の報告者を、である。
 ケイ氏は調査後の会見で「報道の独立性は重大な脅威に直面している」と警告したが、その元凶は無論、安倍政権だ。このような権力による報道への介入が、高江での記者拘束という言語道断の行為を引き起こし、さらにはメディアの政権への忖度によって、市民の人権を遵守する立場にある松井一郎府知事の明白な差別容認発言が退任問題に発展しないという状態もつくり出しているのだ。
 この会見で、ケイ氏は以下のようにも語っている。
「政府から批判されたり、圧力をかけられたりした場合、メディアはそれを押し返さなければなりません。しかし、日本では押し返す力が見えません」
「当たり前ですが、ジャーナリストの役割は権力の監視です。政府の発表をそのまま新聞に掲載したり、テレビで流したりすることではありません。メディアがすべきことは『政府の言動はこれで本当にいいのだろうか』といった議論を含めて記事にすることです。日本では、それが非常に難しくなっているように見えます」
 状況の異常さは、その内部にいると麻痺してわかりづらくなっていく。だからこそ、ケイ氏の指摘や、今回の「国境なき記者団」の声明のように、外部の警鐘に耳を傾けなくてはならないだろう。(編集部)


いじめや差別やめて 中川マリーさん、壮絶な体験告白
 人種差別問題を考える「著名人から学ぶ多文化共生セミナー」の講演会が16日、佐賀市の県国際交流プラザであった。日本人の母とセネガル人の父を持つファッションモデルの中川マリーさん(27)が、肌の違いから壮絶ないじめを受けた体験を告白。「生まれてきた環境のせいで苦しむ子どもたちを支援したい」と呼び掛けた。
 幼少期から肌の違いでいじめに合っていた中川さんは、同級生から仲間外しにされ、熱湯をかけられるなど暴力にさらされたという。モデルになっても、黒人系であるためにオーディションを受けられないなど差別を受けた。
 中川さんは、2014年に児童養護施設を訪問するボランティア団体「ランド・オブ・ドリーム」を設立した経緯も紹介。中川さんは、児童虐待などで苦しむ全国の子どもたちの境遇と、幼少期からのいじめや差別に苦しんできた自分とが重なり合うようになったという。「ドリームプロジェクト」と銘打ち、子どもたちにダンサーや写真家、DJなどの職業体験をさせる活動に触れ、「そんな境遇にある子どもたちに、夢を持つことの大切さを伝えていきたい」と語った。
 県国際交流協会が主催し、約70人が聴講した。


<もんじゅ>結論先延ばし示唆 その後撤回
 水落敏栄文部科学副大臣は24日、廃炉を前提に抜本的な見直し議論が進む高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の代替案を議論する「高速炉開発会議」の結論を先延ばしにすると示唆したものの、その後、撤回した。
 福井県庁で西川一誠知事と面会後、報道陣に「12月中に結論が出るか不透明な部分がある。場合によっては延びるかもしれない」と表明。しかし、その後、敦賀市の渕上隆信市長との会談では「年末までに今後の方針を決定することに変わりはない。発言を撤回したい」と述べた。
 もんじゅを巡り、政府は「廃炉を含め抜本的に見直す」と表明。高速炉開発会議で年内に方針をまとめるとしていた。


難民問題の象徴「ジャングル」から記者報告
 フランス北部に、中東やアフリカから渡ってきた多くの移民や難民が違法に居座っている通称「ジャングル」と呼ばれる一角がある。難民問題の象徴ともなっているこの場所で移送が始まった。小島康裕記者が報告する。
 フランス・カレーにはアフリカ、あるいは中東アフガニスタンなどからの移民が長い行列を早朝から作っている。カレーの街から海底トンネルでつながるイギリスを目指していたが、ここからフランス国内へと移送させられることになる。
 ジャングルでは6400人が違法に占拠し劣悪な環境でテント生活を強いられていた。しかし、だれも解決策を示せずヨーロッパの難民・移民問題の象徴といわれてきた。
 地元は撤去を求めていたが、ようやく先週までに移送先などの調整がつき、24日朝から移送が始まった。
 アフガニスタン出身者「ここは人が多すぎて生活できるようなところではないです。(Q.ここから出られてうれしい?)もちろんうれしいです」
 一方、今回の移送は強制的なものではない。話を聞いても、バスには乗らないといった声も聞かれた。地元メディアによると、全部で6000人以上いるうち、まだ1000人程度しか同意していないという。移送も、移民らを分散させるだけで根本的な解決にはなっていない。そのうち新たなジャングルが生まれるのではとも指摘されている。


仏カレーの難民キャンプ、6900人の立ち退き作業開始へ
フランス・カレー(CNN) フランス北部の港湾都市カレーで難民キャンプに寝泊まりしている数千人を立ち退かせる作業の開始が現地時間24日に迫り、住人と警官隊が衝突するなど緊張が高まっている。
当局は同キャンプに滞在する難民に対し、フランスで難民認定を申請するか、出身国に戻るかの選択を迫っている。
キャンプでは6900人がテントや仮設住宅で野営する。うち1200人以上は子どもが占める。
支援団体によると、22日夜には難民と警察の間で衝突が起き、キャンプ内にある建物多数が焼失した。
内務省によれば、撤去作業を翌日に控えた23日には1000人以上の警官が配備された。
当局は12月までにキャンプを完全撤去する計画。キャンプはかつて埋立地だった砂地に約16万平方メートルにわたって広がり、「ジャングル」と呼ばれていた。
同地で暮らす難民は英国を目指しているためフランスでの難民認定申請には二の足を踏む。スーダンから来たという難民は「英国への渡航費もフランスでの滞在費もない」と肩を落とした。
キャンプ内の学校でボランティアでフランス語を教える教員は難民たちの置かれた状況について、「どこへ行けばいいのかも、友人たちと一緒にいられるかどうかもわからず、ひどく不安を募らせている」と語る。
23日にはボランティアがキャンプの撤去と今後の選択肢について告げるチラシを配って歩いた。
当局によると、難民キャンプの住人には24日午前8時から先着順で対応する。23日には複数の言語で住人に立ち退きを告げる通知を配ったという。難民は今週いっぱいかけて、バスでフランス国内の滞在施設に移動してもらう計画。宿泊場所と食事は保証するとしている。保護者のいない未成年は特別に配慮する。
一方、本国に戻ることを希望する場合は帰国便を手配る。また、欧州連合(EU)加盟国で既に難民認定を申請している場合は、その国に送り届ける。
キャンプに滞在する難民のほとんどはアフリカのスーダン、エリトリア、エチオピア、およびアフガニスタンの出身で、対岸の英国に渡る目的で数カ月から数年の間、同地にとどまっていた。内戦の混乱が続くシリアやイラクの難民も滞在している。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報道官は先にジュネーブで開いた記者会見で、フランス政府が難民のための適切な措置を取る限り、キャンプの撤去は歓迎すると表明。保護者のいない子どもは親族と再会できるよう、特別なはからいが必要だと述べていた。
国連によると、カレーにいる保護者のいない子どものうち200人は英国に親類縁者がいることが分かった。英政府はそうした子どもを受け入れると表明しているが、これまでに英国行きが実現したのは数人にとどまっている。


仏カレーの移民キャンプ「ジャングル」閉鎖へ、立ち退き開始
 フランス北部の港町カレー(Calais)で24日、英国を目指す移民たち数千人が暮らす大規模なキャンプ、通称「ジャングル(Jungle)」の撤去を控え、移民たちがスーツケースや荷物を持って立ち退きを開始した。
 欧州の移民危機における対応の失敗例として知られるようになった「ジャングル」には現在、6000人〜8000人が滞在しているとみられる。立ち退き作業は3日間かけて行われる予定で、乱立する掘っ立て小屋やテントも全て撤去される。
 立ち退かされる移民たちは、バスでフランス各地の臨時避難施設に移送され、そこで難民申請を行うことになる。現地には警官1200人以上が配備され、不測の事態に備える。
 1台目のバスは、スーダン出身の移民たち50人を乗せて午前8時45分(日本時間同日午後3時45分)ごろ、フランス東部ブルゴーニュ(Burgundy)へと向けて出発した。
 フランス政府は今回の立ち退きを「人道的」な措置だとしている。「ジャングル」はこの1年半でみるみる巨大化し、アフガニスタンやスーダン、エリトリアからの難民を中心に、英国へ渡りたい人々がひしめき合う仏国内最大のスラムと化していた。カレー近郊では毎夜のように、英国に向かうトラックに乗り込もうとする移民らと警察との衝突が起きていた。今回のキャンプ撤去は地元への負担緩和が狙いだ。
 立ち退きを控えた23日、「ジャングル」では仏当局者やボランティアらが立ち退き期限が迫っていることを知らせるビラを配って回ったが、それでも一部の移民たちはかたくなに英国での新生活への希望を口にしていた。仏移民局(OFII)のディディエ・レシー(Didier Leschi)局長は「施設に入るよう全員を説得できていない。英国行きの夢を捨てきれない人々がいる」とAFPに語った。
 各支援団体は、一部の移民が移送に抵抗する可能性があると警告している。


フランス 北部難民キャンプ撤去…英への「通過国」解消へ
 【パリ賀有勇】フランス政府は24日朝(日本時間同日午後)、英国行きを図る難民・移民らが殺到してテント暮らしをしている仏北部カレーの難民キャンプの撤去に着手し、他の収容施設への移送を開始する。またパリ市は市内初の難民一時収容施設を月内に開所させる。いずれも地元住民との摩擦を解消し、フランスへの難民申請を促す狙いがあるが、フランスを「通過国」と見なす難民らも多い。
月内にもパリに一時収容施設
 英仏海峡トンネルの入り口があるカレーには、トラックなどに忍び込み対岸の英国への密入国を図る難民や移民が集まって形成された「ジャングル」と呼ばれる難民キャンプがあり、約5700人が暮らしている。英仏は国境警備強化の協定を結び、難民らの英国流入を抑制してきたが、トンネル内で車にひかれる死亡事故が後を絶たず、周辺の治安も悪化。地元は撤去を求めていた。
 仏政府は「人道目的」(カズヌーブ内相)として撤去を決め、英国に親族がいる未成年については既に英国へ移送し始めている。残る難民らは国内約160カ所の受け入れ施設に移し、フランスでの難民申請を促す。
 一方、パリ市は、イダルゴ市長の肝煎りで進めてきた一時収容施設を月内に開所する。パリでは路上生活する難民らが問題化。イダルゴ市長は「人道的な観点」から迎え入れる義務があるとして設置に踏み切った。フランスへの難民申請希望者を対象としており、受け入れ期間は最大10日程度と短い。
 ただ、難民らの多くはフランスを理想の地とは考えていない。仏紙ルモンドは「ドイツやスウェーデン、英国がより豊かだと信じる移民らにとってフランスは『通過国』だ」と報じている。
 「フランスでは難民申請はせず、英国がだめならドイツを目指す」。今年7月、「ジャングル」で毎日新聞の取材に応じたパキスタン人のモハメド・カーンさん(35)のように、他国への渡航希望者が、再び仏北部などの国境を目指す可能性もある。
 欧州連合(EU)統計局によると、2015年の難民申請者は、ドイツは約48万人、スウェーデンが約16万人。フランスは、国境管理を厳格に行っている英国の約4万人よりは多いものの、約8万人にとどまった。


給食費回収一部を弁護士委託へ
大阪市は、市立の小学校と中学校で滞納されている給食費の総額が1億円を超えていることから、来月から、悪質なケースについては回収業務の一部を弁護士に委託することになりました。
大阪市立の学校の毎月の給食費は、小学校でおよそ4500円、中学校でおよそ6000円で、就学援助を受けている場合、小学校は無料、中学校は半額となります。
大阪市教育委員会は、給食費が滞納された場合、月ごとに納付書を発行し、金融機関などを通じて保護者に納めてもらっていますが、滞納総額は昨年度末の時点で、小学校と中学校をあわせて、およそ5600件の1億1300万円あまりにのぼっています。
これまで、市教育委員会は、特に悪質な場合には、資産差し押さえなどの法的措置をとってきましたが、依然として悪質なケースが多いことから、回収業務の一部を弁護士に委託することになったものです。
市教育委員会では、今年度は、およそ400件のあわせて2000万円の回収を弁護士に依頼することにしています。


現代の科挙――なぜ中国の受験戦争は過酷なのか?(前編)
 「受験戦争」という言葉があるように、日本でも大学受験は大変だが、お隣の中国ではそれに輪をかけて苛烈な大学受験が若者たちを苦しめている。大学に合格しなければ、明るい未来は開けないからだそうだ。なぜ中国はそれほどまでに学歴主義なのか。現代によみがえる「科挙」の仕組みと矛盾をジャーナリストの中島恵さんに読み解いてもらった。
「もう二度と思い出したくない」
 「科挙」という中国由来の言葉を知っている日本人は多いだろう。隋(587年)の時代に始まり、清朝まで約1400年間も続いた中国の官吏登用試験のことだ(最後に科挙が行われたのは1904年)。数十万、数百万人という受験者の中から、国家を動かしていく“超エリート”のお役人を選抜するピラミッド型の超難関試験で、その伝統は韓国などにも伝わり、中国や韓国の時代劇ドラマにもよく描かれている(幸か不幸か、日本には伝来しなかった)。
 今ではもう科挙制度は存在しないが、中国のあまりにも過酷な受験戦争は「現代の科挙」と形容され、中国の若者たちを苦しめている。昨今、中国人留学生が日本や欧米に殺到していることは、以前こちらの記事で紹介した。その背景には、彼らが苦悩する国内の受験事情が隠されている。
 「大学受験のときのことですか? 正直いって、もう二度と思い出したくないですね。はっきりいって、忘れてしまいたいほどうんざりする思い出なんです」
 30歳を過ぎた上海在住の中国人ビジネスマンと話していたとき、彼はそう言って顔をしかめた。彼は裕福な家庭で育ち、家庭教師をつけてもらって勉強し、北京の中国伝媒大学(アナウンサー、新聞記者などメディア関係者を多く輩出している名門大学)を卒業した。そんな恵まれた環境で育った彼でさえ、中国の受験には良い思い出がない。
 現在、東京都内の大学病院で看護師として働く女性の場合は、河南省の出身。家が貧しかったために都会にある有名大学に行く道をあきらめ、地元の看護大学に進学した。しかし、成績優秀者には奨学金が出るため、毎晩、寮の消灯後は廊下の明りを頼りに立ちっぱなしで深夜3時まで勉強した、と思い出を語ってくれた。
受験生に父親の死を隠す訳
 中国では、試験前でなくても学生が「毎日10時間以上も勉強する」のはザラだ。3〜4年前、中国一の理工系大学、清華大学で物理学の大学院に在籍する男性に会ったときのこと。週末の夜に待ち合わせをしたが、「インタビューは何分かかりますか? 勉強があるので短めにお願いします」と言われてびっくりしたこともあった。
 中国人はとにかく感心するほどよく勉強する。なぜか? なぜ、それほどまでに勉強しなければならないのか?
 受験戦争を勝ち抜き、有名な大学に進学すれば、輝かしい未来が待っている――そう信じているからだ。逆にいえば、有名な大学に進学できなかったら、将来は暗いものになってしまう。それが日本以上に学問を重んじる科挙の国、中国人の考え方だ。
 中国の大学入試は毎年6月に2日間、全国一斉で行われる。正式名称は「全国普通高等学校招生入学考試(通称:高考)という。入学や新学期は欧米と同じく9月からだ。
 中国の大学入試は文化大革命(1966〜76年)で一時中断されていた時期はあったものの、77年に復活し、現在まで続いている。日本の私立大学のように、大学ごとに行われる試験はなく、この「高考」が全国統一の一発試験だ。だからこそ、失敗は決して許されず、大学受験を目指す学生たちにとって、最も緊張し、プレッシャーを感じる行事である。
 2016年6月に行われた「高考」では中国全土で約940万人が受験した。中国の大学は約2800校。そのうち政府が重点的に資金を投入する「重点大学」と呼ばれる一流校はわずかに80校しかない。そのわずかな「いい大学」を目指して学生たちは一心不乱に勉強し、しのぎを削る。
 中国では毎年「高考」が近づくと、メディアでさかんにこの話題が取り上げられる。韓国などでも、試験会場に間に合わない学生を白バイが送り届けた、というエピソードを聞いたことがある人が多いだろう。中国でもこの時期になると、学校関係者のみならず、社会全体がこの話題で持ち切りになる。
 今年びっくりしたのは、四川省に住む母親が、娘の受験への影響を心配して、入院中だった父親の死を2週間も隠していた、というとんでもないニュースだった。つまり、それほどまでに「高考」は本人にとっても、家族にとっても重要な試験である、ということだ。
生きていくための「席」を巡るなんでもあり社会
 16年の「高考」は歴史上、最も過酷だった、と報道された。試験問題が急に難しくなったわけではない。カンニングなどの不正をした場合の罰則が厳しくなり、一層、緊張を強いられるようになったからである。
 その背景には、不正があまりにも横行したことがあった。政府は不正防止のための刑法を修正し、従来よりも重い罪として、不正の程度が重い者は3年以上7年以下の有期懲役、という強硬手段に出たのだ。試験会場に入る前には金属探知機で全身をチェック。持ち物検査にも異様に時間がかかり、ささいな持ち物を疑われて失格になったり、体調を崩す学生も続出した。
 なぜ、中国の大学入試はここまで厳しいのだろうか?
 理由はさまざまあるが、端的にいえば、原因は人口の多さに比べて、「良い大学」が少なすぎるという“アンバランスさ”にある。これは、大学だけに限らない問題だが、中国では良い病院、良い施設、良い環境など、すべての面において、質やレベルの高いものの絶対数がまだ足りない。
 2000年代に入り、急速に経済発展してきたものの、これまでは公共投資や都市建設などに莫大な費用が回され、市民生活に密着した公共サービス、福祉、医療、教育などは後回しにされてきて、整備が追いつかなかったからだ。
 だから、数少ない良いサービス、良い社会資源には、人々が殺到し、激しい奪い合いになる。多くの人がそこに群がるため、競争を回避しようとして、一部の人の間では利権やコネが発生する。そのため、残りの「正当に用意された数少ない席」を巡って、さらに激しい椅子取り合戦が繰り広げられる。
 これこそが、中国で何事においても競争を激化させ、不正がはびこる要因である。
難関大学がさらに狭き門になる理由
 自分がどうしてもそれを欲しかったら、他人を押しのけてでも、自分の席を確保するしかない。あるいは何らかのコネを探し出すしかない。中国で賄賂がなくならず、コネが重視されるのは、中国人が卑しいからではない。競争があまりにも激しすぎるため、正直に列に並んでいたら、自分の順番はなかなか回ってこないか、あるいは一生、順番は回ってこない。中国人が置かれたこうした“厳しすぎる環境”のせいである。
 むろん、中国でも少子化は進んでいるのだが、90年代に行われた大学改革によって大学数や入学定員数は増加しており、日本同様、一定以上の成績を収めれば、以前よりも高い確率でどこかの大学に合格できるようになった。
 だが、重点大学の中でも、とくに名前が知られている北京大学、清華大学、復旦大学などに入学するとなると話は別だ。誰もが行きたいと思う一流大学には全国各地から受験生が殺到するので、熾烈な争いは避けて通れない。難関大学の狭き門は以前と変わっていないか、むしろ以前よりも競争は激しさを増しているのだ。
 そんな厳しい状況に加えて、中国の大学入試制度には独特の厄介な問題がつきまとっている。戸籍問題だ。戸籍問題があるために、中国の大学入試は複雑化しており、それがより中国の若者たちを追い詰めているのである。日本人にはまったく想像もできない、その「カラクリ」ともいえる複雑な仕組みについては、後編で説明しよう。


高畑裕太「レイプ事件」被害者女性が明かしたあの夜の全真相
「合意なんてまったくなかった」

示談の後、高畑側が一方的に「あれは和姦だった」と公表したことで、私は二度レイプされた気持ちです。合意なんてまったくなかった。いまでも、あの恐ろしい目を思い出すと身体が震えます。
取材・文/齋藤剛(週刊現代記者)
「私は被害者なのに……」。あまりに事実と違う報道を目の当たりにして彼女は愕然とした。衝撃の逮捕から50日あまり。被害者の女性が沈黙を破り、「あの夜」のすべてを語る。
悔しくて涙が止まらなかった
「相手方の弁護士のFAXのコメント内容を知ったとき、全身から血の気が引くのを感じました。
まるで私がウソをついたかのようなことが書かれていました。私が悪かったというのでしょうか。なぜ加害者のように扱われるのでしょうか……。二度目のレイプをされたような気持ちです。悔しくて悔しくて涙が止まりませんでした。
示談後、加害者側の弁護士は一方的に『強姦ではなかった。合意があった』というような主張をしていますが、事実ではありません。真実を知ってほしいと思いました」
震える声でこう話す女性こそ、8月23日未明、俳優の高畑裕太(23歳)にホテルの部屋に連れ込まれ、レイプされた被害者Aさんだ。彼女はあれからどんな思いで日々を過ごしてきたのか。
彼女の代理人を務める弁護士の同席のもと、後にも先にも1回きりという条件で、3時間にわたって本誌のインタビューに応じてくれた。
群馬・前橋市内のビジネスホテルのフロント係として勤務していたAさんは、映画の撮影のためホテルに宿泊していた高畑に性的暴行を受けた。Aさんは右手首と指にけがを負い、知人男性の協力を得て群馬県警前橋署に被害届を提出。高畑は容疑を認めて、同日午後に逮捕された。
高畑にかけられた容疑は強姦致傷。執行猶予はつかず、相当長期(24ヵ月以上)の実刑判決が下ると予想された。ところが、事件は予期せぬ結末を迎える。
事件から17日後の9月9日、示談成立を受けて高畑は不起訴になり、同日に釈放されて、埼玉県内の病院に入院した。
状況が一変したのは、この同日だった。高畑の代理人を務めた「法律事務所ヒロナカ」(弘中惇一郎代表)が声明文を発表し、こう主張したのだ。
〈高畑裕太さんのほうでは合意があるものと思っていた可能性が高く〉
〈呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかった〉
〈違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件〉
これを受け、ネット上では「最初から金目当てだったのか」などと被害者であるAさんを中傷する意見が飛び交った。
さらに追い打ちをかけたのは、その後の報道だ。不起訴となり釈放されるや否や、無責任な憶測や、高畑サイドの言い分に乗るような推測が次々に報じられた。
Aさんがとりわけショックを受けたのが、9月21日発売の『週刊文春』の特集記事だ。関係者の証言や捜査資料を元にしたとして、大略、以下のような内容であった。
〈被害女性は高畑の誘いに乗って部屋に行き、行為の求めに応じた〉
暗に強姦の事実を否定する内容だったのだ。
一方的な報道に…
示談後、Aさんの代理人を務めることになった入江源太弁護士が言う。
「今回私は、検察、警察に内容証明を送付したうえで、責任者と面談しました。その結果、週刊文春の記事の内容に強い疑問を持ちました。
同誌の記事は、高畑氏の供述に一方的に依存してつくられた感が否めません。高畑氏の話がそのまま断定的に掲載されており、被害者の話とはまるで食い違っています。
また法律家として、高畑氏の供述内容を誰がリークしたのかという点も問題視しています。面談した検察と警察の責任者は『一切情報の流出はない』と全面否定をしていました。
では、誰が情報を流出させたのでしょうか。流出元が明らかでない情報によって被害者が一方的に傷ついていますが、このようなことがあって良いのでしょうか」
あの夜、いったい何があったのか。Aさん本人が振り返る。
部屋に歯ブラシを届けた経緯
加害者(編集部註・Aさんは高畑のことをこう呼ぶ)と最初に会話したのは事件が起きる数時間前のことです。
「近くに飲食店はないですか?」
と声をかけてきた加害者に飲食店が掲載された冊子を渡しました。
当日の私の服装について、週刊文春には黒いTシャツに、ジーパン、エプロン姿でフロントに立っていたと書かれていましたが、まったく事実とは異なります。
私は他の従業員同様、制服を着用していました。上は白いブラウスに制服のベスト、夜だったのでジャケットをはおらず、その上に黒のVネックセーターを着ていました。下は、黒のスラックス。勤務中にジーパンをはくことはありえませんし、Tシャツも同様です。エプロンをつけてフロントに立つこともありません。
ホテルを出た加害者が一人で戻ってきたのは、深夜の1時40分頃だと思います。そのとき、フロントにいたのは私だけです。深夜の時間帯は交代制で、一人がフロントに立ち、もう一人が仮眠をとる形でした。
加害者が他愛もないことを話しかけてきましたが、明日も朝早くから撮影ということだったので、
「早く寝たほうがいいんじゃないですか」
と応じた記憶があります。ただ、なかなかフロントから離れようとせず、
「この後、休憩は何時なの?」
と絡んできました。
「かわいいね」
などと結局、5分くらい一方的に話しかけられ、その際、
「あとで部屋にマッサージに来てもいいよ」
と言われたことは覚えています。これについてははっきりと、
「行きません」
と答えました。このことは警察にも話しています。この時点では、加害者に対しては芸能人というより、よくいる酔っぱらったお客様という程度の印象でした。
しばらくすると、エレベーターで4階の部屋に戻ったと思っていた加害者が1階から階段を上ってきて、また2階にあるフロントに現れたので、
「あれ、まだ休んでないんですか」
と声をかけました。
「歯ブラシを取りに来た。悪いけど、5分後くらいに部屋に持ってきて」
そう加害者が言うので、私は仕方なく、
「では、あとでお持ちします」
と答えました。それを聞いた加害者は、やっとエレベーターで部屋に上がっていきました。これが1時55分頃のやりとりです。
なぜ歯ブラシを直接部屋に持っていくと伝えたのか、不思議に思われるかもしれません。もちろん私が職場を放棄して、加害者の部屋に向かったわけではありません。
午前2時からちょうど休憩時間だったので、歯ブラシを持っていって、そのまま休憩に入ろうと考えていたんです。加害者は有名人ですから、世間体もありますし、まさか危ない目に遭うなどとは、まったく考えませんでした。たんに酔っぱらったお客様にこれ以上絡まれるのがイヤだったんです。
ただ、そのことで加害者に「自分から部屋に来てくれた」と主張する口実を与えてしまったことが、悔やまれてなりません。
このとき、私に代わってフロントに立つ別のスタッフがまだ来ていなかったので、〈いまフロントを空けています〉というメモを残し、深夜2時に歯ブラシを持って、一人で加害者が泊まっている405号室に向かいました。
避妊具もつけずに……
部屋をノックしたところ、ドアが開いて、加害者が現れました。
その次の瞬間です。加害者の手が私の右手に伸びてきて凄い力で掴まれたかと思うと、部屋の中に引きずり込まれ、そのままドアのすぐ左側にあったベッドに突き倒されました。
ベッドに押し倒されると、すぐ耳元で、
「脱げ」
と低く凄みのある声で言われました。フロントでは、単なる酔客の悪ふざけという雰囲気でしたが、目つきといい声色といい、まるで別人のようでした。とにかく、恐ろしかった。
私を押し倒した加害者は無理やりキスしてきました。お酒臭かったことを覚えています。あの日、加害者は白いTシャツにハーフパンツという格好でしたが、気づくと全裸になっていました。
加害者はしつこく私の服を脱がせようとしましたが、必死に抵抗しました。それでもブラウスや下着の下に手を入れて、身体を触ってきました。
なんとか上半身は脱がされませんでしたが、ふとした瞬間にズボンを下ろされてしまいました。とっさに私は、
「生理中だから」
とウソを口にしました。そう言えば、あきらめてくれると思ったからです。しかし、加害者は、避妊具もつけずに性行為に及んで……。私は、
「やめてください」
と訴え続けましたが、
「いいから黙れ」
と脅すように言われました。
いま思えば、大声を出せばよかったと思います。検事さんにも「なぜ大声を出さなかったのか」「なぜ壁を叩かなかったのか」などと訊かれました。でも、私にはそれができなかった。
まずホテル従業員として自分のことで騒ぎが起きて、他のお客様やホテルに迷惑をかけてしまうことを恐れたということがあります。
そしてなにより加害者の目つきが怖かったのです。
釈放された加害者は、警察署の前で迎えの車に乗り込む際、睨むような異様な目つきをしていたと思います。あの夜の目つきは、それ以上に怖いものでした。いまでも突然、あの目がフラッシュバックして、私を苦しめます。
しかも、加害者は背が高く(181cm)、力も凄く強かった。
頭も押さえつけられて、髪はグチャグチャになっていました。もし声をあげたら、もっとひどいことをされるし、大ケガをしてしまうと思ってしまいました。
大きな声を出すことによって何をされるかわからないという恐怖心は性犯罪の被害者にしかわからないと思います。自分の身を守るためには嫌でも相手の言いなりになるしかなかったのです。
どの段階で右手にケガをしたのか、正直わかりません。ただ、フロントに戻ったとき、親指の付け根に強い痛みがあることに気づきました。いまでも腱鞘炎のような痛みが残っています。
週刊文春に書かれた加害者の言い分には、「性行為の最中に右手を動かしていた」とありますが、これも事実ではありません。加害者は私の右手を無理やり局部に持っていったのです。このとき、正確な言葉は覚えていませんが、
「動かせ」
というようなことを言われました。
「咥えろ」
と言われたこともはっきりと覚えています。頭をつかまれて、局部のほうに持っていかれ、
「いいから舐めろ」
とも言われました。
「出していいだろ」
性行為が何分続いたのか覚えていません。ただ、無理やりだったので痛かったことだけは覚えています。加害者は、
「(精液を)出していいだろ」
と言ってきましたが、
「やめてください」
私は必死に訴えました。しかし、加害者はこう言ったんです。
「生理だったら大丈夫だろう」
そのまま、中に出されてしまいました。そのときの怒りを通り越した絶望もまた、性犯罪の被害者にしかわからないことだと思います。
性行為が終わると、加害者は「すっきりした」という様子で私から離れました。ようやく解放された私は逃げるように部屋を出て2階にあるトイレに駆け込みました。
トイレの中では震えが止まりませんでした。もう、仕事ができる状態ではなかったので、トイレから出ると、もう一人のスタッフに、
「悪いけど、帰ってもいい?」
と伝え、私はホテルを出たんです。
* * *
以上がAさんの証言である。Aさんには合意の感情はまったくなく、高畑の行為は完全にレイプ、罪名にするなら文字通り「強姦致傷」である。
入江弁護士が指摘する通り、高畑の供述をベースにした週刊文春などの報道は、Aさんの証言とあまりに食い違っている。
なかでも決定的なのは、フロントを離れたAさんが、高畑の部屋に向かう経緯だろう。
高畑の言い分に依拠した週刊文春の記事(9月29日号)ではこうなっている(以下、引用は週刊文春の同記事)。
〈意地になっていた高畑は叫んだ。
「歯ブラシが欲しいんじゃなくて、部屋に来て欲しいんです!」
粘りに根負けしたのか、吉田さん(編集部註・Aさんの仮名)はフロントを出た〉
〈そして二人を乗せたエレベーターのドアが閉まるや否や、高畑は吉田さんに唇を押し付けた。
「一瞬、僕の両肩を抑えたり、口をつぐむなどはありましたが、すぐに舌が絡まり合う感触を感じました。激しい抵抗感を感じなかったので、僕はいけるみたいなことを思いました」〉
これを読めば、まるでAさんが高畑を受け入れたかのように思えてしまう。エレベーター内の出来事は、強姦か和姦かを分ける重要なポイントだ。
Aさんはあきれながらもこう反論する。
「キスをしたなんて絶対にない。そもそも私はエレベーターに一緒に乗っていません。
ホテルのエレベーターにはカメラがついていないから、そんな適当な話をするのでしょうか。ビジネスホテルの従業員がお客様と二人でエレベーターに乗ることはありません。もし乗るとするならば、お客様が部屋の中に鍵を置き忘れて外出してしまったときくらいです」
食い違いはこれだけではない。高畑側の主張によれば、エレベーターを出ると、二人はスタッフの目を気にして時間差で部屋に入ったという。
〈彼女は閉まりそうなドアを手で開けて、部屋に入ってきました〉
さらに部屋での性行為について、高畑はこう供述している。
〈少なくとも女性が泣き叫び助けを呼ぶような事はありませんでした。押さえつけたり、脅迫もしていない。ベッドに倒れ込んだとき、頬に手を当てられ『生理中だからダメ』と言われたが、拒否している感じではないと思いました。彼女は決して受身ばかりだったわけでもないし、逃げようと思えば逃げられたはず〉
〈彼女は右手の手首や親指を打撲したと主張していますが、行為の最中に、彼女が右手を動かしていたことをはっきりと覚えていますし、少し疑問です〉
Aさんが性行為に対して積極的だったと言わんばかりである。
言うまでもなく、これら高畑の主張はすべてAさんの告白とは正反対だ。
取り返しのつかない傷
どちらが真実か、それを知るための、重大な物的証拠が一つある。それは、警察に提出した後、最近になって戻ってきた事件当日にAさんが着ていた衣服の一部だ。
週刊文春の記事にあるTシャツとジーパンにエプロンという衣装でないことは明らかである。服装すら間違えている、高畑の主張に拠った一連の報道は疑わしいと言わざるをえない。
高畑の行為が、Aさんに取り返しのつかない深い傷を負わせたことは言うまでもない。
Aさんが語る。
「加害者がお酒を飲んで性的欲求が高まって、たまたまフロントにいた私が手っ取り早くターゲットにされてしまったんでしょうか。
加害者からしてみたら、客であり、タレントである立場で、私のこともたかがホテルの従業員として見下していたんでしょうね。ただ単純に性的欲求の道具に使われたとしか考えられません。本当に、思い出すと怖くていまも身体が震えます」
さらに、苦しみはこれだけで終わらなかった。Aさんは性犯罪の被害者にもかかわらず、その後、日本中から「美人局」というあらぬ疑惑を抱かれることになる。
なぜAさんは示談したのか。そして警察に通報したとされる知人男性は、どのような役割を果たしたのか—。

化学の日/中越地震から12年/鰹節に発がん性物質

ブログネタ
フランス語 に参加中!
五ノ橋

Japon : deux explosions dans un parc font un mort et deux blessés
Les deux explosions ont été quasi simultanées, dimanche, dans le parc d'une ville située à une centaine de kilomètres au nord de Tokyo. Les médias nippons évoquent un suicide.
Une personne a été tuée et deux autres ont été blessées dimanche dans un parc au Japon lors de deux explosions quasi simultanées, selon les pompiers, tandis que les médias évoquaient l'acte d'un suicidaire. Les explosions se sont produites dans un parc d'Utsunomiya, à une centaine de kilomètres au nord de Tokyo.
"Une personne a été retrouvée morte", a précisé le porte-parole des secours, sans autre précision. "Le sexe et l'âge des trois (victimes) ne sont pas connus pour l'instant", a-t-il ajouté. L'une des explosions est survenue dans un parking desservant le parc.
Un corps découvert dans un local. La chaine publique NHK a diffusé des images d'une voiture incendiée que les pompiers étaient en train d'arroser d'eau et a rapporté qu'un corps en très mauvais état avait été découvert dans un local à bicyclettes à l'intérieur du parc. Le quotidien Yomiuri Shimbun a précisé de son côté qu'une des voitures avait explosé et en avait fait bruler deux autres. Quelques minutes plus tard la police découvrait le corps démembré d'un homme à l'intérieur du parc, a rapporté le journal, ajoutant qu'un festival qui s'y déroulait avait été immédiatement annulé.
Un ancien militaire, propriétaire de la voiture brulée. Selon la NHK, les deux explosions étaient distantes d'environ 200 mètres et la police a retrouvé une feuille de papier semblant être un mot de suicide dans une des voitures brulées. Le propriétaire de ce véhicule est un ancien membre des Forces d'autodéfense (nom de l'armée japonaise), dont la maison à Utsunomiya venait d'être détruite par un incendie peu avant, a indiqué la chaine de télévision publique en précisant que l'homme n'avait pu être contacté.
Des procédés utilisés par les groupes d'extrême-gauche. Des faits Les explosions de ce genre sont très rares au Japon. Il arrive que des engins explosifs artisanaux soient déposées près de bases militaires américaines par des groupes d'extrême gauche. Une bombe artisanale avait explosé le 23 novembre dernier dans des toilettes du sanctuaire Yasukuni, sans faire de blessé ni d'importants dégâts. Un ressortissant sud-coréen avait été arrêté et condamné à quatre ans de prison après avoir avoué. Ce lieu de pèlerinage patriotique est percu par les Chinois et les Sud-Coréens comme le symbole du passé militariste du Japon
フランス語
フランス語の勉強?
サイエンスzero 笑いと科学の祭典! イグ・ノーベル賞
笑って考えさせる科学の研究に対して贈られる「イグ・ノーベル」賞。今年の受賞式で最も注目を集めたのは日本人の研究。そのテーマは「股のぞき」だった。股の間から顔を出すその姿に会場は大爆笑。一見、ふざけたようにみえるこの研究だが、その奥には、人間がどのように周りを認識するのかを解明するという深いテーマがあった。今年のイグ・ノーベル賞を受賞したユニークな研究を紐解き、科学の面白さ、楽しみ方に迫る!
イグ・ノーベル賞はどんな研究が選ばれる?/ イグ・ノーベル賞授賞式の魅力/ イグ・ノーベル賞を受賞して/ 笑いと科学の祭典「イグ・ノーベル賞」。今年の受賞式は9月22日、ハーバード大学で行われ、1000人もの観客が詰めかけた。/ 今年話題をさらった受賞研究の1つがこれ。自作の装具を開発し、ヤギになりきって生活したトーマス・トウェイツさん。生物学賞を受賞。/ 実は日本人はイグ・ノーベル賞の常連で、10年連続で受賞。今年受賞したのは、立命館大学教授の東山篤規教授。/ その研究とは「股のぞき」の知覚効果。受賞式のステージで股のぞきをする東山さんに、会場は大受け!/ 股のぞきと言えば「天橋立」。展望台には股のぞき台が設置されていて、多くの観光客が股のぞきを体験している。空に天橋立が浮かぶように見える、と言われてきたその秘密が、東山さんの研究によって見えてきた。

明日へ つなげよう 復興サポート「がんばっぺ!熊本〜東北からのメッセージ〜」
熊本地震から半年あまり。現地では仮設住宅での生活が始まり、子どもやお年寄りのケアなど新たな問題が浮かび上がっている。しかし現在、大きな役割を果たすボランティアの数が激減している。息の長い支援を行うには?東日本大震災の教訓に学ぶ。宮城県の石巻からは、住民たちのコミュニティを地道に支える方法を伝授。そして明治学院大学ボランティアセンターの学生は、長期的な支援を可能にした画期的な取り組みを紹介する。
大桃美代子, 姜尚中, 山本百合子

NNNドキュメント 3・11大震災シリーズ(76) 復活 石巻市立病院 震災2000日 被災地医療の今
東日本大震災から2000日が経過した。被災地では生活再建が進む一方、新たな課題も表面化している。高齢者の孤立、要介護者の増加、過疎の増長。これらを背景に在宅医療のニーズが顕著に増えている。そんな中、津波で被災した石巻市立病院が内陸部に移転して復活した。急性期医療に限らず、在宅医療にも積極的に乗り出す。山積する課題にどう向き合うか。
石巻市立病院の新たな歩みを通し、被災地医療の実情に迫る。
松本光生  ミヤギテレビ

テレメンタリー 転ばないバイクは可能か?“前二輪”が拓く次世代コミューター
 日本のバイクは高い品質と優れた運動性能を実現し、世界中から評価を得ている。年間輸出額は約3000億円にまで上り、日本経済には欠かせない存在なのだ。そんな日本のバイクから、なんとも奇妙なスタイルのニューフェースが出現していた。
 なんとそれは、前輪が二つある“前二輪”の三輪バイク。この見慣れないスタイルはバイクの新たな可能性を探すものだという。なぜ前二輪にする必要があったのか? 従来の二輪のバイクと比べどんなメリットがあるというのか?最先端の機種を探ることで、知られざるバイクのメカニズムが見えてきた。
どのようにして“前二輪”の三輪バイクは誕生したか?
 前二輪という不思議なスタイルをもつヤマハ発動機の三輪バイクは、「転ばないオートバイ」を作るという挑戦から導き出された形だという。そして、その研究は約40年前からされていたというのだ。どのようにして前二輪が生まれたのか?
 前二輪バイクの歴史を紐解く。
知られざる二輪車のメカニズム
 前二輪の三輪バイクを知るためには、自転車などを含む従来の二輪車に必ず備わっている、あるメカニズムを知る必要がある。
 その機構とは「自己安定化機構」というもの。この機構により車体が傾くと自然に立ち上がる力が発生し、安定した走行が可能になっているという。どんなメカニズムによって、「自己安定化機構」は成立しているのか?
 知られざるという二輪車のメカニズムに迫る。
"リーニング"が可能な三輪車
 多くの種類がある三輪の乗り物。しかしその中でバイクと呼べるものは少ない。サイドカーや、トライク、オート三輪などは実はバイクではないというのだ。ではどのようなものをバイクと呼べるのか?その答えは“リーニング”を可能にしている車体だという。リーニングとは何なのか?そしてリーニングを可能にしているバイクにはどのような特徴があるのだろうか?
割りばしからの閃き
 バイクを前二輪にした場合、ある問題が発生する。前輪が二つあるため、車体を傾けカーブを曲がるような動作が構造的に難しいのだ。前二輪バイクの開発を担当したエンジニアはこの問題を「割りばし」からの閃きで克服したという。何故、割りばしだったのか?そして、割りばしから得た閃きでどのようなものが完成したのか?
 日本メーカー初の前二輪バイク。その全貌に迫る。
<主な取材先> ◆海江田 隆さん (ヤマハ発動機) ◆島本 誠さん (ヤマハ発動機) ◆高野 和久さん (ヤマハ発動機) ◆景山 一郎さん (日本大学) ◆丸茂 喜高さん (日本大学)

テレメンタリ− 「越えろ!EUの壁 〜仏産かつお節にかけた職人魂〜」
「だしが全くきいていない!」かつお節の生産量日本一、鹿児島県枕崎市のかつお節生産者、大石克彦さん。フランスのレストランでみそ汁を口にして、だしとなる「本物」のかつお節がEUに流通していないことを知った。規制で輸出が難しいからだ。
そこで、工場を建設し現地生産しようと考えた。ところが、次々と難題が立ちはだかり計画は大幅に遅れた。
フランス産かつお節は完成するのか?3年間の挑戦を追った。
バッキ―木場 鹿児島放送

新婚さんいらっしゃい!石川公録第2弾 任侠風衣装の夫…AKB熱唱&甘えん坊競輪夫
▽白山市…超甘えん坊の競輪選手の夫が妻からあらぬ疑いをかけられ…▽金沢市…任侠に憧れコワモテ衣装の夫は実は超面白キャラ。カラオケではAKBを熱唱!!スタジオ大爆笑!!
桂文枝・山瀬まみが新婚さんの楽しい話を聞くトークバラエティ。新婚カップルのあつあつぶりやほほえましい失敗談などを、絶妙のトークで楽しむ爆笑番組。
桂文枝 山瀬まみ


10<SUP>23なので今日は化学の日.化学は割と好きな科目でした.というか物理が苦手だったので相対的な評価かもしれません.
中越地震から23年です.ニュースを見るまで忘れていました.
テレメンタリ−で鰹節にベンゾピレンという発癌物質があるのでEUに輸出できなく,それを改善するために頑張る人が放映されていました.確かにヨーロッパで日本の美味しい鰹節が提供できることはスゴイことだと思いましたがm、一方で日本の鰹節は安全ではないということですよね?その点放送ではコメントなく残念でした.

<あなたに伝えたい>月命日に夫と掃除する日々
◎吉田聖子さん(二本松市)から美紀さんへ
 聖子さん お姉ちゃんは3人の子どもの中で一番優しく、いつも家族に心配を掛けないように振る舞っていましたね。震災の3年前には福島県富岡町小良ケ浜の高台に、クリーム色のかわいらしい家を自分で建て、一緒に暮らしてくれました。
 震災の日の朝、「おかんに似てるって、また言われた」と笑顔で家を出たとき、私はただうなずきました。今思えば「そうだね、似てきたね」と言葉を掛けてあげればよかった。
 いつも真面目。地震の揺れが収まった後も郵便局にいて、津波に遭ったのでしょう。どんなに苦しかったか。私が代わってあげられたらよかったのにと、思わない日はありません。
 穏やかな性格で一緒にいると、私も心が落ち着きました。老後は2人で新幹線に乗って北海道など日本各地を旅するのが夢でした。もっともっと、私よりも長く生きていてほしかった。
 本当はすぐにでも、あの家に戻って暮らしたい。でも、東京電力福島第1原発事故で避難指示区域になってしまい、容易に帰れないのが悔しくてたまりません。今は毎月11日に、夫と2人であなたが大好きだった家を掃除しています。
 14年にはあなたの妹に息子が生まれました。同じように猫好きで、目元も似ているので「美紀の生まれ変わりかな」なんて話しています。
 私も最近、少しずつ外に出るようになりました。あなたのおばさんたちと一緒に、みんなに愛されたあなたについて話しながら、思い出の場所を巡るのが楽しみです。(日曜日掲載)
◎一緒に暮らしたクリーム色の家
 吉田美紀さん=当時(35)= 福島県富岡町の自宅で母聖子さん(63)と暮らしていた。同県浪江町の勤務先だった請戸郵便局で、東日本大震災の津波に見舞われたとみられる。2011年4月、郵便局から約800メートル離れた場所で遺体で見つかった。


まちびらき再生祝う 石巻・中心部商店街
 東日本大震災に伴う土地区画整理事業で生まれ変わった石巻市中央1丁目の「中央一大通り商店街」で22日、まちびらき式があり、石巻小児童の鼓笛隊演奏や餅つきなどで門出を祝った。
 商店主ら中央一大通り会と地元町内会が主催。歩行者天国にした商店街でテープカットなどのセレモニーを行った。歩道には芋煮やコーヒーなどの出店が並び、大勢の地域住民らが駆け付けた。
 中心市街地にある同商店街は津波で大きな被害を受けた。2013年3月に区画整理による地域の再生計画が決まり、14年11月に着工。工事は間もなく終わる予定で、道路幅を歩道も含め10メートルから17メートルに広げて歩きやすい空間を確保した。
 中央一大通り会は鮮魚や精肉、弁当、生花など14店舗がそろう。豆腐店を営む林光次郎会長(61)は「予想以上に人が集まった。今後も人が通りたくなるような魅力あるまちづくりをしたい」と意気込む。
 事業区域内には災害公営住宅(35戸)も完成。6月に市内の仮設住宅から移り住んだ松本とき子さん(93)は「鼓笛隊の子どもたちがかわいくて、お餅もおいしかった」と話した。


復興へ新たな街始動 山元2地区でまちびらき
 東日本大震災で甚大な被害を受けた山元町は23日、被災した町民が集団移転する「つばめの杜」「新坂元駅周辺」の両地区のスタートを祝う「新市街地まちびらき」を行う。主に牛橋、花釜、笠野、新浜、中浜、磯の沿岸6地区の被災者が入居。両地区に合わせて1500人以上が移り住む見通しで、既につばめの杜で1029人、新坂元では193人(ともに8月末時点)が生活を始めている。
 田んぼだった両地区で2013年6月に着工し、15年10月までに宅地部分の造成が終了した。
 海岸から約2キロ離れるつばめの杜地区では宅地201区画、災害公営住宅346戸が整備された。都市機能を集中させる「コンパクトシティー」が売りで、保育所などからなる子育て拠点施設や、沿岸部から新築移転の山下二小が今年8月までに完成した。
 海から約1.5キロの新坂元の宅地は40区画。災害公営住宅は72戸を計画しているが、軟弱地盤などによる集合住宅(16戸)の建設工事の遅れから完成は来年3月を見込む。
 町内の集団移転先には遺跡の出土などで予定が大幅に遅れている「宮城病院周辺」地区もある。同地区は年度内に工事が終了し、計約80世帯が入居する。
 つばめの杜のまちびらきは午前10時〜午後3時、新坂元は午前9時半〜午後3時。式典や住民によるステージ、出店がある。斎藤俊夫町長は「復興はまだ道半ばだが、全国各地から寄せられた支援に感謝する場にしたい」と話している。


<いわき>復興は「自分事」同志増やす
◎いわき湯本温泉のホテル経営・里見さん/被災地案内3000人超す
 「知って、感じて、考えて」。いわき市湯本温泉のホテル経営者、里見喜生さん(48)がこう呼び掛け、2011年以来、東京電力福島第1原発事故の被災地を案内するスタディーツアーの参加者が3000人を超えた。被災地の内外を隔てる風化は年々進むが、「何も終わらぬ現実を『自分事』と受け止め、伝えてくれる人を増やしたい」と仕事の傍ら被災地に通う。
 湯本温泉で1695(元禄8)年創業の古滝屋の16代目。ホテル、旅館の多くは原発事故後、原発や除染の現場作業員らの借り上げ宿舎となったが、里見さんは12年夏まで休館。NPO法人「ふよう土2100」を設立し、被災地の自宅を離れて避難先で孤立する障害児、家族の居場所づくりと運営に取り組んだ。
 スタディーツアーは古滝屋をマイクロバスで出発して北上し、住民が避難中の富岡町夜ノ森地区を目指す。雑草に覆われた無人の街で記録写真を撮り、線量計で放射線の数値の変化を確かめ、道中では昨年9月の避難指示解除後も人の姿がない楢葉町なども見る。
 始まりは原発事故直後の11年4月。支援物資を持参した遠来の友人らを、実情を見てもらおうと市内の津波被災地に案内し続けた。その中で「きちんとカンパを得て継続的な活動にすべきだ」と助言を受け、自らのNPOが主催するツアーとして一人3000円の参加費をもらって、障害児支援にも充てることにした。
 縁ができた支援者や交流サイトを通じてツアーを広め、参加者はこれまで沖縄など全国から3000人余り。ゼミ合宿など首都圏の大学生が7割を占める。
 「自分が出会った被災地の人たちの思いや現状を話し、『電気をつくってきた街も電気を消費する街も同じ日本です』『原発事故という歴史に立ち会っていることを体感し、終わらぬ現実を記録写真とともに伝えてほしい』と訴えている」
 参加が1人や2人でも歓迎し「その方が深く語り合える」。埼玉県から来た年配者は地元に帰ってツアーの体験を話し、町内会有志を引率して再び参加してくれた。「ニュースで分かったつもりでいたが、被災地を見て心の底から悲しい」と感想を語った人もいる。
 本業の古滝屋の宿泊客は現在も震災前の4割ほど。風化、風評の壁はまだ厚いが、「被災地の復興を『自分事』としてつながってくれる人を増やしていきたい」と里見さんは意気込む。(編集委員・寺島英弥)


のんさん「少しでも力に」弘前大学園祭で募金
 NHK連続テレビ小説「あまちゃん」で主演を務めた女優のん(本名・能年玲奈)さんが22日、弘前市の弘前大学園祭でのチャリティートークショーに登場した。
 集まった募金24万4500円は折半し、台風10号豪雨で大きな被害を受けた久慈市と岩手県岩泉町にそれぞれ贈る。
 のんさんが屋外の特設ステージに登場すると、詰め掛けた家族連れや若者らから歓声が上がった。「岩手は自分にとって懐かしく大切な場所。少しでも力になりたい」と訴えた。
 募金は1口500円。サイン入りグッズなどが当たる抽選会に参加できる仕組みで、計489口が集まった。8口募金し、自筆イラストが当たった黒石市の公務員小林清一郎さん(57)は「うれしくて夢のよう。本物は本当にかわいかった」と話した。
 のんさんは23日、久慈市の「産業まつり」に参加し、同市と岩泉町に今回の募金を贈呈する。


<田部井さん>被災高校生と登山、励ます
 登山家の田部井淳子さん=福島県三春町出身=の訃報が伝わった22日、東北の関係者からは悲しみの声が上がった。
 田部井さんは古里を襲った原発事故に心を痛め、被災者の気持ちを少しでも安らげようと一緒に山を登る活動などに取り組んだ。
 田部井さんが名誉町民となっている三春町の鈴木義孝町長は「震災後は三春をはじめ県内に何度も足を運び、元気を届けてくれた」と振り返り「町民にとって大きな存在だった。ショックだ」と肩を落とした。
 12年からは、被災した東北の高校生と富士山に登るプロジェクトを主催。今年8月の登山でも7合目まで登って高校生にエールを送った。
 3度同行したカメラマン渡辺幸雄さん(51)=長野県松本市=は、途中で泣きだす女子高生に声を掛けたり励まし合ったりしていた姿が印象に残る。「目標を達成する喜びを若い人に味わってもらうのが田部井さんの夢だった。これからも続けたいと言っていた。本当に残念だ」と悼んだ。
 68歳で乳がんの手術を受けた後、がん性腹膜炎を患い、闘病を続けてきた田部井さん。今年7月には秋田県内のがん患者らと仙北市の秋田駒ケ岳を登った。
 一緒に登った藤井婦美子さん(68)=秋田県美郷町=は「足取りはとても軽やかで、突然の訃報が信じられない。一緒に山登りができたことが幸せだ。一生の思い出になった」と声を詰まらせた。


登山家・田部井淳子さん死去 77歳、女性初エベレスト登頂
 世界最高峰のエベレスト(8848メートル)に1975(昭和50)年、女性として世界で初めて登頂に成功した登山家の田部井淳子(たべい・じゅんこ)さん=三春町出身=が20日午前10時、腹膜がんのため埼玉県の病院で死去した。77歳。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は夫政伸(まさのぶ)氏。
 田部井さんは田村高、昭和女子大卒。「女子だけで海外遠征を」を合言葉に69年に女子登攀(とうはん)クラブを設立。35歳でエベレストに登頂した後も活発に海外の山に挑み続け、92年に女性で世界初の7大陸最高峰登頂を果たした。これまで70カ国以上の最高峰・最高地点を制覇。95年に内閣総理大臣賞を受賞した。
 生前、「自分は登山家ではなく、あくまで登山愛好者。自分にとって登山は職業ではなく大きな趣味の一つ」と語り、世界的な名声を得た後も自然体を貫き、山岳環境保護の啓蒙(けいもう)活動などに力を注いだ。
 2009年には子育てや仕事などで忙しい若い世代の女性たちにも山や自然に親しんでもらいたいと20〜40代の女性のための山の会MJリンクを立ち上げた。
 07年に乳がん、12年に腹膜がん、14年に脳腫瘍を患い、闘病を続けながらも山に出掛け、歩みを止めることはなかった。
 昨年7月には、エベレスト登頂40周年の節目に合わせ、関係者を招いた「感謝の会」を都内で開催。「多くの人に助けられ、ここまできた」と振り返っていた。
 同じく昨年、功績のあった個人・団体を顕彰する福島民友新聞社の「第25回みんゆう県民大賞」のふるさと賞を受賞した。
 被災地復興に力注ぐ
 田部井淳子さんは東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後、本県はじめ被災地の復興に力を注いだ。「登山で培う勇気を復興につなげてほしい」と、被災した東北の高校生を対象とした富士登山イベントを主催したほか、避難生活を送る本県の被災者を招いたハイキングを企画するなど、「美しい自然あふれる古里への思い」を胸に、被災地を元気づける活動に積極的に取り組んでいた。


鳥取県中部地震/引き続き揺れへの警戒を
 鳥取県中部の倉吉市など3市町で震度6弱を観測する地震が起きた。
 揺れは広範囲に及び、兵庫県内でも豊岡市や姫路市など5市町で震度4、神戸市などで震度3を記録し、けが人が出た。
 4月に熊本地震が発生したばかりだ。地震の活動期に入っているとの見方もある。地震への備えを再点検したい。
 鳥取ではその後も震度1以上の有感地震が続発している。気象庁は今後1週間ほど、同じ程度の地震の可能性があると警戒を呼びかけた。
 熊本地震では震度7の地震の2日後に再び震度7の揺れが襲った。最初の揺れで持ちこたえた家屋が本震で倒壊した例もあった。損壊している建物には近づかないなど、安全確保に努めてほしい。
 今回の地震は活断層が確認されてない地域で起きた。地表に現れていない活断層が動いた可能性もある。
 ただ、周辺は地殻にひずみが集中し、地震活動が活発な地域だ。1943年にはマグニチュード(M)6級の地震が連続し、その半年後にM7・2の鳥取地震が起きて千人以上が亡くなった。2000年には鳥取県西部地震(M7・3)があった。今回は地盤が押される力で水平方向にずれた「横ずれ断層」の地震とみられている。
 いずれにしても活断層がないとされていた地域でも地震が発生する恐れがあることを認識しておきたい。
 一方、今回の地震では、遠く離れた場所でも高層ビルなどをゆっくりと大きく揺らす「長周期地震動」が観測された。
 高層ビルであれば、鳥取県中部で「立っているのが困難」の階級3、兵庫県や大阪府などで「物につかまらないと歩くのが難しい」階級2を観測、長野県なども「ほとんどの人が揺れを感じる」階級1だった。
 高層マンションなどが増えているが、長周期地震動は震源地から離れていても長い時間にわたり影響が及ぶ。対策を強化する必要がある。
 被災地では、住宅の屋根瓦が落ちたり、壁が崩れたりし、傷痕は深い。繰り返される余震への不安も大きく、屋外や避難所で過ごす住民はまだ多い。鳥取県は物資の支援を本格化させ、兵庫県もブルーシートを現地に届けた。
 一日も早く日常生活を取り戻せるように、支援の手を差し伸べたい。


住宅被害届け1500件超、鳥取 震度6弱の3市町
 鳥取県中部の地震で、震度6弱を観測した倉吉市、湯梨浜町、北栄町に「家屋の被害があった」とする住民からの届け出が計1500件を超えたことが23日、3市町への取材で分かった。市町側は実態を調べた上で被害棟数を県に報告する。
 3市町によると、住宅被害の届け出は倉吉市が約1300件、湯梨浜町で約170件、北栄町で約90件。大半は瓦屋根が崩れるなどの一部損壊とみられる。
 被災した自治体では23日、公的支援を受けるために必要な「全壊」「半壊」などを判定する罹災証明書発行に関する手続きも始まった。


[鳥取震度6弱] 地震列島の怖さ改めて
 4月に起きた熊本地震を思い起こした人も少なくあるまい。地震列島の怖さをあらためて証明したということだろう。
 鳥取県でおととい、最大震度6弱の地震が発生し、関東から九州にかけての広い範囲で揺れを観測した。
 今後1週間ほど同程度の地震が起きる可能性がある。最大限の警戒が必要だ。
 気象庁によると、震源地は鳥取県中部で、震源の深さは約11キロだった。地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.6と推定されている。
 強い揺れで住宅の損壊などが相次いだ。交通機関も乱れ、九州新幹線も下りが遅れるなど影響が出た。けが人も出ている。倒壊しそうな家屋には近づかないなど、身の安全を守る必要がある。
 運転停止中の島根原発(松江市)や、3号機が営業運転している伊方原発(愛媛県伊方町)に異常は見つかっていない。安全対策に万全を期してもらいたい。
 避難所などで過ごす住民の不安は大きいだろう。車中泊をした被災者もいる。関係機関などが連携し、住民の健康面などきめ細かな支援をしてほしい。
 鳥取県庁に設置された災害対策本部には、熊本県の職員が応援に駆け付けた。熊本地震で受けた支援への恩返しだが、こうした広域的な協力も欠かせない。
 中国地方の北部は、日本列島を南から押すフィリピン海プレート(岩板)などの影響を受け、地震を起こすエネルギーとなるひずみが蓄積しやすいとされる。
 震源付近は「山陰地震帯」とも呼ばれ、普段から地震活動が活発な地域である。
 昨年10月ごろからM4級の地震などが起きるようになり、先月ごろから再び活発化していた。
 今回の地震は熊本地震と違い、地表に現れていない地下の活断層が動いた可能性があるという。
 知られた活断層がないところでも、この程度の地震は起きるということだ。専門家は、さらに大きな地震が発生することもありうると警鐘を鳴らしている。
 周辺で過去に大きな地震が発生していることにも留意したい。
 1943年の鳥取地震(M7.2)、2000年の鳥取県西部地震(M7.3)だ。
 日本は地震大国である。いつどこで起きるか分からない。
 普段から家具を固定したり、非常用の食料を確保したりしておきたい。いざという時に避難できるように、防災用品などを準備し、家族と避難場所を確認しておくことも必要だ。


鳥取・地震 避難者の体調不良が増加 住宅被害346棟 
 鳥取県で最大震度6弱を観測した地震で、県内では23日午後7時時点で655人が避難を続け、一部破損を含めた住宅被害は346棟に上った。避難生活が続いて体調不良を訴える人が増えつつあり、医師の巡回診察が始まった。被害が大きかった県中部で雨が予想されたため、土砂災害を心配する声も上がった。気象庁によると、県内では25日に雨が予想されている。
 三朝(みささ)町の町総合文化ホールでは23日朝、避難中の女性(90)が転倒し、右脚骨折の疑いがあるとして病院に搬送された。町によると、女性は元々血圧が高く降圧剤を服用していた。避難所で2晩を過ごすうちに気分が悪くなり、この日帰宅しようとしていた。
 倉吉市と湯梨浜(ゆりはま)町、北栄町では、支援に駆けつけた長崎県医師会や鳥取県医師会の医師3人が避難所14カ所を巡回した。倉吉市立成徳小学校に避難中の山本和則さん(68)は脳梗塞(こうそく)を3度経験しており、松田隆・鳥取県中部医師会長(58)の診察を受けて血行が滞るのを防ぐため手足をよくもむよう指導された。「この生活がいつまで続くのか。元通りの暮らしに戻れるか心配だ」と漏らした。
 県中部では23日朝に弱い雨が降った。自宅の石垣2カ所が崩落したという倉吉市の女性(69)は「最近はバケツをひっくり返したような雨が降ることもある。これからの天気が心配です」と話した。市内では、破損した屋根をブルーシートで覆う作業を急ぐ住民らの姿が見られた。【小野まなみ、園部仁史、釣田祐喜】


中越地震12年 被災地の未来図どう描く
 夕闇に包まれた大地を激しい揺れが幾度も襲い、68人の尊い命が失われた中越地震から23日で12年となった。
 追悼式典に合わせ小千谷市では、中越地震のほか、中越沖地震、阪神大震災、東日本大震災、今年4月に発生した熊本地震の犠牲者を追悼する「白菊」の花火5発が打ち上げられるという。
 犠牲者を悼むとともに、地震の記憶を風化させないという思いを改めて共有したい。
 マグニチュード(M)6・8、最大震度7の中越地震は中山間地に甚大な被害をもたらした。生活基盤を失い、最大10万人超が避難生活を余儀なくされた。
 県や被災自治体が特に配慮したのが、地震前のコミュニティーの維持である。避難所や仮設住宅への入居は集落単位とした。
 復興基金を設けて、雇用や産業、住宅などの支援に充てた。復興支援員制度を導入し、集落と行政を結んだ。
 こうした新潟ならではの試みによって、住宅再建や集落の再生といった復興への歩みを着実に進めてきたと言っていい。
 そこで得られた知恵や教訓は、東日本大震災や熊本地震などの被災地でも生かされている。
 だが、中山間地の復興の成功例とされてきた被災地は、大きな課題に直面している。
 人口減と高齢化だ。地震を契機に外部との交流が増え、活性化した集落があったのは確かだ。
 ただ、もともと過疎と高齢化が進行していた地域である。交流人口が増えたとはいえ、その傾向に歯止めは掛からなかった。
 若い担い手が育っている地域がある一方、行事などに取り組もうとしても、住んでいるのは高齢者ばかりで、集落の維持さえ心配される所もある。
 外部から訪れる人たちも、歳月の経過に伴って減少傾向にあるのが現実だ。
 復興基金はほぼ運用を終え、2017年度まで延長された復興支援員制度も、その後の扱いは決まっていない。
 問われているのは、被災地の未来図をどう描いていくかだ。そのためにも、地域の魅力を全国に発信し続けたい。
 多くの人が足を運んだのは、被災地というだけでなく、地域固有の魅力や心地良さを感じ取ったからに違いないからだ。
 被災地は豊かな自然だけでなく史跡や食など多くの宝がある。各地域が手を携えることで、交流人口はもとより、定住人口の増加につながる可能性がある。
 同時に求められているのは、ハード面での復興が進み中越地震の風化が懸念される中、教訓や知恵を次世代にどうやって継承していくかだろう。
 全国で大規模な地震が相次いでいる。鳥取県でも先日、震度6弱の地震があった。県内は活断層が密集している地域の一つとされ、M7〜8級の大地震が差し迫っているといわれる。
 災害はいつ、どこででも起こり得るという意識と、万全の備えを心掛けたい。


中越地震教訓に被災地への支援考える会議 新潟 長岡
68人が犠牲となった新潟県中越地震から23日で12年となります。大きな被害を受けた新潟県長岡市では22日、大規模災害の被災地への支援を考える会議が開かれました。
これは、12年前の中越地震の際、避難所の運営にあたった、NPO法人やボランティアなどで作るネットワーク「チーム中越」などが企画したもので、熊本地震の被災地の自治体の関係者も参加しました。
会議ではこれまでの活動の成果や課題について意見が交わされました。この中で、チーム中越の代表者は「中越地震のあと、はじめは各団体がそれぞれ活動していたが、行政が関わり始めたことで団体どうしが連携し、協働型のボランティアセンターの仕組みを作ることができた。これで全国の被災地へ出かける機動力も高まった」と報告しました。
また、国や県などが設ける復興基金について、地元の大学教授が「被災者のニーズは年を追うごとに変わるので、当初から使いみちをすべて決めてしまうのではなくある程度柔軟に使えるお金も必要だ」と訴えていました。自治体や大学などで作る中越防災安全推進機構の稲垣文彦さんは「12年前のことを思い起こしながら、熊本など被災地への支援を続けていきたい」と話していました。


新潟県中越地震から12年 他の被災地にエールも
 68人が亡くなった新潟県中越地震から12年となった23日、県内各地で追悼などの関連行事があり、参加者らは被災の記憶に向き合うとともに犠牲者に祈りをささげた。他の地震などの被災地にエールを送る人もいた。
 一時全村避難となった旧山古志村(長岡市)では中越地震が発生した午後5時56分から追悼式典が開かれ、慰霊のキャンドルがともされる中、約500人が黙とうした。
 泉田裕彦知事も出席。知事就任の2日前、震災に見舞われたことを振り返り、記者団に「本当に大勢の人に支援してもらった12年間だった。中越地震の体験が(各地の)被災者の道しるべになった」と振り返った。


中越地震12年 伝える体験 広がる輪
 中越地震から12年となるのに合わせ、4月に発生した熊本地震の復興に関わる専門家と、中越地震復興に携わった有識者らが22日、長岡市で意見を交換した。中越で得た教訓を振り返りながら、「柔軟な復興基金の運用が必要だ」「コミュニティーを残した復興にしたい」などと被災地復興の在り方について議論を深め、今後の協力を確認した。
 長岡市民や団体で構成し、全国で被災地支援をしている「チーム中越」が、同市大手通2の「長岡震災アーカイブセンターきおくみらい」の開館5周年に合わせて企画。中越と熊本の関係者12人が「円卓会議」形式で話し合った。
 熊本地震では、発生直後からチーム中越が支援に入り、現在も長岡市の「山の暮らし再生機構」の復興支援員が、熊本県西原村の臨時職員として働き、中越の経験を基に住民を支えている。
 会議では、長岡造形大の平井邦彦名誉教授が、中越地震の復興に関し「地元の要望を細かく聞き取り、被災者と行政、支援者がうまく連携できた」と説明した。
 これに対し、西原村の内田安弘副村長は、集団移転などの住宅再建が課題と説明。中越の事例を参考に「住民1人1人の思いを聞くスタンスで、コミュニティーを残した復興にしたい」と話した。
 中越では復興基金を設立し、集落の祭り復活や神社の修復など税金での対応になじまないとされる分野を中心に支援してきた。
 中越防災安全推進機構理事長の中林一樹・明治大大学院特任教授は「わずかな人が必要とすることにでも基金を充ててきたのが、復興を下支えした」と強調。
 熊本でも基金は検討されているが、中越のように被災者のニーズに沿い、細かく運用できるかは微妙だという。長岡技術科学大大学院の上村靖司教授は、被災地のニーズは時間の経過とともに変わるとして、「基金のように柔軟に運用できるお金が必要だ」と指摘した。
 上村教授は「国の支援制度なども中越の復興期から変化してきた」とした上で「中越の経験を伝えることに加え、被災地にとって何が大事かを被災地同士がともに考えていくことも重要だ」と訴えた。


新潟県中越地震から12年 復興への祈り
 68人が犠牲になった新潟県中越地震の発生から23日で12年になる。被災地は犠牲者への鎮魂と復興への祈りに包まれている。
 2004年10月23日に最大震度7を観測した中越地震では、68人が死亡し、12万棟を超える家屋が被害を受けた。土砂崩れに母と子の3人が巻き込まれた長岡市妙見町の現場には23日朝、泉田県知事が訪れ、花を手向けた。ここでは、当時2歳の男の子が救出されたものの母親と3歳の姉は犠牲になった。
 泉田知事「震災によって助かる命をいかに助けるかということ、次の世代にどう引き継いでいくかということ、これが大きな課題だと思っています」
 中越地震が発生した午後5時56分には、被災した各地で黙とうがささげられる。


熊本地震 被災した詩人で画家・大野勝彦さん、山古志住民らと親睦 「親近感が増し、思い強くなる」 /新潟
 4月の熊本地震で被災した詩人で画家の大野勝彦さん(72)が22日、中越地震から12年を迎える長岡市山古志地域を訪れた。大野さんは「自分も被災して山古志への親近感が増し、被災地への思いが強くなった」と住民らと親睦を深めた。
 大野さんは27年前に事故で両腕を失ったのを機に義手で水墨画を描き続けている。同県南阿蘇村に「風の丘阿蘇大野勝彦美術館」を開設していたが、地震で敷地が崩落。その後の大雨で道路が失われ閉館に追い込まれた。
 昨年亡くなった山古志闘牛会会長の松井治二さんと親交があり、地震後に闘牛会などが義援金を集めた。お礼もかねて訪れた大野さんは、交流施設「郷見庵」で熊本の被害状況を写真で紹介し、周辺をスケッチした。闘牛の「天の風浜街道」号を描いた絵には「治二父さん 私がみんな見てるよ あなたの心が今も受け継がれているよ 浜街道 十二年です」と添えた。
 山古志地域と交流する福島県飯館村から贈られたブナの苗木の植樹作業にも参加。闘牛会会長の松井富栄さん(34)は「被災地同士がつながり教訓が受け継がれ記憶を風化させないことにつながれば」と話した。
 この日は、同市の震災アーカイブセンター「きおくみらい」で、熊本地震で被災した同県西原村の関係者や、長岡市から支援活動する関係者らが出席した円卓会議が開かれた。熊本の現状報告と中越地震からの復興を振り返り、今後の復興や支援のあり方を議論した。【金沢衛】


核廃絶と日本 「橋渡し役」に期待する
 「核なき世界」の実現に向けて、今こそ日本の役割が問われている。
 オーストリアやメキシコなど30カ国以上が、核兵器禁止条約の早期締結を目指して、2017年から交渉を開始するよう求める決議案を国連総会の第1委員会(軍縮)に提出した。核保有国(米露英仏中)は反対しているが、非核保有国には賛成する国々が多く、決議案は11月初めまでに採択される可能性が高い。
 日本は、核軍縮は核保有国と非核保有国が協力し、段階的に進めるべきだという考えで、禁止条約には賛同していない。今のところ決議案に「賛成」「反対」「棄権」のいずれで臨むか明らかにしていない。
 だが、日本は唯一の戦争被爆国として、核保有国と非核保有国との「橋渡し役」を務めると言ってきた。禁止条約の交渉に建設的に関与し、核保有国と非核保有国の溝を埋めるよう努めるべきだ。
 米国は、禁止条約の交渉開始に強く反対している。理由として、核抑止の観点から安全保障を損なうリスクがあることや、米露英仏中のみに核保有を認めた核拡散防止条約(NPT)体制を損なうこと、核保有国の協力がなければ核兵器の削減につながらないことを指摘している。
 米国などは、決議案の採択を阻止しようと切り崩し工作を展開しているようだ。だが、こうした工作や日本の投票行動にかかわらず、決議案は採択されると見られている。
 決議案には、17年の3月と6〜7月の2回に分けて、国連本部で交渉のための会議を開くことが明記されている。これに沿って交渉が始まることになるだろう。日本は、決議案に反対すべきではない。
 非核保有国の中で、日本と同じく米国の「核の傘」に依存し、段階的な核軍縮を求めている豪州、カナダ、ドイツなども、禁止条約の交渉開始に反対姿勢を強めている。日本の立場はいっそう苦しくなっているように見えるが、同時にその役割はさらに重みを増していると言える。日本の外交努力に期待したい。
 一方、これとは別に、日本は23年連続となる核兵器廃絶決議案を第1委員会に提出した。年限を切らずに将来の全面的な核廃絶を目指すもので、NPT体制を強化し、段階的に核軍縮を進めようという内容だ。
 日本の核廃絶決議案は毎年採択されているが、昨年は米英仏が棄権し、中露が反対した。米国が賛成しなかったのはオバマ政権では初めてで、決議案が核兵器の「非人道性」に言及したことを、警戒したためとされる。今年の決議案も「非人道性」に触れている。「核なき世界」を提唱した米国はもちろん、5核保有国の賛同を得て採択されるよう望む。


原発「3度目の住民投票」 新潟知事選 何が起きた
 新潟県に二十五日、東京電力柏崎刈羽原発(柏崎市、刈羽村)の再稼働に反対する知事が誕生する。先の知事選で、共産、自由、社民三党の推薦を受けた米山隆一氏(49)が、自民、公明両党推薦の候補に約六万票差をつけて初当選した。新潟の有権者はなぜ、再稼働反対派を選んだのか。 (山口哲人)
■自分の問題
 「知事選は再稼働の是非を問う『住民投票』の性格を帯び、県民が意思表明できる機会となった」。刈羽村の市民団体「原発反対刈羽村を守る会」メンバー武本和幸さん(66)はこう振り返った。
 新潟県では過去二回、原発を巡る住民投票が行われた。一九九六年には東北電力が巻町(現・新潟市西蒲区の一部)に計画していた巻原発の建設、二〇〇一年には柏崎刈羽原発へのプルサーマル導入の是非が問われた。いずれも反対派が勝利し、東北電と東電は計画の撤回に追い込まれた。
 今回の知事選は、原発をめぐる「三度目の住民投票」という意味合いがあった。過去二回は原発が立地する町村だけが対象だったが、今回は県内すべての自治体の住民が対象。反対が上回った背景には東電福島第一原発事故があると、武本さんは指摘する。
 コメどころの南魚沼市では、事故後の一時期、放射線量が急上昇した。福島県から避難してきた約三千人は、今も新潟県内で暮らす。「原発は自分の問題だと感じる人が増え、知事選の結果を左右した」
■脱原発鮮明
 党内に再稼働を容認する議員を抱える民進党が自主投票となり、皮肉にも米山氏は脱原発を鮮明にすることができた。「市民連合@新潟」の共同代表を務める佐々木寛・新潟国際情報大教授(政治学)は「米山陣営は遠慮なく再稼働反対を主張でき、無党派層に浸透できた」と分析する。
 佐々木氏はこうも指摘する。「県民は原発を危険というだけでなく、中央の押し付けと感じた」
 新潟県内に電力を供給するのは東北電力だ。柏崎刈羽原発は一二年以降、運転を停止しているが、もし再稼働しても、電力は首都圏向けに提供される。東電が政府と二人三脚で再稼働を急ぐ姿は、中央の押し付けに映ったとみる。
■戦略のミス
 自公が推薦した前長岡市長の森民夫氏(67)の陣営は、中央との関係を前面に打ち出した。投票前日に、地元紙に出した選挙広告で「国から見放されない新潟県を!! 国との太いパイプをもつ新潟県を!!」と強調。森氏は街頭演説で「国とパイプがあるから(再稼働を巡っても)厳しいことも言える」と訴えた。
 自民党の伊吹文明元衆院議長は投開票後の派閥会合で、知事選応援で新潟入りした際に、県民から言われた話を紹介した。
 「東京から来る偉い人(応援弁士)は中央とのパイプを話し、俺たちに入れないと損だという利益誘導みたいな印象を与え、非常に不愉快だと言われた。一般の人の九十九パーセントはこういう感覚なんだと気付いた」


廃炉費負担、原発事業者に責任…新電力は除外へ
 経済産業省は、運転を終了した原子力発電所を解体する廃炉費用について、原則として、大手電力などの原発事業者に自ら工面させる方針を固めた。
 電力の小売り自由化で参入した新電力には負担させない。廃炉費用は現在、国が認可する規制料金となっている大手電力の小売料金に上乗せされている。規制料金が廃止される2020年以降の完全自由化を見込み、負担方法が焦点となっていた。
 電力事業の規制緩和について議論している経産省の有識者会議が年内にまとめる報告書に盛り込まれる見通しだ。
 原発を解体して安全な状態にする廃炉には、1基あたり300億〜800億円規模の資金が必要となる。原発を運転する事業者は、廃炉作業のために「原発施設解体引当金」の積み立てが法令で義務づけられている。大手電力は利用者から小売料金を通じて徴収しているが、規制料金が適用されない新電力の利用者は負担していない。


調査は不十分の声 豊洲専門家会議では食の安全は守れない
“消えた盛り土”問題がくすぶる豊洲新市場。都官僚の隠蔽を暴き、都庁のガバナンスを正すのは必須だが、そもそも、根本的な問題は豊洲の土壌が本当に「安全なのか否か」である。そこがハッキリしなければ、“開場”“白紙”の判断もつけようがない。ウヤムヤな状態が長く続けば、市場関係者の不安は募り、都民の「食の安全」も宙に浮いたままだ。
 ところが、土壌の安全性を審議する「専門家会議」が頼りない。15日の第1回会議をネットで見た畑明郎氏(日本環境学会元会長)は、「調査が不十分」と切り捨て、こう指摘する。
「専門家会議は、地下空間のたまり水について、人体に悪影響を及ぼすニッケルや亜鉛などの金属類の汚染度や、アンモニア、亜硝酸性窒素などの有機物の汚染度の調査を行っていません。私の独自調査では、金属類の汚染度はきれいな水の20倍もの値でした。平田健正座長は『水道水並み』と言っていましたが、強アルカリ性なので、飲んだら口内が焼けただれてしまいます。こんな不十分な調査では、安全宣言はとても無理でしょう」
■国の指針値の7倍もの水銀検出にも「原因不明」
 さらに問題なのは、15日の会議で“入場制限”が行われたことだ。
「07年5月発足の“最初の”専門家会議では、一般傍聴者も入場でき、発言することも可能でした。しかし、今月15日の会議で入場が許されたのは市場関係者だけ。調査が不十分なこともあり、指摘したいことは山ほどあります。市場関係者以外にも門戸を開くべきでしょう」(畑明郎氏)
 青果棟の地下空間の大気から、国の指針値の7倍もの水銀が検出されたことについて、専門家会議は「原因不明」と言っていたが、畑氏は「東京ガス工場稼働時の石炭が原因と考えられる」と断言。不安がますます募るばかりである。


中国"慰安婦"歴史博物館、開館へ
 上海市にある上海師範大学の構内に設置された中国"慰安婦"歴史博物館が22日、開館しました。
 同じ日、博物館の正面に、"慰安婦"を象徴する中国人と韓国人の少女2人の像の除幕式も行われました。除幕式には、慰安婦だった90歳の中国人女性・陳連村さんと88歳の韓国人女性李容洙(イ・ヨンス)さんが参加しました。
 博物館では、この数十年来、慰安婦問題を研究する関係者らが集めた資料や実物遺物などが展示されています。
 上海師範大学中国"慰安婦"問題研究センターの蘇智良教授は「被害者らの証言や博物館で所蔵されている歴史資料や物証などからも分かるように、"慰安婦"制度は日本が第二次世界大戦期間中に犯した国家レベルの犯罪であり、人権違反の行為だ」と指摘しています。
 蘇教授によりますと、当時、日本軍が中国全土で設置した慰安所は1000カ所以上で、上海だけで149カ所ありました。各国の40万人余の女性が日本軍の性的奴隷となり、その半分は中国人女性、現在生きているのはわずか19人しかいないということです。(藍、kokusei)


鳩山元首相「とても許せない言葉だ」 機動隊員の「土人」発言を批判
 【横浜】沖縄県内外の有識者らでつくる「東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会」の第2回公開シンポジウム「東アジア共同体と沖縄の未来」が22日、横浜市内の神奈川大学で開かれた。会員や市民ら約70人が参加し、登壇した研究者らの報告に聞き入った。
 同研究会名誉顧問で東アジア共同体研究所理事長の鳩山由紀夫元首相は、沖縄県東村高江周辺の米軍ヘリパッド建設に関して「政府が県民の意思に反して強引に工事を進めている」と批判。県外から派遣され、現場で警備している機動隊員らによる差別的発言については「感情的な高ぶりから出てきてしまったかもしれないが、とても許せない言葉だ。ここにも差別されている沖縄の現状がある」とした。
 「東アジアにおける琉球独立の可能性」と題して基調講演した龍谷大の松島泰勝教授は、近年のグアムの独立運動の活発化には在沖海兵隊のグアム移転が大きく影響していると指摘。「東アジアにおける日米同盟体制の強化策として海兵隊移設や軍事機能強化という植民地主義から解放されるための政治的選択肢として展開されている」と、沖縄と同様に自己決定権の行使を訴えるようになっていると説明した。
 東京造形大の前田朗教授は「沖縄(琉球)は植民地的状況だとか、国内植民地だと議論されることがあるが、植民地そのものだと認識している」と論じた。植民地支配を終わらせるためには、「琉球人民の自己決定権をより効果的に発揮できるようにしていくかの議論が必要だ」とした。


差別発言に抗議 沖縄県議会、機動隊撤退要求へ
 米軍北部訓練場のヘリパッド建設の抗議現場で、県外機動隊員が「土人」「シナ人」などと発言したことを受け、県議会の与党3会派は発言に対する抗議と共に、機動隊の撤収を求める決議を提案する方針を決めた。委員会での審議を経て、早ければ28日の臨時会での採決を視野に入れている。県議会は与党が過半数を占めているため、野党や中立が反対に回ったとしても、賛成多数で可決される公算が大きい。
 21日に与党3会派の代表者が集まり、提案を確認。これを受け、警察行政を所管する県議会総務企画委員会の渡久地修委員長(共産)が野党や中立会派に対し、25日にも委員会を開き審議することを打診した。
 総務企画委が開けない場合は、議員定数の4分の1以上で臨時会を招集できる規則に基づき開会を請求し、決議を提案することも検討する。
 北部訓練場のヘリパッド建設を巡って県議会は7月、建設中止を求める抗議決議を与党の賛成多数で可決している。


公明陸上案検討 県本は国外・県外移設貫け
 公明党の在沖米軍基地調査ワーキングチームが米軍普天間飛行場問題の解決策として、キャンプ・シュワブやキャンプ・ハンセンの施設内に移す陸上案を検討材料の一つに挙げていることが分かった。

 正式な議論はこれからのようだ。仮に陸上案が採用されれば、県本が掲げてきた国外・県外移設推進という公約との整合性が取れなくなる。有権者への十分な説明責任が必要だ。
 チームは党の国会議員や県本の県議らで構成されている。党本部は辺野古移設推進の立場で、県本との間でねじれが生じている。
 県本は1999年11月、当時の稲嶺恵一知事が辺野古移設の当初案を15年使用期限などの条件を付けて容認した際には「県内移設は原則的に反対だが、知事の苦渋の決断を重く受け止める」とするコメントを出し、移設容認の立場を取っていた。
 2009年8月の衆院選で、民主党政権が誕生し、当時の鳩山由紀夫首相が「最低でも県外」と表明し、辺野古移設計画を見直す考えを示した。この時期に公明県本も県内移設に反対し、国外・県外移設推進の姿勢に変わった。そして現在まで、この姿勢を堅持している。
 13年には県外移設を公約に掲げていた自民党の県選出国会議員と県連が党本部からの圧力で辺野古容認に転じたが、公明県本の姿勢は一切揺らぐことはなかった。
 この年の9月、県本は基地問題プロジェクトチームを設置し、県外移設や日米地位協定の抜本改定などを求める政策要求を論理的に構築した。12月には当時の仲井真弘多知事に対し、辺野古移設の埋め立て申請を承認しないよう求めている。このため知事が承認した際、県本は「県民への裏切り行為だ」と厳しく批判した。
 金城勉代表は幹事長時代に国外・県外移設を貫く理由について「沖縄に基地を押し込めようとする権力に沖縄は断じてノーと言うべきだ。ウチナーンチュの魂の叫び、権力に対する抵抗の意思だ」と説明している。県本の意思の強さが表れている。
 チームが検討材料の一つに挙げている陸上案は、沖縄に基地を押し込める案であり、県本が貫いてきた方針と相いれないはずだ。結論が陸上案になれば、県民への裏切り行為と見なされても仕方ない。県本はチームに対し、国外・県外移設を強く主張する必要がある。


「爆買い」の次は「爆留学」!? 東大に中国人学生が殺到する理由
報われない社会で暮らすよりは
中島 恵
中国人の若者が、日本へ「爆留学」を続けている。いったい彼らは何を求めて日本に来るのか――。留学生に丹念に取材をし、『中国エリートは日本をめざす』(中公新書ラクレ)を上梓したジャーナリストの中島恵氏に聞くと、彼らの事情から、現代中国の「いま」がリアルに見えてきた。
あまりに過酷な受験事情
あまり知られていませんが、東京・大久保には、日本の大学や大学院を目指す中国人向けの予備校があります。そこに通っている学生はいまやなんと1200人超。そのなかの一人、河北省出身の18歳の女の子は早稲田大学が第一志望ですが、彼女は日本に留学することについてこう言っていました。
「私の田舎の村でも日本の早稲田はすごく有名です。もし早稲田に留学できたら、私、中国ですごく自慢できます」
この予備校や女の子の言葉が示しているとおり、中国人学生の日本への留学は非常に盛んで、’15年の東京大学への中国人留学生は、前年より89人増えて989人。割合は留学生全体の43%にも上ります。
なぜ彼らが日本に来るのか、その事情を取材していくと、現代中国の若者の生き方、彼らが抱える問題などが浮き彫りになり、そこから中国社会の現状が見て取れることがわかったのです。
中国の大学入試制度をご存じでしょうか。中国では年に一度、全国で一斉に「高考(ガオカオ)」という大学入試が行われます。完全なる一発勝負です。高校生たちはこの日に向けて猛勉強をします。私が聞いただけでも一日10時間勉強する高校生なんてザラです。
家族や周囲がそれを応援する雰囲気も強く、遅刻しそうな学生をパトカーが会場まで送ったとか、試験のことを考えて、父親が亡くなったのにその事実を2週間も受験生の娘に伏せていたとか、そうしたエピソードには事欠きません。
中国の若者が日本の大学を目指すのは、こうした逸話に象徴されるように、国内での大学受験の競争があまりに激しいからです。人口の多い中国は、タクシーを捕まえるのも競争(横入りは当たり前)、飛行機のチケットを買うのも競争(友達に頼んで一緒にとってもらう)と、まるで、社会に「競争」がデフォルトで設定されているような場所です。
あらゆるところに競争が溢れていますが、大学入試はその象徴的な存在といっても過言ではありません。ごくシンプルに言えば、一部の若者たちがその競争を嫌って、日本を目指しているのです。
はびこる「科挙」の歴史
――そんなに殺伐としているんですか……。どうしてそこまで受験競争が激しくなるんでしょう?
そもそも中国は、隋の時代から1400年の長きにわたってエリート官僚の選抜試験である「科挙」を実施してきた国で、学問、勉学を重視する姿勢は日本よりもはるかに強い。
いまでも、地域内で「高考」の点数がトップになった子は、科挙に由来する(!)「状元」という称号を与えられ、伝統的な服を着て地方の新聞の一面にデカデカと掲載されるのです。こうした伝統が、受験競争の基底にあるのだと思います。
また、多くの若者が大学を目指すようになったにもかかわらず、それほど大学が整備されていないのも競争が激しくなる要因ですね。大学は全体で2800校あるものの、そのなかで資金がふんだんに投入されている「重点大学」は80校のみ。’15年の試験では約940万人の高校生が試験を受け、この「狭き門」を目指しています。
しかも、一時より成長率は下がっているとはいえ、経済成長を続ける中国では、まだまだ立身出世主義が強く、いい学校、いい会社、いい人生という発想が生きています。
いきおい、数少ない重点校を目指して熾烈な競争が巻き起こるのです。日本も’70年代には「受験戦争」が問題になりましたが、現代の中国も似たようなフェーズにあるということです。
もっとも、激烈な競争ゆえ、中国の高校では部活動も恋愛も禁止されていて、いわゆる進学校の学生たちは、社会経験のない「受験秀才」になってしまっているという弊害もあるのですが……。
一人っ子政策で子供が甘やかされた影響もあって、登校する子供に親が付き添って、しかも鞄を持ってあげるとか、中高生の子供に親がものを食べさせてあげるとか、そんな子供が多くなっているという話はよく聞きます。激しい競争にさらされているのに軟弱……なんとも複雑な存在です。
努力が報われないなら日本に行く
――たしかに、そうした中国での苛烈な競争に比べると、日本への留学はずいぶん効率的でしょうね。
そうなんです。さらに言えば、中国社会のデフォルト設定である「格差」「不公平」も、大きく影響しています。「高考」には、地域ごとの格差が見受けられるんです。
大学の合格者数は、試験の段階で地域ごとに割り振られていて、たとえば北京大学は、北京市出身者は1000人取るのに、四川省からは50人しかとらない(数字は非公表)、といったことがありえ、地方の学生には圧倒的なハンデがあるのです。
どんなに努力しても報われない可能性があり、「だったら日本に行くよ」と考える学生も少なくありません。
――日本の「公平性」に憧れて、やってくるわけですね。
そうです。「競争を避けたい」という後向きな理由だけではなく、むしろ「日本に憧れて」という要因も大きい。中国の中高年インテリ層は「ジャパンアズナンバーワン」の時代をよく知っており、日本に対していいイメージを抱いています。
若者が日本へ留学することは彼らのその後のキャリアにとって大きなプラスになります。アニメや漫画を通して日本に憧れを抱いている学生も少なくありません。私の知り合いの中国人留学生には、漫画『ラブひな』(主人公が東大に合格した途端モテモテになる)を読んで東大を目指した中国人の男の子もいますよ。
中国の「ゆとり世代」
――優秀な人はアメリカに行くというイメージもあります。
もちろん、ものすごく優秀な学生は、アメリカのスタンフォード大やハーバード大に行きます。ですが、そこまでの頭脳は持たないけれど、そこそこ優秀で、ちょっとおっとり型の学生にとって、日本はある意味で、「一発逆転」「起死回生」の場になるんです。
また、先ほどの「立身出世主義」とは矛盾するようですが、日本で「ゆとり世代」と言われるのと同様、中国でも、上昇志向がそれほど強くない若者が増えています。90年代以降に生まれた「90后(ジウリンホウ)」と呼ばれる人たちですね。
私が取材したなかにも、プラモデルが大好きで、日本のおもちゃメーカーに就職した男の子がいますが、「好きなことをする」「上昇志向よりもやりがい」といった感覚を持つ彼のような若者にとって、日本は非常に「効率のいい」場所なんです。
アメリカに行くほど頑張らなくても、相応の成果が手に入る「いい湯加減」の場所とでも言うべきでしょうか。
――なるほど日本への中国人留学生は、ある意味で変化の時を迎えつつある中国の象徴なのかもしれませんね。
そうかもしれません。興味深いのは、日本では、「立身出世主義」→「ゆとり世代」と順を追って生じたように見える現象が、中国では同時期に現れていることです。中国では、一部の学生は国内で激しい競争に打ち勝つためがむしゃらに努力し、他方でサラリと日本へ留学をして、効率的に成功を収めようという学生もいる。
こうした、一見矛盾した特徴を持つものが同時期に現れるというのは、中国ではよくあること。その、様々なものを同じ土地に包み込んでしまう度量の大きさと桁違いのスケールこそが、中国の魅力だともいえるでしょう。

pdf整理/悲しいフランス映画/神社で秋祭り

ブログネタ
フランス語 に参加中!
わたせせいぞう阪急

Caen. Exposition sur le massacre de Nankin au Mémorial
Jean-Christophe LALAY
Une première au Mémorial de Caen, à partir de dimanche 23 octobre. Le musée caennais présente une exposition sur le massacre de Nankin en 1937. Elle a été réalisée par le Mémorial des victimes chinoises de Nankin et raconte un épisode tragique de la guerre sino-japonaise. Ce massacre de masse a fait entre 200 000 et 300 000 morts.
Six semaines de massacre en décembre 1937
Juillet 1937, le Japon envahit la Chine. En décembre 1937, l'armée japonaise s'attaque à Nankin, alors capitale de la République de Chine. La prise de la ville est suivie de six semaines pendant lesquelles les soldats japonais violent et exécutent des centaines de milliers de civils chinois. Des estimations vont jusqu'à 300 000 morts. Ce massacre d'une "violence sans précédent" selon Stéphane Grimaldi, directeur du Mémorial de Caen s'est déroulé sans réaction du haut commandement japonais.
Une exposition sur le massacre de Nankin : une première à Caen
Jamais en France, une exposition sur cet épisode dramatique de la guerre en Asie n'a été présentée en France. Le Mémorial de Caen est le premier musée à accueillir un tel événement. Le fruit d'une relation de plusieurs années avec le Mémorial des victimes chinoises du massacre de Nankin. Ce musée ouvert en 1985 a accueilli 8 millions de visiteurs en 1985.
L'exposition, présentée du dimanche 23 octobre au jeudi 15 décembre, a été spécialement conçue pour le Mémorial de Caen. Elle présente le massacre de Nankin à travers les témoignages des Occidentaux qui étaient présents dans la ville durant cet épisode tragique. Ils sont missionnaires, hommes d’affaires, diplomates, français, américains, allemands. Ils prennent des photos ou des films, écrivent dans les journaux. ≪ Et surtout, ils sauvent des milliers de Chinois, insiste Jianjun Zhang, directeur du Mémorial de Nankin. Pour nous, ce sont de vrais héros. ≫
L'ambassadeur de Chine à Caen, samedi 22 octobre
Samedi 22 octobre, à l'occasion du vernissage de l'exposition, les deux musées de Caen et de Nankin vont signer une convention de coopération en présence de l'ambassadeur de Chine en France. Elle se concrétisera par la création d'une exposition par le Mémorial de Caen sur le Débarquement, la bataille de Normandie et la libération de l'Europe. Une exposition qui sera présentée au Mémorial de Nankin. Les deux musées pourront aussi procéder à des échanges de collaborateurs.
フランス語
フランス語の勉強?
YAF ‏@yagainstfascis
「報道特集」。機動隊員による差別発言について金平氏は、「(差別発言)以上に問題なのは、差別的発言を本来は戒めるべき立場の大阪の松井知事が、こんなことを言っている…」と、松井知事による例の「出張ご苦労様」という、差別発言者へのねぎらい&擁護Twを紹介。

いろいろな資料をスキャンしてpdfにしているのですが,たまってきているので整理しました.そのときに今日フランス映画上映だと気がつきました.先週は伊丹から急いでせっかく行ったのに・・・
でも見てみるととても悲しい映画.涙が出てしまいそうです.
帰りに神社に近づくと秋祭りでした.お店がたくさん出ていて子どもたちがにぎやかです.

<大川小 還らぬ人へ>「命守る」親友に誓う
◎津波訴訟10月2日判決(8完)桐淵博さん
 「実直な姿が目に浮かぶ。あいつ、本当に子どもが好きだったんですよ」
 埼玉大教育学部教授の桐淵博さん(63)=埼玉県伊奈町=が、「いちばんぼし」と書かれた黄色い冊子を手に涙を浮かべた。
<現場主義を貫く>
 A3判の冊子には、2009年度、10年度の宮城県石巻市大川小の学級通信がとじられている。児童74人とともに津波の犠牲となった教諭佐々木祐一さん=当時(57)=が書いたものだ。
 佐々木さんの妻(59)が、思い出の品々が流されてしまった遺族のためにできることはないか、と自宅にあった学級通信を製本したという。
 桐淵さんが、共通の教え子から佐々木さんの死を知らされたのは11年3月下旬。「亡くなった」という言葉以外、ショックで思い出せない。
 佐々木さんは東京学芸大の1年後輩だった。都心にある古ぼけた学生寮で毎晩、酒を酌み交わし、教育、政治、社会問題について議論した。
 「子どもたちといたい」と佐々木さんは昇進試験を断り続けた。現場主義を貫く一方、授業の進め方を考える「明日見(あすみ)の会」を約30年前に立ち上げ、石巻地方の後進の育成にも力を入れてきた。
 「自分の出世は二の次。とにかく子ども第一でした」。桐淵さんは親友の死を悼む。
 佐々木さんが受け持っていた大川小の3年生20人のうち、17人が津波の犠牲になった。うち2人は今も行方が分からない。
 子ども第一だった先生が、なぜ子どもたちの命を守り切れず、一緒に亡くなってしまったのか−。
 「あの日」からずっと、桐淵さんは重く苦しい問い掛けを自らに課してきた。
<「悲劇」から学ぶ>
 13年3月以降、教員を目指す学生と年2回、大川小を訪れている。津波被害の爪跡が残る校舎を目にした学生たちは「自分だったら子どもたちを守れただろうか」と恐怖感に襲われるという。
 現在の教員養成課程は、いかに分かりやすく各教科を教えるかという技術論が中心だ。子どもの命を守るため、教員として適切な判断力を養うコースは皆無に等しい、と桐淵さんは問題提起する。
 「元気に『行ってきます』と家を出た子を、元気に『ただいま』と帰すことが学校の責務。親元から離れている間、教員は子どもの命の守護者でなければならない」
 桐淵さんが学生に繰り返し説いてきたのは、現在の教員養成過程に抜け落ちた視点がある、と感じるからだ。
 「津波に巻き込まれる瞬間、あいつは本当に悔しかったはずだ。同じような悲劇が再び起きたとすれば、亡くなった子どもたちに言い訳できない」
 大川小の「悲劇」から目をそらさず、学び続ける。それが亡くなった子どもたちと親友の供養になる、と桐淵さんは信じる。
          ◇         ◇         ◇
 児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。東日本大震災から5年7カ月、片時も忘れ得ぬ「還(かえ)らぬ人」へ−。原告や遺族関係者の思いを伝える。(石巻総局・水野良将、報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


<災害公営住宅>にぎわい再生 店舗共同ビル完成
 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市南町に21日、複合施設「夢コモンズ」が完成した。「共同化事業」と呼ばれる災害公営住宅と店舗を組み合わせたビルで、市中心部のにぎわいを回復させるのが狙い。複合施設が完成するのは市内4カ所のうち3カ所目となる。
 かさ上げされた内湾地区土地区画整理事業区域に完成。鉄筋6階と4階の2棟、延べ床面積は計3870平方メートルで、1階にかまぼこ店と工場、デイサービス施設、事務所2店、多目的室があり、2階以上は災害公営住宅36戸と地権者の住宅1戸が入る。
 南町は市内最大の飲食店街や住宅があったが、津波でほぼ全壊。震災後、地権者らは街に人口を確保してにぎわいを再生させようと共同化事業によるビル建設を選んだ。事業費は16億円で、災害公営住宅部分は市が買い取った。
 完成式典で事業主体となった合同会社の村上力男代表社員(75)は「復興途上の街にいち早くビルができて、にぎわいづくりの弾みになる」と笑顔を見せた。


河北抄
 東日本大震災を受けて、仙台市太白区のあすと長町地区に整備された仮設住宅の解体作業が今週、始まった。仮設の利用開始から約5年半。わずかではあるが、当初の曲折を知るだけに感慨深い。
 市の初動は早かった。震災翌日の3月12日、土地を所有する都市再生機構に建設用地の提供を求めるなど整備に向けて動きだしていた。それからひと月。入居者募集で「申し込み殺到」と思われたが、予想に反して応募は低調だった。
 受付期間の8日間でたったの3件。「10世帯以上の団体」とした入居条件が敬遠された形だ。「孤立や閉じこもり、孤独死を防ぎたい」という市、とりわけ奥山恵美子市長の配慮からだったのだが。
 入居が進むと不満が噴出する。風呂の追いだき機能の追加といった対応を迫られた。取材した70代の女性が「隣の話し声が聞こえるし、屋根の雨音もうるさいのよ」と言っていたのを思い出す。
 仮設の解体は被災世帯が再建に向けて歩んでいる証し。災害が起きないに越したことはないが、仮設住宅整備に至るノウハウはしっかりと積み上げたはずだ。


被災地で「みらい造船」起工 19年春稼動
 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の造船会社4社が設立した「みらい造船」の新たな造船団地の起工式が21日、同市朝日町の現地であった。市が造成する新しい工業用地に集約移転して2019年4月の稼働を目指し、国内の漁船漁業を支える。
 式には国や県、市の関係者ら約120人が出席。みらい造船の木戸浦健歓社長が「うれしい思いとともに責任も感じる。震災から苦労はあったが、4社の合併やたくさんの支援を力にしながら、会社名の通り『みらい』が感じられる造船所に育てたい」と述べた。
 造船施設は、市が国の津波復興拠点整備事業を活用して用地買収と造成をする敷地4.1ヘクタールに建設。国内で3例目となるリフトで船舶を引き入れる「シップリフト方式」を導入する。従来より効率的な建造や修繕が可能となり、約200トンのサンマ漁船を10隻同時に作業することができる。
 事業費は105億円。うち70億円は国土交通省の補助金を活用する。敷地には10社以上の関連業者も事務所を構える。
 4社は同市浪板地区で被災した木戸浦造船、吉田造船鉄工所、小鯖造船鉄工所、沢田造船所。震災で現在地が地盤沈下したため本格復旧が難しく、15年5月に設立したみらい造船を受け皿会社にして将来合併し、新天地に移転することで地元の造船業を守る。
 4社が手掛けるのは最大500トンクラスの漁船が中心だが、みらい造船では700トンまで対応し、大型マグロ船や官公庁向けの船舶も建造していく方針。


宮城・亘理の官製談合/震災被災者への背信行為だ
 東日本大震災の被災者に背くような不祥事がまた起きてしまった。
 津波で大きな被害を受けた宮城県亘理町で官製談合事件が発覚、企画財政課長の吉田充彦容疑者(55)ら3人が宮城県警に逮捕された。業者側の要求でいったん終わった入札を不正にやり直し、落札業者が入れ替わったというから悪質だ。
 こんなことがはびこったのでは公正な入札はとても期待できず、復興事業への信頼が地に落ちる。
 震災復興事業では、これまでもさまざまな事件や不祥事が起きている。被災地で巨額の事業が繰り広げられてきたが、それは取りも直さず被災者と地域の復興のため。特定の業者と自治体の職員が結託し、甘い汁を吸うかのごとき振る舞いは言語道断だ。
 吉田容疑者の逮捕容疑は官製談合防止法に違反した疑い。さらにいずれも地元工務店社長の八木昌征(65)、渡辺勝利(54)の両容疑者も逮捕された。
 発注者の官庁職員が関わる官製談合の一般的な手口は、予定価格漏えいや指名業者の不正な選定だが、亘理町の事件は入札やり直しという特異なケース。
 昨年11月13日に行われた町発注の排水路復旧工事の入札には、四つのJV(共同企業体)が参加し、うち一つの落札が確定した。
 ところが八木容疑者らがやり直しを求め、責任者の吉田容疑者が応じたという。同じ日にまた入札が行われ、今度は八木容疑者の工務店が加わるJVが落札した。
 特定の業者を優遇するために、入札結果を覆した露骨な不正行為とみなされても不思議でない。県警の捜査では、金銭授受などがなかったかどうか解明する必要がある。もし業者側からの見返りがあったら、贈収賄にもなりかねない。
 町役場内のチェック機能にもかなり問題があるのではないか。業者の申し入れで入札を即日やり直すのは尋常ではない。一課長の考えで勝手にできたとしたら、組織としてもずさんすぎる。
 震災後、被災地では過去に例がないほど多額の公共投資によって復興が進められている。「復興バブル」に自治体職員がまひし、業者と癒着したのでは、復興の在り方を土台からゆがめてしまう。
 石巻市では2012年、住宅解体工事を巡る汚職事件があった。ことし2月には、高速道路復旧工事の談合事件に絡み、独禁法違反の罪で大手舗装会社など10社が起訴されている。
 大規模な事業がこれだけ続けば、受注をもくろむ多くの業者がすり寄って来ないとも限らない。職員が今まで以上に一線を画して対応するのは当然の責務だし、自治体も絶えず落札率などを監視して不正の排除に取り組む義務がある。


<原発事故>葛尾村農業再生へ東北大と連携
 東京電力福島第1原発事故による避難指示が解除された福島県葛尾村の農業再生や地域活性化に向け、東北大大学院農学研究科と村は21日、連携協定を結んだ。ICT(情報通信技術)を活用し、人手不足にも対応できる新たな営農方法などを模索する。
 村役場で締結式があり、松本允秀村長は「村の農業は担い手不足など課題が山積している。専門的知識を持つ大学と連携を強化したい」と期待した。駒井三千夫研究科長は「村の課題解決に協力することで、被災地全体の活性化の一助になりたい」と述べた。
 協定に基づき、農学研究科は拠点となる分室を設置。遠隔操作のロボットによる除草や土壌分析の実証試験を行う。定期的に学生が村を訪れ、特産品を使った商品開発やイベントの企画立案などにも携わる。
 協定締結は、研究科が2014年、景観回復を目指し除染した畑に菜の花を植える村の計画に協力したのがきっかけ。同研究科が原発事故で被災した福島県の自治体と協定を結ぶのは初めて。
 村は今年6月、帰還困難区域を除き避難指示が解除された。村民約1500人のうち、帰還したのは約90人にとどまっている。


鳥取地震 「余震で眠れず」被災者、不安の朝
 鳥取県で最大震度6弱を観測した21日の地震で、被災地では余震を恐れる多くの人たちが自宅を離れて一夜を明かした。「何度も揺れて、ほとんど眠れなかった」。慣れない避難生活がいつまで続くのか。被災者の表情に疲れがにじんだ。【小野まなみ、森野俊、園部仁史、釣田祐喜、井上卓也】
 ■車で一夜
 最大震度5強を観測した三朝(みささ)町。役場に隣接する町総合文化ホールでは約150人が朝を迎えたが、駐車場にとめた自家用車で一晩を過ごした人もいた。
 同町三朝の森下正美さん(77)は「人が大勢いるところで寝られないし、車のほうが安全だと思って……」と軽乗用車で夜を明かした。シートを倒して横になったが落ち着かず、「何泊もできないので、今晩は家に帰ろうと思う」と語った。
 地震発生時は鳥取市内にいて、ホールに着いたのが21日午後7時過ぎだったという地元の主婦(71)も、毛布などを家から持って来て乗用車の中で休んだ。「一度離れたら駐車場が埋まってしまうかもしれないので、離れられない。これからどうしたらいいのか」と声を落とした。
 ■ビニールハウスで
 「なるべく広くて安全な道を通って広場に集まってください」。北栄町国坂では地震発生の約15分後に、国坂浜自治会会長の山信幸朝(ゆきとも)さん(73)が有線放送で住民に呼びかけた。
 広場は普段、グラウンドゴルフ大会などで利用。卓球台などが置かれたビニールハウスもあり、避難訓練でも使っている。放送を聞いた住民約30人がすぐに毛布や飲料水などを持ち寄り、ビニールハウスでストーブを囲んだ。結局約15人が自宅に帰らず朝を迎えた。
 自宅が築60年以上という岡本祐子さん(65)は「家がミシミシ鳴って怖かったので逃げてきた。顔なじみがたくさんいるので安心でした」。山信さんは「ビニールハウスは軽くて崩れず、熱を逃がさないので避難所に適している。余震が落ち着くまでどれくらいかかるか分からないが、ここにいれば大丈夫だ」と話した。
 ■避難所で
 「眠れそうになると余震で目が覚めて、周囲から『またか』という声が出ていた」。倉吉市立成徳小学校に家族で泊まった主婦、岩瀬敦子さん(44)はこう振り返った。同居する母(72)と同小に避難している介護士、近衛藍子さん(32)もほとんど眠れなかったといい、「家の安全性を確かめて今夜にも帰りたい」と話した。
 倉吉市立河北小学校で子供5人と朝を迎えたパート従業員の女性(38)は「毛布があったが寒く、子供たちもたびたび目を覚ましていた。一番下の3歳の息子は余震のたびに抱きついてきて、とても怖がっている」と語った。22日はいったん自宅に戻り、棚から落ちた物などを片付ける予定だが、「余震が続くようだとまた避難所に来るかもしれない」と表情を曇らせた。
 ■炊き出しも
 最大約200人が避難していた湯梨浜町のハワイアロハホールでは22日朝、赤十字のボランティアらによる炊き出しがあった。町が備蓄していたアルファ米の五目ご飯を使い、400食が避難者に配られた。
 近くの自宅から避難した本田百合子さん(90)は「温かくておいしい。ほっとしました」と喜んだ。長男夫婦と暮らすが、「広い場所の方が安心」と避難所に身を寄せた。1943年の鳥取地震の際は「揺れが収まらずに外で1週間寝た」といい、「余震が続かないか不安だ」とつぶやいた。


鳥取地震 ブルーシート配布に列 屋根瓦被害多く
 最大震度6弱を観測した鳥取県倉吉市は22日、屋根瓦が落ちるなどの被害を受けた住宅が多いとみられるため、屋根などを覆うブルーシートの配布を市役所の車庫で始めた。午前8時ごろには大勢の市民が集まり、順番を待つ列は外の駐車場にまで延びた。
 市によると、ブルーシート4600枚を準備し、当初は1人に3枚を配布していたが、希望者が多かったため、途中から2枚に制限。午前10時までに約2000人に計4500枚を配った。さらに約1100人が希望しているといい、県が用意する4000枚が届き次第、配布を再開する予定だ。
 気象庁によると、鳥取県中部では23日昼過ぎから夕方にかけて雨が降る可能性がある。自宅の屋根が傾いたという同市新田の北窓実さん(73)は「業者に頼んで屋根を覆いたいが、明日の雨に間に合うのか不安だ」と心配そうに話した。
 県は震度6弱を観測した湯梨浜町と北栄町にもブルーシートを500枚ずつ提供する。【園部仁史、高嶋将之】


鳥取の地震
 第2次世界大戦中に、日本は立て続けに大地震に見舞われる。昭和18(1943)年の「鳥取地震」に始まって、翌年の「東南海地震」、終戦の年の「三河地震」である。先の二つは死者・行方不明者が千人強、三河地震に至っては約2300人という惨事であった◆戦時下の国家による報道管制で、被害の実態は今のように国民にほとんど知られることはなかったとされる。共有する記憶は薄いのである。鳥取地震はマグニチュード7・2、鳥取市で震度6を記録している。震源が極めて浅く、激しい揺れに同市の中心部は壊滅し、古い町並みはほぼ失われるほどだった◆鳥取では2000年にも「鳥取県西部地震」という大地震が起きている。そんな被災の歴史を持つ地方に、またも大きな揺れが襲った。最大震度6弱。けが人が出て、建物が一部で壊れ、停電や交通の乱れも発生した。気になっていた隣県の島根原発は運転停止中で、異常がなかった◆活発な地震活動が続いており、被災者は心細い限りだろう。これから1週間ほどは注意が必要という。つい、2回目の地震の方が規模が大きかった熊本地震を思い出してしまう。早い終息を祈るばかりだ◆今回は断層が横にずれて起きた。佐賀も同じだが、断層だらけの日本列島に安全なところはない。心しておきたいことである。(章)

鳥取地震 3000人が避難所で一夜
 鳥取県で最大震度6弱を観測した地震から一夜明けた22日、各地で避難した住民らへの支援や損壊家屋の補修作業などが慌ただしく進められた。県などによると約3000人が避難所で一夜を過ごしたほか、車中泊をした人もおり、健康状態の確認を進めている。また県は、同日午前7時までの人的被害を再集計し、重軽傷者は15人と発表した。
 気象庁によると、21日以降の地震活動は、震度6弱を観測した鳥取県倉吉市から三朝町にかけての南北10キロ超の範囲に集中している。深さは約5〜15キロという。鳥取県中部ではM(マグニチュード)6.6の地震後、22日正午までに震度1以上の地震が145回観測された。
 県によると22日朝、湯梨浜(ゆりはま)町の避難所で30代女性が体調不良を訴えて病院に搬送された。軽症とみられる。建物被害は北栄町で住宅など4棟が全半壊。一部損壊を含めた住宅被害は165棟に上った。余震による倒壊の危険性などを判定する応急危険度判定士の派遣が各地で始まっている。
 また、複数の市町で断水や漏水が発生。倉吉市では約1万6000戸で断水したり、水が出にくくなったりしている。同市立上小鴨小では自衛隊による給水活動があったが、午前8時半に用意した1トンの水は約30分で空に。その後もトレーラーで繰り返し水を届けた。北栄町や湯梨浜町でも水道管の破裂や漏水が確認されており、役場職員らが対応を急いでいる。農作物被害は、湯梨浜町や倉吉市で名産のナシ約5割が地震で落果した畑もあった。
 気象庁によると鳥取県中部では23日昼過ぎから雨が降る見込みで、各地では雨漏りを防ぐためのブルーシートの配布も始まった。
 一方、同県三朝町で行方が分からなくなっていた男性(86)は22日早朝、自宅近くの山の斜面で横たわっているのを近所の住民が発見。頭にけがをしており病院に搬送されたが、命に別条はないという。
 鳥取県庁の災害対策本部にはこの日、熊本県の職員2人も支援に入った。【千脇康平、長宗拓弥、釣田祐喜、山崎征克】


234棟被害、けが21人に 鳥取県中部地震
 鳥取県中部で震度6弱を観測した地震で、県は22日、住宅被害は全半壊5棟など計234棟になったと明らかにした。けが人は再集計した結果、重傷2人を含む計16人。近県の負傷者数は変わらず、全体で計21人になった。
 気象庁によると、21日の震度6弱以降、22日午後6時までに震度1以上の地震が162回発生。1週間程度は最大震度6弱の強い揺れが起こる可能性があるとして、警戒を呼び掛けている。
 被災地では建物の倒壊危険性を判定する「応急危険度判定士」が活動を始め、倉吉市など3市町が災害ボランティアセンターを設置した。


鳥取出身の瀧本美織「心配です」イモト「無事を」
 今春の熊本地震に匹敵する強い揺れが、鳥取県を襲った。21日午後2時7分ごろ、同県中部が震源の地震があり、倉吉市や湯梨浜町、北栄町で震度6弱を観測した。震源の深さは約11キロ、地震の規模はマグニチュード6・6。防災科学技術研究所は、地震の瞬間的な揺れの強さを示す加速度が、倉吉市で熊本地震と同レベルの1494ガルだったと発表。大阪管区気象台によると、「立っていることが困難」とされる長周期地震動の「階級3」だった。
 鳥取県出身の芸能人もこの日、地震に反応した。今月16日「とっとりふるさと大使」に任命されたばかりの女優瀧本美織(25)はブログを更新。「鳥取の皆さん」と題し「大丈夫ですか!? とても心配です」とし「怖いと思いますが、一番に身を守ってくださいね。たくさんの方が心配しています。早く不安が取り除かれますように!」とつづった。イモトアヤコ(30)もツイッターに「鳥取地震、余震も続いているようで慎重に そして無事を祈ります」と記した。関係者によると、2人とも家族は無事だという。


【鳥取震度6弱】 「怖くて家にいられない」2日連続で車中泊やテント…
 鳥取県中部で最大震度6弱を観測した地震から2日目を迎えた被災地。余震は今も止まず、熊本地震の記憶から、車中泊やテントなど屋外で「2日目の夜」を過ごす人々も少なくない。
 「これだけ余震が来ると、怖くて家にいられない」
 倉吉市越殿町の遠藤千恵子さん(77)は22日夜、避難所となっている倉吉市福吉町の倉吉福祉センターの駐車場に立つ仮設テントを昨日に続き訪れた。アパートで1人暮らし。散らかった室内も日中に片付けたが、「熊本地震も2回目が来た。それを思うと、建物にはいたくない」という。
 テントには付近の高齢者が避難している。周囲をブルーシートで覆い、コンクリートの上に段ボールとブルーシートを敷き、ストーブで寒さをしのぐ。21日には遠藤さんら11人が宿泊。座布団を敷き、毛布にくるまって寝たという。
 同じく2日連続でテントで泊まるという小山すみ子さん(88)も、「ここに来れば顔見知りもいる。主人は自宅に戻ったけど、大きな揺れが来たときのことを考えると不安なので」と話した。
 倉吉市駄経寺町の多目的施設「倉吉未来中心」の駐車場でも、車中泊で連泊する人の姿が見られた。
 同市住吉町の高羅(こうら)紀恵子さん(82)は、「昼間は近所の人と話をしたりしてストレスはあまり感じないが、あれだけ余震があると夜にドンっと来そうで。今日で(車中泊は)終えたいが、余震が続くならまだ続けるかも」と疲れ切った様子だった。


【鳥取震度6弱】 開設のボランティアセンターに次々名乗り
 22日午後にボランティアセンターが立ち上げられた倉吉市。事務局の市社会福祉協議会によると、地域住民から必要な支援を電話や自宅訪問で聞き取り、24日朝からボランティアの受け入れを行うという。
 早速申し込みをする人の姿も。同市下米積の塗装会社社長、阪本阿羅志(あらし)さん(34)は事務局のある同市上灘町の上灘公民館を訪れ、社員ら10人をボランティア登録した。地震で会社の機材が損傷、自宅が被災した社員もいたが、「地元が困っているのを放っておけない」と名乗り出た。
 ボランティアのため、会社は当面休業見込み。「仕事で高いところに登ることも多いし、技術を発揮したい」と話した。
 北九州市戸畑区の会社員でNPO法人「日本九援隊」理事、浦伸英さん(49)は、地震発生日の21日夜に水やお菓子などの支援物資を車に積み込んで北九州市を出発。翌22日朝に現地に到着、被災地周辺を見て回り、状況を確認したという。
 同法人はこれまで、熊本地震や平成26年の広島土砂災害などの被災地でボランティアとして活動。支援物資の配布やがれきの撤去、屋根のブルーシート張りなどを担った。浦さんは「早ければ23日にもメンバーを呼びたい。これまでの経験を生かし、一日も早い復興に貢献したい」と語った。


鳥取中部震度6弱から一夜 一部の地域で断水 自衛隊が給水活動
鳥取県中部で震度6弱を観測した地震から、27時間余りがたった。被害状況が明らかになる中、断水している地域も多く見られるなど、市民生活には大きな影響が出ている。
倉吉市の避難所にある上小鴨小学校では、教室や体育館に、現在、40人ほどが避難をしていて、お年寄りや子ども連れの人が多く、とても疲れている様子だった。
一部の地域では、水道の断水が継続していて、こちらでは、22日朝から、自衛隊が給水活動を行っている。
給水に訪れた人は、「トイレもできないし、水道出ないから、困っている。(水は何に使う?)お風呂」、「風呂に入れないのが大変。(給水は)うれしい。助かります」などと話した。
倉吉市内の水道管では、26カ所の漏水が確認され、今までに7カ所が修理されたが、完全な復旧には、数日かかるという。
自衛隊による給水は、このあと午後8時まで行われる予定。 (FNN取材団)


「余震で眠れず」「帰りたい」=避難所不安の一夜−観光被害落胆も・鳥取地震
 鳥取県中部で最大震度6弱を観測した地震で、県内では22日も断続的に余震が起きた。避難所で眠れぬ一夜を過ごした住民らは、不安を口にしながら壊れた家の片付けなどに追われた。
 約300人が体育館に身を寄せた倉吉市の上灘小学校。妻と避難する谷口正美さん(74)は「余震が収まらず、一睡もできなかった」と疲れた表情。23日に法事の予定があったが、早朝から寺に電話を入れ延期した。「熊本地震ではもう一度大きな揺れがきた。それを思うと怖くて家に戻れない」と、不安そうに話した。
 4〜7歳の子ども3人と避難した同市の主婦河本真梨子さん(32)は、「元気にはしているが、相当怖かったようだ。早く地震が落ち着いて、家に帰りたい」と子どもたちを思いやった。自宅は屋根瓦が崩落。現地は朝から時折小雨が降っており、補修のブルーシートをもらうため市役所へ向かった。
 赤瓦にしっくい壁の街並みが名所になっている同市の「白壁土蔵群」も被害が出た。大きく壊れた土蔵を所有する会社社長倉都祥行さん(67)は「修復には相当時間がかかる。11月の観光シーズンに間に合わない」と落胆。土産物店経営林裕行さん(66)は「約10年前にも何棟も燃える火事があったが、きれいに修復して前より来訪者が増えた。ふさいでばかりいられない」と前を向いた。
 壊れた空き家の前で路上に散乱する窓ガラスの片付けをしていた近所の女性(85)は「道も狭いので、早くみんなが安心して通れるようにしないと」と話し、忙しそうに手を動かした。


鳥取県で住宅被害200棟超 被災者支援も
 鳥取県中部で震度6弱を観測した地震から1日がたった。被害の状況が明らかになる中、被災地では課題も浮彫になってきている。
 震度6弱の地震から一夜があけた鳥取・倉吉市。市内の観光名所「白壁土蔵群」は無残な姿をさらしていた。鳥取県内では地震のあと約3000人が避難所で不安な一夜を明かしている。
 避難者「家だと怖いです。ここの方が寝ることができます。ちょっとゆっくり休みました、何時間かは」
 被災地では、まだ断水の続いているところがあり、朝から水を求める長い列が。そして市役所には、ブルーシートを求める人が行列をつくっていた。
 ブルーシートを受け取りに来た人「屋根の瓦が落ちてしまって、雨が降ると大変だなと思って」
 住宅の被害は200棟以上で、配られたブルーシートは屋根の応急処置に使われる。ブルーシートを扱うホームセンターも、被災しながらの営業。多くの人たちが買いに訪れていたが──
 ブルーシートを買いに来た人「(Q:ご自身でブルーシートをはる作業を?)いえいえ、あちこち電話してるけど、どこもいっぱいで順番がきません」
 そして収穫間近だった梨など、農業被害も明らかになってきた。
 梨農家「せっかくつくったものが被害を受けて、自然相手なので仕方ないです」
 こうした中、被災者への支援の動きが広がっている。倉吉市の上灘公民館では、ボランティア受け入れに向けた準備が進められていた。住宅の損壊具合について調査も始まっている。
 しかしこれまでに体に感じる地震は体に感じる地震は150回以上。まだ同じ震度6弱程度の地震が発生する可能性があり、強い揺れに警戒が必要。


鳥取で強い揺れ  余震への警戒緩めるな
 今度は日本海側で大きな地震である。
 21日午後2時すぎ、鳥取県中部を震源とするマグニチュード(M)6・6の地震が発生した。震源に近い倉吉市で震度6弱、鳥取市で震度5強の激しい揺れを観測したほか、京都府与謝野町でも震度4を観測した。
 政府は首相官邸に対策室を設けた。情報収集を急ぎ、県や市町村と連携し、迅速に支援策を講じねばならない。
 交通網に大きな被害は報告されていないが、列車の運休や立ち往生、高速道路の通行止めが相次いだ。被災地へのアクセス確保がまずは重要になる。
 家屋の倒壊や大規模な停電が発生した。山間部は土砂崩れなどで生活道路やライフラインが寸断されている恐れもある。高齢化率が高い県でもあり、孤立して体調を崩すお年寄りがいないか、心配だ。負傷者の救助と住民の安否確認に全力を挙げてほしい。
 ただ、震度4程度の余震がなお続いている。現地で活動する消防や警察、自衛隊は二次災害に十分注意が必要だ。
 4月の熊本地震では、大きな揺れの28時間後に本震が襲い、被害の拡大を招いた。より強い地震が再び起きる恐れもあり、気象庁は今後1週間程度は十分な警戒を呼びかけている。
 ただ、西日本の日本海側で起きた過去の地震をみると、やや長い時間をおいて起きる「双子の地震」に警戒する必要があろう。
 鳥取県では戦時中の1943(昭和18)年にM6・1とM7・2級の地震が県東部で半年間隔で起き、後者による死者は1200人を超えた。江戸時代には県中部で1710(宝永7)年から翌年にかけ、やはり半年間隔でM6級の地震が発生している。
 京都大防災研究所を経て鳥取大で山陰地方の地震を研究した西田良平名誉教授は、9年前の論文で「地震は再来する。M6クラスはいつでも発生する可能性を秘めている」と警告していた。県や住民の備えはできていただろうか。
 大阪管区気象台は、昨年10月から鳥取地域で地震活動が活発化している兆候をつかんでいたという。その情報を現地に提供し、防災・減災に生かせたのかどうか、今後検証すべきだろう。
 5年前の東日本大震災以来、全国各地で地震の頻発や火山活動の活発化を指摘する専門家もいる。京都、滋賀にも活断層が多い。非常時の避難方法や持ち出し品などを家族で確認し合っておきたい。


<蕪嶋神社>焼失…新社殿は2階建て
 昨年11月の火災で焼失した青森県八戸市の蕪嶋神社の再建を図る実行委員会は21日、仮拝殿で記者会見し、新社殿を従来の平屋から2階建てに変更する事業計画を発表した。完成時期は当初計画より1年先送りし、2019年12月となる見通し。
 計画によると、新社殿は参拝客向けの休憩スペースを1階部分に設け、2階拝殿に上がるための家庭用エレベーターを設置する。外観は旧社殿のイメージを踏襲し、建物全体の大きさはほとんど変わらない。総工費は当初計画通りの5億円に収めるという。
 11月2日に基礎工事に着手し、一般開放は20年3月を見込む。社殿のある蕪島頂上に向かう階段も改修し、傾斜を緩やかにする。4〜8月のウミネコ繁殖期は工事を中断する。
 今月17日現在の寄付金と保険金の合計額は2億7400万円で、不足分は引き続き寄付を呼び掛ける。野沢俊雄宮司(66)は「この1年は無我夢中だった。地域に根差した神社を目指したい」と話した。


<長沼ボート場>「財源示せ」議会で異論相次ぐ
 2020年東京五輪・パラリンピックのボート、カヌー・スプリント会場の代替候補地となっている宮城県長沼ボート場(登米市)を巡り、21日の県議会常任委員会で質問が相次いだ。議員からは県が試算した150億〜200億円の整備費と、財源の一部に東日本大震災復興基金を充てることに関し、異論が出た。
 総務企画委では議員6人が質問した。整備費の積算根拠と財源の内訳を示さない執行部に対し、みやぎ県民の声の遊佐美由紀氏(青葉選挙区)は「財政見通しを明らかにしなければ県民の理解は得られない。経済効果も試算すべきだ」と指摘。藤原範典氏(太白同)は「いきなり200億が出てきた。まるで手品だ」と疑問を呈した。
 復興基金の活用については、共産党県議団の遠藤いく子氏(青葉同)が「被災者の中には生活再建が困難な人もいる。復興財源を使うのは適切ではない」と批判した。
 県の伊東昭代震災復興・企画部長は「誘致が決まらない中で整備費の具体化を図るのは難しい。被災者が最優先というスタンスは変わらない」と強調した。
 文教警察委では公明党県議団の庄子賢一氏(宮城野同)が「都の関係者を現地に呼ぶなど、もっとアピールすべきだ」と訴えた。


<東北大>さよなら「雨宮」28日から感謝祭
 東北大農学部の移転に伴って閉鎖される雨宮キャンパス(仙台市青葉区)で、学生や教員、同窓生による感謝祭が、28日から3日間の日程で開かれる。90年以上にわたって地域住民に親しまれてきた伝統のキャンパスに別れを告げる。
 数量限定の記念手ぬぐいやポストカードを無料配布するほか、農学部で生産したコメやブルーベリージャムを特別販売する。学生たちは茶会で来場者をもてなし、キャンパスの変遷を写真で紹介する。
 駒井三千夫大学院農学研究科長は「多くの方にキャンパスの最後の姿を見てもらい、歴史を感じてもらう感謝祭にしたい」と意気込む。地元の上杉中央商店会も露店を出して29、30の両日に和菓子、30日に芋煮や牛タンカレーを振る舞う。
 雨宮キャンパスの歴史は1925(大正14)年、旧制二高が現在の青葉区片平地区から移転して始まった。戦後の一時期には宮城一女高(現宮城一高)が入居し、49年には農学部が片平地区から移転して今日に至る。
 敷地内には旧制二高時代に建った守衛所や赤れんが塀が残っており、教職員と学生の親睦団体「翠生(すいせい)会」が感謝祭を前に案内板を設置した。
 農学部は11月以降、青葉山キャンパス(青葉区)に移転する。跡地は建物を解体した上でイオンモール(千葉市)に引き渡され、商業施設や医療福祉施設、集合住宅が整備される。


相模原事件から考える 問われる「命の価値」
 社会にとって有益か。相模原市での障害者殺傷事件は、そうやって人間を値踏みする恐ろしさを示した。発生から間もなく三カ月。命に敏感でありたい。
 「障害者がいなくなればいいと思った」「障害者は不幸しか作ることができない」−。障害者入所施設の元職員だった容疑者は、そう言い放ってはばからなかった。
 愛知県春日井市の伊藤啓子さんは、息子の故晃平さんが再び侮辱されたと感じ、胸が締めつけられるような思いになった。重い知的障害のある自閉症の少年だった。
◆人は稼ぐ道具なのか
 振り返ってみたい。
 二〇〇七年十二月、名古屋市の短期入所施設に滞在中、暗がりの階段から落ち、十五年十一カ月の生涯を閉じた。職員二人がついていながら事故は防げなかった。
 施設側が提案した損害賠償額は、同世代健常者の四分の一程度にすぎなかった。将来働いて得たと見込まれる収入に当たる逸失利益をゼロと見積もり、慰謝料も相場より低く抑えていた。
 障害者の自立を支える立場にありながら、施設側の返答は「生きていても、社会に対する利益はないケース」だった。遺族が提訴に踏み切ったのは当然だろう。
 「晃平には生きる価値がないと言われたと感じた」と、伊藤さんは当時の心境を語る。
 「負担がなくなった上に、お金までもらえるのかという中傷もありました。人間は働くためだけに生まれるのでしょうか」とも。
 いまだ癒えない心の傷口に塩を塗るかのごとく発生した相模原事件。障害者に対する容疑者の偏見や憎悪、あるいは優生思想は、施設側の姿勢と地続きではないか。
 生産性という物差しで人間の価値を測り、お金に換算する。その結果、例えば障害者四人の命の重みも、健常者一人の命の重みに満たないという不条理が生じる。
◆差別助長する司法界
 労働収入を基に逸失利益をはじく考え方は、交通事故の賠償額の計算方法として一九六〇年代に定着した。貧富の格差をそのまま命の格差として是認するような裁判実務が積み重ねられてきた。
 障害者はもちろん、高齢者や失業者、非正規労働者、主婦や子どもら経済力の乏しい人の命の値段は安く見積もられがちになる。
 それを当たり前と信じて疑わない社会通念が、相模原事件の遠景に浮かんで見える。良心に従って正義を貫くべき立場にある司法界自らが、差別的な慣習を擁護してきた責任は重いのではないか。
 利益を生み出す道具としてのみ人間を評価するのは、個人を属性によって序列化することを禁じた憲法の理念に背くものだ。そう唱える声はかねて根強くある。
 遺族は四年前、障害年金を基に算定された七百七十万円余りの逸失利益と、慰謝料の上乗せを和解の形ながら勝ち取った。せめてもの救いだったのは、晃平さんも仕事に就ける可能性があったと認められたことだろう。
 とはいえ、国家には元来、働く意思と能力のある国民に対して勤労の機会を与える義務がある。
 ましてや、障害のあるなしで分け隔てをしない平等な社会づくりを条約と法律で掲げ、日本は走りだしている。周りの意識や環境が変わるにつれ、障害者が秘める潜在能力は大きく開花しうる。
 逸失利益という考え方は一見合理的なようで、未知の力、存在のかけがえのなさを度外視する。それを根拠に命を値踏みする旧弊は、もはや断ち切りたい。
 かつてナチス・ドイツは優生思想を信奉し、民族浄化の名目で障害者に安楽死を強いた。「生きるに値しない命」というレッテルを貼り、殺害した。
 暗黒の歴史にも、残虐非道を非難する良心が息づいていたことは記憶にとどめたい。四一年八月のミュンスター司教フォン・ガーレンの公開説教は、ヒトラーが中止命令を出すきっかけとなった。
 「あなたたちも私も、なにかを作り出すことができる間だけ、他の人たちから生産的な人間と認められる間だけ、生きる権利があるのでしょうか」(日本医史学雑誌、二〇〇三年六月)
 もっとも、虐殺はひそかに続行され、二十万人以上の犠牲者を生んだという。いわば思想的慣習の暴走がもたらした結末でもある。
◆かけがえのなさとは
 非生産的として抹殺する社会では、やがて誰もが危うくなる。いつ傷病や老衰で働けなくなるかもしれないのだから。「ヒトラー思想が降りてきた」と話したという相模原事件の容疑者は、自らもそうなりうると想像しなかったか。
 人間の命に値札をつけようとする発想が悲劇を招く。どんな命も一度失われたら等しく取り戻せない。ならば、真に平等な償い方とはどうあるべきか。そんな視点からも、命の価値を問い直したい。


大阪府知事に抗議相次ぐ 機動隊員「土人」発言で
 沖縄県の基地問題を巡り、大阪府警の機動隊員が抗議活動をしている住民に差別的な発言をした問題で、この隊員を擁護した大阪府の松井知事に抗議が相次いでいます。
 大阪府庁前には21日、市民団体が松井知事への抗議の声を上げました。この問題は、沖縄県の米軍基地移設を巡り、大阪府警の機動隊員が反対住民に「土人」などと差別的な発言をしたものです。松井知事はこれまでに、ツイッターなどで「表現は不適切」としながらも「反対派も過激だ」などと主張し、21日も改めて隊員を擁護しました。これまでに大阪府には、松井知事に対する意見が1142件寄せられ、約6割が「大阪の印象をおとしめる」といった批判的な内容です。一方、大阪府警は隊員2人を戒告の懲戒処分にしました。


「土人」発言/何が隊員に言わせたのか
 沖縄県の米軍北部訓練場で、ヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)の建設工事の警備に当たる大阪府警の機動隊員が、工事に反対する住民らに向けて「このぼけ 土人が」と言い放った。別の府警機動隊員も「黙れ、こら シナ人」との暴言を吐いた。いずれも沖縄県民を見下し侮辱するもので、決して口にしてはならない言葉だ。
 沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は「未開の地域住民を侮蔑する意味を含み、言語道断で強い憤りを感じる。こういう言葉は人と人の絆を壊す」と批判し、派遣されている機動隊員を管理する沖縄県警と県公安委員会に抗議した。大阪府警は2人の機動隊員を戒告の懲戒処分にした。
 菅義偉官房長官も会見で「許すまじきこと」と認めた。当然だろう。全国から集められた機動隊員が、住民を差別的言動でおとしめるようなことはあってはならない。
 2人の機動隊員は沖縄県警の事情聴取に対し、「右翼関係者につられて思わず言ってしまった」などと答えたという。だが「土人」も「シナ人」も日常的に使う機会はなく、つい口にするようなものではないだろう。こうした暴言が飛び出す背景には日頃から県民への差別意識があったのではないか。
 ネット上でも沖縄を侮辱する言葉が氾濫している。琉球処分、沖縄戦、米軍基地問題と続く歴史に触れ、県民の心情をくむどころか、基地問題を巡って政府に対抗する沖縄県の姿勢をあざけり、厳しく批判する声が一部にみられる。
 ヘリパッドの建設は北部訓練場の一部の日本返還に伴うもので、新型輸送機オスプレイの運用計画が持ち上がったことから住民らの間で反対運動が高まった。工事は参院選の直後に強行され、取材記者が強制排除されるなどの混乱が続く。県道封鎖、住民の通行排除などは異常事態というしかない。こうした現場の深刻な対立が、機動隊員の差別的な暴言を生んだのではないか。
 沖縄は「米軍基地を沖縄にばかり押しつけず、国全体で考えてほしい」と訴え、対話を求めている。「誠心誠意、沖縄に寄り添う」と言いながら、強硬姿勢で臨んでいるのは政府の方である。米軍普天間飛行場の辺野古移設計画を含め、基地問題は対話でしか解決できない。早急にテーブルに着くべきだ。


沖縄侮辱発言 差別構造が底流にある
 沖縄県の米軍北部訓練場にヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)を建設する工事の警備に当たっていた大阪府警派遣の機動隊員2人が、工事反対の人たちに「土人」「シナ人」と暴言を浴びせた。
 翁長雄志(おながたけし)知事は隊員を管理する沖縄県警の本部長に「言語道断」と抗議した。本部長は謝罪したが、問題を若い隊員のお粗末な言動として片付けてはならない。
 米軍基地の負担を沖縄に押しつけようとする政府の姿勢や、社会のある部分に潜む沖縄への差別や偏見が底流にあるとみるべきだ。
 松井一郎大阪府知事は「表現が不適切だとしても、一生懸命職務を遂行しているのが分かった」などと隊員を擁護するかのような発言をツイッターに投稿した。
 本来なら隊員を注意すべき要職にありながら、沖縄の置かれた状況に鈍感なあきれた発言だ。
 北部訓練場は総面積の半分の約4千ヘクタールが12月に返還される予定で、返還条件として6カ所のヘリパッド建設が進められている。
 だが工事現場では建設反対の抗議活動が続き、警視庁など全国から機動隊が動員されている。
 暴言は反対派と隊員が対峙(たいじ)する混乱の中で出たが、公権力を行使する警察官ならなおさら、絶対口にしてはならない言葉だ。
 太平洋戦争で本土を守る「捨て石」にされた沖縄は戦後も長く米軍の統治下に置かれ、土地を奪われて基地が造られた。
 いまも過重な基地負担に苦しむ沖縄の現状は「構造的差別」と指摘され、翁長氏は「魂の飢餓感がある」と県民の心情を代弁する。
 ところがどうだ。普天間飛行場の名護市辺野古への移設には県民の反対の意思が選挙で何度も示されているにもかかわらず、政府は強引に進めようとしている。
 北部訓練場でも、完成した2カ所のヘリパッドで新型輸送機オスプレイの騒音被害が深刻だ。
 「負担軽減」をうたいながら、安全保障のためには新たな痛みにも耐えよと言わんばかりに沖縄を見下す政府の姿勢が、現場の警察官にも影響を与えていないか。
 私たちの社会も問われている。
 2013年1月、那覇市長時代の翁長氏も参加し東京で行ったオスプレイ反対デモには、沿道から「売国奴」「中国のスパイ」などと屈辱的な言葉が飛んだという。
 沖縄への無理解、無知を象徴する出来事だ。沖縄の歴史や基地問題を正確に知る必要がある。そうでないと、差別と偏見に満ちた暴言が繰り返されかねない。


機動隊員の暴言 沖縄との分断を広げるな
 沖縄県の米軍関連施設建設工事の現場で、警備に派遣されていた大阪府警の機動隊員が、工事に反対する住民に「土人」などの暴言を吐いていたことが分かった。
 機動隊員は「どこつかんどんじゃ、ボケ」と住民をののしり、「土人が」と吐き捨てるように言った。一隊員の単純な悪口として見過ごすわけにはいかない。沖縄と本土を巡る根深い問題が露出した言葉と考えられるからだ。
 「土人」とは文化的に未開な地域の民衆をさげすんで呼ぶ言葉だ。多くの場合、植民地に対する支配国の差別意識が背景にある。
 沖縄の米軍基地問題の根っことして、沖縄の人々がしばしば指摘するのが、この「植民地意識」と「構造的差別」である。
 沖縄は、太平洋戦争末期に本土決戦前の「捨て石」として地上戦の戦場にされ、甚大な被害を受けた。米軍統治下では駐留軍の横暴に悩まされ、復帰後も米軍基地集中による過重な負担に苦しんできた。安倍晋三政権は「負担軽減」を唱えつつも、普天間飛行場の県外移設の要望に応じず、県内移設を強行しようとしている。
 「沖縄はいまだに植民地だと思われている」「本土は沖縄住民を同じ日本国民だと考えていないのではないか」。沖縄県民は常々、そうした不信感を抱いている。
 そこへ本土から来た警察官が「土人」と発言すれば、沖縄県民は「ああ、やっぱり」と失望し、心は本土から離れていくだろう。
 法の守り手である警察官がヘイトスピーチまがいの憎悪表現を使ったことも問題である。ネット上などで「沖縄たたき」が広がっている影響なのだろうか。大阪府警は教育や研修を徹底すべきだ。
 大阪府の松井一郎知事はツイッターに「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命職務を遂行しているのが分かった」と書き込んだ。事の重大性を認識しているのか、甚だ疑問だ。
 沖縄と本土の分断をこれ以上広げてはならない。一隊員の素行の問題として片付けず、沖縄の思いを理解する契機としたい。


沖縄の差別発言  県民への侮辱、許されぬ
 大阪府警機動隊員の暴言に驚きを禁じ得ない。沖縄の人々の心を深く傷つけており許し難い。
 沖縄県警によると、米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設工事を巡り、現場警備に府警から派遣された隊員2人が工事への反対活動をする人に向け、「ボケ。土人が」「黙れ、シナ人」と暴言を浴びせた。警察庁の坂口正芳長官も「極めて遺憾」として差別発言を認めた。
 ヘリパッドでは米軍輸送機オスプレイの運用が予定され、騒音などを懸念する地元住民らが連日、抗議活動を続けている。警備のため東京や大阪など6都府県から派遣された約500人の機動隊員との衝突が激化していた。
 暴言は土着の住民などを侮辱する意味を含み、差別の助長につながる。翁長雄志沖縄県知事が「県民としても知事としても言語道断で到底許されず、強い憤りを感じている」と批判したのは当然だ。
 ヘリパッド工事現場では今年8月、取材中の地元紙記者が機動隊に強制的に排除された。公権力による取材妨害とも言え、政府の沖縄政策に異を唱える報道に対する姿勢は今回の暴言と通底する。
 インターネット上に投稿された動画を見ると、抗議活動にいら立った若い機動隊員がつい荒っぽい発言をしてしまったようにも思える。だが「軽率」で済ますわけにはいかない。根深い差別意識が言葉の裏に見え隠れするからだ。
 警察組織内に日常的に沖縄に対する差別があったのではないかとの疑念を拭えない。仮にそうならば隊員個人の資質の問題ではなく、責任は大阪府警にある。府警は事の重大さを真摯(しんし)に受け止め、職員研修を見直す必要がある。
 大阪府政のトップに立つ松井一郎知事の言動も常軌を逸している。松井氏は自身のツイッターで「表現が不適切だ」としつつも「出張ご苦労様(さま)」と暴言を吐いた隊員をねぎらった。沖縄への配慮を欠いていると言わざるを得ない。
 沖縄の歴史を振り返ると、明治政府による1879年の「琉球処分」以来、差別が続いてきた。琉球語の弾圧などに苦しみ、先の大戦で多大な犠牲を強いられた。戦後も米軍基地負担が軽減されない。
 安倍政権は「不適切な発言を行ったことは大変残念」(菅義偉官房長官)と認めるなら、差別発言が「辺野古」問題など強引とも言える沖縄政策と表裏一体であることを自覚すべきだ。沖縄への差別を生んだ日本社会の構造的な問題でもあると受け止めたい。


全沖縄人に対する侮辱 元外務省主任分析官・佐藤優さん【インタビュー「土人」発言・2】
 率直に言う。私は目取真俊氏に対しては違和感を持っている。こういう気持ちは相互的なので目取真氏のブログから判断する限り、同氏も私に対しては親近感を持っていないと思う。しかし、日本人と思われる機動隊員が目取真氏に対して「触るな、『土人』」と暴言を吐いたということを聞き、黙ってはおれない。
 日本人公務員の「土人」発言に、彼らの沖縄と沖縄人に対する認識が端的に表れている。連中が「土人」という言葉を使ったことをわれわれはむしろ誇りにしたい。「土人」とは沖縄に土着した民族だ。沖縄は過去も、現在も沖縄人のものであり、未来も沖縄人のものだ。日本人植民者の侮辱的言質によってひるむほどわれわれはヤワではない。
 日本人差別者との闘いで最前線に立つ目取真氏にエールを送る。あるときは辺野古でカヌーに乗り、高江で機動隊と対峙(たいじ)し、別の時にはペンを執って愛する沖縄のために闘う。あなたに対する侮辱は全沖縄人に対する侮辱だ。
 全ての沖縄人同胞よ。機動隊員による「土人」という侮辱に対して、沖縄人の名誉と尊厳を賭して異議申し立てをしようではないか。チバリヨー目取真俊!


「土人」って何? 宇宙人? 沖縄の若者の実感は
 大阪から派遣された20代の機動隊員が、米軍ヘリパッド建設に抗議する市民に言い放った「土人」。その言葉に込められた侮辱的なまなざしを肌感覚で知る中高年世代の憤りが募る一方、沖縄の20代は「土人」発言をどう感じたのか。率直な思いを聞いた。(社会部・嘉良謙太朗、政経部・比嘉桃乃)
 「『土人』って何ですか? 宇宙人?」。初めて耳にする言葉に、沖縄大4年の学生(21)は不思議そうな表情を浮かべた。「自分が言われたらいい気分はしないかな」と続ける。
 「『土人』がどういう意味か、分からない」。宜野湾市の男性(23)も首をかしげた。ただ、ニュース番組で機動隊員の発言する映像を見て、何となく「沖縄をばかにしている」とは感じた。日常生活で沖縄への差別を感じた経験はない。だが「これが本土の人の本音なのかな」とも思ったという。
 インターネット上では数年前から「米軍基地で収入を得ながら、お金ほしさに基地に反対する沖縄の人」を指して、「沖縄土人」との言葉が飛び交い始めたとみられる。基地を原発に置き換え、「福島土人」との言葉も氾濫している。
 21日、偶然フェイスブックで動画を見たという県出身で埼玉県在住の女性(22)は、すぐに「土人」の意味をグーグルで検索した。日ごろ沖縄出身だと明かすと周囲からうらやましがられることもあるだけに「沖縄への差別意識が垣間見えてショック」とつぶやく。
 高江に足を運んだ友人から、抗議している大半が沖縄県民だと聞いた。だが「お金をもらったり、中国から来た『プロ市民』だと誤って認識している人が、本土には多い」と語る。


沖縄県議会、機動隊撤退要求へ 「土人」発言に抗議 28日にも決議の公算
 東村高江の米軍ヘリパッド建設に反対する市民に対し、機動隊員が「土人」「シナ人」などと発言したことを受け、沖縄県議会与党3会派の代表者は21日、発言に抗議すると同時に高江からの機動隊撤退を求める決議案を提案する方針を確認した。最短で28日の臨時会での可決を目指す。県議会は与党多数のため、本会議に提案されれば野党、中立会派が反対した場合でも可決される公算が大きい。
 総務企画委員会の渡久地修委員長は21日、与党の要望を受け、野党・中立の各会派に対し、25日に委員会を開き決議案を審議できるかを打診した。
 委員会が開けない場合や、開会しても意見が一致しない場合は与党として議会運営委員会に提案し、臨時会の開会を求める。
 与党会派の共産は19日に県庁に安慶田光男副知事を訪ね、機動隊の撤退と建設工事の一時中断を国へ申し入れるよう要請していた。
 21日には与党3党であらためて対応を協議し、代表者間で「土人」などの発言そのものに抗議すると同時に、「問題の根幹は反対運動の現場への機動隊動員にある」とし、撤退要求に踏み込むことを確認した。
 機動隊員の「土人」発言を巡っては、翁長雄志知事は20日に県庁に池田克史県警本部長を呼び抗議。警察庁の坂口正芳長官は同日の記者会見で「不適切であり、極めて遺憾だ」との考えを示した。


百田尚樹さん、平野啓一郎さんらSNSに投稿 「土人」発言
 大阪府警機動隊員の「土人」「シナ人」発言や、大阪府の松井一郎知事が「出張ご苦労様」と機動隊員を擁護した内容などに対し、著名人らがSNSなどで批判している。
 脳科学者の茂木健一郎さんは「土人」発言について「完全にアウト、だけど、この隊員さんにそのように言わせた『構造』はより問題だと私は感じます」とし、松井知事の投稿については「知事として言うべきことは、そこではない気がする」と指摘した。
 またニュースなどで「『土着の人を意味する不適切な発言』と言い換えられていることに、果たして妥当なのかどうか。いずれにせよ、日本のメディアは、このようなニュースに対する反応がにぶすぎるように感じます」と投稿している。
 芥川賞作家の平野啓一郎さんは「今回の『土人』は、やるせないほど絶望的に間違っている。そして、大阪府知事の沖縄に対する根深い差別意識」と指摘。
 “尾木ママ”こと、教育評論家の尾木直樹さんはブログで発言に対し「失言甚だしいと思います…」とし、松井知事に対し「沖縄の住民へのおわびと機動隊員への戒めのがまったくないのはいかがなものでしょうか!? 違和感大きく気になります。差別は許されません」と書き込んでいる。
 一方、作家の百田尚樹さんは「反対派の連中もひどい言葉を吐いている。マスコミはそっちをまったく問題にしないのはなぜか」などと投稿している。


“土人”めぐる政治家の鈍感発言
 ★大阪府警の機動隊員が、沖縄県東村高江周辺の米軍北部訓練場内のヘリパッド建設に反対する市民に対し、「土人」「シナ人」などと発したことについて19日、官房長官・菅義偉は「不適切な発言で大変残念だ。許すまじきこと」とした。だが差別意識の表れとの指摘には「全くないと思う」と根拠なく否定した。同日、沖縄に機動隊員を派遣させている大阪府知事・松井一郎は「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」とツイートした。 ★また、松井は「その人を特定してね、大メディアが、テレビで鬼畜生のようにね、けだもののように、その個人を叩く。これは僕はね、違うんやないかなと思いますね。相手もむちゃくちゃ言ってるわけでしょ。相手はすべて許されるんかね」。松井はこの問題を街のチンピラ同士のけんかのように扱うが、政治家であるとか、公務員だということを全く理解していない。この男が知事という公人として君臨していることの方が問題ではないか。 ★政治家として、権力や権限があるものは、まず順法精神に基づくべきだ。機動隊員の差別的発言が許されないという立ち位置に就くべきで、機動隊員の気持ちを忖度(そんたく)する側に立つことも、ヘイトスピーチにつながる差別意識を持つ者を擁護するような発言も、認めるべきではない。「琉球処分」など日本の沖縄への差別や蔑視の歴史的経緯に思いが至らない知恵のなさを憂う見識を持つべきだ。市民の言葉と知事や機動隊員など権力や権限を持つ者とを同一視することも直ちに改めるべきだろう。事の本質は表現の不適切さではない。差別感や植民地意識の中に沖縄を位置付けている政治家や公務員ら、この国の為政者の鈍感さだ。(K)※敬称略

松井知事「土人」発言擁護と同根!『そこまで言って委員会』など大阪のテレビの聞くに堪えない沖縄ヘイト
 これが首長の発言として許されるものなのか。沖縄県の高江で進められている米軍ヘリパッド建設工事で、大阪府警から派遣されていた機動隊員が反対派市民に対し「触るな、土人が」と差別に基づいた暴言を吐いていた事件だが、今度は松井一郎大阪知事の姿勢に批判が集中している。
 まず、松井知事は暴言問題が報じられた19日に、自身のツイッターで〈ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様。〉と投稿。さらに翌20日には、報道各社からの取材に対し「もともと混乱地で、無用な衝突を避けるために、警察官が全国から動員されている。じゃあ、混乱を引き起こしているのはどちらなんですか」と、今度は反対派市民を非難したのだ。
 公権力の行使者である警察が「土人」というあからさまな差別語を投げつけた問題が起こっているのに、府の代表たる松井氏がわざわざ機動隊員を労うことは差別の肯定と受け止められて当然だ。その上、「混乱を引き起こしているのはどちらか」という松井知事の発言は、醜悪以外の何物でもない。
 普通なら完全に辞職ものだと思うが、しかし、大阪ではそういうことにはならないだろう。というのも、松井知事を糾弾すべき大阪のマスコミの多くが日本維新の会や松井知事の応援団と化しているどころか、テレビ番組のなかには、松井知事と同じような沖縄ヘイト肯定や沖縄へのデマ攻撃を垂れ流す番組があるからだ。
 その代表が、明日23日に松井知事が出演予定の『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ)だ。『委員会』では、これまで何度も沖縄の米軍基地問題を取り上げ、そのたびに沖縄への偏見を隠そうともせず、同時に基地反対運動を根拠もなく貶めてきた。
 たとえば、2013年11月3日放送分では、沖縄出身のジャーナリストであり元海上自衛隊の恵隆之介氏がこんな話をしている。
「沖縄県だけの暇人たちが反基地運動をしてるというような油断はしないほうがいい。そこには巧みに北京、あるいは平壌、ソウルの左巻きたちが入ってきているのは事実」
 一体、どんな根拠があってこんな話をしているのか。だいたい、番組では恵氏をはじめ“沖縄の人は基地に反対などしていない”などと言うのだが、ならば県知事選のほか、選挙で一貫して基地反対派が選ばれてきたのはどういう理屈なのだろう。
 この恵氏は以前、本サイトでも取り上げたように“デマの常習犯”であり、先の沖縄県知事選では“翁長氏の娘は北京大学に留学”“その娘の婿は中国太子党出身”などとメディアで語っていた。だが、翁長知事本人が述べているように、当時、翁長氏の娘は「埼玉の小さな大学」におり、しかも未婚だった。こんな根も葉もないデマを平気で流す人物が、このように反対運動を貶め、陰謀論にすり替えてきたのだ。
 さらに、2014年12月7日放送分では、この恵氏にくわえて「(沖縄県民は)ゆすりの名人」という暴言が問題となった元米国務省日本部長のケヴィン・メア氏が登場。メア氏はこの発言と同時に「沖縄県民は怠惰であり、他県以上にゴーヤーを栽培できない」と語ったとされているように、沖縄への差別を丸出しにした人物だが、番組中も相変わらず“沖縄ゆすり論”を展開。また、司会の辛坊治郎が「こないだ私、別の番組でね、翁長さんにご出演いただいて、私は普通に話しているつもりだったんだけど、いきなり怒り出されて『なんだその上から目線は!』って。俺、そんなつもりはないんだけど(笑)」という話をはじめると、恵氏が「(それは)沖縄県民特有の被害者意識」と言い、スタジオは爆笑に包まれた。番組は“沖縄は被害者意識が強く、政府をゆすってばかり”と印象付けだけでなく、「このままでは沖縄は中国の属国になる!」と煽って進行していった。
 それだけではない。昨年7月5日の放送では、沖縄戦を振り返り、番組パネラーの竹田恒泰氏が「(戦死者が出たのは)沖縄だけじゃないんですよ」「東京では10万人死にましたけど『捨て石になった』とか『東京差別だ』とか誰も言わないわけですよね」と批判。本土決戦の準備のために時間稼ぎに沖縄が利用されたことや、軍が住民たちを守るどころか戦闘に巻き込んだという歴史的事実をまったく無視して、ここでも“沖縄県民は被害者意識が強い”と主張したのだ。
 沖縄への偏見を助長するかのような内容と根拠のない情報をメディアが一方的に垂れ流す。──同番組の議論は、「売国奴」「中国の手先」などという中傷で基地建設に抵抗する人びとを蹂躙するネット右翼たちと何も変わらない。むしろ、ネット右翼を支えるデマの発信源になっているとしか思えない内容だ。
 しかし、重ねて問題なのは、このような公平中立もへったくれもない番組が、東京を除くほとんどの地域で放送されていることだ。同番組は沖縄問題に限らず、反中嫌韓の感情を煽ってきた番組でもあり、たとえば竹田氏は「在特会が活動したおかげで在日の特権の問題が明らかになった」「例えば、通名というのがあって、日本人の名前に変えることによって、犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ、また新たな犯罪ができる」などとデマを述べ、後日、番組側は謝罪している。
 こうした問題を引き起こしてきたことから、同番組は蔑視や差別に基づいたデマを公共の電波に平気で乗せ、ヘイトスピーチを繰り返すネット右翼の“製造”に一役買ってきた、と言われている。だが、今回の大阪府警の機動隊員が沖縄の人びとにぶつけた「土人」という暴言や、差別を肯定した挙げ句に問題の責任を基地反対派に押し付けた松井知事の沖縄蔑視としか言いようがない態度、そしてそれを擁護するネット上の意見を見ていると、この番組は同様に“沖縄ヘイト”にも加担してきたと思わざるを得ないのだ。
 しかも、深刻なのは、『委員会』と似たような番組が関西では増えている、ということだろう。現に、東野幸治が司会を務める『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』(朝日放送)でも、昨年10月24日の放送で、『沖縄の不都合な真実』(新潮社)の著者のひとりである篠原章氏が「(基地反対派は)おそらく3分の2は本土から来た方ですね」「仕事です。日当も出てますんで」「日当は労働組合から出ています」などと発言。この放送に対しては、奈良―沖縄連帯委員会代表が「事実をねじ曲げたばかりか意図的に捏造し、差別に満ちたヘイトスピーチそのものだ」として放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会に申し立てが行われたが、この番組の内容が『委員会』の影響を受けていることはあきらかだろう。
 ちなみに、松井知事が明日出演する『委員会』はすでに10月中旬に収録されており、「土人」発言問題は何事もなかったかのようにスルーされる公算が強いが、今後、松井知事を全面擁護する企画が進んでいる、との話もある。
 過去の記事でも指摘したが、機動隊員による「土人」発言は、安倍政権が民主主義や基本的人権さえ奪って圧制しようとしている沖縄への態度から生まれているものである。そして、権力の暴走をこういった番組が強化しているのだ。その罪の重さも、今回の事件であらためて指摘しておきたい。(編集部)


【機動隊員差別発言】「人権上非常に問題」法務省局長が答弁
 【東京】米軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設で、工事に反対する市民に対して機動隊員が「土人」「シナ人」などと発言した問題について、法務省の萩本修人権擁護局長は20日の参院法務委員会で「不当な差別的な言動はいかなるものに対してでもあってはならない。沖縄の人々に対する不当な差別的な言動も他の者に対するものと同様、人権擁護上非常に問題があると認識している」と指摘した。有田芳生氏(民進)の質問に答えた。
 特定の人種や民族への差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)をなくすための対策法が今年5月に成立している。有田氏は沖縄県民が差別的に扱われていたと指摘し、機動隊の発言を問題視した。萩本氏は発言の詳細を把握していないとしながらも「警備中の警察官が指摘のような発言で相手方、周辺にいる方々を誹謗(ひぼう)中傷することは同様に人権擁護上も非常に問題があると認識している」と述べた。


<ノーベル賞>ディラン氏は「無礼で傲慢」
 【ロンドン共同】今年のノーベル文学賞に選ばれた米シンガー・ソングライターのボブ・ディラン氏が沈黙を続けていることに対し、選考主体のスウェーデン・アカデミーのメンバーが21日、スウェーデン公共放送SVTのインタビューで「無礼かつ傲慢だ」と強く批判した。
 作家らでつくる同アカデミー(定数18)の一員のペール・ウェストベリ氏で、「この事態は予測しなかった」と困惑気味に語った。
 アカデミーは13日の授賞発表後、ディラン氏に再三連絡を試みてきたが、接触できないまま既に1週間が経過。12月の授賞式に来るのかどうかも不明で、権威を傷つけられたいら立ちが噴出した形だ。


<大阪電気通信大>大学入試で女子加算に賛否
 大阪電気通信大(大阪府寝屋川市)が、公募推薦入試に設けている制度が波紋を呼び、賛否が分かれている。どの学部でも女子受験生に一定の点数を加算する内容で、大学側は「女子に理工系への興味を持ってもらうため」と意図を説明。文部科学省は、取り立てて問題視しない方針だが「誤解を与えない入試をしてほしい」としている。
 「男女差別だ」「そこまでして女性をとりたい理由は何」「女子大もあるので問題ない」「理由次第だ」―。インターネット上では賛否双方の書き込みが続いている。
 大阪電気通信大によると、こうした優遇措置を始めたのは十数年前。


筆洗
 一八九五年の秋、沖縄を揺るがせる事件が起こった。沖縄県尋常中学校の生徒たちが、校長の排斥を求めて一斉に立ち上がった「尋常中ストライキ事件」である▼発端は、本土出身の校長の訓話だった。「皆さんは普通語さえ完全に使えないくせに、英語まで学ばなくてはいけない気の毒な境遇にある」と語り、英語教育の廃止を打ち出したのだ▼普通語とは標準語のこと。それもきちんと話せぬのに、英語など…と見下した校長の態度に生徒たちは憤慨した。生徒らはストライキ中も自主的に英語の授業をし、地元紙は「(校長の姿勢は)沖縄人に高等教育を受けさせず、沖縄を植民地扱いにするものだ」と論じた▼それから、百二十年余。沖縄に派遣中の大阪府警の機動隊員が、米軍施設の移設に抗議する人に、「土人」と言い放った。沖縄の人々を見下し、沖縄を植民地扱いしていた時代の言葉である▼沖縄への差別を体感しながら、日本の中で沖縄はどう歩むべきかと問い続け、「沖縄学の父」と呼ばれた伊波普猷(いはふゆう)は、尋常中ストライキ事件で退学させられた一人だ。その伊波が一九四七年、沖縄の帰属問題について、こう書いている▼<(沖縄人は帰属に関する)希望を述べる自由を有するとしても…自分の運命を自分で決定することのできない境遇におかれている>。「帰属」を「基地」とすれば、変わらぬ現実がある。

きょうの潮流
 「内地人は殿様にて土人は下僕たり、内地人は横柄にて土人は謙遜なり…内地人は富み土人は貧し」。これは明治政府の官吏が記した『沖縄見聞雑誌』の一部分です。力ずくで琉球を従わせた当時の様子がわかります▼派遣された琉球処分官の公文書からも明治政府の代表が現地の人びとを「土人」と称していたことが明らかに。元県知事の大田昌秀さんが著書『沖縄差別と平和憲法』のなかで紹介しています▼沖縄における外来者と地元民のいびつなありさま。大田さんは、薩摩の琉球侵略から今日までほとんど一貫してみられる現象だと。あたかもそれが米軍基地の建設現場で現れました▼「どこつかんどんじゃ、ぼけ。土人が」。大阪府警から派遣された機動隊員が高江のヘリパッド建設に抗議する市民に浴びせました。別の隊員は「シナ人」とも。ともに20代。どこまで意味を理解して口にしたかは不明ですが、国家権力の側に立つ警察に差別意識が蔓延(まんえん)しているとしたら恐ろしい▼侵略し、支配する側がもつ根深い植民地意識と差別意識を助長するような発言も。大阪府の松井一郎知事は「表現が不適切だとしても大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」とツイッターに投稿。菅官房長官も「全くないと思う」と、差別意識を否定しました▼沖縄の歴史や現状に少しでも心を寄せれば決して出てこない言葉。それは有無を言わせず自分たちのやり方を押し付ける征服者の態度と同じです。

核禁止、トルーマン氏の孫が支持
 【ニューヨーク共同】広島、長崎への原爆投下を命じたトルーマン米大統領(当時)の孫で著述家のクリフトン・トルーマン・ダニエルさん(59)は22日までにニューヨークで共同通信の取材に応じ、来年の「核兵器禁止条約」制定交渉開始に向けた国連総会決議案への支持を表明し「祖父も私に同意してくれると思う」と述べた。
 国連総会第1委員会(軍縮)で討議されている同決議案については、核抑止力を安全保障の中核に据える米国など核保有国が強く反対しているが、ダニエルさんは禁止条約推進派を後押しする強い決意を示した。


仏高速炉 「半額負担」日本に要請へ 開発費5700億円
 フランスの高速実証炉「ASTRID(アストリッド)」の開発費について、仏政府が総額約50億ユーロ(約5700億円)と試算したことが分かった。ASTRIDは日本政府が高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の代わりに高速炉を開発するため共同研究を計画し、フランス側は日仏で開発費を折半したい考え。研究成果も両国で共有するとしているが費用の上振れも予想される。巨額の折半負担には反発もあり、日本政府は慎重に検討する見通しだ。
 日本の資源エネルギー庁にあたる仏原子力・代替エネルギー庁(CEA)のフランソワ・ゴーシェ原子力開発局長が毎日新聞の取材に明らかにした。ゴーシェ氏は「CEA内で非公式に見積もった」とし、計画が詳細になれば費用が増える可能性も示唆した。
 高速炉の開発は実験炉、原型炉、実証炉、実用炉の段階を踏んで進む。日本政府が最終的に目指すのは、商業利用できる実用炉の独自開発だ。トラブル続きの上、再稼働後だけで5400億円以上かかる原型炉「もんじゅ」について日本政府は廃炉を検討。ASTRIDへの開発参加で得た知見を生かし、日本独自の実用炉を開発する方針だ。
 日仏政府は2014年、協力して高速炉を開発することで合意している。ASTRIDの非常用原子炉冷却装置などを共同研究するが、開発費用について明確な合意はない。
 ゴーシェ氏は「両国それぞれの研究チームの協力を深め、最終的には合同チームにしたい」との期待も示した。日本側が費用の折半に難色を示した場合には、研究の分担や費用負担は「日本側の要望に応じ、検討する」と柔軟な姿勢も示した。
 だが、日本政府関係者の中には、「ASTRIDの実現が順調に進むか疑問」との声がある。ASTRIDは構造上、日本で導入するには耐震性の課題が指摘されており、将来、日本独自で高速実用炉を開発する際の知見が得られにくいとの指摘もある。
 この点についてゴーシェ氏は「耐震性が日本の基準に達しているか、日本側と共同で検証している」と述べた。【宮川裕章、パリ賀有勇】
ASTRID(アストリッド)
 フランスが開発を計画する高速実証炉。商業利用できる「実用炉」の一歩手前に位置付けられる。出力は28万キロワットの原型炉もんじゅを上回る60万キロワットで、経済性の見通しを確認する研究をするのが大きな目的。もんじゅと同様、ASTRIDも冷却材に液体ナトリウムを使うため、高度な技術が必要になる。もんじゅなど原子炉容器が小さい「ループ型」と異なり、容器の大きい「タンク型」で、耐震性では劣るとの指摘もある。2015年までに大枠の「概念設計」段階が終了し、詳細な「基本設計」段階を経て、30年代半ばごろの運転開始を目指す。


仏、難民キャンプ「解体」へ 24日着手
 【パリ共同】英仏海峡のフランス側の港町カレーに英国行きを図る難民や移民らが殺到し「ジャングル」と呼ばれる劣悪な環境のキャンプで暮らしている問題で、フランス内務省と地元パドカレー県は21日、同キャンプの「解体」を24日に開始することを決め、約6千〜8千人とされる住人らに通告した。
 24日から治安部隊員ら千人以上を動員、住人を連日50台以上のバスに乗せて国内約300カ所の一時居住施設に約1週間かけて移す計画。保護者がいない未成年者約1300人は県内の施設に引き取る。


山本農相“舌禍”もひるまず TPP法案採決へ自公強気のワケ
「異常だ。許せない。こんなむちゃくちゃなやり方はない」
 民進党の山井国対委員長が怒りを爆発させるのも当然だ。TPP承認案と関連法案について、自公はやはり“強行採決”で突き進むつもりだ。
 山本農相の「強行採決」発言に反発し、民進と共産が19日に続き、21日も衆院の特別委員会を欠席。それでも自公はきのう、参考人質疑までやってしまった。
 自公はとにかく何でもいいから審議時間を積み上げ、「議論を尽くした」という形をつくりたい。そこで、民進と共産の質問時間を何もしないで過ごす“空回し”を続け、採決の目安とする40時間超えを狙っている。その横暴ぶりには、民進議員から「2回連続の空回しは例がない」「安保法の時よりひどい」と批判の声があがるが、これに自公がひるむ様子はゼロ。国民をナメ切っているからだ。
■野党欠席で担当閣僚のボロも出ず
「安保法の時に強行採決したけれど、直後こそ内閣支持率が10ポイント下がったものの、その後、上昇に転じた。今回も採決直後はたとえ世論の批判があったとしても、大したダメージにはならないでしょう。むしろ、野党欠席で担当閣僚たちが答弁でボロを出さずに済んで助かっています」(自民党ベテラン議員)
 自公は28日の衆院本会議でTPP法案を採決する構えを崩していない。「自公単独ではなく維新が賛成するから『強行採決』ではない」という詭弁も弄している。
 21日安倍首相は、政府与党連絡会議の場でTPP審議について、「何よりも重要なことは国民の前で丁寧に説明を尽くすことだ」と言っていた。ペテン政治がますます悪化している。こんなの許してはダメだ。


「生前退位」有識者会議が天皇の希望も世論も無視、官邸の意向で“一代限り特別法”にすでに決定済み!
 やっぱりそうなったか。天皇の「生前退位」をめぐり、17日、都内で有識者会議の初会合が開かれたが、新聞各社は翌18日朝刊で一斉に“一代限りの特別法制定が基本線”と報じた。
 座長の今井敬経団連名誉会長は会合後の会見で、「よく聞いていろいろな判断をするのでこれからの問題」とシラをきったが、“官邸の敷いた既定路線”が存在することは誰の目にも明らか。実際、メンバーの山内昌之東大名誉教授は、同日夜のBSフジの番組で「特別法を出すことで、まず(生前退位を)解決する。それが一段落してから皇室典範改正に取り組む姿勢を打ち出すことは、荒唐無稽のことではない」と、世論を無視することの予防線をはるような発言もしている。
 改めて指摘しておくが、憲法2条には《皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する》という規定があり、普通に考えれば、「生前退位」実現のためには、皇室典範を改正し恒久的な制度化をするのが筋だ。ところが、安倍首相の支持基盤である日本会議など右派勢力は皇室典範改正に対し強硬に反対。そこで、安倍政権としては、一代限りの特別法で茶を濁し、支持層からの批判をかわそうとしているのだ。
 だが、天皇制の根本に関わる「生前退位」の問題を、一代限りの特別法で解決することに問題はないのか。憲法学者の木村草太首都大学東京教授は「AERA」(朝日新聞出版)10月3日号のなかで、「生前退位」自体は合憲とする一方、特別法の制定については「憲法2条から、特別法を許さないという趣旨も読み取れる」と、違憲の可能性を指摘している。
 前述したように、憲法2条は《皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより》と規定されているから、「生前退位」という皇位の問題については、やはり皇室典範の改正が必然的に要求されるというのだ。さらに木村教授はこのようにも述べている。
「皇位の継承は非常にデリケートなもの。明確なルールで行われないと国政上の大きな混乱を生むため、皇室典範でルールを定めないといけないというのが、具体的な法律名を唯一出した憲法2条の趣旨と読み取るのが自然でしょう」(「AERA」より)
 また、別の懸念もある。仮に一代限りの特別法を認めるとすれば、今後、将来的に再び天皇の退位をめぐる問題が立ち現れたとき、今回のケースが前例となり、その度に特別法で対処するというルーティーンとなるだろう。そうすれば必然的に、時の政権与党による恣意的な天皇の廃立の危険性が高まる。つまり、立法府を数の力でねじ伏せることで、その時々の天皇の強制退位や皇位継承の順位変更を導きかねない。ゆえに、誠実に「生前退位」について議論するならば、退位等をめぐる明確な基準や手続きを精査したうえで、恒久法である皇室典範を改正して、しっかりと明記するのが当たり前なのだ。
 一方、安倍政権が一代限りの特別法制定に躍起になっているのは、皇室典範に手をつけてほしくない右派勢力への“配慮”以外に、もう一つの理由があると見られている。それが、安倍首相の悲願でもある改憲との兼ね合いだ。
 各社報道によれば、政府筋は皇室典範の改正には時間がかかり天皇が望む早急な退位を難しくさせると説明しているが、これは政権側の言い訳にすぎない。実のところ、安倍首相は何よりも憲法改正の政治日程を優先し、「生前退位」の議論がその足かせとなることを拒んでいるのだ。19日、自民党は党の政治制度改革実行本部の役員会で、無期限案をも視野に入れた総裁任期の延長を事実上決定したが、これもその“改憲スケジュール”を邪魔されたくないという首相の意思が強くにじみ出ていると言える。
 そして、マスコミもこの流れに追随しつつある。なかでも、安倍政権の意向を最も忖度しているのがNHKだ。もともと天皇の「生前退位」の意思をめぐる議論の発端は今年7月のNHKによるスクープだったが、これに官邸は激怒。直接、NHK幹部に猛烈なクレームをつけたとも言われており、いまNHK内部は「生前退位」の報道に非常にナーバスになっているという。
 事実、17日放送の『ニュースチェック11』は、こうした“官邸への配慮”が顕著。番組の冒頭から有識者会議の初会合を取り上げたのだが、その扱い方はあからさまに政権の顔色を伺うものだった。
 たとえば、スタジオでは皇室典範改正には課題が山積しているとして、桑子真帆キャスターが「いろいろ考えなければならないので時間がかかりそうですね」とコメント。あからさまに典範改正という方法にネガティブな解説をする一方、専門家の談として、小泉政権時に「皇室典範に関する有識者会議」の座長代理を務めた園部逸夫元最高裁判事の「特定の天皇について考えるほうが良いのではないか」という話をフリップで紹介。有馬嘉男キャスターが「これは特別法の制定ということになります」「政府内でも陛下がご高齢なので迅速に対応する必要がある、と有力視されています」と続け、露骨に特別法が好ましいという印象づけを行った。
 さらに呆れたのが、『ニュースチェック11』が「現制度で対応」という方法があると強調したこと。これは摂政などの現行制度を指していると思われるが、なんとここで、番組では専門家のコメントとして、あの八木秀次麗澤大学教授の話を紹介したのだ。
 八木氏といえば、安倍首相の右派のブレーン中のブレーンとして知られる。安倍政権下で教育再生実行会議委員を務め、日本会議系の講演なども多数行う、いわば“日本会議御用学者”だ。2014年、天皇・皇后の護憲発言に対し「安倍政権批判だ」と攻撃したことも記憶に新しい八木氏だが、「生前退位」についてもこの間、「正論」(産経新聞社)などで大反対キャンペーンを牽引してきた。
 ようするにNHKは、むりやり「現行制度で対応」などという無理筋な話を持ち出し、さらに安倍首相とべったりの日本会議御用学者のコメントを放送することで、官邸におべっかを使ったというわけである。まったく、“安倍様のNHK”と言わざるをえない。
 安倍政権の意向を叶えようと世論の地ならしに躍起になる有識者会議に、それを批判するどころか追従する大マスコミ。憲法は天皇の地位を《主権の存する日本国民の総意に基く》としているはずだが、どうやら現実には私たちの声は届かず、政権の思い通りに進んでいるようだ。(宮島みつや)


上海の大学に慰安婦像=中韓団体−ソウルに続く
 【上海時事】旧日本軍の従軍慰安婦を象徴する中韓2人の少女の像が中国・上海市内の大学構内に設置され、22日、除幕式が行われた。中韓などの民間団体・個人が協力して設置した。中国国内に慰安婦像が設置されるのは珍しい。
 少女像が設置されたのは、上海市当局が管理する上海師範大学。中国の伝統的な服と韓国の民族衣装をそれぞれ身にまとった2人の少女が椅子に腰掛けた姿。昨年秋に韓国・ソウル市に設置された像と同様のもので、中韓の芸術家が制作した。費用は韓国側と米国の中国系団体が負担したという。
 除幕式は、歴史問題に関する国際シンポジウムの一環として行われ、中韓の元慰安婦も参加した。同大学内に慰安婦問題の資料を集めた博物館もオープンした。


上海の大学に慰安婦問題を象徴する2人の少女像
中国・上海の大学に、慰安婦問題を象徴する中国人と韓国人の2人の少女の像が設置され、現地の日本総領事館が大学関係者に懸念を伝えました。
慰安婦問題を象徴する少女の像が設置されたのは上海師範大学の構内で、22日午前、中国と韓国の関係者が記念の式典を開きました。
像は両国の芸術家が1体ずつ制作して大学に寄贈したということで、それぞれの国の伝統的な衣装を身につけていすに座っている中国人と韓国人の少女をかたどっています。
同様の2人の少女像は去年、韓国のソウルにも設置されましたが、大学の関係者によりますと、中国国内に設置されたのは初めてだということです。
この大学には慰安婦問題の研究機関があり、関連の書籍や写真などを展示する博物館も22日オープンしました。
また討論会も開かれ、出席者たちは慰安婦問題に関連する資料をユネスコ=国連教育科学文化機関の「記憶遺産」に登録する必要があると主張しました。
少女の像の設置について、上海の日本総領事館は大学関係者に懸念を伝えました。外務省も東京の中国大使館に懸念を伝えたということです。


京都・時代祭 秋の歴史絵巻 2000人が練り歩く
 秋の京都を彩る「時代祭」が22日、京都市中心部であった。平安から明治までの時代装束をまとった約2000人が都大路を練り歩き、華麗な歴史絵巻を繰り広げた。
 午前9時、桓武天皇と孝明天皇の御霊代(みたましろ)を乗せた「御鳳輦(ごほうれん)」と呼ばれる輿(こし)の行列が、平安神宮(同市左京区)を出発。京都御苑(同市上京区)で武者姿の男性や十二ひとえ姿の女性らと合流した。
 正午には、明治から平安時代にさかのぼる順番で「時代行列」が出発。笛や太鼓の音とともに平安神宮までをゆっくりと進み、沿道に集まった多くの観光客らの拍手を浴びた。【篠田直哉】


共産 志位氏 衆院選連携で一方的に候補者取り下げず
共産党の志位委員長は東京都内で講演し、次の衆議院選挙での民進党などとの連携について、党の候補者を一方的に取り下げることはないとして、選挙区での候補者の一本化に向け各党が推薦を出すなど、相互協力が必要だという考えを強調しました。
この中で、共産党の志位委員長は民進党などとの野党4党の連携について、「参議院選挙の際は、まずは野党共闘を軌道に乗せるため、党の候補者をほとんど降ろした。降ろしてもまとめるという立場で臨んだことは正しかった」と述べました。
そのうえで、志位氏は次の衆議院選挙について「本来は選挙協力とは相互的なもので、共産党の候補者を一方的に降ろすことは全く考えていない。譲るところは譲るという本気の共闘を実現してこそ、選挙に勝ち安倍政権を倒すことができる」と述べ、候補者の一本化に向け各党が推薦を出すなど、相互協力が必要だという考えを強調しました。
一方、志位氏は「民進党の中には、『理念や政策が違うところとは、ともに政権を目指さない』という声があるが、共産党が呼びかけている『国民連合政府』に反対するなら、どういう政権構想を考えているか示してもらいたい」と述べました。


「原発争点なら自民敗北」 新潟、鹿児島知事選で「うねり」
◆次期衆院選で小泉元首相にインタビュー
 小泉純一郎元首相は共同通信社の単独インタビューに退任後初めて応じた。次期衆院選で野党が統一候補を擁立して「原発ゼロ」を争点化すれば、自民党が敗北するとの見通しを表明。原発再稼働に慎重な候補が当選した新潟、鹿児島の県知事選に触れ「目に見えない、うねりが出てきた。衆院選に影響がある」と述べた。安倍晋三首相が目指す九条改憲は民意不在を理由に「できない」と指摘した。インタビューは十九日、東京都内で行った。
 小泉氏は二〇〇九年の政界引退後、約三年前から原発ゼロの即時実施を講演などで訴えている。一四年の東京都知事選で、立候補した細川護熙元首相と組んで原発政策転換を掲げたが、敗北した。
 インタビューでは、安倍政権が脱原発に転ずることはないとした上で「民意を無視する政党が、政権を持続できるわけがない」と非難した。民進党にも「最大の争点が原発だと分かっていない。野党がだらしないから与党は楽だ」と苦言を呈した。
 野党が原発政策でまとまった場合「自民党から『実は反対』という議員が出て、ごたごたする」と予測。「ポスト安倍」とされる岸田文雄外相や石破茂前地方創生担当相も影響され得るとした。
 福島第一原発事故を受けた廃炉や賠償で東電への国費投入が膨らむ懸念を説明し「原発推進論者の『安全、コストが安い、クリーン』とのスローガンは全部うそだ」とした。高速増殖炉もんじゅを含め、核燃料サイクル政策全体を取りやめるべきだとした。使用済み核燃料の再処理を日本に認める日米原子力協定を一八年に更新する必要はないと主張。「米国は日本が方針を決めたら、いやと言えない」と語った。
 改憲問題では「基本は九条改正だが、国民に変える雰囲気がまだない」と分析。九条以外の改憲は意味がないとした。
 ロシアとの北方領土交渉は、北方四島の日本への帰属をロシアが認めないため、打開は難しいとの考えを示した。
◆「原発ゼロ」首相に迫る 先月の接触時
 小泉元首相はインタビューで、九月に安倍首相に対し「何で原発ゼロにしないのか。原発ゼロの方が安上がりだ。こんな簡単なのに、なぜ分からないのか」と詰め寄ったと明らかにした。首相の反応については「苦笑して頭を下げて何も言わなかった」と説明した。
 両者の接触は九月十五日に開かれた故加藤紘一元官房長官の葬儀終了後、迎えの車を待っていた際。小泉氏は黙ったままの安倍首相に「経済産業省や原発推進論者が言っているのは、全てうそだ。だまされるなよ」とも伝えた。安倍首相は返答せずに公用車に乗り込み、その場を後にした。
 安倍首相は小泉政権時代に自民党幹事長や官房長官に抜てきされ、二〇〇六年に後継首相として第一次安倍政権を発足させた経緯がある。
◆小泉元首相インタビュー詳報 原発は金食い虫だ 推進論者の「安全」うそ  
 小泉純一郎元首相のインタビューの詳報は次の通り。
 【原発と政治】
 −新潟、鹿児島両県知事選で、原発再稼働に慎重な候補が勝利した。
 「目に見えない、うねりが出てきた。原発に対する不安、懸念がいかに強いかを表している。衆院選に影響がある。野党が候補を一本化し、原発ゼロを争点にしたら、自民党が勝つか分からない。野党が勝つのではないか。小選挙区で候補者調整をすれば、自民党にとって脅威だ。今までは争点隠しされた。これからは影響がある」
 「(民進党は)最大の争点が原発だと分かっていない。野党がだらしないから与党は楽だ。野党が原発ゼロを言い出したら、原発再稼働について、自民党から『実は反対』という議員が出て、ごたごたする」
 −衆院選にどう関わるのか。
 「引退してから衆院選応援には行っていない。息子(小泉進次郎衆院議員)の応援にも一度も行っていないが、原発ゼロは言い続ける」
 −今、現職首相なら原発ゼロで信を問うか。
 「当たり前だ。野党は真っ青になる。首相が言えば、反対できない」
 −郵政民営化と比べるとどうか。
 「簡単だ。郵政はもっと厳しかった。自民党も反対、全政党が反対だった。非常識と言われながら本当によく勝った。野党は原発ゼロに反対していない。自民党は民意を無視している。民意を無視する政党が、政権を持続できるわけがない」
 −九月の故加藤紘一元官房長官の葬儀時、安倍晋三首相と会話した。
 「車を待っている時、『何で原発ゼロにしないのか』と言った。首相は苦笑して頭を下げながら、何にも言わなかった。聞いているだけだった」
 「昨年、首相には『原発ゼロにすれば、他の政策はもっとやりやすくなるよ』と伝えたが、分かってもらえていない」
 −首相は、原発ゼロに踏み切れないか。
 「ここまで(再稼働に)踏み込み、輸出までしている。変えたら逆に『ぶれた』と批判される」
 −「ポスト安倍」はどうすべきか。
 「野党が原発ゼロを争点にしたら、自民党は有権者の動向に敏感な政党だから、候補者の岸田文雄外相や石破茂前地方創生担当相は(どう対応するか)分からない。自民党総裁選にも大きく影響してくる」
 −原発ゼロの国民運動に手応えがあるのか。
 「感じている。国民はいずれ分かってくれると思い、講演を続けてきた。判断に間違いはない」
 【原発政策】
 −即、原発ゼロか。
 「もちろん。(東京電力福島第一原発事故から)五年。稼働中の原発はほとんどゼロだ。自然エネルギーで賄える。核燃料廃棄物は有害性が消えないのに、処分場がない。新規制基準は米国より甘い。避難計画もテロ対策も弱い。原発を攻められたら日本はおしまい。日本に向けた核爆弾を持っているようなものだ」
 「東京電力が支払えず、政府が(いったん肩代わりする形で)支援する賠償額は五兆円で足りず、九兆円に引き上げられた。最近また追加支援を求めている。原発は金食い虫だ。原発推進論者の『安全、コストが安い、クリーン』とのスローガンは全部うそだ」
 −首相在任中の原発政策を反省しているか。
 「専門家や電力会社の言うことを信じていた。引退し勉強して、うそと分かった。当時、分かっていれば、とっくにゼロにしていた。論語の『過ちては改むるにはばかることなかれ』だ」
 −高速増殖炉もんじゅの評価は。
 「三十年間で税金一兆円も費やした。夢の原子炉が、幻の原子炉だ。(核燃料サイクル政策)全てが駄目だ。必要ない」
 −使用済み燃料の再処理を認めた日米原子力協定のため原発政策をやめられないとの声もある。
 「うそだ。米国は日本が方針を決めたら、いやと言えない。(二〇一八年が期限の協定を)更新する必要はない」
 【改憲】
 −首相は改憲を実現できると思うか。
 「できない。基本は九条改正だが、国民に変える雰囲気がまだない。日本はとっくに解釈改憲をしている。九条以外を変えるのは意味がない」
 【北方領土】
 −北方領土問題は解決できると考えるか。
 「難しい。ロシアが北方四島の日本帰属を認め、二島を返還するならいいが、しないだろう」
 【生前退位】
 −天皇陛下の生前退位を巡る見解は。
 「天皇陛下は忙しすぎる。首相在任時も、公務を減らすよう宮内庁長官に何度か言った」
 【元米兵支援】
 −東日本大震災で救援活動をした元米兵の支援に取り組む理由は。
 「『トモダチ作戦』に参加した元兵士が病気だと聞き、今年五月に十人と米カリフォルニア州サンディエゴで会った。元兵士は原子力空母を東北沖に停泊させて活動していた。一、二年たち鼻血が止まらず内臓に腫瘍ができた。空母は海水を真水に変えてシャワーや料理に使う。外部と内部の両方の被ばくだ。妊娠していた女性は障害児を産み、(その子は)しばらくして亡くなった。みんな日常生活が送れずに除隊せざるを得なくなり(医療保険がないため)高額の医療費を取られている」
 「国防総省は米議会に『被ばくによる結果と断定できない』と述べ、日本外務省も『訴訟中のため日本政府としては何もできない』と言った。口だけの感謝では済まない。治療に役立つ額を渡す必要があると思い、基金を設立した」
 −いくら集まったか。
 「七千万円を超えた。来年三月までに一億円を集め、見舞金として渡したい。今年十一月十六日に会費一万円で全額を寄付する講演会を東京で開く」


せたがや音楽プロジェクト ディランさんノーベル賞決定記念 訳詞の中川さん出演
 世田谷区を拠点に音楽活動をしている音楽家らが、メッセージ性の高い楽曲をライブ演奏する「せたがや音楽プロジェクト」が十一月五日、区民会館(世田谷四)で開かれる。今年は米国のシンガー・ソングライター、ボブ・ディランさん(75)のノーベル文学賞受賞を記念し、ディランさんの訳詞で知られ、反戦などを訴えてきたフォーク歌手の中川五郎さんの出演が急きょ決まった。主催者は「平和への祈りを会場全体で共有したい」と訴える。 (神野光伸)
 イベントは、初来日から今年で五十周年を迎えた「ビートルズ」のヒット曲「All You Need Is Love(愛こそはすべて)」をテーマに企画していた。今月十三日にディランさんの受賞が決まったのを受け、ディランさんの訳詞の第一人者である中川さんにイベントの参加を打診した。
 予定では、当日は中川さんがディランさんの楽曲を日本語訳して披露。もともと参加予定だった歌手の松崎ナオさんも、ディランさんのヒット曲「風に吹かれて」を中川さんと共に歌う。既に出来上がっているイベントのパンフレットには中川さんの紹介が入っていないため、主催者は新たなパンフレットを作成して対応する。
 主催する「せたがや音楽プロジェクト」の下平憲治副代表(54)は「ディランの歌に込められた反戦などのメッセージを今の時代に伝えられれば。ビートルズと合わせて、平和の尊さを知ってもらいたい」と話している。
 ライブは午後二時開演。全席指定で一般二千円、中学生以下五百円。問い合わせは、せたがや音楽プロジェクト事務局=電03(5432)1535=へ。


高すぎる休学費用に日本女子大の卒業生が一石を投じた! 大学側は「重要な課題として検討したい」と前向きな返答
人の卒業生が大学を動かすかもしれません。
 ある女性が世界一周旅行のために大学を1年間休学しようとしたところ、高額の休学費用が必要だと判明。大学側に値下げの直談判を行ったものの認められなかったという経緯をつづったブログが10月上旬に話題となり、その後大学側が「重要な課題として(休学費用の今後を)検討している」ことが取材で明らかとなりました。
 ブログmanazo.comで大学時代を振り返ったのは、まなか(@mnc4mnc )さん。2回生の1月ごろからバックパッカーとして世界を巡ることに興味を持ったという彼女は、アルバイトで160万円の資金をためました。しかし、彼女が通学していた日本女子大学を休学するためには施設設備費(29万円)、図書費(1200円)、在籍料(在籍する学部の授業料の半額)を合計した休学費用が必要だということが分かります。
 まなかさんは、ブログの中で「籍を残すだけなのに、たったそれだけなのに、1年間受けない講義と使わない施設と読まない図書のために66万円」と、納得できない思いを胸に大学の経理課に値下げ交渉を行ったり、学生総会に参加した経緯を説明し賛同を得ることができたのですが、結局、当時学則の変更はかなわなかったといいます。
 日本女子大学の休学費用に一石を投じたまなかさん
 編集部では、日本女子大学の休学費用に一石を投じたまなかさんご本人に取材し、詳しい経緯をお伺いしました。
――休学の理由となった世界一周旅行について思い立った経緯について詳しく教えてください
まなか:海外へ飛び出してみることに興味を持ってから、実際に「休学しよう!」と思ったのは大学3年生の4月ごろでした。バックパッカーとして世界一周をしたいと思ったのは、ボランティアをしたい、日本の子どもとは異なる生活をしている発展途上国の子どもたちの姿を見てみたい、自分を変えるような大きな挑戦がしたいという思いからです。
――休学に際して、休学には費用がかかるということは知っていましたか
まなか:まったく知りませんでした。そもそも、まさか自分が休学するとは思ってもいなかったので……。
――休学費用の中で最も納得のいかなかったことは何ですか
まなか:全部です(笑)。退学するわけではないので、1年後には全額学費を支払うのに、1年間の猶予も許されないのか、とやりきれない気持ちでした。
――まなかさんは世界一周後に復学し、旅をする女性のライフコースに関する卒業論文で各学科2人に贈られる賞を受賞したとのことですが
まなか:自分の論文や世界一周が評価されたのは素直にうれしかったかったです! しかし、受賞は休学費66万円という代償(?)を払って実現できたものなので、少し複雑でした。
――具体的にはどのような点が複雑でしたか
まなか:賞をいただけたということは、大学が私の行動を少なからず評価し、認めてくれたということだと思うので、なんだか、大学の対応に少しだけ矛盾を感じてしまいました。
 しかし、大学の休学費用に疑問を感じことがあるのはまなかさんだけではありません。国立大学の多くでは休学費用が「免除」となっている一方、明治大学では半期で8万円、学習院大は年間6万円など私大ではなんらかの休学費用が発生する大学が大多数。ネットでは「なぜ大学を休むのに高額の休学費用が必要なのか」という意見があがっています。
 特に休学費用が高額と感じられたのは女子大学で、大妻女子大学では80万円超という休学費用に学生が減額を求める嘆願書を提出。学生本人の休学時には間に合いませんでしたが、翌年から大幅な減額が実現したといいます。
 本件について大妻学院・広報戦略室に問い合わせたところ「平成23年度までは休学中の学費は、授業料を半額、教育充実費を全額、徴収していたので、1年間休学した場合には約80万円の学費負担がありました」と回答。「平成24年度以降は学則を改正し、授業料を全額免除、教育充実費を半額免除としたので、1年間休学した場合には約20万円の学費負担となりました」と学則改正の経緯を明かしましたが、学生からの嘆願による改正なのかについては「学則変更の理由は公表しておりません」と明言を避けました。
 また、まなかさんが卒業した日本女子大学は取材に対して、まなかさんから休学費用減額の申し出を受けた前後には同様の問い合わせが来ていないと休学費用に関する申し出が異例であったことを明かしました。一方、休学費用については「卒業生から在校時に申し出を受けた際にも十分に検討したが、今後は重要な課題として再検討していきたい」と前向きな回答を寄せました。
 学生が通学しやすい大学の仕組みづくりはもちろんですが、学生のスキルアップなどのためにも休学しやすいシステム構築も望まれます。(Kikka)


文春砲より過激かも?「月刊住職」 編集長のぶれないジャーナリズム
 「週刊文春超えの神見出し」「攻めすぎ」などとネットで話題になっている寺院住職向け専門誌「月刊住職」。檀家とのトラブルから、「ポケモンGOはお寺にとっていいものなのか」などの「時事問題」まで幅広く扱っています。雑誌は何を狙い、どんな風につくられているのでしょうか。編集長で現役住職の矢澤澄道さん(68)に聞きました。
「一般向けには書いていない」
 月刊住職を手に取ると、一般週刊誌のような見出しに釘付けになります。
 「婿養子住職が罷免(ひめん)されたのは人権問題か」「お寺が業者を訴えた波紋」――。お寺の身内トラブルを、センセーショナルな見出しで大きく取り上げます。「あらあら、お坊さんなのに」と思うような記事が少なくありません。お寺の評判が悪くなりそうですが……。
 「そういう心配は全くないんですよ。一般社会に向けて書いているんじゃなくて、お坊さんが読むことが前提なんです。一般の人がどう思うかなんて全然気にしないから、書くべきことを書けるんです。一見恥ずかしいようなお寺のトラブルだって、住職にとっては『転ばぬ先の杖』として学べる教材になります。仏教を広める住職のための実用実務誌です」
 とはいえ、ネットで話題になったり、新聞広告を載せたりしているということは、一般の人が購入することもあります。それはありがたくないのでしょうか。
 「いえ、とってもうれしいです。ネットを見て、編集部も喜んでいました。いただいたご意見が企画につながったこともあります。一般の方にお坊さんのことを知ってもらい、一般の方からご指摘をいただくことで、切磋琢磨(せっさたくま)してよりよい社会がつくれるのでは」
記者4人が地道に取材
 雑誌は約200ページ。地方の小さなお寺の話題が掲載されたり、各地のお寺の取り組みをまとめたり、情報をキャッチすることすら難しいようなネタが満載です。編集部はどのような態勢なのでしょうか。
 「記者は4人。特別な取材網はありません。新聞やネットをチェックしたり、読者から情報提供をいただいたり、いろいろです。いざ取材をしようとしても、トラブルなどの場合はだいたいお寺側には拒否されます。それでも、ガチャンと切られる覚悟でまず電話をする。そして記者が現場に行って、お寺の近くの酒屋さんとかお米屋さんとかで聞き込みをして、檀家(だんか)を探すんです。そうやって、裏付けをとります。誰でもできる取材ですよ」
 矢澤さんは1974年の創刊時から、常に編集の中心となっています。お寺の住職の長男で、お寺を継ぐ前に知りたい情報を「取材」したことが雑誌のきっかけだったそうです。
 「びっくりしたんだけど、お寺によって住職がやってることって全然違うんですよね。何時に起きて、何時に寝るか。お勤めをするか、どんな本を読むか、どんな思想を持っているか。そして、住職の手腕によって、お寺の経営が全く異なることを肌身で感じました。『いい住職とは何か』をみんなに発表したら喜ばれるんじゃないかって思ったんです」
お坊さんへのお布施は高くない?
 創刊号から取り上げるテーマの骨格は変わっていません。お寺がらみの事件や訴訟トラブル、課税問題や法律相談、新興宗教の情報などが掲載されています。
 その一方で、世の中にはお寺と縁遠い人が増えました。最近も、その傾向が法事などの時にお坊さんをネットで手配する「お坊さん便」という形で現れました。雑誌では、「僧侶を派遣従業員のごとく扱っている」などと反発しました。
 「ここ数十年、お坊さんへの尊厳の念のようなものが、ぽっかり抜けてしまっています。菩提(ぼだい)寺を持たない人も6割ほどにのぼります。そういう人たちが『お布施が高い』とか『墓じまいだ』とか大きな声で言っているんでしょうね。私には、人々が神聖なものとしてきた葬儀や埋葬を、そんな言葉で表現することに、非常に違和感があるのです。だから、お坊さんに向かって、『軽々しくそんな言葉を使うべきではない』『そういう活動に便乗すべきではない』ということを訴えているのです」
 とはいえ、そうした新しいサービスには一定のニーズがあることも事実。やはりお寺が変わるべき時にきているのではないでしょうか。
 「お寺の収入というのは、檀家さんからいただくお布施です。信仰の拠点である寺院を維持するために頼れるのはお布施だけなのに、日本のお寺が檀家さんからいただくお金はとても少ないんです。総務省の『家計調査』には、冠婚葬祭に関する宗教費の支出の統計もあり、一般世帯は年間4万円程度です。全消費の1.4%に当たり、世界的にもきわめて低水準で、実は日本のお寺はお金がかからないところなのです」
 「うちのお寺も、檀家さんからいただいているのは年間6千円。みなさんの暮らしぶりを知っているので、『1万円にしてください』とは言えません。その分、何十年かに一度の葬儀の時に、数十万円というお布施をいただくんです。そのために、遺族にみんなで『香典』を包むという相互扶助システムがあります。その営みを、これからも継承してほしいものです」
若い僧侶は「お坊さんカフェ」も
 矢澤さんが注目しているのは、若いお坊さんたちの取り組みです。カフェやこども食堂を運営し、コンサートなどのイベントも盛ん。近年、お坊さんのさまざまな活動が注目されるようになったといいます。
 「阪神大震災と東日本大震災という2度の災害を経て、檀家以外に向けて活動するお坊さんがとても増えました。災害時のボランティアの経験が、お坊さんを外に向かわせるようになったんですね。彼らは布教というほど堅苦しくない、肩の力が抜けた形で仏さまの教えを広めています。『お寺にいるお坊さん』というイメージが、『友だちの中にお坊さんがいる』という形に変わってきているんです。こうした活動は、これからの住職にどうしても必要でしょうね」
 最新の10月号では、「僧侶によるインターネット相談」を紹介し、「現代日本の僧侶に要請される一つの布教の場であることは間違いなさそうだ」と結んでいます。
 「世の中はめまぐるしく変わっています。お坊さんも社会になじんだ形で人々と関わらなければいけません。そのための情報を提供するのが、私たちの役割です」

怒りをうたえ第2部3部/社会党による社青同排除にショック/山本義隆講演会/地震

ブログネタ
フランス語 に参加中!
近代日本と自由 ―科学と戦争をめぐって―山本義隆161021

Japon: un fort séisme de magnitude 6,2 frappe l'ouest du pays
Tokyo - L'Ouest du Japon a été frappé vendredi après-midi par un fort tremblement de terre de magnitude 6,2 suivi de plusieurs répliques, selon l'Institut de géophysique américain (USGS), mais sans provoquer de risque de tsunami, a précisé l'Agence japonaise de météo.
Ce séisme est survenu à une profondeur relativement faible de 10 km peu après 14h00 (05H00GMT) dans la préfecture de Tottori.
Le trafic a été suspendu à l'aéroport régional par précaution, selon la chaîne de télévision publique NHK.
"Nous avons été durement secoués, comme jamais depuis des années", a témoigné un fonctionnaire de la préfecture de Tottori, Suminori Sakinada, interrogé par l'AFP.
"Pour le moment, les huit blessés relevés sont tous faiblement touchés", a détaillé la NHK qui a une mission d'intérêt général dans ce genre de circonstances et a immédiatement interrompu ses programmes pour les consacrer à la couverture du séisme.
"De très nombreux appels sont passés au 119 (numéro des urgences) ", a signalé l'agence Kyodo.
"La région de Tottori est de celles ou peuvent se produire des séismes de façon récurrente", a déclaré un sismologue de l'Université de Tokyo à la NHK.
Plusieurs secousses secondaires sont susceptibles de se produire dans les heures et jours à venir. Elles pourraient endommager des habitations et autres constructions déjà fragilisées par le premier fort tremblement de terre, mettent en garde les autorités.
"Nous travaillons en lien étroit avec les localités concernées et avons ordonné que les informations sur l'évacuation et les dommages soient communiquées au plus vite aux citoyens", a écrit le bureau du Premier ministre sur son compte Twitter.
- Pas d'anomalies dans les centrales nucléaires -
Plusieurs incendies ont été recensés et au moins une maison s'est effondrée, a indiqué la chaîne NHK qui a rapidement diffusé des images des immeubles de Tottori tremblant grâce à son réseau de caméras automatiques qui se déclenchent lors des secousses.
Un très large périmètre a tremblé, la moitié de l'île de Honshu, jusqu'à Tokyo.
Aucune anomalie n'a été constatée dans l'immédiat dans les installations nucléaires situées dans les régions concernées, a fait savoir l'Autorité de régulation nucléaire sur son site internet.
Les rames du train à grande vitesse Shinkansen entre Tokyo et Osaka ont été arrêtées dans les deux sens, ont précisé les médias et la compagnie de chemin de fer.
Des coupures d'électricité ont aussi été relevées et l'approvisionnement en gaz ainsi qu'en l'eau pourrait être interrompu par endroits, a averti la NHK.
Le Japon, situé à la jonction de quatre plaques tectoniques, subit chaque année plus de 20% des séismes les plus forts enregistrés sur Terre.
Les Japonais sont encore plus sensibles aux risques depuis le tsunami de mars 2011 qui a tué quelque 18.500 personnes et entraîné l'accident nucléaire de Fukushima.
L'archipel nippon a connu en avril une série de forts tremblements de terre dans la région de Kumamoto (sud-ouest) ayant fait une cinquantaine de morts. Des dizaines d'autres décès ont ensuite été déplorés du fait de la dégradation des conditions de vie de personnes évacuées.
フランス語
フランス語の勉強?
ビーバップ!ハイヒール【その後、歴史は動いた 教科書が教えない本当は面白い話】
教科書には描かれない、歴史ドラマを紹介▼井伊直弼は暗殺された後、とんでもないことになっていた▼ペリーは帰国後、○○で大成功!▼マッカーサーの壮大すぎる野望とは!?
ハイヒールの二人が世の中の様々な常識にハテナ?と疑問を抱き、スタジオのメンバー達と深く考えていく知的好奇心バラエティ

アフターヒストリー『その後』歴史は動いた…
 誰もが学校で手にした日本史の教科書。年号や名前ばかりが羅列されているが、教科書が描かないところにこそ、本当に面白い「歴史ドラマ」が詰まっている!▼坂本龍馬 北の大地に描いた夢の計画▼平賀源内 偉大な大発明家の残念すぎる末路
ハテナの自由研究は、たむけんの人気企画『女性は欲を出すとイッてしまうのか!?』… 関西の女性は「欲を出すとイクとこまでイッテしまうのか?」を大検証!▼たむけんが美女にあんなこと、こんなこと…悲鳴と絶叫が入り混じる!
ハイヒール(リンゴ・モモコ)、 チュートリアル(徳井・福田)、 たむらけんじ、 吉本実憂、 大野聡美(ABCアナウンサー)、 江川達也、 筒井康隆
河合敦(多摩大学客員教授)… 早稲田大学大学院で日本史を専攻。高校教師を経て今年3月より現職。著書に『教科書から消えた日本史〜学校で習った「歴史」は間違いだらけ』『何故偉人たちは教科書から消えたのか』『目からウロコの太平洋戦争』など多数

黒服物語
浪人生がNo.1キャバ嬢に出会ったことで、黒服となり、イジメにあいながらも頂点を目指していく!欲望が渦巻く、ギラギラした人間ドラマが繰り広げられる!
初めてキャバクラに入店した彰は、煌びやかな世界に圧倒される!楽しい時間を過ごすが、料金が支払えないことが判明!警察に突き出されそうになった彰は、この店で働かせてほしいと願い出るが、「このくらいの仕事ならできるんじゃないか」とナメた口をきく彰に原田たちは怒り心頭…。店長の斉藤の許しを得、『ジュリエット』で働き始めることになるが、ぬるま湯で育ってきた彰にとって夜の世界は想像以上に厳しいものだった…!
中島健人(Sexy Zone)、佐々木希、山本裕典、柏木由紀(AKB48)、中尾明慶、安井謙太郎(ジャニーズJr.)、柳俊太郎、入山杏奈(AKB48)、筧美和子、杉本有美、柳ゆり菜、福吉真璃奈、相葉裕樹、中島ひろ子、神保悟志、北村有起哉、要潤、竹中直人

被差別部落の青春 (講談社文庫)
角岡 伸彦
講談社
2003-07-15


とまどいながらも  よんひゃん
在日韓朝鮮人の3世、4世、それも20代以下の人に「差別されたことある?」とたずねたら、「いやー、ほとんどないでしょ」という答えが返ってくることが多いと思う。被差別部落問題にも、同じ現象がおこっているようだ。というより、この現象は、部落問題に関して、より顕著だろう。
 わたしたち在日には、本名を名乗ることによって自分の出自を明らかにする、という手段もあるし、外国人登録証という「徴(しるし)」も持っている。本国の言語、文化を学んで、アイデンティティ確立の一助とする、ということもできる。
 彼らには、まったくそれがない。被差別部落特有の生活習慣や、「ムラ」の中での一体感も、生活の向上に伴って、徐々に消えつつある(このあたりの事情は、在日にも共通する)。まさに、「差別されていること」自体が、彼らの「徴」となっている。このような構造を前に、「寝た子を起こすな」論が幅を利かすのも、無理からぬ部分があるかもしれない。
 目に見える差別の実態はどんどん薄くなっていっているし、それ自体はよいことなのだが、差別自体はなくなっていない。差別と闘う人たちにとっては、かえってやりにくいとも言える状況である。実際、「こんなに悲惨な生活をしているんですよ」というところから始まる同和教育は、実態とは完全にずれている。
 著者にも、そのあたりの事情に対するとまどいが見え隠れする。だが、それをそのまま出してしまったからこそ、本書の存在意義があるのだと思う。
 インタビューとルポルタージュで構成されていて、肩肘張らずに読める本です。ますます見えない存在になりつつある彼ら。そして、見えないからこそ、恋愛・結婚などを通じてだれもが「関係ない」とは言い切れない彼らの実態を知ることができる。問題の重さを感じつつも、読後感はさわやかである。

同和利権の真相 と併せて読みたい。 たるまつ
筆者は宝島社の解放同盟批判本「同和利権の真相」を批判している、とのことでしたので、解放同盟寄りの利権擁護派かと思っておりましたがさにあらず、本書は、冷静・公平に部落の人々を描いた名作だと思います。
「部落にいると(経済的に)得だが、ぬるくて何か違う」という、部落の若者自身の言葉を借りて違和感を表現しているところが出色です。部落の若者のほとんどはただ普通に生き、普通に頑張っているだけなのでしょうが、時代の変化に適応しない一部会派の利権漁りの余得を受ける結果、外部の見る目は冷たい、という現代同和問題の構図をうまく表現していると感じました。
繰り返しますが、同和利権に肩入れするような趣旨の本ではなく、むしろ利権廃止と「早期正常化」を祈るもののようで、好感できます。


地震があったようです.鳥取で震度6.なんか嫌な感じです.
10月19日の京都精華大で怒りをうたえ/差別発言容認の松井一郎は辞めろで怒りをうたえを始めてみたわけですが,その日は第1部だけでしたので,今日は早めに出て第2部3部を見ました.ちなみに内容は以下の通りです.第1部が1968,10,21-1969,5,31までで、10・21新宿争乱闘争,防衛庁突入闘争,東大安田講堂死守戦,4・28沖縄返還闘争,愛知外相訪米阻止闘争.第2部は1969,6,8-1969,11,17の期間でアスパック弾劾闘争,6・15反安保闘争,8・6広島闘争,全国全共闘結成、10・8羽田2周年闘争.第3部は1969,12,1-1970,6.23で,三里塚闘争,4・28沖縄デー闘争,70年安保6・15闘争,カンボジア爆撃弾劾闘争です.最後のカンボジア・・・は時間の都合で見ていませんが,わたしも当時の学生・反戦青年委員会の一員になったつもりで闘おうという気持ちになりました.
特に気になったというか衝撃を受けたのは日本社会党が大会に社青同(日本社会主義青年同盟)のメンバーを排除する場面.社青同が規律違反か何かをしてしまったのでしょうか?単に大会に参加させないだけでなく,機動隊に逮捕させているわけです.ショックです.
その後山本義隆さんの講演です.題目は「近代日本と自由 ―科学と戦争をめぐって―」です.東京大学という国策大学で始まった「科学」はそもそも戦争のためのもので,潜在的な軍事力として存在してきた・・・という指摘になるほど!!!と思いました.

<大川小 還らぬ人へ>未来の道 広島に重ね
 原爆投下から71年となる8月6日、宮城県石巻市大川小の卒業生2人が、歴史の証人としてヒロシマを見詰めてきた原爆ドームを訪れた。
◎津波訴訟10月26日判決(7)紫桃朋佳さん、佐藤そのみさん
<妹への思い募る>
 2人は専門学校生紫桃(しとう)朋佳さん(18)=石巻市=と大学2年佐藤そのみさん(20)=埼玉県所沢市=。共に大川小に通っていた妹を東日本大震災の津波で亡くした。
 「戦争であれ、震災であれ、大切な人と離れ離れになった悲しみは同じ。強く生きて」
 平和記念式典後、被爆体験を聞かせてくれた寺前妙子さん(86)の言葉に2人は癒やされた。
 71年前のあの日、寺前さんは爆心地から約550メートル地点で被爆した。顔に大けがを負いながらも一命を取り留めたが、妹の恵美子さんは全身を焼かれ、13歳で他界した。
 5年7カ月前のあの日、朋佳さんは妹千聖(ちさと)さん=当時(11)=とけんかし、「行ってきます」のあいさつを交わさず家を出た。後悔の念と、もう一度会いたいとの思いが募る。
 通訳を夢見ていた妹みずほさん=当時(12)=を亡くしたそのみさんはあの日の朝、なぜかいらいらしていた。妹の「おはよう」に返事をせず、優しくしておけば良かったと悔いてきた。
 2人と同様、妹を亡くした寺前さんは、今も過酷な体験を語り続ける。
 朋佳さんは「今の自分にはできない。心の傷が癒えたら、人前で話せる時が来るかもしれない」と言う。
<校舎保存を訴え>
 戦争体験と震災体験−。過酷な体験を語り続ける心理的な負担の大きさは共通している。それでも多くの人が、未来の命のために「あの日」を語る。
 原爆ドーム周辺を案内してくれた地元のボランティアガイド村上正晃さん(23)は、知らない事、知ろうとしない事が時に罪であることを教えてくれた。
 「原爆ドーム前でピースサインをする人、騒ぐ人がいるのはなぜか。それは、過去にここで何が起きたのかを知らないからだ」
 被爆者に聞き取りを続ける村上さんは「二度と同じことが起こらないよう、若い自分なりに丁寧に語っていきたい」と話す。
 被爆体験のない同年代が放ったメッセージを、2人は重く受け止めた。
 大川小の「悲劇」を繰り返してはいけない−と、朋佳さん、そのみさんら大川小卒業生6人が「チーム大川」を結成したのは2014年3月。「地震や津波の恐ろしさを後世に伝えるきっかけに」と被災した大川小校舎の保存を訴えてきた。
 参考にしたのは「平和への誓い」を象徴する原爆ドームだ。「被爆体験を思い出させる」と解体論も根強かったドームを巡る議論に、2人は大川小の在り方を重ね合わせた。
 「震災を経験した若い世代と連携し、大川小で起きたことをしっかり伝えていきたい」
 若い2人は10年先、20年先を見据える。
          ◇         ◇         ◇
 児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。東日本大震災から5年7カ月、片時も忘れ得ぬ「還(かえ)らぬ人」へ−。原告や遺族関係者の思いを伝える。(石巻総局・水野良将、報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


<原発避難>蓮舫氏が視察 避難者と懇談も
 民進党の蓮舫代表は20日、廃炉作業が進む東京電力福島第1原発と、原発事故の避難者が暮らす福島県いわき市の仮設住宅を視察した。終了後、福島県などが廃炉を求める福島第2原発を含む原発の再稼働について「住民の理解を得られない」などと批判した。
 いわき市の仮設住宅では同県楢葉町からの避難者約25人と懇談。「永田町との距離が開かないよう古里を追われた人の気持ちに寄り添い続けたい」と話した。
 住民らは昨年9月に避難指示が解除された楢葉町の現状を説明。帰還者は人口の1割に満たず「(搬出されず)町内に残る放射性廃棄物が帰還の妨げになっている」などと訴えた。
 視察後、蓮舫氏は「復興への道のりはまだまだ長いと実感した。2030年代の原発ゼロ実現に向け、新エネルギーで産業雇用を生む。党としてロードマップを示したい」と語った。


鳥取・地震 熊本地震被災者「当時の記憶よみがえり怖い」
 鳥取県中部の直下で21日午後2時過ぎに発生したマグニチュード(M)6.6の地震。鳥取県で建物被害が相次ぎ、熊本地震の被災者からも心配の声があがった。
 「当時の記憶がよみがえってとても怖い。人ごとではない」。9月まで熊本市の避難所にいた同市東区、東本春美さん(68)は自宅で被災地の様子をテレビで見守った。「日本列島のどこで次の地震が起きるかわからない。日ごろから災害への備えが大切」と不安そうに話した。
 熊本地震で自宅が半壊した熊本市中央区の渡辺幸枝さん(68)は「鳥取の人たちも余震に気をつけ、自宅の高い位置に物を置かないなど対策をしてほしい」。仮設住宅に入居する熊本県南阿蘇村の橋本綾さん(40)も「前震と本震が起きた熊本地震のように時間をおいて大きな揺れがくることも考えられる。安心せずに用心してほしい」と呼び掛けた。
 一方、中国地方を中心に、交通機関は広範囲で乱れた。東海道・山陽新幹線は豊橋−博多南間で15〜20分間運行を見合わせ、延べ5万人以上に影響した。
 福岡市のJR博多駅に到着した京都府向日(むこう)市の無職女性(32)は、旅行で京都駅から新幹線に乗車。約1時間後にトンネル内で突然車内の電気が消え、徐々に停車した。あちこちで緊急地震速報の携帯電話のアラームが鳴り、約19分後に運転は再開した。「特に車内も混乱はなくよかった」と安堵(あんど)していた。【柿崎誠、野呂賢治、遠山和宏】


地震 鳥取で震度6弱 伯耆町の県道で土砂崩れ
 気象庁によると21日午後2時7分ごろ、鳥取県中部を震源とする地震が発生し、同県倉吉市などで震度6弱を観測した。震源の深さは約10キロで地震の規模はマグニチュード(M)6.6と推定される。震度6弱はこの他、同県の湯梨浜町と北栄町。鳥取市内や岡山県の真庭市、鏡野町では震度5強を観測した。鳥取県は災害対策本部を設置し、被害の確認を進めている。倉吉市では複数のけが人が出ているが、いずれも軽傷とみられる。
 現地消防によると、湯梨浜町で住宅1棟が倒壊したが、空き家でけが人はなかった。北栄町でも複数の建物が倒壊した。米子市では空き家1棟が倒壊、商店街でアーケードのトタン板が落下したため市が撤去した。
 鳥取県中部では、午後2時53分ごろにM5.0の地震が起きたほか、M4前後の地震が複数回起きている。
 震度6弱を観測した倉吉市では市役所庁舎が損壊して職員らは屋外へ避難。市内の同県中部総合事務所に災害対策本部を置いた。
 震度5強を観測した鳥取市内では消防によると、スーパーマーケットで調理中の店員が油をかぶり搬送された。また、ビルのエレベーターが緊急停止し、中に人が閉じ込められているという情報がある。
 鳥取県伯耆町によると、町内の県道の一部で土砂崩れが発生したが、車は巻き込まれていないとみられる。
 岡山県内の中国自動車道などでは一時通行止めにして、安全を確認した。


【鳥取震度6弱】 工場や店舗、従業員は…? 確認に追われる企業
 21日午後2時過ぎに起きた鳥取県中部を震源地とするマグニチュード(M)6・6の地震。同県周辺に拠点を置く関西系企業も工場や店舗の状況、従業員らの安否の確認に追われた。同日夕方までに大きな被害があったとの報告はないが、余震への警戒は続いている。
 ヤンマーのディーゼルエンジン用部品を製造する子会社の工場(島根県松江市)では、約180人の従業員の無事を確認。建物や設備に異常はないが、生産設備の一部である鉄を溶かす溶解炉を停止中で、確認作業に当たっている。余震の状況を見て、生産開始時期を決める。
 鳥取市にファイル類の生産工場がある文具メーカー、コクヨ。同社によると工場に勤務する従業員は約240人。地震発生時は工場内に人がいたが屋外のグラウンドに避難し全員無事だった。物的損害など詳細については「確認中」としている。
 江崎グリコは、鳥取県南部町で子会社の鳥取グリコがカレーやシチューを製造。地震発生時に一時生産を休止したが、安全確認後にすぐに再開した。現在のところ生産計画に影響は出ていない。
 積水ハウスは、顧客の物件を調査。鳥取、岡山県の震度5強以上の地震にみまわれた地域には、アパートを含め約4500棟の同社製物件がある。21日午後6時現在で、けが人や建物の損傷は確認されていない。
 大和ハウス工業製の物件は、鳥取県の震度6弱の地域に戸建てを中心に約100棟があるが、目立った被害は報告されていない。建築中の物件の計画にも支障はないという。
 シャープは、鳥取県米子市で小型液晶パネルを製造している子会社のシャープ米子で、全従業員の無事を確認。生産設備を一時停止して確認作業に当たったが、建物や設備に異常はなく順次、生産再開できる見通しという。広島県内にある工場や営業拠点でも、従業員や建物、設備に被害はないという。
 パナソニックのLED照明関連商品を製造する工場(鳥取市)のほか、岡山県も岡山市や津山市などのDVDレコーダーなどの生産拠点でも、設備に大きな異常はなく、人的被害もなかった。
 関西電力は福井県内に美浜3号機、高浜1〜4号機、大飯1〜4号機の原子力発電所がある。現在1基も稼働していない。「現時点で地震による影響はない」(広報)としている。
 回転すし店を展開する、くらコーポレーションとあきんどスシローによると、鳥取県内にそれぞれ店舗はあるが、物的損害、人的損害はないという。


【鳥取震度6弱】 山陰の静かな町並みが一変 「あんな揺れは初めて!」
 白昼の穏やかな時の流れを揺れが一変した−。鳥取県中部で最大震度5強を観測した21日午後の地震。観光名所では、外壁が崩れたり、天井が落下した施設も確認された。「あんな揺れは初めて」「被害の全容が分からない」。関係者は言葉を詰まらせ、情報収集に追われた。
 歴史的な街並みが人気の鳥取県倉吉市も震度5強の揺れが襲った。倉吉白壁土蔵群では、土蔵のしっくいの外壁が崩落した。観光案内所によると、崩落は少なくとも数メートル以上にわたっているという。
 案内所に隣接する喫茶店でも食器などが棚から落ちる被害があった。担当者は「たまたま観光客がいなかったが、どれほどの被害になっているのかも分からない」と頭を抱えた。
 倉吉体育文化会館(倉吉市山根)では当時十数人が会議をしていたという。揺れが襲い、全員が屋外に避難。天井の一部が落ちるなどの被害が確認された。幸いけが人はなかったが、担当者は「かつてないほどの揺れだった」と興奮した様子で語った。
 国宝・投入堂で知られる三徳山三仏寺(同県三朝町)でも、建物の被害などはなかったが、参拝道の一部でひびが見つかったという。
 同県境港市本町の「水木しげる記念館」では、約30人が見学中だった。目立った被害はなかったが「みんな不安そうな顔をしていた」(担当者)。
 影響は広範囲に及んだ。同県湯梨浜町の「はわい温泉・東郷温泉旅館組合」の担当者は、情報収集中だとした上で、「一部の宿で屋根が落ちたという話を聞いた。被害の全容はまだ分からない」と声を震わせた。
 はわい温泉の老舗旅館の担当者は、通常営業は続けるとしながらも、「チェックイン前に地震が起きたので、お客さまには直接影響はなかったのがよかったが…。今後はどうなるのか」と余震などへの懸念も示した。


<長沼ボート場>宮城知事 客観的に有力
 2020年東京五輪・パラリンピックのボート、カヌー・スプリント会場の見直し問題で、東京都の調査チームが「海の森水上競技場」(東京都)と宮城県長沼ボート場(登米市)の2カ所に絞り込んだことを受け、村井嘉浩宮城県知事は20日、「長沼でやれる自信も気概もある。客観的に比較すれば長沼が有力だ」と優位性を強調した。
 県庁で報道各社の取材に答えた。村井知事は「伴走路と(TV中継用の)カメラレーンを設置すれば、今すぐに大会を開くことができる」と説明。「諦めることなく長沼の良さを発信し続ける。小池(百合子)知事が長沼と決めたら、後押ししたい」と述べた。
 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は19日、安倍晋三首相と官邸で会談し、東日本大震災の被災地での競技開催を提案。追加種目の野球、ソフトボールの福島開催に前向きな姿勢を示した。
 村井知事は「長沼も被災地の競技場。長沼に可能性があるとも受け取れるし、(被災地の競技開催は)『福島で十分』とも聞こえる」と懸念を示した。


デスク日誌 ボート小唄
 東京・渋谷の代々木競技場近くの日本ボート協会を訪れ、2020年東京五輪の対応を聞いた。都の五輪調査チームの報告書で、ボートの会場を宮城県長沼ボート場(登米市)に変更する案が浮上したからだ。
 「五輪の出場選手はリオデジャネイロも東京も550人です」。陸上と水泳に次いで出場選手数が3番目と知り、驚いた。ボートは欧米では人気競技なのだ。
 そう言えば、母校・本荘高はボートに熱心だった。由利本荘市の市街地を貫く子吉川にボート部の艇庫があり、クラス対抗ボート大会が毎年開かれた。コックス役の自分の掛け声に合わせ、こぎ手4人の動作が一つになると、グングンと前に進む。心地よさは、今でも覚えている。
 入学早々には運動部の応援歌練習があり、「ボート小唄」の習得が義務だった。<本高ボートマンは意地でもこぐよ、水の流れも何のそのダンチョネー>
 ボート大会は今、1年全員参加のボート教室に変わった。「ボートをこいだ経験を社会で生かしてほしい」と学校は期待する。体験や観戦によって競技への愛着は増す。五輪は競技普及の大きな機会となる。(東京支社編集部長 藤原陽)


<岩泉ヨーグルト>台風被災…17年夏復活
 台風10号豪雨で被災した岩手県岩泉町の第三セクター「岩泉乳業」が、2017年8月に操業を再開する見通しとなった。3工場は改修と一部建て替えをして被災前と同規模の生産能力を確保する。復旧費は29億円。半分は国の支援を受け、残りは同社と町が中心となって負担する方向で検討する。
 岩泉ヨーグルトなどを製造する同社は、小本川の氾濫で本社工場と第2、第3工場が全て浸水した。自社製品の生産設備に加え、周辺地域の生乳を集約してろ過や冷却をする「コールドセンター」の機能も失った。
 復旧には29億円が必要で、半分の14億5000万円は県を通じて国が支援する。残りの負担は町などと調整を進める。
 被災前と同じ1日ヨーグルト約10トン、牛乳約2トンを製造できる規模での再開を目指す。本社工場は改修して使用。第2、第3工場は取り壊し、代わりに新工場1棟を新設しコールドセンターも整備する。新工場は洪水対策として、基礎を約1メートルかさ上げすることを検討する。
 町農林水産課の佐藤太一課長は「岩泉乳業は町の酪農振興のシンボルで公共性の高い企業。関係団体と連携して最良の形で再開させたい」と話す。
 岩泉乳業の山下欽也社長は「被災直後は途方に暮れたが、ようやく先が見通せるようになった。地域の酪農家と一緒に作り上げてきたブランドを早く復活させたい」と意気込む。


<自殺中2写真>賞撤回 市長が遺族に謝罪
 青森県黒石市の写真コンテストで市長賞に内定した作品に、いじめ被害を示唆する遺書を残して8月に自殺した青森市浪岡中2年の葛西りまさん=当時(13)=が写っていたとして主催団体が内定を取り消していた問題で、高樋憲黒石市長らは20日、遺族宅を訪問し、一連の対応を謝罪した。
 市長は謝罪後、取材に応じ「今回の件について心からおわびした。経緯の説明をもっとしっかりするべきだった」と話した。
 葛西さんの父(38)は謝罪を受け入れ、「最初から今回のような説明をしてほしかった。今後はこういったことがないようにしてほしい」と語った。
 市長と遺族によると、写真の撮影者が「自分ではなく葛西さんに賞を受け取ってほしい」と要望。市側が撮影者の意向を伝え、遺族が了承した。写真は遺族提供として、黒石観光協会のホームページと11月に黒石市で開かれるイベントで公開されるという。
 葛西さんは8月25日、青森県藤崎町のJR奥羽線北常盤駅で列車にはねられ死亡した。スマートフォンのメモに「二度といじめたりしないでください」などと書いた遺書を残していた。


河北春秋
 震災の年の秋だったか。「以前、新聞に載った孫の写真が欲しい」と電話があった。津波で命を落とした5歳の男児。掲載は亡くなる1週間前で、それが生前の最後の写真になった。優しい笑みだった▼その写真は5年たった今、男児の存在そのものとなっているはずだ。時に悲しみをよみがえらせながらも、日々何かを語りかけ、家族の中でずっと生き続けていることだろう▼黒石市の写真コンテストの賞授与を巡る騒動にはあきれる。いったん、市長賞に内定していた作品が、市長の判断で覆された。いじめを訴え自殺した青森市の中2少女が、偶然写っていたためだ。その経緯が報道されるや、今度は無節操にも市長賞贈呈に転じた▼他市の中学生のいじめ、自殺という予想外の展開に困り果てたのだろう。当たり障りなく、やり過ごそうとした黒石市の対応は苦々しい。遺族が公開した作品はことし8月、市の祭りで一般の人が撮影した。踊り手姿の何と愛らしいことか▼作品と娘の名を公表した父親は「いじめられても笑顔だった姿を多くの人に見てほしい」と言う。その笑顔から10日後に13歳で世を去った。何がそうさせたのか。隠されそうになった写真が語るものは多い。真正面から受け止めたい。少女のメッセージが聞こえてきそうだ。

駅出入り口の点字ブロック 自転車が占拠
 仙台市宮城野区のJR仙石線宮城野原駅で、出入り口付近の点字ブロックを駅利用者の自転車が占拠している。約4カ月間、改善する傾向はなく、視覚障害者や点字ブロックに対する市民の理解不足を象徴する光景が続いている。
 問題になっているのは、宮城野原公園総合運動場側の出入り口。地下の駅への階段と歩道をつなぐ点字ブロック上に自転車が置かれ、視覚障害者が安全に通行できなくなっている。
 通勤で駅を利用するバリアフリー研究者の永幡幸司福島大准教授(46)によると、点字ブロックの占拠は6月20日ごろから。近くの国立病院機構仙台医療センターの移転工事が本格化し、総合運動場内に「違法駐輪」していた自転車が追い出されるように駅出入り口前に移ってきた。
 「あれだけ自転車が点字ブロックの上に密集していると確実にぶつかる」。現場を訪れた仙台市視覚障害者福祉協会の高橋秀信会長(49)は指摘する。
 視覚障害者は点字ブロックの上に障害物がない前提で歩く。「私たちは点字ブロックの上は安全だと思い通常の速さで歩く。自転車と勢いよくぶつかりけがをしたり、白杖(はくじょう)を折ったりする恐れが強い」と危ぶむ。
 宮城野原駅には医療センター側の出入り口近くに市営駐輪場があるが、信号付きの横断歩道を渡るのが面倒なのか、運動場側出入り口付近への駐輪が後を絶たない。取材中も若い女性が点字ブロックの上に自転車を置いた。記者が声を掛けるとけげんな表情を浮かべ、無言で駅へと去った。
 永幡さんはJR東日本に繰り返し対策を求めた。駐輪禁止を呼び掛けるテープが張られるなどしたが、解決には至っていない。
 JR東日本仙台支社広報室は「自転車が占拠している部分は県の土地なので対応する立場にない」と説明。総合運動場を管理する県教委スポーツ健康課は「JRから相談は受けた。対応に苦慮している。近くJRや医療センターを交え協議する」と話した。
 8月に東京、10月には大阪で、視覚障害者が駅のホームから転落して死亡する事故が起き、安全な社会の在り方が課題になっている。永幡さんは「点字ブロックを使う視覚障害者の存在を意識しない人が大勢いる証し。宮城野原駅だけの問題ではない。点字ブロックの上には物を置かない。それが早く社会の共通認識になってほしい」と訴える。
 永幡さんは、宮城野原駅に障害物(バリアー)がたくさんあるとしてホームページ「バリアフル宮城野原」を開設し、6月下旬から経過を公開している。


農相、強行採決発言/「国民軽視」を映すおごりだ
 公式の場ではないとはいえ、とても看過できるものではない。環太平洋連携協定(TPP)の承認案と関連法案の国会審議に絡む山本有二農相の発言である。
 都内で18日にあった自民党の佐藤勉衆院議院運営委員長のパーティーでこう語った。「強行採決するかどうかは佐藤氏が決める。だから私ははせ参じた」。まるで強行採決を促すかのようではないか。
 今臨時国会で審議入りしてわずか3日目、しかも、空前の市場開放にさらされかねない東北を含む地方の生産者らに、懸念が渦巻く農業分野を所管する閣僚の言動だ。
 山本氏は審議中の衆院特別委員会で、自らの発言を「撤回」し謝罪はした。だが「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」である。いったん口から出た大臣の言葉が軽かろうはずがない。民進を含む野党が辞任に値すると思うのも、むべなるかなである。
 本来、審議の充実に努め、農業者らの不安と疑問を拭うため説明を尽くすべき立場にある。その安倍政権の農相が強行採決に言及した。背景にあるのは、野党各党が指摘するように衆参両院で自民党が過半数を握る「1強」のおごり以外の何者でもあるまい。
 数の力を頼むことは、国会審議軽視であり、つまりは国民軽視にほかならないと言わざるを得ない。
 おごりは党にもある。9月末に特別委理事だった福井照衆院議員(比例四国)が、TPP承認案に関し「強行採決という形で実現するよう頑張らせてもらう」と述べ、理事を辞任した経緯がある。
 福井氏は辞任の会見でこうも言った。「この国会で採決したいという安倍晋三首相の思いを申し上げた」
 国民の支持を得た自民党の国会議員がおもんぱかるべきは「1強」の主のことではない。国民のことであり、その暮らしであることを改めて指摘しておかねばならない。
 むろん、強行採決を巡る発言が相次ぐのは、「日程ありき」で結論を急ぐ安倍政権の姿勢と無関係ではない。
 来年1月までの任期中にTPPの議会承認を目指す米オバマ政権を後押しするため、11月8日の米大統領選前にTPP承認案の成立にメドをつけたいという。そのためには10月中の衆院通過が必要だ。
 だが、オバマ政権による議会承認は厳しく、民主、共和両党の大統領候補は共にTPPに強く反対。議会承認の行方は混沌(こんとん)としている。
 TPPの発効には経済規模の大きい日米両国の批准が不可欠なのだから、今は米国の動向を見極めるべきときだ。
 日本が急ぐ必要はない。必要なのは、TPPが暮らしに及ぼす影響について国民の理解を促すため、情報を開示し丁寧な説明に徹することだ。
 農相発言を巡り紛糾する特別委の審議を正常に戻すためにも、政府・自民党は国会軽視・国民軽視の姿勢を改めなければならない。


強行採決発言 撤回ではすまされない
 暮らしにどんな影響があるのだろうか−。多くの国民が心配し熟議を求めているTPPの国会論戦。それを強行採決で打ち切ろうというのか。山本農相の発言は撤回してすまされるものではない。
 「強行採決という形で実現するよう頑張らせてもらう」。衆院の環太平洋連携協定(TPP)特別委員会理事だった福井照議員が派閥の会合でそう発言し、批判を浴びて特別委の委員も辞任したのは先月末のこと。
 ひと月もたたないのに、再び「強行採決」発言が飛び出した。それも議論の主要テーマである農業や食の問題を所管する山本有二農相の口から。多岐にわたるTPP合意の具体的な影響、多くの疑問に説明を尽くし、国民の理解を得るのが担当相の責務であるはずだ。発言にはその自覚が全く感じられない。与党の多数を背景にした「おごり」「慢心」というほかない。
 そもそも採決方法は国会の専権事項にあたる。閣僚の言及自体が越権で、連立を組む公明党からも「断じてあってはならない発言だ」と厳しい批判が出ている。
 TPPの国会審議は始まったばかり。コメ、麦、牛・豚肉など重要五項目や食の安全を守るとした国会決議は破られていないのか。コメの価格に影響しかねない輸入米の調整金問題や、成長ホルモン剤を投与した牛の肉の輸入、遺伝子組み換え食品の表示ルールなど生産者、消費者が不安を抱くテーマが取り上げられており、議論が深まるのはこれからだ。
 山本農相の発言は国民の理解、納得を得るどころか、TPPに対する不信感を強めた。野党は民進、共産、自由、社民の四党が農相の辞任を求め、影響は他の法案審議にも広がっている。
 発言の背景には、何としても今国会で関連法案を成立させたいという安倍晋三首相の強い姿勢がある。今月二十八日までに衆院を通過させれば、参院での審議が遅れても十一月三十日の会期末までに自然成立するためだ。
 安倍首相は十七日の特別委で「わが党は結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」と述べたが、昨年の安保関連法案の強行採決を目の当たりにしている国民はどう受け止めただろうか。
 私たちは、国民の暮らしに直結する分野で不安を払拭(ふっしょく)できなければ、TPPには反対せざるを得ないと主張してきた。
 強行採決などあってはならない。あらためて熟議を求める。


強行採決発言 国会審議自体の否定だ
 巨大与党の数のおごりが、またしてもあらわになった。
 山本有二農水相が環太平洋連携協定(TPP)の審議について、強行採決の可能性に言及した。
 その後、撤回して謝罪したが、反発する民進党などが衆院特別委員会を退席する事態を招いた。
 農水相は、TPPが国内の農業にもたらす影響に責任を負う立場だ。その大臣が強行採決を口にするようでは、まともな審議を否定したに等しい。言語道断だ。
 先月も自民党の衆院TPP特別委理事だった福井照氏が強行採決に言及し、辞任に追い込まれた。
 そもそも採決を強行しなければ通らない不十分な提案なら、潔く取り下げるのが筋ではないか。
 野党が農水相辞任を求めるのは当然だ。国会内の駆け引きにとどめず、政権の責任とTPP自体への疑義を徹底追及してほしい。
 山本氏は衆院議院運営委員長を務める自民党の佐藤勉氏のパーティーで「強行採決するかは佐藤氏が決める。だからはせ参じた」と述べた。聴衆の受けを狙った発言だが、審議軽視の姿勢は明白だ。
 民進党は山本氏の辞任とともに強行採決をしない確約を求めたが与党側は拒否。通常は審議拒否しない共産党もともに退席した。
 野党だけではない。公明党の山口那津男代表は党会合で「円満な審議を妨げる発言は厳に慎むべきだ」と指摘。党内から「辞めてもいいレベル」との声も漏れる。
 だが菅義偉官房長官は記者会見で「福井氏の発言とは趣旨が全く違う」と述べ、辞任を否定した。
 この間、特別委では与党主導で採決の前提となる地方公聴会が24日に設定された。採決を強行してでも早期承認を目指そうという政府・与党の姿勢は認めがたい。
 一方、安倍晋三首相は福井氏発言について国会で「わが党においては結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」と述べた。
 しかし昨年は安全保障関連法、2013年には特定秘密保護法が与党の主導で強引に採決された。
 野党の一部が出席したから強行採決にあたらないとの主張は説得力を欠く。力ずくの国会運営を、これ以上繰り返してはならない。
 TPPをめぐっては、国内農業への負の影響について説明が尽くされていない。黒塗りの資料開示など政府の秘密主義も目に余る。
 今国会での野党側の追及はまだ十分とは言えない。各党は今後の審議で、農水相の責任とともに、TPPの問題点を浮かび上がらせる責務がある。


山本農相発言  目に余る「数のおごり」
 巨大与党を背景にしたおごりの表れというほかない。環太平洋連携協定(TPP)承認案の衆院特別委員会審議を巡り、山本有二農相が強行採決も選択肢ととれる発言をした。
 先月には特別委の理事だった自民党の福井照衆院議員が「(衆院特別委員長だった)西川公也議員の思いを、強行採決という形で実現するようがんばらせてもらう」と述べ、批判を浴びたばかりだ。山本氏は発言を撤回し、謝罪したが、TPP審議の焦点の農業分野を所管する重要閣僚の発言だけに見過ごすわけにはいかない。
 TPPは農業などの産業や国民生活に大きな影響を及ぼす問題であり、承認案や関連法案を巡って国民が納得いくよう審議を尽くすのは当然のことだ。こんな言動が相次ぐようでは「最後は強行採決」が政府、与党の本音と受け止められても仕方があるまい。
 山本氏は東京都内で18日に開かれた佐藤勉衆院議院運営委員長(自民)のパーティーで、TPP承認案の特別委審議について「強行採決するかどうかは、佐藤氏が決める。だから私は、はせ参じた」と述べた。強行採決にエールを送っているようにさえ聞こえる発言である。
 政府、与党は、月内に衆院を通過させ、この臨時国会での承認を目指している。だが、TPPの承認案と関連法案については、通常国会で交渉過程の情報開示を巡って政府が黒塗りの資料を提供するなどしたため、審議が中断した経緯がある。その後も政府は積極的な情報開示をせず、交渉を率いた甘利明前経済再生担当相も金銭授受問題で閣僚を辞任後、国会での説明責任を果たしていない。
 加えて協定の関連文書の誤訳や脱落が発覚。政府が調達する輸入米の入札で不透明な取引も表面化し、国が管理する価格より安く流通した疑いが出ている。TPPへの国民の理解は進むどころか、疑念が深まっているのが実情だ。
 そもそもTPPは、多くの国で承認手続きが進んでおらず、発効の鍵を握る米国でさえ、米大統領選の民主、共和両党の候補が反対姿勢を示している。安倍晋三首相は「日本が先行する形で承認し、米国に促していく」とするが、国会審議をないがしろにしてまで批准を急ぐ必要はどこにもない。他の協定参加国の多くは米国の動きを見極める姿勢だ。
 特定秘密保護法や安保関連法のように、数の力で押し切るやり方は許されない。


過労死防止 長時間労働解消を急げ
 過労死の原因になる長時間労働の解消は待ったなしである。
 厚生労働省が初めてまとめた「過労死等防止対策白書」によると、労災認定の目安である「過労死ライン」の月80時間を超えて残業をした正社員がいる企業が、5社に1社の割合に上った。
 働き手の半分以上が業務に強い不安、悩み、ストレスを感じていることも明らかにされている。
 長時間労働がなお社会に染みついている実態を浮き彫りにしたと言えよう。
 日本の過労死の多さは国際的にも問題視されている。政府や企業は何が長時間労働を生み出しているのかを突き止め、労働環境を改善していかなければならない。
 白書によると、昨年度に過重な業務で脳・心臓疾患を起こして死亡し、労災認定されたのは96人。精神疾患を発症して自殺を図り、労災認定されたのは93人だった。
 脳・心臓疾患による死亡は減少傾向にはあるが、精神疾患による自殺は高止まり状態だ。
 要因は一つではあるまい。
 人減らしに伴う1人あたりの仕事量の増加、特定の人への業務集中、横並び意識が強く帰宅しにくい職場の雰囲気―。
 発注元の大手から厳しい注文を出された中小企業が、ギリギリの人員で対応せざるを得ず、長時間労働を引き起こしているとの指摘もある。
 白書がまとまったとはいえ、過労死が問題になったのは最近ではない。それぞれの原因をさらに深掘りしていく必要がある。
 折しも、昨年末に自殺した広告大手電通の新人女性社員が、過労自殺として労災認定された。上司のパワハラもあったとされる。
 電通では25年前、長時間労働をしていた入社2年目の男性社員が自殺し、最高裁が過労自殺として会社の責任を初めて認めた。これが労災認定の前例になっていることを忘れてはなるまい。
 関西電力の課長職の40代男性も過労自殺として労災認定された。月の残業が200時間を超えることもあったという。
 悲劇をこれ以上繰り返さないためにも、長時間労働の根を断たねばならない。
 気になるのは、「働き方改革」を掲げる政府の姿勢だ。長時間労働解消を強調する一方、一部労働者の労働時間制限をなくすなど、長時間労働を助長しかねない労基法改正案を国会に提出している。
 政府は、長時間労働防止に真摯(しんし)に向き合うべきだ。


「土人」発言の隊員かばった松井大阪府知事に抗議殺到
 沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設現場で、市民に向かって「ボケッ、土人が」と暴言を吐いた大阪府警の機動隊員をかばった大阪府の松井一郎知事に対して、抗議が殺到している。
 松井知事は19日夜、ツイッターで「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのが分かりました。出張ご苦労様」などと投稿。
 20日午後5時までに385件の意見が寄せられ、大半は「人権意識が欠けている知事はやめるべきだ」「府民全体の人権意識が低いとのイメージをもたれかねない」といった抗議だった。
 20日の記者会見では、慌てて「出張ご苦労様」との書き込みは「全国から現地に派遣された警察官すべてに対して述べたもの」と繕ったが、批判の声は大きくなる一方だ。
 警察庁の坂口正芳長官は「あってはならないこと。指導を徹底する」と語っている。


何が「土人」発言を生み、誰が許しているのか 人権問題に詳しい識者3人の視点
 大阪府警の機動隊員による「土人」「シナ人」発言について、ヘイトスピーチなど人権問題に詳しい識者は「不適切という言葉では済まない」と指摘。さらに同発言を擁護するような松井一郎大阪府知事の対応について「差別や偏見の助長につながる」と訴えた。
■少数者をたたき楽しむ空気
安田浩一さん(ジャーナリスト)
 「土人」発言を「不適切」とする政治家や官僚に憤りを覚える。社会の中でどんな文脈で使われてきた言葉なのか。その歴史的背景を考えれば、明確な差別発言で、不適切かどうかの問題ではない。
 市民側の暴言を問題視する意見があるが、市民と公権力は対等ではない。人々を守るはずの警察が市民運動や社会運動を敵視し、排除の対象として監視する組織になっていることも大きな問題だ。
 ヘイトスピーチ対策法は国や自治体に差別解消のための啓発や教育を求めている。
 松井大阪府知事による差別発言の擁護は法の理念を無視するばかりか、差別や偏見の助長につながる。首長として許されない。
 社会的少数者や弱者をたたき、引きずり降ろすのを楽しむ空気が日本社会の一部に流れている。社会を分断し壊そうとする勢力がいて、呼応する人々がいる。国や政治家は「差別は絶対許さない」と明確な言葉を発するべきだ。
■自治体の長なら非難すべきだ
前田朗さん(東京造形大教授)
 「シナ人」「土人」の発言は、単に不適切な発言にとどまるものではない。市民に対する侮辱罪にあたる可能性もある。さらに「シナ人」という言葉を差別と侮辱の意味で用いている。
 沖縄の人々だけでなく、中国人に対する侮辱としても忘れてはいけず、政治問題化しうる発言だ。基地問題など差別的な構図の中で、多くの県民が抗議の意思表示をしていることは政府も警察も知っているはずだ。その差別的な状況に乗っかり、今回の発言が出てきた。
 人種差別撤廃条約では、政府や要職にある人は、差別と受け止められる言葉を非難すべき立場にある。だが松井大阪府知事は発言した機動隊員をかばい、ねぎらった。差別を助長し扇動することにつながり、自治体の長として差別をなくすための教育をしていないと疑われても仕方ない。
■親玉はあんたたちちゃうん?
谷口真由美さん(全日本おばちゃん党代表代行)
 沖縄県外に住んでいる人間は、自分が「土人」という言葉を発したと思わなければいけない。基地が集中しているのはしゃあないと言い、沖縄を低く見る感性が「土人」という言葉を生んだ。私自身も、人権教育をしている大阪府民として加害者性を感じている。想像力の圧倒的な欠如。安全、安心に生きたいのはあなたも沖縄の人も同じだ、ということを伝えていくしかないのかもしれない。
 8月に高江に行き、機動隊員が上司にお尻を蹴られているのを見た。彼らもしんどいのだろう。今回の発言は許せないが、誰が彼らを高江に向かわせたのか見誤ってはいけないと思う。
 菅義偉官房長官が「許すまじきこと」などと第三者のようなことを言っている。親玉はあんたたちちゃうん? と言いたい。松井一郎府知事は「一生懸命職務を遂行していた」と言う。仕事に疑問を持たせず、思考させず、突っ込ませるのが良い指揮官ということか。
 今回の出来事は現代日本の意識レベルの象徴だ。幾重にも差別の構造があってどこから論点を出せばいいか迷うが、ここで傍観者になったら末代までの恥だと思っている。


沖縄での暴言 無理解が分断を広げる
 沖縄を見下した言葉に心を傷つけられた県民は多いはずだ。米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)移設工事を巡り、大阪府警から派遣された20代の機動隊員2人が反対派の人々に対し、「土人」「シナ人」と暴言を発した。
 移設工事現場周辺には、東京や大阪など6都府県から数百人の機動隊員が動員されている。活発な抗議活動に対応するため、沖縄県警が応援を要請した。
 沖縄県の翁長雄志知事は「到底許されない」と憤り、菅義偉官房長官も「許すまじきこと」と認めた。坂口正芳警察庁長官は、同様の事案を起こさないことを約束した。
 ところが、大阪府の松井一郎知事は「表現が不適切だとしても、府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました」「出張ご苦労様」とねぎらいの言葉をツイッターに書き込んだ。
 隊員を擁護する内容であまりに軽率である。府警を管理する知事の認識としては極めて不適切だ。
 差別発言が許されないのは言うまでもない。それと同時に、米軍基地が沖縄に偏在することを当然視し、沖縄の痛みに鈍感な本土側の無理解という問題に目を向けなければならない。
 中国の台頭をにらんで国は、沖縄に基地の受け入れを迫る。しかし、普天間飛行場の辺野古移設を巡って沖縄の住民は選挙を通じて何度も反対の意思を示してきた。北部訓練場のヘリパッド移設についても、騒音被害などを訴えて反発している。
 そうした沖縄の対応が「国策に逆らう身勝手」と映るのか、沖縄の異議申し立てを認めずに、反感ばかりを強める人たちがいる。
 翁長知事が那覇市長だった2013年1月に、沖縄の全市町村の首長らが米軍輸送機オスプレイの配備反対を安倍晋三首相に訴えるため、東京・銀座をデモ行進した。
 その際に、沖縄の首長らは沿道から「非国民」「日本から出て行け」と侮蔑的な言葉を浴びせられた。沖縄と本土の広くて深い溝を痛感させる場面だった。
 沖縄の切実な訴えを「反政府」とみなすような感覚。そうした沖縄に対する無理解を翁長知事らは「構造的差別」と呼んでいる。機動隊員の発言もそうした構造を背景にしたものではないか。
 さらに今回の発言からは、特定の民族や人種への偏見に基づくヘイトスピーチにも通じる意識が感じられる。若い世代にそうした意識が広がっていないか心配だ。
 機動隊員による特殊なケースと捉えず、日本社会全体の問題と受け止めるべきだ。


「土人」「シナ」発言 植民地意識が露呈した
 市民に侮蔑的な言葉を投げ付ける機動隊員がいる。それを軽視、擁護する政治家がいる。根深い差別意識と植民地意識、そのことに無頓着な政治土壌が露呈した。
 大阪府警の機動隊員が、北部訓練場のヘリパッド建設に抗議する市民に「土人」と発言したことへの県民の怒りが広がっている。別の隊員が「シナ人」と暴言を吐いていたことも明らかになった。
 「シナ」というのは日本の大陸侵略に結びついて使われた中国に対する蔑称だ。差別意識、植民地意識に根差す言葉を使うことは許されない。
 機動隊員の「土人」発言に対し、翁長雄志知事は「言語道断で到底許されるものではなく、強い憤りを感じている」と批判した。知事の怒りは当然である。
 菅義偉官房長官は「許すまじきこと」と述べた。ところが差別意識の表れとの指摘には「全くないと思う」と否定した。なぜそう言い切れるのか理解に苦しむ。
 暴言を受けた市民の心情、「琉球処分」以降の沖縄近現代史、米軍基地が集中する現状を踏まえれば、差別はないと断言できないはずだ。菅氏は「土人」という言葉が含む差別意識、植民地意識を深刻に受け止めるべきだ。
 松井一郎大阪府知事の行為も容認できない。短文投稿サイト「ツイッター」で「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と投稿したのだ。
 機動隊員の発言は「不適切」で済む話ではない。それを「出張ご苦労様」とねぎらう松井氏を県民は許さない。翁長知事も「不適切な発言と認めた上でよく頑張ったとなると、県民からしたら筋が違うとは思う」と疑問視している。
 機動隊員による「土人」「シナ」発言に表れた歪(ゆが)んだ沖縄観は、警察組織にとどまるものではない。沖縄に関わる日米両政府関係者にも共通する深刻な問題だ。
 ケビン・メア元米国務省日本部長の「沖縄はごまかしとゆすりの名人」という発言や、田中聡元沖縄防衛局長の「(犯す前に)これから犯しますよと言いますか」という発言も露骨な差別意識や植民地意識の表れであり、機動隊員の発言と同根だ。
 機動隊員の発言を単なる失言と済ましてはならない。その裏にある深刻な沖縄蔑視を反省し、機動隊を沖縄から撤収させるべきだ。


「土人」と言われた芥川賞作家、目取真俊さんはその時何を思ったか
 東村高江の米軍北部訓練場周辺で、警備活動中の大阪府警機動隊員が抗議する芥川賞作家の目取真俊さん(56)に「触るな。土人」と差別発言した。目取真さんに20日、当時の状況などを聞いた。(聞き手=中部報道部・比嘉太一)
 −発言をどうみるか。
 「これまで隠れていた沖縄差別の根っこの部分が地面に露出した。沖縄を差別している『ネトウヨ(ネット右翼)』ではなく、警察官が言ったことが問題だ。本来はヘイトスピーチを取り締まる側で、人権に配慮して指導する立場。それが勤務時間中に平然とひどい言葉を口にした。警察の劣化であり、このような警察官が沖縄に来て、住民弾圧の先頭に立っていることが恐ろしい」
 −発言の背景は。
 「『土人』という言葉には古くからの沖縄差別の歴史があり、インターネットを通して若い人たちに広がっている風潮がある。『シナ人』発言も同じだ。沖縄2紙が北朝鮮の手先だというデマもネット上で出回っている。日本がおかしな社会になっていると思う」
 −言葉を耳にした時は。
 「当初は理解できず、『老人』と聞こえた。自分は年寄りでもないのに、何でそんなこと言われないといけないのかと。後から『土人』と発言していたと知った。今どきの若い人が差別的な言葉で人をばかにすることに驚き、怒りよりもあきれてしまった」
 −全国的に差別発言が問題になっている。
 「このような風潮は他府県に住んでいる県人にとって怖いことだろう。70年代まで、本土で就職したらひどい言葉を投げつけられたこともあった。80年代からの沖縄ブームで、具志堅用高さんの活躍や歌手の安室奈美恵さん、SPEEDらが人気になり、沖縄はかっこいいものとされた。観光も好調でプラスのイメージが根付いていたように見えたが全て打ち消された」
 「辺野古への新基地建設は構造的差別と言われ続けてきたが、それは政治的な意味だった。今回の侮辱発言は面と向かいあった人間関係の中で出てきただけに生々しく、差別をよりリアルに感じた」


「土人」発言めぐり松井知事に市民グループが抗議
 沖縄県で進むアメリカ軍のヘリパッド移設工事をめぐり、大阪府警の機動隊員が差別的な発言をした問題で、隊員に理解を示した松井知事に対して市民団体らが抗議活動を行いました。
 「松井知事は発言を撤回しろ!」
 午前9時前、大阪府庁前には松井知事の辞任などを求めて市民団体のメンバーら約200人が集まりました。
 この問題は沖縄県にある米軍訓練場のヘリパッド移設工事を巡り、反対住民に大阪府警の機動隊員が「土人」などと差別的な発言をしたものです。隊員の行動に松井知事は「一生懸命職務を遂行している」などと理解を示しましたが、これに対して府に582件の声が寄せられ、大半が知事に対する抗議だということです。
 「物事の本質はそこかと。彼がやってきた職務が全て否定されるものではない」(大阪府 松井一郎知事)
 松井知事は、改めて隊員の発言は不適切だが職務へのねぎらいは必要だと話しました。


五輪ボート・カヌー会場 「海の森」落選&「長沼」当確か
 2020年東京五輪の開催地をめぐって大揺れの「ボート・カヌー競技会場」。国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は19日、五輪組織委を訪れ、職員らを激励。最後までハラの内を見せなかったが、IOCは「海の森が使えなければ韓国の会場を使う意思がある」とも報じられた。このタイミングで「韓国案」が漏れ伝わるのは、一種の“脅し”とみていいが、裏を返せば「競技が着実に実行され、費用が抑えられればどこでもいい」という証左だ。となれば、開催地は決まったも同然。ズバリ、宮城県の長沼ボート場である。
■海水は“汚染”まみれ
 東京五輪組織委の森会長は、小池都知事の見直し案を受け、「IOC理事会、総会で決まったことをひっくり返すのは難しい」と言っていたが、バッハ会長はIOCとして柔軟に対応する姿勢を強調していた。つまり、「ひっくり返すのは難しい」なんて、森会長が勝手に言っていたに過ぎないわけだ。
 そりゃあそうだ。ボート会場の「海の森」の整備費用は招致段階から7倍も膨らんでいる。いくらなんでもハネ上がり過ぎだ。ボート競技は波風が「最大の障害」だ。そのために「海の森」では、風速6メートルもの海風を遮るための「防風壁」や、「消波装置」まで建設しなければならない。そこまでコストをかけて「海の森」で開く必然性は皆無だ。建築エコノミストの森山高至氏もこう言う。
「海の森では莫大な工事費が必要になります。工事費に予算を食われ、ボートを収納する建物や合宿所などの建設に十分なお金が回らなくなってしまう可能性があります」
 つまり、わざわざ波風対策をしないと競技できない場所を選んでいること自体が間違いなのだ。しかも、付近の海水は“汚染”まみれ。東京都環境科学研究所の調査資料によると、海の森付近のお台場の海水からは「トライアスロン水泳基準」を超える大腸菌が検出されている。国際ボート連盟は「目標となる水質維持」で「泳げる程度とすること」と規定しているが、ギリギリの水準だ。
 一方、森山氏によると、埼玉県の彩湖は近くの荒川が氾濫するのを防ぐため、調節池としての機能があり、競技に適切な水位を保てなくなる恐れがあるという。となれば、「低予算」かつ「アスリートファースト」を実現できるのは消去法で、国内唯一の常設2000メートル、8レーンのコースを備える「長沼」しかない。
「海の森」をゴリ押ししてきた森が「白旗」を揚げる日は近い。


「特定扶養控除」廃止なら? 年収別増税シミュレーション
 政府は何が何でも庶民から税金をむしり取るつもりらしい。専業主婦世帯の予想外の猛反発に遭い、配偶者控除の廃止はひとまず引っ込めたが、今度は19〜22歳の子供を養う家庭の税負担を軽減する所得税の「特定扶養控除」の縮小を検討している。財務省が来年度税制改正の検討項目に盛り込んだという。
 かつて特定扶養控除の対象年齢は16〜22歳だったが、民主党政権下で高校が無償化されると、「19歳以上」に引き上げられた。自宅から私大に通う大学生は学費・生活費を合わせて4年間で544万円かかる(2012年度の日本学生支援機構調べ)。特定扶養控除は著しく出費がかさむ世帯の税金を減らす措置だが、これが縮小・廃止されたらどうなるのか。
 元静岡大教授で税理士の湖東京至氏が言う。
「年収700万円くらいの中間所得層の家計負担が厳しくなります。特定扶養控除は教育費がかかる世帯の相対的な所得格差をなくすために創設された税制です。これを縮小・廃止すると、ますます格差社会化が進みます。安倍政権は低所得層は高等教育が不要と言ったも同然です。浮いた財源を返済不要の給付型奨学金に回すそうですが、給付型奨学金の支給要件や給付額が決まるのはこれから。詳細が決まってから増税案を検討するのが筋でしょう。何事も“増税ありき”で決めようとする政府・与党の姿勢はおかしい」
■3000億円の増税に
 湖東氏の試算では、特定扶養控除の適用を受けている納税者はザッと500万人。廃止で全体で3000億円の増税になるという。年収別シミュレーションは上の表を参照してほしいが、特定扶養控除の廃止は別の問題もはらんでいる。
「女子大生風俗嬢」の著書があるノンフィクションライターの中村淳彦氏が言う。
「給付型奨学金が創設されたとしても、対象者は優秀で所得の低いごく限られた学生になるでしょう。多くの“普通の大学生”は、特定扶養控除の縮小により従来型の奨学金をフル活用せざるを得なくなり、社会人になるまでに借金がますます増える。私は取材を通して、デリヘルやイメクラで働く女子大生をたくさん見てきました。今の安倍政権の政策ではどんどん女子大生風俗嬢が増えていきます。それでいいのか、立ち止まってきちんと考えるべき時だと思います」
 そもそも、大学は高校と違って無償化されないし進学率も違う。高校無償化と同じ土俵に上げて、安倍政権が特定扶養控除を廃止しようとしているなら、まったくおかしな話だ。


大崎事件 検察新たな証拠開示
昭和54年に大崎町で男性が殺害されたいわゆる「大崎事件」で、殺人などの罪で服役した女性が無実を訴えて3度目の再審を申し立てたあと、10回目となる協議が、21日、行われました。
協議のあと、弁護側は、捜査の初期段階で事件現場などを撮影したネガフィルムが新たに見つかったことを明らかにしました。
「大崎事件」では、昭和54年に大崎町で当時42歳の義理の弟を殺害したとして殺人などの罪で懲役10年の刑が確定し服役した原口アヤ子さん(89)が無実を訴えて再審を求めていて、去年7月、鹿児島地方裁判所に3回目となる再審の申し立てを行いました。
これまでの協議で、検察側は、警察が捜査の初期段階で事件現場の状況などを撮影したネガフィルム46本を開示していましたが、弁護側は、このほかに欠番で存在しないとされていた1本のネガフィルムについても改めて探して開示すよう求めていました。
これを受けて、警察が当時、捜査を担当していた志布志警察署を捜したところ、欠番とされていたネガフィルムが写真室で見つかったほか、同じ場所でこれとは別のネガフィルム17本が発見されたということです。
裁判所は、20日、検察側からネガフィルムを押収し、21日の協議で、弁護団に貸し出したということで、弁護団は、ネガフィルムをプリントして、内容を精査することにしています。


安住淳だけが民進で政局を見極めている
 ★19日、自民党は党・政治制度改革実行本部(本部長・副総裁・高村正彦)の役員会を開き、党則で「連続2期6年」と定めている総裁任期の延長について、高村一任を決めた。4回の国政選挙のいずれも勝利した首相・安倍晋三の任期を延長することは安定政権を作ることであり、憲法改正を自らの手でまとめ上げたいという首相の意向をくんだものだ。 ★これに対して民進党代表代行・安住淳が同日の会見で「みんな、安倍総裁にこびている」とし、「党内に反対する勢力を作れないから、われわれが頑張って安倍さんに対抗する勢力を作らないといけない」と強い決意を表明した。民進党新執行部で唯一、政局を見極めているのが安住といえる。 ★同日の会見では農相・山本有二がTPP承認案を強行採決する可能性に言及したことについても触れ、「国会審議に影響が出ることは避けられない重い発言だ。辞任するしないという短絡的な話ではない。(特別委の)質疑が行き詰まっているわけでもないのに、審議を妨害するような発言を所管の閣僚がなぜするのか。資質も含めて議論する」と強く非難した。 ★防衛相・稲田朋美の失言が続いた時も「私も防衛副大臣をやったから感じるが、防衛費を軍事費と言うのは単純な間違いに見えるが、非常に重要な基礎的なこと。(就任から)国会まで2カ月近くあった。安倍内閣の目玉人事というならなおさら、国民が信頼できる防衛大臣として、勉強して国会に臨むべきだった。その点が欠けている。リーダーとしての資質はないのではないか。厳しく追及していきたい」とした。党代表、幹事長、国対委員長の役割を1人で受け持っているような発言だがなかなか的確だ。野党関係者が言う。「新潟の知事選挙も野党共闘の調整は共産党国対委員長・穀田恵二と安住の国対畑コンビで取りまとめた」。民進党は当面安住に期待だ。(K)※敬称略

軍学協同への道か - 論説委員 北岡 和之
 昭和20年8月15日、わが国の敗戦で太平洋戦争の幕を閉じた後、冷戦の始まりもあって占領軍の経済政策は当初の「非軍事化」から「復興」へと移っていく。朝鮮戦争を経て「神武景気」へ。そして繊維産業中心の軽工業から重化学工業へ。経済・産業面における非軍事化は次第にぼやけていく。「科学技術の振興」が叫ばれるようになり、東京大学工学部に原子力工学科や電子工学科ができたのは昭和30年代半ばだ。
 なぜこんなことから書き始めたかといえば、最近の国際情勢や国内の動きと、経済・産業のことを重ね合わせたいからだ。
 防衛省が今年8月末、国の平成29年度予算の概算要求を発表。総額5兆1685億円で、この中に企業や大学に対して軍事に応用可能な基礎研究費を助成する「安全保障技術研究推進制度」として、110億円を要求した、と報じられた。実に28年度に比べて18倍もの増額だという。
当然ながら、昔からある産学協同・官学協同の取り組みにおける、産学側への資金提供を通して軍事研究を促す姿勢の強化かと、関係者に警戒感を与えた。各大学からは、軍事への寄与を目的とする研究は行わないとしたり、軍事研究に関する資金援助は受けないとするなどの動きも出た。県内では、とりわけ奈良先端科学技術大学院大学(生駒市高山町)の存在が気になるところだが、いまは触れない。
 昭和40年代を中心に全国で起きた「学園紛争」の時代を生きた当時の学生の一人としては、戦後から現在に至る産学協同・官学協同の取り組みは常に思い浮かぶテーマの一つであり続ける。これは避けられないし、避けるべきでもないと思う。
 遠い中東地域のことだけでなく、身近な中国やロシア、韓国、北朝鮮、東南アジア地域との関係においても、私たちはとても難しく、厳しい状況に直面しているのだと思わざるを得ない。国家とは何か、防衛とは何か、戦争とは何か。私たちはもっともっと突き詰めて、知恵を絞って、これからの時代に絶え得る理念や未来への構想を確実に手にしなければならない。
 あの学園紛争、70年安保の時代を象徴した一人に、かつて東大全共闘代表だった山本義隆さんがいる。物理学の優秀な研究者として知られた山本さんが昨年出した本が「私の1960年代」(金曜日発行)。その後書きで、福島原発事故を防げなかったことへの無念を語り、現在は戦争とファシズムの前夜のようだと警鐘を鳴らす。

阪神で東北6県物産展/豊中・狭山集会/三国を通って

ブログネタ
フランス語 に参加中!
ちかん防止

Bande-annonce Your Name : les premières images du film d'animation qui cartonne au Japon
Le film est en ce moment en train de battre des records au Pays du Soleil Levant, détrônant les sacro-saintes productions des studios Ghibli. Réalisé par Makoto Shinkai, Your Name débarque en salles le 28 décembre !
Au Japon, un studio d'animation règne en maître, Ghibli, représenté par le maestro Hayao Miyazaki. Cette suprématie vole en éclat en ce moment avec le succès ahurissant de Your Name, film d'animation réalisé par Makoto Shinkai (Voyage vers Agartha).
Your Name raconte l'histoire de Mitsuha, une adolescente coincée dans une famille traditionnelle et qui rêve de quitter ses montagnes natales pour découvrir la vie trépidante de Tokyo. Elle est loin d’imaginer pouvoir vivre l’aventure urbaine dans la peau de… Taki, un jeune lycéen vivant à Tokyo, occupé entre son petit boulot dans un restaurant italien et ses nombreux amis.
À travers ses rêves, Mitsuha se voit littéralement propulsée dans la vie du jeune garçon au point qu’elle croit vivre la réalité... Tout bascule lorsqu’elle réalise que Taki rêve également d’une vie dans les montagnes, entouré d’une famille traditionnelle… dans la peau d’une jeune fille ! Une étrange relation s’installe entre leurs deux corps qu’ils accaparent mutuellement. Quel mystère se cache derrière ces rêves étranges qui unissent deux destinées que tout oppose et qui ne se sont jamais rencontrées ?
Avant de débarquer dans nos salles françaises le 28 décembre grâce au distributeur Eurozoom, Your Name est en train de littéralement battre des records au Japon. En effet, le film d'animation a déjà réuni plus de 10 millions de spectateurs, devenant le 5ème plus gros succès de tous les temps derrière Le Voyage de Chihiro, Le Château ambulant, Princesse Mononoke et Ponyo sur la falaise. A noter que Your Name est aussi devenu le premier long-métrage d'animation non Ghibli à dépasser la barre symbolique des 10 milliards de Yens de recettes, s'offrant même le luxe de surclasser des mastodontes comme Zootopie ou Le Monde de Dory.
フランス語
フランス語の勉強?
科捜研の女15
「毒舌料理評論家を毒殺!苦すぎる毒混入の謎…味覚に科学が挑む!」科捜研の榊マリコ(沢口靖子)が犯罪現場に残る微細証拠から事件の真相を究明する科学捜査ミステリー
毒舌料理評論家の宇田川綾子(久世星佳)が、なだぎ武が進行する生放送番組中に毒殺された!科捜研の鑑定の結果、イチイの種に含まれる猛毒タキシンが死因だと判明。しかしタキシンには強烈な苦みがあり、とても飲めないはず…?そんな中、マリコは綾子の息子に会い、母親の弁当がマズいという話を聞き、綾子の味覚障害を疑い始める。捜査線上にかつて綾子に酷評された有名シェフが上がるが!?事件は思いもよらぬ展開を見せる事に…
沢口靖子、内藤剛志、若村麻由美、風間トオル、斉藤暁、長田成哉、山本ひかる、石井一彰 久世星佳、なだぎ武、平岡拓真、遠山俊也、近江谷太朗、朝倉伸二

shizu ‏@millesgarden8
「土人」発言でさえ許しがたいのに「職務を一生懸命遂行している」と機動隊員を擁護した松井一郎府知事。命令に従がえば、暴力行為もヘイトも容認するという発言は、知事というより暴力団のボス。こんな府知事は一刻も早くクビでしょ❗️
上西(うえにし)小百合@uenishi_sayuri
在阪メディアは今回も松井一郎発言を批判しないでしょう。中央メディアは無名を理由に報道しない。今後松井一郎は橋下徹と同じようこの発言を宣伝に利用する。これが維新という薄汚い政党の実態。そして一部の維新マニアはこれを指示する。
上西(うえにし)小百合 ‏@uenishi_sayuri
松井一郎府知事は確かに馬鹿ですが、それでもあの機動隊員の発言は酷いと考える程度の頭ぐらいはあるはず。それなのに擁護する。大阪府のトップがそのような事をする。ますます閉塞感が増す。
上西(うえにし)小百合 ‏@uenishi_sayuri
松井一郎府知事の記者会見をみました。先ほどの私のツイートは間違っていました。松井府知事は差別的な言葉を使い、国民(あの場所にいたのは沖縄県民だけではないはずです)を侮辱する事になんの違和感もない人間だということがよくわかりました。一個人として怒りしかありません。
上西(うえにし)小百合 ‏@uenishi_sayuri
松井一郎府知事の発言は政治ではなく人権問題。私、上西小百合は個人として絶対に許せないと考えます。今回の松井発言については、私一人では闘えません。マスメディアは私を今でもまだイロモノ扱いしますから。お願いします。他党の方々にも問題意識を持ってもらいたい。内部にいた私は何でもする。
SADL ‏@SADL_OSAKA
【緊急行動】
明日10/21(金)に、松井府知事に対し「大阪府警機動隊員による暴言を擁護する発言等を撤回・謝罪し、公職からの辞任を求める要請」を行います。合わせて府議会各会派にこの問題を議会で取り上げ、府警の撤退を求めることなどを要請します。
#松井一郎を辞任させよう

米山 隆一@RyuichiYoneyama
どのような立場でも、どのような状況でも、人は人に対して可能な限り敬意をもって接すべきです。まだ任期は始まっていませんが、私なら、自県の職員が、他県で他県の方に敬意のない対応をした時に、謝罪し、以後改めるよう強く指導することはあっても、「出張ご苦労様」ということはありません。
狭山事件|万年筆は被害者のものではない 今こそ再審を!
菅野良司
100分 de 名著 永遠平和のために
第1回 戦争の原因は排除できるか
萱野稔人(津田塾大学教授)
…著書『国家とはなにか』『成長なき時代のナショナリズム』で知られる哲学研究者。
斉木しげる(俳優)
…「シティボーイズ」所属。
頻発する国家間の紛争によって、平和秩序が大きくゆらいでいた18世紀ヨーロッパ。人々は、国家間のエゴの対立による「戦争の脅威」に常に直面していた。世界の恒久平和はどうやったらもたらされるのか? カントは、その根源的な課題に向き合い解決するために、自らの哲学的思考を駆使して「永遠平和のために」を執筆した。「常備軍の廃止」「軍事国債の禁止」「内政干渉の禁止」といったアイデアを提言した平和論だが、それは単なる理想論ではないかと批判されてきた。萱野稔人さんによれば、そうした見方は誤りであり、カントの人間本性への鋭い洞察が込められているという。第一回は、「永遠平和のために」が生み出された背景やカントの人となりを紹介しながら、現代にも通じる、戦争の原因を排除する方法を読み解いていく。

第2回 「世界国家」か「平和連合」か
恒久平和を維持するシステムとして「諸国家による平和のための連合」を構想したカント。それは、戦争のない理想状態とされてきた「世界統一国家」を断念する消極的ともいえる提案だ。なぜ「世界統一国家」という積極的な提案ではだめなのか? そこには、人間や国家についてのカントの鋭い洞察があった。世界統一国家への統合は、異なる文化、価値観、言語という個別の事情を超えて、特定の強者の文化や価値観が一方的に物事を決定するという大きな抑圧を生みかねない危険性が必然的に生じるのだ。第二回は、カントが提示した「平和のための連合」の理念を読み解くことで、人間にとって「国家とは何か?」「民族とは何か?」といった根源的な問題を解明する糸口を見つけるとともに、恒久平和を実現するシステムとはどんなものかを考察する。
第3回 人間の悪が平和の条件である
カントは、平和論を構築する上で「人間の本性は邪悪である」という前提に立つ。理想主義者ととらえられてきたカントのイメージを覆す論だが、さらに衝撃的なのは「人間の本性が邪悪だからこそ、自然の摂理は永遠平和を保証する」という論を展開することだ。これは一体どういうことか? 自然状態では他者と衝突して自分の権利や利益が侵害されかねないため、人間はルールを作ってそれを他者に守らせたいと考える。このとき自分だけはそのルールに縛られたくないと考えるが、最終的には、自分の自由や権利が一部制限されたとしても、全員が同じルールに従う方が「結果的に自分の利益が最大化する」という結論に至るというのだ。もともと人間に備わったこうした傾向性をうまく利用して、法や制度、経済システムを設計していくことが肝要だという。第三回は、「人間の本性は邪悪である」ことを前提としたカントの平和論が、「自然の傾向性」を生かしながら、どうやってその「悪」を抑止するのかを明らかにしていく。
第4回 カントが目指したもの
「恒久平和」を実現するために、カントは、根本にさかのぼって「道徳と政治」の関係を深く考察する。カントは「道徳」の根本が「無条件でしたがうべき命令を示した諸法則」であることを解明し、既存の「良心に基づく道徳」というイメージを覆す。つまり「道徳」は良心の問題ではなく、「普遍的なルールとしてあらゆる人の利益や都合を保証するために活用されるもの」だというのだ。この前提に立てば、たとえ自分の欲望を最優先する悪魔が国家の成員であったとしても、ルールに従わざるを得なくなるメカニズムを構築できるのである。第四回は、カントが確立した「倫理学」も交えながら、人間が戦争を避けるための政治と道徳の在り方や人間の在り方を探求する。
こぼれ話。
哲学は「現実」をクリアに分析する道具である
カント「永遠平和のために」はずっと気になっている本でした。しかし、自分の中にあるトラウマが、取り上げることを躊躇させていました。実は、プロデューサーAは某国立大学の文学部哲学科出身。カント「純粋理性批判」は哲学史上最も重要な著作とされていましたから、哲学を学ぶ学徒としては、一度は読み通してみようと何度もチャレンジしました。が、全く歯が立ちませんでした(一応通読はしたのですが)。カントの著作は私の手に負えないと思い込んでいました。また、この難解な哲学は、テレビというメディアで紹介するのが難しいのではないかという思いもありました。

ところが、そこに一筋の光明がさします。2014年に出版された「闘うための哲学書」という対談集で、哲学を研究する気鋭の若手二人、小川仁志さんと萱野稔人さんが「永遠平和のために」について侃侃諤諤の議論を戦わせていたのをみて、「こういう視点ならば、十分に番組化できるのではないか」という強い印象を抱きました。それほどまでに、お二人による白熱した議論は、カントの平和論が今の世界に通じると思わせてくれたのです。

萱野稔人さんに関していうと、デビュー作「国家とは何か」から著書をよく読ませていただいており、私も学生時代に親しんだ、フーコーやドゥルーズ=ガタリといった現代思想の巨匠たちの理論を見事に応用した国家論を展開していて、「哲学を使って現実社会を分析する」という手法が脳裏に焼きついていました。その後も、「日本のジレンマ」「英雄たちの選択」などで放たれる鋭いコメントがいつも刺激的で、いつか講師にお迎えしたいという思いも抱いていました。

萱野さんの読みの特徴は、原典にきちんとのっとりながらも、今までにない新しい視点を出してくるところ。正直、萱野さんへの取材の中で、「理想主義者カント」というイメージががらがらと崩れていきました。そして、番組を通して、全く新しいカント像を示すことができるな、と確かな手ごたえを得ました。

萱野さんの解説の中でとりわけ印象的だったのが、「『永遠平和のために』という本は、現実にある問題をとことんまで考えつめたときに、それが結果的に『哲学』になっていたという代表的な本だ」と語っていたこと。「哲学というものは、私たちが近づきがたい抽象的なことばかりを考えているわけでない。私たちが普段手触りをもって感じているような事柄も、つきつめていくと哲学になっていくのだ」。私が、学生時代に肌で感じていたにもかかわらず、忘れていた原点を思い出させてくれるような解説でした。

思い出したのは、萱野さんがパリ第10大学で哲学者エティエンヌ・バリバールに師事したという経歴。バリバールに関する著作も学生時代に読んだのですが、国家や社会というものを、当時流行していた「表象」や「言説」といった抽象的なものに還元するのではなく、あくまでも「実体的な運動」として捉えようとした哲学者でした。萱野さんも、バリバールの影響もあって、「現実の中で哲学する」という姿勢を貫かれているのではないかと感じました。

「哲学」を私たちの生活とは関係のない抽象的なものとして忌避することなく、むしろ、私たちが生きる現実をクリアに分析してくれる道具と考えること。そんな視点を萱野さんの「永遠平和のために」の解説から学ばせていただきました。


昼過ぎに京阪百貨店で買い物をしましたがその後,梅田の阪神百貨店に行きました.東北6県物産展があるんです.適当に行ってみると,予想以上にたくさんの人がいます.
パッと目に入ったのが立ち呑みBarです.宮城県セットを注文しました.男性だけでなく女性のおひとりさまも意外に多いです.わたしもおひとりなのでした.その後青森県セット.宮城と青森に住んでいましたからね・・・
さて梅田から北上です.十三を通って豊中・岡町.久しぶりで少し迷ってしまいましたが,時間に間に合いました.ジャーナリストの菅野良さんの講演です.えん罪被害者となっている石川さん宅で「発見」された万年筆は,被害者のものとインクの色が違うと言われていました.これまでの判決では「違うけど,後で別のインクを入れたかもしれない可能性がある」(そうでない可能性もあるわけですが・・・)というわけのわからない「理屈」だったのでしたが,今回の新証拠はそのわけのわからない可能性の議論を完璧に打ち砕く重要なものと分かりました.講演はとても参考になりました.帰りは三国経由で帰りました.東三国のあたりいろいろお店があるみたいで,これから開拓したいと思いました.

<大川小 還らぬ人へ>壮絶な体験 語り継ぐ
◎津波訴訟10月26日判決(6)只野哲也さん
 大川小の教訓とは何か−。東日本大震災から6度目のお盆、母校の宮城県石巻市大川小を訪れた只野哲也さん(17)=宮城県石巻市=が少し考え込み、口を開いた。
<今も恐怖消えず>
 「防災の意識を高めることじゃないかな。日頃の成果が災害の時に出るのだと思う」
 あの日、先生と行動を共にしていた児童74人と教職員10人が津波の犠牲になった。
 当時、小学5年だった哲也さんは九死に一生を得て、現在は高校2年になった。心身ともに成長し、「人を助ける仕事に就きたい」と将来像を語る。
 大川小にいた児童で助かったのは、哲也さんを含め4人だけ。津波は一緒に校庭にいた3年の妹未捺(みな)さん=当時(9)=だけでなく、母しろえさん=同(41)=と祖父弘さん=同(67)=の命も奪った。
 巨大地震の後、約50分間、校庭に留め置かれた。6年の男子が「山さ逃げた方がいいんじゃね」「早くしないと津波来るよ」と担任に訴えていた。
 先生の指示で、新北上大橋たもとの三角地帯と呼ばれる堤防道路へ誘導された。海抜約1メートルの校庭より約6メートル高い。「山に登れるのに」と思ったが、ついて行った。直後、北上川から黒い波が迫ってきた。必死に逃げたが、濁流にのまれ、気を失った。
 津波の恐怖は今も消えない。ただ、壮絶な体験を忘れてはいけない。そう心に決め、公の場で語ってきた。
 あの時、生死を分けたのは何だったのか。「学校と地域が連携して津波の避難訓練をしたり、子どもの声により耳を傾けてくれたりしていたら…」と思う。
 被災した校舎を震災遺構として保存するかどうかを巡り、今年2月、市民を対象に公聴会が開かれた。
 柔道の試合があった哲也さんは、ビデオメッセージでこう訴えた。
 「大川小を残して震災の記憶を語り継ぎ、災害時に助かる方法を一つでも多く考えた方がいい」
 一方で「まだ心の整理がついていない人が多くいると思う」と保存の是非を性急に決めず、深く議論することも求めた。
<若者の役割模索>
 哲也さんにとって大川小は、時に落ち込む気持ちを奮い立たせてくれる特別な場所だ。「せっかく生き残ったのに、何してんだよ」。亡くなった同級生6人の声が聞こえてくるようで背筋が伸びる。
 亀山紘市長は3月、震災遺構として大川小校舎を残すことを決めた。
 この夏、市内の仮設住宅の集会所に大川小の卒業生数人が集まった時、哲也さんは保存の在り方の議論に必要なポイントに気付いた。「俺たちの年代の考えをほとんど知らない」。大人の目ばかり気にしていた。
 「校舎を防災に役立て、自分たちのような悲しい思いをする人を二度と生まない」との信念がある。
 若者同士で何ができるか。生かされた命に感謝しながら、哲也さんは模索を続ける。
          ◇         ◇         ◇
 児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟の判決が26日、仙台地裁で言い渡される。東日本大震災から5年7カ月、片時も忘れ得ぬ「還(かえ)らぬ人」へ−。原告や遺族関係者の思いを伝える。(石巻総局・水野良将、報道部・斉藤隼人、畠山嵩)


<大川小>統合18年4月に変更
 東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲となった宮城県石巻市大川小(児童29人)を同市二俣小(93人)に統合する計画案について市教委は19日までに、2017年4月と提示していた統合時期を18年4月に変更する方針を決めた。
 市教委によると、保護者から「閉校の準備を考えると来年は早すぎる」などの意見が出ていた。既に大川小の保護者や大川地区復興協議会のメンバーには伝えた。地域住民を対象にした説明会も23日に開く。
 校名は統合先の「二俣小」とし、二俣小の校舎をそのまま利用する。「大川小の文化や歴史の伝承に配慮してほしい」という保護者や地域住民の声を踏まえ、教員や保護者らで組織する準備委員会を設立する方向で調整するという。
 市教委は11月の市教育委員会で計画案を諮り、統合を正式に決定する。
 大川小は12年3月に定めた被災小中学校の災害復旧整備計画で移転新築の方針だったが、児童数の回復が見込めず、仮設校舎を置く二俣小と統合する案が浮上。6月に保護者や住民への説明会を開き、統合時期などを再検討していた。


<ポケGO>被災地に君の手でポケストップを
 宮城県は11月12日、スマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」を活用したイベントを石巻市の中瀬公園を拠点に開催する。ゲーム上でアイテムが入手できる「ポケストップ」を新設できる企画やポケモンの捕獲を競うイベントなどを実施。東日本大震災で被災した地域への誘客促進を図る。
 イベントの事業費は約1000万円で、ゲーム運営会社ナイアンティック(東京)の協力を得た。ポケストップの設置は石巻、東松島、女川、南三陸の4市町が対象。スマートフォンで撮影した希望場所の写真などを公園内の申請場所に持参すれば後日、審査を経た上でポケストップができることになる。
 当日は、4市町を巡り、ポケストップの候補地を探す無料ツアーも開催。参加者は「雄勝」「南三陸」など4コースに分かれ、お気に入りの場所を探る。
 ポケモン「コイキング」を時間内に捕獲し、総重量などを競う大会もあり、優勝者には宿泊券などが贈られる。会場には被災地のグルメを楽しめる飲食店ブースやスマートフォンの無料充電コーナーも開設する。
 大震災で被災した岩手、宮城、福島3県と熊本地震被災地の熊本県は8月中旬、ナイアンティックと連携し、ポケモンGOを活用した観光振興に取り組むと発表。宮城は本年度一般会計補正予算に3000万円を計上しており、今後、愛好者向けの周遊マップなども作成する。


<台風10号>仮設に生活家電を 支援金募集
 台風10号豪雨で甚大な被害が出た岩手県岩泉町で、家屋が被災して仮設住宅に入居する世帯に生活家電を提供しようと、県社会福祉協議会は購入支援金を募集している。11月30日まで。
 購入する生活家電は洗濯機、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、電子レンジ、電気ポットの6点を想定。みなしを含む仮設住宅に入居する予定の被災者の要望を取りまとめ、必要点数をそろえて各世帯に届ける。
 県によると、岩泉町の仮設住宅は東日本大震災の仮設活用分を含め、同町と一部田野畑村の5地区10団地に260戸を整備する。年内の入居完了を目指す。
 家電の購入金額は1世帯当たり20万〜25万円を見込む。7000万円程度を目標に支援金を募る。県社協の担当者は「自宅が全壊した被災者は生活用品のほとんどを失っている。できる範囲の支援を頂けるとありがたい」と話す。
 支援金の振込先は、ゆうちょ銀行02370−0−3939。口座名義は「社会福祉法人 岩手県社会福祉協議会」。連絡先は県社協地域福祉課019(629)5420。


<台風10号>三鉄 被災者無料31日まで延長
 三陸鉄道(岩手県宮古市)は北リアス線で実施している台風10号被災者と支援ボランティアの運賃無料を31日まで延長した。16日で終了予定だったが、復旧が本格化してきたため支援が必要と判断した。
 被災者は罹災(りさい)証明書を示すと乗車券がもらえる。無人駅で乗車した場合、降車時に証明書を運転士に見せる。ボランティアは宮古−岩泉小本間と宮古−久慈間で無料。宮古駅窓口で自己申告し、駅員が服装などを確認して往復乗車券を発行する。
 橋上和司旅客サービス部長は「ようやく罹災証明を受け取った沿線住民も多いので、延長を決めた」と話す。


<いちおし土産>黒と緑のずんだ餅
◎餅処おもちのきもち(仙台市若林区)/新旧の技差別化図る
 黒と緑のコントラストが鮮やかだ。緑は甘さを控えたずんだ味。竹炭を使った黒は予想外のあっさり風味。「数あるずんだ餅と差別化したかった」と横山豊枝(あつし)社長(49)は狙いを語る。
 38歳で会社員生活を終え和菓子の道を目指した。ずんだの青臭さが苦手な人にも食べてもらえるよう、くせを抑えた商品づくりに挑戦。色は「インパクトのある黒」に決めていた。
 試行錯誤の末、枝豆に北海道産黒豆と竹炭を混ぜ、竹炭の消臭効果で特有のくせをマイルドにすることに成功。餅には宮城県産みやこがねの黒米を使う。通常の緑のずんだは、山形県産だだちゃ豆を使用し、父が営んでいた和菓子店の伝統的な製法で作る。
 2008年に今の店を開いて以来、新旧の技を用いた2色のずんだは看板商品としてリピーターも多い。「黒には批判もあったが、認知度を上げてずんだ餅自体の魅力を広めたい」
<メモ>ずんだ餅は黒と緑の計10個セット(税込み1480円)のほか各5個セットがある。営業は午前8時半〜午後6時。水曜定休。インターネット販売サイト、JR仙台駅、東北自動車道のサービスエリアでも取り扱う。連絡先は022(289)3126。


河北春秋
 「朝一番の体操とランニングに始まり、会社の理念や歴史をたたき込まれる。創業時の精神を引き継ぐ意味で、かばんを使わず風呂敷を持つ」。経営コンサルタントの竹内一正さんが、かつて大手電機メーカーで受けた新人教育だ▼会社や職場には社風とか企業風土と呼ばれる独特の価値観、信念、行動様式があるものだ。大手広告会社の電通は「鬼十則」という心得を持つそうだ。1952年に当時の社長が示したものだと経済誌の特集にあった。今も社員手帳に掲載されている▼猛烈な部分もある。<取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは…><周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永(なが)い間に天地のひらきができる>。大成長を支えたのはこうした精神だったか▼電通と子会社5社が、厚生労働省の立ち入り調査を受けた。長時間労働が常態化している疑いがある。女性新入社員の過労自殺が発端だ。その4カ月前に是正勧告を受けていた。それなのに命を守れなかった。上司のパワハラ発言があったとも指摘されている▼染みついた「イズム」のようなものは「何年たっても忘れない」と竹内さんは書いている。だが、彼女を追い込んだことを風土のせいにしてはなるまい。全て人間のやったことである。

<自殺中2写真>遺族「説明二転三転し不信感」
 青森県黒石市の写真コンテストで、8月に亡くなった葛西りまさん=当時(13)=を被写体とする写真が市長賞に内定しながら取り消された経緯を巡り、遺族側は19日の高樋憲市長らの記者会見を受けて、改めて不信感をあらわにした。
 遺族らによると、黒石よされ実行委員会は当初、取り消しの理由を「メディアが殺到する」「撮影者が辞退した」と説明。「死んだ人間が写っている。こういう被写体だからふさわしくない」とも話したという。
 撮影者の辞退について、実行委は記者会見で「実行委から持ち掛けた」と明かした。会見後、葛西さんの父(38)は「初めて聞いた話だった。これまでのやりとりの中で説明が二転三転し、不快な言葉もあったので不信感が募っている」と述べた。
 授賞の内定を知った日は、葛西さんの四十九日だった。写真を見た瞬間を「娘の最高の笑顔を見て、また会えたと思った。家族で涙が止まらなかった」と振り返り、「賞が欲しくて抗議したわけではない。最初からしっかりとした態度で状況を隠さず説明してほしかった」と語った。
◎黒石市長「取り消しは配慮」
 黒石市の高樋憲市長の記者会見での一問一答は次の通り。
 −取り消した理由は。
 「(いじめ問題が調査中で)その状況で写真を出していいのかというのを配慮した」
 −いじめ問題だったから、面倒なことになるのを避けたのではないか。
 「全くない」
 −取り消しに誤りはなかったのか。
 「今回一番懸念したのは、他市(青森市)が(いじめ問題を)調査中の段階で写真を出すこと。(賞の授与で)写真を公表することは本当によかったのか。その点に関しては永遠に悩む部分かもしれない」
 −写真にどんな印象を持ったか。
 「黒石市の伝統の踊りを笑顔できれいに舞っている大変素晴らしい写真だ」


<自殺中2写真>入賞取り消し 再び授与へ
 青森県黒石市の写真コンテストで市長賞に内定した作品に、いじめ被害を示唆する遺書を残して8月に自殺した青森市浪岡中2年の女子生徒が写っていたとして内定を取り消していたことを19日、主催団体の黒石よされ実行委員会が明らかにした。授賞は遺族も了承していたが、内定を取り消した市側の対応に遺族が不信を抱き、撮影者の了解を得て写真を公開、亡くなったのは葛西りまさん=当時(13)=だと公表した。
 黒石市の高樋憲市長は同日、記者会見し「慎重さを欠く部分があり、撮影者や被写体の家族に誤解を与え、混乱を生じさせた。深くおわび申し上げる」と謝罪。実行委は遺族と撮影者の同意が得られれば、市長賞を授与したいとした。
 実行委によると、入賞作品を内定した11日、市長賞の被写体が葛西さんと分かり、写真の公表について遺族の許可を得た。報告を受けた市長が13日、担当者に「亡くなっているのであれば再考すべきだ」と伝達。協議して内定取り消しを決めた。担当者は撮影者と遺族に経緯を説明し、コンテストの結果は17日、「市長賞なし」と発表した。
 高樋市長は「生徒が亡くなった経緯は調査中で、名前や顔写真が公表されていなかった。遺族の許可は得たが、こちらの判断で取り消した。苦渋の決断だった」と語った。
 葛西さんは8月25日、青森県藤崎町のJR奥羽線北常盤駅で列車にはねられ死亡した。スマートフォンのメモに「二度といじめたりしないでください」などと書いた遺書を残していた。無料通信アプリLINE(ライン)に悪口を書かれたり暴言を吐かれたりしていると、昨年6月から何度か学校に相談していた。
[おことわり]いじめ被害を示唆する遺書を残して自殺した青森市浪岡中2年の女子生徒を匿名としていましたが、遺族が名前と写真を公表しましたので実名とします。


<福島第1>規制委「遮水壁に期待せず」
 原子力規制委員会は19日、東京電力福島第1原発の廃炉に関する検討会を開き、氷の壁で建屋を取り囲んで地下水流入を減らす「凍土遮水壁」について議論した。効果を説明する東電に対し、規制委の更田豊志委員長代理は「基本的に陸側遮水壁の効果に期待しない」と述べた上で、建屋周辺の井戸「サブドレン」からのくみ上げを対策の柱とするよう求めた。
 東電は、3月に凍結を始めた遮水壁のうち、未凍結となっている山側の7カ所中2カ所で近く凍結作業を始める計画を説明。建屋への地下水流入量をさらに減らすことで、汚染水の発生量を抑える考えを示した。
 更田氏は東電の計画を審査する考えを示した上で「『地下水対策の主役はサブドレン』と一貫して言ってきた」と強調。遮水壁の効果について「ほとんど関心を持ってない、と言うのは言い過ぎか」と改めて疑問を呈した。
 国と東電が建設を主導した凍土遮水壁について、規制委は当初から効果を疑問視していた。東電は遮水壁の運用を継続する一方、規制委の指摘を受けサブドレンの機能も強化する方針。


ポスト「もんじゅ」/夢のばらまきはたくさんだ
 事の正否は別にして、転んでもただでは起きないとはまさにこのことかと、いささか感心してしまう。
 鳴かず飛ばずのありさまだった高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」(福井県)の廃炉がほぼ確定的になったと思ったら、国はまたも高速炉の開発に乗り出すという。
 今月立ち上げた「高速炉開発会議」で年内に方針を決める予定だが、フランスとの共同研究や高速増殖炉の実験炉「常陽」(茨城県)の再活用という案が浮かんでいる。
 「もんじゅ」は廃炉でも核燃料サイクル政策は堅持というのが国の考えだが、それがそもそも無理がある。無理を押し通そうとすれば原子力の在り方をさらにゆがめ、解決が迫られている課題を先延ばしにするだけだ。
 「もんじゅ」に代わって唐突に浮上したのが、フランスが計画している「アストリッド(ASTRID)」と呼ばれる原子炉。資源エネルギー庁によれば、「放射性廃棄物の減容や有害度低減に向けた研究開発」のための実証炉で、2019年に建設するかどうか決まるという。
 発電だけでなく放射性元素の分離や変換も目指すらしいが、技術的にはそう簡単でないはず。高いエネルギーの中性子を用いる「高速炉」になるが、「もんじゅ」のような核燃料の増殖は目的にしていないようだ。
 実用化できたとしても原子炉だけでは役に立たない。専用の再処理工場や核燃料製造工場が必要になる可能性が高い。これまでとは別の核燃料サイクルになるわけだから、費用は膨大だろう。
 新型高速炉の技術開発と言えば聞こえはいいが、全体のコストや必要性、本当に実現できるのかどうかを厳しく見極めないと、とんでもないことになりかねない。
 本来であれば「もんじゅ」の廃炉と共に核燃料サイクル政策を断念すべきだった。それができない一因は、再処理工場などが集中立地する青森県との関わりにある。
 核燃サイクル政策をやめれば、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場の存在意義が宙に浮く。青森県はおそらく、全国の原発から運ばれた使用済み核燃料の搬出を求めるだろう。
 そうなったら各原発は窮地に陥る。使用済み核燃料を敷地内に保管するしかないが、いずれ満杯になって運転継続が不可能になってしまう。
 核燃サイクルは今や、原発の運転を可能にする方便のようになってしまった。それなのにまた、実現が不明確な核燃サイクルに乗り出すことなどあり得ない。
 国民の側から見れば、原子力の最優先課題は核燃サイクルでも高速炉でもなく、福島第1原発事故の後始末だろう。気が遠くなるような費用と年月がかかる。新型原子炉にうつつを抜かしている場合ではないのだ。


「高浜」審査対応で過労自殺 関電課長職、残業月200時間
 運転開始から四十年を超えた関西電力高浜原発1、2号機(福井県高浜町)の運転延長を巡り、原子力規制委員会の審査対応をしていた同社課長職の四十代男性が四月に自殺し、敦賀労働基準監督署が労災認定していたことが分かった。一カ月の残業が最大二百時間に達することもあり、労基署は過労自殺と判断した。
 男性は「管理監督者」に当たるとされ、労働基準法で定める労働時間の制限は受けない。ただ会社側は残業時間や健康状態を把握、配慮する義務がある。二基は当時、七月七日の期限までに規制委の審査手続きを終えなければ廃炉が濃厚で、関係者によると男性は極度の繁忙状態にあった。
 関電は原発への依存度が高く、再稼働は経営に直結する問題。男性の自殺について、関電は「コメントは差し控える」としている。
 関係者によると、男性は技術者で工事関係の課長職。審査手続きの一つ、設備の詳細設計をまとめる工事計画認可申請を担当していた。数万ページに及ぶ資料にミスが見つかるたびに、規制委への説明に追われていた。
 労働時間は一月から急増。二月の残業は約二百時間と推定され、三月から東京に出張して資料作成や規制委の応対に当たった。三、四月の残業も百時間前後とみられる。四月中旬、出張先の都内のホテルで自殺しているのが見つかった。体調が良くない様子で同僚から心配する声があったという。
 再稼働に向けた審査対応業務を巡っては、厚生労働省が労基法で定めた残業時間制限の適用除外とする通達を出している。通達が出た二〇一三年時点で申請のあった原発が対象で、高浜1、2号機は対象外だった。
 規制委は六月、高浜1、2号機の運転延長を認可した。


原発処理に総額30兆円 既に国民負担14兆円 本紙調べ
 原発政策を進めるには原発建設費、地元補助金を除き、関連処理費用として東京電力福島第一原発の事故処理、廃炉、最終処分場建設、核燃サイクルに最低でも約三十兆円かかることが本紙の調べで分かった。十九日には、経済産業省が有識者会合の作業部会を開き、規制変更によって廃炉が決まった原発の廃炉費用を電気料金に上乗せする方針を固めた。高速増殖炉もんじゅの行き詰まりなど原発政策の矛盾が拡大する中、政府が国民負担を増やそうとする論議が本格化する。すでに国民は電気料金や税金で十四兆円を負担しており、今後、さらに十六兆円以上の負担を迫られる可能性がある。
 新潟県や鹿児島県知事選で原発慎重派の候補が当選するなど原発への厳しい民意が強まる中で、政府が国民負担を増やしながら原発を推進するかが問われそうだ。
 福島第一原発の処理に必要なお金は、二〇一三年時点の見積もりを超過。二・五兆円を見込んでいた除染費が来年度予算の概算要求では三・三兆円に、被災者への賠償金がすでに六・三兆円にのぼっている。廃炉費用の見込み額も二兆円となっており、総額で十二兆円以上かかりそう。東電は自力で払うのは困難とみて政府に支援を求めた。
 経産省が財界人らとつくった「東京電力改革・1F(福島第一原発)問題委員会」で検討しているが、東電の経営努力で賄えない分は、電気代などを通じ国民に負担を求める方針だ。
 東電を除く原発の廃炉費用問題では、福島第一原発の事故後、原発の規制基準が変わったため関西電力美浜原発1号機など六基が廃炉を決定。予定より早い廃炉決定などで計三百二十八億円の積み立て不足(一三年三月末時点)が生じている。経産省は原発による電力を販売していない新電力の契約者も含めすべての利用者の電気料金に上乗せし、回収する意向だ。他の原発も合わせると合計二・九兆円(福島第一などを除く)の廃炉費用が必要だ。
 また、使用済み核燃料をリサイクルする計画の柱だった高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉方針に伴い、経産省は代わりの高速炉を開発する。政府はすでに核燃サイクルに十一兆円(最終処分場を除く)を費やし、電気代や税金で国民が負担している。もんじゅの後継が決まれば、さらに国民負担は膨らみそうだ。
 核のごみの最終処分場は場所が決まっていないが、政府試算では最低三・七兆円かかる。このうち積み立て済みは国民が支払った電気代をもとにした一兆円だけ。政府は年末にかけ候補地選定作業を急ぐ予定で具体化すればさらに国民負担が増える可能性がある。
 政府は福島第一原発の処理問題やもんじゅの後継問題でも、年末までに方針を決める意向だ。


蓮舫氏、福島第1原発を視察 「脱原発」へ道筋示す考え
 民進党の蓮舫代表は20日、代表就任後初めて福島県を訪問し、東京電力福島第1原発の廃炉作業の現状や、同県いわき市の仮設住宅を視察した。この後、原発政策に関し「脱原発依存」に向け、道筋を明確にしていく考えを記者団に示した。
 蓮舫氏は「再稼働ありきでは国民の理解は得られない。原発に頼らず、新エネルギーで産業や雇用を生む具体的なロードマップを示したい」と述べた。
 福島第1原発で蓮舫氏は、事故時の対応拠点だった免震重要棟や、原発周囲の地中を壁状に凍らせる汚染水対策「凍土遮水壁」の冷却設備などを見て回った。バスで原子炉建屋周辺も訪れた。


背後が透けて見える「透明ディスプレー」! パナソニックが次世代テレビを2019年度にも商品化
 パナソニックが、画面の背後が透けて見える「透明ディスプレー」を採用した次世代テレビを2019年度にも国内で発売する方向で検討していることが19日、分かった。また、すでに欧州で販売している高画質の「有機EL」を採用したテレビも、来年度中に国内で発売する。20年の東京五輪開催に向けた特需などを見込み、新製品の投入を加速させる。
 次世代テレビは、画面が厚さ3ミリ程度のガラス状のパネルで、棚の扉や引き戸のガラス部分に取り付けることもできる。普段はインテリアのガラスのように見え、必要な時に画面に触れれば、テレビ映像やインターネットの情報が表示される。従来のテレビのように置く場所に気を使う必要がなく、棚などに取り付ければ設置する高さも自由に変えられる。
 試作品は、今月開催されたアジア最大級の国際IT(情報技術)展示会「CEATEC(シーテック)ジャパン」などで公開された。今後は製品化にむけて透明度を向上させ、市場動向を見極めつつ正式に販売を決める。住宅メーカーと連携した販売や、業務用にディスプレー単体での販売も視野に入れている。
 今年9月まで1年間の国内薄型テレビ販売台数で、パナソニックはシャープに次いで2位だった。
 今後は、フルハイビジョンの4倍の解像度「4K」に対応するテレビなどとともに、次世代テレビや有機ELテレビを投入し、19年度にも国内トップシェア獲得を目指す。


試算も詐欺まがい 安倍政権「年金カット法」のイカサマ
 壮大なマヤカシにダマされてはいけない。安倍政権が今国会で強行採決しようとしている「年金カット法案」。物価と賃金の“より下がった方”に合わせて年金を減額する老人いじめの悪法だ。一体いくら減らされるのか。民進党の要求に応じ、厚生労働省がようやく試算を公表したが、まあ、これが詐欺みたいなものなのだ。
 法案に盛り込まれた新ルールを直近の過去10年間に当てはめると、年金受給額が今より3%減るという。国民年金で月2000円、厚生年金は月7000円。だが、民進党の独自試算はもっとシビアだ。下げ幅は5.2%になるとして、国民年金は月3300円、厚生年金は1万1800円減ると計算した。政府試算と比べると、それぞれ年額1万6000〜5万8000円もの開きがある。試算した井坂信彦衆院議員が言う。
「政府は年金の減額分を過小に見せるような試算を意図的にして出してきたのです。試算するにあたって、過去10年に実際に行われた『特例水準の解消』や『可処分所得割合の減少』を前提条件に含めなければならないのに、なぜかこれらは条件から外され、累計2%の“上げ底”が図られました。それで年金カット額がわずか3%と表示されたわけですが、会計のプロが見たら一発でインチキと分かるひどい試算です。厚労省はよくこんな恥ずかしい試算を公表できたものです」
■「7%増」の過大見積もり
 政府試算のイカサマはこれだけではない。給付の削減が進むため、現役世代については、将来の国民年金額が7%(月5000円程度)増えるとしている。こちらはかなり過大な見積もりだという。
「現役世代の年金を月5000円アップするには、過去10年のカット額を、運用利回り4.2%で20年間運用し、2.3倍に増やす必要があります。しかし、この低金利時代に4.2%の運用利回りをコンスタントに出し続けるのは非現実的。年金カットを国民に納得させるためにバラ色の将来を描いてみせたのでしょう」(井坂信彦衆院議員)
 そもそも、常に物価と賃金の低い方に合わせて年金がスライドされるということは、物価が上がっても年金が減るリスクと隣り合わせということだ。しかも、一度下がった金額は二度と元に戻ることはない。こんなエゲツない法案ができたら、餓死する高齢者が相次ぐのではないか。「たった3%だから大丈夫」なんて甘く考えているとひどい目に遭う。


機動隊員の沖縄差別は「土人」発言だけじゃない!「バカ」「シナ人」…差別意識を助長させる安倍政権
 沖縄への信じがたい蛮行が明らかになった。政府によって強行的に米軍ヘリパッドの建設工事が進められている沖縄県の高江で、建設反対派として抗議運動を行っていた芥川賞作家・目取真俊氏に対し、機動隊員が「触るな、土人」などと発言していたのだ。
 このときの動画や音声はYouTube上にアップされているが、たしかに機動隊員が巻き舌で「触るなクソ、どこ掴んどるんじゃ、このボケ」と威嚇し、そのあと吐き捨てるように「土人が」とたしかに言っている。
 言うまでもなく「土人」は「野蛮」「未開人」という意味で使われる蔑視の言葉であり、差別用語として認識されているものだ。沖縄県警によるとこの機動隊員は大阪府警から派遣された人物で、県警は19日、発言を認めて謝罪した。菅義偉官房長官も慌てて「許すまじきこと」とコメントしている。
 しかし、今回の差別発言は、ひとりの機動隊員が「うっかり言ってしまった」という問題ではない。実際、8月の時点から機動隊員が反対派市民に「バカ」「気持ち悪い」「おまえなんか殴る価値がない」などと暴言を吐いていることが確認されており、今回の「土人」発言が飛び出した際にも、別の機動隊員が「黙れ、コラ、シナ人」と発言していたことが発覚しているからだ。
 本サイトではこれまで何度も追及してきたように、現在、高江では、機動隊による反対派市民への弾圧が苛烈を極め、機動隊員が反対派市民をロープで身体拘束するという逮捕・監禁罪に該当するような違法行為までまかり通っている。
 そうしたなかで、同時に警察が差別発言を平気で口にしていることは、決して無関係ではない。
 たとえば、米軍では戦地で躊躇なく人を殺すため、兵士たちに「相手は人間ではない」と教え込むが、そのために現地に住む人々を差別視することを叩き込まれてきた。そして、ベトナム戦争時や、まさに占領期の沖縄で、米兵は住民たちを「Gook」、すなわち「土人」と呼んできたという事実がある。
 相手は自分よりも劣った「土人」なのだから何をしても許される。──国家権力は暴力を正当化するため、差別感情を利用し、兵士たちにすり込んできたのだ。いま、沖縄で横行しているのは、これとまったく同じことなのである。 歴史を振り返れば、太平洋戦争においても沖縄は「本土」からの差別に晒されていた。熊本憲兵隊が1927(昭和2)年に作成した『沖縄事情』内の文書では、「遅鈍悠長」「犠牲的精神ハ皆無」「盗癖アリ」「向上発展ノ気概ナシ」などという県民への偏見が綴られているという(琉球新報1999年4月11日付)。これは1923(大正12)年の沖縄連隊区司令部報告の引き写しであり、〈偏見に満ちた沖縄人観が軍内部で引き継がれ、固定化されたことをうかがわせる〉ものだ。
 さらに、沖縄の軍備強化を謳った1934(昭和9)年の『沖縄防備対策』では、県民に軍隊の補完を要請する一方で、〈軍事思想警察は、国家思想が確固としない彼らには行えない。憲兵の配置が必要〉などと“県民の監視”の必要性を説いている。その後、沖縄が本土決戦準備のための時間稼ぎという“捨て石”にされた背景に、沖縄県民への蔑視、偏見がなかったとは言えないだろう。
 こうした差別が、米軍基地を一方的に沖縄へ押し付けるという「構造的差別」につながり、現在の高江のように、公権力は暴力と差別をセットにして市民を弾圧している。そして、戦時下では軍人たちが沖縄への偏見を露わにしたが、その役割はいま、政治家に移った。
 現に、橋下徹とともに安倍首相との距離を縮める松井一郎大阪府知事は、問題の「土人」発言について〈ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様。〉などと機動隊員を擁護。よりにもよって差別を肯定したのだ。
 また、鶴保庸介沖縄担当相も、沖縄への露骨な差別感情を隠そうとはしない。鶴保沖縄担当相は就任早々「沖縄の振興策と基地問題は確実にリンクしている」「予算額を減らすのは当然。消化できないものを無理やりお口開けて食べてくださいよでは、全国民の血税で使われているお金を無駄遣いしているという批判に耐えられない」などと、沖縄を馬鹿にしているとしか思えない言葉を吐いたからだ。
 このような発言に、沖縄タイムスは〈沖縄の人たちを見下すような意識が見え隠れする〉〈「無理やりお口を開けて…」という表現は、県民を侮蔑した例え〉と社説で強く批判、琉球新報も安倍首相の任命責任に言及し〈信頼を失った沖縄担当相の更迭を判断すべき〉と迫った。しかし、安倍首相が鶴保沖縄担当相の発言を問題視することはなく、もはや“失言”とさえ認識していないのだ。
 機動隊員による「土人」発言は、安倍政権が民主主義や基本的人権さえ奪って圧制しようとしている沖縄への態度があって、そこから生まれているものだ。つまり、「土人」という差別発言は、政権の心情の発露でしかない。
 そして、忘れてはならないのは、今回問題となった機動隊員が大阪府警から派遣されていたように、「本土」が暴力と差別に加担しているということだ。今月17日には、映画監督の高畑勲氏やジャン・ユンカーマン氏らが名を連ね、警視庁の機動隊員が高江に派遣されているのは違法だとして東京都都監査委員事務局に対し住民監査請求書を提出したが、「本土」からこそ、高江での暴力と差別を許さない空気を広げていかなくてはならないはずだ。(水井多賀子)


大阪知事、「土人」発言の機動隊員に「出張ご苦労様」
 大阪府警の機動隊員による「土人」発言を巡り、松井一郎大阪府知事は19日夜、自身のツイッターに「ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と投稿した。
 大阪府警を所轄する立場の知事が、機動隊員が暴言を吐く動画を確認した上でかばい、ねぎらったことになる。
 松井氏は日本維新の会の代表も務めている。


差別的発言で抗議活動激化も
ヘリコプター発着場の建設が進められている沖縄本島北部のアメリカ軍北部訓練場で、大阪府警の機動隊員2人が、建設に抗議していた人たちに差別的な発言などをしていた問題で、現地では警察の警備に対する反発が強まっていて、今後、抗議活動が激しくなることも予想されます。
この問題は、アメリカ軍北部訓練場の一部返還の条件となっているヘリコプター発着場の建設に抗議する人たちに対し、警備の応援に来ていた大阪府警の機動隊員2人が、18日土着の人を意味する「土人」などという言葉を使って差別的な発言などをしていたものです。
これについて、沖縄県警察本部は「極めて遺憾で、今後このようなことがないように改めて指導していきたい」としています。
また、翁長知事は、沖縄県警察本部の池田克史本部長を20日県庁に呼んで「沖縄県民に対する配慮が全くない」などと直接抗議するとともに、指導を徹底するよう、要請することにしています。
ただ、現地で抗議を続ける人たちからは、今回の差別的な発言を受けて警察の警備に対する反発が強まっていて、今後、抗議活動が激しくなることも予想されます。


「黙れ、こら、シナ人」 別の大阪機動隊員も発言 沖縄県警が事実認め謝罪
 沖縄県東村高江の米軍北部訓練場周辺で18日、警備活動中の機動隊員が抗議する市民に対し、「土人が」と差別発言をした問題で、沖縄県警は19日、事実関係を認めた。また、18日には別の機動隊員が市民に対し、「だまれ、こら、シナ人」と発言したことも判明し、県警は2つの発言について「極めて遺憾。今後このようなことがないよう指導していく」と謝罪した。
 県警によると、発言した機動隊員は2人で、いずれも大阪府警から派遣された20代の男性機動隊員。
 「土人」と発言した隊員は18日午前9時47分ごろ、県道70号沿いの斜面にいた芥川賞作家の目取真俊さんに対し、「触るな、どこつかんでるんじゃボケ、土人が」と発言した。県警は同隊員を警備任務から外し、大阪府警に戻した。
 また、同日午前9時28分ごろには、別の隊員が県道70号で抗議行動参加者の通行を制限中に、「シナ人」と発言。同隊員は現場警備から外し、当面は後方支援業務にあてる。
 県警の聴取に対し、2人とも「興奮していた。あまり覚えていない」と述べているという。「シナ人」と発言した隊員は現場にいた右翼関係者が市民に対し、「シナ人」と繰り返し罵倒していたことから「つられてしまった」とも述べている。
 県警は「差別的用語で不適切」としたが、処分については「大阪府警が対処する」とした。
 一方、19日に名護署の抗議集会に参加したうるま市の男性(62)によると、警察官が「抗議に来る人は善良な市民ではない。出てください」と発言したという。名護署は事実関係を調査中としている。
 差別発言を受け、19日は大阪府警本部前で抗議集会が開かれ、府民らが「差別をやめろ」と訴えた。翁長雄志知事は20日にも県警の池田克史本部長と会談し、機動隊員の適切な管理を求める方針。
 【シナ人】中国人を指す言葉。日中戦争以降、日本側が侮蔑を込めて使用したため、中国側が差別的用語としている。インターネット上では政府批判やリベラルな意見をする人に「シナ人」とレッテルを貼る風潮がある。


[機動隊「土人」発言]県民を愚弄するものだ
 驚きを禁じ得ない暴言だ。
 米軍北部訓練場のヘリパッド建設現場に通じるゲート付近で、フェンスを挟んで工事に抗議していた市民らに、大阪府警の機動隊員が「土人」などと暴言を吐いた。
 沖縄県民への差別意識が露骨に出た言葉である。県民を愚(ぐ)弄(ろう)するもので、許せない。
 大阪府警の20代の機動隊員は18日午前、フェンスを揺らすなどして抗議していた市民らに「触るなくそ。どこつかんどんじゃボケ。土人が」と発言した。
 その直前にも、大阪府警の別の20代機動隊員が「黙れ、こら、シナ人」と差別的発言を浴びせた。
 まるで暴力団か、街頭でヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返す団体のような耳を疑う発言である。
 「土人」も「シナ人」も明らかな差別用語である。そういう言葉が公務中の機動隊の口から平然と飛び出すこと自体が異常だ。
 県警は「差別用語で不適切な発言だった」などと謝罪したが、当然である。だが、それで済むわけではない。
 2人の機動隊員は事実関係を認め、「不適切と承知している」、「右翼関係者につられて思わず言ってしまった」などと県警の事情聴取に答えているようだが、本当にそうなのだろうか。
 6都府県から派遣された約500人の機動隊員のうち、たまたまこの2人が暴言を吐いたのだろうか。
 機動隊の派遣を要請した金城棟啓県公安委員長にも説明を求めたい。
■    ■
 翁長雄志知事は急きょ会見し、「言語道断で到底許されない」と強い憤りを表明した。20日に池田克史県警本部長に抗議する。
 翁長知事が那覇市長だった2013年1月、沖縄の全市町村長らがオスプレイ配備反対を安倍晋三首相に訴えるため「建白書」を携えて上京。東京・銀座をデモ行進した際のことが思い出される。
 沿道からは「非国民」「売国奴」などの罵声が上がり、「中国のスパイ」「日本から出て行け」などの暴言が飛び交った。
 底流には沖縄を見下し、「植民地」扱いする意識がいまだにあると考えざるを得ない。だが、これだけではない。基地問題をきっかけに出てきた沖縄バッシングの空気が渦巻いている背景もある。
 ネット空間の影響を受けたかのように、機動隊員が「土人」や「シナ人」など日常生活では使わない差別用語を吐くことが「嫌沖」の根の深さを示している。
■    ■
 民意を無視してヘリパッド建設を強行する安倍政権と、市民を強制排除するなど権力をむき出しにする機動隊は一体である。
 「不偏不党且(か)つ公平中正を旨とする」と警察法はうたうが、工事車両に表示番号がないなど違反が相次いでも機動隊は警備している。抗議する市民からは多くの負傷者が出ており、対応が公平でないのは歴然としている。
 安倍首相は今回の暴言を国会で謝罪するとともに、応援機動隊を引き揚げさせ、工事をやめるべきだ。


警察「土人」発言 「構造的差別」責任は政府に
 米軍北部訓練場内のヘリパッド建設で基地のフェンス越しに建設反対を訴える市民に対し、大阪府警の機動隊員が「土人」の暴言を発した。県警は事実を認め、「発言は遺憾」と表明した。
 「土人」発言は、反対運動の市民だけでなく、県民の心を深く傷つけた。警察への信頼も大きく失墜させた。機動隊員の監督責任者は県民に対し明確に謝罪し、発言した隊員を警察法や侮辱罪などの法令に基づき厳正に処罰すべきだ。
 現場の機動隊員は全国から招集されている。隊員の差別発言は、監督者の責任も問われる。隊員に対し、沖縄の基地問題や建設に反対する民情を理解させ、公正中立の立場で職務を行わせる指導、監督をおろそかにした責任は大きい。
 フェンスを挟んで向き合う市民への「土人」の暴言は、行動を抑制するのでなく挑発そのものだ。工事を邪魔する者は排除すればいいという、安倍政権、沖縄防衛局の意思を反映したものだろう。
 訓練場内のフェンスの鉄線を切断したとされる沖縄平和運動センターの山城博治議長は、防衛局職員の通報で逮捕された。反対運動を萎縮させたい防衛局の意を酌む「狙い撃ち」と批判されている。
 反対行動を抑圧する警察活動の、事実上の指揮者は防衛局、政府である。大規模な機動隊投入、不当な車両検閲、市民や新聞記者の排除、自衛隊ヘリの投入と、ヘリパッド建設のため政府はあらゆる手段を取っている。
 建設を至上命題とする政府の意を受け、あるいは指揮の下に、警察法が規定する「公平中正」を逸脱する警察活動が行われているのは明白だ。
 沖縄差別は歴史的な問題だ。琉球処分、大戦時には沖縄を本土防衛の防波堤にし、戦後は米軍占領を許し、米軍基地を集中させた。
 政府の沖縄に対する歴史に根差した「構造的差別」の延長線上に、辺野古新基地建設、ヘリパッド建設がある。
 県知事選、名護市長選、県議選ほか幾たびの国政選挙で県民は基地反対の民意を示してきた。民意を踏みにじり基地建設を強行する国家政策そのものが「構造的差別」と言わざるを得ない。
 沖縄は日本の植民地ではない。沖縄差別、今回の「土人発言」の責任は政府の差別政策にある。沖縄に対する構造的差別を改めぬ限り、不毛な対立は終わらない。


沖縄ヘリパッド 「土人」発言機動隊員に「出張ご苦労様」
大阪・松井知事がツイッター投稿
 米軍北部訓練場(沖縄県東村、国頭村)のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)移設工事を巡り、現場警備に大阪府警から派遣された2人の20代の男性機動隊員が、工事への反対活動をする人に「ぼけ、土人が」などと差別的な暴言を吐いた問題で、沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事は19日、「(土人は)未開の地域住民を侮蔑する意味を含んだ言葉で、県民としても知事としても言語道断で到底許されず、強い憤りを感じている」と述べた。
 知事は近く県警本部長に会って機動隊の適切な管理を求める。
 また、菅義偉官房長官は記者会見で「不適切な発言を行ったことは大変残念」と指摘。「許すまじきことなので、警察庁においてしっかり対応すると報告を受けている」と述べた。そのうえで「地元の村から早く(北部訓練場の約半分の)返還を実現し、国立公園に指定してほしいと要望を受けている」と語り、年内に工事を終える考えを改めて示した。
 一方で大阪府の松井一郎知事は、当時の様子をネット動画で見たとした上で、「表現が不適切だとしても、府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました」と自身のツイッターに書き込んだ。さらに「出張ご苦労様」とねぎらいの言葉も投稿した。
 この発言を巡り、府警は近く、隊員から事情を聴く方針を固めた。事実関係を確認の上、処分を検討する。【佐藤敬一、田中裕之、青木純、堀江拓哉】


沖縄で「土人」発言の大阪府警機動隊員に「出張ご苦労様」松井一郎大阪府知事
沖縄県で大阪府警の機動隊員が「土人」などと差別的な発言をした問題について、松井一郎大阪府知事は10月19日夜、Twitterを更新、「表現が不適切」と書いた一方で、「だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」などと投稿していた。
機動隊員の発言は沖縄県東村高江で進められているヘリパッド移設工事現場の周辺で、反対する住民らに対して行われたもの。機動隊員の暴言がビデオに収められてインターネット上で広まった。
琉球新報によると、沖縄県の翁長雄志知事は19日の記者会見でこの言動を批判。「未開の地域住民を侮蔑(ぶべつ)する意味を含み、一県民としても、県知事としても言語道断で到底許されるものではなく、強い憤りを感じている」と話していた。
松井知事の投稿には「ヘイトスピーチの親玉」「差別を解消に向けて努力すべき自治体の長に相応しい人物でない」などと疑問を投げかける人々の反論ツイートが多数寄せられている。


別の機動隊員は「シナ人」と罵声、沖縄県警から大阪府警に連絡
沖縄本島北部で進むアメリカ軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯(高江ヘリパッド)建設に抗議する市民に対し、大阪府警の機動隊員が「土人が!」と差別用語で罵倒していた問題で、別の機動隊員も「黙れコラ、シナ人」などと発言していたことが沖縄県警の調査でわかった。朝日新聞デジタルなどが報じた。
朝日新聞デジタルによると、この発言があったのは別の場所で、同じように工事に抗議する人たちに浴びせられた。大阪府警の20代の機動隊員だったとして、沖縄県警から大阪府警に連絡があったという。府警は帰還させ調