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Japon : des prisons aux allures de maisons de retraite
Les prisons japonaises comptent désormais 20 % de détenus de plus de 60 ans. Et une grande majorité d'entre eux récidivent pour y rester !
Le système pénitentiaire est-il en train de devenir la plus grande maison de retraite du Japon ? Dans ce pays à la population vieillissante, la délinquance a baissé, mais, bizarrement, le nombre de crimes commis par les plus de 65 ans a quadruplé ces vingt dernières années. Avec un sexagénaire pour quatre détenus, le Japon est l'un des pays industrialisés comptant la plus forte proportion de prisonniers âgés, selon Bloomberg.
Mieux vaut être en prison
En moyenne, un détenu coûte 3,2 millions de yens par an, soit 23 500 euros. Mais ces dépenses augmentent encore du fait de la hausse des coûts des soins. Le troisième âge a souvent besoin de médicaments, d'interventions, d'aides pour se nourrir, se laver, se changer. Les geôliers deviendraient presque des aides-soignants. Les frais médicaux ont doublé en neuf ans, selon le ministère de la Justice. ≪ Les prisons du Japon sont en mauvais état. La plupart du temps, il n'y a ni chauffage ni climatisation. Mais ils [les détenus, NDLR] préfèrent être ici plutôt qu'à l'extérieur. Ils ont des amis, de la nourriture, et sont bien soignés ≫, explique Koichi Hamai, professeur de criminologie à la faculté de droit de l'université Ryukoku.
Récidivistes volontaires
Chaque année, 6 400 prisonniers sont libérés alors qu'ils n'ont nulle part ou aller. En moyenne, un sur trois récidive, rapportent les statistiques gouvernementales. Ceux qui ne cessent de retourner dans le système n'ont souvent ni famille ni soutien financier. Un récidiviste de crimes mineurs – tels que les vols à l'étalage – peut être condamné à cinq ans d'emprisonnement. Un détenu de la prison de Nagasaki, âgé de 67 ans, confiait à Bloomberg être derrière les barreaux pour la quatorzième fois. Libéré en décembre, le personnel déclare prévoir son retour…
Le gouvernement japonais s'est fixé comme objectif de réduire de 30 % le nombre de détenus libérés sans domicile d'ici à 2020. Un tel objectif nécessite des mesures importantes. L'État avait déjà ouvert 47 centres de réinsertion à travers le Japon, avec un budget annuel de 184 000 euros, mais leur capacité d'accueil est limitée. Les maisons de retraite ne sont pas non plus une option, puisqu'on compte actuellement plus de 520 000 Japonais sur liste d'attente. Le gouvernement cherche également à augmenter le nombre d'entreprises acceptant les anciens détenus. Si l'action étatique est clairement indispensable, elle doit s'accompagner d'un soutien communautaire, soutient le site Bloomberg. Les criminels du troisième âge, traités comme des parias à leur sortie, peinent à trouver un emploi ou un logement et sont, finalement, bien mieux au ≪ chaud ≫.
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バリバラ〜障害者情報バラエティー〜「もっと知りたい!発達障害」
今回は、もっと知りたい!発達障害。「みんなはトイレットペーパーを1回にどのぐらい使っているんだろう?」という小学生の素朴な疑問から見えてくる発達障害の特性とは? このほか「クイズ・自閉症のキモチ」や、クスッと笑える「あるある話・バリバナ」など。発達障害の当事者や家族から寄せられた投稿をもとに、その特性について具体的なエピソードとともにお伝えする。
東ちづる,宮本亜門, 玉木幸則, 山本シュウ, 大西瞳, 神戸浩,伊藤愛子,藤沢としや,中矢由紀

ドキュメント72時間「路面電車に揺られて」
人々の生活の足として今も活躍し、利用者数日本一を誇る広島の路面電車が今回の舞台。平均時速10キロでゆったり走る車内にはさまざまなドラマを抱える人々が乗り合わせる。孫を授かり病院に向かう祖母、就職活動に行き詰まって悩む学生、勝利の余韻に浸るカープファン。電車は原爆投下の3日後に再開し復興の第一歩を刻んだ歴史も持つ。開業から100年以上、市民と共に歩んできた路面電車の車内で繰り広げられる3日間の物語。 吹石一恵
心と脳の白熱教室 第1回「楽観脳と悲観脳」
なぜ人間には楽観的な人と悲観的な人がいるのか。フォックス教授は、その鍵が「サニーブレイン(楽観脳)」「レイニーブレイン(悲観脳)」と呼ばれる脳の働きにあるという。人間の脳には危険を察知し恐怖を感じる回路と快楽や喜びを感じる回路があり、そうした強い感情を抑えようとする回路もある。そうした回路のでき方は人によって違い、悲観的な人や楽観的な人が生まれるという。脳科学と心理学で、あなたの性格に迫る。
エレーヌ・フォックス,ケヴィン・ダットン


ラジオで河童忌だと言っていました.芥川龍之介の命日なわけです.
朝内職をしている人がたくさんです.
夕方Wサイテが多くて大変でした.
乾燥ケースをどうにかしなくてはいけない・・・そうです.

JR気仙沼線 復旧断念を表明
東日本大震災の津波で一部の区間が不通となっているJR気仙沼線の復旧について話し合う会議が東京で開かれ、JR東日本は沿岸の自治体に対し、鉄道の復旧を断念する方針を正式に示しました。
JR気仙沼線は、震災の津波で大きな被害を受け、▼気仙沼駅と▼登米市の柳津駅の間の55.3キロの区間が不通となっていて、JR東日本は、線路のあった場所に専用道を整備して、列車の代わりにバスを走らせる「BRT」を運行しています。
24日はJR気仙沼線の復旧のあり方について話し合う会議が東京の国土交通省で開かれ、気仙沼市や南三陸町など沿線の自治体やJR東日本、それに国土交通省の担当者が出席しました。
この中でJR東日本は沿岸の自治体に対し、震災前から利用が低迷していたことなどを理由にBRTの運行を継続する一方、鉄道の復旧は断念する方針を正式に示しました。
JR東日本によりますと、鉄道の復旧には駅の高台移転なども含め700億円に上る多額の費用がかかるということです。
一方、BRTの運行を継続することで復興の進捗に合わせて運行ルートを変更できるほか、自治体の要望に応じて新しい駅も設置できるということです。
JR東日本の深澤祐二副社長は「鉄路の復旧よりもBRTの方が健全に経営でき、沿線住民にもよりよいサービスを提供できると考え提案させていただいた」と話しました。
次回の会議は年内に開かれる予定で、早ければこの会議で結論が出される見通しです。


南相馬再生へ自治模索 帰還前に住民が独自策
 東京電力福島第1原発事故により住民が避難している福島県南相馬市小高区で、一部の行政区がコミュニティー再生に向けた取り組みを始めた。市が掲げる帰還目標は来春。住民が集う機会を設けたり、新たな自治のありようを模索したりと独自の試みが続く。
 浦尻地区(約110戸)は、同区の最南端に位置する。7月に住民約40人が避難先から集まり、生活道路の草刈りに汗を流した。以前は地区行事として毎年実施していたが、原発事故後は実施を見送ってきた。
 呼び掛けたのは小野田治区長(65)だった。「お盆の墓参の際、荒れた土地を見たら戻る気もうせてしまう」。地区内には津波被災地が広がり、ただでさえ地域存続の危機感は強い。今後も住民の共同作業を行う予定だ。
 西部に位置する川房地区(約70戸)は8月中旬、20〜40代の若手が集まる会合を企画する。早期の避難指示解除には慎重論も根強いが、佐藤定男区長(59)は「いずれは地域の主軸となる世代。古里の未来を考えるきっかけにしてほしい」と狙いを明かす。
 小高区は帰還が始まっても住民の数は、事故前の約1万人超から大きく落ち込むと予想されている。定住人口の減少を見据え、地域コミュニティー再編に着手する例もある。
 海沿いに広がる塚原地区(約110戸)は現在、都市計画の研究者らと連携して自治の新たな姿を探る。少人数での墓地管理、葬儀時の互助の仕組みなどをテーマに組織の最適化を検討している。
 原発事故からの復興局面に入れば、各地域が高齢化などの課題と向き合わねばならない。地方振興に詳しい都留文科大の渡辺豊博教授(市民活動論)は「行政依存では地域は維持できない。行政区は自治の最小単位。住民の団結を保つことで、産業再生などへの道も開けるだろう」と話した。


壁一面に人や鳥…集団移転先遺跡で線刻画発掘
 宮城県山元町教育委員会は23日、同町高瀬の合戦原遺跡の横穴墓群から7世紀の古墳時代末期から奈良時代に描かれたとみられる線刻画が見つかったと発表した。玄室の壁一面に人や鳥などが複数確認された。東北で横穴墓が見つかった宮城、福島両県で、これだけの規模の線刻画は例がないという。
 今回の調査で確認した横穴墓群は20基で構成される。線刻画は高さ1.7メートル、幅3.3メートルの玄室の奥壁に刻まれていた。鳥の描き方は古墳時代特有の作風で、当時の位の高い人物が使ったうちわ「さしば」や矢を入れる「ゆぎ」とみられる図柄もあった。
 同じ玄室からは装飾を施した全長約1メートルの金銅製の太刀も出土した。他の横穴墓からは銅製とみられる鐙(あぶみ)や金銅張りの杏葉(ぎょうよう)などの馬具も発掘された。くぎが4本打ち込まれた壁面もあり、埋葬者を隠す幕を張った可能性があるという。
 合戦原遺跡は、独立行政法人国立病院機構宮城病院の北側にあり、調査面積は約1.3ヘクタール。東日本大震災の防災集団移転促進事業と災害公営住宅建設事業に伴う新市街地整備を前に、昨年8月から調査を進めた。これまでに今回を含めて54基の横穴墓群を確認した。
 山元町教委の担当者は「横穴墓群はこの地に勢力を張った有力者の一族をまつったものとみられる。線刻画は亡くなった位の高い人物を埋葬する際に儀礼として描かれたのではないか」と話した。
 同町坂元の犬塚遺跡からは7世紀末〜8世紀初頭の奈良、平安初期の製鉄関連の遺構が丘陵全体に分布していることも判明。同町教委は25日、両遺跡を一般公開する。連絡先は町生涯学習課0223(37)5116。
◎古代の他界観示す
 <古墳時代に詳しい福島大の菊地芳朗教授(考古学)の話>
 現地で確認したが、これほどの規模の線刻画が見つかるとは予想していなかった。横穴墓群で最上位の権力者が埋葬されたと思われる。状態も良好で、古代の他界観を知ることのできる東日本で数少ない事例だろう。


宮城7蔵元の技を結集「至高の酒」開発
 宮城県を代表する七つの蔵元でつくるグループ「DATE SEVEN(伊達セブン)」が今月、初めて共同開発した同名の新酒を発売した。製造工程ごとに各蔵元が作業を担当し至高の酒を目指した。グループの活動期間は7年で、毎年担当を替えて新たな味作りに挑戦する。
 メンバーは「山和」の山和酒造(加美町)、「伯楽星」の新沢酒造(大崎市)、「宮寒梅」の寒梅酒造(同)、「萩の鶴」の萩野酒造(栗原市)、「黄金沢」の川敬商店(美里町)、「墨廼江(すみのえ)」の墨廼江酒造(石巻市)、「勝山」の仙台伊沢家勝山酒造(仙台市)の7蔵元。
 ことし1月にグループを結成した。蔵元同士の会合でそれぞれの技術について意見交換した際、「せっかくだから、共同で1本造ろう」と意気投合した。
 1年目のことしは山和酒造がリーダーを務め、醸造場所を提供して仕込み全体を管理。他の蔵元は、新沢酒造が精米、墨廼江酒造がもろみ管理、勝山酒造が上槽(搾り)などを担当し、精米以外は山和酒蔵に集まり作業した。
 米は宮城県産の酒米「蔵の華」を使った純米大吟醸で、精米歩合は通常の40%よりもさらに磨いて33%とした。香りは控えめで、米から出るほんのりとした甘みが特徴の上品な酒に仕上げた。
 一升瓶2000本、四合瓶4000本を造った。価格は一升瓶が税抜き4000円、四合瓶が同2000円。グループ名にちなみ、7月7日に東京・渋谷のレストランでお披露目会を開いた。各蔵元と取引のある酒屋などで販売している。
 グループはそれぞれの蔵元の技術や強みを共有し、酒造りのレベルアップを目指す。新沢酒造の新沢巌夫社長(40)は「最終的に自分たちの酒の品質を向上させたい。宮城の酒文化の発展にもつながることを期待する」と話した。


被災免れたピアノ 再び音色
震災の津波で大きな被害を受け今年度で閉校する仙台市の荒浜小学校の校舎に置かれたままになっていたグランドピアノが統合先の七郷小学校で再び使われることになり、23日演奏会が開かれました。
仙台市の荒浜小学校は、震災の津波で4階建ての校舎のうち2階まで浸水する大きな被害を受けたことから、今年度いっぱいで閉校し近くの七郷小学校と統合されることになっています。
このため、市は荒浜小学校があったことを伝えるものを残そうと、4年あまりの間校舎に置かれたままになっていたグランドピアノを七郷小学校に移し再び活用することを決めました。
23日は、七郷小学校のホールで開かれた「東北青少年音楽交流会」でさっそくグランドピアノを使った演奏が行われ、ヴァイオリンやチェロとともに9曲が演奏されました。
ピアノは、4階の音楽室にあったため津波の被害を受けておらず、会場に2つの小学校の保護者や児童それにかつての荒浜地区の住民などおよそ70人が集まるなか、4年4か月ぶりの華やかな音色を響かせていました。
震災前荒浜小学校の近くに自宅があり子どもたちが荒浜小学校に通っていたという女性は「地域と身近な小学校でした」と思い出し涙ぐんでいました。
また震災前から荒浜小学校に勤務していた大内恵美教諭は「このピアノを児童がよく囲んでいました。
鍵盤にドレミを表すシールの跡があるのは児童が一生懸命練習していた名残です」と話していました。
ピアノが移された七郷小学校には来年度から荒浜小学校の生徒が通うことになり、再びこのピアノとともに学ぶことになります。


「同志」寂聴さん、鶴見俊輔氏死去に「本当に残念。残念です」
 反戦平和への決意を軸に独自の哲学を展開し続けた鶴見俊輔さんの訃報に、ゆかりのある京都の文化人からも惜しむ声が上がった。
 「同志」として鶴見さんと交友を重ねてきた作家瀬戸内寂聴さん(93)は「具合が悪いと聞いていて、ずっと気になっていたけど、本当に残念。残念です」と落胆した。大逆事件(1910年)で処刑された唯一の女性管野スガを主人公に描いた「遠い声」を執筆した時、どこも出版してくれなかったが「声を掛けてくれたのが鶴見さんでした。本当にご恩を感じている」と振り返った。安保法制の審議が進む中、「日本にとってなくてはならない方。でも、こんなろくでもない日本になるのを、情けなくて見る気もしなかったのかもしれない。もう一度ゆっくりとお話ししたかった」と悔やんだ。
 近所に住む、歌人で京都産業大教授の永田和宏さん(68)は「庭に咲いたスイセンやコスモスを届けると喜んでくださり、著作を直接郵便受けに入れてくださることもあった。鶴見さんは絶対に他人の考えに寄りかからず、いつも一から物事を考える、手作りの考えを持った人だった。残念でならない」と話した。


鶴見俊輔さん死去:反戦平和追求 貫いた「思想の巨人」
 哲学者で評論家の鶴見俊輔さんは、大衆文化に至るまで膨大な知識に裏付けられた思想だけでなく、身をもって平和を追い求めた運動家でもあった。巨人の死去を知人らが悼んだ。
 「広く深く、アメリカ文化に通じた人だった。集会の立ち話で、愉快に教えられた。『民主主義者』そのもの」。作家、大江健三郎さんはしのんだ。鶴見さんは護憲を掲げ、2004年に結成された市民団体「九条の会」で、大江さんや故・小田実さん、井上ひさしさんらと共に呼びかけ人となった。
 同会の事務局長を務める東京大学の小森陽一教授(日本文学)によると今年1月、呼びかけ人の一人で東京大名誉教授の奥平康弘さんが亡くなったときも、病床からでも運動に参加しようとする代筆のメッセージが寄せられるなど、最後まで会を気に掛け、財務面でも支え続けていたという。
 1970年代まで大衆文学などアカデミズムの研究対象とならなかった分野に積極的にかかわった鶴見さんについて小森さんは「日本の社会と文化現象とをつなぎ、人間全体を研究する姿勢で人文科学を発展させた」と振り返りつつ、「戦争体験を思想化し、反戦平和を求めて生き抜かれた。大きな存在を失ったが、遺志を受け継いでいきたい」と誓った。
 市民運動のリーダーとして、晩年まで民主主義の力を信じていた。07年、憲法改正を掲げ参院選で大敗した安倍晋三首相について、毎日新聞の取材に、「楽観はできないけれど、大衆の中に動きがあるかもしれないね。もう少し見てみたい」と語り、「民主主義は完全に成立することはない。追い込まれて盛り返す。そのパワーが重要なんだ」と話していた。
 知的なユーモアも豊かだった。08年に「鶴見俊輔書評集成 全3巻」で毎日書評賞を受賞した際は、つえをつきながら登壇し「(米国留学したために)いまだに日本語はうまくない」「知識人とは異なる『悪い本』を読み続けて80年。一本貫いてきたものがある」と語って会場を沸かせた。
 また同年、京都市内であった講演会では「自分の葬式を『ご近所葬』にしたい。無信仰者として死にたい」などと話していた。【棚部秀行、最上聡】