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Japon: L'ambassadeur français refusera ≪de servir la diplomatie du FN≫ si Marine Le Pen est élue
Thierry Dana, l’ambassadeur de France au Japon a déclaré qu’il se mettra ≪ en réserve ≫ si Marine Le Pen venait à être élue présidente de la République en mai. Il a en effet expliqué qu’il refuserait ≪ de servir la diplomatie du FN ≫, dans une tribune publiée ce mardi dans le journal Le Monde.
Le diplomate de 61 ans, qui doit ≪ prendre une nouvelle affectation à l’été ≫, estime qu’il ne pourrait ≪ pas défendre loyalement [les] positions [du FN], qui sont contraires à tous les principes portés par la France lorsqu’elle est grande dans le monde ≫.
≪ La France est conquérante et vous voulez en faire un pré carré ≫
Et d’ajouter à l’adresse de la candidate du Front national : ≪ la France est conquérante et vous voulez en faire un pré carré. La France est généreuse et vous voulez en faire une boutique repliée sur elle-même ≫.
Pour l’instant, Thierry Dana, n’aura pas forcément à agir ainsi, car selon Le Figaro, si les sondages donnent Marine Le Pen en tête au premier tour, elle est systématiquement battue lors du second.
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その男、副署長3
絞殺体で発見されたキャバクラ嬢の唇に塗られたグロスから、意外な人物の指紋が採取される。5年前に神戸で起きたサラ金襲撃事件の主犯で指名手配中の梅野のものだった。張り込み捜査が行われるが、野沢刑事課長(石丸謙二郎)の態度がおかしい。彼は誰にも言えぬ秘密を隠していた!?
船越英一郎、田中美里、宇梶剛士、鈴木裕樹、石丸謙二郎、的場浩司、本田博太郎、萬田久子 寺田千穂、比企理恵

COOL JAPAN「“雪国”〜出張COOL JAPAN in 新潟〜」

スタジオごと新潟に出張!国際大学で学ぶ89人の外国人留学生とともに日本の豪雪地帯で暮らす人々の知恵や利雪をテーマに語り合う。ニッポンの「雪国」はクール?
日本屈指の豪雪地新潟は、冬にスキー場を訪れる外国人観光客が急増中。また、この地は雪をさまざまなエネルギーとして活用する「利雪」の最先端地域としても世界の注目を浴びている。今回はスタジオごと新潟に出張。国際大学で学ぶ外国人留学生89人とともに、豪雪地帯で暮らす日本伝統の「知恵」や「利雪」をテーマに、世界を驚かすニッポンのCOOLな文化を発掘する。出張クールジャパンスペシャル。
雪だるま財団・主任研究員…伊藤親臣, 鴻上尚史,リサ・ステッグマイヤー, 日高のり子,中井和哉

ぽっちゃりママのダイエット奮闘記
元アナウンサーママが悩む中年太り…痩せてウエディングドレスを着たいママ…ぽっちゃりママ4名が一世一代ダイエット!一流トレーナー&家族で挑む、汗と涙と絆の奮闘記!
番組が用意した専属トレーナーと共に様々なダイエット法で減量に挑む! (1)元アナウンサーママが何と「糖質OKダイエット」で10キロ減量に挑戦! (2)シングルマザーが婚活パーティーに向け、医師や栄養士など8名がかりで挑む! (3)同窓会に向けてスキニージーンズを履きたい!そんな20歳のママには徹底した美尻ダイエット! (4)痩せてウエディングドレスを着たい!そんなママに用意されたのは「男性ホルモンダイエット」!
バナナマン ゲスト:ヒロミ・柴田理恵・山口もえ・ニッチェ・杉本美香
☆番組HP  http://www.tv-asahi.co.jp/pocchari/

BS1スペシャル「僕と家族の夢ハウス〜大槌の子どもたち4年間の記録〜」

岩手県大槌町の「子ども夢ハウス」。震災で家や家族を失った子どもたちが集う。「人生を生き抜く力をつけてほしい」と、全力でぶつかる大人と子どもたちとのドキュメント。
岩手県大槌町にある「子ども夢ハウス」。震災で家や家族を失い、仮設住宅で暮らす子どもたちが思いきり遊べる場として2013年に開かれた。立ち上げたのは、作業療法士の藤原茂さん。子どもに寄り添いながらも決して甘やかさない。“つらいことも、悲しいことも、自分で乗り越える力をつけてほしい”と藤原さんは願う。共に遊び、笑い、泣き、時には本気で怒る藤原さんと、少しずつ強くなっていく子どもたちとのドキュメント。
武内陶子


いろいろと慌ただしいです.最低限しなくていけないのは枚方と梅田関連でメールを書くことです.
ふと見ると明日末広町で震災関連の講演会があることをしりました.直前ですが申し込みました.

<震災6年>月命日ライブ ラストステージへ
 東日本大震災の月命日に、盛岡市の商業施設で女性シンガー・ソングライターが開催してきた復興祈念ライブが震災から6年となる11日、最終回を迎える。震災で実家が全壊した岩手県山田町出身の光(ひかる)さん(46)=盛岡市=が、2013年8月から単独で計43回開いてきた。光さんは「内陸の人に被災地を身近に感じ続けてもらえるよう、心を込めて歌う」と最後のステージに臨む。
 光さんは市内でパートとして働き、2人の娘を育てる傍ら、15年ほど前に独学でアコースティックギターを始めた。08年に人前で演奏するようになり、県内の音楽イベントなどで自作の曲を披露してきた。
 震災の津波と火災で、19歳まで暮らした山田町の風景は「現実と思えない」姿に変わってしまった。かつて光さんが「ミス山田ビーチ」に選ばれてPRした美しい海が、多くの命を奪った。実家に住んでいた両親と兄は町内のみなし仮設住宅で暮らす。
 帰省の度に、復興を巡って沿岸被災地と内陸の間に温度差を感じた。「まだまだ窮地に立たされている沿岸の実情を内陸に伝えたい」との思いから、盛岡市のクロステラス盛岡1階の特設ステージで澄んだ歌声を響かせてきた。
 ライブでは生活再建に苦悩する母へのメッセージを込めた「強がらないで」、山田町の豊かな自然への愛着を込めたアップテンポの「私の愛する、この町。」といったオリジナル約70曲を披露してきた。
 演奏中はスクリーンに、光さんが動画で撮りためた山田町の復興の様子を上映する。かさ上げが進む中心部、防潮堤工事で風景が変わる海辺、仮設住宅での高齢者の暮らしなどを紹介し、被災地の現状を目と耳で感じてもらう。
 最後のライブのために「忘れずにいて〜3.11〜」という曲を用意した。光さんは「ライブは震災から6年で区切りをつけるが、毎月11日が被災者にとってつらい日であり続けることを忘れないでほしい。曲を聴いた人が被災地のために何かしたいと思ってくれたらうれしい」と願う。11日のライブは午後3時開始。入場無料。


<震災6年>未来へ 新しいまち誕生
 東北が深い悲しみに包まれた東日本大震災から6年を迎える。津波に襲われた沿岸部は道路や住宅の整備が進み、「新しいまち」も各地に誕生している。
 被災地が穏やかな暮らしを取り戻しつつある中、自らの意志で地域に根を下ろし、復興を支える人たちがいる。
 ボランティアをきっかけに移住した若者や、北の大地で再起を誓う農家。古里の復活に人生の再出発を重ねたり、コミュニティーの再生に懸ける人の姿もある。それぞれが希望を胸に地域と手を携え、前に進む。
 未来へ−。苦難の歳月から見えてきた明かりを灯標に、力強く歩み続ける人たちを訪ねた。(写真部震災取材班)


<震災6年 まち再生>子育て応援地域一丸
 東日本大震災の津波被害を受けた岩手、宮城、福島の被災3県の沿岸部は、まち再生の取り組みが正念場を迎えている。中心市街地を造り直す大規模な土地区画整理事業は道半ば。現地再建への戸惑い、廃業の危機、地域格差など課題は山積する。震災から6年を迎える被災地の今を追う。
◎正念場迎える被災地(6)完 福島県いわき
 自分たちの手で新たなまちを創造する。目指すのは「こどもらが日本一めんこく育つまち」だ。
<150世帯目標>
 福島県いわき市の豊間地区。東日本大震災の津波で住宅の65%、約400戸が失われた。2018年3月の引き渡し完了を目標に土地区画整理事業が進む。
 今年、宅地と移住希望者のマッチング事業が動きだした。主体は住民組織「ふるさと豊間復興協議会」。子育て世代に照準を絞り、新住民を呼び込む。
 2月25、26の両日、初の現地説明会を開いた。
 「海が見える。最高」。造成中の高台からの眺めに、20代の夫婦が顔を見合わせた。「いいね」
 2日間で参加は5組だけだった。だが、チラシ6万枚を新聞に折り込んでも問い合わせが全くなかっただけに、豊間区長で協議会長の遠藤守俊さん(72)は、ほっと胸をなで下ろした。
 5組とも津波への不安から高台の区画を希望した。更地の現場に「先頭を切って家を建てるのは勇気がいる」との声も出た。参加者の少なさを含め課題も浮かんだが、前向きな意向が多く、遠藤さんは「一歩を踏み出せた」と感じた。
 協議会は150世帯の移住を目標に掲げる。突き動かすのは「限界集落になりかねない」との危機感だ。
 区画整理では19ヘクタールに349区画を造る。当初は200区画で住宅再建が見込まれたが、協議会の昨年の調査では50世帯ほどに減少。子育て世帯は1桁だった。
 豊間の復興を支援するNPO法人「美しい街住まい倶楽部(くらぶ)」の佐藤俊一理事長らが知恵を絞った。市内では震災後、宅地不足で地価が高騰。住宅取得が難しい現状に可能性を見た。
 使わない区画と移住希望者を登録し、結び付ける。地価の安さに加え、モデルプラン提案などで低コストを実現。「子育てママ応援交流拠点」も整備する。佐藤理事長は説明会で「地域のじっちゃん、ばっちゃんが見守り、子どもがめんこく育ちます」と売り込んだ。
<自らの手で>
 遠藤さんや佐藤理事長らには、協議会が転換期を迎えたとの認識も強い。設立は震災の5カ月後。当初は区画整理や災害公営住宅の計画作りなどで住民の声を行政に届け、反映させるのが主な役割だった。
 「ハード面のめどはついた。次はまちづくり。区画整理が終われば行政は手を引く。自分たちのまちは自分たちでつくるしかない。協議会の役割も変わる」
 今月4日夜、集会所に20〜50代の地元住民約30人が集まった。協議会の主要メンバーは高齢者が多い。まちづくりに若い世代は欠かせないと、参加を呼び掛けた。
 「若い人と高齢者が一緒に野菜を作る農園が欲しい」「サーファーが街に溶け込む仕掛けを」。参加者は活発に意見を交わした。
 協議会は今後、地域にさまざまなグループをつくるなど運営や体制の再構築を図る。遠藤さんは言う。
 「地域一丸にならないと新たなまちづくりは進まない。ここから正念場だ」
(いわき支局・古田耕一)


<震災6年 まち再生>土地区画整理 現状と溝
 東日本大震災から6年となる津波被災地で「まち再生」が難航する。土地区画整理事業を進める市町村は工事の長期化で人口が流出し、広大な空き地が生じかねない状況だ。国は市町村に実態把握を促す。東北沿岸のまち再生は区画整理の制度の枠内でかなうのか。既存制度と現実のギャップを埋める新たな手法が求められている。(報道部・菊池春子)
<計画下回る>
 国土交通省によると、岩手、宮城、福島3県の沿岸21市町村の計64地区で区画整理事業が行われている。災害危険区域を除き、住居の再建を見込むが、区域に戻る住民が、計画人口を大幅に下回る実態が明らかになりつつある。
 地権者への意向調査を行った岩手県大槌町と陸前高田市では、土地利用の予定がある割合が50%程度と推測される。大槌町は土地利用を促す「空き地バンク」事業などで対策を急ぐ。意向把握が進んでいない市町村もあり、他の区域でも多くの空き地を抱える恐れが出始めた。
 区画整理は、市街地の道路や公園、公共施設用地などを一体的に整備し、土地の利用価値を高める都市計画の手法だ。戦災復興や鉄道沿線の宅地整備などで広く活用されてきた。経済が右肩上がりの時代の発想で、基本的に「土地を利用したい人がいる」ことを前提に成り立ってきた。
 経済状況が低迷する中で起きた震災の被災地では、土地の価値は上がりにくく、住民の流出も相次ぐ。首長からは「被災地の実情を踏まえた新たな手法が必要だ」(戸羽太陸前高田市長)などの声が上がる。
 国交省市街地整備課は「事業の途中であり、まずは実態把握が必要」との認識を示す。「地権者の意向を確認して対応策を検討するよう市町村に助言していく」と説明する。
<「阪神」でも>
 一方、土地利用が進んでも、コミュニティー維持の課題はなお残る、と指摘するのは神戸市のNPO法人まち・コミュニケーションの宮定章代表理事。
 阪神大震災後、区画整理が行われた神戸市の市街地でコミュニティーづくりを今も支援するが、「何でこんな町をつくったんだという声は根強い」と話す。工事の長期化で住民は離散。新住民が流入したが、地域のつながりは失われ、自治会活動などに支障が出ているという。
 宮定代表理事は「人が入れ替われば、商業者も事業形態をニーズに合わせるなどの努力が要る。単に人口が戻ればいいという話ではない」と指摘。「国は区画整理の限界と影響を把握し、住民の立場で検証する必要がある」と強調する。
[土地区画整理事業]市街地の安全性や利便性向上のため、区画を整え利用増進を図る事業。主に(1)事業計画決定(2)審議会設置(3)将来の土地の位置や範囲を示す仮換地指定(4)工事(5)換地処分(6)土地・建物の登記−の流れ。地権者が少しずつ土地を出し合う「減歩」を伴う。被災地では土地のかさ上げを伴うケースもある。


<震災6年>水産加工業者 販路回復進まず
 東日本大震災で被災した青森、岩手、宮城、福島、茨城5県の水産加工業者のうち、売り上げが震災前の8割以上に回復したのは47%にとどまることが、水産庁のアンケートで分かった。1年前の前回調査からほぼ横ばいで、販路回復が進まない実態が浮かんだ。
 被災5県全体と岩手、宮城、福島各県の売り上げ回復状況はグラフの通り。「8割以上」との回答は青森77%(前回比13ポイント減)、岩手61%(増減なし)、宮城52%(8ポイント減)、茨城50%(22ポイント増)だった。
 東京電力福島第1原発事故の影響を受ける福島は20%(1ポイント減)に低迷。「5割以上〜8割未満」「5割未満」がともに40%前後を占め、厳しい状況が続く。
 資本金5000万円以上の業者では67%が「8割以上」と回答した一方、1000万円以下は29%にとどまる。経営規模が小さいほど、売り上げの回復が遅れている傾向を示した。
 生産能力が8割以上に戻ったと答えたのは全体の58%で、前回と変わらなかった。県別では青森83%、岩手69%、宮城62%、福島29%、茨城67%だった。
 直面する課題(複数回答)として「販路の確保・風評被害」を挙げた業者が31%で最も多かった。「人材の確保」は26%で、うち半数以上が「募集しても集まらない」と指摘。「原材料の確保」との回答も25%に上った。
 水産庁加工流通課の担当者は「生産能力の復旧に比べ、売り上げの回復は遅れている。専門家派遣や展示商談会などの事業を通して、販路づくりを後押しする必要がある」と話した。
 同庁は2016年11月〜17年1月末に5県の831社を対象にアンケートを実施し、242社から回答があった。回収率は29%。


<震災6年>身元不明の遺骨 七回忌法要
 東日本大震災の犠牲者とみられる身元不明の遺骨が安置されている宮城県石巻市南境の石巻第2霊園で7日、市内の住職らが七回忌を前に慰霊法要を営んだ。
 市内17カ寺でつくる石巻仏教会と、石巻市と同県女川町をエリアとする曹洞宗県第13教区の共催。住職や市職員、葬儀会社の関係者ら約40人が出席し、納骨堂の前で読経と焼香をして犠牲者の冥福を祈った。
 市によると、身元不明の遺骨は33柱あり、骨箱に収めて安置している。昨年4月、近くの石巻霊園のコンテナ仮安置所から現在の納骨堂に移された。県警が身元確認作業を進めており、昨年は1柱の身元が判明して家族に引き渡された。
 石巻仏教会の北村泰秀幹事長(69)は「当時、海に流された人もいる中、遺骨が見つかっても身元が分からないで6年がたった現実がある。慰霊することがわれわれのせめてもの務めだ」と語った。


<震災6年>あの日の思い 児童の言葉つづる
 宮城県内の小学生による作文集「作文宮城」の特別編として、東日本大震災に関連した作品をまとめた「あの日の子どもたち」が出版された。2012年に続く2冊目。当時は言葉にできなかった思いや復興への願いなど、震災6年を迎えた児童の思いを伝えている。
 「作文宮城」は毎年2月に県連合小学校教育研究会国語研究部会が発行。震災の特別編には、小学1〜6年生の作文や詩計279編を地域ごとにまとめた。避難生活の回想や被災者との交流体験、支援活動への感謝などが収録されている。
 作文には「震災の教訓を伝えたい」「支援に恩返ししたい」など子どもたちの決意がつづられている。「震災があったからこそ家族の大切さが分かった」と振り返る作品や、「頑張って生きるから安心してね」と震災で亡くなった家族に宛てたメッセージもある。
 12年に発行した第1集は、兵庫県や静岡県などで道徳の教材として教育現場で活用されているという。県内でも震災を経験していない世代が小学校入学の時期を迎え、当時の記憶を語り継ぐ貴重な資料となる。
 研究部会長で、仙台市七北田小の森屋勝治校長は「作文を通じて子どもたちの心の葛藤が見える。震災を乗り越えようとする姿を、一人でも多くの人に読んでほしい」と話す。
 B5判450ページ、1800円(税込み)。連絡先は宮城野区のきた出版022(791)2021。


<震災6年>灯籠の種火 120km追悼ラン
 岩手県遠野市の僧侶江本英卓(すぐる)さん(34)が11日、盛岡市で開催される東日本大震災の追悼イベントの灯籠に点火する種火を運ぶため、釜石市から約120キロを走る。震災の記憶の風化が少しずつ進む中、「追悼ラン」で沿岸被災地と内陸をつなぎ、「多くの人にあの日を振り返るきっかけになってほしい」と願う。
 午前5時にJR釜石駅をスタートし、仙人峠を越えて8時半に遠野に入る。「祈りの灯火(ともしび)」会場の盛岡市のもりおか歴史文化館前広場に午後4時半ごろゴールする予定。4時50分の点灯式に臨む。
 種火は、釜石製鉄所の高炉の火が燃え続ける「鉄のモニュメント」から採る。釜石で日本初の近代製鉄を成功させた盛岡藩士大島高任が盛岡出身という縁から選んだ。
 江本さんは久慈市山形町生まれ。中学時代に本格的に陸上長距離を始めた。東京消防庁に勤務し、陸上部に所属。各地のマラソン大会に出場した。登山路などを走るトレイルランニングでは、一流選手がそろう富士登山競走の上位常連となり、日本代表も経験した。
 妻の実家が遠野市内の寺だったことから、結婚を機に僧侶になった。昨年2月に移住し、寺務の傍ら1日20〜60キロのトレーニングをこなす。
 追悼ランに挑むのは、昨年8月の台風10号豪雨でボランティアをした際、祈りの灯火関係者と知り合ったことがきっかけ。6年目の灯火は七回忌に当たる。江本さんの走力を生かした種火運びで、改めて犠牲者や被災地に思いを寄せる機会をつくってほしいと頼まれ、快諾した。
 江本さんは「せっかく帰ってきたので、ふるさと岩手の力になりたい。あの日を忘れず、人とのつながりの大切さや防災意識を再確認する日にしてもらいたい」と語る。
 祈りの灯火は、盛岡市近郊8市町でつくる盛岡広域首長懇談会の主催。灯籠1万個に鎮魂の明かりをともす。中学高校の吹奏楽部のステージや被災者の証言を収めたドキュメンタリー映画の上映もある。


デスク日誌  春のともしび
 光には人の心を揺り動かす、いろんな力があると意識したのは、東日本大震災の発生後だった。
 2011年3月11日深夜、仙台市内の本社に泊まり込む支度をしようと、3キロほど離れた自宅に自転車で向かった。光を失った漆黒の街はまるで廃墟(はいきょ)。不安から息苦しさを覚えた。逆に日を追うごとに増える街の明かりには、励まされた。
 内陸部に住む私ですら、そんな感じだった。津波により街が壊滅した沿岸部で、救助隊のライトや搬送先の施設の照明が、窮地の被災者にどれほど勇気を与えたのか、想像がつかない。
 今年ももうすぐ、ロウソクをともし、帰らぬ人を悼む日を迎える。柔らかに揺らぐ炎は、遺族らに慰めをもたらす光でもある。
 山形県内では山形大の学生と市民が11日、鶴岡市でキャンドルナイト「追悼と備えのつどい」を開く。6回目の今回は追悼行事に加え、初めて防災・減災を学ぶ時間を設ける。震災の教訓を語り継ぐ取り組みだ。
 風化にあらがい、災禍の記憶、あの日の誓いへいざなう。そんなふうにロウソクのともしびが、犠牲を繰り返さないための希望の光になることを願う。(山形総局副総局長 須藤宣毅)


東日本大震災の写真展
東日本大震災の発生からまもなく6年となるのを前に、発生直後の被災地の様子を収めた写真展が大館市で開かれています。
この写真展は東日本大震災の記憶の風化を防ごうと市などで作る大館市防災連絡協議会が毎年この時期に開いているもので写真や手記、100点あまりが展示されています。
その多くは現場で活動した警察や消防、自衛隊から提供されたものです。
津波で流された自動車が建物の3階の窓に引っかかっている様子や、遺体に手を合わせる消防隊員の姿など、発生直後の被災地の姿が写し出されています。
また、大館警察署から仙台市へ派遣された女性警察官の手記も展示されています。
子供用の机やぬいぐるみなどが流れ着いているのを見て、「人々の生活が一瞬で崩れ去ってしまったのだと感じ被害の大きさを思い知らされました」と記されています。
この写真展は大館市立中央公民館で今月15日まで開かれています。


「復興実感持てず」6割に
東日本大震災の発生から6年になるのを前に、NHKが岩手・宮城・福島の被災者などに行ったアンケートで、地域の復興について尋ねたところ、「想定よりも遅れている」や「進んでいる実感が持てない」と答えた人が6割に達しました。
一方「進んでいる」と答えた人も4割近くに達しましたが、地域経済や生活環境の回復にはつながっていないと考えている人が多く、復興のあり方が課題になっています。
NHKは岩手・宮城・福島の3県の被災者や原発事故の避難者、あわせて5000人を対象に去年11月から2月にかけてアンケートを行い、全体の3割近くにあたる1437人から回答を得ました。
この中で、震災前に暮らしていた地域の復興状況についてどう感じるか尋ねたところ、「進んでいる実感が持てない」が26%、「想定よりも遅れている」が36%と、あわせて6割に達しました。
これに対し、「それなりに進んでいる」が34%、「想定よりも早く進んでいる」が2%と、「復興が進んでいる」と回答した人はあわせて4割近くとなりました。
しかし、この「それなりに進んでいる」、「想定よりも早く進んでいる」と答えた人たちに地域の今の姿を震災前と比べてどう感じるか尋ねたところ、「地域経済がよくなった」と答えた人は4%、「地域に活気がでた」は8%、「交通の便がよくなった」は13%、「買い物が便利になった」は15%にとどまり、地域経済や生活環境の回復にはつながっていないと考えている人が多いことがわかりました。
今回の結果について防災社会学が専門で兵庫県立大学の木村玲欧准教授は、「復興が進んだとしても日常生活を不便なく行えるような支援が必要になるし、より新しい魅力のある地域にするにはどうしたらいいのかを考えることが課題になると思う」と述べ、復興のあり方を検討する必要があると指摘しています。


被災自治体への応援職員不足続く
東日本大震災からまもなく6年になります。
震災で被災した沿岸の自治体では復興事業などにあたる職員の不足が続いていて、宮城県は他県などへの働きかけを続けていくことにしています。
東日本大震災の被災地では復興に向けた業務量の増加などを背景に慢性的な職員不足が続いていて、全国の自治体から応援職員を派遣してもらう状況が続いています。
宮城県の沿岸の14の市と町に、必要な応援職員の数をたずねたところ、2月1日時点であわせて1519人で、土地の造成や区画整理など復興関連工事が進むとともに3年前から1500人を超える状況が続いています。
これに対し、実際に来ている応援の職員は1372人と147人が不足していて、中でも気仙沼市が42人、石巻市が41人と広範囲で被災した自治体で職員不足が目立っています。
宮城県によりますと、来年度は職員不足が拡大し、道路や防潮堤の整備にあたる土木を担当する職員を中心に158人が不足する見込みです。
宮城県は、自治体の退職予定者やOB職員を派遣してもらえるよう調整するとともに、他県に出向いて現状を訴えたり、幹部に被災地を視察してもらったりして、応援への理解を求めていくことにしています。


<ベガルタ>震災6年の11日 復興応援試合
 サッカーJ1仙台は東日本大震災から6年を迎える11日、仙台市泉区のユアテックスタジアム仙台(ユアスタ仙台)であるリーグ戦、神戸戦(午後4時試合開始)を「復興応援試合」と位置付け、震災犠牲者の慰霊や、被災地のクラブとして両チーム、サポーターが交流を深める企画を実施する。
 午後1時にユアスタ仙台の北エントランスに献花台を設置。観客が花を手向けることができるようにするほか、震災が発生した時刻の午後2時46分には、Jリーグの村井満チェアマンと仙台の西川善久社長らが参加し黙とうをささげる。
 仙台と、1995年1月の阪神大震災を経験した神戸は被災地のクラブ同士の交流がある。当日はスタジアム内の大型ビジョンで、復興を後押ししようと奮闘してきた両チームの歩みを上映する。
 キックオフ前には両チームの選手が黙とう。歌手のMay J.さんと物まね芸人、じゅんいちダビッドソンさんによる復興ライブもある。


<常磐線>浪江−小高 6年ぶり列車走る
 JR東日本は7日、東京電力福島第1原発事故による不通が続く常磐線浪江(福島県浪江町)−小高(同県南相馬市)間で試運転を始めた。帰還困難区域を除く浪江町の避難指示解除に合わせ、31日にも運転を再開する見通しだ。
 8.9キロの同区間を列車が走るのは6年ぶり。初日は3往復し、信号や踏切などに異常がないかどうかを確認した。
 同社水戸支社によると、浪江−小高間は東日本大震災で橋脚がずれたり、線路が変形するなどの被害を受けた。第1原発の20キロ圏内にあり、沿線は避難区域となった。復旧工事は昨年1月に始まり、除染作業や設備の修繕、交換などが進められてきた。浪江駅の待合室などは運行再開までに復旧を終える予定。
 福島県内の常磐線は昨年7月に小高−原ノ町(南相馬市)間、同12月に相馬(相馬市)以北が運転を再開。JR東は残る不通区間のうち、竜田(楢葉町)−富岡(富岡町)間が今年末、富岡−浪江間は2019年度中の再開を目指す。


震災・原発対応で疲弊か 福島で職員9人自殺
 福島県と県内市町村の職員の自殺者が2016年度だけで9人に上ることが7日、自治労福島県本部のまとめで分かった。うち5人は今年1〜2月に集中していた。
 東日本大震災と東京電力福島第1原発の複合災害への対応に追われていることなどが背景にあるとみて、県本部は「心のケアが急務だ」などと指摘する。
 県本部によると、自殺者数は各市町村共済組合などを通じた調査で分かった。9人のうち県職員は2人。およそ半数が20代後半〜30代半ばという。
 避難区域を抱える双葉郡8町村と南相馬市、飯舘村の労組組合員を対象に昨年3〜5月に実施した調査では、時間外勤務が月平均31時間以上との回答が38.0%に上った。200時間以上の職員も2人いた。全体の56.1%は通院や薬の服用をしていた。県本部は「異常な事態で早急な対応が必要だ」と強調。被災地自治体の職員専用電話(通話無料)を開設しており、「相談してほしい」と呼び掛けている。
 相談電話はフリーダイヤル(0120)556283=水曜午後6〜9時、土曜午後1〜6時=。


東日本大震災6年 福島/避難者覆う無理解、不寛容
 国が敷いた復興のレールを逸脱するのは、それほどまでに許されないことなのか。
 事故を起こした東京電力福島第1原発にほど近い福島県富岡町。町の第2次復興計画が、土壇場で変容した事実を知る人は少ない。計画策定に携わった人々は、今もやり場のない怒りを抱えている。
 全町避難という混乱の中で策定された第1次計画は、有り体に言えば、とりあえず国庫補助事業を獲得するための起案書の性格が強かった。
 その後の避難の長期化、町民要望の多様化を踏まえて編み直したのが、2015年7月発表の第2次計画だ。
 町職員は当時「事故は経済優先の結果。路線を改めないと日本が破滅する」と意気込みを語っている。町民と一緒に全国を巡った避難者意向調査は、ほぼ1年に及んだ。
 こうしてできた第2次計画は町と町民が「国にあらがうための根拠」となることを目指し、「早期帰還以外の選択」に重きを置いた。行政主導と一線を画した計画は住民自治力のたまものと言えよう。
 しかし、当事者の手を離れた後、唐突に計画の骨子にせり出してきたのは、現地復興・早期帰還方針だった。こうした方針転換の背景に、復興庁の「強い指導」を指摘する声もある。
 富岡町民に限らず長期避難を余儀なくされた人々は「戻りたいけれど、現状では戻れない」と苦悩し続けている。
 避難住民の願いは、決して災禍をばねにした華々しい「復興」などではない。以前の暮らしを取り戻したいというささやかな「復旧」だ。
 福島県は住民の側に立つべきなのに、大規模プロジェクト誘致に似た発想で原発事故からの復興を進めようとしている、との批判がある。
 「特に福島はひどく官邸での会議の主張は、国にできるだけ多くの事業を認めてもらえさえすればよいという態度だった」。国の復興構想会議委員を務めた河田恵昭京大名誉教授は後にこう証言した。
 こうした避難住民をさいなむ「暗雲」は、市民社会にも広がってきている。
 低線量被ばくへの不安を非科学的と一蹴し、自主避難者の過剰反応が風評を助長しているとの論調は、その典型ではないか。
 科学的知見に基づく「安全」が後に覆る例は、過去にいくらでもあった。人に感染しないとされた「牛海綿状脳症」の、その後の世界的混乱を引くまでもなかろう。
 「正論」を振りかざす人は、幼子を抱いて避難生活を続ける母子避難者に「除染が進み、現在人が暮らしている場所に危険はない」と言う。「それでも信じられないものは安心できない」と訴える母の心情はくもうとしない。
 国、県、そして市民社会にある「大人の分別」を装った無理解と不寛容。原発事故から6年を経た福島の一つの断面を映していないだろうか。


<大震災6年>人材育成 経験とつながりを力に
 「3・11」後をどう生きるか。震災6年、この問いは一層切実さを増している。
 高台造成などハード面の復興が進む一方、人口減と高齢化に歯止めがかからない。より良く生きたいと願う被災者を支える医療、看護などの専門職不足は深刻な課題だ。
 そんな中、自らの生きる道を「復興への貢献」と見定め、奮闘する若者に希望を感じる。長期的な復興過程で鍵を握る人材育成。悲しみをバネに成長する若者を支え、後押しする取り組みの推進から、被災地の未来を開きたい。
 「グローバルな視野で、主体的に考え行動する看護職を育てるのが使命」と語るのは、一関市出身の看護師小松恵さん。原点には「9・11」(米中枢同時テロ)と「3・11」の体験がある。
 仙台市の医療機関での勤務を経て、海外で学ぶ夢を実現しようと37歳で米ニューヨークへ。2年後の2001年、「9・11」に遭遇した。
 航空機が衝突し、黒煙を上げる世界貿易センタービル。形相を変え逃げ惑う何百人もの市民。「明日が必ず来るとは限らない」ことを知った。
 帰国後、仙台医療センターに勤務し「3・11」を経験。入院患者や被災者の支援に奔走した。二つの災禍を体験した「運命」から、おのずと自らの使命は見定まっていく。
 昨夏には、日米の次世代リーダー育成を目指す「TOMODACHI J&J 災害看護研修プログラム」のメンター(指導者)として、被災3県の看護学生12人と共に渡米し、災害医療看護の専門機関や、グラウンド・ゼロ(ビル跡地)などを訪問。学生と9・11テロ被害者との交流会では、なお癒えぬ喪失感を語り合い、涙した。
 悲しみは長く続く。だが、悲しみを抱えた個と個がつながり、共感の輪が広がれば、力となり、使命感となる。学生たちの活躍を期待したい。
 7年目の被災地は、医療復興の節目となりそうだ。再建を果たした県立大槌、山田病院に続き、17年度の開院を目指して高田病院の工事が進む。県は一定期間の県内勤務で返還が免除される奨学金事業などを通じ、医師や看護師確保に力を入れる。
 さらに、創立120周年の節目を迎える岩手医大は4月に看護学部を開設し、小松さんは講師に着任する。
 人材育成は専門職に限らない。介護の地域包括ケアシステム構築や災害公営住宅のつながりづくりへ、住民リーダーの育成も地道に続く。それぞれの持ち場で、疲弊しつつも踏ん張り続ける専門職や住民を見るにつけ、使命感の強さを実感させられる。
 どう生きるか。次代の担い手一人一人の模索、答えを応援し続けたい。


「支援続けるべき」95% 原発事故の自主避難世帯に
 東京電力福島第1原発事故で福島県から全国各地に自主避難している世帯への住宅無償提供が3月末で打ち切られるのを前に、何らかの支援を続けるべきだと考える人が95%に上ることが、本社加盟の日本世論調査会が2月25、26日に実施した防災に関する全国面接世論調査で分かった。
 東日本大震災から間もなく6年となる。被災地の復興について、順調に進んでいると思わない人が55%で順調だと答えた43%より多かった。
 復興への国の取り組みを「大いに評価している」「ある程度評価している」は合わせて63%と2016年2月の調査より上昇し、「あまり評価していない」「全く評価していない」の35%を上回った。
 難航している廃炉作業を背景に、原発事故への国の取り組みが「適切だと思わない」「どちらかといえば適切だと思わない」が59%で、肯定的な回答より20ポイント以上高かった。避難計画の策定支援などでは評価していないのが54%、評価しているのが41%だった。
 気象や災害に関する情報の入手先(二つまで回答)は、テレビが86%で最も多く、インターネットのニュースサイト41%、新聞36%と続いた。62%の人が地震や集中豪雨などの自然災害に遭う恐れを抱いていた。ハザードマップで危険性を確認したことがある人は55%だった。
 家に備蓄している食料や飲料水の量は「1〜2日分」が39%、「3〜6日分」が30%、「1週間以上」は9%。「全くない」は21%だった。
 名称が変わった「避難準備・高齢者等避難開始」の意味を「あまり知らなかった」「知らなかった」が64%で、「知っていた」「ある程度知っていた」の36%を大きく上回った。
 災害時にどのように行動するか家族や周囲の人と話し合っていると答えたのは54%と半数以上だった。一方、地域の防災活動に参加しているのは30%にとどまった。【共同】【注】小数点1位を四捨五入した。
=ズーム=
 ■原発事故の自主避難者 2011年3月に起きた東京電力福島第1原発事故で政府による避難指示が出ている地域以外からの避難者。事故後、福島県全域に災害救助法が適用されたため、公費で民間アパートや公営住宅を借り上げる「みなし仮設」が無償提供された。国が実質的に家賃を負担してきたが、今月末に打ち切られる。放射線への健康不安から福島県の自宅を離れて母子だけで避難している生活基盤が弱い世帯も多い。
 ※調査の方法=層化2段無作為抽出法により、1億人余の有権者の縮図となるように、全国250地点から18歳以上の男女3000人を調査対象者に選び、2月25、26の両日、調査員がそれぞれ直接面接して答えてもらった。転居、旅行などで会えなかった人を除き1607人から回答を得た。回収率は53.6%で、回答者の内訳は男性47.4%、女性52.6%。東日本大震災の被災地のうちの3県に加えて、熊本県について一部地域を調査対象から除いた。
 ※日本世論調査会=共同通信社と、その加盟社のうちの38社とで構成している世論調査の全国組織。=全国面接世論調査=


<ILC>スロベニア企業 宮城進出
 超大型加速器「国際リニアコライダー(ILC)」など、東北各地で進む加速器プロジェクトの実現をにらみ、大型物理実験施設向けの制御システムを手掛けるスロベニアの「コージーラボ」日本法人が2月、多賀城市のみやぎ復興パークに茨城県から移転入居した。各プロジェクトの情報収集をしながら、東北大や地元企業との連携を進める。
 大型加速器施設は、数百万点の機器を統一的にコントロールする高度な制御技術が必要となる。コージーラボは2001年、スロベニアの大学発ベンチャーとして設立。スイスの欧州合同原子核研究所(CERN)、日本の高エネルギー加速器研究機構(KEK、茨城県つくば市)など世界各地の加速器プロジェクトにシステムを提供してきた。
 移転の決め手は、東北で機運が高まる加速器計画。ILCは岩手、宮城両県にまたがる北上山地が候補地で、30年ごろの完成を目指す。東北放射光施設は実現に向けた産学の動きが本格化。青森県六ケ所村には国際熱核融合実験炉(ITER)材料照射施設の計画が進む。
 アジア担当副社長で日本法人CEOの黒川真一氏(70)=KEK名誉教授=は「ILCは世界の物理学に必要なプロジェクトであり、日本の責任は大きい。東北放射光施設も実現の見込みが高い」と語る。国内外の加速器計画に関わり、05〜07年に国際組織のILC運営委員会委員長を務めた経歴を持つ。
 黒川氏は昨年春からコージーラボのマーク・プレスコ社長と何度も宮城県を訪れ、交通アクセスの良さや東北経済連合会のバックアップもあり、茨城県東海村から2月2日付で移転登記した。5人程度のスタッフが常駐する。
 黒川氏は「大型施設の『神経』を制御する高度な技術で、ILCでも役割を果たせる。地元企業とは周辺機器との接続部分の標準化などで連携できる」と話す。将来は東北大など地元の人材を集めたい考えだ。


東日本大震災6年・被災地差別/放射線の正しい知識を
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から6年を迎える。被災地の復興は多くの課題に直面しているのに加えて、避難者らに対するいじめや差別が相次いでいる。憂慮に堪えない。こうした問題の原因は放射線に関する根拠のない不安であり、正しい情報の発信と知識の普及が不可欠だ。行政はもとより、報道の責任も重大である。
 原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学生がいじめを受けていたことが昨年11月に明らかになったのをきっかけに、同様のいじめが各地で次々に表面化した。しかし、これまでも福島県出身者が県外で「放射能がうつる」と言われるなどの例がたびたび報告されていた。今回の例は、原発事故以降続いてきた構造的な差別の一角とみるべきだろう。
 福島県産の食品などの風評被害も後を絶たない。昨年、生活協同組合連合会「グリーンコープ連合」(本部・福岡市)は、お中元の「東日本大震災復興応援商品」として、福島を除く「東北5県で製造された」商品をカタログに掲載して批判され、謝罪に追い込まれた。放射性物質への不安を理由とする差別といわれても仕方ない。
 この種の不安に科学的根拠は全くないことをあらためて強調したい。
 福島県は、避難区域以外なら放射線量は十分に低く、通常の生活を営むのに健康のリスクはない。福島県産の農林水産物については放射性物質の厳しい検査が行われており、とりわけコメは「全袋検査」が実施されている。これまでに不合格とされたコメは一袋もない。福島産の食品は日本一安全だと言ってよいだろう。
 それにもかかわらず、福島と放射性物質、放射線に関する誤った情報が社会に広がり、差別意識が再生産されている。そして、この差別は「うつる」「けがれ」などの思い込みにおいて、広島、長崎の被爆者と水俣病患者が受けてきた差別と共通性がある。
 差別意識が広がる原因は明らかだ。放射線に関する正しい知識が一般常識になっておらず、人々はインターネット上などの怪しい情報に振り回されがちになる。一部の学者やジャーナリストが根拠の乏しい危険をあおる情報発信をしてきたことによる影響も大きい。メディアも、安全に関する確かな事実よりも健康不安を強調して報道する傾向はなかっただろうか。
 こうした差別の根本原因は東京電力と政府にある、という反論があるだろう。原発事故で大きな被害を引き起こした東電と政府の責任を追及するのは当然だ。しかし、差別をつくりだしている不正確な情報を批判し、責任を問うことも必要だろう。
 放射性物質と放射線を正しく恐れる必要がある。政府は福島の現実をもっと広く知らせるよう努めなければならない。地道な教育も重要だ。全国の小中高校で、放射線や食品の安全に関する授業を実施してはどうか。メディアは学術的な合意が得られている事柄を柱として、正確な知識の普及に尽力すべきだ。
 広島、長崎の被爆者と水俣病患者は長年にわたり、就職や結婚でも差別を受けた。この忌まわしい差別の歴史を繰り返してはならない。


震災6年 廃炉と汚染水/英知集めて険しい山越えよ
 「ようやく登山口にたどり着いた」。東京電力福島第1原発事故の廃炉作業に携わる東電や国、県の現状認識は一致する。
 しかし、登ろうとしている山の高さはまだ見通せず、登るための道具や方法はそろっていない。険しい山を登り、越えていくために国内外の英知を結集して、一歩一歩、着実に目の前にある課題を解決していかなければならない。
 東電は、溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しの大前提である汚染水対策について「出口が見え始めた」と表現する。
 原子炉建屋に流入する地下水を減らすために設けている凍土遮水壁は海側でほぼ全てが凍結し、いまは山側の凍結を進めている。県によると1日当たりの流入量は156トンまで減ったが、目標とする100トンまでは届いていない。
 凍土壁の効果を確かめながら、地下水バイパスや建屋周辺の井戸「サブドレン」からの地下水くみ上げを組み合わせ最大限の成果を受けるようにすることが肝心だ。
 今後、課題になるのは敷地内に保管されている大量の水の扱いだ。汚染水は浄化施設で62種類の放射性物質を取り除いた後、タンクに保管しているが、トリチウム(三重水素)だけは分離できない。
 国内外の原子力施設ではトリチウムを含む水を基準に沿って放出しており、原子力規制委員会の田中俊一委員長も「薄めて海に放出すべき」との考えを示している。国は処理の仕方を検討しているが、地元漁業者らの理解を得るためには丁寧な説明が欠かせない。
 廃炉作業の最難関はデブリの取り出しだ。東電は、デブリの取り出しに向けて、2号機の格納容器内にロボットなどを投入したが、目標とした圧力容器直下までは進めることができなかった。
 しかし、放射線量が極めて高い場所があることや、デブリが飛び散った可能性があることなど、これまで推定するしか方法がなかった原子炉内部の状況を映像や線量計などで確認できたのは大きな前進といえる。
 ただ、今夏にも予定するデブリの取り出し方法の絞り込みに向けての情報はまだまだ足りない。調査を積み重ねて計画の具体化につなげなくてはならない。
 第1原発の敷地内は建屋付近を除いて放射線対策が進んでおり、特別な装備がなくても作業が行えるようになっている。
 この状況をどれくらいの国民が理解しているだろう。根強く残る風評を拭い去るためにも東電や国は第1原発の様子を適時的確に発信していく必要がある。


原発事故から6年 巨大な負債との闘いだ
 東京電力福島第1原発の過酷事故からまもなく6年がたつ。この月日を象徴するのは、飯舘村などに一斉に出される避難指示の解除、そして2号機で初めて垣間見えた「溶融核燃料」らしきものの姿だろう。
 いつ帰れるともしれない故郷、どのような様相を呈しているのか見当もつかない原子炉内部。ついこの間までの状況を思えば、表面的には「一歩前進」かもしれない。
 しかし、冷静に考えるなら、原発事故がいかに多くのものを人々から奪ってきたか、何十年も続く復興や廃炉の道のりがいかに厳しいかを示す象徴であることは間違いない。
遠く困難な廃炉への道
 福島第1原発の構内を訪れると、廃炉作業の困難さをひしひしと感じる。全面マスクが必要なエリアは大幅に減り、労働環境は改善したとはいえ、廃炉に欠かせない難関である「溶融燃料の回収」がクリアできるめどはまったく立たない。
 サソリ型ロボットで2号機の原子炉直下まで調査する先月の試みは、通り道の堆積(たいせき)物に邪魔され、溶融燃料の状況を確認できずに終わった。投入された作業員は延べ800人超。想定外の作業で余分に被ばくする人も出た。建屋内の非常に高い放射線量が作業を阻み、建屋の周辺に近づくだけでも被ばく量が増える。
 それでも、溶融燃料の状況がわからなければ取り出し方法さえ確定できない。
 1、3号機は2号機以上に状況が悪いと考えられる。政府と東電は2021年の取り出し開始を目指すが、楽観的に過ぎる。リスクを減らしつつ作業を進めるために、ロボット開発を含め、廃炉全体の戦略や工程を抜本的に考え直す必要があるのではないか。
 原発事故が日本社会にもたらした負担は、膨れあがる事故処理費からも浮かぶ。
 経済産業省は福島第1の廃炉や賠償、除染などの費用の試算を、これまでの見積もりの2倍に当たる21・5兆円に引き上げた。ここには溶融燃料の処分費用などは含まれず、さらに増えることは間違いない。
 しかも、看過できないのは、賠償費用の一部を託送料に上乗せして広く国民から回収する新制度の構築だ。全国の老朽原発の廃炉費用の一部も同じ仕組みで回収するという。
 大手電力に加え原発事業と無関係な新電力も費用負担することになり、電力自由化の精神を大きくゆがめる。「事故対策費を含めても原発のコストは安い」と言い続けてきた政府の言い分とも矛盾する。
 広く国民負担を求めるなら、まず、こうした矛盾を認めた上で、脱原発の道筋を描き直すことが先決だ。
 事故処理に苦慮する現実を尻目に、着々と進む原発再稼働にも納得できない。
 事故後に作られた新規制基準のもとで、すでに16原発26基の安全審査が原子力規制委員会に申請された。現在稼働中なのは3基だが、6原発12基が審査に正式合格・合格見通しとなっている。合格原発には運転40年を経た老朽原発3基も含まれる。
 国民の多くが再稼働に否定的な中で、「原発依存度低下」を掲げる政府の方針との整合性はみえない。
 原発ゼロでも電力不足に陥らないことは、この6年でわかった。一方で、「地球温暖化対策に必要」という見方は根強い。
再生エネにこそ投資を
 確かに、同じだけの電力を作り出すのに、原発の代わりに化石燃料を使えば二酸化炭素は増える。それが地球温暖化に与える悪影響を無視していいというわけではない。
 ただ、現実をみれば、原発の稼働が進まなくとも、温室効果ガスの排出量は減少に転じ始めている。環境省によれば15年度の日本の温室効果ガス排出総量は05年度比で5・2%減、13年度比で6%減となった。
 日本は20年度に05年度比で3・8%減とする目標を国際公約した。ここまでは原発抜きでも目標を前倒しで達成できたわけだが、パリ協定を踏まえたより高い目標達成には、さらなる省エネや再生可能エネルギーの拡大が必要だ。
 世界のエネルギー投資も再生エネに集中するようになった。国際エネルギー機関(IEA)によれば、15年の世界の発電部門への投資総額4200億ドルのうち約2900億ドルは再生エネに対するものだ。
 太陽光発電パネルや風力タービンの価格もどんどん低下している。その結果、既存の火力発電より低コストとなるケースも増えてきた。
 苦境に陥った東芝や仏アレバの実情が示すように、先進国の原発産業は斜陽となりつつある。一方で、再生エネは成長産業となっていることがわかる。
 日本がこうした現実に目をつぶり、再生エネ・省エネより原発維持に資源を投入し続けるなら、確実に世界から取り残されるだろう。
 私たちは原発事故がもたらした巨大な負債を抱え、何十年もかけてそれを乗り越えていかなくてはならない。その闘いには支えが必要だ。
 事故を二度と繰り返さないためにも原発依存から脱することを決め、その方向に歩む。それが最も強い支えになるはずだ。


<回顧3.11証言>屋上か高台か 迫る波
 海までわずか十数メートルの位置に、防波堤のように立つ宮城県南三陸町の「町営松原住宅」。東日本大震災で大津波を真っ正面から受け、4階屋上まで海水が押し寄せた。建物は町が指定した「津波避難ビル」で、その強度もあって倒壊を免れた。入居者ら計44人が短時間で屋上に逃げ、全員無事だったが、寒空の中で孤立。備蓄もなかった。海の真ん前とあって、車で高台へ逃げた入居者も少なくなかった。(吉田尚史)
◎宮城・南三陸町営松原住宅(上)
<葛藤>
 腰近くまで波しぶきが迫る。町営松原住宅の屋上。1階から避難した菅原恵さん(46)は夫昌孝さん(51)と、4歳の長男大ちゃんを水にぬらすまいと必死にかばった。
 「まさか、ここまで津波が来るなんて。神様、どうか助けてください。死にたくない」。柵にしがみつき祈った。
 屋上か、それとも高台か―。住まいは避難ビルだが、葛藤があった。震災発生から約30分。目の前に広がる海の異常な引き波を見て、菅原さん夫婦の顔はこわばった。「これはまずい」。津波の襲来を察知した。
 「どうする? 志津川小学校に逃げるか」。高台の同小までは直線で約1.5キロ。車で10分もかからない距離だ。「でも、橋が落ちて渋滞していたら終わりだ」。夫婦は屋上を目指す。
 松原住宅が立つ同町志津川地区の汐見町周辺は平地で、そばに高台はない。津波到達まで時間がないと予想される場合、松原住宅は一時避難所としての機能を担う。
 「到達予想の3時まで10分もない。早く逃げなければ」。松原住宅から約100メートル北東の公民館で、町職員石沢友基さん(28)は焦っていた。
 公民館に隣接する体育館にいた志津川高の卓球部員17人が外に飛び出し、うろたえている。「あの建物の真ん中に階段あっから、上まで上がってい
け!」。迷わず松原住宅への避難を指示した。
 当時、松原住宅には48世帯107人が入居。屋上に避難した44人のうち、入居者は22人だったとみられる。
 「頑張れ、頑張れ」。波が襲った屋上では、住民が声を掛け合い、柵にしがみついた。はるか遠くにさらに巨大な波が見える。「これ以上波が高かったら、もう助からない」。菅原さんは息をのんだ―。
<集中>
 志津川小校庭。「あっ、波が乗った、ああーっ」。松原住宅の自宅から逃げてきた臼井恵美さん(35)は、波が住宅をのみ込む瞬間を目撃した。
 屋上に逃げようとは思わなかった。「高さが15メートルといっても、真っ正面から津波を受け止めるなんて。建物自体が防波堤みたいで怖かった」。駐車場では、入居者が慌ただしく車で避難しようとしていた。
 臼井さんは志津川小に通う2人の子どもを案じ、車で同小へ。ただ、ハムスターなどのペットを連れ出すのに手間取り、出発が遅れた。小学校付近の坂道は車が集中し渋滞。「5台ほど後ろの車が波でスーッと流れた」。危機一髪。津波はすぐ背後まで迫っていた。
<救出>
 波をかぶった松原住宅の屋上では、修羅場が待ち受けていた。雷鳴とともに雪が吹き付ける。「上がれる人は上がって!」。波は大人のひざほどの高さで止まったが、住民らは次を警戒してエレベーターホールの天井に上った。水位が下がったのは午後5時すぎだ。
 屋上は雪で白く染まり、冷え込みが厳しい。石沢さんは避難者と協力し、水が引いた部屋からふすまなどを運び出し、風よけを作った。「辺り一帯はガス臭くて、明け方まで火をおこすことができなかった」
 菅原さんの背中で、大ちゃんが繰り返しせがむ。「ママ、おなかすいたよ」。低血糖で体調不良を訴える高齢者もいた。高校生が持っていたあめ玉や飲み物でしのいだが、衣服がぬれた住民の疲労は限界に近かった。
 屋上の避難者が全員救出されたのは、翌日夕方。徒歩で避難する途中、菅原さん夫妻は遠くに住宅を見やり、生きている実感をかみしめた。
 「怖い思いはしたけれど、あの建物が倒れなかったからこそ、救われたんだ」=2011年10月2日、河北新報

<津波避難ビル>住民らが緊急避難するための海沿いのマンションやビル、公共施設。自治体が所有者と協議して指定する。内閣府によると2010年3月時点で、沿岸部の653市区町村のうち、指定されているのは137自治体の計1790カ所にとどまる。
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<回顧3.11証言>強度設計 生きた
 海までわずか十数メートルの位置に、防波堤のように立つ宮城県南三陸町の「町営松原住宅」。東日本大震災で大津波を真っ正面から受け、4階屋上まで海水が押し寄せた。建物は町が指定した「津波避難ビル」で、その強度もあって倒壊を免れた。入居者ら計44人が短時間で屋上に逃げ、全員無事だったが、寒空の中で孤立。備蓄もなかった。海の真ん前とあって、車で高台へ逃げた入居者も少なくなかった。(吉田尚史)
◎宮城・南三陸町営松原住宅(下)
 荒涼たる海岸沿いにぽつんと立つ宮城県南三陸町の町営松原住宅。東日本大震災で、屋上に避難した住民らはこう振り返る。「夜通し襲ってくる余震と津波で、建物が倒れてしまうのではないかと不安だった」
 震災から半年余り。建物周囲の土地は浸食によって海水が流入し、住宅はあたかも志津川湾に浮かぶ島のようだ。地盤沈下が進行し、一時は建物の下に空洞が生じていたが、くいの打ち込み部分はしっかりと残る。
 東西2棟から成る松原住宅は築年数が浅く、1棟目が2005年10月、2棟目が06年3月に完成した。周辺にはグラウンドや公民館がある。周辺一帯は公園として整備。高台がないため、松原住宅は町民の避難場所としての役割が重視された。
<指針見直しに反映>
 手を伸ばせば海に届きそうな立地。高さ5.5メートルの防潮堤のすぐ背後だけに、異論もあった。「チリ地震津波(1960年)の浸水域に建てなくても」「津波が来る海に向かって逃げるのか」。合併前の旧志津川町が整備を検討した当時、町議会ではこんな批判があった。
 佐藤仁町長は計画当初、東北大災害制御研究センターの今村文彦教授(津波工学)に相談。今村教授は「周辺に避難場所がなく、強固なものを建てれば避難ビルになるので賛成だ」とした上で、強度設計に十分配慮するよう助言した。
 松原住宅は鉄筋コンクリート(RC)造りで、建物のたわみが少なく、地震に強いとされる壁式工法を採用。沿岸部の地盤は弱いとされたため、深さ22メートルの岩盤層まで約240本のくいを打ちこみ、倒壊防止を図った。建物を1.5メートルかさ上げするなどの津波対策も施した。
 2005年に内閣府が策定した津波避難ビルのガイドラインでは、指定要件として(1)1981年の新耐震設計基準に適合するRC構造(2)予想浸水が3メートルの場合は4階建て以上―などとしている。
 松原住宅は倒壊を免れたが、他の地域ではRC造りの建物が津波で倒壊するケースもあった。震災を受け、国土交通省は被害建物の調査に着手し、今後の避難ビルの構造設計法とガイドラインの見直しに反映させる。
<高さ5階以上必要>
 建物の強度検証などとともに、被災住民は十分な高さの確保や孤立を防ぐ対策を求めている。
 松原住宅の屋上に避難した菅原恵さん(46)は「地震後にすぐに逃げるなら山を選ぶ。もし波が迫れば、陸続きで山伝いに逃げられる」と指摘。夫の昌孝さん(51)も「避難建物の階数を高くすると同時に、避難の長期化も想定して、せめて乾パンぐらいの備蓄がほしい」と言う。
 屋上を避け、志津川小に車で避難した木下美紀さん(37)も「屋上に逃げても助けは来ないと思った。浸水したら孤立は避けられない。飲料水すらない避難ビルなんて…」と語る。
 地震・津波対策を検討する中央防災会議の専門調査会は、2011年9月28日にまとめた最終報告で「5分程度で避難が可能となるよう、津波避難ビルなどを整備するべきだ」とその重要性を指摘した。
 今村教授は「今回、屋上まで浸水したことを考えると、5階以上の十分な高さが避難ビルには必要。その上で、ビル間を結ぶなど、さらに高い場所に移動できる手段の確保が求められる。最前線で活動する消防団の安全性も高まる」と課題を指摘する。=2011年10月2日、河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<あなたに伝えたい>地域支える姿見守って
 岩城直俊さん=当時(17)=は、岩手県陸前高田市の県立高田高2年生。父和彦さん(56)、母美香さん(54)の三男で、岩手県住田町の自宅で暮らしていた。帰宅する路線バスを待っていて地震が起き、市中心部で津波に遭った。午後3時18分、「どこにいるの?」という母からのメールに「市役所」と返信したのが最後だった。
◎七回忌に寄せて(8)温厚で本好きな末っ子/岩城和彦さん(岩手県住田町)から直俊さんへ
 和彦さん 居間で毎日、直(直俊さん)の写真を見ています。顔が老けるわけでもなく、そこだけ時間が止まっている。長かったのか、短かったのか分かりません。
 内陸で暮らし、津波に遭うとは夢にも思わなかった。震災で亡くなった町民は13人。小さい町ですぐに広まりました。会う人に「大変だったね」と言われ「分かっているのか」とやけになりました。人を避けるようになり、積極的に参加した地域活動も離れました。
 転機は茨城県出身の男性との出会いでした。「住田にも被災者はいる」と2013年、地元公民館でクリスマス会を男性と一緒に開き、全国から届いたプレゼントを子どもたちに配りました。笑顔に元気づけられました。4回目の昨年は町民ホールで開催するまでになりました。
 町民向けの番組制作、消防団のラッパ隊、防犯隊といった地域活動にまた関わるようになりました。昔のように直に背中を押されている気がする。「大変だったね」という周囲の言葉が、いつしか「頑張っているね」に変わってきたよ。
 今年2月、熊本地震の被災地で講演する機会がありました。そこで「震災は対岸の火事だった」と頭を下げる人がいた。忘れずに、つないでいくことが復興なんじゃないだろうか。
 温厚な性格で本が好きな末っ子。岩城家の「家訓」で中学時代は週1回、地域の親子バレーで汗を流し、間近で成長を見るのが楽しかった。地元の高校を勧めたけれど珍しく自己主張して高田高進学を決めました。
 内陸育ちで、津波避難の意識はなかったはず。あの日の地震後、声を掛けてくれた知人の車に乗っていれば、助かったかもしれないと今でも思っています。
 生きていれば23歳。何をしていたか分からないけれど、俺は直の分まで生きなければならない。一生懸命やっているよ。どこかで見ていて。励みになるから。


<3.11明日への証言>「町のため」懸命に給油
 震災から月日が流れた。あの日あったこと、明かせずにいた思い。6年がたつ今だからこそ、記憶が薄れる前に、伝えたい「あの日」を振り返り、明日へつなげよう。
 宮城県南三陸町歌津のガソリンスタンド「三浦石油」は、東日本大震災で町もろとも津波にのまれた。「油が必要とされている」。経営していた三浦文一(ぶんいち)さん(63)は2日後、がれきをかき分けて営業を再開。地下タンクのガソリンを手動ポンプでくみ上げ、ずらりと列を作る車に給油し続けた。
◎震災6年(4)2日後再開のスタンド(宮城・南三陸町)
<両親が行方不明>
 命からがら津波を逃れた三浦さんが避難所にたどり着くと、声が上がった。
 「三浦石油、来たど」
 つなぎ姿が燃料を届けに来たと誤解された。
 ガソリンや灯油の供給が途絶えていた。暖を取るのも、家族を捜しに行くのもかなわない。
 「燃料がなくて皆困っている。今は油の1滴が希望の一滴だ。店を開けるぞ」
 気がふれたのかと家族はあきれた。町は壊滅状態。伊里前川の河口から数百メートルの店は骨組みだけを残す。
 隣接する自宅は跡形もなく、町内に住む父鶴雄さん=当時(82)=と母やえ子さん=当時(79)=は行方不明になっていた。
 「両親も町のために働いてほしいはず。泣いていても始まらない。できることを探す」。なりふり構わず三浦さんは立ち上がった。
 給油機は壊れたが、地下タンクにガソリンが残っているはずだ。
 借りてきた手動ポンプで約6メートル下のタンクの底から少しずつくむと、透明の水がオレンジ色に変わった。
 ガソリンだ。「よーし、行ける」
<命懸けの恩返し>
 震災の2日後、廃虚のような店で営業を再開した。
 がれきの脇に長い車列ができた。人力による給油は1日300台が限界で、翌朝の開店を車内で待つ人もいた。
 並んだのは世話になった顔ばかり。漁師だった鶴雄さんが店を開いて半世紀。この町に育てられてきた恩を返す時だ。
 1台でも多く、と必死で重いポンプを回した。右腕は感覚を失い、目は真っ赤にただれた。
 揮発性の高いガソリン。火花が飛んで爆発する危険がある。命懸けだった。
 自らを、町を、奮い立たせるように看板を立てた。「津波のバカ! でもがんばっぺ!!」
<心と体を癒やす>
 やえ子さんは3月下旬、遺体で見つかったが、鶴雄さんは行方が分からないままだ。2014年、伊里前川の拡幅工事に掛かり、店を閉めた。
 「6年前は皆同じ方向を向いていた」。三浦さんは時間の経過とともに生じた問題を気に掛ける。
 アルコール依存症、うつ病、家庭内暴力、不登校。若い人や力のある人は町を去り、残るのはお年寄りなど弱者ばかり。心身に不調を抱える人が少なくない。
 整体師の資格を持つ三浦さんは15年、実家の跡地に治療院を開いた。「体と心を癒やす場所が必要だ」。心理カウンセラー、うつ病アドバイザーの技術を身に付けた。
 週4日、町の災害公営住宅から妻の静子さん(63)と通う。訪れる人たちの声に耳を傾け、汗だくになって凝りをもみほぐす。
 「ここは人とのつながりを大切にする町。形は変わっても、町のためにできることを続けていくよ」(報道部・伊東由紀子)


原発避難でいじめ「避難せざるをえなかった状況知って」
京電力福島第一原子力発電所の事故のあと福島県から避難した神奈川県の中学校で子どもがいじめを受けていたとする母親が記者会見し、各地で避難した子どもへのいじめが起きている現状について「避難せざるをえなかった自分たちの状況を知ってもらいたい」と訴えました。
神奈川県では原発事故で県内に避難してきた61世帯が原告となり、東京電力や国に対して賠償を求める集団訴訟を横浜地方裁判所に起こしていて、弁護団によりますと、原告の家族の子ども9人が学校でいじめを受けていたということです。
このうち、川崎市内の中学校に在学中にいじめを受けていたとする現在、高校2年生の生徒の母親が東日本大震災から6年となるのを前に、8日、横浜市内で記者会見を開きました。
この中で、母親は息子が中学校の進学直後にクラスメートから「福島県民はバカだ」などと言われたほか、たたかれるなどのいじめを受けていたとしたうえで、「最初はがまんしているようだったが、だんだん顔色が変わってきて、限界になり、私に相談してきた」と述べました。
そして、各地で原発事故から避難した子どもへのいじめが起きている現状について「避難者に対する大人の理解が進んでいないことも原因ではないかと思う。避難せざるをえなかった私たちの状況を多くの人に知ってほしい」と訴えました。


原発事故で避難 いじめ問題で生徒の手記 全文明らかに
東京電力福島第一原子力発電所の事故で横浜市に自主避難してきた男子生徒がいじめを受けていた問題で、生徒が当時の心境をつづった直筆の手記の全文が明らかになりました。
原発事故で横浜市に自主避難し、転校先の小学校でいじめを受けていた現在、中学1年の男子生徒は、おととし7月に当時の心境を手記に書いていて、これまで一部だけが公開されていました。
今回、NHKの取材で、ノート3ページにわたる男子生徒の直筆の手記の全文が明らかになりました。
手記では、「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった」と、原発事故のためにいじめられている現実をみずからの言葉で記しています。
そして、小学5年生の時に同級生から賠償金があるだろうと言いがかりをつけられて遊ぶ金を払わされていたことが書かれていて、「としょホール、教室のすみ、防火とびらのちかく、体育館のうら、人目がきにならないところでもってこいと言われた」と、金を要求された詳細がつづられています。
そのうえで「お金もってこいと言われたとき、すごいいらいらと、くやしさがあったけど、ていこうすると、またいじめがはじまるとおもって、なにもできずに、ただこわくて、しょうがなかった。ばいしょう金あるだろと言われ、むかつくし、ていこうできなかったのもくやしい」といじめから逃れるために金を払い続けるしかなかった心境を書き連ねています。
また、学校側に何度も被害を訴えたもののいじめと認められなかったことについては、「いままでいろんなはなしをしてきたけど、しんようしてくれなかった。なんかいもせんせいに言おうとすると、むしされてた」としたうえで、ひときわ大きな文字で「学校も先生も大きらい」と書いています。
そして最後のページには「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだから、つらいけどぼくはいきるときめた」と結んでいます。
現在、男子生徒はフリースクールに通っていて、徐々に明るさを取り戻しているということです。
生徒の直筆の手記【全文】
としょホール教室のすみ防火とびらのちかく体育館のうら
3人からどれかしらでお金をもってこいと言われた。
○○○(関係児童名)からはメールでも言われた。
人目がきにならないところでもってこいと言われた。
お金もってこいと言われたときもすごいいらいらとくやしさがあったけどていこうするとまたいじめがはじまるとおもってなにもできずにただこわくてしょうがなかった。
いろんな人から○○(生徒本人名)が(金を払ったと)言われてるが、うらでは、○○○ ○○ ○○○(関係児童名)がしじしてる。
てんこうしたときなんかいつもけられたりランドセルをふりまわしたりいつもこわくてなにもできなくてほんとうにつらかった。
4月もゲーセンにもいってるのに、○○○ ○○ ○○○は(関係児童名)ずっとだまっていて、やつらはほんとうにむかつく。
ばいしょう金あるだろと言われむかつくし、ていこうできなかったのもくやしい。
○○○ ○○(関係児童名)にはいつもけられたり、なぐられたりランドセルふりまわされる、かいだんではおされたりしていつもどこでおわるかわかんなかったのでこわかった。
ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。
福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできなかった。
しえんぶっしをとられてむかつく。
だれがやったかわからないけどきがつくとえんぴつがおられてる。そしてノートにはらくがきをされてた。
いままでいろんなはなしをしてきたけどしんようしてくれなかった。だからがっこうはだいっきらい。
なんかいもせんせいに言おうとするとむしされてた。
(大文字で)学校も先生も大きらい。
いままでなんかいも死のうとおもった。
でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた。
(大文字で)みんなきらいむかつく
5年のたんにんはいつもドアをおもいっきりしめたりつくえをけったりして3.11のことをおもいだす。
いじめに苦しむ人にメッセージ
現在、フリースクールに通っている13歳の生徒が、いじめで苦しんでいる人たちへのメッセージをつづりました。
メッセージの中で男子生徒は「今、僕は楽しく生きています。一日一日前向きにいれば何とかなります。だから、つらいことがあっても自殺を考えないで下さい。もし自殺したら何があったかほかの人に伝える事も出来ない、それに今は学校に行きたくないなら、僕みたいにフリースクールみたいな場所もあるから、そこに行って勉強するのもいいです。環境になれなくてもゆっくり自分のペースでなれればいいです。だから自殺は考えたらダメ」と呼びかけています。


福島支援 長渕剛さん、ギターをヤフオク出品
 福島県南相馬市に今春開校する県立小高産業技術高校を応援するため、歌手の長渕剛さんがサイン入りギターをネットオークションに出品した。早速100万円以上の値が付き、売上金は全額同校に寄付する。
 校歌を作家の柳美里さんが作詞、長渕さんが作曲した縁で、被災地支援に取り組むヤフーがチャリティー出品を依頼。ギターのほか、柳さん愛用の万年筆、小説の原稿など計6点に12日夜まで入札できる。
 同校が誕生する南相馬市小高区は、福島第1原発事故に伴う避難指示が昨年7月に大半で解除され、復興への長い道のりを歩み始めたばかり。ヤフーの担当者は「福島の若者に幸せあれ!」。【岸慶太】


大震災6年 鎮魂の刺し子…作製の大槌の男性死去
 東日本大震災による津波で亡くなった人たちへの鎮魂の思いを込め、岩手県大槌町の仮設住宅で刺し子を1200枚以上縫い続けた小國兼太郎さんが今年1月、亡くなった。93歳だった。三陸地方を襲った3回の津波を体験。6年前の震災で姉や妹らを失った。昨年3月、取材で訪ねた時には「仮設住宅を出るのは数年先。光の見えぬトンネルにいるようだ」と長引く避難生活を憂えていた。【高尾具成】
一針に祈り込め…3度の津波経験
 刺し子作りは、被災者同士のふれあいの機会になればと被災地支援団体「サンガ岩手」が大槌町で続け、小國さんも約30センチ四方の白い綿布に多彩な糸を縫い付けてきた。
 人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモチーフとされる蓬莱(ほうらい)島や、遡上(そじょう)するサケなど大槌のシンボルを題材に選んだ。「生きがいを 卒寿の坂に みつけたり」という自らの句を縫ったものもある。支援団体を通じて販売したり、ボランティアの人たちに手渡したりしてきた。妻ヤスさん(85)がボランティアらにメッセージを書いてもらった「出会いの絆ノート」は12冊目。2500人以上が書き込んだ。
 関東大震災があった1923年生まれ。
 33年の昭和三陸地震による津波は9歳の時に経験した。幼い妹を背負って走り、転んだ母の手を引っ張り上げて生き延びた。20歳で出征し、シベリアに抑留された。引き揚げ後、漁師になり、60年のチリ地震の津波に船上で遭遇。東日本大震災では高台に逃げて助かったが、行方不明のままの姉、古舘アキさん(当時91歳)や妹の黒澤ミタさん(同85歳)ら親族9人を失った。「刺し子の一針一針は痛恨と鎮魂の思いばかりです」と話していた。
 一方で「津波にはしっかり備えておきたい」と力を込めた。津波の際にてんでんばらばらに逃げる「津波てんでんこ」が大切だと仮設住宅を訪れる人たちに訴え続けた。
 1月27日夕方に亡くなった際、病院のベッドわきでヤスさんと次男登志男さん(56)は「笑って逝くんだよ」と呼びかけたという。ヤスさんは「多くの人たちに支えられ、兼太郎さんは幸せでした。老いた桜の木が花びらを散らすように静かに逝きました」と語る。
 岩手県内では1月末現在、1万503人が仮設住宅で、2780人がみなし仮設住宅で暮らしている。


経産省取材規制 世耕大臣は考え直せ
 経済産業省が庁舎内のすべての執務室の扉を施錠する措置を始めた。「情報管理を徹底する」ためというが、本質はメディア規制である。国民の「知る権利」を脅かす異常事態と言わざるを得ない。
 「企業情報や通商交渉など機微(のある)情報を扱っており、庁舎管理を徹底する」−。世耕弘成経産相は施錠の目的について、先月下旬の記者会見で語った。
 メディア側は庁舎内にある内線電話で連絡して扉を開けてもらい応接スペースで面談する。省内ルールでは取材には課長、室長以上の幹部が対応し、同席した別の職員がその内容を広報室に報告する。かつ庁舎外での取材には原則応じないともいう。
 これは事実上、メディアを規制する発想であろう。情報の「密室化」でもある。NTTの広報部報道担当課長という経歴を持つ世耕氏は、「一般的なセキュリティーに合わせるべきだと以前から感じていた」とも語っている。
 しかし、政府が握る情報は本来、国民のものである。世耕氏はその観点を見失っていないか。役所の情報は原則が「公開」であり、「非公開」は例外に置かねばならない。そうして民主的な行政が推進できる。情報公開法の根本的精神である。民間企業とはそこが異なる点である。
 そもそも安全保障や外交など重要な機密情報を扱う部署を除けば、どの省庁も施錠などしていない。経産省が全ての執務室を施錠するのは異様な光景である。
 メディア側が官庁に記者を置くのは、役所の発表記事だけを書くためではない。むしろ役所の隠したい事実を掘り出し、不正などをチェックするのが本質的な任務である。官庁発表に対しても常に疑問を持ち、矛盾があれば指摘しなければならない。大きな権限を握る中央官庁は、権力であるが故に当然、メディアのチェックを受けるべき存在なのである。
 課長以上の取材に対して、職員がメモをして内容を報告するというルールも行き過ぎである。報告されることが前提ならば、取材を受ける側は必要最小限のことしか語らなくなるだろう。
 国民の「知る権利」が大きく損なわれる。
 経産省は福島第一原発事故の情報開示でも消極的だった。行政とは国民生活を豊かにするために存在する。その情報を伝えるメディアへの管理・規制とは、民主主義の柱を揺さぶる。世耕氏は考え直すべきである。


おとり捜査再審/なぜ司法判断を示さない
 ロシアから拳銃を持ち込み、銃刀法違反(所持)の罪で実刑を受けたロシア人の元船員が「北海道警の違法なおとり捜査で罪をでっちあげられた」と訴えた再審で、札幌地裁が無罪判決を言い渡した。
 おとり捜査は違法薬物や銃器の密売の摘発で用いられる。今回の捜査について違法性を認めるのか、司法判断が注目されたが、判決は何も言及しなかった。
 弁護側は「史上まれにみる違法捜査でつくられた事件」と主張した。そして北海道警の捜査員が違法捜査について証言したことが、再審開始の決定につながった。捜査員が法廷で偽証していた事実も明らかになっている。
 元船員の無罪判決で済まされる問題ではないだろう。地裁は捜査や起訴が適正だったかをしっかり審理し、判断を示すべきだった。
 元船員は1997年、銃刀法違反の容疑で現行犯逮捕された。弁護側は違法なおとり捜査を主張したが、証人として出廷した捜査員は否定、元船員は実刑が確定し服役した。
 ところが2002年になって、捜査員の元警部が覚せい剤取締法違反で逮捕され、公判で元船員の事件でのおとり捜査と偽証を認めた。
 元警部が逮捕されなければ明るみに出なかったに違いない。報道機関の取材に対し「摘発の実績をつくるための違法捜査だった。他にも汚いことをやった」とも語っている。言葉通りなら、元船員は道警の組織ぐるみの違法捜査で犯すつもりのなかった罪を犯し、服役したことになる。他にも道警の違法捜査があった可能性は否定しきれない。
 おとり捜査については、04年の最高裁判決で三つの条件が示されている。直接の被害者がいない薬物犯罪などの捜査▽通常の捜査では摘発が困難▽機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者が対象−である。
 しかし、「犯罪を行う意思」などは曖昧で、違法性を判断する明確な基準とまでは言えない。おとり捜査の違法性を判断する材料はあまりに少なく、今回のような裁判を通して問題点を浮かび上がらせる必要がある。司法にはその役割を果たす重い責任があるはずだ。
 北海道警は自らの捜査を検証し、公表すべきだ。このままで終わらせてはならない。


道警おとり捜査 再審無罪の意味は重い
 1997年に小樽港で拳銃などを所持したとして逮捕され、服役したロシア人男性の再審で、札幌地裁が無罪判決を言い渡した。
 焦点だった道警のおとり捜査の適否には触れず、肩すかしの感は否めない。しかし、捜査当局は再審無罪という結果自体を重く受け止めねばならない。
 再審開始を決定した昨年の裁判では、道警のおとり捜査を違法と認定し、「捜査の名に値しない」と批判している。
 道警は、この指摘を忘れてはなるまい。猛省し、再発防止策を徹底するのはもちろん、捜査の手法も一から点検すべきである。
 ロシア人男性は、道警の捜査協力者に中古車と拳銃の交換を持ちかけられ、父親の遺品である拳銃を日本に持ち込み逮捕された。
 犯罪を行う意思(犯意)のない者をそそのかして実行させる「犯意誘発型」のおとり捜査である。違法性は明らかだ。
 しかも、道警はおとり捜査を隠すために虚偽の捜査書類を作成したり、うその証言をしたりして裁判の公正さをゆがめたと、再審請求審で認定されている。刑事手続きの軽視も甚だしい。
 そのうそを見抜けなかった、当時の検察や裁判所にも反省が求められよう。
 疑問なのは、札幌地裁が今回、おとり捜査について踏み込んだ判断をしなかったことだ。
 検察側が有罪立証せず、争点化しなかったことも背景にあるのだろう。そうだとしても、当局にクギを刺す意味で違法性を明確に指摘するべきではなかったか。
 おとり捜査は主に、銃器、薬物犯罪について行われている。
 犯意のある者に実行の機会を与える「機会提供型」は認められるとの判例もあるが、事件をつくりだす危うさは拭えない。極めて慎重に臨むべきだ。
 おとり捜査に限らず、人権侵害につながりかねない捜査手法が拡大しつつあることも気になる。
 たとえば、通信を傍受できる犯罪の種類が増えた。令状のない衛星利用測位システム(GPS)捜査が、プライバシーを侵す恐れも指摘されている。
 また、改正刑事訴訟法の成立で2018年ごろに導入される司法取引は、捜査側の裁量を広げる。
 事件の摘発は大事だが、「何でもあり」でいいはずがない。
 捜査全体のあり方や方向性を国民的な視点、問題意識で検証する。今回の再審無罪判決を、そうした契機にしたい。


「共謀罪」条文案 ずさんで危うい本質変わらない
 政府が、過去3回廃案になった「共謀罪」の、名称や構成要件を変えた「組織犯罪処罰法改正案」の今国会提出を目指し、与党内に条文案を示した。
 従前の案より一見、限定的に見えても、憲法が保障する思想・内心の自由など、国民の人権を大きく脅かしかねない危うい「本質」は、何ら変わっていない。にもかかわらず、法案の中身も進め方も極めて稚拙かつずさん。担当大臣さえろくに説明もできないまま、強硬に法案提出に突き進もうとする政府与党の姿勢は断じて容認できない。
 最も信じ難いのは「テロの入れ忘れ」。これまで政府は、罪名を「テロ等準備罪」と言い換え、五輪のテロ防止が第一目的のようにアピールしてきたが、案には肝心の「テロ」の言葉がどこにもなかった。慌てて文言を追加するが、対象に「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」などと例示する程度。いかに「テロ防止」が単なる口実であったかを痛感させられる。
 さすがに当初目指した10日の閣議決定は、来週以降にずれ込む公算。とはいえ「うっかり忘れていたから足した」で了承、は許されまい。看過できない問題は、他にも山積している。
 内心を取り締まる共謀罪は、現行刑法の大転換。捜査権力の監視強化、拡大解釈が可能になり、国民を萎縮させる。国は今回、対象を「組織的犯罪集団」と規定、犯罪成立には共謀以外に「実行準備行為が必要」と要件を付加。広すぎると批判を浴びた対象犯罪は676から277に減じた。だが、その定義や必要性は全く判然としない。
 「一般人は対象にならない」と豪語しながら、法務省は「正当な団体でも、目的が一変した場合は組織的犯罪集団になる」と述べた。問題は、いつ何をもって「一変した」と判断するかで、金田勝年法相は「総合的に判断する」。つまりは捜査機関の一存で、何の歯止めにもなり得ない。また「準備行為」があれば、ほとんどは現行法の予備・準備罪で対処可能。新法の必要性や、要件の厳格化を担保するものではあるまい。
 そもそも、政府が締結を目指す国際組織犯罪防止条約は、テロを想定したものではない。条約が言う「組織的犯罪集団」とはマフィアなどで、薬物密輸や資金洗浄が主な対象。「条約の要請に応えるため」に共謀罪が不可欠かどうかは怪しい。しかも、対象犯罪の絞り込みはこれまで「条約上できない」と主張していたのに、一転して大幅に減らせた理由も分からない。法的安定性の軽視や恣意的な運用への懸念は募るばかりだ。
 条文案には、犯罪実行前に自首した場合に刑を減免する規定も。「密告を奨励する」と批判された前々回案の「復活」に、かつての治安維持法にも通じる不安さえよぎる。もはや「テロ対策」の口実すら揺らいだ今、これほど瑕疵の多い法案を認めることはできない。改めて、強く断念を求めたい。


「軍事研究」で新声明案 明確に歯止め掛けるべき
 【論説】大学や研究機関が武器などの開発につながる軍事研究に携わることはどうなのか。日本学術会議の検討会は「政府の介入が著しく、学術の健全な発展の見地から問題が多い」などとした新声明案をまとめた。
 防衛省が2015年度から始めた基礎研究費を給付する公募制度に懸念を示し一定の歯止めを掛けたものだ。「軍事研究をしない」とした過去の基本方針を「継承する」として4月の総会に諮る方針で、実に50年ぶりの「軍学分離声明」となる。ただ、禁止も打ち出せず強制力もないため、効果は限定的との指摘もある。学術会議の主体性と説明責任が問われよう。
 学術会議は1950年と67年の2回にわたり軍事研究を否定する声明を出している。過去の戦争協力への深刻な反省があった。これに沿って国内の大学が軍事研究から距離を置いてきた事実がある。
 しかし、防衛省が15年度に「安全保障技術研究推進制度」を創設し、軍事応用も可能な基礎研究の公募を始めたことで状況が変わった。大学などは研究費削減で慢性的な資金不足に陥り「研究の軍事化」に手を伸ばすケースも増えている。この制度の予算は15年度3億円、16年度は6億円と倍増。17年度は一挙に110億円に跳ね上がった。
 「甘い蜜」に誘われるように15年度の応募は109件に上った。16年度は44件に減少したが、今後は応募が増加する可能性もある。
 仕掛けているのは政府である。安倍政権は13年に決めた国家安全保障戦略で、軍事技術強化へ向けて「産学官の力」を結集させる方針を打ち出した。産業界はこれを後押しし、防衛省が動きだしたのだ。
 国家安全保障上の課題に対し、16年度から5年間の「第5期科学技術基本計画」には、産学官連携で必要な技術の研究開発を推進することが盛り込まれた。
 しかし、立ち止まって考えるべきは大学の社会的責任である。未来を担う若者の育成と学術の健全な発展が使命ならば、「学問の自由」が不可欠となる。大学や研究機関が軍事研究に巻き込まれていけば、その秘密性から「自由」は保障されない。研究の成果が戦争などに使われることに倫理的な問題も付きまとう。
 軍事大国の米国は研究の自由と無条件の情報公開を損なう資金は受け入れず、設備も使わせないという方針を掲げる有力大学が複数ある。防衛省は成果の公表を制限せず秘密にも指定しないとしているが、守られるかどうかは分からない。
 国公私立大95校を対象にした共同通信社のアンケートでは約4割が学術会議の声明を堅持すべきとし、変更容認は皆無。6割は新声明を見極める姿勢だ。
 だが、新声明案は受け入れの可否判断を大学に委ねた。意見の対立を越えて明確な指針を出すべきではないのか。日本の科学者を代表する学術会議に求めたいのは平和憲法を堅持する高邁(こうまい)な精神だ。それゆえ民生分野の研究資金をどう充実させるかを考えてほしい。


宅配便の急増 過重労働を改善するには
 宅配便は今や日常生活に欠かせない身近な存在だ。その宅配便の業界が、さばききれずあふれる荷物の処理に悲鳴を上げている。
 業界最大手のヤマト運輸と同社労働組合が、荷物取扱量の抑制などの協議を始めた。インターネット通販の拡大で取扱量が急増する一方、人手不足で運転手の確保がままならない。長時間労働が常態化し、現場の疲弊も深刻という。
 日本の宅配便業界は即日配達をはじめ、時間指定配達、無料配送など至れり尽くせりの利用者サービスを競ってきた。不在の際の再配達にもきめ細かく応じている。
 ヤマトでは先日、ドライバーなどへの未払い残業代問題が発覚した。こちらは論外で早急な是正と再発防止が必要だが、根っこには業界の深刻な人手不足がある。
 宅配便という物流インフラを維持していくためにも、業界は運転手の待遇改善とともに、過重労働につながる過度のサービスは見直してもいいのではないか。窮状を丁寧に説明すれば、利用者側の理解と協力も得られるはずだ。
 国土交通省によると、2016年の宅配貨物取扱個数は、38億6896万個と6年連続で過去最高となった。前年に比べ6・4%、2億3千万個以上増えている。
 この半数近くを扱うヤマトの運転手は全国に約6万人いるが、13年にネット通販大手の業務を請け負って以来、配達現場は繁忙の度合いを強めているという。
 配達現場で負担となっているのは、即日配達や時間を細かく指定しての配達、そして不在だった場合の再配達などのサービスだ。
 国交省の調査では不在による再配達率は19・6%に達し、年間の再配達でドライバー約9万人分、約1億8千万時間の労力が使われている。社会的な損失である。
 この際、再配達に手数料を課すことを含めてサービスと利用者負担の在り方を柔軟に再検討してはどうか。駅や商業施設、コンビニなどを受け取り拠点として活用していくことも有効だろう。業界を疲弊させる過重労働や人手不足の改善に知恵を絞りたい。


宅配便値上げへ 便利さを求めるのなら
 宅配便最大手のヤマト運輸が全面値上げを決めたのは、利用の急増に人手が追いつかないのが理由である。だが当たり前と思っていた便利さや安さが、実は行き過ぎていることはないだろうか。
 いつでも欲しいものが注文一つで玄関先まで届く。食料や日用品、書籍にスキー板…。宅配便は今や欠かせないインフラだ。体が不自由な人にとっては文字通り生命線となっていることもあろう。
 しかし、そんな便利な日常を支えている運送や配達の現場では、長時間労働が常態化している。昼食もとれない、残業でもさばききれない。これはどこかがおかしいのではないか。
 問題は大きく二つある。一つは、なぜ人手不足がそこまで深刻化したのかだ。
 ヤマトは業界で約五割のシェアを占める。二〇一三年にインターネット通販大手のアマゾンジャパンの配送を請け負ったことで荷受量が格段に増え、人手不足に拍車がかかったといわれる。
 しかし、根っこの原因は別だろう。業界の構造問題だ。仕事の大変さに比べ賃金が低いのだ。厚生労働省調べで「運輸・郵便業」の平均賃金は二十七万七千六百円(一五年)と業種別ではほぼ最下位。これでは人は集まりにくい。
 賃金が安いのは業界の利益率が低いためだ。つまり適正な運賃を取っていないということだ。
 宅配便の九割は通販会社などの法人契約で、個人客より運賃の割引が大きい。アマゾンは送料無料を大事なサービスと位置付けており、ヤマトにとって取扱量が多い割に利益が出にくい取引相手だ。
 今回、ヤマトが二十七年ぶりに個人を含む全面値上げと、法人向けの新料金体系導入の検討に入ったのは、ある意味当然である。
 もう一つの問題は、過剰ともいえるサービスをどうするか、である。例えば、無料で応じる再配達は全体の二割を占め、コストがかさむ。だが、再配達を前提に家を留守にしたり、化粧していないからと居留守を使うケースもあるという。
 業界の厳しい労働環境を考えれば、時間帯指定サービスや再配達を有料化するなど、利便性と負担のバランスを考えるべきだろう。
 「サービスが先、利益は後」。ヤマト運輸の中興の祖で「宅急便」生みの親である故小倉昌男氏の理念だ。だが適正な利益がなければサービスは成り立たず、人は酷使される。利便を享受する側も、そのことを理解する必要がある。


稲田防衛相 「教育勅語自体が全く誤りというのは違う」
参院予算委 「勅語の精神は道義国家を目指すこと」
 稲田朋美防衛相は8日の参院予算委員会で、明治憲法下の教育理念である教育勅語について「『日本が道義国家を目指すべきだ』という精神は、取り戻すべきだと考えている」と述べた。教育勅語は1948年、「基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す」として衆参両院で排除と失効確認が決議された。稲田氏に対し、資質を問う声が上がる可能性がある。
 大阪市の学校法人「森友学園」の幼稚園で園児が教育勅語を暗唱させられていたことに関し、福島瑞穂氏(社民)が見解をただした。稲田氏は「勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」と説明。「勅語自体が全く誤っているというのは違う」と語った。
 福島氏は「教育勅語が戦前、戦争への道につながり、道徳規範として問題を起こしたのでは」とただしたが、稲田氏は「そういう一面的な考え方はしていない」と否定した。
 稲田氏はまた、学園の籠池泰典理事長との関係について「私のパーティーに来ていた記憶はあるが、10年ぐらい会ったことも話したこともない」と述べた。【光田宗義】


森友学園“疑惑の人物”が橋下徹の元後援会長親族に働きかけと「新潮」が報道 麻生財務相への仲介依頼も
 連日、新たな疑惑が次々と発覚している学校法人森友学園の小学校設置認可と国有地格安払い下げの問題。大きな権力、すなわち政治家の力が働いていたことは明々白々だが、そんななか、気になる情報がSNS上に投稿された。投稿したのは、維新の会を除名処分となった上西小百合議員だ。
 一昨日、上西議員は、“維新の暴言王”こと足立康史議員が〈如何わしいのは国でも府でもなく、森友学園親子とU議員だった、ということにならなければいいが…〉などと疑惑を混ぜ返すようなツイートを行ったことを受け、こんな返事をしていた。
〈貴方達の精神的支柱Hさんの後援会の会長の息子が2人のKと国有地売却に絡んでるんですか?と私のところに取材が多数来てます。もうすぐ記事でますよ〉
 維新議員の「精神的支柱Hさん」と言えば、あきらかに橋下徹・前大阪市長だろう。しかし、その「後援会の会長の息子」と「2人のK」が国有地売却に絡んでいるとは、一体どういうことなのか。 
 一時は上西議員のフカシではないか、との話も流れていたが、そんなことはなかったようだ。明日発売の「週刊新潮」(新潮社)がその疑惑を報じているというのだ。週刊誌関係者が語る。
「『週刊新潮』が記事のなかで籠池泰典理事長と政界をつなぐキーマンとして挙げているのが、例の川田氏らしいんです。そして、川田氏は橋下徹氏の後援会長の親族に森友学園問題の口利き協力を働きかけたと書いているようです」
「例の川田氏」とは、先週発売の「週刊文春」(文藝春秋)で「安倍〈晋三記念〉小学校“口利き”したのは私です」と証言した川田裕介氏のことだ。
 大阪で経営コンサルタント業をしているというこの川田氏は、塚本幼稚園の元PTA会長で、籠池理事長の支持者。「週刊文春」の告白で川田氏は、息子が塚本幼稚園に通っており新設小学校にも入学予定であること、そして安倍晋三事務所に顔を出していたことや鳩山邦夫元総務相の「事務所参与」という肩書きをもっていたことを明かした上で、籠池理事長のために「近畿財務局に『鳩山邦夫事務所 参与』の肩書きで連絡を入れました」と話し、近畿財務局と面談した事実を述べていた。
 しかし、この記事が出たときから、森友疑惑を追う記者のあいだからは「川田氏の証言は安倍首相を庇うためのものではないか」「鬼籍に入った鳩山元総務相を利用して、何かを隠しているのではないか」という見方が広がっていた。実際、川田氏自身も、今週発売の「週刊朝日」(朝日新聞出版)の取材に対して、「文春さんに話したのは安倍政権を守りたいから。私が鳩山の名前を出せば、安倍首相に目がいかなくなると思ったからです」と語っている。
 そして、川田氏は近畿財務局とは別に、ある政界と深い結びつきをもつ人物に口利きの仲介を働きかけていたことを「週刊新潮」は掴んだのだという。
「『週刊新潮』の記事には、『新建産業』という会社の社長・奥下幸義氏が登場して、川田氏から政界ルートの紹介を頼まれたことを証言しているらしいんです。『週刊文春』の告白では明かしていませんでしたが、川田氏はこの『新建産業』で働いていたらしい」(前出・週刊誌関係者)
「新建産業」という会社名に見覚えがある大阪府民も少なからずいるだろう。というのも、「橋下徹後援会」の会長は奥下素子氏という女性が務めていたが、この女性は新健産業社長の夫人。そして、この素子氏の息子である奥下剛光氏を、橋下は大阪市長時代に特別秘書として起用していたからだ。後援会会長の息子を特別秘書につけ、年約600万円もの給与を税金から支払うとはまったく私物化も甚だしいが、この問題は週刊誌などでも取り上げられ、さらに剛光氏に特別秘書としての業務実態がなかったとして市民が給与や賞与の返還を求める訴訟を起こしたほどだった(裁判所は請求を棄却)。また、日本維新の会は次の衆院選でこの剛光氏を擁立する予定で、大阪7区から出馬すると見られている。
 ようするに川田氏は、橋下の後援会長の夫であり、橋下の元特別秘書だった男性の父親に政界ルートの紹介を依頼したというのだ。
 しかし、川田氏が仲介を依頼した相手は、橋下ではなく別の“大物政治家”だったという話もある。
 じつはこの新健産業は、麻生太郎財務相の実家である麻生グループの「麻生セメント」の販売店であり、社長の奥下幸義氏は麻生財務相の後援者だ。
 実際、「週刊新潮」では、同社社長の幸義氏が、森友学園へ便宜を図ってもらうべく「麻生財務相を紹介してほしい」と川田氏に依頼されたと証言しているらしい。
 たしかに、この森友学園の疑惑の本丸は麻生ではないかという話はずっと流れていた。麻生は国有地払い下げ疑惑の中心にある財務相のトップであり、また、籠池夫妻から口利きの依頼があったことを認めた鴻池祥肇議員も、麻生の筆頭家老と言われていた人物だ。
 また、前出の「週刊朝日」でも、与党幹部が「大物政治家X氏が関与しているという話がある」「鴻池氏が表に出て釈明したのも、X氏を守る防波堤になって幕引きするシナリオがあったのではないかと言われている」と、麻生財務相の関与を思わせる証言を行っている。
 もちろん、奥下一家と橋下の密接な関係を考えると、小学校設置基準を緩和した当事者である松井一郎府知事の周辺や維新の会に働きかけが行われていた可能性もある。今後、この記事がきっかけとなり、森友学園疑惑の闇が暴かれることになればいいのだが。(編集部)