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“ Au Japon, on est passé de 80% d'opinions favorables à 80% opposés à l'atome ”
Six ans après l'accident de Fukushima, une nouvelle donne énergétique émerge au Japon malgré les freins politiques. La part des énergies renouvelables progresse et le nucléaire n'est pas prêt de retrouver sa place dans le mix du pays où les citoyens se mobilisent en faveur d'alternatives.
Actu-Environnement : L'accident de Fukushima-Daiichi a-t-il modifié la politique énergétique du Japon ? De quelle manière ?
Tetsunari Iida
: Le gouvernement du premier ministre Abe, élu en décembre 2012, a confirmé en 2014 un nouveau Plan stratégique pour l'énergie. Celui-ci est revenu sur la position du gouvernement précédent, annoncée en septembre 2012, qui en appelait à zéro énergie nucléaire d'ici à 2030. En avril 2015, une vision à long terme de l'offre et de la demande énergétique était proposée, qui établissait les différentes sources de production d'énergie à l'horizon 2030 : 20-22% pour le nucléaire et 22-24% pour les énergies renouvelables, 56% pour les énergies fossiles. A comparer avec les projections d'avant Fukushima, qui fixaient un objectif de 50% pour le nucléaire à l'horizon 2030. La part du nucléaire dans le mix énergétique était de 29% en 2011. Cependant pour atteindre cet objectif, il faudrait que tous les réacteurs soient autorisés à redémarrer par l'Autorité de sûreté nucléaire japonaise, ainsi que la plupart de ceux qui restent à inspecter, ce qui rend cette perspective peu atteignable.
Il y a eu un renversement dans la perception qu'a le public de l'énergie nucléaire. On est passé de 80% d'opinions favorables à 80% opposés à l'atome. Cependant, l'administration actuelle de M. Abe entretient des liens étroits avec l'industrie nucléaire, ce qui crée une importante polarisation. Mon sentiment est que l'administration Abe est un retour de bâton contre une véritable transition énergétique, mais tôt ou tard il devra se produire un changement.
AE : Quelle est la situation de la production nucléaire actuellement au Japon ? Combien de réacteurs sont en fonctionnement ? Pour combien de temps ?
TI
: Seuls deux réacteurs sont en fonctionnement, Sendai-1 et Ikata-3, et un troisième devrait être mis en service. Les six réacteurs de Fukushima ont été définitivement mis à l'arrêt en 2011, cinq autres réacteurs (Mihama-1 et 2, Genkai-1, Tsuruga-1 et Shimane-1) ont été définitivement mis à l'arrêt en 2015. Actuellement, 24 réacteurs sont en cours d'examen pour redémarrage, parmi les 44 réacteurs. Cependant, peu d'entre eux devraient redémarrer.
En ce qui concerne la production de combustible nucléaire enrichi au plutonium, le Mox, elle a été reconduite par le Plan stratégique de l'énergie de 2014. Cependant, l'usine de retraitement de Mox de Rokkasho-mura, qui devait entrer en fonctionnement en 1997, ne fonctionne toujours pas.
AE : Quelle est la part des énergies renouvelables ? A-t-elle augmenté substantiellement depuis 2011 ? Y'a t-il de nouveaux investissements dans ce domaine ? Sont-ils suffisants ?
TI
: Nous avons introduit avec succès une loi sur les tarifs régulés en 2011, entrée en vigueur en 2012. A partir de là, les énergies renouvelables ont rapidement décollé, passant de 10% en 2012 à 15% de la production électrique fin 2016, 90% étant issus du solaire photovoltaïque.
Les gens se demandent souvent comment le Japon a pu faire face à la perte soudaine de 30% de capacité énergétique à la suite des événements du 11 mars 2011 sans coupures de courant majeures. Deux facteurs ont joué : les économies d'énergie et l'efficacité énergétique, et une utilisation accrue des énergies fossiles. Un aspect notable est que la consommation n'a pas augmenté depuis, au contraire, elle a continué à baisser. En 2015, la consommation d'énergie nationale était de 12% inférieure à celle de 2010. Cette évolution se traduit par une hausse de 5% de la consommation du gaz et du charbon, tandis que la consommation du pétrole, après une brève reprise, s'est tassée à son niveau d'avant mars 2011.
Les énergies renouvelables augmentent doucement et contribuent aujourd'hui à environ 5% du mix d'énergie finale, à comparer au 1% de 2010. Localement, les initiatives se multiplient. La préfecture de Fukushima promeut un objectif de 100% d'énergies renouvelables à l'horizon 2040. La ville de Takarazuka, dans la préfecture de Hyogo, s'oriente vers une fourniture de 50% d'énergies renouvelables pour la chaleur et l'électricité à l'horizon 2050, et parviendra à 100% grâce à une fourniture provenant de l'extérieur de la ville. D'ores et déjà, dans quatre préfectures, Oita, Akita, Toyama et Aomori, la part des renouvelables fournit plus de 20% de la demande.
AE : Est-ce qu'il y a une démocratie de l'énergie au Japon ? De quelle manière les citoyens peuvent-ils s'impliquer ?
TI
: Il y a eu beaucoup de discussions sur la démocratie de l'énergie. L'administration de M. Abe s'oppose à cette approche. Cependant, beaucoup de Japonais travaillent à mettre en œuvre des collectifs de citoyens pour produire leur propre énergie. Le Japon compte maintenant 200 collectifs énergétiques de petite et grande taille.
Propos recueillis par Agnès Sinaï, journaliste
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クローズアップ現代+▽震災6年 汐凪を捜して〜津波と原発事故 ある被災者の6年
東日本大震災から6年。福島第一原発の近くに自宅があった木村紀夫さんは津波で幼い娘が行方不明となったままだ。さまざまな困難の中娘を探し続ける木村さんの姿を見つめる
天童荒太, 伊東敏恵

■「東北復興展」
・開催日時:3月2日(水)〜3/11(金)10日間 入場無料
・場所:東京駅八重洲地下街センタースポット(JR東京駅八重洲南口改札から徒歩1分)
・共催:一般社団法人大船渡市観光物産協会
<開催内容>
・復興関連物産品のチャリティ販売。経費を除く売上金は義援金となります。
販売商品の一例:かもめの玉子、ゆべし、いかせんべい、柿羊羹など
・岩手県大船渡市への復興義援金として、募金箱を設置し、募金活動を実施します。
・岩手県大船渡市の復興状況紹介
大船渡駅や大船渡市内の「震災前」と「震災後」を写真パネルで紹介します。
■「東北復興 報道写真展」
・開催日時:3月2日(水)〜3/11(金)10日間 入場無料
・場所:東京駅八重洲地下街センタースポット(JR東京駅八重洲南口改札から徒歩1分)
・協力:河北新報社
<開催内容>
宮城県仙台市に本社を置く新聞社「河北新報社」の記事と写真による報道写真展。平成27年のおもな出来事や今後の取り組みを、5つのテーマを掲げてパネル展示。
多くの皆さまのご来場をお待ちしております。
三陸地方の現状を知りたい方や、ご当地お菓子をゲットしたい方、ぜひご来場ください。
作家吉村昭さんは著書のなかで、三陸海岸が好きな理由を「三陸地方の海が人間の生活と密接な関係を持って存在しているように思えるから」と書かれています。私も今回のイベントに参加して、三陸の現状と魅力を、現地の方に聞いてみるつもりです。

第6回 江古田映画祭―3・11 福島を忘れない―
開催期間 2017年2月25日(土)~3月12日(日)
おかげさまで6回目を迎えました。今回も私たちは、福島原発事故をひきつづき考えるために、今年のメインテーマも「3・11福島を忘れない」としました。 監督等のトークと企画展示とともに,歌や詩を朗読するイベントデーを設けました。また、武蔵大学生や相馬高校生による作品も揃えました。どうぞお越しください。
奪われた村 豊田直巳監督 2016年 64分 村人自身が「奪われたもの」が何なのかを自覚するまでには、あまりに長い苦渋の歳月があった。
福島 浜通りの学校 湯本雅典監督 2015年 40分 「浜通り地方」にある学校を2012年から2014年12月まで訪問した記録。

JVC東日本大震災活動報告会
復興の今/これから コミュニティ再生と向き合った6年

2017年3月11日で、東日本大震災から丸6年が経過します。
私たち日本国際ボランティアセンター(JVC)は、2011年、東日本大震災発災直後に福島県南相馬市と宮城県気仙沼市に入って以来、地元住民に寄り添う支援活動を継続しています。
この6年で住民の生活の場は、避難所から仮設住宅、仮設住宅から災害公営住宅や防災集団移転の団地などに移行してきました。そのたびに、既存のコミュニティが壊され、新たな場所で少しづつ再生していくことを繰り返してきました。
今回の報告会では「コミュニティの再生」をテーマに、南相馬、気仙沼の現状をお伝えすると共に、被災地がいま抱えている課題を皆さんと一緒に考える機会にしたいと思います。
白川徹(南相馬事業担当) アジアプレス・インターナショナル所属のジャーナリストとして活動中、アフガニスタンを継続的に取材するなかでJVCと出会う。2011年の東日本大震災を機に、「伝えるだけでなく、実際に現場で支援すること」を志し、JVCに参加。以来5年間、南相馬事業担当として災害FM支援、仮設住宅支援を行う。
岩田健一郎(気仙沼事業現地代表) 大学在学中、一年間休学して日本各地の農場で農作業に従事。卒業後は他NGOで活動しながら、JVCにボランティアとして参加。2011年5月よりJVCが気仙沼市で募集したボランティア活動に参加し、同年6月より職員となる。14年11月より現職。


江古田映画祭に行ってみることにしました.前回東京に来た時にチラシをもらっていたので何となく気になっていたんです.朝新宿のNEWoManで海鮮丼を食べて,東京駅の八重洲地下の東北復興展を見ました.平日のせいかあまり見に来ている人が多くないです.丸の内のドイツ料理でランチを済ませて池袋から西武線で江古田に向かいます.江古田は初めてですが,なんとなく聞いたことがあるような・・・日大闘争で江古田って出てきたような???短い映画でしたがなかなかよかったと思います.武蔵大学も少し歩いてみました.
さてその後浅草の東京大空襲展を見に行きました.年配の人が多かったけれど,すごい人が多かったです.浅草のオレンテくんのますかけ線が気になります.わたしはますかけ線です.天下取りではないけど・・・
急いで末広町に向かって気仙沼と南相馬でのヴォランティアのお話を伺いました.』コミュニティ作りが大切というのに感動しました.

<震災6年>事業継続 業界でサポート
 倉庫会社の若手経営者らでつくる倉庫業青年経営者協議会(白石市)は1月、大規模災害時に通信手段を確保し、同業者同士で被災企業の事業継続を支援する「防災無線ネットワーク」を発足させた。協議会会長を務める白石倉庫(同)の太宰栄一社長(50)が、東日本大震災で事業再開に苦労した経験を踏まえ、全国の同業者に賛同を呼び掛けた。
 ネットワークには現在、全国27社の71拠点が参加する。各拠点に無線通信のシステムを配備。地震などの災害時、倉庫内の荷崩れ対応などに必要な応援人員や物資の情報を無線を使って各社で共有し、被災企業の支援に入るための態勢を構築する。
 無線には災害時でも通信規制がかかりにくいパケット通信を利用する。システム構築を担当した東通インテグレート(仙台市)は「災害時に有効で、警察や消防でも徐々に導入が進んでいる」と説明する。
 白石倉庫は震災で、気仙沼市と岩沼市で借りていた倉庫が津波で被災。気仙沼とは1週間、連絡が取れなかった。震災翌日から同業者の支援物資は届いたが、電話がつながらなかった。太宰社長は「円滑な情報共有が必要だと痛感した」と語る。
 倉庫業者は支援物資となる食料などを普段から保管しており、緊急時には自社倉庫が公的な物資の集積場所にもなる。太宰社長は「物流インフラを支える倉庫業者の早期復旧は、被災地支援の迅速な展開にもつながる」と力を込める。
 東北では白石倉庫のほか、徳清倉庫(盛岡市)、協和運輸倉庫(仙台市)、秋印(秋田市)、山口倉庫(郡山市)がネットワークに加わった。太宰社長は「全国のどこで災害が起きても迅速に対応できるよう、各都道府県に参加拠点を置きたい」と目標を語る。


<震災6年>BCP策定進まず 資金力の弱さ壁
 被災後に早期に事業再開するための事業継続計画(BCP)の策定が、東北の企業で遅れている。東日本大震災発生から6年近くがたち、策定に乗り出す被災企業も出ているが、従業員数の少ない小規模な事業者には人員不足や資金力の弱さが壁になっている。
<「発想の転換を」>
 震災で約3カ月間、事業を停止した福島県沿岸部の機械加工会社は、BCPの策定に踏み出せていない。従業員は十数人。必要性は痛感するが、社長(55)は「知識や情報、その労力もない」と言う。
 震災後、大手企業が下請け企業にBCPの策定を取引条件として示す動きが広がるなど、中小企業の事業継続性により厳しい目が注がれるようになった。
 社長は「ただ『やれ』と言うだけでは普及しない。下請けのBCP策定を支援することが自社のリスク管理にもつながるという発想の転換がほしい」と取引先企業の支援に期待する。
 帝国データバンクが2016年6月に実施した調査では、BCPを策定済みの東北の企業は12.4%で、全国の15.5%を下回った。従業員数が1000人以上の企業が東北で60.0%に達したのに対し、5人以下は8.2%、51〜100人は11.3%にとどまる。
<できることから>
 従業員約40人を抱える運送会社、カホク運送(仙台市宮城野区)は、震災の津波で石巻市にあった本社が被災した。運転手らとなかなか連絡が取れず、事業を本格再開したのは、市内に仮事務所を見つけた2週間後だった。
 13年5月、仙台港近くに本社を移転。BCPの策定に着手できたのは16年9月だった。佐藤俊一社長(47)は「必要性は感じていたが、震災から5年半がたち、ようやくじっくりと考えられる時間ができた」と振り返る。
 中小企業基盤整備機構東北本部(仙台市)の支援を受け、災害発生直後の役割分担を決め、車両の状況確認のためにトラックに衛星利用測位システム(GPS)を配備した。
 ただ、食料の備蓄や本社の代替拠点などの課題は手つかずのまま。佐藤社長は「資金的な限界はある。関東や関西に事業拠点を設けて災害時のリスクを分散するなど、今後の事業計画の中で考えていく」と話す。
 同機構東北本部は16年度、沿岸部の被災企業を中心に約50社からBCP策定に関する支援依頼を受けた。多いのは従業員10人前後の企業。昨年度まではほぼゼロで、機運が高まりつつあることをうかがわせる。
 同本部の横尾徳仁震災復興支援アドバイザー(中小企業診断士)は「初めから全てを網羅した計画を目指すのは難しい。できることから決めていく姿勢が重要だ」と取り組みを促す。


<震災6年>石巻・狐崎浜の記憶 防潮堤に投影
 東日本大震災の津波で被災し、海抜約6メートルの防潮堤整備が進む石巻市の狐崎漁港で8日、震災前の浜の写真を防潮堤に投影するイベントがあった。
 牡鹿半島の海の美しさに引かれ、約1年前から狐崎浜に住むアーティスト太田和美さん(29)が企画。眺望を遮る防潮堤の計画に疑問を持ち、住民らが防潮堤について意見を交わす機会にしようと開いた。かつての浜の写真を集め、5分間の映像を流した。
 地元住民ら約30人が集まり、プロジェクターで映し出される昔の狐崎浜の風景に思いをはせた。住民らから「懐かしい」「もう1回見たい」と歓声が上がり、温かい拍手が起こった。
 太田さんは「地元の方が喜んでくれてよかった。牡鹿半島の他の浜にも活動を広げたい」と話した。


<震災6年>津波で全壊の寺 信徒の熱意で再建
東日本大震災の津波で全壊し、仙台市内の寺院で唯一、災害危険区域指定された若林区荒浜の浄土寺が、内陸に約2キロ離れた同区荒井神屋敷西に再建された。檀家の犠牲者は約140人。本堂は11日の震災七回忌法要で初めて使用される。
 本堂は高さ11.5メートルで入り母屋造り、銅板ぶき屋根。約2440平方メートルの敷地は、荒浜に通じる県道荒浜原町線に面している。檀家(だんか)からの寄付などを再建費用に充て、つながりのある貞林院瑞正寺(東京)から本尊の阿弥陀如来の寄進を受けた。墓地は荒浜の敷地に残した。
 既に引っ越しを済ませ、本尊や仏具などが新しい寺に運び込まれた。中沢秀宣(しゅうせん)住職(67)は「感無量の心境だ。『おらほの寺』という壇信徒の熱意で再建がかなった」と語った。檀家総代の松木武一さん(69)は「ようやく第一歩を踏み出せる。次世代に寺を託せる」と感激した表情を浮かべた。
 七回忌法要は11日午前11時から執り行われる。


<3.11あすへの証言>復興フラッグ思い結ぶ
 震災から月日が流れた。あの日あったこと、明かせずにいた思い。6年がたつ今だからこそ、記憶が薄れる前に、伝えたい「あの日」を振り返り、明日へつなげよう。
 2011年3月下旬、東日本大震災の津波が約160世帯あった家並みを奪った福島県新地町釣師地区で、がれきから1枚の日章旗が見つかった。誰のものかは分からない。救援に駆け付けた自衛隊員がその場に掲げた。旗は朽ち果てるたびにボランティアらさまざまな人の手で交換され、いつしか復興のシンボルとなった。
(5)がれきから発見4代目(福島・新地町)
<浜には戻れない>
 「この旗も、海も嫌いだった」
 新地町釣師のトラック運転手川上亮さん(40)は震災直後、流失した自宅近くに掲げられた旗を見るのが嫌だった。「頑張れ」と言われている気がした。「もう限界だ」。反発したい気持ちだった。
 あの日、大津波警報が出て、亮さんは妻照美さん(41)と出先の名取市から自宅に戻ろうと、車で国道6号を南下した。宮城県山元町に入り、祖母が入所する老人介護保健施設の側を通った。「避難しているだろう」と思い、通り過ぎた。
 やがて水平線に白波が立ち、陸に押し寄せ始めた。国道から山側の脇道にハンドルを切り、命からがら津波から逃げ切った。
 その3週間後、祖母が遺体で見つかった。思い出のある自宅や、子どもの頃から親しんできた釣師浜と全てを奪った海。中学2年から始めたサーフィンとも縁を切る。浜に戻ることはできない。そう思った。
<海岸清掃が転機>
 自宅跡に近づくことすら避けていた。仮設住宅でふさぎ込む日々が続いた12年3月、照美さんがボランティアで取り組む町内の海岸清掃に誘われた。
 言われるままに足を運んだ釣師浜では、地元の仲間たちが黙々とごみを拾っていた。気が付くと自分も活動に加わっていた。当初は小さな活動だったが、旗を見に全国から来た多くの人々が参加するようになった。「みんな町のことを思ってくれている」。胸を打たれた。
 旗は自衛隊員ががれきの中から見つけた初代に始まり、自衛隊員が被災者への励ましの言葉を記した2代目、風雨にさらされて傷むと、ボランティアらが3代目を掲げ、メッセージを書き込んだ。
 訪れたバイク愛好家らが写真を撮り、インターネットで町への支援を呼び掛けたのを契機に、旗は広く知られるようになった。
<守り続ける覚悟>
 3代目も劣化した14年元日、バイク愛好家やボランティアらが、日章旗をモチーフに人の笑顔が輪になったデザインを考案。「復興フラッグ」と名付け、現在の4代目が登場した。
 旗と人は変わっても、新地に寄せる思いは脈々と引き継がれている。
 「楽しい海を思い出そうよ」。昨年3月、照美さんから励まされた亮さん。気持ちは以前とは違った。多くの人の善意をつないできた旗を地元の人間が受け継ぐ時だ。旗の管理団体「リバイバルF」を発足し、自ら代表になった。
 震災から間もなく6年。亮さんは今、元の自宅周辺の防災緑地化工事の仕事に就く。工事のため旗は町役場前に移され、工事が終われば元の場所に戻る予定だ。
 旗を降ろす日がいつになるのかは分からない。それでも、できる限り旗を守り続けていきたい。
 「やっぱり、この町と海が好きだから」
 町は旗を復興の象徴として保存していくという。(報道部・菅谷仁)


<サンド>震災遺児支援 福島県に655万円
 仙台市出身のお笑いコンビ「サンドウィッチマン」が8日、福島県庁を訪れ、東日本大震災で親を亡くした遺児や孤児を支援する「東日本大震災ふくしまこども寄付金」に約665万円を寄付した。
 義援金にはチャリティーライブなどでのグッズの売り上げを充てた。伊達みきおさんと富沢たけしさんから小切手を手渡された内堀雅雄知事は「継続的に東北、福島を応援してもらい感謝している」と述べ、県産イチゴをプレゼントした。
 会社員時代の3年間、郡山市に住んでいた伊達さんは「福島が大変なことは分かっている。ぜひ子どもたちのために使ってほしい」と要望。富沢さんは「笑いで嫌なことも忘れられるような活動をしていきたい」と語った。
 2人は岩手、宮城、福島の被災3県に寄付を続け、累計額は約4億円に上る。


<回顧3.11証言>迫る津波「待機」なぜ
 宮城県山元町東保育所は、園児3人が東日本大震災の津波にのまれ、震災で被災した保育所の中で唯一、保育中の子どもが犠牲になった。職員と園児たちは津波が間近に迫るまで園庭に待機し、逃げ遅れた。「天災ではなく人災だ」。遺族は半年以上たった今も、町や保育所の対応に疑念をぬぐえないでいる。
◎宮城・山元町の保育所園児3人犠牲
<指示通り>
 町などによると、2011年3月11日午後2時46分、東保育所では大きな揺れに見舞われた後、保育士らが園児62人を園庭に避難させた。所長は指示を仰ごうと午後3時20分ごろ、非番で駆け付けた保育士を町役場に派遣した。
 「総務課長から現状待機と指示された」。戻ってきた保育士はそう報告。迎えに来た保護者に引き渡した園児を除き、残った1〜6歳の園児13人と職員14人が指示通り、園庭で待機を続けた。
 事態が急転したのは午後4時ごろ。保育士の1人が南東約80メートル先に津波を確認した。「津波だ!」。保育士の叫び声に所長は「車で逃げて」と指示。園児たちは職員の誘導で向かいの駐車場に移動し、保育士と居合わせた保護者の車計10台に分乗した。
<手が離れ>
 犠牲になった2歳男児、6歳男児、6歳女児の園児3人が乗ったのは保護者のワゴン車で、ほかに1歳女児と6歳男児の計子ども5人と主任保育士1人が同乗していた。6番目に保育所を出発したワゴン車は数十メートル先で津波に遭い、駐車場に引き返した。
 主任は1、2歳児の2人を連れ、避難しようと車の外へ。「あっという間に水が胸まで来た」。そばにいた6歳女児を車の屋根に押し上げたが、6歳男児は水に漬かっていた。主任も近くの介護施設「愛広館」まで流された。
 愛広館には、ワゴン車に乗っていた保護者ともう一人の6歳男児らが避難していた。主任とおんぶしていた1歳女児は助けられたが、抱っこしていた2歳男児は直前に「手から離れてしまった」という。
 6歳女児は翌日、6歳男児は3日後、2歳男児は約1カ月後、それぞれ遺体で見つかった。
<「退避」?>
 「対応が良ければ十分助かった。無駄死にさせてしまった」。6歳の一人息子を失った母親(46)は怒りをあらわに語る。
 遺族側が特に問題視するのは「現状待機」の指示だ。町は「『退避』を『待機』と聞き間違えた可能性も否定できない」と釈明するが、遺族側は逃げ遅れた最大の原因とみて追及している。
 海岸から約1.5キロ離れた東保育所では、主に宮城県沖地震に備えた避難訓練を月1回行っていたが、津波を想定した避難行動計画はなかった。
 避難の際に車が駐車場を出た順番も、遺族側は問題視する。職員1人と園児3人の1台目、職員1人の2台目、所長を含む職員3人と園児1人の3台目までは難を逃れたが、4台目以降は津波に襲われた。遺族側は最多の園児5人を乗せたワゴン車が6台目だった状況に疑問を抱く。
 山元町の斎藤俊夫町長は「町の管理下において、幼い3人の犠牲者を出してしまった事実を真摯(しんし)に受け止める必要がある」と話し、一定の責任を認めている。だが、徹底した真相究明と再発防止策を求める遺族側との協議はなお隔たりが大きい。
 「知らない間に半年以上たった。まだ3、4日前という感じがする」。2歳の一人息子を亡くした父親(27)はそう振り返る。遺族の悲しみはいまだに癒えない。(小沢一成)=2011年10月14日、河北新報
          ◆         ◆         ◆
 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 6年の節目に際し、被災者の「証言」を集めた一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


<あなたに伝えたい>褒められた油彩に熱中
 菊地幸夫さん=当時(81)、秀子さん=同(77)=は、宮城県東松島市のJR野蒜駅近くの自宅に2人で暮らしていた。津波で家屋は崩壊。幸夫さんは誕生日翌日の2011年3月27日、秀子さんは同29日、市内の石巻西高体育館で遺体となって安置されているのを、登米市に嫁いだ長女及川寿美子さん(58)夫婦が見つけた。
◎七回忌に寄せて(9)手先器用な父、洋裁上手の母/及川寿美子さん(宮城県登米市)から菊地幸夫さん、秀子さんへ
 寿美子さん 造船会社に勤めていたお父さん。手先が器用で、私と兄が幼い頃は、木製のおもちゃをよく作ってくれました。お母さんは洋裁の仕事をしていて、私たちはもちろん、私の息子2人の洋服や学生服も縫ってくれました。津波でなくなった家の跡地に残っていたミシンは今、私の家にありますよ。
 お父さんは口数が少なく優しかった。「うんうん」と話を聞いてくれました。お母さんは明るく話し好きで、東松島市のコーラスグループに所属していました。お母さんが歌うステージを一度も聞きに行けず残念です。震災後、私も登米市の合唱団に入って歌っています。
 私は今、病院事務の仕事をしながら、夫と2人で油彩画に打ち込んでいます。私は小さい頃から絵が好きで、高校で油彩を学びました。お父さん、お母さん、私の絵を褒めてくれましたね。河北美術展に入選した時も喜んで見に来てくれました。10年の石巻市美術展で入賞した時が、2人が私の作品を見た最後になりました。
 震災前、月に1度か2度会いに行きましたが、もう少し頻繁に訪ね、話をしたり、裁縫を教えてもらったりすればよかったと思います。今も、野蒜に2人が居て、私たちを待っているような気がします。
 震災2日後、お父さんたちを捜しに夫と野蒜に行きました。あるはずの家がなく、がくぜんとしました。地獄のような光景に足がすくみました。がれきの中を捜して歩きました。2人の名前を呼びながら、避難所をいくつも回りました。声が震える私を避難所にいた被災者の方々が、励ましてくれました。
 あれから6年がたちます。悲しみは一向に消えることはありません。両親の最期をみとれなかった。それが残念でなりません。


警察と海保が震災不明者捜索
東日本大震災からまもなく6年になるのを前に、七ヶ浜町の海岸では、津波で行方不明になった人たちの手がかりを見つけようと、警察と海上保安部による合同の捜索が行われました。
七ヶ浜町で行われた9日の捜索には警察官と海上保安官あわせておよそ20人が参加し、はじめに全員で海に向かって黙とうをしました。
そして、塩釜警察署の横山裕署長が「行方不明者の発見は年々、困難になっているが任務を全うしてほしい」と呼びかけました。
このあと、合同の捜索が始まり、参加者は海岸に打ち上げられた漂流物を棒でかきわけるなどして行方不明者の手がかりを探していました。
東日本大震災により宮城・岩手・福島の被災3県では、2500人余りの行方がいまも分からなくなっていて、このうち宮城県の行方不明者はおよそ半数にあたる1231人となっています。
宮城海上保安部の庄司崇吾警備救難課長は「震災から6年となりますが、犠牲になった人を1人でも多く家族のもとへ帰すために捜索を続けていきたい」と話していました。


向洋高校全体保存の条例案可決
津波で被害を受けた校舎全体を保存することが決まった、気仙沼向洋高校について、保存や活用に必要な手続きを定めた条例案が気仙沼市議会で可決されました。
気仙沼向洋高校を巡って、市は、おととし、津波で4階まで水につかる被害をうけた3つの旧校舎のうち、特に被害の大きかった南側だけを保存する方針をいったん、決めました。
しかし、解体を始める前の去年12月、校舎を初めて一般に公開したところ、参加者から、「被災当時の姿をとどめる校舎全体を保存すべきだ」という意見が相次ぎ、市は方針を見直して、全体を保存することを決めました。
9日の市議会の本会議では、高校の旧校舎を「震災遺構」として保存するための条例案が全会一致で可決されました。
この条例は、校舎を今のまま保存し内部の見学ができるように建築基準法の適用を除外するもので、気仙沼市は、保存工事の設計を今月中に終えたうえで、ことし秋にも工事を始める方針です。
市は、震災の発生から6年がたち、風化が懸念されている中でその価値が高まっている校舎を、再来年の春までに公開したいとしています。


津波で流された思い出の品展示
東日本大震災の発生からまもなく6年となる中、仙台市では津波で流された思い出の品を持ち主に返すための展示会が9日から始まりました。
この展示会は、NPO法人が毎年この時期に開いているもので、がれきの中から見つかった写真や卒業アルバムなど、およそ16万点が集められています。
これらの思い出の品々は、ボランティアが一つ一つ、手作業で汚れなどを落として修復しました。
また、見つかった場所や、残されていた持ち主の名前などの情報はリストにまとめられ、探しやすいよう工夫されています。
ランドセルなどの比較的、大きな物も見つかっていますが、仙台市から保管場所を無償で提供されているほか、全国のボランティアの協力もあって、6年がたつ今も活動を継続できているということです。
宮城野区にあった自宅を津波で流されたという男性は、「63年分の思い出が全部流されてしまったので、家族の写真を見つけたいと思って来ました」と話していました。
NPO法人「おもいでかえる」の金谷竜真理事は「震災から6年となり、これまで気持ちの整理がつかなかった人も訪れるようになっています。1人でも多くの人に思い出の品を返せるよう活動を続けたい」と話しています。
この展示会は、10日と11日は休みですが、3月20日まで仙台市の若林区文化センターで開かれています。


復興の現状 陸前高田市
東日本大震災の発生から6年にあわせて、シリーズでお伝えしている「被災地・復興の現状」。
今回は陸前高田市です。
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市は、震災の関連死を含めた死者と行方不明者が1806人と岩手県内で最も多く、住宅の全半壊は4046棟に上りました。
岩手県が去年10月に公表した「社会資本の復旧・復興ロードマップ」によりますと、被災者の住宅再建のために整備されている2284区画の住宅地のうち、今年度末までに完成するのは全体の33.6%です。
陸前高田市では、東日本大震災の発生から6年となる今も2200人近くがみなし仮設を含む仮設住宅での生活を余儀なくされています。
災害公営住宅は11団地895戸が整備される計画で、今年度までに10団地835戸が完成する予定です。
去年7月には市の中心部のかさ上げ地に大型商業施設の建設が始まり、ことし4月に完成する見通しで併設する図書館も6月中に完成する予定です。
また、ことしは個人商店の建設が始まり、まちづくりが本格的にスタートします。
その一方、陸前高田市では、おととしの国勢調査で、人口が震災前に比べ15%以上減少するなど、人口流出が大きな問題となっていて、効果的な対策を打ち出せるかが課題となっています。


原発事故6年 住民の健康状態は
原発事故の影響で避難指示が出されるなどした福島第一原発周辺の市町村の住民について、県が健康状態を継続的に調べている調査で、生活習慣病のリスクがある人の割合が、年齢が高い層を中心に増加していることがわかりました。
専門家は、避難の長期化によるストレスが影響している可能性を指摘しています。
県は、原発事故のあと、避難指示が出されるなどした福島第一原発周辺の13の市町村の21万人あまりについて、健康を見守るため、県立医科大学に委託して健康状態を調べる調査を続けています。
このほど公表された昨年度の調査結果の速報によりますと、糖尿病予備軍の指標の1つとされるHbA1cの値が基準より高かった人の割合は増加傾向にあり、40歳以上65歳未満では14.9%、65歳以上では24.7%で、中でも65歳以上の高齢者はこれまでで最も高くなりました。
また、腎機能が低下している人の割合も40歳以上65歳未満で10.9%、65歳以上で34.4%といずれも最も高くなりました。
さらに、これまで減少傾向にあった、脳卒中や心筋梗塞などのリスクになる高血圧の割合は、初めて、40歳以上の男女ともに増加に転じました。
県立医科大学県民健康管理センターの神谷研二センター長は、「糖尿病予備軍や高血圧などの生活習慣病のリスクのある人の割合は依然多い。特に高齢者は避難生活の長期化や災害公営住宅などへの新たな引越しによるストレスが影響しているとみられ、セミナーを開くなどして改善に努めたい」と話しています。


<大震災6年>原発事故後の社会 もう後戻りはできない
 東京電力福島第1原発構内の高台から1〜4号機の傷跡を間近で一望した。高台は絶壁になっており、事故機がある敷地との高低差は25メートル。端の近くに立つと足がすくむ。
 この高低差こそ過酷な事故を招いた遠因だ。もともと海抜35メートルあった台地を、海運や利水などを考慮して削り、海抜10メートルの敷地を造成。さらに掘って建屋を設置した。
 結果として海抜14〜15メートルまで津波が駆け上がり、電源喪失、炉心溶融を招く。大量の地下水が建屋に流れ込み、汚染水を増やし続けている。
 東電は震災前、15メートル規模の津波に襲われる危険性を試算したが、防潮堤を高くする措置を怠った。慢心がもたらした災禍は、6年たってその深刻さを顕在化させている。
 膨らむ賠償や除染などの事故処理費は20兆円を超える試算がはじき出され、以前の見積もりから倍増。撮影された原子炉内部の状態からすると廃炉に要する費用がさらに膨らむのは必至だろう。
 福島県の県内外への避難者数は2月現在、ピーク時から半減したとはいえ約8万人に上る。避難指示が解除されても故郷を諦める人は多い。
 事故から1年もたたないうちに野田佳彦首相(当時)が事故の収束を宣言。事故の2年半後、東京五輪の招致で安倍晋三首相は汚染水について「状況はコントロールされている」と明言した。
 しかし、実態を知れば知るほど、解決への長い道のりを覚悟しなければならない思いに駆られる。6年はほんの序章でしかなかった。
 事故は原発産業にも大きな影を落とす。安全対策強化で建設コストがかさむようになった。名門企業・東芝は米国の事業で泥沼に陥っている。
 負の側面が目立つ原発。それでも、国内では老朽機を含め再稼働の動きが止まらない。事故が風化したわけではないはずなのに。
 一方、原子力政策は立ち往生している。象徴的なのは高レベル放射性廃棄物最終処分場問題だ。昨年内に「科学的有望地」を示すはずが、先送りした上、「有望地」の表現を見直す。各地での反発や混乱を懸念するからで、解決の難しさを浮き彫りにする。
 政界では原発推進か脱原発か、あるいは脱原発の時期をいつにすべきかをめぐって議論が続く。福島の事故現場が映す悲惨な現実を直視して方向を決めてほしい。
 かつて希望を抱かせた原子力は輝きを失った。エネルギー政策の大転換が必要だ。幸い再生可能エネルギーが育っている。本県でも太陽光のほか風力、地熱などで開発の動きが進み、海洋では波力の実用化が探られている。
 もう後戻りはできない。


大震災6年 上 笑顔は戻ったのだろうか
 6回目の春を迎えたが、どれほどの人たちに笑顔が戻っただろうか。
 東日本大震災から11日で6年になる。道路や鉄道の復旧率が90%を超えるなどインフラ整備は進みつつあるが、問われているのは、人のつながりであり、コミュニティーの再生である。
 津波やそれに伴う東京電力福島第1原発事故で被災し、今なお避難生活を余儀なくされている人は、12万3千人余りに上る。このうち、約4万人がプレハブの仮設住宅で暮らしている。
 明日への希望より不安が勝っている人が多いのは間違いない。たとえ衣食に不安はなくても、被災者の住まいが確保できなければ、真の復興とは言えまい。そうした人たちに、どこまでも寄り添っていくことが大事である。
 胸が痛むのは、仮設住宅で「孤独死」が続いていることだ。岩手、宮城、福島3県警によると、昨年は計28人が亡くなった。震災で助かったものの、誰にも看取られることなく、この世を去った人たちである。
 孤独死は、2011年3月の震災発生から昨年12月までの約6年間で、計230人を数える。うち6割に当たる134人が65歳以上だった。
 仮設住宅を巡っては、住宅の再建が進み、空室も目立ち始めている。残った住民の多くもまた65歳以上だ。
 こうした実態を踏まえ、行政だけでなく、警察や新聞配達員、弁当の配達業者、郵便局員らが見守りに一役買う動きが始まっている。
 お茶会といった集まりを増やすなど、孤独死を防ぐ取り組みによって、被災者同士の結び付きを強めていくことが重要である。
 仮設住宅などで暮らしてきた被災者向けの恒久的な賃貸物件である災害公営住宅も、課題を抱えている。
 3県の災害公営住宅は、65歳以上の入居者が40%を占める。孤立しやすい高齢者をどう支えるか。住民や行政のネットワークづくりが急務だ。
 一方、3県の仮設住宅で暮らす被災者のうち、千を超える世帯は新居が決まっていないという。
 自宅再建や賃貸物件への入居が経済的に難しいのが、主な理由である。仮設での暮らしが長期に及ぶ高齢世帯にとっては、再び生活環境が変わることへの抵抗感も少なからずある。
 だが、将来的には仮設住宅の解消は避けられない。新しい住居が決まらない被災者の自立をどう助けていくのか。受けられる支援などについて、自治体はしっかりと情報提供しなければならない。
 被災した海辺の町を歩くと分かる。空き地が広がり、高台へ住まいを移す人たちが多くなった。
 そこでも重要になってくるのは、被災者が支え合い、助け合っていくような地域のコミュニティーである。そうした人の絆を再び強めていくことが大切だ。


<震災6年>宮城知事「民間の力大いに活用」
 東日本大震災の発生から間もなく6年を迎える。人口減少や地域コミュニティーの崩壊、東京電力福島第1原発事故による復興の遅れや風評被害など、沿岸被災地が抱える課題は今なお多い。宮城県の村井嘉浩知事に復興の現状や今後の街づくりの在り方を聞いた。
◎宮城 村井嘉浩氏
 −震災から6年をどう受け止めるか。
 「インフラ整備は順調に進み、道路、漁港、学校などさまざまな施設が予定通り復旧復興を遂げた。土地の確保と住民の合意に時間がかかった災害公営住宅の整備は来年度中に98%に達する見込み。住宅の高台移転で、目指してきた命を守る街づくりも進んでいる」
 −被災者の心のケアなどソフト対策も重要だ。
 「被害の程度でハード事業に地域差があっても、ソフト事業に差が出てはならない。新たな課題として頭を悩ませているのは、災害公営住宅の新たなコミュニティーづくりだ。阪神大震災では孤独死の問題が顕在化した。市町村と連携したケアが欠かせない」
 −沿岸被災地で進む深刻な人口減少への対策は。
 「いかに雇用の場を確保するかが重要だ。働き場所があれば住民は地元に残る。三陸自動車道の整備で、仙台港や仙台空港に物が運びやすくなった。沿岸部に企業を誘致する条件は整った。沿岸部にこだわらずに、被災地から通える距離への企業誘致も進める」
 −東京電力福島第1原発事故による汚染廃棄物の処理は進んでいない。
 「国の基準(1キログラム当たり8000ベクレル)以下の廃棄物を処理しなければ、指定廃棄物の処理にたどり着かない。3期目の在任期間に解決したいが、残念ながら入り口で止まっている。基準以下の廃棄物を巡り各市町村が進める堆肥化やすき込みの状況を見守りたい」
 −県震災復興計画(2011〜20年度)は仕上げに入る。
 「国に頼ってばかりはいられない。18年度からの『発展期』は民間の力を大いに活用する方向に導き、税金を使わない復興への移行を図る。国の手厚い支援が途切れた後を見据えて小さな行政体に変え、税収を上げる努力を続けたい」
 −知事が考える「真の復興」とは何か。
 「被災者が誰一人として生活保護を受けることなく、自分で生活できるようになることだ。被災者を突き放すわけではないが、行政が何でも助ける時期は終わりつつある。自立を促すような施策が求められる」


<震災6年>岩手知事「寄り添う支援が必要」
 東日本大震災の発生から間もなく6年を迎える。人口減少や地域コミュニティーの崩壊、東京電力福島第1原発事故による復興の遅れや風評被害など、沿岸被災地が抱える課題は今なお多い。岩手県の達増拓也知事に復興の現状や今後の街づくりの在り方を聞いた。
◎岩手 達増拓也氏
 −震災から6年がたつ。復興の現状をどうみるか。
 「災害公営住宅は本年度末で約8割が完成する見込みだ。被災した病院や学校の再建や商店街の本格再建も進んだ。仮設住宅生活が続く被災者は1万3000人以上いる。体や心のケア、コミュニティー形成支援など一人一人に寄り添った伴走型支援が必要だ」
 「昨年8月の台風10号豪雨で、震災で被災したサケのふ化場や防潮堤などが再び被災し、復旧が遅れている。水産加工や観光業では人手不足がネック。水産物の販路喪失は深刻で、回復が難しい。サケやイカ、サンマの不漁も復興に悪影響を及ぼしている」
 −復興事業の減少を見据えた産業振興策は。
 「今は建設業に人手が集中しており、徐々に食産業や観光業へ誘導することが必要。経済構造をどう平準化するかが課題になる」
 「2018年6月に宮古−室蘭間のカーフェリーが就航し、19年には釜石市がラグビーワールドカップの開催地の一つになる。地域振興の好材料はある。交流人口の拡大を産業活性化に生かしたい」
 −沿岸から内陸に避難した被災者向けの災害公営住宅整備が本格化する。
 「盛岡市など一部では入居募集を始めた。他地域でも新年度の早い時期に開始する。住宅再建の方法を決めかねている人もいる。取り残される人がいないよう支援を続ける」
 −これまでの国の対応へ評価と今後の期待は。
 「閣僚が頻繁に被災地に入り、地元と国でハイレベルの意見交換をする機会が多い。現場を見ながら密接なやりとりができることは評価したい」
 「人手や予算の確保は期間を区切らず、実態に合わせてその都度確保するようにしてほしい。普段から大規模災害に備え、国民と情報を共有するような組織はあった方がいい」
 −三陸沿岸道路を地域振興にどう生かすか。
 「物流の活性化や港湾の利用促進、観光振興など大きな波及効果が期待される。市町村や関係者と共に道路を生かした新しい三陸のビジョンを描きたい」


<震災6年>福島知事「帰還に向け環境整備」
 東日本大震災の発生から間もなく6年を迎える。人口減少や地域コミュニティーの崩壊、東京電力福島第1原発事故による復興の遅れや風評被害など、沿岸被災地が抱える課題は今なお多い。福島県の内堀雅雄知事に復興の現状や今後の街づくりの在り方を聞いた。
◎福島 内堀雅雄氏
 −復興の現状をどうみるか。
 「JR常磐線の小高駅(南相馬市)以北が運行を再開するなど交通インフラの再生が進み、高度な治療を提供するふくしま国際医療科学センター(福島市)といった拠点施設の整備も着実に進展した。4月までに飯舘村、川俣町山木屋地区、浪江町、富岡町の避難指示解除も見込まれる」
 「今なお8万人近い県民が避難生活を送っている。第1原発の廃炉・汚染水対策、被災者の生活再建、帰還に向けた生活環境整備、産業再生、『風評と風化』という二つの逆風など、課題は山積している」
 −学校の再開を含め、避難指示解除後の自治体再生をどう後押しする。
 「市町村の意向を最大限に尊重し、2015年度に策定した避難地域12市町村の将来像の具現化に取り組む。帰還を決断できない方々が抱く生活環境などへの不安を払拭(ふつしょく)したい」
 「学校再開に関しては、県教委に昨年、支援チームを設置した。古里に根差し、特色ある学校になるよう国と連携して支援する。例えば、お笑い芸人の力を借りた飯舘村のユニークな教育は、県と吉本興業の包括連携がきっかけだ。魅力ある教育を実感してもらうようにしたい」
 −原発事故で避難した児童、生徒に対するいじめが相次いで表面化している。
 「福島の現状が正しく伝わっていないことや、放射線に対する正しい理解がないため偏見や差別が生じ、深刻ないじめに発展している。専用の相談ダイヤルによる受け付けなど、異変があれば早い段階で対応できるよう気を配っている」
 −東京五輪・パラリンピックを巡っては、国が対外的に復興を発信するため福島県を利用している印象も受ける。
 「五輪が開催される20年は原発事故から10年目の節目。復興の成果と課題の両方を世界に発信する。事前合宿の誘致や野球・ソフトボール競技の県内開催など五輪との関わりをつくりながら、県民が復興を実感し未来への希望を持てる機会とすることが大事だ」


避難指示解除 帰還の願いがかなうまで
 ■東日本大震災6年■
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11日で6年になる。今春には原発事故による避難指示の一部が解除されることになった。被災地の復興に向けて一歩前進と受け止めたい。
 とはいえ、住民生活や地域経済の再建など課題は山積する。原発の廃炉には最大40年かかるという厳しい現実を踏まえれば、今回の避難指示解除はまだ小さな一歩というべきなのかもしれない。
 ●「終着点」はまだ遠く
 避難指示が解除されるのは今月31日に福島県浪江町、川俣町、飯舘村、次いで来月1日に富岡町の計4町村だ。年間の積算放射線量によって3区分された避難指示のうち、放射線量が比較的低い「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」が解除される。
 原発事故で避難指示が出たのは11市町村で、除染の進展とともに2014年以降、段階的に解除されてきた。今回の措置で居住制限区域と避難指示解除準備区域は全て解除され、放射線量の高い「帰還困難区域」だけが残る。
 その帰還困難区域は計7市町村にまたがる。本格的除染は未着手だが、政府は区域内に「特定復興拠点」を設け、17年度から国費で集中的に除染して22年をめどに指示解除の方針を打ち出した。
 そう聞くと、あたかも原発事故からの復興が「終着点」に近づいていると錯覚しそうだ。しかし、それがまだ遠い未来の話であることを被災地の現実が物語る。
 ●取り戻せない「日常」
 日本記者クラブの取材団に加わって先月、第1原発と周辺地域を訪ねた。避難指示解除に向けて富岡町が昨年11月に先行オープンさせた公設民営の複合商業施設「さくらモールとみおか」をのぞくと、営業していた飲食・総菜の3店舗は復興作業に従事する人たちでにぎわっていた。
 富岡町は最大21・6メートルの津波と原発事故に見舞われた。6年も住民が消えた町では、避難指示解除と言われても、いきなり以前の日常が取り戻せるわけではない。
 町は原発事故で撤退した商業施設を買い取り、さくらモールとして改装した。先行営業の飲食・総菜店とホームセンターに加え、今月30日にはスーパーとドラッグストアも開店する。昨年10月に週3日診療で開所した町立診療所は4月から週5日診療に拡大する。金融機関の支店も来月にかけて再開するそうだ。町役場は今月6日、郡山市の仮庁舎から戻ってきた。
 それでも最低限の生活インフラでしかない。最新の復興庁の富岡町住民調査で「戻りたい」と回答した世帯は16%で、「戻らない」と答えた世帯は58%に達した。同じ調査で「戻りたい」は川俣町44%、飯舘村34%、浪江町18%だった。
 既に避難指示が解除された5市町村の住民帰還率も、対象区域が狭い田村市の72%を除くと、葛尾村9%、楢葉町11%、南相馬市14%、川内村21%にとどまる。
 ●子どもの声が戻るよう
 川内村の遠藤雄幸村長は「古里に戻るのがどうしてこんなに難しいのか。課題を一つクリアするたびに次の課題にぶつかる」と語る。6年もたてば住民は当然、避難先で定着し始めている。除染は進んだが、放射線量の高い地点は残る。炉心溶融(メルトダウン)を起こした原発の廃炉への道のりは遠く、子どもを抱える家庭の不安はとりわけ大きい。
 インフラ整備は急ピッチと映る富岡町も教育や福祉など課題はまだ多い。先行きが見通せない中で、住民が現時点で悩み考え抜いた末の帰還希望が16%だ。齊藤紀明副町長は「数字に一喜一憂せず、腰を据えて取り組む」と話す。
 さくらモールの総菜店でチーフを務める田中美奈子さん(71)は、家族で避難する福島県いわき市に自宅を新築した。ただし富岡町を見限ったわけではない。いわき市在住富岡町自治会の代表でもある田中さんには、事故前に住んでいた家と土地が富岡町にある。
 富岡町といわき市を毎日往復する田中さんは「いつか若い人たちが帰ってきて、子どもたちの声が聞こえる町に戻ってほしい」と願う。戻りたいけど、まだ戻れない−避難住民が抱く古里への複雑で切実な思いに寄り添って、被災地の復興を応援していきたい。



<震災6年>首相 福島第2廃炉は地元尊重
 安倍晋三首相は8日、河北新報などのインタビューで、福島県が求めている東京電力福島第2原発の廃炉について、事業者の東電が地元の意見を十分に尊重するべきだとの考えを明らかにした。
 −東日本大震災の復興をどう加速させるのか。
 「発災直後、がれきが延々と海まで続く街の姿、そこにあった住民の営みを思い、言葉を失った。あの衝撃を忘れてはならない。集中的な公共投資で復興は着実に進展した。東北の復興なくして日本の再生なし、という政権の基本姿勢にのっとり、必要なことは全てやり遂げる。切れ目のない被災者支援や住宅、産業の復興に力を入れる」
 −被災地では生活が厳しい家庭が多い。給付型奨学金に特別枠を設ける考えは。
 「被災地の未来は子どもたちであり、人材育成は極めて大事。確かに被災地では特別な困難に直面している子どもたちもいるだろう。被災地枠は、給付型奨学金の充実を図る観点から検討していきたい」
 −2020年東京五輪での「復興五輪」の定義は。
 「震災で多くの国や地域の支援を受けた。五輪は復興した姿を世界に発信し、支援への感謝を示す意義がある。復興の後押しになる機会でもある。海外の人が東北を訪れ、観光復興に寄与することは間違いない。風評被害も払拭(ふっしょく)できる。東北の食品を食べてもらい、世界に発信されることを期待している」
 −福島県が求めている福島第2原発の廃炉は政府が判断するべきではないか。
 「廃炉要望はよく承知している。福島の皆さんがそうした思いを抱くのは当然だ。東電は社会の意見や第1原発のバックアップ機能などの役割を含め、総合的に検討すると聞いている。福島の皆さんの声に真摯(しんし)に向き合った上で、判断するべきだと考える」
 −帰還困難区域の復興にどう取り組む。
 「たとえ長い年月がかかっても、全ての避難指示を解除し、復興に責任を持って取り組む。居住可能な地域を目指す復興拠点を設け、避難指示解除後の土地利用を想定した整備計画に基づき、除染とインフラ整備を一体的に実施する。引き続き国が前面に立つ」


<震災6年>首相「復興五輪」被災地の声反映
 安倍晋三首相は8日、東日本大震災の発生から6年を迎えるのを前に河北新報など宮城、岩手、福島3県の地元紙のインタビューに答えた。2020年東京五輪・パラリンピックの関連工事が被災地の復興を遅らせるとの懸念に対し「(復興関連工事は)五輪の建設需要の本格化前に多くの資材調達を終え、完成させたい」と述べ、今後の影響は少ないとの認識を示した。大会理念に掲げる「復興五輪」については「被災地の声を聞き、実現に取り組む」との決意を改めて強調した。
 安倍首相は、五輪関連工事による資材高騰などが復興に与える影響について「重要な課題と考えてきた」と指摘。来年春までに災害公営住宅や高台移転の工事が計画の9割以上完了する見通しを挙げ、五輪関連工事の需要が本格化する時期と重ならないと説明した。
 復興五輪の具体策として、聖火リレーや競技開催のほか、被災地でのイベント実施や地元の子どもを大会に招くことなどを挙げた。「大会で被災地の食材や木材を活用すれば、復興しつつある姿を世界に発信できる」との展望も語った。
 福島県や県議会が求める東京電力福島第2原発の廃炉については「原発事故の甚大な被害を考えれば当然の思いだ」と理解を示した。東電の対応に関し「地元の声に真摯(しんし)に向き合った上で(廃炉の可否を)判断するべきだ」と話した。
 さらに、福島第1原発事故による帰還困難区域の復興策を柱にした福島復興再生特別措置法改正案の今国会成立に意欲を見せ、「福島の復興再生に国が前面に立って取り組む」と語った。


<原発避難>集団訴訟の原告1万1400人超に
 東京電力福島第1原発事故の避難者が国と東電に慰謝料など損害賠償を求めている集団訴訟は少なくとも全国で27件に上り、原告は合わせて1万1400人を超えることが8日、各原告団などへの取材で分かった。事故から6年を迎えようとしてもなお、新たに訴訟に加わる避難者もいて、原告はさらに増える見通しだ。
 集団訴訟では全国初となる判決が17日、前橋地裁で言い渡される。東電の責任がどこまで追及されるのか、全国の避難者らが注視している。
 避難者らの集団訴訟は表の通り。少なくとも全国18カ所の地裁で争われている。うち福島地裁は支部を含めて8件で、原告は7800人を超える。東京地裁は3件。原告数は主要な避難先となった新潟、山形の両地裁の訴訟が福島に続いて多い。
 審理は長期化している。結審を迎えたのは前橋地裁(昨年10月31日)と千葉地裁(今年1月31日)の2件で、今月21日には福島地裁の1件が結審する見通しだ。
 訴訟はいずれも東電と国に対し、原発事故を招いた過失責任を問うとともに、避難や古里を奪われたことに対する精神的慰謝料を請求している。
 最多の3865人が訴えている福島地裁の訴訟で、原告側は「事故前の放射線量に戻せ」と主張。月額5万円の慰謝料と併せ、地域の原状回復を求めている。
 避難区域以外の福島市や郡山市などから自主避難した原告も多い。前橋地裁の訴訟は原告137人のうち61人が自主避難者で、低線量被ばくへの不安を訴え、避難の必要性や妥当性を主張している。
 一部の訴訟では現地検証が実施され、裁判官らが放射線量が高い帰還困難区域など福島県内の荒れた住宅地や農地などの状況を確認している。
 原発事故全国弁護団連絡会(東京)代表世話人の米倉勉弁護士は「(前橋地裁などで)原告にとって前向きな判決が出れば、訴訟に加わる人がさらに増える可能性がある」と指摘。「原告の主張が認められる裁判を積み重ね、原発事故被災者全体の賠償の在り方を見直すことにつなげたい」と話す。
 福島県によると、原発事故の避難者は約7万9000人で、避難先は県内、県外ともに約3万9000人余りとなっている。


<千葉すずと被災地>背中を押してあげたい
 かつて天才スイマーと呼ばれた少女がいた。仙台市出身の元競泳五輪代表、千葉(本名山本)すずさん(41)=奈良県在住=。世界に最も遠いと言われた女子自由形で、恵まれた体格を生かしたスケールの大きな泳ぎで世界の強豪と伍(ご)した。1992年バルセロナ、96年アトランタの両五輪に出場したが、メダルには縁がないまま引退。その後、マスコミの前から姿を消したが、結婚を経て子育てが一段落した3年ほど前に障害者向け水泳教室や講演活動を始めた。今、東日本大震災の被災地へ足を運び、古里にも心を寄せる。(聞き手は宮田建)
<なくなった田舎>
 <2011年3月11日、石巻市北上町十三浜吉浜の父健司さん(74)の実家は津波の被害に遭った>
 両親は今も仙台市にいる。吉浜に住んでいた、いとこの家族は留守で無事だった。集落はほとんどの家が失われ、父の同級生も大勢亡くなった。両親や宮城にいる2人の兄はすぐ駆け付けたが、私が行ったのは2年後の盆の墓参りだった。
 その時は家が改修されていたのに、昨夏に再び訪れると、災害危険区域になり取り壊されていた。子どもの頃によく行ったが、昔の集落が思い出せない。最初から何もなかったように見えた。
 ショックだった。初めて父の田舎がなくなったと実感した。父の帰る場所が跡形もなくなった。全てが奪われる意味が、この時初めて分かった気がした。
 さまざまなスポーツ選手が被災地に行き、被災者を励ました。大阪の友人に「すずも行かないといけないとちゃう?」と言われたが、「行っても何もできへん」と最初は行かなかった。
 何かしてあげたいと今も思うが、何ができるのか分からない。震災後、仙台市での水泳教室に招かれた。速く泳ぎたいという元気な人が多くて、自分の思いとのギャップを感じた。水泳でなくてもいい。ちょっと話をして、おじちゃんや子どもが元気になれば、それで私も幸せ。
 日本人は熱しやすく冷めやすい。五輪になれば普段水泳を見ない人まで「メダル、メダル」と大騒ぎする。震災への支援や報道もそう見える。自分が必要とされる時に、縁が生まれると思っている。
<障害者とともに>
 <小5の長男、小4の長女、小1の次男、6歳の次女と4児の母。次女が幼稚園に入ってから水泳教室や講演活動を始める>
 アトランタ五輪後に一度、現役を引退し留学先の米国で子どもに水泳を教えた経験が生きている。14年から毎年夏、大阪で子どもや障害者が健常者と一緒に学ぶ水泳教室で教えている。定員30人の半分が障害者。
 海外では障害者がファストフード店の店員などとして、どこででも普通に働き、同性愛のカップルがいちゃいちゃしている。私が練習したカナダのプールでも、盲導犬とやって来た少女が毎朝泳いでいる。全国大会も障害者が同じ会場、同じ日程でそれぞれのレースに臨み、代表合宿も一緒だった。
 「むっちゃ自然やん」と思って帰国すると、日本では障害者をほとんど見かけない。バリアフリー化が遅れていて、外出も大変。
 私の知名度で家から出てきて参加する障害者がいるなら、と講師を引き受けた。すると、水泳は初めてという女の子が来た。最初は浮くのがやっとだった脳性まひの彼女は私に褒められたい一心で練習し、3年目には泳いでいた。講演会では育児ノイローゼで家に引きこもっていた女性が、私の話を聞いて泣いていた。
 自分はこういうことがしたいんだと痛感した。背中をぽんと押さないといけない人をどうにかしてあげたい。それは被災者かもしれない。社会は変えられないけれど、プールの中なら何かできるんちゃうかな。
<次の目標掲げて>
 <連続2度出場した五輪でメダルを取れなかった>
 最初は純粋に五輪に出たい一心だった。それが15歳の時、世界選手権で銅メダルをまぐれで取って人生が狂ってしまった。周囲はメダルを期待するが、現役時代はずっと自信が持てず、取れると思ったことは一度もない。
 苦しい練習をしてきたんだから、五輪のメダルが欲しくないわけじゃないが、取れなくて良かったと今は思う。取っていたら人生が変わった。取れなかったから、次を目指して頑張るし、引退後も頑張れる。次の目標を掲げて努力することに意義がある。被災者もそうだと思う。これからの時間をどう生きるかですよ。
 本当に幸せなんだろうかと思うメダリストもいる。メダルは人生の目標ではない。生活が充実し、幸せなら人生は「勝ち」です。
[ちば・すず]本名山本すず。身長172センチ。10年に一人の大型スイマーと言われ、特にストロークは天性と称された。
 中学2年で日本選手権200メートル自由形初制覇。3年時に世界選手権400メートルで銅メダルに輝き五輪、世界選手権の女子自由形で日本人初のメダリストに。愛くるしい笑顔が「すずスマイル」と呼ばれ、日本競泳界のヒロインになった。
 高校卒業後、女子自由形の英雄ジャネット・エバンス(米国)を育てたバッド・マカリスター氏に師事。日本記録を幾度も塗り替え、25歳で引退するまで、日本女子競泳陣をけん引した。
 2000年シドニー五輪代表選考会で標準記録を突破し優勝したが、選ばれなかったため国際機関のスポーツ仲裁裁判所に、五輪出場と代表選考の明確な基準を求めて提訴。訴えは棄却されたが、選考基準の明確化、透明化に一石を投じた。


東日本大震災6年 宮城/「ポスト復興」鍵を握る連携
 1万を超す事業所が被災し、4万7000人が職を失った。宮城県内のなりわいが、未曽有の喪失を経験した日から間もなく6年。復興需要は縮小を続け、事業所の休廃業は再び増加に転じた。公的資金、金融措置、そして特需で苦境をしのいだ被災企業は今、厳しい競争原理にのみ込まれようとしている。
 冷酷な現実がある。
 帝国データバンクによると、この6年間で休廃業・解散した宮城の事業所数は約2500。このうち2016年は378件で4年ぶりに増加し、倒産数(92件)の4倍に上った。復興特需で利益を確保した企業が、一気に廃業に踏み切るケースも出ている。
 一方、倒産件数は低水準で推移する。企業の体力が回復したとみるのは早計だ。金融機関の返済猶予、利子減免など政策誘導で破綻を免れている企業は少なくない。ごく近い将来、返済は本格化する。
 疲弊した経営者が一段の決断を迫られる場面が増えるのは必至だろう。
 被災企業の経営状況は二極化している。施設・設備復旧費の最大75%の補助を得られるグループ化補助金。宮城では約4000社が活用し、約2500億円が交付された。
 東北経済産業局の昨年10月の調べでは、制度を利用し、売り上げを震災前の水準以上に戻した企業は45%にとどまる。回復要因は復興特需が最多の約3割。業種は建設業が8割を占め、震災で販路を断たれた「水産・食品加工業」は3割に満たなかった。
 被災地がいや応なく競争に巻き込まれているのは人材の確保だ。宮城の有効求人倍率は地域によって2倍を超す。多くの地元企業があおりを受け、人手不足で仕事を受注できなかったり、後継者難で事業を断念したりしている。
 悲観ばかりはしていられない。被災地の企業は地域の暮らし、雇用を支えてきた。事業継続は社会的責任でもある。被災地は人口減で需要が伸びる要素は少ない。利益拡大に執着すれば早晩、行き詰まるだろう。「ポスト復興」をどう描くか。鍵は連携だ。
 被災地では、国内外の企業がCSR(企業の社会的責任)の一環で復興支援を続けている。復興庁は大手企業と被災企業を結ぶ「結(ゆい)の場」事業を展開。宮城では地元企業66社、大手企業など228社が参加し、販路開拓などで一定の成果を挙げている。
 地域に眠る商品、技術、アイデアが外部の目で見いだされることは珍しくない。既存企業の価値を第三者の目で見つめ直す。その機会は幸い、被災地に優位性がある。
 なりわいの復興は地場の企業の安定を抜きには語れない。復興7年目に入る今、歩みの速度を緩め、身の丈に合った事業継承の戦略を描けないか。連携の糸を1本でも多く、長く張り巡らせる経済モデルがあるはずだ。前向きにオール被災地で考えたい。


3・11と原発避難者 支援の幕引きは早い
 政府は福島原発事故による避難指示を一部区域を除いて一斉解除する。故郷に帰るか、移住するのかを避難者に迫る。支援の幕引きなら早すぎる。
 原発事故のために横浜市に避難中の生徒が、同級生に飲食代など百五十万円を払わされるいじめが発覚したとき、村田弘さん(74)は自分を責めた。生徒は国の避難指示の区域外からの「自主避難者」で、同じ地域に住んでいたこともある子どもだったからだ。
 福島県南相馬市から避難した村田さんは「福島原発かながわ訴訟」の原告団長を務める。被害賠償などを求めて争う各地の集団訴訟でも、子どもがいじめられているという訴えを何度も耳にしていたが、向き合えていなかった。
◆いじめ許容する空気
 原発避難者へのいじめはその後も次々に発覚した。大人たちの避難者への無理解や差別、偏見が影を落としているのではないか。
 福島県内外に避難している人は約八万人、そのうち強制ではない自主避難者は約三万人いる。被ばくを避けようと自ら決めた避難だとみなされるために「いつまで避難するの」「放射能を気にしすぎ」と非難めいた言葉も投げ付けられている。避難者問題を早く片付けようとする国の姿勢がそのまま重なるようである。
 政府は東京五輪が開催される二〇二〇年から逆算するように今春、避難者政策を一気に終わらせようとしている。居住制限区域や帰還困難区域の一部の計三万二千人の避難を解除し、賠償も来春に終える。
 福島県では各地の自主避難者に対し、公営や民間の物件を仮設住宅とみなして無償提供を続けてきたが、政府方針に歩調を合わせるように今月末で打ち切る。
◆消されていく存在
 原発事故によって生活を壊されたのは同じでも、自主避難者には月十万円の精神的賠償もない。文字通り“命綱”だった住まいからも退去を迫られ、経済的事情から地元に帰った人は少なくない。
 住宅の無償提供にかかるのは年間約八十億円。除染に兆単位の復興予算がつぎ込まれていることを思えば過大な額ではないはずだが、国が決めた避難者がいなくなるのだから、自主避難者に支援する理由はなくなるという判断か。問題の根本は、原発事故という避難原因をつくりながら住宅ひとつ、避難者救済に関与しない国の無責任さにある。原発は国策だ。
 納得できないのは、避難指示解除を通告された住民も同じだ。放射線量の避難解除基準は、事故時に「緊急時」を理由に設定された年間二〇ミリシーベルトのまま。「大丈夫」と安全を押しつけられても、被ばくリスクを甘受するいわれはない。
 汚染土を詰めた袋が山積みになった故郷に帰還を促す。帰還しないなら移住の決断を迫る。原発避難者という存在は、こうして見えない存在にさせられていく。避難先から追われている自主避難者はすべての避難者の明日の姿だ。
 事故から六年という人為的区切りの後はもう、生活再建を自己責任に任せるというのでは、避難者は追い詰められるばかりだ。最悪の場合、自殺を選びかねない−。原発避難者の心の状態を調べてきた早稲田大学教授の辻内琢也さんはこう警告する。支援が乏しい自主避難者は、帰還のめどがたたない帰還困難区域の人とともに強いストレスを感じていた。
 原発事故によって被災者は人生や生活を奪われただけに終わらず、加害者である国や東京電力が主導する帰還や賠償の政策にも苦しめられている。辻内さんはこの状態を「構造的暴力」と呼ぶ。そこには当然、差別やいじめを醸成する社会の空気もある。賠償の一部を電気料金に上乗せして回収するという議論は、その反発が被災者にはね返りかねない象徴的口実ではないか。「基地建設に反対する沖縄県民に向けられるような直接的暴力はなくても、真綿で首を絞められるような息苦しさがある」と村田さんは言う。
 すでに避難解除した楢葉町などでも肝心の住民は一割程度しか帰っていない。賠償の打ち切りと一体となった解除には懸念する声の方が強いのである。
◆帰還か移住かでなく
 幼い子や学齢期の子たちの将来が見通せるようになるには、最低でもまだ十年はかかるだろう。
 原点に戻ろう。避難の権利を認めた「子ども・被災者支援法」に基づいて、故郷に帰る人にも、避難を続ける人にも支援を続ける。従来の「みなし仮設住宅」を「みなし復興住宅」に変えて認める中間的制度をつくることも、孤立死を防ぐと辻内さんは提案する。
 原発災害は長く続く。復興の掛け声の下で避難解除を優先し、少数派の避難者を切り捨てていくようでは、“棄民”政策だというそしりは免れない。 


忘れない
 「歌う尼さん」から便りが届いた。龍谷大出身の僧侶でシンガー・ソングライター、やなせななさん(41)。東北の被災地をはじめ各地で公演を続けていると、近況を知らせてくれた▼深く、穏やかな歌声で人を包み、生きることの困難と喜びをともにする。命を主題にしたライブは、けれども被災地では必ずしも受け入れられなかった。「亡き人を思い出してつらい」と▼1万5893人。東日本大震災で亡くなった人の数だ。今も2554人の行方が分かっていない。帰り来ぬ人を思い続けている家族や友人は、その何倍になることか▼大切な人を失った後、ふと枕元にその人の姿が見えたり、風の中に声が聞こえたりといった経験をすることがある。そんな不思議な、魂との「交流」のもたらす癒やしが被災地で注目されている▼気のせいと思う半面、誰かに聞いてもらいたい−。人にはそういう気持ちがあるようだと、現地で活動するこころの専門家から聞いた。語ることで、大切な人がこの世を生きた証しをともに分かち合えるから▼やなせさんは人々の喪失感に向き合い、そのことをライブで語るようになって初めて自分の歌が受け入れられたと感じたという。あなたのことも、あなたの大切な人のことも忘れない。そのメッセージが人を勇気づける。

自主避難者/生活再建へ柔軟な支援を
 福島第1原発事故で、避難指示区域外から自主避難した人たちを対象にした国と福島県による公営住宅の無償提供が、3月末で打ち切られる。全国では約1万世帯、兵庫でも、神戸を含む6市などに避難した約30世帯90人が対象になる。
 現在の住まいから退去する人や家賃が発生する人がいる。避難生活の長期化による精神的、経済的な負担に追い打ちをかけることになる。
 兵庫県内では独自の制度で実質的に無償提供を続ける自治体もあるが、ごく一部だ。全国的には無償提供の延長や、引っ越し費用の補助や就職支援などの支援に取り組む自治体もある。目の前にいる避難者への柔軟な対応を望みたい。
 自治体の対応が分かれる背景には、除染が進み放射線量が低減したとして、「帰還政策」を進める国の姿勢がある。福島県も家賃補助など県内へ戻る住民への支援策を打ち出す。だが一方的な方針には、古里へ戻れない避難者の実情に目を向けていないとの批判がある。
 福島県から避難する小貫ちかこさんは、6歳の娘と神戸市内の市営住宅で暮らす。家族で話し合い、福島に残る夫との二重生活を4月以降も続ける決断をした。自宅周辺は除染作業が遅れ、低線量被ばくの影響も科学的に明らかになっていない。「子どもに影響が出るかもしれない状況では、帰りたくても帰れない。悩みは何も変わらないまま時間だけが過ぎていく」と話す。
 2012年に議員立法で成立した「子ども・被災者支援法」は、避難しても支援が受けられる権利を認めたが、具体的な支援策は乏しい。「新たに避難する状況にはない」とした国の方針改定も「必要のない避難をしている」との誤解を生んだ。
 避難者の調査などに取り組む神戸親和女子大の戸田典樹教授(60)は「帰還後も避難をしたことを隠しながら生活する人は多い。住民同士の『分断』で、精神的な負担を強いられている」と指摘する。
 自主避難した子どもたちへのいじめも相次ぐ。大人の無理解な言動が、子どもにまで及ぶ現状は深刻だ。
 親の介護や経済的な事情で帰還せざるを得ない人もいるが、避難者は国の原発政策が招いた被害者と捉えるべきである。国には生活再建に向け、個別の事情に応じた支援に継続的に取り組む責任がある。


<東北新幹線>開業35年 レール交換
 1982年の開業から35年になった東北新幹線で、大宮駅(さいたま市)以北のレール交換が2月から始まり、JR東日本は9日未明、茨城県古河市の大宮―小山間で、新しく導入したレール積み降ろし車両(12両編成)を使った作業の様子を報道陣に公開した。
 この日は、積み降ろし車両で1本150m、約9トンある交換用レールを6本運び、車両に付いたアームを使いながら元のレール脇に並べた後、継ぎ目を溶接した。4日間のサイクルで750mを新調しているという。
 東京―大宮間は2008年3月までにレール交換が終了した。


国際女性デー/根強い性差別を見直そう
 世界で多発するテロや紛争、広がる経済格差によって、多くの女性が貧困や暴力に苦しんでいる。
 国連は女性の権利保護と世界平和を目指し、3月8日を「国際女性デー」と定めた。しかし制定から40年余りが過ぎた今も実現への道筋は見えない。国際社会が協力して性差別のない社会へ前進したい。
 2030年までに1日1・25ドル未満で暮らす極度の貧困や飢餓を撲滅する。教育の保障や女性差別を撤廃する。そんな目標を掲げた「持続可能な開発目標」が、15年の国連サミットで採択された。
 だが、昨年の米国務省のテロに関する報告書によれば、15年の拉致や誘拐の被害者は約3割増え、約1万2千人に上った。過激派組織「イスラム国」(IS)が人身売買や性的搾取のために女性や子どもの拉致を繰り返したのが要因という。
 ナイジェリアではイスラム過激派が学校から多数の女子生徒を拉致し、大半は行方が分からない。インドでは結婚時に女性側の家族が多額の金品を貢ぐ慣習が根強く残る。
 世界の不安定化に伴い、女性への暴力や人権侵害は深刻さを増している。こうした現状を変えるには、女性が力をつけ、声を上げ続けねばならない。そのために教育が果たす役割は大きい。
 15年には15〜24歳の識字率は9割に上がった。しかし、今も約7億人が読み書きができないと推定される。その6割以上は女性だ。すべての子どもが教育を受けられるよう、国際社会が途上国の教育環境の整備を後押ししたい。
 一方、先進国でも女性の権利の保護や男女間格差の解消は十分とは言えない。政治や経済活動で女性の参加は増えているものの、政策決定の場や採用、昇進、賃金などで男性優位の状況は変わっていない。
 特に日本は後れが目立つ。国会への女性進出は日本は193カ国中163位で、世界でも低水準だ。女性の管理職比率は低く、男女間の賃金格差も縮小していない。
 女性への暴力も後を絶たない。一昨年の家庭内暴力(DV)の被害は6万件を超え、最多を更新した。深刻な子どもの貧困は、母子家庭など女性の貧困の問題と重なる。
 根強い性差別的な制度や慣習を見直すために、日本でも一人一人が意識と行動を変えていきたい。


「女性いない日」全米抗議 大統領へ抵抗訴え
 【ニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルス共同】トランプ米大統領の女性や移民に対する姿勢が差別的だとして抗議する行進や集会が8日、全米各地で行われた。1月の大統領就任式翌日に抗議活動を展開した活動家らが、国際女性デーに合わせて「女性がいない日」と銘打ち、ゼネストを呼び掛けた。AP通信によると、女性の欠勤により一部の学校で授業ができなくなったり、裁判所が閉鎖されたりした。
 ニューヨークの広場では、赤いシャツを着た女性ら数千人が「性差別を追放せよ」などと書かれたプラカードを掲げた。道路を封鎖しようとして座り込んだ約10人が警察に拘束された。


<慰安婦少女像>欧州初 ドイツに設置
 【ソウル共同】聯合ニュースによると、ドイツ南部バイエルン州の公園で現地時間の8日、旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像の除幕式が行われた。欧州での少女像設置は初めてという。像は当初、韓国・水原市が姉妹都市の南西部フライブルク市に設置を持ち掛けたが、同じく姉妹都市の松山市が反対し頓挫、今回の公園に場所を移した。
 聯合によると、像の設置は韓国市民団体やドイツ在住の韓国系住民らが主導。像の脇に設置された説明文には、韓国語とドイツ語で「非人間的な戦争犯罪で犠牲になった方々を尊ぶ」ためのものと記されている。
 除幕式は8日の「国際女性デー」に合わせて行われた。


<おんぶ政務官>今度は「長靴業界もうかった」
 務台俊介内閣府政務官は8日夜、岩手県の台風被害の被災地を昨年9月に視察した際、長靴を持参せず、職員に背負われて水たまりを渡った自らの対応に関し「たぶん長靴業界は、だいぶ、もうかったんじゃないか」と述べた。「その後、政府が持つ長靴が、えらい整備されたと聞いている」と前置きしての発言。軽率だとの指摘を受ける可能性がある。
 東京都内で開いた自身の政治資金パーティーのあいさつの中で、当時批判が相次いだことを踏まえ「一挙手一投足、細心の注意を払っていかないといけないと思った」とも語った。
 当時の務台氏の行動を巡っては「被災者の心情への配慮に欠ける」との声が噴出した。務台氏が「大いに反省している。(長靴を)持参しなかったことも反省している」などと陳謝。政府は「不適切だった」とする答弁書を閣議決定した。


軍事と科学研究 やはり一線画すべきだ
 科学者と軍事研究の関係がどうあるべきかを議論してきた日本学術会議の検討委員会は、軍事研究を禁じるこれまでの基本方針を継承する声明案をまとめた。
 拘束力はないとはいえ、軍事研究と一線を画す姿勢をはっきり示したことは、学問の自由を守る意味でも大きな意義を持つ。
 北大など複数の大学では既に、軍事技術に応用できる基礎研究に防衛省が助成する安全保障技術研究推進制度や、米軍資金を活用した研究が行われている。
 学術会議は戦時中に軍事協力した反省から、過去2度にわたり「軍事目的の研究を行わない」との声明を出してきた。その原点が再確認されたことになる。
 各大学はそれを踏まえ、軍事関連の資金を排除する姿勢を明確に打ち出すべきだ。
 声明案は、従来の声明継承を強調し、「軍事的安全保障研究」が学術の健全な発展と緊張関係にあるとして、軍事研究を改めて拒否した。防衛省の制度も政府介入が著しく、問題が多いと指摘した。
 廃止や応募禁止まで踏み込まなかったのは、軍事研究と民生研究の区別が難しいことや、自衛目的の研究は認められるべきだ―などの声に配慮したのだろう。
 確かに、軍事研究が民生技術や産業振興に役立つ例は少なくない。しかし、民生にも役立つから軍事研究が認められる、ということにはなるまい。自衛の研究も使い方によって攻撃に転用される。
 ならば、軍事研究かどうかは、研究資金の「出どころ」で判断するしかあるまい。
 声明案は大学に、軍事的安全保障研究の適切性を審査する制度を設けるよう求めた。学術会議の理念を踏まえた判断を期待したい。
 気になるのは、この10年間で米軍から、8億8千万円の研究資金が大学などに提供されていることだ。研究対象が比較的自由で研究成果も公開が前提だという。
 だが、成果が米軍に利用されることを忘れてはならない。米軍の研究費を巡っても、声明案が尊重される必要がある。
 科学技術研究費のあり方が問題になるのは、国立大へ渡される運営交付金が法人化された2004年度以降、10%以上減らされるなど、研究費不足が背景にある。
 その一方、17年度予算案では、安全保障技術研究推進制度の予算が110億円に膨れ上がった。
 重要なのは軍事研究費の増額ではない。政府はその分を基礎研究費の増額に充てるべきだ。


学術会議声明案  軍事研究への歯止めに
 大学の研究者らに研究費を給付する防衛省の公募制度は、政府の介入が著しく、問題が多い−。
 そんな内容の新声明案を日本の科学者を代表する組織・日本学術会議がまとめた。国が防衛力強化策の一環として進める同制度に対し、学問の自由の観点から待ったをかけた形だ。
 制度の廃止や応募の禁止までは求めておらず、効果は限定的との見方もあるが、軍学共同の流れがなし崩しで進むなか、過去の戦争協力への反省から「軍事研究をしない」ことを掲げた1950年と67年の声明を改めて「継承する」とした意義は小さくない。声明案は4月の総会で採決される。大学や研究機関は趣旨を生かし、軍事研究の歯止めにしてほしい。
 学術会議は防衛省が2015年から大学研究者らを対象に軍事応用できる基礎研究に助成する公募制度を始めたのを機に、同制度への対応や声明の見直しについて検討委員会で議論してきた。
 軍事研究を巡っては、日本の大学や公的機関の研究者が長年にわたり米軍から多額の研究費の提供を受けてきた実態も明らかになっている。過去の声明の空洞化が進むなか、「自衛目的にかなう研究なら問題ない」との意見も検討委で出たが、声明案は事実上の軍事研究の禁止方針を打ち出した。
 防衛省の公募制度は研究の進展などを細かくチェックされ、秘密保持などを理由に学内に大学側の関与できない聖域が作られかねない。そんな事態を学問の自由や大学の自治の観点から避けたかったと検討委の杉田敦委員長は考えたという。その姿勢を支持したい。
 問題は声明案を受けて大学側がどう対応するかだ。事前に共同通信が全国95大学を対象に実施したアンケートでは、約4割が過去の声明を「堅持すべき」とし、従来の方針を変更してもよいとした大学はなかった。
 ただ防衛省の公募制度に対する内規や方針を持つ大学は2割にとどまる。軍事研究の定義や非軍事研究との線引きの難しさはあるが、声明案の趣旨を生かし、各大学で十分議論を深め、方針作りに生かしてもらいたい。
 安倍政権は13年の国家安全保障戦略で軍民両用の技術開発に「産学官の力を結集させる」方針を打ち出した。防衛省の公募制度はその一環で、武器輸出三原則の撤廃や集団的自衛権の行使容認などと一体の流れにある。学術・研究が軍事にからめ捕られた歴史を繰り返してはならない。


「政府の介入」を問題視/軍事研究に関する声明案
 安全保障と学術の関係について審議してきた日本学術会議の検討委員会は、過去の戦争協力への反省から「軍事研究を行わない」とした1950年と67年の声明を継承する新たな声明案をまとめた。4月の学術会議総会で可決されれば、50年ぶりの軍事研究に関する声明となる。
 大学や研究機関に対し外部から、研究の「軍事化」を促すような動きがこのところ強まっている。防衛省は2015年度に「安全保障技術研究推進制度」を創設し、大学の研究者らを対象に装備開発にもつながる基礎研究の公募を始めた。
 予算は初年度3億円だったが、16年度は6億円、17年度は110億円に拡大する。1件あたり5年で数億〜数十億円という大規模な研究にも対応できる。国立大の運営費交付金が削減されるなど基礎研究費の不足は深刻で、公募制度に魅力を感じる研究者が増える可能性がある。
 しかし、新声明案は「学術研究は政府によって制約されたり動員されたりすることがあり、研究の自主性・自律性・公開性が担保されなければならない」と強調。その上で防衛省の公募制度に「研究の進捗(しんちょく)管理などで政府による介入が著しく、問題が多い」などと懸念を示した。科学者らが安易に応募しないよう一定の歯止めをかけるのが狙いのようだ。
 強制力がない上に、制度の廃止や応募の禁止までは求めていないため、どの程度効果があるのかは今のところ不透明ではあるが、大学や研究機関が軍事研究に関して判断する際の一つの指針となることは間違いない。
 一方、米軍はかなり以前から日本の研究者に資金を提供してきた。全体像は不明だが、07年から10年間の総額は少なくとも8億8千万円に上る。慢性的な研究費不足で、研究者側も抵抗感が弱まっているのかもしれない。
 大学の社会的責任は何よりも、若者を育て、学術を発展させることにある。それには「学問の自由」が欠かせない。その自由を妨げる性格を軍事研究は本来持っている。
 そもそも秘密が絡む軍事研究が大学などに持ち込まれることは弊害を伴う。科学の発展に不可欠な研究の自由や公開を妨げる恐れがあるからだ。学術会議は今後も軍事研究について問題提起をし、さらに議論を深めていく必要があるだろう。


軍事研究 歯止め、さらに議論を
 科学研究の軍事への関与がなし崩しに進む現状をどう止めるか。国内の科学者を代表する機関である日本学術会議の検討委員会が示した姿勢は、一定の歯止めになり得るだろう。
 新たな声明案として4月の総会に諮る。戦争に科学が動員された反省から、軍事目的の研究は行わないと宣言した戦後2度の声明を「継承する」と記した。
 「堅持する」といった強い表現はせず、軍事研究を禁じる文言も明記していない。過去の声明より後退し、軍事研究を容認する余地を残したと懸念する声もある。
 とはいえ、研究の自主性や公開性の確保を重視し、資金の出所やその目的について、大学や研究機関が慎重に判断するよう求めている。軍事への関与に厳しい制約を課したと見るべきだろう。
 議論の焦点になったのは、防衛省の研究公募制度に応じることの是非だ。武器などの装備に活用できる基礎技術の発掘、育成を目的に2015年度から始まった。
 基礎研究であれば軍事研究にあたらないなどとして許容する意見が研究者の間にある。声明案は、装備開発の目的は明確で、進行管理などに政府の介入が著しいと指摘。応募を禁止しなかったものの「問題が多い」とした。
 その上で、大学や研究機関に、研究が適切か審査する制度を設けるよう提言している。学会が指針を定めることも求めた。
 声明案がどう具体化されるかは、大学や研究機関の主体的な判断にかかってくる。それぞれが姿勢を明確にし、説明する責任を果たさなくてはならない。
 応募を見合わせることを既に決めた大学も、信州大を含め各地にある。学問の自由を守る基本姿勢を再確認し、軍事と一線を画する動きがさらに広がってほしい。
 学術会議は、戦争を目的とする研究を絶対に行わない決意を1950年に続き67年の声明で再び表明した。けれども、その後半世紀近く、軍事研究について議論はほとんどなかった。それが軍学の接近が進む状況にもつながった。
 積極的に加担しないだけでなく、研究成果が軍事目的で利用されるのをどう防ぐか。研究者、科学界は常に目を向け、考えていく責任がある。声明を出せば問題が決着するわけではない。
 歯止めをより確かなものにするには、さらに議論を続けなければならない。学術会議や大学、学会は市民が加わる場を設け、科学研究のあり方を広く社会で話し合っていくべきだ。


【科学と倫理】戦前の轍を踏まぬ契機に
 日本学術会議の検討委員会が、大学の科学者らに研究費を助成する防衛省の公募制度について、学術の健全な発展の見地から「政府の介入が著しく、問題が多い」などと指摘する声明案をまとめた。
 1950年と67年に発表した「軍事研究をしない」と強調した声明の基本方針を「継承」する内容で、4月の総会で採決される見通しだ。
 過去2回の声明は、日本の学術界が太平洋戦争に加担した反省に立っている。不戦の誓いは、戦後の科学研究の出発点といえる。
 学術会議がほぼ50年ぶりに声明の見直し議論を始めたのは、改めて原点を確認する必要に迫られたからにほかならない。
 防衛省は2015年度、軍事に応用できる基礎研究に研究費を出す公募制度を設けた。当初、3億円だった予算額は17年度、110億円にまで膨らむ見通しだ。
 防衛省だけではない。米軍も日本の大学の研究者に対し、多額の研究資金を提供してきたことが分かっている。
 こうした動きは、大学や研究者の研究費不足と無縁ではない。文部科学省が大学への運営費交付金を削減する一方で、防衛省と米軍が軍事的資金をちらつかせる。研究者が「背に腹は代えられぬ」と考えかねない状況だ。
 共同通信が実施した大学アンケートでは、4割が「軍学分離」の声明を「堅持すべきだ」としたものの、残り6割は明確な態度を示さなかった。価値観の揺らぎの大きさを表していよう。
 新たな声明案は、学術研究が政府によって制約されたり動員されたりする恐れを指摘し「研究の自主性・自律性・公開性」の重要さを強調する。防衛省の公募制度の廃止や応募の禁止を求めてはいないものの、批判を込めた格好だ。
 だが、賛否双方の意見に配慮したため、明確さを欠いたことは否めまい。応募の動きに対する歯止めをかける狙いだが、現状の追認と読み取れなくもない。追認を重ねれば「軍学共同」がより進みかねないのではないか。
 資金の出どころのほか、何が「軍事研究」に当たるのかという、過去の声明から積み残してきた課題もそのままといってよい。
 科学技術には民生用、軍事用のいずれにも応用できるものがある。インターネットや衛星利用測位システム(GPS)ももともとは軍事技術として開発された。逆に民生用として開発した場合でも、科学者の意図と関係なく軍事に応用されることもありうる。
 声明案は軍事につながる可能性がある研究に関し、大学による倫理面の審査制度を設けるべきだとした。むろん、自己検証による慎重な対応が求められよう。
 ただ、学術界全体として戦前と同じ轍(てつ)を踏まないためには、軍事との距離を保つ意識が常に問われよう。議論をその契機としたい。


疑惑続出の森友学園 真相究明へ関係者の国会招致を
 国有地の格安売却、小学校設置認可申請を巡る虚偽報告、政治家の関与…。大阪市の学校法人「森友学園」を巡って、疑惑が続々と浮上している。学園の籠池泰典理事長をはじめ関係者を速やかに国会招致し、真相を究明しなければならない。
 国会で論戦が続いているが、国有地払い下げを巡る不透明な交渉の経緯はいまだ明確にされていない。この状況下、16日にも大阪府私立学校審議会(私学審)で小学校の設置認可の是非が討議される。疑念が晴らされない限り認可は容認できない。
 認可申請については、学園側の「虚偽」と受け取らざるを得ない報告が次々明らかになっている。校舎と体育館の建築費に関して、認可権を持つ府には7億5600万円、補助金の算定をする国に対しては23億8400万円、さらに関西エアポートからの補助金を申請するに当たって15億5千万円と、それぞれ契約書に記載。いずれも同じ日付で金額が大きく違っており、到底理解できない。
 多額の補助金を受け取るための水増しなら詐欺となり刑事罰を免れまい。府へ安く見積もって提出したのなら、財務状況を健全に見せかけた疑いがあり、教育機関として問題がある。
 愛知県の私立校への推薦入学枠を確保したとの虚偽の報告や教員名簿への公立小男性教員の名前の無断記載、さらに理事長の経歴詐称の可能性も指摘されている。これでは4億円を超える寄付金や、入学予定者が70人以上いるとの報告も信じ難い。安定的に運営できないようなら被害者となるのは児童だ。
 国有地払い下げでは、財務省近畿財務局が地中のごみの撤去費用として8億2千万円を値引きして売却したが、算定根拠は不明。「時間がなかったため」専門業者でなく、土地を保有していた国土交通省大阪航空局が見積もるなど異例の手続きで、財務省は交渉記録を破棄したという。ずさんかつ不自然で、納得できない。
 政治家の関与が疑われている点も見過ごせない。理事長は鴻池祥肇元防災担当相に接触、交渉に便宜を図るよう持ちかけていた。鴻池氏は関与を否定するが、事務所の面談記録などによると土地取引に関する学園の要望が次々実現しており、不可解だ。口利きの有無を、国会は徹底調査しなければならない。
 学園運営の幼稚園では「安倍首相頑張れ」「安保法制国会通過良かったです」と運動会で園児に唱えさせていた。特定政党を支持する活動を禁じる教育基本法に明らかに違反している。
 小学校建設では「安倍晋三記念小学校」の触れ込みで寄付を募り、首相の夫人昭恵さんが名誉校長を務めていた。理事長も首相も鴻池氏も松井一郎府知事も、改憲を主張する保守系団体「日本会議」のメンバー。首相は火の粉を振り払うのに躍起だが、自らの影響下で異常事態が進行している事実は重い。率先して解明に尽くすのが当然だ。


森友学園 600人、首相官邸前で抗議集会
 森友学園の問題を巡り、市民団体の呼びかけに応じた約600人(主催者発表)が9日、東京・永田町の首相官邸前で抗議集会を開いた。
 安全保障関連法の廃止を求めている「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催。野党国会議員やNGO関係者らがマイクを握り「籠池泰典理事長を国会に参考人招致すべきだ」などと呼びかけた。
 参加者は「森友疑惑 徹底究明を」と記したプラカードを掲げ「疑惑の隠蔽(いんぺい)は許さない」「国有財産を私物化するな」などとシュプレヒコールを上げた。【高橋昌紀】


渡辺麻友ドラマが男性器を「きりたんぽ」と表現して問題に…“戦犯”は秋元康なのに、テレ朝に責任押し付け?
 昨年10月、欅坂46の衣装がナチスの軍服に酷似しているとして、ユダヤ系人権団体であるサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)などが強く抗議。欅坂の所属レコード会社であるソニーミュージックと総合プロデューサーの秋元康氏がそれぞれ謝罪コメントを出す事態になった騒動は記憶に新しい。
 あれからまだ半年も経っていないが、早くも再び秋元氏の関わるコンテンツで大騒動が巻き起こった。来月から放送される予定の連続ドラマ『サヨナラ、きりたんぽ』(テレビ朝日)のタイトルに関して秋田県から抗議があり、放送を前にして改題することになったのだ。
 この『サヨナラ、きりたんぽ』は、AKB48の渡辺麻友が主演を務めることで話題を集めていたが、ドラマの企画と原作が秋元康氏なのだ。内容は1話完結形式で、自分に言い寄ってくるダメな男(妻帯者だったり、酒乱だったり、DVの気があったりと、その“ダメ”のバリエーションは回ごとに変わる)に、渡辺演じる主人公が復讐していくというもの。
 このドラマの宣伝に際しては、交際していた男性を殺害したうえ男性器を切り取って逃走した「阿部定事件」をモチーフにしたものだとアピールしており、渡辺自身も「お話をいただいた時は驚きました。あの衝撃的な事件、阿部定事件がドラマ化? 私が平成の阿部定!? 今まで演じた事のない役柄です! 私自身も大きな挑戦となります」と、コメントを寄せていた。
 こういったセンセーショナルな宣伝を展開しているドラマのタイトルに「きりたんぽ」という地元の名産品が据えられていることに対し、秋田県はタイトルの変更と、きりたんぽを男性器に見立てるかたちで劇中に入れないよう申し入れ、テレビ朝日側はそれを受け入れた。テレビ朝日広報部は「秋田県から指摘をいただくなどしたため、総合的に判断して番組タイトルを変更することと致しました。放送前とはいえ、秋田県の皆様にご不快な思いを与えてしまい、申し訳ありませんでした」と声明を出している。
 その結果、現在ドラマの公式ホームページからは『サヨナラ、きりたんぽ』の文字は消えて「タイトル未定」に、また、ドラマの内容を記す部分から「阿部定」の文字も消えている。
 何とも脱力させられてしまう騒動だが、これはある意味、企画・原作の秋元康氏の体質がモロに出たともいえるだろう。
 周知のように、約1年前にも、秋元氏がプロデュースするアイドルグループのコンテンツに関して炎上騒動が起きている。昨年4月にリリースされた、HKT48のシングル「74億分の1の君へ」に収録されているカップリング曲「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞が「女性蔑視である」として批判が殺到したのだ。その歌詞とはこのようなものであった。
〈難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい 二足歩行が楽だし ふわり軽く風船みたいに生きたいんだ〉
〈女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい〉
〈テストの点以上瞳の大きさが気になる どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない スカートをひらひらとさせてグリーのように〉
〈世の中のジョーシキ 何も知らなくてもメイク上手ならいい ニュースなんか興味ないし たいていのこと誰かに助けてもらえばいい〉
〈女の子は恋が仕事よ ママになるまで子供でいい それよりも大事なことは そう スベスベのお肌を保つことでしょう?〉
〈人は見た目が肝心 だってだって 内面は見えない 可愛いは正義よ〉
 曲タイトルにある「ディアナ・アグロン」とは、アメリカの大ヒットドラマシリーズ「glee」で美人チアリーダーのクイン・ファブレー役を演じた女優の名前。この件で炎上の発端となったのは、ディアナ・アグロンや「glee」の名を出しながら、女性差別・同性愛差別・人種差別・障がい者差別などの問題を丁寧に描いた「glee」とは完全に真逆の「女の子はバカで可愛い方がいい」という時代錯誤も甚だしいメッセージを出したことにgleek(「glee」ファンの通称)が怒りをあらわにしたことにあるのだが、この件と「阿部定=男性器=きりたんぽ」という極めて短絡的なオヤジ的発想に基づくタイトルづけは、間違いなく地続きのものだろう。
 実は秋元氏はテレビ朝日の放送番組審議会委員。見城徹氏とともに、安倍首相に近いというだけでこんな低劣な感覚の人間に番組を審議させているテレビ朝日の感覚はいったいどうなっているのか。
 しかも、秋元氏の最大の問題は安易なセンセーショナリズムでこうした不祥事を起こしても、責任転嫁と言い逃れを繰り返すだけで、何の反省も示さないことだ。
「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の騒動に関しては、複数のメディアが取り上げ、本サイトもそのひとつだったのだが、当該記事に対して、AKB運営会社であるAKS 法務部から、「名誉毀損及び侮辱罪が成立する」「即刻、記事を削除せよ」というメールが送りつけられてきた。
 本稿冒頭で挙げた欅坂ナチス服騒動の際は、サイモン・ウィーゼンタール・センターが出てきたということもあってさすがに謝罪のコメントを出していた。たが、その言葉のなかには、真摯な反省などなく、ひたすら責任を現場スタッフに押しつけるだけの残念なものだった。
「ニュースで知りました。ありえない衣装でした。事前報告がなかったので、チェックもできませんでした。スタッフもナチスを想起させるものを作った訳ではないと思いますが、プロデューサーとして、監督不行き届きだったと思っております」
 こういった責任の押し付けは他にもある。2012年、乃木坂46の2ndシングル「おいでシャンプー」の間奏部分でメンバーが自らスカートをめくり上げるシーンに対して、ファンの間から「下品だ」「中学生のメンバーもいるのに」といった批判の声があがったことがあるのだが、その際、秋元氏はGoogle+上にこのような文章を投稿。乃木坂46運営委員会委員長であるソニー・ミュージックエンタテインメントの今野義雄氏を名指ししながら、責任を押しつけていた。
〈ソニーミュージックの今野! なっ? やっぱり、乃木坂46の新曲「おいでシャンプー」の振り付けのあの部分、不評だろ? だから、会議の時に言ったじゃないか! あれは、やりすぎだよ。ミュージックビデオの撮り方もよくなかった。〉(改行のみ筆者で改めた)
『サヨナラ、きりたんぽ』の改題に関してのコメントはテレビ朝日広報部からのもののみで、原作と企画を担当している秋元氏による声明はいまだないが、おそらく番組審議委員という地位を利用して、テレビ朝日に責任を全て押し付け、逃げ切るつもりなのだろう。つくづく、下劣な男である。(編集部)


テレビ朝日 きりたんぽ撤回 秋田県民「またか」
 秋田のイメージダウンだ−−。テレビ朝日で放送予定のドラマの予告ホームページに、きりたんぽを男性の下腹部に見立てたような表現があったため、秋田県が抗議した問題。関係者は一様に不快感を示した。テレビ朝日はタイトルを撤回したが、きりたんぽに思い入れが深い県民は多く、後味の悪さが残った。【池田一生、松本紫帆】
 発端は、テレビ朝日の番組ホームページ。「連続ドラマ サヨナラ、きりたんぽ」と題し、4月スタート予定などと告知していた。主演はトップアイドルグループ・AKB48のメンバー、渡辺麻友さん。ホームページでは当初「平成の阿部定」との記述があり、女性が男性の下腹部を切断した事件をモチーフとしたようにみられた。
 同県観光戦略課あきたびじょん室によると、4日にテレビ朝日のホームページで「サヨナラ、きりたんぽ」の情報が公開されて以降、ツイッターなどで「不適切だ」などと批判が相次いだ。県もこれを把握、さらに「悪ふざけが過ぎる」「行政が抗議すべきだ」などの電話が10件ほど寄せられた。
 このため県は、きりたんぽを観光振興の柱の一つに掲げる鹿角、大館、北秋田の3市と関連2団体と協議。テレ朝側に番組タイトルの変更と、きりたんぽを男性の下腹部に見立てた使用をしないよう、連名の文書で申し入れる準備をしていた。
 しかし7日朝、テレ朝側から「お騒がせしている」と電話があり、県側が口頭で申し入れた。同日午後、いずれも了承と回答があり、その後タイトルは「未定」と変更された。
 同室の成田光明室長は「きりたんぽは秋田の特産品。(美味という)印象を損なう恐れがある。憤りを感じる」と語気を強めた。
 観光などの関係者からも苦情が出た。きりたんぽの知名度向上に取り組む「本場大館きりたんぽ協会」の石川博司会長は「郷土のソウルフードを汚されたようで、大変不愉快。きりたんぽは元々、秋に米の収穫を祝って食べられていたもの。番組の趣旨とはかけ離れている」と話した。
 きりたんぽを巡っては以前にも、男性の下腹部を連想させるマスコットが製造され、批判が集まったことがある。「発祥の地鹿角きりたんぽ協議会」の担当者は「(番組のような趣旨で名前が使われることは)今に始まったことではなく、またかという思いだ。決して良い気分ではない」と突き放した。
 北秋田市商工観光課には「なぜ、あんな番組タイトルを容認したのか」という抗議があったといい、市の担当者は「知らぬ間に番組タイトルは決まっていた。困惑している」とうなだれた。
 また、経済的な打撃を懸念する声も。大館市できりたんぽを販売する「陽気な母さんの店」の石垣一子社長(63)は、「お客さんは商品イメージに敏感なので、今後の売り上げに影響しかねない」と訴えた。
 一方、テレビ朝日広報部は「秋田県から指摘をいただくなどしたため、総合的に判断して番組タイトルを変更することと致しました。放送前とはいえ、秋田県の皆様にご不快な思いを与えてしまい、申し訳ありませんでした」と陳謝した。


“第二の森友”安倍首相の親友が経営する加計学園の新疑惑! 官邸は国家戦略特区指定の情報を非公表に
 先週、本サイトで取り上げた“第二の森友学園”疑惑は大きな反響を呼んだ。この疑惑は安倍首相の親友が経営する大学を、政府が国家戦略特区に定めて規制緩和。本来、認可されるはずのない新学部の設置を認め、約37億円の価格がついている市有地がこの大学に無償譲渡されることになったというもの。
 もっとも、森友学園問題については「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とばかりに大報道を展開し始めたマスコミも、この加計学園疑惑についてはまだ怖いのか、本格的に触れようとするメディアはほとんどなかった。
 しかし、そんななか、今週発売の「週刊朝日」(朝日新聞出版) 3月17日号が本サイトの指摘を裏付けるような記事を掲載。昨日の国会でもこの“第二の森友学園”疑惑が取り上げられた。
 まずは疑惑を簡単に振り返っておこう。“第二の森友学園”といわれるのは、岡山県に本拠を置く加計学園グループ。複数の大学、幼稚園、保育園、小中高、専門学校など様々な教育事業を配下に収める一大教育グループで、現理事長の加計孝太郎氏は、安倍首相の30年来の親友だ。実際、安倍首相は昨年だけでも5回以上、加計氏と食事をしたり、ゴルフを楽しんでいるし、加計学園が運営する大学の記念式典に出席した際は、祝辞で加計氏のことを「どんな時も心の奥でつながっている友人、腹心の友だ」と評していた。
 また、この加計学園には、森友学園同様、昭恵夫人も関わっていた。神戸市東灘区に加計学園が運営する「御影インターナショナルこども園」という認可外保育施設があるのだが、昭恵夫人はそこの「名誉園長」を務めていた。同じくグループである「英数学館小学校」(広島県福山市)の説明会パンフレットには、安倍首相の腹心である下村博文元文科相夫人とともに、昭恵夫人が「英数学館イマジネーション教育への功労者」として挨拶文を寄せていた。
 しかも、加計氏は育鵬社教科書の採択運動を展開する「教科書改善の会」の賛同者であり、安倍首相と思想的に共鳴しているところも、森友学園を彷彿とさせる。
 しかし、何よりそっくりなのは、疑惑の中身だ。加計学園グループは、来年4月、傘下の岡山理科大が獣医学部を新設、愛媛県今治市に新キャンパスを開校するのだが、その認可と土地取得の経緯が非常に不可解なのだ。
 加計学園はもともと、10年前から今治市に岡山理科大獣医学部キャンパスの新設を申請していたのだが、文科省は獣医師の質の確保を理由に獣医師養成学部・学科の入学定員を制限しており、今治市による獣医学部誘致のための構造改革特区申請を15回もはねつけてきた。ところが、第二次安倍政権が発足すると一転、安倍首相は2015年12月、今治市を全国10番目の国家戦略特区にすると決め、16年11月には獣医学部の新設に向けた制度見直しを表明するなど、開校に向けた制度設計を急激に進めていった。
 そして、今年1月4日、国が今治市と広島県の国家戦略特区で獣医師養成学部の新設を認める特例措置を告示、公募を開始した。募集期間はたったの1週間。案の定、応募したのは加計学園だけ。
 安倍首相を議長とする国家戦略特区諮問会議は、1月20日、同学園を事業者として認可し、今治市はこれを受けて、今治新都市第2地区(同市いこいの丘)の市が所有する約17万平方メートルを加計学園に無償譲渡することを決定した。
 1月20日の認可決定の後、安倍首相は報道陣に対して「1年前に国家戦略特区に指定した今治市で、画期的な事業が実現します」と誇らし気に宣伝までしている。
 このいきさつだけでも、今治市への国家戦略特区指定による獣医学部新設認可は“加計学園ありき”で、安倍首相の関与があるようにしか見えないが、前述した「週刊朝日」では、さらにそれを裏付けるような証言が報じられている。たとえば、獣医学部新設に反対してきた日本獣医師会の境政人専務理事は、同誌の取材に対し、安倍首相による国家戦略特区会議や及び分科会に一切呼ばれず、直接意見を述べる機会すらなかったと証言したうえで、「初めから結論ありきのようで、大変残念でした」とコメントした。
 また、身内のはずの自民党議員からも強い疑義が噴出している。地元・愛媛県選出の村上誠一郎衆院議員は同誌にこんなコメントをよせていた。
「過疎地の今治に大学をつくって採算が合うのか。党獣医師問題議員連盟会長の麻生(太郎)財務省や文教族の大物なんかも当初は認可に反対していたのに、同地が国家戦略特区に選ばれて認可が決まった途端に何も言わなくなった。財務省が反対していた案件がひっくりかえるのだから、よほどの『天の声』があったとしか思えない」
 事実、加計学園の周りには、明らかな安倍人脈の存在が見え隠れしている。たとえば、今回の特区指定を決めた国家戦略特区会議の今治市分科会には加戸守行・前愛媛県知事が参加しているのだが、実は加戸前知事は安倍首相肝いりの諮問機関・教育再生実行会議のメンバー。つまり安倍首相の息のかかった人物だった。
 さらに昨日の国会で、加計学園の理事に少なくとも2名の文科省OBが天下りしていたことが明らかになったが、そのうちのひとりで、現在、加計学園の理事と同学園の運営する千葉科学大学学長に就いている木曽功氏は、一時、第二次安倍内閣の内閣官房参与を務めていた元文部科学官僚。安倍首相がゴリ押しした「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界遺産登録にも携わった人物だ。ようするに、安倍首相の側近的役割まで務めた官僚が、加計学園へ天下っていたのである。
 そして、この森友学園問題を彷彿とさせる、“行政による隠蔽疑惑”まで浮上した。
 国家戦略特区は本来、首相官邸ホームページで、その提案についての各省庁からの回答などが公開されている。今治市と加計学園の獣医学部新設の案件は文科省案件であるため、「(文部科学省)国家戦略特区等提案検討要請回答」というファイルにある。
 3月はじめ、このファイルを見てみると、約20件ほどの提案について、「提案主体」のほか「規制等の根拠法令」「制度改革のために提案する新たな措置」、そして「各府省庁からの検討要請に対する回答」などが一覧にまとめられていた。
 だが、加計学園の岡山理科大獣医学部新設案件を指すと思われる提案は、提案主体が「愛媛県 今治市(合同提案)」と記されている以外は、その内容及び省庁の回答などが、奇妙にもすべて「(非公表)」とされていたのである。
 これまた、国有地の売却価格を非公表としていた森友学園とそっくりだが、笑ってしまうのはその後だ。3月になって、森友学園問題がさらに大きくなり、本サイトなど複数のメディアが加計学園問題を「第二の森友学園」として追及。3月3日には民進党の有田芳生議員がこの行政文書における加計学園案件の「非公表」の事実をツイッターで指摘した。
 すると、その数日後、首相官邸は一転、「(非公表)」としていた部分に、情報を書き込み、こっそり公表に切り替えたのだ。明らかに、後ろ暗いところがあるとしか思えないではないか。
 しかも、安倍政権の国家戦略特区を利用した加計学園の獣医学部新設は、他の地域でもこれから展開されるのではないか、との話もある。前述したように、加計学園グループは元内閣官房参与の文科省OBが学長を務める千葉科学大学を運営しているが、大学が置かれている千葉県銚子市で次の市長選に立候補を表明した前市長が、この大学に獣医学部を新設するための国家戦略特区取得をぶち上げているのだ。しかも、この候補者は、やはり加計学園が経営する岡山理科大学の客員教授だった人物で、市長時代には、千葉科学大学への92億円助成を主導した人物でもある(のちに減額)。
 森友学園もそうだが、安倍首相は直接的な金銭のやりとりがなければ、何をやっても許されると勘違いしているらしい。しかし、長年の親友や、妻が役職を務めている団体や企業に特別便宜をはかっていたとしたら、それは本質的には収賄やあっせん収賄と同じであり、絶対に許されることではない。
 マスコミは反応が鈍いが、この“第二の森友学園疑惑”について徹底的な追及が必要だ。(編集部)