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La pratique du Zazen : une expérience hors du temps
par Madeline Chollet ・
Le stress et l’anxiété font parti de la liste de nos amis. Pour leur dire de prendre la porte quoi de mieux que de se rendre au Japon, le pays du zen. Journal du Japon vous emmène prendre un peu de repos, grâce à la pratique du zazen.
Si le mot zen vous dit quelque chose alors peut-être savez-vous que ce terme vient de la religion bouddhiste et qu’il s’agit le nom d’une de ces nombreuses branches.
Dans les écoles du zen, on pratique régulièrement le ≪ zazen ≫, une technique de méditation, permettant un retour à soi-même et par la même occasion d’évacuer le stress du quotidien. Pour les moines cette méditation est purement religieuse, elle permet d’accéder à l’éveil du Bouddha. Née en Inde elle arrive au Japon au 13e siècle, constituant sur place deux écoles : Sôtô et Rinzai.
Depuis quelques années, les temples ouvrent leurs portes aux laïcs, afin de faire découvrir cette technique si particulière. Gratuitement ou contre rémunération, les moines accueillent les curieux dans leur espace et partagent leur savoir afin de faire perdurer leur temple, souvent menacé par le manque de croyant et de moyen.
Comment se déroule une séance ?
Assis en tailleur sur un grand coussin dans une pièce recouverte de tatamis, il faut se tenir le dos droit, les yeux à demi-ouvert pour éviter de s’endormir, et la bouche fermée.
Tout va alors se faire par un exercice de respiration qui doit mener à la méditation. Le participant se concentre sur son souffle, oublie les soucis du quotidien et peut enfin méditer sur n’importe quel sujet. La séance est chronométrée par un bâton d’encens qui se consume, soit environ 30 minutes.
Si au cours de cette séance le participant adopte une mauvaise posture ou s’endort, le moine qui surveille la séance frappe légèrement et sans faire mal le dos du participant afin de le corriger dans sa pratique. Ce geste est effectué avec un bâton plat : le keisaku.
Le zazen n’est cependant pas adapté à tout le monde, certaines personnes seront moins sensibles que d’autres et ne parviendront pas à atteindre l’état recherché.
Où le pratiquer ?
Il existe une multitude de temples proposant cette activité dans l’archipel, le participant doit définir avant tout le temps qu’il souhaite consacrer à cette discipline. Une séance d’une demie-heure ? Une journée entière ou deux jours ? En plus du zazen, quelques temples proposent de vivre la vie monastique et de partager les repas.
Voici une liste de temples où la réservation est souvent de mise…
Dans les environs de Kyoto
Nan’yoji :
Tous les samedis ce temple organise des méditations de zazen gratuitement. Celà tombe bien, car il faut payer le taxi pour s’y rendre depuis la gare de Yuki, dans les environs de Nara. Les participants peu nombreux peuvent séjourner sur place quelques jours. En plus du zazen, les moines proposent des cours de kendo et de judo. Contact: nanyoji@gmail.com
Le temple Antaiji :
Le séjour est de minimum de trois jours, il faut avoir des bases en japonais et le participant doit pouvoir faire des travaux manuels. Ce temple propose une expérience hors du commun : pratiquer le zazen tout en partageant le quotidien des moines. Pour cela il faut être prêt à travailler (déblayer la neige en hiver ou encore travailler dans la rizière). En échange de ces services, votre séjour ne vous coûtera rien.
Dans les environs de Tokyo
Temple Sojiji :
Pour la modeste somme de 500 yens ce temple propose, une fois par mois, une séance d’initiation en anglais. La réservation n’est pas obligatoire, mais il est impératif de consulter leur site internet pour connaître la date de la prochaine session, ainsi que l’heure. Une visite du temple est également organisée afin de comprendre son architecture et découvrir ses trésors.
Kotokuji :
Tous les samedis du mois et gratuitement, le participant peut se rendre dans ce temple zen. Le cadre est particulièrement reposant, le temple se situant en bordure de la rivière Tone. Réservation obligatoire.
À Hiroshima
Temple Zenshoji :
Tous les mercredis et vendredis (excepté en août et décembre) en échange d’un don libre d’argent, ce temple organise des méditations au zazen. Très facile d’accès, dans la ville d’Hiroshima, il ne permet cependant pas de dormir sur place. Notez qu’après avoir visiter de site de la bombe A, cette méditation prend tout son sens.
Et en France ?
Si vous n’avez pas prévu un voyage au Japon, mais que vous êtes intéressé par le zazen, de nombreuses associations et structures proposent une initiation dans la métropole.
Voici une liste de sites à consulter :
Bouddhisme.net
Zen Deshimaru
Meditation Zen
Zen Azi
Vous aussi faîtes l’expérience du zen au Japon et repartez chez vous sans stress et inquiétude !
フランス語
フランス語の勉強?
サンデーモーニング
危機は回避できるか…半島緊迫に出口は?▽シリア攻撃で火ダネ▽最強爆弾を米軍投下▽好調広島に死角は?▽涙で…浅田真央▽内村10連覇▽美宇美誠▽風をよむ
この一週間をフラッシュでお伝えする「早わかり一週間」▽世界と日本の出来事を掘り下げるカバーストーリー▽おなじみ・スポーツ御意見番「喝!&あっぱれ」▽関口宏の「一週間」ニュース▽時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」
関口宏 岸井成格(他) 橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美(TBSアナウンサー) 張本勲(他)
■番組HP http://www.tbs.co.jp/sunday/ ■ツイッター @sundaym_tbs https://twitter.com/sundaym_tbs

バリバラ「オレたちの青春を取り戻せ!〜スーパー猛毒ちんどん〜前編」
知的障害者のロックバンド「スーパー猛毒ちんどん」。彼らが歌うのはイジメや親からの独立など、全て実体験だ。そんな彼らが地域で自立生活して青春をおう歌する姿に密着!
派手な衣装に白塗りメイクで歌う、ロックバンド「スーパー猛毒ちんどん」。メンバーは知的障害者。歌詞は全て彼らの実体験だ。イジメや仲間外れ、失恋や親からの独立など、思いのたけを赤裸々に歌う。福祉事業所が運営するリサイクルショップで働き、仲間たちと自立生活を送る彼らは、障害ゆえに奪われてきた体験を取り戻し、今、ちょっと遅めの「青春」をおう歌している。彼らのユニークで豊かな日常を、2週にわたってお届けする
山本シュウ, 玉木幸則, 大西瞳, 神戸浩

サイエンスZERO「ゲームの最新技術 異世界が現実に!?」
ゲーム業界で今、新次元のリアリティーを生む技術が続々と誕生している。「体の内側」へ働きかけ臨場感を究極に高めようとするコントローラーなど、最新の技術を紹介する。
日本経済を支える一大産業、ゲーム業界で今、新次元のリアリティーを生む技術が続々と誕生している。これまでは臨場感を高める手法の1つとして、視覚や聴覚の情報以外に、コントローラーやプレイ中の床が振動したりするといった「体の外側からの刺激」をゲームの展開にあわせて与えることで臨場感を得ていた。こうした「五感」への刺激を「体の内側」から提示することで、更にその表現の幅を広げようという試みがある。
【ゲスト】首都大学東京 システムデザイン学部教授…池井寧,【司会】竹内薫,南沢奈央,【語り】

テレメンタリー 「防衛フェリー 〜よみがえる徴用の記憶と、現実〜」
防衛省は、有事や災害の際に民間のフェリーを活用する制度を新設した。現行の「防衛計画の大綱」に基づき、陸上自衛隊の戦車部隊などを南西諸島などに運搬するのも役割のひとつだ。さらに国は民間の船員の希望者に、防衛出動の要員となる資格を持たせる制度を新たに導入した。全日本海員組合は、「戦争中の“徴用”に繋がる」として強く反対している。事実上、防衛省専属となったフェリーを取材。民間船と戦争との「距離」を考える。
上田定行 メ〜テレ

NNNドキュメント おかえり 晃〜熊本地震 家族の1年〜
熊本地震が引き起こした大規模な土砂崩れが巨大な橋を呑み込み1人の若者が乗った車を巻き込んだ。
大量の土砂に阻まれ捜索は難航したが息子を探し続けた両親がついに車を発見した。
しかしそこは険しい崖が切り立ち巨大な岩が無数に転がる谷底。
それでも両親の執念で息子を家に連れて帰ることができた。
突然の災害で息子を奪われた両親の悲しみ、絶望、喪失、そして微かに見え始めた希望。
熊本地震から1年、家族の日々を追った。
山本未來  くまもと県民テレビ

NHKスペシャル「熊本城 再建 “サムライの英知”を未来へ」
去年4月の地震で甚大な被害を受けた「熊本城」に意外な事実が浮かび上がってきた。崩壊した文化的価値の高い「石垣」。築城当初に造られた石垣の多くが地震に耐えていたことがわかったのだ。先人はどうやって地震に強い城を築いたのか?最新科学と歴史検証でミステリーに迫る。一方“サムライの英知”を未来へつなぐ「再建」では耐震性と文化財的価値の両立を目指した模索が続く。地震から1年、熊本城再建の知られざる舞台裏!
【語り】堺雅人

明日へ つなげよう「わたしの熊本城」
熊本地震で大きく傷ついた後も、訪れる人が絶えない熊本城。熊本放送局が城にまつわるエピソードを募ったところ、たくさんの便りが寄せられた。城での花見やスケッチ大会で我が子の成長を見守った人、城の中の学び舎で青春を過ごした人、昭和の天守閣再建に母が携わった人、認知症の妻との初デートが熊本城だった人…そしてあの高良健吾さんが城に侵入!熊本出身の著名人も交え、市民の熱い思いを伝える。
高良健吾,宮崎美子,東京大学名誉教授…姜尚中,【語り】奥貫薫


久しぶりに鞠小路です.以前あったロフトマリコージはいつつぶれてしまったのかわかりません.変わっていないところもあり懐かしい感じです.そこからだいぶ離れたところの玉蘭は無事でした.
ケベックの日ということで仔牛を使ったケベック料理とワインをいただきました.ベルギービールもおいしかったです.「灼熱の魂Incendies」という映画はなかなか興味深いものだったけれど,よくわからなかったです.三条まで歩いてお京阪で帰りました.
熊本・大分地震の本震から1年ということでいろいろ番組を見ました.悲しみがよみがえってきた気がします.

気仙沼の復興協会 国の雇用事業終了で存続危機
 東日本大震災後、緊急雇用創出事業の受け皿としてボランティアの受け入れなどを担う気仙沼市の一般社団法人「気仙沼復興協会」の存続が危ぶまれている。国の緊急雇用創出事業が昨年度で終わり、活動資金の枯渇が見込まれるためだ。全国のボランティアの要望に応えて2017年度は自己資金で活動を続けるが、来年度以降の活動は不透明だ。
 震災から6年1カ月となった11日、復興協会は気仙沼市本吉町で行方不明者の捜索活動を行った。緊急雇用創出事業の終了を受けて協会の存続を議論する中、ボランティアの募集は見送り、参加したのはスタッフと常連のボランティアら計9人にとどまった。
 協会は市議らが発起人となって11年4月に設立。仕事を失った被災者らを雇用するため、がれきの撤去や被災した写真を持ち主に返す事業などを請け負った。
 協会によるとピーク時は80人を雇用。昨年度は気仙沼市の事業を受託し、補助金約4000万円で10人を雇った。ボランティアの受け入れ実績は延べ約2万6000人に上る。
 気仙沼市では今も約220人の行方が分からない。月命日にボランティアが参加して市内各地で実施する捜索活動では遺留品が見つかることもある。
 協会は来月以降も捜索活動を続ける方針を決めたが、スタッフは昨年度の10人から3人に減らす。3人の給与や活動資金は全国からの寄付金を充てるが、本年度中に底を突く可能性が高い。
 協会の捜索活動にボランティアとして30回以上参加している京都市の無職松尾典子さん(45)は「一人でも多くの行方不明者を見つけて遺族に届けたいと願うボランティアは多い。毎月、温かく受け入れてくれる場所は必要」と協会の存続を願う。
 協会はインターネットを通じて小口資金を募るクラウドファンディングの活用なども探る。協会の千葉貴弘事務局長(42)は「ボランティアの受け入れは市の交流人口の拡大にもつながる。実績を評価する声も多く、存続に向けて知恵を絞りたい」と話す。


被災の宮戸地区再生へ 多目的施設が完成
 東日本大震災で被災した東松島市宮戸地区に復興再生多目的施設が完成し、落成式が15日、現地であった。住民の憩いの場となるほか、農林水産業の体験、観光振興の拠点となる。5月1日から使用できる。
 多目的施設は敷地面積約7800平方メートル。木造平屋の宮戸市民センターや大型ビニールハウス、木造2階の宿泊・滞在施設などを整備した。総事業費は約7億1400万円で復興交付金や市費を充てた。
 市民センターは住民の交流やイベント、会議に活用する。ハウスの温室では、野菜などの乾燥加工体験ができる。宿泊・滞在施設は計10部屋を備え、市内に定住を望む新規就農者らの利用を想定する。
 多目的施設は奥松島エリアの観光の玄関口に位置。特産品の売店や遊覧船待合所も設けるほか、新鮮なカキを焼いて食べられる場や無料の足湯もある。
 宮戸コミュニティ推進協議会の尾形将親会長(76)は「お茶飲み会や地元食材を生かした料理作りなどで宮戸や東松島の発展につなげたい」と話す。
 落成式には関係者約100人が出席。阿部秀保市長は「さまざまな人や団体が集まり、新たな交流が生まれ育つよう活用したい」と述べた。
 市は多目的施設の命名権(ネーミングライツ)契約を輸入住宅販売のセルコホーム(仙台市青葉区)と結び、愛称は「セルコホーム あおみな」と決まった。期間は4月1日から4年間。


避難指示解除/これからが踏ん張りどころ
 事態が大きく進展したことは間違いないが、まだまだ厳しい道が待ち受けていると、住民の多くが考えているのではないだろうか。
 働き盛りの男性は「一つの区切り。これからが大変だ」と率直に語る。80代の女性は「帰れるのはうれしい。でも、帰ってからが大変だ」と、荒れた田畑を想像し、複雑な思いを打ち明ける。
 東京電力福島第1原発事故に伴う福島県内の避難指示が今春、帰還困難区域を除く富岡町、浪江町、飯舘村と川俣町山木屋地区でほぼ一斉に解除された。
 原発事故では最大で県内11市町村の計約8万1千人が避難対象となった。今回の解除対象は約3万2千人。既に解除されていた楢葉町などを含めると、当初人口との比較で約7割が帰還可能となった。
 避難指示解除は、地域の再生の大前提で、復興の第一歩になるのは確かだが、前途が明るいとは決して言えない。
 原発事故から7年目に入り、避難先で新たな生活を築いた世帯は少なくない。国は「直轄除染は目標の3月末までに終了した」と説明するものの、放射線への不安は完全には拭えていない。
 復興庁が昨年実施した富岡町の住民意向調査で、「町に戻らない」との回答は57.6%に達し、「戻りたい」は16.0%にとどまった。数字が示す通り、実際の帰還者は当初は少ない見込みだ。
 特に子育て世代は、帰還をためらう傾向が強いとみられる。小中学校を福島市と川俣町の仮設校舎に置いている飯舘村の本年度の児童・生徒は計113人。原発事故前の2010年度(531人)から大きく減った。16年度(196人)と比較しても4割以上減少している。
 今回の避難指示解除を機に、避難先での定住と子どもの転校を決めた例があった可能性があり、村が来春に計画する村内での授業再開への影響がないとは言い切れない。
 高齢の帰還者が中心になるとみられる地域の再生をどう進めるか。国、県、地元自治体は生活や医療、教育などの環境整備と充実を唱えるものの、投資すれば簡単に効果が出るほど現実は甘くない。
 さらに第1原発が立地する大熊、双葉両町の全域と、5市町村に残る帰還困難区域は避難指示が今後も続く。約2万4200人の避難生活はいや応なく継続される。
 国は区域内に特定復興拠点を設け、除染とインフラ整備を一体的に進める方針。5年後をめどにする復興拠点の避難指示解除に向け、準備と作業の着手を急ぐ必要がある。
 「元の古里は戻っていない。まだ有事が続いていることは間違いない」。内堀雅雄福島県知事は新年度最初の定例記者会見で強調した。
 福島復興へ、さらなる難局に立ち向かっていく。4町村の避難指示解除を機に、改めて危機意識を共有したい。


<熊本地震1年>二重ローン解消 東日本教訓に
 熊本地震で住宅などが被災して新たに借り入れをする「二重ローン」の解消を目指し、金融機関が債務の減免に応じる「被災ローン減免制度」が、東日本大震災の教訓を基に運用の実効性をより高めつつある。発生から1年の制度利用申請、成立件数はともに低調だが、関係機関との協議に時間をかけ、対象の債権者に公的機関を明確に位置付けるなど被災者が利用しやすい環境の改善が進んでいる。(報道部・畠山嵩)
 熊本県弁護士会などによると、申請は14日現在614件で、うち30件の減免が成立した。東日本では同じ1年間で申請が664件、成立は60件。申請は同程度だが、熊本の成立件数が伸び悩む。
 国が当初、約1万人の制度活用を見込んだものの、6年間で成立が約1300件にとどまる東日本をさらに下回る状況だが、同弁護士会は「成立件数は今後、一気に増える」とみる。
 期待の背景には、東日本を教訓に積極的な制度活用へ向け、関係機関との協議を充実させたことがある。
 東日本では金融機関も含め制度の周知不足が指摘された。熊本県弁護士会は地震発生の約2週間後、仙台弁護士会の弁護士らを招いて制度の運用に関する研修会を開催。弁護士約20人のプロジェクトチーム(PT)を発足させた。
 いち早く動きだしたPTが注力したのは、仙台弁護士会から指摘を受けた金融機関によるリスケジュールの問題だった。リスケジュールは金融機関がローンの支払期間を延長する措置。月々の支払額は減らせるが、ローンは残ったままになる。
 一方、減免制度は要件を満たせばローンの全部、または一部が免除される。破産とは異なり信用情報登録機関の「ブラックリスト」に載ることはなく、手元に一定の現金も残せるため被災者の生活再建に利点が大きいとされてきた。
 東日本では金融機関が先行してリスケジュールを進めた結果、減免制度の活用が広がらなかった経緯がある。PTは全国銀行協会(全銀協)や熊本県内の金融機関と協議を重ね、制度の積極的な活用を働き掛けた。最終的な協議は今年2月に終了。実際の手続きは今後、本格化する。
 加えて熊本では1月、独立行政法人「日本学生支援機構」を債権者の対象にした。被災して奨学金の返済が困難な現状に対応するためで、東日本の時は当初、明確ではなかった。
 公的機関からの借り入れを対象にするため全銀協、金融庁、文部科学省などとも協議。公的機関はどこまで債権者になるのか、検討に時間を割いたという。
 PTの榎崇文弁護士(34)は「東日本を教訓に申請の間口を広げたかった。金融機関にはリスケジュールの前に減免制度を被災者に十分説明してほしいと訴えた。奨学金返済の減免も熊本で実現しないと、今後も対象にならないという思いで取り組んだ」と話した。
[被災ローン減免制度]東日本大震災で創設された「個人版私的整理ガイドライン」を基に、全国銀行協会が他の災害でも使えるよう2015年12月に策定した。正式名称は「自然災害による被災者の債務整理に関するガイドライン」。災害救助法の適用を受けた自然災害で、住宅などのローン返済が困難になった個人や個人事業主が対象。支援金とは別に最大500万円の現預金を手元に残せる。金融機関など債権者の同意が得られれば、弁護士などの支援を受けて協議を進める。簡易裁判所での特定調停を経て、債務整理が終了する。


<熊本地震1年>いわきの有志 復興の舞を披露
 熊本地震で被災した熊本県阿蘇市で15日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故に遭ったいわき市の伝統芸能「じゃんがら念仏踊り」が披露された。青空の下、踊り手たちはかねや太鼓を力強く打ち鳴らし、犠牲者の供養と被災地の復興を祈願した。
 披露したのは、いわき市の「磐城じゃんがら遊劇隊」のメンバー10人。震災時、熊本から受けた支援の恩返しをしようと、熊本地震から1年を機に企画した。会場のキャンプ場には地元の被災者約40人が集まった。
 地震で自宅敷地が地割れした阿蘇市のパート宮本恵子さん(39)は「一生懸命さが伝わる踊りで元気づけられた。1年たっても地震を忘れないよう、気持ちを新たにした」と話した。
 遊劇隊の会社員永山忠宏さん(42)は「私たちの被災体験も伝えたい。熊本とはこれからも助け合っていきたい」と語った。
 じゃんがら念仏踊りは、お盆の時期に先祖供養のため家々を巡るいわき市の風物詩。江戸時代初期に始まったとされる。(報道部・畠山嵩)


<311次世代塾>被災者の声未来へ
 15日開講した河北新報社など運営の通年講座「311『伝える/備える』次世代塾」には、想定した定員を大きく上回る116人が登録した。東日本大震災の風化が懸念される中、震災の現実に改めて向き合い、教訓を伝え継いでいこうという呼び掛けに多くの若者たちが応え、「次世代に継承すべき教訓を学びたい」と意欲を見せた。
 116人の内訳は大学生90人、社会人26人。山形や福島、東京、神奈川など宮城県外からの参加者も11人含まれる。開講式には101人が出席した。
 伊達市の福島大職員阿部智佳さん(24)は「震災の風化が進む今こそ、当事者の経験や証言を知ることが大事。震災を知らない世代のためにも教訓をつなげたい」と語った。
 仙台市太白区の尚絅学院大2年畠山大地さん(21)は「他地域の人にも震災を説明できるよう、しっかり学びたい」と話した。
 講座は原則、講義とグループワークの2本立てで進める。当事者の証言と訴えを聞いた後、1班10人前後のグループで感想や意見を語り合って主体的に学ぶ。
 開講式後の初回講座では、震災と聞いて思い浮かぶキーワードを出し合った。質疑を基に意見をまとめ、各班で「被災者らの声や思いを未来につなげたい」「風化を防ぐため、学んだことを積極的に発信したい」などと決意を発表した。
 講座の意義について、運営する「311次世代塾推進協議会」顧問の今村文彦東北大災害科学国際研究所所長は「定員を上回る多くの若者が集まったことは震災への関心がなお高いことを表している。充実したカリキュラムがそろい、震災の教訓を体系立てて学べる環境が整った」と話す。
 同顧問の舩渡忠男東北福祉大防災士協議会会長は「講義を踏まえたグループワークで学びの成果を深めてほしい。地域や社会の備えの力を向上させる大切な場になる」と期待した。
 次回の次世代塾は5月20日、石巻市と仙台市沿岸部に出向き、震災直後の仮埋葬や弔いの現場などを視察、担当者らの証言を聞く。


熊本地震「本震」から1年 阿蘇大橋20年度に全面復旧
 震度7を2度記録した熊本地震で、犠牲や被害が拡大した2度目の激震「本震」から16日で1年。国土交通省は同日、大規模な土砂崩れで崩落した熊本県南阿蘇村の阿蘇大橋と、寸断された国道57号の代替ルートの2020年度全線開通を目指すと発表した。大動脈再開に向けた一歩は、復興への後押しとなる。大学生の犠牲者も出た同村では、各地で追悼の催しが行われた。人々は悲しみと犠牲者らの記憶を心に刻み、再出発を誓った。
 本震は、最初に大きく揺れた「前震」から約28時間後の昨年4月16日午前1時25分に発生した。
 南阿蘇村の「直接死」は16人で、11人が震災関連死と認定。


晃の遺骨 まだ離せない 熊本地震、本震きょう1年
 1年の区切りはまだ付けられそうにない。熊本地震から4カ月間、安否不明だった熊本県阿蘇市の大和晃(ひかる)さん=当時(22)=の両親は今も遺骨を手元に置いている。県の捜索が中断された時の「取り残された傷」も癒えていない。「それほど命は重いんです」。だからこそ全国から励ましの声が届き、自分たちの手で捜索を続けられた。感謝を返すため、半歩でも前へ−。本震から1年を迎える16日、自宅で一周忌法要を営む。
 取り残された傷 抱えながら半歩
 朝昼晩、母の忍さん(49)は仏前に食事を供え続けている。好物だった卵焼き、めんたいこ…。「遠くに行けば、母親がしてあげられることができなくなる」。父の卓也さん(58)も「暗い谷底で待ち続けた晃を、まだ送り出せない」。一周忌に予定していた納骨は盆まで延ばそう。3月末、夫婦で決めた。
 晃さんは昨年4月16日、阿蘇大橋(熊本県南阿蘇村)付近を車で走行中、土砂崩れにのまれた。県は二次災害の恐れがあるとして、5月に入ると継続的な捜索を打ち切った。諦めきれない両親はほぼ毎日、現場に足を運び続けた。
 その間、忍さんは「母親がしてあげられること」を続けた。毎朝、おむすびを握り、谷底に投げ入れた。千羽鶴を折り、祈った。昨年7月に車体を発見。8月11日、遺体が収容された。
 その後も忍さんは晃さんの部屋で鶴を折り続けた。一緒に捜索してくれた友人ら延べ300人に感謝を形で示したい。部屋のこたつ布団もベッドも1年前のままだが、最近は鶴に「晃が次の世で穏やかに過ごせるように」との願いも込められるようになってきた。今月に入り、ようやく新しい千羽鶴が出来上がった。
 立ち止まった背中を押される出来事もあった。晃さんに婚姻届の証人になってもらったという友人が訪ねてきて、夫婦で披露宴に招かれた。被災した東海大の学生も線香を上げに来てくれた。その縁で学生たちが5月に南阿蘇村で開く追悼行事のために、農業を営む卓也さんが竹灯籠を作る約束をした。東日本大震災の被災者をはじめ、全国から激励の手紙も寄せられた。
 「晃が引き合わせてくれた。谷底で見つけられたのも、人のつながりが広がったおかげ」。卓也さんはそう振り返りつつも、捜索が遅れた悔しさは忘れていない。検証はされたのか。「今後、同じ思いをする人が出れば、晃の命が報われない」。一周忌を過ぎたら県に要請するつもりだ。
 それでもまだ「半歩」。そんな両親を支えようと、兄の翔吾さん(24)は就職先に地元を選んだ。今月、広島大大学院から熊本県内の製薬会社へ。大学4年で事故に遭った晃さんも、今春から社会人になっていたかもしれない。「晃の分まで頑張らなければと思っています」と自分に誓う。
 15日には親子3人で事故現場を訪れた。「慣れていかないといけないのかな。変わっていかないと」。晃さんが好んだ黄色の花を手向け、卓也さんは静かに語った。


地震から1年 南阿蘇村で追悼式
去年の2度目の震度7の地震で大規模な土砂崩れが起き、災害関連死を含めて27人が亡くなるなど大きな被害を受けた熊本県南阿蘇村で追悼式が開かれました。
去年4月16日の地震で、南阿蘇村では災害関連死を含めて27人が亡くなり、立野地区には今も328世帯の796人を対象に避難勧告が出されています。
南阿蘇村の体育館で開かれた式典には遺族など300人余りが出席し、最初に参列者全員で1分間の黙とうをささげました。
吉良清一村長は「犠牲になられた人たちの思いを心に刻み、ふるさと南阿蘇村を必ず復興します」と追悼の言葉を述べました。
参列した人たちは献花台に花を手向け、亡くなった人たちをしのんでいました。
当時88歳の母が地震でけがをして、その後なくなった古澤英治さん(67)は「献花台に花を手向けながら、苦しかったねと母に声をかけました。もう2度とこのようなことが起きないように祈るばかりです」と話していました。


「忘れないで」大学生語り部訴え
熊本地震で2度目の震度7の地震から1年となる16日、大学生3人が犠牲になった熊本県南阿蘇村では、大学生の語り部が地震の体験を語り「地震によって当たり前にあったものが奪われたことを忘れないでほしい」と訴えました。
南阿蘇村には東海大学農学部のキャンパスがあり、地震の前およそ800人の学生が暮らしていましたが、2度目の震度7の地震で学生3人がアパートの下敷きになって死亡しました。
16日は、地震のあと村で語り部の活動をしている東海大学の学生団体の5人が、愛知県から訪れた3人を案内しました。
学生は、倒壊した自宅アパートがあった場所で地震直後の状況について「2階にいたはずなのに1階部分がつぶれて駐車場の車が目の前に見えました。助けの声を頼りに1階に埋まっていた2人の友人を助け出しました」とみずからの体験を語りました。
また当時4年生の学生が亡くなったアパートがあった場所では「ガスが漏れていて救助に手間取り、手遅れになってしまいました」と話しました。
参加した人からは「実際に体験した人の話は重みが違いました」とか「地震があったとき自分ならどうするか考えるきっかけになりました」と話していました。
学生団体の代表の石田仁星さんは、「南阿蘇村でこれだけの被害があったことを知らない人も多かった。
地震によって、当たり前にあったものが奪われたことを忘れないでほしい」と話していました。


土砂崩れで死亡の夫婦 しのぶ
熊本地震のうち、2度目の震度7の地震で大きな被害を受けた南阿蘇村の立野地区では、土砂崩れに巻き込まれ亡くなった夫婦をしのぶ法要が営まれました。
去年4月16日の地震で大規模な土砂崩れが発生した南阿蘇村の立野地区では、片島信夫さん(69)と妻の利榮子さん(61)の夫婦が土砂崩れに巻き込まれ、その後亡くなりました。
この地震から1年の16日、片島さんの自宅があった場所では遺族や地区の住民たちが出席して法要が営まれました。
立野新所区の江藤俊雄区長は「仲むつまじい夫婦だった。いまだに亡くなったことが信じられません。
2人のためにも1日も早い生活の再建に向けて1歩ずつ前進していきたい」と話していました。
信夫さんの妹の片島くに子さんは、「1年経っても悲しみは全然変わりません。家はなくなりましたが、私たちにとって帰る場所はここしかなく、兄たちもきょうは戻ってきていると思います」と話していました。
信夫さんのもう1人の妹のチヅ子さんは「この1年は悲しかったが、立ち直るための区切りとしてここで1周忌を行わさせていただきました」と話していました。


被災者150人聞き取り調査 「元の場所戻りたい」8割
 昨年4月の熊本地震発生から1年となるのを機に、熊本日日新聞社は被災者150人に住居や健康などに関する聞き取り調査を実施し、6割以上が被災前の居住地での生活再建を希望している実態が分かった。その一方で、半数が住まいの再建・確保が見通せないでいた。また、6割近くが現在の生活に不満や不安を抱えており、落ち着いた暮らしが戻っていない様子がうかがえる。
 調査には19〜86歳が答えた。「地震前の居住地に戻りたいか」との質問には、63%(94人)が「戻りたい」と回答。「戻りたいけど戻れない」の19%(28人)を合わせると、8割超が転居を望まなかった。
 「住まいの再建・確保」では、「見通しが立たない」が50%(75人)を占めた。自宅の復旧や入居先の確保が被災後1年では困難な実態が垣間見える。
 現在の生活への不安や不満などが「ある」「どちらかといえばある」と答えたのは57%の85人。その理由として48人が、やはり「住まい」を挙げた。
 健康面では、35%の53人が「この1年間で体調不良があった」と回答。3人に1人以上が今も不調を訴える状況は、地震の影響の深刻さを物語る。特に24人が不眠や強いストレス、いらいらなど精神面の問題を訴え、10人が病気の発症・悪化を挙げた。また、回答者の家族の19%(29人)が体調不良があったとした。
 就労に関しては「変化なし」が60%(90人)に上った。残る60人のうち農業や自営の計22人が「再開できない」「廃業した」などと答え、厳しい現状にあった。
 自由筆記で問う「行政への希望」では、復旧や家賃への補助関連が17人、原則2年とされる仮設住宅の入居期間の延長を望む人が13人もいた。
 「将来への希望や不安」については、金銭面から住宅再建へ不安を感じる人が31%(47人)と目立ち、「地域が再生するのか心配」とする声が21人を数えた。
 調査は住まいや健康、就労など5項目をテーマに、被災者に面談や電話で聞き取った。(熊本地震取材班)


[熊本地震1年・余震4000回以上] 「ドミノ南下」に警戒を
 「一連の地震活動は減衰しつつも続いており、現状程度の地震活動は当分の間続く」
 熊本地震から1年になることを受け、政府の地震調査委員会が見解をまとめた。鹿児島県でも引き続き警戒が必要だ。
 この1年間、震度1以上の余震は大分県から熊本県八代市付近まで4000回以上観測された。発生回数、範囲とも異例の規模だ。
 地震を起こした活断層の周辺では依然、地殻にひずみをため込んでいるとみられる。
 専門家は「大地震がドミノ倒しのように連鎖し、鹿児島近くに南下する恐れがある」と指摘する。こうした地震のリスクを注視し、万一に備えたい。
 ひずみが蓄積されているとみられるのは「日奈久断層帯」だ。熊本県益城町から長島町付近まで北東−南西方向に延び、全長約80キロに及ぶ。
 この断層帯は要注意だ。ひずみが解消され、大きな地震が起きると、甑島周辺を走る甑断層帯などを南下しながら地震が連鎖して起きる可能性があるためだ。
 鹿児島県の地震被害予測調査でも、日奈久断層帯の八代海区間がずれると長島町で震度7、甑断層帯だと甑島で震度6強を想定している。
 留意したいのは、これらの活断層は地表で確認されたものにすぎないことだ。
 研究者によると、えびの周辺から北薩までの県北部地域では、地殻に海や陸のプレートなどによる複雑な力がかかり、地震が起きやすくなっているとみられる。
 実際に、最大震度6弱を観測し、100人以上が重軽傷を負った1997年の「県北西部地震」は未知の活断層がずれて動いた経緯がある。
 いつでも、どこでも大地震は起きる。今こそ熊本地震で得た教訓を踏まえたい。建物の耐震化や家具の固定をはじめ、家庭や地域で日頃から避難方法や連絡手段を決めておくことが重要だ。
 熊本地震では、警察や消防などが救助活動した111現場のうち、建物の倒壊は48現場でいずれも木造だった。救助した160人のうち、128人が生存していた。
 警察庁は、37現場で閉じ込められた被災者の位置や状況などの情報提供があり、救助活動に影響したとしている。
 現場の救助活動次第で被災者の生死を分けることがある。こうした調査結果を分析し、救助能力の向上に生かしてもらいたい。


熊本地震「本震」から1年 阿蘇大橋20年度に全面復旧
 震度7を2度記録した熊本地震で、犠牲や被害が拡大した2度目の激震「本震」から16日で1年。国土交通省は同日、大規模な土砂崩れで崩落した熊本県南阿蘇村の阿蘇大橋と、寸断された国道57号の代替ルートの2020年度全線開通を目指すと発表した。大動脈再開に向けた一歩は、復興への後押しとなる。大学生の犠牲者も出た同村では、各地で追悼の催しが行われた。人々は悲しみと犠牲者らの記憶を心に刻み、再出発を誓った。
 本震は、最初に大きく揺れた「前震」から約28時間後の昨年4月16日午前1時25分に発生した。
 南阿蘇村の「直接死」は16人で、11人が震災関連死と認定。


筆洗
 その数字が苦い。熊本地震から一年となった。数字とは犠牲者の中身である▼建物の倒壊など地震の直接的な被害による死者は五十人。これに対し震災後の避難生活などで体調を崩した結果、亡くなった震災関連死は百七十人。それは救うことができた命ではなかったか▼地震後、マイカーでの窮屈な車中泊によってエコノミークラス症候群にかかって、体調を崩した被災者が相次いだ。避難所になっていた体育館が倒れぬかという恐怖心。それが車中泊の主な理由と聞くが、プライバシー上の問題もあった▼現代人の日常はプライバシーが守られることが大前提になっている。非常時とはいえ、それが失われ、体育館での雑魚寝を突然、強いられれば、心身への負担は大きい。それに耐えられず、車中泊を選ばざるを得なかった方もいただろう▼登山家の野口健さんは震災直後、車中泊の被災者のために熊本県益城町にテント村を開いた。日本初の試みである。用意したテントは百五十九張り。約六百人が入居した。体を十分に伸ばせる。倒壊の恐怖を感じないで済む上、家族だけのプライバシー空間も保たれる。テント村の明るい雰囲気が「心の沈みがちな被災者を前向きにする」(野口さん)という効果もあるだろう▼直後の「雑魚寝」を少しでも見直したい。そこにいるのは、がまんや無理をさせてはならない人たちである。

熊本で福島のコピペ談話 不作為安倍首相の空っぽ復興計画
 2度の震度7に見舞われ、225人の死者と約3000人の負傷者を出した熊本地震から1年。14日、安倍首相は現地を訪問し、式典で「住まい、なりわいの復旧に向け、できることは全てやる」と威張っていたが、どこかで聞いたフレーズだと思ったら、8日に福島・南相馬市などの視察後の発言と同じだ。安倍首相は、長崎、広島の戦没者追悼式でも使い回しの「コピペ談話」を発表して問題視されているが、要するに本気で震災被害に取り組もうなんて気はサラサラないのだ。
 大体、熊本震災に対して安倍政権はこの1年間、ほぼ何もやっていない。1月の国会冒頭の施政方針演説でも、熊本地震がらみでは熊本城と空港に言及しただけで、いまだに4万7000人が仮設住宅での不自由な生活を強いられているのだ。
■熊本城の天守閣修復でお茶濁し
 地元の岩中伸司県議=新社会党=はこう憤る。
「県民がまず求めているのは住宅の確保であり、次に生活再建支援制度の支給額の引き上げや、自治体の負担を軽減する特措法の制定です。しかし、この1年、国は全く聞く耳を持ちませんでした。“復興のシンボル”と称される熊本城の天守閣を修復して、お茶を濁そうとしているのです」
 実際、国は地元の自治体に復興を押し付けていると言っていい。町内の98%の家が被害を受けた益城町の担当者がこう言う。
「町の一般会計の予算規模が約100億円なのに対し、復興費用総額は約282億円。実に3倍の負担になります。何らかの形で国の財政支援がなければ町の財政はたちまち破綻してしまいます」(企画財政課)
 安倍首相は福島でも「被災地の心に寄り添う現場主義」とか「国が前面に立って、国の責任において、福島の再生に取り組んでまいります」などと復興支援に積極的に取り組むような発言をしているが、事故から6年経った今も、およそ12万人が避難生活を余儀なくされている。この男のアタマには国民の生命、財産を守ることは二の次。とにかく憲法を改正して戦争をしたいということだけだ。


子どもの心のケア 震災による変調見守りを
 熊本地震の影響による精神的な変調を訴える子どもが、継続的に確認されている。注意深い見守りが必要だ。
 熊本市教委が市立の全小中学校で実施している調査では、2月時点で「カウンセリングが必要」とされた児童・生徒は465人だった。「夜眠れない」「イライラする」など17項目を質問。学校での様子などを加味して、カウンセリングの必要性を判断している。
 調査は昨年5月から始まり、1回目では心のケアが必要な子どもは2千人以上いた。時間の経過とともに減少傾向となり、6回目となる今回は、ピーク時の4分の1以下まで減った。
 ただ気になるのは、初めてカウンセリングが必要とされた子どもが毎回、半数前後に上ることだ。今回も465人のうち236人を占めた。潜在していた不調が顕在化したものとみられる。深刻化させないために、初期の段階で臨床心理士による専門的な対応が必要だろう。スクールカウンセラー配置など相談環境の整備が図られているが、今後も長期的な取り組みを続けていきたい。
 熊本地震から1年の節目を迎え、県内では慰霊式や復興イベントが相次ぐ。こうした時期は、当時を思い出して体調を崩す「記念日(アニバーサリー)反応」を起こすこともある。記念日反応とは、心的外傷(トラウマ)を受けた時期が近づくと当時の悲しみなどを思い出し、心身が不調になる状態とされる。落ち着いたように見えても、様子が変わることがあるという。専門家は、安心感を与えるために「地震は過去の出来事と強調し、家族や友人との絆を意識させて」と助言している。
 もっと低年齢層への影響を裏付ける調査結果もある。昨年6〜12月にあった乳幼児健診での問診をまとめた県の調査結果によると、地震で大きな被害を受けた地域はほかの地域に比べ、精神的な影響を訴える親子が多かった。
 対象は0歳の親、1歳半と3歳の親子。調査では、御船、菊池、阿蘇、宇城の4保健所管内で影響が目立つという。「親の後追いがひどくなった」「必要以上におびえる」「暗い場所などを怖がる」「夜泣きが多くなった」などの訴えが多く、継続的なケアが必要と判断された親子もいた。
 大人の場合も含め、支援が必要な事例をきめ細かく拾い上げる仕組みが必要だ。熊本こころのケアセンターは、益城町などで被災者の心身の状況を調べる大規模調査を始めた。一人一人の状況を把握し、ケアにつなげるという。こうした試みを行政や学校、NPOなどの連携で多角的に広げ、孤立を防ぐことが求められる。
 阪神大震災や東日本大震災などでは、数年後にストレス反応が出た事例や、精神的に不安定な状態が長く続いたことが報告されている。心の傷はなかなか癒えない。熊本地震でも今後、症状が潜在化するケースの増加が懸念される。息長く目配りし、寄り添う体制を構築したい。


熊本・大分地震「本震」16日、1年
 大分県で観測史上最大の震度6弱の揺れを記録した熊本・大分地震の本震から16日で1年となった。一連の地震で大きな被害を受けた由布市や別府市では着実に復旧が進み、大きく落ち込んだ観光業も客足が戻っている。同日は、地震の経験を風化させないよう両市内で避難訓練がある。由布市では観光復興に感謝するイベントが催される。
 本震は昨年4月16日午前1時25分に発生した。地震の規模はマグニチュード(M)7・3。震源は熊本だったが、約30秒後に由布市湯布院町周辺でM5・7(参考値)の地震が誘発されたとみられている。震源に近い由布市と別府市で震度6弱を観測した。
 県のまとめ(3月27日現在)によると、県内の住宅被害は両市を中心に8293棟に上った。道路は216カ所が損傷し、今も通行規制が続いているのは6カ所。由布市では避難生活によるストレスなどで、高齢者3人が震災関連死と認定された。


支え合い 胸に刻む震災
 県内に深い傷痕を残した熊本・大分地震から1年がたった。地域や家庭は支え合う大切さを胸に刻み、次に備えることを知った。あの日、被災者、ボランティアとなった人たち。日常を変えた出来事に、どう向き合ってきたのだろうか―。
住民の絆強まった
 地震で断水し、駐車場が給水所になったJR豊後中村駅(九重町)の責任者
 穴井邦男さん(71)=同町恵良
 発生直後、JR、バスとも運休となり、駅なのに乗り物や人がいない不思議な光景が広がった。1年がたち、住民の暮らしに当たり前の光景が戻ってきた。そんな景色を幸せに感じる。
 天災は起きないのが一番だが、今後も起きるだろう。大切なのは町民や行政の間の協力態勢。昨年、町内で断水が発生したが、大きな混乱はなかった。地震があって、住民間の絆は強くなったと感じる。
経験整理し備える
 避難所で心のケアに当たった大分市保健所保健師
 中宗三和子さん(55)=大分市南春日町
 大分市内の避難所で市民と接した。「1人暮らしで怖い」「地震を思い出す」などと不安を口にする人が多く、話をじっくり聞いて落ち着いてもらえるよう努めた。
 地震から2カ月後、熊本県西原村の避難所に派遣されたが、深刻な状況の避難者も多かった。保健師を受け入れる仕組みを強化する必要がある。両方の避難所での経験を整理し、スムーズに動けるよう備えたい。
解体見ていられず
 由布市庄内町の自宅で被災し、愛着のある建物を解体せざるを得なかった
 幸野マツさん(93)=同町東長宝
 荒波の中を漂う船のように揺れた。家族で身を寄せ合って朝まで余震に耐えた。自宅に隣接する建物は半壊状態になり、昨年11月に解体した。夫と約40年前に建て、民宿を営むなど愛着があっただけに、解体の様子はとても見ていられなかった。
 1年が過ぎ、やっと生活が落ち着いてきた。庄内町は大きな被害を受けたが、助け合える地域であることが大事だと分かった。
濃い時間過ごした
 竹田市荻町でボランティアベースキャンプを運営した市社会福祉協議会事務局長
 児玉誠三さん(68)=同市竹田町
 昨年5月から3カ月間、熊本県南阿蘇村に向かうボランティアを受け入れた。濃い時間を過ごした。住民がボランティアにねぎらいの気持ちを持ち、差し入れなどをしてくれたことに一番感動した。
 日頃からボランティアへの啓発、意識を醸成していく重要性をあらためて感じている。高齢化が進む中、要支援者への見守りやサポートの仕組みもつくりたい。
支援続けるつもり
 被災地でボランティア活動に携わった団体職員
 中島章二さん(50)=日田市港町
 由布市湯布院町や熊本県内の被災地に計21回入り、家屋の片付けや避難所で炊き出しなどに携わった。被災者には明るく接し、思いを込めて活動した。仮設住宅がある限り、支援を続けるつもりだ。
 地震を経験し、避難所の整備、物資の配給や備蓄方法など防災力全般を高める必要性があると痛感した。人間同士のつながりを大切にした避難生活の在り方も考えなければいけない。
何とか再建したい
 今も一部で営業再開ができていない別府市の「えびす屋旅館」おかみ
 本田麻也さん(51)=同市明礬
 旅館2階の部屋で寝る準備をしていると、激しい揺れに襲われた。宿泊客を外に誘導した後、旅館の前で寝ずに一晩過ごした。地震後、キャンセルも出たが、泊まりに来てくれたお客さまには本当に感謝している。
 旅館は創業143年目。建て替えが必要な状況だが、できることなら再建したい。歴史をつなぐためにも、地震で倒れるわけにはいかない。


熊本地震から1年 大和晃さんの一周忌の法要営まれる
熊本地震で大きな被害が出た2度目の震度7の地震が起きてから、16日で1年です。熊本県南阿蘇村では、崩落した阿蘇大橋の付近を車で走行していておよそ4か月後に遺体で見つかった大学生、大和晃さんの一周忌の法要が営まれました。
熊本県阿蘇市の大学生だった大和晃さん(当時22)は、去年4月16日の地震のあと行方がわからなくなり、およそ4か月後の去年8月、崩落した阿蘇大橋の下流で遺体で見つかりました。
16日、阿蘇市にある大和さんの自宅で一周忌の法要が営まれ、参列した親族や友人などが早すぎる死を悼みました。
父親の卓也さんと母親の忍さんは、今も気持ちの整理がつかず納骨できないでいるということで、2人は晃さんの遺影に語りかけるようにじっと手を合わせていました。
父親の卓也さんは「息子を引き取って自宅に戻ってきたのは去年8月ですが、心の中でのけじめをつけるため一周忌の法要を行いました。遺骨はことし8月までは家に置いて、もうしばらく一緒にいようと思います」と話していました。


【熊本地震1年】 4カ月探し求めた息子の消息、納骨できず葛藤抱きながらも少し前へ…犠牲の大学生・大和晃さんの両親
 まだ、どこかに居るような気がする。熊本地震で熊本県阿蘇市の大学生、大和晃(やまと・ひかる)さん=当時(22)=を失った両親は、ふとした瞬間に息子の影を探してしまう。散らかった部屋も当時のまま残し、本震から1年を経た今も納骨はできていない。「息子の存在が大きくて…。切り替えができない」。葛藤の日々が続く。(小泉一敏)
息子を探し続け
 昨年4月16日、晃さんは阿蘇大橋の崩落に車ごと巻き込まれた。約28時間前の前震で被災した友人に水や食料を届けた帰りだった。
 車は発見されず、公的な捜索が10日ほどで打ち切られた後も、両親は懸命に探し続けた。「何としても連れて帰る」。情報を求めてビラを配り、望遠レンズを付けたカメラで現場を撮影し手がかりを探し続けた。
 発見は約4カ月後の8月11日、岩で押しつぶされた車内に息子はいた。「がんばったと思います」。母の忍さん(49)はかみしめるように語る。
もう少しそばに
 ただ、両親の「時計の針」が進むことはなかった。息子がいつも帰宅していた午後10時ごろに車が通りかかると、帰ってきたと思ってしまうし、いつもの格好でいるのではないかと部屋を開けてしまう。
 無事を祈って折り続けた鶴も、忍さんは今も折っている。「まだ実感がわかなくて」。複雑な心情をのぞかせる。16日の一周忌の節目に納骨をしようと考えたが、やはり離れたくない。
 父の卓也さん(58)も「もう少しそばに置こうと思っている」と静かに語る。
親友の子供を抱いた息子の写真
 息子の意外な一面を知る出来事もあった。写真を整理していた際、息子が親友の子供を抱く写真が見つかった。聞けば、その親友の婚姻届の証人となっていたという。
 年ごろのせいか、なかなか将来の夢や日常について多くを語ろうとしなかった晃さん。両親は「友人らに話を聞いて、もっともっと晃のことを知っていこうと思う」と話す。
 兼業農家の大和家には春の恒例行事がある。家族総出での種もみまきだ。晃さんも「やるんやろ」と言っていつも手伝ってくれていた。
 先日、今年の田植えのための種もみをまいた。その種もみは、昨年、晃さんと一緒にまいて残していたものだ。
 「この種もみからの米を育てていくことで晃とつながれる気がする」。両親は少し前を向いた。


公文書の管理  保存期間の見直しが急務
 役所にとって都合の悪い公文書はできるだけ隠したほうがいい。こんな政府の姿勢が見え隠れする公文書の取り扱いが目立っている。
 大阪市にある学校法人「森友学園」への国有地払い下げや南スーダン国連平和維持活動(PKO)の派遣部隊の日報問題を巡って、肝心の文書がないとして開示を拒む事態が相次いだ。国民から見れば、あるはずの資料である。それを「廃棄しました」で済ます省庁の公文書に対する考え方が、さらに疑惑を大きくしている。
 公文書管理については、「消えた年金」問題も契機となり、6年前に公文書管理法が施行された。公文書の規定から保存、管理、最終的に国立公文書館に移すまでを初めて立法化した。
 各省庁は、法に基づいて管理規則を定めている。財務省の場合、近畿財務局と学園の交渉や面会記録の文書の保存期間は細則で1年未満となっており、いつ廃棄してもいいとしている。
 国民の財産である国有地を8億円という破格の値引きで民間に売却するには、それなりの理由があるはずだ。価格決定の根拠について、国会で野党の質問が集中したが、今も議論はかみ合わないままになっている。契約から1年もたっていない時点で、関連資料を廃棄することは妥当ではないのではないか。
 一方、PKOの陸上自衛隊の日報も保存は「1年未満」だった。昨年秋に情報公開請求を受けた際は「廃棄済み」を理由に非開示を決定した。その後、日報が電子情報化されて残っていたことが分かった。
 日誌には「戦闘」や「攻撃」という言葉が並び、現地の生々しい状況を伝えていた。当時、国会ではPKO派遣の継続や駆け付け警護など新たな任務付与の是非について議論が白熱化していた。
 本来は規則でPKOの関連文書の保存期間は3年となっている。しかし、日誌は「随時発生し、短期に目的を終えるもの」という例外規定を当てはめて廃棄していた。解釈が身勝手にすぎないか。
 公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」(管理法第1条)である。現在の国民だけではなく、将来の国民にも残すという意味を含んでいる。
 政策決定の妥当性を知る重要な資料であり、資料の廃棄はこうした機会を奪ってしまう。機密事項を多く扱う防衛省で例外扱いが横行するような姿勢は許されず、なし崩し的に広がる可能性も否定できない。
 「ない資料」は情報公開制度の対象にならない。過去、現在の政策の点検に生かせない情報公開では、制度の意味がなくなる。制度に「抜け道」があってはならない。保管期間の短さは早急に改善する必要がある。
 最終的に公文書が保管される新たな国立公文書館建設を目指す超党派議員連盟は、現在の国会近くの憲政記念館の敷地に公文書館の敷地に建設するよう求める要望書をまとめた。建設費は最大で850億円ともいう。巨額の支出を議論する前に、国会にはやるべきことがある。


介護法案強行採決 国民に視線を向けて議論尽くせ
 衆院厚生労働委員会で、与党が介護保険関連法改正案の採決を強行した。民進党議員が質疑で森友学園問題を取り上げたことに、与党が反発した結果だ。
 法案は、高所得者のサービス利用時の負担割合を2割から3割に引き上げ、大企業社員や公務員らの保険料負担を増やすなど、国民への影響は大きく、十分な審議が欠かせない。痛みを強いる内容でもあり、理解を得るには丁寧な説明が必要だ。にもかかわらず、その責務を放棄して、不都合なことにふたをするような身勝手な国会運営は到底容認できない。
 与党は「法案以外の質問をするのは、十分に質疑をしたという証拠だ」と正当化するが、実質合意していた採決予定日まで2日を残していた。議論を尽くしていないことは、与党側も認識していたはずだ。この後、衆院本会議が見送られるなど国会は混乱。貴重な審議時間も失われてしまった。
 「法案以外の質問」を理由に審議を打ち切り、採決することがまかり通れば、民進党議員が非難したように「言論封殺」と言わざるを得ない。ましてや、今回の強行採決の背景に、森友学園問題に関わる「安倍晋三首相擁護」があったことは想像に難くない。首相に都合が悪い質問は許さないとばかりの与党の姿勢は、「言論の府」として看過できない。首相には国民の疑問に対し、正面から向き合い答える義務がある。
 安倍内閣の支持率は高水準を維持し、自民党内で首相の座を脅かす有力な対抗馬は見当たらないのが現状だ。首相や政権はこの状況に甘んじ、説明責任をなおざりにしていると言われても仕方あるまい。周囲も首相の意思を忖度(そんたく)しすぎではないか。国会議員が視線を向けるべきは時の権力者ではなく、国民であるという基本をいま一度認識すべきだ。
 介護法案は18日に衆院通過の見通しで、審議の場を参院に移す。「良識の府」である参院は政争が目に余る衆院を反面教師に、「数の力」に頼むのではなく議論を重ねてほしい。
 自民党の政権復帰、第2次安倍内閣の発足から4年4カ月。政権や与党による国民軽視や、議論封じ込めの「暴走」は今回が初めてではない。
 今なお懸念が根強い特定秘密保護法、安全保障関連法などでも強行採決。沖縄県の米軍普天間飛行場移設では、反対する沖縄の民意をよそに、政府が名護市辺野古沖で基地建設を強行する。政権の傲慢(ごうまん)な姿勢に、危うさが募る。
 今国会では「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案、衆院小選挙区の新区割りに関する公選法改正案など、与野党の激しい対立が予想される法案が残っている。介護法案と同様の手法で採決をごり押しするようなことは断じて許されないと、政権や与党は肝に銘じなければならない。


「長期勾留は不当な国策」 辺野古反対運動・山城議長インタビュー
 米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古(へのこ)への移設に反対する市民運動のリーダー的存在で、抗議行動中に逮捕され五カ月にわたり勾留された沖縄平和運動センターの山城博治(ひろじ)議長(64)=威力業務妨害罪などで公判中=が、那覇市内の法律事務所で本紙の取材に応じ、「長期勾留は沖縄の大衆運動を取り締まる不当な国策捜査だ」と訴えた。
 二〇〇四年から反対運動を続けてきた。一五年十一月に警視庁の機動隊が派遣されると、排除行動は「相手が女性や高齢者でも見境なく力任せになった」。自身も、政府が県北部の米軍ヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)の完成を急いだ昨年十月、器物損壊容疑で逮捕された。
 その後、今年三月に保釈されるまで身柄を拘束され続けた。この間、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前にブロックを積み工事車両の進行などを妨害した容疑などで二度、再逮捕。「警察の排除行動が激しくなり、生身の体では持たないと思った。やむにやまれず取った行動だ」
 検察の取り調べでは、黙秘権を主張したが、現場の映像を見せられ「隣の男は誰だ」「この人を知っているだろう」と再三、供述を迫られた。「共犯者を捜し出そうとしているように感じた」。一連の事件で逮捕者は八人に上った。
 検察官は「自由になったら、また現場に戻るのか」とも繰り返した。取り調べを振り返り、「リーダーと呼ばれる人間を屈服させ、同時にすべての関係者の連絡先を押さえる。沖縄の大衆運動そのものを取り締まっていく国策捜査だと思う」と話した。 (清水祐樹)


国際カップル なぜ日本人女性×外国人男性の方が多いのか
 満開の桜をパチリ。外国人観光客にとっても、桜は心引かれるらしい。訪日外国人は過去最高の2400万人を突破。日本人と外国人のカップルも珍しくないが、多くは日本人が女性のケースだ。日本人が男性のケースはあまりない。では、日本人男性は外国人女性からどう見られているのか。各国の女性に話を聞くと……。
 まずは30代の米国人女性だ。
「オフィスにいる日本人は、仕事が正確でスマートな印象です。でも、働き過ぎ。“労働時間が長い方がベター”という感覚があって、自分や家族との時間をおろそかにする傾向が見て取れる。一緒に暮らしたら、息が詰まりそう」
 欧米人にとって、仲間や恋人、家族との時間はかけがえのないもの。そんな時間を大切にしない日本人男性とは「付き合えない」という。
 30代英国人女性はこう言う。
「仕事はキチンとするけど、全体としては頼りないイメージです。女性との関係を積極的に築くのがヘタそう。いろいろな国の男性がいる場所に美女がひとり来たら、日本の男性は『どうしよう』と気後れしているうちに、声もかけられずマゴマゴしていそうよ」
 欧米の女性は、積極的なアプローチを好む。シャイな上に草食なニッポン男子は、ハナから相手にされていない。在日留学生の20代中国人女性もこう言った。
「大学にはいろいろな国の留学生がいる。日本人よりは、欧米の留学生と付き合いたいよ。目が合って、ニコッと笑ってくれる欧米人には好感が持てます。目をそらす日本人男性は、デートしてもリードしてくれなさそうで、ちょっとパス」
 外国の女性から見て、とにかく日本の男は頼りがいのなさがダメなのだが、マレーシアの20代留学生には好印象らしい。
「日本の男性は、繊細に気を使えるから好きよ。将来設計もきちんとできる人が多いし、堅実だし。付き合うの? もちろん、アリよ」
 日本の男性は、誠実さや堅実さはそのままに、言葉の壁は気にせず、もっとグイグイと“ボディーランゲージ”を深めれば、外国人女性からモテそうだ。