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La première cuvée de saké japonais "made in Loire" bientôt mise en bouteille
Elle a été produite à Pélussin, au cœur du parc régional du Pilat. C’est là que Grégoire Bœuf a installé Les Larmes du Levant. Formé par un brasseur japonais, ce trentenaire se revendique comme le tout premier producteur de France.
Le premier tir d'un lanceur privé japonais se solde par un échec
La première fusée développée par une société privée japonaise et destinée à transporter des charges à une altitude de 120 kilomètres a échoué son premier test.
Le premier lancement d'une fusée conçue par une société privée s'est soldé par un échec au Japon, relatent les médias locaux.
Le lancement a été réalisé le 30 juillet au soir, à proximité de la ville de Taiki, sur l'île de Hokkaido (nord). Peu après le tir, le groupe Interstellar Technologies, qui a conçu le missile, a constaté l'échec de l'expérience.
Le coût total du projet développé par Interstellar Technologies est évalué à près de 50 millions de yen, soit 445.000 dollars ou 380.000 euros. Selon ses concepteurs, la fusée en question est capable d'envoyer jusqu'à 20 kilos à une altitude de 120 kilomètres.
Baptisée Momo, la fusée est propulsée par un moteur unique fonctionnant au mélange éthanol/oxygène liquide. Interstellar Technologies espère pouvoir faire des lancements orbitaux à l'horizon 2020.
フランス語
フランス語の勉強?
明日へ つなげよう 証言記録「岩手県住田町 仮設住宅に木のぬくもりを」
仮設住宅に大変革をもたらした岩手の小さな町の物語。人口6千、林業が盛んな住田町は古くから交流の深いお隣の陸前高田市と大船渡市のために、プレハブではなく、木造の仮設住宅を無償で提供。夏は涼しく冬は暖か、さらにプライバシーが保てるよう長屋ではなく一戸建て。しかも震災後わずか11日で着工、その一部は翌月に完成という驚きの早さ!前例のない取り組みに立ちはだかる法律や資金の壁、それを乗り越えた心意気とは? 秋野由美子
NNNドキュメント 宙に浮いたハンドル 検証・部活動送迎死亡事故
去年10月、石川県で中学校の野球部員を乗せたマイクロバスがワゴン車と衝突し、生徒2人が死亡した。運転していたのは、部員の保護者だった。
部活動の送迎は誰がすべきなのか?全国の自治体を取材すると、統一されたルールがないまま、教員や保護者がハンドルを握っている実態が浮かび上がってきた。そして、各地で毎年のように重大事故が起きていることも判明した。単なる交通事故として見過ごされてきた、生徒のいのち。防ぐ手立てはないのだろうか?
松本光生 テレビ金沢

テレメンタリ− 「自由と自白〜袴田事件 取り調べの深層〜」
「取り調べは被疑者との闘い」。元捜査員はそう言い切った。1966年、静岡県で一家4人が殺害された袴田事件。逮捕された袴田巌さん(81)は、無実を訴えながらも一旦は自白した。長い獄中生活を経て再審決定を受け、自由を手にしたが無罪になったわけではない。今もなお闘い続けている。新たに見つかった録音テープには半世紀前の取り調べの実態が記録されていた。「密室のリング」で何が起きていたのか。その深層に迫る。 野田圭一 静岡朝日テレビ
NHKスペシャル 列島誕生 ジオ・ジャパン 第2集「奇跡の島は山国となった」
絶景の国・日本。島国にして山国という奇跡の大地は、どんなドラマをへて今の姿となったのか? シリーズ第2集は、日本が山国へと変貌する物語。1500万年前の日本列島には、山がほとんどなかった。そこに地球全体を揺るがす大事件が起こって… 最新科学にもとづくタイムトラベルCG×絶景×絶品和食で、日本列島誕生という大地のドラマをスペクタクル体感。 神戸大学教授…巽好幸,劇団ひとり,指原莉乃, 和久田麻由子
バリバラ 生放送「障害者殺傷事件から1年」
去年7月に起きた障害者殺傷事件から1年。19人が殺され、27人が重軽傷を負った大事件にも関わらず、早くも事件は風化し始めている。あのような事件がなぜ起きてしまったのか。現在、建替え論議が進む津久井やまゆり園だが、「施設から地域へ」という理念とは裏腹に、建替えはやむを得ないと考える人もいる。その背景に何があるのか。生放送で、視聴者から寄せられる声を交えながら、改めてこの事件について考える。
IVAN,木村草太, 山本シュウ,大西瞳, 玉木幸則, 大橋グレース,岡本真希, 神戸浩


テイスウが少し難しいことに気がつき少し焦っています.
懐かしの居酒屋で・・・というお誘いメールがペピーから届きました.でも忙しくてダメっぽいです.残念.

中学生が被災地で震災の教訓学ぶ
東日本大震災の被害や教訓を学ぼうと、七ヶ浜町の中学生が、震災で大きな被害を受けた女川町を訪れ、発生した当時の状況などを聞きました。
女川町を訪れたのは、震災について学ぶ活動を続けている七ヶ浜町の向洋中学校の1年生から3年生までの生徒あわせて26人です。
生徒たちは、震災が発生した際、多くの住民が避難した女川中学校の校舎を訪れ、当時、教員として勤務していた佐藤敏郎さんから話を聞きました。
この中で、佐藤さんは、発生直後、割れた窓ガラスの破片が避難路に散乱し、生徒たちが思ったように避難できなかったことを説明し、日頃からさまざまな被害を想定しておくことが重要だと強調していました。
また、佐藤さんは、女川中学校の生徒や卒業生が、震災後、教訓を伝える石碑を町内各地に建てる活動を行っていることも紹介し、生徒たちは、時おりメモをとりながら真剣な表情で聞いていました。
自身も七ヶ浜町で被災し、家族を亡くしたという3年生の阿部杏珠さんは「自分は震災のことをあまり話したくなかったのに、女川の人たちはちゃんと伝えようとしていてすごいと思いました。自分もまずは身近な人から伝えていきたいと思います」と話していました。


<リボーンアート>被災病院がスタッフ宿泊拠点に再生 終了後は福祉施設に
 宮城県石巻市の牡鹿半島を主な舞台にした芸術と音楽、食の総合祭「リボーンアート・フェスティバル(RAF)2017」で、空きビルだった同市門脇町の元病院施設がスタッフらの宿泊拠点「リボーンアート・ハウス」として活用されている。祭り終了後は福祉施設に生まれ変わる予定で、RAFがテーマに掲げる「再生」や「循環」を実践する場になっている。
 建物は鉄筋コンクリート一部鉄骨5階、延べ床面積3785平方メートル。2〜5階の病室だった部屋で、スタッフやボランティアがすのこやベッドに布団を敷いて寝泊まりする。1階リハビリテーション室は現代アートの展示会場に改装した。
 開幕前日の21日にオープンし、1日平均約70人が宿泊。実行委員長で音楽プロデューサーの小林武史さん(新庄市出身)をはじめアーティストやシェフも泊まり、スタッフらと交流を深めている。
 建物は東日本大震災で1階天井近くまで浸水した旧石巻港湾病院。一部を修繕して診療を続け、2015年に同市大街道西に移転新築した。建物は使われなくなり、スタッフらの宿泊場所を探していたRAF実行委が活用を考えた。
 11月以降は市内の社会福祉法人が障害者の就労支援施設を開所する計画。壁や扉にはRAF仕様で「命」をテーマにしたカラフルな絵などが描かれ、一部は福祉施設になっても引き継ぐ方向で調整しているという。
 一般の宿泊は受け付けていないが、ボランティア組織「こじか隊」に参加すれば利用できる。無料で、ビュッフェ形式の夕・朝食が出る。シャワー室と洗濯機も利用できる。
 運営事務局スタッフの鈴木茜さん(32)は「ハウスは人が関わることで変化する未完成のアート作品のような場所。ボランティアには同じ釜の飯を食べながら、RAFの世界観を楽しんでもらいたい」と話す。


<相馬野馬追>小高の誇り、武者堂々 7年ぶり行列巡る
 福島県相馬地方の伝統行事「相馬野馬追」が29日開幕し、3神社で出陣式などが行われた。南相馬市小高区では、東京電力福島第1原発事故の影響で中断していた武者行列が7年ぶりに実施され、沿道の住民から盛んな拍手が送られた。
 陣羽織姿の約110騎が中心部の約3キロを巡った。自宅から出陣した佐藤利和さん(39)は「ようやく本来の野馬追に戻った気分。馬上の姿を見てもらえるのは気分が良い。本番でも活躍したい」と話した。
 小高区は原発事故で全域が避難区域となり、昨年7月に一部を除き避難指示が解除された。行列を見送った谷地英男さん(87)は「故郷が活気づいた。武者の気合を感じた」と語った。
 今年の参加数は全体で約440騎。30日は南相馬市の雲雀ケ原祭場地で甲冑(かっちゅう)競馬と神旗争奪戦、31日は相馬小高神社で野馬懸がある。


<陸前高田>華やか道中おどり かさ上げ中心市街地で7年ぶり復活
 東日本大震災で壊滅し、かさ上げした岩手県陸前高田市の中心市街地で29日、「チャオチャオ陸前高田道中おどり」が7年ぶりに開かれた。夏の恒例行事が復活し、多くの市民でにぎわった。
 災害公営住宅の入居者、商工会女性部などの10団体約260人が参加。市制施行40周年記念で1995年に制作された「チャオチャオ陸前高田」、高田音頭などを、震災犠牲者への慰霊の思いも込めて踊った。
 同市の災害公営住宅で暮らす介護福祉士菅野朋子さん(58)は「懐かしい人にも再会した。夏祭りの華やいだ雰囲気があってもいいなと思った」と語った。
 96年から毎年7月の最終土曜日に市中心部で開催され、震災前は2000人以上が参加したという。新市街地に商業施設が開業するなど再生への一歩を踏み出した今年、陸前高田市観光物産協会が主催した。


河北春秋
 「境」という地名が気仙沼市の大島にある。太平洋に面した小田の浜と、約1キロ離れた気仙沼湾の浅根漁港の間の低地。昔大島は大津波で三分されたとの伝承があり、「津波の合流地点の一つで、島の境目になったのでそう呼ばれたそうだ」と堺健(まさる)さん(67)▼大島で31人が犠牲になった6年前の東日本大震災で、津波は両岸から浸入し、島をほぼ三つに分断した。「境」では津波が合流間際まで迫った。「言い伝えは本当だった。先祖が地名に残したと考えている。記憶を発掘し伝える役目が今のわれわれの代にある」▼旅館業の傍ら、仲間の郷土史研究者や歴史の専門家と大島に根差した「減災教育の教科書」という冊子をまとめた。過去の津波にまつわる記憶や伝承を語ったのは、大正から昭和初めに生まれた高齢者たち▼「竹の下」という地名もある。元は「鯛(たい)の下」で、やはり昔の津波でタイが大木に引っかかったのがいわれ。避難した人々が暖を取ったという「休石(やすみそ)」、鯨が流れ寄った「鯨」。舟が多く打ち上げられた「舟こぼれ」には6年前の津波の際、連絡船が流されてきた▼冊子は住民や小中学生、訪問客や支援者に無償で配られている。「防潮堤建設で防災が終わりでなく、大島を未来に残そうと願う一人一人が語り部を継いでほしい」

<南浜つなぐ館>移転オープン シアタールームを新設、震災伝承より詳しく
 東日本大震災の記録や教訓を伝承する施設「南浜つなぐ館」(石巻市南浜町)が移設してリニューアルオープンし、現地で29日、記念式典が開かれた。施設を拡張するとともに展示内容を充実させ、震災について来館者により詳しく伝える施設に生まれ変わった。
 石巻南浜津波復興祈念公園の工事に伴い、従来の施設から約30メートル北東の盛り土した場所に移設。鉄骨平屋で、延べ床面積は従来の約2倍に相当する86.9平方メートルに広げた。
 シアタールームを新設し門脇・南浜地区の被害状況や、震災後の変遷を伝える映像などを上映する。地元住民らが提供した南浜町と門脇町の震災前の写真や、津波で被災した美容院の看板なども新たに展示に加えた。
 式典には関係者ら約20人が出席。同館を運営する公益社団法人みらいサポート石巻の窪木好文副代表理事は「全国で自然災害が相次ぐ中、震災の被災地からより多くの学びを発信したい」と話した。
 施設の拡充、移転費用は約800万円。整備費用の一部には「しんきんの絆」復興応援プロジェクトの助成金を充てた。住民が集う下屋を今後整備するほか、展示内容を充実させる予定で、不足する130万円分をクラウドファンディングで募っている。
 同館は2015年11月、門脇町にオープンし、16年4月に南浜町に移転した。開館は土日祝日の午前10時〜午後3時。


<あなたに伝えたい>孫の作文に賞 遺影ほほ笑む
◎宿泊客に「お父さん」と慕われていた夫/星寿美江さん(宮城県七ヶ浜町)昭雄さんへ
 星昭雄さん=当時(70)= 宮城県七ケ浜町菖蒲田浜地区で、妻の寿美江さん(69)と民宿「星彩」を営んでいた。東日本大震災の発生後、寿美江さんと避難したが、ストーブを取りに引き返した。民宿は跡形もなく流され、昭雄さんは翌月、遺体で見つかった。
 寿美江さん 民宿は海の近くにありました。大きな揺れの後、近くの高台にある長女宅に一緒に避難しました。雪が降ってきて、夫は「ストーブを取ってくる」と言いだしました。引き留めたのですが、行ってしまった。
 その後、夫に会った人がいます。「波来るから逃げろ」と声を掛けると「後から行くから」と答えたそうです。遺体は震災から28日目、内陸部の農業ハウスで見つかりました。家の中に入った後、家ごと流されたのかもしれません。
 夫はかつて遠洋漁業の船に乗り、無線を担当していました。電気に詳しかったので、民宿に長く宿泊していた工事関係の方々から「お父さん」と呼ばれ、好かれていました。
 そうした以前のお客さんが被災地に駆け付けてくれました。岡山県倉敷市から食べ物やガソリンを持ってきてくれた男性たちもいました。「お父さん、亡くなったんですね」と皆、涙を流してくれました。
 孫が遊びに来ると、鉄棒の逆上がりを教えたり、一輪車に乗せたりして、かわいがっていました。おじいちゃんの思い出を書いた孫の作文が震災後、賞をもらったんです。きっと、喜んでいると思う。
 民宿と自宅を津波で失いました。仮設住宅を経て、町内の高台に新居を構え、母と暮らしています。仏壇に置いてある夫の遺影の表情が最近、にこっとしているように見えます。私たちの生活ぶりを見て、安心しているんでしょう。


<松川事件>記憶遺産への推薦見送り 福島大「残念、評価分析したい」
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の日本国内委員会は28日、戦後最大の冤罪(えんざい)事件とされる「松川事件」の関連資料など公募で寄せられた3件について、ユネスコの「世界の記憶」(世界記憶遺産)アジア太平洋地域版への2018年の登録審査に向けた推薦を見送ると発表した。
 松川事件は、福島大が「松川事件・松川裁判・松川運動の資料」として応募。資料を所蔵する同大松川資料室を管理する伊部正之名誉教授は「残念だ。ただ資料の意義や価値を見直すきっかけになった」と申請自体を前向きに捉えた。
 国内委は候補3件を世界的重要性などの選考基準に照らして審査。総合的に評価した結果「推薦すべき物件がないとの判断に至った」と公表した。具体的な理由は明らかにしていない。
 松川事件は1949年8月17日未明、福島市松川町の東北線で列車が脱線、転覆し、機関士ら3人が死亡。旧国鉄などの労働組合員ら20人が逮捕、起訴され、二審で死刑4人を含む計17人が有罪判決を受けた。その後、被告の冤罪を示すメモが見つかり、61年の高裁の差し戻し審で全員に無罪が言い渡され、63年に確定した。
 福島大はNPO法人福島県松川運動記念会(福島市)などによる「登録を推進する会」と連携。事件発生から70年の節目に向けて認定を目指していた。
 今年5月に申請した資料は、所蔵する約10万点のうち約400点。蒸気機関車の写真や裁判資料、冤罪の証拠となったメモのほか、元被告の救済を求めて全国展開された松川運動の記録も含めた。
 関係者は近く、今後の対応を検討する方向。伊部氏は「同じ形で再申請しても展望は開けないだろう。どう評価されたかなど分析、反省したい」と語る。
 「世界の記憶」にはユネスコ本部認定の世界版と、各地域委員会認定の地域版がある。
 見送られた他の2件は「伊能忠敬測量記録・地図」と「画家加納辰夫の恒久平和への提言 フィリピン日本人戦犯赦免に関わる運動記録」。


<民進党>枝野氏、代表選立候補の意向表明
 民進党の枝野幸男元官房長官は29日、さいたま市で講演し、辞任表明した蓮舫代表の後任を選ぶ同党の代表選に立候補する意向を示した。「やりたいことを実現するには、リーダーとしてやらせていただくのが一番適切だと判断した」と強調した。
 代表選には前原誠司元外相も出馬の方針。旧民主党政権の中核だった2人による一騎打ちとなる公算が大きくなっている。若手の玉木雄一郎幹事長代理も依然、可能性を探っている。
 立候補の意向を表明したのは枝野氏が初めて。党関係者によると、代表選は8月21日告示、9月1日投開票の日程を軸に、「党員参加型」で実施する方向で調整が進んでいる。


1年後“認可ありき”裏取引? 加計学園に巨額補助金支給か
 はたして、このまま「加計学園」の獣医学部新設は認められるのか――。加計疑惑の次の焦点は、“文科省大学設置・学校法人審議会”が新設を認可するのかどうかだ。認可の可否は8月末に出される。もし、すんなり認可したら、国民から批判が噴出するのは確実。そこで、とんでもないシナリオが囁かれている。可否の結論を“1年間延期”する代わりに、なんと裏ワザを使って加計学園を資金援助するというのだ。国民は絶対に許してはダメだ。
「政府が手続きに問題はないと繰り返している手前、不認可にはできない。かといって、アッサリ認可すると国民の怒りは爆発する。そこで判断を1年延期する可能性が高くなっています。もちろん1年後の“認可ありき”です」(霞が関関係者)
 “引き分け”みたいなスッキリしない結論だが、加計学園にとって1年延期が大打撃になるのは間違いない。
「今治加計獣医学部問題を考える会」の黒川敦彦共同代表が言う。
「今治のキャンパス新設工事は進んでいて、きりのいいところで工事を中断したとしても、少なくとも50億円の工事代金が発生するとみられます」
 予定通り来春に獣医学部を開学できれば、入学金や授業料、そして私学助成金が入ってくるが、延期となれば少なくとも1年は収入ゼロだ。工事代金50億円を抱える加計学園は経済的に窮地に陥る可能性がある。
■7校に分散すれば目立たない
 そこで、加計学園を経済支援するための驚きのシナリオが練られている、という話が流れている。政界関係者が言う。
「加計学園グループの既存の学校への補助金を上乗せするのです。もちろんいきなり何十億円も増額したら不自然だから、数年に分けて少しずつ上乗せする。複数の学校に分散させれば目立たない。財務省も協力するはずです。バランスをとるため、獣医学部新設を断念した京産大にも補助金を増額する話もあります」
 2015年度の事業報告書によると、加計学園グループへの補助金は7校に合計18億円が支払われている。岡山理科大に7億1600万円、前川前次官に獣医学部申請をプッシュした木曽功元内閣官房参与が学長を務める千葉科学大には3億5000万円。中・高校や専門学校にも出ている。仮に10億円を5年分割にして、単純に7校に振り分ければ、1校当たり年間3000万円程度。何らかの名目で乗っけられる額というわけだ。
 8月末の設置審の判断が注目されるが、舞台裏も見た方がいい。


朝鮮学校判決/共生社会を大切にしたい
 朝鮮学校を高校無償化の対象から外した国の対応をめぐる訴訟で、大阪地裁が「外交的・政治的意見に基づく判断で違法」とする判決を言い渡した。教育の機会均等を保障する理念を重視した司法判断といえる。
 北朝鮮による拉致問題やミサイル発射は許されない。だが、日本で暮らす子どもたちの教育とは切り離して考えるべきだろう。国連人種差別撤廃委員会も差別への懸念を示している。国は対応を見直す必要がある。
 高校無償化は公立学校で授業料を徴収せず、私立校生らには就学支援金を支給する制度だ。朝鮮学校を除く外国人学校には広く適用されている。
 2010年に法が施行され、第2次安倍政権が13年、朝鮮学校を対象外にした。「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と密接な関係がある。拉致問題が進展しておらず国民の理解が得られない」との理由からだ。
 このため朝鮮学校の生徒や法人が、処分の取り消しなどを求め、全国5地裁に提訴した。
 初の判決となった広島訴訟では「国の判断に裁量権の逸脱、乱用があるとは認められない」と原告側が敗訴した。
 今回正反対の判決が出たのは、朝鮮総連との関係について判断が分かれたためだ。広島地裁は、朝鮮総連の支配下に学校が置かれているとした国の主張を認めた。
 一方、大阪地裁は朝鮮総連の一定の関与は認めつつ、「不当な支配」を疑わせる特段の事情はないとした。学校の運営法人が財産目録や財務諸表を作り、理事会も開いているなどとして、運営の適合性も認めた。
 国民の理解を得るには、朝鮮学校側も積極的な情報開示に努めねばならない。
 ただ、高校無償化とは別に、朝鮮学校への補助金支給は自治体の判断に委ねられている。国の方針に合わせて縮小傾向にあるが、兵庫では一部を減額しながらも、他の外国人学校と同様に交付している。
 県内には約150カ国10万人の外国人が暮らす。阪神・淡路大震災のときも、地域で助け合った経験がある。これまで築いてきた多文化共生社会を守り、子どもたちの学びを支える取り組みを大切にしたい。


[朝鮮学校無償化判決]「政治介入」への警鐘だ
 教育を受ける機会を等しく保障するという制度の趣旨に沿った適切な判決である。
 朝鮮学校を高校無償化の対象から外したのは違法として、大阪朝鮮高級学校を運営する「大阪朝鮮学園」が国に処分の取り消しと適用の義務付けを求めた訴訟で28日、大阪地裁は学校側の全面勝訴を言い渡した。
 同種の訴訟は全国5カ所で起こされており、無償化を命じる初の判断だ。
 争点となったのは、無償化の対象外としたことの是非、学校と北朝鮮や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)との関係である。
 国が無償化除外を決めた2012年12月、下村博文文部科学相は「朝鮮学校は朝鮮総連と密接な関係があり、拉致問題が進展しておらず国民の理解が得られない」とその理由を説明した。北朝鮮に対する安倍政権の厳しい姿勢を示す狙いがあったとみられる。
 判決は当時の下村氏の見解を、教育の機会均等の確保とは無関係な「外交的、政治的意見に基づいたもの」と指摘し、違法、無効だと結論付けた。
 拉致問題に厳しく対処するのは当然だとしても、子どもの教育に政治を絡めるべきでないという筋の通った論である。
 国は朝鮮総連との関係を挙げて就学支援金が授業料に充てられない疑念も主張した。しかし判決は「不当な支配」につながる特段の事情を認めなかった。
 適用要件の可否判断にあたり、教育に対する行政の過度な介入を戒めたのである。
■    ■
 高校無償化は経済的負担の軽減と教育機会の均等を目的に民主党政権で始まった。  当初は朝鮮学校も審査の対象だったが、北朝鮮による韓国砲撃で審査が中断。第2次安倍政権発足後、拉致問題などを理由に対象外となった経緯がある。
 全国5カ所で係争中の同種訴訟のうち、今月19日にあった広島地裁判決は国の裁量権を認め、原告側が全面敗訴した。大阪地裁とは正反対の判断である。
 広島地裁は朝鮮学校と朝鮮総連の関係について国の主張を追認するが、もし仮にそうであったとしても両者の関係をただせばいいだけの話だ。生徒に対する支援とは切り離して考えるべき問題ではないか。
 無償化法が、朝鮮学校を除くインターナショナルスクールなど外国人学校に広く適用されているのは、子どもの学ぶ権利を保障する制度だからにほかならない。
■    ■
 朝鮮学校は、戦後、在日朝鮮人たちが母国語を取り戻そうと各地で始めた民族学校が原点である。現在は全国に66校あり、日本で生まれた子どもたちが「ルーツを学びたい」と通うケースが大半だ。
 高校無償化の対象から朝鮮学校を外す対応が、ヘイトスピーチの横行など排外主義を助長している側面を見落としてはならない。
 教育基本法は人種、信条によって差別されないとうたっている。
 政府は今回の判決を重く受け止め、教育上の観点から制度の在り方を見直すべきだ。


モンゴル国籍の横綱・白鵬は帰化しないと親方になれない…国籍差別にならないのか?
自身の記録を更新する史上最多39回目の優勝を決めた横綱・白鵬。今回の名古屋場所では、魁皇の記録を抜き、通算勝利数でも歴代トップに踊り出た。しかし、そんな偉大な横綱がこのままでは引退後、相撲協会の運営には携われない可能性があるという。
白鵬はモンゴル出身で、現在もモンゴル国籍。しかし、引退後、親方になるのに必要な「年寄名跡」の襲名継承には、日本国籍を有することが条件となっている(日本相撲協会寄附行為施行細則)。
規定がない「一代年寄」(偉大な功績を残した横綱に与えられる一代限りの名跡。現役時代のしこ名で親方を務められる)になれば、国籍に関係なく親方になれそうだが、相撲協会はこれまで、外国籍の白鵬には与えないとの見解を示している。
報道によると、白鵬には帰化の考えがあるとされているが、こうした対応は法律的に問題ないのだろうか。たとえば、7月22日付の東京新聞朝刊では、小倉秀夫弁護士が、国籍による差別を禁じた労働基準法3条に抵触すると指摘しているが、どう捉えたら良いのか、指宿昭一弁護士に聞いた。
●ポイントは力士の労働者性、「力士=労働者」という裁判例も
「労基法3条をめぐっては、在日朝鮮人であることを隠すため、履歴書の氏名欄などに日本名を書いたことを理由に、内定を取り消したことが無効とされた判例があります(日立製作所事件・横浜地裁昭和49.6.19判決)。また、外国人研修・技能実習生と日本人労働者の住宅費・水道光熱費に格差を設けることは認められないとして、差額賃金等請求を認めた判決もあります(デーバー加工サービス事件・東京地裁平23.12.6判決)」
しかし、そもそも力士は「労働者」と言えるのだろうか。
「力士は、各部屋ではなく、相撲協会と役務提供契約を結び、十枚目以上の力士は月給を、幕下以下の力士養成員は本場所手当をもらっています。力士の契約が 労働契約かどうかについて判例の結論は分かれており、労働契約としているもの(東京地裁平20.10.30決定)と、労働契約ではないとしているもの(東京地裁平23.2.25決定、東京地裁平25.3.25判決)、この点について判断をしていないもの(東京地裁平22.3.1判決)があります」
もし、相撲協会と力士の契約が労働契約と言えるのであれば、白鵬に対する取り扱いはどう考えられるのだろうか。
「その場合は、労基法3条の国籍差別の禁止に違反する可能性があります。ただし、年寄名跡や一代年寄を力士に与えることが『労働条件』に該当するかどうかは若干微妙で、争いはあるでしょう。
とはいえ、労基法3条の労働条件には、退職に関する条件も含まれます(昭63.3.14基発150号)。引退後、相撲協会の運営に関わったり、親方になったりする権利を伴う年寄名跡や一代年寄の制度が、労働条件に該当する可能性はあると思います」
では、力士と相撲協会の役務提供契約が、労働契約に当たらなかった場合はどうだろうか。
「仮に、労働契約に当たらなくても、労働契約類似の契約ではあります。労基法3条が類推適用される可能性はありますし、すべきだと思います。
外国人力士を受け入れて、活躍してもらうなら、力士引退後の処遇について、差別すべきではありません。相撲協会と力士の契約が労働契約ではなかったとしても、外国人力士に、年寄名跡や一代年寄になるチャンスを与えないのは、憲法14条1項の平等原則に反し、許されないことだと思います」
指宿弁護士はこのように話していた。
(弁護士ドットコムニュース)指宿 昭一(いぶすき・しょういち)弁護士 労働組合活動に長く関わり、労働事件(労働者側)と入管事件を専門的に取り扱っている。日本労働弁護団常任幹事。外国人研修生の労働者性を認めた三和サービス事件、精神疾患のある労働者への使用者の配慮義務を認めた日本ニューレット・パッカード事件、歩合給の計算において残業代等を控除することは労基法37条違反かどうかが争われている国際自動車事件などを担当。


相模原事件1年  障害を受け入れる社会に
 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負った事件から1年が経過した。
 植松聖被告(27)は逮捕直後から「障害者はいなくなればいい」と主張した。被告の独善的な主張は市民の心を揺るがし、この社会に潜む差別意識や悪意を浮かび上がらせた。誰もが認め合う社会をどうつくるのか。事件は重い課題を突きつけている。
 事件は昨年7月26日未明に発生した。植松被告は神奈川県警に逮捕され、横浜地検による5カ月間の鑑定留置で刑事責任能力を問えるとして今年2月、殺人や殺人未遂など六つの罪で起訴された。
 公判はまだ開かれておらず、植松被告の真意や事件に至る詳細は明らかになっていない。だが、被告が逮捕直後の考えを今も変えていないことが伝えられている。
 インターネット上には被告に共感する匿名の書き込みもあるという。知的障害者の家族を対象にしたアンケートでは、7割近くが、事件後に障害者を取り巻く環境が悪化したと答えている。
 被害者の遺族の多くはいまも名前を公表していない。郊外の津久井やまゆり園で子どもが暮らしていること自体を伏せてきた家族も少なくないという。
 障害者やその家族が、差別や偏見を恐れて暮らす現状はまったく変わっていない。どうすればこうした状況を打開できるのだろうか。
 長男に重度の知的障害がある久保厚子さん(知的障害者と家族でつくる全国手をつなぐ育成会連合会会長)が本紙のインタビューで語った言葉に、そのヒントがあるのではないか。
 「多くの人は心の奥底に『障害者は迷惑な存在だ』との思いを抱いていることを認識しないといけない」
 久保さんは、障害のある子を持つ親にもそうした考えがあることや、他の子と比べて優劣をつけたりすることがかつての自分にもあったと打ち明ける。
 障害者を排除してしまう気持ちは実は誰にでもある。大切なことはそれを認め、障害者がいることが当たり前の社会を実現することだと指摘する。
 障害者に限らず、高齢者や妊娠中の女性をはじめ、支援や理解を必要とする人は少なくない。大切なのは、その存在に気付く想像力ではないか。駐車場の障害者用スペースに車を止めない。多目的トイレを長時間使わない。こうした配慮も想像力があれば難しい行為ではない。
 事件の再発防止策については慎重な議論を求めたい。
 植松被告は精神障害治療の措置入院から退院して4カ月後に事件を起こした。このため、厚労省は警察も含む行政が精神障害者に関与を強める精神保健福祉法改正案を国会に提出した。精神障害の当事者や家族は「治安目的の監視」と強く反発している。
 精神障害者の福祉は十分ではなく、改善しないままでは反発が起きるのも無理はない。拙速な法改正は新たな差別を生む可能性もある。慎重な検討を望みたい。


脱ガソリン車に動く欧州 日本の対応遅れが心配だ
 英国政府が、ガソリン車やディーゼル車など化石燃料を使う自動車の販売を2040年までに禁止すると発表した。深刻化する大気汚染対策の一環だ。すでにフランスが同じ方針を打ち出し、ドイツやオランダでも同様の動きがある。
 モーターで走る電気自動車への移行が、欧州を皮切りに世界で加速するだろう。自動車業界にとどまらず製造業やエネルギー産業を揺るがす大変革の始まりでもある。
 トヨタ自動車など日本の主要メーカーは、エンジンとモーターを組み合わせたハイブリッド車で先行した。次の段階として、水素を燃やして走る燃料電池車の普及を狙うが、電気自動車では欧米のほか中国など新興国にも立ち遅れている。
 スウェーデンのボルボは、19年から新型車種すべてを電気自動車化し、独ダイムラーや独フォルクスワーゲンも今後数年の間に10〜30車種を売り出す。米テスラ・モーターズや中国のBYDなどの新規参入企業はすでに量産体制を築いた。
 一方、トヨタが量産化に向けた本格的な組織を作ったのは昨年末である。そこには電気自動車に傾斜できない事情もあった。
 従来の自動車は、燃料をエンジンに噴射して爆発させ、その力を変速機を通じて車輪に伝え、排ガスはきれいにする。一連の複雑な動きを支える部品の数は2万を超える。
 だが、簡素な仕組みの電気自動車なら1000に満たない。電池とモーター、それらを制御する電子装置があればいいからだ。
 事業構造は大きく異なり、部品を扱う関連産業の裾野の広さと抱える雇用の厚みに相当の差がある。従来型で優位に立つ日本メーカーには失うものが多すぎ、大胆な方向転換は難しかったわけだ。
 今後、電気自動車が主流になれば、関連産業や雇用への打撃は避けられない。化石燃料の消費量や価格、電力需要にも影響を与えるだろう。
 産業界だけの問題ではない。
 日本政府も英国などと同じ方向に進むのか。大がかりな設備が必要な燃料電池車に力を入れ、「水素社会」を国策に掲げ続けるのか。
 日本経済と国民生活を左右しかねない構造変化が待つだけに、影響を見極めているような時間はない。


核のごみ処分地 押し付けてはならない
 政府は原発由来の高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分地選定に向け、適地を地図に示した科学的特性マップを公表した。
 火山や活断層の周辺を除く適地の中から、受け入れ自治体を絞り込みたい考えだ。
 しかし、地震多発国の日本にそもそも安全な適地があるのか。懐疑的な専門家も少なくない。
 処分地を自治体に押し付けるようなことがあってはならない。
 最終処分は原発の使用済み核燃料の再処理を柱とする核燃料サイクルを前提としているが、サイクル自体が事実上、破綻している。
 現行の原子力政策を根本的に見直す国民的議論が欠かせない。
 最終処分は、原発の使用済み核燃料を再処理する際に出る放射性廃液をガラスで固めて地下300メートルより深い地層に埋める方法だ。
 マップは火山周辺15キロなどの「好ましくない地域」と、それ以外の適地を色分けした。適地は国土の7割弱、海上輸送で核のごみを搬入しやすい海岸から約20キロ以内の最適地は3割となった。
 道内の最適地は陸地の3割で、80以上の市町村が対象となる。
 核のごみ問題の解決は現世代の責任だとしても、最終処分には、あまりにも疑問が多い。
 複数の巨大なプレート上にある日本列島は、地震が多発し火山も多い。10万年も先まで絶対に安全と言える場所があるのか。こうした当然の疑念に国が十分に答えてきたとは言い難い。
 核燃料サイクルの要となる再処理施設は稼働のめどさえ立たず、再処理してつくる燃料を燃やす高速増殖原型炉もんじゅも廃炉が決まった。八方ふさがりの状況だ。
 そんな中、核のごみ問題に対処する際、参考になるのは日本学術会議が示した見解である。
 同会議は5年前、地層処分について「現時点の科学的知見の限界」を指摘した。一昨年には、国民の合意形成や適地選定のため、地上で核のごみを50年間、暫定的に保管するよう提案した。
 東京電力福島第1原発の事故が起きて以来、国民は原子力政策に不信感を募らせている。現状のままで処分地選定を進めても、理解は得られまい。
 政府は、調査を受け入れる自治体に交付金を出す方針である。過疎化や財政難に悩む自治体をカネで釣るような手法は慎むべきだ。
 北海道には、核のごみを「受け入れ難い」とする条例がある。政府は、地方から注がれる視線の厳しさを忘れてはならない。


[核のごみマップ] 原子力見直しが先決だ
 国の原子力政策への信頼が揺らいでいる中で、どう進めようとするのか注視する必要がある。
 経済産業省は、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分の候補になり得る地域を日本地図上に示した「科学的特性マップ」を公表した。
 火山や活断層が周囲にない適地は全国の都道府県に存在する。国土の約7割を占め、うち海岸から近く最適とされた地域のある自治体は全市区町村の過半数の約900が該当する。
 経産省は自治体名などを公表していないが、鹿児島県内で最適とされる地域が一定程度まとまって含まれるのは、南日本新聞社の集計で全43市町村のうち36市町村に上る。
 経産省は、自治体に受け入れ判断を求めるものではないと説明する。候補地として手を挙げる自治体を待つ一方、国からも複数の自治体に調査への協力を求めながら段階的に処分場の建設地を絞り込んでいく考えのようだ。
 核のごみが存在する以上、最終処分をどうするかの検討は避けて通れない。マップの公表をきっかけに国民的議論を喚起しようという国の狙いは理解できる。
 しかし、真に国民の理解を得ようとするなら、徹底的な原子力政策の見直しが欠かせない。なぜなら、処分場立地促進の目的は原発推進にあるからだ。
 福島第1原発事故後の「原発回帰」路線を転換し、再生可能エネルギーなど原発に頼らない社会に向けて中長期的な方針を明確に打ち出すことが先決である。
 脱原発にかじを切れば、国民の処分への姿勢も変わりうる。今の方針では過去の処分場選定の取り組み同様、地域社会の分断を招き計画が頓挫する可能性は高いと言わざるを得ない。
 最終処分は2000年に法律が制定された。地下300メートルより深い岩盤にガラス固化体として埋め、放射線量が低くなる数万年から約10万年先まで生活環境から隔離して処分するという考え方だ。
 適地とされた鹿児島県内の地質について、研究者からは「火山噴火や断層の知見が十分反映されず、科学的とはいえない」「活断層が潜む可能性を否定できない場所が多数あり、調査が進んでいない」といった指摘が出ている。
 そもそも万年単位の超長期間、安全に地層処分ができるのかどうかは誰にも分からない。
 国はまず、秋以降に最適とされた地域で重点的に説明会を開く段取りだ。候補地選定へ向けた調査への理解を広げる糸口になるのか第1の関門が待ち受ける。


最終処分地マップ/時間をかけて難題解決を
 原発の高レベル放射性廃棄物について経済産業省は、最終処分に適している地質環境かどうかを基準に日本全国を塗り分けた地図を公表した。経産相は「処分実現に向けた長い道のりの最初の一歩」とした。
 当初予定からは遅れた公表だったが、極めて慎重を要する問題であり、環境影響などの課題を一つ一つ解決しながら、具体的な道筋を探らなければならない。
 国は2015年、処分のための調査受け入れについて、自治体から名乗りを上げてもらうそれまでの方式を改め、国が科学的な有望地を示した上で複数の自治体に申し入れる方針を明らかにした。今回の公表はその一環だが、有望地という言葉が誤解を招くとして「科学的特性マップ」と言い換えている。
 今回の地図では、活断層や火山の周辺など地下の安定性に問題がある地域、資源探査などで今後地下利用があり得る地域などを塗り分けたが、地震や火山噴火などの影響をどれだけ加味するか、今後の調査が必要だ。
 未知の活断層による地盤の変動、火山噴火の規模や時期の想定は難しい。比較的安全とされている地域にリスクが潜む場合もある。国民に十分に周知し、共通理解を深めていかなければならない。
 原発は核のごみ処分を単独で解決することはできない。当初計画では、高レベル放射性廃棄物を入れたガラス固化体を20年までに処分するとしていたが、11年の東京電力福島第1原発事故で原発の多くは停止。一方で、原発敷地内に置かれる廃棄物の総量は増加している。
 問題は、高速増殖原型炉もんじゅの廃炉決定などで核燃料サイクル政策が行き詰まったことだ。使用済み核燃料を再処理せずに処分する「ワンススルー方式」は今のところ現実味はないが、地層処分の前提となる原子力政策、再処理政策の再構築は待ったなしだ。
 政府が原発再稼働を推し進めるのに最大の障害は、トイレなきマンションと評される核のごみ処分の不備だ。マップ公表はその前段階となるが、現状では自治体に調査を申し入れても立地が進むとは思えない。
 仮に自治体が名乗りを上げても、過去に各地で起こったような、受け入れ可否を巡る激しい議論が予想され、大きな壁が立ちふさがる。
 まずはマップの塗り分けの意味を、リスクを含めて丁寧に説明し、科学の最新の知見によって基準や処分方法を常に検証することだ。そのプロセスをオープンにして国民の疑問や不安に繰り返し答えることが遠回りでも優先すべきで、コンセンサスづくりを進めるべきだ。
 原子力発電は戦後のエネルギーを支えた。その結果として生まれた廃棄物の処理は先送りしてはならない課題だった。そのための合意形成には時間がかかりすぎている。国は自治体や住民の協力をどう取り付けるか、これからが正念場だ。
 日本学術会議は15年、高レベル放射性廃棄物を50年間は地上で保管し、時間をかけて社会的合意を図ることを提言した。このような難しい課題を解決するための一つの考え方であり、地道で息の長い取り組みが求められる。


【核ごみ地図公表】国民の理解には程遠い
 原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)を地下に埋める最終処分場の適地はどこか―。経済産業省が基礎資料となる「科学的特性マップ」を公表した。
 適、不適を4色で分類した、その日本地図に驚かざるを得ない。火山や活断層などがある地域を除き、国土の7割近くが適地に位置付けられたからだ。
 高知県内も、室戸岬周辺などごく一部を除き、ほぼ全域が入った。しかも34市町村全てに「輸送面でも好ましい」最適地が含まれる。
 経産省は秋から最適地を重点に説明会を開く考えだ。選定に向けた調査への理解を自治体や住民に求めたいとしている。
 だが、現状では国民理解には程遠いのではないか。
 処分場は地下300メートルより深い場所に整備し、10万年先まで核のごみを隔離する計画だ。火山や地震が多い日本で、本当に安全が維持できるのかなど疑問は多い。
 そもそも処分場問題は、政府や、事業を担う原子力発電環境整備機構(NUMO)への不信が根深い。
 2007年、全国で初めて文献調査に応募した東洋町は町を二分する論争になり、町長の辞職、新町長の誕生を経て応募を取り下げた。
 地方の小さな町を混乱に陥れた一因は政府やNUMOの姿勢にある。住民の理解や信頼を重視せず、巨額の交付金というアメをちらつかせて過疎に悩む地域を揺さぶった。
 日本の原子力政策は疑問だらけだ。50基以上の原発を抱えながら処分場がなく、「トイレなきマンション」とまで批判されてきたが、政府や業界は先送りし続けてきた。
 核のごみは、使用済み核燃料の再処理によって生じる。再処理と再利用を進める「核燃料サイクル」事業が前提になっているが、いまだ事業は実現しておらず、事実上、破綻状態にある。
 その結果、各原発や再処理施設内には、行き場を失った使用済み核燃料計1・8万トンがたまっているありさまだ。
 福島第1原発事故によって脱原発を望む国民の声も強まっているが、政府は原子力を依然、「重要なベースロード電源」と位置付ける。原発再稼働を推し進め、廃棄物は増え続ける可能性がある。
 原子力を利用する以上、廃棄物が出る。どこかに処分場を造り、安全に保管する必要がある。子孫への私たちの責務でもあろう。
 政府もそれを強調し、マップの公表によって、処分場選定の論議を活発化させたい考えだ。
 しかし、政府や業界が過去を反省し、政策や姿勢を改めなければ、処分場問題は前進しまい。脱原発への道筋を示し、廃棄物を増やさない方向性を打ち出すことも受け入れの大前提ではないか。
 経産省は完成したマップを「処分場決定に向けた長い道のりの最初の一歩」と意気込むが、先行きは見通せない。


核ごみマップは「科学的でない」 立石新潟大名誉教授が講演
 【豊富】幌延深地層研究センター(宗谷管内幌延町)で研究されている高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の地層処分をテーマにした全国交流会が29日、同管内豊富町で2日間の日程で始まった。初日は新潟大の立石雅昭名誉教授(地質学)が講演し、政府が28日に公表した、核のごみの最終処分に適した地域を示す「科学的特性マップ」について「科学的とはいえず、国民の理解が得られるとは思えない」と批判した。
 住民団体「核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会」などでつくる実行委が主催。立石名誉教授は、東京電力柏崎刈羽原発の安全管理について新潟県に助言・指導する専門家会の委員を務める。


揺れる連合 労働者守る原点に返れ
 連合が揺れている。労働時間規制に関する法律改正をめぐり、執行部の判断が内部から反発を招き、方針を撤回する羽目に陥った。
 組織内の意思疎通はどうなっているのか。執行部は一体どこを向いているのか。そんな懸念を抱かせた。
 問題となったのは、高収入の一部専門職を残業代支払いなど労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」。連合の神津里季生会長が今月中旬に安倍晋三首相と会い、同制度の内容修正を求めたことだ。
 これは、条件付きながら、事実上の容認に他ならない。それまで「残業代ゼロ法案」「過労死を促進する」などと反対してきた労働界には転換は認め難いはずだ。
 連合執行部が政府と水面下で交渉したと伝えられ、傘下の労組には「寝耳に水」だった。労組内外から厳しい批判の声が沸き起こるのは当然と言えよう。支持政党である民進党との亀裂も深まった。
 働く人たちが連合本部前で抗議デモを展開するという異例の出来事も起きた。連合内部の動揺は大きかったに違いない。
 高度プロフェッショナル制度が導入されるか否かは、労働時間規制にとって分岐点になりかねない局面だ。それだけに、意見を集約せずに上層部だけで重大な判断を下したのは疑問だ。
 結局、容認撤回を余儀なくされた。臨時中央執行委員会で見送る方針を決め、神津会長が謝罪した。傘下の労組から不信を買ったばかりか、政界、経済界から足元を見透かされた。威信は低下し、深い傷を負った。
 この問題は会長選びに波及。神津氏が10月に任期満了となり、逢見直人事務局長の就任が有力だったが、政権側との交渉の窓口となって主導したのが逢見氏だったことで、人事構想は流動化した。
 傘下労組からの批判に加え、政府内からは「けじめ」を求める声も聞こえるという。体制への影響は免れないのではないか。
 労組の組織率低下に歯止めがかからない。労組に対する期待が薄れているとも指摘される。今こそ労働者の権利を守る原点を見つめ直したい。
 連合は地域での地道な活動も行っている。例えば若者をめぐる労働トラブル増加を受けては、ルールを学ぶ講座を各地で開設。2年前からは岩手大でも提携して開講、学生の意識向上につなげている。また、今夏は盛岡市で、教職員の長時間労働是正を訴えるシンポジウムを共催した。
 労働界を代表する日本最大組織の連合に託される役割はなお大きい。その責務を自覚し、今回の混乱を重い教訓としなければならない。


辺野古再提訴 負担軽減の訴えは切実だ
 基地負担軽減を目指すという一方で、新基地建設を着々と進める。国の姿勢に沖縄県が異を唱えるのは当然だろう。
 沖縄県は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設工事差し止めを求め提訴した。
 政府が県規則に定められた翁長(おなが)雄志(たけし)知事の許可を得ずに「岩礁破砕」を行うのは違法と主張した。判決まで工事を中断させる仮処分も併せて申し立てた。
 国は全面的に争う方針で、辺野古移設に向けた工事を進めていくと強調した。
 翁長氏は2015年、辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消した。この処分に関して国と沖縄県が訴訟で争い、県が昨年敗訴している。双方の対立は再び法廷に持ち込まれることになった。
 今回の訴訟は県が不利との見方が強いが、翁長氏は敗訴しても、埋め立て承認の撤回などあらゆる手段に訴える構えだ。
 国は翁長氏が次の手を繰り出すことも計算に入れて、対抗策を準備している。
 今回の訴訟でどんな判決が出たとしても、双方の対立が解消しないのは明白だ。むしろ激化することが予想される。
 沖縄県では来年2月には名護市長選、12月には県知事選が行われる。いずれも辺野古移設が最大の争点になることが予想されるからである。
 解決の糸口を探るには、話し合いしかない。国は埋め立て工事をいったん中断し、県と向き合うよう改めて求めたい。
 安倍晋三首相は先日、6月に亡くなった大田昌秀・元県知事の県民葬に参列し、「大田氏が心を砕いた基地負担軽減に引き続き全力を尽くしていく」と強調した。
 大田氏は、1996年に日米両政府が普天間返還に合意した時の知事だ。大田氏は普天間の危険性は訴えたが、県内移設には反対を貫いている。
 安倍首相は、大田氏が基地のない沖縄を追求したことを忘れないでもらいたい。
 また、安倍首相は同席した翁長氏とは一言も言葉を交わさなかったという。
 自らと異なる意見には耳を貸さず、強引に政策を進めようとする姿勢が内閣支持率急落の背景にあることも指摘しておきたい。
 沖縄は今年、本土復帰45年を迎えた。日本の国土の0・6%にすぎないのに、今なお在日米軍専用施設の70%が集中している。
 米軍は今年に入って、日本政府が訓練見合わせを要請した基地で危険なパラシュート降下訓練を相次いで行った。
 夜間や早朝の飛行訓練による騒音被害は常態化している。裁判を起こしても、米軍機の飛行差し止めを退ける判決が続いている。
 沖縄県民は復帰によって基地負担が大幅に軽減するよう願ったが、かなわなかった。
 辺野古に新たに基地が建設されれば、沖縄の苦しみはさらに続くことになる。
 子や孫が平和に暮らせる沖縄を築きたいとの訴えは切実だ。国はしっかり耳を傾けるべきである。


辺野古差し止め再提訴 政府へのやむにやまれぬ抵抗
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画を巡り、沖縄県と政府がまた法廷で争うことになった。 移設には県民の多くが反対している。現場周辺で抗議活動が繰り広げられる中、政府は4月から工事を強引に進めている。既成事実化しようとする基地建設への対抗策として、翁長雄志知事は工事差し止めを求めて那覇地裁に提訴した。自治体と政府が対話なく法廷闘争を繰り返す異常な事態を深く憂慮する。
 今回、県が問題視したのは工事の手続きにおける違法性だ。漁業権が存在する海域の岩礁破砕には知事の許可が必要との規則があり、前知事が出した許可の期限は3月末に切れたと主張する。過去には、自治体は条例や規則に従わせるために訴訟を起こせないとの最高裁の判例がある。にもかかわらず提訴に踏み切ったのは、政府が「辺野古が唯一の解決策」と民意に耳を傾けないからだ。やむにやまれぬ抵抗であり、県をここまで追い詰めたことを政府は猛省せねばならない。
 政府は、地元の漁協が既に漁業権を放棄しているとして「許可は不要」と反論。埋め立て承認を巡り、昨年12月に最高裁で県側敗訴の判決が確定し、法的問題は決着済みだとして全面的に争う構えをみせる。さらに翁長氏への損害賠償請求もちらつかせ、圧力を強めている。これでは泥沼化するばかりだ。
 県と政府の対立は根深い。先月亡くなった大田昌秀元知事の県民葬に参列した安倍晋三首相は「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」と追悼の辞を読み上げた。席に戻ろうとする首相に向け「基地を造ったら沖縄が戦場になる」と訴える女性の声が会場に響いた。負担軽減すると言い続けながら、在日米軍専用施設の7割を小さな沖縄に押し付ける構図が一向に変わらないことに、いら立ち、反発するのは当然といえよう。
 大田氏はかつて「日本の安全保障は沖縄だけでなく、国民が等しく負担すべきだ。そうでなければ差別である」と語った。沖縄は先の大戦で、本土の「捨て石」とされ、終戦後も朝鮮戦争やベトナム戦争など米国の戦争と隣り合わせにあった。米兵らによる事件、事故は後を絶たない。苦難の歴史を顧みれば、沖縄の声は無視できるはずはなく、これ以上の差別的な犠牲を強いることは到底許されない。
 基地問題は、司法の場で手続きの法律論を詰めるだけでは改善しないだろう。昨年6月、総務省の国地方係争処理委員会は「普天間飛行場返還という共通目標の実現に向け、真摯(しんし)に協議し、納得できる結果を導く努力をすることが解決への最善の道だ」と提言した。政府のかたくなな姿勢こそが解決の道を閉ざしている。政府は「辺野古ありき」ではなく、沖縄全体の負担軽減の実現の道を探る必要がある。そのための安保政策の抜本的な練り直しを米国と本気で交渉するべきだ。


外相・防衛相兼務 首相経験者「絶対に無理」 職務集中、利益相反も
 北朝鮮が二十八日深夜に大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射し、半日前に防衛相を兼務したばかりの岸田文雄外相が対応に追われた。政府は「一人二役」でも問題ないと不安の打ち消しに懸命。八月三日にも見込む内閣改造まで乗り切る構えだ。しかし、事態が深刻化したときに岸田氏一人で対処できるのか疑念の声も上がる。野党は有事の際に支障が出るのは明らかと批判した。
 岸田氏は二十八、二十九両日、東京・霞が関周辺を慌ただしく往来した。二十八日午前は閣議や記者会見に出席。午前十一時五十分に防衛相兼務の発令を受け、午後には防衛省に入って北朝鮮情勢を含めた説明を聞いた。ICBMが発射されると二十九日午前零時半すぎには首相官邸へ。国家安全保障会議(NSC)に出た後、防衛省へ移動する。外務省に立ち寄り、帰途に就いたのは午前四時前だった。
 寝たのもつかの間、外務省に戻り米韓両国外相とそれぞれ電話で会談。午後は官邸でNSCに出席し、防衛省でも対応に当たった。
 一、二日ならこうした対応が可能でも、一触即発の事態に陥った場合に問題はないのか。首相経験者の一人は「絶対に無理だ」と指摘する。安保上の対応に忙殺される一方、外交交渉も多忙を極めるのは確実だからだ。「安倍首相は内閣改造まで事態は急変しないと踏んでいるのだろう」と判断を疑問視した。
 外務、防衛両省の主張が衝突するケースもあり得る。在外邦人輸送は外相が防衛相に依頼し、防衛相は自衛隊の安全を確保できる範囲で派遣を命じるが、両省の安全判断が一致するとは限らない。政府は「利益相反」の事態も想定したのか、NSCには若宮健嗣防衛副大臣も出席させた。
 共産党幹部は「防衛相不在の空白を北朝鮮に狙われたのでは」と批判した。
◆「最大限の圧力」米国務長官と一致 対北で電話会談
 岸田文雄外相は二十九日午前、ティラーソン米国務長官と電話会談し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射した北朝鮮に「最大限の圧力」を加える考えで一致した。韓国の康京和外相とも電話会談した。


受刑者のアイドル「Paix2」、刑務所全国ツアー「Prisonコンサート」17年の思い出
少年院や刑務所などの刑事施設では、被収容者に対する教育またはレクリエーションとして、歌手や音楽家などが歌や演奏を披露する「慰問行事」が定期的に開催される。そんな慰問行事において、被収容者たちから「受刑者のアイドル」と呼ばれ、絶大な支持を得ている女性デュオがいることをご存知だろうか。
「Paix2(ペペ)」の北尾真奈美(以下、まなみ)さん、井勝めぐみ(以下、めぐみ)さんは、2000年からマネージャーの片山始さんが運転する車で全国各地の刑事施設を巡り「Prisonコンサート」を続けている。
彼女たちの元には、日々、受刑者たちからの感想文が届くほか、SNSを通じて元受刑者たちからも、かつて刑務所で見た「Prisonコンサート」の感想が寄せられるのだという。この17年間、2人はどんな思いを胸に活動を続けてきたのだろうか。(ライター・高橋ユキ)
●● デビュー前は「看護師」と「技術補佐員」
――Paix2の結成の経緯と「Prisonコンサート」を始めることになったきっかけを教えてください
めぐみ「結成のきっかけは1998年の『日本縦断カラオケ選抜歌謡祭』鳥取大会でした。私たち2人は鳥取県出身で、この大会に出場していました。それまで特に接点はなかったのですが、たまたま続き番号になったんです。大会の後、当時主催者側にいた片山さん(現・マネージャー)が『2人でやってみたらどうか』と声をかけてくださり、2000年4月にインディーズデビューをしました。それまで私は看護師、まなみは技術補佐員、2人とも仕事をしていましたね」
まなみ「その年の9月に1日警察署長というのを地元の鳥取県でやりました。その際、署長さんに『歌が爽やかだから、そういう施設に行って歌ったら喜ばれるんじゃないですか』と言われて。私たちも勉強になるだろうし、じゃあ行ってみよう、ということで、3ヶ月後の12月2日、初めて鳥取刑務所でコンサートをやりました」
めぐみ「当時私たちは鳥取県を中心に活動をしていて、新聞やテレビ、ラジオなどに出ていたんです。そのため地元の職員さんもPaix2の存在を知ってくださっていたので、短期間の間で実現できたという感じです」
●受刑者の反応が「やけにノリが悪い感じ」だった理由
――受刑者たちの反応はどうでしたか?
まなみ「立ち上がってもダメですし、腕や足を組むこともダメなんです。あと刑務所は夏でも冷房は入っていないので、とても暑いんですよね」
めぐみ「聴き方にもルールがあります。姿勢良く座り、歌い終わった時の拍手のみして良いというのが本来の規則です。私語もダメですね。でも最初は私たちもルールを知る前にステージに立ったので『やけにノリが悪い感じなんだなぁ』というのが第一回目の感触でした」
まなみ「反応はないしね。それまで小学校とか、観客がざわざわしている中で歌うことが多かったんですが、急にこういう感じでしたから、おかしいな、と」
めぐみ「受け入れてもらえなかったんだなと感じましたね。後日、感想文が刑務所から届いて、ルールだから皆さん静かに聞いていたんだなということを知って、安心しましたが」
●刑務所コンサートは「ボランティア」
――その後、各地の刑務所から「うちでもやってよ」という声があったりしたのでしょうか
まなみ「いえ、山口県で開いた2回目のコンサートは、私たちが出る予定ではなかったんです。事務所に当時所属していた山口県出身のアーティストさんを当初、打診したのですが、施設側から『鳥取でやられた2人組をお願いします』と言われたんです。
多分施設側としては全く知らない方を入れるよりは、すでに実績があるアーティストのほうが安心できる、ということも多分あったんだと思います。結果的には、それで2度目に山口でコンサートをしたら、そこでも喜ばれて。
じゃあ、メジャーデビューして、何か自分たちの音楽でひとつ特徴付けることをという話になった時に、それなら今まで誰もやったことのない刑務所でのコンサートを全国展開しましょう、ということで、やり始めました」
めぐみ「そこから全国の施設にダイレクトメールを送って、本格的に全国の刑務所での『Prisonコンサート』が始まったのが2002年3月からですね」
――このときの「Prisonコンサート」は、いわば外の世界で言う「全国ツアー」といった趣ですよね。
めぐみ「一番多い年が2003年で40数回、これが一番ピークです。あとはだいたい年間20回前後を刑務所でコンサートしています。回数だけ聞くと、非常に少ないように捉えられがちなんですが、これでも負担は大きいんです。
刑務所でのコンサートは基本的に、朝の9時や9時30分スタートですから、地方では前泊が必要です。さらに、その翌日に別の矯正施設でコンサートの予定があれば、コンサート終了後に次の矯正施設に行って、機材を設営して、その次の日にまたコンサート……というスタイルを取るので、1回コンサートに行くと2〜3日、距離が多いと4日かかりますね。
長い時には1日に1600〜1700キロ移動した年もあります。コンサートはだいたい1時間〜1時間半させていただくんですが、実は準備や移動でかなり日数をとられてしまうんです」
●交通費と宿泊費は出るようになったが
――1年の約3分の1はコンサートのために動かれている計算になりますね
まなみ「九州や北海道も全部車での移動なんですが、体力的に一気に九州までは行けないんですよね。それでやっぱりどこか途中で一泊してから九州入りするので、そうすると2日間は要します」
めぐみ「交通費と宿泊費で、すごくお金がかかるんですよね。ですので、ボランティア貧乏でした」
――「Prisonコンサート」はボランティアでやっていたんですか
まなみ「特別矯正監でもある歌手の杉良太郎さんの呼びかけで、2015年に『法務省矯正支援官』に任命していただきました。そこからは、交通費と宿泊費は出るようになったんです。
たまたま杉さんがPaix2をテレビで見てくださったみたいで『こんなにやってる子たちがいるのに、刑務所はなんかやってるの?』みたいな話があったみたいで(笑)。『完全にボランティアです』という話をすると、『それはいかん』となりまして」
めぐみ「それまでの期間は持ち出しです。ボランティアの出費の方が多くて営業で入ったお金が出て行く方が多い時期が長く続きました」
まなみ「だから東京〜鳥取間だったら、一般道で走って向かいました。高速道路も乗るのが大変な時期がありました。社会人のときの貯金でなんとか生活して、節約していましたね」
●「Paix2の歌を聴いて、真面目に頑張ろうと思いました」
――でもそれでも続けることができたのはなぜなんでしょうか? 2003年なんて、自腹で40箇所を回るとなると本当に大変でしたよね。
まなみ「でも、やっぱりやりがいっていいますか、それが一番大きいんですけど、一番最初は、中の人に楽しんでもらおうという思いでやっていたんです。でもやっぱり10回ぐらいコンサートをした時、中に人がいるということは被害者や遺族の方が外にいらっしゃるわけで、これは楽しんでいるだけじゃだめだな、となって。
自分たちの中で何か、お互い考えられる場所としてコンサートをやっていけたらなということで、受刑者の家族から頂いたお手紙を紹介してみたりとか、めぐさんが看護師をやっていたのでそのときの体験談とかもお話しさせていただいたりとか、色々と試行錯誤しながらやっていくようにしました。
そこからちょっと受刑者側の反応も、ステージ中の反応も違う手応えが出てきて、感想文もガラッと変わってきたんです。そして社会復帰した人が徐々に外でのライブの時に会いにきてくれたりするようになって『Paix2の歌を聴いて、真面目に頑張ろうと思いました』とか、そういうメッセージとかももらったりするわけですよ。そこから、これをやり続けていくべきかなという思いが強くなりましたね」
めぐみ「2002年に、鳥取で警察音楽隊とのジョイントコンサートをやったときに駆けつけてくださった元受刑者の方からお手紙と花束をいただいたんです。この方のお手紙が一番最初の社会復帰した方との出会いでした。当時そういう出会いがなくずっと全国を回っていたので、社会に帰られた人はどういう思いになられてたのかなという思いもあったんです。この出会いが早くからあったおかげで多分今も続けてこられているのかなと思います」
まなみ「実際、資金的にもきついし、同じ業界の人から『そんなところで歌ってどうするの』っていうのはすごく言われたんですよ、最初の頃。確かに即売もできないし、歌も広がらない。実際本当にお金は無くなるし、もうやめませんか? という話をしたことも。そんなときに、『歌を聞いて励まされた』という方が現れて。ああ、自分たちのやってきたことは間違いじゃなかったんだな、って」
めぐみ「要所要所で励ましになる出会いとか文章が私たちの元に届くんですよね。そうするとまあ、ハードなのは自分たちだけだから他の人はプラスに受け止めてくれるならやらないといけないんじゃないかと、最終的にはエンジンがそこにかかるようになるんですよね。その繰り返しでした。当時は。辛いなと思ってもちょっと嬉しくなる出来事があって続けてこれました」
まなみ「社会復帰した方から、メールやFacebookで相談とかが届くんです。私たちは2014年から保護司もやらせてもらっているんですが、その以前から保護司と同じ仕事をやってきたと思っています」
――数年前に、東京拘置所の矯正展で初めてPaix2のライブを見させていただきました。『元気だせよ』という曲がのメロディーがとても覚えやすく、しばらくよく歌っていました。Paix2の楽曲は、片山さんや、他の方々による作曲のようですが、まなみさんは作詞をされていますね。何か気をつけていることなどはありますか?
まなみ「塀の中の方も共感してもらえるような詩を作りたいなというのは思って書いていたりします。『ウチへ帰ろう』っていう歌詞もありますが、この秋に、日本酒の歌も作ろうと思っているんです。『日本酒飲んで〜幸せだよね〜』っていうんですけど、それも私は『ウチへ帰ろう』とセットで歌いたいなと思っていて。早く出てこい、社会には楽しいことがあるよ、と」
めぐみ「最近ではそういう新たな発想も生まれています」
鳥取県出身の北尾真奈美(きたおまなみ)、井勝めぐみ(いかつめぐみ)によるデュオ。2000年結成。全国の矯正施設を巡り「Prisonコンサート」を続けている(2017年7月時点で計406回)。2017年11月24日、東京弁護士会などが主催する「民事介入暴力対策全国拡大協議会東京」でも公演予定。http://paix2.com/
【プロフィール】高橋ユキ(ライター):1974年生まれ。プログラマーを経て、ライターに。中でも裁判傍聴が専門。2005年から傍聴仲間と「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。主な著書に「霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記」(霞っ子クラブ著/新潮社)、「木嶋佳苗 危険な愛の奥義」(高橋ユキ/徳間書店)など。好きな食べ物は氷。


共産・穀田氏の国対委員長20年で祝賀会=与野党幹部がエール
 共産党の穀田恵二国対委員長の就任20年記念祝賀会が30日、京都市内で開かれた。1997年9月の就任以来、歴代政権との攻防の最前線に立ってきた穀田氏に対し、大島理森衆院議長ら与野党の国対委員長経験者が党派を超えてエールを送った。
 穀田氏はあいさつで「私たち(議員)は国民から白紙委任を受けたわけではない。(採決強行は)議会制民主主義の土台を崩し、劣化を招く」と述べ、重要法案の徹底審議を求め続ける考えを強調した。
 自民党国対委員長の在任日数最長の大島氏は「(穀田氏は)憲法、国会法、先例で正論を吐く。われわれもたじたじとなる」と指摘。衆院京都1区で穀田氏と議席を争う同党の伊吹文明元議長は「戦友という感じが強い」と語った。


穀田氏の国対委員長20年祝い、与野党重鎮一堂に 京都
 共産党の穀田恵二衆院議員(比例近畿)の国会対策委員長在任20年を祝う集いが30日、京都市内で催された。共産党関係者のほか、国会で激しく論戦を繰り広げてきた自民党や、民進党の重鎮らが一堂に会し、攻防の最前線に立ってきた穀田氏にエールを送った。
 穀田氏は、党派を超えて議会制民主主義の発展を目指すとの思いから、各党の国対委員長経験者や元衆院議長らに参加を要請した。大島理森衆院議長、川端達夫衆院副議長、二階俊博自民党幹事長、竹下亘自民党国対委員長、安住淳民進党代表代行、小沢一郎自由党共同代表、野中広務元自民党幹事長、山田啓二京都府知事ら約300人が出席。大島議長は「日本の政治が全部ここに集まったようでびっくりしている」と話し、会場の笑いを誘った。
 穀田氏は「採決を強行するやり方は、議会制民主主義の土台を崩し、劣化を招いている。私たちは、それを乗り越えて、議会制民主主義が花開く日本をつくる可能性を秘めている」と述べ、国会の場で審議を尽くす必要性を訴えた。
 集いの発起人を務めた河野洋平元衆院議長は、小政党の新自由クラブを率いた経験に触れ「少数意見の尊重が民主主義本来の姿だが、少数者が意見を言うのがいかに難しいかを穀田さんは感じてきたと思う」とねぎらった。
 衆院京都1区で穀田氏と議席を争い続けている伊吹文明元衆院議長は「8回の選挙を戦ったが、一緒にやってきた戦友という感じが強い」と振り返った。28年間続いた蜷川虎三府政の中で共産党が存在感を強めた京都の政治風土を指摘し「権力の座にいたから、権力を使うおもしろさと維持する難しさ、失った時の辛さを(京都の)共産党は体験している。谷口善太郎氏や寺前巌氏のような現場感覚を持つ、人間味のある政治家が多い。だから、立場は違うが穀田先生を敬愛してお付き合いしてきた」と語った。
 京都では1997年にも寺前氏の衆院議員在職25周年祝賀会で、同じ旧京都2区でしのぎを削った自民党の谷垣禎一衆院議員のスピーチが会場を沸かせた歴史がある。共産党の小池晃書記局長は「京都ならでは、だと思うし、穀田恵二ならでは、だと思っている」と述べた。ある出席者は「そうそうたる顔ぶれが『呉越同舟』で集まれたのは、共産党が存在感を持つ京都という地で、他党との調整役の国対委員長を長く務めた穀田氏が呼び掛けたからだろう」と指摘する。


共産 穀田氏祝賀会に「こんなことを…」小沢氏もびっくり
国対委員長在任20周年記念、与野党の重鎮300人ズラリ
 共産党の穀田恵二国対委員長は30日、委員長在任20周年を記念する祝賀会を京都市内のホテルで開いた。大島理森衆院議長や自民党の二階俊博幹事長、民進党の横路孝弘元衆院議長をはじめ、与野党の国対委員長経験者ら約300人が出席。共産党の集まりに与野党の重鎮が名を連ねるのは異例で、野党第1党の民進党が低迷する中、国政選挙や東京都議選で躍進が続く共産党の存在感が際立つ形となった。
 穀田氏はあいさつで「採決強行は議会制民主主義の土台を崩し、劣化を招く」と与党の国会運営に注文。大島氏は「公正中立に物事を判断する時、自民党寄りかなと思えば、穀田氏が何と言うかを考えて判断する」と持ち上げてみせた。
 衆院京都1区で穀田氏と議席を争う自民党の伊吹文明元衆院議長も登壇し「穀田氏は好敵手というより、戦友という感じが強い」と語ると、自由党の小沢一郎共同代表は「顔ぶれといい、パーティー形式といい、共産党がこんなことをするとは思ってもいなかった」と共産党の変化に驚きを見せた。最後には出席者がそろって記念撮影し、政敵同士のつかの間の休戦となった。
 穀田氏は1993年に衆院旧京都1区で初当選し、現在8期目。97年から共産党国対委員長を務めている。【真野敏幸】