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Du Japon à la Bigorre après Fukushima
Le vendredi 11 mars 2011, un important séisme, suivi d'un tsunami dévastateur, a secoué le Japon, causant l'explosion des réacteurs de la centrale nucléaire de Fukushima. Un accident sans précédent qui aura conduit à l'évacuation de milliers d'habitants du secteur touché. C'est cette année-là que, soucieuse de la santé de son fils, Takako Arai a quitté sa ville, située à environ 250 km de Fukushima. La voilà donc débarquée en France, pays d'origine de son compagnon et père de son fils.
≪Mieux de partir≫
≪À l'ambassade de France, on nous disait que c'était mieux de partir, surtout pour les enfants. Je suis donc partie pour la santé de mon fils≫, confie la jeune femme qui vit désormais à Bagnères-de-Bigorre. Après un passage par Tarbes et Vic-en-Bigorre, c'est en effet dans la cité thermale qu'elle a trouvé son bonheur. Son fils, âgé aujourd'hui de 12 ans, s'est vite adapté à ce nouveau pays et s'il parlait déjà le japonais et l'anglais, en y ajoutant la langue de Molière, il est désormais trilingue. Tout comme Takako.
Un changement de pays qui s'est accompagné d'un changement de cap professionnel. ≪Au Japon, j'étais secrétaire. Arrivée à Tarbes, j'ai pris des cours de français, puis je me suis inscrite à l'école des métiers pour suivre une formation de CAP cuisine≫, explique-elle. La pomme n'est pas tombée loin de l'arbre puisque la mère de Takako tient déjà un restaurant au Japon.
Son propre commerce
C'est durant sa formation de CAP que la jeune Japonaise a fait la connaissance de Gérard Duffau, le patron du restaurant bagnérais Courte Echelle, qui l'avait accueillie en stage dans son établissement.
≪Il y en a qui construisent des murs contre les étrangers, moi, je les accueille≫, dit-il, non sans ajouter que ≪bien que son fils soit français, Takako n'a qu'une carte de séjour≫. Son diplôme de CAP désormais en poche, Takako est aujourd'hui inscrite à Pôle Emploi mais envisage sérieusement d'ouvrir son commerce, idéalement aux halles de Bagnères. On lui souhaite de réussir.
Soirée japonaise le 4 août
Invitée par Gérard Duffau dans son restaurant, Takako Arai vous y fera découvrir la gastronomie de son pays lors d'une soirée japonaise, le vendredi 4 août. Le temps d'une soirée, G. Duffau lui confiera en effet les pianos de sa cuisine et, à partir de 19h, elle vous servira, sous forme de buffet chaud et froid à volonté, une belle palette de spécialités de son pays à base de légumes et de viandes, confectionnées à partir de produits locaux de la Bigorre. Sur réservation (limité à 25 personnes), en téléphonant au 05.62.95.57.85.
Viktoria Telek
フランス語
フランス語の勉強?

カントク2でミスに気がついてしまいました.Wの人も気がついていた感じ.わたしは逃げるようにコソコソと消えました.
でもVについてはどうにかしなくてはと思って,訂正メールを送りました.
高橋留美子のめぞん一刻最終巻15巻を図書館から借りて読んでいます.今までのドタバタが少なくなり面白みに欠ける点はありますが,五代君が幸せになるところなので,盛り上がりますね.かなり昔の古いマンガですけどね.

災害住宅と地域の住民、どう融和 補助金巡り溝も
<使途「頭越し」に>
 「被災し苦労して、やっと住まいが落ち着いたのに。反目し合うのは悲しい」。仙台市内の災害住宅の入居者は打ち明ける。
 入居者らは2015年に引っ越し後、地元町内会に加入した。行事などで交流は進みつつあったが昨年、転機が訪れた。
 町内会などで構成する団体は、災害住宅のある地域の住民活動を後押しする宮城県の「地域コミュニティ再生支援事業補助金」を申請。団体は地域の将来を考え防災訓練などの活動費に充てた。
 一部入居者からは「災害住宅があるからこその補助金なのに、(使途を)頭越しに決められた」との声が上がった。町内会側は「同じ地域の一員としてやっていこうと努めてきた。感情的に折り合わないのは残念だ」と肩を落とす。
 補助金で両者に溝が生じ、一時は一部入居者が独自の自治活動を模索する動きにもなった。町内会関係者の一人は「補助金申請の前に、より丁寧に説明していればという思いはある」と漏らす。新旧住民の融和を図る補助金が分断を招いては本末転倒だ。
<難しいバランス>
 同補助金の申請は、災害住宅の整備が早かった仙台市内の団体が先行し、地域の催しなどに活用されている。県内他地域の申請は今後増える見通しで、県は17年度、前年度の2倍の120団体以上の申請を見込む。「同じ事態が起きないとは限らない」と前出の町内会関係者は危惧する。
 県地域復興支援課は「使途を考える過程もコミュニティーづくりの一環」として扱いを地域に委ねる。ただ「『いつまでも被災者優先でいいのか』という声も一部住民にある。バランスが難しい」と明かす仙台市の別の自治会長もいる。
 こうした状況を受け、県は「新旧住民が混在する地域では特に、十分な合意形成ができているか注意を払いたい」と言う。
 被災地のコミュニティー問題に詳しい東北学院大地域共生推進機構の本間照雄特任教授(福祉社会学)は「住民が顔を合わせる機会をつくるために資金は必要だが、活用の仕方によってはマイナスも生じる。行政は金を出すだけでなく丁寧なコーディネートが必要だ」と指摘する。
[地域コミュニティ再生支援事業補助金]東日本大震災後の新たな地域コミュニティー機能の強化を目的に、宮城県が2015年度に創設。復興基金を財源に、災害公営住宅や防災集団移転団地を含む自治会などに最長3年間、世帯数に応じ年間最大200万円を補助する。


<災害住宅と地域>補助金使途、決め方さまざま
 東日本大震災後の新たな地域づくりを後押しする宮城県の「地域コミュニティ再生支援事業補助金」は、新旧住民の交流を促す効果が期待される。地域にとって貴重な資金だが、使途の決め方はさまざまだ。
 仙台市太白区の鹿野町内会は2015年度から補助金を活用し、芋煮会やクリスマス会などを開催。地区内の災害公営住宅「鹿野市営住宅」(62世帯)の住民と交流を進めてきた。
 災害住宅の入居者は町内会に加入。補助金申請は町内会が行うが、使途は全て入居者に委ねる形を採る。「復興のための補助金で、町内会の一般的な活動には使わない」(伊藤文夫会長)方針。入居者の提案で実現したカラオケ会には元々の住民、入居者双方が参加し、地域の一体感が醸成されつつあるという。
 入居者と元々の住民が対等に話し合い、補助金の使途を決めた地区もある。青葉区角五郎2丁目の町内会「角新会」は、災害住宅の入居者が副会長に就任し、両者の協議で茶話会や地域の祭りの費用などに充てている。メリットが全体に及ぶ活動を目指す考えだ。
 新たに住宅街が整備され、被災の有無にかかわらず、全住民が「初顔合わせ」の地域でも補助金が活用される。災害住宅や防災集団移転団地、民間の分譲宅地が集まる若林区荒井南地区の町内会は、昨年12月に発足したばかりだ。
 役員はそれぞれの居住者で構成し活動を話し合う。補助金を使って初の夏祭りを29日に開催した。開沼安則会長は「さまざまな立場の住民がおり、活動が偏らないよう調整に気を配った。ゼロから始まる地域ほど、住民の交流を促す上で補助金の意義は大きいと感じる」と話す。


<災害住宅と地域>合意より納得が必要
 東日本大震災後の被災者の移住に伴う新たなコミュニティーづくりを支援する補助金が逆に交流を分断し、反目し合う原因になってしまっては元も子もない。補助金が、うまく機能するにはどうしたらいいのか。東北学院大地域共生推進機構の本間照雄特任教授(福祉社会学)に聞いた。
 地域の自治力を前提とした補助事業が多く、コーディネートする人材や機能が重要になるが、圧倒的に不足している現状がある。
 被災してさまざまな地域から移住してきた人たちと地域で長年暮らしてきた人たちとでは意識や世代の差があり、活動の蓄積がある既存町内会とは少なからず摩擦も起き得る。
 必要なのは合意より納得。行政はハード事業と同じ感覚で金を出すだけでなく、どういう人がコミュニティーづくりを担うのかをよく理解し、助言する姿勢が不可欠だ。
 熊本地震の被災地でも、コミュニティー形成を支援しようとした外部団体が住民に十分な説明をしないまま事業を進め、反発された例がある。
 コミュニティーは本来、生活と一体だ。被災沿岸部では何十年と続いた濃密な人間関係があり、移住先での再生には時間がかかる。焦ってはいけない。
 高齢化率が高い災害住宅を孤立させない運用も重要だ。将来的に周辺地域と連携しなければ維持できない。入居者の催しにも、近隣住民の参加を呼び掛け、誘導するような細かな配慮が大切になる。


古里で手を合わせる場所を 住民寄付の慰霊碑完成
 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町戸倉の西戸地区で30日、震災の犠牲者を追悼する慰霊碑が完成した。震災後、人口が2割に減った古里で手を合わせてもらう場所を作ろうと住民の寄付で建立した。
 被災した西戸生活センターの跡地約1500平方メートルを「西戸地区復興祈念公園」と名付け、植栽を施した。「大地が揺れたらより高いところへ逃げること」と刻まれた教訓碑、犠牲者氏名碑、観音菩薩(ぼさつ)像を建立した。
 落成式には遺族や住民約100人が出席。仙台市宮城野区の県職員須藤昭弘さん(57)は父仁一さん=当時(78)=を亡くし、母順子さん=同(73)=が行方不明になった。遺族代表あいさつで須藤さんは「地域の子どもから大人まで集まった思い出深い場所に慰霊の場を造っていただき感謝したい」と述べた。
 海から約1キロ離れた西戸地区には約260人が暮らしていた。震災の津波で49人が死亡、行方不明になり、9割の家屋が全壊。現在同地区で暮らすのは約50人となった。
 住民は七回忌を終え、住宅再建も進んだことから慰霊碑の建立を企画した。発起人の阿部寿男さん(76)は「遠い所に移り住んだ住民も多い。古里を訪れた際に立ち寄ってもらい、交流の場になればうれしい」と話した。


被災の海水浴場で運動会 ユニークな競技楽しむ
 東日本大震災で被災した石巻市北上町の白浜海水浴場で30日、海上運動会が開かれた。厚い雲に覆われた天候だったが、家族連れや若者がユニークな種目を楽しんだ。
 海上ゴザ走りやビーチバレーボールなどがあり、浜辺に歓声が響いた。ローションを塗って対決する「ヌルヌルすもう」もあり、見物客の笑いを誘った。
 海上ゴザ走りに参加した石巻市北上中1年の佐藤瑛久(てるひさ)さん(12)は「3年連続の出場。みんなで海で遊べて楽しい」と喜んでいた。
 被災した同海水浴場は2013年から、地元有志が2日間だけ海開きをしてきた。今季は日数を6日間に拡大し、22日から8月6日までの土・日曜に3週連続で浜辺を開放している。
 海上運動会は02年ごろに2回開催され、住民らが震災後の地域づくりにつなげようと15年に復活させた。
 運営する地元の一般社団法人「ウィーアーワン北上」の佐藤尚美代表(44)は「海上運動会は震災後は3回目で、地元で浸透してきた。来年は海水浴場が本格再開する予定。住民の意見を踏まえて準備を進める」と話した。


双葉からの避難者支えたプレハブ店舗 閉店へ
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県双葉町の町民が暮らすいわき市南台の仮設住宅団地で、5年半近く食料品や生活雑貨を販売してきた仮設店舗が8月末に閉店する。経営する同町の食品スーパー社長の松本正道さん(53)は「町民の食生活や気持ちを支えられたとすれば、うれしい」と話す。
 プレハブの仮設店舗「ふたばふれあい処(どころ)」は、2012年3月に開店した。多い時で約245世帯約430人が暮らした仮設住宅団地も、今や87世帯130人と約3割になり、利用客が減少。従業員も減って満足いく品ぞろえができなくなり、松本さんは当初めどとした丸5年を機に閉店を決めた。
 原発事故前は双葉町中心部でミニスーパー「ブイチェーン マルマサ店」を営んだ。突然の避難を余儀なくされ、県内や東京都を転々。避難生活に気持ちが落ち込んだ。店を共に切り盛りした母の万寿子さん(84)や従業員も同じだった。
 「商売をして精神状態を回復させたい」。いわき市に仮設住宅ができると聞いて出店を申し出た。収支は赤字が予想されたが「どこでやっても厳しいなら、双葉の人のために店をやろうと考えた」と振り返る。
 当初は仮設団地の周囲に商店がなく、入居者や近所の人らでにぎわい、昼食時はレジ待ちの列ができた。遠方に避難する町民も立ち寄り、「双葉にいるみたいだ」と言ってくれた。
 仮設団地では8月12日に町民有志グループ「夢ふたば人」が主催する夏恒例の盆踊りがあり、店として焼きそばや鶏の唐揚げなどを販売する。いつもの顔と会話し、懐かしい人と再会して、5年間の感謝を伝える場になる。
 松本さんは今後、検討しているいわき市南部でのミニスーパー開業の準備に入る。市南部の勿来酒井地区では町が町外拠点に位置付ける避難者向け災害公営住宅を整備中で、来春には仮設入居者の多くが移る。「特色ある店にしたい。古里のためにできるだけ協力していく」と先を見据える。


<相馬野馬追>躍動する騎馬武者姿に歓声
 相馬地方の伝統行事「相馬野馬追」は30日、南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地で甲冑(かっちゅう)競馬と神旗争奪戦を開催した。躍動する約440騎の騎馬武者の姿に、スタンド席が沸いた。
 競馬は7レースが行われ、背中の旗指し物をはためかせて計約50騎が疾走した。争奪戦では、花火で打ち上げられた神旗を目指して250騎が激突した。
 今年の入り込み客数は祭場地と沿道合わせて約8万8000人(前年比1万人減)。友人と訪れた茨城県常陸太田市の主婦野上英子さん(59)は「伝統を感じたし、馬も愛らしくて見ていて楽しい。また来たい」と話していた。


「カツオの街気仙沼」発信 準備不足で盛り上がらず
 生鮮カツオ20年連続水揚げ日本一を誇る気仙沼市が、「カツオの街・気仙沼」の発信に苦労している。今年から7月第3月曜日の海の日を「かつおの日」と定めたが、当日は商業施設3カ所でのイベント実施にとどまり、盛り上がりに欠けた。今月15日から8月20日まで「かつお月間」と位置付け、関係者は市内の機運醸成に躍起になっている。
 カツオの街のPRは、昨年7月に気仙沼市や気仙沼商工会議所、地元水産団体が立ち上げた「気仙沼市生鮮かつおプロモーション事業実行委員会」が担う。昨年は首都圏などへの売り込みに力を入れ、今年は「気仙沼市イコールカツオの街」の機運を地元で高める計画だ。
 目玉事業として、市場が活況を迎える海の日を「気仙沼かつおの日」と定めたものの、当日の記念イベントは商議所の呼び掛けに応じた3カ所での実施にとどまった。実行委の担当者は「かつおの日が決まったのは5月。時間がなかった」と準備不足を反省する。
 3施設はカツオ握りの無料提供や特売をした。ある施設の関係者は「最初が大事なはずなのに、気仙沼全体で盛り上がろうとする姿勢が足りなかった。情報発信も弱く、大半の気仙沼市民が『かつおの日』を知らなかったのではないか」と残念がる。
 昨年、生鮮カツオ水揚げ2位の勝浦漁港を抱える千葉県勝浦市では、毎年6月第1週の土曜日に市主催の「勝浦港カツオまつり」が行われる。市営駐車場を会場にカツオが振る舞われ、地元の飲食店や酒蔵、雑貨店の出店が連なる一大イベントだ。
 東京や神奈川からも観光客が訪れ、15回目の今年は市の人口(6月末現在1万8275人)と同じ約1万8000人が訪れた。勝浦市農林水産課は「『カツオの街勝浦』が完全に定着している。カツオが呼び水となり、地域の活性化につながった」と説明する。
 実行委は気仙沼市内の飲食店などにカツオののぼり旗やポスターを配り、掲示を呼び掛けている。市内の公共施設などには、カツオが食べられる店を紹介するマップを置いた。
 菅原茂市長は「カツオが気仙沼の代名詞として定着するよう、街全体としてさらなる工夫が必要だ」と話した。


移住考えるきっかけに 南三陸で視察ツアー
 宮城県南三陸町移住支援センターは29、30の両日、Iターンの移住希望者を対象にした町内の視察ツアーを実施した。地域住民との交流を通じて町の暮らしを知ってもらい、移住者の確保につなげる。
 首都圏などから20代〜60代の10人が参加。8月から一般開放の募集が始まる災害公営住宅や新しい商店街を訪問。町に移住した人から経験談を聞いたほか、志津川湾の養殖場を回って自然の豊かさを体感した。
 参加した花巻市の会社員佐々木理沙さん(35)は「民泊先でおなかいっぱい食べさせてもらい人の良さが分かった。また町に来て住まいや仕事について検討を続けたい」と話した。
 センターの片山真平さん(33)は「震災後はボランティアで町と関わり、移住する人が多かった。ボランティアが減る中、ツアーをきっかけにして町の良さを知ってもらいたい」と狙いを語った。
 町は人口減対策として移住者を増やし、2014年に416人だった人口の社会減を、19年に260人未満に抑えることを目標に掲げる。ツアーは11月にも実施する予定。


<雫石慰霊の森>事故後46年 空自隊員が初の拝礼
 岩手県雫石町の上空で1971年7月、全日空機と自衛隊機が衝突し、全日空機の乗客・乗員162人が犠牲となった「雫石事故」から46年となった30日、航空自衛隊松島基地(東松島市)の隊員が事故現場となった同町の「慰霊の森」を初めて公式に訪れて犠牲者を追悼し、事故の遺族や町の関係者ら計約90人と祈りをささげた。
 同基地によると、これまで有志の隊員が事故発生日の拝礼に私的に参列していたが、公式に訪れるのは今回が初めて。幹部隊員やパイロット21人が慰霊碑の前で花を供えて静かに一礼し、犠牲者の冥福を祈った。
 時藤和夫第4航空団司令兼松島基地司令は「東日本大震災で被災した基地の復旧を機に、空の安全へ思いを新たにした。犠牲者を追悼することで事故防止の決意を高めたい」と語った。
 事故で弟の文隆さん=当時(25)=を亡くした静岡県富士市の小山和男さん(74)は「事故から約50年が過ぎ、どちらが悪いということではない。関係者全員で空の安全を祈念できて、うれしく思う」と話した。
 事故は71年7月30日午後2時すぎ、千歳発羽田行きの全日空ボーイング727旅客機と、訓練中だった航空自衛隊第1航空団松島派遣隊のF86F戦闘機が空中で衝突し、墜落した。自衛隊機の乗員1人は脱出して無事だったが、全日空機の乗客と乗員は全員死亡した。


受動喫煙対策/首相は主体性発揮すべきだ
 8月3日にも実施される内閣改造を前に、にわかに留任の署名運動が起きている閣僚がいる。
 塩崎恭久厚生労働相である。受動喫煙の対策強化を盛り込んだ健康増進法改正案をまとめるため通常国会中、舞台裏で奔走した。
 結局、自民党と折り合わず法案の提出はできなかったが、党側の圧力に屈せず筋を通した。その姿勢が日本禁煙学会や賛同する市民から評価され、続投を期待されている。
 塩崎氏は、安倍晋三首相の方針に沿い政策を実行する立場にある。大臣の交代で果たすべき職務が全うされないことがあってはならない。
 今回の対立は、世界標準の規制策に少しでも近づきたい厚労省と、飲食業界への影響に配慮する自民党が互いに自案を譲らず、話がこじれた。
 交渉が行き詰まった局面で首相が調整に乗り出すことはなかった。「国民の健康」と「業界の安定」とをはかりに掛け、首相自身が決められなかったからだろう。
 政府案は、原則「屋内禁煙」で、小規模のバーなどを例外にした。党案の例外規定は、客室など150平方メートル以下の飲食店は店頭に「喫煙」「分煙」などの表示をすれば喫煙できる。これを東京都に当てはめると「例外」の店の方がはるかに多くなる。これでは健康被害は防げない。
 政府は秋の臨時国会で仕切り直しする腹積もりだが、首相は「(塩崎氏に)責任を持ってまとめてもらいたい」と通常国会の最終盤で答弁している。大臣任せではなく、今度は首相の「本気度」が問われる段階だ。
 日本人の喫煙率は2016年に20%を切った。逆風の中でも年2兆円規模の税収を確保するたばこ産業界の総合力は絶大だ。明治期の戦費調達に端を発した国家的事業が命脈を保っている。究極の岩盤構造と言えよう。
 たばこ利権と一線を画す厚労省が、風穴を開けようと奮闘しているのである。首相は行政府の長として「国民の健康」を第一に考え、バックアップすべきではないか。
 まして19年のラグビーワールドカップ、20年東京五輪・パラリンピックが迫る。「たばこのない大会」の実現は、日本が引くに引けない国際公約でもある。この機を逃すと国内の受動喫煙対策は永遠に進まないかもしれない。
 気に留めておきたいのは東京都の対応だ。都議選で小池百合子知事は「都民ファーストの会」の公約で受動喫煙防止条例案の制定を掲げ、各党も追随した。原則「屋内禁煙」で、罰則付きの内容は政府案に近いとされる。
 「国が決められないなら都がやる」と言わんばかりの小池氏の戦略に乗り、国の責任を放棄するなら、それこそ世界の「笑いもの」だろう。
 塩崎氏の処遇はさて置き、受動喫煙の解決に向けて首相は主体性を発揮すべきだ。


「核のごみ」マップ公表 市民が関心を持つ契機に
 原発で核燃料を燃やした後に出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)をどこに最終処分するか。
 安全性の観点から日本全国を4色に色分けした「科学的特性マップ」を経済産業省が公表した。
 この地図で適性が高くても、土地利用の状況など社会的要因を加味すると不適格という場所もある。確定的なものでないことは十分な説明がいるが、国民が関心を示さなければ意味のない地図に終わってしまう。
 原発政策を進めてきた日本には、すでに核のごみが大量にある。原発への賛否によらず最終処分は必要であり、国民の幅広い理解が欠かせない。この地図を多くの人に興味を持ってもらうきっかけとしたい。
 日本は2000年以降、自治体に手を挙げてもらう方式で処分場選定を進めようとしてきた。しかし進展はなく、福島第1原発の事故を経て国が打診もできるよう変更した。
 特性マップはその第一歩で、火山や活断層、遠い将来に掘り起こされる恐れのある油田や炭田などのある地域を避けた上で、輸送の利便性が高い沿岸部を最も好ましい場所と位置づけている。
 経産省や処分の実施主体である原子力発電環境整備機構(NUMO)は、窓口を設け人々の質問に答えるという。ぜひ、透明性のあるわかりやすい説明を心がけてほしい。
 適性が低いと判断された地域の人も日本全体の課題として関心を持ち続けてもらいたい。
 処分場選定を進めるには、政府や事業主体への信頼が欠かせない。
 福島の原発事故で安全神話が崩れ、処分場政策にも不信感を抱く人たちは少なからずいる。地震・火山国で未知の断層も抱える日本に不安材料があるのも確かだ。
 そうした懸念にも納得のいく説明を重ね、新たな知見に応じた計画の見直しも怠らないでほしい。
 マップを示したからといって急に国民の合意形成が進むわけではない。一定の期間、地上で「暫定保管」することも選択肢の一つだろう。その検討も進める必要がある。
 核のごみの総量を一定に抑えることは処分場選定を前進させる重要な要素だ。再稼働を進めれば核のごみは増え続ける。そのマイナスも考慮に入れ原発政策を考えるべきだ。


核のごみ処理 脱原発で総量の確定を
 思惑通りに最終処分地の選定が進むとは思えない。
 政府が「核のごみ」の最終処分地になり得る地域を示した日本地図を公表した。原発で発電した後に出る高レベル放射性廃棄物である。
 政府は処分地選定に向けた議論を活性化して、調査を受け入れる自治体の選定を急ぐという。
 核のごみは強い放射能を出すため、ガラスと混ぜて管理しやすい固化体にして、地下300メートルより深くに埋める。隔離期間は数万年から10万年とされる。
 公表された地図は、政府が「処分が可能」とする場所が広く存在することを示している。全都道府県に存在し、国土の7割弱が該当した。長野県内も南信や中信地方の一部地域が「好ましい特性が確認できる地域」と分類された。
 地元の理解を得るには、解決するべき問題点が多い。
 まず処分する核のごみの総量が決まっていないことだ。日本には使用済み核燃料が約1万8千トン存在している。すでに再処理した分を含めると、ガラス固化体換算で2万5千本相当になる。
 原発の稼働を続ける限り、増え続ける。自治体には処分場を受け入れると、搬入が際限なく続くのではという懸念がある。最終処分を考えるなら、核のごみの総量を確定することが必要だ。脱原発を明確にして、原発の稼働期間と基数を決めなければならない。
 核燃料サイクルの継続も焦点になる。原発で使用した後に出る核燃料は全て再処理して、プルトニウムやウランを取り出し、原発で燃料として再利用することになっている。核のごみは、その過程で生み出される。
 取り出したプルトニウムはすでに48トンに上り、核爆弾6千発分に相当する。それなのにプルトニウムの利用はめどが立たない。核燃サイクルは既に行き詰まっている。再処理を前提にした最終処分計画には無理がある。
 科学的な根拠にも疑問が残る。10万年もの間、安全に保管できるかは専門家の中でも見解が分かれる難しい問題だ。検証が十分にされない限り、受け入れてもらうのは難しいだろう。
 核のごみの処分先が決まらない原発はこれまで「トイレなきマンション」と批判されてきた。核のごみは将来世代には有害な存在にすぎない。処分場選定はこれ以上、放置できない問題だ。政府だけでなく国民一人一人が政策の矛盾に向き合い、原発の「しまい方」を考える必要がある。


核のごみ処分マップ 「原発」の見直しが先だ
> 長年の懸案である「トイレなきマンション」解決への一歩となるだろうか。原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場となり得る適地を示す「科学的特性マップ」を経済産業省が公表した。
 火山や活断層が周囲になく、輸送にも便利な適地は国土の約3割に当てはまる。中国5県では広島、岡山県の沿岸部などが含まれた。逆に、火山のある山陰や、石炭が埋蔵されている宇部、美祢市などは「不適」とされた。あくまでも可能性であり、まずは不適地を外しただけと考えた方が分かりやすい。
 放射能レベルの極めて高い核のごみは、使用済み核燃料の再処理により生じる。ガラスを混ぜて固めステンレス製容器に閉じ込めて30〜50年保管する。
 国の計画では、最終処分は地下300メートルよりも深い岩盤に埋める「地層処分」をする。放射線が一定レベルに下がるまでの数万〜10万年、人々の生活圏から隔離する。気が遠くなる年月だ。日本列島に人が住み始めたのが4万〜5万年前というからSFの世界だろう。そんな先の人たちに、どうやって危険性などを伝えるかも難問だ。
 地層処分が進んでいる国はある。ドキュメント映画などで話題になったフィンランドの施設オンカロである。ただ隣国スウェーデンも含め、対象は原発の使用済み核燃料で、扱いがずっと難しい高レベル廃棄物を処分する日本とは状況が異なる。高レベルも処分するドイツや米国などは選定が難航している。
 候補地選びでは以前、交付金をちらつかせ、手を挙げる自治体を待っていた。しかし首長が前向きでも住民や議会の反対で頓挫した。安全性が保障されない限り当然かもしれない。
 しかも整備段階で100年程度の歳月と3兆円の費用がかかる。国が主導しなければ進まないだろうが、積極的に受け入れる自治体がそんなにあるとは思えない。先行きは不透明だ。
 だからといって放ってはおけない。核のごみは約2500本ある。海外に再処理を委託し、戻ってくる分などで千本以上増える。どこでどう処分するかは原発への賛否に関わらない課題である。マップ公表を機に、国民的な議論を呼び掛けたい。
 原子力政策の将来像をはっきりさせるのが先だろう。福島第1原発事故で、国民の多くは原発や原子力政策に批判的・懐疑的になった。しかし政府は、それを無視して再稼働を急いでいる。これでは最終処分地の必要性について理解は得られまい。
 破綻したとも指摘される「核燃料サイクル」をすぐやめて、使用済み核燃料を再処理しなければ、高レベル廃棄物は増えない。総量抑制になるはずだ。
 理解や科学的知見が深まるまで原則50年間は暫定保管し、その間30年をめどに処分地を決める▽「原子力ムラ」という利害関係者に任せず市民も参加した「国民会議」を設け、開かれた場で議論し合意形成を図る…。科学者の代表機関、日本学術会議が2015年に出した、そんな政策提言が参考になる。そうしてこそ、国民の望む方向で原子力政策の抜本的な見直しができるのではないか。
 候補地への経済支援を絡めた選定方法も再考すべきだ。過疎地への押し付けにつながり禍根を残しかねないからだ。


核ごみ処分「適地」地図 信頼できるオープンな議論必要
 原発の使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)を巡って、経済産業省は最終処分場の候補地となり得る地域を示した地図を公表した。だがその内容はあまりにも漠然としており、選定に向けた「長い道のりの最初の一歩」(経産省)になるかは疑わしい。
 国は長年、核のごみという避けて通れない問題を先送りして原発政策を進め、東京電力福島第1原発の事故後もなお再稼働を推進してきた。問題のこれ以上の放置は許されない。「国が前面に立って選定に取り組む」のは当然の責務だ。安全な処分を追究、国民に真摯(しんし)に説明して深い討議を重ねた末に候補地を絞っていかなければならない。
 にもかかわらず、地図からは本気度がうかがえない。そればかりか、取り組みの前進をアピールし、近く見直し議論が始まるエネルギー基本計画に原発新増設を盛り込みたいとの思惑が見えることを危惧する。
 「科学的特性マップ」と名付けられた地図は、適地を「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」という持って回った言い方で塗り分けた。その結果、国土の7割弱が適地に該当するという。愛媛を見ても、中央構造線断層帯を線状に除いただけで、全20市町に適地が広がる上、どの市町も核のごみを搬入しやすい「輸送面でも好ましい」地域を含んでいる。結局最低限避けるべき地域を示したにすぎず、「科学的」と呼べるものではない。
 分類の根拠となる基準も明確でない。決めたのは経産省職員が人選した委員会。意見を聞いたという相手も原子力委員会などの「内輪」に限られている。オープンな議論からは程遠く、到底納得できない。
 地震や火山噴火の将来予測は難しく、専門家でも議論が分かれている。理解を得るにはまず専門家による透明性のある議論の場を設け、国民に投げ掛け、共に論じることが欠かせない。
 国は今後、自治体からの応募を待つ一方、複数の自治体に調査への協力を求めるというが、具体的な道筋は示していない。「これまで以上に対話活動を充実させる。やがて関心を持つ地域が現れると期待する」。世耕弘成経産相は取り組みの加速を強調したが、このままでは受け入れに対する自治体の不安や反発は解消できまい。過疎高齢化に悩む地域が増える中、経産省関係者からは、調査や建設に伴う多額の交付金を目当てに誘致したい自治体はあるはずだ、とのもくろみも聞かれる。足元を見て助成金で「買収」するかのような姿勢は看過できない。
 信頼がなければ協力は得られないと自覚すべきだ。無責任な原発推進を省み、国民の過半が望む脱原発へと政策を転換し、再生エネルギー政策を具体的に示すことが解決への大前提。原発を稼働させれば核のごみは増え続ける。その事実に向き合わないで処分を押しつけるのでは理解を得られるはずがない。


広島原爆 被爆者取材書簡750枚「灰墟の光」著者に訴え
元資料館長、ユンク氏に送る
 広島原爆の被害実態を伝えた世界的ベストセラー「灰墟(はいきょ)の光」(1959年)の執筆材料となった書簡の写しが広島市で見つかった。著者のロベルト・ユンク氏(1913〜94年)の通訳を務めた元広島原爆資料館長、小倉馨氏(20〜79年)が被爆者らへのインタビューなどを記録しユンク氏に送ったもので、研究者らは「被爆者の肉声や復興に向かう広島の姿をとらえた貴重な資料」として年内の書籍化を目指している。
 小倉氏は1920年に米シアトルで生まれた日系2世。戦後は米国政府機関を経て60年に広島市職員になり、70〜72年に原爆資料館長を務めた。
 英語が堪能で、ユンク氏が執筆で広島を訪れた57年5月に2週間、通訳や案内を務めた。以後もユンク氏の依頼で原爆関係の新聞記事の英訳や医師、市民団体関係者へのインタビューを書簡にまとめ、59年10月までにA4判で830枚以上をオーストリアにいるユンク氏に送った。書簡はユンク氏の手元にはほとんど残っていなかったが、広島市にある小倉氏の自宅から昨年までに約750枚の写しが見つかった。
 「青空教室」と題した59年6月の書簡では、爆心地から約400メートルにあり約400人の児童が亡くなった広島市立本川小学校(当時は本川国民学校)の教頭の日記を引用。被爆翌年に児童45人で再開した授業を「そこは裸の地面で、廊下との区別はない。風や雪が吹き込み、児童らは傘を差して授業を受けねばならなかった」と記した。
 被爆者の苦しみを伝える新聞記事も多く盛り込まれた。「原爆症を恐れ自殺?」が見出しの59年4月の記事は、自殺した大学生の家族の話として「彼は原爆の話題がラジオから流れるとすぐにスイッチを切った。原爆症患者になるのを恐れていた」と伝えていた。
 初代原爆資料館長の長岡省吾氏や広島市の平和記念公園内にある「原爆の子の像」建立に尽力した河本一郎氏ら、復興期を支えた各界関係者にも聞き取りをしていた。56年5〜6月、原子力の利用価値を宣伝する「原子力平和利用博覧会」の開催決定を知らせる書簡では、「(原爆被害の)実態を隠そうとするこうした行動は怒りを呼び起こした。私達は強く抗議しなければならない」と小倉氏の感想も書き込まれていた。
 分析している若尾祐司・名古屋大名誉教授(ドイツ文学)によると、大半は本に盛り込まれず、現存しない資料の内容もある。若尾名誉教授は「小倉氏が書簡を送った50年代後半は白血病など原爆の後(こう)障害が表れ始める一方、原子力の平和利用が叫ばれていた。人々の心情を読み解くことができ、現代に警鐘を鳴らす内容も多い」と話している。【山田尚弘】
ロベルト・ユンク氏
 ドイツ生まれの作家・ジャーナリストで、戦後、原子力産業や核問題をテーマにした著作を発表。1957〜80年に広島を5回訪問した。「灰墟の光−甦(よみが)えるヒロシマ」(日本語版は61年出版)では、被爆10年後に白血病になり、12歳で亡くなるまで千羽鶴を折って回復を願った佐々木禎子さんを初めて世界に紹介した。


長崎市長 政府に核禁止条約参加求める 平和宣言骨子発表
 長崎市の田上富久(たうえ・とみひさ)市長は31日、長崎原爆の日(8月9日)の平和祈念式典で読み上げる平和宣言の骨子を発表した。国連で採択された核兵器禁止条約の意義を訴えるとともに、核保有国や核の傘の下にいる国に対し、核兵器に依存する安全保障政策の見直しを要請。条約の交渉会議に参加しなかった日本政府に条約への参加を求める。
 宣言では、全体の半分近くを条約に関連した内容に割く。田上市長は記者会見で「被爆者の長年の訴えが一つの形になったのが条約の採択で、被爆地長崎にとって非常に大きな出来事だった。しかし、まだ(核兵器廃絶の)入り口に立ったに過ぎず、今後実効性を持たせていくことが重要。歴史的な条約の意義について、より多くの一般市民に知っていただきたい」と話した。
 宣言の内容は、被爆者や学識経験者らでつくる起草委員会が5月以降、3回の会合を開き、検討してきた。起草委では、安倍晋三首相が2020年の改正憲法施行を目指す考えを示したことに対し「改憲の動きを批判すべきだ」とする意見が出ていた。骨子には、政府に対し憲法の平和理念を世界に発信するよう求めることを盛り込んだが、田上市長は憲法改正問題への直接的言及はしないことを明らかにした。また、昨年の宣言と同様に、核保有国など各国の首脳に被爆地を訪問するよう呼びかける。【浅野翔太郎、加藤小夜】


残業代ゼロ容認撤回 過重労働規制こそ優先を
 働く人を守る労働組合として当然の結論だ。高収入の一部専門職を残業代支払いなど労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」を条件付きで容認していた連合が、容認を撤回した。
 「残業代ゼロ法案」として批判されてきた労働基準法の改正案だ。連合はぶれた姿勢を反省した上で、従来通り反対を貫き、労働者を守る原点に立ち返るべきだ。
 一方で政府は、連合が要請した休日確保措置などを盛り込んで修正する方針だ。残業規制を含む働き方改革関連法案とセットでの成立をもくろんでいる。水と油のような両法案を切り離し、過重労働や残業時間の規制を優先して徹底審議するよう強く求める。
 連合は「残業代ゼロ法案」に一貫して反対してきたが、13日に神津里季生会長が安倍晋三首相に一転して修正案を示し、7月中に修正に合意する方向となっていた。しかし、組織内で十分な議論をしないまま執行部が方針転換をしたことに、傘下の組合や過労死遺族などから予想以上の猛反発をくらっていた。
 「安倍1強」の中で、原案通り成立するよりは妥協して修正案を出す方が得策との考えが働いたようだ。だが、支持率が低下して屋台骨がぐらついている安倍政権に、結果的に助け船を出した形になっていた。
 労働者を守る組織として存在意義を見失った独断は、厳しく非難されるべきだ。目を向けるべきは、政権にすり寄ることではなく、働く者の健康と権利を守ることだ。
 連合が要請した条件は、年収1075万円以上の専門職に、「年間104日の休日」を義務化した上で「連続2週間の休暇取得」「勤務間インターバルの確保」「臨時の健康診断」など4項目から労使に選ばせる内容だった。
 しかし、新制度導入を推進する経団連は、第1次安倍政権時代に「年収400万円以上」と主張していた。一度、新制度が成立してしまうと、アリの一穴で制限は緩和され、長時間労働が増えていくのは火を見るより明らかだ。
 政府は連合の主張を取り込み、秋の臨時国会に提案する構えだ。2015年に提案後2年以上一度も審議されてこなかったので、まずは審議入りを目指す狙いなのだろう。
 政府が狡猾(こうかつ)なのは、残業時間の上限規制を盛り込んだ「働き方改革法案」と、新制度を導入する「労働基準法改正案」を一本化して一括審議を図る点だ。残業規制を人質にしているとしか思えない。
 最優先すべきは長時間労働の抑制だ。法案を切り離して別個に審議した方がいい。
 過重労働の改善は喫緊の課題であり、時代の要請である。県内484企業を対象にした調査でも56%が働き方改革に取り組んでいると答えた。
 働く者の健康や生命に関わる残業時間抑制の法案を優先して早期に成立させ、残業代ゼロ法案は廃案にすべきだ。


労働時間規制緩和/労働者を守る原点に返れ
 一部の専門職を労働時間の規制から外す「高度プロフェッショナル制度」を含む労働基準法改正案について、連合は条件付きで容認する方針を撤回した。連合は新制度の修正を政府に要請し、政労使による合意を目指していたが、異論が相次いだためだ。連合は迷走を招いた判断の誤りを反省し、労働者の権利を守る原点に返ってほしい。
 連合は「残業代ゼロ」で労働者を働かせる制度だとして新制度に反対してきたが、神津里季生会長が安倍晋三首相に健康確保措置を拡充する修正案を示し、7月中に政労使のトップ会談で修正に合意する方向となっていた。しかし、傘下の労働組合などから反対の声が続出したため、27日の中央執行委員会で方針を転換した。
 政府は秋の臨時国会に新制度を柱とする労基法改正案を提出して成立を図る方針だが、連合が再び反対の姿勢を明確にしたことで、見通しは不透明となってきた。
 新制度の対象は、年収1075万円以上の金融ディーラーや研究開発職など「働いた時間と成果の関連性が高くない」とされる専門職。法定労働時間を超えて働いても深夜・休日勤務をしても、残業代が支払われない。
 連合の修正案では、新制度が定めている健康確保措置を強化し、年間104日の休日の確保を義務付けることなどを盛り込んだ。しかし、修正案は企業に対する要求が緩やかだと指摘を受ける。「新制度には反対」と言いながら政府に修正を求めるやり方そのものも分かりにくかったのではないか。
 執行部が政府と水面下で折衝し、修正を要請する直前まで組織内に説明しなかったことも、独走だとして不信感を高めている。修正提案は、新制度の導入が阻止できないなら少しでも良い制度にするという判断だろう。
 しかし、改正案の国会審議が2年以上も先送りされている状況で、判断は正しかったのか。野党側からは、連合は安倍政権に接近し過ぎているとの批判がある。政権との距離感に問題はなかったかチェックも必要だ。
 神津会長は組織内に混乱を招いたとして謝罪した。経緯を丁寧に説明し信頼を回復する努力が欠かせないが、果たして納得が得られるだろうか。何らかのけじめをつけるよう求める声が高まるかもしれない。
 新制度の内容を再検討すると、政府は時間に縛られない効率的な働き方ができると説明するが、違法なサービス残業がはびこる現状では、新制度は長時間労働を助長する懸念が強い。政策の順番として、長時間労働の抑制を先行させるべきではないか。
 年収要件が引き下げられ、適用対象が拡大される可能性も否定できない。経団連はしばしば年収要件の引き下げに言及してきた。新制度をアリの一穴として、残業代ゼロの働き方を広げるのが経営側の本音ではないかと疑われても仕方ない。
 これほど働く人に影響の大きい制度を十分に議論しないまま導入するようなことがあってはならない。連合はあらためて新制度の問題点を厳しく指摘すべきであり、政府も労基法改正案の成立を急いではならない。まず徹底的に議論することが必要だ。


公文書管理見直し 説明責任果たせる指針に
 年金記録の紛失をはじめ、薬害肝炎に関する資料を患者に告知しないまま放置したり、海上自衛隊の航海日誌が保存期限前に破棄されたり。そうしたずさんな公文書管理の実態が相次いで明らかになり、2009年に成立し、11年に施行されたのが公文書管理法である。
 同法では公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、政策決定過程について「国民に説明する責務が全うされるようにする」との目的を掲げている。あらためて、法制定の原点に立ち返る必要があるだろう。
 政府は年内に公文書管理のガイドラインを見直すとして、今月から有識者による議論を始めた。法の制定時から日本の公文書管理は欧米各国に比べ、保存や廃棄の判断基準や権限が曖昧と指摘されていたが、安倍政権下でさらに国民の厳しい視線が注がれるようになっている。
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報問題では、情報公開請求に対して「廃棄」を理由に非開示とした日報のデータが残っていることが後に判明して混乱し、稲田朋美防衛相の辞任に至った。学校法人「森友学園」への国有地売却を巡っては財務省が学園側との面会・交渉記録を廃棄したとして、国有地を約8億円も値引きした経緯の検証が困難になっている。
 愛媛県今治市への獣医学部新設計画を巡っては、野党が学校法人「加計学園」が不当に優遇されたと追及したのに対し、政府は否定したが、内部の議論や省庁間のやりとりについて「記録はない」「記憶にない」として証拠が示せず、問題が長期化した。
 政府が記録を残して示さなければ、国民は政策決定過程の是非や国の行為の適法性を判断できない。記録がなければ「政権に都合が悪いから隠しているのだろう」と国民の不信を強めるだけだ。
 PKO日報や森友学園の問題では、公文書の保存期間を「1年未満」と設定すれば省庁の独断で廃棄できる抜け道があることが明らかになった。加計問題では文部科学省の内部文書が問題になったが、菅義偉官房長官は「個人のメモと聞いている」として、行政文書に該当するかどうかの明言は避けた。
 有識者でつくる政府の公文書管理委員会では、保存期間を1年未満とする場合の基準をより明確化することや、行政文書と個人メモの区別などを議論するという。懸念されるのは、行政文書と個人メモの線引きによっては保存・公開の範囲が狭められる可能性があることだ。
 個人メモでも重要な意思決定が記録されている場合は行政文書として保存するよう、現在のガイドラインには示されている。公文書を保存・公開するのは国民への説明責任を果たすためであり、法の精神に沿った見直しにしなければならない。


相模原事件1年  根強い偏見をなくそう
 なぜ、こんな非道な事件が起きたのか。答えは見つからないままだ。
 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺され、職員2人を含む26人が重軽傷を負った事件から、1年が過ぎた。
 衝撃が大きかったのは、犠牲者の数が殺人事件として戦後最悪だったからだけではない。逮捕された元施設職員の植松聖(さとし)被告が「障害者なんていなくなってしまえ」などと話し、憎悪と差別意識を隠そうともしなかったためだ。
 醜い偏見はどのようにして生まれたのか。私たちの社会の中に根強くあるものではないか。事件が突き付けた重い問い掛けに目をそらさず、正面から向き合わなければならない。
 植松被告は昨年7月26日未明に園に侵入し、障害の重い入所者を選んで次々に襲った。今も重度障害者を「人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在」だと見ているという。
 検察側の精神鑑定は、万能感を持つ「自己愛性パーソナリティー障害」に伴う空想などが影響した可能性を示したが、本当の動機は不明だ。
 公判では被告の真意に迫り、凶行に至った経緯や差別意識の形成過程を明らかにしてもらいたい。
 事件で問題視されたのは、措置入院の在り方である。犯行前に被告が措置入院し、退院後に園を襲ったからだ。
 厚生労働省は、自治体が医療機関や警察などと共に退院後の支援計画を作り、相談指導を行うとする精神保健福祉法改正案をまとめた。
 これに対して、当事者団体や学会などから「監視強化」や「医療の治安維持化」につながるとの批判が出ている。
 犯行を精神障害のせいにすれば、偏見がさらに強まるとの懸念はもっともだ。精神科医療に犯罪防止を担わせる危険性も見過ごせない。国会で慎重に議論すべきである。
 事件後、インターネット上には植松被告の主張を支持する書き込みがあふれ、それはまだ続いている。
 被害者の名前が家族の希望で匿名発表となった背景に、社会の冷たい目があったのを忘れてはならない。入所者や家族が負った心の深い傷は、今も癒えない。
 共同通信が行った全国アンケートでは、知的障害者の家族の7割近くが「事件後、障害者を巡る環境の悪化を感じた経験がある」と回答した。
 政府が先月公表した障害者白書は、障害の有無に関係なく誰もが尊重される「共生社会」の実現が重要だと訴えている。
 障害者が地域の中で暮らし、身近な存在になることで、障害への理解が深まるのは確かだろう。だが、障害者の自立した生活を支えるサービスは十分ではなく、地域で暮らすハードルは高い。
 偏見を取り除き、誰もが希望する環境で暮らせるようになるには、どうすればいいのか。社会を挙げて克服しなければならない。


「障がい者はこの世から全て消えて」 NHKで紹介された意見に「辛辣すぎる」の声
「障がい者は目障りかつ邪魔」「精神障がい者は人を刺す」そんな意見がNHKの番組で読み上げられたと話題になっている。
この放送について障がい者差別を助長するのではないか、と心配する人がいる一方で、差別する側のホンネを取り上げ議論したNHKのチャレンジ精神を評価するなど賛否両論が交わることになった。
「知的障害者は嫌い、独り言も不気味」(NHK『ハートネットTV』公式HPより)
「知的障害者は嫌い、独り言も不気味」(NHK『ハートネットTV』公式HPより)
相模原の事件の親族たちは「ホッとしている」?
その番組はNHKの福祉情報番組「ハートネットTV」(2017年7月26日放送)。16年7月26日未明に相模原市の知的障害者福祉施設で起きた、元施設職員(当時26歳)による19人の刺殺事件から1年ということで特集が組まれた。
番組ではこの事件に関する意見を募集していて、約1000件が集まった中から16歳の時に事故に遭い車椅子生活をしている詩人・作家の豆塚エリさんはこうしたコメントを読み上げた。
「障がい者は私たちプロの社会人戦士から見たら、目障りかつ邪魔以外なにものでもありません。お願いですから障がい者はこの世から全て消えてください」
そして、相模原の事件の容疑者の考えに賛成という意見として、
「正直、今の日本に障がい者を保護する余裕はありません。普通の人でも生きるのが精いっぱいなのに、生産性のない障がい者を守ることはできません」
この意見に対し豆塚さんは、
「こんな事をどうして言えるのかな?という思いと、言わなくちゃいけないこの人は、かわいそうだ」
とコメントした。
この他の意見としては、相模原の事件で殺された人たちの親族は「ホッとしているのではないか」や、30代の精神障害を持つ人が婚活パーティーに参加したところ、自分の事も満足にできない人が恋愛をしてもいいのか、イライラしたら人を刺すんじゃないのか、と言われ号泣したという報告があった。
この番組では冒頭に、障がい者の存在を否定する意見が寄せられているため、それに向き合い差別や偏見について本音で話し合いたい、としていた。討論に参加したのは障がいを持つ人とその保護者数人で、こうした視聴者の意見が紹介されると女装パフォーマーのブルボンヌさんは、「ここまで(意見の紹介を)やられるのか」「動揺している」などと感想を述べていた。
「ネット上で留めて置く意見」という感想も
番組の最後では、健常者は障がい者に対し「呪い」のような言葉を浴びせているが、今は健常でもいつか障害を負ったり、家族や親しい人が障がい者になる可能性もあるし、老いると動けなくなったりもする。
「自分がその立場になったら、と考えてほしい」
とし、障がい者を認めることが巡り巡って自分を認めることになる、と結論付けた。
ネット上では、「NHKは露骨過ぎる」などといった声があがり、
「さすがに辛辣すぎ。ネットでとどめておくべきだろこれは」
「こんな刺激的な言い草が天下のNHKで紹介されたら、増えてきた意見、とか解釈されて、障害者に不満抱えてる奴が共感覚えて過激思想を正当化しかねんでしょ?」
「色んな意見を取り上げるのがバランス良いという判断なんだろうけど、これはそのままヘイトになっちゃうからなあ」
といった意見が出る一方で、
「NHK見直した」
「『情けは人の為ならず』だよ。誰かを助けるのは自分が何かあったときの為の保険でもあるんだよ」
「障害者の家族は社会に貢献してる一人の市民だろ。その家族が障害者に生きていて欲しいと願ってるんだよ。どうしてそれがわからないのか」
などと番組に賛同する声も多い。この番組は、17年8月2日13:05〜13:35に再放送される。


【朝鮮学校無償化】教育の機会均等にかなう
 国が朝鮮学校を高校無償化の対象外としたのは違法として、大阪朝鮮学園が処分の取り消しと適用の義務付けを求めた訴訟の判決が大阪地裁であり、原告側が全面勝訴した。
 国は北朝鮮や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)との関係を挙げ、生徒への就学支援金が授業料に充てられない懸念があると主張していた。しかし政治的、外交的思惑を教育に持ち込むのは望ましくない。
 今回の判決は教育基本法で定めた「教育の機会均等」を重視した、まっとうな判断と言える。
 高校無償化制度は旧民主党政権が2010年に導入。公立高で授業料を徴収せず、私立高生らには就学支援金を支給する。当初は朝鮮学校も審査の対象だったが同年11月、北朝鮮による韓国砲撃で手続きが中断。政権交代で第2次安倍内閣となった後の13年に対象外とされた。
 理由について、当時の下村博文・文部科学相は「拉致問題が進展しておらず、国民の理解が得られない」などとした。確かに早期解決を求める日本の訴えに真摯(しんし)に向き合わない北朝鮮は、非難されてしかるべきだ。それでも在日朝鮮人の子どもたちに拉致問題の責任はない。拉致問題を絡めて無償化の是非を判断したのは妥当とは言えない。
 日本が批准している国連の人種差別撤廃条約も、教育に関する権利を平等に保障するよう求めている。朝鮮学校の無償化除外はこの趣旨に反するとして、国連の委員会が懸念を表明した経緯もある。
 日本が北朝鮮の非道を訴えるに当たっても、人種差別撤廃条約など国際社会が認めたルールにのっとった教育を実践していればこそ、理解や共感は一層得られるはずだ。
 同種の訴訟は複数起こされている。大阪地裁に先立つ広島地裁の判決は国の主張を追認。「対象外とした国の判断に裁量範囲の逸脱、乱用はない」として、原告側の全面敗訴という正反対の結果だった。
 だが、仮に国が言うように「無償化の資金が授業料に充てられない懸念」があるのだとしたら、その都度調査し是正すればいい。
 実際に大阪地裁は大阪朝鮮学園について、私立学校法に基づき財産目録、財務諸表などを作り、理事会も開いている▽学園が運営する大阪朝鮮高級学校も、法令違反による行政処分を受けたことがない―と指摘。無償化の除外は違法で無効と結論付けている。
 朝鮮学校という理由で、一律に除外する根拠は薄いのではないか。国は大阪地裁の判決を踏まえ、無償化制度の在り方を見直すべきだ。
 拉致問題や核開発、最近の相次ぐミサイル発射を受けて、北朝鮮に対する国民感情はさらに厳しくなっていよう。だからといって、それらと直接関係のない子どもたちの教育の機会均等が、制限されるようなことはあってはならない。
 判決は今後、東京、名古屋地裁や福岡地裁支部でも言い渡される。平等と寛容の精神が試されている。 


明朗会計 政治家パーティーの理想像
 ★国会が複雑な様相を見せる中、30日、京都のホテルで昼に異例な政治家のパーティーが開かれた。共産党国対委員長・穀田恵二の「議会制民主主義の発展をめざし穀田恵二君の国対委員長20年を祝う集い」だ。各党のこの20年間の議運・国対関係者、衆院正副議長らが顔をそろえた。現職の国会議員だけで与野党40人程度が集まった。パーティーのスタイルは通常の政治家のスタイルとは異なり、着席で食事が供された。会費は参加費1万5000円。政治家の場合、政治資金規正法第8条に基づく政治資金パーティーが慣例で、いわゆる資金集めパーティー、来賓たちは会費以上を包む習慣があるが、このパーティーは誰もが同じ会費で記名の領収書が発行された。 ★中央のテーブルだけ見ても元衆院議長・河野洋平、同・横路孝弘、同・伊吹文明、衆院正副議長・大島理森、川端達夫、自由党代表・小沢一郎、民進党代表代行・安住淳、自民党幹事長・二階俊博、衆院予算委員長・浜田靖一とそうそうたる顔ぶれ。議長公邸での会談を見るような状態だ。ほかにも自民党国対委員長・竹下亘、共産党からは副委員長・市田忠義、書記局長・小池晃らがそろった。「この場で与野党幹事長、書記局長、国対委員長会談ができるほど」(出席した1人)。一方であまりにも重鎮が集まりすぎて映画・スター・ウォーズの「マスタージェダイとヨーダが集まったよう」との声も出た。 ★国対政治とは与野党の表と裏の調整に動く人たちを指す。国対は議会運営の段取りを整える場所だ。25年前の国対は55年体制の中、金が飛び交うところだった。その後の近代国対を作り上げリードしたのは穀田そのものだった。裏取引を受け付けず、説明のつく筋の通る国対を与党に諭し続けた。出席者の1人は「政治家のパーティーの理想像を見せられた。赤字だったのではないかと思うが共産党がパーティーをやればこういう形になると教えられた気持ちだ。明朗会計、誰もが納得する良い会だった」。真昼のパーティーはこれからの議会の国会に道筋をつけたか。

議会制民主主義の発展をめざし 穀田国対委員長20年のつどい 与野党政治家、各界代表出席
 「議会制民主主義の発展をめざし、こくた恵二君の国会対策委員長20年を祝うつどい」が30日、京都市内で開かれ、自民党から共産党まで与野党の政治家や京都の各界各層の代表ら約300人が出席しました。
 発起人は、河野洋平元衆院議長、大島理森衆院議長、川端達夫衆院副議長、ジャーナリストの田原総一朗氏の4氏。穀田氏はあいさつで「私の信条は『わだつみの悲劇』を再び繰り返すまいだ」と話し、憲法前文に不戦の決意と主権在民が明記されているように「政治の最大の目的は戦争をしないことだ」と述べました。その上でつどいでは議会制民主主義の役割について大いに意見交流していただきたいと呼びかけました。これを受け、各党の国会議員らが発言。河野元議長は、「少数政党でもその後ろには多くの国民の支持がある。少数意見の尊重が議会制民主主義にとって重要だとみんなが理解し、議論が行われるべきだ」と述べました。
 大島議長は、「憲法、国会法、規則、先例にもとづく穀田氏の正論には教わることも多い」とのべました。
 田原氏は「安倍内閣は一強多弱の時代が長く続きすぎた。緊張感が緩み、ずうずうしくなった」と政局にふれた上で「共産党は森友・加計といった国民から見てアンフェアに映るところへの追及も鋭いし取材力もある。チェック機能としては非常に信頼している」と話しました。
 また、穀田氏の大学時代からの友人でシンガー・ソングライターの杉田二郎さんは、1970年につくった歌「戦争を知らない子供たち」がいまに生きていると述べ、披露しました。
 つどいには京都の山田啓二府知事、府議会議長らも参加。日本共産党からは小池晃書記局長をはじめ多数の国会議員、地方議員らが出席しました。


オードリー若林が新自由主義へ疑問を抱きキューバ旅行…若林がキューバで感じた競争社会への向き合い方とは
 先日、『オードリーのオールナイトニッポン』(6月11日放送分/ニッポン放送)で「日本人って、メチャクチャ忙しい人のことをすごく偉いと思ってるじゃない? 『なんか頑張ってるね〜』みたいな。何が偉いんだろうな、あれな」と、過重な労働を賛美し、それを強制する日本社会に対して疑問を呈したオードリーの若林正恭。この発言は大きな話題を呼び、本サイトでも取り上げたが、そんな若林がキューバを旅したエッセイ集『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(KADOKAWA)を出版した。
 2015年にアメリカとの国交が回復して以来、キューバは人気観光地のひとつとなっているが、若林がタイトなスケジュールの間隙を縫ってわざわざキューバまで出向いたのはそんなことが理由ではない。
 若林は以前から、「裕福な暮らしをするために死ぬ気になって働く」といった価値観に疑問を持ち続け、事あるごとにそういった考えへの違和感を口にしてきている。たとえば、エッセイ集『社会人大学人見知り学部 卒業見込』(KADOKAWA)ではこのように綴っていた。
〈テレビのお仕事を頂くようになって間もない頃、スタジオで有名人のお宅訪問的なVTRを見ていた。その有名人の自宅や家財道具がいかに高級なものであるかを紹介するVTRだった。
 ぼくはそれを見ていて「どうでもいい」という感情がハッキリと芽生えたことに怖くなった。自分が隠れキリシタンであることをバレないようにしているような気分だった。そのVTRに対するコメントを求められた時に「どうでもいい」とは勿論言えず、言葉を探すのにとても苦労した。〉
『社会人大学人見知り学部 卒業見込』は2013年に出版された本だが、それから時が経つにつれ、若林は、行き過ぎた拝金主義であったり、ブラック企業問題であったり、格差に関する問題であったりといった、自分が日本社会に対して感じる違和感の大元が「新自由主義」という考え方やシステムのせいなのではないかということに思い至るようになる。
〈ぼくは20代の頃の悩みを宇宙や生命の根源に関わる悩みだと思っていた。それはどうやら違ったようだ。人間が作ったシステムの、一枠組みの中での悩みにすぎなかったのだ。
「ちょっと待って、新自由主義に向いてる奴って、競争に勝ちまくって金を稼ぎまくりたい奴だけだよね?」
(中略)
 日本に新自由主義は今後もっと浸透していくと頭の良い人が本に書いていた。おまけに、AIが普及するとさらに格差は広がるらしい。
「超富裕層の資本家になる準備はできてる?」
「富裕層ではないけど、それなりに人生を送る準備はできてる?」
“みんな”が競争に敗れた者を無視しててんじゃなくて、新自由主義が無視してたんだ。
「なんだ、そんなことだったのかよ!」〉(『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』より。以下同)
オードリー若林がキューバに向かった理由とは?
 そこで、このキューバ旅行計画が生まれてくる。現代の日本人とは違い、人生を「勝ち組」「負け組」などと簡単に二分してしまうような価値観を持ち合わせていない人々はいったいどんな暮らしをしているのだろうか? 若林はそれを見に行ったのだ。
〈では、これがただのシステム上の悩みだったとして、他のシステムで生きている人間はどんな顔をしているんだろう? 東京も、ニューヨークも、ソウルも、台北も、スターバックスとマクドナルドがあって、みんな同じ顔をしていた。
 とにかく、このシステム以外の国をこの目で見てみないと気がすまない。このシステムを相対化するためのカードを一枚手に入れるのだ。〉
 若林はハバナの革命博物館やカバーニャ要塞やチェ・ゲバラの住んでいた邸宅といった一般的な観光地から、現地の人々が通う闘鶏場などのディープな観光スポットを色々な人の助けを借りながら巡っていく。そのなかで事あるごとに感じたのが、無償の思いやりやサービスだった。東京でも高い質のおもてなしはあるが、しかしそれはあくまでも仕事であり、タダではない。それ相応の金額が発生するから高い質のサービスが生まれるのだ。でもキューバでは違った。その一例として若林は、闘鶏場に連れて行ってくれた現地の人とのこんなエピソードを綴っている。
〈こっそりと今日一日キューバを案内していただいたお礼をお渡ししようと試みたのだが、Lさんはぼくの肩に手を置き「何を言ってるんだ、僕たちもマサのおかげで休日を楽しめた!」と言ってそれを受け取らなかった。
 エダジマも「本当のキューバを知ってもらって嬉しかった。俺は日本は遠いから行かないぜ!」と言ってニカっと笑った。
 真心がダイレクトボレーで飛んできてぼくの心の網を揺らした。心と心が通じ合った手応えにぼくは胸をふるわせていた。それと同時に、サービスをお金で買わない感覚に鈍くなっている自分にも気づいた。〉
オードリー若林が感じた、キューバの良い点と悪い点
 キューバの街は日本のようにギラギラとした広告もないし、道も旧式のクラシックカーばかりが走っている。そんな街の様子に若林はいたく感銘を受ける。彼はハバナ湾に面したマレコン通り沿いのカフェで行き交う人々の様子を眺めていたときに感じたことをこのように綴っている。
〈この景色は、なぜぼくをこんなにも素敵な気分にしてくれるんだろう?
 いつまでも見ていられる。
 ぼーっと目の前の風景を眺めていると、なるほどそうか、あることに気づいた。
 広告がないのだ。
 社会主義だから当たり前といっちゃ当たり前なのだが、広告の看板がない。ここで、初めて自分が広告の看板を見ることがあまり好きではないことに気づいた。東京にいると嫌というほど、広告の看板が目に入る。それを見ていると、要らないものも持っていなければいけないような気がしてくる。必要のないものも、持っていないと不幸だと言われているような気がぼくはしてしまうのだ。
 ニューヨークに行った時もそうだった。
 ぼくはギラギラと輝く広告の看板やモニターを見て「死ぬほど働いて死ぬほど何かを買うことが幸福」という価値観がここから始まっているのではないかと感じたのだ。
(中略)
 広告の看板がなくて、修理しまくったクラシックカーが走っている、この風景はほとんどユーモアに近い意志だ。
 キューバの人たちの抵抗と我慢は、じめじめしていない。
 明るくて強い。〉
 ただ、旅を続け、様々な現地の人々と触れ合っていくうちに、キューバもそんなに良いことばかりではないことにだんだんと気がついていく。社会主義の国であるはずのキューバにも格差は確実に存在し、その格差は努力や競争ではなく「コネ」の有無によって決まっていくことを知ったのだ。自分の周囲に高い地位の人がいれば、良い家や配給が割り当てられるが、そうでなければ貧しい生活を強いられるという現実があった。
 若林は日本での苛烈な競争に疑問を感じてキューバを訪れたが、競争がなくすべての国民が平等なはずの国にも格差の問題はやはり存在していたのだ。
〈自分に尋ねた。競争に負けてボロい家に住むのと、アミーゴがいなくてボロい家に住むのだったらどっちがより納得するだろうか?と。そして、その逆も。もしかしたら「競争に負けているから」という理由の方がまだ納得できるかもしれなかった。
(中略)
 ただ、格差が広がって上位5%しか勝てないような競争は上位5%の人たちしか望んでいないのではないだろうか?
 月並みな言葉だけど、バランスだよな。
 だが、人類の歴史でそのバランスが丁度よかった国や時代など存在するのだろうか? 感じ方も人によって違うし、勝てている人にとってはその場所と時代が丁度いいのだろう。
 個人的には「めんどくさいから、中の上でいいんだよ」である。
 度を超した贅沢はしなくてもいい、度を超した努力もしたくない。だけど、エアコンがない家に住むのは辛い。こうやって書くとただのわがままだが、それを叶えたいならば今の日本では死ぬほど努力しないといけないのかもしれない。
「あぁ、めんどくさい」〉
オードリー若林のような考え方は弱肉強食の芸能界では貴重なもの
 キューバは決して楽園のような国ではなかったが、しかし、新自由主義的な価値観にまだ絡めとられていない社会を見てきたことには大きな意味があった。社会を生きていくうえで、自分が一番大切にしたいものは何かがわかったからだ。キューバから日本へ帰る機上で若林はこのように思いを綴る。
〈上空から見ると、本当に一面灰色の街だ。死に物狂いで格差社会の勝者になって、トロフィーワイフを連れて、ラグジュアリーなパーティーをしても空しいし、エアコンのない部屋に住むのも辛いし。どっちにしろ文句をつけて、自己責任から目をそらしているだけなのかもしれない。
 新自由主義の競争は疲れるし、社会主義の平等には無理があった。でも、それは行く前から知っていたような気がする。
 では、ぼくがこの目で見たかったものって何だったんだろう? 帰りの機内で考えていた。
 マレコン通りに集まる人々の顔が脳裏に浮かんでくる。ああいう表情は、どういう気持ちの時にする顔だろう?
 この目で見たかったのは競争相手ではない人間同士が話している時の表情だったのかもしれない。〉
 若林は『社会人大学人見知り学部 卒業見込』でも、競争社会に押し潰されないための意識改革について綴っている。そのなかで彼は、「結果」でなく「過程」に重きを置くことを提唱していた。
〈結果は値がすぐに変わる。いや、下がるんだ。毎日のように現場で一緒だった芸人仲間が数ヵ月すると会わなくなる。そんなことを何度も体験した。
 ぼくは、そんなことを体験するうちに「結果」というものを唯一の社会への参加資格としていたならば、値の変動に終止一喜一憂したまま人生を送っていかなければならない。と感じた。そして、「結果」というものが楽しく生きることにおいて自分にはあまり有効なものではないように感じ始めた。
 使えない。
 ぼくは「結果」以外の基準を探そうと思った。〉
 新自由主義がはびこる日本のなかでも、とくにお笑いや芸能界の激しい競争のなかを生き残ってきた売れっ子芸能人やお笑い芸人たちは、競争や成果主義を是とし、そういった価値観に異議を訴える者のなかには、「その人が弱いから」「努力が足りないから」などとなじる者は少なくない。
 そういった芸能人たちの発言は、強い影響力をもって世間の新自由主義的価値観の強化をも促してしまっている。そんななか、いまの日本社会にはびこる価値観を疑い、過酷な競争に参加し続けることのつらさを表明する若林の視点は、我々一般人にとって非常に貴重なものだ。
 今後、中堅芸人からベテラン芸人へと芸能界における立場が変わるにつれ、彼の価値観はどのようになっていくのか。変わらずにいてくれることを切に願う。(新田 樹)


安定感重視は表向き 8・3改造“ベテラン起用”本当の狙い
 稲田前防衛相の辞任でますますボロボロの安倍政権。8月3日に迫った内閣改造は苦境がにじみ出る陣容となりそうだ。森友・加計疑惑によるイメージダウンからの局面打開とされた当初の目的はすっかり吹っ飛び、今や「これ以上、支持率が下がらないための安定感」を重視。そのため、閣僚経験者が多めに登用されそうなのだ。
「稲田さんを筆頭に金田法相もそうですが、『シロウト大臣ではダメだ』というのが厳しい世論の見方です。それを払拭するためには、経験者にやってもらうのが一番いい。もっとも、それは表向きの理由で、ベテラン起用の本当の狙いは、党内の“反乱分子”の封じ込めのようです」(自民党関係者)
 安倍首相は「ポスト安倍」のひとり、岸田外相を早々に取り込んだ。2人きりで会談し、留任や閣内横滑り、もしくは党三役就任で話がついたとされる。岸田派の議員をポストに就けるなどの要望も聞き入れるとみられる。 問題は「ポスト安倍」のもうひとり、石破茂氏だ。安倍首相は政権批判を強めている石破氏を何としても取り込みたいと考えているらしい。
「入閣要請を受けたら、石破さんに『次』の目はなくなる。しかし、安倍首相から『党再生のために頼む』などと言われたら、もともと『党人派』の石破さんのことですから、断りにくいでしょう。断ったら、党員からも『党の危機に石破は自分のことしか考えていない』と批判されかねませんしね。外相や防衛相などの重要ポストを打診されたら、受けてしまいかねません」(石破氏に近い自民党議員)
 反乱分子としては他に、野田聖子氏や中谷元氏の入閣も検討されているという。女性の適任者がいないとされる中で、野田氏ならちょうどいいというわけだ。
「とにかく今回の改造は、挙党体制の演出がカギになってきている。各派閥にも最大限の配慮をして、派閥推薦の入閣待機組も受け入れざるを得なくなるんじゃないか」(前出の自民党関係者)
 封じ込め作戦は成功するのかどうか。“天敵”取り込みに失敗すれば、安倍首相はますます追い詰められることになる。


加計学園の急成長を支えた「特異なビジネス」と「政界人脈」 シリーズ【加計学園とは何者か】最終章
加計学園をめぐる「疑惑」は、衆参両院の閉会中審議を経ても決着をみることはなかった。学園の成り立ちを追った第一部、第二部に続き、第三部では「教育実業家」を自認した加計勉氏、そしてその跡を継いだ孝太郎氏らの「ビジネス」を読み解く。
5人の親族たち
戦後まもなく定められた私立学校法には、次のような規定がある。
〈役員のうちには、各役員について、その配偶者又は三親等以内の親族が一人を超えて含まれることになってはならない〉
つまり、ひとつの学校法人につき、理事以上の役職に就ける親族は最大2人まで、ということである。「同族経営化」を未然に防ぐための決まりだ。もっとも、帝京大学グループ(冲永家)や近畿大学グループ(世耕家)など、創業家の親族が代々要職を占める大手私学法人は少なからず存在する。
現在の加計学園とそのグループ学校法人・社会福祉法人の役員には、加計孝太郎理事長、その息子である役(まもる)氏と悟氏、孝太郎氏の姉である美也子氏、その息子である勇樹(勇輝)氏と、少なくとも5人の「三親等以内の親族」の名前がある。彼らは各人がそれぞれ別々の学校法人の理事長や役員を務めているため、そこに法的な問題はない。
とはいえ、創立者の加計勉氏が一代で築き上げた加計学園グループは、各法人がまるで「相続」されるかのようにして、今日まで歩んできた。例えば現在、加計学園が運営する倉敷芸術科学大学で副学長の要職を務める悟氏は、すでに報じられているように、同大学で獣医学系学科の講師を兼任している。
7月24・25日に行われた国会の閉会中審査では、「加計学園が今治市に獣医学部を新設することを、安倍総理がいつ知ったのか」さらに言えば「安倍総理が加計学園に何らかの便宜を図ったのか否か」という点のみがクローズアップされた。
だが一方で、こうした「同族経営」の私学に、国・自治体が多額の補助金を注ぎ込むことの是非は別に問われなければならないだろう。
「頼まれるから、後に引けない」
さて、加計勉氏から、長男・加計孝太郎氏への代替わりが見えてきた1990年代、加計学園はさらなる拡大路線を歩み始めた。平成になってグループが新設した学校・関連施設新設を列挙してみよう。
加計学園本体が運営する学校に(加計)、姉妹法人の高梁学園(2010年に順正学園に改称)が運営する学校・施設に(高梁)、関連法人の英数学館が運営する学校に(英数)、その他には(その他)と付記した。
学園創立者で孝太郎氏の父・加計勉氏は理事長を務めていた1996年、日本経済新聞によるインタビューで、記者の「なぜ、こんなに(学校新設に)積極的なのか」という率直な質問に答えている。
周知の通り、このころ日本の景気は下り坂にさしかかっていた。にもかかわらず、加計学園グループがわずか5年の間に吉備国際大学、倉敷芸術科学大学という2つの大学を新設したことを、世間は驚きとともに受け止めていたのだ。
〈無理をして拡大しているわけではない。県や市から要請があり、地元がなん十億円という資金を投じて用地買収、整備などの準備もしてくれるから後に引けなくなる。私も頼まれると『ひと肌脱がなくては』というタイプではある〉
さらにこの時、勉氏は大学新設の「戦略」や「勘どころ」についても明かしている。
〈(記者)ーー(大学に)個性があれば文部省も認めてくれる?
個性に加えて、時代に対応できているかどうかだ。コンピューター関連の学部にしても、一時は関心が高まったが、もうこの学部、学科はそろった感じだ。いまの人気は『看護』『療法』などで、宮崎でもこうした学科を設ける(注・その後の宮崎での経緯は後述)。
ーー学校経営のマーケティングが不可欠ということ?
そう。時代、社会のニーズから、地域の進学率、大学数、学部の性格などを綿密にみていけば見通しはつく。それでこそ時代に合った人材を養成できる〉
勉氏が自ら語っているように、1990年代以降、加計学園は時流に乗って看護系・福祉系の学校・学部学科を増やすなどの施策を打ち、急拡大を遂げていった。もちろん、誘致する自治体側の希望に学園側が応えようとしていたこと、また学園が打ち出す「ニーズに合わせた教育の提供」が、学園自身の興隆に寄与しただけでなく、地域や社会に対する貢献にもなったことを疑う余地はないだろう。
ただ、その事業の中には少なからぬ額の税金がなし崩し的に投じられた事例や、あるいはその是非が地元で激しい論争を招いた事例もある。
県知事が理事長の「吉備高原学園」
加計学園が本拠地を置く岡山県の行政を語るうえで決して無視できないのが、1972年から1996年、6期の長きにわたって県知事を務めた長野士郎氏だ。元内務官僚・自治官僚の長野氏は、戦後のいわゆる「昭和の大合併」を主導し、「地方自治の神様」の異名をとる辣腕官僚だった。
その長野氏が、岡山県知事就任直後にぶち上げた目玉政策が「吉備高原都市構想」である。岡山県中部に横たわる吉備高原の山中に、当時注目されていたバイオ関連企業などを誘致、「テクノポリス」と呼ばれる一大都市圏を作り上げるという壮大な計画で、構想委員会には、SF作家の小松左京氏など著名な識者が名を連ねた。
計画区域とされた土地は1800ヘクタール(東京ドーム385個分)、その中に「産業区」「居住区」「農用区」「センター区」など7つの区画を設ける。最終的な見込み人口は3万人、総事業費は745億円で、1980年代半ばから断続的に開発が始まった。
岡山県による吉備高原都市計画資料
この吉備高原都市は「人工都市」である以上、そこには学校も必要になる。構想の中の教育部門を担当したのが加計学園だった。
区画北側の山腹に、全寮制の「吉備高原学園高校」が開校したのは1991年。運営は岡山県などの地元自治体と加計学園が共同出資する第三セクター方式で、理事長に長野知事、学園長に勉氏が就任するという、全国を見渡しても前例のない「知事肝いり」の事業だった。
約50億円の学校建設費用は全額岡山県がもち、法人設立費用は県が2750万円、加計学園が2000万円を負担したという。もちろん、学校職員は大半が加計学園からやってきている。
全寮制・単位制という珍しいシステムを採用した吉備高原学園高校には、当初から意図していたわけではなかったが、他の学校に馴染めなかった不登校の生徒、中退経験者といった生徒がやがて全国から集まるようになった。
吉備高原都市構想には、中国銀行やバイオ企業の林原など、地元岡山を代表する企業も参画・出資していた。そうした中で、系列校でも唯一となる全寮制高校を開くことは、加計学園にとってもチャレンジングな事業であったことは間違いない。しかし——。
バブル崩壊で、公共事業費の大盤振る舞いを続けた長野知事の県政はあっという間に行き詰まった。気がつけば岡山県は全国最悪の財政難に悩まされるようになり、歳出を削らなければ「財政再建団体」転落、つまり破綻も避けられない情勢となった。県民は「野放図なハコモノ投資を行った長野知事の責任だ」と追及の声をあげた。
吉備高原都市構想も頓挫した。町の建設開始から10年が経っても、住宅区画はほとんどが売れ残り、人口はわずか2000人にしか増えない。大企業や大手商業施設が進出してくるはずもなく、町の中心に建つ商業ビル「きびプラザ」はテナントが埋まらず歯抜け状態となった。1996年に長野氏が知事を引退するとともに、計画は根本から見直され、翌97年の県行政改革大綱で事実上凍結された。
現在も、同地にある吉備高原学園は加計孝太郎氏の次男・役氏が学園長、岡山県知事で元天満屋社長の伊原木隆太(いばらぎりゅうた)氏が理事長に就いて運営されている。2007年6月には、鈴木宗男元衆院議員の元秘書で、現在は加計学園系列校の千葉科学大学危機管理学部教授を務めるムウェテ・ムルアカ氏が訪れて講演を行った。
「地方移住」「田舎暮らし」が注目を浴びるようになった現在、かつてと比べ格安で土地が売り出されていることもあり、吉備高原都市には再び少しずつ移住者が増え始めているという。だが、依然として住宅区画には広大な空き地が広がっており、巨大な公共施設にも人の姿はまばらだ。
現在も吉備高原学園高校には300人あまりの生徒が在籍し、勉学やさまざまな活動に励んでいる。その教育的意義は確かにあるだろう。しかし同学園を包括し、加計勉氏もまたその夢を賭けた、壮大な未来都市構想そのものは多額の税金を呑み込んだすえ、未完に終わった。
市民を二分した「幻の大学構想」
加計学園グループの大学が地元の反対運動に直面し、開学を断念した前例もある。
加計学園が千葉県銚子市に千葉科学大学を開学した翌年の2005年春、孝太郎氏の姉・美也子氏が理事長を務めるグループ法人のひとつ高梁学園(現・順正学園)が、宮崎県日向市で4年制大学の新設計画を突如明らかにした。開学予定は2年後の2007年4月に設定された(注・今年に入り、美也子氏は「加計学園と順正学園は勉氏の没後、決裂した」と証言している)。
前述したインタビューで勉氏が語ったように、加計学園グループにとって、宮崎県は本拠地の岡山県・広島県以外で初進出を遂げた地である。美也子氏と、当時の日向市長の黒木健二氏は4月25日に合同記者会見を行った。
黒木氏は「大学の誘致を望む住民の声もあり、昨年(2004年)10月からアプローチしてきた。地域経済の起爆剤になる」(2005年4月26日、宮崎日日新聞)と、あくまで「大学誘致は地元の強い要望に応えるものだ」と強調した。
しかし、日向市の近隣自治体である延岡市には、すでに1999年に同じ高梁学園が運営する九州保健福祉大学が設けられていた。同大学が新設された際には、総事業費114億円のうち、79億9000万円を県と市が持っている。決して軽くはない負担である。
さらなる大学新設に対し、同年夏の日向市議会では議員たちから疑問が噴出。黒木市長は「校舎建設費や運営費用への補助については、合併特例債の活用も検討しており、すでに国と協議も始めた」と説明している。
現在議論されている愛媛県今治市での岡山理科大学獣医学部新設においても、愛媛県と今治市が96億円を上限に建設費用を負担する予定になっており、この点も「加計学園問題」の一環をなしている。2005年当時に日向市が模索したという「合併特例債を大学建設費用に使う」とのプランは、要するに「市の名義で借金をしてまで大学を作る」ようなものだ。控えめに言っても異例の対応である。
およそ6万人の市民は、賛成派と反対派に割れた。反対派は市民団体「日向市まちづくり100人委員会」を結成し、「大学誘致の発表に至る経過を具体的に示すべき」という趣旨の質問書を市に提出。さらに、10月には4581人の署名を集め、大学設置の是非を問う住民投票の実施を要求した。
一方の賛成派陣営も、当時の市商工会議所会頭を代表に据えた「日向市の発展を考える会」を設け、1万人強の誘致賛成署名を集めた。
だが、高梁学園は反対派からの批判というよりも、こうした騒動が巻き起こったことそのものを重く見て、自ら計画を取り下げた。2005年11月末、加計美也子理事長と黒木市長は大学設置を断念すると発表。当時の美也子氏の説明はこう記録されている。
〈6万人の市で5000人近くが”反対”している中では、先生も学生も快適と言えない。設置にふさわしくない環境と判断した〉(2005年11月30日、読売新聞)
政治は誰のためにあるのか
今治市の岡山理科大学獣医学部新設について、それを推進する側の政府関係者、また前愛媛県知事の加戸守行氏は「獣医不足に悩む四国において、獣医学部の誘致は地元の悲願だった」との証言を国会で行った。ただ、それがどのような水準における「悲願」なのかーー行政関係者だけでなく、一般の市民も誘致を望んでいるのかーーは判然としない。
少なくとも、昨年11月に募集された獣医学部新設に関するパブリックコメントでは、寄せられた意見のうち約75%が獣医学部新設に反対するものだったという事実がある(なおパブリックコメントの関連資料は、今年1月18日に行われた国家戦略特区特別委員会で配布されている)。
このとき積極的に意見を寄せた中に、日本獣医師会関係者などの新設反対派が多かったおそれはある。とはいえ、その可能性を差し引いても、多額の税金を加計学園に提供することに慎重な一般の今治市民が、無視できるほど少ないとは思えない。
老境にさしかかった学園創立者・加計勉氏が、学校経営の一線を退き、長男・孝太郎氏に加計学園の、長女・美也子氏に高梁学園の理事長の座を譲ったのは2001年初めのことだった。そのおよそ7年後の2008年4月30日、勉氏は心不全でこの世を去った。享年85、1961年の加計学園誕生からまもなく半世紀が経とうとしていた。
5月3日に岡山市内で行われた葬儀には密葬にもかかわらず約1400人が参列し、安倍総理(当時は衆院議員)のほか、塩崎恭久・現厚労大臣ら、政財界の要人が全国から駆けつけている。
そして2010年11月、現理事長・加計孝太郎氏のもとで、加計学園50周年記念行事が盛大に執り行われた。創立の地である岡山市内の岡山理科大学で行われたセレモニーには、かねて学園と関係の深い毎日新聞社大阪本社からヘリコプターが飛来し、花束と祝辞を投下するパフォーマンスで会場を沸かせたという。
第二次政権に返り咲く前の安倍総理は、このときも式に列席し、以下のような祝辞を寄せた。
〈理事長の孝太郎先生とは、30数年前にお会いして以来ずっと家族ぐるみで親しくしていただいております。毎年毎年新しいことに挑戦され、その名声を高めておられることに改めて敬意を評したいと思います〉(「加計学園創立50周年記念誌」2011年)
生前の勉氏は、2001年に名誉理事長に退いてからも学園への影響力を保っていたが、2008年の勉氏の死後は孝太郎氏が学園全体を統括する立場となった。
同年に千葉科学大学に新設された危機管理学研究科では、翌2009年から萩生田光一官房副長官が客員教授を務めていたことがすでに報じられている。また、2011年9月にタイの泰日工業大学と加計学園が教育交流協定を結んだ際には、安倍総理が自ら調印式に出席し、孝太郎氏とともに写真に収まった。
第一部では、勉氏が池田勇人元総理、宮沢喜一元総理ら政界の要人とのコネクションを重視していたことを記した。孝太郎氏と安倍総理の付き合いもまた、総理が自ら語っている通り、公私にわたる長く深いものだ。
もちろん勉氏にしろ孝太郎氏にしろ、宮澤氏や安倍総理と初めて知り合った時から、「この人は将来、総理大臣になる」と確信していたはずもないだろう。孝太郎氏は父・勉氏の「人を見る眼」を受け継いだのかもしれない。
現在、加計学園の運営する学校には約2万人の学生・生徒・児童が通い、1000人を超える教職員が働いている。「大企業」ともいえる規模の私立学校法人の円滑な運営に、政界や行政との連携が欠かせないことそれ自体は、致し方ないことだろう。その一方で、加計学園が半世紀以上にわたって展開してきた数々の教育事業には、すでに決して少なくない額の税金が費やされている。
今回の「加計学園問題」はわれわれ国民に、「政治とは、教育とは、いったい誰のためにあるのか」という根本的な問いを投げかけている。                                   (了)参考文献:鶴蒔靖夫『加計学園グループの挑戦』IN通信社、2011年 『加計学園創立二十周年記念誌』加計学園、1985年 『広島加計学園創立十周年記念誌』加計学園、1990年 『加計学園創立30周年記念誌』加計学園、1992年     『加計学園創立50周年記念誌』加計学園、2012年


加計獣医学部 異常に高い建築単価の見積もりの錬金術疑惑
 7月24〜25日に加計学園問題の閉会中審査が行なわれたが、加計疑惑は内閣改造後も安倍政権にとって大きな“爆弾”であり続ける。新たな焦点として浮上したのが新キャンパス開設をめぐる加計グループの“濡れ手で粟”のビジネスモデルだ。
 加計グループは全国に20以上の学校を経営するが、経営は決して順調ではない。同グループの事業計画(平成28年度)によれば、薬学部が看板の千葉科学大学は年間約3億7000万円、倉敷芸術科学大学は年間約5億円の赤字。いずれも定員割れで採算が取れず、岡山理科大学の黒字(年間約15億円)で埋めている状況だ。2015年からの3年間で日本私立学校振興共済事業団から計52億5000万円を借り入れている。
 今治市に建設中の岡山理科大学獣医学部の新キャンパスは土地を同市から無償譲渡され、さらに施設建設費192億円の半分(96億円)を市からの補助金で賄えるという“厚遇”があるとはいえ、自己負担分の96億円は当面、利益の上がらない先行投資になる。苦しい運営のなかで開学を急ぐのはなぜか。市民団体「今治加計獣医学部を考える会」の黒川敦彦・共同代表がいう。
「注目すべきは、今回の新キャンパスの建築単価が異様に高く見積もられている点です。建設費のうち造成費や設備費を除くと148億円。坪単価は約150万円にのぼります。建物は鉄骨造で、国交省の統計(2016年建築着工統計)によれば同じ構造での相場は坪単価70万円弱。つまり相場の倍以上もする見積もりなのです。同じ国家戦略特区の枠組みを利用した千葉県成田市の国際医療福祉大学は、鉄骨造よりも高くなる鉄筋コンクリート造なのに坪単価は88万円。いかに今治の加計学園が高いかがわかります」
 この今治キャンパス建設の施工監理を担当するのが加計グループのSID創研(建設コンサル)である。
「グループの建設コンサルを使って建設費を2倍に設定し、その半額分の補助金をもらう。その上で建物を一般的な坪単価で造ることができれば、加計は自己負担なしで校舎を建設できるというわけです」(同前)
 今治市は「施設の設置経費にはグラウンド等の整備費も含まれており、坪単価150万円は割高ではない。支出の段階において経費の明細を審査する」(企画財政部企画課)と回答したが、「市議会に提出された資料によればサッカーグラウンドとテニスコート3面。駐車場も平面で多く見積もっても10億円はしない。相場の2倍という水準は変わらない」(前出・黒川氏)と、疑念は依然残る。
 重要なのは前述の加計学園の借入金52億5000万円の担保が、岡山理大と倉敷芸大の土地と建物になっていることである。倉敷芸大は今治同様、倉敷市から土地を無償譲渡、建設費も補助金を受けている。
 無償で手に入れた土地と巨額の補助金で建てた建物を担保に借入を行ない、また新たなキャンパス建造に乗り出す――加計がなんとしても獣医学部新設を国に認めさせなければならなかったのは、そうした自転車操業で規模拡大していかなければ経営が成り立たない事情があるのではないか。
 加計学園は取材に対し、期日までに回答しなかった。疑惑の闇はまだまだ深い。


下村氏パーティー券代で告発状
自民党の下村幹事長代行の事務所が、学校法人「加計学園」の幹部を通じてパーティー券代、あわせて200万円を受け取っていたことについて、市民団体は7月31日、「収支報告書に記載がなく政治資金規正法に違反する疑いがある」などとして、下村氏などに対する告発状を東京地方検察庁に提出しました。
自民党の下村幹事長代行の事務所は、平成25年と26年に「加計学園」の当時の秘書室長を通じて支援団体のパーティー券代として、あわせて200万円を受け取っていたことが6月、明らかになりました。
これについて下村氏は「パーティー券は加計学園が購入したものではなく、11の個人や企業が学園の秘書室長に現金を預け、それぞれ収支報告書に記載義務がない20万円以下で購入したものだ」などと説明しています。
大学教授などでつくる市民団体は31日、「加計学園から受け取った200万円のパーティー券収入は収支報告書に記載がなく政治資金規正法に違反する疑いがある」などとして、下村氏や支援団体の代表らに対する告発状を東京地方検察庁に提出しました。
市民団体は会見で「下村氏の説明どおりだったとしても11の個人や企業からパーティー券の代金を集めた秘書室長の行為は『あっせん』に当たり名前や金額を記載する必要がある」と主張しています。
東京地検は今後、告発状の内容を精査したうえで、違法性の有無を慎重に検討するものとみられます。
これについて下村氏の事務所は、「告発内容の詳細を承知していないので、コメントは差し控えさせていただきます。捜査機関による捜査に対しては、誠実に対応していく所存です」としています。