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L’apéro au Japon, c’est saké
Par Camille Labro
#Apérosd’ailleurs 4/6. C’est une des activités préférées des Français, surtout l’été… Mais l’apéritif n’est pas l’apanage de l’Hexagone. Cette semaine, l’≪ izakaya ≫, où les Japonais se retrouvent autour d’un verre et de mets à grignoter.

L’apéritif à la française n’a pas vraiment d’équivalent au Japon. Pourtant, les Nippons ont inventé le lieu idéal pour se réunir en fin de journée et se sociabiliser autour de petites choses à boire et à manger. A mi-chemin entre le restaurant et le bar, souvent situé près d’une gare ou d’une station de métro, l’ izakaya est un peu le gastro-pub japonais. Son histoire remonte à l’ère Edo, quand les débits de boisson vendaient le saké au volume, et que l’on buvait debout, devant l’enseigne.
D’abord réservés aux hommes, les izakayas sont aujourd’hui des endroits décontractés où tout le monde peut se retrouver après une longue journée de travail, parfois au coude-à-coude, pour siroter bières, nihonshu (saké), mais aussi, désormais, vins et cocktails. L’on y vient d’abord pour boire, mais la nourriture a son importance, car les Japonais ne font jamais les choses à moitié.
Ambiance bruyante et discussions animées
Comme il est de coutume dès qu’il s’agit de manger, une petite serviette chaude (oshibori) est distribuée, puis un otoshi automatiquement servi, avant ou en même temps que le premier verre. Il s’agit d’un petit snack imposé au client (qui lui sera cependant facturé), quelle que soit sa commande. Une tradition enracinée dans l’histoire des izakayas. Symbole d’hospitalité, l’ otoshi est une manière de s’assurer, pour le tenancier, que les convives ne boiront pas le ventre vide – un principe semblable, dans le fond, aux amuse-gueule de l’avant-dîner chez nous. Cela permet aussi au client de juger de la qualité de la cuisine, et de décider s’il veut commander davantage.
Les izakayas sont l’endroit rêvé pour un apéritif dînatoire, car on y sert un formidable éventail de petits plats : edamame (fèves de soja), yakitori (brochettes grillées), sashimi (poisson cru), gyoza (ravioli), okonomiyaki (sorte d’omelette-pizza-pancake), tempura (beignet), yakisoba (nouilles sautées), légumes marinés, et mille autres créations selon le lieu et l’inspiration du chef. Contrairement aux restaurants japonais plus classiques, comptoirs à sushis ou menus kaseiki, l’ambiance y est souvent bruyante, les discussions animées, les mets et les boissons partagés. Il est d’ailleurs fréquent de se voir offrir un verre par un inconnu, pour amorcer la conversation. Il est alors de bon ton de retourner la politesse. L’essence de la convivialité.
Expérience de chef
Taku Sekine, 36 ans, chef au Dersou : ≪ Au Japon, on adore les petites portions, à manger au comptoir ou dans la rue ≫
≪ Je suis né dans la préfecture de Kanagawa, au sud de Tokyo. J’ai suivi un long parcours universitaire, j’ai étudié les langues, l’économie, la politique, car avant de devenir chef de cuisine, je voulais être chef tout court… peut-être chef d’entreprise, voire chef d’Etat. A Sienne, où je m’étais installé pour apprendre l’italien, j’ai pris des cours de cuisine le soir. J’ai ensuite travaillé au restaurant Beige d’Alain Ducasse à Tokyo puis à Paris, au Plaza Athénée, et chez Hélène Darroze.
Une gastronomie très métissée
Mais la gastronomie traditionnelle m’ennuyait un peu. J’avais envie d’une cuisine plus simple, plus pure, avec du goût et de bons produits : je me suis tourné vers la bistronomie. Mon éducation culinaire est très française, mais je raffole de la cuisine asiatique. Aujourd’hui, chez Dersou, je revendique une gastronomie très métissée, éclectique. Nous proposons des accords mets-cocktails, plein de petites choses raffinées à goûter, qui reflètent la diversité culinaire de l’Asie et de l’Occident.
Au Japon, il y a une culture du “snacking” très développée, on adore les petites portions, à manger au comptoir ou dans la rue, avec une bière ou un verre de saké… L’un de mes mets favoris, c’est les gyozas. Des bouchées très tendance à Paris, que j’aime bien frire, ce qui n’est pas très orthodoxe, mais qui permet de les déguster avec les doigts. Je les fais souvent avec une farce végétarienne, car les légumes en France sont excellents, pas besoin de viande pour donner du goût ! ≫
Dersou 21, rue Saint-Nicolas, Paris 12e
La recette : les gyozas frits de Taku Sekine
Ingrédients (Pour 40 pièces)
Les gyozas
2 courgettes, 6 champignons de Paris, 1 oignon blanc, 1 bâton de citronnelle, ½ bouquet de coriandre, ½ bouquet de basilic thai, 1 citron vert, pâte à gyoza (dans les épiceries asiatiques), huile végétale neutre, sel.
Tailler les courgettes et les champignons en brunoise (très petits dés). Peler et hacher l’oignon, le faire suer à la poêle rapidement. C’est ce qui permettra la liaison de la farce. Éplucher et émincer la citronnelle, ciseler finement la coriandre et le basilic. Râper le zeste du citron vert. Dans un bol, mélanger tous les ingrédients et saler. Déposer une cuillerée de farce sur chaque disque de pâte, mouiller le rebord du bout du doigt, plier en deux, puis pincer le bord pour créer 3 ou 4 plis. Répéter l’opération jusqu’à épuisement de la farce. Faire frire les gyozas dans une casserole d’huile neutre à 170 °C, pour qu’ils soient bien dorés.
Gin tonic twisté
4 cl de gin, 8 cl de tonic, 1 c. à c. de jus de citron vert, 1 tranche de gingembre frais et/ou 1 rondelle de citron vert, glaçons.
Dans un grand verre rempli de glace, mélanger le gin, le jus de citron et le tonic. Garnir de gingembre et/ou d’une rondelle de citron.
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帰りに自転車の場所間違えてしまいました.図書館の近くに駐輪したと思っていくとない!公園の近くでした.疲れた足でトボトボ歩きます.ノートパソコンがカバンに入っているのでいつもより相当重いです.とにかくクタクタ.

森友学園 籠池容疑者 国有地「0円で買いたい」要求
 学校法人「森友学園」(大阪市)に国有地が格安で売却された問題で、詐欺容疑で逮捕された前理事長の籠池泰典(64)と妻諄子(60)の両容疑者が売買契約(昨年6月)に向けた国側との交渉時、地中のごみを理由に損害賠償をちらつかせ、「0円で買いたい」と要求していたことが、関係者への取材で分かった。国側は土壌改良にかかった費用以下では売れないと回答。最終的に、わずかに上回る1億3400万円で売却した。
 大阪地検特捜部は国側が訴訟を恐れ、学園側に有利な判断をした可能性もあるとみて調べる。
 財務省の佐川宣寿(のぶひさ)理財局長(当時)は今年3月15日の衆院財務金融委員会で、「価格を提示したことも、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」と答弁したが、虚偽だった可能性がある。
 学園は大阪府豊中市の国有地で小学校開校を計画。2015年5月、近畿財務局は10年以内の購入を条件に、土地を貸す契約を結んだ。
 土地に鉛などの汚染があったため、学園は土壌改良を実施。国側が工事費約1億3200万円を支払った。
 しかし、16年3月、学園は小学校の建設工事中に新たなごみが見つかったと報告。「国による撤去を待つと開校が遅れる」として購入を申し出た。
 関係者によると、両容疑者や代理人弁護士は同年5月下旬までに財務局や土地を所有する国土交通省大阪航空局と交渉。「開校に間に合わない」として訴訟をちらつかせた。同年3月15日に財務省の国有財産審理室長と面会した際も、名誉校長だった安倍昭恵氏の名前を出したり、「損害賠償を起こさなしゃあない」と怒鳴りつけたりしていた。
 一方、国側は土壌改良工事費を下回る価格では赤字になるため売れないと説明。学園側は1億6000万円を上限と示したという。
 この間の4月、航空局はごみ撤去費を約8億2000万円と算定。財務局は6月、土地の鑑定評価から同額を引いた1億3400万円で学園に売却した。契約には、今後の損害賠償を行わないとの特約が付いた。
 特捜部は、背任容疑で財務局職員らを任意で聴取している。【三上健太郎、岡村崇】
森友学園への国有地売却を巡る経緯
<2015年>
5月29日 学園が10年以内に購入する条件で国と借地契約
7〜12月 土壌改良工事を実施(国が約1億3200万円負担)
<16年>
3月11日 学園が新たな地中ごみが見つかったと財務局に連絡
3月15日 籠池泰典、諄子の両容疑者が財務省室長と面会
3月24日 学園が土地購入の要望を財務局に伝える
4月14日 航空局がごみ撤去費を約8億2000万円と算定
5月31日 不動産鑑定士が土地価格を9億5600万円と報告
6月20日 ごみ撤去費を差し引いた1億3400万円で売買契約
<17年>
3月10日 学園が小学校開校を断念


佐川国税庁長官に森友“虚偽答弁”疑惑 市民団体が罷免活動
 やっぱり財務省は大ウソをついていた。
 大阪市の学校法人「森友学園」に対し、豊中市の国有地が約8億円も値引きされて売却されていた問題で、大阪地検特捜部に詐欺容疑で逮捕された籠池泰典前理事長と妻・諄子の両容疑者が、国との売買交渉時に地中のごみを理由に損害賠償をほのめかし、「0円で買いたい」と要求していたことが分かった。
 籠池容疑者側は安倍首相の妻である昭恵氏の名前もチラつかせていたという。これに対し、国側は土地改良の費用などを示したといい、最終的に売却額は1億3400万円となった。
 この問題で、財務省の佐川宣寿理財局長(当時)は3月15日の衆院財務金融委員会で、「価格を提示したことも、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」と答弁していたが、虚偽だった疑いが浮上。
 こうした状況を受け、弁護士らでつくる市民団体「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」は、国税庁長官に就任した佐川氏は「公務員の適性を著しく欠く」などとして、麻生太郎財務相に罷免を求めるための要望書の署名活動を始めた。


森友問題に決定的新証拠! 財務省が「国有地0円になるよう努力」を示す音声データ、交渉メモ…佐川国税庁長官は虚偽答弁だった!
 疑惑浮上から約半年。森友学園問題に、いよいよ決定的な証拠が出てきた。そのひとつが、先日、FNNが独占入手した、籠池夫妻と近畿財務局の池田靖・前国有財産統括官との値引き交渉の様子を録音した音声データだ。
 まず、最初に、森友学園と財務省による国有地取引をかんたんにおさらいしよう。最大の問題となっているのは、2016年3月に小学校建設予定地で新たに見つかったゴミの撤去費用についてだ。
 2016年4月14日に大阪航空局は新たなゴミの撤去にかかる費用を8億1900万円と算出し、5月31日には近畿財務局から依頼を受けた不動産鑑定士が土地の評価額を9億5600万円と査定。そこからゴミ撤去費用を差し引いた1億3400万円で売却されることとなった。一方、国から森友学園に対しては、1回目のゴミ撤去などにかかった費用を「有益費」として1億3176万円が4月6日に支払われている。これは前年の11月に、安倍昭恵夫人付きの秘書だった谷査恵子氏が財務省にかけ合っていたものだ。
 疑惑発覚時からずっと指摘されてきたことは、この国から森友側に支払われた金額に、約200万円を上乗せした程度にすぎないという土地の売却価格についてだ。そのため、土地の値引きの根拠となっているゴミ撤去費用の約8億円は後付けで算出されたのではないか、と疑惑の目が向けられてきた。
 だが、ここにきて、この疑惑を裏付ける証拠が出てきた。冒頭に紹介した籠池夫妻と近畿財務局・池田国有財産統括官の会話の音声記録がそれだ。
 この音声記録は、不動産鑑定士が土地の評価額を9億5600万円と査定した昨年5月31日の約1週間前のものだという。この場において、近畿財務局の池田国有財産統括官は、こう発言していたのだ。
「理事長が仰られてる『0円に近い(金額)』というのが、どういうふうにお考えになられているのか、売り払い価格が0円ということなのかなとは思うんですけど、私ども以前から申し上げているのは、『有益費』の1億3000万円という数字を国費として払っているので、その分の金額ぐらいは少なくとも売り払い価格は出てくると、そこは何とかご理解いただきたい」
 さらに、籠池理事長が「(支払われた有益費の)1億3000万円がうんぬんというよりも、ぐーんと下げていかなあかんよ」と詰め寄ると、池田国有財産統括官はこのように返答している。
「理事長がおっしゃる0円に近い金額まで、私はできるだけ努力する作業を、いま、やっています。だけど1億3000万円を下回る金額にはなりません」
 土地価格について、国がすでに森友学園に支払っている有益費1億3176万円を下回ることはできないが、0円にできるだけ近づけるよう努力している──。つまり、この1週間後に決定する土地評価額は、結果的に森友学園にとって「0円に近い金額」になるべくなるよう算出すると、近畿財務局は籠池理事長に語っていたのだ。実際、土地評価額は有益費1億3176万円に近い1億3300万円に決定、差し引きすれば森友側の実質的な支払い額は限りなく0円に近い額となっている。
 しかも、証拠はこれだけではない。今度は、昨晩放送の『報道ステーション』(テレビ朝日)が、2016年3月30日に籠池夫妻と森友学園の弁護士、設計会社、施工会社の4社で打ち合わせをおこなった際のメモをスクープしたのだ。
 このメモでは、同月に見つかったという新たなゴミについて、国側とどのように交渉を進めていくのかが議題となっているのだが、そこではすでに近畿財務局が、国有地を森友学園がなるべく安い価格で手に入れられるようにと動いていたことが記されていたのである。
〈できる限り低い金額で買い取りたい→航空局も同意〉
〈航空局・財務局→彼らのストーリー
調査ではわからなかった内容で瑕疵を見つけていくことで価値を下げていきたい〉
〈9mの深さまで何か出てくるという報告を(するよう)、財務局から学園サイドに言われている〉
 昨年3月の時点で、近畿財務局も、ゴミの撤去費用を見積もった大阪航空局も、売却価格を低くするという認識をもち、森友側に伝えていたのである。このメモが示す事実は、土地の売却価格を安くすることはすでに決まっており、「売却価格ありき」で、それにあわせてゴミの撤去費用を見積もったということだ。
 ここで思い返さなくてはならないのは、国会での答弁だ。財務省の佐川宣寿・前理財局長(現国税庁長官)は、3月15日の衆院財務金融委員会ではっきりこう口にしている。
「大阪航空局に埋設物の撤去・処分費用を依頼いたしまして、それを見積もって、それを前提にして、私どもは不動産鑑定にかけてございます。それを受けましたのが5月の末でございますが、いずれにしても、そういう価格につきまして、こちらから提示したこともございませんし、先方(森友学園側)からいくらで買いたいといった希望があったこともございません」
 こう答弁したあと、「やりとりの記録は残っていないのか」と追及を受けた佐川前理財局長は、「個別の面会のやりとり控えについては残ってございません」と返答したが、その「面会のやりとり」が音声として出てきたのだ。しかも、佐川前理財局長の主張とはまったく違い、近畿財務局も籠池理事長も、金額まで具体的に出して土地の価格交渉をおこなっていたのである。これは完全な虚偽答弁ではないか。
 いや、あらためて問題にしなくてはならないのは、財務省トップの麻生太郎財務相も同じだ。麻生財務相は「近畿財務局と大阪航空局とで協力して法令に基づいて適正な手続き、価格によって処理された」と言い張ってきたが、これも大嘘だったことになる。しかも、麻生財務相は、佐川氏を国税庁長官に“昇進”させた際、「(国会で)丁寧な説明に努めてきたと認識している」と評価してさえ見せたのだ。その「丁寧な説明」とやらは虚偽だったことがわかったいま、麻生財務相にも大きな責任がある。
 財務省にはやりとりを残した文書が残っておらずとも、このような決定的証拠となる音声記録が出てきた以上、憲法に則って野党が要求している臨時国会を一刻も早く開くべきだ。
 そして、忘れてはいけないのは、近畿財務局がここまで森友学園に対してへりくだった態度を取り、要望を聞き入れ、不正な売買をおこなった理由は、ただひとつ、安倍昭恵夫人の存在だということだ。
 今回の音声記録が出てきても、「籠池氏は昭恵夫人の名を勝手にもち出して近畿財務局を恫喝していた」と擁護する者がいるが、昭恵夫人が取ってきた言動にかんする数々の証拠を見直すべきだ。昭恵夫人は小学校の名誉校長に就任し、籠池夫妻と親密に連絡を取り合い、秘書を使って財務省に働きかけてきたことは、揺らぎようもない事実である。その濃密な関係が、土地取引において財務省から「忖度」を引き出したのではないのか。
 臨時国会の開催と、昭恵夫人の証人喚問。これを果たさなければ、いくら安倍首相が頭を下げたところで、そんなものはまやかしにすぎない。(編集部)


灘中に「教科書なぜ採択」盛山衆院議員ら問い合わせ
 私立灘中学校(神戸市東灘区)が採択した歴史教科書を巡り、自民党の盛山正仁衆院議員(63)=比例近畿=や和田有一朗・兵庫県議(52)=神戸市垂水区=が同校に「なぜ採択したのか」などと問い合わせていたことが3日、分かった。インターネット上でも「政治圧力ではないか」と問題視する声が上がっている。
 同校が採択したのは、「学び舎(しゃ)」の歴史教科書「ともに学ぶ人間の歴史」。教科書は現役教員やOBらが執筆し、他社で記述がない慰安婦問題に言及。1993年に河野洋平官房長官(当時)が元慰安婦へのおわびと反省を表明した「河野談話」を載せ、併せて「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない」と現在の政府見解も取り上げている。
 県教育委員会などによると、同校は2016年度から同社の歴史教科書を使用。同教科書を使っているのは県内では同校だけという。同委員会義務教育課は「(教科書の使用は)適正に行われている」としている。
 同校の和田孫博校長が昨年、同人誌に寄稿した「謂(いわ)れのない圧力の中で」と題した文章で「自民党の一県会議員から『なぜあの教科書を採用したのか』と詰問された」「本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、『政府筋からの問い合わせなのだが』と断った上で同様の質問を投げかけてきた」と明かした。
 また、採択を批判する「文面が全く同一」のはがきが200通以上届いたといい、和田校長は「はがきはすでにやんだが、圧力を感じた」と振り返る。現在も和田校長の文書がネット上で引用され、論争となっている。
 盛山、和田両議員は神戸新聞社の取材に、批判のはがきとの関連を否定。その上で、盛山議員は「灘中の教科書について、OBとして周囲から疑問の声を聞いたので、校長に伝えただけだ」と強調。「『政府筋からの問い合わせ』と言った覚えは全くない」とする。
 和田議員も会合で校長に採択理由を尋ねたことを認め、「私個人は学び舎の歴史教科書に疑問があり、さまざまな会合で口にしている」と主張。「私立学校の特色ある教育は理解しており、圧力などではない」と話している。


永山則夫を知り社会見つめて 都内に遺品ギャラリー
 十九歳だった一九六八年に四人を射殺し、九七年に死刑執行された永山則夫元死刑囚の遺品を公開する施設が東京都北区に開館した。一時閉館したが、「第二、第三の永山を生んではいけない」という、かつての支援者の思いが再開につながった。刑執行から二十年。裁判を傍聴した記者は元死刑囚の手紙をまとめた本を出版。少年による犯罪に社会はどう向き合っていけばいいのか、現在に問い掛けている。 (石原真樹)
 永山元死刑囚の死刑執行日である今月一日に再び開館した「いのちのギャラリー」は、元奈良市議の市原みちえさん(71)が、理髪店だった実家の一階・約三十三平方メートルを改装した。
 永山元死刑囚が愛読していた「サルトル全集」や広辞苑などの蔵書を並べた本棚、逮捕前に履いていた靴や、処刑直前に着ていたシャツなどを展示し、獄中での暮らしを再現している。
 市原さんは二十代の頃、「無知の涙」を読んだ。自分の罪と向き合うために、無学だった自らを省みようとする姿勢に心を揺さぶられ、手紙のやりとりや面会を重ねた。最後に面会したのは九七年七月二十八日。四日後に死刑執行された。
 段ボール箱で約百二十個の遺品を引き取り、二〇一二年四月、展示ギャラリーを設けた。体調を崩して一四年秋に一度閉じるが、約二百人が訪れた。「永山を知り社会を見つめ直したい」「いのち、家族について考えた」などの言葉が芳名帳に残る。
 市原さんは「殺した四人の命は取り返せない。だが、心から反省して、贖罪(しょくざい)の中で生きようと苦しんだのは本当だと思う。社会がどんなサポートをすれば事件を防げたのか、みんなで考えていきたい」と言う。
 一方、永山裁判を傍聴し、本人に取材もした北海道新聞記者の嵯峨仁朗さん(57)は今年二月、永山が獄中結婚した元妻と送り合った手紙をまとめた書籍「死刑囚永山則夫の花嫁」(柏艪舎)を出版した。そこにあるのは「会えて楽しかった」など、たわいない男女のやりとり。元妻は嵯峨さんに「こんな時間を小さい頃に家族と過ごしていれば事件はなかったはず」と語ったという。
 嵯峨さんは、事件は現在も重要な意味を持つと感じている。「死刑制度、少年事件、虐待。さまざまな問題が、ここから考えることができる」
 ギャラリーは午後一時半〜七時半。入場無料。不定休。見学に関する問い合わせは市原さん=電090(9333)8807=へ。
<永山事件> 北海道網走市の貧しい家庭に生まれ、母親や兄から虐待を受けて育った永山則夫元死刑囚が1968年、奪った拳銃で4人を射殺した事件。逮捕後に獄中で猛勉強し「無知の涙」など数々の文学作品を発表した。一審は死刑。二審は「愛情面、経済面で極めて貧しい環境に育った」などとして無期懲役。83年に最高裁が原判決を破棄、90年に死刑が確定した。最高裁は、死刑適用の基準として犯罪の性質や動機、残虐性など九つの要素を示した。この「永山基準」が死刑の基準とされる。


「全国民が取り組め」の椎名林檎と対照的! メダリストの有森裕子が五輪至上主義を批判し「社会ファーストであるべき」
「国民全員が組織員会」
「国内全メディア、全企業が、今の日本のために仲良く取り組んでくださることを切に祈っています」
 椎名林檎が2020年の東京五輪について国民にこう協力を呼びかけたことを、先日、報じた。
 椎名といえば、リオ五輪の閉会式のフラッグハンドオーバーセレモニーでは企画演出・音楽監督を務め、東京五輪のセレモニーにもたびたび意欲を示しているが、冒頭の発言は朝日新聞のインタビューに応じ語ったものだ。
 しかし東京五輪をめぐっては、膨れ上がる費用、競技場をめぐる混乱、建設現場での過重労働など様々な問題が噴出しており、いまなお解決されていない。その元凶は東京五輪組織委員会委員長を務める森喜朗元首相による五輪の私物化にあるが、森元首相は安倍首相を後ろ盾に一切責任をとることなく、いまなお東京五輪最高責任者の椅子に居座り続けている。
 ところが、椎名は、こうした私物化や不祥事をなかったことにして、国民全員にオリンピックへの協力を呼びかけるのである。しかも「国民全員が組織委員会」とか「全メディア、全企業が日本のために取り組め」などというのは、戦時中の日本のスローガン“一億総火の玉”と大差ない。
 だが、暗澹とさせられるのはこの「オリンピックだから」という大義名分のもとに、市民の生活も人権も生命も犠牲にして当然という風潮が、椎名だけでなく、いま日本全体にはびこっていることだ。さまざまなかたちで、ボランティアへの参加が半強制的に呼びかけられ、批判的な意見を言おうものなら、「もう決まったのだから、文句を言うな」「非国民」などと罵声を浴びせられる。
 しかし、そんな“オリンピック圧力”のなか、ある人物が椎名とはまったく対照的な発言をしていることをご存知だろうか。元マラソン選手でバルセロナ、アトランタ五輪のメダリストである有森裕子氏だ。
招致に関わった有森裕子が東京五輪の現状に「全然違う」
 有森氏は6月17日に放送された『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)にゲスト出演したが、この日のテーマは「リスナー国民投票 東京オリンピック・パラリンピック、今からでも返上するべき?」だった。司会の久米宏氏はこれまでことあるごとに「東京五輪開催反対」「アンチ東京五輪」を叫んでいる急先鋒的存在だが、この日も「たとえ最後の一人となろうとも、2020年のオリンピック開催は反対」と気勢をあげ、有森氏はそれに賛同するかたちで、現在の五輪のあり方、そしてアスリートファーストに疑問を呈したのだ。
 有森はまず“アスリートファースト”という言葉に対する違和感について、こう語っている。
「(アスリートファーストという言葉は)違和感だし、どういう意味合いで言っているのか、みなさんそれぞれすごく違うような気がするんです。アスリートがアスリートファーストで考えて欲しいと言うのと、まわりの人が言うのは違うと思うんです。しかも掲げて言うほどのものではなく、本当は“社会ファースト”だと思うんです。スポーツも文化もすべて社会で人間がきちんと楽しく、平和に健康でいるための手段のひとつ。音楽や物をつくる、スポーツする。オリンピックもそうした手段のひとつだと思うんです。ですからすべては社会の感覚と一致しないといけない。そうすると“手段”がファーストになるのはおかしいですよね。すべては社会ファースト。ですから社会のことを考えて、その感覚と一致しなくてはいけない。でもいまのオリンピックの考え方とか、ことの進め方は、ある時点から、もちろん招致のときからあったのですが、あまりにも“オリンピックだからいいだろう”“だからいいだろう”“だからこう決めるんだよ”とあまりに横柄で。なぜこうまで偉そうになっちゃうんだろう。社会とずれる感覚を打ち立てて物事を進めている。横柄だし、雑だし傲慢」
 上述したように、東京五輪開催は現在、アスリートファーストどころか“オリンピックファースト”で強引に進められている。たとえば新国立競技場問題や競技会場決定のプロセス、費用の問題など、さまざまに指摘される問題が、この社会に生きる市民の生活を置き去りに、すべてが“オリンピックだから”と押し切られてしまっている。この状況に対し、有森は「スポーツも文化もすべて社会で人間がきちんと楽しく、平和に健康でいるための手段のひとつ」であり、まず“社会ファースト”であるべきだと主張しているのだ。
“社会ファースト”という視点から、さらに有森氏はそもそもの東京五輪開催の理念の変遷、そして“五輪返上”の声についてもこう触れた。
「そもそもなぜ東京五輪を招致したのか。一番大切なのが、復興だったはずです。スポーツによって、日本を元気に変えよう。日本に大きな災害があって、オリンピックを呼ぶことで復興させられるんだと、最たる手本になる国になる。そのつもりで私もブエノスアイレスでロビー活動をしました。でも蓋を開けたら全然いま違う。復興どころか、どこを見ているんだろう。結局何をやろうとしているんだろうというのが正直あります。どこか不安で、反抗したくなるような、やらなきゃいい、返上すればいいという感情を促してしまう。すごく残念です」
「そのしわ寄せは子どもたちにいく」
有森は「全国にしわ寄せが来る」「もっと怒って欲しい」と警告
 また、有森氏は、五輪の裏でうごめく“利権”や“政治”についても、示唆した。
「昔からオリンピックは政治は関わらない、純粋なものだと言われますが、そんなこと信じている人はこれっぽっちもいないと思いますよ。ロビー活動をしていると、政治力や、どんな人が関わっているとか、お金とか。そうしないと組み立てられない現実をみんながわかっている。本当に裏、裏、裏、汚い、汚い」
「みなさん、開催するにあたってもっと興味をもってほしい。お金の感覚とか、ものの進め方。東京だけでなく全国にしわ寄せがきますから。無関心であってほしくない。怒るところは怒ってほしい」
 五輪の“現実”について、もっと批判の声をあげてほしい、有森氏はそう語るのだ。
 オリンピックに対する批判が言いにくい空気のなか、しかも当のアスリート側からこのような批判が出てくるのは意外なようにも感じる。しかし、有森氏のこうした主張は、アスリートだからこその思いだ。ラジオのなかでも語ったように、有森氏は五輪招致にアンバサダーとして関わり、また日本陸上競技連盟理事も務める“当事者”だ。だからこそ、自分の目の前で当初の理念がどんどん捻じ曲げられていくのは耐えられなかったのだろう。
 実際、2015年に新国立競技場の巨額建設費とその見直しが大きな話題になった際も、「ほとんどのアスリートが言いたいこともあると思うし、意見もあると思う」としながらも、しかし多くの現役選手たちは所属する協会に対し「触発するようなことはできない」と後輩アスリートたちの苦しい心中を涙ながらに代弁していた。
 オリンピックに関わった者だからこその苦言と、“社会ファーストであるべき”という問題提起。「オリンピックのために、ひとつになれ」と大号令がかかるいま、有森の言葉にもっと多くの人が耳を傾けてほしい。(伊勢崎馨)