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72 ans après Hiroshima, le Japon se recueille
Le Japon commémorait dimanche 6 août le premier bombardement atomique de l’Histoire, qui frappa il y a soixante-douze ans la ville du sud de l’archipel.
Le Japon commémorait dimanche 6 août le premier bombardement atomique de l’Histoire. Celui-ci frappa Hiroshima, ville du sud du Japon, il y a soixante-douze ans. Le 6 août 1945, à 8 h 15, un bombardier B-29 américain baptisé ≪ Enola Gay ≫ larguait sur la ville la bombe atomique ≪ Little Boy ≫. D’une puissance équivalant à près de seize kilotonnes de TNT, la bombe de Hiroshima causa une déflagration faisant monter la température au sol à 4 000 degrés.
Cent quarante mille personnes périrent le jour même et dans les semaines qui suivirent. Trois jours plus tard, une autre bombe atomique, ≪ Fat Man ≫, frappait Nagasaki, conduisant à la reddition japonaise, le 15 août, qui marqua la fin de la seconde guerre mondiale. A Nagasaki, soixante-quatorze mille personnes furent tuées.
Contradictions japonaises au sujet des armes nucléaires
Le premier ministre, Shinzo Abe, qui s’exprimait au parc du Mémorial de la Paix de Hiroshima dimanche, a déclaré que le Japon espérait militer pour un monde sans armes nucléaires d’une manière qui conviendrait à tous les pays du monde.
≪ Pour parvenir réellement à un monde sans armes nucléaires, nous avons besoin de la participation à la fois des Etats nucléaires et des Etats non nucléaires ≫, a-t-il dit. ≪ Notre pays veut montrer la voie à la communauté internationale en encourageant les deux parties ≫ à progresser vers la dénucléarisation, a-t-il ajouté, sans faire explicitement référence au traité interdisant les armes atomiques adopté par l’ONU le 7 juillet.
Au moment de cet anniversaire, les traditionnelles contradictions japonaises au sujet des armes nucléaires refont leur apparition. Il y a un mois, le Japon avait rejoint les rangs des puissances nucléaires comme les Etats-Unis, la France ou la Grande-Bretagne pour bouder ce même traité, qui préconise une interdiction totale du développement, du stockage et de la menace d’utilisation d’armes nucléaires.
Tokyo a critiqué celui-ci en jugeant qu’il aggravait le fossé entre les pays dépourvus de l’arme nucléaire et ceux qui en sont dotés. Aucun des neuf pays détenteurs de l’arme nucléaire (Etats-Unis, Russie, Royaume-Uni, Chine, France, Inde, Pakistan, Corée du Nord et Israël) n’a pris part aux négociations.
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歴史秘話ヒストリア「京都で旅する地獄と極楽」
井上あさひアナが案内する京都ミステリーツアー。極楽を再現した平等院鳳凰堂や、えんま様と出会える六道珍皇寺、さらには絵図の中に飛び込んで恐ろしい地獄ツアーも実施!
千年の都・京都は“あの世”がとても身近にある場所。長い歴史の中で数多くの霊を生み、現世の人々が関わってきた都の地には地獄や極楽にまつわるスポット、物語がいっぱい!平安貴族の極楽テーマパーク「平等院鳳凰堂」や地獄へ通じる井戸がある「六道珍皇寺」。井上あさひアナが実際の場所を探訪…のみならず地獄の光景を描いた絵図にも飛び込み“地獄ツアー”を実施。いにしえの人々が考えた“あの世”の世界を案内する。 井上あさひ

平成29年 広島平和記念式典〜広島平和公園から中継〜
被爆72年を迎える広島。一発の原子爆弾で街の日常は一瞬で失われ、被爆者や遺族の心身には生涯癒えることのない深い傷が刻み込まれた。二度と過ちを繰り返してはいけない…。平和記念式典が開かれている平和記念公園から式典の様子、そして「ヒロシマの使命」と向き合う市民の姿を、この1年間の核兵器廃絶をめぐる動きや被爆者のインタビューを交えながら生中継で伝える。 田村直之,八田知大
サンデーモーニング【安倍改造内閣が始動▽速報世陸ボルト▽ダル新天地▽風をよむ】
安倍改造内閣が始動…加計森友の説明は?▽トランプ政権に波紋▽中国指導部で何が?▽速報・世陸ボルトが▽プロ野球▽ダル新天地初登板▽Jリーグ▽風をよむ
この一週間をフラッシュでお伝えする「早わかり一週間」▽世界と日本の出来事を掘り下げるカバーストーリー▽おなじみ・スポーツ御意見番「喝!&あっぱれ」▽関口宏の「一週間」ニュース▽時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」 関口宏 岸井成格(他) 橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美(TBSアナウンサー) 張本勲(他)■番組HP http://www.tbs.co.jp/sunday/ ■ツイッター @sundaym_tbs https://twitter.com/sundaym_tbs

明日へ つなげよう 復興サポート「震災遺構 未来へ 体験と教訓を語り継ぐ」
東日本大震災から6年半。未来の命を守るため、体験と教訓をどう語り継いでいくかが、重要なテーマとなっている。その際大切なのが、震災遺構の存在である。陸前高田の「奇跡の一本松」、石巻市で多くの児童が亡くなった「大川小学校」など。語り部など市民にも参加してもらい、防災教育ツアーなどを実現するには、どうしたら良いのか?原爆ドームを保存する広島平和記念資料館や、中越地震の被災地の実践から学び話し合っていく。 広島平和記念資料館元館長…原田浩,中越防災安全推進機構…山崎麻里子, 後藤千恵, 濱中博久
テレメンタリー 「追跡!原爆影響報告書 〜隠された安田高女の記録〜」
被爆後の広島・長崎で、被爆者の調査を行った米・合同調査団。近年、その報告書『原爆の医学的影響』(全6巻)がネットで公開された。長らく極秘扱いされていた第6巻目の中に、特筆されていた “安田高等女学校の死傷者研究”——その学校は、取材ディレクターの母校であった…そこには一体何が書かれていたのか?原爆により315人の生徒が命を落とした安田高女の“知られざる悲劇”と、隠されてきた「原爆影報告書」の謎に迫る。進藤晶子 佐々木誠 テレビ朝日
NNNドキュメント ギャンブル依存―巣食う闇を断ち切れるか―
競馬などの公営ギャンブルにパチンコ、パチスロ。日本ほど"ギャンブル"が身近な国は少ない。そのような中、"カジノ解禁法"が施行された。
懸念されるのは、ギャンブル依存症の拡大だ。借金を重ねた末に、家庭崩壊、自殺未遂、犯罪に手を染めた依存症者。回復の途上には再発の不安がつきまとう。意志の弱さとされがちだが、射幸心を持つ誰もが陥る可能性のある"病"の現実から、支援のあり方を考える。 三浦隆志(読売テレビアナウンサー) 読売テレビ

ガリレオX 第140回 「地球を測る。宇宙を知る。天文学の原点」 
広大無辺な大きさをもつ地球。現代の科学技術では正確な地球の大きさを知ることができるが、私達が普段生活する上でその大きさを実感することは稀だ。しかし驚くべきことに紀元前には既に、おおまかな地球の大きさはわかっていたという。紀元前300年頃、エラトステネスという科学者の試みによって計算されたのだ。その方法は美しさを感じるほど単純な実験だった。人類が宇宙を知る大きな第一歩に迫ることで科学の原点が見えてきた。<主な取材先> 西條敏美さん(日本科学史学会)

72年目の広島原爆の日です.広島県にも住んでtことがあるので忘れられません.Tシャツを買ったのは66年目だったか60年目だったかわかりません.そもそもTシャツあれからずっと来ていないのでどうなっているかな?
とりあえず原稿メール送信しました.完全にやる気なしです.

<あなたに伝えたい>生まれ変わってまた親子に
◎「ママを助けたい」と言っていた優しい息子/鈴木あけみさん(宮城県柴田町)将宏ちゃんへ
 鈴木将宏(まさひろ)ちゃん=当時(6)= 宮城県山元町花釜の自宅で、母親のあけみさん(52)らと3人暮らしだった。通っていた町東保育所で東日本大震災に遭遇した。保育士らの誘導で園庭に待機中、津波が押し寄せ、巻き込まれた。3日後に遺体で見つかった。
 あけみさん 震災に遭ったのは息子が小学生になる直前でした。生きていれば中学生になります。どんなに頼りになる子に育っていただろうかと考えます。「早く大きくなって、ママを助けたい」と言っていたのを思い出します。
 私が一人で仕事や家事に追われ、苦労しているのを分かっていたようでした。米をといだ後に内釜の目盛りで水の量を測る時、くっついてきて一緒にのぞいてくれました。
 保育所に迎えに行くと、遠くからでも走ってきて、満面の笑みで抱き付いてきました。自分が必要とされていると思えました。この子を絶対に守る。それが生きがいでした。
 一通りの人生を送り、いろんな体験をさせてあげたかった。私ができなかったことを伸び伸びやってほしかった。そうさせてあげられなかったのが残念です。
 遺体の顔はつらそうでした。人生の最期に苦しくて怖い思いをさせてしまいました。息子の苦しみが続いていると思うと、何年たっても悲しみは消えません。
 どちらか選べるなら、息子は生き残り、自分が死んだ方がよかったです。一人残された親はとても前を向いて生きていけません。
 私自身が両親の愛情を感じられなかったところがあり、息子には日々、あえて口に出して「大好きだよ」と言っていました。
 まーちん、大好きだよ。ママの息子に生まれてきてくれて、ありがとう。生まれ変われるなら、また親子になろうね。


震災津波の教訓、10ヵ国学生学ぶ 東北大・サマースクール
 東北大など16カ国の45大学が加盟する環太平洋大学協会(APRU)のサマースクールが7月18日、仙台市青葉区の東北大災害科学国際研究所で行われた。10カ国約30人の学生が東日本大震災の教訓を4日間連続で学び、女川町で実地研修やグループ討議などもこなした。
 初日は巨大津波発生のメカニズムと対策、被災地の復興状況などに関する講義があった。
 災害研の小野裕一教授(国際防災政策)は2015年の国連防災世界会議で採択された国際的な防災行動指針「仙台防災枠組」を解説。「枠組の達成に向け、災害データを分析して各国の政策立案者に提示することが必要だ」と強調した。
 インドネシア防衛大の研究員ファジャール・シディックさん(26)は「日本で震災の経験がどのように伝承されているかを知った。世界中の研究者とネットワークをつくり、防災に関する知見を広げる機会にしたい」と語った。


「仙台七夕まつり」始まる
東北を代表する夏祭りのひとつ「仙台七夕まつり」が6日に始まり、仙台市中心部の商店街に飾られた色とりどりの七夕飾りが訪れた人たちを楽しませています。
「仙台七夕まつり」は、伊達政宗が仙台藩主だった400年以上前から続くとされる、東北を代表する夏祭りのひとつです。
6日は、仙台市中心部のアーケード街で午前中、開幕を祝うセレモニーが行われました。
会場にはおよそ8万8000羽の折り鶴で作った七夕飾りがつるされ、制作した市内の小中学生が東日本大震災からの復興への願いを込めた歌を披露しました。
折り鶴を制作した小学6年生の女子児童は「復興が進み、みんなが元気になるようにという思いを込めて折りました。飾りを見た人には復興に対する多くの人の気持ちを感じてほしい」と話していました。
会場には色とりどりの吹き流しや短冊で彩られたおよそ3000本の七夕飾りが取り付けられ、訪れた家族連れなどが写真をとったり眺めたりして楽しんでいました。
茨城県から家族と訪れた52歳の男性は「震災は大変なことだったと思うが、被災地の方にはこの七夕を通して元気を出して頑張ってほしい」と話していました。
「仙台七夕まつり」は8日まで開かれ、期間中、およそ220万人の人出が見込まれています。


<仙台七夕花火祭>煙る夜空に光降る 震災からの復興願う1万6000発
 仙台七夕まつり(6〜8日)の前夜祭「第48回仙台七夕花火祭」(仙台青年会議所主催)が5日夜、仙台市青葉区の西公園周辺であった。濃い霧が立ち込めるあいにくの空模様の中、東日本大震災からの復興を願う約1万6000発が打ち上げられた。
 テーマは「以心伝心〜心通うやさしい強さ溢(あふ)れる仙台へ〜」。仙台藩祖伊達政宗の生誕450年を記念し、三日月の前立てのかぶとや「450」をかたどった花火も用意された。
 来場者数は約45万人(主催者発表)で、昨年より5万人少なかった。霧の影響で上空で開く大輪はほとんど見られず、打ち上げを中断する場面もあった。
 仙台管区気象台によると、仙台七夕まつり期間中の天候は6、7日が曇り、8日が曇り時々雨の予報。最高気温はいずれも28度前後の見込み。


気仙沼みなとまつり 打ちばやし
気仙沼市の夏の風物詩「気仙沼みなとまつり」は6日、2日目を迎え、港の岸壁では大勢の市民が一斉に和太鼓を打ち鳴らす「打ちばやし」が披露されました。
「気仙沼みなとまつり」は気仙沼市恒例の夏まつりで、震災の年は港が被害を受け中止になりましたが、よくとしには再開し、ことしで66回目を迎えます。
まつり2日目の6日は最終日で、漁船の集まる気仙沼港の岸壁にたくさんの和太鼓が並びました。
そして、午後5時からおよそ800人の市民が一斉に太鼓を打ち鳴らす「打ちばやし」が披露されました。
会場には浴衣姿の家族連れなどが大勢訪れていて、かき氷やわたあめを手に港に響き渡る迫力のある和太鼓の音に歓声を上げていました。
「打ちばやし」を披露していた地元の男性は「まちが復興するにつれて、まつりの雰囲気もどんどん元気になっていると感じます。力いっぱい太鼓をたたいて盛り上げたいです」と話していました。


<気仙沼みなとまつり>「はまらいんや」3200人が乱舞
 港町の夏を彩る「気仙沼みなとまつり」が5日、宮城県気仙沼市で開幕した。初日は内陸部の田中前地区で「はまらいんや踊り」があり、色鮮やかな法被やTシャツを着た踊り手約3200人が、東日本大震災からの復興を後押しする元気いっぱいの踊りを披露した。
 「はまらいんや」は気仙沼地方の言葉で「一緒に参加しよう」の意味。小中学生、企業など67団体がバンド演奏に合わせてオリジナルの振り付けで舞った。
 被災した同市階上地区の階上小6年生34人も参加。小野寺夏実さん(12)は「みんな笑顔で楽しく踊ることができた。練習の成果が出た」と満足そうに話した。
 最終日の6日は、八日町などで街頭パレード。夕方から港町で太鼓の打ちばやし大競演、船で太鼓演奏する「海上うんづら」、2400発の海上打ち上げ花火がある。


石巻「牡鹿鯨まつり」にぎわう
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた石巻市の牡鹿地区で伝統の鯨まつりが開かれ、大勢の家族連れなどでにぎわいました。
石巻市牡鹿地区鮎川浜の「牡鹿鯨まつり」は、捕鯨文化を継承しようと昭和28年に始まった伝統行事で、震災で一時中断しましたが4年前に再開されました。
ことしは被災地を盛り上げようという大規模な芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」と共同で行われ、会場の舞台にはアーティストが手がけたステージトラックが使われました。
そして、震災後、初めて地区すべての小中学校の児童や生徒が参加して舞台の上で地元に伝わる太鼓の演奏や踊りを披露しました。
子どもたちが大漁旗で作ったはっぴを着て威勢のいいかけ声とともに太鼓をたたくと、会場からは大きな拍手が送られていました。
会場では地元でとれたツチクジラをみそだれに漬けた炭火焼きもふるまわれ、訪れた人たちが笑顔でほおばっていました。
地元の70代の男性は「大勢の人が集まり、まちに活気が戻ったようでうれしいです。子どもたちの元気な姿に励まされました」と話していました。
近くの仮設住宅に住む40代の女性は「芸術祭が開催されてからバス停にたくさんの人が並んでいて驚きました。地元の人や震災後に来た人が一緒に新しいまちをつくっていけたらと思います」と話していました。


核廃絶に向けて/見えぬ 被爆国が描く道筋
 広島はきょう、長崎は9日、被爆から72年を迎える。鎮魂と、不戦を誓い合いたい。
 「生き地獄」の惨劇を生んだ戦争の加害、被害の歴史を直視し、核兵器という存在そのものがはらむリスクを排除できない現実とも、しっかり向き合わねばならない。
 ただ、ことしは「核の時代」の終焉(しゅうえん)に向け、重要な一歩が踏み出された。国連で7月に「核兵器禁止条約」が採択されたことである。
 広島、長崎の被爆者らが待ち望んでいた。開発、保有、使用を含め関わる行為を一切禁ずることで、核兵器を非合法化する史上初の国際法だ。その論拠は、核兵器は極め付きの非人道兵器であり「絶対悪だ」ということにある。
 批准する国が増えれば、「核は悪で違法」とのルールが、国際社会で広範に形づくられることになる。
 米英仏中ロの核保有五大国や、「核の傘」に安全保障を依存する国々は核抑止論から抜け出せず、条約に背を向ける。だが、そうした国でも「核は違法」との規範が広がり世論のうねりとなれば、国の方針をも変えかねない。
 核廃絶という山頂に至るルートが複数あるなら、禁止条約がたどり得る道は、その有力な一つになると信ずる。
 唯一の戦争被爆国・日本は、条約制定交渉の議論にすら参加しなかった。
 核保有国抜きの交渉に意味はなく、保有国と非保有国との分断を深めるというのが表向きの理由。だが、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対するためには、米国の「核の傘」を頼らなければならないからにほかならない。
 核廃絶の実現は「国是」であろう。現に国連では、日本主導の核廃絶決議が20年以上も連続して採択されている。
 その中で求めるのは、一つは核拡散防止条約(NPT)体制の強化。核保有五大国による段階的な核軍縮である。だが、米ロの対立などから、一向にらちは明かない。
 もう一つは、高濃縮ウランやプルトニウムといった兵器用核分裂性物質の生産禁止条約(FMCT)の制定交渉開始を関係国に促すことだ。日本政府は、この条約と包括的核実験禁止条約(CTBT)で核兵器の質と量を厳しく制限することを、核廃絶に向かう出発点にしているという。
 だが、CTBTは米中が未批准で発効のメドは立たず、FMCTは決議が物語るように交渉すら始まっていない。そもそも、この方針をどれほどの国民が知っていようか。
 核廃絶への道筋を描いているのだとしても、その道が国民に共有されていないばかりか、その出発点にさえ立てていないのが現状なのではないか。これで、山頂に至るルートになれるのかどうか。
 禁止条約に署名しない姿勢を貫くなら、確かで現実的な別の道筋と手だてを明示すべきだ。政府といえども、それなくして核廃絶は語れまい。


河北春秋
 「記憶は、過去のものでない。それは、すでに過ぎ去ったものでなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ」。詩人の故長田弘さん(福島市出身)が詩文集『記憶のつくり方』のあとがきに書いている▼文章は続く。「とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの現在の土壌となってきたものは、記憶だ」と。人が記憶を現在に投影しながら生きていけば、過去はまさに現在の中にある。8月、余計に心に響く言葉である▼広島は被爆から72年の「原爆の日」を迎えた。9日は長崎原爆忌である。核兵器禁止条約が国連で採択されながら、核の傘の下にある日本は条約に賛同しなかった。この状況をどう捉えるか。一人一人が自問自答するときかもしれない▼先日、仙台市青葉区の錦町公園で、核廃絶を願う「いのり」の像を見た。宮城県原爆被害者の会が23年前に設置した。少女は膝を折り、手のひらに折り鶴を乗せている。「過去を踏まえて未来へ」。そんなメッセージが伝わってきた▼ユダヤ人物理学者の故アルベルト・アインシュタインの「予言」を思い出す。「第3次世界大戦でどんな兵器が使われるかは分からない。だが、第4次なら分かる。石とこん棒だろう」。次の大戦があれば世界は吹っ飛ぶことを暗示している。

広島・長崎の「原爆の日」 核廃絶への行動を怠るな
 1947年8月6日、焼けつくような日差しの下、浜井信三・広島市長は初の平和宣言を読み上げた。
 恒久平和のためには「恐るべき兵器」(原爆)を廃する「思想革命」が必要だ。「原子力をもって争う世界戦争は、人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を、世界の人々に明白に認識せしめた」というのである(浜井著「原爆市長」)。
 敗戦国の一隅から世界に呼びかける緊張感ゆえか、浜井は自分の声が自分のものでないように感じた。
 それから70年、「原爆の日」(広島6日、長崎9日)に際して思う。「思想革命」は進んだだろうか。
 70年代に発効した核拡散防止条約(NPT)は5カ国(米英仏中露)のみに核兵器の保有を認めた。だが、90年代にはインドとパキスタンが核兵器を持つに至り、イスラエルも実質的な核保有国とみられている。
「唯一の被爆国」として
 それに加えて北朝鮮だ。核・ミサイルの実験を繰り返し、日米への核兵器使用さえほのめかす。その姿は「思想革命」とNPT体制が暗礁に乗り上げたことを物語る。
 そんな折、国連では7月に約120カ国の賛成で核兵器禁止条約が採択されたが、米国など核保有国は反対し、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国や米国の「核の傘」の中にいる日本と韓国も反対した。
 核兵器の保有や使用の禁止はもとより、核によって核をけん制する、伝統的な「核抑止論」に批判的な条約だからだろう。北朝鮮の脅威が高まる折、これでは賛成できないと日本政府は判断したようだ。
 だが、日本は昨年5月、オバマ米大統領を広島に迎え、「核兵器のない世界」への誓いを新たにしたはずだ。米国が核軍拡路線のトランプ政権になったとはいえ、「唯一の被爆国」が核廃絶への弾みにブレーキをかけるのは違和感がある。
 被爆者団体は当然ながら日本政府の対応に不満を表明した。条約交渉会議の参加者から「母国に裏切られ見捨てられたという思いを深めた」(サーロー節子さん)などの声が上がったのも無理はなかった。
 「日本政府はがんじがらめなんですよ」と「平和首長会議」の小溝泰義事務総長は言う。米国からの圧力と北朝鮮の脅威の板挟みになったのに加え、「禁止」を先行させた条約案には、核保有国や同盟国が承服しにくい部分も確かにあった。
 そこで小溝さんは国連での条約案の討議で、核保有国が重視する「検証措置」などを盛り込むよう提案し、核保有国が参加しやすいように努めた。「批判もあるが、条約ができたこと自体が大きな成果。文言も批判しにくい内容です。不参加の国々の勇気ある方針転換を望みたい」
第二の「思想革命」を
 日本政府は被爆者と米国のはざまで米国を取ったようにも見える。誤解だというなら、日本は核廃絶の意思を行動で明確に示すべきだ。NPTも禁止条約も究極の目標は核廃絶。日本は二つの条約をめぐる国際的な対立をやわらげ、足並みをそろえることに努める。そして禁止条約への対応も再考すべきである。
 北朝鮮の脅威に対して、ある人々は言うかもしれない。「だから核は核でけん制すべきなんだ」と。だが、核兵器がある限り同様の危機は起こりうる。現状での核抑止力は否定せず、核廃絶へ全力を挙げるのが現実的で誠実な態度ではなかろうか。
 私たちは禁止条約が唯一無二の道だとは思わない。だが、同条約に反発する核保有国に問いたい。NPTが定める核軍縮の責務を果たしてきたか。核軍縮が遅々として進まないから非保有国は禁止条約の採択に動いた。問われるべきは核保有国の怠慢と、危機意識の欠如である。
 大阪女学院大学大学院の黒澤満教授は、禁止条約の前文にある「全人類の安全保障」について「個々の国同士の安全保障に加え、国際的で地球規模の安全保障を考える時代になった。そのように発想を転換すべきです」と説く。誤って核を使用する危険性も含めて、第二の「思想革命」が必要な時代になったのだろう。
 「原爆市長」によると、初の平和宣言には連合国軍総司令部のマッカーサー司令官も一文を寄せた。このままだと人類を絶滅させるような手段が戦争で使われるだろう。「広島」は全ての人々への警告だと述べ「警告がないがしろにされないように」と神への祈りで結んでいる。
 「唯一の核兵器使用国」の米国もかみ締めるべき言葉である。


原爆忌に考える 沈黙の声は未来を語る
 蝉(せみ)しぐれがかき消しそうな八月の記憶と記録。「沈黙の声」は懸命に語っています。今を生きる人たちが、もう二度と、ヒバクシャにならないように。
 「三菱長崎兵器製作所大橋工場」−。長崎大学文教地区キャンパス正門前の木陰にたたずむ銘板です。
 <一九四五年(昭和二十年)八月九日、午前十一時二分、原子爆弾の炸裂(さくれつ)によって、爆心地から北約千三百メートルに位置した二十棟余の大橋工場は、一瞬にして、空洞化したコンクリートの巨塊と飴(あめ)のように折れ曲がった鉄骨の残骸に姿をかえた。原爆当時、大橋工場、茂里町工場など三菱長崎兵器製作所全体の従業員数は女子挺身(ていしん)隊、学徒報国隊を含め、一万七千七百九十三人。そのうち、原爆による死亡者は二千二百七十三人、負傷者は五千六百七十九人−>
 当たり前のことですが、そこにはただ淡々と、被爆の記録が刻印されています。
 「この先が、林京子さんの小説『祭りの場』の舞台です」
 日本学術振興会特別研究員の四條知恵さんに、教わりました。
 四條さんは広島生まれ。広島平和記念資料館の学芸員を務めたあと、今は長崎大に籍を置き、“手のひらからこぼれ落ちていきそうな”被爆の記録と被爆者の記憶を集める仕事をしています。
 ことし二月に亡くなった作家の林京子さんは、大橋工場に動員された勤労学徒の一人。十四歳の時でした。その日のことを克明につづった「祭りの場」という作品で、芥川賞を受賞した。被爆からちょうど三十年後のことでした。
 正門のすぐ内側に立つ、長崎師範学校(現長崎大教育学部)の慰霊碑の周りでは、九日の慰霊祭の準備が始まっていて、ただ黙々と夏草刈りに汗をかく人の背中にも、祈りが見えるようでした。
◆「今」を描き続けた人
 長崎の街そのものがそうであるように、兵器工場跡のキャンパスも、凝縮された記憶を宿すタイムカプセルなのかもしれません。
 「歩いていると、被爆当時の光景が、立体映像のように立ち上がってくることがあるんです」。案内の足をふと止めて、四條さんが言いました。
 四條さんは一方で、被爆者個々に異なる記憶や体験が「怒りの広島」「祈りの長崎」というレッテルや、「恒久平和」「核廃絶」のスローガンへと安易に集約されてしまうことには、違和感を覚えます。林さんが「被爆作家」と呼ばれることをいやがったのと、恐らく同様に。
 <八月九日をなぜ私が書くか…>。林さんは「残照」という短編の中で、打ち明けます。
 <被爆者である私は九日の再発を怖(おそ)れ、(息子の)桂に伝わるかもしれない後遺症を怖れて、桂の父親が愛想をつかすほど不安を訴えてきた。(中略)思想にも政治にも無縁な、親と子が無事に生きていたいための、個人的な苦悩から出発した仕事なのだ>と。
 林さんは、“自ら血を流すようにして”現在進行形の不安や恐れを描き続けた人でした。過去よりも「今」を記した人でした。
 それはそのまま、平凡な日常や命の尊さを訴える、同時代への警鐘でもありました。
 <アメリカ側が取材編集した原爆記録映画のしめくくりに、美事(みごと)なセリフがある。−かくて破壊は終りました−>
 「祭りの場」は、このように結ばれます。痛烈な皮肉でしょう。
 私たちは今現に、米国の核の傘の下にいて、核兵器禁止条約に署名すらできない国、隣国が打ち上げるミサイルに右往左往しながらも、長崎原爆の数千発分ともされる核物質との“共存”を続ける国で、平然と日々を送っています。
 一九四五年の八月六日と九日で、原爆の破壊が終わったわけではありません。七十二年の時を経た今もなお、原子の力はこの国を脅かし、蝕(むしば)み続けているのです。被爆地は未来を憂う預言者です。
◆平和とは何ですか?
 帰り道、涼を求めて飛び込んだ長崎市内の“スタバ”の壁に、ことしも掲示されていました。
 <長崎は戦後七十二年目の夏を迎えます。あなたにとって平和とは何ですか?>というメッセージ。この街の記憶も記録も文学も、今と未来のためにある−。預言者の言葉は、コーヒーショップの壁にも書かれているのです。


原爆の日/「核なき世界」をあきらめない
 「雲一つない明るい朝、空から〈死〉が落ちてきて、世界は変わった」
 昨年5月、現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマ氏が平和記念公園での演説で述べた言葉である。
 夏の空を見上げ、この言葉に改めて思いを巡らしたい。
 72年前のきょう、広島に投下された1発の原爆によって確かに世界は変わった。それ以降、人類は自ら生み出した核兵器に生存を脅かされている。放射能が人間にもたらす影響の「罪深さ」におののいている。
 核。それは人間性を否定する〈死〉、言い換えれば「絶対悪」の象徴といえるだろう。
      ◇
 先月7日、国連本部で核兵器禁止条約が採択された。核そのものを「違法」とする初めての国際条約が誕生した。
 核の開発や実験、製造、保有、移譲のほか、使用をほのめかしての威嚇行為も禁止する。
 「全廃こそが、核が二度と使われないことを保証する唯一の方法である」。そう断言する条文には、「核の抑止力が平和を実現する」という保有国の論理が入り込む余地はない。
 さらに、条約は広島、長崎の被爆者を「核の被害者」と明記し、その「受け入れ難い苦痛」にも言及した。国連加盟193カ国のうち賛成は122カ国。これほど多くの国々が広島、長崎と心を一つにしたのは、歴史的な出来事と言っていい。
高まる暴発の危険
 長崎大の核兵器廃絶研究センターは6月、ロシアや米国などが保有する核弾頭の推計結果を発表した。その数は計約1万4900発。昨年より約450発減ったが、米ロは近代化で兵器の性能を上げている。地球を何度も破滅させる量を抱えている現実に変わりはない。
 核・ミサイル開発を加速する北朝鮮の保有数は20発未満に倍増したとされる。それに対抗してトランプ米政権は核戦力強化を公言する。偶発的な核暴発のリスクはむしろ増大している。
 米国の科学誌が公表する「世界終末時計」は今年初め、人類滅亡までの残り時間を30秒短縮して「2分半」とした。米ソが相次ぎ水爆実験に成功した1953年に次ぐ短さだ。足元の氷は薄く、もろくなっている。
 それなら核ときっぱり縁を絶とうと世界は動き始めた。それこそが日本の進むべき道だ。
 核開発は最初から「後ろめたさ」を背負っていた。
 原爆を考案したとされる物理学者レオ・シラードは、先の大戦でアインシュタインと共に米大統領ルーズベルトに原爆開発を進言した。核開発でナチスドイツに先んじるためである。
 亡命者であるシラードらの脳裏には「ナチスが核を持てば必ず用いる」という恐怖心があった。しかしドイツは敗れ、核開発を急ぐ理由はなくなった。シラードは日本への原爆投下に強く反対する。本当に使用すれば取り返しのつかない事態を招くと分かっていたからだ。
 急死したルーズベルトから大統領職を引き継いだトルーマンは、日本への投下を承認する。ただ、トルーマン自身は女性や子どもを含む市民が対象ではなく、軍事施設への攻撃だと甘く考えていたふしがある。
 実際は犠牲者のほとんどは一般市民だった。広島、長崎では20万人以上が亡くなった。トルーマンはあまりの惨状に肝をつぶし、軍が計画する3度目の原爆投下を拒否したとされる。
 核には免れない「原罪」がつきまとう。オバマ氏は原爆投下への謝罪を避けつつ〈死〉という言葉で人類全体の罪の意識を表現した。核保有国の大統領として苦渋の思いだったろう。
折り鶴たちの祈り
 トランプ政権からも、安倍政権からも、そうした葛藤は伝わらない。核の脅威に考えが至らないのか、トランプ氏は就任前に日本の核武装を容認する発言を行っている。一方、安倍晋三首相は「将来的な核保有」を持論とする稲田朋美氏に最近まで防衛相を担当させた。
 日本政府は北朝鮮の脅威を引き合いに出し米国の「核の傘」を是認する。核兵器禁止条約では協議にすら参加せず、「裏切られた」(カナダ在住の被爆者サーロー節子さん)との声が上がった。それが72年目の「被爆国」の姿である。
 シラードは予言した。「人類は想像を絶する惨事におびえる時代の扉を開くことになる」。その言葉が説得力を失ったとは思えない。むしろ72年前に落とされた〈死〉の影を、今も続く人類共通の恐れや痛みと受け止めねばならない。
 「使っても良い核なんてない」。被爆者が語るその言葉を国民一人一人がかみしめたい。そして「世界の流れに加われ」と政府に対して求め続けたい。
 〈折り鶴の祈りのかたち鋭くてなにも語れぬ一日のあり〉(窪田政男)
 広島や長崎の苦難を背負う無数の折り鶴が、私たちを叱咤(しつた)する。世界の現実がどれほど厳しくても、「核なき世界」の実現を絶対にあきらめるな、と。


広島、長崎原爆の日 「核兵器禁止」に踏み出せ
 広島はきょう、長崎は9日、被爆72年を迎える。
 世界にはなお1万5千発の核弾頭があり、「核兵器のない世界」にはほど遠い。
 北朝鮮が核・ミサイル開発を加速させるなど、核廃絶に逆行する動きも目立っている。
 だが、新しい潮流も生まれている。国連で7月、核兵器を国際法違反とする核兵器禁止条約が採択された。
 「被爆者(ヒバクシャ)の苦痛と被害を心に留める」と明記し、核兵器の非人道性を強調した。国連加盟国の3分の2が賛同し、来年にも発効する見通しだ。
 なのに、唯一の戦争被爆国である日本は核保有国に追随し、交渉に参加せず、署名もしない考えを明らかにしている。理解しがたい対応だ。
 松井一実広島市長は、きょう発表する平和宣言で、平和憲法の前文を引用し、条約の締結促進を呼びかける。田上富久長崎市長も9日の平和宣言の半分を割き、条約の意義、重要性を訴える。
 政府は広島、長崎の声を真正面から受け止め、核廃絶の動きをリ
ードしていかなければならない。
軍縮への期待は後退
 記念式典が行われる広島市の平和記念公園。その一角にある平和記念資料館に、ケースに入った折り鶴が展示されている。
 昨年5月、現職の米大統領として、オバマ氏が初めて広島を訪れた際に、持参した。「核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」と記した自筆の手紙も添えられている。
 あれから1年3カ月足らず。核軍縮への期待感は後退し、後任のトランプ氏は核戦力の増強に意欲を見せる。
 北朝鮮も核弾頭を搭載可能な大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を繰り返し、米国を挑発している。
 核の脅威が高まっているからこそ、核兵器禁止条約が採択された意味は大きい。
危機感強い非保有国
 核保有国が入らない条約では、実際には軍縮が進まず、条約の実効性は乏しいとの指摘がある。
 しかし、発効すれば、国際的な非難を無視して核兵器を使用することはますます困難になろう。歯止めになることは間違いない。
 実質的な核軍縮につなげるには、核保有国にも条約入りを求めていく必要がある。本来であれば、その役割を真っ先に担うのが、被爆国・日本であるはずだ。
 政府は「核保有国と非核保有国の橋渡しをする」と言うが、これまでいったい何をしてきたのか。
 日本は米国の「核の傘」に依存する。米国の核で他国からの攻撃を抑止するという考え方だ。政府は北朝鮮に加え、中国も急速に軍拡を進めており、この傘は外せないと考えている。
 現行の核拡散防止条約(NPT)は米英ロ仏中5カ国に対して、核保有を認めつつ、核軍縮を義務づけている。ところが、一向に軍縮は進まない。北朝鮮にも核開発の口実を与えていると言えよう。
 こうした現状に強い危機感を抱き、多くの非核保有国が結束し、核兵器禁止条約の採択にこぎ着けた。それが、平和を願う人々に希望を与えている。
 長崎市などは「北東アジア非核兵器地帯構想」を提唱する。日本に加え、韓国、北朝鮮の核兵器保有を禁じるのが柱だ。こうした提案にも耳を傾けたい。
社会で体験の継承を
 広島県原爆被害者団体協議会(被団協)副理事長の箕牧智之(みまきとしゆき)さん(75)は毎年のように米国を訪れ、被爆体験を伝えてきた。話を聞き、泣き崩れる中学生もいる。
 「米国の子にも通じているんだな、と大きな感動があります」。箕牧さんは手応えを語る。
 6月、禁止条約交渉の舞台となったニューヨークの国連本部の会議場。箕牧さんは空席だった日本の席に抗議の折り鶴を置いた。
 後ろ向きな政府に代わって、核兵器廃絶の訴えを届けてきたのが被爆者と世界各国の非政府組織(NGO)だった。
 世界中で核廃絶を求める約300万の署名を集め、交渉中の議長に手渡した。
 被爆者の平均年齢は3月末で81歳を超えた。この1年で9581人が亡くなり、16万4621人となった。
 道内では今年5月、被爆2世らでつくる会が発足した。親の世代の体験を語り継いでいく。
 被爆証言が共感を広げ、核抑止に大きな役割を果たしてきた。その継承は被爆者頼みではなく、社会全体で取り組む必要がある。
 発がんなどのリスクに不安を抱く被爆2世らが被爆者援護法の適用外で、医療費の助成を受けられない問題もある。政府は全面的な救済を急ぐべきだ。


広島原爆の日 「核抑止論」を乗り越えて
 きょう8月6日は「広島原爆の日」である。核爆弾が広島と長崎に投下され、人類が核の業火にさらされてから72年となる。
 被爆者たちは今年のこの日を特別な感慨とともに迎えている。国連で核兵器禁止条約が採択され、初めて核兵器を国際法で禁止する枠組みができたからだ。核廃絶運動にとって歴史的前進である。
 しかし、核廃絶に向かうこの新たな道筋には大きな障害物が立ちはだかる。「核抑止力」の理論に執着し、核兵器を正当化する核保有国やそれに同調する国々だ。
 今夏の被爆地には、核なき世界が近づく喜びと、理想に背を向ける核大国への怒りが入り交じる。
 ●「違法」を新たな常識に
 「この日を70年待っていた」
 7月7日、米ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約が採択されたとき、議場で見守った被爆者たちはこう語り、涙を流した。
 核兵器禁止条約は、核兵器を非合法化する初めての国際条約だ。核兵器の使用はもちろん、開発、実験、製造、保有を禁じている。さらに「使用するとの威嚇」を禁止し、核保有国が安全保障の基盤とする「核による抑止力」論を否定したのも大きな特徴である。
 この条約づくりは核兵器を保有しない国々が主導した。大量の市民を無差別に殺傷し、幾世代にもわたる被害を及ぼす核兵器に「悪の烙印(らくいん)」を押すことで、どの国も事実上使えず、保持できない兵器にしてしまおうという狙いだ。
 核兵器禁止条約の投票では、国連加盟国193カ国の63%にあたる122カ国が賛成した。数で見る限り「核兵器は国際法違反」という考え方が国際社会の新たな常識になったといえる。
 今年、広島市と長崎市がそれぞれ発表する平和宣言にも、条約への高い評価が盛り込まれる。
 ●保有国は必死の抵抗
 一方、核保有国はこの条約を殊更否定しようとしている。
 米、英、フランスは条約採択後、北朝鮮の核開発にも言及し「条約は世界の安全保障情勢を無視している」と批判、条約に署名しない方針を表明した。ロシアや中国も採択交渉をボイコットした。
 核保有国が加盟しなければ核放棄の義務は生じず、条約は「絵に描いた餅」に終わりかねない。
 日本政府も「保有国と非保有国との亀裂を深める」との理由で、署名しない構えを示した。「核の傘」に依存する立場から、米国の方針に追従した格好だ。北大西洋条約機構(NATO)加盟国のほとんども同様の対応である。
 昨年5月、当時のオバマ米大統領が被爆地の広島を訪れ、核軍縮の機運は高まるかと思われた。
 その後は停滞が著しい。トランプ米大統領は核軍縮に興味を示さず、米ロ関係の悪化で両国の核軍縮交渉は再開の見込みがない。北朝鮮は国際社会の非難を無視して核開発に突き進んでいる。
 ●拡散招く矛盾あらわに
 世界ではこれから核軍縮を巡り「核の非合法化」を進める非保有国グループと、「核抑止論」にこだわる保有国や同盟国との間でせめぎ合いが演じられそうだ。
 とはいえ、核抑止論の弱点は北朝鮮の動き一つ見ても明らかである。北朝鮮が核保有を目指す動機は、核大国の米国の圧力に抗して現体制を堅持することだ。つまり北朝鮮の核開発も「核には核で」という核抑止論に基づいている。
 核大国が抑止力の名目で核保有の特権を握り続ける限り、北朝鮮のような国が同じ論理を盾に、核開発に乗り出すリスクは消えない。核抑止論が逆に、核拡散を誘発しているのだ。「北朝鮮の脅威があるから核抑止力を」という米国や日本政府の主張は一見もっともらしいが、実はこうした矛盾と危険性をはらんでいる。
 日本政府は核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任してきたものの、成果は上がっていない。政府がまず理性と勇気を発揮して核抑止論を乗り越え、「核の非合法化」の論理の下で核軍縮政策を立て直すべきだ。国際社会の新たな潮流を見失ってはならない。
 日本に課せられているのは、東アジアの緊張を外交努力で緩和しつつ、被爆国として核兵器の非人道性を訴え、核保有国の世論を変えていく努力だ。被爆者たちは期待と不信のはざまで、日本政府の新たな一歩を待っている。


むっちゃん最後の笑顔、胸に刻む 広島原爆の日
 「8月5日 日曜日 晴(中略)小西さんと泳ぎに行った。私はちっともよう泳がないのに、皆んなよく浮くなと思ふとなさけなかった。今日は大へんよい日でした。これからも一日一善と言ふことをまもらうと思う」
 今年4月から、リニューアルされた広島平和記念資料館(広島市)で展示されている「むっちゃん」と呼ばれた当時12歳の石崎睦子さんの日記だ。1945年8月5日の出来事が記されている。その隣には被爆地で見つかった上着。原爆が投下された瞬間まで、少女の日常があったことを無言のまま物語る。
 8月6日の朝。麦わら帽子を買うための代金を母親にもらって、うれしそうにしていたむっちゃん。「行って帰ります」。玄関から、ちょこんと横顔を出して家族に笑顔を見せた。
 日常は突然、壊れた。午前8時15分。1発の原子爆弾が広島を襲った。やけどで皮膚がただれた人たちが、水を求めてがれきの街をさまよった。足や手など体の一部がなくなった遺体がいたる所にあふれ、行方が分からなくなった子どもを探す母親の悲痛な叫び声が響いた。戦後、被爆者は放射線が及ぼす後遺症や理不尽な差別に苦しんだ。
 広島県立広島第一高等女学校の1年だったむっちゃんは、爆心地からわずか800メートルの場所で建物の強制疎開の作業をする予定だった。とても晴れていたあの日。日差しも強かったかもしれない。楽しみにしていた麦わら帽子は、ちゃんとかぶれたのだろうか。
 むっちゃんは帰ってこなかった。京都府城陽市の榎郷子さん(83)は姉のむっちゃんが、家族に向けた最後の笑顔を胸に刻む。なぜミカンを食べさせてあげられなかったのかと、戦後ずっと悔いたまま亡くなった母の姿も。
■後悔の姿、脳裏に
 郷子さんは被爆当時、国民学校(現在の小学生)5年生の11歳だった。広島県立広島第一高等女学校(現在の中学生)2年になる長姉と1年の「むっちゃん」と呼ばれる次姉石崎睦子さんは、午前7時半ごろに出掛けた。三女の郷子さんは仕事が休みだった父の秀一さんと一緒に過ごそうと、学校に行かなかった。
 父と母の安代さんとちゃぶ台を囲んでいると、ふいに周囲が暗闇に包まれ、同時に絵に描いたような稲妻が走ったのが見えた。
 母がとっさに郷子さんの手を取り逃げようとしたが、爆風に巻き込まれた。母はガラスが全身に突き刺さって血まみれとなり、父は庭に吹き飛ばされた。郷子さんは奇跡的に無傷だった。
 「うちへ直撃弾が落ちた」。近所の人たちが口々にそう言って家からはい出てきた。当時は原子爆弾なんて知らない。誰もが焼夷弾だと思っていた。あたりを見渡せば荒廃した街が広がり、大人たちも理解ができずに呆然としていた。
 出血がひどく意識がもうろうとする母を連れ、父と3人で避難した。皮膚が垂れ下がり、重油をかけたように体が真っ黒になった人たちが、市の中心部から逃げてきた。息が絶え、倒れた人もいる。川を渡る時には死体が上流から続々と流れて来た。それを踏み越え、押しのけながらひたすら前に進んだ。
 「できるだけ、死体は踏まないようにまたいでました。でも、怖いというのはなかったです。普通じゃないんですよね、まひしてますよね」
 工場に動員されていた長姉は、近くの山に逃げて無事だった。しかし、爆心地からわずか800メートルほどの場所で建物疎開の作業をしていたむっちゃんの行方は分からなかった。
 3日目ぐらいに火が収まり、父は連日、むっちゃんを探して広島の街を歩き回った。声を枯らし、何度も「石崎睦子」と叫んだ。
 10日ほど経っただろうか、郷子さんが父に連れられて探した日があった。むっちゃんらが作業していた周辺で、地面にあった瓦の間に布きれが見えた。引っ張ると、上着だった。胸に縫い付けていた名札には「廣島第一縣女 石睦子 血液型エ型」の文字。「父は見つかった時、ほおーって顔してました。これは睦子のじゃあって」。上着は父の大島つむぎを母が仕立て直したものだ。
 「むっちゃんの上着だけあったんよ」と告げると、母は上着を抱きしめて号泣した。日記も見つかり、戦後もずっと肌身離さず大事にしていたという。
 遺体は見つからなかった。形見は、父が1994年に上着を、長姉が2004年に日記をそれぞれ広島平和記念資料館に寄贈した。平和を実現する一助になることを願って。
 郷子さんは資料館には行ったことがない。何も感じずに死体を乗り越えて逃げた、「心が止まった」時のことを思い出すのが怖いからだ。
 郷子さんは戦後、母がミカンを食べている姿が記憶にない。「母があの時になんで食べさせてあげなかったのかと、泣いていたのを覚えてます」と話す。
 72年前の8月5日に何気ないこんな家族の会話があった。珍しくミカンの瓶詰が手に入った。むっちゃんが「これ食べたいね」と言うと、母は「こういう日持ちのするものは、いざという時のためだから」と諭した。「ほうじゃね」と、むっちゃんはうなずいた。
 被爆から約40年後、母が亡くなる日。急に体調不安を訴えて何も食べていないことを心配した父がミカンを勧めた。「ミカンは苦い。いらん」。そう言って母は断ったという。
 「あの悲惨な思いは、もう嫌じゃないですか。みんなで知恵を出し合って、もう核兵器を作らない、使わない世界を目指さないと」。犠牲者を弔うため学校のあった地には石碑が立ち、毎年8月6日には追悼式が開かれている。
 今年も鎮魂の日を迎える。郷子さんは京都から、むっちゃんたちに祈りをささげる。


広島原爆投下72年 核禁止条約、日本の責務
 米軍による広島への原爆投下から72年を迎えた。核廃絶運動は今、新たな地平に立っている。核兵器を非合法化する史上初の国際法「核兵器禁止条約」が7月に国連で採択されたからだ。
 しかし、唯一の被爆国である日本は、核保有国などと共に交渉に参加しなかった。核廃絶を願う被爆者への裏切りであり、無責任極まりない。「核のない世界」に向けて国際的役割を果たすべきだ。
 72年前、広島と長崎に落とされた2発の原子爆弾で21万人以上もの命が奪われた。命を取り留めても、健康被害や就職・結婚での差別、2世への影響などに苦しめられてきた被爆者は多い。原爆は生涯影響を及ぼす悪魔の兵器だ。
 核兵器禁止条約には国連加盟国の6割超に当たる122カ国が賛同した。核兵器の開発、実験、製造、保有、移譲を禁じ、さらに「使用するとの威嚇」、つまり核抑止力も明確に否定している。
 いざ核を使えば、人類の存亡や環境にとって不可逆的な地球規模の被害をもたらす。その非道な兵器に、そもそも人類の安全保障を依存していいのか。冷戦時代の思考、呪縛から脱却することを考えないといけない。
 条約前文には「核兵器使用による被害者(ヒバクシャ)の受け入れ難い苦しみと危害に留意する」と明記された。日本の被爆体験が条約の根幹をつくり、採択に至るまでに、被爆者を中心とした息の長い国際的な核廃絶運動が原動力になったと言える。
 にもかかわらず、日本は米国の「核の傘」の下にあるとして、条約に背を向けた。核の悲惨さを最も熟知し、1994年以降23年連続で核廃絶の国連決議を主導してきた姿勢と矛盾する。基地問題と同様、米国に配慮し追従に走る政府の姿が垣間見える。
 オバマ米政権が昨年「核の先制不使用」を検討した際も、反対を貫く日本の説得は難しいとして断念に至った事実も明らかになった。失望を禁じ得ない。
 核軍縮の動きは停滞している。核拡散防止条約(NPT)の再検討会議は2年前に決裂した。一方で北朝鮮は核実験を繰り返している。
 こうした脅威に核保有国は「条約は非現実的だ」と批判するが、核抑止力の正当化にくみするわけにはいかない。
 核廃絶が国際規範となった意義は大きい。条約の実効性を高めるためにも、今後は保有国などにも参加を呼び掛ける努力を粘り強く続けたい。日本は保有国と非保有国に生じた溝を埋める「橋渡し役」を率先して担うべきだ。
 保有国を動かすには国際世論の後押しも欠かせない。現在「ヒバクシャ国際署名」運動が繰り広げられている。2020年までに世界中で数億人分を集める目標だ。
 平均年齢80歳を超えた被爆者の体験をしっかりと継承し、「核兵器の終わりの始まり」につなげていきたい。


[原爆の日]消えた日常想像しよう
 72年前の8月6日は月曜日で、広島の空はよく晴れていたという。
 午前7時すぎに鳴った警戒警報は間もなく解除され、それぞれの1日が始まろうとしていた。
 午前8時15分、米軍のB29爆撃機から原子爆弾が投下された。
 強烈な爆風と熱線、放射線によって爆心地から半径2キロに及ぶ市街地の建物のほとんどが破壊され、その年の暮れまでに約14万人が亡くなった。
 きょう広島は「原爆の日」を迎える。
 平和記念公園で開かれる式典には被爆者や遺族のほか、世界80カ国の代表が参列し、死没者の霊を慰め、恒久平和を祈る。
 「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」との文言が盛り込まれた核兵器禁止条約が、7月に国連で採択されてから初めての原爆忌である。
 今回、核兵器禁止を明文化した国際条約文書の誕生を報告するため参列するという人も少なくない。
 広島市の松井一実市長は式典で読み上げる平和宣言で条約に触れ、日本政府に「核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう」促す予定だ。被爆者の体験に根差した「良心」と、為政者が発揮すべき「誠実」さを訴えるという。
 唯一の被爆国でありながら条約制定交渉会合への参加を見送った日本の首相は、犠牲者や被爆者を前に何を誓うのか。
■    ■
 核兵器禁止条約は核兵器の使用や保有、実験だけでなく、使用をちらつかせる脅しも禁じる画期的なものである。
 戦後、体験を通して被害の実相と核兵器の非人道性を訴えてきた被爆者の取り組みが条約の原点にもなっている。
 国連加盟国の6割を超える122カ国が賛成したにもかかわらず、核保有国や米国の「核の傘」に頼る日本は交渉に参加していない。
 政府にも言い分はあるだろうが、平均80歳を超える被爆者が「生きている間に核兵器のない世界を」と訴えているのである。その願いを踏みにじり国際社会の期待を裏切る誠実さに欠ける対応だ。
 被爆者の体験を核廃絶につなげていくため、困難ではあっても核抑止論を乗り越える道を示さなければならない。保有国に核廃絶を働き掛ける真の橋渡し役になることが日本の責務である。
■    ■
 昨年度、広島市の原爆資料館には過去最多となる約174万人が訪れた。オバマ前米大統領の訪問や戦時中の呉市が舞台のアニメ映画「この世界の片隅に」のヒットなどが影響したとみられる。
 普通の家庭に少しずつ戦争が入り込む様子を描いた「この世界−」は、原爆で壊される直前まであった暮らしのいとおしさが伝わる作品だ。
 核兵器禁止条約を採択した国連の会合で被爆者の女性が「亡くなった一人一人に名前があり、誰かに愛されていた」と語ったことを思い出す。
 原爆によって奪われた一人一人の日常を想像しながら、その死を悼みたい。


きょう72年 広島原爆の日 核兵器のない世界を
広島に原爆が投下されてから6日で72年となります。核兵器を法的に禁止する歴史上、初の条約が国連で採択されてから初めてとなる「原爆の日」で、被爆地・広島は、犠牲者を追悼するとともに核兵器のない世界に向けた訴えを国内外に発信します。
原爆投下から72年となる6日、広島市の平和公園には夜明け前から被爆者や原爆で亡くなった人の遺族などが訪れ、追悼の祈りをささげています。
広島市内に住む被爆者の82歳の女性は、70代で亡くなった同じ被爆者の夫の遺影を手に娘と一緒に慰霊碑を訪れ、祈りをささげました。女性は原爆の日に慰霊碑を訪れるのは初めてだということで、「自分にとって最後になるかもしれないのでこの日にこの場所に来て『平和になるように』という思いで祈りました。核兵器禁止条約はできましたが、日本が参加していないのは理解できません。核兵器はないほうがいいです」と話していました。
また、広島県呉市の高校で英語を教えているアメリカ人の36歳の男性は、毎年8月6日に平和公園を訪れているということです。男性は「最も悲しいことは犠牲者の中に罪のない多くの子どもたちがいたことです。アメリカ人の中にはいまだに偏った見方で当時のことをとらえている人もいます。この悲劇を繰り返さないためにもこの場所を訪れ、歴史と向き合うべきです」と話していました。
6日の平和記念式典は安倍総理大臣や世界80か国の代表が参列し、午前8時から始まります。式典ではこの1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人5530人の名前が書き加えられた、30万8725人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められます。そして原爆が投下された午前8時15分に参列者全員で黙とうをささげます。
世界の核軍縮をめぐっては、先月、国連で歴史上、初めて核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」が、非核保有国が中心となって採択されましたが、核保有国や核の傘のもとにある日本などは条約に反対の立場を示し、核兵器の廃絶にどうつなげていくかが課題となっています。
広島市の松井一実市長は「平和宣言」の中で、「各国政府は、核兵器のない世界に向けた取り組みをさらに前進させなければならない」としたうえで、日本政府に対して「核保有国と非保有国の橋渡しに本気で取り組んでほしい」と求めることにしています。
また、被爆者団体やNGOが街頭での署名活動などを行うことにしていて、原爆投下から72年となる6日、広島は、原爆の犠牲者を追悼するとともに被爆者の悲願である核兵器のない世界に向けた訴えを国内外に発信します。


被爆の原点に立ち返れ/原爆の日
 広島は6日、「原爆の日」を迎える。長崎も9日に原爆犠牲者を慰霊する式典を開いて、被爆地から反核と平和のメッセージを全世界へ発信する。
 原爆投下によって両市は壊滅、多くの大切な命が奪われた。「核兵器の非人道性」は言うまでもない。あれから72年。核攻撃の生き地獄を知る歴史の証人は、年々減っている。被爆者に加え、遺族の高齢化も進んでいる。長い歳月の経過により、被爆体験の風化を懸念せざるを得ない。
 しかし、唯一の被爆国として、日本は核兵器の非人道性を後世に伝え、国際社会の先頭に立って核廃絶を唱道していく特別の責任がある。それは、被爆国が人類全体に負う道義的、倫理的な責務でもある。
 被爆国の非核と平和は岐路に立たされている。人類無二の被爆体験という原点に立ち返りたい。
 倒壊した家屋の下敷きになって身動きが取れず、迫り来る炎に焼き殺されざるを得なかった肉親と、その場で永遠の別れをした被爆者が大勢いる。そうした経験から、生きていることに負い目すら感じる被爆者もいる。
 そんな残酷でつらい思いをほかの誰にも二度とさせてはならないとする「反原爆」の強靱(きょうじん)な哲学が被爆者が核廃絶を希求してきた背景にある。
 憂慮すべきなのは核保有国の現状だ。「核なき世界」を唱え広島を訪れたオバマ氏に代わり米大統領となったトランプ氏は、核兵器の刷新・増強を進める意向だ。
 ロシアのプーチン大統領も呼応するかのように、質的な核軍拡に動いており、米ロの間に新たな核軍縮の機運は何ら感じられない。
 北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返して、日韓のみならず米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。
 国連で今年7月7日、核兵器の開発や保有、使用、使用の威嚇を禁じた核兵器禁止条約が採択されたが、核保有国は無視を決め込んだ。
 日本は、米国が差し掛ける「核の傘」を優先して条約交渉に参加せず、被爆体験を土台に紡がれてきた「非核の国是」が踏みにじられようとしている。
 核保有国と同盟国は核抑止力を国家安全保障政策の根幹に位置付けてきた。確かに安全保障と抑止力は重要かもしれないが、核兵器にだけ固執する必要はないはずだ。


原爆投下72年 核廃絶へ問われる足元
 広島はきょう6日、長崎は9日に「原爆の日」を迎える。原爆投下から72年。被爆者や遺族の高齢化が進む中、惨禍が二度と繰り返されないよう世界に向けて訴える。核兵器を非合法化する初の国際条約「核兵器禁止条約」が7月に採択されたばかりだ。その意義深い年に迎える原爆の日を心に刻み、核廃絶に向けて着実に歩みを進めたい。
 条約は、核兵器の使用や保有、開発に加え、核抑止力を意味する「核兵器を使用するとの威嚇」などを禁止する。核兵器がもたらす破局的な結末には対応不可能とし、その存在を「全人類の安全保障」に関わる問題と位置付けた。国連本部で122カ国の賛成により採択され、9月に発効する見通しだ。
 条約の前文には「ヒバクシャ」が被った受け入れ難い苦痛と危害に留意することが盛り込まれた。被爆者団体は「核兵器のない世界の実現という念願が、やっと具体的な形で現れた」などと条約採択を歓迎する。
 被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は、今年3月末時点で16万4621人。前年から9459人減り、交付開始以降で最少となった。平均年齢も81・41歳となり高齢化が進んでいる。過酷な体験をいかに継承し、世界へ伝えられるかが課題だ。
 ところが、唯一の被爆国として核廃絶を訴えてきた日本政府は、禁止条約の制定交渉に参加しなかった。米国、ロシア、中国などの核保有5大国や北朝鮮も不参加だ。
 日本政府は「条約は核保有国と非保有国の分断を深める」とし、双方が参加できる枠組みが必要と主張。核開発を進める北朝鮮が国際社会の深刻な脅威になっているとし、「現実的な視点」が欠かせないと強調した。
 そもそも日本は世界に核廃絶を訴える一方、自国防衛では米国の「核の傘」に依存し、核兵器の有効性を認めるという矛盾を抱えてきた。政府はそれを「現実的」と表現するが、果たしてそうか。核抑止力には核抑止力をと、双方がエスカレートしかねない危険をはらんでおり、日本の足元が問われている。
 北朝鮮を含む北東アジアの非核化への道筋を提言する長崎大学核兵器廃絶研究センターの鈴木達治郎センター長は「核兵器を使って脅すことが、本当に日本が望む抑止力なのか。核抑止論から脱却する方法を模索すべきだ」と指摘する。
 北朝鮮が国際社会の制止を聞かず核やミサイル開発を進めているため、ペナルティーとしての強硬論に目が向きがちだ。鈴木センター長は「経済制裁とともに対話が必要。まずは米中と北朝鮮による対話の場を模索すべきだ」と語る。日韓にも制裁の一方で、民間などさまざまなルートを通じ北朝鮮と接触する努力が求められるという。
 核兵器廃絶という大きな流れの中で日本が何をなすべきか、北朝鮮問題などを通じて改めて考える必要がある。


原爆の日 国は被爆地の声を聞け
 きょう6日は広島、9日は長崎の原爆の日。原爆投下から72年を迎えた夏、核廃絶をめぐる二つの流れがくっきりと浮かび上がった。
 国連で7月に採択された核兵器禁止条約に対して、被爆地と日本政府の姿勢が分かれたことだ。
 両市が式典で読み上げる平和宣言は、いずれも条約に言及。広島市の松井一実市長は政府に対して、核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう訴える。
 長崎市の田上富久市長は条約採択を評価。さらに一歩進めて日本が条約に参加するよう求める。核抑止力に頼った安全保障政策の見直しも政府に迫る。
 条約は核兵器の保有と使用はもちろん、製造、実験、配備、移転も禁じる。核兵器による威嚇も許さない。核兵器が使用されてから初めて、人類がたどりついた歴史的な一歩だ。
 条約の前文には「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)の受け入れ難い苦しみと被害に留意する」という一文があった。被爆者が長年訴えてきた核の非人道性を、国際社会が受け止めた証しだ。
 だが、条約を採択する国連の交渉会議から、唯一の被爆国である日本は姿を消した。核保有国とされる9カ国が条約に反対、または無視。その「核の傘」の下にある日本や韓国、ドイツなども足並みをそろえたためだ。
 核兵器をなくせば安全保障上の脅威が生じ、抑止力に影響を及ぼしかねない。この論理は、紛争が絶えない世界で力を持ち続けている。
 北朝鮮の核・ミサイル開発は国際社会の大きな脅威になった。米本土に届く大陸間弾道ミサイル(ICBM)が現実味を帯び、6回目の核実験もささやかれている。
 この現実を前に米国の「核の傘」に頼らざるを得ないという意見ももちろんある。しかし、抑止力とは、ある意味で「信頼関係」がなければ成立しない。
 今の米国と北朝鮮はその関係を築けるだろうか。むしろ偶発的な衝突が怖い。その時は韓国と日本が巻き込まれる危険性が大きい。
 不毛な核のパワーゲームが続いている。核保有国と非保有国の対立も解消しない。核兵器におびえずに原爆の日を迎えられるのは、いつのことになるだろう。
 困難な道だが、北朝鮮の核を除去するためには圧力と対話による外交的手段を尽くしながら、条約の目指す理想を求めていくしかない。
 政府には今からでも被爆地の流れに寄って、核廃絶の流れを太くするよう求めたい。悲劇を二度と繰り返さない。その先頭に立つ責務が日本にはあるはずだ。


あすへのとびら 広島原爆の日に 幅広く担い手を育てたい
 広島はきょう「原爆の日」を迎えた。9日は長崎である。
 米軍による原爆投下から72年。被爆者らが求め続けてきた核兵器禁止条約が7月上旬、国連で採択された。
 条約を弾みに核廃絶の道筋を付けたい―。この夏はこんな決意を新たにする人が多いのではないか。
 核兵器の製造や保有、使用などを全面的に禁止する史上初の国際法である。国連加盟国の6割を超える122カ国が賛同し、「核兵器なき世界」を願う国際世論の強さを示した。
   <核禁止条約の重み>
 広島、長崎の両式典で読み上げられる平和宣言はともに禁止条約の意義に触れる。長崎の田上富久市長は、条約に反対した日本政府に参加を求める見通しだ。
 条約の採択にようやくこぎ着けたのは、日本の被爆者が国際社会に向かって核惨禍の実態を訴え続けたことが大きい。
 日本全国で被爆者健康手帳を持つ人は2016年度末で16万4621人。10年前より約8万7千人も減った。平均年齢は82歳に近づいている。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)によると、会員の高齢化で活動を停止したり、解散したりする地方組織が出ている。
 先細りが懸念される中、被爆2世の動きが目立ってきた。2世だけの組織も幾つかあり、活動の継承が進んでいる。
 長野県内では被団協が結成された1956年、広島や長崎などとともに、いち早く県原爆被害者の会(長友会)ができた。
 中心となったのは、広島で被爆した後、松本市に移り住んだ前座良明さんだ。2009年に亡くなるまで、原爆症による体調不良に悩まされながらも熱心に被爆者支援に取り組んだり、被爆体験を語り続けたりしてきた。
 長男の明司さん(69)は父の生前、被爆時の生々しい話を聞くことはほとんどなかった。が、良明さんの死が背中を押した。直後に長友会の会員になり、今年から副会長を務める。
 明司さんは名刺に「被爆2世」と明記した。「自分の世代が核廃絶の先頭に立っていくという気持ちを示したかった」と話す。2世や3世だけでなく、市民や若者とどう連携し、活動の幅を広げていけるかが、課題と考える。
 指針はある。父が生前よく語っていた「今日の聞き手は明日の語り手」という言葉だ。原爆や被爆の話を聞いた人は、感じたことを自分の周囲の人に話してほしいとの思いが込められている。
 松本大学4年生の宮阪絢子さん(23)は、松本市が平和事業の一環で昨年4月に立ち上げた大学生の組織「松本ユース平和ネットワーク」に参加している。11月に初めて長崎を訪れた。市内に残る原爆の傷痕を見て、被爆当時の話を聞いて衝撃を受けた。
 「知識でしかなかった被爆が、初めて自分の身の回りで起きたことのように思えた」
 ネットワークのメンバーは、市内の中学校などに出向き、原爆に関する出前授業も行っている。中学生は年齢が近いこともあり、熱心に耳を傾けた。被爆者でなくとも語り手になれることを示した事例といえるだろう。
 被団協などは昨春から核廃絶を求める国際署名を始めた。県内は知事をはじめ、77市町村長が署名した。全ての首長が署名したのは全国でも異例である。
 署名の推進団体には作家の窪島誠一郎さんや戦争体験を歌う活動をしているシンガーソングライター清水まなぶさんも名を連ねる。長友会のほか、政党や労組の路線対立で分裂して原水爆禁止世界大会を開いている原水協と原水禁の県組織も加わり、柔軟な体制で取り組んでいる。
 禁止条約は発効の見通しが付いたけれど、現実は厳しい。米ロ英仏中の核保有五大国に加え、米の「核の傘」に依存する日本などは条約に背を向ける。北朝鮮は核・ミサイル開発にまい進し、不安をまき散らしている。
 核拡散防止条約(NPT)で核保有五大国には核軍縮が義務付けられているのに、本気で取り組む気配もない。逆に核抑止力を重視する姿勢を強めている。被爆者らの思いは複雑だ。
   <市民の力は大きい>
 原水爆禁止世界大会が広島で初めて開かれたのは1955年だった。米国の水爆実験による第五福竜丸事件を機に東京・杉並の主婦らが始めた署名運動が幅広い共感や賛同を集め、大会に結実したことはよく知られる。
 禁止条約を機能させるには、保有国に圧力をかける世界的なネットワークを築く必要がある。長野県をはじめ、日本の市民がその担い手になれないだろうか。その力があるはずだ。


原爆の日 核廃絶への決意問われる
 広島と長崎に人類史上初めて原爆が投下されてから、72回目となる鎮魂の夏が巡ってきた。
 きょう6日は広島市で、9日には長崎市で「原爆の日」の平和式典が開かれる。犠牲者に祈りをささげるとともに、核廃絶と不戦への誓いを新たにしたい。
 今年は7月に核兵器禁止条約が国連本部での条約制定交渉会合で採択された。その一方で、北朝鮮が核・ミサイル開発を加速させ、核の脅威が高まっている。
 核兵器の非人道性を知る唯一の被爆国として、廃絶へ向けた決意が例年以上に問われている。
 核兵器禁止条約は、核兵器の開発や実験、使用などを全面禁止するものだ。122もの国が賛成し採択された。
 前文には「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と明記され、核軍縮や平和教育の重要性も指摘されている。
 まさに、広島、長崎の被爆者らの思いが実を結んだ、歴史的、画期的な条約といえる。
 ところが日本政府は、条約には事実上反対した。交渉が始まった直後の演説で、核保有国抜きの交渉は国際社会の分断を深めるとして不参加を表明していたからだ。
 条約は「核兵器を使用する」と威嚇することも禁じている。核抑止の考え方自体を否定するものといえ、米国は同盟国に不参加や反対を働き掛けた。
 北朝鮮がミサイル発射訓練を繰り返し、米国の「核の傘」の重みが増しているのが実情といえる日本としては、苦渋の選択を迫られたのだろう。
 核禁止条約について米英仏は、安全保障環境の現実を無視していると反発し、日本も含め署名しない方向だ。
 だが、このまま核保有国と非保有国の溝が深まれば、北朝鮮を利するだけだ。唯一の被爆国として、保有国と非保有国の橋渡し役を担うことこそが、日本の責務なのではないか。
 原爆の日の式典では、広島市の松井一実市長は平和宣言で、「憲法が掲げる平和主義を体現するため」として、政府に核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう求める予定だ。
 長崎市の田上富久市長も条約参加へ転じるよう求めると同時に、憲法の平和理念を世界に向けて発信することを政府に注文する。
 昨年はオバマ前米大統領が現職の大統領として初めて広島を訪れ、「核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と演説した。
 米国の大統領は、そのオバマ氏から核戦力強化を公言するトランプ氏に代わった。北朝鮮も挑発を繰り返している。
 しかし、オバマ氏の広島訪問を契機とした核なき未来への歩みを逆戻りさせてはならない。
 オバマ氏と広島を訪れた安倍晋三首相は「核兵器のない世界を必ず実現する」と表明したはずだ。
 唯一の被爆国として、核廃絶に向けてどう主導的な役割を果たしていくのか。言葉だけでなく、行動力が問われている。


72年目の原爆忌 非人道的な安保観見直せ
 1961年の国連演説で、ケネディ米大統領はギリシャの故事を引いて言った。
 「地球に住む全ての人間が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている」
 その剣は細い糸でつるされている。糸はいつ切れても不思議ではない。事故か誤算か、あるいは狂気によって―。
 広島はきょう6日、「原爆の日」を迎える。長崎も9日に原爆犠牲者を慰霊する式典を開き、被爆地から反核と平和のメッセージを全世界へ発信する。
 半世紀以上も前のケネディ演説を思い出しながらヒロシマ、ナガサキと連帯したい。
 ■減る歴史の証人■
 倒壊した家屋の下敷きになって身動きが取れず、迫り来る炎に焼かれていく肉親。それを、なすすべもなく見守るしかなかった大勢の被爆者。「核というダモクレスの剣」がもたらしたのは、まさに生き地獄だった。そんな経験から、自分が生きていることに負い目すら感じる被爆者もいる。
 原爆投下から72年。こうした歴史の生き証人は年々減っている。厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末時点で16万4621人。この1年間で9581人が亡くなり、平均年齢は81歳を超えた。
 広島、長崎両市が主催する式典には毎年、各都道府県の遺族代表が参列する。しかし長崎の場合、今年の式典には16県が欠席するという。被爆者に加え、遺族の高齢化も進んでいるのが実情だ。
 ■いつでも発射の恐れ■
 一方、世界には約1万5千発の核がある。このうち1800発はいつでも発射できる「高度警戒態勢」に置かれているという。たとえ事故であっても、いったんボタンが押されれば核攻撃の応酬となり、世界は破滅のふちへと追いやられる。
 そこで「核なき世界」を唱えたのがオバマ氏だった。昨年は現役の米大統領として初めて広島を訪れた。ところが、代わって大統領となったトランプ氏は核兵器の刷新・増強を進める意向だ。
 呼応するかのように、ロシアのプーチン大統領も質的な核軍拡に動いている。米ロの間には核軍縮の新たな機運は何ら感じられない。
 さらに懸念されるのは北朝鮮である。弾道ミサイルの発射を繰り返し、日本や韓国だけでなく米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。
 唯一の明るい兆しといえるのはことし7月7日、核兵器の開発や保有、使用、使用の威嚇を禁じた核兵器禁止条約が国連で採択されたこと。しかし、九つの核保有国は無視を決め込んだ。傲慢(ごうまん)であり愚かだとの、そしりは免れないだろう。
 ■核抑止論は非人道的■
 責任の一端は、唯一の被爆国日本の政府、為政者にもある。そもそも条約交渉に加わることさえしなかった。「核保有国が参加しないまま交渉を進めれば、国際社会の分断が深まる」との理由だったが、「核の傘」を提供してくれる米国に配慮したのは明らかだ。
 世界を滅ぼしかねない核兵器は「実際には使用できない兵器」といわれる。使えば報復され、自国も破滅するからだ。そこで核保有国同士、その力を均衡させて平和を保とうという核抑止論は、現実的に見える。
 しかし、それは極めて非人道的な安全保障観だとの指摘もある。自国を守るためならヒロシマ、ナガサキの惨劇が他国で繰り返されても構わないという前提に立っているからだ。
 長崎の田上富久市長は9日の平和宣言で政府に対し、禁止条約に参加し、核兵器に依存する安全保障政策を見直すよう提言するという。人類無二の悲惨な体験をした被爆地として当然だろう。核を持たない多くの国々が望むのも、こうした主張に違いない。


広島原爆の日 世界の「溝」埋め核軍縮を
 広島はきょう、「原爆の日」を迎えた。人類が初めて経験した原爆の惨禍から72年。核兵器を初めて非合法化した「核兵器禁止条約」が先月、国連で採択された。この歴史的な一歩を弾みに、核軍縮を前進させたい。
 原爆の日を前に、リニューアルオープンして3カ月余りの広島市の原爆資料館の東館を訪ねた。
 改装で新設されたのが、1945年8月6日の原爆投下前後を再現した街の模型だ。原爆を落とした側の目線ではあるが、コンピューターグラフィックス(CG)映像が投影され、一瞬にして街が破壊されたことが伝わる。地上では大勢が、もがき苦しむ惨状が広がっていたに違いない。
 館内で目立つのが、アジアや欧米からの外国人観光客である。家族連れや若者、高齢者が展示に見入っていた。
 資料館に足を運んだ外国人は昨年度、過去最多の約37万人で、ここ5年で4倍近くになった。入館者に占める割合は21%に上っている。
 オバマ前米大統領が昨年5月に訪問した影響もあろう。オバマ氏同様に資料館で被爆の実相に触れ、心を動かされた海外の指導者は多い。
 そうして高まった「核兵器なき世界」を求める機運が実ったのが核兵器禁止条約である。前文には「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と明記した。国連加盟の6割以上の122カ国が採択に賛成し、核廃絶を願う国際世論を示した意義は大きい。
 だが、核軍縮を巡る現実は厳しい。米国、ロシアなどの核保有国は条約の制定交渉に参加しなかった。核の全面禁止は現実的でないとの主張だ。米国の「核の傘」に入る日本などもこれに従った。
 世界にはなお約1万5千個もの核弾頭がある。核拡散防止条約(NPT)は米ロなど5カ国に核兵器の保有を認める一方、核軍縮の義務を課しているが、進まない。それどころか、1月に就任したトランプ米大統領は核戦力の強化を公言し、核超大国へ再びかじを切り始めた。
 さらに懸念が募るのが、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射や核実験などの暴挙を続ける北朝鮮である。
 こうした脅威を考えれば、安全保障上、米国の核の傘に頼らざるを得ない。それが日本政府の考えである。それでも、核兵器の非人道性を訴え、核軍縮へ努力を重ねることが、唯一の戦争被爆国として日本の責務であることを忘れてはならない。
 禁止条約の採択では、核保有国と非保有国の溝があらわになった。広島市の松井一実市長はきょう、平和記念式典で読み上げる平和宣言で、日本政府に両者の橋渡しに本気で取り組むよう訴える。
 核保有国と非保有国の溝を埋めながら、核兵器の残酷さを粘り強く訴えねばならない。そのためにも、さらに多くの人が広島や長崎を訪れるようにも働き掛けたい。


ヒロシマ72年 核兵器を断じて使うな
 <あなたの国では、夏にはどんな花が咲きますか? 私の国では、夏はとても暑くて、花はあまり咲きません。それなのに、不思議に赤い花だけがたくさん咲きます>
 被爆2世の作家朽木祥さんの短編小説「カンナ―あなたへの手紙」(「八月の光―失われた声に耳をすませて」所収)の書き出しだ。あの日、九つの祖母は四つだった弟とピカに遭う。やけど一つなかったのに、弟は焦土のカンナの花をめでて程なくみまかる。祖母は孫に彼のことを忘れないよう最後にこいねがい、この小編は次のように結ばれる。
 <あなたの国では、夏にはどんな花が咲きますか。すさまじい力に打ち倒されてもまた咲いた、カンナのような花がきっとあなたの国にもあるでしょう>
 ▽採択は大きな節目
 この一節はヒロシマ・ナガサキの、いわば想像力を表現したのではないか。あの日から72年。人類史上初の核攻撃を受けた都市の被爆者や市民は、この世界で戦後起きた非人道的な行いにしばしば異議を唱え、犠牲を強いられた国の復興と民の再起に思いをはせてきた。むろん、みたび核兵器を使用させないと訴え続けてきたことは言うまでもない。
 その意味で、ことしは大きな節目を迎えた。核兵器禁止条約が122カ国の賛同を得て国連で採択されたのである。核兵器を非合法化する初の国際法だ。使用はもちろん、開発や製造、保有など関連することを全面的に認めない。
 底流にあるのは、国際社会で近年注目されてきた「核兵器の非人道性」という概念である。核軍縮は倫理的責務であり「核兵器なき世界」を急ぎ実現させなければならないという決意を示したといえよう。採択へ動いてきた多くの非保有国に被爆地から敬意を表したい。
 交渉議長国のコスタリカが示した草案段階から、前文に「hibakusha(ヒバクシャ)」が受けた苦痛を心に刻む、との文言が加えられたことも決意の表れだろう。そのヒバクシャを「核兵器使用の被害者」とし「核実験に影響された人々」の苦難にも言及した。
 ▽「抑止論」にも異議
 「歴史の証人」として現存する第五福竜丸などの遠洋漁船が米国の核実験の「死の灰」を浴びた日本にとっても、重要な定義といえよう。私たちが生きる核の時代は、民から土地を奪い、命と健康を脅かす核実験によって少なからぬ国々に爪痕を残してきたのである。
 さらに、核兵器使用をほのめかす「威嚇」も禁止の対象にした点は「核抑止論」の否定を意味する。核による脅しがもたらす平和は真の平和ではあるまい。ところが、核保有国はおろか被爆国日本までが、条約とりわけ威嚇禁止のくだりについて無視あるいは冷淡さをもって応じていることは納得できない。
 広島市の松井一実市長は、けさ読み上げる平和宣言で「良心」や「誠実」という言葉を何度も用いる。「規範」と言い換えてもいいだろう。核兵器の実戦使用を縛ってきた規範が今、崩れゆく恐怖がある。人類の名において、核を断じて使うな、使わせるな、脅しとしても用いるな、と私たちも強く主張する。
 「ヒロシマ演説」を残したオバマ氏に代わって米大統領となったトランプ氏は、核兵器の刷新や増強を進めている。ウクライナ政変の際には核兵器使用を準備していたと平然と口にしたロシアのプーチン大統領も、質的な核軍拡に動いている。米ロの間に新たな機運を何ら感じられない核軍縮の冬の時代だ。
 加えて北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返し、日韓のみならず米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。米ロと同様、この独裁国家もまた核使用のリスクを高める要因に違いない。
 ▽艦載機飛行自粛を
 日本が保有国と非保有国を「橋渡し」すべきだという見方は、衆目の一致するところだろう。しかし米国の「核の傘」を絶対視して日米同盟の強化をうたい、条約交渉には参加しない安倍晋三政権にその役割は果たせそうもない。
 長崎市の田上富久市長は9日の平和宣言で、政府に対し核兵器に依存する安全保障政策の見直しを求めるという。安全保障は重要だが、条約によって明確に「悪の烙印(らくいん)」を押された核兵器にこれ以上こだわる必要はないはずだ。
 被爆地の新聞として私たちは昨年、オバマ氏が広島を訪れるに際し、日米同盟の緊密さをこの地で強調するのは控えてほしいとも主張した。この地はそのような「貸座敷」ではない。だが先日、米海兵隊岩国基地(岩国市)への艦載機移転を6日ごろから始めるという、この地の感情を逆なでする情報がもたらされた。
 艦載機移転に対する賛否を別にしても、原爆の犠牲者を静かに悼む日に、あの日を思い起こさせる米軍機の機影を一機たりとも見せてはならないし、爆音をとどろかせてはならないはずだ。きょうの飛行の自粛を強く求めたい。
 ことしは長崎の動員先で被爆した作家林京子さんの訃報を聞いた。不意の熱線で絶命した教師が「なぜ」という驚きの表情のままだったと、短編小説「道」にある。原爆が過去の問題なら書かないと語った上で、冷戦下の日本への核持ち込みを強く批判し、非核三原則の堅持を求めた評論が本紙に残っている。
 72年の歳月が流れても原爆は過去の問題になっていない。それでも諦めることなく核廃絶を求めなければならない。核兵器禁止条約を支えた国々の存在が、私たちを勇気づけてくれていよう。


改めて被爆の原点に
 広島はきょう「原爆の日」を迎える。長崎も9日に原爆犠牲者を慰霊する式典を開き、被爆地から反核と平和のメッセージを世界に発信する。
 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末時点で16万4621人、平均年齢は81歳を超えた。1年間で9581人が亡くなった。核攻撃の悲惨さを体験した証人は年々減っている。
 広島、長崎両市が主催する式典には毎年、各都道府県の遺族代表が参列するが、長崎での今年の式典には16県が欠席だという。被爆者に加え、遺族の高齢化も進んでいる。
 原爆投下から72年。長い歳月の経過により、被爆体験の風化を懸念せざるを得ない。
 しかし残虐兵器を実戦使用された世界唯一の国として、日本は「核兵器の非人道性」を後世に伝え、国際社会の先頭に立って核廃絶を唱道していく特別の責任がある。それは、被爆国が人類全体に負う道義的かつ倫理的な責務でもある。
 「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことをしのぶと、今でも耐えられない気持ちになります」。広島の松井一実市長は原爆が投下された午前8時15分の直後に読み上げる平和宣言で、当時15歳だった被爆者の言葉を紹介する予定だ。
 倒壊した家屋の下敷きになって身動きが取れず、迫り来る炎に焼き殺されざるを得なかった肉親と、その場で永遠の別れをした被爆者が大勢いる。そうした経験から、生きていることに負い目すら感じる被爆者もいる。
 そんな残酷でつらい思いを他の誰にも二度とさせてはならないとする「反原爆」の強靱(きょうじん)な哲学が、被爆者が核廃絶を希求してきた背景にある。
 松井市長は宣言で、被爆者の体験に根差した「良心」と、為政者が発揮すべき「誠実」さを訴える考えだ。なぜ今この時、被爆地が「良心」と「誠実」を強調せざるを得ないのか。
 大きな理由が二つあるだろう。まず憂慮すべき核保有国の現状だ。「核なき世界」を唱え広島を訪れたオバマ氏に代わり米大統領となったトランプ氏は、核兵器の刷新・増強を進める意向だ。
 ロシアのプーチン大統領も呼応するかのように、質的な核軍拡に動いており、米ロの間に新たな核軍縮の機運は何ら感じられない。北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返し、日韓のみならず米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。
 国連で今年7月7日、核兵器の開発や保有、使用、使用の威嚇を禁じた核兵器禁止条約が採択されたが、九つの核保有国は無視を決め込んだ。 そして、もう一つの理由は被爆国日本の政府、為政者に「誠実」さが足りないことだ。米国の「核の傘」を優先して条約交渉に参加もしなかった。
 長崎の田上富久市長は9日の平和宣言で政府に対し、禁止条約に参加し、核兵器に依存する安全保障政策の見直しを提言する方針だ。安全保障と抑止力は確かに重要だが、核兵器にだけ固執する必要はないはずだ。
 安倍晋三首相が改憲を模索する中、被爆国の非核と平和は岐路に立たされている。人類無二の被爆体験という原点に立ち返りたい。


原爆の日 「核なき世界」再生の決意新たに
 また盛夏が巡ってきた。広島はきょう、長崎は9日に72回目の「原爆の日」を迎える。
 米軍は1945年、両都市に人類史上初めて原爆を投下し、壊滅的被害を与えた。死者はその年だけで21万人に上り、放射線は今も被爆者の健康に深刻な影響を及ぼしている。それなのに世界には今もなお1万5千発もの核弾頭が存在している。核兵器廃絶を強く国内外に訴え、核軍縮の動きを確実に前に進めていかねばならない。
 昨年5月、現職の米大統領として初めてオバマ氏が広島を訪問し、「核なき世界」実現への取り組みを強調した。訪問は原爆被害の悲惨さを再認識させ、世界の目を被爆地に向けさせる機会となった。実際、海外から原爆資料館に訪れる人は大幅に増加している。その目には被爆の実相が焼き付いたはずだ。これを核廃絶につなげてこそ意義がある。
 だが「オバマ後」の核を巡る国際情勢は混迷を深めている。今年1月に就任したトランプ米大統領は、前政権の方針転換に躍起で、核に関しても「核戦力で他国に後れを取ることは決してない」と核戦力強化に意欲を示した。北朝鮮は国際社会の警告を無視して核やミサイルを開発し挑発を繰り返している。核拡散リスクは冷戦後、最も高まっていると言わざるを得ない。
 核拡散防止条約(NPT)は核兵器保有を米ロ英仏中に限定し核軍縮を義務付けているが、空洞化は明らかだ。世界の9割超の核弾頭を保有する米ロの交渉はウクライナ危機の対立で停滞している。包括的核実験禁止条約(CTBT)も発効されておらず、非保有国が不満を募らせるのは当然だ。
 国連で先月、非保有国が提案した核兵器を非合法化する「核兵器禁止条約」は、122カ国が賛成し採択された。核削減に背を向ける保有国への対抗策である。しかし保有国は段階的軍縮を主張し、条約を批准しない方針を示している。保有国抜きでは実効性が疑問視されるが、それでも核兵器を「絶対悪」とする国際ルールを確立した意味は重い。忘れられつつある「核なき世界」を再生させる決意を新たにしたい。
 理解できないのは、条約の交渉にすら参加しなかった日本政府の態度だ。唯一の戦争被爆国は国是として「非核」を掲げているにもかかわらず、日米同盟の下で米国の核抑止力への依存を公言する。矛盾した姿勢は被爆者や非保有国を失望させた。核廃絶には抑止論からの脱却が不可欠である。核なき安全保障の展望を早急に描くべきだ。
 被爆者の平均年齢は3月末で81歳を超えた。被爆者団体の解散が相次ぎ、被爆体験を次代に伝えていくことが年々難しくなっている。壮絶な記憶は簡単に継げるものではない。だが、その証言に触れ、平和の願いを伝え続けていくことが今を生きる世代の責任である、と一人一人が胸に刻みたい。


原爆の日 被爆国の使命を果たそう
 1945年8月6日、人類史上初めて、広島で原子爆弾が使われた。3日後には長崎に落とされた。それから72年になる。
 広島では約14万人、長崎では約7万4千人が亡くなった。一瞬で命を奪われた人、水を求めて苦しみながら息絶えた人。筆舌に尽くし難い悲劇を、二度と繰り返させてはならない。
 きょう広島で、9日には長崎で、平和を祈念する式典が開かれる。犠牲者を悼み、核兵器廃絶への誓いを新たにしたい。
 昨年の原爆忌から1年がたち、核兵器を取り巻く状況は大きく変わった。
 一つはトランプ米大統領の登場であり、もう一つは、核兵器禁止条約が国連で採択されたことだ。
 トランプ氏は核戦力の拡大に意欲を見せている。核軍縮でロシアと合意した新戦略兵器削減条約(新START)の見直しも示唆した。
 昨年5月、現職米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏が、「(核保有国は)核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と決意を表明したのとは、全く逆の姿勢だ。
 そうした変化に怒りと危機感を抱いた国々が選んだのが、核兵器を非合法化する道だった。核軍縮の機運が後退する中、国連加盟国の3分の2に迫る122もの国が条約に賛成したのは当然だろう。
 広島、長崎の被爆者による半世紀以上にわたる叫びが、その動きを強く後押しした。
 ところが、残念なことに、核兵器の非人道性を最もよく知る唯一の戦争被爆国である日本は条約に反対し、参加しなかった。米国の「核の傘」の下にあるというのが理由だ。核兵器は「絶対悪」ではなく、「必要悪」だというのだろうか。
 きょう広島の式典で読み上げられる平和宣言は、禁止条約に触れ、「核保有国と非保有国との橋渡し役に本気で取り組むよう」政府に訴える。長崎の平和宣言も、条約参加に転じるよう求める。
 安倍晋三首相は、被爆地の声に真摯(しんし)に耳を傾けてもらいたい。そして参加へかじを切り、米ロなど条約に反対する核保有国に範を示すべきだ。被爆国としての使命はそこにある。
 被爆者の平均年齢が81歳を超え、体験者は年々少なくなっている。そんな中、広島、長崎両市は体験講話のビデオ化などに加えて、証言を伝承する語り部の養成に取り組んでいる。
 悲惨な体験を語り継ぎ、次世代に伝える営みが、惨禍を防ぐ力になる。絶対に風化させないという被爆地の意志を、私たちはしっかりと受け止めなければならない。
 徳島県内でも、平和を願う集いが各地で行われる。毎年恒例の行事も多いが、大人だけではなく、子どもたちの姿があるのは心強い。
 平和のバトンを未来へ、確実につないでいきたい。


【原爆の日】逆行している日本の姿勢
 第2次大戦で、米軍が広島に原爆を投下してから、きょうで丸72年になる。
 史上初めて使用された核兵器は、町を一瞬にして崩壊させ、何万人もの命を奪った。非情なきのこ雲は3日後、長崎にも上がった。
 核兵器は究極の大量破壊兵器だ。敵国を民間人もろとも壊滅させる非人道的な武器であり、どのような理由であれ、正当化することはできない。原爆の日に改めて強調しておきたい。
 戦後の冷戦下、国連常任理事国5カ国は特権を得て核兵器の開発と保有を進めてきた。広島、長崎の惨劇は教訓になるどころか、抑止力として利用された。
 冷戦終結後も、実験禁止や削減の動きがあったものの基本的な構図は変わっていない。5カ国は非核の実現を目指すことなく、大国の論理で保有を続けている。
 不拡散の責任も不十分だった。北朝鮮などの核開発を許し、核を巡る新たな緊張を生んだ。
 日本は唯一の戦争被爆国だ。ビキニ環礁での米国の水爆実験でも漁船乗組員が被ばくした。核の悲劇と、非核の重要性を最も国際社会に訴えていかなければならない国だ。
 ところが、現実は逆行している。米国の「核の傘」に入り込み、出ようとしない。
 国連で7月、核兵器禁止条約が圧倒的多数で採択された。歴史的な日だったが、日本政府代表の姿はなかった。核保有国とともに不参加だった。条約の実効性にブレーキをかける側に回ったといっていい。
 確かに中国や北朝鮮の軍事的な脅威は増している。特に北朝鮮は核やミサイル開発を続け、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験も行った。
 だからといって日本は核の抑止力に依存し、緊張を高める側に立つのか。核廃絶を米中にも北朝鮮にも呼び掛け、核を取り除く方向に力を注ぐのが被爆国の姿勢であろう。
 日本のありようが疑われるのは、それだけではない。
 オバマ前米大統領が任期の末期、「核の先制不使用」を米政府として打ち立てようとしたが、日本などの反対表明で頓挫した。核軍縮に向けた重要な一歩にできただけに日本政府の対応は大いに疑問だ。
 民生分野にも課題がある。日本政府は原発の使用済み核燃料を再処理・再利用する核燃料サイクル事業に固執し続けている。
 再処理をすると核兵器の原料にもなるプルトニウムが生じる。これを高速増殖炉やプルサーマル発電の燃料に用いる計画だが、利用は進まず破綻状態にある。
 事業継続はプルトニウムの生産を続けることを意味する。到底、国際理解は得られまい。日本の核武装を懸念する声も増すだろう。
 これでは日本の平和への訴えは響かない。原爆犠牲者の無念をいま一度、胸に刻み、被爆国として姿勢を自戒する必要がある。


[広島原爆の日] 核廃絶を主導する責任
 広島はきょう、被爆から72年の「原爆の日」を迎えた。
 平和記念式典には約80カ国と欧州連合(EU)の代表らが参列し、被爆地から反核と平和のメッセージを世界に発信する。
 核兵器の生き地獄を知る人たちの悲しみや無念をしのび、不戦の誓いを新たにしたい。
 日本は唯一の被爆国として、核兵器の非人道性を後世に伝え、国際社会の先頭に立って核廃絶を訴えていくことが求められる。重い責任と使命をしっかり自覚しなければならない。
 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は3月末時点で16万4621人で、平均年齢は81歳を超えている。被爆体験の風化を防ぎ、どのように次世代に継承していくかも大きな課題だ。
 平和宣言で、松井一実広島市長は核兵器を「絶対悪」と断じ、核使用は人類として決して許されない行為だと訴える。
 行動理念として提示するのは、被爆者の体験に根差した「良心」と、為政者が発揮すべき「誠実」さだ。依然として核を巡り憂慮すべき現状があるからだ。
 今年7月、「核なき世界」への歴史的な一歩が刻まれた。国連で100カ国以上が賛成して採択された「核兵器禁止条約」である。
 条約は核兵器を非合法化する史上初の国際法だ。被害者として「ヒバクシャ」と明記し「受け入れがたい苦痛」に言及した。制定を後�向けた機運を高める必要がある。


原爆投下から72年 広島市で犠牲者の追悼続く
人類史上初めて核兵器の惨禍を経験した広島は、6日原爆が投下されてから72年になりました。午後からは、時折雨が降りましたが、広島市の平和公園にある原爆慰霊碑の前は、鎮魂の祈りをささげる人の姿が途切れず、広島では犠牲者を追悼するとともに核兵器の無い世界の実現を改めて国内外に訴える一日が続いています。
広島市の平和公園で、午前8時から行われた式典には、80か国の代表を含むおよそ5万人が参列しました。式典では、この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人5530人の名前が書き加えられた、30万8725人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められました。そして原爆が投下された午前8時15分に、参列者全員で黙とうをささげました。
ことしは、歴史上初めて核兵器を法的に禁止する条約が国連で非核保有国が中心となって採択されたことを受け、広島市の松井一実市長は、「平和宣言」の中で、「各国政府は、核兵器の無い世界に向けた取り組みを、さらに前進させなければならない」と訴えました。そのうえで核保有国や核の傘の下にある日本などが条約に反対の立場を示していることから、日本政府に対し、「核保有国と非保有国の橋渡しに、本気で取り組んでほしい」と要請しました。
また安倍総理大臣は、条約には言及せず、「核兵器国と非核兵器国、双方に働きかけを行うことを通じて国際社会を主導していく」と述べました。
6日の広島市は、日中の最高気温が、ことし最も高い37度まで上がり、72年前と同じように暑い一日となりました。午後からは時折雨が降りましたが、平和公園にある原爆慰霊碑の前には、被爆者や遺族、それに外国人などが長い列を作り、静かに手を合わせて祈りをささげています。
爆心地から2キロの場所で被爆し、母親の行方が今もわからないままだという広島市西区の81歳の女性は、「あの日は、いたるところに遺体が横たわっていて、言葉では言い表せないほどひどい状況でした。戦争の無意味さを多くの人に知ってもらい、これからは戦争が無くなって平和になってほしいと思います」と話していました。また原爆で家族を亡くした広島市西区の73歳の男性は、「亡くなった祖母や母のことを思い出して、非常につらい気持ちになります。それでも『広島原爆の日』には、毎年ここを訪れて安らかに眠ってほしいと祈っています。人の命を簡単に奪ってしまう原爆は、絶対に許せません」と話していました。
原爆投下から72年となった広島では、犠牲者を追悼するとともに核兵器の無い世界の実現を改めて国内外に訴える一日が続いています。


原爆投下から72年 慰霊の灯籠流し 広島
広島に原爆が投下されてから72年になる6日、広島市内を流れる川で犠牲者の霊を慰める「灯籠流し」が行われました。
灯籠流しは地元商店街の関係者やボランティアでつくる実行委員会が毎年8月6日に行っています。
広島市中区の原爆ドームのそばを流れる元安川には、川岸に被爆者やその遺族などが集まり、赤や白、黄色などの紙が貼られた色とりどりの灯籠を川に流しました。
灯籠には亡くなった人の名前や「世界が平和になりますように」といったメッセージが書かれ、集まった人たちは川に浮かんでゆっくりと漂う明かりを見つめて手を合わせていました。
灯籠流しに参加した広島市の22歳の大学生は、「去年、91歳で亡くなった私の祖母は被爆者でしたが、戦争の話をあまり聞くことができませんでした。若い世代が戦争や原爆の悲惨さを伝えていければと思います」と話していました。
灯籠流しは6日午後9時半まで行われ、およそ8000個の灯籠が犠牲者の霊を慰めます。


亡き妻の分も広島の原爆を伝える 兵庫の男性、平和記念式典に初参列
 「米寿(88歳)まで一緒に生きよう」。72年前の夏、広島でともに被爆し、こう誓い合った妻は82歳で逝った。妻の死後、夫は2人の被爆体験を子供たちに伝える活動を始めた。広島市で6日開かれる平和記念式典に兵庫県遺族代表として初めて参列し、妻ら原爆死没者の慰霊碑の前でこう呼びかけるつもりだ。「あなたたちの分も私は生きて、ずっとお母さんのこと、原爆のことを伝えていくから」。(有年由貴子)
 昭和20年8月6日、爆心地から1・7キロの中学校の校庭にいた兵庫県宝塚市の下桶敏之さん(86)は、強烈な閃光に包まれ、爆風に吹き飛ばされた。「熱い、熱い」「家に連れて帰ってくれ」。血まみれで目が覚めると、顔が判別できないほど大やけどを負った級友らの無残な姿。火の海の中、近くの道や川では人が重なり合うように死んでいた。
 女学校生だった佳子(よしこ)さんも、爆心地から2・3キロの軍需工場で被爆し、倒壊した建物の下敷きなった。お互い命は助かったが、2カ月後にはほとんどの髪の毛が抜け落ち、原爆で多く同級生や身内を失った。
 2人は戦後、就職先の銀行で出会った。当時は被爆者への偏見から、「被爆した娘は結婚できない」と噂された時代。被爆の事実は周囲に隠しつつも、お互いだけには打ち明けた。「背中に大きな傷があるんよ」。3歳年上の佳子さんは声をひそめ、教えてくれた。昭和33年に結婚。九州を訪れた新婚旅行では、「米寿まで一緒にいようね」と翁の博多人形を買って帰った。
 毎年8月6日が近づくと、原爆や当時の苦しかった思い出を話が尽きるまで語り合った。36年には長女が誕生し、2人で泣いて喜んだ。仕事柄、全国を転々とし、最終的に宝塚市に居を構えた。
 もともと体が弱かった佳子さんは、さまざまな病に苦しめられた。平成14年にC型肝炎を患っていることが発覚すると、その後も手術を繰り返した。「家内の苦しみの原因が原爆にあることを国に認めてほしい」。下桶さんが原爆症認定に奔走するなか、佳子さんは肝臓がんで22年3月に亡くなった。認定が下りたことを知った5日後だった。
 佳子さんの死後、遺品を整理していた下桶さんは日記を見つけた。そこには感謝の言葉がつづられていた。
 「お嫁には行けないと諦めていたけど、お父ちゃんが結婚してくれてよかった。ありがとね」「いつもいつも2人で原爆の話を笑いながらでもできたね。それが楽しかった」。読み返すと、今でも涙が止まらない。闘病生活の苦しみをほとんど口にすることがなかったが、日記では「負けてはならじ原爆の子よ」と強がる一方、「淋しいよ」「やせ我慢」と心の内も吐露していた。
 「原爆に遭わなければもっと違う人生だったはず。原爆は死んだ者も、生き残った者も苦しめる」。佳子さんの死をきっかけに、下桶さんは、地元の被爆者の会の世話役や小学校などでの�はっきり言って」と心情を吐露した。
 江崎氏は記者団の取材後、本紙の取材に対して、役所の原稿を朗読するとした発言の真意について「自分の思いで話すと、どこかで揚げ足を取られかねない。間違えたことを言ってはいけないという意味。答弁書を自分でチェックした上で読む」と説明した。北方領土問題に関しては「今まで専門に携わっていないということ」と釈明した。
 江崎氏は内閣改造前日の二日、首相からの入閣要請を「激務をこなせる自信がない」としていったん断った。直後に派閥会長の二階俊博幹事長から説得され、入閣に応じた経緯がある。
 江崎氏は、父の故江崎真澄元通産相の秘書などを経て一九九三年に衆院に初当選し、現在六期目。国土交通副大臣や衆院消費者問題に関する特別委員長などを務めた。


科学的特性マップ公表 処分地議論を前進させよ
 経済産業省は、高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)の最終処分地選定に向け、科学的観点での適性度合いを日本地図で示す「科学的特性マップ」を公表した。世耕弘成経産相は「最終処分の実現に向けた重要な一歩であると同時に長い道のりの一歩」と強調。今後、処分地選定議論を活性化させる方針だ。
 原子力利用に伴い、発生した使用済み核燃料を再処理する際に出る廃液を固めたガラス固化体は、極めて強い放射線を長い期間にわたって出し続ける。
 六ケ所村の日本原燃施設内には現在、2176本のガラス固化体が保管されている。貯蔵期間は青森県や村と原燃が結んだ協定で最大50年と決められており、県と国には県内を最終処分地にしないとの確約もある。三村申吾知事は「一時貯蔵を前提に、核燃料サイクル施設の立地協力要請を受諾している」と強調する。
 だが、最初に海外から返還された分を貯蔵してから既に22年が経過。この間、処分地選定は一向に進まなかった。県内には搬出が履行されず、なし崩し的に最終処分地化する事態を懸念する声もある。世耕経産相は青森県を最終処分の候補地から除外する方針を示すが、早期選定へ?みを進めることが重要であり、これ以上の議論の停滞は許されない。
 特性マップ公表に対して県内自治体の評価は分かれた。サイクル施設が立地する下北地域の首長からは「国が前面に立つ姿勢の現れ」と歓迎の声が上がったが、それ以外の地域は「コメントを差し控える」(八戸市)「県内を最終処分地にしないとする取り決めがあり、コメントしようがない」(三沢市)など静観の姿勢が目立った。全国でも議論の深まりを期待する声と不安が交錯しており、処分地選定の難しさを浮き彫りにする。
 これまでの国は前面に立つ姿勢が欠如していた。交付金と称したアメをぶら下げ、名乗りを上げる自治体を待つ受け身の手法は混乱も生んだ。高知県東洋町が処分地の文献調査に応募しながら反対運動で撤回を余儀なくされた。これを受け、国は自治体への申し入れ方式も取り入れたが、実現しなかった。
 東京電力福島第1原発事故で高まった国民の原子力不信は消えておらず、選定のハードルはより高くなったと言えよう。こうした中で、いかに国民的議論を醸成するか。アメを使った手法はもう通用しない。議論を前進させるため、国は真(しん)摯(し)な姿勢で丁寧な説明を尽くさなければならない。