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Japon: décès de l'acteur qui a le premier représenté Godzilla
L'acteur japonais qui a le premier revêtu le costume du monstre nippon Godzilla, Haruo Nakajima, est décédé à l'âge de 88 ans d'une pneumonie, ont annoncé mardi les studios de cinéma Toho. M. Nakajima avait 25 ans quand il a commencé à animer la créature représentant l'horreur atomique déferlant sur Tokyo, dans un film sorti sur les écrans en 1954 et vu par 9,6 millions de spectateurs au Japon. L'accoutrement était si lourd (environ 100 kg) qu'il arrivait à peine à marcher 10 mètres. Malgré maintes difficultés, il a fini par "aimer jouer Godzilla", si bien qu'il l'a incarné dans pas moins de 12 longs-métrages. Le nom Godzilla découle de Gojira, la contraction en japonais des mots "gorilla" et "kujira" (baleine).
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フランス語の勉強?
ESHITA Masayuki‏ @massa27
国公立大学の学費は学生本人が自分で負担可能な範囲にするのが合理的だと思うんだけどね。それが月額で最低賃金×20〜25時間分だとすると、現在の東京都基準で1.86〜2.33万円ぐらい、年額だと22.4〜28万円ぐらいなのだが。

梅田に行くの面倒だけど忘れ物があるのとタブレットの契約のため行かねばなりません.暑いです.契約の後携帯のメール表示関連でお願いがあって結構時間がかかりましたが無事にできてよかったです.
さてランチはどうしようかな?たまには梅田ではなくて・・・と思って中崎町に行ってみるといい感じのフレンチのお店がありました.久しぶりのフレンチです.しかもお昼からワインをいただいてしまいました.まだこれから仕事あるのにね.

今年もBEGIN にぎやかに歌津復興夏祭り
 南三陸町歌津の復興夏祭りが6日、伊里前地区のハマーレ歌津で開かれ、多くの見物客でにぎわった。
 恒例のポストくんパレードや住民らによる音楽や踊りなどがにぎやかに繰り広げられたほか、今年もBEGINのメンバーによるライブが祭りに花を添え、最後は夢メッセージ花火約1500発が夜空を彩った。


移転建設中の気仙沼向洋高 新校舎地元児童ら見学
 東日本大震災で校舎が被災し、新築移転する気仙沼向洋高の建設現場の見学会が7日、気仙沼市長磯牧通の現地であった。地元の小学生や保護者ら約70人が、生まれ変わる校舎を見て回った。
 県と県建設業協会気仙沼支部が、子どもたちに建設業の仕事の楽しさを知ってもらおうと主催した。協会の担当者の説明を聞きながら、参加者は校舎や体育館の工事現場を間近で見学。校舎の一部にも入った。
 工事の進行状況を記録するドローン(小型無人機)の内蔵カメラを動かしたり、クレーン車の運転席に乗ったりする機会もあった。同市大谷小4年の高橋陽太君(10)は「家から近く、新しい校舎なので通いたくなった」と話した。
 同校は津波で被災し、約1.2キロ西に移転。約5ヘクタールの敷地に鉄骨4階で延べ床面積約6100平方メートルの校舎や、鉄骨2階で延べ床面積約3900平方メートルの実習棟が立つ。
 総事業費は約90億円。本年度末に完成し、2018年度に使用開始の予定。


<仙台七夕まつり>二つの被災地と東京五輪つなぐ 物販で復興支援
 東日本大震災や熊本地震の復興支援と、復興五輪を掲げる2020年東京五輪をPRする合同物産展「仙台JAPAN市」が7日、仙台七夕まつりでにぎわう仙台市中心部で始まった。8日まで。
 青葉区の東北電力ビルなど3カ所にブースを設け、岩手、宮城、福島、熊本、大分の5県の特産品を販売。福島県国見町で朝採りした桃などが人気を集めた。
 熊本の菓子を買った仙台市太白区の佐々木真貴子さん(80)は「九州も地震や大雨の被害が続く。少しでも応援になれば」と話した。
 経団連など財界でつくる「オリンピック・パラリンピック等経済界協議会」が企画し、仙台商工会議所と東北経済連合会が共催。五輪公式グッズの販売やパラリンピックの競技体験も行っている。


<陸前高田市>かさ上げ市街地 「うごく七夕」帰る 山車が練り歩く
 岩手県陸前高田市で7日、伝統の「うごく七夕」が繰り広げられた。東日本大震災で壊滅し、新たにかさ上げされた市街地を、初めて山車が練り歩いた。
 「帰ってきたぞ」。荒町祭組の山車は、かつて町があった場所で足を止め、ひときわ勢いのいいおはやしを響かせた。
 山車の多くは津波で流失。各祭組は震災後、全国から資金援助やボランティアの支援を受けながら山車を再建し、復興工事の合間を縫うようにして個別に運行してきた。
 荒町祭組代表の久納豊さん(69)は「やっとの思いでここまできた。支援がないと厳しいが、毎年山車を出したい」と声を弾ませた。


<石巻鮎川>鯨肉かみしめ文化を次代へ
 宮城県石巻市鮎川浜の牡鹿公民館跡地で6日、牡鹿鯨まつり(実行委員会主催)が開かれた。捕鯨基地として栄えた地区の鯨文化を伝える一大行事で、大勢の家族連れなどでにぎわった。
 鯨肉の炭火焼き700食や地元の女性らが考案した「鯨のピザ」などが無料で振る舞われ、来場者は鯨肉の味をかみしめた。ステージでは、牡鹿中の復興太鼓、鮎川小による子ども七福神舞などが披露された。
 牡鹿半島を中心に開催中の総合祭「リボーンアート・フェスティバル2017」と連携し、音楽プロデューサー小林武史さん(新庄市出身)らによるライブもあった。
 東日本大震災後は中断していた花火も打ち上げられ、地区は終日、祭り気分に包まれた。家族4人で訪れた石巻市の山本裕香(ゆか)さん(30)は「鯨肉を食べに毎年来ている。おいしかった」と話した。


日航機墜落事故から32年 日航新入社員が展示施設見学
520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から今月12日で32年となるのを前に、日本航空の新入社員たちが機体の残骸や乗客の遺品などを展示する施設を見学し、「空の安全」への思いを新たにしていました。
7日は日本航空の新入社員16人が、羽田空港にある安全啓発センターを訪れ、担当者の説明を受けながら群馬県の山中に墜落したジャンボ機の機体の残骸や乗客の遺品、事故の経緯をまとめた資料などを見学しました。
日本航空では事故のあとに入社した社員が9割を超えていて、5年前からはグループの全社員が施設を見学することになっています。
来館者は平成18年の開設以降、延べ20万人を超え、半数以上は社外からの見学者で、運送業や建設業、IT企業など幅広い業種の人たちが、安全を考える場として利用が広がっているということです。
新入社員の男性は「命を預かる責任の重い仕事だと感じてはいたが、事故の原因となった圧力隔壁などを実際に見て、安全文化を受け継いでいくのが自分たちの使命だと感じました」と話していました。
日本航空・安全推進本部の大城戸智子さんは「社外の方々も非常に多く施設や事故現場を訪れており、安全がいかに大事かということを広く伝える場になっています」と話していました。


<壇蜜さん動画>全国女性議連が配信停止を要請「公金で制作すべき内容ではない」
 タレントの壇蜜さん(秋田県横手市出身)が出演する仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会の観光PR動画を巡り、全国の女性議員ら約200人でつくる全国フェミニスト議員連盟は7日、公金で制作すべき内容ではないとして配信停止を申し入れた。
 樋口典子仙台市議と岩佐孝子山元町議、伊藤美代子山形市議が県庁を訪れ、吉田祐幸経済商工観光部長に要請書を手渡した。樋口氏は「性的な表現が不快。女性が男性をもてなす表現はジェンダーの視点から重大な問題だ」と訴えた。
 県には動画に関する意見が約400件寄せられ、うち9割が批判的な内容という。投稿サイト「ユーチューブ」の再生回数は300万回を突破した。
 村井嘉浩知事は7日の定例記者会見で、ヤフーのインターネットアンケートで高評価が多数を占めた結果を挙げ、「一般世論として8割が評価し、2割が厳しい意見なのではないか」と批判に疑問を呈した。


<戦後72年>教育勅語の記憶(上)義勇軍 少年を戦場へ学校加担
 戦前の教育指針だった教育勅語。道徳の基本を教えるとともに、天皇の臣民としての務めを求め、軍国主義を支える役割を担った。戦後72年の今年、学校法人「森友学園」問題などで、勅語がにわかに注目を集める。勅語の時代の学校はどんな雰囲気だったのか。当時を知る人々を訪ねた。(角田支局・会田正宣)
 戦争で卒業式に出られず、70年ぶりに卒業証書を受けた人がいる。丸森町石倉の農業佐藤三吉(みきち)さん(86)。同町丸森小で授与された卒業証書を、佐藤さんは万感の思いで見つめた。
 佐藤さんが出席した2015年の式では、児童一人一人がスピーチをした。「今の学校では個人が大事にされる。全体主義の時代とは大きく変わった」と感慨深げに語る。
 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ(万一危急の事態が起きたら、大義に基づき勇気を奮って一身をささげ、皇室国家のために尽くせ)」。佐藤さんはそんな勅語の下で育った。
◎同級生らと渡満
 1945年3月、旧丸森国民学校高等科2年だった14歳の佐藤さんは、卒業式の直前に、旧満州(中国東北部)の開拓と国境警備に当たる満蒙(まんもう)開拓青少年義勇軍に参加。敗戦で一時、旧ソ連軍の捕虜となった。
 農家の三男。進学は考えられなかった。南満州鉄道に就職希望だったが、担任は「募集がない」と義勇軍を熱心に勧めた。佐藤さんは「学校に割り当てがあったんだろう」と推測する。
 佐藤さんも抵抗はなかった。軍人は児童の憧れの的で、特攻要員にもなった海軍飛行予科練習生の学校訪問にも心が躍った。上空を旋回する航空兵の練習機を、校庭に「万歳」の人文字をつくって迎えた。丸森国民学校は義勇軍養成の県南の拠点校だったとされ、同級生5人で渡満した。
 紀元節(現在の建国記念の日)などの記念日や、12月8日の太平洋戦争開戦にちなむ毎月8日の「大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)」には式典があった。校庭の奉安殿から御真影(天皇、皇后の写真)と勅語の巻物が出され、校長が恭しく朗読した。「意味は分からなかったが、毎日、『国に尽くせ』と戦争に駆り立てられた」
◎全体主義支える
 82歳で漢学を学んだ佐藤さんは「戦争と結びついたのは問題だが、『父母ニ孝ニ(親に孝行を尽くし)』『夫婦相(あい)和シ(夫婦むつみ合い)』などの内容は立派だ」と感じている。
 戦前の教育に詳しい宮城学院女子大の大平聡教授(62)は「学校で戦争を当然のこととして教え、児童を戦時体制に組み込んだ。勅語は臣民教育の根幹で効果は絶大だった」と解説する。
 第2次安倍晋三内閣は今年3月、勅語を憲法や教育基本法に反しない形で、授業の教材に使うことを認める閣議決定をした。近い将来、「道徳」の授業などで使われる可能性もある。
 大平教授は「教育の基本は個人の幸福の基をつくること。教育勅語の目的は天皇制強化などにあり、全体主義の支えだったことを忘れてはならない」と指摘する。
<教育勅語>大日本帝国憲法の元首だった天皇が臣民に示した教育の基本理念。1890年発布。忠・孝などの道徳を基礎に、有事には身をささげて国家に尽くすことを求める内容が含まれた。衆参両院が1948年に失効を決議した。


<戦後72年>教育勅語の記憶(中)戦地 国家に献身「臣民」犠牲
 戦前の教育指針だった教育勅語。道徳の基本を教えるとともに、天皇の臣民としての務めを求め、軍国主義を支える役割を担った。戦後72年の今年、学校法人「森友学園」問題などで、勅語がにわかに注目を集める。勅語の時代の学校はどんな雰囲気だったのか。当時を知る人々を訪ねた。(角田支局・会田正宣)
 夏空の下、山の斜面に牧草地や飼料用のトウモロコシ畑が広がる。蔵王町北原尾。太平洋戦争の敗戦で、西太平洋の島国パラオから日本に引き揚げた人々が入植した。「北のパラオ」の意を込めた開拓地だ。
 地区入り口に「行幸啓記念碑」が立つ。天皇、皇后両陛下が戦後70年の2015年6月、北原尾を訪問された。両陛下はその2カ月前、旧日本軍の約1万人が玉砕したパラオのペリリュー島を訪れ、戦没者を追悼した。
 両陛下に面会した吉田智(さとし)さん(84)は「にこやかで、親しみやすいお方だった」と印象を語った。
◎「現人神」に緊張
 吉田さんはパラオから引き揚げ後、千葉県の一時収容施設で、昭和天皇に面会したことがある。「緊張した。昔は天皇は現人神(あらひとがみ)、姿を見ただけで目がつぶれると思っていた」と振り返る。戦前の国家元首から戦後の象徴天皇へ、時代の変遷を実感する。
 吉田さんは小学2年のとき、一家でパラオ本島の大和村に入植した。ジャングルで終戦を迎えた。
 日本から約3500キロ離れたパラオでも、教育の中心は教育勅語だった。毎朝のように、背筋をぴんと伸ばして暗唱させられた。
 天皇を「赤子(せきし)」である臣民が慕い、天皇が臣民を慈しむ。天皇中心の家族国家観に立った勅語は、道徳とともに、国のために身をささげることを教えた。
 吉田さんは6人きょうだいのうち弟と妹の2人を、米軍機の機銃掃射で亡くした。炊事で煙を上げてしまったためだ。動くものは何でも撃たれた。吉田さんは「『天皇陛下、万歳』と言って死ぬよう教えられたが、『天皇陛下』と口にした人は見掛けなかった。みんな家族のことだった」と証言する。
 象徴天皇として即位した今の天皇陛下は、象徴の在り方を模索されてきた。被災地で膝をついて被災者を見舞う姿は、その表れだ。平和への思いも深い。
◎両陛下も望まず
 パラオ本島の隣、コロール島にいた北原尾の佐崎美加子さん(85)も、両陛下に面会した一人。皇后陛下に「大変でしたね」、天皇陛下に「ご苦労さまでした」と声を掛けられたという佐崎さんは「お優しかった」と思い起こす。
 佐崎さんも小学生のとき、勅語を暗唱させられた。勅語が朗読された式典が終わると、紅白のまんじゅうが配られた覚えがある。
 佐崎さんは「残酷な戦争は、二度としてはいけない。勅語も含めて昔のような時代に戻ることを、両陛下は望んでいないでしょう」としみじみ語る。


<戦後72年>教育勅語の記憶(下)銃後 道徳の押し付け危惧も
 戦前の教育指針だった教育勅語。道徳の基本を教えるとともに、天皇の臣民としての務めを求め、軍国主義を支える役割を担った。戦後72年の今年、学校法人「森友学園」問題などで、勅語がにわかに注目を集める。勅語の時代の学校はどんな雰囲気だったのか。当時を知る人々を訪ねた。(角田支局・会田正宣)
 仙台空襲から72年を迎えた7月上旬、仙台市戦災復興記念館で戦災復興展が開かれた。空襲を体験した青葉区の広瀬喜美子さん(84)が、昔の遊びコーナーで高校生にお手玉やけん玉を教えていた。
 広瀬さんの家は空襲による焼失を免れたが、避難者があふれて防空壕(ごう)に入れず、桜の木に隠れて震えて過ごした。「沖縄の地上戦の惨状を知らされないまま、本土決戦だと思っていた。空襲で戦争の恐ろしさが分かった」と振り返る。
◎賛美歌など禁止
 広瀬さんは教育勅語を教わった片平丁国民学校から1945年春、宮城高等女学校(現在の宮城学院中・高)に進んだ。ミッションスクールの入学式でも、勅語が朗読された。礼拝や賛美歌は、交戦国の「敵性文化」として禁じられた。
 8月15日、自宅のラジオで敗戦を告げる玉音放送を聞いた。父は終戦を喜んだが、居合わせた高校生のいとこは「これから戦場に行って、天皇陛下のために頑張るつもりだったのに」と泣き崩れた。
 広瀬さんは「当時の日本人にとって天皇は神様だった。勅語で教育され、皇室のいる宮城に向かっての遙拝(ようはい)などが徹底された。洗脳されていた」と話す。
 青葉区の元高校教諭今野敏さん(85)も空襲を受けた。近所の女性が、腹部から弾丸が突き出たまま亡くなっているのを目撃した。火葬場への道に遺体が累々と横たわり、ハエが飛び交っていた。その羽音が今も耳にこびりついている。
 今野さんは荒町国民学校5年のとき、勅語が朗読されているさなかに隣の子とふざけてけんかし、げんこつを食らって講堂の外に出されたことがある。
 とはいえ、典型的な軍国少年だった。仙台の第二師団司令部に小遣いを寄付し、陸軍大臣東条英機と海軍大臣嶋田繁太郎名の感謝状をもらった。
 神風特攻隊に感激した今野さん。「『後に続く者を信ず』と言った先輩の後に続きます」と作文に書き、卒業式で紹介された。直後、陸軍航空隊に所属した親戚が台湾沖で散った。
◎戦前回帰のよう
 戦後の中学の恩師の影響で、今野さんは日本史の教員になった。教育の力を知るだけに、「道徳は日常生活で学ぶもの。上から押し付けるような勅語を、再び教育現場に持ち込むのは間違いだ」と訴える。
 今野さんは危惧する。「勅語や『共謀罪』法(改正組織犯罪処罰法)の成立など、安倍晋三首相の政治は戦前に回帰するようだ。将来、言論や思想の自由が奪われる時代になってしまわないか」
<仙台空襲>1945年7月10日午前0時すぎから約2時間半、仙台市中心部に約120機の米軍機B29が焼夷(しょうい)弾約1万3000発を投下。死者1064人、負傷者1683人。約500ヘクタールが焼け野原となった。


「進撃の巨人」 被災者を励ますメッセージ【四重奏】
 日田市大山町出身で人気漫画「進撃の巨人」の作者諫山創さん(30)が、福岡・大分豪雨の被災者を励ますイラストとメッセージを色紙に描いた。父光夫さん(63)=同町東大山=が7日、市役所で原田啓介市長に手渡した。盆明け以降、市役所1階で展示する予定。
 イラストは同作の登場人物が襲いかかる巨人に立ち向かう様子で、「心よりお見舞い申し上げます」との言葉を添えた。
 光夫さんによると、創さんは「古里への思いが強い」といい、原田市長は「巨人を災害に例えるなら、まさにこんな気持ちで立ち向かわないといけない」。無情の豪雨災害に対処して復旧・復興に取り組む決意を新たにしていた。


夏の高校野球 8・9伝える 長崎出身の横浜・増田中堅手
 第99回全国高校野球選手権大会の第4日(11日)に初戦を迎える横浜(神奈川)の増田珠(しゅう)中堅手(3年)は9日の午前11時2分、兵庫県伊丹市の練習場で、いつもの年と同じように黙とうをささげる。自身は長崎市出身で、祖母の久美子さん(74)は広島で被爆。出身地と関東での「原爆の日」への意識の差に戸惑いながら、「長崎で起きたことを伝えていかなくては」と甲子園で思いを新たにしている。
 増田選手は4番打者で、神奈川大会で5本塁打を放った全国屈指のスラッガー。
 原爆を意識するようになったのは、幼いころ一緒に風呂に入った久美子さんの体に残る傷痕を見て、「何でこうなってるの」と尋ねてからだ。久美子さんから原爆について聞かされ、小・中学校の授業でも被爆直後の長崎の様子、今も続く被爆者の苦しみを学んできた。原爆投下時刻には同級生たちと一緒に黙とうをささげるのが、長崎での8月9日だった。
 それが当たり前でなくなったのは、プロ野球選手を目指して神奈川県に引っ越してからだ。原爆の日が近くなっても、長崎のように同級生の間で「今年もあの日が近づいてきた」という雰囲気はない。他の野球部員に「8月9日って、何の日か知っている?」と尋ねても、「野球(や・きゅう)の日だろ」という答えが返ってきた。ショックだった。
 去年の8月9日の投下時刻は、甲子園での1回戦を控え、ウオーミングアップ中だった。時計をチラチラ見ながら時間を確認し、体を動かしながら静かに目を閉じた。今年も同じように、どこにいても、何をしていても「原爆の悲惨さ」に思いをはせるつもりだ。チームメートは不思議がり、「何してるの?」と聞いてくるかもしれない。「その時は『72年前、長崎に原爆が投下された時間なんだよ』と説明したい。知っている人が、伝えていかなきゃならないんで」【中村紬葵】


岐路の安倍政権 政と官 お追従をはびこらせるな
 改造内閣が直視すべき課題に、ゆがんだ「政と官」の関係の見直しがある。首相官邸の官僚に対する行き過ぎた統制や、それに伴う官僚の変質が安倍内閣の迷走に影響しているとみられている。
 中央官庁の官僚が安倍晋三首相ら官邸の意向をおもんばかり迎合するように政策を調整し、情報開示を拒む。その風潮は「そんたく」という言葉に象徴されている。
 首相の友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設問題もそうだ。内閣府の官僚が「総理のご意向」をかざして文部科学省に認可を迫る内部文書が判明した。菅義偉官房長官はそれを「怪文書」扱いし、文科省も最初は存在を認めなかった。
 森友学園の小学校建設問題では籠池泰典前理事長が首相夫人の昭恵氏との親密さをアピールしていた。国有地売却で8億円の値引きに国はなぜ応じたのか。財務省はいまだに実態解明に協力していない。
 政と官の変質は2014年5月、内閣人事局の発足が転機となった。官庁の幹部人事を一元管理することで、省益優先やタテ割りの打破を目指すとのふれこみだった。
 ところが、安倍政権の一連の幹部人事には、自らの意に沿う官僚を選別して重用したり、気に入らない官僚を排除したりする手段に制度を利用した疑念がつきまとう。
 人事による冷遇をおそれた官僚たちは意見を言わなくなり、首相や官房長官へのお追従(ついしょう)が幅をきかせるようになってきた。
 民主的に選ばれた政治家が大きな方針を示す政治主導は当然だ。しかし、政と官は単なる上下関係ではなく、協業関係にある。官僚が政権に迎合し、緊張関係を失うようでは組織は劣化してしまう。
 改造人事では加計問題への関与が文書で指摘された萩生田光一前官房副長官に代えて、事務トップの杉田和博副長官を人事局長にあてた。とはいえ官僚を実質統括する菅氏は留任しており、基本は変わらない。
 いったんはびこった風潮を改めていくためには、適正な公文書の管理や情報公開が欠かせない。
 何よりも、官僚は国民全体の奉仕者であり、政権の奉仕者でないことを首相や菅氏は認識すべきだ。それが権力者のたしなみである。


北方相の失言 これで「仕事人内閣」か
 「仕事人内閣」の看板を疑わせる無責任な発言である。
 先の改造で初入閣したばかりの江崎鉄磨沖縄北方担当相が、国会答弁について「しっかりお役所の原稿を読む。立ち往生より、答弁書の朗読かな」と述べた。
 北方領土問題については「素人は素人。皆さんの知恵で色を付けてもらうことが一番大切」と、見識不足を自ら認めた。
 閣僚の重責を軽んじるかのような姿勢である。野党が更迭を求める動きを見せたのも当然だ。
 安倍晋三首相は改造内閣について「専門性と実力を兼ね備えた人材をそろえた」と豪語したが、不安を抱かざるを得ない。
 国民の信頼回復には聞こえの良い言葉ではなく、閣僚が真摯(しんし)に職務を遂行するしかない。政権はその基本を再確認してもらいたい。
 江崎氏の発言は地元愛知県一宮市での会合後、記者団に述べたものだ。本音が漏れたのだろう。
 入閣自体が「はっきり言って重荷だった」という。ではなぜ受諾したのか。職務を全うする自信がないのなら、断るのが筋だ。
 江崎氏はその後、一連の発言は「言葉足らずだった」と釈明したが、経験不足は容易に繕えまい。
 安倍政権下ではこれまで、金田勝年前法相や稲田朋美元防衛相らが不適切な国会答弁や失言を連発して、資質を問われてきた。
 改造では閣僚経験者の起用など手堅い布陣を目指したはずだが、問題は一掃されていないようだ。
 改造後の世論調査でも、内閣支持率の回復は一定の範囲にとどまっている。政権運営に気を引き締めて臨まなければ、国民の政治不信がさらに高まりかねない。
 沖縄北方担当相は、北方領土問題と米軍基地問題を抱える両地域の振興策などを担当する。領土返還運動も所管し、外交と両輪で問題解決に取り組む重い役回りだ。
 なのに与党の一部では入閣待機組の処遇ポストとみなされ、地元の現状への理解を欠く政治家が起用される例も少なくなかった。
 前任の鶴保庸介氏は、沖縄県の米軍工事への反対派を「土人」となじった機動隊員の暴言を「差別とは断じられない」と擁護した。
 さらに前任の島尻安伊子氏は、北方領土「歯舞(はぼまい)」群島の字を読めず、地元関係者を失望させた。
 首相は北方領土問題の「任期中の解決」に意欲を見せるが、地元への対応をないがしろにするようでは、その姿勢に疑問符が付く。
 一閣僚の失言と片付けるのではなく、重く受け止めるべきだ。


脱ガソリン車  世界に後れないように
 次世代エコカーの開発分野で、電気自動車(EV)の存在感が増している。先週、トヨタ自動車とマツダがEV開発で資本提携に合意したのは一つの象徴だろう。
 企業戦略としてだけでなく、各国の成長戦略としてEV重視が強まっていることに注目したい。
 フランスと英国が7月、石油を燃料とするガソリン車とディーゼル車の国内販売を2040年までに終える方針を相次いで発表し、衝撃が広がった。仏政府は排ガス規制の強化や買い替え補助金の充実、英政府も大気汚染対策事業への資金拠出を通じ、EVの普及を後押しする。
 アジアでも同様の動きがある。インドは英仏より踏み込み、30年までに脱「燃料車」を実現する方向だ。世界最大の自動車市場で、大気汚染が深刻な中国は、EVを含む新エネルギー車の生産をメーカーに義務づける罰則つきの新法を18年にも施行する。企業側では、スウェーデンのボルボ・カーやドイツのフォルクスワーゲンなどがすでに増産計画を打ち出した。
 こうした海外勢の動きに比べ、日本勢の出遅れ感は否めない。
 エンジンと電気モーターを組み合わせたハイブリッド車に強みをもつ日本勢は、将来、水素と空気中の酸素を反応させて走る燃料電池車の普及を狙う。排出するのは水だけのため、究極のエコカーとされるが、価格が高く、水素補給拠点の整備にもコストがかかるなど課題が多い。
 一方、EVの一番の弱点とされる充電1回あたりの走行距離の短さは、世界的な技術の進歩で克服されつつある。
 当面の普及を図る観点でいえばどちらが優位か明らかだろう。
 EVへの転換が進む背景には、燃費のよさで欧州で人気のディーゼル車が、15年の排ガス規制逃れ問題で逆風にさらされていることがある。だが、今の日欧の差は、パリ協定をはじめとする世界の環境対策のスピードを、日本の政府と産業界が測りかねていたことも一因ではないか。
 車の電動化は、人工知能(AI)を用いた自動運転の進展などを見据えて、さらに広がりそうだ。米国のテスラなどEVに特化した新興勢力、異業種も参入し、業界の競争の構図そのものが変化している。後れを取らないようにしたい。
 自動車産業は言うまでもなく日本経済の柱の一つであり、関連する企業や雇用、エネルギー需要に与える影響が大きい。産官ともに多角的に戦略を練る必要がある。


上原康助氏死去 「主体は沖縄」の信念継ぐ
 元沖縄開発庁長官の上原康助さんが死去した。
 全沖縄軍労働組合(全軍労)の委員長として基地労働者の待遇改善に取り組み、1970年に沖縄で戦後初の国政参加選挙に当選。県選出議員として初めて国務大臣に就任した。10期30年、基地の重圧や、格差など沖縄の現状を国会で訴え、問題解決のために奔走した。
 68年11月、嘉手納基地にB52が墜落した。嘉手納町の自宅の庭にまで破片が飛んできた。「B52を撤去させるには、ゼネストくらいの抗議をしないといけない」と怒り、翌69年2月4日に計画された沖縄初のゼネストのきっかけになったとも言われる。
 しかし、ゼネスト参加者は解雇という米当局の強硬姿勢に直面して組織は混乱、全軍労は直前でゼネスト参加を回避した。全軍労が加盟する県労協は、屋良朝苗主席のゼネスト回避要請を受け激論の末、回避を決定した。上原さんは生前「実際にゼネストに入れなかったことは県民に申し訳ない」と語っていた。
 この挫折で全軍労は立ち上がれないという見方があったが立て直して、基地労働者の大量解雇に対し70年1月に48時間、120時間と相次いでストライキを決行。「首を切るなら基地も返せ」と訴え、先頭に立って離職者対策や解雇後の生活保障を求めた。
 国政参加選挙に当選した直後の70年11月27日、戦前戦後を通じ県選出議員として初めて代表質問に立つ。38歳だった。「沖縄県民の意思を問うことなく、平和条約と引きかえに、日本政府は一方的に沖縄を米軍支配にゆだねた」と主張し、佐藤栄作首相に対し、県民が被った差別と犠牲に対する責任を追及した。
 本会議場で傍聴していた屋良主席は感激して「沖縄にとっては歴史的瞬間」「沖縄の声を率直大胆に表明し、訴えてくれた」と日記に書いているほどだ。
 特筆されるのは95年に議員立法で軍転特措法を成立させたことだ。軍用地が返還された場合、国の原状回復義務を明記し、返還後3年間賃借料・補償金を支払う内容だ。在任中、病で倒れた平良幸市知事が心血を注いだ懸案事項だった。
 それを上原さんが引き継ぎ80年、82年、91年の3度、国会に提案した。だが審議未了で廃案になってきた。94年6月に4度目の提案を行ったが、自民党の抵抗で危うく廃案になりかけた。ここで上原さんは粘りを発揮し、沖縄側が保革一致団結することによって法案は成立した。
 「沖縄の明日を創造していく主体は、常に沖縄側にある」と主張し、沖縄の政治家に政策を磨き、気骨を持って日本政府や米国と大胆に勝負するよう求めた。基地問題を前進させるために、党派を超えて県民の英知を結集する必要性を訴えていた。
 上原さんの信念は次世代に引き継がれるだろう。


沖縄相「地位協定見直しを」 閣僚で異例な見解
 【東京】江崎鉄磨沖縄北方担当相は8日の閣議後会見で、豪東海岸で発生した米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの墜落事故に関して「日米地位協定をもう少し見直さないといけない」と述べた。沖縄振興を担当する閣僚が地位協定見直しに言及するのは異例だ。
 江崎氏は「話し合って時間をかけてでも、沖縄県民の気持ちを政府がしっかり受け止め、米国に言うべきことは言いながら、という考えを持っている」と強調した。
 政府は地位協定について「あるべき姿を不断に追求していく」などとする見解を示してきたが、これまでの対応は運用改善にとどまり、事実上改定に否定的な立場を取ってきた。
 地位協定を巡っては、昨年4月に発生した米軍族女性暴行殺人事件を受け、当時の島尻安伊子沖縄担当相(自民党県連会長)が「県連としても改正、改定について求めざるを得ない」と求めた経緯があるが、菅義偉官房長官は「県選出の国会議員、県連会長としての考え方を述べたのだろう」と語り、政府見解ではないとの見方を示した。


小野寺五典氏の事務所が使途不明金で代表「わかんないなァ」
 8月3日に安倍改造内閣が発足した。前任大臣の稲田朋美氏がズタズタにした国防再建の大役を担うのは、安倍晋三・首相の信頼厚い“再任組”の小野寺五典・防衛相。
 小野寺氏の地元・宮城県気仙沼市は東日本大震災で大きな被害を受けた。4年半前、第2次安倍内閣の発足で防衛相に初入閣。防衛相を離任してからの3年間、地元で奇妙な“復興活動”に励んでいた。
 フカヒレの水揚げ量日本一を誇る気仙沼漁港の魚市場の目の前に「海の市 シャークミュージアム」がある。気仙沼市の第三セクターが運営し、震災で大きな被害を受けたが、国の震災復興予算約7億円を掛けて修復され、小野寺氏が防衛相時代の2014年にリニューアルオープンした。年間30万人以上の観光客が訪れる復興のシンボルだ。
 この建物の3階に地元企業などと並んで「小野寺五典後援会」の事務所がある。この後援会は毎年巨額の“使途不明金”を出す実態不明の団体なのだ。
 小野寺氏の2015年の政治資金収支報告書によると、資金管理団体『事の会』は2015年に地元で開いた政治資金パーティと地元企業経営者などからの献金で約3300万円を集め、その3分の1の1200万円を同後援会に寄附している。
 後援会はそのうち1150万円を使い切ったことになっているが、具体的な支払い先が報告されているのは「ポスター印刷代」の8万6400円だけで、支出のほとんどが何に使ったか記載がない。有権者側の視点で見れば、1200万円がほぼ丸ごと“使途不明”なのだ。
 前年の2014年も『事の会』から寄附された1000万円のうち、989万円を使い、使途が記載されているのは「後援会入会申し込み書印刷代」5万8320円だけである。
 政治資金規正法では、国会議員関係政治団体は「1件1万円以上」の支払い先は、目的、金額を記載しなければならないと定めている。小野寺後援会は2011年に国会議員関係政治団体の登録から外れていた。同後援会代表のA氏を直撃した。
──毎年1000万円ものカネを何に使っているのか。
「私もよくわかんないなァ」(困り果てた顔)
──事務所の家賃も明記されていない。
「市場のとこ? あそこナンボだべ? 聞いてみてよ」
──あなたが代表でしょ?
「う〜ん。(小野寺大臣とは)大学の同級生だから代表ではありますが、なーんもわかんねぇ」
 この不透明極まりない報告書は小野寺氏の秘書が作成したらしい。小野寺事務所に聞いた。
「震災で収入、支出が激減したため2011年から国会議員関係政治団体から外しました。今は震災前と同程度まで回復しましたが、登録を戻していません。現状は不記載などに当たらない」
 政治資金規正法に詳しい神戸学院大学教授の上脇博之氏が言う。
「震災で収支が悪化したから外した、という理由はおかしい。小野寺氏の資金管理団体と会計責任者が同じで、多額の寄附も入っており議員とは関係が深い団体です。使途を明らかにしない状況は、意図的に政治資金の流れを不透明にしているようにも見える」
 やましいところが無いなら、公開すればいいだけだ。


「このハゲーーー!」元秘書、文章執筆中&秘書オファー待つ
「このハゲーーー!」──。ワイドショーで連日繰り返し流され、幼稚園児まで真似するようになってしまったのは、『週刊新潮』(6月29日号)が報じた豊田真由子衆院議員の政策秘書への「絶叫暴言」。
 自民党“魔の2回生”である豊田氏はすぐさま離党し、体調不良で「入院」して雲隠れ。一方、「絶叫音声」を録音していた元秘書は被害届を出し、7月6日に埼玉県警が受理した。豊田氏の後援会関係者はこう話す。
「豊田は被害届の件はどうにかなると思っているようで、議員辞職はせずに次の選挙も同じ選挙区で戦おうと考えているようだ。8月に入ってから秘書が地元でお詫び行脚を始めています」
 豊田氏が政治活動再開に向けて動き出すなか、仕事や運転のミスを咎められ、“ハゲ”“生きてる価値ないだろう”と罵られた元秘書はどうするのか。
「被害届を出し、その後の聴取や現場検証など一通りのことは終わっています。他の関係者への聴取なども進んでいると聞いていますので、今は捜査の進展を見守っていたいと思います」
 そう語るのは、当の元秘書だ。本誌の直撃に、あの録音音声と変わらぬ穏やかな声で応対した元秘書は50代で、豊田事務所の前には、自民党のベテラン議員や、民主党の重鎮議員の秘書も務めていたことがある。かつて記者をしていたこともある彼は、近況についてこう明かした。
「今までの経緯を振り返りながら文章にまとめています。現段階では、出版も掲載のアテもないのですが」
 あれだけの恐怖を味わった秘書業には見切りをつけ、豊田氏との騒動をネタに作家デビューということか。ただ、よどみない口調でこうも答えるのだ。
「いろんな選択肢があるので今はこれといって決めていませんが、秘書の仕事も声がかかればやりたいと思っています」(同前)
 再就職先では、上司に恵まれることを祈るばかり──。


奨学金400万円超を返済するため…風俗で働く貧困女子25歳のリアル
 就職直後から借金地獄――。近年、若者が貧困化する事例の一つとして問題視されているのが奨学金負債だ。東京型貧困の特徴とも言え、苦しむ若者は年々増えている。
「駒澤大学に入学するため、学生支援機構から月8万円の貸与奨学金と入学一時金を合わせた計440万円を借りました」と話すのは現在、Webマーケティング会社に勤務する土本由美さんだ。
奨学金400万円超を返済するため…風俗で働く貧困女子25歳のリアル
 高校卒業後、大学進学のために静岡から上京。母子家庭で生活が苦しく、最初から奨学金を借りる予定だった。当時は「東京に行きたいという気持ちが強く、返済は卒業後」と楽観視していたという。
「社会人になるときに、返済計画書を見せられたんですが、月2万6000円を20年間返済し続けることになっていた。結婚もできないじゃんって……愕然としましたね。でも、就活して実感したんですが、駒大卒じゃ高給取りにはなれない。そこでとりあえず就職し、風俗嬢になったわけです」
 ダブルワークのため、デリヘルに出勤できるのは休日のみ。しかし、Webマーケティングという多忙を極める職業柄、休日も不定期で思うように稼げないという。
「3年間デリヘルをやって、月の稼ぎは5万〜10万円。それを全額奨学金の返済に充てていますが、まだ350万円近く借金が残っている。会社の同僚にはダイエットと嘘をついてランチを我慢し、服だってここ1年はほとんど買っていないのに……。あまりの借金の多さに何のために生きているのかわからなくなることもあります」
 大学時代から交際していた彼氏とはデリヘル嬢になったことをきっかけに別れてしまった。
「貸与型の奨学金は借金と同じ。大学は卒業できても、いい会社に就職できなきゃ地獄ですね」
 社会人になると同時に、人生を苦しめる奨学金負債は深刻だ。週刊SPA!8月15日・22日号では「東京vs地方 貧困のリアル」という特集を組んでいる。日本の相対的貧困率は15.6%。この数値は本当に真実を語っているのか。東京と地方では年収や生活水準が異なるにもかかわらず、貧困問題はこれまで一緒くたに語られてきた。しかし、実際は東京型貧困と地方型貧困では病理が違うのだ。土本さんの例は典型的な東京型だろう。貧困を腑分けした本特集でその病理をあぶりだした。


科学的特性マップ公表 処分地議論を前進させよ
 経済産業省は、高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)の最終処分地選定に向け、科学的観点での適性度合いを日本地図で示す「科学的特性マップ」を公表した。世耕弘成経産相は「最終処分の実現に向けた重要な一歩であると同時に長い道のりの一歩」と強調。今後、処分地選定議論を活性化させる方針だ。
 原子力利用に伴い、発生した使用済み核燃料を再処理する際に出る廃液を固めたガラス固化体は、極めて強い放射線を長い期間にわたって出し続ける。
 六ケ所村の日本原燃施設内には現在、2176本のガラス固化体が保管されている。貯蔵期間は青森県や村と原燃が結んだ協定で最大50年と決められており、県と国には県内を最終処分地にしないとの確約もある。三村申吾知事は「一時貯蔵を前提に、核燃料サイクル施設の立地協力要請を受諾している」と強調する。
 だが、最初に海外から返還された分を貯蔵してから既に22年が経過。この間、処分地選定は一向に進まなかった。県内には搬出が履行されず、なし崩し的に最終処分地化する事態を懸念する声もある。世耕経産相は青森県を最終処分の候補地から除外する方針を示すが、早期選定へ?みを進めることが重要であり、これ以上の議論の停滞は許されない。
 特性マップ公表に対して県内自治体の評価は分かれた。サイクル施設が立地する下北地域の首長からは「国が前面に立つ姿勢の現れ」と歓迎の声が上がったが、それ以外の地域は「コメントを差し控える」(八戸市)「県内を最終処分地にしないとする取り決めがあり、コメントしようがない」(三沢市)など静観の姿勢が目立った。全国でも議論の深まりを期待する声と不安が交錯しており、処分地選定の難しさを浮き彫りにする。
 これまでの国は前面に立つ姿勢が欠如していた。交付金と称したアメをぶら下げ、名乗りを上げる自治体を待つ受け身の手法は混乱も生んだ。高知県東洋町が処分地の文献調査に応募しながら反対運動で撤回を余儀なくされた。これを受け、国は自治体への申し入れ方式も取り入れたが、実現しなかった。
 東京電力福島第1原発事故で高まった国民の原子力不信は消えておらず、選定のハードルはより高くなったと言えよう。こうした中で、いかに国民的議論を醸成するか。アメを使った手法はもう通用しない。議論を前進させるため、国は真(しん)摯(し)な姿勢で丁寧な説明を尽くさなければならない。


核のごみ最終処分場 負担を後世に残さない施策を
 原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場候補地になり得る地域を示す「科学的特性マップ」を経済産業省が公表した。長年、行き詰まったままの処分場問題を前に動かそうという狙いだ。
 地図では火山や活断層周辺、地下に採掘可能な鉱物資源がある場所を除く「適地」や、海上輸送の条件がいい「最適地」を示している。経産省は秋以降、重点的に説明会を開き、最適地の調査につなげたいという。
 核のごみは原発の使用済み核燃料の再処理の際に出る廃棄物。人体への危険性を考慮し、数万年から約10万年、地下300メートルより深い岩盤に埋めることを決めている。
 候補地選定を巡っては過去に一度、高知県東洋町が2007年に調査に応募したが、町民が賛成派、反対派に分かれて対立し、最終的に撤回した経緯がある。
 最終処分場ではないが、白浜町の旧日置川町でもかつて、原発誘致を巡って町が二分された。家族や親戚の中でも対立が生まれ、1988年に反対派の町長が当選するまで10年以上、混乱が続いた。
 今回、経産省が提示した地図では、ほぼ県全域が適地とされ、紀南の大部分も最適地とされた。
 これに対し、仁坂吉伸知事は記者会見で、処分場を「誘致するとか、いいですよとか言うつもりは全くない」と明言。大規模地震が予想されること、人家から隔離できる場所がないことなどを理由に挙げた。たとえ市町村が手を挙げることがあっても、辞めるよう促すとしている。
 県政のトップが「県内は断固拒否」の姿勢を明確に示した意味は大きい。地図公表直後は「情報を収集する」などというコメントを出していた紀南の市町長も、知事の発言後は「受け入れるつもりはない」「適地とは思えない」などという見解を出している。処分場受け入れと引き替えに巨額の交付金を受けるより、安心して住み続けられる環境を守るのが地域のためとの判断だろう。
 では「核のごみ」はどこに持って行くべきか。最終処分の見通しのないまま使用済み核燃料はすでに1万8千トンもたまっている。最適地を明示しても、何万年も地下深くに隔離しないといけないほどの危険物を実際に受け入れてくれる自治体を選定するのは、簡単なことではない。
 その間にも「核のごみ」は増え続ける。それを考えると、廃棄物を処理する場所を事前に確保しないまま、何十年も「トイレなきマンション」状態を続けてきた日本の原発政策そのものへの疑問に行き着く。
 政府は、福島第1原発の爆発事故以降も、原発を「重要なベースロード電源」に位置付け、各地で原発の再稼働を進めている。
 それで後世に対する責任は果たせるのか。処分場の選定と同時に、これ以上は「核のごみ」を増やさないという選択肢を真剣に考える時ではないか。(K)


カジノ規制/依存症対策をどうする
 カジノを目玉に国際会議場やホテルなどからなる統合型リゾート施設(IR)の導入に向け、政府の有識者会議は設置や運営のルールをまとめた。ギャンブル依存症や治安への懸念があることから、マイナンバーカードを使い日本人の入場を制限したり、入場料を取ったりする「世界最高水準のカジノ規制」を盛り込んだとしている。
 これを踏まえ、政府は来週から東京、大阪など9都市で公聴会を開催。住民や自治体の担当者、事業者の意見を聞きながらIR実施法案の策定を進め、秋の臨時国会への提出を目指す。一方でパチンコや競馬など公営ギャンブルの依存症対策も取りまとめ、理解を広げていきたい考えだ。
 ただ世界最高水準の規制といっても、入場回数の上限や入場料の額など具体的な中身は、まだ何も決まっていない。普及率が1割にも満たないマイナンバーカードで入場回数などの確認や管理ができるのかとの疑問の声もある。中身はともかく、規制のメニューを多く並べ、実施法案成立の環境づくりを急いでいるようにしか見えない。
 そんな中、各地の自治体がIRの誘致に名乗りを上げ、海外のカジノ業者も参入に意欲を示している。政府がいま最優先で取り組むべきなのは、カジノはもとよりパチンコや競馬なども含めた包括的で実効性のある依存症対策を整備することではないか。
 昨年末のIR整備推進法成立を受け有識者会議がまとめた制度概要によると、全国で2、3カ所の選定が有力視されるIR区域一つにつき、カジノ施設は一つに限定。国際会議場やホテル、劇場といった施設との一体運営を義務付け、カジノの収益の一部を国と自治体とで折半して観光振興などに活用するという。
 カジノ事業は免許更新制とし、政府内に新設される「カジノ管理委員会」が暴力団との関係などを調査。マネーロンダリング(資金洗浄)や法令違反といった問題があれば、免許を取り消す。
 最も注目された依存症対策では、日本人入場者にマイナンバーカードの提示を求め、1週間や1カ月単位で入場回数を確認・制限するほか、本人や家族の申告で入場を規制できるようにする。またカジノ内への現金自動預払機(ATM)設置を禁じる。しかし客が持ち込める金額や滞在時間にも上限を設けなければ不十分との指摘もある。
 政府はカジノをあくまでIRの一部とし、IR全体による経済効果を強調する。とはいえ、採算を取るのが難しいといわれる会議場や展示場の運営を”稼ぎ頭”であるカジノの収益で支える仕組みになっている。
 一方で、警察庁はパチンコの出玉の上限を現行の3分の2程度に抑えるなど射幸性を抑制する風営法施行規則などの改正案をまとめ、パブリックコメントを実施している。パチスロにも同様の規制を掛けるという。カジノ解禁により予想される依存症の深刻化に対処するためだが、それよりもカジノとパチンコ、さらに競馬や競輪なども含めたギャンブル全体に及ぶ規制を検討すべきとの意見もある。
 ほかのギャンブルを含め万全の依存症対策を取れば、カジノの運営は厳しくなるかもしれない。それでもカジノが必要か、考えてみたい。


原爆の日◆被爆体験の原点に立ち返れ◆
 広島に続いて長崎もあす「原爆の日」を迎える。
 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末時点で16万4621人、平均年齢は81歳を超えた。昨年4月からの1年間で9581人が亡くなり、核攻撃の生き地獄を知る歴史の証人は年々減っている。
 広島、長崎両市が主催する式典には毎年、各都道府県の遺族代表が参列するが、長崎の場合、今年の式典には16県が欠席だという。被爆者に加え、遺族の高齢化も進んでいるのだ。
核廃絶を求める背景
 原爆投下から72年になる。
 長い月日がたち、被爆体験の風化を懸念せざるを得ない。しかし、残虐兵器を実戦使用された世界唯一の国として、日本は「核兵器の非人道性」を後世に伝え、国際社会の先頭に立って核廃絶を唱道していく特別の責任がある。
 それは、被爆国が人類全体に負う道義的かつ倫理的な責務でもある。
 倒壊した家屋の下敷きになって身動きが取れず、迫り来る炎に焼き殺されざるを得なかった肉親と、その場で永遠の別れをした被爆者が大勢いるという。そうした経験から、生きていることに負い目すら感じる被爆者もいる。
 そんな残酷でつらい思いを、他のだれにも二度とさせてはならないとする「反原爆」の強靱(きょうじん)な哲学が、被爆者が核廃絶を希求してきた背景にある。
 広島の松井一実市長は6日、原爆が投下された午前8時15分の直後に読み上げた平和宣言で、被爆者の体験に根差した「良心」と、為政者が発揮すべき「誠実」さを訴えた。
 なぜ今この時、被爆地が「良心」と「誠実」を強調せざるを得なかったのか。
 大きな理由が二つある。まず憂慮すべき核保有国の現状だ。
 国連で今年7月7日、核兵器の開発や保有、使用、使用の威嚇を禁じた核兵器禁止条約が採択されたが、九つの核保有国は無視を決め込む傲慢(ごうまん)さと愚かさを見せている。
誠実さ圧倒的に不足
 そして、もう一つの理由は被爆国日本の政府、為政者に「誠実」さが圧倒的に足りないことだ。
 米国の差し掛ける「核の傘」を優先して核兵器禁止条約の交渉に参加しようともせず、被爆体験を土台にこれまで紡がれてきた「非核の国是」を踏みにじろうとしている。
 長崎の田上富久市長は9日の平和宣言で政府に対し、禁止条約に参加し、核兵器に依存する安全保障政策の見直しを提言する方針だ。安全保障と抑止力は確かに重要だが、核兵器にだけ固執する必要はないはずだ。
 安倍晋三首相が改憲を模索する中、被爆国の非核と平和は岐路に立たされている。
 今こそ人類無二の被爆体験という原点に立ち返りたい。


特区WG、発言内容を書き換え 「公開」巡り趣旨正反対に
 政府の国家戦略特区WGが、加計学園の獣医学部新設に関する議事要旨に関し、冒頭部分の発言内容を書き換えていたことが七日、明らかになった。同日の民進党会合で書き換えの疑いが指摘され、WGの八田達夫座長が記者会見で事実を認めた。安倍晋三首相は「WGもすべて議事録を公開している」と加計学園選定の透明性を強調してきたが、議事要旨そのものの信頼性が揺れる事態となった。
 八田氏によると、問題のヒアリングは二〇一五年六月、WGが獣医学部新設を計画していた愛媛県などに行った。会議冒頭、内閣府の藤原豊審議官(当時)が「議事内容は公開でいいか」と尋ね、愛媛県は「非公開を希望する」と答えた。藤原氏が「(獣医学部新設を)提案したことは公開でいいか」と尋ねると、愛媛県は「はい」と答えた。
 ところが、今年三月に公開された議事要旨では、藤原氏が「議事内容は公開でいいか」と尋ね、愛媛県が「はい」と答えたと記された。途中のやりとりを削除することで、実際は非公開を希望した愛媛県がその場で了承したとの内容に書き換えられた。
 この問題を追及した民進党の会合では「議事要旨の改ざんではないか」「行政文書が信用できない」などの批判が相次いだ。内閣府は「県の了解を得て公表したが、議事要旨を見たほかの特区提案者が、非公開を求めたのに公開されたのかと萎縮する恐れがあった」と説明した。
 公文書管理に詳しい長野県短大の瀬畑源助教は「実際の議論の内容を改ざんする行為であり論外だ。政府の情報管理や情報公開そのものを根本的に揺るがすことになりかねない」と指摘した。 (金杉貴雄)


加計発言記載の速記録を廃棄 地方創生相、要旨書き換え「適当」
 政府の国家戦略特区ワーキンググループ(WG)に出席した学校法人「加計(かけ)学園」幹部による獣医学部新設の提案が、議事要旨に記載されていなかったことについて、梶山弘志地方創生相は八日、「現時点では(発言内容は)分からない。確認する」と答えるにとどまった。
 梶山氏は、業者が書き起こしたヒアリングの速記録には、議事要旨で伏せた加計側の発言も記載していたと説明。ただし、速記録は、議事要旨や四年後に公開する議事録を作成した時点で、廃棄したという。
 愛媛県今治市が特区提案した二〇一五年六月五日のWGに加計学園側は「説明補助者」として参加。「説明補助者の発言は非公式」として議事要旨に記載しない政府側の判断について、梶山氏は「規制官庁とのWGとのやりとりは、ほとんどオープンにしている。事業者に関しては反対する人もいるのでオープンにしないこともある」と語った。
 議事要旨の冒頭部分で、議事内容を非公開とすることに合意したやりとりを、要旨公開に当たって公開に合意したように正反対の趣旨に書き換えた八田達夫・WG座長のやり方については「当事者の了解を取って公表した。ルールにのっとっており、運用上適当と認めている」とした。


三菱重に賠償命じる=女子挺身隊訴訟で韓国地裁
 【光州(韓国南西部)時事】太平洋戦争中、女子勤労挺身(ていしん)隊員として名古屋市の軍需工場に徴用された韓国人女性1人と別の女性の遺族1人が三菱重工業に賠償を求めた裁判で、韓国南西部の光州地裁は8日、賠償を命じる判決を言い渡した。金額は女性本人が1億2000万ウォン(約1200万円)、遺族は約325万6000ウォン(約32万円)。
 判決によると、女性2人は1944年、「勤労挺身隊に入れば、お金が稼げて勉強もできる」といった言葉を信じて志願。しかし、名古屋市の三菱重工の航空機製造工場で厳しい監視の下で働かされ、賃金を受け取れず、教育を受ける機会も得られなかったとされる。地裁は判決で「韓日請求権協定で個人の請求権が消滅したとみることはできない」と判断した。
 光州地裁では11日にも、同様に徴用された韓国人女性や遺族4人が三菱重工に対して起こした賠償請求訴訟の判決がある。韓国では7月、「軍艦島」と呼ばれる端島(長崎市)に徴用された朝鮮半島出身者らの脱出劇を描いた映画「軍艦島(クナムド)」が公開されたばかりで、メディアは「強制労働への関心が高まる中、相次ぐ判決」と伝えている。
 韓国最高裁は2012年5月、戦時徴用をめぐり、日韓請求権協定で原告個人の請求権までは消滅していないとして、元労働者側の主張を全面的に認めた。これ以降、日本企業に賠償を命じる判決が続いている。
 三菱重工広報部は「判決文を入手次第、判決内容の詳細を確認した上で、控訴の手続きを速やかに進めたい」とコメントした。


全米が泣いた「日系アメリカ人議員」の正体 オバマケア撤廃反対を命懸けで呼びかけた
ピーター・エニス :東洋経済 特約記者(在ニューヨーク)
この数週間、米議会でバラク・オバマ前大統領の任期中に導入された「オバマケア」を撤廃する共和党案が議論される中、ひとりの日系米国人女性議員に米国人の注目が集まった。
彼女の名前はメイジー・ヒロノ。ハワイ州選出の上院議員だ。2012年、上院議員に選出された初めてのアジア系米国人女性として話題にもなった同議員が、ここへきて再び耳目を集めている理由――それは、彼女が5月に腎臓がんのステージ4との診断を受けたにもかかわらず、議案採択のためにハワイから首都ワシントンに渡り、ライバルの共和党議員たちに、オバマケア撤廃に反対票を投じるように呼びかけたからだ。そして、そのときのスピーチが、「心に響いた」という人が後を絶たないのである。
実は当初、米国の"主要メディア”がこのスピーチを取り上げることはなかった。が、リベラル系政治ブログDaily Kosが取り上げたことで、徐々に大手メディアでも伝えられるようになると同時に、SNSでも彼女の「行動」が拡散されるようになった。
福島県で生まれ育った
「ヒロノ議員は上院議会に出席し、2000万人以上の健康保険を守るために投票してくれた」――。あるフェイスブックユーザーの投稿は、瞬く間にSNS上で拡散され、ヒロノ議員の行動は多くの人の知るところとなった。「本当のヒーローは有言実行であり、実際、必要なときに自らが公言した価値観に従って行動を起こす」。
議案採択が行われる7月27日の夜、議会に出席したヒロノ議員は、両院議員を前にこう切り出した。「オバマケアの撤廃は、この国の何百万人もの人を苦しめることになる。特にその影響を受けるのは、最も重病で、最も貧しい人々だ」。
ヒロノ議員は1947年、福島県で生まれた。夫の虐待でシングルマザーとなった母親の下に生まれたヒロノ議員には3人の兄弟がいたが、戦後まともな医療が受けられない中、全員が自宅で生まれた。議会ではこのことに触れ、「ここにいる議員の中で、病院で生まれなかったのはひょっとしたら私だけかもしれない」と語った。
また、同議員は姉妹の1人を2歳のときに肺炎で亡くしており、「あのとき、適切な医療が受けられれば彼女は助かっていたかもしれない」と、ヒロノ議員は涙ながらに振り返った。
1955年に、母親と兄弟とともにハワイに移住したヒロノ議員だが、母親が病弱だったため働けなくなり、医療費を払えなくなることにずっと不安を感じていたという。幸い同議員は無事に大学へ進学し、その後名門ジョージタウン大学のロースクールへと進んだ。
程なく政治家を志すようになったヒロノ議員は、1980年から1994年まで、ハワイ州議会で下院議員を務め、その後2002年までハワイ州の副知事を務めた。2002年には知事選で敗北したものの、米下院議員に再び当選。3期を務めた後、2013年には上院議員となった。
このとき、ヒロノ議員は、上院司法委員会の委員となり、多くの人を驚かせた。小さい州の新人議員が同委員会に入ることは極めて珍しいからだ。後に同議員は、米政権に対して非常に影響力のある軍事委員会の委員にも就く。ハワイ州は、米太平洋軍の司令部なので、軍事問題は同州にとって極めて重要。海軍や海兵隊を管轄するシーパワーの軍事小委員会の最高位の民主党員として、同議員の影響は、はるか沖縄にまで及んでいる。
定期検診でがんが見つかった
政治家としてキャリアを積んできたヒロノ議員が、自身ががんに冒されていることを知ったのは、今年5月のこと。定期検診で見つかった。翌日、同議員は選挙区にその旨を知らせ、ワシントンにあるジョージタウン医療センターで腎臓の摘出手術を受ける。が、がんはすでにほかの臓器にも転移しており、助骨を7インチのチタンプレートと取り替えるなどの治療が施された。
ヒロノ議員はこのとき、医師に自分があとどれくらい生きられるのかを尋ねたという。すると医師からは「まだ時間はある」という答え。その後、同議員はオバマ政権最大の功績の一つと考えているオバマケア撤廃を防ぐための取り組みを始め、ハワイ州でタウンホールミーティングを開催するように。ほかの民主党議員とも協力し、ポッドキャストを通じて共和党による改革案の危険性を示唆したり、既存システムを支えるための集会に参加したりしてきた。
ヒロノ議員は、27日の議会でも共和党議員たちに対して「私たち全員が医療危機から逃れるためには、1つの判断しかない」と主張。同氏は、やはり悪性脳腫瘍を押してこの日の議会に出席していたジョン・マケイン議員を名指しし、自らの良心に従って投票するように促した。
「私が腎臓がんに冒され、最初の手術を受けたとき、多くの同胞――民主党議員だけでなく、競合政党の同胞たちも――私を励ますために自分たちの経験を共有するなどすばらしいメッセージをくれた。あなた方は私を気遣ってくれた。あなた方は思いやりを示してくれた。今夜、あの気持ちはどこへ行ってしまったのか」
結局、米上院は28日未明の本会議採択で、オバマケア撤廃案を賛成49、反対51で否決。マケイン議員のほか、2人の共和党議員が反対票を投じた。これで、オバマケア改正案は再び振り出しに戻ったわけである。
「これが最後の機会かもしれない」
後にヒロノ議員は、このときのスピーチについて、ネットニュース「デイリー・ビースト」にこう語っている。「私は、スピーチをする前に、大きな不安とともに座っていた。これは私の家族の物語であり、私の姉妹の死についても及ぶからだ」。しかし、同氏がそこに座っていたとき、自らの危険な健康状態に気がついて、「『これは、私がこのことについてハッキリと話せる最後のときとなるかもしれない』と思った」。
議会でスピーチをした後、ヒロノ議員は米国会議事堂の建物の階段で群衆に、あらゆる米国人は良質な医療を受ける権利を有している、と語った。「これは富裕層の特権ではない」。
そして同氏はこう続けた。「すばらしいのは、私自身、医療保険があることで、必要な治療費をどうやって賄ったらいいのか、心配せずに済んだことだ。そして、健康になるための治療に専念し、皆さんと一緒に闘うために今こうして、議事堂の階段に立つことができるのだ」。
同じハワイ州出身のブライアン・シャッツ上院議員は、27日のスピーチをこう振り返る。「メイジーは、上院で最もタフ議員の一人だが、心の内を率直に話すタイプではない。その彼女が胸の内をさらけ出したからこそ、その影響は絶大だったのだ」。