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Fig57

Japon. Le pic de suicides de la rentrée
Au Japon, où la rentrée scolaire s'accompagne d'un pic de suicides chez les enfants, les assistantes sociales et psychologues sont sur le qui-vive : quelque 500 mineurs (moins de 20 ans) se donnent la mort chaque année dans l'archipel, surtout début septembre, lorsque reprend l'année d'école débutée en avril mais interrompue par une pause estivale.
JYuYu Horun était en primaire, puis au collège, lorsqu'il a tenté de mettre fin à ses jours. Aujourd'hui, ce chanteur aide ses cadets tentés par la mort. ≪ Je reçois chaque jour des courriels ou lettres d'adolescents qui expriment l'envie de se tuer ou ont déjà fait des tentatives ≫, témoigne le trentenaire qui dit avoir été ≪ sauvé par la musique ≫ après une enfance difficile. Selon lui, l'une des principales raisons exprimées par les enfants suicidaires est la sensation de n'être bien nulle part, ni chez eux, ni à l'école, ni ailleurs.
≪ Beaucoup ne ressentent pas de preuves d'amour de leurs parents, lesquels n'en donnent souvent pas parce qu'ils n'en ont eux-mêmes pas reçu. Dans de nombreuses familles japonaises, la communication est insuffisante. ≫
Ils subissent aussi parfois des brimades à l'école et se sentent forcés de réussir, pour répondre aux attentes de la société.
Réseaux sociaux
Pour ces jeunes fragiles, ≪ la rentrée crée de l'anxiété ≫, explique Kuniyasu Hiraiwa, représentant d'AfterSchool, une des organisations privées qui se mobilisent, notamment via des encarts dans la presse, pour aider les parents à détecter les signes avant-coureurs.
Et de recommander de ≪ ne pas forcer un enfant à retourner en classe ce jour si cela paraît trop douloureux ≫. ≪ Je leur dis : vous n'êtes pas seuls, si vous souffrez, parlez, à n'importe qui, mais parlez. S'il n'y a personne à qui vous confier, appelez le service "SOS enfants" du ministère ≫, a lancé, vendredi, le ministre de l'Éducation, Yoshimasa Hayashi.
Le taux de mort par suicide dans son ensemble est passé, au Japon, de 24,2 pour 100.000 habitants en 2005 à 17,3 en 2016, soit un recul de 28,5 %, mais il reste encore le plus élevé des pays du G7.
Si les risques sont aujourd'hui mieux détectés auprès des hommes d'age mûr, le nombre de suicides des adolescents, lui, stagne, et nécessite une autre approche pour les inciter à se confier à ≪ un adulte de confiance, en cas de problème ≫.
L'analyse des messages postés sur les réseaux sociaux est aussi indispensable, car, si les adultes s'adressent aux services téléphoniques de prévention, les ados, eux, laissent plutôt des signaux sur internet.
≪ Ils utilisent des mots-clés - "Je veux mourir" ou "mort en douceur", autrement dit, avant de passer à l'acte, ils lancent divers SOS qui hélas passent souvent inaperçus par l'entourage ≫, déplore YuYu Horun. Cela vaut aussi pour les jeunes d'une vingtaine d'années, une population fragilisée par la dureté de l'entrée dans la vie active.
Culture de l'excellence
≪ La pression sociale exercée sur les nouvelles recrues est très forte ≫, rappelle Yutaka Motohashi, directeur du Centre japonais des mesures de prévention contre le suicide. Les jeunes employés se sentent des ≪ moins que rien ≫ s'ils échouent dans l'entreprise qui les a embauchés sur des critères d'excellence, parce qu'ils sortent des meilleures universités du pays.
Malgré la médiatisation récente de plusieurs cas et la mise en cause des employeurs pour ≪ karoshi ≫ (mort par excès de labeur), le problème est loin d'être résolu, tant la culture du sacrifice disciplinaire et la hantise de perdre la face restent ancrées dans les esprits.
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テレメンタリー 「九州豪雨 あの時私は」
7月5日に発生した九州豪雨は、福岡と大分両県で36人が犠牲になるなど大きな爪痕を残した。7月の1カ月の平年値を超える大雨が1日で降り、川は相次いで氾濫。数百カ所で土砂崩れが起きた。
住民も行政も手探りの対応を迫られた未曾有の豪雨。危険が目前に迫ったあの日、あの時、住民はどう行動したのか。混乱する中で自治体が出した避難情報は適切だったのか。豪雨当日の取材や住民が撮影した映像・証言から検証する。 宮本啓丞(KBCアナウンサー) 九州朝日放送

サンデーモーニング
ミサイル上空通過で…朝鮮半島の緊張再び▽Jアラートの波紋は▽野党受け皿▽プロ野球▽激戦制しW杯出場へ▽最多メダルの背景▽張本君が最年少V▽風をよむ
この一週間をフラッシュでお伝えする「早わかり一週間」▽世界と日本の出来事を掘り下げるカバーストーリー▽おなじみ・スポーツ御意見番「喝!&あっぱれ」▽関口宏の「一週間」ニュース▽時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」 関口宏 岸井成格(他) 橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美(TBSアナウンサー) 張本勲(他) ■番組HP http://www.tbs.co.jp/sunday/ ■ツイッター @sundaym_tbs https://twitter.com/sundaym_tbs

明日へ つなげよう 未来塾「ネイチャーテクノロジーも地球を救う!?」
「2030年の環境問題を解決せよ!」という超難しい課題を塾生に出したのは東北大学名誉教授・石田秀輝さん。石田さんはさまざまな生き物の特性を人間生活に活かす「ネイチャーテクノロジー」の第一人者。「自然は、完璧な循環システムを極めて少ないエネルギーで回している」。地球の未来を救う科学技術を求めて塾生たちが向かったのはなぜか青森の秘湯と秋田の小さな集落。はたして…!? 東北大学大学院教授…石田秀輝, サンドウィッチマン, 多部未華子
NNNドキュメント 僕は生きると決めたよ  原発避難いじめからの脱出
福島第一原発の事故後、福島県から横浜市に避難した小学生の少年(当時)が継続的にいじめを受け、賠償金があるだろと言われて150万円ものお金を払わされ、不登校となった問題。今まで何回も「死のうと思った」と語る少年が「生きる」こと決めた理由とは。少年自らが語る「あの時と今」。そこには自分と同じ目にあい、苦しんでいる仲間に「自殺なんかしちゃダメ!」と伝えたい強い思いがありました。 川栄李奈 日本テレビ
バリバラ「きこえない家族のコミュニケーション」
聞こえない子どもと聞こえる親。聞こえない親と聞こえる子ども。コミュニケーションをとる上で悩みをかかえる2組の家族に密着、解決方法を探る。
今回は、聴覚障害のある人と家族の関係にスポットをあてる。聞こえない子どもと聞こえる親。逆に聞こえない親と聞こえる子ども。どちらも、コミュニケーションをとる上で悩みをかかえているという。「聞こえない」ってどういうこと?聞こえない子どもをどうやって育てればいい?今年6月にスタートした乳幼児向けの手話教室に参加した2組の家族を取材、コミュニケーションのあり方について考える。 IVAN, 山本シュウ,大西瞳, 玉木幸則, 神戸浩,ベビー・バギー

サイエンスZERO「小さな大洋“日本海”からの警告」

日本海で、深海の酸素濃度が減少し、大洋の生命線とも言える深層海流の強さが、3割以上弱まったと注目を集める。未来に何が待ち受けているのか、最新研究から読み解く。
太平洋など「大洋」の要素を兼ね備える日本海。大洋の生命線とも言える深層海流の強さが3割以上弱まり、深海の酸素濃度が減少したと注目を集める。原因は、ロシア沿岸の冷たい水の力が弱まったこと。日本海の深層循環のサイクルは、太平洋や大西洋よりも20倍速く、日本海での変化はそのまま、地球全体で起きる現象を早送りで見ているようなものだと専門家は指摘する。未来に何が待ち受けているのか、最新研究から読み解く。 国立環境研究所…荒巻能史, 南沢奈央,竹内薫, 土田大


梅田の阪神・阪急百貨店と守口の京阪百貨店で全国のお菓子を売っているので見に行って,結局守口でいつものを買いました.梅田に行ったのは忘れた文庫本を取りに行ったというのもあるのですが,あちこち移動で疲れました.

被災者の言葉 歌う 東京のバンドが公演で思い代弁
 東日本大震災の被災者や遺族らから詩を募って楽曲にし、被災地でコンサートを開くグループがある。住民らの言葉を優しいメロディーに包み、音楽で被災地を励まし続けている。「詩を歌にして残すことで、気持ちや思い出、記憶は風化しない」と、活動を長く継続していくという。
 グループは、ジャズピアニスト池田公生さん(57)=東京都町田市=が率いる5人組ボーカルバンド「池田公生&お洒落倶楽部(しゃれくらぶ)」。
 石巻市の飲食店で8月19、20の両日、被災者らの言葉に曲を付けた歌のほか、童謡やポップスを披露した。津波で亡くなった父の思い出を詩に託した東松島市の女性の歌、家族の行方が分からない陸前高田市の住民が「もっとたくさん話をしたい」と願う歌…。悲しみや後悔、希望などさまざまな思いがこもった曲に、涙ぐむ参加者もいた。
 参加者の一人、石巻市の介護福祉士阿部智江さん(39)は震災後、ボランティアで千葉県から石巻に通い、昨年7月に漁師と結婚して石巻に移住した。
 <皆さんの優しさ強さに愛と勇気をもらいました><これからは私もここで生きていく>。今年3月に書いた詩が歌となった。阿部さんは「石巻にはすてきな人たちがいることを多くの方々に知ってほしかった」と話す。
 池田さんは震災後の2011年6月ごろ、仙台市の男性から「元気の出るような曲にしてください」と詩をもらった。被災地で演奏すると反響があり、被災者らからメッセージが届くようになった。
 これまで作った歌は50曲以上に上る。池田さんは「本人にしか表現できない気持ちを歌で届けたい」と言う。宮城、岩手、福島の被災地で「音モダチプロジェクト」として100回以上の演奏活動を続けている。
 池田さんは音楽教育施設「国立(くにたち)音楽院」(東京)の講師で、音楽による社会貢献を目指すNPO法人「夢のはな奏であい」代表。連絡先は03(3714)6063。


<復興を生きる>被災体験 英語で伝え
◎3・11大震災/自宅開放 学びの場に 大坂芙美子さん=陸前高田市
 全てを失った場所で、再生の一歩を踏み出した。
 岩手県陸前高田市竹駒町の大坂芙美子さん(78)は8月18日、東日本大震災で流失した自宅跡地で野だてを催した。外国人学生に茶を振る舞い、日本文化を伝えた。
 「空も桜の色も今はきれいだと感じる。未来はあるんだと思うようになった」
 多くの遺体が流れ着いた敷地内に供養碑を建てたこと、鎮魂の桜の植樹を始めたこと…。タブレット端末を手に学んだ英語を交えて、震災後の日々を涙を浮かべながら語った。
 「ママ」。大きな体の外国人に抱き締められた。国籍の違いを超え、思いが届いた気がした。
 大坂さんはかつて幼かった長男を亡くした。次男も震災の1年半前に30代で急逝。思い出が詰まった自宅を津波に奪われ、夫も震災後に他界した。家族1人になった。
 絶望した大坂さんに生きる力をくれたのは、自宅跡地で2011年11月に始まった英語音読会だった。
 きっかけは震災の半年後、東京都の経営コンサルタント古森剛さん(48)との出会い。物資配布のボランティアで陸前高田を訪れていた。
 「必ずまた来ます」。何度も大坂さんを訪ね、交流を深めた古森さんは、独学で英語を学んで世界が広がった自らの経験を基に、音読会の開催を提案した。英語を通じて市民に可能性を広げてもらうことで、復興に寄与できるのではないかと考えた。
 「頭の中にあるものは、何があっても奪われない」と学びの大切さを感じた大坂さん。地域住民の交流の場にしようと、古森さんと出会う前に建てたプレハブを会場に提供した。以来、音読会は毎月開かれ、現在も近くに再建した自宅で続いている。
 首都圏などから駆け付けるボランティア講師や市民の受講生が徐々に増えた。講師はマンツーマンで「外国人の文通仲間と話したい」「孫に英語の絵本を読んであげたい」といった受講生の希望に個別に向き合う。
 大坂さんも受講生の一人。被災地を訪れる外国人の案内をしようと、講師と何度もやりとりして案内文の英訳に奮闘する。和英辞典は付箋がびっしりだ。
 音読会のたびに講師や生徒を温かく迎え入れ、皆に「ママ」と慕われる大坂さん。「ただいま」を励みに、「お帰り」と元気に返してきた。
 左手に次男が使っていた時計を着けている。自宅跡地で見つかり、プレハブを設置した日に再び、針を動かした。活動を応援してくれているように感じた。
 「自分は生かされた。子どもたちから、頑張ったねって言われる生き方をしたい」
 古森さんとの出会いからもうすぐ6年。たくさんの「家族」に感謝し、時を前へと刻む。(大船渡支局・坂井直人)


<ほっとタイム>津波耐えた夫婦の宝
◎気仙沼ロケ映画仲代さんの色紙
 手に取ると、銀幕の思い出が鮮やかによみがえる。東日本大震災の津波に耐えた色紙と写真。宮城県気仙沼市鹿折地区で被災し、仙台市泉区に移り住んだ浜口正弘さん(64)、富佐子さん(65)夫妻の大切な宝物だ。
 気仙沼市などが主なロケ地となり、2010年に公開された映画「春との旅」。仲代達矢さん演じる元漁師が孫娘を連れ、疎遠だった兄弟を訪ねる物語だ。
 身近な風景が映画の舞台になる。心躍らせ、ロケを見た。自宅と棟続きのアパートを撮影場所に提供した縁で仲代さん直筆の色紙をもらい、上映会後には一緒に写真を撮影。最高の思い出となった。
 11年の震災で地域は壊滅的な被害を受けた。途方に暮れながら自宅周辺を片付けている時、色紙と写真が奇跡的に見つかった。「懐かしい風景は、映画の中にちゃんと生きている」
 復旧に追われた日々も、故郷を離れた今も、色紙と写真はずっと心の支えだ。「いつか仲代さんと再会できたら」。浜口さん夫妻はひそかに夢見ている。(報道部・菊池春子)


<あなたに伝えたい>形見の愛犬会える日心待ち
 鈴木謙太郎さん=当時(64)= 福島県浪江町で花を栽培し、母の竹子さん(89)、祖母、妻、息子夫婦、孫2人、愛犬のマリと暮らしていた。東日本大震災発生時、町から管理を委託されている水門を閉めに出掛けて津波に巻き込まれ、40日後、遺体で見つかった。
◎人のために働いた優しいせがれ/鈴木竹子さん(南相馬市)謙太郎さんへ
 竹子さん 震災前は8人暮らしでした。せがれはあの日の地震後、縁側につながれていた愛犬のマリを連れて、いったんは高台に避難しました。
 すぐに、水門を見に行くと言い出しました。責任感が強く、みんなで止めたのに聞き入れてくれませんでした。待っても、戻っては来ない。あの晩の染みる寒さを今も覚えています。
 あなたはとても優しかったね。年に3回は私を旅行に誘ってくれました。白虎隊士が眠る会津若松市の飯盛山、いわき市の水族館など県内各地を回りました。
 あの年も花卉(かき)栽培が落ち着く4月になったら、広島県の厳島神社にお参りする約束をしていたよね。「ばば、今年はどこさ行く?」の声はずっと忘れません。
 酒好きで、自宅でよく酒盛りをし、けんかがあれば仲裁に入り、人のために暇を惜しまず働いていたね。「よく働いている」。どうして、この一言を掛けて褒めなかったのか。亡くなってから後悔し、今も仏壇の前で謝っています。
 家族は県内外での避難生活を経て、それぞれの地で暮らしています。私は1人で南相馬市の災害公営住宅に身を寄せました。
 謙太郎。あなたを思わない日は一日もない。なんで早く逝ってしまったの? さみしさは消えません。
 あなたが連れ出した愛犬マリを形見と思っています。今の住まいでは飼えず、被災地のペットを保護している岐阜市の施設に預かってもらっています。福島県に連れてきてくれるのは年2回だけれど、会える日を心待ちに暮らしています。


デスク日誌 港には演歌が
 演歌はあまり聴かない。大仰に回す小節や、汗と涙が肌にまとわりつくような歌詞を敬遠してしまう。
 先日、大型サンマ船の出船送りを取材した。鮮やかな大漁旗や集魚灯に飾られた船が岸壁に並んだ。乗組員の家族や水産会社の関係者は、霧雨に煙る中、福来旗と呼ばれる手旗を振って別れを惜しんだ。
 乗組員を励ますためのステージで気仙沼の郷土芸能とともに披露されていたのは、アルゼンチン出身で日系2世の演歌歌手、大城バネサさんの歌声だった。
 「港」「別れ」「霧」「涙」…。なるほど、この情景は演歌そのものだなあ。なかなかいいじゃないか。
 大城さんは東日本大震災後、たびたび三陸地方を訪れて仮設住宅などを慰問。復興を支援し、みなと気仙沼大使を委嘱されている。
 そういえば以前、大城さんから「タンゴと演歌は、歌の世界が似ている」と聞いたことがあった。
 タンゴとブエノスアイレス、ファドとリスボン、そして「港町ブルース」に歌われた気仙沼。港には愁いを含んだ音楽が似合う。たまには演歌を聴いてみようか。
(気仙沼総局長 菅ノ又治郎)


食と酒どっちも◎ 「伊達美味(だてうま)ウヰスキーフェス2017」
 仙台・宮城のご当地グルメをつまみにお酒を楽しむ「伊達美味(だてうま)ウヰスキーフェス2017」が2日、仙台市青葉区の勾当台公園いこいの広場で始まった。3日まで。
 ニッカウヰスキー仙台工場の宮城峡蒸留所(青葉区)で造られたウイスキーやアサヒビールのほか、牛タン焼きや仙台マーボー焼きそば、「ミシュランガイド宮城2017特別版」で一つ星のフランス料理店「ナクレ」(同)の仙台牛ガーリックライスなどが会場に並んだ。
 青葉区の飲食店従業員斎藤武人(たけひと)さん(45)は「勤務明けにたまたま立ち寄った。お酒に合う食べ物を探すのが楽しい」と話した。
 仙台市などでつくる実行委員会の主催。3日は午前10時〜午後7時。


官民ファンドの実態 もっと国民に情報開示を
 国と民間が資金を出し合い、新しいビジネスなどに投資する官民ファンドが相次ぎ設立されているが、その実態がなかなか見えない。
 官民ファンドは、安倍政権が成長戦略の中で積極的に推進してきた。2016年度末現在、14ある官民ファンドのうち、改組も含むと12が第2次安倍政権になってから設立されたものだ。
 しかし、投資分野の重複があるほか、赤字続きのものもある。本来の役割を果たせず損失ばかりが膨らみはしないか、不安がぬぐえない。
 「官民」とはいえ、出資の大半は国である。つまり国民が株主だ。政府はその国民への情報開示を徹底すると同時に、それぞれのファンドについて、存続の必要性も含め厳しく点検すべきだ。
 官民ファンドの一つ、クールジャパン機構は、13年11月に経済産業省を監督官庁として設立された。アニメや日本食、日本のファッションなどを海外に売り込む事業を支援するのが狙いだ。資本金の約85%を国が、残りを民間の24社が出している。
 これまで23の投資案件に、総額519億円の出資を決めた。しかし、それぞれの投資が成果をあげているのかどうか、知る材料が乏しい。
 同機構は今年3月末、投資案件の一つから撤退した。2年半前に出資した日本アニメを海外に動画配信する事業だ。共同出資者となった企業が全株式を買い取った。
 問題は、機構が投資した10億円がどうなったかだが、いくら回収できたかの情報がない。機構全体の損益(16年度は23億円の損失)が開示されているだけだ。クールジャパン機構に限らず、官民ファンドは個別案件の運用成績を公表していない。
 投資に失敗はつきものだ。損失自体が問題なのではない。肝心なのは、それぞれの投資案件について透明性を高めることである。
 投資先の選定についても、根拠をもっと説明してほしい。自力でリスクを取れそうな大手企業や、その子会社なども含まれるからだ。
 官民ファンドの政府出資分の多くは、NTT株やJT株など国が保有する株式の配当などがもとになっている。国民のために使うべき貴重な財産だ。チェック体制の強化を急がねばならない。


NHKの「ネット受信料」 将来像の議論が必要だ
 ネット時代の公共放送のあり方を議論するのが先ではないか。
 NHK会長の諮問機関が、テレビ番組を放送と同時にネットで流す場合の受信料について答申を出した。テレビを持たず、常時同時配信のみを利用する世帯に現行受信料と同じ程度の新たな費用負担を求めることが柱になっている。
 受信料の支払率は8割近くに向上する一方、若者のテレビ離れが進んでいる。新たな視聴者を獲得しようと、NHKは2019年の同時配信実施を目指している。
 英国や韓国では、既に同時配信が行われている。放送と通信の垣根は低くなっており、視聴者に役立つなら大方の納得が得られるだろう。
 しかし、同時配信の将来像を示す前に料金の話が先行するのには異論がある。総務省は、同時配信を認める条件として、需要を示し、業務を見直すことなどを挙げている。
 NHKが、上田良一会長のもとでコスト意識を徹底し、視聴者の信頼を得ているとはまだ言えない。
 子会社13社の利益剰余金は15年度末で948億円に上り、会計検査院から配当や契約方法の適正化を求められた。前会長時代にたびたび指摘された「政治との距離」を疑わせる報道姿勢も一掃されていない。
 放送法は、全国に豊かで良い放送番組を提供することをNHKの目的とする。同時配信や新たな費用負担の導入には、法改正が必要だ。
 社会環境の変化に合わせ、多様な視聴手段をそろえるにしても、放送が根幹でなければならない。
 さらに、NHKが同時配信に本格的に乗り出した場合に懸念されるのは、民放などとの競合である。
 配信設備には膨大なコストがかかり、民放は収益の確保が見込めていない。特に、規模が小さな地方局は経営が苦しくなる恐れがある。
 日本の放送界は、NHKと民放の「二元体制」を維持してきた。それが崩れたら、言論の多様性は失われかねない。同時配信には、そうした観点からの議論も求められる。
 上田会長は、「ネット受信料」などについての考えをまとめる意向を示している。NHKがネット活用を含めた「公共メディア」を目指すなら、受信料値下げを含めた身を切る改革から始めてほしい。


民進代表選で援護受け 前原氏“小沢共闘構想”決断できるか
 代わり映えがしない対決と言われ、最後まで盛り上がらなかった民進党代表選。1日臨時党大会で前原誠司元外相が大差をつけて新代表に選ばれたが、その座を争った枝野幸男元官房長官との違いがことさら強調されたのは野党共闘へのスタンスだ。前原氏は消極的とみられがちだが、そう断定するのは早計だ。意外にも、前原の背後には、自由党の小沢一郎共同代表の「影」が見え隠れする。
 次期総選挙に関して「4野党(民進・共産・自由・社民)が協力して候補者調整を行う」とした6月の4党合意。前原氏はこの合意を見直す考えのため、ネット上では新代表誕生の途端、「共産党との連携はなくなり、自民党の補完勢力になるってことですね」「野党共闘が終わりました」などの意見が飛び交っているが、ちょっと待ってほしい。何も前原氏は、野党共闘を否定しているわけではないのだ。
 昨年11月の日刊ゲンダイのインタビューでも「協力できるところとできないところを徹底的に詰める前向きな議論があっていい」と話していた。代表選を取材したジャーナリストの横田一氏が言う。
「共産との協力に慎重な議員は、見直しを訴えた前原さんが当選して、当面の離党はなくなった。野党共闘積極派も含めて、様子を見ようということになって、分裂は避けられたのです。見直しの結果、前原さんは小沢さんが考えている野党連携に乗るのではないでしょうか」
■前原氏も意味深なエールを
 民主党政権時代は「反小沢」だった前原氏は昨年来、小沢氏と会食するなど2人の距離は縮まっている。前出のインタビューでは「政界最大の実力者といわれている小沢一郎を、使いこなす度量が民主党になかった」と反省の弁を述べていた。
 今回の代表選でも前原氏の推薦人には、小沢氏に近いとされる松野頼久氏や小沢氏の側近を自任していた松木謙公氏のほか、菊田真紀子氏、小宮山泰子氏など「小沢チルドレン」が名を連ねた。党員・サポーターの開票結果を見ても、小沢氏の地元・岩手県では、前原氏の得票数は1038と枝野(289)を3倍以上も突き放し、3ポイントを総取りした。
 代表選後の会見で前原氏は、「理念と政策に共鳴してくれるところがあれば協力するのは当然」と語ったが、選挙中の先月29日にはネットメディアで、小沢氏について「(他党の中で)もっともわれわれの政策理念に近い考えを持っている」と意味深なエールを送っていた。
 小沢氏はサンデー毎日(9月3日号)の「政権奪還論」と題したインタビューで、野党共闘については<共産党は中に入らない。アウトサイダーではないが、選挙の協力政党だ><(連立内閣には)彼らも入りたがらないだろう><最善の策は(民進、自由、社民の)各政党が解散をして新党を作ることだ>と語っていた。
 4党を一緒くたにせず、共産とは選挙協力、3党は合流というのが小沢氏が思い描く共闘構想だ。これなら共産嫌いの民進議員も受け入れられるし、枝野派だって「ノー」とは言えないだろう。しかも、小沢氏は共産とのパイプもある。その実現のため、前原が自ら「緩衝材」になれば面白い。
「問題は新代表が腹を固められるかどうかです。一部の共産嫌いに引っ張られ、選挙協力すら拒み、完全に関係を切ってしまう可能性もゼロとは言えません。そうなると、安倍政権の思うつぼです」(横田一氏)
 来月22日には衆院トリプル補選を控えている。党内と野党をまとめて全勝できるかが、前原氏の新代表としての試金石となる。


概算要求/財政再建は遠のくばかり
 2018年度予算に対する各省庁の概算要求が出そろった。総額は101兆円前後に膨らんだ。100兆円の大台突破はこれで4年連続となる。
 国と地方の債務は1千兆円を超す。高度成長期のような経済の伸びは期待できず、税収の大幅増も見込めない。その中で財政を立て直そうとするなら、効率的な予算の使い方を考えるのが筋だろう。
 しかし安倍政権は目玉政策の看板を次々に掛け替え、省庁も既存の施策を焼き直して要求する。その繰り返しで予算規模は膨らみ続けている。これでは財政再建は遠のくばかりだ。
 年末までの予算編成で政策の実効性を厳しく見極め、絞り込む必要がある。
 目玉の「働き方改革」は全体で計2800億円を計上したが、「同一労働同一賃金」に向けた相談支援や、企業への助成金拡充が柱だ。長時間労働の解消、非正規労働者の待遇改善などにどれだけ効果をもたらすかは見通せない。
 安倍政権が掲げる「人づくり革命」でも、肝心の教育無償化は政府、与党内の議論が分かれ、必要額を示さない要求となった。実現を目指すには安定財源の確保が不可欠だ。
 また待機児童対策では、9万人の受け皿整備を掲げたものの、運営費約500億円の財源が確保できていない。
 高齢化に伴う社会保障費の自然増は6300億円を見込む。18年度は診療報酬と介護報酬が同時に改定される。財務省はこれを活用して5千億円程度への圧縮を考えているが、サービス低下や介護人材の待遇悪化は避けねばならない。
 防衛省の要求額は5年連続で増加し、過去最大を更新した。公共事業費の要求も本年度当初予算から16%増えた。いずれも聖域扱いせず、精査が必要だ。
 安倍政権は消費税増税を2度先送りした。来年は、予定通り19年10月に増税を実施するかどうかの判断を迫られる。
 何よりも必要なのは、膨張し続ける歳出の拡大に歯止めをかける姿勢を国民に示し、理解を得ることだ。このことを政府は強く自覚し、将来を見据え、次世代にツケを残さない予算編成に当たらなければならない。


防衛費要求最大 聖域にせぬ議論必要だ
 来年度予算の概算要求で防衛費は、本年度当初比2・5%増の5兆2551億円と過去最大となった。防衛費は第2次安倍内閣発足以降、5年連続で増加している。
 来年度も、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対処するミサイル防衛(MD)の強化を重視し、高額の装備要求がめじろ押しだ。
 だが弾道ミサイルの完全な迎撃は難しく、対応には限界がある。脅威を理由に目いっぱいの要求を続けているのは問題だ。このまま防衛費を聖域としてはならない。
 新装備の必要性や効果の検証に加え、専守防衛政策の下で適正な防衛力の水準はどこにあるのか。国会で徹底的に議論すべきだ。
 MD強化は地上配備型の迎撃システム「イージス・アショア」の導入を柱とする。概算段階では金額を示さない「事項要求」にしたが、1基800億円で日本全土のカバーには2基必要だという。
 イージス艦搭載の改良型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」も取得費472億円を計上した。
 見積もりより費用が2割強増加し導入中止を検討した無人偵察機「グローバルホーク」も、結局取得費144億円を盛り込んだ。
 見逃せないのは、装備の調達先の大半を占める米国の存在だ。
 先月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の共同発表に、2019年度以降の次期中期防衛力整備計画を見据えた「日米同盟における日本の役割の拡大と防衛能力の強化」が明記された。
 日米の軍事的一体化を装備・予算面からも担保し、米国からの装備品調達を後押しする狙いが隠されているとの指摘もある。
 トランプ大統領の「バイ・アメリカン」に沿うもので、安倍晋三首相も米国からの装備調達は「結果として米国の経済や雇用にも貢献する」と述べている。
 日本の防衛力が米国の意向や事情を勘案しながら整備されているとしたら、筋違いも甚だしい。
 野党からは、政府が地上イージス導入を国内より先に米側に伝えたことに反発も出ている。臨時国会で徹底追及すべきだ。
 一方、日本国内で軍事技術に応用できる研究に助成する安全保障技術研究推進制度に、本年度と同額の110億円を要求したことも理解に苦しむ。
 日本学術会議は制度を「政府による研究への介入が著しい」などと批判する声明を出し、応募を認めない大学が相次いでいる。
 防衛省はこの状況を重く受け止め、年末に向け見直すべきだ。


来年度予算概算要求 「軍拡」「看板政策」の膨張検証を
 2018年度予算の概算要求が出そろった。
一般会計の要求総額は101兆円前後。17年度当初予算を4兆円近く上回り、4年連続100兆円を超えた。年末の予算編成までに財務省は3兆円程度の圧縮を目指すが、膨張傾向に歯止めがかからない。
 殊に、安倍政権下で5年連続予算額を増やしてきた防衛省は過去最大の5兆2551億円を要求した。北朝鮮の脅威を利用したどさくさ紛れの「軍拡」と政権のアピールにつながる「看板政策」絡みの事業への大盤振る舞いに、財政規律のたがの緩みへの懸念と危機感が募る。予算の重点化や効率化、方向性への厳しいチェックを求めたい。
 各省庁がこぞって並べ立てた要求からは、歳出の無駄削減や政策の絞り込み、財政再建に取り組む機運は感じられない。政権は「20年度の財政健全化目標の達成に向け歳出改革に取り組む」(菅義偉官房長官)と豪語するが、「実感なき景気拡大」にあぐらをかいて大盤振る舞いを続けていては達成は不可能。中長期的展望を直視し、予算に堅実に反映させねばならない。
 予算にめりはりを付ける名目の優先課題推進枠(特別枠)も膨張の誘因だろう。1億総活躍や人づくり革命、働き方改革と次々変わる看板政策に絡め、既存メニューの焼き直しや似た事業が上乗せ要求されている。
 厚生労働省は「働き方改革」関連の事業に約2800億円を計上。例えば「同一労働同一賃金」推進のため事業主への助成金を拡充し、産業別導入マニュアルをつくるという。育児中の女性らの「学び直し」支援は、文部科学省が学び直しに取り組む大学や専修学校の支援に44億円を要求。肝心の「働く側」に直接的に届く施策は少ない。
 政権が掲げる待機児童解消も1397億円を盛り込み9万人分の受け皿確保を目指すが、新たに必要な約500億円は財源のめどが立たない。鳴り物入りの教育無償化も、今回は金額を示さない「事項要求」。試算では4兆円超の追加財源を確保できなければ画餅に終わろう。
 防衛省は買い物三昧。地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」は金額も未定で、最新鋭ステルス戦闘機6機、新型輸送機オスプレイ4機も。北朝鮮の弾道ミサイル発射に対処できる可能性は極めて低く、急激な装備増強が不安をあおって地域の安定をかえって損なう危険性もある。不祥事続きの防衛省の焼け太りには異を唱えたい。
 一方で、総務省が地方交付税を「国も苦しい」からと4千億円減らした。内閣府は沖縄振興費3190億円のうち、県側の使途の自由度が高い「一括交付金」を減らし、公共事業関係費を増やした。地方創生どころか地域の自主性も妨げかねない。
 働く人、支えが必要な人の暮らしの安心を、どう守るか。政府はその原点に立ち戻り、税金で優先的になすべきことをしっかりと見極めてもらいたい。


「加計」保留 疑惑解明が認可の大前提
 さまざまな疑惑が解明されない中、設置認可の判断が保留となったのは当然である。
 安倍晋三首相の親友が理事長を務める学校法人「加計(かけ)学園」(岡山市)が、国家戦略特区制度を活用して愛媛県今治市で来年4月開設を計画する獣医学部について、文部科学省の大学設置・学校法人審議会は8月下旬に予定していた認可の判断を保留し、審査を継続することを決めた。学園に改善策を求め、10月以降に判断する。
 審議会は非公開で、保留の理由も明らかにしていない。少なくとも最終判断の際には審査の経緯を詳細に公表すべきだ。
 関係者によると、高齢の専任教員が多く、教員数に比べ定員が多いことが審議会で問題になった。学園は定員を当初の160人から20人減らす案を提出し直した。
 さらに獣医学部新設の条件の一つである「ライフサイエンス分野の研究」に関する教育環境が十分ではないことから、審議会は判断を保留したとみられる。
 文科省によると、過去10年間で申請の15%に当たる110件が保留になった。保留は決して異例ではない。最終的な不認可は2件で、19件は申請が取り下げられた。89件は結局、認可されている。
 ただし今回の加計学園の計画には多くの疑惑が指摘されている。
 文科省には特区担当の内閣府から「総理のご意向」などとして計画への対応を求められたとする文書が見つかった。特区認定を巡る政府のヒアリングに出席した学園関係者の発言はなぜか公表されていない。地元の市民団体などからは建設費の水増し疑惑や研究機能が不十分などの指摘も出ている。
 これだけの疑惑があっても、いったん開学すれば多額の助成金が国から配分される。愛媛県と今治市は最大96億円の補助金を支出する。疑惑解明は国会の役割であるが、それを大前提に審議会には厳正な審査を求めたい。
 今の状況で認可を答申すれば厳しく批判される−。もし、そんな了見でほとぼりを冷まそうとしているのなら言語道断である。


社会的養護  丁寧に進めたい「脱施設」
 児童虐待や経済的事情により親元では暮らせない子どもの養育について、厚生労働省は施設ではなく家庭で育まれる機会を増やすための新たな数値目標の導入を決めた。
 同省の有識者会議がまとめた報告書を受け、里親委託率や特別養子縁組の成立件数を大幅に引き上げる意欲的な内容だ。ただ、ハードルは高く、数字が独り歩きして子ども一人一人へのケアがおろそかになるようでは元も子もない。子どもの利益を第一に丁寧な取り組みを求めたい。
 子どもの健全な発育には、乳幼児期に特定の養育者と家庭的な環境で安定した関係を築くことが必要とされるが、日本では「施設から家庭へ」の転換は欧米に比べて遅れている。
 厚労省によれば、親に代わって育てる「社会的養護」を必要とする子どもは約4万6千人。大半は児童養護施設や乳児院で暮らし、児童5〜6人の養育を行うファミリーホームを含む里親家庭で暮らす子どもの割合は2割にも満たない。3〜7割を占める欧米主要国との開きは大きい。
 昨年成立した改正児童福祉法は、そうした施設中心の児童養護の在り方を改め、できる限り家庭的な環境で養育するという原則を掲げた。これに沿って厚労省は、就学前の子どもの施設への新規入所を原則禁止にし、里親委託率を高めるとする。
 具体的には、就学前の子どもは75%以上、就学後の子どもは50%以上が里親の元で暮らせるようにするという。現行の目標33%と比べても、かなり高い設定だ。
 全国の児童相談所(児相)が対応した児童虐待の件数は2016年度に12万件を超え、過去最多を更新した。里親や特別養子縁組は、そうした子どもたちの大切なセーフティーネット(安全網)であり、拡大に向けて思い切った数値目標を掲げることは悪いことではない。
 問題は、児相など児童養護に関わる現場がどこまで対応できるかだ。
 里親委託を進めるには、約1万ある登録世帯を増やすだけでなく、質の確保も欠かせない。
 児相は面接や研修を通して里親にふさわしいか審査し、登録後も子どもとのマッチング、委託後のフォローまで慎重に進めなければならない。関係をうまく築けるかどうかは子どもの将来に関わる問題だ。数字優先で性急に委託率を高め、制度が劣化しては本末転倒だろう。
 戸籍上、養父母の「実子」として扱える特別養子縁組については、おおむね5年間で倍増し、年間千件の成立をめざす。このために原則6歳未満としている対象年齢の引き上げなどを進めるという。
 これも、子どもと養親をつなぐ丁寧なプロセスが何より求められよう。実親との関係が断たれる子どもと養父母とが新たな関係を作る過程に数値目標を持ち込むことには疑問の声もある。
 「脱施設」に向けては、人員や財源の確保はもちろん、児相と児童養護施設や民間事業者との連携など課題が多い。社会全体で子どもを守る意識を育てていくきっかけにしたい。


[待機児童2247人]もっと対策 もっと声を
 厚生労働省が作成した「全国待機児童マップ」。待機児童が多い都道府県はオレンジやピンクなど赤色系で塗りつぶされ、深刻度が一目で分かる。
 首都圏や近畿圏など都市部で目立つ赤が、地方では沖縄で浮き上がっている。人口比でみると、沖縄は全国一公的保育所が足りない自治体である。
 厚労省は希望しても認可保育所などに入れない待機児童が、今年4月時点で昨年より2528人多い2万6081人だったと発表した。3年連続の増加だ。
 都道府県別では東京が8586人と最も多く、沖縄の2247人、千葉の1787人と続く。
 増加は保護者が育児休業中のケースの一部を対象に加えた定義見直しも一因とされるが、当初、政府が「待機児童ゼロ」の目標達成時期に掲げていたのは、本年度末だった。
 政府も自治体も、保育ニーズの把握が不十分で、対策が後手に回ったことを大いに反省すべきである。
 それにしても沖縄の状況は慢性的で深刻だ。
 全国で待機児童を50人以上抱える市区町村は、全体の7%ちょっとに当たる128。それが県内は約3分の1の14市町村に上る。
 戦後、米軍統治下に置かれた影響で保育施策が立ち遅れた事情は理解しつつも、育休を利用できない不安定雇用や困窮世帯、母子家庭の多さを考えれば、先送りできない課題である。
■    ■
 県内で待機児童が最も多かったのは沖縄市の440人、次いでうるま市の333人、浦添市の236人、那覇市の200人。
 保育所を新設し改善につなげた自治体もあれば、受け皿増が潜在的需要を掘り起こしいたちごっこが続く自治体もある。
 この4月、那覇市では、希望する認可園に入れなかった子どもが640人いたにもかかわらず、新設園などを中心に700人余の定員割れが生じた。新設した地域と保護者ニーズとのミスマッチが指摘された。
 待機児童が一挙に約200人増えたうるま市は、施設整備に伴う保育ニーズの掘り起こしや、開設に適した土地・物件の確保が困難だったことなどを要因に挙げている。
 潜在的待機児童数をしっかり把握した上で、地域別、年齢別の保育需要を押さえ、整備計画をブラッシュアップすることが重要だ。
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 共働きが主流となる中、子どもを希望する保育所に預けられるかどうかは、親にとって切実な問題である。
 子育て世代は数が少なく、次々と入れ替わっていくため、まとまりにくい面があるが、子どもを産み育てやすい社会をつくるため、もっともっと声を上げた方がいい。
 行政には小規模保育施設や事業所内保育所の整備、保育コンシェルジュの配置、保育士の待遇改善など、とれる対策をスピード感をもって打ち出してもらいたい。
 「ワースト」返上には大胆さが必要だ。


ノーベル賞梶田さん、基礎研究軽視に異論 京大でシンポ
 子どもたちのために大学や教育行政に何ができるかを考えるシンポジウムが2日、京都市左京区の京都大百周年時計台記念館で行われた。山極寿一・京大総長やノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章・東京大宇宙線研究所長らがパネル討論し、近年進む基礎研究軽視や、高校生で文系か理系を選ばせる教育に疑問の声を上げた。
 時空のゆがみ「重力波」観測を進める梶田所長は「今は基礎研究をやるのは難しい状況。どうにかしなければと問題意識を持っている」と話した。山極総長は「いつ応用できるか分からない知識をためるのが基礎研究。すぐ役立つ研究は、すぐ役に立たなくなる。100年先を見据えていろんな芽を芽吹かせていかねばならない」と述べ、国の応用研究重視の方針に異論を唱えた。
 パネリストの一人の岩崎奈緒子・京大総合博物館長は「日本は高校生のうちに文・理を選び関心を固める。もっとゆるやかな制度でいいのでは」と指摘した。
 参加した高校生を前にパネリストたちは「道は一つではない」「いろんな学問の面白さを知っておいてほしい」と呼び掛けた。
 シンポジウムは京大と京都府教育委員会の連携事業の一環で府教委が主催した。パネル討論に先立って、梶田所長の講演もあり、受賞理由となったニュートリノ研究を振り返り、重力波観測の展望を語った。高校生や教職員ら約350人が参加し、第一線の研究者の意見に耳を傾けた。


都心の大学規制 地方大の魅力向上も図れ
 文部科学省は、東京23区内にある私立大や私立短大の定員増加を認めない方針を決めた。人口の東京一極集中に歯止めがかからない現状を踏まえ、都市圏への若者の集中を抑える狙いである。
 東京都内の大学には、全国の大学生の4分の1に当たる人が通う。周辺の3県を含めたいわゆる東京圏では、割合は約40%に上っている。一方で地方では定員割れが目立っており、四年制の私立大では今春、約4割の大学が定員に達しなかった。四国などで特にその傾向が顕著だ。
 地元の高校生が県内の大学に進む割合が1割そこそこというところもある。いったん地元を出てしまうと、就職などでそのまま都会に定着するケースも少なくない。
 こうした現状に地方の危機感は強まる一方だ。全国知事会議は、都市部にある大学の定員増を抑制するよう国に求めてきた。今年5月、東京一極集中是正に関する政府有識者会議が、23区の大学の定員抑制を求める中間報告を政府に提出し、政府は6月、原則として定員増を認めない基本方針を閣議決定した。
 文科省は、既に校舎を整備しているといった場合を除いては、23区内での定員増を認めず、新しい学部を設置する場合は他学部の定員を減らして、総数が増えないよう求めていく。当面は、大学などの設置基準を定めた告示の改正で対応し、2020年度以降は新たな立法措置を検討するとしている。
 思い切った策だけに異論は少なくない。全国の私立大が加盟する日本私立大学連盟は「学問の自由や教育を受ける権利を制約する」と懸念を示している。地方の側でも、一部の知事から「学ぶ機会を制限するのはおかしい」と過度な規制を疑問視する声も上がっている。慎重に検討すべき課題には違いない。
 とはいえ、地方の深刻な状況も座視できない。「各自治体の取り組みだけでは一極集中の緩和は限界」(政府有識者会議)という現実もある。日本の将来を見据えれば避けて通れない問題であり、可能な施策を総動員して取り組むべきテーマといえよう。
 もちろん、都市部の定員を抑えたからといって、東京への若者の集中や地方大学の窮状が一気に解決するわけではない。若者が地元にとどまって学びたいと思えるような大学の魅力づくりや、卒業後の雇用の場づくりを同時に進めねば解決にはなるまい。
 それぞれの大学が地域の特性に合わせて、高齢化や過疎化などの課題を探ったり、産業振興のヒントを見いだしたりする。その上で、必要な人材を育成して地域へ送り出す。学ぶ意欲を高め、雇用にもつながるような好循環をつくっていくことが肝心だ。
 自治体や地元企業との連携も欠かせない。若者の流出を食い止め、その力を地域のために生かすには、官民を挙げた地方の努力も試される。


眞子内親王の婚約を安倍応援団のネトウヨがバッシング!「婚約反対」ハッシュタグまで…その理由は?
 本日、秋篠宮眞子内親王と小室圭氏の婚約内定会見が開かれる。皇室としては久しぶりの慶事だが、しかし、実はこの間、ネットではこの結婚を非難する声があふれていた。
 たとえば、もともと7月に予定されていた会見が九州の豪雨被害に配慮し延期された際、「延期でなく、結婚自体を再考して」「このまま破談になればいいのに」「延期でなく白紙に戻されたほうがいいのでは」「いい機会だから、もう一度この方でいいのか考え直したほうがいい」「皇祖神さまがこの結婚を阻止して下さっている」と結婚を考え直せと訴え、先日の北朝鮮ミサイルJアラート騒動の際も「北のミサイル発射という事態を考えて、眞子様の婚約発表などは無期限延期がのぞましい」「北朝鮮からミサイルが飛んできて、Jアラートがいつなるかわからない状態。9月3日の眞子様婚約内定会見は、中止でお願いします。 婚約も破棄でお願いします」「朝鮮半島有事が解決するまで、延期してください! ちなみに、朝鮮半島は朝鮮戦争から60年以上停戦状態でした。 終戦をいつ迎えられるのかは、知りません」とやはり婚約を無期限延期しろと訴える。
 はては、「これは国民の義務として反対すべき縁談」などと息巻き、「#眞子様婚約反対」なるハッシュタグまで作られる始末だ。ちなみにこのハッシュタグは「#がんばれ安倍ちゃん」「#安倍総理支持」というハッシュタグが一緒に並んでいたり、アイコンに日の丸が使われていたりすることから、安倍応援団やネトウヨによるものと思われる。
 とくにヒドいのが婚約相手の小室氏に対する攻撃だ。「眞子様の婚約相手も韓国人の疑いがあり、中韓ののっとりの一つです。 断固反対します!安倍さん、皇室も取り戻してください」といったいかにもネトウヨな陰謀論丸出しのヘイトデマ攻撃や、「出自がハッキリしない男性は願い下げ」「どこの馬の骨ともわからない」「内親王の降嫁先としては胡散臭すぎる」などと、いったい何を根拠に言っているのかわからないが、前時代的な差別言辞も並んでいる。
 小室氏の現職をあげつらう声も多い。現在一橋大学大学院に通いながら、都内の法律事務所でパラリーガル(法律事務)として勤務していることについて、「本当に養えるのか」「きちんと定職にもついていないのに」「フリーターなんか一般家庭でも反対するだろう」などと、旧来的な結婚観をもちだして難癖をつけているのだ。
保守論客からも自由恋愛や小室氏の職業への批判の声
 小室氏に対する不安の声はネットだけではなく、良識的な保守派の論客からも出ている。たとえば「文藝春秋」7月号の座談会で、ノンフィクション作家の保坂正康氏や、退位特例法の有識者会議メンバーでもあった所功京都産業大学名誉教授も、眞子内親王と小室氏の結婚について違和感や心配をもらしていた。
 所氏はまず、ふたりの自由な交際や結婚に疑問を呈す。
「一般国民と同じ自由が享受できないのはやむをえないことですし、そういうご身分のことを度外視してはいけないのではないかという思いです。
 今上陛下の場合も、皇太子殿下の場合も、出会いは恋愛かもしれませんが、最終的には周囲によって“整えられた結婚”だったとみられます。
 伝えられるところ、眞子内親王と小室圭さんは、五年前にICUで出会ってから一年後にはプロポーズされ、その後も自由な交際をつづけて来られたようです。
 ある意味、それは国民の憧れかもしれません。しかし、それでいいのかなという疑問が残るんです。やはり皇室に生まれた以上は特別な身分ですから、公的な立場と務めをみなさん共有しておられる。そうれあれば、結婚という問題も、やはり完全な自由ではあり得ないのではないかと思われます。」
 保坂氏も、皇族という立場に対する責任を問う所氏に同調し、さらに小室氏の経済力や職業について不安を述べる。
「私も所さんの心配にはいくつか同感するところがあります。例えば、内親王と結婚するとはどういうことなのか、それから、この結婚はどういう意味を持つのかということを、小室さんはどこまでお考えなのだろうかと。失礼かもしれませんが、その点については説明がなかったために、大丈夫かなといった不安感みたいなものは残りました。
 端的に言えば、例えば、経済的に自立できるのだろうかということもありますね」
「パラリーガル(弁護士の指示・監督のもと法律事務に携わる専門職)という言葉は初めて聞きましたけれど、実際に資格をお持ちなわけではないし、まだまだ経済的には不安定な立場ですね」
 また、保坂氏と所氏は、小室氏が将来、弁護士という仕事に就く可能性があることについても懸念を表明している。
「こんなことは余計なお世話かもしれないんですが、将来弁護士になられても、ちょっと心配だとは思ってたんですよ。まだお若いこともありますけれど。(略)かなり生々しい社会の矛盾なり現実を背負う職業ですから」(保坂)
「(略)どういう形であれ、要するに権利を主張して争う仕事ですから、当然、利害が絡んでくる。杞憂かもしれませんが、それに巻き込まれないだろうかという心配があります」(所)
「そういうことを考えると、皇室から完全に離れてしまうというのもどうかなという気がします」(保坂)
眞子内親王の結婚バッシングの背景にある「皇統維持」への危機感
 こうした懸念の背景には、男は定職について一人前になってから結婚すべきなどという古い固定観念があるのは言うまでもないが、もうひとつ大きな理由がある。
 それは、皇族の減少と皇統維持という問題だ。とくに天皇の孫世代の男性皇族は眞子内親王の弟である悠仁親王だけで、女性皇族がすべて結婚して皇籍を離れたら、最終的に悠仁親王だけになってしまい、その後の存続も危ぶまれる。
 そのため対策が断続的に議論されているが、代表的なのが、「女性宮家の創設」という案と、「旧宮家男系男子を皇籍復帰させる」という案だろう。男女平等の観点からも「女性宮家の創設」には国民の支持も高いが、ミソジニーな日本会議や安倍首相をはじめとする極右勢力は男系の伝統にこだわりこれに強く反対し、「旧宮家男系男子の皇籍復帰」を主張している。安倍首相のブレーン・八木秀次氏などは、その変形バージョンとして「旧宮家男系男子と女性皇族を結婚させる」などという、個人の意志を完全に無視したトンデモ案を提案しているが、安倍首相も今年にはいって「旧宮家の男系男子孫と結婚する女性皇族がいたら女性宮家を創設してもいい」と同種の考えをもらしていたという。前述したように「#眞子様婚約反対」というハッシュタグが「#安倍ちゃんがんばれ」と並んでいるのは、そうした背景もあるだろう。
 あるいは、とりあえずの緊急措置的な対策として、「結婚後も皇族女子の身分を保持させる」という案や、「皇籍離脱後も公的な立場での活動を認める」案を、主張する識者もいた。
 こうした皇室存続をめぐる様々な議論のなかで、いずれの立場からも、ひとつのメルクマールとなると期待されていたのが、眞子内親王の結婚だった。しかし、眞子内親王はそのいずれの制度改革をも待たず、結婚して皇籍を離れることを決断した。
 今回の結婚バッシングの背景には、こうしたことに対する保守派の強い不満があるだろう。しかも、眞子内親王が結婚相手として選んだ小室氏が、国際基督教大学(ICU)の同級生で、皇室と縁もゆかりもない存在だったことから、ネトウヨや右派の不評を買っていることも容易に想像できる。
皇室と向き合っていた眞子内親王、卒論のテーマは「神話画」
 しかし、だからこそ、眞子内親王が今回、結婚を決断したことには、清々しさを感じずにはいられない。
 それは眞子内親王の決断が、皇室の存続という国家の都合や男系男子派の思惑を超えて、個人の意志で個人の人生を選び取ったものだからだ。
 しかも、それは、ネトウヨや保守派が非難するような、ただの若気の至りとか皇族としての自覚が足りないということではない。むしろ、眞子内親王は皇族である自分と向き合った上で、今回の決断をしたのではないだろうか。
 そう考える理由は、3年前に発表した眞子内親王の卒論テーマだ。美術・文化財を研究した眞子内親王は、2014年3月にICUを卒業したが、英語で執筆した卒論の日本語タイトルは「明治時代における神話画の誕生、発展、そして葛藤」というものだった。
 神話画というのは、『古事記』などの“神話”を題材にした絵のことで、たとえば、日本武尊や木花咲耶姫、素戔嗚尊の八岐大蛇退治といった、日本古来の神や神話の場面を描いたもの。しかし、これはもちろん、古来から日本の伝統としてあったものではなく、明治期に、天皇の神格化や国体思想を国民に植え付けるために、明治政府が振興した絵画だ。
 眞子内親王の卒論について、当時の産経新聞は、「日本神話を題材とした絵が主に明治時代に描かれた理由などを考察」と解説していたが、実際、論文のタイトルからも、こうした背景に触れていることは確実だろう。
 幼いころから、絵画に興味をもっていたという眞子内親王だが、絵画を研究するにしても、いくらでもほかの研究テーマを選ぶことができたはず。それをあえて、こうした皇室の政治利用という問題もからむような「神話画」というテーマを選んだのは、眞子内親王が皇族である自分と向き合う意志があればこそだろう。
 そして、そうした視点があるからこそ、いまの状況下で皇籍を抜けるという決断ができたのではないか。実際、全国紙宮内庁担当記者はこう話す。
「眞子さまは非常に頭脳明晰な女性です。今回の結婚もいろいろなことを熟慮した上で、覚悟をもって一人の女性として生きる決断をされたんだと思いますよ。秋篠宮様もリベラルな考えの方なので、その決断を後押しされたのだと思います」(全国紙宮内庁担当記者)
 もちろん結婚生活には、今後、いろんな困難が待ち受けているだろう。しかし、不幸なのは、自らの意志で選んだ結果、失敗したり苦況に陥ることでなく、国や家族の都合を押し付けられたり慮って個人を押し殺すことだ。
 眞子内親王には、ネトウヨの心ない声など気にすることなく、個人の幸せを追い求めてもらいたい。(編集部)


実父が蒸発…『ひよっこ』沢村一樹の知られざる「極貧」少年時代 鹿児島に住む実妹が初めて明かす
「お前が母さんの悪口を言うな!」そう父に叫んだこともあった。女手ひとつで育ててくれた母と、いなくなった父。劇中の実と同じように、上京した沢村の胸には、ずっと家族への思いがあった。
借金を残して消えた父
「たしかに『ひよっこ』のストーリーと現実が重なっている部分はあります。私たち親子は4人で小さなアパートに暮らしていましたが、父はほとんど家に居ない人でした。母から聞いているのは、女性関係が原因だったようです。
私には父の記憶があまりないんです。たまに家にいると、すごく遊んでくれた記憶がある程度。一方で兄は私よりも父の記憶があると思います。
父は背が高くルックス的にもモテるタイプだったようです。鹿児島市内の生まれで、九州男児というか亭主関白な人でした。母によれば、嫌いな漬物が食卓に並んだくらいでちゃぶ台をひっくり返すような人だったと。
母は種子島出身。二人は恋愛結婚で、どちらかといえば母が父のことを愛していたと思います。ちなみに兄は母似です」
こう話すのは、俳優・沢村一樹(50歳、本名・野村耕蔵)の4歳年下の実妹である野村真美さん。
沢村といえば、現在、NHKの連続テレビ小説『ひよっこ』で、有村架純(24歳)演じるヒロイン・谷田部みね子の父親役を熱演している。
7月29日放送の第102話では、失踪した父とみね子が再会を果たす。が、父は記憶喪失に陥っていたことが判明する。
同志社女子大学情報メディア学科教授で、元毎日放送プロデューサーの影山貴彦氏は沢村の演技をこう称賛する。
「特に雨の中、泣きながら佇むみね子に傘を差してやるシーンがとても良かった。沢村さんは何とも言えない当惑した表情で、申し訳なさそうな気持ちと、娘を愛そうという複雑な気持ちを絶妙に表現していた」
ドラマで沢村が演じる父・谷田部実は沢村の実人生とリンクする部分がある。鹿児島県鹿児島市で生まれ育った沢村も、少年時代に実父が突然、蒸発するという経験をしている。
しかも父は多額の借金を残していたのだ。
妹の真美さんが続ける。
「借金の原因は、知人の保証人を引き受けたことでした。人が良いタイプだったみたいです。父が背負った借金は2000万円とも3000万円とも聞いていました」
父の胸ぐらをつかんだ日
父の借金により少年時代は極貧生活を送っていた。沢村が小学5〜6年生まで暮らしたアパートは6畳と4畳半の二間で、風呂なし。部屋は妹と共同だった。そのアパートは今も残っている。
「借金取りがアパートに来ることもありました。母は化粧品販売員の仕事をしていましたが、勤め先にも押しかけてきて、給料を持っていかれたこともあったとか。でも母は逆に立ち向かっていましたね。
母は仕事で留守のことが多かったので、子供の頃は兄妹だけという生活でした。でも、私は借金取りが来ても心細い思いをしたことはありません。私の近くにはいつも兄がいてくれましたから。『俺が真美を守る』って。
『ひよっこ』は本当に現実と重なる部分が多いんです。ドラマでは家族のために出稼ぎに行きますが、実際、兄は上京してからずっと母に毎月仕送りをしています。
ドラマ内で出稼ぎ先のボロアパートで膝を抱えているシーンを見た時、兄と二人で過ごした幼い時代を思い出して、涙が出ました。兄はどんな心境だったんだろうなって。兄は私にとって、父代わりでもあり、母代わりでもありました」(真美さん)
父が蒸発した後、二人の我が子を守るため、沢村の母は、昼も夜も働き詰めの生活を送っていた。昼は化粧品の販売、それが終わると一旦家に帰り、夜はスナックで働いた。
「土日もなく本当に働き詰めだったので、さすがに倒れてしまったこともありました。兄が中学生の頃だったと思いますが、子宮がんになってしまい、1ヵ月入院。でも子宮を全摘した後、すぐに働きだしました。
ただ、おカネがなかったわりには、子供ながらに生活が苦しいとは感じませんでした。母が食事を作る時間がなかったため、夕食は毎日定食屋さんから出前を取っていました」
イケメンの薩摩隼人だった沢村は、小学校時代からモテていたという。
「当時はマッシュルームカットのサラサラヘアー。身長は小学生の頃から高かったですね。バレンタインのチョコもずいぶんもらっていました。
でも残念ながら家族4人の写真は一枚もないんです。そもそも子供時代の写真がほとんどない。当時はまだ使い捨てカメラもない時代。カメラはありましたが、フィルムを買うおカネがなかった。
週末どこかに出かけた記憶もありません。1年に一回、家族3人で近所の洋食レストランに食事に行った程度です。レストランといっても、いつも出前を頼んでいる定食屋の隣の店。それでも嬉しくて、いつもよりオシャレして行きました」(真美さん)
父親の借金を返しながら、女手一つで子供たちを育ててきた母。だが母はそんな苦労を微塵も見せない明るい人だった。口癖は「狭いながらも楽しい我が家」――。
その言葉通り沢村は、母の性格を受け継いだ明るい少年だった。勉強もスポーツもできて学級委員長にも選出された。
沢村が中学生の頃に両親が正式に離婚。しかし、離婚後もたまに父は家にやって来ることがあったという。
「私としては、父に会えるのが嬉しかったのですが、一方で『お母さんは、一生懸命働いているのに、この人は何をしてるんだろう』という気持ちもありました。兄は『あぁ来たんだ』と素っ気ない感じでしたね」(真美さん)
そんなある時、酔っぱらった父が家にやってきた。そして、あれこれ母の悪口を言い出した。最初は黙ってそれを聞いていた沢村だったが、ついに我慢できなくなり、父の胸ぐらをつかみ、
「二度とうちに来るな!」
「(お前が)お母さんの悪口を言うな!」
と激昂。激しい口論になった。
「誰のせいでこうなったと思っているんだ」――そんなやり場のない沢村の父への怒りが、爆発した瞬間だった。
「私が記憶している限りでは、それが兄と父が会った最後でした。そもそも母に離婚を勧めたのも兄だったんです。『もう離婚していいよ』と。それまで母は子供のために、父親がいたほうがいいと考え離婚をためらっていたんです。
野村は父の姓ですが、離婚後、名字を変えなかったのも、私たちが学校で嫌な思いをしないようにという思いからです」(真美さん)
19万円握りしめて上京
高校卒業後、俳優を志し、芸能界を意識するようになったのは、母の影響もあったという。
「若い頃の母は美人で、近所でも評判だったみたいで、芸能界に憧れがあったようです。それを兄に託したのかも。母は兄に身体的な長所を生かした仕事をしてほしいと考えていた。兄はバレーボールをしていたので実業団か、俳優かという感じでした」(真美さん)
鹿児島にいても何も始まらない。沢村は、東京に出ることを決意。上京の資金を貯めるためアルバイトに精を出した。
真美さんが続ける。
「コンビニやレンタルビデオ屋でアルバイトをしていました。兄は映画好きだったので、ビデオ屋は合っていたようです。エッチなビデオ?その辺はどうでしょうね。見ていないはずはないと思いますけど(笑)。
相変わらずモテていましたけど彼女はいませんでした。おカネもなかったし、友達といるほうが楽しかったのかも」
父は沢村が19歳の時に、他界する。
「すでに疎遠になっていたので、驚くこともありませんでした。兄も私も自分たちの生活で精一杯でしたから」
20歳になった沢村はバイトで貯めた19万円を握りしめて上京。ところが、東京で住まわせてもらう約束だった友人と連絡が取れず、初日は公園で野宿するはめになったと、後年、沢村自身が明かしている。
上京後、バイト先のライブハウスのお客の紹介で入ったのはモデル事務所。スタイルの良さを生かし、男性ファッション誌『メンズクラブ』の専属モデルとなった。生活は安定した。だが「本当にこれでいいのか」と自問自答する日々が続いたという。
モデルから役者へ――収入は5分の1になったが、念願叶い『続・星の金貨』('96年)で俳優デビューしたのは29歳の頃だった。その後、33歳で『浅見光彦シリーズ』(TBS)の主人公に抜擢される。当時、浅見シリーズのプロデューサーを務めた矢口久雄氏が語る。
「俳優としては遅咲きですよね。でもその分、勉強熱心でした。浅見シリーズはベテラン俳優が多いので、そこで揉まれて成長していった。
少年時代、貧乏だった話は本人から聞いていましたが、そんな雰囲気は微塵も感じなかった。彼の演技には『品』があるんです。普通おカネに苦労した人間は、もっとガツガツした部分が演技に出てしまうんだけど、彼は本当にピュアで真っ直ぐでした」
順風満帆に見えた俳優人生――だが、本人の中には40歳を前にして焦りもあったという。オファーされるのは、二枚目役ばかり。
危機感を感じた沢村は、バラエティで下ネタを初披露。この奇策が予想以上の反響を呼ぶ。'06年、NHKのコント番組、『サラリーマンNEO』で「セクスィー部長」に扮し、視聴者の心を掴んだ。
そして、父を許した
私生活では'00年に33歳で、モデル出身の女性と結婚。現在は3人の子供の父親でもある。
沢村と家族ぐるみの付き合いだという高校の同級生が語る。
「耕蔵は芸能人だからといって偉ぶったところもありませんし、素朴な人柄はそのまま。他人の悪口を言うことなど聞いたことがありません。普通のイイヤツなんです。それでいて自分が大切だと思うところはしっかり守っている。芯の強い男でもある」
81歳になる沢村の母は現在、特別養護老人ホームで生活している。ここ数年、沢村は鹿児島に帰省すると、母のところに行ってから、もう一つ必ず立ち寄る場所がある。
真美さんが語る。
「父のお墓です。実は私たち兄妹は父の墓があることすら知らなかった。10年ほど前に、兄と『お父さんの骨はどこにあるの』という話になって、そこで、兄が父のお兄さんを訪ねたところ『お寺に預けている』と教えてもらったんです」
野村家の墓は古く、父の遺骨を入れるスペースがなく、寺の預かりになっていたという。前出の同級生が言う。
「耕蔵と一緒に墓を見に行ったんですけど、かなり古くて今にも崩れそうだった。それで知人の石材店を耕蔵に紹介して、お父さんの墓を新調したんです」
真美さんが続ける。
「つい先日も帰ってきて、お墓参りに行ったんですけど『もういいんじゃない?』と言っても、延々と掃除をしている。東京からわざわざ掃除セットも持ってきてね。こっちでも買えるのにって言うと『隅っこのコケを落とすにはこれが必要なんだ』って(笑)。
兄も家庭を持ったことによって、父に対する思いが変わったんだと思います。たしかに、どうしようもない父ではありましたが、父がいなければ自分たちはいなかった。むしろ、そういう父だったからこそ、反面教師ではないけど、今があるというか。
この前、母に『お父さんと一緒のお墓に入るの?』と聞いたら『せっかく耕蔵が建ててくれたお墓だから入ろうかね』と話していました」
沢村本人は、公の場で父に対する本当の思いを語ったことはない。語る必要もないと思っているのだろう。
そんな沢村の人生を知ると、『ひよっこ』で「父」を演じる姿が、ますます味わい深くなる。


[書評]日本の退行の責任は、日本のリベラルにある
『再び、日本を考える―退行する反動期の思想的風景』 
徐京植著、ハン・スンドン訳/木の鉛筆刊・1万6000ウォン

 「和田先生の方向設定は間違ったのではないか、というのが私の論点である。このような問題提起に対して、『彼は善良な人だ』というような反撃は論点から外れたもので(…)悪意的なすり替えとしか言えない」
 東京経済大学の徐京植(ソ・ギョンシク)教授は、韓国と日本の両社会でいずれも「他者」だ。彼は韓国では在日同胞という国外者として、日本では在日朝鮮人というマイノリティとして生きてきた。韓国では2人の兄がスパイ団捏造事件で残酷な苦境を経て、日本では差別と排斥を受けた。彼の家族史は二つの社会の主流とマジョリティが見ることができない、いや、見ようとしない不都合な真実を対面させる。彼が経験した辛酸の人生は、前作の『私の西洋美術巡礼』で見せた豊かな人文学的、文学的、歴史的素養と昇華された。
 だが、彼は『再び、日本を考える』で刀を抜いた。韓日関係と日本の歴史問題で、日本の良心を代弁するという和田春樹東京大学名誉教授に対する彼の直接的批判が代表的だ。彼がこの本で触れる不都合な真実の対象は、日本の進歩陣営だ。彼は安倍晋三政権に象徴される最近の日本の退行と反動の責任を、われわれには進歩陣営と認識される“リベラル派”に問うている。
 彼によると、日本社会は1990年代以降、長い「反動の時代」に入った。1990年代半ばまでの「社会党・総評(日本労働組合総評議会)」系グループ、新聞を例にとるならば「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」とその読者層で構成された日本のリベラル派は、日本内外の潮流で崩壊した。社会主義圏崩壊と東西対立構図の終焉、新自由主義の到来の前に投降したのだ。韓国などアジア諸国では権威主義体制が動揺し、民主化が進んだ結果、「慰安婦」問題など日本の封印された戦争犯罪問題が表面に浮上した。だが、当事国日本はこのベクトルが逆方向に向かった。
 進歩勢力を結集する代案を提示する代わりに、「脱イデオロギー時代」という浅薄なスローガンと共に自ら自己崩壊の道を選んだ。進歩的立場を代弁する社会党は、保守右派の自民党との連立を受け入れた、結局消滅へと進んだ。国家主義に抵抗して日章旗日の丸と国歌君が代斉唱を拒否した教員労組は、これを容認した。
 徐京植は慰安婦問題を帝国運営の付随的被害と主張する「朴裕河(パク・ユハ)現象」を取り上げてこれを説明する。「朴裕河の言説が日本のリベラル派の隠れた欲求に正確に合致するからだ(…)右派と一線を画すリベラル派の多数は、理性的な民主主義者を自任する名誉感情と旧宗主国の国民としての国民的な特権をみな逃したくないのだ」
 韓国の立場で彼のこのような批判は、慰安婦問題に対する和田教授の現実主義的旋回を見れば理解できる。和田教授は2015年12月28日の韓日慰安婦問題合意を白紙撤回するようにするのは「事の経過から見ると難しい」と話す。新たな解決案を出させる力が日本国内にはないため、その韓日合意が改造・改善の道へ行くしかないと見ている。
 本書は、徐教授が最近書いた日本についての文章を選んでまとめたものだ。慰安婦問題をめぐり和田教授に送る手紙形式の二編の文、彼がマイノリティとして日本社会を見つめる愛国主義、改憲、安保法制問題などを解剖する。
 彼にとって日本のリベラル派は、両国とその関係の未来のために見捨てたり売り渡すことのできない、いや、最後まで共にしなければならない勢力だ。だから、徐京植が不都合な真実を覆してみせたのは決して害を与えようとするものではない。
チョン・ウィギル先任記者


インドで1億5千万人の仏教徒を導く、81歳の日本人僧「私には黒い血が流れている」


 幾度、暗殺されかけようとも屈せず。ブッダを説き続ける。仏教発祥の地、インドで1億5千万人の信徒を導く、日本出身の僧・佐々井秀嶺。若いころ、人生に絶望し自殺を図るが僧となる。数奇な運命からインドに導かれ、仏教復興と“不可触民(※)”という最下層の人々のために半世紀以上も闘ってきた、その激動の人生と日本への思いとは──。
※不可触民(ふかしょくみん)とは、厳しい身分制度で知られるインドのカースト制度にあって、最底辺のシュードラにすら入れない、カースト外の最下層に置かれ「触れると穢れる」と差別されてきた人々。

  ◇   ◇   ◇  
 肌の白い僧がひとり、大ステージへと向かう。足取りはゆっくりだが、その眼光は虎のように鋭く、全身からは熱情がみなぎっている。日本の穏やかな高僧とは対照的なその姿に、ここが灼熱のインドであり、混沌とした国であると思い知らされる。
 インドのど真ん中、デカン高原にある街、ナグプール。この地で年に1度、開催される仏教の式典「大改宗式」にインド人僧を従え、式の総責任者である佐々井秀嶺(81)が登場した時、日もすっかり暮れていた。朝から各地を駆けずり回り、満身創痍(そうい)で最後の大会場に到着したのだ。主役の登場を今か今かと待っていた改宗広場を埋め尽くす数十万人の信者が、インド仏教の挨拶である「ジャイ・ビーム!」と歓声を上げ、佐々井を熱狂的に迎える。
「みなさん、私は小さな坊主である。インド全仏教の会長に選んでいただいたのは、私が普段からまじめであり、強固な精神の持ち主だとみなさんが考えてくれたからであろう。金集めも経営もできないが、これからも小さな坊主として命がけで差別や貧困と闘っていく所存である」
 佐々井の全身から絞り出すような言葉のひとつひとつが、さざ波のように人の海に広がっていく。
 大多数がヒンドゥー教徒であるインドで、カースト(身分制度)のない仏教に改宗する人が爆発的に増えている。
 改宗式には3日間で約100万人もの仏教徒や改宗希望者が参加するが、その多くは不可触民と呼ばれる人々だ。半世紀ほど前、数十万人しかいなかった信者が今では約1億5千万人を超えた。その仏教復興の中心的な役割を果たしたのが、1967年、32歳でインドにひとりでやってきた佐々井なのである。
「インド12億人のうち一番下の奴隷カーストにすら入れない不可触民と呼ばれるアウトカーストの人々は約2割おる。3千年間も触れれば穢(けが)れると人間扱いされてこなかった人々だ。学校にも行けず、仕事も選べず、井戸を使うことすら許されない。そんな悲惨な状況だからこそ、人は何かにすがらないと生きていけない。だから自分を差別するヒンドゥー教の神様でもけなげに信じてきたんだ。しかし平等主義の仏教を知ることで彼らは『自分は人間である』と目覚め始めたのです」
色情因縁「私には黒い血が流れてる」
 1億5千万人のインド仏教徒を率いる佐々井が生まれたのは、岡山県新見市別所の小さな山村である。父は左官業や炭焼きなどを営んでおり、小さいころから家の仕事をよく手伝い、成績は優秀で反骨心は人一倍、強かった。9歳で終戦を迎えた時、村の大人が戦場での残虐な行為を自慢げに話す様子を聞き「人を苦しませることの何が楽しいのだ」と子ども心に憤りを感じた。
 未来の宗教家らしき正義感を持つ一方で、無類の女好きの血に苦しんだ。男性なら誰もが悩んだ経験はあるだろうが、佐々井は「そんなかわいいものではないわ!」と苦笑する。
「同級生でも学校の先生でも女を見ただけで好きになる。触りたい、押し倒したい。けれども、それができないから苦しくてしょうがないわけだ。祖父も父もよそに女がいた。色情因縁、私には黒い血が流れているのです」
 青年時代は、思い詰めて酒を飲んで暴れ、金に困って血を売ったり、仲間にそそのかされて悪さを働き牢獄に入れられることもあった。彼女ができれば、勉強も仕事も手につかず、はたから見れば異常なほど執着してしまう。
「もう顔を焼いて誰も振り返らなくなれば、愛欲を卒業できるのか」。出家して僧になろうといくつかの寺を訪ねたが、「大学くらい出ていないと」と一蹴され絶望。死に場所を探して倒れたところを山梨県にある大善寺の井上秀祐住職に拾われ寺男となる。師と仰げる住職に出会えたことで、水を得たように修行に励み、25歳にして高尾山薬王院で住職の兄弟子にあたる山本秀順貫主より得度を受けた。
 貫主は誰よりも熱心に学ぶ佐々井をかわいがり、仏教の交換留学生に推薦しタイに送り出した。期待に応えて帰国すれば、これまでの迷走を吹き飛ばす順風満帆な僧侶人生が待っていたはずだったのだが……。
「信仰の厚いタイでは坊さんは大事にされる。それが私にはよくなかった。暑いタイではコーラがうまい。いくらでも寄進をしてくれるから1日20本も飲み続けてコーラ中毒になった。おまけに抑えていた女性への感情がむくむくと湧き上がり、気がつけば、タイの尼さんで一番の美人と恋に落ちてな。さらには中国娘も加わり三角関係だ。日本のお師匠様の耳にも入り、もう恥ずかしくて帰国できない。それで、お釈迦様が生まれたインドにしばらく行ってほとぼりをさまそうと。女からも日本からも逃げたんだ」
満月の夜のお告げ「汝、龍宮へ行け」
 僧になっても色情因縁から逃れられないのか。しかし、苦しみやつらい経験はすべて試されていたのかもしれない。渡印から1年たった満月の美しい晩、思いもよらない奇跡が佐々井の身に起きたのだ。
 インド東部のラージギルにある日本山妙法寺の八木天摂上人のもとでお世話になり、帰国を考え始めたころ、真夜中に肩をものすごい力で押さえられハッと目を覚ました。
「夢じゃないよ。みんな信用してないんだから! 声は出ないし身体は震え、もう恐ろしくて。白ヒゲの老人が現れ、『われは龍樹なり。汝(なんじ)、速やかに南天龍宮城へ行け、南天鉄塔もまたそこに在り』と言い残して姿を消した。あわてふためき、上人をゆすって起こすと“こら、何を寝ぼけているんだ?”とまた寝てしまったんだ」
 龍樹菩薩とは大乗仏教の祖となる人物。しかし、龍宮城とは? 朝を待ち上人に改めて相談すると、「龍はナーガ、宮はプーラ……インドのど真ん中にあるマハラシュトラ州のナグプールのことではないか? 南天鉄塔とは文殊菩薩から授かったといわれる経典を所蔵する伝説の塔だろう」と教えてくれた。
 ナグプールとはアンベードカル博士というインドの偉人が、亡くなる2か月前の1956年、数十万人の不可触民とともに仏教に改宗した地であった。博士自身、不可触民の出だが大変な苦労をして学び、奨学金を得てイギリスやアメリカに留学。インド独立後、初の法務大臣となり差別を撤廃した新憲法を制定した。それでも差別はなくならない。そこで人間平等を説く仏教に望みを託したのだ。
「差別と闘ったのはガンジーだと思い込んでいたんだ。ところがナグプールに着いてわかったのは、不可触民の間で絶大な人気を誇るのはアンベードカル博士。ガンジーは不可触民を『ハリ・ジャン(神の子)』ときれいな名前をつけてごまかし、むしろカースト社会を残そうとしていた。博士は国際的にも評価され今では国内でもカーストにかかわらずガンジーよりも偉業が知られている。もっと日本でも研究されてもいいのだが」
 博士の死から12年後、アンベードカルのアの名前も知らなかった佐々井がナグプールに向かったのは、ただの偶然ではなく仏様のお導きだったのかもしれない。
生まれ変わったスラム街
「金もないし、知り合いもいない。仏教徒のいる地区を聞いて訪ねたら、バラックのような建物が並んでおる。裸足で太鼓を叩きながら、お題目を唱えて街を歩くと、犬には吠えられ、人々には怪しまれ、石を投げつけられた。それでも雨の日も風の日も休まず家々を回っていたら、次第に聞いてくれるようになったんだ」
 いつしか佐々井に食事を提供するお母さんたちが現れ、冠婚葬祭にも呼ばれるようになったが、不可触民出身の家を訪れるたび、差別や貧困、衛生状態がどれほどひどいか思い知らされた。ゴミ集めや屍体(したい)処理、泥にまみれたきつい仕事しか与えられず、井戸水を飲むことも許されない。ため池の濁った水を飲み残飯をあさり、住む場所も指定され犬のように扱われる。もし反抗すれば殴り殺され、焼き討ちに遭うこともあるが、犯人は、罪に問われず闇に葬られることも多いという。
 仏教に改宗しただけでは、生活そのものはよくならないのだ。そこで佐々井は寄付を集め、学校や病院、養老院などを作り、上位カーストから嫌がらせを受ける人々が団結して抗議できるよう組織作りを進めた。自分に自信を持ち、礼儀を身につけてほしいと日本から空手家を呼んで人々に稽古をつけてもらったこともある。
 当時の佐々井を知るモドガレ・アルチャナさんは語る。
「小さい時、日本とはどんな国かと聞いたら、安全でカースト制度もない国だと。アンベードカル博士は改宗式のすぐ後に亡くなってしまったので、どうしていいかわからない。佐々井さんが来るまで仏教は停滞してたんです。豊かな日本の出身なのに、貧しいインドにわざわざ来て、差別される私たちに寄り添い、闘ってくれました。国籍は関係ないんだ、困っている人がいれば助けるのだと。みんなのお父さんです」
 街に希望が生まれた。佐々井は、3千年も支配されてきて、それが当たり前と思い込まされていた人々に「仏教はカーストなんてない。人間らしく生きる権利がある」と説いて回った。特に力を入れたのが子どもの未来だ。「大事なのは教育。自分で考える力だ。お金がないなら、1食、抜いてでも子どもを学校にやりなさい」と親に言い続けた。学ぶことで今を知り未来を考える。いい仕事に就けるし、自分で会社を興すこともできるようになる。治安最悪といわれたバラックの街が半世紀で、お寺を中心として清潔で安全な街に生まれ変わったのだ。
 街の変化を見て育ったミリンダ・グダデさんは、「大学を出て日本で就職できたのは、佐々井さんの活動や支援があったから。日本は佐々井さんという偉大な人を生んだ国。夢を叶えた今、今度は自分が村の子たちを支える番だと、15年前、仲間とアンベードカル博士国際教育協会の日本支部を立ち上げ、みんなで給料を村に送り補習授業を始めました。今までに千人の子を受け入れ12人の先生の給料をサポートしてきたんですよ。頼るだけではなく、自分たちで祖国を変えたいという思いは、佐々井さんの背中を見て学びました」と微笑む。
 佐々井は差別と闘う一方で、仏教の聖地であるブッダガヤーの大菩提寺がヒンドゥーの手にあることを知ると、何万人もの仏教徒を引き連れて座り込みのデモや壮絶なハンストを決行した。また、地下核実験が行われた時には弟子たちとともに首都に乗り込んだ。
「国会の前で拡声器から言ってやったんだ。世界で原爆体験をした唯一の国、日本から私は来た。大バカ者の首相よ、出てこーい! 仏陀は笑っているぞ! 人を殺すならまず私を殺せ! ってな。そしたら国会前はシーンと静まり返った。苦しむのはいつの時代も罪なき市民。その市民を命がけで守るのが本当の菩薩道だ」
佐々井一家、ここにあり!
 インドでは佐々井を知らぬ歴代の首相はいない。強きをくじき、弱きを助ける。破天荒な行動力、義理人情、それでいてユーモアのある性格が愛され、インドラ寺の一角にある佐々井の小さな部屋の前には、毎日、行列ができる。
「もう、いろんなやつが来るよ。弁護士から医者に泥棒、酒飲みまで。貧しさから悪の道に進んでしまう者もおるが、根が悪いわけではない。1度、30人も殺したという大悪党の男を改心させて頭を丸めさせたことがある。泣く子も黙る佐々井親分だって? おう、佐々井一家には違いないな!」
 精悍(せいかん)な顔が一瞬でしわくちゃになり、ガッハッハ、と豪快に笑いだした。普段、佐々井の身の回りの世話をしている青年、ゴータマさんも佐々井一家のひとりだ。
「両親ともに仏教徒で、ゴータマとは佐々井さんがつけてくれたブッディストネームです。ブッダガヤーのデモに連れて行ってもらった時、一歩も引かずすごい人だなあ、と。でも僕は高校生の時に、仏教で禁止されている酒を隠れて飲んで荒れていた。佐々井さんからもらったお小遣いも嘘をついて酒に使ったんです。でも前から知っていたんでしょう。ある時、真剣に怒られキッパリやめた。本気で心配してくれているのが伝わったからです。道に迷ったとき導いてくれる。誰に対してもそう」
 知名度が上がるにつれ、忍び寄ってくるのが敵だ。人気を妬(ねた)み、悪い噂を吹聴する者や、急に増えた仏教徒に恐れをなし暗殺をくわだてる者もいる。食事に毒を入れられ意識を失ったり、壇上から突き落とされ病院に運ばれたことも1度や2度ではない。日本でも、「佐々井のやっていることは仏教ではない。ただの社会運動だ」と批判されたことがあった。
「ただ静かにお経を上げ、お布施をもらうだけが僧侶ではない。何もせんやつに何を言われようとかまわん」と意に介さない。
 ところが、そんな肝の据わった佐々井に一大事が起きた。1987年、不法滞在で逮捕されてしまったのである。
 インドに渡って20年、とっくに滞在ビザは切れている。帰らなかった、というより困っている民衆を見捨てて帰ることができなかったのだ。一歩も引けない問題が山積みで、途中で自分が抜けたらガタガタに崩れてしまうことを知っていた。
「シューレイ・ササイ逮捕!」という新聞各紙の見出しに、民衆は立ち上がった。「今度は自分たちが守る番だ!」と、仏教徒は署名運動に奔走。首相のもとに60万人分の署名が持ち込まれ、ヒンドゥーやキリスト教徒にも応援してくれる人が現れた。そしてついに国籍を取得。数十万の市民が街に繰り出しパレードをして佐々井を祝福した。
 インドでは全国紙に顔が出る佐々井だが、日本ではほとんど知られてこなかった。ずっと孤軍奮闘してきたのだが、最近、祖国でも支援の輪が広がり始めた。
 映像ジャーナリストの小林三旅さんが佐々井を知ったのは、1冊の古い週刊誌だ。「この破天荒な坊さんは何者なのか?」とひとりでカメラを抱えてインドに飛び1か月に及ぶ密着取材を敢行。2004年、『男一代菩薩道』と題した番組が放送されると、深夜番組ながら反響を呼び5回も再放送されたという。
「次の仕事が始まれば、前の仕事など次第に忘れてしまうものですが、佐々井さんの生涯を追い、支援することがライフワークになりました。うまく言えないけど、とにかくおもしろいんですよ。四六時中、人の幸せしか考えていない。今まで坊さんというと葬式くらいにしか会わないし興味もなかったのですが、ああ、これが本当の宗教家なんだと」
 最初の放送から10年後、岡山の住職、佐伯隆快さんとともに、佐々井の支援団体「南天会」を立ち上げた。会費を集め活動資金をインドに送ったり、会報『龍族』の発行や会員の交流のほか、最近では体調管理などをする人を日本から派遣している。
 佐々井一家が日本でも着々と増え始めた。
そして祖国へ。44年ぶりの帰還
 それでも1度くらい帰国して、家族や友人に会いに帰りたいとは思わなかったのだろうか。いくら遠いとはいえ、24時間もあれば着くのだから。
「お坊さんになった瞬間から自分の母も人の母も平等の存在になる。だからインドの坊さんは離縁するか、一生、結婚しない誓いを立てる。出家というのは、家を出ること。日本男児たるもの、目の前に弱っている人がいるのに、どうして帰れようか。礼儀に忠義……私の心にはいつも武士道がある」
 そんな義理人情に厚い佐々井が、帰国を決意したのは2009年。実に44年ぶりである。インドでの活動が一段落したタイミングで、日本の支援者や恩人たちが生きている間にお礼が言いたかったのだ。インドよりも豊かで平等な日本へ。ところが、久しぶりに祖国の地を踏んだ佐々井を待っていたのは、「人の匂いがしない」現代日本の空虚感であった。
「インドの子と比べ、日本の子は覇気がない。大人も顔が沈んでいる。自殺が年間3万人と聞いて驚いたが、いったい祖国はどうなってしまったのか?」
 1度きりの帰国のつもりだったが、東日本大震災が起きると、被災地に飛び、お経をあげ人々を勇気づけた。以来、定期的に帰国するようになり、各地で講演会が開催されると、若い人たちもたくさん詰めかけるようになった。
「昔は“駆け込み寺”という言葉どおり、お寺は悩める人の相談所であった。実際、私も寺に助けられ、僧となったんだ。どこかに今も親身になって世話をしてくれる寺もあるだろう。アンベードカル博士のような偉人の伝記をたくさん読んでほしい。何が正しいか、自分の使命とは何か。苦しい時、本は人生の助けになるだろう」
まだまだ死ぬことができん
 御年81歳。世間では静かに余生を過ごす年だが、佐々井にそんな老後は訪れそうにない。
「休んでいる暇はないのだが、3年前に1度、意識不明の重体となってな。病院のまわりは何千人もの市民が取り囲んで警察が出る騒ぎだ。ところが、ナグプールの病院にいるはずが、私はなぜか意識の中ではヒマラヤの病院にいたんだ。担当の看護師は顔を見せてくれないが、後ろ姿から美人とわかる。それでこんなことを言うんだ。
『あなたは、今まで頑張ったから極楽に行けます』
『俺は死ぬのか? まだやらねばならないことが3つもあるんだ!』
『生き返ると何倍も苦しいことが起きるから、もう死んだほうが楽でしょう』
『ダメだ、シャバに戻せ!』
 すると、スーッと私の身体の中に入ってきた。看護師の格好をしていたが、観音様だったんだな。大変なのは取り囲んでいた市民だ。私の呼吸が止まった時、“ササイが死んだー!”と大泣きしていたら、“生き返ったー!”“えー!?”と。わっはっは! それから州知事の命で救急ヘリが迎えにきて、ボンベイに移送されたんだが……」
 龍樹のお告げといい、看護師の観音様といい、常人にはすぐには理解しがたい出来事であるが、佐々井はいたって真顔である。ところで、そのまだ死ねない3つの理由を聞いてみた。
 ひとつはアンベードカル博士の平等の精神をもっと世に伝えねばならない。2つ目は悲願であるヒンドゥーからのブッダガヤーの大菩提寺奪還だ。早ければ今年、最高裁判で争うことになる。最後に、龍樹が告げた「南天鉄塔」らしき遺跡が本当に出土したので、その発掘を進めたいのだという。
「だから、夢ではないと言っただろう。ナグプールから約40キロ離れたマンセルという地区に龍樹連峰と呼ばれる山々があることがわかり、その土地の一部を買い許可を取って10年かけて発掘した。そしたら首のない仏像や寺、そして鉄塔らしき遺跡も発見したんだ。しかし、まだ塔の内側は発掘できていない。黄金の像がでるか、経典がでるかまだわからん。発掘許可を得ようと、日本からも偉い考古学者さんらが来てくれて、一緒に政府の考古学調査研究所に交渉したんだが、上位カーストのバラモンのやつらがね、仏教の遺跡であると証明されたくないわけだ。
 私の死んだ後になるかもしれないが、いつか掘れる日が来るだろう」
小さな坊主、荒波を越えて
 苦しみが続くとわかっても、民衆のため生きることを選んだ。若い時、3度の自殺未遂をした“死にたがり”の佐々井を“生きたがり”に変えたのは、インドの貧しいお母さんたちだ。
「日本と違い、インドでは僧侶の命は民衆が握っている。このお坊さんはいい人だから、食事を与えよう、お布施を出そうと考える。自分の子どもにすらろくなものを与えられないというのに、一文なしでやって来たこの汚い坊主に、お母さんたちが自分のご飯を差し出して半世紀も私を生かしてくれたんだ」
 冒頭の大改宗式で語った「小さな坊主」とは、謙遜ではなく本心からなのだろう。インド仏教の頂点に立った今でも、10畳程度の小さな自室にはボロボロのイスや扉の取れかかった冷蔵庫が置かれ、年代もののクーラーはひどい音を立てる。本や資料が山積みで、相談に来る人が2人も入ればいっぱいだ。
「後継者はおらん。男一代で終わり。私はこれからも小さな坊主としてインドに同化し生きていく。真理に向かい、ただひとり、ボロボロになっても杖をついて歩き倒れてもまた立ち上がる。いつかインドの大地に野垂れ死ぬまでな」
 佐々井は、そうつぶやくと大好きな日本の歌、坂本九さんの『上を向いて歩こう』を口ずさみ始めた。どんな荒波にも負けず、大衆を正しく導く強い人である。しかし、本当は涙をこらえながら必死で自分を奮い立たせ生きてきたのだろう。
「小さなお坊さん」が自分の生涯をかけ、粉骨砕身して切り開いた一本の道は、多くの人の未来を照らしている。
◎取材・文/白石あづさ しらいしあづさ 日本大学芸術学部卒業後、地域誌の記者に。3年間、約100か国の世界一周を経てフリーに。グルメや旅雑誌などへの執筆のほか、週刊誌で旅や人物のグラビア写真を発表。著書に『世界のへんな肉』(新潮社)、『世界のへんなおじさん』(小学館)がある。