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Quand les Japonais font l’amour avec des coussins
Joëlle Smets
Au Japon, matelas, édredons et oreillers peuvent devenir des sex-toys ! L’anthropologue Agnès Girard nous explique cette pratique dans ≪ Étreindre les êtres du rêve ≫ publié dans le numéro spécial ≪ Jouir ≫ de la revue d’anthropologie Terrain.
On connaissait les poupées gonflables, sex-toys grandeur nature aux allures de femmes offertes. Parfois même ces ersatz d’humains se réduisaient à des simples masses de fesses à posséder. Mais voilà qu’Agnès Giard nous révèle l’attachement des Japonais à des sex-toys toys aux allures d’articles de literie. Dans un article des plus intéressants publié dans le numéro 67 de la revue d’anthropologie Terrain consacré à la jouissance, la docteur en anthropologie de l’Université Paris Nanterre évoque les coussins à étreindre qui sont au Japon de superbes sex-toys car ≪ n’ayant pas de forme définitive, ils peuvent épouser les contours de tous les fantasmes. ≫
Kû pillows, Kû dolls, Daki-makura et Cotton wife
Ces jouets sexuels sont multiples, se différenciant dans les matériaux comme dans les formats, ornements et évocations érotiques. Il y a ainsi les Kû pillows, de simples matelas de plastique. Ils ont une taille humaine et sont ornés de dessins de beaux jeunes gens et de séduisantes jeunes filles habillés sur le côté face du matelas et déshabillés sur le côté pile. Il y a les Kû pillows en version plus hot, les Kû dolls, des poupées gonflables transparentes. Il y a encore les Daki-makura, de longs traversins ornés de filles ou de garçons. Appelés coussins à étreindre, ils se coincent entre les bras et les jambes et sont de véritables objets masturbatoires. Des marques proposent même aux amateurs de Daki-makura des Drama CD qui sont des bandes-son avec râles et bruits suggestifs qui se déroulent en trois temps, précise Agnès Girard : rencontre, séduction et passage à l’acte. Des moments de silence sont prévus pour que chacun puisse imaginer ses propres rapports et dialogues avec son Daki-makura. Et puis il y a encore les poupées traversin à taille humaine en version homme et femme. Imaginés par la marque Bibi Lab, ils sont baptisés Cotton Wife et Husband Hug Pillows, épouse et époux de coton, peuvent être habillés, couchés dans un lit, assis sur une chaise…
Des sex-toys héritiers de l’histoire et de la culture du Japon
L’apparition de tels jouets, nous fait comprendre l’anthropologue française, s’inscrit dans l’histoire du pays du Soleil levant car des gravures du XVIII e siècle appelées ≪ images d’oreiller ≫ montrent des hommes et des femmes qui font l’amour avec leur literie, après avoir attaché un godemiché ou une gaine vaginale à un édredon ou un matelas. De plus ces oreillers, coussins et édredons sexuels appartiennent totalement à la culture nippone. L’oreiller est en effet un objet quotidien d’importance au Japon car il est associé à la tête de la personne, à ses rêves et à son âme au point d’être considéré comme le double subtil de la personne ! L’oreiller a même son temple et sa fête et peut être confié au Hine Jinja qui va prier pour que l’oreiller veille sur l’âme de la personne posant sa tête dessus. Par ailleurs le Japon considère que les objets qui entrent en contact avec le corps humain, surtout si ces contacts sont fréquents et prolongés, peuvent être contaminés par les désirs de leurs propriétaires. Ils sont, comme l’écrit Agnès Girard, les éponges psychiques de la personne ! Quoi de plus logique dès lors que le gardien spirituel de l’âme du dormeur, que l’objet qui accueille les désirs des dormeurs devienne son partenaire érotique.
≪ Etreindre les êtres du rêve ≫ est un des articles scientifiques de la revue 67 de Terrain. Le numéro intitulé ≪ Jouir ≫ enquête en effet sur le plaisir en observant les manières différentes d’hier et d’aujourd’hui de le penser, le simuler, le susciter ou s’en détourner. ≪ Jouir ≫ parle encore du plaisir à Dakar, des jouissances virtuelles, de la science orgasmique de Wilhelm Reich, du sado masochisme, de l’art de la flagellation, des amours entre cousins en Amazonie indigène, des animaux intégrés dans les productions pornographiques… Les articles sont aussi documentés qu’illustrés de façon abondante et artistique.
フランス語
フランス語の勉強?
Shoko Egawa‏ @amneris84
なんで、自分たちが選んだばかりの代表の判断を尊重し、若手の経験不足はベテランが陰に回って補い、新体制を盛り上げて、新たなスタートを切ろう、とならないんですかね →民進幹事長、一転大島氏に 党内異論受け、山尾氏は代表代行:日本経済新聞

観光案内所で話を聞いてまずは原爆資料館に.2回目ですが,やはりインパクトが強いものばかりです.展示の最後のほうに原爆投下に至る背景に関しての展示がありました.わたしは原爆投下が正しかったとは思っていませんが,そうでもしないと戦争をやめないトンデモナイ国=日本だったのだとあらためて感じました.たとえて言うなら現在の金正恩が支配する国なわけです.アベ〜金正恩というのはあながちハズレではないと感じています.残念ですが.
南京大虐殺などトンデモナイことをした当時の日本.なのに,「南京大虐殺はなかった」という修正主義的な認識をしているメールでガッカリ.大ショック.
中華街でじゃじゃ麺を食べて唐人屋敷から丸山花街あたりをぶらぶら.よくわからない路地が面白かったりして・・・
夕方めがね橋あたりで具雑煮をいただきました.以前島原で食べましたが,おいしかったです.

<震災遺構>旧門脇小の校庭 所有権確認求め石巻市が提訴へ
 東日本大震災で被災した石巻市は4日、震災遺構として残す旧門脇小の校庭の一部所有権が市に移されていなかったとして、既に死亡した登記簿上の所有者の法定相続人55人に、市に所有権が移ったことの確認を求める訴えを仙台地裁に起こすと発表した。遺構として管理する上で権利関係を明確にするための措置。
 市によると、対象の区画は校庭の一部分628平方メートル。1902年に学校が現在地に移転した際、当時の旧石巻町が学校用地として取得したと推測されるが、所有権移転の登記手続きはされていなかった。
 旧門脇小は震災で津波と火災の被害を受け、震災遺構として校舎を一部保存する。同校は2015年3月に閉校した。市は7日開会の市議会9月定例会で関連議案の議決を得てから提訴する。


<七十七銀>津波被災の女川支店 新店舗で営業開始
 東日本大震災の津波で行員ら12人が犠牲になった七十七銀行女川支店(宮城県女川町)が4日、新店舗で営業を始めた。震災後の2011年12月以降、仮設商店街の店舗で業務を継続し、地域の金融機関として再出発した。
 新店舗はJR女川駅に近く、海抜は12.5メートル。鉄骨2階で延べ床面積約540平方メートル、高さは約10メートル。1階に窓口や現金自動預払機(ATM)、2階にロッカーや会議室を配置し、14人態勢で業務に当たる。
 屋上はなく、津波警報などの発令時は約500メートル離れた町の指定避難場所の女川小に逃げる。緊急を要する場合は、近くの高台に一時的に避難するという。
 七十七銀は「今後とも『人命の安全確保を最優先』を大原則とした、防災強化に向けた取り組みを行っていく」と説明する。
 女川町の水産加工業千葉喜章(よしあき)さん(55)は「震災前から女川支店を利用してきた。新店舗はきれいで家から近く、ありがたい」と歓迎。「ただ、痛ましい被害があり、知り合いが亡くなった。防災には十分気を付けてほしい」と要望した。
 女川支店では震災当時、支店長の指示で従業員ら13人が高さ約10メートルの屋上に避難。津波にのまれ、12人が死亡・行方不明になった。遺族らは再発防止や慰霊のモニュメント設置などを求めている。
 行員だった姉の美智子さん=当時(54)=を失った丹野礼子さん(59)は「姉は37年間、七十七銀を愛し誇りを持って働いていた。新店舗がオープンする時にモニュメントも立つと信じていた。慰霊することが従業員の意識向上や安全につながると思う」と話した。


気仙沼サンマ今年も味わって 23日山形で復興支援イベント
 東日本大震災の記憶の伝承と復興支援を目的に、山形県に住む宮城県気仙沼市出身者らでつくる「やまがた気仙沼会」は23日、山形市の霞城公園で「第6回気仙沼さんま祭りin山形」を開催する。震災が起きた2011年にちなんで、気仙沼産生サンマの炭火焼き2011匹を無料で振る舞う。
 会場では、小学生と保護者を対象においしいサンマの焼き方を学ぶ「親子サンマ焼き教室」も開かれるほか、気仙沼市の語り部による被災体験の伝承や復興の様子を撮影した写真展示のブースが設けられる。ワカメなど三陸の水産加工品を販売する物産市もある。
 会場に募金箱を設置し、集まった義援金を奨学金として気仙沼市に贈る。同会の熊谷功二幹事長は「気仙沼市では約800人が仮設住宅で暮らすなど、復興には程遠い状況だ。山形の人たちに被災地の現状を知ってもらい、応援してもらうことが被災者の励みになる」と来場を呼び掛ける。
 親子サンマ焼き教室は参加無料。先着順で親子50組。連絡先は熊谷さん090(7900)8428。


「石巻おでん」広めよう 地場産練り物で食開発
 宮城県石巻市の企業や大学など産学が連携して食と旅を考える団体「石巻フードツーリズム研究会」は、地元の水産物や加工品を使った「石巻おでん」を普及させるプロジェクトを始めた。石巻が発祥の地とされる焼きちくわなど練り物文化を見直し、東日本大震災で疲弊した地域産業の復興につなげる。
 石巻おでんプロジェクトは、石巻地方に伝わる練り物に着目。地場産の練り物などによる「石巻おでん」や、焼きちくわを使ったアレンジ料理など新しい食を開発し、観光振興や交流人口の拡大を図る。
 提唱したのは、ヒット商品「サバだしラーメン」の開発を手掛けた石巻市の石巻専修大経営学部の石原慎士教授(47)。
 石原教授によると、焼きちくわは石巻発祥とされ、明治37(1904)年に生産を開始。明治末の石巻には製造業者が60軒以上あった。昭和40年代にはスケトウダラが全国屈指の水揚げを誇り、かまぼこなど練り物の生産も盛んだった。
 しかし、練り物の生産量は近年減少し、2009年は約9600トンで1999年の約1万5200トンに比べ約63%まで落ち込んだ。震災後はさらに減り、15年は約4600トンと99年の約30%にすぎない。
 石原教授は「練り物文化を見直し、伝統を生かしながら自由な発想のおでんを提供したい」と意気込む。
 石巻おでんは地元の水産物や農産物、加工品を必ず使う。「石巻おでんカレー」や「石巻おでんうどん」などの開発も検討する。取り扱う飲食店やパッケージ商品にはシンボルマークを表示する。
 フードツーリズム研究会は8月28日、市内で説明会と試食会を開催。同研究会おでん部会の平塚隆一郎会長(58)は「石巻におでん文化があるわけではないが、新たな挑戦でおでんの街として知られる存在にしたい」と話した。
 同研究会は昨年6月に発足。地域外から誘客するツアーを企画してきた。プロジェクトに参加する会社や飲食店を募っている。連絡先は石巻商工会議所0225(22)0145。


<ジャズフェス>純米酒BAR 地酒の魅力伝え10年で幕「ファンの裾野広がった」
 仙台市中心部で9、10の両日にある定禅寺ストリートジャズフェスティバルに合わせ、青葉区の錦町公園で毎年開催されてきた宮城県の地酒を紹介するイベント「純米酒BAR」が、10回目の今年を最後に幕を下ろす。愛好家たちが発案し、2日間で2000人以上が訪れる人気企画に育った。今回は県内にある23の蔵から取り寄せた純米酒や純米吟醸酒を日替わりで並べ、フィナーレを飾る。
 純米酒BARは、仙台市内で活動する三つの愛好家グループでつくる「宮城純米酒サポーターズクラブ」が主催し、2008年から出店。有志が手弁当でイベントを切り盛りし、蔵元や県内外のファンとの交流を育む貴重な場となった。
 参加するスタッフもそれぞれの酒の魅力や特徴をしっかり伝えようと、宮城県酒造組合で専門家の講義を受けた上で運営に臨む。主催側は「日本酒ファンの裾野が広がり、種は十分まかれた」として、10回を節目に終える方針を決めた。
 サポーターズクラブ代表の食プランナー早坂久美さん(53)=宮城野区=は「飲み手の立場でおいしさを分かち合う土壌を耕してきた。SNS(会員制交流サイト)を活用した企画も増え、浸透させる役目をある程度果たせた」と話す。
 会場では、3種類の利き酒セットや日本酒カクテルを500円で販売する。両日とも午前11時開始。連絡先は同クラブ022(765)3072。


エネルギー基本計画/原発依存脱却へ数値目標を
 ほぼ3年ごとに行われる「エネルギー基本計画」の見直し作業が先月、始まった。国の中長期的なエネルギー政策を議論することになるが、最大のポイントは原子力発電の位置付けだ。
 有識者会議の初会合で、経済産業省は原発新設に踏み出すことに慎重な姿勢を示し、現在の計画の骨格は維持したいとの考えを明らかにした。
 東京電力福島第1原発事故とその後の世論の動向を踏まえれば、新設や増設を政策に組み込むのはありえない話だが、だからと言って計画の見直しが不要になるわけではないだろう。
 2014年に閣議決定した現在の基本計画がそもそもおかしい。「東日本大震災前に描いたエネルギー戦略は白紙から見直す」と言いながら、「原発は重要なベースロード電源」とみなした。
 ベースロードとは、消費される電力にかかわらず、日常的に一定の出力で発電することを意味している。
 原発事故後、民主党政権は「30年代に原発ゼロ」という思い切った政策を打ち出したが、自民党政権になって原発推進の方向に転換した。実質的に事故以前に戻したわけだ。
 15年には基本計画に沿う形で、30年時点の電源構成比率をまとめた。火力が56%、太陽光などの再生可能エネルギーと水力が合わせて22〜24%、原子力が20〜22%という割合が示され、原発は3本柱の一つとしての役割を与えられた。
 基本計画はもちろん、「原子力一色」というわけではない。再生可能エネルギーの推進や水素社会の実現といったことも盛り込んでいるものの、国民の関心はやはり原子力の扱いだろう。
 原発事故後、国内の多くの原発は長期停止状態に陥り、電源構成比率は16年度で2%にすぎない。10倍程度まで増やすには、かなりの数の原発を再稼働させるか、新たに建設するしかない。
 新規建設は容易でなく再稼働頼りになるのだろうが、原発の稼働は「原則40年」と法律で決まっている。厳密に運用すれば30年で20%以上にするのは困難であり、「最長で20年延長」の例外ルールの適用が必要になってくる。
 原発の温存に向けて例外の大幅な適用を見込みながら、その一方で原子力比率の低減を訴えているのが現在の基本計画である。
 いわば、国や電力各社に都合のいい「お手盛り」のような内容になっている。本気で原発依存度を引き下げたいなら、具体的な手順や数値目標を議論して根本的に手直しすべきだし、その方向性を明確にするのが原発事故後の世論にも沿うはず。
 「悲惨な事態を防げなかった深い反省」や「原発依存度の可能な限りの低減」などと言葉だけ残しても、信用を失うだけだ。


凍土遮水壁 効果を見極め次なる策も
 東京電力は、福島第1原発の汚染水対策として進めている「凍土遮水壁」の最終区間の凍結作業に入った。今秋にも完了する予定だが、遮水効果は依然不透明で根本的な解決のめどは立っていない。
 2011年に発生した原発事故によって1〜3号機で炉心溶融(メルトダウン)した核燃料の冷却に使った水が、高濃度汚染水となって原子炉建屋の地下にたまった。さらに流れ込む地下水が汚染水を増やし、廃炉作業の大きな妨げとなっている。
 こうした地下水の流入を防ぐため東電は三つの対策を打ち出した。山側の井戸で地下水をくみ上げて海に流す「地下水バイパス」や、建屋近くの井戸「サブドレン」からのくみ上げ。そして、もう一つが凍土壁である。
 凍土壁は、1〜4号機を取り囲むように埋め込んだ1500本余りの配管に冷却材を循環させ、地中に全長約1・5キロ、深さ約30メートルの“氷の壁”を築くものだ。国費約350億円を投じて建設し、昨年3月から段階的に凍結を進め、残りは約7メートル区間だけとなっていた。
 全面運用が近づいても、期待感はさほど感じられない。当初は「切り札」と期待されながら、依然効果がはっきりしないからだろう。三つの地下水対策で、1日約400トンだった流入量は、今年6月には約140トンまで減った。東電は凍土壁の有効性を強調するが、原子力規制委員会は「大きく貢献したのはサブドレンだ」とし、凍土壁は脇役に回された形だ。
 多額の国費を投じた上に、今後の維持管理費もかさむ。政府や東電は、凍土壁の遮水効果を検証して公表するとともに、不十分ならさらなる有効策の検討が必要となろう。
 さらに、凍土壁が完成すれば、建屋周辺の地下水位が急激に下がり、汚染水が建屋地下から漏れ出すことも懸念される。東電には、慎重な運用に努めるよう求めたい。
 汚染水問題では、浄化後の処理水の扱いが最大の難題として残っている。汚染水を多核種除去設備で処理しても、放射性物質のトリチウムは除去できない。国内外の原子力施設では薄めて海に放出しており、規制委もその立場だという。
 しかし、地元漁業者らの風評被害への懸念や、原発事故の当事者である東電への根強い不信感などもあり、海洋放出へのハードルは高そうだ。現在は敷地内のタンクにため続けているが、いずれは限界が来る。
 福島第1原発事故から6年半になる。依然続く汚染水をめぐる問題は、原発事故の恐ろしさや影響の大きさをあらためて突きつけたといえよう。政府や東電は、被災地の人々の思いをしっかり受け止め、誠意をもって問題の解決に当たらなければならない。廃炉や被災地の復興を進める上で、避けては通れないと肝に銘じるべきだ。


東電柏崎原発「合格」へ 根拠のない拙速判断許されない
 東京電力柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)が、再稼働の前提となる原子力規制委員会の審査に「合格」する見通しとなった。東電は言うまでもなく、福島第1原発事故を起こした当事者である。事故は収束せず、検証も不十分なまま。未曽有の災害を招いた責任を自覚しているとは思えない。拙速な判断は将来に禍根を残すことになろう。
 規制委の田中俊一委員長は、東電の原発事業者としての「適格性」を疑問視してきたはず。7月には「福島の事故処理を主体的にできない事業者に再稼働は認めない」との姿勢を示していた。ところが先月末、東電が「廃炉をやり遂げる覚悟」を明記した文書を提出したことを評価、突然容認に傾いた。汚染水の処理方法を政府に一任し、事故処理に多額の国費の投入を求める状況のどこに「主体性」があるのか理解し難い。規制委の「変心」は到底認められない。
 結論を急ぐ背景には、今月18日に退任する田中氏が任期中に重要課題に道筋を付けたい強い意向があったとされる。一方で経営難の東電は柏崎刈羽原発再稼働を再建の柱に据え、一日も早い審査合格を目指している。今回の駆け込み判断は「東電救済のため」と勘繰らざるを得ない。スケジュールありきの拙速判断を許せば、規制委の信頼は根こそぎ失われる。
 適格性を巡り、規制委内にも慎重論はあった。だが審査は原発施設の安全対策の妥当性を評価するもので、適格性の判断を求められていないとの意見に押し切られたといえよう。事業者の安全意識や運転体制をチェックしなければ、安全性は担保されない。施設や「覚悟」といった空疎な文言だけで評価できるはずもない。適格性の有無を加味した厳格な審査を求めたい。
 審査では、東電の不誠実さが目立つ。免震重要棟の耐震不足を3年前に把握しながら報告せず、防潮堤の地盤が地震で液状化する恐れがあることも指摘されるまで認めなかった。社内の連携不足が原因としていることからも、福島の事故の教訓を生かそうという姿勢は見えない。「隠蔽(いんぺい)」を繰り返し、信頼が失墜している会社に原発を運転する資格があるとは思えない。
 そもそも再稼働に必要な「地元同意」が得られる見通しはない。新潟県の米山隆一知事は福島の事故の検証がなければ再稼働の議論はできないとし、独自の検証作業には「3、4年かかる」と慎重な姿勢を崩さない。東電は国民の多くが原発を不安視している現実を直視し、原発に頼らない経営を目指す方向にかじを切らねばなるまい。
 政府は「規制委が安全と判断した原発は再稼働していく」と繰り返している。その規制委は個別原発の安全審査が役割だと強調し、避難計画の実効性の検証に関与しようとしない。有効性が保証された避難計画が立てられない以上、原発はなくすべきだ。なし崩しの再稼働は断じて許されない。


概算要求最大に 防衛費に再び「節度」を
 安倍政権の下、防衛予算はどこまで膨張するのか。概算要求総額は過去最大の五兆二千億円台に。地域情勢は厳しさを増してはいるが、際限なく増やしていいわけはない。今こそ「節度」が必要だ。
 防衛予算の二〇一八年度概算要求は、米軍再編関係費などを含めて総額五兆二千五百五十一億円。冷戦終結後は減少傾向が続いていたが、安倍晋三首相が再び政権に就いて編成した一三年度以降、六年連続の前年度比増である。
 概算要求は、弾道ミサイル防衛関連経費千七百九十一億円や、新型護衛艦(二隻九百六十四億円)や新型早期警戒機E2D(二機四百九十一億円)の取得など周辺海空域での安全確保のための予算を盛り込んでいる。
 イージス艦搭載の迎撃ミサイルを地上に配備する「イージス・アショア」は一基八百億円程度とされるが、金額を示さない事項要求となっており、導入が認められれば、防衛予算はさらに膨らむ。
 背景に、北朝鮮による核・ミサイル開発や中国の海洋進出など、日本を取り巻く周辺地域の情勢緊迫化があることは理解する。
 国民の命と暮らしを守るために必要な防衛力を整備することは、政府の崇高な使命だが、地域情勢の変化を、防衛予算膨張の免罪符にしていいわけではあるまい。
 財源には限りがある。社会保障や教育などほかの分野とのバランスも取らなければならない。整備する防衛力の費用対効果も精緻に検証しなければなるまい。周辺国と軍拡競争の泥沼に陥らないためには、適切な歯止めが必要だ。
 安倍内閣は一三年十二月に閣議決定した中期防衛力整備計画で一四年度からの五年間の防衛予算の総額を「二十三兆九千七百億円程度の枠内」と定めてはいる。
 しかし、例年並みの伸びが維持されれば、米軍再編関係費などを除く当初予算だけで二十四兆円弱という枠を突破する。毎年二千億円程度の補正予算分を含めればさらに膨れ上がる。すでに防衛予算の枠はあってないようなものだ。
 政府は、防衛予算を国民総生産(GNP)比1%以内に抑える枠の撤廃後も「節度ある」防衛力整備の方針を堅持していたものの、安倍内閣が一三年に決めた新しい防衛大綱から「節度」という文言が消えてしまった。
 首相は地域情勢の変化に伴って大綱見直しを指示した。この際、防衛力整備に「節度」を復活させるべきではないか。防衛予算の膨張に歯止めを掛ける時機である。


【概算要求】膨張続く予算は無責任だ
 政府の2018年度予算編成に向けた概算要求が出そろった。各省庁の一般会計総額は約101兆円となり、4年連続で100兆円を超えた。
 財政再建が待ったなしの状況にある中、第2次安倍政権は発足以来、予算を拡大し続けている。しかも、借金頼みというのが実態だ。
 前年度当初予算も要求額を編成作業で一定圧縮したものの、過去最大の97兆4547億円で成立。歳入の35%以上を国債に依存した。今回も同様の流れになる可能性が高い。
 国の債務残高は増え続けており、1070兆円を超えている。国内総生産(GDP)比では先進国で最悪の状態にある。各省庁から上がってきた要求の総額が税収の2倍近いこと自体、安倍政権下の財政規律の緩みを象徴していよう。
 予算とともに借金も膨張し、将来世代につけ回すやり方は無責任だ。国会審議で編成作業から政府の姿勢を厳しく問いたい。
 今回の概算要求では社会保障費と防衛費の伸びが目立つ。
 社会保障費は高齢化の進行や子育て支援の拡充のため、やむを得ない部分もあろう。問題は、防衛費が過去最大の5兆2500億円を超えていることだ。
 内容も、新型輸送機オスプレイやステルス戦闘機、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の導入といった、米軍と一体化が進みかねない項目が目立つ。
 防衛費は16年度予算で初めて5兆円台に乗った。核・ミサイル開発を進める北朝鮮の脅威などに備える必要があるとしても、これほどの拡大路線に国民の理解が得られているとは言い難い。
 特にイージス・アショアは防衛省が金額を示さずに要求した。防衛費をさらに押し上げる恐れがある。
 同様に金額が示されていない要求は他にもある。官邸主導で新たに打ち出した「人づくり革命」の柱になっている幼児教育の無償化だ。
 無償化を大学などにまで拡大するよう求める声もある。国民の関心は高いが、制度設計はこれからで、財源のめども立っていない。
 政権は教育格差の是正や少子化対策に取り組む姿勢をアピールしたい考えだ。支持率の回復も狙うが、財源問題の後回しは許されない。
 安倍政権は経済成長によって財政再建を進める方針を掲げてきたが、シナリオは崩れつつある。
 経済成長率は力強さを欠き、16年度末の税収は7年ぶりに前年度割れした。消費税率10%への引き上げを2度延期しており、歳入増は見通せない状況だ。
 国際公約となっている基礎的財政収支の20年度黒字化も達成は困難な状況といえる。日銀の低金利政策によって国債の元利払いは抑えられているが、政策経費を膨張させては、財政を立て直す意思がないと受け取られても仕方がない。
 借金に頼らない歳入とともに、歳出の抑制に真摯(しんし)に取り組むことが求められる。


クロマグロ 資源管理は緩められぬ
 乱獲で激減している高級魚クロマグロを末永く食べ続けるには、漁獲量が最多の日本が率先して資源管理を徹底する必要がある。
 日本周辺を含む北太平洋のクロマグロの管理を巡り、中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)の北小委員会が開かれた。
 漁獲規制については、資源の回復見通しに応じて漁獲枠を増減させる日本の提案を修正の上、2年後にも導入することで合意した。
 案が採用されたとはいえ、直近1年間の漁獲枠を超過した日本に対する他国の不信感が払拭(ふっしょく)されたとは言い難い。
 国際協調を目指す立場からも、日本はまず現行の枠内に収めることに全力を尽くすべきだ。
 同時に、規制が道内をはじめ沿岸漁業者の経営に影響を与えぬよう、政府に配慮を求めたい。
 親魚の資源量は、2014年にピークのほぼ1割の1万7千トンに落ち込んだ。WCPFCは24年までに約4万1千トンに回復させる目標を掲げており、今会合で新たに34年の目標を約13万トンとした。
 日本の年間漁獲枠のうち小型魚は4007トンだが、16年7月〜17年6月は300トン以上超過した。
 日本提案を巡っては、資源回復の条件をより厳しくした上で枠拡大を検討することで折り合った。
 厳格な管理を求める米国などは当初、枠の拡大に反対していたとされる。漁業大国日本に向けられる厳しい視線を重く受け止めなければならない。
 国内の漁業関係者からは、厳しい規制への不満や、枠拡大を求める声が出ているが、資源量は依然として低い水準にある。
 安易に増やしたりせず、現行枠を厳格に守り、それが資源回復にどうつながるのか、じっくり見極める姿勢こそが大切だ。
 漁獲規制が与える影響については、細心の目配りが必要だろう。
 とりわけ、海に網を固定する定置網では特定魚種だけ捕獲を避けるのは難しい。
 実際、道南の定置網漁では今年7月の数日間に小型のクロマグロが集中してかかり、1年分の道内定置網の枠を超えてしまった。
 その結果、漁の自粛を求められクロマグロ以外の魚種にも影響が広がれば、死活問題になる。
 漁業者側の自助努力ともに、漁獲が超過した地域と枠に余裕のある地域で相殺するといった柔軟な運用も欠かせない。
 定置網に入り込んだ魚のうちクロマグロだけを逃がす技術開発にも期待したい。


[前原民進党]安倍政権に代わる旗を
 民進党の新代表に下馬評通り、前原誠司氏が決まったが、選挙で衝撃的だったのは国会議員票で8票の無効票が出たことである。うち7票は白票だった。
 投票結果が示すのは「解党的出直し選挙」だったにもかかわらず、相変わらず組織のたがが緩んでいるという状況だ。
 当選後の記者会見で前原氏は「大変厳しい党運営になるのではないか」と危機感をあらわにした。
 そんな危機感が表れた新執行部人事なのだろう。
 幹事長には山尾志桜里氏が抜てきされる。当選2回ながら、子どもが保育園に入れないと憤った匿名ブログ「保育園落ちた日本死ね」を国会で取り上げ、注目された。
 代表代行は2人制にし、代表選を争った枝野幸男氏と、前原陣営の選対本部長を務めた大島敦氏を充てる。
 清新さで党刷新を印象付け、保守とリベラルのバランスを取った形である。
 衆院議員の任期は来年12月までだ。それまでには確実に衆院選があり、民進党はこの態勢で党の存亡をかけた勝負に打って出ることになる。
 小選挙区制度の下で、野党第1党は政権党に代わり得る力を持った存在でなければならない。
 だが、旧民主党政権時代の失敗から民進党にはいまだに政権担当能力に疑問符が付く。国会がチェック・アンド・バランスを失う中で、野党第1党が責任と役割を果たさなければ、健全な議会制民主主義は機能しない。
■    ■
 代表が代わっても国民が民進党を見る目の厳しさは変わっていない。
 共同通信の最新の世論調査によると、前原氏に「期待しない」が51・2%で、「期待する」の40・3%を上回っている。前任の蓮舫氏は就任直後には56・9%が期待を示していただけに、前原氏の船出の厳しさを示している。
 前原氏の指導力が問われる試金石となる国政選挙がすぐにやってくる。
 10月10日告示、22日投開票の衆院3補選(青森4区、新潟5区、愛媛3区)である。
 選挙戦で前原氏は共産党を含む野党共闘に否定的だった。共同通信の世論調査で政党支持率は自民党34・7%に対し、民進党は7・5%にすぎない。自公に対抗するには野党や市民との共闘が必要で、民進党が主軸になるべきだ。前原氏は野党共闘を解消して闘えると考えているのであれば、具体的な方策を提示しなければならない。
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 辺野古新基地建設問題で前原氏は推進する立場である。日米合意を重視し「沖縄の皆さんを説得することが大事ではないか」との考えを示す。
 前原氏に聞きたい。沖縄は選挙で何度も何度も新基地反対の民意を示している。それを無視して強行に新基地建設を進める安倍政権の姿勢を容認するということなのか。
 民進党県連も「県民の声を拾い集めた結果」とし、新基地建設を白紙に戻すべきだと前原氏に訴えている。県民の声を中央はどう受け止めるのか。沖縄の現実に向き合うべきだ。


民進代表に前原氏◆路線の違いまとめられるか◆
 崖っぷちに立つ民進党の新代表は前原誠司元外相に決まった。前原氏は2012年末の政権転落以後、代表を代え、党名を変えても回復の兆しが見えない党勢立て直しという難役が任せられる。
 一時、政権を担った民主党の後継政党である民進党は7月の東京都議選で歴史的惨敗を喫し、細野豪志元環境相ら有力議員を含む離党者が相次ぐなど崩壊の危機にひんしている。
連合と連携強化図る
 与党経験を持つ、二つの主要政党が相互にチェックし合い、交代で政権を運営する-。衆院選に小選挙区制度を導入した際、目指したのは健全な二大政党システムだ。しかし、それが破綻する可能性がある。新たに政権交代をなし得る政党が出来るまでには長い時間がかかるだろう。
 その意味で民進党のかじを取る前原氏の双肩には日本政治の行方もかかっていると言っても過言ではない。
 前原氏は就任早々、10月22日の衆院青森4区、新潟5区、愛媛3区の「トリプル補欠選挙」を迎える。3補選はいずれも自民党議員の死去に伴うもので、与党にとっては有利とされる「弔い合戦」となる。
 しかし学校法人「森友学園」や「加計学園」問題、国連平和維持活動の隠(いん)蔽(ぺい)問題で安倍内閣が国民の信頼を失った中で、前原氏が率いる民進党がどれだけ政権与党に批判的な世論の受け皿となり得るかが問われる。
 そこで焦点となるのが、これまで衆院選では明確な協力を行ったことがない共産党、そして最大の支持団体である連合との関係だ。代表選を通じて前原氏は共産党との協力について、理念、政策の一致が前提となるとして慎重姿勢を示してきた。連合については連携強化を図る考えだ。
消費税率巡る対立も
 前原氏の主張は、改選1人区で候補者の一本化を行った16年参院選前までの路線への回帰だ。しかし代表選を戦った枝野幸男元官房長官は、共産党も含めた野党候補一本化に前向きだった。
 また、小池百合子東京都知事に近い若狭勝衆院議員が年内の立ち上げを目指している国政政党との連携についても前原氏は模索する考えを示しているが、党内には「自民党の補完勢力」と切り捨てる意見もある。
 路線の違いをどう乗り越えてトリプル補選を乗り切ることができるのか、前原氏の統治能力が試されることになる。
 政策面でも同様だ。前原氏は教育無償化などのため19年10月に予定されている消費税率10%への引き上げについて予定通りの実施を訴えるが、枝野氏は当面は国債発行でまかなう考えを示した。
 前身の民主党は与党時代、消費税増税を巡って分裂、政権から転落した経験を持つ。失敗の教訓を生かすことができるか否かが党再生のカギを握る。


権力持ち続けている民進新幹事長山尾氏
 ★民進党新執行部の目玉は、幹事長起用が内定した党代表・前原誠司のグループに属する山尾志桜里だ。自民党を含め女性初の幹事長が売り物だそうだが、前代表が蓮舫だっただけに、女性幹事長程度でアピールになるのだろうか。加えて当選2回で政調会長に抜てきされているため、当然幹事長職は視野に入り、サプライズとは言えないだろう。それよりも蓮舫が国籍問題で説明を変えたり、逃げたような印象だけに、それを払拭(ふっしょく)する覚悟が必要だ。これから船出しようとする民進党にケチをつけるわけではないが、山尾の起用には意見がある。 ★山尾は昨年、支部長を務める政党支部の収支報告書で、不明朗なガソリン代の支出が発覚。プリペイドカードで支出したとしていたが、料金チャージの形跡がなく、「元公設秘書が不適切な処理を行った」と釈明した経緯がある。だがこの問題のポイントは元秘書の使い込みではなく、換金可能なプリペイドカードを使っていたことだ。これは過去に与野党問わず、地方議会で発覚している切手代などの換金詐欺にも共通するものだ。この説明も国会ではあいまいなままだ。 ★なぜこうも厳しく指摘するかと言えば、山尾は大学卒業後の04年に検察官任官。東京地方検察庁、千葉地方検察庁、名古屋地方検察庁岡崎支部で勤務した。07年に退官するまで短い期間とはいえ、検察官だったからだ。社会人としては、検察官と国会議員しか経験していない。いずれも立場は違うものの、権力を持つ身を続けているということだ。 ★蓮舫同様、山尾も攻撃力にたけた政治家だ。しかし、その権力に慣れてしまっては困る。そのキャリアやポストに応じて権力は抑制されるべきだ。つまりもっと議員としての研さんを積んでからの幹事長職ならば歓迎するが、このままでは自民党で3回生からポストに就き続けた元防衛相を想起させる。

ゴタゴタ続く前原民進党 内定の山尾幹事長を差し替えへ
 また人事をめぐるゴタゴタだ。民進党の前原誠司代表が、幹事長に内定していた山尾志桜里前政務調査会長を大島敦元総務副大臣に差し替える検討を始めたことが分かった。山尾氏の幹事長起用に反対する党内世論を受け、撤回を余儀なくされたとみられる。
 前原代表は代表選を終えた2日、新執行部の骨格人事を決定。当選2回の山尾氏を幹事長に抜擢したのは、検事出身で、国会質疑で閣僚らに舌鋒鋭く迫る姿を評価したことや、党の刷新感を打ち出す狙いがあった。
 党内からは「政治経験が少ない山尾氏に党務を仕切れるのか」といった不満の声が出たらしいが、首相経験のある前幹事長の野田氏は党を仕切れたのか? まとめられなかったからこそ、都議選で大惨敗を喫したのではないのか。民進党って、ホント、何もわかっていない。


公文書管理改正 国民を向いた対応こそ
 学校法人「加計学園」「森友学園」問題や防衛省の日報隠蔽(いんぺい)問題により公文書管理の改善が迫られている。政府はガイドラインを年内に改正する方針で、有識者委員会が見直しを進めている。年明け以降、各省庁が行政文書管理規則を整備する。
 問われているのは、省庁の関係書類のうち、どれを公文書の一種である行政文書として保存し、どれだけの期間保管するか。委員会ではまず、保存期間を1年未満とする文書の範囲や廃棄する際の責任の所在を明確にする方向性が示された。
 そして、その可否を判断する責任者を各省庁に置く案が浮上している。複数の省庁にまたがる記録は、責任者同士が記載内容に食い違いがないかを確認する。
 では、それで本当に改善されるだろうか。情報公開に消極的な今の姿勢を見ると、身内の責任者を置いたからといって安心できない。
 妥当性をチェックできる仕組みがない限り、恣意(しい)的な判断となる恐れが強い。例えば外部の専門家ら第三者がチェックする仕組みを導入してはどうか。全ては無理だとしても、抜き打ち的に「判定」するのは可能ではないか。
 何より求められるのは、行政文書の具体的基準をはっきりさせておくことだ。
 加計学園の問題を巡っては、重要な内容を含む記録文書について文部科学省が「行政文書としては存在しない」とし、その後公表した際も「通常公表しない個人メモ」と主張した。
 都合の悪い文書を「個人メモ」として隠されてはなるまい。その内容が政策を決める過程に関わる重要なポイントなら、単なるメモではないはずだ。公文書として残すべきものだろう。
 公文書管理法が作成を義務付ける文書には「経緯も含めた意思決定に至る過程」を検証できる内容が含まれる。趣旨に沿った文書作成を徹底しなければならない。
 それが難しいなら「個人メモ」であっても原則保存し、公開対象とする対応も必要ではないか。情報公開に詳しい識者は、文書内容で判断する裁量を官僚に与えず、「メールや共有フォルダーで共有されれば法的に行政文書とすべき」と指摘している。
 本来、各省庁に求められるのは、政権に不都合な情報漏れを防ぐことではあるまい。政策決定の検証に必要な公文書を国民のためにきちんと残すことだ。
 どの方向を向くのかが問われている。政権なのか、国民なのか。公文書管理法が「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置付けていることを改めて肝に銘じたい。


政務活動費 透明性高め正しく活用を
 全国で地方議員の政務活動費の不正が相次ぐ中、上越市議会は、収支報告書に付ける領収書の写しの公開を、インターネットで始めた。県内では初めてだ。
 不正の多くは第三者による収支報告書など公開文書の閲覧、点検をきっかけに発覚した。
 従来は役所に行って手続きをしなくては報告書が閲覧できなかったが、ネットでの公開なら格段にチェックが容易になる。評価できる取り組みだ。
 不正撲滅に向けた両輪は、情報公開の推進と、使途などを定めた運用指針の明確化、厳格化だ。他議会も使途の透明性を高め、正しく活用するために足元を見直して改善を図るべきだ。
 政務活動費は、地方議員の調査研究、研修、広報などの経費として、議員報酬とは別に税金から交付される。
 ところが、領収書偽造による架空請求などの不正や疑惑が相次いで発覚し、「第2の報酬」と問題視されている。
 昨年、富山市議会で政活費の不正取得が次々に明らかになった。定数40の議会で14人が辞職し、補欠選挙が実施された。報告会で出す茶菓子代を水増しするなどして計4千万円超を不正受給した。
 2014年には「号泣会見」で話題になった元兵庫県議が政活費約900万円をだまし取った詐欺罪で有罪が確定した。
 最近では印刷業者への架空発注で政活費を申請した疑いが浮上した神戸市議が辞職した。神戸市議会では別の3市議も政活費を巡る詐欺罪で在宅起訴され、8月に辞職した。
 有権者の負託に応える意味でも、それぞれの議会が信頼の確保へ向け不断に努力していくことこそが不可欠だ。
 上越市議会は富山市の問題を受け、昨年9月、ネット公開とともに支出状況の年2回の確認を決めた。より透明性を高める狙いだ。
 長岡市議会は7月、収支報告書の閲覧手続きを簡略化した。県議会、新潟市議会も既に情報公開請求をせずに閲覧できる。
 富山市議会の再発防止策は「日本一厳しい」とされる。領収書のネット公開のほか、支給前に公認会計士らの第三者機関が審査する「実質後払い制」を導入した。
 茶菓子代や、親族が経営する会社への支出など禁止事項も細かく例示し、公益性や透明性、説明責任を重視した。他議会でも参考になる部分がある。
 一方、政活費への監視が強まることで、議員が極端に萎縮し、活動の幅を狭める恐れを懸念する見方も出ている。
 県議会の16年度の政活費のうち、県議や会派が使い切れず返還した余りは過去最高の約3400万円に上った。支出をためらう県議の姿がうかがえる。
 不正が許されないのは当然だ。ただ、政活費を有意義に使って政策を立案し、首長の行政をチェックする議員本来の役割を果たすためなら遠慮する必要はない。
 透明性を確保した上で、住民生活の向上につながる活動には堂々と支出してほしい。


日野皓正ビンタ事件で、中学生が非難され日野の体罰が支持される異常! 教育的にもジャズ的にも日野がおかしい
 先日よりワイドショーを騒がせ続けているジャズミュージシャンの日野皓正による暴行騒動。すでに報道されているとおり、日野は2005年より世田谷区教育委員会が主催する体験学習で講師として区内の中学生らを4カ月間にわたって指導してきたが、8月20日におこなわれた発表会「日野皓正 presents “Jazz for Kids”」で、ドラムソロを長くとった少年に対し激高した日野が、少年の髪を掴んで揺すった挙げ句、往復ビンタを食らわせた事件だ。
 どんな理由があれ、大人が中学生の少年に対して暴力を振るうなど言語道断。しかし、驚いたことに、ネット上では「指示に従わなかった中学生が悪いよね」「言って分からなければビンタ位はあり」などと日野を擁護する意見が溢れた。
 しかも、それはテレビにおいても同じだった。
 たとえば、8月31日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)では、梅沢富美男が「人前で日野さんが叩くなんて、おかしいじゃないですか。僕だってやりませんよ。よっぽどだと思います」「見ればわかりますよ。スティックとられてもまだ叩いてるんだから。それは舐めてますよ」と中学生の少年を非難。
 また、9月3日放送『ワイドナショー』(フジテレビ)では、バカリズムが「あれ、何で止めればよかったのかなって」「たとえばハリセンとかならショーになるじゃないですか。でも、それで止めるとは思えないし」と、“あの状況ではやむなし”と肯定。「同じバンドメンバーだったとしたら、先生が止めなかったら、裏で殴ったかもしれない」と話した。
 同じバンドのメンバーが楽屋で喧嘩になるのと、指導者の大人が、よりにもよって舞台上で少年に暴力をふるうのとではまったく意味が違うが、そんななかでも、もっとも強く体罰について語ったのは、松本人志だった。
 松本はこの『ワイドナショー』で、“日野に叩かれたことによって少年が反省しているのなら指導として正しかった”と述べ、さらには“自分たちの世代は体罰を受けたが、なぜいまは体罰はありえなくなってしまったのか”と、体罰がいけないという社会の考え方そのものに疑義を呈しはじめた。
松本人志「なぜいまは体罰ダメで昔はよかったのか」発言の無知蒙昧
「なぜいまの時代に(体罰が)ありえないのかっていう、明確な理由を誰も言ってくれないんですよ。なぜいまはダメで、昔はあの、よかったんですか? 明確な理由がわからないんですよ」
「体罰を受けて育った僕らは、別にいま、なんか変な大人になってないじゃないですか。屈折していたり。何なら普通の若者よりも常識があるわけじゃないですか。にもかかわらず、なんか体罰受けて育った僕たちは、失敗作みたいなこと言われているような気がして、どうも納得がいかないんですよね」
 体罰とは、恐怖を与えることで相手に言うことをきかせるという立派な暴力である。それを教育と称して教師という大人から子どもにおこなう行為は非人道的なもので、日本の教育現場では「学校教育法」で禁止されている。だが、日本においては、松本のように「体罰なんか日常茶飯事だった」と語る者は多い。じつは、これが体罰がなくならない最大の原因なのだ。
 教育評論家の尾木直樹は、著書『尾木ママ、どうして勉強しなきゃいけないの?』(主婦と生活社)において、“明治期の感化法で暴力が肯定された以外は教育界で体罰は認められたことはない”とした上で、こう指摘している。
〈それ(感化法)以外に教育界で体罰は認められたことがないにもかかわらず、「昔は先生にバンバンやられたよ」なんて、振り返る人が多いのも事実です。
 それは軍事教練で、戦中に学校教育の中に軍人さんが入ってきたことが大きく影響しているんですよね。軍隊のやり方でビシビシと子どもたちを殴り始めて、それが教育だと勘違いして、軍人ではない教師たちも殴って言うことをきかせるようになってしまったんですよ〉
 つまり、松本の世代を含め、この国の教育現場では戦中の軍事教育が延々と引き継がれてきてしまった、というわけだ。「自分たちの世代では体罰は当たり前だった」としても、けっして「体罰は当たり前」にしてはいけないものなのだ。
 しかも、松本は「自分たちは体罰を受けてもまともに育ったのに」と語るが、このとき彼は、体罰によって死亡した重大な事件をはなから無視している。
 これはとくにスポーツ界の根深い問題だが、暴力を伴う指導を受けて成功をおさめたアスリートは、そのやり方を肯定する者も多い。だが、その一方で、死にいたったり、重篤な怪我をさせられたり、心に傷を負った人はたくさんいる。スポーツ界でなくとも、松本は「自分たちは体罰を受けたが屈折したりしてない」と胸を張るが、松本はすべての体罰を受けた人のその後など知るわけがない。松本の論は結局、生き残った者の体験談、すなわち生存バイアスがかかったものでしかないのだ。
 自分以外の人はどうだったのかという想像力ももたないで、よく自分のことを「何なら普通の若者よりも常識がある」などと自画自賛できるものだと呆れるが、だからこの国ではいまだ体罰が美化され、今回もこうした反応が起こるのだろう。
中学生は正しい。ジャズ的でない行動をとったのは、むしろ日野皓正のほう
 今回の問題は、理由のいかんにかかわらず体罰=暴力事件という意味で日野に非があるのは議論の余地がない大前提として、ジャズの音楽的見地から見ても、ジャズプレイヤーの卵である少年の舞台上の暴走は暴力で制されなければならないようなことなのか。
 たとえば、元ジャズミュージシャンのギター講師・八幡謙介氏は自身のブログのなかで、〈「おのおの決まった小節ずつ平等にソロを回す」という決まりを本番で無視し、自分だけのドラムソロとして食ってしまうことは、<ジャズ的>には全然ありです〉と、少年の行動をジャズプレイヤーの見地から認めている。ただ、〈その後に<回復>できなかったのは彼の責任〉ではあるとしつつも、中学生では仕方がないことだと述べ、こうつづけている。
〈それにしても、この少年の勇気には脱帽です。
 考えてみてください、日本人の中学生が世界的アーティストの監督する舞台の本番で、自らルールを破りジャズの精神に則って<逸脱>したのです!(しかもスティック取り上げられても、髪を掴まれても反抗してる!!)
 この一点だけ見ても僕には彼がそこらへんのプロよりも立派な「ジャズミュージシャン」であると思えます〉
 ジャズを愛するタモリは、以前、「ジャズっていうジャンルがあるようで、ジャズっていう音楽はないの。ジャズな人がいるだけなの」と語っていた。例として草なぎ剛は「ジャズな人」だと言い、ジャズな人は向上心=邪心がなく、「いまを濃厚に生きること」がジャズであると説いた。
 実際、日野もステージ上で暴力を振るったあと、「いろんなハプニングが起きる、これがジャズです」と客席に挨拶して舞台を閉じたという。確かに、即興演奏の果てに予想だにしない出来事が起こり、それを楽しむのもジャズの大きな魅力だ。ならば、暴走した中学生の彼の演奏を、指導者として盛り上げオチをつける、そうした即興のプレイこそ日野には求められていたのではないか。少年の暴走したドラムソロより、暴力によってハプニングを着地させようとした日野の行為のほうこそ非ジャズ的だろう。
日野皓正「トイレのスリッパがきちんと並んでいるのがジャズ」
 日野は、ウェブサイト「billboard JAPAN」のインタビューで講師としての活動に触れていたのだが、そこではこのように語っていた。
「僕は音楽を教えているつもりはないんですよ。少し語弊があるかもしれないけど、音楽の前に人間とはってことだと思うんです。東京の世田谷区で10年以上続けているドリーム・ジャズ・バンドという中学生ビッグバンドのワークショップがあるんですけど、ある時トイレに行くとスリッパが逆を向いている、皆を集めて「お前らは自分のことだけしか考えていないんだろ。次の人が履きづらいだろ。」「皆を思いやる気持ちがないヤツらには音楽(ジャズ)をやる資格はない。」ってね。次のときトイレへ行くとスリッパがきちんと並んでいる。うれしかったね、涙が出たもの、その時は。「これがジャズなんだぞ、覚えておけよ。」、「はい!」みたいな。あと、人と話しするときは相手の目を見て話せよとか、ありがとう、ごめんなさい、これが言える人間にならないとダメだぞとかね」
 ジャズミュージシャンとは思えぬ、まるでPTAの役員かのごとき発言だが、「スリッパ云々がジャズなのか?」という素朴な疑問はともかく、この発言を読む限り日野は「音楽」よりも前に、社会で生活するにあたって必要な「礼儀」といったものを教えたいと志しているのだろう。
 であるならば、よりいっそう、感情に任せて舞台上で生徒にビンタを食らわせるのではなく、違う解決法を探るべきだったはずだ。日野の今回の行動から子どもたちが学ぶことは、「自分の意に沿わない人間には暴力を加えて服従させればいい」ということだ。それは教育ではないし、日野がこの講師の仕事を通して子どもたちに教えたいとしていたこととも矛盾するものである。
 ところで、日野のこの騒動を見て、ネット上では「まるで『セッション』みたいだ」という声が多く聞かれた。確かに、「度を超したパワハラ指導を行う教師と、それに耐える生徒のドラマー」という構図は、まさしく映画『セッション』そのままである。
 3年も前の作品なのでネタバレを承知で書くが、『セッション』のラストではスタンドプレーで猛烈なドラムソロを見せる生徒のアンドリュー・ニーマンに対し、ついにテレンス・フレッチャー先生が折れ、その演奏を認めるところで幕を下ろす。
 今回騒動に巻き込まれた少年も、どうかその心意気を忘れず、いつの日か、『セッション』のラストシーンを再現してほしいものである。(編集部)