ブログネタ
フランス語 に参加中!
あく巻き180524

Un salarié japonais sanctionné pour des pauses-déjeuner de trois minutes
Le salaire du fonctionnaire avait été amputé d’une demi-journée pour avoir quitté son poste quelques minutes chaque semaine afin de s’acheter un repas.
C’est une pause-déjeuner qui coûte cher. Un fonctionnaire de 64 ans s’est vu reprocher par la société publique de distribution d’eau pour laquelle il travaille à Kobe au Japon de prendre des pauses trop longues pour aller déjeuner, a rapporté BFM Business. Le salarié quittait son poste trois minutes chaque semaine pour s’acheter à manger, entre septembre 2017 et mars 2018.
Les dirigeants de la société l’ont sanctionné, en lui retenant une demi-journée de salaire. Un porte-parole de la société concernée a notamment expliqué que ≪ la pause déjeuner se déroulait de midi à 13 h et que le salarié est parti avant l’heure de cette pause ≫ pour justifier sa décision. Selon la même source, le salarié n’a pas respecté une loi visant à ce que les ≪ salariés se concentrent sur leur travail ≫.
La société reprochait notamment au sexagénaire de perdre du temps et l’avait même épinglé après qu’il avait acheté un bento, une boîte-repas très courante au Japon. Mais l’employeur a été rapidement dépassé par la polémique qui a suivi cette sanction, rapportée par les médias locaux. Les responsables de l’entreprise ont dû organiser une conférence de presse d’excuses… diffusée à la télévision.
Les responsables ont fait leur mea culpa, expliquant qu’il est ≪ extrêmement regrettable qu’un tel scandale ait eu lieu ≫ et exprimant leurs ≪ sincères excuses ≫. Les médias locaux ont rapporté cet incident juste après qu’un député a annoncé son intention de régler le problème des journées trop longues au travail.
フランス語
フランス語の勉強?
ETV特集「基地で働き 基地と闘う〜沖縄 上原康助の苦悩〜」
アメリカ統治下、米軍基地で働かざるを得なくなった沖縄の人たち。その労働環境は劣悪で、さまざまな差別を受け続けてきた。そうした労働者たちのリーダーとなったのが、のちに沖縄県選出議員として初の大臣ともなる、上原康助だ。去年8月になくなった上原の自宅からは、58冊の未公開ノートが見つかり、そこには、基地で働きながら、基地と闘った上原の心情が記されていた。上原の人生から、基地の島・沖縄の苦悩にせまる。 中條誠子
ジョンレモン @horiris
しっかりと正面を見て、訴えかけるように、中学生の言葉、一つ、一つが、心に、強く、響きました。涙…
それに比べ…
死んだ魚の目で原稿棒読みの総理大臣…ぜんぜん、伝わってこない。
#沖縄慰霊の日


図書館に本を返すのに,届きません.よく見たら昼過ぎではなくて,3時くらいなのでした.でもすっかり忘れていて返すことできず延滞になってしまいます.
沖縄慰霊の日というのでゴーヤちゃんぷる.単なる偶然ですが,沖縄のことも忘れないようにしたいと思います.

岩沼 ”千年希望の丘”で植樹
復興のシンボルとして整備が進められている岩沼市の千年希望の丘に、ボランティアなど500人あまりが集まり、5000本の苗木を植えました。
震災の津波で大きな被害を受けた岩沼市では、復興のシンボルにするとともに市街地を津波による被害から守ろうと、盛り土した堤防に木を植えてつくる森の防潮堤「千年希望の丘」の整備が進められています。
23日は長谷釜地区にボランティアなど500人あまりが集まり、およそ140メートルの区間にタブノキなど22種類、およそ5000本の苗木を植えました。
参加した人たちは、スコップで土を掘って苗木を1本1本ていねいに埋めたあと、雑草の繁殖を防ぐためのわらを苗木の間に敷き詰めていきました。
参加した小学3年生の男の子は、「始めての参加でしたが、楽しかったです。大きく育ってほしいです」と話していました。
40代の男性は、「これほど多くの人が集まるイベントだとは思っていませんでした。あまり復興支援に関わる機会がなかったので、参加できてよかったです」と話していました。
今回の植樹を企画した事務局によりますと、千年希望の丘には23日の分をあわせてこれまでにおよそ30万本の苗木が植えられたということです。


戊辰戦争での仙台藩士の姿を語る
ことしで戊辰戦争から150年になるのにあわせて、直木賞作家の熊谷達也さんと地元の郷土史家が当時の仙台藩の視点から歴史を振り返る講演会が開かれました。
講演会は、旧幕府側と新政府軍が戦った戊辰戦争で、旧幕府側で戦った当時の仙台藩の藩士たちの姿を知ってもらおうと開かれました。
23日は、幕末の仙台藩をテーマにした小説を雑誌に連載している直木賞作家の熊谷達也さんと、戊辰戦争にかかわった仙台藩士の活躍を調べた本を出版した郷土史家の木村紀夫さんが講演しました。
この中で木村さんは、「新政府からは賊軍といわれた仙台藩の埋もれた歴史を調べていくなかで、当時、会津藩を救うために味方になって戦った立派な人たちが多くいたことを知った。こうした人たちにぜひ関心をもってほしい」と述べました。
また、熊谷さんは、「負けた側の仙台藩にも格好いい人たちがいたというのをぜひ、知ってもらいたい。今の自分は150年前のことがあって存在しているのを実感していて、東北に生まれてよかったと思っている」と作品への熱意を語りました。
会場を訪れた仙台市の78歳の女性は、「当時の仙台藩の人たちのことはあまり知らなかったので、講演会で様々なことを聞くことができ勉強になった」と話していました。


復元25年サンファン館資料展
江戸時代に慶長遣欧使節が乗った船、「サン・ファン・バウティスタ」号が復元されて25年になるのを記念して、関係者から贈られた帆船に関する資料などを展示する企画展が、石巻市のサン・ファン館で開かれています。
「サン・ファン・バウティスタ」号は、江戸時代に伊達政宗の命を受けてヨーロッパに派遣された慶長遣欧使節が乗った帆船で、ことしは復元された船が進水して25年になります。
これを記念して石巻市のサン・ファン館では、関係者などから贈られた帆船に関する資料などを展示する企画展を開いています。
このうち帆船の模型は、大崎市古川の岡崎英幸さん(88)が商船の船員として世界各地を回っているときに空き時間を利用して製作し、コロンブスの航海で使われたサンタ・マリア号や史上初の世界一周をなしとげたマゼランのトリンダート号など24点が展示されています。
東京在住の画家鶴岡孝夫さんから寄贈された、使節団がローマを訪れたときの様子を想像して描いた油絵「支倉常長ローマ市民大歓迎の図」なども展示され、訪れた人たちは細かい描写をじっくりと鑑賞していました。
サン・ファン館学芸員の中澤希望さんは、「当時の様子を想像しながら楽しんでほしいです」と話していました。
この企画展は7月2日まで開かれています。


鉄道網が全面復旧、大阪北部地震 6日目、初の週末で支援続々
 大阪府北部地震の被災地を走る大阪モノレールが、地震発生から6日目の23日に全線で運行を再開し、関西の主要鉄道網は全面復旧した。初の週末を迎え、大きな被害が出た高槻市や茨木市にはボランティアが続々と訪れ、支援が活発化した。
 復旧に手間取った大阪モノレールは支線を加えた営業区間が日本最長の計28キロで、大阪空港と府内のベッドタウンなどをつなぐ。鉄道と構造が異なるため専用の保守点検車両が必要で、作業に時間がかかり、20日から順次運行を再開してきた。


<大阪北部地震>大崎市が危険ブロック点検 県内最多の34ヵ所、巡回撤去や改修促す
 大阪府北部地震を受け、大崎市は危険ブロックの緊急安全点検を行っている。県が把握する小学校に近い倒壊の危険性が高いブロック塀88カ所(仙台市を除く)のうち、市内分は34カ所と県内で最多。職員が所有者を回り、改善を求めた。(23.26面に関連記事)
 21日に着手し、22日は担当職員が3班に分かれ、対象世帯を回った。割れ目が入っていないかなど現状を点検し、所有者の意向も確認した。基礎がなく危険性が改善されていないブロック塀がある家主の男性(77)は「直したいとは思うが、年金暮らしで資金がない」などと語った。
 点検対象のうち一部撤去されたブロック塀もあった。点検結果は27日までにまとめ、県に報告する。
 危険ブロック塀の除去費を最大15万円助成する市の制度の利用は年間10件ほどあるが、危険ブロック塀は残存する。市建築住宅課は「民間所有のため、行政で強制的な措置は取れない。金銭面などの問題があるだろうが、経年劣化も進んでおり、撤去や改修を考えてほしい」と話す。


<大阪北部地震>気仙沼市が市内7カ所に募金箱設置
 大阪府北部で起きた震度6弱の地震で、気仙沼市は22日、市役所や市唐桑総合支所、市立病院など7カ所に募金箱を設置した。9月28日まで受け付ける。募金は日赤県支部を通じて現地に届ける。

<大阪北部地震>「心のケア今後も必要」仙台市先遣隊が被災状況報告
 大阪府北部地震を受け、被災地の支援ニーズ把握のために先遣隊として現地入りした仙台市危機管理室の職員2人が戻り、市役所で22日、郡和子市長に被害の状況などを報告した。
 危機管理室の荒木秀雄参事(56)と平吹聡主査(38)は19〜21日、大阪市と大阪府高槻、茨木両市で市の対応や避難所の様子などを確認した。郡市長に、3市から具体的な支援要請がなかったことを伝えるとともに、地震直後に殺到した電話での問い合わせが落ち着き、避難所に身を寄せる住民が少なくなったことを説明した。
 郡市長は「時間が経過し、(復旧の手続きなど)実務的な要請があるかもしれない。その時は速やかに対応したい」と述べた。
 荒木参事は「大阪府北部では余震が続き不安そうな住民が多かった。心のケアが引き続き必要になるのではないか」と振り返った。


ブロック塀点検4カ月放置、大阪 小学校と市教委の確認後手
 大阪府北部地震で高槻市立寿栄小4年三宅璃奈さん(9)が倒壊したブロック塀の下敷きになり死亡した事故で、同小と高槻市教育委員会による塀の点検は、防災専門家が危険性を指摘してから4カ月近くの間、事実上放置された。市教委職員が別件で学校に寄った際、手持ち道具での点検。安全確認は後手に回った。
 2015年11月2日、寿栄小での講演前に通学路を歩いた防災専門家の吉田亮一氏=仙台市=は、目隠しのため後付けで設置されたと聞いた同小のプールの壁に危険を感じ、学校側に撤去を促した。
 市教委職員3人と校長、教頭での点検が実現したのは16年2月25日だった。


ブロック塀倒壊 無責任が犠牲を生んだ
 守れたはずの命だった−。こんな後悔を二度と繰り返さないように備えたい。大阪府北部地震の強い揺れは、ブロック塀の倒壊という人災に転化し、幼い命を奪った。大人の無責任が奪ったのだ。
 地震はブロック塀を凶器に変える。危険性が知られるきっかけは、一九七八年の宮城県沖地震だった。その反省から八一年の建築基準法の見直しに併せ、ブロック塀の耐震基準が強められた。
 しかし、小学四年の女児が下敷きとなった高槻市立寿栄小学校の塀は、旧基準にさえ違反したまま放置されていた。しかも、三年前に防災専門家が警告したのに、市教育委員会と学校は結果として生かせなかった。
 直ちに撤去したり、改修したりしていれば、と思い返すのもくやしい。
 ブロック塀の高さは三・五メートルと、上限の二・二メートルを大幅に超えていた。旧基準の上限ですら三メートルだった。加えて、高さが一・二メートルを超える場合には、塀を内側から支える「控え壁」を設けなくてはならないのに、それもなかった。
 危険性を指摘され、建築職をふくめた市教委職員らが塀の点検に出向いたが、こうした違法性を見逃していた。亀裂や傾き、劣化度合いのみを確かめ、安全性に問題はないと判断していたという。
 子どもを守るべき安全管理態勢としては、あまりにずさんかつ無責任というほかない。
 学校の耐震強化策といえば、校舎や体育館などの建物ばかりに目が向きがちだ。外部からの不審者の侵入を防いだり、視線を遮ったりする役目を期待されてきたブロック塀も、当然ながら安全対策の対象だったはずだ。
 もちろん、学校だけの問題ではない。今度の地震では、通学路の見守り活動をしていたお年寄りの男性も、民家の塀の下敷きになり、亡くなった。
 街路に立つ塀や壁の安全性について、地域ぐるみであらためてチェックしなくてはならない。
 国土交通省は点検すべき項目を公表している。高さや厚さは適切か、傾きやひび割れはないか、控え壁はあるか、地中に基礎はあるか。
 疑問があれば、専門家に相談したい。必要に応じて補修や撤去を急ぐべきだ。自治体は助成金を出す制度を整えている。当面、注意表示を掲げるのも有効だ。
 地震はいつ、どこで発生するか分からない。しかし、天災が人災に転じるのは防ぐことができる。


ブロック塀倒壊 早急な安全対策が必要だ
 大阪府北部地震で通学中の小学4年女児が学校のブロック塀の下敷きになり死亡した事故は、身近な構造物の危険を浮き彫りにした。早急に点検し、安全対策を講じていかねばならない。
 女児が通う高槻市の小学校では、プールのブロック塀が約40メートルにわたり道路側に倒れた。高さは3・5メートルあり、1・9メートルの基礎部分の上に1・6メートルの塀が積まれていた。
 ブロック塀の高さは建築基準法施行令で2・2メートル以下に制限されている。内部を鉄筋で補強するほか、1・2メートルより高い場合は直角に「控え壁」を取り付け、強度を確保することを求めている。1978年の宮城県沖地震で多くの犠牲者が出たため、高さの基準が引き下げられた。
 だが問題の塀は、高さが法で定める上限を超え、塀と基礎部分をつなぐ鉄筋も短かった。控え壁もなく、なぜ違法なブロック塀が建築されたのか明らかにする必要がある。大阪府警は業務上過失致死の疑いで捜査している。
 さらに塀は3年前、防災の専門家から危険性を指摘されながら、安全性に問題がないと判断されていたことが分かった。高槻市教委はきのう会見し、建築士などの資格のない職員が目視や棒でたたく簡易な手法で点検したと明らかにし、謝罪した。
 その時点できちんと対応しておけば、悲惨な事故は防げた可能性がある。極めて残念でならない。市の責任も厳しく問われよう。
 文部科学省は事故を受け、全国の自治体に小中高校などの塀の緊急点検を要請した。全国でも違法建築が次々と見つかっている。岡山県では法令に適合しない控え壁のない塀が、備前や井原市、矢掛町で見つかった。教訓を無駄にせず、危険性のある塀の有無を徹底確認してほしい。
 学校の耐震化はこれまで、校舎など建物を中心に行われてきた。公立小中学校の耐震化率は昨年4月時点で、岡山県は97・6%に達したが、ブロック塀など建物以外の安全が盲点になっていないか、実態の把握を急ぎたい。
 危険は毎日の通学路や生活道にも潜んでいる。大阪市では高齢男性が倒壊ブロックの犠牲になった。
 ただ住宅の耐震に比べて塀の耐震は認知度が低く、所有者自身が危険を感じていないケースもあるはずだ。国土交通省は、全国の塀の所有者向けに点検ポイントを公表し、自治体を通じて安全確認を求めている。塀の倒壊は危険なだけでなく、緊急車両などの通行の妨げにもなることを所有者も自覚したい。
 異常が見つかった塀の改修や撤去に対する助成の検討もすべきだろう。全国的にはそうした制度を持つ自治体はあるが、岡山県によると、県内には改修などへの直接の補助制度はないという。石井啓一国交相は支援を検討する考えを示した。さまざまな手だてで減災につなげたい。


資格なし職員が検査 大阪ブロック塀崩壊に専門家も呆れた
 大阪北部地震で、高槻市立寿栄小4年、三宅璃奈さん(9)が倒壊したブロック塀の下敷きとなって死亡した事故。
 高槻市教育委員会は、事故前に専門家からブロック塀の危険性を指摘されて点検をしていたが、なんと「資格」のない素人が点検し「安全」と判断していた。きのう(22日)、市教委が会見で明らかにした。
 倒壊したブロック塀の危険性については、地域や学校の安全を全国で講演している防災アドバイザーの吉田亮一氏(60)が、3年前の2015年11月、寿栄小を訪問した時、学校に伝えていた。講演開始前に通学路を歩いて危険な箇所をチェックした吉田氏は、問題のブロック塀に気づき、教頭に「あのブロック塀は危ない」と伝えたという。さらに、念押しする目的で1カ月後の12月、「(1981年の)建築基準法改正前につくられたブロック塀には特に注意が必要」と、注意を促すメールを改めて学校に送っていた。
 ところが、市教委は、翌16年2月、建築士などの資格を持たない職員2人が目視と棒で叩くだけの簡単な点検をしただけで「安全性に問題なし」と判断を下していた。職員2人は、ブロック塀が建築基準法に違反していることも知らなかったという。
 市教委は「人災の可能性は否めない」と認めているが、専門家から指摘されながら、建築基準法に違反する塀を放置し、素人が「安全」と判断をしていたのだから信じられない話だ。
 学校サイドも、せっかく専門家からアドバイスをされながら、深刻に受けとめていなかったという。当時のことを吉田亮一氏はこう言う。
「危険性を報告書にまとめ、メールで送ったのですが、教頭先生から『書類は見ました。校長先生にも伝え、地域の人とも話し合ってみます』との返事があっただけでした。その後はなにもない。学校側は私の話を80%で聞いて、さらに教育委員会は70%で受けとめていたのでしょう。素人がブロック塀を叩いて安全性を判断するなんて信じられないですよ」
 ずさんな対応で幼い命を奪った、その責任は重い。


鵜住居訴訟和解へ 「命を守る」歩みを共に
 東日本大震災時、津波の避難場所でなかったにもかかわらず住民が避難し、推計162人が犠牲となった釜石市の鵜住居地区防災センター。悲劇を繰り返さないため確かな一歩を踏み出す上で、「和解」は望ましい出発点と言えよう。
 センターで犠牲になった市立幼稚園臨時職員の女性の遺族が市に損害賠償を求めた訴訟で、釜石市議会は22日、仙台高裁が提示した和解案の関連議案を可決した。遺族側は既に和解案を受け入れる方針を示しており、7月3日の和解協議で成立する見通しだ。
 和解案は、市が行政責任を認めて犠牲者らにおわびを表明し、原告に印紙代相当額約49万円の和解金を支払うとの内容。女性を含む園職員が園児2人の救命に命懸けで尽力したことに感謝の意も示す。
 「地域住民の命を守る行政としてのあり方を考える碑(いしぶみ)として、将来のために建設的な事実を残したい」
 和解勧告に際しての、裁判長の言葉は説得力がある。
 裁判で白黒を付けるのではなく、悲劇を繰り返さないという強い思いを双方が共有し、歩み寄る。それでこそ、行政と住民が手を携えて防災まちづくりを進めていく後押しになるのではないか。
 防災センターの悲劇をめぐっては、震災前に避難訓練の場所として使われたことなどが問題になり、市が設置した調査委員会は「市の行政責任は重い」と結論づけた。裁判でもこの点が争点になったが、一審の盛岡地裁は遺族側の請求を棄却した。
 高裁は、避難訓練でのセンターの使用が住民に誤解を生じさせる要因になったことなど一審で認められなかった点を問題点に挙げ、課題に取り組む責任があるとした。遺族の思いに寄り添った指摘だ。
 教訓をどう生かすか。調査委の報告書は「従来とは異なる発想」での防災対策を提言し、市は職員の防災士資格取得などに取り組んでいる。要支援者対策などにも力を入れることで、行政責任をしっかりと果たしてほしい。
 鵜住居のみならず、教訓を将来に生かすべき事例は各地にある。特に宮城県石巻市の大川小では児童74人が犠牲になり、遺族が市と県に損害賠償を求め提訴。仙台高裁が「事前防災」の過失を認定したが、市側は上告した。行政責任を真摯(しんし)に受け止めているとは思えない姿勢だ。
 町長、町職員ら39人が犠牲になった大槌町の旧役場庁舎問題も混迷。役場前に災害対策本部を設置した経緯の徹底検証を求める声をよそに、町は解体工事に着手した。
 真に「将来」を見据えているのか。共に歩む出発点を見いだすため、鵜住居訴訟の経緯に学ぶべきだ。


河北春秋
 昨年、東京電力福島第2原発(福島県楢葉町、富岡町)を視察した。東日本大震災で大事故を起こした第1原発から南にわずか12キロ。同じ津波で被災し、やはり電源喪失、原子炉の冷却機能停止の危機に陥った。奇跡的に外部電源が1本つながり、大惨事を免れた▼以後は運転停止中。視察で原子炉建屋を巡り、核燃料プールを眺め、事故当時を再現する管制室の訓練を体験した。廃炉の可否を質問された社員は「地元の意見を聴き、国の原発政策の中で慎重に検討されなくては…」と口が重かった▼県や県議会が廃炉を求める第2原発について、東電社長が「廃炉の方向で具体的な検討に入る」と原発事故後8年目で表明した。風評が根強く、住民の帰還も進まぬ福島で、曖昧な状況が「復興の足かせになる」のが理由という▼なぜ、もっと早く決断できなかったのか。「原発がある限り、風評も不安も消えない」と被災者は口をそろえる。全国の原発再稼働を進めたい政府の思惑に水を差したくない忖度(そんたく)があったのか▼原発事故は終わっていない。第1原発の廃炉作業は先行きが見えず、構内に放射性物質のトリチウム水が88万トンもたまり、海洋放出案に漁業者は反対している。新たな第2原発の廃炉方針を福島の苦難解決への誠実さの証しにしてほしい。

食べて復興応援「うまいもの市」イオン11店舗、あすまで
 東日本大震災で被災した県内の農林水産業の復興を支援しようと、イオンリテール東北カンパニー(仙台市)は22日、「みやぎうまいもの市」を県内のイオン11店舗で始めた。24日まで。
 地産地消推進や販路拡大の取り組みの一環。県産のパプリカやトマト、ギンザケなど約400品目を販売する。
 仙台市青葉区のイオン仙台店では、クリスロード商店街側に特設会場を設置。新鮮な雄勝産の殻付きホヤが売られたほか、ホヤと夏野菜のみそ汁やほやご飯が無料で提供された。
 同社の遠藤博宮城事業部長は「宮城のおいしい品々を召し上がってほしい」と話す。


<放射線監視装置撤去>福島・西郷の作業中止 村議会が中止求める意見書
 東京電力福島第1原発事故後に福島県内に設置した放射線監視装置(モニタリングポスト)を一部撤去する原子力規制委員会の方針を巡り、原子力規制庁は22日、同県西郷村で予定していた撤去作業を中止した。村議会が20日、中止を求める意見書を可決していた。
 村内では装置36台のうち27台が撤去対象となっている。規制庁は4月、行政区長らが集まった会議に担当者を派遣して計画を説明。異論がなかったとして、県内で初めて撤去作業に取り掛かる予定だった。
 村議会は「多くの除染土壌廃棄物が仮置きされている現状からも測定持続が必要」との意見書を全会一致で可決。村が即日、中止するよう申し入れていた。
 規制庁監視情報課の担当者は「今後の進め方は村と協議して決める」と話した。
 撤去は県内約3600台のうち、避難区域となった12市町村を除く自治体に設置した大部分が対象。


復興語る国宝見納め 多賀城・東大寺展あすまで
 宮城県多賀城市の東北歴史博物館で開かれている特別展「東大寺と東北 復興を支えた人々の祈り」が24日、最終日を迎える。
 約1300年にわたる東大寺の歴史の中で、2度の兵火による焼失から復興してきた歩みを寺宝を通して見詰め、東日本大震災からの復興を祈る。創建当時に造られた「誕生釈迦(しゃか)仏立像・灌仏(かんぶつ)盤」(国宝)や、鎌倉時代の復興に尽力した重源上人の晩年を表した「重源上人坐像(ざぞう)」(国宝)などが来場者の目を引いている。
 同博物館、河北新報社、仙台放送、日本経済新聞社、多賀城市で構成する「復興祈念−東大寺展実行委員会」の主催。午前9時半〜午後5時。観覧料は一般1500円、65歳以上1300円、小中高校生600円。連絡先は同館022(368)0106。


<瑞巌寺落慶前夜祭>武者行列がお祝い盛り上げ 宮城・松島
 約10年に及ぶ「平成の大修理」を終えた国宝・瑞巌寺の落慶の前夜祭が22日、宮城県松島町の同寺周辺であった。寺を造営した仙台藩祖伊達政宗らに扮(ふん)した武者行列や花火大会などが海辺の町を彩り、観光客ら約4万人がお祝いムードに浸った。
 武者行列は昼すぎから国道45号を一時通行止めにして行われ、政宗役を務める伊達家18代当主の泰宗さんら総勢約90人が練り歩いた。父親が町出身の俳優千葉雄大さん(多賀城市出身)が2代藩主忠宗役として馬に乗って現れると、「りりしい」「かわいい」などと見物客から歓声が上がった。
 手作り甲冑(かっちゅう)姿の町民や仙台藩志会会員らと、寺にある政宗像のレプリカが行列の前後を固めた。仙台市の観光PR集団「伊達武将隊」と火縄銃を携えた栗原市の花山鉄砲組は、中央広場でそれぞれ演武を披露した。
 上空では航空自衛隊松島基地(東松島市)の「ブルーインパルス」の曲技飛行があり、6機が青空に白い直線や円、ハート形を描くと拍手が送られた。
 日没後は東日本大震災発生後、町内で初の花火大会があり、約4000発が夜の松島湾を彩った。
 前夜祭は町内の任意の官民組織「瑞巌寺慶讃(けいさん)会」が主催した。落慶法要は24日に瑞巌寺で営まれる。


<瑞巌寺落慶前夜祭>陸、海、空から祝福
 宮城県松島町で22日あった瑞巌寺落慶の前夜祭は、梅雨の晴れ間に恵まれ、国内外からの観光客でにぎわった。創建から400年以上たつ寺の周辺では昼から陸、海、空で祝賀イベントが繰り広げられた。
 前夜祭は改造バイク「ブルーインパルスJr.」の展示走行で始まり、沖合から打ち上げる夜の花火大会まで続いた。中でも武者行列を目当てに沿道には人垣ができ、見物客は日本三景の眺めや寺院の風情も満喫した。
 東日本大震災の津波の爪痕を確認する人もいた。見物客の前で武者姿の俳優千葉雄大さんは「(震災は)忘れてはいけないこと」と話した。塩釜市の会社員高橋尊子さん(27)は「他県の方々が来てくれて良い機会だ」と喜んだ。


<金華山沖漁船浸水>救出緊迫 漁労長「いつ沈んでも…」
 第68広漁丸の浸水事故で、55良福丸と順洋丸は荒れる海での難しい救出を迫られた。高波に阻まれながら18人を助けた漁労長2人は気仙沼港に帰港後、「いつ沈んでもおかしくなかった」と緊迫の状況を振り返った。
 「沈没する寸前だ。すぐに向かってくれ」。20日午前2時半、順洋丸の青井亮漁労長(44)から連絡を受けた良福丸の横尾洋助漁労長(66)は急いで現場に向かった。広漁丸の状況を別の船から聞いた青井漁労長が「今から5時間かかる。良福丸なら1時間で着く」と判断した。
 「波の高さは5、6メートル。漁を休むような条件」(横尾漁労長)。良福丸が現場に着いた時、船は既に45度も傾いていた。
 広漁丸までの距離を15メートルまで近づけ、船尾にいた8人の救助に当たった。浮輪を付けたロープで体調不良の3人を救出した直後、ロープが断裂。救命胴衣を着て海に飛び込んだ残りの5人は、別のロープで船に引き上げた。船員たちは「真っ暗な海で電気の明かりを見て安心した」と感謝したという。
 救命いかだにいた10人は、5時間後に現場に着いた順洋丸が救出した。
 広漁丸の漁労長と同世代で仲も良かったという青井漁労長は「全員無事でほっとした」と話す。横尾漁労長は深い息を吐き、「明日はわが身だから」。危険と隣り合わせの海で仲間を思う気持ちを語った。


<金華山沖漁船浸水>残る15人気仙沼帰港 出迎えに涙ぐみ
 石巻市の金華山の東南東沖約850キロの太平洋上で20日、高知県奈半利(なはり)町(ちょう)のカツオ漁船「第68広漁丸」(122トン、18人乗り組み)が浸水した事故で、救助された乗組員が乗ったカツオ漁船「55良福丸」と「順洋丸」が22日未明、気仙沼港に帰港した。先に仙台市内の病院に搬送された3人を除く15人が関係者に迎えられた。
 10人が乗った順洋丸が午前2時15分ごろ、残り5人が乗った良福丸は午前3時5分ごろに到着。広漁丸を所有する大栄水産(奈半利町)の大西博文社長(77)らに声を掛けられ、涙ぐむ乗組員もいた。
 乗組員は気仙沼市内の宿泊先で数日間休養し、地元に戻る予定。大西社長は「一報を聞いて助からないかとも思った。無事でよかった」と声を詰まらせた。
 運輸安全委員会が派遣した事故原因を調べる船舶事故調査官3人は同日午前、気仙沼市入りし、広漁丸や救助した船の乗組員から聞き取り調査をした。


<羽生結弦>宮城県政だよりに特集 1万5000部増刷、東京や大阪でも配布
 宮城県の広報誌「みやぎ県政だより」の7.8月号(7月1日発行)に、平昌冬季五輪フィギュアスケート男子で2大会連続の金メダルを獲得した羽生結弦選手(23)=仙台市出身、東北高出=が登場する。県は通常より1万5000部多く印刷し、県内外で希望者に配布する。
 仙台市中心部で4月22日に行われた祝賀パレードで笑顔で手を振る羽生選手の写真が表紙を飾った。全32ページのうち1ページを使って、2度目となる県民栄誉賞授与やパレードの様子などを5枚の写真で特集した。
 ファンからの問い合わせが多く寄せられることを想定し、各戸向けの通常98万5000部の発行部数を100万部に増やし対応。増刷分1万5000部を県庁や各地方振興事務所などに加え、東京の宮城ふるさとプラザ、大阪事務所で配る。配布は1人1部。
 26日午前10時から県ホームページ内に特設ページを開設し、ダウンロードができるようになる。


増える単身高齢者/現状を直視し社会で備えを
 1人暮らしの世帯が増え続けている。国立社会保障・人口問題研究所が5年ごとに発表する将来推計によれば、2040年には単身世帯が全世帯の39.3%と、15年より5ポイント近く増加。さらに、65歳以上が世帯主となる割合は44.2%に上り、男性の5人に1人、女性は4人に1人が1人暮らしになるという。単身高齢者が安心して暮らしていくには、社会で支える仕組みが不可欠だ。
 1人暮らしの高齢者は、1980年には男性4.3%、女性11.2%だったが、2010年には男性11.1%、女性20.3%と倍増した。高齢化の影響に加え、配偶者と死別後、子どもと同居せず1人暮らしとなる人も増えた。今後は未婚のまま高齢化する男女の割合も増加が予測される。本人の選択というだけでなく、就職氷河期で望む仕事に就けず、非正規労働であることで結婚が困難だった人たちも多いだろう。
 既に多くの先進国で、「夫婦と子ども」の世帯数を単身世帯が上回っており、日本も同様だ。しかし、日本社会のモデルはなお「夫婦と子ども」世帯であり、手薄な社会保障を家族の支えで補完することを前提としている。
 90歳、さらには100歳を超えて続くかも知れぬ人生設計を考えれば、長く働いて年金の受給を遅らせ、蓄えを後に残さねばならない。まずは男女ともに安定して働き続けられる環境の整備が必要だ。
 しかし、単身者の場合、病気やけが、不慮の事故などで一気に貧困リスクが高まる。もともと所得の少ない人や、自営業などで基礎年金しか支給のない人ならなおさらだ。いざというときに頼れる地域や人のネットワークづくりも、仕事と両立するのは難しく、孤立する危険が高い。
 介護サービスの需要増は明らかで、人材確保は喫緊の課題だが、効果ある対策はなお見えてこない。親の介護のために未婚の子どもが離職することになれば、そこから悪循環に陥りかねない。
 単身者にとっては、入院や施設・賃貸住宅入居時の身元保証も課題だ。保証人のいない高齢者の入居を嫌がる住宅や施設は少なくなく、自治体や成年後見人による身元保証が望まれている。
 介護や医療のサービスを受けようとしても、自己負担を強いられ、思うような生活ができない懸念がある。サービスを自前で購入できる一部の富裕層のみが、豊かな老後を送ることができる。それが私たちが望んできた国のあり方なのだろうか。
 消費税増税以前に、将来の安心が無ければ、蓄えを消費に回せないのは当たり前。家族の支えに期待する仕組みを脱し、社会保障による公的支援があり、今の痛みがいずれ給付の形で適正に再分配される選択肢を示してほしい。誰もが単身高齢者になる可能性を見据えなければならない。


沖縄戦73年、平和へ祈り 「国民全体で基地負担を」
 沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった20万人超をしのぶ「慰霊の日」を迎えた。73年前のこの日、沖縄戦の旧日本軍による組織的戦闘が終結したとされる。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」(県など主催)が営まれた。翁長雄志知事は平和宣言で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を阻止する姿勢を貫くとともに、国民に基地負担の軽減を求めた。
 来年4月末に退位される天皇陛下は6月23日を、8月の広島や長崎への原爆投下日や終戦の日とともに「忘れてはならない日」としてきた。


きょう沖縄慰霊の日 本土との溝をどうするか
 沖縄はきょう「慰霊の日」を迎えた。73年前の沖縄戦で旧日本軍による米軍との組織的戦闘が終結したとされる日だ。
 米軍の本土侵攻を遅らせようと3カ月近くに及んだ持久戦で約20万人が犠牲となり、うち約9万4000人が一般の住民だった。軍に集団自決を強いられるなど、県民の4人に1人が命を奪われた凄惨(せいさん)な戦争であったことを忘れてはならない。
 米軍の占領統治も苛烈を極めた。住民の多くは一時、収容所に入れられ、「銃剣とブルドーザー」による基地建設で住む土地を追われた。
 一般に日本人の近現代の時代認識は「戦前」「戦後」に区分されるが、沖縄では1972年の本土復帰が画期となる。戦後日本の高度経済成長を共有できず、経済格差と基地負担の不公平という本土との溝を抱えたまま復帰後の沖縄が形作られた。
 そして今あるのは、国土面積の0・6%しかない沖縄に米軍専用施設の70%が集中する現実だ。
 かつて「沖縄イニシアティブ」というリポートがあった。沖縄サミット(主要国首脳会議)の開かれた2000年に琉球大の教授らが発表し、米軍基地の存在意義を認める内容に当時、異論も多かった。
 だが、それまでの反基地闘争や独立論などと一線を画した沖縄の自立論はその後の保守県政に大きな影響を与えた。基地の整理・縮小が確実に進むなら、日本の一員として安全保障面の役割をある程度担いつつ、地域の特性を生かして自立的に発展していこうという考え方だ。
 本土との溝を埋めようとする沖縄からのアプローチともいえるが、政府側はかたくなだ。沖縄振興への財政支援と引き換えに、沖縄の頭越しに日米間で決めた米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設受け入れを迫る姿勢に終始している。
 これでは日本の安全保障が沖縄の犠牲の上に成り立ってきた従来の構図と変わらない。沖縄戦以降の歴史的経緯から目を背け、移設に反対する人々を敵視するような言論がネット上などに発信される状況は、政府の対応とも無縁ではないだろう。
 本土側の無理解が沖縄への偏見を助長し、沖縄と本土の溝を広げている。歴史を見つめ直し、この悪循環を止めなければならない。


沖縄慰霊の日/「盾」と見なす意識は今も
 沖縄はきょう、先の大戦で組織的な戦闘が終結した「慰霊の日」を迎える。
 約3カ月の戦いによる犠牲者は20万にのぼる。半数近くは民間人だった。連合軍の本土侵攻を食い止めるための「捨て石」作戦と位置づけられていた。
 終戦から73年を経ても、沖縄には在日米軍専用施設の約7割が集中する。住宅地には爆撃機の騒音が響き、軍関係者による犯罪も跡を絶たない。
 米軍の存在は日本全体の安全保障と密接に関わる。それなのに負担集中が解消されないのは、沖縄を「盾」と見なす意識が今も政府内に根深くあるからではないか。
 その意識を払拭(ふっしょく)し、沖縄が平和の島として発展する方策を探ることが、多大な犠牲と苦難の歴史に報いる道である。
 今年に入り、東アジアの安全保障環境は劇的な変化を見せている。米国と史上初の首脳会談に臨んだ北朝鮮は、非核化に取り組む姿勢を示した。これに呼応してトランプ米大統領は、在韓米軍撤退に言及した。
 朝鮮半島は世界で唯一、冷戦状態が続いている。それが、在日米軍の巨大な戦力を維持する理由の一つとされてきた。
 北朝鮮の非核化が進めば、アジアの状況は移り変わる可能性がある。在日米軍の存在理由が問われることにもなるだろう。
 政府が本気で沖縄の負担軽減に取り組むなら、基地の再編や縮小も含めた米国との協議を始める好機になりえる。
 しかし政府は米軍普天間飛行場の移設を巡り、名護市辺野古沖への土砂投入を8月17日にも始めると沖縄県に通知した。地元の猛反発を押し切り、「唯一の解決策」として工事を強行する構えを崩さない。歴史の転換を捉えて沖縄の苦境を和らげようとする意志は感じられない。
 激戦地の一つ、宜野湾市の嘉数(かかず)高台公園を訪れた際、銃撃で無数の穴が開いたまま残るトーチカのそばで、散歩をしていた住民が語りかけてきた。祖父もここで亡くなった、と。
 多くの命を奪った戦いの悲惨さは後世に語り継がれ、県民は今もわが事のように受け止めている。その声に真摯(しんし)に耳を傾けながら、沖縄と日本の姿に思いをはせる日にしたい。


沖縄慰霊の日 寄り添う姿勢が見えぬ
 沖縄はきょう、慰霊の日を迎える。住民を巻き込み、日米で計20万人以上が犠牲者となった沖縄戦が終結してから73年がたった。
 長い米軍統治の時代を経て、日本復帰46年後の今も米軍基地の過重な負担に苦しんでいる。
 安倍晋三首相は「沖縄の気持ちに寄り添いながら基地負担の軽減に全力を尽くす」と述べている。
 現実は正反対だ。政府は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を強引に推し進めている。米軍機の事故が頻発しているのに、県が求める日米地位協定改定には全く取り組もうとしない。
 日米安保体制の「抑止力」の名の下に、沖縄に犠牲と負担を強いる。そんな政治の進め方は、早く終わりにしなければならない。
 辺野古移設問題は11月の県知事選に向け大きなヤマ場を迎える。
 政府は埋め立て区域への土砂投入を早ければ8月17日に開始すると県に通知した。
 投入すれば原状回復は困難になる。2月の名護市長選での与党系候補勝利を追い風に、建設を既成事実化させる考えなのだろう。
 これに対し翁長雄志(おながたけし)知事は埋め立て承認の撤回を明言している。移設の賛否を問う県民投票実施を求める署名活動も行われている。
 名護市長選で与党候補は移設の賛否を明言せず、世論調査は反対が多数だった。民意は移設を認めてはいない。土砂投入を強行する問答無用の姿勢は認められない。
 翁長氏は県議会で、米朝首脳会談を受けた緊張緩和に関し「国際情勢がこれだけ変わっている中でも、何ら関係することなく基地を着々と造っている」と述べた。
 北朝鮮の非核化の行方は予断を許さないが、安全保障環境の変化による移設の必要性を検証もしない対応は批判されて当然だろう。
 先週、嘉手納基地のF15戦闘機が那覇沖で墜落した。県は安全が確認されるまで同型機の飛行中止を求めたが、米軍は今回も聞き入れず、2日後に訓練を再開した。
 米軍の特権的振る舞いを許す根拠となっている日米地位協定の改定こそが、待ったなしの課題だ。
 県は3月、ドイツ、イタリアが米国と結んだ地位協定と日本の協定を比較した報告書を公表した。
 日本と違い、独伊の駐留米軍の活動に国内法の適用が定められ、米軍機事故への自国の調査権も認められている。
 政府はなぜ不平等な協定を容認しているのか。首相が「寄り添う」と言うのなら、沖縄の問題提起を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。


沖縄慰霊の日 「痛み」への共感が前提だ
 太平洋戦争の末期、沖縄は多くの住民を巻き込んだ地上戦の悲惨な戦場となった。その組織的戦闘が終結したとされる6月23日にちなみ、きょう沖縄全戦没者追悼式が開かれる。
 沖縄は戦後も苦難の道を歩んだ。米軍は「銃剣とブルドーザー」で土地を強制接収し、基地を建設した。現在も国内の米軍専用施設の約70%が同県内に集中し、県民は基地のもたらす過重な負担に苦しんでいる。
 政府は今、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を進めようとしている。一方、沖縄県は「県内移設では負担軽減にならない」と反発、国と県の対立は深まる一方だ。
 そうした中で、本土から沖縄に心を寄せた政治家が、今年1月に92歳で亡くなった。自民党の野中広務元官房長官だ。
 野中氏は政権運営に豪腕を振るう一方で、平和への思いは強く、沖縄振興に力を尽くした。
 1997年、沖縄の米軍用地を継続使用するための特別措置法改正案が衆院で可決された。この際、改正案を審議した特別委の委員長だった野中氏は、本会議の委員長報告で、沖縄を初めて訪れた時の体験を語った。
 野中氏が乗ったタクシーの運転手が急に車を止め「あの田んぼのあぜ道で私の妹は殺された。アメリカ軍にじゃないんです」と言って泣き、車を動かすことができなかったという。
 野中氏は本会議場で「その光景が忘れられません」と述べ、こう続けた。「どうかこの法律が沖縄県民を軍靴で踏みにじるような結果にならないよう、若い皆さんにお願いしたい」
 野中氏は基本的には自民党の沖縄政策を進めた政治家だ。その野中氏がここで示したのは「沖縄の痛みへの共感」と「沖縄を力で抑え込む政治への危機感」だ。この思いを今の政治家は受け継いでいるだろうか。
 安倍晋三政権は8月中旬にも辺野古沖へ土砂を投入する方針を固めた。これに対し翁長雄志知事は、埋め立て承認撤回などで抵抗するとみられる。安倍政権は「沖縄に寄り添う」と言いながら、県の反対を押し切って辺野古移設を「粛々と進める」構えで、11月の知事選で翁長県政の打倒を目指している。
 力で押しまくる政権のやり方は正しいのか。野中氏のような「沖縄とともに泣く」政治家が今、政府や与党の中枢に見当たらないことが、基地問題の解決を阻んでいるのではないか。
 国が沖縄の主張を取り入れるにしても、逆に沖縄を説得するにしても、まず沖縄の痛みに共感することが前提だ。安倍政権は力尽くの姿勢を改め、「沖縄への共感」を土台にした基地政策を組み立てるべきである。


慰霊の日 平和への一歩刻む日に
 核兵器と平和構築を巡る慌ただしい動きの中で、私たちは戦後73年の「慰霊の日」を迎えた。平和への確実な一歩を刻む日としたい。
 トランプ米大統領との初会談で、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は「朝鮮半島の完全非核化」を約束した。トランプ氏は非核化に向けた対話の継続中は米韓合同軍事演習を中止する意向を示し、米韓両国は8月に予定していた軍事演習の中止で合意した。
 この劇的な合意を日本は果たして予想し得ただろうか。朝鮮半島の非核化と軍事的緊張緩和に向けた動きの中で日本の役割を考えるべきだ。米国、中国、韓国との連携を緊密にする必要がある。さらに、60年以上休戦状態にある朝鮮戦争の終結を求めたい。
 朝鮮戦争が終結すれば、在沖米軍基地の性格は変化を迫られる。政府が喧伝(けんでん)してきた
「北朝鮮の脅威」がなくなれば、
在沖米軍基地の「抑止力」は根拠を失う。辺野古新基地を建設する必要も当然なくなる。
 毎年の慰霊の日に、私たちは沖縄戦の犠牲者を悼み、基地のない平和な沖縄の実現を希求してきた。県民の願いが今年ほど具体性を帯びたことはなかったであろう。
 私たちは沖縄全戦没者追悼式における安倍晋三首相の発言に注目している。米朝首脳会談における共同宣言、米韓合同軍事演習中止を踏まえ、沖縄の米軍基地負担の是正に向けた方策を提示すべきだ。
 残念ながら政府は県民の願いとは逆の方向に突き進んでいる。辺野古新基地に関して沖縄防衛局は8月17日に土砂を投入すると県に通知した。実行に移せば、大浦湾の生物多様性は取り返しがつかないほど破壊される。
 宮古、八重山では住民意思が二分する中で陸上自衛隊配備が進められている。軍事的緊張を高める可能性は十分にある。住民の住環境への影響も出てこよう。
 そして憲法である。憲法9条の改正を目指す安倍首相は今年3月の自民党大会で「憲法にしっかりと自衛隊を明記し、違憲論争に終止符を打とう」と宣言した。灰燼(かいじん)に帰した国土の中から日本国民が手にした財産の一つである平和憲法の条文が改められようとしている。
 朝鮮半島の緊張緩和が現実味を帯びている今、日本はどの方向へ向かうのか。慰霊の日に見定め、沖縄が進むべき道を改めて確認したい。
 名護市の民間地で銃弾のようなものが見つかった。米軍の演習場から飛んできた可能性がある。県民は今も米軍演習に生命を脅かされている。
 沖縄戦で鉄血勤皇隊や学徒隊などとして戦場に動員された元学徒が4月、旧制中学や師範学校における動員の実態解明と戦争体験の継承を求め「元全学徒の会」を組織した。
 自らが体験した悲劇を繰り返さないという意思に基づく行動でもある。私たちは元学徒の思いも胸に、平和の歩みを続けなければならない。


[慰霊の日に]気付きの機会つくろう
 糸満市摩文仁の平和祈念公園に「平和の礎」が建設されたのは、戦後50年に当たる1995年6月23日のことである。
 刻銘碑の中に肉親の名前を見つけ、指でなぞりながら泣き崩れる年老いた女性の姿は、今も記憶に鮮やかだ。
 だが、沖縄戦で亡くなった多くのハンセン病患者は当初、遺族からの申告を原則としていたため、刻銘されなかった。
 刻銘条件が緩和され、地縁団体からの申告が認められるようになったのは2004年からである。04年から3年かけ、382人が刻銘されたという。
 「戦争の時は、健康ほどいいものはないですよ」
 沖縄愛楽園(名護市済井出)の入所者がさりげなく語ったこのひとことは、聞く者に重く突き刺さる。
 日本軍は米軍上陸を控え、在宅のハンセン病患者を強制的に愛楽園に収容した。450人の定員がたちまち913人に膨れ上がる。
 劣悪な環境の下で防空壕づくりに従事させられ、マラリアや栄養失調などで亡くなる者が相次いだ。
 訪れる機会の少ない愛楽園の資料館を見学し、資料や証言などを通して戦争の実相に触れることは、「気付き」に満ちた体験となるだろう。
 平和教育も平和学習も慰霊行進に参加することも「気付き」の第一歩である。
 読谷村波平のチビチリガマが少年4人によって荒らされた事件は、遺族会などの事後サポートによって「気付き」を促す機会となった。
■    ■
 チビチリガマは沖縄戦の際、「集団自決(強制集団死)」で住民83人が非業の死を遂げた場所として知られる。
 階段を下った谷底にガマの入り口があり、その場所を覆い隠すかのように、木が生い茂っている。
 ガマの周りに、祈りの姿をかたどった小さな野仏がぽつんぽつんと立っている。昨年9月の事件で保護観察処分を受けた少年たちが、村内に住む彫刻家・金城実さんの手助で共同製作したものだ。
 遺族会会長の與那嶺徳雄さんのもとには少年たちが記したリポートも届いている。
 犯した過ちに向き合うことと、チビチリガマを巡る歴史の実相に触れること−それこそが「気付き」の体験そのものだと言っていい。
 上からの押しつけによって知識を詰め込むのではなく、ことりと胸に落ちる経験を大切にする。平和教育や平和学習に対するマンネリ感に向き合わなければ若い人たちの「沖縄戦離れ」を食い止めるのは難しい。
■    ■
 ひめゆり平和祈念資料館は、1989年の開館以来、寄せられた感想文を「感想文集ひめゆり」として毎年度ごとに発行し続けてきた。
 ひめゆり平和祈念財団代表理事の仲程昌徳さんがその一つ一つに目を通し本にした。
 入館者の感想文を仲程さんは「館の宝物」だと表現する。
 「気付き」は決して一方通行ではない。体験者と非体験者が年齢差を超えてともに学び合う−そんな関係が生まれているのだと思う。


沖縄慰霊の日 過重負担考える契機に
 太平洋戦争末期、日米の地上戦があった沖縄は「慰霊の日」を迎えた。73年前の6月23日に旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされ、糸満市で全戦没者追悼式が開かれる。式典には遺族や翁長雄志沖縄県知事らが参列し、犠牲者の冥福を祈り、平和な世界の実現を誓う。
 沖縄戦では20万人以上が命を失った。激戦に多くの住民も巻き込まれて悲惨な運命をたどり、本土防衛の「捨て石」にされたと指摘される。
 戦後も沖縄には多数の米軍基地が置かれ、住民は米軍を巡る事件や事故に苦しんできた。翁長知事は追悼式の平和宣言で、沖縄の基地負担の重さを改めて訴える。
 沖縄戦の体験者は高齢化し、年々少なくなっている。国民全体が、戦いの実相を見詰めて次の世代に伝えるとともに、沖縄が背負ってきた不条理な過重負担について考えてもらいたい。
 1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸した。「鉄の暴風」と形容されるすさまじい砲撃、空襲などで旧日本軍の敗勢は明らかだった。
 日本側は住民も動員、年少の男女学生が兵士の補助や負傷兵の看護などに従事したが、被害は拡大するばかりだった。
 ガマと呼ばれる自然壕(ごう)での集団自決もあり、県民の4人に1人が亡くなった。昨年死去した大田昌秀・元沖縄県知事は自らの学徒動員体験から、軍隊は民間人を守らないとしていた。
 戦後、沖縄を統治した米側は土地を接収して基地を建設、今も全国の在日米軍専用施設の約70%が集中する。
 その沖縄では、米軍兵士による凶悪事件や米軍機の事故などが繰り返されてきた。しかも日米地位協定の壁で、日本側の捜査や原因究明が阻まれるケースが目立った。最近も米軍ヘリコプターの窓の落下や不時着、嘉手納基地のF15戦闘機の海上墜落など事故、トラブルが相次いだ。米軍が日本政府や沖縄県の安全確認要請を無視する形で、飛行を再開する事態も起き、住民らに不安を抱かせている。
 政府は「沖縄の基地負担軽減を」と強調するが、大きな進展は見られない。市街地にある米軍普天間飛行場の返還は緊急課題とはいえ、政府が進める名護市辺野古への県内移設計画が負担軽減になるのだろうか。
 初の米朝首脳会談後、朝鮮半島など東アジアの安全保障環境は大きく動きだした。在日米軍の位置付けも変化が予想される。政府には国際情勢を見極め、沖縄の真の負担軽減につなげるよう求めたい。


沖縄慰霊の日 あきらめを強いるな
 戦争末期、本土防衛の「捨て石」とされ、苛烈(かれつ)な地上戦となった沖縄戦から73年―。過重な基地負担は、新たな基地の建設によってさらに増そうとしている。それなのに、本土の私たちの関心は薄らいでいないか。
 きょう、沖縄は「慰霊の日」を迎えた。日本軍が組織的な戦闘を終えた日である。戦場は凄惨(せいさん)を極め、犠牲になった県民は12万人余に上る。大半が民間人だった。
 米軍の艦砲射撃や爆撃だけではない。壕(ごう)に避難した住民を追い出す、スパイと疑い殺害する、といった日本兵の暴虐が相次いだ。
 戦火を逃れても人々の苦難は続いた。米軍は収容所に住民を隔離して土地を奪い、広大な軍用地を確保した。日本の主権回復後も沖縄は米軍の統治下に置かれ、強権による土地接収が進んだ。
 その歴史が今日につながっている。国土面積の0・6%にすぎない沖縄に在日米軍基地の7割が集中する。1972年に日本に復帰した後も、沖縄は「基地の島」であり続けてきた。
 そして今、政府は名護市辺野古で新たな基地の建設を強行している。抗議する住民を実力で排除し、埋め立て予定地の海域で護岸工事を始めてから1年余が過ぎた。
 米軍普天間飛行場を移設し、沖縄の基地負担を軽減すると政府は言う。けれども、計画しているのは、大型船が接岸できる護岸などを備えた巨大な新基地だ。むしろ負担は重くのしかかる。
 8月半ばにも海域に土砂を投入する方針を政府は既に県に通知した。埋め立てが始まれば、海を元に戻すのは難しくなる。既成事実を積み上げ、あきらめさせる狙いが透ける。沖縄の人々の気持ちを踏みにじるやり方である。
 米軍の土地接収に抵抗する「島ぐるみ闘争」が50年代に起きて以来、沖縄の人々は基地を拒否する声を上げ続けてきた。力ずくで押さえつけ、政府の方針に従わせるのは民主主義ではない。
 朝鮮半島の情勢は、対話による解決へ大きく局面を転じている。この機に政府は在日米軍基地のあり方を見直し、沖縄の民意を踏まえて、廃止や国外への移転を米国と交渉すべきだ。
 名護市長選は、政権与党の支援を受けた候補が基地問題の争点化を避けて勝利した。建設阻止を掲げる翁長雄志知事は膵臓(すいぞう)がんの手術を受け、秋の知事選への立候補を明言していない。沖縄には閉塞(へいそく)感も漂う。だからこそ、本土の私たちが政府に声を上げ、状況を変えていく一歩にしたい。


沖縄慰霊の日/本土を含めた安保戦略を
 太平洋戦争末期の沖縄戦の終結から23日で73年。沖縄県糸満市摩文仁の石碑「平和の礎」に、今年も新たに判明した戦没者58人の氏名が刻まれ、総数は24万1500人を超えた。慰霊の日に、あらためて非戦を誓いたい。
 沖縄に集中する在日米軍専用施設は、北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の軍備拡張など日本を取り巻く安全保障環境の悪化を理由に維持・強化されてきた。その東アジア情勢が今、大きく動きだしている。米朝首脳会談の実現で、北朝鮮を巡る緊張は緩和に向かう可能性が生まれた。1953年から休戦状態にある朝鮮戦争の終結も視野に入る。
 東シナ海と太平洋の境界に位置する沖縄本島は、地政学上の戦略的重要性が指摘されてきた。米陸軍戦史局の沖縄戦の記録も「沖縄は中国沿岸と日本本国両方に前進できる線上にあった」と記している。その地理的な条件は今も変わらない。
 だが、はっきりしているのは沖縄を再び紛争の地とする選択肢はあり得ないということだ。地理的条件は沖縄が東アジアの経済や人的交流の拠点となり得る可能性を示すものでもある。朝鮮半島の冷戦構造が大きく動く機会を捉え、平和と自由経済を発展させる新しい国際秩序の構築を目指すべきだ。非戦の構想は日本が主導したい。
 沖縄は本土決戦を遅らせるために戦地となり、米軍との激しい地上戦で県民の4人に1人が亡くなったとされる。
 戦後、住民が暮らしていた土地に米軍基地が建設され、今では在日米軍専用施設の約7割が沖縄に集中する。安全保障上の負担を沖縄に押し付ける構図だ。
 朝鮮戦争も沖縄に深い関わりがある。沖縄の米軍嘉手納基地や普天間飛行場は朝鮮戦争時に結成された国連軍が使用できる基地でもある。有事の際は北朝鮮の攻撃目標になるとされてきた。
 経済面でも、朝鮮戦争による特需は日本経済復興の足がかりとなった。大手建設会社の社史が「建設業界も朝鮮戦争時の沖縄米軍基地工事を契機に活況を呈した」と記録するように、朝鮮戦争を背景に本土の建設会社は利益を上げた。ここにも沖縄の負担の上に本土が潤う構図があった。
 米朝協議の行方とその影響は楽観視はできない。トランプ米大統領は在韓米軍の縮小検討を示唆する。朝鮮半島から米軍が退けば、有事対応への懸念が強まり、在日米軍の強化や自衛隊の役割拡大の議論につながる可能性もある。中国も軍備拡張を続けている。この地域を巡る各国の駆け引きは激しくなるだろう。
 しかし沖縄にこれ以上の負担を押し付けるのは無理がある。今必要なのは本土を含めた総合的な安全保障戦略だ。
 政府は普天間飛行場を名護市辺野古へ移設し大規模な施設を造る工事を進めている。しかし東アジアが緊張緩和に向かい、対話と協力の地域環境が生まれるならば、基地強化は見直すべきではないか。
 ところが政府は米朝首脳会談の日に、辺野古沖を埋め立てる土砂投入を8月に行うと県に通知した。翁長雄志県知事は前知事の埋め立て承認を撤回する意向を示して対抗する。県との対立を深めるのではなく、激変する安保環境を見据えた将来構想を政府に求めたい。


沖縄出身のりゅうちぇるが「慰霊の日」に向け語っていた戦争、米軍基地への強い思い
 沖縄戦から73年──本日6月23日、沖縄は「慰霊の日」を迎えた。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の沖縄平和祈念堂では、翁長雄志知事や安倍首相が出席のもと、沖縄全戦没者追悼式がおこなわれる。
 そんななか、あの沖縄出身タレントが、この慰霊の日に合わせて平和へのメッセージを発信した。独特のキャラクターで一躍人気者となった、りゅうちぇるだ。
 それは、朝日新聞の西部・大阪版に6月18日付で掲載されたインタビューでのこと(21日付でデジタル版にも掲載)。このインタビューでりゅうちぇるは、自身のルーツと沖縄への思いを、初めて踏み込んだかたちで語っているのだ。
「沖縄では若い子もおじい、おばあから戦争当時の話をよく聞きます。10代だった僕の父方のおばあは「アメリカに捕まるくらいなら、爆弾で死のう」と言って集団自決しようとする群れから、1人だけ逃げて生き残ったそうです」
 住民を巻き込んだ戦闘は残酷を極め、死亡した民間人は約10万人、県民の約4人に1人が亡くなったといわれる沖縄戦だが、なかでも多発した住民の集団自決は、強制的な集団死に追い込まれたというべきもので、沖縄戦のむごさを象徴している。そんな苛烈な状況を生き抜いた祖母の記憶を、りゅうちぇるは引き継いでいるのだ。
 その祖母は戦後、「戦争中に日本に来た米兵」と結婚。りゅうちぇるの父が生まれたが、その後、祖父と祖母は離婚。祖父はアメリカに帰ったのだという。「戦争は人を変えてしまう。皆が皆悪い人じゃないし、皆が皆いい人でもない」──。おばあはそう語っていたとりゅうちぇるは振り返り、「(おばあは)米兵や祖父を悪く言いませんでした」と言う。
 沖縄では多くの人が戦争を抜きでは語れない人生を抱えている。だが、それは戦争体験者だけのものではない。米軍基地という、危険と隣り合わせの現実がそこにはあるからだ。りゅうちぇるは基地問題についても語っていた。
「今も米軍基地があるから、戦争を身近に感じます。宜野湾市にあった自宅前には普天間飛行場があり、ヘリコプターや飛行機が爆音を響かせて飛行するのは当たり前の光景でした」
 この「当たり前」は現在進行形の話であり、その上、騒音にくわえて“墜落”“落下物”の恐怖にも晒されている。ご存じ通り、名護市沿岸でのオスプレイの墜落や東村高江でのCH53Eの不時着・炎上をはじめ、米軍機の事故が相次いで起こっているが、昨年12月には普天間基地近くの緑ケ丘保育園の屋根に「US」などと書かれたプラスチック製のCH53Eの装置カバーが落下するという事故が発生。その事件事故からわずか6日後には、普天間第二小学校の校庭にCH53Eのコックピットの窓枠が落下した。当然ながら沖縄県は小学校上空の飛行中止を求めたが、日本政府はまったくの他人事で、結局、日米間で「学校の上空飛行を最大限可能な限り避ける」という曖昧な合意をしてしまう。
 その「可能な限り」などという合意が何の効力もないことは明らかだ。実際、事故後も米軍機は学校付近を飛行し続け、事故から約1カ月後、普天間第二小でヘリの接近を想定した避難訓練がおこなわれたまさにその日にも、米軍は学校上空を飛行。普天間第二小では米軍機が上空に接近すると児童を校庭から校舎へ避難させるという対応をとっているが、その避難回数は、校庭使用を再開した今年2月から6月8日までになんと527回にも上っている(琉球新報6月13日付)。
 その上、今月21日には、名護市の農作業小屋の中から銃弾のようなものや弾痕が発見された。ちょうど米軍のキャンプ・シュワブ内の訓練場では18日から実弾訓練がおこなわれており、基地からの流弾である可能性も考えられるのだ。
 いつ、空から鉄の塊が落ち、地上で銃弾に当たるかもしれないという不安に脅かされる日常──。そのなかで、りゅうちぇるもまた生活を送ってきた。りゅうちぇるは、こんな体験をインタビューで語っている。
りゅうちぇるが体験していた米軍ヘリの落下事故「その光景は忘れられない」
「危険と隣り合わせだと感じたのは、2004年に米軍ヘリが沖縄国際大(同市)に墜落した時です。僕は当時小学校3年生。友だちと本屋を出て、タコライス屋に入ろうとした時でした。ヘリが上空で旋回するのを眺めていたら、急に止まって、垂直に落ちたのです。その光景は忘れられません」
 幼い少年だったりゅうちぇるが体験した恐怖は、いかばかりだったろう。この事故では幸い死者は出なかったが、それは奇跡のような偶然が重なった結果でしかない。
 しかも、沖縄が隣り合わせなのは、米軍による事故だけではない。2016年には沖縄県うるま市で米軍属の男による女性死体遺棄事件が起こったが、こうした米軍による犯罪、とりわけ女性を狙った性暴力犯罪は後を絶たない。現に、りゅうちぇるが生まれたのは1995年。沖縄で小学生の女児が複数の米兵に拉致・暴行された事件が起こった年だ。あれから、沖縄の状況は何も変わっていない。あのとき米軍は日米地位協定を盾に容疑者の身柄引き渡しを拒否したが、その不平等極まりない地位協定をいまなお日本政府は温存させつづけている。
「今も米軍基地があるから、戦争を身近に感じます」というりゅうちぇるの言葉はけっして大袈裟なものではなく、沖縄の現実を映し出した言葉だ。そして、戦争で「捨て石」にされた沖縄では、いまも政府が基地を押し付け、事故や事件には関心を示さず、辺野古や高江で基地に反対する人びとを弾圧するという暴挙が繰り返されている。
 いまだ、戦中と地つづきにある沖縄。だからこそ、沖縄戦で犠牲となった人びとを悼む「慰霊の日」は、沖縄だけではなく、この国にとってとても重要な日なのだ。
 りゅうちぇるは「慰霊の日は、沖縄のことをめちゃくちゃ熱心に考える一日です」「今も慰霊の日の正午には「うーとーとー」します」と述べている。「うーとーとー」とは「手を合わせて祈る」こと。実際、りゅうちぇるは毎年のように、6月23日になるとTwitterで「うーとーとーする日」「きちんとうーとーとーしたよ」などとつぶやいてきた。
 そして、2015年のこの日、りゅうちぇるはこうも投稿している。
〈沖縄県民だけでなく1人でも多くの全国民が、戦争のない、差別のない、平和な世界を願いましょう〉
 今回、りゅうちぇるが新聞のインタビューで語ったことは、少しでも沖縄の過去といまの現実を広く知ってほしいという思いがあってのことだろう。りゅうちぇるとともに〈戦争のない、差別のない、平和な世界〉を願いつつ、きょうという日を、いま現在、沖縄が置かれている現状に心を寄せる日にしたい。(編集部)


「命輝かせ生きる」=沖縄慰霊の日、未来平和への誓い−中3が詩朗読
 沖縄「慰霊の日」追悼式では浦添市立港川中学3年の相良倫子さん(14)が、曽祖母の戦争体験を踏まえ、平和の誓いを述べた詩、「生きる」を朗読した。「平和とは自分の命を大切にでき、命を精いっぱい輝かせて生きていけること。戦争や平和について考えるきっかけになってほしい」との思いを込めた。
 曽祖母による沖縄戦の体験談を幼い頃から聞いてきた。大切な友人を亡くしたこと、家族と離れ離れになりしばらく独りで生きてきたこと。「戦争は人を変えてしまうから、絶対にしてはいけない」と教えられた。相良さんは「曽祖母の存在から平和や戦争について考える機会が多かった」と話す。
 「優しく響く三線は、爆撃のとどろきに消えた」。詩では戦争の残酷さを伝えるため、現在の沖縄の風景と、平和学習で学んだ73年前の情景を対比させた。
 「平和とは、当たり前に生きること。/その命を精いっぱい輝かせて生きることだということを」。生きていくという決意を込めて、「生きる」という言葉を繰り返した。「平和のために自分が貢献できることを考えるのが、未来平和のきっかけになる」と考えている。


「あなたも知っているだろう。この島の悲しみを」14歳の少女が沖縄慰霊の日に訴えたこと(全文)
「あなたも感じるだろう。この島の美しさを。あなたも知っているだろう。この島の悲しみを」
Saori Ibuki伊吹早織 BuzzFeed News Reporter, Japan
沖縄は6月23日、「慰霊の日」を迎えた。
73年前、日米両国で20万人以上が犠牲となり、県民の4分の1が命を落としたとされる沖縄戦の組織的戦闘が終結したこの日、糸満市摩文仁の平和祈念公園では戦没者の追悼式が営まれた。
式では、浦添市立港川中学3年の相良倫子さん(14)が、平和の詩を朗読した。
生まれ育った島の美しさ、忘れることのない戦禍の悲しみ、平和への誓い。真剣な眼差しで会場を見渡し、力強い口調でこう訴えた。
「あなたも感じるだろう。この島の美しさを。あなたも知っているだろう。この島の悲しみを」
「私は手を強く握り、誓う。奪われた命に思いを馳せて。心から誓う。私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを」
「もう二度と過去を、未来にしないことを」
激しい地上戦を生き抜いた曽祖母の体験から「平和とは当たり前に生き、命を精一杯輝かせて生きること」と考え、紡いだという詩には「生きる」と名付けた。
相良さんの姿にTwitterでは「圧倒されて鳥肌がたった」「本当の平和とは何かを自分の言葉で訴えてくれた」「誇り高くて、頼もしくて、平和への決意に溢れていて。こんな素晴らしい若者がいることに嬉しくなった」などの反響があった。
全文は以下の通り。
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、草の匂いを鼻腔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。
青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、ヤギの嘶き、小川のせせらぎ、畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今という安らぎとなり、私の中に広がりゆく。
たまらなくこみ上げるこの気持ちを、どう表現しよう。
大切な今よ、かけがえのない今よ、私の生きるこの、今よ。
73年前、私の愛する島が死の島と化したあの日。小鳥のさえずりは恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面は、戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から噴き出す炎、幼子の泣き声、燃え尽くされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅魍魎のごとく、姿を変えた人々。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな生きていたのだ。
私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を、それぞれの未来を。疑うことなく思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。当たり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島のすべて。
私は手を強く握り、誓う。奪われた命に思いを馳せて。心から誓う。
私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないことを。
全ての人間が、国境を越え、人種を超え、宗教を超え、あらゆる利害を超えて、平和である世界を目指すことを。
生きること、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ることを。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
あなたも感じるだろう。この島の美しさを。
あなたも知っているだろう。この島の悲しみを。
そして、あなたも、私と同じこの瞬間を一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっと分かるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。
戦力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はないことを。
平和とは当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。誇り高き、みんなの島。そして、この島に生きる、全ての命。私とともに今を生きる私の友、私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発信しよう。
一人一人が立ち上がってみんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。
過去と現在。未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。


参考人への非常識なやじ 品位なき議員には懲罰を
 あるまじき言動だ。あまりに非常識で国会議員としての資質を疑わざるをえない。
 自民党の穴見陽一衆院議員が、受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案について審議した衆院厚生労働委員会で、参考人として受動喫煙の問題を訴えた肺がん患者に、「いいかげんにしろ」とやじを飛ばした。
 参考人の長谷川一男さんはステージ4の重度の肺がん患者だ。優れない体調にもかかわらず、弱くなった背骨を守るコルセットを背中に当て、通勤ラッシュの中、委員会の求めに応じて出席した。
 そんな長谷川さんに対する耳を疑う発言である。
 やじは、屋外での喫煙規制に関する質問に長谷川さんが「なるべく吸ってほしくない」としつつ、喫煙者にも配慮し「屋外喫煙所も一つの方法だ」と言ったときだった。
 長谷川さんはたばこを吸わないが、長く受動喫煙の環境下にあったという。がん患者に非情とも言える仕打ちだが、穴見議員が地元の大分がん研究振興財団の理事の役職にいたというのだから、あきれる。
 本来ならがん患者を守るために見識を示す立場のはずだ。この財団が「考えられない発言で申し訳ない」と陳謝したのは当然だろう。
 穴見議員はファミリーレストランの経営に携わっている。改正案では大手外食チェーンは全面禁煙となる。経営上の利害が背景にあったのではと勘ぐられても仕方がない。
 そもそも長谷川さんを国会に招いたのは委員会である。参考人招致は憲法が定める国政調査権の一つで、国会が専門家や関係者の意見を法案審議に反映させるねらいがある。
 穴見議員は「不快な思いを与えたとすれば、心からの反省と共に深くおわびする」とのコメントを出した。人ごとのようで誠意が感じられないにもかかわらず、高鳥修一委員長は口頭で厳重注意しただけだ。
 招いたゲストに威圧的なことばを浴びせた穴見議員の非礼は委員会の権威も汚した。その程度の処分で済まされるなら国会の権威にもかかわる。懲罰に値する事案だ。
 衆院規則には「議院の品位を傷つけ、その情状が特に重い者」の除名など懲罰規定がある。国会は穴見議員の責任を見過ごすべきではない。


止まらぬ失言 政権のおごりの表れだ
 国会会期延長を受け、緊張感が求められるはずの政府・自民党内で暴言や失言が続いている。
 自民党の穴見陽一衆院議員は厚生労働委員会で、参考人として出席したがん患者の男性に「いいかげんにしろ」とやじを飛ばした。謝罪では済まない傲慢(ごうまん)な発言だ。
 河村建夫衆院予算委員長は、安倍晋三首相が会食の際に「もう集中審議は勘弁してほしい」と述べたと公言しておきながら、野党の批判を浴びると撤回した。
 共通するのは、政治の命である言葉を軽んじ、修正すればこと足れりとする安易な態度である。
 政府・与党は、数の力に頼った政治が招いたモラル低下を戒めるべきだ。国民も、長期政権の弊害に目を凝らさねばなるまい。
 穴見氏は、受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案の審議中、参考人に暴言を浴びせ、批判を受けると「喫煙者を必要以上に差別すべきではないという思いでつぶやいた」とする談話を出した。
 だが参考人の発言は「喫煙者にとって吸う場所がないと困るという気持ちも分かる」と喫煙者にも配慮した内容である。穴見氏の談話は釈明にすらなっていない。
 そもそも委員会が依頼した参考人に委員が罵声を浴びせるなど言語道断だ。しかも穴見氏は飲食店経営の企業役員で、店舗が禁煙対象となる。自らの利益のために審議を誘導する意図も疑われる。
 この法案自体、例外的に喫煙を認める飲食店の面積が大幅に拡大されて骨抜きとなっている。受動喫煙対策に対する政府・与党の認識もあらためて問われよう。
 河村氏は、会食直後に首相の言葉を紹介しておきながら、「予算委開催を拒否する発言だ」と批判を浴びると撤回した。首相を擁護しようという意図なのだろう。
 だが予算委員長である河村氏が審議否定の発言をでっち上げたとすれば、さらに問題である。委員長を辞するのが筋ではないか。
 解せないのは、こういった発言を放置し、なんら処分を下そうとしない政権と自民党の対応だ。
 麻生太郎財務相は派閥会合で、与党が主導した会期延長をサッカーの「長すぎるロスタイム」になぞらえて、「へたな失点」が起きぬようにと軽口をたたいた。
 だが一連の疑惑をろくに究明もせず、不用意な対応で失点を重ねたのは麻生氏自身ではないか。
 その責任は問わず、閣僚を続けさせている政権のぬるま湯が、すべての元凶だ。「いいかげんにしろ」と言いたいのは国民である。


謝罪会見ほとんどなし魔の3回生
 ★自民党総裁選挙が9月20日で固まりそうだ。党内は安倍3選支持が広がりを見せる。最大の理由は短期間に総選挙を重ね、いわゆる安倍チルドレンを大量増産したからだ。案の定、人数は多いが大量生産の弊害も多く魔の3回生という言葉で国民はピンとくる。安倍さんのおかけで代議士になった彼らは失言・暴言なんのその、安倍3選の実動部隊だ。 ★最初の騒動は不倫。宮崎謙介が議員辞職したほか、金銭トラブルで武藤貴也が引退。経産政務官・中川俊直は不倫で出馬辞退、秘書への暴言や暴力などで豊田真由子が離党。元財務相・中川昭一夫人の中川郁子は同僚議員の門博文との不倫が報じられ、落選。門は3選を果たす。内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官・務台俊介は被災地視察で、現場の水たまりをおんぶされて渡っていたとし謝罪。その後自身のパーティーで「『長靴事件』があったものですから、その後、各省で政府が持つ長靴がえらい整備されたと聞いている。たぶん、長靴業界はこれでだいぶもうかったのではないか」と発言。翌日、政務官辞任。 ★まだまだある。橋本英教は中国人女性との関係が報じられ単独比例で出馬するも落選。大西英男は失言キングといえる。「まず自分が子どもを産まないとダメ」「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」「(がんの)患者側は店や仕事場を選べない」など同僚議員の発言に「働かなければいいんだよ」。いずれも与党幹部から厳しく叱責(しっせき)されたが持論を展開する。池田佳隆は前文科事務次官・前川喜平の講演内容を文科省に照会して騒動に。加藤寛治は「必ず3人以上の子供を産み育てていただきたい」と発言、陳謝。国場幸之助は地元で泥酔、一般人ともみあいになり傷害で送検。そして「いいかげんにしろ」の穴見陽一に続く。このうち会見で陳謝した者はほとんどおらず、言い分だけ言う者、ホームページで謝罪だけ多数。へのかっぱか。

依存症対策を練り直せ/カジノ法案
 カジノを含む統合型リゾート施設(IR)整備法案が衆院を通過し、論戦の舞台は参院に移った。ギャンブル依存症が深刻化すると野党は激しく抵抗したが、与党は数の力で押し切った。会期も延長し、今国会で成立させる構えだ。しかし政府が「世界最高水準」と胸を張るカジノ規制には疑問が噴き出し、国民の理解は得られていない。
 安倍晋三首相は「IRで地域が活性化され、日本全体の経済成長につながる」と力説する。自治体間の誘致合戦は熱を帯び、海外のカジノ事業者は1兆円以上の投資をぶち上げた。景気のいい話には事欠かないが、共同通信の世論調査では、ほぼ7割の人が「法案を今国会で成立させる必要はない」と答えている。
 依存症拡大の不安や経済効果への疑問などが背景にあるとみられる。ところがカジノ面積の規制は当初より基準が緩やかになり、客がカジノ事業者から賭け金を借りるという競馬や競輪などの公営ギャンブルで認められていない制度まで導入される。いずれも大きな論点になっている。
 そうした中で政府、与党は「万全の依存症対策を講じる」と言いながら、成立の二文字しか眼中にないように見える。国会での議論を軽んじてはならない。疑問や批判と向き合い、依存症対策を練り直す必要がある。
 カジノフロアの面積について、法案は国際会議場やホテルなども合わせたIRの延べ床面積の「3%以下」と規定。当初の政府案は「1万5千平方メートル以下かつ、IR全体の3%以下」だったが、与党協議を経て比率規制のみが残った。これによりIR全体を大きくすればカジノの面積は広がり、シンガポールやラスベガスをしのぐ世界最大規模にすることもできる。
 「面積に上限を設けると、観光先進国への目的達成を制約する」と政府は説明しているが、依存症対策の観点からは甘すぎると言わざるを得ない。
 事業者の貸付制度は外国人観光客と、事業者に一定の預託金を納める日本人客が対象で、日本人客は「富裕層」に限られると政府は強調する。しかし富裕層も依存症と無縁ではなく、大王製紙元会長は子会社から不正に100億円以上を借り入れ、マカオのカジノにつぎ込んだ。借金がかさんでも黙認するような制度の是非については十分議論すべきだろう。


【著者に訊け】山極寿一・京大総長『ゴリラからの警告』
【著者に訊け】山極寿一氏/『ゴリラからの警告 「人間社会、ここがおかしい」』/毎日新聞出版 1400円+税
 第26代京都大学総長は霊長類学者であり、〈ゴリラの国〉への数少ない〈留学〉経験者である。ジャングルに留学中は、〈ゴリラに叱られながら、彼らの国のマナーを学んだ〉。初めのうちは警戒され、襲われてケガをしたこともあるが次第に受け入れられるように。〈一頭のゴリラになって〉生きてみると、ゴリラの中に〈サルではなく、ヒトを見た〉。〈少し道を違えればゴリラのようになっていたかもしれないヒトの過去が見えるような気がしたのだ〉。
 常識は本当に常識かと疑う視点は、この時の経験から生まれている。〈ゴリラの目で見た人間社会の不思議をまず見つけだし、それが今どのような働きをしているかを検討してみることにした〉。そうして書かれた本は、「人間とは何か」というマジメで本質的な問いを投げかける。
 毎日新聞の連載コラム「時代の風」を大幅に加筆して一冊にまとめた。
「タイトルが『時代』と『風』という依頼でしょ。ぼくならどう表現するかと考えたとき、ゴリラを研究してきたので、やっぱりゴリラの目でみたらどう見えるかということになったんです。いまの時代ってものすごく急激に、大きく動いていて、そこに、人間がこれまで感じたことがない風を当ててみようと思ってね」
〈ゴリラと人間の間を行きつもどりつしながら〉というユニークな視点は、たしかに誰もが持てるようなものではない。たとえば、〈ゴリラは食べるとき分散するのに、人間は集まっていっしょに食べようとする〉。さらに、〈けんかの種となるような食物を分け合い、仲よく向かい合って食べるなんて、サルから見たらとんでもない行為〉なのだそう。
〈信頼関係を築くため〉の、もっとも〈人間的〉であったはずの行為を、だがいま私たちは、食事時間を短縮したり、個食を増加させたりして手放しつつある。〈現代の私たちはサルの社会に似た閉鎖的な個人主義社会をつくろうとしているように見えるのだ〉。
「新聞の連載だから、みんながわかるようなものにしようと、食事や住まいのことなどを入り口にしたり、『あらしのよるに』という現代歌舞伎を題材にして、『オオカミは必ずヤギを襲う』みたいな常識と思われていることがはたして絶対なのか、と考えたり」
 人間社会の争いや、社会に蔓延する悪意や敵意、暴力についても〈解決のカギ〉を動物たちの暮らしに求めて歴史をさかのぼる。〈言葉も文明ももたない時代の人間を想像するには、人間以外の動物をヒントにする必要がある。しかし、残念ながら西洋にはその学問の伝統がない。それは日本の育ててきた霊長類学が答えを出せる領域なのである〉。
「時代の風」連載中の2014年10月に、京大総長に選出された。望んだ立場ではなかったが、「大学は窓」を目標に掲げ、インターネット上で英語による無料講義「MOOC」をするなど、さまざまな新しい取り組みを通して大学の発信力を高めてきた。学生が中心になってできた、「新しい総長グッズを作ろう!プロジェクト」のひとつである「野帳」には、扉のページに〈大学はジャングルだ〉という言葉が記されている。
「これはぼくが実際に受けた印象なんだけど、大学とジャングルはよく似てますよ。多様性と長い歴史があり、自分の専門以外は知らないこともたくさんある。野帳には、『ここにこんなものが』と発見したことを書きとめます。人間は忘れやすい動物で、だからこそ新しい知識を詰め込めるわけだけど、大事なのはその瞬間、感じたことを忘れないこと。手を動かして書くと身体化できるんです」
◆死後の世界から逆算して生きる
 サルと同じく、視覚的に世界を把握する人間は、認識した情報を言葉に変換し、知識を外部化して、想像力で補いながら共有してきた。いまはそれが、インターネットで瞬時に共有できる。
「知識を脳の外のデータベースに頼ると、どんどん脳はしぼんでいくと思う。ぼくが恐れるのは、人間は記憶するだけじゃなく考えることもやめてしまうんじゃないかということですね」
 Amazonで本を買えば、次に選ぶべき本はこれと薦められる。音楽も、レストランの選択も、集積された膨大なデータから最適解が送られてくる時代だ。
「その次には、外部化した知性が人間を操作する段階が来るかもしれない。AIができないことって何だろうと考えたとき、たぶんその中に、人間にとってすごく大切なものが含まれているんです。たとえば死後に何か世界があると思って、そこから逆算して今を生きているのは人間だけで、AIにはその発想はない。この本も、人間について考えるヒントにしてもらいたい」
 サルや類人猿の社会は、一度、群れを離れると、元には戻れない。戻ろうとしても、元の仲間に攻撃されて追い出されるからだ。それに対して、〈人間はなんと許容に満ちた社会をつくってきたことか〉と山極氏は書く。いろんな集団を渡り歩くことも可能だし、〈数十年の不在もまるでなかったかのように受け入れてもらうことができる〉。
 だが〈昨今の人間社会は次第に不在を許容できなくなっている〉。常にスマホを見て呼びかけに応じなくては仲間に拒否される、人間の歴史に逆行するかのような〈閉鎖的な感性〉が育っているというのだ。
「時間の概念がどんどん効率的になっていることも大きい。経済優先の社会では、時間というのはコストに換算されてしまうけど、実は人間同士の関係はコストに換算されない時間に意味がある。そういう時間をいまだに持っているのが老人と子どもです。歯車のひとつとして『何かの役に立つ』という発想じゃなく、高齢者が生産的でない時間を生きているということ自体が重要と考えるべきなんです」
 総長に就任して四年目。ほかにも国立大学協会の会長、日本学術会議会長という要職も兼任、ゴリラに会う時間もなかなか取れないと聞くが、東京・丸の内の京都大学東京オフィスで取材した山極氏は、こんがり日焼けしていた。
「アマゾン流域のマナウスに近いフィールド・ステーション(調査・研究拠点)の開所式に先週、行ってきてね。アマゾンカワイルカと遊んでたから焼けちゃった(笑い)」
【プロフィール】やまぎわ・じゅいち/1952年東京都生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学。理学博士、霊長類学者。2014年から京都大学総長。2017年6月から国立大学協会会長、同年10月から日本学術会議会長を兼任する。ゴリラ研究の世界的権威で、座右の銘は「ゴリラのように泰然自若」。著書に『暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る』『「サル化」する人間社会』『京大式 おもろい勉強法』など多数。175cm、82kg、A型。■構成/佐久間文子


【大学無償化】議論が尽くされていない
 大学や専門学校といった高等教育の無償化に向け、政府が政策の大枠を決定した。「骨太の方針」に盛り込んだ。
 無償化の対象となるのは、夫婦と子ども2人の家庭の場合なら、年収380万円未満の低所得世帯だ。授業料や入学金を減免し、返済不要の給付型奨学金も支給する。
 日本の高等教育は先進国の中でも受益者負担の側面が強い。奨学金も有利子の貸与型が主流で、卒業後に返済に苦しむ若者が少なくない。
 学び続けようとする若者が、経済的理由でそれを断念したり、「借金地獄」のような生活に陥ったりする社会であってはなるまい。政府は関連法案を来年提出し、2020年度から導入する計画だ。支援を充実させる重要な一歩にしたい。
 とはいえ、制度設計や財源の確保などについて政府与党内でも議論が尽くされたとは言い難い。たとえば対象の年収はあまりに限定的ではないか。
 文部科学省によると、大学進学率は全体では50%を超えるが、政府案で支援対象に含まれない年収450万〜600万円の世帯の進学率も約42%にとどまる。
 進学費用に悩む家庭は多い。国公立大でも入学金と授業料を合わせた年間負担金は80万円を超える。中所得層への支援も強化すべきだ。政権が無償化を「人づくり革命」の柱に位置付けるなら、なおさらだ。
 政府案では年収270万円未満の住民税非課税世帯は国公立大の授業料や入学金が全額免除になる。私立大に進む場合は加算し、短大や専門学校も大学に準じた扱いにする。給付型奨学金も金額は未定ながら同様だ。
 年収が300万円未満の世帯は非課税世帯の3分の2、380万円未満は3分の1をそれぞれ支援するよう、授業料の減額や奨学金を決める。
 日本学生支援機構の16年度調査によると、大学生(昼間部)の半数近くが奨学金を利用している。大半が貸与型とみられる。
 欧米では授業料が無料の国や、給付型奨学金が主流の国が多いことを考えても、無償化や支援の範囲を広げるべきだろう。
 調査では、国立大生の家庭の年収は約841万円で、私立大生の家庭より高いことが分かった。経済力がある家庭の子は学力が高い傾向が以前から指摘されている。東大生の家庭は年収が高いことで知られる。
 そうであるなら、私立に進学せざるを得なかった学生への支援も強化する必要がある。
 無償化は19年10月からの消費税増税分を活用し、幼児教育・保育の無償化と合わせて実施する。少子化が進む中、将来を担う世代を支援する意義は大きいが、消費税増税はそもそも国の借金を減らすことが目的だったはずだ。
 それを後回しにすれば、結局は借金が次世代につけ回される。安倍政権は消費税増税を2度延期した過去もある。未来を見据えた責任のある取り組みをしなければならない。


早稲田大学、政経学部の入試で数学必須化の衝撃…他の私大文系学部で追随の動きか
 これからは、私立大学の文系学部に入るにも、数学が必須になるのだろうか。
 6月7日に早稲田大学が発表した入試改革の衝撃を、一言で表せばそういうことになる。 大学通信常務取締役の安田賢治氏は語る。
「これを学びたいという明確な志望動機があるとは限らなくて、数学ができないから文系学部を選んでいる受験生が多いんですよ。高校での理系と文系の振り分けの際にも、『数学が苦手』『物理が嫌い』などの理由で文系を選んでいる生徒が多いですから」
 早稲田大学が発表した内容は、現在の高校1年生が対象となる2021年度入試から、政治経済学部、国際教養学部、スポーツ科学部の一般入試において、大学入試センター試験に代わって2021年1月に実施される大学入学共通テストを全受験生に課すというものだ。これによって「数学1・A」(編注:「1」の正式表記はローマ数字)が必須となる。
 現在は政経学部、国際教養学部の一般入試の場合、外国語と国語のほかは、地歴と数学から選択できる。これが私立大学の3教科入試の典型だ。スポーツ科学部の一般入試では現在、外国語と小論文、そして国語と数学のどちらかを選択できる。
「文系と理系の振り分けは、だいたい高校2年で始まります。入試に数学を課すことによって、文系で数学を取らない生徒はしんどくなるわけですね。それで慌てて発表したのではないかと思います。他の学部がどうなるかというのは、まだ発表されていないので、なんとも言えないですね」
 今回の早大の入試改革の意図は、どこにあるのだろうか。
「文部科学省が出している、『知識・技能』『思考力・判断力・表現力』『主体性・ 多様性・協働性』という学びの3要素がありますね。これを意識しているのだと思います。これからAI(人工知能)が発達して、答えが1つの問題はAIが答えてくれるようになる。だから、答えが複数あるとか、答えがない問題に取り組めるような教育をしていかなければならないということでしょう。ですから、センター試験はすべてマークシート方式の回答でしたが、大学入学共通テストでは記述式の回答も入ってきます。
 大学に入ったら数学は必要となってきますから、数学が苦手なまま入学して苦労するより、最初から一定程度理解しておいたほうがいいので、数学を入試で課すという意味もあると思います。今回の改革によって政経学部の入試では、大学入学共通テストの次に学部独自試験が課されます。これは日本語と英語の長文を読み解いて回答させたり、英語で図表を読み解かせたり、日本語で社会科学的な思考を問うたり、いろいろな科目が融合した問題が出されて、より大学で学ぶ内容に近い出題になるのでしょう」
大学、二の足を踏む理由
 この入試改革によって、受験生の動向にどのような変化が現れるのだろうか。
「商・経済・経営などの社会科学系学部の入試で、変化が出るかもしれません。経済学部のカリキュラムでは、どうしても数学が必要になり、商学部は簿記が必須ですが、入学後の学びを考えながら受験生は学部を選んでいるので、負担の大きい学部は敬遠されます。早大政経学部の入試で今、数学を選択している受験生は4割ぐらいといわれてますから、そのくらいまで受験生が減るかもしれません。
 早大は創立150周年に当たる2032年を見据えた『Waseda Vision 150』」という中長期計画を実行中で、18歳人口の減少に合わせて学部生を減らして大学院生を増やすということを言っているんです。今も、人物本位、多面的評価になっているので、推薦入試やAO入試を増やしていくことも考えられます。国公立大学型の勉強をしてきた受験生が流れてくることも考えられますが、全体的には志願者数が減っていくことになるのではないでしょうか」
 この動きが他大学に広がっていくことは、考えられるのだろうか。
「文科省の方針に沿った改革ですし、これからどんな分野でも数学の素養は必要になってくるので、文系学部でも入試で数学を課したいというのは、どの大学も考えていると思います。かつて他の私大で文系学部の入試で数学を課したことがありますが、やはり志願者数が減ってしまった。それを考えると、二の足を踏んでしまう大学が多いのではないでしょうか。それくらい早大の入試は思い切った改革です。
『主体性・ 多様性・協働性』については、ウェブ出願時に受験生が自身の経験を振り返って記載することになります。教師が承認するのではなく本人が書くということ、併願学部があっても1回記入すればすべての学部に適用されるというところなど、画期的であることは間違いありません」
 かつては丸1日かけて得ていた情報が、今は一瞬で手に入る時代になった。知識偏重の受験勉強は時代遅れなのは確かだが、改革のプロセスにあって、目指す大学によって勉強の仕方がまるで違うものになる。若者たちには、しばらく受難が続くかもしれない。(文=深笛義也/ライター)