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Au Japon, le Festival du film français veut renouveler le visage du 7e art
Le Festival du film français au Japon se tient à Yokohama jusqu’à ce samedi 23 juin. Pour sa 26e édition, l’événement veut faire connaître au public japonais de nouveaux talents, notamment seize acteurs et réalisateurs comme Mélanie Thierry et Swann Arlaud. Une tâche difficile dans un pays où le 7e art de l’Hexagone est encore associé presque exclusivement à François Truffaut et à Alain Delon.
Avec notre correspondant à Tokyo, Frédéric Charles
Lorsqu’on dit aux Japonais ≪ cinéma français ≫, ils vous répondent Alain Delon et François Truffaut depuis un demi-siècle. Pour Isabelle Giordano, l’organisatrice de l’événement, ≪ l’enjeu de ce nouveau festival à Yokohama, c’est vraiment de faire découvrir aux Japonais les Alain Delon de demain ≫.
Nommée marraine de ce festival, Nathalie Baye a tourné avec François Truffaut, Bertrand Tavernier et Claude Chabrol, notamment, mais aussi de jeunes réalisateurs audacieux. Elle s’est chargée de relever ce défi et démontrer l’intérêt du cinéma français du 21e siècle.
Un métier que l'on ne peut faire qu'avec passion selon Nathalie Baye
Est-ce qu’il y a des réalisateurs et réalisatrices vraiment intéressants ? Je dis oui, explique l’actrice de 69 ans. Je pense que si je n’avais pas eu la chance de travailler avec de jeunes réalisateurs intéressants et qui m’avaient plu et séduite comme ont pu le faire d’autres il y a trente ou quarante ans, j’aurais arrêté de faire ce métier. Parce qu’on ne peut pas le faire sans passion.
Les Japonais ont démontré de la passion pour le cinéma français d’aujourd’hui avec la comédie d’Olivier Nakache et Eric Toledano, Le Sens de la fête. Le film a été projeté en ouverture du festival et les spectateurs ont eu une réaction à laquelle Olivier Nakache ne s'attendait pas. ≪ On m’avait dit que les Japonais riaient plutôt intérieurement donc il ne fallait pas s’attendre au même accueil que dans des pays plus méditerranéens, nous explique le réalisateur. Ce soir, j’ai vu une salle normale pour moi, donc ça a ri à gorge déployée.
Aux yeux des Japonais, le cinéma français, en 2018, ne se résume pas à Alain Delon et ils ont le sens de l’humour.
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フランス語の勉強?

ブツブツでDSとDRの違い?そんな細かい点はどうでもいいのに・・・
野菜炒め定食なのにもやし炒め定食?みたいです.肉もほとんどなしです.
11回目にテということでポタルを使いました.
帰りに鍵がなくて1階まで降りて行って気持ち的にも体力的にもしんどいです.

<仙台・日和山>「日本最低峰」に集まれ!!来月1日山開き 震災で住民多数地区外へ・・・交流促進期待
 「日本最低峰」と言われる仙台市宮城野区蒲生地区の日和山の山開きが7月1日に開催される。周辺は東日本大震災の津波で被災し、住民の多くが地区外に移転。主催者は「地域のシンボルだった山に集い、交流する機会にしたい」と参加を呼び掛けている。
 同区の高砂市民センターを拠点に活動する日和山プロジェクト実行委員会の主催。近くの高砂神社で安全祈願をして登山し、下山後は参加者に「登頂証明書」が配布される。開会式では、被災して閉校した旧中野小の卒業生らが伝統の太鼓演奏を披露する。
 日和山は震災前、遠足や野鳥観察などで住民に広く親しまれた。実行委によると、約6メートルだった標高は津波で削られて現在は約3メートル。大阪市の天保山(約4.5メートル)を下回る「最低峰」になったという。
 震災後の山開きは、2014年に再開して以降、5回目。参加者は年々増加しているという。実行委員長の佐藤政信さん(72)は「震災を風化させないためにも、多くの人に足を運んでほしい」と話す。
 午前10時開始。旧中野小跡地のモニュメント前集合。参加無料で申し込み不要。連絡先は高砂市民センター022(258)1010。


<いしのまき復興マラソン>三重・鈴鹿市体協、3大会連続出場 支援から継承へ 深まる絆
 東日本大震災の被災地支援と感謝の交流が、いしのまき復興マラソンの舞台で今年も育まれた。三重県鈴鹿市体育協会は震災直後から石巻市体協を支援し、その縁で第1回大会から幹部らを派遣している。交流が生まれて約7年。絆は支援から震災体験の継承へと発展し、深まり続ける。
<ツツジなど寄贈>
 「被災した橋の復旧工事が進んでいるのを見てうれしかった。一日も早く復興を遂げてほしい。これからも大会に参加したい」
 10キロコースに出場した鈴鹿市体協副会長の堀之内宏行さん(54)は、石巻市総合運動公園にゴールした後、充実した表情で語った。
 出場は3年連続。スタート前、石巻市体協会長の伊藤和男さん(71)に「今年も(12月の)鈴鹿シティマラソンに来てください」と声を掛け、伊藤さんが快諾した。
 両市体協の交流は2011年9月に始まった。被災地支援を検討していた堀之内さんら鈴鹿市体協は「少しでも気持ちを明るくしてほしい」との願いを込め、石巻を訪れてツツジとサツキの苗計10本を贈った。
 ツツジは石巻市の花。鈴鹿市の花が同じツツジ科のサツキだった。石巻市雄勝が全国有数のすずりの産地で、鈴鹿市は「鈴鹿墨」が特産ということも縁に感じた。
 10本は石巻市体協の事務所前の花壇に植えられ、今は約120本になった。鈴鹿市体協の役員らが15年、トラックに積んで持ち込んだという。
<地震へ備え指導>
 マラソン交流も歳月を重ねる。鈴鹿市体協は11年12月、鈴鹿シティマラソンに石巻市体協役員を招き、義援金130万円を送った。石巻市体協は恩返しの思いを込め、第1回いしのまき復興マラソンへ招待した。
 三重県は現在、南海トラフ巨大地震への備えが喫緊の課題になっている。石巻市体協は震災後、避難所の被災者にエコノミークラス症候群を防ぐ体操を指導した。堀之内さんは「石巻の経験を教わりながら、体協ができる災害後の対応を考えたい」と力を込める。
 伊藤さんは「鈴鹿シティマラソンの運営方法も勉強になる。末永く交流を続けたい」と話し、両市体協の絆の深化に期待を寄せた。


<いしのまき復興マラソン>再生へ1800人 力強い走り
 第4回いしのまき復興マラソン(石巻市、市体育協会、河北新報社など主催)は最終日の24日、石巻市総合運動公園を発着点にメインのハーフなどマラソン競技18種目を行った。約1800人がエントリーし、東日本大震災からの復興を後押しする力強い走りで被災地を盛り上げた。
 ハーフをはじめ10キロ、5キロ、3キロ、2キロの5コースで実施。発着地点が国立競技場(東京)から貸与されている聖火台前に設けられ、開始式で火がともされた。
 石巻の最高気温は7月中旬並みの24.9度。ランナーは厳しい条件の中、完走を目指した。各種目の優勝者には、市が特産化を目指す「北限のオリーブ」の枝葉で作った冠が贈られた。


<いしのまき復興マラソン>「国立」聖火台 ラストラン
 24日に石巻市で開かれた第4回いしのまき復興マラソン(石巻市、市体育協会、河北新報社など主催)は、3大会ぶりに市総合運動公園の聖火台が発着点となった。聖火台は国立競技場(東京)の建て替えに伴い、東日本大震災からの復興支援で貸与され、来年3月末までに返還する。ランナーを鼓舞する聖火台がある大会は、今回が最後となった。
 開始式で、ゲストランナーの谷川真理さんとフルマラソン年代別世界記録保持者の中野陽子さん(82)=東京=が聖火台に火をともした。点火したトーチは、聖火台と同じく1964年の東京五輪で使われた。
 谷川さんは「聖火は人の心をつなぐスポーツの力を象徴する。点火でき、良い記念になった」と話す。有志と前日に聖火台を磨いたという伊藤和男市体協会長(71)は「無くなるのは寂しい。東京に移設された後も年に1度は見に行きたい」と惜しんだ。
 10キロ一般男子50歳以上の部に出場した名取市の平間耕吉さん(72)は、東京五輪を契機にマラソンを始めた。「東京五輪の開会式を白黒テレビで見た。火がともった聖火台を間近に見ることができ、うれしい」と感慨深げに語る。
 力強く燃える炎は若いランナーの心も動かした。2キロのコースに出場した石巻市貞山小5年、川村円さん(10)、静さん(10)の双子の姉妹は「2020年の東京五輪の開会式で聖火台に火をともす場面を見たい」と声を弾ませた。
 聖火台は返還後、岩手、福島両県を巡回する構想がある。その後、新国立競技場にモニュメントとして設置される予定。


<いしのまき復興マラソン>千葉、地元の声援 力に
 ハーフマラソン女子は石巻専大4年の千葉が初優勝。「生まれ育った街の復興マラソン。何としても勝ちたかった」。会心の笑顔でゴールテープを切った。
 石巻市蛇田中で陸上競技を始めた。レース発着地点の石巻市総合運動公園は、東日本大震災後に練習を重ねた思い入れのある場所。この大会では、これまで女子10キロを2度制覇している。大学最終学年で迎えた今回は集大成としてハーフに初めて挑戦した。
 序盤でトップに立ったものの、暑さもあって6キロすぎでペースが落ちた。集中力も落ちて給水に失敗し、「心が折れそうになった」。それでも地元の声援が奮い立たせてくれた。「沿道には知った顔も多く、負けられないと思った」。終盤はペースを取り戻して後続を引き離した。
 ゴール前の直線約100メートルはダッシュする余裕すら見せた。次は北日本インカレで1万メートルを走る。「タイムにはこだわらず、優勝を目指したい」。故郷で得た手応えを胸に挑む。159センチ、43キロ。21歳。(スポーツ部・射浜大輔)


ハローワーク気仙沼 新庁舎に
東日本大震災の津波で被災し、これまで仮設の庁舎で業務を行ってきた気仙沼市の「ハローワーク気仙沼」が、25日、新たな庁舎に移転しました。
気仙沼市の「ハローワーク気仙沼」は震災の津波で庁舎が被災したため、これまで仮設の庁舎で業務を続け、震災で仕事を失った人たちや働き手の確保を目指す被災地の企業を支援してきました。
そして、ことし4月にJR気仙沼駅前に完成した公共施設「気仙沼駅前プラザ」に移転することになり、25日からようやく新たな庁舎で業務が始まりました。
25日は市の関係者などが出席して記念の式典が開かれ、ハローワーク気仙沼の本田聡一郎所長は「震災から7年を経て、ようやく移転することができた。仕事を求める人たちと企業の懸け橋になりたい」とあいさつしました。
新しい庁舎は、広さがおよそ600平方メートルと、仮設の庁舎とほぼ変わりませんが、すべての窓口がひとつのフロアに集約され、待ち合いスペースも広くなるなど、利用しやすいつくりになっているということです。
本田所長は、「水産業の人手不足など、解決するべき雇用問題はたくさんある。地域の雇用にとって役に立つ存在となれるよう頑張りたい」と話していました。
【ハローワーク気仙沼の課題は人手不足】
新しい庁舎に移転したハローワーク気仙沼が抱える最大の課題は、被災地の企業が抱える人手不足の問題です。
ハローワーク気仙沼が管轄する気仙沼市と南三陸町の基幹産業は水産業です。
震災から7年あまりが経ち、津波で被災した水産加工会社の多くが工場を再建して本格的な稼働を始め、人手不足の問題に直面しています。
管内の水産加工業などで、製品の製造や加工処理の現場の作業員の有効求人倍率は、ことし4月までの1年間、毎月3倍から4倍で推移し、去年5月には4.92倍を記録しています。
同じ職種で、県全体の求人倍率の平均が2倍前後で推移しているのに比べて、かなり高い数字です。
一方で、管内の水産加工業などで、事務職の有効求人倍率は、およそ0.5倍で推移していて、現場の作業員を求める企業側と事務系の仕事を求める求職者側との間で、ミスマッチが起きている現状が浮き彫りになっています。
ハローワーク気仙沼の本田聡一郎所長はこの現状について、「多くの水産加工会社は、工場を再建しても人手が足りず、100%稼働できていない状況だ。水産加工の仕事はどうしても寒くつらいというイメージがあり、高齢の方を中心に二の足を踏んでいる面があると思う」と指摘しています。
その上で、「復興を果たした工場は設備もきれいで、多くの人が抱いているイメージよりも労働環境が良くなっている。ハローワークとして職場見学会や説明会をなるべく企画し、より多くの働き手の方が水産業に興味をもってもらえるよう、努力していきたい」と話していました。


大阪震度6弱 午前7時58分、校長ら現場に向かい黙とう
地震1週間 教職員約30人が正門前に並んで
 プールの外壁にあたるブロック塀が倒れ、児童が犠牲になった大阪府高槻市立寿栄(じゅえい)小学校では25日、地震発生時刻の午前7時58分に田中良美校長ら教職員約30人が正門前に並び、事故現場に向かって黙とうをささげた。亡くなった小学4年の三宅璃奈(りな)さん(9)を悼み、事故から1週間たっても献花に訪れる人が絶えない。この日訪れた近所の高齢女性は「まさかあんなことになるとは……。両親は悔しいと思う」と遺族を気遣った。
 現場の通学路は今も通ることができない状態で、子どもたちは迂回(うかい)して登校した。【千脇康平】
3人犠牲の高槻市 市長らや幹部職員ら100人黙とう
 小学4年の女児を含む3人が犠牲となった大阪府高槻市では、地震発生時刻の午前7時58分、浜田剛史市長や幹部職員ら約100人が市役所で黙とうした。
 市内では市立寿栄(じゅえい)小のブロック塀が倒れ、登校中だった同小4年の三宅璃奈(りな)さん(9)が亡くなった。塀は建築基準法施行令に違反する構造だったが、市教委は過去の点検で危険性を見過ごしていた。
 浜田市長は黙とうに続く職員向けの訓示で「安全であるべき学校施設で事故が発生し、責任を痛感している。事故を深く胸に刻み、未来永劫(えいごう)伝えていかなくてはいけない」と誓った。【池田一生】


大阪北部地震から1週間 発生時刻に犠牲者へ黙とう
 震度6弱を記録した大阪府北部地震から1週間となった25日、5人が亡くなった大阪府内では発生時刻の午前7時58分に自治体関係者や知人らが黙とうし、犠牲者を悼んだ。被災地では469人(午前7時半現在)がなお避難所生活を続ける一方、電気、水道に続いてガスがほぼ復旧し、罹災証明書の早期発行手続きが始まるなど、生活復旧に向けた動きも進む。
 登校中だった高槻市立寿栄小4年三宅璃奈さん(9)がブロック塀の下敷きとなるなど3人が死亡した同市では、浜田剛史市長と職員ら約100人が発生時刻に市役所で黙とうした。


帰宅困難対応に明暗、京都市は避難所設けず 大阪北部地震1週間
 18日に発生した大阪府北部地震は京都府内でも震度5強を観測し、JR東海道線は京都市下京区の京都駅で最大14時間止まった。再開を待つ多くの利用客が駅に詰め掛ける中、長岡京市と大山崎町は「客を放置できない」として駅前に避難所を設けた。一方、最も混雑した京都駅の周辺には避難所が設置されず、客から不満の声も漏れた。京都市は「けが人が出る二次災害の危険はなかった」と見送りの理由を説明する。なぜ対応に差が出たのか。当日の動きを追った。
■長岡京市・大山崎町は避難所開設
 長岡京市のJR長岡京駅では電車から降ろされた乗客が駅前広場にあふれ、市は午後1時、駅前の公共施設「バンビオ1番館」を開放。スマートフォンの電池切れで情報収集が難しい人のため、テレビを置いてニュースを流した。最も多い時で200人が身を寄せ、大阪市の会社員佐藤治さん(50)は「疲れた身にはありがたい」と感謝した。
 大山崎町も午前10時ごろ、JR山崎駅と阪急大山崎駅前の大山崎ふるさとセンターに避難所を設け、25人が利用。帰宅困難の3人は宿泊した。町役場でも職員用の部屋で避難者を受け入れた。
 両市町とも、2011年の東日本大震災時、首都圏の駅が利用客であふれた問題を受け、防災計画を改定し、帰宅困難者対策を定めていた。長岡京市の担当者は「運行再開が不透明な中、利用客は放置できず、早めに対応した」。
■京都駅大混乱も、京都市は避難所開設せず
 一方、京都駅利用客の避難所は設置されなかった。改札前は利用客であふれ、疲労で通路に座り込む客が続出した。
 京都市も13年度、帰宅困難者対策の計画を策定し、京都駅周辺に休憩所や情報提供スペースを設け、運行状況を多言語で伝えることになっていた。しかし、帰宅困難者は「宿泊しないと帰宅できない人」という想定で、午後3時すぎにJR西日本側から「東海道線は午後5時ごろに再開予定」と伝わったことから、設置の判断を保留した。
 その後、再開見込みは「7時以降」に変わり、さらに「10時以降」までずれ込んだ。結局、JR西が在来線ホームに乗客を入れたのは午後10時前だった。
 京都市は、午後5時から駅周辺のホテルなどに受け入れを打診し、駅前のホテルに水や食料を運び込んで準備を始めた。その上で、終日運休となった山陰線ホームなどで帰宅困難者がいないことを確認し、開設を見送った。
 市まち再生・創造推進室は「JRからの情報が二転三転し、開設の判断が難しかった」と振り返る。「協定を結ぶ駅周辺の6事業者に宿泊・休憩所設置を問い合わせたが、断られたり、連絡がとれなかったりした施設もあった」と課題も挙げた。
■利用者目線で検証を
 市は「帰宅困難者は出なかった」との立場を取るが、京都駅でひたすら運行再開を待った甲賀市の会社員若林佑哉さん(22)は、午後4時の時点で「JRしか帰宅の交通手段がなく、もう7時間以上、ここにいる。いすやソファを用意しろとは言わないが、再開情報が全くない中、せめて私鉄やバスを乗り継げばどこまで帰れるのかといった情報を提供してほしい」と注文した。
 「帰宅困難者」への対応を巡り自治体間で判断が分かれた今回の地震。計画の実効性について、利用者目線での検証も必要だ。


大阪震度6弱 「大変ご迷惑」大阪ガスが全地域で供給復旧
 大阪ガスは24日夜、大阪府北部の地震で被災した全地域で都市ガスの供給を復旧させた。本荘武宏社長は25日午前の記者会見で「大変ご迷惑おかけしました」と頭を下げた。18日の地震直後から茨木、高槻両市を中心に約11万戸への供給が止まり、大ガスは応援も含めて最大5100人態勢で復旧に取り組んだ。現在も住民の不在などから約1万5000戸でガスの開栓ができておらず、本荘社長は「総力を挙げて対応する」と語った。【真野森作】

<松島・瑞巌寺落慶法要>みこし行列 晴れやかに
 仙台藩祖伊達政宗によって1609年に創建された寺に、修理落成を祝う読経が響いた。宮城県松島町の瑞巌寺で24日営まれた「平成の大修理」の落慶法要。100〜150年に一度の機会に触れようと大勢の参拝客が訪れ、町内の神社のみこしも繰り出して華やぎを添えた。
 法要には行政や工事の関係者、宇和島伊達家当主らも列席した。法要を取り仕切る星松岳総監は謝辞の中で、修理中に発生した東日本大震災の被害が軽かったことや、屋根瓦の下にふく野地板が観光客や近隣住民から約1万枚寄進されたことを紹介。多くの支えに感謝し「これからも地域のため世界平和のために祈る」と述べた。
 来賓からは、震災を乗り越えたことに「不屈の精神」と賛辞が贈られた。
 法要後、寺ゆかりの日吉山王神社など町内4神社のみこし5基と仙台のすずめ踊りの踊り手ら計約350人によるパレードが、寺の参道を練り歩いた。氏子たちは掛け声を上げながらみこしを担ぎ、落慶を盛り上げた。
 近くの利府町浜田地区で震災の津波に遭ったものの無事で、少子化のため松島町磯崎地区の稲荷神社に寄贈された宝船みこしも初披露された。
 寺は24日、拝観が無料となった。みこしはパレード後に海沿いの中央広場に展示され、寺と周辺は国内外からの観光客でにぎわった。
 新潟県新発田市から団体で訪れた無職田村光雄さん(84)は「これだけ大勢の人々が集まっていて驚いた。天気にも恵まれ、日本の寺や祭りの素晴らしさを感じた」と話した。


<松島・瑞巌寺落慶法要>輝き再び 読経壮麗
 宮城県松島町の国宝・瑞巌寺で24日、約10年に及ぶ「平成の大修理」の落慶法要が営まれた。全国の僧侶や地元関係者ら約400人が参列し、よみがえった桃山文化の輝きに囲まれて落成を祝った。
 法要は本堂の中心「室中孔雀(くじゃく)の間」で営まれた。本尊を前に、伊達家第18代当主の伊達泰宗氏による献香、裏千家前家元の千玄室氏による献茶があった。
 吉田道彦住職ら僧侶約230人が読経し、うち約40人が列をなしてつづら折りのように歩く「行道」を続け、無事の完成を祝った。
 修理事業は大地震対策も目的で、期間は東日本大震災を挟み2008年11月〜今年3月。面積約920平方メートルの本堂など8棟を修理した。事業費は約17億円。


<この人このまち>親しまれる運転士目標
 岩手県などが出資する第三セクターの三陸鉄道(宮古市)に今春入社した山田騎士さん(18)が、同僚と共に訓練の日々を送っている。目指すは地域住民に愛される運転士だ。夢に向かって走り始めたフレッシュマンに聞いた。(宮古支局・佐々木貴)
◎三陸鉄道北リアス線・運転士候補生 山田騎士さん(18)
 −入社から2カ月。表情がりりしくなりました。
 「入社直後は本当に右も左も分かりませんでした。列車の連結作業に時間がかかったり、作業確認の喚呼がエンジン音に負けて先輩に届かなかったり。行動に責任が伴うのが社会人なんだと実感しています」
 −心掛けていることは。
 「お客さまに対し、第一に提供しなければいけないのは安全です。自分が連結した列車が安全に走るようプロ意識を持って取り組みたい。少しずつ慣れてきた今、そう思います」
 −北リアス線運行部がある久慈市の暮らしは。
 「日に日に愛着が湧いています。海産物が好きですし、青い海がきれいです。休日、三鉄に乗ったとき『頑張って』と声を掛けていただいたことがあります。とても感激しました。地域の方々に顔と名前を覚えてもらえる運転士を目指して頑張ります」
 −仙台市出身ですが、進学したのは鉄道業務を学ぶ東京の高校ですね。
 「小さい頃から列車のデザインや車窓を流れる風景が好きで、両親に連れられてJRの仙石線や東北本線に乗るのが楽しみでした。高校進学では父が強く背中を押してくれました」
 「同級生はJRや東武鉄道、東京メトロで頑張っています。首都圏で働くのもいいですが、地方には地方の良さがあります。毎日、大好きな列車に囲まれて仕事ができるのはとても幸せです」
 −将来の夢は。
 「東日本大震災で傷ついた地域の復興を願う人々の姿に胸を打たれ、三鉄に入りました。来年3月にはJR山田線が移管され、南、北リアス線が一本につながり、全長163キロという第三セクター運営鉄道で日本一長い路線が誕生します。長さだけでなく、安全面でも日本一を目指します」
 「訓練期間は3年あり、運転士として列車を走らせるイメージはまだ浮かびません。でも、みっちり訓練し、あいつになら任せられると思ってもらえるようになりたいですね」


買い物気分で気軽に学習 仙台・一番町で「環境マルシェ」18ブース出展
 環境について気軽に学べる「環境マルシェ」(尚絅学院大主催)が24日、仙台市青葉区のサンモール一番町商店街で開かれた。
 3回目の今回は「資源」がテーマ。18ブースが設けられ、柴田農林高や白石工業高など高校6校と八つの企業・団体が参加した。志津川高自然科学部は「八幡川河口に復活した干潟の生物調査」と題し、東日本大震災後初めて行った調査結果を市民らに説明した。
 副部長の3年佐藤利輝(りき)さん(17)は「トリウミアカイソモドキなど絶滅危惧種12種を含め78種の多様な生物がいた。豊かな生物環境がある干潟を守っていかなければいけない」と話した。
 他にも、間伐材を使った工作やリサイクルできる雑紙を見つけるゲームなどを楽しめるブースもあった。
 企画した尚絅学院大総合人間科学部の鳥羽妙准教授は「通りすがりに足を止め、環境に少しでも興味を持ってもらえたらうれしい」述べた。


辺野古移設反対派が大規模抗議 海上でカヌー70艇
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設工事が進む名護市辺野古沿岸部の海上で25日、移設反対派の市民らがカヌーなどで、大規模な抗議活動を行った。本格的な土砂投入を早ければ8月17日に行う方針の政府に対し、移設阻止に向けた取り組みを強めたい考え。
 海上でカヌー約70艇と小型船数隻が、立ち入り制限区域に入っているとして退去するよう警告する海上保安庁の船とにらみ合った。
 参加者は「土砂投入するな」などと書かれたプラカードを掲げ、「基地を造るな」とシュプレヒコールを上げた。


内閣府の仰天“解釈” 「加計は利害関係者にあらず」の詭弁
 一体、誰が信じるのか――。内閣府の職員が2015年8月に出張した際に加計学園の車を使用していた問題を巡って、トンデモ答弁が飛び出した。
 当時、内閣府の地方創生推進室次長だった藤原豊氏(現経産省審議官)が、学園の本拠地の岡山市や今治市を訪問。学園の車を使って移動したことが、利害関係者から無償のサービス等を受けることを禁じる倫理規定や法律に抵触するのではないかと指摘されていた。
 この問題について内閣府は、22日の野党ヒアリングで追及されると、「(加計学園が)利害関係者かどうか調査中」「われわれとしては利害関係者に当たらないという解釈もある」などと答弁。出張後に学園が国家戦略特区の事業者に決定したため、藤原氏と学園は「利害関係に当たらない可能性がある」と詭弁を弄したのだ。
■財務省と全く同じ
 しかし、愛媛県が作成した文書によると、出張の約4カ月前の4月2日に、藤原氏は官邸で行われた県と市、学園との面会で、獣医学部新設について「県・市・学園と国が知恵を出し合って進めていきたい」と発言している。この時点で、学園が利害関係者であったことは明白なのだ。元文科官僚の寺脇研京都造形芸術大教授がこう言う。
「『利害関係者ではない』なんて到底信じられない、トボケた解釈です。加計学園側は、愛媛文書に記載された藤原さんとの面談を否定していません。内閣府は、『調査中』の一辺倒で、単に時間稼ぎをしているように見えます。公文書改ざんや次官のセクハラ問題で、財務省が『調査中』を連呼したのと全く同じ。いつか世間が問題を忘れるだろうとタカをくくっているのでしょう」
 何のために公務員の倫理規定があるのか。この国の官僚には、再三再四、確認して欲しいものだ。


森友・加計問題 疑問は依然捨て置けぬ
 大阪府の森友学園、岡山県の加計学園という二つの学校法人の問題に共通するのは、それぞれに国が絡む法人の事業計画に対して安倍晋三首相や周辺が便宜を図り、行政の公正を害したのではないかという疑惑だ。
 森友学園は首相夫人が一時名誉校長を務めていた傘下の小学校建設で、用地となる国有地を8億2千万円値引きされ、土地評価額の14%で取得していた。
 首相の親しい友人が理事長を務める加計学園は、愛媛県今治市への獣医学部新設計画で、他地区に競合する構想がある中で同学園が選ばれた経緯が問題となっている。
 森友問題で財務省は、これまで廃棄したなどとしてきた国有地売却を巡る学園側との交渉記録を国会に提出。改ざん前の決算文書の全文も公表し、改ざんは当時理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官の主導などとする調査報告をまとめ、関係者を処分した。
 加計問題では、学園の加計孝太郎理事長が先ごろ初めて記者会見。学園側の情報として愛媛県文書に記された2015年2月の安倍首相との面会は虚偽だったとした。安倍首相とは「仕事のことを話すのはやめようというスタンスで会っている」という。
 政権は、幕引きを急ぎたいところだろう。安倍首相が自民党幹部らとの会食で、延長国会での集中審議に嫌悪感を示したというのも、いかにもあり得る話ではある。
 働き方改革やカジノ整備など、政府の重要法案は森友、加計問題のあおりで成立がずれ込む。米朝首脳会談を受けた今後の外交方針も、国会の場で熟議が必要だ。
 政策論議を充実させる必要は否定しない。既に参院に送付された働き方改革法案は、厚労省調査の不適切データ問題の影響で政策への信頼がぐらつく。カジノ法案は、ギャンブル依存症や治安悪化などの懸案を巡る議論が手薄。自民党が急きょ提案した定数6増の参院選挙制度改革案には野党が反発している。
 一方で森友、加計問題も、世論調査では大半が首相らの説明に納得していない。
 森友問題に絡む公文書改ざんは司直による立件こそ見送られたものの、刑事罰に問われかねない行為に官僚が手を染めた理由はなぞのまま。加計問題も、理事長の釈明が事実なら計画実現へ首相の名を不当に利用したことになる。「そうですか」では済むまいに、首相が率先して不問に付す態度なのは奇異に映る。
 懸案山積の折でも、政権の基本姿勢に関わる一連の疑問は捨て置けない。事は政治の信頼の問題。特別委を設けるなど、じっくりと真相を究明する態勢づくりで与野党が反目し合う理由はあるまい。


検証・森友文書 (1)国有地8億円値引きの裏側 ゴミ埋め戻しの落ち度を最大限利用
 学校法人「森友学園」の国有地売却や決裁文書改ざん問題は、野党の追及が国会で始まってから1年4カ月、さまざまな資料が国会に提出され、ときに当事者たちから流出した。財務省近畿財務局と学園との3年間の交渉記録などA4判5000ページを超える文書、交渉の録音データがそれだ。これらをひもとくと、今まで見過ごされていた事実が見えてくる。6回の集中連載で検証する。(肩書は当時)【杉本修作】
 2016年3月16日、大阪市内の保育施設で開かれた会合。財務省近畿財務局の担当者は消え入りそうな細い声で頭を下げた。「理事長にきっちり報告できていなかった点については、申し訳ございません」
 森友学園理事長の籠池泰典被告が記録したとみられる約4時間の録音データは、冒頭から籠池理事長の強い抗議で始まった。
 きっかけは5日前の3月11日、学園による小学校建設が進められていた大阪府豊中市の国有地で、地下から大量の生活ゴミがみつかったことだった。
 「軽い問題じゃない。民間企業なら土下座する話だよ」
 籠池理事長や、学園が運営する幼稚園副園長の妻諄子被告からたたみ掛けるように責め立てられ、頭を下げる近畿財務局の担当者。その場を取り繕うように、同席した国土交通省大阪航空局の担当者が「今回出てきた産業廃棄物は国に瑕疵(かし)があることが多分、判断される」と慌てて言葉をつないだ。
 学園との交渉で初めて、国が自ら「瑕疵」を明確に認めたやり取りだ。そしてこの後、国有地の売買交渉が学園主導でスタートすることになる。
 籠池夫妻と重ねたこれまでの3年間の交渉で、近畿財務局や大阪航空局は籠池理事長への謝罪が意味することを十分理解していたはず。にもかかわらず近畿財務局担当者が謝罪をしてまで「報告できていなかったこと」とは一体何か。その答えは、近畿財務局が作成した15年9月4日付の交渉記録に残されていた。
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 15年9月4日、近畿財務局内で開かれた会合には、近畿財務局、大阪航空局の担当者のほか、森友学園側から小学校建設の設計士や大阪市内の土木会社社員が出席した。まずは、この会合に至るまでの経緯を振り返りたい。
 約3カ月前の同年5月29日。近畿財務局と森友学園は2年の交渉を経て、国有地を10年以内に購入することを条件に、年2730万円の賃料を支払う定期借地権契約を結んだ。資金難だった学園は国有地の即時購入をあきらめ、国有地を借りて開校する方法を選択していた。
 この国有地には、それまでの国交省の調査で浅い地層にコンクリート殻や土壌汚染などがあることが判明していた。契約に際し、近畿財務局と学園は、国の責任でこれらを除去することで合意。学園が工事を担い、かかった費用を国に請求することとされた。
 大阪市内の土木会社が同年7月からコンクリート殻を撤去して土壌を入れ替える「土壌改良工事」を始めていたが、問題はその工事の過程で発生した。
 8月末、土に絡みついた大量のガラス片などの生活ゴミを、掘削作業に当たっていたパワーショベルが掘り返した。「これほど大量のガラスくずが出るとは想定されていなかった」。困り果てた業者はすぐに近畿財務局に電話をかける。
 土に絡みついたゴミの処分には分別する必要があり、費用は膨れあがることが予想された。その善後策を話し合うために持たれたのが、9月4日の会合だったのだ。
 「それなりの量が出てくると、分別処分費用が億単位になる恐れも出てくる」。会合で土木会社の社員は訴えた。分別撤去にかかる費用は1トン当たり4万円。仮に、8770平方メートルの国有地全体にゴミが埋まっていれば、数億円の撤去費が発生する計算になる。
 地下のゴミが不動産取引の現場でトラブルを招くことはよくある。誰の責任で撤去するか、どの程度撤去するかが争点になることは多い。
 専門家によると、小学校建設のような低中層階の建物を建築する場合、くい打ちに支障がないゴミであれば、撤去せず残しておくという契約もあり得るという。一方、子どもたちが集う小学校の地下にゴミを残せば、風評被害が生まれて将来の学校経営に支障が出る可能性もある。
 判断を迫られた近畿財務局。だが、9月4日の交渉記録では、コスト第一でゴミ撤去に難色を示す様子が記されていた。
  近畿財務局担当者「建築に支障がないゴミは支払えない」
 土木会社社員「国に負担を求めることができないことは理解した。ただ、森友学園にどのように説明して理解を得るかが問題となる」
 設計士「学園に説明し了解を得ていないが、一つの方法を提案したい。ガラスくずが含まれた土を場外処分すると多額の処分費用が発生する。(敷地内の)埋め戻しに使用し、処分費用を抑えることができないか検討したい」
 近畿財務局担当者「場内処分について、他の方法も含めて良い手法がないか検討していただきたい」
 近畿財務局側が負担を拒否したため、業者は掘り返したゴミを処理せずに埋め戻し、埋まっているゴミはそのままにする「場内処分」を提案する。
 籠池理事長の了解を得ぬまま、地下のゴミを巡る方向性は事実上決まり、掘り返されたゴミはその後埋め戻された。
 この日の会合の「結果概要」が、交渉記録にまとめられていた。「当方より、建築に支障にならないレベルのガラスくずなどは支払いの対象とならないことを明確に伝え相手も承諾。ただし、森友学園への説明ぶりについては検討が必要とのこと。国の方針を踏まえ、埋め戻しによる場内処分を検討」
 わざわざ「学園への説明ぶりについては検討が必要」と記しており、近畿財務局側が籠池理事長への対応を相当気にしていた様子がうかがえる。そして、担当者の懸念の通り、「場内処分」の事実は籠池理事長に伝えられず、後に災いを招くことになった。
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 「場内処分」を決定した15年9月4日の会合について、大阪市の土木会社幹部が毎日新聞の取材に重い口を開いた。会合で近畿財務局の担当者が語ったこととは?
 「国としては『土壌汚染の対策費は支払います。でも、それ以外の生活ゴミはほっといてくれ』ってこと。近畿財務局も相当な金額になるんじゃないかって分かっていたから、そういうことを言ったんだと思う」。幹部は近畿財務局の対応を振り返った。
 疑問は尽きない。ゴミを「場内処分」するのはそれほど深刻なことなのだろうか。幹部は続けた。「近畿財務局はかつて、ゴミの話を一切せずに埋め立て地を売却した。それが後からゴミが出てきて建物を建てられず、契約破棄になったことがあると聞いた。話をせず後から見つかったら脅しの材料になる」
 さらに、籠池理事長が本当にゴミの存在に気づいていなかったのかを尋ねると、幹部は首を振った。「伝わっていなかったことはないと思う。ただ、量の問題。後で、ゴミが相当あると聞いてひらめいたのかもしれない」
 幹部が言うように、籠池理事長がゴミを脅しの材料に使い、値引き交渉することを「ひらめいた」かどうかは分からない。ただ、ゴミの埋め戻しという近畿財務局の落ち度を学園は最大限利用していく。


参院6増法案 自民党は身勝手が過ぎる
 定数増はもとより、身内の救済策が色濃く、身勝手な印象が強い。このままで国民の理解が得られるとは思えない。
 参院選の「1票の格差」是正のため、自民党は公選法改正案を参院に提出した。
 「鳥取・島根」「徳島・高知」の二つの合区選挙区を維持しつつ、議員1人当たりの有権者数が最多の埼玉選挙区の定数を2増し格差是正を図るとする。
 さらに比例代表の定数を4増するため、総定数は現行の242から6増の248となる。
 比例代表で名簿の一部に、事前に定めた順位で当選者を決める「拘束名簿式」の特例枠を導入するのが特徴だ。
 自民は特例枠に合区対象県で選挙区に出られなかった候補者を回し、救済を図る狙いだ。
 改正案提出は、最高裁が参院選を「違憲状態」と判断したことが背景にある。
 2016年参院選では合区を導入し格差を是正したが、その際の改正公選法の付則に19年参院選へ「制度の抜本的見直しについて必ず結論を得る」と明記し、議論してきた。
 ところが、合区については何ら手を付けず、人口の多い選挙区定数増のやり方で格差縮小を図った。小手先の数合わせにすぎず、抜本的対策には程遠い。
 自民は当初、人口を絶対的な基準とせず、改選ごとに各都道府県から1人以上選出できるよう憲法を改正し、合区を解消する考えを持っていた。
 一方、他党は複数の都道府県で選挙区を構成するブロック制などの抜本改正を主張した。
 双方の利害が絡んで、意見集約は難航し、野党は森友・加計学園問題などで改憲に向けた協議入りに反対した。自民は急場しのぎのため今法案を持ち出した格好だ。
 人口が減少する中、総定数を6増すること自体、理解に苦しむ。消費税増税の際に「身を切る改革」として議論された国会議員の定数削減を進める方向からも大きく逸脱している。
 看過できないのは、合区を解消しないことに対する党内の不満を抑えようとして比例の特例枠を設けたことだ。
 極めて内向きの身勝手なやり方というほかない。得票順に当選者を決める従来の参院比例代表との公平性の観点からも問題は大きい。
 共同通信社が実施した世論調査でも自民案に反対は59・9%、賛成は19・5%だった。
 選挙制度は民主主義の根幹に関わる。二院制における参院の役割を含め根底から議論を重ね、安定した制度を構築することが筋だ。
 自民案を巡って、埼玉選挙区で有利になるとか、比例の議席増分を獲得できそうだといった理由から本音では賛成の野党もあるという。
 議員の都合ばかりが優先され、有権者そっちのけで法案が通るようでは、それこそ参院の存在理由が問われよう。
 成立ありきではなく、国民目線を踏まえた丁寧で慎重な審議を求めたい。


五輪ボランティア/人数が多過ぎないか
 2020年東京五輪・パラリンピックで活動するボランティアは、大会組織委員会が募集する8万人と、東京都が別に募集する3万人の合わせて11万人となる計画だ。
 組織委は今春、18歳以上とするボランティアの条件を適用しない、中高生向けの募集枠を設けることも決めた。サッカーやテニスのボール拾いや、バレーボールなどでコートに落ちた選手の汗を拭くモップかけを担当する中高生にとっては、きっと一生の思い出になるだろう。
 国際オリンピック委員会(IOC)によると、12年のロンドン大会では7万人のボランティアが活動した。前回リオデジャネイロ大会は5万人だった。なぜ、東京大会ではこんなにも多くのボランティアが必要なのだろう。
 組織委は観客や大会関係者を案内する係、競技運営をサポートする係、各国の選手団を直接支援する係、急病人などに対応する係など、担当を9項目に分ける。東京都の方は主に鉄道の駅や空港で、交通や観光の案内をするボランティアを募集する考えだ。
 組織委も東京都も案内を重視している。世界各国、全国各地から集まる五輪観戦客に、おもてなしの精神を発揮しようとの考えのようだ。しかし、本当にそのような手取り足取りの案内が求められているだろうか。
 見知らぬ土地に行っても、スマートフォンで目的地までの経路をたやすく見つけられる時代になった。観光地は今、どこもスマホ片手に、訪れたい名所や人気レストランなどを巡り歩く観光客でいっぱいだ。
 これは日本に限ったことではない。2年後に五輪を迎えるころには、スマホによるさまざまな情報の入手と案内はさらに進化し、便利になっている可能性もある。
 選手も審判も運営スタッフも、競技関係者のほとんどは五輪や大規模国際大会の経験者だ。案内など必要としないプロ集団とも言える。
 組織委は常々、ぜい肉をそぎ落としたスリムな運営と、革新的技術を取り入れた斬新な大会を目指すと強調している。
 なぜ、時代にそぐわない人海戦術による大規模ボランティア体制を整えようとするのだろう。整備すべきは、スマホで検索できる各競技会場への移動案内、会場周辺の進路案内ではないのか。
 一方で、組織委は大会中の選手と観客のスムーズな輸送のためには、特別な対策を整える必要があると強調する。それができなければ、首都高速道路の渋滞は現在の2倍となり、臨海部の鉄道は混雑のため観客らが乗り切れないことが予想されるという。
 大勢のボランティアが専用バスや公共交通機関で、活動役割を担う会場まで移動することになれば、首都圏の大会輸送網に対し、余計な負荷をかけることになってしまう。
 また、ボランティアには帽子、ウエア、靴などのユニホームセットが支給され、食事も提供される。これだけの規模になれば、それらの経費は大会全体の経費を膨らませることになるだろう。
 組織委は現在、IOCから約1千億円の大会運営予算の圧縮を要請されている。設立当初からの無駄を省く理念に立ち返り、ボランティアの規模の縮小を検討すべきだ。


虐待問題解決の本質とは 黒川祥子さんが取材経験から語る
「もうおねがいゆるして」――。両親による虐待で5歳児が亡くなる痛ましい事件がまた起こった。厚労省の発表によると、2016年度に全国の児童相談所が虐待相談として対応した件数は、過去最多の12万2575件。相談の種別は「心理的虐待」が最も多く、次いで「身体的虐待」となった。第11回開高健ノンフィクション賞受賞作「誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち」(13年刊)以降、虐待や貧困をテーマに取材をし続けているノンフィクション作家はどう見ているのか。
■保護だけでは解決につながらない
  ――虐待に関心を持つようになったきっかけを教えてください。
 09年に橘由歩の筆名で「身内の犯行」というルポルタージュを出版しました。殺人事件のうち、2件に1件が「身内」で起こっている。一つの家庭で殺人者と被害者を出すようになった背景を知りたい。板橋両親殺害爆破、渋谷「セレブ妻」夫バラバラ殺人など10件の身内の犯行を取り上げました。気付いたのが、10件の殺人者全員が性別、年齢関係なく、被虐待者ということ。虐待がいかに大きな傷になるか。虐待から子供たちを救い出す社会を構築する方法はないものかと考えるようになりました。
  ――「誕生日を知らない女の子」では、愛知県運営の「あいち小児保健医療総合センター」を取材されています。
 それまで私が見ていたのは、虐待で殺された子供たちでした。だから虐待家庭から保護されることが、虐待問題の解決につながると考えていました。しかし「あいち小児保健医療総合センター」を取材し、それが全く甘い考えだと知り、愕然としました。0歳から15歳までが収容されるこの病院に、二重構造の閉鎖病棟があるのはなぜか。子供たちのベッドに「イライラするのが治まらない時の具体的対策」を書いた紙が張られているのはなぜか。“気が済むまで殴っていい”ぬいぐるみをたくさん置いた部屋が設けられているのはなぜか。
  ――保護だけでは問題解決にならない?
 まさにその通りです。「性化行動」という言葉をご存じでしょうか? 性的虐待を受けていた子供は、未就学児や小学校低学年など小さな子供でも、自分が受けた性的行動を“再現”する。人前でパンツを下ろしたり、性的暴力を他の子供に与えたり。性化行動をどう抑制するかは、児童養護施設の深刻な問題のひとつになっています。厚労省が発表した性的虐待の児童相談所への対応件数(16年度)は虐待相談全体の1・3%ですが、あいち小児保健医療総合センターでは17%(取材した12年当時)。性的虐待が顕在化しづらい現実を示す数字です。
  ――虐待の影響から逃れられる時が子供たちに来るのでしょうか?
 重要なのは、その後、誰と出会えるか。自分を認め、愛を持って受け止めてくれる大人と出会えるか。被害者としての人生では、「不幸なのは親のせい、社会のせい」と何かを恨み続けることになります。虐待のその後を追う取材で、見違えるほど変わった子供たちに何人も出会いました。それをあらためて痛感したのが、ある再チャレンジ高校との出合いです。
“困った生徒”は実は“困っている”生徒
  ――近著「県立!再チャレンジ高校」では人生をやり直そうとする高校生とそれを必死で支援する教師が出てきます。
 再チャレンジ高校とは、中学までに持てる力を発揮できなかった生徒に対し、再チャレンジの場を与える趣旨の学校で、選抜基準は「関心・意欲・態度」。入試は作文と面接のみで、学力考査は行わず、中学の成績も考慮しない。生徒のプライバシー保護のために仮名で紹介しますが、A県教育委員会が10年、県内に5校つくりました。そのひとつが槇尾高校(仮名)で、偏差値38、A県内の公立高校202校中190番目前後。いわゆる「底辺校」「課題集中校」「教育困難校」と形容される高校です。
  ――虐待家庭の子供が多い?
 最初からそれが見えていたわけではないのです。“困った生徒”ばかりで問題噴出。1年間で1クラス丸ごと消える高い中退率に、教師の側も「槇尾ではやっていけない」と最短で異動願を出すケースが珍しくなかった。そんな槇尾高校へ再チャレンジ高校づくりのキーマンとなる新校長、新教頭が赴任。有言実行の彼ら管理者と、さまざまなアイデアを出す教師たちによって、生徒たちが抱える問題が浮き彫りになっていく。「大人にとっての“困った生徒”ではない。“困っている生徒”なんだ」と分かってくるのです。
  ――大きな転換です。
 生徒自身が「困った」ことを抱えた「困っている生徒」だと考えれば、その解決を一緒に考えようとするスタンスへと教師や周囲の大人が転換していく。では、生徒たちはどうして困っているのか? ヤングケアラーという一時期盛んに報道された言葉があります。家族のケアを担う18歳未満の子供を指す言葉ですが、槇尾高にはそれが現実のものとしてずっとあった。生徒たちと話していると、「バイト代入ったけど、家賃で全部消えちゃう」と言うんです。親が生活費も置かずに出て行ってしまい、弟や妹の面倒を1人で見ている。100円ショップで買ったカップラーメンやポテトチップス1食が1日の食事という生徒、親の手作り料理を食べたことがなく煮物や野菜料理を見たこともない生徒もいます。
  ――ネグレクトです。
 加えて、心理的虐待、身体的虐待、性的虐待もある。生徒たちの遅刻、無断欠席、敬語を使えない、すぐカッとなって暴力を振るう、我慢や努力ができないなどの問題行動の陰には、虐待がある。生活費のためにバイトを掛け持ちして深夜まで働いていれば朝なかなか起きられません。子供は親の言動を見て育つ。酒を飲んで働かない親、すぐに殴る親、子供に無関心な親しか家庭内にいなければ、それしかロールモデルがなく「○○をしたい」という夢を持ちづらい。「いい人生を送るために○○をしよう」という気持ちは湧いてこないでしょう。
■再チャレンジ高校では卒業後も生徒を支える
  ――なぜ虐待を受けている子供が「底辺校」に集まるのでしょうか?
 槇尾高の教頭(後に校長)が行った調査に、A県のある学区の上位校2校と下位校2校との「授業料免除者数・滞納者数」を比較したものがあります。困窮家庭には、授業料が免除される制度です。91年のデータによると、上位校の免除者数は1人、滞納者数は49人、中途退学者数は6人。ところが下位校の免除者数は88人、滞納者数は507人、中途退学者数は174人。家庭の経済格差と子供の学力格差は見事な相関関係にあったのです。実際、槇尾高には生活保護を受けている家庭も多数あります。親は貧困で生活に疲れきっており、自分が生きるだけで精いっぱい。子供のことまで考える余裕がない。子供は家庭に居場所がなく、勉強に取り組める環境もなく、小中学校では粗暴だ、勉強ができない、などと無視されてきた。
  ――「居場所としての高校をつくらないといけない」「支援教育」という言葉が印象的でした。
 彼らは放っておくと、男子はフリーター、女子はフリーターか風俗、または若年出産に至る未来が目に見えています。社会に出ても、教育困難で“社会常識”を身に付けていない子供たちは、正規の職業に就くのは難しい。不安定な非正規労働の末に行きつくのは、生活保護かもしれない。
  ――大きな社会的損失です。
 それらのリスクを抱えた生徒たちに対し、再チャレンジ高校では、従来とは違う新たな仕組みによって主体的に行事や部活に取り組めるようにし、生徒たちに自信や経験を身に付けさせ、自分の未来を自分で考え、卒業後も自活していけるようにする。「教育、福祉、労働」の三位一体の実現を目指して、教師だけでなく、児童相談所、地域若者サポートステーション、地域の自営業者など、さまざまな立場の大人を巻き込んで、生徒たちを、卒業後も含めて支えていきます。虐待や貧困のニュースが流れれば注目を集めますが、一方で社会の大半は「子供の貧困なんてあるの?」程度の認識です。しかし、何とか変えていかねばと行動する大人がいることで、“虐待のその後”が変わっていく。槇尾高が確実にひとつの結果を出しました。(聞き手=和田真知子/日刊ゲンダイ)
▽くろかわ・しょうこ 福島県生まれ。東京女子大学卒業後、弁護士秘書、業界紙記者などを経て、フリーランスに。近著に「県立!再チャレンジ高校 生徒が人生をやり直せる学校」「PTA不要論」「『心の除染』という虚構 除染先進都市はなぜ除染をやめたのか」など。


TBS宇垣美里アナが夫婦別姓反対派の主張を一蹴!「明治に始まったのに、日本文化(笑)」「選択肢が増えて何がいけない」
 今月18日に、映画作家の想田和弘氏と、舞踏家・映画プロデューサーの柏木規与子氏夫妻が、夫婦別姓を認める立法を国が怠っていることは憲法違反であるとして、夫婦としての地位確認などを求めて国を相手に提訴した。
 想田氏と柏木氏は1997年にニューヨークで結婚している。海外で結婚する場合、現地の法律に則って結婚を届け出れば、日本の法律でも結婚していることになる。そのため、想田氏・柏木氏夫妻は別姓を選択していても事実婚ではなく、日本国内でも婚姻が成立しているとみなされる。
 だが、日本では別姓婚が認められていないため、戸籍をつくることができなかった。そのため、法律婚しているにも関わらず、戸籍上で婚姻を証明することができず、税制や相続などの面で不利益が生じてしまう。そういった経緯の末、現状放置されている法の不備は、結婚の自由を定めた憲法に違反するとして、訴訟を起こすことになった。
 そんな想田和弘監督が、ライムスター宇多丸がパーソナリティーを務める帯番組『アフター6ジャンクション』(6月19日放送分/TBSラジオ)に急きょ電話にて生出演し、今回の訴訟の経緯を説明したのだが、そこで『アフター6ジャンクション』火曜パートナーを務めるTBSの宇垣美里アナウンサーが放った意見が鋭かった。
 想田監督はまず、今回報道されている訴訟についての経緯を説明したうえで、「僕らは同姓を選びたい人たちは同姓を選べばいいと思っているし、彼らの自由なんですよ。だから、僕らにもその自由を保証してください、認めてくださいと言っているだけなんですけど」「(反対派は)いらっしゃいますね。ツイッターでもすごいやっぱり来るし」と語り、この訴訟のニュースが報じられて以降、ネトウヨ層からのバッシングを受けていると明かす。
 事実、ネット上には〈中韓の根城となったNHKや朝日が「当然の流れ」のように誘導するのには理由があります。まず「婚外子の平等化」次に「夫婦別姓」最終的に「戸籍廃止」→これで出自も履歴も不明化成功 これが狙い〉などといったヘイトまみれの投稿まで飛び交っている。
 番組のなかで想田監督は、選択的夫婦別姓に反対している人々の論拠として、「家族の絆が壊れるとか、日本の文化が破壊されるとか」との意見を紹介。これに対し宇垣アナは、「日本の文化(笑)。そんな、昭和か明治ぐらいから始まったことなのに」と笑う。また、もうひとつの論拠「家族の絆が壊れる」に対しても、「(夫婦は)名前だけでつながっているわけじゃないですからね」と語った。
 宇垣アナの発言はもっともだ。
 まず、夫婦同姓が「日本の文化」などではないことなど、義務教育レベルの日本史の教養である。しかし、驚くべきことに、夫婦同姓を「日本の文化」「日本の伝統」などとがなり立てる人は少なくない。
 お笑い芸人の小籔千豊もそのひとりだ。小籔は「夫婦別姓」を特集に据えた2015年12月1日放送の『ノンストップ!』(フジテレビ)に出演した際、このように発言した。
「この何億年と日本がずっとしてきたことで、その人自身がイヤやということで、いままでの人たちを否定するがごとく変えたい、そこまでの熱あるんやったら、じゃあ変えたら? 好きにしぃって思うんですけど。じゃあ理由聞いたときに、『あー、なるほど、その理由ですか』っていうのに、僕いままで一度もあったことないですね。失礼ですけど、だいたい、しょーもない理由で。アホな芸人の言うには、ですけど」
「自己のアイデンティティが守られる、その一個人のアイデンティティ守るために、いままで脈々と続いた制度を変えるって」
 いまさら言うまでもないが、日本において国民全員が「氏」を名乗らなくてはならなくなったのは明治以降のこと。明治民法によって夫婦同姓が定められたのは明治31(1898)年で、“何億年”どころか、たかだか120年の歴史しかない(だいたい皇紀で数えても日本に何億年の歴史などないのだが)。それを「日本がずっとしてきたこと」「脈々と続いた制度」って……。
安倍首相は「夫婦別姓は家族解体が最終目標、共産主義のドグマ」と発言
 そもそも夫婦同姓は、保守派がよく言う「夫婦の愛情を高めるため」「家族の絆を深めるため」などという理由から定められたわけではない。明治民法では戸主を絶対権力者に位置づける「家制度」が定められていたが、そこでは「氏」を「家」の名称としていたからだ。そのため夫婦も子どもも皆、同じ氏に統一していた。
 この家制度の下で女性は圧倒的に地位が低く設定されていた。女性は男性の「家に入る」のが基本。妻は財産を夫に管理され、親権も与えられず、妻の不貞のみ罪に問われた。妻は戸主に絶対服従、夫の所有物のような存在だったのだ。夫婦同姓は、こうした女性差別の元凶ともいえる家制度の名残だ。
 想田監督が結婚したアメリカ合衆国は言うまでもなく、現在でも選択的夫婦別姓を認めていない国は日本以外ほとんど存在しない。そのため、日本は国連の女性差別撤廃委員会から夫婦同姓の強制が問題視され、改正を求められているほどだ。夫婦別姓を認めた国で、それによって家族の絆が崩壊しているのかといえばそんなことはないし、夫婦同姓を強いている日本でも多くの夫婦が離婚している。
 しかし、保守層は選択的夫婦別姓制度の導入こそが「家族の解体」につながるとして強行に反対してきた。とくにその“急先鋒”となってきたのが、安倍首相その人である。安倍首相は下野時代、こんな調子で夫婦別姓を“糾弾”していた。
「夫婦別姓は家族の解体を意味します。家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという、左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)。これは日教組が教育現場で実行していることです」(「WiLL」ワック2010年7月号)
 この翌月、同じ「WiLL」のなかで安倍氏は、このようにも語っている。
「自民党の中でも健全な保守的な考えを持つ議員がヘゲモニー(覇権)を握り、主流派になっていくことが求められています。その際は外国人参政権、夫婦別姓、人権擁護法案などの問題に対して、明確な態度を示しているかどうかが一つの基準になります」(「WiLL」10年8月号)
 つまり、夫婦別姓に反対する“健全な保守議員”が主導権を握らなければいけないと言っているわけだが、この宣言通り、安倍氏は首相に返り咲くと身のまわりを保守というより極右思想のシンパや安倍チルドレンで固めた。
 事実、これまで安倍内閣に参加したほとんどが夫婦別姓反対の立場で、なかでも高市早苗氏や丸川珠代氏、島尻安伊子氏という女性議員は全員が別姓に反対。また、稲田朋美氏は「別姓推進派の真の目的は「家族解体」にあります」(ワック『渡部昇一、「女子会」に挑む!』/11年)と、安倍氏とまったく同じ発言を行っている。
夫婦別姓に反対し、女性蔑視の家父長制復活を狙う自民改憲草案24条
 安倍氏は党内議論の初期から、「わが国がやるべきことは別姓導入でなく家族制度の立て直しだ」と語っていたと言われるが(朝日新聞出版「AERA」06年11月13日号)、では、その「家族制度の立て直し」とは何なのか。それは自民党の憲法改正草案を見ればよくわかる。自民党改憲草案の第24条は、現行憲法の「個人の尊厳と両性の本質的平等」の前にこんな文言が追加されている。
〈家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。〉
 この家族条項は、家父長制を復活させて女性差別を温存し、さらに、国が担うべき社会福祉を「自己責任」のお題目のもとで家族に押し付けるものだ。彼らが指向するものは、つまるところ「家=国」への絶対的な服従を強制する戦前に回帰した社会である。
 夫婦別姓禁止についての民法規定が憲法に反するという裁判はこれまでも起こされており、15年には最高裁で争われた。その時は合憲の判決が出ているが、その背景には安倍政権をはじめとした保守勢力への忖度があったといわれている。
 しかし、夫婦別姓に対する社会からの要請は強い。18年に内閣府が行ったアンケートでは、42.5%が賛成と答えており、反対は29.3%であった。夫婦別姓を求める裁判も、今年だけで3件目である。
 前述『アフター6ジャンクション』で宇垣アナは、「それこそね、共働きの方も多いですから。そっちのほうが仕事にも不利益出ない方、絶対多いと思うんですけどね」「選択肢の増えることのなにがいけないのかがわからないです」と語っているが、選択的夫婦別姓を認めるか否かは、日本の社会が多様性を肯定するものになるのか、それとも、家父長制の復活を是とするものとなるのかの分水嶺のひとつでもある。今後もこの裁判に注目していきたい。(編集部)


小笠原返還50年 「私の戦後、終わらぬ」硫黄島に戻れず
 戦後23年間、米国占領下に置かれた小笠原諸島(東京都小笠原村)が日本に返還されて26日で50年になる。固有の動植物が生息することから「東洋のガラパゴス」と呼ばれて2011年に世界自然遺産に登録され、観光業の従事者などで人口は増える一方、激戦地・硫黄島への帰島は許されず、戦没者の遺骨収容などの課題も残る。
 小笠原諸島は中心の父島が都心から約1000キロ南の太平洋上に位置し、日本最南端の沖ノ鳥島などを含む30余の島が連なる。総面積は約1万ヘクタールで国土の0.03%だが、排他的経済水域(EEZ)は国全体の3割を占め、父島と母島に2638人が暮らす。
小笠原諸島の排他的経済水域
 本土とは片道24時間かかる6日に1便程度の定期船で結ばれ、重篤者らは自衛隊機で緊急搬送される。村は自然への影響を最小限に抑えた形での空港の建設を求めている。記念式典は30日に父島で、7月1日に母島で開かれる。【森健太郎】
2人の「あんちゃん」の遺骨見つけられず
 激戦地となった硫黄島で生まれた川崎市宮前区の山下賢二さん(88)は太平洋戦争末期、14歳で本土へ強制疎開させられ生き残った。だが、軍属として島に残された2人の「あんちゃん」は遺骨も見つかっていない。帰還を許されぬまま亡くなった島民も多く「私たちのことが忘れ去られてしまうのでは」との危機感に駆られている。
 自宅玄関のげた箱の上には青いカヌーの模型が飾られている。漁師だった父が島で乗っていた舟を記憶をたぐって手作りした。74年前、島から持ち出した品は残っていない。
 自然に恵まれた島には戦前約1200人が住んでいた。父は当時盛んだった麻酔薬用コカの栽培もして、家族8人の暮らしを支えた。小学校を経て青年学校に入ると、山下さんは1学年上の奥山駿(すすむ)さんと西浜彦八さんを「あんちゃん」と呼んで慕った。ハーモニカを教えてもらい、肩を組んで軍歌を歌った。いつも一緒だった。
 戦況が悪化した1944年7月、島は本土防衛の拠点に位置付けられ、強制疎開させられることになった。あんちゃん2人は米軍上陸に備え、日本軍の約2万人とともに残るよう指示された。
 夕暮れ時、砂浜で本土への船を待つ山下さんを2人が見送りに来てくれた。長い沈黙の後、奥山さんが「俺たちはここで死ぬ。賢二は長生きしろ。必ず骨を拾ってくれ」と言った。やんちゃだった西浜さんは背を向け、肩を震わせていた。
 栃木へ身を寄せた父母らと別れ、身寄りのない東京の軍需工場で働いた。硫黄島に残った人たちが「玉砕」したと伝え聞いたのは、翌春のことだった。
 清掃作業員などいくつもの職に就き、20代で同僚と結ばれて2人の子に恵まれた。高度経済成長期、約1250キロ離れた島に思いを寄せる余裕はなかった。「自分だけ生き残った」との思いも記憶にふたをさせた。妻子にも、つらかった強制疎開の経験はほとんど話せなかった。
 68年6月に小笠原は返還されたが、自衛隊が基地を置く硫黄島は火山活動などを理由に政府が帰島を許さなかった。祝賀ムードの中、「私には何の意味もない」と受け止めた。
 でも、定年退職して自分の時間が持てるようになると「約束を果たさねば」との思いがこみ上げてきた。1万柱以上が眠る硫黄島の遺骨収容に何度も加わった。壁が焼け焦げた灼熱(しゃくねつ)の地下壕(ごう)跡で遺骨を傷つけぬように拾い集めた。2人に結び付く手がかりは見つかっていない。「いつか必ず見つける」と思う半面、年々体力は衰え「残された時間は少ない」との焦りも募る。
 式典にも誘われたが、出席するつもりはない。帰還が許されないことに納得できないからだ。「強制疎開が続く私の戦後は終わっていない」。海岸で泣き別れた日の夕暮れが今もよみがえる。【森健太郎】