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加治木まんじゅう180523

Sept ans après Fukushima, le Japon reprend le chemin du nucléaire
Bien que le sujet soit très clivant dans le pays, le gouvernement a approuvé, mardi, un plan de relance du nucléaire, sept ans après la catastrophe. La compagnie Tepco plaide, elle, pour de nouvelles centrales.
A la ≪ une ≫ des journaux japonais, la spectaculaire défaite de l’équipe nationale de football face à la Belgique, lundi 2 juillet, lors de la Coupe du monde en Russie, a quelque peu éclipsé la nouvelle, mais cette dernière n’en représente pas moins un virage important : sept ans après la catastrophe de Fukushima, le Japon s’apprête à reprendre vigoureusement le chemin du nucléaire.
Mardi, le gouvernement de Shinzo Abe a approuvé un plan énergétique visant à atteindre une proportion de 20 % à 22 % d’électricité d’origine nucléaire à l’horizon 2030. Elle était d’environ 30 % avant Fukushima, et de 2 % à fin 2017. Sur les cinquante-quatre réacteurs du pays, seuls neuf produisent actuellement de l’électricité.
Dans le même cadre, le pays s’engage à augmenter significativement le poids des énergies renouvelables, qui devront atteindre de 22 % à 24 % du mix électrique à la même échéance – contre 15 % aujourd’hui. Le charbon, le pétrole et le gaz resteront toutefois majoritaires dans la production d’électricité, à 56 %.
Mauvais élèves des pays développés
Depuis Fukushima et la mise à l’arrêt du parc nucléaire japonais, le pays avait fait exploser ses émissions de gaz à effet de serre, en produisant massivement son électricité à partir de charbon et de gaz. Le Japon est ainsi le premier importateur mondial de gaz naturel liquéfié (GNL), notamment depuis le Qatar.
Alors qu’au moment des accords de Kyoto, en 1990, le Japon était en pointe dans la lutte contre le réchauffement climatique, il apparaît aujourd’hui comme l’un des plus mauvais élèves parmi les pays développés.
Dans ce nouveau plan, le pays s’engage à réduire de 80 % ses émissions de gaz à effet de serre entre 2013 et 2050, ce qui nécessite des efforts massifs. Et le gouvernement considère que le nucléaire, qui n’émet pas de CO2, est ≪ une ressource indispensable ≫ aux côtés des énergies renouvelables.
Ce plan constitue un virage important par rapport à la politique mise en œuvre ces dernières années dans le pays. Le précédent gouvernement avait pris l’engagement de mettre à l’arrêt l’ensemble des centrales du pays d’ici à 2039. Mais le premier ministre, Shinzo Abe, partisan de longue date de l’énergie nucléaire, avait affiché sa volonté de remettre sur pied la filière japonaise.
Casus belli pour les antinucléaires
Le sujet reste très controversé dans le pays, y compris au sein du parti au pouvoir. La sortie du nucléaire est défendue par plusieurs anciens premiers ministres, Junichiro Koizumi – mentor de Shinzo Abe, l’actuel premier ministre –, Morihiro Hosokawa ou encore Naoto Kan, qui dirigeait le gouvernement au moment de la catastrophe.
Si le plan énergétique ne mentionne pas directement la construction de nouvelles centrales, plusieurs experts estiment que cela sera indispensable pour atteindre l’objectif des 20 % à 22 % en 2030. Il faudra non seulement relancer plus de réacteurs qu’actuellement, mais également en construire de nouveaux. Plusieurs des centrales actuelles auront atteint leur limite d’âge avant cette date.
Pour autant, le redémarrage des centrales s’annonce complexe. Depuis Fukushima, l’autorité de sûreté a considérablement durci les règles. Ce qui a entraîné des travaux importants – et coûteux. Sans compter la très forte réticence des habitants et des élus locaux lors des redémarrages de réacteurs.
Les conséquences toujours en cours de Fukushima
Malgré ces difficultés, la filière nucléaire japonaise entend saisir l’opportunité. Tomoaki Kobayakawa, le patron de Tokyo Electric Power Company (Tepco), géant nucléaire de l’île, très décrié pour sa gestion de la crise de Fukushima, a annoncé mardi ≪ lancer l’étude géologique pour la construction d’une nouvelle unité à Higashidori ≫, dans le nord de l’archipel. Ce projet était déjà à l’étude avant la catastrophe de Fukushima, mais avait été interrompu en 2011.
Cette annonce est un casus belli pour les antinucléaires japonais, qui estiment que relancer une nouvelle centrale, alors que les conséquences de l’accident de Fukushima sont toujours en cours, est une grave erreur.
Cette catastrophe, conséquence d’un séisme accompagné d’un tsunami, avait provoqué la fusion du cœur du réacteur de la centrale, forcé des dizaines de milliers de personnes à quitter leur domicile et rendu inhabitable une partie de la région.
Dans un éditorial très dur, en mai, le grand quotidien japonais Asahi Shimbun avait condamné la volonté du gouvernement de prendre cette direction. ≪ L’administration Abe devrait faire face à la dure réalité concernant le nucléaire, notamment le fait que la majorité des Japonais est opposée au redémarrage des réacteurs ≫, estimait le quotidien, qui pressait le gouvernement ≪ d’abandonner totalement ses efforts pour maintenir la dépendance du Japon au nucléaire.
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急に休む,というメールが来てイラッとしました.もう少しどうにかできないもんですかね?中学生じゃあるまいし.
予約していたチケットを購入しなくてはと思って焦っていましたが,よく考えたら間違ったチケットだったのでキャンセルして再度と申込しました.
イラレで淡い色にしてというリクエストですがそれがむずいです.

「SDGs未来都市」に東松島市
世界の貧困や格差の撲滅などを目指した国連の「SDGs」=「持続可能な開発目標」の推進に先進的に取り組む自治体に、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島で唯一、東松島市が選ばれ、渥美巌市長は「被災地の代表として今後のまちづくりによりいっそう力を入れたい」と話しています。
国連が2015年に取りまとめた「SDGs」は「すべての人に健康と福祉を」、「住み続けられるまちづくりを」など17の目標を掲げています。
政府は先月、先進的な事業に取り組む全国の29の自治体を「SDGs未来都市」として選定し、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島で唯一、東松島市が選ばれました。
これについて東松島市は、震災後、高台や内陸に集団移転したあとのまちづくりや、津波で被害を受けさら地になった場所に障害者を雇用する農業施設を整備したことなどが評価されたのではないかとしています。
東松島市の渥美市長は3日の定例の記者会見で、「被災地の代表として今後のまちづくりによりいっそう力を入れたい」と述べました。
市では今後、国からの補助も活用し、人口減少対策や環境保全策を盛り込んだ事業計画を策定することにしています。


大川小裁判の上告 県議会承認
宮城県議会の6月定例会は最終日を迎え、東日本大震災の津波で犠牲になった石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判をめぐり、村井知事が上告を決めた専決処分が賛成多数で承認されました。
県議会の6月定例会は4日が最終日で、条例案など議案の採決が行われました。
このうち、東日本大震災の津波で犠牲になった石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判で、事前の学校の防災対策の不備などを認めた2審の判決をめぐって、村井知事が上告を決めた専決処分の承認を求める議案について、討論が行われました。
この中で、反対の立場の議員は、「重大議案にもかかわらず、臨時議会を開かずに専決処分で上告を決定したことは、議会制民主主義を無視するものだ」などと述べたあと、採決が行われ、賛成多数で承認されました。
また、国の復興交付金にかわる観光振興財源を確保するため、宿泊税などを検討する諮問会議を設置するための条例案も賛成多数で可決されました。
今回の定例会では、県のミスで計画よりも高く整備された気仙沼市魚町地区の防潮堤をめぐる問題について議論が交わされ、4日の本会議でも共産党の議員が、「景観を守るために苦労して住民団体と高さを決めたにもかかわらず、多額の税金をかけて修正するのは県民の理解が得られないという村井知事の発言はひどい。誠実に県政の課題に取り組むよう、猛省してもらいたい」と述べました。


「町のこし」に懸けた信念の人 別れ惜しむ声 馬場浪江町長葬儀に1500人 南相馬
 6月27日に胃がんのため69歳で亡くなった福島県浪江町長の馬場有(たもつ)氏の葬儀・告別式が3日、南相馬市原町区の斎場であった。前日の通夜を合わせ1500人を超える参列者が、東京電力福島第1原発事故から町を守る「町のこし」に懸けた馬場氏の冥福を祈った。
 弔辞で内堀雅雄知事は、昨春の一部地域を除く町の避難指示解除後も復興に力を注いだことを挙げ「地図から町が消えることは絶対させないとの信念の下、先頭に立ち続けた」と功績をたたえた。
 吉野正芳復興相は原発事故対応に触れ「時に国とも厳しく対峙(たいじ)しながら町のこしに全身全霊をささげた姿が今なお心に強く残っている」としのんだ。
 孫を代表し安田聖那さん(13)が「亡くなる3日前に私たち一人一人にハイタッチしてくれた。力強い気持ちだったのに」とお別れの言葉を話した。
 葬儀・告別式は町と遺族が合同で行い、喪主は長男大輔(だいすけ)氏、葬儀委員長は宮口勝美副町長が務めた。後日、町主催のしのぶ会を予定している。
 馬場氏は東北学院大卒。町議、県議を経て2007年に町長初当選。11年の原発事故に伴う全町避難や事故対応で陣頭指揮を執った。
 3期目の昨年末に体調を崩し、入退院を繰り返していた。今年6月13日、町議会に30日付の辞職願を提出し、同意された。任期を1年半余り残していた。


河北抄
 「Atoa」(アトア)。仙台市出身の兄弟、高橋勅雄(ときお)さん(32)と亮(あきら)さん(28)が結成した和太鼓のグループだ。
 2人は国内外で有名な和太鼓のプロ集団「鼓童」(新潟県佐渡市)に入門して学び、7年前の東日本大震災をきっかけに退団し帰郷。被災地の人々を力強い響きで元気づけようと活動を始めた。
 「宮城、岩手の避難所や仮設住宅や、各地で義援金を募る公演など、約100カ所を巡った」と口をそろえる。和太鼓を打つことで常に人と向き合い、自分とは何かを問う。それが原点になった。
 震災翌年、宮城県女川町で住民らの和太鼓の活動を手伝う中で、被災者の男性2人が「一緒にやりたい」と入団。以来4人で活動する。県内の小中学校を回って演奏し、公演の場も全国に広がる。
 「地元仙台で交流の祭りを開くのが夢だった」と勅雄さん。昨年実現させたのが「Atoaフェスティバル」。第2回を7日、若林区鶴代町の「鐘崎 笹かま館」で催す。横笛の名手やシンガー、市内の和太鼓のグループとも共演する。連絡先は090(7523)6404。


<気仙沼・防潮堤施工ミス>誤表記把握説明なし 気仙沼市長、県に不快感
 宮城県気仙沼市内湾地区の防潮堤高を県が誤って施工した問題で、昨年3月に担当職員が高さ表記の誤りに気付いていたと県が2日に県議会に示したことに関し、気仙沼市の菅原茂市長は3日の定例記者会見で「議会に説明するならば、(住民団体の会合があった)6月30日に住民にも説明するべきだった。非常に残念だ」と不快感を示した。
 住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」は6月6日に村井嘉浩知事に提出した要望書で、ミスに至った詳しい原因の説明を求めていた。要望に応じ、県は30日の協議会の会合で間違いの経緯を説明したが、今回の件には触れなかった。
 地元を軽視するような県の姿勢に、菅原市長は「説明会後に新たな事実が発覚するのは望ましくない。住民の不信感が募らないか心配だ」と指摘した。
 県は30日に背後地のかさ上げする案を提示。市と合同で、3日から地権者に対する個別の説明を始めた。菅原市長は「今回の件についても個別に説明してほしい」と求めた。


<放射能と闘う保育者たち 原町聖愛こども園の7年>(2)分断/外遊びの自由を制限
 東京電力福島第1原発事故が起きる前、原町聖愛こども園(南相馬市)の園児は、毎日近くの山を自由に伸び伸びと駆け回っていた。園が長年続けてきた「自然との触れ合いを中心に据えた保育」は事故で一変し、子どもたちは慣れ親しんだ自然から分断された。
<駄目駄目ばかり>
 「事故後は戸外で遊ぶことに大きな不安があった。外遊びを解禁してからも、虫や花に触って駄目、土の上に座って駄目と、駄目駄目とばかり言っていた」。遠藤美保子園長(66)は悔しがる。
 2011年度は、子どもたちを積極的には屋外に出さなかった。12、13年度は園庭での外遊びを30分、14年度は45分に制限した。
 どんなに暑くても長袖長ズボンで、顔には大きなマスクをかけ、肌をできるだけ出さないようにした。遊具に触れるときは、保育者がクエン酸溶液で念入りに拭いてから。屋内に入るときはブラシで全身のほこりを落とし、粘着テープを踏んで靴底もきれいにした。
 主幹保育教諭の高田公恵さん(57)は「先生たちは『集まって』が口癖になった。子どもの行動は予測がつかない。安全を守るため、園庭内とはいえ目が届かないところに行ってほしくなかった」と、当時の心境を語る。
<屋内の充実工夫>
 子どもたちは自由のない空間で、うろうろするだけ。何もできないまま、制限時間はあっという間に過ぎ去った。
 保育者は、代わりに屋内遊びを充実させることに腐心した。支援物資で送ってもらった枯れ葉で保育室をいっぱいにして、自由に遊ばせる。事故前に採って保存していたどんぐりや石など自然素材に、意識して触れさせる。「少しでも自然と切り離さないようにと試行錯誤した」と高田さん。
 他にもお絵かき、カード遊び、文字遊びと、これまでの保育にはなかった学習的な要素も取り入れた。工夫を重ねたが「先生が遊びをあてがう」(遠藤園長)保育をするしかなかった。
<園を去る職員も>
 事故後、職員は一気に入れ替わった。妊娠していたり幼い子どもがいたりした職員は、避難して園を離れ、そのまま戻ってこなかった。現在いる職員24人のうち、事故前からいる職員は遠藤園長、高田さん含めて9人に減った。
 今後どんな保育をしていくのか。何度も話し合ったが、元々いた職員と新しく来た職員との間には、微妙な温度差があった。「自然と遊ぶ良さは、体験して実感しないと分からない。保育者自身も事故によって自然と触れ合う経験を奪われ、長年培ってきた保育理念が途切れてしまった」。遠藤園長は言う。
 崩れた保育理念をまた積み上げていくには時間がかかる。7年が経過し、私生活も含めて目の前のことに必死だった職員の心にも少しずつ余裕が見られるようになった。
 「研修会などで学ぶ機会を地道につくっていくしかない」と遠藤園長。子どもたちの成長は待ってくれないのが、気掛かりだ。


<女川原発>ヨウ素剤 配布率向上が鍵 5キロ圏きょうから更新 「準PAZ」にも対象拡大
 石巻市と宮城県女川町は4日、両市町に立地する東北電力女川原発から5キロ圏内の予防的防護措置区域(PAZ)の住民に事前配布した安定ヨウ素剤の一斉更新を始める。石巻市は新たに、PAZを通らないと避難できない「準PAZ」の住民にも配布する方針。対象は大幅に増えるため、2016年の初回配布時に6割弱だった配布率の向上が焦点となる。
 配布されたヨウ素剤は10月に3年の使用期限を迎える。県と両市町は4日以降、行政区ごとに説明会を開催。医師立ち会いの下、9月末にかけて新品と取り換える。更新対象は未配布を含め5キロ圏内の1156人(5月末現在)。
 初回の16年は両市町の対象者約1000人中、ヨウ素剤を受け取ったのは581人(57%)だった。
 配布率が54%と低迷した石巻市は当時、防災集団移転先の集会所が未完成で地元で説明会を開けない地域があった。説明会場は今回、4カ所から7カ所に増え、移転地域ごとに開催できるようなった。市は当面、配布率70〜80%を目指す。
 一方、市は懸案だった準PAZへの配布を巡り、牡鹿半島南部の約2400人を対象に加えるよう検討に入った。
 二上洋介・市危機管理監は「配布後の管理体制などが整い次第、配布していく」との見通しを示した。
 女川町は前回、高台移転後に配布する予定だった竹浦地区を除くと配布率は77%に上った。ただ、同地区は移転が完了した現在も配られておらず、配布率は実質6割程度となっている。
 町は前回、準PAZの離島・江島の住民にヨウ素剤を配っており、今回も同島の51人に配布する。
 両市町は説明会終了後の10月以降も、配布状況を見ながら必要に応じて説明会を開く方針。
[安定ヨウ素剤]放射性を持たないヨウ素(ヨウ化カリウムなど)を含む薬剤。原発事故後に放射性ヨウ素による甲状腺被ばくを抑えるため、予防的に服用する。国の交付金で県が調達し、周辺自治体が管理する。効果は24時間に限られ、服用のタイミングは国や自治体が指示する。丸剤で、3歳未満の乳幼児にはゼリー剤を配る。ヨウ素や成分に過敏症の既往歴がある人は服用できない。


<エネルギー基本計画>再生エネ「主力電源化」 基本計画原発維持は変えず
 政府は3日、エネルギー政策の枠組みを決める「エネルギー基本計画」を4年ぶりに改定し、閣議決定した。太陽光や風力などの再生可能エネルギーを「主力電源化」すると明記。2030年度の発電割合を22〜24%にする目標は維持し、実現に向け政策を結集する。原発は依存度を可能な限り低減させるが、エネルギー供給の安定性に寄与する「ベースロード電源」との位置付けは変えなかった。
◎福島第1の教訓どこへ
 【解説】3日閣議決定された改定エネルギー基本計画は、再生可能エネルギーの主力電源化など世界の潮流を反映させたものの、原発を引き続き重要電源に位置付けた。高速増殖原型炉もんじゅの廃炉決定で実現が見通せない核燃料サイクル政策を維持し、原子力政策の「再構築」も明記。東京電力福島第1原発事故の教訓は風化どころか軽んじられ、忘れ去られたと言わざるを得ない。
 2030年度の電源構成はガス火力27%、石炭火力26%、再生エネ22〜24%、原子力は20〜22%とし、目標変更には踏み込まなかった。原子力は原発約30基分に相当するが、東日本大震災後に再稼働した原発は9基にとどまる。東電福島第2原発全4基の廃炉方針が決まり老朽化する原発も多い中、基本計画で原発の新増設には触れていない。
 原発事故で規制基準は厳格化。大手電力会社は安全対策に膨大なカネと時間を投じ、発電コストが安いと主張できない状況だ。地元同意のハードルも上がった。原発の賛否を置いても机上の空論としか映らない。
 再生エネの目標が、原子力をやや上回る程度では物足りない。東北では豊富な自然エネルギーを生かした発電事業が各地で芽吹く。
 基本計画は(1)分散・地産地消型に対応できる送配電網の整備(2)太陽光や風力など変動する発電量を火力発電に頼らず安定的に調整するシステム−の重要性を指摘。今後は課題解決と普及拡大に向けた国の具体策が問われる。再生エネで水素を製造する「福島新エネ社会構想」の実現も急務となる。
 震災後、安価だが二酸化炭素の排出が多い石炭火力発電所の計画が相次ぎ、宮城県では住民が運転差し止め訴訟を起こした。
 温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」を踏まえ、50年までに温室効果ガス80%削減を達成するためにも再生エネの積極活用が求められる。それこそが震災を経験した東北、日本の生きる道だ。(東京支社・瀬川元章)


<次世代型放射光施設>東北復興の力に 仙台決定で産学官から喜びの声続々
 文部科学省が3日、次世代型放射光施設を整備運用するパートナーに宮城県の産学官を選び、東北大青葉山新キャンパス(仙台市青葉区)への誘致活動がようやく実を結んだ。2023年度にも次世代のものづくりを先導する拠点ができることに、各団体は「東北復興の力になる」と喜んだ。
 施設は東北の7国立大や6県が東日本震災を機に誘致活動を開始。宮城が整備先に選ばれたのは、震災で疲弊する地域の起爆剤として関係者が並々ならぬ熱意で準備したことが大きい。
 誘致活動を支えた東北経済連合会の海輪誠会長は「東北の産業構造の高度化にインパクトがある。世界をリードする産学共創の拠点を実現させたい」と、支援の継続に意欲を示した。
 村井嘉浩宮城県知事は「国内外の大学や企業の研究者が集まり、研究開発が生み出されることで産業復興と東北全体の発展につながる」と期待を寄せた。
 仙台市は施設利用権付き出資に5億円を拠出し、権利を地元企業に分割付与する方針。郡和子市長は定例記者会見で「企業の関心は高く、研究や商品開発に生かしてほしい」と語った。
 今後、建設地造成や地元負担として最大170億円の資金調達が急務となる。光科学イノベーションセンター(仙台市)理事長の高田昌樹・東北大総長特別補佐は「ようやくスタートラインに立てた」と述べ、準備を急ぐ考えだ。
 国側の整備運営主体、量子科学技術研究開発機構(千葉市)の平野俊夫理事長も「協力して学術界や産業界の期待に応える」とコメントした。


<次世代型放射光施設>仙台に整備決定 物質解析で高性能な触媒や磁石、新薬など開発貢献に期待
 文部科学省は3日、国内初となる次世代型放射光施設を整備運営するパートナーとして、宮城県の産学官組織を選定したと発表した。施設は東北大青葉山新キャンパス(仙台市青葉区)に整備する。2019年度着工、23年度の運用開始を目指す。
 パートナーは産学連携組織の光科学イノベーションセンター(仙台市)。宮城県、仙台市、東北大、東北経済連合会が加わる。国側の運営主体となる量子科学技術研究開発機構(千葉市)と近く、施設設計や運営に関する協議を始める。
 文科省科学技術・学術審議会の小委員会が6月28日、仙台への整備案を妥当と判断したことを踏まえ正式決定した。同省は19年度政府予算の概算要求に関連経費を盛り込む。 施設は円形の加速器で円周が325〜425メートル、直径は100〜135メートル程度を想定。電子を高速で回し、方向を曲げた時に発する放射光を使ってナノレベルの物質解析をする。高性能の触媒や磁石、新薬などの開発が期待される。
 整備費用は約360億円で国は最大200億円を拠出する。イノベーションセンターと宮城県、仙台市などは加速器本体を収容する建屋、研究棟の建設などに最大170億円を負担。うち約72億円は企業出資で賄う方針。
 林芳正文科相は「わが国の科学技術の進展と国際競争力の強化に貢献する施設。知の拠点として、東日本大震災からの復興に役立つことを期待する」と述べた。
[放射光施設]リング型加速器で電子を光速で回し、方向を曲げた時に発する放射光を使い、ナノレベルの物質解析をする。巨大な顕微鏡とも言われ、国内に「スプリング8」(兵庫県)など9施設ある。次世代型施設は物質の機能を見る「軟エックス線」領域に強みがあり、スプリング8の100倍明るい光を使う。高性能の触媒や磁石、新薬などの開発が期待される。


クマ出没時 大島へ署員派遣速やかに 気仙沼署が海上タクシー経営者に委嘱状
 気仙沼市の離島・大島でクマの目撃情報が多発している問題で、気仙沼署は3日、不測の事態に速やかに対応するため、地元で海上タクシーを経営する畠山東治さん(74)に支援を求める委嘱状を交付、連携していつでも島に署員を派遣できる態勢を整えた。
 同署によると海上タクシーとの連携は宮城県内初。同署の要望に応じ、同市三ノ浜の漁港に停泊している畠山さん所有の船舶(3.8トン)を24時間態勢で出す。協力期間は来年6月30日まで。
 大島には駐在所員1人が常駐。交通事故や凶悪事件などが発生した際、気仙沼署から署員が派遣される。東日本大震災で使用していた警備艇が流失して以降、フェリーなどの運航時刻に合わせて上陸していた。
 5月下旬からクマの目撃情報が増え、情報が寄せられるたび2人の署員を派遣している。より速やかに島に渡るため、海上タクシーと連携することにした。
 3日にあった委嘱状交付式で山田代幸署長は「一刻を争う事態での足の確保は課題だった。島の安全に協力してほしい」と述べた。
 畠山さんは地元の中学を卒業後、遠洋マグロ船の乗組員として活躍。約20年前から海上タクシーや釣り船を運航し、震災では沖出しをして船を守った。畠山さんは「仲間からもクマを見た情報を聞く。島の人たちを安心させたい」と話す。


<W杯サッカー>港町気仙沼から熱い声援 カフェでサポーター観戦、快進撃たたえ拍手
 サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会で、日本とベルギーの対戦があった3日未明、気仙沼市のカフェには市内外からサポーター有志が集まり、初のベスト8進出を狙う日本に熱い声援を送った。
 常連客の要望に応じ、カフェ「K−port」が観戦場所を提供した。急な開店で集まったサポーターは7人。それでも「俺たちは七人の侍。気持ちは負けない」と気勢を上げた。
 後半3、7分に原口元気、乾貴士両選手が立て続けに得点すると、ハイタッチして大喜び。だが追い付かれ、後半ロスタイムに勝ち越しを許して敗退が決まると、頭を抱えたり、天を仰いだりして悔しがった。
 原口選手の名前入りのユニホームを着て応援した気仙沼市の会社員小野寺草太さん(22)は「原口のゴールが決まった時には勝つと思ったが…。悔しすぎる」とぼうぜんとしていた。
 試合直後は静寂に包まれた店内だったが、しばらくすると快進撃をたたえた拍手が起きた。
 陸前高田市の会社員中野和明さん(45)は「試合を重ねるごとに選手たちが成長した姿を見せてくれた。よく頑張った。胸を張ってほしい」とねぎらった。


大谷選手を地元奥州が助太刀 市職員が応援Tシャツ 田んぼアート 記念品配布 官民挙げ復帰へエール
 投打の「二刀流」で米大リーグに乗り込んだエンゼルス大谷翔平選手(23)=岩手・花巻東高出=を、ふるさと奥州市が官民を挙げて応援している。今はけがで戦線を離脱しているが、市民は「どんなときも支えるのが地元」と励ます。
 市協働まちづくり部は二刀流にちなんで、6月22日に「大谷選手応援デー」を初めて実施した。そろいの「大谷Tシャツ」で勤務する職員は「奥州から見守っているという気持ちを伝えたい」と語る。
 今後は、背番号と同じ毎月17日や登板日も大谷Tシャツを着て応援するという。
 市は、本庁舎などに掲げる応援横断幕を製作中。地元の農商工団体と応援組織の結成を目指す。
 奥州市水沢の田んぼアートの題材も大谷選手だ。6月初旬に約200人が苗を植えた水田には、躍動する大谷選手が姿を現した。
 大谷選手をイメージキャラクターに起用する岩手ふるさと農協(奥州市胆沢)は、9月にエンゼルスの本拠地ロサンゼルスへの観戦ツアーを企画。運営する産直施設では、本塁打を放った翌日に記念品を配る。
 農協企画課は「早く活躍する姿を見せてほしい」と復帰を待ち望む。
 大谷選手の兄で、7月の都市対抗野球大会に出場するトヨタ自動車東日本(岩手県金ケ崎町)のコーチ兼選手龍太さん(30)も「まずはけがをしっかり治し、日本を背負って立つ選手として頑張ってほしい」とエールを送る。


「五日市憲法草案」起草者 栗原出身千葉卓三郎の足跡に感慨 関係者ら教会や記念碑巡る
 栗原市志波姫出身の自由民権思想家で私擬憲法「五日市憲法草案」起草者の千葉卓三郎(1852〜83年)の足跡をたどるバスツアーが3日、同市などであった。千葉が自由民権運動に励んだ東京都あきる野市の市民団体「五日市憲法草案の会」のメンバーや栗原市の関係者が各地を巡り、民主主義を追求した先人に思いをはせた。
 約40人が参加し、千葉が洗礼を受けた金成ハリストス正教会や生家跡のタクロン公園、不敬罪で拘束された際に入った留置場と同型の展示施設がある登米市の警察資料館を見て回った。
 五日市憲法の一部が刻まれた栗原市志波姫総合支所前の記念碑も見学。参加者はガイドの説明に耳を傾け、熱心にメモを取ったり撮影したりしていた。
 地元から千葉の功績を発信する同市の鈴木道夫さん(67)は「改憲議論が盛り上がる中、多くの人が彼の理念に考えを深めてくれたようでうれしい」と話した。
 50年前にあきる野市の土蔵から五日市憲法草案を発見した元専修大教授の新井勝?さん(73)は「久々に生誕の地を訪ねることができて感慨深い。草案には、国民の権利を守るという憲法の根幹があると再確認した」と述べた。
 千葉は仙台藩の下級武士の息子として栗原郡白幡村(現栗原市)で生誕。東京都五日市町(現あきる野市)で教員をしながら自由民権運動に奔走した。千葉が縁で両市は友好姉妹都市関係を結んでいる。


文科省汚職 容疑は東京医科大に便宜の見返りに息子合格
東京地検特捜部 佐野局長を受託収賄容疑で逮捕
 文部科学省の私立大学支援事業で有利な扱いを受けたいとの依頼に応じたことへの謝礼として、自分の息子を大学に合格させてもらったとして、東京地検特捜部は4日、同省科学技術・学術政策局長、佐野太容疑者(58)=東京都港区=を受託収賄容疑で逮捕し、医療コンサルティング会社元役員の谷口浩司容疑者(47)=同=を同ほう助容疑で逮捕した。特捜部は2人の認否を明らかにしていない。
 逮捕容疑は、佐野局長は同省官房長だった2017年5月、東京医科大(東京都新宿区)の関係者から同省が進める「私立大学研究ブランディング事業」に関し、同大が事業の支援対象校に選ばれるよう依頼された。依頼に応じた謝礼と知りつつ、18年度の同大入試を受けた息子の点数を加算してもらい、合格させてもらったとしている。特捜部は4日、同省の関連部署や谷口元役員の関係先などを捜索した。
 特捜部は、収賄側の2人を逮捕する一方で、贈賄側となる大学関係者を逮捕しておらず「(贈賄の容疑者が)1人だけではない可能性もある」と説明している。谷口元役員が佐野局長と同大学関係者を仲介し、3者は知り合ったとみられる。
 同省などによると、佐野局長は早稲田大大学院理工学研究科を修了後、1985年4月に科学技術庁に入庁。山梨大学副学長や同省官房総務課長などを歴任し、16年6月〜17年7月には官房長を務めていた。省内では「次の事務次官候補」と評価されていた。
 谷口元役員は17年当時、東京都千代田区の医療コンサルティング会社の役員だったが、今年2月に解任された。この会社のホームページは「取引先」の一つとして東京医科大を挙げている。
 文科省は4日夜、逮捕された佐野局長を同日付で大臣官房付とし、戸谷一夫事務次官を局長兼務とする人事を発表した。【巽賢司、遠山和宏、金寿英】


文科省汚職 わいろが「わが子の不正合格」とは…
 組織的な天下りや学校法人「加計学園」を巡る問題など不祥事が続いてきた文部科学省に新たな疑惑が浮上した。同省事務方トップの事務次官の有力候補と目された局長が大学側への便宜の見返りに、わいろとなり得る「わが子の不正合格」を得たという受託収賄事件。教育行政への信頼を揺るがす事態に、同省関係者は言葉を失った。【伊澤拓也、服部陽、酒造唯】
 「局長逮捕」が明らかになった4日夕、文部科学省に衝撃が駆け抜けた。「恥ずかしい話で、モラルがゆがんでいる。文科行政を担う者として失格だ」「教育をつかさどる文科省が最も信用を失うのが、この手の裏口入学だ。残念だし、腹が立つ」。東京地検の捜索も受けた省内からは憤りの声が相次いだ。
 同省事業を巡って、東京医科大関係者から便宜を図るよう依頼された昨年5月、佐野太容疑者(58)は官房長だった。社会の強い批判を浴びた天下りあっせん問題の監督責任を問われて文書厳重注意を受けた直後で、加計学園問題が報じられた時期とも重なる。別の中堅職員は「タイミングが最悪。天下り問題で綱紀粛正が叫ばれていた時だったのに、少しは良心が痛まなかったのか」と首をひねる。
 佐野局長は1985年、旧科学技術庁に採用され、山梨大学副学長などを経て2016年6月に官房長、17年7月に科学技術・学術政策局長に就任。通常は旧文部省出身者が務めることが多い官房総務課長や会計課長といった中枢ポストを歴任し、「(事務方トップの)事務次官に上るのは確実」とささやかれていた。
 佐野局長を知る幹部は「上司には従順で、部下には高圧的な態度で接する『官僚的な官僚』という評判だった。官房長に就任したのも2〜3年早い印象だった」と話す。別の文科省関係者も「人に仕事を振るのがうまく、世渡りがうまいタイプ。常に出世を意識していた。部下には非常に厳しく、文書の位置を『1ミリずらせ』と指示を出すくらい細かかった」と振り返る。
 科学技術担当相の秘書官を務めたこともあり、「政治家にも顔が利いた。政治家とあまりに親密な様子を見せるので、省内で物を言えない雰囲気があった」と声を潜める職員も。
 冷静沈着なトップ官僚が組織の信頼が揺らいでいるさなかに、「わいろ」を受け取るという不正に手を染めたのはなぜか。中堅職員は「これまで失敗のない官僚人生だったから、ばれないと思ったのかも。身から出たさびだ」と突き放した。
林芳正文科相「誠に遺憾 捜査に全面的に協力」
 逮捕を受け、林芳正文科相は報道陣に「現職の職員が逮捕されたことは誠に遺憾。文科省として、当局の捜査に全面的に協力をしてまいりたい」と述べた。


安倍首相に北が“退陣勧告” 空費された拉致対策費130億円
 日朝首脳会談の実現を模索する安倍首相をアザ笑うかのように、北朝鮮がアベ批判を強めている。拉致問題の解決を前面に押し出す安倍首相に反発する北朝鮮は、朝鮮労働党機関紙の労働新聞などを通じて「過去の清算」をたびたび主張していたが、論調を変化。ついに“退陣勧告”を突きつけた。
 労働新聞は論評(2日付)で、「特大不正醜聞事件」と呼ぶモリカケ問題で追い詰められた安倍首相の状況をこう分析。
〈今になって権力の座を譲り渡せば、やつらが日本政治史に不正腐敗の親分として、政界を乱した張本人として汚名を残すことになると憂慮している〉
 民主党政権時代の菅直人元首相を引き合いに出し、〈日本政界の現状は、何年か前の「菅直人降ろし」を彷彿とさせる〉〈菅直人政権は日本政治史に「無能な政権」として刻まれている。安倍政権が退陣すれば、容赦なく「腐敗した政権」との烙印を押されるだろう〉〈安倍はすでに民心を大きく失った。民心を撹乱し、だますためにペテンにかけようとしているが、政権維持の助けにはならない〉などと、斬って捨てた。
 ずいぶんとコケにされたものだが、“拉致の安倍”の金看板でここまで生き延び、関連予算もたんまりつけてきたのに、いつまで手をこまねいているのか。安倍首相は第1次政権発足と同時に拉致問題対策本部を設置。鳩山政権での改組を経て、これまでに投じられた予算は130億円を超える。
「第2次安倍政権以降、拉致問題対策本部に振り分けられる予算は急増。民主党政権時から4割増の年間16億円規模に膨れ上がり、ほぼ毎年増額しています。その6〜7割が〈情報収集・分析体制の強化等経費〉に充てられ、拉致被害者の安否情報や関連情報の収集や分析に費やされているとされますが、実態は判然としません」(野党関係者)
 拉致問題のような機微な情報収集にはヒューミント(人間を使った諜報活動)が欠かせない。ルートを開き、パイプをつくる過程で金正恩朝鮮労働党委員長に近づきそうなものだが、「なぜ日本は(拉致問題を)直接言ってこないのか」とコケにされる始末。一体どうなっているのか。
「日本政府には北朝鮮指導部に近いルートが全くなく、金正恩委員長との直接のパイプは望むべくもない。北京ルートと呼ぶ在中国大使館を通じて接触を図るのが精いっぱいなのです」(日韓関係筋)
 外務省は朝鮮半島全体を担当していたアジア大洋州局北東アジア課を分離。韓国を担当する第1課と北朝鮮専門の第2課に分けて対応を急いでいるというが、いまさらジタバタしたところで、滑稽の極みでしかない。


夏休み気分か 安倍首相“お気楽外遊”で延長国会の半分不在
 国会のアディショナルタイムも残りわずか。延長国会は22日までだが、21日は土曜日だから、20日(金)が実質的な会期末だ。ところが、残り16日間のうち、安倍首相は8日間に及ぶ外遊で半分も日本を不在にするという。
 安倍首相は2日の政府・与党連絡会議で、11〜18日にベルギー、フランス、サウジアラビア、エジプトの4カ国を訪問すると明らかにした。どれも、いま行く必要のない外遊ばかりだ。
「6月中に国会を閉じる予定だったので、完全に夏休み気分の外遊日程を組んでいた。EUの本部があるベルギーでは、一応、日EU経済連携協定に署名することになっていますが、訪欧のメインイベントはパリで毎年7月14日に開催されるフランス革命式典を見物すること。総理は恒例の軍事パレードを楽しみにしているそうです。日本文化博覧会の開会式にも参加します。中東でも特に重要な会談や喫緊の課題があるわけではなく、財界人を引き連れた物見遊山みたいなものです」(官邸関係者)
 サウジアラビア、エジプトには、日本の民間企業関係者らの経済ミッションが同行する。当初はイランも訪問する予定だったが、米国のトランプ大統領に忖度して、今回は見送ったという。
■不在中に強行採決、不信任封じ
 安倍自民党は、この長期外遊をトコトン利用するつもりだ。安倍首相の不在中に国民の多くが反対しているIR関連法案や、参院の議席を増やす選挙制度改革、憲法改正の手続きを定めた国民投票法改正案などを強行採決しても、野党は抗戦手段が限られる。会期内に1度しか使えない内閣不信任案を首相不在時に出すわけにいかず、安倍首相が出席する集中審議も開けない。
「官邸サイドが国会延長を22日までと決めた背景に、外遊日程を念頭に入れた“不信任封じ”のスケジュールがあったことは想像に難くありません。首相の不在中に強行採決を連発して積み残し法案を処理し、帰国後の19日に不信任案を出しても、野党の抵抗は時間切れということになりそうです」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)
 与野党の攻防が激しくなる会期末直前に首相がお遊びの長期旅行で不在なんて、常識では考えられないが、これも安倍首相が国会を軽んじていることの表れだ。


盗聴告発教授の解雇は「無効」 改めて問われる明学の体質
 明治学院大学が揺れている。大学当局が教授に無断で授業を録音し、それを告発した教授が解雇され、その無効を争った裁判の判決が先月28日に下された。東京地裁は「教授の解雇は無効である」と判断した。
 3日、原告の寄川条路教授と太期宗平弁護士、法学者の小林節慶大名誉教授が司法記者クラブで会見を行った。
 寄川教授の担当は倫理学。盗聴が行われたのは、2015年4月の授業で、300人の学生を相手に行われたものだった。
 寄川教授によると明治学院大学では大学組織を守るために、授業の盗聴が慣例として行われており、今回とは別の教員も授業を盗聴されて解雇されたという。
 大学に批判的な教員を選別して盗聴している可能性が高い。小林氏はこう言う。
「学者は個性的で、それをお互いに許容し合って、歴史のなかで評価が定まってくるもの。個性を尊重しない多数決で押さえ込もうということが日本中で起きている」
 大学側は判決について同日付の文書で、解雇理由は録音を告発したことではなく、原告の「不適切な言動」と説明。具体的な内容については、係争中の事柄につきコメントを控えるとし、控訴を予定している。
 学問の自由がどこまで守られるのか注目が集まる。


9条Tシャツを着ているだけで国会傍聴から締め出し!改憲に動き出した安倍政権の「憲法9条」弾圧が深刻化
 安倍自民党の改憲実現に向けた動きが出てきた。5日に衆院憲法審査会を開き、国民投票法改正案の趣旨説明をおこなうことが決定したのだ。
 この国民投票法改正案は、国政選挙と同様、憲法改正のための国民投票をショッピングセンターなどでもできるようにするなど一見当たり障りのない内容だが、この審議を踏み台にして改憲議論に突入させたいという安倍政権の思惑がミエミエ。3月の自民党大会で安倍首相が「いよいよ憲法改正に取り組むときがきた」と大号令をかけたように、年内に憲法改正の発議をおこなうという計画は着実に進行しているのだ。
 そんななか、国会でゾッとするような事件が起こった。なんと、「9」とプリントされたTシャツを着た女性の国会傍聴を、参院警務部が制止したというのだ。
 先月30日にこの女性は以下のようにツイートしている。
〈先日国会傍聴に行ったら、「9がついている物はダメです」と係員に止められました。ネックレスもタグも9は外せと言われます。結局カーディガンで隠して入るように言われました。「NO WAR」もダメなんだって。9はダメで他の数字はOKなんだって。変だよ。〉
 女性はツイートとともに当日のファッションの写真も投稿。それは「No 9」と描かれたTシャツで、数字の下には「NOWAR」「LOVE & PEACE」とプリントされている。また、やはり「9」と印刷された手提げバッグも写っている。
「9」「NO WAR」というTシャツを着ているだけで排除される──。このツイートは6000RTを超える大きな反響を呼んでいたが、さらに昨日、東京新聞がこの問題を報道。記事によれば、参院警務部の職員はこう言って女性を制止したという。
「9を付けているね、そのようなものを付けて入ることはできません」
「NO WARとも書いているだろう」
「意志表示をしているものは駄目です」
 しかも、女性が「1だったらいいですか」と質問すると、この職員は「1だったら大丈夫」と述べたのだという。さらに、東京新聞が参院警務部を取材したところ、サッカー日本代表・岡崎慎司選手の背番号「9」が入ったレプリカユニフォームの場合は「制止しない」、九条ネギや「銀河鉄道999」のTシャツの場合も「政治的メッセージは含まれておらず、入場は拒まない」と回答しているのだ。
 つまり、憲法9条と結びつく「9」の数字や「NO WAR」は「政治的メッセージ」の意志表示と捉えられ、国会の傍聴さえ許されないというのである。
 9がふたつ並ぶ憲法99条では天皇と公務員の憲法遵守義務が規定されているが、その遵守義務を課せられた国家公務員が憲法を「危険思想」として取り締まることの倒錯ぶりもナンセンスだが、いちばんの問題は「憲法9条」のタブー化が深刻度を増していることだろう。
 じつは、今回のようなケースはこれがはじめてではない。安保法制が成立した直後の2015年10月にも、東京新聞は「『No.9(憲法九条)』と書かれた小さなタグや缶バッジをつけた市民が国会本館や議員会館に入ろうとすると、警備員らに制止される例が相次ぐ」ことを報じている。
ピーター・バラカンは、街で9条Tシャツを着ていただけで職務質問された
 さらに、今回の女性が着ていたものとまったく同じTシャツを着用して歩いていただけで、警察から詰問された人物までいる。ラジオDJのピーター・バラカン氏だ。
 バラカン氏は2015年10月16日、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『The Lifestyle MUSEUM』(TOKYO FM)で、その日スタジオに向かう途中、こんな経験をしたと語っていた。
「めずらしく広尾のほうから六本木に向かって有栖川公園の脇を歩いていると、まずひとりの警官にちょっと、変な目で見られて(略)。もうちょっと先を歩くと、中国大使館のすぐ手前のところで2人の警官に、止められました。『あれ? どうしたんですか?』と言ったら、『いや、あの今日これから抗議をする予定ですか?』と聞かれたんですね。ん?いや、特にそんなことはないと『なぜそんなことを訊くんですか?』と言うと、『9条のTシャツを着ているから』と」
 何度も言うがTシャツにプリントされているのは「No .9」「NO WAR」「LOVE & PEACE」という文字であって、「アベを殺す」とか「国会議事堂を爆破する」というような“過激な”メッセージではない。にもかかわらず、街で警察に職務質問され、国会の傍聴まで制限されるのだ。これは憲法で保障された「表現の自由」に反するだけでなく、もはや、戦中に政府が特高警察によって市民を社会主義者や反戦主義者という“思想犯”に仕立て上げて取り締まった歴史が繰り返されようとしている証拠だろう。
 そして、この過剰な「憲法9条」の取り締まりの背景に、安倍首相が推し進める憲法改正への忖度があることは明白だ。
 9条と平和主義を“危険思想”扱いして排除する。その動きを強化させていくことで、社会には「『9条を守れ』と言う人は危ない人物」という認知が広がる。ネット上ではすでに「戦争反対」と訴えることや「平和」を願うことをネトウヨたちが「反日」認定するという状態に陥っているが、このままでは一般社会でも「9条に触れてはいけない」という空気が広がっていくだろう。そして、それこそが改憲に向けた安倍自民党の狙いでもあるのだ。
 当時バラカン氏は「ちょっとこの国、もしかしたらちょっとおかしな方向に行き始めているんじゃないかな」と述べていたが、まさにその指摘どおり、事態は深刻度を増して進んでいるのである。(編集部)


伝説のまま逝った森田童子は全共闘世代の挫折感を癒す存在だった…親交のあった劇作家が素顔と音楽を語る
 4月に亡くなっていたことがわかった森田童子。森田といえば、1975年にファーストシングル『さよなら ぼくの ともだち』を発表して注目を集め、当時の若者からカルト的な支持を受けていたフォークシンガーだが、その素顔は謎に包まれていた。本名は非公開、人前ではサングラスを外さず、アルバム7枚、シングル4枚を発表して、1983年に事実上の引退。1993年に『ぼくたちの失敗』がテレビドラマ『高校教師』(TBS系)の主題歌となり、シングルCDが100万枚近くのリバイバルヒットとなったが、そのときも表舞台に出てくることはなかった。
 そして、森田が伝説のまま逝ってしまったいま、その音楽をリアルタイムで感じたことのある人も少なくなっている。いったい彼女は当時の若者にとってどういう存在だったのか。そして、その素顔は……。森田の歌のファンで彼女と親交があった劇作家の高取英に話を聞いた。
 高取が森田童子と知り合ったのは、森田がデビューしたすぐあと、1976年から1977年のことだったという。
「『音楽全書』(海潮社)という音楽誌で森田童子について書いたのですが、彼女のマネージャーでイラストレーターの前田亜土さんから連絡がありまして。前田さんと親しくなって、それから付き合いが始まったんです。公表してませんでしたが、前田さんは森田童子のパートナー、夫でもあった」
 以後、高取は森田のライブに足しげく通い、ライナーノーツも執筆したり(『森田童子全集 a boyア・ボーイ』などに収録)、森田も高取の演劇の公演に顔を見せるようになった。そして、お互いの音楽、演劇に批評文を寄せ合う関係になったという。
「私が作った芝居『少年極光 (オーロラ) 都市』の音楽を作っていただいたこともあります。僕の詩に曲をつけるのに、『私、人の詩に曲つけたことないんですよねー』って言うから、『好きにしていいですよ』と、彼女のいいと思う形に変えてもらって、3曲作ってもらいました」
 高取は当時、自分たちが森田童子に強く惹かれた理由について、こう分析する。
「森田童子が登場したのは全共闘運動が挫折して、少し経った頃。彼女の歌はその全共闘世代の心情、挫折感に寄り添うものでした。たとえば、仲間がパクられた日曜の朝、といったことを歌ったり、高橋和巳の『孤立無援の思想』から来ている『孤立無援の唄』、爆弾教本の『球根栽培法』から来る『球根栽培の唄』といった歌があったり。彼女自身は全共闘世代より少し若くて、運動のピークの頃はまだ高校1〜2年でしたが、東京教育大(現筑波大学の前身)の紛争に関わっていたという話もあった。どこかのセクトに入ってるとか、高校全共闘みたいなかたちでやっていたというのはないとは思うけれど、その文化や気分はすごく色濃く共有しているアーティストでしたね」
 全共闘世代の心情を代弁し、支持を集めているミュージシャンはたくさんもいたが、森田がほかの誰とも違っていたのは、彼女の歌が“弱さ”に光をあてていたことだった。
「森田さんのライブって客が泣くんですよ。死んでいってしまった友人を歌にした『さよなら ぼくのともだち』って歌で、泣き出す人も出てくる。歌っている森田さんも歌いながら涙をぬぐう。全共闘世代って、強がったり過激ぶったりするのが習性で、自分の弱さをさらけだせない人が多かったんですが、森田童子の歌を聴いていると、その弱さを隠さなくてもいい気がしてくる。たとえば(映画監督の)高橋伴明さんは早稲田大学の学生運動出身で、すごい武闘派だったんですが、森田童子が好きだと言っていました。そういう人でも森田さんの歌に感動するんです」
森田童子引退の理由は? ドキュメント映像で語っていた消えていく覚悟
 また、森田は、当時、まだ根強く残っていた「男は強くたくましく」「女はおしとやかに」という性の固定観念からも解放してくれる存在でもあったという。
「当時はさまざまな価値観が大きく転換し始めた時期ではありますが、まだ、男らしさ、女らしさという意識は残っていました。そんななかで、森田童子の歌の内容は、センチメンタルというか、ある種“女々しさ”と呼ばれるようなものだったかもしれない。でも、その女々しさを堂々と歌い上げたことで、男女の性差を超えて、孤独感のある人、友人をな無くした人、運動に挫折した人、そういう、やさしくて弱虫かもしれないという人たちに響いた。『さよなら ぼくの ともだち』という歌の中にも『弱虫でやさしい静かな君を僕はとっても好きだった』という一説があるんですが、そんなことを歌う人はこれまでいなかったんですよ。強がっている人はたくさんいるけど、強い人なんて実はいない、弱虫であること、それが好きだったといってくれた」
 森田の音楽を“女々しさ”という言葉で説明する高取だが、実は森田の側も高取の作品に同じく“女々しさ”を見ていた。高取の代表作『聖ミカエラ学園漂流記』を批評する文章の中で、森田はこう書いている。
〈『聖ミカエラ学園漂流記』の高取英の劇作法は、拙い少年少女の肉声を惜りることによって、高取英の女々しい反逆の試みは、確かに不思議な説得力を持ち得た〉
 ふたりが表現で深く繋がっていたことを物語るエピソードだが、しかし、その高取も、森田の素顔についてはよくわからないままだったという。
「サングラスを取った素顔は、わたしも見たことがありません。カーリーヘアもおそらくカツラでしょうし、素顔は一切隠してましたね。プライベートなことも一切話さない。前田さんと結婚していることも、本人たちは一切話しませんでした。それに物静かで、とつとつとしか喋らない人なので、感情の動きもよくわからなかったし、曲のイメージそのままでした」
 1983年、彼女が音楽活動を引退する直前には、こんなこともあったという。
「『聖(セント)ミカエラ学園漂流記』(群雄社出版)の出版記念パーティーに来ていただいたんです。それで、『スピーチをお願いできますか?』って言ったところ、彼女はイヤだとははっきり言わないで『え、え……』って。そのあと、3分ほどしたらその場から消えていました。スピーチの話を急に言われてとまどったのでしょう、悪いことしたなって」
 森田らしいエピソードだが、それからまもなくして、森田は本当にすべての表舞台から完全に姿を消してしまった。
「引退の理由を出産とか病気とかいう人もいましたが、そういったことではなくて、音楽活動をするなかで、自分が言いたいことはもう言いつくしたという感じだったんじゃないかな。80年頃、森田童子の屋外ライブの企画から実現までを追った『夜行』というドキュメント映像があるんですが、その中で森田が『私たちの歌が消えていくさまを見てほしいと思います』という言葉を口にしています。やることをやったら消えていく、最初からそういう覚悟があったんでしょう」
 しかし、彼女の歌と記憶はそれから30年以上たったいまも、1970年代に青春を過ごした人々の心の中に強く刻まれている。7月19日には、高取も出演する追悼イベント「夜想忌 〜さよならぼくのともだち〜 追悼 森田童子」が開催される予定だ。(敬称略)(高橋南平)


「私服がない・友達いない・趣味がない」三重苦おじさんの行く末
バブル経済に沸いた40代男性=オジサンと、デフレ不況を粛々と生きる今のオジサン。実際はどちらが幸せなのだろうか。さまざまなデータを基に、この30年間で中年男がどう変化したのか追った。
オジサンの私服はなぜ変なのか
 仕事や家庭以外でのオジサンには、30年でどんな変化があったのか。男性学の研究者・田中俊之氏は「オジサンを取り巻く社会は大きく変わりましたがオジサンは基本的に変わっていません」と語る。
「オジサンは社会にとって『働いてさえいればいい存在』で、本人たちもそう思っていました。そのため大半のオジサンは今も昔も趣味がなく、友達もいません。バブルの頃はゴルフが流行しましたが、サラリーマンのゴルフは接待要素が強く、趣味として楽しんでいた人は少数。NHKの『国民生活時間調査』でも、’05年以降の40代男性が趣味に費やす時間は平日で約15分。土日も40分〜1時間です」
 そして「オジサンには私服という概念もない」と田中氏は続ける。
「’80年代は労働時間が長く、仕事が週休2日になったのも’90年代から。仕事ばかりしていたオジサンには私服の概念もなく、流行もありませんでした。’00年代半ばには『ちょいワルオヤジ』もブームになりましたが、その流行に乗ったのはごく一部。また男性の趣味嗜好の変化は社会人になると止まりがち。若い頃からファッションが変わらない人が大半だと思います」
『おじさん図鑑』などの著書があり、長年オジサンの生態をウォッチしてきたイラストレーター・なかむらるみ氏も次のように話す。
「夏に半ズボンをはいても、革靴で靴下は長かったりと、『本当に仕事ばかりの人なんだなぁ』と思う服装の人は多いですね。ゴルフ用のポロシャツの人もよく見かけます」
 そんなオジサンの「私服と言えぬ私服」も、時代に応じて実は少しだけ変わってきた。
「ラフでカジュアルになったような気がします。昔は、ちょっとした外出にもジャケットを羽織り、タックの入ったズボンをはいていたのが、最近はTシャツとジーパンの人が目立ちます。シャツも柄物が減り、ユニクロの無地のものを着る人が増えました」(なかむら氏)
また趣味を持ち、友人関係を広げるオジサンも一部で現れてきた。
「今までのオジサンは家族を養うことを前提にお金を稼いできましたが、近年は晩婚化により、独身のまま趣味にお金を費やす人も増えました。またアニメやゲームなども大人の趣味として市民権を得た。そして今はSNSを通じて趣味の仲間と小さなクラスタで繋がることもできます」(田中氏)
 既婚者も、子育てへの参加で近所にパパ友ができたりと、新たな人間関係を作る機会が増えている。
「子育てへの参加は友人関係も趣味も広げてくれます」と田中氏。
「一方で趣味に熱中するオジサンに『余計なことはするな』と圧力を加える部分も社会にはありますよね。急にソバ打ちに目覚めたオジサンが家族から心配され、周囲からもバカにされがちなのはその一例です」
 趣味がなくても趣味を持ってもバカにされるのは、オジサンにはあまりにつらい状況だ。
 しかしオジサンの収入が減り、家での立場も弱まった今、趣味なし友達なしでは生きづらい。接待のゴルフなどではなく、『これをすると楽しい』と感じる趣味を持ち、『この人といると面白い』と思える友達を持てると楽になるはずです」(同)
 もう「仕事だけしていればいい」時代は終わった。今は新たな居場所を見つけることが急務である。


なぜ彼女は「保守速報」を訴えたのか。ある在日女性の思い 大阪高裁で敗訴したまとめサイト、保守速報。その裁判に至るまでの経緯とは。
まとめサイト「保守速報」。裁判所が相次いでその差別的な内容を認定し、掲載広告がすべて撤退している同サイトを訴えた在日朝鮮人の女性がいる。
「私は日本で生まれ育って、この国で生きていきたいと思ってきた。愛着もあるし、大切にしているところ。だからこそ、この国が私を大切にしてくれるか、知りたかったんです」
そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、「保守速報」を訴えた大阪在住の在日朝鮮人でフリーライターの李信恵さん(46)だ。
自身に関する同サイトの記事が「名誉毀損、侮辱、いじめ、脅迫、業務妨害」に当たるとして、2200万円の損害賠償を求め、裁判を起こした。
6月28日、大阪高裁は記事内容の差別性を認め、サイトの管理人に200万円の支払いを命じる地裁判決を支持した。敗訴した保守速報は最高裁に上告した。
李さんは、なぜ裁判を起こしたのか。
「選挙権を持たない在日朝鮮人は、日本の社会のなかで発言をすることがとても困難な存在です」
「私たちの先輩たちはさまざまな訴訟をして、権利を一つ一つ勝ち取っていった。だからこそ、法廷は日本で一番公平な場所だと思っていたんです」
息苦しくなったインターネット
在日1世の父と2世の母を持つ李さんは、東大阪市で育った。実家は鉄工所だった。
その影響もあってか、幼いころから機械好き。早くからコンピューターに興味を持ち、パソコン通信やインターネットの黎明期から、その世界に没頭した。
ネット上での、世代も出自も関係ない出会いは、刺激的だった。
行ったことがない韓国の話を聞いたり、在日同士で家庭ごとの食事の違いを笑いあったり。すべてが新鮮で、自由だった。
そんな和気あいあいとしたネット上が、だんだん息苦しくなってきた。ちょうど日韓W杯が開かれ、北朝鮮による拉致問題が注目されるようになった、2002年のころだ。
「その前後から、2chなどの匿名掲示板で在日を差別するような書き込みが増えていったんです。でもその時は、見たくなければ、見に行かなければよかった。変わった人たちが悪口を書き込んでいるだけだ、と」
「それに、そういう人だけではなかった。拉致問題の時には『在日としてどうしたらいいのか』と書き込んだことがあるけど、当時は『悪いのは北朝鮮という国家で、在日じゃない』と支えてくれる人もいました」
加熱した「ネトウヨ」からの攻撃
SNSの出現をきっかけに、空気は変わった。
mixiを皮切りに国内でもSNSサービスが普及し始めると、ネット上の差別は顕著に、そして直接的になっていったのだ。書店に「マンガ嫌韓流」(2005年発売)などの本が並び始めた頃だった。
「個人のmixiや在日コミュニティなどにも荒らしが来て、『チョン帰れ』などと書き込まれるようになった。ブログをやっていた在日の友達で、荒らしを原因に閉じる人が何人もいました」
「それまでは匿名で掲示板に書かれていた内容が、直接的な嫌がらせになった。一気に激しくなったんです。仲間内のリストに一斉にDMやリプライを飛ばされたこともある」
2011年ごろからTwitterが普及すると、いわゆる「ネトウヨ」からの攻撃はさらに加熱した。
比較的閉鎖性が高いFacebookに逃げ場を求めた人も多かったが、李さんはTwitterでの発信をやめなかった。
「在日であること、そして女性であるということが、私が攻撃を受けることになった一番の理由だと思っています」
「私は言い返すし、強い言葉を使うこともある。さらに朝鮮学校や慰安婦のことについても発言をするからこそ、集中攻撃されるようになったんでしょう」
「タガが外れた」瞬間
ネット上で「帰れ」「死ね」などの言葉を投げつけてくる人たちは、中学生から同年代の女性、中高年と思しき男性までと幅広かった。
「路上でも日常的にヘイトデモを見かけるようになり、ネット上では個人攻撃が止まなかった。差別のハードルが低くなったような、まるで、タガが外れたようでした」
ちょうど慰安婦問題などが再燃し、ヘイトデモの動きが活発化した時期にも重なる。
2013年に新大久保であったデモの「カウンター」に参加した時には、ネット上で後ろ姿を特定された。保守系のネットTV「チャンネル桜」(2004年設立)に出演し、在日問題について話したことをきっかけに、顔と名前が広まった。
同時期に活動が各地に拡大していた「在日特権を許さない会」(在特会、2006年結成)元会長の桜井誠氏にも、名指しで批判されるようになった。
そんな中、「保守速報」が李さんに関する記事を掲載した。
「2ちゃんねるに書き込まれた内容をまとめた」として、「マジこいつゴミ」「帰ってくれ」など誹謗中傷の言葉を並べたのだ。
認められた2つの差別
ネット上で発言を続ける李さんは、周囲から疎まれることもあった。
「黙っとけ、ほっとけという人も多かった。お前が色々言うから差別がひどくなる、と在日の男性から言われたこともあった。マイノリティの中でも、さらに弱いところにいたのです」
「しかし、黙っていたら乗り越えられるような差別じゃなかった。死ねと言われているんですから。こうした問題がずっと続かないためにも、何かをしないといけないと思った」
そして2014年、桜井氏と保守速報を相手に二つの裁判を起こした。
桜井氏との訴訟は、2017年に最高裁で勝訴が確定し、後者も6月28日に出た大阪高裁の判決で、保守速報が敗訴した。
差別や誹謗中傷が「人種差別および女性差別に当たる」とし、「社会通念上許される限度を超えている」と指摘。掲示板の書き込みを「まとめる」という行為が「独立した別個の表現行為」とも認め、男性管理人の責任を厳しく問うた。
まだ見えぬ差別も
李さんは、判決をこう評価する。
「公平な司法判断が下された。朝鮮人として、女性として、この日本に生まれてよかったと初めて思いました。この4年間は、ほんとうに辛かった。それでも誰かのためになれば、報われるかもしれません」
「路上でもネット上でも、私たち在日の声はかき消されていた。この裁判を機にネット上でも差別やヘイトは許さないと訴えていきたい」
保守速報をめぐっては、広告主の企業やアドネットワークなどの仲介企業がその記事内容を問題視し、撤退する動きが相次いだ。
広告がなくなりその「存続が危うい」(同サイト)一方で、現役地方議員からグッズ販売などで運営を支えようという動きも出ている。
「こうしたサイトの、差別でお金を稼ぐという目的は明らかだと思っています。まだまだネット上には多くの見えない差別があるはずです」
「誰かに指摘されてやめるということではなく、差別するということが自体が恥ずかしいことであると、気がついてほしい」