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都城おかげ祭り180614

Japon Des pluies torrentielles font plus de 40 morts
De fortes précipitations touchent l'ouest et le centre du Japon. 1,9 million de personnes ont été évacuées.
Les pluies torrentielles qui s'abattent sur le sud et l'ouest du Japon ont fait au moins 44 morts et 21 disparus, selon les autorités qui ont ordonné l'évacuation de plus de 2 millions de personnes, la chaîne publique NHK évoquant elle un bilan de 51 morts et 44 disparus.
Les précipitations record enregistrées depuis plusieurs jours dans plusieurs régions, dont celles d'Ehimé, Hiroshima, Kyoto, Kochi, Gifu ou encore Okayama, ont entraîné des crues exceptionnelles, des glissements de terrain et inondations, piégeant de nombreux habitants malgré des ordres d'évacuation pas toujours respectés car il est parfois déjà impossible de bouger.
Les préfectures d'Ehimé et Hiroshima totaliserait le plus lourd bilan avec au moins 33 morts selon les chiffres de l'Agence de gestion des incendies et catastrophes naturelles. Quelque 48'000 pompiers, policiers et militaires des Forces d'autodéfense ont été déployés sur le terrain, mais ils affrontent des difficultés majeures compte tenu de l'inaccessibilité de certains lieux en pleine campagne.
Les services de secours essayaient de sauver des habitants réfugiés sur les toits de leurs maisons en grande partie sous les eaux. Les images de télévision les montraient agitant des chiffons blancs pour être repérés. Hélicoptères, bateaux et autres véhicules ont été mobilisés.
Le Premier ministre Shinzo Abe a qualifié la situation ≪d'extrêmement grave≫ et ordonné le déploiement de tous les moyens possibles pour sauver des vies. Le Premier ministre a réuni samedi matin les principaux ministres concernés.
≪Emportée par les eaux≫
L'agence météorologique a placé en alerte maximale plusieurs régions et mis en garde contre des risques élevés de dégâts majeurs. ≪Une vigilance maximum s'impose≫, répètent les météorologues. Des dizaines de maisons ont été en tout ou partie détruites et des milliers envahies par les eaux. Il était encore difficiles de dénombrer les glissements de terrain, routes et ponts saccagés voire emportés. Des épais flots boueux déferlaient sur des quartiers entiers totalement noyés, selon les images des télévisions.
≪J'étais dans ma voiture et soudainement l'eau est arrivée par devant et derrière engloutissant la route. J'ai réussi à m'enfuir, mais j'ai eu peur≫, a témoigné pour le journal Mainichi Yuzo Hori, qui se trouvait dans la région de Hiroshima (sud-ouest). ≪Ma maison a été emportée par les eaux et complètement détruite≫, a pour sa part rapporté Toshihide Takigawa, également à Hiroshima.
Les précipitations ont dépassé un mètre en une centaine d'heures dans plusieurs régions, l'agence météorologique estimant que de tels niveaux ne sont atteints que rarement en plusieurs décennies. Elle a qualifié les pluies de ≪terribles≫ et estimé qu'elles dureraient jusqu'à dimanche.
Le Japon est souvent traversé par d'importants fronts pluvieux en plus des typhons parfois meurtriers qui le balayent régulièrement en été. Tous les ans, des glissements de terrain meurtriers sont recensés dans l'archipel. Quelque 72 morts avaient été déplorés en 2014 à Hiroshima et une quinzaine de personnes avaient péri dans le nord en 2016 après le passages d'un typhon.
Séisme à Tokyo
La région de Tokyo a par ailleurs été frappée samedi soir par un séisme de magnitude 5,9 selon l'institut de géophysique américain USGS, qui n'a pas déclenché de risque de tsunami. Aucun dégât n'a été rapporté dans l'immédiat. Le tremblement de terre s'est produit à 20h24 locales (13h24 en Suisse) et été précédé d'une alarme avertissant les habitants.
≪C'était un type de secousses latérales plutôt longues, quelques objets sont tombés, mais ça va≫, a témoigné une femme résidant dans la région de Chiba, dans l'une des zones les plus secouées. Une partie des trains de la région étaient stoppés pour vérification des voies, selon la NHK.
Le Japon est situé à la jonction de quatre plaques tectoniques. Il subit chaque année plus de 20% des séismes les plus forts recensés sur Terre. (ats/nxp)
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芸人先生 #13「U字工事×うどんチェーン」
先生はローカルネタ満載の漫才師、U字工事!訪れたのは埼玉に本社があるうどんチェーン。「ローカルはメリットだらけ」講座を開き、地元をいかにビジネスに生かすかを講義
漫才、コントは「究極のコミュニケーション術」である!!この番組は、現役で活躍する一流漫才師、コント師が己の笑いの技術を“ビジネス術”に置き換え、日々ビジネスの世界で戦っている社会人たちに伝える「新型教養番組」。今回の先生は栃木が生んだローカルネタ満載の漫才師、U字工事!訪れたのは埼玉に本社があるうどんチェーン。「ローカルはメリットだらけ」講座を開き、地元をいかにビジネスに生かすかを講義する。 U字工事,カミナリ, 営業コンサルティング・作家…和田裕美, 桜井玲香

サイエンスZERO「宇宙夜話 #0 とことんオーロラ」
地球と宇宙の間でゆらめくオーロラ。実は北極と南極には24時間オーロラが出続ける奇跡の場所がある。その一つ、北極圏スバールバル諸島で、全天撮影用の超高精細カメラを使い1日を越える連続撮影を敢行。その映像には通常の緑のオーロラに加えて、幻と言われる赤いオーロラや研究者も初めて見るオーロラまでも、克明に記録されていた。緑のカーテンだけではない不思議なオーロラの世界を、専門家・作家と共にとことん味わう。 京都大学教授…田口聡,作家…平野啓一郎, 小島瑠璃子,森田洋平, 大嶋貴志
斎藤環 @pentaxxx
死刑にはぜひとも反対したいがましな代替案が思いつかない。ただ、死刑反対と真相究明はぜんぜん別個の話。個人的には「オウムの闇」とか「真相」とかにはもう大して関心がない。どうせ本人に聞いても真相なんかわからんだろうし、いまは死刑になっても神格化されない程度に記憶が風化しているはず。
死刑に反対しても空しいのは、家族をよってたかってリンチにかけるツイッタランドの惨状を目の当たりにしたばかりだからで、われわれは今世紀も仇討ちと村八分と座敷牢が捨てられないのかと残念な気分です。

小西ひろゆき (参議院議員) @konishihiroyuki
オウム真理教では教祖が唱える荒唐無稽な教義に洗脳されたエリートらが大量殺人を犯した。
今の日本は、安倍総理が唱える「昭和47年見解の中に9条の基本論理が書かれている」という荒唐無稽な虚偽を各層エリートらが黙殺し、国民を戦争に巻き込もうとしている。
皆で、安倍真理教を打破しなければ。

白石草 @hamemen
7人が同時に絞首刑となったのは、48年のA級戦犯7人の処刑のみと。
有田芳生 @aritayoshifu
井上嘉浩死刑囚のご両親とは事件後から交流がありました。尾崎豊が好きで、逮捕後も作詞を重ね、事件前後の記録も書いています。高校時代に入信した彼は麻原彰晃にのめり込みました。法務省幹部が麻原彰晃の執行はあっても他の死刑囚の執行をためらうと言っていたのは、精神支配の重さが理由でした。
被害者家族や被害者のなかにも麻原彰晃の執行はあっても、残りの死刑囚については「生きて償え」という人たちがいました。大韓航空機を爆破した金賢姫は死刑判決を受けましたが、減刑され、北朝鮮批判をする役割を担わされました。同じようにカルト被害を防止する課題が彼らにはあったのです。

mipoko @mipoko611
安倍さんがここ数年のお約束の、「自然災害対応は各部よしなに」で私邸にこもり、災害対策本部を立てる気配ないけど、東日本大震災で菅元総理は。
14:46 地震発生
15:14 緊急災害対策本部設置
場所にもよるが津波は到達するかしないかの頃。首都の揺れで決断したんだろうけどそれにしても早い。

m TAKANO @mt3678mt
西日本全体の大雨で史上最大級と言われる災害になって、死者、行方不明者が出ている。それなのに、今だに政府は緊急対策本部を立ち上げていない。安倍首相も姿を現さない。これは異常なことではないか。いったい安倍官邸は何をしているのか。メディアは何故指摘しない。どちらも機能不全に陥っている。
川内 博史 @kawauchihiroshi
一刻も早く、今回の広範囲かつ甚大な大雨災害に対する政府災害対策本部を立ち上げ、政府として、あらゆる手段を動員し、被害の拡大を防ぐべき。
ガイチ @gaitifuji
現時点で死者、行方不明者100人近いという大規模自然災害が起きている中、いくら自分たちの直接利益に関係ないことには無関心の政権とは言え、なんで未だに内閣に災害対策本部が出来ないのか不思議でならなかったのだが、ひょっとしたら来週外遊する予定あるから、立ち上げるの躊躇ってるのか?
masanorinaito @masanorinaito
激甚災害のレベルにあると思うのだが、安倍首相と官邸は何をしている?
最も多い死者を出した広島が地元の岸田幹事長、翌日に死刑執行を控えた上川法相、自民の議員たち。お前たちが宴会に興じている時、既に、気象庁は厳戒を呼びかけていたではないか。
緊張感のないことだ

大神@肉球新党 @T_oogami
安倍首相「先手先手で被害拡大を食い止める」
7月5日の段階で近畿地方では大雨警報と同時に避難勧告も出ていたのに、その時に呑気に懇親会で酒を飲んでいたのは誰なのか。
もう既に死者は17人、行方不明者は50人以上に達している。
後手後手に回っているのが現実なのに今更何を言っているんだ。

Quattro@Mafty Naveyu Erin @fenlirfenlir
被災地からのお願いです。みんな疲れ果てています。インタビューも、不躾なヘリコプターの往来、ドローンの飛行は何卒止めて下さい。みんな怒っています。

今日もまた雨です.大阪市内は大したことはないけど,西のほうで大変なことになっているみたいで心が痛みます.
七夕なのに気持ちに余裕がなくしんどいです.
神戸ポートタワーのことをいろいろ調べました.

<大川小訴訟>安全確保義務の解釈焦点に 石巻市と宮城県、上告理由書提出
 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟で、市と県は6日、事前防災の不備を認め約14億3610万円の賠償を命じた仙台高裁判決を不服として、上告受理申立書と上告理由書を仙台高裁に提出した。上告が受理された場合、学校と市教委に高度な「安全確保義務」を課した高裁判決の学校保健安全法を巡る解釈が焦点となる。
 市の代理人弁護士によると、市と県は申立書と理由書で「法の規定は抽象的で作為内容の規範が示されたものではなく、努力義務にとどまる」と改めて主張。高裁の解釈には誤りがあるとした。
 津波の予見では「校舎近くの北上川堤防が津波で損壊して浸水することを想定できた」との高裁の認定に、堤防決壊を予見できる具体的知見は当時存在しなかったと強調。落雷に関する一般的な知見収集の義務を怠った教員らの過失を認めたサッカー落雷事故訴訟の最高裁判決(2006年)や、ハザードマップで予見可能性を判断した過去の津波訴訟との乖離(かいり)も指摘した。
 危機管理マニュアルに、学校から約700メートル離れた「バットの森」を津波避難場所として記すべきだったとした認定にも反論。移動に徒歩約20分を要する上、川沿いの低地を経由する必要もあるため、避難経路として現実的ではなく不適当と主張した。
 申立書と理由書は高裁が内容確認後、1週間程度で最高裁に送られる見通し。


<「美しい顔」類似表現問題>被災者手記を編集した東北学院大教授がコメント「震災への向き合い方問いたい」
 芥川賞候補作である北条裕子さんの小説「美しい顔」に、金菱清東北学院大教授編「3.11慟哭(どうこく)の記録」(新曜社)など複数の先行作品との類似表現が見られる問題で、金菱教授は6日、「震災への向き合い方を問いたい」とするコメントを改めて発表した。
 「慟哭の記録」は東日本大震災が起きた2011年、金菱ゼミナールの学生らが被災当事者に執筆を依頼し、71人から寄せられた手記で構成。新曜社によると「美しい顔」には十数カ所の類似表現がある。
 金菱教授は、問題の本質は表現の一言一句ではなく「当時の『人間の体温』や『震災への向き合い方』にかかわるもの」と指摘している。
 「美しい顔」の掲載誌「群像」の発行元の講談社は6日発売の同誌8月号に、掲載時に明記するべきだった主要参考文献として「慟哭の記録」など5冊を列挙。このうち「遺体」の著者石井光太さんと新潮社に対する謝罪文も載せた。
 一方で講談社は「類似は作品の根幹に関わるものではなく、著作権法に関わる盗用や剽窃(ひょうせつ)などには一切当たらない」と主張。読者の評価を問うため同作をホームページで無料公開した。
 北条さんは群像新人賞の受賞時、被災地には一度も行ったことがないと書いている。


<RE:プロジェクト通信>復興へ沿岸の生活追憶 フリーペーパーが記録集に 12地区の声や歴史紹介
 東日本大震災で大きな被害を受けた仙台市沿岸部にあった暮らしや文化をつづったフリーペーパー「RE:プロジェクト通信」が、記録集にまとめられた。若林区荒浜や藤塚、宮城野区蒲生など12地区の住民60人以上の声を記録し、津波で失った古里への思いを記した。不定期に通信の発行を続けた市市民文化事業団が、震災7年目の座談会の記録を加えて制作した。
 通信は同事業団の田沢紘子さん、共に仙台在住のフリーライター西大立目祥子さん、詩人の武田こうじさんが取材、執筆を手掛けた。震災の3カ月後に取材を始め、2015年1月までに13回発行した。
 荒浜地区では、地引き網や定置網で漁を続けてきた歴史を紹介。スズキやイワシが大漁で浜が活気づいた様子のほか、津波で漁船を失いながら「天災だから仕方がない。中古船を探す」と再び立ち上がろうとする漁師の姿を取り上げた。
 稲作や野菜栽培が盛んだった藤塚地区では津波で浸水した畑を耕し、キャベツやナスを育てる農家を取材。以前の暮らしを取り戻そうとする様子をつづった。
 15年9月以降、六つの集落を再訪した様子も収録した。宮城野区和田新田地区では町内会活動の継続が難しくなり、解散を巡る住民の苦悩を取り上げた。
 田沢さんは「海や田んぼと生活が一体だった価値ある暮らしが沿岸部にはあった。復興の歩みと一緒に記憶にとどめてほしい」と記録集への思いを話した。
 記録集は縦22.0センチ、横16.5センチ。1000部制作し、1部1000円で販売中。連絡先は市市民文化事業団が運営するせんだい3.11メモリアル交流館022(390)9022。


仙台市が岡山県総社市へ支援物資
梅雨前線による記録的な豪雨で大きな被害を受けた岡山県総社市に向けて、仙台市が7日夕方、支援物資を送るとともに、さらに必要な支援を調査する先遣隊の職員を派遣しました。
仙台市と岡山県総社市は、東日本大震災で親を亡くした子どもたちの支援やそれぞれの市で行っているマラソン大会を通じて交流を行っていて、7日昼ごろ、総社市の市長から仙台市の郡市長に対して支援物資の要請があったということです。
これを受け、仙台市は支援物資を送るとともに、被害状況を把握し必要な支援を調査するため、危機管理室の職員4人を先遣隊として派遣することにしたもので、7日夕方の出発式では佐々木淳一危機管理監が、「お世話になった総社市民のために、全力で職務を遂行してきてほしい」と激励しました。
そして、毛布およそ4000枚や500ミリリットル入りのペットボトルの水およそ1万3000本などを積み込んだトラックが、総社市に向けて出発しました。
支援物資は8日午後、総社市に到着するということです。
先遣隊として派遣される危機管理室の荒木秀雄参事は、「被害や避難の状況は刻々と変わると思うので、現地の災害対策本部と調整して災害対応が軌道に乗るよう援助したい」と話していました。


<大阪北部地震>東北大災害研が報告会 直下型の被害、多角的に分析
 大阪府北部地震の現地調査報告会が6日、仙台市青葉区の東北大災害科学国際研究所であり、現地入りした研究者ら6人が被害状況などを説明した。
 調査は6月30日〜今月1日、被害が大きかった高槻、枚方両市などで実施した。報告会には研究者や学生ら約50人が参加し、今村文彦所長は「近代都市が直下型地震を受けた時、どのような影響が出るか考察したい」とあいさつした。
 岡田真介助教(変動地形学)は震度6を観測した地震との関連が疑われる三つの断層帯について、地図を使って解説。「地表に現れた被害が思ったより少なく、どの断層が関与したのか特定する決定打がない」との見方を示した。
 柴山明寛准教授(地震工学)はブロック塀が崩れて女児が死亡した事故現場や、屋根瓦が崩れた構造物を写真と動画で紹介した。「ブロック塀だけでなく、屋根瓦の点検も必要だ」と呼び掛けた。


西日本中心に記録的大雨続く 土砂災害に最大級警戒、気象庁
 低気圧から延びる前線が活発な活動を続け、西日本を中心に7日も記録的な大雨が続いた。岡山県や広島県などでは、住宅に土砂が流れ込んで住民と連絡が取れなくなったほか、川の増水で人や車が流されたといった通報が相次いだ。大雨の影響では5日以降、5人が死亡し、3人を心肺停止状態で発見。安否不明者の情報も28人に上るが、さらに増える可能性がある。
 浸水で孤立した人も多く、消防などが救助を続けた。気象庁は京都、兵庫、鳥取、岡山、広島、福岡、佐賀、長崎の8府県に大雨の特別警報を出し、7日朝までに福岡、佐賀、長崎は解除。土砂災害については引き続き最大級の警戒を呼び掛けた。


大雨特別警報 「梅雨末期」に厳重警戒を
 日本列島の広い範囲が大雨に見舞われ、土砂災害やため池の決壊、列車の脱線など各地で被害が広がっている。
 気象庁はきのう夕方、福岡、佐賀、長崎3県に大雨特別警報を出した。「数十年に1度」の災害が差し迫ったときに発表される最大級の警報だ。
 梅雨前線が西日本から東日本まで横断するように停滞している。列島がこれほどの規模で危険な状況になったことが近年あっただろうか。特に西日本に甚大な被害をもたらすとされる梅雨末期の大雨である。
 折しも九州で初めて大雨特別警報が出された九州豪雨の惨禍から1年を迎えたばかりだ。引き続き警戒を強め、早めの避難準備を心掛けるなど、命を守る行動を最優先したい。
 九州では、北部を中心に多くの地域で警報や避難情報が相次いだ。緊急度が最も高い「避難指示」は九州豪雨の被災地などだけでなく、福岡、北九州両政令市でも出された。北九州市門司区などで土砂崩れが起きた。
 都市部での豪雨は主要な交通網をまひさせる。人や物の流れを寸断し、被害は周辺市町村にも波及する。
 福岡市を襲った1999年6月末と2003年7月中旬の大雨は記憶に新しい。中心部を流れる御笠川が氾濫した。JR博多駅周辺が浸水するなど大きな被害が出た。
 その経験から市は、アスファルトにあふれる雨水を河川に誘導する施設を整備するなど、都市水害への対策を講じている。
 とはいえ、想定を超える近年の大雨に対しては一段と厳重な警戒が必要だ。福岡管区気象台によると、九州・山口では大雨が降る回数は1980年代の1・5倍近くに増えている。
 雨量を数字だけで見ても実感しにくい。避難する目安として改めて確認したい。気象庁は1時間雨量を5段階に分け、雨の強さで「人の受けるイメージ」を次のように表現している。
 ザーザーと降る(10〜20ミリ未満)▽土砂降り(20〜30ミリ未満)▽バケツをひっくり返したように降る(30〜50ミリ未満)▽滝のように降る(50〜80ミリ未満)▽息苦しくなるような圧迫感がある(80ミリ以上)。
 どの段階になれば、どのレベルの避難情報が出されるかは地形などの条件によって異なる。自治体が作成したハザード(被害予測)マップで自宅や職場周辺の情報を確認したい。
 大雨は8日ごろまで続き、記録的な規模になる可能性がある。たとえ一時的に晴れ間が見えたとしても、不要不急の外出は控えてほしい。いつ大雨に変わるか分からない−九州豪雨の教訓である。


デスク日誌 ホヤの味
 文章で伝えるのが難しいと思うのが「味」。初ガツオ、サクランボのような季節の味ならば、うまさに余計な説明は不要だろう。
 ホヤはどうか。海のパイナップルは形状の表現。味は、生のホヤ、酢の物、蒸しホヤではまるで違う。
 本物のうまさを実感したのは、石巻市の牡鹿半島で早朝、水揚げの船上でホヤを割ってもらった時。鮮やかな黄色の身はとろりとして一瞬渋く、それが口の中でさっと甘みに変わる。
 悩むのは、ホヤになじみの薄い遠方の人々に伝えたい折の表現。東日本大震災以来取材を重ねる若手漁師たちは、ホヤを首都圏などに売り込もうと懸命だ。何とか文章で応援したい。
 原発事故の風評で、大消費地だった韓国が輸入規制を続け、ホヤの販路は失われた。生産調整も続く。漁師らは消費者に南欧風のホヤ料理を紹介する集いを催したり、被災地支援をする東京の居酒屋でホヤをふるまい、客と交流したり。
 うれしいのは、ボランティア活動を経験した東京の若者たちから「石巻でホヤの味を覚えた。また食べたい」という声を聞くようになったこと。食文化の広がりに記事で一役買えたら。(論説委員 寺島英弥)


<次世代型放射光施設>運転開始時期22年度目指す 産学連携組織の高田理事長が意欲
 次世代型放射光施設を官民共同で整備運用するパートナーに選ばれた産学連携組織、光科学イノベーションセンター(仙台市)の高田昌樹理事長は6日、仙台市内で記者会見を開き、文部科学省が見込んでいる整備スケジュールよりも1年早い2022年度の運転開始に意欲を示した。
 高田理事長は、文科省が今月3日、センターなどが提案した東北大青葉山新キャンパスでの建設計画を選定したことに「必ずや国内のイノベーションを先導するものにして、この地域が発展するように努力したい」と決意を述べた。
 文科省が23年度を予定する運転開始について「できるだけ早い稼働の要望が強く、22年度を目指して国と詰める」と強調。最大約170億円の地元負担の確保は「建設期間中に企業からの出資を80億円は集めたい。財源確保に自信はある」と説明した。
 文科省は来年度予算の概算要求に整備費を盛り込む方針。センターは国の整備主体の量子科学技術研究機構(千葉市)と協議し、年内にも造成工事に入る。


七夕飾りに願い込め 仙台市役所にお目見え
 七夕の7日、仙台市役所の本庁舎に毎年恒例の七夕飾りが取り付けられた。雨が降る中、赤や紫など色とりどりの吹き流しが登場し華やかなムードに包まれた。
 正面ロビーでは作業員11人が仙台藩祖伊達政宗の騎馬像や仙台青葉まつりの様子を描いた長さ4メートルの吹き流しを飾り付けた。玄関前には長さ2.5メートルの吹き流し20本がずらりと並び、今年は市議会議事堂にも初めて七夕飾りを設置した。
 街歩きイベントに参加して市役所前を通り掛かった宮城野区の小学校教諭菅野寛子さん(36)は「七夕の由来を聞きながら吹き流しも見られた。久しぶりに七夕の日に、その風情を味わった」と話した。
 仙台管区気象台によると、仙台の正午までの最高気温は18.4度。平年を5.9度も下回り、肌寒い日となった。七夕飾りは仙台七夕まつり(8月6〜8日)の最終日まで楽しめる。


松本死刑囚ら刑執行/事件の検証は今後も必要だ
 地下鉄、松本両サリン事件などオウム真理教による一連の犯行を首謀したとして、殺人などの罪に問われ、死刑が確定した松本智津夫死刑囚(63)=教祖名麻原彰晃=の刑が6日、執行された。
 ほかに教団の幹部だった井上嘉浩死刑囚(48)ら6人も同日、執行された。一連の事件では、教団元幹部ら13人の死刑が確定、初の死刑執行となった。
 戦後の犯罪史に残る事件は大きな区切りを迎えたが、過去の事件として片付けるわけにはいかない。同様の事件が二度と起きないようにするためには、事件の詳細な検証と記憶の継承が欠かせない。
 教団は宗教の名の下に多数の信者を洗脳し、テロ集団と化した。サリンのような化学兵器を使い、社会を震撼(しんかん)させる無差別殺人に及んだ。
 1989年11月の坂本弁護士一家殺害事件、94年6月の松本サリン事件、95年2〜3月の公証役場事務長監禁致死事件、95年3月の地下鉄サリン事件など、松本死刑囚は教団幹部らと共謀、計13事件に関与。事件による死者は29人に上り、重軽傷などの被害者は6500人以上となった。
 なぜ教団が凶悪な無差別テロを引き起こしたのか、事件の全容が解明されたとは言い難い。数々の事件を首謀した松本死刑囚は一審途中から沈黙に転じ、事件の核心を語ることはなかったからだ。
 一連の事件では教団関係者約190人の判決が確定。教団トップが信者に及ぼした影響力の大きさや、事件における幹部の役割など輪郭は見えたが、全体像は今なおかすんだままだ。
 凄惨(せいさん)な事件を起こした経緯や背景を巡っては、今後もさまざまな見地から検証を続けなければなるまい。事件を風化させることなく再発防止の教訓を引き出す必要がある。
 教団の流れをくむ「アレフ」などの団体は今も活動している。死刑執行によって信者らが元教祖を神格化し、殉教者扱いする懸念がある。後継団体が今後、先鋭化する恐れも否定できない。こうした団体への警戒は緩めるわけにはいかないだろう。
 事件を知らない世代が増えていることも心配だ。後継団体が会員制交流サイト(SNS)などで若い信者を勧誘しているといわれる。
 今回、刑を執行された者の多くは高学歴の若者だったが、将来への不安や悩みから入信。教義や修行などを通じて洗脳され、凶行に駆り立てられた。そうした経緯をいま一度、思い起こしたい。
 将来を嘱望されたエリートばかりではなく、松本死刑囚に傾倒した信者には一般の市民も数多くいた。世界に目を転じれば、過激な宗教や思想に染まってテロ行為に走る若者は少なくない。
 教団の何が人々を引き寄せたのか、どこに問題があったのか。事件を見つめ直すことは現在の問題にも通じる。


河北春秋
 どこにでもいる普通の若者たちだった。ある者は仕事に行き詰まり、ある者はレールに乗った人生に疑問を感じていた。修行で心の迷いをなくし、悟りを開きたい。20〜30代の男女がヨガサークルの門をたたいた▼サークルは教団になり、組織を拡大。中心に神格化された人物がいた。オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚。理想郷をつくるとして国家転覆を図り、幹部らと地下鉄、松本両サリン事件などを起こした。実行犯は「サリンをまくのは救済だと思った」と語った▼松本死刑囚ら7人の死刑が執行された。公判で意味不明な言動を繰り返した松本死刑囚。その口から動機が語られることはなく、真相は闇の中に永遠に葬られた▼だが事件について語り継ぐことは必要だ。オウム真理教信者を追った映画を撮影した森達也さんは著書で「人類は信仰と袂(たもと)を分かつことはできない。信仰を持たない人でもお寺や墓苑では手を合わせる。オウムについて考えることは人の根源について考えること」と述べる▼フォトジャーナリストの藤田庄市さんは死刑囚の幹部に面会した際、「また起こりますよ」と言われたという。いつの時代も悩みを抱えた若者がいる。予言通り、同様の犯罪が起きる可能性はある。事件はまだ終わっていない。

オウム死刑執行を「公開処刑ショー」にしたTVの人権意識
 さながら「公開処刑ショー」のようだった。6日行われた麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚ら元オウム真理教幹部7人の死刑執行。テレビは午前中から特番に番組内容を変更。東京拘置所からの中継に切り替えるなどして報じていたが、その様子に嫌悪感を抱いた視聴者は少なくなかっただろう。
「今、死刑が執行されました」
 死刑の速報テロップと同時に、女性アナウンサーが「執行」と印刷されたシールを麻原ら死刑囚の顔写真の上にペタペタと貼っていく。
 オウム真理教による事件が与えた被害の甚大さや社会に与えた影響、遺族感情を考えれば、国民の間で早期の死刑執行を望む声があったのは理解できる。だが、だからといって、死刑囚に対してテレビが選挙報道の「当確」のような演出をして許されるはずがない。理由はどうであれ、人間の生死に関わる内容なのだ。
■死刑囚本人より早く知っていたのか?
 大体、今回の死刑執行報道は初めから違和感があった。これまでの死刑執行は、執行後に氏名などが淡々と公表されるだけだったからだ。それが、「手続き」段階からバンバン報じられ、NHKに至っては早朝に東京拘置所に入る検察関係者の姿もバッチリと撮影していた。NHKは明らかに事前に死刑執行の情報を得ていたとしか思えない。つまり、死刑執行を当日朝に教えられる死刑囚よりも情報を早く入手していた疑いがあるのだ。
 服部孝章立教大名誉教授(メディア法)がこう言う。
「国家的殺人とも言われる死刑を1日で7人も同時執行し、その様子をテレビがイベントのように扱い、リアルタイムで報道する。こんな国は先進国で日本だけでしょう。世界も唖然としたと思います」
 安倍政権下で「人権意識」がどんどんマヒしている。


安倍首相と法相が オウム死刑執行前夜の“乾杯”に批判噴出
 正気なのか――。オウム真理教の教祖・麻原彰晃死刑囚ら7人の死刑が執行される前日の5日夜、安倍首相が、執行を命令した上川陽子法相らと共に赤ら顔で乾杯していたことが発覚した。ネット上で批判が噴出している。
 安倍首相は同日夜、東京・赤坂の議員宿舎で開かれた自民党議員との懇親会に出席。上川法相や岸田文雄政調会長ら40人超と親睦を深めた。
 この時の様子を、同席した片山さつき参院議員が写真付きでツイッターに投稿。〈総理とのお写真撮ったり忙しく楽しい!〉と呟いている。
 写真では、上川法相の隣で破顔一笑の安倍首相。とても、死刑執行前夜とは思えない。
 さすがに、片山議員のツイッターには、〈どういう神経でどんちゃん騒ぎができるのか〉〈普通は気が沈んで口が重くなる〉〈ゾッとする〉と批判の声が寄せられている。
 安倍首相と上川法相は一体、どんな気分だったのか。翌日、7人を処刑するのに酒を片手に笑顔、笑顔とは……この2人、人としておかしい。


松本死刑囚ら7人の刑執行 再び闇を生まないために
 地下鉄サリン事件などオウム真理教による一連の事件で、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら7人の刑が執行された。
 化学兵器に用いられる猛毒のサリンが東京の中心部でまかれる前代未聞の化学テロで、多くの尊い命が奪われた。社会に与えた事件の衝撃と特異性は、戦後事件史の中でも際立っている。
 平成という時代に起きた事件の教訓に私たちは改めて向き合う必要がある。
 「私は日本の王になる。真理にあだなす者は殺さなければならない」。そう説く松本死刑囚の下で、教団は、坂本弁護士一家殺害事件や、猛毒のVXを使った殺人事件、さらに松本、地下鉄の両サリン事件など陰惨な事件を次々と起こした。
国家転覆目指した異常
 皇室を狙い、国家転覆まで企てた。それぞれの事件の構図や、誰が関わったかについては、法廷の審理を通じ、かなり明らかになった。
 また、信者が教団に傾倒していく経緯や、教団生活の実態についても法廷で語られた。
 だが、このような理不尽な犯罪が、なぜ優秀だった多くの若者を巻きこんで遂行されたのか。その核心は、いまだ漠としている。
 その大きな原因は教祖だった松本死刑囚にある。松本死刑囚は、東京地裁の公判の最初の頃こそ、弟子たちに責任を転嫁する発言をしていたが、1審の途中から意味不明の言動を繰り返し、沈黙し殻に閉じこもってしまった。
 日本の社会にとってオウム事件とは一体、何だったのか。
 松本死刑囚は真相を語ることなく、刑が執行された。それでも、その問いかけは依然私たちにとって重い意味を持つ。
 作家の村上春樹氏は、地下鉄サリン事件の証言集「アンダーグラウンド」の中で、こう述べている。
 事件を起こした「あちら側」の論理とシステムを徹底的に追究し分析するだけでは足りないのではないか。オウム真理教という「ものごと」を純粋な他人事として、理解しがたい奇形なものとして対岸から双眼鏡で眺めるだけでは、私たちはどこにも行けないんじゃないか−−。
 1980年代後半から90年代半ば。バブルからその崩壊にかけて現実感が希薄化し、超常的な力へ人々の心が引き寄せられる中で事件は起きた。そうした中、人類救済を掲げていた教祖の価値観を、洗脳された若者が全面的に信頼してしまった。
 多くの信者が今は、マインドコントロールの呪縛から解き放たれている。これまで口を開いていない人も少なくないだろう。カルト思想については、国際的にも注目されている。村上氏のいう「あちら側」の対岸で、検証を重ねるべき対象は、まだまだ残っているはずだ。
根源的な問いかけ続く
 社会心理学を専攻する立正大の西田公昭教授は、3年前本紙のインタビューに答え「現代は当時と比べても社会が成熟したとは言えず、現実社会を見限る若者が出てくる状況も変わっていない」と指摘した。
 さまざまな課題が今なお私たちの目の前にあるのは確かだ。根源的な問いかけへの答えは簡単には見つからない。多くの意見に耳を傾け前に進むしかない。
 今回の執行の影響は多方面に及ぶだろう。
 オウム真理教には、主流派の「アレフ」や「ひかりの輪」など三つの後継団体があり、約1650人の信者がいるとされる。
 今年1月、団体規制法に基づく観察処分が更新された。特に「アレフ」は、松本死刑囚への帰依が依然、強いとされる。
 再び闇を生まないために何ができるのか。国民に不安が生じるようなことがあってはならない。公安当局は、注意深く後継団体の動向を監視する必要がある。
 松本死刑囚を含め7人の死刑の執行が1日のうちに行われたことも驚きだった。上川陽子法相は「被害者の苦しみは想像を絶するものがある。慎重にも慎重な検討を重ねたうえで命令した」と語った。
 死刑制度については、死刑廃止国が140カ国を超え、執行している国を大きく上回っている。
 一方、死刑の存廃については、各国の事情などに応じて独自に決めるべきだというのが日本政府の立場だ。どう死刑制度と向き合っていくのか。そこもまた問われている。


オウム事件で死刑執行 記憶を消さぬように
 オウム真理教の代表だった麻原彰晃死刑囚ら計七人の死刑が執行された。地下鉄サリン事件など数々の凄惨(せいさん)な事件。記憶を消さぬようにしたい。
 かつてオウム真理教の施設があった山梨県上九一色村(現甲府市、富士河口湖町)の区長に地元警察から連絡があった。六日午前九時ごろのことだ。「死刑執行があった。後継団体の動きに注意してほしい」との内容だった。
 心配した区長は「サティアン」と呼ばれた施設の跡地公園や慰霊碑に向かったそうだ。誰もいない、いつもの公園…。「やっとこの日がきたか」と安堵(あんど)した。区切りが来たのだ。
◆理不尽な犯罪が次々と
 麻原死刑囚(本名・松本智津夫)は一九九五年五月に逮捕されてから、二十三年たっての刑執行であった。他の教団幹部らと共謀して、八九年の坂本堤弁護士一家殺害事件や九四年の松本サリン事件などを起こした首謀者である。
 十三もの事件に関与した。判決で認定された死者は計二十七人。起訴後に亡くなった人もおり、犠牲者は二十九人にも。地下鉄サリン事件などで計六千五百人以上が被害者となった。
 死刑執行を受けて、ロイター通信など海外メディアも速報を流した。フランスのAFP通信は地下鉄サリン事件を振り返り、こう表現した。
 <首都をまひさせ、事実上の戦争状態に変わり、負傷者はよろめきながら地上に逃げた>
 この地下鉄サリン事件は教団への警視庁の強制捜査が現実味を帯びてきたため、捜査かく乱を狙った。こんな理不尽な犯罪があるだろうか。
 ボツリヌス菌や炭疽(たんそ)菌、ホスゲン爆弾、プラズマ兵器の製造まで元代表の指示があった。
◆闇はまだ続いている
 犯罪史上類がないと語られるのは、巨大な組織と技術を持っていたことにもある。頭脳があったのだ。猛毒のサリンを製造できたのは、一流の大学を出た理系のエリートがいたためである。高学歴の若者たちが自らエリートの道を捨て、教団に加わったのはなぜなのか。しかも、荒唐無稽な教団の思想を信じ、犯罪にまで。
 核戦争の不安をあおりつつ、オウム真理教は「人類救済」を説いていた。そして出家・在家の信者を計一万人以上も集め、勢力を伸ばした。なぜ若者たちがオウムの教団に走ったのか。彼らは愚かだったのか。
 事件の背景に宗教が強くあったのは確かである。誰しも悩みを抱え、道に迷う。そのとき、「こっちだ」とある者が手を伸ばす。誰しも心に空洞があるときがある。そのとき、ふっと言葉をささやきかけられる。
 流され行く日々の中で、若き悩める者こそ、修行の道を説かれ、自己を問うてみたのかもしれない。虚無感がただよう時代である。既存の宗教にない手掛かりを持ったのかもしれない。
 そう考えると、果たして刑の執行で幕引きだったのだろうか。確かにオウム真理教の事件は、刑事事件としてはほぼ解明されている。だが、首謀者は裁判で弟子のせいにし、「無罪」を主張した。不規則発言を繰り返した後は、話すことすらやめてしまった。
 だから、実質的には一審だけで終わった感がある。動機は何だったのだろう。本当に「日本支配」だったのだろうか。首謀者の口からそれを聞けなかったのはあまりに残念である。その機会は永久になくなった。
 そして、オウム真理教は二〇〇〇年に「アレフ」に改称した。今は「ひかりの輪」が分派し、もう一つの団体も生まれている。信者の数は約千六百五十人とされるが、毎年百人程度の入信者が続いている。事件を知らない若者が多いと聞く。
 公安調査庁は三団体は麻原死刑囚の強い影響下にあるとみている。死刑により、「神格化」される恐れもあろう。その意味でまだオウムの闇は続いているのだ。
 宗教が普通の人々を引きつけ、過激な教義で犯罪にまで走らせた事件だった。カルト教団の恐ろしさは教訓としたい。幕引きとせず、忌まわしい記憶であっても消してはなるまい。
◆「心残りがある」とも
 地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんは麻原死刑囚の刑執行には「当然」と言いつつも、他の死刑囚については「彼らにはテロ防止のためにも、もっといろいろなことを話してほしかった」と語った。さらに「それができなくなってしまったという心残りがある」とも述べた。
 社会の在り方に疑問や憎しみを持つ人々が大勢いる。世の中は矛盾に満ちているから。事件はそんな社会の裏側とべったりとくっついている。


オウム死刑執行/事件の重い教訓伝えねば
 オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した13人のうち、松本智津夫死刑囚=教祖名麻原彰晃=ら7人の刑が、きのう執行された。
 日本のみならず世界を震撼(しんかん)させた地下鉄サリン事件と強制捜査から23年がたった。松本死刑囚は殺人などの罪に問われ、2006年9月に死刑が確定した。今年1月に教団を巡る刑事裁判が事実上全て終結し、刑の執行が注目されていた。
 29人が死亡し、6500人以上が負傷した未曽有の事件は、日本の社会に大きな傷痕を残した。遺族や被害者は、今なお心に負った深い傷と後遺症に苦しみ続けている。
 だが、教団を率いた松本死刑囚が核心部分を語ることはなかった。なぜ多くの若者たちが凶行に走ったのか、真相は闇に包まれたままだ。
 事件のことを知らない若い世代が増えている。約190人が起訴され、膨大な審理時間をかけた前例のない規模の裁判から得た重い教訓を、しっかり継承していかねばならない。
 上川陽子法相が7人の刑執行に至った経緯について、説明を避けた対応には疑問が残る。
 法廷で松本死刑囚は宗教論を披露するなど当初は多弁だったが途中から口数が減り、やがて意思疎通すら困難になった。刑を執行できる精神状態かという疑問の声も上がっていた。
 一方、多くの元幹部らは教祖を厳しく批判し、反省や謝罪を口にしていた。事件の本質を伝える証人の役目を果たすために減刑すべきとの意見もあった。
 死刑執行で真相に迫る機会が奪われたとの声もある。国際社会の批判も多い死刑制度を巡る議論を深める時ではないか。
 懸念されるのが、松本死刑囚が神格化されることだ。オウム真理教は三つの後継団体が活動を続けている。信者が約1450人と最も大きいアレフは松本死刑囚への帰依の姿勢を示す。活動が先鋭化することがないよう、団体規制法に基づいて観察を続ける必要がある。
 過激派組織「イスラム国」のように、社会に不満を持つ若者がカルトに巻き込まれる危険は常にある。裁判記録を永久保管するなど、風化させない取り組みを重ねていかねばならない。


オウム死刑囚執行 「なぜ」の解明は終わらぬ
 地下鉄サリンや松本サリンなど一連のテロを引き起こしたオウム真理教事件で、首謀者の松本智津夫死刑囚=教祖名麻原彰晃=ら7人の刑がきのう、執行された。
 松本死刑囚の刑確定から12年、事件は大きな節目を迎えた。
 しかし、若者たちがなぜ教祖の常軌を逸した計画に従い、未曽有の凶悪犯罪に突き進んだのか、いまだに謎は尽きない。
 悲劇が繰り返されることがあってはならない。それには今回の執行を区切りとせず、今後も疑問点を徹底的に解明する必要がある。
 宗教学のほか社会学、心理学といったさまざまな角度からの不断の検証が欠かせない。
 地下鉄サリン事件から20年以上が経過し、「オウム」を知らない若い世代も増えている。事件の記憶を風化させることなく、次代に伝えなければならない。
■検証は政府の責務だ
 確定判決によると、死者13人、重軽傷者6千人以上を出した地下鉄サリン事件は、教団への強制捜査を阻止するために東京都心で混乱を起こすことが目的だった。
 8人が犠牲となった松本サリン事件は、教団の施設建設を巡って自分たちに不利な判決が出そうになり、裁判所の宿舎を狙った。
 坂本堤弁護士一家殺害事件も教団の問題を追及していた弁護士を逆恨みした犯行だった。
 いずれもあまりに身勝手な犯行で、猛毒のサリンで市民を襲うという手口も残忍極まりない。社会に大きな不安を与えたことも見過ごすことはできない。
 松本死刑囚は教団を批判する個人や組織を敵と決めつけ、無差別テロを正当化していた。
 いまも判然としないのは、松本死刑囚が極端な思想を持つようになったいきさつや、犯罪とは無縁の若者が教祖の命じるまま凶行に手を染めてしまった理由だ。
 マインドコントロールを受けていたとの指摘もあるが、それだけでは説明がつきにくい。
 死刑の執行は、事件の当事者たちから話を聞く機会を永遠に失ったことを意味する。
 事件の真相を探るためには、なお死刑囚に語らせるという選択肢もあったろう。
 たとえば、今回執行された中川智正死刑囚は事件について謝罪し、サリン製造の経緯を手記で詳述していた。
 法廷では明らかにならなかった真実を聞きたかった。そう思う被害者や遺族は少なくないのではないか。
 死刑の執行で司法的な手続きは終わることになる。
 しかし、謎が数多く残っている以上、政府による積極的な解明が求められよう。
 実行犯や元信者からの聞き取りや被害者への継続的な調査などを含め、さまざまな手だてを講じてもらいたい。
■求められる情報開示
 一度に7人の死刑執行は異例にもかかわらず、法務省の説明は決して十分とは言えない。
 上川陽子法相はきのうの記者会見で、慎重な検討を重ねたうえで執行を命令したと述べたが、執行のタイミングや、13死刑囚の中から7人を選んだ理由などについては明らかにしなかった。
 死刑は「究極の刑罰」である。情報は国民にすべて公開してしかるべきだ。オウム事件は日本の犯罪史上最悪の無差別テロだけに、一層説明を尽くす必要がある。
 オウム真理教の後継団体は活動を活発化させ、若者への勧誘を強化しているとされる。
 今回の執行によって松本死刑囚が一部の信奉者から「神格化」される懸念もある。
 さまざまな不測の事態を防ぐためにも、事件に関する情報公開を怠ってはならない。
■問題意識共有したい
 サリンによる後遺症などに苦しみ続ける被害者は依然多い。心的外傷後ストレス障害(PTSD)を訴える人もいる。
 政府は、継続的できめ細かい支援に取り組むべきだ。
 オウム真理教の後継団体による被害者らへの賠償も遅々として進んでいない。裁判で係争中の事件もあるようだが、後継団体には真摯(しんし)な対応を求めたい。
 オウム真理教を巡っては、世の中になじめず、居場所を見つけられない若者たちの心の隙間に巧妙に入り込んだという分析がある。
 バブル経済崩壊後の漠然とした将来への不安が、信者を増やしたとの側面も指摘される。
 だとすれば、この社会にオウムを生みだす土壌があったと言えるのではないか。
 オウム事件を異常な教祖と、それに従った信者による特異な犯罪と片付けてしまってはならない。
 広く問題意識を共有し議論を重ねることが、事件の再発を防ぐ有効な手段となる。


ウム教祖ら死刑執行 事件を忘れてはならぬ
 地下鉄、松本両サリン事件などを引き起こしたオウム真理教の当時の教祖や教団幹部ら計7人に対し、きのう死刑が執行された。20年以上前の事件とはいえ、裁判制度の仕組みや死刑制度の在り方、社会の変貌などを改めて思い起こしたい。
 坂本堤弁護士一家の殺害や、公証役場の事務長監禁致死など10を超す事件で教団は訴追された。犠牲者は起訴後に亡くなった人を含め29人で、負傷者は少なくとも6500人以上に上る。サリンの後遺症に今も苦しむ人がいる。犯罪史上類を見ないほど残忍な犯行で世界を震撼(しんかん)させた。断じて許されない。
 首謀者とされるのは「麻原彰晃」を名乗った教祖の松本智津夫死刑囚だ。地下鉄サリン事件から2カ月後の1995年5月、殺人容疑などで逮捕された。
 ▽真相は語られず
 弁護団は「弟子が勝手に暴走した」と無罪を主張したが、教祖は意味不明な発言を繰り返し、ついには沈黙して公判は打ち切られる。明確な謝罪の言葉もなく、遺族や被害者が憤りを膨らませたのは当然だろう。
 「極限の非難に値する」として東京地裁が下した死刑判決は重い。ただ刑の執行で首謀者から事件の真相を聞く機会は永遠に失われた。その意味も、社会は重く受け止めねばなるまい。
 執行の動きが見え始めたのは3月だった。死刑囚が各地の拘置所などに分散、移送された。広島拘置所には教祖の側近で教団でも珍しい医師免許を持つ中川智正死刑囚が移された。法廷では「人の首を絞めて殺すために出家したのではない」と号泣した。宗教に名を借りた「洗脳」の恐怖を浮き彫りにした。
 ▽教団なぜ過激化
 改めてオウム真理教が生まれた経緯や、大勢の信者を引き寄せた背景に目を向けたい。教団の前身は、松本死刑囚が80年代半ばに設立したヨガと宗教のサークルだ。日本経済がバブル崩壊へと進んでいく中、いろんな不安を抱える人たちの心の隙間に入り込んでいった。どの時代にも潜む危険ではないか。
 不可解なのは、大学などで法律や医科学を学び「エリート」と呼ばれる若者が簡単に取り込まれ、殺人やサリン製造といった犯罪に手を染めたことだ。
 「空中浮揚」と称した写真が雑誌で取り上げられるなどオカルトブームが影響した面があろう。また松本死刑囚は都合のいい教義で信者を縛り、教団内での階級制度を作って相互監視させた。「ポア(殺害)」という言葉も罪の意識を奪うマインドコントロールの手段といえる。
 家族による脱会運動が起き、90年衆院選で見せた教団の異様な選挙活動などを見れば、国や警察がもっと早く危機感を持って対処すべきだったのではないか。それが逆に、松本サリン事件で被害者の河野義行さんを容疑者扱いするような大失態を演じる。マスコミを含めて、深く反省するところである。
 ▽教訓どう生かす
 教団分裂後も麻原信奉を続ける団体もあるとされる。若い信者を獲得したり資産を増やしたりしているようだ。オウム事件が再発する危険が去ったとは到底いえない。教祖の死刑がどう団体活動に影響するか、も引き続き注視する必要があろう。
 死刑制度についても議論を深める機会にしたい。同日に7人の死刑は近年例がないという。
 上川陽子法相は会見で遺族や被害者の感情に触れ、自ら下した命令執行を「鏡を磨いて磨いて、磨ききって、慎重にも慎重を重ねた」と強調した。公正かつ公明な姿勢は当然である。
 法相は一方で死刑の執行時期や人選は「個々の判断に関わるので答えは差し控える」とし、死刑制度を「重大な凶悪犯罪ではやむを得ない」と述べた。
 教団の確定死刑囚はまだ6人いる。世界では死刑廃止が主流になる中、日本では執行に至る経緯の多くがベールに包まれている。厳しい視線が注がれていることを肝に銘じてほしい。
 裁判員制度で市民が死刑判決に関わる時代であり、情報公開の徹底が求められよう。社会を見つめ直す教訓としてオウム真理教事件を忘れてはならない。


オウム真理教の麻原彰晃がビートたけし、とんねるずに語ったこと 「私、秋吉久美子が好きだったんです」
Ryosuke Kamba 神庭 亮介 BuzzFeed News Reporter, Japan
死刑が執行されたオウム真理教の元代表、麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚。1990年代初頭には、テレビのバラエティー番組にも積極的に出演し、ビートたけしや、とんねるずとの共演も果たしていた。新興宗教とメディアの危うい「共犯関係」の実相とは。
「私に代わってオウムの教祖を」
「私に代わって、オウム真理教の教祖をやってもらってもいいんじゃないですかね」
「明日からピンクの服着て歩いて、怒られたりして」
麻原の言葉に、冗談で返すたけし。1991年12月30日に放送された『TVタックル』(テレビ朝日系)で、2人が対談した際の一場面だ。
冒頭、当時の新宗教ブームについて、以下のように語った麻原。
「来るべきものが来ているんじゃないでしょうか。人間の物質的豊かさがピークに達して、ここでは満足できないと人々が思い出している。そうなると次はどうなるか。内側の世界の探究に入っていく、ということだと思うんですね」
たけし「死は背中合わせ」
テーマは心の豊かさや幸福論、死生観に及び、たけしはこんな風に問題提起する。
「精神的なものになると、どういうものが価値がある考え方で、価値がないのか。何が心の問題で、どう考えることが一番幸せなのかとか、いろいろ考えるんですけどね」
「幸せ、幸福とか言うんだけども、僕としては生きることと同じように死ぬことがいつも背中合わせにあるもんで」
「常に死ぬことが50%の確率であるもんだとしたら、右手と左手を同時に鍛えるように、死ぬことと生きることを同じ分量で考えないと非常にバランスが悪いんじゃないか」
これを受けて麻原は言う。
「オウム真理教の修行の大前提に『死』というものが来ます。ビートたけしさんのこれまでの活躍を見て感じることは、大変思索力の優れた方だなと。絶えずものを考えていらっしゃる」
「私がビックリしたのは、ビートたけしさんがいきなり『死』の話をお出しになったので。さすがだなと思うと同時に、本当の意味での仏教観が根付いていらっしゃるなとちょっとビックリしましたね」
「たけしさんは前世で神の経験」
麻原はその後もたけしの主張を受け入れ、肯定し、持ち上げる。
「ビートたけしさんのおっしゃることは、北伝の仏教の最高峰と言われるチベット仏教のなかのマハームドラーという最高の悟りがあるわけですけど。その最高の道に到達する道の真髄なんですね」
「仏教のステージでも『普賢』と呼ばれる段階があるわけですけど。そういう段階を前世において経験していらっしゃる証拠だと思うんですね。普通の人はそういうことを考えません」
「人間からすると『神』と呼ばれる存在があるわけなんですけど。そういう世界を(前世で)少なくとも何回か経験していらっしゃる。つまり神の経験をされていることは間違いないでしょうね」
そして、冒頭の発言へとつながるわけだ。
「面白いよなあ、麻原さんて」
終盤、話題はたけし個人の人生観へと移っていく。
「たけしさんの小さい時からの経験を聞いてますと、ある時ポッと仕事を放られるんじゃないかという気がしますけどね」
麻原の投げかけに、たけしはこう返す。
「僕はね、勘としては5年後に自殺するか辞めちゃうかどっちかだと思うんですよ。これで仕事をほっぽり投げるか、自分で死んじゃうか。意外に後で5年ぐらいしたらわかりますから」
「ただまあ、ビートたけしさんは5年じゃ死なないと思いますよ」
たけしが1994年に起こしたバイク事故のことを考えると、ドキッとさせられるようなやり取りだ。
「場所を改めて、違う機会に麻原さんと対談を申し込んで、20時間ぐらいじっくりとですね。2人だけで朝までトークってやらせてくれねえかな」
そんなたけしの言葉通り、2人は後日、雑誌『Bart』(1992年6月22日号)でも対談。
この記事で、たけしは「宗教からいちばん遠い人のような気もする。非常に科学でもあるし。いちばん反宗教的なところから来た人のような」「面白いよなあ、麻原さんて……」と麻原を評している。


拉致被害者、地村さん夫妻が談話 事件から40年「全面解決を」
 北朝鮮による拉致被害者の地村保志さん(63)、富貴恵さん(63)夫妻が拉致されてから40年となる7日、夫妻が談話を発表した。「拉致問題の全面解決なしには私たちの真の幸せや喜びはない」として、早期に日朝間の交渉を再開し、全ての被害者の帰国が実現することを願った。
 拉致問題の解決については被害者や家族の高齢化が進んでおり「一刻の猶予もない」と指摘。被害者全員の帰国が実現していないのは「先に帰国した拉致被害者として最も心を痛める」とした。
 北朝鮮で過ごした24年間を「自由を奪われ、人生の最も大事な時期を日本で過ごすことができなかった」と振り返った。


逮捕された文科省局長は安倍政権に近い官僚だった! 裏口入学の交換条件の支援事業に加計学園も選定
 文科省の現職局長が受託収賄容疑で逮捕されるという衝撃的なニュースが、今月4日、駆け巡った。文科省の科学技術・学術政策局長である佐野太容疑者が、私立大学支援事業「私立大学研究ブランディング事業」の選定で便宜を図る見返りに、自身の息子を東京医科大学に不正入学させたというのだ。
 そして、このニュースにヒートアップしているのが安倍応援団やネトウヨたちだ。文科省といえば、昨年1月に天下り・再就職あっせんが問題となり、当時、事務次官だった前川喜平氏が引責辞任。佐野容疑者も官房長として「文書厳重注意」の処分を受けている。ネトウヨはこのことをもち出し、「前川は出会い系バー通いで佐野は裏口入学。文科省はクズばかり」「前川さん、文科省の局長が行政を歪めてますよーw」などと、ここぞとばかりに前川氏をバッシングしているのだ。
 さらに、そうした流れのなかで、安倍応援団である上念司氏も前川・文科省叩きを展開。昨日出演した『真相深入り!虎ノ門ニュース』(DHCテレビ)では、「佐野さんは前川の直系らしいっすね」「しかも天下りの裏で(不正入学を)やっていた」「文科省は(前川に)乗っ取られている感じ」だと述べ、前川氏と佐野容疑者の関係に言及している。
 一方、この不正入学問題に対しては、リベラル派からも疑義の声が上がっている。「これは加計問題での文科省の反乱に対する、特捜部を使った官邸の意趣返しではないか」という見方だ。
 だが、結論から言うと、これらの指摘はすべて的外れだ。そもそも、「佐野は前川の直系」でもなんでもなく、逆に対立派閥に属していた。文科省関係者もこう一笑に付す。
「佐野はたしかに前川氏が官房長時代にも官房政策課長、総務課長などを歴任しているが、『前川の直系』なんて関係ではない。むしろ、関係が悪かったという話もあるほどだ。というのも、佐野は科学技術庁入庁組で、文科省内の旧科技庁グループ、 “旧科技庁のドン”とも呼ばれていた沖村憲樹氏の一派だった」
 冲村氏は国立研究開発法人・科学技術振興機構特別顧問に天下りしているが、高村正彦・自民党副総裁に極めて近く、官邸や自民党大物議員にも顔が利く人物。実際、冲村氏が仕切る旧科技庁グループは前川氏が引責辞任した文科省の天下り問題でも、まったく扱いが違っていた。
 そもそも、政権が率先して不正を明らかにしたこの文科省への天下り調査は、加計学園認可に反対していた文科省幹部への報復、狙い撃ちだったという噂もあり、事実、官邸が文科省の天下り問題調査でターゲットにした吉田大輔高等教育局長(当時)は、獣医学部新設に強硬に反対していたと報じられている。
 ところが、同じ文科省でも旧科技庁グループ、冲村派の天下り問題は一切表に出てこなかった。当時、会員制情報誌「FACTA」(2017年3月号)が、文科省の天下りは冲村氏が仕切る科学技術庁グループのほうがひどいのに、政権与党との関係からか、不問に付されているということを指摘。国会でも追及がおこなわれた。
 そして、冲村氏の利権を暴いた「FACTA」の続報(2017年8月号)では、今回、逮捕された佐野容疑者が〈「冲村派」の中核メンバー〉として名指しされていた。
 つまり、佐野容疑者は、前川氏の直系どころか、安倍政権に極めて近い派閥に属する官僚だったのだ。実際、佐野容疑者は加計問題で官房長として内部調査や大臣答弁などにかかわってきたが、完全に官邸の言いなりだった。
「『総理のご意向』文書が出てきたときなんて典型でしょう。あのとき菅義偉官房長官が『怪文書』呼ばわりしましたが、文科省も完全に歩調を合わせていた。調査すると言いながら担当部局の共有ファイルを調査して7人にヒアリングしただけ。当時の松野博一文科相がそこで何も出てこず、証言も得られなかったとして『調査目的は達成した』と断言した。これらを仕切ったのは、官房長の佐野さんですからね」(全国紙社会部記者)
加計学園からは2校も選定、東京医科大よりも多い補助金が
 前川氏の直系どころか、安倍政権に近かった佐野容疑者。じつは、佐野容疑者の今回の大胆な不正入学収賄の背景にあるのは、「安倍首相が招いたモラルハザードではないか」という見方も流れている。
 これは、無理やり話を結びつけようとしているのではない。もっと具体的な話だ。今回、佐野容疑者が東京医大関係者からの依頼を受けて同大を選定した「私立大学研究ブランディング事業」をめぐっては、“アベ友”である加計学園も選ばれているのだ。
 本サイトで今年1月に報じたように(http://lite-ra.com/2018/01/post-3723.html)、じつはこの事業がスタートした2016年度の採択では、加計学園が運営する岡山理科大学と千葉科学大学の2校が選定されている。しかも、同じ学校法人から2校が選ばれていたのは、加計だけなのだ。
 さらに、東京医科大には補助金として3500万円が交付されたが、加計グループに対して交付された補助金は、千葉科学大が3752万円、岡山理科大が4121万円と、東京医大を上回っている。
 いや、加計への疑惑が深まるのは、この補助金を交付する大学が決定されたタイミングだ。2016年11月には萩生田光一官房副長官(当時)が獣医学部新設の条件として「広域的に獣医学部のない地域に限り」という加計ありきの文言を加え、同9日の国家戦略特区諮問会議でそのとおりに新設が決定された。そして、加計学園2校に補助金交付が決まったのは、それから約2週間後の22日なのだ。もちろんこの時期、文科省は加計学園と安倍首相の深い関係について痛いほど認識していたはずだが、そのタイミングで補助金の交付が決定されていたのである。
 佐野容疑者が東京医大に便宜を図ったのは2017年で、この加計グループ2校が選定された次の年のこと。つまり、「総理案件」である大学が、しかも2校もねじ込まれている実態を知る立場にあれば、「それぐらいは許される」という見込みが佐野容疑者にはあったのではないか。そう勘繰らずにはいられないのだ。
 安倍首相が血税をお友だちに流し、その実態が暴かれても平気な顔をして総理の座に座っている。その親玉のモラルのなさが、霞が関にも伝染しつつある──。「最大のガン」が幅を利かせるかぎり、こうした問題が後を絶たなくなるのは間違いない。そして、不正入学問題への捜査と同時に、今回クローズアップされた加計2校の選定についても、そのプロセスを明らかにするべきだろう。(編集部)


政府としての総括を述べるべきでは
 ★5日の会見で官房長官・菅義偉は、文科省前局長が私立大学支援事業を巡って受託収賄容疑で逮捕された事件について「教育行政に対する信頼を、根幹から揺るがしかねない極めて重要な問題だ」とするものの、文科相・林芳正の責任問題には「大臣を中心に信頼回復に向けてしっかり対応を講じられる」と大甘裁定を示唆した。まさに森友・加計学園疑惑はそれに当てはまると思えるが、極めて異様な“差”を見せつけた。 ★6日午前には、計29人の犠牲者を出した一連のオウム真理教事件の首謀者・松本智津夫死刑囚ら7人の死刑が執行された。未曽有の無差別テロ事件は、松本の首謀者としての動機などが明らかにされないまま、裁判が終わった。死刑確定というプロセスに被害者を含め、国民にはモヤモヤしたものが残る執行だったが、これで事件の全容解明は望めなくなった。 ★政府としてはすべての関係裁判の終結、平成の事件は平成のうちに終わらせたいという思惑が見え隠れする。ただこの事件では、TBSが坂本弁護士のインタビュー取材ビデオをオウム側に見せて、弁護士一家殺害につながる大問題が起きた。この問題は、今でもメディアの負の例題として扱われている。またオウムへの強制捜査を巡り、破防法適用が議論されるなどもした。その結果、無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律を新たに作り、適用するなど、当時の村山政権の英知がみられた。 ★それならば政府は法相会見に任せず、政府としての総括をここに述べるべきだったのではないか。決してすべてが解決したとは言えない事件の幕引きだけでは、次世代に教訓を残すことはできない。

文科省の収賄局長が失った 麻布の“億ション”セレブライフ
 この国の教育行政は、どこまで腐敗しているのか――。文科省前科学技術・学術政策局長の佐野太容疑者(58)が、受託収賄容疑で逮捕された事件。国の私大支援事業で東京医科大に便宜を図った見返りに、自分の息子を同大医学部に“裏口入学”させ、とんだ「親バカ」ぶりを見せた。しかも、血税を使って不正を働きつつ、“億ション”ライフを満喫していたのだから許しがたい。
■不正の裏でリッチな生活
 現役局長の汚職事件を巡って、5日、東京医科大トップの臼井正彦理事長(77)と鈴木衛学長(69)が不正に関与した疑いが浮上。臼井理事長が昨年5月、佐野容疑者に便宜を図るよう依頼し、鈴木学長が口利きの見返りに、同大医学部を受験した佐野容疑者の息子を不正に合格させるよう学内で指示したとみられる。
 加計学園や日大に続いて、また怪しい理事長が登場し、疑惑は拡大。文科省職員が「信じられない」と唖然とするのも当然だ。佐野容疑者は省内で「科学技術畑のエース」の誉れ高く、「将来の次官候補」と目されていたからだ。
 そんな期待を裏切って、“三流官庁”の看板をドブに叩き落とした佐野容疑者は、港区麻布狸穴町の超高級マンション暮らし。東京メトロ南北線六本木一丁目駅から徒歩6分という好立地で、周囲にはロシア大使館や外国人御用達の会員制クラブが並ぶ。不動産情報サイトによると、1室の売値は中古でも、およそ1億3000万〜1億5000万円。敷地面積4600平方メートルの上に立つ瀟洒な建物は、地上8階地下2階で、2013年に新築されたばかりだ。
「狸穴町は、高級住宅地といわれる麻布の中でもさらにワンランク高い地域。政治家や要人に馴染み深いところです。テレビによく出演する弁護士が、同マンションの1室を所有しています」(不動産関係者)
 登記簿によると、佐野容疑者は14年、5500万円のローンを組んでマンションを購入している。近隣住民は、佐野容疑者について「感じの良い人。すてきなご夫婦です」と言っていた。
 裏口入学した佐野容疑者の息子とみられるツイッターアカウントは、昨年2月から12月にかけて、<今日からセブ島で一人暮らしすることにした><センター試験16日前なのに俺セブ島で何してんだっていうね>などと投稿。家族揃ってセレブライフを満喫していたのだろう。
■共犯者は六本木タワマン居住
 佐野容疑者に負けず劣らずの贅沢な生活を送っていたのが、不正の片棒を担いで逮捕された都内の医療コンサルティング会社元役員の谷口浩司容疑者(47)。佐野容疑者と臼井理事長を仲介した人物で、受託収賄幇助容疑で捕まった。
「大学の経営が傾くと、仲介ビジネスで儲けようとするブローカーが現れる。省庁や銀行、企業に人脈があるなどと言って、大学側にすり寄るのです。実際、関西のとある私大から、大学ビジネスで儲けようとするブローカーの存在を聞いたことがあります」(元文科官僚で京都造形芸術大教授の寺脇研氏)
 谷口容疑者の自宅は、六本木にある25階建てのタワーマンション。賃料100万円を超す部屋もあり、庶民が簡単に住めるところじゃない。フロントコンシェルジュやプール付きスパ、朝食サービスなど、セレブ感満載である。
 佐野容疑者といい、谷口容疑者といい、贅を極めると、血「税」をふんだくっても良心は痛まなくなるようだ。


世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ
 デモは特定政策に対して国民が自らの立場を表明する貴重な手段であり、世界的に見ると、デモで政治を変えようとする動きが顕著である。
 米国フロリダ州の高校で17人が死亡した銃乱射事件では、銃規制の強化を求めるデモが全米で繰り広げられた。韓国では2016年11月12日、30年ぶりに100万人以上が参加したキャンドル集会(ろうそくデモ)が開かれ、これを機に朴槿恵政権は退陣に追い込まれ、文在寅大統領が誕生。今も高い支持率を維持している。ロシアでも、プーチン大統領の4期目就任式を前に、全土でデモが展開された。
 今や「独裁国家」を除き、世界各地の首都でデモが展開されるのは当たり前だ。ところが日本ではそうではない。
 東京・新宿区は、街頭デモの出発地として使用を認める区立公園を、これまでの4カ所から1カ所に限ることを決めた。区内で行われたデモは昨年度77件あり、うち、60件は今後は使えなくなる3つの公園から出発している。ヘイト行為対策と説明しているが、77件中、ヘイト行為は13件。デモを規制しようとする意図は明らかだ。
 日本各地で行われているデモは今の安倍政権の政策に反対、抗議する目的がほとんどだ。新宿区長が「民主主義を破壊したい」という理念を持っているとは思いたくない。しかし、区長がデモ規制に動けば、政権サイドから「よくやった」と称賛されるのかもしれない。
 民主主義が崩壊する理由のひとつとして、指導者に対する媚びへつらいがある。森友・加計疑惑で明らかになったのは、霞が関官僚が「国民のために何をなすべきか」でなく「安倍首相が喜ぶか否か」を行動基準にして「忖度」していた疑いだったが、それが地方政治にも蔓延し始めたようだ。
 歴史を見ると、「独裁国家」ほど「民主国家」や「人民国家」を標榜するケースが多い。自民党は2005年に「立党50年宣言」を行った。そこでは「わが党は民主主義のもとに」と掲げられていたが、実は政策が「自由」や「民主主義」とかけ離れているからこそ、あえて「自民党」と名乗っているのではないか。
 日本は戦後、民主主義国家の道を歩んできたが、今、あらゆるところで、逆行する動きが表面化している。


安倍首相は選挙妨害を依頼した前科8犯の男と密室で何を話したのか? 全容が記録された秘書の署名捺印入り文書が
 18年前に起きた暴力団組長らによる安倍首相自宅への放火未遂事件。その“主犯”とされた男が初めて口を開いた。
 男の名前は小山佐市(80歳)。前科8犯、地元・下関では公共工事に介入するブローカーとして有名だった小山は、1999年の下関市長選で、安倍事務所から依頼を受け、安倍首相子飼いの現職市長を当選させるため、対立候補を攻撃する選挙妨害工作の依頼を受けていた。ところが、安倍事務所が見返りの約束を果たさなかったため、翌2000年に暴力団を使って、犯行に及んだとされる。
 小山は2003年に実行犯の工藤会系組長らとともに逮捕されたが、マスコミは当事者の小山が収監されてしまったこと、そして、物証がないことなどを理由に、この問題の裏側にある安倍事務所の選挙妨害事件を全く報道しなかった。
 しかし、13年の実刑判決を受け服役していた小山が今年2月に出所。5月になって、この問題をずっと追及し続けているジャーナリスト・山岡俊介の取材に応じたのだ。そして、小山は、安倍事務所が選挙妨害を依頼し、その交渉に安倍首相も関与していたことを裏付ける3通の文書を目の前に出した。3通の文書にはすべて、当時の安倍事務所の筆頭秘書で山口県警警視出身の竹田力の直筆署名、捺印があった。
 前編では、山岡が事件の全容を改めてふりかえりながら小山の実際の証言内容をレポートしたが、後編では、問題の核心であるこの3通の文書の詳細について解説する。なお、山岡は自らが主宰する「アクセスジャーナル」でも、この文書の存在を報じているので、あわせて読んでほしい。(編集部)
●安倍事務所と選挙妨害を依頼したブローカーがかわした3通の文書
 筆者の取材に、1999年の下関市長選挙で、安倍事務所の佐伯伸之秘書の依頼を受け、選挙妨害を働いていたことを認めた小山佐市。安倍の推す子飼いの現職・江島潔市長(現・参院議員)を激しく追い上げていた野党系候補・古賀敬章(のちに衆院議員、引退)の怪文書を配布したと語った。
「ゴム手袋して何万部もコピーして、自分も部下と車で回って各家に投函した。佐伯秘書が作業を手伝ったこともあった」
 さらに、小山は、この選挙妨害が佐伯秘書の個人的な裁量によるものでなく、安倍事務所や安倍首相も納得ずくのことだったと証言した。
「佐伯(秘書)に選挙妨害の依頼を受けたとき、佐伯では信用できないから上司の竹田(筆頭秘書)に電話して確認した。その時、竹田は“この件は安倍さんも含め安倍事務所全員の総意”と言うたんよ」
 安倍首相や安倍事務所が積極的に不正に手を染めていたことを証言したわけだが、しかし、証拠は小山の言葉だけではなかった。小山は筆者に安倍事務所と交わした3通の文書を見せてくれた。
 99年4月の選挙で安倍事務所が推す江島市長が当選したにもかかわらず、安倍事務所は小山に約束した「見返り」を実行しようとしなかった。そこで、業を煮やした小山サイドが依頼窓口の佐伯秘書では埒があかないと、上司の筆頭秘書・竹田と交渉。さらに、安倍と小山が直接面会して、見返り条件について秘密会談を行ったのだ。
 安倍本人が前科8犯の暴力団と通じているブローカーと秘密会談を持っていたとは驚きだが、3通の文書はその交渉過程で、小山サイドと安倍事務所双方が交渉内容を確認したうえ、署名捺印した記録文書だった。
1通目の文書ではブローカーの要求に筆頭秘書が「安倍先生共々、最大限の努力」
 ひとつひとつ解説していこう。1通目は平成11年(99年)6月17日の日付のある「確認書」。前編で画像を公開したものだが、この文書には、小山サイドが安倍事務所に書面で要求を突きつけた上、6月14、15日の2日間にわたって、安倍事務所を訪問して、竹田筆頭秘書に対して回答を要求。それに対して、竹田筆頭秘書が返答した内容が記されていた。
「竹田先生発言内容」という見出しの下に,らГ泙琶造鵑盛猝椶それだ。まず、ひとつめにはこんな記述がある。
〈 〆,療戮虜看貉瓠憤打椹務所含)の一件、謝罪され、謝罪(佐伯氏をクビ)して済む問題ではないと思っておりますと言われた事。〉
 この平身低頭ぶりをみるだけでも、安倍事務所が小山に相当な借り、後ろ暗さがあることがよくわかるが、衝撃的なのは前編でも触れた2つめの項目だった。
〈◆仝轍貭戮靴侶錙丙看貉瓩茲蠅琉様蝓飽打楝綉鳥里吠鷙陲掘代議士含め小山会長とお話をさせて頂きたいと思っておりますと言われた事。〉
「古賀潰しを安倍代議士に報告」、これはつまり江島市長の対立候補である古賀候補への選挙妨害を安倍本人も知っていたことの証明ではないか。小山は選挙妨害の依頼を受けた際、“この件は安倍さんも含め安倍事務所全員の総意”と言われたと証言しているが、その証言の信憑性を裏付けるものと言えるだろう。
 そして、こうした背景があるためだろう、では、安倍と直接、会わせろという小山の要求に対して〈此の度の件(古賀問題含め)安倍代議士と小山会長がお会い出来るよう必ず調整しますとの事〉と、全面的に実現を約束しているのだ。
 この文書には、ほかにも、安倍事務所が小山からさまざまな要求をつきつけられている様子がうかがえる。イ痢匍掬沈萓犬侶錙◆蔽耄)小山会長と一緒に話合いをし、亀田先生の今後を安倍先生共々、最大限の努力をしますとの事。(後略)〉もそうだ。
 亀田先生とは、下関市長選の第三の候補者、亀田博・元下関市長(現・下関市市議会副議長)のこと。実は、小山は市長選では、江島ではなく亀田を応援していた。安倍事務所の依頼で古賀への選挙妨害を行ったのは、佐伯秘書から古賀への攻撃が亀田への支援になるかのかのように騙された結果だったという。
 だが、市長選で安倍は亀田のことを一切支援せず、自民党は推薦を江島に一本化。結局、亀田は最下位で落選した。その事に腹を立てた小山が、亀田の再就職の世話、さらに亀田の債務の肩代わりを安倍事務所に要求していた。当時、亀田は市長時代に立ち上げた日韓高速フェリーで行政訴訟を起こされ、敗訴。個人で8億5千万円の損害賠償支払いの命令が下されていた(のちに最高裁で逆転勝訴)。
(もっとも、この点については、亀田の名前を利用しだだけとの説もある)。
 これに対して、竹田筆頭秘書は〈亀田先生の今後を安倍先生共々、最大限の努力をします〉と回答している。
2通目は、安倍事務所から前科8犯の男に「安倍代議士と1対1で話し合いを」
 さらに文書には、小山の逮捕直後から「安倍事務所が見返りを約束したのに反故にした」と噂されていたあの話も書かれていた。Δ痢區群軸慇湘效篭莢萓依事業内 都市計画道路 南側変更依頼の件について〉がそれだ。小山は安倍事務所の力を使って市に都市計画道路を変更させ、大型ショッピングセンターのジャスコを誘致しようとしていた。
 ただし、この時点では〈中司氏(安倍事務所の事務局長=筆者注)が役所関係交渉したが、現在の所、変更は難しいとの事。〉と安倍事務所が市に働きかけたものの、色よい返事がもらえなかった事がうかがえる。
 Г呂發辰範骨だ。小山は、下関新水族館と唐戸市場の土木工事に自分たちを参入させるよう安倍事務所に求めていた。竹田秘書は〈新水族館及び唐戸市場工事につき竹田先生自身、親しい人に状況依頼(五洋・戸田建設)の結果、土木・基礎工事等(鉄骨含む)に関しては、既に下請け業者が決まっているとの事。〉と回答しているが、小山サイドは納得せず、文書には〈上記Г亡悗靴董⊆工務店受発注工事の全て我々(安倍・亀田先生支援者)へ変更(受発注)強く求む。〉と付記されていた。ちなみに寿工務店というのは、江島市政で公共工事を大量に受注するようになった典型的な安倍・江島系企業だ。
 そして、この7つの項目の後に、〈以上、上記事項、間違いが生じない為、双方確認の上、署名捺印致します。〉として、〈衆議院議員 安倍晋三事務所 秘書 竹田力〉の直筆サインと捺印が押されていた。
 この1通目の文書をみるだけで、安倍事務所側に選挙妨害を小山に依頼したという明らかな認識があり、そのうえで、佐伯秘書が約束したダーティな見返り条件を無下に断れず動いていた事がうかがえる。しかも、その経緯は安倍にも「報告」され、その結果、安倍と小山が直接、話し合う段取りが進んでいたことも記されていた。
 実は、平成11年6月22日という日付が書かれた2通目の文書は、その安倍と小山の話し合いの開催を安倍事務所が小山に通知するものだった。
〈有限会社 恵友開発  会長 小山佐市 殿
 平成11年7月3日(土)午前10時 下関市東大和町1丁目8番16号 安倍晋三事務所において平成11年5月1.10.11日付け書面及び5月15日付け書面につき、小山会長・安倍代議士(1対1)で話合いする事、勝手ながら決めさせていただきました。大変お忙しい中、お手数おかけいたしますが、安倍事務所へお越し頂けますよう、何卒、宜しくお願い申し上げます。
          衆議院議員 安倍晋三事務所 秘書 竹田力 印〉
 前科8犯、暴力団とも通じているブローカーに、安倍のほうから1対1で会う、と言ってきたのだ。これも前述したように、安倍サイドにいかに後ろ暗いところがあったかの表れだろう。
3通目の文書では安倍自身の「最善を尽くしたい」の言葉、選挙妨害の口止めも
 そして、2通目の文書どおり、安倍と小山は99年7月3日に下関の安倍事務所で1対1で会っている。
 小山は「安倍事務所の奥には防音装置のついてる部屋があってそこで2人きりで密談した」という。いったい何が話しあわれたのか。その記録が3通目の「確認書」だ。
 この文書は平成11年7月13日、〈小山佐市殿〉という宛名のあとに、〈別紙 平成11年7月3日付要望書について平成11年7月3日(安倍代議士)・平成11年7月6日(竹田先生)と小山会長と下記話し合いを行いました。本件につき双方一切他言しない事、約束を交わした。〉とあり、4つの項目が並んでいる。
〈 攀掬沈萓犬砲弔い董
平成11年7月3日 午前10時〜11時45分(安倍事務所)安倍代議士発言『今後、亀田さんの希望あれば、就職について最善を尽くしたい』との事。(後略)〉
〈◆攜轍賁簑蠅砲弔い董
この件については、安倍代議士と諸々のお話をされていますが、代議士より小山会長と話合いをする様、指示を受け、本件につき小山会長と話合いを行い、中谷弁護士に話合いのご依頼を致しました。(後略)〉
〈【新下関ジャスコ出店希望路線変更について】
安倍代議士、本件早急に調査した上、下関の活性・発展の為にも最善を尽くすとの事(竹田先生同)。
この件(都市計画変更)については、現段階では極めて難しい問題でありますが(有)恵友開発より地権者等とのお話合いをされ、基本となる地元・区画整理組合の方々が挙って計画変更したい旨のご意向であれば、行政サイドに要請する様、最大限努力致します。(後略)〉
〈ぁ收廼發量蟻霧い・公共事業工事等、他差別について】
〈下関の活性・発展の為、最大限なるご尽力頂きたいとの件、よく判りました。〉
 そして、最後にはやはり、1通目、2通目の文書と同様、〈安倍晋三 秘書 竹田力〉のサインと捺印があった(当初は「秘書」の部分が「代理人」になっていたが、二重線で修正されていた)。
 この文書を読む限り、安倍首相は小山の要求のほとんどについて、前向きな回答をしている。小山によると、実際の話し合いはもっと突っ込んだ話をしていたらしい。
 たとえば、亀田元市長の8億5千万円の損害賠償の肩代わりについても話し合われ、小山は亀田が所有している絵画の買取などを提案したというが、これも安倍は拒否しなかったという。また、ジャスコ出店のための新下関西土地区画整理事業の計画変更については、当初、安倍が難色を示し、「雇用が増えて下関が発展するのに何を言ってるんだと思い、思わず出されたコーヒーカップを投げた」(小山)という一幕もあったらしいが、最終的には、小山が持参したジャスコ計画地図を広げ、道路変更位置を確認。安倍から計画図を預かりたいと言ったという。
 そして、安倍は小山に、「竹田(力秘書)に後のことは絶対に最善を尽くす、約束は守らせますので、本日を持って古賀の件は口に出さないで下さい」と懇願、小山も「よく分かりました」と応じ、お互い堅い握手を交わしたのだという。そして、小山が帰るとき、安倍を先頭に竹田筆頭秘書、事務員総出で見送った。
 安倍事務所が依頼した違法な選挙妨害をなんとか口封じするために、安倍首相自身が小山の突きつけたグレーな要求に「努力する」「約束は守る」と答えていたのだ。
安倍との密談した後に、ブローカーを山口県警に逮捕させた安倍事務所
 しかし、それから、約1年後の2000年8月、工藤会系暴力団による安倍の自宅や事務所の放火未遂事件が起きた。安倍が直接、協力を約束したにもかかわらず、小山はなぜ、工藤会系暴力団を使って報復に及んだのか?
 その裏には、安倍サイドの裏切りがあった。実は小山は、この安倍との密談の翌月、99年8月に下関署に逮捕されているのだ。容疑は驚いたことに、安倍事務所・佐伯秘書に絵画を無理やり買わせたとする300万円の恐喝だった。しかし、小山によると、これはでっち上げ逮捕だったという。
「(選挙のすぐあと)たしかに佐伯はワシに300万円を渡そうとした。しかし、当時ワシはカネに困ってなかったので、断った。そうしたら、今度は知り合いの安倍の後援者である元会社社長が、ワシが当時、コレクションしていた石井薫風という画家を、その社長の女房が大ファンでどうしても彼の絵が欲しいと日参する。最初は佐伯のダミーやろと言って断ったが、あんまりしつこいので、絶対に佐伯とは関係ないなと念押しして譲ってやった。それが、安倍に会ったあと、いきなり佐伯から告訴されて、逮捕されたんや」(同)
 実際、下関署に逮捕された小山だったが、その後、検察で起訴猶予になり、釈放されている。また、筆者は小山からこの300万円の領収証のコピーを入手したが、その宛先は佐伯秘書ではなく、小山の証言通り別人だった(日付は選挙翌月の99年5月20日)。
 もちろん、小山の主張をすべてうのみにはできないし、この元会社社長がダミーで、元は佐伯秘書か安倍事務所の金だった可能性もある。だが、すくなくとも、安倍事務所が裏切って佐伯に小山を告訴させたことは間違いないだろう。
 小山を逮捕した山口県警、下関署は父親の代から安倍の影響力が非常に強いうえ、筆頭秘書の竹田は元山口県警の警視だった人物。おそらく安倍との密談で小山から突きつけられた要求が実現不可能なものだったため、追い詰められた安倍事務所は、佐伯に告訴させ、山口県警に働きかけて、小山を口封じ逮捕させたのではないか。
 起訴できなくても逮捕させるだけで小山には脅しになる、山口県警に手を回せば、表沙汰にはならないという計算もあったのだろう。実際、マスコミはこの事件をほとんど報じなかった。
 しかし、小山はひるむどころか、協力を約束しながら一転、口封じを図った安倍サイドの裏切りに激怒した。工藤会系暴力団を使った放火未遂事件は、その報復だったのだろう(小山自身は、放火についても明確に指示を出したわけではないと、無罪を主張していたが)。
 その怒りは、逮捕されて実刑判決を受け、収監されても変わらなかった。裁判では安倍事務所による選挙妨害依頼の詳細や念書のことは一切語らなかったが、その一方で、小山は獄中からも、安倍に対して、抗議の書面や要求の手紙を送り続けていた。こうした書面や手紙には、今回、紹介した文書よりもさらに生々しい事実も書かれている。筆者が主宰する「アクセスジャーナル」で詳細を紹介しているのでぜひ、読んでいただきたい。
 しかし、安倍の側は小山がいくら書面を送ってもなしのつぶて、全く相手にしなくなった。小山が服役している間に一強体制を築き、メディアまで支配した安倍はもはや、小山のことなど恐れる必要はないと考えるようになったのだろう。実際、どのマスコミもこの問題を報道することはなかった。前編でも紹介したように、唯一、この問題を報じようとした共同通信も、途中で潰されてしまった。
「週刊新潮」のインタビューの直前に突如、姿を消した小山佐市
 おそらく、出所した小山が筆者に連絡を取ってきたのは、こうした状況に直面して、安倍に最後の戦いを挑もうとしたのだろう。
 実際、小山は筆者の取材だけでなく、筆者の仲介で「週刊新潮」のインタビューにも応じる予定だった。新潮が大々的に取り上げれば、新聞やテレビも動く可能性がある。もしかすると、安倍首相を本格的に追及する機運が生まれるかもしれない、筆者自身、そんな期待を抱いていた。
 ところが、事態は急変した。その小山が突如、態度を豹変させ、「週刊新潮」の取材を断り、途中から筆者とも連絡が取れなくなってしまったのだ。いったい、小山になにがあったのかはわからない。まさかとは思うが、安倍サイドに懐柔されて、寝返ってしまったのか。
 しかし、筆者は小山の意思とは関係なく、自分の主宰する「アクセスジャーナル」はじめ、オファーのあったメディアで、小山の取材内容や小山から預かった念書、膨大な書面や手紙を公開することにした。
 こうした証言や文書は、この国の最高権力者である総理大臣が「選挙妨害」という不正に関与し、暴力団とも通じる前科8犯のブローカーと裏取引をしていた決定的証拠であり、その存在を国民に広く知らしめるのは、ジャーナリズムの責務だと考えたからだ。
 しかも、安倍政権はいま国会を延長して、IR法案=カジノ法案を強行採決しようとしている。カジノ法案については、暴力団や反社会的勢力の介入を招く危険性が指摘され、政府与党は「暴力団員の入場禁止」という条項をつくることで「反社会的勢力は排除できる」などと強弁している。
 だが、この問題によって、カジノ法案を通そうとしている最高責任者の安倍が平気で、反社会的勢力に通じた人間に選挙妨害を依頼していたのだ。しかも、その選挙妨害のおかげで市長になった江島潔が安倍の後押しで、参院議員になって、いま、カジノ法案を審議する内閣委員会の委員におさまっている。こんな政権が、暴力団、反社会勢力の介入を阻止できるわけがないだろう。
 しかし、国民の多くは未だ安倍首相のダーティな本質を知らないでいる。安倍政権の暴挙を食い止めるためにも、一人でも多くの国民にこの事実を知ってもらいたい、そして、そのために小山にマスコミの前で口を開いてもらいたい、と切に願っている。(文中敬称略)(山岡俊介)