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Voyous, combats truqués et népotisme : la boxe japonaise au bord du K.-O.
Sale temps pour les sports de combat au Japon. L’année 2017 avait déjà été ternie par une série de scandales dans le monde du sumo. Personne n’ignore l’intérêt du peuple nippon pour cette discipline traditionnelle de lutte, considérée comme sport national, ainsi que pour les arts martiaux. On connaît moins l’engouement du Japon pour la boxe, pourtant l’une des nations les plus représentées sur la scène mondiale (ils seraient plus de 1 300 boxeurs professionnels). Et la voilà, à son tour, empêtrée dans les polémiques.
Le feuilleton rocambolesque tient cet été le pays en haleine et a connu, mercredi 8 août, un nouveau rebondissement, avec la démission du président de la Fédération japonaise de boxe amateur (JABF), Akira Yamane. Lunettes fumées, costumes satinés et panama, M. Yamane traîne un look de yakuza à l’ancienne, de ceux qui peuplent les films de série B des années 1960-1970. Le soin accordé à sa mise l’a même amené à choisir la bande originale du Parrain en guise de sonnerie de téléphone.
Rolex et détournement de fonds
Le truculent président de la Fédération japonaise de boxe amateur était sous pression depuis le 27 juillet. Ce jour-là, 333 des membres de la JABF ont adressé un courrier au Comité olympique japonais (JOC) ou encore à l’Agence japonaise des sports (JSA). La missive détaillait douze griefs ciblant Akira Yamane et ses affidés au sein du conseil d’administration de la JABF qui envisageraient également de démissionner.
Ensemble, ils auraient fait pression sur les arbitres pour ≪ arranger ≫ des combats. M. Yamane se serait également arrogé l’exclusivité de la vente de gants pour les compétitions organisées par la fédération de boxe. Le produit de cette vente finissait sur un compte bancaire au nom de sa petite-fille. Il est aussi accusé d’avoir détourné l’argent de certaines subventions. Et puis Akira Yamane menait grand train, descendant dans des hôtels à plus de 300 000 yens la nuit (environ 2 400 euros), exigeant de se faire servir du wagyu (bœuf japonais, un mets de luxe) et portant montre Rolex et sac Vuitton.
Mais ce n’est pas tout. Il n’hésitait pas non plus, semble-t-il, à abuser du népotisme. Il aurait manœuvré pour que son fils – qui n’avait aucune expérience du noble art – se retrouve aux côtés de la star de la boxe nippone, Ryota Murata, aux Jeux de Londres, en 2012. La plupart des photos prises par la Fédération à cette occasion montrent le fils aimé au premier plan, Ryota Murata, pourtant médaillé d’or (en 75 kg), n’apparaissant qu’au second.
A l’époque, le champion olympique, aujourd’hui champion du monde WBA, ne l’avait pas digéré, déclarant sur Facebook : ≪ Il est temps que les vieux au comportement douteux dégagent sans faire de bruit. ≫ Allusion au fait que M. Yamane aurait côtoyé le Morita Gumi, un gang basé à Osaka (Ouest) lié au puissant Yamaguchi Gumi, et dissout en 2007 au moment de la retraite de son boss, Masao Morita (81 ans aujourd’hui). Selon M. Morita, M. Yamane et lui se connaissaient depuis leurs plus tendres années et leur amitié aurait duré plus de cinquante ans.
La Fédération internationale, elle aussi gangrene
Dès les premières révélations du groupe des 333, le Comité olympique japonais et l’Agence japonaise des sports – qui interdit toute interaction avec les gangs – ont appelé la JABF à créer une commission indépendante chargée d’enquêter sur toutes les allégations, que M. Yamane rejette.
Malgré la démission de M. Yamane, Yoshio Tsuruki, un ancien élu du conseil d’administration de la JABF à l’initiative de la missive explosive, reste méfiant. ≪ Sa démission n’est pas claire. Est-ce qu’il quitte seulement son poste de président ? Est-ce qu’il renonce aussi à être membre du conseil d’administration ?, s’interroge-t-il. Notre objectif est de réformer l’organisation dans son ensemble. Ça n’a aucun sens si Akira Yamane reste au sommet.
Je veux que ces problèmes soient résolus immédiatement. Le Japon doit montrer que la boxe est saine avant Tokyo 2020 ≫, a pour sa part réagi le champion olympique Ryota Murata. D’autant que la Fédération n’est pas la seule à être éclaboussée. L’Association internationale de boxe amateur (AIBA), qui chapeaute la JABF, serait, elle aussi, gangrenée par la corruption – 36 juges et arbitres ayant exercé lors des JO de Rio en 2016 ont été suspendus. Or, son nouveau président, l’Ouzbek Gafur Rakhimov, est précédé par une longue réputation, décrit par le département américain du Trésor comme l’un des ≪ principaux criminels ≫ de son pays.
La Fédération internationale va pourtant devoir faire vite pour redorer son image : le Comité international olympique a tout simplement menacé de retirer la boxe des Jeux de Tokyo si le ménage n’était pas fait au sein de l’instance.
Le sulfureux président de la Fédération japonaise de boxe amateur a été contraint de démissionner, accusé de détournement de fonds et d’avoir arrangé des combats.
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孫崎 享 @magosaki_ukeru
NHK報道:安室奈美恵さん, 翁長知事を追悼「沖縄の事を考え、沖縄のために尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」
NHK7時のニュースでは「翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ」という部分が省略されて報道されました。

1ovely@news from nowhere‏ @1ovelynews
フォーブス誌「日本で最も勇敢な男、沖縄翁長県知事へ追悼」
通常はつける 'one of the' さえついていない最上級 'Bravest Man'
Paying Tribute to Okinawa Governor Takeshi Onaga: Japan's Bravest Man via @forbes

はるみ @harumi19762015
すごいな、NHK長崎平和祈念式典の中継。
被爆者の方が平和への誓いスピーチで核兵器禁止条約に反対する日本政府を批判し出したら安倍さんの苦虫かみつぶしたような顔をアップで映した。露骨に嫌そうな顔するのね。


夜遅くなって帰ってから気がつきました.Ohの人に呼び掛けすればいいと.夜中の1時くらいにメールしたので朝10時くらいには返事来るかな?でも返事が来たのは12時過ぎ.8月だから仕方ないかな?って思ってますが・・・結局依頼は3時くらいにしました.いまのところ何も反応がないです.

甲子園 秋田代表 金足農23年ぶり勝利 農一筋 祖父感涙
吉田投手へ「よくやった」
 農業関係者の期待を背に“KANANO”が躍進──。第100回全国高校野球選手権大会に唯一の農業高校として出場した金足農業高校(秋田)は8日、強豪の鹿児島実業高校(鹿児島)と対戦。5―1で勝利し2回戦に進んだ。夏の甲子園で同校の勝利は23年ぶり。球場の応援席には、同校の生徒や教員の他、農家や農業関係者が集結。地元の秋田でも、農業関係者らがテレビ観戦で金農ナインの“一投一打”に熱い視線を送った。(前田大介)
 先発のマウンドに立ったのは大会注目の右腕、吉田輝星投手(3年)。1回表、走者を背負いながらも渾身の投球で無失点に抑えると、一塁側の応援席は地鳴りのような歓声に包まれた。その中で、懸命にメガホンをたたき声援を送ったのは秋田県潟上市の吉田理正さん(70)。吉田投手の祖父だ。JA秋田みなみ(現JA秋田なまはげ)に36年間勤め、退職後に梨の農家として約50アールの農園で「幸水」「かほり」などを栽培する。孫が甲子園に立つ勇姿に目頭を熱くした。
 思い出すのは、甲子園を目指す孫の鍛錬の日々。幼少期から練習熱心で「『キャッチボールをしよう』とよくせがまれた」。中学生になると、帰宅後に4キロのランニングを欠かさなかった。夜道を怖がる孫のため、理正さんは自転車で追い掛け見守り続けた。最速150キロを計測するプロ注目の右腕に成長した今や「怖くてキャッチボールの相手はできない」と、成長に目を細める。
 勝利に沸いた試合後、理正さんは「甲子園に出場する自体信じられないこと。よくやった」と拍手の手を止めなかった。
 同校の渡辺勉校長は「今回の甲子園に出場する農業高校は金農だけ。一戦でも多く勝利し、他の農業高校の励みにしたい」と力を込めた。
全力で戦う姿見せる
 吉田投手は試合前、「梨をもらったり練習を手伝ってもらったりしたじいさんを甲子園に連れて行きたいと思っていた。全力で戦う姿を見せたい」と話し、大一番に挑んだ。
 この日の最速は148キロを計測。157球を投げ、1失点14奪三振でチームに23年ぶりの勝利をもたらした。それでも「きょうの投球は30点。次は隙を見せないで、自分が投げられるボールを全力で投げたい」と気を引き締めた。
優勝めざせ 先輩エール
 秋田市の勤務先のテレビで観戦した大山等さん(51)。同校が第66回大会(1984年)に出場し、ベスト4入りを果たした中心メンバーだ。卒業後の現在、農家として水稲を栽培する傍ら、同県立栗田支援学校で農業実習助手を務める。
 34年前は準決勝まで勝ち進み、当時最強を誇った桑田真澄、清原和博両氏を擁するPL学園高校(大阪)と激突。大山さんは初回、桑田氏を強襲する内野安打を放ち、その後、先制のホームを踏んだ。試合は7回までリードするも8回に桑田氏の逆転2ランを浴び、2―3で惜敗した。
 大山さんはこの日、ナインの一挙手一投足に熱い視線を送り続けた。試合終了後、テレビに映し出される金農ナインとともに悲願だった校歌を歌った。「甲子園での校歌は何度歌ってもいいものだ。このまま『金農旋風』を巻き起こし、34年前のベスト4を塗り替えてほしい」。あと一歩で破れ、成し遂げられなかった決勝進出の“夢”を現役世代に託した。


<福島第1>グッズ販売中止 東電に批判相次ぐ「再度社内で検討したい」
 東京電力が、福島第1原発の記念グッズとして1日に発売したばかりのクリアファイルに批判が相次いだため、販売を中止したことが8日、分かった。東電は「賛成も含めて多数の意見が寄せられた。販売について再度、社内で検討したい」としている。
 クリアファイルは1〜4号機や構内の写真を載せており、3枚セットで300円。第1原発構内のコンビニ2店舗のみで販売し、ほぼ原価のため利益は出ないとしていた。視察者や廃炉作業を担う企業から、かねて「記念品が欲しい」との要望があったという。
 インターネット上には「作業してきた第1原発の思い出が欲しい」といった声がある一方、「事故で今も避難を強いられている人を忘れていないか」「事故を起こした当事者が販売するのに違和感がある」と批判的な意見が見られた。
 発売に際し、東電の担当者は「原発の現状を伝える機会が少なくなっており、グッズを通して多くの人に知ってほしい」としていた。昨年の第1原発の視察者は約1万2千人。1日当たり5千人に上る作業員が働いている。


福島県知事選/復興へ向け論戦こそ重要だ
 福島県知事選(10月11日告示、28日投開票)は告示まで間もなく2カ月となる。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の複合災害に見舞われた福島の新たな4年をどう描くか。活発な論戦を期待したいところだが、極めて静かな状況が続いている。
 これまでに立候補の意向を示したのは、1期目現職の内堀雅雄氏(54)だけ。自民、公明、国民民主、社民の各党などは現職支援の方針を表明しており、4年前と同じ与野党相乗りが確定的だ。
 共産党などによる「みんなで新しい県政をつくる会」は独自候補の擁立方針を決めているが、作業は遅れている。政策の大枠を詰めている段階で、具体的な候補者選定には至っていない。
 「福島復興と地方創生に政党の垣根はない。県民党という枠組みの中で進めたい」。こう語る現職側の思惑通りの展開で進んでいるように映るが、政策論争が巻き起こらない状況は、有権者にとって好ましいはずがない。
 福島の復興はまだまだ進んでいない。第1原発が立地する大熊、双葉両町は全域避難が続く。帰還困難区域を除いて避難指示が解除された富岡、浪江両町なども帰町した住民はごくごく限られる。
 仮に帰還がこのまま少ない状況が続くとすれば、自治体としての存続が危ぶまれることさえ考えられる。
 被災地をどう支えていくのか。知事選は厳しい現実を直視した上で、方策を出し合う場になるべきだろう。
 次の4年間は間違いなく重要な時期になる。国の復興・創生期間は2020年度に終了し、復興庁が廃止される。
 岩手、宮城両県を含め、被災地の復興は容易ではない。21年度以降も国による財源確保が欠かせないことはもちろんだが、地域が自らの足で歩み出せる環境を整えることも求められる。知事選の候補者からはその方策を聞きたい。
 これまでの県政を検証することも大きなテーマになる。被災地をはじめ地域経済の再生に向け、県は国の交付金を活用して、企業や工場の立地を促進してきたが、不正受給が発覚した事例がある。県が目指した雇用拡大につながったのかどうかなどを含め、改めて点検が必要だろう。
 複合災害の風化防止という観点では、原発事故そのものを十分に検証できたかどうかが問われる。
 県は事故前から原発にどう関わったのか、甚大な事故を防げた可能性はあったかどうか。立地自治体の限界を含めて見つめ直すことは、被災県の福島にしかできない。
 第1原発でたまり続ける放射性物質トリチウムを含む処理水の処分や、根強い風評の払拭(ふっしょく)など課題は山積する。
 複数の考え方がぶつかり合ってこそ、次の4年の方向性が明確になるはずだ。重要なテーマ一つ一つについて、議論が交わされてほしい。


台風13号、東北に接近 速度遅く暴風雨に警戒
 強い台風13号は9日、暴風域を伴いながら鹿島灘を北上した。今後は勢力をやや弱めながら午後には東北の太平洋側に達し、少しずつ進路を東寄りに変えていく見込み。速度が遅く影響が長引くため、気象庁は東北の太平洋側や関東を中心に暴風雨や高波に厳重な警戒を呼び掛けた。
 東北太平洋側では9日夜にかけて暴風となり、海は10日にかけて大しけになる見通し。台風が近づいた際には高潮にも注意する必要がある。
 航空各社は成田空港や仙台空港を発着する便の欠航を決定。鉄道の運行にも一部影響が出た。


核軍拡の時代と日本 「唯一の被爆国」の筋通せ
 「いまほど平和が不確かなものに思える時代があっただろうか」
 米国とソ連を中心に核軍拡が進んでいた1981年8月6日、毎日新聞の社説は広島・長崎の原爆忌に当たって、そう書いた。
 「恐怖が大きすぎて、逆に恐怖が実感できなくなっている」「とりあえず、きのうもきょうも平和に過ぎたことが、平和の保証であるかのような錯覚のなかで、われわれは生きているのではないのか」と。
 37年後の今、私たちは同じような状況に直面している。米朝の軍事衝突の危機は遠のいたとはいえ、北朝鮮の核廃棄は進まず、核保有が恒常化する恐れもある。
 また、米オバマ前政権の「核なき世界」構想は過去のものとなり、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、多くの核兵器保有国が核兵器システムの新規開発や近代化を進めている。
 だが、その一方で、唯一の被爆国としての日本の自覚が揺らぎ、核廃絶に向けて行動する責務を怠っているように見えるのも、別な意味で危険な状況と言わねばならない。
 昨年7月、核兵器を違法とする核兵器禁止条約が国連で採択されたが、日本は賛成しなかった。条約に関してノーベル平和賞を受けた「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の主要メンバー訪日の際、安倍晋三首相は日程を理由に面会を断った。6日の広島の記念式典でも首相は同条約に言及しなかった。
 米国への遠慮だろうか。だが、被爆者の平均年齢が82歳を超えたことを思えば、核廃絶への弾みとしてむしろ大切にしたい条約だ。「長崎、広島の価値観と、政府の政策に大きなギャップがあると感じた」とICAN側が言うのはもっともだ。
 また、日本は使用済み核燃料から取り出された47トンのプルトニウムを抱えている。約6000発の原爆の材料になりうる。外国には日本が将来の核兵器開発を含みにしていると勘ぐる人も少なくない。
 李下に冠を正さずである。きょうの長崎の式典に国連事務総長が初めて出席するのは「不確かな平和」への懸念からだろう。この際、日本は核兵器禁止条約への態度を改め、プルトニウム保有も含めて核廃絶の決意を疑わせる要素を一掃すべきだ。


二つの被爆地/「核廃絶」が日本の責務だ
 長崎はきょう、被爆から73年の「原爆の日」を迎える。
 広島に続く惨禍に思いをはせ、多数の犠牲者を追悼するとともに、唯一の被爆国として核兵器廃絶に力を注ぐのが日本の責務であることをあらためて確認したい。
 この1年ほどの間に、核廃絶に向けた世界のうねりは急速に高まっている。
 国連で核兵器を非合法化する核兵器禁止条約が採択され、非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」がノーベル平和賞を受賞した。史上初の米朝首脳会談は、朝鮮半島の完全非核化で合意した。
 ところが、禁止条約には、米国やロシアなどの核保有国に加え、日本も反対の立場をとる。安全保障で米国の「核の傘」に依存するゆえだ。
 広島で被爆者団体代表らと面会した安倍晋三首相は、禁止条約への批准を求められても「核保有国、非保有国の協力を得ながら実践的な取り組みを進める」と述べただけだった。
 被爆国の責務を果たそうとする強い意欲がうかがえない。被爆者の一人が「逃げているようで腹が立って仕方がない」と憤ったのも理解できる。生きているうちに核をなくす道筋を−という広島や長崎の被爆者の切実な訴えを、政府はもっと真摯(しんし)に受け止めなければならない。
 長崎の平和祈念式典には、国連トップとして初めてグテレス事務総長が出席する。被爆地からの「核なき世界」のアピールは国際社会の注目を集めるだけでなく、結束と行動を促すための大きな意味を持つことは間違いない。
 首相も式典に出席する。被爆国のトップとしての意欲と具体策をどれだけ示せるかに、世界が注目していることを自覚しなければならない。
 世界の核軍縮は停滞を続けており、北朝鮮の非核化も見通せない。一方で米国やロシアが核戦力の強化に走るなど、核に対する信奉は依然として根強い。日本国内にさえ、核武装を容認すべきとの声がある。
 多大な犠牲を強いられた二つの被爆地の願いに報いるためにも、日本政府は禁止条約に賛同し、核廃絶への流れを積極的にリードする必要がある。


長崎原爆の日 無念響かせ世界を変える
 この夏の猛暑に負けじとばかり、降るようなセミの声が連日響き渡っている。長崎市立山里小。正門脇の、生い茂った木々の間に立つ掲示板が目を引く。
 〈この丘には、原爆で亡くなられたお兄さんお姉さんが、しずまっておられます〉
 〈わたしたちは、この丘のセミやコオロギなどをつかまえません。亡くなった方々に、たくさん虫の声を聞いてもらうためです〉
 長崎原爆の爆心地から600メートル。73年前、山里国民学校だった当時、全児童の8割以上に当たる約1300人が犠牲となった。今の校舎が立つ、かつての運動場では、あの夏、燃え残った机や椅子が集められ、子どもや地域の人々の遺体を焼き続けた。
 「兄さんも焼かれた。お母さんも、見る見るうちに骨になって、おきの間から下へポロポロ落ちた。−−僕は泣きながら、じっとそれを見ていた」
 被爆から4年後に同校児童の体験記をまとめた「原子雲の下に生きて」(永井隆編)の中で4年生の辻本一二夫(ふじお)さんは、こう書いた。両親と兄、妹たちを無差別殺りく兵器によって一度に奪われた。大切な肉親が自分の目の前で骨になっていく悲しみ、つらさ、怒りの深さは、いかばかりだったか。
 長崎原爆の死傷者は約15万人。原爆症の苦しみは今なお続く。
 「長崎を最後の被爆地に」。きょう8月9日は、全ての人がその誓いを胸に刻むべき日である。
 ●世代、国境をこえて
 その山里小の子どもたちは今年7月の集会で、「原爆の恐ろしさを知っている私たちがしっかり勉強して、核兵器がなくなるようにしたい」と宣言した。
 長崎市立の小中学校では本年度から、児童生徒が、被爆体験を聞くだけでなく、被爆者との対話を重視する新しい平和教育を本格化させている。平和や被爆を自分の問題として考え、発信できる力を育む狙いがあるという。
 原子雲の下で起きた真実を、世代、国境をこえて共有することなしに核廃絶はありえない。
 今春、長崎平和推進協会の写真資料調査部会長を退任した深堀好敏さん(89)は、1979年から長崎原爆の記録写真4千枚超を収集、分析する活動に携わってきた。3年前、米ワシントンのアメリカン大で開かれた「原爆展」。講演した深堀さんが、あの「黒焦げの少年」の写真をスクリーンに映し出すと会場の空気が一変した。
 米国民の多くは原爆と聞いて「きのこ雲」のイメージしか描けないともいわれる。そこで、被爆者たちは機会あるごとに、原爆がもたらした地獄を伝え続けてきた。
 第2次大戦中、原爆開発を進めた「マンハッタン計画」関連地の米国立歴史公園が、原爆の非人道的な側面も展示する方針を固めたと今年伝えられた。被爆者らの地道な取り組みによって、原爆投下の正当化論がなお根強い米国内で、小さくとも変化が芽生えた証しと受け止めたい。
 ●潮流をより強く太く
 今年の8・9は、平成最後の「長崎原爆の日」だ。
 平成の30年はポスト冷戦時代と重なる。当初、核軍縮の進展が期待されたが五大核保有国の動きは鈍く、パキスタンや北朝鮮の核実験、イラン核開発疑惑浮上など時計の針は逆回りした感があった。
 ただ昨年来、核兵器禁止条約が国連で採択され、推進役の非政府組織(NGO)がノーベル平和賞を受賞。電撃的な米朝首脳会談で「朝鮮半島の非核化」が合意されるなど潮目の変化も感じ取れる。
 もちろん、核禁条約に核保有国は背を向け、米国の「核の傘」に頼る日本政府もそれにならう。長崎では、核廃絶運動をけん引してきた被爆者の谷口稜曄(すみてる)さん、元長崎大学長の土山秀夫さんが他界。「被爆者がいなくなる日」が刻々と迫る現実を突きつけられ、いらだち、怒りが募るのも事実だ。
 昨年の平和祈念式典で、被爆者代表として「平和への誓い」を読んだ深堀さんも、今は歩くのが困難な様子だ。それでも「亡くなった人の無念を、生き残った自分たちが伝えないといけない」と、今後も後輩の活動を手伝う決意だ。
 核禁条約に保有国側が圧力を感じているのは間違いない。停滞感はぬぐえぬ北朝鮮の非核化だが、長崎市が日本政府に求める「北東アジア非核兵器地帯」構想の実現につながり得るとの期待もある。
 時代は移ろうとも、たゆまなく無念を伝え、響かせる。それが「核=力」という、信仰にも似た考えがはびこる世界を変える力になる。被爆地とともに、こうした潮流をより強く、太くしたい。


「原爆の日」と政府◆核廃絶に逆行していないか◆
 広島、長崎に原子爆弾が投下されて73年。今回が平成最後の「原爆の日」だ。昭和から平成、さらに次の時代へ。時の流れとともに被爆体験が「遠くなる」ことは仕方ないのかもしれない。しかし、だからこそ、日本が無二の被爆国であること、ほぼ瞬時に20万人の命が奪われたこと、無数の罪なき人が愛する家族を失ったこと、今も被爆者が放射線被害に苦しんでいることを、一人一人がしっかりと胸に刻み続けたい。
体験を風化させるな
 3月末時点で被爆者健康手帳を所持する人の数は15万4859人。被爆者の平均年齢は82歳を超え、1年前より9762人減った。ここ数年、1万人前後の被爆者が毎年亡くなっている。
 被爆体験の風化が懸念されて久しい。それでも両被爆地は、若者が個々の被爆者の体験を直接伝える「伝承者」の育成や、国内外での原爆展開催などを通じて、被爆体験の伝承と共有に向けた地道な努力を続けてきた。
 被爆を過去の事だとして忘却し、風化させてはならない。世界の指導者は被爆地で惨状に触れ、核廃絶への道筋を付けてほしい-。
 広島の松井一実市長は原爆投下時の午前8時15分の直後に読み上げる平和宣言で、こんな被爆者の生の声を代読し、被爆体験を継続して伝える重要性を訴えた。また核兵器に依存する為政者に対し、人間が本来持つ「理性」に立ち返るよう呼び掛けた。
 「遠くなる体験」を忘却・風化させまいと、被爆者や関係者が取り組みを続ける一方、「唯一の戦争被爆国」を自負する日本政府はどんな努力をしてきたのか。
疑問多い「平和利用」
 残念ながら、安倍政権は被爆者の願いや、被爆地が説く「理性」に逆行する政策をとり続けていると断じざるを得ない。
 昨年末、核兵器禁止条約の採択が評価され、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)にノーベル平和賞が授与された。だが「核の傘」に固執する安倍政権は条約交渉に背を向け、今年1月に来日したICAN事務局長が安倍晋三首相に面会を求めると日程上の都合を理由に断った。核の「平和利用」でも安倍政権は、核爆弾原料にもなる約47トンのプルトニウムを削減する実効的な具体策を示せぬまま、核燃料サイクルと原発回帰を推進する方針だ。
 「私たちは語り続け、文書にし、発信してきたはずだが、それを聞いたことがないかのごとき政策が続く。特に日本の政府。唯一の被爆国として世界平和の先頭に立つと常に言うが、国際交渉の場ではその反対をやっている」 昨年末のノーベル平和賞授賞式の直前、カナダ在住の被爆者サーロー節子さんはインタビューでこう語った。彼女の訴えに多くの人が共感を覚えたはずだ。「核兵器のない世界」の実現に向け、被爆国の力量と真価が試されている。国民一人一人が考えたい夏だ。


長崎原爆の日 母の死に後悔 85歳が初めて残す被爆体験
 長崎への原爆投下から9日で73年。戦争の悲惨さを伝えてきた被爆者運動のリーダーたちも相次いで鬼籍に入り、被爆地では記憶の継承が課題になっている。そうした中、長崎市の永田良幸さん(85)が今年、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(長崎市)の職員から聞き取ってもらう形で、自身の被爆体験を初めて記録として残した。【浅野孝仁】
 被爆した母に水を飲ませてあげられないまま亡くした後悔から、これまでほとんど体験を語ってこなかった永田さんは「母への感謝と戦争はいけないという思いを表すことができて気持ちが少し楽になった」と語る。
 1945年8月9日午前、淵国民学校高等科1年で12歳だった永田さんは、出征した兄2人を除く家族10人で暮らす長崎市城山の自宅2階にいた。庭では母つきのさんが洗濯し、妹久美子さんが遊ぶ姿も見えた。幼いいとこをおんぶしていた永田さんが「学校に行くけん」と声をかけた時、午前11時2分が来た。
 自宅は爆心地から約500メートル。ピカッという光に包まれた後、ごう音と爆風に襲われた。倒壊した自宅の下敷きになっていたが、左手にやけどを負うなどしただけで背中のいとこも無事だった。自力ではい出て近くの防空壕(ごう)に逃げ込むと、即死した久美子さんを抱いた母がいた。
 母は顔がただれ、胸は腫れ上がって真っ赤。頭にけがをした弟正徳さんも連れて12日に長崎医大付属病院に行ったが、正徳さんは13日に亡くなった。「正徳は大丈夫か」と虫の息で尋ねる母に、「外で遊んでいる」とうそをつくのが精いっぱいだった。
 「水を飲むと死ぬ」と聞いていた母は、一滴も水を口にせずに14日に息を引き取った。「死ぬとわかっていたなら、母に水を飲ませてあげればよかった……」
 父徳一さんも戦後すぐに亡くなり、永田さんは復員した兄らの支えを受けて、バスの運転手などで生計を立てた。今年6月、「あの日」から73年を前に初めて被爆体験の聞き取りに応じ、「親があって自分がいる」という感謝の思いを込めた。
 原爆では爆心地近くに勤めに出ていた姉富美子さんも犠牲となり、永田さんは母ときょうだいの計4人を失った。平和のありがたさをかみしめる今、願う。「戦争になれば女性や子どもが真っ先に犠牲になる。絶対に戦争は駄目だ。若い人には親を大事にしてもらい、二度と戦争のない世の中が続いてほしい」


長崎原爆の日 「核に頼らない」安保政策へ 市長呼び掛け
 長崎は9日、米国による原子爆弾の投下から73年となる「原爆の日」を迎え、長崎市の平和公園で平和祈念式典があった。田上富久市長は平和宣言で、核保有国や「核の傘」に依存している国に対し「核兵器に頼らない」安全保障政策への転換を呼び掛けた。日本政府には、唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすよう求めた。安倍晋三首相はあいさつで、6日に広島で開かれた記念式典と同様、条約には言及しなかった。
 式典には、被爆者や遺族ら約5800人が出席し、原爆投下時刻の午前11時2分に黙とうをささげた。国連トップとして初めて参列したグテレス事務総長をはじめ、核保有国の米露英仏中を含めた71カ国の代表も参列した。
 田上市長は平和宣言で、核保有国や「核の傘」に依存する国に安全保障政策を転換するよう求め、世界に向けて核兵器禁止条約への署名と批准を呼び掛けた。「朝鮮半島の完全な非核化」に合意した米朝首脳会談などにも触れ「外交によって後戻りすることのない非核化が実現することを期待する」などとした。
 また、この1年間で亡くなった被爆者のリーダー的存在、元長崎大学長の土山秀夫さん(享年92)と、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員、谷口稜曄(すみてる)さん(享年88)の言葉を引いて核廃絶を訴えた。谷口さんの言葉「人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」を借り、憲法の平和主義を継承すると誓った。
 安倍首相はあいさつで、政府として「非核三原則を堅持し、核兵器国と非核兵器国双方の橋渡しに努め、国際社会の取り組みを主導していく」などと語った。
 グテレス事務総長は「核兵器の廃絶は、国連の最も重要な課題。すべての国に対し、核軍縮に取り組むよう呼びかける」と述べた。
 被爆者代表として平和への誓いを読み上げた日本被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(86)=埼玉県新座市=は、核兵器禁止条約に反対する日本政府の姿勢を「極めて残念でならない」と批判し「核兵器も戦争もない世界の実現に力を尽くす」と訴えた。
 式典では、この1年間で死亡が確認された3511人の名前が記載された原爆死没者名簿が奉安された。今年から新たに名簿に登載されることになった、国が指定する被爆地域の外にいて被爆者として認められていない被爆体験者ら68人分も含まれている。奉安された死没者の総数は17万9226人になった。【浅野孝仁】


長崎原爆の日 被爆者代表「速やかに核兵器禁止条約を」
 「極めて残念でなりません」。被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(86)=埼玉県新座市=は、核兵器禁止条約に署名・批准しない考えを明言し続ける安倍晋三首相を正面から批判した。
 13歳の時、長崎の爆心地から約3.2キロの自宅で被爆。原爆投下から3日後、爆心地近くの浦上地域に住んでいた伯母宅に行くと、黒焦げとなった伯母家族の遺体が転がっていた。今では平和公園や住宅が広がるが、「私が目撃した地獄の惨状を脳裏から消し去ることはできません」。
 日本被団協では1985年から通算20年間事務局長を務め、国内外での原水爆禁止運動を支えてきた。昨年から公募されるようになった被爆者代表に周囲の要請で応募。長崎県外在住者として初めて誓いを読み上げ、「広島、長崎以外にも被爆者が全国にいて苦しんだ」ことを訴えた。
 「不戦をうたう憲法の原点をいじるな」という思いを込め、「憲法9条の精神は核時代の世界に呼びかけ誇るべき規範」と表現した。世界にはいまだ1万4000発余りの核兵器があり、核兵器廃絶への道のりは遠いが、「現実は政治家が考える。私たちは理想を伝える」と諦めない。
 73年前の「地獄の地」に立ち、最後に誓った。「速やかに『核兵器禁止条約』を発効させ、核兵器も戦争もない世界の実現に力を尽くすことを心に刻みます」【加藤小夜】


長崎原爆の日 遺影胸に核廃絶への思い新た 田中重光さん
 長崎原爆被災者協議会(被災協)の田中重光会長(77)はこの日、長崎の被爆者の象徴的存在で、昨年8月に88歳で亡くなった日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員、谷口稜曄(すみてる)さんの遺影を胸に平和祈念式典に参列し、核兵器廃絶へ思いを新たにした。
 谷口さんは16歳の時に郵便配達中に被爆し、瀕死(ひんし)の重傷を負った。戦後は、背中一面を真っ赤に焼かれた自身の写真を手に核廃絶を訴えた。平和祈念式典には毎年のように参加し、1974年と被爆70年の2015年には被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた。
 この日の式典で田上富久・長崎市長が読み上げた平和宣言には、「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです」など、谷口さんの言葉が盛り込まれた。
 昨年10月に谷口さんの後任の被災協会長になった田中さんは「こういう形で自分が出席するとは思ってもいなかったが、谷口さんとともに核兵器廃絶への道を歩んでいきたいと覚悟を決めた」。ノーモア・ヒバクシャへの思いをこれからも発信することを、谷口さんに約束した。【浅野翔太郎】


島根原発3号機 30キロ圏を「地元」とせよ
 国内で史上最悪の福島第1原発事故後、初めての新規原発の稼働となるのか。中国電力が申請を目指す島根原発3号機の新規制基準適合性審査で、立地自治体の島根県と松江市が申請を容認する考えを表明した。中電はあすにも原子力規制委員会へ申請する見通しだ。
 新規原発の審査申請は、建設中の電源開発大間原発(青森県)に続き2例目となる。島根3号機はほぼ完成しており、福島の事故後では初の新設となる可能性がある。
 本来なら30キロ圏内の鳥取県と両県5市も、この地元手続きに加わるべきだったのだろう。中電は5月下旬、島根県と松江市に事前了解を求めたのに対し、周辺自治体の鳥取県と5市には「報告」にとどめた。それぞれが中電と結ぶ協定に格差があるからに他ならない。少なくとも30キロ圏内は、稼働の可否に関与する「地元」となるよう、早急な改善が必要である。
 福島の事故後、国は原発から30キロ圏内の市町村に住民避難計画の策定を義務付けている。事故が起きれば、影響を被る恐れがあると言っているのに等しい。実際、福島の事故では、30〜50キロ離れた飯舘村にも放射性物質が飛散し、6年近く全域が避難区域となったことを忘れてはならない。
 日本原子力発電(原電)は3月、東海第2原発(茨城県)の再稼働や運転延長を巡り、30キロ圏内にある周辺5市と新たな安全協定を結んだ。「事前に了解を得る」ことが明記されている。30キロ圏内を「地元」とする動きは既に始まっているのだ。
 住民の生命と財産を守るのは自治体の責務である。3号機が新たに稼働すれば、廃炉作業期間も含めて最長で約100年にわたり、地域は原発と向き合わざるを得なくなる。子や孫の世代にも事故などのリスクを負わせることになる。
 だからこそ、鳥取県も5市も立地自治体と同レベルの安全協定の締結を中電に再三求めている。中電は「引き続き誠意を持って協議する」などと答えているが、動きは鈍いと言わざるを得ない。事前了解を求める対象が増えるのを敬遠していると思われても仕方あるまい。
 避難計画の策定を義務付けた国にも責任があろう。義務だけ押し付けるのはおかしい。全国で原発が立地する30キロ圏内の自治体と電力会社が協定を結ぶよう促すのが筋ではないか。
 自治体側にも自覚が求められる。原発稼働の可否に関わるようになれば、住民への責任も増す。規制委の「お墨付き」を追認するだけでは、許されないだろう。懸念する住民の立場にも立って、審査の議論を見守るのが当然である。
 島根原発を巡っては、1号機の廃炉作業が昨年7月に始まり、2045年度の廃炉を目指している。2号機は13年末に新規制基準の審査を申請したが、原発近くの宍道断層の長さに疑問が相次ぐなどし、終了のめどは立っていない。申請時は全長22キロと評価していたが、最終的に39キロに延長して了承された。
 規制委は2、3号機の審査を並行して行わない見通しを示しており、まずは2号機再稼働の可否の判断が求められる。遅くともそれまでに中電は、鳥取県と5市にも立地自治体と同じ権限を与えるべきである。


翁長雄志知事死去。今だからこそ知っておくべき「本土に届かない辺野古問題の誤解」
大袈裟太郎
辺野古問題 翁長知事がいよいよ公約を果たし、辺野古埋め立ての承認撤回を表明しました。
 しかし8日の午後、膵臓癌による辞職の可能性が発表された後、沖縄県浦添市内の病院で死去されました。
 任期満了に伴う知事選が11月18日に予定されていたが、今後前倒しされる見通しとなり、沖縄はますます混沌を極めるであろうことが予想されます。
 沖縄に住んで2年間取材してわかったことは、どうやら情報が沖縄から日本本土(内地)に届く時に、ねじれや誤解が生じているという問題でした。
 今回は、米軍の新基地建設に「容認」「反対」という結論は抜きにして、できるだけ中立的な視点で事実を積み上げ「辺野古」「高江」にまつわる初歩的な誤解について考えてみようと思います。
翁長雄志知事
「沖縄の民意」とは何なのか?
 この問題の契機は1995年の米兵による少女暴行事件に遡ります。
 1995年(平成7年)9月4日に沖縄県に駐留するアメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が、12歳の女子小学生を拉致し、集団強姦した強姦致傷および逮捕監禁事件です。しかしこのような凶悪な事件ですら、日米地位協定の取り決めによって犯人の身柄が拘束できませんでした。
 この理不尽さに、戦後、米兵の横暴に耐え続けてきた沖縄県民たちの怒りは燃え盛り、米軍基地の整理縮小と日米地位協定の見直しの機運は高まりました。
 翌96年には「基地の整理縮小と日米地位協定の見直し」求める沖縄県民投票が行われ、総投票者数の89%が賛成票を投じました。
 基地反対の民意の高まりを受け日米両政府が沖縄県の米軍基地の整理縮小を検討を開始し、96年12月2日に合意に達しました(SACO合意)。
 しかし基地の整理縮小のはずのこのSACO合意の中に、普天間基地は「辺野古」へ、そして北部訓練場返還は「高江」集落を囲むヘリパッドの建設が条件と盛り込まれました。基地縮小と言いつつ基地機能の強化ではないか? その疑念はいまだに残っています。
 普天間の辺野古代替案について、地元名護市では1997年に市民投票が行われ、54%の市民の「反対」で地元名護の民意は示されました。
 ところが当時の名護市長、比嘉鉄也氏が上京し当時の橋本総理に辺野古への受け入れを約束。直後に市長を辞任するという謎の行動に出ました。
 今に続く混乱が始まった瞬間でした。
「オール沖縄」とは何なのか?
オール沖縄 そもそも「オール沖縄」の正式名称をご存知でしょうか?
「辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議」であり、その略称としての「オール沖縄」です。ここに内地の方の多くが誤解している部分があります。
 それは例えば、「オール沖縄の主張って全基地撤去なんでしょ?お花畑だよね?」と言った無知に基づくものだったり、「翁長知事って中国の手先じゃないの??」と言ったまったく根拠のないものだったりします。
 そもそもオール沖縄の主張は、2013年に県内全市町村で合意し安倍総理に提出された建白書の内容に基づいています。
1.オスプレイの配備を直ちに撤回すること。及び今年7月までに配備されるとしている12機の配備を中止すること。また嘉手納基地への特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備計画を直ちに撤回すること。
2.米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること。(辺野古新基地中止)
 オスプレイの配備撤回と、普天間の県内(辺野古新基地)移設反対。この2点でまとまった集合体だということが重要です。「全基地撤去」は苛烈な沖縄戦を経験した県民の願いではあるものの、オール沖縄の主張というわけではありません。
 翁長知事は元自民党員であり保守の人間です。日米安保の重要性を否定していません。そんな保守の人脈から共産党まで幅広い人脈が「イデオロギーよりアイデンティティ」とまとまったのがオール沖縄です。全基地撤去論者も、海兵隊撤去論者も、いろんな考えの人々がこの2点で同席している状態なのです。
 ちなみに県知事をはじめ、県議会ではオール沖縄は与党の立場にあります。
 国政レベルでも選挙区ベースで衆参合わせて、6人中5人がオール沖縄の新基地反対議員が当選している現状です。
 もしもオール沖縄が全基地撤去を主張していれば、内地に跋扈する「中国攻めてくるおじさん」からの「お花畑」などの声も受け止めなければなりませんが、普天間基地の沖縄県内に占める割合は全米軍基地の6%です。
 辺野古の新基地はその6%の移設の話をしているのに、あたかも全米軍基地撤去と主張しているかのようにミスリードし、中国が攻めてくる論と結びつけるのは印象操作と言わざるを得ないでしょう。
 普天間を県内から無くしたところで、その他94%の米軍基地は沖縄に駐留し続けます。アジア最大の空軍基地である嘉手納や、海軍基地のホワイトビーチもあります。沖縄県民はすでに国防のために限界まで譲歩していると言えるのではないでしょうか?
辺野古、キャンプシュワブは海兵隊の基地
海兵隊 海兵隊というと「海」という文字が入っているためよく海軍の下部組織だと勘違いされていますが、米軍は公式に4軍で構成されています。
 陸軍、空軍、海軍、海兵隊は基本的に別の組織です。
 その中で海兵隊は映画『プライベートライアン』に出てくるような上陸のための部隊であり、残念ながら人柱にされ、使い捨てにされる可能性が高い軍隊です。(※アメリカ本国の中では、教育を受けられなかった貧困の若者が奨学金のために入隊する場合も多く。彼らもまた国家による搾取の犠牲者であるという声もあります。)
 自分の命を命とも思わない「命知らず」な部隊だからこそ、他人の命にも目が向きません。米兵の犯罪の多くが海兵隊によって引き起こされているという世論が沖縄では根強く。2016年に起こったうるま市の女性レイプ殺人事件も元海兵隊員の手によるものでした。
 そしてこの海兵隊が駐留するのが日本では沖縄と岩国だけなのです。
 沖縄県議会では2016年に「海兵隊の撤去」が公明党を含む全会一致(自民党は退席)で採決されています。
 テクノロジーの発達により戦争の形も変わり、ベトナム戦争以降、海兵隊は活躍の場を失いつつあります。その存在意義自体が今、アメリカ議会でも疑問視されています。
辺野古は普天間の代替案ではない?
 そもそも普天間基地の危険性を鑑みた上での辺野古移設案だったはずでしたが、2017年6月、当時の稲田朋美防衛大臣が「米側との具体的な協議やその内容に基づき調整が行われなければ返還条件が整わず、普天間飛行場の返還がなされないことになる」と発言してしまいました。なんか怪しいと思ってたけどやっぱりかよ! 結局、新しい基地を増やすだけかよ!」と、沖縄県内では強い不信感が広がっています。
辺野古には本土からのサヨク、プロ市民ばかり?
警備 まず基地反対運動というとネット上に駆け巡るのは過激なイメージだったりします。自分も沖縄に来る前は誤解していた部分なので、かなり根深いデマだと思います。
 2年間で座り込みや県民集会の現場に300日以上は通ったと思いますが、そこにいるのはほぼ8割、9割が沖縄県民、とくに定年後のおじいおばあ世代です。
 そりゃそうです、平日の昼間に座り込めるのは圧倒的に定年後の世代ですよね。
 沖縄戦を経験した世代の情熱はハンパじゃありません。4人に1人が戦死した地上戦を生き延びた人々であり、軍隊が住民を守らなかった事実を肌で知っている世代だからです。地上戦の最中、本来、防衛に来たはずの日本兵に赤ん坊を殺された、略奪された、強姦された、自決を強要されたという話は枚挙にいとまがありません。
基地反対運動 農業をしながら、週に1、2回というペースで通う人もいたり、朝だけ参加する。夕方だけ参加するなど、皆、生活の中に組み込みながら続けているという感じです。休憩時間などは文字通り手弁当で、弁当を持ち寄り和気藹々と昼食をともにしたり、三線を弾いて歌ったりもします。
「もしもデマの通り日当がもらえるんなら、私ら大金持ちになるねえ」
 あるおばあはデマを笑い飛ばしていました。
 土日祝日は県内の家族連れや本土からの個人や団体、政党の関係者などが駆けつけます。基本的に沖縄県民を中心に行われている運動でありますが、日本政府が税金を使って強行している工事なので、日本に暮らす人々なら誰しも参加して当然であると言えます。責任は本土の側にあるのです。
 また、ネット上では中国、韓国人が多い。などのデマもありますが、実は座り込みの現場でもっとも見かけるのはアメリカ人だったりします。自分の国がこんなところにまで基地を作って申し訳ない。そういう気持ちのアメリカ人たちです。
 VFP(ベテランズ・フォー・ピース)米退役軍人の会の元米兵たちの姿も頻繁に見かけます。
アメリカ人たち 集う人の様々な想いを「辺野古新基地建設反対」のワンイシューにしぼって行われている運動なので、全基地撤去論=中国攻めてくる論で批判することは見当はずれと言っていいと思います。
 非暴力の運動であり、荒い言動は運動内で注意されます。実際に僕も機動隊員の理不尽な言動に対し、汚い言葉で抗議した際に、後で先輩に呼び出され、「ああいうのは良くないよ、抗議はお互いの尊厳を守ってやりましょう」と注意されたことがあります。
海上保安庁 もちろん機動隊による激しい暴力、拳で殴る、挑発する、肋骨を折る……などにさらされた後は、抗議運動も加熱しますが、その時の映像(しかもカルト宗教団体によって撮影された)だけを見て彼らを暴力集団などと呼ぶことは早計であると言えます。実際に地元名護署の警官も「座り込みの人々がテロリストなら、テロリストの概念が変わっちゃいますよね」と愚痴っていました。
 ただ、時に数千人から数万人が集まる運動でもありますので、その中に例えば某中核派や某革マル派などの極左の人々が混じっていることはあります。
 しかしパーセンテージでいうと全体の1%程度なので、その事実だけを切り取って広めることは印象操作だと言わざるを得ません。
 そして、やはり大事なのは沖縄県民の民意が座り込みする側にある。ということです。「県民投票でも選挙でも結果を出してきた、それを無視して政府が工事を強行する、ならば座り込みをして少しでも工事を遅らせるしかない」という人たちなのです。国が民主主義のルールに沿って手続きを進めていれば、こんなことにはならなかったでしょう。誰も好き好んで座っている人はいません。
埋め立て承認撤回へ、そして翁長知事の辞任
埋めたて工事 いよいよ国が辺野古の埋め立てを予定している期日まで数日を切りました。
 8月17日のXデーまでに県の埋め立て承認撤回手続きは完了するのか、国と県のギリギリの攻防が続いています。
 辺野古ゲート前に加え、沖縄防衛局での座り込みも行われています。
 そんな中、翁長知事の意識混濁が発表されました。
 めまぐるしい情勢が続いています。
 「容認」か「反対」かの前に、デマに流されず、正しい情報を元に議論することが本土の人間に求められています。
 沖縄にはまだ日本の米軍基地の70.6%が集中しています。
  これは「沖縄の基地問題」ではなく、「本土が沖縄に押し付けてきた基地問題」なのです。
反対運動 急転直下、この文章を書き上げて1時間ほどで翁長知事の訃報が届きました。保守、革新問わず、今時、こんなに県民のことを考え、国と対峙し地方自治を貫いた政治家がいたでしょうか。ここまで民のために身を粉にして働いたその背中。彼と同時代の沖縄を生きられたことに感謝の念がこみ上げます。
 さて、これから沖縄は激動の季節をむかえます。残された僕らがこれからどう生きるのか、試される番です。本土も沖縄も我々は皆、この問題の当事者なのです。
眼を逸らさず、逃げずに見つめていただきたいです。合掌
<取材・文/ラッパー 大袈裟太郎(Twitter ID:@oogesatarou)> 大袈裟太郎●ラッパー、人力車夫として都内で活動していたが、2016年の高江の安倍昭恵騒動から、沖縄に移住し取材を続ける。オスプレイ墜落現場からの13時間ツイキャス配信や籠池家潜入レポートで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。新しいメディアを使い最前線から「ポスト真実」の時代にあらがう。レポートは「大袈裟通信アーカイブ」


翁長知事が死去 命懸けで職務を全うした
 膵臓(すいぞう)がんの治療を続けていた翁長雄志知事が8日、死去した。67歳だった。4月に手術を受けたが、がん細胞が肝臓に転移していたという。心から冥福をお祈りしたい。
 翁長氏は、名護市辺野古沿岸の新基地建設阻止を公約に掲げ、2014年の知事選で36万票余りを獲得し初当選した。復帰後7代目の知事だ。
 就任直後から基地建設を強行する政府と全面的に対立してきた。さまざまな心労、疲労が積み重なったのだろう。
 前知事による辺野古埋め立て承認の撤回を、7月27日に表明したばかりだった。がんの苦痛を押して記者会見に臨んだと思われる。文字通り、命懸けで政治家の職務を全うした。
 もとより、沖縄県の知事は他県とは比較にならないほど厳しい重圧にさらされる。国土の0・6%にすぎない県土に全国の米軍専用施設面積の70%が集中し、凶悪事件や米軍機の墜落といった重大事故が繰り返されてきたからだ。
 歴代の沖縄県知事はことごとく、過重な基地負担という深刻な課題に向き合い、苦悩してきた。その重みは健康をむしばむほど過酷だ。
 屋良朝苗氏から革新県政を引き継いだ第2代知事の平良幸市氏は山積する政治課題の処理に追われる中、1978年7月、東京に公務出張中、脳血栓で倒れた。入院を経て同年10月に辞任している。
 第3代の西銘順治氏も84年に都内の病院で胃がんの手術を受けた。当時は胃潰瘍と胆のう炎と発表され、本人にもがんであることは知らされていなかったという。
 第4代の大田昌秀氏は92年の2月定例県議会開会中に風邪やめまいの症状が出るなど体調を崩して入院した。51日後に公務復帰している。
 第5代の稲嶺恵一氏は入院こそしなかったが、基地問題のことが常に頭を離れず、日々大きな精神的重圧にさらされていたと語っている。
 第6代の仲井真弘多氏も、07年6月23日の沖縄全戦没者追悼式に出席した直後に、軽い脳梗塞のため緊急入院している。
 翁長氏は機会あるごとに「辺野古に新基地は造らせない」と言い続けた。志半ばで病に倒れ、さぞかし無念だったことだろう。
 知事職務代理者は、謝花喜一郎副知事に続いて、富川盛武副知事が務める。9日には辺野古沿岸部の埋め立て承認の撤回に関し、沖縄防衛局側の言い分を聞く「聴聞」が控えている。まずは、基地問題への対応を含め、県政運営に混乱を来さないよう万全の態勢を取ってほしい。
 現職知事の死去に伴う知事選挙は50日以内に行われる。既に自民党など野党が推す宜野湾市長・佐喜真淳氏らが出馬を表明している。今後、与党側の後継候補人選が本格化する。どのような対決構図になるにせよ、基地問題に真正面から向き合い選挙戦を展開してもらいたい。


[翁長雄志知事急逝]命を削り公約守り抜く
 翁長雄志知事が8日夕、膵臓(すいぞう)がんのため、入院中の浦添市内の病院で急逝した。67歳だった。
 そのわずか1時間半ほど前、謝花喜一郎副知事が県庁で記者会見し、知事の職務代理を置くことを発表したばかりだった。
 あまりにも突然の訃報というしかない。
 翁長知事は4月に膵臓の腫瘍の摘出手術を受け、ステージ2の膵臓がんだったことを公表していた。5月に退院した後は、抗がん剤治療を受けながら県議会や慰霊の日の式典など公務をこなしてきた。
 しかし新基地建設を巡り埋め立て承認撤回を表明した7月27日の会見以降、公の場には姿を見せていなかった。がんは肝臓にも転移し、7月30日に再入院していたという。
 糸満市摩文仁で開かれた慰霊の日の沖縄全戦没者追悼式で、知事は直前までかぶっていた帽子を脱ぎ、安倍晋三首相を前にして、声を振り絞って平和宣言を読み上げた。
 「新基地を造らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」
 翁長知事は在任中の4年間、安倍政権にいじめ抜かれたが、この姿勢が揺らぐことはなかった。安易な妥協を拒否し、理不尽な基地政策にあらがい続ける姿勢は、国際的にも大きな反響をよんだ。
 知事は文字通り命を削るように、辺野古反対を貫き、沖縄の自治と民主主義を守るために政府と対峙(たいじ)し続けたのである。
 その功績は末永く後世まで語り継がれるに違いない。心から哀悼の意を表したい。
■    ■
 翁長知事は政治家一家で育った。
 旧真和志村長だった父助静さんは、軍用地の一括払いなどを巡る「島ぐるみ闘争」の超党派代表団に選ばれ、沖縄の声を全国に伝えた。
 元副知事の兄助裕さんは、1994年の知事選に立候補し「保革を超え、県民の心を一つにした県政を」と訴えた。
 翁長知事は父親や兄から保守中道の姿勢を受け継ぎ、県民が心を一つにして基地問題に取り組むことが必要だと説き続けた。
 仲井真弘多前知事が2010年11月、再選を期して立候補した時、辺野古反対を公約に掲げるよう仲井真氏に直談判したのは翁長知事である。
 4年前の知事選では翁長氏が仲井真氏に10万票近い大差をつけて当選、保革を超えた新しい政治潮流の台頭に全国から多くの期待が寄せられた。
■    ■
 公選法により後継を選ぶ知事選は、県選挙管理委員会に死亡を通知後、50日以内に実施される。9月中となる見込みだ。
 県政奪還を狙う自民党県連などでつくる候補者選考委員会は既に宜野湾市の佐喜真淳市長の擁立を決めている。
 県政与党や知事を支える県選出国会議員、オール沖縄の代表は、一日も早く今後の対応を協議し、志半ばに倒れた翁長知事の遺志を受け継ぐ後継候補を決めなければならない。
 県内政治の流動化が一気に加速しそうだ。


翁長知事死去 安室奈美恵さんが談話「ご遺志この先も」
 沖縄県の翁長雄志知事が8日に亡くなったことを受け、今年5月に沖縄県民栄誉賞を授与された県出身の歌手、安室奈美恵さんが9日、ホームページでコメントを発表した。
 「今思えばあの時も、体調が優れなかったにもかかわらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました」と表彰式を振り返り、「沖縄の事を考え、沖縄のために尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」と冥福を祈った。
 翁長知事は膵(すい)がんで闘病中だったが、5月23日の式には出席し、安室さんに直接表彰状を手渡していた。【遠藤孝康】


医大入試不正 「悪しき伝統」の根絶を
 入試の根幹を揺るがす悪質な行為が連綿と続いていたことに驚きを禁じ得ない。
 東京医科大の不正入試問題をめぐり、大学の内部調査委員会が報告書を公表し、裏口入学や得点操作の実態を明らかにした。
 前理事長と前学長の指示で行われ、裏口入学では謝礼を受け取ることもあったという。大学の私物化に等しい事態である。
 不正は少なくとも2006年から行われており、内部調査委が指摘するように、「長年の悪(あ)しき伝統」と言うほかない。
 悪弊を根絶するためには、今後設置される第三者委員会での徹底的な究明に加え、理事会をはじめとした組織の刷新が不可欠だ。
 報告によれば、前理事長らは国の補助事業への採択で文部科学省前局長から助言・指導を受けるため、その息子の試験結果に不正加点し、合格させた。
 17、18年度だけで、この息子を含む計19人に個別に加点した。多くは同大OBの子どもとみられ、裏口入学に際して寄付金を受けるのが目的だった。
 さらに、女子と3浪以上の男子受験者の合格を抑制するため、得点を操作した。内部調査委が「女性差別以外の何物でもない」「受験生への背信行為」と非難したのは当然だ。
 女子より男子、浪人生より現役生が有利になるようコンピューターが自動的に加点するシステムまであった。これでは、組織ぐるみの不正を否定する大学側の言い分には、ほとんど説得力がない。
 選考過程を透明化し、面接官や入試委員に女性を増やすといった目に見える改革を断行しない限り、信頼の回復は望めまい。
 内部調査委は、前理事長らの不正を許した土壌として、組織統治の問題点を指摘した。
 外部理事の登用や監事の業務監督の強化などで、健全な組織運営を図る必要がある。
 あきれたことに、東京医大は事実上女性を排除する方針をとりながら、女性医師の就労を支援する国の補助金を受けていた。
 忘れてならないのは、不正の背景にある労働環境の問題だ。
 日本が先進国の中で女性医師の割合が最も低いのは、医師の過酷な長時間労働を「常識」として容認しているからだろう。
 慣行を見直し、女性医師のキャリア・復職支援や子育て支援を充実させて、男性を含めた医師の定着につなげた例もある。こうした取り組みを広げていくべきだ。


東京医科大「不正入試」 現執行部関与の“決定的証拠”
 東京医科大の不正入試。7日、都内で行われた大学側の会見には、行岡哲男常務理事、富澤啓介学長職務代理らが出席した。
 行岡常務理事は不正入試について、「驚くという言葉では言い表せないほど驚きました」と発言し、2016年度入試から3年間入試委員を務めた富澤学長代理も「点数操作をしていたということを全く認識しておりませんでした」と関与を否定した。
 大学サイドは、不正入試は臼井正彦前理事長、鈴木衛前学長、学務課課長の3人によって行われたとしている。
■「知らなかった」は通じない
 しかし、本当に3人以外は無関係だったのか、疑わしい。
 この会見の前に行われた、不正入試問題の「内部調査委員会」の会見では、得点調整は臼井前理事長が入試委員だった12年前から行われてきた“悪しき伝統”と指摘。内部調査委の聞き取り調査に、ある東京医科大の幹部は「平成29年の入試委員会に属性による得点調整に関する資料を提出しているので、当時の入試委員会のメンバーは皆、この調整については知っているはず」と証言したという。
 2008年8月には週刊誌に東京医科大の不正入試疑惑に関する記事が掲載され、入学試験検討委員会が設置されたこともある。しかも、行岡常務理事は不正入試を主導した臼井前理事長の懐刀ともいうべき存在だ。富澤学長代理も入試委員を務めている。
 2人が不正な得点操作について全く知らなかったとは考えづらい。
 内部調査委の委員長を務めた中井憲治弁護士も、会見でこうコメントしている。
「東京医科大の関係者には問題を評論家のように話し、まるで他人事と扱っている人もいる。みんな阿吽の呼吸でずるずると続けてきたのではないか。こういうことをすることは本当に許せない」
 東京医科大の幹部は、全責任を3人に押しつけて、全員、居残るつもりだという。しかし、いまさら「知らなかった」は通じない。執行部は全員、クビにすべきだ。


河北春秋
 夜はもんぺ姿で寝た。往診の依頼が来た時、すぐに駆け付けるためだ。タレント、ケーシー高峰さんの母親で山形県の女医の草分けだった門脇シヅエさん。1923年、無医村だった最上町に医院を開業した▼1日20〜30キロを歩いて往診。冬はそりを走らせた。内科、小児科、婦人科…、お産も扱った。5人の子に恵まれ、次男の出産時には自分の産室で急患を治療。栄養状態が悪い他人の子に自分の母乳を与えた。多くの命を守った「最上町の母」は20年前、99歳で亡くなった▼門脇さんが生きていたらどんなに嘆いたことか。東京医科大の不正入試問題だ。女性は出産や育児で長時間勤務できないなどとして女子や浪人生の合格者を抑える得点操作を長年繰り返してきた。女性や苦労を重ねた男性の人権を無視した許し難い行為だ▼主導した前理事長らは「同窓生の子弟を入学させ、寄付金を集めようとした」と動機を話し、謝礼ももらった。息子を不正合格させた文科省前局長の事件では同省の補助金が絡んでいた。努力した者が報われず、ずるい者が勝つ。そんな世の中の縮図を見る思いがする▼門脇さんは患者から余分な金は受け取らず、清貧な生活をした。人生訓は「至誠」。前理事長らの脳裏にこの言葉がよぎることはなかったのだろう。

患者死亡率は女医の方が低い 東京医科大「受験差別」の愚
 東京医科大が女子受験生を一律に減点する「受験差別」を行っていたと報じられている。これに対して、「病院は24時間働ける医者を求めている。ライフイベントで仕事を離れる女性が多いと困るだろう」という意見も多い。男性医師の方が戦力になるという考えであるが、これは大きな誤解だ。
 実際は、女性の方がいい医者になれそうだということが分かっている。米ハーバード大などの研究チームによると、心臓発作で緊急治療室に搬送される女性患者の死亡率は、男性医師より女性医師が担当した方が低いことが分かった。女性医師が担当すると、基準値よりも5.4%も低かったという。2年前には、女性医師が治療した方が、入院後30日以内の死亡率や再入院率が低かったという研究も発表されている。
 女性の活躍に詳しいビジネスアナリストの中川美紀氏が言う。
「一般に女性の方が男性よりもコミュニケーション能力が高いので、患者と真正面から向き合って治療をすることができると考えられます。『白い巨塔』に描かれていたような権力闘争にのめり込むこともありません。女性の医者は戦力にならない、と決めつけることはできないでしょう」
 企業の採用試験でも、筆記だけで選ぶと新入社員は女性だけになるといわれている。それで面接のときに女性をふるい落とすのだが、最近は入り口での差別は減っているという。
「優秀な人材は男女を問わず採用していこうという流れになっています。それでも、入社後のキャリアを頭打ちにするという企業は少なくありません。女性のポストは課長までで部長にはしないという会社も多いですね。医療の現場でも企業社会でも、戦略、風土、歴史が違うので、完全に差別を排除するのは難しいと思います。それに男性向き、女性向きの仕事もありますし、むりやり平等にするのも違う。必要なのは、男性か女性かではなく、いろんな人材が持てる能力にふさわしい仕事をやれる柔軟な環境です」(中川美紀氏)
 最低でもウソはなしで、「当校は点数をカットします」「弊社で部長は無理です」とオープンにすべきだろう。


東京医大入試 あしき慣行の根を断て
 同窓生の子弟らの裏口入学、女子や浪人生への不利な扱い…。東京医科大で長年にわたって続いてきた入試の不正は、組織ぐるみだった疑いが拭えない。さらに調査を徹底し、全容を明らかにする必要がある。
 文部科学省幹部の汚職事件に絡み、入試不正の内部調査にあたった弁護士らが報告書を公表した。受験生への背信行為、女性差別である不正が「あしき慣行」となっていたと指摘。大学の自殺行為に近いと厳しく指弾している。
 不正は2通りの方法があった。一つは1次試験での加点だ。昨年と今年の入試では計19人の得点を水増しした。多くは同窓生の子弟とみられ、大学への寄付金を増やす狙いがあったようだ。
 もう一つは、2次試験の小論文での得点調整だ。女子のほか3浪以上の男子を合格しにくくする操作を10年以上前から続けていた。女子は満点の100点を取っても80点にしかならなかった。
 調査委員会は、前理事長が不正を主導し、前学長が追認したと認定した上で、大学のほかの幹部らも関与して組織的に行われた可能性を示した。一方、入試に関わってきた幹部らは「記憶にない」などと関与を否定している。
 ある程度承知はしながら、知らぬふりをしてきたようにも受け取れる。責任逃れの弁を弄(ろう)すれば、信頼の回復はおぼつかない。理事長に逆らえない体制だったとすれば、大学運営のあり方を根本から見直さなければならない。
 内部調査で具体的に明らかになった不正は、まだごく一部にとどまる。調査期間が短かった上、関連する資料が検察に押収され、調査には限界があった。東京医大は追加調査のため第三者委員会を設けるという。不正の根絶にどれだけ腰を据えて取り組めるか、大学の姿勢が問われる。
 不合格になった受験生への対応についても、追加合格や金銭的な補償を検討する姿勢を示してはいるものの、明確な考えを打ち出してはいない。「文科省との協議を踏まえて…」などと先送りするのは主体性を欠く。
 全国の医学部で学ぶ女子学生の割合は20年ほど前に3割に達して以降、頭打ちだ。東京医大以外でも、入試で女子が不利な扱いを受けている可能性がある。
 文科省は国公立大を含む全ての医学部を緊急調査する。大学教育のあり方や医師を育成する仕組みの根幹に関わる問題だ。何よりまず、各大学が自ら足元を点検する姿勢が欠かせない。


東京医大入試 差別は受験生への背信だ
 公正、公平に行われるべき大学入試をここまで踏みにじってきたことに、驚きと怒りを覚える。文部科学官僚に対する汚職事件に揺れる東京医科大の不正入試問題で、不正な加点の実態や女子の合格者数を低く抑える得点調整が明るみになった。教育機関としてあるまじき行為だ。
 弁護士らで構成する内部調査委員会が7日会見し、報告書を公表した。
 今年と昨年の1次試験で、合格した文科省の前局長=受託収賄罪で起訴=の息子ら受験生19人に加点していた。こうした「裏口入学」同様の扱いは、贈賄罪で在宅起訴された同大前理事長と前学長が主導し、動機については「同窓生の子弟を入学させ、寄付金を多く集めたい思いがあった」としている。前理事長らは受験生の親から謝礼をもらうこともあったという。
 得点調整は、受験生全員の小論文の点数を一律に2割減らした後、現役と2浪までの男子に20点、3浪男子に10点を加点していた。結果的に女子と3浪以上の男子が事実上減点されて不利になった。少なくとも2006年度以降から行われていたとみられる。
 これによって合格者の女性の割合を3割前後に抑えようとしたようだ。調査委は「女性差別以外の何物でもなく、受験生に対する背信行為だ」と厳しく断罪した。
 東京医科大はあしき慣習を一掃し、抜本的に出直す必要がある。前理事長ら一部の人間だけが不正を行っていたというが、そうであればガバナンス(組織統治)欠如も甚だしい。信頼回復への道は遠いと言わざるを得まい。
 女性を敬遠したのは、女性医師は出産や育児などで離職や休職が多いため、付属病院や系列病院の医師不足を回避したい狙いだったという。医師を養成する目的より、系列病院などの事情を優先したとはあまりに身勝手だ。
 むしろ、女性の離職などを防ぐ働きやすい環境づくりが求められるのに、医師養成の「入り口」での排除に走るとは本末転倒であろう。問題の本質から逃げている。
 女性に限らず、長時間労働が常態化している勤務医など医師の働き方改革は急務とされる。厚生労働省の検討委員会は今年2月、労働時間の的確な把握や、診断書の入力や薬の説明などを医師以外が代行するといった負担軽減の緊急対策をまとめた。
 この中で短時間勤務など多様な働き方で女性医師を支援することも盛り込んでいる。政府と医療界は女性が能力を発揮できるよう、連携して働き方改革を前進させていくことが重要だ。
 問題を受け、野田聖子女性活躍担当相は医学部のある全国の大学を対象に女性差別がないか調査する考えを示した。林芳正文部科学相も緊急調査を指示している。同じような不正は他大学でもあるとのうわさは絶えない。徹底的な究明を求めたい。


東京医科大入試不正/癒着のうみを出し切れ
 一連の入試不正を巡り、東京医科大が内部調査報告書を公表した。トップの理事長主導で、国の支援事業の対象にしてもらうため入試で文部科学省前局長の息子にげたをはかせて合格させ、その一方で系列病院向けに離職率が高い女性医師より男性医師を確保したいとの思惑から、受験した女子の点数を削り合格者数を抑制したとされる。
 少子化の波で、多くの私立大が入学者獲得と生き残りにしのぎを削っているさなか、大学・病院経営の理屈によって入試の公平公正がないがしろにされた。そこに官民癒着の構図まで絡み、行政と大学教育への信頼が根底から揺らいでいる。極めて深刻な事態と言わざるを得ない。
 東京医科大では、昨年の医学科一般入試1次試験で不正は13人に及び、それぞれ8点から45点が加点された。今年は6人。文科省前局長の息子も含まれ、加点は最大で49点だった。少なくとも2006年度の入試以降は得点操作が行われ、女子だけでなく3浪以上の男子も対象になっていたとされる。ただ16年以前は資料が残っておらず、確認できないという。
 こうした不正で一体、何人の受験生が不当に不合格となってしまったのか。医科大はきちんと解明し、謝罪と救済に取り組むべきだ。さらに他の大学はどうなのか。国は本格的に調査に動き、癒着のうみを出し切る必要がある。
 まず明らかになったのは官民癒着だった。文科省の科学技術・学術政策局長だった佐野太被告が東京医科大側から私立大支援事業の対象校に選ぶよう頼まれ、見返りに今年の入学試験で加点により自分の息子を合格させてもらったとして受託収賄で東京地検特捜部に逮捕・起訴された。
 医科大側は前理事長臼井正彦、前学長鈴木衛両被告が贈賄罪で在宅起訴された。両者の間を取り持ったのが元医療コンサルティング会社役員で、受託収賄ほう助で逮捕・起訴されている。汚職は広がり、文科省前国際統括官の川端和明容疑者が便宜を図った謝礼に元役員から約140万円相当の接待を受けたとして収賄容疑で逮捕された。
 川端容疑者は元役員に頼まれ医科大の式典に宇宙飛行士が出席できるよう尽力したとみられる。これで終わりではない。戸谷一夫文科次官は元役員が設けた会食の席に同席したとされ、特捜部は次官の執務室を家宅捜索している。
 私立大に私学助成金を出すなど補助金配分を含め大学行政に大きな権限を有する文科省と、それにおもねる大学。歴代の文科次官3人を含め累計43人が処分された昨年の天下り問題でも指摘された構図だ。この汚職捜査の過程で、一連の得点操作があぶり出された。
 内部調査報告書は、臼井被告が得点操作について「同窓生の子弟をたくさん入れたい」と述べたとし、寄付金を多く集めたい思いがあったとの見方を示した上で「得点調整をした受験生の親から、謝礼を受け取ることもあったようだ」と指摘している。受験生らに一切伏せたまま密室で得点操作をしたのは背信行為というほかない。
 信頼回復は容易ではない。文科省が自身で、どこまで汚職の背景や大学との関係を厳しく検証し、出直しを図ることができるかも問われよう。


東京医大不正入試 あってはならない「女性差別」
 東京医科大の不正入試問題で内部調査委員会は、長年にわたり一部の受験生の得点を操作していたとする調査結果を公表した。少なくとも2006年の一般入試から、女子や3浪以上の男子の合格者を抑える目的で不正を繰り返していた。卒業生の親から寄付金を集めるため、特定の受験生には加点していたことも認めた。公平公正が大原則の入試で、性別などを理由に差別が行われてきたことは、受験者に対する重大な背信行為であり、断じて許されない。
 医科大の前理事長と前学長は文部科学省幹部から便宜を受けた見返りに、息子を合格させたとして贈賄の罪で起訴されている。今回の調査で2人が不正入試を主導し、受験生の親から謝礼を受け取っていた事実も明らかになった。倫理観が欠如しており、組織のチェック機能も働いていなかったことは看過できない。調査委は推薦入試でも得点調整が行われ、入試委員会も知っていた可能性に言及した。組織ぐるみの関与の有無を含めて不正の全容解明を急がなければならない。
 女子受験者への差別は離職率が高い女性より、男性医師を優先的に養成したいという「病院経営ありき」の姿勢が招いた結果だ。医大を卒業した医師は、付属や系列の病院で働くことが多いが、女性は妊娠や出産を機に、休職にとどまらず、現場を去ってしまうこともある。
 しかしそれは、長時間労働や不規則な勤務が常態化していることに要因があり、家事や育児と両立できる環境が整っていないためだ。裏を返せば、男性医師もまた過酷な勤務で疲弊している。
 男女を問わず力が発揮できるよう労働環境を改善することが先決。にもかかわらず、女子受験生を「入り口」から排除するのは本末転倒だ。
 厚生労働省は2月、医師の負担軽減に向けて緊急対策をまとめた。短時間勤務など柔軟な働き方ができる制度を取り入れるよう、都道府県などを通じて全ての医療機関に通知した。しかし、6月時点で実施や検討を始めたのは3割にすぎない。出産や子育てを含め、多様な経験をした医師が増えることはさまざまな患者に寄り添うためにもプラスになるはずだ。医学界には医師の負担軽減がもたらす意義に、もっと目を向けるよう求めたい。
 他の医学部でも広く、女性の合格者数を抑える調整が行われているのでは、との指摘が絶えない。本来なら、入学志願者に対する入学者の割合は、男女で同程度でなければ不自然だ。ところが、文科省によると、昨年の理系の学部のうち、医学部だけが女子の割合が顕著に低かったという。同省は全国の大学の医学部の入試についても不正がないか、緊急調査に着手する方針だ。入試への信頼を取り戻すためにも、各大学が詳細に実態を調べ、速やかに結果を公表すべきだ。


癒着のうみを出し切れ/東京医大入試不正
 一連の入試不正を巡り、東京医科大が内部調査報告書を公表した。トップの理事長主導で、国の支援事業の対象にしてもらうため入試で文部科学省前局長の息子にげたをはかせて合格させ、その一方で系列病院向けに離職率が高い女性医師より男性医師を確保したいとの思惑から、受験した女子の点数を削り合格者数を抑制したとされる。
 昨年の医学科一般入試1次試験で不正は13人に及び、それぞれ8点から45点が加点された。今年は6人。文科省前局長の息子も含まれ、加点は最大で49点だった。少なくとも2006年度の入試以降は得点操作が行われ、女子だけでなく、3浪以上の男子も対象になっていたとされる。
 こうした不正で一体、何人の受験生が不当に不合格となってしまったのか。医科大はきちんと解明し、謝罪と救済に取り組むべきだ。さらに他の大学はどうなのか。外部の専門家に協力を求めるなどし、国は本格的に調査に動き、癒着のうみを出し切る必要がある。
 まず明らかになったのは官民癒着だった。文科省の科学技術・学術政策局長だった佐野太被告が東京医科大側から私立大支援事業の対象校に選ぶよう頼まれ、見返りに今年2月の入学試験で加点により自分の息子を合格させてもらったとして受託収賄で東京地検特捜部に逮捕・起訴された。医科大側は前理事長臼井正彦、前学長鈴木衛両被告が贈賄罪で在宅起訴された。
 私立大に私学助成金を出すなど補助金配分を含め大学行政に大きな権限を有する文科省と、それにおもねる大学。歴代の文科次官3人を含め累計43人が処分された昨年の天下り問題でも指摘された構図だ。この汚職捜査の過程で、一連の得点操作があぶり出された。
 内部調査報告書は、臼井被告が得点操作について「同窓生の子弟をたくさん入れたい」と述べたとし、寄付金を多く集めたい思いがあったとの見方を示した上で「得点調整をした受験生の親から、謝礼を受け取ることもあったようだ」と指摘している。どんな理由があったにしても、受験生らに一切伏せたまま密室で得点操作をしたのは背信行為というほかない。
 信頼回復は容易ではない。文科省が自身で、どこまで汚職の背景や大学との関係を厳しく検証し、出直しを図ることができるかも問われよう。


デスク日誌 盛夏の一冊
 毎年この時季、読み返す一冊がある。第2次世界大戦の戦地から古里の両親や妻に宛てた便りをまとめた、岩手県農村文化懇談会の『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書)がそれだ。
 便りを集めるきっかけは多くの農家で目にした軍服姿の遺影だったという。家族は戦地から届いた手紙も大事にしまっており、一人、手にしては涙していた。
 自分を抑えながらも、許される限りの表現で家族への思いをつづった多くの文面。だが、家族が亡くなれば散逸しかねない。戦争の惨禍さえ忘れ去られることになるかもしれない。
 「今記憶しておかなければ、誰が後世に伝えるのか」。使命感の下、懇談会は1959年から収集に当たる。便りを所有する家族と信頼関係を築くことから始めたという。
 1年半ほどで集めたのは2873通。どれほど苦労したことか。61年に第1刷が発行され、以来、多くの人に読み継がれている。
 戦後73年、過去への反省から何とか平和が保たれてきた。ここに来ての不安定な状況、生きたくても生きられなかった若者たちにはどう映っているだろうか。本に問い掛けてみたい。 (整理部次長 細谷隆)


豊洲の安全宣言 監視と情報開示、万全に
 安全宣言がゴールではない。有害物質の監視を続けなければ、食の安全に対する信頼は築けない。
 東京都の小池百合子知事は先週、築地市場から移転する豊洲市場の土壌汚染について「安心、安全な市場として開場する条件が整った」と述べ、安全を宣言した。
 ただ、空気中の有害物質の濃度は基準値以下だが、地下水からは高濃度のベンゼンが検出されている。北海道などの産地からも移転を不安視する声は消えない。
 いま安全宣言した根拠は何か。10月11日の開場に間に合わせるためではないかとの疑念が残る。
 全国から食品が集まる巨大市場である。都は消費者や市場関係者に真摯(しんし)な説明を重ねるべきだ。
 都は移転の前提として、土壌と地下水の汚染を基準値以下にする「無害化」を目指してきた。
 小池氏は昨年夏、地下水の汚染値が高いことから無害化を断念し、魚や青果を扱う地上に有害物質が出ないようにする追加対策を行って開場する方針を決めた。
 地下をコンクリートで覆う工事などが完了し、専門家会議は科学的な安全が確保されたとの見解を示した。宣言はこれを踏まえた。
 とはいえ、宣言が消費者らの安心に直結するかは別問題だ。
 心配なのは地下水の有害物質濃度が基準値よりなお高いことだ。
 地下水位が今後も上がらない保証はなく、地下のコンクリートがひび割れする可能性もある。無害化断念は正しい判断なのか。
 都は今後も地下水の計測値を公表する方針だが、ひび割れなどの継続的な監視も必要だ。異常があれば即座に対応し、速やかに情報公開する。それが安心につながり、風評被害を防ぐことにもなる。
 小池氏が就任直後に移転延期を表明して2年。地下にあるはずの「盛り土」がないことが分かり、豊洲問題は全国から注目された。
 生鮮食品を扱う市場として適地なのかとの根本的な疑問も解消されていない。移転を推進した歴代知事や都議会は責任を免れない。
 一方で小池氏が解決しなければならない課題は依然として残る。
 築地の跡地を食のテーマパークにする構想は、昨年夏の都議選直前に打ち出したものの、進展がない上に豊洲の周辺整備も滞り、関係者の不信を買っている。
 築地では年500億円近い道産水産品が取引されている。移転後の安全が確立されなければ産地へのダメージは計り知れない。市場を開設する都のトップとして小池氏には責任ある対応を求めたい。


送り火 「い」の字実施場所? 京大教授「火床跡」発見
 京都市で16日にある「送り火」行事で明治期まで点火されていた「い」の字について、京都大霊長類研究所(愛知県犬山市)の正高(まさたか)信男教授(霊長類学)が8日、左京区の通称「安養寺山(あんようじやま)」(標高391メートル)の中腹で火床と思われる跡を見つけたと発表した。通説では1キロほど南西の左京区静市市原町の「向山(むかいやま)」(同426メートル)で行われたとされているが、正高教授は安養寺山に木々が払われた平坦地があったとしている。
 安養寺山は叡山電鉄・二ノ瀬駅の約600メートル東にある。正高教授が送り火の歴史調査のための演習で6〜7月にかけ5回ほど南西斜面を登った際、山肌を人為的に削ったと思われる幅15メートル、奥行き5メートルほどの平坦地を3カ所発見。1カ所は敷石らしい石が50センチ四方露出していたという。
 正高教授は「近隣では安養寺というお寺があったとしか(山について)知る人がいなかった。今後、全山を歩いて痕跡が他にないかを調べ、送り火の情報を集めたい」と話した。
 一方、「い」の送り火は向山で行われ、明治30年代に終わったとして、その理由を1995年に論考した京都精華大の小椋純一教授(植生史)は「洛北の山の一部には山城や農地の跡など平坦地がいくつもある。別の利用の可能性もあるのでは」と指摘している。【南陽子】


衝撃の発毛剤CM 草剛の“捨て身っぷり”が称賛されるワケ
 お笑い芸人・トレンディエンジェル風の髪形に一瞬、誰だか気付かなかった視聴者も多いのではないか。
 日用品のアンファーが発毛剤「スカルプD メディカルミノキ5」のイメージキャラクターに元SMAPの草剛(44)と香取慎吾(41)を起用した新CM「スカルプD ミノキ兄弟」編を6日から全国でオンエアした。
 ネット上では「インパクト強すぎ」「笑えました。面白いCM」などと話題になっている。それもそのはず、草が兄役、香取が弟役で出演。
弟「兄さん、すごい発毛剤が出たんだ」
兄「……生えるのか……?」
弟「ミノキなら生える」
 と、この会話だけでも衝撃的だが、白いシャツを着てサラリーマン風に正装した2人の髪形はオールバック。生え際は後退していて、おでこがかなり広い。アイドルとは思えないビジュアルはインパクト大だ。
 CM起用の理由を発売元のアンファーに問い合わせると「テレビのみならずWEB上でも話題を広げていくパワーがお2人にはあります。新たな挑戦を繰り返し、どんな状況でも活躍できるということを証明し、多くの方々に勇気を与えているからです」(担当者)と回答。
■印象評論家も出演は「正解」
 実は草がスカルプDのCMに出るのは、今回が4回目。初めて出演した2010年はスタイリング剤のCMに出演し、2、3回目は元SMAPの中居正広とシャンプーのCMで共演した。
 もちろん、商売上の戦略もある。アートネイチャーはTOKIOの城島茂を、3月からハイブリッド増毛法「マープ リボーン(MRP REBORN)」のイメージキャラクターに起用した。“城島効果”はてきめんで、増毛の利用者が急増し、問い合わせが殺到しているという。
 芸能ジャーナリストの芋澤貞雄氏が言う。
「解散したとはいえ元SMAPのメンバーはいまだに根強い人気があります。城島の例もあるし、スポンサーとしては好感度の高い草を起用すれば、商品が売れると判断したのでしょう。もっとも、草にもメリットはあります。若手アイドルは別として、今どき、中年の芸能人が薄毛を“カミングアウト”するのはダメージにならない。好感度が高ければなおさらで、むしろ共感を呼ぶかもしれない。しかも、養毛・発毛関連のCMは“リスク”を考慮して通常の出演料金の1・5倍が相場といわれています。おいしい仕事なんです」
「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ系)に出演中の印象評論家・重太みゆき氏も草の発毛剤のCM出演は正解だという。
「顔を全部出す、おでこの真ん中を見せることで、薄毛でも清潔感を感じ、堂々とした印象になります。すべてをさらけ出して、隠すものがないので、周りから受け入れられやすくなります。コンプレックスがある人に勇気を与え、ファン層も広がると思います」
 次回は稲垣吾郎も参加したりして……。