ブログネタ
フランス語 に参加中!
Fig_a_08

Crash d'un hélicoptère au Japon, neuf personnes à bord
L'appareil de la sécurité civile effectuait un vol d'entraînement dans une zone montagneuse du centre du Japon.
Un hélicoptère de la sécurité civile japonaise s'est écrasé dans la préfecture de Gunma, au nord-ouest de Tokyo, ce vendredi.
Neuf personnes étaient à bord de l'appareil, un Bell 412, qui faisait un vol d'entraînement de deux heures dans la région montagneuse.
Contact perdu
"Huit personnes ont été retrouvées sur les lieux, mais nous ne savons pas encore dans quel état elles se trouvent", a précisé le ministère de la Défense.
L'hélicoptère n'est pas rentré dans les délais prévus et a perdu le contact avec les autorités au sol, a expliqué un représentant de la préfecture locale, Hiroshi Yoshida. Parmi les passagers, figuraient des pompiers et des responsables locaux de la sécurité civile.
フランス語
フランス語の勉強?

あまりにも疲れがたまってしんどいので7月23日に行ったネットカフェで一服することにしました.今回は復旧していてマンガを読むことができます.わたしはネットを使いたかったので関係ありませんが.30分でちょっと元気になりました.仕事頑張ろう!
Miさんから「一般のひとはセルシオ知らない」ってメール来ました.あなたは一般人ではないのですか?

あの発言は「杉田水脈氏だけの問題」ではない 「自民党と自称保守」を支配している根本思想
古川 雄嗣 : 教育学者、北海道教育大学旭川校准教授
自民党の杉田水脈議員による、いわゆる「生産性」発言などLGBT等の性的少数者に対する差別的発言が問題となっている。だが、こうした発言の元になった認識は、杉田議員のみの問題ではなく、もっと根深いものがあるのではないか。
『大人の道徳 西洋近代思想を問い直す』を著した気鋭の若き教育学者が、その源流を探る。
意気地も誇りも美意識もない「いじめ」の構造
自民党・杉田水脈議員が『新潮45』8月号に寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」における「生産性」発言が波紋を広げています。
LGBT等の性的少数者について、杉田氏は「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と問題提起しました。それに対して、当事者や支援者、そして朝日新聞や毎日新聞をはじめとする、いわゆる左派・リベラル派のメディアや知識人から、一斉に「差別だ」「人権無視だ」「優生思想だ」といった批判が噴出したわけです。
当然のことでしょう。私自身は、基本的に、いわゆるサヨクが、あまり好きではありません。ことさらに弱者や少数者の側に立って正義の味方を気取る姿勢には、気色の悪い偽善と裏返しの権力欲を感じますし、なんでもかんでも「個人の自由」や「人権」の問題にしてしまう教条的な思考回路も、イデオロギッシュで不健全であると思います。
しかし、それでも、ことこの問題に関して言えば、圧倒的に正しいのはサヨクのほうです。いや、正しいか正しくないかという以前に、まずそもそも、彼女の記事は(「全文を読んでほしい」という彼女の言うとおり、全文を読みましたが)、あまりにも「卑劣」で「醜悪」であると、言わなければなりません。
彼女は、「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません」などと、一見「保守っぽい」ことを言っていますが、どう考えても、「常識」を「見失って」いるのは、彼女自身のほうでしょう。
彼女がやっていることは、弱い者をたたき、異質な者を排除することによって、自分(たち)が「普通であること」を確かめ、集団としての「秩序」を保とうとすることでしかありません。これはまさに、「いじめ」の構造そのものです。いやしくも「保守」を自称し、日本の伝統だの、日本人としての誇りだのを口にするのであれば、せめて、「弱きを助け強きをくじく」といった意気地や誇りや美意識を、もう少しは大事にしてほしいものです。それがカケラも見られないから、彼女の文章は、ただただ「卑劣」で「醜悪」なのです。
20年来の自民党の根本思想がリピートされたにすぎない
とはいえ、あまり杉田氏個人、あるいは彼女の今回の「生産性」発言そのものを批判しても、意味はないでしょう。繰り返しますが、彼女が書いた記事は、ほとんどまじめに批判する値打ちもないほど、悲惨なものです。すでに示されているさまざまな批判――「ひどい差別だ」「人権感覚がない」「優生思想につながる」「生産性で人間を測るのはおかしい」「事実誤認が多すぎる」「LGBTのことを何も勉強していない」等々――は、すべて、まったくそのとおりです。
けれども、あえて、ちょっと「上から目線」で言わせてもらいますが、これらの批判を見て、私は「いまさら」感を禁じえませんでした。同じように、彼女の記事そのものについても、私はほとんど「驚き」も「ショック」も感じませんでした。「そりゃ、そう言うでしょうね」というのが、彼女の記事を読んだ私の感想でした。
じつを言うと、私は普段、あまりテレビも新聞もインターネットも見ない人間で、杉田水脈という人のことも知りませんでした。「こんなとんでもない奴がいるぞ!」と人に教えられて、はじめて記事を読んでみたのですが、そんな私の感想が、「ああ、まあ、そうでしょうね」というものだったのです。「驚かないのか? こんなひどい奴が政治家をやっているんだぞ?」と問われたので、私はこう答えました。
「だって、自民党だもの」
私はむしろ、この記事を読んで「驚いた」という感想が多かったらしいことに対して、かなり驚きました。いったい、彼女の主張のどこに、いまさらあらためて驚くべきことがあるのでしょうか。
彼女が書いていることは、特にここ約20年来の自民党が、もろもろの政策の根本思想として、陰に陽に言い続けてきたことの、単なる「リピート」でしかありません。だからこそ彼女は、たちまち批判が噴出して「炎上」した際にも、あっけらかんと、「うちの党のエライ人は、問題ないって言ってくれてますよ?」などと、開き直ることができたのです。おそらくあれは、彼女のごく素朴で単純な本音だったのでしょう。
「何騒いでるの? みんなそう言ってるじゃん?」という感覚でしかなかったはずです。そして現に、自民党は当初、彼女の発言を問題視しないという見解を示し、それでも後を絶たない激しい批判を目の当たりにして、やっと慌てて「注意」を与えたにすぎなかったわけです。
「生産性」は教育改革の根本思想
「生産性」という概念は、本来「物」に対して使うものだ。それで人間の価値を測ろうとするなど、もってのほかだ。こういう批判が相次いでいます。
まったくそのとおりなのですが、しかし、この「生産性」の思想は、もうかれこれ約20年来、たとえば一連の教育改革において、あまりにもあからさまに語られ続けてきたものです。これはすでに、わが国において、幼児教育から高等教育(大学教育)まで、すべての学校段階を貫く、教育政策の根本思想なのです。
たとえば大学は、「役に立つ人材を作れ」との掛け声の下に、さまざまな「改革」を強いられています。「役に立つ」というのは、「生産性がある」という意味ですし、だから大学は、「人間を育てる」のではなく、「人材を作る」ことをしなければならないのです。
さらに、その「人材」を「作る」ための方法として、導入を義務づけられているのが、いわゆるPDCAサイクルです。これは、もともと工場で生産する製品の「品質管理」の方法です。こんにちの大学は、学生を「製品」と見なして「生産」し、それを「品質管理」することを、法律によって強制されているのです(詳しくは、藤本夕衣・古川雄嗣・渡邉浩一編『反「大学改革」論――若手からの問題提起』ナカニシヤ出版、2017年を参照)。
さらに、ここ数年、小中学校での「教科化」が話題になっている「道徳教育」もまた、じつは、まさにこの「生産性」の思想に基づくものにほかなりません。
意外に思われるでしょうか。たしかに、政府自身は(あるいは、「教科化」を支持する教育学者たちの多くは)、教科化を中心とする道徳教育の強化・推進は、「いじめ」をなくすことを何よりの目的としている、などと言っています。
しかし、違います。これは明らかに方便であり、政府が道徳教育を推進する真の目的ではありません。彼らのホンネは、国民の「生産性」の向上と、それによる「経済成長」です。そのためにこそ、道徳教育が必要だと、彼らは考えているのです。
道徳を教育すればお金が儲かる
このことは、私などがとやかく言うよりも、当事者の口から直接語ってもらったほうがよいでしょう。たとえば、次の文章を読んでみてください。
「我が国は今後、人口の減少、中でも生産人口の大幅な減少に直面する。その打開策として、これまで生産に参加していない人や、すでにリタイアした人の活用が考えられる。『一億総活躍社会』はそれを言ったものだ。同時に現在の国民が質を向上させ、これまでの何倍もの生産性を上げることが必要となる。その点において教育に期待されるところは大きく、教育の在り方はその立場から見直されなければならない」
何も断りがなければ、これは件の杉田氏の記事からの引用ではないかと、思われるのではないでしょうか。そう言いたくなるほど、「生産性」を前面に押し出しているこの論者は、何を隠そう、安倍首相のブレーンとして「教育再生実行会議」の委員などを務め、そこで道徳の「教科化」を提言した人物の1人でもある、麗澤大学教授・八木秀次氏にほかなりません。しかも彼は、「なぜ今、『道徳』教育が必要なのか」と題して、こう書いているのです。
彼の評論は、こう続きます。あるデータによると、「うそをついてはいけない」「他人に親切にする」「ルールを守る」「勉強をする」という4つの「基本的なモラル」の教育を、すべて受けた者は、1つでも欠けた者よりも、年収で約57万円、多くの所得を得ている。さらに、1つも教育されていない者と比べた場合、その差は約86万円にもなる。そうすると、「年収が多ければ当然、納める税額も多くなる。社会保障関係の納付金も多く、受給額は少ない」。したがって、「道徳教育」は「国家・社会全体として活力を産み、利益になるということだ」。
こう論じて、彼は、「教育で国民の質を上げることが経済的な効果を持つことがわかる。教育を国家戦略として位置付け、道徳教育を重視するのはその意味においてだ」と、この評論を締めくくっているのです。
「道徳教育」は、国民の経済的な「生産性」の向上をこそ、目的とするものである。「教科化」を提言・推進した当事者の1人が、はっきりと、そう述べているのです。
「保守」すべき大事なものを見失った哀れな人たち
これは約2年前に書かれた評論ですが、私はむしろ、この八木氏の文章にこそ、かなりの驚きとショックを禁じえませんでした。
ここまであからさまに、まったく恥じる様子もなく、「利益」と「生産性」だけが、日本が国家として目指すべき価値であり、「道徳」も「教育」も、ほとんどそのためだけにあるものなのだと、首相のブレーンを務め、いわゆる「保守」を代表する論客として知られる大学教授が、はっきりと言ってしまえるということに、私は愕然としました。
それに比べれば、今回の杉田氏の記事など、(誤解を招きかねない言い方ですが)まだかわいいものです。彼女はしょせん、こういった八木氏のような「自称保守」の論者たちの言説を、いい具合にコラージュしてリピートしていれば、「若手の保守政治家」などといった自分のポジションを確立できるだろうと考えているにすぎないでしょう。ほんとうの問題は、彼女がそうやって、ほとんど何の深い考えもなしにリピートしてしまった、自民党と自称保守を支配している根本思想にこそあるのです。
それは、奴隷根性とニヒリズムにほかなりません。
なぜ「奴隷」というのかといえば、彼らは人間を、自由な意思をもった「人間」としてではなく、単なる「物」としてしか、見ることができなくなっているからです。ここでいう「物」とは、一方では「生産手段」として労働に駆り立てられ、他方では「欲望の操り人形」として消費に駆り立てられる、労働と消費の自動機械のことです。これが「奴隷」でなくて何だというのでしょうか。
しかも彼らは、国民がそのような「奴隷」であることをこそ、むしろ善しとし、したがって国民にその「奴隷の道徳」を教え込み、それによって国家が「奴隷の国民」に支配されることをこそ、理想として目指そうとしているのです。
そして、この底抜けの奴隷根性をもたらしているものこそ、信ずべき価値を見失ったニヒリズムと、それに対する不安ではないのかと、私は思います。なぜなら、信ずべき価値を見失い、善悪と美醜を、暗黙のうちに、しかし確信をもって、判断することができなくなった者は、目に見えるわかりやすい基準に、その根拠を求めます。それが「数字」です。「道徳を教えれば、年収がいくら増える」などというのは、まさにその典型ではないでしょうか。「道徳を教えれば経済が成長する。だからそれは正しい」
「同性愛者は経済に貢献しない。だからそれは間違っている」
この見るも無残なニヒリズムこそ、「自称保守」の政治家と知識人を、奴隷状態に向かって強迫症的に駆り立てている、不安の正体にほかなりません。彼らは、むしろ「保守」すべき大事なものを見失った、哀れな人たちなのです。そして、何がほんとうに「保守」すべき大事なものであるのかを、暗黙のうちに知っているのは、多くの「常識」ある国民のほうなのです。


LGBT問題 否定するのは排除の論理
 自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が性的少数者のLGBTについて「子供を作らない、『生産性』がない」と月刊誌に寄稿した。子どもをつくるかどうかは個人の考え方であり、強制されるものではない。子どもができない夫婦も多数いる。それを生産性がないと否定するのは排除の論理である。誰もが個人として尊重される社会でなければならない。
 杉田氏は「子育て支援や子供のできないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策のためにお金を使う大義名分があります」とした上で「生産性」のないLGBTのカップルに「税金を投入することが果たしていいのか」と疑問を投げ掛けている。
 月刊誌が発売されると自民党本部前で抗議集会が開かれ、「優生思想だ」との批判が上がった。
 自民党は当初、二階俊博幹事長が「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観もある」と静観していたが、批判が拡大すると党のホームページで「問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現がある」として杉田氏に注意するよう指導したと軌道修正した。だが、杉田氏は謝罪、撤回をしていない。
 杉田氏の寄稿は「いろんな人生観」で済まされない問題がある。子どもを産まない、生産性がない人間に税金を使うべきでないという政策に絡んだ発言だからだ。
 生産性があるか、ないかで人間を区別し、なければ政策の対象外とするのは排除の考え方である。仕事ができない老人や障害者は「生産性がない」と切り捨てることにつながる。
 自民党は昨年、「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指す」との選挙公約を掲げた。その「Q&A」に「性的指向や性同一性は本人の意思や趣味の問題として片付けてしまうことは誤り」と記した。
 そうした方針を打ち出しているにもかかわらず、自民党の谷川とむ衆院議員はインターネット放送で同性愛を念頭に「趣味みたいなもの」と語り、同性婚のための法整備を否定した。「多様なあり方を受容する社会」を目指したのではなかったのか。
 杉田氏は寄稿で「常識や普通であることを見失っていく社会は秩序がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません」と言っている。理にかなった指摘である。
 自民党の公約でも多様性を尊重することが「常識」「普通のこと」であるはずだ。であるなら生産性がないとLGBTを否定することこそ常識や普通であることを見失っている。


同性愛公表、尾辻かな子が徹底反論「LGBT杉田論文の度が過ぎる」
 月刊誌『新潮45』8月号に自民党の杉田水脈衆院議員が「LGBT支援の度が過ぎる」を寄稿した。この論文(以下「杉田論文」)には以下のような記述があった。
 「(リベラルメディアの報道の背後にあるのは)LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方」
 「しかし、LBGTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか」
 「そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、『非国民だ!』という風潮はありません」
 「日本の社会では(略)迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だった」
 「(LGBTの生きづらさは)制度を変えることで、どうにかなるものではありません」
 「行政が動くということは税金を使うということ(略)彼ら彼女ら(注=LGBTカップル)は子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのか」
 「様々な性的指向も認めよということになると(略)兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかも」
 「『LGBT』を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません(略)」
 「『普通であること』を見失っていく社会は『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません」
 これは危険な暴論だと、私が自らのツイッターで批判したところ、1万2000以上リツイートされ、毎日新聞がそれをネット上で炎上と報道した。その後、当事者団体の抗議声明も報道され、自民党本部前に5千人(主催者発表)が集まる抗議行動へと広がっていった。
 私自身、2005年、大阪府議会議員の時にレズビアンだとカミングアウトし、政治の現場で性的マイノリティーの可視化と政策による解決を目指して活動をしてきた。国会では唯一のオープンな当事者議員である。
 杉田論文に対する疑問はいろいろあるが、絞って議論したいと思う。議論の土台は、LGBTが置かれている現状を知ることだ。「LGBT支援の度が過ぎる」という「支援」は、何を指し、どのくらいの税金が投入されているのか。
 そもそもLGBT支援に使っている税金などほとんどない。各省庁に問い合わせをしたが、唯一具体的な金額が提示されたのは、人権擁護局を抱える法務省のみ。その予算が局として34億700万円。法務省予算は、本年度、約7638億。その額、0・44%だ。
 さらに、これは人権擁護局全体の予算であり、本年度の人権啓発活動強調事項は、女性、子供、拉致問題、性的指向、性自認、ホームレスなど17項目にわたっている。LGBTに特化した予算は、国家予算の中に見受けられない。
 では、最近のパートナーシップ証明書、宣誓書受領証などを発行している自治体ではどうだろうか。札幌市では200万円、世田谷区でも200万円、渋谷区は男女共同参画と合わせて1300万円。この1300万円も、渋谷区の総予算938億の0・01%である。各自治体もLGBTだけという区分で予算計上をしていないので、計算がしにくいという共通意見も聞いた。
 LGBT支援は、LGBTが存在するという前提をもとに行政サービスの範囲を広げる形が多い。同性パートナーシップの宣誓書受領証発行も業務の拡大であって、億を超える予算が必要な箱ものを作るといった事業ではない。
 いじめ対策にLGBTを含める、自殺対策にLGBTを含める、男女共同参画でも多様な性について言及する。公営住宅に同性カップルを入居できるように条例を変更する。公立病院で同性パートナーを家族として取り扱う。このような政策は、ほぼコストがかからない政策である。
 また、「実際そんなに差別されているものでしょうか」と杉田議員は疑問を呈しておられるが、宝塚大学の日高庸晴教授の調査結果では、LGBT当事者1万5064人のうち、職場や学校で差別的発言を聞いたことのある当事者は71・7%であった。
 さらに、「そもそも世の中は生きづらく、理不尽なもの(略)それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的」と指摘されているが、別の調査では、10代のゲイ・バイセクシュアル男性における自傷行為の生涯経験割合(17・0%)は、首都圏の男子中学生より2倍以上高い。
 岡山大学の中塚幹也教授による性同一性障害の当事者1150人の調査では自殺しようと考えた人が59%、自傷や自殺未遂をしたことがある人が28%、不登校になった人が29%などとなっている。
 LGBTはからかいの対象になりやすい。何かを異端として排除する社会で、当事者の子供たちが自己肯定感を大きく損ね、自分がこの世にいなくてもよいと自分を追い詰めていく。政治の役割は本来、そういった生きづらさを少しでもなくすためにあるのではないのだろうか。
 同性パートナーシップの法的保障では、今や先進7カ国(G7)で米・加・英・仏・独と5カ国が婚姻の平等(同性婚)を達成している。イタリアにもシビル・パートナーシップ制度がある。2017年のILGA(国際レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・インターセックス協会)の調査では、同性婚を認めている国が24カ国、パートナーシップを認めている国が28カ国。性的指向を差別禁止規定の中に明記している国は63カ国ある。
 日本は、いまだに差別解消法や同性パートナーの法的保障が実現していない。病気、加齢、死別など人生の転機に、人生を共に過ごしたパートナーの手術の同意、財産の相続、保険、お葬式の喪主、忌引などが使えない。
 異性カップルであれば気付きもしないところにバリアーがある。パートナーが外国籍の場合は、相手の国では婚姻し永住権を持つカップルであっても、日本では配偶者ビザは発行されない。「LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか」という言葉はどこから出てくるのだろうか。
 杉田論文には「『LGB』は性的嗜好(しこう)の話です」という記述があるが、性的指向(Sexual Orientation)とするのが一般的である。自民党の性的指向・性自認に関する特命委員会によるパンフレットも「本人の意思や趣味・嗜好の問題との誤解が広まっている」と記されている。
 「トランスジェンダーは『性同一性障害』という障害なので」と書かれているが、トランスジェンダーの中に、性同一性障害と医師から診断された方がおられるということで、イコールではない。杉田論文には性に関する基本的な認識の誤りが散見される。
 最後に生産性の議論である。「彼らを彼女らは子供をつくらない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」。子供を持たない生き方を、生産性がないと評価する文脈に読めるため、LGBT当事者以外の多くの人が反発を感じたと思う。
 当たり前のことだが、人が生きることに他者の評価や理由はいらない。それが人権である。杉田論文にはこういった人権意識が欠如しているのではないか。特に相模原市の津久井やまゆり園で19人の命が奪われた事件の実行犯による「重度の障害者は安楽死させた方がいい」といった優性思想を想起させたとして、杉田論文には、障害者団体、難病患者団体等からも非難の声が上がっている。
 また、子供を産まない生き方をするものは、税金投入しなくてもよい、という考え方は社会保障制度の否定につながりかねない。病気、けが、死亡、加齢、障害、失業、ひとり親、貧困など生活の困難をもたらす出来事を保険や福祉としてみんなで支えあうのが、社会保障である。
 一人の力では到底太刀打ちできず、誰もがいつ自分の番になるかわからないからこそ、みんなで支え合っている。非合理的な基準で、その支え合いを分断することはあってはならない。
 この国で同性愛者として生きることはいまだに困難が伴う。私の知り合いは、パートナーシップ証明書を取得したにも関わらず、パートナーと住む賃貸物件を探したところ不動産屋からの紹介は2件のみだったという。
 家族や友人に、職場でカミングアウトできない人も多くいる。私自身も自己受容に5年を要した。ある日、自分が人と違う存在であることに気づき、自己否定の気持ちを胸にしまい、自分が何者かわからず途方にくれる。だからこそ、あなたはあなたのままでいいというメッセージを伝えるために、見える存在になり、社会を変えようと議員をつとめている。
 今回の杉田議員の寄稿に、多くの人が傷つき、涙を流した。政治家の役割は、生きづらさを抱えている人々に寄り添い、その困難を解決することだ。そのため、立憲民主党のSOGI(性的指向、性自認)に関するPT(プロジェクトチーム)の事務局長として、LGBT差別解消法の国会提出と同性婚を可能にする法案作成に向けて議論を進めているところだ。
 杉田議員には、今回の寄稿が基本的な認識の間違いの上に書かれたものであり、多くの人を傷つけたと、寄稿の撤回、謝罪を求めたい。このままうやむやにすることはできない。


<#不登校は不幸じゃない>19日全国で交流会 宮城の主催者・丹野さん「一人で悩まず、仲間いること知って」
 不登校の児童と生徒、その親らが集う交流イベント「♯不登校は不幸じゃない」が19日、東北6県の10カ所を含む全国約100カ所で一斉に開かれる。不登校の児童・生徒の割合が全国1位の宮城では、中学時代に不登校を経験した高校1年丹野倫さん(15)=名取市=が仙台市で開催する。丹野さんは「不登校は悪いことじゃないという価値観を広めたい」と意気込む。
 イベントは小中学校で不登校になり、定時制高校3年時に起業した小幡和輝さん(24)=和歌山市=が、夏休み明けの9月1日に最も多い子どもの自殺を防ぐ目的で開催を呼び掛けた。その思いに賛同した丹野さんら全国各地の関係者がそれぞれ主催。全国約100カ所まで広がった。
 仙台のイベントは、太白区の太白市民センターで午後1時に開会。小幡さんのメッセージが全国一斉に上映された後、丹野さんが自身の体験などを伝えるほか、フリータイムを設けて交流を深める。
 丹野さんは教員から理不尽に怒られたことなどをきっかけに、中学2年の夏休み明けから卒業まで学校に通わなかった。この間も「『不登校は悪い』という風潮が気になり、苦しめられた」と言う。
 そのような雰囲気が、夏休み明けの自殺増加につながっているとする専門家の指摘もある。内閣府が1972〜2013年の42年間を分析した日付別の18歳以下自殺者数は、9月1日が最も多い計131人で、唯一の百人台になっている。
 丹野さんら主催者は「一人で悩まず、イベントに参加して多くの仲間がいることを知ってほしい。学校に行かない選択肢もあるということへの理解が深まればいい」と話している。


中高年ひきこもり、初の調査へ…国が支援策検討
 内閣府は11月にも、40〜64歳のひきこもりの人の実態を探る初の全国調査を行う。ひきこもる期間が長期化して本人が高年齢化し、親も年を取って困窮する例があるためだ。今年度中の公表を目指しており、国として支援メニューを検討する方針だ。
 調査は、40歳から64歳までの無作為に抽出した5000人を対象に、調査票を配布し、回収する。
 調査では、ふだんの生活について質問する。「自室からほとんど出ない」「近所のコンビニエンスストアなどには出かける」といった項目にあてはまる人をひきこもりとみなし、人数を推計する。該当した人には、その理由や時期、期間についても質問する。
 ひきこもりを巡っては、内閣府が2010年施行の「子ども・若者育成支援推進法」に基づき、10年と15年の2回、同様の方法で全国調査を実施している。ただ、主にいじめや不登校をきっかけに起きる若者の問題として捉えており、対象はいずれも15〜39歳に限定。この結果、10年は推計約70万人、15年は約54万人と、統計上は減っていた。


『バリバラ』で障害者が戦争中の過酷な差別を告白!「役に立たないから死ね」はいまも杉田発言や自民党の政策に
 終戦から73年。今年も各メディアで戦争を振り返る企画が組まれているが、「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティの人たちのバリアをなくすために考える」情報バラエティ番組『バリバラ』(NHK Eテレ)も、8月5日放送回にて「障害者×戦争」と題して戦争特集を放送した。
 これは、戦争を経験した世代の障害者に、戦争中どのような体験をしたのかを語ってもらう企画だったのだが、そこで語られたのは、人を人とも思わぬ扱いを受けたという、あまりにも過酷な体験の数々だった。
 まず登場したのは、現在93歳の松田春廣さん。重度の脳性まひをもっており、生まれつき身体が不自由な松田さんは学校に入学することも認められなかったのだが、徴兵検査なしで徴兵免除とはならず、徴兵検査を受けさせられることになった。そこでの体験は生涯忘れられないものになったという。
「昭和19年、私は20歳でした。徴兵検査があり受けさせられました。みんなで裸になり検査を受けました。裸に(されて)辱め(を受けた)。みんな笑ってた。『穀潰し』って言われた」
 松田さんはその後、戦況が悪化して食糧難になってからはご飯を与えてもらえなくなったという。口減らしのため「間引き」されそうになっていたのだ。松田さんは続けてこのように語っている。
「恐ろしいことだ。私は殺されていたかもしれない。それはハッキリ言いたいな」
 戦争の極限状態のなかにいれば人間はどこまでも残酷になる。脳性まひで生まれつき足が不自由な現在79歳の上村慶子さんは、6歳のとき空襲をきっかけに家族から「死んでしまえ」と言われた体験を語る。
 上村さんは足が不自由なため、母に背負われて逃げたのだが、防空壕から母がはみ出してしまったという。上村さんは番組内で詳細に説明していないが、おそらく、足の不自由な子どもを背負って逃げるのが遅くなったため防空壕がいっぱいになってしまい、母が入れなかったということなのだろう。無事、ケガひとつすることなく空襲を乗り切ったのだが、その際、きょうだいから言われた言葉は残酷なものだった。
「『お前のようなものがいるから。こんなつらい目にお母さんをあわすなら死んでしまえ』っていう言葉が返ってきました。母が『慶子に言った言葉を取り消しなさい』って言いましたけど、本当に歩けないってことは、こんなつらいものかと思いました」
「死ね」との言葉を投げつけたのは家族だけではない。上村さんは続けて語る。
「近所の人でしたけど、『子どもを死なせなさい』って、『去勢しなさい』って。社会全体がそうだったんですね。もう生きていく資格もない。生きていく資格のない者は殺せって」
 優生思想が幅をきかせた戦時中は、教育現場でも残酷な扱いが公然と行われていた。番組では、1943年7月2日に京都盲学校で満州建国大学の森信三教授が話した講話を紹介している。
〈あなた方は少年航空兵にもなれず 潜水艦にものれず 直接召に応じて出征することが出来ない身の上であります。敵と体あたりをして散ってゆく同年輩の青年 さうした人々と自分とをひきくらべてみて 目の不自由から来る 身の至らなさに思ひを致されなければなるまい〉
 戦争の役に立たない人間は生きる資格がないとでも言わんばかりの言葉で、これを聞かされた生徒の心中は察するに余りある。
 ただ、『バリバラ』の戦争特集が伝えたのは、戦中世代の障害者が語る筆舌に尽くしがたい体験を受けたという過去の記憶だけではない。2018年のいまも、この社会でまったく同じことが起きていることを指摘したのだ。
「戦争」が「経済」になっただけで「役に立たない人間は死ね」は変わらない
 その象徴的な例として挙げられたのが、2016年7月に発生した相模原障害者殺傷事件。この事件で19人もの人々を殺害した犯人は「障害者は不幸しかつくれない。いないほうがいい」などといった優生思想に基づく強い差別意識をもっていた。
 そして、この事件で明るみになったのは、犯人のような差別的な考えをもつ人は決して少なくないという事実だった。番組レギュラーの大橋グレース氏はこのように語る。
「そのときネットに出ていた『障害者でお金がかかる人は死んでも当然だ』とかっていう言葉と内容が(戦争中と)あまり変わらないと感じましたね」
 同じく番組レギュラーの玉木幸則氏も、「戦争」が「経済活動」に置き換わっているだけで、障害者をめぐる視線はさほど変わらないと指摘する。
「戦争のときは、戦争の役に立つか立たないかという指標があって、いまはいまで、経済的な活動の役に立つか立たないかという指標があって、それでいくとね、すごくキツいなと思うんですよね」
 大橋グレース氏は多発性硬化症を発症し、呼吸器を付けて生活しているが、やはりそのことに対しても差別的な言葉を投げかけられることがあるという。
「私自身も呼吸器使ってたら『金のムダだ』とか『みんなのお金使って』と言われることあるから、それは戦争の時代と何も変わっていないんじゃないかなって。やっぱり、命っていうのは、価値があるとかないとか分けられないものだっていうのを、本当に認識しないと、間違った優生思想のもとに、この命は大事だけどこの命は大事じゃないとかってなってしまうと怖いなと、それは戦争がある時代もいまもそうなんじゃないかなと思っています」
 つい先日、自由民主党の杉田水脈議員が「LGBTは『生産性』がないので支援する必要はない」などとする差別丸出しの主張を「新潮45」(新潮社)2018年8月号に寄稿し、大きな問題となったのは記憶に新しい。
 しかも、安倍首相のゴリ推しのもと自民党入りした彼女に処分がくだることはなく、杉田議員からはいまだに説明や謝罪の声はない。
 自民党や安倍政権の本質、日本社会の本質は、障害者に「国の役に立たない人間は死ね」と迫った戦争中とほとんど変わってないということだろう。この社会を変えないかぎり、障害者が戦時中に受けた残酷な体験はこれからますます「当たり前のこと」になってしまう。『バリバラ』の戦争特集はそのことを再認識させてくれたといえる。


富士山測候所 日誌を廃棄 68年間つづった貴重な40冊
 気象庁富士山測候所の職員が68年間つづった40冊以上の「カンテラ日誌」が所在不明になっていた問題で、同測候所を管轄した東京管区気象台は毎日新聞の取材に、昨年11月以降に「文書整理の一環」で廃棄していたことを明らかにした。気象観測のほか、眼下の空襲など太平洋戦争も記録した貴重な資料が失われた。閲覧したことがある気象専門家らは「職員が見たまま感じたままを率直に記した第一級の歴史資料だった。機械的に捨てるなんて」と批判している。
 同気象台総務課によると、日誌は昨年11月までは倉庫にあったが、他の行政文書と一緒に溶解処分したという。取材に対し同課担当者は「毎日の出来事や感想を個人的に書き留めたもの。職務ではなく、行政文書に当たらない。庁舎内のスペースは有限で、必要ないものを無尽蔵に保管できない」と説明した。
 日誌は、測候所が山頂(3776メートル)に移転した1936年から無人化された2004年まで書き継がれ、その後の大半は東京都内の同気象台に保管されていた。毎日新聞は今年1月、情報公開法に基づく開示請求で「不存在」の通知を受け、取材で「庁舎内にない。これ以上分からない」と説明された。3月の報道後、廃棄が分かったという。
 日誌は一部が一般書籍や気象庁発行の冊子、研究論文などに引用されている。観測奮闘記のほか、戦時中は南から飛来する米爆撃機B29の編隊や、空襲に遭った街が赤々と燃える様子を描写。「中都市が攻撃を受け、毎晩一つ、二つと焼土となる。これが戦争の現実」などと記していた。
 NPO法人「富士山測候所を活用する会」理事の鴨川仁(まさし)・東京学芸大学准教授は「世界でも珍しい資料。なぜ廃棄したのか理解できない」と落胆。「戦争被害調査会法を実現する市民会議」(東京都)の川村一之事務局長は「戦争に翻弄(ほんろう)されながら気象観測をしたことが分かる唯一無二の記録。もう読めないのは残念だ」と批判する。【荒木涼子】
 【ことば】富士山測候所 正確な天気予報には高層の気象データが欠かせないとの考えから、1932年、富士山頂火口の南東側の縁に前身施設が設置され、36年に火口南西側の最高地点「剣ケ峰」(3776メートル)に移転。職員が常駐していたが、観測機器や通信技術の発達で2004年に無人化された。建物は現存し、NPO法人や研究者らが高層大気の調査などで利用している。
◆カンテラ日誌の主な内容◆
1937年
12月30日【職員に動員令】
離別の宴をはり、前途を祝す。
1939年
1月6日【暴風雪】
大洋の怒濤(どとう)と同じ音を一晩中聞いた。山頂で吹き荒れた烈風も今朝は和らいだ。
1943年
6月8日【気圧低い高所で炊飯実験】
陸軍4名来頂。飯ごう炊飯の実験繰り返す。高山病を我慢して頑張ったがなかなか炊けない。山岳戦の実験も大変だ。
1944年
11月24日【首都圏空襲】
13時、横浜あたりにもくもくと真っ黒な爆発らしいものを認め、空襲ではないかと思う。14時少し前、爆撃機6機、西から山頂を通過して東方へ行った。17時のニュースで東京が空襲されたと分かる。
1945年
7月10日【地方都市も】
仙台、岐阜など最近は毎日のように中都市が攻撃を受ける。山頂から見える街が毎晩一つ、二つと焼土となる。これが戦争の現実だ。
7月30日【被弾】
8時3分、2機が観測所(=測候所)に110発の銃撃。総員15人のうち軽傷3人とは奇跡。軍の施設とでも思ったのか、敵兵のきまぐれか。
8月9日【防空壕(ごう)】
先日の空襲後、防空壕を掘ったが、これだけでは安心できず、昨日から庁舎西側に石垣を作り始めた。
8月31日【終戦後】
山頂の軍医学校は解散。譲渡品を受け取りにいく。
9月19日【米兵登山】
アメリカ軍の軍医大尉と兵隊1名が現れた。進駐軍の富士登山の一番乗りの2人だ。
1966年
3月5日【英旅客機墜落】
14時15分、南東方の上空500メートルくらいのところに上昇姿勢で右翼の3分の2を残し、火と煙を噴いて落ちる飛行機を発見。
=書籍「カンテラ日記」から