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星に願いを_藤崎前180806

Japon : laissé seul par son grand-père, un enfant passe trois jours dans une forêt
Un garçon de deux ans était censé rentrer seul chez lui après une balade. Il a été retrouvé par un bénévole après trois jours d’intenses recherches.
C’est une découverte miraculeuse qui s’est produite au Japon. Un petit garçon de deux ans, qui avait disparu dimanche au cours d’une balade avec son grand-père, a été retrouvé indemne ce mercredi. Il a tout de même été transporté à l’hôpital car il a ≪ quelques égratignures et une légère déshydratation, mais sa vie n’est pas en danger et il devrait pouvoir quitter l’hôpital assez rapidement ≫, selon Hiroyuki Nishihara, un responsable de l’établissement.
La chaleur humide qui sévissait ces derniers jours dans la région (plus de 30 degrés le jour) et la présence de nombreux insectes faisaient craindre le pire pour l’enfant. C’est un bénévole de 78 ans, venu d’une province voisine pour participer aux recherches, qui l’a entendu mercredi matin répondre à ses appels dans les bois, à quelques centaines de mètres de l’endroit où sa trace avait été perdue. Il l’a ensuite retrouvé assis et pieds nus.
Drones, chiens et hélicoptères
Ce garçon de deux ans, qui, ironie du sort, a fêté son anniversaire lundi alors qu’il se trouvait seul, avait été porté disparu dimanche matin alors qu’il se promenait avec son frère et son grand-père. A mi-chemin, il s’était mis à pleurer en disant qu’il voulait rentrer. Le grand-père l’a donc laissé repartir seul vers la maison familiale mais sans s’assurer qu’il était bien revenu.
Pendant près de trois jours, quelque 160 policiers avaient quadrillé la région. Des drones équipés de caméras optique et thermique, des chiens et des hélicoptères avaient été mobilisés, en vain jusqu’à l’intervention du bénévole.
フランス語
フランス語の勉強?
内田樹@levinassien
昨日「ワンダーウォール」というドラマを見ました。吉田寮の存廃が素材です。これも学生課に抗議に向かう寮生たちの後ろに教室から出て来る京大生たちが続々と加わり、カメラが上空から俯瞰するとキャンパスが学生たちで埋め尽くされているという場面で(CGでいいから)終わって欲しかったなあ。
TQCMK @tqcikari
靖國神社がコスプレ会場になって何が悪い!!|木野寿紀|https://note.mu/kinotoshiki/n/ncd4e5788456e
名言きた
"靖國神社は日本の恥部なわけですから、軍人コスプレや軍服ダッチワイフなんてまさにこの神社にぴったりじゃないですか。だって、そもそも靖國神社自体が神道のコスプレみたいなもんなんでしょ?"


ランチで2人でバングラデッシュのカレーに行きました.レディースセットです.マンゴーピクルスは注文が通ってなくて残念でした.
昼寝して買い物をして晩ご飯は冷や汁です.美味しいです.
近くの公園に送り火+花火をしに行きました.

閖上で7年ぶり盆踊り大会 伝統のまんじゅう焼きも
 東日本大震災で被災した宮城県名取市で最大の集合型災害公営住宅「閖上中央第一団地」で15日、盆踊り大会があった。昨年までは閖上地区の被災者らが身を寄せた美田園第1仮設住宅で開いてきたが、団地の完成を受けて7年ぶりに、閖上地区に会場を戻した。
 約300人が参加。団地前の広場におはやしが流れる中、浴衣姿の住民らがやぐらの周りに輪をつくった。
 自宅前で「盆火」をともし、柳の枝に刺したまんじゅうを焼いて食べる閖上伝統の行事を残そうという試みもあり、炭火で焼いたまんじゅうを配った。
 主催した一般社団法人「ふらむ名取」の格井直光代表理事は「閖上でまんじゅう焼きをできるのがうれしい。復興は遅くなったが、楽しくなる街になってほしい」と願った。


亘理町で灯ろう流し犠牲者供養
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県亘理町で、15日夜、犠牲になった人たちの供養と復興への願いを込めた灯ろう流しが行われました。
亘理町荒浜では、漁港を会場に、毎年、お盆のこの時期に灯ろう流しが行われています。
15日は、夕方になると、地元の人たちなどが訪れ、灯ろうに「あなたを忘れない」とか、「みんなを見守っていてね」など、震災で犠牲になった人への追悼のことばや復興への願いなどを書き込んでいました。
ことしはおよそ600個の灯ろうが用意され、地元の漁業関係者が船に乗せたあと、湾の中心部に向かい、1つ1つの灯ろうに明かりをともして海へと流していきました。
訪れた人たちは、ほのかな光を放ち海を漂う灯ろうを見つめながら、犠牲者への供養と町の復興を祈っていました。
30代の女性は「震災当時の悲しいことやつらいことを思い出しながら灯ろうを見ていました。町の復興が早く終わるといいです」と話していました。
また、20代の女性は「灯ろうに書いたみんなの思いがかない、復興が進んで1日でも早く元の宮城に戻ってほしい」と話していました。


<終戦記念日>戦争反対を訴え立川談四楼さん講演
 市民団体や労働組合などでつくる「平和・民主・革新の日本をめざす宮城の会」(宮城革新懇)は15日、仙台市青葉区のエル・パーク仙台で、「ふたたび戦争を繰り返させない集い」を開いた。
 落語家の立川談四楼さんが講演し、軽妙な語りで来場した約250人を笑わせた。戦時中に戦意高揚のために作られた「国策落語」に触れ「国が(戦争の方向に)向かうと、落語家も含めて、いろいろな人が迷惑を被る」と語った。
 憲法改正を打ち出す安倍晋三首相を「総理が改憲を言い出すなんて冗談じゃない」と強く批判。「国民の動きが出て初めて国会議員が動きだすべきだ」と指摘した。
 講演のほか、憲法9条の改正に反対し、平和を願うアピールを採択。参加者らが市中心部を行進し、戦争反対を訴えた。


津波で打ち上げられた大型漁船「共徳丸」巨大水彩画に
 震災の津波で宮城県気仙沼市の陸地に打ち上げられ、その後、解体された漁船「共徳丸」を描いた巨大な水彩画が、仙台で展示されています。水彩画には、地元の人たちの共徳丸に対する「ある思い」が込められていました。
 訪れた人が見上げているのは、高さ5.4メートル、幅16.4メートルの巨大な水彩画。震災で、津波と火災に見舞われた気仙沼市鹿折地区、この場所に打ち上げられた漁船「第18共徳丸」が描かれています。漁船は、保存に反対する市民の声が多かったことから、2013年に解体・撤去されました。この絵を描いた蔵王町に住む画家の加川広重さん(41)は、地元住民たちの共徳丸への「ある思い」を聞きイメージが浮かんだといいます。
 この展示は、8月19日まで仙台市青葉区のせんだいメディアテークで入場無料で見ることができます。


震災で大きな被害をうけた閖上で8年ぶりの盆踊り〈宮城〉
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県名取市閖上で、15日、8年ぶりとなる盆踊り大会が開催されました。
盆踊りが行われたのは名取市の閖上中央第一団地です。
震災前、毎年閖上では盆踊り大会が開催されていて、去年までは閖上の住民が暮らしていた美田園地区の仮設住宅で続けられてきました。
今年は閖上地区に団地が完成したことを受け、8年ぶりに閖上での盆踊りが実現しました。
会場には200人を超える人が訪れ、以前の閖上での暮らしを思い浮かべながら、閖上大漁節などに合わせ輪になって踊りを楽しみました。
参加者
「ちょっと恥ずかしかったけど、ちゃんとできてうれしかったです」
参加者
「これを活性化させて、また来年もさらに人が集まってくればいいかなって思います」
盆踊り演奏者
「こうやって人が集まること自体が、本当にうれしい。地元なのでできる限り応援していきたいと思います」


宮城も大雨 気仙沼で冠水 午後も警戒を
 大気の状態が非常に不安定となっている影響で、宮城県内は、明け方から局地的に激しい雨が降りました。気仙沼では、道路が冠水する被害も出ています。
 宮城県内には、明け方から発達した雨雲がかかり、気仙沼市では、午前5時半過ぎまでの1時間に37.5ミリの激しい雨が降りました。この大雨で、気仙沼市魚市場に繋がる道路は、約30センチ冠水し、通行止めとなりました。魚市場は、16日に盆休み明け最初の営業日でしたが、雨による影響はありませんでした。
 この大雨で、JR陸羽東線は、鳴子温泉駅と山形の最上駅の間で現在運転を見合わせています。県内は、昼過ぎまで雷を伴って1時間に40ミリの激しい雨が降るおそれがあり、仙台管区気象台は、引き続き警戒を呼びかけています。


【宮城】県内も大雨に…気仙沼では冠水も
寒冷前線が活発な状態で南下している影響で、宮城県内では夕方にかけて土砂災害へ警戒するとともに低い土地の浸水などに注意が必要です。
寒冷前線が活発な状態で南下しているため、16日の県内は断続的に雨となっています。気仙沼では1時間に37.5ミリの激しい雨が降り、冠水被害も確認されています。
この影響でJRは陸羽東線の鳴子温泉と新庄の間で始発から運転を見合わせています。
県内では西部を中心に昼過ぎにかけて雷を伴って1時間に40ミリの激しい雨が降る見込みで、17日午前6時までに予想される24時間降水量は多い所で西部80ミリ、東部60ミリとなっています。
気象台は土砂災害に警戒するとともに、低い土地の浸水や河川の増水に注意するよう呼びかけています。


サマータイム/導入の利点が見当たらない
 夏の間、時計の針を1〜2時間進めるサマータイム(夏時間)制度の導入を巡って自民党が検討を始める。2020年東京五輪・パラリンピックの暑さ対策が目的だ。大会組織委員会の森喜朗会長の要請で安倍晋三首相が党に検討を指示した。
 猛暑の7月下旬から8月上旬に開催予定の東京五輪に合わせ、時限措置として2年間導入する案が有力となっている。日本標準時間を現在よりも2時間早めるという。社会生活全般に与える影響は大きく、慎重な論議が必要だ。
 サマータイム制度は電力や石炭など重要資源の節約に役立つとして、1948年から51年まで日本でも実施されている。しかし、いざ実施してみると、当初のもくろみとは異なり、労働者の過労を誘引し、批判が強まった。
 このため、52年春、サマータイムは労働の能率を低下させ、国民生活の実情に合わない不便な点が多い−などとして、国会で廃止法案が可決された。その後、近年に至るまで、経済界の要請で導入案が浮上しては日の目を見ることなく消えている。
 これまでの議論や経緯をみると、サマータイムを導入する説得力ある利点は、見当たらない。むしろ、最近では睡眠不足やそれに伴う健康問題など、種々の問題点が医学界などから強く主張されているのが実情だ。
 2012年、日本睡眠学会がまとめたパンフレットによると、サマータイムを導入したスウェーデンやロシアでは睡眠時間の減少などが誘因で心筋梗塞患者が増えた。導入後しばらくは交通事故の発生件数も増加したという。
 このほかにも、さまざまな懸念が指摘されている。不眠の増加、自殺者の増加、認知症の悪化、不登校の増加、精神障害の悪化などだ。導入のメリットとされた省エネ効果は予想外に少ない事実も明らかになっている。
 今回の導入の目的は東京五輪の暑さ対策だ。しかし、国全体として時計の針を進めなくても、競技のスタート時刻を今より早めれば済む話だ。五輪の暑さ対策を社会全体に押し広げるサマータイムの導入には違和感が残る。
 もっとも、これ以上の競技時間の前倒しは選手やスタッフの負担が大きく、困難だとされる。とすれば、真夏の開催を前提に招致した五輪そのものの是非と、今後の在り方も改めて問われよう。
 先日の記者会見で、菅義偉官房長官は「国民の日常生活に影響が生じ、大会までの期間が2年と限られている」として、導入に消極的な見解を示した。これは極めて常識的な判断だろう。
 導入によって各種のコンピューターシステムの設定変更が必要になるなど、多くの業種に余計な負担を強いる懸念もある。検討に当たっては問題点を洗い出し、一つ一つ丁寧に議論してもらいたい。


船田のサマータイム対策は「根性」だけか
 ★首相・安倍晋三は、東京オリパラ組織委員長の元首相・森喜朗にサマータイム導入を進言され、その研究を指示した。国民からは懸念の声が聞こえるばかりだが、実用性や経済効率性の分析で今まで断念してきたサマータイムを取り入れることに懸念を抱くのは、政府が国民に強いてきたことが大体はろくでもないことや、うそだったからではないのか。 ★福島第1原発崩壊後の夏、電力不足だからと地域ごとに停電を実施する計画停電。北朝鮮からミサイルが飛んでくる時の対応、Jアラートを鳴らし避難訓練までさせたが、既にアラートが鳴った時には手遅れだとわかっていた。先の国会で政府がついたうそも含めて、国民は政府が主導することに懸念を抱いていないか。すると、その懸念を見透かしたのか元経済企画庁長官・船田元が自身のホームページでサマータイム導入を言いだした。 ★「日本でも戦後すぐGHQの指令により、3年間実施していた。しかし廃止された。その理由は国民に不評だったからだ。夏時間に切り替わった後は、多くの国民が睡眠不足になり、健康を害しかねないこと、夕方5時を過ぎても明るいため、長時間労働をさせられることなどである。コンピューター設定変更の手間や、電力消費の削減につながらないなどの理由で見送られてきた」とし、解決策に長時間労働は「働き方改革により、かなりの歯止めが期待される。コンピューターなどの時間設定の変更は、律義で真面目な国民ならば十分乗り切れるはずだ。一方、睡眠不足などによる健康障害問題は、むしろ個人の心構えにより、多くは解消されるはずだ」。 ★船田は高校の院長も務める教育者だが、解決策には日本人の根性と気合でこの制度を乗り切れとしか書いていない。この程度の説得力ではやはり政府の言うことは疑ってかかってしまう。

都は乗り気 「サマータイムの亡霊」騒ぎで得をするのは?
 真夏の怪談にしてはデキが悪い。とっくにお蔵入りになったはずの「サマータイム導入論」がまた噴出した。いったい、なぜ、この亡霊は成仏しないのか。
 10年あまり前は、経団連と経産省、環境省が熱心だった。9700億円の経済波及効果があるとした社会経済生産性本部(現・日本生産性本部)の試算を持ち出し、導入の旗を振っている。これが潰れたのは、健康被害の大きさ。「心筋梗塞のリスクが高まる」「交通事故が増える」といった予測もあり、機運は急速にしぼんだ。
 今回は東京五輪の組織委の会長・森元首相が導入をぶち上げた。その裏には、小池都知事がいるようだ。
 実際、小池知事は会見で「東京都としても暑さ対策の取り組みをもう一度見直そうという流れで指示している」「サマータイム導入はひとつの考え方」と指摘。俄然、乗り気なのだ。
「小池さんは日本にクールビズを定着させた実績があり、働き方やライフスタイルに関わるテーマは得意分野です。サマータイムも好みのジャンルで、何としてもここで得点を稼ぎたいのだと思います。都知事としての小池さんは、いまだに結果を出していません。このままだと、五輪期間中と重なる次の知事選で負ける可能性もあります。再選を確実にするには、分かりやすい何かが必要。その材料がサマータイムで、大いにアピールするつもりでしょう」(政治評論家・有馬晴海氏)
 実績が欲しいのは安倍首相も同じだ。看板のアベノミクスは行き詰まり、拉致問題の前進もなし。不評のカジノ法案を強引に成立させたものの、支持率回復は難しい。それでだろう、サマータイムの導入について「ひとつの解決策かもしれない」と言い出した。
「安倍政権はドローンで郵便を運ぶ実験まで行っています。とにかく何でもいいから実績を残したいのです」(有馬晴海氏)
 今回は、いつも賛成の声を上げる経団連は静かなもの。焦る政治家だけが、亡霊騒ぎを起こしているようだ。


終戦の日の言葉から 不戦の思いを次世代に
 きのうは平成最後の「終戦の日」でした。あの八月十五日から七十三年。昭和の戦争の記憶は不戦の誓いとともに、次の世代に語り継がねばなりません。
 あの日も暑い一日だったことでしょう。気象庁の記録によると東京の最高気温は三二・三度、名古屋は三六・五度。一九四五(昭和二十)年八月十五日のことです。
 三七年の日中戦争から始まった長い戦争は昭和天皇の「聖断」で終わりました。国民は正午の「玉音放送」で終戦を知ります。
 あれから七十三年。今年も政府主催「全国戦没者追悼式」が東京の日本武道館で行われました。
◆歴代首相「加害と反省」
 戦争の犠牲者は、日中戦争後に戦死した軍人・軍属約二百三十万人と米軍による空襲や広島・長崎への原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人約八十万人の合わせて約三百十万人。これは日本人だけの数で、日本が侵略した近隣諸国や交戦国の犠牲者を加えれば、その数は膨れ上がります。
 政府は、この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定めます。戦没者を悼むとともに、平和国家としての道を歩み続けると誓うことも、追悼式に課せられた重要な役割なのです。
 だからこそ日本は戦争を起こした過去を反省し、再び軍事大国にはならないと発信し続ける必要があります。
 とはいえ、時の首相が追悼式で、アジア諸国への日本の加害責任を認めるまでには長い時間がかかりました。損害と苦痛を与えた主体を「わが国」と明確にして加害と反省の意を表したのは、二〇〇一年の小泉純一郎首相が初めてです。
 「わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」
 それ以降の首相は小泉氏を基本的に踏襲し、八月十五日に加害と反省の意を表明してきたのです。
◆謝罪と距離置く安倍氏
 安倍晋三首相も第一次内閣の〇七年には小泉氏同様、加害と反省に言及しましたが、政権復帰後の一三年からは触れていません。
 今年の式辞でも「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い…」と述べてはいますが、加害と反省に言及しないのは六年連続です。
 なぜなのでしょう。
 安倍首相は戦後七十年の一五年八月十四日に閣議決定した首相談話で「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」と述べつつ、その前段では「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とも明言しています。
 追悼式の式辞で加害と反省に言及しないことは、謝罪を続ける必要はない、という本音の表れなのでしょうか。これでは加害への反省を忘れたかのように受け取られても仕方がありません。「歴史と謙虚に向き合い…」との言葉も、虚(うつ)ろに聞こえてしまいます。
 安倍内閣が一三年十二月に定めた「国家安全保障戦略」では「我が国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた」「こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない」と、日本の進むべき道を明確にしています。
 国際社会からの高い評価と尊敬を確固たるものにするには過去を振り返り、自省し、二度と戦争をせず、再び軍事大国にはならないという決意を、終戦の日という節目に、指導者自ら発信し続けることが必要なのです。
 安倍首相はしばしば国会で「平和と唱えるだけで平和を実現することはできない。だからこそ、世界の国がそれぞれ努力し、平和で安定した世界をつくろうと協力し合っている」と言います。
 しかし、平和を強く願う気持ちを言葉にしなければ、平和を実現する努力や協力にはつながりません。平和とは相互信頼が不可欠なのです。
◆陛下はお言葉で「反省」
 日本国民統合の象徴である天皇陛下は、今年の追悼式のお言葉で「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」と述べました。陛下は戦後七十年の一五年以来、お言葉に「反省」の文言を盛り込んでいます。
 国政に関する権能を有しない天皇の気持ちを推察することは慎むべきでしょうが、「反省」の文言からは、不戦への強い思いがうかがえます。
 平成の八月十五日は今年限りです。昭和の戦争を平成の時代も語り継いだように、さきの大戦への深い反省と不戦の思いを、次の時代にも語り継いでいくことが、今を生きる私たちの責任です。


不戦の誓い/深い「反省」次代につなぐ
 「終戦の日」のきのう、政府主催の全国戦没者追悼式が開催された。約310万人の日本の戦没者をはじめ、アジア各地で犠牲になった全ての人を悼み、不戦の誓いを新たにしたい。
 来年4月の天皇陛下退位と5月の新天皇即位に伴い、元号が改められる。陛下にとって追悼式出席は今年が最後になる。
 陛下は広島、長崎の「原爆の日」、「沖縄慰霊の日」とともに、終戦の日を「忘れてはならない四つの日」と語ってこられた。それだけに、ひとしおの思いで臨まれたことだろう。
 今年も、戦争で多くの命が失われた悲しみに触れ、「深い反省」を述べられた。惨禍を繰り返さないという決意は、国民一人一人の心に通じる。
 時の流れの中で、戦争体験者や遺族の高齢化が進む。平和を守り抜くためには、歴史の教訓と反省を、国民の手で次代に引き継がねばならない。
 陛下のお言葉は、自ら鉛筆を握り、深夜まで推敲(すいこう)を重ねて、200〜300字にまとめてこられたという。戦後70年の節目を機に毎年、「深い反省」の文言を盛り込んできたのも、熟慮の末に違いない。
 太平洋戦争の激戦地サイパン島を訪れたのは戦後60年の年だった。多くの日本人が身を投げた現場で黙礼した後、別の場所に立つ韓国、沖縄出身者の慰霊塔でもそれぞれ頭を下げた。公表された予定になかった行動で、あらゆる戦争犠牲者を悼む気持ちを内外に示された。
 対照的なのは安倍晋三首相の姿勢である。今年の式辞にもアジア諸国が受けた被害への「反省」はなく、「不戦」の言葉も使わなかった。
 「歴史と謙虚に向き合う」などと述べたものの、これでは過去の過ちと向き合う意志がきちんと伝わらないだろう。
 開戦の年、国の総力戦研究所は「米国には勝てない」との結論を伝えていた。なのに「誰も(中略)決定的に戦争に歯止めをかけることをしなかった結果が、開戦だった」と歴史学者の堀田江理さんは指摘する(「1941決意なき開戦」)。
 「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と首相は語る。ならば歴史に何を学ぶかを、国のトップとして明確にすべきだ。


戦没者追悼 過去への反省欠かせぬ
 終戦記念日のきのう、安倍晋三首相は全国戦没者追悼式の式辞で、アジア諸国への「加害責任」と「反省」に言及しなかった。
 これは第2次安倍政権になってから6年連続になる。
 1994年の村山富市首相以降、歴代首相が盛り込んできたこととは対照的だ。
 安倍首相は3年前の戦後70年談話で「子や孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と語った。ならば歴史を直視し、関係国の理解を得ることが不可欠だ。
 一国のトップである首相の終戦記念日の言葉は、戦争を放棄し国際平和を希求する日本の姿勢を世界に発信する意味も持つ。
 戦争で多大なる犠牲を強いたのは事実だ。加害責任や反省については、毎年真摯(しんし)な言葉で語り続けるべきである。
 首相はきのうの式辞で「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と強調した。しかし「アジア諸国」「損害と苦痛」といった文言は盛り込まず、被害国に直接訴えるメッセージもなかった。
 日本と中国、韓国との間では、首相と閣僚による靖国神社参拝や従軍慰安婦など歴史認識を巡る問題がなお残る。
 そうした中で先の大戦で多大な犠牲を強いた日本の首相が、加害責任に背を向けるような態度を取れば、歴史問題に一方的に区切りを付けようとしているとみられても仕方がない。
 安倍首相は戦後70年談話で、歴代内閣の立場として「繰り返し痛切な反省と心からのおわびを表明してきた」と述べたが、間接的な言い回しが逆に批判を招いた。
 自らの考えとしてあらためて語る必要があろう。
 韓国と北朝鮮は4月の首脳会談で、朝鮮戦争について年内の終戦宣言を目指すことで一致した。
 周辺国の間で不幸な過去に区切りを付けようとする動きが加速する中で、日本だけが歴史問題でつまずいているようでは困る。
 きのう安倍首相は靖国神社を参拝せず、私費で玉串料を奉納した。それでも周辺国が疑念を抱いていることを忘れてはなるまい。
 靖国問題の背景には戦後73年たった今も誰もがわだかまりなく追悼できる施設がないことがある。
 2002年に当時の福田康夫官房長官の私的懇談会が無宗教で国立の追悼施設の必要性を提言したが、たなざらしとなっている。
 さまざまな人々の思いをくみ取った追悼のあり方を積極的に見いだしていくべきであろう。


平成最後の終戦の日 不戦の誓いを次代にも
 歴史に対する謙虚な姿勢がもたらす言葉だろう。平成最後となる戦後73年の終戦の日、天皇陛下は改めて「深い反省」を口にされた。先の戦争を肌身で知る人が減る中、記憶と不戦の誓いを次の世代が引き継いでいくには大切な視座と言えよう。
 来年4月末の退位で平成は終わりを告げる。全国戦没者追悼式に集った約7千人の顔ぶれから、「昭和」がますます遠のいていることを痛感させられた。
 平成元年の1989年は「戦没者の妻」が出席者の約半数を占めたが、今年は10人余りにとどまる。子や孫の世代が目立ち戦後生まれが全体の約3割となった。世代交代が進んでも先の戦争に真摯(しんし)な目を向けたい。
 そうした思いをくんだのが追悼式での陛下の「お言葉」だろう。自ら筆を執り、深夜まで推敲(すいこう)を重ねるという。約310万人とされる犠牲者を悼み、遺族をいたわり、復興の苦難に思いをはせ、平和を願ってきた。
 「反省」の2文字を陛下が加えたのは戦後70年の2015年だった。広島、長崎、沖縄を改めて訪れ、太平洋戦争の激戦地パラオにも足を延ばした。思いを新たにされたのだろうと宮内庁関係者は推察する。ただ昭和天皇の子で戦中世代の陛下にはこの2文字に触れる覚悟が前からあったとも考えられないか。
 「反省」の表現を巡っては好意的な受け止めの一方、天皇の政治関与として疑問視する向きもあるという。それでも陛下が言及を続けたのは、象徴天皇として悲惨な戦争体験の風化にあらがい、過ちを繰り返してはならないとの一念からだろう。来年即位される戦後生まれの皇太子さまにも、その思いはきっと受け継がれていくはずだ。
 「歴史と謙虚に向き合い」との表現を追悼式で用いたのは安倍晋三首相だった。「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と誓い、戦没者への敬意や世界平和への貢献をうたった点は共感できる。だが、なぜ反省という言葉が出てこなかったのか。
 式辞で加害責任の反省に触れるようになったのは94年の村山富市首相からだ。安倍首相も第1次政権の07年は「戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持する」と述べた。しかし第2次政権発足後の13年から「反省」「不戦」などの文言は消えていく。
 戦争で辛苦を与えたアジア諸国のみならず「赤紙」で戦地に駆り出され命を落とした兵士や遺族への心配りを欠いてはなるまい。首相の歴史認識を巡っては諸外国から疑問の目が向けられていることも自覚すべきだ。
 平成の30年間は、冷戦終結や世界同時テロなど激動の時代と言える。国際社会は各国の為政者の思想や平和観に敏感になっているのではないか。安倍首相も改めて「不戦の誓い」を口にすることが求められていよう。
 安全保障関連法の施行で、米国の戦争に日本も巻き込まれる恐れがないとは言えなくなった。国民の不安を取り除くためにも厳格な一線を引くべきだ。朝鮮半島の非核化実現に向けても、平和国家を掲げる日本の振る舞いが問われている。
 首相が意欲を見せる改憲でも9条の扱いが大きな焦点となる。政府・与党が数の力で強引にレールを敷くべきものではない。主権者たる私たちは歴史に謙虚に向き合い、不戦の誓いを脈々と引き継いでいきたい。


終戦73年…いまだ「支配の否認」から解放されない日本人
 73年前の8月15日。あの日は何だったのであろうか。それは、大多数の日本人にとって「解放の日」として現れた。「聖戦完遂」だの「一億火の玉」だのといったスローガンに共鳴するふりをしながら、みんなもう早くやめたくてたまらなかったのである。あの日、日本人は、絶望的な戦争から、でたらめな軍国主義から、そして「国体」から解放されたのだ。
「国体」とは、天皇が父、臣民が子であると措定した家族的な国家観をもとにした統治のシステムだ。家族の間には支配は存在しないとの建前の下、支配の事実を否認する支配だった。
 しかしながら、われわれは本当に「国体」から解放されたのか。拙著「国体論―菊と星条旗」で論じたことだが、依然、われわれは「支配の否認」という心理構造を内面化したままだ。
 平成最後の1年間は、現代日本社会における「支配の否認」構造を露呈させたという意味で、記憶される年になるだろう。日大アメフト部の暴力タックル事件、ボクシング連盟会長のスキャンダルは、この国の各界の小ボスの行動様式が、神風特攻隊の司令官と完全に同じであることを証明した。彼らは口を揃えて言う。「自分は強制していない」「(若者が)自発的にやったことだ」と。
 不条理な支配に対して逆らえない空気の中で、原則的な「権利」「公正」は死に絶える。その典型が、東京医科大学における入試合格点操作事件である。この問題は、性差別問題であると同時に、労働問題である。開業医と勤務医の格差、過剰負担といった多重的な不公正の累積が、女子受験者に対する一律の減点というきわめて差別的な手段によって「解決」されていたわけだ。つまりは、不条理で不公正な構造が存在し、そのことを関係者の誰もが知っていながら、誰もそれを改善しようとせず、そのしわ寄せを不利な立場の者に押しつける。「ほら、みんな大変なんだ。誰かが泣かなきゃならない。わかるだろ?」と。
 こうした状況を支えているものは、奴隷根性だ。不条理に対して沈黙を守り、無権利状態を受忍し、さらにはこれらの不正義に抗議・抵抗する人々を冷笑し、彼らを抑圧することには進んで加勢する。こうした人間は普通、「卑しい」と形容される。
 あの戦争当時、日本人はこの恥ずべき状態に落とし込まれた。ある者は進んでそうなり、ある者は無自覚なままそうなり、ある者は強要されてそうなった。8月15日は、かかる状態からの「解放」を意味した。しかし今、われわれは自分たちが解放などされていないという事実に直面している。依然としてわれわれは悪しき「国体」の奴隷にすぎない。われわれは日本社会の破綻という敗戦をもう一度、迎え直しているのである。(白井聡/政治学者)


首相の式辞 加害と反省 素通りでは
 全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞には今年も、アジアへの加害に対する反省の言葉はなかった。
 先の戦争では日本人の軍人、軍属ら約230万人に加えて、空襲、広島・長崎への原爆投下、沖縄戦などにより約80万人の民間人が亡くなった。原因をつくったのは日本である。日本が中国などアジア諸国に軍を出し、侵略したからだ。
 日本人の犠牲とアジアへの加害は表裏一体。犠牲者を悼むときは加害の歴史に思いをいたすのは当然のことだ。加害と反省を素通りする首相の式辞を見過ごすわけにはいかない。
 戦後50年の1995年8月、村山富市首相(当時)が植民地支配と侵略の歴史に対し「痛切な反省と心からのおわび」を表明して以降、歴代首相は追悼式で加害責任と反省に触れてきた。
 安倍首相も第1次内閣の2007年には「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」「深い反省とともに犠牲となった人々に哀悼の意を表する」と述べていた。
 姿勢が変わるのは第2次内閣発足後の13年からだ。平和への決意は語ったものの、アジアの犠牲者への哀悼の意や反省は盛り込まなかった。今年も同様だ。
 今の私たちの暮らしは先の戦争に対する反省の上に成り立っている。ポツダム宣言を受諾し、戦争責任者を裁く東京裁判の結果を受け入れることで、日本は国際社会に復帰し、復興と成長への道を歩むことができた。
 政府主催の追悼式で首相が「加害と反省」に触れないことは世界に誤解を広げる心配がある。日本が歴史を書き換えようとしていると受け止められかねない。
 首相はきのう靖国神社に私費で玉串料を納めている。政府から佐藤正久外務副大臣、衛藤晟一首相補佐官らが参拝した。
 靖国神社はかつては戦争を遂行するための国家機関だった。境内の博物館「遊就館」は今も、先の戦争を「大東亜戦争」と表記し、自衛の戦争だったとの歴史観を押し出している。
 首相が犠牲者を悼むなら、02年に福田康夫官房長官(当時)の私的諮問機関がまとめた報告書にもう一度息を吹き込み、無宗教の国立追悼施設をつくるべきだ。そうすれば、内外の誰もがわだかまりなく訪れることができる。
 戦争の歴史を反省し不戦の誓いを堅持し続けてこそ、日本は世界で「名誉ある地位」(憲法前文)を占めることができる。


終戦の日◆「記録」「記憶」引き継がねば◆
 平成最後となった戦後73年の「終戦の日」。戦後生まれは1億人余りとなり、総人口の8割を超えた。悲惨な戦争や被爆体験を風化させないために、先の戦争に関する「記録」や「記憶」を引き継ぐことの大切さを、次の世代に伝えていかなければならない。
 服部卓四郎元陸軍大佐による「大東亜戦争全史」はこう記している。「終戦の聖断直後、参謀本部総務課長及び陸軍省高級副官から全陸軍部隊に対し、機密書類焼却の依命通牒(つうちょう)が発せられ、市ケ谷台上における焚書(ふんしょ)の黒煙は八月十四日午後から十六日まで続いた」。重要機密文書の焼却処分は、1945(昭和20)年8月14日の閣議で決めたとされる。
公文書の焼却を徹底
 法相などを務めた故奥野誠亮氏は終戦当時、内務省戦時業務課の事務官として、戦争終結処理指令を作成、全国八つの地方総監府を回ってそれを伝達した。生前、指令の中身を「公文書の焼却と軍保管物資の民間への放出が柱だった」と回想したように、公文書の焼却は、軍部にとどまらず、他の官庁、地方にも徹底されたという。
 こうした公文書の焼却処分が、日本の近現代史を検証・研究する上で、支障をきたしたのは言うまでもない。大きな損失であった。作家の半藤一利さんは、鼎談(ていだん)「『東京裁判』を読む」の中で、軍だけでなく新聞社も資料などを焼却していたことを挙げ、「本当に日本人は歴史に対するしっかりとした責任というものを持たない民族なんですね」と語る。
現在も隠蔽や改ざん
 この国の政治や行政の現場では、73年前をほうふつさせる光景が広がっていないか。森友学園を巡る財務省の決裁文書の改ざん、海外に派遣された自衛隊の日報隠蔽(いんぺい)、そして首相の「腹心の友」が理事長を務める加計学園問題…。国会で政府側が連発したのは、「記憶にない」「(記録は)廃棄した」という答弁だった。
 終戦時も、現在も、公文書の廃棄や改ざん、隠蔽の意図は共通する。前者は近く始まるであろう戦争裁判に不利な証拠を残さない、後者は1強政権へのダメージを与えるわけにはいかない、という「保身」である。
 だが、公文書の廃棄や改ざんは、歴史を消す行為だ。歴史への冒涜(ぼうとく)と呼んでもいいだろう。それに手を染める背信の重さを、官僚も、監督する政治家も認識していたとはとても言えまい。
 安倍晋三首相は2015年の戦後70年談話で「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければならない。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任がある」と強調している。
 「記録」や「記憶」をないがしろにすれば、歴史の正確な継承がおぼつかなくなる。その危うさを、もう一度胸に刻みたい。それが戦争犠牲者への追悼にもつながる。


オスプレイ緊急着陸 惨事が起きる前に撤去を
 米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが奄美空港と米軍嘉手納基地に相次いで緊急着陸した。詳しい状況は明らかにされていないが、嘉手納飛行場では緊急車両が出動する事態になった。
 オスプレイは県内外でトラブルが絶えず、かねて欠陥が指摘されてきた。このような軍用機が頭上を飛び交う沖縄の人々は、爆弾を抱えながら生活しているようなものだ。惨事が起きてからでは遅い。オスプレイの配備撤回を強く求める。
 ヘリコプターのような垂直離着陸機能と固定翼機のスピード、長い航続距離を兼ね備えている―というのがオスプレイのうたい文句だ。
 聞こえはいいが、その分、構造が複雑になり、操縦も難しくなる。他の機種よりもパイロットの養成に時間がかかるという。複雑な構造と操縦の難しさが整備ミスや操作ミスに結び付くことは容易に想像できる。
 2017年9月の10万飛行時間当たりの「クラスA」事故率は3・27に達した。配備時の1・65に比べると倍増している。
 最高度の技術を身に付けないと安全に飛行させられないのなら、それだけで危険極まりない存在だ。
 16年12月には、普天間飛行場に所属するオスプレイが名護市安部の沿岸に墜落し2人が負傷した。市街地に墜落していたら人命に関わる大事故になっていただろう。
 その後もトラブルは後を絶たない。普天間所属機は昨年、岩国基地で白煙を上げたほか、伊江島補助飛行場、奄美空港、大分空港、石垣空港に緊急着陸した。オーストラリア東部海上に墜落し3人が死亡する事故も起こしている。今年に入ってからも、うるま市伊計島で部品を落下させた。奄美空港への緊急着陸は4月に続いて今年2度目だ。
 このように問題だらけのオスプレイだが、政府は巨費を投じて米国から購入し自衛隊に配備する計画だ。危険の拡散にほかならず、国民の生命、安全を守るという使命を放棄しているとしか思えない。
 オスプレイの沖縄配備に先立ち、12年に発表された日米合同委員会合意は「22時から6時までの間、飛行及び地上での活動は運用上必要と考えられるものに制限される」と明示したが、実効性はない。「運用上必要―」というくだりがあるからだ。
 1996年に日米合同委員会が合意した「普天間飛行場における航空機騒音規制措置」(騒音防止協定)にも同様の記述がある。今や「規制」とは名ばかりで、米軍の恣意(しい)的な運用にお墨付きを与えた観さえある。
 日米合意の下、オスプレイは昼夜の別なく自由自在に飛行し県民を脅かしている。政府は米国一辺倒の態度を改め、多くの国民、県民の意を体して、配備の撤回を米国に要求してもらいたい。


[オスプレイ緊急着陸]沖縄だけの問題でない
 米軍普天間飛行場所属のMV22オスプレイが14日、鹿児島県の奄美空港と米軍嘉手納基地に相次いで緊急着陸した。
 米側は奄美の1機は、コックピットの警告灯が点灯したためだと説明している。嘉手納への着陸は、機体後部の機銃の不具合とみられるが、いずれも詳しい原因は分かっていない。
 昨年来、頻発する緊急着陸に「この次は…」との不安が広がる。構造的に見過ごせない欠陥が指摘されているだけに、安全への懸念は高まるばかりだ。
 普天間所属のオスプレイがおととし12月、名護市安部の海岸に墜落、大破した事故は県民に大きな衝撃を与えた。その8カ月後には、オーストラリア沖で墜落する大事故を起こしている。
 事故につながりかねないトラブルも目立ち、昨年6月以降、伊江島補助飛行場、奄美空港、大分空港、新石垣空港で緊急着陸を繰り返している。
 普天間のオスプレイは米軍岩国基地(山口県)や横田基地(東京都)、厚木基地(神奈川県)にもたびたび飛来。陸上自衛隊木更津駐屯地(千葉県)が定期整備拠点に決まるなど飛行範囲は拡大している。
 沖縄配備に当たり米軍は青森−福島、和歌山−愛媛など6カ所を低空飛行訓練ルートとして公表したが、運用実態は明らかにされていない。
 オスプレイの事故率は配備前の1・65から3・24へと上昇している。
 全国各地に広がる訓練は、事故がどこでも起こりうることを指し示すものだ。
■    ■
 米軍機は日米地位協定に基づく特例で、日本の航空法の多くが適用除外となっている。米軍が飛行させる機体を日本側が制限することもできず、通常義務付けられている国土交通相への飛行計画の承認も受ける必要がない。
 実際、どのような訓練がどのような場所で行われるのか、自治体にはほとんど知らされないのだ。
 オスプレイ配備の際、日米両政府は、学校・病院を含む人口密集地や夜間の飛行を制限することで合意した。
 だがそのルールは抜け穴だらけで、「運用上必要」の一言で約束は何度も破られてきた。
 米軍ヘリの窓が運動場に落下した普天間第二小学校では、夏休みの間に避難施設の建設工事が進められている。
 対米従属に甘んじ米軍機の運航を優先した結果、国民が危険にさらされているのである。
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 全国知事会は14日、「地位協定を抜本的に見直し、航空法や環境法令などの国内法を適用させる」「米軍機の訓練ルートや時期について事前情報提供を行う」などとする提言書を日米両政府に提出した。
 住民の生活や安全を守る責務から全国の知事が連携し、「必要な場合は米軍にノーと強く言ってほしい」という中身である。
 原因が究明されるまでの飛行中止と国内法順守を前提に、不平等協定を改めるべきだ。


受動喫煙対策 県を挙げた議論急務だ
 受動喫煙対策を強化する改正健康増進法が7月に成立したが、その規制内容は世界水準に遠く及ばず、「不十分だ」との声が根強い。そうした中、自治体独自に規制をしようという動きが活発化している。
 本県でも、先ごろ開かれた県たばこによる健康被害防止対策検討委員会の本年度初会合で、県が改正健康増進法より厳しい独自規制が必要かどうかを検討する考えを示した。健康寿命日本一を目指す上でも有効な対策が不可欠であり、新たな条例制定も視野に議論を深めてほしい。
 改正法は、多くの人が集まる建物内を罰則付きで原則禁煙とする。来年夏をめどに病院、学校、行政機関、保育園が屋内完全禁煙。2020年4月からは飲食店や事業所、ホテルのロビー、パチンコ店などの遊興施設、鉄道などが原則禁煙となる。
 一方で資本金が5千万円以下で客席面積100平方メートル以下の既存飲食店は「例外」として扱われ、店頭に「喫煙可」などと表示すれば経過措置として店内で喫煙を認める。これだと飲食店の55%で喫煙が認められるとの試算がある。
 厚生労働省によると、受動喫煙が原因とみられる国内の推計死亡者は年間1万5千人。同省は当初、東京五輪・パラリンピックが開催される20年までに飲食店での受動喫煙ゼロを目指していた。だが、自民党の抵抗に遭い、国際水準に程遠い法案内容を受け入れた経緯がある。
 世界保健機関(WHO)は各国の受動喫煙規制の状況を4段階に分けて示しており、一般の人が集まる場(医療施設、行政機関など8種類)の全てに屋内禁煙を義務付けている最高ランクの国は17年調査で186カ国中55カ国にも上る。日本は今回の法改正により、最低に位置していたランクを一つ上げるだけだ。さらに上げるためには飲食店、事業所などの屋内完全禁煙が必要となる。
 こうした中、都道府県では神奈川県や兵庫県に続き、今年6月に東京都で罰則を伴う条例が成立した。従業員を雇う飲食店は店舗面積にかかわらず原則室内禁煙とするのが柱。都内の飲食店の84%が対象になるという。25年の国際博覧会の誘致を目指す大阪府も条例制定の検討を本格化させている。
 健康寿命日本一を目指す県はことし、「健康秋田いきいきアクションプラン」を策定。健康づくり対策として「栄養・食生活」「身体活動・運動」「たばこ」の三つを柱に据えた。
 「たばこ」に関しては検討委が今後、受動喫煙防止に向けた具体的な規制内容などを議論する。健康被害を受けやすい子どもを守るためにどんな規制が必要か。県民の幅広い意見をくみ上げることが求められる。最大の検討課題である飲食店に対しても実効性のある対策が急務だ。市町村とも連携し、県民を挙げた議論を期待したい。


【医大入試の不正】政府や社会にも課題
 東京医科大の不正入試問題は波紋を広げている。林芳正文部科学相は全国の国公私立大の医学部医学科を対象に、入試の公正性を緊急調査する考えを示した。一大学の不正が全国調査に発展する異常事態だ。他大学の入試にも不正があるのではないか、との疑念が生じているためという。実態解明を急いでほしい。
 東京医科大は女子や三浪以上の男子の合格者数を抑えるため二〇〇六(平成十八)年から得点操作を繰り返していた。出産や育児による離職率が高いなどを理由に女子を差別し、入試への信頼を損なった責任は重大だ。
 内部調査委員会は「女性差別以外の何物でもない」「受験生への背信行為」「大学の自殺行為に近い」と批判。前理事長と前学長が主導したと認定し、「同窓生の子弟を入学させ、寄付金を多く集めたい思いがあった」と動機を挙げた。最高学府である大学の役割を忘れ、経営安定を最優先したと言わざるを得ない。
 人口減で私立大は学生確保に苦労し、経営は厳しさを増しているとされる。だからといって、寄付金を当てにできる受験生に手心を加えて優先的に合格させる手法は許されない。意欲と能力のある受験生が不合格となり、医師の道を閉ざされる恐れさえある。
 東京医科大は付属病院で心臓手術を受けた患者が相次いで死亡し、学位論文審査に関わる教授が現金を受領するなどの問題が以前にあった。前理事長と前学長が私大支援事業を巡る汚職事件に絡み贈賄罪で先月在宅起訴されるなど経営は混乱している。
 一方で本県の市町村と寄付講座設置の協定を締結し、民間病院に医師を派遣するなど医療充実に貢献してきた。それだけに、今回の不祥事に落胆する関係者は多いに違いない。本県のように医師不足に悩む地方の期待に応えるためにも、経営体制の立て直しと優れた医療人の養成を望む。
 女性の働きやすい環境づくりは社会の要請だ。安倍晋三内閣は「すべての女性が輝く社会づくり」を重要施策に掲げる。六月に決定した「女性活躍加速のための重点方針2018」は、女性の活躍を支える安全・安心な暮らしの実現、あらゆる分野における女性の活躍、女性活躍のための基盤整備を打ち出す。
 東京医科大の対応を批判するのはたやすい。だが、出産や育児を経た女性の職場復帰に政府や社会が有効な手を打ってこなかった側面があるのではないか。資源小国日本の頼みは優れた人材の育成・活用に尽きる。突き付けられた課題は深刻だ。(鞍田 炎)


「病院大好き日本人」が招いた「医師のブラック労働」 東京医大問題は日本の縮図
東京医科大で行われていた、女子と3浪以上の受験生を不利にする得点調整。背景の1つには、勤務医の厳しい労働環境がある。
「残業代がかかるから、業界内では医師も『高プロ(高度プロフェッショナル制)』にすれば良いって意見も聞きました。でも、(要件の)104日も休みを取らせたら、現場が回りませんから。そんな声もなくなったようです」
こう語るのは、行田協立診療所の所長で全国医師ユニオンの植山直人代表。医師ユニオンは8月10日、東京医大の入試問題を受け、「女性医師も男性医師も働きやすい社会に変えていくべき」とする声明を発表し、医師の増員などを訴えた。
ユニオンによる勤務医の労働実態調査の結果も交え、東京医科大問題の背景を植山代表に聞いた。
●医師の完全な連休「新婚旅行と親類の葬式くらい」
ーー読売新聞の初期報道では、女性医師は出産などで離職しやすく、人手不足を補うための「必要悪」だったという病院関係者のコメントがありました。医師ユニオンも背景に「医師不足」があると指摘していますね。
人口千人あたりの臨床医の数を見ると、OECD平均3.3人(加重平均2.9人)に対し、日本は2.4人と少ない(2016)。1960年代はさほど差はなかったんです。しかし、日本は1980年代以降、医師の数を抑制してきました。
その結果、医師がバカンスを取れる国もあるのに対して、日本では常勤医の約4割が過労死ラインを超えて働いています。日本でちゃんとした連休が取れるのは、新婚旅行と身内が亡くなったときくらいでしょう。
厚労省の調査によると、子どものいる20〜40代の女性医師の勤務時間は、他の医師と比べて短いようです。日本に限らず、各国で見られる傾向ですが、医師が足りていれば現場は回ります。
現在は、特に大学病院の人手が不足しており、それが今回の不正の背景にあると見ています。
●大学病院「タイムカード」利用はわずか5%
ーーなぜ大学病院の人手が足りていないのでしょう?
大学病院は、臨床・教育・研究の3つが求められるので業務量が多いのです。加えて、収入が少ないため外部のクリニックでアルバイトをしている医師もいます。
全国医師ユニオンでは2017年、5年ぶりに勤務医の労働実態調査を行い、今年2月に最終報告書を発表しました(母数1803人)。
たとえば、労働時間管理の方法を見ると、全体では「自己申告」が半数超で「タイムカード等」は27.5%でした。しかし、大学病院でのタイムカード利用はたったの5.5%でした。
労働基準法が守られているかという問いについても、「守られていない」は全体で38.5%でしたが、大学病院では59.4%もありました。
大学病院は高度医療に専念して、業務量を減らせると良いのですが、国からの補助は減っているので、研究費を稼ぐため、一般外来をなくせないという事情もあるようです。
補助の話でいくと、医師国家試験の合格率が低いと、減額される可能性があります。3浪以上の受験生の点数を下げた背景には、この点も含まれるかもしれません。
●若手は「労働環境」で診療科を選ぶ…診療科の偏在問題
ーー今回の入試不正問題を受けて、診療科によって女性医師の割合が違う「偏在」問題も指摘されています。働き方の過酷さやそれに由来する根強い女性差別が影響しているようですが…。
ユニオンのアンケートでは、9割以上が「診療科の偏在と労働環境に関係がある」と考えています。
その点を考慮して診療科を選んだ人は27.7%にとどまりましたが、若い世代になるほど割合が高い傾向にありました。50代だと20.9%なのですが、20代だと55.1%が労働環境を考慮したと答えているんです。
女性に限らず、労働環境を変えないと診療科の若手を揃えるのが難しくなっているといえそうです。
ーー環境改善のインセンティブにもなりそうですが、キツいところはよりキツくという悪循環にもなりそうですね。
成績順に診療科が振り分けられる国もあるようですが、日本では診療科の選択は自由です。労働環境の改善が前提になりますが、大学側が学生の適性を把握し進路指導を行うことも必要となるでしょうし、偏在が起こらないようなルールをつくる必要もあるでしょう。
偏在は、診療科レベルではなく地域レベルの問題もあります。しかし、現状では地域ごとにどの診療科に何人ぐらいの医師が必要なのか、という試算もありません。国民のために医療があるわけですから、ニーズを計測したうえで、納得いくような議論ができればと思っています。
そもそも「偏在」と言っても相対的なもので、医師が余っている地域や病院、診療科はないんですけどね。
●「ブラック社会」を支える医師のブラック労働 患者の意識改革も必要
ーー現状でできる改善策はありますか?
当直とオンコール(院外待機時間)はなくせないので、長期的には医師を増やして、看護師のような交代制勤務を確立するしかないと思います。
直近で行くと、まずは無駄な作業を減らすことです。ユニオンの調査で、この2年間の業務量の変化を聞いたところ、「増えた」が43.8%で「減った」(16.2%)を大幅に上回りました。なにが原因だったかというと、診療時間や文書作業、会議の増加です。
診療時間については、日本の医療へのアクセスの良さがあるでしょう。たとえば、海外だと自然治癒が大事にされることがあります。でも、日本では「とにかく病院」です。
インフルエンザの「タミフル」という薬がありますよね。あれは全世界の75%を日本で消費しています。使っても、熱が下がるのが1日短くなるくらいで、飲まなくてはいけない薬ではない。
でも、日本人は「会社を休めないから」と病院に行って、検査して、薬をもらわないと気が済まない。製薬業界との関係もありますが、医療費という点でも、国民の意識を少しずつ変えて行く必要があるでしょう。
ーー文書作業や会議についてはどうでしょう?
事務作業については、個人情報の承諾書など必要なものが増えています。また、診療報酬が変わっても、既存の数字がそのまま変化するわけではなく、新しいものが足される形が取られやすいので、作業が増えます。
事務作業などをアシストする「医療クラーク」といったスタッフの増加など、広い意味の医療補助が必要だと思っています。
医師と他職種間での「タスク・シフト(業務移管)」や「タスク・シェア(業務の共同化)」については、患者の理解が必要ですし、看護師など医療従事者は全体的に過重労働なので反対意見もあることに留意が必要でしょう。
●5年猶予された「医師の残業規制」 検討会への期待は薄く…
ーー「働き方改革関連法」の残業規制ですが、医師への適用は5年猶予となりました。
猶予期間を終えた後も、本当に単月100時間、複数月80時間などが適用されるかは不安に思っています。当直を何回かやれば、超えてしまうわけですから。
たとえば、トラックの運転手は現状でも1日13時間(例外でも16時間)を超える拘束は認められていません。しかし、医師は現状、「過労運転」状態で人の命を預かっています。
医療過誤の原因を勤務医に聞いたところ、1位は「スタッフの連携不足」(57.7%)でしたが、差のない2位は「疲労による注意力不足」(56.4%)でした(複数回答)。
現在、厚労省で「医師の働き方改革に関する検討会」が開かれていますが、出席している医者は病院経営者らで、医師の労働者代表がいません。病院としては、労基法が守られていなくても問題になりづらい、現在の方が都合が良いわけです。当然、研修医の声なんかは届きづらいでしょうね。


官僚の倫理/再発防ぐ評価ルールを
 自身に絡む情報公開請求の漏えい問題の責任を取るとして野田聖子総務相が、1年分の閣僚給与を全額自主返納し、漏えいした側の金融庁は職員ら4人を文書などで厳重注意処分とした。
 野田氏に関係する文書の公開請求を受けた金融庁は開示前の5月下旬、関連資料を総務省側に渡し、朝日新聞からの請求であることも口頭で伝達。伝えられた野田氏は、その内容を第三者に漏らしていた。
 発端は金融庁職員の漏えいだが、野田氏は伝え聞いた段階で、関連資料を返却させるとともに金融庁を指導、事案を公表すべきだった。官僚の不正行為を政治側が正せなかったどころか一端をなしてしまった。情報公開制度の所管閣僚だったことを勘案すれば閣僚給与約160万円の返納で済む話ではないだろう。
 この事案に限らず、財務省の決裁文書改ざんや陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報隠蔽(いんぺい)など国会をも欺くような官僚の不正行為が後を絶たない。
 不正が発覚するたびに罰則の厳罰化や禁止規定の新設などが叫ばれ、対策も打ち出されてきた。しかし官僚が「絶対ばれない」と思えば、考えられないような愚挙を犯すということは決裁文書改ざん事件を見れば明らかだ。
 もはや、「官僚が不正を行う可能性がある」との前提に立つことも必要だろう。その上で、不正を告発したり、関与を拒んだりした場合には人事評価に反映させるようルール化すべきではないか。
 麻生太郎財務相は決裁文書改ざんの調査結果を公表した6月の記者会見で、改ざんに関わることを拒否した近畿財務局の職員が複数いたことを明らかにしている。まずは、良心に基づくその行動を高く評価し、公表してはどうか。
 財務省は拒否した職員が何人でどのような経緯だったのか、プライバシーを理由に明らかにしないが、それでは後に続く者は出てこない。
 現在の中央省庁の人事評価制度は、採用年次などにとらわれない処遇を目指して、2012年から全面導入された。判断、調整といった能力を年1回、業績は年2回、評価し、昇給や勤勉手当(ボーナス)、昇任に反映させている。
 国家公務員制度改革基本法は「国民全体の奉仕者としての職業倫理を確立する」ことを人事評価の目的に掲げている。しかし、内閣人事局と人事院が作成したマニュアルでは不正行為の告発や拒否を評価するのか、するならどう評価するのか明確には規定されていない。不正行為が、あってはならない特殊な事象と考えられているからだ。
 また、人事院には、国家公務員倫理法などに違反する行為の早期発見と未然防止のため「公務員倫理ホットライン」が設けられており、各府省庁にも通報窓口が設置されているが、決裁文書改ざんや日報隠蔽など政権を揺るがすような不正行為の把握には至っていない。内部告発が肯定的に評価されるのか否かが不明なためとみられる。
 従来通りの対応では、大島理森衆院議長が異例の所感で決裁文書改ざん事件などを例に挙げて「民主主義の根幹を揺るがす問題。立法府の判断を誤らせる恐れがある」と指弾したような不正行為の再発を防ぐことはできない。


平和教育 今と向き合う新たな視点が必要
 平成最後の夏、世代を超えて戦禍の記憶をつなぐ新たな平和教育が模索されている。
 戦争体験者の高齢化が進み、身の回りから生の声を聴く機会が消えていく。語り部に頼る従来のやり方だけでは、重い教訓を後世へ引き継ぐことはできない。広島県内でさえ既に、8月6日が何の日なのか知らない若者が増えている「風化」の事実に、危機感が募る。被爆地や沖縄など各地の取り組みに学び、知恵を出し合って「平和の種」を育まなければならない。
 被爆から73年、長崎市教育委員会は平和学習の在り方を見直した。目指すのは「他者の意見を尊重しながら自分の言葉で平和を語り、行動できる児童生徒の育成」だ。市が編集する小中学生向け平和学習用冊子は、図解や写真を大幅に増やし、想像力をかき立てる。授業では「世界は今、平和なのか」というテーマで議論する時間を設けた。
 3年前に長崎市で開かれた国際会議の平和討論会で、地元の中学生らは、異なる意見に対して自分の主張を述べるのをためらった。被爆体験の継承に力を入れるあまり、知識を一方的に教えるだけになっていたのではとの反省が背景にあるという。
 世界では自国優先主義が台頭し、核を含む軍拡競争がやまない。戦争は昔話ではなく、いま目の前にある現実問題。平和学習はあくまで、世界の国々と根気強く対話し、武力を用いず平和な未来を切り開く手段、との新たな視点が必要だ。
 沖縄では4年前、琉球大生が修学旅行生らに対話型の平和学習を提供する会社を起業。年間約100校の体験学習を手掛ける。最後の激戦地を巡り「自分が住民だったら米軍に投降したか」といったガイドからの問い掛けを基に、参加者が議論しながら戦場の現実を考える。「もやもやした疑問を持ち帰ってもらうのが大事」との信念は、生徒の思考を深めるに違いない。
 もちろん思考の基本となる証言の継承は不可欠。映像化、電子化し「社会の記憶」として残し、いつでも見られるようにしなければならない。実感を持たせる手法も欠かせない。広島の高校教諭は爆心地にあった繁華街を体験できる「仮想現実」の映像を生徒と作った。被爆者の話を聴き、公文書館で当時の写真を収集。現実を忠実に再現することで、そこに生きた人たちの人生に思いをはせ、無念さを感じ取ることができる。
 惨禍を伝えるだけでなく日本がたどった歴史を正しく伝え、反省の上に立つことは、再び悲劇を繰り返さないための必須条件だ。政治的スタンスを問うのでなく、自由も生きる権利も理不尽に奪う戦争を、人権問題として捉えることも大事だろう。
 若者の柔軟な発想とインターネットなどを通じた発信力は大きな力となる。「体験がない」と臆することはない。多様な国の人々と理解、尊重し合い共生する「平和の文化」づくりも、武力を超える「武器」である。


綾瀬はるかが戦時下の性犯罪をレポート! 兵士たちによる性暴力、国が中絶手術を強制…現在も続く性被害女性への偏見
 昨日は73回目の終戦の日を迎えたが、民放キー局では終戦の特番はひとつも放送されることはなかった。そんななか、TBSの『NEWS23』では、放送時間を拡大して、今年も特別企画「綾瀬はるか「戦争」を聞く」を放送。今年のテーマは、「戦争と性犯罪」だ。
 今回、綾瀬が話を聞いたのは、10歳のときに敗戦を満州で迎えたという鈴木政子さん(83歳)。敗戦後、満州に侵攻したソ連兵によって収容所に連行されたが、そこではソ連兵たちによる女性たちへの性暴力が待っていた。政子さんの母・ツ子(つね)さんは、手記にこう書き綴っているという。
〈夜ひるなしに女を連れに来る。若い者、年寄りに関係はない〉
〈「お母さんお母さん」と泣き叫ぶ。「助けて、助けて」と呼べど叫べど誰も手出しができない〉
〈まるで犬・猫どころか、石ころ同然である〉
 そして、10歳の政子さんも、そうした現場を目の当たりにしている。「『嫌だ』と言った、子ども2人いるお母さんが目の前でね、犯されたの。それをみんなが見てるんです」(政子さん)。ソ連兵は女性を何人か連れ出しては「5人くらいで輪姦」し、女性たちは「1回に5〜6人相手」にさせられた。病気や出血多量で多くの人がそこで亡くなったという。
 この証言に綾瀬も衝撃を受けたのか、「鈴木さんの目の前でですか?」「子どもたちの前で?」と繰り返すように尋ね、悲痛な表情を浮かべたが、こうして性暴力を受けた女性たちには、さらなる悲劇が待っていた。
 政子さんには満州で知り合った「ゆう子さん」という17歳の少女がいた。姉妹のように仲良くなったが、このゆう子さんもまたソ連兵の強姦被害に遭っていた。そして、政子さんの家族とともに命からがら収容所を抜け出し、引き揚げ船で帰国の途に着いたときに、ゆう子さんは妊娠7カ月となっていた。
 同じように妊娠していた女性のなかには、引き揚げ船から海へ身を投げる者もいた。だが、ゆう子さんは生きることを選び、船は博多港に着いた。しかし、ゆう子さんは福岡県筑紫郡二日市町にあった「二日市保養所」に連れて行かれる。この「二日市保養所」では、当時の日本では違法だった中絶手術が強制的におこなわれていたのだ。
 現在の母体保護法でも、中絶手術ができるのは妊娠22週未満まで。妊娠7カ月での中絶手術は母体のリスクがあまりにも高すぎる上、麻酔薬がなく、女性たちは麻酔なしで痛みに耐えなければならなかった。さらに、当時の手術にかかわった医師や看護師の証言によると、妊娠後期の場合、中絶ではなく出産をして、出てきた赤子の首を絞めたり、頭にメスを刺すなどして絶命させていたのだという。
 なぜ、このような中絶手術がおこなわれたのか。じつはここに国による方針があった。
 当時、堕胎にかかわった岩崎正・九州大学産婦人科教室元医局長は、「日経メディカル」1987年8月10日号に「国が命じた妊娠中絶」と題した手記を寄稿。そこには、敗戦直後に産婦人科の助教授が厚生省に緊急召集され、こう指示を受けたと書かれている。
〈異民族の血に汚された児の出産のみならず家庭の崩壊を考えると、これら女性たちの入国に際しては、これを厳しくチェックして、水際でくい止める必要がある〉
〈極秘裏に中絶すべし〉
『NEWS23』では、二日市保養所で500人とも言われる女性たちが中絶手術を受けたと伝えたが、この岩崎氏の手記によると、国立福岡療養所と国立佐賀療養所でおこなわれた中絶手術も〈1000件を下らない〉という。
 このように「外地」で性暴力を受けて妊娠した女性たちは、当時「不正妊娠」と呼ばれ、記録されている。強姦に遭った被害者であるにもかかわらず、女性たちは“正しくない妊娠をした者”として扱われ、意思とは関係なく国の指示によって中絶をさせられたのである。
女性たちをソ連兵に差し出し性接待をさせた日本人男性
 さらに番組では、政子さんの証言のほかに、岐阜県旧黒川村から満州に渡った「黒川開拓団」で起こった問題も紹介された。それは、敗戦後にソ連兵や現地の人びとから襲撃を受けるようになった際、「開拓団の男たち」はソ連兵に治安を守ってもらうことと引き換えに、女性を差し出して「性接待」をおこなわせていた、というものだ。このとき、男たちは女にこう言っては性暴力を正当化した。「減るもんやないし」「ロシアの人と付き合えて良かったやないか」。
 満州での性暴力、そして“身内”のはずの男たちに人身御供として差し出され、強姦の被害に遭わされた女性たち。戦時下において、女性たちはこうして性の暴力に晒されてきたのだ。
 無論、それは日本人女性だけの話ではない。『NEWS23』では、星浩キャスターが「今回、非常につらい経験を語ってくれた女性の方々を、私はその勇気に敬意を表したい」とした上で、「一方で日本はアジア・太平洋で多大な被害を与えたという加害者でもある」「我々の責任は加害者ということの歴史に目を向けること」と言及したが、日本は戦時性暴力の加害者でもあるからだ。
 言わずもがな、戦時中、日本軍兵士は戦地で強姦を繰り返し、さらには朝鮮人、台湾人、中国人、フィリピン人、インドネシア人など、多くの国の女性たちを人身売買や脅迫、甘言を囁いて騙すなどして「慰安所」に入れた。しかも、こうした「性奴隷制度」と呼ぶべき慰安所の設置には軍が関与しているのである。
 だが、こうした問題に対し、日本はいまだに「戦争中だから仕方がなかった」だの「あれは戦時中の売春婦だ」だの「強制連行ではない」だのと混ぜ返しつづけている。これは、治安のために強姦させられた黒川開拓団の女性に男性が吐き捨てた「減るもんやないし」という女性の尊厳を踏みにじる言葉と地続きのものであると同時に、いまなお日本に蔓延している女性の権利に対する意識のなさを浮き彫りにしている。実際、性被害を訴える女性に対し、この国では副総理までもが「はめられた」と言い出したり、「酒を一緒に飲んだら合意も同然」「服装が悪い」「本当は悪い気はしなかったのではないか」などと性犯罪を正当化する意見がごく当然の見方であるかのように次々と飛び出すという状況がつづいている。
 日本が戦時性暴力の加害者であることを真摯に受け止めることもなく、被害を訴える女性たちに「金目的だ」などと暴言を浴びせ、一方で性暴力を受けた女性たちに「自己責任」と言い放つ。これは、女性に対する性暴力が「女性の人権」の問題であるという認識がないことの証左だ。
 戦地で日本兵が追い込まれた過酷な状況や本土空襲の苛烈さといったテーマと比べると、日本の女性たちが受けた性被害にかんする報道は少ない。そして、多くの被害女性たちに沈黙を強いてきたのは、この国の性暴力に対する偏見や、被害者に「恥」の意識を擦り込ませる社会からの視線だ。これを現在にもつづく問題として捉えると同時に、日本軍「慰安婦」問題を筆頭に、あらゆる性暴力を「女性の人権」の問題として考える。日本に求められているのは、そうした姿勢であるはずだ。


杉田水脈がLGBT差別問題から逃亡の裏で“お仲間”の極右集会に参加予定!「南京事件はなかった」のトンデモ主張
「(LGBTは)子供を作らない、つまり『生産性』がない」という雑誌でのLGBT差別発言で大きな批判が集中している自民党・杉田水脈衆院議員だが、問題視された7月中旬以降、発言の撤回や謝罪はおろか、公の場で批判に対する自身の見解も明らかにしていない。
 実際、もともと“ネトウヨのアイドル”と呼ばれるだけあって、あれだけこまめに更新していたTwitterも、7月23日に〈自分はゲイだと名乗る人間から事務所のメールに「お前を殺してやる!絶対に殺してやる!」と殺人予告が届きました。これに対して被害届を出しました〉などと投稿して以降は、8月2日に「スタッフの投稿」として、同日発売の「週刊文春」(文藝春秋)8月9日号に掲載された記事について〈記事および見出しの内容はすべて事実無根〉などとツイートしただけだ。
 なお、「週刊文春」の記事は杉田氏の過去の「不倫疑惑」と「母親に育児を丸投げしていた」疑惑を伝えたものだが、文春の取材に対して杉田氏の事務所は、やはりLGBT差別問題については「コメントを差し控えさせていただきます」との回答をメールでよこしただけだったという。
 ところが、そんな杉田議員が来月、「外務省 目覚めよ! 南京事件はなかった その2」というタイトルの講演会で登壇する予定だというのだ。まったく、厚顔無恥にもほどがあるではないか。
 この講演会は、「南京戦の真実を追求する会」なる右派市民団体が主催し、新しい歴史教科書をつくる会などが協賛に加わる集会。お察しの通り、1937年の日本軍による南京攻略戦の際に繰り広げられた捕虜・民間人に対する大量殺戮などの犯罪行為、通称・南京事件(南京大虐殺)の存在そのものを否認する集会だ。当然、外務省および政府の〈日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない〉という公式見解も否定することになる。
 主催団体のホームページによれば、この講演会は9月19日、東京・文京区役所の建物内にある多目的ホール・文京シビックホールで催されるという。同施設は自治体の指定管理者制度で民間が運営を代行。ヘイトスピーチと地続きの歴史修正を目的とした集会に公共の施設が使われるというのも首を傾げざるを得ないが、それは置くとしても、杉田議員は例のLGBT差別について、なんら社会的な説明責任を果たしていない一方で、こんな極右集会でリビジョニズムを振りまくことが許されるのか。
 もっとも、LGBT差別で注目を浴びた杉田議員だが、もともと日本軍による慰安婦問題の否定など、筋金入りの歴史修正主義者である。
 たとえば南京事件については2015年、ユネスコの世界記憶遺産に中国が申請した「南京大虐殺の記録」が登録されたことに関連して、〈世界記憶遺産(この呼び方も誤訳?正しくは「世界の記憶」)に目録だけで登録された「南京大虐殺」。そもそもこの事業の趣旨にあっていない。現段階ではここを攻めるしかない日本政府ですが、行く行くはそれ自体捏造であることを発信していけるようになればと思います〉(2017年11月4日のツイート)と述べ、南京事件自体を日本政府として否定すべきと主張した。
 また、日本維新の会時代の2014年4月11日の衆院内閣委員会では、“現在もGHQのプレスコードが失効しているとは思えない”と主張しながら「失効しているのならば、たとえば習近平国家主席がドイツで南京大虐殺で30万人、日本人に虐殺されたというような演説をしたんですけれども、これに対して、では日本の総理なり官房長官なりが南京大虐殺はありませんでしたという事実をどうして反論しないんですか」と政府に質問。菅義偉官房長官から「政府としても、できる限りこの問題については、史実に基づいて客観的にしっかりと広報もできるようにしたい」「そこは思いは同じ」との答弁を引き出している。
南京虐殺否定の自民トンデモ議員が、杉田水脈を「国家の財産」と賞賛
 しかし、本サイトで何度も伝えているように、南京虐殺が「なかった」とする杉田議員らの虐殺否定論は、極右メディアやネトウヨ界隈が叫び続けているだけで、まともな歴史学者ならば一笑に付すトンデモだ。実際、保守派の歴史学者である秦郁彦氏ですら南京攻略戦で捕虜殺害などの残虐行為が行われたことを認めている。
 だが、そうした歴史学的に拒絶されている虐殺否定論を杉田議員が支持しているのは、単に頭が悪いからとか、そういうことだけではない。むしろ「南京虐殺はなかった」というデマは、安倍首相周辺の自民党議員がこぞってがなりたてきたものなのだ。
 たとえば、安倍首相の寵愛を受ける稲田朋美・元防衛相だ。杉田議員が登壇を予定している「外務省 目覚めよ! 南京事件はなかった」という集会のタイトルを見て、ピンときた人も少なくないだろうが、実は稲田氏は昨年12月13日に同じ集会に登壇。「日本の名誉を守るとは、いわれなき非難や事実と違うことに断固として反論することだ」「国益を守ることに政治家としての軸足を置いていきたい」と語っている。
 つまり、その第二弾に杉田水脈議員が登場するということらしいのだが、もう一人、自民党からは昨年に続き、原田義昭衆院議員の参加が予定されている。 
 原田議員といえば、2015年、自民党で歴史認識問題に取り組む「国際情報検討委員会」の委員長として、「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、(中国が世界記憶遺産に)申請しようとするのは承服できない」と発言。グロテスクな歴史修正主義が自民党の本質そのものであることを満天下に知らしめた。ちなみに原田議員はその後、TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』に出演したのだが、荻上チキ氏によるロングインタビューに対し、南京事件について基本的な知識すら持っておらず、ネトウヨ並みの感情論でしかものを言っていないことを露呈させていた(過去記事参照)。
 なにより、自民党が杉田氏のようなトンデモ極右を迎え入れたのも、こうした“歴史修正のスピーカー役”を期待したからだろう。そもそも、杉田議員を自民党に引き入れた張本人は安倍首相。櫻井よしこ氏によれば「安倍さんがやっぱりね、『杉田さんは素晴らしい!』って言うので、萩生田(光一・自民党幹事長代行)さんが一生懸命になってお誘いして、もうちゃんと話をして、(杉田氏は)『自民党、このしっかりした政党から出たい』と」(ネット番組『言論テレビ』)いうことになったという。
杉田水脈と安倍政権の歴史修正主義は戦争への欲望と表裏一体
 また、杉田議員は前述の原田議員とネトウヨ雑誌「ジャパニズム」(青林堂)でこれまで2回、対談をしているのだが、2018年2月号(vol.41)での対談では、原田議員が杉田氏の当選を「奇跡的な流れ」「杉田さんのようにポテンシャルのある人材を置いておくのは本当にもったいない」と激賞し、あげく、「櫻井よしこさんのような立派な論客になる道もまだ残ってるし、杉田さんは自民党だけではなく国家の財産ですよ」と歯の浮くようなべた褒めを展開。「国家の財産」どころか「日本の恥」としか言いようがないが、杉田氏はこの対談でこんなことを語っていた。
「安全保障の調査会で自衛隊の郷友会さんが政策提案している中に、慰安婦問題とか南京大虐殺のような歴史戦に、どう戦うのかというのがありました。私は今まで歴史戦は外交の問題だけではないと思っていたのですが、郷遊会の方々は防衛の問題だとおっしゃったんですよ。まったくその通りで、武器を使わない戦いで武力も、国力も、国益もどんどん削がれていきます。防衛・安全保障の観点からこの歴史戦の問題を論じていただきたい、考えていただきたいと思います」
 郷友会とは元軍人や自衛隊員らでつくられ、9条会見や靖国信仰など極めて右派的な色彩が強い団体だが、ようするに、杉田氏は南京事件の否定論などの歴史修正主義を防衛=軍事的なイメージと重ね合わせているらしい。
 本サイトでは日頃から、日本の加害事実を否認し、過去の侵略戦争を正当化しようとする歴史修正主義は、必ずや次の戦争にこの国を導くと何度も言ってきた。マスコミは、杉田議員のLGBTヘイトのみならず、こうした剥き出しの歴史修正主義と、それと地続きにある好戦的な欲望ももっと掘り下げるべきだ。
 そして、LGBT差別の問題にしても歴史修正主義にしても、決して杉田議員個人だけの問題ではない。その背後には安倍政権の政治のグロテスクな本質が見え隠れしている。いずれにせよ、あの杉田議員が極右議員とお仲間に囲まれて「南京事件はなかった」などと再びがなりたてるのを、このまま黙って見ていてよいはずがないだろう。


石破氏の「公平な行政」パクリ…安倍首相の姑息な争点潰し
「行政を公平につかさどる。これは首相として当たり前の責務だ」
 耳を疑うが、これは安倍首相の言葉だ。12日に地元の山口・下関市で講演を行った際、自身の政治姿勢について、こう話した。9月の自民党総裁選に立候補表明した石破元幹事長が掲げる「正直・公正な政治」をさっそくパクリ始めたのだ。
 安倍首相が争点潰しの抱きつき作戦に出るのは初めてではない。昨年の解散・総選挙でも、当時の民進党が主張していた教育無償化や税の配分を社会保障に傾斜する方針を“いいとこ取り”して、選挙の争点を潰しにかかった。
 今回も、石破氏が10日の出馬会見で「正直で公正、丁寧で謙虚な政治」を訴え、「嘘つきでえこひいき」と批判される安倍政治との対比を鮮明にした途端、「公平な行政」とか言い出した。まるで脱税の常習犯が国民に納税義務を訴えるようなものだが、総裁選の論点から「歪んだ行政」を外すため、なりふり構わずパクリにかかる。
 12日の下関講演で、いきなり秋の臨時国会に自民党の改憲案を提示する方針を打ち出したのも、石破潰しの一環だ。つい最近まで、「改憲はスケジュールありきではない」と言っていたのに、急に前のめり。「総裁選が党員の間で(改憲の)議論を深め、一致団結して前に進むきっかけとなることを期待している」と発言したのも、当然、石破氏を意識してのことだ。
 石破氏も改憲派だが、拙速な改憲には否定的な立場。「丁寧な手続き」を主張していて、党の改憲案についても「しっかり議論し、最低限、党議決定のプロセスが必要だ」と言っている。
「石破さんとしては、憲法観も総裁選の争点のひとつにしたいのでしょうが、総理は真っ向から改憲論議を挑むことは避け、総裁選での勝利という結果で石破さんを封じ込めるつもりです。細かい論点については議論せず、改憲だけを前面に掲げていれば石破さんとの差は明確にならず、争点にもならない。総裁選に勝てば、総理は『党内の合意を得た』と大手を振って、自身の案で改憲を主導しようとするでしょう。国会議員票の8割を固めて、“確実に勝てる”と判断したから、候補者同士の政策論争の場はできる限り設けずに選挙戦を終わらせようとしています。論戦なら優位に立てると考えて、総理に論争を呼びかけている石破さんは甘いですね」(自民党中堅議員)
 安倍首相がいまだに正式な出馬宣言をしていないのも、石破氏との政策論争の機会を極力つくらないためだ。ギリギリに出馬宣言して、たいした論戦もないまま勝ち逃げし、総裁選で改憲スケジュールを既成事実化する。総裁選は国民への改憲PRの場くらいに考えているのではないか。
「すでに選対本部もできているのに、安倍首相が正式に立候補を表明しないまま票固めに走っている姿は、やはり姑息に感じます。この国のトップリーダーを決める選挙なのだから、お互い堂々と論争をして欲しい。それが総裁の正当性を担保することにもなるはずです。議論から逃げ、数の力でごまかして、『勝ったから私が正しい』という態度で好き放題やるのは、安倍首相のいつものパターンですが、そんな茶番の総裁選を見せられたら、自民党は国民から愛想を尽かされ、そのうち世界からも相手にされなくなりますよ」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)
 自民党議員も党員も、本当にこれでいいのか、「自由」と「民主」を標榜するなら、なおさらマジメに考えた方がいい。


高まる認可白紙の可能性 小池知事が来月迎える「敗戦の日」
 1年前の「築地は守る」の約束はどこ吹く風だ。小池都知事が東京五輪に向け、豊洲市場移転と築地市場解体を急いでいる。すでに農水省に豊洲市場の開場認可を申請。大マスコミは「9月13日予定の開場記念式典までに認可が下りる見通し」と解説するが、そうは問屋が卸さない。
「どうも農水省は認可に難色を示しているようなのです。豊洲市場全体の使い勝手の悪さは少しも改善されず、依然として地下水から環境基準の170倍のベンゼンなどが検出。業者の不安と不満は募るばかりで、開場後も年間140億円の赤字を垂れ流すことも分かっています。こうした情報は農水省も理解しており、開場後の大混乱の責任を負わされたくないのは官僚の性です。降りかかる火の粉は振り払いたいのが、本音でしょう」(農水省事情通)
 認可の是非は、自民党総裁選の時期と重なる。豊洲市場のネガティブ情報は補佐官を通じて、安倍首相の耳にも入っているという。小池知事は6年前の総裁選では石破元幹事長支持に回り、昨年の総選挙では希望の党を立ち上げ、安倍首相に公然と反旗を翻した。自分に歯向かった相手を絶対に許さないのが、安倍首相だ。今回の総裁選でも争う石破に近い小池知事に、良い感情を抱いているわけがない。
「10月11日の開場予定日が近づくにつれ、業者の不満が爆発し、『この状態で開場して大丈夫か』という世論批判が高まれば、総裁選の人気取りの一環で、安倍首相が農水省に鶴の一声で認可延期を命じる可能性も、ゼロとは言い切れません。3年前の安保法制の審議の最中に、不人気だった新国立競技場のザハ案の白紙撤回を躊躇なく指示した前例もある。そうなれば、豊洲移転の迷走と混乱の責任を取り、小池都知事の進退問題に発展しかねません」(自民党関係者)
 いずれにしろ、豊洲移転を巡り、安倍首相が小池知事の首根っこを掴んでいることに変わりはない。9月中にも小池都政は「敗戦の日」を迎えることになるかも知れないのだ。


阿波おどり「総踊り」 中止原因は“市のやっかみ”と猛批判
 夏の風物詩である徳島市の「阿波おどり」。今年は12〜15日の開催だが、「総踊り」をめぐる対立が報じられ、日本中の注目を浴びている。
 市内4カ所で開催され、午後10時すぎから南内町演舞場で有名な「連」のメンバーが踊る。これを総踊りと呼び、長年好評を博してきた。
 ところが今年6月、徳島市と徳島新聞社などでつくる「阿波おどり実行委員会」が総踊りの中止を発表。総踊りが他の3カ所のチケット販売を低迷させているからとの理由だった。これに反対する「阿波おどり振興協会」のメンバー約1500人が13日夜、路上で総踊りを強行したのだ。
 ゴタゴタは1年前に始まった。実に4億円強の運営費の負債が発覚し、遠藤彰良市長が「徳島市観光協会」会長だった近藤宏章氏に辞職を要求。近藤氏が「職権乱用だ」と市長を提訴し、さらに今年になって、市が観光協会の破産申し立てを行い、破産が成立。地元のジャーナリストは「市が赤字の責任を観光協会に押し付けた」と説明する。
 そこに総踊りの中止が重なった。実行委員会は「総踊りにお客さんが集中するので、他の演舞場に販売収益を分散させるために中止を決定しました」(広報担当者)と説明するが、総踊りを強行した振興協会の小野木勝彦事務局長はこう反論する。
「健全な経営者なら、従来通り、総踊りという主力商品を売り、同時に他の演舞場にもお客さんを呼ぶ方法を考えるものです。われわれは阿波おどりを支えてきたと自負しています。いとも簡単に中止してしまった市側を許すことはできないと思い、総踊りを実行しました」
 観光協会会長だった近藤氏もこう批判する。
「総踊り中止の原因はやっかみですよ。主催の徳島新聞が面倒を見ている市役所前演舞場と紺屋町演舞場は人が入らない。だから『南内町の総踊りをやめろ』と言い出したのです。観光協会と密接な関係にあった振興協会に敵意を抱いていることも理由のひとつでしょう」
 教育評論家の水谷修氏が総踊り強行を「暴走族」と表現し、ネット上で批判を浴びている。場外乱闘も飛び出した阿波おどり騒動。まだまだ混乱が続きそうだ。


元SMAP3人は自由を謳歌 シャッフルして新たな仕事が急増中
 元SMAPの香取慎吾(41)、草剛(44)、稲垣吾郎(44)の3人がジャニーズ事務所を退所して1年が経つ。独立当初はマネジャーの飯島三智女史の元、ネット中心に活動していたが、最近は3人、2人、個人とシャッフルして新たな活動を展開。仕事が急増している。
「独立すると前事務所との仕事などをクリアにする時間もあって、1年間は暗黙のうちに自重するルールみたいなものがある」(芸能関係者)
 解禁日に合わせて、あらかじめ準備していたかのように新たな仕事が目白押し。今月から放送の香取・草が前頭部ハゲのカツラをかぶった発毛剤のCMはインパクトがある。かつて低迷していたSMAPが売れるきっかけになったのが飯島氏の進言によるコントへの挑戦だった。今回も原点に戻ったようにも見える。
 俳優業も、のろしを上げた。特に際立っているのが稲垣。地上波のドラマ、舞台、来年公開の映画と出演が相次ぐ。SMAP時代の稲垣は地味な存在だった。独立後、先行き不安も囁かれていたが、一転して需要は増えている。
「木村拓哉はカッコいい主役にこだわってきたことで色が付いているが、稲垣は脇役が多く色は付いていない。これからどんな色でも付けられる。以前、時代劇で狂気じみた暴君役を好演したこともあり、悪役も面白い」と、映画界の評価は高い。メディアとの交流も積極的な3人。自由を謳歌しているように見えるが、期待された熱愛は現段階ではない。
 対照的にジャニーズでは女性絡みのスキャンダルが絶えない。最近も“嵐”の二宮和也(35)は2年越しの熱愛が継続中だった元フリーアナの伊藤綾子(37)と海外旅行。桜井翔(36)はテレビ朝日の小川彩佳アナと別れ、21歳の女子大生との新たな恋が「文春」で報じられた。嵐のメンバーもすでに30代半ば。結婚を含め将来設計を真剣に考える年齢。すでに結婚した先輩の影響もあり、嵐のメンバーの結婚も時間の問題ともいわれている。デビュー時から結婚より人気を優先してきたアイドルも、時期が来れば人気より結婚を優先するのも無理のないこと。元アイドルからこんな話を聞いた。
「いつも密会では次第に疲弊する。普通の恋人のように外で会いたくなる。結婚もデートの延長線上にあるもの」
 二宮も桜井もそんな気持ちの表れだったような今回の熱愛現場。アイドルの育成法はあっても、アイドルからの卒業法のノウハウはない。個性も性格も違うアイドルたち。自ら発見して実行に移すしかない。


京都 崇仁地区、差別を過去に 市立芸大生と町おこし
 京都の玄関口、JR京都駅東に広がる同市下京区の崇仁(すうじん)地区で2023年の市立芸術大(西京区)移転を控え、住民と学生が食やアートを生かして町おこしに取り組んでいる。地区は長年、部落差別に苦しみ、近年は住民の高齢化と流出も問題化していた。地元の「ソウルフード」も楽しめ、人気を集める屋台村「崇仁新町」や、廃校で芸大卒業生らの作品を展示するギャラリーなどでにぎわい作りを目指す。
 屋台村は大学建設予定地に2月、工事開始までの2年半の期間限定でオープン。焼き鳥などからお好み焼きに似た地元料理「ちょぼ焼き」、ハンバーガーまでコンテナで営業する飲食店が16軒。京都駅の東約400メートル、徒歩約5分と立地もよくサラリーマンや外国人観光客らで連日にぎわい、月平均2万5000人が訪れる。
 地元自治会の役員や大学教授らによる一般社団法人「渉成楽市洛座」が運営。代表理事の池田正治さん(63)は屋台村で、牛ホルモンのレバーとミノを揚げた「レバ天・ミノ天」を前に「これは崇仁のソウルフード。昔は銭湯の前に屋台があって、風呂上がりの楽しみやった」と笑う。建物配置の考案や、施設内の舞台でのライブペイントなどアートの催しの開催などで市立芸大の学生らも協力。池田さんは「地区外の人や学生との交流で地区への理解も深まる。こうした取り組みを同和問題の解消に役立てたい」と期待を込める。
 予定地には閉校した市立崇仁小学校の職員室を利用したギャラリーも。2年後の解体工事まで、市立芸大の卒業生らの作品を展示する。市立芸大デザイン科3年、麻生あおいさん(21)は「授業の作品制作を通じて住民の話を聞き、地域への強い愛着を感じた。大学と地域がうまく連携できたら」と願う。
 地区は明治期、融資を受けることが難しかった住民の手で金融機関「柳原銀行」が設立されたことで知られる。かつては老朽化した住宅が多数、密集する地域だった。劣悪な住環境改善を目指す公営住宅建設などのインフラ整備は遅れ、近年は高齢化と若年層の流出が進んだ。戦後すぐに約6000人いたという住民は15年には約1400人に減った。
 そんな中、市立芸大の移転計画が浮上し地元住民も賛同。14年に移転が決まった。美術、音楽の2学部などで約3万8000平方メートルのキャンパスを教職員と学生計1200人が利用する見込み。地元自治会「崇仁自治連合会」の会長、菱田不二三(ふじみ)さん(68)は「移転後も学生は学校に閉じこもらず、街に出て私たちとふれあってほしい」と語る。【野口由紀】


古都の夜空に 京都五山送り火
京都のお盆の伝統行事、「京都五山送り火」が16日夜行われ、炎で描かれた「大」の文字などが古都の夜空に浮かび上がりました。
「京都五山送り火」はお盆に先祖の霊を送る伝統行事で300年以上の歴史があるとされています。
京都市左京区の大文字山では16日午後8時、斜面に設けられた火床に火が一斉にともされ、暗い夜空に炎の「大」の文字が浮かび上がりました。
そして、「妙法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居形」の順に火がともされ、京都市を囲む5つの山々が炎で描かれた文字と形で彩られました。
京都市は夕方、一時的に雨が強まりましたが、夜には上がり、上京区の建物の屋上では地元の人や観光客などおよそ400人が集まって闇夜に炎が浮かび上がる幻想的な風景に見入っていました。
京都市上京区の建物の屋上から送り火の様子を見守った静岡県から来た50歳の男性は「見たいという長年の夢がかなった。日中、雨が降っていたので心配でしたが、きれいな光景に感動しました」と話していました。
また京都市の小学5年生の女の子は「家からははっきり見えない船形が見られて、とてもきれいでした」と話していました。

【富田林署・逃走】大阪府警、不祥事続出の内部実態…被害届取り下げ強制、交通違反もみ消し
 大阪の富田林警察署で拘留中の男が逃走して騒動になっているが、驚いている人は私の周囲にはあまりいない。むしろ、「いかにも大阪府警らしい」と言う人がほとんどで、私も大阪府民の1人として同感だ。その背景に潜んでいる大阪府警の構造的な問題を指摘したい。
身内に甘い
 若い頃、警察病院に勤務していたことがあり、当時は高校野球の季節になると警官OBの事務職員数人が胴元になって野球賭博をやっていた。私は声をかけていただけなかったが、若手の男性医師の多くは「先生も賭けませんか」と誘われていたようだ。
 外で野球賭博をやるとヤバイことになるのだろうが、賭博を取り締まるはずの警察と関連する組織では堂々と行われていたので、「身内には甘いんだな」という印象を抱いた記憶がある。
 また、ある内科医が、深夜に患者の容体が急変して呼び出され、猛スピードで車を運転して病院に駆けつけていた途中でスピード違反の取り締まりに引っかかった。そして、青切符が切られ、反則金を支払わなければならなくなった。
 すると、どこで聞きつけたのか、警察病院の課長の1人が「取り消しにできますよ」と耳元でささやいた。その課長は警官OBで、警察にいた頃は交通違反の取り締まりをしていたらしい。だから、情報の入手も、違反の取り消しも簡単にできたのだろうが、内科医は弱みを握られるのが嫌で、断ったという。
 警察病院の医師のスピード違反を取り消しにできるくらいだから、警官のちょっとした違反など簡単にもみ消せるのではないかと背筋が寒くなった。もちろん、これは30年近く前の話で、その後大阪府警は激しい批判に応えるために組織を改革してきたと思いたい。それでも、たびたび不祥事の隠蔽が発覚するので、身内に甘いという印象を払拭できない。
面倒なことは嫌
 精神科病院に勤務していた頃、留置場に鑑定に行くと、「できるだけ早く迎えに来て、連れて帰ってくれ」と言われたものだ。留置場には、路上で暴れたり、意味不明のことを口走ったりしていた人が、通報によって保護・収容されていることもあり、要請を受けて精神科医が鑑定に出向く。そして、何らかの精神障害を認めれば、精神科に入院させるのだが、その際、警官から言われたのである。
「法律が厳しくなって、精神科病院から迎えに行って入院させることはできなくなったんですよ。病院まで連れて来てください」とお願いすると、「面倒くさいなあ。大和川病院は良かった。いつでも、どんな患者でも、病院の車で迎えに来て、入院させてくれた」という答えが返ってきた。
 たしかに、大和川病院は関西一円の警察を回り、テレホンカードを配ったり、盆暮れに付け届けをしたりする「営業活動」で有名だった。「いつでも、どんな患者でも受け入れます。病院の車でお迎えに上がります」というのがセールスポイントで、警察にとっては「便利な病院」だったのかもしれない。
 もっとも、大和川病院では、劣悪医療に加えて、精神保健福祉法に違反する人権侵害や暴力支配が横行していた。看護師やボス患者の暴行による入院患者の死亡事件も起きている。そのせいで評判が悪かったからこそ、患者確保のために「営業活動」に精を出していたともいえる。
 ちなみに、大和川病院の実質的な経営者だった安田基隆・安田病院長は、診療報酬をだまし取った詐欺容疑で大阪地検特捜部に逮捕・起訴され、大和川病院は強制的な廃院・解散処分を受けた(安田氏は1審・2審で実刑判決を受け、上告中に病死)。
 法律に違反するようなことをしていても、患者を迎えに来てくれる病院のほうが、警官がパトカーで患者を病院まで連れて行く面倒なことをせずにすむので、「良かった」ということだろうか。
 このように面倒なことを嫌がる傾向は、他の面でも現れているように見える。たとえば、ストーカーに悩まされたり、レイプされたりした女性が被害届を出そうとすると、警官から取り下げるように説得されたという報道を聞くと、「面倒くさいことは嫌なんだろうなあ」と思わずにはいられない。
 今回の逃走事件も、接見室の扉には開くとブザーが鳴る装置が設置されていたが、富田林署が装置の電池を抜いていたことが一因のようだ。「接見終了時に弁護士が署員に知らせることが多いため不要」というのが理由らしいが、本当は接見室の扉が開くたびにブザーが鳴ると、うるさくて面倒だからではないかと疑いたくなる。
 駆け出しの頃、先輩から「精神科医は警察と仲良くしなければ、仕事ができない」と言われたことがある。たしかに、通院中の患者が「FBIに追いかけられています」と訴えて警察に駈け込んだと連絡をいただいたり、無断離院した入院患者の捜索願を警察に出しに行ったりしたときに、大変お世話になった。誠実に対応してくださった警官を思い出して、「真面目にがんばっている警官もいるのだから、十把一絡げに大阪府警の悪口を言うのはやめよう」と自分に言い聞かせている。
 それでも、今回の逃走事件のようなお粗末な不祥事が続くと、批判せずにはいられない。大阪府民の安全を守るために、襟を正してがんばっていただきたい。(片田珠美/精神科医)