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自民党は恥を知れ

Trois disparus au Japon après le passage du typhon Cimaron
Le typhon a déversé de fortes pluies dans l’ouest de l’archipel et a provoqué des retards dans les transports, mais sans faire de gros dégâts.
Le typhon Cimaron a déversé de fortes pluies dans l’ouest du Japon, vendredi 24 août, avant de repartir en mer et de se diriger vers Hokkaido, l’île du nord de l’archipel. Trois étudiants ont été emportés par les vagues sur une plage de Shizuoka (île de Honshu), a annoncé la chaîne de télévision publique NHK. Leurs sandales, sacs à dos, smartphones et portefeuilles ont été retrouvés sur la plage.
Malgré des retards importants dans les transports et quelques dégâts, la région semble avoir échappé aux ravages qui étaient redoutés. Les vents, qui ont atteint plus de 200 km/h sur un large rayon, ont été ressentis jusque dans la région pourtant éloignée de Tokyo toute la nuit et encore vendredi matin.
Les trains circulaient à peu près normalement dans la capitale et alentour, mais dans l’ouest de l’archipel, les compagnies ferroviaires et aériennes avaient décidé par précaution de suspendre de nombreuses liaisons.
Circonstances exceptionnelles
Dans cette région, où au vent se sont ajoutées des pluies diluviennes, les autorités locales avaient demandé à de nombreux foyers, notamment ceux de personnes âgées et invalides, de rejoindre pour la nuit des refuges aménagés dans des bâtiments publics.
Quelques toits ont été emportés, des rideaux de magasin arrachés et autres dégâts matériels constatés, mais pas de crues exceptionnelles ni coulées de boue ravageuses. En revanche, près de 45 000 foyers restaient encore, vendredi matin, privés d’électricité.
Le Japon subit tous les ans le passage de typhons parfois meurtriers mais, cette année, l’arrivée de ces perturbations s’inscrit dans un contexte exceptionnel qui incite, désormais, les autorités à prendre davantage de précautions. Il y a un mois et demi, des pluies records dans le Sud-Ouest ont provoqué des inondations inédites et des éboulements terribles qui ont tué quelque 220 personnes.
En juillet, une étouffante vague de chaleur humide s’est abattue ensuite sur le Japon, tuant plus de 119 personnes dans le mois, tandis que 49 000 autres ont dû être hospitalisées.
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昨日の大雨で取り込み忘れていた洗濯ものがびしゃびしゃに.もう一度洗濯しました.仕方ないですね.パワポ頑張ったのですが移動してチェックしてみると保存できていなくてショック.明日やり直しです.

気仙沼向洋高 新校舎が完成
東日本大震災で大きな被害をうけ、プレハブの仮設校舎で授業を続けてきた気仙沼市の気仙沼向洋高校は、震災からおよそ7年半たって新校舎がようやく完成し、24日、生徒たちが新校舎での生活をスタートさせました。
気仙沼市沿岸部の階上地区にある気仙沼向洋高校は、震災の津波で被災したため、内陸部のほかの高校のグランドを借りてプレハブの仮設校舎で授業を続けてきました。
東日本大震災からまもなく7年半となる中、被災した校舎より1キロほど内陸に新しい校舎がようやく完成し、24日、記念の式典が開かれました。
式には生徒や教職員、地域の人たちなど、およそ450人が出席し、生徒会長の鈴木勇汰さんが「新しい校舎でも地域の方々に感謝しながら勉強に励んでいきたい」と決意を述べました。
そして、生徒たちは校歌を歌って新しい校舎の完成を祝いました。
式のあとは、教職員や生徒が真新しい教室や設備を地域の人たちに紹介していました。
新校舎には、水産加工などの実習で使う機材も整い、震災前と同じような授業を行えるようになるということです。
高校3年生の女子生徒は「仮設の校舎より良い環境で実習できるのが楽しみです」と話していました。
階上地区の住民は、「若い子たちのにぎわいがまた戻ってきてうれしいです」と話していました。
佐藤浩校長は、「生徒たちには新しい環境で勉強に励み、地域を代表する人材に育ってほしい」と話していました。


避難者の思い出 油絵に 会津学鳳高・中美術部 大熊町民から聞き取り
 会津若松市の会津学鳳高・中の美術部員たちが、東京電力福島第1原発事故で市内に避難する福島県大熊町民の思い出を、油彩画にして贈る活動に取り組んでいる。市内の災害公営住宅「城北団地」で、住民が持参した写真を基に古里や家族の思い出を聞き取ることからスタート。完成は12月を予定する。
 初日の8日は、生徒16人が同団地の集会所を訪問。6グループに分かれ、集まった大熊町の住民10人に、かつての古里や原発事故当時の様子を聞いた。
 同町夫沢で農業を営んでいた池下昭さん(76)は約5センチ四方の小さなモノクロ写真を持ってきた。中学生の頃、男3人兄弟、母親らと自宅の庭で撮影した。
 池下さんは「自宅は帰還困難区域になった。避難先に持ってきた写真は少ないが、母親の農作業を手伝い、たこ揚げをして遊んだことが忘れられない」などと説明した。
 聞き取りは約1時間にわたった。高校3年渡辺梨花さん(17)は「たくさん教えてもらった。兄弟を育ててくれたお母さんに対する池下さんの思いを表現したい」と話した。
 生徒たちは約20センチ四方の油彩画を制作。同県三島町産のキリ材に漆を施したレリーフに埋め込み、アート作品に仕上げて、住民それぞれにプレゼントする。
 城北団地自治会長の北村哉信さん(57)は「若い人たちと交流できてうれしい。作品の完成を楽しみにわれわれも頑張りたい」と語った。


石巻市役所核店舗決まらず 公募2回不調 市中心部空洞化の危機
 石巻市役所1階の商業スペースが昨年5月のスーパー撤退以来、核テナント不在の状態が続く。JR石巻駅前の一等地にあるが、過去2回の公募はいずれも不調に終わった。周辺住民の利便性低下は免れず、客足の郊外流出に伴う中心部の空洞化を危惧する声が高まっている。
 商業スペースで営業しているパン店、接骨院など14店舗は、市役所の改修工事に伴い今月末で契約が終了する。商業フロアはいったん閉鎖され、来年1月以降に再開予定だ。
 市は周辺住民や駅利用者の使い勝手を考慮し、生鮮食料品や日用品を扱うスーパーの進出を期待。1階フロア全体(約4430平方メートル)の一括貸し出しも視野に入れる。関心を示す事業者に打診を続けるものの、現段階で誘致のめどは立っていない。
 昨年12月から今年1月にかけての公募型プロポーザルには1社が事前申し込みをしたが、最終的に辞退した。市は4月、興味を示した5社にヒアリングを実施。要望を取り入れて6〜7月に制限付一般競争入札で再公募したが、応募はなかった。
 中心部の集客力低下に地元商店は危機感を強める。市役所に近い立町大通り商店街振興組合の篠田一寿理事長は「地元で日用品が買えないと、集中して買い物ができる郊外の大型商業施設に行ってしまう」と焦りの色を深める。
 核テナントの消えた影響は商店街に徐々に現れているといい、「個人商店の力では限界がある。市には早くスーパーを誘致してほしい」と要望する。
 亀山紘市長は8日の定例記者会見で「(駅前周辺の)住民は買い物ができる場所が非常に限られている。1階にはできるだけ利便性の高い商業施設を誘致していきたい。諦めずに企業を募集していく」と述べた。
 昨年5月まで市役所1階にはスーパー「エスタ」が入居していた。東日本大震災の津波で被災し再開したが、周辺人口の減少で売り上げが伸びず閉店した。


河北抄
 78歳。この夏のニュースで話題になった「ヒーロー」の中で最年長だろう。山口県周防大島町で3日間行方不明になった男児の捜索に駆け付け、発見した大分県日出町の尾畠春夫さんだ。
 災害支援ボランティアとして全国を飛び回り、東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町でも被災世帯の写真捜しに加わった。「ボランティア仲間の精神的支柱だった」「周囲に背中で語る職人肌の人」。関係者の声が先日の本紙朝刊に載っていた。
 65歳で鮮魚店の仕事を退き、ボランティアは社会への恩返しという尾畠さん。活動費は自弁で、男児発見から休む間もなく西日本豪雨の被災地の広島県で汗を流した。その行動力に頭が下がる。
 ラテン語の「自由意思」が語源とされるボランティア。「自由に、気軽に始めることから」と背中を押された人も少なくないはず。尾畠さんと志を同じくする多くのボランティアが震災の被災地にいることの尊さも改めて教えてくれた。尾畠さんへ。復興の進んだ東北をぜひ見に来てくださいね。


外国人の視点 誘客生かす 観光協会職員に採用
 八戸地域の観光地域づくり推進法人(DMO)の設立に向けて訪日外国人客(インバウンド)誘致を強化しようと、設立準備委員会の一つの八戸観光コンベンション協会(八戸市)は、外国人職員を採用した。外国人の視点で八戸市周辺の観光の課題を探り、今後の戦略に生かす考えだ。
 採用されたのは今月初めまで3年間、市の国際交流員を務めた米国人のマシュー・ボラさん(27)。採用初日の20日夜、市中心部の「みろく横丁」の店を回り、外国人が増加しているかどうかや対応で困った点などを聞き取りした。
 今回の聞き取りを参考に、改善策をつくって実証実験を行い、効果があれば他の横町にも拡大することも想定。インバウンド受け入れ態勢を整える計画だ。
 マシューさんは「店の人たちは一生懸命に日本語、英語を使って外国人を歓迎していた」と感想を話し、今後の仕事について「八戸の素晴らしさを世界に紹介したい」と抱負を語った。
 八戸広域観光推進協議会(八戸市)がまとめた八戸圏域の外国人宿泊者は、2015年度が7755人、16年度が1万2699人、17年度が1万9185人と年々増加している。
 コンベンション協会の観光コーディネーターの木村聡さんは「全国的に海外旅行客は増えており、伸びしろはかなりある。八戸地域が攻めていけるよう準備を進めたい」と話した。
 八戸地域ではコンベンション協会と2団体が、来年4月1日の合併に合意。「はちのへDMO(仮称)」の発足を目指している。


<金足農準V>「日本一の応援に感謝」 協賛金2億円近くに
 第100回全国高校野球選手権大会で準優勝に輝いた金足農(秋田)の選手らは23日、この日新学期を迎えた秋田市金足追分の同校で甲子園報告会に臨んだ。生徒や地域住民が快挙をたたえ、全国各地から寄せられた協賛金が2億円近くに上ったことも伝えられた。金農ナインの快進撃がもたらした共鳴の輪の広がりに、一人一人が感謝の思いを新たにした。(5面に関連記事)
 同校駐車場であった報告会には在校生に加え、ナインを一目見ようと地元住民らが駆け付け、約1000人が割れんばかりの拍手で出迎えた。
 佐々木大夢(ひろむ)主将が渡辺勉校長に準優勝の盾を手渡すと、「よくやった」「お疲れさま」と歓声が飛び交った。
 「言葉にできない感動をもらった」と選手たちをねぎらった渡辺校長。決勝進出に伴い応援などにかかった費用が膨らむ中、21日時点で1億9000万円を超える協賛金が届いていることを明かし、善意を寄せてくれた全国の人々に向けてお礼の言葉を述べた。
 秋田に戻った前日に続き、佐々木主将が「日本一の応援をありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えると、大きな拍手が上がった。吉田輝星(こうせい)投手も「力以上のものを出させてくれた応援のおかげです」と語った。
 中泉一豊監督は「日本一を目指して取り組んできた。粘り強く戦った結果が準優勝につながった」と目を細めた。全員で校歌を斉唱し、応援団が野球部に「頑張った!頑張った!野球部!」とエールを送った。
 報告会を終え、甲子園のベンチからチームを支え続けた2年生の関悠人投手は「先輩たちは大舞台の重圧にも負けず、野球を楽しんでいた。自分たちの代もやります」と力強く誓った。


河北春秋
 奄美大島(鹿児島県)には日本のゴーギャンと呼ばれる画家田中一村(いっそん)の美術館がある。入り口ではまばゆい光にアダンの実がオレンジ色に輝き、葉は陰影濃く揺れる。絵にはその明暗と、風の気配が確かにある▼来館者が記した「一村さんへの手紙」には老若男女、念願の思いがあふれる。「(直行便のある)鹿児島まで2度来たが台風に阻まれ、三度目の正直でようやく来られた。感無量」との文も▼気仙沼市のリアス・アーク美術館は、美術への関心を高めようと懸命だ。副館長の山内宏泰さん(47)は震災後、主催する絵画展に小中学生の応募が激減したことを危惧する。「前ばかり向いても真の復興は果たせない。物事を深く見詰める芸術的視点が必要なのに」▼考えた末、手持ちの収蔵品で企画展を開いた。これなら入館無料にできる。美術とは何かを伝える説明文とパンフレットに力を注いだ。風は見えるかと問い「風は見える。故に描くことも造形することもできる」と、心の目で事象を見る大切さを説いた▼地域にゆかりの深い画家の作品など約50点を展示、かつての気仙沼の風景を伝える。建物や道路の復興が進む古里の過去と未来、失ったものと希望。三陸の光と風と共に、当地で「見て」ほしい。企画展は26日までと残りわずか。

京都府内21万人超に避難勧告 台風20号、強風で転倒けが人も
 台風20号は23日夜、京都府内に接近し、24日午前0時現在、福知山、舞鶴、綾部、宮津の4市で計約21万4千人に避難勧告が発令され、向日市と久御山町を除く府内24市町村で、自主避難を含め少なくとも計1099人が避難した。
 府内全域に大雨、暴風警報が発表され、市町村は夜間の台風通過に伴い、早めの避難を呼び掛けた。西日本豪雨の被災地を中心に住民が避難所に詰めかけ、福知山市で288人、舞鶴市126人、綾部市118人、京都市でも25人が避難した。
 南丹市園部で23日午後11時24分に観測史上最大となる最大瞬間風速25・9メートルの強風が吹き、京都市でも午後10時54分に同24・4メートルを観測した。
 京田辺市消防本部によると、午後9時50分ごろ、宇治田原町内で女性(62)が強風にあおられて転倒し、右手首を負傷した。
 関西電力によると、午後11時までに京都市左京区などで延べ2880軒が停電した。京都地方気象台は25日午前0時までの24時間で最大200ミリの雨を予報し、24日午前中まで大雨や暴風への警戒が必要としている。


2才児発見、尾畠春夫さんが説くボランティアとしての心がけ
 山口県周防大島町で行方不明となった2才の男児、藤本理稀(よしき)ちゃんを発見した「カリスマボランティア」として一躍、時の人となった尾畠春夫さん(78才)。
 軽ワゴン車に食料や水、寝袋を積み込み、助ける側から一切、力を借りないことが信条だ。「自己完結するのが真のボランティアだ」と尾畠さんは語る。
「もちろん対価や物品、飲食、これらは一切いただきません。決して“してやる”ではなく、“させていただく”の気持ちで私は臨んでいます」(尾畠さん、注がなければ「」内以下同)
 決して経済的に恵まれているわけではない。
「私の収入は国民年金だけ。月に5万5000円です。お金がないなと思ったら、朝ご飯だけ食べて、昼と夜は食べない。それだけのことです」
 阪神・淡路大震災(1995年)をきっかけに、日本でもボランティアが浸透した。しかし、最近は「モンスターボランティア」という言葉がある。ベテランのボランティアが語る。
「中には“ボランティアすれば就活に有利だから”といってスニーカーにTシャツといった軽装でやって来て倒れる若者や、夜になって『私の宿はどこですか?』と聞く人もいます。人に感謝されやすい、目立つ仕事だけをやりたがって、汚れ仕事を嫌がる。仲間うちで盛り上がって、がれきを前に笑顔で記念写真を撮る人もいました」
 この7月中旬、西日本豪雨被災地の岡山県倉敷市にボランティアで訪れた高知県の町議が酒を飲んで、小学校の避難所に無理やり泊まり、自衛隊が仮設した風呂にも入浴するというトラブルもあった。
 女性セブン記者が「被災地には目に余るボランティアもいませんか?」と尋ねると、それまで笑顔で取材に応じていた尾畠さんが「私は人のことはあれこれ言わない。ノーコメント」と顔を曇らせた。「日本のボランティアの質の向上のため、どうか話してほしい」と食い下がると、尾畠さんは居住まいを正し、こう話した。
「東日本大震災の直後、私は避難所となっていたアリーナにいました。本来、1000人しか収容できないアリーナに1800人が避難していて、本当に満員だった。足も伸ばすことができず、女性は正座を強いられていた。そんな現場でやっと来た炊き出しに、数人のボランティアが並んで、食べていたんです。“あーっ”と思いました」
 100人分の炊き出しがあっても1人のボランティアが食べれば99人分に減る。避難所でも1人分の寝場所が減る。それに気づかない人がいた。
「それでも私は何も言いません。私も一介のボランティアだからです。もちろん、『どうしたらいいんでしょう』と聞かれれば答えますが…」
 トレードマークの赤いハチマキやツナギにも意味がある。
「地味な色では元気が出ませんし、山で捜索するときは目立った方がいい。あまり言いたくないですが、被災地ではどさくさに紛れてドロボウが出ることもある。だから、わざと目立つ服装をしています。私は怪しい人間じゃないぞ、とね」
 尾畠さんが被災者に接するときに大切にしていることがある。
「ボランティアは被災者に根堀り葉堀り聞かないことです。家が流されたかもしれないし、ご家族が亡くなったかもしれない。これからの生活に途方に暮れているかもしれない。自分が被災者だったら、あれこれ聞かれるのは嫌だなと思うんです。聞くことはたった1つ。『おけがはなかったですか?』。この一言だけです」
 もちろん、話を聞いてほしいという人がいれば、徹底的につきあう。
「東北の震災で、浮かない顔をしたかたがいて、もし悩んでいることがあれば話してくれませんかと言ったことがあります。聞くと、倒壊しそうな家の中に、“親の形見の琴”を残してきたそうです。とび職の経験を生かして、取ってきてあげたら、たいそう喜んでくれました」
 尾畠さんと一緒に活動をした経験がある南三陸町社会福祉協議会の三浦真悦さんの話。
「尾畠さんが特別なのは、“被災者の気持ちに寄り添える”こと。『思い出探し隊』では、誰が写っているかわからないような写真でも、“すべての写真1枚1枚に思い出がある”と、とても丁寧に集めて、汚れを落としていたのが印象的でした。尾畠さん、以前はお酒が大好きだったそうです。でも、『東北から仮設住宅がなくなるまで断酒する』と、今も気持ちを寄せてくれています」
「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」──それが尾畠さんの座右の銘だ。苦労を苦労とも思わないのは、若いときにつらさを乗り越えたゆえか。彼の精神から学ぶべきことは多い。


障害者雇用水増し/罪深い旗振り役のごまかし
 国土交通省や総務省などの省庁が40年以上にわたり、障害者雇用促進法で定められた障害者の法定雇用率を水増ししていた実態が判明した。障害者雇用を率先垂範する立場の行政機関の背信行為に憤りを禁じ得ない。
 民間企業は法定雇用率を下回った場合、納付金が求められる。他の規範となるべき中央省庁がこれでは、障害者や企業に示しがつくまい。
 しかも一部では制度の理解不足によるミスではなく、意図的に不正を行っていた疑いがある。行政の信頼を損なう裏切り行為で、制度への信頼も揺らぎかねない。
 障害者の法定雇用率は従業員が45.5人(短時間雇用者は0.5人と計算)以上の企業が2.2%なのに対し、雇用の旗振り役を担う国や自治体は2.5%と高く設定されている。ともに4月に0.2ポイント引き上げられ、さらに2020年度末まで0.1ポイント上乗せされる。
 国は障害者雇用の推進を掲げながら、一方で、雇用率の水増しという不正によって長い間、障害者の就労機会を奪ってきたことになる。各省庁は厳しく責任が問われよう。
 厚生労働省のガイドライン(指針)では、雇用率に算入できるのは障害者手帳を持っている人か、医師の診断書などで障害を認められた人に限っている。だが、各省庁は障害者手帳などを確認せず、障害の程度が軽い職員らを算入していた。
 ずさんな算定がまかり通った要因の一つは、チェック機能の欠如だろう。制度を所管する厚労省は真偽を確認しないまま、各省庁から報告を受けるにすぎなかった。徹底的な調査とともに、再発防止策を早急に検討するべきだ。
 省庁からは「拘束時間が長く、国会対応など突発的な仕事が多いため」などの言い訳が漏れる。責任逃れにすぎず、そうした発言自体、障害者雇用に後ろ向きな省庁の姿勢が透けて見える。
 水増しは地方自治体でも広く行われていた。東北では秋田、宮城、山形、福島の各県などが不適切な算定を認めた。多くの自治体で、指針に沿わない不正が常態化していたということだろう。
 こうした水増し問題への企業側の憤り、反発は大きい。障害者雇用で今後、企業の協力を得られにくくなるのではないかと心配だ。
 省庁に限らず、社会全体が障害者雇用について理解を深めることも大切となる。障害者の職場定着に向けた各種制度が用意されているが、十分に活用されているとは言えない。障害者自立支援法で市町村に設置が義務付けられている「自立支援協議会」も機能していない地域が多い。
 先進地の成功例は行政と企業、支援機関のネットワーク構築の重要性を教えている。雇用率の数値だけにとらわれず、障害者が能力と適性に応じて働き、自立した生活を送れる社会を目指したい。


障害者雇用水増し/徹底的に調査し全容解明を
 障害者への差別をなくし、就労機会の拡大を主導すべき立場にある公的機関による信じがたい行為であり、国民、障害者への裏切りというしかない。
 中央省庁や複数の地方自治体が雇用する障害者の数を水増ししていたことが明らかになった。障害者手帳を持たない職員を合算する手法が使われ、その規模は中央省庁だけで数千人に上るという。
 障害者雇用促進法は、障害者の就労の場を広げるために、国や地方自治体などに一定の割合の障害者を雇うよう義務付けている。今回の水増しは、法定の雇用率について、障害者が働きやすい環境づくりなどを通じて達成することを放棄し、数合わせを優先した不正行為である。徹底的に調査して全容解明を進めなければならない。
 厚生労働省は2006年4月作成のガイドライン(指針)で、原則として雇用の対象を身体、知的、精神の障害者手帳を持つ人らと明記している。しかし、多くの省庁はそれを無視し、障害者の範囲を都合良く拡大解釈した。「視力が弱い」「健康診断で異常を指摘された」などという職員を身体障害者とみなし、見せかけの雇用率を厚労省に報告していた。
 それらの報告を、障害の程度などを正確に反映したものなのかどうか検証できなかったことは制度の欠陥だ。長年の不正により、障害者が本来なら得られた働く機会を奪われた可能性がある。再発防止策を講じて、適正な障害者雇用の実現に努めなければならない。
 同法は民間企業にも適用されており、雇用率を達成できなかった企業は、実質的に罰則に近い形で不足分1人当たり月4〜5万円を国に納めている。公的機関についても報告を確実にチェックし、目標未達ならペナルティーを科すような機能を早急に整備したい。
 県と県教委も水増ししていたことが分かった。かつては、それぞれが指針に従い、障害者手帳を持つ職員数で雇用率を出していた。
 しかし、県教委は国から雇用率改善を勧告された12年度の翌年から、手帳の所持にかかわらず、障害の有無を自己申告してもらう職員アンケートの結果を雇用者数として算定する手法に切り替えた。県も雇用率を達成できなかった14年度の翌年から、県教委と同じ手法の採用を始めた。水増しの総数は延べ282人に及んでいる。
 担当者は「不正や虚偽の認識はなかった」などと釈明している。ではなぜ、指針に従う形での報告を続けなかったのか。法令を順守する公務員として正しい行動だったのか、よく考えてほしい。


障害者雇用水増し  “先導役”の甘すぎる認識
 中央省庁や地方自治体で、法律で定められた障害者の雇用を実際よりも水増ししていた事例が相次ぎ発覚している。障害者手帳の交付に至らない、障害の程度が軽い職員らを算入するといった手法が、1976年に身体障害者の雇用が義務化された当初から続いていたという。
 障害者雇用の先導役であるべき公的機関で、ずさんなやり方がまかり通り、その結果、働く意欲を持った障害者の雇用機会も奪ってきたことになる。障害者やその雇用に努力してきた民間企業に対する重大な背信行為である。
 障害者雇用促進法は、就職で不利な扱いを受けがちな障害者に活躍の場を広げる狙いで、企業や役所に対して一定割合以上の障害者雇用を義務付けている。国や自治体はその模範となるべく、企業よりも0・3ポイント高い2・5%(3月末まで2・3%)の法定雇用率が課されている。
 水増しは、本来必要な障害者手帳がないにもかかわらず、厚生労働省のガイドラインで指定されていない医師が作成した診断書など無効な文書を基にして障害者数に算入したり、健康診断で異常があった職員を障害者とみなしたりした事例も含まれる。
 国は昨年6月時点で、33行政機関で約6900人を雇用し、平均雇用率が2・49%としていた。だが、水増しは数千人規模に上る見通しで、実際の雇用率が1%に満たない省庁も少なくないという。
 ずさんな運用が見逃されてきた背景にあるのは、チェック体制の甘さだ。民間企業は3年に1度、障害者数を算定する根拠とした文書の点検を受けるが、中央省庁にそうした仕組みはない。
 法定雇用率が未達成の企業は納付金を徴収されている。厚労省は民間に厳しいルールを課しながら、身内である役所の水増しを見抜けない状況が続いてきたことになる。
 雇用率の水増しは、2014年にも独立行政法人・労働者健康福祉機構(現労働者健康安全機構)で発覚した。その際、厚労省は他の独立行政法人の運用実態は確認したというが、省庁について詳しく調べることはなかった。あまりに対応が甘すぎよう。
 同様の事例は地方自治体でも続々と判明している。岡山市教委は、障害者手帳や指定医らの診断書を確認しないまま教職員22人を計上していた。本人には伝えず、病気やけがで長期休職する際に提出された診断書などを基に障害者と判断していたという。
 各省庁や自治体は、水増しの有無や規模を早急に調査し明らかにしてもらいたい。その上で、実効性のあるチェック方法の導入など再発防止の手だてを講じる必要がある。
 昨年来、障害のある人が働く就労継続支援A型事業所の閉鎖が倉敷、高松市などで相次ぎ、多くの人が解雇されて社会問題にもなっている。障害者の雇用環境の在り方も改めて問われよう。


沖縄の基地負担 本土の知事も共感を
 沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設に関し市民団体が行った全国知事アンケートで、全知事の約四分の一が沖縄の基地負担は「過重」との認識を示した。痛みへの共感をさらに広げたい。
 アンケートは、基地負担を本土が分かちあおうと呼び掛ける学者や市民で作る「辺野古を止める!全国基地引き取り緊急連絡会」が沖縄県を除く四十六都道府県知事に郵送で行い、八月上旬までに三十九道府県から回答があった。
 「米軍基地の沖縄負担は過重か」の問いに、全国知事会長を務める上田清司埼玉県知事ら十二人が「過重」と回答。川勝平太静岡県知事は「限界の様相を呈している」と付記した。このほか、群馬、福岡、鹿児島県知事は、回答を選択しなかったものの、自由記述で「大きな負担をしていただいている」などの認識を表した。
 「(本土側でも)訓練受け入れなども含め平等に基地負担をした方が良いか」には大分、宮崎両県知事がそう思う、と踏み込んだ。そう思わない、とする達増拓也岩手県知事は「日本全体の負担軽減のため国外移設を」と訴えた。
 そのほかの大半の知事は「安全保障は国の専管事項でありコメントする立場にない」と、無回答や「どちらともいえない」と回答の選択を避ける傾向だったものの、沖縄に寄り添う姿勢の知事が増えているのも事実だ。
 同じ質問でないため単純に比較はできないが、同連絡会が昨年行った知事アンケート(四十二道府県が回答)では、沖縄の米軍基地について「縮小すべきだ」と答えた知事はわずか四人だった。
 背景には、八日に亡くなった翁長雄志沖縄県知事の呼び掛けで一昨年、全国知事会に「米軍基地負担に関する研究会」が設置されたことも影響しているだろう。その議論を踏まえ知事会は七月、日米地位協定の抜本改定などを求める提言を全会一致で決議している。
 これまで米軍基地問題に対しては、基地のある都道府県(現在は十五)で作る渉外知事会が主に対応してきたが「基地なし」県にも理解が広がっている。
 沖縄の米軍基地は、本土からの移転で偏在が顕著になった歴史もある。翁長氏はかねて「沖縄県にのみ負担を強いる日米安保体制は正常といえるのか。国民のすべてに問いかけたい」と述べてきた。
 私たちそれぞれが真摯(しんし)にその問いを受け止めれば、知事を、そして政府を動かす力になるはずだ。


在日米軍2世・玉城さんが沖縄県知事になるのは意義がある
「あなたの国(米国)の血が私には2分の1流れている。だから私の言うことは半分は聞いて頂く。残りの半分は日本政府に聞かせる」(玉城デニー衆議院議員)
 これは20日、玉城さんが「田中龍作ジャーナル」の単独インタビューで米国との向き合い方について尋ねられ、答えた言葉。
 お亡くなりになった翁長沖縄県知事は、亡くなる数日前、後継を誰にするのか録音テープを残していたみたいだ。2名の名が挙げられており、そのひとりが玉城さんだったわけ。
 記事によれば、〈玉城は米兵の父とウチナンチュの母との間に生まれた〉という。つまり、在日米軍2世ってこと。
 その玉城さんが新基地建設反対を掲げ沖縄県知事になるのは、意義があることだと思う。
 冒頭の発言の通り、この人は、米国にも日本政府にも、躊躇することなく、沖縄の民意を堂々と伝えるのだろう。
 日本政府は米国に何もいえないし、地方自治体の長は日本政府に何もいえない。民意を受け政治家になった者は、その民意を裏切ってはいけないってのに。民意より重いものがある政治家なんて、その存在に意味があるのかしらん?
 それにしても、沖縄の男はカッコイイな。
 今年の平和宣言で故・翁長氏はこう言ったんだよ。
「私だけは政治的に死んでも肉体的に滅んでも、沖縄を代表して言いたいことを言おうと思いました」
 さんざん政府に虐められてなお、最後にこの台詞を言えるのはすごい。あたしは翁長知事から、死してなお曲げられない正義というものを教えてもらった。
 沖縄はこの国の縮図だ。「私だけは」という翁長さんをひとりぼっちにしてはいけない。
 もちろん、その後継になるだろう人のことも。巨大な力に立ち向かうため、彼らに寄り添い支えなくては。
 自分のために政治家をやっているやつばかりだから、彼らは特別輝いて見える。


安倍自民が恐々 安室9.15ラストライブで語る“メッセージ”
 安倍首相が3選を狙う自民党総裁選(9月7日告示、20日投開票)の10日後に実施される沖縄県知事選(9月13日告示、30日投開票)。県民世論を無視し、米軍普天間基地の辺野古移設に突き進む安倍政権は、知事奪取に向け死に物狂いだ。迎え撃つ“翁長陣営”は自由党の玉城デニー衆院議員の擁立に動き、「オール沖縄」の再結集を急ぐ。そうした中、安倍自民がピリピリしているのが、国民的人気歌手の安室奈美恵の動向だ。
 9月16日に歌手活動を引退する安室は、存命中の翁長雄志知事から5月に県民栄誉賞を贈られた。翁長の急逝に接すると、追悼文を発表。その内容は真情あふれるものだった。
〈県民栄誉賞の授賞式でお会いした際には、お痩せになられた印象がありました。今思えばあの時も、体調が優れなかったにも関わらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました。沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております〉
 所属レコード会社に促されたわけではなく、安室サイドが自主的に発したものだという。
「ハッとさせられたのが、〈翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ〉というくだりです。安室さんが辺野古移設阻止に向けて闘った翁長知事の政治姿勢を支持しているのは明白でしょう。移設反対派にとって非常に心強いこの言葉をNHKはバッサリとカットして放送していた。それだけ、安室さんの発言には影響力があるということ。安倍政権に忖度したのでしょうが、沖縄で安室さんの追悼メッセージを知らない人間はいませんよ」(県議会関係者)
 その後も安室は積極的に動いている。沖縄県の観光ブランド戦略推進事業「Be.Okinawa」に無償協力。観光をはじめとする経済振興策を推し進めた翁長の遺志に寄り添うかのようである。
 引退前日の9月15日はラストライブが決定。普天間基地を抱える宜野湾市の沖縄コンベンションセンター展示棟(5000人収容)で開催される音楽ライブに出演し、反戦ソングでも知られるBEGINやMONGOL800が共演する。ともに同郷の仲間だ。
「安室さんは単独ライブでもほぼトークをしないほど口下手ですが、共演者との掛け合いの中で故郷へのさまざまな“思い”を口にする可能性は大きい。宜野湾市は自公が推薦する佐喜真淳前市長のお膝元です。知事選告示2日後にそのド真ん中で声を上げられたら影響は避けられない、と陣営は戦々恐々だといいます」(在沖メディア関係者)
 安倍自民は党本部職員を次々に送り込み、国政選挙並みの態勢で臨んでいるという。
 沖縄県政に詳しいジャーナリストの横田一氏が言う。
「安室さんがひと言発するだけでも、佐喜真陣営の票を切り崩すのは必至。ましてや、〈翁長知事に捧げる曲です〉とでも言及すれば、自公にとって破壊的な効果をもたらすでしょう」
「弔い合戦」はまさに総力戦の様相を帯びてきた。


沖縄知事選で自公推薦 佐喜真氏の本性はバリバリのタカ派
 沖縄県知事選(9月13日告示、30日投開票)に自民、公明両党の推薦を得て出馬する前宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)。
 佐喜真氏は選挙戦の最大の争点である米軍普天間基地の名護市辺野古への移設について、いまだに明確な賛否を示していないが、過去の言動を見ると、その“本性”はよく分かる。
 佐喜真氏は1988年に千葉商科大学を卒業後、フランスに留学。旅行会社勤務を経て、2001年の宜野湾市議選で初当選。
 06年、市議2期目の途中で沖縄県議選に出馬して当選を果たすものの、やはり2期目の途中の12年に宜野湾市長選に立候補。辺野古移設に反対する元職の伊波洋一氏にわずか900票差で競り勝ち、市長に就任。16年に再選したが、14日、県知事選出馬のために市長を辞職した。
 バリバリのタカ派の顔が透けて見えるのは、10年9月、衆院第2議員会館で開催された日本会議主催の「これでいいのか日本!守れ尖閣諸島緊急集会」。
 当時、下野していた安倍首相や三好達日本会議会長(当時)などタカ派のメンメンがずらりと顔を揃える中、佐喜真氏は沖縄の代表として出席し、こう訴えていた。
「なぜ政府や国会議員は(尖閣の)現場に駆けつけないのか。現場の声を聞こうとしないのか」
 14年1月に宜野湾市民会館で開かれた「沖縄県祖国復帰42周年記念大会」では、閉会の辞を任された際に「日本人の誇り」を連呼。
 ちなみにこの大会では、30人ほどの園児が壇上で一斉に教育勅語を唱和する異様な光景が、ネットで話題となった。
 沖縄県民の多くが「NO」を突き付けている辺野古移設について、佐喜真氏はどう思っているのか。
 宜野湾市議会議長を務めた経験を持つ父の博氏を電話で直撃すると、こう答えた。
 ――息子さんが出馬する県知事選挙についてどう思うか。
 もう引退したのでそういうことはちょっと……。
 ――安倍政権が強行する辺野古移設については。
 勘弁してください。
 沖縄県民の賢明な判断を期待するばかりだ。


オスプレイ訓練 住民不安は置き去りか
 陸上自衛隊は、米海兵隊の輸送機オスプレイも使用して、9月に道内で行われる日米共同訓練の概要を発表した。
 今回は、前回の北海道大演習場(恵庭市など)に、上富良野演習場(上川管内上富良野町など)と矢臼別演習場(根室管内別海町など)を加え、3演習場を広域で飛行する訓練を行う。
 オスプレイは昨年8月、オーストラリア沖で3人が死亡する墜落事故を起こし、その後も国内で緊急着陸などのトラブルが続く。機体の安全性に対する疑問は払拭(ふっしょく)されていない。
 道民の不安を無視して飛行区域を拡大し、訓練を既成事実化することは認められない。
 訓練の目的として日米両政府が説明してきた「沖縄の負担軽減」にも疑問符がつく。
 オスプレイの訓練も基地も、国外で住民被害の恐れのない場所に移すべきだ。
 道内でのオスプレイ訓練は昨年8月に初めて行われ、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に所属する機体のうち4機が飛来した。
 今年は訓練場所が一気に3カ所に広がり、給油や補給を行う拠点も、昨年の米軍三沢基地(青森県三沢市)から陸自帯広駐屯地(帯広市)に移される。
 広大な演習場があり「訓練適地」とされる道内で、訓練の恒常化を図る狙いがあるのだろう。
 米海兵隊が運用する機体は、重大事故の発生率が昨年9月末時点で、普天間飛行場に配備される前の約1・7倍に上昇している。
 演習場間を飛行するルートには市街地の上空が含まれることが想定され、事故が起きれば大惨事につながりかねない。
 昨年の道内訓練の期間中に行った宜野湾市の調査では、普天間飛行場の米軍機の発着回数や周辺の騒音などに変化はなかった。
 沖縄の負担軽減を口実に、オスプレイの活動範囲を広げるようなやり方は受け入れられない。
 オスプレイは、米空軍の5機が10月1日に横田基地(東京都福生市など)に配備されることが決まった。沖縄以外の在日米軍基地への配備は初めてで、日常的に首都圏の上空を飛ぶことになる。
 道内訓練も含め、いつどこを飛行するかといった詳細は明らかにされない。米軍の意のままに、危険な機体が日本国内を飛び回ることへの心配は尽きない。
 政府は、住民の懸念を米側に伝えたのか。現状は、米軍の言いなりとみられても仕方あるまい。


[バスケ選手が買春]代表の恥ずべき行為だ
 ジャカルタ・アジア大会のバスケットボール男子日本代表選手4人が、ジャカルタ市内で買春していた。
 4選手は公式ウエアを着用したまま午後10時から外出し飲食。午前0時ごろ現地の女性に声をかけられ、ホテルで性交渉した。女性1人あたり日本円に換算し約9千円を支払ったという。言語道断だ。
 ジャカルタ特別州の条例で買春行為は、禁錮刑または罰金刑に相当する。4選手は現地警察からの聴取は受けていないというが、違法行為は明らかだ。
 4選手は代表認定を取り消され帰国。記者会見で謝罪した。買春について「いけないこと」との認識はあったとうなだれたが、「浮かれた気持ちでそういう経緯に至った」と説明した。一人は「日本の国旗が描かれたTシャツを着てするべき行為ではなかったと深く反省しております」と頭を下げた。
 外国という場所での解放感で買春行為に走った安直な行動への後悔や、日本代表という立場にいながら買春に及んだ社会的影響の大きさに対する謝罪の言葉を繰り返した。
 一方で、買春行為そのものを反省したり、相手の女性たちについて言及したりすることはなかった。
 バスケ男子日本代表は残り8人で試合を続行。格下を相手に苦戦を強いられるなど、影響は大きい。日本バスケットボール協会は、第三者委員会を立ち上げて処分を決める方針で、協会の監督責任をはじめ4選手へ厳しい処分が下されるのは当然だ。
■    ■
 日本人男性の買春を巡っては1970年代から80年代にかけて、東南アジアへの「買春ツアー」が国際問題となった。85年の国連婦人の10年世界会議では、インドネシアやパキスタンの女性たちが「日本人男性の買春行為は日本全体の責任」と強く批判した。
 こうした「外圧」によって買春ツアーは表舞台から姿を消したが、実態はどうか。
 今回の買春は、これらの問題が決して過去のものではないことを示している。インドネシアの言葉を知らない選手たちに女性たちを紹介したのは、現地にいる日本人だった。
 多くの売春の背景には貧困や暴力がある。戦後まもなく施行された日本の売春防止法も、貧困のため売春する女性たちを保護し更生させる目的でできた経緯がある。
 東南アジアでは近年、子どもの被害も深刻で、買春はそこに加担する行為だ。欧米では数十年前から、最近はアジアの国々でも厳罰化が進む。
 日本では99年、児童買春が罰せられるようになったものの、成人に対する罰則はなく、買春対策は遅れていると言わざるを得ない。
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 バスケ男子日本代表にとってアジア大会は、東京五輪出場へのアピールの場だった。買春問題がフェアプレー精神をうたう五輪出場の資格獲得に、大きな足かせとなったのは間違いない。
 賭博やパワハラ、不正判定など相次ぐスポーツ界の不祥事を見れば、まずは足元を見直すべき時だ。


大丈夫なのか 東京五輪翼賛で醸成される“国家総動員体制”
 まるで戦時体制に向かっているようだ――。東京五輪組織委員会や環境省、東京都などが推進している「都市鉱山からつくる! みんなのメダルプロジェクト」。廃家電などを回収して集めた貴金属から金銀銅メダル約5000個を作る計画なのだが、現時点で銀だけが不足しているという。
 そこで、政府が問題を打開するために協力を呼びかけたのが、全国の小中学校だ。
「五輪選手団を迎える『ホストタウン』の自治体(約230)を対象に、内閣官房から小中学校での回収ボックス設置の協力を呼びかけました。ただ、回収増だけが目的ではなく、五輪機運を醸成するためでもあります。メダルプロジェクトを通じてリサイクル事業の大切さを知っていただけたらと思います」(環境省リサイクル推進室)
 金メダルは銀メダルの表面に金メッキを張って作られるため、必然的に銀の必要量が多くなるという。それにしても政府がわざわざ号令をかけるなんて、平成の「金属類回収令」だ。
 加えて、文科省とスポーツ庁は先月、大学生のボランティア参加を促すために、全国の大学に大会期間中の授業や試験を変更できる旨を通知。廃家電の「供出」呼びかけといい、過酷なタダ働きをさせられる「ボランティア」の募集といい、まるでスポーツの祭典を名目にした国家総動員じゃないか。スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏がこう言う。
「大会組織委の森喜朗会長が東京五輪で目指しているのは、オールジャパン体制ですし、スポーツ精神を滅私奉公だと言ってはばかりません。こうした言動は、まさに国家総動員を象徴していると思います。政府がこのような精神に基づいて東京五輪の開催へと突き進んでいるので、ますます国家主義的な体制が強化されていくのではないでしょうか。放映権料を払ったマスコミなどは、五輪翼賛報道へと突っ走っています。五輪に反対すると『非国民だ!』と言われかねない風潮が醸成されていると思います」
 小池都知事も2016年の知事選前に五輪の経費について、「個人の資産もご協力をお願いするということを図っていきたい」などとトンデモ発言をしていた。
 一事が万事こんな調子だから、東京五輪を巡って、これから政府が国民に何を言い始めるか分かったもんじゃない。


公務員定年延長  官民格差広がらないか
 人事院は、国家公務員の定年を60歳から段階的に65歳まで引き上げるよう求める意見書を国会と内閣に提出した。
 少子高齢化で労働力確保が難しくなる中、意欲と能力のある高齢者が働ける環境をつくるのは官民共通の課題だ。
 しかし、定年延長を採用する民間企業はまだ2割に満たない。大半はいったん定年退職してから継続雇用する制度で対応している。
 こうした実態を踏まえなければならない。民間での定年延長導入の環境が整わないまま、国家公務員だけ先行すれば労働環境の官民格差が広がる恐れもある。
 不公平感を生じさせない方策が前提となる。民間企業の実態を丁寧に調査し、そのモデルとなるような仕組みを目指すべきだ。
 人事院が定年引き上げを求めた背景には、民間の再雇用に当たる再任用職員の増加がある。
 国家公務員は年金支給開始年齢の65歳引き上げに伴い、定年後の採用制度として希望者全員を再任用することが義務化されている。
 本年度の再任用は約1万3千人で、この5年で2倍に増えた。定員を安易に増やせないため再任用の65%は短時間勤務だ。
 給与の大幅減や地位低下によって不満が増し、行政サービスの低下を招きかねない、と人事院は指摘する。
 とはいえ定年後の給与減少は民間も同じだ。これらを理由に公務員だけ定年延長を急ぐことは国民の理解が得られまい。
 検討すべき課題は多い。
 人事院は、60歳超の給与はそれ以前の7割程度に減らすことを提言した。
 これに関し「5〜6割に減らしている企業はざら」(厚生労働省関係者)との声がある。働き方改革関連法で企業に義務付けた「同一労働同一賃金」と矛盾することはないのか。仕事の内容が変わらない場合、給与は減らさない方向で制度設計すべきだ。
 60歳に達した管理職を下位のポストに降格させる「役職定年制」の導入を求めたが、定年延長とは関係なく検討してほしい。
 総人件費の膨張を抑えるためには、50代の賃金カーブや退職金の水準の見直しも求められる。
 政府は来年の通常国会での関連法案提出を目指す。実現すれば民間や地方自治体にも波及しそうだ。人事院の意見を機に「人生100年時代」の働き方や定年制度の在り方について官民一体で議論を深める必要がある。


最低賃金 格差是正へ環境整備を
 2018年度の地域別最低賃金の改定額が47都道府県で出そろった。全国平均で1時間当たり26円引き上げ、874円になる。過去最大のアップである。
 最低賃金は、企業が働き手に少なくともこれだけは支払わねばならない法定の額で、毎年見直されている。パートやアルバイトなどの雇用形態を問わず働く人全てに適用される。
 不当に低い賃金から働く人を守るセーフティーネットとして重要な役割を担っている。とりわけ働く人の約4割、2133万人に上る非正規労働者の賃金底上げに欠かせない。
 厚生労働省の中央審議会が7月、都道府県ごとに27〜23円引き上げるよう目安を示し、各都道府県の審議会が改定額を議論してきた。10月にも改定される見通しだが、多くの問題が積み残しのままだ。
 日本の最低賃金は水準自体が低い。時給千円を上回る他の主要国に比べて大きく見劣りしている。改定後の時給874円で週40時間働いたとしても、年収は180万円ほどにしかならない。ワーキングプア(働く貧困層)とされる年収200万円にも届かない。
 生活を安定させる意味合いでは、とても十分な額とはいえまい。過去最大の引き上げ幅だといっても、手放しでは喜ぶわけにはいかない。
 深刻な人手不足で中小企業にも賃上げが広がっているが、最低賃金に近い賃金水準を余儀なくされている人も少なくない。厚労省の調べでは、労働者全体の1割を超える。増加傾向にあるというから心配だ。格差は一気に是正できないかもしれないが、こうした人たちの賃金の引き上げを急ぐ必要がある。
 政府は昨年まとめた働き方改革実行計画で、最低賃金の引き上げ目標を「3%程度」とした。中央審議会が示した目安はこれに沿ったものだ。「官製」の色合いは濃いものの、都道府県ごとの改定額は結果的に3年連続で3%相当の引き上げになる見通しだ。
 着実に引き上げを実現しているように見えるが、大都市圏と地方の格差が拡大し続けている点も見逃せない。
 中央審議会は、都道府県ごとに四つのランクに分けて目安額を示している。最高額の東京都が27円引き上げて985円になるのに対し、最低額の鹿児島県は目安額より1円だけ上積んだ24円増の761円にとどまる。開きは現在の221円から224円に広がる。
 このままだと格差は年々広がってしまう。地方から賃金の高い大都市部へ働き手がますます流出しかねない。日弁連や一部の自治体からは「地域間の賃金格差をなくし、全国一律にすべきだ」という意見も出ている。ランク制の見直しを含め、幅広く議論を進める必要がある。
 最低賃金を持続的に引き上げていくには、経営体力の弱い中小・零細企業への配慮も欠かせない。政府は減税措置や助成金などで賃上げを積極的に支援すべきだ。大企業が中小企業に過度な値下げを要求する不公正取引の監視も強めたい。「下請けいじめ」を排除し、中小企業の収益向上につなげてほしい。
 政府には目標を掲げるだけでなく、中小企業が賃上げできる環境整備を後押しする政策の拡充が求められる。


飲酒運転事故 「悲劇根絶」の誓い新たに
 福岡県が飲酒運転の撲滅推進条例を制定したのは2012年である。全国で初めて罰則を設けた条例として注目された。
 飲酒に甘いとされる地域性を「社会風土」と指弾し、県、警察、県民一体の意識改革運動を展開してきた。
 制定の契機は、福岡市職員が幼いきょうだい3人を死亡させた飲酒運転事故だ。その事故からあすで12年となる。
 あろうことか、子どもたちの命日を前にした今月半ば、福岡県職員の保健師(44)が飲酒運転の疑いで逮捕された。
 県の聴取によると、保健師は休日の午後、同僚3人と福岡市内の居酒屋に入った。3次会まで飲酒を続けた後、1人で乗用車を運転して帰宅中に自損事故を起こした。酒席は6時間以上に及んだ。呼気中のアルコール分は摘発基準値の約4倍に上った。3次会以降は、運転したことを含め記憶がないという。日頃、自宅では飲酒しないが、外で飲むと記憶を失うことがあったと話しているという。
 12年前の事故の教訓や県民運動を踏みにじるような言語道断の不祥事だ。県は懲戒免職とした。当然であろう。
 全国の飲酒運転死亡事故は、昨年は200件余で、3児死亡事故当時の3割にまで減った。ただ最近は減少幅が小さく、下げ止まりのような状態で、危機意識の薄れが懸念されている。
 飲酒運転をする人の特徴と問題点は大きく二つある。
 第一は、摘発者のうち約3割は、アルコール依存症の疑いがあることだ。依存症は精神疾患である。日常生活の最優先事項が飲酒となる。飲まなければ禁断症状が出る。福岡の条例が摘発者に依存症の診断を罰則付きで義務付けたのはそのためだ。
 第二は、摘発者の6割近くは再犯という点だ。酒を飲めば多くの人は気持ちが大きくなり、正常な判断ができなくなる。自分だけは事故を起こさないという独り善がりの自信を持つ人も少なくない。酩酊(めいてい)した保健師もそんな状況に陥ったのだろう。
 依存症の患者はもちろんのこと、少しでも飲酒の習慣がある人はもう一度、立ち止まって考える必要があろう。自分にとって適正な酒量はどれほどか。運転免許を持つ者の責務として、自覚する必要がある。
 先の保健師のように飲むと記憶を失うようなケースなどには、何らかの医学的フォローも必要だろう。手頃な値段になった市販のアルコール検知器も積極的に活用したい。
 飲酒運転は重大な結果をもたらす悪質な犯罪だ。絶対にさせないという取り組みが一層求められる。「悲劇は根絶する」と社会全体で改めて誓いたい。


酷暑の甲子園閉幕 選手保護へ改革進めよう
 881。全国高校野球選手権大会で準優勝した金足農(秋田)の吉田輝星(こうせい)投手が6試合で投じた球数である。災害級の酷暑に見舞われる中、若者が身体の酷使を強いられる大会の在り方は、再検討が急務ではないか。100回の節目を終えた今を機に、投手をはじめ選手保護のルール整備を加速する必要がある。
 大会中の暑さは、やはり厳しかった。西宮市に近い大阪市のデータは最高気温がすべて30度を超え、猛暑日は計7日間。マウンド上の体感温度は40度を超えるという。正午時点の暑さ指数(WBGT)を早見表で割り出すと、「厳重警戒」(激しい運動中止)の28度以上が12日間あり、うち2日間は「運動原則中止」の31度。大会本部発表の熱中症、日射病の疑いがあった人は計343人に上った。
 暑さ対策や負担軽減の新たな試みはあった。給水タイムが設定され、タイブレークも初適用された。だが複数の投手の脚がつるチームがあったり、球審が熱中症で途中交代したりと、十分だったとはいえない。タイブレーク適用試合で184球を投じた投手もいた。
 投手の負担軽減には、球数、投球回数、間隔などの制限の検討が避けられないだろう。金足農は大会4日目から登場、決勝までは14日間。プロの先発投手なら中5日の場合、登板は3試合で、合計でも400球を投げることはまずない日数だ。その間に吉田投手は881球を投げた。
 投球制限はWBCが導入しており、来月宮崎県で行われるU18アジア野球選手権大会も採用、珍しくはなくなってきた。県内関係者にも「1人に頼る時代ではない」との声がある。
 実際、福井県代表の敦賀気比は福井大会を5投手が継投、負担を最小限にして勝ち上がった。また本大会優勝の大阪桐蔭は、柿木蓮投手の6試合の投球回を計36回に抑えた。体調管理にしっかり取り組んでいたからこその優勝といえる。
 複数投手育成は強豪校でこそ可能で、投球制限はチーム格差が拡大する―そんな反対意見はあるだろう。ただ、1人に頼る野球に限界があることは今大会の結果が象徴している。野球に取り組む子どもが全国的に減っている今だからこそ、選手保護を浸透させたい。
 格差については、日程緩和を組み合わせれば一定の配慮ができる。一例だが、準決勝と決勝の間を1週間空けてしまえば、投手は良好なコンディションで試合に臨める。序盤の暑さ対策はドーム球場併用やナイター開催などが有効だ。日本高野連は従来のやり方にとらわれずあらゆる知恵を絞るべきだ。地方大会の改革も当然必要になるが、まず本大会の見直しを進めることで波及していくだろう。
 帽子のつばに「マウンドは俺の縄張り」と書き込んでいた吉田投手。しかし、決勝で途中降板したときは「もう投げられない」と仲間に告げた。一番、口にしたくなかった言葉のはずだ。881の数字を重く受け止め、改革の具体的前進を図るときである。


原賠法の見直し 事故に備えられぬ原発は撤退を
 原発の重大事故のリスクから目をそらす政府の姿勢に憤りを覚える。
 内閣府原子力委員会の専門部会が、原発事故に伴う賠償の仕組みを定めた原子力損害賠償法について、事前に備える賠償金(賠償措置額)を現行の最大1200億円で据え置く方針を示した。秋の臨時国会に原賠法改正案を提出する見通しだ。
 東京電力福島第1原発事故では、既に8兆円を超す巨額の賠償金が生じている。現行の賠償措置額で対応できないことは明らかにもかかわらず、見直さなかったのは看過できない。政府が賠償責任にさえも真摯(しんし)に向き合わず、原発周辺住民らの不安を置き去りにしたまま原発の再稼働を進めることは断じて容認できない。
 現行の原賠法では、過失の有無にかかわらず、電力会社が上限なく全ての賠償責任を負うと規定する。賠償措置額の1200億円までは民間保険や政府補償で支払い、それ以上は国が援助する仕組みだ。
 福島原発事故では、賠償措置額を大きく超え、国が一時的に資金を肩代わりして東電に長期返済させる仕組みをつくって急場をしのいだ。今回、現行の原賠法の骨格がほぼ見直されなかったため、新たに事故が起きた場合、福島と同様の対応をとることになる。だが、福島の賠償は東電1社で賄うのではなく、四国電力も含めた電力会社も負担している。電力自由化などで競争が激化する中、今後も互いに協力する仕組みが維持できる保証はない。
 賠償措置額が据え置かれたのは、事故のリスクを負いたくない電力会社と政府の妥協の産物だ。電力会社は、経営環境が変化し、原発の安全対策費などの投資が増える中、さらに負担を増やしたくない思惑があった。政府も、補償の増額は国民負担につながるため、世論の反発を恐れて消極的となった。両者とも、事故の反省が全くみられないばかりか、自己都合があからさまであり、無責任に過ぎる。
 電力会社が賠償責任を上限なく負う「無限責任」は維持された。専門部会の議論の中で電力業界は、一定額以上は国が責任を持つ「有限責任」に切り替えるよう強く主張していた。事業の予見可能性に支障が出るとの理由だったが、電力業界が有限責任を求めること自体、福島原発事故と同規模の賠償は不可能だと認めているに等しかった。事故の備えも十分にできないような原発事業からは撤退するのが筋だ。
 四電は、司法判断で停止中の伊方原発3号機の運転再開を急ぎたい考え。しかし、四電は東電に比べ経営規模が格段に小さく、福島原発のような事故が起きれば、最悪の場合、経営破綻に追い込まれて住民らに十分な賠償ができない懸念がある。県や周辺市町は、原発の安全性のみならず、賠償面からも原発の運転再開の是非を考え直す必要がある。


サマータイム◆悪影響と混乱招きかねない◆
 夏場だけ時計の針を1〜2時間早めるサマータイム制度について、政府・与党が導入を検討している。2020年東京五輪・パラリンピックの暑さ対策が狙いで、省エネルギーや消費拡大の効果も期待されている。しかし、社会や経済活動など国民生活への影響があり、切り替え時の混乱が懸念される。システム変更のコストも大きな問題だ。既に実施している欧米では「健康に良くない」「省エネの効果が乏しい」などの理由で見直しの動きが広がっている。別の方策を考えるべきだ。
難点あり過去に廃止
 大会組織委員会の森喜朗会長が先月下旬、導入のための法整備を首相に要望した。20年7月24日に開幕する東京五輪に合わせた時限措置として、日本標準時間を現在より2時間早める案が浮上。これにより、男女マラソンで午前7時に設定しているスタート時間が実質的に午前5時に前倒しすることができる。
 サマータイムは戦後の1948(昭和23)年から実施されたが、「労働過剰になる」「寝不足になる」などと評判が悪く、52(同27)年に廃止された。90年代以降も何度か導入しようとする動きがあったが実現していない。やはり多くの難点が指摘されたからだ。
 サマータイムに切り替わって時計を2時間早めても、1日の生活パターンが変わるわけではない。出勤や退社などの時間割はこれまで通りである。電車や航空機のダイヤも変更されない。早朝の涼しい時間帯に社会活動が始まることで電力使用量が減り、余暇活動が活発になって個人消費の伸びも期待されるというのだが、極めて疑わしい。これまでサマータイムで明確な省エネ効果が表れたという調査結果もない。
暑さ対策に知恵絞れ
 最大の問題は、コンピューターなどのシステム変更に多大の労力と費用を要することだ。五輪までの準備期間が2年しかないことを考えると、万全の対応ができず、切り替え時に多数のトラブルが発生する恐れがある。
 日程上でも、秋の臨時国会に関連法案を提出する必要があるとみられ、検討の時間は限られている。あまりに唐突な提案だと言わざるを得ない。
 日本睡眠学会は、慣れるまでに時間がかかり睡眠時間が減るという弊害を指摘。2000年代初頭には欧州連合(EU)全域で一斉実施する法律が施行されたが、現在、存廃の検討を本格化させている。健康への悪影響が主な理由だ。
 大会組織委員会が掲げている五輪の暑さ対策なら、競技の開始時間を2時間早めるだけでよい。それでもなお、全国民に負担を強いるサマータイムを導入しようとするのは理解できない。暑さ対策に知恵を絞るしかないが、国民生活に混乱をもたらす対策では本末転倒だ。政府内や経済界にも否定的な見方がある。慎重な検討を求めたい。


日清食品 カップ麺容器のプラスチックを生分解性に
 日清食品ホールディングス(HD)の安藤宏基社長は24日、現在は紙や発泡スチロールを使用しているカップ麺の容器などを、自然に分解される「生分解性プラスチック」に2〜3年後をめどに順次変更していく方針を明らかにした。プラスチックごみによる海洋汚染が深刻化しており、環境保護の取り組みを強化する。
 この日は日清食品の「チキンラーメン」誕生60年を記念する記者会見が東京都内で開かれ、安藤社長は今後の商品開発で「栄養」と「環境保全」を重視すると発表した。環境負荷を低減するため、「袋麺の袋やカップ麺のカップなどを生分解性の素材へ置きかえていく」という。
 生分解性プラスチックは微生物などにより自然に分解されるため、「紙よりも環境に優しい」(同社)。しかし生産量が少ないため価格が高く、現段階で容器を置きかえた場合、カップ麺1個あたり数十円の値上げが必要になるという。安藤社長は「全面置きかえたいが、問題は価格。生産数量が増えればそれだけ安くなるので、積極的に採用し、包材メーカーには早く安くしてもらいたい」と話した。
 プラスチックごみを減らす取り組みは外食産業で広がっており、米スターバックスや国内のファミレス大手・すかいらーくHDがプラスチック製ストローの廃止を表明している。【今村茜】


ローラのユニセフへの寄付を夕刊フジが「セレブ気取り」と攻撃!社会貢献の足を引っ張る産経メディアのゲス
 事務所独立トラブルにもめげず、バラエティ番組で見る機会は減ったもののモデルやCMの仕事で大活躍をしているローラ。
 そんなローラが、今月12日にインスタグラムで、「Unicef Summer Gala」というユニセフ(国連児童基金)のイベントのロゴをバックに撮った写真とともにこんな投稿をした。
〈今回UNICEFのイベントに参加しました。わたしはいま頭の中が子供達や動物の幸せと地球をまもることでいっぱいです。それと調べるほど許せないこともたくさんあり、悲しい気持ちになります。今回は自分ができる事として1000万円を寄付する事にしました。まだまだ足りないです。何をするために生きているか何をしないといけないか冷静に考えて自分の感情を信じて生きて行こうと思います。リスクがあっても嘘のない、人にとっても地球にとっても幸せが続くことに精一杯力を注いで頑張っていきたいです。〉
 ユニセフのイベントに参加したことと、1000万円の寄付をしたことを報告したのだ。
 ところが、これに対して、夕刊フジ(ZAKZAK)が信じられないような難癖をつけている。
8月23日にZAKZAKが配信した記事は「迷走するローラ、どこへ行く? ユニセフ1000万円寄付に「セレブ気取り」の声も」というタイトルのもの。タイトルからして、イチャモン臭がプンプンだが、中身の記事もひどい。
 まず最近のローラについて、「環境問題に発言」したり「社会貢献活動にも関心がある」ことを、「迷走中」「これまでのキャラとは一変」とくさしてみせる。
 そして上述のユニセフに関するインスタ投稿について、「芸能サイト編集者」のコメントとして、こんなふうに非難したのだ。
「もちろん称賛する声があるのですが、一方では“セレブ気取り”“ほかにやることがあるのでは”といった批判も上がっているのです」
「ハリウッド作品に出演するなど海外志向を強めているローラだけに、その活動も海外セレブを意識しているのは確か。海外のスターたちは、稼いだカネを社会貢献活動に費やすことが普通ですから、そういった行動に感化されているのでしょう」
 ようは、ローラのユニセフへの寄付はセレブ気取りの行為で、他にやるべきことがあるなどと文句を付け、最後には「いったい、どこに行ってしまうのだろう」と記事を締めくくるのだ。
 夕刊フジのほうこそ、いったい、何を言っているのか。ローラがインスタで「わたしはいま頭の中が子供達や動物の幸せと地球をまもることでいっぱい」と書いていたように、ユニセフに寄付することは説明するまでもなく、厳しい環境におかれた子どもたちのことを思ってのもの。感謝されたり褒められるならわかるが、「迷走」「どこに行ってしまうのか」などと苦言を呈されることではない。
 だいたい「セレブ気取り」などと言うが、仮にローラが海外の仕事をしていくなかで、ノブレス・オブリージュの意識が浸透している海外セレブの姿勢を見習ったとして、何が悪いのか。仮に海外セレブを真似してのファッションだったとしても、何もやらないよりはよっぽどいい。それとも、夕刊フジ(ZAKZAK)は自分の資産を肥やすことだけを考えて、社会貢献や富の再配分のことなど微塵も頭にない日本の富裕層のほうが真っ当だとでも思っているのだろうか。さすがフジサンケイグループと言いたくなる。
 しかも、そもそもローラの社会貢献に対する意識は、最近「海外セレブを意識」してというようなものではまったくない。もちろん「迷走」などではなく、むしろ強い意志に基づいたものだ。それも、バラエティ番組で「オッケー」とお茶の間を沸かせてブレイクするよりはるかに前から、もち続けている確固たる信念だ。
ローラが語る「家族8人でアパート暮らしの子供時代」
 それがよくわかるのが、「ViVi」(講談社)2016年1月号に掲載されたロングインタビューだ。このインタビューのなかで、ローラは自身が長年抱いてきた夢について語っている。
「事務所に入った時に社長さんに話した夢というか、最終的な目標があって――。お金がなくて勉強できない子供たちってまだ世界にたくさんいて、その気持ちは私もすごくよくわかる。自分が苦労してきた部分でもあって、私にとってはすごく現実的なことだから。そういう人たちの役に立ちたいの。ずっとその想いは変わってなくて、これからはもっと積極的にやっていきたい」
 貧しさのために勉強や進学の機会を絶たれる子どもたちの役に立ちたい──。もちろんローラは、ハリウッドのセレブ女優を気取って慈善事業を口にしはじめたわけではない。それは彼女自身が語っているように、生い立ちにかかわる問題でもある。
 ローラはバングラデシュ人の父と、日本人とロシア人の親をもつ母親とのあいだに日本で生まれた。ご存じの通り、父は2013年に詐欺容疑で国際指名手配され、翌年、警視庁に出頭し逮捕されたが、ローラにとって父は優しく、大好きな存在だったようだ。そしてローラは1歳でバングラデシュへ渡り、6歳で帰国するが、当時のことを前述のインタビューでこう述べている。
「6歳の時にベンガル語しか話せない状態で初めて日本に来て、言葉が何も分からないまま小学2年生として学校に入ったの。だから、会話はジェスチャーで乗り切る。そんな感じだったのを覚えてるけど、不思議なことにまったく嫌な思い出はなくて、コミュニケーションを取れなくてすごく大変だったという記憶がひとつもないの。楽しかった!という記憶だけ。毎日ザリガニを取ったり、ドジョウすくいをしたり、神社に行って遊んだとか、たまごっちやリカちゃん人形で遊んでたなとか――」
 ローラはこのインタビューでは語っていないが、じつはこの間に父と母が離婚、その後、父は中国人の女性を妻に迎えている。「女性自身」(光文社)の記事によれば、ローラと双子の弟、継母と父のあいだに生まれた双子、継母の両親という家族8人でアパートに暮らしていた時期もあった。ローラは働く父と継母に代わって、小さな双子のきょうだいにごはんを食べさせたり、オムツを変えたりとよく面倒を見ていたという。
自己責任論が横行するなか「手を差し伸べる」大切さを訴えるローラ
 突然、言葉が通じない教室に放り込まれ、一方で家族関係も複雑に。だが、そんな苦労を自らは語らない。きっとローラにとっては「楽しかった!という記憶だけ」なのかもしれない。ただひとつ、彼女はこんなことを話している。
「中学2年の時に、友達にすごく一生懸命説明したのに『ちょっと何を言ってるのか分からなかった』って言われたのがすごくショックで、そこからかなり頑張って中3の頃には普通に会話も出来てたと思う」(前述インタビュー、以下同)
 ローラが「転機」と語るのが、高校時代のアルバイトだ。
「高校生になって、家のことも支えなきゃと思ってアルバイトを始めたんだけど、それはひとつの転機だった気がする。人と接することがさらに好きになったの。老若男女、いろんな人がお店に来て、そういう人たちとかかわれることが楽しくて、そこから一気に大人になっていったのかな〜って」
 このときのアルバイトとは、地元のホームセンターのことだろう。実際、ローラは2013年のブログでホームセンターへ変装して出向き、同僚と再会したことを報告。「うれしくて、なみだがとまらなかった。みんなだいすき」と綴っている。
 そうして渋谷でスカウトされモデルの世界に飛び込み、一躍“タメ口キャラ”でブレイクしたのは周知の通りだが、いまもローラには“もっと勉強をしたかった”という思いが強いのかもしれない。事実、ローラは地道に英語の勉強をつづけてハリウッドデビューを射止めたが、学ぶことが自分の可能性を広げるということを、彼女は身をもって知っているのだろう。
 家庭が貧しいために勉強ができない、進学できないという子どもたちの存在は、なにも発展途上国だけの話ではない。日本では6人に1人が貧困といわれているにもかかわらず、国立大も授業料を大幅値上げしたり、奨学金返済の金利は異常に高いままだ。だが、社会では「貧しいことを理由に進学できないと言うのは努力が足りないから」「貧乏でも努力をすればのし上がれる」などと自己責任論をぶつ人は相変わらず多い。
 しかし、子どものころから苦労を背負い、努力によって道を切り拓いてきたローラは、そんなことは言わない。
「今こうして私がここに居られるのは、差し伸べてくれる手があったり、諦めないでいてくれた人たちがいたから――。私も誰かのそういう手になりたいし、そのことを諦めたりもしたくない」(同前)
寄付を冷笑し、「若い女はおバカでいろ」という日本の保守
 このようにデビュー当時から「貧しい子どもの役に立ちたい」という強い意志を抱いてきたローラが、ユニセフに寄付することは、まさにその思いの実践のひとつだろう。しかも、ここ数年、独立トラブルに見舞われ決して順風満帆とは言い難い環境にあったと思うが、そうしたなかでも自分のことだけでなく「貧しい子どもたちの役に立ちたい」という思いを忘れずに貫いていることは、賞賛されこそすれ、「セレブ気取り」だの「迷走」だの、苦言を呈されたりバカにされたりするようなことではまったくない。
 さらに言えば、ローラがこの間、行動を起こしてきたのは、貧困問題だけにとどまらない。災害時に被災地に炊き出しボランティアに行ったり、日本ではまだ意識の低いプラスチックゴミ問題についても早くから声をあげたりしている。ローラが、社会問題に広くアンテナを張り勉強していることは明らかだ。
 日本では寄付やボランティア行為を冷笑する声もいまだ少なくないし、それ以上に、そうした行為を公にしないことを美徳とし、公表すると「売名行為」「セレブ気取り」などと非難されがちだ。しかし、発信力のある著名人が寄付や慈善活動を公言することは、社会問題を広く社会に周知したり行動を喚起するのに大きな力となる。だからこそローラは、日本である程度ネガティブな反応が出ることもおそらくは承知の上で、それでもあえて発信しているのだろう。
 実際ローラは、件のインスタ投稿でこうも綴っていた。
〈リスクがあっても嘘のない、人にとっても地球にとっても幸せが続くことに精一杯力を注いで頑張っていきたいです〉
 ローラの真っ当な意志と行動に比べて、「若くてかわいい女子」はおバカで社会問題に関心をもったり行動を起こしたりするなという、夕刊フジの保守親父的ミソジニー丸出し記事の下劣さが一層際立つ。
 ネット上の反応を見ていると、今回は幸いなことに、夕刊フジの記事に焚きつけられてローラを非難する人よりも、ローラにイチャモンをつける夕刊フジのほうを批判する声のほうが大きい。これを機会に「貧しい子どもの役に立ちたい」「頭の中が子供達や動物の幸せと地球をまもることでいっぱい」というローラの強い思いが、広く社会に共有されて欲しい。


大学側「危険」に学生側反発、京大寮退去で対立
 築100年を超える京都大の学生寮「吉田寮」(京都市左京区)の老朽化対策を巡り、京大と入居する学生が対立している。大学側は「地震で倒壊の危険性がある」として、9月末までに退去するよう通告。学生側は「歴史的な価値のある建物が壊されかねない」と反発し、一部は退去に応じない構えをみせている。
 ◆築100年超
 「具体案を示してほしい」
 「今出せば混乱する」
 7月13日、京大吉田キャンパスで開かれた学生の代表者と大学幹部による話し合いで、両者の主張は平行線をたどった。学生側は改修か一部を建て替える案を提案。大学は回答しなかったが、「学生との合意がなくても、やるべきことはやる」と強調したという。
 吉田寮は京都帝国大時代の1913年(大正2年)に建てられ、60年代には学生運動の拠点に。木造2階建て(約3000平方メートル)で、120室の和室はいずれも相部屋だ。2015年に建てられた西側の新棟も含め、約200人が入居する。


スーパーボランティア・尾畠春夫さんが語った「壮絶なる我が人生」 私が被災地に行く理由【前編】
週刊現代  齋藤 剛
お盆休みに、一躍注目を集めたスーパーボランティア・尾畠春夫さん。山口県周防大島町で行方不明となっていた2歳男児を発見し、連日ニュースに登場していた姿は記憶に新しい。現在、広島県呉市でボランティア活動を続ける尾畠さんに、週刊現代の齋藤剛記者が「被災地に行く理由」と「家族の話」を訊いた。
自然に人が集まってくる
山口県周防大島町で行方不明となった藤本理稀ちゃん(2歳)を捜索開始から30分で発見して、「時の人」となった尾畠春夫さん(78歳)。
スーパーボランティアと呼ばれるようになった尾畠さんは休む間もなく西日本豪雨の被災地である広島県呉市の天応地区でボランティア活動をしている。8月20日(月)、本誌記者も尾畠さんを追って、現地に向かった。
ボランティアが活動する被災地域に向かうと、尾畠さんの姿はすぐに見つかった。真っ赤なつなぎに「絆」「朝は必ず来る」などと書かれたヘルメットをかぶり、汗を流していた。
尾畠さんの姿を見つけるや、住民や他のボランティアが駆け寄って写真撮影を求める。尾畠さんは「10枚ならいいよ」と冗談を交え笑顔で応じていた。実際、接すると実にチャーミングなおじいさんであった。
取材の旨を伝えると、「遠いところからごくろうさんです、おやっさん。まぁ座ってください」と応じながらも、「でもね、ただの変わったおっちゃんですよ。自分なんて取り上げたら売り上げが落ちるよ」と笑う。尾畠さんは成人した男性のことを「おやっさん」、女性のことを「ねえさん」と呼び、「来る者は拒まず、去る者は追わず」が信条だという。
作業を終えた17時すぎ、避難所になっている小学校の校庭の端にある尾畠さんの拠点で、話を聞いた。木陰スペースにシルバーの軽ワゴン車をとめ、そこで寝泊まりしているのだ。
ちなみに、ここは撮影スポットにもなっていた。尾畠さんが活動で不在している日中は、住民やボランティアが次々と訪れ、車の中を覗き込み、記念写真を撮っていた。
尾畠さんが一人で拠点に戻ってくると、年配の女性が現れて差し入れの焼きそばを渡す。
「今日もありがとうございました。私は体が悪くて作業ができない。本当に感謝しています」
こう頭を下げる女性に対し、尾畠さんは「あれ、今日は泊まりに来たの?」とジョークを交えながら軽妙にやりとりする。尾畠さんが言う。
「善意を断るわけにもいかないでしょう。金銭は一切受け取りませんが、差し入れであればありがたくいただきます。ただ、どうお返ししていいのか。これが悩みです」
ボランティア仲間、住民、そしてマスコミ。自然と人を引きつける人柄はどこからきたのだろうか。尾畠さんに自らの人生を振り返ってもらった。
戦後の荒廃や復興、バブルも、すべて見てきた
生まれは1939年。78歳と8ヵ月です。戦前に生まれ、戦争を経験し、戦後の荒廃や復興、そしてバブルも経験した。いまとなってはあの時代に生まれたことに感謝しております。芋とカボチャばかり食う時期もありましたが、それも良き思い出です。
大分県の国東(くにさき)半島で生まれて、幼少時に現在の杵築(きつき)市に引っ越し、そこで育ちました。父は下駄職人で、主に桐の下駄を作って販売していました。商売は順調ではなかった。ちょうど履き物がゴム製品に変わる頃で、下駄の販売は下降線でした。
母は主婦です。実は母についての記憶は多くはありません。というのも、母は41歳で亡くなってしまった。私が小学5年生のときです。母の死は自分の人生にも大きく影響しました。父はもとより酒好きな人間でしたが、妻が逝き、何人もの子供を抱え、下駄は売れないという厳しい現実から逃れるためか、ヤケ酒に走ってしまった。
そして、そんな父によって、自分は農家に奉公に出されることになります。自分は7人兄弟の4番目。ですが、兄弟のなかで自分だけが奉公に出されることになりました。父からの説明は「お前は大飯食らいだから」というものでしたが、納得できるわけがありません。
だから、両親に影響を受けた、なんて話がよくありますが、自分にかぎってはそんなものはありません。というのも、小学5年生で親元を離れ、それこそ毎日草刈りやら何やらで忙しかった。学校には行きたくてもまともに行けなかった状態です。
奉公に出されたのは、家が貧しくそれを助けるためでした。それはわかっていましたが、父を恨みました。なぜ兄弟のなかで俺だけが……。最初はものすごく悔しかった。
とはいえ、奉公に出された以上は腹をくくるしかない。世の中はなるようにしかなりません。「やるだけやってやろうじゃないか」と心を入れ替えたのです。
以来、奉公に出された家のおやっさんとねえさんを親だと思って何でも言うことを聞きました。すべては飯を食うためです。恨みの対象だった父ですが、いつしか感謝するようになりました。奉公の経験がいまの宝になっていますからね。後ろ向きで得をすることなんてありません。だから自分はプラス思考という言葉が大好きなんです。
帰るところなんてなかった
私は昭和30年に中学校を卒業すると、卒業式の翌日に別府にある魚屋の小僧になりました。自分の意志ではありません。働くことになったきっかけは姉の紹介です。
「働きに出たい」と相談すると、姉から「あんたは元気がいいから魚屋になりなさい」と言われたんです。自分にとって姉の言葉は親の次に重い。もとより姉のことを信用していたので、それに従いました。
SL汽車で別府駅に向かう際、父から青い10円札を3枚持たされました。「珍しく大盤振る舞いだな」と喜んだのも束の間、すぐに30円は片道切符代だとわかりました。特攻隊と一緒です(笑)。自分には帰るという選択肢はありませんでした。
ただし、それまでが極貧でしたからね。魚屋に就職し、食事にあらの煮つけが出たのを見て驚きました。それまで毎日芋とカボチャでしたからね。こんなうまいものがあるのかと衝撃を受けました。
別府の魚屋で3年間修業した後、山口県下関市の魚屋で3年間ふぐの勉強をしました。さらに兵庫県神戸市の魚屋で関西風の魚の切り方やコミュニケーション術を4年間学んだ。私は10年修業した後に魚屋を開業するつもりでした。
ところが当時、貯金はゼロに近かった。というのも、魚屋の給料は安く、開業資金をまったく準備できなかったんです。
そこで、開業資金を短期間で用意するために上京しました。お世話になったのは、大田区大森にあった鳶と土木の会社です。もちろん、コネなんてありませんから、そこの親父さんに「俺には夢があります。3年間働かせてください。その代わり、絶対に『NO』と言いません。どんな仕事でもやります」と直談判しました。
鳶や土木の仕事の経験は、いまのボランティア活動に役立っているかもしれませんね。ありがたいことに、会社から「このまま残って頭(かしら)になれ」と熱心に誘っていただきましたが、自分は決めたことは必ず実行するのが信条。これはいまも昔も変わりません。その意味では、面倒な男かもしれません。 
結局、昭和43年、大分に戻り、4月にかみさんと結婚。そして、その年の11月に自分の魚屋を持ちました。名前は『魚春』です。二文字をくっつけると鰆(さわら)。もちろん、自分が一番好きな魚です(笑)。
かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め
振り返ると、繁盛した時期もあれば閉店危機もありました。とりわけ窮地に陥ったのは、大分でPCB(水銀)が社会問題になったときでした。それこそ客足がピタッと止まりました。仕入れの量を通常の10分の1程度に減らしましたが、それでも売れなかった。
このとき、助けになったのは妻の存在でした。かみさんは料理上手で、ポテトサラダやコロッケ、キンピラなど総菜を店で販売するようになった。これで危機を乗り切った。妻がなければいまの自分はないでしょう。
妻との出会いは別府の小僧時代にさかのぼります。修行していた魚屋の向かいの貝専門店の娘でした。うちのかみさんは3学年下。中学1年生でした。当時は混浴の共同風呂があり、自分も彼女も気兼ねなく利用していましたが、風呂に行くのが恥ずかしくなったことを覚えています。当時から「いつかあの子と結婚したい」と意識していました。
別府の小僧時代の1ヵ月の給料は200円でしたが、100円は自由に使い、残りは貯金した。それもこれも彼女の所帯を持つためでした。
女房の支えもあり、商売は順調でしたが、65歳の誕生日に店を畳みました。15歳のときから『俺は50年働く。そして、65歳になったらやりたいことをしよう』と決めていたんです。
私にはいま48歳の息子と45歳の娘がいて、孫も5人います。息子は大学に行くこともできた。それもこれもお客さんが魚を買ってくれたから。皆さんが温かく手を差し伸べてくれたからこそ、いまの生活がある。それに気づきました。
いただいた恩をお返しするのは当たり前。それが人の仁義です。どのような形で恩を返そうかと考えたとき、第二の人生をボランティア活動にささげようと決意しました。「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」。好きな言葉です。ですから対価は一切求めません。


JR西 新幹線300キロ体感 トンネル内で座らせ研修
 JR西日本が新幹線のトンネル内に、通常業務では線路内に立ち入らない車両検査の社員を座らせ、最高時速300キロを間近で体感させる研修をしていることが、同社や関係者への取材で判明した。同社はボルト締め付けの確認などの重要性を学んでもらう目的だと説明するが、労働組合や専門家には効果を疑問視する声がある。【根本毅】
社員「怖かった」
 JR西によると、トンネル内には上りと下りの線路の間に幅約1メートル、深さ約1メートルの中央通路がある。研修は通路に数人がうずくまり、頭上の間近を通過する新幹線2〜3本の風圧を体感する。
 2015年に福岡県のトンネル内であった部品落下事故を受けて、車両検査を担う博多総合車両所と同広島支所が16年2月に始めた。今年7月末現在、小倉−博多間と広島−新岩国間で計24回実施し、車両検査の担当者約190人が体感した。
 50代のベテラン男性社員によると、研修は「300キロ/h近接体感研修」と呼ばれる。怖いと聞いていたため、上司に「行きたくない」と申し出たが、「順番なので」と認められなかった。当日は2班に分かれて順にトンネルに入り、ヘルメットと防護眼鏡を着けて通路内に座り、新幹線が近づくと頭を下げた。
 男性社員は上下3本をやり過ごしたが「風圧がものすごく、ドンと押さえつけられるようで怖かった。研修に何の意味があるのか」と言う。グループごとに議論し、感想を書いて研修は終了。別の日に研修を受けた同僚も「怖い」と話していたという。
 研修のきっかけとなった事故は、15年8月8日に発生。国の運輸安全委員会の報告書によると、新幹線2両目下部のアルミ合金製の板(幅71センチ、高さ62.5センチ)が落下して側壁や車体側面に当たり、衝撃で3両目の乗客が負傷した。ボルトの締め付けが不十分だった可能性が高く、検査時の確認不徹底も一因とされた。
 男性社員は「ボルトが緩かったらどうなるか、トンネル内で速度を体感せずとも理解できる。社員を危険にさらすのは問題だ」と訴え、別の社員も「見せしめのようだ」と憤る。
 JR西日本労働組合(JR西労、組合員約700人)は昨年5月以降、中止を申し入れているが、会社は応じていない。同様の研修はJR東海が15年度まで約5年間、一部社員を対象に実施していた。
 JR西は「中央通路での待機は、線路内に通常業務で立ち入る機会のある社員は経験している。車両関係の社員にも経験する機会を与え、作業の重要性を学んでもらうことが目的。安全には十分配慮している」と説明する。
方法として問題
 中村隆宏・関西大教授(ヒューマンエラー論)の話 労災防止のため疑似的に危険を体感させる安全教育は一般にあるが、トンネル内はリスクがゼロでなく、研修方法として問題がある。インパクトがある経験で人間は変わるという前提かもしれないが、そんなに簡単にヒューマンエラーはなくならない。トンネル内で体感することと、検査の重要性を実感することは、ステップが離れすぎている。間を埋める教育がないと意味がない。


総裁選前の失点を恐れ…閉会中審査から逃げ回る安倍首相
「空振りを恐れず、早めに避難措置を取るなど、できる限りの対策を講じてもらいたい」――。23日午前、ダブル台風(19号・20号)が列島に差し迫っていたころ、安倍首相が関係機関にハッパをかけた。西日本豪雨被災地の2次災害を防止するための訴えだが、一体どの口が言うのか。
 被災地復旧に向けた補正予算編成のための臨時国会をいまだ召集せず、「空振り」どころか、打席にすら立とうとしない。3選を目指す自民党総裁選を前に、安倍首相も参加した「赤坂自民亭」への追及を恐れるあまり、補正は棚上げ。ダブル台風への警戒指示は“やっている感”演出のパフォーマンスに過ぎない。
 安倍首相の失点回避は障害者雇用の水増し問題でも顕著だ。野党の閉会中審査開催の要請を、自民は突っぱねている。
「10を超える省庁で水増しがあり、所管の厚生労働委員会の審議だけでは収まらない。予算委開催まで求められると、審議の場に安倍首相が引きずり出される。総裁選直前に首相を国会で批判にさらすわけにはいかず、自民の国対は絶対、閉会中審査に応じようとしない」(野党国対関係者)
 28日には衆院厚労委の理事懇談会で、厚労省が各省庁の水増し問題の調査結果を報告する。与党はこれでケリをつける気だが、障害者雇用の水増しは40年以上に及ぶ行政の悪弊だ。それでも自民は安倍首相の失点回避のためなら、見過ごすのだ。
 一方で安倍は3選に尽力する“しもべ”に褒美を送る抜け目なさ。26日に鹿児島県内で県連会合に出席後、総裁選出馬を正式表明する予定だ。
「鹿児島での出馬宣言は、森山裕国対委員長の“お膝元”だから。森山さん所属の石原派は一時期、実質オーナーである山崎拓元副総裁主導で、石破元幹事長の推薦人に2、3人が名前を貸す構想があった。しかし、森山さんが『安倍支持でいくから貸さない』と固辞し、領袖の石原伸晃元幹事長が『安倍3選支持』を最終決断した経緯がある。国対委員長として、モリカケ問題でも政権を守ったこともあり、総理は森山さんに錦を飾らせたようです」(自民党石原派関係者)
 安倍の眼鏡にかなった森山は、総裁選後の人事で党3役を狙っているらしい。私利私欲にまみれた論功が、新たな安倍への忖度を生み出すのだろう。安倍の「逃げ恥」総裁選によって、ますます自民は単なる恥ずかしい集団となるばかりだ。