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Un méga typhon s’approche du Japon
Le typhon Jebi, de catégorie cinq, doit baisser en intensité avant d’atteindre les côtes japonaises en début de semaine prochaine mais risque quand même de causer d’importants dégâts.
Un an après le passage des ouragans Irma et Harvey, la situation est pour le moment assez calme dans l’Atlantique mais c’est une autre histoire en Asie du Sud-Est. Le typhon géant Jebi, qui a commencé à se former dans le Pacifique le 27 août dernier, est monté en puissance ces derniers jours jusqu’à atteindre vendredi la catégorie cinq, ce qui le classe parmi les cyclones les plus puissants.
Situé pour le moment au large de l’île américaine de Guam et des îles Mariannes, Jebi s’approche des côtes japonaises à une vitesse de 25 km/h. Les vitesses des vents peuvent atteindre près de 280 km/h avec des rafales à 330 km/h, selon l’observatoire des cyclones Keraunos.
Le cyclone le plus puissant de l’année 2018
Après avoir poursuivi sa route vers le nord, Jebi devrait toucher les côtes japonaises à partir de lundi, même si sa trajectoire précise reste à affiner durant le week-end. Le cyclone aura sans doute baissé en intensité en début de semaine prochaine mais il devrait toujours avoir une puissance équivalente à celle d’une tempête de catégorie 3 et donc être très dangereux. Les spécialistes s’attendent ainsi à des inondations dues à la pluie, des vents violents de près de 200 km/h, des vagues de dix mètres de hauteur et des inondations côtières. Le site spécialisé Accuweather anticipe déjà de nombreux dégâts (pannes de courant, arbres déracinés, maisons abîmées) et de possibles victimes.
L’Asie du Sud-Est a déjà été touchée par plusieurs cyclones depuis le début de l’année, dont Cimaron la semaine dernière, mais Jebi est pour le moment le plus puissant en 2018 toutes régions confondues. Après être passé au niveau du Japon de lundi à mercredi prochain, il devrait se dissiper dans la seconde moitié de la semaine prochaine au niveau de la pointe sud-est de la Russie.
Cyclone, ouragan, typhon, quelles différences ?
Tous ces termes renvoient au même phénomène climatique : une dépression qui se forme dans un océan autour de nuages orageux tourbillonnants et qui entraîne des vents très forts violents. A faible intensité, il s’agit d’abord une dépression tropicale puis d’une tempête.
C’est lorsque le cyclone atteint sa puissance maximale que sa dénomination est différente, mais seulement en fonction de la région du globe concernée. On l’appelle ainsi ≪ ouragan ≫ dans l’Océan Atlantique (comme Irma qui a notamment frappé les îles francaises de Saint-Martin et Saint-Barthélemy en septembre 2017) et ≪ typhon ≫ dans le Pacifique (comme pour Jebi). Dans les autres régions océaniques comme l’Océan indien, c’est le simple terme ≪ cyclone ≫ (ou ≪ cyclone tropical ≫) qui est utilisé.
フランス語
フランス語の勉強?
世界制服「鉄道を制服」
乃木坂46・西野七瀬さんが世界の制服をセイフク!今回は鉄道の制服。鉄道発祥の地イギリスの「保存鉄道」で働くボランティアの人々の制服から、故郷の鉄道の歴史とそれを守り継ぐ誇り高い思いを紹介。また日本初の女性運転士に密着し、制服に隠されたエピソードなどを紹介。さらには、車掌さんにふんした西野さんのカワイイ衣装も必見です! 西野七瀬, 神田松之丞
テレメンタリー 「葬られた危機 〜イラク日報問題の原点〜」
湾岸危機で日本はアメリカから自衛隊を派遣するよう求められた。しかし当時は派遣できる環境になく、代わりに民間の輸送船がペルシャ湾に向かった。外務省は「日本政府の指揮下で安全に航行する」と説明していたが、実態は異なり、アメリカ軍の指示で危険な海域に入りミサイル攻撃に晒されていた。攻撃の事実は極秘とされ、以後、自衛隊の海外派遣が本来任務となっていく。番組では、海外派遣を支えてきた「隠ぺい」の原点を探る。 上田定行 メ〜テレ
証言記録「宮城県石巻市 希望をつなげ 壁新聞」
東日本大震災で最も多い4千人が犠牲になった石巻市。石巻日日新聞は津波で社屋が冠水し輪転機も止まったが、手書きの壁新聞を避難所に届けると決断。記者達は通信や交通手段も途絶する中、水につかって奔走した。掲げた編集方針は、被災者の心に“希望をつなぐ”記事。しかし壊滅した故郷を前にぼう然となり事実を伝えざるを得ないと葛藤する記者も。絶望と希望のはざまで記者達は何をどう伝えたのか?懸命に格闘した7日間の記録
サイエンスZERO「夢の再生医療 現実へ」
かつて夢の医療とうたわれた再生医療がいよいよ現実のものとなってきた。先月、京都大学でiPS細胞を使ったパーキンソン病の治験が開始されると発表された。アメリカでは(ES細胞を使った)治験で脊髄損傷の患者が驚くほどの回復を見せている。再生医療の時代に備え、世界じゅうの医療機関、製薬会社やベンチャー企業が着々と準備を進めている。日本やアメリカで進むブレークスルーを紹介する。 神奈川県立保健福祉大学 教授…八代嘉美,山下由起子, 小島瑠璃子,森田洋平, 川野剛稔
完全密着!命を救え!“ナニワ”の名医たち
関西の医療の最前線で活躍するナニワの名医たちに密着取材!◆心臓外科◆人工関節◆ドクターヘリ◆胃がん
◆心臓外科◆ 大阪府吹田市・国立循環器病研究センター病院 僧帽弁閉鎖不全症と診断された30代男性。 心臓の肥大化によって死に至る危険も… 「ダビンチ」による心臓手術に臨む。 より繊細な手術ができるロボット手術とは!?さらに12年間心臓病に苦しみ、自分の納得できる手術を求める女性。 しかし…彼女が望むのは困難を伴う手術だった。 経験に磨かれた優れた技術で託された命を救う医師の挑戦に密着する!◆整形外科◆ 大阪市・中之島いわき病院 膝の軟骨がすり減り、骨と骨のすき間がほとんどなくなっている70代女性。 彼女の膝に人工関節を入れる。 「大工っぽい」という関節の手術とは…?◆救命救急◆ 滋賀県栗東市・済生会滋賀県病院 関西で数少ない女性フライトドクター。 彼女が駆けつけた高速道路の多重交通事故現場は、言葉をなくすほど凄まじい。 タイムリミットと闘いながら、患者と向き合う。 彼女が語る救命救急で大切なこととは…。胃がん◆ 大阪市・大阪国際がんセンター 胃の下部の3分の2を切除する70代の女性の手術。  手術支援ロボット「ダビンチ」の最新型が初めて使われる手術に密着!

町山智浩のアメリカの今を知るTV In Association With CNN
「日本人の知らないアメリカ・パート(5) ポートランド裸で自転車イベント体験」オレゴン州ポートランドの裸自転車イベントに町山が参加。奇妙なイベントのメッセージとは?
全米で最も住みたい街と言われるポートランド。環境保護の観点から「脱石油依存」の街づくりを進めている。自家発電や公共交通機関を充実させ、自転車やインラインスケートなどエコな乗り物も積極的に推進。街のスローガンは「ヘンテコな街で居続ける」。それだけに奇妙なイベントも頻繁に開催している。今回は1万人以上が参加するという「裸自転車イベント」に町山が参加。奇妙なイベントが発信する本当のメッセージを解説する。
町山智浩(映画評論家、コラムニスト)、藤谷文子(女優、ロサンゼルス在住)(他)
知ってるようで実は知らないアメリカ社会の“今"を、カリフォルニア在住の人気映画評論家・町山智浩が、解りやすくひも解く今までにないニュースエンタテインメントプログラム。トランプ政権で存在感を増す24時間ニュース専門局「CNN」の渾身のリポートをフル活用しながら、映画や音楽などショウビジネスの話題も織り交ぜて、刻一刻と変化するアメリカの社会問題を徹底的にあぶりだす。
<番組ホームページはこちら!> http://www.bs-asahi.co.jp/machiyama-now_cnn/

バクラ358@51131063400
町山智浩のアメリカの今を知るTVで取り上げられていたポートランドのの裸で自転車に乗るイベント最高だな。道端のオーディエンスも応援してっるのも驚き。
http://www.bs-asahi.co.jp/machiyama-now_cnn/

新装版 「レ・ミゼラブル」百六景
ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』は、人類愛の物語であると同時に、当時の貧困と無知が生み出す社会の悲惨さ(都市人口の集中、都市環境の劣悪化、産業革命による過酷な労働、失業の拡大等)を告発する社会小説である―。フランス文学者にして無類の愛書家・鹿島茂氏が、1879年出版のユーグ版に掲載された木版画挿絵から選んだ230葉をもとに、骨太なストーリーラインを追いつつ、そこに描かれた当時の社会情勢、風俗を微に入り細を穿った解説、一読で『レ・ミゼラブル』の全体像を把握できるつくりになっている。なぜジャン・ヴァルジャンは、パリのその街区に身を隠したのか?里親から虐待を受けるコゼットが、夜店で見ていた人形はどこ製か? 木版画の細部から、みじめな人々"の物語をあざやかに甦らす。長大な傑作の全貌がこれ一冊でわかる。
Tirammy 明快な解説と想像ふくらむ挿絵。
この本はレミゼラブルの大まかなあらすじとともに、
そのテーマを解説したものですが、
原作に比べてはるかに分かりやすいです。
まず文体が読みやすいという点、
さらに2ページに1枚の割合で入っている挿絵。
そして原作の細かい描写を最小限に抑えつつ、
その重要なエッセンスは残したストーリー展開。
時代の大きな流れも分かりやすくまとめられており、
ユーゴー版の原作を読むのはちょっと・・・という人にオススメです。
個人的には「もう少し細かく説明してほしかった」という部分があったこと、
「まったくのビギナーよりも、ストーリーを多少知っている人向け」
に仕上がっている点により、星4つです。


朝だらだらして録画したけど見ていない番組をいくつか見ました.お昼につい赤ワインを飲んでしまいました.ぼあ〜んんとして気がつくと夕方.昨日の印刷物が届いているかどうかの確認をしに出勤.あれ???ないです.
なので早めに帰宅してのんびりですが,なんだか寒い?気がします.ちょっと調子ヘンかも.
寝る前に何気なく見た町山智浩の番組が面白いです.Keep Portland Weirdだなんてポートランドがスゴイ♪

閖上地区 ホヤ料理の店開店へ
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた名取市の閖上地区に、ホヤを使った料理が楽しめる屋外の店舗が2日、オープンすることになり、1日、関係者を招いて料理が振る舞われました。
屋外店舗は、JR仙台駅前のホヤ料理専門店などを運営する仙台市の会社が、津波で大きな被害を受けた地区のにぎわいづくりのために設けました。
1日は地元の人や取引先などを招いて料理が無料で振る舞われ、訪れた人たちはホヤの唐揚げやホヤカレー、ホヤユッケ丼などの料理を味わっていました。
県産のホヤは日本一の水揚げを誇り、震災前はおよそ7割が韓国に輸出されていましたが、原発事故の影響を理由に韓国は輸入禁止を続けていて、漁業者が水揚げした一部を処分する状態が続いています。
店舗の運営会社は来年、敷地内に120坪ほどの加工場を設けて、ホヤのむき身などの加工品を製造することにしていて、国内でのホヤの消費を後押ししたいとしています。
運営会社の松野水緒社長は、「少しでも被災地の力になり、閖上が頑張っていることを知ってもらおうと、この場所に店を作りました。今後大きな加工場を作り、宮城のホヤを広めていきたいです」と話していました。
この屋外店舗は、毎週日曜日と祝日の午前9時から午後1時まで営業することになっています。


<東日本大震災>8月末で入居終了の岩手のプレハブ仮設、307世帯が期限後も占有 転居先が決まらぬケースも
 東日本大震災の被災者向けに岩手県が整備したプレハブ仮設住宅で8月31日、特例を認められなかった被災世帯が入居期限を迎えた。だが実際には、転出後も鍵を返却しないなどで307世帯が期限後も仮設住宅を占有している。中には転居先が決まらない深刻なケースも18世帯あり、関係団体が支援に乗り出す。
 県生活再建課によると7月末現在、プレハブ仮設住宅に入居しているのは1507世帯。災害公営住宅の工事の遅れなど特別の事情による「特定延長」が認められた1200世帯は、2020年3月まで入居を継続できる。
 残る307世帯は、災害公営住宅などへ転居した後も荷物を放置したままの事例が多数。県は近く関係市町と対応を協議する予定で「すぐに退去を迫ることはないが、長期化した場合は法的手続きも検討せざるを得ない」(生活再建課)という。
 一方、陸前高田市の5世帯と大槌町の13世帯は、転居先が決まらないまま退居期限を迎えた。体調不良や経済的困窮で転居が難しかったり、災害公営住宅に入居するか自宅を再建するか決めかねている人たちだという。
 大槌町では公益財団法人「共生地域創造財団」が、こうした世帯の支援を担っており、財団大槌事務所の中居知子統括は「時間がたつほど選択肢は狭まる。個々の事情に合わせ、一緒に転居先を決めたい」と話している。


<気仙沼・舞根灯籠流し>揺れる水面胸中映す 東日本大震災の犠牲者供養
 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた気仙沼市唐桑町舞根(もうね)地区の漁港で31日、灯籠流しがあった。海面に浮かんだ犠牲者を供養する明かりを、住民らはさまざまな思いを胸に見送った。
 漁港近くで8割の世帯が被災した舞根2地区の住民でつくる実行委員会が主催した。集まった約50人が会場に設けられた祭壇で焼香し、手作りの灯籠約200個を次々と流した。灯籠流しが20年ぶりに復活した昨年と比べて灯籠は、ほぼ倍の数になった。
 実行委員会の畠山環さん(79)は「東日本大震災当時のことを思い出すのはつらいが、犠牲者を供養するためにも大事な行事。これからも続けたい」と話した。


<東日本大震災>被災5市町の仮設住宅供与延長、140世帯に
 宮城県は31日、東日本大震災で被災した石巻、気仙沼、名取、東松島、女川の5市町の仮設住宅で、2020年3月まで供与期間を延長する対象が140世帯になったと発表した。転居先を確保できない世帯に限る「特定延長」となる。
 市町別では、石巻市55、気仙沼市50、名取市12、東松島市9、女川町14。対象世帯は今後、災害公営住宅(85世帯)、土地区画整理事業(49世帯)、防災集団移転促進事業(6世帯)での再建を予定している。
 国の同意を得た6月時点で県が見込んだ215世帯から75世帯減った。入居者の届け出を精査し、集団移転などで転居先を確保できる見通しが立ったという。


河北春秋
 「まさに『築城10年、落城1日』だ」。福島県漁連会長の発言は切実だった。福島第1原発事故の際、東京電力が放水した汚染水のため操業自粛に。漁師らが地道に試験操業を重ね、安全に売れる魚介を増やすさなか。その努力に「致命的な打撃」となる新たな風評を懸念した▼福島県富岡町で開かれた政府の公聴会。原発構内にあるトリチウム水の処分を巡り、地元の人々が中心に意見を述べた。政府が方針を固めたと報じられた「海洋放出」案への反対が大半だった▼トリチウムは原発内で発生する汚染水の放射性物質で唯一、水と同化して分離不能とされる。保管タンクも増え続けて約90万トン。政府は、地中に注入や埋設、蒸発させて放出−などの処分方法を検討し、海洋放出案が最も短時間、低コストとの試算を得ていた▼「希釈して海洋放出する以外に選択肢はない」と原子力規制委員会トップらも世論作りの発言を繰り返す。トリチウムは世界中の原発で日常に発生して海に排出され、薄めれば安全との言い分▼だが被災地の現状を見てほしい。福島の浜はいまだ遠い本操業を悲願にし、海水浴場の再開もまばら。筆者は、宮城、岩手の漁師からも風評再発への不安を聴いた。コストや理論でなく、選ぶべきは「復興を妨げぬ方法」ではないか。

原発処理水公聴会/復興が進む最善策見いだせ
 本県の復興と東京電力福島第1原発の廃炉を確実に進めていくことができるような最善策を見いださなければならない。
 第1原発の汚染水を浄化した後に残る放射性物質トリチウムを含む処理水の処分方法について、国民の意見を聞く公聴会が8月30、31の両日、富岡町と郡山市、東京都の3会場で開かれた。
 公聴会では、国が海洋放出や地層注入など五つの処分方法の検討状況を説明した後、3会場で延べ44人の意見を聞いた。原子力規制委員会は処理水を水で薄めて流す海洋放出が唯一の方法として早期実施を求めているが、公聴会では賛成は一部で、大半は反対の意見だった。国は意見を処分方法の検討に加味するとしている。公聴会で出た意見をくみながら、国民の理解を得ることができる処分方法を決めてもらいたい。
 国の作業部会は、処分方法について、〈1〉深い地層に注入〈2〉希釈して海に放出〈3〉トリチウムを含む水蒸気を大気に放出〈4〉トリチウムを水素に変化させて大気に放出〈5〉固形化材を混ぜて地下に埋設―の五つを示している。
 公聴会では、複数の発表者がタンクでの保管を要望した。海洋放出に反対する理由では、漁業者を中心に風評被害を懸念する声が上がった。国が海洋放出を選択しようとするのであれば、こうした懸念にどのように対応しようとしているのか丁寧に説明し、合意を得る努力をしなければならない。
 処理水を巡っては、汚染水を多核種除去設備(ALPS)で浄化した後の水に、トリチウム以外の放射性物質が残留し、一部は排水基準を上回っていることが明らかになった。
 国はこれまで小委員会などで説明したとしているが、公聴会ではこの問題を指摘する意見が相次いだことを踏まえれば、県民や国民に対する説明不足は明らかだ。
 恣意(しい)的ではないにせよこうしたことが続けば信頼関係を築くことはできない。処分方法の決定に向けて議論を前に進めるためにも、公聴会は結論ありきではないかとの疑念を払拭(ふっしょく)するためにも、全ての情報の開示と、分かりやすい情報発信に努めなければならない。
 山本一良小委員長は、公聴会終了後、タンクでの長期保管の可能性も含め、今後議論する考えを示した。この方法が加われば「第6の選択肢」ということになる。
 処理水の処分は、廃炉を進めていく上での喫緊の課題だ。処理水の再浄化や新技術の開発なども含め、多様な選択肢を排除することなく検討することが求められる。


[もんじゅ廃炉] 油断せず慎重な作業を
 日本原子力研究開発機構は高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の廃炉に向け、使用済み核燃料の取り出し作業を始めた。おとといは燃料1体を「燃料池」と呼ばれる水のプールへ移した。
 準備段階から多くのトラブルに見舞われ、予定より1カ月遅れてようやく廃炉作業の入り口に立ったといえる。
 特殊な構造のもんじゅの解体には、これまでほとんど経験のない困難な作業が待ち受けている。
 廃炉作業には30年という長い歳月を要する。深刻な事故を決して起こさないよう、油断せず慎重に作業を進めなくてはならない。
 機構の計画では、2022年までに燃料貯蔵設備と原子炉に入っている使用済み核燃料計530体の取り出しを終える。その後、冷却材の液体ナトリウムなどを取り出し47年度に原子炉建屋の撤去を完了する。
 炉心の核燃料を取り出すには、高さ約8メートルの燃料出入(だしいれ)機を数ミリ単位の誤差の範囲で操作する必要がある。炉心は燃料棒同士が互いに支え合う構造だ。取り出すには1本ずつ模擬燃料棒と取り替える必要があり、引き抜くだけの通常の原発より作業が増える。事故のリスクも高まろう。
 プールへの移送は廃炉決定前に2体しか行ったことがなく、操作員の経験不足が懸念される。
 ナトリウムの扱いも極めて難しい。空気や水に触れると激しく燃える性質を持つため、一歩間違えば重大事故につながりかねない。ナトリウムの取り出しは国内初で、機構が方法の詳細をまだ示していないのも気掛かりだ。
 もんじゅではこれまでに、ナトリウム漏れ事故や原子炉容器内での燃料交換装置落下など重大事故が相次いだ。機構への不信感は根強く、地元から「無事故で済むとは思えない」と悲観的な声が上がるのも無理はない。
 最大の難関は取り出した核燃料の処分だ。福井県は県外搬出を求めているが、取り出しが終わる22年までに搬出先が決まる見通しは全く立っていない。
 使用済み核燃料再処理工場(青森県)は稼働の見通しが立たず、全国の原発で発生する使用済み核燃料は行き場を失っている。
 国の核燃料サイクル政策の破綻は明らかである。
 もんじゅは1兆円を超える税金を投じながら、ほぼ運転実績がないまま廃炉には新たに3750億円がかかる。トラブルが起きれば費用はさらに膨らむ。
 国はもんじゅと核燃サイクル政策の失敗を直視して、原子力政策の見直しに取り組むべきだ。


鳴子温泉で「全国こけし祭り」
大崎市の鳴子温泉で恒例の「全国こけし祭り」が開かれ、全国のこけし職人の作品を買い求める人などでにぎわっています。
「全国こけし祭り」は、こけしのまちとして知られる鳴子温泉で、毎年この時期に開かれています。
64回目のことしは、県内をはじめ全国75人のこけし工人と呼ばれる職人の作品およそ3000点が展示即売されています。
会場はこけしファンなど多くの人でにぎわい、じっくりと品定めをしながら1000円台から1万円台の価格のものをまとめて買い求める人の姿も見られました。
また、秋田県や蔵王町などの7人のこけし工人を招いたコーナーもあり、訪れた人は工人との会話を楽しみながら、気に入った品を買い求めていました。
お目当てのこけし工人の作品を買い求めた福島県の70代の女性は、「家を朝3時に出てきて、目当ての作品を1番に買い求めることができました」と笑顔で話していました。
また、夫婦で初めて訪れたという東京の50代の女性は、「いろいろな産地のものが見られて、こけし初心者には勉強になります」と話していました。
「全国こけし祭り」は2日まで、大崎市の鳴子温泉で開かれています。


仙台・国分町 虎屋横丁のアーチ看板老朽化、撤去へ
 東北随一の歓楽街、仙台市青葉区の国分町にある虎屋横丁のアーチ看板が10月までに撤去されることが決まった。経年劣化によって風雨や地震に耐えられない可能性があるという。地元商店主らが再建を検討するが、シンボル復活のめどは立っていない。
 看板は戦後間もなく掲げられたとされるが、詳しい設置時期は不明。当地で店を構えていたという薬種問屋で、横丁名の由来になった「虎屋」の屋号にちなんだトラの絵柄が長年、「虎横」の通称と共に待ち合わせの目印としても親しまれてきた。


<虎屋横丁アーチ看板>消えるシンボル「寂しい」
 仙台市青葉区の虎屋横丁のアーチ看板は、歓楽街と一番町四丁目商店街を結ぶ路上にある。長年にわたって酔客を迎えてきた看板の撤去決定に、地域からは惜しむ声も出ている。
 看板は大手酒類会社の所有。地元建築会社が管理を担う。屋外広告物として3年ごとに建築士に安全性を確認してもらった上で、市に許可申請して設置してきた。
 更新申請のため6〜7月に実施した調査で、看板の文字部分の底に穴が開いていることが判明。支柱の根元部分にも重度のさびが見つかった。強風や地震の際に看板が落下したり、支柱が倒壊したりする恐れがあるとして、建築会社は申請を見送った。
 地元の商店や飲食店でつくる虎屋横丁稲荷小路親交会も8月、撤去に同意した。新たな看板を設置するかどうかは結論が出ていない。
 繁華街の利用者や地域住民からは「名残惜しい」との声が相次ぐ。近隣の青果店で働く男性(37)は「飲みに行く時は虎横をいつも通っていた。看板がなくなるのは寂しい」と話す。
 親交会の中嶋寛会長(71)は「看板を再び作りたい思いはある」と意欲を見せる。設置の方向となった場合、費用確保のため、スポンサーが広告を出せるようなデザインにすることなどを検討しているという。


国連が「沖縄への基地集中は差別」と日本政府に勧告! 沖縄の民意を無視し辺野古移設強行する安倍政権に国際社会もNO
 昨日8月31日、沖縄県が辺野古の埋め立て承認を撤回する通知書を沖縄防衛局に提出した。今月8日に死去した翁長雄志知事が7月に承認撤回の手続きに入ったことを発表していたが、これは翁長氏の遺志であると同時に、前回知事選で県民が翁長氏に託した「辺野古新基地反対」という意思だ。
 政府は撤回の執行停止を申し立てる方針だといい、沖縄の民意を踏みにじる政治姿勢をあらためる様子はまったくない。だが、こうした政府の姿勢に、国際社会が厳しい目を向けている。8月30日、国連の人種差別撤廃委員会は日本の人権状況と政府の取り組みをまとめ、勧告を公表。同委は米軍基地の問題を「沖縄への差別問題」「沖縄の人権問題」として取り上げたのだ。
 まず、今回の勧告では、同委や他の人権機関から琉球・沖縄の人びとを「先住民族」と認めて権利の保護するよう勧告を受けてきたにもかかわらず、政府がその勧告を受け入れていない状況への懸念を示した上で、こう続けている。
〈米軍基地の存在により、民間地域での米軍機の事故に関して琉球・沖縄の人びとが直面している課題のみならず、沖縄の女性に対する暴力の報告にも懸念している〉
〈当委員会は、女性を暴力から守ることを含め、琉球・沖縄の人びとに適切な安全と保護を確保し、加害者に対する適切な起訴と有罪判決が確実になされることを締約国が保証するよう勧告する〉(翻訳は編集部による)
 米軍機の事故や繰り返され続けている女性への暴力に対して、日本は適切に対応するように──。ご存じの通り、沖縄では米軍機の墜落事故をはじめ、小学校や保育園への落下物事故が相次いでいる。さらに2016年には米軍属の男による女性殺害・死体遺棄事件も起こった。だが、こうした事故・事件が発生しても、安倍政権はまったくと言っていいほど対応策を取ってこなかった。これを国連は問題視しているのだ。
 しかも、この勧告では、〈加害者に対する適切な起訴と有罪判決が確実になされることを締約国が保証する〉ことを求めている。これは殺人などの凶悪事件やヘリ墜落などの大事故が起こっても日米地位協定に阻まれて捜査の主導権すらもてない状況を指摘するもので、つまりは不平等極まりない日米地位協定の見直しに向けた取り組みをおこなうよう、日本政府に要求していると言っていい。
 そもそも、同委では2010年にも沖縄への米軍基地の集中について「現代的な形の人種差別」と認定、「沖縄における不均衡な米軍基地の集中が住民の経済的、社会的、文化的権利の享受を妨げている」と指摘し、適切な対策を取るよう勧告していた。だが、日本政府はこうした沖縄の状況に対する勧告に対してことごとく聞く耳をもたず、時に開き直って正当化してきた。
 実際、国連人権理事会の特別報告者であるデービッド・ケイ氏は昨年、辺野古の新基地建設反対運動をリードしてきた沖縄平和運動センター・山城博治議長が逮捕・長期拘留されたことについて「不均衡な重い罪を科している」「抗議行動を萎縮させる懸念がある」と指摘。ケイ氏を含む3名の専門家らは日本政府に懸念を示した文書を送っていたが、日本政府の回答は「適切に対応した」「主張は完全に間違っている」というふてぶてしいものだった。
 そして、政府は沖縄を無下にするだけでなく、沖縄の状況を世界に発信した翁長知事にも刃を向けた。
翁長知事は国連で「沖縄の人々の自己決定権や人権が蔑ろにされている」と訴えていた
 翁長知事は2015年、国連人権理事会において英語でスピーチをおこない、基地問題は人権問題であると訴えた。
「沖縄県内の米軍基地は、第二次世界大戦後、米軍に強制接収されて出来た基地です。沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。沖縄は日本国土の〇.六%の面積しかありませんが、在日米軍専用施設の七三.八%が存在しています。
 戦後七〇年間、いまだ米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が県民生活に大きな影響を与え続けています。
 このように沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています。
 自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるでしょうか」
「私は、あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です」(翁長雄志『戦う民意』KADOKAWAより引用)
「間違っているのは私たちなのかどうか、沖縄の置かれた状況を世界の人々がつぶさに見て判断してほしい」──そうした思いから翁長知事は演説をおこなったが、しかし、この行動に菅義偉官房長官は「強い違和感を持っている」などと噛みつき、こう言い放った。
「19年にわたって多くの沖縄県関係者の協力を得ながら適正な手続きで進めてきた。そうしたことを踏まえない翁長知事の主張は国際社会で理解されないと思う」
 県民が選挙で「辺野古新基地建設反対」という明確な民意を示したのに、菅義官房長官は話し合いを求める翁長知事の面談を繰り返し拒否。その上、安倍政権は基地反対運動を強権的に排除する姿勢を強め、挙げ句、「翁長知事の主張は国際社会で理解されない」と断じたのだ。
 しかし、今回の国連人種差別撤廃委の勧告が示すとおり、「国際社会で理解されない」のは、自国民を蔑ろにする安倍政権の姿勢のほうなのである。
 今回出された勧告に法的拘束力はないとはいえ、日本は人種差別撤廃条約の締結国であり、勧告を無視することは国際社会からの不信をさらに強めることになる。これは日本に対する重大な警告だ。
 だが、それでも安倍政権は沖縄に「国に楯突くな」と言わんばかりに、基地の押し付けという苦痛を与えつづけていくことははっきりしている。沖縄では9月30日に知事選の投開票がおこなわれるが、この選挙が沖縄の分水嶺となることは間違いない。


辺野古承認撤回 国は立ち止まり対話を
 沖縄県はきのう、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先である名護市辺野古の沿岸部の埋め立て承認を撤回した。
 「新基地建設はあらゆる手段で阻止する」としてきた翁長雄志(おながたけし)知事が7月末に撤回手続きに入ることを表明した後、急逝したことを受け、権限を引き継いだ副知事が代行した。
 安倍晋三政権は「辺野古移設が唯一の解決策」とし、強権的な手法で工事を進めてきた。沖縄の反対の声を無視し、地方自治を踏みにじる姿勢と言える。それを踏まえれば、撤回はやむを得ない。
 辺野古問題は13日告示、30日投開票の県知事選でも大きな争点になろう。
 これ以上、国と県の対立を先鋭化させてはならない。
 承認撤回により、移設工事の法的根拠は失われる。国は再び法廷闘争を繰り返すのではなく、移設反対の声に耳を傾け、対話を通じて解決の道を探るべきだ。
 翁長氏の表明後、県は手続きに入り、対象海域に軟弱地盤や活断層が存在し防災上の問題などがある、と結論付けた。
 これに対し、国は撤回の効力を止める「執行停止」を裁判所に申し立てる方針だ。停止が認められれば、土砂投入などの海上工事は再び可能となる。
 国は承認撤回の取り消しを求める訴訟も起こし、さらに工事の中断で発生した損害賠償を県に求める構えも見せている。
 こうした法廷闘争を続けることは、安倍首相が「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」とした政府方針とまったく逆ではないのか。
 辺野古沿岸部の埋め立ては2013年12月、当時の仲井真弘多(なかいまひろかず)知事が承認したものだ。
 その後、新基地反対を掲げた翁長氏が知事に就任し、承認を取り消すなどしたことで国と県の法廷闘争が繰り返されてきた。
 その中で示された判決は、基地が集中する沖縄の歴史や現状を直視しない「県側敗訴」が続いていただけに、今回の承認撤回は、県が取り得る残り少ない対抗手段だったと言える。
 共同通信が8月に実施した全国世論調査では、辺野古移設を支持しないとの回答は44%で、支持するを4ポイント上回った。安倍政権の強硬な対応に、国民の理解が得られていないことは明らかである。
 県知事選の候補予定者は承認撤回後の対応も含め、辺野古問題をどう解決するのか見解を示し、しっかりと論争してもらいたい。


辺野古承認撤回/法廷闘争を繰り返しても
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への県内移設工事で、沖縄県は沿岸部の埋め立て承認を撤回した。土砂投入寸前だった工事はいったん中止される。
 国は撤回を止める「執行停止」を裁判所に申し立てる方針だ。亡くなった翁長雄志(おながたけし)知事は承認取り消しを求めて最高裁まで争ったが、結果は敗訴だった。国と県が法廷で闘う異例の構図が再燃するのは確実だ。しかし、県の主張が司法で認められるかは見通せない。
 一方、国の主張が通っても、多くの県民が埋め立てに納得していない事実は残る。政府は不毛な法廷闘争を繰り返すより、県民の理解が得られる形で基地負担軽減を目指すべきだ。
 県は承認撤回の理由として、国の工事に違反行為があり行政指導しても是正しなかったため「放置できない」とした。
 撤回は、辺野古反対を掲げる翁長氏にとって最後のカードだった。病状が悪化してからは副知事が後事を託され、事業主体である防衛省沖縄防衛局の聴聞実施など手続きを進めてきた。
 30日投開票の沖縄知事選だけでなく、9月は県内各地で選挙が相次ぐ。撤回に踏み切ったことで、辺野古移設に有権者の関心を引き付ける思惑もある。
 政府は8月17日に土砂投入を予定していたが、台風接近を理由に中止し、現在まで実施していない。知事選をにらみ、辺野古反対の世論を刺激するのを避けているだけだろう。司法が主張を認めれば、土砂を投入する狙いはすけて見える。
 基地負担軽減は沖縄の悲願である。辺野古移設には、歴代の知事が拒否を掲げて当選を果たしてきた。政府が辺野古の地元に直接補助金を交付するなどの懐柔策を重ねた結果、県民を分断する事態に至っている。果たしてこれが悲願に応える施策と言えるのか。
 県は撤回の理由に、辺野古新基地が完成しても条件次第では普天間が返還されない可能性も指摘した。防衛相も昨年、国会答弁で認めている。その通りなら、基地負担は軽減するどころか、今より増すことになる。
 安倍政権が「辺野古が唯一の解決策」と繰り返すのであれば、まずこうした疑念に誠実に答える必要がある。


県が辺野古承認撤回 法的対抗措置やめ断念を
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、県は仲井真弘多前知事による埋め立て承認を撤回した。これによって承認の法的根拠が失われ、工事はストップする。
 政府が工事中断に伴う損害賠償の可能性をちらつかせる中で、謝花喜一郎、富川盛武両副知事ら県首脳が故・翁長雄志知事の遺志を実行に移したことを評価したい。
 建設予定地に軟弱地盤の存在が明らかになったこと、事前に決めた環境保全対策を実行していないことなどを撤回の根拠としている。政府は重く受け止めるべきだ。
 この間の政府の対応を振り返ると、さまざまな点で信義にもとる行為や約束違反を繰り返してきた。
 仲井真前知事が埋め立てを承認した際、県は「工事の実施設計について事前に県と協議を行うこと」と留意事項に記載した。だが、沖縄防衛局は事前協議が完了しないうちに、昨年2月に汚濁防止膜設置の海上工事、同年4月には護岸工事に着手している。
 埋め立て承認後に沖縄防衛局が実施した調査で建設予定地に「マヨネーズ並み」の軟弱地盤が存在することが確認されていた。ところが政府はこの事実を県に伝えていない。今年3月に市民の情報公開請求によって初めて明らかになっている。
 なぜ口をつぐんでいたのか。公表すれば地盤改良工事の必要性が白日の下にさらされる。新たな改良工事の実施は設計概要の変更に当たるため、公有水面埋立法に基づき知事の承認を得なければならない。工事の進捗(しんちょく)に影響が出ることを避ける意図で、隠していたとしか考えられない。防衛局は工法変更申請の必要性について「総合的に判断する」と言葉を濁している。
 新基地予定地近くにある国立沖縄工業高等専門学校の校舎、米軍の弾薬倉庫、通信事業者や沖縄電力の鉄塔、一部の民家など多くの建造物が、米国防総省が航行の安全のために制定した飛行場周辺の高さ制限を超えている。
 米国内だったら造れない飛行場の建設をどうして沖縄で許すのか。日本の航空法にも抵触するが、米軍基地には適用されない。
 県民の間に強い反対がある中で新基地建設を強行するのは政府に対する不信感を増幅させるだけだ。沖縄に矛先を向けるのではなく、米国政府と真正面から向き合って、県内移設を伴わない普天間飛行場の返還を提起すべきだ。
 承認撤回を受け、政府は法的対抗措置を取ることを明らかにした。国、県の対立がまたしても法廷に持ち込まれる。
 強い者にへつらい、弱い者に強権を振りかざす。今の日本政府は時代劇でお目にかかる「悪代官」のように映る。
 政府首脳はこれまでの対応を省みて恥ずべき点がなかったのか、胸に手を当ててよく考えてほしい。対抗措置をやめ、新基地建設を断念することこそ取るべき選択だ。


[「辺野古」承認撤回]工事強行の瑕疵明白だ
 辺野古新基地建設を巡り、県は仲井真弘多元知事による埋め立て承認を撤回した。
 翁長雄志前知事が急逝したのに伴い、職務代理者となった富川盛武副知事と、撤回に関する権限を委任された謝花喜一郎副知事が記者会見し、発表した。
 翁長氏が撤回表明してから1カ月余り。翁長氏の公約を貫く重い判断である。
 謝花氏は「翁長知事の思いを受け止め、違法状態を放置できず、行政手続きの観点から判断した」と述べた。
 撤回は、承認後の事情の変化を理由に許認可などの行政処分を取り消す措置である。県が取り得る最大で最終的な手段である。
 政治性を排し、あくまで法律上、行政上の観点から撤回したことを強調したのだ。
 撤回理由として県は、大浦湾側の海底の軟弱地盤や地震を引き起こす活断層の存在を挙げた。
 工事を進めるには、軟弱地盤は地盤改良が必要だが、膨大な予算が伴う。新基地に弾薬搭載エリアなどが備えられることを考えると、活断層が動けば、地震と津波によって新基地が打撃を受けるだけではすまないだろう。
 さらに国は承認の条件となった「留意事項」にある県との環境保全策などの事前協議をせず工事を開始し、行政指導を繰り返しても是正しなかった。不誠実極まりない。サンゴやジュゴンなどの環境保全対策にも問題がある。実際、ジュゴン3頭のうち「個体C」と呼ばれる若い1頭の情報は長く途切れている。
 新基地建設に向けた国の瑕疵(かし)は明白である。
■    ■
 撤回によって工事は法的根拠を失い、即時中断した。
 ただ、国は対抗措置として撤回の取り消しを求める訴訟や撤回の効力の一時停止を求める申し立てなどを取る方針だ。再び法廷闘争に入るとみられる。
 県と国の対立がここまで深まったのはなぜか。
 ずさんな生活・自然環境の保全策。選挙で示された沖縄の民意無視。「辺野古が唯一の解決策」と言いながら、果たされぬ説明責任…。県外から機動隊を導入するなど強行姿勢一辺倒の安倍政権のやり方が招いた結果である。
 安倍政権は県が撤回せざるを得なかったことを謙虚に受け止めるべきだ。
 小野寺五典防衛相は「法的措置を取る」と明言しているが、裁判に訴えるのではなく、県の撤回を尊重し、工事を断念すべきである。
■    ■
 問われているのは日本の地方自治、民主主義が機能しているかどうかである。
 県の埋め立て承認の撤回が30日投開票の知事選に影響を与えるのは間違いない。
 知事選は翁長氏の後継候補となる玉城デニー衆院議員と安倍政権が支援する佐喜真淳前宜野湾市長の事実上の一騎打ちとなる構図である。
 玉城氏は辺野古新基地に明確に反対している。
 これに対し、佐喜真氏は新基地について態度を明らかにしていない。司法判断を待ちたいなどと逃げるのではなく、政治家として新基地の是非について語るべきだ。


辺野古承認撤回  対立解消の道探るべき
 沖縄県は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部での埋め立て承認を、工事の違法性を理由に撤回した。
 移設工事はいったん停止する。政府は工事再開へ法的対抗措置を講じる構えだ。県と政府の対立は、再び法廷での闘争に発展することになる。
 移設に強く反対していた翁長雄志知事が8月8日に亡くなった。翁長氏は死去前の7月、撤回に向けた手続き開始を表明していた。撤回は、移設阻止に向けた最後のカードとも言われていた。
 事業主体の防衛省沖縄防衛局から弁明を聞く「聴聞」の報告書が完成し、県は条件が整ったため速やかに撤回する必要があると判断したとみられる。
 9月には沖縄県内で選挙が相次ぐ。30日の知事選のほか、上旬には名護市議選を含む市町村議選の投開票日が集中している。
 撤回は移設問題への注目を高めたい思惑もあるのではないか。
 県政与党は選挙前の撤回を弾みに、移設反対の機運につなげる考えもあるだろう。だが、あくまで選挙では、冷静な判断ができる環境で県民の意思が示されることが大切だ。
 「撤回」は、事業の承認後に事業者の違法行為や問題が判明した場合に取り消す措置だ。
 翁長氏は、埋め立て地の地盤が極めて軟弱なことが判明したのに設計変更を届けず工事を続けていることや、環境保護対策をしていないことを理由に挙げていた。
 前知事の承認の条件では、環境保護対策や工事、設計の変更があれば国は県と協議し知事の承認を得る必要がある。
 しかし、政府はサンゴの移植をせずに本体工事の一部に着手した。埋め立てる沖合の海底が「マヨネーズ地盤」とも言われる軟弱層ということも分かった。
 計画通り埋め立てるなら大規模な地盤改良が必要になるが、国は設計や工法の変更を沖縄県に届け出ず工事を進めてきた。
 承認撤回で工事は即時停止するが、裁判所が政府の主張を認めれば再開が可能となる。訴訟になれば6件目だ。これまで判決に至ったケースでは県が全敗している。
 強引な建設は国と沖縄県、さらに沖縄県内にも深刻な分断と対立を招いてきた。法廷闘争を繰り返すだけでは解決は遠のくばかりだろう。国は工事再開を急ぐのではなく、選挙で示される民意を見極めながら県との話し合いに臨み、打開の道を探ってほしい。


辺野古埋め立て承認撤回 知事選でも議論深めよ
 沖縄県はきのう、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡り、仲井真弘多(なかいまひろかず)前知事による埋め立て承認を撤回した。政府は法的に対抗する方針で、両者は再び法廷闘争に入ることになりそうだ。
 沖縄では、翁長雄志(おながたけし)知事の死去に伴う知事選が13日に告示される。辺野古移設問題が最大の争点となるだろう。
 地方選挙とはいえ、国の政策の是非が問われる。与野党は、国政選挙並みの支援態勢を取る構えという。だが、肝心なのは沖縄県民の選択であることを忘れてはなるまい。
 知事選を巡っては、事実上の一騎打ちとなる構図が見えてきた。移設反対を訴え続けた翁長氏の後継候補として、自由党衆院議員の玉城(たまき)デニー氏が先日、無所属での立候補を表明した。安倍政権が支援する前宜野湾市長の佐喜真淳(さきまあつし)氏も、既に名乗りを上げている。
 4年前の知事選では翁長氏が「辺野古新基地反対」を訴え、経済重視の保守層と、基地のない沖縄実現を目指す革新系組織が、移設反対の一点で歩み寄って「オール沖縄」を構築し、勝利した。だが安倍政権はその民意に向き合わず、辺野古移設を「唯一の解決策」として沿岸の埋め立て工事に強行着手した。対立が深まるのは当然だろう。
 政府は、埋め立てのための土砂投入を8月17日に始めると県に通知していたが、天候などを理由に延期してきた。県としては現場の原状回復が不可能となる土砂投入を、承認撤回で何としても止めたかったのだろう。だが双方が知事選をにらんで動いたようにも映る。攻防はさらに激化したのではないか。
 それでなくても政府と県との対立は長期化している。一部には「国に反対しても仕方ない」との諦めムードが広がり、県民の間で対立や分断が進んだともみられている。
 そのせいだろうか。今年に入って名護市長選や、自衛隊配備が争点だった石垣市長選などで翁長氏が支援した候補の敗北が続いた。「オール沖縄」態勢のほころびを指摘する声もある。
 立候補表明した2人は共に、県民の対立や分断について懸念を口にしている。ならばこの状態をどう解消するのか、具体的ビジョンを示す必要があろう。
 そのため、辺野古移設を巡る議論は避けて通れまい。玉城氏は、翁長氏の遺志を引き継ぎ、「移設阻止を貫徹する」と主張している。一方の佐喜真氏は、普天間飛行場の危険性を除去する必要性を繰り返し訴えるものの、辺野古移設の是非については明言していない。
 この問題の争点化を避ける狙いがあるのかもしれない。確かに選挙で問われるのは、辺野古の問題だけではない。しかし地域振興は、基地の整理縮小と切り離せないはずである。
 安全保障政策に関わる問題だからといって、政府は県民を分断する形で移設を進めていいのだろうか。安保政策上、本当に必要なのかという点も含め、再検証が要る。沖縄の声に耳を傾け、対話を十分重ねた上で国政の場で論議すべき問題だ。
 十分な対話や議論がなければ知事選後もしこりは残ってしまう。政府は、県民の分断をあおるのではなく、硬直した姿勢を見直し、不信や対立を解消する道を探らなければならない。


「翁長雄志は命がけでした」 妻樹子さんが語る壮絶な最期
 8月8日に亡くなった前知事の翁長雄志さんの妻の樹子さん(62)は、沖縄のタイムスのインタビューに、名護市辺野古の新基地建設問題に関する前知事の思いなどを明かした。(聞き手=政経部・福元大輔)
沖縄の人たちの心を一つにしたかった
 撤回と聞いて「あなたが待ち望んでいたことよ。自分の責任でやりたかったと言うでしょうけど、皆さんが遺志を継いで頑張ろうと立ち上がってくれたのよ」と仏前に報告しました。
 翁長雄志は命がけでした。他の人にはなぜそこまでするのか、と理解できないかもしれません。政治家として自分に何ができるかを追い求めてきた人です。若い頃は何を考えているのか、何をやりたいのか、分からないこともありましたが、亡くなって初めて思うんです。ずっとつながっている。沖縄のことを思い、沖縄の人たちの心を一つにしたかったんだと。
 本人は亡くなる直前に言ったんです。辺野古問題で悩むことが多かったでしょ。「人がどう言うか、分からない。人がどう評価するか、分からない。でも、知っていてほしい。僕は精いっぱいやったんだ。これ以上できない、それでも足りないだろうか。僕の力がそこまでだったんだろうか」と。私が「ウチナーンチュだったらきっと分かるはずよ」と言ったんですよ。そしたら、翁長は静かに笑ってました。
県民が諦めなければ新基地は止められる
 7月27日に撤回を表明し、30日に入院しました。10日そこそこで亡くなったんですが、肉体的にはとっても大変、きつかったと思うんです。弱いところを見られたくないという思いが強かったですから。副知事や公室長が来たときも病室のいすに座って話をしていました。
 若い頃から政治一筋だったので、自分がいま何やるかが分かっていたのかもしれない。撤回の準備に入ったのも、自分の体調が本当に厳しくなってから。どうにか撤回まで持っていきたいと考えていた。
 ぎりぎりの状態で進め、結局、自分で撤回することなく亡くなってしまったけど。後は任せるということになり、本当に申し訳ないという気持ちだった。
 県民が諦めなければ辺野古の基地は造られないと思う。それは翁長も私も信じていた。県民が辺野古の基地はもうしょうがないということになれば、未来永劫(えいごう)沖縄に基地を置かれたままになる。それでいいのでしょうか。翁長は命をかけて、そこを問い続けた。もう一度踏ん張りたい。私にはそれしかできない。
 ウチナーンチュが一つになって、団結したとき、私たちが考えている以上の力強さがあると次男が県民大会で言ったでしょ。本当にその通りだと思うんです。一つになって立ち上がる。その強さを翁長は求めていたんだと思うんです。若い頃から。
私が翁長の背中を押した理由
 7月27日の記者会見の時、知事室からエレベーターに向かう廊下の窓際に腰を掛けて休んでいたのを記者たちが見て、記者会見で聞いたら、外反母趾(ぼし)と応えていたけど、あれは全然違う。
 前日、県庁に行って撤回に向けた最後の打ち合わせをして、公舎に「ただいま」と帰ってきた。玄関にあったいすに座って3分、廊下で3分、リビングで3分、寝室までの廊下でまた3分、5メートルを歩くのに20分かかる状況だったの。
 「記者会見で自分の思いを伝えることができるだろうか。記者の質問に答えることができるのだろうか」と私に言ったの。
 私は「できるに決まっているじゃないの。何のために頑張ってきたの。あなたがやらないで、誰がやるの」と背中を押しました。
 口の中いっぱいに口内炎ができていて、小さな粒の薬を飲むのも少しずつ少しずつ流し込むように。これも20分かかったかな。
 翌日起きて、送り出して、記者会見で30分間話し続けることができたと聞いて、私は「神様ありがとう」と何度も繰り返した。
 弱い姿を見せたくなかった人ですから、外反母趾と言ったんでしょう。私がそうじゃなかったと言ったことで、翁長は怒っているかもしれません。「なんで本当のことを言うんだよ」って。言葉が聞こえてくるようです。
 そんなきつい翁長の背中を私が押したのには理由があるんです。
もう新聞を読めないよ
 撤回が現実味を帯びてきた頃、国から「一般の職員にも損害賠償を求める可能性がある」という情報が伝わってきたんです。脅しのようにも聞こえるでしょ。
 県庁内は戦々恐々になったようで、翁長は「自分は政治家だから丸裸にされても、撤回をやる覚悟はある。でも一般職員をそんな矢面に立たせるわけがない」って、強く言ったんです。私たち家族もその責任を負う覚悟はありました。でも一般職員にそんなことを言うのはどうなんでしょうか。
 皆さんには本質を見てもらいたい。
 2期目の出馬についても、本人から直接聞いたわけではないけど、12月の任期を全うできないと感じているんじゃないかなと思うことがあったんです。
 例えば、4月に膵臓(すいぞう)に腫瘍が見つかる前から、公舎にあった自分の本の整理を始めたんです。大切にしていた本も捨てて。何をしているのと聞いたら、「これは君たちにはできないことだから、僕がやるんだ」と言うんです。何があっても新聞を読む人でした。胃がんの時も膵炎(すいえん)の時も、病室で私が来るのを待つというより、私が手に持つ新聞を待っているんです。
 それが、亡くなる2日前に、新聞を差し出すと「ごめん。もう新聞を読めないよ」って言うんです。新聞の情報を何よりも大切にしていた人ですから、私も「えっ」と思ったんです。この期待に応えてくださいよ。いつまでもいい新聞を作ることがこの期待に応えることですよ。皆さんには頑張ってもらいたいとずっと思っているんです。
最後まで周りに気を遣うお父さんだった
 でも翁長が弱いところを見せるのは本当に初めてです。撤回の前日に記者の質問に答えられるかなと言ったとき、そして、亡くなる2日前ですか。出会ってから本当に初めてと言っていいくらい。
 昨年の後半頃から、お風呂上がりに体重計に載るたびに体重が減ったようです。胃がんの後で75キロ。これをキープしようと維持してきたんですが、70キロになり、65キロになり。いくら何でも様子がおかしいんじゃないのと病院に行き、体重減も気になるけど、血糖が上がったことも気になると言われ、もしかしたら糖尿病かもと思い、その日のうちに検査したら膵臓に腫瘍が見つかりました。
 最後に入院したとき、1回だけ「苦しい」といったことがあるんです。病室で車いすに乗ろうとした時に私が支えていたんだけど、バランスを崩して、二人で転んだの。私に苦労させたと思ったんだろうね。そのとき、私にもたれかかるように「苦しい」と言ったの。1回だけ。
 そのとき、死期を覚悟していたのもしれない。もしかしたら恐怖があったのかもしれない。こんなことを私に言ったの。
 「この先、子どもたちにあたることがあるかもしれない。自分で自分をコントロールできなくなるかもしれないんだ。そのときは、子どもたちに伝えてほしい。今のお父さんは本当のお父さんじゃないよ。病気で自分をコントロールできなくなっているんだよ」と。
 でも、最後までそんな必要はなかった。最後の最後まで子どもたちにあたることはなかった。周りに気を遣うお父さんだった。
 でも、でもね。ずっと難しい顔をしていたでしょ。だから最後は見せてほしいと思った。翁長の本当の笑顔を。末っ子の甘えん坊の笑顔を。明るくよく笑う人だったんです。この4年間はほとんど見ることがなかったから。


「メールも破棄指示」 公文書管理で経産省幹部
 経済産業省幹部が省内外の打ち合わせ記録を残さないよう指示していた問題で、複数の同省職員が、電子メールについても「表に出るとまずいやりとりは、破棄するか、(公文書扱いとならない)個人のフォルダに移すよう指示された」と本紙に証言した。首相官邸や政治家、他省庁とのやりとりはメールで情報共有されることも多く、こうした運用では意思形成過程が十分に検証できない恐れがある。
 公文書管理の運用ルールについて同省情報システム厚生課が今年三月に作成した文書では、「電子メールは個人文書を除き公文書」とした上で、意思決定の経緯などの跡をたどって調べたり、検証したりするのに必要な公文書の保存期間を一年以上と設定している。一方で、保存期間一年未満で廃棄できる公文書として「定期的・日常的な業務連絡(ほとんどの電子メール)」とも記されている。
 しかし、ある職員は三月、会議でこの文書の説明を受けた際、上司が「政治家や官邸、省庁間のやりとりはメモやメールで一切残すな」「全て口頭でやれ」と強調していたと証言。別の職員も「表に出たらまずいメールのやりとりは破棄するか、共有フォルダではなく、(公文書扱いとならない)個人フォルダに移しておくように」といった指示を受けたという。
 指示が出て以降、各課内で省内外のやりとりをメールで共有することができなくなったといい、ある職員は「どうしても記録しておきたいやりとりのメールは、指示された通り、個人フォルダを作り、そのフォルダに移して保管するようになった」と語る。
 新ルールの文書に記載された「ほとんどの電子メール」という文言について、同課は「メールはスケジュールなど、政策決定に関わりがないものがほとんどなので、そういうものは破棄していいという意味で書いた。重要なものは残せということだ」と説明。一方で、「メールに残すな」という指示については、「そのような指示が、幹部から現場職員に出ているなら問題だ。今後、研修会などでやりとりの記録は、これまで通り残していくよう周知していきたい」と話す。
 公文書管理を所管する内閣府公文書管理課は「指示が出て、やりとりのメールさえ残さなくなっていたら、制度の趣旨を取り違えている。事実が確認できれば、経産省に改善を促したい」とする。 (望月衣塑子)


発言記さぬ経産省文書 理念をねじ曲げる運用だ
 経済産業省が公文書管理の指針を職員に説明した内部文書で、省内外の打ち合わせ記録について「議事録のように個別の発言まで記録する必要はない」と説明していた。
 文書には「いつ、誰と、何の打ち合わせかが分かればいい」とも書かれている。詳細な議事録を残さないよう指示する内容だ。
 森友・加計学園問題を受けて、公文書管理の指針は昨年12月に改正された。政策立案や事業方針に影響する打ち合わせは記録を文書に残す。他の省庁や政治家とのやり取りや発言は、相手の確認を取り、正確に記録する。そう求めている。
 ところが、経産省の内部文書は、発言そのものを記録させないような指示だ。同省の職員は毎日新聞の取材に「誰が何と言ったのか分からないよう議事録を残してはいけない」とまで言われたと証言している。
 この通りに運用されれば、すべての発言を公文書から消し去ることになる。残すべき文書の中身が骨抜きにされかねない。公文書管理の理念をねじ曲げる指示であり「文書隠し」よりも悪質だ。
 森友・加計学園問題では関係者の発言や協議内容が記録に残されておらず真相解明が阻まれた。それを反省しての指針改正だったはずだ。
 公文書は、結論が記録されていればいいというものではない。むしろ、決定までのプロセスを記録することで、後の検証を可能にするためにある。途中が省かれてしまえば、公文書の目的は果たせない。
 同省は、必要な際は議事録を作るというが、必要、不必要の線引きはあやふやで、恣意(しい)的になる。そうなれば、発言記録を残すとしても、情報公開の対象にならない「私的メモ」ばかりになる恐れがある。
 森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざん事件などを受けて、政府は7月に再発防止策を策定した。内閣府や省庁に公文書管理を監視するポストを設けたり、電子決裁システムを推進したりする内容だった。
 だが、あらゆる文書を公文書としてきちんと記録し保存する仕組みがなければ問題の解決にはならない。
 政府は経産省の内部文書が指針を逸脱していることを認めて是正を指導し、他の省庁のルール運用も点検して速やかに公表すべきだ。


もんじゅの廃炉  安全最優先に、着実に
 日本原子力研究開発機構が、高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の本格的な廃炉作業に着手した。使用済み核燃料の取り出しは、30年かかるとされる難題続きの廃炉への第一歩にすぎないが、安全を最優先に着実に進めてもらいたい。
 もんじゅは、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を使い、発電しながら消費した以上のプルトニウムを生み出す「夢の原子炉」と期待され、国費1兆円超がつぎ込まれた。ところが、1994年の初臨界後、ナトリウム漏れ事故や炉内装置の落下事故、機器点検漏れの発覚などが相次いだ。稼働はわずか250日にとどまり、政府は2016年12月、廃炉を決めた。
 核燃料の取り出しは、廃炉に向けた最初の関門となる。燃料貯蔵設備と原子炉から冷却材の液体ナトリウムに浸されている核燃料を遠隔操作で1体ずつ取り出し、付着したナトリウムを洗浄。ステンレス製の缶に収納して「燃料池」と呼ぶ水のプールに入れる。
 核燃料は計530体あり、取り出しだけで5年を要する。ほとんど経験のない作業である上、空気や水に触れると激しく反応するナトリウムの扱いが難しく、常に大事故につながるリスクがつきまとう。油断は禁物だ。
 核燃料の取り出しは、準備段階から作業機器の不具合などさまざまなトラブルに見舞われ、当初予定より1カ月遅れてようやく作業に取りかかった。8月中に作業に着手するという「公約」は守ったとはいえ、不安を残したまま見切り発車した感が強い。
 廃炉は47年度まで4段階に分けて実施されるが、先は見通せていない。国内で初、世界でもあまり例のない高速炉の廃炉であり、未解決の難問が待ち構えている。核燃料や放射性物質を含むナトリウムの処分方法さえ、いまだに決まっていないのも不安材料だ。
 もんじゅを巡っては事故などの情報隠しが批判された。廃炉作業時に万一、トラブルが起きたら現場の状況を即刻、的確に情報公開することを肝に銘じてもらいたい。
 もんじゅ廃炉後も、政府は高速炉開発を続ける方針だ。使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、再び燃料として使う核燃料サイクルを国策としているためだが、計画は事実上破綻している。これ以上、実現性の乏しい国策に巨費を投じるのは国民の理解を得られまい。もんじゅの廃炉を直視し、速やかに原子力政策の転換を図るべきであろう。


防衛費概算要求 「特別扱い」は許されない
 国の財政が借金漬けで苦しい中で、防衛費だけ「特別扱い」であるかのように増やし続ける。それでいいのか。
 防衛省は31日、2019年度予算の概算要求を公表した。総額は過去最大を更新する5兆2986億円で、18年度当初予算に比べ2・1%増である。
 今回は例年概算要求に含めている米軍再編関連経費を示していないため、再編費を除いたベースで比較すれば、7・2%の大幅増ということになる。
 防衛力増強を重視する安倍晋三政権の姿勢からみて、年末の予算編成でも増額が認められる可能性が高い。そうなれば防衛費は第2次安倍政権発足以降、7年連続増になる見通しだ。
 防衛費が膨らむ原因は、北朝鮮や中国の脅威を理由にした高額な防衛装備品(兵器)の購入費がかさんでいるからだ。その典型といえるのが、北朝鮮のミサイル対応を目的とした地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の導入である。
 疑問に思うのは、6月の米朝首脳会談で朝鮮半島の緊張状態が大きく緩和されたとみられるのに、相変わらずイージス・アショアなど最新の防衛装備を購入しようとしている点だ。
 防衛省は概算要求に先立ち、28日に18年版防衛白書を発表した。白書では北朝鮮の核・ミサイルについて「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」として、警戒感を強調している。
 首脳会談で米朝のトップが「非核化」で合意したにもかかわらず、前年版より脅威度を強めた表記にしているのには、不自然さを拭えない。確かに北朝鮮の今後の動向には不透明さがつきまとうが、内実は防衛費増額を国民に納得させるために、脅威の判定を「高止まり」させているのではないか。
 背景にちらつくのは、米国のトランプ政権が日本政府に対し強めている「米国製兵器をもっと買え」の圧力だ。安倍政権が日米関係を重視するあまり、当面の必要性よりも購入の実績づくりを優先しているのだとしたら、本末転倒である。
 政府は年末に向け、防衛大綱見直しの議論に着手した。向こう10年程度の防衛力のあり方を示す大綱となる。次の10年の安全保障では、宇宙やサイバー空間など、これまでになかった領域でも防衛力の整備が求められそうだ。つまりその分、新たな費用の支出が必要となる。
 ならば一層、限られた予算の中で徹底的に「費用対効果」を検証し、本当に有用なものを配備する意識改革が不可欠だ。
 中国や北朝鮮を持ち出せば、国民も「青天井」を認めるだろう−などと考えているのだとしたら、勘違いも甚だしい。


【防災の日】死角、油断はないか
 新年早々に不意を突かれた群馬県・草津白根山の噴火、激しい揺れが大都市を直撃した6月の大阪府北部地震、7月には西日本を記録的な豪雨が襲い、多くの命を奪った。さらに、過酷な熱波が続く。
 私たちは災害列島に生きる。自然の猛威のたびに教訓を新たにしているのに、被害を防ぎ切れないもどかしさ、悔しさがある。きょうは防災の日。地域の安全を点検し、日々の備えを確かにしていきたい。
 幾多の自然災害を経験し、さまざまな防災対策が講じられてきた。だが、今年相次いだ震災や豪雨は、なお残る日常の死角や油断を表出させたのではないか。
 死者が200人を超え、「平成最悪」の水害になった西日本豪雨は、九州から近畿地方にかけて延びた梅雨前線に沿って同時多発の大雨を降らせた。特定地域で豪雨が続く線状降水帯が各地で発生し、河川氾濫や土砂崩れを引き起こした。
 線状降水帯は昨年の九州北部豪雨などをもたらしてきた。気象庁もそうした豪雨への警戒を強め、今回は警報などの発表前から注意を呼び掛ける異例の対応を取り、住民に避難行動などを促した。
 過去の豪雨災害での反省も踏まえ、気象庁は警報などにも改善を重ねてきた。だが、切迫した状況として受け止め切れなかった住民が家や車中などにとどまり、被災した事例が今回も報告された。自治体による避難勧告や指示のタイミングなども問い直された。
 気象情報の複雑化などが課題に指摘される一方、住民側も災害や防災情報への知識や気構えが不十分だった面があるのではないか。「まさかここまで」「まだ大丈夫」といった想定外への油断だ。
 気象庁の警報や自治体などの避難情報を住民の実際の防災行動にどう結び付けていくか。啓発や避難訓練を地道に重ね、地域防災を根付かせていきたい。
 大阪府北部地震では、学校のブロック塀の強度不足問題が女児の犠牲により露呈した。40年前の宮城県沖地震の倒壊被害を機に厳格化された建築基準が守られず、危険なブロック塀が高知県も含め多数残されていたことが明らかになった。
 悲劇を重ねてなお教訓が行き届いていなかった。日常生活の死角に潜む危険をどう見つけだし、取り除いていくか。たゆまぬ検証と点検が改めて求められる。
 自然の異変も広がっている。「災害と認識している」。日本列島を覆う今夏の猛暑を気象庁はそう説明し、「命の危険がある暑さ」と強い警戒を呼び掛けた。熱中症の死者が相次ぎ、人々の日常生活を脅かしている。「猛暑災害」と言っても過言ではないほどの状況だ。
 異常気象は世界各地に及んでいる。その大きな原因とされる地球温暖化に歯止めをかけなければ、豪雨や猛暑もエスカレートするばかりだろう。自然の異変の究明とその防止対策も一層急がれよう。


防災の日 脱「指示待ち」で命守ろう
 「記録的な大雨になる恐れがある」「命を守る行動を」−。この夏、何度も聞いた警告である。迫る危険を回避するため、適切に行動できただろうか。
 気候変動の影響もあって、これまでの常識が通用しない規模や態様の災害が相次いでいる。家族の命を守る準備は万全か。「防災の日」のきょう、改めて考えたい。
 こんな数字がある。静岡大防災総合センターの牛山素行教授(災害情報学)の調査では、西日本豪雨で大雨特別警報が出た岡山、広島、福岡3県の住民の8割以上が警報を認識していた。しかし実際に避難したのは約3%だった。
 豪雨では、200人以上が亡くなった。犠牲者数は平成では最悪だ。
 徳島県内で死者は出なかったが、「偶然が重なっただけ」というのが専門家の見方である。同様の災害が、いつ身の回りで発生してもおかしくはない。
 「まず、自分が住む地域と自宅のリスクを知ること」。防災システム研究所の山村武彦所長は強調する。
 地域のハザードマップを見たことがあるだろうか。町の約3割が泥流にのまれた岡山県倉敷市真備町地区の浸水域は、マップが示す浸水域とほぼ重なっていた。広島、愛媛両県でも、土砂災害警戒区域や土砂災害危険箇所で災害が発生している。
 マップの精度は高い。水害や地震といった災害ごとの被害想定や避難所を、あらかじめマップで確認しておくことが「わが家の防災」の基本となる。どんな場合に、どんな経路で、どこへ逃げるか。非常時の連絡方法なども、しっかり話し合っておこう。
 迷うのは、避難するタイミングだ。気象情報には、警報や注意報のほか、土砂災害警戒情報や記録的短時間大雨情報、大雨特別警報など複数ある。これを受けて自治体が避難準備情報や避難勧告・指示を出す。分かりにくいとの指摘もあり、国は見直しに着手する。だが、次の災害に間に合わない恐れもある。
 避難のポイントは「早め、明るいうち、念のため」。自治体の指示を待つのではなく、周辺の状況や時間帯を見極め、自分で判断しなければ逃げ遅れかねない。
 「大丈夫だろう」は通じない。「気付いた時には避難できない状態だった」。被災地では、そんな声をよく聞く。
 真備町地区で犠牲になった51人のうち42人は、高齢者ら自力避難が困難な要支援者だった。自治体による要支援者避難の「個別計画」策定も進んでおらず、悲劇を繰り返さないためには隣近所の力が重要になる。
 無論、「公助」に抜かりのないよう手を尽くすべきだが災害時、行政の対応にはどうしても限界がある。西日本豪雨では、地域で声を掛け合って行動し、難を逃れたケースもあった。命を守るには「自助」に加え、「共助」の力を鍛えていくことが大切だ。


防災の日 避難につながる情報伝達力磨け
 甚大な水害が頻発している。7月の西日本豪雨に続き、昨日から東北や北陸で激しい雨による河川の氾濫や土砂崩れが起きている。従来の常識が通用しない災害への備えを急がなければならない。
 西日本豪雨では多くの犠牲者が出た。豪雨がもたらす水害は突発的に起きる地震に比べ、避難に時間的猶予がある。にもかかわらず初動の遅れが被害を大きくした。情報を正しく活用し早めに避難すれば守れる命がある。きょうは「防災の日」。行政は伝える力を、住民は知る力を、改めて問い直したい。
 西日本豪雨災害では11府県に大雨特別警報が発令され、23府県で最大860万人が避難勧告・指示の対象となった。ところが、実際に避難所に移ったのは0.5%、4万2千人にすぎなかった。各自治体は危機が目前に迫っても、単に呼び掛けをするだけでは住民の避難につながりにくいという現実を重く受け止め、情報伝達力を磨く必要がある。
 同時に迅速で正確な情報が伝わっていたかも省みなければならない。宇和島市は早朝に避難勧告を出したが、その時点では屋外避難がためらわれるほど既に深刻な事態だった。その前段階で避難を促すことができなかったか、精査が不可欠だ。
 野村ダム・鹿野川ダムの緊急放流を巡っては、情報伝達から避難できるまでの時間が短く、住民が逃げ遅れて命を落としており看過できない。雨音にかき消され、防災無線も聞こえなかった。呼び掛けを切迫感のある言葉遣いに見直しすることも含め、早めに多様な手段で連絡を尽くすことが教訓だろう。
 自らの力で逃げ切れない高齢者や体が不自由な人への対応も必要だ。東広島市の山裾にある団地では、多くの家屋が被災しながらも死者やけが人を出さなかった。障害や持病がある高齢者の避難について、手助けする担当者をあらかじめ決めていたことが功を奏した。担当者と要支援者の支え方についても訓練していたという。各地の共助による避難事例を参考にし、有効なノウハウを取り入れていくことが大切だ。
 国や愛媛県は、豪雨災害の初動対応について検証作業に着手する。避難勧告の出し方も見直しの対象だが、住民から避難するか否かを判断したきっかけを聞き取るなどして課題を洗い出し、情報の受け手の立場に立った改善策を示してもらいたい。
 住民側も行政に依存するだけではなく、自発的に危険を判断し、臆することなく避難することが肝要だ。支援の必要性や希望する避難場所、手段を記した「避難カルテ」を地区で作成するなど、自らの命は自らで守る姿勢が欠かせない。来週は今年最強規模の台風が県内に接近する恐れがある。今からでもハザードマップで住まいの危険性を把握し、どの時点でどこに避難するか、周囲の人と確認しておきたい。


防災の日/事前に確かめ早期避難を
 7月の西日本豪雨によって堤防が決壊したり、ダムが緊急放流したりして多くの住宅が浸水、山沿いの家は土砂災害に襲われた。数多くの危険が周りに潜んでいる。備えるべきは、南海トラフ巨大地震といった大規模な地震だけではない。
 西日本豪雨では「数十年に1度」の規模の大雨が予想される際に気象庁が出す「大雨特別警報」が11府県で発表された。近年は、同じ場所で強い雨が降り続く現象や台風の大型化が目立っており、背景には地球温暖化があると指摘されている。
 まさにこの夏の豪雨と猛暑は「異常気象の連鎖」と言えるだろう。水害が激甚化する時代に生きていることを肝に銘じ、自分で自分の身を守ることをまず考えてほしい。
 そのためには、早期の避難を徹底したい。西日本豪雨で自治体から避難の勧告・指示を受けた人数のピークは7月7日午前11時半の時点で、合わせて860万人を超えた。だが実際に避難所に行った人はその1%にも満たない。自治体の呼び掛けが避難行動に結び付いていないのが現実だ。その要因を分析し、対応策の検討を急ぐべきだ。
 避難するには、自分が直面する恐れのある危機について知ることが大前提となる。地元の市町村が公開するハザードマップを見て、浸水などのリスクや避難所の場所を確認してほしい。さらに国土交通省の「重ねるハザードマップ」を使って洪水、土砂災害、津波による被害の可能性を調べることも有効だ。
 その次に家族でどう備えるか決めておこう。地震と異なり、台風や大雨は事前に情報があり早期の避難は可能だ。自治体から避難の準備や勧告が発表されたとき、避難所に行くか安全な親族宅に移るかなど具体的な行動を話し合っておきたい。
 自治体や国の機関では、豪雨時の活動を時系列で示す「タイムライン」を定める例が増えた。例えば台風の来る5日前から情報収集を始め、2〜3日前に避難計画の立案や自主避難の事前調整など準備に入り、その後、緊迫度に応じ自主避難の呼び掛け、避難情報の発表などを行う。
 自治体などがすべき行動を明確にすることで、スムーズな対応に役立つと期待される手法だ。残る課題は、行政側の出す避難勧告が住民にどう受け止められるかだ。
 事前に訓練をしていた地区では、避難が徹底され被害が少なかったという。「防災の日」には地震だけでなく、想定される洪水や土砂災害への対応を小学校や町内会、自主防災組織の単位で訓練するよう提案したい。
 その際には高齢者や子どもが避難できるかなども確認すべきだ。同時に避難勧告や指示をどのようなケースで出すのかについて行政側は十分に説明し、住民との危機感の共有を図ることで、万全の備えをしてほしい。
 東京都江東区など都東部5区は、最強の台風で荒川と江戸川が同時に氾濫すれば、海抜ゼロメートル地帯に住む約250万人が浸水の被害を受け、2週間以上も浸水が続くとの想定を発表した。
 超大型台風の襲来などの際は市町村ではなく、国や都道府県が避難の勧告や指示を出し、広域避難を主導する仕組みの導入も考えるべきだ。


防災の日 早期避難の徹底で命守れ
 きょうは「防災の日」。7月の西日本豪雨で大きな被害を受けた岡山、広島県などにとって、いつにも増して重い意味を持つ日といえよう。災害の脅威からどう身を守るか、しっかりと考える契機にしたい。
 近年、日本列島では地震や台風など大規模な自然災害による甚大な被害が相次いでいる。さまざまな要因が複合化するケースもあるという。
 広い範囲で記録的な量の雨が長時間降り続いた西日本豪雨も、特異なケースだ。河川の決壊や土石流などを引き起こし、15府県で226人が死亡するという平成最悪の豪雨災害となった。岡山県は災害が少ないとされてきただけに、被災者はもちろん、県民の受けた衝撃も大きい。
 気象庁は、数十年に1度という大災害の恐れがある時に発令する「大雨特別警報」を11府県に出して警戒を呼び掛けた。市町村も「避難準備」「避難勧告」「避難指示」という危険度に応じた避難情報を発令するなどした。
 しかし、住民の迅速な避難行動にはつながらず、被害は拡大した。災害から命を守るには、ハード面の対応では限界がある。悲劇を生まないためにも、リスク情報がどう発信され、どう受け止められたかの検証と対策の見直しが欠かせない。
 情報を発信する側の問題では、避難情報が素早く分かりやすく住民、とりわけ高齢者や障害者ら“災害弱者”に届いたかが問われよう。特に自力では逃げられない弱者は避難の判断ができにくい場合もある。
 岡山県は県の初動対応などを検証するため、防災や河川工学の専門家による「災害検証委員会」を発足させた。同委は、県民の防災意識を高める戦略に向け、真備町地区の住民を対象に避難時の判断や行動に関する意識調査を行うよう県に求めた。
 一方で今回の豪雨に限らず、住民側にも「ここは安全」と思い込み、避難しないなど危機感が十分に伝わらないといった点が指摘される。
 西日本豪雨では住民レベルの取り組みで、こうした問題点を解消した例も見られる。総社市下原地区の自主防災組織は各戸を回って粘り強く説得し、全員の避難にこぎ着けた。広島県東広島市の団地では、高齢者の避難を支える当番制度の導入や、独自の避難路整備などが効果を発揮した。ともに、日ごろの取り組みや住民同士の絆が生きたもので、学ぶべき点は多い。
 災害に備える基本は、住民一人一人が地域の危険性を認識することだ。そのためにもハザードマップ(危険予測地図)などを活用したい。自主防災組織に加え、隣近所など身近な範囲で日ごろから災害時の対応を話し合い、訓練などで実際に行動しておくことも大切だ。
 南海トラフ地震など大きな災害に備え、自助や地域の共助を磨きたい。


防災の日 情報を避難に生かそう
 犠牲者が200人を超える甚大な被害を出した西日本豪雨は、多くの防災上の課題を浮かび上がらせた。異常気象が頻発し、堤防など施設では防ぎきれない水害や土砂流出はいつ起きてもおかしくない状況になった。
 きょうは「防災の日」。教訓を重く受け止め、命を守る対策を改めて考えたい。
 大雨は、地震などと違って到来の時期が前もって分かることが多い。迫る危険を知り安全な場所に事前に避難することが重要だ。
 鍵になるのが、市町村による呼び掛けである。西日本豪雨では、避難指示の発令タイミングが堤防決壊の直前や大雨特別警報の後になるなど、危険な状態になった後にずれ込むケースが目立った。
 経験したことのない増水で急な判断に迫られた面がある。担当者は気象情報の理解を深め、いざというときに対処できるよう準備しておきたい。夜になりそうな場合は昼間のうちに出すなど、柔軟な対応も求められる。
 住民の受け止め方にも目を向ける必要がある。避難勧告・指示を知っても、「大丈夫だろう」と避難しない人は多い。西日本豪雨では、岡山、広島、福岡3県での調査で大雨特別警報が出た地域の住民のうち実際に避難した人は3%余だったとのデータがある。
 住民の助け合いが奏功した例があった。岡山県総社市では、自主防災組織の役員らが深夜でも戸別訪問し、渋る人を説得して避難に結び付けている。行政ができることには限りがある。地域での防災活動の重要性を見直したい。
 行政が発表する情報の内容が分かりにくいとの指摘がある。気象情報は、大雨や洪水に関する警報、注意報のほか、土砂災害警戒情報や記録的短時間大雨情報など、複数ある。市町村はこれらを受け、住民に避難準備情報や避難勧告・指示を出している。
 スリム化し、重要度が伝わりやすくすることも検討すべきだ。機械的な発表だけで危険性は伝わらない。広島県が7月末の台風12号接近時、「雨、風が強まる前の今が最後のチャンスです」などの知事の緊急コメントを出したのは好例だ。工夫を重ねてほしい。
 防災に関する国内56学会でつくる防災学術連携体は7月、「日ごろから想像力を持って考えておいてほしい」との市民向けメッセージを出している。防災は一人一人の意識が出発点となる。まずは市町村作成のマップを手に、洪水時の浸水の深さ、土砂災害の危険度などをチェックしておきたい。


【災害列島】毎日を「防災の日」に
 きょうは関東大震災から九十五年の防災の日。行政も一般市民も災害への認識を深め、対処への心構えを準備する日だ。しかし、毎年のように災害が多発し、今後も巨大災害が想定される日本列島に住む身としては毎日、防災への意識を心のどこかに置いて生活する必要がある。
 二万二千人を超す死者・行方不明者となった二〇一一(平成二十三)年の東日本大震災の後も、多くの災害が発生している。二〇一四年の広島市の土砂災害では七十七人が犠牲になった。同じ年の御嶽山[おんたけさん]噴火は噴火災害では戦後最悪の犠牲者数となった。二〇一六年には最大震度7という熊本地震が起き、多くの人的被害をもたらした。今年の西日本豪雨では豪雨災害としては平成に入って初めて死者・行方不明者が二百人を超え、「平成最悪の水害」と言われた。国民の暮らしや命を脅かす豪雨や猛暑は特異な事象ではなくなりつつある。
 一方で公的な防災対策は以前より格段に向上しているはずだ。気象の観測・予測技術はスーパーコンピューターなどによって精度を増した。治山、治水のハード面の整備は計画的に進み、水害や火山災害のハザードマップもきめ細かくなった。
 しかし西日本豪雨ではダム放流や水門閉鎖の情報が住民に十分伝わらず、逃げ遅れを招いたという指摘があった。伝わらない情報は無価値だ。時代とともに行政に求められる防災のレベルは変わる。社会一般が可能と考える対策を施していなかったら怠慢に見えてしまう。きめ細やかな社会システムの整備、教育や訓練によって、高齢化や過疎化が進む社会でも確実に命が守られるようにしたい。
 行政に細やかな対応を求めるなら、個々の市民も防災に無頓着であってはならない。
 増水や土砂災害など、自宅にどんな危険が及ぶ可能性があるかをハザードマップで知っておくのは最低限の心構えだ。避難場所や災害用連絡ダイヤルについては、家族で約束しておこう。危険が予想される事態では近所に声を掛けて一緒に避難するような関係づくりが望ましい。
 東日本大震災では多くの県民が水、食料、燃料の不足に悩んだ。記憶を新たにし、日頃から備蓄を心掛けたい。
 地球温暖化は、風速七〇メートルのスーパー台風などこれまでの想像を超える災害を日本列島にもたらすことも予想されている。
 できるのにしないのは命の怠慢だ。毎日一つでも防災の努力を重ね、自分や家族の命を守ろう。(佐久間順)


防災の日 非常時へ判断力磨こう
 きょうは「防災の日」。災害から命を守る意識を高め、日頃の備えについて改めて徹底したい。
 地震、火山噴火、津波などさまざまな災害に見舞われる日本列島。ここ数年は特に豪雨被害が頻発している。
 本県でも2年前、台風10号豪雨で大きな被害を受けた。復旧が進められているが、被災時に孤立した集落では再生の足取りは遅く、人口減少で過疎化が進行するなど地域の後遺症は大きい。
 台風10号豪雨では逃げ遅れた多くの命が奪われた。その教訓に基づき、高齢者や障害者らの早期避難を促すために自治体が出す「避難準備情報」の名称が「避難準備・高齢者等避難開始」に変更された。ただ、その後、台風などで情報が出されても、実際に避難するのは一部に限られている。
 それより危険度が高い「避難勧告」「避難指示」の情報であっても、避難しないままの人は多い。死者が200人を超え、平成で最悪の豪雨災害になった7月の西日本豪雨でもそのような実態が伝えられている。
 情報伝達の問題や、発令が夜間だったりすることも原因だが、直面する異変や不安に対して「大したことはない」と考える住民の「正常性バイアス」心理も指摘される。
 西日本豪雨のもう一つの特徴は高齢者の犠牲者の多さ。発生後のある時点で身元が判明した約170人について共同通信が調べたところ、60歳以上が約7割に達していた。
 家屋が浸水しても足腰が弱っていて2階に上れなかった例もあるだろう。そして、経験が豊かな故に、正常性バイアスが働いた人も少なくなかったとみられる。
 「自分は大丈夫」「過去の経験からして心配ない」というケースは、東日本大震災の津波被災でも多く聞かれた。
 自治体が発令する避難情報はもちろん重要だが、気象状況を踏まえて住民自らがいち早く対応する姿勢も肝要だ。
 地域の防災マップを折に触れて確かめたり、防災訓練を企画して積極的に参加することなどが望まれる。過去に起きた災害、あるいは近年他の地域で起きた災害に学び、自身の判断力を磨くことも大切だろう。
 防災の日は10万人以上の犠牲者を出した1923(大正12)年の関東大震災に由来する。震災を経験した科学者の寺田寅彦は、「天災は忘れたころにやってくる」という警句を残すとともに、文明の進展が災害の程度を増すことを指摘した。
 かつては山野だった所を含め宅地開発が進んだ列島に、今や災害は忘れる間もないほどやってくる。防災意識向上の重要性は増すばかりだ。


「防災の日」 一人一人が危機意識を
 関東大震災から95年、9月1日は「防災の日」だ。この日が制定された1960年の前年、伊勢湾台風で死者・不明者5千人以上を出した。今年は200人以上の犠牲者があった西日本豪雨を経験した。洪水、台風、地震など自然災害は後を絶たない。有効な防災計画を立てて「人ごとではない」と思い定め、そのときに備えたい。
 西日本豪雨で岡山県倉敷市真備(まび)町地区は二つの川の堤防3カ所が決壊、近くの民家が深さ5メートル近くも浸水した。逃げ遅れるなどして51人もが死亡した。
 洪水区域と浸水の水位は市が作成したハザードマップとほぼ一致していた。危険は指摘されていたが、住民の避難につながらず、犠牲を大きくする反省を残した。
 「ここに何十年も住んでいるが、こんな洪水は見たことがない」と話す住民が多かった。避難指示が出ても「まさかここまでは来ないだろう」という思いが逃げ遅れた要因ではないかとみられている。
 助かった住民の中には「区長が声を掛けてくれたので避難する気になった」と証言する人がいた。誰かが率先して声掛けする重要性が再認識されている。
 愛媛県西予市では、満杯になったダムからの緊急放流によって下流域で川が氾濫し、5人が死亡した。ダムを管理する国は「予測困難」と説明し、住民の怒りを買っている。
 確かに西日本全域で約1週間も豪雨が降り続いたことはかつてない。倉敷市の24時間当たりの最大雨量は200ミリを超え、「100年に1回の雨量」だという。
 気象庁の統計では、1時間に50ミリ以上の「非常に激しい雨」と、80ミリ以上の「猛烈な雨」の年間発生件数が増え続けている。85年までの10年間と、最近の10年間を比べると、50ミリ以上は4割近く、80ミリは6割ほど増加している。地球温暖化の影響だろう。
 堤防の安全やダムの緊急放流などの基準が、これまでの想定では追い付かなくなっているということだ。地震に備える「耐震化」は進んできたが、洪水に対する「耐水化」も見直す時期に来ている。
 さまざまな対策を講じた上で一番肝心なのは避難である。どこが危険なのか、避難の伝達やルート、場所が住民に徹底されていなければならない。いざというときにスムーズに行動するためには事前の訓練も必要だ。
行政はもとより、われわれ住民の一人一人が危機意識を高めて立ち向かわなくてはならない。


防災の日/歴史に学び教訓を次世代へ
 きょうは防災の日。10万5000人余りの死者・行方不明者を出した1923年の関東大震災から95年となる。歴史に学び、災害時の教訓や先人の知恵を次世代に伝える。その大切さをあらためてかみしめたい。
 関東大震災の教訓の一つに流言飛語がはらむ危うさがある。震災の後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」といったデマが飛び交い、多数の朝鮮人らが虐殺された。この惨劇を過去の話として片付けるわけにいくまい。
 東日本大震災後には「被災地で外国人犯罪が横行している」というデマが広まった。ツイッターなどのSNSが発達し、真偽があやふやな情報が瞬時に拡散する時代だ。不幸な歴史を繰り返さないためにも、歴史の負の面にも向き合う必要がある。
 一方で、何度も災害に襲われた地域では、被災の経験や教訓が受け継がれている場合が少なくない。そうした地域共有の知恵に光を当て、後世に引き継ぐことも忘れてはならない。
 東日本大震災で宮古市重茂の姉吉地区は、先人の警鐘により津波被害を免れた。「此処(ここ)より下に家を建てるな」。地区で100人以上が犠牲になった1933年の昭和三陸津波の後、地区に建立された石碑の教えを住民たちは忠実に守り続け、被害を出さずに済んだ。
 東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授(災害情報学)の研究グループが興味深い研究結果をまとめている。東日本大震災の津波被災地では、過去の津波を伝える碑があった地域は碑がなかった地域に比べて犠牲者が少なかったという。
 まんじゅうを配る風習で防災の心得を継承するのは長崎市の山川河内(さんぜんごうち)地区だ。江戸末期の1860年、土砂災害で地区住民30人余りが犠牲になった。犠牲者の供養と災害伝承のため、月命日の毎月14日、持ち回りの当番が全戸にまんじゅうを配る行事が160年近くも続く。
 各家庭ではまんじゅうを仏壇に供え、家族で食べる際にまんじゅうの由来や災害への心構えを子どもらに伝えている。土砂災害などで犠牲者が約300人に上った1982年の長崎豪雨では、この地区も土石流に襲われたが、住民は自主避難していて一人の負傷者もいなかった。
 世代を超えて災害の教訓を受け継ぎ、地域に定着させることが命を守ることにつながる。山川河内地区の取り組みはそう教えてくれる。
 ただ、7月の西日本豪雨では、土砂災害の被災地には過去の災害を刻んだ石碑が各地に残っていたが、備えには生かされない地域も多かった。
 災害の記憶が薄れている地域では、いま一度足元を見つめ直し、災害時の知見を掘り起こす作業も必要だろう。過去を知ることが未来へ備える出発点となるに違いない。


<関東大震災95年>なぜ朝鮮人虐殺の事実を直視しないのか デマとトリックに騙されないために(加藤直樹)
◆「私の祖父はあの時、刺されました」
今日は9月1日。1923年の関東大震災から95年が経った。
私が関東大震災時の朝鮮人虐殺を描いた『九月、東京の路上で』を刊行したのは、2014年3月のことだが、その翌年、横浜で講演する機会があった。話し終えて片付けをしていると、小柄なおばあさんが近づいてきて、穏やかな表情のままで、こう語った。
「私の祖父はあのとき、トビ口でここを刺されました」
「あのとき」とはもちろん、関東大震災時のことだ。そして、「ここ」とは後頭部のこと。彼女はそのとき、人差し指で自分の後頭部をトントンとつつきながら「ここ」と示したのである。
「奇跡的に生命はとりとめましたが、その後、朝鮮に帰りました」
彼女が日本にいるということは、彼女の父か母の代で、再び日本に来たということだろうか。生命はとりとめたとはいえ、障害は残ったはずだ。言葉に窮している間に、おばあさんはどこかに行ってしまった。
その後、実は私の父が、私の祖父が…という話を、在日朝鮮人からも日本人からも何度も打ち明けられた。私の目の前にいるのが、あのとき殺されていたかもしれない人の子孫だという事実は、重かった。
朝鮮人虐殺の記録は、当時の公文書から地域住民の手記に至るまで様々な形で残されている。あまり知られていないが、中国人も殺されている。虐殺事件はその後、歴史学のテーマとして研究されるようになり、今はたいていの中学の歴史教科書にも記されている。そうした研究の蓄積を踏まえてまとめられたのが、2008年に内閣府中央防災会議の専門調査会がまとめた「1923関東大震災【第2編】」だ。特にその第4章が虐殺事件に当てられている。
◆自民党の赤池議員がトリック本もとに虐殺否定
ところがこの報告について「到底信じられません」と断じた人物がいる。自民党の赤池誠章議員である。2014年9月1日付の「防災の日 関東大震災を考える」と題したブログ記事で、そう書いている。
ところがその根拠は、「災害救助のために、ボランティアなど支援を惜しまない私たち日本人が… 根拠なき『流言蜚語』によって、多数の無辜の朝鮮人を虐殺した」などとは信じられない、と言うだけだ。さらに、中央防災会議の報告をあっさりと否定する一方で、工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』を「大変な労作、好著が出版されました」と賛美する。
さまざまなところで指摘してきたが、この本は「朝鮮人虐殺などなかった。デマだとされてきた朝鮮人暴動や井戸への投毒は事実であり、朝鮮人殺害は正当防衛だったからだ」と主張するトンデモ本である。
朝鮮人虐殺否定論のほとんど唯一のネタ本だが、その内容は、流言をそのまま書いていた震災直後の新聞記事を証拠として無前提に示したり、工藤氏以外は誰も確認できない「後藤新平の一言」なるものを登場させて自説を補強したり、参考文献の名を挙げながらそこに書かれていないことを書くなど、初歩的な「トリック」を並べたものだ。詳しくは私と友人たちが制作したサイト「『朝鮮人虐殺はなかった』はなぜデタラメか」をご覧いただきたい。
赤池氏は「以上が真実だとすれば」と一応前置きしつつも、
「『朝鮮人虐殺』という自虐、不名誉を放置するわけにはいきません」として工藤氏の本の内容を肯定し、さらに「政府は改めて事実調査をすべきだ」と結んでいる。話の流れを見れば、これは工藤氏の主張に立って中央防災会議の報告を否定しているのに等しい。
実は、この赤池氏は自民党文部科学部会の部会長である。いわゆる「文教族」だ。そして今年3月、前川喜平前文部科学事務次官が名古屋市の市立中学校で行った講演に対して文部科学省が不当な介入を行った際、文科省に介入を促した自民党の議員2人のうち1人でもある。教育行政に強い影響力をもつ与党政治家が、心優しい日本人が虐殺などするはずがないという程度の「根拠」で虐殺否定論を受容しているのだ。恐ろしいことである。
◆民族差別が虐殺に至った日本史上最悪の事態
ところで昨年4月、内閣府のホームページからしばらくの間、「1923関東大震災報告【第2編】」が閲覧できなくなっていたという出来事をご存知だろうか。
この事態が広く知られたのは、同月19日に朝日新聞が掲載した「『朝鮮人虐殺』に苦情、削除/災害教訓の報告書/内閣府HP」という記事によってだった。この記事によれば、担当者は取材に対して、「なぜこんな内容が載っているんだ」という苦情が多かったから削除した、と答えたようだ。その後、抗議が殺到する中で、内閣府は報告の閲覧を全て復活させた。
内閣府には、文部科学省を含む各省庁からの出向組も多い。彼らを震え上がらせるような力を持った誰かが「苦情」をぶつけたということだろう。それが誰であるにしろ、近代日本の栄光に影を差す不愉快な史実を全て否定したいという欲望が、権力をもつ人々の間に蔓延しているのは確かだ。
「1923関東大震災【第2編】」の「おわりに」は、虐殺事件から受け取るべき教訓を以下のように記している。
「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要なのは改めて確認しておく。その上で、流言の発生、そして自然災害とテロの混同が現在も生じ得る事態であることを認識する必要がある」
前川喜平さんの言葉を借りれば、「あったことをなかったことにはできない」。民族差別が虐殺に至った日本史上最悪の事態として心に刻み、殺された人々を追悼し、事件の教訓を今後に活かす。その最低限の努力を、否定させてはならない。
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加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で〜1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。


関東大震災 朝鮮人慰霊式典 知事追悼文なし、市民は批判
 一九二三年の関東大震災から九十五年となる一日、犠牲者の慰霊法要が東京都墨田区の都慰霊堂で営まれた。小池百合子知事の追悼の辞が代読されたが大震災での朝鮮人虐殺に触れず、民間の式典にも小池氏は追悼文を送らなかった。昨年に続く判断で、市民らは「惨劇を繰り返さないと誓うのが知事の役目なのでは」と批判した。
 法要では小池氏の追悼の辞を長谷川明副知事が代読した。「災害の脅威を風化させず、東京の防災に万全を期してまいります」などと述べたが、朝鮮人虐殺には直接言及しなかった。慰霊堂横であった民間の朝鮮人犠牲者追悼式典には主催団体が追悼文の送付を訴えて署名約九千五百筆も集めたが、小池氏は断った。
 送付は歴代知事が続けてきたが、小池氏は記者会見で「法要で全ての方々へ哀悼の意を表している」と説明していた。地元の山本亨墨田区長も二年続けて追悼文を送付しなかった。
 民間式典の主催者の一つ、日朝協会都連の赤石英夫さん(77)は「知事の判断は虐殺の史実を否定しようとする動きに結果的にくみし、首都東京でヘイトスピーチや民族差別を助長してしまう」と残念がった。法要に参列した東京都羽村市の青山ムツ子さん(78)は「震災から九十五年、その時にどんなことが起こったのか今では知らない人が多い。負の歴史にもきちんと向き合う必要がある。知事は率先して、歴史を伝える役割があるのに」と話した。
 民間式典には村山富市、鳩山由紀夫の両元首相や朴元淳(パクウォンスン)ソウル市長らがメッセージを寄せた。村山氏は「虐殺事件の背景には朝鮮人に対する差別意識や植民地支配していた日本人のおごりがあったと思う」と深く反省する必要性を訴えた。
 慰霊堂そばでは別の団体が独自の慰霊祭を開き、「数千人虐殺も捏造(ねつぞう)だ! 日本人の名誉を守ろう」と主張する看板を掲げた。
 政府中央防災会議の報告書(二〇〇八年)は朝鮮人らの犠牲者数について、約十万五千人に上る震災死者数の「1〜数%」と記述。「朝鮮人が武装蜂起し、放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた」と指摘している。 (辻渕智之、榊原智康)


関東大震災“朝鮮人虐殺”を黒澤明、丸山眞男、志賀直哉らも証言! 小池百合子はこの紛れもない史実を今年も封殺
 関東大震災から95年を迎えた。毎年、この9月1日前後に本サイトでとりあげるのは、震災のなかで「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」「火をつけて回っている」などのデマにより、多くの朝鮮人たちが殺害された“朝鮮人虐殺”だ。
 近年、この悲劇をなかったことにしようとする歴史修正主義が跋扈している。さらに、東京都の小池百合子知事は、昨年から朝鮮人犠牲者の追悼式典への追悼文を取りやめた。8月8日には、「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」の実行委員会が小池都知事に追悼の辞を求め、全国から集まった署名約8600筆を都の担当課長に手渡した。しかし、小池都知事は8月10日の記者会見で「個別の形での追悼文送付は控える」と述べ、昨年に続いて追悼文を送ることを拒否したのだ。
 本サイトでも、昨年の9月1日、朝鮮人犠牲者追悼式典が行われた墨田区の都立横網町公園の模様をレポートしたが、同日には同公園内で在特会系市民団体が仕切る集会も行われていた。掲げられた日章旗に、「六千人虐殺は本当か! 日本人の名誉を守ろう!」との看板。集会には極右政党の関係者や区議会議員も出席し、「朝鮮人の暴動も火をつけてまわったのも事実」などとデマを丸呑みし、虐殺を正当化する言説をふりかざしていた。
 ネットを中心に跋扈する「朝鮮人虐殺はなかった」なる虐殺否定論。ネット右翼たちは「暴動を起こした朝鮮人や中国人を自警団が取り押さえた。正当防衛だった」と嘯くが、暴動や放火がデマであったことは歴史学的にも確定している。たとえば当時、警察官僚として新聞を使いデマ拡散に加担した正力松太郎(元・読売新聞社主)も震災時のデマを認め、「警視庁当局として誠に面目なき次第」と反省の意を表している。
 混乱時のデマに乗じた日本人は、無辜の朝鮮人たちを襲った。そこには単なる情報の混乱だけでなく、朝鮮人への差別感情が背景となっていたことが、当時を生きた人々の証言から浮かび上がってくる。書籍や日記等などから膨大な証言を集めた労作『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』(西崎雅夫・編/ちくま文庫)からいくつか紹介したい(なお、個別の出典は煩雑になるのを避けるために本稿では省略、仮名遣い等については同書に従う)。
 横浜市寿高等小学校1年だった青柳近代さんは、地震の夜、〈朝鮮人がぴすとるをもって一五人ばかりきた〉との声をきいた。だが〈とうとう朝鮮人はこなかった〉。翌朝、道端には殺された朝鮮人の亡骸があった。
〈そのあした朝鮮人が殺されているというので、私は行ちゃんと二人で見に行った。すると道のわきに二人ころされていた。こわいものみたさにそばによって見た。すると頭ははれて血みどろになってシャツは血でそまっていた。皆んなは竹の棒で頭をつついて「にくらしいやつだ、こいつがゆうべあばれたやつだ。」とさもにくにくしげにつばきをかけていってしまった。〉
 麹町区富士見尋常小学校6年だった岩崎之隆さんはこう書いている。デマを真に受けた市井の人々が、朝鮮人を見つけ次第に襲ったことの証言だ。
〈その中に誰言うともなく、○○人が暴動を起こしたとの噂がぱっとたち、それで無くてさえびくびくしている人達は皆ふるえあがって、そして万一を気づかって多数の人が竹槍を持ったり、鉄棒を握ったり、すごいのになると出刃包丁を逆手に持って警戒をし始めた。而して○○人だと見ると寄ってたかってひどいめにあわせる。前の通りでも数人ひどいめにあわされたと言うことである。その暮れのものすごい有様は、今でも思いだすとぞっとする。〉
丸山眞男、志賀直哉、寺田寅彦も、差別デマによる朝鮮人虐殺を証言
 あの政治学者・丸山眞男も、現在の新宿区で被災した。朝鮮人暴動の噂で近所の人たちが自警団をつくったが、それは〈今度の自警団はその役目をはたしているのではなく、朝鮮人なら誰でも来い。皆、打ちころしてやると言う気だからいけない〉と当時9歳の丸山は記している。さらにこう続けている。
〈朝せん人が、皆悪人ではない。その中、よいせん人がたくさん居る。それで、今度は朝せん人が、二百余名は打殺されている。その中悪いせん人は、ほんのわずかである。それで警察のほうではなおいそがしくなる。それであるから今度の自警団は、暴行を加えたことになる。しらべて見ると、中には、せん人をやたらに、打殺したので、警官が、しばろうとすると、それに、うってかかって、さんざんなぐった末、警察にまでおしこんで行くようならんぼう者もある。このようにするのなら、あってもなくても同じである。かえってない方がよいかもしれない。こんなことなら自警団をなくならせた方がよい。〉
「悪いせん人は、ほんのわずか」という記述に、「やっぱり暴動を起こした朝鮮人がいたんじゃないか」などと差別主義者が揚げ足を取りそうなので念のため言っておくが、これは「暴動を起こした朝鮮人もいた」という意味ではなく、前後の文脈からも明らかに「暴動など起こすはずがない朝鮮人が殺されている」という趣旨だろう。「仮に朝鮮人のなかに少し悪い人がいたとしても、朝鮮人みんなが悪人ではない。良い朝鮮人もたくさんいる」とは、わずか9歳で当時の空気のなか、差別に関してこれほど明晰な認識をもち得ていた丸山少年の聡明さには驚かされる。ネトウヨたちには丸山少年の爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいところだが、いずれにしても重要なのは、朝鮮人という属性だけで「やたらに、打殺」するような場面があったという事実だ。
 丸山だけでなく、朝鮮人虐殺をめぐる当時の社会状況を証言している著名人は少なくない。たとえば志賀直哉はこのように書いている。
〈軽井沢、日の暮れ。駅では乗客に氷の接待をしていた。東京では鮮人が爆弾を持って暴れ廻っているというような噂を聞く。が自分は信じなかった。
 松井田で、兵隊二三人に野次馬十人余りで一人の鮮人を追いかけるのを見た。
「殺した」直ぐ引返して来た一人が車窓の下でこんなにいったが、余りに簡単過ぎた。今もそれは半信半疑だ。〉
 デマであることを直感していた証言者もいる。物理学者で文人の寺田寅彦は、当時44歳で千駄木に住んでいた。地震発生翌日にはこのように書き残している。
〈[略]帰宅して見たら焼け出された浅草の親戚のものが十三人避難して来て居た。いずれも何一つ持出すひまもなく、昨夜上野公園で露宿していたら巡査が来て○○人の放火者が徘徊するから注意しろと云ったそうだ。井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえて来る。こんな場末の町へまでも荒らして歩く為には一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入るであろうか、そういう目の子勘定だけからでも自分にはその話は信ぜられなかった。〉
中学生だった黒澤明の目の前で、父親が「朝鮮人だろう」と棒を持った人に囲まれ…
 また、世田谷で被災した詩人で女性史研究の先駆者である高群逸枝は、朝鮮人を敵視する人々の様子を目の当たりにし、その差別意識に辟易して〈いわゆる「朝鮮人」をこうまで差別視しているようでは、「独立運動」はむしろ大いにすすめてもいい〉と思ったという。当時の状況をこう記している。
〈二日(夜)
 夕方、警告が廻ってきた。横浜を焼け出された数万の朝鮮人が暴徒化し、こちらへも約二百名のものが襲来しつつあると(もちろんデマ)。〉
〈[略]隣の植六さんが、朝鮮人があぶないから、いっしょに集まって、戸外に蚊帳を釣って寝めといいにきた。朝鮮人よりも地震がおそろしいと家人がいうと、六さんは私の夫に、
「ねえだんな、地震はもう大丈夫ですね。それより朝鮮人がなんぼか恐ろしいですね」
 という。
 なみ夫人は、
「朝鮮人がきたら柿の木にのぼろう。私は木登りがうまいから」
 と真剣な顔でいう。
 それにしてもこの朝鮮人一件はじつにひどいことだ。たとえ二百名の者がかたまってこようとも、これに同情するという態度は日本人にはないものか。第一、村の取りしまりたちの狭小な排他主義者であることにはおどろく。長槍などをかついだり騒ぎまわったりしないで、万一のときは代表者となって先方の人たちと談じ合いでもするというぐらいの態度ならたのもしいが、頭から「戦争」腰になっているのだからあいそがつきる。〉
 他にも、昨年の9月1日に際した記事でも紹介したが、中学2年時に被災した黒澤明も当時をふりかえるかたちで、朝鮮人虐殺について証言している。いま一度、自伝『蝦蟇の油』(岩波書店)から引用しておきたい。
 黒澤は〈髭を生やした男が、あっちだ、いやこっちだと指差して走る後を、大人の集団が血相を変えて、雪崩のように右往左往するのをこの目で見た〉という。そして、朝鮮人を追いかけ、殺して回ろうとする人々が、日本人も「朝鮮人」として暴行を加えようとした現場にも立ち会っていた。
〈焼け出された親類を捜しに上野へ行った時、父が、ただ長い髭を生やしているからというだけで、朝鮮人だろうと棒を持った人達に取り囲まれた。
 私はドキドキして一緒だった兄を見た。
 兄はニヤニヤしている。
 その時、
「馬鹿者ッ!!」
 と、父が大喝一声した。
 そして、取り巻いた連中は、コソコソ散っていった。〉
 疑心暗鬼にかかった群衆が、「怪しい」と思った人間を見つけ次第「朝鮮人」として殺しにかかった。それはすなわち、朝鮮人が実際に暴動や放火を起こしたかどうかではなく、「朝鮮人」という属性やレッテルで虐殺の対象となったことを意味している。
大阪地震でもネットで出てきた「朝鮮人が暴動」「在日が犯罪」の差別デマ
 蓄積された朝鮮人虐殺に関する研究では、一般の日本人が「加害者」となった背景には、当時の日本人の朝鮮人への蔑視と、植民地支配等に対する「報復」を恐れたという心理状態も要因のひとつであったと指摘されている(吉村昭『関東大震災』など)。震災時の異常心理が、朝鮮人への差別意識と結びついて引き起こされた殺人や暴行。関東大震災で起こされた朝鮮人虐殺は、ヘイトクライムに他ならならなかった。
 これは、過去の話ではない。むしろ、こうした差別デマは、インターネットで急速に拡散されている。たとえば2016年4月の熊本地震では、発生直後から〈熊本の井戸に朝鮮人が毒を入れて回っているそうです!〉などという悪質なデマツイートが出回った。そして、今年6月の大阪北部地震でも、地震に乗じて差別を扇動するヘイトデマが一気に吹き出した。
〈大きい地震とか災害おこると在日が嬉々として犯罪に走るから気を付けなよ〉
〈外国人って地震に慣れていないから、真っ先にコンビニ強盗を始めるか、空港に殺到するようです〉
〈在日・中華人種の”窃盗・搾取・強盗”にはくれぐれもご用心をッ!!!〉
〈今後の在日朝鮮人・共産主義者による暴動、略奪、暴行に注意しよう〉
 本サイトでは何度も指摘してきたことだが、安倍首相をはじめとして、現政権では、韓国人や朝鮮人、中国人、在日コリアンに対するヘイトを原動力としている政治家が少なくない。小池都知事の朝鮮人犠牲者への追悼文を取りやめたのもその流れと地続きにある。
 グロテスクな歴史修正主義と差別デマは、こうしたなかで勢いづいている。悲劇を二度と繰り返さないために、私たちは朝鮮人虐殺の過去を直視し、それを打ち消そうとする動きに争わなければならない。


デスク日誌 やまゆり園
 かつて初任地の青森総局で、学校法人による不正を追及した。中途退職者に共済金として支払うべき一時金をピンハネしていた。当時の教員だった佐々木隆志さんは不正に激怒し、取材に全面協力してくれた。
 記憶の片隅にいた佐々木さんから8月に電話をもらい、静岡市内で25年ぶりに再会した。静岡県立大短期大学部の教授になった佐々木さん。「今、津久井やまゆり園で起きた事件の被告と関わっている」という話に驚いた。
 相模原市の障害者施設で19人が殺害された事件。発生から2年たち、植松聖被告は公判前の精神鑑定が続く。佐々木さん自身が障害のある子を持ち、社会福祉学の研究者として事件に強い関心を持ったという。
 被告に手紙を送り面会を重ねるうち、手記を掲載した本が出版されると突き止めた。「彼の間違った優生思想を広めてしまう」と反対の署名を集め、東京の出版社に抗議文を提出した。
 抗議などを受けて一部修正した本が7月に出版されたが、「事件の再発を防ぐため今後も闘う」と佐々木さん。青森時代から変わらぬ熱血ぶりを垣間見て、勇気づけられた。(生活文化部次長 喜田浩一)


「自民党という知恵」破壊も隠ぺい
★「もう本来の自民党はなくなったんだなあ。国民の生活向上を目指し、時には大きな国民の反対も押しのけて国と社会を次のステップに引き上げる、例えば安保、例えば消費税だ。その代わり少々しゃくし定規だといわれても、中央官庁の官僚は政治の方向に向かい、きっちり推進の手助けをする」。自民党ベテラン秘書の嘆きだ。「今まで批判されながらいつか国民もわかってくれると思って貫いてきたが、今の自民党はもう別の党といっていいと思う」と続ける。★経産省内で「議事録不要」を呼び掛ける文書が配布されていたことが分かった。森友・加計学園疑惑で政府はその失敗からウミを出そうというのではなく、ブラックボックスを作るための隠蔽(いんぺい)工作の指南をしたといっていい。そういえば役所のドアに鍵をかけて外部からの侵入を拒否したのも経産省からだった。霞が関の基礎と常識は、財務省がルールブックだった時代は終わり、今では霞が関の異端児、経産省がルールをつかさどるとは、いったい誰が予想したであろう。こんな公務員にあるまじき“新公務員ルール”を率先するのも経産省しかいない。★それを指示する官邸には既に自民党という政党の意味や伝統も存在しないのではないか。これまた経産官僚を軸とした「官邸官僚」という答弁義務すらない官邸政策親衛隊たちが「異次元」の政策を展開する。「安倍政権になってから悪化・低下・劣化が著しいがそれは官邸官僚の振り付けだからではないか」(自民党官僚経験者)。そのおごりが総裁選でも垣間見える。総裁選で戦う元幹事長・石破茂の「政策ごとの討論」要求を「同じ土俵に乗る必要はない」(官邸幹部)と一蹴したという。自民党という知恵を壊したツケも隠蔽するのだろうか。

概算要求 効果吟味し歳出の抑制を
 財政再建への道筋が見えない中で、予算の膨張が続くことに強い危惧を覚える。優先度や効果を厳しく吟味し、歳出抑制に努めなければならない。
 政府の2019年度予算の概算要求がまとまり、一般会計の要求総額は過去最大の102兆円台後半となった。
 年末の編成後には、当初予算として初めて100兆円を超える公算が高くなっている。
 要因として挙げられるのは、高齢化に伴う社会保障費の伸びに加え、防衛費や成長戦略などの安倍政権の看板政策に関連した経費が膨らんでいることだ。
 医療や年金、介護といった社会保障費は、高齢化に伴う自然増として6千億円を見込み、32兆円を超える。
 予算全体の3分の1近くを占める。高齢化は今後さらに進み、このままでは他の経費を圧迫する一方だ。適切に歯止めをかけなければならない。
 目立つのは防衛費の増大だ。過去最大の5兆2986億円で、第2次安倍政権発足から7年連続の増加となる見通しだ。
 18年度当初予算比では2・1%増だが、例年は概算要求に含まれる米軍再編関連経費などは今回、金額を示さない「事項要求」となっている。さらに膨らむ可能性が高い。
 北朝鮮の脅威への対処は必要だ。ただ、装備の妥当性や費用対効果の十分な精査がなければ国民の理解は得られまい。
 各省庁とも、安倍政権が推進する「働き方改革」や「人づくり革命」関連の予算を軒並み拡充させている。
 厚生労働省は、中小企業で働き方改革を進めるための助成拡充や、外国人材受け入れの環境整備などを進める。
 待機児童解消に向けた保育園の整備や保育士の処遇改善に力を入れ、文部科学省も教員の働き方改革に向けた人員配置に重点を置く。現場の声を聞き、実効性あるものにしてもらいたい。
 地震や豪雨災害の多発を受け、国土交通省は水害対策と土砂災害対策を18年度当初予算比で30%前後増額する。
 文科省は小学校の危険な塀の撤去や改修、猛暑に対応した学校へのクーラー設置も進める。
 いずれも生命を守るために大切な施策だ。速やかに着実に行う必要がある。ただ、これにより地方の負担が重くなることがないよう求めたい。
 地方創生関連としては、地方に移住して起業・就業した人への補助制度新設などが盛られた。東京一極集中解消に向けた取り組みを加速してほしい。
 国の借金残高は1千兆円を超え、先進国では最悪水準だ。ところが、国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化は、目標が5年先送りされ25年度となった。
 来年は参院選があり、10月には消費税率10%への引き上げが予定されている。
 懸念するのは、選挙や消費税増税対策のばらまきとなることだ。野放図な拡大を許しては、安倍政権の財政再建への本気度が疑われよう。


薩摩を侮辱する短歌を投稿 安倍首相がまた無教養をバクロ
「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」――。この短歌は、安倍首相が27日、総裁選の出馬の決意と共に自身のツイッターに投稿したもの。もともとは幕末の志士である平野国臣が詠んだ歌だ。この歌意を巡って、「安倍首相は意味を理解しているのか」と嘲笑する声が飛び交っている。
「我が胸の――」は、関西吟詩文化協会によると<私の心のうちにある熱い尊王攘夷への情熱にくらべてみると、あの黒黒と噴き上げている桜島の煙など、まだまだ薄いものよ>という意味。この歌は、福岡藩士だった国臣が薩摩藩(現・鹿児島県)で攘夷活動をしようとしたが拒まれたため、薩摩への失望を込めて詠んだと言われている。要するに、薩摩にとって良いイメージではないのだ。
 安倍首相が嘲笑されているのは、総裁選出馬に先駆けて「薩摩と長州で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい」などと語り、わざわざ鹿児島県の桜島をバックにして総裁選への出馬を表明しながら、同時に、薩摩を嘆く短歌を投稿しているからだ。歌の意味を知らずに、「桜島」という単語が入っているという理由だけで選んだのは明らかだ。無教養ぶりを開陳してしまった。
 国臣の短歌の意味や引用した理由を安倍事務所に問い合わせたが、期日までに回答はなかった。
 それにしても、この首相は教養がなさすぎる。昨年の参院本会議で「云々」を「デンデン」と読んだのは記憶に新しい。寄せ書きの巨大ボードに「成長力」と書いたときには、「てん」と「はらい」のない未知の「成」の字を披露。党首討論で「ポツダム宣言を読んでいない」と無知を暴露し、法学部卒でありながら憲法学の権威である芦部信喜東大名誉教授の名前すら知らなかった。
 子どもの頃から勉強がまったくできなかったそうだが、「行政府の長」たる人が、こんなレベルでいいのか。政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。
「安倍首相の悲願は憲法改正ですが、無教養な人が憲法をいじくるほど恐ろしいことはない。憲法だけでなく、歴史も分かっていない。薩長、薩長と威勢よく口にしていますが、幕末の歴史をきちんと勉強していれば、そう軽々しく連呼できないはずです。薩長に敗れた会津や東北をないがしろにしていると思われかねないからです。安倍首相に教養を求めること自体、無理な話なのでしょう」
 安倍首相は「美しい日本」を標榜してやまない。だったら、少しは自国のことを勉強したらどうだ。


性格は正反対 感情最優先の安倍と論理的説明に拘る石破
鈴木 情と利害関係で成り立つ政治の世界では、石破みたいなタイプは面倒がられるかもしれません。理詰めで知的ゲームを楽しむところがあって、子分を集めてメシを食わせたりということもあまりやらないし、そんな時間があったら本を読みたいなんて言ったりするから、“永田町文化”の中では冷たく感じる人もいるでしょうね。
野上 安倍の場合は、幼少期に両親が不在がちで、母親の愛情に飢えていたというのが、やはり性格形成に影響しているでしょうね。養育係のウメが言うには「強情っ張り、わがまま、言い出したら聞かない」。ただ、度胸はあるんです。例えば子どもの頃、夏休みの最終日に宿題が終わっていないと、兄の寛信は涙顔になる。しかし晋三は平気で、ウメが「宿題は済んだの?」と聞くと、ノートは真っ白なのに「うん、済んだ」と平気で嘘を言って、始業式には「行ってきまーす」と元気よく家を出ていったといいます。
鈴木 言い出したら聞かないというのなら、石破にもそういうところはあります。初恋の女性と結婚したことからも分かるように、一途なんですよ。こだわりや執着は強い。ただし、石破の場合は整合性というのがどうしてもはずせない。「どうしてこの人がいいのか」「なぜ、このやり方でなければならないのか」と、論理的に説明できるかにこだわってしまうんですね。石破側近が盛んに「父性の人」と言うのだけれど、変な情で動くことはない。もちろん感情的な恨みつらみはあるけれど、論理的に許せるかどうか。だから、「目をかけてやったのに後ろからタマ撃ちやがって」みたいな部分は、石破には少ないかもしれませんね。
野上 ウメは「晋ちゃんは自分の感情が最優先で、個人的な恨みは忘れず、気に食わないとテコでも動かないタイプ」と回想しています。それでいて甘えん坊。排他的というか、敵と味方を峻別し、厳しい意見を言う人は遠ざけて、居心地のいい人ばかりで周りを固めてしまう。だから、「オトモダチ優遇」となり、オトモダチ重用人事に対して自民党内に不満、批判、異論が蓄積されてきている。
鈴木 かつて中曽根康弘は「風刺画の題材にされてこそ一人前の政治家」と言いました。自分に厳しいことを言ってもらえる環境こそ為政者に不可欠ですよね。西日本豪雨の時の「赤坂自民亭」も、誰か「今夜はやめよう」という仲間はいなかったのか。
野上 被災者のことを考えれば、まずは「軽率だった」と謝って当然なのに、「指示できる態勢は整えていた。私は何も悪いことはしていない」と開き直る。絶対に誤りを認めたがらないんですね。安倍は父・晋太郎から「おまえには政治家として必要な情がない」「相手の立場に立って考えることをしない」と散々、怒られたと聞いていますが、安倍を知る人たちは「非を認めないのはコンプレックスの裏返しでは」と言いますね。勉強ができなかったことに強烈なコンプレックスがあるというわけです。だからこそ、秀才だった祖父・岸信介への憧憬をより強くしたのかもしれませんね。 (敬称略)
▽野上忠興 1940年東京生まれ。64年早大政経学部卒。共同通信社で72年より政治部、自民党福田派・安倍派(清和政策研究会)の番記者を長く務めた。自民党キャップ、政治部次長、整理部長、静岡支局長などを歴任後、2000年に退職。安倍晋三首相のウォッチャーでもあり、15年11月発売の著書「安倍晋三 沈黙の仮面 その血脈と生い立ちの秘密」(小学館)が話題。他に「気骨 安倍晋三のDNA」(講談社)など。
▽鈴木哲夫 1958年福岡県生まれ。早大卒。テレビ西日本報道部、フジテレビ政治部、日本BS放送報道局長などを経て13年からフリーに。25年にわたる永田町の取材活動で与野党問わず広い人脈を持つ。著書に「政党が操る選挙報道」(集英社新書)、「安倍政権のメディア支配」(イースト新書)など多数。またテレビ・ラジオでコメンテーターとしても活躍。


スペインのセックスワーカー組合、労働者の権利主張 左派政権を批判
スペイン初のセックスワーカー(性労働者)組合「OTRAS」の代表者は先月31日、ペドロ・サンチェス(Pedro Sanchez)首相が同国の売春産業を一掃する意向を示したことを受け、社会労働党率いる政権を批判するとともに、性労働者にも他の労働者らと「同様の権利」が与えられるよう要求した。
 同労組のコンシャ・ボレル(Conxa Borrell)代表はバルセロナで報道陣に対し、労働契約、固定給、病気休暇や産休、定年といった労働者の権利を得ることは、性労働者らにとっては「ユートピア」的なものになっていると主張。また売春を廃止したい意向の裏には、「道徳主義と性労働者に対する直感的な嫌悪が隠されている」とも述べた。
 この前日の30日、売春を完全に廃止したいとするサンチェス政権は、セックスワーカー労組の存在について裁判所に異議を申し立てる手続きを開始したと発表した。
 だが同日、セックスワーカーの労組は雇用・社会保障省によって登録されていただけでなく、8月4日の官報にも掲載されていたことが明らかになり、サンチェス首相は居心地の悪い立場に置かれてしまった。
 スペインでは、性労働は違法ではなく規制されてもいないが、今年6月に政権に就任したサンチェス首相は、女性の搾取との闘いを公約に据えるなど、フェミニズム色の強い政策課題を掲げている。
 その一方、マグダレナ・バレリオ(Magdalena Valerio)雇用・社会保障省は同じく30日、このような労働組合が認可されていたという事実に衝撃を受けたと、記者団に対して語った。
 バレリオ氏は「フェミニスト政権の大臣および閣僚であれば、この件についての掲載を許可することはなかっただろう」と述べ、これは自身の人生で「最大級」の驚きの一つだったと付け加えた。