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Pour les Jeux d’hiver 2026, Sapporo va jeter l’éponge
Mais combien seront-ils ? Peu, sans doute. Après Sion et Graz, une troisième ville s’apprête à retirer sa candidature aux Jeux d’hiver 2026. Surprise : elle n’est pas européenne, mais asiatique.
Selon l’agence Kyodo News, Sapporo a pris la décision de jeter l’éponge. Le maire adjoint de la ville japonaise, Takatoshi Machida, doit en informer personnellement Thomas Bach, lundi 17 septembre, à l’occasion d’un entretien privé au siège du CIO à Lausanne. Tsunekazu Takeda, le président du comité olympique japonais (JOC), sera également présent.
Engagés très tôt dans la course aux Jeux d’hiver en 2026, les Japonais de Sapporo avaient mené jusque-là une campagne étrange. Dans un premier temps, ils avaient suggéré que leur candidature était plutôt à considérer comme une option de secours, dans l’éventualité où les autres dossiers, surtout ceux portés par l’Europe, ne verraient pas la ligne d’arrivée.
Puis, surprise, ils avaient laissé entendre que leur projet serait finalement plus adapté à l’édition suivante des Jeux d’hiver, prévue en 2030.
A Lausanne, lundi 17 septembre, Takatoshi Machida devrait plus ou moins tenir ce discours dans le bureau de Thomas Bach. A en croire Kyodo News, il expliquera au dirigeant allemand que l’échéance 2026 s’avère finalement trop proche pour Sapporo. La ville japonaise projette d’étendre la ligne de train à grande vitesse, l’Hokkaido Shinkansen, pour améliorer son réseau de transports. Le projet ne sera pas finalisé en 2026. En accélérant le mouvement, il pourrait l’être à l’horizon 2030.
Autre raison de la décision de retrait : le récent tremblement de terre qui a secoué l’île d’Hokkaido. Le séisme, d’une magnitude de 6.7, a frappé Sapporo et ses environs le 6 septembre dernier. Il a provoqué la mort de 41 personnes. Ses dommages sont très importants. Le maire adjoint de la ville l’expliquera à Thomas Bach, ajoutant que cette catastrophe naturelle avait seulement précipité une décision déjà quasi inéluctable.
Sapporo hors course, la campagne pour les Jeux d’hiver en 2026 s’annonce plus incertaine que jamais. Sur les sept villes annoncées au départ, trois ont déjà rejoint les stands : Sion en Suisse, Graz en Autriche, et maintenant Sapporo au Japon. Il en reste quatre : Calgary au Canada, Stockholm en Suède, Erzurum en Turquie, plus un trio italien inédit formé de Milan, Turin et Cortina d’Ampezzo.
Avec quatre postulants, la course en compte encore deux de plus que pour l’édition 2022, où Pékin et Almaty s’étaient disputées la victoire. Mais combien seront-ils en septembre 2019, au moment où la session du CIO devra se décider pour l’attribution de l’événement ?
A Calgary, la population doit se prononcer par référendum, le 13 novembre, sur la poursuite du projet. Par les temps qui courent, interroger formellement les habitants se révèle la pire chose à faire pour une équipe de candidature. Le résultat est inexorablement négatif.
A Stockholm, le projet olympique doit encore obtenir le feu vert et les garanties des forces politiques. Pas gagné d’avance.
En Italie, il faudra des trésors de diplomatie et de sens politique à Giovanni Malago, le président du comité olympique (CONI), et Giancarlo Giorgetti, le secrétaire d’Etat aux Sports, pour mettre d’accord les maires de Milan, Turin et Cortina d’Ampezzo autour d’un projet désormais national. Bon courage.
Reste le cas Erzurum. La ville turque mène une campagne très discrète, voire fantomatique. Une stratégie qui n’est finalement pas la moins pertinente, surtout dans le contexte actuel où les rivaux se retirent les uns après les autres. Mais on imagine mal le CIO se frotter les mains à l’idée d’attribuer les Jeux d’hiver à un pays de plus en plus isolé du reste du monde par la politique de son leader, Recep Tayyip Erdoğan. Et de les confier à une ville, Erzurum, située géographiquement non loin de la Syrie et de l’Irak.
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フランス語の勉強?
小沢一郎(事務所)@ozawa_jimusho
今まで何をやってきたのか。「領土問題関係なく平和条約を」と公の場で言われても、苦笑いするのが精一杯。反論もしない。本当に、心から恥ずかしい。地球儀俯瞰外交が聞いてあきれる。どこからどう見ても完全に馬鹿にされている。結局安倍外交は「やってる感」演出のおままごと。有害無益この上ない。
hellskitchen_ny ヘケ兄 @kimulalay
今日の #0914首相官邸に押しかけよう の抗議で本当にダメやなと思ったのは、抗議を始める前に参加者が昨今の震災被害者に向け黙祷を捧げる時の警察官の「歩道をあけて下さい」「通路をあけて下さい」の無駄なデカイ声。せめてその場面で黙るという配慮すらできなかったのかということ。残念すぎるわ。
ikupie📣 @ikupienonks
#0914安倍3選ありえん大阪 街宣の横で楽器とアンプ準備してる若者2人がいたので「ここで歌うつもりやったん?」て声かけたら「そっち終わったらやります、いいんです、頑張ってください」て笑顔で言ってくれた。私が声かける直前にはスピーチに拍手もしてくれてたし。なんか嬉し。

パワー終了で一安心です.ちょっと難しかったかな?という感じはしています.でもとにかく終わりました.
その後個人便を受け取りました.100にすべきところを10にしていて間違いになっていたので訂正しました.

震災語り部の研修会 南三陸町
東日本大震災の経験や教訓を語り継ぐ、語り部の活動を通じて、被災地により多くの外国人観光客を呼び込もうと、語り部を対象にした研修会が14日、南三陸町で開かれました。
この研修会は、東北地方への外国人観光客の誘致を目指す「東北観光推進機構」が開いたもので、被災地で活動する語り部、およそ35人が参加しました。
研修会では、アメリカや台湾など9つの国と地域でアンケートを行った結果、「震災で何があったかを知りたい」という回答が多かったことが紹介されました。
そのうえで講師として招かれた東北大学の柴山明寛准教授が、「地震が起きない地域の人に、地震や津波の話をしてもピンとこない場合があるが、災害のあとにどんな対応をしたかや、どのように復興を進めたかは、どの国にも共通する話なので興味をひきやすい」とアドバイスしました。
また、日本の観光情報を海外に発信するマイケル・カトウさんは、「欧米の旅行者の間では、旅行先で新たな学びを得ることを目的にする人たちが増えている」と述べ、観光を通じて防災の知識を得るニーズが高まっていることを説明しました。
研修に参加した石巻市を拠点に語り部活動をしている高橋匡美さんは、「最近、英語も少し話せるようになったので、つたないながらも聞き手のことを考えてがんばりたい」と話していました。


<震災7年半>実れ 復興の綿花(下)アパレルメーカー/産業化へ新たな段階
<競争力つける>
 東日本大震災の復興支援事業「東北コットンプロジェクト」で栽培される綿花は、生産量が安定してきた。「綿花産業を東北に根付かせる」という目標を掲げ、製品化と販売ルートの確立という新たな段階に入っている。
 「活動PRの展開は」「綿花を通した地域貢献の在り方とは」。アパレルメーカー大手「アダストリア」(水戸市)の担当者はアイデアを膨らませる。
 同社は2013年からプロジェクトに協賛。これまで、苗植えや収穫作業に社員10人程度が参加してきた。ノベルティ品の配布などを経て、現在は製品開発に本腰を入れる。19年中の販売を視野に、社内の組織体制を強化しつつある。
 ポイントは「安価な海外産に対し、宮城産がどうやって国際競争力をつけるのか」にある。現在の綿花で良質な製品はできるが、価格を高く設定しなければならないのが現状だ。
 同社の広報担当者は「製品そのものの魅力に加え、復興という付加価値を持たせる。販売の工夫と一体となれば成功につながる」と信じる。
<「風化」を懸念>
 全国農業協同組合連合会(JA全農)が運営するJR仙台駅ビルの「みのりカフェエスパル仙台店」の店頭には17年7月から、同プロジェクトの製品約20種類が並ぶ。扱うのはタオルや手拭いといった小物。「手に取りやすく、買いやすい」をコンセプトとする。
 店長の佐々木香織さん(25)=仙台市若林区=は、震災の「風化」を懸念する一人。「プロジェクトが震災を機に始まったことを知らない客もいる。商品を目にすることで、活動や震災への興味が全国に広がってほしい」と期待する。
 製品開発と販売促進は、生産者への「利益還元」につながる。
 生産者は作付面積や収穫量などに応じた補助を受けてきたが、名目上の赤字は年間20万〜40万円。ある生産者は、作業に来るボランティアをもてなす飲食代やイベント代など計上外の出費を含めると年間約100万円超の赤字が出ているという。
<安心が欲しい>
 「無償の社会奉仕」の意味を理解はしている。「だけど…」と別の生産者。「作るだけではなく『確実に売れる』という安心が欲しい」との本音も漏らす。
 同プロジェクト広報の写真家中野幸英さん(40)=東京都=は、生産者が持つ「手間をかけて作れば作るほど赤字になる」というジレンマの解消に心を砕く。
 夢は「100%東北産の製品の実現」。そのために「アレンジ力が試される。ようやくそれを考えられる段階に来た」。現在もプロジェクトへの参加を望む企業から問い合わせがあるといい、各分野の専門家の知恵を結集し「産業」への昇華を心に描く。
 不安と期待が入り交じる中で始まった綿花栽培計画。被災地へ希望を届ける実が今、はじけつつある。
[メモ]2011年度産の綿花を使い、12年にポロシャツ、ジーンズ、タオル、ストールの4種類を製品化。13年度からプロジェクトに参加するメーカーが独自開発に着手し、今年8月現在、衣類のほか繊維類、雑貨などが加わり50種類に上る。開始当初、海外産オーガニックコットンとの混入率は1〜3%だったが、17年度に5%に伸びた。18年度産は10%を見込む。


<震災7年半>検証・復興関連予算(3)産業底上げ/経営苦戦制度に限界
 陸前高田市中心部で被災したホテルは、再オープンから間もなく5年を迎える。客室の平均稼働率は約5割。目標の7割が遠い。
 東日本大震災の津波で全壊被害を受けた「キャピタルホテル1000」は2013年、市内の沿岸部から高台に造成した土地にいち早く移転新築した。事業費9億円は主に国のグループ化補助金の活用や、金融機関からの借り入れなどで工面した。
<収益回復せず>
 毎週のように被災地を視察に訪れる人々やボランティアを乗せた大型バスがやってきた光景は、もう見られない。社長の松田修一さん(51)は「年月がたてば当たり前なこと。無策であればさらに厳しくなる」と危機感を募らせる。
 規模縮小や宿泊客の減少で、売り上げは震災前の7割程度。料理の見栄えを良くしながら原価管理を徹底するなど努力を重ね、黒字は確保する。借入金の返済を続けるが、間もなく5年間免除されていた固定資産税の支払いも始まる。
 「コスト削減だけでは限界がある。旅行客を獲得しするしか生き残る道はない」と松田さん。地道に営業活動を展開しながら、民間と行政が一枚岩となった観光経営組織を設立する必要性を訴える。
 国は被災地の産業・なりわい再生のため、11〜17年度で約4兆2000億円の復興予算を組んだ。政府系金融機関による災害関連融資(約1兆6000億円)を除く最大規模の事業が、グループ化補助金だ。青森、岩手、宮城、福島4県の約9700事業者に4800億円の支出を決めた。
 ただ、復興度合いはばらつきが目立つ。国が交付先に毎年実施するアンケートによると、震災前の水準まで売り上げが「回復」したと答えた事業者の割合は、15〜17年度の3年連続で45%程度だ。業種別では建設業が70%を超える半面、水産・食品加工や旅館・ホテルは30%前後にとどまる。
<課題が多様化>
 水産関連を中心に多くの事業者が被災した気仙沼市。気仙沼商工会議所の専務理事加藤正禎さん(62)は「グループ化補助金で再スタートし、経営が順調な業者は少数派。多くは苦戦が続いている」と明かす。
 市内では約800事業者がグループ化補助金を申請。復旧にこぎつけた事業者も多くは販路縮小や人手不足、漁業の水揚げ減など重い課題を抱えたままだ。
 補助金で設備を復旧させても、想定した魚種の水揚げが環境の変化などで減り、別の魚種向けに設備更新を希望する水産業者もいる。「時間の経過とともに、既存の支援制度では対応しきれない課題が出てくる」と加藤さんは先行きを懸念する。
 国は14年度以降、水産加工の販路開拓に計57億円、人材確保に計20億円を充てるなど手を打つが、「課題は多様化、複雑化している」(宮城復興局)。支援制度の周知や、専門家によるコンサルティングに力を入れながら、被災企業全体の底上げを模索する。(報道部・小沢邦嘉、大船渡支局・坂井直人)
[グループ化補助金]東日本大震災で被災した中小企業や小規模事業者のグループを対象に、施設や設備の復旧費を最大75%補助する制度。1企業当たり15億円を上限に国が50%、県が25%を補助する。企業の私有財産は本来、災害時に公費で復旧する対象外だったが、国は連携して復興計画を作成した事業者グループを支援し、被災地復興につなげようと11年に制度を新設した。


被災地の今かみしめて 23日・山形で「気仙沼さんま祭り」
 東日本大震災の記憶の伝承と復興支援を目的に、山形県在住の気仙沼市出身者らでつくる「やまがた気仙沼会」は23日、山形市の霞城公園で「第7回気仙沼さんま祭りin山形」を開く。震災が発生した2011年にちなみ、気仙沼産生サンマ2011匹の炭火焼きを無料で振る舞う恒例イベントのほか、大学生が初めて被災地の現状を報告するブースを設ける。
 報告の準備のため、メンバーの山形大1〜3年生6人は8月21、22日に気仙沼市内を視察した。宮城県が国道45号との「兼用堤」として整備する大谷海岸の防潮堤や、防災集団移転した団地などを訪れ、関係者に被災直後の様子や復興の課題を聞いた。
 祭り当日は、ブースに現地の写真や津波浸水図を掲示。午前11時半から学生3人が交代で、防潮堤と景観を巡る問題や避難所生活の注意点などを発表する。
 実行委員長の山形大3年山本凜太郎さん(20)は「脂の乗ったサンマを味わいながら、震災から7年半が経過した被災地の今を知ってほしい。この夏は全国で自然災害が相次いだので、山形の人たちに備えの大切さも訴える」と話す。
 やまがた気仙沼会によると、サンマは必要な量を調達できる見通し。会場には募金箱を設置し、義援金は奨学金として気仙沼市に贈る。ワカメなど三陸の水産加工品を販売する物産市もある。連絡先は祭り担当の熊谷功二さん090(7900)8428。


河北春秋
 「釜本(邦茂)さんらと同じ式典会場にいるのが不思議だった」。日本サッカーへの功績で殿堂入りした加藤久さん(62)は振り返る。一緒に殿堂入りした1968年メキシコ五輪代表の面々と壇上に並び、あの銅メダルに感激した小学6年の自分に戻ったという▼宮城県利府町の海辺で育ったサッカー少年は仙台二高、憧れの釜本さんらが出た早大でボールを追い、3年生で日本代表。主将としても歴史に残る試合を戦った。サッカー協会の要職やJリーグの監督も務めながら、大切にしたのが若い世代の育成だった▼「シュートは膝から下を軽く振るんだ」。同県女川町、石巻市の中学校で加藤さんを取材したのは6年前。被災地の子どもたちとサッカーを練習し、見事な手本を見せた。協会特任コーチを買って出て、岩手、宮城の沿岸を巡った▼「東北の海辺を知る自分にしかできぬ仕事だった」。校庭に仮設住宅が建ち、ボールを蹴る場もない小中学生の応援を−と協会や現役選手らに訴えた。寄贈の芝が植えられたグラウンド、支援の防球ネットが張られた屋内練習場が生まれた▼「子どもの笑顔が消えた国は滅びる」という欧州の格言が胸にあったという。自らの小学生時代の憧れのように、被災地にまいたサッカーの小さな種はどう育つだろう。

女川原発事故時避難者輸送 県バス協会と県協定
 東北電力女川原発(女川町、石巻市)で重大事故が起きた際、住民の避難に必要なバスを確保するため、県と県バス協会が13日に連携協定を結んだことが分かった。運転手の被ばく線量が1ミリシーベルトを下回ることなどを条件に、協会に加盟する事業者が周辺自治体の避難者の輸送に協力する。必要な台数や運転手を確保できるかが焦点となる。
 国に広域避難計画の策定を義務付けられた原発から半径30キロ圏の3市4町には約20万人が住む。計画は自家用車での避難が困難な住民はバスなどで移動してもらう方針を掲げる。
 協定は県の要請を受け、運転手が一般住民と同じ被ばく上限の年1ミリシーベルトを超えない範囲で県内各地の避難所に住民を輸送する。県は線量計や防護服を提供し、経費も負担する。
 県によると、バス避難が必要な人数は算定中だが、協会の84事業者が所有するバスは路線バスなども含め約2600台。「避難に必要な台数を確保できる」と見込む。
 ただ、協会は輸送するかどうかの判断を事業者と運転者に任せる方針。放射線量が高くなった場合、大量の避難者に見合った台数と運転手が確保できるかは不透明だ。
 県バス協会の熊沢治夫専務理事は「運転手の安全を守りながら協力する。協定は原発再稼働を後押しするものではない」と語る。県原子力安全対策課は「具体的な輸送体制を今後詰めたい」と説明した。
 県と内閣府、3市4町でつくる作業部会は広域避難計画に具体的な内容を盛り込む「緊急時対応」を年内にもまとめる。


<北海道地震>亘理から移住のイチゴ農家 疲れ出る時期焦らずに
 震災で被災し、宮城県亘理町から北海道の伊達市に移住したイチゴ農家丸子裕人さん(39)は収穫の最盛期を迎えた夏イチゴの出荷が一時滞った。地震で避難生活を送る住民に「疲れが出始める時だ。必ずどうにかなるから焦らず落ち着いてほしい」と励ましの言葉を送る。
 丸子さんは両親と暮らしていた亘理町の自宅と農業用ハウス25棟を震災の津波で失った。亘理伊達家が明治初期に開拓した伊達市に2011年9月、イチゴ栽培の指導員として妻子と移住。高収益が見込める夏イチゴ「すずあかね」の水耕栽培に取り組んでいる。
 地震の停電でイチゴの出荷が一時停止。手作業で1株ずつ水をかけた。2日目に通電し、被害は最小限に抑えられた。「震災の時のようにイチゴが流されたわけではない」と前を向く。
 震災の教訓から自宅に家族分のヘッドライトを用意し、水を備蓄。近所の農家と米や野菜を分け合ってしのいでいる。地震の避難者に「必ず復旧するし、必要な物は手元に届くので落ち着いて過ごしてほしい」と呼び掛ける。


北海道地震  被災者の生活再建急げ
 最大震度7を観測した北海道の地震発生から1週間が過ぎた。復興に向けた住民たちの懸命な努力が続いており、多くのボランティアも活動している。
 だが、電力不足が長期化する恐れがある。被害の検証を進めるとともに、被災者の生活再建への支援を急ぎたい。
 大規模な土砂崩れが起きた厚真町を中心に41人が犠牲になった。13日現在、1576人が避難し、負傷者は681人にのぼる。建物は109棟以上が全壊、119棟が半壊した。
 他の災害と同様、今回も高齢者の犠牲が相次いだ。厚真町では亡くなった36人のうち、8割弱が60歳以上だった。
 専門家は、地震発生時に対応が最も難しいのは山の斜面の崩落だと指摘する。揺れている間に崩れ、逃げる時間がないからだ。高齢者ら災害弱者にとってはなおさらである。
 今回の土砂崩れは極めて広範囲で起きた。山に積もった火山灰や軽石など火山噴出物の層が、一気に崩落したとみられる。
 土砂が雨水を含んでいたほか、土砂崩れを起こしやすい短周期の揺れが強かったという。同様のリスクを抱える地域では防災対策の再点検が必要だ。
 道全域の約295万戸が停電する事態になり、ほぼ復旧するまで3日かかった。需要の半分程度を賄う苫東厚真火力発電所の緊急停止が引き金となった。
 政府は北海道電力に焦点を当てて検証を進める考えだ。一方で節電の状況を踏まえ、地域を区切って供給を順番に止める計画停電も検討している。
 北海道では今後、冷え込みが本格化する。電力不足の影響がさらに拡大しないか懸念される。日本の「食」を担う農漁業への打撃もあり、対応が問われる。
 最も心配なのは避難者だ。2016年の熊本地震では避難生活で体調が悪化する人が相次ぎ、直接死を大きく上回る関連死があった。大半が60代以上だった。
 道内の避難者の多くは厚真町と、隣接する安平町の住民だ。両町では大規模な断水が発生し、復興の妨げとなっている。
 先行きが見えない避難生活に不安を抱える住民も目立ち始めたという。高齢者が体育館などに長期間の滞在を強いられるような事態は避けなくてはならない。
 空いている公営住宅の活用など、住まい確保のための方策が求められる。何より被害の拡大防止に力を注ぎたい。


北海道全域停電 九州でも危機管理徹底を
 北海道で起きた地震に伴い一つの発電所が被災しただけで、九州の2倍以上の面積がある道全域が停電した。最大震度が7に達したとはいえ、危機管理の在り方が問われるのは当然だ。
 電力の需給バランスが大きく崩れた時、連鎖的に管内すべての発電所が止まり、全域が停電する。ブラックアウトという現象で、国内では初という。
 市民の日常生活はもとより、交通や医療、産業など幅広い分野に深刻な影響が及んでいる。全面復旧は11月以降の見通しで、事態は長引きそうだ。
 全域停電が起きたのは、北海道電力の電力供給が、その3割近くを担う泊原発が停止中だったこともあり、震源に近い厚真(あつま)町の苫東(とまとう)厚真火力発電所に大きく依存していたためだ。
 地震発生当時の電力需要の約5割を賄っていた苫東厚真が緊急停止したことで管内全体の需給バランスが一気に崩れ、管内全域停電に至ったとされる。
 緊急時には、本州とつなぐ連係線(送電線)を通じて電力融通を受ける仕組みなのだが、十分機能しなかったという。
 発電所の防災対策や地震発生後の対応に問題はなかったか。北電と国は道内の供給回復を急ぐとともに、原発と一部火力に頼る体制も含め、問題の原因と背景を徹底検証すべきだ。
 他の電力会社は今回、管内で全域停電が起こる恐れについては、一様に否定的な見方を示している。九州電力も「可能性はゼロとは言い切れないが、極めて低い」と説明する。
 九州では7県に火力、原子力、水力などの発電所が分散している。ピーク時の電力需要約1600万キロワットに対し、火力最大の新大分火力発電所(大分市)の供給力は約280万キロワットで、約2割だ。一つの発電所が担う役割は比較的小さいといえよう。
 本州との電力融通に使われる連係線の容量も、北海道−本州よりはるかに大きい。2012年に新大分が施設トラブルで停止した際、電力融通で事なきを得たという実績もある。
 とはいえ、福島の原発事故の背景に、業界にはびこる「安全神話」があったことを忘れてはならない。「想定外」の事態も念頭に隙なく対処できるよう、策を練り続ける姿勢が肝要だ。
 電力各社はこれを機に、災害対策を再点検し、有事の停電地域拡大を防ぐ方策の充実に力を入れる必要がある。エリア間の電力融通は災害時の命綱である。南海トラフ地震なども想定し連係線の増強を急ぐべきだ。
 北海道の一件は、電気が根源的な社会インフラであることを改めて示した。国も電力各社もそれを肝に銘じ、危機管理に万全を期すよう求めたい。


北海道地震 電力不足の今後が心配だ
 最大震度7を記録した北海道南西部の地震発生から1週間が過ぎた。犠牲者は41人に上る。
 未明の地震で逃げる間もなく大量の土砂にのみ込まれ亡くなった人も多い。遺族の無念さは察するに余りある。改めて冥福を祈りたい。
 余震が続く中、震源地とされる厚真町を中心になお1400人以上が避難している。100棟超が全壊するなど家屋が激しく損壊したり、断水が続いたりしているためだ。
 北海道は徐々に冷え込みが厳しくなる。避難生活は心身への負担が大きい。国や自治体は被災者の生活再建に向けた支援に一層力を入れてほしい。
 心配なのは電力不足の長期化が避けられそうにないことだ。
 これまでに約350万キロワットの供給を確保したが地震前ピークの需要には追い付かず、道と北海道電力は道民、企業に2割の節電を要請する。さらに節電の状況を踏まえ、計画停電も検討している。
 道内最大火力、苫東厚真(とまとうあつま)火力発電所の全面復旧は11月以降の予定だ。泊原発の再稼働は見通せない。国と北海道電は電力不足の影響を最少に抑えるため、あらゆる方策を講じるべきだ。
 今回の地震被害の特徴は、道内ほぼ全てに当たる約295万戸が一時、全域停電(ブラックアウト)したことだ。
 復旧に3日を要し、停電は住民生活に広く影響を及ぼし、電気がいかに重要なライフラインかを改めて浮き彫りにした。
 冷蔵ができなくなり酪農を始め基幹産業の農業や漁業で出荷不能に陥った。多くの工場が一時、操業を停止した。携帯電話がつながりにくくなり、被災地では情報入手に困った。
 今後は冬に向け、暖房への影響が懸念される。
 そんな中、政府と北海道電に危機管理を巡る温度差が指摘されていることが気掛かりだ。
 世耕弘成経済産業相は7日に計画停電を準備すると表明したが、北海道電はこの時点では計画停電についての認識を社内で共有していなかったという。難局を乗り切るためには、政府と電力会社が連携して対応していくことが欠かせない。
 なぜ全域停電を起こしたのか。検証と再発防止も不可欠だ。
 北海道電は苫東厚真で道内電力需要の半分を賄っていた。ここが強い揺れで停止したことで全域停電が起きたという。
 他電力関係者から「一つの火力発電所が停止しただけで全域が停電したとは」と驚きの声が上がっている。
 再発防止には、施設をしっかりと整備し、発電所の分散化を図る必要がある。本州との電力融通に使う連系線の能力拡充も急がれよう。
 北海道電は自らの危機管理の甘さをきちんと反省し、教訓をどう生かすのかも顧客に示さなければならない。
 本県からは、自治体職員や医師らが地震後すぐに現地入りし、応援に当たった。これからも息長く支援の取り組みをしていきたい。


豊漁が一転、不漁に…サンマは北海道地震を知っていたのか
 サンマの値段が上がっている。北海道はサンマの水揚げ量日本一。北海道胆振東部地震の影響が尾を引き、サンマの価格が高騰しているのだろうか。
「地震による停電や物流停滞など、サンマ漁への影響は解消されてきています。価格の高止まりは、サンマの群れが北海道近海から離れ、不漁が続いているためです。8月末の豊漁が一転、9月に入って群れが近海に近寄らなくなったのです」(水産庁・漁政部加工流通課)
 築地市場の北海道産生サンマの卸売価格(中値)を見れば一目瞭然。
〈表〉の通り、8月末の1キロ400円台が、9月に入りうなぎ上りである。
■発生を見越して遠泳に逃泳か
 ここであることに気づく。6日未明に発生した大地震の数日前から卸値は上昇。つまり、8月末に北海道近海にいて豊漁をもたらしたサンマたちは、大地震を見越して近海を離れたのだ。サンマが地震前に何らかの異変に気づき、遠洋に逃げたのではないか――。水産庁は「今のところ、庁内でそのような“説”は聞いたことがありませんね」(加工流通課)と答えたが、立命館大学環太平洋文明研究センター教授の高橋学氏(災害リスクマネジメント)はこう言う。
「人間以外の生物は、人間が感じないわずかな揺れやにおいなどを察知して、行動を起こすことがあります。これまでも、地震の直前に、深海魚、クジラ、イルカ、大量のイワシなどが浜にあがる現象が確認されています。今回、サンマが海流の変化や揺れなど“異変”を感じ、移動した可能性は否定できません。ただ、知見はない。今後、魚の群れの動きと地震の関係の事例を蓄積していく必要があるでしょう。魚の群れは、世界中の漁師が常時追いかけている動きです。地震と結び付けて予知に役立てることは一考に値すると思います」
 地震の前に、イワシは浜に、サンマは遠洋に移動する――。魚が教えてくれるヒントが役立つ日はやってくるのか。とりあえず、サンマがスーパーで値上がりしたら、要注意だ。


JR脱線事故現場に追悼施設完成
兵庫県尼崎市でJR福知山線の電車が脱線し、107人が死亡した事故の現場が亡くなった人たちを追悼するための場として整備され14日、遺族などに公開されました。
13年前の平成17年4月、兵庫県尼崎市でJR福知山線の快速電車がカーブを曲がりきれずに脱線し、線路脇のマンションに衝突して乗客ら107人が死亡、562人がけがをしました。
JR西日本では、遺族や被害者に意見を聞いたうえで現場のマンションとその周辺を亡くなった人たちを追悼する場として残すことを決めおととしから工事を始めてこのほど『祈りの杜(もり)』として整備が完了したことから、14日、遺族やけがをした人たちに公開されました。
現場の9階建てのマンションは、衝突の跡が残る部分は残したまま5階より上が取り壊され、雨などによる劣化を防ぐために全体を覆うアーチ状の屋根や壁が設けられました。
マンションの前には亡くなった人の名前を刻んだ慰霊碑が建てられ、事故の事実を後世に伝え続ける目的で、事故の概要やJR西日本としてのおわびが書かれた石碑も置かれています。
また、事故発生時の様子を伝える資料や遺族が寄せた手紙などが展示された地下のスペースもつくられました。
この施設は、今月21日から一般の人にも公開されるということです。
【JR西日本社長が献花】
JR西日本の来島達夫社長は14日午後、現場を訪れ、慰霊碑に向かって再発防止を誓ったあと、献花を行いました。
来島社長は献花の後、報道陣の取材に対し、「13年前、私たちの会社が引き起こした事故の重大さを改めて痛感した。鉄道の安全を実現するために事業者、そして社員一人ひとりがこの事故に向き合い、具体的に何ができるのか考え続けていかなければならない」と話しました。
また、一部の遺族などから現場が見にくくなり隠しているのではないかと指摘されていることについては、「事故の悲惨さと人命の尊さを後世に伝えていくのが我々の責任であり、恒久的に現場を残すためにはこの形がベストだった」と話しました。
【遺族は】
事故で当時33歳の長男を亡くした兵庫県伊丹市の大前清人さん(76)は、「名碑に刻まれた息子の名前を見ると、改めて、ここで亡くなったのだという実感が湧きました。私が想像していたものとは様子が違っているが、さまざまな意見がまとめられて、できあがった場所なので、ここを訪れて、少しでも前向きになれる人がいればいいと思います。一般の人もここに来て、事故があったことを知ってもらいたいです」と話しました。
事故で当時40歳だった長女を亡くした大阪・城東区の藤崎光子さん(78)は、14日朝8時ごろから現場を訪れ、名碑に刻まれた長女の名前を探すなどしていました。
藤崎さんは、現場のマンションの様子が大きく変わったことについて、「壁や屋根で覆われたのはまるで隠しているようで、とても残念です。遺族が亡くなったあとも、ここで悲惨な事故があったことを伝えられるのはこの現場しかないので、誰が見ても分かるような形にしてほしかったです。ただ、できてしまったものは、しかたがありません。今後、二度とこのような悲惨な事故を起こさないよう、この場を活用してほしいです」と話していました。
事故で当時18歳だった次男を亡くした、神戸市北区の上田弘志さん(64)は、慰霊碑の前などで静かに手を合わせました。
そして、「慰霊碑の前に立っても現場のマンションは見えず、息子とつながっている気持ちになれません。JR西日本には、訪れた人に悲惨さがより伝わるよう、事故車両の一部をこの場所に置くことも考えてほしい」と訴えました。
また、上田さんは現場が変わる様子を記録しようと、2年余りにわたってビデオカメラで工事の進捗(しんちょく)状況を撮影していて、「事故当時は、入社していなかった社員も増えてきていると思います。記憶が風化しないよう、私が撮影した映像を今後の社員教育に活用してもらいたい」と話していました。
【追悼施設完成までの経緯】
JR西日本は、事故現場の保存や整備のあり方について、平成23年から遺族や被害者の意見や要望を聞きながら検討を始めました。
「事故の悲惨さを伝えるために保存してほしい」と望む声の一方で、「悲しみを思い出す現場はもう見たくない」という意見もありましたが、JR西日本は、遺族や被害者のうち7割の賛同が得られたとして、平成27年にマンションの一部を保存し、慰霊や鎮魂の場、そして、安全を誓う場として整備することを決めました。
工事はおととし1月に始まり7月からは解体作業が行われ、9階建てのマンションのうち、5階から上の部分は取り壊されました。
事故の爪痕が見られるようにと、1階から4階まではそのまま残され、雨や風などによる劣化を防ぐために、全体が屋根で覆われました。
一方、遺族などから公開を求める意見もあった事故車両について、JR西日本は、「目にするのにも苦痛だと感じる人もいて、慎重な議論が必要だ」としていて、今後の扱いは、検討を続けたいとしています。
【追悼施設「祈りの杜(もり) 福知山線脱線事故現場」】
事故現場は、「祈りの杜 福知山線脱線事故現場」として整備されました。
現場のマンションは9階建てで、高さはおよそ27メートルありましたが、衝突の跡が残る部分は残したまま5階より上は取り壊されて4階まで減築され、およそ13メートルになりました。
また、雨や風による劣化を防ぐため、マンション全体を覆うアーチ状の屋根や壁が設けられました。
一方、電車が衝突したマンションの北側に壁は設けず、衝突の痕跡が見えるようになっているほか、運転士に安全運転を意識させるため、線路側の一部の壁はガラスにしています。
また、マンションの前には、祈りを捧げる気持ちを表現した高さ4メートルほどの細長い三角形の慰霊碑が設置されています。
慰霊碑の横には、亡くなった人の名前を刻んだ名碑や、JR西日本としてのおわびや安全への誓いなどを記した石碑も設けられました。
このほか敷地内には、「事故を伝える空間」と「追悼の空間」の2つの地下スペースがあります。
「事故を伝える空間」には、発生当時の状況や救助の様子を伝えるパネルや事故原因などを説明した資料が展示され、「追悼の空間」には、遺族などから寄せられた手紙や折り鶴が展示されているということです。
施設は今月21日からは一般にも公開され、毎日、午前8時から午後8時まで無料で訪れることができます。


マンションが墓石そのもの 新たな慰霊碑に涙出ず 尼崎JR脱線事故遺族
 「祈りの杜」として姿を変え、14日から遺族らに公開された尼崎JR脱線事故現場。木々に囲まれた広場には慰霊碑が建ち、亡き人をしのぶ追悼空間ができた。それでも、遺族らがこの日、感情を揺さぶられ、涙を流した場所はこれまでと変わらなかった。快速電車が衝突した傷痕が生々しく残るマンションの前だった。
 夫浩志さん=当時(45)=を亡くした音楽講師、原口佳代さん(58)=宝塚市=は慰霊碑前で献花し、4階まで残されたマンションへ。事故の痕跡が残る壁を見上げ、ハンカチで目元を何度も拭った。
 「慰霊碑の前で気持ちが揺らぐかなと思ったけど、何も脳裏に浮かばなかった。壁では事故からの日々がよみがえり、『ここで亡くなったんだ』と思った」
 月命日には現場を訪れる。変化に寂しさもあったが、事故の記憶の風化を恐れ、整備を受け入れた。
 事故を知り、遺族らが記した手紙などを紹介する地下空間。原口さんは、浩志さんも好きで、よく一緒に作品展に足を運んだ相田みつをさんの詩を寄贈しており、同空間に展示された。
 「生きていてよかった 生かされてきてよかった あなたにめぐり●えたから」
 詩にはさまざまな思いが重なる。「もう生きていたくないと強く思う時期もあったが、生きてきたから今がある。ここが語り継ぐ場になってほしい」
 次男昌毅さん=当時(18)=を亡くした上田弘志さん(64)=神戸市北区=は、何度も見たはずのマンションの衝突痕を前に感情を抑えきれなかった。「(遺体安置所の)体育館で寝かされている息子の顔がよみがえってきて…」。青いタオルで涙を拭い、崩れるようにしゃがみ込んだ。その脇を電車が走り抜け、おえつをかき消した。
 上田さんにとってマンションは昌毅さんの墓石そのもの。「ありのままを残すべき」とし、JR西の一部保存の整備方針には一貫して反対してきた。
 慰霊碑に手を合わせたが「息子とつながっていない」と感じた。名碑の前でも涙は出ない。生々しい痕跡はアーチ状の屋根に覆われ「事故現場というより、きれいな公園のよう」。
 2016年1月の整備開始以降、工事の経過を映像で記録し続け、この日もカメラを回した。「事故を知らないJRの社員に見てもらい、安全最優先の意識を確認してほしい」。雰囲気が一変した現場を目の当たりにして、思いを強くした。(上田勇紀、小川 晶)
※●は一点しんにょうの「逢」


プーチン氏提案/対ロ外交の戦略立て直しを
 22回の首脳会談で築いたはずの信頼は何だったのか。一つの発言で、日本の対ロ外交は打ち砕かれた感がある。
 ロシアのプーチン大統領がウラジオストクでの「東方経済フォーラム」討議で、一切の前提条件抜きに今年末までに日ロ平和条約を締結するよう安倍晋三首相に求めた。
 到底認められない手のひら返しの提案だ。北方四島の帰属問題の解決を前提に置き、国境線の画定後にロシアとの平和条約締結を目指す日本の基本姿勢に相反する。
 それを重々承知の上での発言とすれば、プーチン氏の真意をはかりかねる。
 「条約に基づき全ての係争中の問題を解決しよう。いつか実現すると確信している」と説明したが、都合のいい一方的な解釈にすぎない。領土問題の先送りであるばかりでなく、事実上の封印と受け取られても仕方あるまい。
 政府は正式な提案があれば応じる方向だが、大統領発言の齟齬(そご)に断固として抗議すべきではないか。野党各党からも反発の声が上がっている。
 本当にその場での思いつき発言だったのかも疑問だ。プーチン氏は、色丹島、歯舞群島の返還を明記した1956年の日ソ共同宣言を持ち出した。「双方が署名したが、日本が履行を拒否。今になってこの問題の検討に立ち戻った」と説明した。2島先行返還論を再びちらつかせ、日本側の出方を見るそぶりに映る。
 わずか3カ月余の期限を区切った提案は、あまりにも性急で不自然だ。国家間で何にも増して重要な平和条約の内容を詰めるには時間が短すぎる。ロシア側の腹案を土台に交渉を優位に進め、日本に決断を迫る戦略とも取れる。
 周到に準備された提案ではないにせよ、うっ積した本音が堰(せき)を切って吐露されたことに違いはない。日本政府へのいら立ちや、国内経済が悪化する中、支持率が低下したことも背景にありそうだ。
 この前々日に両首脳は領土交渉につなげるための共同経済活動の推進で合意した。平和条約締結についても「一朝一夕に解決できないことは分かっている」などとし、具体的な発言をしていなかった。
 討議で、挑発するような口調で「(平和条約締結を)今やらないで、いつやるのか」とプーチン氏に迫ったのは安倍氏だ。思いがけず強力な応酬を浴び、返り討ちに遭う格好となったが、すぐに問いただすべきではなかったか。
 プーチン氏の提案の真意は依然不明な点が少なくない。詳細な検討が求められる。安倍氏はきのう官邸で、提案について「条約締結への意欲の表れ。四島の帰属を解決し、平和条約を締結する基本に変わりない」と説明した。
 ここに来て露呈した盟友同士の認識のずれをどう修正するか。相互利益の原点に戻り戦略の再構築が必要だ。領土問題の解決の道が断たれることだけは避けねばなるまい。


露大統領の唐突な提案 領土交渉の「てこ」を失う
 ロシアのプーチン大統領が東方経済フォーラムの全体会合で、安倍晋三首相に対し突然「前提条件抜きに今年末までに日露平和条約を結ぼう」と呼びかけた。
 北方領土の交渉は条約締結後に行えばいい、という「領土問題棚上げ」を意図した提案である。日本としては受け入れられるものではない。
 日本は北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することを基本方針としている。
 なのに安倍首相は会合の席でなぜ何も反応しなかったのだろうか。日本の立場を改めて説明すべきだったのではないか。菅義偉官房長官が提案について「日露関係の発展を加速したい気持ちの表れではないか」とコメントしたのも気にかかる。
 プーチン氏は提案に先立ち、過去の交渉経緯として1956年の日ソ共同宣言について言及した。平和条約締結後に歯舞、色丹2島を引き渡すと明記された宣言のことだ。
 しかし、今回の条約締結案に関しては「前提条件なし」と明言し、2島返還を前提とした従来の姿勢から後退させた。
 そもそも平和条約の締結とは、戦争状態の法的な終結や、国交正常化などが主目的にある。だが、この二つは日ソ共同宣言により既に達成された。ゆえに、これから結ばれる平和条約は、両国の友好関係を確かめ合う象徴的な意味を持つ。
 それを領土問題と無関係にしてしまっては禍根を残すだけだ。条約を締結すれば日本はロシアと領土交渉を行う「てこ」を失い、四島は半永久的な係争地として留め置かれる。
 プーチン氏は安倍首相と通算22回の会談を重ねながら交渉が進まないことにいら立ち、首相に政治決断を促しているのかもしれない。両国の経済協力がうまく進んでいないことに不満を抱いているとも指摘されている。
 だが日本政府によると、この2日前の安倍首相との会談で同趣旨の提案はなかった。公の場で事前の通告もなしに披露したとすれば、外交ルールに反してはいないだろうか。
 日本はプーチン氏とロシア側の真意を確認し説得する方針だ。だが、プーチン氏が本気だとすれば、安倍首相としては厳しい対応を迫られることになる


プーチンの罠にはまり…北方領土を売った“外交の安倍”の嘘
 安倍首相が繰り返してきた「われわれの世代で解決する」というのは、こういう意味だったのか。ロシア極東のウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムの全体会合で12日、プーチン大統領が「ここで思いついたんだが、年末までに無条件で平和条約を締結しよう」「冗談で言ったのではない」と言い出し、大騒ぎになっている。つまり、安倍首相が意気込んできた北方領土返還は棚上げになるからだ。
■6月のG20大坂サミットめぐり足元を見られ…
 プーチンの発言が飛び出したのは、全体会合で各国首脳が演説を終えた直後。安倍は演説で北方領土問題の解決を訴え、4島を物流拠点として「日ロ協力の象徴」に転化しようと提案。「今やらないで、いつやるのか。われわれがやらないで、ほかの誰がやるのか」と畳み掛けていた。それを受ける形で司会者から質問に応じたプーチンは、こう言い放った。
「シンゾウはアプローチを変えようと言った。そこで今、思いついた。一切の前提条件を抜きにして、年末までに平和条約を結ぼう。平和条約に基づき、すべての係争中の問題を話し合おう」
 プーチンの発言は4島返還交渉を進めてきたつもりの日本からすれば、ちゃぶ台返しもいいところ。ところが、壇上でプーチンと横並びに座った安倍は「うん、うん、うん」とばかりに何度も首を縦に振り、深くうなずいていた。一体どういうことなのか。筑波大教授の中村逸郎氏(ロシア政治)はこう言う。
「そもそも、プーチン大統領には北方領土を返還する考えはありません。北方領土を含む極東の軍事強化を進め、ソ連崩壊後、最大規模の軍事演習を極東で実施していることからも明らかです。17日までの演習には中国軍とモンゴル軍が初参加して、周辺国との連携も強めている。安倍首相と首脳会談を重ねているのは、ポーズに過ぎない。領土交渉に応じているフリをすれば、共同経済協力の名の下、日本から資金や技術が転がり込んでくるからです」
 日本政府は一貫して「4島返還」を求めてきたが、プーチンは従来の「2島引き渡し」以上の譲歩を示したことがない。そこで安倍は第2次政権発足4カ月後の2013年4月、プーチンとモスクワで首脳会談。領土交渉再開で合意したが、膠着状態から脱せず、16年5月にソチで行われた首脳会談で安倍はプーチンに「新たなアプローチ」を持ちかけた。その年末にプーチンが来日し、安倍は共同経済活動を申し出たのがこれまでの経緯だ。
 プーチンの発言を巡り、官邸は大慌て。菅官房長官は記者会見で「意図についてコメントすることは控えたい」と逃げ、10日の日ロ首脳会談で「無条件」との発言はなかったと釈明。「北方4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する基本方針の下、引き続き粘り強く交渉する」と火消しに躍起だ。
「日本は来年6月にG20大阪サミットを控えています。自民党総裁選で3選すれば、安倍首相がホストを務める。国際社会に成功をアピールするには、すべての加盟国首脳の出席は必須です。中国の習近平国家主席の首根っこをつかんでいるプーチン大統領は、その足元を見て“不参加”をにおわせ、領土交渉の棚上げを安倍首相にのませていたのではないか。日ロ両政府の説明はこれまでもたびたび食い違いを見せています」(中村逸郎氏=前出)
 それなら、安倍のうなずきも納得だが、このタイミングでプーチンに暴露されたのは大誤算だったのか。総裁選も災害対応もほったらかしで向かった外遊先でコケにされ、これでまた“外交の安倍”の嘘っぱちがハッキリした。


日ロ領土交渉/手法を検証する時期では
 ロシアのプーチン大統領が、ウラジオストクでの経済フォーラムの全体会合で、安倍晋三首相に対し、前提条件なしに今年末までに日ロ間で平和条約を結ぶよう求めた。さらに「その後、全ての係争中の問題を解決しよう」と呼び掛けた。
 北方四島の帰属問題をまず解決し、その上で平和条約を結ぶというのが、領土問題を巡る日本政府の基本姿勢である。
 プーチン氏の要求はこれを全く無視しており、肝心の領土問題が置き去りにされる懸念も浮上している。
 安倍政権は2年前、北方領土での共同経済活動などの経済協力で成果を挙げ、信頼関係を深めて、領土問題の進展につなげるという新たな方針を打ち出した。しかし、事業の具体化は進んでおらず、手詰まり感が否めない。
 領土問題を前進させるために、日本政府はこれまでのアプローチを検証する時期にきているのではないか。
 1956年の日ソ共同宣言で、平和条約締結後の色丹、歯舞の2島引き渡しが明記された。プーチン氏はこれをベースに領土問題を考え、北方四島について「第2次大戦で正当に獲得した自国領」との立場だ。
 一方、日本は条約締結と領土問題とを切り離さず、4島一括での交渉を前提にしている。
 戦後数々の交渉が両国の間で行われたが、具体的な進展は見られなかった。このため安倍首相は、プーチン氏と会談を重ね、まず個人的な信頼関係を築くことに力を入れた。
 22回目となった先日の首脳会談では、共同経済活動の実現に向けたロードマップの作成で合意したものの、事業の具体化は進んでいないのが実情だ。
 これにじれたプーチン氏が突如、平和条約の先行締結を打ち出したとも見られている。
 日本政府はロシアから正式な提案があれば応じる方向で調整に入ったとされるが、冷静に分析することが必要だ。
 戦後73年がたっても日ロ両国には平和条約が結ばれておらず、この状態は「正常でない」との立場では一致している。この認識を基に領土問題を粘り強く話し合い、相違を埋めていく方策を考えねばならない。


プーチン氏提案 ただちに拒否すべきだ 
 北方領土をロシアが不法占拠している歴史的事実を踏まえれば、まったく論外の提案である。
 ロシアのプーチン大統領がおととい、極東ウラジオストクでの経済会合で、安倍晋三首相に対し、日ロ平和条約を無条件で今年末までに締結するよう呼び掛けた。
 2日前の首脳会談では出なかった提案だ。あまりに唐突である。
 これは「北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」とした日本政府の基本方針に反する。領土問題の決着を前提とせず無条件としている以上、ただちに拒否すべきだ。
 プーチン氏は会合で、平和条約締結後に色丹島と歯舞群島を日本に引き渡すと明記した1956年の日ソ共同宣言について「日本側が履行を拒否した」と指摘した。
 日本はまず四島の帰属確認を求めている。それ以前の平和条約締結は到底認められない。
 そもそもプーチン氏は領土交渉に期限を設けることは「不可能」とし、領土問題を「引き分け」で解決する方針も表明していた。
 「年内の平和条約無条件締結」は、ロシア側の国益を一方的に主張するもので、いずれの発言とも矛盾する。
 プーチン氏は「今、思い付いた」として提案したが、日ロ間の交渉の積み重ねを軽視している。
 安倍政権の対応に、毅然(きぜん)とした姿勢が見られないことは看過できない。
 首相はきのう帰国後、与党幹部に対し、プーチン氏の提案について「(平和)条約締結への意欲の表れと捉えている」との認識を示した。
 これではロシア側に、日本が領土問題棚上げに理解を示したという誤ったメッセージを送ることになりかねない。
 はっきりと反論すべきである。
 首相は2016年5月、極東振興などの協力を通じて信頼醸成を図り平和条約締結につなげるという「新しいアプローチ」を掲げ、交渉に臨んできた。
 歴史的・法的事実に基づいて四島の帰属問題を解決するとした93年の東京宣言から事実上決別し、「経済先行」の交渉方針に転換したことを意味する。
 四島の帰属問題が棚上げされる恐れがかねて指摘されてきたが、それが現実味を帯びてきた。
 これ以上、元島民らを失望させてはならない。
 対ロ交渉はこれまでの経緯を踏まえた上で、土台から再構築することが急務だ。


プーチン発言  意図や背景冷静に探れ
 駆け引きか、かく乱戦術か。発言の真意を見極める必要がある。
 ロシアのプーチン大統領が安倍晋三首相に対し、一切の前提条件を抜きに今年末までに日ロ間で平和条約を締結するよう求めた。「その後、全ての係争中の問題を解決しよう」とも述べ、北方領土問題を先送りする姿勢をみせた。
 「北方四島の帰属問題を解決し、平和条約を締結する」という日本政府の方針とは逆の主張といえる。簡単に応じることは難しい。
 発言はウラジオストクでの東方経済フォーラム全体会議の討議であった。プーチン氏は「今、思いついた」と前置きしたが、「冗談ではない」とも付け加えた。
 日本側の反応を探る狙いがあるのかもしれない。ただ、長い間進展していない領土交渉に対してロシア側から言及があった意味は小さくない。発言の意図や背景を慎重に分析しなくてはならない。
 北方領土を巡って、プーチン氏は平和条約締結後に色丹島、歯舞群島を日本に引き渡すことを明記した1956年の日ソ共同宣言の「法的有効性」を認めている。
 両国の議会が宣言を批准していることを挙げ、履行することは義務だと主張している。
 フォーラムの発言でも「日本側が履行を拒否した。今になってわれわれはこの問題の検討に立ち戻った」と訴えた。2島返還で幕引きを図ろうとの考えがにじむ。
 あくまで4島返還を掲げる日本政府との認識の隔たりは大きい。このままでは、領土交渉を打開する道はさらに遠くなる。
 安倍氏とプーチン氏は発言の2日前の首脳会談で、海産物養殖などを対象とする北方領土での共同経済活動の実現に向けた行程表の作成などで合意した。
 共同経済活動の前提として日本は、日ロ双方の法的立場を害さない「特別な制度」の導入を求めているが、ロシア側は自国の主権の下で行う立場を崩さない。
 経済活動を領土問題解決と平和条約締結につなげたい日本のシナリオは、ロシア側の固い態度に阻まれている。共同経済活動が軌道に乗らなければ、平和条約交渉が進まない責任を日本側に押し付けてくる懸念も指摘されている。
 プーチン氏が今回行った発言の裏には、急落した支持率を回復するため、強いロシアを演出したい思惑があるとの見方もある。
 一筋縄ではいかない相手だ。領土問題解決の糸口をつかむには、ロシアを取り巻く状況を見定め、冷静に対応する必要がある。


プーチン提案は安倍後の議論なのか
★22回の会談は、決して親密な関係など作れなかったのではないか。ロシアを訪問した首相・安倍晋三に対し、ロシアは経済協力を求め、資源保全を求め、そして担保として安全を求めた。つまり北方領土問題の裏テーマは米軍の基地。つまり在日米軍がどっかりと腰を下ろしている日本や、北方領土の返還後に日本政府の本意ではないとしても、米国が在日米軍基地を北海道や北方領土に設営したらどうするかという、ロシアとしては極めて現実的な質問に、日本政府が答えてこなかったからだ。★ロシアサイドはさまざまな提案をしたが、日本サイドは何も答えなかったといっているようだ。12日夜のロシア大統領・プーチンの発言。「安全保障は重要だ。あなた(司会)が言った(米軍が北方領土に進出する可能性についての)議論もしている。当然、米国のミサイル防衛システムを含む多くの軍事協力について懸念しないわけにはいかない。平和条約を結ぼう。今ではないが年末までに。あらゆる前提条件なしで」。★プーチンの思い付きではないだろう。それどころか、1つの回答を導き出した。中国との合同軍事演習を実施しながら、「晋三がアプローチを変えようと提案した」という。つまり晋三が決められないのならば、こちら側で決めてやるということではないか。軍事演習は、昔で言う砲艦外交のようなものだ。日米同盟、日米安保を抱えている日本は、米国の合意なくして北方領土の返還などない。日露の議論でなく、露米の話だと言いたげだ。★首相にこの問題の当事者能力は既にない。ところが今、安倍外交以外では、日米地位協定見直し、すなわち日米安全保障条約について、議論を深めるべきとの提案がある。それは自民党総裁選や沖縄知事選挙での議論だ。プーチン提案は安倍外交では進まない、安倍後の議論だとでも言いたげだ。

プーチン大統領発言/真意確かめ戦略再構築を
 ロシアのプーチン大統領が、極東ウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムで、一切の前提条件を抜きにして今年末までに日ロ間の平和条約を締結するよう提起した。北方領土問題を事実上先送りする提案と受け取れる。
 これに対して安倍晋三首相は大統領発言の翌日、領土問題と平和条約について「両国民の理解が進み、環境が整備されることが大切だ」と述べた。北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結するというのが日本政府の方針だ。
 10日に行った日ロ首脳会談でも、北方四島での信頼関係の醸成に向けて共同経済活動の実施について協議したばかりだ。日本政府の説明では、会談で大統領から今回のような発言はなかったという。
 なぜ大統領は日本政府が簡単には受け入れられない発言を唐突に行ったのか。日本政府は、支持率が急落している大統領がロシア国内向けに発言した側面が強いと分析している。しかし国際会議の公式な場での大統領発言は、今後の事務レベル協議を縛るものになろう。真意を確かめ、領土交渉を前進させる戦略を再構築しなければならない。
 北方四島についてプーチン大統領は、第2次大戦の結果、ロシア領になったとする立場だ。東方経済フォーラムの場では、平和条約締結後に歯舞、色丹2島を引き渡すとした1956年の日ソ共同宣言を巡り、「日本側が履行を拒否した」とも述べた。
 領土問題では一切譲歩する考えがないことを明確にしたものか、56年宣言に従って歯舞、色丹2島の引き渡しには応じる含みを残したものか、判然とはしない。ただ大統領はこれまで、返還後の北方領土に日米安全保障条約が適用されることに懸念も示しており、4島の帰属問題に関しては厳しい姿勢を示した発言とみるべきだろう。
 安倍首相は、2016年12月の山口県長門市での日ロ首脳会談で「新たなアプローチ」として北方四島で共同経済活動を実施することで「4島の未来図」を描き、解決策を見いだしていく方針を打ち出した。しかし約1年9カ月にわたる交渉でも、海産物養殖や観光ツアー開発など5項目の共同経済活動は、適用する法的な枠組みなどを巡って協議が難航し、具体化が進んでいないのが現状だ。
 安倍首相は第1次政権時代から通算で22回もプーチン大統領と会談し「私たちの手で必ず問題に終止符を打つ」と交渉前進を強調する。だが、行き詰まっているのが実態ではないか。
 大統領の発言は、安倍首相の「新たなアプローチ」を逆手に取ったものとも言える。首相が国民の理解の必要性を強調するのならば、交渉の実態を丁寧に説明すべきだ。
 平和条約締結による日ロ関係の安定は、クリミア編入を巡って欧米と対立するロシアにとっては好都合だろう。北朝鮮の非核化を巡る各国間の動きに、日ロで連携して関与する狙いもあると思われる。自民党総裁選で安倍首相の3選が確実視される中で、首相の指導力を試し、決断を促す戦略でもあろう。
 日本側にとっても、北朝鮮情勢への対応でロシアとの連携は重要なカードになる。だが領土問題の棚上げは現状では国民の理解は得られまい。首相の対応を注視したい。


沖縄県知事選 地位協定を見直さねば
 十三日告示の沖縄県知事選の論点の一つは、日米地位協定の見直しだ。争点ではない。有力立候補者がそろって公約に掲げる。米軍輸送機オスプレイの本土配備も間近。広く問題を共有したい。
 米軍ヘリが大学構内に墜落しても警察、消防は立ち入り禁止。小学校校庭に窓を落下させても、翌月には同じ上空をヘリが飛ぶ−。
 故翁長雄志沖縄県知事は、こんな地元の状況を「憲法の上に日米地位協定がある」と指弾し、改定を強く主張してきた。
 知事選の最大の争点は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設の是非だが、地位協定見直しは党派を超えた県民の切実な願いだ。選挙戦では、安倍政権の支援を受ける前宜野湾市長佐喜真淳氏、反政権側の前衆院議員玉城デニー氏の両有力候補者とも、翁長氏と同様の考えを訴えている。
 在日米軍の権限などを定めた地位協定が、国際的にもいかに不平等か。沖縄県はこれを探るため昨年度から諸外国の調査を始めた。
 初年度は、同じ第二次大戦敗戦国のドイツ、イタリアが対象。その結果報告は非常に興味深い。
 基地内の米兵の取り調べや事故機の差し押さえといった警察権が行使できない、米軍機は航空法に縛られずに飛び回るなど、米軍の活動には国内法が原則として適用されない日本に対し、両国では自国と同じ法規制を行っている。
 訓練は事前通告し承認を得ること、自治体職員らの基地内への立ち入りなども認めさせている。
 日米協定は一九六〇年の締結以来一度も改定がないが、独伊では冷戦後の九〇年代に大幅な改定や覚書締結で対等関係を確保した。
 「国際的な(協定)見直しを進めないと日米関係だけが奇異になってしまう」「米国の言うことを聞いているお友達は日本だけ」
 県の聞き取りに、イタリアのランベルト・ディーニ元首相はこう直言。問題が起きるたび「運用改善で対応」と、改定に及び腰できた日本政府を痛烈に皮肉った。
 背景には、日本国民の無関心さもある。
 沖縄県の調査結果を重視した全国知事会は七月、協定の抜本的見直しを求める提言を決議し、日米両政府に申し入れた。東京都の米軍横田基地では十月、沖縄などで不時着や墜落が相次ぐオスプレイの正式配備が始まり、本土上でも広く訓練が行われる見通しだ。
 協定見直しはもはや沖縄の問題ではない。選挙結果にかかわらず国民全体で取り組むべきである。


沖縄知事選告示/辺野古の論議を避けるな
 翁長(おなが)雄志(たけし)知事の死去を受けた沖縄県知事選が告示された。政権与党の自民、公明や一部の野党が推薦する前宜野湾市長の佐喜真(さきま)淳氏と、県政与党の共産、社民や市民団体が擁立した前自由党衆院議員の玉城(たまき)デニー氏が、30日の投票日まで事実上の一騎打ちを繰り広げる。
 最大の争点は、米軍普天間基地の移設計画に伴う名護市辺野古沖の基地建設への賛否だ。
 埋め立て承認撤回を模索した翁長氏の遺志を継ぎ、玉城氏は反対を明言する。一方、佐喜真氏は普天間返還や基地負担軽減を求めるが、移設の是非には触れていない。公開討論会でも「基地問題は国が決める」と、あえて争点にしない戦略だ。
 知事選の結果は、沖縄県民の民意を示すことになる。佐喜真氏は辺野古建設の論戦を避けることなく、有権者に立場を明らかにして判断を仰ぐべきだ。
 前回の知事選と大きく構図が変わったのは、自主投票だった公明党沖縄県本部が佐喜真氏と政策協定を結び、推薦に回った点だ。県本部は辺野古移設に反対の立場だが、協定は是非に触れていない。支持者の納得が得られる説明が必要である。
 政府は辺野古を負担軽減の「唯一の解決策」とするが、県民には反対が根強い。先日の名護市議選は、移設反対派が過半数を占めた。その中には公明議員も2人含まれている。与党内ですら地元では異論がある点を安倍政権は直視するべきだ。
 政府、与党は自民党総裁選の投開票を20日に控え、知事選の結果が政権運営にも響くと神経をとがらせる。
 2019年度政府予算の概算要求で、沖縄振興費は前年度要求と同額にとどまった。他省庁の要求額拡大とは対照的だ。誰が知事になるかで予算を見直す思惑もうかがえる。
 玉城氏は「新時代沖縄」と銘打ち、国の補助金や交付金に頼らない活性化策を掲げる。佐喜真氏は政府との対立より対話が重要とし、国からの一括交付金の増額を求める。
 人口減や高齢化が加速する中で、地方は国と対等な関係を貫きながらどんな将来像を描けるのか。国策に翻弄(ほんろう)されてきた沖縄の選択は、他の地方にとっても人ごとではない。


沖縄知事選告示 辺野古、争点から外せぬ
 翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事の急逝に伴う県知事選がきのう告示された。
 政権与党が推す前宜野湾市長の佐喜真淳(さきまあつし)氏と、翁長氏後継として出馬した自由党幹事長で前衆院議員の玉城デニー氏との事実上の一騎打ちとなった。
 選挙戦では、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設の是非が問われよう。
 安倍晋三政権は「辺野古移設が唯一の解決策」として、新基地建設に反対する翁長県政とこの4年間、対立してきた。
 法廷闘争を交えた政権の強硬姿勢には県外でも批判があり、選挙の行方は全国が注目する。
 国内の米軍専用施設の約70%が集中する沖縄にとって、基地問題は早急に解決すべき懸案である。
 両候補は辺野古移設にどう対処するのか、具体策を示し、真っ向から論戦してもらいたい。
 県は先月31日、辺野古沿岸部の埋め立て承認を撤回し、国は法的な対抗措置を取る方針を示している。新知事は就任後すぐに辺野古移設問題への対応が迫られよう。
 自民、公明両党などが推薦する佐喜真氏は出陣式で「対立や分断からは何も生まれない」とし、普天間飛行場の返還を実現できるのは自分だけだと訴えた。
 ただ、県内の辺野古に移設することの是非には言及しなかった。
 政権与党とのパイプを生かして経済振興に努める考えを前面に出しながら、政権が強行する辺野古移設に口を閉ざすのは「争点隠し」と見られても仕方あるまい。態度を明らかにすべきだろう。
 一方、玉城氏は第一声で「イデオロギーよりもアイデンティティーを大事にするという翁長氏の遺志を継ぎ、辺野古に新基地は造らせない」と強調した。
 ただ、承認撤回後の県の対応も含め、国会議員の経験を生かして、政権とどう向き合っていくのかについても丁寧に説明する必要がある。
 玉城氏の陣営にとっては、保守、革新の枠を超えて翁長氏を支えた「オール沖縄」体制をどう維持するかも課題だろう。
 残念なのは、一足早く告示された自民党総裁選で辺野古の問題が論議されていないことだ。
 候補の石破茂氏はかつて党幹事長として辺野古移設を進める立場にあった。首相は「沖縄に寄り添う」と言い続けている。
 ならば、米軍基地問題の解決をどう図っていくのか、対米外交の姿勢とともに、しっかりと提示する責任がある。


沖縄知事選と本土 基地負担、わが事として
 翁長雄志(おながたけし)氏の死去に伴う沖縄県知事選がきのう告示された。「米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設」の是非を最大の争点に、安倍政権が推す前宜野湾市長の佐喜真淳(さきまあつし)氏と、翁長氏後継者の自由党前衆院議員玉城(たまき)デニー氏の事実上の一騎打ちとなった。
 地方選挙ではあるが、争点は日本の民主主義や地方分権の在り方にも関わるはずだ。
 先週開かれた公開討論会では佐喜真氏が「普天間返還」を争点に挙げて基地跡地の経済効果を強調する一方で、辺野古移設の是非には言及しなかった。「われわれには努力の限界がある」「宜野湾市民は悩み苦しんできた」との発言も出た。
 一方、玉城氏は争点を「辺野古埋め立て承認撤回の是非」と明言したが、その先の手法については立ち入っていない。「承認撤回は法治国家の自治体が取るべききちんとした手続きだ」とも述べた。立場は違うが、いずれの発言にも外部から持ち込まれて久しい米軍基地という重圧がにじみ出ていよう。
 両氏のきのうの第一声で印象的なくだりがあった。佐喜真氏は「対立や分断からは何も生まれない」と強調し、玉城氏は「イデオロギーよりアイデンティティーを大事にしようという翁長氏の遺志」を掲げた。
 ことしは本土復帰から46年である。にもかかわらず着地点が見えない基地問題に対し、県民は疲労の度を増しているはずだ。「対決」ではなく「総意」によってそれを解決したいという考えが、両氏に共通しているように思えてならない。
 選挙戦は翁長氏が現職の仲井真弘多(なかいまひろかず)氏を破った前回の構図とほぼ同じではあるが、現実の沖縄は風雲急を告げている。国が辺野古への移設工事を着々と進めるのに対し、県は埋め立て承認撤回で対抗している。
 保革を超えて翁長氏を推してきた「オール沖縄」に、ほころびが見える点も違う。自主投票に転じた企業グループがあるほか、県内の市長選では翁長氏の流れをくむ候補が相次いで敗れた。だが沖縄の知事選は国政の与野党対決を持ち込むだけで片が付くものではあるまい。
 普天間の固定か、辺野古移設か、二者択一を県民に迫る構図にすべきでもなかろう。
 普天間の土地は、沖縄戦のさなかに米軍が日本本土攻撃に備えて強制的に接収し、今もなお使い続けている。戦時の財産奪取を禁じるハーグ陸戦条約違反の疑いも拭えないはずだ。
 返還時期については1996年に当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が「5〜7年以内」で合意しながら、いまだ履行されていない。隣接する沖縄国際大に米軍ヘリが墜落して市民を恐怖に陥れるなど、危険極まる基地であり、無条件の閉鎖・返還しかあり得ない。
 これに対して、辺野古は国が海面を埋め立てて造成する恒久的な基地である。辺野古は普天間と切り離して、争点として扱われるべきだろう。
 翁長氏は「安全保障は国民が等しく負担すべきである」と主張し続けた。安全保障をどのように捉えるにせよ、沖縄にだけ過重な負担を強いる現実が、本当は問われなければならない。今回の沖縄県知事選は、国民が人ごとでなく考える契機とすべき選挙でもある。


沖縄県知事選 最大の争点をぼかすな
 8月に急逝した翁長雄志知事の後継を決める沖縄県知事選は、安倍政権が支援する前宜野湾市長の佐喜真淳氏と、翁長氏の支援母体「オール沖縄」勢力が擁立する自由党衆院議員の玉城デニー氏の事実上の一騎打ちが確定した。
 争点は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対した翁長県政を引き継ぐか否かに絞られよう。
 翁長氏は亡くなる直前、前任知事が許可した辺野古沿岸部での埋め立て承認の撤回を表明。その遺志を引き取る形で県が正式に撤回したのを受けての選挙戦だ。政府は法的な対抗措置を取る方針で、前哨戦から不穏な空気が漂う中での告示となった。
 告示直前に地元記者クラブが主催した討論会で、佐喜真氏は普天間飛行場の早期返還を訴え、玉城氏は辺野古移設の阻止を主張した。
 米軍普天間飛行場は宜野湾市のど真ん中にあり、市域の約4分の1を占める。住宅や学校などの公共施設が隣接して、かつて米側も「世界一危険」と認めた飛行場だ。
 早期返還の必要性そのもので、両者に意見の相違はあるまい。見解を分けるのは、その代替基地として辺野古移設を認めるか否かだ。
 翁長氏の遺志を継ぐ玉城氏は、沖縄への新基地建設を認めない立場で移設に反対。佐喜真氏は明言を避けている。
 宜野湾市長当時の佐喜真氏は「普天間周辺の危険除去」を最優先に、辺野古移設に賛成とは言わないまでも否定しなかった印象がある。今選挙では公明党の支援も得ているとあって、発言に殊更慎重になっているのだろう。同党の沖縄県本部は、辺野古移設に反対しているからだ。
 先の討論会でも、埋め立て承認を巡る国県の対立を「注視する」と言うにとどめた。国の方針に、少なくとも反対でなければよしとする政権の意向が透ける。2月の名護市長選で移設反対派の現職を破った与党系候補も、自らの考えは明確にしなかった。同様の選挙戦術を描いているのは想像に難くない。
 「勝てば官軍」は、150年前の戊辰戦争の「教訓」だが、翁長氏が移設推進派の現職を大差で破った4年前の知事選で、政権は「負けても官軍」の姿勢を堅持。その民意を顧みず、辺野古移設の取り組みを加速させてきた。
 安全保障は国の専管事項ではあるが、地元に対立と分断をもたらすようでは「国を守る」意味が疑われよう。
 辺野古移設で日米が合意して20年余。日本の安全保障や在日米軍を取り巻く状況も変化する中で、今なお「辺野古移設が唯一の解決策」とする必然性はあるのか否か。今選挙戦で、国民注視の争点をぼかす選択肢はあるまい。


沖縄県知事選 論戦を共に見守りたい
 沖縄県知事選が告示され、前宜野湾市長の佐喜真淳氏、自由党前衆院議員の玉城デニー氏らが立候補した。
 事実上の一騎打ちである。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り与野党の支援を受ける候補が激突する。米軍基地の在り方は、県民だけでなく国民全体で考えなければならない問題だ。30日の投開票に向けた論戦を見守りたい。
 翁長雄志知事の死去に伴う選挙である。佐喜真氏は自民、公明両党などが推薦している。玉城氏は共産、社民など県政与党や辺野古反対の市民団体が後押しする。
 佐喜真氏は「対立や分断からは何も生まれない。普天間飛行場や那覇軍港の返還などを全てできるのは、この私しかいない」と強調した。普天間の早期返還と危険性除去、政権とのパイプを生かした経済振興などを訴える。
 玉城氏は県による辺野古沿岸部の埋め立て承認撤回を支持し、移設阻止を掲げる。「イデオロギーよりもアイデンティティーを大事にしようという翁長氏の遺志を受け継ぎ、辺野古に新しい基地を造らせない」と述べている。
 対立や分断を生んだ大きな要因は政府の姿勢にある。選挙で繰り返し示された反対の民意を顧みずに工事を強行してきた。辺野古が唯一の解決策だとして普天間の固定化か移設容認か―の二者択一を迫る。県民に苦しい選択を強いる酷なやり方だ。
 佐喜真氏は「県民が等しく喜べることをするのが、県知事の役割だ」とする。先日の名護市議選では移設反対派が過半数を維持している。移設の是非をどう考え、政府とどのように向き合っていくのか、詳しく聞きたい。
 玉城氏は、新基地阻止の展望はあるのか。翁長氏は15年に埋め立て承認を取り消したものの、国と法廷闘争になり、県の敗訴が確定した。承認撤回にも国の法的対抗措置が見込まれる。一方では普天間の早期返還が求められる。
 誰が新知事になっても分断を解消するのは容易でない。在日米軍専用施設が集中する沖縄の現状に改めて目を向けさせられる。基地のたらい回しでは、沖縄の負担は軽減されない。政府の方針を問い直す機会でもある。
 政府は承認撤回への対抗措置を知事選後に先送りする方向だ。不利な要素を減らそうという判断だろう。沖縄の人たちが広く納得できる解決策を目指し、米国と真剣に協議するのが政府の本来の姿である。移設ありきで県民の亀裂を深めることは許されない。


沖縄知事選告示 「辺野古」の争点隠し許されない
 沖縄県の翁長雄志知事の死去に伴う知事選が告示された。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設の是非が最大の争点だ。
 移設を進める安倍政権が総力を挙げて支援する前宜野湾市長の佐喜真淳氏=自民、公明、維新、希望推薦=と、移設反対を掲げ、野党が支援する自由党前衆院議員玉城デニー氏による事実上の一騎打ちとなる。自民党総裁選後の政権運営や来夏の参院選もにらんで、与野党の激戦が始まっている。
 県民は選挙のたび、自ら望んだのでもない米軍基地を巡って分断を強いられてきた。国や本土の国民に実情を伝え、政策を見直す機会にするためにも、全候補者が考えを明確に示し、徹底的に論じ合ってもらいたい。
 投票結果は今後の移設計画に少なからず影響を与えよう。にもかかわらず、佐喜真氏が移設への自らの立場を明かさないのは問題だ。玉城氏が翁長氏の遺志を継いで「辺野古に新基地を造らせない」と明言するのに対し、佐喜真氏は普天間飛行場の早期返還を訴えながらも、その先にある辺野古移設の是非については言及を避け、公約でも触れていない。針路を示さなければ県民は判断のしようがない。
 全面支援する政権側の意向を受けた「争点隠し」戦術であることは間違いない。裏を返せばそれだけ政府与党が県民の強い反対を自覚し、恐れる証左であろう。辺野古移設を争点として先日行われた名護市議選では、反対派が過半数を占めている。
 2月の名護市長選でも同様の争点隠しが行われた。選挙戦で口をつぐみ、当選後に政府が民意を得たとするなら、県民への重大な背信行為だ。繰り返すことは許されない。
 県は先月、仲井真弘多前知事による辺野古の埋め立て承認を撤回した。県と国との裁判闘争に再び突入し、当選した知事はたちまち対応を迫られる。この難題にどう向き合い、県民の思いをつなぐのか表明することも欠かせない。
 沖縄は基地問題を巡る政府との長い闘いで疲れ切っている。「対立から対話へ」との佐喜真氏の訴えはもっともだ。だが、対話を求めても無視し続けるのは政権側だ。翁長知事就任後4カ月、安倍晋三首相は会おうともしなかった。県民の抗議に一切耳を傾けず、辺野古の工事を強行。土砂投入も迫る。政府こそが姿勢を改めるべきであり、対等な関係に立った真の対話につながる選挙戦を求めたい。
 沖縄経済は好調だが、一方で子どもの貧困や高い失業率など問題を抱える。政府は基地を受け入れれば交付金を与え、異を唱えれば減額するというアメとムチで県民を翻弄(ほんろう)してきた。自立した教育、福祉政策も候補者は示す必要がある。
 民主主義や地方自治の在り方を考える意味でも、沖縄知事選は一地方の問題ではない。日本全体が国の在り方を考え直すきっかけにしなければならない。


【沖縄知事選告示】基地と地方自治を語れ
 沖縄県の翁長雄志知事の死去に伴う知事選がきのう告示された。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設の是非が争点だ。
 辺野古移設を進める安倍政権が推す前宜野湾市長の佐喜真淳(あつし)氏と、移設阻止に取り組んだ翁長氏の遺志を継ぐ自由党前衆院議員の玉城(たまき)デニー氏による事実上の一騎打ちで、沖縄を舞台にした国政与野党の対決の構図でもある。
 移設を承認した当時の知事を翁長氏が大差で破った前回知事選から4年。移設に「ノー」を示した民意に反し、国は工事に踏み切り、強行してきた。沖縄県民が再び下す審判は移設計画に重大な影響を与え、沖縄の針路を左右する。
 戦後、沖縄県民の土地を米軍が「銃剣とブルドーザー」で強制接収し、その上に基地が造られた。日本の国土の0・6%にすぎない島に米軍の国内施設の7割が集中する。沖縄の過酷な現実。その前提に改めて立ちたい。
 自民、公明両党などの支援を受ける佐喜真氏は普天間飛行場の早期返還などを訴えながらも、辺野古への移設の是非は明言しない構えだ。保守層の移設反対派の批判を避ける狙いのようだ。
 佐喜真氏は「基地や安全保障の問題は国が決める。地方自治体には外交権限がない」と語る。だが、基地問題は国家権力と地方の関係を一貫して問い続けてきた。
 地方自治は国家権力を縛る憲法が規定する。そこに「地方は国に服従せよ」とは一字もない。今月9日の宜野湾市議選では移設反対派が過半数を維持した。地元自治体の直近の民意だ。移設に是であれ、非であれ、有権者に正面から向き合った議論が求められる。
 野党勢や市民団体が支える玉城氏は、移設阻止を前面に掲げる。沖縄県は知事選を前に辺野古の埋め立て承認の撤回に踏み切った。法的な最終手段でもある。
 沖縄はこれまでの法廷闘争でも国に敗れ、政府への再三の抗議や対話要請も冷徹にはねのけられてきた。反対運動に手詰まり感が広がりかねない。土砂搬入が始まれば引き返せなくなる事態も懸念される。
 翁長氏の「弔い合戦」という意味合いも確かにあろう。だが玉城氏は何より、承認撤回の先の具体的で、説得力のある移転阻止の展望を明示する必要がある。
 地方選挙の本来の主題は地域の共生や活性化である。「国とのパイプを重視するばかりでいいのか」「では、自立的な振興策は」。両氏は議論を豊かにし、基地問題で深まった分断を解く糸口を導いてほしい。
 重ねて言う。国と地方の関係はどうあるべきか、その普遍的テーマが問われる選挙だ。基地負担を強いられてきた沖縄が抱え続けてきた問題であり、同時に、本土の無関心がその苦痛に加担してきた面は否めない。選挙とその後の沖縄を自らの足元に重ねて見守り、「地方自治の本旨」を探る機会としたい。


[沖縄知事選告示] 辺野古が最大の争点だ
 沖縄県の翁長雄志知事の死去に伴う知事選がきのう告示され、新人4人が立候補を届け出た。
 最大の争点は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設の是非である。
 移設を進める安倍政権が推す前宜野湾市長の佐喜真淳氏と、翁長氏の後継として移設反対を訴える前衆院議員の玉城デニー氏の事実上の一騎打ちとなった。
 30日の開票結果は、政府の移設計画や今後の日米関係に影響を与える可能性がある。移設反対を訴え続けた翁長氏の遺志に、県民がどう審判を下すのか注目される。
 沖縄県土は国土面積のわずか0.6%にもかかわらず、在日米軍専用施設の約70%が集中している。米兵らによる凶悪事件や米軍機の墜落事故などが繰り返され、県民の不安と怒りは計り知れない。
 米軍基地の縮小や県外移転は、多くの県民の願いと言っていい。
 だが、普天間飛行場の返還と辺野古への移設の問題は約20年にわたって続き、県民に分断と対立を強いている。
 国が辺野古沿岸部の埋め立てを進める中、県は先月末に埋め立て承認を撤回した。法廷闘争などで埋め立て反対を訴えても、なお「辺野古移設が唯一の解決策」との立場を譲らない国の姿勢に対抗する最終手段である。
 こうした中、候補者に求められるのは辺野古移設の是非について、持論を述べることだろう。
 玉城氏は県による辺野古沿岸部の埋め立て承認撤回を支持し、移設阻止を前面に掲げる。 
 一方の佐喜真氏は、政権とのパイプを生かした生活支援や経済振興など訴える。普天間飛行場の早期返還と危険性除去も主張するものの、辺野古移設の是非については明言していない。「辺野古」を封印することで、保守層の移設反対派を取り込む狙いに違いない。
 だが、これでは「争点隠し」と指摘されても仕方がない。辺野古移設への考えを明確に示して、有権者の判断を仰ぐべきだ。
 安倍政権は知事選後に移設工事を再開する構えだ。
 確かに、市街地中心に位置する普天間飛行場は危険である。だからといって反対派が多い中、辺野古沿岸部を埋め立て、新基地を造る必要性があるだろうか。立ち止まって見直す必要がある。
 沖縄に集中する米軍基地の負担軽減は、国民一人一人が向き合わなければならない問題である。
 北東アジアなどの安全保障環境に変化の兆しが見える中、日本の防衛政策全体の再検討が必要だ。沖縄の歴史に思いをはせ、基地問題をわがこととして考えたい。


安倍の不誠実は筋金入り 石破は現実的な舞台回しできるか
鈴木 安倍は「実利主義」ということですが、石破は永田町的な実利を追求せず、青臭い。それは格好いい側面はあるけれども、ではそれで組織が回せるのか、官僚が回せるのか、という懸念はある。例えば、石破が自民党総裁になった時にどんな人事をやるだろうかと考えると、総裁選で徹底的に戦った細田派や二階派などが果たして協力してくれるのだろうか。役所は、さすがに総理には協力するだろうけど、現実的なところでの舞台回しが石破にできるのかな、という不安はある。
 ――石破の方が戦争しやすい国になってしまうのでは?
鈴木 私はそれは逆だと思います。安倍よりはペースは遅い。いい例が憲法改正への考え方。石破は9条改正は後回しでいいと言っている。まず議論をしましょうと。国民の理解がなければ、改憲はできないのだから、議論が先だと。誤解を招くのは、石破の説明責任の問題もあるのでしょうが。
 ――石破はかつて「デモはテロ」とブログに書いたことがある。
鈴木 あれは特定秘密保護法案の審議が行われていた2013年のことですね。議員会館の部屋でブログを書いていた時にデモの声が聞こえてきた。当時、幹事長として官邸からは何が何でも通すと。しかし、石破は安倍首相のそうした姿勢ではなく、まだまだ議論も必要と考えていたので、板挟みになって精神的に参っていて、そして冷静さを失って書いてしまったと。それでも、あの発言は許されるものではない。石破は後で、ものすごく後悔し、反省していたが、批判は当然受けなければなりませんね。
野上 安倍の危うさ……。3選はレガシーづくりの最後の機会となりますからね。憲法改正にこだわる背景です。でも、世論調査結果を見ても、そこに国民目線があるとも思えないのです。
鈴木 秋の臨時国会で自民党案を示したい、という意向です。
野上 その臨時国会については安倍は、本音では開きたくないようです。モリ・カケに加え、「赤坂自民亭」酒席参加問題まで野党に攻め材料があるからなのでしょうね。何でも敵と味方に分ける安倍にとっては、野党もまた「敵」なのでしょう。野党の後ろにいる国民の存在を意識していないということにもなりますね。国会での質疑や党首討論での不誠実・傲慢と指摘される答弁の態度は実は、筋金入りなのです。例えば、2003年正月に地元紙・山口新聞のインタビューで安倍は、こう話しています。
〈変に相手をたてずに、国会答弁もけんか腰でやってきましたし。でもそのほうが、国民に対して正直で誠実だと思うんです。討論相手に親切であったり、誠実である必要はない〉
 政治家としての「成長過程期」がないまま、安倍は一足飛びで首相に上り詰めた。主流派内にすら「安倍は右から左までの包括政党=国民政党・自民党、言えば『自民党民主主義』を変貌させ、独裁政党にしてしまった」との声があると聞きますが、確かに、野党が指摘する強引な政治手法、懐の狭さ、外交的な稚拙さ、品性を欠くヤジには、トップリーダーとして疑問符が付けられても無理からぬところは、ありますね。(敬称略)
▽野上忠興 1940年東京生まれ。64年早大政経学部卒。共同通信社で72年より政治部、自民党福田派・安倍派(清和政策研究会)の番記者を長く務めた。自民党キャップ、政治部次長、整理部長、静岡支局長などを歴任後、2000年に退職。安倍晋三首相のウォッチャーでもあり、15年11月発売の著書「安倍晋三 沈黙の仮面 その血脈と生い立ちの秘密」(小学館)が話題。他に「気骨 安倍晋三のDNA」(講談社)など。
▽鈴木哲夫 1958年福岡県生まれ。早大卒。テレビ西日本報道部、フジテレビ政治部、日本BS放送報道局長などを経て13年からフリーに。25年にわたる永田町の取材活動で与野党問わず広い人脈を持つ。著書に「政党が操る選挙報道」(集英社新書)、「安倍政権のメディア支配」(イースト新書)など多数。またテレビ・ラジオでコメンテーターとしても活躍。