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都庁180922

Japon : cherche femme ministre désespérément
Abe avait promis de faire briller les femmes au gouvernement. Las ! la nouvelle équipe ne compte plus qu'une seule ministre. Explications.
Par Lise Morizo
Énième remaniement ministériel pour le Premier ministre japonais Shinzo Abe. Et s'il s'était efforcé lors des précédents de confier jusqu'à cinq portefeuilles à des femmes, eh bien cette règle est tombée. Il ne reste désormais plus qu'une ministre, Satsuki Katayama, et pas aux premières loges (elle est chargée des régions, de l'égalité hommes-femmes et de l'activité des femmes).
M. Abe était pourtant revenu en fonction fin 2012 avec une foultitude de bonnes résolutions et bons sentiments, dont l'intention ferme d'être l'homme qui allait ≪ créer une société où les femmes brillent ≫. Mais il n'a pas eu de chance : trois des nommées dans ses précédentes équipes ont dû démissionner, l'une pour avoir acheté des cosmétiques avec des fonds obtenus pour financer ses campagnes électorales, l'autre pour avoir imprimé des sortes d'éventails à son effigie et la troisième à la suite du camouflage de rapports sur une mission de soldats japonais au Soudan.
Du tempérament ≪ pour deux ou trois ≫
≪ Il est vrai que les femmes ne sont pas nombreuses dans la politique au Japon et qu'il est problématique qu'elles ne représentent que 10 % des parlementaires ≫, reconnaît Kyoko Morisawa, élue de la municipalité de Tokyo. Mais ≪ c'est trop triste de voir que plus les années passent plus le nombre de femmes au gouvernement baisse, si bien que l'on se demande si le Premier ministre est sincère lorsqu'il proclame qu'il veut encourager l'activité féminine ≫, écrit-elle sur son blog.
Face aux critiques qui n'ont pas manqué de fuser, M. Abe a trouvé la parade : Satsuki Katayama a selon lui un tel tempérament et une telle présence qu'il attend qu'elle ≪ travaille en déployant l'énergie de deux ou trois personnes ≫ !
Pour tenter de prouver sa bonne foi, il a néanmoins désigné ensuite cinq femmes vice-ministres. Ce qui ne représente cependant que 20 % de ces portefeuilles.
M. Abe pourrait chercher dans la société civile, mais cela n'est guère dans les coutumes locales. Car non seulement la Constitution précise que la moitié au moins des ministres doivent être des élus ou élues du Parlement, mais en plus M. Abe est tenu par le jeu des proportions entre les différentes factions de l'énorme Parti libéral-démocrate (PLD) qu'il préside. Et cela restreint grandement les possibilités.
Sur 19 ministres, 12 arrivent dans un gouvernement pour la toute première fois de leur carrière. L'opposition s'en amuse qui estime que M. Abe ≪ écoule les stocks ≫ ou bien ≪ solde avant liquidation ≫, puisque c'est son dernier mandat a priori à la tête du pays. Lui qui aime beaucoup les slogans et les métaphores a qualifié cette fois son gouvernement d'équipe de baseball (le sport préféré des Japonais).
Un ministre de l'Éducation qui met les pieds dans le plat
Comme c'est la tradition à chaque remaniement, tous les ministres ont donné dans la foulée de leur nomination une conférence de presse, ce qui ne joue pas toujours en leur faveur. C'est ainsi que le tout frais ministre de l'Éducation, Masahiko Shibayama, a eu les honneurs particuliers des journaux le lendemain pour avoir déclaré qu'il pensait ≪ tout à fait possible de s'inspirer en partie du Rescrit impérial sur l'éducation (document datant d'avant-guerre utilisé dans la formation des jeunes soldats), en le mettant au goût du jour pour les cours de morale dans les écoles ≫.
≪ Énorme erreur, totalement hors du temps ≫, s'est indigné le patron du Parti socialiste. Il arrive régulièrement que des revues nationalistes ou des politiques du même bord souhaitent réhabiliter ce texte abrogé après la Seconde Guerre mondiale, mais qu'un ministre de l'Éducation ose d'entrée de jeu l'évoquer suscite des interrogations sur les orientations qui seront prises.
Il ne fait pas de doute en revanche que les personnes choisies par M. Abe partagent son ambition absolue : la révision de la Constitution dictée par les occupants américains en 1946 et qui n'a pas été amendée une seule fois depuis son entrée en vigueur l'année suivante.
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バリバラ「にしくんプレゼンツ・世界のマイノリティーツアー」(後編)
身長109センチ・にしくんが世界のマイノリティーを訪ねる旅の第2弾。インドでは、男でも女でもない「第三の性」、キンネルとよばれる人たちを取材。厳しい戒律の下で暮らし、自由がないキンネルたちだが、今、当事者が声を上げ、変わりつつある。ウガンダでは、「ウガンダ1醜い男」として人気のセバビを訪ね、彼が率いる障害者コメディー集団と夢のコラボ!壮絶な過去を笑いに変えて生きる彼らの生きざまに迫る。 サヘル・ローズ, 山本シュウ,大西瞳, 玉木幸則,大橋グレース,岡本真希, 神戸浩
山口智美 @yamtom
大阪市がサンフランシスコ市との姉妹都市をやめた件、イギリスで、ガーディアンとBBCにニュースが出て広がってるなあと思ってたら、アメリカでもNPRにNY Timesで扱われ、英語圏メディア見るだけでもサンフランシスコの像と「慰安婦」問題についての国際的大宣伝になっている。

簡単にできるかと思っていたのですが,意外に苦労しました.でも無事にacrobat使えるようになりました.
先週はS1人だったのですが今日は2人.少しだけ安心しました.
夜になってふれね・DIV・密度平均などまとめていたらかなり遅い時間になってしまいました.お疲れさんです,自分.

校庭の遊具は震災不明者の家族からの贈り物…感謝の思いを劇に 大船渡・越喜来小5年生「事実語り継ぐ」
 大船渡市越喜来小の5年生が20日、校庭に据えられたタイヤ遊具にまつわる劇を上演する。タイヤの元の持ち主は、越喜来地区で東日本大震災の津波にのまれて行方不明の瀬尾佳苗(かなえ)さん=不明当時(20)=。児童たちは「震災の出来事を語り継ぎたい」と準備を進めている。
 東京都出身の佳苗さんは当時、北里大海洋生命科学部の2年生だった。父真治さん(64)と母裕美さん(60)は震災後、佳苗さんの思いを受け継いで三陸キャンパスがあった越喜来地区に通い、住民との交流を続けている。
 津波で全壊して高台に移転新築した越喜来小に2017年2月、タイヤ遊具が設置された。佳苗さんの両親が自宅から持参したタイヤも含め、首都圏の仲間と一緒に作った。
 5年生の担任教諭浦嶋健次さん(35)は「佳苗さんやご家族の思いをずっと忘れてほしくない」と遊具が据え付けられた経緯を授業で取り上げた。
 児童たちは自身の震災体験を振り返るとともに、越喜来地区が大好きだった佳苗さんの人柄や震災当日の様子、両親の気持ちを学習してきた。
 その成果を劇にして、学習発表会で披露する。5年生は「悲しいけれど、勇気が湧くような劇にしたい」と感謝の気持ちを胸に、稽古に取り組んでいる。


<気仙沼・防潮堤ミス>「造り直し」議論先送り 住民団体が対応協議、知事の責任明確化など要求へ
 気仙沼市内湾地区の防潮堤高を宮城県が誤って施工した問題で、県が住民の合意を得ずに防潮堤の工事を再開したことを受け、同市の住民団体「内湾地区復興まちづくり協議会」は4日、今後の対応を協議した。防潮堤の「造り直し」について結論を出すかどうかの議論は先送りし、まずは責任の明確化などを県に求める方針を決めた。
 菅原昭彦会長が、1日に気仙沼市を訪問した村井嘉浩知事が安全性の確保や街づくりの遅れへの懸念などを理由に、住民が求める造り直しに応じない方針を説明したことを報告した。
 協議会メンバーや魚町、南町の地権者からは「住民の意見を聞かずに見切り発車した県の姿勢は許されない」「われわれはもう諦めるしかないのか」「知事の責任はどうなっているのか」などの意見が出された。
 菅原会長は、(1)速やかに原因の経過と責任の所在を明らかにする(2)県と地元が一緒に街づくりを考える組織の設置(3)土地区画整理事業を遅れさせない−の3点を県に求めることを提案、地権者らが了承した。
 防潮堤の「造り直し」についても話し合ったが、「県に対する疑念が払拭(ふっしょく)されない中では議論できない」として結論は出さず、三つの提案に対する県の対応を見た上で改めて協議する方針を確認した。
 菅原会長は「現段階では、住民の県に対する不信感と疑念は残ったままだ。県との溝が埋まらない限りは、造り直しを求めるかどうかを議論する状況にはならない」と話した。


<ラグビーW杯>被災地つなぐスクラム 19年日本大会盛り上げへ、NZと釜石の高校生交流
 2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会に向けて機運を盛り上げようと、ニュージーランド・クライストチャーチにあるラグビー強豪校の高校生一行が岩手県を訪れた。9月27日から今月4日まで滞在。東日本大震災の被災地も巡り、地元高校生らと交流を深めた。
 県の招待で来日したクライスト・カレッジ高ラグビー部の部員20人は、釜石市の釜石高を訪問。日本人留学生28人を含む計185人が犠牲になった2011年2月のニュージーランド地震と、その約2週間後に起きた震災について、互いに復興状況を報告した。
 W杯の試合会場の一つ「釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム」のピッチも踏み、17歳以下の県選抜チームと親善試合に臨んだ。4日には県庁を表敬訪問し、士気を高めるため試合前に踊る「ハカ」を披露した。
 マット・デュラントさん(16)は「釜石は津波で悲惨な被害を受けたまちだということを改めて実感した。素晴らしいホスピタリティを持った住民がいる場所なので、ぜひW杯が成功してほしい」と話した。


避難所の環境改善 「我慢が常識」ではない
 体育館などの床にブルーシートや毛布を敷き、仕切りもない狭いスペースに疲れた体を横たえる被災者。東日本大震災被災地でしばしば目にした光景が、その後の災害被災地でも繰り返されている。
 「トイレが少ない」「泣きとうなるくらい、わや(めちゃくちゃ)」
 7月の西日本豪雨で大きな被害を受け、先週末も台風24号で被災した岡山県。避難所や被災家屋で生活する住民の様子を、講演会などで聞くにつけ、東日本の教訓が生かされていないと痛感する。
 段ボールベッドや仕切りカーテンが避難所に導入され、プライバシーが確保されるようになったなど、少しは改善が図られてきた。だが、トイレの問題に加え、エアコンやシャワーがないなど根本的な課題は多い。
 そのような状況で、励まし合い助け合う被災者や、トイレなどの衛生対策に奮闘する官民の支援者の姿は称賛に値する。だが、災害大国日本の初期対応で、いわば「我慢が常識」とされ続けている現状は、変えなければならない。
 「日本の避難所はソマリアの難民キャンプ以下」。熊本地震被災地の益城町に「テント村」を開設したアルピニスト野口健さんの著書「震災が起きた後で死なないために」には、厳しい指摘が並ぶ。
 国際赤十字などが難民や被災者対応の最低基準を示した「スフィア基準」によると、1人当たりのスペースは3・5平方メートル。トイレは20人に一つで、男女比は1対3とされている。
 一方、内閣府の避難所運営ガイドラインでは、トイレは約50人に一つ。日本はそもそも国際基準以下だ。その上、質も問題。仮設トイレは和式が多く、足腰の悪い高齢者や障害者は使いづらい。
 避難所は、避難してくる住民はむろん、被災家屋で生活する住民らへの対応拠点でもある。だが、そちらまでは到底手が回らない。
 我慢は、危険でもある。災害関連死と密接に関連するからだ。狭いスペースや車中で同じ姿勢を続けたり、トイレに並ぶのが嫌で水分を控えることが、エコノミークラス症候群のリスクを高める。
 公共施設への多機能トイレやシャワーの設置、北海道地震被災地で活躍したトイレ搭載車の普及、テントの活用など、各自治体は取り組みを進めてほしい。
 国レベルで東日本の教訓が継承されていないのは、復興庁が縦割りの是正に機能し切れていない実態がある。2020年度末で廃止される同庁の後継組織については、初期の避難環境から中長期の復興まで、どう東日本の経験を生かして備えを進めるかという観点からの議論が不可欠だ。


柴山氏の教育勅語発言 早くも時代錯誤の登場だ
 安倍晋三政権の本音が表れていると見るべきだろう。
 先の内閣改造で初入閣した柴山昌彦文部科学相が戦前の教育勅語について「アレンジした形で今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」と語った。
 時代錯誤の考え方だと言うほかない。しかも教育行政をつかさどる文科相の発言である。今後の道徳教育への活用を否定しなかった点は重大で、看過するわけにはいかない。
 これまで自民党総裁(安倍氏)特別補佐だった柴山氏は今年8月、自身のツイッターで「戦後教育や憲法のあり方がバランスを欠いていたと感じている」などと記している。
 そこで就任直後の記者会見で教育勅語に対する認識を問われ、「同胞を大切にする」といった基本的な内容を現代的にアレンジして教えていこうという動きがあると紹介し、「検討に値する」と語った。
 教育勅語は「森友学園」が経営していた幼稚園で園児に唱和させていたことが注目され、国会で改めて大きな議論となった。政府は昨年3月、憲法や教育基本法に反しない形での教材使用は否定しないとの答弁書を閣議決定。柴山氏の発言はこうした流れを受けたものではあろう。
 ただし教育勅語は戦前の国家主義を支え、軍国主義を推し進める役割を果たした。その内容の核心は、国の非常時には天皇のために命を懸けよ、と説いている点にある。
 教育勅語を再評価する人たちは、親孝行などの教えは普遍的だと言うが、一部分に目をつけて全体を肯定しようとするのは逆立ちした考え方だ。親孝行を説くのにわざわざ教育勅語を持ち出す必要がないにもかかわらず、これにこだわるのは、やはり安倍政権が戦前回帰志向を捨て去れないからではないか。
 「憲法などに反しない形」とは何を指すのかもあいまいだ。柴山氏は今後も「使える部分」として「国際的な協調を重んじる」点も挙げたが、教育勅語は今日的な意味での国際協調を求めたものではない。
 道徳は小学校では今春から、中学校でも来春から「特別の教科」と位置づけられ、児童・生徒の評価対象になっている。戦前の価値観を押しつけるような学校教育が進まないか。不安材料が早くも出てきた。


柴山文科相発言 教育勅語の活用は論外
 第4次安倍改造内閣の柴山昌彦文部科学相が、就任会見で教育勅語の活用について問われ、是認する意向を示した。
 「現代風にアレンジをした形で、道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている」という。
 教育勅語は戦前から戦中、思想面で国家総動員体制を支えた道徳規範だ。「君主」の天皇が「臣民」の国民を諭す形をとっている。
 どうアレンジしようと、内容、形式ともに、国民主権の現行憲法とは相いれない。
 教育勅語の道徳教育への活用など論外だ。教育行政の最高責任者として不見識も甚だしい。
 教育勅語について、政府は昨年3月、「憲法や教育基本法などに反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」とする答弁書を閣議決定した。
 当時の松野博一文科相は「(授業への活用は)適切な配慮の下であれば問題ない」とし、稲田朋美元防衛相は「親孝行や友達を大切にするといった核の部分は今も大切だ」と述べていた。
 もはや政権の体質とみなされても仕方あるまい。
 柴山氏の発言も、こうした流れに沿ったものだろう。確かに、教育勅語には「兄弟姉妹仲よく」といった一般的な徳目も並ぶ。
 しかし、中核部分は、これらの実行を通じ「一身を捧(ささ)げて皇室国家の為(ため)に尽くせ」という絶対的忠誠を国民に求めた点にある。
 だからこそ、戦後、衆参両院は排除、失効確認の決議を行い、軍人勅諭とともに教育勅語の全体を明確に否定したのだ。
 一部の徳目をつまみ食いするのはごまかしでしかなく、それらを教えるために教育勅語を持ち出す必要は全くない。
 多くの教育関連学会が昨年、教材利用で勅語を普遍的価値を含むものとして肯定的に扱う余地は全くない、と表明したのも当然だ。
 道徳が正式な教科となり、本年度から、まず小学校で検定教科書を使った授業が始まっている。
 「国を愛する態度」などが盛り込まれ、戦前回帰を懸念する声も根強い。
 勅語が戦時体制に利用された経緯を史実として学ぶ意義はあるが、道徳教材に活用することは危険と言わざるを得ない。
 文科省は、事務方トップの事務次官が2代続けて不祥事で辞任し、幹部職員が逮捕、起訴される異常な状況にある。
 柴山氏がまず取り組むべきは、組織立て直しと信頼回復だ。


柴山文科相 教育行政トップに適任か
 幹部職員の不祥事が相次いだ組織の信頼回復が急務だというのに、教育の根幹に関わる発言で就任早々物議を醸す。
 教育行政トップとしての資質ばかりでなく、安倍晋三首相が強調した「適材適所」にも大きな疑問符が付く。
 教育勅語を巡り、柴山昌彦文部科学相が2日の就任記者会見で発言した内容が波紋を呼び、野党の反発を招いている。
 柴山氏が「現代風にアレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」と、一部を評価する考えを示したからだ。
 さらに、同胞を大切にするなどの基本的な内容をアレンジして教えていこうとする動きがあるとして、「検討に値する」とも述べた。
 教育行政を束ねる文科相が教育勅語と現在の道徳教育を関連付け、自らの認識を表明したことは適切とは思えない。
 万一危急の場合には一身をささげて皇室国家のために尽くせと教育勅語は説く。こうした内容が戦前戦中の軍国主義教育と結び付き、戦争遂行を支えた。戦後になり、衆参両院で排除・失効が決議されている。
 柴山氏は、教育勅語に宿る危うさの本質に、もっと目を向けるべきだ。
 菅義偉官房長官は柴山発言について「教育は教育基本法の趣旨を踏まえ、学習指導要領に従って現場の判断で行うべきであり、そういう発言だったのではないか」と語り、真意を確認する必要はないとした。
 菅氏は放置するつもりのようだが、それでは無責任だ。きちんと指導してもらいたい。
 政府は昨年、教育勅語の学校教材への使用を容認する答弁書を閣議決定した。これに対し野党は「安倍政権の戦前回帰」と厳しく批判した。
 教育現場からも国のお墨付きが与える影響を懸念する声が出ていた。新大臣の発言がこのまま独り歩きすれば、誤解や混乱を生む恐れがある。
 そもそも、文科相として初入閣した柴山氏の最大の責務は組織の立て直しである。
 文科省は接待汚職など不祥事が途切れず、2代続けて事務次官が引責辞任した。新たに大臣に就任した柴山氏は信頼回復に向け、「先頭に立ってやっていく」と誓った。
 組織再生という困難な仕事を本気で成し遂げようと思えば、無用の混乱を避け、細心の注意を払って省内に目配りしていくことが不可欠のはずだ。
 野党の批判を招くような発言自体、信頼回復に取り組むとした宣言とは相いれない。約束は果たして守られるのか。不安が募るばかりである。
 今回の内閣改造では初入閣が12人にも上った。閣僚のスキャンダルや失言を心配する見方が自民党内にもある。
 今月下旬には臨時国会が開会し、新閣僚も答弁に立つ。首相が自賛したように「適材適所」で「実務型」の人材がそろった内閣なのかどうか。しっかりと見極めなければならない。


【教育勅語発言】畏れと見識を欠いている
 驚くべき不見識である。文部科学相としてはもちろん、国会議員としての資質も問われる。
 第4次安倍改造内閣で初入閣した柴山文科相が就任会見で、戦前の教育の基本理念を示した教育勅語について「現代風にアレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」とし、一部を評価した。
 戦前教育の容認につながりかねない。看過できない発言だ。
 明治天皇の名で発布された教育勅語は、国民に皇国に身をささげるよう求め、軍国主義や戦争に結び付く精神的な仕組みを作り上げたといえる理念である。
 柴山氏は、使える部分として同胞を大切にするなどの徳目を挙げたようだ。しかし、教育勅語は天皇家の繁栄のために国民があるというつくりである。専門家は「一部をつまみ食いできる文章ではない」と疑問視している。
 戦争の惨禍を教訓に日本国憲法は施行された。個人の権利や自由を守るため、国家権力を縛る立憲主義に基づいている。その精神に準じて、民主主義的な教育理念をうたう教育基本法も施行された。
 翌年の1948年、衆参両院は、教育勅語に類する軍人への勅諭なども含めて排除・失効を決議。勅語とは明確に決別している。
 衆院の決議文は、根本理念が主権在君、神話的国体観に基づいており〈明らかに基本的人権を損ない、かつ国際信義に対して疑点を残すもととなる〉と記している。
 憲法に反する教育勅語と決別しなければ、戦後の国づくりと教育はスタートできなかったといえる。
 安倍政権は、国が個人より優先するかのような政策を推進し、憲法と立憲主義に挑戦し続けてきた。
 特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認と安全保障関連法、「共謀罪」法の制定がそれに当たろう。
 教育行政も同じである。
 第1次政権では、教育基本法に「国と郷土を愛する」と書き込んだ。昨年3月には憲法や教育基本法に反しない形で、としながらも、教育勅語の教材使用は否定しないという政府答弁書を決定している。
 教育勅語に関しては昨年、「森友学園」を巡る国会審議で、当時の稲田防衛相も「核の部分は取り戻すべきだ」と述べている。
 閣僚が代わっても同じ問題が繰り返されている。国会が真摯(しんし)な議論を経て残してきた意思決定に対する見識と、畏れの欠如がこの政権には通底している。これも1強政治のおごりではないか。
 菅官房長官は、柴山氏の発言に関し「真意や意図は承知しておらず、コメントを控えたい」とした。柴山氏に確認する考えもないという。野党側は言語道断だとして猛反発、臨時国会で追及する構えを見せている。当然の反応だろう。
 うやむやにしていい問題ではない。国の教育をつかさどる文科相の発言ならば、なおさらである。


教育勅語 自民根強い容認論 過去に柴山氏以外の閣僚も言及
 柴山昌彦文部科学相が、戦前の教育勅語を活用した教育を「検討に値する」とした発言が波紋を広げている。安倍内閣では過去にも安倍晋三首相に近い閣僚から同様の発言が相次いだ。教育勅語の道徳観を肯定する保守層の意見を反映しているとみられる。 (木谷孝洋)
 柴山氏は四日、自身が所属する細田派の会合で、教育勅語をめぐる発言について「ご心配を掛けました」とあいさつ。直後に下村博文事務総長が出席メンバーに対し、「ご心配なく」と述べ、問題は沈静化するとの見通しを示した。自民党の閣僚経験者も四日、「なぜ批判を受けるのか。勅語に書かれた徳目まで全否定されたわけではない」と擁護する考えを示した。
 教育勅語を巡っては、二〇一七年三月の国会審議で当時の稲田朋美防衛相が、親孝行などの「核の部分」を取り戻すべきだと発言。直後に政府は、憲法や教育基本法に反しない形での教材活用は否定しないとの答弁書を閣議決定した。翌四月には菅義偉(すがよしひで)官房長官も記者会見で、道徳教材への使用を「否定しない」考えを示した。
 当時は、大阪市の学校法人「森友学園」が系列幼稚園で、園児に勅語を暗唱させたことが問題視されていた。
 教育勅語は一八九〇年に発布され、戦前の学校教育で生徒は暗唱することが求められた。内容は明治憲法で主権者だった天皇が親孝行などの十二の徳目を説く一方、危急の事態では「公に奉じ」皇室を助けるべきだとした。戦前の軍国主義教育につながったとされ、衆参両院は一九四八年、排除や失効を決議した。


「新潮45」休刊 議論深める取り組みを
 性的少数者(LGBT)を巡る表現が差別的として、強い批判を受けていた月刊誌「新潮45」の休刊が決まった。事実上の廃刊とされる。発行元の新潮社は「常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現を掲載した」として謝罪した。しかし、「偏見と認識不足」が、具体的にどの文章のどの部分を指すのかは説明されていない。休刊に追い込まれるような表現が、なぜ掲載に至ったのかも分からない。
 120年以上の歴史を持つ新潮社は日本を代表する出版社だ。それだけに、事態の収束を図るかのように見える休刊は残念でならない。
 どんな検討を経て企画が立てられ、編集過程では表現について点検や修正がなされたのか、なされなかったのか。新潮社には、休刊で落着とせず、詳細な経緯を検証し公表するとともに、差別、偏見に関する状況や多様な意見を紹介し、議論を深めるよう取り組んでもらいたい。
 問題の発端は「新潮45」8月号に掲載された自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の寄稿だった。杉田氏はLGBTのカップルについて「子供を作らない、つまり『生産性』がない」と記述し、「差別をあおる」などと非難された。
 10月号では杉田氏擁護の特集を組んだが、LGBTの問題に痴漢を引き合いに出し「触る権利を社会は保障すべきでないのか」とした文芸評論家の寄稿などを掲載し、再び批判を浴びた。
 作家や新潮社内からの批判や異論も相次ぎ、10月号発売からわずか1週間後に「新潮45」の休刊が発表された。
 新潮社は「部数低迷に直面し、編集上の無理が生じ、企画の吟味や原稿チェックがおろそかになっていた」とする。確かに手軽に情報を得られるスマートフォンの普及などから、雑誌をはじめ紙の出版物の売れ行きは落ちている。「新潮45」も近年は発行部数が大きく減っていた。
 だが、言葉や文章で読者に訴え、共感を求める媒体である以上、経営の苦しさが編集の質を低下させてはならないはずだ。
 インターネット上の匿名のヘイト的言説と異なり、編集者の目を通り出版された本に、「常識外れの偏見」が掲載されるというのも理解し難い。
 部数回復を狙い、話題になるような過激路線を選んだのではとの見方もある。出版界全体に通じる課題が露呈したとも言えるのではないか。
 新潮社は「信頼に値する出版活動をしていく」と約束する。そのためにはまず、多くの読者やLGBT当事者らに誠実に向き合うことが必要だ。


公害病認定50年 水俣事件、なお未解決
 水俣病が公害病と認定されて五十年。国は自らの責任を棚上げにして、幕引きを急いでいる。福島原発事故の補償問題の行く末が、オーバーラップするかのようだ。水俣事件、いまもなお未解決。
 一九五六年五月一日、熊本県水俣保健所が「原因不明の脳症状」として、水俣病の存在を公式に確認した。公式確認。不思議な言葉。それ以前から、そんな病気があったらしいということだ。 
 五九年には、熊本大の研究班が、原因は有機水銀であると世間に知らしめた。ところが国が公害病と認定し、チッソ水俣工場の排水に含まれる有機水銀化合物が原因だと発表したのは六八年になってから。チッソは認定の四カ月前に、有機水銀の排出源になるアセトアルデヒドの生産をやめていた。
 政府の対応が後手に回った十二年間。「せめてあの時…」と振り返る患者は少なくない。政府の不作為が事態をより深刻にした。ゆえに、水俣病問題は「事件」であり、水俣事件は今もなお、未解決のままなのだ。
 発足したばかりの環境庁(現環境省)は当初、「可能性を否定できない限り公害病として認定する」という立場に立った。ところが七七年になって、「複数の症状を満たす必要がある」と認定基準を厳格化、「患者」とは認定せずに、一時金でお茶を濁そうとする「政治決着」へと向かう。最高裁が「症状は一つでいい」と断じても、耳を貸そうとはしない。
 つまり「水俣病」の実像は未確定なのだ。
 これまでの認定患者約三千人に対し、潜在患者は「十万人単位」とも言われている。それなのに、不知火海一帯の広域健康調査の実施は拒み続けている。国の姿勢には、“病”の実態を明らかにせず、「患者」を絞り、補償の支出を抑えようとする思惑が、明らかではないのだろうか。
 このようなシナリオが、例えば福島にも及んでいないか。水俣の半世紀を振り返るべき理由は、そこにもある。
 東電に国費をつぎ込み、とりあえず原因企業の“救済”を図る仕組みは「チッソ方式」と呼ばれている。一方、原発事故でふるさとを追われた人たちへの賠償打ち切りが始まるなど、被害者救済には積極的とは思えない。原発推進は「国策」であるはずなのに。
 「可能性が否定できない限り、救済する」−。国は原点に戻るべきなのだ。水俣でも、福島でも。


ノーベル賞受賞 基礎研究への支援充実を
 かつて日本人には縁遠かったノーベル賞の受賞が、21世紀に入り「恒例」と呼べるほど相次ぐようになった。
 今年は、がんの免疫治療薬開発に貢献した本庶(ほんじょ)佑(たすく)京都大特別教授に、医学生理学賞が贈られることが決まった。日本人の医学生理学賞受賞は、2016年の大隅良典氏=福岡市出身=に続く快挙である。
 「人の役に立ちたい」という志に貫かれた、長年にわたる地道な研究活動に心から拍手を送り、受賞を祝福したい。
 本庶氏は、異物を攻撃する免疫反応にブレーキをかけるタンパク質「PD1」の存在を突き止めた。このPD1の働きを抑えるがん治療薬として開発されたのが、画期的な免疫治療薬「オプジーボ」である。
 がん治療に新たな扉を開き、患者に福音をもたらす歴史的な研究成果といえる。
 免疫治療は、手術、放射線療法、抗がん剤などの化学療法に続く「第4の治療法」として期待されるが、現状では効果のある患者が限られ、薬価が高額といった課題がある。治療の可能性をさらに広げ、多くの人が恩恵を受けられるよう、国内の研究と開発を加速したい。
 昭和の時代にノーベル賞に輝いた日本人は7人だが、平成はこれで19人となった。うち18人は自然科学の分野だ。しかし、元号が改まる来年以降も受賞ラッシュが続くかどうか、疑問を呈す研究者が多い。
 重要論文数の国際比較で、日本は10年ほどの間に大きく順位を下げた。博士課程に進む学生も減少傾向にある。
 背景の一つに、大学の人件費や自由な研究に充てる国の運営費交付金の削減がある。
 人件費抑制のあおりも受け、非正規ポストで働く若手研究者が増えた。安定して研究に取り組む環境が失われつつある。雑務が増え、研究時間も減っているとの指摘もある。
 国は、軍事分野も含め、イノベーションにつながる研究を選択して補助する、競争的資金制度を拡充している。成果がすぐに実用化に直結するとは限らない基礎研究の分野は裾野が狭まり、先細りが懸念されている。
 本庶氏は日本の基礎研究の未来に対する不安を語り、賞金を後進のための基金として活用する意向を表明した。大隅氏も同様の懸念から基金を創設している。だが、こうした若手研究者の育成は本来、国が責任を持って力を入れるべきだろう。
 イノベーションは、目先の成果に追われない自由な基礎研究から生まれる。「科学は未来への投資」という本庶氏の言葉を政府はもとより、国民全体で重く受け止める必要がある。


就活ルール見直し 学生第一の方向性を導け
 「学生ファースト」の最も適切な方法を、幅広い視点から導き出すべきだ。
 経団連が定めた大卒採用に関する指針を廃止し、政府が主導する大学側や経済界との会議で新たなルールづくりを検討することになった。
 中西宏明経団連会長が先月、会社説明会や面接などの選考活動の日程を定めている経団連の指針を、2021年春に卒業する学生の採用活動から廃止すべきだとの考えを示したのが事の発端だ。現行の就活ルールでは、会社説明会を3月、採用面接などの選考を6月に解禁し、内定は10月からと定めている。
 ただ、近年は学生側の売り手市場ということもあり、大学3年生の夏のインターンシップ(就業体験)で優秀な学生を囲い込み、面接解禁時に内定を出す企業が相次いでいる。経団連に加盟していない外資系企業などはルールに縛られず早くから採用活動を展開しているし、指針には罰則がないため解禁破りが後を絶たない。ルールの形骸化が指摘されていた。
 だからといって、いきなり廃止の方向にかじを切るのは乱暴な話である。廃止となれば企業の「青田買い」が激化し、就職活動が際限なく早まる恐れがある。人事担当の体制が充実している大企業が有利となり、中小企業が割を食うことは目に見えている。
 特に福井県内は中小や小規模企業が多く人手不足は深刻な問題だ。県内企業からは「ただでさえ採用は学生の売り手市場で厳しく、大手企業に傾いている。就活ルールが廃止されると、新卒採用をあきらめなければならない事態に陥る」と懸念の声が上がっていた。
 一方で、時期を問わず人材を確保する通年採用など、多様な採用活動が企業で広がり始めているのも事実。形骸化したルールを実態に合った形に見直すことが肝要だ。その意味で中西会長の発言は、本音の議論を行うきっかけになったとはいえる。
 21年春に卒業する今の大学2年生については、現行の日程が維持される見通し。それ以降の新ルールを政府が新設する会議で協議するという。外資系企業などを含め、ルールの実効性をどのように確保するかが課題となろう。経済界側には、民間企業の採用活動に政府が強く関与することを警戒する見方もあり、協議は紆余(うよ)曲折が予想される。
 就活日程は、このところ数年ごとに変更が繰り返され、そのたびに学生や企業は混乱し迷惑を被ってきた。ルール見直しとなれば、学生や企業にはある程度の準備期間が必要になる。会議でどこまで踏み込んだ内容が議論されるかは不透明だが、方向性を早期に示すべきだ。


五輪ボランティア 参加しやすい環境整えよ
 2020年東京五輪・パラリンピックの運営を支える「大会ボランティア」の募集が始まった。
 大会組織委員会は8万人の目標を掲げ、東京都が募る「都市ボランティア」と合わせて、総勢11万人に上る。
 ボランティアは、大会の成否の鍵を握る重要な役割を担う。世界最大のスポーツの祭典に直接関われる機会であり、さまざまな国の人たちと触れ合う貴重な経験になるに違いない。
 徳島県内でも、参加したいと考えている人は少なくないのではないか。
 一方で、募集を巡っては「ブラックボランティア」「やりがい搾取」といった指摘が出ている。宿泊費を自分で負担しなければならないなど、条件が厳しいためだ。
 組織委は批判に耳を傾け、幅広い年齢、職業、立場の人たちが快く参加できるよう、環境整備や条件の緩和に取り組んでもらいたい。
 大会ボランティアは案内、競技、式典、移動サポートなど9分野に大別され、12月上旬まで応募を受け付ける。
 20年4月1日時点で18歳以上であることなどが応募の条件で、19年2月から説明会や面談を行い、10月からは研修などが始まる。
 厳しいとされる条件の一つが、1日8時間程度で10日以上を基本とする活動期間である。休憩や待機時間が含まれ、10日を下回る場合もあると組織委は説明するが、体力に不安がある人や長期休暇を取りにくい人にとっては、二の足を踏む要因となる。
 加えて、五輪が7月24日から8月9日まで、パラリンピックは8月25日から9月6日までと、猛暑が予想される中での活動である。
 暑さ対策に万全を期すのはもちろん、短時間・短期間での活動も可能にするといった柔軟さが求められる。
 学生らが主力と見込まれているが、宿泊先の自己手配や東京までの交通費、宿泊費の負担も高いハードルになっている。
 12年のロンドン大会や16年のリオデジャネイロ大会でも宿泊は自己手配だった。しかし、都内での宿泊は現状でも需給がひっ迫しており、大会期間中はさらに難しくなるのは必至だ。
 手軽に利用できる施設の確保や民泊の活用など、組織委は手だてを尽くさなければならない。
 組織委は先月になって、活動場所への交通費として1日当たり千円分のプリペイドカードの支給を決めたが、これに対しても額を巡って議論が起きた。
 根強い批判の背景には、大会予算が1兆3500億円の巨額に上る一方で、史上最多となる11万人もの規模が示されたことがある。
 ボランティアの経験は、お金に代えられない価値があるとはいえ、なぜこれほどの人員になるのか。組織委はしっかりと情報を発信し、明確に説明する必要がある。


貴乃花親方退職 協会の危機感が問われる
 大相撲の貴乃花親方が、日本相撲協会を退職した。優勝22回という圧倒的な強さと高い人気で一時代を築いた「平成の大横綱」が、協会との対立が解けないまま角界を去る異例の事態となったことは寂しく、残念な限りだ。
 協会は今月1日の臨時理事会で退職届を受理した。所属力士らの千賀ノ浦部屋への移籍も承認し、貴乃花部屋は消滅した。
 対立の発端は、昨秋の巡業中に起きた弟子の幕内貴ノ岩関に対する元横綱日馬富士の傷害事件だった。当時巡業部長だった貴乃花親方は、報告義務を怠ったなどとして今年1月に協会から理事を解任された。これに対して親方は3月、協会の対応に問題があったとする告発状を内閣府に提出。その後、弟子の暴行問題で取り下げたものの、双方の亀裂は深まり、電撃的な退職へとつながった。
 退職を決断した理由として親方が挙げたのは、協会役員から告発状の内容を事実無根と認めるよう求められ、拒めば親方を辞めなければならないと言われたことだ。貴乃花親方は「真実を曲げて事実無根と認めることはできない」と心境を語った。これに対して協会側は親方への圧力を全面的に否定しており、真相は明らかでない。
 一連の問題は角界にとって最悪の結末へと進んでしまった。双方が歩み寄り、解決に努めることはできなかったのだろうか。
 貴乃花親方の妥協を許さない生き方や、相撲協会を改革したいとの思いはよく知られている。だが一方で、協調性を欠いてかたくなになり孤立することも多かった。問題点を丁寧に訴えて理解を広げる柔軟さも必要だったのではないだろうか。協会側にも、感情的な対応で親方を一層殻に閉じ込めてしまった印象を受ける。
 9月の秋場所は横綱白鵬関の全勝優勝や、8場所連続休場した横綱稀勢の里関の奮起などもあって盛り上がった。これを弾みに相撲人気を一層高めていく重要な時期に、ファンを置き去りにして繰り広げられた泥仕合が水を差した形だ。
 心配されるのが、貴乃花部屋に所属した力士たちへの影響である。新たな部屋に早くなじんで土俵を大いに沸かしてほしい。
 角界では、なかなか改まらない暴力問題だけでなく、不祥事や騒ぎが続発している。4月の春巡業では、土俵上で救命措置を施した女性に土俵から下りるよう促すアナウンスがあり、女性と土俵をめぐる議論が再燃した。
 日本相撲協会には自浄能力を高めるとともに、透明性ある組織への転換が急がれる。対応にごたついて信頼を損なう事態が重なれば、相撲ファンからも見放されかねない。公益財団法人にふさわしい協会へ、八角理事長をはじめとする幹部たちの危機感が問われている。


サザン桑田が“政治風刺辞めない”宣言!「きつい風刺をさらりとできるくらい、常に自由でなくちゃ」紅白での炎上にもめげず
 デビュー40周年を迎え、この夏は野外フェス(ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018)に出演したり、ベストアルバム『海のOh, Yeah!!』をリリースしたりと精力的に活動しているサザンオールスターズ。
 そんななか、桑田佳祐が「文藝春秋」2018年10月号のロングインタビューに出演。これからの曲づくりに関してこんなことを述べていた。
「六十歳を過ぎたシンガーソングライターとしては、世の中のタブーめいたことを、むしろ積極的に扱っていきたいとも思います。生きていると、「なんでこうなってしまうのか」「これを動かしているのは誰だ?」などと思うことってあるじゃないですか」
 たしかに、桑田はこれまでも、コカ・コーラのキャンペーンソング「ROCK AND ROLL HERO」で対米従属を強烈に皮肉ったり、「爆笑アイランド」では小渕恵三元首相の演説をラップに盛り込んだり、鳩山由紀夫元首相の“八方美人”ぶりを皮肉ったと思われる「いいひと〜Do you wanna be loved?〜」、沖縄戦や米軍基地問題を歌ったと思われる「平和の琉歌」など、政治や社会問題を批判・風刺する曲をいくつも発表してきた。
 さらに桑田は「文藝春秋」のなかで、こんなことも語っている。
 田宮二郎と若尾文子が出演した1962年公開の映画『その夜は忘れない』のなかに、「広島もこれから立ち直ろうとしているときに、戦争だ原爆だって悲惨な話はやめてくれ」といったセリフがあることを例に出しながら、「決して何かが解決したわけじゃないのに、なんとなくタブーみたいにして、そっと触らず済ませてしまおうということって多いように思います。それで、ちゃんと見つめてこなかったツケが、東日本大震災のときにまた噴き出してきた気もする」と語っているのだ。
 向き合うべき深刻な問題を議論の俎上に載せることを避け、その場しのぎで見て見ぬ振りをしてやり過ごす日本社会の風潮は確かに問題で、桑田がここで述べていることは重要な指摘だ。
 しかし、「音楽に政治をもち込むな」などという言葉が飛び交ってしまうような体たらくのこの日本では、芸能人が政治や社会について意見を主張して、そういった問題を炙り出そうとするようなアクションをとることは、好ましいこととされていない。桑田自身も「文藝春秋」のなかでその認識を語っている。
「政治のゴタゴタなんかも含めて、そういうことを言い募ったりすると、ましてや表現の中に織り込んだりすれば、「なんかちょっと変わってるね」「そういうの、あんまり面白くないからさ」と言われがちですが、そうやって未解決のものを積み上げてきてしまったことが、日本の最も弱い部分になってしまっているのでは?」
 実際、サザンオールスターズは社会風刺を盛り込んだ楽曲とパフォーマンスによって炎上攻撃を受けたことがある。2013年リリースのシングル「ピースとハイライト」、および、2014年のNHK紅白歌合戦におけるパフォーマンスをめぐる論争だ。
「ピースとハイライト」は、〈教科書は現代史を/やる前に時間切れ/そこが一番知りたいのに/何でそうなっちゃうの?〉〈歴史を照らし合わせて/助け合えたらいいじゃない/硬い拳を振り上げても/心開かない〉〈都合のいい大義名分(かいしゃく)で/争いを仕掛けて/裸の王様が牛耳る世は…狂気(Insane)/20世紀で懲りたはずでしょう?/燻る火種が燃え上がるだけ〉と歌い、安倍政権における右傾化や歴史修正主義者の跋扈を風刺すると同時に、近隣諸国との平和を願った楽曲だ。
紅白での安倍批判“チョビ髭”パフォーマンスにネトウヨが「反日」攻撃
 こういった風刺はライブパフォーマンスにも見られた。2013年に行われたコンサートツアーでは、「ピースとハイライト」演奏時、モニターに、世界各国のデモの様子を映した写真を流したり、安倍首相・朴槿恵大統領(当時)、習近平国家主席、オバマ大統領(当時)が肩を組んで歌っているアニメを流しており、ファンの間では話題となっていた。
 そしてこれが本格的に炎上したのは、2014年のNHK紅白歌合戦で「ピースとハイライト」を歌ったときのこと。
 横浜アリーナで行われている年越しライブの会場からの中継で登場したサザンだったが、その際、桑田はチョビ髭をつけて登場。その年に閣議決定された集団的自衛権の行使容認を批判していると受け取れる歌詞もあいまって、ネトウヨの怒りに火をつけたのだ。
 この後、桑田は公式ホームページや自身のラジオ番組などを通して、複数回にわたって謝罪するという事態に追い込まれた。
「ピースとハイライト」をめぐる一連の出来事のなかでサザンが表現してきたことはなにも間違っていないし、謝罪などまったく必要なかった。逆に、ここで謝罪をしてしまったことは「音楽に政治をもち込むな」という風潮を強化し、また、ほかのミュージシャンの萎縮を招いてしまうことでもあり、完全な悪手であったと思うが、しかし、これによって社会風刺を封印しようという考えにいたることがなかったのは高く評価できることでもある。桑田は前掲「文藝春秋」のなかでこのようにも語っている。
「歌を通してうまく風刺できたらいい。大衆とともにあるポップスというものは、本来それくらい突っ込んだ表現をしなければつまらないものだし、きつい風刺をさらりとできるくらい、常に自由でなくちゃいけません」
 サザンはこれからの音楽を通して是非とも社会風刺、問題提起をしていってもらいたい。サザンのようなベテランの大物バンドがそのような動きをすることは、中堅・若手のミュージシャンにも少なくない影響を与えるし、そうなることで、政治や社会に関する発言を行ったり、そういう曲を歌うことが「なんかちょっと変わってるね」「そういうの、あんまり面白くないからさ」と言われてしまう風潮は確実に変化していくだろう。


福田康夫元首相、南京事件「数の問題ではない」 群馬で講演
 福田康夫元首相は5日、日中国交正常化45周年と日中平和友好条約締結40周年を記念し、群馬県渋川市内で講演。中国やアジア諸国との関係などについて「世界中とお付き合いしていくことがこれからの日本の生きる道だ」と訴えた。
 特に日中関係については「良い関係でなくてはいけない」とし、南京事件にも言及。見解が分かれる犠牲者数について議論する問題ではないとし、「(事件が)あったことは事実。中国の全土にどれだけ被害を与えたか、日本人は考えなくてはいけない」と述べた。
 また、安倍晋三首相が意欲を見せる憲法改正については「早計に結論を出すものではない。慎重にやってほしい」と語った。


大阪市の姉妹都市解消にサンフランシスコ市が反応「1人の市長が人々の間に存在してきた関係を一方的に終わらせることはできない」
大阪市は、慰安婦像の設置などを理由に、60年続いてきた関係を解消すると決めた。
錦光山 雅子 Masako Kinkozan
アメリカ・サンフランシスコ市に設置された慰安婦像を巡り、大阪市が10月2日、サンフランシスコ市長宛てに姉妹都市提携解消の公開書簡を送付したと発表した。
だが、サンフランシスコ市は4日、「一人の市長が、両市の人々、特に60年以上存在していた人々の間に存在してきた関係を一方的に終わらせることはできない」などとする市長の声明を発表した。
両市は1957年から姉妹都市の関係を続けてきたが、2017年9月にサンフランシスコ市内に設置された慰安婦像の碑文に刻まれた文言「性奴隷にされた何十万人の女性」を巡り、吉村洋文・大阪市長が「日本政府の見解と違う」と抗議。さらに慰安婦像が同市に寄贈されることが決まると、市有化を撤回しない限り姉妹都市関係を解消するとの考えを同市に伝えていた。
サンフランシスコ市に姉妹都市解消を告げた手紙ではこう経緯を説明している
「慰安婦像と碑をサンフランシスコ市の公共物でなくし、両市民が友好的に交流できる環境を整えていただくことを期待し、7月に書簡を送付させていただいたところですが、私や大阪市民の希望は非常に残念ながら、貴殿には届かなかったようです」
その上で姉妹都市解消の理由を次のように述べている。
「この間の事実経緯、貴市の決定により、長年にわたって相築き上げてきた友好関係の礎である両市の信頼関係は根本から崩れたと言わざるを得ず、これ以上、姉妹都市関係を継続することはできないと判断するに至りました」
一方、ブリード市長が4日に公表した声明は次の通り。
一人の市長が、両市の人々、特に60年以上存在していた人々の間に存在してきた関係を一方的に終わらせることはできません。
私たちの目には、サンフランシスコと大阪の姉妹都市の関係は、今日も人々を結びつけている絆を通じて続いているように見えます。
そして、サンフランシスコは、二つの大きな都市の結びつきを強めることを楽しみにしています。
日本と日系アメリカ人は、サンフランシスコで独自の豊かな歴史があり、サンフランシスコに永続的かつ有益な影響を与えました。 サンフランシスコは、多様な都市になるための大事な要素である、ジャパンタウン地区がある3つの市のひとつです。
サンフランシスコの慰安婦像は、奴隷化と性的な人身売買の恐怖に耐えるように強制されたこと、そして現在もすべての女性が直面している闘争の象徴です。 犠牲者は私たちの尊敬に値するものです。この記念碑は私たちに忘れてはならない出来事や教訓を思い出させるものなのです。


医療の東西格差 西日本に医学部が偏在している理由とは
 国民皆保険の制度下では病院に支払う受診料は全国一律。提供される医療サービスも同じと考えがちだ。だが、実際は東日本と西日本の医療環境は厳然たる格差がある。医療行政などを研究する医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が問題の本質に迫る。
 * * *
 人、モノ、金……あらゆる面で東京を中心とする「首都圏一極集中」が指摘されて久しい。だが、こと医療に関しては西日本のほうが整っているのが実情だ。
 まず、関東には医師が少ない。ひとりの医師が診察できる患者数は物理的に限界があるから、絶対数でなく人口比で見るべきだ。
 厚生労働省によると、人口10万人あたりの医師数が最も多いのが徳島県の315.9人、次いで京都府314.9人、高知県306.0人、最も少ないのが埼玉県160.1人、次いで茨城県180.4人、千葉県189.9人となっている(「2016年医師・歯科医師・薬剤師調査」より)。
 なぜ関東に医師が少ないのか。最大の要因は大学医学部が圧倒的に西日本に偏在していることだ。
 例えば、人口約398万人の四国には4つの医学部があるが、人口約4260万人の関東には25しかなく、人口比では2倍近い差がある。国立大学医学部に限れば、関東には5つで四国はすべてが国立大だから、実に9倍もの差がある。
 筆者らの調べでは、医学部卒業生は出身大学の近くで就職する「地産地消」の傾向が強いことがわかった。医学部が多い地域ほど医師が多くなる。就職後に地域をまたいで移動する医師もいるが、それは一部であり影響は限定的だ。
 西日本に医学部が偏在しているのは、明治政府を仕切ったのが西国雄藩だったことが関係している。鹿児島大や九州大など歴史が古い九州の国立大学医学部は、幕藩体制下の教育機関である藩校を前身としている。一方、戊辰戦争の戦後処理により、佐幕派の東北・関東周辺諸藩は武装解除させられると同時に、藩校も廃止の憂き目に遭った。
 さらに1970年代に進められた「一県一医大構想」もその状況に拍車をかけた。戊辰戦争で勝者となった西国雄藩は、薩摩藩=鹿児島県、土佐藩=高知県のようにそのまま独立を維持したが、敗者は11の藩が合わさった福島県のように、周辺の諸藩と合併させられた。そのため、人口が少ない西日本の県にも医学部がつくられたというわけだ。
 医療の東西格差の背景にはこうした賊軍差別があるのだ。
●かみ・まさひろ/1968年兵庫県生まれ。1993年、東京大学医学部卒業。1999年、同大学大学院医学系研究科博士課程修了。東京大学医科学研究所特任教授などを経て2016年よりNPO法人医療ガバナンス研究所を立ち上げ、研究活動を続けている。『日本の医療格差は9倍』(光文社新書)、『病院は東京から破綻する』(朝日新聞出版)など著書多数。