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Affaire Narumi : une demande d'extradition du suspect chilien va être formalisée
L'ancien petit-ami de Narumi est le principal suspect dans la disparition de l'étudiante japonaise en 2016, à Besançon.
Une demande d’extradition du Chilien Nicolas Zepeda Contreras, principal suspect dans la disparition fin 2016 à Besançon de l’étudiante japonaise Narumi Kurosaki, sera ≪formalisée≫ à l’automne, a annoncé jeudi le procureur de la République de Besançon.
≪La perspective d’une demande d’extradition va être formalisée à l’automne par les autorités judiciaires françaises aux autorités judiciaires chiliennes≫, a déclaré Etienne Manteaux lors d’une conférence de presse organisée à son retour d’un déplacement au Chili. ≪Extradition ou non, (...) la seule certitude, c’est qu’il y aura un procès à Besançon≫, a-t-il ajouté.
Étudiante en français, Narumi a disparu dans la nuit du 4 au 5 décembre 2016, alors qu’elle avait regagné ce soir-là, accompagnée de Contreras, sa chambre sur le campus universitaire franc-comtois. Elle avait rencontré le Chilien deux ans plus tôt au Japon. Une relation était née, que Narumi avait souhaité stopper mi-2016. Le Chilien est la dernière personne qui a vu Narumi vivante.
La sœur de Narumi témoigne : “Nicolas Zepeda-Contreras est coupable’’
Pour la première fois depuis la disparition de sa sœur Narumi, fin 2016 à Besançon, Honami Kurosaki accepte de témoigner dans la presse. La jeune étudiante livre à L’Est Républicain son sentiment sur Nicolas Zepeda-Contreras, qu'elle pense ≪ bien sûr coupable ≫, tout en évoquant la souffrance des siens. Le tout avec une grande pudeur.
C’est finalement par écrit qu’Honami, l’une des deux sœurs de Narumi Kurosaki, a accepté de répondre aux questions de L’Est Républicain. Étudiante de 21 ans, l’âge qu’avait Narumi lorsqu’elle a mystérieusement disparu du campus de Besançon, Honami a rompu le silence que s’imposait sa famille. Elle lève, avec pudeur, le voile sur le cauchemar intime vécu par les siens. Aux yeux d'Honami, la culpabilité de Nicolas Zepeda-Contreras ne fait plus aucun doute. "Ce qu’il voulait, c’était avoir Narumi pour lui tout seul", confie la jeune Japonaise. Entretien.
Comment aviez-vous appris, à l’époque, que Narumi était portée disparue ?
J’ai été informée de la disparition de ma sœur par l’université de Tsukuba (où était scolarisée Narumi, N.D.L.R.), par un coup de téléphone.
Qu’avez-vous d’abord pensé, lors des premiers jours ayant suivi cette annonce ?
Je me suis dit qu’on allait la retrouver. Je n’ai pas compris que c’était aussi grave…
Face au vide laissé par la disparition de Narumi, dans quel état d’esprit êtes-vous aujourd’hui ?
C’est tellement difficile que je ne trouve pas les mots… Quand elle était à Besançon, j’étais en contact avec ma sœur chaque jour. La dernière fois que je l’ai vraiment vue, c’est quand elle a quitté le Japon pour venir en France.
Comment vos parents réagissent-ils face à cette situation ?
Je crois que mes parents n’espèrent plus que la vérité… Ma mère est tombée très malade, mentalement et physiquement. Elle ne quitte plus son lit depuis quelques temps.
Pourquoi était-ce si important, en juin dernier, de faire le voyage jusqu’à Besançon ?
C’était tellement difficile pour nous que je ne peux pas l’exprimer, mais mes parents et moi avons fait ce qui nous paraissait être le mieux pour Narumi. Rencontrer notre avocate Me Sylvie Galley était également très important pour nous. Nous voulions que les choses avancent.
Selon vous, qu’est ce qu’il a pu se passer dans la chambre de votre sœur, cette nuit-là ?
Je n’arrive pas à répondre à cette question…
La police suspecte Nicolas Zepeda-Contreras du pire : pensez-vous qu’il est coupable ?
Oui. Bien sûr qu’il est coupable.
Vous l’avez déjà rencontré, quel genre de personne était-il avec Narumi ?
J’ai passé beaucoup de temps avec Narumi et lui. Il était gentil avec moi, mais tout ce qu’il voulait, c’était avoir Narumi pour lui tout seul. Il prenait pour acquis le fait que Narumi lui donne la priorité dans sa vie, plutôt qu’à sa famille. Je ne pouvais par exemple pas profiter du temps avec ma sœur, quand elle revenait de Tsukuba et qu’elle rentrait à la maison.
Est-ce que Nicolas Zepeda-Contreras est entré en contact avec vous ou votre famille depuis le 5 décembre 2016 ?
Non.
"L'espoir d'une famille" finalement vain
Me Sylvie Galley, avocate de la famille Kurosaki.
Comme l'expliquait son avocate Me Galley, la famille de Narumi Kurosaki espérait que l'interrogatoire de Nicolas Zepeda-Contreras permette de lever le mystère entourant la disparition de l'étudiante nippone. Un vœux resté vain : face aux magistrats français et chiliens, mercredi 17 avril dernier à Santiago, le suspect a préféré garder le silence.
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ETV特集「連合赤軍 終わりなき旅」
連合赤軍事件から47年。事件の記憶が薄れていく中、連合赤軍とは何だったのか知りたいと、取材班は7年前から、服役を終えた元メンバーへの取材を続けてきた。理想の社会を目指しながら、数多くの人々の命をあやめるという大きな過ちを犯してしまったメンバーたち。終わりなき、葛藤の人生を追った。 國村隼
やまと むすひ @enmusubi_happy
3月から、#京大 は、#吉田寮 に対し、理事の寮生恫喝、即、対話拒否等の一方的な権限行使を休止、対話を模索している事は歓迎です。が、対話の主要論点に関し自らの主張への事前同意の条件付けや適切な修繕、管理の自らの不履行の説明無き一方的な非難では、従来通りの対話拒否にも見えるので再考を!
釜ヶ崎 センター開放通信 @OpenKamaCenter
何度でも言おう。老朽化を口実にするなら、労働福祉センターの階上にある医療センターも閉鎖しなければ辻褄が合わない。それなのに医療センターは閉鎖されてないし、閉鎖されるのは2年後だという。つまり行政はセンターが老朽化で危険な建物だと考えていないのだ。なぜ労働者だけが追い出されるんだ!

前から気になっていた9V製品.アマゾンで注文しました!使い心地はどうかな?
4月の促進者報告をしていなかったので,その依頼をしました.連休明けでOKです.
いい?思いつきかな?予定変更を検討しています.

南三陸町 生涯学習センター再建
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた南三陸町で、中心街にあった公民館と図書館が「生涯学習センター」として再建され、町が管理する公共施設はこれですべて再建されました。
南三陸町は、震災の津波で全壊した街の中心部の公民館と図書館を統合して「生涯学習センター」として再建を進め、25日、オープンを迎えました。
記念の式典には、住民や町の職員などおよそ100人が出席し、テープカットのあと、地元の保育所の子どもたちが歌を歌って開館を祝いました。
「生涯学習センター」は、町の小学校や保育所に近い高台の住宅団地に整備され、木造一部鉄骨造りの平屋建てで木材の8割に町内の杉が使われています。
建物には、住民がサークル活動などを行う研修室や多目的ホールとともに、3万5000冊ほどの蔵書がある図書スペースが設けられています。
「生涯学習センター」の完成で、震災の津波で被災した南三陸町が管理する公共施設は、震災から8年を経てすべて再建されました。
南三陸町の佐藤仁町長は「公共施設がすべて復旧したのは感慨深い。この施設が住民や子どもたちの憩いの場所になってくれればと思う」と話していました。


被災のマリンスポーツ施設が再建
東日本大震災で被害を受けた亘理町のマリンスポーツ施設が8年ぶりに再建され営業を再開しました。
亘理町荒浜地区に昭和57年に設立された「亘理町B&G海洋センター」は、マリンスポーツの遊具を貸し出す町営施設ですが、震災の津波で建物が流され、亘理町は1億400万円をかけて震災前と同じ場所に再建しました。
25日は役場の担当者や地元住民の代表などおよそ30人が集まって記念式典を行い、施設の再開を祝いました。
亘理町B&G海洋センターでは、水上バイクやカヌーなどを有料で貸し出すほか、町内の小学生たちに海に親しんでもらうための催しやライフジャケットを着た救命訓練の体験会などを定期的に行っていくということで、マリンスポーツを通して地域の交流人口を拡大することが期待されています。
施設の運営を委託された海族DMCの太見洋介代表は「震災から8年が経過し、海離れも進むなかで、マリンスポーツを通して海に親しんでもらい沿岸部の復興を促進できる施設にしたいと思っています」と話していました。


「かわまちてらす閖上」オープン
震災で大きな被害を受けた名取市閖上地区に、25日、初めての商業施設「かわまちてらす閖上」がオープンしました。
被災地ににぎわいを取り戻す拠点として期待されています。
名取市閖上地区の「かわまちてらす閖上」は、市や出店業者が出資する会社が名取川の堤防に3億円あまりをかけて建設した地区で初めての商業施設です。
25日は関係者がテープカットを行い、オープンを祝いました。
施設に入るのは飲食店や青果店、鮮魚店、それに美容室など27店舗で、このうち9店舗は震災で被災し、仮設商店街などで営業を続け、8年余りを経て地元に戻ってきました。
各店舗はオープンを記念して、取れたての野菜や県内で水揚げされた海産物を格安で販売し、大勢の人でにぎわっていました。
閖上地区では、これまで災害公営住宅など住まいの再建は進んだものの、買い物など生活環境の整備が課題になっていました。
閖上に住む20代の女性は「きょうは大好きなホヤが安かったので、たくさん買いました。とてもにぎやかな閖上に戻ってきたと実感します」と話していました。
施設を運営する「かわまちてらす閖上」の櫻井広行社長は「震災で何もかもなくなったことが昔のことだと感じられるほど、多くの人が来てくれました。これから商売を繁盛させて、若い人が増えるような町にしていきたいです」と話していました。


<再出発・かわまちてらす閖上>(下)私の部屋ふるる/語りの輪 女性和ます
 名取市閖上の商業施設「かわまちてらす閖上」がプレオープンした22日、美容室「私の部屋ふるる」は開店を待ちわびた常連客の笑顔であふれた。
 「待っていてくれるお客さんがいるのは幸せ。人が集まってくるのがいい」と、店主の中橋栄子さん(69)。手際よく来店客の髪を整えながら、軽妙な語り口で世間話の輪を盛り上げる。
<無料送迎評判に>
 東日本大震災後、閖上に戻るつもりはなかった。
 1978年から閖上4丁目に構えた旧店舗は改装したばかりだったが、震災の津波に襲われ、跡形もなく流された。中橋さんも迫る津波から必死に逃げ、「今でも生きていることが不思議」と思える体験をした。
 「閖上には絶対に戻らない。戻れる場所じゃない」。古里を思い出すだけで頭が痛くなった。
 名取市美田園の仮設店舗「閖上さいかい市場」で、美容室を再開したのは2012年2月。市内の仮設住宅などから利用客を無料送迎し、評判を呼んだ。
 一人きりの仮設住宅で誰とも会話することなく過ごす客らが訪れ、被災地の現実と向き合った。「みんな疲れている。女性が気分をすっきりさせる場所も必要」。色とりどりの花で店内を彩るなど居心地の良い空間づくりにも心を砕いた。
<毎朝犠牲者弔う>
 さいかい市場で仕事を続けて7年。「泣かない日はなかったけど、涙して地固まったかな」。震災からの歳月がかたくなだった心を和らげ、閖上に再び店を構えようという気になった。
 毎朝、東の方角に向かい、犠牲者に手を合わせる。客足は震災前に比べ5分の1程度に落ち込み、先行きも不透明だが、「あのとき死んだと思えば怖くない」ときっぱり。「(被災者らに)寄り添う場所でありたい」と願う。
[メ モ]ふるるパーマ7300円、カラーリング6300円、カット3300円など。着付けも受け付けている。営業時間は午前10時〜午後6時で、毎週火曜と第1、3日曜は定休。予約優先。連絡先は022(385)8048。


切手の唾液で身元判明遺骨遺族へ
 東日本大震災の約1カ月後に石巻市泊浜で見つかった身元不明遺体が宮城県女川町女川浜の平塚真澄さん=当時(60)=と判明したことを受け、県警は24日、市が保管していた遺骨と遺品を遺族に引き渡した。
 平塚さんの異母弟で八戸市の農業鈴木正樹さん(47)ら3人が、石巻市南境の石巻霊園で引き渡しを受けた。鈴木さんは「ほぼ諦めかけていたがやっと対面できた」と語った。
 鈴木さんは15歳の頃、父親の葬儀で平塚さんと初めて会った。平塚さんはスタイリストをしており、明るい性格だったという。「突然姿を現すのではないかと思ってきた。(亡くなったことの)実感がようやく持てる」と話した。近く平塚さんの母親が眠る女川町内の墓地に納骨する。
 県警作成の似顔絵を見た鈴木さんのいとこの女性(53)=気仙沼市=が鈴木さんに似ていることに気付き、3月16日に気仙沼署に出向いて情報提供した。女性は取材に「ずっと胸に引っ掛かっていた。平塚さんが母親と一緒に埋葬されると聞いて、本当に良かった」と語った。
 平塚さんの遺体は震災後の2011年4月9日、泊浜漁港の防波堤近くで見つかった。親族が同4日に行方不明届を出していたが、身元は特定されずにいた。
 平塚さんの身元判明により、県内で発見された身元不明遺体は9体となった。県警捜査1課の菅原信一検視官は「今回のようにわずかな情報でも身元判明につながる」と述べ、改めて情報提供を呼び掛けた。


河北抄
 阪神から東北へ。被災地復興への祈りを音楽でつなぐ機会になりそうだ。
 石巻市の石巻栄光教会で27日にあるチャリティーコンサート。神戸市の教会でも同時に別の有料コンサートが開かれる。途中、インターネット電話「スカイプ」で二つの会場を結び、演奏を聴く。YMCA後援団体の石巻広域、神戸ポートの両ワイズメンズクラブが企画した。神戸会場での収益は、災害公営住宅の集会所訪問といった支援に取り組む石巻のクラブの活動費に充てる。
 石巻会場にはゴスペルデュオや石巻好文館高吹奏楽部、児童生徒のジャズオーケストラが出演。地元の中小企業が福祉事業所との連携で作った水産加工品を神戸に向けてPRする。
 復興の支援者を支えるコンサートの趣旨は神戸のクラブ関係者のアイデア。石巻会場の司会を務める石巻栄光教会牧師の川上直哉さん(45)は「ネットワークの強みを生かし、つながりの大切さを確かめる場になれば」と願う。午後1時半開演で入場無料。連絡先は川上さん090(1373)3652。


尼崎事故14年/いまだ遠い「安全最優先」
 乗客106人が犠牲になった尼崎JR脱線事故は、きょうで発生から14年になる。
 JR西日本は今年の慰霊式を、事故現場一帯に整備した追悼施設「祈りの杜(もり)」で開く。木々で囲まれた慰霊碑には、遺族から「生々しさを消そうとしている」との批判が上がる。
 悲惨な記憶が、JR西の社内で風化しかねない。遺族らがそんな懸念を強く抱くのは、事故を招いた企業体質の刷新が、いまだ道遠しと受け取れる出来事が相次いでいるからだ。
 新幹線「のぞみ」が破断寸前の台車で運行を続けた問題で、国の運輸安全委員会は異音があっても終点まで走らせるのが「恒常化していた」と指摘した。新幹線のトンネル内に社員を座らせ、高速走行の風圧を体感させる危険な研修を行っていたことも明るみに出た。
 安全点検より運行継続を優先する。研修でも社員の安全を軽視する。尼崎事故の教訓をないがしろにする対応に、社内で異論は出なかったのか。
 経営陣を筆頭に全社員が安全を行動原理として心に刻み、実践に移せるよう、不断の努力を続けねばならない。
 6月には、1991年に発生した信楽高原鉄道事故の遺族や弁護士らでつくる民間組織「鉄道安全推進会議(TASK)」が、26年の歴史に幕を下ろす。
 真相究明や再発防止を国に求め、鉄道事故調査の専門組織設置を実現させた。国土交通省が公共交通事故被害者の支援窓口を設けたのも、尼崎事故の遺族らとともに申し入れを重ねた成果だ。遺族の無念が、行政を動かす力となった。
 一方、大企業は多くの部署に責任が分散し、自らの努力だけでは体質は容易に改まらない。死亡事故などを起こした企業・団体の刑事責任を問う「組織罰」の法整備を前向きに検討する必要がある。
 「祈りの杜」では、衝突の痕跡を残すマンションの現場に遺族らが花や菓子などを供える。時を経ても、肉親や友人を失った悲しみは心に重くのしかかり続ける。
 それが少しでも和らぐ日がくるとすれば、安全最優先の企業に変貌を遂げたと、JR西が社会の評価を受けるときだ。


JR福知山線脱線事故14年 追悼施設で慰霊式
乗客など合わせて107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から14年の25日、追悼施設が整備された兵庫県尼崎市の現場で初めての慰霊式が行われ、JR西日本の来島達夫社長がおわびと追悼のことばを述べました。
追悼慰霊式は去年9月に事故現場に整備され「祈りの杜(いのりのもり)」と名付けられた施設で初めて行われました。
14年前の25日に起きたJR福知山線、通称、宝塚線の脱線事故ではカーブを曲がり切れなかった快速電車が線路脇のマンションに衝突して乗客と運転士合わせて107人が死亡し、562人がけがをしました。
式では、はじめに遺族やけがをした人たち、それにJR西日本の幹部など参列者が黙とうをささげました。
そしてJR西日本の来島達夫社長が「あの日、何ものにも代えがたい尊い命、夢や希望にあふれた掛けがえのない人生を奪ったことを改めて心から深くおわびします。この『祈りの杜』を事故を反省して安全を誓い続ける場として将来にわたりお守りします」と述べました。
現場では事故が起きた午前9時18分とほぼ同じ時刻に通過した快速電車が、速度を落として警笛を鳴らし、哀悼の意を表しました。
9階建てだったマンションは5階より上が取り壊されて全体が屋根で覆われました。現場の姿が大きく変わる中で、JR西日本も事故のあとに入社した社員が全体のほぼ半数を占めるようになり、事故の記憶や教訓をどのように引き継いでいくかが課題となっています。
脱線した電車の2両目に乗っていて負傷した神戸市北区の土田佐美さん(50)は「14年がたち、日常生活を送る中で、事故の事は忘れがちになりますが、慰霊式に参加して、改めてあの日を思い起こす機会になりました。事故現場で慰霊式が行われることにはいろんな意見はあると思いますが、亡くなった人の思いが集まる場で事故が起きた日に手を合わせることは意味があると思います」と話していました。
脱線した電車の2両目に乗り右足の骨を折る大けがをした兵庫県多可町の小椋聡さん(49)は「慰霊式は事故現場で行うべきだと思う。式の途中も、近くを走る電車の大きな音が聞こえてきて改めて事故の大きさを思い起こした」と話していました。
脱線した電車の3両目に乗っていて、車外に投げ出され大けがをした兵庫県伊丹市の玉置富美子さん(69)は「追悼施設での初めての慰霊式でしたが、事故現場の臨場感や切迫感というものが全くなくなっていました。けがからのリハビリでまだ苦しんでいる人は私も含め大勢いるのに、それを忘れたように感じられました」と話していました。
事故で当時、31歳だった長男の吉崇さんを亡くした菅尾美鈴さんは「事故現場を整備してもらい感謝しています。『祈りの杜』が完成して初めての慰霊式ということで、あの時のことが鮮明によみがえります。息子を失った悲しみは決して薄らぐことはなく、年とともに増してきています」と話していました。
脱線事故で当時40歳の長女を亡くした藤崎光子さん(79)は、慰霊式が行われている間、「娘の近くにいたい」との思いから用意された席には座らず、電車が衝突したマンションの近くで黙とうをして長女を悼みました。
追悼施設ができて大きく姿を変えた現場について藤崎さんは「そのまま残してほしいと訴えてきたので、周囲に高い木が植えられて外からよく見えなくなってしまったのは残念だが、遺族の集まる場所ができたのはうれしく思う」と話していました。
神戸市北区の上田弘志さん(64)は脱線事故で当時18歳だった次男の昌毅さんを亡くしました。
上田さんは「事故から14年がたっても息子のことが諦められず、気持ちの整理がつきません」と話しました。
そして慰霊式が初めて、追悼施設が整備された現場で行われたことについては「胸がざわざわして落ち着かず、電車が通る音や警笛を聞くたびに事故当時が思い出されて倒れそうになりました。とてもつらい慰霊式で、二度と現場で開催してほしくない」と話しました。
昌毅さんの弟で神戸市東灘区の上田篤史さん(29)は事故をきっかけに医療の道を志し、救急部門の看護師として働いています。
篤史さんは「年々、兄のことに思いを寄せるようになりました。命の瀬戸際にいる人たちを救えるよう最前線で頑張りたいと、きょう気持ちを新たにしたと兄に伝えたい」と話していました。
追悼慰霊式に参列した国土交通省の工藤彰三政務官は「JR西日本には社員一人一人が事故の事を胸に刻み、将来にわたり安全な鉄道の実現に取り組んでもらいたい。国土交通省としても、改めて公共交通機関の安全確保に全力で取り組んでいく」と話しました。
JR西日本社長「重大さを改めて感じ おわび」
追悼慰霊式のあと、JR西日本の来島達夫社長は「私たちが引き起こした事故で多くの方の希望ある人生を奪ってしまった、その重大さを改めて感じ、おわびを申し上げるしかない」と話しました。
また追悼施設が整備された現場で、初めて式を行ったことについては「さまざまなお気持ちがあると思うが、とても大切で意味のあることだと思う」と話しました。
同時刻に現場を通過した電車内では
事故が起きたのとほぼ同じ時刻に現場を通過する快速電車は、午前9時ごろ宝塚駅を出発しました。
車内では途中、車掌が「本日で福知山線列車事故から14年を迎えます。私たちはこの事故を心に刻み、安全運行に努め、改めてお客様から安心と信頼を頂けるよう全力を挙げて取り組んで参ります」とアナウンスしました。
そして尼崎市の現場のカーブにさしかかると、通常よりも速度を落として6秒ほど警笛を鳴らし、哀悼の意を表していました。
車内は通勤や通学の人たちで混み合っていましたが、話し声がやんで静かになり、窓からじっと外を見つめる人もいました。
千葉から来たという44歳の男性は「鉄道が好きで、事故を忘れてはならないという思いで毎年来ています。二度と事故を起こしてはいけない」と話していました。


JR福知山線脱線 墓参700回の母「平成最後の戒めに」 式典で朗読
 JR福知山線脱線事故から25日で14年となった。時と共に変わりゆく現場、愛する人への変わらない思い。事故現場には早朝から遺族らが訪れて犠牲者を悼み、JR関係者らは鉄道の安全を誓った。
 事故で長男満(みつる)さん(当時37歳)を亡くした兵庫県伊丹市の斎藤堅一さん(76)、百合子さん(76)夫妻が同日、事故現場の慰霊施設「祈りの杜(もり)」(同県尼崎市)で初めて営まれた式典に参列し、百合子さんが追悼の言葉を読んだ。「天国から帰ってきた満へ」。今も二人の中で生きる満さんに語りかけた。
 斎藤さん夫妻はこの日朝、自宅を出る前に花々や折り鶴が飾られた仏壇に手を合わせ、式典に臨んだ。ここに足を運ぶのは施設が完成し、遺族に公開された昨年9月以来だ。
 百合子さんは昨年8月、満さん宛ての手紙をしたため、祈りの杜にある「追悼の空間」に納めた。「もっともっと話をしたかった――」。手紙には率直な気持ちをつづった。ただ、事故状況を展示する隣のスペース「事故を伝える空間」は正視できなかった。
 事故後に続けてきた週末の墓参は700回を超えた。墓は大阪(伊丹)空港の滑走路沿いにある。命日が近づくと春風が心地よく、ヒバリのさえずりが聞こえる場所だ。「満、来ましたよ」と語り掛け、花を添える。「年月は過ぎても寂しく悲しい気持ちに変わりはありません。でも訪れる場所が『祈りの杜』と二つになり、満も私たちも忙しくなるかもしれませんね」。少しだけ明るい表情を見せた。
 祈りの杜は2015年に整備計画がまとまり、16年に着工。完成には時間を要したが、これまで遺族が立ち寄れる所がなく、斎藤さん夫妻は追悼の場ができたことを前向きに捉えている。「『天国から私たちの近くに帰ってくるんだな』と思えるようになりました。本当に電車が好きでしたから、車輪の音や警笛を聞きながら安全な運行が続くよう見守ってくれると思います」。現場に花々が咲き、四季を感じられる場所になればと願う。
 亡くなった乗客106人の遺族には、それぞれの気持ちがある。思い出したくない人も、心の中にとどめたい人もいる。「でも私はね、大好きな我が子に話しかけたかったから。『平成最後の戒め』との思いもあります」。百合子さんは追悼文の朗読を決めた理由をそう語り、堅一さんもうなずいた。「今日は悲しい顔はやめて、笑顔でお別れしましょうね。また会えるから。またね」【高尾具成】


「直文さんが生きたこと知ってほしい」初展示の遺族 原爆資料館リニューアル
 25日に再開館した広島市の原爆資料館本館に、今も遺骨が見つかっていない昆野(ひの)直文さん(当時13歳)の弁当箱やかばんが初めて常設展示された。3世代にわたり遺品を大切に保管してきた遺族は「直文さんが確かに生きたこと、悲しむ家族がいたことを多くの人に知ってほしい」と静かに願う。
 直文さんは瀬戸内海に浮かぶ倉橋島(現広島県呉市)生まれ。1945年、県立広島第二中学校への進学を機に広島市の寄宿舎に入った。
 8月6日は爆心地から約600メートルの旧中島新町(現広島市中区)で、空襲による火災の延焼を防ぐため建物を取り壊して防火地帯を作る「建物疎開」に動員され、作業中に被爆死したとみられる。7日未明に姉の勝美さんらが島から漁船で広島に向かったが遺体は見つからず、食べられないままの弁当箱が入ったかばんだけが残されていた。資料館によると、同級生300人以上は12日までに全員死亡した。
 直文さんのめいに当たる安枝さん(70)=広島県呉市=は戦後生まれで、直文さんを直接知らない。祖母のマス子さんは息子についてほとんど語らず、「原爆」という言葉が出ると何も言わずにテレビを消した。毎年8月6日は平和記念式典などを見るのを避けるように早朝から畑に行き、家にいなかった。母の勝美さんも弟についてほとんど話すことはなかったが、「2人とも深い悲しみの中にいるのが伝わってきた」と振り返る。
 それでも、親戚の話から叔父の平穏な日常をうかがい知ることができた。「ひょうきんで面白い子だった」という直文さんは、よく周囲を笑わせていた。家で取れた芋で作った菓子を親戚宅に届けた時、勧められても自分は手をつけず、全員が食べ終わった後に「実はね、そのお芋はちょっと腐りかけてたんよ」といたずらっぽく話したという。
 マス子さんは45年ほど前に亡くなるまで遺品の弁当箱やかばんを形見として仏壇にしまっていた。引き継いだ勝美さんも2004年8月に82歳で亡くなった。安枝さんも大切に保管していくつもりだったが、広島を襲った大型台風で自宅は浸水し、仏壇もぬれた。幸い遺品は無事だったが、「守り続けてくれる所に」と約10年前に資料館に寄贈した。
 安枝さんは「祖母が誰にも語れなかった悲しみが展示を通じて伝わればうれしい」と語った。【寺岡俊】


<安田純平さん>戦地取材の重要性強調 東北大で講演
 シリア取材中に武装勢力に3年4カ月にわたり拘束されたジャーナリスト安田純平さん(45)が23日夜、東北大川内北キャンパスで講演した。映像や資料を基に「現地に入るジャーナリストは絶対に必要だ」と、厳しい戦場を取材する重要性を訴えた。
 学生自治会が主催し、150人超が参加した。安田さんは2015年6月にトルコからシリアへ入ったところで拘束され、18年10月に解放された。
 安田さんは講演で撮影したシリアの映像を公開。混乱する野戦病院や砲撃を受けた子どもの遺体の映像もあった。「戦争は弱い立場の人が亡くなる。フェイクニュースが広がる中、情報が正しいかどうか検証する第三者の現地取材は必要だ」と訴えた。
 自身を巡る「自己責任論」の批判については「自己責任は当然で、『自己責任だから行くな』という政府の態度は矛盾している。言葉自体を批判の道具にしている」と指摘した。
 安田さんは「『平成』は戦争のない時代と言われるが、日本はイラク戦争の後方支援で明らかに戦争に加担した。若者はぜひ、さまざまな現場を見てほしい」と呼び掛けた。


原発のテロ対策遅れ 安全に猶予は認められぬ
 原発の新規制基準は、航空機テロなどに備えた施設の設置を義務づけている。その期限は、再稼働に向けた審査終了後5年以内だ。
 これまで再稼働した原発は関西、四国、九州の3電力で計9基ある。いずれも、施設は未完成だ。
 3電力は、想定より大規模な工事が必要になったなどとして、設置期限の延長を求めていたが、原子力規制委員会は認めない方針を決めた。
 これにより施設が未完成の原発9基は順次停止に追い込まれる。しかし、安全確保に猶予は認められない。規制委の決定は当然のことだ。
 テロ対策施設は「特定重大事故等対処施設」(特定施設)と呼ばれる。2001年の米同時多発テロを契機に、米原子力規制委員会がまとめた対応策を参考に導入された。
 原子炉建屋などに航空機が衝突しても、遠隔操作で原子炉の冷却が続けられるよう、緊急時制御室を設け、非常用発電機や冷却水を送り込むポンプなどを備える。
 3電力会社によれば、稼働中の原発9基すべてで施設の完成が期限より1年程度は遅れる可能性がある。最も早く期限が訪れるのが、九電川内原発1号機の20年3月だ。
 電力各社は、規制委に提出した資料で「本体施設でテロ対策に必要な機能は満たしている」などと訴えてきた。だが、原発の安全対策に終わりはない。対策の手を抜くと、重大な事態を招く。これは福島第1原発事故の教訓だ。
 川内1、2号機の場合、特定施設の設置費用は2000億円を超すという。再稼働を優先し、安全対策の更なる強化が後回しになったと見られても仕方がない。
 そもそも、特定施設の設置期限は一度延長された。当初は13年の新基準施行から5年以内だった。だが、再稼働に向けた安全審査が長引いたことから、原発の工事計画の審査後5年以内に見直されていた。
 本来なら、再稼働に先立ち設置されるべき施設である。再度の延期を規制委が認めていれば、その存在意義を問われることになったろう。
 原発が停止しても、電力不足を心配する必要がないことは、3・11後の経験から明らかだ。むしろ、原発はテロへの備えが脆弱(ぜいじゃく)であることを見つめ直す機会とすべきだ。


原発テロ対策 期限延長却下は当然だ
 原子力規制委員会はきのうの定例会合で、原発に義務付けられているテロ対策施設の設置期限延長を認めないことを決めた。
 関西、四国、九州の電力3社が再稼働済みを含む5原発10基で施設の完成が遅れる見通しを示し、期限の延期を求めていた。
 九州電力川内原発1号機は最も早く、来年3月に期限を迎える。その時点で完成していなければ、工事完了まで運転停止となる。
 テロ対策施設は、原子炉が航空機の衝突などによる攻撃を受けた際に深刻な事故を防ぐために不可欠なものだ。未整備のまま運転を続けることは看過できない。規制委が延長を認めないのは当然だ。
 原発でひとたび過酷事故が起きれば、広範囲に甚大な被害が出る。それが東京電力福島第1原発事故の教訓だ。
 にもかかわらず設置期限に間に合わず、延長まで求めるのは安全軽視と言わざるを得ない。
 規制委はルールを厳格に適用し、期限内に完成しなかった原発にはためらわず運転停止を命じ、安全確保に徹してもらいたい。
 テロ対策施設は、航空機が衝突した際に遠隔操作で原子炉の冷却を続ける設備などを備える。福島の事故を踏まえた原発の新規制基準で設置が義務付けられた。
 3社は大規模な土木工事が必要となったことなどから、完成が期限より1〜3年ほど遅れると説明している。
 当初の期限は一律で昨年7月だったが、審査の長期化を踏まえ原発ごとに「工事計画の認可から5年」に改め、事実上延長された。
 だが、対策が施されていない原発を稼働していること自体、大きな問題である。
 その上、さらなる延長を求めるのは虫がよすぎる。新規制基準に適合するという再稼働のルールをなし崩しにしようとしているとみられても仕方ない。
 福島の事故から8年がたち、業界全体に緩みが生じているのではないか。再稼働していれば運転を停止されることはなかろうという甘い認識も透けて見える。
 北海道電力を含め大手電力は、原発に対するテロが起こりえないと考えていないか。「想定外」としていた事故が起きた福島の経験を肝に銘じなければならない。
 ただ、テロ対策施設は攻撃自体を防げるわけではない。危険な核燃料を扱っている原発はテロの格好の標的とされる。原発の存在そのものが安全保障上の脅威となりうることを再認識すべきだ。


[原発テロ] 対策規制委の判断は当然だ
 九州電力川内原発1、2号機など再稼働中の原発の多くが運転停止に追い込まれる可能性が出てきた。
 原子力規制委員会はきのう、原発本体の工事計画認可から5年以内に設置が義務づけられているテロ対策施設「特定重大事故等対処施設」(特重施設)について、完成期限の延長を認めないことを決めた。
 川内1号機は最も早い来年3月、2号機は5月に期限を迎える。それぞれ完成が約1年超過する見通しで、期限切れ時点で停止となる公算が大きい。他の原発も1〜3年超過しそうだ。
 再稼働した原発を持つ九電と関西、四国の電力3社は完成が遅れるとして今月17日、期限延長を求めていた。
 規制委が要請を拒否したのは、新規制基準に適合しない状態で稼働することを認めない当然の判断と言える。
 東京電力福島第1原発事故後、独立した立場で安全を追求するために発足した規制委である。電力各社は規制委の判断を厳粛に受け止め、安全対策に万全を期さなければならない。
 特重施設は、原発に航空機を衝突させるなどのテロ行為が発生した場合を想定し、遠隔操作で原子炉の冷却を維持する安全対策の主要施設である。原子炉建屋から100メートル以上離れた場所に緊急時制御室や炉心冷却ポンプの設置を求めている。
 当初から大がかりな工事が予想され、新規制基準が施行された2013年7月から5年の猶予期間が設けられた。その後、規制委の審査が長期化したことから、15年11月、工事計画認可の下りた日から5年に変更。これにより川内原発は約2年期限が延びた。
 ところが、この期限にも間に合わないとして、電力側が規制委にさらなる延期を認めるよう要請。電力側は、遅れの理由として大規模な土木工事が必要となったと説明した。
 期限延長から約3年半、残り1年を切った時点での延期要請である。見通しの甘さを批判されても仕方ない。
 この間に九電は川内1、2号機に続き、18年には玄海3、4号機を再稼働させ原発4基がフル稼働している。
 一方で、電力が供給過剰になって大規模停電に陥る可能性があるとして、太陽光など再生可能エネルギー発電の出力制御を常態化させている。
 規制委への要請の背景に、原発の運転継続で利益を確保したいという意図はなかったか。そうであるならば、安全軽視と言わざるを得ない。
 福島の原発事故を検証した国会事故調査委員会は、規制当局が電力会社の「とりこ」となり、規制行政がゆがめられたと指摘した。
 規制委が独立の立場で厳格に対応し、電力会社は安全を最優先に取り組む。そうした姿勢が国民の信頼を得ることを肝に銘じるべきである。


強制不妊救済法が成立 謝罪の主体が曖昧なまま
 旧優生保護法で強制不妊手術を受けた障害者らの救済法が成立した。
 宮城県の60代の女性が初めて国を提訴してから1年3カ月。被害者の高齢化に配慮して与野党の国会議員らが救済を急いだ結果だ。
 しかし、被害者が計7地裁に起こした国賠訴訟は今後も継続するという。一時金の320万円が著しく少ないことだけが理由ではない。
 不妊手術の被害者は約2万5000人いるが、記録で氏名が特定できたのは3079人しかいない。しかも、プライバシーへの配慮を理由に本人へは通知しないという。これでは一時金が得られるのは少数にとどまる可能性が強い。
 旧優生保護法は1948年に与野党議員の主導で成立した。当初は手術件数が少なく、議員らは何度も国会で予算増を要求した。厚生省(当時)は増えた予算を消化するため都道府県に手術の推進を求めた。「身体の拘束」「麻酔」「欺罔(ぎもう)(だますこと)」を用いることも認めた。
 憲法違反ではないかとの地方からの質問に、法務府(当時)は「憲法の精神に背くものではない」と見解を示した。都道府県の優生保護審査会の決定に異議のある時は再審査を申請できることが根拠とされた。
 ところが、厚生労働省が開示した資料では81年までの20年間で再審査申請はわずか1件しかない。
 救済法では「おわび」の主語が「我々」という曖昧な表現にされた。安倍晋三首相は「政府としても真摯(しんし)に反省し、心からおわび申し上げる」と談話を発表したが、これで曖昧さが解消されたとは言えない。国の責任を明記するのが当然だろう。
 救済法には国会が問題の経緯を調査することも盛り込まれた。
 疑問の声は当初からあり、70年代には厚生省内でも強制不妊手術を疑問視する意見があったが、国家による人権侵害は続き、長年顧みられることがなかった。その構造を解明するには、独立した第三者機関による検証が必要ではないか。
 「障害者は生きる価値がない」と元施設職員が19人もの重度障害者を殺害した相模原事件、性的少数者を「生産性がない」という自民党議員など、優生思想をうかがわせる風潮は今も根強い。過去の過ちに対する不断の検証が求められる。


強制不妊救済法/国の責任は曖昧なままだ
 旧優生保護法下で不妊手術を強制された被害者への一時金支給を柱とする救済法がきのう、国会で可決、成立した。
 多大な苦痛に対する「反省とおわび」を明記し、本人が手術に同意したケースも事実上の強制とみなして救済対象とする内容だ。与野党が法案を一本化し立法化にこぎ着けた。
 各党、とりわけ与党には参院選前に解決姿勢を打ち出したい思惑があったのだろう。
 法改正で「優生手術」の規定が削除されてから23年がたち、高齢の被害者も少なくない。救済が実現したことは前進だ。
 ただ、神戸地裁など全国7地裁で被害者らが国家賠償訴訟を起こしているが、国は「当時は適法だった」と争う姿勢を崩していない。それでは救済法の趣旨と矛盾するのではないか。
 救済法では「反省とおわび」の主体は「われわれ」とされている。「それぞれの立場において」反省することで、責任の所在を曖昧にした形である。
 安倍晋三首相は「二度と繰り返さないよう、政府として最大限の努力を尽くす」との談話を発表した。その言葉を実行するためには、国の法的な責任をまず明確にする必要がある。
 一方、救済法は国会にも問題の経緯を調査するよう求めている。衆参両院で謝罪決議を行う案も検討されているが、その調整は進んでいない。
 国賠訴訟は、5月28日に仙台地裁で初の判決が言い渡される。同じく被害者らが賠償を求めたハンセン病訴訟では、当時の小泉政権が国の責任を認めた司法判断を受け入れ、控訴を断念した。国会も謝罪決議を行い、議員立法で補償法を成立させた経緯がある。
 今回も、その例に倣って被害者が納得できる方策を講じなければならない。一律320万円の一時金の額も、訴訟の請求額とは開きがある。被害に応じて柔軟に見直すべきだろう。
 国会も自ら謝罪決議を行い、立法府の立場で事実の検証に乗り出す責任がある。
 この問題では、全国に先駆けて「不幸な子どもの生まれない県民運動」を展開した兵庫県のように、都道府県も深く関与した。当時の自治体の対応を検証する取り組みも欠かせない。


強制不妊救済法  国の責任不明確なまま
 被害者が納得しないままでいいのか、疑問が残る。
 旧優生保護法下で障害者らに強制不妊手術が繰り返された問題で、「反省とおわび」と一時金320万円の支給を盛り込んだ救済法が、参院本会議で可決、成立した。
 しかし、被害者らは、国会の場で意見聴取されずに法案が勝手に出来上がった、と不満の声を上げている。超党派議員連盟が昨年3月から議論を始め、法案作成の段階で意見を聞いたというが、それで十分であるはずがない。
 被害者が高齢化する中で救済法の成立は一歩前進だろう。しかし、急ぐあまり肝心なところをあいまいにし、被害者の痛切な声に耳をふさいでしまった。
 その一つは、おわびと謝罪の主語を「われわれ」とした点だ。国と国会を意味するというが、国の責任は極めて重く、ここは被害者が求めるように主語を「国」とすべきだ。救済を進める責任は、国にあることを明確にするためでもある。
 全国各地で知的障害や遺伝性疾患、ハンセン病を理由に不妊手術が続けられたのは、旧優生保護法(1948〜96年)があったからだ。その後も被害を放置し続けたことを、国は重く受け止めないといけない。
 もう一つは一時金の額だ。スウェーデンの事例を参考にしているが、被害実態に見合うのか。仙台地裁などに被害者らが求めた国家賠償額は最大3千万円台後半であり、大きくかけ離れている。
 救済法が施行されても、裁判所は被害者の訴えを聞き、実態に即して判断してもらいたい。
 一時金支給の手続きにも懸念がある。被害者本人が請求する仕組みだが、知的障害の人や不妊手術を隠したい人もいる。
 国の統計では約2万5千人が不妊手術を受けたが、裏付ける個人記録は約3千人分しか確認されていない。記録がなくても本人の証言などで申請に柔軟に対応すべきだ。被害者には救済制度を知らせ、請求をサポートする必要がある。
 これで幕引きではない。被害の全容を調査し、実態を直視しないといけない。「不良な子孫の出生を防止する」という優生思想を、克服したといえるのか。遺伝子解析による出生前診断やゲノム編集など医療技術が急速に進んでいる。一方で、障害者を「不要」とみて殺害した事件が起きている。
 新しい生命倫理に直面する今日、強制不妊手術の問題をめぐる議論を改めて深める必要がある。


強制不妊救済法 「尊厳回復」への第一歩だ
 旧優生保護法(1948〜96年)により、不妊手術を強制された障害者らを救済する法案が参院本会議で可決された。法成立と同時に、安倍晋三首相が政府としての「反省とおわび」の談話を発表した。
 旧法から障害者差別に該当する部分が削除され、母体保護法に改正されてから23年がたつ。不妊手術は少なくとも2万5千人に施された。遅きに失したとはいえ、ようやく法の光が当たったことは評価できる。
 ただ、内容は不十分だ。被害者の尊厳回復へ向けた第一歩にすぎないことを確認しなければならない。
 法案は、旧法が議員立法だった経緯から与野党議員が合意の上、今国会に提出した。成立した救済法は前文に、被害者に対し「われわれは、それぞれの立場において、真摯(しんし)に反省し、心から深くおわびする」と明記した。「われわれ」とは旧法を制定した国会、執行した政府を特に念頭に置いているという。
 首相談話は「政府としても、旧法を執行していた立場から、真摯に反省し、心から深くおわび申し上げます」としている。被害者らが明確化を求める国の法的責任には触れておらず、救済法の前文をなぞった内容だ。
 被害者に支給する一時金は320万円で、ここでも被害者側の要求とは大きな隔たりがある。熊本地裁など各地で起こされた国家賠償訴訟の請求額は最大で3千万円台後半だ。
 旧法は元々、食と住が不足する戦後の劣悪な環境下、中絶を一部認め母体を保護する狙いがあった。同時に優生思想に基づき障害者を「不良な子孫」と規定し、不妊手術を合法化した。
 問題は、つい二十数年前まで、日本社会がその誤りに気付かなかったことである。70年代には、兵庫県庁などが「不幸な子どもの生まれない対策室」を設置し、「異常児」の出産減を公然と推奨した。現在から見れば驚くべき名称と施策である。
 激しい異議を唱え、方針転換させたのは障害者団体だった。彼らは当時既に、健常者と同じように生きる権利を主張していた。それが旧法改正に結び付くまでに長い時間が費やされた。
 そうした問題意識を持てずに人権侵害を見過ごす形となった私たち報道メディアをはじめ、強制手術を励行した医療機関など各種団体にも「真摯な反省」は当然、求められている。
 来月には被害女性が初めて起こした国賠訴訟の判決が仙台地裁で言い渡される。優生政策を遂行した国の責任と旧法の違憲性が焦点だ。結果によっては成立したばかりの救済法も見直しを迫られる。議論を続け、被害者が納得する制度に高めたい。


優生手術の救済 法成立で解決はしない
 障害者らに不妊手術を強いた旧優生保護法が改定されてから23年―。被害者に一時金を支給する救済法が議員立法で成立した。
 司法の判断を待たずに国会が動いたことは評価できるものの、障害者への差別や人権侵害に正面から向き合って被害回復を図ったとは言いがたい。これで問題が解決するわけではない。
 救済法は、旧法の違憲性に触れず、国の責任を明確にすることも避けた。真摯(しんし)に反省し、深くおわびすると前文に記したが、主語の「われわれは」とは誰を指すのか、肝心な点が曖昧だ。
 一時金であること、支給額が320万円にとどまることも、深刻な被害の実態に見合わない。手術による後遺障害や体調不良に苦しんできた被害者もいる。継続的な補償を考えるのが本来だ。配偶者の被害に目を向けていないことを含め、不十分な面は多い。
 とりわけ心配なのは、被害者の切り捨てにつながらないかだ。個別に通知をしないことに加え、申請の期限を5年間と区切ったため、声を上げられない被害者が埋もれてしまう恐れがある。
 偏見は根強く、名乗り出るのをためらう人は少なくない。家族が手術を受けさせた負い目を引きずっている場合もある。
 手術を受けた人は、政府の統計で2万5千人近くに上る。その大半は、裏づけとなる記録が残っていない。被害の全容は明らかになっていない。実態の掘り起こしを続けるとともに、申請は期限を設けずに受け付けるべきだ。
 旧法は戦後の1948年に議員立法で成立し、優生手術は40年余にわたって行われた。法改定後も、政府は謝罪や補償を拒み、被害の調査にも応じてこなかった。国会もそれを見過ごした。
 過ちと向き合い、差別や優生思想を克服していくには、政府、国会の責任を明確にすることが第一歩になる。安倍晋三首相は談話を発表して反省と謝罪の意を示したが、形だけのものだ。救済法の前文と同じ言葉を連ね、国の責任には言及していない。
 優生手術をめぐっては、被害者が昨年以降、国家賠償を求める裁判を各地で起こしている。政府は「当時は適法だった」となおも主張し、旧法の違憲性については認否を拒んでいる。何よりもその姿勢を改める必要がある。
 被害者の尊厳を回復し、人権の救済を図るために司法が果たすべき役割は大きい。その判断も踏まえて、補償のあり方を見直していかなければならない。


強制不妊救済法 もっと被害者に寄り添え
 これでは、国は自らの責任に正面から向き合ったことにはならない。
 旧優生保護法下で不妊手術を強制されるなどした被害者の救済法が成立した。旧法の「優生手術」規定が削除されてから23年を経て、国による救済がようやく始まる。
 救済法は、被害者への「反省とおわび」と一時金320万円の支給を盛り込んでいる。
 最大の焦点となったのは、「おわび」の在り方だった。
 救済法の前文は「われわれは、それぞれの立場において、真摯(しんし)に反省し、心からおわびする」とうたうが、国の法的責任は明記されていない。
 「われわれ」との表現が誰を指すのか玉虫色だと、被害者側は批判してきた。
 反省すべきは、立法府であり、法を執行してきた政府のはずだ。そこを曖昧にして謝罪にはなり得ない。
 旧優生保護法は終戦直後の1948年に議員立法で制定された。「不良な子孫の出生防止」を目的に、知的障害や精神疾患などがある人の不妊手術を後押ししてきた。
 子を持つ権利を強制的に奪うことは、人間の尊厳を踏みにじる行為だ。人権侵害と理不尽な差別を受け、今なお苦しんでいる被害者は大勢いる。
 法案は、3月に自民・公明両党の合同ワーキングチームと野党を含む超党派議員連盟で正式決定された。批判があったにもかかわらず、その後の国会審議でも、被害者の意見を聞くことさえなかった。
 それだけに、救済法に盛り込まれた「おわび」は、言葉だけと取られても仕方がない。
 救済を言うなら、当事者の話にきちんと耳を傾け、それを反映するのが筋だろう。「勝手に救済法を決めるな」と被害者から批判が出るのも当然だ。
 与野党が救済法の成立を急いだ背景には、夏の参院選を前に成果を国民にアピールしたいという事情があったとみられる。これでは被害者の思いよりも、政治の都合を優先させたと言わざるを得ない。
 救済法成立を受けて安倍晋三首相は談話を発表し、「政府としても真摯に反省し、心から深くおわび申し上げる」と、謝罪の意を初めて表明した。
 今回の談話は、閣議決定した公式見解ではない。救済法と同様に、国の法的責任にも触れていない。
 首相は、被害者に面会することもなかった。首相のおわびも形だけと言っていい。
 救済法で盛り込まれた一時金の額も、被害者の思いとは大きく隔たっている。各地の国家賠償請求訴訟で、被害者からなる原告は、最大3千万円台後半を求めている。
 訴訟は継続され、5月には初の判決が仙台地裁である。その後の訴訟でも、国が認めていない旧法の違憲性や一時金の額などが争われる見通しだ。
 国は判決を踏まえつつ、被害者にきちんと寄り添い、必要に応じた法改正を行うべきだ。


強制不妊救済法 最初の一歩にすぎない
 旧優生保護法下で障害者らに不妊手術が繰り返された問題で、被害者に一時金320万円を支給する救済法がきのう、参院本会議で全会一致で可決、成立した。
 被害者の高齢化を考慮し、超党派の議員立法で速やかに救済に動いた点は評価できよう。
 しかし、主体があいまいな謝罪の言葉や一時金の金額など、多くの点で被害者の求めるものとは大きく隔たっている。
 「不良な子孫の出生を防止」を掲げ、国会や行政が、旧法で不妊手術を徹底するよう促した。その結果、戦後半世紀近くの間に、約2万5千人が不妊手術を強いられ、長く放置されてきた。
 こうした歴史を考えれば、被害者は到底納得できまい。
 これで終わりではなく、救済法の成立は最初の一歩にすぎない。国には、被害者の尊厳の回復に向けた取り組みに、一層の努力を傾け改善を図る責務がある。
 救済法は「反省とおわび」を前文に記し、安倍晋三首相も同様の談話を発表した。
 だが、被害者が強く求めた国の法的責任は明記されず、旧法の違憲性も認めなかった。
 一時金も、各地の国家賠償請求訴訟で原告が求める額とは、かけ離れている。
 配偶者も、子どもを持つ権利を奪われた点では同じ被害者だ。にもかかわらず、一時金の対象外とされたのも疑問だ。
 プライバシーの保護に配慮するとの理由で、本人には通知せず、広報活動にとどめるため、救済を知らない人が出る恐れもある。
 鳥取県の平井伸治知事は、これを問題視し、個別に通知する仕組みを整える方針を示している。プライバシー保護と両立させる工夫が欠かせない。
 手術記録の残っていない人が圧倒的に多いことも問題だ。被害者が救済からこぼれ落ちることがないよう、各都道府県は調査を尽くす必要がある。
 記録のない人の被害認定は、厚生労働省内の審査会が、間接的な記録や本人の訴え、医師の所見などで総合的に判断する。
 厳格な人選で、審査会の公平性を確保すべきだ。
 救済法の成立まで、衆参両院とも審議時間はあまりに短く、議論は深まったとは言い難い。被害者は国会で意見を述べる機会さえなかった。
 政府も国会も過去を直視し、もっと被害者に寄り添う誠実な姿勢が求められる。


<強制不妊救済法成立>被害者不満、隔たり大きく
 24日に成立した旧優生保護法の被害者救済法は、国の責任に関し直接の言及を避けた。旧法を巡る一連の国家賠償請求訴訟への影響を最小限に抑えるためとみられ、被害者らから不満の声が漏れた。5月28日に仙台地裁が言い渡す全国初の判決は旧法の合憲・違憲性を含めて判断する見通し。原告側の主張が認められれば、弁護団は救済法の見直しを求める構えだ。
 「早期に救済制度ができたことは評価したいが、内容が十分だとは誰も思わない」。都内で記者会見した全国被害弁護団共同代表の新里宏二弁護士(仙台弁護士会)はこう強調し「今は開かずの救済の扉が開いた段階でしかない。国は司法判断を受け、制度の改善を図るべきだ」と続けた。
 一連の訴訟で国は旧法の合憲・違憲性に関する主張を「主要争点ではない」と回避し続けている。救済法も前文の「反省とおわび」の主体は「われわれ」とあいまいな表現となった。
 20年以上前から被害を訴えてきた仙台訴訟の原告飯塚淳子さん=70代、活動名=は「これまで何度も国に謝罪と補償を求めてきたのに相手にされず、苦しんできた。国の明確な謝罪がなければ、納得できない」と訴える。
 1人当たり320万円とされた救済法の一時金についても、原則3000万円超とした各地の訴訟の請求額と隔たりが大きい。
 仙台訴訟で原告側は手術による生殖機能の喪失を「死亡と同等程度に深刻」と主張。一般的な交通事故の死亡慰謝料を参考に損害額を算出した。
 救済法で示された一時金は、過去に同様の手術が繰り返されたスウェーデンの補償額に物価変動を反映させただけで、根拠に乏しい。
 仙台訴訟原告の60代女性の義姉は「(女性の)侵害された人権はたったこれだけの価値なのかと思ってしまう。できるなら判決を待って救済法を作ってほしかった」と語った。


<強制不妊救済法成立>対象者広がり見通せず
 東北6県で旧優生保護法に基づく手術記録が残るのは少なくとも951人で、うち900人を宮城が占める。他の5県では手術実施を裏付ける記録がほとんど残っておらず、救済法の対象者がどこまで広がるかは見通せない。
 厚生労働省のまとめによると、宮城の900人は都道府県別で全国最多だったが、旧法施行期間(1948〜96年)内の手術実施件数を示すとされる旧厚生省統計の1406人には届かなかった。
 山形は統計の445人に対し、手術記録を確認できたのは49人。統計が206人の青森、97人の秋田は各1人のみ。284人の岩手、378人の福島はゼロで、大多数の記録は見つかっていない。
 旧法に基づき作成された手術申請書や手術実施を「適」とした資料は手術実施を確実に裏付けるものではないが、東北で計約700人分ある。公的記録が残っていない被害者は、さらに多いとみられる。
 救済法は手術記録がない被害者も一時金の申請を可能としたが、手術を受けたことが確定的な人以外は認定審査会の判断を待つことになり、法の対象となるか否かは審査に委ねられる。
 一時金対象者に対し、鳥取県は独自に個別通知する考えだが、宮城や山形はプライバシーへの配慮を理由に通知しない方針。周知などは申請の受け付けなどを担う都道府県によってばらつきも出そうだ。
 救済法成立を受け、村井嘉浩宮城県知事は「法成立で多くの人が救済されるよう、県も制度周知や丁寧な対応に努める」との談話を出した。


強制不妊救済法/本人への被害通知が必要だ
 旧優生保護法(1948〜96年)下で障害者らに不妊手術が繰り返された問題で、被害者におわびを示し、一時金320万円を支給する救済法が24日、成立した。旧法が母体保護法に改正されて以来、23年間も放置されてきた問題に対し、ようやく救済策が動きだす。
 救済法は与野党による議員立法で成立した。被害者の多くは高齢化しており、国会が早期の成立、施行を図った点は評価されていい。被害回復への第一歩となる。
 とはいえ、その内容は被害者の願いや思いとは懸け離れており、不十分と言わざるを得ない。
 救済法は前文で、被害者の心身の苦痛に対し「われわれは、それぞれの立場において、真摯(しんし)に反省し、心から深くおわびする」とうたう。
 「反省とおわび」は記したが、被害者が求める旧法の違憲性や国の法的責任には踏み込まなかった。反省とおわびの主体も「われわれ」とあいまいだ。
 政府は救済法成立を受けて安倍晋三首相の談話を発表し初めて謝罪の意を示した。しかし「このような事態を二度と繰り返さないよう、共生社会の実現に向け、政府として最大限の努力を尽くす」とする内容にとどまった。
 各地で続く国家賠償請求訴訟への影響を避けるため、国は不妊手術について「当時は適法だった」との姿勢は崩していない。国が施策の非を認め、責任を明確にすることなしに被害者の人権と名誉の回復は図れまい。
 救済制度の周知についても課題が残る。
 旧法下で不妊手術を受けたとされる障害者らは約2万5000人に上る。このうち個人が特定できる記録は約3000人分残っている。救済法では、プライバシー保護を理由に、こうした人たちへの個別通知は盛り込まれなかった。周知は広報活動にとどめ、自己申告が前提だ。
 国は強制不妊手術を受けさせるため「だましてもよい」と都道府県に通知した経緯があり、不妊手術だとの認識がない被害者も少なくない。障害特性などから意思表示が難しい人や、家庭の事情で言い出せない人もいる。
 全国被害弁護団の新里宏二共同代表(仙台弁護士会)は「請求数が極めて少なくなる恐れがある」と危惧する。多くの被害者の救済につながらないとすれば、一体、誰のための救済法なのか。政府や自治体はプライバシーに配慮しながら、被害事実を本人や家族に伝えるよう努力し、請求を支援する必要がある。
 国会が救済法制定へ動く契機となったのは、宮城県の60代女性が昨年1月、仙台地裁に起こした国賠訴訟だ。一連の訴訟で初となる判決は5月28日に言い渡される。旧法の違憲性を認める判決も想定され、内容次第では救済制度の見直しが迫られよう。


原爆資料館、展示一新 伝える役割さらに重く
 広島市の原爆資料館が、きょうリニューアルオープンする。2年前の東館に続いて本館の改装が終わり、25年ぶりに展示が一新された。原爆の悲惨さを伝え続ける中心施設になる。被爆者の話を直接聞く機会が減る中で、その役割はさらに重みを増すことになろう。
 ▽絶えず問い直せ
 本館は、遺品などの実物資料をより重視した展示に模様替えされた。来館者に一つ一つをじっくりと見てもらい、感性に訴える狙いがあるという。訪れた人の胸に、核なき世界を願う気持ちがこみ上げる展示になっているか。今後も絶えず問い続け、見直す姿勢が求められる。
 有識者による展示検討会議の9年に及ぶ議論がベースになった。本館は、原爆の実態をより被爆者の視線で伝えるコンセプトだという。
 被爆直後のむごたらしい写真を被爆者が描いた絵と交互に並べる展示が象徴的だろう。その光景を見つめた被爆者の心情がいっそう際立つようにも思える。遺品に持ち主や家族の写真、短いエピソードを添えて紹介する一角も、きのこ雲の下にいた一人一人に思いを巡らせるきっかけになるかもしれない。
 全般的には説明を最小限に抑えたという。来館者がじっくり遺品などと向き合うことで、原爆の悲惨さを自ら考えてもらう意図があるようだ。
 見る側に委ねている部分が大きい。
 例えば、来館者が本館に入って初めて対面する遺品は大型のガラスケースに入った動員学徒の衣服や持ち物である。そのケースを被爆した鉄骨や墓石などが囲む。あの日に居合わせたような感覚を持ってほしいという。だが、コースの序盤であり、その意図がどこまで届くだろうか。来館者の感じ方をつぶさに検証していきたい。
 ▽祈念館と連携を
 説明を減らした分、もっと被爆者の思いに触れたいと考える来館者もいるに違いない。近くには、被爆者の手記や証言映像を収集する国立原爆死没者追悼平和祈念館がある。さらに連携を深め、それぞれの役割を明確に知らせていくことも重要だ。
 今回から外国人被爆者の資料が常設展示になった。朝鮮半島出身者や東南アジアからの留学生の被爆を伝える展示は、原爆が日本人に限らず、罪のない市民の上に落ちたことを示すためでもある。
 昨年度の来館者152万人の約3割を外国人が占め、割合は年々高まっている。目立つのは欧米人だ。中国などでは、被爆地の訴えを「日本が戦争被害を強調している」と見る向きがある。アジアの人々の来館が少ない要因にもなっていよう。誤解を解き、海外の来館者の幅を広げなければならない。
 世界の目に耐え得る展示になっているか。私たち市民も資料館をあらためて訪れて、考えてみたい。
 原爆投下から74年となり、被爆体験を直接聞く機会は少なくなった。被爆建物が減り、痕跡をたどるのも難しい。
 ▽あらゆる核否定
 新たな展示では、被爆後の困窮した生活や消えない悲しみにも焦点が当たっている。今を生きる私たちには、まちの記憶を知り、受け継ぐ使命もある。資料館は、市民にも重要な学びの場所になっていくだろう。
 資料館は、開館翌年の1956年に「原子力平和利用博覧会」の会場になったことがある。原爆が悲惨だったからこそ、原子力を「平和」に生かそうという考えが被爆地にも芽生えた。時流に従ったことへの反省に立つなら、あらゆる核に対して毅然(きぜん)とした態度を示していかなければならない。それが核兵器のない世界への道筋を確かなものにもする。
 今回の改装で、長く展示されてきた被爆再現人形が撤去された。原爆が人間にもたらしたものをどう伝えるか。今回は実物資料を重視する方針が貫かれたが、絶対的な正解があるわけではない。有識者の展示検討会議が提言したように外部機関を設け、展示の在り方を冷静に議論し続けるべきだ。


液晶構想頓挫 政府主導の事業統合 検証が必要
 政府の主導による「日の丸液晶」構想が頓挫し、日本の液晶メーカーが事実上姿を消すことになった。
 業績不振の中小型液晶パネル大手ジャパンディスプレイ(JDI)が、中国と台湾の企業連合から総額800億円の支援を受けることで正式合意した。中台連合が筆頭株主となり、支配下に入る。
 JDIは、政府が主導して日立製作所、東芝、ソニーの事業を統合し、発足した。官民ファンドの産業革新機構(現INCJ)が出資するなど巨額の税金が投入されている。結果的に成果を上げられずに終わり、国策による合従連衡の限界を露呈した。失敗を重く受け止め、政府による介入の在り方を考え直さなければならない。
 2012年に発足したJDIは、赤字経営を脱することができなかった。19年3月期の連結純損益は5年連続の赤字になる見込みだ。国内に抱える工場の統廃合や人員削減も視野に入れている。日本企業からは支援を断られ、経営破綻を避けるには中台連合に頼るしかなかったのが実態だ。
 業績の悪化は、海外勢との価格競争に陥ったからだ。安値で売り込む韓国、中国メーカーを前に、高機能製品を得意とするJDIは価格の下押し圧力にコスト削減が追い付かなかった。経営悪化で投資余力も乏しく、競争力を一層失ってしまった。
 有機ELの開発が遅れたのも大きい。液晶から、より高精細の画像に対応できる有機ELへと軸足を移す世界の潮流から取り残された。寄り合い所帯で、意思決定が遅くなった結果だ。「親方日の丸」の意識が危機感の欠如につながった側面も否めず、経営責任は重い。
 今後、出資する中台連合は、JDIが持つ液晶や有機ELの技術力を取り込むことを狙っている。ただ、JDIの供給先の中で主要な顧客である米アップルとの取引関係に悪影響が出る懸念が拭えない。中国への技術流出についてはトランプ米政権が反発する恐れもある。米国の対米外国投資委員会(CFIUS)が安全保障の観点から口を出す可能性もあり、動向を注視する必要がある。
 液晶産業を巡っては、日の丸連合に参加しなかったシャープも台湾の鴻海精密工業の子会社となっており、日本の液晶産業はアジア勢に取り込まれる形となった。かつて隆盛を誇ったテレビやパソコンでも、韓国や中国のメーカーが世界の市場を席巻しており、日本の電機産業の衰退は深刻だ。
 しかし、どんなに重要な企業であっても国策で支援することには慎重になるべきだ。本来は淘汰(とうた)されるべき企業を救済すると、逆に市場の成長を妨げるケースがあり得る。役人が机上の論理で企業を再建するのには限界がある。今回の失敗を教訓として、政府は介入の手法を検証し、国会で産業政策について議論を深めねばならない。


変わらない隠蔽体質 11府省が大臣日程記録を「保存せず」
 財務省など11府省が、各大臣の面会や会合出席の日程を記した文書を、2017年度から約2年分、不存在としていることがきのう(24日)、NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の情報公開請求で分かった。
 クリアリングハウスは今年3月、17年4月から19年2月末までの大臣の日程表を各府省に公開請求。「開示決定の調整に時間を要する」とした防衛省以外の11府省から「不開示決定」の通知が届いた。不開示理由は「廃棄した」「保有していない」など。国交省は「事案終了後廃棄」と、即日廃棄を示唆したという。
 森友問題などを受け、政府は17年12月、行政文書管理の指針を改定。意思決定プロセスの検証に必要な文書などは保存期間を「1年以上」としたものの、日程表などについては「1年未満」とすることができる。日程表の廃棄は違法ではないが、改めて霞が関の“隠蔽体質”が浮き彫りになった格好だ。


安倍政権GW外遊ラッシュ 13閣僚“海外旅行”に血税5億の衝撃
 10連休になった今年のゴールデンウイーク(GW)。国内外は問題山積なのに、やっぱり安倍首相をはじめとする13閣僚は、巨額の血税を使ってノンキに外遊ラッシュだ。
 スリランカでは、消滅したとみられていたイスラム国と関連がある過激派組織による凄惨なテロが発生し、日本人が犠牲になった。首相と副総理の地元を結ぶ「安倍・麻生道路」を巡る“忖度”発言や、沖縄県の辺野古新基地建設問題もくすぶっている。そんな状況の中での外遊である。
「天皇の『退位礼正殿の儀』がある4月30日と、新天皇即位の儀式がある5月1日は、全閣僚が国内に滞在する」(永田町関係者)という。この2日間を挟んだ「前半」と「後半」に予定が分かれている。
■どんな成果が期待できるのか不明
 安倍首相は22〜29日、フランスやイタリア、米国など6カ国に出張中だ。公文書改ざんの責任を取らず居直って以降、評判が最悪の麻生財務相は25〜29日、首脳会談同席のため米国、カナダを訪問。後半の5月1日夜以降は、国際会議出席のためフィジーとフランスを訪問する。
 国税への口利き疑惑などで大揺れだった片山地方創生相は、要人との会談のため5月2日からインド、イスラエルを訪れる。危機管理の要諦である菅官房長官は、5月9日から要人との会談のため異例の米国出張だ。
 海外に出かけるのは閣僚だけじゃない。どんな公務があるのか、副大臣、政務官計10人もこぞって米国やフランス、パナマ、ペルーなどへの訪問予定が組まれている。
 本当に必要なのかよく分からない“海外旅行”の原資は、当然、国民の税金だ。
 野党の過去の質問主意書に対する答弁書などによると、安倍首相が過去、政府専用機で米国に3日間出張した際の費用は1億円を超えた。今回は8日間だから、単純計算で2億数千万にも上る。ファーストクラスで渡航する閣僚は日数や出国先にもよるが、1回あたり1000万〜2000万円程度の費用がかかるとみられる。ビジネスクラスを使う副大臣・政務官は閣僚の半分程度として計算すると、トータル経費は実に5億円を超える。「参院選を控え『無駄遣い』批判を避けるため、今年は絞った」(永田町関係者)というが、とんでもない金額だ。
 政治評論家の山口朝雄氏が言う。
「要人との面会というのは、具体的にどんな成果が期待できるのか、巨額の費用をかける必要があるのか不透明です。とりあえず海外に行くための、取ってつけた理由にしか見えません。本当は、『連休中に日本にいてもやることがない』『海外に行くとVIP待遇を受けられる』という理由で、単なる“物見遊山”ではないのか」
 庶民は国内旅行すらままならないのに、フザケた話だ。


アンモニア 新たな製造法を開発
医薬品や肥料などの原料となる「アンモニア」を効率的につくる方法の開発に東京大学のグループが成功し、製造コストと二酸化炭素の排出を大幅に減らせる手法として注目されています。
「アンモニア」は医薬品や肥料、化学繊維などの原料となり、世界で年間およそ2億トンが製造されています。
現在の主な製造方法は、「窒素ガス」と「水素ガス」を数百度、数百気圧という高温高圧の状態にして反応させるものが主流で、製造の過程で大きな電力を必要とするほか、「水素ガス」は天然ガスなどの化石燃料から取り出しているため、地球温暖化の原因となる二酸化炭素の排出が課題になっています。
これについて東京大学の西林仁昭教授のグループは、マメ科の植物に寄生する「根粒菌」と呼ばれる菌が空気中の窒素からアンモニアをつくり出していることに着目し、この菌が持つ酵素に似た働きをする触媒を開発しました。
そして、この触媒を使って実験したところ、化石燃料からの「水素ガス」を使わずに「水」と「窒素ガス」を反応させてアンモニアをつくることに成功したということです。
また、製造の際の温度は25度で圧力を上げる必要もなく、電力消費を大幅に減らすことができたということです。
研究グループでは今後、触媒をより効率的に働かせるために必要な化学物質のリサイクル技術などを確立して、さらに製造コストを抑え、実用化につなげたいとしています。
西林教授は「自然界の菌の働きを模倣することで温和な条件でアンモニアをつくり出すことができた。画期的な製造方法で、企業と共同研究を進めて実用化を急ぎたい」と話しています。


大分大、非喫煙者を優先採用 一部で疑問の声も
 大分大は、教職員採用について、非喫煙者を優先して採用する方針を明らかにした。3月に定めた選考の基本方針に盛り込んでおり、「喫煙者を排除するものではなく、喫煙者を採用した場合は、産業医による喫煙指導を受けさせる」としている。しかし、教職員の一部からは「個人の趣味、嗜好(しこう)を判断基準にすることは疑問だ」という指摘もあり、今後議論を呼びそうだ。
 大分大によると、採用選考の際に、喫煙習慣の有無を聞き取り、喫煙者と非喫煙者が同等の成績で並んだ場合などに非喫煙者を優先して採用する。採用後に喫煙者と判明しても罰則はないが、産業医の禁煙指導を受けさせる。同様の措置を巡っては、長崎大が19日、喫煙者は採用しない方針を明らかにしている。
 大分大は、「喫煙は喫煙者自身にとどまらず、すべての人々の健康に被害を与える」という考え方から2007年より禁煙を推進してきた。11年までに全キャンパスの屋内外を全面禁煙とし、喫煙所を撤去。14年からは学生と教職員を対象に無料の禁煙治療をしており、今年3月末までに延べ計459人が受診している。
 大分大は「禁煙環境を整え、禁煙の大切さを発信していきたい」としている。
    ◇
 非喫煙者を優先して採用する大分大の方針は、学内の教職員、学生の間で賛否の声が出ている。
 労働法に詳しい同大の小山敬晴准教授(経済学部)は「労働行政では採用時に個人の趣味や嗜好を基準にしないように推奨している」と指摘する。
 一方で、経済学部3年の女子学生(20)は自らは「吸わない」としつつ、「そこまで踏み込みすぎるのはよくないと思う」と疑問の表情を浮かべた。福祉健康科学部1年の女子学生(19)は「自分は吸わないので、たばこを吸う人の気持ちは分からないが、副流煙なども気になるのでそういう採用方針は良いと思う」と話していた。【田畠広景】


石野卓球が相棒ピエール瀧被告と再会「笑った!」
テクノユニット「電気グルーヴ」の石野卓球(51)が25日夜、ツイッターを更新し、麻薬取締法違反の疑いで逮捕された相棒のピエール瀧被告(52)と1カ月半ぶりに会ったと報告した。
「一カ月半ぶりに瀧くんと会ったよ。汗だくになるほど笑った!」
瀧被告は3月12日ごろ、東京都内のマンションで、若干量のコカインを吸引したとして同日、麻薬取締法違反の罪で起訴された。所属事務所ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)は2日付でマネジメント契約の解除を発表。瀧被告は4日に勾留先の警視庁湾岸署から23日ぶりに保釈されていた。
石野は18日午前にもツイッターで「もう事務所は辞める」とSMA退社する意向を示唆。「瀧もいないし」ともツイートし、瀧被告との絆の深さをのぞかせた。


ついに家宅捜索「ジャパンライフ」と安倍政権の黒い関係! 首相の最側近や田崎史郎らメシ友記者が広告塔に
 2000億円を超える負債を抱え、現在、破産手続き中の預託商法大手・ジャパンライフ社に、ついに捜査のメスが入った。債務超過の状態を隠して顧客を勧誘した疑いがあるとして、本日、警視庁など6都県警の合同捜査本部が特定商取引法違反(事実の不告知)容疑で創業者の元会長・山口隆祥氏の自宅や関係先など12都県30カ所を家宅捜索したのだ。
 同社の被害弁護団連絡会によれば契約者は約7000人にもおよび、現在、各地で損害賠償訴訟が起こされている。被害規模は史上最大の消費者被害を出した安愚楽牧場に次ぐもので、今後の捜査の行方に注目が集まっている。
 しかし、ジャパンライフをめぐっては、もうひとつ、注目すべき問題がある。それは、ジャパンライフと安倍首相の側近政治家、安倍応援団ジャーナリストとの関係だ。
 本サイトではこれまでも追及してきたが、安倍首相の側近である自民党の加藤勝信総務会長や二階俊博幹事長、さらに御用ジャーナリストの田崎史郎氏、NHKの島田敏男氏らといった“安倍首相のメシ友記者”たちがジャパンライフの“広告塔”をつとめてきた。さらに、2015年には安倍首相主催の「桜を見る会」に山口会長を招待。ジャパンライフは招待状と安倍首相の顔写真を宣伝チラシに載せてアピールに使っていたのである。
 その詳細をお伝えした昨年11月の記事を、今回、あらためて再録する。安倍首相の側近たちが被害の拡大に手を貸した事実は極めて重大であり、徹底した責任追及が必要だ。
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 マルチ商法としてこれまでにもたびたび社会問題化してきた「ジャパンライフ」が2400億円超の負債を抱えて破産、12日には最初の債権者集会が開催された。しかし債権者への返済はほぼ絶望的な状況も判明、大きな波紋を呼んでいる。ジャパンライフをめぐっては警察当局も特定商取引法違反や詐欺容疑を視野に本格捜査が開始される模様だ。約6800人にも及ぶと言われる被害者が予想されるが、さらに被害を増大させた一因がある。それがジャパンライフと安倍首相の側近政治家との関係だ。
 その最たる存在が、安倍政権下で内閣府特命担当及び一億総活躍担当大臣、厚生労働大臣などを歴任し、現在は自由民主党総務会長の要職にある加藤勝信議員だ。加藤氏はジャパンライフの内部向けの宣伝チラシに「ジャパンライフの取り組みを非常に高く評価していただきました」と紹介されるだけでなく、ジャパンライフ創業者で“マルチのレジェンド”と称される山口隆祥会長と2017年1月13日に会食するなど、ジャパンライフの“広告塔”としての役割を果たしている。つまり被害者を安心させる“印籠”になっていたというわけだ。周知の通り、加藤氏は安倍首相の最側近で、最近では“ポスト安倍”としても名前があがることもある政治家。もともと勝信氏は、自民党の大物議員・加藤六月氏(故人)の娘婿で、六月氏は安倍首相の父・晋太郎氏の側近中の側近。安倍首相の幼い頃から安倍家と加藤家は家族ぐるみの付き合いであり、また六月氏の妻・睦子夫人と安倍首相の母・洋子氏との関係は相当に深く、大臣抜擢も、洋子氏の後押しがあったためといわれる。そんなオトモダチがジャパンライフの広告塔だったわけだから、それこそ安倍首相の責任は免れないだろう。
安倍首相主催「桜を見る会」にジャパンライフ会長を招待!
 しかし、ジャパンライフとの関係があるのは加藤氏だけではない。そもそもジャパンライフは政治家との関係をさかんにアピールしてきた。たとえば自民党の二階俊博幹事長も加藤議員同様、ジャパンライフの宣伝チラシに登場するだけでなくは山口会長主催の“自民党・二階幹事長を囲む懇親会”まで開かれていた。また2014年にはこれまた安倍首相側近の下村博文元文科相が代表を務める政党支部に献金がなされた。さらにこの問題を追及し続けてきた共産党の大門実紀史参院議員が入手した「お中元リスト」には安倍首相をはじめ、麻生太郎財務相や菅義偉官房長官、茂木敏充経済再生相らが名を連ねていたのだ。
 そして極め付けが2015年に開催された安倍首相主催「桜を見る会」だろう。2014年9月にジャパンライフは消費者庁から文書で行政指導を受けていたにもかかわらず、この首相主催の会にジャパンライフ創業者の山口会長本人が招待されているのだ。しかも、ジャパンライフは招待状と安倍首相の顔写真を宣伝チラシに載せ大々的にアピール、また勧誘や説明会で「招待状」を顧客に見せ、その関係を利用しようとしていた。つまり側近政治家だけでなく安倍首相もまた“広告塔”としての役割を果たしていたと言っていい。
 こうして安倍政権に食いこんだジャパンライフだが、さらに安倍首相と一体化している官庁である経産省を中心に官庁工作や人脈形成を盛んに行っていたことも判明している。
 実際、ジャパンライフは元内閣府官房長や元特許庁長官ら複数の官僚OBを同社の顧問や関連するNPO法人の理事長として招請し、報酬を支払っていたことが明らかになっているのだ。
 さらに問題なのは、こうしたジャパンライフの政界官界人脈が、悪質商法を行っている疑いがあるジャパンライフの行政処分を遅らせたという疑惑までがあることだ。これは昨年4月の国会で前述の共産党の大門議員が追及したものだが、ジャパンライフの業務停止命令が、2015年9月の立ち入り検査から1年3カ月と通常の倍以上も要した背景に、消費者庁の課長補佐が同社に天下りしていたことが指摘されているのだ。
 つまり加藤議員ら政治家が“協力”していたことで同社の「信頼」を演出、さらには関係官庁のOBが天下りしていたことで、これまでも悪質マルチ商法を行っている疑いがあったのに、その行政処分が遅れ、被害を拡大させた可能性すらあるということだろう。
田崎史郎、NHK島田敏男ら“安倍のメシ友”記者も広告塔に
 ジャパンライフの確信犯的とも思える政界官界への工作だが、もうひとつの疑惑が存在する。それがマスコミ“広告塔”工作だ。これはジャパンライフ問題が大きく取り上げられている現在においても、テレビや大手紙が一切沈黙を決め込んでいるが、通信社、全国紙、そしてNHKなど大マスコミの編集委員・解説委員クラスの幹部が、しかも安倍首相に極めて近い人物たちがジャパンライフの宣伝資料に実名・顔写真入りで登場していたというもの。
 この事実は今年2月、消費者問題の専門紙・日本消費経済新聞がスクープしたものだ。記事によると同紙はジャパンライフ元社員から、顧客の説明会で使用する資料を入手。その中に、2017年1月27日、二階幹事長を囲む懇談会を山口会長の主催で開催したことが紹介され〈トップ政治家やマスコミトップの方々が参加しました! このメンバーで毎月、帝国ホテルにて情報交換会を行なっています〉と打たれものがあり、その下に「参加者メンバー」が肩書きと顔写真入りでリストアップされていたのだ。
 そのなかには、TBS『ひるおび!』などテレビでおなじみ官邸御用ジャーナリストの筆頭、“田崎スシロー”こと田崎史郎・時事通信社特別解説委員(当時)や、安倍首相と寿司を食う仲から“しまだ鮨”との異名を持つ島田敏男・NHK解説副委員長(当時)、また芹川洋一・日本経済新聞社論説主幹(当時)の名前があげられている。田崎氏、島田氏が安倍首相の会食メンバーであることは言うまでもないが、日経の芹川氏も第二次安倍政権発足以降に少なくとも6回も安倍首相と会食を行なってきた。
 ただ、このジャパンンライフの広告塔になっていたのは、安倍首相の“メシ友”だけではない。元読売新聞社東京本社編集局長の浅海保氏、元朝日新聞政治部長の橘優氏、毎日新聞社の亡くなった岸井成格・特別編集委員と倉重篤郎・専門編集委員、『報道ステーション』(テレビ朝日)コメンテーターでもある後藤謙次・元共同通信社編集局長らまでが名前を連ねていた。ようするに、政治部トップ経験者が勢ぞろいしていたのだ。 こうした名だたるメンツが二階幹事長を囲み、その懇談会がジャパンライフの山口会長の主催だとアピールすることで、マスコミ関係にも強力な人脈があるとの印象を顧客に与えたのは想像にかたくない。 安倍首相に近い政官界、そしてマスコミ幹部までもがレジェンドマルチ商法大手であるジャパンライフと癒着、“広告塔”となっていた疑惑──。だが、ジャパンライフと安倍政権の関係について、さらなる疑惑が浮上している。それがジャパンライフと安倍昭恵夫人との関係だ。
 これは昨年末、日刊ゲンダイが報じたものだが、昭恵夫人が2017年10月に消費者庁から3カ月間の一部業務停止命令を受けたマルチまがい商法の「48ホールディングス」の淡路明人会長と一緒に写っている写真がネットで出回ったというもの。そして48ホールディングスの渡部道也社長はかつてジャパンライフの取締役を務めていたという。その関係の詳細は不明だが、しかしここでもまた昭恵夫人が登場したこと、さらにジャパンライフと安倍首相の蜜月を疑わざるを得ない。
 冒頭で記したように、今後ジャパンライフは当局の本格捜査が着手されるが、果たしてこうした安倍政権との癒着構造が解明されるのか。その動きを注視したい。


言論バトル『主戦場』を生んだミキ・デザキ監督の問題意識 Changing the Comfort Woman Narrative
朴順梨(ライター)
「慰安婦は性奴隷ではなく売春婦でした」。タレントであるケント・ギルバートのこんなせりふがある一方で、彼ら「歴史修正主義者」の言葉を吉見義明中央大学名誉教授がばっさりと否定する......。ドキュメンタリー映画『主戦場』は、慰安婦問題をテーマに繰り広げられる、さながら言論バトルのような作品だ。
監督のミキ・デザキはフロリダ州生まれの日系アメリカ人。医学大学院予科生として学位取得後、2007年から5年間、山梨と沖縄の学校で英語指導助手をしていた。その時の経験を基に「日本では人種差別がありますか?」という映像を制作し、2013年にYouTubeにアップしたところ、「でたらめ」「反日工作員」といった批判ばかりが寄せられた。いわゆるネトウヨ(ネット右翼)との初めての遭遇だ。
そんな折、元朝日新聞記者の植村隆が激しいバッシングにさらされていることを知り、その端緒となった慰安婦問題に興味を持ったという。
2015年に上智大学大学院進学のため再来日したデザキは、慰安婦問題についてのリサーチを始め、映画制作を進めていった。ニュース映像や資料を発掘するその傍ら、活動家や学者など約30人を取材。「被害者は20万人いたのか」「強制連行だったのか」「性奴隷か否か」といった論点に沿って、彼らの主張を映像に収めていった。
この作品の特徴は日本とアメリカ、韓国を横断して関係者を追っていることだ。韓国では『帝国の慰安婦』著者の朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授に、アメリカでは慰安婦にされた少女の像を建立した団体メンバーのフィリス・キムにインタビューしている。また、「女たちの戦争と平和資料館」(東京)の渡辺美奈や韓国挺身隊問題対策協議会の尹美香(ユン・ミヒャン)(当時)など慰安婦支援に関わる者だけでなく、ジャーナリストの櫻井よしこや杉田水脈衆議院議員など、慰安婦の強制性に否定的な者も多く登場する。
どちらも通常は自身に好意的なメディアには登場するものの、対立する相手と同じテーブルに着くことはほぼない。またどちらかの意見を支持するジャーナリストに、反対陣営が取材に応じることも少ない。
なのになぜ彼は、双方を取材することができたのか。
差別的な発言が多く登場
「撮影当時は大学院生だったので、相手の言葉をねじ曲げるようなことをすれば、自分の学者としての信頼に関わった」と、デザキは言う。「だから取材したい人には、『双方の意見を映し出す映画にしたい』とアプローチしていた」
デザキはまた「これは想像にすぎないが」と断りつつ、自分が日系アメリカ人ということも影響したかもしれないと考えている。「右翼の人たちはアメリカ人向けに『慰安婦は存在しない』というキャンペーンを張っていたので、私が自分たちの役に立つと思ったのだろう。それは左翼の人たちも同様だ」
題名の『主戦場』は、少女像がカリフォルニア州グレンデールに建つなど、慰安婦問題の対立が当事国の日韓ではなく、アメリカで起きているところから取っている。
「なぜ慰安婦と関係がないアメリカに少女像を建てるのか、私も最初は不思議だった。でも左翼系の活動家は日本でこの問題が忘れられているだけに、全世界に少女像を置きたいのだと分かった。一方の右翼系は、アメリカ人の歴史認識を変えられれば世界中に影響が及ぶと考えたのではないか」
誰のどんな主張が正しいかという先入観なしに始めたものの、取材中は自身の認識を問われることが何度もあった。「もともと慰安婦問題の知識があるわけではなかった」というデザキは、例えば否定派が米戦争情報局の「日本人捕虜尋問報告書49号」(慰安婦は売春婦もしくは「プロの従軍者」と記したリポート)を示した際などは、心がざわついたと語った。反論するだけの材料を持っていなかったからだ。「インタビュー後はよく、『自分はどう思っているのだろう』と揺れ動いた」
映画には歴史修正主義者らによる差別的な発言が多く登場する。デザキは自らも日系アメリカ人として人種差別を経験してきたため、「これは間違った発言だ」と感じる瞬間はあった。その差別意識は自分に向けられたものではなかったので、耐えることができたという。
韓国で上映したときは、多くの観客が心を乱されている姿を見た。「でもこの作品には慰安婦に差別的ではない日本人も登場する。そのことは韓国人の日本人に対する認識の幅を広げてくれたはずだ」と、デザキは言う。「私はこの映画を作ることで、人助けをしたかった」
なぜ慰安婦問題をテーマにした映画が人助けにつながるのか。そう問うとデザキは、正しい知識を得ることがヘイトクライムの抑止になるからだと語った。「私が教えていた沖縄の高校のスピーチ大会で、ある女子生徒が『反日運動をしている中国人や韓国人には怒りを感じる。きっと日本の成功や技術革新に嫉妬している』と言っていた」
デザキはそのとき、この発言は知識が足りないことが原因だと気付いた。なぜ他国の人が日本に怒りを持つのかを学んで理解すれば、相手と対話ができる、ヘイトクライムは防げる──。
知識がないならまだしも、かたくなに信じているものを覆すことは容易ではない。しかしこの作品には、それすらも可能と思わせる仕掛けが終盤に用意されている。かつて櫻井の後継者と目されていた女性の衝撃的な「証言」だ。
上智大学で上映した際、鑑賞後の感想でこんなことを書いた男子学生がいたそうだ。
「自分は右翼的な思想の持ち主だったけれど、この映画で左派の人たちの考え方を初めて知って意見が変わった」
この言論バトルには観客を傍観者で終わらせない力がある。