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Japon : séisme de magnitude 6,3 dans l'ouest, pas de risque de tsunami
Un séisme de magnitude 6,3 selon l'institut de géophysique américain USGS s'est produit vendredi matin au large de la préfecture de Miyazaki, dans le sud-ouest du Japon, les autorités écartant tout risque de tsunami.
Les secousses ont été nettement ressenties dans l'ensemble de la préfecture japonaise de Miyazaki et une partie des régions voisines, mais aucun tsunami n'est redouté, a précisé l'Agence de météorologie japonaise qui a annoncé un séisme de magnitude 6,3, vendredi matin.
Pas d'anomalie dans les centrales nucléaires
Une conférence de presse des spécialistes de cet organisme était prévue un peu plus tard dans la matinée pour expliquer le mécanisme de ce séisme. Selon les journalistes de la chaîne publique NHK sur place, aucun dégât important ni blessé n'a été rapporté dans les minutes suivant ce tremblement de terre qui a duré plus de dix secondes, selon les images automatiquement enregistrées par des caméras de la NHK qui se déclenchent lors des séismes.
Les opérateurs des centrales nucléaires situées dans le périmètre n'ont pas signalé d'anomalie. Le Japon, situé à la jonction de quatre plaques tectoniques, subit plus de 20% des plus forts séismes annuellement enregistré sur Terre.
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フランス語の勉強?
又吉直樹のヘウレーカ!「なぜドリアンは“果物の王様”なの?」
ケガをするほど固いとげに強烈な臭い。なぜこれが“果物の王様”と呼ばれるのか?ドリアン大好き塚谷先生と腰が引けている又吉の、抱腹絶倒ドリアンパーティーが始まった!
日本に輸入されているタイ産ドリアン。強い甘みとマイルドな香りが特徴だ。又吉が店で選びぬいたものは“あたり”かそれとも…?食べてみようにも隙間ないとげとげに、皮をむくことすらできない。先生の力を借りてなんとか可食部にありつけるもその味は…。東南アジアでドリアン栽培の研究を積む若手研究者も参戦、日本人には戦前から親しまれていた果物であることも分かり、気づけばドリアンに覚醒する又吉であった。 又吉直樹, 東京大学大学院教授…塚谷裕一, 吉村崇, 宮崎大学講師…近藤友大

異邦人 @Beriozka1917
「大学無償化法」という報道は確実に誤解を誘うもので非常に悪質。その対象は「夫婦と子ども2人」の4人家族で「年収270万円未満」というが、こんな世帯は大学云々関係なく生活が出来ない水準ではないか。そして財源は、この世帯が最も苦しむ消費増税。負担が増えるだけで何もしていないのと同じ。

朝宮崎で地震があったとニュース.震度3か4くらいで,やはり揺れたとのこと.
自転車後輪のスポークが折れてしまっているようなので修理お願いしました.待っている間7-11でコーヒー買って時間つぶし.1500円.意外に安かったです.
昨日見たマレーシア料理が気になってランチはナシゴレン.ちょっと物足りない感じがします.
夕方Haさんが来ないのでアレ???って思って電話してもらうと忘れてました…とのこと.いつものKaさんが来ません.2人相手は大変で,先輩のほうを遅れてきたHaさんにお願いしました.
いよいよタッチペン購入です.

津波で全壊したサイクルスポーツセンター 来秋開業へ工事本格化 名取・閖上
 東日本大震災の津波で全壊した宮城県名取市サイクルスポーツセンター管理棟の建設工事が本格的に始まるのを前に、閖上地区の現地で9日、安全祈願祭があった。完成は2020年7月の予定で、センターの開業は20年秋を見込んでいる。
 市幹部や工事関係者ら約30人が出席。神事の後、山田司郎市長らがくわ入れをして工事の安全を祈った。山田市長はあいさつで「閖上地区に新たなにぎわいを生み出し、観光面での復興のシンボルになる」と期待感を示した。
 新たな管理棟は鉄筋コンクリート造6階で、延べ床面積は約3100平方メートル。掘削に成功した天然温泉の浴場を備え、震災前より40人多い最大100人の宿泊を受け入れる。自転車120台程度を保管できる車庫棟も建てる。
 サイクルスポーツセンターは1975年4月に開業。東北で唯一のサイクリング専用施設として親しまれ、最盛期の82年度には約5万4500人が利用したが、津波で施設が全壊した。
 復旧後は震災前と同規模となる1周約4キロのサイクリングロードのほか、スケートボード場やバスケットボール練習場、子ども向け遊具なども整備する。敷地面積は約3万6000平方メートルで、総事業費は約20億円。温泉掘削費用の一部はインターネットのクラウドファンディングで賄った。


復興へ「ヨンニョス」 復活のみこし威勢良く巡行 亘理・川口神社
 東日本大震災で被災した宮城県亘理町荒浜地区の川口神社で4月21日、春の例祭があり、震災で散り散りになった氏子ら約90人がみこしを担いで地区を練り歩いた。

 担ぎ手は「ヨンニョス」という独特の掛け声を響かせながら、復興へと向かう地域を約5時間かけて巡った。災害公営住宅や荒浜にぎわい回廊商店街などに立ち寄り、住民らが迎えた。
 春季例祭は約380年続く伝統行事。みこしは津波で損壊したが、その後、修繕され、2013年の例祭から復活した。


令和にちなみ 震災跡地を梅園に
新しい元号の「令和」が万葉集の中に歌われている梅の花を歌った序文が出典になっていることから、東松島市は、震災で被災した跡地を梅園にして、観光振興や産業の創出を目指すことになりました。
東松島市では、野蒜地区を中心に、震災で被災したおよそ42ヘクタールの土地が活用されないままとなっています。
こうしたなか、新たな元号の「令和」が万葉集の中に歌われている梅の花を歌った序文が出典になっていることから、市ではこの土地の一部を梅園にして観光振興や産業の創出を目指すことになりました。
10日は、このプロジェクトをめぐる初めての会議が開かれ、市の担当者などおよそ20人が集まりました。
そして、東松島市の渥美巖市長が「春には桜の前に梅の花見ができるような体制や梅酒などを作って、産業振興にもつなげたい」と述べました。
このあと会議では、今月から来月にかけて土地の調査を行って、木を植える場所を決めることや、植樹する木の種類などについて話しあいました。
このプロジェクトのリーダーを務める東松島市の加藤慶太副市長は「震災前は多くの方が生活していた思い出がつまった場所なので、花の里にして、将来につなぐような場所にしていきたい」と話していました。


<日本製紙石巻工場>石炭灰活用してコンクリート増強 復興現場へ普及期待
 日本製紙石巻工場(石巻市)で製造される「加熱改質フライアッシュ」(CfFA)が、東日本大震災の復興現場で使われ始めている。紙を乾燥させる際の熱源となる石炭の灰を再利用し、コンクリートの強度を高める効果がある。コンクリート原料として不足が懸念される砂や砂利の代用も可能で、建造物を長寿命化させる製品として普及を目指す。
 CfFAは二酸化ケイ素の粉末で大きさ10〜30ミクロン。コンクリートの製造過程で混ぜ合わせたセメントと水、砂利などに加える。内部で長時間にわたる結晶化反応が起き、コンクリートが徐々に締め固まることで強度が50%程度向上する。
 同社は従来、利用価値がない石炭灰の処理を外部に委ねていたが、大分大の研究グループと活用策を模索。混合によって、コンクリートの強度を落とす炭素を減らす技術を開発した。
 石炭灰は年間4万トン発生しており、このうち5000トンをCfFAの生産に充てている。
 同社は2015年12月、石巻工場内に製造設備を新設し、16年6月に生コン会社などへ販売を開始。仙台港の岸壁工事や岩手県山田町の海岸復旧工事など、震災の被災地を中心に19カ所の公共工事で使われた。
 コンクリート原料の砂や砂利は、震災復興や20年の東京五輪・パラリンピックの建設需要で全国的に調達困難になっている。同社の担当者は「骨材としても使える製品を被災地から供給したい」と話す。


<震災8年2カ月>北上川・中州で不明者捜索 範囲広げ手掛かりを
 東日本大震災の発生から8年2カ月となるのを前に、河北署は9日、石巻市釜谷の北上川の中州で、行方不明者の手掛かりを捜索した。
 署員8人と県警機動隊員ら7人が、岸から約500メートル離れた中州へゴムボートで移動。ヨシの根元をとび口でかき分けるなどして約3ヘクタールにわたって活動した。
 月命日に合わせた捜索で、今回の現場は初めて。遺族の要望を受けて実施した。捜索責任者の署員は「範囲が広かったので、今後も継続的に取り組みたい」と話した。
 石巻市内の行方不明者は4月末現在で420人。河北署管内では180人の行方が分かっていない。


<東日本大震災>仙台・メモリアル交流館 被災女性ら刺しゅう展 42点を展示
 東日本大震災で被災した仙台市宮城野、若林両区の女性たちが震災の記憶を刺しゅう作品で表現した企画展が、若林区のせんだい3.11メモリアル交流館で開かれている。19日まで。
 「ししゅうで伝える『わたしの物語』 東日本大震災の記憶」と題し、50〜70代の女性38人の作品42点を展示。市内各地から寄付された布の端切れや糸を使い、25センチ四方の布に記憶に残る風景やシーンを描いた。
 震災前の貞山運河や海岸沿いの松林を刺しゅうした作品、震災で死んだ愛猫と井土地区の一本松を描いた作品、震災当日に家族4人で1本のろうそくを囲み、身を寄せ合った記憶を表現した作品などがある。
 会場を訪れた青葉区の会社員平沢杏樹さん(22)は「同じ素材の布を使っていても、全く異なる刺しゅうが出来上がっている。言葉だけでは分からない震災の記憶が伝わる」と話した。
 主催したのはNPO法人イコールネット仙台。被災女性たちの体験を多くの人に知ってもらい、記憶の風化を食い止めようと企画した。昨年10〜12月に同館で講座を3回開き、昭和女子大名誉教授の天野寛子さんの手ほどきを受けながら、刺しゅうを完成させた。
 各作品には制作者の70文字メッセージが添えられている。イコールネット仙台の宗片恵美子代表は「作品に込めた思いも含めて見てもらいたい。温かな刺しゅうから女性たちの物語が伝わればいい」と期待した。
 入場無料。午前10時〜午後5時。連絡先は交流館022(390)9022。


気仙沼湾横断橋の支柱を設置
復興道路として整備が進められている三陸沿岸道路のうち、気仙沼湾を横断する橋の建設工事が進められていて、10日、橋の支柱部分を設置する大がかりな作業が行われました。
三陸沿岸道路は、仙台市から青森県八戸市までの全長およそ360キロの自動車専用道路で、国が震災からの復興に向けて建設を進め、再来年3月までの全線開通を目指しています。
10日はこのうち、気仙沼湾を横断する全長1344メートルの「気仙沼湾横断橋」の「主塔」と呼ばれる道路を支える支柱を設置する大がかりな作業が午前6時半から始まりました。
あらかじめ千葉県の工場で組み立てられ、船で運ばれてきた長さ65メートル、重さ890トンの支柱は、クレーン船で横になった状態で釣り上げられ、1時間かけてゆっくりと垂直に持ち上げられました。
そして、海に設置した橋脚に連結するため位置の調整を行ったあと、支柱の固定を午後2時半ごろに終えました。
工事を担当する仙台河川国道事務所の手間本康一建設専門官は「三陸道のいち早い完成は復興の推進につながると考え、着実に事業を進めていきたい」と話していました。
仙台河川国道事務所では、来年12月の完成を目指して橋の建設を進めることにしています。


仙台で今年初の夏日 26・4度
 宮城県内は10日、高気圧に覆われ、暖かな空気に包まれた。仙台管区気象台によると、仙台市内の気温は正午現在で26・4度に達し、今年初めての夏日となった。
 宮城野区の榴岡公園では子どもたちが日差しを浴び、芝生の上を元気いっぱいに走り回っていた。
 県内各地でも夏日となった。正午までの最高気温は蔵王26・3度、丸森26・1度、名取25・8度で、いずれも今年最高だった。
 気象台によると、午後も晴天に恵まれ、気温の高い状態が続くという。


<東北大>コラーゲンなどの可溶性タンパク質の分泌 制御物質を特定
 生体の細胞内で重要な役割を果たすコラーゲンやラミニンなどの可溶性タンパク質の分泌を制御する物質を特定したと、東北大の福田光則教授(細胞生物学)の研究グループが9日、発表した。
 細胞内のタンパク質には細胞の外で働く可溶性タンパク質と、細胞膜で作用する膜タンパク質がある。細胞で作られ、小器官「小胞体」と「ゴルジ体」を経て細胞膜に到達後、外部に分泌されるなどする。
 二つのタンパク質はゴルジ体で同じ小胞に入って細胞膜へ送られる。可溶性タンパク質は細胞外に出され、膜タンパク質は膜の成分としてとどまるとされていた。
 グループは、可溶性タンパク質の分泌に作用する低分子タンパク質を特定。この物質を欠いた輸送小胞は分解されてしまうが、膜タンパク質の量に大きな影響がなかったため、膜タンパク質が別の小胞で運ばれている可能性が出てきた。
 福田教授は「ゴルジ体でのタンパク質の選別を人為的に制御できれば、将来の創薬などにつながるのではないか」と話す。研究成果は米科学誌に掲載された。


<JR東>次世代新幹線 時速360キロへ 試験車両公開 今夜から走行試験
 JR東日本は9日、次世代新幹線開発に向けた試験車両「ALFA−X(アルファエックス)」を宮城県利府町の新幹線総合車両センターで報道陣に公開した。現行車両より40キロ速く、高速鉄道として世界最速の最高時速360キロでの営業運転を目指す。10日夜から行う走行試験で安定した走行技術の確立を図る。
 車両は10両編成で全長約250メートル。両先頭車両のデザインが異なり、先端の「鼻」は1号車が現行のE5系より1メートル長い約16メートル、10号車が約22メートルある。鼻が長いことでトンネル進入時に発生する発破音を抑制できる一方、客席数が減る難点があり、データを集めて効果を見極める。
 車両には揺れを抑える装置や、地震発生時に空気抵抗を利用し停止距離を短縮させる機能を盛り込んだ。1〜6号車は川崎重工業兵庫工場(神戸市)、7〜10号車は日立製作所笠戸事業所(山口県下松市)で製造し、4月に搬入された。総工費は約100億円。
 JR東は北海道新幹線が札幌まで延伸する2031年春ごろまでの導入を目指す。走行試験は22年3月まで仙台−新青森間で週2日程度、年間最大約70日を予定。主に時速210〜360キロで走り、400キロでの走行も数回行う。その後も耐久性の確認などを進める。
 先代の試験車両「ファステック」も360キロでの営業運転を目指したが騒音と対策コストがネックとなり、E5系では最高時速を320キロとした経緯がある。
 JR東日本研究開発センターの小川一路所長は「車両と地上設備に新たな技術と環境対策を取り入れ、360キロの実現に挑戦する。沿線住民の理解を得ながら進めたい」と話した。


気仙沼大島に民間モール今夏オープン 地元食材生かした料理店など6店舗
 気仙沼大島大橋で本土とつながった気仙沼市の大島に市が整備している観光拠点内に、島の商店主らが7月、商業モール「野杜海(のどか)」を先行オープンさせる。地元の食材を生かした料理店や新鮮な魚介が買える鮮魚店など6店舗が入る。
 木造平屋6棟で延べ床面積計480平方メートル。事業費は約1億円で県の補助金を活用した。東日本大震災で被災した商店主らがつくった合同会社が運営する。
 大型連休中は亀山や龍舞崎に向かう道が渋滞し、島内で行き場を失う観光客の姿が目立った。野杜海には観光の中核施設としての役割が期待される。


線量測定 空から効率的に 原子力機構などがドローンシステムを開発
 日本原子力研究開発機構(原子力機構)などは9日、東京電力福島第1原発事故で発生した放射性物質を空から測定するシステムを開発したと発表した。カメラを搭載した小型無人機ドローンを自立飛行させ、広大なエリアから線量が高いホットスポットを探し出す。本年度中の実用化を目指す。
 ガンマ線を検出する小型軽量のコンプトンカメラをドローンに搭載。プログラムに従ってドローンが10〜15メートルの高度を維持し、地上の放射性物質の分布状況を測定する。結果は線量率に応じて色分けされ、航空写真と重ね合わせると3次元で表示できる。
 広いエリアを短時間で検知できるのが特長。福島県内の帰還困難区域で1月末に行った実証試験では、従来機器で半日以上を要する約7000平方メートルを30分未満で測定した。局所的に存在するホットスポットも正確に捉えることができた。
 浜通り地方に新産業集積を図る「福島イノベーション・コースト構想」に基づく補助金を活用し、原子力機構と千代田テクノル(東京)、栄製作所(南相馬市)が2016年度から共同研究してきた。今後自治体などから依頼があれば、有償で測定サービスを行うことを検討している。
 9日に福島県庁で記者会見した原子力機構の鳥居建男副ディビジョン長は「ドローンによって広いエリアを効率的に把握できる。原発事故が起きた場合、人が立ち入れない場所をモニタリングすることも可能になる」と話した。


いじめ防止法 悲劇防ぐ改正進めよ
 超党派の国会議員によるいじめ防止対策推進法の改正作業が難航している。学校の負担増に配慮し、当初の対策強化案が後退。遺族らは反発している。悲劇をなくすため一歩でも前進できないか。
 十連休の後にも、埼玉県では電車にはねられ亡くなった高校生がいる。目撃情報から自殺とみられている。原因は分からないが、学校に行くのがつらかったのかもしれないと思うと胸が痛む。子どもたちをどうやったら救えるか。そこを原点に考えたい。
 法は、二〇一一年に大津市の中学二年男子がいじめ自殺した事件をきっかけに制定された。国や地方自治体、学校はいじめ防止の方針を定める。自殺や長期の不登校は「重大事態」と位置付け、第三者委員会をつくって原因究明にあたり、再発防止につなげる。
 しかしその後も全国で子どもが命を絶つ事態は続いている。第三者委員会の調査結果に遺族が納得せず、再調査になるなど、法は必ずしもうまく機能していない。
 昨年公表された改正案のたたき台には、いじめ対策委員会の設置や学校で作るいじめ防止基本計画に盛り込むべき項目などがきめ細かく盛り込まれていた。しかし四月の案ではそれらが削られた。
 いじめの定義が広すぎるなど、現行法でも学校は疲弊しているとの指摘もある。一方でいじめ自殺の遺族らには、学校でいじめ問題の深刻さが共有されていないという、もどかしい思いがある。
 両者の溝を埋めていくためには、余裕をもっていじめに向き合える体制づくりが必要なのではないか。スクールカウンセラーなどの配置は進んでいるが、それに加え大津市はいじめ対策主任を学校に置けるよう、国が財政支援することを提案している。
 市は事件後の一三年度から、いじめ対策に専念する教員をほぼ全校に配置した。増員分の人件費は市が負担している。担当教員は子どもたちの様子を見守るとともに、靴箱や教室の細部まで日々、目をこらすのだという。靴に画びょうや虫が入れられていたり、窓枠や机に「死ね」などの落書きがされていたりの危険な兆候が見つかることもあるからだ。いじめの早期発見につながっているという。
 子どもの死があって国や地方自治体が重い腰を上げる。これまでのいじめ対策はその繰り返しだった。その情けないありようを克服するため、法改正にも知恵を絞りたい。


いじめ調査/悲嘆に寄り添えているか
 子どもの自殺といじめとの関連を調べる「第三者委員会」のあり方が問われる事態となっている。遺族の反発で調査をやり直すケースが全国各地で相次いでいるためだ。
 兵庫県内では神戸市、宝塚市、多可町の3市町で、第三者委の調査方法や報告書の内容に遺族が納得せず、再調査となった。教育委員会からは「遺族と信頼関係を築けなかった」と悔やむ声が聞こえる。
 中立、公平な視点で事実を解明するのが第三者委の役目だ。ただその前提には、亡くなった子どもを悼む気持ちと、絶望の淵にいる遺族への最大限の配慮があって当然だろう。
 遺族をさらに傷つけ、苦しめている現状を重く受け止めねばならない。いじめ予防の観点からも、第三者委はどうあるべきかを議論する必要がある。
 2013年施行のいじめ防止対策推進法は重大なケースについて教委や学校に調査を義務付ける。弁護士や学識者による第三者委を設ける場合が多い。
 法的な責任追及ではなく、指導や再発防止につなげるのが目的である。文部科学省はガイドラインで、遺族の知りたい気持ちを理解し、寄り添いながら調査するよう指示している。
 ところが「中立、公平」を盾に情報開示を渋るなど、第三者委の姿勢が遺族との間にあつれきを生じさせる事例が目立つ。
 宝塚市で中学2年の女子生徒が自殺した問題では、第三者委の一人が「人間の死を語ること自体が冒瀆(ぼうとく)」と発言し、遺族の不信を招いた。真相究明の放棄とも受け取られ、論外だ。
 神戸市の中学3年女子の自殺で再調査委がまとめた報告書は注目に値する。「調査は遺族のグリーフ(悲嘆)ケアの側面を持つ」と明記した。委員長は「調査は徹底するが、姿勢は遺族寄りでいい」と言い切る。「第三者性」と「寄り添い」は相反しない−との見解である。
 ガイドラインには調査の具体的な方法などは示されず、事務局となる教委の役割もはっきりしない。判断を任された第三者委は試行錯誤を重ねている。
 いじめ防止法は超党派の国会議員が改正を目指す。被害を受けた子どもやその保護者の視点を大切に議論を深めてほしい。


大津の巻き添え事故 園児のお散歩守るために
 大津市で散歩中の保育園児が犠牲となった交通事故を受け、保護者や保育士に衝撃が広がっている。これを機に園児の「お散歩」をためらうムードが生まれることを懸念する。
 園児らは、乗用車と軽乗用車の衝突事故の巻き添えとなった。園児と保育士の計16人が死傷した。運転者の不注意が原因とみられる。
 保育士らに引率され、園近くの琵琶湖畔に向かう散歩の途中だった。信号待ちしているところに車が突っ込んだ。
 保育士は、園児に車道から離れた歩道を歩かせたり、列の前後を歩いて園児を見守ったりし、安全には十分配慮していたという。
 園外での散歩や外遊びは、小さな子供の成長に大きな意味がある。保育士が多くの園児を連れて歩く姿は日常的な風景に溶け込んでいる。
 保育園で園児を預かる時間は幼稚園よりも長時間になる。都市部では専用の庭がない園も目立つ。園外での活動は園児に欠かせない習慣だ。
 こうした活動は保育士がいてこそできることだ。人手不足が続き、多くの園児に目配りしながらも、子供の成長を手助けする重要な仕事だ。
 今回の事故の衝撃で保育士が散歩をためらう気持ちになっても不思議ではない。
 それでも、保育士の活動が萎縮して散歩をためらえば、子供たちはどうなるだろう。散歩を通じて得られる運動の効果や自然とのふれあいは貴重ではないか。
 大事なのは、保育士らが園児を安心して外に連れていける環境を作っていくことだ。安全確保を園だけに任せるのではなく、社会全体で取り組む必要がある。
 運転中に散歩する園児の集団が視界に入ったときにはとりわけ注意することは当然だろう。自転車や歩行者も十分に配慮してほしい。
 行政による安全対策も重要だ。小学校の通学路は相次ぐ死亡事故を踏まえて国が全国点検し、ガードレールの設置など対策が進んでいる。
 しかし、今回のような園児の散歩コースは調査の対象外だ。行政が率先して危険箇所を点検し、対策を検討してもいいのではないか。
 あらゆる手段を考えて、子供の命を守る社会を実現していかなければならない。


ふるさと納税 寄付の本旨に沿う形に
 総務省は、6月から始まるふるさと納税の新制度の対象から、静岡県小山町、大阪府泉佐野市、和歌山県高野町、佐賀県みやき町の4市町を外す方針を決めた。
 基準に反する返礼品を贈って多額の寄付を集めていたとの理由で、6月以降は寄付しても税の優遇措置を受けられなくなる。
 度を越した返礼品競争が制度をゆがめていることは否定できず、ある程度の規制もやむを得ない面はあろう。
 ふるさと納税は本来、政策に賛同して地方自治体を応援する寄付税制だったはずだ。新制度の開始を契機に、その基本に立ち返る必要がある。
 新制度は、寄付者に贈る返礼品を「調達費が寄付額の30%以下の地場産品」に限定し、この基準に適合した自治体のみを総務相が対象に指定する。
 4市町は昨年11月以降、寄付額の30%を超える地場産品でない返礼品や、インターネット通販大手「アマゾン」のギフト券などを送付していた。
 税源となる法人などが少ない自治体にとって、ふるさと納税が新たな資金調達法として一定の成果を上げているのは確かだろう。
 だからといって、地域と関わりのない豪華な見返りで寄付金集めに血道を上げるのは、行き過ぎと言わざるを得ない。
 返礼品は、地域に興味を持ってもらうきっかけにすぎない。大切なのは寄付の使い道だ。
 道内では、JR北海道が単独では維持困難とする花咲線の存続と魅力発信を目的に、根室市がインターネット上で寄付を募る方式で約3億円を集めた。
 胆振東部地震では、胆振管内厚真町などに、返礼品がなくても、ふるさと納税による寄付が集まっている。これらは、制度の趣旨にかなった事例といえよう。
 各自治体には、寄付者が地域の課題に関心を持ち、寄付金がその解決に生かされていると分かるような取り組みが求められる。
 近年は、士別市のように、墓の清掃や郵便局員らによる高齢者の見守りなどのサービスを返礼とする自治体も増えている。
 人口減を踏まえ、故郷を離れた人との関係を保つ工夫は将来のUターンにつながる可能性もある。
 ふるさと納税は、地方の税収格差を是正する手段としては弥縫(びほう)策であり、安定的な財源とは言えまい。政府は国から地方への税源移譲が本筋であることを忘れてはならない。


高齢者がハマった問題のブログ「余命三年時事日記」の中身
 分別のある高齢者たちが次々とハマった「余命三年時事日記」には、いったいどんなことが書いてあるのだろうか。青林堂から出版された書籍版の表紙にはこうある。
<余命三年を宣告されたブロガーが、韓国や在日、サヨクが知られたくない情報を暴露。今もっとも注目される注目のブログを書籍化!>
 同書の記述などによると、2011年に「余命」の前身ブログが「日本人覚醒プロジェクト」として始まった。初代余命は13年12月に死去したことになっているが、ブログ自体はその後もプロジェクトメンバーによって継続されていたという。
<記事には在日がいやがる朝鮮情報が満載である。(略)彼らの蛮行残虐史がすべて網羅されている(略)行動する保守として、余命は(略)在日特権の廃止という具体的な段取りに入っている><余命プロジェクトチームの目標である「日本再生」のためには、国内に巣食う反日売国奴の排除がどうしても必要なのである>(書籍版から)
■「外患誘致罪」という言葉に高揚感
 読むだけで頭がクラクラしてくる。そんな中、とりわけ目を引くのが「外患誘致罪」という聞き慣れない言葉だ。
 刑法上の罪名だが過去に適用されたことは一度もない。なぜなら、外国と通謀して日本に対して武力行使をさせるという、およそ荒唐無稽な犯罪だからだ。しかも、有罪になると死刑しかないというシロモノだ。
 ところが、余命ブログにはこの言葉がやたら頻繁に出てくるのだ。
<日本と韓国は紛争状態にあるので、外患罪(外患誘致罪)の適用条件は満たされている><特定秘密保護法と外患誘致罪><売国奴に外患罪><赤松広隆を含む民主党(当時)幹部たちを外患誘致罪で逮捕し、極刑に処すべきではないか>
 在日外国人の地方参政権を掲げていた旧民主党と、その後継の政党は“余命氏”の最大の敵である。「外患罪容疑者リスト」にはその流れをくむ議員の名前がずらりと並んでいる。
 現職の議員がそんなことをするはずがないし、今回の弁護士大量懲戒請求の“きっかけ”とされる朝鮮人学校の無償化に関する声明がそんな罪になるはずもない。
 しかし余命氏はこのままでは朝鮮人が日本を滅ぼすとあおる。高齢者を中心とするブログ読者は外患誘致罪という言葉に高揚感を覚えて「朝鮮人との闘い」という妄想に取り込まれ、余命氏が指名する弁護士らに懲戒請求してしまった。これは、まぎれもないヘイトクライムなのである。
 そして、もうひとつ気になるのが事件の“カルト性”だ。
 余命氏の扇動によって多くの人が盲目的に行動を起こした。弁護士からの和解の呼びかけも、余命氏の「応じるな」という指示で和解の動きが鈍っている。
 なぜ、正体不明の余命氏の指示がそんなに効くのか。ブログをめぐる「闇」は深そうだ。


生放送のニュース番組でコメンテーターが激怒「人権感覚の欠如」 ネット賛否
 読売テレビのニュース番組「かんさい情報ネットten.」(月〜金曜、後4・47)で10日、コメンテーターの作家・若一光司氏が、お笑いコンビ・藤崎マーケットが男性か女性かわかりづらい人の性別を知るために免許証を見せてもらうなどして確認したことに対して、「許しがたい人権感覚の欠如。よくこんなもん放送できるね」と怒り心頭に発し、生放送でスタジオが静まりかえる事態になった。
 若一氏が激怒したのは、藤崎マーケットが街でさまざまなことをリサーチする「迷ってナンボ!」のコーナー。店の常連が男性なのか女性なのかがわからないという店員の依頼で当該人物に確認するという内容で、当初は恋人の有無や下の名前を聞いたり、胸を触ったりしていたが、最終的には免許証を見せてもらい“解決”した。
 このVTRに若一氏が激怒。「あのね、男性か女性かという聞き方、許しがたい人権感覚の欠如ですね。個人のセクシャリティにそういう形で踏み込むべきじゃないです」とバッサリ。中谷しのぶアナウンサーや澤口実歩アナ、小島康裕解説デスク、ライセンス・藤原一浩、菊間千乃弁護士がいたが、誰も一言も発せないままだ。
 若一氏は「こんなもんよく平気で放送できるね。報道番組として、どういう感覚ですか。ちゃんと考えろよ」と語気を強めた。中谷アナが「皆さんの悩みを聞きながらということですから…」とフォローしようとしたが、それを遮り、「たとえご本人がテレビに出ることを了解しているとしても、個人のセクシャリティにそういうアプローチをすること自体が人権感覚、人権意識にもとります」と、憤まんやるかたないようだった。
 ネットでは「放送事故になっとる」、「生放送にブチ切れやばい」、「急に凍り付いた」といった声が並ぶ一方、「取材された当事者がOKなんだから」と、VTR放送を擁護する声もあった。
 なお、番組ラストでは、和歌山・白浜のパンダの話題に、若一氏をはじめ出演者一同が笑顔を見せていた。
 若一氏は地元大阪の歴史や、イスラエル問題、第2次世界大戦の日本軍一等兵を扱った著作で知られる。


太郎ちゃんの言う通り! 税金使って遊んでるんじゃねーよ
「あなたの生活が苦しいこと、あなたのせいにされてんです。あなたが頑張らなかったとか、努力が足らなかったとか。その前に、国の努力が全くないじゃないか。」(山本太郎・れいわ新選組代表)
 これは山本太郎ちゃんが、4月30日JR大阪御堂筋で行った演説の中の言葉。
 太郎ちゃんには演説をすると、その姿を拡散するファンがおる。太郎ちゃん大好きのあたしは嬉しい。このところの太郎ちゃんは、まるで若い頃のジェレミー・コービン。ほんとうにあたしたちの代表って気がする。
 それにしても、太郎ちゃんのいう通りだと思わないか?
 飛ばないF35とか買ってんじゃねーよ。友達に学校作ってあげるとか、自民党2019プロジェクトとか、税金使って遊んでるんじゃねーよ。
 太郎ちゃんによれば、20歳から64歳までの女性の一人暮らし、3人に1人が貧困。この国の子どもたち約7人に1人が貧困。
 太郎ちゃんはつづける。
「賃金の統計、インチキしてる暇あったら、さっさと、やるべき仕事やれよ! って話なんですよ。なんか経済が良くなったとか、賃金が上がったみたいな小細工せんと、さっさと金出せよって話なんですよ!」
 太郎ちゃんは、今の政治に足りないのは、あたしたち国民をおもんばかる気持ちだという。
 だよねぇ、あたしもあの人たちからおもんばかられた記憶がないわい。便利なATMの1つとして認識されている、そう感じるけど。
 太郎ちゃんは王道をそのまま突き進んで! あたしも太郎ちゃんが危惧するおなじ理由から動き出すことにしましたよ。
 月に一回、困っている人たちに寄付するため、小沢遼子さんと戦慄かなのちゃんとイベントを開くことにしました。詳しくは、あたしのTwitterを見てちょ。そこからイベントサイトへいけるようになっています。


日大ついに民事提訴へ “ドン”田中理事長が追い出される日
「事態は深刻化している」――。日大の運営に異を唱える改革派有志の会見が注目を集めている。
 日大教職員らOBでつくる「新しい日本大学をつくる会」(会長・牧野富夫元日大副総長)が7日に開いたもの。牧野氏は昨年のアメフト部悪質タックル問題などの影響で2018年度の私学助成金が前年比35%減らされ、入試の志願者が大幅に減少したことなどに触れ、「理事長は説明責任を果たしていない」と田中英寿理事長を批判。大学のイメージが傷つけられ、精神的な苦痛を受けたとして田中氏ら大学執行部に慰謝料を求める民事裁判を起こす方針を発表し、執行部の総辞任を求めた。
 田中氏は日大のトップに君臨する最高実力者だが、アメフト問題では会見もせず、沈黙を守ってきた。反社会勢力とつながりがあるのではないかともマスコミに追及されたが、その権勢は微動だにしない。
「つくる会」の役員があらためて語る。
「助成金減額だけでなく、日大の信用が傷つきました。われわれは田中氏らの辞任を求め、反社会勢力と関係がないのかとの質問をしてきましたが、返ってくるのは木で鼻をくくった回答ばかりです。田中氏のもと、日大はプロ野球のスタンドなどに多くの広告を出しているが、果たして必要なのか。日大が生まれ変わるには32人いる執行部全員が辞任し、現在の経営優先から教育優先に切り替えることが不可欠。今のままでは学生が就職で不利になってしまう。本当に気の毒です」
 牧野氏は先月、田中氏に「説明責任を果たした方がいい」と伝えたが、田中氏は「俺は悪いことはやっていない。みんなの前で謝る必要はない」と潔白を主張したという。
「田中氏は何が何でも理事長の座にしがみつくつもりです」とは日大問題に詳しいジャーナリストの伊藤博敏氏だ。
「もし辞任したら、背任を指摘されるかもしれないと心配しているのでしょう。だから執行部を味方で固め、逆らう人には報復人事。東京勤務の人が地方の施設の用具係に飛ばされるような恐怖支配です。会見しないのは記者の鋭い質問に臨機応変に対応できないからでしょう。『つくる会』が執行部全員の辞任を求めたのは好判断。そっくり入れ替えないかぎり、田中帝国はびくともしませんからね」
 日大のOBとマスコミ、一般の世論がどこまで関心を寄せるか――。


NGT48山口真帆の気になる卒業後 引っ張りダコか干されるか
 昨年12月にファンの男性2人から暴行被害を受けたNGT48の山口真帆(23)が18日の公演を最後にアイドルから卒業する。
 6日に横浜で行われた握手会では、最後なのに握手をせず「会話のみ」となった。山口は終了後、約300人のファンの前で「また皆さんに会えるように頑張りたいと思うので、『またね』と言わせてください」と芸能活動を続けることを匂わせた。
 そこで気になるのが、山口の今後の活動だ。一部報道では〈複数の芸能事務所がオファー〉〈大手事務所が興味〉〈バラエティーで起用〉などと報じられている。
 ただ、山口は所属事務所AKSとの間に、暴行事件への対応がキッカケでミゾができ、卒業の運びとなった。過去に所属事務所との物別れで表舞台から遠ざかった女優もいる。
「2013年のNHK朝ドラ『あまちゃん』でブレークした能年玲奈が典型的な例ではないでしょうか。能年は15年に当時の所属事務所との契約が残っているにもかかわらず、無断で個人事務所を立ち上げて独立。ラジオ番組やCMも次々に終了し、“開店休業”状態でした。16年には『のん』に芸名を変更して再スタート。声優に挑戦したり、CDを出したり、ネットドラマには出演はするものの、一線から姿は消え、“干された”印象は拭えません」(芸能プロ関係者)
 ファンにとっては心穏やかではいられない。山口はどうなってしまうのだろうか。
「今後は移籍先の事務所に迷惑がかかるのでAKSとの全面戦争を避け、穏便に芸能活動を続けていくと思います」と、プロアイドルヲタクのブレーメン大島氏がこう続ける。
「今回の件で、良くも悪くも知名度は全国区になりました。オファーを出した芸能事務所もあると言われているので、ニーズがある証拠。干されることはないでしょう。しかし、テレビ出演はしばらくないと思います。本人はバラエティーなどに出たいと思っているかもしれませんが、端正なルックスを生かし、大手出版社の雑誌モデルなどを務めるのではないでしょうか。バラエティーだと“暴露キャラ”を期待される可能性が高く、事態を蒸し返される恐れがある。モデルとしての活躍次第で今後が開けてくると思います。沈静化したころに、今回の件とは関係ないと言われている秋元康さんがプロデュースすれば面白いかもしれませんね」
 “干される”ことはなさそうだが、しばらくは我慢の時が続きそうだ。


x「女子力」という言葉は、どんなふうに私たちを呪縛しているのか アンケート調査から見えてきたこと
菊地 夏野 名古屋市立大学准教授
世間は「女子力」をどう捉えているか
みなさんは「女子力」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。Yesと答えてくれる人が多いことでしょう。それでは、「女子力」という言葉をどう思いますか、好きか、嫌いか? どちらでもない?
数年前、私は学生と一緒にこの言葉について調査しました。
というのは、私は、ジェンダーについて日本社会が今どんどん変容していると考えているからです。ジェンダーが社会的なものである以上、常に変わり続けるのは当たり前だとも言えますが、問題は、その変化が大きいあまり、それにわたしたち個々人がついていけず、その結果、ジェンダーをめぐる社会の実態についての認識があいまいになってしまっていることです。
私たちは、ジェンダーをめぐる言葉の意味すら共有できていません。たとえば、女性の「社会進出」によって差別は改善されてきたと考えている人が多いですが、「社会進出」という言葉ほど怪しい、ふわっとしたものもない。
女性は昔から「社会」に存在してますし、家事だけでなくいわゆる仕事もしています。近年の変化でいうならむしろ、女性の非正規労働化のほうが深刻なのですが、「社会進出」という言葉が、その辺をぼかしてしまいます。
こうしたジェンダーをめぐる、ふわふわした言葉の代表的なひとつが「女子力」です。
「女子」や「女子力」という言葉は、使うひとによってだいぶ意味が違っています
例えば世代という要因。50代以上のひとは、この言葉に対して、「女性の権利を訴えるため」といった力強いイメージを与えています。「女子」を冠するデモやパレードなどをイメージしていると考えられるでしょう。
マスメディアなどでも、そういう傾向があります。そうした流れのなかで「女子」をまちおこしや市民参加の部署名に冠する自治体も出てきました。ポジティブな、新しい時代を感じさせるイメージの「女子力」ですね。
ところが、私の周りの学生などに聞くと、どうもそうした単純にポジティブなイメージだけで語っているわけでもなさそうです。
こうしたギャップをきっかけに、女子力という言葉についての調査を思いついたのです。
調査の結果、見えてきたのは、「女子力」という言葉がいかに「女らしくいるよう努力すること」を評価するものであるかということ、その結果、この言葉が女性に「努力」を強いるものになっているということ、そして、その背景にある社会の変化です。
女性のほうが「女子力」が嫌い
では調査を紹介していきます。2013年に愛知県内の7大学で782名の学生に協力してもらいました。
回答者の98%が「女子力」という言葉を知っていました。「女子力」という言葉が好きか嫌いか聞いたところ、男女で比較すると女性のほうが男性より、「嫌い」「どちらかというと嫌い」と答えた割合が多いですが、男女ともに「嫌い」より「好き」の方が多くなりました。
次に、「『女子力』という言葉において内面と外見どちらを重視するか」を聞いたところ、男女ともに「内面」を選んだ者が多かったです。
女子力の「中身」とは?
「『女子力』が高いと聞いてイメージすること」を聞いたところ、図3のようになりました。全体で最も多かったのは「家事」、「服装」、「メイク」でした。前の質問で内面の方が多かったことと矛盾しているようですが、これは後ほど考えていきましょう。また、男女別に見ると、女性の方が「服装」「メイク」「髪型」の割合が高いのが気になるところです。
同じ内容を自由回答で聞いたところ、下記のようなものがありました(自由回答については以下から全て抜粋です)。
気配り、言葉使い、字がきれい、料理のとりわけ、ティッシュを持ち歩く、絆創膏を持っている、ハンカチをもっている、性格を磨く、明るい性格、花が好き、優しさ、子供の面倒見が良い、小さくて弱いものを守る母性、お菓子作り、料理・掃除ができる、裁縫、アクセサリー作り、しぐさが女子っぽい、金遣いがしっかりしている、過度な化粧をしない、準備がいい、男性と対等であり女性特有の考えが持てる
具体的な行動を示すものが多いですが、「優しさ」「母性」など内面の例もあり多岐にわたっています。
どういうときに「女子力高い」と言われるか?
「『女子力』が高い/低いといわれたことがあるか」を聞いたところ、女性の55%があるとした一方、男性でも29%があると答えました。これは「女子力」という言葉の面白い点です。
どういうときにそう言われたか聞いたところ次のようでした。
〈女性〉
・高いと言われた例
お菓子を作った、料理・掃除をした、料理のとりわけ、ティッシュを持っていた、気配り、お弁当を作った、動作が女の子らしい、よく笑う、日本ソムリエ協会から発売されているワイン女子本に登場させてもらい活動している、服装・メイクに気を遣っている、身の回りに気を使う、美意識に気を使っている、脱毛、エステに行く
・低いと言われた例
家事ができない、料理ができない、言葉使いが悪い、雑、行動が老けている、家でダラダラ、休みの過ごし方が残念だった、しぐさが女子っぽくない、めんどくさがり、だらしない、女子大生のイメージとそぐわないことをしていた、率先して料理を取り分ける子に対して何もしなかったから、足を広げて座っていた、態度がだらしない、部屋が汚い、マナーがなってない、野蛮、ひもの、食べ方、しゃべり方、しぐさ、生活態度、何でもはっきり言う、男勝り、メイクをせずに外出した、女の子っぽい格好をしていなかった
〈男性〉
・高いと言われた例
料理、家事、気配りができていた、お菓子作り、ばんそうこう、料理のとりわけ、部屋の掃除、櫛を持ち歩いていた、いろいろ入っているポーチを持っている、小物作り、子供の扱いがうまかった、ラスト一個に弱い、マナーが身についているから、肌がきれい
次に、「女子力が高いと有利になると思われるものがあれば最大3つまで選んでください」と聞いたところ、図4のようになりました。
多い順から「恋愛」「男性に対する人間関係」「結婚」となりました。回答者たちは「女子力」を主に男性との関係性において有利になると考えていることがわかりました。「仕事」を選んだ割合は少ないです。これは、学生ではなく働いている層に調査するとまた変わってくるかもしれません。
他に、「女子力をあげようとすることについてよいと思うかどうか」を聞きましたが、「思う」が約6割、あるいは「どちらでもよい」が約4割で、「よいと思わない」のは少数でした。
調査結果の紹介はこのくらいにしておきます。より詳しくは拙著(『日本のポストフェミニズム』)に載せてありますのでご覧ください。
新自由主義と女子力
重要なのは「努力すること」
さてこれらの結果をどう見るか考えていきましょう。
まず印象的なのは、女子力が、「メイク」「外見に気を使うこと」や「家事」などのいわゆる昔から「女らしさ」に結びつけられていることではないでしょうか。なんだか新しげに言われる「女子力」ですが、案外古い「女らしさ」のことじゃないか、と意外に思う人は多いでしょう。
ですが、それじゃあどうして古くさい「女らしさ」「女性役割」がわざわざ「女子力」という新しい言葉に変わっているのでしょうか。ここが「女子力」流行の面白さです。
自由回答に現れているように、「女子力」という言葉の重点、力点は、そういった「女らしいこと」に向けて「努力すること」にあるのです。人に見えないところで、家事がうまくなるように、また綺麗になるように日々細かく努力すること、それ自体が「女子力」なのです。
だから、女子力は「内面」にあるけれども、その内面性が「家事」や「外見」などの形で結果として表現されるのです。飲み会でサラダの取り分けもせずにぼうっとしていたり、家でだらだらしたりしていると、努力不足とみなされ「女子力」が低いと認識されてしまうのです。
「女子力」と「女らしさ」のニュアンスの違いを考えれば、こうした「女子力」の意味するところが一層際立つと考えられます。
「女らしい」という言葉の意味するものは、もともと、生来的に女性に備わっている「特質」「性質」です。女性なら誰でももっている(と考えられている)それが、たまたま外に現れる時に「女らしい」といわれます。
それに対して「女子力」は日々たゆまず努力する人のみが身につけられるものです。「女子力」は、後天的に獲得されるのです。だから、男性にも使われることがあります。
調査をしていて面白かったのは、学生たちから聞いた、「セレブ」と女子力の関係です。彼女たちによれば、「ものすごい美人」や「お金持ちの子」などのセレブは女子力を磨く必要はないそうです。
もっと「普通の女の子たち」が、何かの時に肉じゃがなどの手のかかる料理を用意してくること、などが女子力だそうです。セレブではない普通の女の子は地道な努力によって女子力を上げ、男性や周りの評価を得ていくという成功ストーリーがあるようです。
新自由主義と「女子力」
ではなぜ「女らしさ」は新たな「女子力」というパッケージにくるまれて私たちの前に現れたのでしょうか。それが、冒頭で触れたジェンダーの変化と関わっていると私は考えています。
21世紀に入る頃から、「女性の(再)チャレンジ」や「女性の活躍」などの言葉がよく聞かれるようになってきました。安倍首相は「ウーマノミクス」を「アベノミクス」の中心的な戦略としていました。「女性」が政治の主要なターゲットとして意識されるようになってきたのです。
ですが「男女平等」や「差別解消」が目指されていると早とちりしてはいけません。政治はそんな甘いものではありません。少子高齢化を救う労働力として女性が期待されている側面が極めて大きいのです。
労働力としての期待ですから、なるべくコストは小さく、安くと政治家や経営陣は考えます。ですがそれをそのまま言うわけにはいきませんので、「活躍」や「参画」という言葉が出てきます。
「女子力」はこのような政治経済の新しい段階(ネオリベラリズム)に適合するものなのです。誰もが競争の中で日々身体を社会の秩序に適合させ、生産性(杉田水脈)を上げるように迫られる現代社会。
「女子力」は古いジェンダーの秩序を守りながらも、政治経済の新しいネオリベラルな要請に柔軟に応えること、そのために日々たゆみなく努力することを期待されています。
言い換えれば、家事や子育てといった古い「女らしさ」を発揮することと同時に、その「女らしさ」を生かしながら労働力としても柔軟に力を発揮すること、この両者を求められているということでしょう。
産業構造の変容に伴い柔軟でフレキシブルなコミュニケーション能力が必要とされていることも女性性と親和的です。
一方政治家や社長ではない一般のひとびとはどうかというと、やはりそのジェンダーの意識は変わり続けています。最近のフェミニズムの広がりやLGBTの姿を示す報道にも見られるように、性別を超えて自由に生きたい、という気持ちを持つ人は増えています。
ですが他方で、そんな変化に「ついていけない」、という不安な気持ちも多くのひとがもっています。激しい競争の中で男性たちも疲弊し、女性に癒しを求めるひとも少なくないでしょう。
こういう政治経済、社会の変化と変化しない部分と両方ひっくるめて生まれたのが「女子力」という言葉です。もっと女性に働いて欲しい、ただし平等は怖い、家事や子育て介護もやってもらわないと困る、でも古臭いのは嫌、という、わたしたちの気持ちが表れていると思いませんか?
性格まで「力」で測られる息苦しさ
ジェンダーに限らず、世の中は変わり続けています。人口も資源も減り競争が厳しくなるこの頃。小さい頃から様々な能力を伸ばして良い大学良い会社に入り、良い結婚をしないといけないという焦りが高まっています。そんな中、「女子力」は女らしさでわたしたちを癒しながらも日本の経済を救ってくれるかのようです。
ですが、どんな「力」であろうと女子、という性別でくくられている限り、自由ではありません。それに、家事や見かけ、性格などまで「力」という概念で測られるなんて、息苦しい。家の中でくらいだらだらしたいと考えるのはわたしだけでしょうか。
サラダの取り分けも、したい時はしたらいいですが、しないと女子力が低いといわれるのは面倒です。取り分けしたら「女子力高い」と褒められた経験のある男性で、そのことをあまり気持ちよく思っていないという回答もありました。自由回答では「女子力」という言葉への違和感や疑問もたくさん寄せられました。
男性であれ女性であれ、自分の行動や性格を性別にくくられてしまうのは気持ちいいものではないはずです。2015年に過労自死した電通社員の高橋まつりさんが、「女子力がない」と上司からパワハラされていたということを思い出してください。
政治経済についても、女性を労働力として期待するなら、性別に関わりなく、男性も女性も本当に働きやすい環境を整備すべきではないでしょうか。日本経済のために女子力を発揮しようとして疲弊してしまっては元も子もありません。
しかし、「女子力」流行の世の中を見ている限り、ひとりひとりが性別に関わりなく認められ、また、「力」の有無など気にすることなく自由に生きていける社会は、なかなか遠いようです。


個人データ保護 自分で律するルールに
 インターネットを見ると、いつの間にか興味がある広告が送られている。便利ではあるが、なぜ自分の好みが知られてしまうのだろう。
 関心の高いページを見る回数や、ネットで買い物をした物など個人情報を分析し、好みに合う広告を送る。ターゲティングと呼ばれるネット広告の代表例だ。
 デジタル時代の個人データ利用に、消費者の懸念が深まっている。自分が知らないうちに個人情報が収集・蓄積されることに加え、乱用される心配も拭えない。
 こうした声を受け、政府は二つの方向から個人データの保護に取り組む。一つは、来年に向けて個人情報保護法の改正を検討する。
 柱は「利用停止権」の導入だ。個人情報を集める企業に対し、個人は広告などへの利用をやめさせられる。政府の個人情報保護委員会が4月、中間案を示した。
 これまで利用停止を求められるのは、不正な取得や別の目的に使われた場合のみだった。住所や名前などの登録情報を企業に使われていた消費者の権利は広がる。
 自身に関するデータは自ら管理することが望ましい。ネット社会で自分の個人情報が勝手に使われるのを自分で律する。ルール作りに向け、法改正は前進になろう。
 一方で、犯罪歴など不都合な情報の削除を求める「忘れられる権利」は、引き続き検討とされた。厳しすぎる規制への反発もあり、日本では議論が進んでいない。
 だが「忘れられる権利」は個人情報保護に厳格な欧州で導入され、米国の一部州も取り入れた。利用者の権利を重んじる先進各国の流れを座視してはいられまい。
 もう一つのデータ保護策は「プラットフォーマー」と呼ばれる巨大IT企業の規制だ。グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・コムの4社(GAFA)は個人情報の寡占が指摘される。
 4月に規制策をまとめた政府に対し、自民党は個人情報保護も求める。不当な個人データの取り扱いなどに関し、独占禁止法の規制を適用するよう検討を促した。
 プラットフォーマーは今や生活に深く関わるが、懸念も強い。公正取引委員会の調査では、個人データの収集、利用、管理に「懸念がある」との回答が75%に達した。
 フェイスブックによるずさんな個人データ管理が疑念に拍車をかける。最大8700万人分の個人情報が流出し、悪用された。
 公取委調査では、自分のデータが経済的な価値を持つと思う人も66%に上る。個人情報に対価を払う試みもあり、所有する情報は「ただではない」との視点も必要だろう。


eスポーツ 普及図る取り組み期待
 コンピューターゲームなどの腕前を競う「eスポーツ」が広がりを見せている。「エレクトロニック・スポーツ」の略。野球やサッカーのほか、格闘などさまざまなゲームがある。
 スポーツか否かという議論があるが、反射神経や集中力が問われ、海外ではスポーツの一種として取り扱われている。昨年ジャカルタで開かれたアジア大会では公開競技として行われた。2022年には正式競技となる。国内でも近年、各地で大会が開催されるようになった。IT人材の育成や地域活性化にもつながるだけに、普及を図る今後の取り組みに期待したい。
 会場での観戦のほか、インターネット配信される動画を視聴するファンが年々増えて人気が上昇。ゲーム雑誌の出版社による国内市場調査で、昨年のファンの数は前年比66%増の約383万人となった。総務省によると、海外を含めたeスポーツの市場規模は17年は700億円だったが、21年は1765億円に上る見込み。飛躍的な伸びである。
 国内ではプロ野球を統括する日本野球機構(NPB)が昨年、野球ゲームを使った12チームによるリーグ戦を開催して話題になった。日本一を決める大会は、三井住友銀行が冠スポンサーとなって開かれた。今秋の茨城国体では文化プログラムとして採用され、人気サッカーゲームによる「全国都道府県対抗eスポーツ選手権」が行われる。主催者には日本サッカー協会も名を連ねている。
 ゲーム機とネット環境さえあれば、誰でもどこでもできるのが特長だ。体格や年齢も関係なく、障害のある人も対等に戦える。多くの生徒が参加できる利点から、教育現場でも導入が進んでいる。専攻コースを開設した専門学校や通信制の高校もある。
 県内では2月に秋田市の会社経営者らが「秋田県eスポーツ協会」を発足させた。協会は高校などの部活動の立ち上げや指導の支援も考えている。茨城国体の県代表決定戦は県サッカー協会などの主催・主管で今月25日に開かれることになっている。熱戦が展開されれば、関心が一層高まるだろう。
 懸念されるのは、やり過ぎで「ゲーム障害」に陥ることだ。ゲーム障害は、ゲームをしたい衝動が抑えられなくなり、日常生活よりゲームを優先し、健康を損なうなどの問題が起きることを指す。ネット依存症のほとんどはゲーム障害だという。未成年者が多く、昼夜逆転の生活で不登校になるケースもある。世界保健機関(WHO)が昨年、疾病として新たに認定したことを重視したい。
 eスポーツを広めるには、このゲーム障害を防ぐ取り組みが求められる。プレー時間の制限は不可欠だ。関係団体が注意喚起を促すなど啓発に努め、健康で楽しめる環境づくりに力を入れてほしい。


【絶滅危機100万種】致命的な未来は避けたい
 世界で100万種の動植物が絶滅の危機にひんしている―。衝撃的な報告書を国連の科学者組織が発表した。
 地球温暖化やプラスチックごみによる海洋汚染…。人間の活動に伴うさまざまな弊害が、地球をむしばんでいる深刻な実態が改めて浮き彫りとなった。
 発表したのは「生物多様性および生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)」。地球規模で行った総合的な評価は初めてという。
 それによると、100万種は評価対象の4分の1に当たる。陸上の50万種は生息地が脅かされ、40%以上の両生類と、30%程度のサメと海洋哺乳類に絶滅の恐れがある。海洋プラスチック汚染は1980年の10倍に増え、ウミガメや海鳥など260種以上に悪影響を及ぼしている。
 地球温暖化対策で産業革命前と比べた気温上昇を2度に抑えても、サンゴ礁の面積は1%未満まで縮小するとも予測している。
 深刻なのは種が絶滅する速度だ。過去1千万年の平均と比べて、数十〜数百倍も速くなっているという。このままの状態で暮らしを支える自然の恩恵が損なわれていくとしたら、それは人間にとって致命的となろう。
 2010年に名古屋市で開かれた生物多様性条約の締約国会議を思い起こしたい。
 20年までに種の絶滅や減少を防いだり、生息地の消失速度を半減させたりするといった「愛知目標」を採択したものの、これまでの達成状況は芳しくなかった。IPBESの報告はそれを裏付けるものだが、むろん、ここで「白旗」を上げるわけにはいかない。
 目標の達成には、先進国と途上国の協調態勢の構築が鍵とされた。生態系保護のための技術協力や資金援助、情報共有や人材育成は十分に行われているか。各国が検証し、いま一度取り組みを強化しなければならない。
 消費者一人一人の意識やライフスタイルも問われる。
 レジ袋や食品包装など使い捨てプラスチックの大量消費をどう見直すか。生態系への影響が少ない方法で栽培された農産物や、本県で盛んなカツオ一本釣りなど資源管理に配慮した漁法への理解をどう広げていくか。そうした取り組みも生物多様性の保全につながろう。
 愛知目標を主導した日本の役割はとりわけ重要なはずである。ところが昨年、先進7カ国(G7)首脳会議で採択されたプラスチックごみの排出規制を強化する憲章に署名しなかった。沖縄県名護市辺野古で進む米軍普天間飛行場の移設工事でも、生物多様性の豊かな海が土砂で埋められている。
 今年6月、大阪で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会合ではプラスチックごみ対策が主要議題となる。人の生存に不可欠な自然を守るため再度、日本がリーダーシップを発揮し各国の熱意を呼び起こしたい。


鳩山元首相の図星ツイートにブチ切れ「外交の安倍」赤っ恥
 連休明けの後半国会で、自民党は野党が求める予算委員会の集中審議を断固拒否している。安倍首相が“外交破綻”を野党から攻撃されるのを嫌がっていることが理由のひとつだ。
 GW中、安倍首相をイラつかせたツイートがあるという。鳩山由紀夫元首相が今月5日に呟いたコレだ。
<北朝鮮問題では完全に蚊帳の外に置かれていた安倍首相が、金正恩委員長と会談する用意があると言い出した。なぜ言い出したのか、それは彼は何一つ外交で成果を上げることが出来ず、北方領土問題も簡単に解決できないと分かったからだろう。足許を見られたら、外交は高くつくのではないかと懸念する>
 どうやら安倍首相は、「何一つ外交で成果を上げることが出来ず」という部分に反応し、ブチ切れたらしい。
「米国で『ルーピー』と揶揄された鳩山さんにまでバカにされて腹が立ったのでしょうが、安倍さんがイラつくのは、指摘されたことが図星だからですよ。『外交の安倍』で売ってきたのに、現実の外交で成果が出ていないのは事実。昨秋から盛り上げてきた北方領土交渉が暗礁に乗り上げ、急に北朝鮮との『無条件会談』に舵を切った。これまでの『拉致問題の進展が前提』からの方針転換には、自民党内でも『ワケがわからない』と批判的な声が少なくありません」(自民党ベテラン議員)
■後半国会の攻めどころ
 安倍首相は日朝会談に前のめりだが、北からは「反応ナシ」(官邸事情通)。今月末のトランプ訪日も米国ペースで進むのは確実だし、来月末のG20も、議長国として共同声明をまとめられるのか危ぶまれている。実際、昨年のアルゼンチンG20では、米国の反対で首脳宣言に「保護主義と闘う」を盛り込めず、共同声明も出せずに終わっている。昨年同様、安倍首相が赤っ恥をかかされかねないのだ。
「永田町では『政治家は自分が得意としていることで転ぶ』と言われます。安倍首相も自分の売りにしていた『外交』で転び、今後の展望もない。不祥事や不正問題では、のらりくらりの安倍政権ですが、成否が明確な外交では実態が白日の下にさらされる。今こそ野党は、来る参院選も念頭に、外交で安倍首相を攻めるべきです」(政治評論家・野上忠興氏)
 9日は北朝鮮が再び「飛翔体」を発射したのに、無条件会談を求める安倍首相は「現時点でわが国の安全保障に影響があるような事態は確認されていない」と記者団に答えるだけで足早に立ち去った。すでに金正恩に足元を見られている。
 安倍首相の急所は「外交」。野党がここを集中攻撃すれば、安倍首相は顔を真っ赤にしてボロを出すこと間違いない。


「安倍首相は“エセ保守”。心を動かすものが何もない」。籠池泰典・森友学園前理事長が安倍首相批判
安倍首相街宣の現場に、籠池泰典氏が登場
 参院選の前哨戦として注目された「大阪12区補選(4月21日投開票)」最終日の20日、安倍首相は選挙区内3か所で自民党公認の北川晋平候補の応援演説を行った。しかし、結果は維新の藤田文武候補(現・衆院議員)に約1万3000票差をつけられて敗北。沖縄3区補選でも敗れて2連敗となり、第2次安倍政権下での補選敗北は初めてであったことから「安倍政権に打撃」と報じられた。
 大阪での安倍首相の街宣を聞いていたのが、森友学園前理事長の籠池泰典氏と妻の諄子氏だ。諄子氏が「ウソつき」と何度も口にすると、泰典氏も時おり首を傾げて呼応。街宣終了後に行われた囲み取材では「ウソばかり」「心に響く内容はなかった」と酷評した。
 そのやり取りを聞いていた聴衆からは「参院選に出てください!」という声がかかった。そんな期待感を抱かせるほど、籠池氏は次のような政権批判を矢継ぎ早に語っていたのだ。
「安倍さんの演説はウソばっかり」
――萩生田光一幹事長代行の消費増税延期を示唆する発言についてどう思いますか。 籠池泰典:衆参ダブル選挙は絶対にあります。安倍首相は「消費税は上げない」と言って増税を延期、衆参同時選挙に打って出るでしょう。野党は、大企業税などを取ることによって『消費税ゼロ』の方向に持って行かないといけません。
 保育所をたくさん作るということは、今の段階では賛成です。でも、安い給料で働かせる女性労働力を当てにしていてはダメ。保育士さんだけでなく、他の企業で働く女性も(賃金を男性と)同じ金額に上げないといけない。それではじめて「女性が輝ける」と言える。「働け」「働け」と言って「でも給料は安いぞ」というのはとんでもない話でしょう。
 今日の安倍さんの演説は全然ダメ。ウソばっかり。厚労省の(勤労統計の)データもみんなデタラメだもの。(安倍首相は)「これだけ良くなりました」と言っていますが、根拠はどこにあるのか。根拠を出せないでしょう。出せないことをちゃらちゃら言うのだから。
 自分の実績を言うだけで、本当に国民の心をグーッと動かせるようなものがあるかと言うと、何もない。涙を流すところがありましたか? 何もないでしょう。
 昔の政治家だったら、田中角栄さんだったら、「うん、そうやな」「ああ、そうなんや」となるじゃないですか。あの人(安倍首相)には何にもない。数字の羅列だけ。どうして万博がいいのか。カジノがついて来る。よくないですよ。プラスマイナスで言うなら、マイナスの方が多い。
――安倍政権が、米国製の兵器を大量に買っていることについては?
籠池:安倍政権はアメリカべったりで、米国製の武器をどんどん買っています。僕は“真正保守”で、安倍首相は“エセ保守”。アメリカのポチです。街宣で「給料は上がっている」と言っていましたが、(実質賃金は)上がっていない。上がっているのは防衛費だけ。
 アメリカから1機150億円もする(F35) 戦闘機を100機も買う。「自分の国で作れよ」という話ですよ。アメリカのポチみたいに「米国製兵器を買ってください」と言われて簡単に「そうですか、分かりました」と言うのはとんでもない話でしょう。
籠池氏「“忖度道路”も、どこかで首相による命令があったのではないか」
――“忖度道路”と呼ばれた下関北九州道路(第二関門橋)については?
籠池:今までの政権はしっかりとしていたから、プライマリーバランスを考えていたでしょう。それが安倍政権になって「10年、20年経ったら誰も覚えていない」ということで、大物政治家の地元にどんどん立派な道路ができていくわけですよ。命令なしに進められる“忖度道路”と言われていますが、忖度じゃない。(安倍首相が)命令しているんだもの。
 命令が最初にあって、それから忖度がある。私の森友事件もそうです。命令が財務省にあって、忖度が始まった。それと(下関北九州道路も)まったく一緒です。
※野党側の追及では、安倍首相が直接指示をしたという証拠は出てきていないが、籠池氏は森友事件に関する自身の体験から「どこかで首相による命令があった」と確信しているという。
――大阪12区補選に、野党統一候補として宮本岳志・前衆院議員(共産党)が出馬しました。
籠池:宮本前衆院議員には、森友問題を大きく展開された功績がある。宮本さんは武士道に則って、衆議院議員を辞めて大阪12区補選に出たわけでしょう。野党糾合(結集)のためでしょう。それはやっぱり評価せなあかん。勝ち負けは別にして、その心意気は凄いものがある。立派だ。武士道の精神だ。
 最後に籠池氏は、首相街宣を聞いた今日のことを一句に凝縮させて色紙に書き、「春清し 心のさざなみ いかにすらむ」と読み上げた。そして「その心境は『春は清清しくて心地いいのだけれども、今日の演説、そして安倍首相の心の中を垣間見て、心がさざなみが立つくらい立っている。これをどうすればいいのだろうか』ということです」と説明した。
 歯切れのいい安倍政権批判を続ける籠池氏が、衆参ダブル選挙も取り沙汰される参院選に向けて発信を続けるのは確実。今後もメディア吸引力抜群の籠池氏から目が離せない。
<取材・文・撮影/横田一> ジャーナリスト。小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」に関する発言をまとめた『黙って寝てはいられない』(小泉純一郎/談、吉原毅/編)に編集協力。その他『検証・小池都政』(緑風出版)など著書多数


安倍首相“北朝鮮無条件会談”に安倍応援団が手のひら返しでお追従! 八代弁護士、青山繁晴、竹田恒泰らが一斉に
 今月2度のミサイル発射などで騒がしくなっている朝鮮半島情勢。だが、そのなかでも驚いたのは、あの安倍首相が金正恩委員長との首脳会談に関して「条件をつけずに」と言い始めたことだ。
 安倍首相は1日におこなった産経新聞のインタビューや、6日のトランプ大統領との電話会談後の囲み取材で、「(金委員長と)条件をつけずに向き合わなければならない」と無条件で会談に臨みたいとの意向を示した。米国側にもこのことはすでに伝えているという。
 周知の通り、安倍首相はこれまで圧力一辺倒の姿勢で、とりわけ「おこなう以上は拉致問題の解決に資する会談にしなければならない」と日本人拉致問題を条件に掲げていたが、あっさりと方針を転換したかたちだ。
「対話のための対話はだめだ」などと公言し、Jアラートを作動させて“北朝鮮パニック”を政治利用してきた安倍首相が、ここにきて、日朝首脳会談のハードルを低く再設定したのはなぜか。
「6カ国協議のなかで未だに北朝鮮と会談していない国は日本だけという焦りからくるもの」との見方もあれば、「任期中の日朝国交正常化というレガシーを狙ってなりふり構わなくなってきた」との見方もある。いずれにしろ、バカの一つ覚えと言わざるをえない安倍首相の“圧力路線”のせいで、米朝韓の交渉から蚊帳の外に置かれてきたことは事実に他ならない。
 一方で、本サイトとして気になるのは、これまで安倍首相の圧力路線を諸手で支持してきた保守界隈や応援団の皆さんの反応である。
 たとえば「対話のための対話に意味はなく、いまこそ圧力の徹底を堅持すべきだ」などと散々吠えてきた産経新聞だ。8日付の社説「主張」では安倍首相の“無条件会談”の意向を受けて、〈首相が「条件をつけずに金委員長と会い、率直に、虚心坦懐に話し合ってみたい」と北朝鮮にシグナルを送ったのは理解できる〉と完全にトーンダウン。〈日米両首脳の信頼関係が深く、米朝交渉が行われている今を、拉致問題解決の機会としなければならない〉としながら、直後に〈首相があらゆる場面をとらえて行動することは極めて重要だ〉と続けている。
 はっきり言って、何を主張したいのかわからないレベルだ。ようするに、ゴリゴリの極右ネトウヨ新聞としては北朝鮮を敵視したいけれども、安倍首相の方針転換には「NO」とは言えない。そういうことだろう。言論機関としての主体性はないのか?と聞きたくなるではないか。
 産経だけではない。テレビも同じような有様だ。顕著なのはここ数年、飽きもせずに“北朝鮮危機”をあおりまくってきた『ひるおび!』(TBS)。司会の恵俊彰が菅義偉官房長官と会食したとも噂され、田崎史郎氏や八代英輝弁護士などの“応援団”が居座る同番組だが、今回の安倍首相の“方針転換”で何やら奥歯にモノが挟まったような状態になっている。
 たとえば7日の放送では“無条件会談”の意向の話題を受けて、恵から「(日朝首脳会談は)現実的な話なんですかね、それともいつか会うって話なんですかね」とふられた八代弁護士が、こともなげにこう語っていた。
「私は現実的な話なのではないかと思うんですよね。やはり、日本は拉致の問題を抱えていますし、拉致に少しの進展もないのに総理がお会いする必要はないんじゃないかというふうに考える保守派の方も多いかもしれませんけど、同時に安全保障に関しても非常に重要な関係に立っていますので、やはりその意味でも、会ってみる、相手がどういう人間かを見てみるというのも必要かと思うんです」
 まあ、話している内容はその通りではあるのだが、ずっと対話路線に否定的なコメントばかりが跋扈していた『ひるおび!』が、ここまで簡単に転ぶというのは……。しかも八代弁護士は、韓国の文在寅大統領が牽引する非核化へ向けた調整が「いま、機能していない状態」などとして、「やはり米国側と共同しながら現状動けるのは日本の安倍総理だけということになるんじゃないかなと思います」と思いっきり安倍首相を讃える始末。
『ひるおび』八代弁護士、『虎ノ門ニュース』青山繁晴、竹田恒泰も手のひら返し
 八代弁護士は本日10日の『ひるおび!』でも、「どうみてもいま、米朝の間で近々に会談・協議が開かれる兆しがない、ということであれば、やはり拉致問題、安全保障の問題も含めて金正恩党委員長と安倍総理が会うということも、新しい展開としてそのタイミングに来たのかと」などと言っていた。ここまであからさまだと、さすがに苦笑いするしかないだろう。
 もっと露骨なのはネトウヨ文化人の面々だ。6日の『真相深入り!虎ノ門ニュース』(DHCテレビ)では、青山繁晴センセイが「僕も情報を得ていた」などといつもの調子で自慢しつつ、6カ国協議の米中韓露日で首脳会談をしていないのは日本だけという指摘については「全部違う」と否定。「2月の米朝会談は金委員長にとって誤算だった」「だから(金委員長から)拉致問題のことに触れなくてはならなくなった」「ぎりぎりのバランスをはかることは不可能ではない」との持論を展開していた。
 一応言っておくと、金委員長は「日朝間の懸案として日本人拉致問題があるのは分かっている。いずれ安倍晋三首相とも会う」とトランプ米大統領に語ったと報じられているものの、実際に拉致問題についてどの程度まで関心を持っているかは不透明だ。これで、なぜ青山センセイは、安倍首相のほうがイニシアティブを握っているかのような話にしてしまうのか。ちょっと理解できない。
 さらに9日の『虎ノ門ニュース』では、竹田恒泰サンが「拉致問題なくしては国交正常化はない」と言いつつも、安倍首相の“無条件”については徹底してフォロー。矛盾などお構いなしに、ひたすら安倍首相を賞賛していた。
「安倍総理が条件なしで対話をするというのは柔軟な、非常にいい姿勢だと思いますよ。かつては会って前進しなかったら『じゃあ何しに行ったんだ』というようなそういう空気があったかもしれないので、『なにか一歩でも二歩でも進ない限り会えない』という日本の事情もありましたけども、ここにきたらですね、そういうところを振り払ってもですね、まず会ってみるという、そうすると向こうの考えとか探れる部分もあるかもしれませんから」
「安倍総理は非常に柔軟な考えをされていてですね、これで、まあ会ってどうすんだという話も、まあ言う人いるんですけど、対話をするということはですね、プラスでしかないと思いますからね。この状況は、拉致問題解決にとって非常にあの、いい風といいますか、いいポジションにきている気がするんですよ。なので一気に解決してほしいですね」
「『会ってどうするんだ』という声を振り払って」って……。まさに、竹田サンたちがそういう輩だったのに、そのことはお忘れらしい。ご都合主義にもほどがあるが、これに有本香氏も乗っかって「いいポジションに来たわけですね」「制裁がいよいよ効いてきた」「2年前に会うというのは状況が違う」などと連呼。ようするに、安倍首相が“無条件”での対話ムードを出したとたん、自称保守界隈や応援団連中は完全に転向してしまったというわけだ。
 念のため言っておくが、本サイトは日本政府が北朝鮮との対話に前向きになること自体は歓迎すべきことだと考えているし、以前から安倍政権の圧力路線を何度も繰り返し批判してきた。だが、この安倍応援団の変わり身の早さには呆れざるをえない。結局、連中にとっては、“親分”である安倍首相が白と言えば白、右と言えば右なのである。
 ましてや今回、安倍首相は事実上、“拉致問題を棚上げしてでも金委員長と会いたい”と解釈されるようなラブコールを送ったのだ。これは180度の転換だろう。
 にもかかわらず、その変わり様から微妙に話をそらし、安倍礼賛を繰り返す応援団はどうだろう。もしかして連中は内心、“拉致問題解決”など二の次、三の次と思っており、安倍政権擁護に体よく利用しているだけなのではないか。はっきり言って、そんなふうにしか見えないのである。


河北春秋
 山上憶良は万葉集の歌人の中では異色とされる。多くの歌人が恋愛を題材にしたのに対し、憶良は家族愛を歌にした。<銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子に及(し)かめやも>は有名な歌の一つ。銀や金、玉が何になろうか、子に及ぶ宝はない−とうたった▼憶良に子を亡くした時に作ったとみられる歌がある。「父さんと母さんの間に寝る」と語っていた、白玉のような男の子が突然死する。憶良は騒ぎ回り、足ずりして叫び、胸をたたいて嘆いた。「これが世間に生きるということ」と思ったという(辰巳正明著『山上憶良』)▼憶良の時代から1300年近くたっても子を思う親の気持ちは変わらない。わが子を突如失った親御さんの悲しみはいかばかりか。大津市で保育園児の列に車が突っ込み、2歳の園児2人が死亡する事故が起きた▼おそらく防げる事故だったろう。右折車と直進車が衝突した。一瞬の不注意で誰の身にも起こりうる事故のように思える。車は「走る凶器」であることを忘れてはなるまい▼憶良の歌はこう続く。「幼子なので道が分からない。黄泉(よみ)の使いよ、お供えを弾むから背負って行ってはくれまいか」。私たちができるのは、園児の冥福を祈ること。そして同じ悲劇を繰り返さないように一人一人が安全運転を心掛けること。

「信じて良かった…」6万円を貸した男性は埼玉の医師 捜していることを知り感激の涙
 沖縄県立沖縄工業高校2年の崎元颯馬(そうま)さん(17)が、財布をなくして困っていた時に、お金を貸してくれた見ず知らずの男性を捜していた件で、10日午前、本紙などの記事を見た本人から同校に連絡があった。男性は埼玉県のイムス三芳総合病院で勤める脳卒中神経内視鏡センター長の猪野屋博医師(68)。ネットニュースを読んだ同じ病院の医師から伝えられた。
 猪野屋さんは「捜してくれていることに感激して泣けてきた。信じていて良かった」と涙を流しながら喜んだ。学校から恩人が見つかったことを知らされた崎元さんも「今すぐ連絡したいほど嬉しい。あの時の感謝が思いだされて胸がこみあげる」と話した。
 母親が沖縄出身で、沖縄にもゆかりが深く、たびたび来県する猪野屋さん。20日から沖縄を訪れ、滞在中に崎元さんや学校関係者と面談する予定。「感謝の気持ちを伝えたい」と話す崎元さんは、直接会ってお金を返し、「工業高校生らしく自作の品もプレゼントしたい」と再会を心待ちにしている。
 2人の「出会い」は4月24日の早朝。崎元さんは伯父の葬儀で与那国島に行くため那覇空港に向かっていたが、航空券代が入った財布をなくし途方に暮れていた。沖縄都市モノレールに同乗していた猪野屋さんは、うなだれている崎元さんに「どうしたんだ」と声を掛け、事情を知った。
 なくしたお金は6万円。猪野屋さんは「そんなにかかるのか」と一瞬、疑問もよぎったが、「あまりに悲しい顔なので、貸すことは先に決めていた」。空港駅のホームで6万円を渡し、身元も十分に確認しないまま、出発便へ急がせた。
 猪野屋さんは埼玉に戻る前に念のため警察に行き、困った高校生がいたと、いきさつを説明。警察からは「高校生が誰か分かるわけない」と言われた。帰ってから知人らと話題にしたが、「だまされたんだよ」と笑われた。
 半ば諦めもあったが「俺は信じている」と思っていた猪野屋さん。10日朝に同じ病院の医師からの電話で崎元さんが捜していることを知った。「やはり沖縄の人は優しいよ。涙が止まらなかった」と、取材にも泣きながら話した。
 同日、猪野屋さんから連絡を受けた同校の赤嶺正一郎教頭(53)は「こんなに早く見つかり驚いた。崎元さんと一緒にお礼したい」と話した。
 猪野屋さんは、首里中・高校出身で新潟大学医学部を卒業。東京大学で脳神経外科の教官を経て各地の病院で脳神経外科医として活躍。沖縄でも旧県立那覇病院、豊見城中央病院で脳神経外科部長を務めた。(デジタル部 宮城栄作)


1991年が転換点に、解体されていった大学の教養部 大学教育にとって「教養」とは何だったのか(2)
(児美川 孝一郎:教育学者、法政大学キャリアデザイン学部教授)
 前回の記事では、戦後日本の大学が、なぜ「教養課程」と「専門課程」を併せ持つ教育課程を採用することになったのか、その経緯を明らかにすると同時に、実際に各大学においてスタートした教養課程の教育(一般教育)が、その後、必ずしも所期の目的を達成したわけではなかったという実態とその原因について触れた。
 それでは、その後、大学における一般教育(教養教育)は、どのような命運を辿ることになるのか。
設置基準の「大綱化」前夜
 大きな変化が訪れるのは、1991年の大学設置基準の改訂(いわゆる「大綱化」)以降のことであるが、なぜ「大綱化」が実施されたのか。ここでは、その前段の動きから見ておきたい。
 1984年に発足した臨時教育審議会(臨教審)は、明治初期、戦後改革期に続く「第三の教育改革」を標榜しつつ、日本の教育全体に改革のメスを入れることを目指していたが、そこでは当初から日本の高等教育を「個性化、多様化、高度化」し、「社会との連携、開放を進め」(「最終答申」1987年)ていく必要があるという課題意識が持たれていた。
 教養課程の教育に関しても、「一般教育は・・・大学教育にとって重要な要素である」としつつも、「これまでの我が国の大学の一般教育は、理念においても、内容においても十分であるとはいえず、しばしば一般教育無用論さえ聞かれる」という認識を示し、「一般教育と専門教育を相対立するものとしてとらえる通念を打破し、両者を密接に結び付け、学部教育としての整合性を図る」(「第二次答申」1986年)必要があると主張していた。
 おそらく、ここにあるような認識は、臨教審のみに突出したものではなく、当時の大学教育界の内外で共有されていたものであろう。結局、臨教審自体は、一般教育の改革を含む大学改革を進めていくためには、大学設置基準の改善が必要であると繰り返し主張はしたものの、その具体化の作業は、自らが創設を提言した「ユニバーシティ・カウンシル(大学審議会−仮称)」(「第二次答申」1986年)に委ねることになった。
 臨教審の提言を受けて、大学審議会は1987年に発足し、文部大臣から「大学等における教育研究の高度化、個性化及び活性化等のための具体的方策について」諮問を受ける。
 その後、大学審議会は、精力的な活動を展開していくことになるが、中でも注目されたのが、1991年2月に提出された答申「大学教育の改善について」であった。その内容は、各大学に対して、喫緊の課題としての大学教育の改革を迫るという意味でのインパクトを有していた。そして、この答申を受けて実施されたのが、1991年6月の大学設置基準の改正、いわゆる「大綱化」だったのである。
なぜ、大学設置基準の「大綱化」だったのか
 では、大学審議会における議論は、大学教育の高度化・個性化・活性化を進めるための手段として、なにゆえに大学設置基準の「大綱化」を選んだのだろうか。
 もちろん、大学改革を進めていくうえでは、大学設置基準の「改善」が必要であるということは、すでに臨教審の段階から課題として意識されていた。そして、臨教審以降の教育政策は、高等教育に限らず、自由化や規制緩和、弾力化、個性尊重などを基調とし、教育分野への競争原理の導入を是とするものでもあった。
 それゆえ、臨教審によって創設された大学審議会の議論が、そうした政策基調に沿ったものとなることは、容易に想像できることである。「大綱化」とは、言ってしまえば、設置基準の大幅な弾力化、規制緩和であり、それが促すのは、教育改革をめぐる大学間競争の活性化であることは間違いないからである。
 ただし、そうとだけ言い切ってしまうのには、やや躊躇される面がある。それは、当時の中曽根内閣のもとに直属の機関として設置された臨教審においてさえ、こと学術の振興方策や大学改革といった事柄に関しては、政治はもとより、政策や行政がいたずらにその中身に踏み込むのではなく、基本的には研究機関や大学の自主性に委ねるのが望ましいという認識が存在していたということである。
 だからこそ、臨教審は、大学教育の内的事項の改革に関しては、それを専門的に審議し、関係者の英知が自主的に結集される場としてのユニバーシティ・カウンシル(大学審議会)の創設を提案したのである。
 こうした、大学の自主性や裁量を尊重すべしという配慮は、当然、大学審議会にも引き継がれたはずである。その点から見れば、大学設置基準の「大綱化」とは、設置基準上の縛りを大胆に緩和することによって、各大学における自主的、主体的な改革への取り組みに自由裁量の余地を与えることを目的としたものと見ることもできる。「個々の大学が、その教育理念・目的に基づき、学術の進展や社会の要請に適切に対応しつつ、特色ある教育研究を展開し得る」ためにこそ、大学設置基準を大綱化するとした当時の文部事務次官通知(「大学設置基準の一部を改正する省令の施行等について」1991年6月24日)は、ただの空手形ではないと言うべきであろう。
 今日の文科省による高等教育政策の「統制的」な姿を知ってしまっている者からすれば、ある種の郷愁を感じなくもないが、当時の教育政策においては、大学の自主性・自律性という原則が、今とは比較にならないくらい尊重されていた。文部省からしても、高等教育政策は、初等・中等教育政策と比較すれば、はるかに「手が出しにくい」領域だったのである。
「大綱化」で何が変わったのか
 ともかくも、1991年の大学設置基準の「大綱化」によって、実際には何が変わったのか。
 ごく概括的に言ってしまえば、この時の「大綱化」の内容は、(1)校地、校舎、設備、専任教員数といった、大学教育のいわば「外的事項」については、従来からの規制を残しつつ、(2)教育課程や教育内容・方法といった「内的事項」については、大胆に規制を外し、各大学の自主性に任せる、そして、(3)弾力化や規制緩和が、大学教育の水準や質の低下につながることを防ぐために、新たに自己点検・評価の活動を導入する、という構造になっていた。
 このうち、教養課程や一般教育をテーマとする本稿に直接関係するのは、(2)である。では、実際、何が変わったのか。
 前回の記事でも触れたが、1991年以前の大学設置基準では、大学の教育課程には、「一般教育科目」「外国語科目」「保健体育科目」「専門教育科目」を設置することが定められ、それぞれの科目区分ごとに、卒業に必要な所要単位数が定められていた。しかし、「大綱化」は、こうした科目区分そのものを撤廃し(当然、区分ごとの卒業所要単位もなくし)、「大学は・・・教育上の目的を達成するために必要な授業科目を開設し、体系的に教育課程を編成するものとする」とだけ規定したのである。
 残されたのは、卒業に必要な所要単位数を124単位以上とするという規定だけであって、各大学は、まさに自由裁量をもって、4年間の教育課程を自由に編成することが可能となったのである。
一般教育(教養教育)の軽視だったのか
 1つだけ、急いで付け加えておくべきことがある。
 大学設置基準の「大綱化」は、各大学に教育課程編成のフリーハンドを与えることで、結局は、今後の大学教育が「専門教育」に重点を置くものとなり、「一般教育」を軽視することになっても仕方がないという「お墨付き」を与えようとしたのだろうか。そう問うとすれば、答えは、否である。
 大学設置基準の改訂を導いた先の大学審議会の答申(1991年)には、以下のような記述がある。
「大学設置基準上開設授業科目の科目区分を整理することについて、これにより一般教育等を軽視する大学が出てくるのではないかと危惧する向きもある。本審議会としては、一般教育等の理念・目標は極めて重要であるとの認識に立ち、それぞれの大学において、授業科目の枠組みにこだわることなく、この理念・目標の実現のための真剣な努力・工夫がなされていくことを期待するとともに、この点についての大学人の見識を信ずるものである」
今となっては、痛々しくも感じてしまう文面である。大学審議会は、一般教育(教養課程の教育)の現状に多くの問題や課題があることは承知していたが、しかし、それが目指したのは、一般教育の解体ではなく、専門教育との連携を強めたうえでの「再構築」であった。その再構築の手法については、各大学の裁量に任せ、「真剣な努力・工夫」と「大学人の見識」に期待したのである。
 しかし、「大綱化」以降の歴史を見れば、一目瞭然であるが、大学審議会の「期待」は、見事に裏切られた。国立大学を中心に教養部の解体が相次ぎ、各大学において一般教育科目の縮小が進んでいった。


東大受験必読、数学者・志村五郎の遺した言葉 「数学をいかに使うか」の叡智
 志村五郎さんが亡くなられた。
 といっても多くの読者にはピンと来るまい。一部には「谷山・志村予想」とか「フェルマーの大定理」といったキーワードと結びつけて、同氏の訃報を認識する人もあるだろう。
 また筆者などよりはるかに、彼の業績やその先の展開に通じた専門家もたくさんおられるはずだ。そのような内容に踏み込むつもりはない。
 ここでは、志村さんという一数学者の等身大の声として、私が認識した範囲に基づいて、とりわけ中学高校から大学初年級までの読者を念頭に、いくつか記してみたいと思う。
 また子供を東京大学などに進学させたいと思われる親御さんには、よく読んでもらいたいと思いながら記した。
 そのようなターゲットであるから、普段の文体とは異なる、本稿のような常体を取っている。これには、志村さん自身の文体が、そのような飾りのないものであることが一因している。
 なお念のため、筆者は生前の志村五郎氏に一面識もない。あくまで、その遺された仕事、しかもその中で、数学専門家向けではない、初学者や周辺専門家向けの著作に、大きく心を動かされた経験のある一読者として、記すものである。
 だが、それゆえに、JBpressのような広く一般向けのコラムとしても、多くの人、例えばファイナンスやマネジメントの数理やシステムに関わる読者にも、大いにお勧めできる内容を記せるように思うのである。
志村五郎「最期の4冊」未来への遺言
 志村五郎さん自身に触れる前に、読書案内を記しておこう。ちくま学芸文庫として公刊されている「数学をいかに使うか」(2010) 「数学の好きな人のために」(2012) 「数学で何が重要か」(2013) そして「数学をいかに教えるか」(2014) の4冊である。
 あらかじめお断りしておくが、筆者もこれらのすべてを完全に読了しているわけではない。
 数学の本を読むとは、紙と鉛筆を手に取り、一つひとつの命題を再現しつつ追い、可能であれば別解を導いたりしながら悪戦苦闘することを指すと思う。
 その意味では、最晩年のこの4冊だけを取り出しても、私は志村作品のよき読者ではないだろう。
 しかし、これらの書籍は十分平易に記されている。
 世は新時代だそうであるから、私は新世代に向けてこの原稿を記したい。とりわけ中学、高校生の読者に、受験だ何だというどうでもよい枠組みと無関係に、志村さんの遺言のような4冊に、若く感じ方の柔らかい時期に触れておくことを強く勧めたい。
(幸か不幸か私は「大学入試頻出筆者」だそうで、このコラムを読んでいるティーンエイジャーが一定数あることを私は認識している)
 志村さんがこれらの本を公刊されたのは、彼が80歳から84歳にかけてのことで、この連休、5月3日に89歳で亡くなられたとのことだから、最晩年といって大きくはずれないだろう。
 長年プリンストン大学で研究され、達意の英文コラムなども米国の新聞に投稿しておられたから、本当に最後の原稿ではないだろう。
 でも、齢80を迎えるにあたって、このような「初学者」向けの丁寧な書籍を、しかも廉価な文庫という形で、さらに「書き下ろし」で出稿されたのには、背景があり、志村氏としての得心があったに違いない。
 また、これら「未来への遺言」的な書籍をちくま学芸文庫への「書き下ろし」として委嘱した編集者、それをサポートした版元の仕事を多としたい。
 この出版不況のおり、さらにどうでもよいエピゴーネンの跋扈する中、よくぞこのような書物をこの世に誕生させてくれたものだと、正味の賛嘆をお送りしたい。
 生前の志村氏は「癇癪」で知られたようで、その辛らつを極める舌鋒筆鋒には様々な逸話や批判もあるようだが、すでに亡くなった人であり、以下では一切、そうしたことには触れない。
 もとより故人を存じ上げないので、もっぱらその遺された仕事から、続く世代の若い精神に有効と思われるポイントを2、3選び、それについてのみ、記そうと思う。
入試で問うべきものは何か?
 まず前掲書のタイトル「数学をいかに使うか」に注意しよう。4冊の書物はすべて、この第1冊の基本方針で一貫している。つまり「使える」数学ということである。
 このように記すと、多くの読者が勘違いするだろう。例えば「大学入試で使える数学」であるとか、物理から金融まで、様々な「応用で使える数学」など、など。
 志村さんの、そういう「使える」に対するピシャリとした全否定はハッキリしている。第3冊「数学で何が重要か」の4章は「入学試験と数学オリンピック」と題され、<問題解き>の悪弊を明瞭に指摘しておられる。引用してみよう。
 「そこで私が気がついたのは悪い試験問題が非常に多いということであった」
 「私は予備校で3年ばかり教えていたことがある。そこの予備校のやり方に従うことになって、各大学の数学の入試問題を随分調べた。すると技巧的で何かうまいやり方を思いつかないとできない問題がかなりあった」
 「有名大学でなくそれほど競争が厳しいとも思われない大学が特にそうであった。入試問題などというものは基本的知識の有無と理解の程度を調べればよいのである」
 「そういう問題を適当なレベルで作るのは案外難しいのかもしれない。まさか出題者が技巧的な問題を作って得意になっているわけではないとも思うが」(「数学で何が重要か」p.28-29)
 ここから見えるのは、志村さんの極めて現実的な数学教師、あるいはアカデミシャンとしての堅実な定見である。
 「入試に役立つ数学」など論外で、その先の人生に役立つ数学の基礎をしっかり見て取れれば、入試などというものは十分だという、実に真っ当な、建設的な観点が見てとれる。続きを引用しよう。
 「当時私が提案して東大の入試問題になったものをひとつ書いておく(中略)」
 「『一辺の長さ1の正4面体ABCDの辺ABの中点と辺CDの中点との距離を計算せよ』。普通に考えれば10分とはかからないだろう」
 「多分1960年頃である。そんな易しくてよいのかと思う人もいるかもしれない。しかし易しすぎて失敗だったという記憶はない。今でもこの程度で通用するだろう。ほかの問題もあるのだから。」(同書p.29)
 まさに定見と思う。入学試験というものは、実は、1点でも点をやりたいと思って作られるものである。その事実を社会はもっと普通に理解し、受け入れるべきと常々思っている。
 なぜか?
 逆を考えてみたらよい。すなわち、1点の点もやりたくない、とすれば、難問奇問、珍問愚問の類を並べ、受験生は軒並み0点の平野に死屍累々となることだろう。
 それで選抜試験として意味があるか?
 ない。少しでもきちんと建設的に思考し、解答に反映させることができれば、その分を評価する・・・。
 これは入試などという人工的なビニールハウスだけの仕儀ではなく、その後の長い人生で、社会人としてあらゆる局面で通用する、不易流行と言っていいだろう。
 志村さんは、そういう意味で「数学をいかに使うか」と言っておられる。
 そして、その本来の攻略目標として、数学というもの、それ自身の本質的な問いに、スケールの大きな、またこの人ならではの、オリジナルな問題意識をもって取り組み、明らかに人類の数学史に貢献する成果を残して、89歳で逝去された。
数学オリンピックへの警鐘
 志村さんの、極めて真っ当で健全な問題意識は、受験に特化したおかしな出題傾向のみならず「数学オリンピック」という制度にも警鐘を鳴らしている。彼自身の表現を引いてみよう。
 「数学オリンピックについて言えば、それで良い成績を得た人が実質的に得るものはほとんどない。単なる競争であって、ちょっと小・中・高校生の将棋や囲碁の大会と似ているところがある」
 「・・・ところが、数学オリンピックの問題はプロの数学者が考えていることとは全然関係ない。もっとレベルの高い問題をやっているわけではない。数学オリンピックのはすでに解答のある問題でもある」
 「私はテレビでそういう将棋大会の優勝者に向かってプロの棋士が『将来将棋を専門にやってゆくつもりですか』とたずねているのをみたことがある」
 「実際優勝者がプロになった例は少なくないと思う。同様に数学オリンピックの金メダリストに『将来数学者になるつもりですか』という質問がなされているかどうか私は知らない。また金メダリストがその後どうなったかも知らない」(同書p.31)
 志村さんの「使える」がはっきり分かる指摘と思う。
 つまり、数学オリンピックという特殊な競争ゲームに勝っても、またそれをマスコミなどがちやほやしたとしても、それはおよそ彼あるいは彼女のその後の生涯に直接「使える」ものではない、という事実を志村さんは淡々と指摘される。
 「試験場に行けばそこに問題が待っている。将棋大会に行けばそこに相手がいる。すべて受動的である」
 「ところが数学の研究者になるというのは自発的なものであって、しかもその自発性を持続させなければならない」
 「金メダリストになることはできてもそのような自発性がなければどうにもならない。そういう意味で数学オリンピックは真の意味の数学者の世界とは無縁である」
 同様のことは、アスリートのオリンピックにも言えるし、筆者の領分である音楽をはじめとする芸術にも完全に当てはまる。
 競争に勝つというのは、すでに解答が準備された温室のトラックレースで要領よく立ち回ることに過ぎない。新しいものを何か作り出す、本当の意味で歴史を開拓するのに「使える」ものでは全くない。
 では、志村さん自身はどのようなティーンの時期を過ごしたのだろうか?
 志村五郎 1930年2月23日静岡県生まれ、2019年5月3日 大阪府没。プリンストン大学名誉教授。
 盟友で東京大学助教授に就任したばかりで自ら命を絶った谷山豊(1927-58)の問題を継承しつつ、独自の問題意識から発展させた「谷山・志村予想」は、40年後「フェルマーの最終定理」の証明に決定的に貢献・・・といった内容は、プロがお書きになる原稿があると思うので、ここでは触れない。
 前記4冊の第1冊「数学をいかに使うか」の134ページに興味深い具体的な出来事が記されている。
 「ここでひとつ、日本語の面白い本を注意しておこう」
 「正田健次郎 代数学提要 共立出版」
 「初版は1944年で戦中の困難な時代に何とか出版できたのであって、私は1945年戦後すぐに出た再版をその年の12月に4円20銭で買っている」
 「私は旧制高校1年のとき、これで代数学の初歩を学び、少ししてから van der Waerden の( Moderne Algebra Springer 1930)を読んだ」(「数学をいかに使うか」p.134)
 とある。細かな資料がないが1929年度生まれの志村さんが旧制中学を4年で修了して高校に進んだとすれば17歳になる1946年年度、つまり終戦の年15歳だった志村少年は中学生として、かなり高価な正田健次郎「代数学提要」を暮れに購入し、翌年これを読んだものと察せられる(志村「記憶の切絵図」筑摩書房の記載に準拠)。
 言うまでもなく、学校の授業も受験も、またなんとかオリンピックも関係ない。自分で読んだ。
 「この正田の書は1ページ21行、121頁の小冊子であるが、ともかくまとまっている。演習問題もある。今日このような簡便で小型な書物もあってよいと思う」(同上)
 志村さんは、自主的にマスターし、どうやら演習も自力で解いたであろう正田の書籍にも長短を指摘し、今日、教える必要のない部分ははしょったらいい、と「使える数学」を強調している。
 「旧制高校の代数学の教科書には三次方程式や四次方程式の解法が説明されていて、演習問題として次の三次または四次方程式を解けというのが少なくとも十五題以上あったと思う」
 「私はひとつも解いた覚えはない、もっとも何次の方程式でも、近似解を求めることはおそらく重要だから、それを簡単に教えるのはよいが、代数的解法にこだわるのは無意味である」
 「何でもむかしから教えてきたことを無批判に教えるのは愚劣であるが、鶴亀算や旅人算を教えたように『それを教えることになっている』と中々やめられなかったし、今でもやめられないのである」(「数学をいかに使うか」p.136)
 1952年、東京大学理学部数学科を卒業し、直ちに東京大学教養学部で教壇に立ち始めた若き志村青年は、旧態依然たる「使えない」解析幾何などを自主的に廃し、今日では標準的といえる線形代数の講義などに勝手にシフトさせ始めるとともに、20代前半からクロード・シュヴァレー、アンドレ・ヴェイユといった、関連分野で世界の先端を開拓していた当時の第一人者たちと問題意識を共有。
 25歳だった1955年9月、そのような環境下で同級の友人谷山豊が発表した「問題」を、谷山氏の不幸な早世後、厳密に定式化して「志村予想」(という表現を、あえてここでは用いたいと思う)に結実。
 30余年後、より本質的なこの「志村予想」が解決されることで「フェルマーの最終定理」も結果的に解けてしまった、というのが、実際の流れに近いように思う。
初めももなければ終わりもない
数学の大河と向き合う
 さて、上の志村さんの引用後半に見えるように、この人の舌鋒筆鋒は鋭く、何事も微温を持ってよしとしやすい日本のアカデミアには全く不向き、国際社会でイニシアティブを取る第一人者だった。
 1959年、パリ〜プリンストン大学出張から帰国、東京大学教養学部助教授として教壇に立つものの、そのレベルの低さに閉口、心機一転を期して61年大阪大学教授として転出する。
 しかし、俸給は欧米での非常勤の半額以下、子供も生まれ、思い切ってヴェイユに身の上相談。1962年、プリンストン大学客員教授として頭脳流出。
 1999年まで35年間、豊かな数学の地力を駆「使」して、つまり、使えるだけ使い倒して、1999年69歳で定年するまで、数学の女王などとも呼ばれる王道中の王道「数論」の中心課題に、莫大な業績を挙げ続けることができた。
 今日の日本の大学で急増しているような雑務からは自由な人生であったかと思われるが、細かな査読などにも心を砕かれ、本質的には懇切で優しく細やかな精神の持ち主であったことが、書籍の隅々から察せられる。
 ちなみに筆者は志村さんが米国に頭脳流出した年に生まれ、ティーンだった1983年の「モーデル予想」の解決、1984年にゲルハルト・フライの「谷山・志村予想が正しいならフェルマー予想も正しい」という予想(フライ・セール予想)が発表され、日本評論社「数学セミナー」誌などに関連の記事が並んだのをよく記憶している。
 筆者にはそれらを深く理解する能力は全くなかったが、のちに志村多様体のトップランナーとなる藤原一宏のような友人が同級生にあり、仕事をまぶしく見た印象のみ強く残る。
 志村さんの訃報として「フェルマーの最終定理」証明に貢献、を強調するくらい、多分、彼の精神に反することはないように思う。
 極論すれば「フェルマーの最終定理」という骨董品的な特例は「使えない数学」袋小路の一例に過ぎないと、何事にも冷静かつ過不足ない視線を注がれる志村さんが、相対的な意味や位置づけをもって、骨董品的な「フェルマーの定理」を軽く見られても、全く不思議ではない。
 「フェルマーの最終定理」は1995年、アンドリュー・ワイルズが「志村予想」を、やはり日本の数学者である岩澤健吉さんの理論を巧妙に用いて解決することで証明された。 
 しかし、それは数論の巨大な問題設定である「志村予想」の定理を証明する際の、ごく特殊な一例、系の一つとして「フェルマー」も示されたのであって、数学王道の本質としては「ζ関数の統一」など、個別の問題解きを超えた、始めもなければ終わりもない、数学という大河に向き合う人智の本質的な姿勢が決定的であると言うべきだろう。
 志村さんや岩澤さんは、正田健次郎を筆頭に当時の日本にも存在した本質的でコンパクトな議論から、そのような数学の本義を早い時期に学ばれた。
 私は正田教授にタッチの差で直接ご指導いただくチャンスを逸した経緯がある。親しい先輩たちから漏れうかがう正田さんの指導方針は、最初から本物に触れさせるというものであった。
 実は正田先生は最晩年、中学高校生の指導にあたっておられた。
 あえて実名を記すなら、かつて中学3年生だった微分幾何の宇澤達さん(名古屋大学教授)は、自由研究で考えた問題について正田先生に質問に行き、比較的読みやすい最先端の原著を手渡されるとともに、紹介された小平邦彦(1954年フィールズ賞)教授を訪ね、指導を受けることができた。
 しかし、当時の彼はその自由研究をまとめることができなかった。
 そんな宇澤さんが数年後、今度は自身が中学の非常勤講師として同様の指導をした中に、岩田覚君という少年がいた。岩田君は中三時代、やはり質問に行って宇澤さんから手渡された微分幾何の原著を高校1年次、自主的に学んだ。
 そこで頭を使い、モース理論と呼ばれる分野の系を自力で証明することができた。その自由研究で宇澤少年がまとめることのできなかった論文をまとめて賞も得た。
 岩田氏は現在東京大学工学部計数工学科の教授として後進の指導に当たっており、詳細は分からないが、同様の指導をしているのではないかと想像する。
 私は10学年ほど離れた両者のちょうど中間の学年に位置しており、独立してご両人からこの経緯を聞いていた。
 数学オリンピックのような出来合いの競争ではなく、数学という大河の本筋から、自分で見つけた問題について、成果を出すことができた幸運なケースの一つとして紹介したものである。
 正田健次郎氏の指導方針とその伝搬の成功例として思い当たったものである。事前にお断りせずご両人の御名前を挙げたが、弔辞であり、ご宥恕願いたい。
 1945年、空襲で焼け野原となった日本で、中学3年の志村少年が何を思って正田さんの本を手にしたかは分からない。高価な本を、少年は思い切って購入したことだろう。
 80歳を過ぎても価格を鮮明に記憶する志村さんの意識からそれと知れる。
 そして、紛れもなく確かなことは、その7年後、旧制高校と大学を卒業した志村氏が、1952年から東京大学の入試出題側に回るとともに、ヴェイユやシュヴァレーと丁々発止の創造的議論で白熱する第一人者に育った事実である。
 こうした経緯は決して偶然によるものではない。
 資質ある少年を本物の環境に放し飼いにし、おかしな「餌付け」で「潰し」さえしなければ、勝手にすくすくと伸びることが分かっている。
 今回は記さないが、少年時代の岩澤健吉さんについても同様の経緯があったと仄聞している。
 数学史の王道にオリジナルな貢献を果たした、これら真の才能の育成を考えるうえで、大学入試の悪問や数学オリンピックなどによって醸成されかねない「問題解き」のメンタリティは、有害であって無益、木を見て森を見ず、大道に目を塞いで些事にこだわる「小人」のわざであると、志村さんは警鐘を鳴らされる。
 中国古典にも精通した志村さんのこうした書きぶりは、今日のSNS的悪平等の観点からは「上から目線」と誤解され、いわれのない誹謗中傷も受けた面があるように思う。
 しかし、大河を進む志村さんは泰然自若、悠々と「最期の4冊」を有り難いことに日本語で、日本の若い世代に遺して、先週瞼を閉じられた。大家を喪った。
 「今日このような勘便で小型の書物があってよいと思う」だけでなく、志村さんは有言実行で、 4冊も「簡便で小型」ながら、英語でオリジナルの数学論文が書き下ろせるようになるまでのエッセンスがすべて詰まった、若い世代の日本語読者に至宝のような、親しげな先輩としての創造メモ小冊子4点遺して、幽明境を異にされた。
 一大学教員として、こうした珠玉の書物にこそ触れてほしいと、私は昨日も教養学部の授業で学生諸君に勧めたが、本当にこれらを手にすべきは中学生、高校生であり、あるいは年齢を問わない「精神の数学少年たち」すべてであると思う。
 岩澤さんや志村さんのような「大志」をティーンの時代に身のうちに胚胎することは、どれだけ強調してもしすぎることがない。
 受験だ、オリンピックだといった、すでに解かれた問題の縮小再解決ではない、本質と向き合う経験をこそ、心も頭も柔らかいティーンの諸君に持ってもらいたい。
 志村さんの訃報に触れて強く感じた次第である。


宮崎市など広範囲で震度3
10日午前7時43分ごろ、日向灘を震源とする地震があり、宮崎市や都城市など県内の広い範囲で震度3の揺れを観測しました。
この地震による津波の心配はありません。
県内で震度3の揺れを観測したのは、宮崎市、都城市、日南市、小林市、串間市、高原町、国富町、高鍋町、美郷町でした。
また、震度2の揺れを延岡市、日向市、西都市、えびの市、三股町、綾町、新富町、木城町、川南町、都農町、門川町、椎葉村、高千穂町で観測したほか、震度1の揺れを西米良村、諸塚村、日之影町、五ヶ瀬町で観測しました。
震度3の揺れを観測した宮崎市にあるNHK宮崎放送局の2階では、数回の小刻みな揺れのあと、20秒ほどにわたってゆっくりとした横揺れを感じました。
机や棚の上からモノが落ちるようなことは、ありませんでした。
気象庁の観測によりますと震源地は日向灘で、震源の深さは20km、地震の規模を示すマグニチュードは5.6と推定されています。
JR九州によりますと、宮崎県内の各路線は地震による影響はなく通常通り運行しているということです。
宮崎県警察本部によりますと、県内の高速道路は地震による影響はなく通常通り通行できるということです。