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Poitiers : la famille de Tiphaine Véron a commencé ses propres recherches au Japon
Tiphaine Véron a disparu depuis plus de neuf mois au Japon dans la région de Nikko. Sa famille mène actuellement sur place des opérations de recherche avec une équipe spécialisée. Nous les avons accompagnées au Japon pour suivre ces recherches.
Par Christine Hinckel et Elodie Gérard
Tiphaine Véron a disparu depuis le 29 juillet dernier alors qu'elle était en vacances dans la région de Nikko. L'enquête menée par la police japonaise n'a pas abouti. Aujourd'hui, les enquêteurs nippons privilégient la piste accidentelle alors que le parquet de Poitiers a ouvert depuis septembre dernier une information judiciaire pour "séquestration et enlèvement".
Accompagnés par des experts
Depuis neuf mois, la famille de la jeune femme, âgée de 36 ans, est mobilisée et ne veut pas baisser les bras. Ils se sont déjà rendus sur place plusieurs fois à la recherche du moindre indice et cette semaine, le frère et la soeur de Tiphaine ont à nouveau repris le chemin du Japon pour lancer de nouvelles recherches, une mission privée en partie financée par une cagnotte, qui a réuni plus de 17 000 euros. Ils sont accompagnés par des spécialistes de la recherche en milieu difficile de Moutain Medic Events.
Depuis plusieurs jours, rivières et montagnes de la région de Nikko sont ratissées par la famille et les experts français de Moutain Medic Events. La zone de recherche est immense et ils sont à l'affût du moindre indice pouvant permettre de localiser Tiphaine : bouts de tissu, morceaux de chaussures ou même des boites de médicaments.
Une chaussure retrouvée dans la rivière
En matinée ce samedi, les recherches se sont concentrées sur le lit de la rivière Dayia qui borde la ville où Tiphaine a disparu et où il y a des kilomètres de rivages à inspecter, sans se décourager.
Si Tiphaine est tombée dans l'eau ou si quelqu'un l'a poussée, alors nous espérons trouver des objets à elle
- Sibylle, la sœur de Tiphaine Véron
Une chaussure qui pourrait ressembler à celles que portaient Tiphaine le jour de la disparition a été retrouvée. Un espoir pour toute la famille qui devra être confirmé ou infirmé.
Les recherches ont été menées à la fois en ratissant le lit de la rivière à l'aide de bâtons mais aussi en hydro speed, une embarcation pouvant naviguer dans les rapides et accéder aux endroits les plus difficiles.
200 kilos de matériel pour les recherches
L'équipe de Moutain Medic Events qui accompagne le frère et la sœur de Tiphaine Véron est composée de cinq experts emmenés par leur chef d'expédition, Rémi Devidal. Ils transportent dans leur bagages près de 200 kilos de matériel destiné à fouiller les rivières et la montagne.
A Nikko, paisible ville de montagne située à 2 heures de route au nord de Tokyo, très touristique l’été, cette opération ne passe pas inaperçue. Plusieurs médias japonais en parlent.
Une équipe de la la télévision privée Fuji TV est venue sur place. Les enquêteurs japonais vont rencontrer la famille de Tiphaine Véron, la semaine prochaine.
Reportage à Nikko d'Elodie Gérard, Antoine Morel et Carine Grivet :
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フランス語の勉強?
信じる男 信じられた男〜新宿歌舞伎町・駆け込み寺〜ミッドナイトドキュメンタリー
東京・新宿に、罪を犯した人たちの社会復帰を支援している“駆け込み寺”がある。彼らの再起を信じる代表の玄秀盛さんと、人生をやり直そうとする人々の日々に密着した。
DVや引きこもりなど、あらゆる問題の相談が寄せられる新宿の「公益社団法人・日本駆け込み寺」。ここは罪を犯した人たちの社会復帰も積極的に支援している。代表の玄秀盛さん(62)は、これまで100人を超える出所者たちに仕事をあっせんするなどして、社会復帰を後押ししてきた。自らの人生を通して得た「人を信じること」を拠り所に、出所者たちに寄り添い続ける玄さんと、人生をやり直そうとする人たちの日々を記録した。 大竹しのぶ

米重 克洋@kyoneshige
国会議員が酒に酔ったくらいで核保有国を敵に回して戦後国際秩序に武力でチャレンジするかのようなトチ狂ったことを言い出すのは恐怖なので、その任に非ずということでは。言論の自由は民間人として行使すれば良い。桜田前大臣の方がまだ無害な感じがする。
異邦人@Beriozka1917
ただでさえ日ロ平和条約の締結という功を焦った安倍首相が、悉く交渉に失敗して2島返還すら危うくしてしまった上に、安倍政権と蜜月関係にある維新に所属する丸山穂高議員の「北方領土返還は戦争しないとどうしようもない」発言で、対ロ外交は絶望的な局面に突入したと言って良いだろう。
Simon_Sin @Simon_Sin
戦争発言そのものも大問題なんだが、
89歳の国後島出身の訪問団団長に対して
35歳の丸山議員、あまりに失礼じゃないか
年配の人に対する口の利き方ってものがあるだろう #ss954

こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 @sangituyama
丸山穂高の発言が憤激を買うのは、「自分がロシアと一戦交えて取り返す」ではなく、元島民の方に「おまえどうなんだよ」と丸投げしていること。
この「自分は安全地帯にいて、他人に決断を迫る」やり方は、橋下と維新とネトウヨの常套論法ですよね。


Eの人が調子悪いようで,資料もらってから病院に行きますとのこと.ちょっと気になりますね.
先週に引き続き段ボールその2です.今回のほうが量が多いので少しだけ大変です.
夕方のWキソキソ.予想していましたがブツブツも説明しなくてはならずクタクタです.

<母の日>「感謝」花で伝えよう カーネーション無料配布 名取市花卉生産組合
 母の日の12日、名取市花卉(かき)生産組合は市図書館でカーネーションを来館者に無料配布した。名取は東北一の産地で、市民に特産品の魅力を知ってもらおうと初めて企画した。
 バーバラなど約70種類の切り花300本を用意し、来館者にプレゼントした。先着50人の子どもを対象に、母への感謝のメッセージを書くコーナーや色とりどりのカーネーションで彩った写真撮影スポットも設け、人気を集めていた。
 三浦洋悦組合長は「東日本大震災で名取の産地が被害を受け、花作りはもう終わりだと思ったが、全国からの励ましで立ち直ることができた。感謝の気持ちを伝えたい」と話した。


沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として
 沖縄は十五日、本土復帰四十七年を迎える。しかし、沖縄の人権や自治は今なお、日本国憲法の外にある状況ではないか。復帰の意味を問い直すときだ。
 沖縄県読谷村(よみたんそん)。太平洋戦争末期、米軍が沖縄本島で最初に上陸した村の役場前に高さ三メートルほどのコンクリート柱が立っている。
 憲法九条の碑。「日本國(こく)民は正義と秩序を基調とする國際平和を…」。旧字体で条文を刻んだ金属板が埋め込まれ、柱の上には植物の萌芽(ほうが)のごとく九条の精神が世界に満ちるように、との願いを込めた彫刻が掲げられている。
◆輝かしい命
 建立は戦後五十年に当たる一九九五年。「沖縄の人々にとって日本国憲法は輝かしい命そのものだった。人間が大事にされ、戦争をしない国になるという希望を与えてくれた。戦後の米国統治下の沖縄の復帰運動は、日本国憲法の下への復帰を目指すものでもありました」。当時読谷村長だった山内徳信(とくしん)さん(84)=元社民党参院議員=は、建立の背景を振り返る。
 五二年発効のサンフランシスコ講和条約で、沖縄は正式に米国の施政権下に置かれた。米側は沖縄に日本の「潜在主権」を残すことは認めたが、日本側は六五年、政府統一見解で日本国憲法の「適用はない」と宣言した。
 沖縄には米国憲法も適用されない。軍人の高等弁務官を頂点とする米国民政府が軍事的必要性を最優先に行政、立法、司法上の権力を行使。基地拡大のための土地の強制収用をはじめ政治家の弾圧、表現の自由の規制、事件事故を起こした米兵の無罪放免−などが繰り返された。
 人々が、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を基本原理とする憲法下での生活を求めたのは言うまでもない。山内さんによると、若者たちは鉛筆で条文を書き写しながらその日を夢見ていた。
◆戦争と隣り合わせ
 七二年五月、沖縄の復帰は実現する。しかし「日本国憲法への復帰」は決してかなえられたとはいえない。悲運の発端は、広大な基地の継続・維持が盛り込まれた日米間の沖縄返還協定である。
 返還交渉中、日本政府は基地の扱いについて「核抜き本土並み」と表明し縮小に期待を持たせたものの、復帰前に沖縄本島面積の20%を占めた米軍基地は今なお14・6%と取り組みは進んでいない。
 基地は復帰まで、共産圏をにらむ最前線として最大約千三百発もの核が配備され、ベトナム戦争の出撃拠点となった。冷戦終結後も湾岸戦争、イラク戦争などに空軍や海兵隊を送り出してきた。
 日本は戦後一度も他国と戦火を交えていないのに、沖縄は米国の戦争と隣り合わせの状態に置かれ米軍機の事故や米兵、米軍属による事件が繰り返される。在日米軍の特権を定め、翁長雄志(おながたけし)前沖縄県知事が「憲法の上にある」と嘆いた日米地位協定もそのままだ。
 沖縄県や県警のまとめでは、復帰後二〇一七年末までに、県内で発生した米軍航空機関連の事故は七百三十八件(うち墜落は四十七件)、米軍人などによる刑法犯罪は五千九百六十七件(うち凶悪事件は五百八十件)。生命、生活、財産が脅かされる日常は法の下の平等に大きく反する。
 その上で、名護市辺野古で進められる新基地建設に県民が重ねて反対の意思を示すのは、当然すぎる行動だ。政府は米軍普天間飛行場の移設・返還のためというが新基地完成のめどは立っていない。その矛盾をどう解消するのか。
 新基地建設を巡ってはことし一月、国内の主な憲法研究者の約四分の一に当たる百三十一人が連名で「憲法の重要原理を侵害、空洞化する」との声明を発表した。解決には「何よりもまず沖縄の人々の人権問題」を考え工事を即時中止すべきだとする。
 「民主主義や地方自治の在り方が問われている点で、日本国民全体の問題」ととらえようとの提起は極めて重要だ。
 沖縄の地元紙琉球新報が、本土復帰に関して五年ごとに行っている県民世論調査がある。復帰して「とても良かった」「どちらかと言えば良かった」との回答の合計は、復帰から三十五年の〇七年には82・3%だった。四十周年の一二年にはちょうど80%。さらに五年後の一七年には75・5%と幅を広げながら低下している。
◆「自己決定権」を希求
 一方、同紙の別の県民意識調査では、今後の沖縄の立場について自治州や連邦制への移行、または「独立」を望む声が一一〜一六年の五年間に二割から三割超に急増した。「自己決定権」の希求。裏を返せば、復帰の本意をかなえないままの「日本」不信の表れだ。
 沖縄を真に憲法の下の仲間とする−。中央の政治はもちろん本土側の国民も、あらためて当たり前のことを行いたい。


日朝首脳会談 「無条件」で成算あるのか
 安倍晋三首相が拉致問題解決のため、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と「条件を付けずに」首脳会談を行いたいとの意欲を明らかにした。
 大きな方針転換だ。これまで首相は国会で「行う以上は、拉致問題の解決に資する会談としなければならない」と語るなど、拉致問題の進展を会談開催の前提条件にしていたからだ。いわば「拉致問題の進展」を日朝交渉の「入り口」から「出口」に置き換えたことになる。
 背景にあるのは、北朝鮮を巡る国際情勢で、日本が蚊帳の外に置かれている現状への焦りだろう。かつての6カ国協議参加国の首脳で、金委員長と直接会っていないのは今や安倍首相だけだ。トランプ米大統領との親密な関係をてこに、北朝鮮に拉致問題解決を働き掛けようとしたが、やはり「間接外交」では限界があったようだ。
 ただ、安倍首相が金委員長との会談を急ぐ方針に転換したのには、一定の合理性がある。
 北朝鮮と米国の非核化協議は行き詰まっている。北朝鮮は米国との関係が悪くなると橋渡し役を求めて日本に接近する習性がある。首相はそのタイミングを捉えたい思惑なのだろう。
 安倍首相が先月のトランプ大統領との会談で、金委員長の対日姿勢について前向きな情報を示された可能性もある。
 北朝鮮は特異なトップダウン体制の国家であり、事務レベルでの交渉では大事なことは決まらない。首脳同士の直接交渉で打開を図るのは効果的だ。
 不安を覚えるのは「無条件」で臨む会談に成算はあるのか、という点だ。まず会談が実現するのか、会談が実現してもどれだけの成果が期待できるのか、まるで見えてこない。
 北朝鮮は今月4日と9日、ミサイルとみられる飛翔(ひしょう)体を発射した。日米の防衛当局は、この中に短距離弾道ミサイルが含まれていたと断定した。国連安全保障理事会決議に対する重大な違反行為である。トランプ大統領は不快感を表明した。
 北朝鮮の挑発的な行動には、国際社会も態度を硬化させる。そうした中で日本が北朝鮮と首脳会談を行う環境が整うだろうか。会談が実現しなければ、首相の意欲も空回りに終わる。
 安倍政権は北朝鮮との「対話と圧力」のうち、圧力を徹底的に重視する戦略を取ってきた。しかし北朝鮮は制裁下でもしぶとく体制を維持している。
 安倍首相が政権復帰して6年余りたったが、最重要課題に掲げたはずの拉致問題では全く結果を出していない。この際、首相は従来の戦略を総括し、見通しの甘さを反省してから日朝会談を目指すべきではないか。


大阪都構想  丁寧な議論と説明必要
 大阪市を廃止して特別区に再編する「大阪都構想」の是非を問う住民投票が再び実施される見通しとなった。
 都構想に反対してきた自民、公明両党の地元組織が投票実施に協力する姿勢に転じ、実現を目指す大阪維新の会と合わせると大阪府・市両議会で過半数に達するためだ。
 自公とも、4月の知事・市長のダブル選などで維新が圧勝した「民意」を重く受け止めたという。維新代表の松井一郎大阪市長は「1年半後をめどに実施したい」と述べ、否決された2015年以来、2回目の住民投票が来秋にも行われる方向だ。
 今後、特別区設置の議論が加速する見込みだが、重要なのは都構想の中身だ。ダブル選のような奇策や駆け引きではなく、住民生活と自治体の将来をどう描くのか、丁寧な議論と説明を尽くしてもらいたい。
 自公の方針転換は、地方選と衆院大阪12区補選に立て続けに敗れて追い込まれた形だ。府議会で単独過半数も得た維新の力を見せつけられ、投票容認論が広がった。
 公明府本部は「建設的に議論する」と都構想賛成にも含みを持たせた。松井氏らから、大阪、兵庫の衆院6小選挙区に持つ議席を狙うと揺さぶりをかけられ、関係修復へ踏み込んだように見える。
 自民府連は、都構想反対を前面に掲げた前会長が辞任、新体制で投票賛成へかじを切った。
 ともに、衆院との同日選もささやかれる夏の参院選に向けて立て直したい事情がのぞくが、従来の主張をなし崩しにし、今後の都構想論議にどう臨むのか、有権者への説明責任が問われよう。
 住民投票の実施には、府と市でつくる法定協議会で制度案(協定書)を決め、府議会と市議会で承認する必要がある。松井氏は25年の大阪・関西万博前に制度移行する投票日程を描くが、具体的議論が煮詰まっているとは言えない。
 15年の住民投票で前回案が否決された後、法定協は17年の再設置から23回開かれたが、府と市が示した案は前回5としていた特別区の数を4とし、名称変更したほかは大きな相違点は見当たらない。
 府と特別区で財政や業務をどう分担し、狙いの二重行政の解消につながるのか、住民サービスの低下を招かないか、という「宿題」は積み残されたままだ。
 維新の改革姿勢を評価する有権者の声を踏まえ、具体案や対案を競い合う中で住民に納得のいく合意形成を目指してほしい。


大阪都構想の住民投票 自公容認は「民意」無視の自己保身
 とんでもない手のひら返しだろう。大阪府の自公が、これまで猛反対してきた大阪都構想の住民投票実施を容認したことだ。11日に自民党府連会長に就いた渡嘉敷奈緒美衆院議員は「(4月のダブル選の)民意を受けて住民投票は賛成したい」とか言っていたが、何をかいわんやではないか。
 再度の住民投票実施について、これまで自民府連はホームページで「30億円以上の税金がかかる」と猛批判。「今さら聞けない大阪都構想」との特設サイトでは「都構想のコストは1500億円」「大阪市は市民サービスが削減される」と指摘し、大阪公明と足並みを揃えて維新を批判してきた。それなのに一転して「住民投票かまへんよ」というのだからムチャクチャだ。
 自公は大阪府知事・市長のダブル選での敗北を受け、「民意を尊重」とか言っているらしいが、沖縄では国政選挙も県民投票の結果もガン無視しているクセによくぞ言えたもの。大体、維新は「叩けばホコリが出る」と言われているインチキ政党だ。実際、日刊ゲンダイは吉村前市長の「消えた寄付金300万円」「“出所不明”の借入金100万円」を報じているが、疑惑は全く晴れていないのだ。
 政治資金に詳しい神戸学院大教授の上脇博之氏は「政治資金問題から見える『維新の正体』」と題したブログでさまざまな疑惑を追及。「維新」の党本部や業界団体と、議員の政治団体間でなされた金銭の授受計約1・6億円が、収支報告書に「不記載」だった可能性を指摘している。
「維新は堺市の竹山修身前市長の政治資金問題を追及しています。確かに竹山氏はパーティー券収入などを収支報告書に記載せず、問題がありますが、私が調べたところ、維新議員にも同様の疑いが生じました。自らの疑惑を晴らさず、竹山氏のみ追及するのは、ダブルスタンダードと取られても仕方ありません。反維新の『民意』が根強いにもかかわらず、大阪自公が態度を軟化させた原因は、(維新の)松井代表に次期衆院選での対決姿勢を示されたからでしょう。これは『民意』の無視であり、大阪自公は政党としての存在意義を疑われても仕方ありません」(上脇博之氏)
 結局は自己保身と党利党略を優先するのが自公なのだ。


温暖化対策の長期戦略案 「脱炭素」本気度を疑う
 地球温暖化対策の長期戦略案を政府がまとめた。今世紀後半のできるだけ早い時期に温室効果ガスを排出しない「脱炭素社会」の実現を目指して、二酸化炭素(CO2)回収など新技術の開発を進めるという。
 ただ、CO2排出量の多い石炭火力発電の全廃という目標は、産業界の反発を受けて腰砕けに終わった。欧州を中心に広がる「脱石炭」に踏み込めないのでは実効性が疑われかねない。
 温暖化対策の「パリ協定」は2020年に本格始動する。今世紀後半に温室ガス排出を実質ゼロにして気温上昇を産業革命前に比べ2度未満、できれば1・5度に抑える目標を掲げる。
 日本は30年度の温室効果ガス排出を13年度比で26%減らす方針である。しかし17年度の実績は13年度比で8・4%の減少にとどまり、隔たりは大きい。
 戦略案は、石炭火力発電について「依存度を可能な限り引き下げることなどに取り組む」としている。政府が設けた有識者懇談会の座長による当初案では「長期的に全廃に向かっていく姿勢を、世界や企業に向かって明示すべきである」だった。しかし産業界の委員から異論が出て、表現は大幅に後退した。
 政府が進める効率の良い石炭火力発電の輸出について、座長は当初、公的資金は投入しないことを選択肢とした。支持する委員もいたが、産業界の意見に近い曖昧な表現で落ち着いた。
 石炭消費量は先進国では減少傾向なのに、日本では年々増えている。石炭からのCO2排出量は1990年から2015年の間に2・7倍になった。石炭火力発電への依存は、東京電力福島第1原発事故の前から進んでいたと言えそうだ。しかし今や時代の流れに逆行している。
 戦略案は、原発の再稼働や小型炉開発も認めている。廃棄物処理・廃炉対策など山積する課題の解決が見通せない中、国民の理解が得られるのか疑問だ。
 炭素税といったCO2排出に課金することで抑制を促す「カーボンプライシング」についても導入する国が増える中、早期導入は見送り「専門的・技術的な議論が必要」とした。ここでも、反対し続けている産業界に配慮したのだろうか。
 これでは、戦略案の主要な部分が、3月に発表された経団連の提言にかなり沿っていると批判されても仕方あるまい。
 温暖化対策は、マイカーや家電製品などを通して私たちの暮らしとも深く関わっている。にもかかわらず、戦略案についてオープンな議論はなかった。
 懇談会は一般傍聴を認めなかった。しかも最後となった先月の会議は開催自体も公表されていなかった。大詰めの議論が全て非公式、非公開で進められたのは、政策の決定過程の透明化を嫌がる今の政権の姿勢の表れと言えよう。看過できない。
 長期戦略は、各国が国連に提出する必要がある。先進7カ国のうち提出していないのは日本とイタリアだけという。
 遅れただけではない。時期を区切った石炭火力発電の全廃など実効性ある具体策に乏しく、見通しの立っていないCO2の回収・貯蔵といった新技術に望みを託す内容では、心もとないと言わざるを得ない。日本の本気度が疑われかねないことを政府は自覚すべきである。真剣で開かれた議論が求められる。


改憲の国民投票 精査すべき課題は多い
 憲法を改正するには、衆参両院で総議員の3分の2以上の賛成を得て発議し、国民投票で投票総数の過半数を獲得する必要がある。
 現在、安倍政権下での改憲に前向きな勢力は衆参で3分の2を超えている。数の上では発議が可能な状況だ。
 既に自民党は改憲案を用意しており、審議を急ぐ構えを際立たせる。だが肝心要の国民投票の全体像は、依然として明確にイメージし難い。
 先週、久々に再開された衆院憲法審査会で主テーマとなったCM規制の是非も大きな課題だが、改憲が「投票総数の過半数」で決まる方式にも多方面から議論がある。
 国政選挙の投票率は低下傾向が続く。どんなに低い投票率でも1票でも多ければ改憲が認められるという規定が、はたして国の基本である憲法を決める国民投票の趣旨に合致するのかどうか。
 発議を受け、国民に改憲案を広報するために衆参両院に設置される国民投票広報協議会の公正さを担保する仕組みも必要だ。ネットや会員制交流サイト(SNS)による発信への対応も後手に回る。
 18歳、19歳も有権者となる中で、投票買収などの犯罪行為は少年事件として扱うべきかという問題もある。
 改正の中身はもちろん大事だが、議論を進める前提として手続きをしっかり定めておくのは当然。国民の意思を問う仕組みがあやふやでは、国の未来に禍根を残す。
 野党がCM規制を求めているのは、改憲賛成派、反対派の資金力の差が投票結果を左右することへの懸念が背景にある。国民投票法は、国民に自由な議論を促す目的から、運動費用やポスターなどの枚数に通常の選挙運動のような規制は設けていない。
 民放連は表現の自由を守る立場からCM規制強化には反対の立場。一方で、テレビCMで資金力のある側の主張がゴールデンタイムを独占する可能性は否めない。
 双方に理屈が立つ状況で、良案を探るのが憲法審の役割だろう。だが与党側が議論に乗る気配は乏しい。民主主義の理念を挟んで二項対立に陥っているのは、現在の改憲論議の現状をしのばせる。
 改憲手続きを精査しないまま自民党が独断で条文案を示し、改正憲法施行のスケジュールにまで言及するのは、与野党が意見を一致させながら議論を積み重ねてきた憲法審の流れにそぐわない。
 共同通信の直近の世論調査では、多くが改憲に関心を抱く様子が浮かび上がる。野党側も自らの主張を言い募るばかりでは、国民の期待に応えているとは言い難い。いずれ憲法を政局にするような国会では、改憲を国民に問う資格が疑われよう。


子どもの虐待 体罰を容認しない社会に
 幼い子どもの命を親の暴力からどうやって守るか―。虐待死が相次いだことを踏まえた児童虐待防止法と児童福祉法の改正案が衆院で審議入りした。
 しつけを理由に、子どもに体罰を加えてはならないことを明記した。罰則は設けていない。
 体罰は子どもの心身を傷つけ、時として命にかかわる深刻な虐待につながる。1月に死亡した千葉の小学4年生も、昨年3月に亡くなった東京の5歳の女の子も、しつけの名目で親から暴力を振るわれていた。
 一方で、「時には必要」などと体罰を容認する意識は社会に根強く残る。法改正を、暴力に頼らない子育てを社会の合意として根づかせていく一歩にしたい。
 法で禁止したからといって体罰がなくなるわけではない。暴力の背景には、生活の困窮や親の精神疾患といった要因が複雑に絡むことが多い。虐待する親の多くが、子どもの頃に虐待を受けて育ったことを示す調査結果もある。
 体罰は駄目だと厳しい目を向けるだけでは、困難を抱える親をさらに追いつめかねない。どうすれば暴力に頼らずに子育てができるか。相談し、学べる場を設け、親を支えることが重要になる。
 野党6党派が共同提出した対案は、保護者への再発防止プログラムの実施を盛り込んだ。虐待が起きてからの対応にとどまらず、親への支援について議論を深め、改正法に反映させてほしい。
 体罰の禁止にかかわって見落とせないのは、民法に「懲戒権」を残したことの矛盾だ。親は子を懲らしめられるとする明治以来の規定である。暴力の正当化に持ち出される余地がある。廃止を先送りすべきでない。
 政府が改正案で打ち出した児童相談所の拡充強化は、踏み込み不足の面が目立つ。親から子どもを引き離す「介入」にあたる職員と親への支援を担う職員を分けるとした一方、中核市と特別区への児相設置の義務づけや、弁護士の配置の義務化は見送った。
 増え続ける虐待への対応に追われ、現場の疲弊は深い。個々の事例に丁寧にかかわれるようにするには、児相のあり方の抜本的な見直しが欠かせない。市町村との役割分担はとりわけ重要だろう。
 合わせて、社会、地域での取り組みをどう強めていくか。行政機関が担える役目には限界がある。苦しむ子どもや孤立した親の「助けて」の声を聞き逃す社会であってはならない。身近な場に議論を広げ、行動につなげたい。


巨大IT新規制 公正で透明性ある取引を
 「プラットフォーマー」と呼ばれる巨大IT企業に対する規制強化策について、政府の有識者会合が報告書をまとめた。インターネット通販などの出品者を保護するため、独禁法を補う新たな規制の整備を盛り込んだのが柱だ。IT企業側による不当な行為を防ぐほか、出品者の迅速な救済につなげる。
 ネット通販などITを活用したサービスは広く普及し、快適な生活や活発な企業活動を支えている。一方で、圧倒的なシェアを持つなど優越的な立場を背景に、出品者らが不利益となる取引を強要される状況も問題視されている。
 政府は今後、規制強化に向けて必要な制度設計を進める方針だ。公正で透明性の高い取引環境を実現するため、取り組みが急がれる。
 プラットフォーマーの代表格が、その頭文字から「GAFA(ガーファ)」と呼ばれるグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・コムの米国4社だ。世界中を舞台に、ネットを通じた通販や、SNS(会員制交流サイト)などのサービスを提供し、成長を続けている。
 報告書は、IT企業による市場の寡占や独占が生じやすいと指摘し、優越的地位の乱用を規制する「独禁法の運用を中心に据えるべきである」との考えを示した。その上で、独禁法の適用には詳細な事実認定や審査に時間がかかるため「十分な経営資源を持たない中小企業などからすると、迅速かつ実効的な救済が受けられない可能性がある」として、新たな規制の必要性を掲げた。
 規制強化の具体策では、違法となる可能性の高い行為をあらかじめガイドラインとして明示し、IT企業側に是正を促すことをはじめ、契約・運用ルールを変更する際の出品者への事前通知や、出品に関する審査基準の十分な情報開示を義務付けることなどを挙げた。また、欧州に倣い、契約などの取引慣行を監視する専門組織を設けることも提案している。
 実際、公正取引委員会が今年2月以降、国内外のプラットフォーマーの取引先を対象に行ってきた実態調査によると、取引の不透明性や強引さを指摘する回答が目立っている。具体的には、大手5社から「規約を一方的に変更された」と答えた出品者は約5〜9割に上ったほか、契約の変更に「不利益な内容があった」との回答も多かった。
 立場の弱い出品者が取引条件の不利な変更を強いられることのないよう、実効性のある手だてが不可欠だ。
 一方で、規制強化に向けてはバランスも重要となる。IT企業は多様で利便性の高いサービスを提供しており、過剰な規制は画期的なサービスの開発など企業の技術革新を阻害してしまう恐れがある。利用者保護など公正な取引環境と、自由で独創的な企業活動との両立を目指す視点も欠かせない。


幼児教育・保育の無償化/政策の優先順位が違う
 後回しになりがちだった子育て支援への思い切った投資は評価したい。しかし政策の優先順位を間違えてはいけない。
 改正子ども・子育て支援法が10日、成立した。安倍晋三首相が掲げる「全世代型社会保障」の目玉として、幼児教育・保育の無償化を盛り込んだ。10月予定の消費税増税に合わせて実施される。
 無償化されるのは認可保育所や認定こども園、幼稚園にかかる費用で、対象は3〜5歳児は原則全世帯、0〜2歳児は住民税が非課税の低所得世帯だ。認可外施設に通う場合も一定の上限を設けて利用料を補助する。
 これまで社会保障の給付は高齢者に偏っていたから、子育て世代向け施策の拡充は結構なことだと受け止める人も少なくないだろう。だが子育ての現場からは法案提出前から異論が噴出した。「無償化より待機児童の解消が先ではないか」という疑問だ。
 待機児童は昨年4月時点で約2万人。無償化すれば潜在的な保育需要が掘り起こされることが予想される。待機児童が減るどころか保育所不足が加速する恐れがある。
 認可施設に入れず認可外施設を選ばざるを得ない人が続出すれば、費用負担の面で不公平感が増すことになる。
 だからといって、やみくもに受け皿整備を急げば保育の質を確保できるのかが心配。改正法では、保育士数など国の指導監督基準を下回る認可外施設でも5年間は無償化の対象に含まれるが、認可外では死亡事故や突然の閉鎖などトラブルが指摘されている。
 さらに心配なのは、無償化が高所得者優遇につながる点だ。国会審議では野党も重ねて批判した。保育料は所得に応じて決まり、低所得世帯ほど負担が軽くなる仕組みだ。このため、所得制限を設けず全世帯を無償化すると、所得が高い世帯の方が受ける恩恵は大きくなる。新たな格差を生むことにならないか。
 次世代育成を図る施策だから、所得を問わず中高所得層にも受益者を広げるのは理想かもしれないが、それは国の懐具合に余裕がある場合だろう。今回の無償化に充てる財源は、消費税増税による増収分のうち、国の借金減らしに使うはずだった分を削って捻出する。「子育て世代のために」と言いながら、実際は将来世代に負担をつけ回す構図になっている。
 学ぶべきは、先に無償化に踏み切ったお隣の韓国の教訓だ。ニッセイ基礎研究所の金明中・准主任研究員によると、2013年の本格実施後、高所得層が無償化で浮いた費用を英語のレッスンに回すなど、格差の拡大が進んだ。待機児童は減らず、劣悪な施設が野放しになったという。いま日本で懸念されていることが現実に起きている。
 韓国では少子化が止まらず、出生率は0.98と日本以上に深刻化するばかりだ。金研究員は「朴槿恵(パククネ)政権による人気取り政策の一つだったが、課題は多い」と手厳しい。
 振り返れば、日本の無償化も17年秋の衆院選を前に首相が唐突に打ち出したのが始まりだ。与党が改正法成立を急いだのには夏の参院選で成果を誇りたい意図が透ける。隣国の轍(てつ)を踏まぬよう、保育士増員に一層の工夫を凝らした上で、質の高い認可施設の整備を急ぐ必要がある。


幼保無償化法成立 保育の質確保へ不断に見直しを
 幼児教育・保育の無償化を実施する改正子ども・子育て支援法が成立した。10月の消費税増税に合わせ、認可保育所や幼稚園、認定こども園の利用料が、3〜5歳児は原則全世帯、0〜2歳児は低所得世帯を対象に無償化される。国の基準を満たさない認可外保育所なども、当面は上限を設けて補助する。
 高齢者に偏りがちな社会保障を「全世代型」に変え、少子化に歯止めをかけようという安倍政権の看板政策だ。だが、2017年の衆院選で突如打ち出されて以降、国会などでの議論は低調なままで、制度は生煮えと言わざるを得ない。無償化で入園・入所希望者が増え、待機児童がさらに膨らむことも予想される。国や地方自治体は、子どもの安全を守るためにも「保育の質」を確保するよう、不断の見直しを続けねばならない。
 認可保育所に入れない待機児童は、依然2万人近くいる。認可外施設を無償化の対象とした理由について、安倍晋三首相は「やむを得ず認可外を利用する人がいる」などと説明するが、肝心の受け皿や保育士確保の有効策を打てず、待機児童の解消を置き去りにしたまま無償化を先行させることは、取り組みの優先順位を見誤っている。
 とりわけ安全面の懸念は大きい。認可外施設は国の指導監督基準を満たすことが無償化の条件だが、経過措置として5年間の猶予が認められた。基準は設備や保育士の人数といった条件を定めており、保育の質を保つには重要。だが、16年度の調査で自治体が検査した4771の認可外施設のうち、4割以上が基準を満たしていなかった。こうした施設では一人一人に目が届きにくく、事故の発生率が高いとの調査結果もある。
 施設の種類や子どもの年齢、世帯の所得などによって、費用がかからなかったり、生じたりする仕組みも分かりにくい。認可外施設の場合、補助に上限があるため、保護者の負担が残るケースがある。また、今回の無償化では高い保育料を支払っている高所得世帯ほど恩恵が大きい。負担軽減策として公平性を欠くとの批判は当然だ。
 保育の形態や施設の種類によっては対象外となるケースも残る。野外保育など、保育所や幼稚園に当てはまらない類似施設のほか、インターナショナルスクールや朝鮮学校などの幼児クラスも原則、無償化の対象にはならない。幼児教育や保育の在り方は多様化している上に、政策として外国人労働者の受け入れ拡大が始まっており、国際化の潮流にも逆行している。全ての子どもに支援が行き届くよう制度を見直す必要がある。
 実務を担う地方自治体への配慮も欠かせない。無償化が始まる10月までの5カ月足らずで対象施設の把握や給付に関する作業を終える必要があり、負担が大きい。国は、自治体への聞き取りを通して準備状況などを把握し、人的、財政的な支援に取り組むべきだ。


読売テレビの報道番組 “性別を確認する不適切な内容”謝罪
大阪の「読売テレビ」は、今月10日に放送した報道番組のコーナーの中で一般の人の性別を確認する、人権上、不適切な内容があったとして、謝罪するとともにこのコーナーの放送を当面、休止することになりました。
読売テレビによりますと、今月10日に放送された関西地方向けの夕方の報道番組、「かんさい情報ネットten.」の「迷ってナンボ!」というコーナーの中で、街の中を取材する出演者のお笑いコンビが一般の人の性別を確認する内容がありました。
この中では本人の了承を得たうえで健康保険証を確認したり、体を触ったりして男性か女性かを確認していました。
放送の際には、コメンテーターとして番組に出演していた作家の若一光司さんが、「人権感覚の欠如だ」などと苦言を呈していました。
読売テレビは13日、ホームページに「人権上、著しく不適切な取材を行い、その内容を放送しました。視聴者および関係者に深くお詫びします。このような事態を招いたことについて重く受け止めています」という謝罪文を掲載しました。
そして、13日夕方からの番組の冒頭でも、「取材した皆様に迷惑をかけ、視聴者にも不快な思いを抱かせた」などとして謝罪しました。
読売テレビはこのコーナーの放送を当面、休止して放送に至った経緯を検証し、再発防止に取り組むとしています。
ネットでは批判が集中
読売テレビの放送内容についてインターネット上では批判が集中しています。
ツイッター上では、「こんなことやって、非常識だということ理解できなかったのだろうか。その神経を疑う」とか、「企画だから。イジりだから。笑いになるから。笑っていればどんなことをしてもいいというのは、いじめや差別の温床になる発想」など、当初の企画段階からスタッフや番組サイドに問題意識がなかったのではないかという意見が相次いでいます。
このほか「徹底検証すべき」とか、「これを機に性的マイノリティーの番組の在り方を人権問題の視点から真剣に考えてほしい」といった要望に加え、「レポーターをやらされていた芸人さんは救済してあげなよ。一緒に首を切るのは可哀想すぎる」という声も寄せられていました。


性別突き止める番組企画、読売テレビが謝罪 コーナー休止
 読売テレビのニュース番組「かんさい情報ネットten.」内のコーナーで一般の人に性別を確認する内容を放送した問題で、読売テレビは13日、「人権上、著しく不適切な取材を行い、その内容を放送した」として、「視聴者および関係者の皆様に深くおわびします」とする謝罪文を発表、同社の公式サイトにも掲載した。問題になったコーナーは当面の間、放送を休止する。
 番組は月〜金曜午後4時47分から放送。10日のコーナー「迷ってナンボ!」で、外見では男性か女性か分からない人に対し、体を触ったり保険証を確認したりする内容を放送した。VTRを見たコメンテーターの作家、若一光司氏が「許し難い人権感覚の欠如」と厳しく指摘していた。
 読売テレビは謝罪文で「人権に関して強く意識すべき放送局である当社がこのような事態を招いたことについて、重く受け止めています。放送に至った経緯を詳細かつ徹底的に検証するとともに、今後はこのようなことがないように再発防止に向けた具体的な対策に早急に取り組み、視聴者の皆様からの信頼回復に向けて努めてまいります」としている。【倉田陶子】
 読売テレビの謝罪文は以下の通り。
 5月10日(金)に放送した『かんさい情報ネット ten.』(月〜金 夕方4:47)内のコーナー企画「迷ってナンボ!」の中で、一般の方に対し性別を確認するなど、人権上、著しく不適切な取材を行い、その内容を放送致しました。
 視聴者及び関係者の皆様に深くお詫びします。
 人権に関して強く意識すべき放送局である当社がこのような事態を招いたことについて、当社としては、重く受け止めています。当該放送に至った経緯を詳細かつ徹底的に検証するとともに、今後はこのようなことが無いように再発防止に向けた具体的な対策に早急に取り組み、視聴者の皆様からの信頼回復に向けて努めてまいります。
 なお「迷ってナンボ!」につきましては、当面の間、放送を休止いたします。


「佐藤浩市が安倍首相を揶揄した」は言いがかりだ! 俳優の役作りまで検閲する阿比留瑠比、百田尚樹ら安倍応援団
 佐藤浩市が「安倍首相を揶揄した」などという言いがかりをうけ、大炎上している。
 佐藤は今月公開予定の『空母いぶき』という映画で首相役を演じており、原作マンガが連載中の「ビッグコミック」(小学館)で特集インタビューに登場。『空母いぶき』での役作りなど映画について語っているのだが、その佐藤の発言に安倍応援団たちが怒り狂っているのだ。
 きっかけは産経新聞の御用記者・阿比留瑠比がFacebookで5月10日夜にこんな書き込みをしたことだ。
〈観に行こうかと考えていた映画『空母いぶき』に関心を失った件について。『ビッグコミック』誌のインタビューに、首相役の俳優、佐藤浩市氏がこう述べているのが掲載されていたのを読んでしらけたからです。
「最初は絶対やりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね」
「彼(首相)はストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまうっていう設定にしてもらったんです。だからトイレのシーンでは個室から出てきます」
 ……はあ。あえてアレコレ言う気もおきません。次は三田村某さんに続いて菅直人元首相の役でもやるといいですね。どうでもいいや。〉
 これがネトウヨを中心にツイッター上で拡散。安倍応援団らが次々と佐藤浩市攻撃を始めた。
 たとえば百田尚樹は昨日5月12日からツイッターで、佐藤や映画『空母いぶき』への攻撃を次々投稿した。
〈原作は好きやけど、映画は絶対観ない!〉
〈三流役者が、えらそうに!!何が僕らの世代では、だ。人殺しの役も、変態の役も、見事に演じるのが役者だろうが!〉
〈思想的にかぶれた役者のたわごとを聞いて、下痢する首相に脚本を変更するような監督の映画なんか観る気がしないというだけ。
文句ありますか!〉
〈「空母いぶき」の原作は素晴らしい!
しかし映画化では、中国軍が謎の国に変えられているらしい。それだけでも不快だったのに。「下痢する弱い首相にしてくれ」という一役者の要求に、脚本をそう変えたと聞いて、もう絶対に観ないときめた〉
 見城徹・幻冬舎社長も百田らに追従するように、ツイートした。
〈佐藤浩市さんは何でこんなこと言ったんだろう?三流役者だとは思わないが、百田尚樹さんの言う通りだ。大体、そんなに嫌なら出なければいいだけだ。しかも、人の難病をこんな風に言うなんて。観たいと思っていた映画だけど、僕も観るのはやめました。〉
〈じゃあ、織田信長も徳川家康も演じないわけ?伊藤博文も吉田茂も?表現より政治信条を上位に置くんだ?北朝鮮の俳優みたいなことを言っていることに何故、気が付かないんだろう?〉
〈佐藤浩市さんは大好きな俳優だった。しかし、これは酷い。見過ごせない。こんなことを言うんなら、断るべきだった。佐藤浩市さんの要求を飲んだ製作側も情けない。〉
〈佐藤浩市さんの真意は[安倍首相を演じるのに抵抗感があった]ということだと思う。それを[体制側]などと婉曲に言うからおかしなことになる。だったら出演を断れば良かった。脚本変更を要求して、病気を笑い者にするように演じたなら、黙して語らないことだ。そんな悪意のある演技を観たくもないよ。〉
“佐藤浩市が安倍首相をバカにした、安倍首相の病気を笑い者にした”として、口々に『空母いぶき』を観に行くのを止めたと大騒ぎしているのである。
 百田や見城だけではない。高須克弥や有本香、一般のネトウヨたちも一斉に佐藤浩市を攻撃し、さらに攻撃ツイートを互いにリツイートし合い拡散。きのうの夕方頃から夜通し現在にいたるまで、ネット上では「佐藤浩市」がホットワード化し炎上し続けている。さらに今朝になって、スポニチが「佐藤浩市が“首相を揶揄”」、あるいは東スポが「百田尚樹氏 佐藤浩市に絶縁宣言」などと、メディアまでがネット上の批判を真に受けて、佐藤浩市攻撃を煽るような記事を配信している。
安倍応援団が佐藤浩市の発言を切り貼りして印象操作
 まったく狂っているとしか思えない。そもそも、俳優が総理大臣を揶揄したとしても問題なんてまったくないし、「体制側の立場を演じることに、抵抗感がある」のもすごくまっとうな感覚だ。むしろ、異常なのは、時の権力者にお追従をして、恥ずかしいと思わない安倍応援団の面々の方だろう。
 しかも、今回の佐藤浩市に対する炎上攻撃には、それ以前の問題がある。というのも、そもそも内容が完全に安倍応援団の被害妄想に基づく、フェイク、言いがかりにすぎないからだ。
 その理由を指摘する前にまず、概要を説明しておこう。映画『空母いぶき』の原作はかわぐちかいじによる同名のマンガ。「20XX年」の日本を舞台に、尖閣諸島や先島諸島をめぐる中国との戦いを、自衛官たちや首相官邸の動きを通してシミュレーション的に描いた、いわゆるミリタリーものである。まさに安倍政権が中国の脅威を煽り、集団的自衛権容認や安保法制の制定に動いていた2014年に「ビッグコミック」で連載がスタート、亡くなった軍事ジャーナリストの恵谷治が原案協力を務めており、「20XX年」となっているがほぼ現代の設定だ。
 映画では、中国軍が国籍不明の武装集団に、尖閣諸島が架空の島に置き換えられているが、原作同様、自衛隊の「防衛出動」「武力行使」「専守防衛」などがテーマになっている。主役は西島秀俊と佐々木蔵之介演じる自衛官で、佐藤浩市は上述の通り、自衛隊の「出動」の判断を迫られる総理大臣の役を演じている。
 ところが、安倍応援団は、その佐藤が映画公開に合わせた「ビッグコミック」インタビューで「体制側の立場を演じることに対する抵抗感があるから、すぐにお腹を下してしまうっていう設定にしてもらった」と発言したとして、「安倍首相をバカにし難病を笑いものにしている」と、攻撃をしているというわけだ。
 しかし、問題の「ビッグコミック」インタビューを読んでみたところ、全くそういう話ではなかった。
 たしかに、佐藤は「体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね」という発言も、「彼(首相)はストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまうっていう設定にしてもらったんです」という発言もしている。しかし、これらはまったく別の質問に対する回答で、文脈もまったく違うものだった。安倍応援団はそれを切り貼りして、あたかも佐藤が「安倍首相が気に入らないから、お腹を下す設定にした」かのように印象操作していたのだ。
佐藤浩市の「お腹を下す設定」は責任の大きさや苦悩を表現する役作り
 まず、前者の「体制側に対する抵抗感」という回答は「総理大臣役は初めてですね」という質問に対して理由を話したにすぎない。そして、「彼はストレスに弱くて、すぐにお腹を下す設定にしてもらった」という後者の発言は、「漢方ドリンクの入った水筒を持ち歩いてますね」という質問への回答だ。
 しかも、この発言の前に、佐藤はこう語っている。
「少し優柔不断な、どこかクジ運の悪さみたいなものを感じながらも最終的にはこの国の形を考える総理、自分にとっても国にとっても民にとっても、何が正解かなのかを彼の中で導き出せるような総理にしたいと思ったんです」
 つまり、他国の武装集団に上陸され、自衛隊を武力出動させるかどうかという、戦後初の重大な選択を迫られる総理大臣の責任の大きさや逡巡を表現しようとして考え出された設定であり役作りなのだ。
 佐藤は、戦争を始めるかどうかという重大な局面で、総理大臣という立場にいてしまった人間の苦悩を演じることで、国が「武力を行使すること」「戦争」がどういうものなのかを、よりリアルにより重層的に表現しようとしたのだろう。
 戦争を是とするか非とするか、どういう判断をするにせよ、その決断に到るまでに為政者が一人の人間として逡巡し苦悩するのは当然のことであり、それを描こうとするのは、反戦でもイデオロギーでもない。
佐藤演じる首相は「国民に血を流せ」と迫る安倍よりはるかに誠実だった
 いったい、これのどこが「安倍首相を揶揄すること」なのだろうか。たしかに安倍首相は第一次政権の放り出しを後になって潰瘍性大腸炎という持病のせいにしたことがあるし、第二次政権では昭恵夫人の用意した水筒にぬるま湯を入れて国会などにも持ち込んでいることも有名で、こうしたディテールは安倍首相を彷彿とさせるかもしれない。
 しかし、佐藤の演じる首相は安倍首相とはかけ離れているものだ。佐藤の演じる総理大臣は前述したように、国民に対する責任を感じ、逡巡、苦悩を抱えているが、安倍首相はそんなものとは無縁で、国民や自衛隊員が犠牲になることを躊躇うどころか、むしろ積極的に「血を流せ」と煽るような好戦的な人間だ。実際、「わが国の領土と領海は私たち自身が血を流してでも護り抜くという決意を示さなければなりません。そのためには尖閣諸島に日本人の誰かが住まなければならない。誰が住むか。海上保安庁にしろ自衛隊にしろ誰かが住む」「まず日本人が命をかけなければ、若い米軍の兵士の命もかけてくれません」(「ジャパニズム」青林堂、2012年5月号での田久保忠衛・日本会議会長との対談)などという言葉を口にしたこともある。
 ようするに、両者は「胃腸が弱い」「水筒を持ち歩いている」という表層のディテールが似ているだけで、その背景は似ても似つかない。佐藤が演じる総理大臣が安倍首相をモデルにしているなどというなら、逆に「安倍首相を美化している」と文句をつけたいくらいだ。
 それを表層のディテールだけを取り出して、「安倍首相をバカにしている」などとイチャモンをつけるのは、『空母いぶき』がどうというより、そもそも映画や芸術表現をまったく理解していない。
 戦争をするかどうかというレベルの重大な決断にいたるまでに為政者が逡巡し苦悩するプロセスを描くことは、イデオロギー関係なくごく自然なことだろう。むしろそんな描写をすっ飛ばしたような作品は、反戦ものだろうが、戦争ものだろうが、作品としてリアリティも説得力もない低レベルなものにしかならない。
 見城や百田は「思想的にかぶれた役者」「表現より政治信条を上位に置くんだ?」「安っぽい主義主張」などと佐藤の発言を批判しているが、思想にかぶれているのも、表現より政治心情を上位に置いているのも、安っぽい主義主張をがなり立てているのも、安倍応援団のほうだ。
 安倍さまの意向にかなっているかどうか。すべての物事をそれでしか判断できない。1ミリでも安倍首相のマイナスに感じさせるようなことは片っ端から叩かないと気が済まない。この安倍さま至上主義のほうこそ、北朝鮮そっくりではないか。
佐藤浩市の「日本は戦後でなければならない」に安倍応援団は沈黙
 言っておくが、佐藤は、「安倍か反安倍か」などという狭い視点で「戦争」を語っているわけではない。「ビッグコミック」のインタビューで、こうも発言している。
「僕はいつも言うんだけど、日本は常に「戦後」でなければいけないんです。戦争を起こしたという間違いは取り返しがつかない、だけど戦後であることは絶対に守っていかなきゃいけない。それに近いニュアンスのことを劇中でも言わせてもらっていますが、そういうことだと僕は思うんです。専守防衛とは一体どういうものなのか、日本という島国が、これから先も明確な意思を提示しながらどうやって生きていかなきゃいけないのかを、ひとりひとりに考えていただきたいなと思います」
 佐藤が、過去の歴史や国際社会における日本の位置も踏まえ、「戦争」について様々な視点から考えていることがよくわかる。もし戦争や武力解決という手段についてまともに議論する気があるなら、注目すべきはこうした発言のほうだろう。
 しかし、安倍応援団はぐうの音も出なかったのか、こういう本質的な発言にまったく触れずに、「胃腸が弱い」云々の部分だけを取り出したのだ。これは、佐藤に対してネトウヨたちの攻撃を扇動しようという意図があったとしか思えない。
 今回の佐藤に対するイチャモン攻撃であらためてわかったことがある。安倍応援団や右派が「平和を守るために戦う」などという方便を大人の論理としてよく持ち出すが、そんなの単なる詭弁で、連中はただただ戦争したいだけということだ。そして、戦争に駆り出される者をヒーロー視したり、手放しで戦争礼賛するような頭の悪い作品以外は、反戦どころか、多角的に論争的に「戦争」を考える視座すら許さない。そういうことだろう。
 前述したように、佐藤浩市は「ビッグコミック」のインタビューの最後に「日本は常に「戦後」でなければいけないんです」と語っていた。しかし、安倍応援団の「安倍サマのマイナスになるような発言は1ミリも許さん」というファナティックな攻撃に、マスコミまでが追従している様を見ていると、残念ながら、日本は「戦後」ではなくすでに「戦前」に突入している、というべきだろう。


安倍官邸が74億円もの官房機密費使用の異常! 領収書なしの“使途不明金”は安倍応援団の手にも?
 一体、巨額のカネはどこに流れたのか──。官房長官の裁量で機動的に使える予算である「官房機密費」(内閣官房報償費)を、安倍内閣が昨年1年間で12億3847万円も支出していたと6日付けのしんぶん赤旗が報道。これにより、この6年間で安倍政権が使った官房機密費は、じつに74億652万円にものぼることがわかったのだ。
 官房機密費は、ほかの予算とは違って領収書や支払い先を明らかにする必要がない「ブラックボックス」だ。この官房機密費は後述する「政策推進費」と、情報提供者への謝礼などに使う「調査情報対策費」、情報収集のための贈答品などに使う「活動関係費」の3つからなり、このうち「調査情報対策費」「活動関係費」は領収書が必要となる。問題は「政策推進費」だ。
「政策推進費」は官房長官が自ら出納管理をおこなうもので、具体的な使途が特定されていない段階で国の会計からの支出が完了となる。つまり、国庫から引き出される金でありながら、領収書は不要、支払い先を明かす必要もなし、官房長官の判断ひとつで使える「究極のブラックボックス」と言うべき状態となっているのだ。
 そして、昨年1年間に官房機密費で支出した12億3847万円のうち、この「政策推進費」はなんと11億1620億円。この金額は全体の90.1%だ。
 ようするに、昨年のたった1年間で、菅義偉官房長官の自由裁量で11億円もの大金が使途も明かされずに使われたのである。ちなみに、第二次安倍政権で使い切れずに国庫に返納された官房機密費の総額は、わずか約33万円。昨年度は約1万円にすぎない。
 国民の税金が適正な支出であるかどうかもわからない不透明なかたちで使用されていることに対しては、以前から疑義の声があがってきたが、こうして“ヤミ金”である「政策推進費」が機密費全体に占める割合が判明したのも、昨年、最高裁で一部開示の判決が出たため。これによって、官房機密費として月平均で約1億円が支出され、そのほとんどが支払い先やその理由がわからない「政策推進費」であることがわかったが、しかし、支払い先や金額など使途にかんする文書は不開示に。一方、菅官房長官は最高裁判決について「国民の不信を招くことがないよう、引きつづき適正な執行を徹底していきたい」と述べた。
 それがどうだ。ヤミ金への使用が9割にものぼると判明して批判を浴びたというのに、まったく意に介さないように、相も変わらず菅官房長官は昨年も11億円も使い切ったのである。
 しかし、問題はこうした官房機密費が何に使われているのか、ということだ。建前では、官房機密費は「内閣官房の仕事を円滑に進めるため」に使用されるとされているが、実際は、内閣ではなく自民党の選挙資金として官房機密費が使われているとの証言が絶えない。
 その象徴的な例が、1998年の沖縄県知事選で多額の官房機密費が選挙資金として官邸から流れた、というものだ。
 この選挙は普天間基地の移転先が争点となり、「県外移設」を主張した現職だった大田昌秀氏と自民党推薦の稲嶺恵一氏が一騎打ちに。壮絶な選挙戦が繰り広げられた末、稲嶺氏が当選した。だが、2001年に自民党沖縄県連関係者が「官邸から知事選の資金が出たのは間違いない。私自身、選対の会議で報告を受けた。元は税金だからね。選挙に機密費を使ったなんて表に出たら大変なことになる」と証言(毎日新聞2001年3月7日付)。
 しかも、この疑惑は匿名の証言だけでは終わらなかった。1998年の沖縄県知事選の際、官房副長官として当時の野中広務官房長官を支えていた鈴木宗男氏が、2010年に「(稲嶺陣営に官房機密費で)3億円使ったと聞いている」と証言をおこなったのである。
 税金が原資である金が選挙に使われていたとなれば、不当な政治介入であると同時に官房機密費の明確な目的外使用だ。だが、官房機密費をめぐっては、選挙資金への支出と同様にもうひとつ語られてきた問題がある。それは、政治評論家への支出だ。
野中広務が政治評論家に官房機密費渡したと証言「断ったのは、田原総一朗だけ」と
 2000年には写真週刊誌の「FOCUS」(新潮社/休刊)が「極秘メモ流出!内閣官房機密費をもらった政治評論家の名前」と題し、田原総一朗や竹村健一、三宅久之、俵孝太郎ら政治評論家に官房機密費から数百万円の金が渡っていると報道。これはあくまで「極秘メモ」でしかなかったが、そうした政治評論家への金の流れについても、官房長官経験者が口を開いたことがある。小渕内閣で官房長官を務めた故・野中広務氏だ。
 野中氏は2010年にテレビ番組や講演で官房機密費について証言をおこない、「(政治)評論をしておられる方々に、盆暮れにお届けするというのが(引き継ぎ帳に)額までみんな書いてありました」と言及。「政治家から評論家になった人が、『家を新築したから3000万円、祝いをくれ』と小渕(恵三)総理に電話してきたこともあった」「持って行って断られたのは、田原総一朗さん1人」と語り、金を受け取った政治評論家に対してこう述べた。
「あんだけテレビで正義の先頭を切るようなことを言っている人が、こんなのを平気で受け取るのかなと思いましたね」
 野中氏は前述したように沖縄県知事選で官房機密費が投入された際の官房長官であり(本人は鈴木宗男氏の証言を否定)、しかも政治評論家に金を配った立場であってあれこれ言えたものでもないと思うが、少なくとも、ここまでオープンに語るほど、政治評論家を官房機密費で懐柔することは永田町の“公然の秘密”だという何よりの証拠だろう。
 選挙という党利党略や、評論家の抱え込み工作のために公金を使う──。そして、こうした伝統的な官房機密費の使途は、いまも変わっていないはずだ。
 たとえば、第二次安倍政権下でおこなわれた沖縄県知事選や市長選で自民党はすさまじい物量作戦を展開してきたが、その陣頭指揮を執っているのは菅官房長官である。また、テレビでは“御用ジャーナリスト”たちが露骨な安倍政権擁護を繰り広げているが、ニュース番組やワイドショーなどの放送をいちいちチェックし、気にくわない報道やコメントがあればすぐさま上層部にクレームを入れることで圧力を高めてきたのは菅官房長官だ。その菅官房長官こそが使途も明かさず金を自由にできるブラックボックスの金庫番だという事実──。重要区の選挙やジャーナリストの懐柔に官房機密費が流れていると考えるほうが自然というものだ。もし、そうした疑いをかけられたくないのであれば、菅官房長官本人が「国民の不信を招くことがないように」と述べる通り、情報を開示すればいいだけの話だろう。 
 しかも、忘れてはならないのは、官房機密費の使途を命じるのは安倍首相だ、ということだ。実際、三木武夫内閣で官房副長官経験があり、1989年に総理となった海部俊樹・元首相は、官房機密費について、こんな証言をおこなっている。
「何に使うかは、総理大臣の自由ですから、官房長官や官房副長官を使いにして各所へ配ったり、あるいは党から『資金が底をついた』と言って取りにくることもありました。そんなときは、『帰りに官房長官のとこへ寄って出してもらっていけ』と伝えるわけです」(「文藝春秋」2011年3月号)
 安倍首相と菅官房長官のもと、この6年で国民に使途を明かせない金が、74億円もどこかに使われた。そして、それによって公正であるべき選挙やジャーナリズムといった民主主義の根幹が切り崩されている可能性が高いという現実。官房機密費をブラックボックスにしておくことは、この独裁政権においてはかつてなく危険だという危機感をもつべきだろう。


酒に酔い維新議員 島返還に戦争持ち出し元島民抗議
 13日、北方四島の国後島から帰港したビザなし交流の訪問団。この訪問団に参加していた日本維新の会の丸山穂高衆議院議員の発言をめぐり、元島民らから抗議を受けていました。
 丸山穂高衆議院議員は11日、現地で島返還の手段として戦争を持ち出し、元島民らから抗議を受けていました。
 同行した記者が録音した丸山議員の音声です。
 丸山議員音声「戦争でこの島を取り返すことは賛成ですか?反対ですか?」
 団長「戦争で?」
 丸山「ロシアが混乱しているときに取り返すのはOKですか?」
 団長「戦争なんて言葉は使いたくないです。使いたくない」
 丸山「でも取り返せないですよね?」
 団長「いや、戦争はすべきではない」
 丸山「戦争しないとどうしようもなくないですか?」 
 団長「いや、戦争は必要ないです」 
 丸山議員とやりとりをした訪問団の団長で、元島民の大塚さんは「私は真っ向から反対いたしました。戦争で取るとか取らないか、そんなこと私は聞いたこともありませんしね」と話しています。丸山議員はこの発言の前に酒を飲んでいたということです。元島民らはこの発言に抗議しましたが、丸山議員は酒に酔って騒いだことについては謝罪したものの、戦争発言については「賛成か反対かを聞いただけ」だとし、「北方領土を戦争で取られたわけですから、取り返すということに対して賛成か反対か聞いたと。別にそういう話があってもいいわけじゃないですか。それに対して何をダメだとおっしゃっているのかよくわからないです」とコメントしています。丸山議員の発言について日本維新の会の松井代表は、
 「戦争で取り返すようなことは、我々党として一切考えはありません。武力での解決というのは僕にはないですね」と話しています。


「男脳」「女脳」は存在しない "女は数学が苦手"は科学的に間違いである
「女性は数学が苦手」「女性はマルチタスクが得意」「女性は論理的思考で男性に劣る」……。どれも科学的に証明されているわけではありません。怖いのは、これらの思い込みによって本来は能力があるにもかかわらず、本当にそうなってしまうことがあるということ。脳を研究する認知神経科学者細田千尋先生は、「男脳」「女脳」といった観点でものを見ることは、社会的にも科学的にも間違っていると指摘する――。
思い込みが男女の能力差をつくる
「数学が苦手」と感じている女性の方は多いのではないでしょうか。しかし、それはステレオタイプによって作られた思い込みだったかもしれません。「女性は数学が苦手」などのステレオタイプによって、本来ならそんなことはないのに本当にそうなってしまうことを「ステレオタイプ脅威」と言います。この影響を受ける可能性が高いのは、ステレオタイプの対象となる集団に強く自己同一化している人たちと言われています。
例えば、世界的な傾向として、高校までの数学の成績分布では、一般的な難易度の問題では性差は認められないのですが、難易度の高い問題では性差が出てきます。そして、ステレオタイプ脅威の影響が出やすいのも、特に難易度の高い問題を課した場合であるとも言われています。
「ジェンダー・ギャップ指数」も影響する
また、数学オリンピックやチェス、将棋などのボードゲームでのトップレベルの集団に女性の割合が少ないことも、男女の能力差を連想させる一因になっています。これらは、女性の児童期からのボードゲームとの接点の少なさや、その国のジェンダー・ギャップ指数(世界経済フォーラムが発表している男女格差の度合いを示す指数)と関連していることも報告されています(批判的な見解も存在します)。
つまり、女性に与えられるさまざまな機会が乏しかったり、社会からのステレオタイプ脅威があったりすると、たとえ潜在的な能力が高かったとしてもトップレベルでの活躍ができなくなる可能性があるのです。
「男脳・女脳」という言葉がもたらす害
このようなステレオタイプの一例に「男脳・女脳」という言葉があるのかもしれません。
恋人や夫婦などの深い関係から、職場の上司や部下といった社会的関係まで、異性との関わりは避けては通れないものであり、異性のことを理解したい、うまく関係を構築したいというのは多くの人の願望だと思います。
しかし、実際にはなかなか理解できず、悩んでしまう。そのような時に、私たちヒトは、理解できないことで起こる心の葛藤に対して、“もっともらしい理屈”をつけて、自分が理解出来ないということを正当化したくなります。
これを「合理化」と言います。「男脳・女脳」という言葉は、「脳の違い」という一見科学的でもっともらしい理屈によって、自分が理解できないことを合理化しようとしていることの表れとして広まったのかもしれません。
男脳・女脳は存在しない
では、「男脳・女脳」は本当にあるのでしょうか。
そもそも、男脳・女脳の根拠となった論文は、1982年に『サイエンス』誌で発表されたもので、男性9人、女性5人の脳梁の太さを測ったら、女性のほうが太かったというものでした。
しかし、現在の研究の中で主流の考え方は、「男脳、女脳はない」です。
その考え方のベースの一つになっている研究では、13〜85歳までの1400人から集めた脳スキャンデータを用いて男女の脳構造差を調査しています。その結果、全体で見たときには、脳の中でわずかな領域に性差が見つかりました。
ところが、個人ごとの脳を見たところ、一人ひとりの脳は、男性に特徴的、女性に特徴的と言われるものが組み合わさったモザイク状の脳になっていて、男/女に特徴的と言われるものを全て持っていたのは、数パーセントの人のみでした。
例えば、街を見たときに、なんとなく街ごとの特徴というものを感じることがあると思います。ところが、その街の一軒一軒の家を見ても、その街の特徴を見つけるのは難しい。完全にその町の特徴を全て満たしているような家もある一方で、多くは、その街の特徴とその他の街でもみられる特徴がそれぞれに特有のバランスで入り交じっています。
同じように、確かに脳構造も全体でみると性差が見られますが、個人それぞれの脳を、男脳・女脳とどちらかに完全に分類する事は困難なのです。
“女性は細やか”で“男性は車好き”なのか?
では、その全体的に見たときの脳の構造的な性差は、どんな意味を持つのでしょうか? 実は、その答えは明確ではありません。メディア等でよく言われる、「脳梁の大きさが男女で違うからマルチタスクは女性が得意」ということも証明されていませんし、実際に、5500人を調査した結果、女性は細やかでクリーンである、男性は車とスポーツが好き、といったステレオタイプ(と言われている)を示す人は、0.1%という研究結果もあります。
最近では、発達障害などにおける脳の違いの研究から、「ニューロダイバーシティー」(脳の多様性)という考え方が提唱されています。脳は、ジェンダーなどで簡単に二分されるものではなく、多様性をもつものなのだという理解が、これからはとても重要になるでしょう。
ジェンダーレスな未来へ
「男脳・女脳があるから数学や論理的思考で女性は男性に劣る」ということも、「マルチタスクや言語学習で、女性より男性が劣る」ということもありません。
もしかしたら私たちは、異性のことを理解しようとするがあまり、あるいは、苦手なことの言い訳を探そうとするがあまり、男脳・女脳などという言葉に耳を傾けてきたのかもしれません。これは、ステレオタイプ脅威にもつながり、社会的にも科学的にも間違っています。夫婦間、恋人間でもそのような誤った認識(偏見)の基に相手を理解しようとすることは、良い関係性を構築していくためには、不適切と言えるでしょう。
男脳・女脳という伝説にとらわれて、勉強・仕事・恋愛などさまざまな分野における無限の可能性を潰してしまわないよう、良い意味でのジェンダーレスな未来が来ることを脳の研究をする女性として願います。
参考文献
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