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F-35 dans le Pacifique: le Japon met fin aux recherches
Tokyo (AFP) - Le Japon a abandonné ses recherches pour retrouver le corps du pilote et l'épave truffée de secrets technologiques d'un avion de chasse F-35 tombé en mer il y a près de deux mois.
Le ministre nippon de la Défense Takeshi Iwaya a annoncé mardi à la presse qu'il était mis fin aux efforts de recherche mais que l'enquête sur les causes de l'accident se poursuivait, ajoutant que les vols de cet appareil dernier cri ne reprendraient pas pour le moment.
Le ministère a par ailleurs averti qu'il continuerait de surveiller une large zone à l'aide de caméras sous-marines "afin de protéger des secrets militaires".
Les radars avaient perdu la trace de l'appareil japonais le 9 avril au-dessus du Pacifique alors qu'il participait à une mission d'entraînement avec trois autres avions à quelque 135 kilomètres à l'est de la base de Misawa (nord-est du Japon).
Il s'agit du premier cas de chute d'un F-35A, selon les Forces d'autodéfense du Japon.
Les experts ont souligné que Japonais et Américains s'activaient dans la crainte que des morceaux de l'appareil ne soient récupérés par la Chine ou la Russie. "Le F-35A contient un nombre significatif de secrets qui nécessitent d'être protégés", avait dit à la presse en avril le ministre.
Le Japon déploie des F-35A d'une valeur unitaire de 10 milliards de yens (80 millions d'euros) pour remplacer ses F-4 vieillissants. Cet avion chasseur accidenté était un des 13 de ce type qui équipent la base de Misawa, selon un responsable de la défense. Il a été assemblé sous licence par le groupe japonais Mitsubishi Heavy Industries (MHI).
Les 12 autres F-35A acquis par les Forces d'autodéfense sont provisoirement immobilisés.
Face notamment à la modernisation rapide de l'armée chinoise, le Japon a décidé d'en acquérir 105 au cours de la prochaine décennie ainsi que 42 autres avions de type similaire, le plus probablement la version F35-B.
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あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県仙台市 板橋恵子さん」
FMラジオ局のパーソナリティー・板橋さんは防災番組を長く担当、非常食を作るコンテストを開催してきた。震災後、打ちひしがれた板橋さんに1通のメールが送られてくる。 板橋恵子, 野村正育
歴史秘話ヒストリア「日本人 ペリーと闘う 165年前の日米初交渉」
幕末から明治にいたる動乱のきっかけ、「ペリー来航」!この大事件は、これまで、太平の夢の中にあった徳川幕府が、アメリカ・ペリーのどう喝的な開国要求に屈したというイメージで語られてきた。しかしそれを覆す史料がーー幕府の議事録「墨夷応接録」。冷静にペリーと対じ・主張し、矛盾点を臆することなく追及した日本側、林大学頭(はやしだいがくのかみ)の姿が明らかになった。最新研究より日米初の外交交渉の真実に迫る。 渡邊佐和子
サラメシ シーズン9「第8回」
奈良の串カツ屋でアルバイトする女子大学生は、バイトをきっかけに料理に目覚め、毎朝父親の弁当を1食300円で作っている。18歳ながら弁当作りを続ける本当の理由とは?▽富山市にある完全受注生産の自動車メーカーではおよそ50人の職人たちがほぼ全ての工程を手作業で造っていく。様々な経歴を経てここに集う職人たちのランチタイムを、お弁当ハンターが見にいく▽名古屋で拝見!スマホめし▽新宿でさし飯 阿部了, 中井貴一
有田芳生@aritayoshifu
北朝鮮側の反応は報道された「あつかましい」ではなく、正確には次の通りです。「平然と『前提条件なしの首脳会談開催』を云々する安倍一味の面の皮は熊足の裏のように厚いようである」。意訳して「あつかましい」としたのでしょう。安倍政権はみずから拉致問題解決への道を閉ざすのでしょうか。
澤田愛子 @aiko33151709
訪英中のトランプにロンドン市民の激しい反トランプデモが起っている。市民から集めたお金で赤ん坊トランプの巨大風船をバッキンガム宮殿の前で上げて抗議。まさに成熟した民主主義国だ。これが世界の標準で日本のように政府もメディアも国民も歓迎一色の国はない。日本人の幼稚さが笑われている。😭😖
トランプ訪日で、反トランプデモをしようとした日本人がいなかったわけじゃない。今がファシスト政権でなく普通の民主的政権なら、日本でも新宿辺りで大きな反トランプデモができただろう。だが、ゲシュタポに似てきた安倍警察が異常な取り締まりをして憲法で保障されるデモを潰したので不可能だった。
トランプ訪日時、恐ろしい内容のツイートを読んだ。ある男性がデモをしていたわけでもなく、ただそこにいただけなのに、安倍警察に連行されたというのだ。予防拘禁という違憲行動だ。こんな雰囲気なので、トランプ訪日じゃなく普通の市民デモでも、安倍継続なら予防拘禁の人権侵害が頻発しそうだ。😨😖
民主主義を根底から否定する事を又安倍官邸はやる。首相面談の官邸記録を一切残さぬというのだ。これでは首相がどんなに悪事をなそうと記録がないので後日罪に問えぬし、首相サイドは嘘の作話で自由に言い逃れが可能だ。民主主義を根底から否定するやり方を絶対看過せず、選挙で退陣させるしかない。
日本の総理が自分に都合が悪いと言って義務の国会を90日以上も開かぬのだ。なぜTVは報じないのか。日本の議会制民主主義を根底から踏み潰す行為で看過できぬ。これは安倍の国会私物化の延長線上の愚行。愚かなTVが官邸からの見返り欲しさに報じぬので、国民も安倍の酷さがわからぬのだ。悪夢のTV界。
安倍経済失政。国民年金基金を株上げに使いまくり、ストックが底をついたら、今後は支給額を減らす、支給年齢を引き上げる。で、自助努力で老後用に2000万円貯めよと安倍。安倍は失政の責任を一切取ろうとせず、その全部を困窮する国民に負わせる。皆さん、負う必要などない。彼を辞めさせるだけだ!

石垣のりこ @norinotes
野田内閣の財務大臣でもあった安住淳さんから、石垣のりこの事務所びらきで、ご挨拶を頂戴しました。安住さんのおっしゃるように、立候補決意の直後、安住さんとは消費税について1時間以上もの「激論」がありました。しかしこの度量の広いご挨拶。さすが宮城の誇る議会人。本当に感謝です。
ななしさん @nanashisan_com
安住淳ってやっぱりすごいな・・自分の政治実績をある意味全否定するような石垣候補(しかも地元)を、ここまでユーモラスに、かつ意見の違いがあることを正面から説明できる応援演説ってそうないと思うよ・・選挙に強い理由が分かる。
鈴木 耕 @kou_1970
山本太郎氏の「れいわ新選組」への寄付金が、1億5千万円に達したという。きちんと調べてはいないが、日本政治史上で、企業献金ではない一般市民の献金が1億を超えたことなど、初めてではないだろうか。これは大きな“事件”だと思うが、マスメディアはほとんど報道しない。なぜだろう?
岸原さや @sayasaya777
だいたい、おなかいっぱい食べれない子どもが7人に1人もいるってのに、なんで戦闘機をバカスカ買えるわけ?
10年前は北朝鮮をみて、ひどい国だなぁ、国民を飢えさせて軍備にお金をつぎこんで、独裁国家って悲しいな、北朝鮮の人らが気の毒だ…って、たいていの日本人は思ってたはず。 でももう私たち、同じ道にずんずん引きずりこまれてるよね。

星のしずく @DSTpnWVytBDmK1a
NHKの朝のニュース。
昨日にひき続き、中国天安門事件に関して熱心に報道。
台湾や米国でもこんな集会がありました、と精力的です。曰く、報道が規制され、閉塞感が高まっているそうな。全体主義であるとも。
自国の集会や報道に対する圧力、閉塞感には知らん顔。
NHKは恥ずかしくありませんか?


朝洗濯をして,雨が降るかも・・・というので部屋干し.でも雨降りそうにないので外に干して,昼になって乾いたのでスーパーにきびなごを買いに行きました.5月のときより少し量が少ない?気がしましたが,とりあえずファミリー向けを買いました.
お昼ご飯は冷蔵庫にあった納豆と豆腐,キュウリわかめ,豚肉を食べて満足です.汁物がないのでコンソメスープを自分で作りました.
YoutubeでNHKスペシャルの安楽死とDNAに関する番組を見ました.DNAのほうはCGもすごくてさすがNHKという感じ.安楽死もそういう意味ではNHKっぽいいい番組でしたが,どうしたらいいの?身近な人が安楽死を望んだらどうしたらいいのか,すぐには結論が出せません.
今日は天安門事件から30年.民主化という言葉が重く響きます.残念ながら現在でも中国には民主化が必要なのだと思います.
しかし.日本だって民主化闘争をしなくてはならない世の中になっていると言わざるを得ません.
夕方黄色の指示を待って2027.
きびなごの天ぷらが美味しかったです.
でも頑張れませんでした.

<震災遺構>旧門脇小 石巻市、部分保存費用計上へ
 石巻市が東日本大震災の遺構として部分保存する方針の旧門脇小校舎を巡り、市は3日、6日開会の市議会6月定例会に解体費用を含む事業費2億1356万円を提出すると発表した。可決されれば、今夏にも一部解体に着手する考え。
 校舎の残し方について、地元住民らでつくる団体は全体保存を市に求めており、両者の議論は平行線をたどっている。
 亀山紘市長は3日の定例記者会見で「これまでも時間をかけて丁寧に話し合ってきた。積み上げてきたものを崩して、今から変えることには賛成できない」と述べ、全体保存には応じない意向を改めて示した。
 地元のかどのわき町内会の本間英一会長は取材に対し、「地元の理解を得られない状況で強行するなら(今後の伝承活動などには)協力できない。市はもう少し議論に時間をかけてほしい」と指摘した。
 今回の事業費には校舎の解体費のほか、改修費、展示業務の委託料が含まれている。


<稲垣潤一さん>復興支援の基金で七ヶ浜・向洋中へ楽器など贈る
 仙台市出身のアーティスト稲垣潤一さん(65)が5月27日、七ケ浜町向洋中を訪れ、東日本大震災からの復興支援のため設立した「稲垣潤一東北サポート基金」を活用して楽器などを寄贈した。
 寄贈式には全校生徒245人が出席し、生徒会長の3年菅野雄太さん(14)が「来校を楽しみにお待ちしていた」と歓迎した。
 稲垣さんは、吹奏楽部の使う楽器22点の修理費と、新たにフルート2本、バスクラリネットとアルトサックス各1本を贈る目録を進呈。部長で3年の松本日菜さん(15)は「このご恩を美しい音に変え、コンクールの練習を頑張っていく」とお礼を述べた。
 稲垣さんは生徒たちに「一人一人に使命があるので、それを見つけ出してほしい。卒業し社会人になっても音楽を続けてほしいし、どこかで再会できたらうれしい」と語り掛けた。
 生徒たちは合唱曲「unlimited(アンリミテッド)」を歌い、感謝の気持ちを伝えた。
 基金はファンからの寄付で設立。主に東北、宮城の被災地の子どもたちに楽器を寄贈している。


<東京五輪>聖火リレーコース 「復興実感」期待と村井知事
 村井嘉浩知事は3日の定例記者会見で、2020年東京五輪聖火リレーのコースが発表されたことを受け「復興の火でもある聖火が沿岸を駆け抜けることで、被災者に復興を実感してもらえる」と期待した。
 村井知事は沿岸に特化した県内のコースを「海外などから来た人に現在の姿、感謝の気持ちを伝えられる」と強調。整備が進む震災遺構にも触れ「観光客が落ち込む沿岸部の交流人口拡大につながってほしい」と述べた。
 旧優生保護法(1948〜96年)下で強制不妊手術を受けた県内の女性2人が国に損害賠償を求めた裁判を巡り、請求を棄却した仙台地裁判決には「県を相手にした裁判ではないため言及は控える」とし、対象者への一時金支給に向けた啓発を続けると強調した。
 参院選宮城選挙区(改選数1)で候補者を一本化した野党勢力については「合従連衡はありうる。(2017年の)知事選もそうだった」と指摘。選挙応援は「公務が優先。要請があった段階で判断する」と語り、現時点で中立の立場を示した。


災害公営住宅家賃滞納で提訴へ
石巻市の災害公営住宅で、家賃や駐車場の使用料を長期間滞納したとして、市は入居者2人に対し、滞納金の支払いと住居の明け渡しを求める訴えを仙台地方裁判所石巻支部に起こすことを決めました。
石巻市によりますと、家賃などを滞納しているのは、市営三ツ股第二復興住宅に入居する男性と市営あけぼの北復興住宅に入居する女性のあわせて2人です。
男性は平成28年12月から27か月分、およそ92万円、女性は平成27年7月から41か月分、136万円あまりを支払っていないということです。
市はこれまで繰り返し、2人に対し、文書などで滞納金の支払いや明け渡しを求めてきましたが、いずれも口頭では支払う意向を示したものの滞納が続いていたということです。
このため石巻市は、2人に滞納金の支払いと住居の明け渡しを求める訴えを、今月中にも仙台地裁石巻支部に起こすことを決めました。
石巻市は、「長期間、家賃などが滞納され繰り返し通知を出すなどしてきたが、支払いが行われなかったため、やむをえず提訴することにした」と話しています。
東日本大震災で建てられた災害公営住宅をめぐり、石巻市が訴えを起こすのは今回が初めてです。


<石巻・災害公営住宅>家賃滞納で明け渡し求め 市、入居者を提訴へ
 石巻市は3日、東日本大震災の災害公営住宅で家賃と駐車場使用料を長期間滞納した入居者2人に対し、住居明け渡しと滞納金の支払いを求め、仙台地裁石巻支部に提訴する方針を明らかにした。市によると、災害公営住宅の明け渡しを求めて訴えを起こすのは初めて。
 滞納しているのは、市営三ツ股第2復興住宅に住む男性と、市営あけぼの北復興住宅に住む女性。男性は27カ月間、家賃と駐車場使用料計91万8300円を滞納。女性は41カ月間、計136万1500円を支払っていない。
 市は、それぞれ3回にわたって文書で明け渡しを求めたが、応答がなかったという。


<安住の灯火>景観ルール定め集落再建 震災前をイメージし屋根の色や白壁統一 女川・竹浦地区
 東日本大震災で被災した宮城県女川町の竹浦(たけのうら)地区の住民が、独自の景観ルールを定めて住まい再建を果たした。建築士の助言を得ながら、震災前の地元の風景をイメージし、屋根や外壁の基準を策定。住民主導による景観に配慮した住宅再建の例は珍しく、関係者の注目を集めている。
 女川町中心部から東に約5キロ離れた海抜約25メートルの高台に、黒や焦げ茶を基調とした屋根と白壁の家並みが広がる。2017年までに防災集団移転促進事業で再建された住宅13戸と、災害公営住宅10戸が建つ竹浦北地区の住宅団地だ。
 行政区長の鈴木成夫(しげお)さん(70)は「できるだけ美しく集落を復興させたかった。『景観はみんなのもの』という意識で、統一感を持たせることができた」と満足そうに語る。
 竹浦地区は震災の津波で全住宅63戸が被災した。住民有志は11年秋、集落再生の手法を学ぼうと新潟県中越地震の被災地を視察。里山の景観に配慮した住宅の見学をきっかけに、再建に向けた話し合いの中で景観ルールが持ち上がった。
 12年から宮城県建築士会のボランティアらの協力で、住宅復興のワークショップを8回開いた。重視したのは、雄勝石のスレート屋根やしっくいの壁が多かった震災前の風景だった。
 当時の雰囲気に近づけようと、新築する家の屋根は黒やグレーのスレート調とし、壁面は天然素材のような色合いにするよう申し合わせた。建物の外観に加え、生け垣など緑化の基準を約2年かけて策定した。
 最終的に10世帯が景観ルールに基づき住宅を新築。他の3世帯も屋根や壁の色をできるだけ合わせ、町も地区の方針に沿って災害公営住宅を設計した。
 将来起こり得る大災害と集落再建の参考にしてもらおうと、県建築士会は17年末、竹浦地区の復興に関する資料や住民の声をDVDにまとめ、各都道府県の建築士会に配った。和歌山県や富山県などから建築士が視察に訪れたという。
 県建築士会の砂金隆夫会長(70)は「住民がつながりを保ちながら景観づくりの合意を形成し、思い入れある古里を再建できた。集落復興のモデルと言えるのではないか」と評価する。


<鳴子温泉>市有源泉、管老朽化で温泉供給量限界 観光への影響拡大
 大崎市鳴子温泉の市有源泉「下地獄源泉」の管が老朽化し温泉供給量が減っている問題で、観光への影響が長期化する様相を見せている。現在、足湯などが休止されているが、市は明確な対策を示せていない。源泉管理の専門職員の配置や修繕計画の必要性を訴える声も上がっている。
 下地獄源泉は公衆浴場「滝の湯」や「早稲田桟敷湯」、住宅など計24カ所に供給されている。2018年11月以降、20年以上前に設置された管6本のうち4本で老朽化による亀裂が見つかり使用できなくなった。
 残る2本をフル稼働しているが、供給量に限界があり、観光客に人気の足湯と温泉たまご工房は休止になった。「滝の湯」では湯温が下がるなど影響が拡大している。
 「深刻に受け止めている。鳴子温泉の評判を損なうことにつながりかねない」。伊藤康志市長は今年5月の記者会見で危機感をあらわにしたものの、市の対応はまだ定まっていない。
 市は老朽管の更新で済むのか、あるいは代替源泉の掘削が必要なのか、専門家の意見を聴いて検討している。仮に掘削となれば、必要な県自然環境保全審議会の許可が得られるのは早くとも10月以降となる。
 ある市議は「スピード感が足りない。人員に余裕がない市鳴子総合支所に任せず、緊急事態と捉え市の産業経済部が前面に出て対応するべきだ」と指摘する。
 国内有数の温泉地を抱える大分県別府市、群馬県草津町、神奈川県湯河原町などの自治体は源泉を管理運営する「温泉課」がある。旧鳴子町も温泉事業所があったが、大崎市合併後は、同事業所の機能を引き継いだ第三セクター鳴子まちづくりが指定管理者として、日常的な維持管理を担う。
 鳴子まちづくりの遊佐久則温泉事業部長は「行政の判断を待つしかなく、もどかしい。20年ぐらいの中長期的な計画を立て老朽管の更新を進めるなど、源泉管理の仕組みも見直す時機だ」と提案する。


クロソイ 出荷自粛へ
福島第一原発から20キロ圏内の海域で、東京電力が行っている魚介類の調査で、先月28日に採取されたクロソイという魚から、県漁連が設けた自主基準を超える放射性物質が検出され、安全が確認できるまでの間、クロソイの出荷を自粛することになりました。
東京電力によりますと、先月28日、福島第一原発から10キロほどの富岡町の沖合で採取されたクロソイ3匹を混ぜて測定したところ、セシウム134と137の合計値で、1キロあたり101.7ベクレルが検出されたということです。
厚生労働省によりますと、この場合1の位を四捨五入するため、国の食品の基準の1キロあたり100ベクレルと同じになり、基準を超えたことにはならないということです。
一方で、福島県漁連がより厳しく定めている1キロあたり50ベクレルの自主基準は上回り、県漁連は当面の間、クロソイを試験的な漁の対象から外して安全性が確認されるまで、出荷を自粛するとしています。
県漁連によりますと、クロソイはおととし1月に安全性が確認されて国の出荷制限が解除され、試験的な漁が行われてきましたが、その後、自主基準を上回るのは初めてだということです。


天安門事件30年/民主化が遠ざかった歳月だ
 民主化を求める多数の市民や学生を中国政府が武力弾圧した天安門事件。自国民に軍が銃口を向けるという世界中に衝撃を与えたあの惨事からきょう30年を迎えた。
 一説に数千人以上に上ったという死者の正確な数は、今なお不明だ。中国政府の発表では、事件による死者はわずかに319人。実際にはそれをはるかに超えているのは確実視されている。
 事件は、共産党の人民解放軍が天安門周辺に集まった群衆に銃弾を撃ち込み、戦車が踏みにじった。流血の現場の生々しい映像を鮮明に記憶している人も多いはずだ。断片的だったが、ニュース映像は世界を駆け巡り、大きな驚きで受け止められた。
 共産党政府は事件を「政治的風波(騒ぎ)」として矮小(わいしょう)化し、最近は「反革命暴乱」との表現も加えて正当化しているという。中国内では現在でも、事件を口にするのはタブーとなっている。
 事件後、国際社会は共産党一党独裁から緩やかな民主制への移行を期待した。しかしこの30年を振り返れば、期待とは全く逆の方向に中国は進んだ。国内的には力で民主化要求を押さえ付け、対外的には覇権的な性格をむき出しにしている。
 30年という歳月は、皮肉にも民主化が遠ざかり、共産党の独裁体制が強固となった歩みだった。昨年の憲法改正で国家主席の任期制限が廃止され、習近平主席は過去の歴代王朝のような皇帝への道を歩み始めたという。
 事件当時、学生リーダーだった王丹氏が亡命先の米国から来日し、先日、東京で行った記者会見で「事件は(政権による市民の)大虐殺であり、共産党にとって民主主義は敵だということが分かった」と語った。
 王氏は事件後に逮捕され、病気で仮釈放後に渡米し、現在は、中国の民主化を目指すシンクタンクの所長を務めている。日本政府と日本人に対し、王氏は「中国の民主化にもっと関心を持ち、支持してほしい」と訴えた。
 中国国外で民主化を求める運動を続ける人々は数多い。彼らの心からの叫びに私たちはこの間、どれほど関心を払ってきただろうか。チベットや新疆ウイグルでの悲惨な人権抑圧を含め、中国に対しては常に問題を投げ掛けていく必要がある。
 香港で従来しばしば開かれてきた天安門事件に関する集会は、ことし、中国政府の圧力によって、開催が困難になったと伝わる。共産党に対する一切の批判は許さないという強権的な姿勢を香港においても見せつけている。
 独裁体制が崩壊に向かうのは歴史の必然だ。南シナ海での人工島造成による軍事拠点化を見ても、体制の危険な体質が見て取れる。この国に対しては、細心の注意を払いつつ今後も向かい合わなければならない。


河北春秋
 中国の民主活動家、劉暁波氏は天安門事件の2年後、一編の詩を書いた。犠牲になった17歳の少年にささげた。<君が旗を握りしめたまま倒れた時、まだ17歳だった。僕は36歳になった。君の亡霊の前では生き続けることは犯罪だ>(『最後の審判を生き延びて 劉暁波文集』)▼残りの人生を犠牲者のために生きた。貫いたのは非暴力の姿勢。「私に敵はいない」と言い続けた。憎しみには愛、偏見には寛容さ、傲慢(ごうまん)さには謙虚さ、凶暴には理性で向かい合った。中国の民主主義体制移行を訴え、2010年にノーベル平和賞を受賞した▼天安門事件からきょうで30年。中国は経済大国に急成長を遂げ、共産党独裁体制が強まった。言論統制強化で民主派は急速に衰退し、天安門事件や、2年前に事実上、獄中死した劉氏を知らない若者が多いという▼中国以外でも、米国などで人権より金もうけを優先する政治家が増えた。日本はどうかと言えば、国際社会で人権問題に対する消極姿勢が批判される▼劉氏はこう語った。「日本が自由、人権擁護、民主の旗を掲げ、中国の民主化の推進に力を注げば、中国の人々の助けとなり、日本自身の助けともなる」(余傑著『劉暁波伝』)。時代が劉氏の理想と逆方向に進む今だからこそ、メッセージが重く響く。

天安門事件30年 国民の声聞き民主化を
 民主化を求める学生らを中国当局が武力で弾圧した天安門事件から、きょうで30年を迎えた。
 戦車の前に立ちはだかる青年の映像は世界に衝撃を与えた。中国政府は死者数を319人と発表したが、実際にはそれをはるかに上回ると考えられている。
 これまで中国政府は真相の解明を求める声を徹底して黙殺してきた。しかし歴史上の汚点を消し去ることはできない。
 30年を機に、当時撮影された写真や証言が新たに公表されている。事件を風化させまいとする市民の強い思いが伝わってくる。
 中国はこの間、めざましい経済発展をとげ、米国に次ぐ世界第2位の経済大国になった。
 だが言論の自由、人権が保障されてこそ責任ある真の大国である。事件を見つめ直し、民主化へかじを切ってほしい。
 事件は改革派の胡耀邦元共産党総書記の死去がきっかけだった。学生らの追悼行動が民主化デモとなって全国に波及し、北京の天安門広場では軍が市民に発砲した。
 中国政府は事件を「政治風波(騒ぎ)」と位置付け、武力弾圧を正当化する姿勢を崩していない。
 それどころか、追悼行事を封じ込めようと躍起になっている。
 この30年間、中国は市場経済の導入を進めてきたが、内政面での民主化には終始後ろ向きだった。
 中でも習近平国家主席は堅固な権力基盤を築き、市民への締め付けを強めてきた。
 2015年には人権派弁護士を一斉摘発した。17年には、共産党一党独裁を批判してきたノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏を獄中死に追いやった。
 劉氏は天安門事件でハンガーストライキの先頭に立ちながら、軍とにらみ合う学生を説得し、流血の拡大を防いだことで知られる。
 最近も、天安門事件の再評価を求める論文をネットで発表した大学教授が停職処分を受けた。
 ウイグル族、チベット族への人権侵害も深刻さを増している。見過ごすわけにいかない。
 対外的には、南シナ海への海洋進出を進めるなど覇権主義的な動きを拡大している。
 しかし米中貿易摩擦が激しくなり、頼みの経済の先行きが見えにくくなっている。今後、さらに成長が鈍化すれば、国民の不満を吸収できなくなる可能性もある。
 習政権は民主化を求める人々の声に耳を傾けなければならない。そうでなければ、国際社会の信頼を勝ちうることもできない。


天安門事件から30年 「異質な大国」誕生の原点
 民主化を求めて天安門広場に集結した学生らが中国軍に弾圧され、多くの死傷者を出した1989年6月4日の天安門事件から30年を迎えた。中国は世界の第2の経済大国になったが、政治改革の兆しはなく、むしろ国民の監視を強めている。
 事件で政治改革の動きがストップした結果、民主化を伴わない大国が誕生した。中国は現在の米中対立にも、この異質さが影響していることを自覚すべきだ。
 民主化運動は開明派の指導者だった胡耀邦(こようほう)氏死去をきっかけに広がり、100万人以上が参加した。当時の趙紫陽(ちょうしよう)総書記は学生らに同情的だったが、最高指導者のトウ小平氏は戒厳令布告を指示し、弾圧に踏み切った。趙氏は事件後、解任された。
 一方で戦車の前に立ちふさがる男性の映像などが衛星放送を通じて世界に伝えられ、社会主義体制の非情さを世界に見せつけた。同年11月の「ベルリンの壁」崩壊など東欧の変革にも影響を与えたといわれる。
 中国自身の変革にはつながらなかった。トウ氏はソ連崩壊直後の92年、全面的な市場経済導入に踏み切り、国民生活を向上させることで政権の正統性を保とうとした。
 その後の中国は経済優先の実利主義で高度成長路線をひた走ってきた。2001年の世界貿易機関(WTO)加盟後はグローバル化の恩恵を受け、「世界の工場」となった。
 しかし、高度成長が終わり、政治改革に手をつけなかったツケが回ってくる時代に入ったのではないか。
 近年、権利意識に目覚めた住民が権力者の不正や環境汚染に抗議する事件は後を絶たない。習近平政権は人権派の弁護士を拘束し、人工知能(AI)利用の監視強化で批判を封じ込めようとしている。ネットで天安門事件の情報を調べようとしてもAIが自動的に排除する実情はSF的な全体主義国家を思わせる。
 米国ではトランプ政権だけでなく、野党・民主党にも中国批判が渦巻く。価値観を共有しようとしない大国への拒否感の表れだろう。
 中国国内にも「反革命暴乱」とされた天安門事件の再評価、学生らの名誉回復を求める声は根強い。習政権がそうした声に耳を傾けない限り、「異質な大国」への国際社会の警戒感は簡単にはなくなるまい。


天安門事件30年/消し去れない弾圧の記憶
 中国当局が学生らの民主化運動を武力弾圧した天安門事件から、4日で30年となる。
 首都北京で、国民を守るはずの人民解放軍が市民に銃口を向けた。戦車は轟音(ごうおん)を響かせて人々に迫った。当局発表の死者は319人だが、実際の犠牲者はこれを上回るとみられている。
 中国政府は「政治風波(騒ぎ)」として弾圧を正当化し続けるだけでなく、情報を規制して事件自体を人々の記憶から葬り去ろうとしているようだ。断じて容認できない。
 国際社会は、国家権力による過酷な実力行使を鮮明に記憶している。そのことを中国は直視するべきだ。
 事件は1989年4月、改革派指導者の胡耀邦元共産党総書記が急死したことが端緒となった。学生らの追悼活動が民主化運動に発展し、市民も参加した大規模なデモが繰り広げられた。これを受けて北京に戒厳令が出され、軍と学生、市民の衝突へとつながった。
 事件の後、中国は「世界の工場」として急速に発展を遂げ、今や経済、軍事両面で米国に迫る大国となった。しかしかたくなに民主化を拒んでいる点は30年間変わっていない。
 国民の人権や自由はないがしろにされ、ウイグル族やチベット族など少数民族の抑圧も批判されている。国際社会が共有する価値観に背を向ける振る舞いや力の誇示は、世界秩序の安定にも影を落とす。
 市場経済のメリットを享受し、世界のリーダーであろうとするのなら、民主化や人権の尊重が避けて通れないことを認識しなければならない。
 国家主席の任期を撤廃し、人工知能(AI)などの先端技術を国民監視に取り込むなど、現在の習近平指導部が強権支配をいっそう拡充している点は国内外の願いに逆行している。
 「一国二制度」で高度の自治が約束されているはずの香港でさえ、地元政府が指導部の意を受け、中国に批判的な人物を本土に引き渡す恐れのある条例改正を進めている。
 国内でも締め付けへの反発は根強くある。強権政治では国民の支持や真の安定は望めないことを、国際社会は粘り強く説き続けねばならない。


[天安門事件30年]民主化後退を憂慮する
 中国共産党・政府が学生らの民主化運動を武力弾圧し、国際社会に大きな衝撃を与えた1989年の天安門事件からきょうで30年になる。
 同年4月に死去した改革派指導者、胡耀邦元共産党総書記の追悼を機に起きた学生らの民主化要求に対し人民解放軍が無差別に発砲した。首都北京市の幹線道路は数キロにわたって血に染まったという。
 犠牲者数について当局は319人と発表しているが、実際ははるかに多いとみられる。正確な数は不明だ。
 党・政府は事件を「政治風波(騒ぎ)」と矮(わい)小(しょう)化。昨年末、中央党史文献研究院が発表した年表には、新たに「反革命暴乱」の表現を盛り込み、武力弾圧を正当化する立場をさらに鮮明にした。
 中国は事件後、民主化に向けた政治改革に背を向け、一党独裁による社会の安定を重視した。経済成長を追求し、2010年には日本を抜き米国に次ぐ世界第2位の経済大国になった。
 習近平共産党総書記(国家主席)が12年に最高指導者の地位に就いてからは政治的引き締めも強まった。真相解明や犠牲者の名誉回復を求める知識人や活動家らを投獄。昨年3月の憲法改正で国家主席の任期制限が撤廃され、長期支配に道筋をつけた。強権化が一層進む。
 ネットやメディアの言論統制を強化するなど民主化は悪化の一途をたどる。
 経済的に豊かになれば、国民から民主化や基本的人権を求める声が上がるのが自然な道理である。これらを強権的に封じ込める現在の体制をとり続ければ、いずれ立ち行かなくなるであろう。
    ■    ■
 今年4月、フランスで開かれた先進7カ国(G7)外相会合の共同声明に、昨年に引き続き、中国の人権活動家やウイグル族、チベット族への弾圧について懸念することが明記された。
 国際社会は、非民主的で独裁色を強める政治体制のまま強国路線をひた走る中国に警戒感を抱いている。
 ただ中国の経済力が高まるにつれ人権状況の改善や民主化を促す国際的な声が弱まっているのが懸念される。
 服役中にノーベル平和賞を受賞した民主活動家、劉暁波氏が17年、肝臓がんによる多臓器不全のため事実上、獄中死した。民主化運動のリーダーで授賞式への出席が認められず、国外での治療も許されなかった。
 中国が国際社会から批判を浴びたのは当然だ。大国にあるまじき人権感覚と言わざるを得ない。
    ■    ■
 「暴徒」の汚名を着せられて子を亡くした親の会「天安門の母」は3月、全国人民代表大会(全人代=国会)の代表(議員)らに真相解明を求める公開書簡を発表した。
 だが主要メンバーはメディアとの接触を禁じられ、自宅などで軟禁下に置かれている。事件について語ることが許されず、今も弾圧が続いているのである。書簡で天安門の母は「涙は乾き、力は尽きた」と絶望感をあらわにした。
 真相解明に応えないようでは国際社会からの信頼は遠のくばかりである。


天安門事件30年 裏切られた民主化の期待
 1989年6月4日、中国・北京の天安門広場やその周辺で民主化を求めてデモをしていた学生や市民に対し、人民解放軍が弾圧に乗り出して発砲し、多数の死傷者が出た。この「天安門事件」から30年となる。
 中国政府は、国内での天安門事件に関する発信を厳しく制限しており、事件の実態究明は進んでいない。情報統制が功を奏してか、中国国民の間での関心も薄れているという。
 この事件は、中国共産党による一党独裁政権が政治の民主化を拒絶し、国民の民主化運動を徹底的に抑え込む姿勢を明確にした大きな節目となった。
 その後、中国では「社会主義市場経済」の採用で経済成長が進み、経済規模は米国に続き世界第2位となった。国民が一定の豊かさを享受しつつある一方で、政治の民主化を求める動きは広がりを見せていない。
 習近平政権は、言論の自由容認や一般選挙導入などの民主化に取り組むどころか、権力の一極集中を進め、労働者の擁護や環境保護などの市民運動にまで締め付けの対象を広げている。中国政府は最新のIT技術を駆使し、未曽有の監視国家をつくり上げようとしている。
 天安門事件後の国際社会は、中国に制裁を科しながらも、「経済成長で育成される中間層によって民主化要求が高まり、やがて共産党も自発的に民主化へとかじを切るのではないか」と期待し、やがて制裁も解除した。しかし、その期待は完全に裏切られている。
 天安門事件の学生リーダーとして投獄され、その後米国に移住した王丹氏は、事件30年を前に東京で記者会見し「中国共産党にとって民主主義は敵。国際社会は中国共産党の本当の顔を認識すべきだ」と呼び掛けた。
 米国をはじめとする先進諸国はこれまで、中国の人権状況を注視し、時に警告を発してきた。国際社会の目は、不十分にせよ中国政府の民主化運動弾圧を抑制させていたはずだ。しかし、現在のトランプ米政権は対中貿易赤字の解消には熱心だが、人権問題には無頓着に見える。
 日本や欧州先進国は米国を巻き込み、中国国内の民主化運動や人権活動に対する弾圧への監視を怠らず、粘り強く民主化を働き掛けていく必要がある。
 中国政府による民主化封じ込めは、一見成功しているようでも、いつまでも通用するとは思えない。経済不安などをきっかけに一党独裁制への不満が高まり、社会が急速に不安定化する可能性もある。民主主義という普遍的な価値に背を向けたまま経済発展を続けても、中国に真の安定は訪れないことを、中国共産党は認識すべきである。


時評
1989年6月4日、中国軍が学生らの民主化要求運動を武力で弾圧して30年。中国は民主化に向けた政治改革を封印して、経済面だけの改革・開放を推進し、日本を抜いて世界第2の経済大国となった。約10年後には米国を抜いて世界一になりそうな勢いだ。
 しかし、非民主的で富国強兵の道を行く共産党独裁の中国がトップの大国になることに国際社会は警戒を強めている。
 中国が世界に歓迎される新興大国を目指すなら、民主的な政治体制と平和主義の貫徹は不可欠だ。経済的に豊かになれば、民主化は自然な流れだ。中国は天安門事件の誤りを認め、民主化に踏み出すべきだ。
 当時、学生たちは民主化を求めて首都北京の天安門広場に座り込んだ。当局側は戒厳令を出し、軍が学生たちを排除。政府側発表で319人が死亡した。
 当時の学生運動リーダーだった王丹氏(50)は「運動は合法的、平和的だったが、党は暴力で応じ、党への恐怖を国民に植え付けようとした」と指摘した。一方、中国の魏鳳和国防相はアジア安全保障会議で「当局は果断な措置を取って社会の安定を保った」と述べ、弾圧を正当化した。
 政府は事件30年の抗議行動を警戒して広場周辺や運動の拠点となった北京大学などに厳戒態勢を敷いた。今年は7月のウイグル暴動10年、10月の建国70周年も重なり、治安維持に力を注ぐ。しかし、厳重な警備は逆に当局の自信のなさを示すようだ。
 経済成長の減速、貧富の格差、環境汚染などへの国民の不満は根強い。最近は習近平国家主席に対する個人崇拝への反発や、習氏は強硬な対外姿勢で米中貿易摩擦を招いたとの批判も広がる。急成長した中国は多くの内憂外患を抱える。国民の多様な意見をくみ上げ、問題に柔軟に取り組んでいくためにも民主的な政治制度が必要だ。
 菅義偉官房長官は「自由、基本的人権の尊重、法の支配は普遍的価値であり、中国でも保障されることが重要だ」と述べた。日中間の人権対話は7年前の尖閣諸島国有化後は行われていない。日本は対話再開を促し、中国に民主化を促したい。
 トランプ米大統領は貿易摩擦や安全保障の面だけでなく、民主化についても中国への働き掛けを強めてほしい。欧州連合(EU)は一貫して中国に非民主的な状況の改善を求めてきた。日米欧は連携を強め、粘り強く中国に民主化を求めていく必要がある。中国は国際社会の声に謙虚に耳を傾けるべきだ。


天安門事件30年 民主化運動の記憶後世に
 民主化を求めて広場を埋めた学生ら市民を、中国当局の軍が武力弾圧した天安門事件からきょう4日で30年がたつ。
 市民に向けて無差別発砲が行われ、多くの死傷者が出た。北京の幹線道路は数キロにわたって血に染まった。
 事件そのものを知らない世代も増えている中で、歴史を葬ったり、風化させたりしてはならない。記憶を次世代に語り継いでいくことが求められる。
 1989年4月、中国の改革派指導者である胡耀邦元共産党総書記が死去した。胡氏の清廉な人柄を慕って広場に集結した学生たちの追悼を機に、民主化要求デモが起きた。
 党内の保守、長老派主導で北京に戒厳令が出され、軍が6月3日夜に制圧を始めて4日未明に天安門広場に突入した。
 犠牲者の数は当局の発表で319人だが、正確な数は今も不明で、実際はそれよりはるかに多いとみられている。
 天安門事件は民主化や言論の自由を求め、人権尊重を訴えた運動といえる。しかし、中国政府は事件を「反革命暴乱」と規定し、再評価を拒否している。
 あくまでも事件は「政治的な風波(波乱)」とし、弾圧を正当化する姿勢を崩さず、参加者の名誉回復や真相の究明に応じる考えは見せていない。
 事件後は一党独裁による社会の安定が重視され、政治改革が封印されたようだ。この30年間で中国は権力の集中がさらに進んだ。習近平国家主席による「1強体制」とまでいわれる。
 憲法改正によって国家主席の任期は撤廃され、習氏による終身支配も可能となった。
 習氏は今世紀半ばまでに軍備や科学技術をはじめさまざまな分野で国力を増強し、「社会主義現代化強国」を目指すとの目標を掲げている。
 天安門での民主化運動は反腐敗、反官僚主義を求めたが、腐敗を生み出す構造は変わらず、むしろ官僚主義がこれまでより強化されたように思える。
 事件があった89年は当時のソ連がペレストロイカ(改革)で民主化を進め、米国との冷戦終結を宣言した。ドイツでもベルリンの壁が崩壊した年だ。
 国際社会は中国も民主化すると予測していた。経済分野では自由主義的な政策を取り入れることで、日本を抜き世界第2位の経済大国となったが、真の民主化には移行しなかった。
 近年は中国に対する脅威論が広がる。「一帯一路」構想やハイテクで攻勢をかける中で米国と貿易摩擦が激化し、国際社会の目は厳しさを増している。
 ところが、習指導部は強権的な統治で経済建設の発展を実現したことに自信を深める。事件の真相究明や再評価は絶望的になっているという。
 それで国際社会に責任を持つ大国といえるだろうか。民主化抑圧の歴史を反省し、基本的人権などの「普遍的価値」の重さを見つめるべきだ。
 日本も中国と交流を重ね、人権の確立や民主化の重要性を訴えなければならない。


天安門事件30年 大国として民主化進めよ
 1989年6月4日に北京で、民主化を求める学生や市民の運動を軍が武力弾圧した天安門事件から30年。天安門広場では今、移動派出所や特別警察部隊が配備されるなど、異常な厳戒態勢が敷かれているという。市民の抗議活動を恐れる当局の自信のなさの表れともいえるのではないか。
 事件は、この年4月に死去した改革派指導者、胡耀邦(こようほう)元共産党総書記の追悼を機に起きた。多数の学生たちが広場に座り込んで民主化を求めたが、軍は広場に突入し鎮圧した。当局は死者数を319人と発表。党・政府は事件を「政治風波(騒ぎ)」と位置づけ、弾圧を正当化してきた。
 中国はこの30年、経済成長を推し進め、米国に次ぐ経済大国にのし上がった。7年前に最高指導者となった習近平(しゅうきんぺい)国家主席は、汚職官僚を摘発する反腐敗闘争という政治的引き締めと、自らへの個人崇拝を強めてきた。昨年3月の憲法改正で国家主席の3選禁止規定を廃止、長期政権への道筋をつけ、独裁体制を強固なものにした。
 一方で民主化どころか情報や言論に対する統制強化を推し進めてきた。監視カメラや顔認証などで民主化や少数民族運動を取り締まり、天安門事件といった都合の悪い言葉はネットから削除させるなど統制を強めるばかりだ。監視社会、人権蹂躙(じゅうりん)を容認する国が世界第2位の経済大国であることに恐怖すら覚える。
 経済的に豊かになれば民主化に向かうはずだ、と米国や欧州などは高をくくっていた。10年後には米国を抜き世界1位の経済力を保持するとの観測もある中で、危機感をあらわにしたのが昨年10月のペンス米副大統領の演説だ。米中貿易摩擦、中国の軍備増強や強引な海洋進出、さらには非民主的な政治制度を激しく非難した。
 今年4月の先進7カ国(G7)外相会合は共同声明で中国の人権活動家やウイグル族、チベット族への弾圧について懸念を明記した。非民主的で強国路線を走る中国が米国をしのぐ大国になることには国際社会も警戒感が強い。日米欧は結束して中国の民主化を促す必要がある。
 気がかりなのはトランプ米大統領が人権問題に関心がないことだ。来年の大統領再選に向けて成果を誇るため、安易な妥協をする恐れが否めない。世界経済を失速させかねない米中貿易摩擦を早急に解決に導くことは重要だが、中国に民主化へかじを切らせることも粘り強く求めるべきだ。
 安倍晋三首相は蜜月と称するトランプ氏にくぎを刺す一方で、今月末にある20カ国・地域(G20)首脳会合の議長国として中国側に自制を促すべく先導しなければならない。


天安門事件30年/中国は民主化に着手を
 1989年6月4日、中国の首都北京で、民主化を要求する学生や市民の運動を軍が武力で弾圧した天安門事件から30年。中国は事件後、民主化を凍結したまま、経済成長を追求し、米国に次ぐ世界第2の経済大国となった。
 7年前、最高指導者の地位に就いた習近平共産党総書記(国家主席)は政治的引き締めと自らへの個人崇拝を強め、監視カメラや顔認証などで民主化、少数民族運動を取り締まるデジタル独裁体制を敷く。
 だが、経済的に豊かになれば民主化へ向かうのが自然な流れだ。国内の長期的な安定維持にも国民の多様な意見をくみあげる政治システムが不可欠だろう。中国は民主化に向けた政治体制改革に着手すべきだ。
 30年前、多数の学生たちが北京中心部の天安門広場に座り込み、民主化を求めたが、軍は広場に突入して学生らを排除した。当局側は死者数を319人と発表。民主化運動を「反革命暴乱」と位置付け、弾圧を正当化してきた。
 今、広場周辺には対テロ警備を担う特殊警察部隊や警察犬などを配備し、市民を威嚇する異様な状態だ。天安門事件30年に加え、7月のウイグル暴動10年、10月の建国70周年を控え、治安維持に力を入れるが、当局側の自信のなさがあらわだ。
 習氏は汚職官僚を厳しく摘発する反腐敗闘争で国民の支持を得たものの、昨年3月の憲法改正で国家主席の3選禁止規定を廃止して自らの長期支配に道を開き、一部の国民から「時代に逆行する」と非難された。
 昨年来の米中貿易摩擦も、対外強硬路線が米国の反発を呼んだとして習氏の失策と批判も上がる。党・政府の宣伝機関である中国メディアがこうした本音を伝えることはないが、北京で街の声を聞けば出てくる。当局側が直ちに削除するが、インターネット上も体制批判は少なくない。
 貧富の格差や環境汚染などへの国民の不満も根強い。体制批判を強権で無理やり封じ込めても、いずれは噴出して国内の不安定化を招くのではないか。習政権は早急に軌道修正を考えるべきだ。
 2年前に海南省で温泉開発の地質調査中に拘束された日本人男性に対し5月、懲役15年の実刑判決が言い渡された。中国では2015年以降、スパイ行為で日本人9人が起訴され、うち7人に実刑判決が出された。
 非民主的な制度の中で被告の人権は尊重されているか、冤罪(えんざい)の懸念も払拭(ふっしょく)できない。6月には習氏来日も予定され、7年前の尖閣諸島国有化で悪化した日中関係は改善の流れに乗るが、日本人訴追問題が影を落とす。日本は尖閣国有化後に中国が凍結した人権対話を再開させ、中国に善処を求めなければならない。
 米国のペンス副大統領は昨年10月の演説で、米中貿易摩擦、中国の強引な海洋進出や軍備増強に加え、非民主的な政治制度について激しく批判した。今年4月の先進7カ国(G7)外相会合の共同声明は、中国の人権活動家やウイグル族、チベット族への弾圧について懸念を明記した。
 国際社会には、非民主的で強国路線を行く中国が米国をしのぐ新興大国になることへの警戒が渦巻く。日米欧は結束して中国の民主化を促していきたい。


【「天安門」30年】歴史の修正はできない
 車両が燃え、黒煙が上がる道路。負傷した人の手足を抱えて運ぶ男性たちの表情は暗く、憔悴(しょうすい)している。
 「銃を人民に向けるな!」。そう訴えているのだろうか。居並ぶ兵士に向かって叫ぶ男性は、泣いているように見える。
 中国共産党・政府が学生らの民主化運動を武力弾圧した1989年6月4日の天安門事件から30年。現場の天安門広場などの様子をとらえた約2千枚の写真が新たに見つかり、一部が先日の本紙に掲載された。
 民主化はいかに葬られていったのか。あの時、中国で起きたことを忘れることはできない。
 改革派指導者だった胡耀邦元共産党総書記が死去。学生らが北京市の天安門広場で開いた追悼集会が、言論の自由や腐敗の一掃などを求める大規模な民主化運動に発展した。戒厳令が出され、軍が同広場に突入し鎮圧。300人以上が死亡したとされるが、実数ははるかに多いとみられている。
 当局は運動参加者を次々に投獄。目撃者や犠牲者の遺族を監視下に置き、事件を語り継いだり責任を追及したりする動きを取り締まってきた。30年たって風化も進み、若い世代を中心に事件そのものを知らない層も増えているという。
 とりわけ現在の習近平国家主席は、インターネットやメディアを規制するなど強権的な統治を強化。事件に関する言論を徹底的に統制し、歴史から抹殺しようとしているとも指摘されている。
 負の歴史を削除したり修正したりしようとする動きは中国に限ったことではないが、そんなことができるものだろうか。
 2千枚の写真を公表したのは当時の学生で、現在は米国で暮らす男性だ。天安門広場を埋め尽くした人々を写した1枚からは、「民主」「自由」を求めた群衆の熱気が伝わってくるようだ。
 写っている一人一人は今も中国国内では事件について公に話せず、怒りや悲しみを胸に秘めたまま過ごしていることだろう。事件を歴史から抹消するためには、彼らの体験と記憶をすべて打ち消さなければならない。それは到底、不可能である。
 事件の真相解明や再評価を求める声が絶えることは、これからもないだろう。
 当時、学生らが求めた政治改革は「封印」され、中国は経済発展にまい進した。世界第2の経済大国に躍り出た今、党・政府は統治モデルの優位性を強調している。国民の中にも、それを受け入れる向きはあるようだ。
 とはいえ言論の自由の制限、民主活動家や弁護士の摘発など、人権状況は深刻さを増している。政治改革の遅れは貿易交渉など経済面でも、中国への疑心暗鬼を募らせる一因となっていよう。
 民主化なしには経済発展を続けることも、国際社会から信頼を得ることも難しい。そのことを粘り強く説得していかなければならない。


[天安門事件30年] 強権排し民主化を急げ
 中国・北京で、民主化を求める学生や市民に対し、軍が武力弾圧した1989年の天安門事件からきょうで30年になる。
 7年前に最高指導者となった習近平・共産党総書記(国家主席)は、民主化に逆行する姿勢を鮮明にし、インターネットやメディアの言論統制などを強化してきた。
 民主化を封印し、経済成長を追求してきた中国は、今や米国に次ぐ世界第2の経済大国となった。だが、強権政治を進める習指導部に対し、国際社会は強い警戒感を抱いている。
 今後も安定した発展を目指すならば、国民の多様な意見をくみ上げる政治システムが不可欠である。中国政府は強国路線からの転換を図り、民主化へ踏み出すべきだ。
 30年前、改革派の胡耀邦元共産党総書記の追悼を機に起きた学生らの民主化要求デモに、軍は戦車を投入するなどして鎮圧した。当局は死者数を319人としているが、正確な数は今なお不明である。
 中国政府は事件について「政治風波(騒ぎ)」「反革命暴乱」と位置づけ、武力弾圧を正当化してきた。同時に、多数の人権派弁護士を拘束するなど、民主化運動への締め付けを強化、国内民主派は急速に衰退した。
 習指導部は1党独裁による社会の安定に力を入れる。汚職官僚を厳しく取り締まる反腐敗闘争では、庶民の支持を集めたものの、貧富の格差や環境汚染などでは根強い不満がある。
 国家主席の3選禁止規定が昨年3月の憲法改正で廃止された。自らの長期支配に道を開くもので、一部から非難の声が上がった。
 こうした批判や不満は中国メディアが取り上げることはない。ネット上に流れても、当局側は直ちに削除するが、いずれ噴出して国内の不安定化を招くのでないか。
 注目されるのが、米国との貿易摩擦である。習氏自身が提唱した「一帯一路」構想によって、中国の国際的な影響力は飛躍的に増大したが、その対外強硬路線が米国の反発を呼んだとして習氏批判も出ている。貿易摩擦がさらに長期化する事態になれば、国内の反発が強まる可能性がある。
 そもそも、庶民の暮らしが経済的に豊かになれば、民主化へ向かうのが自然な流れである。習政権は現実を直視して軌道修正を考えるべきだ。
 気がかりなのは、中国の経済力の高まりとともに、人権状況の改善や民主化を促す国際的な声が弱まりつつあることだ。
 強引な海洋進出や、軍備増強に対し、近隣諸国を中心に懸念が広がっている。日本は隣国として、民主化への働きかけをこれまで以上に強める必要がある。


深刻化する空き家問題 解体コストの議論が必要
 人口減少に伴い、空き家が増え続けている。総務省によると昨年時点で846万戸と過去最多を更新し、住宅全体の13・6%を占めた。
 今後、住宅の空き家化はいっそう加速する。対策にもっと本腰を入れないと深刻な事態に対応できない。
 都道府県別に見ると、別荘などを除き、空き家の比率が高いのは和歌山、徳島、鹿児島の順だった。
 空き家が市街に不規則に広がる状態は「スポンジ化」と呼ばれる。街の治安や防災力を悪化させ、景観を損なうことで地域は衰退していく。多くの自治体は空き家の再活用に取り組んでいるが、限界がある。
 これに対処しようと、危険度の高い空き家を市町村が持ち主の同意抜きで解体し、費用を請求できる代執行制度が4年前から導入された。
 だが、自治体は代執行に二の足を踏んでおり、昨秋までの実施例は約120件にとどまる。強制解体は慎重に行うべきだとはいえ、十分活用されているとは言いがたい数字だ。
 最大の理由は、費用を回収できず自治体が負う懸念が強いためだ。実際、総務省の調査によると、約4分の1のケースで解体費を自治体が全額負担している。
 いまの制度では、解体費への国の支援は持ち主が不明な場合の一部補助などに限られる。緊急度が非常に高い場合など、国の支援を拡充することも検討してはどうか。自治体が費用を出す際の住民理解の進め方など、解体コストをめぐる議論をもっと深める必要がある。
 空き家問題は地方に限った問題ではない。大都市圏では今後、空き家マンションの急増が予想される。
 築40年以上経たマンションは現在約80万戸あり、20年後に約350万戸に増える。今後は首都圏なども人口減少が見込まれるため、多くが空き家や廃虚になるとみられている。
 老朽マンション解体は費用がかさむうえ、所有関係が複雑で自治体にとって事務負担も大きい。しかも古い建物はアスベストが吹きつけられた可能性があり、放置されると周辺住民の健康の脅威となる。
 全国でどれくらい空き家マンションの解体需要が生じそうなのか、政府は実態把握を進めるべきだ。複雑な解体手続きの簡略化を検討するなど、備えを急がねばならない。


取り調べ可視化 対象を拡大するべきだ
 改正刑事訴訟法の施行に伴い、取り調べの録音・録画(可視化)が試行的な段階を経て、今月から義務付けられた。
 捜査機関による自白の強要や供述の誘導などを抑止する効果が期待でき、取り調べをガラス張りにする点で一歩前進と言える。
 一方で、課題も少なくない。
 義務化の対象は、殺人など裁判員裁判事件と検察の独自捜査事件に限られ、全事件の3%ほどにすぎない。
 冤罪(えんざい)を根絶するためには、すべての事件で可視化を実施するのが筋である。
 他にも、論点はさまざまに挙げられる。政府や捜査当局は不断の検証を怠らず、適正な取り調べを徹底させなければならない。
 可視化の義務付けは、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件をきっかけとする刑事司法改革の大きな柱である。
 にもかかわらず、対象事件が限定的だったり、容疑者を逮捕した後でなければ録音・録画されないのは制度の不備ではないか。
 強引な捜査がさまざまな段階で行われてきた教訓に照らせば、任意の取り調べも可視化する必要がある。併せて、聴取における弁護士の立ち会いを検討すべきだ。
 気がかりなのは、取り調べの映像を捜査機関が「自白の証拠」として利用することだ。
 栃木の小1女児殺害事件で、映像をもとに自白の信用性を認めた一審判決に対し、東京高裁は有罪を維持しつつ、映像に基づく判断は主観に左右される恐れがあり「強い疑問がある」と指摘した。
 確かに映像の影響力は強烈で、公判での扱い方には慎重さも求められよう。さまざまな事例を積み重ね、一層議論を深めたい。
 可視化の義務化とともに、捜査機関による通信傍受のルールが「緩和」された。
 これまでは警察が通信事業者に出向いて傍受していたが、警察施設内で、事業者の立ち会いがなくても実施できるようになった。
 令状が必要なことに変わりはないものの、「通信内容を厳密に他施設へ送信する技術の進歩」などを口実に、捜査側に都合のいい仕組みに変わった面は否めない。
 通信傍受は、憲法が保障する通信の秘密やプライバシーを脅かす危険が常につきまとう。恣意(しい)的な運用がまかり通らぬよう、常に監視の目を光らせる必要がある。
 傍受の適法性などを第三者機関がチェックする制度や、国会による厳格な検証が不可欠だ。


森友売却額裁判  問題の核心避けた判決
 問題の核心に触れるのを避けた判決だ。
 学校法人「森友学園」への国有地売却価格を国が当初、非開示とした対応は違法とする判決を、大阪地裁が出した。
 2016年に財務省近畿財務局に価格の開示を請求し、森友問題の端緒を開いた地元の大阪府豊中市議が、国を相手に損害賠償請求訴訟を起こしていた。
 判決は、国有財産の処分結果は財務省のホームページなどで公表され、13年度から16年度までに売却された国有地104件のうち、契約金額が非公表だったのは森友学園の案件以外にないことを指摘した。
 その上で、「職務を尽くせば、情報公開法上の非開示情報には当たらないと容易に判断できた」とした。
 通常の業務をすれば、価格を開示する判断は当然できたはず、という、極めて当然の判断だ。
 その一方で、売却土地にごみが埋まっていることなどを非開示にした対応には「一定の合理性がある」としたのは、理解に苦しむ。
 ごみがあると知られれば、森友学園の小学校に通わせようとする保護者が減り、学園の利益を損なう可能性があった。だから非開示は違法ではない−。
 判決はこう指摘するが、それが国の財産を8億円も値引きしたことを説明しなくていい理由になるとは、到底思えない。
 国が学園と結託して保護者には重要情報を隠してもいい、といわんばかりだ。
 仮にこの判決が確定すれば、国有財産を処分する際に価格以外の契約事項を隠してもいい、ということになりかねない。
 森友学園が開校を予定していた小学校の名誉校長には安倍晋三首相の妻が就いていた。
 森友問題の核心は、異例の値引きの背景に、安倍首相や政権との関わりがあったのではないか、ということだ。
 判決は、値引き理由の非開示を適法として、最も肝心な部分に踏み込むことを巧みに避けた。原告は「安倍政権への忖度(そんたく)判決」と批判している。
 国は情報公開に後ろ向きのままだ。値下げ発覚から2年超が経過しても十分な説明をしていない。
 最近になって、8億円の値引きの根拠となった地中のごみ調査そのものの信頼性が疑わしい事実も浮かび上がっている。
 国会は徹底審議を求め、しっかり追及してほしい。


籠池氏と互いに“役者” 取り調べの元特捜検事と因縁の対決
 ドラマはキャラが立っていないと面白くないという。とすると籠池夫妻の裁判は、夫妻はもちろん検事も弁護士も実にキャラが立っている。
 例えば主任検事。2回目の公判で森友学園の籠池泰典前理事長から満面の笑みで笑いかけられると、腕組みをしたままニヤッと笑い返した。2人は旧知の間柄なのだ。
 だって主任の堀木博司検事は、籠池夫妻の自宅をガサ入れし、逮捕から約40日間取り調べた元特捜検事だ。4月の人事で公判部の特別公判(重要裁判を担当)に異動し、籠池裁判を2回目から担当することになった。一説には大阪地検トップの北川健太郎検事正の意向が働いたという。
■主役だけでなく検事、弁護士もキャラ立ち
 籠池氏の取り調べに当たったのは特捜のエース検事の証し。その投入は検察がいかにこの公判に力を入れているかを示す。顔つきも体格も取り調べもコワモテで知られるが、籠池氏はニヤッと笑い、「堀木さんは結局、私をよう落とさなかった(供述させられなかった)からねえ」。
 かくて2人は再び相まみえた。
 笑いかけたことを籠池氏は「あれはほほ笑み外交。宮本武蔵の兵法でいう『頭を抑える』ということ」。一方の堀木検事は「何もしゃべらんよ」と言いつつ、笑顔の応酬について「見たままだから」――。互いに役者やのう。
 対する籠池氏の主任弁護人、秋田真志弁護士は大阪で名うての刑事弁護士だ。大阪府私学課の職員が証言に立った際、森友学園の小学校認可への近畿財務局の関わりを追及した。すると堀木検事が立ち上がり「異議あり! この事件にどこが関係ありますか?」。
 対する秋田弁護士「近畿財務局がどう関わったのか聞くのは当然です」、そしてすかさず「そんなに近畿財務局のことを聞かれるの嫌なんですかね?」。
 キッツイ嫌みに法廷中がどよめいた。
 そして諄子夫人の主任弁護人、浦功弁護士は、秋田弁護士より18期先輩に当たり、刑事司法に関する著作も数々ある。小学校建設の補助金審査の担当者に審査のあり方を追及。証人が不服そうに「私がいいかげんな審査をしたように聞こえますけど」と答えると、すかさず「いいかげんな審査したん違うの?」。
 またまた法廷がどよめいた。
 籠池夫妻、検事、弁護士、これだけキャラが揃えば面白くないはずがない。法廷で籠池劇場の始まりだ。きょう(3日)は4回目の公判。審理は10月まで続き、その後、判決を迎える。その日まで私は「籠池夫妻の法廷ドラマ」を記事にしていく。(相澤冬樹/大阪日々新聞・元NHK記者)


就職氷河期世代 安心できる将来像描ける支援を
 厚生労働省が「就職氷河期世代」を対象とした支援策を公表した。採用や正社員化が進むように都道府県と企業が連携して職業訓練などに取り組む。今後3年間を集中的な支援期間とし都道府県ごとに数値目標を設けて達成を目指すとしている。
 氷河期世代はバブル崩壊後の就職難で新卒時に正社員として採用されず、不安定な働き方を続けている人が多い。新卒時に機会を失うとなかなか正社員になれない新卒一括採用の負の影響を受け、政府の非正規雇用の拡大政策も輪を掛けた。安定した仕事に就けないことを自己責任で片付けてはならない背景がある。
 長年の懸念に政府がようやく重い腰を上げた格好だが、問われるのは実効性である。非正規の期間が長く、経験が乏しかったり、企業が求める能力を身につける機会がなかったりする人もいるだろう。だからこそ当事者一人一人の将来設計や希望を丁寧にくみ取らなければ、改善は見込めない。安定した職を通じて確かな将来像が描けるように国や自治体、企業は息の長い支援を続けていかなければならない。
 氷河期世代は、おおむね1700万人で35〜45歳の人が相当する。このうち300万人以上が非正規雇用で、仕事をしていない人も40万人に上る。このまま高齢者になれば低年金などにより生活が困窮する人が多数出る可能性がある。政府には雇用を安定させ、将来の社会保障費の膨張を抑えたい狙いがある。
 支援策の柱には職業訓練のほか、正社員として採用した企業への助成金要件の緩和などが含まれる。だが、既に似たような施策はあり、十分な効果は出ていない。さらなる具体策を練り上げるべきだ。
 氷河期世代のニーズに合わせたのか疑わしい支援策もある。人手不足の業界と連携し、就職に結びつく短期の資格取得支援を打ち出しているが、想定される業種は、建設や運輸などである。こうした業種は、長時間労働や低賃金も指摘されている。業界の体質改善も同時に促さなければ、単にご都合主義的な穴埋めと受け取られかねない。
 企業が人手不足から新卒採用に苦戦する「売り手市場」となり、正社員化の好機が広がっているのは確かだ。しかし中年に差し掛かった氷河期世代の足かせはいくつもある。年齢が高い人の正社員採用を敬遠しがちな企業慣行もその一つだ。長く非正規で働く人も経験不足などを理由に正社員採用でハンディになるとの声も聞かれる。
 氷河期世代は安定した職に就けないだけでなく、無職の期間が長引いてニートや引きこもりに至るケースが少なくないとされる。不安定な就労を繰り返し自信を失った人も多い。つまずいても再び活躍できる場を社会全体で用意することが重要だ。誰もが大切な人材として扱われる雇用環境を築かなければならない。


メディアの東京五輪狂騒 聖火ルート発表だけで大騒ぎの愚
 ここまで大騒ぎするニュースなのか。2020年東京五輪の聖火リレーのルート概要が1日発表されると、全国紙は当日夕刊の1面トップでデカデカと報道。2日も全紙が朝刊で1面のほか、複数ページを割いて大ハシャギだ。
 ルートは世界遺産や東日本大震災などの被災地、「インスタ映え」する名所を回り、日本の魅力を世界に情報発信する狙い。各紙の見出しも大会組織委員会の思惑通り、「聖火が照らす被災地」(毎日)、「復興・文化 伝える機会」(朝日)など祝祭ムード一色。読売は見開き2ページで来年3月26日のスタートから7月24日の開会式まで121日間に及ぶ全行程を伝える熱の入れようだ。
 いくら、朝、毎、読、日経が年間20億円程度のスポンサー料を払って、東京五輪の「オフィシャルパートナー」を担っているとはいえ、やりすぎ感がハンパない。
 IOCは聖火リレーに関し「分火せず、100日以内」と定めるが、日本全国をくまなく回るため、組織委はIOCに日程延長を直談判。例外的に認められたという。そこまでして醸成させたい「オールジャパンの一体感」とは何なのか。予想されるリレーの光景も異様そのものだ。
「スポンサー企業のロゴ入りトラック数台が音楽を大音量で流し、リレーを先導。車列は数百メートルに及びます。ランナーはテレビカメラに向かってポーズを取ったり、メッセージを伝えながら、約1万人が200メートルおきに聖火をつないでいく予定です」(組織委関係者)
■主催者側に立ち復興置き去り批判せず
 このドンチャン騒ぎが開会式まで約4カ月も全国で続き、連日のメディアの狂騒を思うと、今から目まいがする。
 関連経費を含めると、予算は100億円規模に上りそうだが、大会組織委はマンネリ打破の「サプライズ」で、トーチを宇宙に運ぶ案などを検討中というから、どんどん膨らんでもおかしくない。
「“復興五輪”を強調しながら置き去りの被災者を思えば、その金を被災地に回せとメディアは報じるべきでしょう。五輪は牧歌的な文化事業と違い、政治利用が危ぶまれる国際イベント。政府と一体となって催す側に立ち、問題点を批判しないのはメディアの自殺行為です。墓穴を掘っていることを知りながらスポンサーとして大会を支えれば、改元に続き五輪を政権浮揚に結び付けたい時の為政者の思うツボです」(法大名誉教授の須藤春夫氏=メディア論)
 バカ騒ぎにのみ込まれてはいけない。


なぜエリート官僚が覚せい剤に…? 霞が関・薬物汚染の謎
文科省・経産省キャリア官僚が次々と逮捕!
「大麻と知らなかったが、違法薬物の葉っぱとして持っていた」
文部科学省 さすがは、「霞が関文学」を使いこなすエリートキャリア官僚。取り調べでは、そんな“言語明瞭意味不明”な弁明を口にしたという――。
 5月28日、文部科学省の初等中等教育局参事官補佐・福沢光祐容疑者(44)が、覚せい剤取締法違反と大麻取締法違反の容疑で逮捕された。関東信越厚生局麻薬取締部によると、福沢容疑者は自宅で大麻と覚せい剤「数グラム」をそれぞれ所持。家宅捜索した文科省内にある福沢容疑者の机からも、覚せい剤や使用済みの注射器数本を押収したという。
 折しも、GW中の4月29日に、経産省のキャリア官僚が覚せい剤を海外から「密輸」し使用していたとして逮捕されたばかり。2人とも、仕事上のストレスを解消するために庁舎内でも薬物を使用していたと供述しているが、なぜ、将来を嘱望されたエリート官僚が、勤務中に薬物に溺れるのを周囲は気づけなったのか? 長年裏社会の取材を続け、ドラッグ事情に詳しいライターの池田潮氏が話す。
「今回、逮捕された文科省職員はTPOで覚せい剤と大麻を使い分けて使用していたと見ていい。覚せい剤は、かつてヒロポンが受験生に人気だったように、眠気が飛んで集中力が増し、頭の回転も速くなるのでデスクワークに向いており、こちらをメインに使っていたはず。
 一方、覚せい剤常用者が大麻を使用する場合、覚せい剤が切れて自分を落ち着かせたいときや、仕事がひと段落して眠りにつきたいときに使うことが多い。さらに、リスクが高いにもかかわらず仕事場まで持ち込んでいたのを見ると、自分の打ちたいタイミングでやりたいという強固な意志が感じられる……。周囲に気づかれず仕事をこなし会議にも出席していたことから、よほど体質的に覚せい剤が体に合っていたのでしょう。
 以前、多くのプッシャー(密売人)から『教授』と崇められ、’17年に自宅で合成麻薬を密造し逮捕された人物が『本物のジャンキーは見た目で普通の人と区別がつかない』と話していたが、今回逮捕された容疑者も普通に日常生活を送っていたのではないか」
国内ヤクザルートではなく米国から安く入手?
 それぞれの事件とも、逮捕の時点で入手ルートは判明していない。だが、先に逮捕された経産省のキャリア官僚のケースを見ると、ファッション誌の袋とじ部分に覚せい剤22gを隠して、LAからEMS(国際スピード郵便)を使って取り寄せるなど、かなり巧妙な手口で入手しているのだ。日本国内で違法薬物を密売しているプッシャーの男性が話す。
「1回の使用量が0.05gだとしても、22gは440回分。末端ユーザーが買う量にしてはかなり多い。注射器もいっしょに見つかっているし、もともとは国内のヤクザルートで買っていたはず。日本のヤクザは薬物を売るときセット販売なので、覚せい剤をどうやって水に溶くのか? どうやって注射を打つ静脈を探すのか? など、普通の人間にはわからないので、初めは誰か慣れた人に打ってもらい、注射器の使い方を教えてもらう必要がある。
 ただ、日本ではヤクザが流通を管理してきた関係上、値段が高いから米国で安く手に入れようとしたのではないか。米国なら5分の1から10分の1ほどの値段で買うことができるので、官僚で英語も使いこなせるだろうし、ネットで調べて自力で接触を図り、受け渡し方法も細かく決めたのでしょうね」
仕事のストレス解消
 2人の若きエリート官僚が薬物に走った理由が、共に「仕事のストレス解消」だったことも直視しなければならない。自身も今回逮捕された容疑者と同様、文部省(現・文科省)の元キャリア官僚で、現在は京都造形芸術大学教授の寺脇研氏が話す。
「逮捕された職員が所属していた初等中等教育局は、安倍政権が行っている一連の教育改革の煽りから、文科省のなかでも最も忙しい部署のひとつと言っていい。ただ、現在、霞が関の官僚はみな多忙を極めている……。というのも、役人が官邸を忖度することで生まれた仕事が無尽蔵に増えており、挙手要員に過ぎない『陣笠議員』と揶揄されるような自民党2、3回生議員の要望にも応えなくてはならなくなった。
 ひと昔前も、国会会期中は深夜3時すぎまで残業したり、役所に泊まり込む官僚の姿は珍しくなかったが、今は国会の有無にかかわらず、日常的にこうした激務を強いられている。実際、逮捕された職員は午前中に出勤できず午後から勤務するなど不規則な働き方を続けており、精神科への通院歴があったとも聞いています。
 わずか1か月の間に、2つの官庁で逮捕者が出たということは、霞が関の構造的問題が犯罪の温床となっていると見られても仕方がない」
周囲からはむしろ真面目で仕事熱心?
 仕事で疲弊した末に薬物に走るのは、霞が関のキャリア官僚だけではない。社会的ステータスの高いビジネスマンでも、一歩間違えば、薬物の世界に足を踏み入れてしまう危険性を孕んでいる。薬物依存症を支援する全国組織「日本ダルク」でディレクターを務める三浦陽二氏が話す。
「私たちが過去に治療回復をサポートした人たちのなかには、経営者や会社役員、医師、弁護士、さらには、薬物犯罪を取り締まる側の警察官といった肩書の人もいます。そもそも依存症は、セックスやギャンブルにのめり込む『行為依存』、夫婦や親子の関係に縛られる『関係依存』、薬物やアルコールなしには生活がままならくなる『物質依存』などに分けられるが、日本で最も多いのは『仕事依存』、つまり、ワーカホリックです。
 恐らく、今回逮捕された2人も、周囲からはむしろ真面目で仕事熱心と受け止められていたのではないか……。皮肉にもワーカホリックは自分が病気であるという認識を持ちにくく、目の前に与えられた膨大な仕事をこなそうと、モチベーションを維持するために依存対象を薬物にまで広げてしまった可能性が高い。責任感の強い長距離トラックの運転手が、夜中寝ないで運転するために覚せい剤を打つように……」
 キャリア官僚の登竜門である国家公務員採用総合職試験の合格者のうち、東大出身者の占める割合は、32.5%だった’10年に比べ、’18年は16.8%まで激減している。給料も長時間労働の割に民間のトップ企業より安いことから、この10年で官僚離れが加速。「働き方改革」が4月からスタートしたものの、現在のような慢性的な人手不足が解消されない限り、国を動かす若きエリートを「殺す」ことになりかねない。
▼「エリート」は薬物依存から脱しにくい
 これまで多くの薬物依存症の人たちを社会復帰させてきた日本ダルクでは、薬物依存症の参加者が支援スタッフと共に、自らの体験を踏まえて意見交換するミーティングを続けている。だが、ディレクターの三浦陽二氏によると「エリートと呼ばれる人ほど、一度薬物依存症になったら、そこから抜け出すのは難しい。ミーティングを開いても、エリートの人はプライドが高く、自分のことを正直に話せない人が多い。『オレはあなたたちとは違う』『高校中退のオマエらが何を言うか!』といった態度を取る人もいます」という。自分が病気であることを受け入れることが回復への第一歩だが、輝かしい過去の栄光がそれを邪魔させてしまうようだ……。
▼文科省では再発防止のため職員の心のケア対策を強化
 5月29日、柴山昌彦文科相は職員の逮捕を受け、「学校教育に携わる人物が、このような事案を起こしたことは慚愧に堪えない」とコメント。菅義偉官房長官も「国家公務員が覚醒剤取締法違反で逮捕される事案が続いていることは誠に遺憾であり、あってはならない」と述べた。今後、文科省では職員の悩みを受け付ける体制強化に乗り出す。


令和元年5月26日、大切にしてきた「相撲文化」がトランプの来日で破壊された
 安倍首相とともにトランプ大統領が国技館で大相撲を観戦してから、1週間あまりがたった。その間に川崎で無差別殺人事件なども起こり、もはやそんなことを話題にする人もいなくなったが、私はずっと考えてきた。あれは一体、なんだったんだろうか? 相撲界に残した影響は? あれから私たちは何を学ぶべきだろう? 一瞬のことに忘却してしまいがちだが、忘れないために書いておきたい。
昭和20年5月26日
 あのとき、私はたまたま『神風一代』(日本放送出版協会/昭和62年)という本を読んでいた。昭和30年代、NHKラジオの大相撲中継の解説で名を馳(は)せた元関取の神風正一さんが書いた回想録だが、あまり記録が残っていない「第二次世界大戦時の大相撲界」についても当事者の立場から記したたいへん貴重な記録だ。それを読むと、驚くことに戦争中も本場所は行われていた。
 関取となっていた神風は昭和16年に赤紙が届いて召集されるも、翌日には帰郷する。当時、関取クラスは「合う軍服がない」とか、大相撲が国威発揚にも利用されていたこともあり、召集、即、帰郷がほとんどだった。
 しかし、そのぶん序の口〜幕下の若い力士たちは次々召集され、最初のうちは番付表の欄外に応召力士としてしこ名が書かれていたものの、書ききれなくなってやめてしまった。戦地に赴いた力士の死亡者数はいまだはっきりとわかっていないそうだ。
 昭和17年からは国技館も自粛ムードに覆われ、飲酒禁止、自家用車の乗り入れ禁止、初日は「忠霊塔建設寄付相撲」と呼ばれて五十銭均一で入場券が売り出されたりもした。それでも昭和18年1月、ニューギニアのブナで日本軍が全滅、ガダルカナル島から撤退などのニュースが伝えられる中でも、大相撲だけは相変わらずの大入り満員だったとある。
 しかし、戦争の影は日に日に濃くなり、昭和19年にもなると、国技館そのものが「風船爆弾の製造施設」として軍に接収される。関取たちも浴衣のかわりに国民服を着て鉄兜(てつかぶと)を背負って場所入りをしていたそうだ。場所といっても、会場は後楽園球場だ。
 昭和20年にはこの後楽園球場も使えなくなり、明治神宮外苑の相撲場で五月場所が5月26日から7日間行われる予定だった。ところが、その前夜に東京は再び大空襲に見舞われ、相撲場は焼け落ちてしまう。それでもなんとしても本場所を! と、屋根が焼け落ちてボロボロになった国技館を使うことにして、非公開で本場所を開催する。
 神風さんはそのときの気持ちを《みじめな想いがこみあげる中で(中略)観客は傷痍軍人と招待客のみ。ひっそりとした場所に行司だけの声がうら寂しく響き渡っていた》と書いている。この日、大相撲は破壊されたのだ。文化もへったくれもなく、戦争がすべてを破壊した。
用意した一脚50万円の椅子
 それから74年後の同じ5月26日、トランプが国技館へやって来た。なんたる因縁だろう。日付を知って、私は「あああああ」と声に出してため息をついた。
 74年前は物理的に相撲が破壊され、そして今回は精神的に相撲が破壊されたように私は感じている。
 相撲が政治に利用されることはこれまでにも多々あった。そもそも日本の大相撲の始まりは平安時代の「相撲節(すまいのせち)」という宮中の行事にあり、それは全国から強い人を集めて相撲を取らせ、税にかえて中央に人を召し抱えた。相撲節は中央集権時代の象徴。地方に天皇の力を見せつけ知らしめるために行われていたのだ。
 そう考えていくと、今回のように大相撲が政治に利用されるのはいたしかたない?
 しかし宮中で相撲はいかに雅(みやび)に美しく成り立たせようかと配慮されたように、これまでどんなに政治利用しても大相撲の美を壊そうということはなかった。
 文明開化の明治時代、大相撲は「裸で髷(まげ)なんてとんでもない」と不人気になって絶滅の危機にあった。そのとき逆にその姿、大相撲の文化をそのままにして天覧相撲を開き、翌年には日本初の首相の地位を射止めた伊藤博文もいた。たとえ政治に利用しても、そこで大相撲の文化を貶(おとし)めるようなことは誰もしなかった。
 でも、今回は違った。やって来たのは世界に分断をもたらせ、排外主義であからさまに移民や女性を差別し、世界を訪問するたびに“帰れデモ”が起こる大統領だ。
 その大統領のために、土俵に安っぽい合板の階段がかけられた。美しい土俵にあんな安っぽい合板の階段なんて! たった2〜3段だろう? 今まで土俵に階段なんて使ったことがない。杖(つえ)をつくような方が土俵に上がるときには呼び出しさんらが介助をして上がる。
 トランプはべつだん足が悪そうには見えない。だいたい、国技館に来る前にはゴルフを楽しんだというじゃないか。それなのに、彼のためにあの階段? 
 場所中の土俵には神さまがいると長い間言われてきた。そうでなくても、場所中の土俵はチカラビトたちが命がけで闘う特別な場所だ。そこへあんな醜悪な階段をかけるなんて!
 トランプと安倍首相が夫人とともに入ってくる通路に赤いじゅうたんを敷き、拍手で迎えさせた場面なんて、まるでプロレスの入場風景だった。プロレスが悪いと言ってるのではない。大相撲にそぐわない、と言っているのだ。あんな仰々しい入場は大相撲が培ってきた文化ではないだろう。
 マス席に4人のために置いたイスは1脚50万円、4脚で200万円だという。トランプはそこにつまらなそうな顔で座り、腕を組み、拍手もろくにしていない。彼が笑顔になったのは、自分が優勝した朝乃山にトロフィー渡したときだけ。
 自己顕示欲丸出しに嬉々(きき)とする子どものようだ。アメリカに住む人が、トランプはいつもああだ、自分の興味のないことには興味のあるふうに装うことも一切しないと言っていたが、本当にそうだ。なんてバカにしているんだろう。
神事と興行が破壊された
 テレビの中継にはそれらを拍手で迎える相撲ファンの姿ばかり映っていたが、会場にいた友人によると、4人が入場の際には「立ち上がるな」「座れ」「相撲を見に来たんだろ!」「帰れ!」と怒鳴るファンもけっこうな数がいたそうだ。
 そうした相撲ファンの声はかき消されたが、その声があったと聞いて安心した。あの際、5分ほども土俵の脇で待たされた朝乃山と御嶽海は、相当に集中力を保つのが難しかったろう。実際、御嶽海はそのことに後で言及していた。
 また国技館前では、これまでも長年にわたってレイシストによるヘイトスピーチにカウンターをかけてきた人たちが、アンチ・トランプのバナーを掲げて沈黙の抗議を決行。
 しかし、これは瞬く間に警察に連行されてしまい、そのさまはアメリカのテレビ局が伝えた。レイシストへの強い抗議、それはヘイト・クライムを防ぐためにとても大切であることは、この何年も言われてきた。無言でいることはヘイトスピーチに加担することもナチス・ドイツから人類が学んできた。
 国技館入り口では観客も持参のペットボトルなどすべて没収され、紙カップの飲み物さえも『その場で飲んで中身を示せ』と言われる始末。荷物チェックもあって長蛇の列となり、季節はずれの暑さの中、入場までに時間がかかって、検査する係員の方々もまたたいへんな疲労をしたという。
 またそのチェックは力士や行司さん、呼出しさん、床山さん、また報道されたように「湯呑みや急須も使えない」お茶屋さんといった全員に及んだ。国技館の裏側では、私物は全部持ち帰ってくださいの紙が貼られ、床山さんのハサミまでもチェックされたりと、場所中のいちばんたいへんな千秋楽は大混乱になったそうだ。
 大切に守られてきた大相撲の文化に、しかも最も大切な千秋楽にこんなふうに急にどかどかと踏みこんでくる、一体なんなんだろう?
 国賓だからしかたない? 昔、フランスのシラク元大統領やイギリスのチャールズ皇太子とダイアナ皇太子妃は2階席で見て、そんな混乱はなかったと聞く。そもそもトランプは相撲が好きだ、見たい、と自分で言ったのではなく、安倍首相側がどうやってトランプを歓待するかを考えてのあれこれだったと新聞各紙が報じている。
 よもや自国の首相によって相撲文化がこのように荒されるとは、思ってもみなかった。その見返りに何かよほどいいことがあるのかと思いきや、スイスでは国民投票で決められるという「5月に青森沖に墜落していまだに操縦していた自衛官も不明なままで、事故原因も解明されていない戦闘機F35」を6兆円もの税金で購入することが両者の会談だけで決まってしまったと報道されている。さらに選挙後に農業分野で大幅な譲歩をするというではないか。豊作を願って神事としての相撲が育ったのだ。相撲の根本が侵されるなんて!
 いろいろなことが日々起こって、相撲のことはもう過去のことだ。すっかり忘れられている。しかし神事であり興行でありスポーツである大相撲のさまざまな部分が侵害されたことを忘れたくない。
 土俵は荒され、お客さんは迷惑した。神事と興行が破壊された。暑さでお年寄りなどは相当に体力を消耗したと聞く。力士だって待たされ、花道へのペットボトル持ち入れ禁止などで、それぞれが集中力を保つのが難しく、スポーツも荒された。ヘタをすれば健康への被害だってありえた。
 これまで大切にしてきた相撲文化が侵された日。令和元年5月26日。後々の相撲ファンのためにも記しておきたい。もう、2度とこういうことがないために。
和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。


引きこもりへの偏見 まずは理解と支援こそ
 川崎市で児童らが殺傷された事件や、元農林水産事務次官が長男を殺害した容疑で逮捕された事件を機に、引きこもりの当事者や家族らの団体が相次いで声明を発表している。
 「引きこもりへのイメージがゆがめられ続ければ、当事者や家族は追い詰められ、社会につながることへの不安や絶望を深めてしまいかねない」
 「無差別殺人犯予備軍のようなイメージを持てば、まさに偏見の誕生である」
 川崎市の事件を起こして自殺した容疑者は51歳の男。犯行の動機がさっぱり分からないこともあり、マスコミ報道は、この男に引きこもりの傾向があったことに向きがちだ。
 当事者や家族はそこに心を痛めているという。
 もちろん私たちに、引きこもりと犯行とを短絡的に結び付ける意図は全くない。引きこもりに至った一人一人に、よんどころない事情があることについても理解しているつもりだ。
 それでも、引きこもりがちだった44歳の長男を刺した容疑の元事務次官は逮捕後、「川崎の事件のように、息子が人に危害を加えるかもしれない」などと動機を供述しているという。事件が事件を呼んだ格好である。
 こんな連鎖を繰り返してはなるまい。生きづらさを抱えた人や家族の困惑をいかに理解し、支援の方策をどう講じていくかを考えたい。引きこもりへの偏見を生まないためにも、社会のありようを見つめ直す契機にしなければならない。
 まずは、引きこもりの中高年が増えた実態を直視しよう。
 自宅にいる40〜64歳の引きこもりの人は全国で61万3千人との推計値を今年3月、内閣府が初めてまとめた。男性ばかりと思われがちだが、4分の1近くは女性だ。全体の半数近くが期間7年以上で、長期化、高年齢化の傾向がみられるという。
 半年以上にわたり家族以外とほとんど交流せず、趣味の用事やコンビニに行く以外に自宅から出ない人たちである。15〜39歳を対象とした2015年の調査では約54万人で、調査時期が違うものの、あえて合計すれば100万人を超える。
 支援に携わる人たちによると、不登校、人間関係、病気、退職などと引きこもりのきっかけはさまざま。凍り付いた心を解かし、社会とのつながりを結び直す契機や方法も人それぞれで、じっくりと時間をかけた個別対応が不可欠という。
 さらに、高齢になった親の年金に頼って暮らすケースも少なくないため、生活の保障、介護の問題なども関わってくる。働く場所や趣味を楽しむ場所を用意すれば事足りるわけではなく、きめ細かく、総合的な支援が必要とされるゆえんである。
 川崎市での事件後、ネット上に「死ぬなら1人で」といった書き込みがあふれる。幼い命を奪った凶悪な犯行が許せないのは当然だ。
 ただ、そう主張する人も、加害者を責めるだけでは本質的な解決にならないことは分かっていよう。人を人として尊重し合う社会をどう築くか。引きこもりの人たちへの支援も含め、問われているのはそこなのだ。
 100人に1人が引きこもる時代。あなたの周囲で今も、声なき声を上げている。目を凝らし、耳を澄ませてみよう。


引きこもり  偏見持たず支援進めよ
 44歳の長男を刺したとして元農林水産事務次官が逮捕された。長男は死亡した。
 元事務次官は長男について「引きこもりがちで家庭内暴力もあった」と供述していることが分かった。
 川崎市の児童殺傷事件で、自殺した51歳の男は引きこもりがちだったとされる。元事務次官は「事件を知り、長男が人に危害を加えるかもしれないとも思った」との趣旨の話をしているという。
 男が引きこもりだったことは事実としてあるかもしれないが、そもそも事件と関係があるかどうかは何も解明されていない。
 引きこもりは状態を表す言葉であり、短絡的に犯罪と結びつけてはならない。一人一人の姿は多様であり、ひとくくりにしてしまっては危険だ。
 事件によって誤解や偏見が広がる恐れがあるとして、当事者や家族会が相次いで声明文を発表した。必要なのは、支援の手を差し伸べることだ。
 偏見は当事者や家族をますます追い詰め、事態を深刻化させかねない。むしろ社会全体で引きこもりへの関心と理解を深める契機としたい。
 内閣府は40〜64歳の引きこもりの人が全国で約61万人に上り、若年層を上回ると初めて公表した。だが「実際にはこの倍はいる」と指摘する専門家もいる。
 中高年の引きこもりの人と高齢の親が生活に困窮するケースは、80代の親が50代の子の世話をすることから「8050問題」といわれ、各地で顕在化している。
 内閣府調査によると、中高年の引きこもりのきっかけは退職が36%と最多で、就職氷河期や非正規などの不安定な雇用状況が背景にあるとみられる。
 政府は、就職氷河期世代の就労や正社員化を進める集中支援策をようやく打ち出した。
 長期化で親子関係は硬直、支援を拒むなど行政の介入は難しい場合も多い。
 そうした中で社会との接点をどうつくるか、専門家の意見を聞きながら丁寧に探っていくしかない。
 引きこもりの人は自らを責め、なかなか周囲に相談できないという。無理やり社会に出そうとするのは本人にとって圧力となり、かえって追い詰めてしまう可能性もある。どこに相談したらいいか分からない親もいる。
 専門の支援体制をつくるなど、当事者や家族と支える側をつなぐための工夫が必要だ。


「一人で死ね」でなく、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい 【川崎事件】排除のない社会に向けて
原田 隆之 筑波大学教授
「巻き込むな、一人で死ね」
5月28日に神奈川県川崎市で起きた無差別殺傷事件は、小学生の子どもを中心に20人が死傷する大惨事となった。凶行の直後に、容疑者も首を切って自殺し、事件は拡大自殺の様相を呈した。
それに対し、テレビやネット上では、「子どもを巻き込むな、死にたいなら一人で死ね」という意見があふれた。
落語家の立川志らくは、テレビで「一人の頭のおかしい人が出てきて、死にたいなら一人で死んでくれよって、そういう人は。何で弱い子供のところに飛び込んでんだって。信じられないですね」と発言した。
その発言には賛否両論が沸き起こったが、彼は反論に対して「普通の人間の感情だ」「なぜ悪魔の立場に立って考えないといけないんだ?」とツイートした。
ネット上でも、賛否両論あるなかで、志らくのように「一人で勝手に死ね」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」などの意見のほうが相当多いように見受けられた。
「一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい
一方、それに真っ向から対立する声も上がった。
NPOほっとプラス代表理事の藤田孝典氏は、「死にたいなら一人で死ぬべきという非難は控えてほしい」とネットニュースに投稿した。
ついで、「死ぬべき人間がいるかのような暴力的な言葉は社会への絶望感や分断を招きます。次の凶行を生まないために(自身の投稿内容を)お読みいだだけたらと思います」とも述べた。
テレビ朝日の玉川徹氏は、藤田氏に共感を寄せ、影響力の大きなテレビで「死ね」という感情を露わにした言葉を発することを疑問視し、志らくの発言を批判した。
また、評論家の古谷経衡氏は、藤田氏への反論を展開し、「この人の意見に私は絶対反対です。『死にたいのなら一人で死ぬべき』は正論です」とツイートした。
さらに、藤田氏と古谷氏は、テレビ番組でも意見を交わしていたが、あまりかみ合っていない印象を受けた。
論争を受けて思うこと
二人がかみ合っていなかったのは、どちらも部分的に正しく、しかもどちらも言葉足らずだったからではないかと思う。
また、ネット上でもテレビでも、意見が対立したままであるのも同じ理由からであるように思える。
まず、「巻き込むな、死にたいなら一人で死ね」という言葉を、私は前半と後半で分けるべきだと思う。これを一連の言葉として、全体で賛成反対を言うから、意見がかみ合わなくなるのだ。
前半の「巻き込むな」については、誰もが賛成であろうし、おそらく藤田氏も賛成なのではないだろうか。そしてこれは、古谷氏の言葉を借りれば「正論」である。
しかし、後半の「死にたいなら一人で死ね」というのは、「正論」ではなく「感情論」だ。藤田氏は、前半と後半を区別せずにざっくりとまとめて、「控えてほしい」と主張している。
しかし、まず「巻き込むな」の部分をきちんと押さえて、それに対する意見を明確にしたうえで、後半部分への問題提起をするべきであった。
それをせずに、前半も含めてすべて「控えてほしい」と言っているように受け取られたため、大きな反論が巻き起こったのではないだろうか。
記事には、危機意識から緊急に配信した旨が記載されているが、急ぐあまりに勇み足になってしまったように思う。
「巻き込むな、でもお前も死ぬな」
私が提案したいのは、藤田氏の意見でも、それに反対する多数の人の意見でもない。それは、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」という言葉である。
もちろん、自殺をするときに、無辜の多くの人々を巻き込むようなことは言語道断である。今回の事件も憎むべき凶行であることは間違いない。不幸な境遇にあったのかもしれないが、だからと言ってそれは何の言い訳にもならない。
ここでもう1つ、藤田氏とそれに反対する人々の多くがかみ合っていないことがある。
それは、藤田氏は本件の容疑者ではなく、彼と同様に社会的に孤立し、絶望している人々に向けた言葉として、「巻き込むな、一人で死ね」という言葉をとらえている。
それに対し、藤田氏に反論している人々は、この憎むべき事件の容疑者に宛てた言葉として想定している。
これは大事なポイントであり、この違いを認識していないと議論がかみ合わないのは当然である。
容疑者への憎しみのあまり、どんな強い言葉を投げかけようとしても、残念ながら、当人は既に多くの人を巻き込んだうえで、死んでしまったのだから、何を言っても届かない。
事件に対して行き場のない大きな憤りを抱いているのは、皆同じだ。だからと言って、「一人で死ね」という言葉を投げかけても、それは空しく響くだけだ。
容疑者にはもうこの罵倒は届かないが、もしかすると、孤立し、疎外感を抱き、途方に暮れて、死を選ぼうとしている人が耳にするかもしれない。
だとすると、既に死んでしまった容疑者に向けてではなく、藤田氏が想定しているように、孤立のなかで、死んでしまいたいと思っている人に向けての言葉として考えてはどうだろうか。
そのときわれわれは、「巻き込むな」と言ってもよいだろうが、「死ぬなら勝手に一人で死ね」と言うべきだろうか。
やはり、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」という言葉をかけるべきではないだろうか。
排除のない社会へ
藤田氏が言いたかったことは、孤立した人々をこれ以上追い込むような言葉を控えようということである。それには私も全面的に賛成する。
しかし、追い込むことがさらなる凶行を生むというのは、少し論理の飛躍がある。
凶行を生むからやめようではなく、孤立した人をさらなる孤立へと追いやったり、社会から排除して切り捨てるようなことをやめようというだけでよいのではないだろうか。
彼らは犯罪予備軍でもないし、追い詰められたからといって誰もが犯罪に赴くわけではない。
犯罪予備軍から社会を守るというためではなく、寛容な社会をつくり、さまざまな人を切り捨てずに受け入れる社会をつくるために、「一人で勝手に死ね」などという言葉は控えて、その代わり「死ぬな」という言葉を届けよう。それこそを目的とすべきだと思う。
それはもちろん、犯罪のない社会をつくることにもどこかでつながっていくはずである。


「東京福祉大学」と「消えた留学生」の深き闇 「移民クライシス」の現場から
出井 康博 ジャーナリスト
日本を去ったベトナム人青年の独白
2019年4月、1人のベトナム人留学生が日本から去っていった。東京都内の日本語学校を3月に卒業したばかりのタン君(25歳)だ。
タン君は4月、「東京福祉大学」に入学するはずだった。同大は先日、大勢の留学生が所在不明になっていることが発覚し、「消えた留学生」問題としてメディアや国会で取り上げられた。その東京福祉大学へ進学せず、彼はベトナムに帰国する道を選んだ。
タン君とは、彼が2017年7月に来日した直後に取材で知り合って以降、定期的に会っていた。その彼から、日本を離れたことを知らせるメッセージがフェイスブックに届いたのは4月半ばのことだ。
<何も言わないでベトナムに帰ってしまいごめんなさい>
そのひとことに、タン君の無念さが滲み出ていた。2年近くに及んだ日本での生活で、日本語学校やアルバイト先で都合よく利用され続けた。彼の留学体験は、「消えた留学生」問題の背後に存在する深い闇を象徴している。
“偽装留学生”を生んだ「国策」
外国人留学生の数は2018年末時点で33万7000人に達し、12年からの6年間で16万人近くも増加した。留学生の国籍ではベトナムの急増が際立ち、過去6年で9倍以上の8万1009人にまで膨らんだ。他にもネパールが約5倍増の2万8987人となるなど、アジア新興国では日本への「留学ブーム」が起きている。
こうした新興国出身の留学生は、多くが「勉強」よりも「出稼ぎ」を目的に来日する。留学費用を借金に頼ってのことだ。その額は、日本語学校の初年度の学費や寮費、留学斡旋ブローカーへの手数料などで150万円前後に上る。新興国の人々には莫大な金額だが、日本で働けば簡単に稼げると考える。
タン君も、出稼ぎ目的の“偽装留学生”の1人だ。首都ハノイから車で4〜5時間離れたタインホア省の小さな村の出身で、実家は農家を営んでいる。収入は豊作の年でも1年で30万円程度に過ぎず、タン君の留学費用を準備できる余裕はない。費用はハノイで働く姉が銀行から借り入れた。
日本政府は本来、留学費用を借金に頼るような外国人に対し、「留学ビザ」を発給していない。同ビザは日本でアルバイトなしで留学生活を送れる外国人に限って発給される建て前なのだ。
しかし、この原則を守っていれば留学生は増えず、安倍晋三政権が「成長戦略」に掲げる「留学生30万人計画」も達成されない。そのためルールを捻じ曲げ、経済力のない外国人にまでもビザを発給し続けている。結果、「30万人計画」も2020年の目標を前に達成された。
斡旋ブローカーとでっち上げの書類
ただし、その実態は驚くほど杜撰なものだ。
新興国の留学希望者には、ビザ申請時に親の年収や預金残高など、経済力を証明する書類の提出が求められる。ビザ取得に必要な額は明らかになっていないが、年収や預金残高が最低でもそれぞれ200万円程度は必要だ。新興国では、かなりの富裕層でなければクリアは難しい。そこに留学斡旋ブローカーの介在する余地が生まれる。
ブローカーは銀行や行政機関の担当者に賄賂を渡し、ビザ取得に十分な金額の記された書類をつくってもらう。銀行などが正式に発行した書類なので「偽造」ではない。数字はでっち上げでも「本物」だ。ベトナムのような新興国では賄賂さえ払えば、銀行や行政機関であろうと内容は簡単にでっち上げてくれる。
そんなカラクリは、留学ビザを発給する日本側の法務省入国管理当局(今年4月から「出入国在留管理庁」)や在外公館も十分にわかっている。しかし、「本物だから問題ない」というスタンスでビザを発給する。責任を相手国に押しつけているのだ。
留学ビザの申請には、他にも履歴書や高校の成績、「150時間以上」の日本語学習証明書などが必要となる。そんな書類もまた捏造できる。
タン君の場合も、履歴書や学習証明書をブローカーがでっち上げた。彼は兵役に就いた過去があるが、その経歴は履歴書には載っておらず、電気関係の専門学校で学んでいたことになっている。「兵役」がビザ取得の足かせになると、ブローカーが判断して改竄した。
つまり、“偽装留学生”が提出する書類は、親の年収や預金残高に限らず、すべてでっち上げられるのだ。履歴書まで捏造が可能なのだから、過去に犯罪を犯したような者まで紛れ込んでいないとも限らない。それが今、「留学生30万人計画」のもとで起きている現実なのである。
仕事が見つからないので日本を目指す実態
留学生の急増に伴い、「質」は明らかに低下している。ベトナムで「留学ブーム」が起き始めた2010年代前半は、ハノイやホーチミンといった都市部の出身者が留学生の中心を占めた。現地の一流大学を卒業したような若者の間でも、日本行きの希望者は多かった。
それが現在、留学ブームは地方へと移り、学歴や仕事のない若者が日本を目指すようになった。都会では、日本ほど賃金は得られなくても仕事はある。多額の借金を背負い、わざわざ日本へ出稼ぎに行こうという若者は少ない。
タン君にしろ、ベトナム北部の田舎の出身だ。ベトナムで兵役に就く若者には、学業が苦手だったり、貧しい家の子どもが多い。そして除隊後の失業も問題となっている。タン君も仕事が見つからず、日本へと「留学」することになった。
「日本語学校バブル」
“偽装留学生”が大量に流入した結果、日本語学校業界はバブルに湧いている。その数は全国で約750校を数え、過去10年間で約2倍に膨らんだ。
日本への留学を希望する外国人にとって、日本語学校入学のハードルは極めて低い。専門学校や大学に留学しようとすれば、日本語能力試験「N2」合格が条件となる。「N2」は同試験で最高レベルの「N1」に次ぐ難関だが、この条件をクリアしていなければ留学ビザは発給されない。
しかし、日本語学校に限っては、最低レベルの「N5」合格もしくは「150時間以上」の日本語学習を証明すれば入学できる。しかも学習証明書は簡単にでっち上げられる。経済力に加え、日本語能力も問われず留学できてしまうわけだ。
留学ビザの申請は、現地の斡旋ブローカーから届く書類を日本語学校が入管当局へと提出する。書類には現地の賃金水準からしてあり得ない収入等が記されているのだから、日本語学校が見破ろうとすれば簡単にできる。
しかし、精査すれば留学生は増えず、日本語学校が儲からない。そのため書類のでっち上げを黙認し、ビザ申請の手続きを進める。こうして政府、日本語学校ぐるみで“偽装留学生”が受け入れられている。
実効性の乏しい法規制
“偽装留学生”を都合よく利用しているのは、日本語学校に限った話でもない。留学生のアルバイト先となる企業もそうである。
留学生のアルバイトは、法律で「週28時間以内」までしか認められない。だが、法律を守っていれば、母国で背負った借金の返済は進まない。しかも“偽装留学生”は、翌年分の学費も貯める必要がある。だから彼らは「週28時間以内」の法定上限を超えて働くことになる。
アルバイト先の企業も警察当局の取り締まりを恐れ、留学生を雇う際には法定上限の遵守に努める。だが、アルバイトをかけ持ちすれば、「週28時間以内」を超えて働くことは難しくない。
タン君もいろいろなアルバイトを経験した。最初の職場となったのが、コンビニで売られる弁当の工場だ。仕事は深夜から早朝にかけての夜勤で、同僚の大半はベトナム人など留学生だった。「弁当工場」での夜勤バイトは、“偽装留学生”の多くが一度は日本で経験する「登竜門」である。
続いて宅配便の仕分け現場でも働いた。宅配便の仕分けも、留学生の労働力なしには成り立たない職種の1つだ。伝票の番号を見て荷物を仕分ける仕事なので、日本語が読めなくてもこなせる。仕事はやはり夜勤で、職場にはほとんど日本人はいなかった。
他にも、うどんや牛丼のチェーン店で仕事に就いた。面接時には、他にもアルバイトをやっていることは必ず正直に告げた。しかし、面接で問題になることは一度もなかった。
人手不足でルールはなし崩し
タン君のような“偽装留学生”を採用するのは、人手不足が深刻な職場ばかりだ。日本語ができない留学生であろうと、とにかく人手を確保したい。アルバイトのかけ持ちによる違法就労が発覚しても、罪に問われるのは留学生だけだ。企業にとっては、実に都合の良いシステムである。
タン君が経験したアルバイトで唯一、日中にあったのがうどんチェーン店での仕事だった。週末を含めほとんど毎日、午前中に働いた。夜勤のアルバイトがあるときは、勤務先からそのまま店に駆けつけた。そして午後からは日本語学校の授業に出る。週の半分は、ほとんど睡眠時間のない生活である。
初めてできた日本人の友だちは、うどん店の店長だった。“偽装留学生”たちは日本人と接する機会がほとんどない。日本語学校のクラスメイトは留学生ばかりで、アルバイト先でも日本人と同僚になることは少ない。「友だち」と呼べる日本人のできたタン君は幸運だった。
アルバイトに追われ上達しない日本語
“偽装留学生”はアルバイトに追われ、日本語が全く上達しないケースが多い。タン君に限っては、少なくとも会話は進歩した。出会った頃にはあいさつ程度しかできなかったが、日本語学校を卒業する頃には、通訳なしで簡単な会話が成立するほどになった。
2年近く日本語を学んでいるのだから当然と思われるかもしれないが、“偽装留学生”としては珍しい。それもアルバイト先で、店長ら日本人と積極的にコミュニケーションを取ったおかげだった。
日本語学校を卒業後、タン君は専門学校に進学して出稼ぎを続けるつもりでいた。“偽装留学生”の多くが辿るパターンである。
留学生が専門学校や大学に進む場合、海外から直接入学しようとすれば「N2」が条件となることは前述した。ただし、この条件は、日本国内の日本語学校卒業者には免除される。日本語が全くできない留学生であろうと、学校が認めれば入学は可能なのだ。
近年、日本人の少子化の影響を受け、私立大学の半数近くで定員割れが起きている。専門学校に至ってはさらにひどい。そこで“偽装留学生”を受け入れ、生き残りを図る学校が急増している。
進まぬ職探し、そして登場した「東京福祉大学」……
そうしてタン君が専門学校探しを始めようとしていた頃、うどん店の店長からこんな話を持ちかけられた。
「日本語学校を卒業したら、うちで就職してみない?」
タン君にとっては願ってもない申し出だった。就職できれば、専門学校に学費を払うことなく出稼ぎができる。しかも、店の仕事を「アイシテマス」と言うほど気に入っていた。
すっかり就職できる気になったタン君は、進学先を探すのをやめてしまった。だが、卒業時期が近づいても、就職話は進む気配がない。店長に尋ねても、「まだ、本社で決まっていない」と言われるだけだった。
うどん店での就職が決まらず、しかも進学先がなければ、ベトナムに帰国するしかなくなってしまう。タン君は仕方なく、再び進学先を探し始めた。
3月が近づき、受け入れてくれる学校も少なくなっていた。そんななか、頼ることにしたのが「東京福祉大学」だった。しかし、タン君は最終的に東京福祉大学への進学を拒み、ベトナムに帰国することにした。彼が入学しようとした同大の「研究生コース」は、年間62万8000円の学費がかかる。日本語学校と同様、学費を払って出稼ぎの権利を与える日本の狡猾な“システム”に、これ以上組み込まれ続けたくなかったのだ。
「もう、疲れました……」
タン君はそう言い残して日本を去っていった。


川崎殺傷事件「不良品」発言こそ松本人志の本質だ! 過去にも同じ発言、社会や弱者への決定的な想像力の欠如
 川崎の殺傷事件に関して松本人志が口にした「不良品」発言が大きな批判を浴びている。
 すでに、さんざんニュースなどでも散りあげられているが、改めて紹介しておこう。問題になったのは、6月2日放送『ワイドナショー』(フジテレビ系)での松本のこんな発言だった。
「僕は人間が生まれてくるなかでどうしても不良品っていうのは何万個に一個(あると思う)。これは絶対に僕はしょうがないと思うんですよね。それを、何十万個、何百万個にひとつぐらいに減らすことはできるのかな?っていう、みんなの努力で。まあ、正直、こういう人たちはいますから絶対数、もうその人たち同士でやりあってほしいっすけどね」
「不良品」「何万個」など人間をモノ扱いするこの言い方は「生産性」発言の杉田水脈に匹敵する酷さだが、もっと問題なのは、松本が犯罪を生み出す複雑な要因、背景について何もわかってないことだ。
 犯罪は社会状況と密接に関係しており、個人の資質だけに還元されるものではない。生育環境などによる影響も大きく、生まれつき犯罪者になる人間とならない人間が「何万個に一個」の確率で生まれるなどというのは、何の科学的裏付けもないまったく間違えた認識だ。優生思想にも通じる差別思想と言っていいだろう。
 案の定、松本の発言は大炎上した。しかも、同じ時間帯に爆笑問題の太田光が『サンデー・ジャポン』(TBS系)で、この事件について「特定の病気っていうわけではなくて、こういう思いに駆られることって誰しもがあって」と、自分の過去の体験を紹介しながら、社会への絶望を抱えた人たちに希望を語りかけたことから、「太田とは対照的」という批判も殺到している。
 実際、松本の発想は太田と対照的に、犯罪者を「異物」扱いするものでしかない。松本は放送直後、ツイッターに〈凶悪犯罪者は人として不良品。ひきこもりが不良品?誰の意見?〉と綴り、『ワイドナショー』で使った「不良品」という言葉は、今回の事件を起こした容疑者個人のことを指したものであると弁解したが、だとしても「“不良品”として扱われてもいい人間がいる」という差別的思想にかわりはなく、なんの弁明にもなっていない。
 実は、松本は過去にも同様の発言をしている。2017年に、神奈川県座間市のアパートの一室から男女9人の切断された遺体が発見され、殺人や死体遺棄などの疑いで男が逮捕された事件を扱ったときである。
 この事件を扱った17年11月5日放送『ワイドナショー』でも松本は「残念ながら教育とか、育て方とかを超えた存在。人間を工場で例えるなら、何千、何万個に1個出て来る不良品なんでしょうね。そいつがたまたま座間に住んでいた」と発言している。
 ようするに、「不良品」という言葉は今回たまたま出てきたものではなく、彼の思想の根底にあるものなのだ。
松本人志「不良品」発言を批判せずに乗っかった堀潤と古市憲寿
 しかし、今回の『ワイドナショー』ではもうひとつ、松本人志の本質が現れた発言があった。それは、この松本の「不良品」発言を受けた、他の出演者とのやりとりのなかで起きた。
 あまり批判されていないが、この日の『ワイドナショー』では、松本だけでなく、堀潤、古市憲寿というコメンテーターもひどかった。「不良品」発言に異を唱えるどころか、その発言に乗っかって、「不良品」をどう捜査するかという議論まで展開していたのだ。
 松本の「不良品」発言のあと、まず、堀潤がこんな話を始める。
「松本さんが言ったことって超クリティカルなポイントで、アメリカでもテロを未然に防ぐことっていうのは捜査当局も自信をもっているんですよ。前後の文脈が分かるから。でも、なにかしら突発的に起こる、しかも心に負担が強いられている状況で起きるものに関しては事前にリストアップして踏み込んで、でもなにもやっていない状況で未然に逮捕するのかっていうと、それは極めて人権を損害する行いだと。ただ一方でそれを放置していたときに多数の犠牲者が出る。じゃあ、この天秤どうなっているんだというのは、まだねしっかりと本音で議論してないと思うんですよ。でも、じゃあどうすればいいんだっていうのは恐れずに議論していくべき。やっぱり沈黙している社会は犠牲者を生むし、だから、勇気ある議論を(するべき)」
 松本による「不良品」発言は誰が聞いても問題発言以外のなにものでもないのだが、堀潤氏はそれを批判するどころか、松本が言うところの「不良品」的な人を「なにもやっていない状況で取り締まる」という議論をすべきといっさいの批判なしで言い出したのだ。
 古市憲寿も同様だった。「不良品」発言に何の疑問も挟まず、堀潤の議論を引き取る形で、こう語った。
「犯罪を防止するためにどこまで人権を侵害してもいいのかっていう議論はあり得ると思うんですね。すごい監視社会にして、ちょっとでも犯罪を起こしそうな人に関しては、もうあらかじめ予防的に拘禁できるようにしちゃうのか。それとも、そんなことは絶対無理だからやめておいて、『自由にしましょう。自由である程度の犯罪はしょうがないと思いましょう』って、どっちも難しいじゃないですか、どっちを選ぶにしても」
 古市はいつものどっちもどっち論で、一方に与しない風を装っていたが、犯罪多発か予防拘禁か、という二者択一のアジェンダを設定していること自体、犯罪防止のために人権侵害していいという方向に議論を誘導しているとしか思えない。
松本人志が放送作家の受けた不当捜査に激怒し、予防拘禁を批判! だが…
 まったくいつものことながら『ワイドナショー』という番組の悪質さには辟易とさせられるが、しかし、このあと、意外な展開が起きた。堀、古市のこうした予防拘禁議論に、他でもない松本人志がこんなエピソードを紹介する形で異を唱えたのだ。
「この番組のやってる作家のね、僕とよく一緒におる奴、まあ不審者なんですよ。見るからに。で、近所でちょっと嫌な事件が起こったんですよ。警察が来てDNAとって行かれたって。それ聞いたときに腹立って。『いや、それお前、絶対とらせたらアカンし!』って思うんですよ。いまも思ってるんですけど、でも、そこまでしないといけないこともあるのかって思ってしまうよね」
『ワイドナショー』にも携わる松本の知り合いの放送作家が、ただ「見た目が怪しいから」という理由だけで警察にDNAを採取されたのだという。これが事実なら、予防拘禁にも通じる人権侵害捜査がすでに横行しているということであり、松本の憤りも主張も真っ当なものだ。
 しかし、ここで疑問なのは、知り合いの放送作家への不当捜査にこんな真っ当な怒りの声をあげた松本が、一方では、犯罪者を「不良品」扱いして異物を排除する主張を繰り広げていたことだ。松本は自分の「犯罪者=不良品」という思想が、放送作家に降りかかった不当捜査につながっていることに気づいていないのか。
 いや、そうではないだろう。むしろ、松本はもともと犯罪防止のためなら人権侵害したっていい、という立場だ。「共謀罪」について議論した『ワイドナショー』(2017年5月21日放送回)のなかで「やっぱり冤罪も多少、そりゃそういうこともあるのかもしれないですけども、なんか未然に防ぐことの方がプラスの方が僕は多いような気もする」と語っている。
 にもかかわらず、知り合いの放送作家がDNAをとられたことにそこまで怒りを見せたのは、ようするに彼が「仲間」「身内」だったからにすぎない。
 自分や自分の身の回りが権力から不当な扱いを受けたら、人権や言論の自由を主張するくせに、自分と関係のない弱者のことや、自分から遠い世界の話になると、平気で人権をないがしろにして、神目線で秩序維持のためにしょうがない、などとうそぶく。
 自己矛盾もいいところだが、しかし、実はこれこそが、松本人志の最大の問題点なのではないか。松本の問題は、右派とか保守とかいうような大層なことではなく、他者や社会への想像力が決定的に欠如していることなのだ。だから、権力者の単純で乱暴な主張に簡単に騙されてしまうし、犯罪者も自分と地続きの人間であるということをまったく理解できずに「不良品」扱いしてしまう。
 そういう意味では、今回の川崎事件での発言は、松本の本質をもっともよく表しているものなのだ。そして、それは同時に、この大物お笑い芸人が報道や社会問題にコミットする資格がないことの証明でもある。


映画『主戦場』に出演しながら上映中止要求の藤岡信勝、テキサス親父、櫻井よしこら右派論客に、デザキ監督が徹底反論!
 慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画『主戦場』(ミキ・デザキ監督)に対し、映画に出演して持論を展開した慰安婦“否定派”の保守論客たちが、なんと、上映の差し止めを求める理解不能な要求を行った。
 映画『主戦場』は、日系アメリカ人のデザキ監督が、戦中日本軍による慰安婦問題をめぐる“否定派”と“リベラル派”双方の主張を対比させ、一時資料を分析しつつ検証するという内容。本サイトでも封切りにあたり記事にしている(https://lite-ra.com/2019/04/post-4682.html)が、なかでも見所は、自民党・杉田水脈衆院議員やケント・ギルバート氏、「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝氏、テキサス親父ことトニー・マラーノ氏、櫻井よしこ氏など“極右オールスターズ”とも呼べる面々が垂れ流す歴史修正や差別主義丸出しの言辞の数々だ。
 たとえば、テキサス親父のマネージャーである藤木俊一氏は「フェニミズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。ようするに誰にも相手されないような女性。心も汚い、見た目も汚い。こういう人たちなんですよ」と性差別を剥き出しに。杉田水脈議員は「どんなに頑張っても中国や韓国は日本より優れた技術が持てないからプロパガンダで日本を貶めている」などと陰謀論をぶちまけている。
 同作はこうした“否定派”のトンデモ発言や、監督によって緻密に論点整理された構成が話題を呼び、国内外の多くのメディアに取り上げられた。4月20日の東京を皮切りに全国順次公開中で、まさに話題沸騰という状況なのだが、そこにいちゃもんをつけて上映を中止させようとしているのが、前述の“右派オールスターズ”なのである。
 散々、カメラの前で持論をぶっておいて、いざ映画がヒットして自分たちに批判が集まったら上映中止を求めるとは、いったい連中はどういう了見をしているのか。
 5月30日には“否定派”出演者の藤岡氏と藤木氏、元「在日特権を許さない市民の会」の山本優美子氏(現「なでしこアクション」代表)の3人が都内で記者会見を開いた。藤岡氏らは、ケント氏、櫻井よしこ氏、テキサス親父、加瀬英明氏を含む7名の連名で共同声明を発表した。「目的は保守系言論人の人格攻撃だ」「本質はグロテスクなプロパガンダ映画だ」「『歴史修正主義者』や『否定主義者』とレッテルを張られた」などとまくしたて、法的措置も検討中だとした。
 ようは、「映画の製作過程や編集に問題があるから上映を中止にしろ」というのが連中の言い分らしい。だが、これは言いがかりとしか思えないものだ。
 そもそも、“否定派”が『主戦場』のなかで話している内容は、特段目新しいものではなく、これまでも自ら雑誌等のメディアで公言してきたことだ。事実、5月30日の会見でも藤木氏が、質疑応答のなかで「フェニミズムは不細工が始めた」なる差別発言について「これは言い続けていることですので、まったく改めるつもりも必要もない」と断言している。
 つまり、これ、監督の編集によって論旨を曲げられて伝えられているわけではない、ということではないか。
 根拠がないのは、他の反論も同様だ。6月3日、ミキ・デザキ監督が“否定派”の上映中止要求に反論する会見を開いたが、そこで否定派連中の言いがかりは完膚なきまでに粉砕されてしまった。
監督は事前に商業映画の可能性を告知、否定派は承諾書と合意書にサイン
 たとえば、“映画製作の過程に問題があった”なる主張。“否定派”は会見で、監督との「合意書」を公開したうえで、「上智大学修士課程の卒業制作と言われ、『学術研究』だと思ったから取材に応じた。全国公開するような『商業映画』だと知っていたら出演しなかった」(藤岡氏)、「交わした合意書では『映画公開前に見せてもらう』と約束していたのに監督が破った。債務不履行だ」(藤木氏)などと言い張った。ようは“監督に騙された”というのである。
 しかし、現実にはどうだったか。映画製作当時、上智大学の大学院生(修士課程)だったデサキ氏は同作を卒業制作として大学に提出、出演者には「映画の出来がよければ一般公開も考えている」と伝えていたという。記者会見の場でも、「承諾書」と「合意書」を示して明確に反論した。
 デザキ氏によれば、連名で抗議声明を出した“否定派”7名のうち藤木氏と藤岡氏をのぞく5名が「承諾書」に署名・捺印、藤木氏と藤岡氏は「合意書」に署名・捺印したという。この両方ともに“監督が収録した出演者の映像等は映画に関連して自由に編集して利用する”旨の記載があり、著作権も監督側に帰属することが確認されている。
 さらに、連中が「騙された」と言い張っている「商業利用」に関しても、「承諾書」にはそれを認める項目があった。〈制作者またはその指定する者が、日本国内外において永久的に本映画を配給・上映または展示・公共に送信し、または、本映画の複製物(ビデオ、DVD、またはすでに知られているその他の媒体またはその後開発される媒体など)を販売・貸与すること〉とはっきりと記されていたのである。
「配給・上映」や「販売・貸与」を承諾しておきながら“一般公開するとは思わなかった”とはカマトトもいいところだ。その上で言うが、よしんば連中が「承諾書」をよく読まずにサインしてしまったとしても、卒業制作等の自主映画に、その後、配給会社がついて劇場で公開されるケースは珍しくもなんともない。「学術目的」の論文などが大学や研究機関に提出されたのち一般書として出版されるのと同じだ。つまるところ、“商業利用を認めていない”との“否定派”の主張はどう考えても後づけのいちゃもんなのである。
テキサス親父マネージャーは完成祝いのメール、ケントはPR協力を申し出
 他方、藤木氏と藤岡氏がサインした「合意書」は、監督が提示した「承諾書」の内容を不服として別に交わされたものだ。デザキ氏によれば、藤木氏への取材予定日の当日午前3時頃に電話がかかってきて、「合意書」が「気に入らない」という連絡が電話で伝えられたという。藤木氏は「文面が『取材者側の権利のみをうたう偏った内容』であるとして、取材を受ける側の権利も書き込んだ代案を出し、協議ののちいくつかの条文を入れさせた」と主張している。いずれにせよ、藤木氏らは「承諾書」にも目を通していたことになる。
「一番の争点は、藤木氏が(映画を)編集できる権利を得たいというふうに言っていたことです。私は、それはできないと断っています。映画を突然商業化したという指摘は、まったく寝耳に水でした。(藤木氏・藤岡氏を含んで)『承諾書』を読んでいますので、商業化されうるということは認識していたはずです」(デザキ氏)
 結果的に、監督と藤木氏のやり取りのなかで、「合意書」には〈甲は、本映画公開前に乙に確認を求め、乙は、速やかに確認する〉〈本映画に使用されている乙の発言等が乙の意図するところと異なる場合は、甲は本映画のクレジットに乙が本映画に不服である旨表示する、または乙の希望する通りの声明を表示する〉という記載が入れられた。デザキ監督によると、実際、2018年5月に藤木氏と藤岡氏へ出演部分の映像をメールで提示。2週間以内に返事がほしい旨も伝えたというが、両者から返事はなかった。また『主戦場』を出品した釜山映画祭前の2018年9月にも藤木氏へ通知したところ、「5月のメールは迷惑ボックスに入っていたようで再送してほしい」との連絡があり、再送に応じた。だが、これに対して藤木氏から苦情や要求はなかったという。なお、監督は映画の試写会への招待状も送っている。
 そして、デザキ監督が記者会見のなかで明らかにしたことによれば、今年4月20日に東京で映画が公開されるまで、ただ一つの例外をのぞき、出演者から「商業利用」に対するクレームはまったくなかったという。
 それどころか、藤木氏は映画完成を祝う言葉をメールに記しており、ケント氏にいたっては自身のFacebookで映画のPRに協力するとのオファーまであった。唯一のクレームがあったのは、日本で関係者向けの試写会が行われた後の4月13日、東京での封切りの1週間前のことだ。
「4月13日に藤木さんからメールがあり、『この映画は公正ではない』『映画の配給を差し止めろ』と。ですが、そのようなことは『合意書』のなかに一切記されていません。彼は、自分の出演部分について不服があるならば、映画の最後にメッセージを入れるということには同意していますが、映画の配給を差し止めるという権利はありません」(デザキ氏)
デザキ監督「両方の主張を聞き、やはり自分の考えと結論を入れることが責任あるやり方と考えた」
 デザキ監督の説明をふまえれば、今回、映画『主戦場』の上映差し止めを求めて抗議している“否定派”の出演者らが、いかに事実を歪曲して、難癖をつけているかは瞭然だろう。
 だいたい、ジャーナリズムの分野では取材者や制作者が編集権を有しており、被取材者が公開前に口を出すということ自体、報道の自由を鑑みても、外部の介入による内容変更を防止する意味でも、普通はあり得ないのである。そして、言うまでもなく、被取材者の発言を伝えたうえでこれを解釈するのはジャーナリズムにのっとった正当な論評行為に他ならない。
 結局のところ、こういうことではないのか。連中は、デザキ氏が歴史修正主義に加担してくれるのを期待して、嬉々として取材に応じ、いつものトーンで好き勝手に語った。ところが、映画の内容とその反響をみて、自分たちの思うようになっていないことを知った。それで、いまになって「商業利用されるとは思わなかった」などと難癖をつけて、映画を封印させようと躍起になっているのである。そうとしか思えないのだ。
 5月30日の“否定派”出演者による会見の後、本サイトの記者は藤岡氏に「もしも映画の内容が満足のいくものだったら『商業利用』を理由に抗議をしたか」と直撃したが、藤岡氏は眉をしかめて「学術目的だと思ってましたから。仮定の質問には答えられませんよ」と言うにとどめた。
 デザキ氏は6月1日の会見で「もし、私の結論がいわゆる歴史修正主義者たちにとって好ましいものであったならば、『これ以上フェアな慰安婦問題に関する映画はない』と彼らは言っただろうと私は確信しています」と語り、こう続けた。
「私はリサーチを重ねて、両方のサイドの主張を聞いた後、やはり自分の考えと結論を入れることこそが責任のあるやり方だと考えました。すべての主張は同等に説得力があるわけではなく、すべての主張が同じ重さを持っているわけではないことを示すのは、重要だと思ったのです。最終的に私の結論がどういうものか。どうしてその結論に至ったかというものは明快で、そのプロセスがわかるがゆえに『主戦場』はプロパガンダ映画ではないと思います。この透明性によって、観客が結論に同意することも同意しないことも自由にできる。映画を見て、それぞれの論点について観客自身が検証することを推奨しています」
 しばしば、歴史修正主義者は自らの否定言説が批判を浴びると、「表現の自由を抑圧するのか」などと喚き立てる。だが、今回の『主戦場』をめぐる騒動でハッキリしたのは、そういう連中の方こそ、実際には「表現の自由」など微塵も考えていないということではないのか。だから何度でも言おう。判断するのは映画の観客だ。