Le Japon relance la chasse commerciale à la baleine : un "baroud d'honneur" ?
SANS GÊNE - Le Japon s'est affranchi d'un moratoire sur la pêche à la baleine et a relancé, lundi 1er juillet, sa première mission de chasse commerciale depuis plus de trois décennies. Le Japon pêchait auparavant la baleine à des fins "scientifiques".
Ils ont appareillé sous le ciel nuageux de Kushiro (sur l'île septentrionale de Hokkaido), cinq navires munis de harpons. Des navires baleiniers japonais ont repris la mer lundi 1er juillet après une cérémonie où plusieurs élus ont revendiqué la légitimité de cette tradition. Les navires partaient pour leur première mission de chasse commerciale en plus de trois décennies, actant la décision prise il y a six mois par le gouvernement de quitter la Commission baleinière internationale (CBI) et de s'affranchir ainsi d'un moratoire.
"C'est une petite industrie, mais je suis fier de chasser les baleines. La pratique existe depuis plus de 400 ans dans ma cité", a expliqué à l'Agence France-Presse Yoshifumi Kai, président d'une association de pêcheurs de baleines, tout excité de repartir en mer. Idem pour le jeune Hideki Abe qui, compte tenu de son jeune âge, 23 ans, n'a encore jamais participé à une mission de ce type.
"Je suis un peu nerveux, mais heureux que nous puissions commencer. Je souhaite que davantage de personnes goûtent de la baleine, au moins une fois", a-t-il confié avant le départ. Le navire-usine Nisshin Maru, bâtiment amiral de la flotte baleinière nippone, et plusieurs autres embarcations ont aussi quitté le port de Shimonoseki (sud-ouest), où trône une énorme statue de baleine.
227 prises au maximum d'ici décembre
"Nous estimons que les baleines sont des ressources marines comme les poissons et qu'elles sont utilisables sur la base de critères scientifiques", a expliqué à l'AFP un responsable du ministère de l'Agriculture, des Forêts et de la Pêche. "Nous déterminons des quotas de sorte à ne pas nuire aux espèces", a-t-il précisé. Le maximum d'ici décembre est fixé à 227 prises.
Les baleiniers n'iront pas tuer en haute mer, comme ils l'ont fait ces trente dernières années "pour des raisons scientifiques". Le Japon avait débuté ses "missions de recherches" en Antarctique et dans le nord-est du Pacifique il y a respectivement 32 et 25 ans, renonçant alors à une pêche purement commerciale, mais utilisant une "exception scientifique", tolérée par la CBI.
Fierté nationale
Durant ces décennies, l'archipel n'a cessé d'être critiqué par les défenseurs des cétacés pour ses façons de procéder jugées cruelles, alors que des méthodes non létales existent pour mener les études voulues, selon ses détracteurs. En outre, si les chercheurs étaient certes les premiers à se pencher sur les baleines rapportées, une partie de leur chair finissait sur les étals des poissonniers, malgré un appétit peu important pour cette chair.
Des critiques qui se heurtent à une volonté et une fierté de préserver un rite auquel tient une partie de la population, notamment des personnes âgées qui se souviennent que la baleine était leur seule source importante de protéines durant la disette d'après-guerre. Pour certaines communes, la pêche à la baleine est une raison d'être sinon économique, du moins culturelle et morale.
Un "baroud d'honneur" de la pêche à la baleine ?
Au-delà de la condamnation de cette pratique, Patrick Ramage, directeur du programme conservation marine du Fonds international pour le bien-être animal (Ifaw), voit dans la reprise de la chasse commerciale et l'arrêt de la pêche scientifique en Antarctique une sorte de baroud d'honneur du Japon.
"J'y ai beaucoup réfléchi pendant de nombreuses années. C'était un fantasme et maintenant le fantasme se réalise. Le Japon est en train d'arrêter la chasse à la baleine en haute mer, pas encore un arrêt complet, mais c'est un énorme pas vers la fin", expliquait-il lors d'une récente conférence au Japon. "Cette industrie (de chasse à la baleine) va se noyer très rapidement", prédisait-il.
フランス語の勉強?
ジョンレモン @horiris
香港の英国から中国への返還22年に当たる1日午後、民主派団体「民間人権陣線」が大規模デモを展開した。逃亡犯条例改正案の「完全撤回」を訴えて、香港島中心部の公園から政府本部付近を目指して行進。
6月16日の「200万人デモ」を上回る可能性がある。
7月になりました.ということは2019年の半分が過ぎたということ.4月からの年度で考えても3か月が経ったということになります.気持ちを新たに!と思ったのですがで6月がいい!って考える人がいるかな?7月にも9日があるから大丈夫という返事でしたが.
商業捕鯨が再開されたようです.クジラ肉は好きなのですが,国際組織を脱退してというところにどうも納得できないものがあります.それに冷凍のクジラ肉が大量に保管されているとも聞きます.微妙な感じです.
鹿児島で大雨のようです.
困難の先に希望あれ 岩手・山田で復興まちびらき
東日本大震災の津波で被災した岩手県山田町で30日、新たな宅地造成と災害公営住宅の整備が完了したことを受けたイベント「山田町復興記念まちびらき」があった。
町は2015年5月、住宅再建事業の工事に着手。防災集団移転促進、災害公営住宅整備などの各事業を進め、町内6地区の住宅団地に455戸、災害公営住宅640戸を整備した。
今年2月の山田地区の宅地引き渡しにより、住まいの再建に関する基盤整備が完了した。総事業費は約390億円で、復興交付金を活用した。
山田中央公園であった式典では出席者全員で黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。地元の山田八幡宮と大杉神社のみこし渡御も披露された。
佐藤信逸町長は「幾多の困難を乗り越え、この日を迎えることができた。人口減や少子高齢化といった課題に向き合いながら魅力あるまちづくりを進める」とあいさつした。
同町では津波で住民824人が犠牲となり、家屋2762戸が全壊した。
気仙沼港で1か月半ぶりにカツオの水揚げ 宮城
生鮮カツオの水揚げがない状態が続いていた宮城県気仙沼市で、およそ1か月半ぶりにカツオ船が入港し、水揚げ作業が行われました。
気仙沼市は生鮮カツオの水揚げ量が去年まで22年連続で全国1位ですが、ことしは5月17日を最後におよそ1か月半、カツオ船の入港がない状態が続いていました。
気仙沼港には1日午前6時までに宮崎県の一本釣り船3隻が入港し、25トンのカツオが水揚げされました。
水揚げされたカツオは重さごとに分けられたあと、仲買人たちが大きさや脂ののり具合などを確かめながら入札を行いました。
1日は久しぶりの水揚げということもあり、中には1キロ当たり2000円の高値がついたものもありました。
漁業関係者によりますとカツオは千葉県の銚子沖でとれたもので、ことしは例年よりもカツオの群れの北上が遅く、宮城県沖での本格的な漁獲にはもう少し時間がかかりそうだということです。
「第十五事代丸」の酒井俊一さんは、「ことしほど少ないのは初めての経験です。今回はなんとか取れましたが本格的にはまだだと思います」と話していました。
気仙沼漁業協同組合の齋藤徹夫組合長は、「気仙沼の経済は朝の水揚げから始まるので、早く水揚げを挽回できればいいと思います」と話していました。
鮮魚店でも水揚げ喜ぶ声
気仙沼市で、およそ1か月半ぶりに水揚げされたカツオは早速、市内の鮮魚店に並べられ、店主や訪れた客からは水揚げを喜ぶ声が聞かれました。
気仙沼市の商業施設「さかなの駅」に入る鮮魚店には、1日朝、水揚げされたばかりのカツオが運びこまれました。そして1本まるごとや半身、切り身などの状態で早速、店頭に並べられました。
鮮魚店を営む50代の男性は「待ちに待った水揚げです。あす以降はどうなるかはわかりませんが、どんどん水揚げがあるといいなと思います」と話していました。
別の鮮魚店で働く20代の男性は「気仙沼のカツオがほしいと全国から注文があったので、水揚げがあってよかったです」と話していました。
鮮魚店を訪れ、カツオの半身を買った女性は「刺身とあら汁にして食べたいと思います。やっぱり地元にカツオが入るとうれしいですね」と話していました。
「おいしさ知って」ホヤ 新幹線で東京直送 宮城
福島第一原発事故による風評被害が続く宮城県産ホヤ、その消費拡大に向けた初めての取り組みです。鮮度が落ちないよう新幹線で最短時間でホヤを運び、そのおいしさをPRするイベントが東京駅で開かれました。
7月1日朝の石巻市雄勝湾です。普段より2時間ほど早い午前5時半からホヤが水揚げされていました。水揚げされたホヤは、地元の加工場で素早く箱詰め。午前9時半頃にトラックで仙台駅に到着すると運びこまれたのは新幹線「やまびこ」号。3月から車内販売がなくなったことで生まれたスペースを活用し、東京へと運ばれました。そうしてホヤは雄勝を出てからわずか6時間後、東京駅のイベント会場に到着。宮城の食をPRする催しで刺身として駅の利用客らに振る舞われました。宮城県産のホヤは8年前の原発事故以降、一大消費地だった韓国で禁輸措置が続いていることから国内での消費拡大が急務となっています。
新幹線での直送は、できるだけ新鮮な状態で東京に運びおいしさを知ってもらおうと、県やJRが初めて企画したもので、関係者は一回限りに終わらせず継続を目指したいと話しています。
時評
着工から26年たった使用済み核燃料再処理工場(六ケ所村)の完成が、いまだ見通せない。東京電力福島第1原発事故を踏まえて厳格化された新規制基準に適合するかどうか、原子力規制委員会が審査を始めてから7月で5年半。既に全国8カ所で15基が合格した原発の審査とは対照的だ。
もとより、ここ2年余りは事業者の日本原燃が自らの失態で長期化を招いたと言える。
隣接するウラン濃縮工場で明らかになった放射性廃棄物の不適切管理を巡り、対策が不十分なまま改善済みとする報告を作成したほか、再処理工場でも重要設備で長期間の点検漏れが発覚。安全管理体制の刷新を迫られ、半年超にわたる異例の審査中断に追い込まれた。
以前にも増して安全確保に対する姿勢が問われる中での背信行為。安全対策が形骸化していないか、今後も厳しいチェックが必要だ。
技術的観点から審査を振り返ると、世界でも数例しかない商業用再処理施設だけに、規制委の慎重さが際立っている。
せん断や溶解といった主要工程は約30建屋にわたり、放射性物質による事故のリスクは面的に広がる。大地震などを引き金に同時多発的に事故が起きる懸念もあり、炉心冷却という「点」の対策に重点を置いた原発とは防護の思想が異なる。更田豊志委員長は「(原発審査の)前例に倣うわけにいかない」と話す。
スケジュールありきの惰性的な審査は「安全神話」に陥る危険を孕む。予定調和の規制行政が意味をなさないことは、福島の事故を未然に防げなかった過去の体制が証明している。審査は最終盤を迎えるが、この先も妥協は許されない。
一方、立地地域は長引く審査に苦悩している。自治体財政や雇用を原子力に支えられてきた現実があるからだ。
再処理工場を含め、下北半島の原子力関連施設は例外なく、審査の先行きに不透明さが漂う。「企業の倒産や事業縮小が相次ぎ、地域経済は激震に見舞われている。この状況がさらに長期化し、村民の心が原子力から離れていくことに強い危機感を覚える」。東北電力東通原発を抱える東通村の越善靖夫村長は悲痛な声を上げる。
地元は数十年にわたる紆余曲折を経て施設を受け入れ、国策に協力してきた。審査の出口が一向に見えない現実に懸念は高まるばかり。原子力の是非を巡る議論は別としても、国はこうした声に耳を傾け、必要な手当を講じるべきではないか。
「待っていた」「売れるか不安」商業捕鯨にクジラのまちは 宮城・石巻市
日本は7月1日、31年ぶりに商業捕鯨を再開し、宮城県石巻市などの捕鯨船が北海道を拠点に漁を開始しました。商業捕鯨の再開にかつて捕鯨基地として栄えた石巻市の鮎川地区では、期待と懸念の声があがっています。
北海道の釧路港では1日朝、沿岸での商業捕鯨に参加する石巻市などの捕鯨船5隻の関係者が出席し出航式が行われました。商業捕鯨の再開は、日本がIWC=国際捕鯨委員会を脱退したことに伴うもので31年ぶりです。水産庁は、クジラ資源に影響しないよう2019年の捕獲枠を227頭と決めましたが、事業者の採算が合うかどうかについても課題となっています。商業捕鯨再開について、かつて捕鯨基地として栄えた石巻市鮎川地区では「待ちに待っていた。半島の人たちはみんな待っていたと思う」「食べる人がだんだん少なくなっているからみんな売れるかどうか」などといった声がありました。
一方、鮎川地区に事業所がある捕鯨会社は、商業捕鯨再開に大きな期待を寄せています。鮎川で生まれ育ち、クジラを獲りたいと捕鯨会社に入った大壁孝之所長です。大壁孝之所長は「気持ちはかなり高ぶっていて嬉しい。今回は商業捕鯨なので、大きい脂乗りの良いクジラを獲って、自分たちで解体して販売できるという6次化と鮎川の街おこしのために起爆剤として生のフレッシュなクジラ肉を使いたい」と話していました。
釧路では1日、早速ミンククジラが水揚げされました。捕鯨会社などによりますと、水揚げされたクジラの肉は、早ければ今週中にも仙台市中央卸売市場に入荷するということです。商業捕鯨は釧路沖で1週間ほど行われます。
<商業捕鯨の針路>石巻・鮎川から(5完)水産業再興 起爆剤に/インタビュー 元IWC政府代表 森下丈二氏
31年ぶりの商業捕鯨が1日、再開する。石巻市鮎川など全国の捕鯨基地が地域の再興に期待を寄せる一方、反捕鯨国の反発や鯨肉の消費減など不安要素もある。国際捕鯨委員会(IWC)日本政府代表を務めた森下丈二東京海洋大教授(国際海洋政策)に課題と展望を聞いた。(聞き手は石巻総局・関根梢)
−IWC脱退の理由は。
■ 高いハードル
「捕鯨国と反捕鯨国の和平交渉の動きは過去に何度かあり、沿岸捕鯨を認める代わりに南極海や公海から撤退する内容に近づいた。だが、反捕鯨側に利があっても賛成しない国が4分の1を超えている。(重要事項決定に必要な)4分の3の賛成を得るハードルは高く、通るとも思えない」
−沿岸捕鯨が認められる可能性はなかったか。
■ 脱退は出発点
「認められても未来永劫(えいごう)安泰ではない。気候変動や海洋汚染を理由に、さらに厳しい条件を課される恐れもある。長年の交渉経験と失敗からの決定だ。脱退はゴールではなくスタート。国際社会で胸を張って新しいビジョンを示し、後ろ指をさされずに捕鯨を行う仕組みを作る出発点だ」
−新しいビジョンとは。
「今の世界標準ではクジラは環境保護の象徴だ。捕鯨を支持する途上国は反捕鯨活動を『環境帝国主義』と表現する。欧米の考え方や規範を押し付けるのは多様性の否定であり、食料安全保障や環境の面でも問題がある。(日本政府として)IWCにオブザーバーとして残り、積極的に議論していくつもりだ」
−商業捕鯨再開は国際法違反との指摘がある。
「国連海洋法条約65条は鯨類の保全や管理などを『国際機関を通じて活動する』と幅のある表現をしている。1982年にIWCを脱退したカナダは科学委員会にオブザーバーを出すことで要件を満たし、これまで訴訟に発展していない」
−日本が国際裁判に提訴される懸念はないか。
「リスクは承知しているが、クジラの利用を否定する国際法はない。透明性を確保し、リスクを最小化する努力はしてきた」
−事業者は採算性を不安視している。
「調査捕鯨と商業捕鯨ではコスト構造が異なる。調査は対象海域であらかじめルートを決め、クジラの多寡にかかわらず操業する。捕獲するクジラは無作為抽出したもの。商業捕鯨は高密度海域に船を出し大きなクジラを捕ることができる」
−鯨肉の国内の消費量は激減している。
■ 消費に地域性
「日本中の人に鯨肉を食べる機会を提供しようとスーパーに置いてもらう努力をしてきた。ただ、鯨肉の消費は地域性が高い。鯨食の盛んな地域でまとまった量を流通させるべきだ」
−石巻市鮎川など捕鯨のまちの展望をどう描くか。
「鯨食文化が根付く地域には鯨肉を扱う技術がある。多様な部位のおいしい鯨肉が食べられる町があれば、国内外から客が集まる可能性は十分ある」
「現状維持ではないので不安があるのは当然だが(捕鯨関係者には)その中にチャンスを見て挑戦してほしい。右肩下がりの水産業の起爆剤になってほしい」
[もりした・じょうじ]1957年大阪府生まれ。京都大卒業後、82年に水産庁入庁。漁業交渉官などを経て2013年にIWC日本政府代表。16年4月から東京海洋大教授。
商業捕鯨再開 厳しい環境下での船出
日本の商業捕鯨が1日、約30年ぶりに再開される。保護重視を強める国際捕鯨委員会(IWC)の姿勢に業を煮やして6月末で脱退し、かじを切った。
調査捕鯨から切り替わることで、流通、小売りなどにも影響が生じるのは必至だ。視界良好とは言えない中で業界はどう対応するのか。国民にとってはクジラとの関わりを問う機会となろう。
鯨肉は高値ということもあって消費が低迷している。このため、商業捕鯨による供給増で価格低下に期待する販売業者の声もある。
しかし、十分な鯨肉を確保できる保証はない。調査捕鯨を終えたことで、南極海からの供給はなくなる。商業捕鯨の操業水域は、領海と排他的経済水域(EEZ)に限られる。
それだけではない。消費が少ない背景には、若い人をはじめ鯨肉になじみのない人が増えていることがある。供給が増えたとしても、見通しは不透明だ。
かつては本県の山田町や釜石市にも一大基地があるなど盛んだった日本の捕鯨。鯨肉は戦後の食糧難を支えた栄養源となった。
商業捕鯨が行われていた戦後のピークだった1960年代、消費量は年20万トンを超える時期もあった。給食などで味わった人も多いだろう。
しかし、近年は数千トンまで激減。日常の食卓に上ることが少なくなった。
約30年間の空白は大きかった。反捕鯨国の勢力が強まる中でIWCが商業捕鯨の一時停止を採択したのは1982年。本県最後の基地も幕を閉じ、日本は88年に撤退した。
国内の拠点は新たな船出に期待の一方、不安もある。調査捕鯨で投入されていた国の補助金が今後どうなるか見通せないからだ。経営体質強化が望まれる。また、流通や販売の消費までの体制構築や販路拡大、消費者へのアピールも求められる。
政府が最も留意しなければならないのは国際社会との関係だろう。
主要な国際機関からの日本の脱退には、世界から厳しい目が向けられている。失ったものは少なくない。今後、捕鯨問題に限らず、水産分野を含めた国際交渉に影響を及ぼしかねない。
クジラを巡っては、国際的な団体が先鋭化した行動で日本に矛先を向け続けてきた。保護を前面に出す反捕鯨国の姿勢もかたくなだ。
これに対し日本は捕鯨や鯨肉食の伝統を強調してきた。その意義を世界に発信し、理解を促す努力を続けなければなるまい。クジラという貴重な資源の適切な管理とその説明責任を怠ってはならないのはもちろんだ。
商業捕鯨31年ぶり再開 釧路、下関から捕鯨船出航
日本の商業捕鯨が1日、31年ぶりに再開した。同日午前中に北海道・釧路港、山口県・下関港から捕鯨船が出航した。水産庁は1日、12月末までの捕獲枠を計227頭に設定したと発表した。捕鯨船は日本の領海や排他的経済水域(EEZ)で、捕獲枠内で操業する。
釧路港では午前9時半ごろ、沿岸操業を行う小型捕鯨船5隻が出航した。ミンククジラなどの日帰り操業を行う。沿岸操業の拠点は青森県八戸市や和歌山県太地町など複数あり、各地の沿岸で操業する。下関港からは午前10時ごろ、共同船舶(東京)が運航する「日新丸」を母船とする3隻の船団が出航した。数カ月間にわたってEEZ内の沖合でミンククジラやニタリクジラ、イワシクジラを捕獲する。
国際捕鯨委員会(IWC)は1982年、資源の枯渇が懸念されるとして商業捕鯨の一時停止を採択した。これを受け、日本は88年に商業捕鯨から撤退。北西太平洋と南極海でクジラの生態などを調べる調査捕鯨に切り替え、年間600頭程度を捕獲してきた。日本は昨年9月のIWC総会で、生息数回復などを理由に商業捕鯨の一部再開を提案。否決されたため、6月30日にIWCを脱退し、商業捕鯨再開に踏み切った。
だが前途は多難だ。鯨肉の国内消費量は最盛期だった60年代の80分の1程度の水準に落ち込んでおり、若い世代の鯨肉離れも進む。今後、消費が順調に回復するかは見通せない。
国際社会からの逆風が強まる懸念もある。欧米など反捕鯨国や反捕鯨団体は資源保護や動物愛護の観点から、日本の捕鯨を批判している。政府は資源量に悪影響を及ぼさない範囲で操業することを説明し、理解を得たい考えだ。【神崎修一】
商業捕鯨再開 船が釧路を出港
IWC=国際捕鯨委員会から日本が脱退したことに伴い、31年ぶりとなる商業捕鯨が1日、再開され、沿岸で操業する小型の船5隻が北海道釧路市から出港しました。
31年ぶりとなる商業捕鯨のうち、沿岸での操業には、これまで小型の船による調査捕鯨を行ってきた、和歌山県太地町や北海道網走市などの事業者があたることにしています。
再開初日の1日、拠点となる釧路港では午前9時から出港式が行われ、日本小型捕鯨協会の貝良文会長が、「31年ぶりの商業捕鯨再開は心が震えるほどうれしく感無量です。太地町では400年前から捕鯨を続けていて、この先も未来永ごうクジラと共に生きていきたいと思います」とあいさつしました。
続いて水産庁の長谷成人長官が、「わが国は古来からクジラを大切に利用する文化や生活を育んできた。これからも科学的根拠に基づき、水産資源を持続的に利用するという考え方を粘り強く発信したい」と述べました。
このあと、操業にあたる5隻は見送りを受けながら港を出て、釧路市沿岸の太平洋に向かいました。
早ければ、1日午後にも、最初のクジラが水揚げされる見通しです。
釧路市沿岸での商業捕鯨は、1週間程度行われることになっています。
【商業捕鯨再開で町おこし】
明治から昭和にかけて全国屈指の捕鯨基地だった石巻市の鮎川地区は、商業捕鯨の再開を町おこしにつなげようとしています。
ここでは石巻市が、東日本大震災のあと一度閉鎖された、クジラをテーマにした観光施設の整備を進めています。
施設の面積はおよそ3200平方メートルで、クジラ肉の直売店や飲食店が入るほか、クジラの体のつくりがわかる実物大の標本や捕鯨の道具などを展示する「おしかホエールランド」が整備される予定です。
再来月には飲食店などが先行してオープンする予定で、商業捕鯨の再開をきっかけに、かつてのクジラの町としてのにぎわいを取り戻したいとしています。
鮎川まちづくり協会の齋藤富嗣代表は「この場所で商業捕鯨再開の盛り上がりを後押しするとともに、クジラの食と文化をしっかりと伝えられる場所にしていきたい」と話していました。
【新たなクジラ料理メニュー開発】
石巻市の鮎川地区では、新たなクジラ料理のメニューを開発し、観光客を呼び込もうとしています。
この地区の観光ホテルでは、クジラ肉を使った料理を提供する飲食店を新たにオープンする計画で、先月、関係者が集まって、料理の試食会を行いました。
試食会では、クジラ肉を使ったステーキやクジラの皮の肉を使った混ぜごはんが提供されました。
参加した人たちからは、「食べた人たちにSNSに投稿してもらえるよう大きな肉を使った方がいい」とか、「ごはんに酢飯を使えばさっぱりした味わいになり、夏の人気メニューになるのではないか」といった意見が出ていました。
ホテルニューさか井の遠藤秀喜社長は、「東日本大震災のあと、鮎川地区は人口が減少しているので、おいしいクジラ肉を食べられる町として地域一帯で盛り上げていきたい」と話していました。
また、クジラ肉を供給する外房捕鯨鮎川事務所の大壁孝之所長は、「調査捕鯨では胃の内容物を調べる過程があるため、どうしてもクジラ肉の新鮮さが失われていた面があった。商業捕鯨ではよりフレッシュな肉を提供できると思うので、クジラ肉で鮎川を復興させたい」と話していました。
「待っていた」「売れるか不安」商業捕鯨にクジラのまちは 宮城・石巻市
日本は7月1日、31年ぶりに商業捕鯨を再開し、宮城県石巻市などの捕鯨船が北海道を拠点に漁を開始しました。商業捕鯨の再開にかつて捕鯨基地として栄えた石巻市の鮎川地区では、期待と懸念の声があがっています。
北海道の釧路港では1日朝、沿岸での商業捕鯨に参加する石巻市などの捕鯨船5隻の関係者が出席し出航式が行われました。商業捕鯨の再開は、日本がIWC=国際捕鯨委員会を脱退したことに伴うもので31年ぶりです。水産庁は、クジラ資源に影響しないよう2019年の捕獲枠を227頭と決めましたが、事業者の採算が合うかどうかについても課題となっています。商業捕鯨再開について、かつて捕鯨基地として栄えた石巻市鮎川地区では「待ちに待っていた。半島の人たちはみんな待っていたと思う」「食べる人がだんだん少なくなっているからみんな売れるかどうか」などといった声がありました。
一方、鮎川地区に事業所がある捕鯨会社は、商業捕鯨再開に大きな期待を寄せています。鮎川で生まれ育ち、クジラを獲りたいと捕鯨会社に入った大壁孝之所長です。大壁孝之所長は「気持ちはかなり高ぶっていて嬉しい。今回は商業捕鯨なので、大きい脂乗りの良いクジラを獲って、自分たちで解体して販売できるという6次化と鮎川の街おこしのために起爆剤として生のフレッシュなクジラ肉を使いたい」と話していました。
釧路では1日、早速ミンククジラが水揚げされました。捕鯨会社などによりますと、水揚げされたクジラの肉は、早ければ今週中にも仙台市中央卸売市場に入荷するということです。商業捕鯨は釧路沖で1週間ほど行われます。
「クジラを殺すな」 日本IWC脱退 英国で抗議デモ
【ロンドン河相宏史】日本が国際捕鯨委員会(IWC)を脱退して1日に商業捕鯨を再開することに、IWC本部がある英国で反発が広がっている。6月29日にはロンドンで抗議デモが行われたほか、英メディアも商業捕鯨再開を批判的に伝えた。
デモは環境団体のメンバーら約50人が参加。「日本は恥を知れ」などと書かれたプラカードを掲げて「クジラを救え」「クジラを殺すな」と声を上げ、ロンドン中心部から日本大使館までの約2キロを行進した。
呼びかけ人の動物保護団体幹部ドミニク・ダイヤーさん(48)は「日本は技術革新で世界をリードしているのに、商業捕鯨再開で国際的な評価を落とすのではないか」。ロンドン近郊の高校生ジェイムズ・ミラーさん(17)は「他に食べ物があるのに、なぜ日本人は知能レベルの高いクジラを食べるの」と疑問を投げかけた。
29日の英紙タイムズは「日本は世界的な批判を無視して捕鯨船を海に送り出す」「恥ずべき瞬間」と国際面と論説面で伝えた。BBC放送は「鯨肉の需要は日本でも減っている」と指摘し、商業捕鯨の持続性に懐疑的な見方を示した。
■生態系に深刻な打撃 英プリマス大のサイモン・イングラム准教授(海洋保全学)の話
国際捕鯨委員会(IWC)はクジラを管理する唯一の世界的組織で、日本が抜けるのは残念だ。クジラは寿命が数十年と長いが子供をたくさん産まないため、一度減れば数を戻すのは難しく生態系に深刻なダメージを与える。
多くの国は絶滅が危惧される生物や環境の保護にシフトしており、日本の商業捕鯨再開に良いイメージを持っていない。英国民はクジラを象のように知的な動物と考えており、保護に向けて強い姿勢を取っている。このため食べることに対して不快な思いを抱く。
私の大学でも学生たちが日本の捕鯨について討論し、捕鯨は国によっては文化になっているという意見がある一方、倫理的な問題があるという声が出た。日本は自分たちの行動が世界からどう見られているか考える必要がある。
日本が商業捕鯨を再開 IWCから脱退、規制受けず
日本政府は1日、国際的な批判をはねつけ、1986年以来となる商業捕鯨を再開した。北海道・釧路港でこの日朝、捕鯨船5隻が出港した。
日本は、クジラ漁の国際的な取り決めをつくる国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を昨年決め、この日をもって正式に脱退した。そのため、IWCの規制を守る必要がなくなった。
IWC加盟国は、捕鯨を実質的に禁止することで合意している。これに対し日本は、持続可能な方法でクジラを捕ることはできると長年、主張してきた。
「文化が継承される」
この朝釧路港を出港した5隻を含め、国内の捕鯨船全体で、今年末までに計227頭のクジラを捕ることができる。
日本の水産庁が設定した捕獲頭数の上限は、ミンククジラ52頭、ニタリクジラ150頭、イワシクジラ25頭。
同庁の関係者はBBCに、クジラ漁は「日本の領海と排他的経済水域(EEZ)で行われる予定だ」と話していた。これまでの調査目的での捕鯨では大西洋でクジラを捕っていたが、今後はそれは実施しないもよう。
同庁の長谷成人長官はこの日、釧路港で開かれた小型捕鯨船の出港式に出席。「商業捕鯨の再開は、国内各地の捕鯨漁業者にとって念願だった」とあいさつした。
そして、捕鯨の再開によって、「文化と生活様式が次世代に引き継がれるだろう」と述べた。
日本小型捕鯨協会の貝良文会長は、「私の心は幸せにあふれていて、とても感動している」、「私の故郷ではクジラ漁は400年以上続いてきた」と、喜びを表現した。
この日出港したクジラ漁師の1人はAFP通信の取材に、「少し緊張しているが、クジラ漁を再会できてうれしい」、「若い人はもうクジラをどう料理して食べるのか知らないだろう。もっと多くの人に少なくとも1回は試しに味わってほしい」と話した。
「国際社会からずれている」
国際自然保護連合(IUCN)の絶滅危惧種レッドリストによると、ミンククジラとニタリクジラは危機的状況にない。イワシクジラは絶滅が危ぶまれているが、個体数は増えているとされる。
グリーンピースやシー・シェパードなどの動物保護団体は、日本の捕鯨再開への反対を表明している。しかし、具体的な反対行動は予定していないと話す。
グリーンピース・ジャパンのサム・アネスリー事務局長は昨年、政府が捕鯨再開の計画を発表した際に、日本は「国際社会からずれている」との声明を出している。
鯨肉が広がったのは戦後
日本は他の捕鯨国と同様、クジラを捕って食べるのは固有の文化の一部だと訴えている。
日本の沿岸部には、何世紀にもわたってクジラ漁を続けてきた地方もある。しかし、鯨肉が広く消費されるようになったのは第2次世界大戦後の食糧難がきっかけだった。
捕鯨は日本において小規模な産業で、現在約300人が携わっている。
残酷? 偽善的?
持続可能性の問題に加えて、捕鯨に反対する人々が主張するのが、もりを使った漁は残酷だという点だ。もりを使うと、クジラは長時間、苦痛にさらされた末に死ぬとしている。
ただ最近の捕鯨は、クジラを一瞬で殺す手法を目指している。捕鯨の支持者らは、食肉の工業的な生産現場の状況と比べながら、ほぼ全世界的な反捕鯨の感情はあまりに偽善的だと主張する。
一時的ではなく永続的に禁止
クジラは19世紀から20世紀初めの乱獲により、絶滅の危機に直面した。IWCの全加盟国は1986年、クジラの個体数の回復を目的に、一定期間の捕鯨禁止で合意した。
日本やノルウェー、アイスランドなどの捕鯨国は、持続可能な捕獲頭数の割り当てについて加盟国が合意するまでの一時的な禁漁と受け止めていた。ところが、捕鯨禁止はほとんど永久的な措置になってしまった。
日本は1987年以降、IWCの科学調査を目的とした例外措置のもとで、年間200〜1200頭のクジラを殺してきた。
調査目的のクジラが販売される
しかし、調査名目で殺されたクジラの肉はたいてい販売されることから、日本は商業目的を隠すため調査と偽ってクジラを捕っているとの批判が出ている。
日本は昨年、持続可能な割り当ての範囲での捕鯨を認めてもらおうと、IWCへの説得を試みたが失敗。今年7月をもってIWCから脱退した。
ただ、日本がいくら捕鯨に固執しようと、この対立を招いている問題は徐々に自然消滅していく可能性が高い。
日本での鯨肉の需要は、長期的な下降傾向にある。捕鯨産業は、補助金なしではやっていけない。将来、商業捕鯨は単純な算数によって終わりを迎えるかもしれない。
(英語記事 Japanese whalers set sail for commercial hunting / Japan whaling: Commercial hunts to resume despite outcry)
板門店での米朝会談 派手な演出よりも内実だ
ひょうたんから駒のような形で実現したこの会談を、外交成果と呼ぶには慎重であるべきだろう。
韓国を訪問したトランプ米大統領が、南北軍事境界線のある板門店で北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と会談した。
外交の常識からはかけ離れた展開だった。トランプ氏は主要20カ国・地域(G20)首脳会議のために大阪に滞在中、自らのツイッターを通じて金氏に「握手してあいさつするだけでも」と面会を呼びかけた。その投稿を見て「驚いた」という金氏が応じて急きょ会談が実現した。
しかも、両者は多くのメディアに囲まれて軍事境界線上でにこやかに握手を交わし、トランプ氏はそのまま現職の米大統領として初めて北朝鮮側に足を踏み入れるという派手な演出もなされた。
今年2月のハノイ会談が決裂し、先行きの不透明感が増していた米朝関係である。それが一転して急ごしらえのトップ会談となった背景には、双方の国内事情がある。
トランプ氏は、再会した金氏を前に「歴史的な出来事だ」と自画自賛し、オバマ前政権当時の米朝関係がいかにひどかったかを強調した。来年の大統領選に向け、朝鮮半島の緊張緩和を自らの外交成果として誇示しようとしているのは明らかだ。
同じく核問題を抱えたイランに対しては一方的に核合意から離脱し、中東情勢を緊迫化させる側に回っている。その姿勢に一貫性はない。
金氏にとっては不調に終わったハノイ会談後の行き詰まりを立て直し、自らの求心力を高めるのに面会の誘いは好都合だったに違いない。
米朝首脳の再三の接触は朝鮮半島の緊張緩和に寄与するだろう。しかし、外交は個人の交友ではない。北朝鮮の非核化という課題の解決に結びつけてこそ意味がある。
米国は、北朝鮮への制裁緩和には全面的な非核化が必要と主張している。北朝鮮は、段階的な非核化措置による制裁の緩和を求めている。両政府の立場の隔たりは大きく、非核化の定義についてすら合意を見ていないのが実情だ。
トランプ氏は米朝間で近く実務者協議を始めると語った。失敗した過去の教訓を踏まえ、実質的な話し合いを積み重ねる必要がある。
米朝首脳会談 非核化後回しにできぬ
トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が北朝鮮と韓国の軍事境界線がある板門店(パンムンジョム)で会談した。
さらにトランプ氏は現職の米大統領として初めて北朝鮮側に足を踏み入れた。
トランプ氏がツイッターで金氏に再会を呼びかけ、当初は握手だけともみられていたのに1時間近くも会談を行う―。予想を次々と覆す展開である。
だが問題は会談の中身だ。
トランプ氏によると、ポンペオ米国務長官らを中心にしたチームをつくり、米朝間で実務協議を再開することで合意したという。そこに目新しさはない。
米朝間には非核化の考え方、手順を巡って大きな隔たりがある。これを埋められなければ、協議の進展は望めないだろう。
実務協議がかけ声だけで終わらぬよう、米朝とも非核化に向けて真剣な取り組みが求められる。
米朝首脳による会談は昨年6月のシンガポール、今年2月のハノイに続き3度目。前回会談が決裂して以来、非核化を巡る協議は停滞したままだ。
米朝関係はトランプ氏と金氏の個人的なつながりに支えられ、実務者レベルでの積み上げが足りないと指摘されてきた。
新チームがその役割を担えるのであれば歓迎すべきことである。
しかし米側が全ての核施設の一括廃棄を目指すのに対し、北朝鮮は段階的な非核化措置に応じて制裁を緩和するよう求めている。
この隔たりをどう埋めるのか、トランプ氏は言及していない。
しかもポンペオ氏は北朝鮮側から「意思疎通が円滑にできる人物を」と交代を要求されていた。
米側には、極端なトップダウンの北朝鮮で実務協議の担当者がどこまで権限を与えられているのか疑問視する声もある。
1950年に始まった朝鮮戦争で米国は韓国とともに北朝鮮と戦い、3年後に休戦協定を結んだ。
終戦には至らず、軍事境界線をはさむ非武装地帯では、いまも双方の兵士がにらみ合う。
トランプ氏が北朝鮮側に越境したことは「終戦」を訴え、北朝鮮が求める体制保証に応えるメッセージとの見方もある。
再選を目指す来年の米大統領選に向け、外交成果にする狙いもあるのだろう。
同じ民族の血を流した戦争は早期に終わらせなければならない。ただ北朝鮮の非核化を後回しにしたままの終戦はありえない。
トランプ・金正恩会談で大恥! 安倍首相は会談開催も知らなかった…「蚊帳の外」は韓国でなく日本
これぞ安倍外交の真髄と言っていいだろう。大阪で開かれたG20のことじゃない。トランプ大統領と北朝鮮・金正恩委員長の電撃会談のことだ。ふだんあれだけ、「トランプ大統領と完全に一致している」とその絆の強さを語り、日朝首脳会談については「私自身が金正恩委員長と向き合う」などと大見得を切っていたのに、安倍首相はトランプの北朝鮮外交で完全に“蚊帳の外”に置かれてしまったのだ。
しかも、トランプ大統領が今回、北朝鮮外交で強力なタッグを組んだのは、安倍首相が関係修復を拒否し、安倍応援団メディアが「トランプから嫌われ、国際社会で孤立」などと攻撃している韓国の文在寅大統領だった。
大阪でのG20後、トランプ大統領と文大統領は韓国・ソウルで会談後、ヘリコプターでパンムンジョム(板門店)へ向かい、トランプ大統領は軍事境界線で金委員長と電撃再会。しかも、境界線を超え現職のアメリカ大統領として初めて北朝鮮側に足を踏み入れた。さらに、金委員長とともに韓国側に戻り、文大統領と3人で、韓国側施設「自由の家」へ移動し、シンガポールハノイに続き、3回目の米朝首脳会談が行われ、その後文大統領も加わり米中韓3カ国会談まで行われた。
非核化・朝鮮半島和平に向けどれほど進展に繋がるかはもちろん未知数だが、米朝の交渉チームの協議再開が決まるなど、ハノイでの米朝会談決裂以降の停滞していた北朝鮮情勢に一定の動きがあったことは間違いなく、少なくとも当面北朝鮮を孤立化させ暴発に追い込まないためには、大きな意味があっただろう。
しかし、問題は日本政府と安倍首相だ。会談になんのコミットもできなかったばかりか、会談をやること自体を知らされていなかったのである。
トランプ大統領が板門店を訪れ北朝鮮問題に動きがあるという噂は数日前から流れており、29日にはトランプがツイッターで〈日本を離れ文在寅大統領とともに韓国に向かう。その間に、もし金正恩委員長がこのツイートを見たら、軍事境界線・DMZ(非武装地帯)で会って、握手して、ハロー(?)って言うよ〉と投稿していた。そかし、それでも日本の官邸や外務省はとりあわず、取材にも「ありえない」と言い続けていた。
外務省が会談を知ったのは、ニュースがとびこんできた後だったという情報もある。実際、第一報直後、NHKの取材に対し外務省幹部が「事前にアメリカ側から連絡はなく、情報の確認に追われている。アメリカ大使館や国務省にも問い合わせているが、詳細は不明」と答えている。
いや、それどころじゃない。会談が終わった17時すぎの段階でも、外務省幹部は「まだ映像を見ただけで詳しい情報は入ってきていないが、まさにトランプ外交という感じだ」という新人記者のような感想を述べるだけだった。さらに、19時の段階で、NHKニュースが報じた外務省幹部のコメントは「アメリカから今回の会談についてまだ報告は受けていない」「まずは電話会談で把握したい」などというものだった。
河野太郎外相も、“何も知らない間抜け”ぶりをさらした。会談に向け事態が進行している30日午前、河野外相が何をやっていたかというと、ツイッターにG20の会議風景を撮った“思い出写真”を次々アップして、「タローを探せ。」なるお遊びツイートに興じることだった。
会談の数時間後に、ようやく記者団の取材に応じたものの、拉致問題が扱われたのかなど会談内容について問われると、「会談内容についていま日本側から申し上げることは差し控えたい」とコメントするのみ。「差し控えたい」って、何も知らされてないから、語ることができなかっただけだと思うが……。
文在寅大統領との会談を拒否し、対北朝鮮外交へのコミットの機会をふいに
しかしもっとも間抜けだったのはやはり安倍首相だ。G20サミットでは、韓国の文在寅大統領が日韓首脳会談に意欲を見せたのに、安倍首相は徴用工裁判問題を理由に拒否。議長国としてはありえないネトウヨ的行動に出たわけだが、文大統領は前述したように、今回、トランプ大統領と板門店に同行し、金委員長と会い、電撃米朝会談のキーマンになった。ようするに安倍首相はネトウヨ脳で対北朝鮮外交へのコミットのチャンスをふいにしてしまったのだ。
いずれにしても、安倍首相と日本政府は、事前も、会談が終わってからも、何にも知らされていなかったということは間違いない。
しかし、だとしたら、いったい安倍首相のこれまでのあの勇ましい言動はなんだったのか。
たとえば安倍首相は5月19日の「全拉致被害者の即時一括帰国を実現せよ!国民大集会」でこう宣言していた。
「私自身が金正恩委員長と直接向き合わなければならないと、こう決意をいたしております。条件を付けずに金正恩委員長と会って、そして率直にまた虚心坦懐に話をしたいと考えています。」
「拉致問題は安倍内閣で解決する」
また、5月28日の日米首脳会談後の共同記者会見でも、こう胸を張っていた。
「最新の情勢を踏まえ、方針の綿密なすり合わせをした。日米の立場は完全に一致している。拉致問題の一日も早い解決に向け、次は私自身が条件をつけずに金正恩朝鮮労働党委員長と会い、率直に虚心坦懐に話をしたい。トランプ大統領からも「全面的に支持する」「あらゆる支援を惜しまない」との力強い支持をいただいた」
それが、たったひとり蚊帳の外状態。ようするに、これまでの安倍首相の発言はすべてインチキ、中身のない“やってる感演出”にすぎなかったというわけである。
「日米連携で北朝鮮外交」「韓国は蚊帳の外」と報じてきた安倍応援団メディアも大恥
インチキがばれたのは、安倍サマのやることはなんでも正しいと叫ぶ安倍応援団メディアも同じだ。何しろ、連中はこの間、日米が連携して対北朝鮮交渉を行い、韓国がいかに蚊帳の外に置かれているかを喧伝してきたのだ。
たとえば、5月、安倍首相が北朝鮮との交渉について「前提条件なし」と方針転換を表明した際、御用記者のNHK岩田明子記者はこのように解説していた。
「今回の発言は、根本的な方針を変えたのではなく、『今後は北朝鮮外交で日本が一歩踏み込む』という姿勢を示したということではないでしょうか。この対北朝鮮外交の姿勢については、実は安倍総理大臣は、2月の米朝首脳会談後のトランプ大統領との電話会談や、先月(4月)にワシントンで行った日米首脳会談で、『今まで以上に日本が積極的な役割を果たしたい』と伝えていました」
また、「夕刊フジ」は4月の米韓首脳会談の際、「『実質2分』見限られた文大統領 米は裏切り許さず…『いい加減にしろ』文氏を恫喝」と言うタイトルの記事を出し、〈文氏がどのような誘い水をかけようと、トランプ氏には3回目の米朝首脳会談を行うメリットはない。〉〈米国が、韓国を見放しつつあるのは明らかである。〉などと断定ていた。
さらに、フジテレビ系のFNNはつい3日前、28日に「韓国の外交孤立浮き彫りに」と題し、最近の韓国はアメリカとも北朝鮮ともギクシャクしていると分析、北朝鮮外務省のアメリカ担当局長「韓国との水面下のやり取りは「一つもない」と完全否定」という談話を紹介、「韓国の努力を「お節介」と切って捨て、仲介を頼むことは「絶対に無い」と突き放した」などと報じていた。
他にも安倍応援団メディアは、「安倍首相とトランプ大統領の協力を得て、いよいよ拉致が動く」「日米の強固な絆で、韓国の存在はどんどん薄くなっている」などと書き立ててきた。その結果がこの有様なのである。
どんどんバレる安倍首相の外交失敗、トランプにもプーチンにも
もっとも、安倍首相は、この期に及んでなお、必死でインチキをふりまいて対面を取り繕っている。
本日30日夜、参院選に向け行われた「ニコ生」での党首討論でも拉致問題解決に向け日朝会談は実現するのかという国民からの質問に、安倍首相はこう答えた。
「今日も米朝首脳会談がございました。トランプ大統領からも私の考え方を金正恩に伝えていただき、また習近平主席もこの問題においてたいへんな協力をしていただいております。被害者のご家族もだんだんお年を召され、時間が残ってないという気持ちで、私もあらゆるチャンスを逃さない決意で、この問題全面解決に向けて全力を尽くしていきたいと思っております。最後は金正恩委員長と向き合って解決しなければいけない、そう思っております」
ただ、伝言をお願いしたのを手柄話のように語ったうえ、なんと厚顔にも「あらゆるチャンスを逃さない決意」と述べたのだ。G20での日韓首脳会談を韓国側からの呼びかけを無視して見送り、せっかくのこの大チャンスを逃したばかりでよくそんなことが言えたものではないか。
安倍応援団メディアもこの安倍首相の失態をごまかそうと必死だ。NHKは30日夜の『ニュース7』で、国際部の記者が「トランプ大統領が幻想を振りまいているだけで、核合意は進まない」と日朝首脳会談の意義を否定。
産経新聞にいたっては今回の米朝首脳会談を受けてなお、〈文在寅政権の対北融和政策は行き詰まり、北朝鮮側からも「仲介役」であることを否定された。国際社会で相手にされない韓国では“韓国孤立論”という言葉さえ普通に飛び交っていた。〉と文大統領ディスを展開した後、会談についても〈歴史的な場面を見せる効果はあるものの「成果」は別のものだ。これまで米朝と南北は「平和のための握手」(文氏)とその光景の発信を繰り返してきたが、目立った成果はない。〉とこきおろすなど、涙ぐましいまでの、“無理やり”記事を掲載している。
もっとも、こうした手法はそろそろ限界にきているかもしれない
あれだけトランプ大統領に言いなりになって、国益をすべて差し出してきたのに、対北朝鮮外交で外されただけでなく、「日米安保条約を見直せ」と要求され、数カ月前には参院選までに北方領土2島返還に道筋をつけると息巻いていたが、昨日の日露首脳会談では全く進展なし、ロシアにもお金をむしりとられただけだったことが明らかになった。
安倍応援団メディアの協力を得て、“外交の安倍”をアピールし安倍首相だったが、それがインチキであることがどんどんばれてきているのだ。参院選向けアピールのためにG20の日程を前倒しまでした安倍首相だったが、このG20が“終わりの始まり”になるかもしれない。
米朝首脳が会談 今度こそ実体伴う交渉を
なかなかの見せ場があるサプライズショーだった。しかし、それだけで終わっては困る。
米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が30日、北朝鮮と韓国の軍事境界線のある板門店で対面した。
トランプ大統領は金委員長の勧めに応じ、韓国側から北朝鮮側へと入った。朝鮮戦争以来、米国の現職大統領が北側に足を踏み入れたのは初めてだ。
両首脳はその後、韓国側に入り、そこで3度目となる会談を行った。会談の詳細は不明だが、両国がそれぞれ非核化に向けた交渉チームをつくり、包括的な合意を目指して数週間内に起動させることを確認した。またトランプ大統領は金委員長にワシントン訪問を要請した。
この会談は訪韓予定のあったトランプ大統領が、短文投稿サイトのツイッターで金委員長に呼び掛けたのがきっかけで急きょ実現したとされる。事実であれば、これまでの外交常識からは考えられない展開である。
良いか悪いかで言えば、良いサプライズであることは間違いない。今年2月にハノイで開いた2度目のトランプ−金会談が物別れに終わって以降、非核化を巡る米朝の溝は埋まらず、事務レベルの交渉は膠着(こうちゃく)状態だった。5月には北朝鮮が短距離弾道ミサイルを発射するなど、挑発の再開も懸念されていた。
トランプ大統領にとって今回の会談は、こうした手詰まり状態をサプライズで塗り隠す狙いがあるだろう。ただ、とにかく首脳の対話を続けていけば、状況の退行は避けられる。米朝首脳が板門店で握手したことで、緊張緩和の前向きなムードが内外に広がることも事実だ。
現在、イランとの間で軍事的緊張を高めている米国としては、「二正面作戦」に陥るのを避けるために、北朝鮮との対話を維持しておく必要もあった。
ただし、今後の展開は全く楽観できない。経済制裁の解除時期を巡り、非核化にめどが立つまでは制裁を緩めない方針の米国と、段階的な制裁解除を求める北朝鮮の立場はすれ違ったままだ。金委員長が今回の会談呼び掛けに飛びついたのも、トップ会談で制裁解除を引き出そうとしたからだとみられる。
制裁に関する思惑のずれが解消しない限り、実務チームをつくったからといって交渉が即座に進むとは思えない。今回の会談で両首脳のどちらかが譲歩したのか、気になるところだ。
トランプ大統領は会談後、「スピードが目的ではない。包括的な合意を目指す」と語った。最良の合意に至るには「急がない」のも一手だろう。ショーはもう十分である。非核化に向けた実体のある交渉が必要だ。
米朝板門店会談 非核化進展につながるか
現職の米大統領が史上初めて北朝鮮に足を踏み入れた。これが政治的なパフォーマンスに終わらず膠着(こうちゃく)する非核化交渉を打開する契機となるかどうか。
トランプ米大統領が30日、北朝鮮と韓国の軍事境界線がある板門店を訪れ、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と会談した。
トランプ氏は境界線上で金氏と向き合い、招きに応じて越境すると笑顔で握手を交わした。
韓国側施設で行われた会談で金氏は「長く敵対的関係だった二つの国がこのように平和の握手をすること自体、昨日と違う今日(の関係)を表すものだ」と述べた。
朝鮮戦争以来の敵対関係にある両国の首脳が軍事境界線で握手したことは、融和の演出という意味で効果的かもしれない。しかし、非核化の実質的進展につながるかは不透明だ。
2月にハノイで行われた2回目となる米朝会談で、北朝鮮側は寧辺(ニョンビョン)の核施設放棄と引き換えに広範な経済制裁解除を要求したが、米側は完全非核化を求めて応じず会談は決裂した。
トランプ氏は板門店会談後、数週間内に米朝実務協議を再開すると述べた。だが、これまでの経緯を踏まえれば、先行きを楽観するわけにはいくまい。
板門店での会談はトランプ氏が29日にツイッターで呼び掛けた。透けて見えるのは、再選を目指す来年の大統領選をにらみトランプ氏が、自らの外交成果を誇示しようとの狙いだ。
貿易摩擦で激しく対立する中国が、朝鮮半島問題を巡る国際外交の場で主導権を握ろうとする動きを見せていることも無関係ではないだろう。
中国の習近平国家主席は6月に電撃的に北朝鮮を訪れて金氏と会談した。非核化に向けた北朝鮮の努力を評価し、米朝協議の継続を国際社会が期待しているとして対話を促した。
今回の会談には、北朝鮮としても行き詰まった交渉を打開し制裁緩和への足がかりを得たい思惑があるのは間違いない。
ハノイでの会談が物別れとなりメンツをつぶされた形となっていた金氏にとって、自国民に対しての大きなアピール材料ともなろう。会談の意義は否定しないが、色濃くにじむのは指導者側の都合である。
気になるのは、トランプ氏が対北朝鮮制裁について「維持する」としたものの、今後の交渉の進展次第では見直す可能性があるとの考えを示したことだ。
米朝会談前に開かれた米韓首脳会談に関し、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は、非核化と米朝関係正常化などを「同時、並行的に」進めることが重要との考えでトランプ氏と一致したと表明した。
北朝鮮の術中にはまり、北朝鮮が主張する段階的な制裁緩和につながらないか懸念される。
一方で、非核化協議の進展は日本人拉致問題の解決に結びつく可能性がある。板門店会談では拉致への言及があったのか。
日本政府は日朝首脳会談を実現し、被害者の一刻も早い帰国に結びつけるためにも、しっかり情報収集してもらいたい。
米朝首脳対面/象徴性に見合う進展を
トランプ米大統領が板門店(パンムンジョム)で北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と対面、歴代米大統領として初めて北朝鮮領に足を踏み入れた。さらに韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領を交え3首脳が並んで談笑もした。
対決から平和へ向かおうとする朝鮮半島の現状を象徴する場面であり、朝鮮戦争の休戦協定から66年目に実現した板門店での米朝首脳会談という歴史的な意義は評価されてしかるべきだろう。
だが、肝心の非核化交渉は行き詰まったままだ。板門店で米朝首脳が対面、会談したという象徴性に見合う進展が非核化交渉に求められる。非核化で具体的な措置が打ち出されなければ、「政治ショー」と揶揄(やゆ)されもした過去2回の米朝首脳会談と同様、遠からず期待は消え去り、失望に変わってしまう。
2年前の同じ日、大統領就任直後の文大統領はワシントンでトランプ大統領と首脳会談を行い、北朝鮮の核・ミサイル開発を抑止するため同盟関係強化で合意した。そしてその4日後、米国独立記念日に北朝鮮は日本海に向け弾道ミサイルを発射した。当時の緊迫した状況を握手と笑顔に反転させた流れを首脳外交は確かに生み出した。
しかし首脳外交で突破口が開いたように見えても、容易に失速してしまうという危険性を常に抱えているのが、米朝関係であり、南北関係だ。
米朝両首脳は今回の会談で、実務協議を2、3週間後に再開することで合意した。この協議で非核化の具体的措置について議論しなければならない。それが、次回の米朝首脳会談をトップダウンのアドリブで展開される「政治ショー」ではない意義ある会談にするための基盤となる。
トランプ氏には、来年秋の大統領選に向け動き始めた選挙戦を意識している側面もあろう。金委員長との首脳会談や親書交換などを通じ、北朝鮮が核実験や大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射を自制する状態を「外交成果」とする思惑だ。板門店で終始、「歴史的な瞬間だ」と繰り返したトランプ氏の発言が、その思惑をうかがわせる。
一方の北朝鮮も、2月にハノイで行われた米朝首脳会談が不調に終わったダメージを回復する機会として、板門店でのトランプ氏との対面を利用しているとみられる。短時間だったが、トランプ氏が軍事境界線を越え北朝鮮領に足を踏み入れたことは、米国が譲歩したとの印象を国民に与えることができるためだ。
だが、米朝とも政治的な思惑を先行させたままでは、朝鮮半島の非核化や新しい米朝関係樹立、朝鮮半島の平和体制構築を核心とする第1回米朝首脳会談の共同声明は「お題目」にとどまってしまう。共同声明の言葉を行動へ移す覚悟が米朝双方に求められる。
韓国にも新たな役割が求められる。これまで、米朝を仲介するレベルで自画自賛する傾向が強かったが、米朝首脳は互いに相手への信頼感を強調しつつ、会談も3回実現した。難航している非核化交渉を進展させるための政策調整、非核化の定義に対する米朝の認識差などを解消する外交努力が必要となる。
朝鮮半島の平和体制構築には日本や中国、ロシアなど関係国との連携も欠かせない。主役は米朝首脳のように見えるが、韓国も当事者なのだ。
【米朝再々会談】具体的な成果上げねば
歴史的な意義に見合うよう、行き詰まった非核化交渉をどう進展させ、具体的な成果を上げるのか。これからが肝心だ。
休戦状態にある朝鮮戦争(1950〜53年)以来、現職の米大統領として初めて、トランプ氏が南北軍事境界線がある板門店(パンムンジョム)で北朝鮮側に足を踏み入れた。金正恩(キムジョンウン)・朝鮮労働党委員長と3回目の会談をし、トランプ氏は非核化の米朝実務協議を近く再開すると明らかにした。
板門店の軍事境界線を両氏が互いに行き来して握手を交わす―。朝鮮戦争から70年近く経過する中、歴史的な出来事に違いない。
だが、いつまでにどんな交渉を進めるのか。ほとんど明らかになっていない。これまで2回の会談を見ると、交渉が前進するか心配する。
トランプ氏と金氏は昨年6月、シンガポールで初の首脳会談を行った。「新たな米朝関係樹立」「朝鮮半島の平和体制構築」「朝鮮半島の完全非核化」などを共同声明に盛り込んだものの、それらを具体化する交渉は難航した。
両氏は今年2月、ベトナムで再会談。寧辺(ニョンビョン)の核施設廃棄と引き換えに北朝鮮側は経済制裁の解除を求めたが、米側は非核化措置が十分でないとして決裂した。北朝鮮はその後、短距離弾道ミサイルを日本海に発射するなど緊張が高まっていた。
大阪での20カ国・地域首脳会議(G20サミット)直後の電撃的ともいえる今回の会談は、トランプ氏のツイッターでの呼び掛けがきっかけだ。状況を打破したかったのだろうが、来年の大統領選前に外交成果を狙ったとみる向きもある。トランプ氏らしいといえばそれまでだ。パフォーマンスを先行したとすれば問題解決の「本気度」を疑う。
気になるのは、短距離弾道ミサイル発射を問題視しない考えをトランプ氏が改めて示したことだ。日本は国連安全保障理事会の決議違反だとして発射を批判している。米本土を直接脅かさないとの理由で問題視しないとすれば、北朝鮮に誤ったメッセージを再度送ることになる。
トランプ氏は会談後、対北朝鮮制裁を「維持する」とした一方で、交渉次第では制裁を見直す可能性も示した。金氏の側にも交渉再開を制裁緩和のきっかけにしたい思惑があるとの指摘がある。
どんな交渉になるか分からない。ただ、国際社会が結束して北朝鮮に求めた要求を勝手に緩めるようなことがあってはならない。
板門店には韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領も同行した。南北対話を優先し、米朝間の「仲介役」を自任してきたが、交渉決裂後は南北関係は冷え込んでいた。仲介役としての存在感も薄れていただけに協議を前進さすよう後押しを求めたい。
日本もむろん積極的にかかわりたい。安倍首相は前提条件を付けずに日朝首脳会談を求める方針を示したが、対話は実現していない。「蚊帳の外」に置かれては、日本人拉致問題の解決など見通せない。
米朝の歴史的瞬間にカヤの外 安倍外交の“惨めな孤立”<上>
この会談を専門家はどう見るか 朝鮮半島の非核化は動きだすのか
30日行われたトランプ大統領と金正恩委員長との3回目のトップ会談は、なにもかも異例ずくめだった。
現職のアメリカ大統領が北朝鮮に足を踏み入れたのが初めてなら、米・韓・北のトップ3人が肩を並べて談笑するのも、南北分断後初めてのこと。そもそも、この会談自体、トランプのツイッターによって実現したのだから前代未聞である。
韓国側から北朝鮮に入ったトランプは「軍事境界線を越え、この場にいるのは大変光栄だ」と語り、金正恩は「トランプ大統領が境界線を越えたのは、良くない過去を清算し、良い未来を開拓しようという勇断だ」と称賛してみせた。
この会談が、2人にとってウィンウィンだったのは間違いない。
「会談終了後、金正恩は満面の笑みを浮かべていました。あの表情がすべてを物語っています。トランプとの1対1の会談時間も過去2回より長かった。ポイントは、2〜3週間以内に実務協議をスタートすることで合意したことです。これまで北朝鮮は、協議再開の期限を年内と区切り『時間的余裕はない』とアメリカを揺さぶっていた。米朝協議が動きだせば、経済制裁も緩和されると計算しているのでしょう。一方、大統領選を控えるトランプは、北朝鮮問題が進展していると外交成果を訴えられる。2人が会ったのは、利害が一致したからでしょう」(朝鮮半島問題に詳しいジャーナリスト・太刀川正樹氏)
ただし、北朝鮮の非核化は、そう簡単には動かないとみられている。トランプ本人も「スピードが目的ではない」と、会談後、明言している。
元韓国国防省北朝鮮情報分析官の高永抻瓠並鸞膽臟じΦ羂)はこう言う。
「脱北した元高官は、北朝鮮外交の3本柱は、ヽ砲亙棄しない核を保有していればアメリカも軍事攻撃できないC羚颪亘鳴鮮を見捨てることはできない――だと話しています。実際、北朝鮮にとって核は、体制を維持する虎の子です。最後まで放棄することはないでしょう。リビアが大量破壊兵器計画を放棄した後、欧米から空爆されたことも知っているはずです。
そもそも、北朝鮮の非核化は簡単じゃない。相当な時間がかかる。なにしろ、核兵器を10個以上も保有し、核の関連施設は300〜400に及ぶとみられている。アメリカのハッカー博士は、完全な非核化には15年かかると予測しています」
仮に非核化に動くとしても、北朝鮮の主張通り、時間をかけ、相応の見返りを与える「段階的核廃絶」になるのではないか。
会談実現に驚く安倍官邸の情報収集能力
大阪G20サミットに参加していたトランプが「金委員長に会って握手、言葉を交わす用意がある」とツイートしてからおよそ1日半。3回目の米朝会談の実現に最も目をパチクリさせたのは安倍首相ではないか。
そうでなければ、橋渡しをした韓国の文在寅大統領に対する安倍の冷遇はあり得ない。外務省幹部は日本テレビの取材に「米朝面会の準備はまったく進んでいないと思う。あまり気にしなくていい」と前日まで甘い見通しを口にしていたというから、安倍官邸の情報収集能力が知れるというものだ。
元外務省国際情報局長の孫崎享氏は言う。
「米朝会談実現に向けたシグナルはそこかしこに表れていた。そもそも、トランプ大統領が訪韓中にDMZ(非武装地帯)を視察する可能性は取り沙汰されていましたし、G20では文在寅大統領に対して非常に友好的なジェスチャーを繰り返していました」
今月に入り、北朝鮮情勢は目まぐるしく動いていた。トランプと金正恩は「美しい手紙」のやりとりで“信頼関係”を確認。北朝鮮の後見人である中国の習近平国家主席が平壌を訪れ、文在寅は国内外の通信社による書面インタビューで「朝鮮半島平和プロセスはすでにかなり進展した。米朝交渉の再開を通じて次の段階に進むだろう」との見通しを示していた。
政治ジャーナリストの角谷浩一氏はこう言う。
「G20で注視された米中首脳会談でトランプ大統領が制裁関税の第4弾を先送りしたのは、より見栄えのする米朝会談の見通しが立ったからではないのか。官邸を仕切る経産省も、外務省も情勢を見誤ったとしか言いようがありません」
きのう開かれた党首討論会に出席した安倍は「最後は、私が金正恩朝鮮労働党委員長と向き合って解決しなければならないと決意している」と、いつものセリフを言うのが精いっぱい。トランプとの「緊密な連携」が聞いて呆れる。
改めて見せつけられた「外交の安倍」という虚像
参院選対策で慣例を破ってG7前に押し込んだG20で各国首脳と肩を並べ、安倍が得意満面の主役気取りだったのも束の間。米朝会談という歴史的瞬間はカヤの外だったのだから赤っ恥だ。
これでいよいよ鮮明になったのが、「拉致の安倍」「外交の安倍」の惨めな正体である。
北朝鮮を巡る6カ国協議の当事国のうち、いまだに金正恩と会えていないのは安倍ひとり。5月になって慌てて「日朝首脳会談の無条件実施」に方針を百八十度転換したものの、北朝鮮からは「われわれへの敵視政策は何も変わっていない。安倍一味はずうずうしい」と蹴散らされ、相手にもされない。にもかかわらず、きのうも「トランプ大統領から私の考え方を金正恩氏に伝えてもらい、習近平国家主席も問題解決に大変協力してくれている」と強弁する厚かましさである。
「安倍首相はトランプ大統領とトモダチだとか、ゴルフ仲間だとか誇っていますが、外交に生かせていないことが浮き彫りになった。北朝鮮の友好国である中ロは頻繁に首脳会談を開いていますし、習近平主席もプーチン大統領も米朝会談の実現を把握していて、知らぬは安倍首相だけだったのではないか。地球儀俯瞰外交は、文字通り俯瞰するだけなのがハッキリしました」(角谷浩一氏=前出)
中国包囲網にしろ、北方領土返還にしろ、安倍外交が上げた成果はひとつもない。トランプと金正恩の再会も指をくわえて眺めるだけ。脅威を煽り、吠えるだけで実は何もしてこなかった愚かな感情的外交の総括が絶対に必要である。
米朝の歴史的瞬間にカヤの外 安倍外交の“惨めな孤立”<中>
会談をお膳立てした韓国文大統領に会おうともしなかった非礼の愚かさ
日韓合意に基づく慰安婦財団の解散、元徴用工賠償、レーダー照射問題などを抱える日韓関係は「戦後最悪」といわれる。それにしても、G20に参加した文在寅に対する安倍の非礼は目に余るほどだった。よもやの米朝会談のお膳立てに、安倍はじだんだを踏んでいるのではないか。
安倍は韓国から要望された首脳会談はおろか、立ち話も拒否。初日の写真撮影で儀礼的な挨拶を交わしただけだった。G20メンバーではイタリアのコンテ首相、カナダのトルドー首相、トルコのエルドアン大統領とも安倍は会談しなかったが、コンテとトルドーとはGWの外遊中にG20成功を根回し。2日まで滞在するエルドアンには天皇会見もセットする厚遇ぶりである。
「安倍首相の文在寅大統領に対する意図的な疎外はひどすぎる。立ち話すら応じなかったのは、あまりにも非礼です。韓国を冷遇すれば、タカ派的な支持層から歓迎されるとの計算も働いているのでしょうが、あるべき外交から踏み外している。北朝鮮と米国の対話のきっかけを最初につくったのは文在寅大統領です。拉致問題やミサイル脅威に直面する日本は関係国との緊密な連携、情報共有が欠かせない。しかし、ここまで文在寅大統領を突き放した以上、電話会談を申し入れて北朝鮮情報を探るのは難しいでしょう」(孫崎享氏=前出)
文在寅は国内外通信社の書面インタビューで「いつでも対話のドアは開かれている。G20の機会を利用するかどうかは日本にかかっている」と秋波を送り、青瓦台も「我々は常に会談の準備ができている」とギリギリまでメッセージを発し続けていた。
拉致問題解決に向けて「あらゆるチャンスを逃さない」という安倍の決まり文句の薄っぺらさが浮き彫りである。
少なくともイージス・アショアは凍結、見直しが当たり前
「今すぐにでもホワイトハウスに招いてもいい」――。“ラブコール”を送ったトランプに、金正恩も笑顔を浮かべていた。
もはや、北朝鮮が大陸間弾道ミサイルをぶっ放す状況ではない。
こうなると、安倍政権が「北のミサイルへの対処」を理由に導入を決定した「イージス・アショア」も、もう不要のはずである。
そもそも、イージス・アショアは日本防衛のために導入するものではない。北のミサイル発射基地から、配備予定地の秋田市と山口・萩市の延長線上には、それぞれハワイとグアムの米軍関連施設がある。配備計画は、両施設を守るため、という見方がもっぱらだ。
米政界とつながりが強いシンクタンク「戦略国際問題研究所」が今年5月、公表した論文で〈秋田・萩に配備されるイージス・アショアのレーダーは、米本土を脅かすミサイルをはるか前方で追跡できる能力を持っている〉と“白状”しているのだ。
加えて、無理やり秋田市に配備するために、防衛省がズサンな調査をしていたことも次々と発覚している。こんな“無用の長物”に6000億円もの血税がつぎ込まれる恐れがあるのだから、最低でも見直し、凍結が当然だろう。
「導入を決定した当時と現在の状況は大きく変わっています。なぜ必要なのか、説明責任を果たさないまま計画を進めるのは、一度米国と交わした約束を変更することができないからでしょう。安倍政権の対米追従姿勢を如実に表しています。計画を強行することは許されません」(ジャーナリストの布施祐仁氏)
醜悪なまでの“アメリカ・ファースト”だ。
「ツイッタ―で会談呼びかけ」の真偽
それにしても、ツイッターの呼びかけで、3回目の米朝首脳会談が実現したことには、世界中が腰を抜かしている。
<もし金委員長がこのツイッターを見ていたら、南北軍事境界線の非武装地帯で握手をして挨拶(?)をするだろう>
G20で大阪滞在中の29日朝8時前、トランプがこうつぶやくと、世界のメディアが一斉に速報。当日午前のG20の会場で、トランプは文在寅に「私のツイッター見ましたか」「一緒に努力しましょう」と声を掛け、親指を立てるポーズを見せた。
会談は本当にトランプの“思いつき”だったのだろうか?
トランプと面会した金正恩は、会談冒頭で「ツイートを見て本当に驚きましたし、本当に会いたいということを、29日の午後に初めて聞きました」と話している。
これが事実だとすれば、会談の正式な打診が北朝鮮側に伝わったのは、ツイートの後ということになる。
一方で、トランプがG20閉幕後に訪韓し、文在寅とともに非武装地帯に行くことは事前に決まっていた。万が一として、一定の事前準備がなされていた可能性もある。
「過去にもトランプ政権ではツイッターから物事が始まるケースがありました。つぶやきで側近を動かすのです。2016年の大統領選挙時から、トランプは専属のSNS担当を置いていて、現在は政権内のデジタル上級顧問として重用しています。世論への訴え方も計算されている」(国際ジャーナリスト・堀田佳男氏)
大統領再選戦略の“博打”が大成功したということではある。
米朝の歴史的瞬間にカヤの外 安倍外交の“惨めな孤立”<下>
幹部粛清説まで流れた中、何を信じればいいのか、北朝鮮と金正恩の窮状と本音
韓国メディアに「粛清された」と報じられた幹部が、ひょっこり公の場に姿を見せるなど、なかなか外部から実態が見えない北朝鮮。アメリカの経済制裁によって人民は飢餓に苦しんでいるという報道も流れているが、実際はどうなのか。
北朝鮮の食糧事情が悪化している――。国連世界食糧計画と国連食糧農業機関は、今年3〜4月にかけて現地調査を行い、「過去10年で最悪の食糧事情」と発表している。人口の4割にあたる1000万人が食糧不足に見舞われているという内容だ。
ただ、平壌市内の百貨店にはモノが並び、市民が利用する食堂も普通に営業している、という現地情報もある。
さらに、国際貿易センターによると、今年1〜3月、北朝鮮が中国から輸入した「食糧」は、「たばこ」や「フルーツ」より少なかったという。しかも、小麦の輸入は40%も減っているのに、たばこやフルーツなど嗜好品の輸入は年々増えている。もし、飢餓に苦しんでいるなら、食糧の輸入を最優先するはずである。
「平壌はショールームなので、北朝鮮経済をそのまま映しているとは言えないでしょう。地方の生活は苦しいと思います。ただ、1990年代の後半、相当数の餓死者を出し、北朝鮮が自ら“苦難の行軍”と呼んだ時のような悲惨な状況ではないようです。恐らく、金正恩が訪中するたびに中国が5万トン、10万トンと食糧を支援しているのでしょう。韓国も5万トンの食糧支援を決めています。そもそも、北朝鮮は戦時に備えて2年間分の食糧を備蓄しているともいわれています」(太刀川正樹氏=前出)
ウォールストリート・ジャーナル紙は、「北朝鮮は制裁緩和を引き出すため、住民の苦痛が浮き彫りになるのを望んでいるということもあり得る」と、元米国務省職員のコメントを紹介している。
「しばらく経済制裁には耐えられる」が、金正恩の本音かもしれない。
外交で再選戦略のトランプが日本に切る次の一手
大統領再選のために、外交で成果を上げようと戦略を練っているトランプ。この先、日本にも次々に要求を突きつけてくるのは間違いない。
トランプが頻繁に口にしはじめているのが「日米安保」問題だ。
「日米安保条約は不平等だ。この6カ月間、安倍首相にもそれを伝えてきた。彼には、現状を変える必要があるとも言った」
わざわざ、29日の記者会見でそう発言したトランプは、来日前、ツイッターでも「なぜ我々が他国のために無報酬で航路を守っているのか。自国の船舶を自国で守るべきだ」と、日本のタンカーは日本が守れと訴えている。
やはり、安保問題で要求を突きつけてくるのか。国際ジャーナリストの春名幹男氏が言う。
「在日米軍の駐留経費をもっと負担しろ、日本のタンカーを米軍に守らせるならカネを出せ、といった要求を口にしてくる可能性はあると思います。日米蜜月をセールスポイントにしている安倍首相にとって、日米同盟の一体化を疑わせるような要求は一番困ることだと分かっているでしょう。でも、日米安保問題はあくまでディールの手段であって、目的は貿易だと思います。トランプ大統領が考えていることは、とにかく大統領に再選されることです。そのためには支持者が喜ぶ成果を上げる必要がある。日米安保問題は、支持者に対して強いアピールにならない。それよりも、やはり自動車と農業でしょう。どちらもトランプ大統領の支持基盤です。恐らく、秋以降、日本への要求が強まるはずです」
もともと、安倍は、参院選が終わったら「日米貿易交渉」で大きく譲歩すると裏約束をかわしている。「日米安保」まで持ち出されたら、どこまで国益を売り渡すのかわかったものではない。
LGBT行進、過去最大に NY恒例、15万人
【ニューヨーク共同】米ニューヨーク中心部マンハッタンで6月30日、毎年恒例の性的少数者(LGBT)のパレードが行われ、会場は連帯を示す虹色の旗や横断幕であふれた。今年はニューヨークでLGBTと警察による激しい衝突が起きて50年の節目に当たり、主催団体によると、過去最大規模の15万人が参加した。
1969年に衝突が起き、LGBTの権利擁護運動が広がるきっかけとなったバー「ストーンウォール・イン」付近や、目抜き通りの5番街がパレード会場。ニューヨーク州のクオモ知事や民主党のシューマー上院院内総務ら政治家や、企業、団体のグループが沿道に手を振りながら行進した。
低迷の日露領土交渉 首相の誤算、厳しく総括を
北方領土返還で重大な方針転換を行い、譲歩を重ねたものの、何も生み出すことができなかった。
安倍晋三首相が来日したロシアのプーチン大統領と会談した。昨年11月のシンガポール会談を踏まえ、日本政府は今回の会談で日露平和条約の大筋合意を目指していた。
しかし、結果はロシア側が求める経済協力の推進などに限られ、平和条約の核心である北方四島の帰属問題は先送りされた。
シンガポールでの日露首脳会談で首相は1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉を始めると表明した。
宣言には歯舞群島と色丹島の引き渡しは明記されているが、国後島と択捉島の扱いは不明だ。「2島返還」がより現実的と考えたのだろう。
交渉では「わが国固有の領土」「ロシアによる不法占拠」といった従来の主張を封印した。ロシアの軟化を促す狙いだったとみられる。
こうした譲歩にもかかわらずシナリオ通り運ばなかったのはなぜか。
ロシアは、北方領土を「合法的」に占有しており、ロシアの主権下にあると日本が認めることが平和条約締結の絶対条件と主張した。
プーチン氏の人気が経済低迷でかげり、北方領土返還への反対デモも起きた。強硬姿勢を取らざるを得なくなったのだろう。
米露関係の悪化も交渉を困難にした。日本に領土を引き渡した後、米軍が展開することへの懸念にプーチン氏は繰り返し言及した。
米国が中距離核戦力(INF)全廃条約から離脱すると対米警戒を一段と強め、来日前には北方領土返還の「計画はない」と明言した。
こうしたリスクを日本政府はどこまで見越していたのだろうか。
領土問題では、2島返還の交渉に入れず、ロシアが「合法的な領土」と主張を強める結果になった。誤算を厳しく総括する必要がある。
平和条約合意を争点に衆院を解散するのではないか、との観測もあった。政治的な思惑が先行して足元を見られたことはなかったか。
プーチン氏との会談は26回目だ。首相はその「信頼関係」をあてにしたが、限界は明確だ。
歴史認識や安全保障をめぐる認識の隔たりは大きい。包括的な戦略の練り直しが必要だろう。
1日食費300円、週5バイト、大学除籍も…大学生ら6000人中3割が仕送り・小遣いゼロの現実
竹下 郁子
大学進学などの進路を決める際、約6割の学生が「学費」を判断基準にしていることが、学生団体の調査で分かった。 大学進学をあきらめて働いている、学費が払えず除籍になった、バイトと勉強で毎日2時間睡眠、学費値上げの撤回を大学に要求している……。
全国の大学・専門学校から集めた声は実に7449人。
学費が無償になったらしたいことは「1日の食費を300円から増やす」「病院に行きたい」という学生たちの、リアルな日常は——。
大学も就活も「学費」が影響
調査を行ったのは、学費値下げと奨学金制度の改善を目指して活動する学⽣アドボカシー・グループ「⾼等教育無償化プロジェクト」、通称「FREE」だ。
インターネットや知人のつてを通じて行ったというアンケート調査には7449人が回答(6月23日時点)。うち、6226人分を集計した速報値を紹介する(小数点以下切り捨て)。
大学(専門学校)や学部を選択するにあたって学費を判断基準にしたかという質問には、「非常にした」25%、「少しした」33%と、約6割の学生が進路を選ぶ際に学費が影響していることが分かった。
また、アルバイトをしている学生は84%で、33%が仕送りや小遣いがゼロだと回答した。
2.7人に1人の学生が利用している(2017年度・日本学生支援機構調べ)奨学金の影響も大きく、FREEの調査では3割以上が将来の進路を考える上で学費や奨学金の返済による影響があったとしている。
アルバイトで勉強できない
全国の学生たちから寄せられた声を、いくつかの課題に分けて紹介する。
1.大学進学を左右するのは「学費」
「私の妹は絵(イラスト)を学びたいという希望があったけれど、専門学校の学費が高く、母子家庭の収入では支払いが困難だったため、進学を諦めて働くことを決めました。姉である私がまだ大学院で学ばせてもらっているのに、妹に夢を諦めさせてしまったことが本当に苦しくて悲しい」(中央大学大学院・経済学研究科)
「二部に入ったのは学費の問題。学費が安ければ、もっと可能性があった」(東洋大学・社会学部)
2.学費・生活のための「アルバイト」で悪影響も
「学費を払うために深夜の夜勤バイトをせざるを得ず、体調を悪化させながらも働いている。体調が悪化し大学の授業を休まざるを得ないときもあり、学生生活に支障をきたしている」(立教大学大学院・経済学研究科)
「バイトを週5で行っており、体力・睡眠時間ともに削られてしまうため、学習時間がほとんど取れない。授業中も眠い、集中できない。栄養ドリンクの量が増えている」(上智大学・ドイツ語学科)
食費や医療費が捻出できない
3.「奨学金の返還」を理由に職業を選択
「院に行きたいが、研究者として生計を立てられるようになる前に(奨学金の)返済は始まるだろうし、家族にも反対されることは分かっているから言い出しにくい。やはり『安定でそれなりの給料』ということしか進路の決め手にならない」(東京大学・文学部)
「自分が借りている奨学金は、県で10年働けば返済不要になるものだから、それまでちゃんと生きなければ、親に経済的負担を与えてしまうかもしれないので、命を大切にしたい。 正直、将来がもう奨学金返済のために決められていることは、自分の自由が狭まった気がしてとてもプレッシャーであるが、自分の家庭や学力ではこうするしかなかったというコンプレックスに悩まされる」(山形大学・医学部)
識者は富裕層や企業に課税することで財源をまかなえると主張する。
また、「服にお金をかけられないので大学の人に『ダサい』と陰で言われている」(津田塾大学) 「右膝の怪我で『場合によっては手術が必要』と医者に言われているが、生活費を捻出するのに精一杯で詳しい検査も受けられていない」(埼玉コンピュータ&医療事務専門学校)という声も。
「学費が無償になったら?」という質問には、「1日の食費を300円から増やす」(東京工科大学・工学部)「下のきょうだいたちの進学に心配がなくなるのでとても嬉しい。いま身体にも影響がでるほど働いている母の治療費に充てたい。自分も病院に行くかも」(勤医会東葛看護専門学校)という回答があり、食事や医療すら満足に受けられない学生もいるのが現状だ。
奨学金返す自信なく、大学を除籍に
6月23日、同団体は東京・新宿で「伝えたい。私たちの言葉。」と題したイベントを開いた。当日は都内だけでなく地方からも学生が駆けつけ、代わる代わるマイクを握った。
私立大学に通っていたという男性は、3年生の後期分の授業料が払えず、除籍になったという。奨学金は利用していなかったそうだ。
「裕福な家庭でもないのに論外だと言われるかもしれませんが、奨学金を返す自信が無かったんです。高校のとき将来設計を立てる授業があったのですが、奨学金を返還するには高給料の職につくのが大前提。そんなこと将来の自分に保証することできますか? 私にはできません」(男性)
返せなかった場合に家族の負担になるのもこわかった。アルバイトをして学費を稼ぎ、来年、復学する予定だ。
私はたまたま裕福な家に生まれただけ
東京藝術大学2年の北澤華蓮さんは、同大学が授業料を約54万円から約64万円に20%値上げしたことに対して、撤回と説明会の開催を要求。署名活動などを行っている。文部科学省が省令で定める標準額は年間約54万円。国立大がそれを超えて引き上げるのは、東京工業大学に続いて2校目だ。対象は2019年度の学部入学生からで、北澤さんは対象外だという。
「一緒に署名活動する仲間は5〜6人くらいです。同じ学年には『うちら関係なくて良かったよね』という反応の子も多くて。でもそれは違う。私がここで学べているのは、たまたま裕福な家に生まれたから。お金がないからと諦めた知人も何人もいます。芸術は裕福な人だけのものじゃない。大学に考え直して欲しいから、私は声を上げます」(北澤さん)
アメリカ大統領選で民主党候補の1人であるバーニー・サンダース上院議員は、アメリカの学生ローンの債務総額を全額免除する政策を発表している。
FREEには自らは奨学金を利用したりアルバイトをする必要のない、つまり学費がこれまでもこれからも進路に影響しない学生も活動している。声を上げるのは、未来の世代のためだ。
いま、7月の参議院選挙に向けて新たなプロジェクトを進めている。各政党の予定候補者に大学などの高等教育の学費値下げ、授業料免除枠の拡大、奨学金制度の改善についての考えをきくアンケート調査を実施。団体と同じ趣旨の政策を掲げる議員には「FREEマーク」認定をするという。
2018年、アメリカの中間選挙で高校生たちが銃規制を求め、全米各地をバスでまわって有権者に訴えたことなどに着想を得たそうだ。
「自己責任論」を打開し、学費値下げを自らの力で選挙の争点にしようとする若者に対し、日本の政治はどう応えるか。団体の調査に対する各候補者の回答は公表予定だ。
籠池氏、森友問題は「『安倍守り』の対応」宮崎元議員と対談
学校法人「森友学園」(大阪市)元理事長の籠池泰典氏と妻の諄子氏=共に詐欺罪などで公判中=が30日、前橋市内であった集会に登壇し、自身に対して「国策捜査」が行われたと主張した。
籠池氏は、国会で森友問題の追及を続けてきた宮崎岳志元衆院議員と対談。今年3月にあった公判時の意見陳述を読み上げ、「私たち夫婦を300日間勾留したことは口封じだ。権力者への忖度(そんたく)があったのではないか」と捜査機関を批判した。さらに「安倍(晋三)首相と昭恵夫人に問題が起こらないように『安倍守り』の対応だった」と意見を述べた。
森友学園を巡っては、籠池氏が大阪府豊中市の国有地を値引きを受けて取得したことが2017年2月に発覚。大阪地検特捜部は、国と大阪府・市からの補助金を詐取したなどとして、学園の籠池元理事長と妻を逮捕、起訴し、3月に初公判があった。【妹尾直道】
週のはじめに考える 首相が余裕綽々なわけ
松任谷由実さんの作品には世代を超えて愛されている名曲がたくさんあります。『「いちご白書」をもう一度』も、間違いなく、その一つでしょう。
ただ、曲の中で<就職が決(きま)って髪を切ってきた時 もう若くないさと…>という部分には少々疑問が。重箱の隅、で申し訳ないのですが、学生が伸ばし放題の髪を切るとすれば、それは<就職が決って>からではなく、就職活動を始める時ではないのかなと…。
◆同日選でなくても勝てる
閑話休題(それはともかく)−。学生が「さあ就活だ」という時、無精ひげも伸ばした髪も切り、ジーンズとTシャツではなく、スーツにネクタイを締めて、身だしなみを整えるというのは、まあ普通のことでしょう。
今週始まる参院選も、各候補者が職を得ようと奮闘するわけですから、就活の一種と言えなくもない。国政選挙である以上、政党にとっても国民の面接試験でも受けるようなもの。相応にドキドキもし、何とか誠実さを印象づけたいなどと気を配るのが自然です。
しかし、です。自民党を率いる安倍首相には、そういう気配があまり感じられません。むしろ余裕綽々(しゃくしゃく)の風。なぜでしょう。
元々、自民党には過去の経験から「亥(い)年選挙」への恐れがあったはずです。十二年に一度、統一地方選と重なるため、地方組織に選挙疲れが残り、参院選敗北につながる…。さればこそ、首相や周辺は与党有利を見込める衆院選との「同日選」を考え、そうにおわせもした。でも結局は、参院選単独で腹を固めました。政治記者たちの解説によれば、首相はこうふんだのだそうです。
「同日選でなくても勝てる」
改元と十連休、トランプ米大統領への大接待、さらには絶妙なタイミングの大阪G20サミット…。こうした「イベント」が醸す何となく華やいだイメージでもあれば十分だと考えたのでしょうか。
◆何をしようと、今度もまた
しかし、です。政権の内実はと言えば、普通の宰相なら、選挙での手厳しい審判を案じて青くなるような事柄が盛りだくさん。
思い付くまま挙げると、▽首相との関わりが疑われる「モリカケ疑惑」はなお疑惑のまま▽国施策も左右する省庁の統計で不適切な処理が相次ぎ露見も、なお委細不明▽地上イージス配備を巡る防衛省調査でずさんなデータミス発覚▽首相と麻生財務相の地元を結ぶ道路整備で「忖度(そんたく)した」と国交副大臣が発言、辞任▽「老後には年金以外に二千万円必要」とする報告書を「政権の姿勢に合わぬ」と財務相が受け取り拒否…。
これでも首相が自信満々でいられるのだとしたら、選挙に影響するほどの大事とはとらえていないということなのでしょう。
しかし、これもそう思っているのでしょうか。五月の訪日時にトランプ氏が、日本との貿易交渉の成果は「七月の選挙の後になる」とツイートし、「八月に大きな発表ができる」と述べた一件です。
もし、指摘されている通り、厳しい交渉結果が参院選に影響するのを恐れて、首相が選挙後への先送りをトランプ氏に頼み込んだのだとすれば、難敵の交渉相手に大きな「借り」をつくった形。「貸しは利子をつけて返せ」となるのは必定でしょう。選挙での党利のため国益を犠牲にした、とさえ受けとられかねません。
「先送り」と言うなら、五年に一度の年金財政検証の公表も、しかり。将来の支給水準の指針になるものですが、厳しい内容だから選挙前に国民に知らせたくないのでは、と勘ぐられています。従来は遅くとも六月までには公表されていたのですから。
これらは、ただの不始末とは質が違う。国民を甘く見た不誠実な計略とみなされ、怒りを買うかも−。そういう恐れを首相が抱いていないとすれば不可解です。
もし就活にたとえるなら、<無精ヒゲと髪をのばし>たままTシャツにジーンズで面接に臨み「それでも採用される」と嘯(うそぶ)いている学生といったところでしょうか。
ただ、だが、しかし、です。内閣の支持率が依然高いのはまぎれもない事実。党総裁として衆参両院選は五連勝で、首相はいつでも望む政治的果実をほぼ手に入れてきました。何をしようと、有権者は今度もまた…。そんな確信が首相にはあって、それこそが余裕綽々の根っこなのかもしれません。
◆権力をダメにする方法
でも、どうでしょう。かのルソーは『エミール』でこう言っています。<子どもを不幸にする方法は、いつでも何でも手に入れられるようにすることだ>。例えば、この先、親ならぬ政権の支持者が警句の<子ども>を政権に置き換えて考え始めることがない、とは誰にも言い切れません。
そう、首相自身が述べた通り、「風はきまぐれ」ですから。
これが安倍政権6年の外交成果か
★G20の夕食会での首相・安倍晋三のスピーチが大炎上している。大阪城の復元時に「しかし1つだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました」と述べ、来年東京オリンピック(五輪)・パラリンピックの主催国としてのバリアフリー社会をリードすべきところを逆行していると批判されている。それ以外でも、米トランプ大統領が「米国の離脱は全く考えていないが、不公平な合意だ」「変えなければいけないと安倍首相に言った」と仕掛けた日米安保不公平問題も日本政府は避け通したし、日露首脳会談では「日露平和条約締結については協議の継続を確認」にとどまった。★徴用工問題で向き合うべき韓国には嫌がらせ的に首脳会談を見送った。首脳夕食会でも、韓国・文在寅大統領を自分とは別のテーブルを割り当て遠ざけた。一夜明ければトランプと文は南北38度線を前に結集、韓国側で米朝首脳会談が行われ、それを文は見守った。日本は全くの蚊帳の外に置かれた。G20の最後は首相の会見だったが、予定時間より早く切り上げ報道陣から批判を浴びた。これが自慢の外交の集大成か。俯瞰(ふかん)する外交は各国に首脳会談の場を与え、我が国最大の懸案の1つ、拉致問題を抱える北朝鮮問題には関与できず、場所貸し外交になったのではないか。外交は首相や外相が目まぐるしく代わる内閣では思うように出来ないことを念頭に、安倍内閣は長期政権の大きな柱に外交を据えて来たが、これが安倍政権6年の外交成果とすれば、G20開催国誘致に成功しただけだったと言わざるを得ない。★ことに冒頭の「エレベーター」発言はどの官僚が書いたものであろうと首相をはじめ側近らが複数目を通せば必ず立ち止まるべき題材で、官邸自慢のスピーチライターをはじめ取り巻きは誰も気にならなかった事実だけで国際標準とは言い難い。この程度の認識のスタッフが外交を担い、各国首脳らを夕食会でもてなしたのならば、五輪誘致で多用された「おもてなし」も口先だったことが分かる。この失態が来年の五輪に響かなければいいが。
安倍外交 主体性なき米依存では
深まる米中対立、難航する北朝鮮の非核化、日韓の関係悪化…。日本の近隣国の動静から、漠とした不安を感じている人も少なくないのではないだろうか。
「戦後外交の総決算」をうたう安倍晋三首相は、北方領土問題や拉致問題の解決に意欲を示してきた。精力的に国際舞台を踏むも、目立った成果は上げていない。
米国依存を抜け出せない姿勢から浮かび上がるのは、主体性を持った構想の欠如だ。
<越えられぬ障壁に>
安倍外交の限界は、北方領土交渉であらわになった。
1956年の日ソ共同宣言を有効とするロシアのプーチン大統領は昨年9月、首相に「前提条件なしで平和条約を結ぼう」と持ちかけた。宣言には北方四島のうち歯舞と色丹を日本に「引き渡す」とある。首相はこれに乗じた。
外相協議に入るとロシアは、世論の反発もあり、態度を硬化させる。米国とにらみ合うプーチン氏は「宣言当時とは異なる日米の軍事関係が出現した」と発言、日米安全保障体制を問題視した。
首相とプーチン氏の会談は26回を数えるのに、両国は根本的な障壁を越えられずにいる。
日米安全保障条約は朝鮮戦争最中の51年に結ばれ、冷戦が激化する60年に改定された。以来、条文は変わっていない。5条は米国の日本防衛義務を定める。6条は日本国内での米軍基地設置を認め、その利用目的の範囲を「日本と極東」に限っている。
条文と運用の乖離(かいり)が大きくなったのは冷戦後だ。米国は軍事戦略の重点を東西対立から中東やアジアに移し、「同盟体制の変容」を方針に据えた。日米安保の位置付けは「アジア太平洋地域の平和と安定」へと広がる。
21世紀に入ると「日米同盟」の役割は「世界課題への効果的な対処」とさらに拡大する。テロや大量破壊兵器拡散の防止を理由に、基地提供だけでなく、財政負担を含む具体的で積極的な役割が日本に求められるようになる。
政府はこの間、自衛隊の海外派遣に道を開き、日米防衛協力指針関連法、有事関連法を整備した。
<崩れる安保の制約>
安倍政権は、安保の制約を一層形骸化させている。
憲法解釈を変更して集団的自衛権行使を認め、違憲の批判に耳を貸さず安保関連法を成立させた。自衛隊が戦闘に巻き込まれる危険は高まり、米軍との連携領域は宇宙、サイバー空間に進む。専守防衛を逸脱する兵器の大量導入が防衛費を膨らませ続ける。
首相は先日、20カ国・地域(G20)首脳会議で初来日した中国の習近平国家主席と会談し、関係の正常化をアピールした。
中国と米国の通商摩擦には、軍事面の覇権争いが絡む。「日米同盟」の強化が、中国の軍拡や海洋進出への対抗措置であることは隠しようもない。
習政権は経済、軍事技術、宇宙開発をはじめ多分野でプーチン政権と急接近している。北東アジアに残る「冷戦構造」を解かなければ、大国間の綱引きのはざまで日本は立ち往生しかねない。
どうすべきか―。まず日米安保の適用範囲を規定の通り「日本と極東」に戻し、米国の世界戦略と一線を画したい。
トランプ大統領は米国だけが防衛義務を負う安保条約の片務性に不満を示し、「変えなければならない」と述べている。日本国内にも6千億円超の在日米軍関係経費や、不平等な地位協定への強い不満がある。来年で60年になるのを機に抜本的に見直すべきだ。
<多国協調の路線を>
これからを考える上で、細川護熙政権時の防衛問題懇談会が94年にまとめた「樋口レポート」が参考になる。政権交代や米国の介入で黙殺されたものの、北東アジアや東南アジアの国々との「多角的安全保障協力」を提言し、日米安保充実の上に置いた。
外務省が57年に発行した第1号外交青書は、国連中心、自由主義諸国との協調、アジアの一員としての立場の堅持―を外交の三大原則に掲げていた。いまの北東アジアには、2国間の対立や不信を地域で抑える枠組みがない。
首相は国会で、中国の台頭を念頭に「(安保環境は)桁違いのスピードで厳しさと不確実性を増している」と訴えた。だから変質を続ける「日米同盟」の強化が必要との論法では、近隣国との関係改善は見えてこない。自家撞着(どうちゃく)に陥っていると言っていい。
「日米同盟」を解消するのではなく、日本が主体的に描く安保構想の中に位置付け直す。経済面から見ても多国間協調は日本の生命線であり、理想論として片付けるわけにはいかない。
野党も成果のない外交を責め立てるだけでは役割を果たせない。平和を基軸にした多面的外交の処方箋の用意はあるか。選挙で各党の考えを聞きたい。
安倍首相「大阪城エレベーター不要論」で参院選に大打撃
初の議長を務めたG20ではいいところナシだった安倍首相。今、物議を醸しているのが「大阪城エレベーター不要論」だ。
安倍首相は6月28日のG20夕食会の際、各国首脳の前で「焼失した大阪城の天守閣は約90年前に忠実に再建された。しかし、ひとつだけ大きなミスを犯した。エレベーターまでつけてしまった」と発言した。当然だが、世の中には体が不自由な人もいれば、足が悪い高齢者もいる。ネットでは〈悲しい気持ちになる〉〈心から呆れました〉といった批判が飛び交っている。
これに頭を抱えているのが、自民党の愛知県連。県のシンボル、名古屋城天守閣の木造再建計画で、地元自民党と河村たかし市長が、「エレベーターなし」での再建を進めている。安倍首相は、地元自民党を後押ししたつもりだったのかもしれないが、県政自民党関係者は「いやいや……」と首を横に振る。
「現在、総理にそんな発言をしてもらう段階ではありません。市長とは『エレベーターなし』で意見は一致していますが、市の計画はいかにも拙速。我々は、もっとじっくり議論すべきと市長に訴えています。総理の発言は、市長を勢いづかせてしまう。皆、『余計なことを言ってくれた』と思っていますよ。市民の意見が割れていますから、4月の名古屋市議選でも候補者に『エレベーターの件は触れないように』と県連幹部からお達しがあったほどです」
安倍首相の暴言の影響は、愛知のみならず、全国に波及する可能性がある。障害者や高齢者などを含む「共生社会の実現」は、参院選の大きな争点のひとつ。野党系は元パラリンピアンや聴覚障害者を擁立している。共生社会と逆行する安倍発言は、自民の票を減らす大チョンボだ。
「『古色蒼然』に固執する安倍首相は、伝統的な城にエレベーターは似つかわしくないと考えたのでしょう。しかし、時代は大きく変わっています。障害者やお年寄りが不自由なく生活できる社会を実現することが政治家に求められている。それが分かっていないなら、参院選で安倍自民は大打撃を受けるでしょう」(政治評論家・本澤二郎氏)
安倍首相は、党が所属議員に配った「失言防止マニュアル」を熟読した方がいい。
安倍首相 夫婦別姓への見解に批判殺到「もはや支離滅裂」
6月30日に行われたネット党首討論で安倍晋三首相(64)は、選択的夫婦別姓について「経済成長とは関わりがない」と発言。Twitter上では女性を中心に批判の声が相次いでいる。
立憲民主党の枝野幸男代表(55)は「女性の社会参画を妨害している大きな要因は、日本が結婚したら同じ氏を名乗ることを強制されていること」「選択的夫婦別姓は女性の社会参画のために不可欠」と主張。首相の見解を求めた。
すると安倍首相は、選択的夫婦別姓の是非については答えず「いわば夫婦別姓の問題ではなくて、しっかりと経済を成長させ、みんなが活躍できる社会を作っていくことではないか」と述べた。
質問に正面から答えようとしない安倍首相に対し、司会の夏野剛(54)は「今のご返答は『選択的夫婦別姓はいらない』というご返答でよろしいでしょうか」と再度見解を求める。
すると安倍首相は「いわば経済成長とは関わりがないというふうに考えています」と、またも明言を避けた。
Twitter上では、安倍首相の一連の発言に批判が集まっている。
《経済成長の役に立たないのなら女性の権利はどうでもいいと思ってるわけですね》
《選択的夫婦別姓という人権で考えないとならない問題を、「経済成長としての課題ではない」という理由でまとも対応しない人物が推進する男女共同参画社会とは》
《もはや支離滅裂》
また選択的夫婦別姓を求めて国を提訴している、サイボウズ社長の青野慶久氏(48)は《強制的に名前を変えさせる現行制度は、精神的苦痛、変更の手間、旧姓との使い分けコストとリスク、多額のシステム改修、国際的なブランド毀損などを生んでおり、経済的にマイナスばかり》とツイート。夫婦同姓の強制は経済的観点からも不合理であると指摘した。
自民党ホームページに掲載された「総合政策集2019」「令和元年政策パンフレット」には選択的夫婦別姓についての言及は見当たらなかった。ただし6月19日、東京都議会が国に対して選択的夫婦別姓の法制化を求める請願を賛成多数で可決した際には、自民党だけが反対している。
また’17年12月に内閣府が実施した世論調査では、選択的夫婦別姓への賛成が42.5%、反対が29.3%となり、賛成が大きく上回っている。
参加者の9割は女性 「吉原遊廓ツアー」の中身
色街の歴史は室町時代、将軍・足利義満が許可した京都「傾城町(けいせいまち)」に始まるといわれる。江戸時代は幕府公認の「江戸吉原」「京都島原」「大坂新町」が三大遊郭として隆盛を極めた。400年たった今なお色街としての繁栄を続けているのが、吉原である。
吉原の歴史とともに今の姿を知りたいという人には、「吉原遊郭ツアー」がある。案内するのは、吉原に店を構える「カストリ書房」の店主・渡辺豪氏だ。料金は3600円。不定期開催だが昨年6月にスタートして以来、1200人以上が参加したという。本誌記者も申し込んでみた。
6月某日午前10時。東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」から10分ほど歩くと、集合場所の「吉原大門」の標識が見えてきた。集まったのは10人ほどで、ほとんどが20〜30代とおぼしき女性だ。
「参加者の9割以上が女性です。女性のほうが性産業への偏見が少なく、吉原を見たいという純粋な興味があるようです」(以下「」内全て渡辺氏)
吉原大門といっても門が残っているわけではないが、交差点に1本ひっそりと立つ「見返り柳」は往時のままだという。
「吉原で遊んだ帰り、後ろ髪を引かれる思いで遊郭を振り返ったことから、その名がついたそうです」
その先に続く道は緩やかにカーブを描いているが、これも遊郭の入り口から中が見えないようにという、遊びに来る男性への配慮からだという。
しばらく歩いて「吉原公園」を通り抜けると、いよいよ風俗店が立ち並ぶゾーン。派手な看板が立つ洋風の建物が多いなか、お屋敷のような格調高い和風の建物もある。吉原遊郭に祀られていた神様を明治になって合祀したという吉原神社、台東病院を抜け、吉原弁財天があるのが遊郭の反対側の出口だった。こうして歩くこと1時間。吉原案内ツアーは終了した。渡辺氏はこう語る。
「かつての趣を残す建物などはこの先長くは残らないかもしれない。残せないなら、ひとりでも多くの人に吉原を見てもらって記憶に残してほしい」
ハンセン病訴訟 家族も被害者 国は救済策を急げ
ハンセン病患者の違法な隔離政策で差別に苦しんだのは、本人だけではなく家族も同じ―。国が長年、向き合おうとしなかった問題にようやく光が差す画期的な判決だ。
元患者の家族が国に損害賠償を求めた訴訟で、熊本地裁は、「隔離政策で家族も差別され、生涯にわたって回復困難な被害を受けた」として、原告541人に計約3億7600万円を支払うよう命じた。家族の被害回復に向けた取り組みを強く促す内容となっている。国は重く受け止め、早急に幅広い救済策を講じなければならない。
熊本地裁は2001年、元患者本人が起こした訴訟で隔離政策を違憲と認め、国に賠償を命じた。国は控訴せず謝罪し、09年には生活保障や差別解消などを目的としたハンセン病問題基本法が施行された。しかし、家族への差別に対する責任や偏見の解消への取り組みは、法に含まれていなかった。
家族が訴えた差別被害は壮絶だ。ハンセン病の療養所の入所者の子が地元の小学校に通う際には「子どもにうつる」などとして保護者や地域住民から激しい反対運動が起き、分校で授業を受けざるを得なかった。差別から身を守るために、入所した家族を「死んだ」と隠し通した人もおり、肉親間の深刻な分断や心の傷を残した。
今回の判決では、国が違法な隔離を続け、1996年までらい予防法を廃止しなかったことが家族の被害に直接つながったことを明確に認めた。その上で学校生活や就職、結婚などを巡る差別被害を列挙し「憲法が保障する人格権や婚姻の自由を侵害した」とした。原告が受けてきた数々の被害を考えれば当然の判断だ。
国の責任に関しては、遅くとも60年の時点で隔離政策をやめなかったことや、その後も差別・偏見を取り除く措置を取らなかったことを違法と判断した。特筆されるのは、所管する厚生労働相だけでなく、人権啓発を担う法相や教育を実施する文部科学相の責任にも言及したことだ。各省庁は、差別や偏見の解消を掲げておきながら、家族への被害から目をそらし続けたことを真摯(しんし)に反省すべきだ。
控訴するかどうかについて、政府は「関係省庁で精査して対応する」との考えを示す。01年の地裁判決時には、当時の小泉純一郎首相が控訴しない方針を表明し、2日後に謝罪と反省を盛り込んだ首相談話を閣議決定した。今回も国の過失が認められた以上、同様の政治判断が求められよう。
ハンセン病に対する社会の偏見は今も根強い。原告のほとんどが実名を明かしていないことが、その表れといえる。5年前には、小学校で誤った知識を教えられた児童が、ハンセン病を「怖い」などと記した感想文を書いた。教育現場や地域社会で正確な情報を伝える重要性は増している。今回の判決で差別や偏見をなくす機運を高めたい。
九州で断続的に激しい雨 厳重警戒とともに早めの避難を
活発な前線の影響で、九州では断続的に激しい雨が降っています。すでに大雨となっている地域では、土砂災害や川の氾濫、浸水が急に発生するおそれがあり、厳重な警戒を続けるとともに早めの避難を心がけてください。
気象庁によりますと、梅雨前線が停滞し続け、暖かく湿った空気が流れ込んでいるため、九州には雨雲が長時間かかり、鹿児島県や熊本県で断続的に激しい雨が降っています。
鹿児島県では、日置市で24時間の雨量が平年の7月1か月分を超える320ミリに達して観測史上最も多くなるなど、各地で大雨となっています。
これまでの雨で、鹿児島県では土砂災害の危険性が非常に高まり、「土砂災害警戒情報」が発表されている地域があります。
今後も前線は停滞し、活動が活発な状態が続くため、九州では局地的に雷を伴って1時間に50ミリの非常に激しい雨が降るおそれがあります。
九州では同じような場所で雨が降り続く見込みで、すでに大雨となっている地域では土砂災害や川の氾濫、浸水が急に発生するおそれがあります。
2日夕方までの24時間に降る雨の量は、いずれも多いところで九州南部で150ミリ、九州北部で100ミリ、四国で80ミリと予想され、さらに3日夕方までの24時間には九州南部と北部で100ミリから200ミリ、四国で100ミリから150ミリの雨が降ると予想されています。
前線の活動が活発な状態は、今月4日以降も続く見込みで、九州を中心に西日本の各地で激しい雨が降るおそれがあります。
気象庁は、雨量の多い地域を中心に、土砂災害や川の氾濫、低い土地の浸水に厳重に警戒するとともに、落雷や竜巻などの突風に十分注意するよう呼びかけています。
夜間は周囲の状況を確認しづらく避難が難しい場合があります。住んでいる場所の危険性や最新の気象情報などを確認し、早めの避難を心がけてください。
鹿児島市で土砂崩れ 民家巻き込まれる 70代女性救出
停滞する梅雨前線に暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で、九州南部を中心に1日も大雨が続いている。気象庁は東日本では1日、西日本では4日ごろにかけて局地的に雷を伴った非常に激しい雨が降る恐れがあるとして、土砂災害や低い土地の浸水などへの警戒を呼び掛けている。
気象庁によると、2日午前6時までの24時間予想雨量は多いところで、九州南部200ミリ、九州北部、四国、近畿100ミリ、東海80ミリ。
毎日新聞の各県などへの取材では、鹿児島県いちき串木野市で午前8時半現在、2859世帯6051人に避難指示が出ているほか、午前9時までに鹿児島、宮崎、熊本の3県21市町村で計55万8715世帯121万3285人に避難勧告が出た。鹿児島市は一部地区を除くほぼ全域が対象となった。
JR九州によると、九州新幹線は雨量計が規制値に達したため1日の始発から一時、熊本―鹿児島中央駅間で上下線とも運転を見合わせたが、午前8時47分に全線で運転を再開した。在来線は鹿児島本線の川内―鹿児島駅間などで始発から運転を見合わせた。九州道は益城熊本空港インターチェンジ(IC)―八代IC間の上下線が30日から、宮崎道のえびのジャンクション―小林IC間、九州道の同ジャンクション―横川IC間が1日未明から通行止めになっている。
鹿児島市本城町では、崖が崩れて平屋民家に土砂が流れ込み、この家に住む70代女性が巻き込まれた。救出され、意識はあるという。【菅野蘭、中村敦茂】
大崎事件 最高裁に異議申し立て
40年前、大崎町で義理の弟を殺害した罪などで服役し、再審=裁判のやり直しを求めている原口アヤ子さんについて、先週、最高裁判所が再審を認めないという異例の決定を出したことを受け、弁護団は「被告人に不利な内容について疑いが生じた場合には被告人に有利な認定をするという刑事裁判の原則を正しく理解していない」として最高裁判所に異議申立書を提出しました。
原口アヤ子さん(92)は、昭和54年、大崎町で当時42歳の義理の弟を首を絞めて殺害したとして、殺人などの罪で懲役10年の刑が確定し、服役しましたが、一貫して無罪を訴え、再審を求めていました。
3回目の再審請求で、鹿児島地裁と福岡高裁宮崎支部が再審開始を認めましたが、最高裁判所第1小法廷はこれまでの決定を取り消し、再審を認めない、異例の決定をしました。
これを受けて弁護団は1日、最高裁判所に対して、決定が誤っているとする異議申立書を提出しました。
異議申立書によりますと、最高裁判所は本来、憲法違反や判例違反にあたらないかを審理する場であり事実認定を行う場ではない上に、被告人に不利な内容について疑いが生じた場合には被告人に有利な認定をするという、刑事裁判の原則を正しく理解していない決定だとしています。
1日開かれた会見で弁護団の鴨志田祐美事務局長は「最高裁の判断は著しく正義に反し、事実誤認である」と強く批判しました。
香港 抗議の人たちが立法会に突入 条例改正案の「撤回」求め
香港では中国への返還から22年の記念の日に合わせて、1日に各地で抗議活動が行われ、集まった若者たち数百人が議会にあたる立法会の建物に突入し、本会議場でものを壊したり、「行政長官は辞めろ」などと壁に大きくスプレーで書いたりするなど激しい混乱となっています。
香港では、イギリスから中国に返還された記念日に合わせて中国に批判的な民主派の団体が毎年、デモを呼びかけています。
ことしは、容疑者の身柄を中国本土にも引き渡せるようにする条例の改正案に反対するデモが呼びかけられ、早朝から若者たちが道路を塞ぐなど抗議活動が相次ぎました。
午後には大勢の若者たちが議会にあたる立法会の建物を取り囲み、一部がガラスを割るなどして、警官隊とにらみあいとなりました。
さらに日本時間の1日午後7時すぎから集まった人たちが建物の中に突入し、数百人が内部を占拠しました。
このうちの一部は本会議場になだれ込み監視カメラを壊したり、「行政長官は辞めろ」などと壁に大きく黒いスプレーで書いたりしました。
けが人がいるかや、警察に拘束された人がいるのかなど、詳しいことはわかっていません。
また1日は中心部の幹線道路で、民主派の団体が呼びかけたデモが行われ、主催した団体によりますと55万人が参加したということです。
参加した大勢の市民は、香港政府が事実上、廃案になるとの認識を示している改正案の「完全な撤回」や、政府トップの林鄭月娥行政長官の辞任、さらに抗議活動の参加者への強硬な対応によって、多くのけが人が出たことに対する警察の責任追及などを求めました。
デモの参加者も次々と立法会周辺に集まっていて、香港の中心部では、混乱が激しくなっています。
デモの参加者「私たちの声を無視している」
デモに参加した人たちは強い日ざしの照りつける中、「条例の改正案は完全に撤回せよ」などと声を上げながら行進しました。
このうち20歳の大学生は「2度も大きなデモがあったのに政府は私たちの声を無視していて全く信用できない。香港の将来を守るために、最後まで声をあげたい」と話していました。
また35歳の会社員の男性は「香港の制度には問題があり、そもそも私たちの意見を政治に反映できるとはいえない。市民の意見を聴く制度が整っていればこのような混乱は起こらなかったはずだ」と話していました。