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Le Japon commémore les 74 ans du bombardement nucléaire d’Hiroshima
Près de 50 000 personnes ont rendu hommage aux victimes de l’attaque atomique du 6 août 1945.
Par N.Be.
Plus de 50 000 spectateurs, des diplomates ou des représentants de 92 pays… La ville japonaise d'Hiroshima a commémoré ce mardi le bombardement nucléaire qu'elle a subie il y a 74 ans jour pour jour.
Le rassemblement s'est tenu au Parc du Mémorial pour la paix. Une prière silencieuse a eu lieu à 8h15, pile à l'heure où la bombe atomique a été larguée sur la ville japonaise le 6 août 1945.
Les habitants ont aussi allumé des bougies et posé des couronnes de fleurs pour se recueillir, rapporte le journal Asahi Shinbun .
Les noms de 5 068 survivants d'Hiroshima et qui sont décédés au cours des douze derniers mois ont été inscrits sur le monument funéraire, portant le nombre de ces ≪ Hibakusha ≫ à 319 186. Il y a actuellement plus de cent mille survivants toujours vivants , avec une moyenne d'âge de 83 ans.
Le maire de la ville, Kazumi Matsui, en a profité pour appeler le Japon à signer le traité de l'ONU sur l'interdiction de l'arme atomique. Ce texte a été approuvé le 7 juillet 2017 par 122 pays, et plus de la moitié d'entre eux l'ont déjà ratifié. Kazumi Matsui a invité les dirigeants du monde entier à venir dans sa ville afin de voir le Mémorial de leurs propres yeux.
Dans son discours qui a suivi, le Premier ministre Shinzo Abe n'a pas directement réagi à cette demande.
Il a simplement rappelé son souhait de servir de ≪ pont ≫ entre les pays détenteurs de la bombe et ceux qui ne la possèdent pas, afin d'en débarrasser le monde.
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フランス語の勉強?

テテテ2.ゆっくりしたいけれど,表紙+原稿準備をしなくてはなりません.余裕ないです.
しかも夕方梅田でAnさんとお話しです.なんとなくわかっていたけど,Naダメだったとのこと.10月から頑張ってくれるって.

着物地や帯で「新巻きザケ」飾り 宮古市、三陸鉄道津軽石駅
 東日本大震災で被災した宮古市津軽石の三陸鉄道津軽石駅に、着物地や帯を再利用して新巻きザケを模したつるし飾りがお目見えした。サケ漁が盛んな地域の歴史をPRしようと地元住民が手作りした。
 津軽石公民館の活動団体「いきいきサークル」の20人が5月から作り始めて7月末、待合室に42本を飾り付けた。長さ70センチ、幅15センチの実物大で、着物地ならではのあでやかな色合いが駅利用客の目を引く。
 津軽石駅は津波で浸水。リアス線が開業した3月23日は住民約200人が小旗を手に8年ぶりの鉄路復活を祝った。サークルの倉部洋子さん(72)は「あの日の感動は忘れない。サケのまちを盛り上げたかった」と語る。
 本州屈指のサケ漁獲量を誇る地元の津軽石川で漁が本格化する今秋以降、さらに新巻きザケ飾りを増やしていく計画だ。
 飾りを製作した伊藤美恵子さん(70)は「この活動を通じて私たちは元気でいるよと伝えたい。震災後の支援に対する感謝の思いを込めたので、ぜひ見に来てほしい」と呼び掛けた。


復興願い4000発の花火 宮城県名取市で夏まつり
 第34回なとり夏まつり(実行委員会主催)が3日、名取市下増田小グラウンドであった。
 目玉は約4000発の打ち上げ花火。音楽に合わせて発射するミュージック花火やスターマインなどが真夏の夜空を鮮やかに彩り、大勢の来場者が楽しんだ。
 特設ステージでは浴衣コンテストをはじめ、6団体・個人がチアダンスや演歌などを披露。東日本大震災の犠牲者らを悼む供養祭もあった。


復興庁存続を被災3県首長が歓迎、一方で財源確保を不安視
 自民、公明両党が2020年度末に設置期限を迎える復興庁を当面存続させるよう安倍晋三首相に提言した5日、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手、宮城、福島3県の首長は司令塔の継続を歓迎した。一方で、存続期間や財源確保の見通しなどに対して不安ものぞかせた。
 村井嘉浩宮城県知事は5日の定例記者会見で「被災地の声を受け止めてもらった」と評価。「地域コミュニティーの再生など長期の課題が残る。財政面を含め、柔軟な対応ができる体制を望む」と語った。
 インフラ整備や被災者の心のケアが続く見通しになったことに安堵(あんど)の声が上がった。宮城県南三陸町の佐藤仁町長は「ソフト面の復興が進むのでは」と期待を寄せた。
 石巻市の亀山紘市長は「被災地にとって明るいニュース」と歓迎しつつ「復興・創生期間内に終わらない事業も出てくる。予算を継続的に確保できるかどうか心配だ」と話した。
 復興庁が市町村の要望を聞く「窓口」にとどまる現状への不満は根強い。南相馬市の門馬和夫市長は「二重構造に対しての懸念はある」と語った。
 岩手県の達増拓也知事も「事業が各省庁でばらばらに行われれば、これまで進んできた復興が廃れる」と強調。「リーダーシップを発揮し、被災地の自治体が必要としていることを国として把握できる体制を期待したい」とくぎを刺した。
 復興庁存続の主眼は、東京電力福島第1原発事故の影響が残る福島の再生にあるとされる。津波被害に遭った沿岸自治体には、存続の枠組みを不安視する向きもある。
 陸前高田市の戸羽太市長は「復興交付金制度など何がどう残るのか明確でない。財源も新たなものではなく、これまでの枠組みが基本になるのではないか」と懸念。防災集団移転跡地の利活用などの課題を挙げ「政府の動向を注視する。要望すべきところはきちんと要望する」と語った。


慰霊碑設置で石巻市長に協力要望
日本大震災の津波で大きな被害を受けた石巻市の渡波地区の住民グループが亀山市長と面会し、慰霊碑の建設に協力してもらえるよう要望書を提出しました。
石巻市の渡波地区は、東日本大震災の死者と行方不明者が519人となっていて、大きな被害を受けた地区の1つです。
6日は、慰霊碑の建設を計画している渡波地区の住民グループ8人が市役所を訪れ、亀山市長と面会しました。
この中で住民グループは、計画を説明した上で、市が管理している公園の一部に慰霊碑を建設させてもらえるよう要望書を提出しました。
これに対し、亀山市長は「要望に応えさせていただきたい」と前向きな考えを示し、石巻市と住民グループ側で、建設の具体的な場所や時期について協議を進めていくことになりました。
住民グループの安倍清義さんは、「地元を離れた人も多くいますが、慰霊碑を建てることで年に1回でも戻ってきてもらい、亡くなった人を思い出してほしい」と話していました。
住民グループは令和3年の3月までに慰霊碑を完成させたいとしていて、今後、寄付金の呼びかけなどを始めることにしてます。


「仙台七夕花火祭」華やぐ夜空、節目の50回
 仙台七夕まつり(6〜8日)の前夜祭「仙台七夕花火祭」(仙台青年会議所主催)が5日夜、仙台市青葉区の西公園周辺で開かれた。50回目の節目となる今年は天候に恵まれ、約50万人の観衆が1万6000発の花火を楽しんだ。
 テーマは「つなぐ〜夢と希望あふれる仙台(まち)の創造に向けて〜」。50回の歴史を振り返り、次世代へ仙台の魅力を引き継ぐため、過去、現在、未来の3部で構成した。日本伝統のシンプルな和火(わび)から豪華なスターマインまで、多種多彩な花火が夜空を彩った。
 仙台管区気象台によると、七夕まつり期間中は晴れか曇りの見込み。最高気温は平年より高く30度を超える予想で、熱中症に注意が必要だという。


女川港からサンマ不漁よぎる船出
 女川町や石巻市に船籍を置く小型サンマ漁船(10トン以上20トン未満)6隻が5日、女川町の女川港を出発した。4年連続の不漁が予想される中、10日の漁解禁に向け、拠点となる北海道・釧路港に向かう。
 国立研究開発法人水産研究・教育機構の推計によると、今漁期(8〜12月)の来遊量は昨年を下回る見通し。第57久丸(女川町、19トン)船頭の阿部力夫さん(66)は「今年も厳しそうだが、行ってみるしかない」と気を引き締めた。
 同町の女川魚市場は昨年、1万4000トンを水揚げした。加藤実社長は「消費者のサンマ離れが心配だ。(不漁の)予報が外れ、大漁になってほしい」と願った。
 サンマ漁は2015年以降、深刻な不漁が続く。水産庁は今年から公海での通年操業を可能にしたものの、5〜7月の漁獲量は昨年の試験操業の57%に低迷した。加藤社長は「秋のサンマの価格にはあまり影響しないだろう」と話した。
 女川港ではこの日、大漁旗を掲げた漁船が汽笛を鳴らし次々と出港。家族らが手を振って見送った。


デスク日誌 ねぶた祭
 真っ赤なねぶた武者絵を背景に、カラフルな装飾の花がさと、白とピンクの浴衣姿で跳ねる女性がキャンバスいっぱいに描かれている。青森市出身の画家林ひろ美さんの油絵「津軽」(2015年、116×90センチ)。
 「命の赤…生きてる命の爆発っていったらちょっとあまり奇麗な言葉じゃないんだけど、もう命が踊ってるでしょ。一人一人の」(NHK美の壺(つぼ)、2012年7月放送)と林さんは言う。
 約40年、ねぶたを題材にする林さんは滞在したパリの風景も描く。そのせいか女性跳人(はねと)の姿は、フランスの画家エドガー・ドガの代表作「エトワール」(1876年)のバレエの踊り子を連想する。都内か青森での個展で話を伺いたい。
 ねぶた祭の夜間運行はきょう6日が最終日。開幕した2日には本社写真部のIさんが応援に来た。作業の傍ら、若手記者にねぶた撮影のテクニックを教えてくれた。来夏は彼らが「命の赤」をうまく撮るだろう。
 縮刷された「津軽」を額装にして2年前から総局に飾っている。郷土の芸術家の作品を集めたカレンダーから切り抜いた。とても気に入っているので、いずれ自宅に持ち帰るつもりだ。 (青森総局長 長内直己)


河北春秋
 子どもも犬も猫も笑っているように見える。<おとうさんがパチリ。イヌのニイも、ネコのクロも、みんなかぞく>。広島の原爆で全員が犠牲になった鈴木六郎さん一家の写真で構成した児童書『ヒロシマ 消えたかぞく』(ポプラ社)の写真だ▼一家のように原爆で命を落とした多くの家族がいたことを忘れないでほしいと、絵本作家の指田和さんが先月出版した。海で弁当を広げたり、落書きをしたり…。写真の中で子どもの笑顔が広がる。そんな幸せな日常を1発の原爆が一瞬で吹き飛ばした▼74年前のきょう原爆は投下された。爆心地の地表は3000〜4000度の高温に。当時広島にいた35万人のうち爆風、熱線、放射線で14万人が死んだ。今も後遺症に苦しむ人々がいる▼悲劇を繰り返してはいけない。世界は今、そんな被爆地の思いと逆方向に進む。米ロの中距離核戦力(INF)廃棄条約が失効。大国の軍拡競争が激化し、核開発、核実験の報道も相次ぐ▼3年前、広島を訪れ、核廃絶を訴えたオバマ米前大統領の言葉を思い出す。「今日、この都市の子どもは平和の中で生きている。そのことは守る価値があり、全ての子どもに広げる価値がある」。今の指導者たちも被爆地に来れば、誰も核兵器を使おうなんて思わなくなるだろうに。

広島きょう「原爆の日」 困難でも「核廃絶」の道を
 74年前のきょう、広島に原爆が投下された。多くの人命が奪われ、原爆症などの被害が今も続く。一方、被爆者の平均年齢は83歳に迫る。核による災禍の記憶を風化させない努力がますます求められる。
 広島市の原爆資料館本館が今年、28年ぶりに全面改装された。実物資料を中心とした展示に変えた。
 被爆者一人一人の人生に焦点を当てた。死亡時の様子や戦後の苦労を計538点の遺品や写真を使って物語る。被害の実態をより強く訴えるのが狙いだ。
 肉親や本人の言葉、写真、遺品などを1カ所に集めた。見学者の想像力をかき立てる。狙いは効果を上げているようだ。
 13歳の中学生の場合は、被爆時に着ていたシャツと弁当箱が展示され、一緒に「どうしてお母さんより先に死んだの」という母親の手記が紹介されている。これが胸に迫る。
 「あつい、あつい」。母親に背負われていた時、背後から熱線に焼かれ大やけどをし2歳で亡くなった男児の場合は、うめくような言葉と一緒に、笑顔を見せる乳児の頃の写真と被爆時にはいていたパンツが展示されている。
 戦争孤児や原爆小頭症の親子の歩みなどにも触れ、原爆が招く惨状を改めて浮き彫りにする。
 被爆地は国際的な取り組みにも力を注ぐ。今年の平和宣言で広島、長崎の両市は日本政府に対し、核兵器禁止条約への署名・批准を求める文言を初めて入れる。
 思いを受け止めるのは政治の役割である。国際社会はトランプ米大統領の登場以降、協調から対立の流れが止まらない。米露間の中距離核戦力(INF)全廃条約は失効し、軍拡競争の激化が懸念される。
 唯一の被爆国として日本は、困難でも核廃絶の流れを作る努力を続ける必要がある。
 原爆資料館を訪れる外国人が増えている。昨年度は入館者約150万人のうち3割近くを外国人が占めた。感想ノートには「被爆者の苦労を知り、今の自分たちがいかに幸せかが分かった」などと平和を願う言葉があふれる。
 核を使う愚かさは見学した人々に確実に届く。政府はこの輪を広げることに努めるべきだ。


原爆忌に考える 小さな声を大きな力に
 八月の広島には、海風がぴたりとやんで、暑さが一層際立つ時間が訪れます。夕凪(なぎ)です。木陰に逃れて耳を澄ませば、「小さな声」が聞こえてきます。
    ◇
 広島電鉄の路面電車を降りたとたんに、豪雨のようなせみ時雨に見舞われました。
 原爆ドームの横を通って元安川の橋を渡り、慰霊碑の前で両手を合わせると、以前、広島平和記念資料館の音声ガイドで聞いた吉永小百合さん迫真のあの声が、耳によみがえってくるようでした。
 「熱いよ〜、熱いよ〜、おかあちゃん…」
 むろん三五度超の酷暑といえど、爆心地で四〇〇〇度にも達したという原子爆弾の業火とは、比べるべくもないのですが。
◆全世界の人に届けと
 資料館前の芝生広場はすでにテントで覆われて、平和記念式典の式場が整いつつありました。
 「この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう。ここに平和の塔の下、われらはかくの如(ごと)く平和を宣言する」
 一九四七年八月六日。第一回平和祭(平和記念式典)。当時の浜井信三広島市長が高らかに読み上げた、最初の平和宣言です。
 「平和都市ヒロシマ」のいしずえを築いた人といわれる浜井さんは、復興への軌跡を記した「原爆市長」という自著で、その時の心情を語っています。
 <いまここ広島の一角に発する声は小さくとも、どうか、全世界の人びとの耳にとどけと念じながら、この平和宣言を読みあげた>
 浜井さんの「小さな声」は戦後初の国際放送の波に乗り、米国にも届けられました。
 「広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の話に耳を傾け、今、私たちは、強く平和を願います」
 去年の平和記念式典で小学生二人が読み上げた恒例の「平和への誓い」。「私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります」と結ばれました。
 「小さな声」に耳を傾け、未来に向けて平和を誓う子どもたち。「原爆市長」の理想と信念は、脈々と息づいているようです。
 「原爆ドームから全力疾走で五十五秒のところ」に住むという詩人のアーサー・ビナードさんはこの春、新作紙芝居「ちっちゃいこえ」(童心社)を七年がかりで完成させました。
 被爆の実相を生々しく描いて名高い丸木位里、俊夫妻の連作絵画「原爆の図」を大胆に再構成して色彩などに工夫を加え、新しい物語に仕立て直した作品です。
◆「サイボウ」が主人公
 人体を構成するサイボウ(細胞)が、原爆の放射能にむしばまれ、息絶えるまでの物語。主人公はサイボウ、つまり命そのものです。
 もし サイボウの こえが
 ずっと きこえていたら
 ずんずん るんるん
 ずずずんずん るんるんるん
 きみは きっと いきていける んだ
 ビナードさんは、七年かけて考えました。
 「『原爆の図』は、『生命の図』だと思うんです」
 サイボウたちの「ちっちゃいこえ」は、私たち人間の内なる命の声。自らを傷つけ、滅ぼしてしまう原爆の理不尽さ、戦争の愚かさを、その持ち主に日々懸命に伝えようとしています。
 ね、きみの なかの
 ちっちゃい こえは
 きこえてる?
 四五年の今日、広島は快晴でした。三十五万都市の上空六百メートルで核分裂が起きた瞬間に、直下では、あらゆる命が死に絶えました。消滅したというべきか。
 爆心地の被爆体験を語れる命は、はじめから存在しない。それが「爆心の実相」です。
 しかし、例えばあの原爆ドーム。“骨と皮”だけにされてしまった無残な姿を、毎日毎日観光客の自撮りのレンズにさらし、必死で何かを訴えようとしています。
◆被爆の歴史を語る街
 夕凪の街で耳を澄ませば、比治山の背後の入道雲が、せみ時雨が、八月の太陽が、山川草木に宿る命の一つ一つが、石が、瓦礫(がれき)が、コンクリートが、「ちっちゃいこえ」で語りかけてくるはずです。
 世界中のだれもが、二度と過ちを繰り返してはならないと。
 私たちはヒロシマ、そしてナガサキで「ちっちゃいこえ」を拾い集めて、大きな声で伝えなければなりません。この世界から核兵器が消えてなくなる、その日まで。


広島原爆の日/記憶と理念を次代に引き継ぐ
 広島はきょう、原爆投下から74年を迎えた。
 国内では戦争の賛否を軽々しく語る政治家が現れ、「不戦の誓い」が当たり前でなくなる時代を予感させる。世界に目を向ければ、超大国のトップが核戦力強化を公言するなど「核なき世界」は遠ざかるばかりだ。
 身を削るように反戦平和と核廃絶を訴え続けてきた被爆者は高齢化し、いつまでも頼れない。その願いを引き継ぐため、何をどう伝えるのか。記憶と理念を次世代に継承する取り組みが重要性を増している。
     ◇
 本館のリニューアルを今年4月に終えた広島市の原爆資料館を訪ねた。
 1955年の開館以来3度目の大規模改装で、重視したのは遺品や写真などの実物資料を軸に被爆者一人一人の視点で「被爆の実相」を伝えることだ。当事者なき後も、説得力を持ってヒロシマを語り続けるには−。有識者が約8年半にわたり議論した結果という。
「実物」で伝える意味
 象徴的なのは、“見どころ”の一つだった「被爆再現人形」の撤去を巡る議論だろう。皮膚が垂れ下がり、がれきの中をさまよう等身大の姿は「原爆の残酷さが伝わりやすい」などとして市内外から撤去反対の意見が多数寄せられた。一方、当の被爆者からは「あんなもんじゃなかった」との声があった。
 存命の被爆者が目にするおそらく最後の資料館の姿になる。論争の渦中にあった志賀賢治前館長は「当事者に否定される資料を事実のように展示していいのか。それを指摘してくれる人さえいなくなる。そのときに備え、確かな実物で伝える方針は揺らがなかった」と振り返る。
 順路の始まりには、学徒動員の作業中に犠牲になった23人の衣服や持ち物などを一見無造作に置いた。周囲に高熱で溶けた鉄骨や焦土の写真などを配し、そこに居合わせたような感覚を呼び起こす狙いだ。
 被爆直後の記録写真が少ない中、逃げ惑う市民や遺体の様子、様変わりした風景を被爆者たちが描いた「原爆の絵」も重要な位置を占めている。
 一方で、被爆のむごさを強調するあまり、被爆者を絶望や孤独に追いやってきたという側面にも目を向ける必要がある。
 新たな展示では、貧困と病苦にさいなまれた被爆者の戦後にも焦点を当てている。
 漁師だった父親が被爆し、後遺症と生活の困窮の中で崩壊していく家族の変遷を約10年にわたり追った「N家の崩壊」は、写真家の故福島菊次郎さんの作品群だ。遺族や家族も、差別や偏見に苦しんだ被害者であったという事実を突きつける。
 今もなお体験を語らない被爆者は多数を占める。
 広島市立大の直野章子教授(社会学)=西宮市出身=は被爆者たちの「遭うたもんにしか分からん」という言葉と出会い、聞き取りを続けてきた。「体験した者にしか分からない」という拒絶や絶望の表現であっても、そこには「誰かに言葉を届けたいという願い」が込められていると考えるからだ。
 被爆者が語るには、被爆の惨状だけでなく、その後の苦悩や痛みに耳を傾ける「同伴者」が欠かせなかった。体験がなくても聴くことによってさまざまな被害を発見する。多くの聴き手との地道な共同作業が「ふたたび被爆者をつくらないという信念をつくり上げた」と直野さんは説く。
「同伴者」の使命とは
 「被爆体験の継承とは、被爆者が同伴者とともに築いてきた理念を次代に引き継ぐこと」(「原爆体験と戦後日本」)と直野さんは指摘する。ならば、証言や記録をたどることでも未来にバトンを渡せるのではないか。被爆者の体験に寄りかからず、何を継承すべきかを自ら考え、行動するしかない。
 核兵器廃絶を巡る国際情勢は厳しい局面を迎えている。
 米国とロシアが結んでいた中距離核戦略(INF)廃棄条約が今月失効した。地球上の核兵器の9割を有する二大大国間で貴重な歯止めが失われた影響は計り知れない。米ロ間に残った核軍縮の枠組み、新戦略核兵器削減条約(新START)も2021年に期限切れとなり、延長の可否は不透明だ。
 核拡散防止条約(NPT)が50年を迎える来年は国際社会の決意が問われる。被爆国の日本は、その先頭に立って知恵を出さねばならない。
 広島では原爆資料館を訪れる外国人が年々増えている。館内に置かれた「対話ノート」は多彩な言語で書き込まれ、「平和」を願う記述が多いという。展示に触れた人なら、国を問わずたどり着く答えなのだろう。
 世界に核兵器の非人道性を伝え、廃絶に向けて共に歩もうと呼び掛ける。被爆地の役割と可能性は広がる。
 私たちは、核時代の現実を生きている。原爆を生き延びた人の願いを受け止め、自分の言葉で次世代につなぐ。それが「同伴者」としての使命である。


原爆投下から74年 核廃絶 日本政府が主導を
 米国は74年前のきょう広島に、その3日後には長崎に、原子爆弾を投下した。
 たった1発で広島は約14万人、長崎では約7万4千人が、その年のうちに亡くなった。生き延びた人も放射線の影響で、今なお後遺症に苦しんでいる。
 無差別に多くの人の命を奪い、非人道兵器の極みである核兵器が、絶対悪であることを改めて認識する日にしたい。
 近年、米国やロシアを中心に核兵器増強を本格化させる動きがある。核軍縮の枠組みも崩壊寸前だ。
 だが、日本政府はトランプ米政権に追従する姿勢が目立ち、「核の傘」への依存を強めている。
 2年前には国連で、開発や製造、使用などを非合法化する「核兵器禁止条約」が122カ国の賛成で採択された。
 被爆地は日本政府に署名・批准を求めているが、安倍晋三政権は背を向けたままだ。
 唯一の戦争被爆国である日本は、核廃絶に向けて主導的な役割を果たさねばならない。
■米が招く軍拡の危機
 トランプ大統領の就任後、核軍縮と逆行する動きが各地で加速している。
 イラン核合意から一方的に離脱した米国は軍事行動をちらつかせ、イランも核合意に違反してウラン濃縮を進める。核合意が崩壊すれば中東各国が自前の核開発を追求しかねず、極めて危険である。
 3回目の米朝首脳会談では非核化を巡る実務協議の再開で合意したが、協議入りは見通せない。
 トランプ氏は米ロ間の「中距離核戦力(INF)廃棄条約」から離脱し、条約は失効した。中国も加えた条約交渉を主張するが、世界の9割の核兵器を持つ米ロが削減に動かなければ説得力はない。
 2年後に期限を迎える新戦略兵器削減条約(新START)も失効すれば、米ロの核軍縮の枠組みはなくなってしまう。何としても更新すべきだ。
 来年は核軍縮・核不拡散を支える根幹の核拡散防止条約(NPT)が発効から50年を迎える。米英仏ロ中に核保有を限定した上で、軍縮義務を課してきた。
 だが、来年の再検討会議に向けては核軍縮を巡って核保有国と非保有国の対立が続いている。前回に続いて来年も決裂すれば核不拡散体制は窮地に陥る。核保有国からの歩み寄りが不可欠だ。
■動き見えぬ安倍政権
 米国が核廃絶に向かうよう説得するのが被爆国の責務のはずだ。
 にもかかわらず、日本政府の動きは鈍い。核保有国と非保有国の「橋渡し役」を強調するが、努力の形跡は見えない。
 トランプ政権との親密な関係をアピールする安倍政権は、米国のINF条約からの離脱表明や小型核の開発など新たな核戦略指針に対し、追認する姿勢に終始した。
 米国とイランの対立で、首相は仲介に意欲を示し、イランを訪問して自制を促したが、危機の原因をつくったトランプ氏に核合意への復帰を求めることはなかった。
 核兵器禁止条約の採択に貢献し、ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の事務局長らが昨年来日した際、首相は面会に応じなかった。
 首相からは核軍拡への危機感が見えないばかりか、核廃絶への冷淡な姿しかうかがえない。
■被爆者の思いを継承
 広島市の松井一実市長はきょうの平和宣言で「被爆者の思いを受け止めてほしい」と、核兵器禁止条約への署名・批准を政府に訴える。長崎市の田上富久市長も9日の平和宣言で政府に求める。
 条約の批准を切実に訴えるのは、被爆者の高齢化が確実に進んでいるためでもある。
 被爆者は3月末時点で14万5844人となり、1年間で9162人が亡くなった。平均年齢は82歳を超える。被爆の記憶や核廃絶の訴えの継承は、喫緊の課題だ。
 広島市は被爆者の代わりに被爆体験を伝える「伝承者」を養成し、5年前から活動している。
 現在は131人が認定され、札幌出身で広島県在住の主婦松田京子さん(68)もその1人だ。第1期生で英語の講話も担当する。
 結婚を機に広島市に住み、被爆の悲惨さ、平和の大切さを改めて実感したことがきっかけだった。
 松田さんは言う。
 「子や孫の世代には決して原爆の苦しみを味わわせてはならない、という被爆者の訴えを真剣に受け止めねばなりません。微力ですが、平和への思いを受け継がねばと痛切に感じています」
 原爆資料館にはオバマ前米大統領の広島訪問以降、外国人の来館者が急増した。
 核廃絶は人類共通の願いであり、一人一人の取り組みが必要だ。
 「核なき世界」の理想を捨ててはならない。


怒りのヒロシマ
 かつて怒りのヒロシマ、祈りのナガサキとよく対比された。二つの被爆地での平和運動の姿勢を示した表現である。率直に核兵器廃絶や平和を訴えてきた広島。片や長崎はカトリック信者の聖地をも壊滅されながら、静かに祈る印象が強い▼74年前のきょう、不条理にも広島への人類史上初の原爆投下がおびただしい命を散らせた。その年末までに推定14万人が亡くなり、被爆者は今も放射線による健康不安に苦しんでいる▼<おかっぱの頭から流るる血しぶきに妹抱きて母は阿修羅(あしゅら)に>。5歳で被爆した東京都文京区の村山季美枝さん(79)が詠む惨状に言葉を失う。松井一実広島市長が今年の平和宣言に引用し、被爆の実像を発信する▼併せて、国連の核兵器禁止条約を拒み続ける日本政府に対し、初めて署名と批准を求めるという。唯一の戦争被爆国であるのに条約に距離を置く安倍晋三政権に、国内外の落胆は大きい。被爆者の訴えを代弁するのは当然だろう▼核兵器の非人道性を最も知っているのは日本ではないか。被爆者の高齢化が急速に進み、記憶の風化が懸念される今こそ、日本は核廃絶の先頭に立たねばならないはずだ▼怒りと祈り―核廃絶への道筋は異なっても「原爆許すまじ」の思いは同じ。どう核兵器と向き合うのかを考える日にしたい。

原爆の日  核廃絶を遠のかせるな
 広島はきょう、長崎は9日に74回目の「原爆の日」を迎える。
 核兵器の被害の恐ろしさを直視し、惨禍を繰り返さない誓いを確認する日である。
 両市の平和式典で被爆者の姿が年々減る中、74年たっても核の恐怖に脅かされ続けている世界の現実に痛恨の思いを禁じえない。
 核兵器のない世界へ歩みを進めることは私たちの責務である。
 今年の広島、長崎の式典で市長が読み上げる「平和宣言」には、国連で2017年に採択された核兵器禁止条約への日本政府の署名・批准を求める文言がともに盛り込まれる。
 過去2年、松井一実広島市長は「宣言を政争の具にしたくない」と言及に消極的だったが、被爆者団体など30近くが政府への要請を求めたのを「受け止めないわけにはいかない」と決断したという。
 訴えてきた核廃絶が遠のきつつある危機感の表れといえよう。
 オバマ前米大統領の「核兵器なき世界」提唱を契機に、核廃絶への世界的うねりは禁止条約に結実した。だが、これまでの批准は条約発効に必要な50カ国・地域の半分程度で足踏みしている。
 かたや、核兵器の役割拡大を主張するトランプ米政権は、今年2月に臨界前核実験を強行し、限定的な核使用まで新指針に掲げた。
 米国とロシアの中距離核戦力(INF)廃棄条約も今月2日に失効した。核保有国が固執してきた核抑止論は、歯止めなき核軍拡をもたらす懸念を高め、米国の「使える核兵器」戦略によって日本などを覆う「核の傘」の危険度が増す恐れが否めない状況だ。
 にもかかわらず、日本政府は核の傘に依存し続け、核兵器禁止条約に背を向けている。核保有国と非保有国の橋渡しを掲げるが、米国の核戦略に追従するばかりで核廃絶への道筋も行動も示せていない。それは唯一の戦争被爆国としての責任と、被爆者の苦しみに向き合わないことではないか。
 核兵器の製造、保有、使用を禁じる条約発効へ日本が加わってこそ、米国とその同盟国、隣国のロシアや中国、北朝鮮に核依存の見直しを迫る役割を果たせよう。
 全国で被爆者健康手帳を持つ人は18年度末で約14万5千人と、40年近くで約6割減っている。平均年齢は82歳を超え、体験を直接聞くのが難しくなりつつある。核兵器被害の実相を語る証言や遺物をいかに継承し、広く若い世代に伝えていくかも被爆国の重い責任である。


原爆投下74年 核軍縮に英知を絞る時だ
 核兵器の恐ろしさを再認識し、核廃絶への誓いを新たにする日が巡ってきた。世界で今、その重要性が増している。
 広島はきょう、長崎は9日に原爆投下から74年となる。2発の原子爆弾で21万人以上が犠牲になった。生き延びた被爆者も、健康被害や就職・結婚差別などで苦しんだ。
 世界各国の指導者は二度とこの惨禍を繰り返さないよう努めなければならない。しかし残念ながら世界では今、核軍縮の取り組みが停滞しているばかりか、むしろ逆行する動きが広がりつつある。
 2017年7月に国連で採択された核兵器を非合法化する史上初の国際法「核兵器禁止条約」は批准に必要な50カ国・地域の参加数に至っていない。
 今年6月には米軍が戦闘中の限定的な核兵器使用を想定した新指針が判明した。オバマ政権は核の先制不使用も一時検討するなど「核の役割低減」を目指したが、トランプ政権は、小型核を潜水艦に搭載する政策を打ち出すなど、通常戦力の延長線上に核戦力を位置付けている。
 そんな中、冷戦後の核軍縮の支柱となった米ロの中距離核戦略(INF)廃棄条約が2日に失効した。
 条約は東西冷戦下の1988年に発効し、射程500〜5500キロの地上配備の中・短距離ミサイルの全廃を規定している。条約を巡り米ロがお互いに条約違反を指摘し合い、延長されることなく失効日を迎えた。
 背景には、条約で規制された水準のミサイルを戦略の柱とする中国の軍事的台頭がある。米ロに中国を加えた3カ国は条約の制約がなくなることで、軍縮とは逆行した核・ミサイル開発競争を激化させる恐れがある。
 条約失効の影響は欧州よりもアジアの方が大きいと指摘されている。米国がアジアで地上発射型の中距離弾道ミサイルを配備する可能性があるからだ。
 その場合、米軍が中国に対抗し、沖縄の米軍基地に中距離弾道ミサイルを配備する恐れがある。日本には非核三原則があり、核兵器は持ち込まれないことになっている一方、沖縄への核再持ち込みを認めた日米の核密約も存在する。沖縄が核戦争に巻き込まれるリスクは拭えない。沖縄からも強く核廃絶への声を上げる必要がある。
 INF廃棄条約を締結した当時のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長とレーガン米大統領は「核戦争に勝利はなく、決して戦ってはならない」との認識の下で調印した。世界の指導者たちはその認識に立ち返り、新たな核軍縮の枠組みを早急に築いて着実に核兵器を減らすべきだ。今はその英知を絞る正念場といえる。
 日本の役割は、米国の「核の傘」に依存し、それを守ることではなく、唯一の被爆国として惨禍を訴え、非核化実現に向けて各国の努力を促すことだ。


[原爆の日]被爆国の役割を果たせ
 核兵器禁止条約が国連で採択され、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞してから2年しかたっていないというのに、歴史の歯車は逆回転し始めている。
 今月2日、冷戦後の核軍縮の支柱となった米ロの「中距離核戦力(INF)廃棄条約」が失効した。1988年に発効し、地上配備の中・短距離ミサイルの全廃を定め、冷戦を終結に導いた条約である。
 ロシアの条約違反を理由に破棄を通告した米国と、違反を否定するロシアとの対立が解けないまま、30年来の歯止めが失われてしまった。憂慮すべき事態だ。
 極東の安全保障を巡っては、米ロの相互不信に、条約の枠外でミサイル開発を押し進める中国が加わり、軍拡競争が一気に激化する恐れもある。
 米国では、条約失効を中国への反転攻勢の好機と捉える見方も強い。対中国の最前線として米領グアムや日本などへの新たなミサイル配備もささやかれており、米軍基地が集中する沖縄への影響が懸念される。
 INF失効の一方で、トランプ米政権は昨年公表した核戦略文書「核体制の見直し(NPR)」を土台に、戦闘中の限定的な核兵器使用を想定した新指針をまとめている。
 NPRは「使える核」とも称される低爆発力の小型核の導入を明記する。通常戦力の延長線上への核戦力位置付けは、核のハードルを大きく下げる危うさをはらんでいる。
    ■    ■
 核兵器禁止条約は、核兵器を非合法化した初めての国際条約で、その前文には「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と記されている。
 しかし唯一の戦争被爆国である日本は、核保有国が反対している条約は現実的でないとし、会議にも参加せず、署名も拒み続けている。
 米国のオバマ前大統領が在任中に「核の先制不使用」を検討した際、「核の傘」に依存する日本などが反対し議論が立ち消えになったことが明かされている。
 日本は核保有国と非保有国の間の「橋渡し役」を自任しているが、禁止条約にも加わらず、核軍縮では自らブレーキを踏み、トランプ政権の核政策に異を唱えることもしない。
 これで被爆国としての役割を果たしているといえるのか。
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 広島はきょう6日、長崎は9日、原爆投下から74年の「原爆の日」を迎える。
 今年3月末で被爆者健康手帳を持つ被爆者は14万5844人。平均年齢は82歳を超える。
 核は根深い「抑止力信仰」の中に生きている。「核なき世界」は途方もない難事業だが、ほぼ瞬時に約20万人もの命を奪った人類史未曾有の惨禍を風化させてはならない。
 核戦争の脅威などを示す「終末時計」は残り2分と、冷戦期以来最悪の状態が続いている。私たちには「核兵器の非人道性」を世界に発信していく責任と義務がある。


広島原爆の日 核だらけの世界にするな
 74年前の8月6日、原爆が米国によって広島に投下され、3日後には長崎にも落とされた。戦闘員でも何でもない市民たちが核の業火に焼かれ、死んでいった。
 きょう広島では平和記念式典が開かれ、被爆地・広島から改めて核廃絶への決意を発信する。
 しかし、高齢化した被爆者らの「生きているうちに核廃絶を」との願いとは裏腹に、世界の情勢は「核なき世界」の理想から遠ざかる一方だ。米国やロシアなど核の超大国が、冷戦後の核軍縮の枠組みを打ち捨て、軍拡競争を再開させる構えを見せているからだ。
 「核軍拡」へと大きく振れつつある歴史の振り子を、いま一度「核廃絶」の理想へと揺り戻させることができるのか。世界の未来にとって、大きな岐路である。
軍拡競争の再開か
 今年は米国のオバマ前大統領が歴史的な「核なき世界」の演説をして10年となる。しかし、オバマ氏が掲げた理想主義の光は、米国でトランプ氏が大統領に就任して以来、弱まるばかりだ。
 今月2日、米国と旧ソ連(現ロシア)が1987年に締結した中距離核戦力(INF)廃棄条約が失効した。この条約は核兵器を搭載する中距離ミサイルを米ソが互いに廃棄する取り決めであり、事実上の核軍縮条約だった。
 条約が失効したのはトランプ氏が「ロシアが条約違反を繰り返した」として一方的に破棄を宣告したためだ。米国は、中国も加えた米ロ中による新条約制定を目指すとしている。しかし中国は新条約に関心を示さず、米国の本気度も疑わしいのが実情だ。
 INF廃棄条約を失った今、米ロの次の交渉課題は、長距離の戦略核を制限する新戦略兵器削減条約(新START)の延長問題となる。同条約は2021年に期限切れを迎えるが、米ロ対立のあおりで延長が危ぶまれている。
 もしINF廃棄条約に続き新STARTも失効すれば、核超大国の米ロを縛る核軍縮の枠組みがなくなる。中国も加わって、歯止めなしに軍拡競争に突き進む事態も懸念される。冷戦時の「核のあふれ返る世界」の再来である。
 INF廃棄条約の失効に伴い、米国は日本などアジア太平洋地域への中距離ミサイル配備を検討している。そうなれば、この地域を舞台に米国と中ロの配備合戦となりかねず、東アジアの「核戦争の危険度」は飛躍的に高まる。
「核は悪」の規範を
 こうした核軍拡の流れに歯止めをかけようと、非保有国や市民団体が取り組んでいるのが「核兵器禁止条約」批准運動である。
 17年7月、核兵器の製造や保有を禁じる「核兵器禁止条約」が国連で採択された。身勝手な大国間の交渉に任せず、国際法で核兵器を禁止してしまおうという新たな核廃絶のアプローチだ。
 この運動を主導する核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)などによると、これまでに70カ国が条約に署名し、うち24カ国が批准・加盟手続きを済ませた。条約は50カ国の批准により発効する。
 核保有国は条約に猛反発しているが、条約が発効すれば「核兵器は必要悪ではなく、絶対悪」という考え方が新たな国際規範となる。「核は絶対悪」の圧力をかけることで、核保有国の指導者を核軍縮に向けた対話のテーブルにつかせる−そんな戦略も可能となる。
理想に向かう責務
 こうした「核軍拡」と「核禁止」という二つの潮流のはざまで、唯一の戦争被爆国である日本の政府は、相変わらず米国追従の核政策から抜け出せないでいる。
 今年2月、安倍晋三首相がトランプ氏をノーベル平和賞の受賞候補に推薦していたことが明らかになった。「核なき世界」の理想を捨てて核戦力増強を進め、イラン核合意を破棄し世界の安定を損ねているトランプ氏を推薦したことに、被爆者たちはあぜんとした。
 日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない方針を示している。北朝鮮の非核化が実現していない現段階で、「核の傘」を否定する核兵器禁止条約に日本が参加するのは困難との声もある。
 しかし、それならば日本は東アジアの非核化に向けて主体的に動くべきではないか。アジアの隣国との関係を改善し、「核の傘」を不要とする地域環境づくりに外交努力を傾ける方が有用だろう。
 「核が戦争に使われたらどうなるか」を体験した国は日本だけなのだ。核軍拡の危機を迎えている今こそ、日本は被爆者の体験を出発点に、核廃絶の理想に向け世界をリードする責任を負っている。


ヒロシマ74年 核廃絶へ発信強めよう
 本館の展示が春に一新された原爆資料館には連日、国内外から多くの見学者が訪れている。遺品の一つ一つをじっくり見てもらうことで感性に訴えかける狙いがうまくいっているようだ。真夏の日差しの中、資料館や周辺を歩きながら、原爆がいかに非人道的か、被爆地の訴えを改めてしっかり心に刻みたい。
 資料館のある平和記念公園や原爆ドームなど平和の発信拠点づくりを支えた法律がある。きょう6日で施行から70年を迎えた広島平和記念都市建設法である。
 この法律により都市基盤の整備が大きく進んだ。平和関連施設の整備費の3分の2を国から特別に補助してもらい、34ヘクタールを超す国有地が無償譲与された。
 わずか7条の短い法律だが、復興を後押しした恩恵は忘れがたい。同時に、この法律が掲げた崇高とも言える理念を忘れるわけにはいくまい。広島市を「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴」と位置付け、市長は「不断の活動をしなければならない」と定めている。
 新たな使命は私たち広島市民にも課せられている。衆院議長だった幣原喜重郎のメッセージが施行日の本紙に載っている。「市民各位も平和都市建設に全国民否全世界の期待のあることを自覚の上、世界平和と人類文化に寄与せられるよう達成にまい進されんことを切望する」
 幣原は首相として平和憲法の制定に深く関わった。広島や長崎に落とされた原爆について考え抜いた答えが戦争放棄だったに違いない。「原爆ができた以上、世界の事情は根本的に変わった。次の戦争では交戦国の大小都市がことごとく灰燼(かいじん)に帰すだろう」とも述べている。
 核戦争の勃発は70年前の杞憂(きゆう)だったと笑えるだろうか。取り越し苦労だと言えないのが現実である。とすれば、被爆地の役割は変わってはいないはずだ。
 米国やロシア、中国をはじめ核保有国の軍拡の動きは目に余る。米ロは史上初めて特定分野の核兵器全廃を定めた中距離核戦力(INF)廃棄条約を失効させた。新戦略兵器削減条約(新START)が残るものの、2021年2月に期限を迎える。万一延長されなければ、両国間の核軍縮条約は全て消滅する。核軍拡への歯止めがなくなってしまうのだ。
 米ロは小型核兵器も開発しているとされる。米国は実戦使用を想定した作戦の新指針までまとめている。言語道断である。核兵器をなくして平和な世界を願う国際社会の動きに逆行している。
 核兵器については、威嚇や使用はもちろん、保有も国際法違反とする核兵器禁止条約が2年前に採択された。おととしノーベル平和賞を受賞した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN=アイキャン)」をはじめ市民社会と、非保有国の努力の成果と言えよう。広島、長崎の被爆者の貢献も大きい。
 その願いを結実させた条約は、発効に必要な批准国数の50の半分近くにまで迫っている。時間はかかるかもしれない。それでも、これまではタブー視されていた核兵器の使用を法的に禁止することが現実となりつつある。
 核兵器と人類は共存できないと訴えてきた被爆地の声が世界に届いているのは間違いあるまい。耳をふさいでいるのは「力による平和」を信奉する保有国と、日本をはじめ追随する国々の一部の政治家たちだけではないか。核兵器の保有・使用に固執し、国際社会の流れとの溝は深まっている。
 核廃絶へのうねりを一層強めるため、被爆地の声をさらに広める必要がある。
 来年春、5年に1度の核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれる。NPT第6条が核保有国に義務付けている「核軍縮への誠実な交渉」に正面から取り組むつもりがあるのか。人類全体を考える視点になぜ立てないのか。米ロ中に英国とフランスを加えた5カ国に厳しく問わねばならない。
 5カ国はいずれも国連安全保障理事会の常任国である。拒否権が認められている座にあぐらをかいて、禁止条約にも、自主的な核軍縮にも背を向け続けることは許されない。
 保有国の横暴に待ったをかけるのは、国際社会の責務だろう。今年秋に被爆地を訪れるローマ法王が、どんなメッセージを発するかに期待したい。1981年にローマ法王として初めて広島の地を踏んだヨハネ・パウロ2世は「広島を考えることは核戦争を拒否することです」と訴えた。世界に与えたインパクトは大きく、その後の要人の広島訪問の呼び水になったとも評されている
 今の法王フランシスコは2013年の就任以来、核廃絶を繰り返し訴えてきた。禁止条約が採択されるとバチカンはいち早く批准した。原爆投下後の長崎で撮影されたとされる写真「焼き場に立つ少年」をカードに印刷して配布し、市民に訴えている。地球規模の視点に立った宗教者として責任ある行動と言えよう。
 「核兵器は使用だけでなく製造も含めて、非倫理的だということを強く訴えたい」と被爆地訪問に意欲的だという。核兵器保有について倫理面からも「NO」という意義は大きい。「核の傘」の下にいる人々への問い掛けでもある。
 核兵器がある限り、人為的ミスなどで使用される危険はゼロにはできない。核兵器をなくすしか平和な世界は実現できない。そのことを被爆地から強く発信し続けなければならない。平和都市法が広島に課した理念に沿った道でもある。


核なき世界 時計を逆戻りさせまい
 オバマ前米大統領が広島の地を踏んだのは、2016年5月だった。「核なき世界へ勇気を」。現職大統領として初めて被爆地を訪れたオバマ氏は呼び掛けた。
 同じ年、安倍晋三首相も米ハワイ・真珠湾の地に立つ。「和解の力」を訴え、核兵器をはじめとする軍縮への期待を世界に抱かせた。
 「大変な英断だった」。長年、日米首脳による「相互献花外交」を提唱してきたジャーナリストの松尾文夫さんは、実現に踏み切った両首脳を高く評価している。
 それから、わずか3年。まるで冷戦時代へ時計が逆戻りしたかのような動きが目立つ。核軍縮への期待は急速にしぼみつつある。
 冷戦終結を後押しし、核軍縮の流れをつくった米ロの「中距離核戦力(INF)廃棄条約」が2日、失効した。軍縮に逆行する振る舞いの最たるものと言える。
 米国は表向き、ロシアの条約違反を理由とするが、背景には中・短距離ミサイルを持つ国が増えたことへの米ロ双方の不満がある。特に中国への警戒感が強い。
 条約に縛られない中国は、米領グアムに届く中距離弾道ミサイルを配備した。米国も対抗する構えで、米中ロの激しい核・ミサイル開発競争が現実味を帯びる。
 それだけではない。米軍が戦闘時、限定的に核兵器を使用する指針をまとめたと報じられた。オバマ氏は広島訪問後、核を先に使わない「先制不使用」を検討したが、それに逆行するものだ。
 核兵器を使用した唯一の国である米国は、言うまでもなく、その結果起きた惨禍に謙虚でなければならない。「核のタブー」が揺らぐことを危惧せざるを得ない。
 さらに中東では、核合意の上限を超えてウラン濃縮を進めるイランを巡り緊張が高まる。北朝鮮の非核化も大きな進展は見られない。
 オバマ氏が唱えた「核なき世界」は、風前のともしびとなっている。その中で、きょう6日に広島、9日に長崎の原爆の日を迎える。
 核保有国の動きに、唯一の被爆国・日本はどう行動すればいいのか。政府はINF条約失効を受けて新たな核軍縮の枠組みを求めるが、中国などは反発している。
 核廃絶を求める国際世論を味方に付け、時計を逆戻りさせぬ努力が必要だ。日本は、国連で採択された核兵器禁止条約に署名していないが、署名・批准を強く望む被爆者の声に耳を傾けてほしい。
 2月に死去した松尾さんは、ロシアや中国とも「相互献花外交」を説いた。和解と戦争の清算こそ、被爆国・日本の信頼が増す。その指摘は多くの示唆を与えている。


原爆の日 核廃絶の決意共有したい
 74年前のきょう、広島に原爆が投下された。昭和から平成を経て、令和になって初めて迎える原爆の日である。犠牲者の鎮魂を祈り、不戦の誓いを新たにしたい。
 世界では核軍縮に逆行する動きが強まっている。唯一の被爆国である日本は今こそ原点を見据え、核廃絶に向けて主導的な役割を果たすべきだ。
 1945年8月6日午前8時15分、広島市の上空約600メートルで爆発した原爆は猛烈な熱と風で瞬時に街を破壊し、多くの人々の命を奪った。
 それから3日後の9日には長崎市に原爆が落とされた。米軍の当初の計画では、新潟市も原爆投下候補地となっていた。
 市民を巻き込み、生き残った人にも深刻な後遺症をもたらした原爆のむごい記憶を風化させるわけにはいかない。
 74年の時の流れで体験者は減っている。戦争の悲惨さ、原爆の非人道性を語り継ぎ、核廃絶に向けたあらゆる外交努力をすることは、唯一の被爆国である日本の責務だ。
 世界にはなお、米国とロシアを中心に1万4千発の核弾頭が存在する。極めて憂慮すべきは、米国とロシアによる「中距離核戦力(INF)廃棄条約」が2日に失効したことだ。
 88年に発効したINF条約は、米国と旧ソ連の軍拡競争の回避が主眼だった。射程500〜5500キロの地上配備の中・短距離ミサイルの全廃を規定し、冷戦終結を後押しした。
 その条約が失効したのは、トランプ米政権が2月、ロシアの条約違反を理由に条約破棄を通告したことがきっかけだ。違反を否定するロシアとの対立が解けないまま失効日を迎えた。
 条約失効は軍拡競争の歯止めを失うことを意味する。条約に縛られず核戦力増強を続ける中国も加わり、新たな軍拡競争に発展する懸念が強い。
 米国は中国を交えた新たな軍備管理の枠組み構築に意欲を示すが中国は否定的だ。一方でトランプ政権は「使える核」と呼ばれる小型核の開発を決めた。
 北朝鮮は短距離ミサイルを相次いで発射しており、非核化が進展する気配は見えない。イラン核合意は崩壊の危機にある。
 「核なき世界」の後退が鮮明になる中で被爆国・日本の役割は大きいはずだが、現実には存在感の低下が否めない。
 史上初めて核兵器の保有や開発などを全面的に禁じた核兵器禁止条約について、日本は米国と足並みをそろえ、署名・批准をしていないからである。
 広島市の松井一実市長は被爆者団体などの要請を踏まえ、6日の平和宣言で初めて日本政府に署名・批准を求める。
 長崎市の田上富久市長も9日の平和宣言で条約への政府の賛同を求める方針を示している。
 こうした被爆地や被爆者団体の決意を国民全体が共有したい。政府はきちんと受け止め、具体的な行動を起こすべきだ。
 被爆国として、あくまでも核廃絶を目指す。その姿勢と覚悟を政府に強く求めたい。


原爆の日/「核のタブー強化」を
 広島、長崎への原子爆弾投下から74年。広島は6日、令和初の「原爆の日」を迎えた。不可逆的な時の流れとともに、先の大戦がますます「遠い戦争」となったことを実感させる。
 今年3月末で被爆者健康手帳を所持する被爆者の数は14万5844人。被爆者の平均年齢は82.65歳。手帳所持者は1年前より9015人減った。近年9千人超の被爆者が毎年亡くなっており、被爆者がいなくなる日が確実に近づいている。それでも、ほぼ瞬時に約20万人もの命を奪った原爆投下という、人類史未曽有の惨劇を決して風化させてはならない。
 無数の罪なき人の生の営みを破壊し尽くし、残された遺族や孤児は戦後、塗炭の苦しみを背負った。しかも放射線に起因する障害に被爆者たちはおびえ苦しみ、後世にもその憂いを残している。
 いかなる理由であっても、生身の人間に核兵器を使うことは絶対に許されない。無差別で慈悲のかけらもない核使用は明白な戦争犯罪行為だ。
 核兵器の不条理さと非人道性を深く胸に刻み、核を二度と使ってはならないとする「核のタブー」の規範強化へ向け、被爆国は全身全霊を傾けなくてはならない。その先にこそ「核なき世界」の視界が開けてくる。
 しかし、ここ1年間「核のタブー」を揺るがしかねない憂慮すべき事態が頻発した。まず運用可能な核弾頭約4千発をおのおの保有する米ロの動きだ。1988年発効の中距離核戦力(INF)廃棄条約が最近失効した。
 同条約は特定分野の核戦力全廃を義務付けた史上初の試みであり、冷戦終結の契機になった。実効性のある検証措置も盛り込んでおり、米ロ核軍縮のお手本ともなった。
 だがロシアは近年、条約違反の疑いが強いミサイル開発・配備を推進。中国の軍拡を警戒するトランプ政権はこの条約を「足かせ」とみなし、「ロシアの条約違反」を理由に昨秋、破棄方針を固めた。
 また2021年に期限の迫る新戦略兵器削減条約(新START)の先行きも見通せない。条約は5年間の延長が可能だが、米ロ間で交渉が進展している節はない。さらに最近明らかになった米軍の核運用指針には、戦闘中の限定核使用の効用を力説する記述すら見られた。「小型核」導入の動きも非常に心配だ。
 ロシアも米国に対抗しミサイル防衛網を突破する新型核の開発にまい進、中国の核保有数は300弱だが、着々と増強を続けている。
 北朝鮮の非核化は3回の米朝首脳会談にもかかわらず進まず、米国が離脱したイラン核合意は崩壊の危機にある。
 こうした中、トランプ政権に過剰同調する安倍政権は「核の傘」を優先し、被爆者らが署名を求める核兵器禁止条約に背を向けたままだ。
 一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで戦争を起こそうとする力を食い止められる−。広島の松井一実市長は6日の平和宣言でこんな被爆者の声を紹介しながら、為政者や市民に「理性」と「寛容」の重要性を訴える。

混沌(こんとん)とした時代、異論を受け付けにくい不寛容で、為政者の理性に不安を覚える昨今だからこそ核被害の原点に立ち返りたい。そこにこそ核廃絶への道標がある。


原爆の日 「核なき世界」へ日本が主導せよ
 広島はきょう、長崎は9日、74回目の原爆の日を迎える。命を一瞬で奪われた罪のない人々に祈りをささげ、核兵器廃絶への思いを新たにしたい。
 だが残念ながら、世界はまったく反対方向に進んでいる。米国とロシアの中距離核戦力(INF)廃棄条約が2日に失効した。2021年に期限が切れる米ロの新戦略兵器削減条約(新START)の延長も危うい。国際的な核軍縮の枠組み入りを拒む中国は、ミサイル開発を加速している。際限なく核開発競争を繰り広げていた冷戦時代に戻ったかのような様相だ。
 ところが「唯一の被爆国」である日本政府の動きは鈍い。INF廃棄条約を破棄した米国の姿勢に「理解」さえ示すありさまだ。被爆者や被爆地、国民が願うのは、「核なき世界」実現へ向け、日本が主導的役割を果たすことである。新たな核軍縮の枠組みを構築するために、核大国を対話のテーブルに着かせなければならない。その責任と説得力が日本にはあるはずだ。
 INF廃棄条約は1987年12月、当時のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長とレーガン米大統領が調印した。射程500〜5500キロの地上配備の中・短距離ミサイルの全廃を規定しており、冷戦終結を後押しした歴史的な条約となった。
 その合意が揺らいだのは昨年10月だ。米国がロシアの新型ミサイルが条約違反に当たると指摘したことに、ロシアが強く反発。米ロは相互不信を募らせ、歩み寄りはかなわなかった。世界の9割を超す核兵器を有する両国の軍縮への後ろ向きの姿勢が残念でならない。
 米国は、破棄を決めた理由に「中国が条約上の制約を受けていない」ことも挙げている。中国政府は国防白書でさらなる戦力整備の必要性を説いており、米領グアムに届く中距離弾道ミサイル配備など「軍拡」路線を貫いている。米国の主張に一定の理があることも事実だが、本気で中国を取り込もうとしているように見えない現状は、一貫性を欠いている。いま、求められるのは実現への具体的な行動だ。もちろん中国も、大国にふさわしい立ち居振る舞いを身に付けるべきだ。
 米ロ対立や、核保有国と非保有国の溝の深まりから、来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議について、悲観的な見方が出ている。2015年の前回会議は「中東非核地帯構想」への米国の反対で決裂しており、2回連続の「失敗」となる懸念をはらむ。しかし、半世紀にわたって国際的な核秩序の基盤となってきたNPT体制の形骸化は、緊張のさらなる高まりにも直結する。知恵を結集し、意見の相違を埋める必要がある。
 きょう、広島市の平和記念公園で開催される平和記念式典には、過去2番目に多い92カ国と欧州連合(EU)の代表が参列する。核戦争抑止と軍縮への道を、世界が再び歩み始めるきっかけとなることを願う。


【原爆忌】あの日をきょうにつなぐ
 照明を抑えた薄暗い部屋。大型ガラスケースの中に置かれているのは、破れて血の痕の残った学生服やかばん、弁当箱や水筒…。まるで散乱しているかのように見える。
 1945年8月6日、広島。建物疎開に動員され原子爆弾の犠牲となった学徒23人の遺品である。
 壁には当時の写真が展示され、爆風で折れ曲がった鉄骨、高熱で溶けた金属や瓦の塊などもむき出しで並べられている。破壊され尽くした街の中に一人、立ちすくんでいる錯覚に陥りそうになった。
 広島はきょう、長崎は3日後が「原爆の日」。それを前に、4月にリニューアルした広島市の原爆資料館を訪ねた。リニューアルに際し同館がこだわったのが、遺品など実物資料をより重視した展示に変えることだった。
 爆心地から1・5キロ。3歳だった鉄谷伸一ちゃんは、自宅前で三輪車に乗っているときに被爆。一人で葬るのはかわいそうだと、父親が亡きがらと一緒に三輪車を庭に埋めた。40年後に掘り出し遺骨を墓に埋葬、三輪車は同館に寄贈した。
 焼け焦げさび付いた三輪車からは幼い子が強いられた苦しみ、戦後も続く遺族の悲痛が迫ってくる。「もしもわが子だったなら」。子を持つ親の一人として、そう考えざるを得なかった。
 一つ一つに所有者の名前がある遺品は、見る者に強いリアリティーと当事者意識を呼び起こす。
 被爆者は年々高齢化し、当時の状況を語れる人が少なくなっている。実物資料の重視は、同館の危機感の裏返しでもあるのだろう。
 74年前のあの日、広島にいなかった者がそれでも当事者意識を持とうとするなら、想像力を働かせるよりほかにない。にもかかわらず世界では、それに逆行するような動きばかりが目につく。
 米軍は戦闘中の限定的な核兵器使用を想定した新指針をまとめた。核爆発後の放射線環境下で、地上戦をどう継続するかにも言及している。トランプ政権下の、核弾頭の小型化と連動した動きとみられる。
 だが原子爆弾は究極の大量破壊兵器であり、女性や子どもを含む非戦闘員まで無差別に殺りくする。放射線は世代を超えて人体に影響を及ぼす。小規模なら使ってよいというものでは決してない。
 米国とロシアが締結していた「中距離核戦力(INF)廃棄条約」も、米側の破棄通告を機に今月失効した。核兵器の先制不使用など核の役割低減を目指したオバマ前政権から、時計の針は随分後戻りしてしまった。それでも「核なき世界」への歩みを止めることはできない。
 唯一の戦争被爆国から被爆者がいなくなる日もいずれはやって来る。しかし、思いを受け継ぐ語り部や実物資料の力を借りて、被爆の実像に迫ることはできる。想像力によって、あの日をきょうにつなぐことはできるはずだ。
 鎮魂の日にその思いを強くする。


原爆の日◆風化させず「核なき世界」へ◆
 広島、長崎への原子爆弾投下から74年。広島は6日、令和初の「原爆の日」を迎えた。時の流れとともに先の大戦はますます「遠い戦争」となっている。今年3月末で被爆者健康手帳を所持する被爆者の数は14万5844人。平均年齢は82・65歳。手帳所持者は1年前より9015人減った。近年9千人超の被爆者が毎年亡くなっており、被爆者がいなくなる日が確実に近づいている。
 ほぼ瞬時に約20万人もの命を奪った原爆投下という、人類史未曽有の惨劇を風化させてはならない。無数の罪なき人の営みを破壊し、遺族や孤児は戦後、塗炭の苦しみを背負った。放射線に起因する障害に被害者たちはおびえ、後世にもその憂いを残している。
 いかなる理由でも、生身の人間に核兵器を使うことは絶対に許されない。核兵器の不条理さと非人道性を深く胸に刻み、核を二度と使ってはならないとする「核のタブー」の規範強化へ向け、被爆国は全身全霊を傾けなくてはならない。その先に「核なき世界」への視界が開けてくる。
 しかし、ここ1年、「核のタブー」を揺るがしかねない憂慮すべき事態が頻発した。まず運用可能な核弾頭約4千発をそれぞれ保有する米ロの動きだ。1988年発効の中距離核戦力(INF)廃棄条約が最近失効した。この条約は特定分野の核戦力全廃を義務づけた史上初の試みであり、冷戦終結の契機になった。実効性のある検証措置も盛り込んでおり、米ロ核軍縮のお手本ともなった。
 だがロシアは近年、条約違反の疑いが強いミサイル開発・配備を推進。中国の軍拡を警戒するトランプ政権は条約を「足かせ」とみなすようになり、「ロシアの条約違反」を理由に昨秋、破棄の方針を固めた。
 2021年に期限の迫る新戦略兵器削減条約(新START)の先行きも見通せない。条約は5年間の延長が可能だが、米ロ間で交渉が進展している節はない。さらに、最近明らかになった米軍の核運用指針には、戦闘中の限定核使用の効用を力説する記述すら見られた。「小型核」導入の動きも心配だ。
 こうした中、トランプ政権に過剰同調する安倍政権は「核の傘」を優先し、被爆者らが署名を求める核兵器禁止条約に背を向けたままだ。
 「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで戦争を起こそうとする力を食い止められる」。松井一実広島市長は6日の平和宣言でこんな被爆者の声を紹介し、理性と寛容の重要性を訴える。為政者の理性に不安を覚える昨今だからこそ原点に立ち返りたい。


河北抄
 「言葉よ、ひろがれ」と題した短い文章が作家の井上ひさしさんにある。広島の原爆で被爆した父と娘を主人公にした戯曲『父と暮せば』を巡って、作者としての思いをつづった。
 無数の被爆者の手記を井上さんは拝むように読み、そこから言葉を借り、再構成して戯曲を書いた。書きながら「これら切ない言葉よ、世界中にひろがれ」と何度も何度もつぶやいたという。
 全面リニューアルした広島市の原爆資料館を先日訪ねた。展示品は以前とほぼ同様だが、配置や照明に工夫を重ね、説明文は極力減らした。遺品そのもののメッセージを感じ取ってもらうためだ。
 惨状を伝える資料に囲まれ、聞こえてくるのは来館者のすすり泣く声。1945年8月6日。その日に迷い込んだような錯覚にとらわれながら、亡き井上さんの文章が自然に思い出された。
 被爆者は高齢化し、いずれ体験者がいなくなる。そうなれば、この資料館が唯一の語り部。「あの日を愚直に語り続けたい」というのが資料館の願いだ。言葉よ、ひろがれ、切ない言葉よ、世界に。


安倍首相が広島“原爆の日”にまた冷酷対応! 広島市長の核兵器禁止条約参加の訴えを無視、原爆養護ホームも訪問せず
 どうしてこうも毎年、被爆者の思いを無視できるのか──。きょう、74回目の原爆の日を迎え、広島市の平和記念公園では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」がおこなわれたが、やはり今年も、安倍首相のスピーチは上辺だけ取り繕った、無味乾燥なものだった。
 たとえば、きょう安倍首相がおこなったスピーチは、「令和の時代」だの「新しい時代」だのといったフレーズを組み込みつつも、話している内容はほとんど昨年の言葉を同じような表現で言い換えただけ。構成もほぼ同じで、昨年語った「賢人会議」の話題に、今年は「核兵器不拡散条約発効50周年」をプラスしたくらい。2014年には広島で前年とほぼ同一の文章を“朗読”して批判が殺到したにもかかわらず、長崎でもそれと同じコピペ演説をおこなうという事件を起こした安倍首相だが、その姿勢は本質的には何も変わっていない。
 無論、唯一の被爆国でありながらいまだに署名・批准していない核兵器禁止条約にふれることはなく、「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく決意」などと述べた。
 一方、そうした安倍首相の核廃絶へのやる気のなさ、被爆者の思いを軽視する姿勢に対し、はっきりとNOを叩きつけたのは、松井一實・広島市長だった。
 松井市長は平和宣言を、このような言葉からはじめた。
「いま世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。このような世界情勢を、みなさんはどう受け止めますか。2度の世界大戦を経験した私たちの先輩が、決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、国際的な協調体制の構築を誓ったことを、私たちはいま一度思い出し、人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか」
 例年、原爆が投下された日の話からはじまることが多い平和宣言だが、松井市長はまず世界的な核兵器廃絶の動きから話をはじめたのだ。そして、被爆者の声を伝え、「生き延びたものの心身に深刻な傷を負いつづける被爆者のこうした訴えが、みなさんに届いていますか」と問いかけ、「世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例がたくさんあります」としてガンジーの「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです」という言葉を紹介した。
 この言葉は、核兵器廃絶の動きに逆行するトランプ大統領を意識したものだと思われるが、さらに松井市長は、安倍首相に向けて、こう突きつけたのだ。
「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現にさらに一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい」
被爆者7団体との面会でも、核兵器禁止条約への参加拒否した安倍首相
 国連が核兵器禁止条約を採択した2017年以降、松井市長が平和宣言において、日本政府の核兵器禁止条約への署名・批准にここまで踏み込んだのははじめてのことだ。それだけ、安倍政権が核廃絶に背を向けつづけている現状に業を煮やし、危機感を持っているということだろう。
 さらに、松井市長の平和宣言だけではなく、きょうの式典では国連事務総長であるアントニオ・グテーレス氏のメッセージを国連の中満泉・軍縮担当上級代表が代読したが、それは「唯一の被爆国」の代表たる安倍首相こそが訴えるべき内容だった。
「私たちはいま一度、被爆者の方々が世界中に広めてきた重要なメッセージを思い出さなくてはなりません。それは、核兵器の使用を防ぐ唯一の確実な保証は核兵器の完全な廃絶であるということです」
 しかし、これらのメッセージが安倍首相に届いたとはけっして思えない。現に、この式典後におこなわれた被爆者7団体との「被爆者から要望を聞く会」では、核兵器禁止条約への署名・批准を求める声に対し、安倍首相は〈参加しない考えを示した〉(毎日新聞)という。“安倍様のNHK”は「被爆者団体と面会の安倍首相 核軍縮働きかけの考え改めて示す」などと伝えたが、実際は「核兵器禁止条約への署名・批准を拒否」がその中身だったのだ。
 それだけではない。安倍首相は、それまで慣例として広島・長崎でおこなわれてきた被爆した人たちの暮らす原爆養護ホームの訪問を2013年以来サボりつづけ、2014年には訪問をドタキャンした挙げ句、戻った東京では歯の治療と美容室で散髪をするという信じがたい行動に出ていた。昨年は久々に原爆養護ホームの訪問をおこなったが、これについて本サイトは「国連のグテーレス事務総長が長崎の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典への出席や被爆者との面会を予定しているため、自分が被爆者との面会をしないわけにはいかなくなってのことだろう」と言及したのだが、案の定、今年、安倍首相は原爆養護ホームの訪問もせず帰京。官邸に着くなり、御用メディア・産経新聞社の特別顧問で“メシ友”である清原武彦氏と面談をおこなっている。
 スピーチでは「被爆者の方々から伝えられた被爆体験を、しっかりと、若い世代へと語り継いでいく」などと述べながら、実際には被爆者を見舞うこともせずにメディア幹部との面談を優先させる──。しかし、これこそが安倍首相の正体なのだ。戦争の加害責任を認めようとせず歴史修正に血道を上げる安倍首相だが、過去に、核武装・保有を肯定する発言をしたことがあるように、この男には、原爆被害国としての使命感など微塵もない。
 日本が世界に核廃絶をアピールするためには、まず、この男を権力の座から引きずり下ろすしかないのだ。


「表現の不自由展」中止問題 大メディアが傍観の不思議
 わずか3日で展示中止に追い込まれた、愛知県内で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展のひとつ「表現の不自由展・その後」。実行委の会長を務める大村秀章知事は5日の会見で、同日早朝に「ガソリンを散布する」とのメールが県に寄せられていたことを公表。京都アニメーションの放火殺人事件を想起させる文面もあったことから、警察に通報したといい、「安全、安心に運営するため中止と判断した」と話した。
 大村知事はまた、名古屋市の河村たかし市長が企画展の中止を求めたことについて、「公権力を行使する人が『これがいい、これは悪い』と言うのは検閲行為。憲法違反の疑いが濃厚」とも言っていたが、その通り。企画展中止をめぐり、行政があ〜だ、こ〜だと口を挟むのは明確な憲法21条違反だと言わざるを得ない。ガソリン散布をほのめかすメールやファクスは実行委に対する脅迫行為で、一種のテロ未遂事件と言っていいだろう。
 不思議なのは、表現の自由を脅かす重大事件なのに、真正面から批判的な論陣を張る大マスコミが少ないことだ.。
 編集者ら11人が射殺された2015年1月のフランス風刺週刊紙「シャルリー・エブド」テロ事件では、日本メディアは〈表現の自由への許せぬ蛮行〉などと一斉に猛批判。風刺画が預言者ムハンマドを侮辱し、イスラム教徒の反感を招いたことを認めつつも、〈表現の自由は侵すことのできない民主主義の基本的な価値である。ただ、預言者に対する侮辱がイスラム教徒に呼び起こす強い反発も、非イスラムの人々は知る必要がある。多様な文化、宗教が共存するためには対話と相互理解が不可欠だ〉(日経)、〈信教に関わる問題では、侮辱的な挑発を避ける賢明さも必要だろう。だが、漫画を含めた風刺は、欧州が培ってきた表現の自由の重要な分野である。テロの恐怖に屈し、自己規制してしまってはテロリストの思うつぼだ〉(産経)などと、もっともらしく書いていた。
 今回の企画展の中止も、慰安婦を象徴する「平和の少女像」の展示が、ネトウヨらのバッシングを受けるきっかけになったとされるが、日韓両国の感情的対立が増している今だからこそ、〈対話と相互理解〉が必要なのであり、まさに〈テロの恐怖に屈し、自己規制してしまってはテロリストの思うつぼ〉だろう。
 元共同通信記者でジャーナリストの浅野健一氏はこう言う。
「メディアは表現の自由に対する公権力の介入と報じるべきなのに静観している。深刻な状況です。例えば首相官邸にガソリンをまく、と予告すれば即刻逮捕ですよ。今回も警察など当局が徹底捜査に動くような報道があって当然なのに何もない。現場記者や報道機関全体の低レベル化が進んでいるとしか思えません」
 安倍政権の大本営発表に慣らされた従軍記者ばかり増えているようだ。


「表現の不自由展」を中止に追い込んだ政治圧力の危うさ
 暴力による表現封殺を許容する社会でいいのか。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で開催された企画展「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた一件は、民主主義の土台を揺るがす大問題だ。抗議や脅迫、そして政治による介入。企画テーマの「表現の不自由」を体現する皮肉な結果になった。
  ◇  ◇  ◇
 この企画展には、過去に美術館から撤去されたり、変更を余儀なくされた作品が展示されていた。その中で、慰安婦を表現した「少女像」などに抗議が殺到。2日には京アニ放火事件を連想させる脅迫ファクスも送られてきた。こうした卑劣な行為をあおったのが政治家たちの言動だ。
 同日に企画展を視察した名古屋市の河村たかし市長は、少女像を「反日作品だ」と断じ、「ほとんどに近い日本国民がそう思っている」と、勝手に国民の総意を任じて展示の中止を要求。「(展示会には)国のお金も入っているのに、国の主張と明らかに違う」と文句をつけた。
 菅官房長官が同日の会見で「精査した上で適切に対応したい」と、展示の内容によって補助金の交付を決めるかのような発言をしたことも、騒動に拍車をかけた。
 トリエンナーレ実行委員会会長の大村秀章愛知県知事と芸術監督を務める津田大介氏が協議し、3日に展示中止を決めたが、河村市長は「やめれば済む問題ではない」と展示会関係者に謝罪を要求だから呆れる。謝罪を求めるなら、その相手は、脅迫した卑劣漢の方だろう。
この暴力を許せば日本は「いつか来た道」
「河村市長は南京大虐殺を否定するなど歴史修正主義で知られる人物です。大阪市の松井一郎市長も『公金を投入しながら、我々の先祖がけだもの的に取り扱われるような展示をすることは違う』と不快感をあらわにしていましたが、彼らの考え方はあまりに封建的です。公金は首長のものでも政府のものでもない。国民すべてのもので、権力者と考え方が違う人も税金を払っているのです。表現内容を補助金支給の条件にするなら、それは憲法21条が禁じる検閲にもつながる。本来、行政が行うべきは表現規制ではなく、暴力やテロ予告から表現の自由を守ることのはずです。時の権力の方針に合わない表現が潰されてしまう社会は、民主主義国家として危機的です」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)
 作品を見てどう感じるかは自由だが、「不快だから撤去しろ」と政治家が圧力をかけることは絶対に許されない。表現の自由が制限されて戦争に突き進んだ反省から、日本国憲法では表現の自由に対する保障が最大限尊重されている。
「私はあなたの主張に反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」――。18世紀フランスの哲学者、ボルテールの言葉とされるもので、表現の自由が民主主義を支える重要な人権であることを示すものだ。
「主義主張が違っても、すべての人の表現の自由を保障することは近代民主主義国家の基本なのに、違う意見を潰しにかかる不寛容さが蔓延している。とりわけ、アジア蔑視のネトウヨを権力側が扇動し、不都合な表現に攻撃を仕掛ける構図は、隣国叩きで支持を集める安倍政権に特有の問題です。表現の自由を潰しにかかる暴力を徹底糾弾しない政府では、国際社会にも示しがつきません」(金子勝氏)
 暴力や権力による介入は、いったん許せばエスカレートする。そういう社会では、いつ自分が抑圧される側になるか分からないということを国民全員が考えてみる必要がある。 


日韓が「敵対関係」の中、「慰安婦像」という劇薬がもたらしたもの 「表現の不自由展・その後」中止を考察
原田 隆之 筑波大学教授
逆さまの地図
オーストラリアやニュージーランドでは、普段われわれが見慣れたものと上下さかさまの世界地図が売られている。
南半球の人たちの視点から世界を見ると、新鮮な視点で世界を眺めることができる。たしかに、地図は北が上と決まってはいるけれど、それは人間の勝手な約束であって、絶対的なものではない。
われわれは誰しも、普段見慣れた視点を絶対のように思い込み、それを疑いもしない「認知のゆがみ」をもっている。
だがこれは、病理的なゆがみというよりは、普段から注意しないと、だれもが陥ってしまうわれわれに生まれつき備わった認知のエラーである。
行動経済学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーは、このような認知的エラーを「見たものがすべてバイアス」と名づけた。
これは、目の前にある情報しか確認せず、それがすべてだという「思い込み」から、物事を判断してしまうことである。
日韓の軋轢
今に始まったことではないが、特にここのところ、日本と韓国の間の空気がギスギスを通り越して、敵対関係といっていいレベルに至っている。
徴用工問題を端緒にして、日本は韓国を輸出管理上の優遇措置の対象国である「ホワイト国」のリストから外すことを決めた。韓国も報復を検討中だという。
徴用工問題に関しては、国際法的には決着がついている問題を、法治国家の最高裁判所が覆すということは、たしかに国際秩序を無視した暴挙であるといえる。
日本人はその「正義」を高らかに叫んで、韓国を非難するが、「逆さまの地図」ではそれがどう見えているのだろうか。
犠牲になった側からすれば、国際法よりも、自分たちの感情やプライドが大切ということになるのかもしれない。
これは、慰安婦問題についても同じことがいえる。国際法を盾に冷たく突っぱねようとする日本に対して、彼らは理屈よりも感情的に反発するばかりである。
あいちトリエンナーレ
愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で、慰安婦を象徴する「少女像」を展示したことなどが大炎上し、展示はわずか3日で中止に追い込まれた。このほか、昭和天皇の遺影を燃やすかのような動画の展示もあり、大きな物議を醸した。
朝日新聞によれば、芸術監督の津田大介氏は、企画展の目的について、「感情を揺さぶるのが芸術なのに、『誰かの感情を害する』という理由で、自由な表現が制限されるケースが増えている。政治的主張をする企画展ではない。実物を見て、それぞれが判断する場を提供したい」と話したという。
さらに、私なりに解釈すると、主催者が意図したことの1つは、芸術作品を通して、世界地図を逆から眺めるように、ひとまずは自分の立場や考えを横に置いて、いつもとは異なった目で、あるいは中立的な目で、人々の間に横たわる大きな問題を見てみようということだったのかもしれない。
もちろん、日本人のほとんどは、この少女像を間近に見たことはないだろう。この像をめぐっても日韓はたびたび衝突を繰り返しているため、憎悪にあふれたニュースの画面を通して見ただけである。
しかし、政治的な思惑や好悪の判断をひとまずは横に置いて、芸術の場で「作品」として見てみれば、そこに新たな視点が得られるかもしれない。それくらいの心の余裕があってもよいではないか。
これまでニュースで「見たものがすべて」と考えて、直ちにこれを「反日」の象徴ととらえて、ヒステリックに反発する人がいるが、戦争が生んだ悲劇の象徴として、そして平和や人権という共通の価値の象徴として、中立的にとらえることのできる場ともなったはずだ。
とはいえ、名古屋市の河村たかし市長は、「日本人の心を踏みにじる行為」と述べて、展示に抗議した。松井一郎大阪市長も、「我々の先祖が、けだもの的に取り扱われるような展示物」と嫌悪感を示したという。
これらは、彼らが少女像に彼らなりの「物語」を被せているからであって、それは日韓の政治的な軋轢のなかで醸成され、感情的な色が加わったものであることに気づいていない。
芸術と政治
企画展には、このように政治的な横槍が入った。河村市長は、即刻中止を求め、菅官房長官は、中止への「圧力」をほのめかした。
芸術に政治が介入したことに対して、日本ペンクラブは即座に、これは憲法が禁じた検閲にあたるものであり、芸術への無理解だとして批判し、「展示は続けられるべきだ」との声明を発表した。
さらに、声明では次のように述べられている。
いま行政がやるべきは、作品を通じて創作者と鑑賞者が意思を疎通する機会を確保し、公共の場として育てていくことである。国内外ともに多事多難であればいっそう、短絡的な見方をこえて、多様な価値観を表現できる、あらたな公共性を築いていかなければならない。
まさにそのとおりである。人々の議論の場やその可能性を権力が摘み取ることは、断じてあってはならないことであり、われわれの基本的な人権に対する重大な抑圧である。
匿名での非難
そして、私が権力の介入とともに大きな懸念を抱いているのは、主催者側に寄せられた匿名の人々による暴力的で偏狭な批判の嵐である。「ガソリンの携行缶を持って行く」などという脅迫もあったというが、これは悪質というにははるかに度を超えたテロであり、きちんと捜査して検挙してほしい。
しかも、これらの「批判」が厄介なのは、一部の過激な脅迫行為を除けば、おそらくそのほとんどが彼らなりの「愛国心」や「正義感」に基づいた「善良な市民」によるものだと思われるからだ。ネットの世界に跋扈する「ネトウヨ」たちも、実は中高年を中心とした一般的な人々であると言われている。
最近では、ネットのデマを信じ込んで、特定の弁護士に対して大量の懲戒請求を弁護士会に送りつけた人々が、当の弁護士から提訴される事件があった。蓋を開けてみると、彼らは「普通」の市井の人々だった。
こうした「普通の人々」を、これだけの憎悪に駆り立てるものの正体をきちんと分析するのは、心理学の仕事の1つかもしれない。
そして、本人が「正しい」と信じて疑わない「認知のゆがみ」を正すには、あるいは「見たものがすべて」とは思い込まずに、多面的なものの見方ができるようにするには、相当考え抜かれた方法での教育や、共感を得たり心を揺さぶったりするような芸術の力が必要になるだろう。
今回の展覧会をめぐる騒動において、このような芸術の試みを暴力や暴言、そして権力で弾圧しようとする蛮行を目の当たりにすると、この国はいつからこんな野蛮で心の貧困な国になったのかと寒々しい思いがする。
すっきりしないこと
とはいえ、一連の騒動を見ていて、「政治の芸術への介入」、「表現の自由の妨害」、「偏狭な人々の暴言」などと強く批判したいころだが、何かすっきりしないものがある。
それは、そもそも今回の芸術監督の津田大介氏は、芸術監督にふさわしかったのだろうかという疑問である。これまでの津田氏の活動には、敬意を表するところもあるが、彼は果たして芸術家なのだろうか。
事実、今回の芸術監督の就任に際して、本人自ら「依頼をいただいた時には思わず二度見しましたが、物事の本質や、その多様な見方を他者に伝えるという意味で、アートとジャーナリズムは共通する部分があると思い、お引き受けすることにいたしました」と明かしている。
つまり、本人も芸術家としてのアイデンティティはなく、自らをジャーナリストとして定義している。
だとすると、畑違いの人間が、芸術監督という重責を引き受けたことは、軽率の誹りを免れないのではないか。依頼するほうもするほうだが、受けるほうも受けるほうだ。
もちろん、芸術は政治や思想と独立したものではないし、さまざまな思想が芸術作品を通して声高に叫ばれたこともある。一方で、芸術が偏った政治的プロパガンダにも利用される。今回反発をした多くの人のなかには、芸術監督の人選をみて、そのようなプロパガンダ臭を感じ取った人も少なからずいたのではないかと思う。
劇薬としての芸術
今回の試みはあまりにも、アバンギャルドすぎた。劇薬であったと言ってもよい。芸術にはたしかに偉大な力があるが、劇薬はときに重大な副作用を引き起こす。
芸術には、ときに良識や常識を壊すくらいの無謀さがないといけないという意見もあるだろう。しかし、門外漢にちかい芸術監督がそれを述べたところで、誰もすんなりとは受け止められない。
そして、芸術に対する介入を、芸術への信念と価値を盾にして守ることができなかったのは、酷な言い方かもしれないが、やはり門外漢だったからだ。
今回の騒動は、芸術の力の大きさを、図らずも本来の意図とは違う形であからさまにしたといえるだろう。そして、残念なことに「表現の不自由史」に1つの新たな禍根を残してしまった。


裁判記録の廃棄 公的な財産の認識欠く
 裁判所が自衛隊について明確な憲法判断を示したことが一度だけある。ミサイル基地建設をめぐる長沼ナイキ訴訟で札幌地裁が1973年に出した違憲判決だ。その後、司法は憲法判断を避けるようになった。
 憲法に関わる戦後の裁判を振り返るとき、見落とせない判決である。ところが、この裁判の記録は既に廃棄されたという。歴史的な損失と言うほかない。
 これ以外にも、重要な憲法判断が示された民事訴訟の多くで裁判記録が失われていることが共同通信の調査で分かった。中学生の思想信条の自由が論じられた内申書訴訟や、米軍用地をめぐる沖縄の代理署名訴訟も含まれる。
 原告、被告が提出した書類や法廷でのやりとりをはじめ裁判の全容が分かる記録である。判決文は残っていても、審理の過程をたどれなければ、結論がどう導かれたかを検証できない。
 民事訴訟の記録は、裁判の終結後、一審の裁判所が5年間保存し、廃棄する。最高裁が定めた規程で、史料価値がある場合などは期間後も「特別保存」する仕組みがあるが、その対象になっていたのはごくわずかだった。
 重要な裁判記録の廃棄は、今年に入って東京地裁で明らかになっていた。今回それが一裁判所に限らないことが示された形だ。
 東京地裁では、特別保存の対象にされないまま、保存期間を過ぎて残っていた記録も多かった。教科書検定の合憲性が争われた家永教科書裁判はその一つだ。ぞんざいな扱いに、記録を残す意識の薄さがにじむ。
 刑事事件でも、判決確定後の裁判記録は検察の手に委ねられ、どう扱われているか見えにくい。刑事訴訟法は、事件終結後は誰でも訴訟記録を閲覧できると定めるが、ほど遠いのが実態だ。
 また、重要な研究資料として「刑事参考記録」に指定し、保存する仕組みがあるものの、指定の基準は明確でない。しかも、実際にどの事件を指定したかを法務省は明らかにしていない。
 米国やフランスでは裁判記録の多くが永久保存されている。米国ではデータベース化した記録をインターネットで検索、閲覧できるようにした裁判所もある。
 裁判の記録は裁判所や検察の所有物ではない。公的な財産だ。旧態依然とした独善的な取り扱いは改める必要がある。運用の改善では足りない。外部の専門家らを入れて保存と廃棄のあり方を根本から見直すべきだ。


八代弁護士が「慰安婦問題は史実に基づかない」とネトウヨ並みのデマ! 中曽根の証言など日本軍慰安所設置の証拠は山程あるのに
 安倍政権による韓国への輸出規制と「ホワイト国」除外、あいちトリエンナーレでの「平和の少女像」などの展示中止……。国交正常化以来最悪と言われる日韓関係のなか、日本中がグロテスクな嫌韓ムードと歴史修正主義に染まっている。
 それは安倍政権周りの政治家やネット、右派メディアだけではない。地上波のワイドショーでもネトウヨとなんら変わらないヘイトや歴史修正主義が堂々と語られるようになった。
 5日放送の『ひるおび!』(TBS)でも、慰安婦問題など含む作品を展示した「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた件をとりあげるなか、八代英輝弁護士がこんな発言をしていた。
「当然、この社会的風潮のなか、この慰安婦像。この慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものであること。あるいはこの慰安婦像に対して嫌悪感、反感をもつ方っていうのは多くいるってことは、当然認識した上での展示ですから。ある程度の反感というのは想定されたんでしょうけど、それが、私は『想定を超えてしまった』って認識は甘いんでないかというふうに思うんですよね」
 八代弁護士は「表現自体をさせないという風潮は危険だなと思う」などとエクスキューズをいれつつも、「私自身はこれ(少女像)を置いて、こんなものあってはならないと議論するということはアリだと思いますけどね」と続けるなど、嫌韓煽りを剥き出しにしていた。
 さらには、落語家の立川志らくも、いつもの物知り顔でこうコメントした。
「結局、こういうことをやると、日本人の多くは不愉快に思って許さないという結果が出た。これを『平和の少女像』って言う人がいることが、私は不思議でしょうがない。平和の少女像って言うなら、日本人の誰もが見て、これは平和だなって思えるならいいんだけれども。そりゃ韓国の人はそうかもしれないけど、日本人にとっては多くの人が反日の像だと思ってるわけでしょ? 本来、芸術ならば、これを反日像だと思っている人が見ても、思わず感動して涙を流す、そういうものを私は展示してほしい」
 本サイトでも解説した(https://lite-ra.com/2019/08/post-4880.html)ように、「平和の少女像」が「反日」だというのは完全にネトウヨの論理であり、歪曲した解釈だ。それを「みんなが思ってるんだから反日に決まってる」と言い張り、表現の自由を踏みにじる卑劣なテロ予告者ではなく、議論を換気しようとした展示や作品のほうを問題視する。その倒錯ぶりと付和雷同には、呆れ果てるしかない。
 とくに聞き逃せないのは、八代弁護士が発した「慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものである」とのセリフだろう。八代弁護士は、つい先日も朝日新聞を韓国の中央日報、ハンギョレ新聞と並べて「反日三羽ガラス」と揶揄するなど、テレビの全国放送ネトウヨぶりを全開していたが、今度は慰安婦それ自体がなかったかのような発言をしたのだ。
はっきり言っておくが、慰安婦の存在は捏造でもなんでもなく。歴史的な事実だ。弁護士の資格を持つ人間が、地上波の昼間の番組で、保守派の学者でさえ言わないような歴史修正主義丸出しのデマを口にしていいのか。
 いや、八代弁護士だけではない。「平和の少女像」展示に圧力をかけ、「表現の不自由展」への攻撃を煽った河村たかし名古屋市長も、今日の会見で「やっぱり慰安婦ってあったのかと、そういうふうに見られる」などと発言していた。つまり、河村市長も慰安婦は存在しないと信じ込んでいるのだ。
中曽根康弘元首相が海軍主計長時代に「土人女を集め慰安所を開設」の記録
 こうした連中の妄言の根拠は、2014年、朝日新聞が慰安婦関連記事の虚偽を認め、訂正・謝罪したことだ。朝日が訂正したのは、とっくのとうに虚偽であることが分かっていた吉田清治証言に関するものだけだったが、当時、ネトウヨや極右メディアがこの謝罪を意図的に拡大解釈し、あたかも戦中に「慰安婦」自体の存在がなかったのようなデマを喧伝しまくった。意図的かどうかは知らないが、八代弁護士や河村市長らはこのネトウヨ歴史修正の詐術に丸乗っかりしているということだろう。
 だとしたら、本サイトとしては何度でも、その欺瞞と詐術を明らかにしておく必要がある。戦中の日本軍が各地に慰安所をつくり、現地の女性たちや朝鮮半島の女性たちを慰安婦にして、兵士の性暴力の相手にさせられたのは客観的事実だからだ。
 日本軍が侵略したアジアの各地に慰安所をつくったことは残された軍の記録や通達からも明らかであり、歴史学的にも議論の余地はない。軍が斡旋業者を使って騙して女性を連れ出した証拠や、現地の支配者や村長に命じて女性を差し出させた証拠もいくらでもある。そして、慰安所で現地の女性や朝鮮半島から連行した女性を軍が性的搾取したことは、多くの被害女性だけでなく、当時の現地関係者や元日本兵、元将校なども証言していることだ。
 たとえば、海軍出身の中曽根康弘元首相は、回想記『終りなき海軍』のなかで、当時、設営部隊の主計長として赴任したインドネシアで〈原住民の女を襲う〉部下のために〈苦心して、慰安所をつくってやった〉ことを自慢話として書いている。この中曽根証言は、防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センターが所蔵している当時の文書「海軍航空基地第2設営班資料」において、〈気荒くなり日本人同志けんか等起る〉ようになったところで〈主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設 気持の緩和に非常に効果ありたり〉と記されているように、歴史事実として裏付けされたものだ。
産経の総帥も自著で軍時代の慰安所設立を自慢「女の耐久度とか消耗度も決めていた」
 また、陸軍出身の鹿内信隆・元産経新聞社長は、桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版)のなかで、慰安所と慰安婦が軍主導であった事実をあけすけに語っていた。
「(前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋(引用者註:慰安所のこと)が……」
「調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった」 
 実際、靖国偕行文庫所蔵の『初級作戦給養百題』(1941年)という陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書の記述にも〈慰安所ノ設置〉が業務のひとつとされており、この鹿内証言も軍の資料と完全に一致する。
 朝鮮半島の女性たちを慰安婦にした証拠も枚挙にいとまがない。
 日本はアジア・太平洋戦争で東南アジア各国を侵略、傀儡政権を樹立したり、軍の統治下に置くなどの支配を進めていったが、たとえばシンガポールでは現地の華僑を粛清した後に、日本軍の宣伝班の下で刊行された新聞に“慰安婦募集の広告”が出ている。そうした慰安所に大勢の朝鮮人女性も動員されたことは「16歳の時にシンガポールの慰安所に連れて行かれた」という朝鮮人元慰安婦の証言だけでなく、近年発見されたビルマ(現・ミャンマー)とシンガポールの慰安所で帳場の仕事をしていた朝鮮人男性の日記からも明らかになっている。また、独立自動車第四二大隊にいた元日本軍兵士も「トタン塀」と呼んでいた慰安所には「娼妓は朝鮮人が多かったが、マライ人もいた」と証言している。
朝会談の舞台となったセントーサ島では朝鮮人女性が騙されて慰安婦に
 昨年、米朝会談の舞台となったシンガポール南端のセントーサ島(旧称・ブラカンマティ島)でもまた、朝鮮人女性たちが慰安婦として働かされていた。しかも、彼女たちは別の仕事だと騙されて連れてこられたのだ。
 当時、東南アジアで通訳として従軍していた永瀬隆氏が証言している。永瀬氏は、日本が戦中につくらせたタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道で陸軍の通訳をしていたことで知られる日本人男性だ。日本軍による泰緬鉄道建設にあたっては、数万人のアジア人労働者や連合国軍の捕虜が非人道的な扱いを受け犠牲となっている。永瀬氏は戦後、反戦平和の立場から個人でその慰霊と償いの社会活動を続け、2011年に亡くなった。
 その永瀬氏が生前、月刊誌「MOKU」(黙出版)1998年12月号での高嶋伸欣・琉球大学教授(現・名誉教授)との対談のなかで、セントーサ島での体験を語っていた。シンガポールでも数か月の間、陸軍の通訳として勤務しており、その時、慰安所の女性たちや軍の部隊長と話をしたことをこのように振り返っている。
「(セントーサ島には1942年の)十二月中旬までいました。十一月になって隊長が僕を呼んで、『実は朝鮮の慰安婦がこの部隊に配属になってくるんだが、彼女たちは日本語がたどたどしいから、日本語教育をしてくれ』というんです。僕は『嫌なことをいうな。通訳はそこまでしなきゃいけんのか』と思ったけど、その隊長はもう島の王様気取りでおるんです。仕方がないから、慰安婦の人たちに日本語を三、四回教えました」
 永瀬氏は「そのうちに、僕は兵隊じゃないから、慰安婦の人も話がしやすいんだな」と思ったという。そして、朝鮮人女性たちに慰安所にきた理由を聞くと、騙されて連れて来られたというのだ。
「それで僕も『あんたたちはどうしてここへ来たんだ』と聞いたら、『実は私たちは、昭南島(シンガポール)の陸軍の食堂でウエイトレスとして働く約束で、支度金を百円もらって軍用船でここへ来たんだけど、着いた途端に、お前たちは慰安婦だといわれた』というんです」
「それを聞いて、ひどいことをするなと思った。いま考えてみても、強制的に連行して慰安婦にするよりも、そうやって騙して連れてきて慰安婦にするほうが、僕は罪は深いと思います。
 とにかく、それから島の中に慰安所ができたんですが、隊長が慰安所の兵隊にくだしおかれる前に、慰安婦を毎晩代わりばんこに次から次へ味見しているという話を聞きました」
「慰安婦は存在しなかった」の嘘が堂々とまかり通る恐ろしさ
 つまり、日本軍は、彼女たち朝鮮人女性に性的労働をさせることを告げず、まして嘘の説明で騙して慰安所に連れて行ったケースが明らかに存在した。そして、前述した中曽根元首相らの証言や当時の軍資料のように、日本軍が従軍慰安婦に積極的に関与していたことも歴史的な事実なのである。
 八代弁護士が言うような「慰安婦問題は史実に基づかない」というのが、いかにフェイクであるかが分かるだろう。歴史修正主義者たちは、こうして慰安婦問題を矮小化しているのだ。
 恐ろしいのは、こうした歴史的な事実を否認する発言が、当たり前のようにワイドショーで飛び出し、他のマスコミが検証を放棄した結果、少なからぬ視聴者が何ら疑念をもたないでいることだ。実際、八代弁護士の発言の嘘を検証したり、批判的に取り上げるマスコミは、いまのところ皆無。それどころか、Twitterでは「よくぞ言ってくれた!」というような賞賛まで受けている。
 繰り返すが、安倍政権が煽動する“嫌韓”を、応援団やマスコミが増幅し、それがごく当たり前のように社会に蔓延しているのが、いまの日本社会だ。その結果起きたのが、平和の少女像などの展示に対する異常なバッシングであり、放火テロまでほのめかす脅迫だった。歴史的事実や、それに向き合うための表現まで「反日」と糾弾され、封殺されてしまう状況は、もはや“嫌韓ファシズム”と呼ぶべきかもしれない。
 しかも、こうしたメディアの扇動によって、国民の世論じたいもどんどん冷静さを失っている。
 政府が先月実施した「ホワイト国除外」に関するパブリックコメントには、寄せられた4万666件の意見のうち、「除外」に賛成が実に約95%で、反対はわずか約1%だったという。これは、安倍応援団やネトウヨの組織票の可能性が濃厚だが、他方、FNNと産経新聞が3、4日に実施した世論調査でも、「ホワイト国除外」を「支持する」が67.6%に登り、「支持しない」は19.4%にすぎなった。
 ワイドショーをはじめとするマスコミには、自分たちが取り返しのつかない状況を作り出しているという自覚はないのだろうか。


「表現の不自由展」中止 許されない暴力的脅しだ
 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が、開幕直後に中止に追い込まれる異例の事態となった。
 慰安婦を象徴する韓国人作家の「平和の少女像」や、昭和天皇をモチーフにした作品に対し、脅迫めいた内容を含む多数の抗議電話やメールがあった。中止は来場者や関係者の安全を考慮した措置と説明する。
 企画展に展示されているのは、全国の美術館などで過去に撤去や公開中止になった16組の作品だ。
 芸術監督をつとめるジャーナリストの津田大介さんは、「表現の自由」について自由に議論する場にしたかったと話した。
 作品を鑑賞して共感したり、反感を抱いたりするのは当然だ。それこそがこの展示の意図でもあろう。
 しかし、2日朝には「ガソリン携行缶を持って行く」といったファクスが届いたという。京都アニメーションの放火殺人事件を思い起こさせるもので悪質だ。
 過熱する抗議の電話は、芸術祭の実行委員会だけでなく、愛知県庁や協賛企業にまで広がった。事務局の電話は鳴りやまなかったという。
 自分たちと意見を異にする言論や表現を、テロまがいの暴力で排除しようというのは許されない行為だ。こういった風潮が社会にはびこっていることに強い危機感を覚える。
 政治家の対応にも問題がある。少女像を視察した河村たかし・名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる行為」などとして、展示の中止を求めた。
 また、菅義偉官房長官は、文化庁の補助金交付の是非について検討する考えを示した。
 暴力によって中止に追い込もうとした側が、政治家の発言を受けて勢いづいた可能性がある。
 作品の経緯からして、反発の声が上がることは十分予測できた。悪化する日韓関係も原因の一つと考えられる。
 津田さんは「想定が甘かったという批判は甘んじて受ける」と語る。万が一のリスクを回避しなければならないという考え方は理解できる。
 一方で、脅せば気に入らない催しをやめさせることができるという前例になったとすれば、残した禍根は小さくない。


台風8号が宮崎上陸、九州縦断へ 暴風、高波、土砂災害に警戒
 台風8号は6日午前5時ごろ、強い勢力のまま暴風域を伴って宮崎市付近に上陸した。進路を北寄りに変えて九州を縦断し、対馬海峡から6日夜には朝鮮半島に達する見込み。九州南部を中心に猛烈な風が吹き、非常に激しい雨が降った。気象庁は暴風や高波、土砂災害に警戒するよう呼び掛けた。台風の日本上陸は7月26日、三重県南部に台風6号が上陸して以来、今年に入って2回目。
 6日午前、宮崎市で最大瞬間風速39・6メートルの非常に強い風を観測し、同地点の8月の観測史上最大を更新した。他に長崎県雲仙市で32・1メートル、大分県佐伯市で31・7メートルの風を観測した。


台風8号 宮崎市付近に上陸
強い台風8号は先ほど宮崎市付近に上陸しこの時間は大隅地方の一部が暴風域に入っています。
薩摩、大隅地方では急激に風と雨が強まって大荒れの天気となるおそれがあり、周辺の安全が確保できるまでは不要な外出を控えてください。
気象庁によりますと、強い台風8号は、先ほど午前5時ごろ、宮崎市付近に上陸し、北西へ進んでいます。
中心の気圧は970ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は35メートル、最大瞬間風速は50メートルで、中心の北東側110キロ以内と南西側70キロ以内では風速25メートル以上の暴風が吹いています。
大隅地方の一部が暴風域に入っていて、各地で風が強まっています。
午前4時50分前には種子島で17.7メートルの最大瞬間風速を観測しました。
6日予想される最大風速は薩摩、大隅地方と種子島・屋久島地方の陸上と海上で20メートルから25メートル、最大瞬間風速は30メートルから35メートルと予想されています。
また、予想される1時間雨量は大隅地方で80ミリ、薩摩地方で60ミリできょうの夜遅くまでに予想される24時間の雨量は、いずれも多いところで大隅地方で250ミリ、薩摩地方で180ミリです。
波も高くなり、大隅地方で8メートル、種子島・屋久島地方で6メートルの大しけとなる見込みで、薩摩地方は4メートルとしける見込みです。
気象庁は土砂災害や低い土地の浸水、川の氾濫などに厳重に警戒するとともに、暴風やうねりを伴った高波に警戒するよう呼びかけています。
また、竜巻などの激しい突風にも注意が必要です。
台風が近づくと外に出ることが困難になります。
大荒れになっている地域では周辺の安全が確保できるまでは不要な外出を控えてください。