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あいちトリエンナーレ情の時代_豊田190912

Au Japon, le château de Shuri, classé au Patrimoine mondial, dévasté par les flames
Aucun blessé n’était signalé et l’incendie était en grande partie maîtrisé, jeudi matin, mais de la fumée blanche continuait de s’échapper en plusieurs endroits.
Comme la cathédrale Notre-Dame de Paris, le château de Shuri, classé au patrimoine mondial de l’Unesco depuis 2000, a été dévasté par les flammes. Situé dans l’archipel d’Okinawa, au sud du Japon, il a été en grande partie détruit par un incendie dans la nuit de mercredi à jeudi 31 octobre, ont annoncé les autorités locales. Aucun blessé n’était signalé, selon les médias japonais.
Des images de télévision prises au milieu de la nuit montraient de grandes flammes orange envahissant le bâtiment historique. Le feu est à présent maîtrisé mais 4 800 m2 du complexe sont partis en fumée. ≪ La chaleur émise était très forte. Les pompiers ont eu beaucoup de mal à s’en approcher ≫, a expliqué un pompier à la chaîne publique NHK. ≪ Tous les [trois] principaux bâtiments ont entièrement brûlé ≫, a déploré Daisuke Furugen, un responsable des pompiers de Naha. Vers 7 h 30 (23 h 30 mercredi en France), de la fumée blanche continuait de s’échapper en plusieurs endroits.
Les raisons du sinistre n’ont pas encore été déterminées mais une alarme de sécurité s’est déclenchée vers 2 h 30 ≫ du matin, a déclaré jeudi Ryo Kochi, un porte-parole de la police d’Okinawa.
Des travaux étaient en cours
Je suis profondément choquée par la nouvelle de l’incendie du château de Shuri ≫, a déclaré Mikiko Shiroma, la maire de Naha, où se situe le château, au cours d’une réunion d’urgence tenue dans la capitale régionale et retransmise par la télévision publique japonaise NHK. ≪ C’est un site du Patrimoine mondial qui représente Okinawa. La ville de Naha va faire tout son possible, tout ce qui est en notre pouvoir ≫ pour gérer l’incendie et ses conséquences, a-t-elle ajouté.
M. Kochi a précisé de son côté qu’un événement touristique s’était déroulé sur le site jusqu’au 27 octobre et que des travaux liés à ce projet avaient été menés jusqu’à 1 heure du matin, mais qu’on ne pouvait dans l’immédiat pas faire de lien avec l’incendie.
Ce château est un des principaux éléments d’un complexe historique remontant au royaume de Ryukyu. Il aurait été utilisé à partir du XVe siècle. La structure en bois détruite était une reconstruction effectuée après-guerre à partir de photographies et de plans de l’ancienne.
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フランス語の勉強?
クローズアップ現代+「五輪マラソン・競歩日本も…リスク身近に都とIOCの主張」
注目のIOC調整委員会が開催中・最新の見通しは?▽突然の事態に戸惑う選手・ファン・自治体▽IOCはなぜ?ドーハの世界選手権後に何が?暑さ対策は?費用負担は? 武田真一, 早稲田大学教授…友添秀則,元マラソン選手…増田明美
鳩山由紀夫@hatoyamayukio
沖縄の人々の精神的なシンボルであった首里城の正殿が全焼してしまいました。悲しみにくれておられる全ての方々に心からお悔やみを申し上げます。私もこの報に触れて呆然としました。一刻も早く再び復元され、ウチナーンチュのみなさんの涙が止まりますよう祈っています。
想田和弘@KazuhiroSoda
首里城の焼失には、ただただ言葉を失いますね…。しかし再建できる日がきっと来ると思います。
つばめ次郎 @bluehearts2016
「狭山事件の再審を求める市民集会」が日比谷野外音楽で開催。56年も無実を叫び続ける石川一雄さん。
有罪判決が出されて45年。全国から石川んの無実を訴え3000人が結集。
数々の無罪の新証拠が提出されているが45年間も事実調べが行わない現実。
冤罪防止、誤審判定のカギは証拠開示と事実調べ!

部落解放同盟兵庫県連合会 @bll_hyogo1922
再審無罪を訴え続け、今年も「狭山事件の再審を求める市民集会」が開催されました。
石川一雄さんは「年齢的にも今年が最後のチャンスかもしれない」と言われています。
東京高裁は1日も早い鑑定人尋問・再審開始を!
#狭山事件
#冤罪
#差別

福島みずほ@mizuhofukushima
今日は狭山事件の再審を求める市民集会に参加し、社民党を代表して挨拶をしました。石川一雄さん、石川早智子さん、うじきつよしさん、袴田秀子さん、金聖雄さん、桜井昌司さんなどにお会いしました。
想田和弘@KazuhiroSoda
石垣のりこ議員、期待度高い。立憲民主党はこういう人を大事にしてほしい。大事にされるなら立憲民主党にも期待が保てる。
想田和弘@KazuhiroSoda
ケン・ローチ監督新作「家族を想うとき」、凄いです。以前は社会の最下層を描いていたローチだが、最近は新自由主義経済下の中産階級の没落を徹底して描いている。今回は宅配フランチャイズの運転手が主人公。自営だからとリスクは押し付けフランチャイズだからと自由は奪う現代の奴隷制だ。マジ必見。
ケン・ローチ作品のいつもの特徴だけど、とにかくドキュメンタリーと見まごうような描写力とリアリティが凄い。出ているのは俳優で、脚本があるのだということをうっかり忘れてしまう。なんでこの監督にはこんな芸当ができるんだろ。とにかくスゴ過ぎる。人間や社会に対する洞察も卓越している。
前作の「わたしは、ダニエル・ブレイク」で引退すると言ってたけど、撤回して「家族を想うとき」を作ってくれて、本当によかったと思う。現代に生きる私たちにはこの監督が必要だ。可能な限り、作品を撮り続けて欲しいと切に願う。


母の夢を見ました.朝から悲しいです.
今日もキソなしでのんびりしていたところ,電子レンジでトラブル.容器を溶かしてしまいました.電子レンジ対応の容器だったのに.ちょっと焦げた匂い.重曹は手元にないのでコーヒー豆で・・・と思って加熱したらまた焦がしてしまいました.
しばらくしておじさん2人がやってきました.上の階にも匂いいっていたようです.すみません.
気持ち沈んだままレシートの続き.やはりいろいろ思い出します.
晩ご飯はガパオです.でもお酒飲むのであまり食べませんでした.明日のお弁当にします.

旧門脇小被災本校舎 手つかずの姿見納め 遺構整備で一部解体
 石巻市は旧門脇小学校を東日本大震災の遺構として保存するための工事に着手し、本校舎を覆っていた灰色のシートが6年4カ月ぶりに外された。津波火災の爪痕を残す3階建て校舎は一部が解体されることになっており、手つかずの姿を見られる期間はわずかだ。
 被災校舎がシートで覆われたのは、平成25年6月。校舎整備で手狭になった市立桜坂高校の一時的なグラウンドとして旧門脇小の校庭が使用されることになり、安全対策として囲われた。
 震災遺構整備に当たっては、幅約107メートルある本校舎のうち、中央部の約67メートルを左右対称になるように保存し、両端の2教室分が解体される。工事開始が見込まれる11月上旬以降まで、敷地外から現状の姿が見られる。
 市は令和3年度前半の公開を予定。安全上、本校舎内に人を入れず、北側に新設する観察棟から見学することになる。また、震災前の学校生活や被害だけでなく、市全体の被災状況や教訓を伝えることとし、既存の特別教室棟を改修して企画展示室などを配置。現在の体育館には避難所を再現するほか、応急仮設住宅の実物を展示し、市民利用スペースも置く。
 住民に本校舎全部の保存を求める声があるものの、市は維持管理の課題などから部分保存を決定。近くで整備中の南浜津波復興祈念公園と関連付け、災害を伝承していく。


丸森で被害集中11人犠牲 豪雨と地形悲劇招く
 台風19号は宮城県丸森町で大規模な河川氾濫と土砂災害を引き起こし、死者10人、行方不明者1人の計11人が犠牲となった。県内の犠牲者21人(死者19人、行方不明者2人)の半数以上を、人口が県全体の0.6%、面積3.8%の丸森町が占めた。なぜ、これほどの人的被害が小さな町に集中したのか−。桁外れの豪雨と地形が要因として浮かび上がった。(報道部・東野滋、鈴木拓也)
■橋に流木
 台風19号は海面の水温が高い海域を進み、大量の水蒸気が供給されて巨大な雨雲を形成した。同町筆甫の12時間降水量は517.5ミリを観測。年平均降水量の35.5%に相当する。
 気象庁によると、湿った空気が台風の東風で阿武隈山地にぶつかって上昇し、雨雲が発達する「地形性降雨」も重なった。
 町では阿武隈川(全長239キロ)の堤防決壊こそ免れたものの、支流の内川や新川、五福谷川の破堤は18カ所に上った。2018年の西日本豪雨で51人が死亡した岡山県倉敷市真備町と同様、川の合流点で水位が急上昇し、流れが滞り増水したとみられる。
 三つの支流の上流にある山間部では土砂崩れが100カ所以上発生。中下流域に運ばれた大量の土砂が川底に堆積したほか、無数の流木が橋に掛かって川をせき止め、あふれ出した濁流が地域を襲った。16年の台風10号で被災した岩手県岩泉町でも確認された現象だ。
■内水氾濫
 町中心部では市街地と山に降り注いだ雨水を排水し切れず、水路などからあふれる「内水氾濫」も起きた。浸水状況は町のハザードマップの想定浸水域とほぼ重なる。
 ただ、マップは阿武隈川の氾濫を前提としている。現地調査した東北大災害科学国際研究所の柴山明寛准教授(地震工学)は「それだけ内水氾濫の浸水が膨大だった」と驚く。
 福島県内の阿武隈川上流では堤防決壊と氾濫が多発した。下流の水量が減り、丸森町で決壊を免れた可能性がある。決壊していれば浸水量は激増し、柴山准教授は「2階に逃げた人も危なかった」と指摘する。
 山間部で多発した土砂災害も被害を拡大させた。京大防災研究所の竹林洋史准教授(河川工学)は、住宅ごと男女4人を土石流が襲った子安地区や隣接する廻倉(まわりぐら)地区の地質などを調査し「元々もろかった地盤が、大雨でさらに緩んだのが原因」と分析する。
 子安地区の土石流をシミュレーションした結果、秒速は約10メートル(速報値)と推定。約400メートル先の住宅まで約40秒で到達する計算で、逃げる時間はなかった。
■「紙一重」
 地元では、廻倉地区で02年に起きた大規模な山火事と土砂災害の関連をいぶかる声が多い。県は焼失した約160ヘクタールのうち52ヘクタールで植林するなどしたが、まだ根の張りが不十分だったのではないかとの疑念からだ。
 東北大災害研の森口周二准教授(地盤工学)は「西日本豪雨や台風10号豪雨でも山火事と関係なく土砂崩れが起きた。根が土砂流出を防ぐ効果はあるが、これだけの雨量では耐えられない」と強調する。
 子安、廻倉両地区とも県の土砂災害危険箇所に指定されていなかった。森口准教授は「危険箇所の有無を無意味にするほどの恐ろしい雨だった。被害がなかった地域も紙一重。山際に住む人は土砂災害のリスクを認識し、早めに避難してほしい」と訴える。


丸森町で全域断水解消へ 試験通水始まる
 台風19号豪雨で被災した宮城県丸森町で30日、断水が続く全地区への水道の試験通水が始まった。31日にもほぼ全世帯に通水し、町内の断水は解消に向かう見通し。
 30日までに試験通水が始まったのは舘矢間、丸森、金山、小斎地区の計2686世帯。水が濁ることもあり、町は「安全が確認できるまで飲み水にはしないように」と呼び掛ける。水道管の破損が確認されれば復旧に当たるという。
 金山地区で庭の片付けをしていた無職斎藤直さん(62)は「掃除をしても土ぼこりがひどかった。まずは床の水拭きをしたい」と話した。丸森地区のアルバイト斎藤富夫さん(64)も「給水所に通ったり、水を買ったりしていたので助かる。家で風呂に入れる」と笑顔だった。
 町では最大3448世帯が一時断水。被災した浄水場3カ所の復旧作業などを急いでいた。


大郷の温泉施設が入浴支援 被災住民ら受け入れ「心身の疲れ癒やして」
 台風19号で大きな被害が出た大郷町で、町内の被災者や支援ボランティアを対象に、同町東成田の天然温泉施設「夢実(ゆめみ)の国」が入浴支援を行っている。吉田川の決壊で被災した家屋の片付けや避難所暮らしで疲れた住民らが無料で湯船に漬かり、英気を養っている。
 夢実の国は町内唯一の入浴施設。町の要請を受け、14日に入浴支援を始めた。初日は町民全て、15〜27日は被災した町民を自己申告で受け入れた。28日からは被災して風呂に入れない状態の町民を対象にしている。町への支援ボランティアも、受け入れ窓口の町社会福祉協議会と話し合い、15日から無料で受け入れている。
 避難所となっている町内のフラップ大郷21との間で送迎バスを運行する。当初は1日4便、現在は午後6時45分避難所発の1往復で、毎日10人前後が利用するという。
 29日に家族と訪れた同町の病院職員男性(58)は「ほぼ毎日お世話になっている。自宅が被災し、片付けが思うように進まない。入浴でリフレッシュでき、助かる」と笑顔を見せた。
 料金は被災者分を町が、ボランティア分を夢実の国が全額負担。運営するサンケーヘルス「夢実の国」の武蔵一昌ホールサービス課長は「地域密着の会社なので被災者の力になりたい」と話す。町の武藤弘子税務課長は「避難所にシャワーはあるが、やはり違うと思う」と協力に感謝する。


土砂被害の登米・柳津虚空蔵尊 佐沼高生が復旧手助け
 台風19号の豪雨で登米市津山町の古刹「柳津虚空蔵尊(やないづこくぞうそん)」が大規模な土砂被害に見舞われた。本堂や寺務所、庫裏は被害を免れたものの、明治期に造られた橋が崩落したほか、併設のカフェが床上浸水の被害に遭い、境内の広範囲が土砂で埋まった。地元の高校生らがボランティアで泥出し作業を行うなど、救援の輪が広がっている。
 台風19号で虚空蔵尊を取り囲む山の土砂が崩れ、山から流れ出る2本の川の水が氾濫。通過後の13日朝、境内に樹木や土砂などが流入し、1メートル以上の高さになっていたことが判明した。
 境内には新元号「令和」の出典となった万葉集の編者の一人、大伴家持が和歌を詠んだと伝わり、縁結びの御利益があるとされる「鵲(かささぎ)橋」があったが、川の氾濫で石造りの橋脚が崩れた。
 参拝客の休憩所となっていたカフェ「夢想庵」の建物は泥水が流れ込む被害があり、休業に追い込まれた。
 虚空蔵尊は東日本大震災後、被災地の現状などを発信し、隣接する南三陸町や石巻市への支援活動の橋渡しをするなど、復興の拠点となった。台風による豪雨の被害後は、南三陸町の被災者ら、県内外のボランティアが駆け付け、土砂の撤去などを手伝った。
 27日には、佐沼高の生徒59人が市社会福祉協議会の災害ボランティアとして境内や駐車場に堆積した流木や泥の撤去作業をした。
 生徒会長の2年阿部大智さん(16)=南三陸町=は「実際に来たら大変な被害になっていたことが分かった。震災で自分の町の人たちが助けられた寺であり、恩返しになればいい」と話した。
 虚空蔵尊の広報担当、杉田史さん(46)は「震災で縁があった多くの人たちに助けられ、少しずつ元の状態に戻りつつある。困っている人を助けたいという生徒さんの気持ちに感謝したい。とても励みになる」と語る。
 参拝や祈〓(きとう)は通常通り受け付けている。カフェは11月1日に再開する予定。復旧支援ボランティアの連絡先は杉田さん090(2607)9158。 (注)ゲタは示偏に壽


「応援カレー」心温かく 東北楽天・嶋選手が丸森で炊き出し
 プロ野球東北楽天で活躍し、今季限りでの退団を申し入れた嶋基宏選手(34)が30日、台風19号の豪雨で被害に遭った丸森町を訪れ、舘矢間小の児童約170人と同小体育館で避難生活を続ける被災者にカレーライスと豚汁を振る舞った。
 嶋選手から料理を受け取った子どもたちは「大きい」「心臓の音が速くなっている」と興奮していた。嶋選手と握手した4年の冨田安時(あんじ)君(10)は「手が大きくて温かかった。会えてうれしい」と喜んでいた。
 同小の体育館には29日現在、16世帯43人が避難している。山間部で孤立状態になり、ヘリコプターで救助された介護士の八巻智子さん(56)は「自分で作るカレーよりもおいしかった。避難所のみんながにこにこしていた」と話した。
 嶋選手は「いつも応援してもらっているので、今回は応援しようと思った。本当に来てよかった」と語った。


ボランティア集まらない 福島の被災地が悲鳴
 台風19号で甚大な浸水被害を受けた福島県内の被災地が、ボランティアの確保に苦労している。被害が東日本の広域に広がり、福島に来るボランティアがそもそも少ないからだ。マンパワー不足は深刻で、被災者の生活再建を阻む要因にもなっている。
 約380棟が浸水した南相馬市。地元の社会福祉協議会は被災ごみの片付けや泥のかき出しといったニーズが多いことを受け、18日にボランティアセンターを開設した。しかし初日の応募はゼロで、その後も10〜40人と低空飛行が続く。
 市社協地域福祉課の佐藤清彦課長は「ボランティアの絶対数が少なすぎる。本音を言うと1日100人の人手は欲しい」と語る。被災者からの派遣依頼が20件ほど残っているといい「今月中に全てに応えるのは難しいだろう」と話す。
 約100棟が浸水した川俣町の社協もボランティア集めに苦戦する。当初は町民限定で募集したが、想定通りに集まらないため門戸を町外にも広げた。だが休日でも40人程度で、当初目標の50人を下回る。
 なぜ、ボランティア確保が難航しているのか。両社協の担当者が理由に挙げるのが報道量の差。
 県内は氾濫した阿武隈川流域の被害を伝える報道が多く、両市町のように阿武隈川から離れた地域は報じられる機会が少ない。被害実態が伝わらず、訪れるボランティアが少ないという見方だ。
 ボランティア不足を訴える声は阿武隈川流域でも聞かれる。7人の犠牲者が出た本宮市。地元のボランティア関係者は「休日は数百人が来ているが、被害規模があまりにも大きすぎてまだまだ人手は足りない」と語る。
 ピースボート災害ボランティアセンター(東京)の事務局長を務める上島安裕さん(37)によると、ボランティア不足は東日本の被災地共通の課題。被害が広域的なことに加え西日本のボランティアが長野県に集中し、偏在が起きていることも大きいとみられる。
 上島さんは偏在の解消策として「ボランティア不足の全体像が分からないことが一番の問題だ。まずは各自治体ごとの被災状況とボランティア数をホームページで公開し、どこで足りないかを一目で分かるようにする仕組みを公的機関が構築してほしい。そうすれば足りない自治体に人手を誘導できる流れができるのではないか」と指摘する。


災害弱者 孤立防ぐ仕組みづくりを
 高齢者や障害者ら災害弱者をどう支えるか。台風19号で改めて課題が浮かんでいる。
 逃げ遅れて亡くなった人は、高齢者が目立つ。福島県いわき市では足腰の不自由な86歳の男性が背丈の高さにまで迫った水から逃れられず、自宅で亡くなった。
 浸水した自宅から救助された人の中には、認知症の高齢者を抱え避難所で迷惑を掛けたくないと避難をためらっていた人がいた。
 障害のため、避難の情報が伝わりにくいケースもあった。
 耳が聞こえない長野市の男性は本紙の取材に、防災行政無線や携帯電話に届く緊急速報メールの警告音が聞こえず、深刻さが分からなかった体験を語っている。
 近所の女性が慌てた様子で窓をたたくのを見て、ようやく事態の重さを認識したという。
 命を守るには状況が緊迫する前の避難が最も有効だ。行政も、避難勧告の1段階前に当たる発令の表現を「避難準備・高齢者等避難開始」とするなど、早期避難の重要性を明確にしている。
 情報が伝わらなかったり避難をためらわせたりするようでは、事前避難は難しい。孤立しがちな災害弱者の視点に立って、対策を点検する必要がある。
 災害対策基本法は2014年、「避難行動要支援者名簿」の作成を自治体に義務付けた。国は指針で、名簿を基に支援者や避難先を決めておく「個別計画」を作るよう市区町村に求めている。
 今年9月の共同通信の調査によると、計画作成を完了したのは県庁所在地など調査対象の全国74市区のうち、3市にとどまる。
 計画作成を実質的に担っているのは自治会や民生委員である。いざというときに家族以外で頼れるのは隣近所だろう。住民同士の共助に対する期待は大きい。
 地域全体の高齢化で支援者の確保は困難だ。民生委員らの負担が重すぎないか。都市部では人々のつながりも希薄になっている。
 計画作りを進めるならば、ケアマネジャーや障害者団体など関係する幅広い個人・団体の力が欠かせない。国は任せきりにせず、課題を洗い直してほしい。
 災害弱者は避難先でも困難に行き当たる。支援が必要な人向けの福祉避難所もあるが、周知されているとはいえない。活用について検証が必要だろう。
 鳥取県から手話通訳者が来るなど、長野県内の避難所では今回、他県の応援も災害弱者支援の力になっている。枠を超えた広域の支え合いも積極的に進めたい。


秋田高の学食10年ぶり復活 同窓会が寄付呼び掛け実現
 2009年から休止状態だった秋田高(秋田市)の学生食堂が今年4月、10年ぶりに復活した。同校同窓会の「学食復活プロジェクト」が実を結んだ。約半年がたった29日夕、同窓会が企画した記念イベントが学食であった。
 「学食グランドオープン・レセプション」と題したイベントには卒業生や在校生ら約60人が参加した。
 卒業生でもある米田進秋田県教育長が「学食は友達、先輩、後輩の交流の場。心をつなぐ大事な働きをすると期待している」とお祝いの言葉を述べた。「秋高(しゅうこう)学食あるあるネタ」と銘打ったパフォーマンスなどがあり会場を沸かせた。
 学食は校舎と別棟の研修会館の1階に昭和の時代からあり、同じ場所で再開させた。造りは昭和期とほとんど変わらない。出入り口などには学食復活の大きな4文字に「文武両道のその前に、飯。」のメッセージを添えたポスターが張ってある。
 運営を委託していた業者が撤退したのが09年。以来、生徒らは食堂がない学校生活を送ってきたが、17年春、同窓会の復活プロジェクトが始動。同年7月に生徒、父母、教職員にアンケートを行った。
 約8割が「学食は必要」と回答したことを踏まえ、ウェブページなどで「厨房(ちゅうぼう)改修費や運営費として500万円以上を目標に支援を募ります」と呼び掛けた。
 それぞれに学食の思い出を心に刻む卒業生の反応は良く、久々の復活がすんなりと実現した。10月2日時点の寄付状況は約700人、700万円以上に上る。
 29日のイベントで、生徒会長の2年大関叶(かなう)さん(17)は「先輩も後輩も集い、みんな喜んで食事をしている。ずっと守っていけるよう、僕たちも努力したい」と語った。


「身の丈」発言 撤回で不問とはいかぬ
 萩生田光一文部科学相は、自らの発言の「重さ」を分かっていないのではないか。
 経済環境や居住地などによる受験機会の不公平が指摘される大学入学共通テストの英語民間検定試験について、同氏の「身の丈で頑張って」という発言は、公平性が担保されていないことを暗に認めるに等しい。
 同氏は発言を謝罪し、撤回もしたが、各方面からやまない疑念、懸念の数々に向き合った説明は、ついぞ聞かれない。「身の丈」発言は、撤回で不問にできる類いのものではなく、文科相の認識として問題なのだ。
 11月1日には、民間試験の成績を管理するための「共通ID」の発行申請が始まる。この期に及んで、試験の有効性に疑義が相次ぐ現状は、もはや異常というしかない。
 「試験そのものは公平に設計した」というなら、言葉を尽くして具体論で受験生らの不安を解消してほしい。
 英語民間検定試験は、大学入試センター試験に代わって現在の高校2年生を対象に2020年度入試からスタートする大学入学共通テストで、新たに導入される。
 入試センターが認定した6団体が実施する7種類の試験を活用。高校3年の4〜12月の間に受験したうち、共通IDを記入した最大2回分の結果が、同センターを通して出願大学に送られる。
 だが試験会場は都市部が中心。地方在住者は、場合によって多額の交通費や宿泊費が必要になるほか受験料も試験によって幅があり、試験選択の段階から差が生じる懸念が指摘される。
 そもそも目的も尺度も異なる複数の民間試験を、単一の基準で比較できるのかという疑問も拭えない。
 試験結果は「CEFR(セファール)」という英語力の国際指標に当てはめて6段階で評価するというが、それを成績とどう対応させるかは各実施団体それぞれの手法に委ねられ、相互に公正さを担保する仕組みは不透明だ。
 7月には全国高等学校長協会が、こうした問題点を列挙する要望書を文科省に提出。当の受験生からも直接、間接に不安の声が発せられているが、一向に解消されないままに口を突いたのが「身の丈」発言の罪深さと言えよう。
 萩生田氏は「『あいつ予備校に通ってずるい』というのと同じだと思う」との見方も示している。受験生が公平に試験に臨める環境整備と、予備校に通えるかどうかは別問題。安直な発想には、文科相としての「身の丈」を疑う。
 これは、ただの政策ではない。若者の志を、国として大事と考えるかどうかという問題だ。政府は、挙げてしっかり対応してもらいたい。


文科相「身の丈」発言 格差容認か 大臣として見識疑う
 教育行政のトップとして教育機会の均等を図らなければならない立場である。にもかかわらず、教育格差を容認するような発言をした。大臣としての見識を疑わざるを得ない。
 大学入学共通テストの英語民間検定試験を巡り、萩生田光一文部科学相はテレビ番組で、家庭の経済状況や居住地で不利が生じると指摘され、「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と述べた。不利な環境を甘んじて受け入れるよう受験生に求めたと受け止められても仕方がない。公平な制度設計を進める責任のある大臣がする発言ではなく、受験生や保護者らから批判が集まるのも当然だ。
 今回の発言は大臣自らが入試の機会均等が確保されないと認識していることの証左である。英語で導入される民間試験は6団体7種類から最大2回まで受験する。受験料が2万円を超える試験があったり、会場が都市部に限られる試験が多かったりして、経済格差や地域格差といった問題が指摘されてきた。2020年4月を予定している民間試験の導入時期について、全国高等学校長協会は延期を求めている。
 萩生田氏は今月初めの記者会見でも「初年度は精度向上期間だ」と発言、受験生らから「実験台にしないと言ったのに」と抗議を受けたばかりだ。今回は「身の丈発言」のほかに「『あいつ予備校に通ってずるい』というのと同じだと思う」とも述べている。入試の公平性と予備校通学を同じように語ることはできない。いずれの発言も受験生の心情に寄り添っておらず、思慮を著しく欠いている。
 「身の丈発言」について萩生田氏は撤回し、謝罪した。その上で、民間試験を予定通り実施する方針を示している。課題があっても強引に制度を始めようとする姿勢が垣間見える。経済格差や地域格差が解消されず、受験生や関係者の不安が残ったままでの制度開始は許されないと政府は自覚するべきだ。
 大臣や政治家の問題発言が後を絶たない。河野太郎防衛相も自身の政治資金パーティーで、「私はよく雨男と言われた。防衛相になってから既に台風は三つ」と語った。その後陳謝し、趣旨は被災地支援に当たる「自衛隊の努力と処遇改善の必要性だった」と釈明した。ならば笑いが起きるような言葉は必要ない。被災者への配慮を欠き、軽率とのそしりは免れない。
 菅義偉官房長官は萩生田氏について「適材適所だ」と語り、閣僚の資質に問題はないとの認識を早々に示した。萩生田氏は首相の側近である。先に経済産業相を辞任した菅原一秀氏は菅氏の側近で、疑惑発覚から辞任まで2週間余り経過し、後手に回った印象が残る。
 「身内」に甘い対応は、政府内の緩みを助長しかねない。首相は長期政権のおごりが生む弊害を深刻に受け止め、自ら言う「任命責任」を明確な形で果たさなければならない。


「身の丈」発言に反省ゼロ 萩生田文科相の呆れた順法精神
 大学入試に導入される英語の民間検定試験を巡る「身の丈」発言で猛批判されている萩生田文科相。30日の衆院文科委員会で野党に追及されると、「(発言があった)番組内での『身の丈』発言以降のくだりもできたら紹介して欲しいんですけど」などと答弁。野党議員をバカにしたような笑みを浮かべ、反省の色はゼロだった。
■過去にも「法律に問題がある」と放言
 民間試験導入で、家庭の経済状況などによる不公平が生じる恐れがあるのに、番組で「それは『あいつ、予備校に通ってるからずるい』と言うのと同じ」とまで言い放った萩生田氏。文科相にもかかわらず、「教育を受ける機会の平等」を規定する教育基本法を軽視しているとしか思えない。即辞任すべきだが、そもそも萩生田氏に「順法精神」を求めること自体、無理な話なのだろう。過去にも本人や事務所が法律を軽んじる発言を連発している。
 日刊ゲンダイは2016年5月9日号で、萩生田氏の政治団体が支出した「慶弔見舞金」の公選法違反疑惑を指摘。もともと収支報告書上で二百数十万円だった支出額を十数万円に大幅訂正しており、いかにも不自然だった。
 当時、萩生田事務所は日刊ゲンダイに「(香典配布問題を指摘されていた)高木毅復興相の報道を受け、急きょ訂正した」と答え、ナント「多くの議員が同じようなことをやっている。問題があるのはむしろ公選法の方ではないか」と強弁したのだ。
 17年7月には、本人に2000万円の借金があったにもかかわらず、資産報告されていなかったことが発覚。
 日刊ゲンダイが指摘すると、国会議員の資産報告は法律で義務付けられているものの、罰則がないからなのか事務所は「事務的ミス。訂正します」と回答し、開き直った。
 同年10月の衆院選の際は、加計学園の獣医学部新設に萩生田氏が関与した疑いが持たれていたが、日刊ゲンダイの直撃に萩生田氏は「“罪状”はあるけど、証拠がなく逮捕されないっていうね」と“ドヤ顔”で放言。捕まらなければ、法を犯しても平気なのか。順法精神が欠如し、あらゆる問題に無反省ということだ。
「『身の丈』発言は、『国民は等しく教育を受ける権利を有する』という憲法26条から逸脱する発言です。『公選法に問題がある』などという発言も言語道断。法律など都合よく解釈すればいいと考えているのでしょう。法治主義に反する暴言です」(立正大名誉教授の金子勝氏=憲法)
 野党は徹底追及してクビをとるべきだ。


緒方貞子さん死去 人道主義、引き継ぎたい
 日本人で初めて国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップを務めた緒方貞子さんが亡くなった。イラク、ルワンダなど紛争地帯で、故郷を追われた難民に寄り添い、救済に力を尽くした人だった。
 最大の功績は支援する難民の対象を大きく広げたことだ。自国から逃れたくても逃れられない国内避難民を初めて国連の保護対象とした。UNHCRの方針転換を先導し、今の難民支援の基準となった。先見性のある判断に頭が下がる。
 人命を最優先した緒方さんの信念は、人道に反する行為を許さない被爆地の姿勢とも相通ずる。死を悼みたい。
 祖父も父も外交官で、幼少期を米国や中国で過ごした。国際感覚が磨かれたのは、そうした環境からに違いない。
 留学した米国の大学で書いた博士論文のテーマは満州事変。「なぜ日本は戦争を始めたのか」との思いだった。曽祖父の犬養毅首相が将校らに暗殺されたことと無関係ではあるまい。戦争への危機感が人道主義を貫く原点となったのだろう。
 UNHCRのトップに立ったのは、冷戦終結で宗教・民族対立が各地で火を噴き始めた1991年。湾岸戦争時のイラクで国内避難民を救済した。トルコに入国を拒否され、イラク北部の国境地帯にとどまらざるを得なくなったクルド人である。
 UNHCRが国内避難民を保護するのは内政干渉に当たる。にもかかわらず、緒方さんは彼らの支援を決断した。行動力は敬服するばかりだ。
 現場主義を貫いたことも忘れてはならない。身長150センチほどの小柄な体に重さ15キロの防弾チョッキを身に着け、世界の難民キャンプを飛び回った。現場から上がってくる報告書を基に机上で判断する国際機関のトップが多い中、異例だった。
 民族対立による内戦が続いたボスニア・ヘルツェゴビナでは当事国トップから批判を受けた。国連内で意見対立を引き起こしたこともあった。幼い頃から培った語学力や、国際的な知識で粘り強く交渉した。
 約10年務めたUNHCRのトップを退いた後も、紛争解決に力を注いだ。フィリピン南部ミンダナオ島のイスラム武装勢力と政府軍との紛争の調停である。2011年、当時の大統領と武装勢力トップとの極秘会談を日本でセットし、14年に包括和平合意につなげた。
 「緒方イズム」は今、世界に広がり、薫陶を受けた人たちが国際舞台で活躍している。国連の中満泉・軍縮担当上級代表(事務次長)らである。各地の紛争や人権侵害への歯止め役として重責を担っている。
 残念ながら緒方さんが支援してきた難民を取り巻く環境は悪化している。欧州の一部の国は難民や移民の入国規制を続け、中東やアフリカでは紛争が収まらない。世界の難民や国内避難民は7千万人を超え、緒方さんが活躍した当時の倍に増えた。
 日本政府には、厳しい視線を向けた。難民受け入れの消極姿勢に「人間らしい思いやりの心が足りない」と批判。人道大国になれと繰り返し訴えた。
 自国第一主義が世界で強まる今、緒方さんの信念や言葉は重みを増している。私たちはこれを肝に銘じ、その志を引き継いでいかねばならない。


緒方さん死去 「人間第一」の支援貫く
 日本人初の国連難民高等弁務官として難民支援に尽力した緒方貞子さんが死去した。
 紛争地を含む世界各地から惜しむ声が届いている。改めてその存在の大きさを表している。
 冷戦終結後の約10年間、前例を打ち破り、国内紛争に翻弄(ほんろう)される難民たちの命を救ってきた。
 紛争のみならず、貧困からも人々を守る「人間の安全保障」を掲げる先駆者として、途上国の開発支援にも尽くした。
 世界の難民、国内避難民は計7千万人を超え、事態はより深刻になっている。緒方さんの思いを受け継いでいかなければならない。
 難民支援の専門家ではなく、国際的には無名の政治学者だった緒方さんが弁務官に就任したのは1991年、63歳のときだった。
 最初に直面した難題がイラクでのクルド人保護だった。湾岸戦争後、フセイン政権の迫害を恐れ、大勢のイラク人がトルコ国境に押し寄せた。
 難民条約では国境を越えないと難民にはならない。緒方さんは国境を越えなくとも保護すべきだと主張し、国内に「安全地帯」が設けられ、水や食料を提供した。
 人間を第一に考える。そのためにはルールを変えることもいとわない。これが緒方さんの行動の根幹にあった。
 そうした判断を支えたのが徹底した現場主義だ。防弾チョッキを着込み、紛争地で難民の声を聞いた。1年の半分以上はジュネーブの本部を離れていたという。
 冷戦後、国家同士の戦争に代わって、宗教、民族の違いに絡む内戦が相次いだ。そこでは国家が国民を守るとは限らない。グローバル化が進み、紛争の火種となる貧富の格差も広がった。
 退任後には理事長を務めた国際協力機構(JICA)で貧困削減にも取り組んだ。中でもアフリカの開発援助に力を入れた。複雑化する世界で、社会的弱者を支える道を示してきた。
 難民を取り巻く状況は厳しさを増す。各地で紛争は絶えない。欧米では自国第一主義の下、難民、移民排斥の動きが広がる。
 日本は先進国の中でも難民受け入れに特に消極的だ。昨年、1万人以上が難民申請したが、認定したのはわずか42人にすぎない。
 緒方さんは回顧録の中でこう語っている。「日本がもっと多様性に富んだ社会になってほしい。創造性とか社会革新の力は多様性の中からしか生まれようがない」。その重みをかみしめたい。


河北春秋
 「今は逃げているけど、家に連れて帰ってくれるよね」。緒方貞子さんは9歳ぐらいの男の子に言われた一言が忘れられなかった。男の子はコソボ紛争で発生した難民の1人。「もちろん」。緒方さんはそう答え、頑張らなければと思った。『緒方貞子 戦争が終わらないこの世界で』(NHK出版)で述べている▼緒方さんが92歳で逝った。60歳を過ぎて国連難民高等弁務官に就任。隣国に入国を拒まれ、イラク国内にとどまるクルド人避難民の支援を決断した。従来の難民救援は国外に逃れた人が対象で前例がなかった。理由は一つ。命を守るためだった。国境は関係なかった▼常に現場を重視し難民の声を聞いた。重さ15キロの防弾チョッキも着た。愛称は「身長5フィート(約150センチ)の巨人」。難民から感謝された証拠だろう。アフリカ各地の難民キャンプに「オガタサダコ」という名前の子がいた▼よく口にした言葉が「持ちつ持たれつ」。世界の国々は共存しなければいけないと考えた。東日本大震災や日韓、日中関係が緊張した際は相互協力の大切さを訴えた▼世界の難民は7千万人を超え、難民に不寛容な空気が広がる。日本も難民の受け入れが少ない。緒方さんは最後まで志半ばの心境だったろう。遺志は残された者が引き継がねばなるまい。

緒方さん死去 「人間の安全保障」今こそ
 訃報を受け、国連機関や世界の紛争地の関係者から、生前の功績への称賛と感謝の言葉が数多く寄せられた。信念と行動の確かさを物語る。
 日本人では初の国連難民高等弁務官として、難民支援に力を傾けた国際協力機構(JICA)元理事長の緒方貞子さんが亡くなった。
 緒方さんは、1991年1月から2000年末にかけて高等弁務官を務めた。在任中はイラク・クルド、ルワンダ難民支援などに取り組み、退任後はアフガニスタン復興支援政府代表となった。
 03年には国際協力機構の初代理事長に就任、約8年半にわたり途上国支援に尽力した。上越市出身で外相などを歴任した芳沢謙吉の孫に当たる。
 緒方さんは高等弁務官に就任して以来、「日本は『人道大国』に」と訴え続けた。その行動の原点ともいえるのが「人間の安全保障」だ。
 国家の安全保障を超え、貧困や紛争などの脅威から人々の生存や尊厳を守るという理念で、早くから提唱していた。
 「最後の点において、人の生命を助けるということ。生きていさえすれば、彼ら(難民)には次のチャンスが与えられる」。この緒方さんの言葉からは、虐げられている人々の命を守るという信念が伝わる。
 イラクで迫害されたクルド人キャンプや旧ユーゴスラビアなど各地の難民キャンプを訪れ、解決策を模索する現場主義を貫いたのも緒方さんの特徴だ。
 「『信念に基づき、思いやりがあり、かつ効果的』という難民支援の基準を作り上げた」。難民高等弁務官を経験した国連のグテレス事務総長は、緒方さんの業績をこう振り返った。
 確固たる支援の哲学を持つと同時に積極的に現場に足を運んだことで、血の通った支援策を構築できたのだろう。
 緒方さんの誠実な姿勢は、日本という国の声価を高めることにもなった。
 アフガニスタンのカルザイ前大統領は、旧タリバン政権崩壊後の復興に関わった緒方さんについて「日本人の気高さや善良さ、寛大さを代表する素晴らしい人物だった」と評した。
 誇らしい評価ではあるが、では今の日本はどうか、足元を見つめる必要があろう。
 緒方さんは国際協力機構理事長時代、日本は短期的に国益にならないことには関心を持たなくなり、内向きな発想になったと心配していたという。
 緒方さんらが努力を積み重ねてきたにもかかわらず、難民は増え続けている。シリア内戦が本格化して以降急増し、迫害や紛争などで移動を強いられた人は18年末で約7080万人と過去最多を更新した。
 一方でトランプ米大統領が登場して以降、国際社会では「自国第一主義」による内向きが広がっている。
 世界の人々の苦境を打開するために行動した緒方さんの軌跡と志を改めて胸に刻み、今に生かさなければならない。


緒方貞子さん死去/「命を守る」を原点に
 国連難民高等弁務官として人道支援に尽力した緒方貞子さんが死去した。国際協力機構(JICA)初代理事長も務め、国家の安全保障にとどまらず、人々が暮らす社会を苦境から救う「人間の安全保障」の理念を主唱した。緒方さんが訴えたように、人の命を守ることが国際協力の原点であると肝に銘じたい。
 緒方さんは国際基督教大学准教授から1976年に国連公使に起用され、国連人権委員会の日本政府代表などを経て、91年1月から2000年末まで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップを務めた。
 就任当時は、冷戦終結によって宗教・民族対立が各地で火を噴き始めていた。一方、冷戦下では本来の任務を封じられがちだった国連機関が、活動を拡大できる状況も生まれていた。現場主義を貫く緒方さんは前例にとらわれない大胆な決断を下し、各国を説得して人道支援を進めた。
 最初に直面した人道危機は、イラクで迫害を受けた少数民族クルド人の国内避難民だった。難民条約の保護対象は国境の外に出た人とされているが、イラク政府の同意を取り付け、イラク領内の国内避難民の救済活動に踏み切る決断をした。
 旧ユーゴスラビアの紛争では、戦火に覆われたサラエボ空港へ人道支援物資を空輸する危険な任務をUNHCRが手掛けた。緒方さんは防弾チョッキを着て現場入りした。交渉力に優れ、同僚に「5フィート(約150センチ)の巨人」と呼ばれたという。
 ルワンダ問題では大虐殺を起こした武装戦闘員も難民キャンプに紛れ込み、援助を受けてしまう結果となったため、UNHCRは「虐殺者側に立つのか」と批判された。
 現場の状況が変わる中で「原則」を守るため従来の枠を超えることも必要というのが緒方さんの立場だ。原則については「最後の点において人の生命を助けるということ。生きていさえすれば、彼ら(難民)には次のチャンスが与えられる」と説明した。
 退任後は有識者による「人間の安全保障委員会」共同議長や、日本のアフガニスタン復興支援政府代表、JICA理事長を務め、日本の援助にも現場主義を徹底させた。
 アフガニスタンのカルザイ前大統領や、フィリピン・ミンダナオ島の紛争で和平を達成したイスラム勢力などから追悼メッセージが多数寄せられたのは、緒方さんの先見性と勇気、行動力に世界が感銘したからだろう。
 難民高等弁務官の経験もあるグテレス国連事務総長は追悼声明で「全世界の人々に模範を示した」と称賛し「原則を守る。思いやりを持つ。効果を上げる」という難民支援の基準を打ち立てたと評価した。「女性への暴力の解決に女性自身が関与する必要に光を当てた先駆者」(グテレス氏)との指摘も重要だ。
 緒方さんが難民支援の現場を初めて訪れたのは1979年。政府調査団の団長としてタイに脱出したカンボジア難民に会ったという。当時に比べ現場で支援を担う日本人ははるかに増えたが、日本の難民問題への貢献は限定的だ。
 世界の難民・避難民は7千万人を超える。遠くの国の人々にもっと「連帯感」を持ち、日本は「人道大国」になるべきだと繰り返した緒方さんの訴えをかみしめたい。


猪瀬直樹元都知事が五輪招致でついた「温暖」「理想的」の嘘を問われ「プレゼンなんてそんなもん」 柳澤秀夫が怒りの反論
 2020年東京五輪のマラソンと競歩について、国際オリンピック委員会(IOC)がコースを東京から札幌に移すことを提案した問題。
最終決定に向けきのうから3日間の予定で調整委員会の協議が行われている。が、IOCは決定事項だと言い、小池百合子東京都知事は徹底抗戦の構え。明日11月1日は、IOCのジョン・コーツ調整委員長と森喜朗・組織委会長が会見をすることになっているが、開催地や費用をめぐって依然紛糾している。
 そんななか、猪瀬直樹・元東京都知事が、30日放送の『大下容子ワイド!スクランブル』(テレビ朝日)に生出演し、とんでもない無責任発言を口にした。
 猪瀬元都知事といえば、東京五輪を招致したときの東京都知事。本サイトで以前から繰り返し指摘してきたように、そもそも、こんな事態になったのは、東京五輪招致委員会が招致の際に、嘘をついたせいだ。
 オリンピック招致の際につくられた「立候補ファイル(日本語版)」のなかにある「2020年東京大会の理想的な日程」という項目にはこのように記されていた。
〈この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である〉
 あの猛暑のなかで開催するというのに、「温暖」「理想的」という信じがたい大嘘をついて招致したのである。いわば、猪瀬元都知事は、酷暑問題を引き起こした張本人、元凶のひとりだ。のこのこ出てきて、どんな釈明をするのかと思っていたら、想像を上回る上から目線の暴論を連発した。
「僕が都知事だったらこういうことは起きていません。IOCとの交渉を普段からもっと緻密に、緊密に行っていたと思います」
「そもそもは新国立競技場はザハ・ハディドさん(の設計)だったわけで、屋根があってもちろんクーラーが効いていることが前提なんですね。もちろんマラソンは外に出ますよ。しかしほとんどの競技は室内で行われる。設備のあるところで行われるのを前提に夏の招致を勝ち取っている。ですからマラソンだけは外に出ますが、暑さ対策は今やることであって、急に変更になりましたというのは日常的にIOCと東京開催についてのコミュニケーションをきちんと行っていれば、いきなりこういうふうに、決まったと伝えますよということにはならない」
 ザハ・ハディド案のままだったらクーラーが効いているって。なんの釈明にもなっていないだろう。問題になっているマラソンや競歩はそもそも屋外競技だし、「マラソンだけは外に出ますが」というが、屋外で行われている競技はマラソン以外にも競歩、トライアスロン、水泳オープンウォーター、馬術、サッカー、ゴルフなど多数ある。現にマラソン以外の競技からも、開催時間や開催会場の変更を要望する声は出ている。
 マラソンはじめ屋外競技が大問題になっているのに、「ほとんどの競技は室内で行われる」「クーラーが効いていることが前提」とあまりにトンチンカンなことを、上から目線で強弁するのだ。
「温暖」「理想的」の嘘に、猪瀬は「ははは。そのくらい。そんなもんでしょ」
 あまりの無責任ぶりに呆れ果てるが、猪瀬元知事の暴言はこれでは終わらなかった。スタジオで、立候補ファイルの問題の記述〈この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である〉が紹介され、コメンテーターの杉村太蔵が「温暖」(英語版ではmild and sunny)という表現について、「温暖ではなく酷暑、嘘をついて招致したのでは」と突っ込むと、猪瀬氏はこう言い放ったのだ。
「夏の温度は出してあると思います。mild and sunnyと書いてあるの? ハハハ。それは、そのくらい。プレゼンテーションってそんなもんでしょ」
 笑いながら、「プレゼンテーションなんて嘘つくもの」と開き直ったのである。
 その後も「夏に開催するのは当たり前なんで」「国立競技場もエアコンが全部入っていることが前提なんで、マラソンといくつかは外に出るよ。でも基本的には各競技場は全部空調効いているわけですよ。近代的設備で乗り越えられることができるという確信に基づいてプレゼンテーションをしているわけで。全然問題にならないわけです」と、“クーラーが効いている”論を、主張し続ける。
 こうした猪瀬氏の開き直った態度に憤り、反論したのがコメンテーターを務める元NHK解説委員の柳澤秀夫氏だった。
「さきほどプレゼンテーションはそんなものだとおっしゃいましたが、われわれ国民はプレゼンテーションでアピールされたことは事実だと受け取るんじゃないでしょうかね。温暖と表現されたことが、現実に酷暑だという部分はかなりの乖離があると思うんですよ。それを“そんなものだ”と言われると、われわれこれから、今後こういうシチュエーションに直面したときに、プレゼンテーションの中身をどう受け止めたらいいかという大きい疑問が残ってしまうんですね」
 それでも猪瀬氏は「東京開催をするんだという強い決意のもとで招致している。マラソンは暑いところでやれば日本選手は強いだろうというのも頭にあるわけですから。冬の東京マラソンだと外国選手が必ず優勝しちゃうんでね。夏オリンピックで、日本人選手っていうのは暑いところに強いという認識があったから、それは別に疑問に思ってませんよ」と、酷暑のほうが日本選手は有利だなどとまたも、筋違いの話を持ち出して強弁し続ける。
 あげく、スポーツに親しむことで健康寿命がのびて、医療費が削減できるなどと、自分の招致がいかに素晴らしかったか延々と手柄自慢する始末だった。
猪瀬直樹の詭弁に柳澤秀夫が「復興五輪も『そんなもの』だったのか」と怒りの反論
 しかし、この日の柳澤氏はこんな詭弁にまったくひるまなかった。逆に「僕は東日本大震災の被災地のひとつ、福島の出身」として、猪瀬氏に対してこんな本質的な問いかけを行なった。
「招致のときのプレゼンテーションで「復興五輪」ということを明確に打ち出していましたよね。(中略)でも、復興五輪という言葉すら、もう希薄になってしまっていることに対して。猪瀬さんがおっしゃった、プレゼンテーションというのはそんなものだと言われてしまうとですね、あの言葉にひとつの期待をしていた国民の一人からすると、そんなものなのかなと残念に感じてしまう。おっしゃったんですよ。温暖だと言わないと招致できないからって、酷暑なのに。プレゼンテーションというのはそんなものだとさっきおっしゃった」
「温暖」だけでなく、「復興五輪」という大義名分も、単なる招致のための嘘だったのではないか。そう訴えたのだ。
 柳澤氏がこう言うのも、当然だろう。招致段階では東日本大震災からの復興をテーマとした「復興五輪」という大義が掲げられていたが、いまではそのテーマは完全に忘れ去られている。
 経済効果重視と五輪至上主義の結果、「復興五輪」どころか、オリンピックは復興を妨げる原因ともなっている。五輪関連の建設ラッシュなどのせいで労務単価が上がり、東京の工事費は高騰しているからだ。
 2015年9月25日付毎日新聞の報道によれば、〈工事原価の水準を示す「建築費指数」(鉄筋コンクリート構造平均)は、05年平均を100とすると今年7月は116.5。東日本大震災前は100を下回っていたが、五輪決定後の13年秋から一気に上昇〉したという。挙げ句、〈復興工事が集中している被被災地では人手不足に加え、建築資材費の高止まりにより採算が合わず、公共工事の入札不調が相次〉いでいるというから、五輪開催がむしろ被災地の復興を妨げているのだ。
 復興五輪がスローガンでしかないことは、2013年、ブエノスアイレスで行われたIOC 総会の最終プレゼンで、安倍首相が福島原発事故問題について「アンダー・コントロール」と大嘘をつき、竹田恒和JOC会長(当時)は「東京と福島は250キロ離れている」と福島切り捨て発言をした時から指摘されていたが、現実はもっと酷いことになっている。
 柳澤氏といえば福島出身で、有働・イノッチ時代の『あさイチ』(NHK)でも被災地の問題を継続的に取り上げてきた人物。こうした東京五輪の被災地軽視に忸怩たる思いを持っていたのだろう。そこに、猪瀬氏が「プレゼンテーションなんてそんなもん」と、招致のためなら嘘をつくのは当然と開き直ったことで、普段温和な柳澤氏もさすがに怒りを隠しきれなかったということだろう。
「五輪招致のためなら何をやってもいい」というのが、猪瀬、JOC、招致委の本音
 しかし猪瀬氏は「10月は台風のシーズン」「マラソンが札幌になると言ってるけれども全体的に見ると大きなことではない」「東京じゃなくても暑いんだから」などと、柳澤氏の質問にまともに答えない。
 あげく、「オリンピックはいま、あたりまえにくることになっているけど、本当に東京にくるかというのが、ギリギリで勝負だったわけですよ。招致決定の前の晩は眠れないくらいだった」「だから必死になってプレゼンテーションをしたりIOCの人とコミュニケーションをとってきたわけですよ」と、招致の苦労自慢を始める始末。
 ようは、五輪招致のためなら何をやってもいい、それが当時の猪瀬氏、そしてJOC、招致委員会の姿勢だったのだ。
 こうした猪瀬氏の態度を見て改めて確信したのは、やはり東京五輪の招致などしないほうがよかった、いや、招致するべきではなかったということだ。東京五輪をめぐる様々な問題は、酷暑だけではない。膨れ上がる費用、建設現場での相次ぐ過労死、招致をめぐる不正疑惑、ボランティアのブラック労働……五輪至上主義のもと看過されてきた数々の問題。これはすべて、招致の段階から始まっていたことが、猪瀬氏の発言の数々であらためて明らかになった。
 いまからでも遅くない、こんな嘘だらけの東京五輪は開催返上するべきだ。(田部祥太)


安住の活躍 枝野の尻に火
★無所属で活動していたものの9月に立憲民主党に入るなり、入党日に国対委員長に就任した安住淳。前任者の辻元清美が自民党国対に尻尾を振り続けていたのに比べ、対決姿勢が強く野党国対は一気に勢いづいている。開会日に衆院議長の発言にアヤをつけ開会時間を遅らせたことに始まり、台風19号被害と関西電力役員らの金品受領問題を巡り集中審議を要求。「自民党は憲法と言っているが、憲法よりまず関電だ。このまま終わるわけには絶対いかない。(与党が)受けないと、全体に大きな支障を及ぼすことになる」と巧みにさばく。★政府に通告した質問の内容が事前に外部に漏えいしていた問題も「質問通告は役人しかわからないことだ。それをネットを使って攻撃したというのは非常に深刻だ」と国会内の森羅万象に反応する。辞任した前経産相・菅原一秀には「国会の日程に迷惑をかけるから辞めるというのは筋違いもいいところ。委員会で説明できないんでしょ。説明してから辞めるべき」と言い放ち、返す刀で集中審議を求めたり、「身の丈」発言で謝罪・撤回した文科相・萩生田光一にも撤回では済まないと詰め寄り「英語の試験中止」を訴えるなど本来の野党国対らしさが出て来た。★また、共産党と野党各党には距離があるとして、同党委員長・志位和夫を国会内で立憲民主党や国民民主党の統一会派幹部らと懇談させたが、これも呼びかけたのは安住だった。そこには無所属で元建設相・中村喜四郎まで参加し、極めて異例の志位・中村の懇談と話題になった。政権への打撃には予算委員会での質問だけでなく、国会の中の空気と国民の声を同化させる力が必要。安住は役割以上の活躍だが、それに比べ立憲民主党代表・枝野幸男の攻撃トーンが低い。「安住の活躍は面白くないかもしれない。これでお山の大将でいられなくなる」(立憲民主党中堅議員)。野党は活気づくも火種は増えたか。

時評
滋賀県東近江市の病院で起きた患者死亡事件で、懲役12年が確定、服役した元看護助手(39)の再審無罪が確実となった。再審公判で検察側が新証拠による立証を断念したためだ。有罪確定から再審開始までの審理経過を検証すると、疑問を感じさせる捜査実態が浮かぶ。冤罪(えんざい)を生んだ捜査当局の責任は重大であり、重い教訓を残した。
 2003年、東近江市の湖東記念病院で入院中の患者が死亡しているのを看護師が発見。翌年、滋賀県警は患者の人工呼吸器を外して殺害したとして看護助手を殺人容疑で逮捕した。
 逮捕前の任意捜査段階で看護助手は「呼吸器のチューブを外した」と供述していた。解剖医の鑑定で死因は「(呼吸器が外され)酸素供給が途絶えたことによる急性心停止」とされ、自白調書とともに有罪の根拠となった。
 だが、再審請求で弁護側は司法解剖の血中カリウム濃度などから「死因は致死性の不整脈で自然死」とする医師の鑑定書を新証拠として提出。自白調書も捜査員の誘導で作成されたと主張した。
 再審請求審で大阪高裁は17年12月、新証拠などを検討し「自然死の可能性がある」と認定。自白についても重要部分に変遷があり「自分の体験を供述しているか疑わしい」と判断し、再審開始を認める決定をした。検察の特別抗告に対し最高裁もこの決定を支持した。再審が決まり、検察側は当初、解剖医らの証人尋問を申請していたが、このほど申請を撤回し、新たな証拠請求をしない方針を示した。
 検察側は従来の証拠に基づき有罪の主張自体は維持するとみられているが、自白調書を含めこれらの証拠は最高裁でも有罪証拠とならないと判断されており、再審公判では無罪しかありえない。つまり冤罪である。
 問題はなぜこのような捜査が行われたかである。元看護助手は、身の上話を親身に聞いてくれた捜査員に「うれしくて、舞い上がってしまった」と話している。好意を寄せて話すうちに捜査員に合わせて殺害を認める供述をしてしまったという。
 元看護助手は「人に迎合しやすい傾向があり、軽度の知的障害や発達障害がある」と精神科医から診断されている。
 自然死であるなら事件ではない。司法解剖データを冷静に見れば、慎重な捜査が必要だったはずだ。迎合しやすい病院職員を物色して殺人事件に仕立てたとすれば言語道断である。捜査当局は徹底的に内部検証をして問題点を洗い出すべきだ。


安倍政権が推進「病院統廃合・病床削減」で地方は壊滅する
 安倍政権が医療費削減を目的に打ち出している地域医療の再編統合をめぐり、地方自治体などから「地域医療が崩壊する」「住民が生活できなくなる」と反発の声が上がっている。
 社会保障制度改革を議題に28日、官邸で開かれた経済財政諮問会議(議長・安倍首相)。経団連の中西宏明会長ら民間議員は、団塊の世代が75歳以上となる2025年度を控え、医療費の抑制策として全国の病床数を官民合わせて約13万床削減することや、在宅医療への転換推進を提言。これを受け、安倍首相は「限られた財源を賢く活用し、国民生活の質の向上を図ることが重要なポイント」などと発言し、提言の実行を加藤厚労相らに指示した。
 病床数の削減をめぐっては、厚労省が9月、自治体や日本赤十字社などが運営する全国424の公立・公的病院について「再編統合の議論が必要」として実名を公表。民間議員の提言はこれを踏まえたものだが、全国知事会などは「地域住民の不信を招く」とカンカン。厚労省が各地で行っている説明会でも、病院などから「病床削減は住民の命に直結する」と反対意見が相次いでいるのだが、そりゃあそうだろう。
 日本は超高齢化が進む。今後、病床が足りなくなることは容易に想像がつくのに、増床ではなく、削減というからムチャクチャ。在宅医療への転換推進というが、現在でも、介護離職などが社会問題化している中、さらなる家族負担を求めるというのはどうかしている。「国民生活の質の向上」どころか、真逆の政策だ。とにもかくにもカネの削減ありきで、国民の命を軽く考えているのは明らかだ。
「元気な地方なくして、日本の再生なし。地方創生は、安倍内閣の最も重要な政策の柱」「令和の時代は地方の時代」――。安倍首相は「地方重視」の発言を繰り返しているが、厚労省の計画通りに地方の病院が統廃合され、病床が削減されたら、病院で診てもらえない患者や高齢者が続出するのは間違いない。介護疲れによる自殺や殺人が増える自治体も出てくるだろう。地方創生どころか地方は「壊滅」だ。
■無駄遣いの張本人が「限られた財源」を口にする愚
 そもそも、「限られた財源を賢く活用」なんて、よくぞ言えたもの。米国の言いなりに数千億円もするポンコツ武器をバンバン買っているのは一体、どこの誰なのか。「税と社会保障の一体改革」を口実に消費増税を繰り返しながら、なぜ、社会保障費から真っ先に削るのか。それも国会で議論することもなく、自分が議長を務める諮問会議で勝手に指示を出すのだから言語道断だ。
「国が強権的に病院の統廃合、病床削減を進めれば、患者が入院できなかったり、在宅医療の環境が整わないまま病院を追い出されたりするケースも出てくるでしょう。(極論すると)地方には住めなくなってしまいます。病床削減しなくても、保健予防の政策充実などで医療費の軽減は図れるはずです」(全日本民主医療機関連合会の内村幸一事務局次長)
 都市部の大企業や金持ちを優遇する安倍政権にとって、地方はどうでもいいのがホンネなのだ。


しんゆり映画祭、直ちに「主戦場」を上映すべきだ
またもや表現の自由と検閲禁止の無理解
竹田昌弘 共同通信編集委員(憲法・司法・事件)
 川崎市麻生区で11月4日まで開催されている「KAWASAKIしんゆり映画祭」で、慰安婦問題をテーマとしたドキュメンタリー映画「主戦場」(ミキ・デザキ監督)の上映が見送られた問題は、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の中止・再開に続き、表現の自由と検閲禁止を巡る萎縮や無理解を改めて示した。映画祭で10月29日に上映された「ワンダフルライフ」の是枝裕和監督が舞台あいさつで語ったように、主催団体と共催の川崎市は過ちを認め「主戦場」を直ちに上映すべきだ。(共同通信編集委員=竹田昌弘)
「上映難しい」と川崎市、検閲に通じる行為ではないか
 映画祭はNPO法人「KAWASAKIアーツ」が主催し、事務局を運営している。「主戦場」の配給会社「東風」によると、6月10日に映画祭の事務局から「『主戦場』を上映したい」と伝えられ、8月5日午前に上映申込書が提出された。ところが、同日の午後になって「川崎市から『訴訟になっている作品を上映することで、市や映画祭も出演者から訴えられる可能性がある。市がかかわる映画祭で、上映するのは難しいのではないか』と言われた」と連絡があり、9月に上映見送りの文書が届いたという。
 確かに「主戦場」に登場する米国人弁護士のケント・ギルバート氏ら5人は6月19日、デザキ監督や東風に上映中止と計1300万円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴していた。訴状では「映像を撮影時の文脈から離れて不当に使用しない」と合意していたのに、監督らは発言の意図を歪曲(わいきょく)して「歴史修正主義者」のレッテルを貼り、名誉を傷つけたなどと主張している。
 川崎市市民文化振興室の担当者は共同通信の取材に「主催者から7月下旬に相談があり、それに答えただけで、介入とは考えていない」と話している。しかし東風の説明通りであれば、行政権が主体となって「(表現物の)発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止すること」(1984年12月12日の最高裁大法廷判決)と定義される検閲に通じる行為ではないか。「将来の表現活動を萎縮させる公権力の行為は、広い意味で検閲」(山田健太専修大教授)とする見解もある。最高裁は引用した判決で、憲法に検閲の禁止規定があるのは「公共の福祉」を理由とする例外をも認めない趣旨との解釈を示している。川崎市は検閲とそれが禁止されている意味を理解していないのではないか。
主催団体、上映実現へ何か努力したのか
 一方、映画祭の中山周治代表は共同通信の取材に「運営のほぼ全てをボランティアが行っており、安全面や運営面のリスクを考えて判断した。忖度(そんたく)したと取られても仕方がないが、税金が使われている映画祭なので、民間の劇場とは違う判断をせざるを得なかった」と説明している。
 ただ表現の自由は「国民の基本的人権のうちでもとりわけ重要なものであり、法律によってもみだりに制限することはできない」(74年11月6日の最高裁大法廷判決)とされ、例外は損害賠償責任を負う民法の不法行為や刑法の脅迫、威力業務妨害、名誉毀損(きそん)の罪に当たる表現活動、憲法12条、13条の「公共の福祉」に基づく性表現の規制などだけだ。表現の自由と表裏一体の「知る権利」もある。上映の見送りは、映画祭の入場者が「主戦場」を鑑賞する権利を侵害している。
 そもそも納税者の考え方はさまざまであり、税金が使われていることは理由にならない。多様性を認めることが表現の自由の出発点に他ならない。安全面や運営面のリスクについては、ニコンが元慰安婦の写真展をキャンセルしたことを巡る損害賠償訴訟の東京地裁判決(2015年12月25日)で「(当事者が)誠実に協議した上、互いに協力し、警察当局にも支援を要請するなどして混乱の防止に必要な措置を取り(写真展開催という)契約の目的の実現に向けた努力を尽くすべきであり、そのような努力を尽くしてもなお重大な危険を回避できない場合にのみ、一方的な履行拒絶もやむを得ない」とされている。主催団体は上映の実現に向けて何か努力したのだろうか。映画祭の主催団体としては、あまりにも表現の自由と積み上げられてきた司法判断を理解していないようだ。
「萎縮の連鎖を止めなければならない」
 「主戦場」の上映見送りに対し、映画祭で上映を予定していた「止められるか、俺たちを」の白石和弥監督と「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(若松孝二監督)を製作した若松プロダクションは出品を取り下げた。白石監督は記者会見で「最近の萎縮の連鎖を、表現の末端にいる者として止めなければいけないという思いで決断した」と述べ、「止められるか、俺たちを」の脚本を担当した井上淳一さんは「忖度による無自覚な表現の放棄だ」と指摘した。
 若松プロダクションはホームページで「今ここで抗議の声を上げ、何らかの行動に移さなければ、上映の機会さえ奪われる映画がさらに増え、観客から鑑賞の機会をさらに奪うことになりはしないでしょうか」「若松監督は常々、『映画を武器に世界と闘う』と言っていました。今、この国は表現の自由を巡る分水嶺に間違いなく立っています。今、映画を武器に何をすべきなのか? ここで何もしなければ、十年後二十年後に『あの時自分たちは何をしたのか?』と後悔することになりはしないか? 今こそ、若松監督の言葉をもう一度確かめたいと思います」と出品取り下げの理由を詳しく伝えている。
「プロセスに行政が口を出す権利はない」
 是枝監督は舞台あいさつで「川崎市は共催者。懸念があるなら払拭する立場だ。ただ上映をすればよかった。作品はきちんと映画祭側が選考したわけだから、そのプロセスに行政が口を出す権利はない。主催者が行政の意向をくんで作品を選考していくようになったら、映画祭は映画祭として独立しえない。そんな映画祭は尊敬されない」と主催団体と川崎市を厳しく批判。その上で「まだいまからでも間に合う。やれることはある。きちんと過ちを認め、上映し直す。それが一番だと思う。そうでなければ支援しようがない」と呼び掛けた(神奈川新聞の記事による)。
 時間は限られているが、主催団体と川崎市は「主戦場」の上映に向け、表現の自由と検閲が禁止されている意味をしっかり理解してほしい。あいちトリエンナーレで「表現の不自由展・その後」が再開されるまでの経過が参考になるだろう。


しんゆり映画祭『主戦場』上映中止で井浦新、是枝裕和監督も抗議の声! 映画祭代表は川崎市への「忖度」認める発言
 10月27日から神奈川県川崎市で行われている市民映画祭「KAWASAKIしんゆり映画祭2019」が、慰安婦問題を題材としたドキュメンタリー映画『主戦場』(ミキ・デザキ監督)の上映を中止にした問題をめぐって、映画関係者から抗議や反論の声が次々と上がっている。
 上映中止にいたる過程の不自然さ、不透明さについては、本サイトでも27日の記事で複数当事者らへの取材をもとに詳報したとおり。問題の背景には、“慰安婦否定派”の出演者による提訴と、そして映画祭の共催者として費用600万円を負担する川崎市が、主催側へ「懸念」というかたちで“介入”したという事実があった(参照)。
 映画制作会社の「若松プロダクション」は28日、『主戦場』の上映中止に抗議し、「しんゆり映画祭」で上映予定だった『止められるか、俺たちを』(白石和彌監督)と『11.25自決の日〜三島由紀夫と若者たち』(若松孝二監督)の2作品の引き上げを発表。若松プロはこの2作品について、「しんゆり映画祭」期間中に、近隣の県内施設で無料上映等を行う予定としている。
 若松プロ、白石和彌監督、井上淳一監督(『止められるか、俺たちを』脚本)の連名で公開した声明文は、〈公権力による「検閲」「介入」〉と映画祭側の〈過剰な忖度〉を〈「表現の自由」を殺す行為に他なりません〉と断言。表現・発表する側の自己検閲について〈これが敷衍すれば、例えば、『主戦場』のような映画の上映会が「政治的」という理由から公民館など公共の施設で行えないということにもなりかねません〉と強く警鐘を鳴らし、〈当然、我々のこの決断については様々な意見や批判もあると思います。しかし、今ここで抗議の声を上げ、何らかの行動に移さなければ、上映の機会さえ奪われる映画がさらに増え、観客から鑑賞の機会をさらに奪うことになりはしないでしょうか〉と声を上げる必要性を訴えた。
 前述した若松プロ2作品に出演した俳優の井浦新も、今回の『主戦場』上映中止問題に声を上げた。もともと「しんゆり映画祭」は「役者・井浦新の軌跡」という特集を組み、両作のほか『ワンダフルライフ』(是枝裕和監督)と『赤い雪 Red Snow』(甲斐さやか監督)の4作品がラインナップされていた。
 29日、井浦は「しんゆり映画祭」の舞台挨拶で是枝監督とともに登壇し、「さまざまな意見が飛び交う場が映画祭。若松プロダクションがボイコットするのも1つの抗議の形で、僕も賛同します。こうして観に来てくださった皆さんに直接お話を伝えられるというのも1つの映画祭の在り方。自分なりの行動だと信じて、上映させていただける作品は上映を続けたいと思います」と語った(ウェブサイト「映画ナタリー」10月29日)。
 また、井浦は自身のTwitterでも28日、〈多様な映画が集まるべき映画祭だからこそ講義〔原文ママ〕や行動もそれぞれの形があって良いと思っています〉と述べ、このように投稿している。
〈井浦新は止められてしまった形になりました。しんゆり映画祭で準備に汗かいて頑張ってる市民ボランティア・スタッフの皆さんと若松プロダクションのせいではありません。一部の人たちの忖度によって起きたこの結果に正直身を引き裂かれる思いです。だからこそ自分は参加することで問いたいと思います。〉
井浦新に続き、是枝裕和監督は「行政の懸念だけで作品が取り下げになるなんて言語道断」
 一方、是枝監督は、抗議として作品を取り下げた若松プロと白石監督らの「メッセージ」に同意しながら「自分はその場へ行って文句を言うというスタンス」として、映画祭側と川崎市このように批判した。
〈川崎市は共催者で、共催する側が懸念を表明している。(主戦場の上映中止は)懸念の表明がきっかけと聞いているが、共催している側が懸念を表明している場合じゃない。懸念を払拭する立場だ。
 その共催者の懸念を真に受けて主催者側が作品を取り下げるというのは、もう映画祭の死を意味する。なのでこれを繰り返せば、この映画祭に少なくとも志のある作り手は参加しなくなる。危機的な状況を自ら招いてしまったということを映画祭側は猛省してほしい。〉
〈市がやるべきだったのは抗議が心配ならケアをすること。まだいまからでも間に合う。やれることはある。きちんと過ちを認め、上映し直す。それが一番だと思う。そうでなければ支援しようがない。
 映画祭は別にお花畑じゃない。作品を上映することに伴ういろいろなリスクは主催者だけでなく、映画祭を作っている人たち皆で背負っていくものだ。何も起きていないのに、行政の懸念だけで作品が取り下げになるなんて言語道断だ。〉(神奈川新聞「カナコロ」10月29日)
 ほかにも、「しんゆり映画祭」での上映が予定されている『沈没家族 劇場版』(加納土監督)は28日、公式ツイッターで〈KAWASAKIしんゆり映画祭の『主戦場』上映取りやめを取り巻く状況を受け、映画祭の“表現の自由への萎縮”への加担に抗議しつつ、結論としてボイコットせず上映決行の判断をしました。しかしながら映画祭期間中の“オープンな対話の場”の開設を強く求めます〉と表明した。
 配給会社「ノンデライコ」と加納監督が連名で公開した声明文では、「あいちトリエンナーレ」や『宮本から君へ』の助成金取り消しに言及。〈表現の自由を取り巻く暗い案件が続いている中で、今回のしんゆり映画祭の対応はさらにその流れの加速に加担してしまった悪手であると認識しております〉〈“表現の自由”の安易な放棄としか思えない事なかれ主義に対して私たちは残念に思っております〉などと述べている。
『主戦場』デザキ監督は主催者側に「嫌がらせや脅迫に降参したかたち」と抗議
 『主戦場』の上映中止問題を受けて「抗議として作品を取り下げる」「予定通り上映をする」という判断こそ割れているが、意見を表明した監督や映画関係者らに共通するのは、行政からの影響で表現の送り手自らが「表現の自由」を萎縮させていることへの強い危機感だ。
 とりわけ是枝監督が言うように、共催者である川崎市は、本来、“訴訟リスク”に「懸念」を示して上映中止へ向かわせるのではなく、「しんゆり映画祭」が決めた『主戦場』の上映を最大限に尊重し、一緒になってその対策を講ずる立場にあったはずだ。
 しかも、『主戦場』の上映中止に関して、市側が映画祭側がに伝えたという「裁判を起こされているものを上映するのはどうか」という「懸念」、つまり“訴訟リスク”の話と、映画祭側が理由づけした「安全面での不安」には、明らかに乖離がある。
「しんゆり映画祭」側は、本サイトの取材に対する事務局のコメントとして、また、27日に映画祭ホームページに中山周治代表の名義で公開した「『主戦場』上映見送りについて」との文書のなかで、「安全の確保や迷惑行為などへの対策が十分にできないこと」を理由としてあげた。だが、『主戦場』の配給会社「東風」によると、4月の封切り以降、全国50館以上の劇場で公開されてきたが大きな混乱は一度もなかった。また、「東風」から映画祭側へ、混乱を避けるためにノウハウを伝えるなどできる限りの協力をするとも伝えていたという。だとすれば、全くつじつまが合わないだろう。
 昨日10月30日には、映画祭の会場である「川崎市アートセンター」で、「しんゆり映画祭で表現の自由を問う」と題したオープンマイクイベントが映画祭の主催で“緊急開催”された。「しんゆり映画祭」の中山代表と事務局担当者、呼びかけ人となった『沈没家族 劇場版』の配給会社「ノンデライコ」の大澤一生代表、映画祭での上映作品『ある精肉店のはなし』の纐纈あや監督が中心となり、自由参加の来場者を含めたフリー形式のディベートが行われた。市側の担当者にもオープンマイクイベントへの来場をオファーしたというが姿を見せなかった。
 会場には、一般参加者として『主戦場』のミキ・デザキ監督も駆けつけた。デザキ監督は中山代表ら主催者に対して「現実にはあなたの行動は、嫌がらせや脅迫みたいなものに降参したかたちになった」と指摘。「降参したという行動は、日本の表現の自由にとっての打撃だ。今後、だんだん言論の自由がなくなってしまう。このことは一つの小さな争いであったとしても、それに負けてしまったら、日本の表現の自由自身が大変な問題になると思う」と語った。
 イベントでは、『主戦場』の上映素材を持参した「東風」の木下繁貴代表が、涙ながらに中止撤回を訴える場面もあった。会場は拍手に包まれ、一般の来場者だけでなく、映画祭の複数ボランティアスタッフからも期間中の『主戦場』の上映を求める声が相次いだが、中山代表は「自分だけでは決められない」「期間に間に合うかわからない」などとして判断を保留。押し問答のような形となった。一部のスタッフからは、思わず声を大きくする一部の来場者に対し「圧力を感じる」という趣旨の発言も出るなど、紛糾のなか、予定時間を大幅に過ぎて終了した。最後まで、中山代表から『主戦場』の上映を約束する言葉は聞くことができなかった。
しんゆり映画祭の代表に「川崎市の補助金引き上げを恐れたのか」と質問すると…
 イベント終了後、本サイトは中山代表を直撃。中山代表はこれまでメディアの取材に対し、「市からの連絡は圧力と受け止めておらず、忖度もしていない」(「カナコロ」10月25日)などと話していたが、川崎市側から「懸念」を伝えられてからの心境の変化について「来年以降の補助金引き上げや減額を恐れたのではないか」と尋ねると、「私が市を悪く言ってしまうと……」などと言い澱みながら、「そうなったら……あると思うよね、普通は」「忖度かなあ……」とこぼすなど、映画祭の運営費1300万円のうち600万円を拠出する市からの「懸念」が中止に大きく影響したことを事実上認めた。
 前回の記事で報じたように、市の担当課は本サイトに対して「主催者から情報提供があったことに対してお答えしただけ」「私たちは『主要な複数の出演者から上映中止の裁判を提起されているものについて上映はどうなのか』と言っただけ」と「だけ」を強調、「上映中止は主催者の判断であり、市の介入ではない」と主張している。しかし、その安易な介入が映画祭側への“圧力”となったことが、あらためて明らかになった。上映中止の決定が「映画祭主催者の自主判断」という主張は、単なる責任逃れと断じざるをえない。
 あらためて言うが、「表現の自由」は何より、公共の開かれた場で、大衆に受け止められることに意味がある。そもそも、議論の自由が保障されることこそが民主主義の最低条件であるからだ。「しんゆり映画祭」の中山代表らは「安全面の不安」を表向きに語るが、中止に至るまでの経緯や心境の変化を追っていくと、第一に、共催者の市との関係悪化を過剰に恐れていたことは明白だ。
 こうしたことが繰り返されると、それこそ、国や政治権力が難色を示す「表現」は、開かれた場で民衆に問われる前に“自主規制”という形で封印されてしまうことになる。事実、「しんゆり映画祭」のケースでは、脅迫やテロ予告など起きていないにもかかわらず、行政から「懸念」を伝えられただけで、一気に事務局の一部が中止へと舵を切ってしまった。
 「表現の自由」は表現者の一方通行ではない。受け手の知る権利や社会的議論の契機に直結するからこそ、その後退を「小さな市民映画祭で起きたこと」と片付けるわけにはいかないのだ。このまま“悪しき前例”にしないためにも、本サイトは「しんゆり映画祭」での『主戦場』上映を強く望む。


首里城火災が鎮火 計7棟が焼失
 那覇市消防局は31日、同市首里当蔵町の首里城で未明に発生し、木造の主要施設「正殿」が全焼するなどした火災が、同日午後1時半に鎮火したと発表した。火災では、正殿を含む少なくとも計7棟4836平方メートルが焼けた。けが人は確認されていない。消防局や沖縄県警那覇署が出火原因などを調べている。【平川昌範】

10・31メッセージ
寺尾不当判決45か年糾弾集会に決起して下さった全ての皆さんに感謝の一文をお届けいたします。
 現在、検察側は下山第2鑑定に対し、反証を出すといいながら、反論も反証も出さないで、一年以上がたちました。当然にも検察は下山鑑定に対して、これまでに反論反証を出すためにあらゆる手段を駆使し、努力をしてきたと思われますが、検察の思い通りの結果が出ず、このままでは被害者のものとされた発見万年筆は偽物(捏造)の烙印を押されてしまいかねないことを恐れ、出せないのではないかと、私自身は思っています。下山第一鑑定の時も、検察側の鑑定人の名前を公表しない、できないというお粗末なものでありました。
そもそも万年筆に関しては、発見経過も含めて当初からいわくつきであったわけです。事件発生当時、発見万年筆のインクや、被害者が使っていたインク瓶のインクなどを検査した検察側の鑑定人である、荏原・科学警察研究所技官が発見万年筆のインクは、被害者が使用していたインクと異なることを指摘していたにも拘わらず、検察官は、インク補充説を唱えました。寺尾判決はインクの違いを無視して万年筆発見を有罪の根拠にし、その後の裁判所はインクの違いを別インク補充の可能性でごまかしてきた訳です。
 下山第一、第二鑑定は、発見万年筆には、被害者が使用していたインクが入っていないことを科学的に指摘して、被害者の物ではないことを看破し、またコンピューターによる筆跡鑑定をした福江報告書は、脅迫状の筆跡は99.9パーセント以上の識別精度で、私が書いたものではないことを満天下に明らかにしたのです。
 これらの鑑定結果は、科学的な鑑定結果であり、普遍的なものということであり、決して揺らぐことはなく、検察にとって、もはや覆すことは困難であると思われます。
 証拠開示で明らかになった資料をもとに科学的、客観的な新証拠が多数提出されているこの第3次再審請求で、なんとしても証人尋問、鑑定人尋問をさせることが最重要な闘いであり、再審開始へのカギとなりましょう。
 何れにせよ、さほど遠くない日に判断されると思われますが、私も心を引き締め、全力で闘って参る所存ですので、どうか皆さんも此の第三次裁判以外にないと思う私の意を汲んで頂き、最大限のご協力下さいますよう、衷心よりお願い申し上げます。お願いばかりさせて頂きましたことをお許しいただき、失礼させて頂きます。
 今日は本当にありがとうございました。
2019年10月31日
寺尾不当判決45ヵ年糾弾・再審要求集会参加者ご一同様                                石川 一雄