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Les îles Rishiri et Rebun, un Japon hors des sentiers battus
Situées à l’extrême nord du Japon, les îles de Rishiri et de Rebun sont un véritable paradis pour les amoureux de vélo, de randonnée et de nature.
Au large d'Hokkaidō se trouve Rishiri, une petite île à la nature préservée, et qui donne le sentiment d'être aux confins de la terre. Pour découvrir en profondeur toute la beauté de Rishiri, rien de tel que d'explorer l'île à vélo. Vous pourrez ainsi découvrir le Mont Rishiri, d'une hauteur de 1721 m.
L’île fait 55 km donc on peut en faire le tour en une seule journée, explique Mizuki Ishihara, guide pour l'Association de tourisme de Rishiri. On peut donc louer un vélo et profiter d'une brise agréable.
Sur le trajet, différentes activités sont proposées. L'une des plus populaire est la pêche aux oursins. ≪_Les oursins de Rishiri sont très célèbres, beaucoup de touristes viennent pour ça _≫, raconte Mizuki Ishihara.
Vous pouvez également vous relaxer dans un bain thermal traditionnel japonais, appelé Onsen, et dont l’eau provient de sources volcaniques.
Située plus au nord, l’île de Rebun est encore plus sauvage que sa voisine. Et pour profiter de cette nature, rien de mieux que de parcourir l’île à pied. Il existe de nombreux sentiers de randonnée, adaptés à tous les niveaux. Un paradis pour les amoureux du trek.
Je pense que le meilleur moment pour faire du trek, c’est lors des mois d’août et de septembre, explique un guide local, Kenji Kawamura. Mais l'île de Rebun est aussi appelée "l'île flottante des fleurs_" et la saison des fleurs est en juin et juillet. Vous pouvez donc profiter de l'île de Rebun pendant tout l'été. Alors, n’hésitez pas à venir ! _≫
Vélo, randonnée, nature et moment de détente... Ruishiri et Rebun montrent un Japon différent, loin des clichés, et qui vaut vraiment la peine d’être vécu.
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フランス語の勉強?
あらかわ @kazu10233147
羽鳥モーニングショー
女系天皇をめぐり議論。菅野さんが、女系天皇を認めないと男子を生むことを女性に強制し、女性差別と批判すると、竹田恒泰はそれは天皇制そのものの全否定だと訳のわからない発言。つづく青木さんの発言もすごい。

himaringo🎲左耳の消えたピアス @NTS41
玉川さんの女系容認論に竹田さんタジタジ・・・ #羽鳥慎一モーニングショー
想田和弘@KazuhiroSoda
竹田氏の主張を要約すると、天皇制はそもそも身分差別なんだから女性差別もしょうがないでしょ、というもの。身分差別であることを認めているのが面白い。そうなんです、天皇制は身分差別制度なんです。だから女性差別なんかへっちゃらなんです。だからやっぱり廃止すべきなんです。
血筋によって人間を選別し特別扱いする差別の体系である天皇制はいいけれども、性別によって人間を選別し特別扱いすることはダメだという主張には、どうしても無理がある。どっちも容認するか、どっちも否定するしかないんです。僕は両方とも否定します。

shinspl99 @shinspl99
現上皇の誠実な人柄,平和を祈念する姿から天皇制を指示する人もいるかもしれないが,彼自身が自分の意思にかかわらず天皇という立場に置かれたこと,これ自体も人権問題である.やはり天皇制は間違っている.
一水会 @issuikai_jp
里城再建のため那覇市が募った寄付金が早くも2億円を突破したという。人々の善意には頭が下がるが、その一方、心無い言葉を吐く輩も後を絶たない。「火事は◯◯の放火」式のデマもそうだが「寄付に頼るな! 沖縄が自力で再建しろ!」という発言には、下劣過ぎてもう言葉も出ない。

お仕事は南港ということなのですが,朝6時50分に出ます.わたしも一緒に起きました.玄関まで見送りしただけですが.その後財布忘れた!とのメール.駐輪代はどうなる?と思っていたらICOCAが使えるかもしれないとのこと.使えなかったら?時間的に迎えにいくことはできないし・・・でも無事に使えて帰宅したとのこと.
ネットでラジオを聴いていて「私がオバさんになっても」.何気なく聞いていたのですが東北地方の方言で歌っています.なんだかうれしくなりました.誰が歌っていたんだろう?と思って調べると,
「朝倉さや」がヒットしました.CD買おうかなって思いました.
帰ってご飯食べる前,夜8時くらいに念のためにと思ってメールチェックしたら少しややこしいメール.ご飯食べたいのに少し時間かけて返信しました.明日の件を前日の夜に連絡しないで!

河北抄
 きょうは「津波防災の日」。そう言われても、正直ぴんとこない人も多いのではないか。なぜ、大津波が襲った東日本大震災の「3.11」じゃないの? 疑問に思うかもしれない。
 津波防災の日は震災から3カ月後、2011年6月に成立した津波対策推進法で定められた。当時、政権の座にあった民主党は、3月11日を「津波の日」とする予定だった。
 これに異を唱えたのが、自民党の二階俊博幹事長。「11.5」で押し切った。その背景には、1854年の安政南海地震の際、地元の和歌山県であった「稲むらの火」の史実がある。
 地震は旧暦11月5日の夕暮れに発生、津波も襲来した。今の和歌山県広川町の豪商、浜口梧陵(ごりょう)は機転を利かせて稲束に火を付け、暗がりを避難する村人を高台へと導いた。二階氏は、この逸話を後世に伝える意義を説いたという。
 仙台市ではきょう、避難訓練があった。経緯はどうあれ、足元の備えを確かめる日にしたい。津波であれ、洪水であれ、避難の大切さを改めて胸に刻もう。


石巻・大川伝承の会代表が静岡で講演 「学校防災改善 意識を高めて」
 東日本大震災の津波で犠牲になった石巻市大川小児童の遺族らでつくる「大川伝承の会」共同代表の鈴木典行さん(54)が4日、静岡市内で講演し、「災害は必ず起きる。かけがえのない子どもたちの命を守るために行動してほしい」と学校防災の改善を訴えた。
 大川小では津波で児童74人と教職員10人が犠牲になった。6年生だった次女の真衣さん=当時(12)=を失った鈴木さんは「避難するための時間も情報も手段もあったのに、(学校側の)判断ミスで命を守れなかった」と指摘。「被害を繰り返さないため、教育関係者は学校防災の実態を確認し、意識を高めてほしい」と強調した。
 会場の静岡市は南海トラフ巨大地震の被害が想定されており、「津波は何度も繰り返し襲ってくる。危機感を持ち、避難場所の確保を含め具体的な対策を取るべきだ」と呼び掛けた。
 津波工学が専門の常葉大(静岡市)の阿部郁男教授も同会場で講演した。出身地の岩手県山田町の生家が震災の津波で被災した状況を説明しながら、「静岡では自治体が学校防災に力を入れているが、まだ関心の薄い教師もいる。全ての教師をどう巻き込むかが課題だ」と述べた。
 講演会は静岡県弁護士会の主催。市民約300人が参加した。


被災者支援を考える講演会
東日本大震災や先月の台風19号など、大きな災害で被災した人たちへの支援のあり方を考える講演会が仙台市で開かれました。
4日、仙台市の東北福祉大学で開かれた講演会には、生活が困難な人の支援にあたっている全国の福祉団体や自治体の担当者など、およそ80人が参加しました。
このなかで東日本大震災や先月の台風19号など、大きな災害で被災した人たちへの支援のあり方を考える分科会では、岩手弁護士会の吉江暢洋会長が震災で支援活動を行った際の経験を語りました。
吉江会長は震災当時の制度では、被災者が抱える問題は解決できなかったとして、「住宅の再建など、分野ごとに細かく分かれている制度をまとめ、被災者が利用しやすいようにするとともに住宅の修理に足りない制度は新設する必要がある」と訴えました。
また、災害時の被災者支援に詳しい京都経済短期大学の菅野拓講師は「いつどこで起きるかわからない災害に備えるため、平時から、生活に困った人を支える包括的な支援体制を整えることが重要だ」と呼びかけました。
講演を聞いた、仙台市で活動する社会福祉士の40代の女性は、「台風19号の被災地では、東日本大震災で得た経験や教訓を生かし、支援制度の情報を発信したり、生活再建のサポートをしたりしていきたい」と話していました。


角田市が仮設住宅整備、宮城県に建設要請へ 12月下旬の入居目標
 角田市は、台風19号で住宅が半壊以上の被害を受けた住民を主な対象とするプレハブ仮設住宅を整備する方針を決めた。10日まで入居希望調査を行った上で戸数を決め、県に建設を要請する。利便性のいい市中心部に設け、12月下旬の入居開始を目指す。
 市は民間の賃貸住宅を借り上げる「みなし仮設住宅」の入居希望者を10月24日から募っていた。みなし仮設として確保できるのが六十数戸なのに対し、今月1日までに寄せられた入居希望は約130件。プレハブ仮設の整備に踏み切り、1日までに罹災(りさい)証明書の申請を行った1122人に入居希望調査票を送付した。
 市によると10月末現在、床上浸水が736世帯、床下浸水が806世帯など計1562世帯の建物被害を確認。市の担当者は「住宅の被害判定は罹災証明書によるため、必ず申請してほしい。仮設住宅に入居を希望する世帯数や人数を把握し、迅速な整備を進めたい」と話す。
 入居希望調査は、市役所東庁舎の総合支援窓口で受け付ける。連絡先は市都市整備課0224(63)0138。


産業の台風復興 実情に合う細かな支援を
 台風19号による県内の農林業や企業の甚大な被災状況が明らかになっている。
 特に心配なのは、ともに後継者不足に苦しむ農林業の生産者と中小企業である。
 生産者は高齢化が進んでいる。被害から立ち直り、生産を元に戻すのは簡単ではない。被害を機に廃業が進む懸念もある。
 農業は地域の基盤だ。衰退すると地域の活力が落ちていく。人口も減少し悪循環に陥る。
 中小企業も同様だ。経営環境が厳しい中で地域経済や雇用を支えている。従業員だけでなく、取引先企業で働く人たちの生活の糧にもなっている。
 実情や要望に応じた、きめ細かな支援をしたい。
 農林業関係は県の10月24日時点の発表で計162億7300万円に上る。前回18日時点から50億円以上増えており、今後さらに増えていくだろう。
 被害は多岐にわたる。農産物や果樹のほか、ビニールハウスなどの生産施設が損傷した。畑や水田に土砂が流入し、取水施設などの農地・農業用施設が壊れた。
 千曲川の堤防が決壊した長野市穂保周辺は県内有数のリンゴ産地だ。広い範囲で畑が泥や土砂に埋もれ、収穫を控えていたリンゴや果樹が被害を受けた。薬剤噴霧車などが水没し、1千万円近い損害が出た生産者もいる。
 佐久市では世界かんがい施設遺産の五郎兵衛用水に土砂が流入し、揚水機も水没し故障した。
 企業の被害も深刻だ。工場が浸水して生産や電気の設備が故障して使えなくなり、操業を阻んでいる。再開できても生産能力が大幅に落ち込んだ企業も目立つ。決算への深刻な影響が既に明らかになった大手企業もある。
 観光業への影響も出ている。被害がなかった観光地でも風評被害がある。大量キャンセルがあった施設も経営に打撃になるだろう。
 農林水産省は既存の事業を活用し、農業用ハウスや畜舎の復旧、果樹の植え替えに必要な費用を補助するなどの支援をする。
 台風19号が激甚災害に指定されたことに伴い、被災した中小企業が事業再建資金を借り入れる際の優遇措置も設けられる。
 有利な融資や助成金だけでなく、人的支援が必要になる場合もあるだろう。市町村や県、国だけでなく、農業団体や業界団体は被災者の要望を聞き、何が求められているのか把握してほしい。
 正確な情報発信で観光への打撃を軽減することも欠かせない。


相次ぐ豪雨災害 「想定外」の見直しを急げ
 度重なる被害で自治体の対応に限界が出ている。国は、被災者の生活再建をしっかり支え、地域経済への影響を最小限にするためにもインフラの復旧に全力を挙げてもらいたい。
 千葉県などではハザードマップの浸水想定区域から外れた場所が浸水した。ハード面だけでなく、ソフト面での対策の見直しを急ぐ必要がある。
 台風15号、19号、そして21号に伴う豪雨と、東日本を中心に想定を超える災害が相次いだ。
 政府は、台風19号を「激甚災害」と「非常災害」に指定し、補正予算を組んで復旧工事を加速させる。
 住宅や農地、工場などが浸水し、先の見通しが立たない人や、避難所での生活を余儀なくされている人も多い。
 国は被災者の声にしっかり耳を傾け、生活支援に力を入れねばならない。
 今回の豪雨が突きつけたのは、地域住民が自らの命を守るために不可欠なハザードマップの有効性を高めねばならないということだ。
 台風19号などでは、実際の浸水地域とハザードマップの想定浸水区域とが一致した所も少なくなかった。
 一方で、千葉県では想定区域外の市役所や公民館が浸水し、避難所となっていた公民館から市民が別の施設へ再避難する事態も起きた。
 住宅100棟以上が浸水した長岡市今井地区では、信濃川の増水で支流が逆流する「バックウオーター現象」が発生した。市は浸水の原因になると想定できなかった。
 大規模な水害が多発する中、国は2015年に水防法を改正し、ハザードマップで想定する最大雨量を「数十年から100年に1度」から「千年に1度」レベルに基準を引き上げた。
 旧基準では98%の市町村が作成、公表しているが、新基準では3月末時点で3割にとどまっている。本県も同じ割合だ。
 国は20年度末までの改訂を自治体に求めている。今回河川が氾濫した原因も検証し、速やかに改訂してもらいたい。本県など人手や財源に乏しい自治体に対しては、国がしっかり後押しする必要がある。
 想定外の事態は土砂災害でも起きた。群馬県と千葉県では土砂災害の警戒区域外で土砂が崩れ、住宅が押しつぶされて犠牲者が出た。
 警戒区域は、崖の傾斜角度や高さなど国が定めた基準を踏まえ自治体が設定する。なぜ区域外で土砂災害が発生したのかを踏まえた見直しを急ぎたい。
 国土交通省は今後、温暖化の影響による大型の台風や記録的豪雨に対応した治水対策の転換を検討するとしている。今回の教訓を生かし、想定外の被害を最小限にとどめる取り組みを進めなければならない。
 ハザードマップや警戒区域を公表しても、住民に行き届かず、生かされないケースもある。どういう状況が危険なのかなど、自治体は丁寧に説明し、活用方法を周知してほしい。


「真っ暗になったら千葉県みたい」公明の市議がやじ、千葉県を揶揄の意図ないと釈明
 京都市議会で10月30日に開かれた9月議会の本会議で、公明党の吉田孝雄市議(57)が、共産党市議が国のエネルギー基本計画などを批判する意見書案を説明した際、「真っ暗になってしまったら、千葉県みたいになる」とのやじを飛ばしていたことが5日、分かった。
 千葉県では9月の台風15号で、電柱や電線が損傷して大規模停電が発生し、深刻な影響が出た。
 意見書案は、国が原子力や石炭火力による発電を維持していることを批判した。これに対し、吉田市議は「火力も原発も否定してどうする」との言葉に続けて、千葉県を引き合いにやじを飛ばした。
 吉田市議は取材に「停電になって困っている人がいることを伝えたかった。千葉県を揶揄(やゆ)する意図は全くない。ただ、やじを言うのは好ましくなかった」と話した。
 本会議でやじを聞いた他党の市議は「千葉県の停電は自然災害によるもので発電方法は関係ない。被災地への配慮に欠ける発言だ」と指摘した。


生活困窮者支援について意見交わす 仙台で研究交流大会
 第6回生活困窮者自立支援全国研究交流大会(実行委員会主催)が3、4日、仙台市青葉区の東北福祉大国見キャンパスなどであった。経済的な困窮や引きこもりに悩む人の支援者ら約1000人が参加した。
 3日のシンポジウムでは、2015年に施行され、昨年6月に改正された生活困窮者自立支援法について支援団体の代表者らが意見を交わした。
 NPO法人自殺対策支援センターライフリンク(東京)の清水康之代表は、相談受付時にさまざまな団体が使える共通のシートを作成した事例を紹介。「事案の引き継ぎで支援が途切れるのを防ぎ、連携して命を支えているとの実感が共有できている」と話した。
 厚生労働省の吉田昌司生活困窮者自立支援室長は、支援法の現状について「地域の実践を確固にし、全国に広める段階だ。支援の依頼を断らない姿勢を、福祉全体に広げていく必要がある」と強調した。
 若い女性や刑務所出所者に対するサポートや、自殺対策に関する講演もあった。4日は分科会を開き、個別のテーマを議論した。


「古文書」救出に全力 個人の思い出も修復 宮城・NPO法人が始動
 被災した古文書など歴史資料の保全に取り組むNPO法人「宮城歴史資料保全ネットワーク」が、台風19号の被災地で活動を始めた。ネットワークは「古文書は地域の歴史そのもの」と強調し、救出と修復に全力を挙げる考えだ。
 10月22日、宮城県涌谷町教育委員会からネットワークに「涌谷伊達家の旧家臣宅で保管していた歴史文書が浸水した」と連絡があった。預かった資料は、江戸時代中期から明治時代初期の書物や当時の生活の様子が記された文書、銀札など貴重なものばかり。
 ネットワークの川内淳史東北大准教授(歴史学)は「かなりぬれていたが修復できそうだ。災害時は生活再建が最優先になり、存在や価値が知られないまま処分される貴重な資料が多い」と危機感を募らせる。
 川内氏によると、文化財の指定がない場合でも、地域の成り立ちや住民の生活が記され、その土地の歴史を伝承する重要な文書もあるという。
 ネットワークは、歴史資料以外にも、写真や賞状、学校の成績表など個人の思い出の品の修復も無償で請け負っている。東日本大震災では、津波で被災した約10万点の写真や文書が集まり、ボランティアの協力で現在も修復作業を続けている。
 ネットワーク理事長を務める東北学院大の斎藤善之経営学部長は「地域や家族の歴史を残すために手を尽くしたい。浸水した物があれば気軽に相談してほしい」と呼び掛けている。連絡先はネットワーク事務局080(1666)5919。


ハンセン病補償/最終的な解決の出発点に
 ハンセン病元患者の家族に対する補償の方策を検討していた超党派の国会議員グループが、補償額を最大180万円とするなどの基本方針を決めた。議員立法として法案をまとめ、臨時国会に提出する。
 患者を強制的に隔離した、国の誤った政策が、深刻な差別を生み、長年人々を苦しめた。厳しい偏見にさらされたのは、家族も同じだ。
 元患者への補償制度に家族は含まれていなかったが、これで被害回復の道筋が付いた。国会は速やかに法案の成立を目指してほしい。
 ただ、これは最終的な解決へのスタートと捉えるべきである。
 周囲の目を恐れて当事者が名乗り出にくい状況は今もある。多くの家族が補償を求めた集団訴訟でも、500人以上の原告のうち名前を公表したのは数人にとどまった。
 根強い差別をなくすためには、患者や家族の権利を守る施策が欠かせない。当事者がためらわずに補償を請求できるよう、支援の仕組みを整え、地域や学校などの啓発活動にも力を入れる必要がある。
 人権侵害を許さない姿勢を明確にして取り組みを進める。それが国や自治体など公的機関の責務だ。
 基本方針は、家族への補償を精神的苦痛への慰謝料と位置付けた。元患者の親子や配偶者、同居していた子の配偶者らに180万円、きょうだいや同居のおい、めい、孫などに130万円を支給する内容だ。
 家族の集団訴訟で、熊本地裁は6月、1人当たり30万〜130万円を支払うよう国に命じた。政府、原告とも控訴せず、判決は確定した。
 政府は補償措置の検討を始めたが、支給額などを巡って原告側との協議は難航した。今回の基本方針を家族らが受け入れたのは、「差別解消への一歩に」との思いからだ。
 現在の案では、外部有識者の審査会が診療録などを基に審査し、厚生労働相が認定する手続きを踏む。
 2002年以降の被害や、米国統治下にあった時代の沖縄、戦前の台湾や朝鮮半島に住んでいた家族も対象とする。訴訟中に死亡した原告にも、省令で一時金を支給する。
 地裁判決より救済を幅広く打ち出した点は評価していいだろう。
 厚労省は対象者が2万〜3万人、予算規模が350億〜500億円と試算する。いかに多くの人が苦しんできたかが分かる数字だ。
 元患者の補償法で曖昧にされた責任の主体は、法の前文で「国会および政府」とし、「深くおわびする」と明記する。謝罪が言葉だけでなく中身の伴ったものとなるかは、今後の取り組みにかかっている。
 国や国会は責任を自覚し、真摯(しんし)に努力しなければならない。


英語民間試験見送り 制度設計を見直すべきだ
 見送りは当然だ。むしろ遅きに失したと言える。
 萩生田光一文部科学相は、大学入学共通テストへの英語民間検定試験の導入について「自信を持って受験生に薦められるシステムになっていない」と述べ、2020年度は見送ると発表した。経済格差や地域格差を広げるという批判に対し、十分な対応策が間に合わないと判断したためだ。
 民間試験の会場は都市部が中心のため、住む地域によっては受験生に渡航費や宿泊費の負担を強いる。家庭に経済力があれば、高校3年になる前に検定試験を何度も受けて、慣れておくこともできる。
 家庭の経済力や居住地が成績を左右しかねない。受験生や教育現場、家庭からは不安や批判が噴出したが、それでも実施へ突き進む文科省に不信感が拡大していた。そんな中、萩生田文科相はテレビ番組で「身の丈に合わせて頑張って」と言い放った。格差を容認し、弱者切り捨てとも取れる発言が火に油を注いだ。これが引き金となり、政権批判を恐れた官邸が見切りを付けた形だ。
 公平・公正を確保できない制度の欠陥は以前から指摘されていた。全国の国公私立高校計約5200校でつくる全国高等学校長協会(全高長)は9月10日、制度の実施を延期した上で大幅な見直しを求める要望書を文科省に提出した。本来なら文科省はその段階で実施延期を決断すべきだった。現場の切実な声は非常に重いからだ。
 英語民間試験導入の背景には、グローバル化の進展に伴い、聞く・読む・話す・書くの実践力を総合的に評価する狙いがある。この趣旨は大事だが、だからといって制度の欠陥を放置することは許されない。
 最大の問題は、受験生の立場を最優先に考えずに、試験を民間に丸投げしたことにある。公平・公正の確保は教育基本法で定める教育の機会均等に関わる。その実現への努力を国が放棄したに等しい。
 教育に対する基本姿勢をおろそかにし、混乱を招いた文科省の責任は重大だ。同じ過ちを二度と繰り返してはならない。文科省は猛省し、受験生や教育現場、家庭の声に謙虚に向き合うことが求められる。受験生の立場を最優先しなければならない。
 文科省は今後、民間試験の活用中止も選択肢に含め、関係者を集めた検討会議を立ち上げ、1年間かけて抜本的な見直しを議論するという。中途半端では、全国の関係者は決して納得しないだろう。ゼロベースで制度設計を見直す必要がある。
 この際、大学入学共通テストの原点に立ち返らなければならない。原点とは、生徒の立場を第一に考え、公平・公正を確保することである。その実現に向け、全ての受験生がそれぞれの生活圏の中で同一の試験を同一の日程で受けられる仕組みを文科省が主導して整えることが望ましい。


英語民間試験は延期も…まだ温存されている“入試改革利権”
 萩生田文科相の「身の丈」発言が火をつけ、2021年1月に実施する大学入試の新共通テストへの英語民間試験の導入は見送られた。ボロ儲けを狙った試験の実施業者は青ざめるどころか、入試“改革”の利権構造はまだ温存されている。
  ◇  ◇  ◇
 入試改革は第2次政権発足直後に「教育再生」を掲げた安倍首相の肝いり政策だ。文科省が17年7月、現行のセンター試験に替わる「大学入学共通テスト」の実施方針を発表。英語民間試験の導入を打ち出すと共にもうひとつ、重大な制度変更を盛り込んでいた。それが数学と国語の記述式問題の導入だ。
 21年1月実施の大学入学共通テストから従来のマークシート式に加え、それぞれ記述式の小問3題を出す。採点は民間業者に丸投げ。最大50万人以上の記述答案を20日以内で採点するため、文科省は1万人の採点者が必要としている。採点作業には学生バイトも認める方針だが、採点者の質によって試験の公平性が損なわれる恐れが強い。
 特にややこしいのは、国語の記述式問題の採点方法だ。成績は点数化されず、まず小問3題をそれぞれ「正答の条件」との合致率によって「a〜d」の4段階で評価。3題の4段階評価の組み合わせから、総合評価を「A〜E」の5段階に落とし込む流れだ。
「評価方法があまりにも複雑怪奇なため、昨年11月に高校2、3年生を対象に実施したプレテストの結果、約3割もの参加者が自己採点できませんでした。本番で受験生は、採点結果が通知される前に出願する大学を決めなければいけません。自己採点もできないまま、出願先を決めさせるなんて乱暴な仕組みです」(教育関係者)
 その上、A〜Eの評価をどう得点に換算するかは、各大学の判断に委ねられている。同じ問題でも出願先によって点数が変わってしまうなんて、もうムチャクチャだ。
 これだけ問題だらけの採点業務を大学入試センターから請け負ったのは、ベネッセHDの100%子会社「学力評価研究機構」。今年8月末に一般競争入札で約61億6000万円で落札し、委託期間は24年3月末まで。ベネッセは英語民間試験のひとつ「GTEC」を運営。英語民間試験の導入を巡り、文科省の有識者会議傘下の協議会には、同社のGTEC担当課長が名を連ねていた。
■検定料負担で受験生を食い物に
 さらに業者の入試ビジネスは拡大する。実は従来のセンター試験は「高校で学ぶ事柄の達成度」と「大学レベルの素養」の2段階に分離。うち素養を見るのが共通テストだ。達成度を測る「高校生のための学びの基礎診断」なる試験も、24年度の本格活用に向け今年度から一部高校で国語と数学、英語の3教科を対象に試行されている。
 共通テストにおける英語民間試験と同様、漢検や数検などの検定試験やベネッセの総合学力テストなど計9団体25種類の民間試験を使って学力を測る。もちろん、検定料は受験生の負担で、業者には多額の利益が転がり込む仕組みだ。
「英語民間試験は氷山の一角。これだけ業者に“濡れ手で粟”の入試制度の変更方針を検討させた、文科省の『検討・準備グループ』の議事録が公表されないのも不可解です。メディアも野党も入試改革の深い闇に切り込むべきです」(入試改革問題に詳しい東大教授の阿部公彦氏)
 ベネッセの担当役員は5日、衆院文科委員会の参考人質疑に招致されたが、野党は入試利権の闇を徹底的に暴かなければダメだ。


大学入学共通テスト 記述式問題 中止や延期求める意見相次ぐ
大学入学共通テストに記述式の問題が導入されることについて野党側のヒアリングが行われ、出席した高校生や教員などから、公平な採点が担保できないおそれがあるなどとして、中止や延期を求める意見が相次ぎました。
来年度から始まる大学入学共通テストでは、国語と数学に記述式の問題が導入されます。
これについて、立憲民主党などは5日国会内で会合を開き、現役の高校生や教育関係者からヒアリングを行いました。
この中で、高校生からは「自己採点などをどうすればいいか分からず不安だ」とか、「入試の公平、公正さが失われるのではないか」などといった声が上がりました。
また、高校の教員などからは「記述式の試験では判断に迷う解答が出てくることが予想され、アルバイトなどが一度に大量に採点すると不公平が生じるおそれがある」などといった指摘が出されました。
そして、公平な採点が担保できないおそれがあるうえ、試験後の自己採点も困難になり、志望校に願書を出す際に支障が出るなどとして、記述式の問題の中止や延期を求める意見が相次ぎました。


英語民間試験延期 なぜ東大合格者数ランキング2位校のエリート高校生も声をあげたのか
 大学入学共通テストにおける英語の民間試験について、来年度からの導入予定が突然の延期。異例の方針転換に、教育ジャーナリストの小林哲夫さんは「強行突破すると思っていた」と話す。小林さんが話を聞いた、筑波大学附属駒場高校2年の男子生徒のインタビュー(「AERA.dot」2019 年10月25日)が話題を呼んだが、都内の東大合格者数ランキング上位校(2018年度は2位)に通う彼が、大学入学共通テストへ反対の声をあげた理由とは何だったのか。
◆「受験生保護」の大原則
小林哲夫さん 2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される予定だった英語の民間試験について、萩生田光一文科大臣が来年度からの導入の延期を表明しましたが、私は延期ではなく中止にすべきだと思います。
 戦後、文部省・文部科学省は大学受験において「受験生保護」を大原則としてきました。大学入試は誰でも同じような条件で受けられるものでなければならない。地域格差や経済格差があってはならないんですよね。
 ところが今回の大学入試改革は、そういったギリギリの線まで侵してしまっているところがあります。受験の大原則である「機会平等」「公平性」「公正」を維持するためには、英語民間試験を導入するにしても、全国隅々に実施会場を設置しなければならない。地方都市の例としては北は稚内、南は宮古島などがメディアで取り上げられています。でも、それは不可能に近い。
 まず試験の実施会場はなかなか見つからないでしょう。国会の委員会では、高校などの公共施設を会場にすればいい、という意見も出ていますがこれはきわめて困難な話です。入試直前の多忙期に教室をきれいに明け渡すのはむずかしい。それにだれが試験監督をするのか。その学校の教員でしょうか。これも過重負担、教員の働き方改革に逆行して現実的ではありません。
 ほかにも経費、試験内容、試験方法など問題点がたくさんあります。延期したからといって地域格差、経済格差が解消されるような、すばらしい政策が打ち出されるとは思えませんので、英語民間試験は中止して、根本的に見直すべきだと考えています。
 ただ、現実に延期になるとは思っていませんでした。文科省は強行突破するのではないかと。それは、延期による混乱を招きたくない、新たな制度を設計するのはしんどい、文科省への批判を避けたい、そして、官僚としてのメンツを守りたい、と文科省側は心底考えているからです。役人の習性ですね。でも、予想は外れてしまいました。首相官邸が萩生田文科大臣を守るために、英語民間試験が差し出されたという見方がなされていますが、あたっていると思います。
 文科大臣の「身の丈」発言は、教育基本法の定める「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」に反しており、まともな政権ならば更迭ものです。この文科大臣のもとで入試制度が決まるのは、たいへん不幸なことです。
高2の筑駒生が語った「入試を入試じゃなくする制度です」
 筑波大学附属駒場高校2年男子生徒の「ぼくたちに入試を受けさせてください。大学入学共通テスト。ひとことで言えばこれは入試ではありません。入試を入試じゃなくする制度です。構造的な欠陥を多く抱えています。荒唐無稽な制度はいますぐ中止して、見直すべきです」という発言は、大きな反響を呼びました。あまりにも理路整然としていたため、この高校生が話したのではない、記者が作ったのではないかと疑われるほどです。でも、彼のようにしっかり考える高校生はめずらしくありません。高校生は世間が思っている以上に理知的で賢い。高校生をバカにしてはいけない。ただ、彼が社会に向き合って発信したから、注目されたわけです。
 この筑駒生は数学が好きで物事をものすごく論理的に突き詰める。そうした思考のなかで大学入学共通テストは、とても不合理なことが多く荒唐無稽な制度と受け止めるようになったのでしょう。彼が住む東京の高校生ならば、この制度に十分、対応できる。だが、地方在住の受験生やハンディキャップを持つ受験生に対して公平ではなく、平等な機会が与えられておらず、不利になる人が出てくる。それはとてもおかしなことだと思ったようです。
 また、彼自身、自分なりにきちんと入試制度を読み解いたところ、国語や数学の大学入学共通テストのプレテストの記述式問題にも大きな疑問を抱いた。そして、こんなおかしな制度を通用させてはいけないし、不安や不満を抱いている高校生はたくさんいる。これは黙っていられない、社会に対して問題提起しなければという思いから、彼は声をあげたのでしょう。
高校生から不満が出る前に
 英語民間試験が延期になったとしても、大学入学共通テストは実施される予定です。しかし、国語や数学の記述式問題の中身が思考を問うような内容になっていない、記述式問題の解答の採点が難しい、なぜ採点をアルバイト学生にも認めるのか、などといった多くの批判が出ています。文科省がこれらを一つひとつ改善できないようでしたら、記述式問題反対の声が高校生、高校教師、予備校、大学教員などから多くあがるかもしれません。英語民間試験を延期ではなく中止せよ、という声と合わせて。
 今回の入試改革は2020年度ありき、民間試験導入ありきで進んだため、試験の内容や方法を十分に検討することなく、また、批判が起こっても耳を傾けずに突っ走ったため、制度設計の不備が多すぎた。
 入試改革そのものを一度、全部見直すべきだと思います。高校生から不満が出る前に、文科省は自浄能力を発揮してほしいです。


大学入学共通テスト「国数の記述式も見送りを」
英語民間試験の活用が見送られた2020年度開始の大学入学共通テストを巡り、高校現場や政界などから国語と数学の記述式問題についても導入見送りを求める声が出ている。採点の公平性への疑問や、受験生の自己採点の難しさが理由だ。文部科学省は不安解消策を講じた上で予定通り導入する姿勢だが、関係者の懸念は強い。
「記述式の自己採点は無理、危険だ。何点か分からないまま出願しないといけない」。5日、参院議員会館で開かれた野党の会合で静岡県立掛川西高の駒形一路教諭(国語)は語気を強めた。
記述式問題は従来のマーク式問題と異なり、採点が複雑で自己採点も難しい。50万人規模が受験する共通テストでは1万人程度の採点者が必要とみられる。駒形教諭は「1万人の採点者がいれば、採点基準は少しずつ変わっていく」と、採点がぶれて不公平になる恐れも指摘した。
自己採点が難しいのは解答例を読んで部分点がとれたかを判断する際などに読解力を求められるからだ。18年の共通テストの試行調査では、自己採点と実際の採点結果の一致率が国語で66.0〜70.7%にとどまった。
現行の大学入試センター試験は全問題がマーク式。一致率は100%が期待でき、国立大入試などは自己採点の結果を基にした出願が定着している。代々木ゼミナールの佐藤雄太郎・教育事業推進本部本部長は「受験生は解答例と自分の表現が同じかどうかといった点で悩むだろう。得点が分からず、出願先選びが安全志向になる可能性がある」と危ぶむ。
5日の衆院文部科学委員会。全国高等学校長協会の萩原聡会長(都立西高校長)は「意見集約はしていないが今後の不安はあると認識している」と発言。日本私立中学高等学校連合会の吉田晋会長(富士見丘学園理事長)は「採点は各大学がしたらどうか。完璧な解答があるということに疑問がある」と述べた。
公明党の山口那津男代表は5日の記者会見で「公平性や評価の妥当性を確保するために最大限の配慮をすべきだ。与党の議論を十分にした上で、その意見を政府も受け止めるべきだ」と述べた。立憲民主党の福山哲郎幹事長も会見で「記述式という大きな課題が残っている」と強調した。
大学では東北大が不公平の恐れを理由に国語では記述式の成績を原則合否判定に活用せず、合否ラインに同点で並んだ場合のみ使うとしている。
一方、菅義偉官房長官は5日の会見で「今回の英語の試験とは違うのではないか」と述べ、見直しに慎重姿勢を示した。英語民間試験と異なり、大学入試センターが一律に実施する試験の一部であることなどを念頭に置いた可能性がある。
活用を予定している東京都内の有名私立大の入試担当者は同日、「自己採点が不正確になりかねないだけで活用を見送るのには疑問があるが、懸念の払拭へ万全の準備をしてほしい」と求めた。
文科省は対策を講じる考え。採点を確実に行い、自己採点をしやすくするための措置を検討する。入試センターは課題を洗い出すため11月中に高校生約1万人に記述式問題を解いてもらい、「模擬採点」を実施する。採点業務を受注したベネッセグループの企業とともに検証し、年明けに結果を公表する方針だ。


岩国米軍機の違反横行 安心脅かす飛行許すな
 米海兵隊岩国基地(岩国市)所属の戦闘機部隊で、重大事故につながりかねない規則違反が横行している。そんな危険な実態が、米軍の調査報告書で明らかになった。
 乗員が飛行中に手放しで操縦したり、読書したり、さらにひげを整えながら自撮りも―。とんでもない規律の緩みで、安全軽視にも程がある。
 戦闘機は操縦を誤れば、地上の人や施設などを巻き込む事故を引き起こしかねない。重責を負う自覚の乏しさはあきれるばかりだ。住民の安全、安心を脅かす飛行は到底許されない。
 岩国基地は今や極東最大級の航空基地である。在日米軍再編に伴い、所属機は約120機に倍増し、日常的に爆撃機が飛行している。にもかかわらず安全意識が低すぎる。すぐに飛行を停止すべきだとの声が、住民から出たのも当然だろう。
 調査のきっかけは、昨年12月の高知県沖の事故である。いずれも岩国基地所属のFA18戦闘攻撃機とKC130空中給油機が接触し、6人が死亡・行方不明になった。
 報告書は、操縦士の経験不足などを直接の事故原因とした。一方で、乗員2人の尿から睡眠導入剤の成分が検出された。部隊の管理の甘さが明らかになったと言えよう。
 さらに問題なのは、その約2年半前に類似の事故が起きていたことだ。沖縄県沖で岩国基地所属のFA18とKC130が接触した。だが、けが人がいなかったことなどを理由に詳しい調査はしないまま。再発防止策はもちろん、原因も徹底追究していなかった。
 このとき見過ごしていなければ、基地の管理態勢や規律意識の低さにメスが入り、高知沖の事故は防げた可能性がある。結果が軽微なら原因を追究しない甘い姿勢が、重大な事故を招いたことは否定できない。
 さらに岩国基地の部隊では、薬物乱用やアルコールの過剰摂取などもあったという。戦闘のため極限状態にある米兵は、基地内ではある程度、自由な振る舞いが認められてきたようだ。しかし、いったん基地の外に出れば許されていいはずはない。
 事故の再発を防ぐには、軽微な事案であっても見逃さず、重大なミスにつながらないか精査する抜本的な対策が必要だ。部隊の規律の徹底も欠かせない。
 米軍は高知県沖の事故後、隊長ら4人を更迭した。管理の甘さを少しは認めたのだろう。しかし基地内だけの対応で済まない、住民の安全に関わる問題だ。そうした意識を欠いていることが、規律意識の低下を招いた要因だと言わざるを得ない。
 日本側は、沖縄県沖の事故について米軍から報告を受けていなかった。高知県沖の事故では捜索に加わっただけで、事故調査では蚊帳の外だった。日米地位協定で手出しができないためで、見直しが急がれる。
 米軍は先月、パラシュート降下訓練を、日米間で合意していない沖縄の嘉手納基地で実施した。こうしたルールを軽視する姿勢が、隊員の規律の緩みを招き、安全軽視にもつながったのではないか。住民の不安を無視した飛行は、さらなる規範低下を招くと肝に銘じるべきだ。
 日本政府は、安全対策や規律を徹底するよう米軍にきちんと要望しなければならない。


[米軍違反飛行] 安全軽視は許されない
 手放しの操縦や読書、ひげをそりながらの自撮り−。飛行中の戦闘機内でこうした危険極まりない行為が横行していた。安全軽視も甚だしい。
 米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)所属の戦闘機部隊が起こした事故について、第1海兵航空団(沖縄県)がまとめた調査報告書で相次ぐ規則違反の実態が明らかになった。
 米軍の規律や管理態勢は一体どうなっているのか。日本政府は事実関係を早急に確認し、米軍に再発防止策の徹底を求めるべきだ。
 調査のきっかけは、高知県沖で2018年12月に発生したFA18戦闘攻撃機と別部隊のKC130空中給油機の空中接触だ。その過程で、16年4月に沖縄・嘉手納基地沖で空中給油中に起きた接触事故もさかのぼって調べた。
 報告書によると、事故の背景として部隊内に「薬物乱用、アルコールの過剰摂取、不倫、指示違反といった職業倫理にもとる実例」が存在したと指摘した。
 部隊の規律を指導すべき隊長が、機内で酸素マスクを外した姿を撮影し、通信アプリのプロフィルに掲載していた。高知の事故では乗務員2人の尿から睡眠導入剤の成分が検出された。安全置き去りと言っても過言ではない。
 さらに問題なのは、16年の沖縄での接触事故を公表せず、正式な調査も見送っていたことだ。
 事故は給油ホースが破損したものの、両機は順次嘉手納基地に着陸し、けが人はなかった。FA18の操縦士が月明かりのない暗闇の給油で、機体の高度や体勢を把握できない失調状態に陥ったとされる。事故の深刻度は4段階で下から2番目の位置づけだった。
 高知沖の墜落事故は、その2年7カ月後に発生し、6人が犠牲になった。沖縄の事故を操縦士の人為ミスとして重大視しなかったことで結果的に教訓が生かされなかった。報告書が「(沖縄で)調査していれば、(高知は)防げた可能性がある」と内部批判したのは当然だ。たとえ軽微な事案であろうと、精査しなければ再発は防げない。
 沖縄の事故が日本側に報告されなかったことについて、米側は「通報は日米両政府間の合意に沿って行われる」とするが、どの合意の条項で判断したか、明らかにしていない。日本政府はなぜ通報しなかったのか、米側をただす必要がある。
 岩国基地は在日米軍再編に伴い、米軍厚木基地(神奈川県)から約60機の空母艦載機移駐が昨年完了、極東最大の航空基地である。
 海上自衛隊鹿屋航空基地周辺では、岩国所属のKC130が9月に訓練を開始し、その後も「タッチ・アンド・ゴー」などを実施している。住民の不安払拭(ふっしょく)と安全確保に向け、県や鹿屋市も毅然(きぜん)と対応すべきだ。


日米貿易協定 政府説明は信用できるか
 政府が公表した日米貿易協定の経済効果分析について「水増し」の疑念が生じている。米国向け輸出の約3割を占める自動車と関連部品への関税は本当に撤廃されるのか。農水産品の日本市場開放を巡る説明にも疑義がある。ともに協定の根幹に関わる部分であり、政府は正面から疑問に答えるべきだ。
 協定の内容について政府は、双方に利益のある「ウィンウィン」(安倍晋三首相)と説明している。経済効果の試算はこれを裏付けるものだ。
 関税引き下げで国内の農水産物生産は年間600億〜1100億円減少するものの、経済活動が活性化し、全体で日本の国内総生産(GDP)を約0・8%押し上げ、約28万人の雇用が生まれると結論づけている。間接効果を含めば、押し上げ効果はより大きくなるという。
 ばら色の試算結果だが、額面通りに受け止めるわけにはいかない。交渉で日本が求めた自動車と関連部品の関税撤廃に米国は応じず、結論は先送りになったはずだからだ。
 首相は国会で「撤廃が前提となっている」と答弁したが、協定の付属文書には「関税の撤廃に関してさらに交渉する」とあるだけだ。米国が関税撤廃に応じるとは読み取れない。さらなる交渉をしても、これまでのトランプ米大統領の言動を踏まえれば、米国が自動車の関税撤廃をすんなり受け入れるとは考えにくい。
 自動車産業は日本経済の屋台骨で、関税の扱いは交渉の焦点だった。先に12カ国で合意した環太平洋連携協定(TPP)では、米国は最終的な関税撤廃を受け入れたものの、その後に就任したトランプ氏が約束をほごにした経緯もある。
 今回の協定について政府は、貿易額ベースの関税撤廃率を日本側84%、米国側92%と説明する。しかし、自動車の扱いが未定だとなれば、米国の関税撤廃率は大幅に低下する。これは世界貿易機関(WTO)のルールに反するのではないか。野党が厳しくただすのは当然だ。
 農水産品に関する「TPPの範囲内に収めた」という説明も怪しい。牛肉はTPP分とは別に米国向けに緊急輸入制限(セーフガード)の発動基準を設けるので、低関税で輸入できる量が増えるのは明らかだ。しかもセーフガードの発動時は、基準をさらに上げるよう米国と協議することまで約束している。
 日米両国は来年1月1日の協定発効を目指している。日本政府は国会の承認手続きを急ぐ構えだが、協定の中身が曖昧なまま先に進むことは許されない。将来に禍根を残しておいて「ウィンウィン」はないだろう。


マラソン札幌開催 五輪委の手法に違和感
 国内外から9千人超が参加して先月初めて開かれた「いわて盛岡シティマラソン」。中心市街地の道路を埋め尽くして走る様子は圧巻で、市民ランナーの裾野の広さを実感させた。県内の他の大会も大勢の参加者で盛り上がりを見せている。
 マラソンは、「見るスポーツ」としても人気が高く、五輪でも花形だ。2時間超のレースの中にさまざまな要素が凝縮され、見る者の胸を打つ。五輪史には数々のドラマが残る。
 その五輪マラソンに異例の措置が取られる。来夏の東京五輪では、競歩とともに、開催都市と遠く離れた札幌市での開催が決まった。
 事の発端は、ドーハでの世界陸上のマラソンや競歩で、真夜中のレースにもかかわらず棄権者が続出したことだ。この深刻な事態を受け、国際オリンピック委員会(IOC)が突如、札幌開催の検討を発表した。
 寝耳に水の小池百合子東京都知事が反発したのは当然だろう。暑さ対策でコースに遮熱性舗装を施し、テスト大会を兼ねたマラソングランドチャンピオンシップを実施。多額の出費を行っている。
 対立する中で、東京都、IOC、東京五輪・パラリンピック組織委員会、政府の「4者協議」が開かれ、小池知事は「同意できないが、妨げはしない」として札幌開催で決着した。
 選手の健康を優先する観点からは変更は理解できる。札幌も夏は暑いが、酷暑が予想される東京に比べれば安心できよう。
 ただ、決着までの経緯や手法には違和感を覚える。明らかになったのはIOCの強権的な体質だ。「権限がある」「決定済み」などと有無を言わせない姿勢に終始したことは、五輪運営に対するイメージを損ねたのではないか。
 そもそもマラソン、競歩が会場地変更を余儀なくされたのは、開催時期が7〜8月とされたためだ。米国テレビの放映権料に支えられる五輪の事情がある。
 真夏開催であれば暑さは分かっていたはず。もっと早く手を打てなかったか。開幕1年を切っての変更は、選手や競技運営者に負担や混乱をもたらす。もちろん決まった以上、札幌市など関係者には万全を尽くしてもらいたい。
 会場変更により追加経費が発生する。どこが負担するかが焦点だが、いずれにせよ五輪経費がまた膨らむ。歓迎ムードに水を差しかねない。
 開催決定以来問題が次々と発生している東京五輪。「復興五輪」への被災地の思いと人々の協力姿勢を高めるためにも、IOCなど「4者」は協調して復興の趣旨を盛り上げてほしい。


外国籍2万人超が「就学不明」の衝撃…日本で議論されない解決策とは
アフリカとノーベル経済学賞から学ぶ
畠山 勝太 NPO法人サルタック理事
不就学児問題の悲惨な状況
先月のことになるが、日本で暮らす外国籍の子どもの不就学問題が大きな話題となった。小中学校相当の年齢の子どもの2万1千人超が不就学状態の可能性があるうえ、市町村によって対応がまちまちであるという悲惨な状況が浮き彫りとなった。
報道や論調を見ていると、その多くがこの問題の解決の重要性を認識していて大変心強いし、今年の国連総会での演説で安倍首相が女子教育の重要性を訴えたばかりなのに、その足元で不就学問題が重大であってはお話にならない。
国際教育協力には主に人権と経済的なアプローチの二つが存在するが、まず前者から見ても、確かに外国人は日本の憲法が定める教育の義務の対象外ではあっても、日本も批准している子どもの権利条約から考えれば、国籍が理由で子どもが教育を受ける権利が自国内で侵害されている状況を放置しているのは許されるものではないだろう。
また、経済的アプローチから考えれば、教育が人的資本投資の一部であることから分かるように、不十分な教育しか受けていない構成員が社会に存在すれば、生産性・医療システム・治安といった様々な側面から社会全体でそのコストを将来背負うことになるのは容易に予想がつき、それよりはしっかりと教育を施したほうが得策である。
多くの論調は、この点までは正しい議論を繰り広げているが、提案する解決策はおよそ十分なものとは言えない。主に提案されているのは、多言語への対応や日本語教育の充実など、言語政策の観点からのみである。
もちろん、この点は必須であることは間違いない。教育系の国際機関であるユネスコが推奨するように、少なくとも小学校教育は母語で受けられるような環境整備は重要である。英語以外の言語で日本の高等教育を受けられる機会が極めて限られており、日本という社会の一員となることを考えれば、日本語教育の充実も欠かせない。
だが、本当にそれだけで十分だろうか? 確かに社会の豊かさという大きな違いはあるものの、その点をのぞけば、この問題の構図は途上国における不就学の問題と構図はそこまで変わらないように見受けられる。
しかし、途上国の中の主流言語を解さないマイノリティが、母語教育・主流言語教育の充実によって全員が就学するようになったわけでもないし、ましてやマジョリティと同じ教育水準になったわけでもない。
なぜなら、マイノリティが直面する課題は言語だけではなく、それらを乗り越えないことには、社会のマジョリティと同じだけの教育水準を受けるに至らないからだ。
もちろん、マイノリティの不就学を引き起こすすべての課題に取り組むためのすべての教育政策オプションを提示すると、一冊の教科書が書けてしまうため、今回は現在の日本の議論で見落とされている言語教育以外の主流な3つの教育政策オプション(低学力・健康・インセンティブ)に絞りつつ、それらを簡潔に紹介する。
政策オプションの紹介に入る前に、この議論のメリットを一点提示しておきたい。それは、今回提示する教育政策オプションは、外国籍の子どもの不就学問題以外の教育問題にも有効だという点である。
以前の記事(東京医大「女子差別」の衝撃〜国際比較でわかる日本のジェンダー問題)でも言及したが、日本の女性の男性比の相対的な教育水準は先進国でも最低であり、先進国にしては大学院への進学率が全体的に低いため国民の教育水準が低い、という二つの大きな教育課題を日本は抱えている。今回行う議論は、これらの教育問題に対しても有力な解決策の一つとなり得るはずだ。
そもそも途上国の話が参考になるのか?
私がユニセフや世界銀行の職員としてアフリカや南アジアの教育問題に従事してきたと言うと、貧しい子どもたちのために学校を建てて教科書を配って……といった仕事をしてきたと想像する読者が大半ではないだろうか。
しかし、私は国連職員としても、自分がネパールに持つNGOでも、一度もそんな仕事はしたことがない。
2000年には1億人を超える小学校に通えない子どもたちがいたが、小学校年齢の人口が爆発的に増加しているにもかかわらず、現在ではこの人数は6000万人以下へと減少させることに成功している。そして、この内の3分の1以上は紛争の影響を受けている子どもたちである(参照:UNICEF - Education Uprooted)。また、別の3分の1は障害児だと言われている(参照:UNESCO Institute for Statistics - Education and Disability)。
グローバルに重要なトピックではあるが、日本の外国籍の不就学児童を問題を考える上で、日本という平和で豊かな社会のおかげで、これらが大きな影響を与えているとは考えづらいので本稿ではこれに関する議論は割愛する。
残りの2000万人を考えるために、筆者が深くかかわってきた、ネパール・ジンバブエ・マラウイという、現在進行形の紛争を抱えていない国々の状況を紹介する。これらの国々は低所得国で、まだ一定数の不就学児童を抱えている。
しかし、家計調査や行政データを分析してみると、90%以上の子どもが小学校に入学しているのである。
ここが重要なポイントで、不就学と言ったときに、そもそも学校に最初から来ていない集団と、学校には来たものの十分とは言えない段階でドロップアウトしてしまう集団の二つは異なる特徴を持つ。そのため、まず日本の外国籍の不就学児童の問題の解決策を考えるときにもどちらであるかを明らかにしなければならない。
ただし、これらの国々から読み取れるのは、紛争・障害をのぞけば、冒頭で言及した学校やそれに付随するものがなくて、貧しい子どもたちが学校に行けない、というのはもはや代表的な姿ではないことは理解できるであろう。
絶対的な貧しさ以外の要因により不就学が発生していて、筆者はそれに取り組んできたと言えば、筆者の経験が全く日本と関係がないわけではなさそうだ、ということが理解してもらえるだろうか。
低学力問題
前述のように、母語教育と日本語教育の拡充は、外国籍の子どもの不就学問題に取り組むために必要条件ではあるものの、十分とまではいかない。
筆者が従事してきた国々の子どもの一定割合(少なくとも10%以上)は、低学年で留年を繰り返し、小学校を辞めていく。授業が全然理解できないのに通学を続けるのがいかに苦行であるかは、程度の差こそあれつまらない授業が苦痛であった経験はきっと誰にでもあり、想像に難くないはずだ。
保護者や行政からの就学への強制力が働かない途上国の環境では、低学力は容易に退学へ結びつく。しかし、このような強制力が働いていないのは日本の不就学ないしは不就学リスクの高い外国籍の子どもにも当てはまるはずだ。
つまり、母語教育+日本語教育だけでなんとか授業に付いて行けるという段階へ持っていくだけでは不十分で、母語教育+日本語教育+学力支援により授業をしっかり理解できるところまで引き上げないと、これらの子どもたちは容易に不就学へと転落してしまうであろう。
日本は学力支援という点については、学校教育段階に入ってからは学校・民間の双方から様々なアプローチが為されているので、外国籍の子どもへの学力支援が必要だという認識が共有されればその後については恐らく大丈夫であろう。
しかし、一点補足しておきたいのは学校教育へ入る以前の段階、すなわち外国籍の子どもへの幼児教育である。
日本でも、ノーベル経済学賞受賞者のヘックマン教授の研究から、幼児教育が重要であるという認識が広まっている。
しかし、日本で広まる認識には致命的な間違いがある。この研究が対象としていたのは、何も介入が行われなければ、対象者の3分の2は刑務所行きという絶望的な社会経済状況にある私の大学のすぐ近くの米国ミシガン州内の黒人の子どもたちであったという認識が欠けている点だ。
つまり、正しくは、困難な状況に置かれた子どもたちに対する良質な幼児教育は物凄く大きな効果を持つという認識がなされるべきであるし、ヘックマン教授の論文やHPを見ればそのように議論が展開されていることは容易に読み取れる(日本語での解説はこちらを参照)。
もし、外国籍の家庭が、日本の一般的な家庭環境よりも厳しく、言語的な問題から子どものケアに関する情報へのアクセスが限られているのであれば(恐らくそうであろう)、これらの子どもへの良質な幼児教育の提供という政策介入は、ヘックマン教授が述べるように最優先オプションとなるはずだ。
健康問題
人的資本は知識やスキルといった教育的な側面だけでなく、健康からも構成されるという難しい話をせずとも、日本では「元気があれば何でもできる」という有名なフレーズがあるように、健康であることの重要性は広く認識されている。
しかし、こと教育政策となると、健康であることの重要性が無視されてしまうように見受けられる。
追試が実施されやや議論が紛糾しつつあるものの、途上国の不就学問題を最も高い費用対効果で解決したと考えられているのが、意外なことに虫下し薬の配布である(余談になるが、これを明らかにした研究は今年ノーベル賞を受賞した教授陣によってケニアで為されたものである)。
不健康な状態では仕事でベストパフォーマンスが出せないように、不健康な状態ではとても勉学に打ち込むことなどできない。子どもが不健康な状態にあるのであれば、健康にしてあげること、実はこれが最も有効な教育政策の一つなのだ。
もう少し健康の定義を広げてみよう。
中国の農村部の貧しい地域で、とある教育的な取り組みが、少人数学級の導入や、保護者への支援よりも、はるかに高い費用対効果で子どもの学力問題を解決したことを、ケニアの先の事例と同様にランダム化を用いて明らかにした研究がある。
その取り組みとは何か? 答えは、無償でのメガネの配布である。
言われてみれば、黒板もよく見えていない、教科書もよく読めない状況で勉学に打ち込むことができるはずがない。
そして、厳しい環境にある子どもが、保護者に黒板がよく見えていないことを打ち明けること、そして対処策としてメガネを購入してもらうこと、どちらもハードルが高いであろうことは想像に難くないはずだ。
健康的な環境にまで話を広げると、近年、さらに様々な研究成果が発表されている。
睡眠の質については、広大なインドが一つのタイムゾーンしか持たないために、夜が短い地域の貧困層の子どもは教育に負の影響を受けているという研究が為されつつあるが、米国でも学校の始業時間を遅くして子どもの睡眠時間や睡眠の質を向上させると学力への良いインパクトがあることが研究により明らかにされている。また、大気汚染猛暑といった不健康な環境が子どもの学力を引き下げることも分かってきている。
大人の労働問題であれば、不健康であったり不健康な環境下だったりではベストなパフォーマンスなど出せるはずがないことは常識中の常識であるが、なぜかこれが子どもになると根性論がはびこりがちである。大人が根性で乗り越えられないことを子どもが乗り越えられるであろうか?
現在世界的に貧困層の子どもの肥満が問題となっているように(参照:The Economist)、厳しい環境にある子どもの多くは、食事を満足に取れていないか、取れていてもジャンクフードで栄養が不十分なために不健康であるという傾向がある。
恐らく富裕層の子どもと比べれば生活習慣がムチャクチャで睡眠がおかしなことになっていることも予想されるし、富裕層であれば対処可能な環境的な問題(エアコンや空気清浄機やメガネなど)に晒されている。
現在、日本で不就学の外国籍の子どもたちが、日本の一般的な家庭の子どもと同程度には健康的で規則正しい、健康的な環境で生活しているとは考えづらい。そうであれば、まず子どもたちを健康的にしてあげること、これが意外と教育問題を解決したりするのである。
インセンティブ問題
学ぶことが楽しいから勉強する、このような内発的動機によって学習が進むことは理想である。
理想ではあるが、資格試験のためにしか勉強することがない大人で溢れかえっている日本で、このような理想が子どもに押し付けられていたとすると滑稽である。
現実に戻ろう。教育問題を解決する上で、子どもたちに学ぶインセンティブを用意することは重要である。
しかし、インセンティブと言われてまず思い浮かぶかもしれない「ご褒美や褒める」云々という話はベストセラーになった本で議論されているし、私の趣味ではないので踏み込まない。
途上国の教育問題に取り組むうえで、虫下し薬の配布より少し劣る程度の高い効率・効果を持つ教育政策が存在する。
それは、教育の効果、具体的には教育の投資効果を親や子どもに教えることである(これも同様に、今年ノーベル経済学賞を受賞した教授陣が設立した機関によってドミニカなどで明らかにされたものである。この記事を読み終わった頃には、今年の経済学賞がいかに妥当なものであるか、きっと納得するはずだ)。
嘘のように思われるかもしれないが、教育を受ける効果を知るだけで、教育問題は解消へ向かうのである。昔から途上国の教育では、同じ学校を卒業して成功した人によるモチベーショントークが効果的であると言われてきたが、それそのものである。そして、これと同様の研究結果はカナダなどの先進国でも確認されている。
しかし、厳しい環境にある子どもの周りの状況を理解すれば、これは当然の結果だと感じるはずだ。まず、そのような子どもたちは、ある程度の教育水準を持つ大人が身近にいないはずだ。
そのような状況で、一体どうすれば教育を受けることがもたらしてくれる恩恵を知ることなどできるであろうか?
周りの子どもたちも同様の環境で、勉強なんかしても意味がないというピアプレッシャーが作り上げられる中で、どうやって一人だけ勉強に集中できるであろうか?
ましてや、貧困の真っただ中にあるために、労働を諦めて将来の利益を取る選択を取りづらいし、教育を受けることに伴う不確実性に耐えがたいのに、どうして教育を受ける恩恵も正確に知らずに勉強を継続させることができるというのであろうか。
外国籍の不就学の子どもたちが置かれている環境を考えれば、途上国や他の先進国同様に、保護者や子ども本人に学ぶことの恩恵をデータを持って教えてあげることは、学びの強いインセンティブとなってくれるはずだ。
この点、日本にも米国にも、教育の収益率に全く触れず教育など意味がないと大声で叫んでしまう大人がいるのは大変残念である。
また、貧困層と将来の利益・不確実性の話に関連すると、通学などを条件に現金を渡して教育へのインセンティブを与えるのも手である。
国際協力の分野では、この条件付き現金給付の効果は最も厳密な評価を繰り返されてきたプログラムと言っても過言ではないが、おおむね教育に対して良い結果を与えている。
また、日本的な感覚すると受け入れがたいのかもしれないが、本当に厳しい環境にある家庭に対しては、通学などの条件など付けずに無条件に現金を渡してしまった方が、むしろ子供の教育に対して良い結果が現れることすらあるという研究結果もある。
「現金は王様」は意外にも教育分野にもある程度あてはまるのである。
定石通りの政策をとればいいだけ
やれ不就学だ、やれ外国籍の子どもだと、普段の生活ではあまり直面することがない問題に遭遇すると、何か特殊な対策をとらなければならないかのような錯覚に陥りやすい。
しかし、不就学や外国人ないしはマイノリティが日常生活の中に存在している筆者にすれば、定石通りの教育政策をとれば良い事例にしか見えない。
外国籍の子どもも、そうでない子どもも、子どもは子どもである。大きく違う方がむしろおかしい。
以前に米国の大学生に関する記事を執筆したときも、データを提示したにもかかわらず、いや米国の大学生は違うと受け入れられない反応を見かけたが、むしろ20歳前後の若者の一定割合が、青春したい・どんちゃん騒ぎをしたい・パートナーを見つけたいといった感情を抱かずに、わき目もふらず勉学に打ち込んでいる社会があれば、その方が筆者としては驚きである。
もし留学・駐在に赴いて何か彼我に大きな差を感じたのであれば、国籍の前に、日本で付き合いを持っていたコミュニティと留学・駐在先で付き合いを持っているコミュニティの社会経済的なステイタスの違いを疑ったほうがよほど建設的である。
残念ながらこのようなバイアスは筆者の元同僚に当たる人たちによっても強化されてしまい、問題がややこしくなっている。
元・現国連職員の中には多国籍な環境の中での意思決定云々などと仰々しく語る者もいるが、似たような社会階層出身で似たような大学院教育まで受けてきた者同士であり、基本的には似ている。
確かに私も元同僚や今の学友と中日ドラゴンズや名古屋グランパスの話題で盛り上がることはできないし、忌避すべきことも違ったりする。
しかし、前者については巨人ファンやFC東京ファンとも分かり合えないし、後者についても大半の日本人だって炊きたての白米を床に叩きつけて土足で踏みつけられたらキレる(この喩えは、Twitterで見かけたものだ)のと同じようなものである。
そういった些細な違いに目をつむれば、そんなに大きな違いはない。国連職員のような国籍が違う同質的な集団よりも、むしろ同じ国籍でも教育水準や出身階層、保有する富が全然異なる集団と円滑に何かを進めていくことが難しいのは、現在の分断化された米国を見るとよく理解できることである。
裏を返せば、たとえ外国籍であっても、平均的な日本の子どもと同程度の教育や、そこから同程度の富を得られる社会システムさえ整備できれば、全く異なる集団が社会の中に存在していて不快だ、というほどの事態には至らないのではないだろうかと思っている。もちろん、この点についてエビデンスを持って発言しているわけではないので、私の単なる妄想であるが――。
ただし、もちろん国籍が違うと、言語を中心に大きな違いも存在するため、そのような点には言語教育などの特別な対策をとっていく必要があることは揺るぎない事実だ。
しかし、それだけである。それ以外は世界中の厳しい環境にある子どもたちと、現在日本で不就学にある2万1千人の外国籍の子どもたちが、そう大きく異なってくるとは考えづらい。
そうであれば、やはり言語教育政策だけでは不十分になってしまう一方で、そこから先の対処策については、今回紹介したような対策を取れば良い話である。
それがダメなら、より複雑ないしはコストがかかる学校環境政策・教員政策・コミュニティ対策政策・教育行政政策へと手を伸ばしていけば良いはずだ。
もしこのような定石を顧みず、素人が集まって議論を繰り返し何か特別なことをしようとするのであれば、奇跡的にうまく行って車輪の再発明、高い確率で明々後日の方向への場外ホームラン的な教育政策がとられることであろう。


三原じゅん子議員の「政権」発言が炎上「日本は独裁国家?」
 参議院議員の三原じゅん子氏が「政権を握っているのは総理大臣だけ」と投稿した4日のツイートが大きな反響を呼び、同日から5日にかけて多くのコメントが書き込まれた。
 発端は三原氏が1日に同党女性局の組織図をツイッター上で公開したことから始まったとみられ、さまざまな返信に対する中で「政権を握っているのは総理大臣だけですよ」とツイートした。
 三原氏の投稿に対して「国民主権の意味、理解出来ますか?」「総理大臣はあらゆる権限を一手に握る王様ではありません」「【悲報】自民党女性局長三原じゅん子さん、議院内閣制を理解していないことを爽やかに表明」「日本は憲法にもとづく議院内閣制ではなく、独裁国家なのですね」といった基本的な解釈に対する異論が相次いだ。
 さらに「このツイートの問題は日本が首相による独裁政権という事を与党の国会議員が公言した事」「安倍氏に対しての忠誠心を言いたいだけ」、支持者とみられるフォロワーからも「『政権』発言、がっかりです。もっと勉強してください」との苦言もあった。
 前新潟県知事で弁護士の米山隆一氏は「自民党三原じゅん子女性局長は、まず『政権』の意味を理解していないが、実質的にも政権運営に携わっていない事を自ら認めている。つまり自民党内において女性の発言権はほぼゼロであり、その様な政党の政策に女性の地位向上など望むべくもない」と指摘した。


ペルシャ文学者が見たイラン訪問「外交には文化が必要」
岡田恵美子さん(ペルシャ文学者、元東京外国語大教授)
 トランプ米大統領が昨年5月にイラン核合意から離脱して以降、両国間の緊張が続いている。今年6月には安倍首相がイランを訪問、最高指導者ハメネイ師とも会談したものの仲介者としての役割は心もとなかった。孤立化するイランとどう向き合うべきか。日本にできることは――。半世紀以上にわたってイランとの交流を続けているペルシャ文学研究の第一人者、岡田恵美子さんは「イランは言葉と文化を大事にする国。外交の土台は文化です」と助言する。
  ◇  ◇  ◇
 ――イランに関する最近の報道を見て感じることは?
 イランは若い人がとても政治的なんです。男性でも女性でも政治への関心が非常に高い。これは国にとって一番の力になっています。米国はイランを怖がっているのでしょう。若い人が政治的で力がある。もちろん地下資源も持っている。
 ――日本の若者とは違いますね。
 1年ほど前、日本在住のイラン人留学生の前で講演した時のこと。東京・上野の文化会館でしたが、そこにあった世界地図のペルシャ湾の場所に「アラビア海」と書いてあったの。そうしたら学生たちが怒ってね。私が「ペルシャ湾と書いた紙を上から張っておけば」と言うと、「そういう問題じゃない」と。その場で署名を集めて、外務省まで持って行った。イランの若い人は、社会の出来事や政治・国際関係に非常に敏感。積極的に発言します。
 ――米国がイランを怖がっているというのは?
 米国はしきりにイランを挑発しているわけです。そうすればイランは困って音を上げるだろうというのが米国の狙い。ところがイランはブレない。イランには天然ガスなどの地下資源がある。石油も持っている。世界第4位の産油国です。中東の真ん中に位置し、砂漠の国とはいえ米や野菜などの農産物も十分取れる。
 先日お会いした駐イラン大使は、「世界との交流を断たれると不安になる国民がいるので、少し物価は上がっているけれど、国そのものは、自給自足できるし、資源もあるので当分困らない」と言っていました。米国がイランを怖がるということは、イランが米国と同等の力を持っているということ。だからイランはますます自信を深めている。羨ましくもあり立派です。
 ――むしろ米国の方が追い込まれていると。
 だから日本に仲介を頼んだりしたのでしょう。核合意の離脱は米国側から言い出したことで、イランは「米国が先に謝るのが当然だ」と考えている。それでブレないのです。そこが長所でも短所でもあるのだけど。日本だったら、「そうは言っても相手は米国だから」って話になるじゃないですか。いまイランは米国の出方を見ている。米国がイライラしてどうしようもなくなって、引いていくのを待っていると思います。
安倍首相もルバイヤートの話から始めたらよかった
 ――ブレないのは国民性というか精神面の強さもあるのでしょうか?
 やはり歴史が古い。2500年です。そこに文化の土壌がある。非常に立派な古典文学が豊富で、その中の言葉が教育の基礎になっている。親が子供に古典詩を暗記させるんですよ。「知は力なり」など、古典詩には必ず教訓が入っています。そういう教育を家庭で行う。日本じゃ古事記や万葉集を家庭で子供に暗記させるなんてないでしょう。せいぜい百人一首くらいで。
 ――古典詩の言葉がイラン人の精神的支柱になっているんですね。
 イランは文化の国なんです。安倍さんもイラン訪問の際の首脳会談で、有名な文学者の話でも出せればよかった。例えば四行詩で有名なルバイヤートとかね。向こうの人は政治家でも、まず文学や詩の話などから会話を始める。いきなり会って、「米国と喧嘩するのはやめなさい」とか「石油ください」では、表面的には応対してくれても、本気で相手にはされませんよ。以前、2000年の訪日時にお会いしたハタミ大統領は「山路来て 何やらゆかし すみれ草」という松尾芭蕉の俳句を暗記して来られました。
 ――俳句ですか。すごいですね。
 大使がうちに来られる時も、必ず文化の話をされます。先日も「令和という元号は万葉集から取ったんですね」という会話から始まりました。なるほど、こうやって外交を進めてきたんだな、と感心しました。イランは東西文化の十字路にありますからね。安倍さんが一言、「ルバイヤートは日本でも読まれています」くらい言えば、もう話はパッと違ってくる。相手の国が最も誇りにしている文化のことに触れて会話を始めたら、まるで違うと思うのね。その点で日本の政治家は貧しいと思います。
 ――日本とイランは文化的なつながりが深いのですけどね。
 正倉院の時代からですよ。琵琶など正倉院の宝物は7割が古代ペルシャから送られたものだったというじゃないですか。イランというと日本人は「革命」と思ってしまいますが、国名をイランに改めたのは最近のことで、ペルシャと同じ国です。そう考えれば文化の国だということが分かっていただけるでしょう。日本とイランの関係は「石油」だけじゃないんです。もっとも日本人は、自分の国の文化に対する関心も低いですからね。
 ――文化に対する関心のなさが、日本外交にも影響している。
 そういうことです。「かつてペルシャと日本は文化によって結ばれていた」と安倍さんが言ったら、それはイラン人は喜び、日本を信頼しますよ。外交の土台は文化。文化を除いて外交をやろうと思っても無理です。石油の取引の話ばかりでは、外交ではなく商売になってしまう。文化でつながっていかない限り、深い外交はできないと思います。
 その点、欧州は強い。英仏はペルシャの古典研究を200年前からやっていて超一流です。日本は経済はしっかりしているけれど、文化への理解は非常に浅い。でもね、文化の土台がないと国って滅びますよ。必ず外交でも失敗する。文化は誇り。精神を作り上げているものです。だから文化への理解を、まずは政治家から始めてもらいたい。
 ――確かに、安倍首相の行動は、ただ石油が欲しいだけに見えかねない。仲介役もトランプ大統領に促されるままですし。
 日本は米国の核の傘に守られているから、仕方ない面もあります。でも、日本とイランは正倉院の時代から文化でつながっている。米国にイランとの関係を断つように言われても、「イランとの交流は政治とは別だ」とハッキリ言って欲しかった。日本ももう少し毅然として欲しいですね。
■外交上手は会話上手
 ――相手の文化を尊重する外交。それはイラン以外の国にも共通する。悪化の一途の日韓関係でも同様に思います。
 民間レベルで若い人たちが「韓国祭り」のようなイベントを行っています。こういうものは大いに続けて欲しい。だけど政治は……。うまく行きませんね。文化的なつながりの強さがもっとアピールされれば、何か解決策が出てくるかもしれません。結局、日本が外交下手なのよね。
 ――どうして下手なのだと思います?
 日本人は、以心伝心で伝わると思ってしまうところがある。そしてスピーチが下手。会話術をもっと磨かないと、自分の心の内にあるものを相手に伝えることができません。
 ――そこはイラン人に学びたいです。
 ダブダブの服を着ている人に「妊婦さんみたい」と言ってしまうのが日本人。「楽そうな服ね」と言えば相手は傷つかない。来日したイラン人が驚くのは家庭でお父さんと子供の会話が少ないことです。イランではお父さんが一番の会話の先生。子供がお父さんと関わることで、言葉遣いや会話術を学んでいく。小さい頃から訓練されるから、イラン人はおしゃべり上手なのです。(聞き手=小塚かおる/日刊ゲンダイ)
▽おかだ・えみこ 1932年東京都生まれ。東京学芸大卒後、中学の国語教師を経て、63年テヘラン大学に留学。イラン国王宛てに留学を希望する手紙を書いたところ、国王から許可を受け、国費留学となった。67年同大文学部博士課程修了。文学博士。82年に東京外国語大学ペルシア語学科助教授。国立大において女性初の助教授だった。同大教授、中央大学総合政策学部教授を経て、現在、日本イラン文化交流協会会長。近著に「言葉の国イランと私: 世界一お喋り上手な人たち」(平凡社)。


参院委で障害者差別の解消訴え れいわ木村氏、初の質疑に臨む
 7月の参院選で初当選した重い障害のある木村英子議員(れいわ新選組)が5日午後、参院国土交通委員会で初の質疑に臨んだ。車いすに乗った木村氏は「障害者が地域で生活するにはさまざまなバリアーがある」とはっきりとした口調で指摘。国や自治体に義務付けられた「合理的配慮」により、障害者差別解消法の理念を実現するよう訴えた。参院によると、障害のため車いすと介助者が必要な議員による質疑は憲政史上初。
 当事者が国会で直接訴えたことで、障害者が直面する問題の解決に向け大きく前進する可能性が出てきた。


れいわ木村英子氏が初質問「まだバリアーが多い」
今年7月の参院選比例代表で初当選した、れいわ新選組の木村英子議員は5日、参院国交委員会で初の質問に立った。脳性まひで体がほとんど動かせない木村氏は、車いすで着席。秘書と介助者のサポートを受け、30分間の質疑に臨んだ。
冒頭、「障がい者が地域で当たり前に生活するには、まだバリアーが多い。まだまだ足りない合理的配慮を進めるため、障がい者の立場で質問します」と切り出し、「多機能トイレ」の改善点、災害時の障がい者への対応の2点にしぼり、政府の考えをただした。
木村氏がこだわったのはトイレの問題。「ずっと抱えながら生きてきた。早急に改善してほしい」との思いからだ。駅や施設の多機能トイレは、高齢者や子ども連れも利用可能な半面、車いすを使う障がい者が使いにくくなっていると指摘。「1つのトイレに多くの機能をまとめるのではなく、用途別につくるべきではないか」と訴えた。赤羽一嘉国交相は「貴重なご意見」と述べた上で、機能分散の取り組みを始めていると理解を求めた。木村氏は災害時の避難情報伝達の課題なども、今井絵理子内閣府政務官と質疑を行った。
木村氏は取材に「重度障がい者が委員会で話すのと、健常者の議員がどなたかの意見を話すのは(意味が)違う。支援してくれた多くの障がい者の現状の1つを発言した」と述べた。委員会は約5時間。「体力的には厳しいが、改善したい思いからがんばれた」と、振り返った。参院によると、障がいのため車いすと介助者が必要な議員の質疑は初。7日には同じれいわ新選組で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う舩後靖彦参院議員が文教科学委員会で初質問に立つ。


あいトリと地続きに日本映画は死んでいく――映画業界はなぜ立ち上がらないのか
 10月27日から11月4日にかけて行われた「第25回KAWASAKIしんゆり国際映画祭2019」が、波紋を広げている。
 この映画祭では従軍慰安婦を描いたドキュメンタリー映画『主戦場』が上映される予定だった。しかし、共催の川崎市は、出演者が監督と配給会社を相手に裁判を起こしていることから「裁判になっているようなものを上映するのはどうか」との”懸念”を映画祭側に伝える。それを受けて主催者は観客の安全面を理由にして上映中止を決めた。
 これに対してしんゆり国際映画祭に出品している他の映画の関係者から、抗議の動きが起こる。
 若松プロダクションもそのひとつ。若松プロは製作配給した『止められるか、俺たちを』と『11.25自決の日〜三島由紀夫と若者たち』をしんゆり国際映画祭に出品していたが、『主戦場』上映中止への抗議として2作品の出品を取り消した。
 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」の中止および助成金不公布、映画『宮本から君へ』の助成金内定取り消し問題に続いて起こった「表現の自由」を脅かすこの事件。『止められるか、俺たちを』で脚本を担当した井上淳一氏に話を聞いた。
(このインタビューは10月31日、若松プロダクションにて収録した)
【井上淳一】1965年、愛知県生まれ。大学在学中より若松孝二監督に師事し、若松プロダクションにて助監督を務める。その後、荒井晴彦氏に師事し脚本家に。『戦争と一人の女』『大地を受け継ぐ』『誰がために憲法はある』といった作品では監督を務めている。主な脚本作品には『男たちの大和』『アジアの純真』『あいときぼうのまち』『止められるか、俺たちを』などがある。
──まず始めに、今回の決定を受けてどのように感じられましたか?
井上淳一(以下、井上) 「あいちトリエンナーレ」や、『宮本から君へ』などの問題の延長線上に起きたことは間違いありませんが、関東のローカルな映画祭ですらこういうことが起こってしまうのかと。深刻な問題だなと感じましたね。
──この事件の一番の問題点はどんなところだと思われますか?
井上 今後、他の映画祭で『主戦場』を上映したいと思っても、もっと言えば歴史認識の問題以外でも、沖縄や原発といったテーマで安倍政権の意向と対立する主張を展開する映画をかけたいと思ったら、主催者の頭に「問題が起きるのではないか? 助成金がおりなくなるのではないか?」という考えがよぎり、社会問題を描いた映画がそもそもラインナップされなくなってしまうかもしれないということですね。
 最も死活問題だなと思うのが公民館など公共の施設。僕の映画(『誰がために憲法はある』)はいま日本全国で観てもらっていますが、そういった映画の上映会をやるのは地方では公民館の場合が多い。でも、「政治的に偏った映画はちょっと……」と貸してもらえなくなる可能性も出てくるかもしれない。そうなったら、もう誰も社会的なドキュメンタリー映画なんてつくることができなくなってしまいます。
──ドキュメンタリーに限らず、劇映画でも同じことが起こるような気がします。
井上 企画段階ではねられるものも出てくるだろうなとは当然思います。
 たとえば、関東大震災の朝鮮人虐殺をテーマにした映画をつくるとします。小池百合子東京都知事が朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典への追悼文送付を取りやめて問題になっていますよね。小池都知事がやっていることは、これまで受け継がれてきた、反省すべき日本の負の歴史をなかったことにし、そこに分断線を引くというとんでもないことなわけですよ。
 若松さん(※故・若松孝二監督)だったらこの報道に怒って「朝鮮人虐殺の映画をやってみようか」となったかもしれない。でも、そういった時代の映画をつくるのにはお金がかかる。そのテーマじゃ助成金は受けられない、完成しても上映場所が限られるとなったら、せっかく浮かんだアイデアも動き出す前につぶれてしまうでしょう。
 そうやって日の目を見ずに、水子となって消えていく企画を考えると、これはとんでもないことですよ。
──「忖度」がますます強まるきっかけをつくってしまったわけですね。
井上 川崎市にも映画祭にも当事者意識はないのかもしれない。ただその代わり、強い自己保身だけはある。そのことに怖さを感じますね。
 彼らは『主戦場』の上映中止が「文化を殺す」ことにつながるとはまったく思っていないのでしょうが、今回やったことは「映画を殺す」「映画祭を殺す」ということですよ。
 なぜ、これが色んなことに敷衍していくことだと気づかないのか。
最近の日本映画界には社会問題を描いたエンタメ作品が少ない
──そもそも、「映画」と「権力」の関係はどうあるべきなのでしょうか?
井上 「国に異を唱えるような映画をつくるなら自分の金でやれ」という意見はすごくあると思うんです。
 実際、若松さんなんかは自分の映画が助成金を受けられるとは端から思ってなかっただろうし、僕も低予算でやれているというのもあって、個人的にはその信条もなくはないですよ。だって、権力を相手に戦うんだから。
 でも、大原則として、国が芸術に助成金を出すのは、表現の多様性が失われて国策に取り込まれ、戦争を後押ししてしまった戦前のドイツや日本の反省を踏まえてのことであるわけです。
 もっと言えば、権力者を批判したり、その国の負の歴史を振り返るような表現が生まれることは、結果的には国のためになるという理解があった。
──いまの日本ではその発想がどんどん失われているように感じます。
井上 国たるもの、そこらへんはわきまえなければいけない。わきまえる側は僕たちじゃない、国の方なんです。
 だから、ここで原則に立ち返らなければいけない。第二次安倍政権発足以降、74年かけて積み上げてきた民主主義が崩れてしまっていますが、それがついに文化・芸術のところまで来たのかという気が僕はしています。
──出品取り消しの声明文でも触れられていましたが、この騒動で思い浮かべたのは釜山国際映画祭のことです。釜山国際映画祭は2014年に出品されたセウォル号沈没事故を描いたドキュメンタリー映画『ダイビング・ベル セウォル号』の上映をめぐって助成金カットなどの圧力を受けました。しかし、韓国映画業界がサポートし、映画祭も脅しに負けず上映に踏み切りました。釜山と川崎では180度逆のことが起こっています。
井上 それは韓国映画と日本映画の質を比べたら明らかなわけですよ。周回遅れの1位という言葉がありますが、いま、日本映画は世界と比べて10周遅れのどべですから。それはそうですよ。社会と向き合わず、歴史とも向き合わないのだから。
 ここ最近で『万引き家族』と『新聞記者』以外にシネコンでかかった社会を描いた映画ってあるんですか?
 我々のようにポレポレ東中野でやるようなドキュメンタリー映画と、爪の先ほどの劇映画しかないじゃないっていう。本当に由々しき事態だと思いますよ。
──一方、韓国では1980年に起きた軍事独裁政権に対する民主化運動「光州事件」を描いた映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年公開、日本公開は2018年)がその年の観客動員数1位になっています。
井上 ああいった題材を描きながらも、きちっとエンターテインメントに仕上げて観客を楽しませる技術はすごい。しかも、ソン・ガンホやハ・ジョンウという大スターを起用して、大ヒットさせるという。
 それは、権力と対峙する映画を支持する度量を社会が見せることで、製作者の表現に関する発想も豊かになっているということだと思うんですよ。
──なるほど。
井上 どこかでリミットがかかっていると、表現の発想ってしぼむものなんです。
 たとえば、僕の『誰がために憲法はある』という映画は広島と長崎の原爆に関する朗読劇をやっている女優さんを描いた映画なんですけど、よく言われる「日本の戦争に関する映画は“被害”だけやって“加害”はやらない」という批判がそのまま自分に返ってくる映画になってしまった。
 あとから考えたら単純なことだったんですよ。インタビューをしているとき女優さんに「日本の戦争加害についてどう思っていますか」と聞けばよかった。
 ただ、撮影している間にその質問がまったく思い浮かばなかったんです。自分で規制していたわけではないですが、女優さんとの信頼関係をちゃんと築く前に撮影に入ってしまった。そのことが無意識に発想にリミッターをかけていたと思うんです。編集しているときにそのことに気づいて愕然としました。表現にはそういうことがあるんです。
──アメリカでもエンターテインメント作品に社会的なメッセージが入っていることが多い印象です。
井上 マーベルは映画を通じて「9.11以降の正義とはなにか?」みたいなことを観客に問うているわけですよね。いまやっているDCの『ジョーカー』だってそうです。格差や緊縮財政の問題を描いている。
 僕たちの作る規模の映画はそういう問題に関心のあるしか観に来ません。届く人にしか届かないんです。トランプ大統領の支持者が『ジョーカー』を観に来てそのメッセージを読み取れるかは分かりませんが、それでも「届かない人」にまで届けようという意志は明解です。
──エンターテインメントには政治や社会問題に関心のない人にもメッセージを届かせる力があると思います。
井上 我々は映画をつくっている側の人間だから、映画の力を過大評価しているのかもしれないですけど、やっぱり映画には本や演劇にはない力があるはずなんです。
 1本映画をつくると、観にくるお客さんもそうだけど、それ以外の人にも届かせることができます。たとえば、新聞、テレビ、ラジオ、ネット記事などで映画が紹介されれば、映画を観ない人にも映画の描くテーマは伝わるし、映画から波及するかたちでブックフェアが行われたりイベントが企画されたりもしますよね。
日本映画界全体が立ち上がるべき
──これから日本の映画界はどうしていくべきなのでしょうか?
井上 日本アカデミー賞などで誰かがこの映画祭で起きたことに抗議するため立ち上がるかどうかですね。
 アメリカだったらおそらく、そうなってます。アカデミー賞の受賞スピーチでどれだけの政治的発言を見てきたことか。韓国では釜山国際映画祭のときに立ち上がった。
 でも、いまの日本ではそうなっていない。なんでしんゆり映画祭と同じ時期に開催されている東京国際映画祭の事務局はこの件について声をあげないんだろうって思いますよ。いや、東京国際だけじゃない。他に数多ある映画祭のどこも声を上げない。映画人だって何人声を上げました? 日本映画監督協会だって日本シナリオ作家協会だって、未だに声明ひとつ出していない。
 こういう言い方は傲慢に聞こえるかもしれないけれど、もし若松プロの映画が出品されていない映画祭でこういうことが起こったら、上映ボイコットする映画が出てきたかどうか。ここまで問題が大きく報道されたかどうか。
──なぜ日本の映画界には危機感がないのでしょうか?
井上 映画は想像の産物であるはず。ならば、ちょっとだけ想像力を働かせて、これから起こることを想像して欲しい。いや、想像しなくても歴史を振り返れば、これから起こることは推測がつくはずなんです。「モボ・モガ」なんて言葉が生まれて大衆芸術が花開いた大正デモクラシーの時代から治安維持法成立までは何年も離れていません。
 これまで僕は、「このままでは表現の自由が奪われる」とか「共謀罪は現代の治安維持法だ」とか言ってきた。ただ、その一方でどこかいまの社会ではそんなことは起こらないと、正直、高もくくっていた。
 でも、いまの時代、これまで謳歌してきた自由がいよいよどうなるかわからなくなっている。
 すでに、権力が国民の意見を峻別し、差別と検閲をし始めているわけです。今回、川崎市がやったことはそういうことですよ。
 だから、ここで立ち上がらない映画関係者には「お前ら、ものをつくる資格ないよ」って言いたいぐらいですよ。(取材、構成:編集部)
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このインタビューの翌々日(11月2日)に、しんゆり映画祭事務局は『主戦場』の再上映を決定、11月4日に上映され、若松プロも同日上映予定だった『止められるか、俺たちを』を復活上映した。このことについて井上氏に追加で話を聞いた。
井上 『主戦場』が上映されたことは素直に良かったと思いますし、映画祭事務局もよく決断したと思います。
 しかし、これをハッピーエンドにしてはいけない。今回は『主戦場』が上映決定していて中止になったから、問題になった。でも、これからはプログラムを決める会議の段階でこういう映画を上映したら、ああいう問題が起きるかもとその段階で切られるようになる可能性が大きい。表面に出ることなく、深く静かに潜航して、第二第三のしんゆり映画祭問題が起こっていく。こうなったら、どうしようもありません。だからこそ、映画に関わる人間も映画祭に関わる人間も、今回の問題を自分の問題と捉えて、ちゃんと見つめ直して欲しい。そういう考えを表現出来なくなってからでは遅いのです。
 まずは、第三者委員会じゃないけれど、今回どういうことが起こり、どういう判断がなされたかを目に見える形で公にしなくてはならない。まずはそこからです。