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191106-3

Le mur frontalier avec le Mexique facilement scié, Trump minimise
(Washington) Le président américain Donald Trump a minimisé samedi des informations selon lesquelles des trafiquants ont franchi le ≪ mur ≫ frontalier avec le Mexique en le sciant facilement à l’aide d’outils accessibles à tous.
≪ Nous avons un mur très puissant ≫, a déclaré M. Trump aux journalistes à Washington. ≪ Le scier et une chose, mais il est facilement réparable ≫, a-t-il ajouté.
Le quotidien Washington Post a rapporté samedi que des contrebandiers en provenance du Mexique s’étaient introduits aux États-Unis ces derniers mois en perçant des trous dans de nouvelles sections du mur frontalier, faites de béton et d’acier, à l’aide de scies disponibles dans le commerce de détail pour environ 100 dollars.
Promesse phare de la campagne 2016 du magnat de l’immobilier, la construction du mur tout au long de la frontière mexicaine peine à se concrétiser, le Congrès refusant de débloquer les fonds nécessaires à son financement.
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フランス語の勉強?

ひがよど祭りで一服したところで豊里大橋を渡って守口に行ってみることにしました.淀川左岸を走っている人がいます.大阪・淀川市民マラソン大会とのぼりに書いてありました.
守口の京阪商店街・東通商店街を通って,京阪百貨店に行きました.今度は守口市民まつり.チョン・テフという韓国アイドル出身の歌手が歌っていました.京阪百貨店を見て戻ってくると今度はハワイアンの踊りです.加奈ハワイアンフラスダジオとのこと.淀川左岸を梅田方向に走って城北大橋でいったんバイバイ.
わたしは梅田に向かって雑用です.
ひがよど花火をみるため,6時過ぎに再度城北大橋集合.しかし真っ暗です.そんななか歩いている人が結構います.今度は飲み物や食べ物を準備してきてもらっていて,古着をブルーシート代わりにして花火を見ます.意外に?スゴイ.ちょっと短い感じだったけど満足しました.

恒例の「おはら祭」にぎわう
南九州最大の祭りとして知られる「おはら祭」が鹿児島市で開かれ、1万4000人余りの踊り手が民謡の「おはら節」にあわせて街を練り歩きました。
「おはら祭」は戦後の復興を盛り上げようと、昭和24年に始まった鹿児島を代表する秋祭りで、ことしで68回目となりました。
3日は、繁華街の天文館地区などの道路を通行止めにして「本まつり」が開かれました。
ことしは県の内外からおよそ150団体、1万4000人余りがそれぞれ、そろいの衣装を身につけて参加しました。
会場には「花は霧島、たばこは国分」の歌い出しで知られる民謡の「おはら節」や「鹿児島ハンヤ節」などが流されました。
参加した人たちはこれにあわせて踊りながら、およそ1.5キロの通りをゆっくり練り歩きました。
沿道には観光客や市民ら多くの人が集まり、踊りの様子を撮影していました。
「本まつり」で踊った女性は「初めて参加しましたが楽しかったです。皆さんと踊ってきずなが深まったのでよかったです」と話していました。


[五輪マラソン] 選手第一で準備を急げ
 東京五輪のマラソンと競歩の開催地が札幌に変更されることが決まった。国際オリンピック委員会(IOC)が暑さ対策を理由に、開催都市の東京都の反対を押し切った格好だ。
 選手によりよい競技環境を整えるための判断は歓迎できる。ただ、開幕まで9カ月を切った時点での変更はあまりに唐突だ。本番で混乱のないよう、IOCや大会組織委など関係機関は全力で準備を急がなければならない。
 背景にあるのは、9〜10月に中東カタールのドーハであった世界陸上選手権だ。マラソンや競歩は猛暑を避けるために真夜中に行われたが、女子マラソンで4割が棄権するなど多くの選手がレースを断念した。これを見てIOCが危機感を募らせたのだろう。
 気になるのは、IOCが東京都と事前に十分な調整をせずに変更を推し進めたことだ。小池百合子知事が札幌開催案を知ったのは、IOCが公表した10月16日の前日だった。
 IOCと都、組織委、政府の4者協議では、変更で生じる経費を都は負担しないことや、他の競技は移転しないことなどで一致したが、小池知事は「同意できないが決定を妨げない」と不満を隠さない。溝を抱えたままで今後の準備が円滑に進むのか心配になる。
 課題は山積する。追加経費を巡って都は負担しないことが決まり、国は過去の協議で五輪の直接の運営費は出さないとしている。組織委は変更を主導したIOCが負担するのが筋との姿勢を示しているが、IOCは態度を明確にしていない。調整が急がれる。
 競技コースも決まっていない。毎夏恒例の北海道マラソンと同じ大通り公園発着の案が有力だが、全行程を同じにするかは未定。新コースなら公認を受けるための路面の状況確認が必要で、雪が降るとできなくなる。
 さらに警備など運営面の課題も実際のコースで洗い出す必要があり、早急に作業を進めなければならない。
 組織委には、既に販売したチケットの払い戻し作業が待っている。厳しい抽選を経て入手した人には不満も出ており、慎重な対応が求められる。
 日本陸連は9月に本番とほぼ同じ都内のコースでレースを行い、男女各2選手を代表に選んだ。新たな条件でのレースへ万全の調整をしてほしい。
 そもそも、開催時期に問題があったのではないか。1964年の東京五輪は10月に開催されたが、今回はIOCが招致段階から「7月15日から8月31日の間」とし、東京が7月24日開幕で応じた経緯がある。背景に人気スポーツがシーズン入りする秋を避けたい米テレビの意向があると言われる。
 選手を第一に考える「アスリートファースト」の理念とは裏腹に、スポンサーの意向が優先される五輪のあり方を考え直すべきである。


五輪マラソン札幌開催で宮根誠司、恵俊彰、小倉智昭が「なんにもない」「美しくない」と札幌ディス、北海道民から怒りの声
 1日、東京五輪のマラソン・競歩の札幌開催が正式に決定した。しかしこの決定をめぐって、ワイドショーが一斉に批判。しかも、理不尽極まりない“札幌叩き”や“札幌ディス”を展開している。
 その筆頭が1日放送の『情報ライブミヤネ屋』(読売テレビ)だろう。この日、番組では司会の宮根誠司が、まず札幌の気候について、「東京などは首都高の下など影が多いので言うほど暑くない。北海道の方が逆に日向ばっかりで暑い(と前日出演した元選手の谷口浩美氏が言っていた)」などと、東京のほうが気候的にもいいなどと主張したが、とくにひどかったのが、ルート候補地の13キロに渡る新川通りについてだ。番組ではわざわざ新川通りにレポーターを派遣した上で、そのルート、場所について、イチャモンとしか思えない欠点探しを行った。
「ずっと直線でなんにもない」
「とくに高い木があるわけじゃない。日陰もない」
「平坦な道で退屈」
「そこに行くの大変らしい。(徒歩で最寄り駅から30分40分くらい)行くか〜?ご高齢の方もいらっしゃればお子さんも見たいわけですから」
「実況アナウンサー泣かせですよ。東京だったら『あっ、雷門が見えてまいりました』とか『東京タワーが見えてきました』とか、いろいろ名所を言いながら、実況できるわけですよ。想定していると思うんですよ、実況される方。これ、どう実況します?」
「『真っ青な空、緑の木々、風が吹いています』それを(実況で)繰り返すしかない、延々と言うしかないという。延々とそれを言うしかないとういう。東京だったらいろいろ言えるんですけどね」
「(札幌で勝てないなら)止めようよ」
 番組では北海道マラソン優勝の経験もある元選手の藤原新氏もライブ中継出演していて、「気候的に東京よりは良い」などと札幌の利点を指摘していたにもかかわらず、しかし宮根はそれを遮り、「日向とかはけっこう堪えます」「道が単調」といったネガティブな発言を引き出そうと誘導さえしていたのだ。
 札幌開催、いや札幌という場所についてケチョンケチョンにした宮根に対し、北海道の視聴者やネット民から批判が殺到している。たとえば、ツイッターではこんな声が溢れた。
〈北海道、札幌市が決定したわけでもないのにミヤネ屋で北海道は何も無い、東京は名所が沢山あるとかってなんで言われなきゃならないんだ。〉
〈ミヤネ屋見てるけど、なんでこんな札幌ディスられなきゃいけないんだろうか.. ごめんね 何もなくて!ごめんね 最寄駅は遠くて!〉
〈テレビ等では札幌dis「東京ならたくさん言うことがあったのに、こんな田舎じゃ言うことも無い」と地元を貶されて、札幌は立候補した訳でもないのに目の敵にされ、オリンピックのせいで楽しみのビアガーデンも出来ないかもしれない。〉
〈頼んだわけでもなく、IOCの横暴と東京都の無能のせいで押し付けられたのに何故札幌が批判されなければならないのか。各コメンテーターは一度自分の発言の理不尽さを顧みてください。〉
 北海道にゆかりのある有名人からも非難の声が上がった。例えば、北海道在住のマンガ家・瀧波ユカリはやはりツイッターでこう反論。
〈とにかくあらゆる角度から札幌のコースがけちょんけちょんに言われ笑われていて、登校したら突然自分がいじめのターゲットになっていた時の気持ちをとてもリアルに思い出せるぞ!〉
〈今日はテレビから「東京より札幌のほうが暑い日だってありますよねえ」って声まで聞こえたのでびっくりした。5月くらいに何故か札幌だけ30度超える日はあるけど、さすがに真夏にそれはないと思う。落ち着いてくれ…こっちは北海道なんだ〉
 また、北海道出身の精神科医・香山リカはこう批判した。
〈10月16日に「マラソンは札幌」という話が初めて出たときから「負担大きすぎるから断った方がいいのでは?」と言ってきたけど、断る余地もなく押しつけられ、そのあげく東京やマスコミから非難されるとは想像してなかった。いまの日本社会は私の想像を上回るひどさだった。〉
小倉智昭は「映像的には美しいコースじゃない」恵俊彰も「ほんとになにもない」
「なんにもない」「真っ青な空、と繰り返すしかないなどという宮根のコメントはあまりにひどく、北海道民ならずとも、こうした抗議の声が上がるのは当然だろう。
 しかも、札幌ディスは『ミヤネ屋』だけではない。各局のワイドショーがこぞって札幌批判を繰り広げていたのだ。
 たとえば、『とくダネ!』(フジテレビ)では司会の小倉智昭が、北海道に別荘を持っていて2年前にエアコンを付けたと明かしながら「だから、どれだけその時期札幌が暑いかわかってますから」と語り、「8月下旬に開催される北海道マラソンでも暑い。8月上旬の五輪はもっと暑い。普通、一流ランナーは北海道マラソンに出たがらない」「決して映像的には美しいコースじゃないと思いますよ」などと言及した。
 また『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)では、出演した元マラソン選手の千葉真子氏が「日差しも強く、周りに建物など何もない」「アクセスが非常に悪くて駅から3キロくらい離れている。応援しに行く人も少ない場所」「直線で景色が変わらない。心が折れる区間」などと解説し安藤優子ら出演者も同調、また『ひるおび』(TBS)でも司会の恵俊彰が「(新川通りは)ほんとにないね、なんにも」と呆れたように発言していたほどだ。
 また札幌決定前の27日には松本人志が『ワイドナショー』(フジテレビ)で
「(IOC)バッハ会長は夏の北海道を涼しいと思い過ぎていませんかって話」「意外と沖縄より暑い時ありますから」と、やはり札幌開催について否定的意見を言っている。
 札幌が2020年五輪開催に立候補したわけでもなければ、札幌で五輪マラソンを開催したいと言ったわけでもない。東京の酷暑対策が不十分なために、開催まで1年を切った今ごろになって、五輪のマラソン開催を押し付けられただけなのに、この言われよう。宮根や小倉をはじめとするワイドショーの連中は、選手や観客たちが酷暑のなか熱中症で倒れてでも、景色が変わって実況や中継の絵面のいい東京でマラソンをやれ、と言うのだろうか。
「札幌だって暑い」というがそれでも東京よりはマシだから選ばれただけ、そんなこと言い出したら、根本的に日本国内での開催は無理、南半球か北極圏に近い国でやるしかないだろう。
札幌バッシングの裏に潜むメディアの大都市中心主義と地方蔑視
なぜここまで理不尽な札幌バッシングが起きるのか。この背景には、延期になった英語民間試験問題にも共通する、大都市基準でしか物事を考えず地方のことなどどうでもいいという、露骨な大都市中心主義と地方蔑視があるのは間違いない。
 しかも、それ以上に看過できないのは、今、札幌を理不尽にディスりまくっているメディアがそもそも今回の事態を招いた共犯者であることだ。
今回の五輪マラソンの開催地を札幌に変更するという事態は、人命に関わるほどの東京の猛暑を「温暖」「理想的な気候」などと大ウソをついて、五輪を招致したことに端を発する。招致決定後も、猛暑について正面から問題視しまともに議論せず、「打ち水」「朝顔」「氷風呂」など文字通り“焼け石に水”や効果が疑問視される「遮熱性舗装」など、場当たり的な策を弄するばかりで、開催1年を切った現在にいたるまで、なんら根本的な解決をはかってこなかった組織委員会や東京都の責任はもちろん大きい。
 しかし、招致決定直後から指摘されてきた酷暑問題をまともに追及することなく放置し、五輪礼賛報道ばかりを繰り返してきた国内マスコミも、はっきり言って同罪だ。もし、もっと前から、マスコミがこの問題をきちんと検証・追及していれば、開催1年を切った段階でIOCが強権的に札幌開催を決めるというドタバタ劇は起きていなかっただろう。
「札幌だって暑い」「何もない」「宿泊のキャパシティが……」などとワイドショーは難癖をつけまくっているが、こうした不安点もマスコミがもっと早くから東京の酷暑問題をきちんと追及していれば、東京でのマラソン開催はあり得ないという結論にすぐたどり着いていたはずだ。
「札幌だって暑い」なら札幌よりももっと気温の低い地域を検討することもできたし、「何もない」「景色が変わらない」とワイドショーが難癖をつけるコースだってより魅力的なコースを検討することも可能だっただろう。
 真夏の東京でマラソンなどというあり得ない事態を何年も見て見ぬふりをしてスルーしてきた自分たちの責任を棚に上げて、急に五輪マラソン開催を押し付けられ負担を強いられることになった札幌に、地方差別丸出しで文句をつけまくるなど、言語道断だろう。
酷暑、汚職、費用高騰、被災地復興の妨害…問題だらけの東京五輪の共犯はマスコミだ
 しかもマスコミが東京五輪の抱える問題を放置しているのは、この酷暑問題に限ったことではない。招致をめぐる汚職疑惑、当初の7000億円から3兆円と膨れ上がる費用、過労死も相次ぐ建設現場での過重労働、ボランティアのブラック労働、五輪の影響で阻まれる被災地復興……。これだけ問題だらけの東京五輪をマスコミはまともに批判することなく、招致決定以来6年に渡って礼賛報道ばかりを繰り広げてきた。
 なぜマスコミは酷暑問題をはじめ東京五輪の問題を批判せず放置してきたのか。それは、メディア自身が東京五輪利権共同体の一員だからだ。大手新聞社が軒並みスポンサーに名を連ね、テレビ局にいたっては、高額をつぎ込んで放映権を獲得しており、五輪ビジネスと完全に一体化しているのだ。
 こうしたマスコミの姿勢はマラソン開催地変更という異例の事態が起きても、いまだ変わっていない。1日の東京都、国際オリンピック委員会(IOC)、東京五輪・パラリンピック組織委員会、政府の4者協議では「他の競技の移転はしない」で合意したが、馬術や自転車などマラソン・競歩以外の屋外競技、水質汚染の指摘されるお台場の海で開かれるオープンウォータースイミング猛暑が続く9月はじめに行われる車椅子マラソンなども、開催地変更が検討されてしかるべきだ。しかし、ワイドショーはこの問題をまったく追及していない。その代わりに精を出しているのが、札幌ディスだ。
 五輪を批判検証するというメディアの役割を捨てて、五輪でいかに金儲けするかという商売のことしか頭にないことがよくわかる。
 アメリカの放映権収入目当てに8月・9月開催を動かせないIOCの商業主義を批判する向きもあるが、日本のメディアだって同じ穴のムジナなのだ。
 本サイトは何度も繰り返し批判してきたが、あらためて言う。命にかかわるきわめて深刻な事態するまともに解決できない東京都や組織委員会。そして問題を追及することを放棄し札幌バッシングに走るようなマスコミ。そんな日本で、オリンピックなどやるべきではない。(伊勢崎馨)


「ホームレスは臭いから排除」と言う人が抱えている「強烈な不安」
支援活動に携わる私が見てきたもの
小川 芳範 NPO法人TENOHASI生活応援班/精神保健福祉士 翻訳家
東日本に甚大な被害をもたらした台風19号が接近していた10月12日の午後、台東区の自主避難所で路上生活者が区職員によって受け入れを拒否されました。
この事件をめぐっては、国会で安倍晋三首相が対応の不適切さを(間接的に)認め、その後台東区長が区議会で謝罪と対応の改善についての答弁を行うなど、世間の注目が集まりました。
この事件について最初に知ったとき、私は驚きと憤りの感情を覚えましたが、すぐに、でも待てよ、考えてみれば、「例のやり方」ではないかという既視感めいた感覚も覚えました。
「住所はどこですか」という巧妙な問い
私は都内の支援団体で生活困窮者への支援活動に携わっていて、ホームレス状態にある方の生活保護利用申請に同行することがよくあります。
申請はたいてい区役所内の生活福祉課などと呼ばれる課の窓口や相談室で、相談員による聞き取りなどを経て行われるのですが、それに先だって受付で相談を申し込みます。ただし、区によっては受付近くに案内係を置いていて、その人から来所の目的を尋ねられるのですが(申請するまでに3つのステップがあるということです)、そこで「例の問い」が発せられるのです。
支援者然としたノーネクタイの私と、大きな荷物を抱えた申請者(とおぼしき)人物の姿が目に入ると、案内係の顔には緊張が走ります。
私たちの目の前にさっと現れ出て「きょうのご用件は?」、そう尋ねます。「生活保護の申請です」と答えると、ここでお決まりの質問です。
「ご住所はどちらでしょうか?」
一見イノセントなこの問いかけは、きわめて巧妙な「玄関払い」でありえます。想像してみてください。これまでの人生でほぼ足を踏み入れたことのないお役所という場所、社会的スティグマをともなう生活保護申請に、いままさに踏みだそうとしているのです。そんな状況で役所の人の口から出た「住所」という言葉をあなたはどう理解するでしょうか。
本籍地? 住民票の登録地? 居住地? 三つすべてが同じ人にとっては、何でもない問いでしょう。そもそもそんな区別すら思いつかないかもしれません。でも、ホームレス状態にある人が単独で申請に行けば、十中八九、(かつての)住民票登録地を答えます(はい、彼らにもかつて家はあったのです)。
そして、多くの場合、それはいま彼がいる福祉事務所の所管する地域ではありません1。すると、彼にこんな答えが返ってきます。「うちでは申請できないですから、そちらの役所へ行ってくださいね」。絶句して、路上へと踵を返す人がほとんどです。そして彼はもう二度と役所へ足を向けないかもしれません。
今回の事件を最初に伝えた支援団体の一連のツイッター投稿では、乾パンやタオルとともに指定避難場所である近隣の小学校の地図を配布していたところ、一人の男性から「その小学校に行ったけど、自分は○○に住民票があるから断られた」と聞かされたとありました。
*1 以下、便宜上「彼」を使いますが、言うまでもなく、当事者のジェンダーは男性に限られるわけではありません。
なぜ私の頭に「例のやり方」と浮かんだのか、そのわけはもう明らかと思います。ちなみに、生活保護法第19条では居住地のない場合は、現在地の福祉事務所が保護決定、実施を行うとされています。避難所利用にかんして、台東区は事前に住所不定者は受け入れないという決定をしていたようですから、人権の観点からも、災害救助法に照らしてもその不適切さは言うまでもありません。
これについては多くの識者が述べられていますので、以下では、少し違った視点から私感を述べてみます。
「彼らは臭いから」
事件とそれに対する反応についての報道記事には、ネット民から台東区への批判的なコメントが多く寄せられましたが、他方、路上生活者の避難所への受け入れを拒否した区の判断をやむを得ないとし、それに賛同するコメントも数多く寄せられ、じっさい、私の見たかぎりでは、区の対応を擁護するコメントが圧倒的多数でした。
人権派のようにきれい事を並べるのはたやすいが、現実はそうではないだろう。ホームレスと同じ場所へ避難する人間の身になってみたらいい。そんなに心配なら、支援者が部屋を手配するなり、自宅へ連れて行ったらいいではないか。言い回しは様々ですが、ほぼそうした内容でした。
そしてそのほとんどに路上生活者を避難所から排除する理由として挙げられていたのが、「彼らは臭いから」ということでした。住民税を納めていないからというコメントも見受けられましたが、これはむしろ、臭いから避難所には入れないという主張の根拠薄弱さ、理不尽さを自覚しているからこその、後付けの正当化と私には見えました。
煎じ詰めると、自分が過ごすことになる(かもしれない)同じ空間に、悪臭を放つ者たちがいるのは耐えられない。だから、避難所に彼らを受け入れないとする区の判断は正しい。そういうことなのだと思います。
これは私には衝撃でした。非常時に避難所を拒否されることは、命の危険さえも意味します。そうした状況下で、体臭を理由に人を閉め出すのはやむを得ない、否、むしろそうすべきだと考える人がこれだけ多数いる。その事実が驚きであり、憂鬱な思いにとらわれました。
台風前夜にかかってきた電話
いったいなぜなのだろう。そう考えていたとき、Oさんの顔が私の脳裏に浮かんできました。Oさんは炊き出しの生活相談を通じて知り合った70代の男性で、野宿生活はもう10年の「ベテラン」です。夜は緑の多い公園の四阿(あずまや)に段ボールを敷いて眠り、日中は持ち物を藪に隠して、街を歩き回って目立たないようにしている。そう言っていました。
いつもこぎれいにしていて、そのことを伝えると、「臭いのは嫌がられるから」と、夜間に公園のトイレで水浴びをし、衣類も洗濯していることを教えてくれました。胃がんで胃の3分の2ほどを切除していたOさんは、炊き出しのぶっかけは食べきれないと、衣類配布と医療相談で風邪薬などをもらっては早々に帰っていくのでした。
やせ細った体でがたがたと震えているのを見かねて、彼のバッグにこっそり自分のダウンベストをねじ込んだこともありました。
お金は後で返せばよいのだから、生活保護を利用してみてはと勧めましたが、「家族に迷惑がかかるから」と、けっして役所に行こうとしませんでした。サラリーマンだった彼には基礎年金と厚生年金まであるのに、住所がないせいで一度も受け取っていなかったのです。
家族とのあいだに何があったのか、彼は話しませんでした。たった一度だけ、そんなOさんから電話がかかってきたことがありました。今回と同じように、大型台風が関東を直撃するというニュースが巷を賑わす週末でした。「非通知番号」の表示は私にとっては、「路上のおじさん」たちからの電話です。
ごおっーという風のうなりの向こうからOさんの声が聞こえてきました。
「申し訳ないのだけど、どこかビジネスホテルを予約してもらえませんか。1時間後にもう一度電話しま……」
途中で、電話は切れてしまいました。クレジットカードも携帯番号もない彼には、ホテルを予約することができなかったのです。このときは避難所は設置されませんでしたし、あったとしても彼が身を寄せることはなかったでしょう。
後日、ホテル代のことを尋ねると、「まあね」、Oさんはそう言って笑うだけでした。いっしょに役所に行きましょうよ。いや、まだいいよ。お決まりのやり取りがその後どれくらい続いたでしょうか、そしてあるときOさんが炊き出しに姿を見せないことが2回続きました。
どうにも気になって、私は帰りに彼の公園を訪ねてみました。ケヤキの大木が立ち並ぶ奥のほうに、彼から聞いていたとおりの四阿があって、そこで誰かが段ボールの寝床を整えているのが暗がりの中に見えてきました。
よかった。安堵しながら駆け寄って、「Oさん!」と声を掛けてみると、そこには見知らぬ中年男性が怪訝そうにこちらを見ています。事情を話すと、「前にここで寝てたじいさんなら、死んだらしいよ」。素っ気ない答えが返ってきました。……ごめんなさい、Oさん。それ以外に私には言葉が見つかりませんでした。
「住まい」の大切さ
住まいを失った誰もが彼のようではないですし、そうできるわけでもありません(そうであってはならないとも思います)。支援活動を通じて出会った多くの人が路上生活を脱出してアパートに入居しました。でも、その誰一人としてSNSなどで言われるような意味で「臭い」ままの人はいません。
考えてみればそれは当然のことです。住まいがあれば、彼らは私やあなたと何も変わるところはないからです。住まいの有無を除けば、「彼ら」と「私たち」のあいだには何の違いもないのです。彼らが臭いのだとすれば、それは彼らが住まいをもたないからです。
裏を返せば、私たちが臭くないのは、私たちに住まいがあるからにすぎません。だとすれば、(これは避難所利用についての差別的対応についてもあてはまることですが)、臭いをめぐる「問題」は、誰一人として路上生活を強いられるようなことがなければ、つまり、誰にたいしてもまず住まいが提供されれば(あるいは、少なくとも最低限の衛生を保つための施設へのアクセスが提供されれば)、そもそも問題ですらないでしょう2
住まいは基本的人権と考えられるべきだと私たちが訴えてきた所以です。
「臭い嫌悪」の背景
それにしてもなぜこれほどまでに私たちは臭いを嫌悪するのでしょうか。いつから私たちはそうなったのでしょう。
「においトラブル」を取り上げたNHK『クローズアップ現代+』の放送では、体臭の相談、治療を行うクリニックの医師の言葉として、患者は増え続けている一方、じつはその7割くらいは体臭の強くない人たちだとされていましたが、他人ばかりか自分自身の体臭についても私たちは過敏になっているようで、これは比較的新しい社会傾向です。
*2 最低限の生活支援は生活保護制度やホームレス自立支援制度によってすでに与えられているのだから、それにもかかわらず路上に留まっている人たちは自らの意思でそうしているのであって、彼らは彼らの臭いについて(も)責任を負うはずだと思われるかもしれません。
これがそうとも言えない理由については、TENOHASIホームページや『ハウジングファースト 住まいからはじまる支援の可能性』(山吹書店刊)を是非とも参照ください。
さらには、体臭に対する嫌悪が強い人ほど、(保守主義とは区別される)右寄りの権威主義的な政治体制を肯定する傾向を有するという、最近の社会心理学での研究結果が目を引きます。
研究によれば、強い体臭は外見から感知できない病原体の存在を示すことがあり、進化論的に見て、体臭に対する嫌悪感情はそうした危険を回避する機能をもつとされます。
他方、ここでの権威主義は、厳格な社会秩序を重んじ、異質な他者や集団との接触を嫌い、規範からの逸脱に対する懲罰的対応を良しとする政治観と理解されていますので、両者のあいだの相関関係は容易に予想できますが、それが研究によって実証されたというわけです。
今回の避難所への路上生活者の受け入れ拒否とそれを受けての世間の反応はまさしくこの具体例と言えそうですが、近年二つの傾向が呼応するように表面化しているのはなぜなのでしょう。
その背景にあるのは、「危険」に対する意識の高まり、そしてそれがもたらす不安や恐怖なのではないかと私は思います。脆弱な状況に置かれた他者の立場を想像する力、他者への共感の欠如ということが言われますが、かならずしもそうとも言えないのではないか。
むしろ、私たちには未曾有の危機が目前に迫っているという(目を逸らしたくても逸らせない)明瞭な感覚があって、それがもたらす不安が体臭嫌悪をはじめとする、異質性、多様性、不確定性にたいする不寛容さ、狭量さとして表面に顔を出すのではないでしょうか。
そしてもしそうだとすれば、私たちがすべきことは、私たちが抱えるこの不安に対して、言葉やその他の表現によって形を与え、それを認知、共有したうえで、不安をもたらしている危険に向き合うことではないでしょうか。いまも公園の片隅で夜の寒さに身を縮める人たちを思いつつ、そう考えています。


安倍晋三、菅義偉、山本太郎「首相にふさわしいのは?」答えは一択/倉山満
安倍首相は「任期中に税率を倍にした首相」としてのみ、歴史に名を残しそうだ
 室町時代、天皇の御世代わりには南朝の残党が蜂起し、将軍の代替わりには徳政一揆が勃発した。ならば、令和の我々は?
 とうとう安倍晋三首相が消費増税をやらかし、暗い気分で台風を迎え、新帝即位のパレードも延期となった。だが、即位の当日、陛下がおでましになると雨がやみ、虹がかかった。多くの人が、日本は神国であると実感したのではないか。しかし、皇室と国民の絆は神話だけによって結ばれているのではない。
 日本はどうなるのか?ではなく、自分の国をどうするのか?と心ある国民が考え行動してきたので、日本は守られてきたのだ。
 安倍首相の思惑は明確だった。新帝即位を、国民は必ず歓迎する。祝賀ムードの中、高い支持率も維持できる。消費増税による景気悪化は、まだ先だ。ならば、今の内に解散総選挙をしてしまえば、引きずりおろされることもない。
 憲法上は、衆議院の解散権は総理大臣にある。だが、それは表のルールにすぎない。実際には、創価学会が握っている。創価学会とは、連立与党の一角の公明党の支持母体であり、かつ自民党の最大支持基盤である。だから、その意向に逆らえない。自民党総裁(総理大臣でもある)と雖(いえど)も、創価学会の意向を抜きにしては選挙ができない。これが真のルール、掟だ。
 さっそく公明党筋からは「台風で解散は吹っ飛んだ」という声が聞こえる。仮に安倍首相が解散を打ちたくても、創価学会・公明党を説得できるだろうか。そんな公明党も逆らえない勢力がある。官僚だ。
 安倍内閣が空前の長期政権と化した理由は簡単だ。霞が関の官僚機構の傀儡と化したからだ。真の官僚とは、立法を握る内閣法制局と、行政(予算)を握る財務省主計局である。法制局は最強の拒否権集団で、主計局は最強の推進集団だ。安倍内閣は常に、この両者に遠慮してきた。
 現在、主計局の意向は明快である。「安倍は用済み。次は菅」だ。どうやら安倍首相は「任期中に2度の消費増税を成し遂げ、税率を倍にした首相」としてのみ、歴史に名を残しそうだ。
「ポスト安倍」の筆頭は菅官房長官だが…
 読者諸氏も、現在の日本政治が菅義偉官房長官を中心に回っているのは感じているだろう。安倍内閣7年を官房長官として支え、政官界ににらみを利かせてきた。最近では「令和おじさん」として一般の知名度も上がり、「安倍後継」の最右翼と目されている。しかし政権の座は、どのような就きかたをするかで、意味が変わる。安倍首相に禅譲されるか、あるいは霞が関の傀儡となるか。
 菅官房長官が推した大臣のスキャンダルが噴出し始めているが、意味は簡単だ。「従うなら首相にしてやる。逆らうなら潰す」。
 即位の礼では、男性皇族の少なさが際立った。多くのメディアが「先送りできない、皇位の安定継承」と迫る。要するに、「女帝と女性宮家を認めよ」と言いたいのだ。
 さすがに安倍・菅も、「日本の伝統は皇室の男系継承だ」とは理解できている。だが、その正論を守る力が残っているか。
 本欄でも「皇位継承の問題は、引き分けならば、国体護持派の勝ち」と強調してきた。詳細は、小著『13歳からの「くにまもり」』で詳述しておいた。悠仁親王殿下がご無事に成人され、即位され、男の子が生まれ、その子が即位される。時間がたてば、女帝や女性宮家など出る幕が無い。女系など、論外だ。
 だから国体破壊派は、「先送りするな」と迫っているのだ。その首魁(しゅかい)は、内閣法制局である。
 安倍内閣が有識者として不肖倉山を呼ぶくらいなら、女系・女帝・女性宮家の推進論など、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)で粉砕できる。だが、その根性を求めても無駄だろう。今の安倍内閣に任せておけば、ズルズルと下手な妥協をするのは目に見えている。過去7年間が、そうだったので。
 ならば結論は一つ。打倒するのみ。
山本太郎ー馬淵澄夫の動きに注目
国会議事堂 注目の動きがある。先の参議院選挙で既成政党の心胆を寒からしめた れいわ新選組の山本太郎代表が、無所属の馬淵澄夫衆議院議員と「減税」に向けた研究会を開くという。
 山本氏の「消費税廃止!最低でも減税」という主張は、多くの国民の心を掴んでいる。枝野幸男如き、口では政権反対を唱えながら、実態は与党の補完勢力に過ぎない偽物野党とは違う。山本氏は、本気で政権奪取を考えている。その山本氏よりも先に消費減税を唱えていたのが、馬淵氏だ。ちなみに、この事実を伝えているのは、私が主宰するインターネット番組の「チャンネルくらら」だけではないか。
 安倍内閣の政権基盤は、経済だ。景気が回復軌道だったから、国民は多くの悪行に我慢してきた。ならば、経済問題で攻めればいい。まずは、安倍内閣よりも正しい経済政策を訴え、浸透させる。
 次に、国民の不安を払拭すべきだ。山本太郎氏は共産党とも組み、さらには背後に共産党よりも左の勢力がいると見做されている。一部の人たちからは、生理的に受け付けられない人なのである。これは理屈ではなく、感覚的なものだ。それを、「自民党より、よっぽど保守」と玄人筋では評価されている馬淵氏が組むことで、払拭できるかどうか。少なくとも、その努力をすべきだろう。
 現在の日本の悲劇は、まともな野党が無いことだ。あの「民主党の悪夢」を覚えている国民は、政権交代恐怖症になっているのだが、仮に馬淵氏と山本氏が共同代表になるような新党ができたらどうか?「馬淵首相」ならば、政権交代させても、何も問題ないのではないか? 少なくとも、経済政策は安倍内閣よりもマトモだ。皇室典範とて、「改悪阻止」くらいはできよう。既に安倍内閣で、「改正」などと高望みできないのだから。
筆者はズバリ「首相にふさわしいのは山本太郎」と答える
 究極の選択である。「安倍晋三、菅義偉、山本太郎、この3人の中で首相にふさわしいのは誰か?」と聞かれたら、今の私は迷うことなく「山本太郎」と答える。安倍・菅両氏は官僚の言いなりだが、山本氏は「それではダメだ」との意思はある。官僚の言いなりならば、日本はいつまでたってもダメな国だ。
 かつて「安倍救国内閣」に身命を賭した私に、ここまで言わせるのは誰か?
 とにもかくにも、皇室典範と消費減税。つながっている、最も重大な問題だ。
―[言論ストロングスタイル]―
倉山 満  憲政史研究家 ’73年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。現在、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交について積極的に言論活動を行っている。ベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』など著書多数。最新著書に『13歳からの「くにまもり」』


岩国市民「黙っているなら独立国とはいえない」米軍違反飛行で怒りの声
 米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)所属の戦闘機部隊で手放しの操縦や飛行中の読書など規則違反が横行していた問題で、国内の米軍専用施設の7割を抱える沖縄県の玉城(たまき)デニー知事は3日、那覇市で記者団に「言語道断だ。緩んでいるような状況を看過していること自体がありえない」と厳しく批判した。
 岩国基地所属の戦闘機はたびたび沖縄県内にも飛来しており、今回は2016年4月の米軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)沖の接触事故が公表されていないことが判明した。玉城知事は「調査をして関係機関で情報共有することで再発防止ができる。米軍の体制には問題がある」と語った。
 山口県と岩国市は、高知県沖の事故調査報告書を10月に受け取っていたが、英文で量も膨大なため、規則違反の実態を把握できていなかった。県岩国基地対策室の田中康史次長は「国が確認して地元に説明するという話だった」と述べ、3日に改めて国へ事実照会したことを明かした。
 岩国市では3日も市民から怒りの声が上がった。「異議あり!『基地との共存』市民行動実行委員会」委員長の岡村寛さん(76)は「他国の軍隊にこんなことをされて黙っているなら独立国とはいえない」と憤った。【遠藤孝康、古賀亮至、祝部幹雄】


徳井義実の税金問題 改めて「不寛容社会」を浮き彫りにした
 SNSの浸透は社会のありように変化を与えている。コラムニストのオバタカズユキ氏が考察した。
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 先日、お笑いコンビ、チュートリアルの徳井義実が税金問題で謝罪会見を行った。なんでも法人所得の3年ぶん、約1億1800万円が無申告だったなどの問題があり、追徴課税の総額は約3700万円にのぼったという。
 徳井はお笑い界の中堅どころだろう。テレビでよく見る顔だが、めちゃくちゃ売れているという印象でもない。それでもそんなに稼いでいるのか、お笑いというものは今でもやっぱりジャパニーズドリームを描ける職業なんだな、すごいな、などと私は感心していた。が、ネット世間では、この徳井をめぐって、まったく別の盛り上がり方をしていた。
 それは彼がADHD(注意欠陥・多動性障害)ではないか、という指摘である。たしかに謝罪会見でも自ら「想像を絶する本当にだらしないルーズさ」が今回の問題の原因であると話していた。当人が「想像を絶する」というのはおかしいから、そのようなことを周囲の人々から言われてきたということであると思われる。
 失くし物や忘れ物が多い、整理整頓が苦手、計画的に仕事を進めるのが下手、といった典型的症状例がADHDにはある。税務や会計といった手際のいい段取りや正確な情報処理能力を要する作業はとりわけダメというのも典型例だろう。好奇心旺盛なネット民が徳井の過去ツイートを掘り起こしていたが、その支払いの面倒くささから何度も電気ガス水道を止められたことがある、とのことだ。そんなルーズエピソードが事実なら、ADHD傾向があるという気配はなるほど濃厚に感じられる。
 とはいえ、だ。この騒動の一時期、ツイッターのトレンドに「ADHD」が入っていて、それはすべて徳井の件についてだった。果たしてそれほど騒ぐようなことか。というか、たとえ有名人でも、特定個人の障害をネタに推測や憶測を楽しんでお祭り騒ぎというのは、かなり気持ちの悪い集団心理なのではなかろうか。
 ADHDをはじめとした発達障害の診断は、その分野を専門とする精神科医でもそう簡単にくだせない。各種心理検査を行い、診察も複数回慎重にしてようやく診断が出るものである。それを素人がハンパな知識でどうこうするのはよろしくない。
 徳井の行為は問題である。だが、問題人物ならば何をどう扱っても構わないということでは決してない。
 ネット上の痕跡をつぶさにたどっていくと、実は、当初、ツイッター上でこの話題をよく取り上げていたのは、「当事者」と思わしきアカウントが多かった。
〈徳井の脱税、今までのエピソード(ネットソースなので真偽不明)が本当だとしたらこれADHDの回避行動では?って思ったのと今までの回避行動がお笑い芸人の単なるおもしろエピソードとして消化されていたせいで誰も指摘することなく年々重症化していたのでは?って思うとちょっと問題が変わってくるな〉
 というツイートがバズったアカウントも、〈RTが1万超えた辺りから「勝手に人をADHD認定して話すな、お前は医者か?ADHDの人に失礼だぞ」みたいなリプが増えてきたんだけどADHDの回避行動に似てるからもしかしたらって話をしてるだけで別に認定はしてないし別に医者でもないわ、もっと言えば俺も患者側で薬飲んで毎日何とか生活してるんじゃ〉とのこと。
 また、〈傾向なので分かる。周りが普通にできることが、分かっていても出来ない。社会生活に支障をきたすレベル。でもやはり周りは当たり前に出来るので、一生分かってもらうことはできない。徳井さんも診断を受けてADHDの支援または治療をしてもらえていたらこんなことにはならなかったかも〉というように、徳井の身を案じるツイートをする当事者も一部だが存在した。
 彼らは勝手に診断をしていなかった。推測や憶測はしているが、それは徳井のことを思っての話であり、決してヒトゴトではないとしてこの話題を取り上げ、当事者ならではの思いを述べている。こうした知見や思いが言葉として流通することは、まだまだ偏見の多い発達障害の理解を広める点でも意味があるし、なにより日々自らの障害と格闘している当事者たちの心の風通しをよくする。社会になかなか適応できない自分を責めてしまいがちな彼らが、言いたいことを言ってもいいんだ、と勇気づけられることも多いだろう。
 だが、他の当事者外と思われるアカウントから放たれる言葉には、救いのないものも目立った。「ADHDだからって重罪の脱税が許されると思うなよ」とか、「なにかといえば発達障害だからと言い訳する風潮は間違っている」とかいった、勝手に断罪系のツイートが多いのである。徳井の行為はちっとも許されたわけではないし、発達障害だからと言い訳するような当事者ツイートを少なくとも私は見かけなかったのに。
 だいたい発達障害だから仕方ない/発達障害だから言い訳にするな、という2つの考えは、正反対のことを言っているようで実際は同じところで頭を打っている。どちらにしてもその考えでは、現に困っている当事者が次に進めないのだ。進むためには、「発達障害だから改善していこう」の発想が不可欠。そして、改善するために何を理解すべきで、何を変えていけばいいのかを、当事者のみならず周囲の人間、ひいてはこの社会に属する人全員が考えていくべきなのだ。
 そうした発達障害との向き合い方の基本は、まだこの国にできていない。それ以前に、有名人が発達障害を疑われると、野次馬のように衆人が集まり、やれADHDだ、やれASD(自閉スペクトラム症)だとレッテル貼りして、異物視する。昔だったら、「変わった人」や「だらしないやつ」ということで済ましていたのが、障害名をつけて逆に遠ざけてしまう。そういう負の効果も、ここ長い事続いている発達障害ブームの中には潜んでいる。
 この徳井問題、大御所作家の筒井康隆がブログの「偽文士日碌」中で取り上げていた。該当箇所を抜粋しておこう。
〈チュートリアルの徳井義実の件でホリプロより連絡あり。放送日が変更になる。徳井君出演回はどうやら放送中止となるらしい。なんてことだ。別段誰かが死んだわけでもなければ泥棒したわけでもないし、税金も追徴課税を含めてすべて払っておる。徳井義実に代る才能はないぞ。誰が責任を取るんだ。不寛容社会になってきたなあ。不寛容に対してだけ寛容に過ぎるような気がするが〉
 徳井の才能がそこまであるかどうか私は分らない。が、「不寛容社会」というのはよく分る。SNSの発達などで当事者の声を広く一般に知らしめることができるようになった一方、そうした声に気づきもせず、自分たちの「普通」と違う者を排除する、残念な動きも広まっている。


朝鮮学校幼稚園関係者ら、無償化対象外で抗議集会
 政府が10月に始めた幼児教育・保育の無償化措置の対象から外された朝鮮学校幼稚園の関係者らが都内で集会を開き、「外国人学校を対象から外すのは差別政策だ」と訴えました。
 幼児教育・保育の無償化措置では、「各種学校」の認可を受けた全国88の外国人学校が支援の対象から外されています。これには、朝鮮学校幼稚園が含まれていて、北朝鮮外務省は先月24日、「支援外しは非人道的暴挙」と非難する報道官談話を出しています。
 集会には、在日朝鮮人の保護者や子供たちのほか日本の支援団体が参加し、国に無償化の対象拡大を求めました。


白紙撤回へ署名開始 再編反対の静大教員
 静岡大と浜松医科大の法人統合・大学再編を巡り、再編に反対している静大の教員が2日、石井潔学長に再編案の白紙撤回を要求する署名活動を始めた。インターネットを利用して市民からも募る。
 「再編する」とした機関決定の凍結▽石井学長が田辺信宏静岡市長に設置を申し入れた「静岡大学将来構想協議会」での再編案の白紙からの検討▽協議会の公開―を求める。認められない場合「リコール(解任請求)を予定している」という。
 田辺市長と市議会議長宛ての請願署名も集める。石井学長は協議会の設置と同時に「ゼロベースでの議論」を願い出たが、「ゼロベース」の意味は再編案の白紙化ではなく、協議会の中で自由に意見してもらう趣旨だとしている。このため「再編案自体を、完全なゼロベースから検討し直すこと」を請願する。
 再編に反対の教員は2日、静岡市内でシンポジウムを開き、約80人が訪れた。元宇都宮大学長の田原博人氏は講演で「1法人2大学ありきで進んでいる」と述べ、むしろ必要なのは「浜松地区(キャンパス)との連携強化では」と指摘した。