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枝豆ない→キビナゴ/素揚げと正宗/赤い万願寺

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Eau radioactive de Fukushima : Séoul convoque un diplomate japonais
SEOUL, 19 août (Yonhap) -- La Corée du Sud a convoqué lundi un diplomate japonais pour demander au Japon de répondre aux préoccupations croissantes sur son plan de relâcher dans l'océan Pacifique de l'eau contaminée par l'accident de la centrale nucléaire de Fukushima en 2011.
Cette convocation a eu lieu dans un contexte où Séoul presse Tokyo pour le retrait de ses restrictions d'exportations à travers des dialogues bilatéraux. Séoul voit ces mesures comme des représailles politiques face aux verdicts rendus l'année dernière par la Cour suprême sud-coréenne contre des entreprises japonaises quant au travail forcé en temps de guerre.
Kwon Se-jung, directeur général en charge du changement climatique et des affaires environnementales au ministère sud-coréen des Affaires étrangères, a convoqué le ministre pour les affaires économiques de l'ambassade du Japon en Corée du Sud, Tomofumi Nishinaga.
Kwon lui a fait part d'une note verbale soulignant les inquiétudes de Séoul sur l'eau radioactive et demandant une explication officielle de Tokyo sur sa manière de traiter cette eau.
La semaine dernière, Séoul a promis de traiter ≪activement≫ la question de l'eau polluée sur fond d'inquiétudes croissantes selon lesquelles Tokyo pourrait en relâcher dans le Pacifique comme la centrale de Fukushima manquerait d'espace de stockage vers 2022.
Après avoir appris en août de l'année dernière le plan de Tokyo de déverser de l'eau radioactive, la Corée du Sud a envoyé au Japon un document détaillant ses préoccupations et des demandes liées. Depuis, elle a appelé Tokyo à présenter clairement sa méthode de traitement lors de forums bilatéraux et multilatéraux.
Le Japon serait en train d'examiner les diverses options, dont l'évaporation et l'enfouissement, pour traiter l'eau de la centrale de Fukushima. Cependant, le déversement dans l'océan de l'eau traitée est percu comme la méthode la moins chère et la plus rapide, donc séduisante.
Des groupes et militants environnementaux, comme Greenpeace, s'opposent à l'évacuation d'eau contaminée au tritium. Selon un rapport publié en janvier par Greenpeace, un groupe de travail du gouvernement japonais a proposé un plan de déversement en négligeant les autres options possibles qui empêcheraient une plus grande contamination de l'océan.
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フランス語の勉強?
青木 俊 @AokiTonko
香港市民の要求はいずれも当然。
注目は5番目。「民主的選挙の実現」。
中国は一国二制度と言いながら、立法議会の選挙制度を露骨に親中派優位なものにしてきた。
要求が最終的にここに来るのは必然。だが中国にとっては生命線を失う。逃亡犯条例はとんだ「龍」を起こしてしまった。中国、自業自得

茂木健一郎@kenichiromogi
N国党が議席を得て、政党要件を満たして以来、私はNHKの現状を批判するにせよ、スクランブルをかけたりするのではなく、BBC型の、すぐれた公共放送になるための応援としてツイートしているのだということをはっきり打ち出して、自分でも意識している。NHKはBBCの良いところはどんどん取り入れればよい
NHKはいろいろな番組を制作、放送していて、そのどれもが重要だろうけれども、特にニュースや時事は、公共放送としての存在意義の核心である。このところ、日本の戦時中、戦後のことなど「過去」のことについてはすぐれたドキュメンタリーを放送してが、同じことを現在進行系の「今」でもやってほしい
NHKの時事(current affairs)の報道、番組作り、放送の何がもの足りないのかということをBBCと比較して考えてみると、これは何度も書いていることだけれども、ジャーナリストとしての能力のいきいきとした発露がないことかと思う。すべてがお役所的で、事なかれ的に見えてしまうのである。
NHKとBBCの時事についての番組作りのトーンの違いを端的に書くと、後者は、あるできごと(たとえば今で言えばRrexit)について巷で言われていることを、網羅的、すべてのスペクトラムで見て、それを反映したニュース原稿、番組になっているのに、前者は小さく前にならえというか、制約が大きすぎる。
手法としては、BBCの朝の報道番組は、左から右までさまざまな新聞記事を参照してスタジオでジャーナリストがああでもないこうでもないと議論するスタイルだけれども、NHKの場合、そのような議論の幅は最初から存在しないことになっていると思う。
社会の中にはさまざまな意見があって、それを並べれば当然ざらざらする。BBCは、その大人のざらざらを反映した報道姿勢、番組姿勢になっているのに、NHKは、「これだけ見ていれば安心安全です」というような、視聴者を子ども扱いした感性の「囲い込み」をしているように印象される。
かつては、「みなさまのNHK」が提供する「安心、安全」の世界だけで呼吸していればいいという話もあったのかもしれないけれども、今はネットでありとあらゆる意見に人々が接する時代である。そんな時代に、今のNHKの時事の報道姿勢は、あまりにも「幼稚」であって、もはや時代にそぐわない。
NHKの報道や情報番組の作り手の多くは英語はできるはずだから、BBCの報道、情報番組のフォーマットを少しでもいいから見て欲しい。同じ公共放送でありながら、何が違うのか? 国によって文化や歴史は異なるけれども、良いところは大いに取り入れて、番組をアップデートしたら良い。
NHKとBBCを比べると、後者の方が「受信料」(英国ではlicense fee)を払っている人の割合が高く、また、受信料徴収のための人件費の割合が低い(NHKは集金人は廃止しても、訪問する人たちの人件費がかかっている)。BBCの方が国民に公共放送の意義を納得してもらって、自発的に支払ってもらえている。
NHKは、BBCに比べると、公共放送としての意義を国民に高いレベルで納得してもらえていない。最大の要因は番組の「質」であろう。ネット時代にメディアの切磋琢磨で目や耳が肥えた視聴者に、今まで通りの「小さく前にならえ」の「安心安全」の「みなさまのNHK」では、公共放送としての意義を保てない。

小沢一郎(事務所)@ozawa_jimusho
総理は太平洋戦争について「歴史認識は歴史家に任せる」と逃げている。要は「侵略」とは認めたくないということ。太平洋戦争を総括できないような政治指導者はあり得ない。歴史に向き合うことこそ、本当の追悼。安倍政権は改竄ばかりだが、戦争の美化だけは絶対に許されない。
花瑛塾広報局 @kaeizyuku_PR
韓国の皆さん、うちの 아베 (安倍)がいろいろすみません。私たちも 아베 にはドン引きしていますし、基本的には多くの日本人が韓国の皆さんを歓迎しています。ほんとに普通に日本に遊びにきて下さい。

枝豆買ってずんだ!と思ってスーパーに行きました.2件見たけどどちらでもありませんでした.ガッカリ.仕方ないですね.冷凍ものを買うつもりはないので来年かな?代わりにキビナゴを買いました.素揚げしてもらいます.
素揚げのキビナゴは薩摩正宗があいます.財布を忘れていたので小さなビンを買ってもらいました.
万願寺もそろそろ食べないと.買ったときは緑色だったのが今は全体が真っ赤になってしまいました.でもパプリカみたいに美味しかったです.

「来年度中に全防潮堤の完成を」
東日本大震災を受けて県内に計画された防潮堤のうち、唯一、住民の合意が得られていなかった気仙沼市の防潮堤工事で、住民合意に達したことを受けて、村井知事は、来年度中に県内すべての防潮堤の完成を目指す考えを示しました。
震災の被害を受けた気仙沼市の日門漁港では、海抜9.8メートルの防潮堤をつくる計画が立てられましたが、景観の問題で住民から反対の声が上がって調整が進められました。
その結果、震災から8年あまりたった先月末、背後にある国道をかさ上げし、海が見える景観を維持することで住民合意に達し、これで県内で計画された防潮堤すべてで住民の合意が得られました。
村井知事は19日の記者会見で、「かなり時間はかかったが、客観的な安全性を確保できる高さを担保できるようになり、一段と安心感が増すことになるのではないか」と述べました。
その上で村井知事は、県内で計画されている369か所の防潮堤について、政府が位置づける「復興・創生期間」が終了する来年度中の完成を目指す考えを示しました。
県内で計画されている369か所の防潮堤のうち、日門漁港を含む4か所ではまだ工事が始まっておらず、県は急ピッチで工事を進めることにしています。


震災で水没した車両引き揚げ
東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼市で、津波で流され海底に沈んだと見られる車を引き揚げる作業が行われています。警察は、行方不明者の特定につなげるため、所有者の確認を急ぐことにしています。
車を引き揚げる作業が行われているのは、気仙沼市の川原漁港の南側の海岸です。
警察によりますと、今月2日、この場所で建設が進められている防波堤の工事のために海底を調査していたダイバーが、岸からおよそ50メートル、深さ1.5メートルほどの海底に乗用車1台が沈んでいるのを発見したということです。
これを受けて警察は、19日午前11時から、海上保安署や工事関係者などとともにクレーン船で車を引き揚げる作業を始めました。
車は8年前の津波で流されたものと見られ、中も外も泥にまみれて腐食が進んでいました。
気仙沼市では震災のため、現在も214人の行方が分からないままで、警察は行方不明者の特定につなげるため、所有者の確認を急ぐことにしています。
気仙沼警察署の菅原和警備課長は「行方がわかっていない人が大勢いるので、手がかりにつながるものを1つでも多く見つけていきたい」と話していました。


<福島第1原発事故>個人・地域の文化財を救え 帰還困難区域で住宅解体進み、自治体急ぐ
 東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域を抱える福島県の自治体が、個人や地域が所蔵する文化財や歴史資料の救出活動を続けている。同区域でも住宅解体が進み、地域の営みや記憶を伝える資料が消失する恐れがあるためだ。盗難被害が懸念され、住民も自治体に預けるなど保全を急ぐ。
 全町避難が続く双葉町の上羽鳥地区で7月下旬、観音堂と不動堂に安置されていた古い仏像計4体を町教委が救出した。県や福島大が協力。放射線量が一定以下であることを確認し、町内の保管場所に移した。住民が救出を依頼した。
 周辺は、帰還困難区域に再び住めるようにする特定復興再生拠点区域(復興拠点)。町は2022年春までの避難指示解除を目指しており、来春を目標に通行証なしで立ち入りできるようにする規制緩和も予定する。実現すれば、人の往来が増える。
 二つのお堂の前はかつて盆踊りや花見が行われた地区の中心。地区長の今村樹重(たてしげ)さん(69)は「仏像は盗難の恐れがあり、地震で傾いたお堂もすぐには直せない。将来、住民が帰還するまで町に守ってもらう」と話した。
 町は18年、個人宅や地域に眠る資料の救出を本格化した。同年には復興拠点整備のため、希望する世帯の解体除染が始まった。帰還困難区域が96%を占める町内はそれまで大半の住宅は手付かずで「その分貴重な物が残っている」と町教委はみる。
 寄贈されたり預かったりした文書や農具、生活用具、刀剣類などは約20件計約850点に上る。写真が多く、1960年代の珍しい空撮写真群もあった。
 避難指示を一部解除した自治体は、以前から帰還困難区域を含め救出活動を展開中。17年春に同区域を除き解除された富岡町は14年から約3万点を救出し、浪江町も1000点以上を受け入れた。
 今年4月まで全町避難が続いた大熊町は17年3月に作業を始め、約400点を救出。旧家の食器や特産品紹介の展示物など暮らしを物語る一部は17、18年の町文化祭で展示した。町教委は「古里を思い出してもらい、帰還の呼び水になるといい」と説明する。
 双葉町教委は「避難を続ける町民に、文化財は地域共有の財産との意識が高まっている。文化財は町民が町とつながるきっかけになり得る」と強調。気になる資料があったら気軽に相談するよう呼び掛ける。


韓国、海洋放出計画の有無確認を 福島原発で、日本の公使呼び
 【ソウル共同】韓国外務省の権世重・気候環境科学外交局長は19日、日本大使館の西永知史公使を呼び、東京電力福島第1原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含んだ処理水について、海洋放出の計画の有無など事実関係の確認を求めた。韓国外務省が発表した。
 権氏は「汚染水処理の結果が両国民の健康や安全、さらには海でつながる全ての国に与える影響について重く認識している」と強調。日本政府が海洋放出を計画していると国際環境団体が主張しているとし、事実確認や今後の処理計画などについて公式回答を求めた。


復興庁の存続 検証し教訓を次に生かせ
 存続するとしても、単なる「現状維持」では済まされない。これまでの取り組みで何が足りなかったのか。検証して教訓を次の復興政策に生かすべきだ。
 2021年3月末に設置期限を迎える復興庁が21年度以降も存続する方向となった。与党の自民、公明両党が政府に現体制のまま存続させるよう安倍晋三首相に提言し、首相は「要望に沿って対応する」と約束した。
 復興庁は首相直属の機関で専任の閣僚が置かれ、復興交付金の配分や被災自治体と関係省庁との調整を担う。11年12月に成立した復興庁設置法は災害発生から10年を復興に要する期間と定め、司令塔となる復興庁の設置期限を20年度末としていた。
 しかし、東日本大震災から8年余を経ても約5万人が避難を余儀なくされている。被災者の就労支援や心のケア、風評被害への対応など課題は残ったままだ。「道半ば」の復興を後押しするため、政府と与党は足並みをそろえたと言えるだろう。
 政府と与党には改めて注文したい。巨大地震と大津波、それに原発事故が重なった未曽有の複合災害だった事情は理解するが、復興庁を存続させるという判断は、当初予定していた期限内に復興を成し遂げられなかったことを意味する。
 それはなぜか。省庁の縦割り行政を廃するという本来の役割は果たせたのか。「被災地に寄り添う」と繰り返す政治はリーダーシップを発揮できたのか。しっかり検証して率直に国民へ説明してほしい。そうでなければ、復興に要する新たな延長期間や財源など復興庁存続の議論は説得力を持ち得ない。役所と大臣を今のまま残せばいい−という単純な話ではあるまい。
 もう一つの重要な論点は、全国的な視点で防災・減災から災害の復旧・復興まで一元的に取り組む政府機関設置の問題だ。
 地震、台風、豪雨など自然災害の脅威は一段と増してきた。南海トラフ巨大地震や首都直下地震なども想定され、防災体制の強化は喫緊の課題である。
 復興庁の後継組織として、復興庁と内閣府や内閣官房などに分散する防災関連部署を統合して常設の新省庁を置く案があった。全国知事会は東日本大震災の経験を踏まえて「防災省」の設置を提案しており、昨秋の自民党総裁選で、石破茂元幹事長が争点の一つとして提唱したことでも知られる。
 防災体制の強化や司令塔機能の一元化は今回の与党提言にも盛り込まれている。東日本大震災からの復興を確実に加速するとともに、各種の災害で得られた貴重な体験と教訓を生かして防災体制を強固にしていく。政府の最優先課題の一つである。


復興庁存続へ 防災機能の拡充強化を
 東日本大震災からの復興を目的に、2012年に発足した復興庁が、設置期限の21年度以降も現体制で存続する見通しとなった。
 自民・公明両党の復興庁存続を柱とした提言を受け、政府は年内に基本方針をまとめる考えだ。
 福島、宮城、岩手の被災3県の避難者は5万人に上る。東京電力福島第1原発の廃炉に40年超かかるなど難題が山積で、津波被災地も完全復興とは到底言い難い。
 復興庁の存続は当然だが、それで十分だと言えるだろうか。
 日本は世界有数の「自然災害大国」だ。近年は地震や豪雨、噴火など相次ぎ、防災や減災の重要性や緊急性が一層高まっている。
 政府は、復興庁を拡充し、防災から復興まで司令塔を担う「防災省」の創設を検討すべきだ。
 与党の提言は、復興庁存続に加え、内閣官房と内閣府に分散する防災機能の一元化を求める。
 参院選では、与野党が防災機能強化の必要性を掲げており、共通した認識といえる。
 災害の予防や情報提供、被害の調査・検証、被災地支援など、災害を巡る業務が各省庁にまたがれば迅速な対応は制約される。
 防災省で多様な災害の教訓を蓄積し、職員の専門知識を高め、災害に即応できる体制を整える。防災教育の充実化を図れば、国民の意識向上にもつながろう。
 復興庁は、各省庁から数年単位で出向する職員の寄り合い所帯という側面があり、ノウハウの継承が課題だ。新組織ではもとの省庁に戻らないルールも必要だろう。
 一方、縦割り行政の弊害を招かぬ配慮も欠かせない。
 昨年の西日本豪雨では14府県で275人が亡くなり、平成最悪の豪雨災害になった。
 最大死者33万人の南海トラフ巨大地震の被害は1410兆円、首都直下地震は778兆円と想定される。道東沖の巨大地震を含め、いつ起きてもおかしくない。
 現行の体制で対応するには、災害規模があまりに巨大すぎるのは誰の目にも明らかだ。
 全国知事会も防災省創設を提言する。「国難レベルの巨大災害に備えるため、国の指揮命令系統を明確化し、対応調整権限や予算措置権も含め、災害の備えから復旧・復興までを担う」という。
 災害時に最前線で指揮を執る都道府県のトップの総意だけに、説得力がある。
 国民の生命と財産を守るのは政府の責務であり、真摯(しんし)に耳を傾けてもらいたい。


原発処理水  結論ありきの姿勢では
 東京電力福島第1原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含んだ処理水を巡り、東電はタンクでの保管が2022年夏ごろに限界を迎えるとの試算をまとめた。
 原子力規制委員会は処理水を希釈して海洋放出するよう求めている。これに対し、風評被害を懸念する漁業関係者は反対している。
 タンクでの保管が難しいとなれば、海洋放出の主張に拍車がかかりかねない。処理水の処分を優先し、地域のなりわいを軽視していると地元に受け取られれば、対立は深まるばかりだろう。
 第1原発で保管中の処理水は7月末時点で約110万トンに上る。
 東電は20年末までに137万トン分のタンクを敷地内に確保する計画だが、現在のペース(1日当たり150トン前後)で処理が続けば22年夏に容量を超える計算だ。
 気になるのは、東電の対応だ。
処理水の処分方法を検討する政府の小委員会で、東電はタンクの大型化や敷地外への移送は困難と強調した。一方で、タンクにため続ければ、溶融核燃料(デブリ)の保管設備など廃炉に必要な施設の設置が難しくなるとした。
 敷地内のタンク容量が足りなくなる可能性を強調することで、海洋放出に向けた議論の加速を狙ったようにも思える。
 結論ありきの姿勢は不信感を増幅するだけだ。原発敷地内には土地造成で出た土砂の捨て場が確保されているといい、「安全な土を構内に保管し、処理水を外に出すのはちぐはぐ」との批判もある。
 小委員会は、海洋放出や地層注入など五つの処分方法を検討してきたが今回、漁業者から求めのあった「長期保管」も議題とした。
 処分方法を絞り込む前に、保管場所についてさまざまな可能性を多角的に検討する必要があろう。
 処理水を巡っては昨年8月、トリチウム以外の放射性物質が残っていたことが判明し、「トリチウム以外は除去できている」との東電の主張に疑いが生じた。
 放射性物質が残留していた理由は、しっかり説明できたのだろうか。疑問と不信感を残したままでは議論も進まないのではないか。
 福島県などの水産品を韓国が禁輸したことが世界貿易機関(WTO)の上級委員会に認められ、他に20以上の国・地域でも輸入規制が続いていることも気がかりだ。
 海外の消費者の抱く懸念が払拭(ふっしょく)しきれていない状況で、海洋放出を含む処分方法の検討を急ぐことが妥当かどうか。十分に考える必要がある。


FIT見直し 再生エネ普及に資するか
 政策転換によって、再生可能エネルギーの普及に向けたスピードが鈍るようなことがあっては困る。そこに十分留意した上で、新たな制度を構築してもらいたい。
 再生エネの固定価格買い取り制度(FIT)の見直しに関する中間整理案を経済産業省がまとめ、有識者委員会から大筋で了承を得た。
 柱は買い取り対象の縮小だ。来年の通常国会で関連法を改正することを目指す。
 FITは一定期間の発電量の全てについて電力会社が固定価格で買い取る仕組みで、2012年7月に導入された。原資は電気料金に上乗せする形で回収している。
 東日本大震災以降の再生エネ拡大の土台となってきた一方、買い取り費用が増加して消費者の負担が増していた。
 見直しは、再生エネの主力電源化に向け、家庭や企業の負担を減らして制度の持続可能性を高める狙いがある。
 注目したいのは、設備のコストが下がっている大規模太陽光や風力などは「競争電源」と規定したことだ。
 FITの対象にすべきかどうかは電源ごとの状況を見ながら判断し、「補助の水準を順次縮小する」とした。事業者が手掛ける大規模太陽光や風力などの発電は、将来的には対象から外す方針という。
 再生エネの普及が進んだことで競争力がつき、自立的な運営が見込める電源も出てきたことを物語るものだろう。
 こうした中で消費者の負担抑制へ、制度の抜本的見直しに着手したといえる。
 気掛かりなのは、FITの見直し後も、これまでのようなペースで再エネの普及・拡大ができるかどうかだ。
 7年前にFITが導入され、再生エネは制度開始以前の3倍以上に伸びた。まさに飛躍的と言っていい。
 背景には、高い買い取り価格を設定し、企業や個人の投資を広く呼び込んだことがある。
 政策変更に伴い、再生エネ発電によって得られる収益が不安定化したり、投資に見合わないと思われたりすれば、勢いはしぼむことになろう。
 それだけに、事業者への新たな支援策をどう組み立てるかが重要になる。
 新支援策は、事業者が収益計画を立てやすくなるよう、市場での販売価格が基準価格を下回った場合に国が穴埋めする案が有力視されている。
 意欲をきちんと引き出し、後押しできるものにすることが求められる。
 政府のエネルギー基本計画は再生エネを主力電源化し、30年度の比率を全体の22〜24%とする目標を掲げる。17年度時点では16%で、今後も普及に力を入れる必要がある。
 政府は本気で再生エネの主力電源化を目指すのか。そこをしっかり見極めるためにも、FIT見直しを巡る動向に国民の側が目を凝らしていかなければならない。


リクナビ問題 若者の未来への背信だ
 就活情報サイト「リクナビ」が、学生の個人データから内定辞退率を予想し企業に売っていた。データは本人同意が不十分なまま流れていた。販売した側、購入した企業双方が猛省すべき問題だ。
 リクルートキャリアが運営する「リクナビ」には就活生の大半が登録している。
 同社は学生が就職先として興味を持っている企業の閲覧履歴や、企業から集めた前年の就活動向などを人工知能(AI)で解析。そこから就活生が内定を辞退する確率を割り出し、企業に販売していた。
 リクナビ側は、企業への情報提供があり得ることなどを利用規約に示し、就活生から同意を得ていたという。だが内定辞退の予測値を細かくはじき出し個人が特定できる形で売り渡しているとは、どの就活生も思っていなかっただろう。さらに約八千人については、同意自体得ていなかった。
 選考にデータを利用しないとの約束は販売先企業と交わしていたという。しかし利用したか否かを証明するのは難しいと言わざるを得ない。もし企業がデータを使っていれば、学生の未来が変わってしまった可能性が生じる。
 就活生には不安が広がっているはずだ。リクナビ側はもちろん購入した企業も、自分たちの行為がどれだけ学生たちに不信感を植え付けたのかよく考えてほしい。
 個人情報保護法では、個人情報の第三者への提供について、本人の同意が必要と定めている。だが実際の運用ではその同意手続きは形だけとなってはいないだろうか。ましてやAIを駆使した個人情報の受け渡しについて、現行の同法がどれだけ規制の網をかけられるのか疑問もある。
 今回の問題は法律面も含めた個人情報の扱いの問題点も浮き彫りにした。AI技術の急速な進歩も見据えながら官民一体となったルールの見直しが急務だろう。
 企業側にとって採用は自社の将来を担う人材を発掘するという意味で、重要な活動であることは理解できる。しかし、学生にとっても就活は社会への第一歩に向けた極めて大切な行為であり、大きな精神的負担も強いる。
 その就活を通じて得た若者たちの個人情報をビジネス化して売買したことは、企業倫理の劣化と批判されても仕方がないだろう。今回を契機にして、大小を問わず、すべての企業経営者が人材活用のあり方を見つめ直すよう強く期待したい。


老いるインフラ 修繕の遅れに不安拭えず
 橋やトンネルなど身近なインフラの老朽化と、その対応の遅れが浮き彫りとなった。国土交通省や地方自治体が2014〜18年度に行った点検の結果である。
 全国の橋約6万9千、トンネル約4400、歩道橋などの道路付属物約6千の計8万カ所近くで「5年以内の修繕が必要」とされた。一方、修繕の着手率は18年度末時点で橋22%、トンネル36%、付属物24%にとどまっていた。
 高度成長期に集中して整えられ、老いるインフラへの対応は待ったなしだ。例えば、建設から50年以上となる全国の橋は18年の25%から28年には50%に増える。だが、自治体は社会保障費が膨らむなどして財政事情が厳しい。住民の要望が強い新設に比べると、修繕は後回しになりがちで、不安は拭えない。
 点検は12年12月、山梨県の中央自動車道笹子トンネルで天井板が崩落し、車3台が下敷きになるなどして9人が死亡した事故を受けたものだ。5年に1度の実施が道路管理者に義務付けられた。14〜18年度が1巡目に当たる。
 岡山県内で5年以内の修繕が必要とされたのは橋2249、トンネル124、道路付属物162カ所だった。悲惨な事故を繰り返さないよう迅速に対応してもらいたい。
 このうち、橋は約3万3千カ所と都道府県別で最多の点検箇所数となり、早急な措置を要する施設数は北海道や新潟県などに次いで7番目に多かった。
 施設を長持ちさせる「長寿命化」が大きな課題となる。そのためには、人と同様、普段から健康管理に努め、早めに対応する「予防保全」が大切だと専門家は指摘する。
 とはいえ、自治体職員は行政改革などで減少傾向が続く。専門知識のある技術系職員も足りず、不在の市町村は全国で約4分の1を占める。
 国交省のアンケートで、19年度以降の点検について業者への発注、進行状況の把握など職員の負担が大きいと訴えた自治体は6割を超えた。人材の確保と育成を図らねばならない。同時に、市民の目を借りることも必要だろう。異常があれば管理者に連絡しやすい態勢を整えてほしい。
 点検の効率化も急がれる。国交省は小型無人機ドローンで損傷状況を撮影したり、赤外線を当ててコンクリートのひび割れを確認したりする技術の開発を進めている。
 財務省も人工知能(AI)などの先端技術も活用すれば維持管理費を一段と抑えられるとし、利用者の減った橋の撤去など集約化で管理コストを下げることも提案しているという。
 都市機能を中心部に集めるコンパクトな街づくりの動きが活発だ。インフラなどに集中投資できる半面、周辺部が落ち込むとの懸念も根強い。まして、既設のインフラの集約は影響が大きい。利用者の合意は欠かせず、丁寧な説明と情報公開が求められる。


カシミール問題 非はインドの側にある
インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方を巡り両国が対立を深めている。インドが北部ジャム・カシミール州の自治権剥奪を決めたためだ。非は一方的な行動に踏み切ったインド側にある。
 インド上下両院が今月、州に大幅な自治を認めていた憲法の改正を可決した。10月末からは連邦政府直轄地になる。政権は厳戒態勢を敷いて抗議行動を抑え込んでいる。5万人以上の治安部隊を州内に展開し、一部地域では電話やインターネットを遮断した。
 ヒンズー教徒が約8割のインドで唯一、イスラム教徒が多数派の州だ。1947年に印パ両国が英領から分離独立した際、カシミール地方を治めていたヒンズー教徒の藩王がインドへの帰属に合意した経緯がある。領有権などを巡り両国は戦争を重ねてきた。
 インドの与党はヒンズー教至上主義団体が母体である。今年の下院選で自治権剥奪を公約の一つに掲げ、前回に続いて単独過半数を得た。勢いを背景に憲法規定の削除に突き進んだ。
 規定は州外の住民の土地取得を制限する根拠にもなっていた。今後、ヒンズー教徒の移住を進めて住民の宗派構成を変えようとしているとも指摘される。イスラム教国パキスタンのカーン首相は「民族浄化の恐れ」を訴える。
 州では独立を求めるイスラム過激派も活動しており、インドのモディ首相は自治権の規定が「テロリズムに力を与えてきた」と批判する。剥奪で平和と発展が訪れるとも述べた。同意できない。乱暴なやり方は反発を強める。自治権剥奪は撤回すべきだ。
 インド、パキスタンは共に核保有国である。カーン氏は「パキスタン軍はいかなる侵害行為にも対応できる」と警告している。両国軍がにらみ合うカシミール地方の実効支配線(停戦ライン)付近で銃撃戦も伝えられる。衝突激化は避けなければならない。
 パキスタンの要請を受けて開かれた国連安全保障理事会の非公開会合は、各国の立場の違いから結論を出せずに終わった。中国がパキスタンを後押しする一方、メンバー国の大半は「2国間問題」などと深入りを避けている。
 自治権剥奪を「内政問題」だとして国際社会の介入を拒むインドへの配慮なのか。
 このまま手をこまぬいているわけにはいかない。両国の対立がエスカレートしないよう最大限の自制を迫りつつ、事態の打開に向けて協議を続ける必要がある。


[続く香港デモ]武力介入は絶対避けよ
 香港から中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案を発端に、完全撤回を求める香港の抗議活動が2カ月以上にわたって続いている。
 民主派団体は18日も大規模な抗議集会を開催。警察はデモ行進を許可しなかったが、数十万人が雨が降りしきる中強行した。香港情勢は緊迫度が一段と高まっている。
 当初、抗議活動は平和的に行われていたが、アジア有数のハブ空港である香港国際空港ロビーなどを占拠して多くの航空便を欠航させたり、一部若者が中国記者に暴行を加えたりするなどエスカレートした。自制が必要だ。
 香港当局は改正案の完全撤回を拒否し、催涙弾や警棒を使い、多数の負傷者を出すなど強硬姿勢を強めている。過剰警備はやめるべきである。
 1997年に香港が英国から返還された際、中国政府は「一国二制度」と「高度な自治」を約束した。しかし改正案は中国の非民主的な司法を香港に持ち込み、中国に批判的な活動家らが引き渡される恐れが消えない。
 懸念されるのは中国政府が武力介入を辞さない姿勢を繰り返し表明していることだ。
 香港と接する中国広東省深圳市の競技場に集結した人民武装警察部隊(武警)は1万人規模との情報もある。国内で暴動鎮圧やテロ対応などを任務とし、習近平(しゅうきんぺい)国家主席をトップとする党中央軍事委員会の指揮を受ける武装組織だ。デモ制圧訓練の映像を公開し抗議活動をけん制している。
 国際社会は、民主化を求める学生らを軍が武力弾圧し、多数の死傷者を出した1989年6月の天安門事件を忘れていない。武力介入は絶対にやってはならない。
    ■    ■
 長期化するデモ隊と警察の衝突は香港経済に大きな打撃を与えている。
 日本や米国、オーストラリアなど約30の国・地域が渡航者に注意を促す情報を出し、8月初旬の観光客は前年と比べ3割余り減少した。
 香港は世界有数の金融都市で、外資による対中投資の重要ルートになっている。人民元の国際取引にも不可欠な市場である。武力介入すれば、経済的に最も損害を受けるのは中国自身なのである。
 トランプ米大統領は抗議活動について「(中国政府の)暴力による鎮圧は見たくない」と、習氏と近く電話協議することを提案した。習指導部はデモ隊の激化は「テロに近い行為」と断じ、米国を「内政干渉」と非難する。
 先行きは見通せないが、米中両国は混乱収拾に向けた協議に力を合わせるべきだ。
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 学生を含む多くの市民が大規模デモに参加しているのはなぜなのだろうか。
 改正案によって香港で享受できていた自由が奪われかねないことに対する強い危機感があるからだ。
 林鄭月娥(りんていげつが)行政長官は米中貿易摩擦に加え、抗議活動で香港は「内憂外患」と言っている。ならば林鄭氏は、改正案の完全撤廃に踏み切るべきである。その上で市民らとの対話を始める。
 それが悪化する事態を早期に収束させる道である。


香港の抗議デモ  中国は武力介入回避を
 中国政府が香港への武力介入を辞さない姿勢をくり返し表明している。
 香港に隣接する広東省深セン(センは土へんに川)に武力警察を集結させ、大規模なデモ制圧訓練を展開している。その規模は11個師団、1万人以上になっている。
 香港から中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案に反対するデモは収束するどころか、活発化している。
 中国政府の姿勢は、香港の民主派への有形無形の圧力だが、武力介入は流血の事態を招く。強硬措置は回避すべきだ。
 デモ隊の抗議行動は、香港国際空港を一時、占拠する事態にも発展した。第1の原因は、市民との対話を拒否している香港政府にある。
 条例案については、6月に大規模な抗議デモが行われた後、林鄭月娥行政長官が事実上の廃案にすることを明らかにした。
 しかし林鄭氏は法案の完全撤回や辞任は受け入れず、抗議活動が長期化する原因になっている。
 中国では、一党独裁体制や人権抑圧に異を唱える弁護士らが長期間の拘束を受けている。逃亡犯条例改正案が可決されれば、中国に批判的な香港の活動家が本土に送られ、不当な扱いを受けかねない。法案が復活する可能性がある限り、市民が反発するのは当然だ。
 香港の行政長官は民主的な選挙を経て選ばれるわけではない。親中国派による委員会が選び、中国政府が任命権を持つ。
 とはいえ、香港の最高権力者であることに変わりはない。林鄭長官は市民との対話に応じることで、中国の武力介入を防ぐ責任がある。
 武力介入は、香港の高度な自治を認めた一国二制度の崩壊を意味しよう。それは中国政府にとっても大きな損失になる。
 香港は中国本土への投資の窓口となってきた。米国など、香港に優遇措置を認めてきた国も少なくない。武力介入はその地位を失墜させ、外国企業の撤退も加速するのではないか。
 中国は一国二制度を通じて得てきた巨大な利益を重視すべきだ。
 そもそも香港でデモや街頭での抗議活動が活発化する背景にも、注目する必要がある。政治に民意が反映される仕組みがないからだ。市民はやむにやまれず街頭に繰り出している。
 だからこそ、民主派のデモ隊は一般市民の幅広い支持を得られるよう、自制する必要がある。


長引く香港デモ/過激な抗議は支持失う
 香港から中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案を巡り、完全撤回を求める香港のデモは2カ月余り続き、一部のデモ隊が空港を占拠して航空便を欠航させたり、中国の記者に暴行を加えたりするなど過激化してきた。
 背景には、改正案の完全撤回を拒否し、催涙弾を使用してデモ鎮圧を図り多数の負傷者を出すなど、強硬な香港政府への反対派の反発がある。一連のデモの逮捕者は約700人にも上った。
 1997年、英植民地香港が返還された際、中国は「一国二制度」と「高度な自治」を約束した。市民はこれらの原則が有名無実となり、本土の非民主的な政治制度が香港に広がってくることに強い危機感を抱く。
 中国・香港両政府は世論に耳を傾け、香港の「高度な自治」を保障して市民の疑念払拭(ふっしょく)に努めなければならない。
 また、デモは平和的、合法的に行うべきで、反対派は過激な抗議に走れば、やがては一般市民や国際社会の支持を失ってしまうことを肝に銘じるべきだ。
 香港政府は6月中の改正案採決を目指したが、大規模デモなど激しい抗議を受け、無期限の改正延期を発表した。しかし反対派は完全撤回を求めて立法会(議会)や中国政府の出先機関を襲撃した。
 8月に入ってデモ隊は2週連続で香港国際空港を占拠。12日以降約千便が欠航した。一部の若者は空港内で中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報電子版の記者ら2人に集団で暴行を加えた。
 暴行の様子は地元テレビが放映。中国政府は「テロに近い行為」「最も強烈に非難する」との声明を発表した。暴行は中国だけでなく香港や海外の人々の反感を呼んだ。
 中国政府は7月末の記者会見で、警察のデモ隊排除を支持する一方で、香港政府の要請があれば現地の中国軍の出動が可能との考えも示した。暴力や社会の混乱を招く過激な行動は武力を行使する口実にされかねない。
 1989年6月、北京で軍が民主化運動を武力で弾圧。多数の死傷者が出た天安門事件の再演は絶対に避けなければならない。警察、デモ隊の双方が暴力を控えるべきだ。
 中国高官は「米国など西側諸国が扇動している」「乱暴な内政干渉」と非難。トランプ米大統領は「米情報機関によると、中国は香港との境界に向け部隊を展開している」として、中国の習近平国家主席に「人道的な解決」を求めた。
 米中の貿易摩擦が長引く中で、香港のデモも両国の新たな火種となった。米中両国は自制し、香港の混乱収拾に向けて対話し、協力すべきだ。
 長期化、過激化するデモは香港経済にも深刻な打撃を与えている。日本や米国、オーストラリアなど約30の国・地域が香港への渡航者に注意を呼び掛ける情報を出し、8月初旬の観光客は前年比で3割余り減少、小売売上高も下がった。
 香港政府トップの林鄭月娥行政長官は「自由と正義の名で、多くの違法行為が行われている」と過激なデモを非難するが、中国・香港両政府は強権的な手法だけで、治安を維持するのは難しいことを理解しなければならない。改正案の完全撤回に応じて事態の収拾を図るべきだ。


計画運休 検証重ね今後に生かせ
 お盆の西日本を縦断した大型の台風10号では、あらかじめ告知した上で列車などの運転を取りやめる「計画運休」が注目された。JR西日本を中心に山陽新幹線などで実施した。
 荒天が予想されているのに無理に運転を続ければ、立ち往生したり列車や線路が被害を受けたりして混乱を拡大させかねない。何より乗客の安全を脅かすリスクがある。
 新幹線などの大動脈を止める影響は小さくない。それでもUターンラッシュのピークと重なる15日に実施した。山陽新幹線の新大阪―小倉間に加え、広島や山口、岡山県の在来線でも運転を見合わせた。
 帰省先や旅行先でスケジュール変更を余儀なくされた人も多かっただろう。20万人ほどに不便を強いたものの、大きなトラブルは起きなかった。安全確保を優先し、JR各社が早い段階から計画運休に踏み切った姿勢は評価してよかろう。
 「災害時は運休する」との認識が社会で共有されつつあるのか、乗客からは肯定的な受け止めが目立ったようだ。
 台風の進路予測や影響の見極めはいまだに容易ではない。運休するかどうかの判断のタイミングと、周知をどう徹底させるのかが難題である。
 昨年9月、台風24号の接近時にJR東日本などが首都圏で初めて大規模な計画運休を実施した。その際、発表が実施の8時間前だったことから、知らずに帰宅できない人が出るなど、大きな混乱をもたらした。
 そうした課題を教訓に、国土交通省は今年7月、計画運休について情報提供の方法や公表するタイミングをあらかじめ「タイムライン」に定めるよう鉄道会社に要請した。
 モデルケースとして、48時間前に計画運休の可能性を公表し、24時間前に詳細な情報を提供するよう求めた。
 今回の対応を見てみると、JR西日本が15日の山陽新幹線の終日運休を公表したのは14日午前。11日から公式ツイッターで運転見合わせが見込まれることの周知を始め、実施2日前の13日に運休の可能性があることも公表していた。
 運休情報を早く知ることができれば、利用者も日程調整などの対処もしやすい。危険時に不要不急の外出を抑制する効果もある。予定を繰り上げて移動した人も多かっただろう。
 JR西日本は既に計画運休の前日告知を制度化していたが、タイムラインに沿った周知の徹底など事前の準備が生かされたのは間違いないだろう。
 一方で、JRの各駅では計画運休の詳しい情報を入手できずに戸惑う外国人観光客の姿も目立った。多言語による情報提供に加え、宿泊施設を含めた問い合わせや相談に即応できる態勢を整えることも課題となろう。
 広島市内では、百貨店や小売店が軒並み休業に追い込まれるといった影響も出た。人の命や安全を守ることを最優先するのは当然だが、市民生活や経済活動への影響を最小限に抑える工夫も欠かせない。
 台風シーズンはこれから本番を迎える。今回の計画運休について効果と課題を検証し、利用者の声をきちんと受け止めながら今後に生かさなければならない。交通事業者任せにせず、官民で改善策を探る必要がある。


対韓輸出規制の「即時撤回」を。「徴用工問題」にはどう向き合えばいいのか
「韓国は『敵』なのか」
 日本が韓国への輸出規制を強化してからおよそ1か月が経った。韓国政府も今月12日、輸出管理における優遇国から日本を除外。日韓関係は悪化の一途を辿っている。
 こうした中、和田春樹東京大学名誉教授らは7月下旬、韓国に対する輸出規制を即時撤回するよう求める声明「韓国は『敵』なのか」を発表した。8月31日には、在日本韓国YMCA(東京都千代田区)で集会を開催する予定だという。
 声明を出した世話人の一人であり、中国人の強制労働問題を和解に導いてきた内田雅敏弁護士は、「日本政府は韓国への輸出規制を撤回すべきだ。“徴用工”問題については、加害の事実を認めて謝罪し、将来の戒めのために歴史教育に力を入れるべき」と指摘する。
新日鉄に賠償を命じた大法院判決、“請求権協定”には反しない
 日本は7月4日、フッ化水素など半導体材料3品目の韓国への輸出規制を強化した。さらに今月2日には、「ホワイト国」から韓国を除外すると決定した。
 これは、いわゆる「徴用工問題」への報復措置だと思われる。昨年10月、韓国の最高裁にあたる大法院は、新日鉄住金に対し、韓国人の原告4人に4億ウォン(約4000万円)を支払うように命じる判決を下した。原告らは、第二次世界大戦中に強制労働をさせられたと訴えていた。
 日本国内では、この判決に対し反発する意見が続出した。1965年に韓基本条約とともに結ばれた、いわゆる“請求権協定” に反するというのだ。
 しかし内田弁護士は、「請求権協定で、国家の外交保護権は放棄されたが、個人の請求権は放棄されていない」と指摘する。
国家の外交保護権と個人の請求権の違いとは
 自国民が損害を受けたときに相手国の責任を追及する「外交保護権」と個人の請求権について理解するためには、1952年に発行したサンフランシスコ講和条約(サ条約)とその後の損害賠償請求の歴史について知る必要がある。
 サ条約第14条は、日本は連合国に賠償を支払うべきだが、その負担に耐えるだけの経済力がないとしている。そこで、連合国とその国民は日本への賠償請求権を放棄し、その代わりに、日本と日本国民も連合国への賠償請求権を放棄するとした。第一次大戦後、ドイツに過重な賠償責任を負わせたことで、ナチスが誕生した反省を踏まえてのことだった。
 その後、被ばく者らが日本政府に対して賠償請求を行った。原爆投下は国際法に違反するものであり、被ばく者は米国に対して損害賠償請求権を有するにもかかわらず、日本政府はサ条約によってその権利を放棄してしまった。そう訴えて、日本政府に賠償請求したのだ。
 このとき日本政府は、サ条約で放棄したのは、「外交保護権」であり、原爆被害者個人の請求権ではないと抗弁した。要するに、日本政府自ら個人の請求権は放棄していないと認めているのだ。
日本政府は、日韓の請求権協定についても同様の見解
 国家の外交保護権は放棄したが、個人の請求権は放棄していない。――日本政府は、韓国との間に結ばれた請求権協定についても、同様の見解を示してきた。
 実際、外務省の柳井俊二・条約局長(当時)は1991年8月27日、参議院の予算委員会でこう述べている。
「日韓両国が国家として有している外交保護権を相互に放棄したことを確認するものでございまして、いわゆる個人の財産・請求権そのものを国内法的な意味で消滅させるものではない」
 内田弁護士は、「こうした解釈は、被ばく者からの賠償請求などに直面し、日本政府が自らの責任を免れるために編み出したもの。韓国の大法院の判決も、日本政府の見解と同様の立場を取っている」と指摘する。
中国では和解が成立しているケースも
 韓国の「徴用工問題」がこじれる一方、中国人の強制労働問題では、和解に至ったケースもある。2000年には、鹿島建設(旧鹿島組)と原告である中国人受難者・遺族らの間で和解が成立。
 2009年には西松建設と原告らの和解が成立し、同社は一括した和解金として2億5000万円を支払った。また、受難者ら360人が労働を強いられた中国電力安野発電所内に、事実を記録した碑を建立するとされた。
 2016年には、三菱マテリアル(旧三菱鉱業)が元労働者らに1人当たり約170万円を支払うことを約束。記念碑の建設費用や失踪者の調査費用も負担するという。
「まずは被告企業が判決に対して、どう対応するかが問われるはず」
 和田教授らが発表した声明「韓国は『敵』なのか」によると、これら中国人強制連行・強制労働問題では、「日本政府は、民間同士のことだからとして、一切口を挟みませんでした」という。しかし今回の徴用工問題では、日本政府が介入したことで、日韓関係が悪化してしまった。
「問題になっている元徴用工たちの訴訟は民事訴訟であり、被告は日本企業です。まずは被告企業が判決に対して、どう対応するかが問われるはずなのに、はじめから日本政府が飛び出してきたことで、事態を混乱させ、国対国の争いになってしまいました」
 内田弁護士は、「韓国の徴用工問題についても、中国の場合と同じように、私企業が和解金を支払うのを妨げないようにするべきだ」と話す。加えて「加害の事実を認めて謝罪するとともに、将来に向けた歴史教育が必要」だという。


筆洗
 お盆とは何か、なぜ日本人は休むのか。欧州の人に尋ねられて、困った覚えがある。ご先祖を迎えて…などと言おうとしてすぐに知識と外国語の能力の限界もやってきた▼京都で暮らし、日本が舞台の小説を書いた英国の作家フランシス・キング氏は、作中の英国人にそんな行事は国にはないと語らせている。「死んだ人間のことは死んだ人間に任せておくのさ。その方がどれだけ健全か」と▼西欧と死生観の違いが大きい分野と思っていたが、そうでもないらしい。スペイン南部の小都市コリア・デル・リオで、お盆に迎えた先祖を送る灯籠流しが行われたというニュースをみた▼約四百年前、仙台藩士、支倉常長(はせくらつねなが)の遣欧使節団がたどり着いた街である。日本を意味する「ハポン」を姓に持ち、使節の子孫とされる六百人以上が住む。灯籠流しも近年盛んな日本との交流の産物という。数十人で始まり、三年目の今回はハポンさんにとどまらず三千人以上が参加したそうだ▼「この世にいない人々に祈り、平和を願う」。市はネットで行事の趣旨を説明する。灯が川を流れる画像から静かに過去と向き合うお盆の空気を感じた▼スペインでもご先祖は帰ったようだ。お盆休みが明け、日常と向き合う日々が始まったという方も多いだろう。当方も同様だが、はるか遠くに同じ文化を解する人が増えていると思うと心が少し軽くなる。

<つなぐ 戦後74年>ゲゲゲの娘、反戦語る 「きなくさい世に」危機感
 「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家の故・水木しげるさんは、太平洋戦争で左腕を失い、その体験を多くの作品に残した。長女で「水木プロダクション」代表の原口尚子(なおこ)さん(56)=東京都調布市=は今夏、戦争を巡る父の体験談やエピソードを初めて本格的に人前で語った。戦争体験者が少なくなる中「戦争に向かうハードルが低くなっている気がする」という危機感が背中を押した。 (松野穂波)
 名古屋市名東区にある戦争と平和の資料館「ピースあいち」で七月二十日、七十人余の聴衆を前に、原口さんはマイクを握った。水木さんが漫画の下書きに「生きようという気持ちがないと神様も助力してくれない」と書き残していたことや、二〇〇三年に叙勲を受けた際に「勲章は戦争で死んだ者にやるべきです」と言った逸話を紹介。「水木は亡くなる間際まで、戦友のことを心に留めていた。漫画家だった六十年間を凌駕(りょうが)するほど、三年間の戦争の記憶は大きかった」と父の思い出を語った。
 水木さんは一九四三年、陸軍二等兵として南方の激戦地ニューブリテン島(ラバウル)へ。ワニに食べられたり、海で生魚を食べようとして喉に詰まらせたりして死んだ仲間も見た。本隊から分かれ、九人の分隊で最前線に送られたが、自分以外の分隊は全滅。上官には「なんで生きて帰ってきた」という言葉を浴びせられた。その様子を「総員玉砕せよ!」などの戦記に残した。
 ただ、原口さんが父親から聞いていたのは「現地の人から食べ物を分けてもらったとか、いい話だけ」。過酷な体験は漫画やエッセーで知るしかなく、爆撃を受けた時の心情を聞こうとしても「忘れた」とはぐらかされていた。
 これまで、父と戦争について語ってほしいと頼まれても「表に出たくない」と断ってきた。しかし水木さんは二〇一五年に死去。終戦から七十年以上が経過し、父と同じように戦場を知る人が減ってきた。「きなくさい世の中になっている。戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい」と肌で感じるようになり、今回の講演を引き受けた。
 今後の取り組みは未定だが、読みやすい漫画を通して父の体験を知ってほしいという気持ちは変わらない。「鬼太郎、水木しげる、戦争…みたいに、身近なところから戦争の話を聞くきっかけになれば」


れいわが倍増、政党支持率 共産に並ぶ4.3%
 共同通信の世論調査で、れいわ新選組の政党支持率が4.3%となり、参院選結果を受けて実施した7月の前回調査から2.1ポイント増えた。野党では、第1党の立憲民主党に次ぐ支持率で、共産党に並んだ。若者の支持が目立った。
 れいわの支持層を年代別で見ると、若年層(30代以下)が7.4%で、中年層(40〜50代)は4.6%、高年層(60代以上)は1.9%だった。男女別では、男性が4.1%、女性が4.6%となった。
 れいわと同様に参院選で政党要件を満たしたNHKから国民を守る党の支持率は0.3ポイント増の1.3%だった。


戦前か? 一般人を強制排除した、北海道警「政権への異常な忖度」 明らかに「越権行為」
時任 兼作ジャーナリスト
これが民主主義の国か?
北海道警察の「暴挙」が問題になっている。
事の発端は、安倍晋三首相が7月、札幌市で参院選の街頭演説をした際、ヤジを飛ばした複数の聴衆らが北海道警に強制的に排除されたことだ。
この問題は道議会でも取り上げられ、答弁に立った道警の山岸直人本部長は「トラブル防止のための措置だった」と述べ、適正な職務執行だったとの考えを示した。しかし、騒動は収まりそうにない。
7月19日、特別公務員職権乱用罪などに当たるとして札幌地検に告発状が提出され、また8月10日には、排除された当事者やその支援者らが抗議デモを実施した。さらにその最中、新たな“排除事例”も発覚。抗議の声が全国に広がりつつある。
これまでの状況を整理しておこう。
7月15日夕刻、参院選のための遊説で北海道入りしていた安倍晋三首相がJR札幌駅前で選挙カーに登壇し、自民党公認候補の応援演説を始めた直後のこと――。
道路を隔てて約20メートル離れた位置にいた、聴衆の男性が「安倍やめろ」「帰れ」などと連呼し始めた。すると、警備に当たっていた北海道警の制服・私服の警察官5、6人が男性を取り囲み、服や体をつかんではるか後方へと移動させたのだった。
その直後には、「増税反対」と叫んだ女性も、同様に排除された。また、政策に疑問を投げかけるプラカードを掲げようとした女性らも高圧的に制止されるなど、異様な光景が展開された。
その場にいたマスコミ、市民らは騒然とし、写真や映像にその模様を収め、SNSへ投稿する人も出た。すぐさま反発の声が多数上がった。
「警察による強権発動だ」
「とても民主主義の国で起きたこととは思えません」
「日本はもう戦前戦中かと見紛う」
また、国民民主党で総合選対本部長相談役を務める小沢一郎氏は、ツイッターでこう記した。
《どんどん暗い戦前みたいになっている。お友達は何をやっても罪に問われることはないが、「こんな人たち」による政権批判は許されない。すぐそこまで「暗黒」がやってきている。後から後悔しても遅い。選挙で止めないと、必ず「いつか来た道」に戻る》
確かに戦前のような暴挙である。現在の警察には、こうしたことを行う権限はないのだ。
「触ったらマズい」の規範が崩壊
道警は、「トラブル防止と、公職選挙法の『選挙の自由妨害』違反になるおそれがある事案について、警察官が声かけした」と説明した。しかしながら、今回の聴衆の行動は、同法で「選挙の自由妨害」の一つとして挙げられている「演説妨害」の規定には当てはまりそうにない。
同じような「演説中の発言」についての是非が争われた裁判で、1948年、最高裁判決は「聴衆がこれ(注・選挙演説)を聞き取ることを不可能または困難ならしめるような所為」との判断を示している。
松宮孝明・立命館大法科大学院教授(刑法)は、この判決を踏まえ、「判例上、演説妨害といえるのは、その場で暴れて注目を集めたり、街宣車で大音響を立てたりする行為で、雑踏のなかの誰かが肉声でヤジを飛ばす行為は含まれない」とのコメントを朝日新聞に寄せた。
道警も自らの行為の違法性に気づいたのか、すぐに説明を変えた。「演説の聴衆者同士のトラブルを防ぐための通常の警察活動だった」と強調したうえ、「選挙の自由妨害」については「事実確認中」と転じたのである。
だが、これで収まるはずもない。トラブルの兆候がないにもかかわらず、警察官は有無を言わさず市民を取り押さえていたからだ。当の警察中枢からも、当惑の声が上がった。
「まるで親衛隊だ。これまではこうしたことは見られなかった。現場が荒れても、それなりに抑制が効いていた」
警察キャリアのひとりはそう語る。
「その証拠に、右翼への対応は慎重で、騒音レベルの測定までしっかりと行っている。軽々に強制排除や逮捕などはしない。政治や思想犯の捜査では、昔は『転び公妨』をよく使っていたくらいだから、市民に手をかけることの危険性とハードルの高さを警察官は重々承知しているはずだ。それに、派出所や交番でケンカ沙汰の処理をしたことがある者なら、相手に触れたらマズいことなんてわかっている」
転び公妨――警察官が被疑者に突き飛ばされた「ふり」をし、自ら転倒するなどして負傷を装い、公務執行妨害罪(公妨)や傷害罪などを適用し、被疑者を現行犯逮捕する行為のことだ。
学生運動が盛んだった時代に頻繁に用いられた転び公妨は、のちに別の事件捜査でも使われるようになり、問題視された。現在では多くの警察官が教訓として意識するようになり、結果、逮捕に際して相手に手をかけることにも慎重になったとされている。
女子大生にまで執拗に…
一方、警察擁護派もいる。別の警察幹部はこう語った。
「米国を見てみればいい。シークレットサービスなんて、あっという間に相手をたたき伏せるし、強制排除する。銃を向けることもある。首相の警護という観点からすれば、今回の対応は当然だろう。危険性がないわけじゃないんだから」
しかし8月8日には、この擁護論を一気に吹き飛ばすような事案まで明るみに出た。安倍首相の演説の際、札幌の大学に通う普通の女子大学生までもが、10人以上の警察官に取り囲まれ、執拗に付きまとわれていたのだ。
アルバイトで学費を賄っているというこの大学生は、安倍首相に生活苦を訴えるべく「増税反対!」と言った瞬間、警察官に囲まれ、声を上げないよう強制された。身動きがとれなくなった学生は、スマートフォンでその場の状況を途中から録画した。
動画には、道警の警察官が演説の現場で、学生に対して「さっき約束してって言ったじゃん。声あげないでくれよって」「ウィンウィンの関係になりたい。ウィンウィンの関係に。何か飲む?買うよ。お金あるから。何か飲まない?」などと執拗に絡む様子が記録されている。
さらに、警察官は移動する学生を追いかけ、「うちらも信用できないからさ。一緒についていくしかないの。大声出さないでほしいなっていうだけなんだよ?」「今日はもう諦めて」などとしつこく迫っている。
常軌を逸した行為というほかないが、それにしても、いったい誰がどんな指示を出すと、こうした事態になるのだろうか。
「菅(義偉)官房長官発という話がある」
政府関係者はそう言う。
「元秘書官で、警察庁ナンバー3に抜擢された中村(格)官房長あたりに一言言ったんじゃないか、という噂。『ヤジ、何とかならないか』と。(中村官房長は)ちょっとそう言われればすぐに動きそうなだけに、もっともらしく喧伝されている。まあ、中村官房長には数々の『前科』があるから仕方ないね」
「前科」とは、菅官房長官、安倍首相らと親交のあった元TBS記者への逮捕状の執行を停止させたことや、財務省次官のセクハラ騒動の相手を、捜査員を動員して割り出したことなどだ。
タガが外れている
だが、官邸筋はこれを否定する。
「ラインが違います。いま全国の警備を統括する(警察庁の)警備局長は大石吉彦さんです。安倍首相の秘書官を6年余務めて栄転しました。県警の本部長などを経ずに、一気に局長という異例の措置。当人ももちろん恩義に感じていることでしょう。
一方、現在の北海道警本部長の山岸直人さんは大石さんと同期。本部長就任直前までは、犯罪被害者等施策担当の警察庁長官官房審議官として、国会答弁などもしています。当然、大石さんとは気脈を通じているはずです」
真相が気になるが、永田町筋の問題意識は別のところにある。
「長期政権の弊害もここまできた。内閣人事局ができて以降、ますます官僚が内閣の意向を気にしている。独立性を担保されているはずの検察や警察にもそれが広がっている。何とかしないと、そろそろまずい」
澱む水には忖度が生じる。警察が首相の親衛隊になるなど、度を超えている。この国の権力の箍(たが)は、すでに外れてしまっているのではないか。


あおり運転 啓発と厳罰化が必要だ
 茨城県の常磐自動車道であおり運転をして無理やり車を停止させ、運転していた男性を殴ってけがをさせたとして、男が傷害の容疑で逮捕された。同じ車によるあおり運転は愛知県と静岡市でも確認されており、男が同様の行為を繰り返していた疑いもある。
 あおり運転は2017年に神奈川県の東名高速であおられて無理やり停車させられた夫婦が死亡した事故によって社会問題化したが、その後も起こり続けている。茨城県の事件では、被害男性の車に搭載されていたドライブレコーダーの記録から、犯行の一部始終が明らかになった。
 ドライブレコーダーの設置など自衛の手段を図ることも重要だ。あおり運転の厳罰化はもちろん、危険な運転をしないための啓発、教育を強化する必要がある。
 あおり運転は前の車に極端に接近したり、割り込みや幅寄せなどの進路妨害をしたりして相手に恐怖感を与え、停車させる目的で行われることが多い。前の車との距離を詰め過ぎる道交法の「車間距離保持義務違反」で18年に摘発されたのは前年の倍の約1万3千件に上った。日本自動車連盟(JAF)の調査では、運転中に後ろからあおられた経験のある人は半数を超えている。決して一部のドライバーだけの問題ではない。だがあおり運転を厳罰化するのは簡単ではない。
 道交法では車の運転によって著しく交通に危険を生じさせる恐れがある運転者を「危険性帯有者」として免許停止処分とすることができる。しかし免停は最長180日だ。
 18年に免停となった事案は全国で42件で過去最多だったが、あおり運転の発生数からみると、決して多くない。神奈川県で夫婦が死亡した事故では、停車後に別のトラックに追突されたのが直接の死因だったことから、車を止めた行為が危険運転致死傷罪に当たるかが大きな争点となった。危険運転罪が創設された2001年当時は想定されていなかった事態だった。
 茨城県のあおり運転事件では容疑者の男は高速道路で前をさえぎる形で車を停止させており、後続の車を巻き込む大きな事故につながる恐れもあった。あおり運転は命を脅かす極めて危険な行為である。悪質なドライバーは運転免許を直ちに取り消し、長期間取得できないようにするなど、公道から一掃する仕組みを早急に構築すべきだ。
 あおり運転はちょっとしたきっかけが怒りに火をつける形で起こる場合があり、欧米では「ロードレイジ(路上の激怒)」といわれる。ハンドルを握ると性格が攻撃的になる人もいる。免許取得時や更新時の講習などの機会に、運転中の心理状況を学び自己制御を身につける訓練をすべきではないか。
 あおり運転をなくすため、社会全体で取り組まなければならない。


「あおり運転」で指名手配、晒し者逮捕…警察を過剰対応に走らせたのは異常なワイドショー過熱報道と安倍政権の閣僚だった
 茨城県の常磐自動車道であおり運転をし、被害者を殴ったとされる宮崎文夫容疑者が18日、逮捕された。テレビのワイドショーは一斉にその逮捕の瞬間の映像を流し、「ようやく逮捕された」「これでモザイクが外せる」などと凶悪事件が解決したかのように大はしゃぎしている。
 しかし、考えてみてほしい。これ、本当にそこまで大騒ぎするような事件だったのか。たしかにドライブレコーダーに映し出されたこの男がやったあおり運転と暴行は犯罪だし、交通ルール上も危険な行為ではある。しかし、男は凶器を所持していたわけでも、殺人などの重大犯罪を犯したわけでもない。やったことはただの傷害なのだ。
 ところが、茨城県警はたかが傷害容疑のこの事件で容疑者を全国に指名手配し、さらには殺人や強盗事件を担当する捜査一課を投入。その後も大阪、名古屋、神奈川など男性の関係先に大量の捜査員を投入した。さらにこの宮崎容疑者の車に同乗し、ガラケーで暴行を撮影していた交際女性まで一緒に「犯人隠避」で逮捕してしまった。
 しかも、ひどかったのが、その逮捕の情報をマスコミに実況中継させたことだ。
「フジテレビや日テレなど複数の局が逮捕の現場にいて、その瞬間を映像に収め、放送していた。これは、事前に捜査当局から逮捕情報の日時や場所をリークされたとしか思えない。警察はマスコミ注目の事件を、格好のPRの機会にしようをと考えたんだろうが、こんな小さな事件で逮捕をショーにするというのは、明らかにやりすぎでしょう」(全国紙社会部記者)
 過剰としか言いようのない警察の対応だが、しかし、警察をこんな風に駆り立てたのは、明らかにマスコミ、特にワイドショーだ。
 そもそも今回の問題はテレビ朝日が被害者男性のドライブレコーター映像を入手、今月12日から13日にかけてニュースやワイドショーで放送したことが発端だった。この映像が大きな反響を呼んだのを受け、各局ワイドショーも一斉に後追い、連日、問題の映像を何度も繰り返し大々的に報道した。その報道時間は、35人もの死亡者を出した京アニ放火事件や、川崎市登戸のスクールバス襲撃事件を超える規模に思えたほどだ。
 報道量だけではない。コメンテーターたちも、まるで史上最悪の凶悪犯罪を語るような調子で、口々にこの暴行を働いた男を糾弾した。
 たとえば『直撃LIVEグッディ!』(フジテレビ)で安藤優子が「ここまで悪質なのは初めて見ました」「下手したら殺されてますよね」と大仰なコメントを発すれば、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)では玉川徹が「常識的じゃないっていうところを越えて、異常性を感じる」と猟奇犯のように糾弾。16日の『ひるおび!』(TBS)では、立川志らくが「どんな重い罪にしても、頭が悪いから理解できない」「人の心がないから、こういうのはどうにもなんない」「法律上ひどい目にあわせないと自分の身で痛い思いをしないと絶対にわからない」と、まるで“死刑にしろ”と言わんばかりのひどいコメントを垂れ流した。
 いや、暴行をはたらいた男に対してだけではない。同乗していた女に対しても、前出の志らくが「バカにバカがくっついてきて」、松本人志が「つがいでなんとか刑に処してほしい」と発言するなど、ヒステリックな糾弾が繰り広げられた。
 そして、こうしたワイドショーや世論の過熱に乗っかったのが、安倍政権の閣僚だった。15日、山本順三国家公安委員長が閣議後の記者会見で、この事件について「言語道断」「あらゆる法令を駆使した厳正な取り締まりを行い、抑止に努めたい」と発言。これを受け、翌日、茨城県警が豹変。「社会的影響の大きい事件」であるとして、異例の指名手配を行なったのである。
安倍政権の不正を無視し、一般人の微罪を騒ぎ立てるワイドショーの裏
 あおり運転を取り締まることが悪いとは思わないが、しかし、一般人の殺人でもない犯罪に対して、ここまで私刑のような大量報道を展開するというのは、どう考えても異常だろう。
 しかも、この傾向は今回だけではない。このところのワイドショーやテレビのニュース番組を見ていると、一般コンビニの100円のセルフコーヒーで150円のカフェラテを入れて逮捕された男性のような、一般人の微罪や迷惑行為、ご近所トラブルを針小棒大に報道し、凶悪犯罪者のように糾弾するケースがやたら目立っている。一方で、安倍政権の不正や不祥事については、週刊誌が報道してもほとんど後追いしようともしない。これは、メディアの本来の責務を放棄しているとしか思えない。
 しかし、ワイドショースタッフに言わせると、これはむしろ表裏一体のものなのだという。
「一般人のどうでもいいような犯罪を集中的に取り上げるのは、タブーだらけで、ワイドショーがやれるネタが少ないからですよ。政治がらみは、政権や自民党がうるさいのでなるべくやりたくない。芸能スキャンダルも大手事務所所属が怖くて触れられない。そんな時に、一般人の微罪や迷惑行為で面白い映像や証言を入手して放送してみたら、視聴率が良かった。そうなると、一斉に『徹底的にやれ』となるわけです。我々も内心では、こんな必死でやるようなネタかよ、と思うんですが、しようがない」
 マスコミ、テレビの志の低さには呆れる他はないが、しかし、恐ろしいのはこうしたワイドショーの報道姿勢が確実に、国民世論に悪影響を与えていることだ。本当は政治腐敗や不正、貧困や年金問題など、国民が怒るべき問題は山ほどあるのに、身近でわかりやすい“悪”を大々的に騒ぎ立てることで、政治や権力チェックに対する関心がどんどん薄まっていっているのだ。
 しかも、今回のあおり運転報道が世論の支持を受け、視聴率も好調だったことから、ワイドショーの“一般人の犯罪糾弾”傾向はますますエスカレートしていくだろう。
 こうした状況に一体誰がほくそ笑んでいるのか。その異常な報道の裏に何があるのか。わかりやすい事件に単純に怒りを向ける前に、どうかそのことを冷静に考えてみてほしい。(伊勢崎馨)


池袋暴走事故から4か月、厳罰求める遺族「憎しみではない」
 今年4月、東京・池袋で乗用車が暴走した事故から19日で4か月。亡くなった松永真菜さんと莉子ちゃんの遺族が初めて単独取材に応じ、加害者への憎しみからではなく、再発防止のために活動していく決意を語りました。
 今月16日、沖縄・那覇空港に降り立った1人の男性。出迎えたのは男性の義理の父親です。2人は、大切な人たちを突然亡くしました。
 今年4月、東京・池袋で旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長(88)が運転する乗用車が暴走し、松永真菜さん(31)と自転車に一緒に乗っていた娘の莉子ちゃん(3)が亡くなったほか、10人がけがをしました。
 真菜さんの出身地・沖縄で、真菜さんの夫と父親の上原義教さんが思いを語りました。
 「だって朝まで一緒に、昼電話した2人が、朝バイバイって言って、さっきまで普通に生活していた2人が一瞬にしていなくなるわけないだろって」(亡くなった松永真菜さんの夫)
 松永さんと真菜さんの事故当日のSNSのやりとりです。公園で遊んでいた2人に、松永さんは電話をかけたといいます。事故が起きたのは、そのわずか25分後でした。
 「いつまでたっても、既読にならなくて」(松永真菜さんの夫)
 思いは届きませんでした。
 真菜さんがつけていた莉子ちゃんの育児日記。毎日欠かさず、びっしりと書き込まれています。
 「『父の日ありがとうって言おうね』と言ってクッキー伸ばして型抜きもやった」。そう書かれた父の日には、幸せな家族の形がありました。
 事故から4か月。「自分が真菜を東京に連れて来なければ」。そう自分を責める松永さんを、義理の父の上原さんが支えます。
 「私は東京に行かせた事を後悔していません。松永家に嫁いで彼女も莉子も幸せだったと思います」(真菜さんの父 上原義教さん)
 松永さんは、再発防止のため、飯塚元院長の厳罰を求める署名活動を始めました。
 「僕は莉子の(遺体の)顔を見たときに、こんな思いをする被害者と遺族が出てはいけないと思いまして」(松永真菜さんの夫)
 これまでに集まった署名は18万を超えています。今、松永さんの心にあるのは、憎しみではないと言います。
 「僕が憎しみとか恨みの心で とらわれている(ことを)、(2人は)見たくないんじゃないかって、加害者に対してはやったことに対する罪を償ってもらうというのは絶対に求めていく」(松永真菜さんの夫)


住民680人の島に300人の韓国人が訪れて起きたこと 大分の離島、大入島の温かさ
 大分県佐伯市の沖合に浮かぶ大入島(おおにゅうじま)は、680人ほどの住民が暮らす小さな離島だ。そこに昨年から、ある理由で年間約300人もの韓国人が訪れるようになった。「(彼らの)母国語でもてなしたい。ささやかだけど、喜んだ顔が見たい」。政治上の日韓関係悪化なんて、どこ吹く風。数十人の島民が月に2回、公民館に集って実践的な会話の練習に励んでいる。
 ▽韓国人観光客急増に、最初は戸惑い
 「外国人が訪れる姿を見たことはなかった」という大入島に観光客が急増したきっかけは、実は、韓国・済州島発祥のトレッキングコース「オルレ」だ。昨年3月に九州観光推進機構(福岡市)が「さいき・大入島コース」を開設して以来、団体客を中心に韓国からの観光客が目に見えて増えた。
 戸惑ったのは島民の側だった。「声をかけたくても、かけることができない。『ありがとう』『こんにちは』の簡単な言葉でいいから学びたい」。せっかく島を訪れてくれているのだから直接言葉を交わしたいのに、話せないもどかしさが島民の中で募っていた。
 そんなとき、島民の前に現れたのが荒金泰輔(あらがね・たいすけ)巡査部長(41)だった。今年3月、オルレのイベントを手伝いに来ていた荒金さんが、水を飲むコップを探していた韓国人に流ちょうな言葉で対応する姿を偶然島民が目撃した。
 そして荒金さんが島の駐在所に着任したことを知ると、自治会の副区長下川(しもかわ)マスミさん(77)らが直接佐伯署に赴き「駐在さん」による韓国語講座の開設を頼んだ。署は二つ返事で了承。「お役に立てるなら、ぜひ。せっかくの機会だから犯罪被害防止の呼び掛けの場にも」。担当課は島民の熱い思いに応えた。
 ▽「強みに」と始めた韓国語が島民との絆に
 荒金さんは国際犯罪捜査の研修・研究などを行う「国際警察センター」(東京)で2009年から2年間、韓国語を学んだ。「何か強みがほしい」というのが勉強の理由だったが、当時すでに32歳。クラスメートはほとんど20代だった。「吸収力が違って、きつい時期はあった」。それでも「税金を使って勉強をさせてもらっているから、何とか習得しないと」と自らを鼓舞し、国際警察センターを卒業した。
 大分県警に戻った後は文書の翻訳をしたり、車の運転ルールを韓国語で説明したりなど、多様な公務に貢献してきた。「話す上で背景知識も理解したい」と韓国の歴史や文化にも精通するようになった。お気に入りの俳優は、イ・ビョンホンさんだ。
 今年6月下旬、島の公民館で1回目の授業が開かれた。「丁寧に教えてくれる」と好評で、今後は月2回、平日午後に1時間韓国語レッスンをする。教材は荒金さんの手作り。7月中旬の2回目の授業では、31〜90歳の男女25人が集まった。
 ▽巡査部長が韓国語講師を引き受けた理由
 「『イルム』は『名前』という意味です」。荒金さんが単語の意味を伝える。今度は島民が2人一組になり「イルムンニョ?(名前は?)」「イルムンムォラゴハムニッカ?(名前は何ですか?)」といった会話文を復唱する。
 荒金さんが韓国語講座を引き受けた理由は2つある。島民が頑張って韓国語を話そうとする姿勢を見て「訪れた外国人がここを他の人にお薦めしたい気持ちになってくれたらうれしい」というのが一つだ。もう一つは、韓国語を勉強していく中で島民が一致団結していけたら、交通安全や島全体の安全につながると考えたことだ。
 今の目標は、10月に開かれる大規模なオルレのイベントで「住民に韓国語が話せる手応えをつかんでもらうこと」。韓国から訪れる人たちを韓国語を使ったおもてなしで驚かせたいと考えている。
 ▽取材を終えて
  フェリーに乗り、わざわざ佐伯警察署まで韓国語講座の開設をお願いしに行った下川さんたち。期待に応えて、1〜2週間前から教材の準備に取りかかる荒金巡査部長。観光客を喜ばせたいという純粋な気持ちが伝わってきて、感銘を受けた。授業の中では私語がやまず、荒金さんが困ってしまう場面もあったが、島民の勉強に励む姿勢は真剣そのもの。この取り組みが続いていってほしい。
 「良いことを報道すると、皆がそういう方向で考えることもできるはず。この状況が良くなっていくには、マスコミの役割が大きいと思う」。日韓関係の悪化について、大分県で働く韓国人の友人から言われた言葉が心に残る。20代の私は、お互いの文化を好む同世代の日本人・韓国人に多く出会ってきた。韓国ドラマやKポップに魅せられた1人として、民間交流は円滑にいくのに…と常にもどかしい思いを抱えている。温かな気持ちを持った人がいるという事実だけでも、どうか広がってほしい。未来の明るい関係作りに向けて、大入島のような善意で溢れる行動が増えることを願いつつ、そのためにどうすればいいのか考えさせられる取材でもあった。(共同通信=品川絵里)


「カエルの子はカエルやな」 林眞須美死刑囚の息子が生きた21年
 1998年7月に発生した和歌山毒物混入カレー事件。自治会主催の夏祭りで配られたカレーライスにヒ素が混入され、67人が急性ヒ素中毒に陥り、うち4人が亡くなった。
 事件の“犯人”として有罪判決を受けた林眞須美死刑囚(58歳)の長男(31歳)が、事件当時の家族や町の様子、両親逮捕後、児童養護施設で受けた壮絶ないじめや暴力、施設を出たあとの就職差別や婚約破棄などについて綴った『もう逃げない。 いままで黙っていた「家族」のこと』(ビジネス社)を上梓した。
 なぜ「いままで黙っていた」かと言えば、「林眞須美の息子」であることを捨て、結婚して“普通の幸せ”をつかむという希望を持ち続けていたかったからである。
 しかし、好きだった女性との破談を機に、「母を見捨てることはできない」と感じたこと、メディア対応を年老いた父に任せきりにできないといったことから、「林眞須美の息子」として発信していく覚悟を決めたのだという。
                     *               *
 事件発生当時、長男は小学校5年生だった。事件発生から2カ月半後、両親が別件で逮捕された日の朝、長男が目を覚ましたときには、すでに両親は警察車両で連行されていくところだった。家に残された4人の子どもたちに、女性警察官は「児童相談所へ連れて行くから、1週間分くらいの着替えを準備しなさい」と伝えた。
「僕はクローゼットから、遠足やキャンプのときに使うリュックサックを引っ張り出し、適当に服を放り込んだ。そして僕にとっては1日も欠かせない、釣竿とハイパーヨーヨーも突っ込んだ。すると間髪容れず、女性警察官に「そんなん持っていくな。釣りなんてもう一生でけへんで」と怒られた。1週間分の服を用意しろと言われたので、1週間経ったら戻ってくるのだと思ったのだが、違うのだろうか?」(『もう逃げない。 いままで黙っていた「家族」のこと』より)
 このときの長男は知る由もなかったが、彼らが再び自宅へ戻ることができるのは、半年後だ。そのときはすでに、心無い人たちによって外壁はスプレーで落書きだらけにされ、室内も荒らされてしまっている。そしてそのあと1年以内に、自宅は放火され、跡形もなくなってしまうのだ。
 和歌山市内の児童相談所へ連れて行かれた長男ときょうだいたち(姉2人、妹1人)は、その後、児童養護施設へ送られた。
 児童相談所の一時保護施設で、入所中の子どもたちからいじめや暴力を受けた長男は、そこから出られるだけで安堵していたが、児童養護施設では入所初日から心が凍りつく経験をした。
「中年の女性の先生が施設の中を案内してくれた。一旦庭に出て別の建物に入るとき、僕は間違ってスノコの上に土足で上ってしまった。すかさずその先生は、僕の脛を蹴った。そして痛みにうずくまった僕に、「カエルの子はカエルやな」と吐き捨てるように言った。児相から脱出できて少し緩んでいた僕の心は、一瞬で凍りついた。ここも居心地のいい場所ではなさそうだと感じた。それは、数日の間に確信に変わった。」(同上)
 職員が平然と暴力を振るうような施設では、子どもたちの間でも暴力が横行していた。
 他県であれば状況は違ったかもしれないが、和歌山市内の施設であったため、「林」という苗字の4人きょうだいが「林眞須美の子ども」であることは、明白だった。施設の子どもたちにとってきょうだいは、毒を盛って4人を死に至らしめた“極悪人”の子どもたちで、何をしてもかまわない標的だった。
 長男は同室の高校生たちから、連日のように鉄アレイで殴られたり、首をしめられたりといった壮絶な暴力にさらされた。職員に言いつけたところで何もしてくれないと感じていた長男は、基本的に職員を頼らなかった。
 しかし、首をしめられて失神し道路に倒れたときは、怪我で大量に出血したため処置が必要と考え、職員に「転んで頭を打った」と説明した。また、モデルガンで至近距離から顔を撃たれ、前歯が折れたときも、「転んで歯が折れた」と報告し、歯医者へ連れて行ってもらったという。
 道路に倒れたときの傷を隠すため、長男は現在も髪を長めにしている。前歯は差し歯だ。
 中学生になり身体が大きくなると、今度は女性職員から狙われた。本来子どもたちを保護すべき立場にある施設の職員が、長男に逃げ場がないことを承知で及んだ行為は、卑劣極まりない。
 女性職員との事件によって施設にいづらくなった長男は、施設を脱出し、駅のトイレで寝泊りしたり、公園で野宿したりしながら、仕事を探そうとする。しかし、補導されて施設へ連れ戻され、また脱出ということを繰り返した。
 高校は、入学時に「犯罪者の子ども」が通学することを嫌った校長から、「来なくても卒業させてやる」と言われていたとおり、長期欠席したにも関わらず、卒業することができた。
 長男は高校では自分の「正体」を隠し、児童養護施設ではなく、「おばあちゃんの家」から通学しているということにしていた。
 ただ、当時はネットの地域掲示板が流行っていた時期だったため、「正体」を知っている同級生たちもいたようだ。それでも、「知らないふり」をして付き合ってくれていた友人たちに長男は感謝していた。ところが――。
「卒業の少し前、いつもつるんでいた高校の友人たちに呼び出された。久しぶりに会えてうれしかったのだが、人目につかないところに連れて行かれたので、あれ?と思った。一人が唐突に「俺達、友達だよな?」と聞くので、「うん」と答えたら、「友達ならなんで本当のこと言わなかったんだ」と責められ、全員からボコボコにされた。だから僕には、高校時代の友人というのが一人もいない。」(同上)
 高校を卒業し、児童養護施設も退所した長男は、自立の道を探る。しかし、「犯罪者の子ども」である長男にとって、部屋を借りること、仕事を見つけることは想像以上に難しかった。また、好きな女性との結婚も諦めざるをえなかった。
【イベントのお知らせ】
『林眞須美死刑囚・長男と迫る!和歌山カレー事件の真実と黙っていた「家族」のこと』
出演) 林眞須美死刑囚長男×田中ひかる
・9月1日(日)13時〜 ロフトプラスワン(新宿)
・9月29日(日)14時〜 ロフトプラスワンウェスト(大阪)

お米が重い・ケーキ/トンカツ/くろ・浴衣もらう

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Plus de la moitié des Japonais opposés à l'envoi de leurs militaires dans le Golfe (sondage)
TOKYO, 18 août (Xinhua) -- Plus de la moitié des Japonais s'opposent à l'envoi de militaires de leur pays dans le Golfe dans le cadre de la coalition souhaitée par les Etats-Unis pour protéger le détroit d'Ormuz, indique un sondage de l'agence de presse Kyodo diffusé dimanche.
Ce sondage national mené par téléphone samedi et dimanche montre que 57,1% des personnes interrogées pensent que leur pays ne devrait pas envoyer de membres de ses Forces d'autodéfense dans cette région, où les tensions irano-américaines sont fortes, tandis que 28,2% s'y disent favorables.
Lors d'une visite début août au Japon, le ministre américain de la Défense Mark Esper avait appelé Tokyo à envisager de se joindre à une coalition pour surveiller et protéger le détroit d'Ormuz.
Mais le Japon se montre réticent à envoyer des bâtiments de sa Force maritime d'autodéfense dans le détroit d'Ormuz, une voie de navigation majeure où transite environ 20% du pétrole mondial, craignant que cela ne sape ses relations amicales avec l'Iran.
Le sondage montre également que le taux d'approbation du gouvernement du Premier ministre Shinzo Abe atteint 50,3%, soit +1,7 point de pourcentage par rapport à juillet. Dans le même temps, le taux de désapprobation s'établit à 34,6%, en baisse de 3,6 points de pourcentage.
Interrogés par ailleurs sur la détérioration des relations entre le Japon et la Corée du Sud, 62,4% des sondés se disent inquiets de l'évolution future de ces relations, tandis que 32,4% disent ne pas l'être.
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NHKスペシャル「全貌 二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜」
歴史的大事件「2・26事件」に関する「最高機密文書」が見つかった。天皇の知られざる発言や、青年将校らの未知の行動など、新事実の数々と共に、“衝撃の全貌”に迫る。
私たちが知る歴史は、一断面に過ぎなかったー。NHKは「2・26事件」の一部始終を記した「最高機密文書」を発掘した。1936年2月、重要閣僚らが襲撃された近代日本最大の軍事クーデター。最高機密文書には、天皇の知られざる発言や、青年将校らと鎮圧軍の未知の会談、内戦直前だった陸海軍の動きの詳細など、驚くべき新事実の数々が記されていた。事件後、軍国主義を強め戦争に突入した日本。事件の「衝撃の全貌」に迫る。 今井朋彦, 守本奈実

ゲゲゲの鬼太郎【地獄の四将 鬼童伊吹丸】 #69
逢魔が時、まなは石動零と出会い、「鬼太郎に近づくな」と警告される。その夜、大逆の四将の一人、伊吹丸がまなを連れ去った。果たして彼の目的とは!?
21世紀も20年近くが経ち人々が妖怪の存在を忘れた現代。 科学では解明が出来ない現象が頻発、流言飛語が飛び交い大人たちは右往左往するばかり。そんな状況をなんとかしようと妖怪ポストに手紙を書いた13歳の少女・まなの前にカランコロンと下駄の音を響かせてゲゲゲの鬼太郎がやってきた…。
鬼太郎: 沢城みゆき  目玉おやじ: 野沢雅子  ねずみ男: 古川登志夫 ねこ娘: 庄司宇芽香  犬山まな: 藤井ゆきよ  砂かけばばあ: 田中真弓  子泣きじじい: 島田敏  ぬりかべ: 島田敏  一反もめん: 山口勝平 水木しげる  狩野雄太(フジテレビ編成部)  佐川直子(読売広告社)  永富大地(東映アニメーション)  小川孝治  大野木寛  清水空翔  高梨康治  刃-yaiba- 
フジテレビ  読売広告社  東映アニメーション

サンデーモーニング 
緊迫香港…中国の介入は▽文大統領が対話姿勢?▽印パ緊張で▽奥川が23奪三振▽MLB大谷と田中▽松山も渋野も首位争い▽「風をよむ」〜74回目の終戦の日〜(他)
一週間の見逃せないニュース&スポーツをサンデーモーニングならではの視点でお送りします!◎世界と日本の出来事を掘り下げるカバーストーリー▽緊迫香港…中国の介入は▽文大統領が対話姿勢?▽印パ緊張で ◎おなじみ・スポーツ御意見番「喝!&あっぱれ」▽奥川が23奪三振▽MLB大谷と田中▽松山も渋野も首位争い ◎関口宏の「一週間」ニュース◎時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」 関口宏 田中秀征 安田菜津紀 堀川惠子 辺真一 青木理 橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美(TBSアナウンサー) 張本勲&篠塚和典 三枝成彰 ◇番組HP http://www.tbs.co.jp/sunday/
西野哲史 金富 隆

誰だって波瀾爆笑ゲスト:柳沢慎吾
小田原が生んだおしゃべりモンスターのルーツに迫る!家族全員よく喋る!?姉のムチャ振りでひとり甲子園誕生!?時任三郎だけひいき?ふぞろい撮影秘話!私物チェックも
堀尾正明、溝端淳平、岡田結実 柳沢慎吾 小峠英二(バイきんぐ) 57歳サービス精神旺盛すぎる人生!毎週金曜の夜はモノマネ特訓!?人気が裏目?カナヅチなのに水泳大会出場!?小田原の有名人!?伝説のツッパリ!ヘイマ先輩とは?デビュー直前でコンビ解消!?ドタバタ結婚秘話!プロポーズ直後に警察沙汰&海外結婚式で台風直撃!?小田原グルメ紹介でふるさと大使の本領発揮!肉厚アジフライ&中華料理店の特大オムライス&1日2000個売れるアンパンとは?4歳上のおしゃべり姉登場! 福田龍 大友有一、芦澤英祐 エンディングテーマ曲「101分の1の本音」/Half time Old極東電視台、ホリプロ、ザ・ワークス http://www.ntv.co.jp/haranbakusho/ 番組公式ツイッターも! @haran_bakushou

cdb @C4Dbeginner
お台場の一件は日本が貧しく技術が落ちた故の失敗じゃなく、今でも近代的なプールで五輪を開催する資金と技術があるのに、偉い人の「フジテレビのお膝元の海で開催しろ、汚水は日本の技術で何とかしろ」という無知に現場が逆らえない、ここに至っても会場を変更できないその社会構造の腐敗を象徴してる
これだけ日本中に大きく近代的なプールがあって、日本中に美しく凪いだ海があって、一度きりでやり直しの効かない、記録のかかった五輪競技を生活排水の流れ込む、温泉みたいな温度のお台場の海で開催する理由、「テレビ利権だから」以外の何があるのか徹底的に追及してほしい


スーパーでお米を買いました.5kgなので重いです.でも誕生日なのでケーキを買います.本当は昨日なのですが・・・
ランチはトンカツです.豚肉に小麦粉+卵+パン粉をつけました.キャベツの千切りはどうしても太いのも混ざってしまいます.
夕方バスで移動です.くろを飲みました.ヘロヘロになりそうです.浴衣もらいました.

サンマ大漁小旗に願い 気仙沼「出船送り」
 宮城県気仙沼市の気仙沼港を基地とする大型サンマ船が17日、出港した。20日の漁解禁に備え、北海道釧路港などに向かう。
 同市魚浜町の岸壁では航海の安全と大漁を願う「出船送り」があり、威勢のいい太鼓が鳴り響き、乗組員の家族や市民が「福来旗(ふらいき)」と呼ばれる小旗を振って見送る中、12隻が次々と出港。同日中にさらに2隻が出港した。
 気仙沼市魚市場には昨年、1万7280トンのサンマの水揚げがあり、不漁の前年(9676トン)から回復した。水産庁の予想では、今季の本漁期(8〜12月)の回遊量は前年を下回る見通し。第81豊清丸(199トン)の中舘捷夫漁労長(77)は「不安の中での漁だが諦めずに頑張る」と話した。
 サンマ漁は今年から通年操業が可能になり、第68福神丸(199トン)は5月から北太平洋公海での漁に参加した。水揚げはほとんどなく燃料代で消え、人件費を差し引くと赤字だったという。佐藤健二漁労長(44)は「旬の秋にサンマが見えてくることを願うしかない」と祈るように語った。


<人駅一会>(11)気仙沼/浜の移ろい透かす集魚灯
 東日本大震災で分断された交通網が、長い一本の線につながろうとしている。傷跡を癒やしながら、少しずつ復興に向かう被災地の数々。点々と海沿いに続く駅を起点に訪ね歩いた。
◎気仙沼市百目木 「八幡丸」船主 小松弘一(ひろいち)さん(77)
 防潮堤に遮られて、船から気仙沼の街の様子が見渡せなくなりました。コンクリートの壁に圧迫されている感じ。見えるのは空とお日さまだけだね。
 海からの眺めは年々変わっていきます。ことしの春には、気仙沼大島大橋が開通しました。沖へ出る時に見上げると、「ようやくできたんだな」と感慨ひとしおになります。
 東日本大震災の前も後もイカ漁をやっています。地震が起きてすぐ船を沖に出そうと思いましたが、「死ぬぞ」と仲間に言われてやめました。船はもうだめだろうと諦めていたら、高台で見つかった。いくらか壊れていましたが、修理して今も使っています。
 昔から知恵を絞って漁に出てきました。特にイカ漁の集魚灯にはこだわりがある。青白い物と、ちょっと赤みがある物の2種類を交ぜています。
 陸(おか)から見える夜の漁火(いさりび)は涼しげかもしれないけど、船の上は集魚灯の熱でものすごく暑くなる。全身汗だくになりながらの漁です。
◎気仙沼駅(気仙沼線BRT)
 気仙沼駅は東日本大震災の津波の被害を免れたが、気仙沼港近くの「内湾地区」にある魚町や南町は大きな被害を受けた。魚町などは以前から多くの人が訪れた、港町・気仙沼の中心部。震災後、新たなにぎわいを創出しようと観光集客施設「迎(ムカエル)」などが建設された。(文 長南康一)


被災地癒やすフラガール 熊本・益城仮設団地を訪問
 東日本大震災で被災し、営業休止からの復活を果たした温泉リゾート「スパリゾートハワイアンズ」(福島県いわき市)のフラガールが、2016年4月の熊本地震で被害を受けた熊本県益城町の仮設団地を訪問した。優雅なフラダンスを披露し、被災者らにエールを送った。
 全国に笑顔と元気を届けようと8年ぶりに行われている「きずなキャラバン」の一環。6月の熊本を皮切りに、11月までに西日本豪雨で被災した広島、岡山両県など約20カ所を訪れる。
 この日訪れたのは、約250人が住む木山仮設と、約600人が住むテクノ仮設。それぞれ集まった約60人の入居者らを前にフラガール3人が踊りを披露。1曲終えるごとに拍手が湧いた。
 最後の曲は指導を受けながら入居者も一緒に踊った。自宅再建の見通しが立たず、仮設暮らしが続く民本朋子さんは「振り付けを覚えられて楽しかった。遠くまで来てくれて、元気をもらえた」と笑顔を見せた。
 フラガールのキャプテン、アウリイ晴奈さんは「一日も早い復興に向けて一緒に頑張っていきたい。熊本の皆さまにいただいた力で全国を回りたい」と意気込んだ。


石巻ににぎわいを 堤防に飲食店
東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市の中心部ににぎわいを作り出そうと、川沿いの堤防と一体で整備された飲食店などの営業が一部始まり、18日、記念の式典が開かれました。
石巻市を流れる旧北上川沿いについて、市は、津波などの被害からまちを守る堤防と人々が集う水辺の空間を一体として整備することで、中心部ににぎわいを作り出そうとしています。
このため、堤防上の商業施設を中心とした200メートルの区間を飲食店などが営業する商業スペースとして活用することとなり、今月、一部の飲食店の営業が始まったことから、記念の式典が開かれました。
18日は、石巻市の亀山紘市長などがテープカットを行ってオープンを祝ったあと、出席者がバーベキューを楽しみました。
そして、商業スペースではキッチンカーなどで営業を開始した飲食店にさっそく住民などが訪れ、タピオカドリンクなどを買い求めていました。
石巻市内から訪れた60代の女性は「こうした飲食店が開業すると復興が進んでいると感じる。市内にはまだ店が少ないのでもっと増えてくれたらうれしい」と話していました。
石巻市の亀山市長は、「震災後にできた堤防を街と川を分断するものではなく、これまで以上につなげていくものとして活用していきたい」と話していました。


【原発事故和解】東電の拒否は「二枚舌」だ
 原発事故を引き起こした東京電力の意識が問われる事態だ。
 福島第1原発事故の裁判外紛争解決手続き(ADR)で、国の原子力損害賠償紛争解決センターが手続きを打ち切るケースが相次いでいることが分かった。センターの和解案を東電が拒否しているためだ。
 東電は理由として、和解案が国の指針を超える賠償であることなどを挙げるが、平穏な暮らしを奪われた被災者は納得できないだろう。
 指針は絶対条件ではない。個別事情によってはそれを上回る賠償があってしかるべきだ。そもそも東電は2014年に賠償への姿勢「三つの誓い」を表明し、「和解案を尊重する」としていた。
 被災者に寄り添うような姿勢を見せながら、実際に和解案が出ると頑として受け入れない。「二枚舌」と非難されて当然だ。
 住民はもちろん、国も東電の姿勢を批判している。東電は誓いを順守し、被災者の苦しみに向き合うよう強く求める。
 福島第1原発事故の被災者が東電に賠償請求する主な方法には、東電と直接交渉▽訴訟▽ADR―などがある。
 直接交渉はハードルが高く、訴訟も時間や多額の費用がかかる。これに対しADRは紛争解決センターに申し立てると、弁護士らが務める仲介委員が中立的な立場で双方の意見を聞き、和解案を提示する。
 訴訟に比べ手続きが簡単で、費用も原則無料だ。申立件数は昨年末時点で約2万4千件あり、うち75%程度は和解が成立している。
 一方で和解案には強制力がない。双方が受け入れなければ和解は成立せず、センターは手続きを打ち切ることになる。昨年は、東電の社員やその家族らの申し立てを除くと、40件のADRが東電の和解案拒否で打ち切りになった。
 この中には、福島県浪江町の住民約1万5千人が参加した集団ADRもある。全町避難を余儀なくされた住民側は、国の指針に基づく月10万円の賠償では不十分だとして、25万円を上乗せするよう求めた。
 センターは14年、上乗せを月5万円にするなどの和解案を提示。住民側の代理人の町は受け入れたが、東電は拒否を繰り返してきた。受け入れると、他のADRに影響し、国の指針の引き上げにつながる可能性もあるからだろう。
 決裂しても訴訟で賠償を求める道はある。実際、浪江町民の一部は提訴に踏み切ったが、住民にはさらに長い時間と経費が必要になる。
 事故から間もなく8年半になる。被災者の高齢化が進んでいる。浪江町の集団ADRでは、申し立てから決裂までの約5年間に800人以上が和解成立を見届けることなく亡くなった。東電は引き延ばしを図るかのような対応を改めるべきだ。
 ADR制度の限界を指摘する声もある。国も、原発事故の賠償請求の在り方を再検討する必要がありはしないだろうか。


食料自給率最低 政権の危機感が足りぬ
 農林水産省が発表した2018年度の食料自給率は、カロリーベースで前年度比1ポイント低下の37%に落ち込んだ。記録的冷夏でコメが凶作となった1993年度と並ぶ過去最低の数値である。
 自給率が40%を下回るのは、これで9年連続となる。25年度に45%に引き上げるという国家目標は遠のくばかりだ。
 長期低迷の原因は、農業の生産基盤が弱体化していることに尽きる。高齢化による離農が増え、人手不足のあおりで新規就農者は減少している。これでは国民の食を守ることはできない。
 政府は農業を安心して続けられる環境整備と、担い手を増やす施策に力を入れるべきだ。
 今回の自給率低下は、北海道の夏の低温と日照不足により小麦と大豆の生産が大幅に落ち込んだことが主因となった。これに牛肉や乳製品の輸入増加に伴う国内生産の伸び悩みが重なった。
 ただ、昨年末の環太平洋連携協定(TPP)、今年2月の欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)の発効の影響が出てくるのはこれからである。
 加えてトランプ米大統領も安倍晋三首相に農産物の巨額購入を直接要求している。
 輸入農産物の攻勢が本格化する19年度以降、自給率がさらに下落する懸念は拭えない。
 米国や欧州主要国の自給率は最低でも60%を上回っており、40%未満が常態化している日本の食料事情は極めて深刻である。
 なのに、安倍政権には全く危機感が感じられない。それどころか、自らの農業政策について、生産農業所得が3年連続で増加しているデータを挙げて「アベノミクスの成果」と自画自賛している。
 生産農業所得は災害や不作による農作物価格の上昇にも左右される。増えたからといって、農業が強くなった証拠にはならない。
 昨年までの5年間で国内の耕地面積は約10万ヘクタール、農業経営体は約20万件も減っている。49歳以下の若手就農者数も昨年、5年ぶりに2万人を割り込んだ。
 政権に都合の良い数値をアピールするのではなく、農地と担い手の減少という現実を直視し、歯止めをかける政策こそが必要だ。
 国連の気候変動に関する政府間パネルは今月、干ばつの増加などで50年の穀物価格が最大23%上昇する恐れがあると警告した。
 世界的な食糧難が予測される中で、日本が安易な輸入頼みを続けている場合ではないはずである。


食料自給率過去最低 持続可能な「農」目指せ
 2018年度の食料自給率はカロリーベースで前年度より1ポイント低い37%だった。コメの記録的な凶作に見舞われた1993年度と並び過去最低となった。
 地球温暖化を背景とする18年度の天候不順で、北海道などで穀物生産が減ったのが響いた。とはいえ、この10年、自給率は下がり続けており、危機的と言わざるを得ない。
 今後も上昇は困難だ。というのも農業の担い手不足や高齢化が止まらない上、環太平洋連携協定(TPP)などの発効で安い農産物輸入が増えるからだ。政府が目標とする25年度の45%達成には赤信号がともった。
 必要な食料を自国内で賄う「食料安全保障」は破綻していると言えよう。農林水産物の増産や担い手づくりにつながる、持続可能な「農」への抜本的対策を政府は打ち出すべきだ。
 18年度の国内生産量を見ると大豆が16・6%落ち込み、小麦は15・7%減った。悪天候が理由だが、自給率は09年度の40%から徐々に下がり、近年は30%後半を推移している。コメ離れが進み、輸入肉などを多く食べる食生活への変化が主な理由だ。
 気になるのは、深刻さを増す生産現場の担い手不足だ。農業就業人口は約168万人と10年前に比べ4割減った。うち7割が65歳以上で高齢化も著しい。新規就農も進まない。49歳以下の若手就農者は18年に約1万9千人と5年ぶりに2万人を割った。あおりで耕地面積も約440万ヘクタールと、10年前より約20万ヘクタール少なくなっている。
 一方、海外からの農産物は増える。TPPに加え、欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)が昨年度相次いで発効した。輸入の肉類や乳製品が国内に大量に流れ込んでいる。
 来週、米国との貿易交渉が再開される。結果次第では、農産物輸入が増える。自動車など日本の工業製品を守るためとはいえ、これ以上、国内農業を犠牲にすることは許されない。
 世界では自給率上昇に力を入れる国が多い。13年には米国とフランスが100%を超え、ドイツ95%、英国63%と、日本は大きく水をあけられている。
 国家間の食料争奪戦は今後、激しさを増す。人口増は止まらず温暖化による干ばつや豪雨が増えれば、農産物の生産量が減りかねない。食料確保のため、自給率アップは不可欠である。
 政府は4月、担い手不足解消のため、農業分野への門戸を外国人労働者に広げた。だが在留期間は5年と短く応急措置にすぎない。省力化のためロボット技術や人工知能(AI)など先端技術の活用も必要で政府の対応が急がれる。
 安倍晋三首相は1月の施政方針演説で「強い農業」推進を訴えた。農地集約で大規模農家をつくり農産物輸出を増やす「もうかる農業」の重視である。
 それは、小規模農家の切り捨てにならないか。中国地方は島や山が多く、農地の大規模化や大型機械の導入は進めにくい。
 棚田は、食料生産に加え、洪水防止や景観保持など多面的な役割を果たしている。それを維持しているのが中山間地域の農家である。忘れてはなるまい。
 私たちも消費者として農林水産業への理解を深め、「食」という恵みを生み出す農山漁村の担い手を支援すべきである。


戦没者の遺骨  帰還を待つ遺族に応えよ
 終戦から74年の夏が巡り、戦争の記憶が徐々に遠ざかる一方、悲しみと心のつかえを抱えたままの遺族らが少なくない。
 第2次世界大戦で海外や沖縄などの戦地で亡くなった約240万人のうち、半数近い約112万人の遺骨は現地に残され、故郷の遺族の元に戻っていない。
 ようやく3年前、遺骨の収集を「国の責務」と位置づけた戦没者遺骨収集推進法が成立し、2024年度までを「集中実施期間」としたが、帰還は遅々として進んでいない。歳月の壁に加え、国の収集事業のずさんさが次々と明らかになっている。
 はるか異郷に置き去りにされた遺骨の収集は、日本が遠方まで侵攻を広げ、戦火に巻き込み、「赤紙」1枚で送った多くの一般国民を犠牲にした戦争への反省と向き合うことでもあるはずだ。
 国はできる限りの手だてを講じ、遺骨の帰還に取り組む責任がある。戦争のむごさを刻み、伝える大きな宿題といえる。
 厚生労働省のホームページに戦没者遺骨の分布地図が掲載されている。未収容はフィリピンの約37万人、中国の約23万人などアジア・太平洋地域に広がる。無謀な戦線拡大で敗走、玉砕が相次いだのも要因だ。
 これまで収容できたのは復員兵らが持ち帰った約93万人と、1952年以降の国事業分を合わせた約127万6千人。同省は、残る遺骨のうち海没分などを除く約59万人分は収容可能としているが、集中実施期間として進めても3年連続で収容数が千人を割り込んでいる。
 さらに先月発覚したのが、旧ソ連に抑留され、シベリアで死亡した日本人のものとして、厚労省派遣団が5年前に収集した遺骨16人分の問題だ。全てが日本人ではないか、日本人ではない可能性が高いというDNA鑑定が昨年に出ていたが、同省は結果を公表していなかった。
 「鑑定結果の精査や整理に時間がかかった」と弁明するが、わずかな望みを託して待つ遺族の心情を軽んじていないか。
 埋葬地の選定や現地での鑑定の在り方を検証し、他にも取り違えの可能性がないか明らかにすべきだろう。
 遺骨収集を巡っては、フィリピンでの事業が、日本人以外の遺骨が含まれているとの指摘を受け、2010年から18年まで中断した。16年には旧ソ連での遺骨収集で、61人分の歯を焼失し、DNA鑑定ができなくなった。
 相次ぐミスは、国が人物の特定より、収集する遺骨の数に力点を置いていることが背景にあるとの指摘がある。
 厚労省の有識者会議は先月、遺骨を原則、国内に持ち帰り、DNAを抽出して照合情報を増やす見直し案を示した。現状は省内に鑑定の専門家がいないため大学に実費で委託しており、十分な体制拡充が求められよう。
 収集地を巡る戦友らの情報は年々減っている。厚労省は海外公文書の戦闘記録にも当たり、戦没者の埋葬地と推定される国内外1695カ所を23年度までに現地調査する方向という。
 遺族らの高齢化も進む中、時間との闘いにもなっている。


週のはじめに考える 道に迷う経済界へ
 経済界のリーダーたちが道に迷っています。デジタル革命や米中の覇権争いという変革と危機の中で何を目指すのか。見つけることができないのです。
 「今の世の中を壊し続けている諸悪の根源、経団連」
 七月の参院選で、れいわ新選組の山本太郎代表が経団連を厳しく批判しました。
 大企業の経営者は自らの報酬や会社の内部留保を増やす一方で、従業員の給料は抑える。消費税の増税を政府に提言し、不況になるとリストラに走る…そんな身勝手ともいえる経済界への批判です。
◆戦後民主主義の子
 同じ七月、経団連、経済同友会という二つの財界団体が軽井沢で恒例の夏の会議を開きました。
 経済、政治、外交、社会の課題で議論を交わす経営者たちには共通項があります。
 療養中の経団連の中西宏明会長(日立)一九四六年。代行した岡本毅副会長(東京ガス)一九四七年。同友会では桜田謙悟代表幹事(SOMPOホールディングス)一九五六年。戦後生まれです。
 戦前に生まれた財界トップは一九四〇年の三村明夫日商会頭(日本製鉄)くらいでしょうか。
 敗戦で軍国主義のくびきを解かれた日本は一九四六年に新憲法が公布され、平和と自由と民主主義の国として再出発しました。
 今、経済界をリードする経営者はその空気を思う存分吸って学生時代を過ごし、企業に就職した若者でした。
 だから接してみると、老練で強欲というよりも、その表情の中に戦後民主主義に育まれた青年を感じることが多いのです。
 戦後の経済の土台は連合国軍総司令部(GHQ)による農地解放や財閥解体による民主化です。経営陣も戦争の悲惨さを身をもって経験した世代へと若返りました。
◆歴史的な転換点
 彼らは鎮魂とともに同じ過ちを繰り返すまいと歯を食いしばり、暮らしの再建にまい進します。消費者のため価格破壊の安売りで流通革命を起こしたダイエーの創業者中内功さん(一九二二〜二〇〇五年)はその代表でしょう。ソニーや松下電器などの発展のエネルギーもそこにあったはずです。
 高度成長は「一億総中流」の豊かさをもたらしましたが、世界の企業番付の上位を独占するほどの成功は過信を生みます。
 バブル崩壊後の長い低迷の間に中内さんの世代は次々と鬼籍に入りました。平成が終わった今、戦後生まれの経営者が直面しているのがデジタル革命、米中の覇権争いという歴史的な転換点です。
 周回遅れのデジタル革命、米中どちらかの市場を選ばされるかもしれない新冷戦。答えの見えない議論が続く中で印象に残るやりとりがありました。
 デジタル分野でなぜイノベーションは起きないのか。ゲスト参加の若い起業家が大企業と協業した時の苦い経験を語りました。
 「会社の中で自分がどう生き残るか、出世競争が大切な人ばかりだった」。染み付いた大企業病です。経営者も応戦します。「若手のベンチャーはすぐに株式を上場しておカネにしたがる」
 目指しているのはイノベーションより出世や安定やおカネ。それ以外の目標を見失っているように見えたのです。
 やはり戦場を経験した平岩外四さん(一九一四〜二〇〇七年、東京電力)は経団連会長時代、「政策をカネで買う」と批判されていた政治献金のあっせんをやめました。政党と経済界の関係を見直すことで民主主義の在り方に一石を投じたのです。
 その平岩さんの好きな言葉が米国の作家レイモンド・チャンドラーの作品にあります。
 「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている価値がない」
 激しい競争の中で企業も経営者もタフでなければ生きていけない。でも、優しくなければ生きるに値しない。出世やおカネを超えた価値を目指した平岩さんや中内さんの原点、信念が見えます。
 では今の経営者に求められる優しさとは何でしょうか。「諸悪の根源」という批判を反対側から見ると分かりやすいかもしれません。自らの報酬は度外視する。積み上げた利益は賃上げや研究開発に先行投資する。低所得者に厳しい消費税増税は求めず、不況時には下請けを守り、雇用責任を果たすため、ギリギリまで努力する−。
◆生きている価値は
 資本主義経済の欠点は弱肉強食です。止まらない格差の拡大は暮らしを壊し、保護主義や排外主義を生んでいる。戦後生まれが享受してきた自由や民主主義が壊れかねない危機が広がっています。
 だからこそ噛(か)みしめてほしいのです。優しくなければ生きている価値がないことを。


就活の個人情報 低い保護意識にあきれる
 学生の人生を左右しかねない情報が、本人が気付かないまま販売されていた。就職活動における個人情報に対する、保護意識の低さにあきれる。
 就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリアが、個人データを基に就活中の学生の内定辞退確率を予測し、本人の同意を得ないまま企業に販売していた。
 辞退確率は、学生ごとに企業や業界のサイトの閲覧履歴、志望動向などの大量のデータを人工知能(AI)で分析し、個々の学生について推計した。
 7983人の学生から適切な同意を得ておらず、その他の学生についても同意を得る説明方法が不十分と指摘されている。
 個人情報保護法では、事業で取得した個人情報を第三者に提供する場合、本人の事前同意が必要としている。
 東京労働局が調査している。法律違反がないか厳しく調査し、指導に当たってもらいたい。
 リクナビは就職情報サイト最大手で掲載企業は3万社以上、登録学生数は約80万人に上る。
 学生は就活を始める際にリクナビに登録するのが一般的だ。企業情報の閲覧、説明会やインターンの申し込み、エントリーシートの提出などに利用する。
 リクルートキャリアはデータの利用について、同意漏れがあった学生以外からは同意を取っていたが、情報の利用目的などについては規約に分かりやすく記していなかったという。
 これでは、就活には必須ともいえるサイトの利用と引き換えに同意を得て、個人情報を自由に扱ったとの批判は免れないのではないか。
 データを購入していた企業の倫理も問われよう。
 販売されたデータは辞退確率を5段階ではじき出し、400万〜500万円で38社に提供されていた。
 合否判定には使わないとする同意書を取っていたというが、どこまで厳格に運用できていたのかどうか。
 これまでに購入が判明した企業は「辞退者を減らすことが目的だった」などと説明し、いずれも合否の判定には使用していないとしている。
 学生からは「『合否判定には活用していない』と言われても、全く信じられない」との怒りや不安の声が上がっている。
 学生が不利益を被ることはなかったのか。企業はきちんと経緯を説明すべきだ。
 就活に限らず、サイトの閲覧履歴などの膨大な情報を掛け合わせることで、個人の特性が知らないうちにつくりあげられて売買されたり、流出したりするケースが増えている。
 政府は、デジタル化の進展で速まる社会の変化に対応するため、現行の個人情報保護法の大改正に乗り出している。
 欧州連合(EU)では近年、巨大IT企業に対して、立場の弱い一般利用者を守るため、個人データの運用を厳しく規制している。日本政府も、個人情報の保護へ向け、多様な角度から議論を進めてほしい。


カシミール問題/自治権剝奪/インドは即時撤回を
 中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案を巡って大規模なデモが続く香港で、緊張の度合いが一層高まっている。中国の武装警察(武警)隊員らが、香港に接する広東省深圳で制圧訓練を実施し、武力介入も辞さない姿勢を鮮明にしている。
 6月以降、収束が見通せないデモに中国政府が業を煮やした格好だが、武力を使えば1989年の天安門事件のような流血の事態が懸念される。今回のデモの根源には、中国政府が「一国二制度」の下、返還後の香港に認めたはずの「高度の自治」が揺らいでいることへの強い危機感がある。市民の切実な声を武力で封じ込めることは許されない。香港政府は中国側に自制を促し、対話による解決へ導くよう全力を注がねばならない。
 「逃亡犯条例」改正案は、若者らによる「100万人デモ」を経て、香港政府のトップが廃案を受け入れる方針を示したが撤回は明言しなかった。これに改正案反対派が激しく反発。今月12日からは、香港国際空港のロビーや出発ゲートで数千人が座り込み、2日間で計約600便が欠航するなど、アジア有数のハブ空港が大混乱に陥る事態にまで発展した。
 一連の抗議に対し、中国政府は「重大な犯罪で、テロリズムの兆候が出始めている」と非難を強めている。加えて、これまで香港情勢に関して積極的な発言を控えてきたトランプ米大統領が唐突に介入を始め、事態をより複雑化させている。
 トランプ氏は、香港問題と貿易協議を絡め「中国は香港で問題を抱えているが、貿易では取引したがっている」と言及。中国との貿易摩擦が激化する中、習近平指導部に圧力をかけ、貿易面で中国から譲歩を引き出す狙いがあるのは明らかだ。来年の大統領選を見据えた動きでもあり、自国や自身の都合で香港の混乱に拍車をかける行為は認められない。
 武力介入をけん制する米国に対し、中国政府は「内政干渉」と強く反発している。今回の武警の制圧訓練は、デモへの武力行使も辞さない強硬姿勢を内外に見せつける意図があるとみられる。習指導部が、香港問題でも貿易協議でも妥協するかは予断を許さない。米中両政府は二つの問題を切り離し、デモを人道的に解決することを最優先に対処を急ぐべきだ。
 香港が米中二大国のはざまで「内憂外患」の状態となり、政府トップが求心力を失う中、デモ隊の過激化に歯止めがかからないのは憂慮すべき事態だ。混乱の長期化は、5年前の行政長官選挙の民主化を求めた大規模デモ「雨傘運動」が、実りのないまま収束し、香港市民に不満が積もっていたことが背景にある。中国政府は、抑圧や弾圧を強めれば、かえってデモを過激化させると認識しなければならない。民衆側も、冷静さを失わず、暴力に頼らない活動を広げることが求められる。


先祖供養に「遺骨は必要ない」という衝撃事実 身体はあくまでも「抜け殻」にすぎない
遺骨を守るのは明治以降のこと
江戸時代ぐらいだったら、位牌だけを管理していればよかったので、遺体とか遺骨とかに重きを置いていませんでした。ましてや庶民には現代のような「家」制度もありませんでしたから、自分の直近の見知った人の位牌だけあればよかった。それでお祭りする人がいなければ絶えてしまうわけですが、それで結構という価値観だったのです。
昔は位牌だけをちゃんと拝んでいればよかったのに、そのうちにお仏壇も見なきゃいけない、その後にお仏壇と位牌がセットになり、さらにお骨も見なきゃいけないと、管理すべきものが増えていったのです。
お骨をちゃんとしなさいという話が出てくるのは新興宗教の論理でもあるんですよね。日本で新興宗教をやる場合は必ず先祖供養から入っていくわけですから、それの一環としてお骨もちゃんと面倒を見なさいみたいな話ですよね。そもそもお骨に対する信仰っていうのは明治以降になってからの話なんですよ。
江戸時代は、今よりもお骨の扱いがすごく雑でした。お骨に対する信仰みたいなものというのは当時はあまりなく、基本的に、埋め墓と祭り墓というものがあり、この埋め墓といってもほとんど塚みたいなものでした。
そもそもの世界観として、肉体からは魂が抜けてしまっているわけですからお骨には価値がないわけです。じゃあ、その魂はどこにいっているかっていうと祭り墓だったり位牌だったりすると。
昔は仏教思想が強かったので、身体というのはあくまでも抜け殻だと考えられていたのです。魂うんぬんは仏教ではなく三魂七魄といって儒教の思想なんですが江戸時代だと仏教と儒教のチャンポン思想が強かったので、結果的に身体というのはあくまでも抜け殻だと考えられていたのです。
ところが、明治以降になってきますと日清・日露戦争の影響もあって遺骨を大事にという流れも出てくるわけです。さらに、これが昭和の新興宗教の最盛期とともに頂点に達します。
じゃあ、令和にもなった現在だと、一般の方の遺骨に対する気持ちがおさまってきているかというと、まったくそんなことはないんですよ。都市部の人たちでも遺骨に対する畏れはすごくありますよね。日常の中にまったくないものですから、どのように対処したらいいのかわからないのだと思います。
ペットのお葬式というのもあるようですが、そういった場合でも遺骨というのは大切にされるそうです。
遺骨は「よすが」である
つまり、現代において遺骨がいちばん簡単な「よすが」になってきているということなのだろうと思うのですが、昔はその役割を位牌が果たしていたわけです。ですが、現代ではそのよすがを持て余しているのだと思います。
遺骨というのは法的には産業廃棄物扱いになるのですが、関西以西なんかは、火葬した後に持って帰るのは喉仏と頭蓋骨のテッペンの硬い部分だけというところが多く、後は産廃として処理するので、そういう地方の葬儀で使う骨壺というのは本当に小さいんですね。
これが、関東の都市部となると、持って帰る骨が多い風習の所が多く、骨壺が大きくなってくるんですよ。地方と火葬場の回転率が違うというのもあるんでしょうが、火葬場の方であまり処理してくれない感じではあります。
風習というのもありますが、火葬場の炉というのは耐火れんがをつねに改修しながら使っているわけですから都市部の場合は火葬場の炉に負担がかからないように、多くの骨を持って帰るのが暗黙の了解的な決まりになってる部分もあるかと思います。
最終的に遺族の手元に渡る遺骨の量がまったく違うわけですから、これは困るだろうなと。都内近郊なんかの霊園だと、お墓を開けても骨壺を4つか5つか入れたらいっぱいになってしまうわけです。
そういう事情があるからこそ需要があるのだと思いますが、最近は遺骨を2センチ以内に砕いてくれる業者というのがいるそうで。これがなんで2センチ以下かと申しますと、そのサイズにしてしまえば散骨することができるので、遺骨を保管する必要がなくなるからでしょう。まぁ、いってしまえばこれは「代行業者」なのでしょうね。
面白いのは中四国なんかの場合ですと、さらしの袋に入れてガンガンたたいて遺骨を粉々にしたりする地域もありますからね。お骨を砕くのに躊躇ない地域もあるんですよ。
そういう風習が実際にあることを知っている身としては、粉骨なんて自分でやればいいじゃないかと思ってしまうわけです。別に特殊な技能が必要なわけでもなく、たださらしの袋に入れてたたいて砕けばいいだけなのにもかかわらず、なぜ他人に頼むのか。
物理的にはできるけれども精神的にはできないというのもあるでしょうし、これは現代の人たちが「宗教的なもの」との距離をうまく測れないという面もあると思います。
仏教では「骨」を特別扱いしない
本来、仏教的な価値観からすれば仏陀の骨でもない限り、特別な扱いはしないものですからね。それこそ仏教が生まれたインドでは死体ごとガンジス川に投げているわけですから。
インドのガンジス川のほとりで遺体を焼いている人々のことを「ドム」というのですが、彼らが遺体を焼くときは施主が出す薪代によって焼き加減が変わってくるわけです。
使える分の薪が燃え切ったらいくらレア焼きだろうが、ガンジス川にどんどん遺体を投げ入れていくんです。輪廻思想がありますから肉体は死んだら抜け殻でもう用はないというわけです。
日本でも平安時代あたりから仏教思想が一般化してきたのでそのような考え方で、京都の鳥辺野・化野・蓮台野などに死体を捨てていたわけです。
当時の朝廷は、喪葬令で「死体を道に捨てるな」という御触れを出さなければいけないほどでした。京都の朱雀大路の溝が詰まるくらいに死体が捨てられていたりとか、飢饉のときなんかは鴨川が死体でいっぱいになるなんてことはザラにあったわけです。それくらい日本も遺体に対しての畏敬の念はなく、かなり雑に扱っていたわけです。
鎌倉幕府も室町幕府も初期の頃の江戸幕府も死体を捨てるなという御触れを出しているわけです。とくに老人や病人なんですが家の中で死なれると死穢(しえ)といって忌み嫌われるっていうのがありますから、死にかけの人間を簀巻きにして家の外に投げるんですよ。そういうことをやっていた地域というのは全国的にありますから、当時の幕府は「老人と病人の死体を捨てるな」と言い続けていたわけです。


山口組に存在した在日コリアン差別 「殺しの柳川」も怒り
「ヤクザもんの社会は差別がない。終戦直後のあの時代でも人間同士の付き合いがある。そういうところがあったから飛び込んだわけですよ」。これは山口組きっての武闘派・柳川組を率いて、最強の在日ヤクザとして恐れられた柳川次郎(本名ヤン・ウォンソク。1991年没)の言葉である。ヤクザには差別がない──。本当にそうだったのか。ジャーナリスト竹中明洋氏が綴る。
 * * *
 戦後ヤクザ史に残る抗争の一つに明友会事件というものがある。1960年、まだ神戸を拠点とする一勢力だった山口組が、大阪の新興勢力で在日コリアンを中心とした愚連隊・明友会を殲滅した事件である。きっかけはこんな具合である。
「よう、バタヤンやないか。一曲歌ってくれんかいな」
 ミナミのクラブ「青い城」で山口組三代目の田岡一雄が歌手の「バタヤン」こと田端義夫らと会食していたところ、同じ店にいた明友会の幹部らが田端に歌うよう強要した。それを制止した田岡の側近らと乱闘に発展してしまう。田岡のメンツを潰された山口組は明友会への報復に乗り出した──。
 この明友会潰しには、山口組傘下の各組が大量に投入されたが、なかでも尖兵として最前線で戦うよう命じられたのが、傘下に入ったばかりの柳川組だった。ともに在日を中心とする明友会と柳川組の戦いは同士討ちといってもいい。柳川組の攻勢は凄まじく、3週間もしないうちに明友会会長と、幹部15人が指を詰めて全面降伏した。
 大阪府警は殺人や殺人未遂で山口組側の56人を検挙したが、このうち半分近い24人が柳川組の組員だった。この功績によって若頭・地道の舎弟から田岡の直参に昇格した。「殺しの柳川」の異名は日本中に轟くようになる。
 しかし、朝鮮半島をルーツとする同胞同士の争いは、在日社会では極めて評判が悪かった。
 柳川の側近の一人は、当時の柳川の心境をこう慮る。
「あの事件の時は会長も苦しかったと思いますよ。同じ民族同士、なんで戦わんとならんのかいう思いと、本家の意向にも逆らえんという思い。あの人は、そういう心境をあまり表に出さん人ですけども、相当に悩んだはずですわ」
 このときの後悔は、終生、柳川にまとわりついた。それから24年ほど経て、勃発したのが山口組最大の内紛「山一抗争」だ。竹中正久の四代目組長就任にともない、それに反対する組長代行の山本広らが山口組を脱退して、一和会を結成。両派が血で血を洗う抗争を展開した。
 既に柳川組を解散し、堅気となっていた柳川は、柳川組の流れを汲む組を中心に、この抗争に関わらないよう説いて回ったという。なぜそのような振る舞いをしたのか。元秘書によれば、背景には明友会事件があるという。
「明友会いうのは、早い話が大阪の朝鮮人の愚連隊です。ここをどうやって叩くかという時に、田岡三代目の姐さんが『朝鮮人同士で闘わせたらいい』いうて柳川組にやらせたという話が柳川さんのもとにまで伝わってきとったのです。柳川さんは姐さんに対する不満をよう言うてました。竹中さんの四代目継承を姐さんが強く推したことが跡目争いの背景にあったと聞き、柳川さんはこの抗争に我慢ならなかったのではないかと思います」
 柳川は、同胞同士で殺し合いをさせられたことへの悔しさを忘れることがなかった。朝鮮半島をルーツに持つ柳川は、かつてヤクザになった理由を問われ、「ヤクザの世界には差別がない」と語っていた。だが、その世界にも歴然とした差別があったことは柳川を知った。そして、自らヤクザだったことへの悔悟の念は、時とともに強くなっていった。


山梨学院大学で異常事態…「非常勤講師切り捨て」とモラルの崩壊 「もう研究者はいらない」?
田中 圭太郎 ジャーナリスト
山梨県庁で記者会見の「異常事態」
山梨県甲府市に広大なキャンパスを構え、法学部、経営学部、健康栄養学部、国際リベラルアーツ学部、スポーツ科学部の5学部6学科と、2つの研究科をもつ山梨学院大学。運営する学校法人山梨学院は、3800人以上の学生が通う大学のほか、幼稚園、小・中学校、高校、短大も有している。
この山梨県を代表する総合大学で、異常な事態が起きているという。大学の非常勤講師2人と首都圏大学非常勤講師組合は6月24日、山梨県庁で記者会見し、次のように述べた。
「山梨学院大学ではいま、非常勤講師の違法な定年切り下げや雇い止めが起きていて、多くの教員が追い詰められています。このまま放置するわけにはいきません」
会見した講師らは、学校法人山梨学院が今年1月に甲府労働基準監督署から立ち入り調査を受けて、指導と是正勧告を受けたことを明かした。その理由は、労働基準法に定められた手続きをとらずに、非常勤講師の定年の切り下げや、65歳以上の講師を退職させることなどを定めた就業規則を作成していたからだ。
しかし、是正勧告を受けても、山梨学院は就業規則を改めていない。そればかりか、5年以上勤務して無期雇用転換権を有している非常勤講師を雇い止めしていることもわかっている。山梨学院大学に何が起きているのか、取材した。
労基署が立ち入り調査、是正勧告
甲府労働基準監督署は今年1月28日、学校法人山梨学院に対して立ち入り調査を実施し、ただちに是正勧告を行った。
問題となったのは、2018年4月に山梨学院が作成した非常勤講師の就業規則。慣例で70歳だった定年を65歳に引き下げ、65歳以上の講師は今年度末に退職してもらう、というものだ。しかし、在籍する約150人の非常勤講師たちは、このような就業規則が新たに作られていたことを知らなかった。
山梨学院には、労働者の過半数が所属する組合がなく、就業規則を作成もしくは変更する場合には、すべての労働者の中から過半数代表者を選んで意見を求めることが労働基準法で定められている。違反すれば、30万円以下の罰金が課される。
ところが山梨学院は、労働基準法で定められた手続きをとらずに、勝手に就業規則を作成していた。その上で非常勤講師の雇い止めを始めたのだ。
労働基準監督署は、就業規則に盛り込まれた、非常勤講師にとって不利益な変更内容の取り扱いを検討するとともに、法律に沿った手続きをやり直すことを求めた。労基署がこれだけ明確に指導し、是正を勧告するケースは、全国的にも珍しい。それほど悪質だったといえる。
にもかかわらず、山梨学院の就業規則の内容は、半年以上が経った現在も変わっていないのだ。
きっかけは非常勤講師の「雇い止め」
山梨学院が指導と是正勧告を受けたことを明らかにしたのは、非常勤講師として約15年勤務する高橋明弘さんと、同じく10年以上勤務している柴崎暁さん。2人が労基署に山梨学院の違法行為を申告した。
高橋さんと柴崎さんが異変に気づいたのは去年10月。同僚だった40代の非常勤講師の女性が、大学から突然雇い止めを告げられた。
2013年に改正された労働契約法では、非正規労働者が5年以上勤務した場合、無期雇用への転換権を得られるようになった。この講師は山梨学院に5年以上勤務していたことから、すでにこの権利を得ていた。
ところが、講師が無期雇用への転換を申し込もうと思っていた矢先、大学の人事課から突然「あなたは今期限りです」と告げられた。学科を改編するためという理由だったが、実際は学部と学科の名前が変わっただけで、中身は変わっていなかったことがのちに判明している。
つまりは無期雇用転換を逃れることが目的の、脱法行為が疑われる雇い止めだったのだ。
この講師は大きなショックを受けて、告げられた通りに大学を辞めてしまった。しかし、この他にも雇い止めされそうになっている講師がいることが判明。高橋さんらは調査を進め、職員も知らないうちに学院の就業規則が作成されていたことを突き止めた。
つまり、山梨学院は、無期転換権がある非常勤講師を雇い止めすると同時に、就業規則を作って65歳以上の非常勤講師を切り捨てる計画を立てていたのだ。
高橋さんと柴崎さんは今年1月24日に労基署に申告。労基署がわずか4日後に大学に対して指導し、是正勧告したことから、2人は山梨学院に就業規則の撤回と手続きのやり直しを求めた。
就業規則変更を巡るゴタゴタ
指導と是正勧告を受けて山梨学院は今年3月、就業規則変更のための過半数代表者選挙を実施した。しかし、このとき学院側が提出してきた就業規則の改定案は、前年に作られたものと同じ内容だった。非常勤講師にとって不利益な変更は再度検討するように、という労基署からの指導を無視した形だ。
選挙を実施した時期も問題だった。大学が春休み中の3月末に突然選挙を行うことを明らかにしたのである。立候補期間は土日を除くと3日間しかなく、投票期間に至っては2日間だけ。これでは多くの人が選挙を知らないまま終わってしまう。
さらに投票の方法を、直接匿名秘密投票ではなく、記名投票とした。言うまでもないことだが、記名投票では、山梨学院側が事実上擁立した候補者に投票しなかった人物がわかってしまい、教職員が萎縮するおそれがあった。
過半数代表者の選挙には、山梨学院側が擁立した候補と、柴崎さん、さらに「このままではまずい」と立ち上がった別の専任教員の3人が立候補。教職員の間に労働条件や労働環境に対する危機感が広がり、結局、山梨学院の思惑に反して専任教員が当選した。
すると山梨学院はこの専任教員に、18年度・19年度と2年分の就業規則変更について意見書を作成させた。2年分の意見書を1度に書かせる行為は、適正とは言えない。
しかも、専任教員がパソコンで作成した意見書を提出すると、山梨学院は所定のモデル形式を手渡し、A4用紙1枚に収めるようにと、手書きによる書き直しを強く指示した。書き直して提出すると、今度は「定年の引き下げなどの不利益変更をしないように」と意見を書いた部分を削除させたのだ。この書き直し要求は、労働基準法施行規則に抵触する。
しかし山梨学院は「(過半数代表者の)意見が(就業規則に)反映されるものではないから」と、問題ないという姿勢だった。そのまま就業規則を労基署に届け出て「法的に有効」と主張。高橋さんと柴崎さんは「労基署の指導と是正勧告を無視している」と抗議している。これが現在の状況だ。
「研究者とはマッチングしない」
高橋さんと柴崎さん、それに首都圏大学非常勤講師組合が調査を進めるうちに、山梨学院が教員の雇用を非常に軽く見ていることがわかってきた。
山梨学院の2016年の事業報告書を見ると、改正労働契約法によって非常勤講師を無期雇用に転換しなければならないことに対して、否定的な見解が明記されている。
猗鷯鏘仗Πへの対応について、当初の「雇い止め」から「無期転換」への方針転換を軸に検討を進める動きもあったが、結果的には「雇い止め」を実施することで最終的な経営判断が下された。今後は、「雇い止め」をめぐる具体的な対応と適正な実務を検討していく
これは改正労働契約法を無視することを堂々と宣言したものだ。全国の大学などで無期転換を嫌がって非常勤の教職員を雇い止めするケースが問題になったが、公式な文書で脱法行為をおこなう意思を明確にしているのは珍しい。
しかも、専任教員や職員の待遇も改悪していた。今年4月以降、専任教員や職員の期末手当の乗率は、これまでの年間5・1ヵ月分から、評価によって3ヵ月分から4・6ヵ月分に変更されていた。平均的なB評価の場合は3・8ヵ月分の支給なので、ダウン幅は決して小さくない。評価の基準も明らかにされていない。
さらに、山梨学院の考え方が明確にわかる資料もある。山梨学院の古屋光司理事長兼学長は、先代の理事長兼学長である父親の跡を継ぐ形で去年4月、39歳の若さで着任した。司法試験に合格して弁護士登録をしたのち、2006年4月から法人本部で勤務。副学長などを歴任した。この古屋理事長兼学長が教授会で示したとされるのが、次の文書だ。
1枚目の冒頭には、猖楹悗蓮△△まで教育に特化する甅犢眦戮文Φ羌ヾ悗箸靴読床舛気譴訛膤悗鰐椹悗気覆き瓩鳩任欧討い襦
その上で、2枚目には猖楹悗求める大学教員像瓩示され、一番下には狃祥茲瞭本の大学に見られる典型的な「研究者教員」を望む人は、今後、本学とのマッチングはない瓩般正されている。
言うまでもなく、大学の両輪は「研究」と「教育」であるはずだ。しかし「研究者は今後雇用しない」と受け止められる文言が、ここには堂々と書かれているのだ。
大学では、上層部のモラル崩壊も起きているという。昨年度、特定の運動部に所属する学生10数人が、本来は単位を落としていたのに、大学が担当教員に知らせずに補講を実施して、学生に単位を与えたことがわかった。
山梨学院大学がスポーツに力を入れていることは理解できる。だからといって、特定の部に所属する学生だけに、落としたはずの単位を秘密裏に与えていては、「何でもありの大学」だと思われても仕方がないのではないだろうか。
退職した教員の数は「答えられない」
労基署による指導と勧告の後も、就業規則作成の手続きが適法と言えないことと、非常勤講師の就業規則の内容が変わっていないことについて、山梨学院に質問した。広報からの回答は、次の通りだった。
「今回の過半数代表者の選任については、労働基準監督署の是正勧告・指導に基づき、適切な対応・手続きを経て行っております。現在の山梨学院非常勤講師就業規則は法的にも有効であると考えております」
定年を65歳に引き下げることついても「顧問弁護士に確認し、現行規則が法的に有効」という認識を示した。
また、今後「研究者教員」を望む人とはマッチングしない、という教授会で示された内容について確認を求めると、事実と認めた上で次のように釈明した。
「『研究者教員を望む人は、本学とのマッチングはない』という表現については、『今後、学生の成長につながるように更に教育に力を入れていく』という趣旨の現れです。各教員には、学部教育の充実(学生指導)とともに、学部教育やリベラルアーツ教育の向上につながる研究、これまでも本学が行ってきた地元山梨の経済・政治・行政の活性化に具体的に貢献できる研究、全学的国際化の実現を目指し、海外大学との共同研究や学術交流などを積極的に推進していただきたいと考えております」
山梨学院は非常勤講師の無期転換について、現状では申し込みがあった場合は応じていると説明した。しかし、去年4月以降、何人の非常勤教員が退職したのかを訪ねると、「答えられない」と明らかにしなかった。
おかしな方向に進んでいる
労基署への申告者の1人である柴崎さんは、教員の雇用の問題が噴出してきたのは、現在の理事長が就任してからだと感じている。
「理事長は就任の際、山梨に必要とされる、愛される学園にしたいと話していました。それが本当なら全面的に賛同します。しかし、おかしな方向に進んでいるのは明らかです。以前の山梨学院は普通に学問ができる場所でした。軌道修正してほしいと思っています」
もう1人の申告者の高橋さんは、非常勤講師だけではなく、常勤の教員や職員も追い詰められていると指摘している。
「私たちのところには、教員からかなりの数の相談が来ています。闇は深いと思っています。辞めざるを得なかった人も少なくないはずで、いまも多くの人が追い詰められていると感じています」
首都圏大学非常勤講師組合では、7月と8月に甲府市内で説明会を開催した。今後は山梨県内の教職員を対象にしたユニオンを結成するために支援していくという。
また組合は、労基署から是正勧告を受けた後も適正な手続きがとられていないなどとして、現在も山梨学院に就業規則の撤回を求めて交渉を申し入れている。松村比奈子委員長は「山梨学院大学の行為はこのまま放置しておくわけにはいかないレベルだと考えています。このような不正がまかり通る環境は改善しないと、大変なことになるのではないでしょうか」と危惧している。
しかし、山梨学院が態度を変える気配はなく、現状では解決の道は見えていない。


「安倍1強」だと官僚まで腐敗墜落する構図
 かつて、「政治は三流だが、官僚機構がしっかりしているから大丈夫だ」というのがこの国の“常識”だった。だが、今や完全に「過去の神話」となってしまった。霞が関のモラル崩壊は目を覆うばかりである。
 財務省の前事務次官は女性記者に対し、耳にするほうが恥ずかしくなるようなセクハラ発言を繰り返し、上司である麻生財務相は「セクハラ罪という罪はない」と言い放つ。経産省、文科省のキャリア官僚は覚醒剤、大麻所持で逮捕、文科省の局長(当時)は便宜を図った見返りに自分の息子を医大に不正入学させ……。
 ただ、これらはいずれも人間の道を踏み外した個人が犯した過ち、犯罪だ。より大きな問題は組織ぐるみで引き起こした不祥事のほうだろう。防衛省のイラク日報隠蔽疑惑、森友問題での財務省による公文書改ざん、加計学園の獣医学部認可を巡る文科省、内閣府、厚労省絡みの疑惑、厚労省による裁量労働制に関するデータ不正(捏造?)……。ここ数年、中央省庁が引き起こした不祥事は数えきれないほど。これほど連続的に省庁が不祥事を連発したことなど過去に例がない。なぜ、こんな事態に陥ったのか。背景を探っていくと、やはり「安倍1強」に突き当たる。
 これらの不祥事に共通しているのは、安倍政権に都合の悪いデータ、資料は「なかったことにする」であり、なかったことにできないものは「改ざん」してしまう。
 一方、政権に都合の良いデータは無理にでもデッチ上げたり、数字を操作してごまかす、である。そこに見えるのは、安倍政権に対する「忖度」であることは言うまでもない。
 もともと官僚は政権の強弱に敏感だ。強力な政権には迎合し、全力で支える一方、弱体・短命だと見た政権に対しては巧妙にサボタージュし、足を引っ張る。また、キャリア官僚の最大関心事は自らの出世だ。入省したキャリア官僚の多くは、「せめて局長、できれば事務次官」が人生の目標となる。
 そんな官僚たちが、「安倍1強」体制の中で、野党はもちろん、国会や与党さえも無視し、ひたすら「官邸」にひざまずくのも当然だろう。まして、2014年から導入された内閣人事局制度によってキャリア官僚の人事権は官邸が掌握してしまったから、歯向かうことなどできるはずがない。
 政治に対する信頼は地に落ちている。その中で、本来なら「公僕」として、国民のために公正、公平な行政を行うはずの官僚機構がここまで劣化してしまったとしたら、国民はなにを信用すればいいのか。今、この国はとんでもない泥沼にはまり込もうとしている。


輸出規制で安倍は自ら身を亡ぼす…日本の電子産業の部品調達の妨げに
韓日経済戦争診断/ヤン・ジュンホ教授  
日本のジレンマと「喧嘩の技術」
日本右翼勢力の感性的な宣戦布告 
自国へのブーメラン効果は指摘できず 
韓国の半導体がまともに供給されなければ 
日本の大手電子企業各社も全般的な打撃 
(1)日本の安全装置を逆利用しよう 
規制の死角、日本企業の海外工場を活用 
(2)「日本のアキレス腱」国際世論を作ろう 
WTO協定との整合性問題を争点化 
(3)国家主導で「産業百年大計」を立てよう 
長い目で材料の国産化戦略を

 「自由貿易」をスローガンに掲げた大阪の主要20カ国・地域(G20)首脳会議が“終わるやいなや”、議長国であった日本は韓国に対する輸出規制を公表した。まさにその公表時点から、日本政府の隠れた底意を知ることができる。国際的な合意を優等生のようにおとなしく守ってきたこれまでの姿とは違う、気に入らない国に対して国際社会の顔色を伺わずいつでも一撃を加えることのできる“強い国”であることを明らかにしたのだ。典型的な日本の右翼の志向点だ。
 このような“華やかな変身”を国際社会に見せた日本政府の輸出規制対象品目は、周知のとおりフォトレジスト(対日輸入比重91.9%)、エッチングガス(43.9%)、フッ素ポリイミド(93.7%)と呼ばれる半導体材料だ。韓国企業によるこれら材料の対日本輸入額は5000億ウォン(約460億円)に過ぎないが、これを使用して生産される韓国産半導体とディスプレイが全世界に輸出される総額はおよそ170兆ウォン(約16兆円)に上る。今回の輸出規制で日本側は失うものがあまりなく、韓国の方が受けるダメージは非常に大きいというのが、日本政府の計算だっただろう。安倍称賛を叫ぶ、日本国内のいわゆる専門家たちはこれについて「レバレッジ(leverage)が非常に大きな効果的な経済制裁」と相槌を打つ。日本の右翼の韓国に対する“宣戦布告”といえる。
 しかし、今回の輸出規制は韓国最高裁(大法院)の徴用工(強制労働)判決に対する日本の右翼の民族主義的な憤慨、つまり“感性的”な対応が大きく作用した。綿密に準備された措置に見えるが、実は日本政府は自国経済へのブーメラン効果についてはちゃんと抑えることができなかった。日本の嫌韓論者たちがみんなそうであるように、今回の措置の逆効果に関しても“理性的”な判断が欠如していたということだ。いま多くの日本企業が一様に、韓国に対する輸出規制が結局日本の主力産業である半導体部品・材料および装置産業を萎縮させ、日本経済全体を冷却させることを懸念している。輸出規制をめぐる日本の右翼と企業間の認識の溝は非常に大きい。最近、筆者の知人である京都の電子部品企業の最高経営者(CEO)は「安倍政権は政治的な論理に埋没して国内経済を世話する意志も能力もない」と話した。
 実際、韓日間の電子産業の分業構造の「歴史的経路依存性」によって、日本の先端材料・部品が適時に供給されず韓国企業の半導体生産ラインがまともに稼動しなければ、結局中長期的には日本企業も大きな損害を被ることになる。少なからぬ日本の専門家らがこの予想を支持する。言い換えれば、韓国の半導体がスムーズに供給されなければ、今回の輸出規制対象3品目だけでなく、ガラス板のような半導体製造に必要な他の日本の材料の韓国輸出も大幅に減少するしかない。そして、韓国半導体産業の設備投資は大幅に減り、そのために日本企業がこれまで圧倒的な競争力を発揮してきた、つまり日本経済を食わせてきた半導体製造装置輸出も販路がふさがれるは必至た。これだけではない。韓国企業の半導体を使用して電子製品を生産する日本企業も半導体の調達が難しくなり、今回の輸出規制の打撃を受けることになる。韓国が日本から輸入する化学材料は全体の収入の18.1%を占めるのに対し、経済規模が大きい日本が韓国から輸入する半導体などの電子機器は21.1%にもなるからだ。韓国企業が日本産材料で生産する半導体は東芝、ソニー、日本電気(NEC)のような大企業のコンピューターの生産に投入されていることに注目しなければならない。さらに、上記の日本の企業各社がスマートフォンやテレビ画面を生産するためには、韓国企業が日本の材料で作る有機発光ダイオード(OLED)がなければならない。それなら、安倍の輸出規制によって日本政府自らが、日本経済に占める量的な地位が非常に高い“国民的”大手電子企業たちの部品調達を妨げることになる。
 結局、安倍の輸出規制措置はまさに「自滅」だ。日本の財界はこれを懸念し、非公式的に安倍側と接触して撤回を要求している。国の経済立て直しを至上課題に設定した日本も、景気が良くなればなるほど彼らの経済の韓国に対する依存度が大きくなる。そして、日本の大手電子産業の独占資本が自民党や政府に与える影響力はかなり強い。これは結局、安倍の輸出規制措置が韓国を圧迫する「持続可能な」カードとして使われないことを示している。輸出規制によって日本の基幹産業である半導体製造装置産業が少なからぬ打撃を受けることになる。そうなると、ただでさえ長期不況にあえいでいる日本経済がより深い泥沼に陥るしかないからだ。自国の経済を崩しながら韓国を圧迫することはないのではないか。
 日本の今回の挑発に対し、韓国は次のような点を考慮して対抗するべきだと考える。第一に、輸出規制に隠しておいた日本政府の「安全装置」を逆利用することだ。日本の経済産業省は韓国に対する輸出規制を出しながら、世界的な競争力を発揮してきた日本の部品・材料企業の販路を完全には防がないために、実はこれら企業の海外生産拠点については輸出規制を適用していない。言い換えれば、日本政府が企業の批判をかわして逃げ出す“非常口”を用意しているという点に注目しなければならない。例えば、対日本輸入比重が非常に高いフォトレジストを生産する日本の主要企業はJSR、東京応化工業、信越化学工業だが、ベルギーにあるJSRの極端紫外線(EUV)用レジスト生産拠点のように日本のレジスト企業の生産は海外でも回っているため、「日本のレジストがどうしても必要であれば」海外の日本企業から調達すればよい。もちろん、このような対応が材料の国産化対応と歩調を合わせていかねばならないことは言うまでもない。現状況での対症療法だ。
 第二に、日本のホワイト国(グループA)リストの指定や解除の恣意性と、その審査制度が実質的に自由貿易を萎縮させていることを国際社会に強調しながら、兵器および戦略物資の輸出を統制するワッセナー協定の履行のための日本の輸出統制と世界貿易機関(WTO)協定との整合性問題を全面的にあらわにする戦略的対応が必要だ。日本の今回の措置が合理的な安全保障のための貿易管理運用の枠内にあるとしても、これはWTO協定との整合性を担保できないというのが事実だ。これは今の日本政府が問題視されることを最も嫌う、最大の“アキレス腱”だ。これまで国際社会の知恵と慎重さを元に維持された、WTOの自由貿易と安全保障に向けた貿易管理間の「平穏な共存」体制が、日本の今回の措置で崩壊する恐れが実際にとても大きいという点に食い下がらなければならない。
 第三に、材料の国産化に向けた長期的かつ根本的な対応が必要である。北東アジアの電子産業の貿易構造は、中国の台頭によって急変しており、韓国の対日本輸入依存度も1988年は30.3%だった数値が、2014年には10.2%まで大幅に下落した。このような経済状況の変化と、上記で言及した日本輸出規制の持続可能性の低さ、そして材料の代替輸入先を日本国外で見つけられることを考えれば、韓国経済がすぐに破局へと振り回されることはないと見るのが理にかなっている。それで、より長い目で、また総体的な目で、独占資本ではなく「国家が主導する」産業政策の百年大計を立てなければならない。つまり、大局的で公共性が堅持される材料の国産化戦略が必要である。短期的レベルの「経済報復」ではなく、長期的かつ根本的な省察と対応が切に求められる。急いだり一喜一悲してはならず、また、政治的にこの事件を解いて行ってはならない。これを機に材料関連技術の土台になる基礎科学研究のための研究費を、学縁・地縁、政治的利害関係で配分してきた政策、大学に短期的な研究成果だけを量的につつき出してきた政策も、軌道を大きく修正させられるようにするなど、材料技術に係わるすべての領域の政策とその主体を全方位的に点検してみる必要がある。
 「竹槍の歌」を歌うことはできる。しかし、これを高らかに歌いサムスンと民衆たちとの間の大同団結まで強制する必要はない。反日・愛国を掲げた国家主義の「狂風」の下、部品・材料の国産化に向けて延長勤労を強行し、財閥オーナーの違法行為については免罪符を与えるばかりでなく税金まで減免する経済的名分の反動は、牽制されなければならない。国家間、国民間の戦争ではない。「強い国」を夢見る「安倍」と、これを拒否する「反安倍」の間の戦争だ。
ヤン・ジュンホ仁川大学教授


日韓対立で『ワシントン・ポスト』が日本の歴史修正主義が原因と指摘!「日本が罪への償いを怠ったことが経済を脅かす」
 嫌韓煽動報道が完全に日常化してしまった日本メディア。8月14日の「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」、8月15日の「光復節」をめぐっても「反日ムードが高まる日」「反日集会」「文大統領が『光復節』で日本に対抗」などと、対立ムードを煽りに煽っていた。
 実際には、文在寅大統領は「慰安婦をたたえる日」集会には出席せず、「光復節」のスピーチでも日本に対話を呼びかける非常に冷静なものだったが、テレビのワイドショーは「文大統領のトーンが弱まった」としつつも、北朝鮮との経済協力を強調していたことに難癖をつけたり、8月2日のホワイト国除外閣議決定を受けて文大統領が発した「賊反荷杖」という言葉をもう一度引っ張り出すなどして(しかも、例の「盗人猛々しい」という“煽り訳”をつけるかたちで)、相変わらず文大統領攻撃を展開。「光復節」についても、まるで「韓国の反日がこれまで以上にエスカレートした」「日本糾弾イベント続々」などと報じた。
 しかし、今年の「光復節」は決して、日本のマスコミが決めつけるようなたんなる「反日の日」「日本糾弾の日」ではなかった。
 日本メディアはまったくと言っていいほど報じなかったが、「光復節」の演説で文大統領は日本に対話を呼びかけただけでなく、その「光復節」の本質について、こう語っていた。
〈光復は私達にとってのみ嬉しい日ではありませんでした。
日清戦争と日露戦争、満州事変と日中戦争、太平洋戦争まで
60余年間の長く長い戦争が終わった日であり、
東アジア光復の日でした。
日本の国民たちもまた、軍国主義の抑圧から逃れ
侵略戦争から解放されました。〉
「コリアン・ポリティクス」編集長・徐台教氏による全文訳
 日本メディアでは、「日本が敗戦した日は、韓国にとっては勝利、日本の植民地から解放された日」などと二項対立的に報じているが、文大統領は、多くの日本人にとっても終戦記念日は戦争と軍国主義から解放された日だとし、ナショナリズムを乗り越えるよう、日韓両国の国民に呼びかけたのだ。
 こうした姿勢は、韓国国民も同様だ。韓国国内の反日・不買運動などに対して当の韓国市民がNOの声をあげて撤回させていることなどがすでに報じられているが、日本メディアが「反日集会」「反日デモ」と決めつけたデモや集会も、単純に日本という国や日本人を攻撃する内容ではなくなっている。プラカードの多くはハングルで「NO安倍」と書かれ、抗議の内容も、多くは戦前回帰を志向し侵略戦争を肯定する安倍政権の動きを批判するものなのだ。
 また、韓国ではいま、『日本会議の正体』(青木理・著)の韓国版がベストセラーになるなど、安倍政権の極右思想の背景を検証する報道に注目が集まっている。
 これらの現象からわかるのは、韓国国民が日韓対立問題の本質をはっきりと認識するようになったということだ。
 いま、起きている日韓対立のエスカレートの責任のかなりの部分は、明らかに日本の歴史修正主義の台頭、そして安倍政権の侵略戦争肯定と戦前回帰政策にある。
 安倍首相は第一次政権で首相に就任するや、日本軍「慰安婦」の強制性を否定。米国から非難を浴びて撤回した後も、政権周辺がことあるごとに日本の戦争犯罪を否定し、先の戦争を肯定する発言を繰り返してきた。第二次政権になると、この動きはさらにエスカレート。2015年の終戦記念日には、日本の植民地支配と侵略を謝罪した村山談話を見直し、2015年末には慰安婦問題でまともな謝罪をすることなく、金で黙らせるような慰安婦問題日韓合意を結んだ。
 こうした安倍政権の姿勢が、韓国の国民の怒りと危機感を高まらせ、逆に日本の戦争犯罪を問い直す動きを加速させていったのだ。
ワシントン・ポスト「日本は何十万人を性奴隷にし朝鮮文化を根絶やしにしようとした」
 ところが、安倍政権はこの韓国との対立の沈静化を図るどころか、逆に“反韓感情”を煽動し続けた。徴用工問題で韓国の裁判所で日本企業に賠償責任を求める判決が出ると、参院選直前、消費税や年金問題などの不利な争点を隠そうと、官邸主導でその報復措置として対韓国輸出規制を決定した。
 しかも、国内では御用マスコミにオフレコで“徴用工問題への対抗措置”とリークして勇ましい姿勢をPRしながら、国際社会では批判を浴びることを避けるために「対抗措置ではなく、韓国に安全保障上の不備があったから」などとゴマカシを図るという、姑息な二枚舌作戦まで展開していた。
 こうした安倍政権の体質、やり口こそが最大の元凶であり、日韓対立をエスカレートさせているということに、韓国の人たちが気づき始めたのである。
 いや、韓国だけではない。欧米でも安倍政権の歴史修正主義の責任を問う声がどんどん強くなっている。例えば、米紙ワシントン・ポスト11日付電子版は、「日本が過去の罪への償いを怠ったことがいかに世界経済を脅かしているか」(How Japan’s failure to atone for past sins threatens the global economy)という記事を掲載した。
 記事はまず、世界のマーケットへの悪影響を指摘しながら、安倍政権の目的が徴用工問題での「報復」にあることをこう指摘する。
〈日本の動きはすでにメモリーチップの価格を急騰させており、世界のテクノロジーマーケットに恐ろしい影響を与えている。日本政府は制裁(the sanctions)の理由として安全保障上の懸念をあげているが、ほとんどの識者は、日本企業が第二次世界大戦中に強制労働させた朝鮮人に賠償金を支払うべきとした最近の判決に対する韓国への報復と見なしている。〉(訳は編集部による)
 そのうえで、日本政府がいまだに戦中のアジアへの侵略行為を清算できていないことをこのように解説するのだ。
〈日韓では何十年もの間、日本がどのようにして植民地支配の過去を償うべきかについての意見がわかれてきた。過去の数々の残虐行為をきちんと考慮してこなかったことが、東アジア地域を超えた経済的影響をもたらしているのかもしれない。さらなる平和と繁栄のために、国家というものは歴史に取り組まなければならない──その歴史がどれだけ醜悪だったとしても。
 第二次世界大戦の終焉とともに日本が帝国主義を放棄したそのときから、韓国のような元植民地では日本に対する根深い恨みが残り続けた。まず帝国主義の支配のもと、そして第二次世界大戦のあいだに、日本が犯した残虐行為の数々は、歴史上最も恐ろしいもののひとつだった。そこには、何十万人の“慰安婦”を性奴隷にしたことや、韓国の学童たちに日本語を教え込むことで朝鮮文化を根絶やしにしようとしたことも含まれている。〉
国際社会の批判を無視し、安倍政権の歴史修正主義と同化する日本マスコミ
 さらに同紙は、1965年の日韓基本条約にも触れ、〈しかし、この条約はまた、日本を過去の残虐行為の清算から逃れさせた〉として、交渉において日本政府と韓国軍事政権が戦争被害者の視点を考慮しなかったと指摘。その後、80年代から90年代にかけての韓国民主化の流れのなかで、それまで沈黙を強いられていた元「慰安婦」が声を上げたと解説し、〈条約は彼女たちの不満を扱うのに十分でないことを証明した〉と述べる。そして、過去の戦争犯罪を忘却させようとする日本社会と政治の歴史修正主義的な性格を指摘し、日韓の貿易問題に限らず、こうした状況が世界に及ぼす悪影響を示唆して記事を締めくくっている。
〈日本はまた口先だけの努力で(両国の)論争を煽り続けている。90年代以降、日本の政治的リーダーらは、日本の過去の悪行のお詫びと反省を表明するいくつもの談話や声明を出してきた。しかしながら彼らの釈明、あるいはその誠実さに疑問符を付けさせる悪名高い靖国神社参拝などの行為で、談話や声明を一貫して弱めてきた。
 日本社会は、第二次世界大戦で日本軍がしたことを認め、反省を示すことを失敗してきた。ドイツとは違い、日本は第二次世界大戦での残虐行為を人々に教育し思い起こさせる記念碑や記念館を建ててこなかった。現在の総理大臣である安倍晋三は、歴代の首相よりも歴史問題で強固な姿勢をとっており、それまで以上の謝罪をおこなわないことを明確にしている。学校教育では20世紀初めの日本は純粋に利権を追求したにすぎないと教えられ、日本の若者もまた自分たちの国が過去におこなったことについて謝罪する必要はほとんどないと思っている。こうした傾向はすべて、ナショナリストのパブリックメモリーとしてより強化し、現在の貿易問題を悪化させる恐れがある。
 貿易戦争が地域経済と世界経済に波及する前に日本と韓国が何かしらの合意に達する可能性はあるが、現在の問題が解決したとしても、日本が、近隣諸国との和解を達成するために、さらに広く一貫した努力をしないかぎりは、アジアは常に、別の経済的あるいは軍事的な危機に近い状況に不安定なかたちで置かれるだろう。難しい歴史の考慮を怠ったことが未来の繁栄に限界をもたらし、そして世界の他の地域が苦しむ結果になるかもしれない。〉
 日本政府がアジア侵略や戦争犯罪を反省し、被害を受けた市民一人一人に対して謝罪や真摯な対応をしなかったことが、現在の日韓関係の悪化を招き、さらには世界経済を混乱させかねない。そう追及するワシントン・ポストの論調は、国際的に考えて至極当然のものだろう。
 しかし、韓国国民が反日ではなく、安倍政権の戦前回帰、大日本帝国肯定に危機感を持っていることも、そして、欧米をはじめとする国際社会がワシントン・ポストと同様に、「安倍政権が過去の罪の償いに向き合わないこと」が韓国との対立の最大の原因だと捉えていることも、いまの日本のメディアはほとんど報道しようとしない。
 それどころか、テレビのワイドショーなどはまったく逆に、安倍政権の歴史修正主義、戦争犯罪否定をデフォルト化させ、植民地時代の差別的視線そのままに、洪水のような韓国ヘイト報道を展開しているのだ。
 17日、ジョージメイソン大学大学院博士課程の社会学研究者・古谷有希子氏が、「Yahoo!個人」に「日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる」と題した論考を発表。そのなかで、日本政府に対して〈たとえ貿易戦争で一時的に国民をスカッとさせるような結果を得ても、歴史修正主義に立った「歴史戦」は日本の外から見れば明らかに日本の劣勢であり、長期的に見れば勝ち目のない戦いである〉と警鐘を鳴らした。
 ネトウヨはこの論考に早速「反日」「韓国の回し者」と攻撃を加えているが、この分析は国際社会の動きを見ると、決して間違っていない。安倍政権の煽りに乗っかって、日本がのっぴきならない状況に追い込まれたら、間違いなく、その共犯者はマスコミである。


日韓対立 経済界は沈黙 政権への配慮鮮明 元徴用工問題で連携
 経済を巻き込んでエスカレートする日韓両政府の対立に、経済界が「沈黙」を守っている。良好な隣国関係はヒト、モノ、カネの自由で活発な往来で利益を得る企業活動の大前提のはず。対立の激化はビジネス環境を損ない、業績にも影響しかねないのに、経済人から政治への苦言が聞こえてこないのはなぜなのか。
 政府が半導体材料3品目の対韓国輸出規制の強化を決めた7月以降、財界3団体の記者会見では、日韓関係への見解を問う記者からの質問が相次いだ。
 だが財界トップらは「早期の関係改善を望む」と口をそろえつつ、慎重に言葉を選ぶ。経団連は「基本的には政府と同じ立場。それ以上のことはない」(久保田政一事務総長)。普段は政府への直言で存在感を示す経済同友会も「政治と経済はいま、どこを見ても密接に関連しているのが現実」(桜田謙悟代表幹事)と評価を避けた。
 8月に入り、政府が韓国を輸出手続きの優遇対象国から外す措置を打ち出すと、韓国が猛反発。それでも日本商工会議所を含めた財界3団体は文書でのコメントも出さなかった。
 「発信力が弱い。もっと意見を言っていいはずなのに」。財界団体の幹部を経験した企業首脳からは、こんな声も漏れる。
   ■    ■ 
 「沈黙」の背景に、安倍政権への配慮があるのは間違いない。
 「例の件については、会見で発言を控えていただきたい」。財界団体の元首脳は在任中の数年前、今回の日韓問題とは別の政治的に微妙な問題を巡り、首相官邸筋から踏み込んだ発言をしないよう定例会見の直前にくぎを刺されたことがあるという。
 アベノミクスで息を吹き返した経済界では2014年、経団連が会員企業に政治献金の呼び掛けを再開した。蜜月が続く安倍政権の方針に「経団連、経済同友会に日本商工会議所。みんな言いたいことを言えなくなっている」と元首脳は明かす。
 しかも今回の日韓対立は元徴用工問題に端を発している。韓国の訴訟で賠償を命じられた日本製鉄(旧新日鉄住金)や三菱重工業は財界団体の主要メンバー。日本企業が損害を被らないよう韓国に強硬姿勢を取る政府に対し「何か言えるはずがない」(大手自動車メーカー関係者)。
   ■    ■
 もっとも、財界には「政府の措置に、経済に悪影響を与える意図はないのでは」との見方が強い。
 経済産業省は既に、個別審査に切り替えた半導体材料3品目から韓国輸出を許可。個別許可が必要な他の約240品目でも、多くの日本企業の輸出実務は変わらないと説明する。
 だが韓国ビジネスは製造業だけではない。韓国ではビールや衣類、化粧品など幅広い日本製品が不買運動の対象に。訪日旅行のボイコットも予想以上に拡大した。九州の影響は大きく、温泉地などで韓国人観光客が減り、都市部では百貨店など小売りが早くも打撃を受けている。
 高ぶる国民感情は、個別の企業をさらなる沈黙に追いやる。日韓どちらの世論を刺激しても、ビジネスに影響しかねないからだ。九州の地方銀行頭取は「今の状況では韓国について何も発言できない」。思わぬ攻撃の対象にならないようリスクを避ける。
 緊張緩和に経済界が果たせる役割はないのか−。両国の企業・団体のトップらによる日韓経済人会議は9月24、25日、ソウルで開かれる。一度延期されただけに、対話と交流に関係者の思いは深いという。どんなメッセージを発信できるか、経済界の覚悟に注目が集まる。
■事態打開へ発言を
 韓国経済に詳しい日本総研の向山英彦上席主任研究員の話 経済界は、元徴用工問題への対応で政府と歩調を合わせており、政府に直接的に発言ができない。ただ、韓国の不買運動の影響が予想を超えて広がっており、経済界が事態打開に向けて役割を果たすことが求められる。経済界は政府に慎重な行動を求めるなど、日韓関係の一段の悪化を避けるためのメッセージを発信してほしい。

後ろインの夢/エクセルで計算/天文館に呼び出され

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第66回阿佐ヶ谷七夕190807

Nouvelles pressions sur le Japon pour sa chasse à la baleine
Le Japon a assuré ce vendredi ne plus chasser de rorquals boréals, une baleine classée ≪en danger≫, dans les eaux internationales, mais s'est vu accuser de violer un traité en autorisant la vente d'anciens stocks de viande de cette espèce.
Le rorqual boréal est classé ≪en danger≫ sur la liste rouge de l'Union internationale pour la conservation de la nature (UICN). Long de 20 mètres, ce cétacé, le plus gros du monde après la baleine bleue et le rorqual commun, a été la cible principale des captures ≪scientifiques≫ japonaises depuis le début des années 2000. En octobre 2018, le Comité permanent de la Convention sur le commerce international des espèce de faune et de flore sauvages menacées d'extinction, connue sous le nom de CITES, a déclaré que le Japon chassait illégalement dans les eaux internationales le rorqual boréal. Le Comité avait estimé que l'abattage de quelque 1500 rorquals boréals depuis 2002 par le Japon poursuivait des objectifs commerciaux et n'avait donc rien de scientifique.
Le Japon a affirmé vendredi devant le Comité qu'il n'autorisait plus la chasse des rorquals boréals en haute mer. ≪Cette question doit être considérée comme close≫, a déclaré un membre de la délégation japonaise, devant le Comité, réuni à Genève alors que s'ouvre samedi dans cette même ville une réunion internationale de la CITES réunissant les 183 pays qui ont signé le traité. Mais les membres du comité issus de l'Union européenne et de plusieurs autres pays, dont Israël, les Etats-Unis, le Niger, le Sénégal et le Pérou, ont fait part de leurs divergences avec le Japon. Plusieurs ont exprimé leur indignation face à la vente des stocks passées de viande et de graisse de ces baleines en danger.
Selon les défenseurs de la nature, 1500 tonnes de chair de baleine provenant de 131 rorquals boréals tués en 2018 ont été commercialisées au Japon. ≪C'est réellement choquant≫, a déclaré le représentant du Niger, soulignant que lorsqu'un trafic d'espèce menacée est démantelé, comme dans le cas des éléphants, les stocks d'ivoire sont confisqués et détruits. Le Japon a souligné qu'il avait immédiatement suivi la décision prise par le comité en octobre dernier, mais s'est opposé à ce qu'elle soit appliquée rétroactivement.
À l'issue des débats, le Comité a ordonné d'établir un rapport sur l'utilisation de ses stocks de rorquals boréals, mais a reporté à l'année prochaine la discussion sur une éventuelle confiscation de ces stocks. Fin juin, le Japon a relancé officiellement la chasse commerciale à la baleine, actant la décision prise il y a six mois de quitter la Commission baleinière internationale (CBI) et de s'affranchir ainsi d'un moratoire appliqué durant trois décennies.
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フランス語の勉強?
小田嶋隆 @tako_ashi
学校教育の中で知的な訓練を積んだ「頭の良い」人は、自分の意見を論理的に主張する高い能力を持っている一方で、「他人の話に耳を傾ける最低限のマナー(というか習性)」を身に着けている。それゆえ主張する力だけが滅法強くて、相手の話にまるで耳を傾けないヤー公とやり合うと、ほぼ全く勝てない。
孫崎 享 @magosaki_ukeru
トライアスロン、オリンピックできるの。「東京五輪のテスト大会を兼ねたトライアスロンのワールドカップで、採取されたサンプルで大腸菌の数値がITUの基準値上限の2倍を超えスイムが中止になった。」“肥溜め”説は正しかった。屈辱の事態。これを批判してたのが日刊ゲンダイ。大手新聞は駄目だ。
小田嶋隆 @tako_ashi
来年の東京オリパラは、日本という国家の零落を全世界に向けて公布するイベントになると思っている。
あえて理由は説明しないし、特に根拠を提示することもしない。
この何年か、配信されてくる記事を注意深く読んでいる人間にはおのずとわかることだ。

内田樹@levinassien
僕も同感です。五輪は莫大な金をかけたイベントなんだけれど「日本は莫大な金をドブに棄てることができるくらいにリッチであり、そんな愚行を国民が止められないくらいに効果的に統治されている国です。ピース」というメッセージ以外にとくに世界に向けて発信するものはありません。
武田砂鉄 @takedasatetsu
明らかなウソをついて招致したことを忘れてはいけないと思うんです。
「2020年東京大会の理想的な日程」「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」
(組織委員会がIOCに提出した「立候補ファイル」)

小田嶋隆 @tako_ashi
病院の大部屋では、カーテンを隔てた隣のベッドの患者と、見舞客の会話がすべて聞こえてくる。
余儀なく気付かされるのは、対等な関係の夫婦がほとんど存在しないことだ。必ずや、どちらかが威張り散らして、もう一方が屈従している。他人事ながら、よくあんな相手と…と思わずにおれない。
結局、夫婦というのは、人間の中にある極端な性格を、無害化しつつ受け止めるショックアブソーバーのような機関なのだろう。
 そんなわけなので
「夫婦喧嘩は犬も食わない」
 というこことわざを補完する意味で
「夫婦円満は豚も食わない」
 という警句を提案しておきたい。

星空の能町みね子 @nmcmnc
不謹慎だけどちょっとオリンピックが楽しみになってしまっている。あらゆる面ですごく失敗しそうだし、だったら歴史に残るとんでもない大失敗が見たい!というゲスな方向に興味が湧いてきている。世界中からむちゃくちゃ叩かれるオリンピックなんてなかなか見たことないし。選手には悪いけど
「なんとなくうまくいきました」なんてのは望んでいない。私が望むのはオリンピックのとてつもない大失敗である。ボイコット続出、全員熱中症、ボランティア逃亡、レガシーとか呼んでた建物全部廃墟化、責任者全員責任転嫁、国家予算破綻、死屍累々、地獄のような事態!スクラップアンドスクラップ!

白石草 @hamemen
「男系男子」に固執すれば、いずれ後継が絶えるので、その時点で天皇制は廃止したらいいと思います。
皇位継承議論、見えぬ展望 「女性・女系」、政権内に抵抗感 政府、10月以降に検討本格化:朝日新聞デジタル

きのまり @kinota90
24時間テレビ「障害者がこんなことに挑戦、感動するでしょ?」なんてことばかりやってないで、あらゆる障害を紹介して「どんなことに困ってる。こういう時は周りからこういう風に助けて欲しい」とかをテレビマンの力で面白い番組にして放送して欲しいな。芸能人は走らなくていいから。
報道特集「最悪の日韓関係〜和解への道は・戦争孤児と500人のお母さん」
最悪の日韓関係〜和解への道は
慰安婦や徴用工の問題、輸出管理の強化をめぐり最悪の状況となった日韓関係。日韓の学生交流、ソウルで暮らす日本人妻、韓国人元外交官などを取材し和解への道を考える。
戦争孤児と500人のお母さん
戦争で親を亡くした孤児たちの体験を描き続ける85歳の女性。戦争孤児の実情を知り、親を亡くした子供たちの養育に人生を捧げた106歳の女性。彼女たちの壮絶な体験とは。 膳場貴子 金平茂紀 日下部正樹 宇内梨沙 田中宏之 吉岡弘行 吉田豊 ◇番組HP http://www.tbs.co.jp/houtoku/ twitter @tbs_houtoku http://twitter.com/tbs_houtoku ◇facebook http://www.facebook.com/tbs.houtoku


後ろインの夢を見ました.なんだかね.
午前中に頑張ってエクセルで計算しました.あとで微調整をします.
夕方市電で天文館に来て!ということで呼び出され,喫茶店でコーヒーを飲みました.

<東日本大震災>復興支援にトラック野郎集結 「一番星号」も登場
 装飾を施したトラック「デコトラ」の運転手らによる「東日本大震災復興チャリティー大会in白石」が14日、白石市のみやぎ蔵王白石スキー場駐車場で開かれた。
 全日本アートトラック連盟と全国哥(うた)麿(まろ)会の主催で、各地からデコトラ約200台が集結。開会式で震災犠牲者と、映画「トラック野郎」シリーズの故鈴木則文監督、主演俳優で仙台市出身の故菅原文太さんらに黙とうをささげた。
 会場には、着物姿の女性や桜吹雪など色鮮やかな絵柄のデコトラが並んだ。映画で菅原さんが乗った「一番星号」への乗車体験や、歌謡ショーもあった。来場者に寄付金を呼び掛け、市社会福祉協議会に贈った。
 大会は2012年から津波被災地で開かれ、内陸部では初めて。哥麿会の田島順市会長は「震災復興は真ん中ぐらいだが、東北以外ではほとんど忘れられている。被災地の皆が安心できるまで活動を続けたい」と述べた。


原発事故後の職員採用4割超 福島、避難指示の自治体
 東京電力福島第1原発事故で国の避難指示が出た11市町村の職員全体の4割超が事故後の採用であることが17日、各自治体への取材で分かった。避難生活が長期にわたり早期退職が続出したことなどが主な要因だ。
 若手の活躍が期待される一方、事故前の町の様子などを知らない職員も増加。住民の帰還促進に向け、知識やノウハウの継承が課題となっている。
 全職員に占める2011年度以降採用の職員数(任期付き、再雇用を除く)を11市町村に今年4月時点で聞いた。南相馬市、富岡町、浪江町、川俣町、飯舘村の5市町村で45〜48%。第1原発が立地する双葉町と大熊町など3町は50%を超えた。


16年台風10号で被災「生活橋」復旧に遅れ 個人資産に町独自補助でも、重い自己負担 岩手・岩泉
 2016年8月の台風10号豪雨で甚大な被害を受けた岩手県岩泉町で、河川沿いの民家と対岸の道路を結ぶ「生活橋」の復旧が遅れている。日常生活に欠かせないインフラだが、個人資産の橋の復旧に国や県の支援は見込めない。町単独の補助制度にも厳しい財政事情が影を落としている。
 山あいに位置する鼠入(そいり)集落。鼠入川に沿って続く町道は、所々に変形してさび付いたガードレールが今も残る。
 「ごうごうという川の流れと、大きな石と石がぶつかる音がした。おっかなかった」と中村愛子さん(71)。自宅前に渡されていた生活橋は3年前の8月30日、鼠入川の濁流にのまれた。
 現在は町が鉄パイプと板で整備した仮設橋を利用しいる。「それだけでもありがたいが…」。仮設橋では強度や耐久性に限界があり、強風時や降雪時には危なくて行き来を控えることもある。
 川沿いに民家が点在する町に生活橋は190カ所あったが、台風10号豪雨で73カ所が流失した。本格復旧したのは3年を要して13カ所にとどまる。場所によっては橋を再建するのに100万〜数千万円がかかり、総額では5億円以上になると推計される。
 台風10号豪雨被害は激甚災害に指定され、道路や河川の復旧工事は全額国費で賄われるが、個人資産は対象外だ。
 このため町は、生活橋の復旧に対して1000万円を上限に9割を補助する制度を活用して対応。町財政をやりくりし、これまでに約1億1000万円の予算を計上してきたが、住民は高齢者が多く、1割負担でも出費は厳しい。
 補助財源に充てる寄付金を募る取り組みも始めたが、7月末時点で確保できたのは約1778万円。時の経過とともに募金額は減少傾向にある。
 町は今後、河川改修工事の進展状況を見極めながら生活橋の本格復旧を急ぐ方針だ。佐々木真町復興課長は「住民にとって生活橋は重要。補助制度を活用し、できるところから対応していく」と話す。


気仙沼から大型サンマ船が出港
全国的にサンマの不漁が続いている中、全国有数の水揚げを誇る宮城県気仙沼市から17日、サンマ漁船が一斉に出港し、家族たちが見送りました。
気仙沼港を拠点とするサンマ漁船は例年、8月下旬から北海道沖での漁に参加していて、17日、100トン以上の大型漁船12隻が前線基地の北海道に向けて出港しました。
大漁旗を掲げた漁船が海に向かう中、地元の人たちは威勢のよい太鼓を打ち鳴らして航海の安全と大漁を願い、船員の家族は手を振って別れを惜しんでいました。
夫を見送りにきた20代の女性は「たくさんサンマをとってきて欲しいですが、なにより安全に気をつけて帰ってきて欲しいです」と話していました。
サンマ漁をめぐっては、去年までの4年間、全国の水揚げ量が例年のおよそ半分にとどまり、漁獲量の落ち込みを食い止められるかが業界全体の課題となっていますが、先月の水産庁の発表によりますと、ことし日本の漁場に来るサンマの量は、低水準だった去年をさらに下回ると予想されています。
第81豊清丸の中舘捷夫漁労長は「ことしもサンマが少ないという厳しい予測はあるが、見送りに来てくれた方の応援をバネにして結果が出せるよう頑張りたい」と話していました。


復興庁存続  防災強化の議論どこに
 東日本大震災からの地域再建を担う復興庁が、設置期限の2021年3月末以降も現体制のまま存続する見通しとなった。
 岩手、宮城、福島など被災県で、復興事業が進んでいるとはいえ、地域の間でばらつきがある。復興庁への地元の期待を考えると、存続は当然といえよう。
 ただ、現体制の形を続けるというだけでは、これまでの議論は何だったのか、と疑問を抱かざるを得ない。
 後継が検討される際、復興だけでなく、防災強化と合わせた強力な組織づくりが議論されたはずだ。全国知事会が提唱する「防災省」創設など、災害大国としてのビジョンや危機感が抜け落ちているようで、残念だ。
 現実的な想定となっている南海トラフ巨大地震や首都直下型地震に、どう備え、対応するのか。さらに昨年の西日本豪雨など、甚大な被害をもたらす自然災害に毎年のように見舞われる状況に、どう向き合うのか。
 こうした現状認識から、専門家らは「防災省」や「防災・復興庁」の設置を提言している。防災・減災・避難を考えた地域づくりから、災害時の対応、復旧・復興まで一貫して担う組織だ。専門職員が継続して任務にあたることによって、教訓やノウハウが蓄積され、迅速で実効性のある対応が期待できるというわけだ。
 復興庁の存続は、自民、公明の与党復興加速化本部が今月提言した。これまでの議論では、震災後の熊本地震や豪雨を重く受け止め、「平時・有事の防災・減災対策に万全を期する緊急時対応」も後継組織に求めていたが、一転して復興だけになった。
 被災県の要望が、現体制の継続だったためというが、それで防災強化の議論が消えてしまってはいけないだろう。
 提言では、内閣府と内閣官房に分散する司令塔機能を一元化し、組織の格上げを求めている。官邸主導の防災強化をうたうが、防災省構想などの議論を棚に上げて、お茶を濁すようにしかみえない。
 復興庁の現状をみると、職員は各省庁からの出向で、仕事は交付金の配分調整にとどまる。復興担当相は司令塔の役割を果たせないという。こうした体制を変えないと、継続の意味は示せない。
 東日本大震災から大切な教訓を数多く得た。それらを生かした本格的な防災・復興組織が、災害多発時代に入った今、求められている。大局的な議論が必要だ。


甲状腺がんになりうる経過観察の子どもたちは“3500人”いる
柳原敏夫さん(弁護士)
 2011年3月の東京電力福島第1原発事故からまもなく8年半になるが、放射線被ばくによる甲状腺がんの疑いのある子どもが増え続けているという。
 甲状腺検査の対象は、事故当時18歳以下や事故後1年間に生まれた福島県内の子どもら計38万人。県は甲状腺がんやその疑いがある子どもは218人(今年3月時点)としている。だが先月、NPO法人「3・11甲状腺がん子ども基金」は〈県の集計は6月末時点で少なくとも18人漏れている〉と発表。県外の医療機関で見つかったり、検査後に経過観察になって、がんと診断された例があるという。
 先月の県民健康調査検討委員会は県民を対象に実施している検査では27万540人のうち、71人に「甲状腺がんあるいはがんの疑い」と報告したが、この71人について「被ばくとの関連は認められない」と結論付けているのだ。
「子ども脱被ばく裁判」弁護団で「市民が育てる『チェルノブイリ法日本版』会」共同代表でもある柳原敏夫さんは言う。
「そもそも71人もいるのは多いし、県民健康調査検討委に2次検査でがんの可能性が低いとして“経過観察”と診断された子どもは今年7月時点で3500人を超えます。しかし、のう胞やしこりが大きいため依然要注意です。ところが、経過観察からは保険診療へ移行になるため県は関知しないという姿勢なのです。経過観察で放置しておくと、がんに発展する可能性が高まります。私たちが裁判で何度も問いただしても、県は経過観察中に甲状腺がんが発症した症例数を決して明らかにしません」
 過去には、検査で経過観察となった事故当時4歳の男児がその後、甲状腺がんと診断されていたこともある。
 事故から8年にして真相解明に向け明るさも見えてきた。
 先月9日に福島地裁で行われた「子ども脱被ばく裁判」の20回目の弁論で、長崎大教授で福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの山下俊一氏、そして福島県立医大の教授で「県民健康調査」の甲状腺検査の責任者だった鈴木眞一氏の証人採用が内定したのだ。
「鈴木氏の採用については被告である国と福島県から『鈴木氏の尋問は書面で足りる』と猛反発がありましたが、裁判所は『健康被害はなかったのかどうか聞きたい』と突っぱねた。私たち原告にとっても想定外の展開でした」
 柳原さんたちは、現在新たな取り組みを始めた。1986年のチェルノブイリ原発事故後に旧ソ連が制定した「チェルノブイリ法」、その日本版の条例制定を目指す直接請求の署名活動だ。
 これは「放射能の汚染地区から移住する権利」「医療・健診の保障」などを認める条例である。
「立ちあがったのは、三重県伊勢市の保養団体『ふくしまいせしまの会』の人たちです。3・11以降、福島の子どもたちを積極的に受け入れていますが、汚染地区から自主避難した住民への公的支援はありません。『チェルノブイリ法』と同様の原発事故の救済をまずは条例から作っていこうという草の根運動です」
 8月30日までに2500人以上の署名が集まれば、市長を通じて市議会に条例案の審議・採決を求めることができる。(取材・文=小野真依子/日刊ゲンダイ)


韓国が切り札で反撃 安倍首相の嘘が招いた“東京五輪潰し”
 泥沼化する一方の日韓関係が“寝た子を起こす”展開になるかもしれない。
 韓国外交省の報道官が13日の会見で、福島第1原発でたまり続ける汚染水について、「韓国国民の健康や安全を最優先として、汚染水の管理状況や処理計画について、日本に情報公開などを積極的に要請していく」とする方針を発表したからだ。
 報道官は「必要に応じて国際機関や太平洋沿岸国とも協力し、汚染水の放出問題に対応していく」と強調していたが、慌てているのは、五輪招致をめぐる2013年のIOC総会で、汚染水について「アンダーコントロール」と世界にウソ八百を発信した安倍首相だろう。
 東電によると、福島第1原発の汚染水は敷地内のタンク960基に約115万トンに上り、タンクは22年夏ごろには満杯になる。
 すでに、台風や大雨の際には汚染水が原発の地下を通って周辺海域に“ダダ漏れ”している疑惑も指摘されており、明らかに「アウトオブコントロール」の状態だ。
 時事問題を扱う米誌「ザ・ネーション」は7月25日、<オリンピックに向けて福島は安全か?>と題した記事を掲載。<福島を訪問したが、大会組織委が掲げる「復興五輪」には議論の余地がある><我々がここ(福島)で会った人の中で、安倍首相の「アンダーコントロール」という大ボラを信じている人はいない>と断じていた。
 つまり、世界の誰もが、安倍のウソをうすうす気づいてはいるものの、被災地住民の生活などを考えて声を上げてこなかっただけ。韓国はそこに真正面から切り込んできたワケで、日本が仕掛けた輸出規制に対する「切り札」と言っていい。今後の展開次第によっては韓国だけじゃなく、他の国も原発の「アウトオブコントロール」状態を懸念し、ボイコットが相次ぐかもしれない。まさに“東京五輪潰し”だ。
「安倍政権にとっては、痛いところを突かれたと思います。韓国は震災以降、日本の農産品などについて輸入規制を強化するなど、厳しい目を向けてきました。安倍政権は東京五輪を成功させたいのであれば、韓国の要請を無視できないでしょう。国際社会は、安倍首相の『アンダーコントロール』発言に根拠がないとうすうす分かっているからです。安全を証明する挙証責任は日本側にあります」(高千穂大教授の五野井郁夫氏=国際政治学)
「やんのかぁ、こらぁ」「上等だぁ」などと田舎の暴走族のような小競り合いを続けていることが、どれだけ国益と信用を損なうのか。本当に五輪中止に追い込まれないと安倍政権は気づかないのだろう。


東京パラまで1年/共生社会へ弾みをつけたい
 2020年東京パラリンピックまで25日であと1年。22日からチケットの申し込みも始まる。障害者スポーツを知り、共生社会への取り組みを一層進める契機としても、五輪同様、成功への準備を進めていかなければならない。
 東京パラリンピックは来年8月25日から9月6日まで13日間、東京都内を中心に22競技540種目が開催され、世界から約4400人の選手が参加する。東北からも多くの選手の出場が期待される。
 首都圏を中心とする会場周辺では、ハード面でのバリアフリー化も進む。大会後にはそれが基準となり、全国に広がっていくはずだ。
 ただ、国民的な関心は直前に行われる五輪に比べ、低さが否めないのは確かだ。
 パラリンピックは第2次世界大戦後の英国で、負傷した軍人のリハビリや治療の一環として行われた大会から始まったという。日本でも一般スポーツは文部科学省所管となっているのに対し、障害者スポーツは厚生労働省が所管となり、「福祉」として扱われていた時代が長く続いた。
 11年8月に施行されたスポーツ基本法で、障害者スポーツの推進を初めて明文化。13年に20年五輪・パラリンピックの東京開催が決まり、障害者スポーツが文科省に移管されたのは翌14年のことだ。15年に文科省の外局としてスポーツ庁が発足し、行政一元化が実現した。
 行政の動きをみても、「福祉」から「競技」という意識の変革は、始まったばかりと言える。
 日本パラリンピック委員会は、「多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場。共生社会を具現化するための重要なヒントが詰まっている大会」としている。
 さまざまな障害を創意工夫で克服し、限界に挑むアスリートの姿が「社会の中にあるバリアを減らす重要性、発想の転換の必要性への気づきをもたらす」と意義を強調する。
 パラリンピックには、ボッチャやゴールボールなど独自の競技がある。五輪は陸上100メートルの金メダリストが男女1人ずつだが、東京パラリンピックでは100メートル決勝が男女で30近くある。障害の部位、程度などによりクラス分けが行われ、それぞれのクラスで金メダリストが生まれる。
 また、パラリンピックは、障害者スポーツすべてを包括しているわけではない。採用されていない競技、実施されない種目はある。
 ろうの競技者による「デフリンピック」、知的障害者の「スペシャルオリンピックス」という別の総合スポーツ大会もある。まだまだ知られていないことは多い。
 東京開催を前に、より多くの人がパラリンピックや障害者スポーツを学び、触れる機会を持つことで、1年後の大会でさまざまな「気づき」を生むはずだ。


長引く香港の混乱 介入回避が長官の責務だ
 香港から中国への犯罪容疑者移送を可能にする「逃亡犯条例」改正案への反対運動に収束の気配が見えない。香港国際空港がデモ隊の占拠でマヒする事態にまで発展した。
 民主派の要求に耳を塞ぐ香港政府への批判も高まる。中国の無用な介入を招かぬように香港政府が民主派との対話に動くべきだ。
 条例案をめぐっては6月の大規模デモ後、林鄭月娥(りんていげつが)行政長官が事実上、廃案にする考えを表明した。しかし、民主派は完全撤回や林鄭氏辞任を求め、抗議活動を続けている。
 香港市民の多くが憤るのは催涙ガスや暴動鎮圧用の銃を用いた香港警察の過剰な警備行動だ。デモ参加者から多数の負傷者が出ていることに国連人権高等弁務官も国際基準に合わないと懸念を示した。
 独立調査委員会で警察の「暴力」の実態を調べるよう求める意見も多い。林鄭氏が耳を傾ければ、対話の環境も整うのではないか。
 中国政府はデモ隊が国旗や国章を毀損(きそん)したことを非難し、デモを支援する米国や旧宗主国の英国などの動きを「内政干渉」と批判する。
 しかし、アジアの金融センターで交通の要所でもある香港の行方に国際社会が関心を持つのは当然だ。
 香港と隣接した広東省深センには武装警察部隊が集結している。中国軍が介入すれば、世界から厳しい批判を浴びることになるだろう。
 香港駐留部隊以外の軍が境界を越えられるのは戦争か国家の安全が脅かされるような緊急事態の場合に限られるはずだ。正体不明の集団がデモ参加者を襲う事件が起き、デモ隊の一部が過激化するなど混乱は拡大しているが、非常事態とは程遠い。
 民主的な選挙を経ていない行政長官は権威を欠く。中国のあやつり人形という批判もある。しかし、警察を含めた政府を指導し、法、予算を執行する権限を持つことも事実だ。
 林鄭氏は今の香港の状況について「引き返せるかどうかの瀬戸際にある」と危機感を示す。それなら、自ら動く時だ。民主派との対話と共に中国に「1国2制度」の重要性を説き、介入を防ぐことが求められる。
 今後もデモや集会が予定されている。デモ隊側も「非暴力、理性的」という方針を貫き、香港政府に対話を促すべきだろう。


香港の逃亡犯条例 「完全撤回」しか道はない
 中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案を巡る大規模な抗議デモが香港で激しさを増している。一時は香港国際空港が機能停止に追い込まれた。香港政府は改正案を完全に撤回し、事態の収拾を図るべきだ。
 一党独裁の中国では、意に沿わない活動をする弁護士らを拘束するなど、国家権力による人権じゅうりんが後を絶たない。
 改正案が可決されると、中国に批判的な香港の活動家が本土に送られて、不当な扱いを受ける恐れがある。香港の人々が反発するのも当然だ。
 香港の行政長官は、各業界団体代表ら親中派が多数を占める「選挙委員会」による投票で選ばれ、中国政府が任命権を持つ。民意を代表する存在ではない。
 事実上、親中派しか行政長官選に立候補できない制度の導入を2014年に中国が決定した際には、香港の学生らが真の普通選挙を求め大規模デモ「雨傘運動」を起こした。
 民意を反映させる仕組みが整っていない中で、政策を改めさせる手段は限られている。思いつくのはデモぐらいだ。今起きているのは、やむにやまれぬ行動と見ていい。
 これに対し、中国政府の香港担当部門は、香港警察によるデモ隊の排除を断固支持すると表明する一方、香港政府の要請があれば現地の中国人民解放軍の出動が可能という立場にも言及した。
 香港に接する広東省深圳では、中国の武装警察隊員ら数百人が制圧訓練を実施した。武力行使も辞さない構えを見せる。
 中国では1989年、学生らの民主化要求デモを当局が武力弾圧した「天安門事件」が起きた。無差別の発砲で多数の死傷者を出している。319人が死亡したとされるが、正確な人数は不明だ。中国共産党と政府は弾圧を正当化している。
 高度の自治を約束した「一国二制度」の香港で、中国が実力行使に踏み切るならば、国際社会の厳しい非難を招くのは間違いない。強く自制を求めたい。
 他方、デモ隊の一部が破壊行為に及ぶなど、過激化している。このままだと強硬手段を正当化する口実を当局側に与える。平和的な方法で世論に訴えるべきだろう。
 香港の警察隊は催涙弾を発射して強制排除に乗り出した。多数を逮捕し、負傷者も続出している。極めて憂慮すべき状況だ。
 香港政府に求められるのは、大規模なデモを繰り広げる若者らの声に真摯(しんし)に耳を傾け、民意に従うことだ。対話なしには何も解決しない。
 この問題で英国やフランスは平和的な解決策を見いだすよう香港政府に促している。トランプ米大統領は近く中国の習近平国家主席と電話会談をする予定だという。
 根本にあるのは人権の問題だ。日本政府も傍観せずに存在感を示すべきだ。


混乱続く香港 力による弾圧は避けねば
 香港社会の混迷が続いている。武力による弾圧ではなく、平和裏に事態を収束させることが何よりも急がれる。
 刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正案を巡り、若者らによる香港政府への抗議活動が各地で広がりを見せている。
 香港国際空港のロビーや出発ゲートで、12日から2日連続で数千人が座り込んだ。
 12日は約170便がキャンセルされ、13日も400便以上が欠航となった。アジア有数のハブ空港は大混乱し、機能停止状態になってしまった。
 香港では5日に呼び掛けられたゼネストに航空業界の関係者も参加し、約250便が欠航したばかりだ。
 11日の繁華街での抗議活動で、警察が発射した鎮圧用の弾を右目に受けた女性が負傷したと抗議参加者は批判している。
 空港では、抗議活動に批判的な論調の中国紙記者が、殴打されるなどの暴力行為を受けて負傷した。
 中国が武装警察を集結させて直接鎮圧に乗り出すという観測も米国側から流れている。
 強圧的な介入で、死傷者が出るような事態は避けなければならない。力による鎮圧には自制を求めたい。
 気に掛かるのは、混乱の背後に貿易協議を巡る米中の駆け引きがちらついていることだ。
 米国は9月1日に発動する中国への「第4弾」の制裁関税の一部を12月に延期し、貿易交渉の前進を図っている。
 香港問題で中国が武力介入に踏み切れば、米国は1989年の天安門事件後に科した経済制裁のような強硬策を取らざるを得ないだろう。
 そうなれば中国は反発を強めて、2020年11月の米大統領選前の貿易交渉の進展は不透明になる。
 米政権は中国政府に香港の自治を尊重するよう迫っているが、中国は「デモの黒幕は米国」と主張し、緊張緩和は見通せない状況だ。
 問題解決に向け、トランプ米大統領と中国の習近平国家主席とのトップ協議が必要な場面も出てくるかもしれない。
 実現できるとしたら、米中2大国のトップで、香港の問題を早期に人道的な解決に導く協議をしてもらいたい。
 香港では市民生活や地元経済への影響が拡大している。
 日本を含む各国は旅行者への注意喚起を出しており、8月の旅行者数は昨年より3割近く落ち込んでいる。
 夏休みで通常なら観光客数がピークを迎えるが、一連の欠航は10万人に影響し、例年の7割近い数のツアーが延期や中止になった。
 アジアの金融市場として台頭してきた地位にも悪影響が及んでいる。
 香港の人々の危機感や不安を中国政府はきちんと受け止め、誠実に対応するべきだ。
 「逃亡犯条例」改正案の完全撤回や、大幅な修正を真剣に検討してほしい。


香港大規模デモ 流血の事態回避へ全力を傾けよ
 中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案を巡って大規模なデモが続く香港で、緊張の度合いが一層高まっている。中国の武装警察(武警)隊員らが、香港に接する広東省深圳で制圧訓練を実施し、武力介入も辞さない姿勢を鮮明にしている。
 6月以降、収束が見通せないデモに中国政府が業を煮やした格好だが、武力を使えば1989年の天安門事件のような流血の事態が懸念される。今回のデモの根源には、中国政府が「一国二制度」の下、返還後の香港に認めたはずの「高度の自治」が揺らいでいることへの強い危機感がある。市民の切実な声を武力で封じ込めることは許されない。香港政府は中国側に自制を促し、対話による解決へ導くよう全力を注がねばならない。
 「逃亡犯条例」改正案は、若者らによる「100万人デモ」を経て、香港政府のトップが廃案を受け入れる方針を示したが撤回は明言しなかった。これに改正案反対派が激しく反発。今月12日からは、香港国際空港のロビーや出発ゲートで数千人が座り込み、2日間で計約600便が欠航するなど、アジア有数のハブ空港が大混乱に陥る事態にまで発展した。
 一連の抗議に対し、中国政府は「重大な犯罪で、テロリズムの兆候が出始めている」と非難を強めている。加えて、これまで香港情勢に関して積極的な発言を控えてきたトランプ米大統領が唐突に介入を始め、事態をより複雑化させている。
 トランプ氏は、香港問題と貿易協議を絡め「中国は香港で問題を抱えているが、貿易では取引したがっている」と言及。中国との貿易摩擦が激化する中、習近平指導部に圧力をかけ、貿易面で中国から譲歩を引き出す狙いがあるのは明らかだ。来年の大統領選を見据えた動きでもあり、自国や自身の都合で香港の混乱に拍車をかける行為は認められない。
 武力介入をけん制する米国に対し、中国政府は「内政干渉」と強く反発している。今回の武警の制圧訓練は、デモへの武力行使も辞さない強硬姿勢を内外に見せつける意図があるとみられる。習指導部が、香港問題でも貿易協議でも妥協するかは予断を許さない。米中両政府は二つの問題を切り離し、デモを人道的に解決することを最優先に対処を急ぐべきだ。
 香港が米中二大国のはざまで「内憂外患」の状態となり、政府トップが求心力を失う中、デモ隊の過激化に歯止めがかからないのは憂慮すべき事態だ。混乱の長期化は、5年前の行政長官選挙の民主化を求めた大規模デモ「雨傘運動」が、実りのないまま収束し、香港市民に不満が積もっていたことが背景にある。中国政府は、抑圧や弾圧を強めれば、かえってデモを過激化させると認識しなければならない。民衆側も、冷静さを失わず、暴力に頼らない活動を広げることが求められる。


天皇と靖国神社 不参拝の姿勢は重い
 靖国神社が昨秋、当時の天皇陛下(現上皇さま)に「行幸(ぎょうこう)請願」をしたが断られていた。一九七八年のA級戦犯合祀(ごうし)が天皇の不参拝の契機だとされる。その姿勢はもはや明白で決定的ともいえる。
 天皇と靖国神社とは歴史的に深く結び付いている。戊辰戦争の官軍側戦死者らを弔うために、明治天皇の意向で創建されたからだ。創立五十年の一九年に大正天皇が、創立百年の六九年に昭和天皇が参拝した。今回は創立百五十年の参拝についてだ。
 請願自体が異例だが、それを宮内庁側から断った事実は重い。節目であっても天皇は「不参拝」であり、その姿勢は明確でもある。
 天皇参拝は七五年から途絶えている。背景にA級戦犯の合祀があるとの説が有力だ。七八年に宮司の故松平永芳(まつだいらながよし)氏が主導し、実現した。父は初代宮内府長官の慶民(よしたみ)氏だ。故富田朝彦(とみたともひこ)元宮内庁長官が記したメモが二〇〇六年に公になり、その因果関係が浮き上がった。
 昭和天皇が合祀に触れ「松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」と漏らし「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」と不快感を示したのだ。
 松平氏の前任者である故筑波藤麿(つくばふじまろ)氏はA級戦犯合祀に慎重姿勢であり、このメモの正確性が裏付けられる。昭和天皇が「筑波は慎重に対処してくれたと聞いた」と話したとの記載があった。異論は存在するが、これほど天皇不参拝を説明できる史料はなかろう。
 平成は天皇参拝のない初の時代となった。戦死者を国家が英霊と祀(まつ)り、国民を総動員して戦争遂行した歴史を踏まえれば、当然の帰結であろう。靖国神社が、天皇や国家のための死を至上の徳と教え込んだ国家神道の中核施設であった点からも、それは言える。
 憲法は政教分離や信教の自由などを定める。その厳格な保障のため、国家は特定の宗教と絶対的に結び付いてはいけない。天皇と国家神道との関係を再現するかのような目論見(もくろみ)は、いわば究極の時代錯誤でもある。
 戦没者の追悼の在り方は政治問題化している。仮に天皇参拝があれば政治的にも国際的にも多くの反響を呼ぶであろう。政治に関する権能を有しない天皇を政治問題に巻き込むべきでもない。
 戦没者の慰霊には、現行の追悼式など無宗教の形式がふさわしい。令和の時代も、その意は継がれよう。


靖国参拝で改めて認識 進次郎氏の軽薄さとメディアの劣化
 だから“マスゴミ記者”などとバカにされるのだ。終戦記念日の8月15日は毎年、大新聞、テレビで首相や閣僚、政治家の靖国神社参拝の有無や是非が報じられる。だが、報道は決まって、玉串料の奉納は公費か私費か――などワンパターン。記者にも本気で政治家の歴史認識を問う厳しい姿勢はほとんど見られないため、靖国報道は単なる形だけの「8月ジャーナリズム」と揶揄されているワケだが、とりわけ今年は大マスコミ記者のダメぶりが際立っていた。
 記者の低レベル化を見せつけたのが、自民党の小泉進次郎衆院議員(38)が参拝に訪れた時だ。小泉議員といえば、つい1週間ほど前、フリーアナウンサーの滝川クリステル(41)との結婚、妊娠報告を首相官邸で行ったのが記憶に新しい。この時、大マスコミ記者は、官邸で結婚会見するという小泉氏の「公私混同」を一切批判せず、ニタニタしながら「指輪は?」「プロポーズの言葉は?」なんてバカな質問を続け、小泉氏も小泉氏で、恥も外聞もなく、ヘラヘラして「昨年からお付き合いを始めて、そして今回自然なかたちで結婚の報告、妊娠の発表になれたことはうれしく思います」などと冗舌に語っていた。
 ところがだ。靖国に姿を見せた小泉氏は、参拝前も後も記者団が「ひと言下さい」と呼びかても一切応じず、黙って車に乗り込んでいたから唖然ボー然。戦争を知らない勉強不足の世襲議員とはいえ、政治家なら、結婚報告よりも、靖国参拝を語るのがスジだろう。私的な発言は喜んでベラベラ答えるが、政治的な質問では記者をガン無視とは言語道断ではないか。政治家として、あまりに薄っぺらだ。
 記者も記者だ。こういう時こそ、「答えろ! 小泉」となぜ、迫らないのか。相手の言いたいことだけ、話したいことだけを伝えるのであれば、報道でも何でもない。単なる広報マンだろう。
 官邸記者の中には「小泉さんの結婚報告の取材は会見ではなく、囲み取材であり、批判は間違っている」などと言っている連中もいるらしいが、本気で言っているのであれば一刻も早く記者をやめるべきだろう。どうりで、マトモな知識人ほど新聞離れが進むワケだ。


「リケジョ」/思い込み排して後押しを
 思い込みにとらわれて若者の可能性の芽を摘んでいないだろうか−。今年の男女共同参画白書は、こう問いかける。
 一例として、女性は文系、男性は理系に向いているという「定説」を取り上げた。確かに、大学などで理工系分野を専攻する「リケジョ(理系女子の略)」は男性と比べて少ない。
 しかし、その原因は女性の資質ではないと指摘する。家庭や学校といった取り巻く環境が影響しているというのだ。
 調査によると、小学生女児では国語より理科が好きと答える割合が高い。ところが、中学生になると理科や数学を好きな割合は低くなり、自分のことを「文系タイプ」と回答する女子が増える。
 経済協力開発機構(OECD)が15歳を対象に行った2015年の学習到達度調査では、日本の女子の数学と科学の点数は日本の男子よりは低かったが、参加国の男子と女子の平均をいずれも大きく上回った。
 好成績にもかかわらず、大学や企業の理工系の女性研究者の比率は他の先進国に及ばない。この分野の研究者の需要は世界的に高まっている。日本は「女性活躍」に本気で取り組まねばならない。
 「好き」や「得意」が進路に結びつかないのは、将来像の手本となる存在が身近にいないのが一因だ。興味深い調査結果が紹介されている。
 中学校で数学か理科のどちらかでも女性教員から教わっている女子は、2科目とも男性教員に教わっている女子と比べ、自身を「理系タイプ」「どちらかといえば理系」と答える傾向が強い。教員はロールモデルになりうるということだ。
 親の意向も無視できない。母親が娘の進学や就職に及ぼす影響は、父親より大きい。リケジョの裾野を広げるには、女性研究者が働きやすい環境整備はもちろん、女子生徒や保護者らに向けて理系の進路選択を応援する取り組みも必要だろう。
 東京医科大学の入試での露骨な女性差別は記憶に新しい。育児や家事は女性が担うべきとの根強い役割分担意識が、その土台にあった。そうした意識を払拭(ふっしょく)する努力が必要なのは言うまでもない。


米軍機事故対応 地位協定の改定が筋だ
 日本の領土、領空、領海内であっても米軍機の事故が起きた現場は米軍が仕切り、日本側は自由に立ち入れない。
 戦後74年たってなお、捜査権が大幅に制限される状況が続いていることは看過できない。
 日米両政府は先月、基地外で起きた米軍機事故への対応について、日米地位協定に基づくガイドライン(指針)を改定し、日本側の事故現場への「迅速かつ早期の立ち入り」を明記した。
 だが、実効性は疑わしい。
 日本側の立ち入りに米側の同意が必要との規定は残されたからだ。要は立ち入りを認める米側の努力義務が記されたにすぎない。
 米軍の特権的法的地位を定めた地位協定は、別途作られた合意議事録に基づき運用されている。そこに、米軍の財産の捜索などは米側の同意なしにできない旨が記されている。それが問題の根だ。
 政府は弥縫(びほう)策ではなく、議事録の見直しを含む地位協定の抜本的な改定を求めるべきである。
 指針策定のきっかけは2004年8月、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大に米軍ヘリが墜落した際、米側が一帯を封鎖し、機体の残骸を回収するまで日本側が立ち入ることができなかったことだ。
 県は猛反発した。当然である。
 これを受けて翌年、事故時の初動対応に関する指針が策定され、現場周辺への日本側の立ち入りは米側の同意を得た上でできることなどが明記された。
 ただ実際には、事故直後は米側が認めず、17年に米軍ヘリが沖縄県東村に不時着、炎上した事故では、日本側の現場周辺への立ち入りは発生から6日後だった。
 これでは空手形に等しい。河野太郎外相は「(改定で)事故対応が一層改善される」と胸を張るが、米側の判断で日本側の捜査を制限できる状況に変わりはない。
 加えて問題なのは、事故現場の機密装備や資材に近づくことができる人について、米軍が「資格を有する」と判断した者のみとする旨が追記されたことだ。
 これは米側に一層の管理強化を認めたとも言える。河野氏が強調する「改善」ではなく「改悪」になる懸念が拭えない。
 道内には地位協定上、米軍が共同使用できる自衛隊施設が多数ある。一昨年にはオスプレイが参加した日米共同訓練が実施され、来年初めにも予定されている。
 捜査権の制限は、米軍機の事故が頻発する沖縄だけの問題ではない。早急な対応が求められよう。


憲法裁判の記録廃棄 原則保存し公開進めよ
 裁判の重みを自ら否定するような行為ではないか。合憲か違憲かを争った戦後の重要な民事裁判の記録の多くを、全国の裁判所が廃棄処分していたことが明らかになった。
 失われたのは、法廷でのやりとりなど審理の文書をまとめた裁判記録である。判決文は残っているとしても、審理の過程をたどれなくなれば、その判決がどのように導かれたかを検証することも不可能になる。歴史的にも重大な損失と言えよう。
 憲法裁判は最高裁まで争われるケースが目立つ。その記録の最終的な取り扱いを、下級審の各裁判所に委ねる現行の規定に無理があるのではないか。
 最高裁が率先して見直しに取り組まねばなるまい。裁判記録を公文書と同じく「国民共有の財産」と捉え、データベース化や公開を進める必要がある。
 共同通信の調査によれば、代表的な憲法判例集に掲載された137件のうち、8割を超す118件が既に捨てられていた。一審札幌地裁で自衛隊を違憲とした長沼ナイキ訴訟をはじめ、薬局開設の距離制限を定めた法令を違憲とした広島の訴訟など司法史に残る裁判が含まれる。
 裁判所の規定では、通常の民事裁判の場合、記録は5年保存で、うち判決文だけは50年保存にしている。ただし、資料価値が高いと判断した裁判記録は、事実上永久保存にする「特別保存」という制度もある。
 憲法裁判で特別保存になっていたのは6件だけだった。極めて少ないのは、特別保存の適否が一審の裁判所に任せられていることも影響していよう。上訴されて上級審に引き継がれた記録は、判決が確定した後に再び戻ってくる。そこで5年後に廃棄か、永久保存かの選択を迫られても、一裁判所として判断に困るのは想像に難くない。
 それなのに最高裁は、廃棄の是非について「各裁判所の判断」とし、自らの見解を示そうとしない。特別保存の少なさも「研究者などからの要望が多くなかった」と弁明した。当事者意識の低さにあきれる。
 憲法裁判は、市民が政府や企業を相手取り、一人一人の基本的権利を争うものが多い。男女平等、人間らしい労働条件、平和、表現の自由など分野は多岐にわたる。その裁判の結果は、戦後日本社会のルールを変え、あるいは新たに作り出してきた。判決が確定したからといって、関連記録を簡単に捨て去っていいはずはない。
 まず憲法裁判の記録は、原則として永久保存していかなければならない。保存する記録が膨大であっても、最新のデジタル技術を使えば、ハードルは決して高くはない。
 その他の裁判記録についても当局だけで判断せず、外部の専門家を入れた第三者委員会で取り扱いを考えてはどうだろう。
 米国などでは、多くの裁判所で裁判記録がデータベース化されている。申請すれば、インターネットでの検索や閲覧、ダウンロードなども可能だ。
 刑事裁判の記録は、一審を担当した検察庁が保存している。法務省は昨年、その公開も視野に国立公文書館に一部を移管する方針を打ち出した。
 「開かれた司法」は裁判員制度に限らない。裁判記録の保存や公開の在り方も、それに向けた一歩だと肝に銘じるべきだ。


計画運休  社会への定着に工夫を
 台風10号に備え、JR各社は新幹線や在来線の運行を事前に取りやめる「計画運休」を行った。
 お盆のUターン時期と重なり、予定の変更を余儀なくされた旅行客も少なくなかっただろう。
 自然災害が頻発、大規模化する中、安全確保を優先する姿勢は重要だ。計画運休が社会に受け入れられ、うまく定着するよう、事業者はさらに工夫してほしい。
 計画運休は15日に実施された。山陽新幹線は新大阪−小倉間で、東海道新幹線も山陽新幹線との直通を取りやめ、本数を減らした。四国では在来線全線が運休した。
 山陽新幹線を運行するJR西日本は、11日からツイッターで運休や運転見合わせの見込みに言及、13日午前には運休の可能性があると発表し、14日午前11時ごろに終日運休を公表した。
 JR東海は13日夕に、JR四国も13日午後に、それぞれ運転取りやめなどについて情報提供した。
 事前に告知したことで、利用客に準備を促したといえる。大きな混乱がみられなかったのは、乗客側にも計画運休を受け入れる余裕が生まれたからではないか。
 計画運休は、JR各社の収入にも響くが、運転を強行して列車が立ち往生したり、線路や車両などに被害を受けたりするリスクを回避できる。何より、最も重要な乗客の安全を守ることにつながる。
 各社は今回の計画運休で、情報提供や混乱防止などの面で問題がなかったかどうか、十分に検証して今後に生かしてほしい。
 計画運休を巡っては、昨年9月の台風24号接近時にJR東日本が首都圏で大規模に行い、大きな混乱を招いた教訓がある。案内が実施8時間前だったため、帰宅できない人が出るなど課題を残した。
 このため国土交通省は今年7月に指針とモデルケースを示し、48時間前に計画運休の可能性を公表し、24時間前には詳細な情報を提供するよう求めた。
 難しいのは、台風の進路や影響の見極めが簡単とはいえないことだ。48時間前から運休の可能性を示すことの困難さや、「空振り」を懸念する声も聞かれる。
 だが、被害が出てからでは遅い。危険を事前に回避する手段として、利用者も含め社会全体に理解してもらう努力が不可欠だ。
 今回はお盆休み中とあって利用者の多くは旅行客だったが、平日であれば通勤・通学客への影響もあったはずだ。計画運休となった場合に仕事や学業をどうするか、企業や学校の対応も問われる。


盆の月
 追い立てられるように切り上げた人もいれば、思わぬ足止めでのんびりした人もいよう。台風直撃に翻弄(ほんろう)された今年のお盆である▼往復の混雑はうんざりだが、それぞれに携えた故郷の香りに少しほっこりするのは帰省時期ならではだ。渋滞した車列でも、先の遠い東北県の車に「ご苦労さま」と思い、猛暑で有名な「熊谷」ナンバーに親しみを感じもする▼お盆と正月を中心とする帰省は、毎年ほぼ4人に1人が動く国民的行事といえる。ソニー損害保険のネット調査によると、今夏の帰省の平均所要時間は片道2・2時間とか。離れた家族や友人との再会だけでなく、全国各地の人々が一斉に交ざり合う▼台風が邪魔したのがもう一つ、「盆の月」である。元々、お盆は立秋から最初の満月の日だったといわれ、新暦で合わなくなったが、今年はちょうど15日に満月が見られるはずだった▼<故里を発(た)つ汽車に在り盆の月>(竹下しづの女)。昨晩の五山送り火にも似て、盆の夜を照らす月の明かりは亡き人への思い、そして郷愁を胸に染み入らせる▼これから出発する人もいるだろう。同じネット調査では、長距離運転で怖いのは「高速道路の逆走」「あおり運転」が半数超に上った。時々休憩して欠けゆく盆の月を仰ぎ見て、大切な思い出を持ち帰りたい。

台風と計画運休 安全優先で先手の行動を
 大型の台風10号が西日本を縦断した。強風域が広く、発達した雲が列島各地に大雨を降らせた。台風が上陸した広島県や岡山、香川県では厳戒態勢で早めの避難などを呼び掛けた。心配した大きな土砂災害や河川の氾濫などはなかったが、これからも台風シーズンが続く。「命を守る」心構えを高めたい。
 JR西日本などJR各社はお盆のUターンラッシュのピークに当たる15日、山陽新幹線の新大阪―小倉間を終日運休するなど「計画運休」に踏み切った。岡山、広島の在来線や瀬戸大橋線も運転を見合わせた。帰省や旅行中に台風に遭遇し、難渋した人は多かったろう。
 しかし、地球温暖化による気候変動で災害が激甚化する傾向の中、安全優先の判断はますます重要になっている。運転を続けて線路や列車が被害を受けたり、列車が立ち往生したりすれば、結果として大きな混乱につながり、乗客の安全も守れない。
 特に今回は需要のピークに重なったため、JR各社は判断が難しかったと思われる。台風の進路や風雨の予想が外れて「空振り」に終われば、乗客に迷惑をかけるだけでなく、鉄道会社自身も経済的な損失をこうむる。それらを考慮した上での決定は理解できるものだ。
 周知の点では過去の教訓が生かされた。JR西日本は11日から運行情報を伝える公式ツイッターで運休が見込まれることを告げ、実施2日前の13日午前には運休の可能性があると発表した。早めに情報が分かれば、利用者や事業者も余裕を持って予定を立てやすくなる。
 昨年9月の台風接近時にJR東日本が首都圏で大規模な計画運休をした際には、正午過ぎになって午後8時以降の運転とりやめを発表し、乗客の混乱を招いた。そのため、国土交通省では7月に示した指針とモデルケースで、48時間前に可能性を公表し、24時間前には詳細な情報提供をするよう求めている。
 ただ、計画運休は駅周辺の商業施設や通勤・通学者などへの影響が大きいだけに、定着させるには気象予報の精度や周知の在り方の改善が欠かせない。企業などの側も従業員の安全を重視し、出社に柔軟な対応をとることが望ましいだろう。
 日本語に不案内な訪日外国人の増加を踏まえ、問い合わせや相談に即応できる態勢も、観光事業者などと連携して整えることが大切だ。
 台風10号は一時「超大型」にまで強風域が広がり、半径1100キロに達した。進路から離れた奈良県でも降り始めからの総雨量が800ミリを超える地域があった。
 将来はより猛烈な「スーパー台風」が来襲しやすくなるとの予想もある。災害から身を守るにはどう行動すればよいのか、一人一人はもちろんのこと、社会全体が先手先手の意識で取り組みたい。


[計画運休] 情報伝達の在り方重要
 お盆休みのUターン時期に列島を直撃した台風10号の影響で、JR各社はあらかじめ新幹線を含む一部の列車の運転取りやめを決める「計画運休」を実施した。
 計画運休が需要のピーク時に重なるのは初めてのケースである。日程変更など乗客の負担は避けられなかったものの、大きな混乱はなかった模様だ。
 悪天候が予想される場合、乗客の安全確保は最優先である。運休の情報の伝達時期や方法が的確だったか、乗客の理解は得られたか、といった検証を重ねて今後に生かしたい。
 国土交通省はJR6社、大手私鉄16社と協議した上で、今年7月、計画運休について鉄道事業者があらかじめ利用客に情報提供する内容やタイミングを整理した「タイムライン」を準備するよう求める指針をまとめた。
 モデルケースとしては48時間前をめどに可能性、24時間前に実施の詳細な情報を出す。また、ツイッターなど会員制交流サイト(SNS)を活用して多言語で発信する、としている。
 指針をまとめた背景には、昨年9月に近畿圏、首都圏を襲った台風21号、24号に対してJR西日本、JR東日本と私鉄各社が大規模な計画運休を行った際の反省がある。
 特にJR東は案内が当日の実施8時間前だったことから、運休を知らずに帰宅できなかった人が出るなど混乱を招いた。台風通過の翌日も倒木や電線への飛来物などによってダイヤが大幅に乱れた。
 今回の各社の対応をみると、JR西が山陽新幹線新大阪−小倉間の15日の終日運休を公表したのは14日午前11時ごろ。これに先立ち、11日からはツイッターで運休や運転見合わせが見込まれると周知を始め、実施2日前にあたる13日午前11時20分ごろには運休の可能性があると発表した。
 こうした動きを受けてJR九州も14日午後には、15日に九州新幹線博多−鹿児島中央、博多−熊本を減便する方針の広報を始めている。
 多客期だけに計画運休の影響は大きかったが、当日に運転を見合わせたり、運転を継続して列車の立ち往生や駅での足止めが起きたりすれば、混乱はさらに広がっていたとみられる。早めに予定を変更できて助かった人も多かっただろう。
 大型の自然災害が相次ぐ中、起きる前の備えを重視した防災対策が求められる。鹿児島県内でも7月初めの豪雨では大半の小中学校が前日に臨時休校を決めるなど、早めの対応が人々に理解されるようになっている。
 事前に判断するのは決して容易ではない。しかし、結果的に天候の悪化がそれほどでもなく空振りに終わったとしても、「安全確保が第一」という防災の原点を忘れない社会でありたい。


食料自給率最低 対策の見直しが必要だ
 2018年度のカロリーベースの食料自給率が、前年度より1ポイント下がり37%となった。コメが記録的な凶作に見舞われ「平成の大冷害」と言われた1993年度に並ぶ過去最低の水準である。政府は2025年度に45%とする目標を掲げている。だが、このままでは達成は困難と指摘せざるを得ない。食料自給率アップのためには、対策の抜本的な見直しが求められる。
 食料自給率は1965年度は73%あったが、低下傾向が続き、93年度には初めて40%を割り込んだ。2010年度以降は30%台で推移している。
 農林水産省は18年度の自給率低下について、天候不順により、小麦や大豆の国内生産量が落ち込んだことが要因としている。しかし天候不順の一言で片づけられるものではない。背景にはコメ離れや食生活の洋風化、安価な輸入農産物の増加など構造的な問題がある。こうした問題から目を背けることなく、対応策を検討し、取り組みを進める必要がある。
 米国130%、フランス127%、ドイツ95%、英国63%(いずれも13年度)と比較しても、その低さが目立つ。世界の人口は増加が続くと予想され、食料の確保は国家的な課題となりつつある。いざという時にどうするのか、食の安全保障の観点からも、自給率の低下に歯止めをかけなくてはならない。
 自給率アップには生産力を高めることが不可欠である。18年度の農業白書では、品目ごとに需要に合わせた生産を強化するとともに、担い手への農地の集積、集約を図ることで、自給率向上に努めるとしている。しかし農業現場では高齢化が進んでおり、農家数、耕地面積ともに減少している。
 こうした中で取り組むべき方策の一つとして「スマート農業」の推進が挙げられる。ロボット技術や人工知能(AI)を活用して、省力化、効率化を図るものである。実用化までには課題も多いが、解決に努めて農家への普及を急ぎたい。
 一方で、食料の重さを熱量(カロリー)に換算した「カロリーベース」による自給率の在り方、目標設定の有効性について疑問の声があるのも事実である。カロリーが高いコメや小麦の自給率に占める割合が大きく、カロリーが低い野菜は小さい。消費量が増えている肉類については、国産であっても飼料の一部を輸入に頼っていれば、その部分は輸入品とみなされるなどの問題点が指摘されている。
 ただ、飼料の自給率を反映させないで計算した数値でも、46%にすぎない。食料の多くを輸入に頼っていることをしっかりと認識する必要がある。
 政府は来年3月に農業政策の指針となる新たな「食料・農業・農村基本計画」を策定することにしている。地域の農村の現状を踏まえた上で、自給率アップのための幅広い議論に期待したい。


農産品購入要求 無理押しに右往左往せず
 行き場のない農産品を買い取れという。
 トランプ米大統領が安倍晋三首相に直接要求した。貿易紛争で中国への輸出が激減した大豆、小麦などの品目を挙げている。
 米国との貿易交渉に影響が及ばないよう、日本政府は早速、対応策を検討し始めている。無理押しにも従うことだけが、安倍政権の対米外交なのか。
 昨年7月に始まった米中の「関税引き上げ合戦」に改善の兆しは見られない。トランプ氏が今月、第4弾の引き上げを表明したことに対抗し、中国は米農産品の購入停止を決めた。
 米国は世界最大の大豆生産国で6割を中国に輸出してきた。紛争によって輸出額は既に大きく落ち込んでおり、打撃を受ける農家から悲鳴が上がっている。
 いまのトランプ政権は「来年の大統領選に資するか否か」を行動基準に据えている。中西部の農業州は与党共和党にとって欠かせない支持基盤だ。政権は1兆7千億円規模の農家への補助金支給を打ち出したものの、現場は「焼け石に水だ」と反発する。
 ほかに妙案もないから日本に、というのは横暴にすぎる。
 日本が自動車関税の撤廃を、米国が農産品の関税引き下げを求めている貿易交渉が大詰めを迎えつつある。成果を急ぐ米国が姿勢を軟化させる中、日本としては穏便に済ませたいのだろう。
 政府内では、購入する農産品をアフリカの食糧支援に充てる案が浮上しているという。使い道は問題の本質ではない。
 トランプ氏は6月、米国だけが防衛義務を負う日米安全保障条約について「不公平だ」と述べた。日本では「貿易交渉を有利に進めるためのけん制だ」との見方がもっぱらだった。
 日米安保の「片務性」は、条約の詳細を知らない米市民社会に底流する不満の一つだ。仮に政権が代わったとしても、見直しを迫られる可能性は残る。
 政府は「聞かなかったふり」をせず、沖縄県をはじめとする国内の声を踏まえ、安保のあり方を再考する必要があった。今回のようなトランプ氏特有の要求には慌てて対応に動く。軽重の判断を誤ってはいないか。
 米中の争いが世界経済の先行き不安を強めている。政府はトランプ政権に対し、外交姿勢を改め、中国との摩擦を収束に向かわせるようはっきり意見すべきだ。米国の人々まで苦しめているのだからなおさらだろう。


五輪の暑さ対策 選手を最優先に見直しを
 1年後の東京五輪について、有力選手らから、コースや競技時間の変更を求める声が相次いでいる。猛暑を懸念してのことだ。
 東京五輪は来年7月24日に開幕し、8月9日の閉会式で幕を閉じる。都内は昨年のほぼ同時期に、史上初めて40度を超える地点が観測されるなど災害級の酷暑となった。熱中症で搬送される人が相次ぎ、死者も出た。
 大会組織委員会など運営サイドはこれまで、暑さ対策を重要課題として対策を進めてきた。男女のマラソンと20キロ競歩は、スタート時間を以前の計画から1時間早めたほか、ラグビー7人制なども競技時間を変更した。
 それで十分なのか。実際に競技する選手たちの意見を最優先して日程や暑さ対策を検証し、必要ならば柔軟に計画を変更していくことが欠かせない。
 環境省のデータによると、大会が予定される期間の今年の「暑さ指数」は、17日間のうち14日間が原則運動中止が推奨される「危険」区分となった。熱中症予防のための国際指標で、気温や湿度、日差しの強さなどから算出される。来年も屋外競技の選手に過酷な環境になることが想定される。
 今年のテスト大会では、選手らから悲鳴に近い声が出た。ビーチバレーの選手は「脚が動かなくなって視界が狭まった」と熱中症のような症状を訴えた。セーリングでも脱水症状になる選手がいた。
 計画変更を求める選手もいる。競歩20キロの世界記録保持者、鈴木雄介選手は7月31日に皇居周辺の本番コースを歩いている。日陰もほとんどないことから「可能ならばコースを再考してほしい」と述べた。馬術や水泳オープンウオーターのテスト大会などでも、早朝開催を求める声が相次いだ。
 観客向けの暑さ対策も懸念される。組織委はテントや大型冷風機の設置、大型商業施設を観客が涼める場所に指定するなど対策はしている。それでしのげるのか改めて検証したい。
 組織委はテスト大会の関係者に感想を細かく聞き取り、暑さ対策を進める意向を示している。
 東京五輪の招致委員会は開催計画を示した立候補ファイルに「(東京の夏は)アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」と記した。
 世界中から集まる選手や観客の健康に十分な配慮がなされなければ、大会の成否だけでなく、日本の国際的な信用にもかかわる。昨年並みの酷暑を想定した対策をつくり上げなければならない。


水質悪くスイム中止 「手も見えない」 東京パラテスト大会
東京オリンピック・パラリンピックのテスト大会を兼ねたパラトライアスロンの国際大会が、本番の会場となる東京・お台場海浜公園で行われましたが、水質検査で国際競技団体が定める基準値を大幅に上回る大腸菌が検出されたため、スイムが中止され、ランとバイクの2種目によるデュアスロンに変更されました。
テスト大会を兼ねたこの大会は、来年の東京オリンピック・パラリンピックの競技会場となるお台場海浜公園周辺を舞台に、15日から行われています。
大会の実行委員会によりますと、16日午前中に予定されていたトライアスロン男子のレースは通常どおり行われましたが、16日午後1時に行った水質検査で、国際競技団体が定める基準の2倍を超える大腸菌が検出されたということです。
このため、17日に予定されていたパラトライアスロンの国際大会は、スイムを中止してランとバイクの2種目によるデュアスロンに変更されました。
デュアスロンは、ランが2.5キロ、自転車やハンドサイクルで走るバイクが20キロ、最後に再び、ランが5キロで行われ、本番と同じコースで実施される予定だったランは、コースの一部が変更されました。
レースではランを得意とする女子車いすのクラスの土田和歌子が優勝したほか、女子運動機能障害のクラスでは谷真海選手が2位に入りました。
「濁りがひどく、手も見えない」
16日に練習で泳いだ女子運動機能障害のクラスの谷真海選手は「濁りがひどく、手も見えない感じだったし、水温も高く流れも強かった。スイムを行うのであれば、タフなレースになると予想していた」と振り返りました。
そのうえで、「スイムを行わなかったのは主催者のいい判断だった。水質の改善も含めて、何があるか分からないので、シチュエーションに合わせて対応できるようにしたい」と話しています。
また、男子運動機能障害のクラスの宇田秀生選手は「細かいことは分からないが、あと1年あるのでしっかり整えていただいて、できればスイムも含めた3種目のトライアスロンで大会を実施してほしい」と話していました。


お台場会場水質悪化でスイム中止 本番に懸念残る パラトライアスロンW杯
 来年の東京五輪・パラリンピックのテスト大会を兼ねたパラトライアスロンのワールドカップ(W杯)は17日、会場となるお台場海浜公園(東京都港区)のスイムコースの水質が悪化したとして、スイムを中止し、ランとバイクのみのデュアスロンに変更して行われた。1年後に東京大会の本番を控え、懸念が残ることになった。
 大会実行委員会によると、前日の16日に実施した水質検査の結果、大腸菌の数値が国際トライアスロン連合(ITU)が定める上限を超えた。検査は午前5時と午後1時の2回行い、午前のサンプルでは数値は基準値内だったが、午後のサンプルでは基準の上限の2倍を超えた。日本トライアスロン連合の大塚真一郎専務理事によると、台風10号による雨の影響が考えられるという。
 パラトライアスロンは通常、スイム(0・75キロ)、バイク(20キロ)、ラン(5キロ)の順番で3種目を実施する。この日はスイムが取りやめになったため、2種目をラン(2・5キロ)、バイク(20キロ)、ラン(5キロ)の順に行った。
 お台場海浜公園の水質を巡っては、11日に行われたオープンウオータースイミングのテスト大会で、一部の選手から「海水が臭い」と心配する声が上がっていた。2017年7〜9月に行われた調査でも、ITUなどの基準値を上回る大腸菌が検出されたが、大会組織委員会側は「会場変更の必要はない」との見解を示していた。
 16日まで行われた健常者によるトライアスロンのレースは通常通りスイムも実施した。【高橋秀明】


「高校生平和大使」長崎で出発式
 核兵器廃絶を訴える「高校生平和大使」が、反核署名を携えスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪問する。長崎市では17日、地元から選ばれた3人の出発式がJR長崎駅前の広場で開かれた。
 見送りに来た支援者らを前に、活水高2年の橋田晏衣さん(17)は「核兵器ゼロに向けて活動したい」と抱負を語った。鎮西学院高2年の内山洸士郎さん(16)は「署名をしてくれた人、一緒に集めてくれた人の思いを届けたい」とあいさつした。
 22代目となる今年の平和大使は、全国16都道府県から過去最多の23人が選出された。長崎の3人は福岡で他の大使らと合流し、18日に日本を出発する。


安倍政権が天皇代替わりにかこつけ佐川元国税庁長官を恩赦に? 森友隠蔽に協力した財務省幹部も在英公使に栄転
 安倍政権が引き起こした問題が、天皇の代替わりを利用して帳消しになされてしまうのか──。政府がいま、天皇の代替わりに合わせて国家公務員の懲戒処分の免除をおこなうことの検討に入っており、なんと佐川宣寿・元国税庁長官の減給処分も免除される可能性があると、毎日新聞が伝えたからだ。
 記事によると、1989年2月の昭和天皇の「大喪の礼」の際におこなわれた国家公務員の処分免除では、〈懲戒処分(免職・停職・減給・戒告)のうち、減給か戒告の処分者が免除対象〉になった。また〈退職後でも「名誉回復」の意味合いで適用〉された。そして、いま政府内では「前例踏襲が妥当」という意見が出ているという。
 この前例を踏襲すれば、森友問題における佐川氏の「減給20%3カ月」の処分や財務省幹部に対する減給・戒告処分、さらには、裁量労働制をめぐって発覚した厚労省のデータ隠し・捏造問題や、防衛省のイラク日報問題で減給・戒告処分を受けた官僚たちも免除される可能性があるというのだ。
 以前から、この天皇代替わりに際する恩赦・免除について、官僚の恩赦の扱いが論議の的になっていたが、安倍政権下の不正・忖度官僚を恩赦することはあまりに露骨であるため「さすがにそれはしないだろう」と見られていた。実際、今年4月にこの問題を取り上げた「週刊朝日オンライン」の取材に対し、社会学者の鈴木洋仁氏は「政府が今回の改元を利用して、自分たちの味方を優遇したと捉えられるのは避けたいところでしょう。佐川氏の懲戒処分の免除は現実的に難しいと思います」と見解を述べている。
 ところが、政府はいま、「前例踏襲」という建前で、「安倍政権が引き起こした問題で泥を被った忖度官僚たちの復権」をあからさまに強行しようとしているのである。
 しかも、恩赦については、まだ「見通し」というレベルだが、 森友疑惑での官僚の復権は、もっと具体的に進んでいるケースもある。
 16日付けの人事では、森友学園問題のキーパーソンである財務省の中村稔官房参事官を外務省に出向、駐英公使に充てると発表された。
 中村氏といえば、森友文書改ざん時には理財局総務課長だったのだが、財務省の調査報告書でも〈理財局長(註:佐川宣寿氏)に最も近い立場にあって、本省理財局内及び近畿財務局に方針を伝達するなど、中核的な役割を担っていた〉と認定された人物。昨年6月に停職1カ月の処分が下され、同年7月の人事で理財局を離れ官房参事官のポストに就いていた。
 中核的な役割を担ったと認定されながら停職1カ月という大甘な処分に終わったことも異常だったが、ここにきてイギリス公使に栄転させる──これは安倍昭恵夫人付きの秘書だった経産省の谷査恵子氏を、在イタリア大使館の1等書記官へと“栄転”させ口封じしたのと同じ構図だ。
 しかも、今回栄転が決まったのは、今月9日に大阪地検特捜部が再び佐川氏や中村氏を不起訴処分とし捜査が終結したことから、〈海外に赴任させても支障はないと判断〉(毎日新聞16日付)したのだという。
 今年3月、大阪第一検察審査会が「不起訴不当」と議決した際にも、本サイトでは「再捜査で起訴となる可能性はゼロ」と伝えたが、それが現実となり、その上、捜査終結を理由にして“高飛び”させるとは……。
 しかし、それも当然なのかもしれない。というのも、中村氏は、森友文書改ざんの「中核的役割」どころか、改ざんの官邸関与に深くかかわっていたとみられるからだ。
森友問題のキーマン・財務省の中村稔官房参事官を在英公使に栄転させ海外に
 そもそも財務省調査報告書では、安倍首相が2017年2月17日の衆院予算委員会で「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」と宣言したことを受け、中村氏が昭恵氏の名前が入った文書があるかどうか確認するように田村嘉啓・国有財産審理室長(当時)らに指示、佐川氏に報告をおこなった上で、2月下旬から改ざんがはじまったとしている。
 だが、重要なのは、同月22日に官邸でおこなわれた面談の事実だ。この日、菅義偉官房長官は官邸に佐川理財局長や太田充・大臣官房総括審議官(現・理財局長)らを呼び付け、昭恵夫人付き秘書である谷氏や政治家から照会があったことなどの説明を受けたのだが、この席には理財局総務課長として中村氏も同席していたのである。
 2月20日の時点で、理財局職員は森友側に嘘の説明をするよう迫ったり、佐川氏が籠池泰典氏に弁護士を通じて“身を隠せ”と指示するなど、具体的な隠蔽工作がはじまっていたこともわかっている。この動きのすばやさを考えれば、中村氏が昭恵氏の名前が決裁文書に出てくることを、安倍首相の「辞める」発言の直後には掴んでいたのはまず間違いない。つまり、この面談で、菅官房長官から決裁文書の扱いについて、改ざんの指示などを直々におこなった疑いが濃厚なのだ。 
 しかも、中村氏がこうした官邸ぐるみの改ざんに深くかかわっていたことは、ある文書によってもあきらかになっている。
 その文書というのは、昨年8月に共産党が公開した「航空局長と理財局長との意見交換概要」。この概要は、2017年9月7日に中村総務課長と太田理財局長、国交省の蛯名航空局長、金井昭彦総務課長の4名が、会計検査院の検査や国会対応への協力関係を確認し意見交換をおこなった際の発言録だ。
 そして、この文書では、中村総務課長と太田理財局長の財務省側は何度も「官邸」という言葉を持ち出し、官邸の意向を気に掛けているのだ。
 たとえば、国交省側が「変な相手に対してリスクを遮断するために「瑕疵担保責任」の考え方で見える範囲で最大限の見積もりをしたと言えるかがポイント」と言うと、中村・太田側はこう答えている。
「籠池夫妻が相当な人たちだとのイメージが進む中で、そのような答弁をすることについて、気持ちは同感だが、今までの答弁との関係で、開き直った答弁だと思われないかなど官邸との関係を含めてメリデメをもうちょっと考えさせてほしい」
 国民に対して「真実をあきらかにしよう」という気がまったくない基本姿勢や、籠池夫妻を「変な相手」として扱うことで正当性の根拠にしようとする蛯名局長の提案には呆れるが、ここで中村・太田側は財務省としてではなく、開き直ることが官邸=安倍首相にダメージを与えることにならないかを心配しているのである。
 さらに、中村・太田側は、こうも語っている。
「『捜査中なのでコメントできない』だけではもたないし、マイナスのイメージを拡大させてしまうと思う。佐川局長が価格交渉をしたのかどうかが追及のポイントだが、民進党PTはこれまで通りの対応をするが、国会ではなんらかの答弁が必要なので、官邸との関係は容易ではないと思うが、来週にも調整したいと思っている」
財務省・中村官房参事官が菅官房長官らと行っていた文書隠蔽の相談
 官邸との関係は容易ではないが調整したい──。つまり、財務省の国会答弁は官邸と緻密に調整した上で作成されていた、というわけだ。「価格交渉をしたのかどうかが追及のポイント」とまで述べているのだから、当然、交渉記録の破棄を官邸が知らなかったなどということは、この口ぶりからはまずもって考えられないだろう。
 そして、極めつきはこの発言だ。
「検査院に対しては官邸だからといって通用しない。説明していくタイミングも考える必要がある。両局長が官邸をまわっている姿をマスコミに見られるのはよくない。まずは寺岡を通じて官房長官への対応するのが基本。与党へもいずれは何らかの対応が必要だろう。相手は検査院なのでこのような報告が出てしまうのはしかたがないとの認識を持たせていくことが必要」
「寺岡」というのは寺岡光博・官房長官秘書官のことを指していると思われるが、じつは寺岡氏は前述した2月22日の菅官房長官が中村氏らを呼び付けた官邸での面談にも同席していたことがわかっている。つまり、これは官邸、菅官房長官ぐるみで、会計検査院の報告や国会対応をどうごまかすか、文書隠蔽の相談を図っていたことを裏付ける発言なのだ。
 このように、中村氏は森友文書改ざんに大きくかかわっただけでなく、その後も官邸の意向に沿って国会や会計検査院の対応にたずさわった。ようするに、官邸関与の実態を知る人物のひとりなのである。
 官邸は、太田氏を事務次官が約束されたも同然の主計局長に昇進させ、改ざん当時に官房長を務め文書厳重注意を受けた岡本薫明主計局長も事務次官に抜擢している。そして、今回の中村氏のイギリス公使栄転──。これによって、官邸は森友問題を闇に葬り去ったつもりなのだろう。現に、中村氏や佐川氏らが再び不起訴処分になった件も、この人事の件も、メディアの扱いは小さいもので、あらためて検証をおこなう気運もみられない。
 前代未聞の国家による公文書改ざんという大事件に対し、政権が責任を負うこともなく幕引きがなされてしまう。この事実の重大さに多くの国民が声をあげない現状は、もはや安倍政権がなんでも好き勝手にできる体制ができあがったということなのだろう。


森友問題の公文書改ざん“実行犯” 海外栄転で口封じの波紋
 外務省が16日、森友学園を巡る決裁文書改ざんの“実行犯”だった財務省官房参事官の中村稔氏を駐英公使に充てる同日付の人事を発表。波紋を広げている。
 ネット上では<イギリスに失礼><改ざん公使>などの批判が噴出。立憲民主党の蓮舫参院議員も自身のツイッターで<真夏のエイプリルフールか?>と驚きをあらわにしている。中村氏が改ざん問題に関する財務省の調査報告書の中で<中核的な役割を担っていた>と名指しされた人物だからだ。財務省が森友学園へ国有地を貸し付けた特例承認のハンコを押した張本人でもある。
 決裁文書の中で安倍首相の妻・昭恵夫人の「いい土地ですから前に進めてください」との発言が記述されていたため、国会でも大きく取り沙汰された。しかし、財務省の太田充理財局長(当時)は「当時の佐川局長も中村(稔)総務課長も決裁文書をきちんと認識しなくて見ていない」とシラ切り答弁に終始。中身を見ずに決裁したのかどうか――中村氏本人は公の場で何も語ることなく、イギリスへと栄転したのだ。
 森友問題では、昭恵夫人付職員だった経産省出身の谷査恵子氏が、学園の籠池泰典理事長(当時)の要望を財務省に照会したことが問題となったが、谷氏も口をつぐんだまま在イタリア大使館へと赴任。中村氏の“論功行賞”もまた谷氏とソックリのパターンだ。泥をかぶった公務員を海外栄転で口封じ――。安倍政権のやり方には、ホトホトあきれる。


釜ケ崎、沖縄…懸命に生きる昭和の子どもたち写す 写真家・庄司さんが写真集
 日雇い労働者のまち釜ケ崎(大阪市西成区)や、本土復帰前後の沖縄などで、生き生きとした子どもたちの素顔を写しとった写真集「貧しかったが、燃えていた」が出版された。鳥取県米子市在住の写真家、庄司丈太郎さん(72)が、1960〜90年代に撮りためたモノクロ約110点。「昭和の子どもたち」のサブタイトルが示すように、時代の貴重な記録集にもなっている。
 大阪万博の建設工事が急ピッチで進む60年代後半、庄司さんは日雇いの仕事をしながら、釜ケ崎で大勢の子どもたちと交流した。同時期、大阪市の日本写真専門学校(現日本写真映像専門学校)で撮影技術を学び、71年、「カメラ毎日」(毎日新聞社)で釜ケ崎のドキュメント「露地露天」を発表して反響を呼ぶ。72年には那覇市に移住して生活共同体「うちなあの家」を設立。既刊写真集に「明日また 釜ケ崎・沖縄」「野坂昭如、新潟三区の闘い」などがある。
 「信頼を得てから撮影する」が信条で、知り合ってから撮影するまで2、3カ月かかることもザラ。今回収録した写真には、道路の掃き掃除をしながらピースサインをする園児や、屋台の店番をする女の子など、みな喜怒哀楽がにじみ出ている。70年代に釜ケ崎の三角公園で撮影した「路上の子」は、火遊びが思わぬ大きな炎になり、消し止められた後で、庄司さんに「悪さをするな」と叱られた男の子。2年前、釜ケ崎の食堂で偶然再会した。男の子は50代になり、庄司さんに気づいて声を掛けてきたという。「立派な社会人になっていた。コーヒーをおごってくれ、2人で男泣きしました」と目を潤ませる。
 写真集には、生前に庄司さんと親交があった俳優の高倉健さんから届いた手紙の一節も掲載、「育ちのいい悪いというのは 決して お金のある家に育つか育たないかではなく 自分が与えてもらったことに対して 素直に感謝できるかどうかがその決め手になる」とある。
 昨年、広島県呉市の西日本豪雨災害の被災地で庄司さんと知り合い、写真を見て出版を決めた南々社(広島市)の西元俊典代表は、「少子高齢化や児童虐待が社会問題となる中で、当時の懸命に生きる子どもたちの姿が、生きていく上で大切なものを教えてくれる」と話す。庄司さんは「写真を撮らせてもらった子どもたちに会いたいなあ」と往時を懐かしんでいる。
 四六判変形、124ページ。税別3800円。【新土居仁昌】


また赤字? 阿波おどり「民間委託」で開催も、消えない疑問と不安 失敗の検証が、ずさんすぎる
小川 匡則 週刊現代記者
徳島夏の風物詩「阿波おどり」が例年通り8月12日から開催された。昨年の大騒動から1年。今年は特に混乱の様子も伺えず、順調に運営されているようにも見えた。
しかし、大型の台風10号が直撃し、後半2日間は中止に。その上、運営をめぐる問題点は依然として全く解消されぬままで、見通し良好とは決して言い難い現実がある。現地での取材をリポートする。
運営問題は未解決のまま
8月12日、22時を少し過ぎると、阿波おどり振興協会に所属する有名14連の総勢1500人が踊り込んだ。圧巻の総おどりに観客は魅了され、歓喜の声が上がる。踊り子たちには充実の表情が浮かんだ。阿波おどり最大の名物「総おどり」が2年ぶりに復活した瞬間だった。
阿波おどり振興協会の山田実理事長は、「やはり達成感があります。お客さんにも立体感のある桟敷席から見ていただけてよかった」と安堵の表情を浮かべた。
2年前に筆者が報じた「4億円の赤字」問題に端を発する、阿波おどり運営をめぐる紆余曲折。阿波おどりの象徴ともいえる「総おどり」は昨年、実行委員会の委員長を務めた遠藤彰良市長の一存で中止に追い込まれる憂き目にあった。
遠藤市長はそれまでの主催者であった市観光協会(徳島新聞社と共催)を「運営能力なし」と決めつけて破産させ、自らが実行委員長として運営責任者に就任した。
そして、市観光協会の存続を求めていた阿波おどり振興協会を目の敵にした。市長と実行委員会は、「改革」と称して「総おどりの中止」を一方的に決め、踊り子と激しく対立。結果、振興協会は桟敷のない道路で独自に総おどりを強行することとなり、ヒートアップする両者のにらみ合いは全国的な注目を集めた。
それだけに、今年の「有料演舞場での総おどり復活」は、踊り子たちにとっては待ちに待った「本来の阿波おどりの復活」というべき快挙と言えるだろう。
ところが、昨年勃発した阿波おどりそのものの運営問題は、実はなんら解決していない。山田氏はこう憤る。
「昨年の阿波おどりは、発表されているだけで3000万円近い赤字でした。一昨年に黒字で運営した観光協会に対して、市長は『累積赤字は観光協会の責任だ』と言って破産させたのに、自分が責任者となって運営したら、赤字になったわけです。
それなのに、運営に関する検証や説明が全くなされていない。そのことを指摘したら『(昨年のことを追及するのは)不毛だ』と言われたんです」
総おどりの復活で、外形的には以前の形を取り戻したように見える阿波おどりだが、依然として火種がくすぶっている状態なのだ。
「その後も、今日に至るまで遠藤市長からはお詫びの一言もない。会う機会を作ってもらおうにも、市長は『実行委員会の要請があれば会う』と言い、実行委員会は『要請はしない』と言って逃げ回るばかりでした。
昨年失った信頼関係を改善しようともせずに、『私はもう関係ありません』と言わんばかりの態度には、怒りを覚えます。よくメディアの方から『今年は不満や問題はないのか』と聞かれます。私の答えは『あるけども、今は言わない』ということです」
こうした状況が続いていたことから、振興協会は今年の阿波おどりへの不参加も検討したという。しかし、「踊り子たちの『踊りたい』という気持ちを考えると、不参加にはできませんでした」と胸の内を明かした。
市長に自覚はあるのか
遠藤市長は今年、一転して阿波おどりとは距離を置いている。
「今年2月に突然、市長は実行委員長を辞めました。代わりに実行委員長になったのは、弁護士の松原健士郎さんですが、これまで阿波おどりとはなんの関係もなかった人で、どのような経緯で人選されたのか疑問です。市長の意向通りに動く人物だから選ばれたのではないか、と言われています」(地元関係者)
その後も混乱は続いた。
「実行委員会は運営を民間委託することを決めました。しかし応募要件が厳しく、収益を上げるのが困難な条件だったため、説明会には13の事業体が出席したものの、入札には1事業体しか応募がなかった。
応札したのは、イベント運営会社のキョードー東京を中心とした3社の共同事業体。ただし運営はするものの、主催者はあくまで実行委員会、それでいて赤字になったときの損失は全て負うという条件でした」(前出・地元関係者)
12日、遠藤市長は市役所前演舞場で行われた開会式に来賓として出席した。その後のオープニングで阿波おどりを披露したばかりの遠藤市長を直撃した。
――昨年は実行委員長でしたが、今年はあくまで運営には関係しないという立場なのか?
「はい、そうですね。本当は今年もやりたい気持ちはあったんですよ。でも、これ(民間委託)しか方法がなかったですから」
――民間委託を始めましたが。
「大変素晴らしいです。運営ノウハウが非常に優れています」
――もしキョードー東京が名乗りを上げていなかったら、大変だったですよね。
「そうです。本当にありがたかったです」
満面の笑みでこう答えたが、自身が招いた混乱についての反省の弁は全く聞かれなかった。実行委員長を辞めたといっても、徳島市からは副市長が実行委員会に入っている。当然、市も依然として阿波おどりの経営に大きな責任を負っているはずだが、市長にそうした自覚があるのか疑問を感じる。
失敗の検証が不十分
遠藤市長は、今年の民間委託による運営を手放しで喜んでいるが、事はそれほど簡単ではない。収入の柱となっているのは、やはりチケットの売り上げだが、「売り上げが低調だった昨年よりも悪い」という声さえ聞かれた。
「例年、主催者だった徳島新聞が2〜3万枚のチケットを事前に押さえていたが、今年はすべてこちらで売らないといけない。徳島新聞は運営の実務には全然関わっていません」(運営関係者)
実際、今年の徳島新聞の阿波おどり関連記事は、例年に比べて異様と言えるほど小さかった。
開幕の日の朝刊。阿波おどり関係の報道は小さかった
そこへ降りかかった難題が、なんと言っても台風だった。超大型の台風10号の影響で、14、15日は演舞場でのおどりが中止、そのまま閉幕となった。
「単純に言って、チケットを半分(2日間分)払い戻すことになるので、それだけで8000万円くらいの赤字になります。昨年は、4日間全日程開催できたにもかかわらず数千万円の赤字が出たので、今年の赤字額は1億円を超える可能性もあります」(前出・地元関係者)
阿波おどり事業の責任者であるキョードーファクトリーの前田三郎社長は、筆者の取材に対して「我々にとっては何よりもコンテンツが大事ですから」と述べ、短期的な収益よりも阿波おどりという「コンテンツ」を維持することの意義を強調した。
だが、今年のような事態が続くとすれば、来年以降も民間への運営委託を続けることは可能なのだろうか。「運営とリスクは民間に負わせる。税金での補填はしない」というスタンスでの「民間委託」というしくみに持続性があるとは思えない。
こうした懸念の数々を考えるにつけ、「そもそも、なぜ市観光協会を潰したのか」という疑問が拭えない。運営ノウハウを有する市観光協会が主催者に戻り、市や徳島新聞、地元企業と協力して、徳島全体に活気を与えるような阿波おどりを作り上げる体制を構築していくべきではないだろうか。
そうした点からも改めて問うべきは、昨年の阿波おどりの総括、検証が十分になされていないことであろう。「当事者」である振興協会との対話を遠藤市長が避けていては、話が始まらない。
遠藤市長は過去の検証を「不毛だ」と言って軽視しているが、阿波おどりの継続と発展のためには、市長が市観光協会を破産させたことの是非も含め、多方面からの検証が必要不可欠である。


世界では死者も出て再公営化に…水道民営化はこんなに危ない!
月22日に国会が閉会した。モリカケ問題で紛糾していた印象があるが、実は、政府が先の国会に提出した法案65本のうち、60本が成立している。「議論を尽くしたとは言えない法律が多すぎます」と語るのは、経済ジャーナリストの荻原博子さん。なかでも私たちの生活を揺るがしかねない進行中の法案を荻原さんが解説してくれた――。
特に、「水道法の改正」は衆議院の委員会で、わずか2日間のべ8時間しか審議されていません。それでも衆議院で可決。参議院では時間切れで継続審議になりましたが、次の国会は、参議院審議から始まります。残念ながら、成立はもう時間の問題でしょう。
しかし、改正水道法には、私たちの生活を揺るがしかねない大きな問題が含まれます。
これまでは、水道事業を民間に委託することはあっても、主体は自治体にありました。ですが、改正水道法が成立すると、運営権そのものを民間にゆだねる“実質民営化”となってしまいます。私たちの大切な生活インフラを、民間に任せていいのでしょうか。
1つの答えとして、約30年前に分割民営化された国鉄、今のJRを見てみましょう。明暗がくっきり分かれています。
“暗”の代表はJR北海道です。営業赤字が年400億円を超え、先月、5路線5区間を廃止する方針を固めました。また、国土交通省も2年で約400億円の財政支援を決定。危機的な状況が続いています。
いっぽう、“明”はJR東日本、西日本などで、収益は右肩上がり。今年3月期決算でも、純利益が過去最高を更新しました。
もし、全国を一括管理する国営だったら、これほどの差は生まれなかったでしょう。生活インフラは、民営化にはそぐわないのです。
世界を見ると、水道の民営化は’90年代から盛んに行われました。しかし、水道料金の引き上げや水質の悪化などを招いた、失敗事例がたくさんあります。
【ヨハネスブルク(南アフリカ)】’94年民営化
水道料金が高騰し、料金未納で1,000万人以上が給水停止に。汚染された小川や井戸などから水を飲んだことで、コレラが大流行。300人以上が死亡。→’02年に一定量の水を無償化。
【マニラ(フィリピン)】’97年民営化
水道料金が4〜5倍に上昇。料金が払えない貧困層に給水を停止したうえ、水を分けたり売ったりすることも禁止。水質が悪化し、コレラに600人以上が感染。→’02年に再公営化。
【アトランタ(アメリカ)】’98年民営化
排水管の破損や泥水の噴出が相次いで起こる。その対応も遅く、不満が続出。→’03年に再公営化。
【コチャバンバ(ボリビア)】’99年民営化
水道料金が2倍以上に上昇。料金が払えない家庭には給水を停止。’00年に起きた大規模デモで死傷者が約200人にのぼり、「水戦争」と呼ばれる。→’00年に再公営化。
19世紀、水道の開設当初から民営のフランスでさえ、値上がりがひどく、’10年に公営化しています。世界で民営化された水道事業はたくさんありますが、そのうち、37カ国の235の民営化事業が、再び公営化しているというデータもあります(’00〜’15年3月・公共サービス国際研究所)。今から民営化して、うまくいくとは思えません。
また、今でさえ、水道料金には大きな地域差があります。家事用20立方メートルあたりの1カ月料金が、もっとも高いのは北海道夕張市で6,841円。もっとも安いのは兵庫県赤穂市の853円と、実に、約8倍です(’16年・日本水道協会)。
利益を追求する民間が運営すれば、水道管の老朽化が激しい地域、人口の少ない過疎地域などで、水道料金がもっと上がっていくのではないかと心配でたまりません。


池袋母子死亡事故、暴走した88歳「上級国民」の特権はやはり存在するのか? 10万人以上が「厳罰」を求める理由
安田 峰俊
 今年8月3日、13時40分ごろのことである。気温が35.5度に達する屋外にもかかわらず、南池袋公園のテントに多くの人々が群がっている。人の流れは途切れず、ときにはテント前で行列ができることもある。
 現場には老若男女が集まっていたが、なかでも10〜30代くらいの若い人の姿が目立った。ベビーカーに子どもを乗せた若い夫婦、デート中のカップル、友達同士で連れ立ってやってきている男子高校生――。なかには、ミニスカートのギャル風の女の子が1人で来ている例すらある。社会的な問題を訴える署名活動の場ではあまり多く見ない層の人たちだ。
 いっぽう、テントの左後方には、憔悴した雰囲気の30代前半のワイシャツ姿の男性A氏が立ち、どこかのメディアの取材を受けていた。生真面目そうな性格を感じさせる顔の人物で、左手の薬指には結婚指輪をはめたままだ。
 約4ヶ月前の4月19日、A氏は妻の松永真菜さん(当時31歳)と長女の莉子ちゃん(同3歳)を亡くした。元通産官僚で工業技術院の元院長である飯塚幸三氏(88)が運転するプリウスが、横断歩道をわたっていた母子に突っ込んだのだ。
 事故直後の報道では、飯塚氏の自動車は2つの交差点の赤信号を無視して150メートルにわたり暴走、通行人を次々とはねたとされる。『週刊文春』(2019年8月15・22日号)に掲載されたA氏の手記によれば、3歳の莉子ちゃんの身体の損傷が特に激しく、顔のおでこから下は正視に耐えない状態だったという。
「厳罰」署名は10万人以上
 そこで8月3日、池袋の公園でA氏らによっておこなわれたのが、飯塚幸三氏の「厳罰」を求める署名活動だった。「厳罰」の定義がそれほど明確に示されなかったにもかかわらず、関係者によれば1日で1万9000人が署名。郵送されたぶんも含めると、署名者はすでに10万人を越えたと見られ、今後さらに増える見込みだという。
 だが、飯塚氏が車で人をはねた事実は客観的に確定しており、警察の取り調べもおこなわれている。普通に考えれば、刑事的な手続きを経て法廷で然るべき処罰が下されるかと思える。
 そうした事件に対して、あえて加害者の「厳罰」を求める署名が呼びかけられ、それに10万人以上の強く賛同しているのはどういうわけか。そもそも、たとえ遺族感情が反映されたものだとしても、「厳罰」とはちょっと言葉が強すぎはしないか――。
 だが、疑問の答えを説明するようにも思える材料は、公園内ですぐに見つかった。通常の交通事故遺族の署名集めの現場ではほとんど見られない、警官の姿が数多く見られたからだ。事情に詳しい筋によると、私服警官を含めて10人近くが現場に来ていたという。
 2019年7月23・30日号の『FLASH』によれば、板橋区弥生町にある飯塚氏の自宅周辺も、複数の警官が警護をおこなっているようだ。一般的に、警官が事故加害者の自宅を警護するのは異例であるとされる。
「稲垣メンバー」「島田司会者」「小泉タレント」
 2019年の上半期、インターネット上を中心に最も流行した言葉のひとつが「上級国民」だ。もとは2015年に流行したネットスラング(参考:知恵蔵mini「上級国民」)だが、4月の池袋事故を境に「特権的な上流階層」を漠然と指す形で用いられるケースが増えている。
 理由となったのは、事故発生の数日後から、被疑者の飯塚幸三氏が捜査当局や大手メディアから妙に優遇された扱いを受けているため――。少なくとも、そうした印象を抱いた一般人が大勢いたためだ。
 例えば、本人が死傷事故を起こした事実が明白にもかかわらず、飯塚氏は事故4ヶ月後にいたるまで逮捕されていない(後述)。さらにメディアの報道でも、事故数日後からは「飯塚元職員」(NHK)や「飯塚元院長」(朝日・讀賣・毎日・日経ほか)といった、本人の名誉を守るかのような耳慣れない呼称が使われるようになっている。
 ここから、2001年に道交法違反などの容疑で逮捕された元SMAPの稲垣吾郎が「稲垣メンバー」、2004年に傷害罪容疑で書類送検された島田紳助が「島田司会者」、2005年に道交法違反容疑で書類送検された小泉今日子が「小泉タレント」などと呼ばれていたのに通じる、ちょっと不思議なニュアンスを感じる人は少なくないだろう。
逮捕前でも「容疑者」呼称はあり得る
 もちろん、飯塚幸三氏が逮捕されないことや「容疑者」と呼ばれないことの理由はすでに各所で指摘されている。例えば、ある犯罪の被疑者を「容疑者」と呼ぶかは各メディアの判断に任されており、特に逮捕や書類送検がまだの場合、被疑者の呼びかたは各社の自由である。
 しかし、今年5月28日に川崎市登戸駅周辺で51歳の男が刃物で2人を殺害した事件では、被疑者の自殺によって逮捕がなされていないにもかかわらず、各社の表記は書類送検前の段階から一貫して「岩崎隆一容疑者」だった。
 7月18日に京都アニメーション放火殺人事件を起こした人物も、逮捕状の請求が発表される前の7月19日の段階から、各社が揃って「青葉真司容疑者」と表記している。決して「岩崎元雀荘店員」や「青葉元埼玉県庁職員」などとは呼んでいない。
 飯塚氏の場合、故意の殺傷行為ではないことや、京アニ事件などと異なり退院後の身柄拘束の可能性が低いと各社が判断したことが理由かもしれない。ただ、交通事故の加害者は、逮捕状の請求前の段階では「〇〇さん」や「○○運転手」と書く例も多い。しかし、飯塚氏の場合はなぜか「飯塚元院長」という不思議な呼称があえて使われているのである。
 世論の疑念を受けてか、讀賣新聞・朝日新聞・毎日新聞など主要各紙では「元院長」呼称の理由を説明する記事も出た。だが、やがて讀賣新聞は5月18日付けの飯塚氏の退院を報じる記事や、8月3日付けの署名活動を報じる記事などで「飯塚幸三容疑者」表記を採用するようになった。
 実は「飯塚幸三容疑者」という表記は、おこなっても別に問題がなかったのだ。
入院中でも逮捕状が出る例も
 飯塚幸三氏が多くのメディアで「容疑者」と呼ばれない理由のひとつにもなっているのは、警察側が本人の年齢や事故後の入院などを勘案して「逃亡や証拠隠滅の可能性がない」と逮捕の必要性を認めなかったことだ。
 ただ、今年5月8日に滋賀県大津市で起きた交通事故では、保育園児の列に突っ込んだ車両と対向車両の運転手2人が現行犯逮捕(もらい事故であった前者は同日中に釈放)されている。通常、この手の交通事故では、なかば機械的に当事者が現行犯逮捕されるケースが多い。
 また、2012年4月に起きた関越道バス事故では、運転手自身が大ケガを負って入院したにもかかわらず、事故の当日に逮捕状が請求されている。京アニ事件の青葉容疑者も意識の回復前に逮捕状が請求された。入院中で逃亡や証拠隠滅の可能性がなくとも、逮捕やそれに準ずる措置はなされ得る。
 いっぽう飯塚氏のケースでは、事故発生の直後に息子にみずから電話を掛け「人をいっぱい轢いちゃった」と状況を伝えたとされる。胸骨を骨折したとはいえ、人事不省の重体ではなかったようだ。現行犯逮捕や入院中の逮捕状請求がおこなわれなかったのはやはり不思議である。
 事故原因の説明も、当初は「アクセルが戻らなくなった」だったのが、事故1ヶ月後になってから「ブレーキがきかなかった」などと一変。車体に異常がないことが確認されたにもかかわらず、自身の責任を否認するようになった。高齢で逃亡の可能性はなくとも、彼が証拠を隠滅する可能性は本当にないと言えたのだろうか。
 逮捕をめぐる飯塚氏への処遇は、他の似たような事例に照らして考えればやはり不自然に思える。なお、逮捕令状を出す裁判所では「一般的に社会的地位が高い人間は、逃亡の恐れナシという判断を下します」(『週刊文春』2019年5月30日号)という。
「容疑者」と呼ばれることは社会的な制裁か
 もちろん、逮捕は警察の捜査上のいち手続きにすぎず、犯罪者への処罰行為ではない。メディアの「容疑者」呼称の基準もかなり柔軟で、逮捕前から使われるケースもあれば、稲垣メンバーのように逮捕されても「容疑者」と呼ばれないケースもある(すぐに釈放されたという事情もあるが)。
 ただし実態としては、日本社会では逮捕や「容疑者」呼称が「悪いことをした人への罰」とみなされがちであることはご存知のとおりだ。厳密に言えば法的な裏付けを欠く人権侵害なのだが、日本人の大多数は、これらが実質的な社会的制裁として機能することをおおむね容認する共通認識を持っている。
 だが、この手の「悪いことをした人への罰」は成文化されたルールが存在しないだけに、その運用の程度は警察や報道機関の裁量に任される。ゆえに、処置にあたって組織の事情や有力者の意向がある程度は反映される可能性を常にはらんでいる。
警察とメディアの「不透明な仕組み」
 まずは逮捕について考えよう。例えば2017年11月、秋田県警能代署の署員数人が、知り合いの警官の交通違反をもみ消した疑いが報じられた(同様の事件は検索で数多く見つかる)。また2000年には、かつて国家公安委員長を務めたこともある白川勝彦元自治大臣の秘書のスピード違反記録を、新潟県警が組織ぐるみで抹消したことが明るみに出ている。
 もちろん上記は極端な不祥事だろう。ただ、日本では被疑者が警察と一定のコネを持っていた場合、時として捜査の方針や逮捕の基準に一定の手心を加えてもらえる可能性がある――。一定以上の社会経験を持つ日本人であれば、肌感覚としてそんな不自然なムードを感じた経験がある人もいるのではなかろうか。
 メディアの場合は警察と違い民間企業であるため、より恣意的な判断がなされやすい。こちらは某芸能事務所の名前を挙げるまでもなく想像がつくだろう。当然、日々の報道のネタ元になりがちな警察や、カネの出所であるスポンサーに対する忖度も存在している(ようだ)。
 ゆえに、例えば警察のキャリア幹部や敏腕の顧問弁護士といったエリート人材が身近に大勢いるような人物や、本人が名誉を失うことが体制のメンツを潰してしまう可能性がある人物については、警察やメディアが現場の裁量でなんとかできる部分については、多少の手心を加えてもらえる場合もある――。
 実態としてどうなのかはさておき、少なくとも一般の人たちからそういう疑惑を持たれやすい不透明な仕組みは、私たちの社会においておそらく存在している。
「上級国民」の正体とはなにか
 そろそろ「上級国民」という今年上半期の流行語が持つ意味を明確に定義しておこう。
「上級国民」とは、日本の一般国民の間ではなんとなく容認されている、警察の逮捕やメディアの「容疑者」呼称報道といった社会的制裁の慣習から、可能な限り合法的に回避できる権益を持つ(ように見える)人を指す言葉である。
 もしくは、他の一般国民に対しては通常無視されがちなタテマエが遵守され、日本の国家体制や大手報道機関から本来の理念通りの人権をちゃんと保障してもらえる人を指すと言いかえてもいい。少なくとも飯塚幸三氏はこの定義には合致するだろう。
 加えて説明すれば、エスタブリッシュメントの世界ほど年功序列的な人脈関係が強固であるわが国の社会では、過去の豊かだった時代に資産や社会資源を蓄積していたり、レガシーな権力構造に近かったりする立場の高齢者ほど、「上級国民」になりやすいという特徴がある。
 これらの事情を踏まえれば、10万人以上の人が飯塚氏の「厳罰」を求めた現象――。特に署名の現場に、ごく普通の中高・大学生や小さな子どもを持つ20〜30代の夫婦がかなり多く見られた現象の背景も理解できそうだ。
 もちろん、高齢で前科がない交通事故加害者は、たとえ死亡事故でも執行猶予がつく例が多いとされる。署名主催者の最大の目的は飯塚氏に重い実刑を求めることだろう。だが、うがった見方をするならば、あれだけ多くの普通の人が署名現場に向かった動機は、飯塚氏に対する「厳罰」以前に、そもそも「平等な罰」を求めていたからではないかとも思える。
 つまり、一般国民が同様の罪を犯した場合と同じように飯塚氏が刑事的に処理され(=たとえ高齢者でも普通に逮捕されて厳しく取り調べられ)、「容疑者」の呼称で報道されるという、社会的制裁が望まれたのではないかということだ。
 一般国民の感覚では自然に受け入れられている人権水準を、「上級国民」も甘受すべし――。こう書くとややグロテスクだが、昨今の世間のムードを考えればあながち外れた想像とも言えないのではないだろうか。
勲章を持ち続けられるか?
 最後に余談を記しておこう。かつて通産省技官や工業技術院長のほかに、さまざまな要職を歴任して日本の発展に尽くしてきた飯塚幸三氏は、2015年に瑞宝重光章に叙勲されている。
 これは「国家又ハ公共ニ対シ積年ノ功労アル者」に授与される、比較的高位の勲章だ。ただし、叙勲者が「死刑、懲役又ハ無期若ハ三年以上ノ禁錮」に処せられた場合には、勲章褫奪令(くんしょうちだつれい)にもとづき剥奪される決まりである。
 他方、飯塚氏の容疑とみられる過失運転致死傷罪の刑罰は「七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる」(平成二十五年法律第八十六号)となっている。
 飯塚氏にやがて下される判決には執行猶予がつくのか、実刑か? そもそも、現在88歳の彼が存命のうちに書類送検がなされて公判が開かれ、判決が確定される可能性はどれほどあるのか――?
 その結果次第で、未来ある母子2人の生命を奪った飯塚幸三容疑者は、叙勲者としての輝かしい名誉を保ったまま人生を終えることが可能となる。

またwifiなし新幹線/pdf整理/近くの公園で送り火

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阿佐ヶ谷七夕190807

La Chine exhorte le Japon à respecter son engagement et à agir pour gagner la confiance de ses voisins asiatiques
Par : Laura
La Chine a exhorté jeudi le Japon à respecter sérieusement le communiqué et l'engagement qu'il a pris jusqu'à présent, après que le Premier ministre japonais Shinzo Abe a envoyé une offrande rituelle au sanctuaire Yasukuni lié à la guerre à Tokyo.
"La Chine a pris note de la décision négative relative au sanctuaire Yasukuni de la partie japonaise", a déclaré la porte-parole du ministère des Affaires étrangères Hua Chunying, ajoutant que cela reflète une fois de plus l'attitude erronée de certains politiciens japonais envers l'histoire.
Elle a indiqué que le Japon devait prendre des mesures concrètes pour gagner la confiance de ses voisins asiatiques et de la communauté internationale.
L'offrande du Premier ministre japonais est intervenue alors que le Japon observait le 74e anniversaire de sa reddition pendant la Seconde Guerre mondiale. Selon des informations, certains membres du cabinet et des législateurs japonais ont également rendu hommage au sanctuaire controversé.
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みずほではなくさくらなので予想していましたが,またwifiなしの新幹線です.新大阪駅で買ったお弁当を食べてから,ダウンロードしておいたpdfの整理作業をしました.意外に時間がかかりちょうどいい感じ?エクセルは明日頑張ります.
7時過ぎについて晩ご飯食べて一服してから,近くの公園で送り火をしました.

震災遺構で避難所を再現
 震災発生直後の被災者の暮らしについて理解を深めてもらおうと、当時の避難所を再現する催しが、宮城県気仙沼市の震災遺構で行われています。
 宮城県気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館では、発生直後に避難所となった近くの中学校の体育館の様子が再現され、縦1.8メートル、横2.7メートルの区画を3人で利用していたことが紹介されています。これは、当時の被災者の暮らしを知ることで備えに役立ててもらおうと企画されたもので、訪れた人は、寝転んで床の固さを体感するとともに、段ボールの間仕切りの低さに驚いた様子でした。
 避難所が再現されたのは、被災した高校の旧校舎の隣に整備された施設で、訪れた人は、津波の爪痕も見て回っていました。この「震災遺構・伝承館」への来場者は、オープンから5か月を過ぎた15日に5万人に達していて、市では、今後もこうした催しを開きたいと話しています。


旧向洋高校の来館者5万人超える
東日本大震災の津波で被災し、震災遺構として整備された宮城県気仙沼市の気仙沼向洋高校の旧校舎への来館者が、15日、公開から5か月あまりで5万人を超えました。
気仙沼向洋高校の旧校舎は、震災の津波が4階の最上階まで押し寄せ、大きな被害を受けました。
気仙沼市は、震災の記憶を伝える震災遺構としてことし3月から公開しています。
公開から5か月あまりがたった15日、5万人目の来館者として三重県の安達善徳さん(42)一家5人が訪れ、気仙沼市の菅原茂市長などが拍手で出迎えて震災後の被災地の写真集などを記念品として贈りました。
その後、安達さん一家は遺構の館長の説明を受けながら、がれきや参考書が散乱する教室や建物の3階部分に流れ着いた車など津波の爪痕が残る旧校舎を見て回っていました。
安達さんは「自然の恐ろしさを改めて感じました。震災の記憶が風化しないように伝え続けていくことが大切だと思いました」と話していました。
市は最初の1年間の来館者の目標を7万5千人としていて、予想より早く5万人を達成した震災遺構では、16日から今月18日までの3日間、夏休みの特別展示として、当時この地区の避難所になった階上中学校での生活の様子を館内に再現し、訪れた人に体験してもらうことにしています。


気仙沼震災遺構・伝承館 来館者が5万人に到達
 気仙沼市が同市波路上に整備し、3月に開館した「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」の来館者が15日、5万人に達した。
 記念の来館者は三重県四日市市の建設業安達善徳さん(42)。一関市大東町にある妻理恵さん(39)の実家に子ども3人と帰省中という。気仙沼市の菅原茂市長から震災写真集と市の観光キャラクター「ホヤぼーや」のグッズが贈られた。
 遺構は4階建ての最上階まで津波で浸水した気仙沼向洋高旧校舎の当時の様子を見学できる。安達さんは「自然の驚異を感じた。子どもたちに命の大切さを知ってほしい。三重では震災の風化が進んでいるが、どこにいても災害への備えは大切と感じた」と話した。
 来館者は1日平均362人(14日現在)。今月は特に県外の家族連れや帰省客が多く、11日は1022人が訪れた。
 開館から約5カ月で、初年度の来館見込みである7万5千人の3分の2に到達したことになる。菅原市長は「予想を上回るスピード。震災や災害への思い、関心が高いということだろう」と述べた。


大震災の気仙沼支援、東京・目黒でも NPOが常設物産店
 東日本大震災からの復興へ歩む気仙沼市を応援しようと、友好都市の東京都目黒区に同市の特産品を集めた物産店「みらい∞(むげん)市場」がオープンした。震災の記憶の風化を防ぐとともに、気仙沼の食品加工業者の販路拡大を後押しする。
 店は東急学芸大学駅近くの商業ビル1階。7月にNPO法人日本タウン&カントリー交流推進センター(目黒区)が開設した。店名はセンター理事長の三浦謙一さん(70)が「都市部と農山漁村の交流を、未来へ向け無限に深めたい」との願いを込めて名付けた。
 広さ33平方メートル。目黒区を拠点に気仙沼産品のイベント出店を手掛ける「気仙沼波止場(わーふ)」が業者から仕入れた商品約60種を取り扱う。
 レトルトのフカヒレスープやメカジキカレー、干しほや、オイスターソースといった豊富な食材が並ぶ。市観光キャラクター「ホヤぼーや」の縫いぐるみや手拭い、箸置きもそろう。
 三浦さんは、震災前から住民交流事業の引率役として気仙沼訪問を続ける。気仙沼産サンマを振る舞う「目黒のさんま祭」の事務局メンバーを務めた経験もあり、市への親しみや支援の思いは人一倍強い。
 センターは2012年10月から5年間、毎月末に東京メトロ中目黒駅前で開かれていた産直市で、気仙沼の産品を展示販売してきた。震災から8年がすぎ、首都圏で復興支援イベントが少なくなったことに胸を痛め、常設店を構えた。
 三浦さんは「震災直後に気仙沼でボランティアをしたという近所の人が立ち寄ってくれる。この店が震災の記憶を思い出す場になっている」と実感する。
 気仙沼市出身で、気仙沼波止場社長の小野寺亮子さん(54)=目黒区=は「今後、生産者を招いたトークイベントを企画したい」と交流のアイデアを練る。
 秋ごろには目黒区の友好都市である角田市産の野菜の販売も始める予定。月曜定休。連絡先は市場090(4072)1844。


<岩手県知事選 現場からの報告>高校再編計画、復興に影 被災沿岸部、格差拡大を懸念
 岩手県教委が進める「新たな県立高校再編計画」に、東日本大震災で被災した沿岸市町村が不安を募らせている。現在進行形の少子化を学校の統廃合で乗り切ろうとする県教委に、現場は「被災地の将来を託す人材教育は大丈夫か」と反発。教育の現実と理想を巡り、出口の見えない議論が続く。
 「せっかく復興が進んだのに、高校の学級削減は子どもたちに負のイメージを植え付ける。将来的に高校がなくなる心配も大きい」。再編計画に釜石市の小学校教諭は警鐘を鳴らす。
 震災で被災した沿岸部の県立高は計16校。全てが復旧した一方、大船渡や大槌は学級数の削減が進んだ。再編計画に沿った方針で、宮古商と宮古工は2020年度の統合を予定している。
 背景には、人口流出と少子化の問題が横たわる。例えば釜石・遠野ブロックの中学卒業者は、10年度の822人から20年度には527人に減る見込み。減少率は36%となる。
 各高校を小規模化して存続を図る考え方もあるが、県教委は「進路希望に対応した科目の開設や部活動が困難」と否定的。本年度中に策定する後期計画案では、復旧したばかりの高校でも統廃合が進む可能性がある。
 進学校や私学がそろい、産業集積が進む内陸部への生徒流出も現実味を帯びる。実際、17〜19年度の平均で見ると、盛岡など内陸3ブロックで生徒数が転入超過、沿岸部など6ブロックで転出超過と地域格差が埋まらない。
 「今後は1市町に1校は高校が残ることを絶対条件にしてほしい」「地域の格差や特性を踏まえた高校教育を考えてほしい」
 釜石市で8日にあった再編計画に対する地域検討会議では、首長やPTA関係者が高校再編による地域衰退への不安を次々訴えた。
 梅津久仁宏県教育次長は「小規模校が増えると、中学生が進路に迷う悪循環も考えられる。高校の存続と地域の復興を関連付けるのもいいだろうが、子どものためを考えたい」と言い置き、会議を締めくくった。
 「意見は聞くが結論は統廃合ありき、ではないのか」。出席者の一人は納得できない表情で会議室を後にした。
 県高校教職員組合の小野寺正宏委員長は「教員数や財源の問題もある。県としてどのような人材を育てるのか、県教委だけでなく他の部局や民間も含めた県全体の課題として議論すべきだ」と強調する。(盛岡総局・片桐大介)
[新たな県立高校再編計画]2016年3月策定。県内を9ブロックに分け、1学年4〜6学級を望ましい規模とし、ブロックで調整するよう規定した。前期計画(16〜20年度)は全日制63校を60校に、普通科148学級を126学級に削減。後期計画(21〜25年度)では全日制を49〜51校程度、普通科を108〜110学級程度まで絞り込む。前期は一部の計画を延期した。


復興庁存続へ 教訓生かす機能強化を
 国は今後、東日本大震災被災地にどう関わり続けるのか。与党は今月、2020年度までの「復興・創生期間」後の支援のあり方について安倍晋三首相に提言。21年3月末が設置期限の復興庁について、21年度以降も現体制のまま存続させるよう求めた。
 政府は提言を踏まえ、21年度以降の被災地支援策について検討を本格化させ、今年末までに基本方針としてまとめる。来年の通常国会で、設置期限の延長期間を盛り込んだ法整備を目指す。
 とりわけ原発事故の影響が深刻な福島県浜通り。今月、01年の米中枢同時テロ遺族らでつくる「9・11家族会」が南相馬市を訪問。心のケア活動に取り組む地元NPO法人の主催で、災害公営住宅団地の集会所で住民との交流会が開かれた。
 「大蛇巻き」と称した長いのり巻きを、みんなで作る。「英語で何て言うんだろう」「ビッグ・スネーク・ロールでいいのかな」。のり巻きを一緒に食べ、スイカ割りに挑戦。言葉が通じなくても何とかなる。家族会は12年から継続的に被災地を訪問しており、「交流を重ねるたび、住民の笑顔が戻ってきているように感じる」とメンバーも笑顔を浮かべた。
 福島は原発事故の廃炉・汚染水対策が正念場を迎え、住民の帰還促進に向けた環境整備や心のケアが大きな課題。インフラ整備が大詰めを迎える本県被災地も、高齢化が進む被災者の心身ケア、生活再建のサポートがまだまだ必要。心通うコミュニティーづくりにも長い時間がかかる。
 復興庁が存続する方向となったことは、それ自体が、孤立がちな被災者の「見捨てられ感」を解消するメッセージと言えよう。
 被災地を忘れず、関わり続ける。9・11家族会が体現しているような姿勢で、長期的に被災地を支え続けてほしい。
 復興庁の後継組織をめぐっては、全国知事会が南海トラフ巨大地震など大規模災害に備え、事前対策から復興までを担う「防災省」創設を求めた経緯がある。実際、津波災害特別警戒区域の指定などは進んでいない。避難所や仮設住宅の環境改善なども道半ばだ。これまでの議論を尻すぼみにせず、震災の教訓を生かす機能強化が求められる。
 自治体からは、財源面がどうなるかなど懸念もある。現場の声を踏まえ、十分な支援策を講じてほしい。
 陸前高田市に来月、津波の教訓を伝える伝承館がオープンする。9・11の経験者が東日本の被災者の心を支え続けているように、3・11の経験をどう国内外に幅広く発信し生かしていくか。復興庁が果たすべき役割は大きい。


女川1号機廃炉/埋設処分地の選定は難題だ
 女川原発1号機(宮城県女川町、石巻市)の廃炉スケジュールが固まった。東北電力は7月末、国の原子力規制委員会に「廃止措置計画」を申請し、認可後に地元の了解を得て解体工事に取りかかることになる。
 廃炉作業は4段階に分けられ、計34年かかると見込まれている。もちろん東北電力にとって初めての廃炉。放射性物質が飛散して不慮の被ばくをもたらすようなことがないよう、極めて慎重に工事を進める必要がある。
 解体に加え、放射性廃棄物の埋設という困難な問題にも取り組まなければならない。核燃料の搬出から最終処分まで、全行程にわたってそれぞれの地元に説明を尽くし、了解を得ながら進める姿勢が何よりも求められる。
 女川1号機は電気出力52万4千キロワットのBWR(沸騰水型原子炉)。その後に建設された2、3号機(出力はいずれも82万5千キロワット)より規模は小さい。東北電力初の原発として1984年6月に営業運転を始めており、既に35年が経過している。
 廃炉作業の第1段階は「核燃料の搬出」。使用済みと未使用を合わせ1023体の核燃料集合体が対象になるという。同時に放射性物質による汚染状況も調べる。第1段階の終了までは8年と見込まれている。
 次の7年は第2段階の「原子炉周辺の解体撤去」。具体的にはタービンなどが取り外される。第3段階が核心部分の「原子炉解体撤去」で、その期間は9年。原子炉圧力容器などの撤去後、10年かけて第4段階の「建屋撤去」に取り組む。
 ただ、原発の廃炉は解体だけでは済まない。発生した放射性廃棄物の処分という、やっかいな問題を解決しなければならない。
 東北電力の見通しでは、廃炉によって6140トンの「低レベル放射性廃棄物」が発生するという。全て埋設される予定だが、放射能の強さで3種類に分けられ、それぞれ深さが異なる。最も放射能が強い廃棄物は、地下70メートル程度になるとみられる。
 埋設地の選定は相当難航することが予想される。「低レベル」とはいえ、原発の中核部分である圧力容器や格納容器まで解体して埋めることになるのだから、受け入れる自治体が簡単に現れるとは到底思えない。
 仮に解体した後になっても埋設地が決まらなければ、どこかに「保管」し続けるしかなくなる。解体した原子炉の埋設はもちろん、一時的にどこかに置いておくことも容易ではない。
 原発の廃炉は、東北電力に限らず電力各社の大きな課題になっている。埋設と保管のいずれの方法にせよ、地元の了解を得なければ実現できないが、かなり難しい作業になることを今から覚悟しておかなければならない。


福島第2原発廃炉 明確な工程表不可欠だ
 東京電力が福島第2原発(福島県楢葉町、富岡町)の全4基の廃炉を正式決定し、事故を起こした第1原発(双葉町、大熊町)の6基と合わせ、同県内にある10基全ての廃炉が決まった。2011年の東日本大震災と原発事故からの復興に向け安全を最優先し、着実に廃炉を成し遂げることが求められる。
 同県は事故の直後から、復興の妨げになるとして第2原発の廃炉を訴えてきたが、8年余りを経てようやく決定した。東電は廃炉には40年以上かかるとしている。国内の商業用原発で廃炉を完了した前例はない。しかも東電は10基の廃炉を並行して進める。多くの困難が待ち構えていることが予想される。作業に当たっては、自治体や住民が復興や帰還の計画を立てやすいように事前に明確な工程表を示し、理解を得るべきだ。
 第2原発で廃炉作業を円滑に進めるには、原子炉建屋内のプールで保管している使用済み核燃料約1万体を他の場所に移すことが必要だ。そのために東電は、原発敷地内に貯蔵施設を新設することにした。
 貯蔵はあくまで一時的な措置で、廃炉終了までに全て県外に搬出するのが東電の方針。だが確かな見通しがあるわけではない。住民からは「核燃料が永久に残される」と懸念する声が上がっている。核燃料の処理は、東電にとどまらず国の原子力政策に関わる問題である。政府も積極的に関与し、解決の道筋をつけてほしい。
 廃炉を巡っては費用の問題も大きい。東電は施設の解体費用約2822億円、使用済み核燃料の処理費用などとして1276億円を見積もっている。これには新貯蔵施設の費用は含まれておらず、額はさらに増大する可能性がある。
 1〜3号機が炉心溶融を起こした第1原発の廃炉は、約8兆円かかると試算されている。廃炉は東電の利益を将来にわたって圧迫するため、電気料金を通じて消費者の負担増につながりかねない。
 人員の確保も課題だ。第1原発では現在、東電社員を除いても1日に約4千人が働いており、将来の労働力不足が懸念されている。さらに第2原発の廃炉作業に取り組む人員を確保するのは容易ではない。他の大手電力の協力を得ることも検討するべきだ。
 東電は経営再建中であり、10基の廃炉を単独で担えるのか疑問が残る。一義的には東電が責任を持ち廃炉に取り組むべきだが、長年原子力政策を推進してきた政府も廃炉を滞りなく進める責任があるだろう。
 原発事故の際、第1、第2原発が立地する4町は全町避難となった。今も住民の帰還は進まず、復興は途上にある。東電は着実に廃炉を進める一方で、福島県や4町、住民に対し、その時々の状況や見通しについてきめ細やかに情報を提供していく必要がある。


終戦の日の言葉から 令和も不戦受け継いで
 きのうは令和最初の「終戦の日」。先の大戦の反省の上に立つ不戦の誓いは時代を超えて、昭和から平成、そして令和へと受け継がねばならない。
 一九三七(昭和十二)年の日中戦争から始まった長い戦争の終結を告げる昭和天皇の「玉音放送」がラジオから流れたのは四五(同二十)年八月十五日の正午。あの日から七十四年が過ぎた。
 東京の日本武道館で行われた政府主催「全国戦没者追悼式」への参列予定者は約五千四百人だったが、戦後生まれが初めて三割を超えた。時代は流れ、戦争体験世代は少なくなりつつある。
◆過ち繰り返さぬため
 過去に起きた戦争だが、そこから教訓を学び取り、次世代に引き継いでいかねば、再び同じ過ちを繰り返しかねない。
 戦争の犠牲者は日中戦争後に戦死した軍人・軍属二百三十万人と米軍による空襲や広島、長崎への原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人の合わせて約三百十万人に上る。しかし、これは日本人だけの数にすぎない。日本が侵略した近隣諸国や交戦国の犠牲者を加えれば、その数は膨れ上がる。
 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされる終戦の日に、戦没者を悼むと同時に、過去の戦争を反省し、戦禍を二度と繰り返さない「不戦の誓い」を世界に発信しなければ、本当に平和を祈念したことにならないのではないか。
 安倍晋三首相はきのう、追悼式の式辞で「我が国は、戦後一貫して、平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました」「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この誓いは昭和、平成、そして、令和の時代においても決して変わることはありません」と述べた。
◆加害・反省語らぬ首相
 不戦の誓いを、令和の時代も引き継ぐことを述べてはいるが、首相の式辞から抜け落ちているものがある。それはアジア諸国の人々に対する加害と反省だ。
 損害を与えた主体を「わが国」と明確にして加害と反省の意を表明したのは二〇〇一(平成十三)年の小泉純一郎首相が初めてだった。それ以降の首相は基本的に踏襲し、八月十五日には加害と反省の意を表明してきた。
 安倍首相も第一次内閣の〇七年には加害と反省に言及したが、政権復帰後の一三年からは触れていない。今年で七年連続となる。
 首相が加害と反省に言及しない背景には、アジア諸国に対して、いつまでも謝罪を続ける必要はないという考えがあるようだ。
 一五年八月十四日に閣議決定した戦後七十年の「安倍首相談話」は「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べている。
 国民の一部にある「いつまで謝罪をしなければならないのか」との思いに応えたのだろうが、政治指導者が加害と反省に言及することをやめたらどうなるのか。
 多大な犠牲を出した戦争への責任を国家として感じているのか、本当に反省しているのか、という疑念を、アジア諸国のみならず世界に与えてしまう。
 先の大戦の反省の上に立つ日本の平和主義は、戦後七十年以上を経て、日本人の血肉となった。その不戦の誓いも、政治指導者が心を込めて語らなければ、受け取る側の胸には響かないのではないか。
 今年四月に天皇を退位した上皇さまは昨年十二月、天皇誕生日の記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と述べた。天皇は国政に関する権能を有しないが国民統合の象徴としての在位期間に戦争がなかったことへの安堵感を、率直に語ったのだろう。
 そして時代は平成から令和へ。
 戦後に生まれ、今年即位した天皇陛下は追悼式のお言葉で「ここに、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と述べられた。戦後七十年の一五年以来、お言葉に「反省」を盛り込んだ上皇さまを受け継いだ形だ。
◆戦禍を語り継ぐ責任
 戦争や戦後の苦しい時期を経験した世代は徐々に少なくなり、戦争を知らない戦後生まれが八割を占めるようになった。時の流れで仕方がないとしても、記憶や経験の風化が、不戦の誓いまで形骸化させてはならない。
 戦争がもたらす犠牲や苦難を次の世代に語り継ぐことは、今を生きる私たち自身の責任だ。そして折に触れて、戦禍を二度と繰り返さないという不戦の誓いを、深い反省とともに語ることは、首相ら政治家の重要な役割でもある。


令和初の戦没者追悼式 受け継がれた平和の願い
 終戦の日のきのう全国戦没者追悼式が営まれ、天皇陛下がこの式で初めておことばを述べられた。「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い−−」と語り、慰霊と平和へのお気持ちを表した。
 平成の30年間、戦没者を悼み、遺族に寄り添って平和の尊さを後世に伝えていこうとした上皇さまの姿勢を、陛下が受け継いでいくことを明確に示した。
 戦後生まれで初めて即位した陛下は、幼少期以降、戦争の痛ましさを両親から繰り返し聞いてきたという。皇太子時代には広島、長崎、沖縄への訪問をはじめ、旧ソ連に抑留されてモンゴルで亡くなった日本人の慰霊碑を参拝するなどして、人々の苦難を心に刻んだ。
 かつて「戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と語ったのはこうした経験があるからだろう。陛下は愛子さまにもご自身の考えを伝えている。
 激動の昭和期とは違い、平成期は日本が戦争の当事者になることはなかった。上皇さまが昨年の戦没者追悼式で述べた「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致し」という表現は、陛下のおことばにもある。
 歴史と真摯(しんし)に向き合い、平成と同じように平和が続くことを願う強い意思がうかがえる。
 一方、安倍晋三首相は追悼式の式辞で今回も加害責任や「反省」に触れなかった。この姿勢は再登板後の2013年から変わっていない。
 戦後生まれは人口の8割を超えている。国から恩給を受ける旧軍人・軍属、遺族らはピークの1969年度に約283万人いたが、18年度には約28万人に減った。
 戦後74年を迎え、薄れていくばかりの戦争の記憶をどう受け継いでいくのかは社会全体の課題だ。
 国民の間では原爆や空襲の被害、戦場での経験などを若い世代が当事者から丹念に聞き取り、本人に代わって「語り部」となる動きも広がっている。こうした活動は貴重だ。
 戦争の記憶を受け継ぐのは容易ではない。しかし、日本が破綻寸前だったことを思えば、世代間で継承しなければならない。


不戦の誓い/「深い反省」の上に立って 
 「終戦の日」のきのう、政府主催の全国戦没者追悼式が開かれた。令和初の式典で、戦後生まれの天皇陛下が初めてお言葉を述べられた。
 戦争世代の上皇さまは昨年まで自ら鉛筆を握り、惨禍を繰り返さないとの決意を語ってこられた。戦後70年の2015年以降は先の大戦への「深い反省」を毎年表明されてきた。
 その思いを引き継ぐ意思の表れだろう。陛下も「過去を顧み、深い反省の上に立って」と明言された。「再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」というお言葉は、すべての国民に向けられたものである。
 戦後生まれが8割超を占める今、私たちも世代を超えて「不戦の誓い」を新たにしたい。
 先の大戦での日本の戦没者は約310万人に上る。沖縄戦や広島、長崎の原爆投下、全国の空襲などで亡くなった民間人約80万人も含まれている。
 これらはアジア・太平洋地域への無謀な軍事侵攻がもたらした結果だ。悲しいことに、戦後74年がたっても遺骨約112万柱が帰還を果たせていない。
 傷痕は今なお深く、遺族の悲嘆も癒えてはいない。戦争が庶民を苦しめた歴史を改めて胸に刻む必要がある。
 忘れてならないのは、アジア諸国の犠牲者が2000万人とされていることだ。
 村山富市首相以降の歴代首相は式辞で日本の加害責任に言及してきた。安倍晋三首相も第1次政権時には「多大の損害と苦痛を与えた」と述べたが、第2次政権発足後はそうした表現を使わなくなった。
 今回も首相は日本の戦没者の数だけに触れ、犠牲者への「敬意」と「感謝」を強調した。それでは「二度と繰り返さない」という首相の言葉も他国に十分伝わらないのではないか。
 韓国では日本からの植民地解放を記念する式典が開かれ、文在寅(ムンジェイン)大統領が「日本が隣国に不幸をもたらした過去」に言及した。元徴用工の補償を巡る韓国政府の対応は全くの筋違いだが、背景に歴史認識に関する対立があることも事実である。
 国際社会と力を合わせて未来を切り開くには、「不戦の誓い」を共有するための対話を地道に重ねていくしかない。


戦没者追悼 過去の直視 欠かせない
 終戦の日のきのう、天皇陛下が即位後初めて全国戦没者追悼式に参列した。
 「過去を顧み、深い反省の上に立って」と言及し、不戦の誓いを強調した。上皇さまが昨年述べた内容とほぼ同じだった。
 安倍晋三首相は式辞で「惨禍を二度と繰り返さない」と述べた一方、アジア諸国への加害責任と反省には言及しなかった。
 これは第2次安倍政権発足後、2013年から7年連続になる。
 戦争で多大な犠牲を強いた加害側として、歴史を直視する姿勢を明確に示さなければ、周辺国との真の和解はあり得ない。
 首相は「歴史の教訓を深く胸に刻む」とも述べた。ならば加害責任に言及すべきだった。
 教訓を語り継ぐことに終わりはない。年を重ねても、政府は真摯(しんし)な態度を取り続ける必要がある。
 加害責任に伴う問題は、周辺国と今なおあつれきを生んでいる。
 韓国とは元徴用工らへの賠償を巡る問題で政府間対立が激しい。貿易手続きを巡る報復合戦にまで至ったのは憂慮すべき事態だ。
 文在寅(ムンジェイン)大統領はきのう、日本の植民地支配からの解放記念日「光復節」の演説で、日本政府による韓国への輸出規制強化について「不当」と非難した。
 ただ、徴用工や従軍慰安婦など具体的な歴史問題には触れず、関係改善を探る考えも示した。
 日本側は苦難を強いられた被害者の立場に立ち、韓国側は、賠償問題は解決済みとした過去の政府間合意を踏まえ、互いに歩み寄ってもらいたい。
 歴史認識を巡っては、戦没者の追悼のあり方も課題として残る。
 靖国神社が1978年にA級戦犯14人を合祀(ごうし)した後、首相や閣僚らが参拝するたび、中国などの反発を招いてきたからだ。
 靖国神社が昨年秋、当時の天皇陛下(上皇さま)に神社創立150年に合わせた今年の参拝を求める「行幸請願(ぎょうこうせいがん)」を宮内庁に行い、断られたことも明らかになった。
 上皇さまの元側近は「政治的にも国際的にも多くの反響を呼ぶ。とても参拝できる状況ではない」と語ったという。当然である。
 靖国参拝の問題を受け、02年には当時の福田康夫官房長官の私的懇談会が無宗教の国立追悼施設の必要性に言及している。自民党や日本遺族会などが反対したことで、その後議論は進んでいない。
 すべての人が思いを一つにして追悼できる環境をどうつくっていくか、改めて議論すべきだろう。


追悼式の式辞 加害に触れないままでは
 終戦から74年を迎えたきのう、政府主催の全国戦没者追悼式が開かれた。
 安倍晋三首相は式辞で「歴史の教訓を深く胸に刻み」と述べたものの、今年もアジア諸国への加害責任に触れなかった。
 先の大戦で亡くなった日本人は軍人、軍属、民間人を合わせ300万人以上だ。首相は「平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれた」と述べた。
 忘れてはならない。亡くなったのは日本人だけではない。日本が侵略した中国やアジア諸国などでも多くの尊い命が失われた。
 加害の歴史に向き合い、反省する姿勢がなければ、首相が「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と述べても、教訓として生きない。アジア諸国の人々に言葉の重みを疑われるだろう。
 加害者としての反省を初めて盛り込んだのは1994年の村山富市首相だ。戦後50年の95年には「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。その後の首相はいずれも加害責任に触れてきた。
 安倍首相も第1次政権時の2007年には「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」とし、「戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持する」と述べていた。
 言及しなくなったのは第2次政権発足後の13年からだ。今回で7年連続になる。
 政府主催の追悼式での方針転換は、日本が歴史を修正しようとしていると受け取られかねない。首相はきのう、A級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社に玉串料を私費で奉納もした。このまま見過ごすことはできない。
 韓国人元徴用工や旧日本軍の従軍慰安婦の問題などで、韓国国民の対日感情が悪化したのも、日本政府が過去に真正面から向き合わない姿勢が不信感を与えていることが理由の一つだろう。
 初めて追悼式に臨まれた天皇陛下は、国民に向けた「お言葉」の中に「深い反省の上に立って」という文言を盛り込んだ。上皇さまが平成の最後に4年連続で述べた言葉を継承した形である。
 陛下は15年の記者会見で「戦争を知らない世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と述べている。その認識の上に立った「お言葉」だろう。
 懸念されるのは、陛下の「深い反省」が、首相が加害責任に触れないことの免罪符として印象づけられることだ。それは天皇の政治利用につながりかねない。


安倍は今年も加害責任に触れず
★15日の令和最初の終戦の日には政府主催の全国戦没者追悼式が、例年通り日本武道館で開かれた。天皇、皇后両陛下、首相・安倍晋三をはじめ三権の長と全国の遺族約5000人が冥福を祈った。注目されたのは天皇陛下が令和になり戦後生まれとなったことで、そのお言葉が注目された。陛下は「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と結んだ。★全体的には上皇さまのお言葉を踏襲した形になったが、上皇さまが象徴としての在り方を絶えず模索したように、陛下も戦後生まれの天皇としてのかたちを作り上げられるかどうかが、今後の大きなテーマとなることだろう。国民や政治家に戦後生まれが圧倒的に増えるとともに、戦争の惨禍の記憶が薄れたりあいまいになったり、時には賛美に変わる場合もある昨今、その痛みを「人々」と分かつにはいかような方法があるのか、令和の課題になるだろう。★一方、首相の式辞では「戦争の惨禍を、2度と繰り返さない。この誓いは、昭和、平成、そして、令和の時代においても決して変わることはありません」としたものの歴代首相が触れてきたアジア諸国への加害責任に触れなかった。言及しないのは第2次政権発足後の13年の追悼式から7年連続になり、平成以来の「新しい判断」となったが、そこに積み重ねられた議論はなく、首相の世界観を披露しているだけとなっている。

河北春秋
 太平洋戦争を主導した首相東条英機は戦争は精神力の勝負だと考えていた。元秘書官が現代史研究家保阪正康さんに証言している。現実の裏付けのない精神論を、保阪さんは「これほどひどい非知性的な発言はない」と著書に記している▼昭和天皇は1975年を最後に靖国神社に参拝しなくなった。東条らA級戦犯を合祀(ごうし)したからだ。2006年に公になった元側近のメモに、不快感を示したとある▼靖国神社が昨年秋、当時の天皇陛下(現上皇さま)に19年の神社創立150年に合わせた参拝を求める異例の「行幸(ぎょうこう)請願」を宮内庁にしていたことが分かった。宮内庁は代替わりを控え多忙などを理由に検討そのものを見送り、靖国側も断念した▼靖国神社の前身「東京招魂社(しょうこんしゃ)」は戊辰戦争の新政府軍戦死者らを弔う明治天皇の意向で建てられた。戦没者らの慰霊、顕彰を担う中心は天皇本人だが、不参拝が続く。靖国側は「平成の御代(みよ)のうちに天皇陛下の参拝を」と焦っていたという▼無謀な戦争に導いた責任者と戦没者が一緒に祭られることに違和感を持つのは遺族ばかりではない。合祀で靖国神社は自縄自縛に陥った。宗教法人の靖国への公人参拝は政教分離の問題もある。戦没者の慰霊はどうあるべきか、改めて幅広く議論する時期ではないか。

食料自給率 上昇に転じる道筋を示せ
 このままでは日本の食料安全保障が揺らぐ恐れがある。政府はもっと危機感を持って、食料自給率の上昇へ向けた取り組みを強化しなければならない。
 2018年度の食料自給率がカロリーベースで前年度より1ポイント減の37%になった。記録的なコメの凶作となった1993年度と並ぶ最低の水準だ。
 65年度は73%あったが、コメ離れや肉を多く食べる食生活の変化などで漸減し、2010年度以降は40%を切っている。
 国の「食料・農業・農村基本計画」では、25年度までに自給率を45%にする目標を掲げている。計画ができたのは00年だが、一向に改善できずにきた政府の責任は重い。
 気掛かりなのは、18年度が過去最低となった要因として、農林水産省が天候不順で小麦や大豆の国内生産量が大きく減ったことを挙げている点だ。
 地球温暖化により世界各地で干ばつや豪雨などが増えている。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、50年には穀物価格が最大23%上がり、食料不足や飢餓のリスクが高まるとの報告書をまとめた。
 こうした中で、日本の自給率は小麦が12%、大豆は21%にとどまっている。これらの輸入は米国、カナダ、オーストラリアなどに頼っている。
 輸出国が異常気象で作物が凶作となった場合、これまで通り安定的に供給できるのか。食料安全保障に不安を覚える。
 来年3月に新たな「食料・農業・農村基本計画」を策定する国は、目標との乖離(かいり)を検証すると同時に、将来の食料危機も見込んだ対策を示してほしい。
 農水省は45%の目標達成に向けて主要品目ごとの生産目標も示している。コメは100%達成しているが、小麦は18年度実績より18万トン増の95万トン、大豆も11万トン増の32万トンに引き上げねばならない。
 国内の生産を強化するには、担い手の減少や耕作放棄地の増加といった課題の解決が不可欠だ。国も対策に取り組んできたが、効果は上がっていない。
 担い手は10年には全国で約205万人いたが、18年は60万人減の145万人になった。高齢化も急速に進み、集落の維持が困難になっている地域も増えている。本県も同様の傾向だ。
 集落や地域農業も含めたさまざまな観点から対策を強化することが欠かせない。
 農作業の負担軽減や生産性の向上につなげるため、ロボットや人工知能(AI)などの最新技術を活用する「スマート農業」の実用化を急ぐことも柱の一つだろう。
 先の参院選では、野党も高い自給率の目標数値を公約に掲げていた。与野党問わず、実現に向けて知恵を出してほしい。
 都道府県別の自給率では、本県はコメの不作の影響で前年度より9ポイント減の103%だった。
 安定した収量と品質の確保に向けて、県や農業団体などは品種の改良やきめ細かな技術指導などに最大限の努力を図ってもらいたい。


計画運休の実施 周知の改善を図りつつ
 大型の台風10号の接近に伴い西日本でJR各社が「計画運休」を実施した。災害が激甚化する中、安全優先の判断は重要だ。定着するよう各社は改善を重ねてもらいたい。
 山陽新幹線は新大阪―小倉間が終日運休、小倉―博多間は1時間に1本程度の運転にとどめた。東海道新幹線は山陽新幹線との直通運転を取りやめ、上下合わせて55本を運休にしている。九州新幹線は本数を減らし、山陽新幹線との直通運転を取りやめた。
 台風などで普段通りの運転が難しいと見込まれる場合にあらかじめ運転を取りやめるのが計画運休だ。お盆のUターンラッシュと重なり、影響は大きかった。とはいえ、無理に運転して立ち往生したりすれば、混乱を広げる。乗客の安全を守る判断は理解できる。
 難しいのは運休するかの見極めや実施する場合の利用客への周知の仕方だ。天気予報通りの悪天候にならなかった場合、運休は利用客に迷惑を掛け、鉄道会社も収入を失う。案内が遅れれば、運休を知らず移動できなくなる人が出かねない。
 その点で今回のJR西日本の対応に注目したい。11日に運行情報を伝える公式ツイッターで台風接近により運休などが見込まれると周知を始めた。13日に運休の可能性があると発表、終日運休の公表は14日午前だ。
 JR西は2015年に計画運休の前日告知を制度化している。早く知れば、利用客も日程調整など対処しやすい。
 昨年9月の台風接近時にJR東日本が行った計画運休は課題を残すものだった。案内が実施8時間前で混乱を招いたためだ。首都圏全域の在来線で午後8時以降、全面運休した。当日の正午すぎに決め、報道機関や自社ホームページなどで公表していた。
 国土交通省は7月に計画運休の指針とモデルケースを示した。48時間前に計画運休の可能性を公表し、24時間前に詳細な情報を提供するよう求めている。
 JR東日本は気象予報の精度から運休の可能性を示すのも前日が精いっぱいとの立場だという。首都圏での影響の大きさなど、それぞれの事情はあるにせよ、早める努力を求めたい。各社は取り組みの成果や教訓を共有し、より良い周知の仕方を探ってほしい。
 利用客の理解も欠かせない。悪天候が予想されるときにはホームページなどで情報をチェックする必要がある。空振りに終わっても許容する姿勢も大事になる。


【森友捜査終結】疑惑解明 国会で続けよ
 学校法人「森友学園」を巡る国有地売却や財務省の決裁文書改ざんで、大阪地検特捜部は佐川宣寿・元国税庁長官らを再び不起訴とした。
 特捜部は昨年、関係者38人を不起訴としたが、検察審査会が佐川氏ら10人を「不起訴不当」と議決。再捜査が行われていた。
 これにより安倍政権への忖度(そんたく)疑惑が浮上した問題は、何も解明されないまま捜査が終結した。割り切れない気持ちが残る。
 森友学園が取得した国有地が8億円余り値引きされ、国有地で開校予定だった小学校の名誉校長に安倍昭恵首相夫人が一時就任していた。
 佐川氏は国会答弁で森友側との事前の価格交渉を否定したが、交渉をうかがわせる内部文書や音声データが見つかった。決裁文書からは昭恵夫人の名前や「特例的な内容」といった文言が削除されていた。
 値引きの根拠は国有地に埋まっていたごみだ。その撤去費の積算額は適正だったのか。決裁文書の改ざんを、誰がいつ指示したのか。疑惑の核心は今も判然としない。
 再度の不起訴について、特捜部は「起訴するに足りる証拠を収集できなかった」と説明した。それで納得する国民がどれだけいるだろう。
 特捜部は財務省の関係先を家宅捜索せず、関係者の聴取も資料の提出も任意で行ってきた。検察まで政権に忖度しているのではないか―。そう疑われかねないだけに、どういう経緯で不起訴に至ったのか、もっと説明責任を果たすべきだ。
 特捜部の聴取に対し、佐川氏らは何を語ったのか。不起訴により膨大な数の調書が公になる可能性はなくなった。公判に持ち込まれれば、国民が真相に近づく機会となっただけに残念と言うほかない。
 むろん、これで幕引きとするわけにはいかない。
 行政府による公文書の改ざんや国会を欺くような答弁は、国民の代表で構成する立法府をないがしろにし、行政監視機能をおとしめる。民主主義を根底から揺るがす行為であり、決してうやむやにしていい問題ではない。
 安倍首相や昭恵夫人の関与や官僚の忖度によって、行政がゆがめられたのかどうか。引き続き国会で追及する必要がある。
 佐川氏は昨年、国会の証人喚問で「刑事訴追の恐れがある」と繰り返し、証言を拒み続けた。不起訴となった今、証言を拒める環境はなくなった。国会は改めて佐川氏を招致し、事実関係の解明に努めなければならない。昭恵夫人についても同様である。
 この問題では決裁文書改ざんを強要されたとのメモを残して、近畿財務局の職員が自殺している。同財務局はこれを公務員の労災に当たる「公務災害」と認定した。これほど悲惨な労災がなぜ起きたのか。その究明も求められよう。
 一連の疑惑を明らかにする本舞台は国会であることをいま一度、強調しておきたい。


日本第2の労総「全労連」議長が訪韓、「安倍政権、貿易規制で労働者に直撃弾」
15日、日本全労連の小田川義和議長、光復74周年にあわせて訪韓 
「安倍、右派の関心引くために歴史悪用、政経分離にも反する 
改定ホワイト国リスト施行前に、日本首相官邸前で共同行動」

 日本の全国労働組合総連合(以下、全労連)の小田川義和議長が光復74周年の15日、韓国を訪れ、最近の安倍政権による貿易規制と歴史わい曲を批判し、韓日労働者の連帯を強調した。全労連は110万人の組合員を代表する日本の第2の労総だ。
 15日、小田川議長は午前10時にソウル市中区(チュング)の全国民主労働組合総連盟(民主労総)でキム・ミョンファン民主労総委員長と会い、「破局に突き進む韓日紛争、韓国と日本の労働者は何をすべきか」というテーマで懇談会を持った。小田川議長は「10日前に日本で開かれた『非核平和・原水爆反対世界大会』でキム委員長から招待を受けたが、15日という日の重い意味を理解しているので、喜んで招待に応じた」と明らかにした。
 小田川議長はこの席で、日本の貿易規制が韓国と日本の労働者に及ぼす影響について憂慮を示した。小田川議長は「まだホワイト国(グループA)リストから韓国を外す政令改定が施行される前なので、その部分に対しては現場からまだ労働者の声は上がっていない」としつつも、「韓国と日本の貿易関係を見れば、韓国は日本から輸入する上位圏の国家に該当し経済的に緊密なので、国家貿易摩擦が生じれば、生産に関する余波はもちろん観光客も減り、労働者の生活が直撃される問題が発生しかねない」と明らかにした。したがって「日本政府の政策の問題を経営合理化につなげる動きを防ぎ、日本政府の責任を追及する声を強く上げることが重要だ」と付け加えた。
 小田川議長はさらに「安倍政権が日本国内外の右派勢力の支持と関心を引き込むために徴用被害者問題を利用していることが責任の大きな部分を占めている」として「強制徴用被害など政治的に解決しなければならない問題を、ホワイト国リストからの排除などの貿易問題につなげて行くことは、政経分離原則にも反し、道理にも合わない」と批判した。また「安倍政権は“歴史修正主義”を前に出し侵略戦争と植民地主義に対しても責任を負わない姿勢を守っている」として「これは政権を維持するために歴史を利用する行為」と付け加えた。
 そして、現在葛藤が激化している韓日問題を解決するためには、両国の労総の連帯が必要だと提言した。小田川議長は「韓日政府間と日本国内の状況が深刻だ。(このような時であるほど)両国の労働組合が互いに信頼を強め連帯力を育てていくことが重要と考える」として、民主労総に協力を依頼した。全労連も参加している日本の「総がかり行動実行委員会」は、ホワイト国リストの改定が施行される前日の27日、首相官邸前で安倍政権を糾弾する共同行動を実施する予定だ。小田川議長は「2〜3千人が共同行動に参加すると予想する」として「安倍政権の貿易規制などと関連して開かれる初の集会だ」と説明した。
 この日の懇談会に参加したキム・ミョンファン民主労総委員長は「安倍政権の韓国に対する経済報復措置だけでなく、日本の平和憲法改定の動きに対応するには、韓日の労働者の連帯が必要だ」として「安倍政権の行動を阻むことが朝鮮半島に平和をもたらし戦争の名分を遮断することであり、正しい韓日関係を立てることにつながる」と明らかにした。続けて「日本の反安倍闘争の中心である全労連が今日を契機に日本国内でも良心の声、平和の声をさらに積極的に上げ、韓国と日本の労働者と市民社会間の連帯が拡張されると思う」と強調した。
クォン・ジダム記者


アベ“断韓”外交で早くも始まった経済損失に日本企業が悲鳴
 とばっちりを受けるのは国民だ――。世耕弘成経産相は15日の会見で、韓国が輸出管理上の優遇対象国から日本を外すと発表したことについて「日本が韓国から輸入している品目を見る限り、経済影響は少ないのではないか」と強弁したが、とんでもない。日本企業や地方自治体はすでに悲鳴を上げている。
  ◇  ◇  ◇
 安倍政権は参院選後の今月2日、韓国をいわゆる「ホワイト国」から除外することを閣議決定。韓国サイドも12日、報復として日本を「ホワイト国」から除外すると公表した。
 日本政府は日本国内の経済損失を過小評価しているが、発表から2週間足らずで韓国に進出している日本企業の売り上げに暗い影を落とし始めている。予想以上に、日本製品の不買運動、いわゆる“ボイコット・ジャパン”が効いているのだ。
 韓国の「聯合ニュース」は15日、韓国国内で人気の日本の衣料品やビールなどの販売が急減していると報じた。日本ブランドが加盟する韓国のクレジット会社8社の集計によると、衣料品大手の「ユニクロ」「無印良品」、靴小売店「ABCマート」、化粧品の「DHC」のカード決済による売上額は、6月最終週の約88億9300万円から7月第4週には半減したという。
 ブランド別で見ると、ユニクロの売り上げの下げ幅が最大。6月最終週から7月第4週までの間に、7割も落ち込んだというから驚きだ。ソウル市内の1店舗は契約満了を理由に閉店に追い込まれてしまった。コリア・レポート編集長の辺真一氏がこう言う。
「衣料品や飲食料品の他に、日本車も不買の対象になっています。韓国政府高官五十数人が日本車を愛用していたことが判明し、買い替えする事態になっています。韓国国内で『戦犯企業』と言われるメーカーのコピー機やカメラも不買の対象です」
■九州地方で韓国への直行便運休が続出
 日本の地方自治体も、韓国からのインバウンドの減少に頭を悩ませている。
 ホテル予約サイト「ホテルズコンバインド」によると、昨年、日本は韓国人の人気旅行先ベスト3を独占。1位大阪、2位福岡、3位東京だったが、今年は1位ダナン(ベトナム)、2位グアム(アメリカ)、3位バンコク(タイ)に取って代わられた。
 すでにインバウンドによる経済効果が大きく落ち込んでいる。前出の聯合ニュースによると、韓国国内のクレジットカード会社8社の売上額は、東京、大阪、沖縄、福岡の4都市で減少。6月最終週から7月第4週までに18・8%落ち込んだという。
 とりわけ、打撃を受けているのが九州だ。九州では昨年のインバウンド(511万人)のうちおよそ半分を韓国人旅行者(241万人)が占めていた。ところが、佐賀や大分、熊本などで韓国への直行便の運休・減便が相次いでいるのだ。九州運輸局国際観光課の担当者がこう言う。
「九州は韓国と日本をつなぐ路線が多いので、全国に比べても訪日韓国人旅行者が多い。団体旅行の中止やホテル予約のキャンセルが出ています。これからどれだけ経済的な損失が出るか見通せない状況です」
 航空・旅行アナリストの鳥海高太朗氏は13日のテレビ朝日系「モーニングショー」で、韓国人の訪日客数減少によって「全国で1450億円の経済損失が考えられる」と指摘している。
 いったい、誰のための“断韓外交”なのか。


あいちトリエンナーレ検証委が第1回会議 「表現の自由」議論する公開フォーラム提案
 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった問題で、愛知県が設置した外部有識者でつくる検証委員会(座長、山梨俊夫・国立国際美術館長)の第1回会議が16日、同県庁で開かれ、委員から「表現の自由」について議論する公開フォーラムの開催が提案された。
 オブザーバー参加した芸術祭実行委員会会長の大村秀章知事は「芸術祭に出展しているアーティスト全員に参加を呼びかける」と前向きな姿勢を示し、芸術祭の中で9月中の開催を目指すとしている。
 フォーラム開催は副座長の上山信一・慶応大教授が、出展作家や有識者のほか、県民も招いて「表現の不自由展」への賛否や課題などについて討議することを提案し、他の委員も賛同した。上山氏は「表現の自由を巡る内外の実態を広く共有するものにしたい」と説明した。
 検証委は芸術や憲法などの専門家6人で構成し、企画展の準備段階から中止に至った一連の経緯などを検証。会議ではこのほか、複数のワーキングチームを設置し、事実関係の調査や作家ら関係者のヒアリングなどを実施することも提案された。山梨座長は「芸術祭の会期中(10月14日まで)に検証の結論を出したい」としている。
 一方、この日の会議では、今回の問題について各委員からさまざまな意見が出された。憲法学が専門の曽我部真裕・京都大教授は「公金を使っているから政治的な表現は駄目だとすると、表現の自由はやせ細っていく」、行政改革論を専攻する上山氏は「今後、美術館や公共的なイベントで、政治的だからやめておこうという自粛やそんたくが広がるのは社会全体にとって好ましくない」などと懸念を表明。美術館の運営・管理に詳しい岩渕潤子・青山学院大客員教授は「アメリカでは、美術館という特別な公共空間では何を展示しても良いという認識が社会にある」と述べた。【竹田直人、山田泰生】


“少女像”展示中止に、世界各国の作家が「私の作品も展示中止せよ」
世界各国の作家12チームが展示中止を要求 
開幕作やガイドブック表紙作品も含む

 日本最大の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(トリエンナーレ)で「平和の少女像」(以下、少女像)の展示が中止されたことに抗議し、世界各国の作家が相次いで自身の作品の展示の取りやめを要求している。
 NHK放送など日本のメディアは、トリエンナーレに作品を出品した作家90チームのうち12チームが作品の展示取りやめを要求したと15日伝えた。米国の非営利報道機関である調査報道センター(CIR)が、自分たちの記事をアニメーションにした動画作品の展示を10日から中止した。調査報道センターの作品は、少女像が出品された「表現の不自由展・その後」のすぐ隣の展示室で展示されていたが、現在はロープを張って入口を塞いである。
 今年、トリエンナーレの主催側が主要作品として紹介した作品の作家も展示の取りやめを要求した。米国で活動中のウーゴ・ロンディノーネ氏が展示の取りやめを要求した「孤独のボキャブラリー」は、トリエンナーレの公式ガイドブックの表紙に載せられた作品だ。この作品は、様々な姿勢を取ったピエロの彫刻を展示した作品だ。ロンディノーネ氏は12日「表現の自由は奪うことのできない権利」と書いた文書を主催側に送り、「表現の不自由展・その後」の展示中止事態を批判した。
 トリエンナーレ開幕式で紹介されたピア・カミル氏(メキシコ)の作品「ステージの幕」も作家が展示取りやめを要求した。韓国側の2チームを除けば、展示取りやめを要求した欧州と中南米の作家チームだけで10チームにのぼる。これに先立って今月3日に韓国の作家パク・チャンギョン、イム・ミヌク氏も作品の展示取りやめを要求した。トリエンナーレの海外作家チームは66チームだが、このうち20%に近いチームが展示取りやめを要求したわけだ。
 今回の事態は、大村秀章・愛知県知事が、少女像の出品された企画展「表現の不自由展・その後」全体をテロ予告電話およびメールなどを口実に開幕から三日で展示を中止して広がった。「表現の不自由展・その後」の出品作品は、臨時壁の裏側の展示場にそのまま置かれているが、入口が閉められており観覧客は見ることができない。「表現の不自由展・その後」の実行委員たちは、警備を強化した上での展示再開を要請している。
 トリエンナーレ側は、展示取りやめを要求した欧州と中南米の作家たちと協議して展示を継続しようとしているが、打撃は避けられない。一方、波紋が広がると芸術祭の企画アドバイザーを務めた評論家の東浩紀氏は14日、ツイッターで辞任すると明らかにした。彼は、少女像の展示が「政治的に利用された」として、少女像の展示中止自体には賛成する側だ。
 一方、愛知県は14日、今回のトリエンナーレと関連して受けた脅迫Eメール770通について警察に申告したと明らかにした。メールには「県の施設と学校にガソリンをばらまいて火をつける」「職員を射殺する」のような内容が含まれていた。
東京/チョ・ギウォン特派員


DHC“韓国で商売しながら嫌韓ヘイト”に批判が殺到、不買運動に! DHCコリアは謝罪もDHCテレビは開き直り
 徴用工問題の“報復”として日本政府がおこなった輸出規制にくわえ、あいちトリエンナーレ「平和の少女像」展示に批判が噴出したことで、いかに日本が加害責任の否認という歴史修正主義に侵されているかが表面化しつづけている。そんななか、韓国でついに“日本の恥”が暴かれ、大きな問題になってしまった。DHCの不買運動だ。
 発端は、韓国の放送局・JTBCのニュース番組が今月10日、「韓国で稼ぎ、自国では嫌韓放送…DHC“2つの顔”」と題し、DHC子会社のDHCテレビジョンが嫌韓放送をおこなっていると伝えたことだった。
 本サイトでは何度も取り上げてきたが、化粧品やサプリメントを主力商品とするDHCの吉田嘉明会長は、極右・歴史修正主義をがなりたてている企業経営者のひとり。2016年には「DHC会長メッセージ」のなかで在日コリアンにかんするデマを書き立てた上で〈似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう〉などとヘイトスピーチを堂々と掲載したこともある(詳しくはhttps://lite-ra.com/2017/01/post-2865.html)。
 さらにDHCは、子会社としてDHCテレビジョンを擁し、安倍応援団がこぞって出演する『ニュース女子』や『真相深入り!虎ノ門ニュース』などの番組を制作、ここでも韓国や沖縄などに対するヘイトデマを垂れ流している。
 しかし、そんな一方でDHCは、2002年にDHCコリアを設立し、韓国の現地法人として化粧品やサプリメントの販売をおこなってきた。その売上は年間100億ウォン(約9億円)を超えるという(ハンギョレ新聞13日付)。
 このように、DHCは吉田会長の思想そのままに、日本国内では自社メディアを使って歴史修正主義に基づいたフェイクニュースを連発、韓国に対するヘイトを煽動してきた一方で、その韓国で、何食わぬ顔でビジネスを展開してきたのだ。
 そして、この問題をJTBCが追及。DHCテレビ制作の『虎ノ門ニュース』の内容を紹介した際には、曜日レギュラーの百田尚樹氏が「この文字はこれにしましょ、これはこれにしましょと日本人がハングルを統一して、いまのハングルできたんです」と豪語するシーンや、あいちトリエンナーレの問題をめぐって「『百田尚樹の現代アートコーナー』とか言うて、私が立ち上がってチンチンを出してもええのかっちゅう話ですね」などと発言しているシーンが流されたのだ。
 まさしく“日本の恥”としか言いようがないものだが、韓国で商売をおこなっておきながら他方で植民地支配を正当化したり「平和の少女像」を徹底的に貶める冒涜的な内容の放送をおこなっていることが報じられたのだから、韓国のネットユーザーも黙ってはいなかった。だが、そんななかでDHCコリアがSNSのコメント欄を閉じたことから、「#さよならDHC」というハッシュタグによる不買運動が拡大。DHCコリアのモデルを務めていた女優チョン・ユミ氏も再契約しないことを表明し、さらには『虎ノ門ニュース』でBTS(防弾少年団)がバッシングの対象となっていたこともネットで広がり、日韓のARMYのあいだで不買を呼びかけるハッシュタグが拡散されるという事態に発展していった。
 そうして、13日にDHCコリアが謝罪文を発表、DHCテレビはDHC本社の子会社であってDHCコリアとは無関係であること、さらにはDHCテレビの番組出演者の発言には同意せず、これからもDHCテレビと異なる反対の立場で問題に対処することを表明した。
DHCテレビはヘイトを「正当な批評」と強弁しDHCコリアの謝罪を「本社は認めてない」
 だが、こうした現地法人の声明に対し、火に油を注ごうとしているのは、ほかならぬDHCテレビだった。DHCテレビは14日に「韓国メディアによるDHC関連の報道について」と題した見解を公表。そこでは、韓国デマ・ヘイトを垂れ流してきたことの反省など皆無で、それどころか、こんなふうに堂々と開き直ったのである。
〈今般、韓国のメディアから弊社の番組内容に対し、「嫌韓的」「歴史を歪曲している」などの批難が寄せられていますが、弊社としましては、番組内のニュース解説の日韓関係に関する言説は、事実にもとづいたものや正当な批評であり、すべて自由な言論の範囲内と考えております。韓国のメディア社におかれましては、弊社番組内容のどこがどう「嫌韓的」か、どこがどう「歴史を歪曲」しているのかを、印象論ではなく、事実を示し具体的に指摘いただけましたら幸いです。〉
〈韓国DHCが提供する商品やサービス、現地スタッフと、DHCテレビの番組内容とは直接何ら関係はありません。そうした常識を超えて、不買運動が展開されることは、「言論封殺」ではないかという恐れを禁じ得ません。〉
〈弊社DHCテレビジョンといたしましては、あらゆる圧力に屈することなく、自由な言論の空間をつくり守って参りたく存じます。〉
 起こるべくして起こった不買運動に対して「言論封殺」「圧力」とがなり立てる──。DHCテレビといえば、沖縄ヘイトデマを垂れ流した『ニュース女子』が放送倫理・番組向上機構(BPO)から「重大な放送倫理違反があった」「人種差別を扇動」と認定された際も〈ある種の言論弾圧〉〈誹謗中傷〉だと反論したが、今回も同様の態度に打って出たのだ。
 また、15日の『虎ノ門ニュース』では、DHCテレビの山田晃社長が登場し、DHCコリアの謝罪文について「DHC本社はオーソライズしていない。先行して出されたもの」と主張した。
 山田社長は「(謝罪文を)出さざるを得なかった状況というのがですね、『全員殺す』というような脅迫電話が複数回あったそうで」「これを出したあとに警察に保護されながらみなさんご帰宅なさった」と説明。こうつづけた。
「番組を応援してくださっているみなさまのなかから『謝るのはいかがか』と、『がんばれよ』という話もあったんですけども」
「こういうことってやられてみないとわからないんですが、殺すのなんのと言われると」
「(DHCコリアが謝罪したことは)ここはご容赦願いたいなと」
 だが、JTBCは同日、ニュース番組のなかでこの山田社長の主張の裏付けをとるために警察に取材。すると、韓国の警察にはそのような出動の記録はなかったという。
 DHCテレビ側は「脅迫電話があって警察に保護された」と言っていたのに、韓国の警察側は「そんな記録はない」と否定……。いまのところ真相は不明だが、いずれにしても、DHCの開き直りで韓国内での反発が高まるのは必至だろう。
韓国で明らかになった「韓国ヘイト」の正体! 反日から反安倍政権へ
 しかも、問題はDHCだけに留まらない。同様に、“日本人の韓国ヘイト”がどんどんと韓国で報じられているからだ。
 たとえば、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズのキャラクターデザインやコミカライズなどで知られる貞本義行氏が「平和の少女像」について、〈キッタネー少女像〉〈かの国のプロパガンダ風習〉などと差別丸出しのツイートをおこなったことも、すぐさま韓国でもネット上で拡散。ファンからは落胆の声があがった。
 また、DHC問題の続報でJTBCは『虎ノ門ニュース』に安倍首相が出演していることを紹介し、政治家が極右思想にお墨付きを与えている現状をあぶり出したが、同じく韓国のテレビ放送局であるMBC(文化放送)も日本会議と安倍首相の関係にスポットを当てて特集。TBS(交通放送)の人気ラジオ番組『キム・オジュンのニュース工場』でも日本会議が取り上げられた。
 しかも、韓国の大型書店チェーン・教保文庫のインターネット販売ランキング(8月4〜11日)で第2位になったのは、なんとジャーナリスト・青木理氏の著書『日本会議の正体』(平凡社)の翻訳版なのだという。さらに日本でも異例のロングランとなっている慰安婦問題を検証したドキュメンタリー映画『主戦場』も、7月末に韓国で公開されヒットしているという。
 本サイトの既報のとおり、日本のメディアが伝える韓国国内の「反日集会」「反日デモ」などは、実際のところ「反安倍政権」への抗議運動であり、掲げているプラカードなどもハングルで「NO安倍」と書かれ、安倍首相を糾弾しているもの。そうしたなかで、安倍政権の極右思想の背景に注目が集まっているようなのだ。
 クリエイターによる差別発言や、ヘイトや歴史修正を正当化する報道が噴出し、いまだに宗主国気取りのままの日本の実態が伝えられるなか、多くの韓国人が日本という国や日本人に敵愾心を燃やすのではなく「日本政府の問題」として捉え、さらにはどうして歴史修正主義と極右思想に染まっているのか、その背景を探ろうとしている。一方、日本はといえば、書店には韓国デマ・ヘイト本がずらりと並び、テレビをつければ「韓国は感情的」などと「反日」をやたら煽って批判することに終始するだけ。「感情的」なのはどっちだ、と言いたくなるではないか。
 事ここに至っても反省しないDHCのように逆ギレを繰り返すばかりでは、今後も日本国内でまかり通ってきた歴史修正やヘイトの実態が韓国国内でどんどんと伝えられ、知れ渡ってゆくことになるだろう。それによって不買運動が激化する可能性もあるが、しかし、それは問題を自浄せず放置・助長させてきた結果であって自業自得でしかないのだ。


未浄化下水広がる“肥溜めトライアスロン”に選手は戦々恐々
「正直くさい。トイレみたいな臭いがする」
 2020年の東京五輪トライアスロン会場となる東京・港区の「お台場海浜公園」で行われた水泳オープンウオータースイミング(OWS)の五輪テスト大会で、選手から苦情が相次いだ問題。五輪本番では、汚水の流入を防ぐ膜を設置して万全の態勢を整える――と楽観視しているようだが、そんな簡単な話じゃない。
「私もNPOの代表をしていた平成19年に、このお台場でカキを使った大規模な水質浄化実験を提案し、お手伝いをしたことがあります。宮城からいただいてきたカキは、残念ながら1年を待たずして死滅してしまいました。理由の一つに挙げられたのが、毎月何度となく流れ込んでくる未浄化の生活排水によるものです」
 14年9月の港区議会定例会。トライアスロン会場のお台場の水質について、こう指摘していたのが榎本茂議員だった。議事録を引用する。
「東京都下水道局では、平成24年度に簡易処理水と呼ぶ排出基準を満たさない未浄化の下水を180万7200立方メートル、実に東京ドーム15杯分(原文ママ)に相当する莫大な量を運河に放水しております。この放水を実際に目にすると、誰もが驚くのですが、焦げ茶色の汚水が濁流となって放水され、あっという間に運河は黄土色に変わり、高浜水門から運河の外へ流れ出し、レインボーブリッジ、お台場へと順次海の色を変えていきます」
 自身のホームページでも〈山手線エリアの内側のほぼ全域から(トイレや台所などの)汚水が、私たちの街に集められ、雨が降るたび茶色の「簡易処理水」として運河に放水されているのです〉と、写真付きで警鐘を鳴らしていた榎本議員。塩素を混ぜただけの「簡易処理水」が毎月、大量に放水されていたなんて衝撃の事実だ。あらためて榎本議員に話を聞くため、事務所に電話をかけ続けたものの、夏休み中なのか、話し中コールのまま、つながらず。
 プロフィルを確認すると、〈国土交通省「水辺空間の有効利用によるみなとの魅力向上促進に関する研究会」委員〉などを務めたほか、〈港区の海が汚れるメカニズムを国の研究機関と共同で解明〉とある。単なる杞憂ではなく、きちんとした科学的データに基づいて問題点を指摘しているようだ。
 この通りであれば、お台場の海は「トイレみたい」ではなく、「トイレの汚染水そのもの」。テスト大会に参加した選手は「肥溜め」の中を泳がされているような気分だったに違いない。
 とてもじゃないが、競技に集中できるような環境にはなかっただろう。
 水質汚濁や富栄養化などを防ぐための浄化対策としても使われるカキが、1年も持たずに死滅し、雨が降った後は大量の黄土色の汚水が広がる海でなぜ、トライアスロン競技を強行する必要があるのか。一体誰のため、何のための五輪なのか、あらためて考えるべきだ。


人命軽視の五輪 メディアは同じ過ちをくり返したいのか?
「(前略)どう考えても無理な計画が、軌道修正もないまま強行されていく東京オリンピックの状況は、まさに第二次世界大戦中におけるインパール作戦です。熱中症の対策はないから、取り敢えず『大和魂で突っ込め』みたいな。」(本間龍・作家)
 これはwezzyというネットサイトの「2020年東京五輪は“人命”を軽く扱っていないか。組織委員会とメディアが犯した罪・本間龍インタビュー」での本間さんの言葉。本間さんはオリンピックの利権などについて書かれてきた人だ。
「総務省は7月29日から8月4日までの1週間に熱中症で救急搬送された人は1万8347人にもおよび、このうちの57人が死亡したと発表した」という。なのに、東京オリンピックの「暑さ対策」がまともにできていない。そのことを本間さんは心から心配している。
 本間さんはいう。
「日本は招致の段階で『この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である』と嘘をついて招致をしてしまった。だから、もう引っ込みがつかない。」のだと。
 えーっ、国民の命より国のメンツが大事って? そして「そもそも、メディアがスポンサーになるということ自体がおかしい。」のだという。
「もともとオリンピックのスポンサーは原則的に『一業種一社』だったのが、電通が金儲けのためにその原則を崩してしまった。」らしい。
「問題点を検証できる新聞のようなメディアが軒並みスポンサーに入ってしまっては、議論もできなくなってしまう。」
 議論できずに引っ込みもつかずオリンピックを強行し、タダ働きさせたボランティアが死んだりしたらどうするんだ? 命の責任は誰が持つの? それは本間さんがいうように、第二次世界大戦中のインパール作戦のようなもの。メディアはまた同じ過ちをくり返したいのか?


男性の4人に1人は不倫実行中…気になる女性の“浮気”率は?
 今年2月、コンドームメーカーの相模ゴム工業が「ニッポンのセックス2018年版」を公表。5年ぶりの大規模調査で、全国の20〜60代の男女(1万4100人)が対象だ。驚かされるのが浮気率の高さである。「結婚相手/交際相手以外にセックスをする相手がいるか」の問いに男性の73.5%は「いない」と答えているものの、「特定の相手が1人いる」は16.8%。また「特定ではないがいる」は5.3%、「複数人いる」は4.3%だったから、4人に1人は浮気(不倫)相手がいることが分かる。
 女性も、84.8%は「いない」と答えているが、「特定の相手が1人いる」は13.6%もいる。
 ちなみにその相手とのセックスは、男性は月に2.7回、女性は2.1回。ちなみに配偶者や交際相手とのセックスは、男女全世代平均で月2.1回である。
 浮気相手とはどこで出会っているかというと、もっとも多いのは「同じ会社」(22.9%)。ネットでの出会いは5年前の調査の12%から、今回は16.1%と伸びている。
「合コンなど」と答えた人も前回の4.8%から5.5%になっている。出会い系サイトなどを使ったパパ活や既婚者合コンで、セックスの相手を見つけるサラリーマンも増えているのだろう。


長い夏休み中「フランス」社会はこう回っている 8月はできれば病気になりたくない?
8月は観光地以外の店が一気に閉まる
エマニュエル:前回の記事(日本人とフランス人「休み方」はこんなにも違う) に対して、「医療分野の人たちも会社員みたいに長いバカンスって取れるの?」というコメントがあった。そこで、今回はその疑問を基に、7月から2カ月間、3〜4割の人が一斉に休みを取ってしまうパリのような大都市が、バカンス中社会システムをどのように維持しているのかについて話してみよう。
社員の大半がいなくなったとき、会社をどうやって回していくのか、住民が減ると空き巣に入り放題にならないのか、医者がほとんどバカンスでいなくなったら病気になったときはどうするのか?などいろいろ疑問に思うことはあるよね。
でもこういったことは何もバカンスに限った話ではなくて、例えば自然災害で人口が突然減少したときにどうやって社会をより効率的に維持できるかということにもいえると思うんだ。
くみ:そうだね、必ずしもバカンス時期というだけでなく、大都市が普段と違う状況でも機能することを考えるのは、防災などの面からも必要かも。
エマニュエル:8月のパリの日常生活で一番変わるのは、観光地以外で開いているお店がとても少ないことだろう。ほとんどのパン屋(チェーン店を除く)は、8月上旬から中旬にかけては閉まっているので、毎日食べるバゲットを買い求めるのにも苦労するというわけだ。
エマニュエル:同様に肉屋、魚屋、チーズ屋も閉まっているので食料の調達は、大手チェーン店のスーパーに頼るしかなくなる。日本の人はスーパーが開いてるならそれでいいじゃないかと思うかもしれないけど、スーパーのバゲットとパン屋のバゲットの差は結構大きいんだよね。
夏の間に従業員がバカンスでいなくなるときは、単純に供給量を下げるわけだけど、客もバカンスに出かけていて需要が下がっているので、均衡は保たれてはいる。だから8月にパリで生活するのはなかなか難しくって、いわばバカンスに出かけないパリジャンには罰を与えるって感じかも。
スポーツクラブなんかも夏は営業時間が変わる。僕が行っているテニスクラブは普段23時に閉まるんだけど、8月中は19時に閉まる。バスや地下鉄など交通機関の頻度も夏の間は少なくなるしね。これに関しては、パリジャンだけでなく、観光客も不便を感じるだろうね。
緊急時には「署名の委託」を活用
くみ:メトロやバスなどの公共交通機関が少なくなるのは本当に大変。8月はバカンスシーズンでパリを離れるパリジャンも多いけど、世界中からパリにやってくる観光客はもっと多いから、暑いうえに公共交通機関が混雑することはよくある。レストランが8月休みのところが多いのも困るかな。日本から来客があっても、名だたるお店はほぼ閉まってると言っても過言ではないから、8月のお店選びには本当に苦労する……。
エマニュエル:それじゃあ企業や行政機関は8月の間どうやって機能し続けるのか。とくにフランス以外の国にも展開するような企業ならばバカンス中といえど処理しなければいけない仕事はあるし、行政機関ならば、「公共サービスの継続」という1月1日から12月31日まで一年中国民が利用できるようにしなければならないものがある。
この解決法も、さっきのお店の場合と同じく、供給を減らすというもの。この場合だと、営業時間や開館時間を短縮したり、顧客への返答を遅らすといったようなことかな。それでも、何か緊急に処理しなければいけない仕事がバカンス中に起きた場合はいったいどうするかというと、「署名の委託」と呼ばれるシステムがフランスの社会では主に取られている。
担当者が不在の場合は引き継ぎの担当者の順序をあらかじめ決めておき、その順序に従って仕事を引き継ぎ、重要な決定や署名を行う。Aが不在の場合Bに引き継ぎ、Bが不在の場合はCが引き継ぐというふうに。誰がどの時期にバカンスを取るかはわかっているので、自分が引き継ぐであろう仕事はある程度前もって準備しておける。
エマニュエル:このシステムは夏のバカンス中でしか適用されているのを見たことがない。多分、これ自体は珍しくないし、世界中どこでも使われていると思うんだけれど、フランスの場合はバカンスが3週間と長いために、これが会社での出世につながるいい機会にもなるんだ。
例えば、入社したての若い社員がバカンス中の上司たちの不在中に彼らの仕事を引き継ぐことで十分に自分の裁量を発揮させることができたとすれば、会社内での評価も上がり、出世につながるいい機会になる。バカンス中の人手不足の解決方法として、若手社員を信頼して仕事を任せるということだ。
バカンス中にインターン生を多くとる企業や行政機関も多い。インターンの採用はフランスでは非常に盛んに行われていて、7、8月に、大量に募集されるのを利用して企業での経験を積もうと考える学生はたくさんいる。
警察と軍隊は自由にバカンスを取れない
くみ:8月はほぼ何も動かないよね。でも、だからこそできることもたくさんある。例えば夏前に新しい仕事に就いたら、しばらくは焦らずゆっくり時間をかけて仕事を覚えることもできる。バカンスの時期をずらして、8月はパリにとどまってバカンス中の同僚の仕事も引き受けていたとしても、全体の仕事量はそんなに多くならないから、仕事が終わった後でも日の長いパリの夏を満喫できるよね。
エマニュエル:じゃぁ、バカンス中の治安はどうだろうか。警察も夏のバカンスを取るのか、そして住民がいなくなった町での空き巣対策はどうするのかについて話そう。
警察と軍隊はフランスでは唯一自由に夏のバカンスを取ることが許可されていない職業なんだ。休暇の申請は上層部が厳重に管理し、休暇の許可は状況によって判断されることになる。数年前、要人の警護を担当する警察官たちが1000時間もの未消化の休暇があると不服を申し立てたことが話題になったことがある。
バカンス中の住民が少なくなる住宅街は、警察が車で定期的に見回りを行っている。あらかじめ警察に夏のどれくらいの期間不在にするかを伝えておくと、その住居を重点的に見回りしてくれるサービスも行っている。そのほかにも隣人や友人や家族に不在中の家に花の水やりや郵便物の処理などを頼んで空き巣の対策を取っている人も多くいる。
くみ:バカンス期間中の空き巣はよく聞く。パリに暮らす日本人でも夏休みで不在中に入られたというのを何度か聞いたことがある。近所の人や親しい友人、親戚に植物の水やりやペットの世話を頼むというのも聞いたことあるけど、パリに数年だけ赴任で来ていたり、しかも単身でとくに仕事以外でそこまで親しい友人を作るのが難しかったりしたら、家を空けるときに誰かに頼むのは難しそうだね。
でも、あらかじめ言っておけば警察が重点的に見回りをしてくれるというのはあまり意識していなかった。それは心強いよね。
インターンや外国から医者を呼ぶことも
エマニュエル:では、医療はどうかと言うと、8月は病気には絶対にならないほうがいいというくらい、医者は少ないね。とくに眼科や耳鼻科なんかの専門医なんかはとくに顕著かも。
病院の勤務医以外の独立した医者は警察とは正反対で、好きなときに好きなだけバカンスを取るから、大抵の医者は8月は不在になるんだ。病院勤務の医者も8月にバカンスを取ることは珍しくないし、この期間中は一時的に開いていない病棟なんかもあるし、地方だと緊急病棟ですら閉まっている期間があったりする。
パリなどの大都市では大きな病院が閉まることはないけれど、いったいどうやって病院を維持しているかというと、さっきの企業がインターンをバカンス中に雇うのと同じように、医学部の学生や研修医のインターンは夏のバカンス中によく行われている。とはいえ、複雑な手術を学生にやらせるわけにはいかないので、医者がどうしても足りない場合は、外部の独立医や外国の医者などを一時的に雇うなどしている。
くみ:通常時もフランスの医療システムは少し独特で、すべてを総合的に診てくれるかかりつけ医にまず相談して、必要に応じて専門医を紹介してもらうよね。慣れていないと、何か問題があって医者にすぐにかかりたい緊急時でも、まずかかりつけ医を誰かに紹介してもらって、そこから専門医を紹介してもらって……という手続きがあるよね。
夏の間はインターンや研修医が担当するというのは、患者にとっては少し怖い気もするけど、どうなんだろう? エマニュエルは夏の間に緊急で医者にかかったことある?
エマニュエル:緊急時でもかかりつけ医を通さずに直接専門医に診てもらうことはできるんだけど、保険の払い戻しができたりできなかったりする問題があるね。今のところ僕は運よく夏に緊急病棟の世話にはなったことはないよ。でも、一年を通して緊急病棟にはたくさんのインターン生がいるよ。
バカンス中のフランスについていろいろ話したけれど、これで社会のシステムが維持できているといえるのかどうか、日本の人から見るとどうなんだろうね。最後に8月のパリのイメージがとってもよく伝わる映画を紹介しよう。タイトルは『8月のパリ(Paris au mois d'août)』。これを見れば8月のパリの魅力がよくわかると思うよ。


県内各地で故人を送る精霊流し
亡くなった人の霊を船に乗せて、爆竹を鳴らしながら送り出す長崎伝統のお盆の行事、「精霊流し」が、15日夜、県内各地で行われました。
「精霊流し」は、この1年に亡くなった人の霊を「精霊船」と呼ばれる木の船に乗せて、爆竹や花火のにぎやかな音とともに送り出す長崎伝統の行事です。
15日夜も県内の各地で行われ、このうち、長崎市中心部では、抱えて運べるほどの大きさのものから、30人ほどで引く全長15メートルにも及ぶ精霊船が街を練り歩きました。
精霊船には、故人の遺影や、花やちょうちんが飾り付けられていたほか、大型客船や路面電車などをかたどった船もありました。
遺族らは鐘を打ち鳴らしながら、「ドーイ、ドーイ」とかけ声をあげ爆竹を鳴らしたり、花火を手に持ったりしながら精霊船を引いていました。
沿道には、長崎の「夏の風物詩」といえる精霊流しをみようと大勢の人たちが詰めかけ、写真に撮るなどしていました。
69歳で亡くなった父親を送る37歳の女性は、「爆竹の激しい音と香りが心にしみました。父には笑顔で私たちの姿を見守ってほしいです」と話していました。
6歳の息子や家族と北海道から帰省した36歳の男性は、「華やかでとてもいいです。祖父が亡くなった時を思い出して心にジーンと来ました。長崎でしか見られない風物詩だと思います」と話していました。

新大阪駅に行ってみて/びしょ濡れ/送り火は明日

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ほや串190808

Japon : un mort au passage du cyclone tropical Krosa
Dans le sud de l’archipel, près de 600 000 personnes sont appelées à évacuer et les transports sont perturbés. Un mort et une vingtaine de blessés légers ont été recensés.
Par H.H. avec AFP

Des pluies susceptibles d'atteindre des niveaux inédits étaient redoutées jeudi sur le sud-ouest du Japon, où le passage du cyclone tropical Krosa a déjà causé un mort et plusieurs blessés légers, selon les médias locaux.
Jeudi en début d'après-midi, le typhon, dégradé en ≪ sévère tempête tropicale ≫, selon les critères internationaux retenus par l'agence météo japonaise, a touché l'île principale de l'archipel, Honshu, au niveau de la préfecture de Hiroshima. Il est accompagné de vents soufflant jusqu'à 144 km/h en rafales.
≪ Des objets peuvent être emportés par ces vents, la vigilance s'impose ≫, rappelait l'agence nationale de météorologie relayée par les médias. Plus que les dégâts provoqués par le vent, les autorités redoutent les crues, les marées de tempête (hausse momentanée importante du niveau de la mer) et les glissements de terrain.
≪ Nous devons rester vigilants car davantage de pluie est attendue cet après-midi ≫, a indiqué un responsable de la gestion des catastrophes de la province de Tokushima, au sud-ouest de l'archipel. Des précipitations records, pouvant aller jusqu'à 1,2 m en 24 heures, sont également redoutées.
Un homme emporté par la mer
Selon les autorités citées par la chaîne publique NHK, au moins 21 personnes ont été légèrement blessées. L'agence de presse Jiji a de son côté fait état du décès d'un homme, emporté par l'océan.
Dans la préfecture d'Oita, près d'une vingtaine de personnes ont été secourues après avoir été prises au piège par une soudaine montée des eaux d'une rivière. Des recommandations d'évacuer ont été données à 580 000 personnes, principalement sur l'île de Shikoku.
Cette dépression massive perturbe aussi fortement les transports dans un large périmètre. Par précaution, les compagnies de transports ont d'ores et déjà décidé d'annuler des ferries entre les îles du sud-ouest et des liaisons ferroviaires à grande vitesse, notamment entre Osaka et Kokura, pour la journée de jeudi considérée la plus difficile.
Quelque 760 vols ont également été supprimés jeudi, dont plus de 400 pour les seules deux principales compagnies nippones, Japan Airlines et ANA.
Des usines ont préféré suspendre leur production, des rencontres sportives et autres événements sont également écourtés ou supprimés.
Le Japon est situé sur le passage d'une bonne dizaine de typhons par an, certains s'avérant mortels en raison des dégâts qu'ils provoquent.
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フランス語の勉強?

大阪駅だとはるかが運休?くらいで列車の運休がイマイチ実感できなかったので新大阪駅に行ってみました.雨なのでびしょ濡れになりました.普段と同じくらいに乗客がいる感じです.新幹線は東京方面行が運航していますが,山陽新幹線はゼロ.ちょっと時間がわきません.でも本当は今日新幹線で移動のはずだったのにね.

出展辞退の作家9組 米美術誌に公開文書「表現の自由は重要」 あいちトリエンナーレ
 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった問題で、芸術祭への出展辞退を申し入れた海外9組の作家が、米国の美術雑誌「アートニュース」に「表現の自由を守るため」と題した公開文書を送付していた。「男女平等」を掲げた今回の芸術祭を象徴する女性作家や来場者の人気を集める作品も多いため、芸術祭実行委員会(会長・大村秀章愛知県知事)は展示を継続するよう説得している。
 出展辞退を申し入れているのは、ウーゴ・ロンディノーネ▽ピア・カミル▽タニア・ブルゲラ▽モニカ・メイヤー▽クラウディア・マルティネス・ガライ▽レジーナ・ホセ・ガリンド▽ハビエル・テジェス▽レニエール・レイバ・ノボ▽ドラ・ガルシア――の欧州や中南米の作家9組。
 アートニュースは世界のアート界に影響のある美術雑誌の一つで、この9組は、既に展示を中止した韓国人作家のパク・チャンキョン、イム・ミヌクの両氏とともに連名で「IN DEFENSE OF FREEDOM OF EXPRESSION」と題した文書を12日付で送付した。文書は「表現の不自由展が再開されない間、私たちの作品の展示を一時的に中止するよう主催者に要求する」などとし「表現の自由は重要だ」と結んでいる。
 一方、出展作品はメイン会場の愛知芸術文化センターや名古屋、豊田両市美術館にまたがり、15日時点で展示中。ウーゴ・ロンディノーネ氏による45体のピエロが並ぶ「孤独のボキャブラリー」や1日の開幕セレモニーを飾ったピア・カミル氏が音楽バンドのTシャツを縫い合わせた「ステージの幕」は、来場者の人気撮影スポットにもなっている。
 フェミニズムアートの先駆者、モニカ・メイヤー氏は来場者にセクハラ体験を紙に書いて掲示してもらう参加型作品を展開する。実行委事務局は「作品がいつまで鑑賞できるか調整中」としている。【山田泰生】


【戦争と検閲】権力が分水嶺を越えるかどうかの瀬戸際
 白状しておく。石川達三の作品を、ほぼまったく読んでいないのである。彼の小説を原作にした映画「金環蝕」とか、「青春の蹉跌」などは見ているが、それでなにか読んだような気になってしまい、あらためて原作に目を通すことはしていない。作品を読んでいない以上、「蒼氓」で第1回芥川賞を受賞したこの「社会派」作家が、受賞から3年後の1938年に書いた「生きている兵隊」で発禁処分を受けたことも、つい最近まで知らなかった。まことに面目ない。
「戦争と検閲 石川達三を読み直す」は、この「生きている兵隊」が中央公論に発表される経緯、そして発禁になって以降、作者と編集長が裁判にかけられる過程を描きだすところから始まる。なぜ「生きている兵隊」は、そんな処分を受けることになったのか。
 盧溝橋事件をきっかけに勃発した日中戦争の実相を知るために従軍したい。石川達三は作家としての強い野心を抱いて、中央公論の特派員として日本軍に占領された南京に赴いた。そして、その経験をもとに彼が書いた原稿は、〈ただならぬものだった〉。なぜなら、それは〈強くて勇ましい日本兵の生態を如実に描くとともに、戦争に伴う罪悪、汚辱、非道をもえぐり出していた〉からだ。当時の〈指導者は、戦争賛美の報道により「正戦あるいは聖戦」のイメージを国民に植え付ける懸命の努力をしていた。そんな情勢のなか〉、この作品は〈戦争の風景を率直に描写したのである。〉。
 もちろん、発表に際してなんとか軍部・政府の圧力を回避しようと、中央公論編集部は危険と思われる箇所を「伏せ字」にする。本書の著者・河原理子氏が描くその様子には、当時の編集者が持っていた矜持が読みとれて感慨深いのだが、しかし、その努力もむなしく掲載直後に「生きている兵隊」は発禁処分を受ける。そして、石川と編集者・発行者は、新聞紙法第41条の「安寧秩序紊乱」罪を適用され、禁錮4月執行猶予3年の判決を受けたのである。
 自身は必ずしも反軍的思想の持ち主ではなかった石川だが、素材があの「南京陥落」である以上、それを〈率直に〉書けば軍部の逆鱗に触れるのは当然だろう。だが、石川本人はそこまで深刻な事態になるとは、当初予想していなかったふうにも感じられる。つまり、時代が恐るべき分水嶺を越えたことに、まだ気づいていなかったのかもしれない。本書の結びで河原氏が、〈「安寧秩序」〉は、〈まるで何でも入る袋のようである。この歴史的事実は肝に銘じておかねばならない〉と述べていることの重大さを、私たちは噛みしめねばならないだろう。
 その意味で、この8月、始まるやいなや中止に追い込まれた「表現の不自由展・その後」をめぐる騒動は、きわめて重い。私が恐怖に近い感覚を抱いたのは、この展覧会の関係者でもある名古屋市長が、展示に対して「発禁」要請ともいうべき文書を出し、大阪市長や大阪府知事があからさまにそれを支持し、官房長官もまた隠微ではあるがそれに類する考えを表明したことだ。「テロ予告」が引き金になって展示は中止されたわけだが、これら権力ある人々の発言が、その種の犯罪を今後後押しするのではないか。みずからの鬱屈による行為を、都合よく「天誅」と読み替える者があらわれるのではないか。そういう危惧を覚える。
 忖度による自主検閲が行き渡ると、権力は絶大な「自由」を得る。その分水嶺を権力に越えさせるか否かを、私たちは常に問われているのである。


《池袋高齢者暴走事故》逮捕されない容疑者宅に貼られた「強気な貼り紙」
「事件後、1か月に2、3回は亡くなった2人のご冥福を祈るためにここへ来ています。高齢者の運転は危険だと再認識しました。それなのに加害者が特別扱いされているような印象です」
 とJR池袋駅から約20分歩いて花を手向けにきた40代の主婦は言う。事故現場の献花台は約1か月前に撤去されていた。
加害者が逮捕されない背景
 今年4月、東京都豊島区東池袋で旧通産省工業技術院の元院長・飯塚幸三容疑者(88)が運転する乗用車が暴走。松永真菜さん(31)と長女・莉子ちゃん(3)の尊い命が奪われた。
 死亡事故にもかかわらず、飯塚容疑者は逮捕されなかった。背景について、あるテレビ局の報道記者はこう語る。
「元高級官僚なので、警察が忖度したのではないかと騒がれました。世論としては特別扱いだ、不公平だという意見が多く“上級国民”と揶揄する声もあった。ただ、年齢的にみると、ほぼ逃亡や証拠隠滅のおそれがないため、逮捕せず捜査する手法をとっただけかもしれませんけれども」
 心証が悪いのは、それだけではなかった。
 飯塚容疑者は、警察の任意の事情聴取の際に、マスコミから身を隠すように帽子、サングラス、マスクといった完全防備の状態。そして哀れさを演出するかのごとく、両手に杖を持っていた。
「さらに、現場での実況見分のとき、今度は白髪頭に眼鏡をかけていましたが、献花台にお参りせず、警察とのやりとりでは、杖の先で“あそこ”と指し示していましたからね。あれはよくない」(同)
 松永さんの夫は7月中旬、会見で、
「加害者は杖をついて歩くなどしており、そのような健康上の問題がありそうな人が、公共交通機関が発達した都内で、あえて運転をする必要があったのでしょうか」
 と疑問を呈した。続けて、
「今後、2人のような被害者と私たちのようなつらい遺族がいなくなるように、加害者に対し、できるだけ重い罪での起訴と厳罰を望みます」
 と訴え、そのために署名活動を始めたと表明。妻子の動画を公開した。
突然奪われた、幸せ
 動画は昨年6月の父の日、愛娘の莉子ちゃんが似顔絵をプレゼントしたときのもの。帰宅すると、玄関先に莉子ちゃんが待っていて、「父の日、ありがと」
 と、お父さんの似顔絵を手渡す。
「これ、お父さんに?」
 と尋ねると、莉子ちゃんは、
「うん」
 お父さんはすかさず、
「ありがとう。うれし〜い」
 最後には、この動画を撮っていた真菜さんも加わって、
「うれし〜い。もう泣きそうだよ」
 と、お父さんは感極まり、3人の幸せだったころが映っている。そのあと莉子ちゃんが手伝って作ったケーキを親子水入らずで食べた。
「晩節を汚された気がします」
 奪った命の重みをどう受け止めているのか、加害者としてどう贖罪しようと考えているかを聞くため、容疑者が住む都内のマンションを訪ねた。玄関には管理人がいて、
「ダメダメ。これ見て」
 と取材厳禁の貼り紙を指さして、インターホンも押させてくれない状態だった。
容疑者の自宅マンション玄関には貼り紙が
 飯塚容疑者の知人は、
「飯塚さんはいい人よ。あんな酷い事故を起こしてしまったので、心身ともにおかしくなって杖をつくようになったし、精神的におかしくなったと思うの。だって、あれだけかわいそうなことをしたんだもの」
 と庇った。
 刑事罰は司法判断を待つほかない。しかし損害賠償する意思を示す道はある。旧工業技術院の院長時代は年収約2000万円、退職金として約3000万〜4000万円を受け取ったとされる。
 農機大手の『クボタ』に役員として天下りした14年間で副社長まで上り詰めた。クボタは「報酬は教えられません」(担当者)というが、2017年の有価証券報告書によると、取締役7人に対する年間報酬総額は6億2700万円。頭数で割ると9000万円近い高給取りになる。ほかに日本計量振興協会会長なども務めている。
「それでも、元高級官僚とは思えない普通のマンションに住んでいらっしゃるし、車も普通のプリウスだから金銭的には問題ないと思いますよ」
 と近所の男性。
 だが、冒頭の40代主婦は、こう吐き捨てた。
「金銭的な問題を解決できても、失った命や幸せが戻ってくるわけではないですから。高名な方だったのに晩節を汚された気がします」
 飯塚容疑者は瑞宝重光章を受けている。しかし、内閣府賞勲局によれば、
「有罪判決を受けた場合は、罪状によって勲章をとりあげるケースもあります」
 とのことだった。


”知覧”で平和を訴える
終戦から74年を迎える15日、太平洋戦争の末期に特攻隊の基地があった南九州市の知覧町で平和への想いを伝えるスピーチコンテストが開かれ、参加した中学生や高校生らが戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えました。
コンテストが開かれた南九州市知覧町は、太平洋戦争末期国内で最も規模の大きい陸軍の特攻基地が置かれ、この基地から飛び立った439人の若者が命を落としました。
30回目となることしのコンテストでは、全国から寄せられたおよそ4000点の応募の中から、事前の審査で選ばれた11人がスピーチしました。
このうち鹿児島市の郡山中学校2年の末吉愛澄さんは曽祖父の戦争体験を語り、「つらい思いをしている人が昔も今もたくさんいることを忘れず、次の世代に語り継いでいく。未来に誇れる生き方を作るのが私たちの使命だ」と訴えました。
また、川内高校2年の岩崎楓子さんは戦争を経験した祖母との想い出を語り、「私たちがここに存在するのは決して偶然ではない。多くの先人たちが自らの血と命をかけて紡ぎ、つなぎ続けた『今』という必然なのだ」と訴えました。
会場に訪れた74歳の女性は「平穏な生活を当たり前だと思っていることが多いので、個人個人が緊張感を持って平和について考えていく必要があると改めて感じました」と話していました。


”特攻基地”の記念館が開館
終戦記念日の15日、霧島市にかつて存在した特攻基地、「第二国分基地」の記念館がオープンし、開館の式典が開かれました。
記念館は、霧島市の観光施設内に新たに設立され、開館の式典には地元の住民などおよそ70人が集まりました。
現在鹿児島空港がある霧島市溝辺町麓には、戦時中、海軍の特攻基地「第二国分基地」があり、終戦間際までの1年ほどに、217人の特攻隊員が出撃し亡くなりました。
記念館は基地があった場所に建てられ、式典で行われた慰霊祭では、参加者たちが鎮魂の鐘の音に合わせて、戦没者に黙とうをささげたあと、一人一人、花を供えました。
記念館には特攻兵たちの写真や手記をまとめたパネルが展示されているほか、隣接する場所はかつて武器の収納などで使われていた「ごう」があり、間近で見ることができます。
この「ごう」は、地面に埋まっていたものが掘り起こされ、半年かけて元の姿に近い状態まで戻したということです。
姶良市の70代の男性は「防空ごうから戦没者の声が聞こえたような気がしました。戦争が続いていたなら、自分も特攻に行ったかも知れないと思うと、考えさせられます」と話していました。
記念館を運営する山元正博さんは「特に若い人に展示を見てもらい、改めて平和について考えてもらいたいです」と話していました。
記念館は無料で見学できるほか、午前9時から午後5時までの間、毎日開館しているということです。


新潟・胎内市で40度超え 「フェーン現象」で猛烈な暑さ
 大型の台風10号からの暖かい空気が山を越えて吹き下ろす「フェーン現象」の影響で15日、新潟県内は朝から気温が上昇し、猛烈な暑さとなった。
 気象庁によると、午後0時半に中条(胎内市)で40.4度となり、今年の全国最高気温を更新した。三条市では40.0度を観測した。14日には高田(上越市)で40.3度を観測しており、県内では初めて2日連続で40度台を記録した。気象台は不要不急の外出を控え、屋内での適切な冷房の使用、水分補給を呼びかけている。
 16日には台風10号が新潟県に最接近、上・中越の山沿いを中心に激しい雨が予想されているが、雨が降っても猛暑は収まらず、週末ごろまで35度以上の猛暑日になる見通しだ。【北村秀徳】


関西の私鉄 一部特急が運休
関西の主な私鉄と地下鉄は、15日午後5時現在、おおむね平常どおり運行していますが、南海電鉄は、午後から一部の特急列車の運転をとりやめています。
具体的には南海電車のなんば駅と関西空港駅を結ぶ「特急ラピート」は、午後0時5分になんば駅を出発する列車、また、関西空港駅を午後1時5分に出発する列車を最後に、15日はすべて運休となりました。
高野線についても、なんば駅と極楽橋駅の間の「特急こうや」が、午後3時39分に極楽橋駅を出発する列車を最後に運休となりました。
なんば駅と和歌山方面を結ぶ「特急サザン」など、そのほかの列車は、平常どおり運行しているということです。
このほかの関西の主な私鉄と地下鉄は、午後5時現在、おおむね平常どおり運行していますが、鉄道各社は、台風の影響で雨や風が強まった場合には、ほかの路線でも運転を見合わせる可能性があるとして、ホームページなどで最新の情報を確認するよう呼びかけています。


JR在来線の運休(午後5時半)
JR西日本は、近畿地方の在来線の一部で15日の運転を、取りやめることを決めています。
このうち▽関西線の亀山と加茂の間、▽湖西線の和邇駅と近江塩津の間は始発から終日運転を取りやめています。
このほか、15日午後5時半現在、
▽北陸線の近江塩津と敦賀の間と近江塩津と長浜の間、
▽山陽線の姫路と上郡の間、▽赤穂線の相生と播州赤穂の間、
▽きのくに線の和歌山と新宮の間、▽紀勢本線の和歌山と和歌山市の間、
▽和田岬線の兵庫と和田岬の間、▽神戸線の尼崎と姫路の間、
▽阪和線の日根野と和歌山の間、▽姫新線の姫路と上月の間、
▽和歌山線の和歌山と五条の間、▽播但線の姫路と和田山の間、
▽山陰本線の園部と東浜の間、▽舞鶴線の綾部と東舞鶴の間、
▽加古川線の加古川と谷川の間、▽関西空港線の日根野と関西空港の間、
▽宝塚線の宝塚と篠山口の間、▽福知山線の篠山口と福知山の間で運転を取りやめています。
また、特急も一部の列車で運休しています。
具体的には▽大阪と金沢を結ぶ「サンダーバード」、
▽名古屋・米原と金沢を結ぶ「しらさぎ」、
▽京都・新大阪と関西空港を結ぶ「はるか」、
▽京都・新大阪と和歌山方面を結ぶ「くろしお」、
▽京都と山陰方面を結ぶ「きのさき」「はしだて」「まいづる」、
▽新大阪・大阪と福知山・城崎温泉方面を結ぶ「こうのとり」、
▽大阪・京都と鳥取・倉吉を結ぶ「スーパーはくと」、
▽大阪・姫路と香住・鳥取方面を結ぶ「はまかぜ」、
▽大阪と草津を結ぶ「びわこエクスプレス」、
▽大阪と姫路を結ぶ「らくラクはりま」、
それに▽東京と高松、出雲市を結ぶ「サンライズ瀬戸・出雲」で、特急の運休はあわせて192本となっています。
JRは利用者にホームページなどで運休の時間帯を確認するよう呼びかけています。


JR在来線の運休(午後8時)
JR西日本は、近畿地方の在来線の一部で15日の運転を、取りやめています。
このうち▽関西線の亀山と加茂の間、▽湖西線の和邇駅と近江塩津の間は15日いっぱい終日で運転を取りやめています。
このほか、15日午後8時現在、▽草津線の草津と柘植の間、
▽北陸線の近江塩津と敦賀の間、▽山陽線の姫路と上郡の間、
▽赤穂線の相生と播州赤穂の間、▽きのくに線の和歌山と御坊の間、
▽紀勢本線の和歌山と和歌山市の間、▽和田岬線の兵庫と和田岬の間、
▽神戸線の尼崎と姫路の間の▽阪和線の日根野と和歌山の間、
▽姫新線の姫路と上月の間、▽和歌山線の和歌山と王寺の間、
▽万葉まほろば線の奈良と高田の間、▽播但線の姫路と和田山の間、
▽山陰本線の園部と東浜の間、▽舞鶴線の綾部と東舞鶴の間、
▽加古川線の加古川と谷川の間、▽関西空港線の日根野と関西空港の間、
▽宝塚線の宝塚と篠山口の間、▽福知山線の篠山口と福知山の間で運転を取りやめています。
また、特急も一部の列車で運休しています。
具体的には▽大阪と金沢を結ぶ「サンダーバード」、
▽名古屋・米原と金沢を結ぶ「しらさぎ」、
▽京都・新大阪と関西空港を結ぶ「はるか」、
▽京都・新大阪と和歌山方面を結ぶ「くろしお」、
▽京都と山陰方面を結ぶ「きのさき」「はしだて」「まいづる」、
▽新大阪・大阪と福知山・城崎温泉方面を結ぶ「こうのとり」、
▽大阪・京都と鳥取・倉吉を結ぶ「スーパーはくと」、
▽大阪・姫路と香住・鳥取方面を結ぶ「はまかぜ」、
▽大阪と草津を結ぶ「びわこエクスプレス」、
▽大阪と姫路を結ぶ「らくラクはりま」、
それに▽東京と高松、出雲市を結ぶ「サンライズ瀬戸・出雲」で、特急の運休はあわせて192本となっています。
JRは利用者にホームページなどで運休の時間帯を確認するよう呼びかけています。


関空で夜を明かす人に寝袋を配布
台風10号の影響で欠航や遅延が相次いだ関西空港では、空港内で夜を明かす人たちのため寝袋や飲み水が配られました。
関西空港では、15日夜の時点で、国内線と国際線合わせて220便が欠航したり欠航を決めたりしたほか、遅れる便も相次ぎ、搭乗便を待つ多くの人たちが空港内で夜を明かすことになりました。
このため空港の運営会社は、去年9月の台風21号のあとに備蓄品として、準備した寝袋1500人分と飲み水を希望する人に配布することにしました。
友人5人でフィリピンのセブ島に行く兵庫県西宮市の男子大学生は(21)「夜9時半発の便が欠航になり、あす16日午後1時の便に乗るため床に座って待っていたが、寝袋をもらえてよかったです」と話していました。
また、家族でハワイ旅行に行く大阪・泉南市の40代の女性も「朝4時の便まで待つことになり、せっかくの旅行が残念なことになっていましたがこれでちょっとでも休めたらと思います」と話していました。


15日・16日の交通機関は
交通の情報です。
15日、海の便は欠航が相次ぎましたが、一時運転を見合わせていた桜島フェリーは15日午前11時の便から運航を再開し、垂水フェリーは午後3時10分の便から運航を再開しました。
高速船「トッピー」と「ロケット」は、16日は通常どおり運航する予定です。
このほか、フェリーとしま2、フェリーあまみ、フェリーあけぼの、フェリー波之上が、16日、運航する予定です。
フェリー太陽は午後から運航する予定です。
空の便では台風の影響で、15日、これまでに鹿児島と大阪を結ぶ便など少なくとも81便が欠航しました。
16日についても機材繰りなどで運航に影響が出るおそれがあるため、航空各社は最新の運航情報をホームページなどで確認するよう呼びかけています。
続いて鉄道です。
九州新幹線は台風10号の接近に伴い、15日は山陽新幹線との直通運転を取りやめ、始発から本数を減らして運転しました。
また、県内を走るすべての特急列車は、15日終日、運休となりました。
また普通列車では、始発から運転を見合わせていた鹿児島本線の鹿児島中央駅と鹿児島駅の区間、日豊本線の鹿児島駅と国分駅の区間で、それぞれ本数を減らして運転が再開されています。
肥薩線の人吉駅と隼人駅の区間と吉都線の都城駅と吉松駅の区間は、現在も運転の見合わせが続いています。
JR九州によりますと、16日は新幹線と在来線いずれも、始発から平常通り運行する予定だということです。


台風10号、西日本を縦断 お盆直撃、1人死亡40人負傷
 大型の台風10号は15日午後3時ごろ、広島県呉市付近に上陸し、夜には山陰沖に進んで西日本を縦断した。広島県では船の係留作業中の男性(82)が海に落ちて死亡。共同通信の取材や総務省消防庁のまとめで負傷者は岡山など13府県で40人に上った。避難所に身を寄せた人は一時少なくとも7千人を超えた。台風はお盆休みのUターンラッシュを直撃。山陽新幹線が計画運休し、四国のJR全線も終日運休するなど大きな乱れが生じた。
 16日にかけて台風本体や周辺の雨雲の影響で西日本から東日本の太平洋側を中心に大雨が続く。

台風が来る!/あきたこまち終了/点点終了

ブログネタ
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Le Japon en état d'alerte avec l'arrivée d'une tempête tropicale
De fortes pluies s'abattaient jeudi dans l'ouest du Japon à mesure que la tempête tropicale Krosa progressait, provoquant l'annulation de centaines de vols et de trains, alors que les autorités ont recommandé à plus de 400.000 personnes d'évacuer la zone.
La tempête Krosa faisait route vers la petite île de Shikoku, dans le nord-est, avec des vents allant jusqu'à 162 km/h, a indiqué l'agence météorologique japonaise, précisant que la tempête devait toucher terre jeudi en début d'après-midi.
Les autorités ont prévenu que plus de 100 centimètres de pluie devraient s'abattre en vingt-quatre heures jusqu'à vendredi matin.
Elles ont conseillé à quelque 446.000 personnes d'évacuer la zone.
Aucune inondation ou dégât majeurs n'avaient été rapportés jeudi matin.
Selon la chaîne de télévision publique NHK, 679 vols ont été annulés.
Plusieurs autoroutes de l'ouest du pays ont été fermées.
(Elaine Lies; Jean Terzian pour le service français)
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フランス語の勉強?
ETV特集「忘れられた“ひろしま”〜8万8千人が演じた“あの日”〜」
原爆投下から8年後。広島で空前絶後の映画が製作された。タイトルは「ひろしま」。撮影に参加した人の数は8万8千人。日本映画史上、最大級のスケールを誇る。原爆投下直後の広島で何があったのか?被爆者たちが自ら演じて再現している。この映画は、ベルリン映画祭で入賞。国際的な評価を受けた。しかし今、この映画の存在はほとんど知られていない。いったいなぜか?そこには、時代に翻弄された映画の知られざる事情があった。
戦没者は二度死ぬ〜遺骨と戦争〜
「戦没者は二度死ぬ」という。一度目は戦争で死んだとき、二度目は遺骨の調査を蔑ろにし、祖国に帰らせられなかったとき。国は2024年までに戦没者の遺骨収集を集中的に進めるとしている。しかしシベリアでは日本人ではない疑いがある骨が持ち帰られ、その実態が公表されていなかった問題や、現場で遺骨が焼かれ遺族の元に戻らないなどの実態も明らかに。遺族の願いが踏みにじられていた。遺骨収集の現実と遺族の思いを追った。 松村正代
フランケンシュタインの誘惑E+・選 #4▽脳を切る “悪魔の手術”ロボトミー
科学史の闇セレクション!今回取り上げるのは、悪魔の手術「ロボトミー」!精神疾患患者の脳の一部を切除し「おとなしくさせる」手術だ。現在では人間性を剥奪する「史上最悪の外科手術」とされているが、1950年代まで「奇跡の手術」として日本を含め世界中で盛んに行われていた。なぜロボトミーは生まれ世界に広まったのか? ロボトミーの普及と改良に生涯を捧げ3500人の脳を切った神経科医を追い、その光と影に迫る! 吉川晃司
世界の哲学者に人生相談「コンプレックスだらけの自分を好きになる〜デリダ」
視聴者のお悩みに世界の哲学からヒントを探ります。デリダの「脱構築」というコンプレックスを抜け出す考え方を、歌手の和田アキ子さんも参加して実践します。
高田純次さん、みちょぱさん交えての楽しいトークも注目。一流の哲学を気軽にわかりやすく知ることができます。デリダはものごとを単純な「優」と「劣」に分ける「二項対立」を否定、一見劣って見えるところを捉えなおすことで、その人の隠れたいいところが見えてくると説きました。和田アキ子さんが「体が大きい」というコンプレックスをどう抜け出したかを告白、デリダ哲学について体験を交えて議論します。悩む人必見です。 和田アキ子, 山口大学教授…小川仁志, 高田純次,池田美優, 守本奈実

NEWS23【大型台風が列島縦断へ▽綾瀬はるか・生出演…シベリアの記憶たどる】
お盆の交通機関を直撃 大型台風が列島縦断へ▽綾瀬はるか・生出演…シベリアの記憶たどる
小川彩佳が、あなたと一緒に今にニュースにふれる。注目のニュースを現場から。
小川彩佳 星浩 村瀬健介 石井大裕 山本恵里伽
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山崎 雅弘 @mas__yamazaki
超党派議員が靖国神社に集団参拝(時事)
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」
という名称が付いているが、
「みんなで大日本帝国の精神文化を継承する国会議員の会」
と呼んだ方が彼らの本質を理解できるだろう。
彼らがなぜ集団で威圧的に靖国神社を参拝するのか。自分たちが「大日本帝国時代の精神文化の継承者である」ことを内外に誇示し、帝国への「忠誠心」を示すため。つまり本質的には憲法違反。本来ならメディアが踏み込むべき重大な問題だが、ある時期から「日本対中韓」の二項対立でしか報じなくなった。
2019年8月15日
天皇の言葉「終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました」
稲田朋美議員が代読した安倍晋三首相の言葉「令和の新しい時代を迎え、改めてわが国の平和と繁栄が祖国のために命をささげたご英霊のおかげであると感謝と敬意を表します」
安倍首相は、戦没者追悼式でも同様に「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれたものである」と述べ、「戦後の人々のたゆみない努力」に一切言及しなかった。そして「御霊」という大日本帝国時代の言葉をさりげなく最後に入れ、大日本帝国時代の精神文化を継承した。
日本のメディアは、この二つの言葉の間にある根本的な「歴史認識の違い」に光を当てるべきだろう。戦後の平和と繁栄が「戦後の人々のたゆみない努力」(天皇)でなく、「命をささげたご英霊=日本軍人」と「戦没者の皆さまの尊い犠牲」の成果(安倍)なら、あの戦争は結局正しかったという意味になる。
戦死した軍人を「命を捧げて日本を守った英霊」と称揚する行為は、次の二つの錯覚を生む。
【1】従って、彼らが尊い命を捧げた戦争は正しく、批判するのは冒涜。
【2】従って、あの戦争を指導した国家指導部も正しかった。
死者を不必要に増やした指導部は免責される。

knamekata @knamekata
全国戦没者追悼式。
安倍首相の式辞は、「加害の責任と反省」に一切触れなかった。第二次安倍政権発足後の2013年から7年連続になる。この政権は、過去の侵略戦争や植民地支配と真剣に向き合い、反省、謝罪する姿勢を持っていない。
日韓関係が厳しさを増す原因がどこにあるかを示す何よりの証左だ。

ふるまいよしこ @furumai_yoshiko
今回の香港デモをきちんと英語で追いたい方は、WSJおすすめ。記者が前線に張り付いている。NYTも頑張ってる。The Guardianもいいですね。あと香港公共放送ながら反骨のRTHKもよいドキュメンタリーやクリップ流してます。日本マスメディアは読むと混乱するから止めたほうがいいでしょう。
BBCはFBでよいクリップ流してます。あと香港の英語メディアSCMP。ただ、SCMPは時々もにょってる?的な表現があるので、打倒SCMPの香港メディア「HKFP」も参考に。
…というわたしは、このいくつかをぺろぺろっと参考にはしますが、基本的には中国語メディアとSNS情報で動いています。ソッチのほうが早いし、地に足がついている。フェイクニュース? そんなもん、いくつか自分が信頼できるニュースソース見るか、前線のメディア記者に聞いたらすぐに判断つくよ。
正直な話、英語だけ読んでいても全貌はわからないと思います。でも英語圏にはオーバーオールでいろんな記者がまとめた記事があるし、さっき上げた幾つかの西洋メディアは香港支局が本気で走り回っているので、相当細かいところまで抑えています。日本マスメディアとは全然機動性違う。
WSJとかNYTの支局にも昨年行きましたが、ものすごい数の、ものすごく経験を持った記者がいるんです。中国から叩き上げてきた記者、香港人記者、アメリカから来たけどこの地数十年の記者、中国−台湾−香港と10年以上渡り歩きスクープ飛ばしてきた記者…日本メディア香港支局とは比べもんになんないす
わたしはそうやって前線で記事を書いている記者さんの数人とお知り合いで、また香港メディアにもデモ現場で取材して記事を書いている記者の知り合いがいるので、「あれ?」と思ったら彼らに事実確認できます。彼らだってこっちが記事書いているの知ってるから気軽に答えてくれる。
日本のメディアさんは「自分が歩いて取材する」とかいい続けてるけど、香港にいない時間も多いし、広東語はできないし、もちろん助手に取材を任せることはしないので、とにかく全部一人でやってんですよ。これで、常時複数の記者が出入りしている西洋メディア以上の記事をかけるはずがない。
ちゃんとした記事が書けないなら、書けるための体制を整えればいいのに、それもしない。自分が不在中に情報を投じてくれるストリンガーとか、全然使ってないの。だから、香港にいる日本人ブロガーさんたちがブチギレて自分で記事を書いたりしているわけ。それ以上の記事書けてないんだし、日本メディア

8.15新たな戦争と天皇制について考える−改めて問う天皇出席の全国戦没者追悼式−
講 師:辻子実さん(即位・大嘗祭違憲訴訟の会/安倍靖国参拝意見違憲訴訟・東京)
資料代:1000円(経済的に厳しい方は受付まで)
主 催:天皇代替わりを問う集会実行委員会
連絡先:参戦と天皇制こ反対する連続行動 関西単一労働組合
TEL・FAX 06-6303-0449
辻子実(ずし・みのる)さん
1950年生まれ。クリスチャン。1970年代から靖国問題を研究。
著作に〈侵略神社〉く(2003年)、〈靖国の闇にようこそ〉(2007年)がある。


8月15日は終戦の日.大学に入学してから日本による加害を知りました.ヒロシマ・ナガサキは忘れてはならないけれども,同じくらい日本がアジアの人たちにヒドイことをしたことを心に刻み込まねばならないと思います.
台風が来る!というので辻子さんのお話を聞いて慌てて梅田に戻りました.
お腹空いたのでご飯を炊きますが,2合あったあきたこまち終了です.食べ過ぎてしまいました.
やっと点点が終わりました.疲れました.

伝承の役割期待の一方で…震災遺構維持費に不安 沿岸市町村が持続可能な運営模索
 東日本大震災の惨禍や教訓を伝える震災遺構が沿岸の市町村に次々と整備されている。修学旅行生や外国人の来訪も多く、風化が懸念される中で期待される役割は大きい。課題は国の財政支援がない維持管理費の確保だ。各市町村は入館料や寄付金を頼りに持続可能な運営を模索している。(報道部・鈴木拓也、高木大毅)
◎市が不足分賄う
 校舎4階まで津波に襲われた気仙沼市の旧気仙沼向洋高校舎の一般公開が3月10日に始まり、5カ月が過ぎた。
 年間収入の大きな柱は入館料だ。一般600円、高校生400円、小中学生300円に設定。7月末現在の来館者は4万3149人で、年間目標7万5000人の57.5%と出足は順調だ。
 来館者が目標に達しても、収支は約5600万円の支出見込み額に対し約1500万円の赤字。不足分は市の一般財源で賄うことになる。
 市震災復興・企画課は「伝承という使命を果たすには一定の費用がかかる。過度な負担にならないように収入増加策も考えたい」と理解を求める。
◎ふるさと納税も
 震災遺構を巡っては復興庁が2013年11月、復興交付金で整備できるのは各市町村1カ所までとする方針を公表した。保存に必要な初期費用は支援対象としたが、維持管理費は対象から外れたため、当時から被災自治体の負担増を心配する声が上がっていた。
 各自治体で運営費確保の手法は分かれる。仙台市は「多くの人に見てもらいたい」と、若林区の遺構「荒浜小」を17年4月から無料で公開する。人件費を含む昨年度の維持管理費は約2000万円。主に復興基金を活用し、一部はふるさと納税の寄付金を充てる。
 宮古市も遺構「たろう観光ホテル」の維持管理にふるさと納税を活用し、3月末現在で約4750万円を基金に積み立てた。電気代などの維持管理費約30万円(昨年度)に充てるほか、いずれ必要になる建物補修にも使う予定だ。
 石巻市の旧門脇小や旧大川小、宮城県山元町の旧中浜小などでも遺構整備が予定されるが、入館料の有無など運営方法は未定だ。
◎来訪者増 工夫を
 過去の災害で整備された遺構施設を見ると、入館料の先細りが懸念される。阪神大震災の断層を展示する野島断層保存館(兵庫県淡路市)は開館した1998年度は約283万人が訪れたが、昨年度は約13万人にとどまった。
 東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授(災害伝承学)は「維持コストが高い場合、修学旅行生や外国人といった外からの来訪者を増やす工夫が必要だ」と指摘する。
 新潟県中越地震の被災地では地域住民らが会員制で運営する小規模の施設もあり、「いかに上手に維持管理するのか、戦略を選択する時期に差し掛かっている。被災地の責務として、ある程度の赤字を覚悟するのも一つの考え方かもしれない」と語る。
[震災遺構]東日本大震災や東京電力福島第1原発事故の惨禍を伝える被災建物など。河北新報社が3月に岩手、宮城、福島3県を対象に調べた結果、民間施設も含め少なくとも24市町村で38件の遺構が残されていた。建築物以外に黒板や時計などもある。


震災遺構 地元の教育利用進まず
 東日本大震災の被災地の学校が、震災遺構の利用に二の足を踏んでいる。被害を繰り返さないための震災伝承が望まれる一方、被災した子どもへの配慮が求められるジレンマを抱えているためだ。
 「普段明るく振る舞っていても、ふとしたきっかけで被災体験がフラッシュバックすることもある。遺構の見学には慎重にならざるを得ない」。震災で家族を亡くした児童も通う宮古市鍬ケ崎小の佐々木ふじ副校長が打ち明ける。
 市内には2016年に公開された遺構「たろう観光ホテル」がある。同小は校内に震災前後の町の写真などを展示して防災学習に力を入れるが、津波の爪痕が生々しく残る遺構は一度も訪れたことがない。
 他の学校も事情は同じで、同遺構を18年度に訪れたのは市内33の小中高校のうち3校にとどまる。
 佐々木副校長は「震災後に生まれた子どもたちが3年生になっており、伝承は避けられない課題だ」と今後の遺構活用を検討する。
 仙台市若林区の遺構「荒浜小」も地元の利用が少ない。18年度に訪れた小中高107校のうち市内は21校だった。
 同市榴岡小は昨年秋、5年生全員で荒浜小を見学した。震災で被災した児童もいたが、学年便りで保護者に理解を求め、担任と学年主任が本人と面談した上で実施したという。
 当時5年の担任だった教員は「子どもたちの理解が深まり、表情が変わった」と学習効果を実感。「他の学校でもぜひ活用を検討してほしい」と呼び掛ける。
 仙台市は本年度、宮城教育大と連携して作成した荒浜小を活用した指導の手引書を市内の小中学校に配った。19小学校に対し送迎バスの費用を全額補助するなど利用を促している。
 手引書の作成に携わった宮教大防災教育研修機構の小田隆史准教授(防災教育)は「子どもたちは将来、伝承の担い手になる。個別の配慮は必要だが、それを言い訳にして利用を諦めては風化が進む。地元に防災教育の空白をつくるべきではない」と話す。


当時見つめるきっかけに 気仙沼・階上中の避難所再現、伝承館で16日から
 宮城県気仙沼市階上地区の気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に16日から3日間限定で、震災直後に同地区の市階上中体育館に設けられた避難所が再現される。実際に避難所暮らしをしたスタッフが当時の写真を見たり、記憶を思い出したりして忠実によみがえらせる。
 避難所は伝承館の入り口のそばにある広さ約90平方メートルの研修室に設置される。段ボールで仕切られた1〜4人用の仮の住まいが数カ所あり、入館者は実際に寝床に入ることができる。
 7日にはスタッフが研修室で打ち合わせ、洗濯物を乾かすために段ボールに結ぶロープの位置や、寝床の大きさなど細かい部分まで確認した。
 伝承館の小山清和さん(43)は津波で自宅が被災して約3カ月間、階上中の避難所にいた。16日には写真も使って避難所暮らしの実態などを来館者に説明する予定だ。
 小山さんは「当時の生活を思い出しながら、なるべく当時のままを再現した。こんな狭いところで寝ていたということも実感できるはずだ」と話す。
 階上中の避難所は震災直後から約7カ月間設置され、最大で2000人が暮らした。伝承館では、体育館で開催された階上中卒業式で、生徒代表が読む答辞の映像も流している。
 佐藤克美館長(51)は「夏休みに親子で防災について考えるきっかけにもなるだろう」と話している。連絡先は同館0226(28)9671。


被災した古里再現 4集落の模型を展示 石巻・大川
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川地区の4集落の街並みを復元した大型模型が市河北総合センターで展示され、帰省客らが失われた古里の姿を懐かしんでいる。16日まで。
 地域の記憶を模型の形で後世に伝える「大川地区『記憶の街』模型復元プロジェクト実行委員会」の主催。釜谷、間垣、長面、尾崎の各集落を500分の1で再現した。
 15日は学生計10人がボランティアで参加。来場者から聞き取った地域の思い出をアクリル片に書き込み、模型に挿した。
 釜谷出身で富谷市の主婦木村由紀さん(58)は「友達と遊んだ思い出や大川小の桜が昨日のことのようによみがえった」と話した。


盆踊り交流の輪 海水浴場で初開催 宮城・南三陸
 宮城県南三陸町志津川の海水浴場「サンオーレそではま」で14日、盆踊り大会が開かれた。東日本大震災で被災した同町のまちづくりに取り組む若者の団体「南三陸ふっこう青年会」が企画した。
 住民や帰省した人たちがやぐらを囲み、盆唄や歌謡曲に合わせて輪になって踊った。帰省中に長男と参加したさいたま市の会社員三浦智広さん(40)は「地元の若者が開くイベントなので参加しやすい。子どもも楽しんでいた」と話した。
 盆踊り大会は2012年から町内で毎年開かれ、サンオーレそではまでは初めて。青年会代表の工藤大樹さん(37)は「震災後、住民がお盆に集まれる場所が減った。盆踊りが離れ離れになった人たちの再会の場になればいい」と語った。


終戦記念日/国際協調の歴史を顧みたい
 新たな対立の時代に世界は入りつつある。国益を声高に追求する自国中心主義が米国や中国、ロシア、欧州などに広がる。歴史が逆流するかのように、ポピュリズムやナショナリズムが世界を蚕食しているように見える。
 悲惨な戦争を経て歴史がようやく手にした国際協調主義を思い起こすべきだ。一つの時代を想起したい。第1次世界大戦が終結し、第2次世界大戦が始まるまでのおよそ20年間。英国の歴史家E・H・カーが「危機の20年」と呼んだ「戦間期」だ。
 史上初の総力戦となった悲惨な大戦を経て、欧米を中心に平和を求める切実な声が強まった。誕生したのが初の国際機構である国際連盟。さらには、紛争の解決を平和的手段によるとした不戦条約もこの時代に成立した。
 「力による支配」から「法による支配」を目指し、国際秩序の維持に関する各国の基本的な考え方が大きく転換した。国家間の紛争解決は戦争に訴えるのではなく、国際会議や裁判によって国際協調を追及し、世界平和を実現しようとする試みだ。
 歴史のかなたにかすんでいるが、この時期のある日本人の貢献を忘れてはならないだろう。国際連盟の常設司法裁判所の所長を務めた安達峰一郎だ。山形県出身の安達は外交官を経て、国際連盟の理事会や総会で活躍、アジア人で初の裁判所長となった。
 欧州の少数民族や国境画定の調停などに傾注し、その公平な態度と熱意は各国から絶大な信頼を得たという。所長就任から間もなく、満州事変や日本の連盟脱退通告などで心労がたたり、オランダで没した。国際平和のために奔走した生涯だったという。
 その安達が賛意を惜しまなかったのが不戦条約だ。国際協力の一つの頂点とされる同条約は、締約国による紛争解決のための戦争を非とし、国策としての戦争の放棄を定めた。その精神は現在の日本国憲法に引き継がれている。
 条約に対する評価は現在でも「世界的な政治協定として画期的だった」というのが一般的であり、原締約国に続く追加加入を含めて80カ国近い賛同を得た。罰則がなく戦争防止の手段としては不完全だったが、条約の趣旨は後世に大きな影響を与えている。
 現在の世界を見れば、米国が「アメリカファースト」を叫び、中国は「核心利益」を主張して領土的野心を隠さない。欧州は移民への反発から国益重視にかじを切った。ロシアは力による現状変更の態度をあらわにしている。
 各国に国益があるように国際社会には公益とも言える全体としての利益がある。そして、どの国にとっても平和と安全、それによる繁栄以上の国益は存在しない。人権の擁護や法の支配など普遍的な価値が定着している日本は、歴史を踏まえ、進んでそのことを語らなければならない。


河北春秋
 昨年100歳で亡くなった版画家の浜田知明さんと言えば、『初年兵哀歌(歩哨)』が思い浮かぶ。薄暗い兵舎。自分に銃を向け死のうとする新兵。顔は骸骨で一筋の涙が流れている▼自画像だった。過酷な軍隊生活を送った浜田さんは「自殺のことのみ考えて生きていた」。他の兵士が自殺したと聞き、自分でポーズを取った。「なぜ少年兵まで死ななくてはならなかったか」。そんな思いが消えなかった▼戦争体験を題材にした浜田さん。「訴えたいものだけを残し、他の一切を切り捨てた」という作品は、ロンドンの大英博物館やイタリアのウフィツィ美術館で個展が開かれるなど海外で評価が高い▼戦争の悲惨さ、残酷さ、愚かさを告発する姿勢が国境を越えて共感を呼ぶのだろう。兵士は徴兵で駆り出された被害者であると同時に、他国を侵略する加害者としても描いた。忘れられない光景として、日本兵を恐れる中国人少女の顔を描いたのは90歳ごろだった▼「戦争を知らない世代の人たちから勇ましい言葉が聞かれるようになった」。浜田さんは晩年、戦時中のように自由にものが言えない社会に戻ることを危惧していた。今、そんな時代が近づいていないだろうか。今日は終戦記念日。浜田さんのメッセージを大切にしなければと改めて思う。

終戦の日と戦後処理 世代をまたいで辛抱強く
 終戦の日である。戦禍にたおれた人びとを追悼するとともに、日本が歩んだ過去への内省や、不戦の決意が交差する日だ。
 今年はここに韓国との深刻な不和が加わって、日本の座標軸をより複雑なものにしている。
 戦後74年。昭和から平成、令和へと時代を経ても、戦争の後始末がいかに困難であるかを物語る。一度手を染めると、修復するのに何世代もかかるのが戦争の宿命だ。
 ここで日本の戦後処理がどうなされたか改めて整理しておきたい。
 日本を占領した当初、米国などが考えた対日賠償政策は、被害国の感情を反映して日本の経済力を最低レベルに抑える懲罰的な内容だった。
歴史リテラシーの不足
 ところが、朝鮮戦争の発生と占領経費の増大が、米国の政策転換をもたらす。冷戦によって戦略的な価値が増した日本を経済的に自立させることが米国の利益に変わった。
 こうして1951年9月調印のサンフランシスコ平和条約は、日本に十分な支払い能力がないことを認めて、役務提供という日本に有利な賠償方式が採用された。
 日本は77年までかけてアジア諸国への賠償総額15億ドルを完済した。少なくない金額だが、相手国が購入する日本製品の代金を政府が円で支払う形だったため、日本企業のアジア進出の後押しにもなった。
 若い政治家には「日本は過酷な条件で十分に償った」と思い込んでいる人がいる。日本に寛大だった講和内容の理解不足だ。政治家は歴史へのリテラシーを高める必要がある。
 韓国との国交正常化も、サンフランシスコ条約に沿ってなされた。条約が、かつて日本の統治下にあって戦後に分離された地域に対する特別な取り決めを求めていたからだ。
 植民地支配の性質をめぐって交渉は難航し、65年の日韓基本条約調印までに14年を費やした。実質的には米国の影響を受けた3カ国条約ではあったが、大局的な見地から双方が妥協した歴史的意義は大きい。
 昨年10月に出た韓国最高裁の判決は、その土台を揺さぶっている。元徴用工の問題は条約の枠内で「解決済み」というのが両国の見解だったのに、「司法権の独立」を盾に日韓関係の一方的変更をもくろむ文在寅(ムンジェイン)政権の対応は極めて遺憾だ。
 ただし、日本が文政権の外交的不作為をなじるだけでよいだろうか。韓国は中国と並んで日本の近代史における「特別な国」である。
 戦時中の日本には、70万人と推定される朝鮮半島出身の徴用工のほかに、強制連行された約3万9000人の中国人労働者がいた。
 過酷な労働を強いた日本企業に対して、中国人被害者が起こした裁判のうち、2000年に花岡事件の鹿島、09年に西松建設、16年に三菱マテリアルとの和解がそれぞれ成立している。韓国とは対照的だ。
 中国は日中共同声明で戦争賠償の請求を放棄し、韓国は請求権協定で3億ドルの無償資金を受けているという事情の違いはある。中国は連合国の一員で、韓国と日本は交戦状態になかったとの区別も可能だろう。
先人の努力を忘れずに
 それでも日韓両国がこのまま正面対決を選んで、「歴史」のトゲが一層深く突き刺さって抜き差しならなくなることを私たちは恐れる。
 花岡和解では政治家ルートが機能した。相談を受けた土井たか子元衆院議長が後藤田正晴元副総理に話をつなぎ、後藤田氏が鹿島の石川六郎元会長を説得したという。
 また朝鮮半島や台湾出身の元軍人・軍属に弔慰金を支給する特別立法(00年5月)は、野中広務元官房長官の熱意から生み出された。
 衆参国会議員709人のうち戦前・戦中生まれは現在わずか28人、4%足らずになっている。政界から戦争の記憶は薄れる一方だが、条約から漏れた課題に目を凝らしてきた先人の努力を忘れるべきではない。
 「加害者と被害者の間の和解には、世代を越えた双方の勇気と努力を必要とする。加害者にとっては、過去と正面から向き合う勇気と反省を忘れない努力、被害者にとっては過去の歴史と現在を区別する勇気であり、相手を許して受け入れる努力である」。栗山尚一(たかかず)元外務次官は「外交フォーラム」誌でこう訴えていた。
 戦争のもたらす被害はあまりに大きく、国家間のある時点での処理には限界がある。少しずつでも辛抱強くトゲを抜こうとする努力が、平和国家としての土台を強くする。


終戦の日に考える 憲法の下 令和は流れる
 令和元年の終戦の日です。先人たちが汲(く)み上げた「平和憲法」の清流を源に、時代の新しい流れがまた巡ります。私たちの不戦の意志を推力にして。
 昭和二十年八月十五日。東京都心の社交クラブで玉音放送を聞いた帰り道。その紳士は、電車内で男性の乗客が敗戦の無惨(むざん)をあげつらう怒声にじっと聞き入ります。
 「一体(俺たちは)何のために戦ってきたんだ」
 映画の一シーンです。
 実在の紳士は幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)。当時七十二歳。この二カ月後、首相となって日本国憲法の成り立ちに深くかかわっていきます。
◆不戦の源流を遡る
 連合国軍の占領下、天皇制の存続と一体で「戦争放棄」を日本側から発意したとされる。憲法のいわゆる「押しつけ論」に有力な反証をかざす、あの人です。
 社説にも何度か登場しました。「またか」とおっしゃる向きもありましょう。けれども今回は改憲論争の皮相から離れ、より深くにある幣原の平和観に迫りたい。
 平成から令和へと時代が移ろう時にこそ、流れを遡(さかのぼ)り、確かめておきたいことがあるからです。昭和の先人たちから受け継ぐ不戦の誓い、すなわち平和憲法の源流はどうであったか、と。
 その映画づくりが大詰めと聞いて、幣原生誕の地、大阪府門真市を訪ねました。三年後に迎える生誕百五十年の記念事業で、人類平和にかけた生涯を綴(つづ)る手作り映画です。題名は「しではら」。
 「地元でもあまり知られていなかった元首相の、高潔な理想を後世に伝えるため、まずは名前の読み方から知ってもらおうと。多くの人に平和を考えるきっかけを届けたい」。元教諭や税理士など地元有志の実行委員会を率いる酒井則行さんと戸田伸夫さんが、事業の意義を語ってくれました。既に七月、撮影終了。DVDにして今秋にも公開予定とか。
◆野に叫ぶ民の思い
 「私たちはこの映画で、昨今の改憲論争にくみしたり『九条を守れ』と訴えたいわけでは決してありません」。二人が口をそろえて強調したことです。
 幣原の「戦争放棄」は思い付きや駆け引きからではない。もっと人生の深みから湧き出た、純粋な平和観なのだと。その歴史的な価値を絶やすことなく後世につないでいかねば、ということです。
 例えば第一次大戦後の世界が、戦争はもうこりごりと、世界平和を願う機運にあったころ。幣原は協調派の外交官としてその世界にいました。時代の集約ともいえるパリ不戦条約の精神も当然、熟知していたはずです。まさしく「戦争放棄」の精神でした。
 一方、国内では戦争拡大に反対し終戦まで長く下野していたが、久々に「感激の場面」に出くわします。あの映画にもあった終戦当日、電車の中の出来事です。
 その後の展開が、自著の回顧録「外交五十年」に出てきます。 
 <総理の職に就いたとき、すぐに私の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった。これは何とかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくちゃいかんと、堅く決心したのであった>
 <(憲法で)戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならんということは(私の)信念からであった>
 恐らく電車の中で幣原は、外交官当時の記憶を呼び覚まされたのでしょう。欧米の軍縮会議などを駆け巡り、世界に広がる「不戦」機運を肌で感じながらいた当時の記憶です。幣原は乗客の怒声に確信したはずです。不戦の意志がついに日本人にも宿ったと。ここが「戦争放棄」の起点でした。
 そしてもう一歩。幣原を踏み込ませたのは、広島、長崎の原爆です。元首相の口述を秘書官が書き留めた「平野文書」に記す、幣原のマッカーサー元帥に向けた進言から一部抜粋です。
 <原爆はやがて他国にも波及するだろう。次の戦争で世界は亡(ほろ)びるかも知れない>
 <悲劇を救う唯一の手段は(世界的な)軍縮だが、それを可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現以外ない>
 <日本は今その役割を果たし得る位置にある>
◆平和の理想つなげ
 幣原の「戦争放棄」は、後世の人類を救うための「世界的任務」でもありました。源にあったのは高潔なる平和の理想です。
 七十四年が過ぎました。いま令和の時代を受け継ぐ私たちが、いまもこの源から享受する不断の恵みがあります。滔々(とうとう)たる平和憲法の清流です。幣原の深い人類愛にも根差した不戦の意志を、令和から次へとつなぐ流れです。
 流れる先を幾多の先人が、世界が、後世の人類が見つめます。
 止めてはいけない流れです。


終戦の日/時代の「空気」にあらがう
 「終戦の日」を迎えて、考えたいことがある。戦争は過去のものといえるのか、歴史を繰り返す恐れはないのかと。
 「逆コース」という言葉が登場したのは、戦後わずか5年ほどのころだった。新憲法の制定で日本は「平和国家」の道を歩みだしたはずなのに、東西冷戦の下で再び軍備を持ち、米軍との連携を強めていく−。
 かつて歩んだ道への回帰を危ぶんだこの言葉を、改めて思い起こしたい。
 気が付けば社会の「空気」が変わっている。その時には誰もあらがい難くなる。それが先の戦争の教訓なのだから。
      ◇
 74年前のきょう、昭和天皇の「玉音放送」で国民は敗戦と戦争の終結を知らされた。
 やっと終わったと心底からホッとした−。
 神戸大空襲を経験した舞台美術家の妹尾河童(かっぱ)さんは自伝小説「少年H」でそう書いた。もう空襲におびえることも、軍人の横暴にさらされることもない。心は安堵(あんど)と開放感に包まれた。
 同様の感慨を抱いた人は少なくなかっただろう。
 たび重なる空襲で、一般国民の犠牲はうなぎ上りに増えていた。敗戦時には国民の6割が日本の敗戦を覚悟するようになっていたとされている。
 しかし、国内を支配する「空気」はそうではなかった。
 少年Hはホッとしたにもかかわらず、奥歯をかんで悲愴(ひそう)な顔をする。「嬉(うれ)しそうな顔をしたら大変だ」と思ったからだ。
 日本の降伏が告げられても「そんなはずはあらへん!」という声が級友から上がった。「上陸してくる敵兵を一人でも二人でも殺してから死ぬ」。そう殺気立つ「徹底抗戦組」が多いことに、少年Hは驚いた。
 戦争はそれほど一般国民の意識に深く根を下ろしていた。
「日本必勝」の物語
 「必勝」を声高に叫んだのは軍部や指導者だけではない。だまされて動員されたとはいえ、国民の側も戦意高揚の旗を振らされ、批判を許さない「空気」を広めたことも事実だった。
 児童文学者の瀬名堯彦(たかひこ)さんは敗戦時のある逸話を紹介する。
 敗戦と聞いて反論した男の子がいた。「負けるもんか、潜水艦富士がいるじゃないか」と。
 「潜水艦富士」は空を飛ぶ潜水艦の名前だ。6門の大砲と最新鋭の光線兵器を備える。戦前の小説「昭和遊撃隊」に日本軍の秘密兵器として登場する。
 日本本土に押し寄せる米国の爆撃機を次々に撃ち落とし、最後は光線兵器を使ってせん滅する。米国は降伏し、日本は逆転の大勝利−という筋書きだ。
 そんな秘密兵器などあるはずがない。だが男の子は話を真に受け、勝利を信じていた。
 連載した雑誌「少年倶楽部(くらぶ)」は毎号、飛ぶように売れた。日米開戦の7年前のことだ。輝かしい日本の未来を描いた物語は若い世代をとりこにした。
 作者の平田晋策は赤穂市で生まれた。家は薬問屋で、旧制龍野中学校を中退し、神戸で救貧活動に身をささげる賀川豊彦の元に身を寄せ、作家菊池寛の書生にもなった。陸軍を除隊して軍事評論家と作家に転身した、数奇な経歴の持ち主である。
 日米戦記でベストセラー作家となった平田は、政治家を目指しながら、現実の日米開戦を見ずに神戸で事故死する。赤穂市立有年考古館が2014年に生誕110年記念の特別展を企画して足跡に光が当たった。 当時は米国との国力差を分析し敗北を予測した本もあった。しかし空想小説の方が人気を博し、平田らは戦争への機運を高める役割を担うことになる。
理性的であること
 前東京都知事で作家の猪瀬直樹さんが著書「黒船の世紀」で当時の平田らの活動を詳細にたどった。妻は取材に対して次のように語っていたという。
 「本を読んで国のことを思って死んだ人がいっぱいいるかぎり、私は幸福になってはいけないのです」。妻は戦後も夫の影の部分を一人で背負い続けた。
 豊岡市を舞台に演劇とまちづくりに取り組む劇作家平田オリザさんは、医学者だった晋策の実兄の孫に当たる。
 オリザさんは自分をかわいがってくれた大おじ晋策の妻の面影を懐かしむ。作家・晋策については「科学的な知識を基にSF的軍事小説を書いた点が画期的だった」と評価する。
 その上で考える。「思想自体は楽天的で、とてもばかげたものだった。科学的であることと理性的であることは、別のものだということだろう」と。
 文筆で異彩を放った晋策も、当時の社会の流れに身を任せた国民の一人だった。
 日露戦争から時をへて生々しい戦闘の記憶が遠くなりはじめた時期に、戦意を高める未来戦記が登場し、世論に影響を及ぼした。戦後世代の政治家が「戦後の総決算」を口にする今の世相とどこか似ていないか。
 一人一人が理性的に考える。そうでなければ「空気」にのまれる。その危うさを平田晋策が生きた時代は示唆している。


きょう終戦の日 対話こそ平和紡ぐすべだ
 アジア太平洋地域でおびただしい犠牲者を出した戦争に敗れてから、きょうで74年を迎えた。
 日本は戦後これまで、戦争の当事者になることなく、平和な時代を享受してきた。ただ、内外の現状をみると、築き上げてきた平和が揺らいでいるように感じる。
 国際社会に対する不戦の誓いを堅持し、恒久平和を確固たるものとするにはどうすればいいのか。考える日にしたい。
 韓国との関係はかつてないほど悪化している。歴史問題が決着せず、非難の応酬を繰り広げる現状は目を覆うばかりだ。
 軍備の拡大を図る中国や北朝鮮が地域の安全保障に与える悪影響も座視できない。
 国内に目を向ければ、安倍晋三首相が7月の参院選で改選過半数を獲得し、9条をはじめとした憲法の改定に意欲を見せている。
 日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。それが9条の理念だ。ゆるがせにはできない。
 平和憲法を持つ日本だからこそ対立を避け、安心と寛容に満ちた世界の構築に積極的に関わっていくことが大事だ。
 そのためには相手を知り、理解することが欠かせない。
 終戦の日に、対話の大切さを心に刻みたい。
■報復の連鎖に危うさ
 政府間で解決済みとしてきた元徴用工への賠償問題が再び浮上したのをきっかけに、日韓両政府が貿易手続きを巡る対抗措置を打ち出し合う泥仕合を展開している。
 安倍首相も文在寅(ムンジェイン)大統領も互いに批判を繰り返すだけでは、報復の連鎖は断ち切れない。
 従軍慰安婦問題でも溝は深い。対話を密にし、互いに相手の立場を理解して、歩み寄りを模索しながら、解決を図るべきである。
 中国との関係改善は経済面での協力が軸で、安全保障を巡る緊張緩和は進んでいない。
 日本固有の領土である沖縄県・尖閣諸島周辺では中国船の領海侵入が続く。ロシアとの軍事協力も進め、最近、日本海などでの合同パトロールも実施した。
 A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社への政府要人の参拝には中国の反発が根強い。懸案を解決しないままでは真の友好は望めない。
 北朝鮮は7月下旬から連日のように短距離ミサイルを発射した。
 拉致問題は一向に進展せず、このままでは国交正常化のめどは立たない。
■改憲の時期ではない
 戦後日本の国是である「専守防衛」をないがしろにするような動きも強まっている。
 憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使を可能とした安全保障関連法の成立が大きな要因だ。違憲の疑いが強く、廃止するのが筋だ。
 これを受けて日米の軍事一体化が加速する中で、トランプ米大統領が日米安全保障条約について、日本の米軍への防衛義務がないとして「不公平」を口にした。
 ホルムズ海峡を航行する船舶の安全確保を名目にした有志連合への参加も要請した。
 憲法は海外での武力行使を禁じている。このまま米国の意向に沿って歯止めなき追従を続ければ危うい。
 先の参院選で安倍首相は、9条に自衛隊を明記する自民党案に言及して、憲法改定を積極的に争点に据えた。
 だが、参院選後の世論調査では安倍政権下での改憲に過半数が反対した。国民の理解が進まず、国会での合意形成も不十分なまま、改憲ありきで取り組む姿勢に強い違和感を覚える。
■多様な見方を重ねて
 戦後70年以上が経過しても消えない歴史問題は、東アジアの安定を損ねる火種と言える。
 ただ、その対処について一つのヒントがある。
 米コロンビア大のキャロル・グラック教授(歴史学)は歴史問題での対立を、「(過去の戦争に関する)国民の物語同士の衝突」と分析する。
 戦争の歴史をどう見るかは立ち位置によって変わる。国民の物語は自国側からの視点だけで、記憶は単純化されやすいため、相通ずることはなかなか難しいという。
 対立を和らげるには、相手の記憶を尊重しつつ、自らの記憶に多様な見方を加えていくことが重要になると教授は指摘する。
 そのために必要なのは、市民や学生も含めたさまざまなレベルでの対話や交流だ。
 日韓の対立が深まる中、両国の市民が友好のメッセージを交わす動きが見られた。政治的利害を超えて、相互理解を図る試みとして注目したい。
 まずは冷静になり、話す環境をつくり、胸襟を開く。それが平和を継続的に紡いでいくことにつながるに違いない。


終戦の日 歴史に学び「不戦」後世へ
 「戦後」の2文字が時代の流れとともに重みを増しています。未曽有の犠牲を伴った先の大戦の記憶は確実に薄れつつあります。
 歴史の教訓が軽んじられていないか。国際社会の緊張と日本の防衛力強化が進む中、時代は新たな「戦前」へと転化していないか。
 令和最初の「終戦の日」に当たり、私たちはこの問いに真(しん)摯(し)に向き合い、揺るぎない不戦の誓いを次代に継承していく使命を、再確認したいと思います。
 ▼高齢者も戦争知らず
 「元号が代わり、昭和はさらに遠くなりました。昭和を生き抜いた人々が次々と鬼籍に入る時代を迎え、散逸する資料の収集はますます重要性を増しています」
 東京・九段の「昭和館」のパンフレットはこう訴え、戦争体験者らに資料の寄贈を求めています。
 同館は昭和10〜30(1935〜55)年の暮らしの記録約6万点を収蔵する国立の施設です。兵役の召集令状、食料の配給切符、節約のための粗末な代用品…。館内ではこれらの実物や、空襲、疎開、引き揚げなど国民の労苦を記録した写真や映像を展示しています。
 あの戦争は特定の場所、期間に限定された一過性の悲劇ではありません。日米開戦前の日中戦争の頃から国民生活は統制され、その困窮、混乱は戦後まで尾を引きます。昭和館はその記憶を紡ぎ、後世に伝える役割を担っています。
 しかし、近年は戦争体験者の子や孫からの資料提供が多く、体験者本人の証言を聞くことが難しくなってきています。人口統計によると、戦後生まれが8割余を占めています。高齢者といっても約3600万人いる65歳以上の人の半数近くは、戦争を知りません。
 ▼終わっていない悲劇
 北はロシア、南はパプアニューギニア、そして東南アジア、インド、モンゴル、中国大陸…。見渡すと戦争の無謀さと政府の無責任ぶりが際立ちます。かつての戦地で今も眠る戦没者の遺骨分布を厚生労働省が記した地図です。
 海外での戦没者は240万人に上ります。うち帰還した遺骨は128万柱、残りの112万柱は放置された状態です。収集は遅々として進まず、戦後71年を経た2016年に、ようやく国の責務を定めた遺骨収集推進法が制定されました。それでも進展のめどは立たず、今春には事業の促進を図る検討会議が設けられています。
 「まだ見ぬ肉親を求めて」。厚労省のホームページは、こんなタイトルで1500人余の名簿を掲載し、情報提供を求めています。彼らはいまだに身元が判明しない中国残留孤児たちです。一方、中国では旧日本軍が残した数十万発の化学兵器を発掘、処理する作業が続いています。こちらも終了のめどは立っていません。
 こうして見ると、戦争の惨禍は途方もなく大きく、また幾重にも連鎖し、悲劇はなお続いているという現実に突き当たります。
 ▼決して筆を曲げずに
 来夏の東京五輪まで1年を切りました。そこで若い世代に知ってほしいことがあります。もともと東京で1940年に予定された五輪が、なぜ幻に終わったのか。
 東京開催が決まった翌年の37年に日中戦争が本格化します。戦況は泥沼化し、戦費が増大する中、日本は五輪返上を決めます。結果的に平和の祭典より戦争の続行を優先し、それが日米開戦、そして悲惨な敗戦につながったのです。
 インターネット上では今、歴史資料を含めて膨大な情報が流れています。ところが日本人の視野はむしろ狭くなっている、と歴史家らは指摘します。自分の関心事だけを追い、全体像をつかんだり他者の立場を考えたりする想像力は低下している。その結果、「あの戦争は正しかった」といった言説を信じ、それを否定する人を「反日」呼ばわりする−。そうした風潮が目立つからです。
 今、米国をはじめ大国の「一国主義」が世界を席巻しています。国際協調の歩みは後退して排他主義が横行、テロや核開発の動きも拡散しています。日本の外交・安全保障政策は米国追従のままでよいのか。本来の役割を見失っていないか。記憶の風化が進む今こそ歴史から謙虚に学び、平和の尊さを見据える想像力が必要です。
 報道機関がかつて国家権力に屈し、軍国主義に加担した史実も消えることはありません。その反省に立てば、報道の最大の使命は「権力を監視し、日本に二度と戦争をさせないこと」に尽きます。
 時代がどう変わろうと、筆を曲げてはならない。そのことも私たちの誓いとして肝に銘じます。


終戦74年 惨禍の記憶を継承したい
 終戦から74年を迎えた。戦争の悲劇を改めて心に刻み、不戦の誓いを新たにしたい。惨禍の記憶は決して風化させてはならない。
 日中戦争から敗戦までの日本人の戦没者は310万人に上る。このうち約230万人は軍人・軍属等だ。
 沖縄では、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた。帝国陸海軍作戦計画大綱(1945年1月)は沖縄を皇土防衛の「前縁」と位置付け、敵が上陸した場合、極力敵の出血消耗を図ると明記している。本土を守るための捨て石にされたのである。
 沖縄戦は凄惨を極め、日米合わせて20万人余が命を落とした。一般住民と現地召集などを含めた県人の犠牲者は12万2千人余に達する。住民の死者が際立って多い。
 日本軍は、住民の食料を奪ったり、避難していた壕から追い出したりした。スパイの嫌疑をかけられるなどして虐殺された人も多い。
 沖縄に配備された第32軍の「球軍会報」は、軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁じ、「沖縄語」で談話をする者は間諜(かんちょう)(スパイ)とみなし処分すると記している。
 「軍隊は住民を守らない」という事実は、未曽有の犠牲から得た教訓だ。
 このような惨劇を二度と繰り返してはならない。そのためには、日本がこの先もずっと、平和国家の道を歩み続けることが不可欠だ。
 ところが、近年の状況を見ると、無謀な戦争によって国が滅びかけたことさえ忘れてしまったようにも映る。
 安倍晋三政権は2014年、憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使を容認すると閣議決定した。翌15年には自衛隊の海外活動を地球規模に広げる安全保障関連法を成立させている。戦争や紛争に国民を巻き込む危険を増大させる政策だ。
 集団的自衛権の行使は憲法上許されない、というのが一貫した政府の解釈だった。本来、一政権による閣議決定で覆せるほど軽いものではない。安保関連法自体、違憲の疑いが強い。
 安倍首相が意欲を示すのが憲法改正である。自民党は改正の条文イメージとして「自衛隊の明記」「緊急事態対応」など4項目を提示している。自衛隊の明記は、平和憲法の根幹である9条を事実上、死文化させる恐れがある。
 憲法の基本原理である「平和主義」は、多大な犠牲を出した大戦への反省から生まれたものだ。平和主義の精神を具体的に規定した9条を変える必然性は全くない。
 戦争がもたらした不幸を忘れ去ることはできないし、忘れてはならない。同時に、災いをもたらした国の仕組みや手法についても理解を深め、同じ過ちを繰り返さないように、目を光らせる必要がある。
 先の大戦から得られた反省と教訓をいま一度、思い起こしたい。


[「終戦の日」に]日韓共通の利益を探れ
 戦後74年の「終戦の日」を迎えた。
 先の大戦で亡くなった日本人は、軍人と民間人を合わせて約310万人。沖縄戦の犠牲者は20万人余を数える。
 悲惨な戦争を繰り返さないために、歴史と体験をどのように後世へ語り継いでいくか。戦争体験者が人口の2割を切る中、戦争の実相の掘り起こしと記憶の継承は私たちに課せられた課題である。
 あらためて思い起こしたいことがある。8月15日は終戦の日であると同時に大日本帝国が米国などの連合国に敗れ、崩壊した日だという点だ。
 日本の敗戦は、日本の植民地支配下にあった朝鮮の人々にとっては「解放」の日と位置付けられ、日本と戦った中国では抗日戦争勝利の日とされている。
 日本の敗戦によってアジアの人々はどのような戦後を迎えることになったのか。
 敗戦の暮れ、衆院議員選挙法の改正で、かつて「帝国臣民」だった在日朝鮮人や台湾人ら旧植民地出身者と、沖縄県民の選挙権が停止された。
 サンフランシスコ講和条約発効の際、旧植民地出身者は、国籍選択権を認められないまま日本国籍を失った。
 冷戦の顕在化によって朝鮮半島は南北に分断され、沖縄は復帰までの27年間、米軍統治下に置かれた。沖縄や韓国、台湾が反共軍事拠点として冷戦の最前線に置かれたことを忘れてはならない。
 終戦の日は、先の大戦の犠牲者を追悼し平和を祈念する日であるが、戦後、アジアの人々がたどった歴史体験にも目を向けたい。
    ■    ■
 気がかりなのは、国交正常化以降、最悪ともいわれる日韓関係である。
 日本軍「慰安婦」問題で悪化した関係は、韓国最高裁が日本企業に賠償を命じた元徴用工訴訟判決で抜き差しならない事態となり、輸出管理の優遇対象国から韓国を除外する決定で泥沼の状態に陥った。
 元徴用工問題を巡り河野太郎外相が駐日韓国大使の発言を遮る形で「極めて無礼だ」と怒りをあらわにする場面があった。韓国の文在寅大統領は優遇国除外で「盗っ人たけだけしい」と日本を批判するなど非難の応酬が続いている。
 深まる亀裂は、政治とは別に市民らが積み上げてきたスポーツイベントや観光交流にも影響を及ぼしている。
 両国で「嫌韓」「反日」の感情が沸騰する現実は異常であり、若者の交流などを通して両国の国民感情を和らげていく努力が必要だ。
    ■    ■
 きょう、東京では政府主催の全国戦没者追悼式が開かれる。韓国では日本の植民地支配からの解放を記念する「光復節」の式典が開催される。
 安倍晋三首相は第2次政権発足後、一貫して加害責任への言及を避けているが、今回はどのような言葉を発するのか。文大統領は日本との関係について何を語るのか。
 相互の理解と信頼に基づいた関係を築いていくためにも、非難の応酬をひとまず自制し、冷静に着地点を探らなければならない。話し合いの窓口を閉ざすようなことがあってはならない。


終戦の日に  「継承」の意味を問い直す時
 広島市の原爆資料館。強い日差しが照りつけ、セミの声が響く。
 あの日もこんな一日になるはずだったのだろうか。
 薄暗い館内では、被爆した子どもたちの遺品に引きつけられた。
 血がにじむ子どものパンツは、母親に背負われて背後から熱線を浴びた2歳男児のものだ。「水がほしい」とねだったが、水を飲ませると死ぬ、と言われたため与えず、男児はその夜、亡くなった。母親は強い後悔を抱き続けた。
 小さな定期入れは、つぶれた駅舎に片足を挟まれた中学3年男子の持ち物。救助しようとしたが足は抜けず、「助けられない、許してくれ」と謝った警察官に、生徒は「ありがとうございました。これを家族に渡してください」。その直後、駅舎は炎に包まれた−。
 遺品が語る原爆被害
 遺品と、それにまつわる物語。1945年8月6日、原爆のきのこ雲の下で何が起きていたかを、見る者の心に深く刻みつける。
 原爆資料館は今年4月、展示物を大規模にリニューアルした。遺品などの実物資料の展示を大きな柱とし、人間の被害を浮かび上がらせるようにしたのが特徴だ。
 被爆者が高齢化し、被爆当時のようすを語れる人が減っている。そんな時代になっても、説得力を持って原爆被害の実相を語り継いでいくにはどうしたらいいか。8年半にわたる議論を経てたどりついた結論だったという。
 終戦から74年。「戦後生まれ」は人口の8割以上を占める。被爆に限らず、戦争の記憶を継承していくことは難しくなる一方だ。
 それを象徴していたのが今年5月、北方領土へのビザなし交流訪問団に同行していた35歳の国会議員が、戦争で島を取り返すことの賛否に言及した問題だ。
 89歳の訪問団長に対して「戦争をしないと、どうしようもなくないですか」とした発言は、大戦がもたらした惨禍についての無知をさらけだしたようなものだった。
 耳傾ける「同伴者」に
 安全保障関連法案の議論が高まっていた4年前には、別の30代の国会議員が「戦争に行きたくないという考えは極端な利己的考え」とツイッターに書き込んでいた。自発的に戦争に行く姿勢を求めたとも受け取れ、批判を浴びた。
 戦火に追われ、肉親の命が奪われる−。そんな戦争のリアルな実態を想像できない人々が国会の議席を得て、戦争に訴えることの是非を軽々しく語る現実がある。
 京滋を含めた各地で、戦争体験を記録したり、語り伝えたりする活動が行われている。戦禍を直接体験した人が減っていく中で、戦争の記憶が風化してしまうことを懸念する人は少なくない。
 ただ、すでに膨大な数の証言が書籍や映像などの形で蓄積されている。こうした記録は、体験者の「伝えたい」という思いだけでは完成しなかっただろう。その体験を「聴きたい、知らなければ」と考えた聞き手がいたからこそ、後世に伝わった面もあるはずだ。
 広島の被爆者が残した体験記や絵を詳細に分析した直野章子・広島市立大教授は、被爆体験の伝承は、証言に耳を傾ける「同伴者」なくして成立しない、と語る。
 聞き手は話をじっくり聴くことであらためて被害を認識し、原爆への疑念を強める。被爆者も体験を語ることで「再び被爆者をつくらない」との信念を形成する。
 直野さんは著書「原爆体験と戦後日本」で、継承されるべき被爆体験は「被爆者と被爆者でない者との共同作業の果実」であり、その継承の意味を「被爆者が同伴者とともに築いてきた理念を次世代に引き継ぐこと」と説く。
 戦争の直接体験者がいなくなった後に何を語り継いでいくべきかについての、新たな視点といえるだろう。体験者と同伴者の共同作業で生まれた証言や記録に触れることで、私たちも新たな同伴者として記憶をつないでいく役割を担うことができるかもしれない。
 記憶が薄らぐ危うさ
 戦争があった昭和から、平成を経て、今年から令和となった。
 一昨年死去した作家の早坂暁さんの自伝的小説「花へんろ」は、愛媛県の遍路みちにある商家を舞台に、戦争の影がのしかかる昭和前期の日常をほのぼのと描く。
 胸を打たれるのは終戦直後の場面だ。海軍兵学校の生徒だった主人公は配属先から帰郷する途中、夜の広島駅で無数の青い火を目にする。原爆に倒れた何万人もの遺体の燐が燃えているのだった。
 帰宅した主人公は、妹が自分に会うため8月6日に広島を通過したらしいことを知る。広島へ戻って探すが行方は分からない。商家には、新妻を残して出征したいとこの遺品も届いていた−。
 当時、多くの家庭で、こうした出来事があったに違いない。
 早坂さんは、昭和を研究する将来の人々のために、「間違いない昭和の息づかい、まぎれもない昭和のたたずまいを書いておきたい」と執筆の理由を記している。
 戦争のない「戦後」が長く続いているのは、戦争体験の継承が曲がりなりにも機能してきたからに違いない。その記憶が薄らげば、戦後は再び「戦前」の危うさを帯びかねない。


終戦の日 苦難の記憶と向き合う
 第2次世界大戦の数々の事実。その一端を知るために、「援護の記録(岩手県戦後処理史)」=1972年・県発行=を開いてみた。
 座談会は、多数の犠牲を出したことへの怒りがにじんでいる。
 例えば、本県出身者が多く戦死したニューギニアのある部隊について。「師団で生き残ったんはわずか百数拾名、戦死した人が3千数百名ですよ。マラリヤだの栄養失調だので死んだわけです」。別の部隊も「ジャングルの中を徒歩で歩きながら皆んな死んでしまった」。
 そんな悲惨な状況は同地に限らない。兵士たちは戦闘行為そのものだけでなく、食料に事欠き、病に冒され、苦悶(くもん)の中で息絶えた。
 ある事実を統計が克明に映し出す。太平洋戦争開戦の41年12月8日以降の「死没者数」(敗戦後も含む)は約3万700人。そのうち9割近くを44年1月以降が占める。
 歴史学者の吉田裕さんは著書「アジア・太平洋戦争」の中で「戦争終結の決断が遅れたことで、どれだけ多くの生命が失われたかを、この数字は示している」と指摘している。
 敗戦の色が濃くなる中、無謀と言える作戦で戦場に送り込まれた兵士たち。統計数字の背後にある一人一人の絶望。そんな状況を上層部はどう思っていたのか。
 終結の決断が遅れる中、国土は空襲などに見舞われた。本県も、釜石の艦砲射撃をはじめとして戦禍に遭い、多くの犠牲者を生んだ。
 戦後74年。戦争の生々しい記憶を持つ人は少なくなっている。記憶を継承していくために、体験談や記録と向き合い続けなければなるまい。苦悩や恐怖に対する想像力を働かせつつ。
 そして、今起きている内戦や紛争、国家間の緊張を直視し、平和な解決を願うことも求められよう。
 戦場では日常が一瞬にして奪われる。多くの命が犠牲になり、生活の場を失った人々には難民キャンプでの飢餓や病の不安が待ち受ける。
 無人機を遠隔操縦し、テレビゲームのような感覚での攻撃が使われるようになった。さらに人工知能(AI)を搭載し、人間の意思を介さずに敵を殺傷できる兵器の開発も進められている。
 悲惨な現場に直面しないことは、戦闘への心理的な垣根を低くする。しかし、兵器の向こうには恐怖におののき、絶望の淵に落とされる相手の部隊や市民がいる。
 戦争をなくすために。悲惨な経験を経て平和憲法を持つ日本が、世界に発信できることは多いはずだ。令和という新たな時代で迎える終戦の日に、その思いを強くする。


終戦から74年 平和国家日本再確認を
 きょうは元号が令和となってから初の「終戦の日」だ。二度と戦争を起こしてはならないとする非戦の誓いを次の世代に確実に引き継いでいく。その思いを確かめ合う日としたい。
 忌まわしい戦争を知る世代は年々減っていく。それは避けられないことだ。だからこそ戦争を体験した人やその家族の声に、いま一度真剣に耳を傾ける必要がある。戦争の惨禍がどれだけ大きかったか。悲しみはいかばかりか。一瞬にして街を破壊し、多数の人命を奪う原爆や空襲の恐ろしさ、すさまじさを、平和への願いを込めて語り継いでいかなければならない。
 平成時代、日本は多くの災害に見舞われたが、戦争はしなかった。そのことを上皇さまが天皇退位の前に強調していたことが思い起こされる。日本は戦後築いた平和主義国家としての歩みを止めてはならない。戦争への反省を決して忘れず、胸に刻み続けることが何より大切である。
 懸念されるのは、安倍政権が平和主義の象徴である9条を含む憲法改正に血道を上げていることだ。自民党結成以来の党是だとして実現を訴えているが、国民世論の後押しはいまだ乏しい。9条改憲にこだわり続けることは平和主義に逆行する動きと周辺国にとらえられ、警戒感が広がりかねないことを、肝に銘じる必要がある。
 以前は自民党内でも、戦争を経験した議員が9条改憲には慎重な考えを示し、その動きに歯止めをかけてきた。だがそうした重鎮が少なくなり、まるで重しがなくなったかのように改憲を口にする議員が目立つようになった。危うさを感じずにはいられない。
 先の参院選で自民党と公明党による与党は、改選過半数を獲得して安定した政権基盤を維持した。一方、日本維新の会などを加えた改憲勢力は、国会発議に必要な「3分の2」に届かなかった。ところが安倍晋三首相は「少なくとも議論は行うべきだという国民の審判が下った」と解釈し、これまでにも増して改憲に前のめりな姿勢を見せている。
 本来は国民から改憲を求める声が湧き上がり、それを受けて国会が議論を始めるのが筋だろう。時の権力者が自ら改憲を呼び掛け、国民の間で機運が高まらないにもかかわらず、先頭に立ってけん引することには首をかしげてしまう。
 安倍首相は改憲勢力以外の党にも改憲に前向きな議員がいるとして、3分の2確保を目指して秋波を送っているが、改憲は数合わせで強引に進めるような性格のものではない。慎重な姿勢が求められる。
 安倍政権下では、財政が厳しい中で防衛費が増え続けており、その点でも方向性に疑問を抱かざるを得ない。令和初の終戦の日を機に、平和主義国家としての日本の立ち位置を再確認すべきだ。


終戦の日に 情動の正体を見極める
 「二度と戦争を起こしてはならない」「あの時代も悪いことばかりではなかった」―。
 戦争をテーマにした映画やドラマ、小説に寄せられる感想をネット上で目にする。
 「国のため、愛する者のため」に散った兵士の姿、くじけずに生きる銃後の人々のけなげさ…。断片的な物語からくみ取る「美」に共感し、涙する。
 戦争を知らない世代が表出する情動。問われるのは、心を揺さぶるものの正体を自身で見極めること、ではないだろうか。
<安吾の見た大空襲>
 1945年春。焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ東京にいた作家の坂口安吾は、荒廃した街の光景を「堕落論」にこうつづっている。
 <私は戦(おのの)きながら、然(しか)し、惚(ほ)れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。私は考える必要がなかった。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ>
 <戦争中の日本は嘘(うそ)のような理想郷で、ただ虚(むな)しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない>
 文芸評論家の山城むつみ氏は「戦争について」で、安吾の文意を次のように読み解いている。
 <安吾は、うっとりみとれながらも、その美しさ、その理想郷に空虚や虚偽を見出すことを忘れていない>。安吾は「人間」と「考える」を手放さなかった。だから<戦争の美の力をその魅惑の中心において突き放しえた>。
 この批評の意味を、ずっと考え続けてきた。
 東京圏で活動する市民団体「history for peace(ヒストリー・フォー・ピース)」代表の福島宏希さん(37)と、メンバーの桐山愛音さん(19)に話を聞いた。
<抜け落ちた事実は>
 2年前に発足したばかりの団体で、福島さんを除く5人のメンバーは10代、20代だ。少数ながら戦争体験者から話を聞き、戦跡を巡る継承活動に力を入れる。空襲に遭った民間人への補償問題の勉強会も開いてきた。
 侵略戦争を肯定するような主張に福島さんは違和感を抱き、自分で戦史をたどり、ウェブサイトで発信していた。続けるうちに、実際に体験者に会い視野を広げたいと思うようになったという。
 「世の中に出回る情報は事実がそぎ落とされている。体験者から重い現実を聞くごとに、自分の中の戦争像がはっきりするようになった」と福島さんは話す。
 時々見る戦争映画には「日本の被害を描いた作品が多い。映像にはない面、日本は他国に何をしたのか。社会全体に掘り下げる動きがない」とも。
 いま世界を覆いつつある風潮にも通じる大切な指摘だ。
 トランプ米大統領がイスラム教徒や黒人、中南米の移民に向ける差別的言動を、市民の喝采が許している。格差をもたらす構造的な問題は脇に置き、威勢のいい為政者のかけ声に共鳴し、白人中心だった過ぎた時代に「理想のアメリカ」を見ようとする。
 欧州も同じだ。経済不況、財政難、移民流入、テロの原因には目が向かない。排他的な民族主義をとなえる政党に、多くの有権者が引き寄せられている。
 日本では、収まる兆しのない韓国との対立を少なからぬ国民が支持している。
 日韓請求権協定で「徴用工問題は解決済みだろう。協議に応じなかったのも韓国ではないか」。政府の主張をなぞるような「嫌韓」感情が先に立つ。国と国との協定に置き去りにされた、かつて強制労働に従事した人々の痛みに想像力が働かない。
<考えて自らつかむ>
 桐山さんは高校2年の時に広島の平和記念公園を訪ね、原爆ドームで若いガイドの話を聞いた。「過去、現在、未来…。当たり前のつながりを初めて実感した。強烈な感情が刻まれて、歴史を学ぼうと思った」と言う。
 「history」に入ると、戦争孤児となった人を取材して記録をまとめた。今月開いた戦争体験者7人の話を聞く会では、運営の中心役を担っている。
 刻まれた強烈な感情とは何かを尋ねると、桐山さんは「うまく言葉にできない」と答えた。体験者と話をする前と後で、戦争との距離感が変わったのを桐山さんは感じている。史実を調べ、考え続けることで「刻まれた感情」は輪郭を帯びてくるのだろう。
 「団体の活動をこれからにどう生かせるのか、難しい問題で悩んでいる。12月にワークショップを開いて『考える体操』をしてみます」と福島さん。戦中に傷ついた人たちが戦後どうなったかも追跡するつもりでいる。
 受け身では事の本質を捉えきれない。迷いながらも知ろうとする個々の行動を重ねることで、情動にとらわれない戦争の真相も語り継げるのかもしれない。
 安吾が自問した「人間」と「考える」。その実践を、若い世代の取り組みに見る思いがした。


終戦の日 歴史と向き合い平和守る
 昭和、平成の時代を経て、令和初めての「終戦の日」を迎えた。改めて犠牲者の冥福を祈るとともに非戦の誓いを新たにしたい。
 先の大戦で日本人戦没者は約310万人に上る。アジアや欧米諸国にも多くの犠牲をもたらした。
 日本は敗戦の痛烈な反省から、平和国家として出発した。それから74年がたった。
◆記憶を風化させない
 いまや国民の8割以上が戦後生まれだ。自らの戦争体験を語る人は減り続けている。
 過ちを繰り返さないためにも戦争の記憶を風化させてはならない。記録や証言を残し、伝承者を育て、繰り返し繰り返し、過去と向き合っていく必要がある。
 県内にも平和を守るために歴史を見つめ続けている市民団体がある。上越市の上越日豪協会はその一つだ。
 上越市直江津には先の大戦で捕虜となった兵士の収容所があった。オーストラリア人捕虜約300人が暮らしたが、過酷な労働や劣悪な環境下で60人が死亡した。そこで働いていた日本人職員8人は戦後、戦犯として処刑された。
 上越日豪協会は1996年、収容所跡地の平和記念公園に平和友好像を建てた市民グループが母体となって発足した。毎年8月に公園で平和の集いを主催し、ことしも10日に開催した。
 元捕虜や遺族らとの交流や、子どもたちに平和の大切さを語り継ぐ活動も行っている。
 会は2年前、設立20周年の記念誌を作成した。オーストラリア人作家が捕虜を取材し、上越市で講演した内容が掲載されている。
 講演の中で、捕虜が当時書いていた日記が紹介されている。「収容所では下痢がまん延しており、非常に重症な患者もいる。ある者はひどく殴られた。おそらく今までで一番ひどい殴られ方だ」などと生々しい描写が続く。
◆複眼的視点を持とう
 前会長の近藤芳一さんによると、相手側の視点に立った話は、日本人遺族らへの配慮もあり、会員の中には記念誌に掲載することに異論もあったという。
 近藤さんは「日本、オーストラリアそれぞれの視点を共有、統合した上で歴史を語ることが大切です。内向きな姿勢ではなく、互いの立場を理解することから、信頼関係が生まれてくる」と話す。
 「自国第一」を掲げる大国のリーダーに象徴されるように、相手の言い分や立場を軽んじる排外的な考え方が日本を含め各国で広がっているように見える。
 そうした中で、上越日豪協会の取り組みは、歴史を複眼的に見る大切さを教えてくれる。つらい過去を見つめ、反省すべき点を伝えていくことを忘れてはならない。
 現会長の石塚洋子さんは「当時、捕虜は冷たい目で日本人に見られていたが、戦後、実際に一人一人に会って話をすると、分かり合えた」と強調する。
 新潟大に留学している中国人の大学院生、余璐(よろ)さんは5〜7日、新潟市が主催する広島平和記念式典派遣事業に参加した。
 平和記念資料館では原爆の熱風で皮膚が焼けて垂れ下がった人の写真を見た。「水をください」と必死に助けを求めたという被爆体験者の話も聞いた。
 「中国の教科書では、広島、長崎について詳しい説明はなく、被害の大きさは分かりませんでした。広島に行って原爆の残酷さを実感しました」と振り返る。
◆若い世代に語り継ぐ
 余さんは、かつて日本軍が空爆し、大きな被害を与えた重慶市出身だ。「私は空襲があったことを知っているくらい」と打ち明けつつ、「戦争に勝利者はいない。苦しむのは普通の人間だということが分かりました」と話した。
 帰国後は広島で学んだことを伝えていきたいという。平和への懸け橋となってほしい。
 世界を見れば、核開発を巡ってイランと米国の対立が深まっている。北朝鮮は短距離弾道ミサイルとみられる飛翔(ひしょう)体の発射を繰り返している。
 安倍晋三首相は、平和憲法の根幹である9条に自衛隊を明記したいと訴える。
 作家の半藤一利さんは近著「語り継ぐこの国のかたち」の中で若い人たちを念頭に、過ちの歴史を繰り返さないために必要なことは何かを説く。
 「いまの日本のように、基本的枠組みの安定性が揺らいでいる、という感覚に人々が捉えられているとき、何が一番頼りになるのか。歴史が最も信頼できる友として現れてくるのです」
 無謀な戦争へと突き進んで行った過去をたどることは、いま日本が平和の歩みから外れていないかを確かめる物差しになる。
 歴史を学ぶ大切さを一人一人がしっかり受け止め、平和の誓いを次世代につなげねばならない。


終戦記念日 令和に惨禍どう語り継ぐ
 きょうは74回目の終戦記念日である。戦禍の犠牲となった人たちを追悼する催しが全国各地で行われ、鎮魂の祈りがささげられる。
 今年5月に改元が行われ、令和の時代となって初めて迎える終戦の日でもある。平成の30年は、日本人が戦争を経験することなく過ごせた時代だった。昭和の時代に国民に刻まれた戦争の記憶が徐々に風化していく歳月ではあったが、それでも惨禍を体験した世代が多くおり、自らの言葉で平和の大切さを語ることができた時代だった。
 終戦と共に多くの国民が胸に刻んだ不戦の誓いを薄れさせることなく、いかに継承していくか。これからの時代を生きる人たちに課せられた極めて重い課題といえよう。
 岡山空襲から74年を迎えた今年6月29日、岡山市で行われた市戦没者追悼式には、青少年の代表が参列し、大学生が戦争体験者の思いを受け継いでいく決意を述べた。若い世代に戦争の記憶を継承してもらうために、今年初めて公募したものだ。
 政府主催の全国戦没者追悼式でも、終戦70年となる2015年から、戦没者のひ孫世代である18歳未満の男女が青少年代表として献花する方式を採り入れている。戦争体験者や遺族の高齢化が進む中、記憶を受け継ぐための地道な取り組みが求められる。
 だが、そうした平和への願いとは裏腹に、日本を取り巻く情勢は不透明なままだ。
 北朝鮮は7月以降、短距離弾道ミサイルとみられる飛翔(ひしょう)体の発射を繰り返している。米韓合同軍事演習に反発した動きとみられるが、トランプ米大統領が短距離ミサイルの発射は問題視しない姿勢を見せているのに乗じて、兵器の近代化を急ピッチで進めているとの見方がある。
 冷戦時代から激しく敵対してきた米国と北朝鮮は昨年6月、トランプ大統領と金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長による初の首脳会談に踏み出した。だが、朝鮮半島の非核化に向けた動きはその後、足踏みを続け、期待感はしぼみつつある。
 今月2日には、地上配備の中・短距離ミサイル全廃を定めた米国とロシア間の中距離核戦力(INF)廃棄条約が失効した。トランプ政権がロシアの条約違反を理由に破棄を打ち出したものだが、背景には、条約の枠外にいて核戦力を着々と整備してきた中国の動きもある。
 INF廃棄条約が発効したのは平成時代が始まる前年、1988年のことだ。冷戦の終結を後押しし、30年にわたって核軍縮の枠組みの一端を担ってきた条約があえなく失われる現状には無力感を覚えざるを得ない。
 戦後生まれが人口の8割を超え、多くの人にとって既に戦争は現実感を伴わない歴史の一部となっていることは事実だろう。終戦の日を、戦後の日本と世界の歩みにあらためて目を向け、平和の大切さを胸に刻む契機としたい。


終戦の日/平和で寛容な世界に
 令和に入り、初めての「終戦の日」を迎えた。昭和の戦争が終わってから、平成を経て74年。時代は変わっても、変わったからこそ、戦争の悲惨さをあらためて学び、平和の価値をかみしめたい。二度と繰り返すまいと誓い、惨禍の記録と記憶を後世へ紡いでいくことが、令和を生きる私たちの使命だ。
 「自国第一主義」がまかり通り、勇ましい掛け声の下で世界のあちこちに分断を生み、国際秩序は崩れつつある。台頭する中国は軍事力を増強し、米国が仕掛けた貿易戦争は、両大国の覇権争いの様相を呈す。核合意からの一方的な離脱を発端に、イラン情勢は緊迫化する。
 核軍縮の支柱だった米国とロシアの中距離核戦力(INF)廃棄条約は失効。ロシアはミサイルの開発・配備を、米国は「使える核」として小型核の開発を進める。歴史的な米朝首脳会談で合意したはずの朝鮮半島の非核化も進展はなく、北朝鮮は短距離弾道ミサイル実験を繰り返す。隣国である日本と韓国の関係は最悪の事態に陥った。
 世界が不安定化している中で、唯一の被爆国でもある日本は、その立ち位置、果たすべき役割が問われている。
 1年後、東京五輪・パラリンピックの舞台として、大歓声に沸くであろう新国立競技場は、76年前、先の大戦のさなかに2万5千人とされる学生たちを戦地に送り出した出陣学徒壮行会が開かれた場所でもある。そこで学徒代表の江橋慎四郎さんは「生等(せいら)(われわれ)もとより生還を期せず」と表明したのだった。
 女子学生の一人としてスタンドにいた作家の故杉本苑子さんは、1964年の東京五輪開会式を旧国立競技場で見つめた。「あすへの祈念」と題した五輪の寄稿にこう記している。「音楽は、あの日もあった。軍楽隊の吹奏で『君が代』が奏せられ、『海ゆかば』『国の鎮め』のメロディーが、外苑の森を煙らして流れた。しかし、色彩はまったく無かった」
 来年の東京五輪に向け「もう一度、平和の重さを感じてほしい。平和を守るには国、民族、政治家が自分を抑える忍耐が必要だ」と語っていた江橋さんは昨年、97歳で亡くなった。
 戦後生まれが83%を占め、4人に1人が平成生まれという現在の日本。戦争を体験した人たちは少なくなり、戦争は昔の出来事と捉えがちだ。しかし、被爆や空襲でたくさんの命が絶たれた事実、スポーツの祭典の主会場が死を覚悟した若者の行進の場であった過去に思いを致したい。歴史を知る、戦争の記録や記憶を大切に継承していくことから平和への営みが始まるのだ。
 6日の広島の平和記念式典で、子ども代表が読み上げた「平和への誓い」は、世界が忘れかけているこころを表した。「『ありがとう』や『ごめんね』の言葉で認め合い許し合うこと、寄り添い、助け合うこと、相手を知り、違いを理解しようと努力すること」
 揺らぐ国際情勢に直面するいま、立ち止まって考えるときではないか。歴史に学び、教訓を生かす、相手の意見にも耳を傾け、立場を尊重する、多様性を認め、協調する。そんな平和で寛容な世界を築いていく決意を新たにする一日である。


【終戦の日】戦争への道歩まぬよう
 山田洋次監督の映画「小さいおうち」は、1935年以降の東京の戦中の暮らしを丹念に描く。
 治安維持法ができて10年たった時期だ。満州事変の後で既に国際連盟を日本は脱退している。
 庶民は戦争の気配を感じていたはずだが、暗い雰囲気は街中にそれほどない。郊外に次々と家が建ち、店は大売り出しを行う。暮らし向きがいい家にはお手伝いさんもいた。
 37年に盧溝橋事件が起きて日中戦争が始まると、戦争の空気が色濃くなる。全ての政党が解散して大政翼賛会をつくり、議会は戦時体制の追認機関に。新聞など報道機関も誤った情報を流し…。
 太平洋戦争の敗戦から74年。
 戦死した軍人らは約240万人。各地の空襲や広島、長崎の原爆、沖縄戦で亡くなった市民らを加えると約310万人が命を失った。戦没者を慰霊するとともに、平和の誓いを新たにする日としたい。
 歳月を重ねるごとに戦争を知る戦前戦中の世代は少なくなっている。同じ道を歩まないためにも、戦争へ至った歴史を若い世代に詳しく伝え続けなければならない。
 同時に、今の日本の状況の検証も欠かせないが、もと来た道を進んでいる危うさを感じざるを得ない。
 安倍政権は2013年に特定秘密保護法を制定し、14年に武器輸出三原則を緩和した。15年には安全保障法制も成立させている。国民の十分な納得はいずれも得られていない。
 安保法制により自衛隊の米軍支援エリアは「地球規模」に広がった。米国への攻撃に武力で共に対処できるようになったほか、他国軍への「駆け付け警護」も可能となった。
 戦争放棄など、憲法9条は戦争への反省を基に打ち出された。それを空文化する怖さ、憤りを感じる。
 安倍首相は、参院選で「議論すべきだという国民の審判が下った」とし、自衛隊を9条に明記するような改憲を急ぐ考えを繰り返し示している。しかし、選挙後の世論調査では安倍首相の下での改憲に「反対」とした国民が半数以上を占めた。国民の思いとずれがある。
 安保法制の成立時は、財政難の米国が軍事的貢献や役割分担をさらに求めてくるとの懸念があった。それが現実になった。
 高額防衛装備品の調達をトランプ米大統領から半ば押し付けられているのではないか。ステルス戦闘機や地上配備型迎撃システムの費用などで防衛費は膨らみ続けている。
 中東・ホルムズ海峡を巡る有志連合への参加も米側は求めている。日本はイランとの関係もある。安易な結論は禍根を残す。
 米朝首脳会談が3回開かれたが、朝鮮半島非核化への道筋は見えていない。東アジア地域の緊張緩和のためには、軍備増強路線より外交や対話に重点を置くべきだ。
 戦中、弾圧を受けた渡辺白泉の句〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉。しばしば引用されるが、決して過去の警句ではない。


終戦の日 「戦争できる国」に戻さぬ決意を
 令和の下で初となる終戦の日を迎えた。戦後74年を経て、今日の平和が多くの犠牲の上に築かれていることを改めて胸に刻みたい。戦禍の記憶と教訓を継承し、次代へつなぐことは今を生きる世代のつとめだ。
 中でも平和の礎である憲法を守り、引き継ぐ意味は重い。9条で戦争の放棄を宣言し、国内外に誓った平和主義は、わが国の国是である。
 だが、その不戦の誓いは大きな岐路にある。国民の理解が進まぬまま政府は改憲への動きを加速させている。歴史の過ちを省みれば、危険な安全保障政策につながりかねない改憲を推し進めることは許されない。「戦争できる国」へ戻さぬよう、一人一人が歯止めをかけなければならない。
 7月の参院選で、自民党は憲法への自衛隊明記を公約に盛り込み、国会での憲法論議の是非を争点化した。安倍晋三首相は改憲勢力が国会発議に必要な3分の2以上の議席を割り込みながらも、与党が改選過半数を確保したことから「改憲議論を行うべきだというのが国民の審判だ」と強調している。
 9条改憲で自衛隊の違憲論争に終止符を打つのを悲願とする首相は、これまでも米軍と自衛隊の一体化を進め、平和憲法の理念を骨抜きにする政策を強行してきた。歴代政権が禁じてきた集団的自衛権行使容認を閣議決定。安保法を成立させ、国連平和維持活動(PKO)で武器使用を認める「駆け付け警護」や米軍艦艇、航空機などに対する「武器等防護」の任務も可能にした。
 この上、憲法に自衛隊を明記すれば、米国から同盟関係を理由に他国での軍事行動を際限なく求められかねない。自衛隊が海外で容易に参戦できる道を開いてはならない。
 自衛隊の打撃力強化も看過できない状況だ。9条の下では、相手国に破壊的な打撃を与える「攻撃型空母」の保有は認められないと解されてきたが、昨年12月に策定した防衛計画の大綱などで海上自衛隊の護衛艦を改修し、事実上、空母化する方針が明記された。戦後の安全保障の基本原則としてきた専守防衛は形骸化の危機にある。
 さらには敵基地攻撃能力の保有につながる長距離巡航ミサイルの導入方針や、最新鋭ステルス戦闘機を大量購入する計画決定も行き過ぎた攻撃力となる懸念が拭えない。政府は中国や北朝鮮を念頭に、安全保障環境の厳しさと不確実性を理由に挙げるが、こうした動きは周辺国からも日本が掲げる平和主義に強く疑念を抱かせるものだ。
 先の大戦はアジアの国々に多大な犠牲を強いた。その事実を決して忘れてはならない。過去の過ちと向き合うためにも、日本に求められるのは武力を背景にすることなく、世界の紛争解決を主導できる外交力を磨くことだ。この国が歩んでいる道は本当に正しいのか、問い続けることが必要である。


[終戦記念日] 戦没者との対話に学ぶ
 デイゴの花が咲き 風を呼び嵐が来た−。ロックバンド「THE BOOM」のヒット曲「島唄」である。作詞した宮沢和史さんがエッセイ集「言の葉摘み」で歌の背景を書いている。
 宮沢さんは沖縄県の「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れ、地上戦の悲惨さに衝撃を受けた。1945年春、米軍が嵐のように上陸、負傷兵らを世話したひめゆり学徒隊は半数以上が犠牲になった。「ガマ」と呼ばれる地下壕(ごう)で自決しあった2人の絶望を描いたという。
 「戦没者の無念な思いを海の向こうの人々にも届け、未来が永遠に夕凪(ゆうなぎ)のようであるようにと祈るために、僕はあの歌を書いた」
 30年近く前に発売されて以来世界各国で歌われる。ナチス・ドイツ軍に侵攻された歴史のあるポーランドでもコンサートを開き、1000人以上の観客による大合唱が沸き起こったという。歌の力を思わずにいられない。
 終戦から74年がたつ。戦争体験者が年々少なくなる中、こうした歌のように、旧日本軍の装備品や戦火の犠牲となった人々の写真、手紙などが伝承の役割を担うことになる。戦没者一人一人の人生と向き合い、平和や命の尊さをかみしめたい。
■遺品は問い掛ける
 南さつま市の万世特攻平和祈念館で「特攻隊員たちの遺品展」が開かれている。その中に、19歳で戦死した隊員が朝鮮半島から東京に住む国民学校3年の弟に送った手紙がある。
 「姉さん、兄さんの便りでは、とても成績が良いそうでお目出度(めでとう)。ごほうびに兄さんが作った飛行機を上(あげ)ませう」
 模型飛行機は無事に届いたのだろうか。戦地にあっても家族の身の上を思い、幸せを願いながら命を落とした特攻隊員の末路はあまりにむごい。
 こうした資料館は全国にあるが、入館者は減少傾向にあるようだ。
 南九州市の知覧特攻平和会館は2002年度の約74万人をピークに、18年度は約40万人にまで減っている。
 開館30年を迎えた、ひめゆり平和祈念資料館もピーク時の1999年度は約100万人を記録したものの、2018年度は約53万人にとどまった。そのため、来年夏に展示の一部を刷新し子ども向けに絵や映像を多用するほか、生存者の思いや生き方に注目した展示を新設する。
 資料館は戦争の残酷さとともに、戦没者の生きた証しを伝えてきた。記憶の風化を食い止める施設に、再び多くの人が足を運ぶような仕掛けづくりが今後必要になる。
 広島市の原爆資料館は今年4月、四半世紀ぶりに大規模改修し再オープンした。約8年半にわたって議論を重ね、実物の展示を重視した。ぼろぼろになった三輪車や水筒、弁当箱、制服などからは、被爆者の壮絶な最期がうかがえる。
 放射線によって頭髪が抜けた9歳の姉と7歳の弟が並んだ写真もある。日本語と英語の説明文には爆心地から約1キロの家屋内で被爆したとある。2人はいったん回復したものの弟は4年後、姉は20年後に亡くなった。
 広島原爆の犠牲者は約14万人とされるが、被爆者一人一人の人生や遺品に触れれば、奪われた命の重さがより切実に伝わる。同時に、死者と対話することで、二度と過ちを繰り返さないために自分たちは何ができるのか、何をしなければならないのかといった問いを突き付けられる。
■新たな「語り部」に
 資料の保存も課題である。特に紙の手紙や遺書は劣化しやすい。長年の展示で傷んでいる資料もあるだろう。
 南九州市、南さつま市、福岡県筑前町は今年4月、資料の保存・研究などの分野で連携する協定を結んだ。いずれも旧陸軍の特攻隊に関する資料館を運営する自治体だ。
 戦争を追体験できる施設が史実の掘り起こしや資料の保存・活用で連携できれば、新たな「語り部」として後世まで有効に活用されるに違いない。
 来年は東京五輪・パラリンピック、鹿児島国体・全国障害者スポーツ大会が開かれる。外国人を含め、多くの旅行者が鹿児島を訪れることが予想される。
 鹿児島に集中した特攻基地の歴史をはじめ、県内の戦跡を見てもらい、平和の尊さを発信する機会でもある。そのための受け入れ準備を急ぎたい。
 世界は自国ファーストの暗雲が垂れ込め、寛容さが失われつつあるように思う。世界の秩序を保つには、他国や他者を理解し尊重し合わなければならない。それは命の尊さを学ぶことにほかならないのではないか。
 令和になって初めての終戦記念日である。二度と帰らなかった特攻隊員ら多くの戦没者は、どんな日本の将来像を描きながら苦難を耐え、生きてきたのか。その願いに思いをはせる一日にしたい。


終戦記記念日にあらためて言いたい!「慰安婦はデマ」こそデマだ! 日本軍関与、強制連行…歴史修正主義者たちはこの証拠を見よ
 74年目の終戦記念日を迎えた今日、やはり、取り上げておくべきは日本軍「慰安婦」問題だろう。第二次安倍政権の誕生とともに、右派政治家やネット右翼による歴史修正主義は一気に勢いづき、「反日バッシング」の大号令のもとで大日本帝国賛美への傾きを増している。その象徴が、戦中の日本軍による「慰安婦」問題だからだ。
「平和の少女像」が展示された「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」は、脅迫や政治家の圧力によって中止に追い込まれたが、ネトウヨだけでなく、いまや政治家たちもが剥き出しの歴史修正発言を平然と繰り出しており、かたや、それを批判・検証する動きは鈍い。
「慰安婦問題は完全なデマなんだから。軍が関与した強制連行はなかったわけだから。それは一報を報じた朝日新聞自体が誤報と謝罪しているわけだから」「事実ではないデマの象徴の慰安婦像は行政が主催する展示会で展示するべきものではない」(松井一郎・大阪市長)
「名古屋市と愛知県は認めたのかと、国の補助金も入っているような(芸術祭で)国も韓国の主張を認めたのかと。やっぱり従軍慰安婦ってあったのかと、そういうふうに見られるじゃないかと」(河村たかし・名古屋市長)
 言っておくが、「慰安婦はデマ」「慰安婦はなかった」という発言こそ、はっきりとしたデマだ。そもそも、2014年に朝日新聞が訂正・謝罪したのは「慰安婦狩り」を創作した吉田清治証言にかんするもののみ。戦中の日本軍がアジア各地に慰安所をつくり、女性たちを「慰安婦」にして、兵士の性暴力の相手にしたのは事実である。
 まず、軍が慰安所づくりに主体的に携わったことを示す公的文書や元日本軍人の証言はいくらでもある。先日の記事(https://lite-ra.com/2019/08/post-4885.html)でも触れたが、たとえば、海軍出身の中曽根康弘・元首相は回想のなかで、インドネシアで「苦心して、慰安所をつくってやった」ことを自慢話として書いている。陸軍出身の鹿内信隆・元産経新聞社長はある対談で、「調弁する女の耐久度とか消耗度」などを含む慰安所の設置方法を経理学校で教わったと語っている。これらの証言は防衛省などが保持する当時の軍の史料でも裏付けされており、つまり、慰安所と「慰安婦」が軍主導であった事実を示している。
 アジアへの侵略戦争のなか、日本軍は戦地または占領地に軍直営や軍専用の慰安所をつくり、あるいは民間の売春宿を指定するかたちで慰安所にした。たとえば、防衛省の防衛研究所が所蔵する史料「常州駐屯間内務規定」(1938年3月16日、独立攻城重砲兵第二大隊が作成)では、中国現地の〈慰安所使用規定〉として部隊ごとに使用する曜日が決められていたほか、〈使用時間ハ一人一時間ヲ限度トス〉とあり〈支那人 一円○○銭〉〈半島人 一円五十銭〉〈内地人 二円○○銭〉とされている。軍が慰安所をつくり、朝鮮や現地の女性を「慰安婦」にしていたのは客観的にも議論の余地がないのだ。
 そこで、歴史修正主義者たちは「軍が関与した強制連行を示す証拠はない」などと言って「慰安婦問題はデマだ」と嘯くわけだが、しかし、これも問題を矮小化する典型的手口としか言いようがない。
 だいたい、歴史修正主義者たちは「軍がトラックで村に乗り込んできて、娘たちを連れ去って慰安婦にした」というようなケースだけを「強制連行」とするが、「強制」とはそもそも「本人の意思に反して無理矢理行わせること」だ。
 朝鮮人元慰安婦の証言で多いのは、「工場で働かせる」「稼げる仕事がある」などと甘言を弄して「慰安婦」にすることを隠し、騙して慰安所へ連行するケースだ。軍が直接的に連行せず業者を使っていても、元締めの業者は軍が選定し、慰安所では軍人の相手を強制されたのだから、当然、軍の責任は免れない。
「いい仕事がある」と騙され貨車に詰め込まれ日本憲兵から「逃げようとしたら殺すぞ」と
 たとえば、朝鮮人元「慰安婦」の朴永心さんは1939年、17歳のとき、騙されて南京の慰安所へ連れていかれた。当時務めていた洋品店に、腰にサーベルをつけた日本人の巡査がやってきて、「お金が稼げるいい仕事がある」と誘われ、どういった仕事かはわからなかったが親孝行になると思い、ついていったという。
〈巡査は、私たちを憲兵に引き渡すとそそくさと姿を消してしまいました。私たちは屋根のついた貨車(有蓋貨車)に詰め込まれました。真夏だというのに貨車には窓がなく、風が通らないので中は蒸し風呂のような暑さでした。ブラウスが汗で肌にべったり張りついていたのを覚えています。
 一緒に乗り込んできた憲兵は「逃げようとしたら殺すぞ」と私たちを脅し、娘たちが互いに話すことも禁じました。トイレに行きたくても外に出してもらえず、我慢ができなくなると恥ずかしいなんて言ってられない。貨車の中で用を足さねばなりませんでした。本当につらかった。
 私たちは黙ったまま、暗い貨車の中で身を寄せ合って座っていました。「帰りたい」と泣き叫んでも殴られるだけで、どうすることもできなかったのです。「だまされた」と気がついたときにはすでに手遅れでした。〉【脚注1】
 明らかにそこには日本の官憲の「関与」があり、女性たちは「慰安婦」になることを「強制」されていたわけだが、さらに、東南アジアでは直接的に日本軍によって連行されたという証言も多い。
〈1943年のある夜、日本兵がやってきて、家々から若い女性を引きずり出しました。私は腕から乳飲み子をもぎとられ、むりやりトラックに押し込まれ、トンロックホテルで降ろされました。そこは陸軍専用の慰安所でした。〉(ロザリン・ソウさん/マレーシア・ペナン島生まれ)【脚注2】
〈日本軍の占領下、オランダ人は抑留所に入れられました。1944年2月、抑留所に日本軍の将校がきて、若い女性を広場に整列させ、「慰安婦」にする女性を選びました。私をふくむ16人の娘が「七海亭」に連行されました。私たちは恐怖で身を寄せあって祈りましたが、ひとり、またひとりと寝室に連れていかれました。私は日本刀をつきつけられて強かんされました。私はこの最初の夜を決して忘れません。翌日からは日本兵が列をつくってやってきました。2カ月後、慰安所は突然閉鎖され、私たちはボゴールの抑留所に移されました。日本兵は「慰安所のことを話したら、家族ともども殺す」と脅しました。私は沈黙するしかなく、周囲から「日本の売春婦」とよばれて、つらい思いをしました。〉(ジャン・ラフ=オハーンさん/オランダ領ジャワ島生まれ)【脚注2】
 安倍首相は第一次政権時に「言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかった」(2007年3月5日参院予算委員会)と答弁したが、これは真っ赤な嘘なのである。
日本軍によって両親を虐殺され、慰安婦にされたフィリピン女性
 目の前で日本軍によって肉親を虐殺され、「慰安婦」にさせられたケースさえある。フィリピン人元「慰安婦」のルフィーナ・フェルナンデスさんの証言だ。1942年に日本軍がフィリピンを占領したとき、フェルナンデスさんは14歳だった。場所を移しながら避難生活を送るなか、マニラ郊外の家に日本軍が入ってきた。
〈この家に戻るとすぐ私たちの家に日本軍が入り込んできました。彼らは私の父を当時強かった反日ゲリラの容疑者ということで、逮捕しようとしていました。父は前から山に行ったり、マニラに行ったりしていて、反日運動など何ひとつ行っていません。そのことを日本軍の兵士に言いました。しかし、兵士はいっこうに耳をかそうとせず、父を殴りつけました。そして、私は避難生活の間に一五才になっていましたけれど、私を見つけて日本軍の兵士が連れて行こうとしました。それをみた父が逆上して、私を連れ戻そうと日本軍の兵士に抵抗した時に、父は私の見ている前で日本軍の兵士になぐり殺されました。そして次は母の番でした。母も私をかばおうと日本兵の前に立ちはだかると、兵士が何度も何度も母のおなかを殴りつけ、母はそのまま死んでしまいました。兄弟は私の目の前で殴られ続けました。私は止めようとしましたが、私も頭をひどく殴られ意識を失った状態で車の中に連れて行かれました。遠ざかる意識の中で泣き叫ぶ兄弟の声が聞こえなくなりました。おそらく彼らも殺されたのだとその時思いました。
 私の家族はこうしてすべて殺されました。これは私にとって、とてもつらい信じられない出来事でした。そのことだけでも私は五〇年間日本人と日本軍に対する怒りで苦しみ続けてきました。〉【脚注3】
 そして、慰安所での女性たちの境遇は「凄惨」や「壮絶」という言葉ではとても言い表せないほどのものだった。数々の証言からは、虐待や暴行は日常茶飯事であり、まさに兵士たちが女性を「モノ」扱いしていたことが伺える。
日本兵から「皇軍のため」「一〇〇人でも二〇〇人でも入ってくるだけ奉仕をしろ」と
 たとえば、朝鮮人元「慰安婦」の李桂月さんはこう証言している。15歳になった年に、村の区長に「仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言われ向かった先で日本の軍人に引き渡され、ハルピン近くの慰安所に連れて行かれた。
〈日本軍は「慰安婦」たちが言うことを聞かないとひどく殴りました。ある日、私は部屋に入ってきた将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、将校は「皇軍の言うことが聞けないのか」とどなり、連続びんたを食らわせました。あまりの痛さに目がくらみ、あごががくがくしました。将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は完全に気を失ってしまいました。〉
〈また、ある日、「タナカ」が部屋に入って来たときに私が横になったまま起き上がらないので靴で触り、「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。たばこを押し付けられてやけどをしたところは水ぶくれになり、化膿してしまいました。〉
〈日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「一〇〇人でも二〇〇人でも入ってくるだけ奉仕をしろ」と命令しました。それで、日曜日にはご飯を食べる時間も、便所に行く時間もなく「奉仕」させられました。一日中数十人もの日本兵に犯されると、指を動かす力もなくなり、失神するほどでした。一緒に連行されて来たヨンジャとイ・プニは、日本兵の暴行で殺されました。ヨンジャは病気になって腹が膨れ上がりましたが、日本兵はにんしんしている女は不必要だと言って軍刀で彼女のお腹を切り裂きました。しかし、胎児はおらず、水みたいなものがあふれ出ただけでした。ヨンジャは腹水の病気だったと思います。〉【脚注1】
 彼女たちは騙されたり、暴力によって無理矢理に「慰安婦」にさせられただけではない。慰安所では、兵士の性暴力の相手を拒めず、居住も強制され、監視によって外出や逃亡もできなかったという証言がほとんどだ。また当時の日本は、女性や児童の売買を禁じる国際条約や、満21歳未満の女性を国外へ連れて行くことを禁じる国際条約に加入しており、これらにも違反していた。なにより、戦争遂行のために女性の自由を奪い、強制的に男性の性暴力に晒すのは、深刻な人権侵害にほかならない。
 冒頭に述べたように、敗戦から74年を迎えるこの国では、「慰安婦」の存在を否定するデマが勢いづいている。女性の人権を擁護し、被害と惨禍を繰り返すまいと決意することが「反日」などと呼ばれ、バッシングや脅迫の対象となってしまう社会。そうした歪んだ状況を正さない以上、同じことが繰り返されないという保証はない。そのことを決して忘れないでほしい。(編集部)
■引用元と主な参考文献
【1】アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編/西野瑠美子、金富子責任編集『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集1』明石書店
【2】アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編『フィールドワーク 日本軍「慰安婦」』平和文化
【3】アジア・フォーラム編『元『慰安婦』の証言──五〇年の沈黙をやぶって』皓星社
【他参考】日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編/吉見義明、西野瑠美子、林博史、金富子責任編集『Q&A「慰安婦」・強制・性奴隷』御茶の水書房


選手が時間変更を“警告”…東京五輪で馬がバタバタ倒れる日
 14日に終了した馬術の2020年東京五輪テスト大会で「猛暑で馬が心配」との声が上がった。競技が始まったのは午前8時半だが、10時の時点で気温が30度を超えた。昨年の世界選手権代表の戸本一真は「最初の1分で明らかに馬の反応がいつもと違った。(開始時刻を)早くしないと馬も人も危ない暑さだ」と警告を発した。
 馬術の馬は通常、ヨーロッパの涼しい場所で訓練を受けている。そのため昨年のジャカルタ・アジア大会2冠の大岩義明は「ヨーロッパとは湿気が全然違う。対策しないといけない」と話した。
 ただ日本馬術連盟はそれほど心配していない。
「最初の反応の違いは上り坂だったせいでしょう。時間の前倒しを求める声が上がったのは事実ですが、『これくらいの暑さなら大丈夫』という選手もいました。厩舎の中を冷房で快適な温度にするなど工夫をしています」(広報担当者)
 だが、日本の夏は高温多湿。一昨年6〜9月はJRA主催の競馬で41頭の馬が熱中症と診断された。東京五輪では男女のマラソンのスタートが午前6時に前倒しになっている。馬は人間と同じくらい汗っかきな生き物だけに、馬術も変更が必要だろう。
■人はダマせても馬はダマせない
「馬も暑さで倒れることがあるのです」とは競馬関係者だ。
「とくに牡馬はパドックで睾丸が腫れ、夏負けしているのが分かる。体力が落ちている可能性が高いのです。だから馬体にミストや水をかける装置を設けています。そもそも馬術の大会は真夏を避けて開催されることが多い。ヨーロッパから馬が来た場合、日本の高温多湿に慣れるのに1〜3週間かかるという見方もある。五輪で馬が次々と倒れるかもしれません」
 今回のテスト大会は国際馬術連盟のお歴々が視察し、獣医師のヨーラン・アケストロム氏は「暑さと湿度があっても安全に開催できる。今の8時半が最善と思う」と安全性に太鼓判を押したが、馬の意見を聞いたわけではない。国際機関の看板で人間はダマせても、馬はダマせない。炎天下の五輪で走らされる馬がかわいそうだ。


気鋭の学者・斎藤幸平氏が説く「資本主義の危機」の処方箋
 資本主義はもう続かない――。欧米では反貧困や反緊縮などの運動から、サンダース(米上院議員)やコービン(英労働党党首)らの政治家が人気を集めているが、さて日本では? 刊行されたばかりの編著「未来への大分岐」(集英社新書)で新しい社会への展望を探った新進気鋭の学者、斎藤幸平氏に話を聞いた。
  ◇  ◇  ◇
「資本主義の危機とは、労働者を低賃金で働かせて搾取しても経済成長がかなわず、社会に持続性のない状況のこと。危機を乗り越える方法として、大きな政府に戻ろうという考え方がありますが、単に『政治家が上から政策を変える(政治主義)』という今まで通りの手法では、アベノミクスでトリクルダウンが起きなかったのと同じで社会は変わりません。必要なのは、下からの社会運動。人々が当事者として権利を要求し、政治がそれをアシストする。その中で制度や法律が変わっていくという形が日本でも必要です」
 リーマン・ショック直後の年越し派遣村では、解雇された人々が声を上げて、非正規雇用が社会問題として可視化された。これを斎藤氏はひとつのモデルケースだったと言う。ただ、日本ではその後が続かない。一方で、例えば米国で起きているのは、1%VS99%の「ウォール街占拠運動」に代表される経済的な社会運動や「グリーン・ニューディール」のような気候変動対策を求める社会運動が、サンダースら政治家に影響を与えている。これが、下からの社会変革なのだ。
「日本版サンダースやコービンが登場すれば、社会が変わると思いがち。しかし、実際はそういった政治家を下支えする社会運動の若者がたくさんいて、彼らのラディカルな要求やアイデアをサンダースたちが汲み上げている。そうした下からの社会運動や当事者たちによる変革やその要求がなければ、エリートたちが自らに有利な政策を続けていくだけ。上と下のパワーバランスを変えなければダメなのです」
■山本太郎は新しいリーダー像を示した
 その意味では、山本太郎代表の「れいわ新選組」が参院選で“当事者”を擁立し、国会に送り込んだことは、新しい変化の兆しと言えるのか?
「山本太郎さんは参議院議員時代の6年間、社会運動の現場に足を運び続けてきた。だから、既存政党が見落としていた候補者を社会運動の中から探し出し、政治主義ではないリーダー像を分かりやすい形で示すことができた。ただ、当事者が政治家であることが絶対条件かといえば、そうではない。より重要なのは、政治家が社会運動と常に連携し続けること。人々の苦しみのある社会の現場からこそ、政治を変える新しいアイデアが生まれてくる。資本主義が行き詰まって、1%のエリートと99%の人々の分断が不可逆になるかどうかの大分岐の時代だからこそ、社会運動からの変化が大事なのです」
▽さいとう・こうへい 1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。博士(哲学)。専門は経済思想。マルクス研究界最高峰の賞であるドイッチャー記念賞(2018年)を日本人初、史上最年少で受賞。


「レンタルなんもしない人」、依頼者が絶えない秘密はどこにあるのか
レンタルなんもしない人の“なんもしない”サービスとは?
「『レンタルなんもしない人』というサービスを始めます。1人で入りにくい店、ゲームの人数合わせ、花見の場所とりなど、ただ1人分の人間の存在だけが必要なシーンでご利用ください。国分寺駅からの交通費と飲食代だけ(かかれば)もらいます。ごく簡単なうけこたえ以外、なんもできかねます」
 2018年6月、上記のツイートにより始まった「レンタルなんもしない人」の“なんもしない”サービス。開始からわずか1年で、『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』(晶文社)、『〈レンタルなんもしない人〉というサービスをはじめます。』(河出書房新社)と書籍化、週刊モーニング(講談社)でのマンガ化に始まり、バラエティーやラジオ番組の出演、最近ではNHKのドキュメンタリー番組『ドキュメント72時間』での密着取材など、ツイート主である「レンタルなんもしない人」は、なぜかメディアに引っ張りだこだ。
 彼のもとには、たとえばこんなユニークな依頼が舞い込んでくる。
『今度10年住んだ東京を離れて、地元の大阪に引っ越しするのですが、もし空いていたら「友人の見送り」をレンタルしたいです』
『「自分に関わる裁判の傍聴席に座ってほしい」との依頼。民事裁判で、依頼者は被告側。名誉毀損で訴えられていた。初裁判の心細さというより、終わって一息つく時の話し相手が欲しいとの思いで依頼に至ったらしい』(『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』より)
『ピアノの練習をしてる間、ただ居てほしい』という依頼で音大の練習室へ。何時間も弾いていると気が狂いそうになるらしく、人がいることで集中力を保てるとのこと』(同上)
「『主人の職場に息子のお披露目に行くが、子連れでの電車移動にまだ不安があるので同行してほしい』という依頼。無事職場にたどりつくのを見届けた(なぜか僕も入れてもらえた)」(レンタル氏のツイートより)
なぜ「なんもしない人」に依頼が絶えないのか?
 冒頭のツイートどおり、基本的にサービスそのものの報酬はゼロだ。どうやって生活しているのかと尋ねると、貯金を切りくずしているという。いずれの現場でも共通するのは、レンタルなんもしない人が“なんもしない”ことだ。それでもこの1年、依頼が途切れることはほとんどなかった。
「最近は平均で1日2、3件の依頼を引き受けています。依頼はツイッターのDM(ダイレクトメッセージ)経由で、依頼者は比較的若い女性が多い印象ですが、男性も、1人では入りにくいかわいいクレープ屋に行きたいなどのリクエストがあります。好きなアニメのDVDを一緒に見たり、病院のお見舞いに行ったり、試験勉強や片付けに集中するためにただいてほしいとか、離婚届の提出に付き添ったこともあります」
 ひょうひょうとした佇まいで、決しておしゃべりというタイプではない。かといって寡黙というわけでもない。レンタルなんもしない人の“簡単なうけこたえ”は的確で、無駄がなく、ないだ風のように穏やかで心地よい。素顔は35歳の既婚者。1歳になる子どももいる。そもそも彼は、なぜ「なんもしない」を始めたのか。
 レンタルなんもしない人の社会人生活は出版社のライターとして始まった。
「理系の大学院を卒業後、Z会で教材をつくる仕事を3年ほどやっていましたが、人間関係などいろいろなことが重なって退職しました。その後、転職しても飽きっぽいせいでなかなか続かなかった。交渉したり、複数のタスクを同時にこなしたりが苦手で、自分はつくづく仕事に向いてないなと思い、『なんもしない』ことを選択したんです」
 なにもしないことが、自分には一番向いている。そう淡々と語りながらも、彼は自身を俯瞰していた。もちろん多少の話題性が生まれることは計算の上だろう。
 それにしても、まったく知らない赤の他人に、なぜ「なんもしない」を依頼する人が続出するのか。レンタルなんもしない人は、自身の存在価値をどう捉えているのだろうか。
「多くの依頼に共通するのは『確実に敵ではない人がひとりいる』という心強さだと思います。以前、人を癒やすロボットを開発している方から『参考にしたい』と依頼がきて、その方が言うには、たとえばロボットでも自分がうれしいときにうれしい、悲しいときに悲しい反応をするものが隣にいるとストレスが軽減される効果がある、と。僕に求められているもののひとつとして、それに似た感情の共有とか安心感とかが挙げられるかもしれません」
空調、壁、教会…なんもしない人の存在感は?
 そんな彼の存在を、依頼者はそれぞれの捉え方で位置づけている。『空調』『壁』『王様の耳はロバの耳』『教会』『ざんげ室』…ときには『ただのこじき』『新手のヒモ』などマイナスな意見を目にすることもあるが、本人はさほど気にしていない。
「とある番組で、ふかわりょうさんに『面白い船の集まる港』と言ってもらえたのはうれしかった。でも各々が求める解釈があって、そのどれもが依頼者にとっての正解ですから、解釈や肩書はなんでもいいんですよ。僕は必然的に彼らが求める解釈として提供されるだけなので…」
 サービス開始から1年。今後どのような道を歩むつもりなのか。
「特に何も考えてないです。いまは毎日が楽しすぎて、それだけで十分かなって。自分の本ができたり、道を歩いていると『レンタルさんですよね?』って声をかけられたり、1年前だったら考えられなかったことが次々と起きていて、夢のようです。もし飽きたとしたら…それはそのときの気持ちに任せます」
“飯のタネにならないことをするのは意味がない”という価値観は好きではない、と彼はいう。
 新しく革新的なサービスを生み出す先駆者はいつの時代にもいるものだが、なにもしないことで人々の心の隙間を埋めるというサービスは、誰にでもできることではないだろう。レンタルなんもしない人が示す新たなサービスのあり方は、私たちにこれからの時代のワークスタイルがいかに自由で柔軟かを教えてくれる。


靖国神社が天皇に参拝を要請する前代未聞の傲慢行動! 天皇批判の宮司が主導か、背後に安倍首相ら極右勢力
 終戦から74年――。安倍政権下の日本では、先の戦争への反省の声は年を追うごとに少なくなり、むしろ、先の戦争を肯定するような声ばかりが大きくなっている。そして終戦記念日のきょう、安倍首相の側近である萩生田光一・幹事長代行や稲田朋美・総裁特別補佐、小泉進次郎議員をはじめとする多くの国会議員が“軍国主義の象徴”である靖国神社を参拝した。
 そんななか、唖然とするような事実が判明した。昨年9月、靖国神社が、当時の明仁天皇(現・上皇)に対して、参拝を求める「行幸請願」をおこなっていたというのだ。
 靖国神社は今年、神社創立150年を迎える。創立50年の1919年には大正天皇、創立100年の1969年には昭和天皇が参拝していたとして、宮内庁掌典職を通じ、明仁天皇に参拝を求めたようだ。
 靖国側から直接、天皇に参拝要請するというのは前代未聞だが、報道によれば、宮内庁はこの要求を断ったという。
「掌典職は宮内庁長官や侍従職への取り次ぎ自体を拒否したと報道されていますが、実際は、宮内庁上層部に報告されていると考えて間違いない。その結果、宮内庁としてこの要請を拒否したということです」(宮内庁担当記者)
 当然だろう。そもそも、明仁天皇は在位中、靖国神社を一度も参拝していないのだ。いや、明仁天皇以前に、昭和天皇も1975年の参拝を最後に、一切靖国を参拝していない。
 周知のように、この背景にあるのは、1978年、靖国神社がA級戦犯合祀を強行し、昭和天皇がそのことに強い不快感をもったことだった。
 そのことは、日本経済新聞が2006年7月20日付朝刊で報じた、元宮内庁長官・富田朝彦氏が遺したメモ、通称「富田メモ」にはっきりと残されている。富田メモの、合祀を強行した松平永芳宮司(第6代)に対して、昭和天皇が抱いていた怒りの言葉が記されていたのだ。
〈私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ〉
 この富田メモは宮内庁が作成した『昭和天皇実録』にも明記されており、公的にオーソライズされた発言だ。そして、この昭和天皇の意思を継いで、明仁天皇も一貫して靖国参拝を拒否してきた。宮内庁が靖国の参拝要求に応じないのは当然だろう。
 しかし、問題は靖国神社の行動だ。事実上“天皇の神社”としてつくられ、天皇主義者の巣窟である靖国が、天皇の意思に背いたまま、天皇に対して一方的に参拝を要求するとは……。連中が回帰しようとしている戦前の時代なら、それこそが“不敬”行為ではないか。いったいどういう神経をしているのか。
 だが、靖国神社が一時、なりふりかまわず天皇参拝を実現するために、血道をあげていたのは事実だ。
 象徴的なのが、昨年6月、当時の宮司である小堀邦夫氏の口から飛び出した天皇批判だ。
 2018年6月、靖国神社の社務所会議室でおこなわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、小堀宮司がこんな発言をしたのだ。
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?」
「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
 さらに、天皇が靖国を参拝しない現状について、こう危機感を煽っていた。
「(天皇陛下が)御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女(当時の雅子皇太子妃)は神社神道大嫌いだよ。来るか?」
「皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。 どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」
天皇批判で辞任した小堀宮司が進めていた「天皇参拝計画」
 結局、小堀宮司は、この神職とは思えない口汚い天皇批判発言を「週刊ポスト」(小学館)にスクープされ、宮司辞職に追い込まれたが、しかし、当時の靖国神社はこの小堀宮司を先頭に、様々なチャンネルを使って、天皇の靖国参拝を働きかけていた。
 今回、明らかになった宮内庁掌典職への参拝要求も、小堀宮司時代の昨年9月におこなわれたものだ。
 また、小堀宮司は辞任後、「文藝春秋」2018年12月号月号に手記を寄せたが、そのなかでこんな計画を進めていたことを告白している。
〈遊就館の展示の内容を全面的にリニューアルし、博物館並みの施設に改め、その記念式典に陛下をお招きする。そして遊就館にお越しになった“ついで”として靖国神社に足を延ばしていただく〉
 「ついで」とはよく言ったものだが、ようするに靖国神社にとって、天皇の意思なんてどうでもよく、かたちだけ「天皇の靖国参拝」を実現し、それを自分たちの存在誇示に利用できれば、それでよかったのである。
 なんともとグロテスクなご都合主義だが、しかし、これこそが靖国神社の本質でもある。靖国はもともと伝統などとはかけ離れた存在であり、政治目的のためだけにご都合主義的につくられた施設なのだ。
 たとえば、靖国神社に「英霊」が祀られているなどと言うが、この「英霊」というのは、戦前の大日本帝国の都合から選ばれた戦没者だけであり、たとえば数十万人にも及ぶ空襲や原爆の死者などの戦没者は一切祀られていない
 靖国を正当化する右派政治家たちは「世界平和を祈念する宗教施設でもある」などという建前を口にするが、実際には、靖国神社を参拝するということは、先の大戦に対する反省や、多くの国民を犠牲にした贖罪を伴った行為とは真逆なのである。
 遡れば、もっと根本的な矛盾も浮かび上がる。そもそも靖国の起源は、戊辰戦争などでの戦没者を弔うために建立された「東京招魂社」だが、このときに合祀されたのは「官軍」側の戦死者だけであり、明治新政府らと対峙し「賊軍」とされた者たちは一切祀られていないのだ。
 つまり、靖国は明らかに明治政府を神聖化し、大日本帝国政府のために死んだ戦士を祀っている施設に過ぎない。しかも、この性格はいまもしっかり生きている。
 小堀前宮司の前任者である徳川康久元宮司は、2018年2月末、5年以上もの任期を残し異例の退任をした。表向きは「一身上の都合」だが、“賊軍合祀”に前向きな発言をしたことが原因というのが衆目の一致するところだ。徳川前宮司は徳川家の末裔で、いわば「賊軍」側の人間として合祀を実現しようと動いていた。ところが、靖国神社の元禰宜で、神道政治連盟の事務局長などを歴任した宮澤佳廣氏らが徳川氏のこの動きを名指しで批判、結果、靖国の宮司を追われたのである。
 そして、後任に送り込まれたのが、靖国参拝を拒否する天皇を批判した小堀氏だったというわけだ。
天皇批判の小堀宮司を推挙したのは安倍首相の最大のブレーンだった
 そういう意味で、小堀氏が靖国宮司に就任し、天皇の靖国参拝実現に血道をあげたのは偶然ではない。複数の神社関係者によると、小堀氏を靖国宮司に直接推したのはJR東海の葛西敬之・名誉会長だったという。
 葛西氏といえば、安倍首相の最大の後ろ盾と言われる財界の実力者で、ゴリゴリの改憲右派として知られている。
 つまり、小堀氏は安倍政権を支える戦前回帰右派の総意として、宮司に就任し、動いていたのではないか。先の戦争を完全に肯定し、靖国神社をたんなる慰霊施設でなく“国家のために命を捧げる国民”を生み出す装置として再構築したいという勢力の意を受けて、天皇の靖国参拝を実現しようと奔走したのではないか。
 安倍首相は、2014年には、A級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送ったこともある。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、安倍首相は戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛したという。
 こうしたことを考えると、安倍首相をはじめとする戦前回帰派はA級戦犯を合祀した靖国神社にこそ、明仁天皇に参拝させ、A級戦犯の完全復権をオーソライズさせることまで考えていた可能性もある。
 吐き気を催すようなグロテスクな動きだが、しかし、連中はこれからも天皇靖国参拝実現を決して諦めることはないだろう。
 実際、安倍政権の周辺にいる応援団、極右文化人たちの天皇の靖国参拝への妄執は、前述した昭和天皇の靖国批判が記された富田メモが発見された際の対応を見れば明らかだ。
 たとえば、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、富田メモを否定するためにデマまで振りまいた。
「週刊新潮」(新潮社)の連載で〈そもそも富田メモはどれだけ信頼出来るのか〉(2006年8月3日号)とその資料価値を疑い、さらにその翌週には、3枚目のメモの冒頭に「63・4・28」「☆Pressの会見」とあることを指摘、〈4月28日、昭和天皇は会見されていない〉〈富田氏が書きとめた言葉の主が、万が一、昭和天皇ではない別人だったとすれば、日経の報道は世紀の誤報になる。日経の社運にも関わる深刻なことだ〉(2006年8月10日号)と騒ぎ立てたのだ。
 しかし、実際には「63・4・28」というのは富田氏が昭和天皇と会った日付であって、「Pressの会見」はそのときに昭和天皇が4月25日の会見について語ったという意味だ。ようするに、櫻井氏は資料の基本的な読解すらかなぐり捨てて、富田メモを「世紀の誤報」扱いしていたわけである。
櫻井よしこら日本会議周辺の極右人脈が妄執する天皇の靖国参拝
 櫻井氏だけではない。百地章氏、高橋史朗氏、大原康男氏、江崎道朗氏ら日本会議周辺は、自分たちの天皇利用を棚上げして「富田メモは天皇の政治利用だ!」と大合唱。埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏は〈これ自体は、大袈裟に騒ぎたてるべき問題では全くありません〉〈ただ単純に、富田某なる元宮内庁長官の不用意、不見識を示す出来事であって、それ以上でもそれ以下でもない〉(「Voice」2006 年9月号/PHP研究所)、東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏は〈無視して早く世の忘却に委ねる方がよい〉(「正論」2006年10月号/産経新聞社)などとのたまった。
 また、麗澤大学教授の八木秀次氏も、富田メモについて〈この種のものは墓場までもっていくものであり、世に出るものではなかったのではあるまいか〉とくさしながら、〈首相は戦没者に対する感謝・顕彰・追悼・慰霊を行うべく参拝すべきであり、今上天皇にもご親拝をお願いしたい〉(「Voice」2006年9月号)などと逆に天皇に靖国参拝を「要請」する傲慢さを見せつけた。
 ようするに、普段、天皇主義者の面をして復古的なタカ派言論を口にしているこうした連中は、実のところ、天皇の意思などどうでもよく、ひたすら自分たちの志向する戦前回帰実現のために、天皇を利用したいだけなのである。そして、その邪魔になるとなれば、天皇の発言ですら平気で亡き者にしてしまう。
 これは、当の靖国神社も同様だ。靖国には小堀宮司が辞任したいまも、国家神道復活の極右思想に染まった神職たちが多数生息している。実際、小堀宮司の天皇批判が大きな問題になったとき、「靖国神社職員有志の主張」と名乗るウェブサイトがこんな宣言をした。
〈「戦犯分祀」だとか「戦没者の冥福を祈る」だとか「先の大戦は間違っていた」などという思想は、仮にそれが陛下のご意向だとしても、従うつもりはありません。
 これを曲げたら靖国神社が靖国神社でなくなってしまうではありませんか。〉(同サイト「小堀邦夫新宮司の考えについて職員有志よりコメント」より)
 おそらく、こうした連中がこれからも、ことあるごとに、天皇の靖国参拝に向けて圧力をかけ続けるだろう。そして、当の安倍政権もチャンスがあれば、徳仁天皇に靖国参拝させるべく動くはずだ。
「明仁天皇は平和への思いが強かったため、安倍政権の戦前回帰の動きには一切与せず、抵抗してきた。しかし、いまの徳仁天皇は波風を立てるのが苦手な性格の上、即位前から、安倍首相がしきりに取り込みを図っていますからね。もしかしたら、安倍首相の在任中に押し切られ、靖国参拝なんていうことがないとも限らない」(ベテラン皇室ジャーナリスト)
 もし徳仁天皇が靖国に参拝したら、それこそこの国の歴史は完全に転倒して、歴史修正主義に飲み込まれてしまうかもしれない。

2年前の記念日/新幹線予約変更・バス熊本キャンセル/釜・夏祭り

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あいちトリエンナーレ表現の不自由展ーその後展示会の再開を190807

Représailles commerciales de la Corée du Sud contre le Japon
Tokyo ne comprend pas
Le ministre japonais de l’Industrie a jugé hier incompréhensibles les accusations de Séoul, qui vient de dégrader le rang du Japon parmi ses partenaires commerciaux.
Réaction. ≪ Sur la base de quoi peut-on dire que le système de contrôle des exportations du Japon viole les principes internationaux ? Ce n’est absolument pas clair ≫, s’est indigné sur Twitter le ministre japonais du Commerce et de l’Industrie, Hiroshige Seko. Lundi, le ministre sud-coréen du Commerce, Sung Yun-mo avait en effet annoncé la création d’une nouvelle catégorie pour les pays signataires des quatre principaux accords commerciaux internationaux ≪ mais qui activent un système de contrôle des exportations, en violation des normes internationales ≫. Le Japon est l’unique pays à avoir été placé dans cette nouvelle catégorie. M. Sung n’a pourtant donné aucun exemple de telles violations de la part de Tokyo. La situation entre les deux pays s’est envenimée ces dernières semaines avec la décision de Tokyo de durcir à compter du 4 juillet les conditions d’exportation vers la Corée du Sud de trois composés chimiques utilisés dans les processus de fabrication de semi-conducteurs et d’écrans. Puis Tokyo a décidé de dégrader le rang de Séoul dans la liste de ses partenaires commerciaux à partir du 28 août, rendant les procédures plus sévères pour l’exportation de produits jugés sensibles. Cette mesure a été officiellement prise dans le cadre d’une révision de la liste des partenaires de confiance du Japon, pour des raisons de sécurité nationale. Mais elle s’inscrit sur fond de querelles bilatérales interminables, héritées de l’époque où la Corée du Sud était une colonie japonaise (1910-1945). Le gouvernement japonais est furieux que des tribunaux sud-coréens aient ordonné à des firmes nippones de dédommager des Sud-Coréens qui ont été forcés de travailler dans leurs usines durant cette période. Pour Tokyo, ces questions sont réglées depuis la signatures d’accords en 1965. La Corée du Sud est le cinquième plus grand pays importateur de produits japonais, tandis que le Japon fait venir depuis ce pays voisin des produits pétroliers, du fer, de l’acier ou encore des appareils électroniques et des semi-conducteurs, selon les données du ministère japonais du Commerce. Ces tensions entre la Corée du Sud et le Japon inquiètent d’autant plus que la menace nord-coréenne perdure et que ces deux alliés des Etats-Unis sont censés coopérer pour la sécurité dans la région. ≪ Je ne vois pas de solution dans l’immédiat à cette dispute, à moins qu’il y ait une vraie intervention des Américains≫ pour apaiser les tensions, a déclaré Robert Dujarric, directeur de l’Institut des études asiatiques de l’université Temple à Tokyo. Selon lui, l’impact pour les entreprises des restrictions réciproques pour le moment décidées, restera cependant limité, car elles sauront s’organiser en trouvant d’autres fournisseurs ou en devançant les commandes.
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テレメンタリー 「私は何者なのか 〜名前も奪われた原爆孤児〜」
「田中正夫」さん(78)。4歳のときに被爆し、家族を失った。同時に本当の名前を知る人もいなくなった。原爆で親を奪われた孤児たちを救済した「広島戦災児育成所」で育ち、名前はそこで付けられた。“本当の自分”を知りたい、家族に会いたい、その思いは今も変わらない。わずかな情報しかない中、去年、育成所の記録が原爆資料館に寄贈された。田中さんの手がかりは見つかるのか。記録や証言さらに田中さんの行動から、今も苦しむ“原爆孤児”の姿を伝える。 有村架純 広島ホームテレビ
鮫島浩 @SamejimaH
汚染水を保管し続けるのは非現実的だという前に、ひとたび事故が起きれば未来までとてつもない被害が続く原発を動かしてきたことこそ非現実的だったのだ。その結果起きた事故で発生した汚染水は事故を起こした者が永久的に保管するしかない。それが原発を動かしてきた者の責任。海洋放出は論外だ。

8/14は2年前の博多であるものが発見された記念日です.ストレスに弱いです.
明日の山陽新幹線が運休になってしまったので鹿児島中央までの新幹線予約変更しに行きました.ネットでできません.無事変更できました.念のためにと予約しておいた熊本行きの高速バスをキャンセルします.電話がつながらないのでとりあえずメールしました.しばらくして無事につながって一安心.郵便局に行ってチケットを郵送しました.
梅田地下で高校野球の結果が書いてあったのですが仙台育英(宮崎)とあったので,宮城ですよといいました.
釜ヶ崎の夏祭りに行きました.はるまきちまき,の歌の時間に間に合うように行ったつもりでしたが,アピールでした.時間間違えたかな?でもセンターが建て替えになることに対し,釜ヶ崎で生活する人の意見をくみ上げていくという意見に納得です.オリオンビールと焼きそばでいい気分です.

墓前 祈りの花咲く 被災地9度目の盆
 盆の入りの13日、仙台市内の寺院には、家族連れなどが早朝から墓参りに訪れた。東日本大震災で津波の被害に遭った若林区の浄土寺では訪れた多くの人が線香や花を手向け、震災犠牲者や祖先の霊を慰めた。(25面に関連記事)
 若林区今泉の無職佐藤昭子さん(74)は、津波で墓石の一部が損壊し、ボルトがむき出しになった墓を丁寧に拭き清めた。「お墓は壊れたが、お骨は残ってくれた」と話し、10年前に病気で他界した、姉の孫に思いをはせた。


犠牲者遺骨178柱 帰れぬ盆 岩手・宮城の16市町保管
 東日本大震災から9度目のお盆を迎えた東北の被災地で、自治体が保管する身元不明などの遺骨が岩手、宮城の両県に178柱あることが分かった。歳月の経過で身元確認や引き渡しが困難になり、保管が長期化。専用の納骨堂を整備する自治体も相次ぐ。
 河北新報社が7月下旬、岩手、宮城、福島3県の沿岸37市町村に聞いたところ、岩手、宮城両県の16市町が遺骨を保管していた。県別の内訳は表の通り。2014年7月に3県で計223柱あった遺骨は17年8月時点で岩手、宮城両県の計189柱に減ったものの、遺族への引き渡しは足踏み状態が続く。
 市町別での最多は岩手県大槌町の66柱。石巻市30柱、気仙沼市24柱が次いで多い。大槌町では18年2〜3月、県警のDNA型鑑定を通じて身元が確認された3柱を遺族に引き渡して以来、新たな身元の判明はない。大槌町は「震災時の火災で損傷した遺骨もあり、確認は年々難しくなっているようだ」と話す。
 親族の情報をはじめ手掛かりがつかめず、身元確認が困難な例も少なくない。2柱を市内の寺で保管する東松島市は「遺族からの相談はほとんどない」と打ち明ける。遺体のDNA型鑑定は県警が行っているが、近親者の死亡などでデータの照合が難しくなっているとみられる。
 宮城県警は「近親者が震災で犠牲となり鑑定できなかったり、独り暮らしのため行方不明の届け出自体がなされていなかったりするケースも考えられる」と指摘。「遺族の高齢化や死亡で、身元確認が難しい例が出ている可能性もある」(岩手県警)ため、宮城、岩手両県警は引き続き市民に情報提供を呼び掛ける。
 保管が長期化する中、専用の安置場所を整備する自治体も出てきた。大槌町は17年、8柱を預かる釜石市は昨年8月、それぞれ納骨堂を設け、寺などで保管していた遺骨を安置した。
 名取市は1日、震災犠牲者らを対象とする墓地公園を開設した。市内の寺に安置する4柱を近く、園内の納骨堂に移す。市は「寺の厚意にいつまでも甘えられない」と説明する。
 多賀城市など3市町では、身元が判明していながら引き取り手がいない遺骨を保管している。
 多賀城市が市内の寺に安置する5柱は全て身元が判明しているが、「生前のつながりが薄い」などの理由で引き取る親族がいないという。市の担当者は「遺族にもさまざまな事情があり、なかなか動きが取れない」と話す。
 福島県の沿岸市町が保管していた遺骨は全て遺族に引き渡され、現在、自治体で預かる遺骨はない。


復興支援が縁 ロックで結束 石巻・小渕浜
 宮城県石巻市の小渕浜漁港で12日、東日本大震災からの復興に向かう地域の姿を発信する音楽イベント「ISHINOMAKI BUCHI ROCK(イシノマキブチロック)」が初めて開かれ、約2000人が参加した。
 復興支援を機に地域との交流を深めた人気バンドBRAHMAN(ブラフマン)、MONOEYES(モノアイズ)など11組が出演。大漁旗がはためく会場で熱のこもった演奏を繰り広げ、観客を沸かせた。
 人口減少が進む小渕浜ににぎわいを取り戻そうと、地元住民らでつくる実行委員会を中心に企画された。
 住民らとアーティストは震災後、NPO法人「幡ケ谷再生大学」(東京)の活動を通じて交流を重ねてきた。2014年にはボランティアの協力を得て「小渕浜みかん公園」を整備。昨年6月の閉園式には多くのアーティストが駆け付け、再訪を誓った。
 実行委の木村美輝代表(49)は「来場者が楽しんでくれて良かった。震災で犠牲になった息子にもこの音楽が届いてほしい」と語った。


商店街で令和初の「竹灯り」
仙台七夕祭りで使った竹にろうそくをともした「竹灯り」で商店街を照らす催しが13日夜、仙台市中心部で開かれました。
この催しは、仙台市中心部にある一番町四丁目商店街が平成16年から毎年お盆の迎え火として行っています。
ことしは令和初の開催を記念して例年より数百本多いおよそ1500本の竹灯りが商店街に並べられ、昨夜は街灯が消されるとともに点灯式が開かれました。
竹灯りは仙台七夕まつりで使われた竹を再利用して作られていて訪れた人たちは写真を撮るなどして楽しんでいました。
東京から訪れた40代の女性は、「ものすごく綺麗で感動しました。七夕祭りには来ることができませんでしたが、祭りの雰囲気を少しだけ感じられました」と話していました。
また、商店街にはハートの形に並べた灯りも人気を集めていて母親と訪れた5歳の女の子は、「灯りがいっぱいでハートが可愛かったです」と話していました。


郷土料理「おくずかけ」広めよう
具だくさんでとろみがある汁を白石市特産の「うーめん」にかけて食べる、宮城県南部の郷土料理「おくずかけ」を多くの人に知ってもらおうという催しが川崎町で開かれました。
県南部の郷土料理「おくずかけ」はニンジンやゴボウ、それに油揚げなどを煮込んでとろみをつけたものを白石市特産の「うーめん」にかけて食べる郷土料理で、お盆や彼岸の時期に家庭で食べられているということです。
川崎町の国営みちのく杜の湖畔公園にある古民家で開かれた催しは、「おくずかけ」を多くの人に知ってもらおうと、県が開いたものです。
会場では郷土料理の研究家や県職員の女性らが作った「おくずかけ」、およそ100食分が無料でふるまわれ、訪れた人たちはおいしそうに味わっていました。
横浜市の30代の女性は「しいたけのだしがすごくさっぱりしていてたくさんの野菜もおいしかったです。心がほっと温かくなるような料理ですね」と話していました。
「おくずかけ」は白石市や大河原町にある飲食店でも提供されているということで、県は試食会などを通して多くの人たちに魅力を伝えていきたいとしています。


商業捕鯨再開/自立可能な産業像の構築を
 日本の商業捕鯨が31年ぶり再開され、1カ月が過ぎた。国際捕鯨委員会(IWC)脱退に対する国際批判は現時点で激化しておらず、鯨肉の市場はご祝儀相場も相まって高値で推移する。まずは順調な船出といえるが、厳しい漁獲制限と鯨食の衰退で事業の採算性は依然、見通せない。
 再開後、沖合で操業する捕鯨母船「日新丸」は三陸沖などでニタリクジラ67頭を捕獲。約350トンを仙台港に初水揚げした。仙台市中央卸売市場であった今月1日の競りは、高級品の尾肉に1キロ当たり2万円の最高値が付いた。
 市場関係者は「商業捕鯨再開への期待感が値段に反映された」と手応えを語った。
 鯨肉の質は向上した。調査捕鯨と異なり肉質の良い大型の個体に絞って捕獲でき、船上で血抜きをして鮮度を保てるようになった。石巻市の鮮魚店は「30〜40年前に流通していた鯨肉と比べても質が違う」と歓迎する。
 水産庁は商業捕鯨の捕獲枠を、IWCが認めた算出方法に基づき半年間でミンク52頭、ニタリ150頭、イワシクジラ25頭に設定。年間の捕獲枠は資源量全体の1%に満たず、同庁は「100年間、捕獲を継続しても資源に悪影響を与えない」と説明する。
 捕鯨再興への機運が高まる半面、前途は多難だ。高値の相場はいずれ落ち着く。捕鯨業者の収入の柱だった、調査捕鯨への補助金は大幅に減る。現在の捕獲枠での鯨肉供給量は調査捕鯨の半分以下で、採算の確保は難題だ。
 国内の食卓から鯨肉が消えて久しい。クジラが貴重なタンパク源だった1962年の年間消費量は23.3万トン。その後、牛や豚といった食肉の普及と商業捕鯨からの撤退で急速に減り続け、2017年度は3000トンになった。
 今の食生活に鯨肉が入り込む余地は少ない。需要の裾野を広げるには、いかに付加価値を付けるかが肝要になる。
 期待されるのは観光資源としての活用だ。東北の中山間地では保存食としてクジラを食べてきた。石巻市をはじめ沿岸捕鯨の拠点には独自のクジラ料理がある。食文化として積極的に発信してほしい。
 鯨肉は高タンパク・低脂肪で、疲労の防止や回復に効果があるとされるアミノ酸「バレニン」を大量に含む。コラーゲンが豊富などの特長があり、健康食としての可能性も秘めている。
 商業捕鯨再開はIWC脱退という代償を伴い、戦後日本の国際協調路線の転換となった。海洋資源は世界的に減少しており、水産業の持続には各国が連携した資源管理が欠かせない。日本は多国間での交渉を見据え、失われた信頼を回復する必要がある。
 31年で捕鯨産業を取り巻く環境は激変した。今年を「商業捕鯨元年」と位置付け、自立可能な産業像を構築するとともに国際理解を得ていく不断の努力が求められる。


被爆者の声 なぜ首相には届かない
 被爆者とは、核の力を身をもって知る人たちだ。だから「もう二度と被爆者を生まないように」と祈りを込めて、核廃絶を訴えてきた。だがその声が「唯一の戦争被爆国」の宰相には、届かない。 九日の長崎平和祈念式典。被爆者代表の平和への誓いは、鮮烈だった。八十五歳の山脇佳朗さんである。
 被爆翌日、焼け跡で見つけた父親の崩れた遺体が怖くなり、置き去りにして逃げ出したという“告白”のあと、山脇さんは来賓である首相に直接呼び掛けた。
 「被爆者が生きているうちに世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に『核兵器を無くそう』と働き掛けてください」と。
 あまりに悲しい記憶に向き合い、満天下にさらすのは、さぞかしつらいことだろう。だが、それも「被爆の実相」だ。山脇さんは病身を押して、しかし毅然(きぜん)と語ってくれた。
 広島と長崎で原爆の犠牲になった何十万もの魂が、背中を押していたのだろうか。
 それに対して安倍晋三首相。「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく」と、結局は「橋渡し」役にとどまる“決意”は、去年と同じである。
 日本はおととしの夏に採択された核兵器禁止条約に参加していない。米国の核の傘の下にいるからだ。そもそも橋渡し役とは中立の立場でするものだ。一方の岸にしがみついたまま、どうやって橋を架けると言うのだろうか。
 居酒屋談議やゴルフの合間に、トランプ米大統領に「核廃絶」を勧めることがあったとしても、現実を見る限り、逆行が加速しているとしか思えない。
 米ロの中距離核戦力(INF)廃棄条約が失効したばかり。再来年には期限が切れる新戦略兵器削減条約(新START)の前途にも暗雲が垂れ込める。トランプ政権は「使える核兵器」と呼ばれる小型核の開発に力を入れている。
 中国も核戦力を増強中。世界は核軍拡の暗黒時代に逆戻りの様相だ。ヒロシマの、ナガサキの声は届いていないのか。
 それでも、いや、だからこそ、山脇さんの言葉を借りて、私たちも訴える。
 「この問題だけはアメリカに追従することなく核兵器に関する全ての分野で『核兵器廃絶』の毅然とした態度を示してください」と。


「森友」捜査終結 幕引きも忖度なのか
 「森友学園」への国有地売却や財務省の文書改ざんをめぐる大阪地検の捜査は再び「不起訴」で幕引きになった。市民の検察審査会が「言語道断」と指弾した問題だ。国会での追及は続けるべきだ。
 市民十一人でつくる大阪第一検察審査会が佐川宣寿(のぶひさ)元財務省理財局長ら十人を「不起訴不当」と議決したのは今年三月だ。それを受けての大阪地検の再捜査だったが、結論はやはり「不起訴」だ。
 「起訴するに足りる証拠を収集できなかった」と説明したが、納得はできない。検察もまた政権に忖度(そんたく)か、政治判断かと、国民の間で疑念が広がろう。
 国有地を学園に八億円余り値引きして売却した理由も経緯も不明なままの捜査の幕引きだからだ。値引きの根拠となった国有地のごみ撤去費の積算額が不適正と認定できるかが焦点だった。
 どんな再捜査が行われたのかも国民に不明なままでは、その捜査自体が公正であったかも疑われてしまう。
 とくに国有地で開校予定だった小学校の名誉校長に安倍昭恵首相夫人が一時、就任していた。財務省近畿財務局などで作成された文書では十四件の改ざんが行われ、昭恵夫人の名前や「特例的な内容」などの文言が削除された。交渉記録の廃棄まで行われた。
 極めて悪質な事案だったといえる。検審は「文書を改ざんする行為は一般市民感覚からすると、いかなる理由があっても許されない」と厳しく批判した。当然の不信であり、怒りの言葉だった。
 財務省でさえ調査報告書で認め、佐川氏ら二十人を処分している。いわば証拠がそろった状態なのに、これを不問に付す検察とは何なのか。
 「特捜検察は解体すべきだ」などと刑事告発した弁護士らは口にしている。不起訴ありきの国策捜査なら、検察は自ら国民の信頼を失墜させている。
 市民の代表である検審が求めたのは、起訴して公開の法廷で白黒つけることでもあった。その意思さえ踏みにじったに等しいではないか。
 行政の公平性がゆがめられたのか、国会でウソの答弁がまかり通ったのか、忖度が行政をむしばんでいるのか…疑念は民主主義社会の根幹をも揺るがしている。
 真相解明が果たされぬままでは、国民の「知る権利」も毀損(きそん)される。幕引きは許されない。国会が頬かぶりしたら、行政ばかりか政治への信頼も失われてしまう。


「森友」捜査終結 国会に真相究明の責務
 学校法人森友学園を巡る財務省の国有地売却交渉や決裁文書改ざんに関する大阪地検特捜部の捜査は、告発された関係者10人を再び不起訴とし、終結した。
 有印公文書変造・同行使の容疑などで告発された佐川宣寿(のぶひさ)元国税庁長官らが不起訴となったことに対し、大阪第1検察審査会が3月に「不起訴不当」と議決したが、再捜査で結論は変わらなかった。
 8億円もの国有地の値引きがなぜ行われ、官僚が国会を欺く前代未聞の決裁文書改ざんになぜ手を染めたのか。司法の場での真相究明は期待できなくなった。
 だが行政の公正性や透明性をゆがめ、議会制民主主義の根幹を危うくした問題を、このままうやむやに終わらせてはならない。
 国会は佐川氏らを呼び、事実を解明する責務がある。
 検察審査会は「一般市民感覚からすると、いかなる理由があっても許されず、言語道断の行為」だと改ざんを厳しく批判していた。
 法的責任を問われなくても、市民感覚に根差した疑問は残る。
 思い起こすべきは、安倍晋三首相夫人の昭恵氏と学園の関係を示す複数の記述が、改ざんによって削除されたことだ。
 改ざんの契機が、「私や妻が関係していたなら首相も議員も辞める」と述べた2017年2月の首相の国会答弁だったことは財務省の調査報告書も認定している。
 佐川氏は昨年の証人喚問で、学園との交渉に昭恵氏の指示や影響は「一切なかった」と述べた。
 ならば、なぜ削除したのか。この肝心の点については「訴追の恐れ」を理由に証言を拒否した。
 これでは、値引きの背後に首相夫人と学園の関係に対する官僚の忖度(そんたく)があり、だからこそ改ざんによって「不都合な事実」を消そうとしたのではないかとの疑念を拭い去ることはできない。
 佐川氏は訴追の恐れはなくなったのだから、真実を語るのに支障はあるまい。衆参の予算委員会は直ちに再喚問を実施すべきだ。
 安倍首相は参院選の党首討論会で森友・加計問題に関し「私も妻も直接関わった証拠はなかった」と述べている。
 しかし昭恵氏はこの件で一度も国民の前に出て説明していない。国有地の賃料優遇措置について財務省に照会した、元昭恵氏付政府職員の谷査恵子氏もそうだ。
 当事者が口を開かずして、なぜ「証拠なし」と断定できるのか。昭恵氏の喚問と、谷氏ら他の関係者の国会招致も不可欠である。


リクナビ問題 学生裏切る「格付け」だ
 就職情報サイト「リクナビ」の運営会社が、登録してきた学生ごとにサイト閲覧履歴などの個人データから勝手に内定辞退率を推定し、本人の同意なしに企業に販売していた。
 問題の発覚を受け、運営会社のリクルートキャリアは当初、学生からはリクナビ登録時の利用規約に基づいて「同意を得ている」としていた。
 では、なぜ当の学生たちが「裏切られた」「信じられない」と憤ったのだろう。就活生の約9割が登録するサイトである。規約はのめないから登録しないとの選択肢は残るまい。形だけの同意を運営側が取ったにすぎず、個人情報を守る認識が甘いと言わざるを得ない。
 事実、その4日後、7983人の学生に「情報を第三者に提供する」との説明が漏れていたと公にし、問題のサービスを打ち切っている。
 個人情報保護法では、事業を通じて手に入れた個人情報を第三者に提供する場合、本人の事前同意が必要と定める。違反の疑いが濃く、サービスを廃止したのは当たり前である。
 本人の同意なしに個人情報を買い取った企業の側にも非があろう。昨年3月以来、1社当たり400万〜500万円で38社が契約していた。いくら「売り手市場」で内定辞退を避けたいとしても、越えてはならない一線があるはずだ。
 運営会社は、内定辞退率を採用の合否判定に使わぬ約束を各社と書面で交わしたとするものの、何の裏付けにもならない。合否の判断に使われた可能性を誰も否定できない。
 求職者の個人情報については、職業安定法でも収集や使用、適正な管理の指針を定めている。問題の調査に入った東京労働局には、企業倫理も問いただしてもらいたい。
 疑問はまだある。同意さえあれば、履歴データから人物像を描く「プロファイリング」は野放し状態でもいいのだろうか。
 今回、内定辞退率を一人一人、5段階で予測する際の分析には人工知能(AI)が使われたという。今後も、AIを活用し、ネット上で集めた個人情報を加工し、商品化するサービスが出てこないとも限らない。
 個人の「格付け」情報が本人のあずかり知らぬところで出回り、就職や進学、あるいは結婚といった人生の節目で影響することはないのだろうか。決して、絵空事ではあるまい。
 中国政府は2020年までに学歴や職業、ローンや公共料金の支払い記録などから信用度を数値に表す「信用スコア」社会を目指している。日本では、がん情報の登録など医療分野で個人データの集積や分析を社会の利益につなぐ試みが進む。
 いや応なくデータ社会で生きる中、人権をどう守るか。
 先を行く欧州連合(EU)は昨年、個人情報の保護を厳格化した一般データ保護規則を施行している。日本の公正取引委員会も、巨大IT企業が不当に個人情報を集めたり、取り扱ったりしないか、独禁法を当てはめて監視を強める構えという。
 折しも来年は、個人情報保護法見直しの年に当たる。AI社会は、人格に関わる個人の利益を損なう懸念も大きい。個人情報の利用は、保護が大前提―。その原点を忘れず、ルール作りを急ぐ必要がある。


[北朝鮮拉致41年] 日本が主体で動かねば
 1978年8月12日、市川修一さん=当時(23)=と増元るみ子さん=同(24)=が日置市の吹上浜で北朝鮮に拉致されてから41年になった。
 市川さんの兄健一さんは「41年間も北朝鮮で救出を待っているというのに、何もできず歯がゆい」と語り、増元さんの弟照明さんは「悔しいの一言に尽きる」と一向に進展の見えない拉致問題の現状に危機感を募らせる。多くの国民も同じ思いではないか。
 昨年6月から3回行われた米朝首脳会談の中で日本人拉致問題が提起され、停滞状況から動きだすのではないかと期待されたが、その後、米朝の非核化協議自体も展望が開けない。
 拉致被害者家族は高齢化が進み、一刻も早く解決のめどをつけなくてはならない。日本政府が主体となって戦略的外交を進める必要がある。
 安倍晋三首相は5月、トランプ米大統領との電話会談で、拉致問題の進展を日朝首脳会談の前提条件としていた方針を転換し無条件開催する意向を伝えた。
 ただ、その前後から北朝鮮は短距離弾道ミサイルとみられる飛翔(ひしょう)体の発射を繰り返している。だが、トランプ氏はそれを容認する姿勢を示している。米国に直接の脅威にならない短距離ミサイルを容認することで米朝関係破綻を避けたいからに違いない。
 そんな中、安倍政権の外交姿勢が定まらない。「あらゆる弾道ミサイルの発射を許さない」と訴えながらも、トランプ氏の発言には異を唱えない。
 短距離ミサイルでも、日本にとっては大きな脅威にほかならない。それなのに政府は「米国と緊密連携する方針に変わりはない」と黙認する姿勢を見せている。
 日米の共同歩調をアピールする狙いがあるのかもしれないが、自国第一主義のトランプ氏に追随するばかりで真の国益を計れるだろうか。
 米政権との協力強化に軸足を置くとしても、北朝鮮に日本が射程内に入るミサイルの保有を認めて対等な交渉ができるのか甚だ疑問だ。
 北朝鮮の挑発的行動は焦りの表れでもあろう。政府は「対話と圧力」の方針を堅持し、拉致問題解決への糸口を探ってもらいたい。
 拉致被害者の早期帰国を求める支援者の闘いも粘り強く続いている。5月には22年かけて街頭などで集めた1341万筆を超す署名が公開された。
 鹿児島県内でも「支援する会鹿児島」が年間15〜20カ所で署名活動を企画している。ただ、年間目標1万筆に対し、ここ数年は7000〜8000筆にとどまっているのが気掛かりだ。
 拉致問題解決には、政府を動かす世論の後押しが欠かせない。拉致被害者と家族の心情に寄り添い、国民全体で支えたい。


香港空港占拠を誘発した暴力警察 世界同時株安の引き金に
 中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案への抗議デモは、アジア有数のハブ空港を機能停止に追い込む異例の事態に発展している。13日も前日に続き、1000人以上が香港国際空港で座り込みを再開。400便以上が欠航したが、デモ隊を突き動かすのは警察の常軌を逸した暴力への怒りだ。
「地下鉄駅構内に催涙弾を発射し、一般市民が無差別に逮捕されるなど、デモとは無関係の人々まで巻き添えになっています。デモ隊との衝突もより攻撃的となり、抵抗の意思のない逮捕者を流血するまで殴りつけ、参加者に扮装した警官がデモをあおり、周囲の人々を一網打尽で逮捕する。決定的だったのは、11日の九龍デモの強制排除です」(デモ隊のひとり)
 デモ隊の女性が警察の発射した鎮圧用の弾を右目に被弾。「失明した」との情報が駆け巡ると、翌12日から空港で右目をガーゼで覆って「目を返して」と書かれたプラカードを掲げ抗議するようになった。怖いのは日本人も、いつタガの外れた香港警察に襲われてもおかしくないことだ。
「警察は、『そごう』がある銅鑼湾など観光客が集まる繁華街でも無差別的に暴力を振るっています。実際、現地在住の韓国人やフィリピン人などが“暴徒”扱いされ、逮捕されました」(前出のデモ隊のひとり)
 香港政府トップのキャリー・ラム行政長官は抗議について、「自由と正義の名で多くの違法行為が行われている」と非難し、怒りの火に油を注ぐだけ。おかげで香港株は急落し、観光客のキャンセルも続出。「『ペニンシュラ』など高級ホテルの宿泊代は、どこも通常の半値程度の激安水準」(現地記者)と経済に悪影響を及ぼしている。
 一方、中国共産党機関紙「人民日報」は、香港に接する深圳市に中国の武装部隊が集結する動画をSNSに投稿。デモ隊を「テロ分子」と表現するなど武力介入を示唆した内容だ。13日は、中国本土の「公安」と疑われた男性ら2人が空港でデモ隊に包囲されて殴られた。
 天安門事件が再来すれば中国株も暴落し、それこそ香港発の世界同時不況が到来しかねない。


インド・カシミール問題 自治権の剥奪は即撤回を
 インドのモディ政権が北部ジャム・カシミール州の自治権を強引に剥奪した。現地の混乱だけでなく、同地の領有権を主張するパキスタンとの対立にも拍車がかかっている。
 自治はインドとパキスタンの分離独立後、約70年間続いていた。インドで少数派のイスラム教徒が約6割を占める地域の特殊性に配慮し、住民に一定の自決権を認める措置だった。外交や防衛など一部の権限を除き、州の独自性は保たれてきた。
 ところが、モディ政権は唐突に「テロを排除し開発を進める」との理由で、大統領令を出し、自治権を定めた憲法を国会で改正させた。今後、中央政府が直接統治に乗り出す。
 あまりにも強引な手法ではないか。政権は決定に相前後して現地に兵士を大量動員し、政治家を含む地元反対派を大勢拘束した。デモを防ぐために通信も遮断した。「世界最大の民主主義国」を自負する国のやり方とは思えない。
 今回の決定により、住民以外に認められていなかった不動産の取得が州外のインド人にも可能になる。地元の住民が恐れるのは、ヒンズー教徒が大挙して移住し、イスラム教徒が優勢な人口構成が変わることだ。
 モディ氏と与党・インド人民党(BJP)は、インドがヒンズー教徒の国だという思想である「ヒンズー至上主義」を掲げ、カシミールの統合も悲願だった。だが、4〜5月の総選挙に圧勝したからといって、住民との対話なしに現状を力ずくで変更するのは無謀だ。
 パキスタンは反発し、駐インド大使を召還し貿易を停止した。パキスタンはカシミールの帰属を、国連安保理決議に基づく住民投票で決めるべきだと主張している。同地方の一部を実効支配している中国も反発し、国際的な問題に広がっている。
 インドとパキスタンは2月、カシミールを巡り互いに空爆し、軍事的緊張に陥った。双方とも核兵器保有国であり、周囲の不安は増した。
 今後、パキスタンとの対立が激化することが心配だ。また、インド国内ではヒンズー教徒とイスラム教徒の亀裂が深まっており、憎悪による犯罪やテロが懸念される。
 自治権の剥奪は地域情勢を不安定にさせるだけだ。モディ政権は決定を即時、撤回すべきだろう。


韓国政府「福島汚染水に積極的対応」…新たなカードを切り出した
韓国政府「昨年8月に情報入手後、日本に懸念示してきた」と公開 
韓日対立の中、東京オリンピックなど狙った動きと見られる 
環境団体や政界に続き、政府が初めて関連動き見せる

 外交部は13日、「日本の福島原発汚染水の放出問題に積極的に対応していく」方針を明らかにした。
 日本の経済報復措置で韓日間の対立が深刻化している状況で、日本の態度の変化を促そうとする一種の“カード”の性格があると見られる。原発汚染水の放出の危険性を浮き彫りにすることで、安倍政権が力を入れている東京五輪を狙ったという分析もある。
 イム・インチョル外交部報道官は定例会見で、「政府は、2018年8月に日本が汚染水を海へ放出する計画に関する情報を最初に入手した直後の2018年10月、日本側に私たちの懸念と要請事項を盛り込んだ立場書を送ると共に、二国及び多国的観点で議論を進めていこうと提案した」として、これまでの経過を初めて公開した。キム報道官は「これまで、北西太平洋地域海行動計画(NOWPAP)の政府間会合や国際原子力規制者会議などの多国間会議と、韓日間の局長級協議、環境共同委などで、日本側に懸念を表明してきた」と説明した。
 今年1月、国際環境団体グリーンピースが関連報告書を発表した後、政府は日本政府に情報共有と協議を要求しており、これに対して日本は「汚染水の現況や今後の処理計画について国際社会に誠実に説明する」という基本的立場を繰り返したという。
 キム報道官は「今後、必要に応じて国際機関と被害が懸念される太平洋沿岸の国々とも緊密に協力し、福島原発汚染水の放出問題に積極的に対応していく」と述べた。政府は今年9月の国際原子力機関(IAEA)総会と11月に中国で開かれる韓中日原子力規制者会議などで、関連問題を提起する案を検討中だ。
 ただし、まだ韓国を除いて福島原発の汚染水放出問題を公に指摘した国はないという。外交部当局者は「グリーンピースなど環境団体で様々な懸念を示しており、太平洋沿岸の多くの国の環境当局がこの事案を見守っていると思われる」と説明した。
 最近、政界や市民団体などが福島原発の汚染水問題と東京五輪の安全問題を提起している中、政府が同日初めて汚染水問題に対するこれまでの経過を公開したことで、それを後押ししているという分析もある。
 共に民主党日本経済侵略対策特別委員会のチェ・ジェソン委員長は12日、日本のメディアを相手にした懇談会で、「日本の放射能のリスクが度を越えている。五輪選手らはもちろん、隣国の命まで人質にしている」と主張した。
 日本のマスコミは、東京電力の話を引用し、2011年の原発事故以後、福島第1原発で保管している汚染水が1日に170トンずつ増えており、2022年夏に保存容量が限界に達すると報道している。
ノ・ジウォン記者


韓国の知識層からも「安倍を早く何とかしてくれ!」
 光復節(8月15日)を前に韓国・ソウルの空気は燃えたぎっている。市内の地下鉄構内に「今月の独立運動功労者」の写真入りパネルが展示され、市庁近くには独島(竹島)の模型が飾られているのは風物詩だ。しかし、今年の夏は少し様相が違った。
 これまでの「反日」は、韓国人にとってある意味で恒例行事的な面があったが、「日本版ヒトラーのような安倍首相」(ブレークニュース編集主幹・文日錫氏)がおっぱじめた露骨な韓国叩きによって、日韓間で予測不能な事態が起きる危険性を感じているようだ。韓国蔑視を隠そうとしない安倍政権が元徴用工訴訟を理由に経済報復に打って出て、文在寅政権打倒を画策している――。そうみる専門家もいる。
 韓国国民は日常的に日本製品を愛用しており、ケーブルテレビには日本のコンテンツ専門の「チャンネルJ」があり、「孤独のグルメ」や「大改造!!劇的ビフォーアフター」といった番組が人気だ。日本人以上に日本のテレビ番組に詳しい人が結構いる。日本製品や文化に慣れ親しんだ韓国国民が「戦後の朝鮮半島の歴史で最も危険で、侮蔑に値する政治家」(文日錫氏=前出)を前に、感情を揺さぶられているようなのだ。
 日本人観光客が多い明洞や南大門市場には一時、「BOYCOTT JAPAN」と大書された旗が約1100本も掲げられたが、間もなく回収された。一方で、東大門市場の雑貨屋台の後ろには「NO ABE」のポスターは張られたままだ。
 朴槿恵前大統領を弾劾訴追に追い込んだのは、光化門広場でのろうそく集会だった。その象徴的なスポットで「反アベ」集会が展開されている。海外首脳、とりわけ日本の首相をターゲットにしたここまで大規模なデモは聞いたことがない。
 ソウルで会った大学教授は筆者の顔を見るなり、「アベ! 早く何とかしてくれよ」とまくし立て、人さし指を自分の頭に向けて渋面をつくった。「頭がおかしいやつ」と言いたいらしい。
 金大中政権時代に大統領秘書室長や文化観光部長官を務めた朴智元国会議員(無所属)は自民党の二階幹事長と20年来の親交があり、兄弟杯を交わした間柄だ。昨年末に逝去した怜子夫人を偲ぶ会にも参列した。その彼はこう言っていた。
「我々は反日ではない。反安倍だ」


ロンブー淳が明かす「山本太郎に口説かれたこともある」
 芸人の闇営業問題を巡っては、相方の田村亮が当事者になってしまったロンドンブーツ1号2号の田村淳さん(45)。亮が捨て身の覚悟で開いた記者会見の舞台裏はどうだったのか。また、先の参院選では同世代で親交の深い「れいわ新選組」の山本太郎が大躍進。「実は口説かれていた」と仰天エピソードを明かしてくれた。
  ◇  ◇  ◇
原田 相方の(田村)亮さんの会見は、どうご覧になっていましたか? 直前まで知らなかったんですよね。
淳 ずっと連絡を取り続けていたのに、会見前日に突然、連絡が取れなくなったんですよ。チーフマネジャーに電話して、「亮と連絡が取れなくなった。落ち込んでいるかもしれないから様子を見に行ってくれ」とお願いしたんです。翌日、そのマネジャーが亮の家に向かってる途中で、2人が独自で会見することが判明。そこで、僕は岡本さん(社長)とマネジャーに「こんなことになってますよ」と連絡しました。
原田 亮さんとは直接話せたんですか?
淳 会見直前に話しました。本当は相談してほしかったですね。「会見をやりたい」「正直に話したい」ということは前々から聞いていたので、それは応援するけど相談だけはしてほしかった。
原田 巻き込んだら悪いと思ったんでしょうね。
淳 恐らく。「これ以上、迷惑かけたくない」からこそ2人だけでやったんだと思います。これで僕や蛍原さんに相談してたら、僕らが吉本から何か言われるかもしれないと心配したんだと思います。でも、事前に会見のことを知っていたら、僕はもっと別の方法を考えたかもしれません……。
原田 亮さんは吉本に戻る方向なんですか?
淳 あの2人は一度、“切腹”を覚悟したんですよ。会見で自分たちの思いは伝えられたけど、その後、吉本が「契約解除ではなく、謹慎に戻す」という対応になった。一度、腹を切れと言われたのに、その理由も明確でないまま急に「戻ってほしい」と言われても、感情が追い付かず戻る気持ちにはなりにくいですよね。
原田 吉本が理由をきちんと説明できて、亮さんも納得すればということでしょうか。
淳 心の問題なんだと思います。吉本も亮に連絡しているようですが、亮が連絡を拒んでいるようです。社員さんが亮にLINEを送っても、返信来ないようなので。社員さんから「亮とセッティングしてくれないか」と頼まれるので、僕は極力、間に入るつもりです。
原田 今回は宮迫さんと亮さんの会見で世論がガラッと変わり、それで吉本が動きましたね。
淳 僕は、謹慎に戻した理由が「世論で動いた」でもいいと思うんですよ。でも、それを吉本が認めるかどうか。そのあたりがお互いの不信感になっている。とにかく僕ができることはやろうとは思っています。
原田 話題は変わりますが、先日の参院選です。淳さんはかねがね「政治には興味があるけれど、政治家になろうとは思っていない」とおっしゃってますけど。
淳 政治は自分の生活に直結していることなのに、政治について芸人やタレントが言うと変な空気になる。「これってタブーなの?」と実感したときに、それを壊したいと思って興味が湧いたんです。
原田 淳さんが出馬する話、よくネットで出ますもんね。
淳 異業種交流会などで政治家と会うと、どんな思いでどんな政策を持っているのか聞くのが好きなんです。そういう話が出回ると「出馬するんじゃないか」「口説かれているんじゃないか」と疑われますけど、僕自身が政治家になろうとは思わないですね。
原田 今回の参院選は、淳さんが仲良しの山本太郎さんが代表を務める「れいわ新選組」の躍進がすごかった。
淳 太郎のことはずっと注目していて、主義主張を持って立ち上がっていったことを純粋にすごいと思っていました。
原田 選挙戦略も斬新だったし、スピーチも本当にうまくなっていました。
淳 参院選が終わってからですが、重度の障害を持った人が議員になった場合、バリアフリー化も国会から動き始めるんだと知り、なるほどと思いましたね。あと、選挙後もずっと注目を浴び続けているのもすごい。選挙に受かって万歳した後に、人が変わったように何も発信しなくなるセンセイもいるじゃないですか。でも、本来は受かった後が大切。「れいわ」は受かった議員さんの考え方や、今後、何ができるかなどを可視化しようとしているところを特に評価したい。ネットやSNSを使って発信し続けていますから。
原田 次、山本さんは衆院選に出るでしょうし、楽しみですね。
淳 これまでは太郎一人で奮起していると思っていたのでゲリラ戦のようでしたが、人数が増えて束になれば発言力を持つ政党になっていくと思います。
原田 淳さん、山本さんからスカウトされるかもしれませんよ。
淳 実は2、3年前に太郎に口説かれたこともあるんですよ。参議院の議員会館に夜中に呼ばれて「小沢(一郎)さんに、僕が政治に興味あるのか聞いて来いって言われた。やってみる気はないか」って。
原田 それは初耳です!
淳 そのとき僕は「政治に興味がない人を政治につなげることに興味はあるけれど、自分が出馬する気はないから期待には応えられない。ただ、太郎がやっていることは見守っているよ」と伝えたんです。
原田 また声かけられるかもしれないですよ? 先日、淳さんが行った『株式会社がちキャラ』の設立会見の様子を見て、東国原英夫さんが「カメラの向こうに有権者がいることを意識してしゃべっている」とおっしゃっていましたし(笑い)。
淳 東(国原)さんは、いつもそういうことを言う(苦笑)。今回の太郎の動きを見て、東さんだけじゃなく、そろそろ橋下(徹)さんがウズウズし始めたんじゃないですかね。意外と橋下さんと東さんはつながってそうだし、新しく大きな党を立ち上げるのかなぁ……。そうなれば、政治は面白くなりそうです。
原田 淳さんも政治について普段からいろいろ考えているから、個人的には参戦してほしいです。
淳 橋下さんがもう一回立ち上がって、そのときにいろんなトリガーが発動して、そのときにようやく考えるかな。原田さんの方が若者世代に理解があるし、政治家に向いていると思いますよ。原田さんが出るなら僕だって考えます。  (構成=高田晶子)
▽たむら・あつし タレント。1973年、山口県下関市生まれ。94年、銀座7丁目劇場のオーディションに合格して吉本興業入社。相方は田村亮。テレビ出演は「ロンドンハーツ」(テレビ朝日)、「田村淳の訊きたい放題」(TOKYO MX)ほか多数。


民主主義を守る努力に敬意を
★日本ではまもなく74回目の終戦記念日を迎えるが、欧州では全く別の形の終戦の追悼式が開かれる。ドイツでは7月20日、第2次大戦末期のナチスではドイツ軍将校らによるヒトラー暗殺未遂事件が起きてから75年となり、ベルリンで式典が開かれた。民主主義を取り戻すための抵抗としてたたえられている。トム・クルーズ主演で映画化された「ワルキューレ」がまさにこの事件だ。
★暗殺に失敗した将校らが射殺された場所にドイツのメルケル首相が花輪をささげ「不服従が義務となり得る瞬間がある。75年前に抵抗した人たちは、他の人たちが黙っているときに行動した。状況が完全に異なっているとはいえ、今日の私たちにとっての模範だ」とあいさつした。
★今月2日、大戦末期のポーランドの首都ワルシャワを占領下においていたナチスに対して解放と戦後の独立を求めて市民が反乱を起こし、約2カ月間で20万人が犠牲になった「ワルシャワ蜂起」から75年を迎え、敬意と追悼の式典が開かれた。ドイツのマース外相もポーランドのチャプトウィチ外相と市内のワルシャワ蜂起博物館を訪れた。マースは「ポーランドに対してドイツ人が行ったこと、ドイツの名の下、ポーランドに対して行われたことを恥じている」と許しを乞うた。
★民主主義を守ろうとする人たちの努力に敬意を払う発想に我が国は欠けていないか。今でも民主主義はさまざまな形で蹂躙(じゅうりん)されている。戦後生まれが歴史を知らないことを利用するかのように歴史修正主義者が100年余りの近代史を作り替えようとしている。政府や国民は往々にその言動を否定的に評するが、我が国でも元首相・鳩山由紀夫が6月12日、ソウルの延世大学で講演し「日本は戦争で傷つけた人たちや植民地にしていた方々に対し『これ以上謝らなくてもいい』と言ってくれるまで、心の中で謝罪する気持ちを持ち続けなければならない」と発言している。大切な思いはないか。


山陽新幹線、15日の運転見合わせ 台風10号で計画運休
 大型の台風10号の接近を受け、JR西日本は14日、山陽新幹線の新大阪―小倉間の15日の運転を終日見合わせる「計画運休」を実施すると発表した。同日は上り列車を中心に、お盆休みのUターンラッシュのピークが見込まれ、影響が広がりそうだ。
 山陽新幹線の小倉―博多間は1時間に1本程度を運転する。JR東海も15日は、東海道新幹線と山陽新幹線との直通運転を取りやめ、東京―新大阪間で運転本数を減らして折り返し運転する。
 新幹線では昨年9月4日と同30日、いずれも山陽新幹線・新大阪―広島間で計画運休が実施された。【高橋昌紀】


【台風10号】早めの備えで命守ろう
 お盆休みのさなかという人も多いだろうが、防災にしっかりと気を引き締めたい。北上中の超大型の台風10号が本県にかなり接近し、上陸する危険性も出てきた。
 高知地方気象台によると、きょう夜には暴風となり、あす朝からは猛烈な雨になる見込みだ。県内各地が河川の氾濫や土砂災害など危険な状態になる恐れがあるという。
 家庭で早めの備えをし、市町村が出す避難情報にも速やかに対応して命を守ろう。
 今回の台風は警戒すべき点がいくつもある。予報では、台風10号は四国西部や豊後水道を北上していくコースが想定される。
 四国全体がすっぽりと風速25メートル以上の暴風域に巻き込まれるだけでなく、台風の右側に入ることになる。本県にとっては最悪のコースといってよい。
 台風は風が中心に向かって反時計回りに吹き込み、巨大な渦巻きになっている。右側は吹き込む風の力に台風本体を運んでいる風の力も加わって、風がより強くなる。
 雨も右側が強くなる傾向にある。反時計回りに吹き込む風によって、海からの暖かく湿った空気が供給されるためだ。
 台風10号は超大型で、暴風域もその分、大きい。加えて速度が比較的ゆっくりしているため、暴風雨の影響が長時間続く危険がある。
 豊後水道付近を北上した台風は過去にいくつかあるが、県民の記憶に刻まれているのが1975年8月の台風5号だ。
 宿毛市付近に上陸し、当時の表現では「中型で並の強さ」だったが、台風の通過後も雨が続いたこともあって、仁淀川水系や鏡川は大洪水になった。各地で土砂崩れや土石流も発生し、県内の死者・行方不明者は77人に上った。
 気象台は今回の台風10号は、総雨量が千ミリを超える恐れがあるとしている。増水しやすい河川や土砂災害の危険箇所近くに住む人は警戒が怠れない。
 大潮の時季に当たり、潮位が高いことも気を付けなければならない。高潮の恐れがある。高波にも十分な警戒が必要で、海に近づかないようにしたい。
 気象庁はことし5月、豪雨災害から身を守るための行動を5段階表示する「大雨・洪水警戒レベル」の運用を始めた。昨年の西日本豪雨を教訓にしたもので、内容を再確認しておく必要がある。
 警戒レベル1は災害への心構えを高め、2で避難場所・ルートの確認を含む避難準備を行う。3で高齢者らは避難を始め、その他の人も避難準備や自主避難を始める。4は全員避難で、5は既に周囲で災害が発生している恐れが高く、命を守る最善の行動を取る。
 きょうの夜以降は外に出るのが危険な状態になりそうだ。気象台も「明るいうちに早め早めの安全確保を」と呼び掛けている。油断せずに備えよう。


交通への影響
交通機関への影響です。
海の便の情報です。
桜島フェリーは13日の夜から、運航を見合わせています。
垂水フェリーは午前7時すぎから運航を再開しましたが、再び見合わせる可能性もあるということです。
高速船「トッピー」と「ロケット」は14日の午前中の便の欠航が決まっています。
フェリーの14日の便で欠航が決まっているのは、フェリーなんきゅう、フェリーはいびすかす、プリンセスわかさ、フェリー屋久島2、フェリー太陽、フェリーみしま、フェリーきかい、フェリーあまみ、フェリーあけぼの、フェリー波之上、フェリーさんふらわあ高速船甑島、フェリーかけろま、定期船せとなみとなっています。
空の便です。
県内の空港を発着する便では日本エアコミューターで鹿児島と種子島・屋久島などを結ぶ37便、日本航空の鹿児島と東京などを結ぶ14便の欠航が決まっています。
JR九州によりますと、日豊本線は特急「きりしま」が14日の午後2時以降、ほとんどの列車で運休が決まっているほか、普通列車は南宮崎駅と国分駅の間で14日の午後3時ごろから運転を見合わせます。
日南線は、午前中の一部の列車を除き南宮崎駅と志布志駅の間で運休となっています。
肥薩線の吉松駅と隼人駅の間、それに吉都線の都城駅と吉松駅の間についても午後9時ごろから運転を見合わせる予定です。


河北春秋
 父の命日の7月、岩手の実家近くにある地域の共同墓地にお参りに出掛けたら、父の近くの墓所にあった墓石が取り払われていた。150区画ほどあるが、墓石がなくなったのを見たのは初めてである▼荒れていた記憶はないから、継承者や管理する人がいなくなる「無縁墓」になったとは考えにくい。自らの意思で墓を撤去する「墓じまい」をしたのだろうか▼先祖代々の墓を守りたい気持ちはあるが、遠方に住む子や孫に負担をかけたくないと、墓じまいを考える高齢者が増えている。墓を処分した後、遺骨は子どもらが通いやすい場所へ「改葬」したり、寺院や霊園が管理と供養をする永代供養墓や公営の合葬墓に移したりする▼自治体が手掛ける合葬墓に希望者が殺到している。費用が安く抑えられる上に、自治体が関わるという安心感があるためらしい。2018年度に利用を始めた秋田市では、市が10年分と見込んだ1500人分が初年度で上限に達した。ほとんどが自身のための生前予約で、改葬は2割にも満たなかったという▼樹木葬や海洋散骨、遺骨を身近に置く手元供養など、葬送の形式は多様化している。さて、自分はどう供養されたいか。子どもたちはどう考えているのか。お盆である。話し合ってみるいい機会かもしれない。

○×がんばる/霊前灯・提灯+迎え火で悲しい

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Le Japon veut déverser l'eau de Fukushima dans le Pacifique, Séoul en colère
La Corée du Sud s’inquiète : le Japon envisage très sérieusement de rejeter dans l’océan plus d’un milliard de litres d’eau radioactive qui provient de la centrale nucléaire dévastée de Fukushima.
Avec notre correspondant à Séoul,Frédéric Ojardias
Cette eau hautement contaminée provient des nappes phréatiques situées sous la centrale et elle est pour le moment conservée dans des centaines de réservoirs. Selon les experts nucléaires, la seule ≪ option réaliste ≫ pour s’en débarrasser est ≪ un rejet contrôlé ≫ dans l’océan Pacifique. Une ≪ option ≫ qui horrifie le voisin sud-coréen...
1 400 tonnes d’eau radioactive sont récupérées chaque semaine sous la centrale de Fukushima. Les technologies pour décontaminer cette eau ne sont pas au point et le gouvernement japonais pourrait donc autoriser son rejet dans l’océan Pacifique dès l’année prochaine, redoute Chang Mari, représentante de l’ONG Greenpeace en Corée.
Déverser cette eau dans l’océan est l’option la moins chère et la plus rapide, et nous sommes convaincus que c’est ce que fera [le Japon]. Une fois que cette eau contaminée et ce tritium seront dans l’océan, ils suivront les courants marins et se retrouveront partout, y compris dans la mer à l’est de la Corée.
Greenpeace lance un appel international face à la perspective d'une telle pollution radioactive : ≪ On estime qu’il faudra attendre dix-sept ans pour que cette contamination radioactive soit assez diluée pour atteindre un niveau sûr. Les Coréens sont très inquiets. Nous avons besoin du soutien de la communauté internationale pour stopper le gouvernement japonais. C’est un problème qui concerne le monde entier ≫.
Greenpeace accuse le gouvernement japonais de refuser de parler des risques provoqués par la radioactivité de Fukushima. Quant au gouvernement sud-coréen, il critique Tokyo pour son manque de transparence concernant ce milliard de litres d’eau radioactive qui menace ses côtes.
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NNNドキュメント 原爆の絵 高校生が描く"ヒロシマ"
原爆投下から74年。被爆者の平均年齢は82歳を超えた。原爆で369人が亡くなった基町高校では12年前から被爆者の体験談を絵で残す取り組みを続けている。今年も5人の生徒が祖父母を探すため入市被爆した男性の話を絵で表現することになった。想像もつかない当時のヒロシマに苦悩する生徒たち。その中には祖父が被爆者という被爆3世の生徒も...。"原爆の絵"を通じて、被爆を継承する高校生の思いに迫る。戸田菜穂 広島テレビ
NNNドキュメント 色彩の記憶 〜よみがえるヒロシマ〜
広島市の平和公園はかつて、4400人が暮らす町でした。理髪店や写真館で生まれ育った人たち...。被爆前、今と変わらぬ日常がありました。被爆者の平均年齢は82歳を超え、記憶の継承が課題となる中、写真を使って継承しようと取り組む人たちがいます。広島の高校生と東京大学大学院の教授です。それは被爆前の白黒写真をカラー化するというもの。人工知能「AI」を活用します。広島にはかつて普通の日常がありました。カラー化写真を見た被爆者の思いとは...。 戸田菜穂 広島テレビ

○×をがんばりました.意外に時間がかかってクタクタ.
帰宅してから霊前灯・提灯を準備して,買ってきたキュウリとナスビで精霊馬をつくりました.ベランダで迎え火をしました.亡くした父と母を思い出して悲しいです.

被災者などを追悼 東大寺で法要
東日本大震災などの災害や、さまざまな事件や事故で亡くなった人たちを追悼する法要が、13日夜、奈良市の東大寺で行われました。
この法要は、東日本大震災や紀伊半島豪雨で亡くなった人たちを追悼しようと平成23年から始まり、おととしからは、すべての災害や事件、事故で亡くなった人たちを悼んで行われています。
ことしは、東日本大震災で被災し奈良県内に避難している1人を含むおよそ120人が寺の大仏殿に集まりました。
参列した人たちが大仏のひざ元の須弥壇にのぼると、狹川普文別当が犠牲者を慰霊し復興を祈る言葉を読み上げました。
このあと参列者たちは、僧りょのあとをついて大仏の周りを歩きながら、お経を唱えていました。
参拝に訪れていた奈良県内の50代の男性は、「被災した人や事件の被害にあった人に祈りだけは捧げることができると思い、法要の日にあわせて来ました」と話していました。


震災後9回目のお盆で墓参り
東日本大震災から9回目のお盆を迎え、被災した市町村で最も多くの犠牲者が出た石巻市では家族を亡くした人などが墓参りに訪れて祈りをささげています。
石巻市では先月末時点で、いわゆる災害関連死を含めると震災で被災した市町村で最も多い3552人が犠牲になったほか、今も420人が行方不明になっています。
9回目のお盆を迎え、市内の沿岸部にある西光寺では、津波で犠牲になった遺族などおよそ300人が参列して合同供養が行われ、住職がお経を読み上げるなか祈りをささげました。
寺では、震災から8年5か月余りがたつ今でも津波の被害を受けたままの墓が見られます。
墓参りに訪れた人たちは墓石に水をかけたり、花や線香を供えたりして静かに手を合わせていました。
震災で両親と妹を亡くしたという阿部正治さん(68)は「当時、東京に住んでいて慌てて石巻に駆けつけましたが3人が見つかるまでに半年くらいかかりました。何年たっても忘れられるものではなく、何とも言えません」と話していました。
また、震災で妹夫婦と甥を亡くしたという佐藤正芳さんは(88)「妹は民生委員をしていて地域の人たちに避難を呼びかけるなか津波の犠牲になりました。活動的だった妹がしのばれます」と話していました。
一方、今月から被災者向けの区画で共用が始まった名取市の墓地公園にも家族連れなどが訪れて祈りをささげていました。
今月から被災者向けの区画で共用が始まった名取市小塚原地区にある墓地公園では、震災で家族を亡くして新たに墓を建てる人や、津波によって墓が流出した人などを対象に永代使用料が無料となっています。
共用の開始から初めてのお盆を迎え、家族連れなどが花や線香を持って訪れ、墓をきれいにしたあと静かに手を合わせていました。
このうち、市内の遠藤和則さん(62)は津波によって別の場所にあった墓が流され、墓石を修復するなどしてこの墓地公園に移したということで、13日は家族で墓参りに訪れました。
遠藤さんは「ここまでの時間が長かったのかどうかはわかりませんが、とにかく今は墓が再建できてほっとしています」と目を潤ませながら話していました。
名取市によりますと、この墓地公園では共用が始まった被災者向けの区画以外にも一般向けも整備が進められていて、来年の春には募集を始める予定だということです。


墓前の祈り、心静かに 震災から9度目の盆
 盆の入りの13日、仙台市内の寺院には、家族連れなどが早朝から墓参りに訪れた。東日本大震災で津波の被害に遭った若林区の浄土寺では、訪れた多くの人が線香や花を手向け、震災犠牲者や祖先の霊を弔った。
 若林区今泉の無職佐藤昭子さん(74)は津波で墓石の一部が壊れ、ボルトがむき出しになった墓を丁寧に清めた。「10年前に病気で亡くなった、姉の孫も眠っている。生きていたらどんな女の子に成長していたのかな」と思いをはせた。
 仙台管区気象台によると、13日の県内は前線や湿った東風の影響で、県内全域で曇りとなった。正午までの最高気温は、仙台30.0度、白石31.5度、石巻29.8度、宮城県大崎市古川27.0度だった。
 14日も県内各地は曇りの見込みで、時間帯によって小雨が予想されている。


津波と原発で被災 浪江のお盆
東日本大震災の津波の被害と原発事故からの復興に向けた取り組むが続く福島県浪江町では、避難先などから多くの人が町に戻り、墓参りなどを行っています。
浪江町では、震災の津波で181人が犠牲になり、その後の原発事故により、いまも町の大半で避難指示が続いています。
2年前に避難指示が解除された請戸地区にあり、津波の影響で高台に移転した共同墓地では、午前中から多くの人が墓参りに訪れ、先祖や津波で犠牲になった家族に、静かに手を合わせていました。
避難先の宮城県から訪れた男性は「請戸まで帰ってくるのは少し大変ですが、お盆に家族そろって先祖の墓参りができて良かったです」と話していました。
また樋渡・牛渡行政区では、帰省した人たちが交流できるよう、休憩所が設けられていました。
先月末現在、この地区で暮らしている人の数は震災前の3.5%にあたる37人となっています。
13日は避難先から多くの人たちが集まり、思い出話などをして、久しぶりの交流を楽しんでいました。
樋渡・牛渡行政区の鈴木辰行区長は、「解体されるた家の跡地が増え寂しい思いもありますが、これからもお盆や地元の祭りなどにあわせてみんなで集まれる場所を提供していきたいです」と話していました。


小高区で夏祭り 盆踊りで賑わう
東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う避難指示が3年前に解除された福島県南相馬市の小高区で夏祭りが行われ、地元に戻って生活する人や避難先から訪れた人が一緒にやぐらを囲んで盆踊りを楽しみました。
原発事故による避難指示が解除された南相馬市小高区には、先月末現在、震災前の人口のおよそ3割が生活しています。
12日は、地元の商工会が夏祭りを開き、地元での生活を再開させた人や夏休みを利用して避難先から訪れた人が大勢集まりました。
盆踊りでは、チームごとに一緒に輪になってやぐらを囲み、太鼓や笛の音に合わせて踊りを披露しました。
中には、震災前に同じ地区で暮らした仲間どうしで「キツネ」の仮装をし、久しぶりの交流を楽しむ姿も見られました。
震災後、埼玉県に移り住んだ女性は、「かつての仲間と盆踊りをするために小高に駆けつけました。とても楽しかったですし、小高に生まれて良かったなと改めて実感しました」と話していました。
小高商工会の平田廣昭会長は「小高区では、いまも避難している人が多いので、こうした祭りを通してまた地元に戻って生活をしたいと思ってくれる人を増やしたい」と話していました。


「表現の不自由」展中止に抗議 憲法の専門家らも声明出す
 愛知県が主催する国際芸術祭の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった一件。従軍慰安婦を表現した少女像の展示などをめぐって“政治の圧力”があったことに、美術評論家連盟や日本出版者協議会などが、憲法21条で保障される「表現の自由」の封殺だとして声を上げているが、11日、憲法の専門家である研究者らも抗議の声明を出した。賛同者は89人に上っている(12日現在)。
<「あいちトリエンナーレ2019」における河村市長・菅官房長官の「表現の自由」侵害行為に抗議する憲法研究者声明」>では、河村名古屋市長が「国民の心を踏みにじるもの」などと発言して企画展中止を求めたことと、菅官房長官が文化庁の助成事業になっている芸術祭について、「補助金交付の決定にあたっては事実関係を確認、精査したうえで適切に対応していく」などと発言したことを問題視している。
 そして、両氏の言動が<民主主義国家における「表現の自由」の重要性について全く理解を欠いたもの>としたうえで、今回の中止要請を<単に、権力者が自分の気に入らない言論を自分が気に入らないという理由だけで禁止し、抑制しようとするもの>とし、<このようなことが許されれば誰も権力者を批判することができなくなり、その結果、わたしたちは権力者を批判する表現を受け取ることが不可能になるでしょう。これはとても息苦しい社会です>としている。
 声明では両氏に発言の撤回を求めている。


今回の展示中止は「テロ事件」だ 木村草太氏がみた表現の不自由展 行政による芸術表現への介入、憲法上も問題
 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で企画展「表現の不自由展・その後」が大量の抗議電話や脅迫を受け中止された。この事態を「テロ事件」と意義づけ、意に反する展示について政治的立場から介入することに憲法上の問題点を指摘する憲法学者の木村草太氏が沖縄タイムスに寄稿した。
■「脅迫されない権利」の侵害
 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」が、放火予告と抗議電話の殺到で中止に追い込まれた。
 まず、大前提として、「今回の展示中止はテロ事件だ」との認識が重要だ。
 一般論として、主催者が、外部からの意見に説得された結果として、自律的に展示を見直すことは当然あり得る。個人には、公共施設での催しを自由に批判する権利がある。また、公共施設の運営者には、批判が理にかなったものであると判断したなら、それを受け入れ、催しを中止したり、内容を修正したりする権限がある。
 例えば、公立大学の施設を利用する講演会で、講演者が「差別や名誉毀損(きそん)発言をしない」と約束しなかった場合、「差別や名誉毀損を防ぐべきだ」との批判を受け、主催者が講演会開催を取り消すこともあろう。
 しかし、今回は、単なる展示内容に対する批判にとどまらず、ファクスでの放火予告があった。あいちトリエンナーレは、国内最大規模の国際芸術祭で、美術館だけでなく地元商店街等も会場となるなど、万全の警備体制を敷くことは難しい。このため、主催者は中止の判断に追い込まれた。これは「表現の自由」の侵害というより、「脅迫されない権利」の侵害だ。
 では、電話での抗議についてはどうか。今回、多数の抗議電話により、事務局や愛知県の業務はパンク状態にあったという。通常、一人一人が電話で意見を伝えること自体は、脅迫などを伴わない限り、禁止されるべきものではない。しかし、今回、抗議電話をした人たちは、抗議メッセージを伝えることを超え、不特定多数の力によって、展示会を中止させようとする意図があったのではないか。
■抗議を拒否できる正当な理由とは
 法律家たちは、個人による意見表明の自由を確保しつつ、展示主催者や行政機関の業務遂行を妨げないようにするにはどうするべきかについて、新たな理論を提示せねばならない。例えば、抗議を受け付ける方法を手紙やメールに限定したり、匿名での抗議を拒否したりしても正当と言えるのはどのような場合なのかを、理論的に整理する必要があろう。
 今回の事件は、公共機関の関わるイベントが、脅迫と抗議電話の殺到に対して、極めて脆弱(ぜいじゃく)であることを示した。これを放置すれば、今後、スポーツイベントや博覧会なども、容易に中止に追い込まれる危険がある。今後、東京五輪や大阪万博が控えている東京都知事や大阪府知事は、愛知県知事と連帯して、脅迫者への抗議意思をはっきりと示し、再発防止に取り組むべきだろう。


五輪テスト大会で選手が悲鳴 お台場の海“トイレ臭”の必然
 1年後の東京五輪に向けて、水泳競技「オープンウオーター」のテスト大会が11日、東京・お台場海浜公園で開催されたが、参加選手から高水温や悪臭に対する不満の声が相次ぐ散々な結果だった。
 国際水連は競技実施の条件として会場の水温を16度以上31度以下と定めている。この日の水温は午前5時の時点で29・9度(競技中の水温はなぜか非公開)。そのため午前10時だった男子の開始時間を、女子とほぼ同じ午前7時に前倒しした。
 ロンドンとリオ五輪の日本女子代表の貴田裕美(コナミスポーツ)は「水温も気温も高く、日差しも強くて過酷だった。泳ぎながら熱中症になるんじゃないかという不安が拭えなかった」と悲鳴を上げた。ロンドン五輪金メダルのウサマ・メルーリ(チュニジア)も「今まで経験した中で最も水温が高く感じた」とヘトヘトだった。
■「すぐに競技場所を変更すべき」
 さらに、選手に酷だったのがニオイだ。約1時間泳いだ男性選手は「正直、くさいです。トイレみたいな臭いがする」と衝撃の証言をした。だが、お台場の海が“くさい”のは必然だという。元東京都衛生局職員で、環境・医事ジャーナリストの志村岳氏がこう言う。
「お台場はゴミで埋め立てられた場所。海底のゴミが、海水を汚染しています。ただでさえ、隅田川などが運ぶ汚水が流れ込むうえ、大雨や台風の際は、下水の処理能力を超えた汚水が川に放出され、お台場に到達する。しかも、地形が入り組んでいるため、これらの汚水が外海に出て行かず、よどんでしまう。お台場は東京でもっとも泳いではいけない海なのです」
 お台場はかつて、海水浴禁止だったが、2014年から港区が期間限定で海水浴場として開放。期間中、汚水の流入を防ぐ膜を設置して“泳げる海”にしている。
 今回のテスト大会でも、入り江口に約400メートルの膜を張った。苦情を受けて、本番では膜を3重に厚くするという。
「焼け石に水です。例えば、いくら3重にしたところで、膜では、トイレ臭の原因と考えられるアンモニアの流入は防げません。都の職員も分かっているはずです。五輪開催1年前に問題が表面化したのに、小手先の対策でごまかせば、各国は黙っていないでしょう。すぐに、競技場所を変更すべきです」(志村岳氏)
 東京五輪の暑さ対策で整備された「遮熱性舗装」は、空間気温がかえって上昇することが指摘されているが、今度は海水のトイレ臭。「くさいものにフタ」は許されない。


「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発
事故検証結果は「津波が原因」。しかし、それは間違っていた……
 福島第一原発事故から8年。
 大事故を受けて、一時は「稼働中の原発はゼロ」という状態にもなったが、新しい安全基準(「新規制基準」)が定められ、現在、国内で7基の原発が稼働中だ(玄海原発4号機、川内原発1・2号機、大飯原発4号機、高浜原発3・4号機、伊方原発3号機)。
 2013年に定められた「新規制基準」について、電気事業連合会はこう説明している。
「東京電力(株)福島第一原子力発電所の事故では地震の後に襲来した津波の影響により、非常用ディーゼル発電機・配電盤・バッテリーなど重要な設備が被害を受け、非常用を含めたすべての電源が使用できなくなり、原子炉を冷却する機能を喪失しました。この結果、炉心溶融とそれに続く水素爆発による原子炉建屋の破損などにつながり、環境への重大な放射性物質の放出に至りました。こうした事故の検証を通じて得られた教訓が、新規制基準に反映されています」
元東電社員が突き止めた本当の事故原因
 要するに、「津波で電源を喪失し、冷却機能を失ってメルトダウンが起こり、重大事故が発生した」ということだ。
 この点に関して、津波の規模が「予見可能だったか、想定外だったか」という議論がなされてきた。しかし双方とも「津波が事故原因」という点では一致し、多くの国民もそう理解している。
 ところが、「津波が原因」ではなかったのだ。
 福島第一原発は、津波の襲来前に、地震動で壊れたのであって、事故原因は「津波」ではなく「地震」だった――“執念”とも言える莫大な労力を費やして、そのことを明らかにしたのは、元東電「炉心専門家」の木村俊雄氏(55)だ。
 木村氏は、東電学園高校を卒業後、1983年に東電に入社、最初の配属先が福島第一原発だった。新潟原子力建設所、柏崎刈羽原発を経て、1989年から再び福島第一原発へ。2000年に退社するまで、燃料管理班として原子炉の設計・管理業務を担当してきた“炉心屋”である。
 東電社内でも数少ない炉心のエキスパートだった木村氏は、東電に未公開だった「炉心流量(炉心内の水の流れ)」に関するデータの開示を求め、膨大な関連データや資料を読み込み、事故原因は「津波」ではなく「地震」だったことを突き止めた。
「津波が来る前から、福島第一原発は危機的状況に陥っていた」
「事故を受けて、『国会事故調』『政府事故調』『民間事故調』『東電事故調』と4つもの事故調査委員会が設置され、それぞれ報告書を出しましたが、いずれも『事故原因の究明』として不十分なものでした。メルトダウンのような事故を検証するには、『炉心の状態』を示すデータが不可欠となるのに、4つの事故調は、いずれもこうしたデータにもとづいた検証を行っていないのです。
 ただ、それもそのはず。そもそも東電が調査委員会に、そうしたデータを開示していなかったからです。そこで私は東電にデータの開示を求めました。これを分析して、驚きました。実は『津波』が来る前からすでに、『地震動』により福島第一原発の原子炉は危機的状況に陥っていたことが分かったのです」
 7基もの原発が稼働中の現在、このことは重大な意味をもつ。「津波が原因」なら、「津波対策を施せば、安全に再稼働できる」ことになるが、そうではないのだ。
 木村俊雄氏が事故原因を徹底究明した「福島第一原発は津波の前に壊れた」の全文は、「文藝春秋」9月号に掲載されている。


安倍首相はやっぱりトランプの下僕だった! 日米首脳会談で巨額の農産品購入の約束、特攻隊賛美を嘲笑されたことも判明
 安倍首相のケツ舐め外交、ここに極まれり──。トランプ大統領が安倍首相に対しアメリカの農産品を巨額購入することを直接迫り、日本政府もそれに応じるべく数百億円規模で購入する案が浮上していると、本日、共同通信が伝えたからだ。
 ご存じのとおり、アメリカ政府は中国製品への第4弾となる制裁関税の発動を発表し、対して中国の国有企業はアメリカ産農産品の輸入を一時停止したが、こうした貿易摩擦による対中輸出が減少するなかで、トランプは日本政府にその穴埋めをさせようと農産品の巨額購入を迫っていたというわけだ。
 しかも、共同の記事によると〈これまでの会談でトランプ氏は大豆や小麦など具体的な品目を挙げた〉という。ここで思い出したいのは、ゴルフに異例の特別扱いをした相撲観戦など海外メディアにも嗤われた過剰接待を繰り広げた5月末のトランプ大統領来日後の発言だ。
 トランプ大統領は来日時にも「8月に良い発表ができると思う」と語り、Twitterにも〈日本との貿易交渉で非常に大きな進展があった。農業と牛肉でとくに大きなね。日本の7月の選挙が終われば大きな数字が出てくる、待ってるよ!〉(訳は編集部による)と投稿したが、帰国後の6月にも「日本は先日、『米国の農家から大量の農産物を買う』と言った」と宣言。つまり、あの過剰接待時に安倍首相は大豆や小麦などのアメリカ産農産物を巨額購入することをすでに約束していた可能性があるのだ。
 異常なおもてなしの引き換えが農産品の巨額購入……。その上、この農産品の巨額購入は、トランプ大統領が日本政府に要求してきた農産物の関税引き下げとはまったく別の話。共同も〈日米貿易交渉の枠組みとは別に購入を迫っている〉と報じているが、関税引き下げをちらつかせるトランプ大統領の顔色を伺い、別に持ちかけられた農産品の巨額購入の要求をまんまとのんだということだろう。
 ようするに、対中貿易戦争の穴埋め策として数百億円規模の農産品購入をおこなっても、それが関税引き下げ要求を食い止めるという確約は何もない。いや、いまアメリカの農業界は深刻な不況の心配を抱えており、さらにアメリカ抜きの環太平洋経済連携協定(TPP)の発効によって日本の農産物関税引き下げへの圧力がこれまで以上に高まっている。来年に大統領選を控えたトランプ大統領が、ここで安倍首相を相手に妥協することなど、考えられない。
 実際、いかにトランプ大統領が安倍首相を下に見てバカにしているか、それを象徴する出来事が起こったばかりだ。
トランプがパーティで安倍首相の特攻隊賛美をからかう発言
 米ニューヨーク・ポスト紙によると、トランプ大統領は9日におこなわれた政治資金パーティで、日米貿易交渉をめぐる安倍首相との会話を「日本語訛りの英語」を真似しながら紹介したという。
 このとき、トランプ大統領は韓国の文在寅大統領についても安倍首相と同様に「韓国訛りの英語」を俎上に載せてからかったというが、英語を母語としない者の英語発音を揶揄するとは、国のトップとして信じがたい差別丸出しの言動だ。
 しかも、トランプ大統領は安倍首相に「特攻隊員は(出撃前に)酒に酔っぱらってたり薬物をキメたりしていたのか」と尋ねたところ、安倍首相は「いいえ、彼らはただ国を愛していた」と返答したことも紹介。国の命令に従って命を落とした人びとを「国を愛していた」と説明する安倍首相の特攻の美談化には閉口するが、このやりとりを振り返ってトランプ大統領は、「愛国心のためだけに、片道の燃料だけを積んだ飛行機で、鋼鉄の艦船に突撃したって想像してみてよ!」と述べたという。
 特攻隊の行動を常識では考えられないとトランプが受け止めることに不思議はないが、しかし、この発言といい、なまり英語の物真似といい、トランプが安倍首相を嘲笑の対象として扱っていることはあきらか。安倍首相はしきりにトランプ大統領と蜜月関係にあることをアピールし、参院選の自民党政見放送では「深い関係にあるからこそ、何でも率直に言い合える仲なんです」と豪語したが、実際はたんに“なんでも言うことを聞く下僕”くらいにしか見られていないのだ。
 そして、この情けない尻尾振り外交の結果、またも言いなりになって中国の穴埋め要因として数百億円も費やし、日本の農家を犠牲にしようとしている。一体、安倍首相はどこまで国益を売り渡しつづけるのか──「反日」と呼ぶべきは、じつのところこの男のことではないのだろうか。


仙台育英・須江監督に聞く“中高一貫校”の仕組みとメリット
 14日に登場する仙台育英(宮城)の須江航監督(36)は同校OB。高校2年時に学生コーチになり、以降は八戸大(現・八戸学院大)で学生コーチを務め、卒業後に仙台育英の系列校である秀光中の監督に就任。全国制覇の経験もある。昨年、仙台育英の監督に就任し、夏の甲子園に出場した。今年は「スーパー1年生」と評判の笹倉や伊藤をはじめ、9人の秀光中出身者がメンバー入りしている。須江監督に中高一貫校の仕組みやメリットなどを聞いた。
  ◇  ◇  ◇
■高校からの外部生と横一線で競争
――18人のメンバー中9人が系列の秀光中出身です。
「今回はたまたまそうなっただけです。投手3人、捕手1人、これだけで4人いますが、来年は9人入ることはないと思います。どの中高一貫校でも同じかもしれませんが、中学入学時に高校のメンバーに入れるイメージで取っていない。高校からの外部生と横一線で競争することになりますから、中学入学時はもちろん、高校から入ってくる外部生も含め、レギュラーを確約することは絶対にありません」
――中学では高知中をはじめ高知の学校と交流を深めています。
「(1年の)笹倉や伊藤たちは、高知高の森木君とは中学時代から仙台と高知でお互いがホームステイをしたり、とても仲良くしている。目の前にすごい選手がいるというのは、かなり刺激になると思います」
――中学に特待生や推薦制度はあるのですか?
ありません。受験勉強を経て入ってもらう形です。たとえば笹倉は小学6年のときに見て、粗削りながら、とんでもないパワーを秘めているなと思った。岩手出身で中学から親元を離れるのはなかなかできないと思いますが、お母さんと本人に『自分の可能性を磨けるところでやった方がいい。ぜひ、受験してくれませんか』と話をし、受験勉強に励んでくれました」
■1学年10人が理想
――勉強も必要となるとスカウティングは簡単にはいきませんね。
「もちろん声はかけさせていただきますが、受験があるので門戸は狭くなります。さらに控え選手を多くつくらないという観点からいくと、1学年10人程度が理想。小学生の日本代表だった子が入試で落ちた例もあります。高校ではどうしても野球重視になることを考えれば、中学時代に学業をしっかりやることで、トータルのバランスは取れると思います」
――昨年、中日に2位指名された梅津晃大(投手)をはじめ、中高一貫によって育っていくケースもあります。中高一貫のメリットは?
「高校に入る前には、その学校がどんな活動をしているのか見えませんが、自分の目の前に高校がある。自分自身の力量も測れます。高校でベンチ入りしている先輩を見て、中学3年までにどのくらいのレベルに到達できれば、自分もやれると自信になるでしょう。少子化の時代ですし、ただでさえ肩肘は消耗品。中学時代からひとりの才能がある子に負担が集中する状況もないと思う。ただ、デメリットもあります」
――といいますと。
「自分の実力では高校では無理だと思ったりするケースも出てくるかもしれません。ウチの中学は他の高校の受験をしてはいけない決まりはありませんが、推奨はしていません。中学で野球をやめて、高校では勉強に専念する生徒もいます」
――監督が中学の野球部にかかわることは?
「規定で指導できないようになっています。もちろん、技術的なことや今の状態について報告は受けますが、ウチは外部の子も多い。県内の他のチームに不快な思いをさせてしまうので、高校と中学はあくまで独立してやっています」
■裏方しか生きる道がない
――中学の指導経験が生きていることは?
「中学の軟式は非常に繊細。投手が圧倒的に有利の状況で、全国大会ではたった1度のミスが命取りになる。勝負どころを見極める目は養われたと思います。また、投手がいないと勝てなかったので、投手の育成は勉強になった。投げ込みにとらわれず、どう鍛えるか、球数を含めたサジ加減は大事です」
――指導で心掛けていることは?
「私自身、埼玉から野球留学をしたものの、箸にも棒にもかからず、努力しても埋まらない実力差を感じ、学生コーチとして裏方に回るしか生きる道がないと思った。控え選手の気持ちはわかる?高校野球はあくまで部活動。練習や出場機会に関して、レギュラー優先にならないよう、控えの子たちをしっかりケアすることにはすごく気を使いますね」


香港空港をデモ隊占拠 300便欠航 女性負傷に抗議
 香港国際空港は12日、数千人の若者らが空港ロビーを占拠して混乱が続いたため、同日午後から全便の運航を中止した。日本に向かう便を含む約230便が欠航した。13日も運航時刻の再調整のため、合わせて約300便が欠航する見通しだ。国際的な中継点でもある空港が機能不全になったことで、中国政府は抗議行動への批判を強めている。
 空港内では、「逃亡犯条例」改正案に反対し、香港政府に対する抗議活動が9日から3日間の予定で続いていた。しかし11日の香港中心部での若者らと警察との衝突で1人の女性が右目を負傷し、血を流す写真が伝えられたことで、若者らが空港での抗議行動の続行をインターネットで呼びかけた。
 空港では12日午後から若者が増え始め、深夜まで到着ロビーなどに座り込んだり、到着客に自らの主張を訴えるビラを配ったりした。若者らは条例改正案に加え、警察が市民を負傷させるなどの強硬な態度に出ているとして批判を強めている。空港や各地での若者らの抗議行動は今後も続く可能性が高い。
 一方、中国政府で香港問題を担当する国務院香港マカオ事務弁公室の楊光報道官は12日の記者会見で「(抗議行動は)既に暴力犯罪であり、テロリズムの兆しも表れ始めている」と批判し、秩序の回復を訴えた。
 中国メディアは12日、9〜12日に各地で繰り広げられた抗議行動で香港警察が15〜53歳の計149人を拘束したと伝えた。「違法な集会を開き、警官を襲い、武器を所持するなどしたため」としている。
 また13日付の香港紙は、20〜40メートル先まで全方位に放水できる特殊車両を警察当局が公開したと報道。警察側が抗議行動を改めてけん制した。【香港・工藤哲】


落語家・立川談四楼さん「今の自民党はカルトに近い」
 総理大臣の通算在職日数が11月に桂太郎(2886日)を抜き、憲政史上最長に達する安倍首相だが、長期政権に伴う「弊害」も指摘されている。霞が関の役所にみられる人事をタテにした「忖度」だ。その傾向は官僚組織にとどまらない。メディアや芸能界でも、政権批判の声を上げた出演者は次々と表舞台から去った。“物言えば唇寒し”の風潮が社会に広がる中、ツイッターで真正面から鋭い政権批判を続けているのがこの人だ。今の日本を取り巻く政治状況の問題などについて聞いた。
  ◇  ◇  ◇
 ――連日のようにツイッターで政権批判しています。もともと政治に対する興味、関心が深かったのですか。
 政治に興味を持ったのは師匠の談志(故・立川談志)が参院議員(1971〜77年)だったからです。選挙の時は遊説も手伝い、当選後の6年間は何度も議員会館に通いました。入館受付のチェックが厳しくてね。いつ何時、何の目的で、誰を訪ねるのかを面会証に書くのですが、目的に「稽古」と書いたら、怒られて「陳情」と書き直したなんて笑い話もあります。参議院会館ですら、そうなんですから、官邸の入館記録がないなんてことはあり得ないんです(笑い)。
 ――談志さんは無所属から自民党に入党していますね。
 談志の師匠だった小さん(落語協会8代目会長の柳家小さん)が佐藤(栄作元首相)さんに口説かれたため、自民党に入ったわけですが、そのおかげで、かばん持ちだった私も当時の自民党政治家をたくさん見ました。ある時、談志が銀座の店で飲んでいたら、若き日の中曽根さんがさっそうと近づいてきて、こう話し掛けました。「これは松岡先生(談志の本名)。こちらで飲んでいると聞き、近くを通りましたので、ご挨拶に」と。そう言ってビールを談志のグラスにつぐと、さっと引き揚げました。あの大勲位が、一介の新人議員に挨拶ですよ。当時の自民党の懐の広さ、深さを肌で感じて、自民党って、格好いいなあと実感しましたよ。
 ――その師匠の古巣である自民党に辛口ですね。
 談志が政界を引退した後、政治の世界をしばらく離れていたわけですが、再び、関わるきっかけは2011年3月の東日本大震災です。特に福島原発事故でした。あの時は民主党政権だったのですが、ひどいなと感じたのは野党だった自民党が激しく与党攻撃していたこと。今は与野党関係なく、一丸となって問題解決に取り組むべき時だろうと思っていました。しばらくして、自民党は再び政権の座に就き、安倍政権となったのですが、相変わらず誹謗中傷の類いの野党攻撃を続けている。それを見ていて、ちょっと待てと。これは俺の知っている自民党じゃあねぇ。そう思いました。
■安倍さんは戦争をしたがっているとしか思えない
 ――かつての自民党と今の安倍政権は違うと。
 全く違いますね。今の自民党は保守でも何でもなく、カルトに近いでしょう。談志の友人だった(評論家の)故・西部邁先生は、第1次政権の安倍首相に「保守とは何ぞや」と随分とレクチャーしたそうですが、「とうとうご理解いただけなかった」と嘆いていましたから。
 ――歴代自民党政権と安倍政権が特に異なる部分はどこでしょう。
 かつての自民党総裁、政権は、改憲や安保に対して、今よりもずっと慎重な姿勢でした。田中角栄元首相は「戦争を知らない世代が政治の中枢となった時は危ない」と言っていましたが、まさに(戦争を知らない世代の)安倍さんの言動を見ていると、どう見ても戦争をやりたがっている、戦前に戻りたいとしか思えない。大日本帝国の影がちらつきます。戦争すれば、今度は勝つと本気で思っているのではないでしょうか。憲法も知らないでしょう。押し付けられたみっともない憲法とか言って、好き勝手にいじれると思っていますからね。これまでの自民党は敵ながらあっぱれという愛嬌がありましたが、安倍さんにはそういった愛嬌が感じられません。
 ――自分の知っている愛嬌ある自民党を取り戻したいという思いから、歯に衣着せぬ物言いでバンバン発信している。
 今の自民党は俺が知っている自民党じゃあないし、このまま黙って死ぬのは嫌だから、言いたいことは言ってやろうと。そう思って始めたのがツイッターの発信です。私は真正の保守であり、かつての自民党を壊した今の政権は許し難く、大嫌いと思って発信しています。厳しめに言わないと伝わらないし、共感を得られません。
落語はもともと庶民のガス抜きであり反権力
 ――師匠の談志さんも「黙っていたら世間は知らない。発信しないといけないし、生半可な発信ではダメだ」という姿勢でしたが、今の芸能界で政権批判の声は少数です。
 落語はもともと庶民のガス抜きであり、反権力です。お殿様や侍を揶揄し、いじり倒している噺はたくさん残っていますからね。もっとも江戸時代の初期のころは、やり過ぎて島流しになった人もいますが。別にデマやデッチアゲを言っているわけじゃない。若手からも「師匠、そんなこと言っていいんですか」と聞かれますが、私は「いいに決まっている」「むしろ仕事だ」と答えています。戦時中、戦意高揚のための国策落語がありました。隣の若旦那が出征する噺とか。しかし、落語には一番合わないんですよ。戦争よりもバクチやオンナの方がいいというのが落語の世界ですから。将来、今以上に独裁政権化が進んで、再び「国策落語」の時代に逆戻りなんて冗談じゃありません。
■選挙は馬券を買う「娯楽」と考えればいい
 ――首の皮がつながったというのか、安倍政権は参院選で改憲勢力の3分の2を得られませんでした。
 ほっとしていますね。そもそも、自民党内でもまとまっていない改憲案が、庶民に伝わるはずがないでしょう。世論調査でも6割近くの国民が改憲に反対し、選挙でも(勢力は)3分の2に届かなかった。それなのに安倍さんは「改憲議論をすべきではないかという国民の審判が下った」などと言っている。改選前と比べて9議席も減らした自民党についても「勝った」です。思わず、ツイッターで〈安倍さんあなた、字が読めないのは知ってたけど、算数もからっきしなんだね〉と書き込んでしまいました。
 ――その参院選では、山本太郎氏率いる「れいわ新選組」の応援演説に立ちました。
 私が勝手に思っていることですが、自分と同じように彼(山本)も福島原発事故後、反原発を掲げて俳優から政治家に転じた人物であり、当時から注目していました。彼のいいところは徹底しているところ。例えば、消費税増税も凍結なんて生ぬるいことを言っていてはダメで、廃止です。中途半端では、国民、有権者に響かないのです。それを一番強く訴えていたのが彼で、街頭演説でも支持者の応援の本気度というのか、熱気が違っていました。ちょっと聴いてやろうか、という姿勢じゃない。一揆でも起きるのではないか、という熱気を久しぶりに見ましたね。
 ――山本氏本人は落選してしまいましたが。
 落選したことで逆にニンマリしているんじゃないですか。これで衆院選に挑めると。それに参院選で当選した「れいわ」の2人は、国会にいるだけで絶大な効果をもたらすでしょう。バリアフリーがどう進められるか、国会はどう運営されていくのか。日本のみならず世界中が注目している。まさに民主主義の可視化と言っていい。
 ――「れいわ」は参院選で台風の目になりましたが、投開票日前に取り上げるメディアは、ほとんどありませんでした。
 山本氏の街頭演説の場はめちゃくちゃ盛り上がっていて、そこにカメラがずらりと並んで映しているから、オンエアがいつかと尋ねると、「開票後です」と。なんだよ、それって、思いました。現場の記者やカメラマンは「れいわ」の熱狂を肌で感じてるわけでしょう。政党要件を満たしていないとか、いろいろ理由はあるのでしょうが、社会現象として取り上げるべきだった。選挙を堅苦しく捉える必要はないんです。馬券を買うのと同じ娯楽だと。そう思って「れいわ」も放送事故扱いにしてオンエアすればよかった。何か問題が起きたとしても、国民が擁護したと思いますね。 (聞き手=遠山嘉之/日刊ゲンダイ)
▽たてかわ・だんしろう(本名は高田正一) 1951年、群馬県生まれ。群馬・太田高校卒業後の1970年3月、故・立川談志に入門し「寸志」。75年11月に二つ目に昇進後、「談四楼」を名乗る。83年、談志とともに落語協会を脱会し、立川流に。同年11月に真打ち昇進。「もっとハゲしく声に出して笑える日本語」(光文社)、「師匠! 」(PHP研究所)など著書多数。


女性派遣社員は見た!年金機構2万件データ紛失の呆れた現場
「年金関連のデータは個人情報の宝庫といえます。いくら給料をもらっているのか、税金をどのくらい払っているのか、家族構成などはもちろん、結婚歴や離婚歴、さらには病歴や中絶経験があることなど、データを読めばその人の“すべて”がわかってしまうのです。そんなデータが2万3千人分も紛失してしまうなんて、本当に恐ろしいことです……」
本誌にそう語るのは、派遣社員のA子さん。彼女が“恐ろしい”と語るのは、日本年金機構が7月23日に公表した“DVD紛失事件”のこと。国民年金の未納者計約2万3千人分の個人情報が記録された8枚のDVDが行方不明になってしまったという問題だ。
国民年金未納者への支払いの督促を委託されていた会社が状況を報告するためにDVDを作成。それが日本年金機構の東京広域事務センターに宅配便で送付されたという。そしてA子さんは同センターで働いていたのだ。
「センターは江東区有明にあるビルの3フロアを使用しています。働いているのは日本年金機構の正規職員が1割、残り9割は派遣社員やアルバイトなどの非正規スタッフという割合でしょうか。スタッフはパソコンでのデータ入力、電話対応、書類の整理など業務ごとにグループに分けられていて、郵便物の開封作業だけに携わっている人たちもいます。DVDの入った宅配便が届いたのは7月4日だと聞いていますが、それを受け取ったり開封したりしたのは、アルバイトスタッフだったそうです」
“センターに届いた郵便物の受け取りは機構の正規職員が立ち会う”というルールもあるが、この日、機構職員は不在だった。
「私たちがDVDのことを知らされたのは7月9日のこと。朝礼のときに“紛失したから捜索する”というお達しがありました。もう大騒ぎで、杉並区にある日本年金機構の本部から100名ほどの職員がやってきました。ゴミ箱を1つ1つ漁ったり、通路に1列に並んで床を這うようにして捜したり、派遣社員やアルバイトたちの荷物を全部チェックしたり……。ただDVD8枚といえばかなりの量です。2週間も捜索を続けていましたが、何だか懸命に捜したという“アリバイ作り”のようにも思えました。荷物チェックについては、私物を見たりさわったりするのですから、“スミマセン”とか“ご協力ありがとう”といった一言があってもいいと思うのですが、そういった気遣いはありませんでした」
5千万件という“消えた年金”問題で社会保険庁が解体され、’10年に発足した日本年金機構。その設立委員も務めたジャーナリスト・岩瀬達哉さんは次のように語る。
「機構が管理している個人情報は非常に重要なものですが、職員たちは、その認識が甘いように思われます。これらの情報が詐欺集団の手に渡れば悪用されることは目に見えています。悪徳金融業者に渡れば、逃げた顧客の追跡に使うことでしょう。いわば“金になる情報”であり、’17年には機構の職員らが、データを持ち出し、逮捕されるという不祥事も起こっています」
A子さんが今回、“告発”に踏み切ったのも、日本年金機構のずさんな管理体制に疑問を抱いたからだという。
「データの整理には納期もあり、厳守しなくてはいけません。そのため大勢の人員を確保しなくてはならず、日替わりのようにして新しいアルバイトの人たちがやってくるのです。 大切な個人情報がいわゆる“日払いバイト”たちに任せられているのですが、立ち会うべき職員が立ち会っていなかったという事実からもわかるように、機構は非正規スタッフに仕事を“丸投げ”し、きちんと管理しているとはいえない状況です」
今回の紛失事件についての見解を日本年金機構に取材したところ、広報担当者が次のように回答した。
「DVDの記録は暗号化されており、限られたパソコンでしか読み取ることができません。現在までにそれらの端末が使用された痕跡はなく、さらにデータ自体を閲覧できないように処理しましたので、個人情報漏洩は起きることはありません。今後は郵便物の開封や、(DVDなどの)データの持ち運びなどは、複数人で行うようにし、同じような事態が起きないようにしていきたいと思います」
だが事件後、非正規スタッフたちの負担はさらに増加したという。A子さんが嘆息する。
「例えば荷物を運ぶにも、いまは最低でも2人以上で対応することになり、その分、スタッフたちの業務が増えています。セキュリティーを重視しているという姿勢をアピールしたいのでしょうが、時給1000円程度の非正規スタッフにばかり負担を強いるのではなく、管理体制そのものを見直すべきではないでしょうか」
発足以来、不祥事ばかりの日本年金機構。汚名を返上できる日は来るのだろうか。


馬術テスト大会で日本選手が暑さ懸念 「競技時間前倒しを」の声が相次ぐ
 来年の東京五輪の総合馬術・クロスカントリーの競技会場となる東京・海の森公園で13日、テスト大会が行われた。日本選手からは暑さによる馬の体調悪化を懸念し、五輪本番の競技開始時間を現日程の午前8時半よりも早めるように求める声が相次いだ。
 この日は競技開始の午前10時前に晴れ間がのぞいて気温が上昇。朝方に降った雨の影響もあり、会場は蒸し暑さを感じさせた。2012年ロンドン五輪代表の佐藤賢希(明松寺馬事公苑)は「(馬には)非常に厳しいコンディション。競技の時間帯を早めることを考えた方が良いと思う」と話した。佐藤はマラソンのスタート時刻が1時間前倒しの午前6時に変更されたことに言及。テスト大会の出場選手らで意見交換し、日本馬術連盟などに競技時間の前倒しを提案する考えを示した。
 また、ナショナルチームメンバーの戸本一真(日本中央競馬会)は「いざ走り始めると、馬は明らかにいつもと違う反応になった」と振り返り、「各国からも声を上げてもらい、全員で(競技時間を)早くしようという意見を出さないといけないと思う。8時半では遅い」と語った。
 テスト大会は約3000メートルのコースで実施し、16人が出場。本番は5600〜5800メートルのコースが想定され、65人が出場する予定。競技時間は大幅に長くなり、各選手のスタート時刻によっては競技条件が大きく異なる可能性も指摘されている。【倉沢仁志】


秋国会は政権批判防止の閣議決定から?
★10日、参院選期間中に札幌市で行われた首相・安倍晋三の街頭演説にやじを飛ばすなどした聴衆が北海道警の警察官に現場から排除された問題で反対する市民らのデモが行われた。また6日、道議会常任委員会でもこの問題が取り上げられ、道警本部長・山岸直人が「現場のトラブル防止の観点から措置を講じた」と説明。だが法的根拠の説明はない。★ただ、道警の説明は、はなはだ説得力に欠ける。街頭演説で「増税反対」と声を上げた女子大生のとっさの判断による録音でのやりとりでは、道警(以下、警)「いきなり声上げたじゃん」、女子大生(以下、女)「なにそれ、犯罪なわけ?」警「取り押さえたんじゃなくて、やめよ」女「腕つかんで取り押さえたじゃん」警「それは取り押さえじゃないんだよ」女「じゃあ日本語が違うんだ、あなたたちと」警「法律に引っかかっているとかじゃなくて」。この法に基づかない問答が続くが、聞いていると現場のトラブルを巻き起こしているのは道警ではなかろうか。★もしかしたら、それ以外のやりとりや犯罪要件を道警は知っていたり持っていたりするかもしれないが、いずれにせよ排除という名の連行に山岸が言うだけの説得力はない。選挙中の街頭演説で「増税反対」で私服や制服の警官に取り囲まれただけで民主国家の住民はその異様さに緊張するはずだ。当然、首相を応援する人たちの声やプラカードにおとがめはないとなれば、唯一、住民、市民、国民をその場から排除するにはそれなりの法的根拠が必要だ。無論、道警はじめ、警察がそれを無視して超法規を行使したか、秋までには法律を作ってやじのみならず、政権批判防止法でも作るなら、予行演習とでもいえよう。それを間違いだったと正し、謝罪するチャンスが6日の道議会だったにも関わらず道警は突っ張った。秋の国会ではまず政権批判防止の閣議決定からか。こわーい。

大学に米軍ヘリが墜落した事故から15年 若者たちが証言を記録する理由
「ヘリ墜落時はどこにいて何をしていましたか。米軍の対応はどうでしたか」
米軍ヘリ墜落で損壊し、その後建て替えられた沖縄国際大学の本館6階会議室。産業情報学科の大山健治講師(48)のゼミ生がビデオカメラで録画しながら、事故時に旧本館にいた大学職員や教員の話を聞いている。
インタビューを受けたある職員は事故発生時、旧本館2階で調べ物をしていたと証言した。午前中にいた1階会計課の窓はヘリ激突の衝撃で破壊された。「ぞっとした。死と隣り合わせで恐怖を後で感じた」と職員は声を震わせた。
インタビューに取り組むのは産業情報学科4年の照屋夏希さん(22)、3年の浦崎直之さん(21)、仲西亜文(あもん)さん(20)の3人だ。職員や教員7人から聞き取った映像を編集。大学図書館で13日から公開し、授業でも使えるようにする。
映像記録は「次世代に伝える記録を残したい」との大学側の思いから始まった。当時から現在も大学にいる職員と教員は、全職員の約5割にとどまる。事故の証言を映像に残すのは初めての取り組みだ。
3人は当時5〜7歳で、事故は親からの話やニュースで知った。ある程度事故について自分で調べたり、ニュースで聞いたりした。だが当時の職員や教員から事故の状況や対応に追われた大学側の内情を直接聞くと、事故の捉え方は以前と異なるようだった。
「大学内で墜落したのに、職員や警察が入れない理不尽さに改めて気付かされた」と振り返る照屋さん。当初はあまり関心がなかったが、インタビューを通して強い関心を抱くようになった。新入生の中には事故当時は、3歳だった学生もおり、「事故自体を知らない人は多いと思う」と受けとめている。
仲西さんは「大学側の話を聞くことは大きな経験になった」と話す。浦崎さんは「記録を残すことに携われているのはやりがいがある」と語る。大山講師は「記録を残す貴重な機会を学生と共有できた。次世代につなげる意味のある取り組みだ」と強調した。
3人は、危険な普天間飛行場の辺野古移設は問題が長期化・複雑化し、同年代が関心を持ちにくくなっていると感じる。それだけに「事故は絶対に風化させてはいけない。次世代に伝え、つなげていきたい」と継承の大切さを実感している。(金良孝矢)
◇     ◇
沖縄国際大学にCH53Dヘリコプターが墜落した事故から13日で15年となる。普天間飛行場所属機による墜落や落下物などのトラブルは後を絶たず、危険性は除去されていない。宜野湾市民らの我慢が限界に達する中、墜落の記憶が継承されていない懸念もある。市民や大学関係者の思いを紹介する。


台風 空の便一部欠航決まる
台風10号の影響で、14日に関西の空港を発着する空の便のうち、九州と結ぶ便の一部で欠航が決まっています。
欠航が決まっているのは、▽日本航空が大阪空港と宮崎や鹿児島などを結ぶあわせて19便。
▽全日空が大阪空港と宮崎を結ぶ14便。
▽スカイマークが神戸空港と鹿児島を結ぶ2便となっています。
航空各社では、今後さらに欠航が増える可能性があるとして、ホームページなどで最新の情報を確認するよう呼びかけています。


台風で高速船やフェリー欠航へ
台風10号の接近に伴って、関西の港を発着する高速船やフェリーが相次いで欠航を決めています。
▽神戸空港と関西空港を結ぶ高速船、「神戸ー関空ベイ・シャトル」は14日の昼すぎ以降の全便の欠航を決めました。
15日の便については14日の正午以降に決定するということです。
関西と九州を結ぶフェリーの▽「さんふらわあ」、▽「名門大洋フェリー」、▽「阪九フェリー」は、14日と15日の全便の欠航を決めました。
▽宮崎と神戸を結ぶフェリーの「宮崎カーフェリー」は、14日の全便と、15日に神戸を出発する便の欠航を決めています。
▽神戸と高松を結ぶ「ジャンボフェリー」は、14日の午後の便を中心に欠航を決めたほか、15日の全便の欠航を決めました。
▽和歌山と徳島を結ぶフェリーの「南海フェリー」は、14日の午前8時以降の全便と15日の全便の欠航を決めました。


山陽新幹線、15日に運転見合わせ可能性 JR九州在来線も 台風で
 JR西日本は13日、台風10号の接近を受け、15日に山陽新幹線の運転を終日見合わせる可能性があると発表した。14日午前11時に詳しい運転計画を明らかにする。
 また、JR九州は大分県南部、宮崎県全域、鹿児島県全域で14日夕方から運転を見合わせる可能性があると発表した。
 JR西日本も和歌山、広島、山口県エリアの在来線については14日夜から運転を見合わせる可能性があるとしている。
 気象庁によると、超大型の台風10号は14〜15日にかけて西日本に接近、上陸する恐れがある。15日正午までの24時間に予想される雨量は、いずれも多い所で、四国地方800〜1000ミリ▽近畿地方400〜600ミリ▽東海地方・九州北部地方・九州南部300〜500ミリ▽関東甲信地方・中国地方・奄美地方100〜150ミリ――となっている。


山陽新幹線 台風接近で15日は終日運休の可能性 JR西日本
台風10号が西日本に接近することから、JR西日本は、今後の台風の状況によっては、新大阪駅と博多駅を結ぶ山陽新幹線について15日の運転を終日、見合わせる可能性があると発表しました。JR西日本によりますと、詳しい運転計画については14日午前11時に発表するということです。
在来線も運転見合わせの可能性
在来線の運転についても、14日夜から15日にかけて運転を見合わせる可能性があるということです。
JRでは、ホームページなどで最新の運行状況を確認するよう呼びかけています。


九州新幹線と九州の在来線 14日夕方から一部で運休の可能性
台風10号の接近にともなって、JR九州は、新幹線および在来線で、鹿児島県、宮崎県、それに大分県南部を走る列車について、14日の夕方から運転を見合わせる可能性があると発表しました。JR九州によりますと、詳しい運行状況についてはホームページなどで最新の情報を確認するよう呼びかけています。

撤去された「平和の少女像」を展示――丸木美術館学芸員が語る、表現の自由と「慰安婦」問題
 3年に一度の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』内の展覧会『表現の不自由展・その後』が、開幕からたった3日で中止となった。旧日本軍の「従軍慰安婦」をモチーフにした、キム・ソギョン氏−キム・ウンソン氏夫妻による「平和の少女像」などの作品に対し、一部から「税金を使った展覧会に、反日作品を展示するとは何事か」といった批判が噴出。事務局には「大至急撤去しろ。ガソリンの携行缶を持ってお邪魔する」とのFAXはじめ、誹謗中傷や脅迫が送られる事態となり、実行委員長の大村秀章・愛知県知事が“続行不可能”を決断したのだ。
 『表現の不自由展』は、もともと2015年、東京都練馬区にある「ギャラリー古藤」で行われた展覧会だった。『あいちトリエンナーレ』の公式サイトによると「日本における『言論と表現の自由』が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集めた展覧会」と紹介され、今回中止となった『表現の不自由展・その後』は、「(15年の展覧会で)扱った作品の『その後』に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示」していたという。
 「平和の少女像」もまた、かつて“撤去”された作品だった。12年、東京都美術館で開催された『第18回JAALA国際交流展−2012』に、少女像のブロンズ製のミニチュアが出品されたが、美術館サイドが「政治的主張の強い作品の展示を禁止した使用規定に該当する」という理由で、展示を終了させる事態に。主催団体のJAALA(日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議)は「表現の自由を侵害する」と反発したものの、受け入れられることはなかったという。しかし、「平和の少女像」のミニチュアが、その後急遽、埼玉県東松山市にある丸木美術館の『今日の反核反戦展2012』に出品されたという事実をご存じだろうか。なぜ丸木美術館は、撤去された「平和の少女像」をあらためて展示したのか――今回、同館学芸員である岡村幸宣氏に、展示の経緯、そして『表現の不自由展・その後』中止問題、さらに「平和の少女像」という作品をどうとらえているか、話を聞いた。
撤去された「平和の少女像」展示――ほかの作家から拒否反応が
 まず、岡村氏は、東京都美術館の展覧会から撤去された「平和の少女像」を、丸木美術館で展示に至った経緯について、次のように説明してくれた。
「JAALAから丸木美術館に『東京都美術館から撤去されたのですが、展示してもらえないでしょうか』という話があり、『今日の反核反戦展2012』に展示することになりました。同展は、アンデパンダン展……つまり『反核反戦』の趣旨に賛同する者であれば、誰でも展示ができる展覧会なので、ほかの作家の作品同様に受け入れたということです。恐らく、JAALAが連絡をしたのは丸木美術館だけだったと思います。JAALAの作家の方々が同展に出品されている背景もあり、受け入れ先として思いつくのが丸木美術館だったのでしょう」
 丸木美術館は正式名称「原爆の図丸木美術館」。1967年に開館し、丸木位里氏、丸木俊氏夫妻による「原爆の図」連作が展示されていることで広く知られ、「『平和の少女像』に限らず、ほかでは展示が難しいという作品が持ち込まれることはよくある」そうだ。では『反核反戦展』の来場者からは、どのような反響があったのだろうか。
「7年前なので、記憶があいまいな部分もありますが、目立った反響はなかったです。ブロンズ製のミニチュア版だったため、作品自体に気づかず、通りすぎる来場者の方も多かったと思います。気づく人だけが気づく作品だったのではないでしょうか。我々も、『政治的意見を主張する作品』と強調するつもりはなく、とりわけそのような説明もしませんでしたし……『大きな騒動にならないように配慮した』とも“言えなくはない”です。とはいえ私は『平和の少女像』を、必ずしも『政治的意見を主張するだけの作品』とは思っていません」
 ただ、『反核反戦展』の出品作家から、「ああいった政治色の強い作品を展示すのであれば、私はもう出品しない」と拒否反応があったことは強く記憶しているという。その作家は、実際に翌年から同展への出品をやめたそうだが、「それもまた作家の自由」と岡村氏は言う。
「しかし、ほかの方から『出品しない』との声が出たからと言って、『平和の少女像』の出品を取り下げることはありません。無審査で誰でも出品できるというアンデパンダン展の趣旨は大事にしなければいけないと思いました」
パブリックな空間で表現の自由が制限される
 そんな岡村氏は、『表現の不自由展・その後』中止問題をどう見たのか。「平和の少女像」について、河村たかし・名古屋市長が「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの」と批判し、世間でも同様の抗議が聞かれている。岡村氏は「平和の少女像」も出品された15年開催の『表現の不自由展』では「目立った拒否反応が出ていなかった」点を踏まえつつ、「今回大きな騒動になったのは、やはり『公的な展覧会で「平和の少女像」が取り上げられた』という点が大きかったのではないでしょうか」と見解を述べる。
「こうした背景を踏まえると、どうやら今この国の『表現の自由』というものは、プライベートな空間においては一定許されるが、パブリックな空間においては制限される――そんな暗黙の了解を感じ取りました。それ自体を、私はおかしいと思っています。日本では、上からの指示に従うのが『パブリック』の在り方なのか。本来は、少数弱者の意見も主張できる機会を担保するのが、『パブリック』の重要な役割だと思うのですが……日本の『パブリック』は成熟していないという現状を感じました」
 なお東京都美術館の件は、公立の展示施設が、主催団体(JAALA)にスペースを貸し出し、その展示作品に対して撤去の判断を下した構図で、「こちらも新聞報道されましたが、今回のような大きな騒ぎにはならなかった」という。
 一方で、岡村氏は学芸員として、「表現の自由」の難しさに直面することもあるという。「あくまで私個人の見解であり、ほかの美術館の学芸員の方とは異なるかもしれませんが」と前置きした上で、次のように「表現の自由」に対する思いを語ってくれた。
「美術館というのは、ある種の権威にならざるを得ない部分もあるのです。よく丸木美術館は『表現の自由の牙城』だと言われることがあります。ただ、それはあくまで一面から見ればそうなのであって、別の意見を持っている人から見るとそうではない。例えば、丸木美術館では『戦争賛成』をテーマにした展示はやりません。もちろん、できる限り規制はしたくないと思うのですが、展示によっては、本来存在しないはずのボーダーがどこにあるかを探り当てる仕事を、せざるを得ないのです。その場所の『文脈』を著しく外れるものが現れた時に、どう対処するかは、誰かが決断しなければいけない。そう考えると、学芸員は、時に『表現の自由』を制限する側に回らざるを得ない仕事だと、私は思っています。ですから、『表現の自由』という言葉を使う際には、少しうしろめたい気持ちになります」
 『あいちトリエンナーレ』にもまた、そもそもボーダーは存在しない。しかしその中で、一定の合意を得られるボーダーを見極めていくのは、簡単なことではないだろうと、岡村氏は言う。
「丸木美術館でも、作家に対して『この作品は刺激が強いので、ネガティブな反応も予想されるが、どう思うか』と意見を聞き、作家の判断で丸木美術館の文脈や歴史性を踏まえた別の作品を出品したことは実際にあります。表現を委縮させてしまってはいけないが、作家と対話を重ねて、この場所で展示をする意味を考え、しかし予定調和に陥ることのない表現とは何かを探って、合意していくプロセスは大事。同時に、『どんな反応が起こり得るか』『その反応に現場の職員が対応できるか』という現実的な問題も考え、十分に対処する必要があるのではないでしょうか。そこまで準備して初めて、展示が決定すると思っているので、『表現の不自由展・その後』が3日で中止となったことについて、私は『それでも社会に一石を投じたことに意味がある』とは言えません」
 『あいちトリエンナーレ』芸術監督の津田大介氏に対しては、「作家を受け入れる側としては、最後まできちんと向き合う必要がありますし、展示を決断した以上は最後まで継続するのが最低限の責任と思っています」と岡村氏。しかし今回、「それがなされないほどの大きな圧力がかかったのでしょう。もちろん一番問題なのは、不当な圧力をかける側なのは間違いありません」という。
き去りにされた「作品」と「少女」
 一方で岡村氏は、「平和の少女像」をどういった作品ととらえているのか。また『表現の不自由展・その後』が中止に追いやられる一端になってしまったことを、どう見ているのか。
「実は私もブロンズ製のミニチュアしか見ていなかったときは、単純に『政治的な意見を主張する作品』なのかなと、少し思っていた面があったのです。しかし、15年の『表現の不自由展』で、彩色されたFRP(繊維強化プラスチック)製の等身大の像を見た時、印象が変わりました。少女像の隣には椅子が置かれ、実際に座ることができるのですが、はじめはとても緊張したんです。隣に座って、同じ視線から等身大の少女像を見ると、赤くてふっくらした幼さのある頬、本来三つ編みだったであろうにバラバラに切り刻まれ不揃いになった髪、一点を見つめるように緊張するまなざし、ぎゅっと握りしめられた手、不安定に浮いている踵など……細かいニュアンスがわかり、少女の方がこわばっていることが伝わってきました。それはブロンズ製のミニチュアではわからなかったことです」
 また、少女像の隣に座ることによって、「『自分がもし生身の少女と二人きりでいた場合、何をするのか、何ができるのか』想像をかき立てられた」そうだ。
「その時、私は『日本と韓国の関係がどうだ』といったことを考えなかったんです。これは『慰安婦』問題でもたびたび語られることですが、もっと普遍的な人権の問題……どこの国にも、どの時代にもある問題について表現された作品だと感じました。作家であるキム夫妻も、日韓の歴史認識の問題だけを意図して作っているわけではないと思います。しかしそれを逆手に取るように『日本だけがやったことではないのだから日本に罪はない』と少女像の存在を抹殺してしまうことは、二重三重に暴力を上塗りすることになります。『平和の少女像』は、国境線を引いて攻撃するための像ではない。むしろ真逆なのではないか、そう思いました」
 彩色された等身大の少女像、その隣に座るからこそ伝わる「物語や歴史の正体がある」と岡村氏は言う。それを体感できる機会であったはずの『表現の不自由展・その後』が中止になったことに、なおのこと悔しさを感じる人は少なくないだろう。
「今回の騒動もそうですが、『平和の少女像』については、作品が置き去りにされ、記号的な先入観ばかりが暴走している、そしてそれが繰り返されているような気がします。ニュースでも、政治家の発言ばかりが取り上げられ、肝心のキム夫妻のコメントが全然出てきません。そういう意味では、『慰安婦』と呼ばれる女性たちが置き去りにされ、国と国の問題で対立が深まり、それが繰り返されているのと同じなのかもしれませんね。津田さんは、『あいちトリエンナーレ』のキュレーションにおいて、出品作家の男女比を半々にするなど、ジェンダー平等のいい試みをしていたと思ったのですが、結果的にこの騒ぎによって、ジェンダー的な圧力が強調され、しかもそれに屈するという形になってしまった。とても残念ですし、もったいないと思います」
 「平和の少女像」という作品を、そして「少女」を置き去りにしてはいけない。『表現の不自由展・その後』中止騒動を、「騒動」だけで終わらせないために何をすべきか。いま一度考えてみたい。
岡村幸宣(おかむら・ゆきのり) 「原爆の図丸木美術館」学芸員。1974年東京都生まれ。東京造形大学造形学部比較造形専攻卒業。同研究科修了。著書に『非核芸術案内―核はどう描かれてきたか』(岩波書店)、『《原爆の図》全国巡回』(新宿書房)、主な共著に『「はだしのゲン」を読む』(河出書房新社)などがある。

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Vaste campagne de boycott des produits japonais en Corée du Sud
Une guerre commerciale fait rage entre les deux pays suite à la décision de la Cour suprême de Séoul condamnant des entreprises japonaises pour travail forcé pendant la guerre. Les deux pays s’engouffrent dans une surenchère de représailles économiques qui alimentent la colère de chaque côté de la mer du Japon.
Avec notre correspondant à Séoul, Frédéric Ojardias
Les Coréens sont furieux des représailles économiques japonaises et ont lancé un vaste mouvement de boycott. Les manifestations se multiplient à Séoul, où des militants nationalistes détruisent en public vêtements et bière importée du Japon.
Sept compagnies aériennes ont dû réduire leurs vols vers l’archipel, en raison de la chute du nombre de voyageurs. La chaîne japonaise d’habillement Uniqlo a reconnu que ses ventes avaient baissé. Dans la ville de Pusan, un restaurant refuse de servir les clients japonais.
Tournure radicale

Ce mouvement de colère ressemble parfois à une chasse aux sorcières : un politicien a ainsi été critiqué pour avoir bu du saké dans un restaurant japonais. Et ceux accusés de sympathies pro-japonaises sont qualifiés par des politiciens de ≪ collabos ≫, une insulte qui fait référence aux Coréens qui ont collaboré avec l’occupant colonial nippon au début du siècle dernier.
Le conflit avec le Japon prend ainsi une tournure radicale. Cela ne facilite pas la recherche d’une solution diplomatique à une guerre commerciale qui met en péril l’économie des deux pays.
Le gouvernement sud-coréen a retiré ce matin le Japon de sa liste ≪ blanche ≫ de partenaires commerciaux privilégiés, une mesure qui en pratique compliquera les exportations coréennes vers le voisin nippon. Cette mesure avait été déjà prise par l’État japonais contre la Corée du Sud au début du mois d’août.
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NNNドキュメント 海は・・・知っている。キャンパスはかつて特攻隊基地でした
「こんな飛行機で本当に特攻出撃したのか?」
その機体は、偵察機として使われた古い水上飛行機です。
瀬戸内海をのぞむ小さな町に残された滑走路。太平洋戦争末期、
訓練部隊だった詫間海軍航空隊は、水上特攻の一大拠点となり、
訓練の浅い学生たちが、爆弾とともに次々と突入。
特攻兵57人、誘導部隊も含め300人以上が戦死しました。
彼らはなぜ死ななければならなかったのか。
戦後、置き去りにされた基地の歴史をたどります。
中村悠一 西日本放送

ガリレオX 焚火を眺めてサイエンス 火の不思議・燃焼のメカニズム
 人類はいつ火を発見したのか?落雷による森林火災や火山噴火だと言われているがそれは想像の枠を出ない。やがて人類は火とは何かを理解し、コントロールする手段を得て、さらに応用科学によって文明を築き上げた。人類が火をどうやって手に入れたのかについて、火の起源神話に何かヒントが隠されていないだろうか?そもそも火とは物質なのだろうか、それとも現象なのだろうか?そして現代では、国際宇宙ステーションの日本実験棟きぼうで、史上初の液体燃料の燃焼科学実験がおこなわれ成功した。重力や大気の影響を避けて観察するために、宇宙の無重力での燃焼実験が不可欠だったのだ。焚火をじっと眺めるうちに気になってくる火の不思議から、最新の燃焼科学までを解説する。
縄文人と火との関係
 自然の風化作用は長い年月をかけてあらゆる痕跡を消してしまう。人類が最初に火を使った時代の痕跡も然りだ。土にもどる。ところが、溶けだすカルシウム分によって土壌のpHが中和され、普通の遺跡では残らないようなものが保存されている場所がある。それは縄文人のごみ捨て場とも言われる「貝塚」だ。新石器時代にあたる縄文時代の貝塚が日本には多く見つかっており、縄文人の食べかすである貝殻や動物の骨などと一緒に、海水から塩を作るために火にかけて使った製塩土器や、3500年前の木製の発火道具など、火の使用の痕跡を確認することができる。
発火法と火の起源神話
 人類がどうやって火を手に入れたのか?この疑問に対して考古学は無力だ。なぜなら、火の発見と入手は、文字が発明されていない「無文字社会」で起こった出来事だからだ。東北大学で宗教民族学を専門とする山田仁史准教授は、その手がかりは世界中に残された「神話」の中にあると言う。なぜなら神話は無文字社会において、上の世代から下の世代へと口伝されたものだからだ。興味深いのは、神話から読み取れる人と火の起源は、ギリシャ神話のプロメテウスのように、火を盗むタイプの話と、古事記のカグツチのように、女性の中にあった火を取り出すタイプのものに大別されるという点だ。また、木と木の摩擦で火起こしをする方法は、神話の中では男女の交合に喩えられるなど、シンボリズムとも深く関係する。
燃焼とは現象である
 そもそも火が燃えるとはなんだろうか?東京大学の津江光洋教授は、「燃焼とは発熱と発光をともなう高速の化学反応だ」と定義を語る。燃焼は自動車や飛行機、火力発電、工業炉など現代生活のあらゆる場面で使われている技術だ。だが例えばエンジン内部の高温高圧の極限環境で、燃焼がどのように起きているのかについてなど、実はあまりよくわかっていない。さらに燃焼の研究を進めるのにどうしても障害となるのが、地球の重力だと言う。空気の対流現象が起こり、現象が乱されてしまうのだ。
無重力の宇宙で燃焼実験!
 燃焼のより詳細な観察をするために、燃焼実験が宇宙で行われることになった。国際宇宙ステーションにある日本実験棟「きぼう」で初めてとなる実験だ。2015年にJAXAのH供BロケットでISSに燃焼装置が送り届けられ、2016年に大西卓哉宇宙飛行士により「きぼう」内部の多目的ラックへのセットアップが完了。2017年にいよいよ日本初となる液体燃料の燃え広がり(群燃焼)実験が行われた。そこではなんと予期していなかった特異な現象も見つかったと、研究代表者である山口大学の三上真人教授は語る。なぜ宇宙で燃焼実験をしたのか、特異な現象とは一体何だったのか。
主な取材先
山田仁史さん(宗教民族学/東北大学大学院)津江光洋さん(燃焼工学/東京大学大学院)三上真人さん(燃焼学/山口大学大学院)菊池政雄さん(燃焼科学・宇宙環境利用高額/JAXA)奥松島縄文村歴史資料館 千葉市立加曽利貝塚

安田登 @eutonie
近ごろの日本の状況を見ていると、ほんと司馬遷ってすごかったと思う。性器を切り取られるという屈辱の刑罰を受けながらも、当時の最高権力者である武帝の批判をした文章を2,000年以上経った今でも読むことができる。自己規制もしなければ、焼却もしなかった。歴史は、この覚悟から生まれる。
Tweet-rain<UNITE !> @TweetRain007
#丸山穂高 【#厚顔無恥】 厚かましく、恥知らずなさま。他人の迷惑などかまわずに、自分の都合や思惑だけで行動すること。▽「厚顔」は厚かましいこと。ずうずうしいさま。面の皮が厚いこと。「無恥厚顔むちこうがん」ともいう。
星田 英利 @hosshiyan
日航機墜落の日だったのか。ドラマ「沈まぬ太陽」で妻を失い息子と2人残される被害者家族の役のオファーを貰った時、なんというか“許し”みたいなのをもらおうと、兄をこの事故で失った友人に連絡したら、頑張ってと励まされた上に「覚えててくれてありがとう」と言われたのを思い出す。合掌。
岩槻優佑 @yuu_iwatsuki
今朝の朝日新聞一面「原発安全対策費5兆円超」に唖然。
「2013年から新基準で義務付けられた地震や津波、火災、過酷事故などの対策に関わる11社の総額は少なくとも5兆744億円」原発があるばかりに対テロ費用もどこまでも上昇。一体、これのどこが「発電コストの安い安定電源」か、と大声で言いたい。

中沢けい @kei_nakazawa
まだ記事になっていませんが、私は毎日新聞のインタヴューに答えて「韓国は日本の近代化の歴史の影と光を知るうえで良き対話の相手です」と話ました。求められているのは対決ではなく対話です。しかし、残念ながら、安倍政権とその支持者に対話を求めるのは無理だと感じています。
下町文鳥の千太郎 @asiapoly55
経営者です。消費税がなくなり法人税だけになったら当然人件費を上げようと思います。人件費を払っても消費税は安くなりませんが、法人税の場合は人件費が経費となり節税になるからです。税金払うなら給料であげたほうがましと思うのが自然です。

webでB入会手続きをしました.手続きが少し面倒みたいです.
スイッチが入らなくなったPCは少し調べてリセットボタンで復旧?かも.明日試してみます.

流された思い出の品 返却会
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県名取市の閖上地区で、津波に流された思い出の品を持ち主や家族に探してもらう催しが開かれました。
この催しは、名取市の閖上地区を中心に行方不明者の捜索を続けているボランティア団体が開いたもので、今回で20回目となります。
会場となった公民館には、平成25年から27年の捜索で見つかった写真や表札、カメラ、それに子ども用の靴など、およそ4000点が展示されています。
初日の11日は地元の人が次々と訪れ、60代の女性は自分が成人式の日に撮影された着物姿の写真を見つけました。
女性は「『たぶんないだろう』と思っていましたが、見つかってまさかと思いました。義理の姉の写真もあったので姉にも伝えたいです」と話していました。
また、津波で亡くした両親と妻の思い出の品を探していた40代の男性は「きょうは見つかりませんでしたが、また開催されれば必ずきます」と話していました。
ボランティア団体の郷右近巧代表は、「思い出の品には1つ1つに物語があり、それを振り返ることで強く生きていけるような気持ちになってほしいです」と話していました。
「閖上思いで返却会」は、今月14日まで開催しています。


<震災8年5カ月>明かり揺れ、亡き人思う 石巻市で追悼行事
 東日本大震災の発生から8年5カ月となった11日、石巻市で追悼行事「ココロの灯(あか)り」が開かれた。盆の迎え火として計約1550個の灯籠やランタンに明かりをともし、多くの参加者が犠牲者の鎮魂を祈った。
 実行委員会と石巻商工会議所青年部が主催し、今年で3回目。緑や黄色など色とりどりの灯籠に柔らかな明かりが揺れ、亡き人への思いを乗せたランタンが夜空に舞い上がった。
 四野見達也委員長(32)は「震災で父が犠牲になり、しばらくはショックで仏壇や墓に手を合わせられなかったが、ありのままの心情を父に語り掛けることで気持ちが楽になった。誰もが大切な人をしのぶ場になったらいい」と語った。


三陸道で落下物増加 事故の恐れ、県警「注意を」
 東日本大震災の復興道路に位置付けられ、県内で延伸が続く三陸沿岸道で、落下物が増加している。無料で走行できる区間が多く、一般道の延長に近い感覚で走行している運搬車両が多いためとみられ、路上への立ち入りも多発している。いずれも重大事故につながる恐れがあり、県警が注意を呼び掛けている。
 6月19日朝、石巻市桃生町倉埣の三陸道下り線を、巨大なベージュの物体がふさいだ。道路に落ちていたのは、約1トンの汚泥が詰まった土のう。事故には至らなかったが、撤去作業のため約45分間、下り線は通行止めになった。
 6月末現在、県内の高速道路で回収された落下物の数は=表=の通り。三陸道は前年比1.3倍に増え、全体の6割を占める。
 畳や建築資材、家畜用飼料など落下物の種類や大きさはさまざま。県警によると、積み荷をしっかり固定せず、荷台に載せただけの状態で走行していたとみられるケースが大半という。
 高速隊の担当者は「三陸道を高速道路と認識せず、一般道と同じ感覚で走行する車両が多いことが要因」と分析する。
 県内の三陸道は、歌津−小泉海岸インターチェンジ(IC)間10.0キロと本吉津谷−大谷海岸IC間4.0キロが2月に開通し、気仙沼市にまで延びた。登米市の登米東和ICが北端だった震災時から33.8キロ長くなり、総延長は104.3キロとなった。
 東松島市の鳴瀬奥松島IC以北は無料通行で片側1車線の区間も多く、近隣住民らが一般道と勘違いしやすいとの見方もある。無料区間が延びたことに伴い、路上での通話や放尿、のり面での山菜採りなどの目撃情報も増えたという。


津波被害の畑でモモ収穫最盛期
震災の津波で被害を受けた水田を改良して作られた東松島市の宮戸地区にある果樹園でモモの収穫が最盛期を迎えています。
この果樹園は津波で浸水した水田の土壌を改良して作られたもので、東松島市の宮戸地区の生産組合の人たち8人がモモやイチジク、カキなどを栽培しています。
このうち、去年から本格的な出荷ができるようになったモモの収穫が最盛期を迎え、先週から、大玉で甘みが強い「まどか」という品種の収穫が行われています。
組合の人たちは朝早くから畑に出て、色付きのほか、傷がないかどうかを確かめながらひとつひとつていねいにもぎ取ってかごに入れていました。
このあと大きさごとに選別して箱詰めの作業が行われ、5個から6個ほどのモモが入った一箱が1500円で販売されるほか、石巻市の青果市場にも出荷されるということです。
今年は梅雨の長雨の影響が心配されましたが、このところの暑さで甘みが増したモモになっているということです。
奥松島果樹生産組合の尾形善久組合長は、「自慢ができるモモができました。ぜひ果樹園に来てもらって、たくさん食べていただきたいです」と話していました。
来週からは別の品種のモモの収穫が始まり出荷は今月下旬まで続くということです。


鎮魂の風鈴で回廊 13、14日いわきの江名
 いわき市江名地区の住民ら有志のグループ「江名シングルアッププロジェクト」が東日本大震災犠牲者らへの鎮魂の思いを託した風鈴を、地域の新たな夏の風物詩として定着させる取り組みを始めた。十三、十四の両日には地元の江名港で開くイベントで風鈴約九百個を使った回廊を初披露する。津波で大きな被害を受けた港町のにぎわい、活気を取り戻す。
 風鈴は地区住民からの寄付や市の補助金などを使って購入したり、身近な材料で手作りしたりして確保した。地域住民ら約百人が携わった。長さ約三・六メートル、幅約一・六メートル、高さ約二メートルの風鈴回廊を十台作って展示する。来場者は色とりどりの風鈴に囲まれたトンネルの中を歩いて観賞する。
 回廊は、夏の風物詩として知られる川越氷川神社(川越市)の「縁むすび風鈴」などを参考にした。津波犠牲者の鎮魂の思いや新盆供養、地元小学生らの被災地再興への願いなどを書いた短冊を風鈴一つ一つに付ける。
 江名地区は、太平洋に面し、北洋サケマス漁業が盛んな港町だった。一九七七(昭和五十二)年以降、二百海里問題などを背景に漁船の数は年々減少していった。さらに震災の津波被害を受け、地区では六人が犠牲になった。港周辺の建物の多くも津波の影響で損壊し、世帯数も大幅に減ってきている。港町をもう一度盛り上げていこうと、地元の行政区役員、会社員、主婦ら十六人が立ち上がり、プロジェクトを今年二月に発足させた。
 かつて江名港周辺にあった多くの住宅の軒先には風鈴がつるされ、浜風とともに心地よい音色を響かせていた。副代表兼事務局長の馬目公章さん(89)さんは「震災の影響で地区を離れてしまっても、風鈴の音で江名の港や海を思い出してほしい」と願う。毎年夏に回廊を展示し、地域住民に楽しんでもらうだけでなく、観光名物にしていきたいと考えている。将来的には全国の風鈴を集めた「全国風鈴祭り」開催なども夢に描いている。
■絵付け体験や大漁旗展示も
 イベントでは風鈴回廊の展示の他、風鈴の絵付け体験などもある。試験操業が続く県内漁業再興の願いも込め、地元船主から借りた大漁旗約二十五枚も飾る。時間は午前九時半から午後八時まで。
 十四日夕方には、同会場で地元行政区主催の「新盆供養仮装盆踊り大会」も開かれる。


佐々木朗希生んだ大船渡、思い出される震災後の交流
大船渡・佐々木朗希投手(3年)の岩手大会決勝登板回避を巡る論争が、今なお続いている。エースを登板させなかった監督の判断を、佐々木の体調を思えば当然、と評価する意見があれば、残念で仕方ない、投げさせるべきだったと言う人たちもいる。今年の高校野球は、佐々木を軸に回ってきたということなのだろう。
2年前「大船渡にものすごい投手がいる」という話を耳にして、あの学校が!? と懐かしく思い出した風景があった。
東日本大震災発生から2カ月後の11年5月、神港学園硬式野球部が被災した岩手のチームを神戸市の合宿所に招待した。阪神・淡路大震災から復興に向かう神戸の町を見せ「東北復興への希望になれば」という北原光広監督(当時、流通科学大監督)の考えだった。
「希望」とか「野球で勇気づける」という言葉のもろさを、北原監督は身に染みて知る人。神戸が大震災に見舞われた95年、神港学園は在校生2人を失った。硬式野球部OBの家族も亡くなった。不眠不休で被災者の救出作業にあたった末の悲劇だった。神港学園は同年の選抜大会出場が決まっていたが、野球で素晴らしいプレーを披露したからといって「亡くなった人が帰ってくるわけではない。町が元に戻るわけではない」と野球の意義を自問自答しながらも力をつくし、センバツ8強に進んだ。
大船渡を神戸に招待した夜、東北から戻ったばかりの神港学園OBの消防士が居合わせた。「命を救えるのなら、ぼくらはいくらでも頑張れる。でもご遺体を発見し、救えなかった命を見るたび、力が抜けていくんです。あと1秒でも早く動けていたらと思うと…」。疲れ果てた顔だった。命を救う側も心身の限界と向き合っているのだと、気付かされた。
それでも、心が温かくなる夜だった。バスで12時間をかけ、大船渡の部員は神戸にやってきた。すき焼きの鍋をともにつつくうち、両校の距離が近くなっていくのを感じた。翌日のボールを使った練習で、大船渡の部員は白い歯をこぼした。野球を通し、心がほぐれていったのだろう。その後も練習試合を行ったり、神港学園野球部員が復興への願いを書いた短冊を大船渡の七夕祭りに向けて贈るなど、さまざまな形で交流は続いた。
見知らぬ神戸にやってきて、食事、有馬の温泉、野球の練習と心づくしのもてなしにようやく笑顔を見せた大船渡の球児たち。あの野球部から、高校球史に残る投手は生まれたのかと、佐々木を巡るニュースを目にするたびに思い起こしていた。【遊軍=堀まどか】


東松島市の防災集団移転団地 空き区画の一般分譲が好調
 東松島市が東日本大震災後に整備した防災集団移転団地で、空き区画の一般向け分譲が好調だ。交通の便が良いエリアを中心に仙台市や石巻市などから引き合いがあり、これまで計71区画を全て売却した。15日には野蒜ケ丘地区で残る8区画の一般分譲を始める。
 東松島市は防災集団移転団地7カ所に被災者向け住宅用地717区画を整備。今回の8区画が完売すれば、事業用地を除く全区画の販売が終了する。
 市内最大の野蒜ケ丘地区(277区画)は一般分譲に回った38区画のうち、19区画を市外の世帯が購入した。内訳は仙台市9世帯、石巻市4世帯など。静岡県や栃木県からの購入者もいた。あおい地区(273区画)は31区画中、市内の世帯が28、石巻市は2、仙台市が1だった。
 野蒜ケ丘地区は団地内にJR仙石線東名、野蒜両駅がある。あおい地区は三陸沿岸道矢本インターチェンジ(IC)に近い好立地にある。
 市は2017年、被災者の再建計画の変更などで空いた宅地の分譲を順次始めた。市行政経営課の藤田英俊課長は「野蒜ケ丘は仙台へのアクセスが良く、高台で津波の心配もない。まちづくりが進むにつれ、周辺環境の魅力が出てきている」と話す。
 15日から一般分譲する8区画は市が事業用地として確保していた24区画の一部。事業計画の変更に伴い分譲する。1区画314〜337平方メートル、756万〜837万円で個人に販売する。先着順。連絡先は同課0225(82)1111。


思い出の品、手元に 名取市・閖上で被災拾得物の返却会
 東日本大震災の津波被害を受けた名取市閖上地区で見つかった写真などを展示する「閖上思いで返却会」が11日、市閖上公民館で始まった。14日まで。
 行方不明者の捜索に取り組む復興支援プロジェクトSTEP(富谷市)が2013年3月〜15年3月に閖上1〜7丁目と新鶴塚、佛文寺の各地区の側溝で見つかった写真や表札、位牌、玩具など約4000点を展示。被災したネガフィルムを現像した写真も並ぶ。
 所有者らが見つかれば返却する。名取市閖上の災害公営住宅で暮らす警備員橋浦美一さん(42)は「ガソリンスタンドのカードなどが見つかったが、亡くなった家族3人の写真はなかった。でも(返却会は)いいことだと思う」と話した。
 返却会は各日とも午前9時半〜午後9時。


河北春秋
 驚いた。これほど広がっているとは思ってもみなかった。田植えをせずに、種もみを田んぼに直接まく稲の「じかまき栽培」が東北で増えている▼農林水産省によると2017年の東北の栽培面積は1万1264ヘクタールと、10年前の3.4倍に拡大した。稲作全体に占める普及率は3%と低いが、全国のじかまき栽培の3分の1を占める。宮城県も増えている。昨年の面積は3089ヘクタールで、785ヘクタールだった東日本大震災前年の3.9倍に広がった▼じかまきには水を張った田に種もみをまく「湛水(たんすい)」と乾いた状態でまく「乾田」の二つの手法がある。より省力化が図れる乾田は、宮城、特に石巻地方で大規模経営の農業法人による導入例が増えている▼東松島市の「ぱるファーム大曲」は、稲作75ヘクタールのうち15ヘクタールで取り組む。全て乾田方式だ。常務の小岩敏幸さん(53)は「苗作り、田植えをせずに済むのは楽。転作の麦と同じ機械も使える」と利点を挙げる▼海沿いの大曲地区は津波被害を受けた。田んぼは再整備されたものの、機械が流されて離農した農家もいる。ぱるファームの設立は12年暮れ。じかまきは14年に取り入れた。「できる限り、田んぼを荒らさないようにしたい」と小岩さん。限られた人員で農地を守るため、じかまきは有効と考えている。

デスク日誌 UVレジン
 UVレ、ジ、ン? 
 小6の少女が発した、初耳の言葉を聞き返す。
 記者なのに知らないの?といった顔をする。レジン液という透明感のある樹脂にさまざまなパーツを組み入れ、紫外線で固める手作りアクセサリーとのこと。自信作を見せてくれた。
 この夏、相馬地方の伝統行事「相馬野馬追」に福島県浪江町から騎馬隊で初出場したその少女を追った。
 東京電力福島第1原発事故に伴う全町避難の一部解除後、家族と帰還した。
 学校や周辺の空間放射線量は通常レベルと変わらない。それでも少女の母親によると「小さな子どもを(第1原発に近い所に)連れて帰っていいのか」といった風評を耳にするという。長期避難の影響から町の子どもたちはまだ少ない。
 「6年生にもなって1人でお使いしたことがないの」とおどける少女だが、原発事故がもたらした罪の重さをあらためて知る。
 あれから8年5カ月。浪江は「町のこし」へ苦闘が続く。子どもたちの日常が戻るよう責任ある者が知恵を出さなければならない。
 レジンに閉じ込められた小物が、少女の目と同様に輝き続けるためにも。 (南相馬支局 佐藤英博)


「大学入学共通テスト」英語の民間試験活用見送り 東北の受験生の負担考慮
 東北大は、2021年1月実施の「大学入学共通テスト」で英語の民間検定試験を出願要件としない。受験生の負担を考慮した結果だ。今後、入試改革とどう向き合っていくのか。東北大入試センター副センター長の倉元直樹教授(57)に考えを聞いた。(聞き手は報道部・佐藤素子)
東北大入試センター 倉元直樹副センター長に聞く
 −今回の判断は国立大学協会のガイドラインと距離を置いている。理由は。
◎環境整わず
 「社会的インフラに恵まれているとは言えない東北の受験生に対し、国公立大が一般入試で一律に英語の外部試験を課す環境が整っていない。受験生に著しく大きな負荷をかけることになるので、21年1月の導入は難しいと判断した」
 −20年度の大学入試から受験生の「主体性の評価」が始まる。東北大は、チェックリストによる自己申告とした。
 「合格ラインに受験生が並んだ場合にのみ、合否判定に使う。その根拠も学校が出す調査書の簡便な記述で十分とした。東北大が求める主体性は日々の努力の積み重ねであり、相当程度、筆記試験で測れる。本人や学校、大学の負担増は避けたい。主体性を過度に意識した活動が増え、本来の生活が妨げられてはならない」
 −東北大は高校と連携する「高大接続」や入試改革を先導してきた。
◎AOに効果
 「この20年で高校と大学との相互交流が進んだ。AO入試には教員が面接を通じて一層学生に関心を持つ効果もあることなどから、東北大ではより入試を重視するようになった」
 「ただ、AO入試は当初8.5%だった入学定員を20%にするのに20年かけている。急激な変化はミスを生みやすいし、受験生の負担や不安が大きくなる。大きな変革ほど年月をかけて綿密に取り組まなければならない」
 −大学入学共通テストと、現在の大学入試センター試験の前身である共通1次試験導入時との違いは。
 「共通1次試験の導入には、難問奇問だらけで特殊な勉強が必要な国立大の個別試験を改善するナショナルコンセンサス(国民的合意)があった。政府の『教育再生実行会議』が13年に新テスト導入を提言した時、大学側からも高校側からも要請はなく、唐突な感じがした」
 −大学入学共通テスト導入に伴い、東北大の2次試験に変更はあるか。
 「配点等が今まで通りでいいかは検討している。スピーキングの導入については議論の最中だ。受験生が戸惑う急な変更はない」
 「東北大合格者の出身高の上位は公立高で、普通の高校生が頑張って届く一番上の大学と自負している。その立ち位置は大事だと思っている。2年生も3年生と同様、受験に備えた勉強をしつつ、高校生活を楽しんでほしい」


<変わる大学入試>東北の現場から(下)対策 合否左右 英語底上げ
 大学入試改革の一環として導入される「大学入学共通テスト」の実施まで1年半を切った。「思考力・判断力・表現力」を重視して出題形式が大きく見直されるが、実施手法を巡る混乱も続く。東北で約3万人が挑む新試験への動きを追った。(報道部・佐藤素子)
 東北学院中・高(仙台市宮城野区)の英語の授業。高校2年生が2人一組になって、教科書の内容について英語で話し合う。
 英語科主任の小黒智之教諭は「積み重ねで、思ったことを伝えられるようになってきた」と評価する。
話す力を養成
 同校は英語教育改革を掲げ、昨年度からリスニングとスピーキングに力を入れている。8月中旬に中高生を対象に3日間のスピーキング中心の集中講座も開く。岩上敦郎副校長は「昨年は参加者の大半が満足してくれた」と手応えを語る。
 大学入試改革は英語の4技能「読む・聞く・書く・話す」を重視しているのが特徴だ。改革の一環として、2021年1月に始まる大学入学共通テストのリーディングとリスニングの配点は、現在のセンター試験が200点と50点なのに対し、それぞれ100点に見直される。
 仙台二華高(若林区)の大野智彰教諭は「従来の受験勉強では生徒の発信力や想像力は生かせなかった。4技能の評価で入試は良くなる」と歓迎。別の英語教諭は「リスニングは耳に入ってくる文章を理解できる能力が必要だ。教える側の力量も試される」と表情を引き締める。
 英語では民間の資格・検定試験の活用も大きな変更点になる。これらを活用する大学の多くは、語学力の国際標準規格「CEFR(セファール)」の6段階評価で下から2番目の「A2」(英検準2級程度)の実力を求めている。現役生の場合、高校3年時に2回まで受けられる試験の結果が合否判定などに反映される。
往復に4時間
 東北の受験生の多くは受検しやすい英検や「GTEC(ジーテック)」を選ぶとみられるが、負担増への懸念は消えない。大学入試センターなどは家庭の経済状況や居住地に影響されないよう、試験会場の確保や検定料への配慮などを実施団体に求めている。
 毎年約120人が国公立大を志望する田名部高(むつ市)は現在、民間試験のために貸し切りバスの利用を検討する。試験の会場となるのは往復4時間かかる青森市。嵯峨弘文教頭は「生徒の移動を楽にしてあげたい。センター試験は学校が会場なのだが…」と話す。
 いかに英語力の底上げを図っていくか。教育現場の悩みも尽きない。宮城県南の公立高英語教諭の一人は「リスニング力の向上のために教材を多く与えたいが、保護者の負担は増やせない」と打ち明ける。
 出題内容や受験の条件まで大きく変化する大学入試。中でも「英語が合否を左右する」。予備校関係者は口をそろえる。
[英語の民間試験活用]大学入試センターが運営する英語成績提供システムが、参加要件を満たした外部試験・検定の成績を一元的に管理して受験生の出願大学に提供する。「出願条件」「点数として加点」「共通テストの英語の得点との置き換え」など、大学側がそれぞれ合否判定に活用する。


児童虐待16万件/児相職員の「量と質」確保を
 増え続ける児童虐待の相談や通告に対し、対応する児童相談所(児相)の体制が追いつかない。そんな実態が浮き彫りになった。
 全国の児相が2018年度に対応した児童虐待件数は、過去最多の15万9850件を記録した。前年度より2万6000件余り多く、統計を始めた1990年度から28年連続の増加だ。
 その要因は、児相と警察などの連携強化や住民の虐待に対する意識の高まりにより、通告自体が増えた影響が大きい。警察からの通告は全体のほぼ半数を占めている。
 通告が増えれば、それだけ児相の負担は増える。さらに通告を受けた後、48時間以内に子どもの安否を確認しなければならない。07年に導入された「48時間ルール」は、東京都目黒区で昨年3月に女児が虐待死した事件を受け、政府が昨年7月、緊急対策として徹底を求めた。
 だが、今年6月に札幌市で2歳女児が衰弱死した事件では、児相に虐待を疑う情報が寄せられたが、48時間ルールは守られていなかった。厚生労働省は今月、48時間以内に対応できなかった事例が昨年7月から11カ月間で、約1万2000件あったとする調査結果も虐待件数と併せて発表した。
 48時間ルールが徹底されない背景には、児相の人員不足がある。現場からは「人手が足りず負担が重すぎる」「職員が疲弊している」との悲鳴が上がる。児相で虐待対応に当たる児童福祉司の確保、育成は喫緊の課題だ。
 政府は22年度まで、児童福祉司を約2000人増員する方針だが、実現は見通せない。本年度は約1000人増の目標に対し、4月1日現在で各自治体の増員は予定を含め600人に満たない。
 数を増やすだけでなく、資質の向上も欠かせない。児童福祉司は高度な専門性と豊富な体験が必要とされる。だが国家資格ではなく、大学で心理学や教育学を学び、1年以上の実務経験がある人などを自治体が任用している。
 虐待事案に的確に対応できるよう資格見直しや専門職としての採用、待遇改善など児童福祉司の在り方についても検討が必要ではないか。
 先の通常国会では、児相の体制強化を盛り込んだ改正児童福祉法とともに、親による子どもへの体罰を禁じた改正児童虐待法が成立した。来年4月の施行を見据え、親の意識改革が求められよう。
 児相の職員増などは、いわば対症療法とも言える。「虐待しない」「させない」意識を親に根付かせる根本的な取り組みこそ重要となる。
 なぜ虐待が減らないのか。貧困問題など社会経済的な背景にメスを入れ、解決策を探ることも必要だろう。同時に、保護者を対象にした子育て支援プログラムや相談体制の充実など、虐待を生まないためのサポートが不可欠だ。


愛媛の誤認逮捕 尊厳を傷つける捜査だ
 愛媛県警が七月に窃盗の疑いで女子大生を誤認逮捕した。犯人と決めつけ「就職」を持ち出して、自白を迫った。尊厳を傷つける人権侵害である。自白を強要・誘導する取り調べから脱却すべきだ。
 事件は今年一月九日。タクシー内から現金約五万四千円などが盗まれた。同県警はドライブレコーダーに写っていた犯人と顔が似ているなどとして、女子大生を七月八日に窃盗の疑いで逮捕した。だが、勾留請求が認められずに、同月十日に釈放されている。
 そもそも女子大生はタクシーには乗車していなかった。代理人弁護士が今月一日に女性の手記を公表した。その中では取り調べで捜査員が就職への影響を示唆し、自白を迫ったことが綴(つづ)られている。「就職も決まってるなら大ごとにしたくないよね」「君が認めたら終わる話」「認めないと終わらないよ」などと…。
 女子大生は一貫して容疑を否認して、「本当の犯人を捕まえてください」と訴えた。でも「犯人なら目の前にいるけど」と決め付けた態度だった。タクシーに乗車していないことも「記憶ないの? 二重人格?」「罪と向き合え」などと一蹴するありさまだ。
 問題なのは取り調べの在り方と裏付け捜査の不十分さだ。強く否認しているのに「刑事全員が私の話に耳を傾けなかった」ことは深刻だ。自白があれば簡単に事件処理ができると考えたのなら甘すぎる。「就職」という大学生が最も敏感な言葉を使って自白を迫るやり方は卑劣に感じる。不利益方向への誘導にあたろう。
 五月から警察の呼び出しにも素直に応じてきた。逃亡の恐れもない。そもそも逮捕は必要だったのか。手錠をかけられたショックはいかばかりか。
 再捜査で別の女性が浮上し、容疑を認めた。県警本部長は「大変申し訳ないことをした」と謝罪した。愛媛県知事も「重大な人権侵害だ。人生すら狂わせかねないことだ」と批判した。女子大生は「もし勾留されたら、耐えきれずにやってないことを認めてしまうかもしれない」という。
 自白の強要はそれほど恐ろしい。不適切な取り調べをチェックできるのが録音・録画(可視化)だが、警察の場合だと裁判員裁判の対象事件のみだ。全事件のたった3%。不十分である。ボイスレコーダーを置くだけでも効果はある。全事件を対象にすべきだし、任意段階も可視化しないと、安易な捜査を招いてしまう。


語り始めた戦争孤児 悲惨な体験記録し後世へ
 戦時中の空襲などで保護者を亡くした戦争孤児はどんな生活を強いられたのか。戦後74年を迎える今、浅井春夫・立教大名誉教授ら全国の研究者約30人が「戦争孤児たちの戦後史研究会」をつくり、聞き取り調査を進めている。
 戦争孤児は12万人以上いるといわれ、空襲のほか広島・長崎の原爆、沖縄の地上戦でも大勢の子供が孤児となった。中国や南洋など海外から引き揚げる際に身寄りをなくした子供も多かった。
 終戦後、東京・上野の地下道など各地に「浮浪児」といわれた子供たちがあふれ、餓死したり、凍死したりしたことも少なくなかった。
 生きるために盗みや恐喝、売春をする者もいた。行政は「狩り込み」と呼ぶ強制的な収容をした。トラックに乗せられ、遠い山中に置き去りにされたこともあったという。
 戦争は弱い立場の人に最も悲惨な被害をもたらす。だが、国は孤児の救済に力を入れず、孤児のための施設も少なかった。親戚や里親に引き取られる子供は多かったが、学校に通えず、働かされることもあった。
 差別や偏見にさらされ、苦しんだ体験を大人になっても話さない人は多い。国も調査をしてこなかったため、他の戦争被害と比べて実態がよく分かっていない。
 こうした中、当時子供だった人が高齢になった近年、このままでは孤児の体験が歴史に埋もれてしまうと、研究者の聞き取りなどに、つらい過去を語ることも増えてきた。ようやく発した言葉は重い。
 星野光世さんは東京大空襲で両親と兄妹を亡くし、親戚の家で苦労を重ねた。星野さんは自分を含めて孤児11人の体験を文と絵で表した本「もしも魔法が使えたら」(2017年)に書いている。
 <誰が好き好んで孤児になったというのでしょう。蔑(さげす)まれるべきは残された子どもではなく、親を奪った「あの戦争」ではないでしょうか>
 民間の空襲被害者らの救済を目指している超党派の議員連盟は17年、孤児らの被害の実態調査を国に課すことを含めた法律の骨子素案をまとめている。
 体験を記録に残すことは、悲惨な戦争被害を後世にしっかり伝えることにつながる。


警官不正兼業 なれ合い防ぐ仕組みを
 警察庁と17道府県警の警察幹部らが、東京の出版社の依頼で昇任試験対策問題集に執筆し無届けで報酬を受け取っていた問題で、道が報酬の報告義務を定めた規則を改定する方針を示した。
 職責や立場を明らかにした上での報酬に限っていた報告義務を匿名にも広げる。この立場の明示に関する規定が抜け穴となり、匿名での執筆が処分対象とならなかった。当然の改正だろう。
 公務員の兼業が原則禁じられているのは、職務専念義務と同時に、公平公正な職務の遂行が求められているからだ。
 逮捕や家宅捜索など強い権限を与えられている警察官は一般市民に対し、公権力を行使する存在だ。より高い倫理規範が求められることは論をまたない。
 7月の警察庁などの発表では高額な報酬を得ていた例も明らかになった。組織的な関与の疑いも晴れておらず、問題が全面的に解決されたとは言いがたい。
 昇任試験の在り方を見直し、業者との不透明な関係を絶つ道を探ることで癒着が生じる懸念を払拭(ふっしょく)してほしい。
 報酬を受け取った警察官は467人に上ったが、その中で処分対象となったのは道警の4人を含む21人にとどまった。
 匿名での執筆のほか、単発で継続性がなく兼業に当たらないなどとして、ほとんどが処分の対象から外れた。身内に甘いと言わざるを得ない。
 そもそも、匿名で警察官の身分を隠せば無届けで報酬を受けても許されるとする解釈が理解に苦しむ。規則の抜け穴を意図的に利用しようとした疑いが消えない。
 道外では、出版社側から飲食の接待を受けたり、職場などで執筆作業が紹介されたりしたという証言もあった。判明した実態は氷山の一角にすぎない可能性がある。
 背景には警察官が昇任試験の勉強をする際に、過去の試験問題を閲覧する仕組みがない実情がある。それが問題集の需要を生み、出版社側が執筆を依頼するきっかけとなったという指摘もある。
 だからといって、特定の警察官が問題を執筆し、報酬を受け取って良い理由にはなるまい。参考となる資料が必要ならば、情報管理を徹底した上で過去問題を閲覧できるようにすべきではないか。
 特定の警察官と業者が接点を持つことは、なれ合いが生じる危険性と隣り合わせにある。業者の営利活動の業務に協力すること自体を厳に慎むべきだろう。


沖国大ヘリ墜落15年 対等な日米関係の構築を
 宜野湾市の沖縄国際大に米海兵隊所属の大型輸送ヘリCH53Dが墜落してから、13日で15年になる。事故は沖縄の社会に大きな衝撃を与え、県民は大学に隣接する米軍普天間飛行場の一日も早い返還を強く求めてきた。だが今も大学や周辺住宅地の上空を米軍機が日常的に飛び交う。
 大学内の現場跡地には、小さな公園が整備されている。記憶の風化にあらがうように焼け焦げたアカギの木が立ち、被災した校舎の壁の一部が設置されている。モニュメントにはこう記されている。
 「米軍は事故直後から墜落現場を一方的に封鎖し、本学関係者の要請する緊急かつ必要最小限度の立ち入りはもとより、沖縄県警の現場検証さえ拒否するなど『国家主権』が侵害されている異常な状態が続いています」。大学が設置した対策本部が発生2日後に出した抗議文の一節だ。
 米軍ヘリは大学の本館ビルに激突し、墜落・炎上した。住宅地上空を米軍機が普通に行き来する沖縄の空の現実を突き付けた重大事故だったことに加え、記憶に苦々しく残るのは米軍の振る舞いだ。
 米軍は数日間、事故現場を一方的に封鎖し、機体の搬出や木々の伐採などの作業を続けた。日米地位協定などを盾に県警の現場検証要請を拒み、市道の通行も止めた。
 米国と日本のいびつな主従関係や沖縄の属領性の本質を照らし出した事故だったと言える。「良き隣人」を掲げていた米軍が見せた素顔は、多くの県民の失望と怒りを招いた。そして事故後に大学が指摘した「異常な状態」の温床は現在も残されたままだ。
 2017年10月には東村高江の牧草地でCH53D後継機のCH53Eが不時着し炎上したが、県警が現場に立ち入ることができたのは発生6日後で、米軍が機体や周辺土壌を持ち去った。16年12月には普天間基地所属の輸送機MV22オスプレイが名護市安部の沿岸に墜落したが、同様に米軍が現場を規制した。
 日米両政府は今年7月、基地外での米軍機事故の現場対応に関する指針について、日本側が現場に速やかに立ち入ることができるよう改定に合意した。だが立ち入りや機体捜査には依然米側の同意が必要で、米軍が絶対的な主導権を握る状況は変わらない。
 トランプ米大統領は先日、日米安保条約は「不公平」だとして日本側に在日米軍駐留経費負担の増額を迫る構えを見せたが、日本側にとっては米軍の特権的地位を保障した不平等な日米地位協定の改定こそが最優先で取り組むべき課題であるはずだ。
 米国に付き従う姿勢は技術的にもコスト的にも先が見通せない辺野古移設合意への拘泥につながり、政府自ら「世界一危険」と言う住宅地中心部の基地返還を遅らせ続けている。主権が侵害される異常な状態を改めて対等な関係構築に歩み出し、早期返還の願いにいいかげん応えてほしい。


[沖国大ヘリ墜落15年] 危険性の除去策を示せ
 2004年8月13日、宜野湾市の沖縄国際大学構内に、米軍普天間飛行場所属のCH53D大型輸送ヘリが墜落・炎上した。飛散したヘリの破片は多くの民家や車両などに被害を与えたが、死者が出なかったのは奇跡というほかない事故だった。
 当時はイラク戦争の最中で、普天間はフル回転。整備士が過労でピンを付け忘れる人為ミスが原因だった。
 あれから15年。この間墜落事故は9件発生している。
 県民は軍用機の飛行を見るたびに墜落の恐怖におびえる生活を強いられており、理不尽というしかない。
 17年12月には同市野嵩の緑ヶ丘保育園の屋根に米軍ヘリから部品が落下。米軍は部品の保有は認めたものの落下は否定している。6日後には普天間第二小の校庭にCH53E大型輸送ヘリの窓が落下した。体育をしていた児童から十数メートルしか離れておらず、大惨事になるところだった。
 沖国大での墜落事故後、日米両政府は普天間周辺での飛行ルートに合意した。病院や学校、住宅地上空を避けることなどを定めているが、「できる限り」などの抜け道があり、守られていない。
 合意では緑ヶ丘保育園も第二小も飛行ルートに入っていない。だが沖縄防衛局の航跡調査では両教育施設上空付近や住宅地上空を頻繁に飛行していることが確認できる。
 合意はなきがごとくで、騒音被害とともに、学校・日常生活が危険にさらされ続けているのである。
    ■    ■
 捜査権は主権に関わる重要な問題だ。沖国大ヘリ墜落事故があらわにしたのは、民間地にもかかわらず日本の捜査権が及ばないことだった。
 米軍が大学を封鎖し、県警が現場に入れたのは6日後。機体はすでに回収されていた。批判が高まり日米両政府は基地外での米軍機事故に関するガイドライン(指針)に合意。(現場に近い)内周規制線は日米共同で規制、外周規制線は日本側が規制、機体の残骸は米側が管理−などといった内容だったが、実際は内周の日米共同規制も、主導権は米軍にある。
 その後に起きた東村高江の民間地にCH53E大型輸送ヘリが不時着・炎上した事故が示している。日本側の立ち入りは6日後。米軍が機体、土壌を持ち去った後だった。これを契機に指針を改定。内周規制線内への日本側の「迅速かつ早期の立ち入り」が可能としている。だがこれも米軍次第だ。日本は「主権国家」とはとうてい呼べない。
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 安倍晋三首相が約束した普天間の「5年以内の運用停止」は、米側と交渉した形跡もなく2月で期限が切れた。大浦湾に広がるマヨネーズ並みの軟弱地盤の存在が明らかになり、政府は辺野古新基地の工期も総事業費も示すことができない。説明責任を果たすことなく遮二無二に強行しているのは異常である。
 普天間の危険性除去に有効な手を打たず、いつ完成するともしれない新基地を待つつもりなら県民を愚(ぐ)弄(ろう)するものだ。危険性の放置は県民の生命と財産を蔑(ないがし)ろにするもので政府の責任の放棄である。


香港の大規模デモ 流血の事態は回避せよ
 香港で「逃亡犯条例」改正に反対する抗議活動が始まって2カ月が過ぎた。ところが収まるどころか規模は拡大、一部が過激化して混乱の度合いを強めている。今月に入り、空港などのゼネストにまで発展し、経済活動にも影響が出始めた。
 警察は催涙ガスを使って制圧に乗り出したが、この週末も各地でデモが決行された。業を煮やしたらしい中国政府は、軍の投入を示唆する。流血の惨事に至らないか、懸念される。
 中国政府は「一国二制度」の下、返還後の香港に「高度な自治」を認めてきたはずだ。香港政府は条例改正案を撤回した上で、市民の声に耳を傾けるべきだ。実力行使で封じ込めることは許されない。
 抗議活動は4月、香港政府が立法会(議会)へ提出した逃亡犯条例改正案に端を発する。拘束した容疑者を、中国本土に引き渡せるようにする内容だ。
 反対派は、中国に批判的な活動家らが引き渡される恐れがあるとして反発。大規模デモが行われたこともあり、行政長官が事実上の廃案を表明したものの条例改正案の完全撤回と長官の辞任を求め、抗議活動が続く。
 一部の若者は海底トンネルや道路を封鎖。観光客に人気の地区でもデモを計画するほか、空港ロビーでは条例改正案に反対するビラを旅行客に配布している。米国やオーストラリアなどの政府が渡航者に注意を促す事態になっている。
 条例改正を巡り、事態がこれほど深刻化した背景には「高度な自治」が弱められてきたことへの市民の危機感がある。
 5年前、行政長官選挙の民主化を求める大規模デモ「雨傘運動」が起きたが成果なく終息。その後、香港政府は中国の意向を受け、民主派への圧力を強めた。言論弾圧の動きもある。
 今回の条例改正は、司法の独立を骨抜きにしかねないものだけに、香港市民にとって一国二制度を守る「最終決戦」の様相を帯びるのも無理はない。
 心配なのは、香港政府が市民の要求に応じようとしない上、中国政府が混乱を座視しない姿勢を見せ始めたことだ。
 香港駐留の人民解放軍の部隊が出動できると、国防省報道官が発言。中国政府の香港担当トップも「動乱を平定する十分な力がある」と直接介入の可能性に言及、警告した。武力でのデモ鎮圧を思わせる映像も公開した。抗議活動への威嚇だろう。
 緊迫化する情勢に、欧米諸国から憂慮の声が上がる。英国の外相は香港の行政長官と電話会談し、平和的手段での抗議活動は容認すべきだとの考えを示したという。米国も、香港で総領事館職員が民主化活動家と面会したことを巡り、中国の対応に非難を強める。
 これに、中国側は「内政への不当な干渉だ」として、両国に介入しないよう要求した。さらにデモを扇動していると米国を非難。貿易戦争とともに、米国との対立を深めている。
 ことし中国は建国70年を迎える。経済では米国と並ぶ大国に成長したが、民主国家には程遠いと言わざるを得ない。一国二制度の行方に国際社会が注視するのを忘れてはならない。
 対話で収拾させるか、中国の介入を許すのか。香港政府にとっては正念場だ。当事者能力を発揮して収めるよう望む。


森友捜査終結  公判回避は納得できぬ
 学校法人「森友学園」を巡る国有地売却や財務省の決裁文書改ざんで、大阪地検特捜部は佐川宣寿元国税庁長官ら10人を再び不起訴とした。
 特捜部は昨年5月、財務省などの関係者38人全員を不起訴としたが、大阪第1検察審査会が10人について「不起訴不当」と議決し、再捜査が行われていた。改めて不起訴としたことで捜査が終結した。
 国有地を8億円余りも値引きして売却した学園への厚遇や、前代未聞の公文書改ざんがなぜ、どのように行われたのか。公開の法廷で真相に迫る機会が失われ、官僚は刑事責任を問われなかった。
 疑惑の解明を願う国民の司法への期待に応えておらず、到底納得できない。
 再捜査を求めた検審の議決は、文書改ざんを「いかなる理由があっても許されず、言語道断」と批判した。国有地を大幅値引きした背任容疑についても、他の業者らの意見も参考にした客観的な試算を求め、「法廷で事実関係を明らかにすべき」としていた。
 特捜部は、再捜査でも「起訴するに足りる証拠を収集することができなかった」としか説明していない。改ざんで文書の証明力が変わったのか、大幅値引きの根拠とされたごみ撤去額が不適正と認定できるかどうかで、有罪判決を高い確度で得られる立証が難しいと判断したとみられている。
 だが、市民の代表からなる検審の議決を尊重せず、どう再捜査したかも明かさないのでは、検審制度を形骸化させる。特捜部は任意での関係者聴取に終始して家宅捜索を行わず、起訴を求める弁護士らから「結論ありき」「政治的判断」と疑う声も出ている。
 特捜部の膨大な調書が不起訴で公にならないことは、国民の知る権利にとって不利益だ。起訴に厳格なハードルを課すよりも「公判で積極的に証拠を示し、議論すべき」という学識者らの指摘はもっともだろう。
 森友問題の核心は、学園の名誉校長に安倍晋三首相の妻昭恵さんが一時就いていたことが影響し、政権側の関与や官僚による忖度(そんたく)があったのかどうかだ。
 疑惑は払拭(ふっしょく)されていない。佐川氏は昨年3月の国会証人喚問で「刑事訴追の恐れがある」として口を閉ざした。もはや拒む理由はなく、改めて国会に呼んで証言を求め、事実関係の解明を進めるべきだ。政治の責任が問われる。
 うやむやな幕引きは認められない。


森友捜査終結 真相解明の責任国会に
 財務省幹部らの誰も刑事責任を問われることがないまま、捜査は終結した。釈然としない思いにとらわれる。
 学校法人「森友学園」に国有地が大幅に値引きして売却された問題である。大阪地検特捜部が佐川宣寿・元理財局長ら10人をあらためて不起訴処分とした。昨年いったん不起訴になり、検察審査会が「不当」と議決したため再捜査していた。
 起訴するに足りる証拠を収集できなかったと述べている。結果として刑事責任を問うのは難しかったとしても、どんな捜査をしてそう判断するに至ったのか。具体的な言及はない。
 これでは、一連の不正や疑惑がどこまで解明されたのか確かめようがない。裁判を通して真相を知る機会も失われた。検察は、捜査で何が分かり、なぜ不起訴にしたのかを丁寧に説明すべきだ。
 評価額9億5千万円余の土地が8億円以上も値引きして売却された。地中のごみの撤去費とされたが、それほど大量にごみがあったのか、判然としない。売却に至る経緯も異例ずくめだ。
 学園が開校を予定した小学校は、安倍晋三首相の妻の昭恵氏が一時、名誉校長に就いていた。土地取引の背後に政権への忖度(そんたく)が働き、行政がゆがめられなかったか。核心はそこにある。
 売却に関わる財務省の決裁文書は改ざんされ、昭恵氏の名前や、特別扱いをうかがわせる文言が消された。交渉記録も廃棄されている。それをいつ誰が指示したのかもはっきりしない。
 公文書は、国の意思決定が適切、公正になされたかを検証するのに欠かせない手がかりだ。改ざんや不当な廃棄は、民主主義の土台を壊すに等しい。うやむやに済ますわけにはいかない。
 地検は、決裁文書の改ざんについて、根幹部分が変更されたわけではないと判断したという。ごみの撤去が名目の値引きも、背任の立証は困難とみたようだ。
 捜査が終わったからといって、森友問題に片がついたわけではない。この国の政治、行政の根本に関わる問題として国会は徹底して真相を究明する責任がある。
 佐川氏は昨年、国会の証人喚問で、刑事訴追の恐れを理由に肝心な証言をことごとく拒否した。不起訴が確定した今、あらためて国会に呼ぶべきだ。昭恵氏の喚問も、しない理由がない。
 行政を監視するのは国会の役目だ。国権の最高機関として強い権限を持つ。与党もその責務を果たさなくてはならない。


食料自給率最低 生産力の弱まりを映す
 日本の食料自給率が、再び過去最低となった。2018年度のカロリーベースは前年度より1ポイント低い37%で、1993年度と並ぶ。
 93年度といえば「平成の大冷害」で、米が記録的な凶作に見舞われた。青立ちのまま実らぬ稲が今も語り草になる。その年と同じとは、いかに低い水準かが分かる。
 自給率低下は、天候不順により小麦や大豆の生産が落ち込んだことが大きい。特に主産地である北海道の生産減が響く。だが、天候だけに原因は求められない。
 65年度に73%あった食料自給率は、ほぼ一貫して下がり続けている。9年前に40%を割り込んだ後は、30%台後半のままだ。もはや構造的な問題と言えよう。
 政府は25年度に45%に高める目標を掲げるが、一段と遠のいた。米離れに加えて安価な輸入農産物が増え続ける現状のままでは、達成は極めて困難とみられる。
 もっとも、食料の重さを熱量換算したカロリーベースを目標とすることには疑問の声が多い。熱量の高い米の比重が大きく、野菜はほとんど評価されないからだ。
 消費量が増えている肉類は、国内の飼育でも、輸入飼料で育てられると「自給」と見なされない難点もある。このためカロリーベース目標には風当たりが強い。
 だが、飼料が国産・輸入のいずれかに関係なく計算しても、自給率は46%にとどまる。食料の半分以上を輸入に頼る構図は変わらない。
 やはり自給率の低下は、国内生産力の弱まりを映すと見るべきだろう。そこから目を背けずに、対策を打たなければならない。
 生産力が弱まる一因に、農業を担う人の減少が挙げられる。全国の農業経営体数は120万を割り、この10年で50万も少なくなった。耕地面積も急減している。
 現場では担い手の高齢化が著しい。とりわけ輸入品との競争に直面する畜産・酪農では、やめていく人が増えた。そうなると飼料用の米作りも持続が難しくなる。
 岩手の17年度の食料自給率は101%で、2ポイント落ちた。100を超えて農業県の面目を保つものの、下落傾向は続く。やはり生産力の弱まりが背景にあるとみられる。
 現代日本で食料難は想像もできないが、最新の国連推計で30年後、気候変動により穀物価格が最大23%上がると公表された。国家間で食料の争奪が激しくなると見込まれ、輸入頼みは危うい。
 自給率を上げるには、農地の保全と活用が不可欠だ。中山間地にも農業を営む人がいる必要がある。農業の場合は産業政策とともに、地域を守る政策の拡充を望みたい。


裁判記録廃棄 保存ルールの見直し急げ
 憲法解釈が争われた戦後の重要な民事裁判の記録の多くが廃棄されていることが共同通信の調査で分かった。
 判決文は残されているというが、審理の過程をたどれなければ、結論がどう導かれたかという歴史的な検証が不可能になる。あまりに大きな損失というほかない。
 裁判記録は、訴状をはじめ原告や被告が出した書類、法廷のやりとりの記録など全てをとじた文書である。裁判終了後は、民事裁判は一審の裁判所、刑事裁判は一審を担当した検察庁で保存される。
 代表的な憲法判例集に掲載された137件について共同通信が調査したところ、8割以上の118件が廃棄されていた。重要な裁判記録の廃棄は今年に入り東京地裁で一部判明していたが、全国規模で捨てられていたことが分かったのは初めてである。
 廃棄されたものには、ミサイル基地建設を巡り一審で自衛隊に違憲判決が出た長沼ナイキ訴訟や、沖縄の米軍基地の強制使用を巡る代理署名訴訟、中学生の思想信条の自由が論じられた内申書訴訟なども含まれる。先に判明した東京地裁では、朝日茂さん(故人、津山市出身)が国を訴え、憲法25条が定める生存権の解釈が争われた朝日訴訟の記録も廃棄されていた。
 憲法裁判は市民が政府や大企業を相手に起こし、基本的権利を確認してきたものだ。戦後日本の歩みを象徴するような裁判記録は国民共有の財産と呼ぶべきものであろう。それがずさんな管理で失われていたことに衝撃を受ける。
 裁判記録は行政文書とは異なり、公文書管理法の対象ではない。通常の民事裁判の場合、裁判所の規定で5年間保存し廃棄するが、「史料または参考資料となるべき」裁判記録は事実上永久保存の「特別保存」とする規定もある。
 どう考えても重要な裁判記録が安易に廃棄されており、専門家からは規定違反との指摘が出ている。廃棄した判断が適切だったか否かについて、最高裁は「(廃棄は)各裁判所の個別判断」と回答を避けているが、あまりに無責任な姿勢ではないか。
 行政文書については近年、国連平和維持活動(PKO)部隊の日報問題や学校法人森友学園問題などでずさんな管理が相次いで判明した。今回、司法の場においても記録をないがしろにする実態が浮き彫りになった。
 米国などでは重要裁判記録は原則永年保存される。多くの裁判所では裁判記録はデータベース化され、インターネットで検索もできるという。
 最高裁は裁判記録の廃棄をいったん凍結し、ルールの見直しを急ぐべきだ。専門家からは、重要性を把握できる立場の最高裁が記録を一審の裁判所に戻す際、特別保存すべきものを指示すべきとの指摘もある。外部の専門家らを入れ、保存と廃棄、さらには公開のあり方について根本から見直してもらいたい。


【裁判記録の廃棄】「保存重視」にかじを切れ
 最高裁は一審、二審を経て上告のあった裁判記録を審理する、文字通り司法の最高機関だ。重要な裁判の判決は、しばしば判例として引用される。
 最高裁は全国の裁判所を統括するが、特に重要な憲法裁判の記録が、各裁判所で多数、廃棄されていたことが分かった。裁判所の規定では事実上の永久保存に当たる審理過程の記録が永遠に失われた。その損失はあまりにも大きい。
 最高裁をはじめ全ての裁判所は、規定違反の疑いが強い記録の廃棄を猛省し、後世の検証に耐えうる体制を築き上げるべきだ。
 共同通信が日本を代表する憲法判例集に掲載されている137件について調査した結果、廃棄は86%を占める118件。米国などの基準で原則永年保存に当たる「特別保存」はわずか6件だった。
 廃棄された裁判記録の一つに、一審札幌地裁で自衛隊に違憲判決が出た長沼ナイキ訴訟がある。自衛隊の基地に反対する地元住民が起こした訴訟で、最高裁は二審判決を支持してこの訴えを退けた。
 だが、より重要なのは判決などの結論文書ではない。合憲か違憲かが争われるなかで、訴状をはじめ原告や被告が出した書類、法廷でのやりとりなど全てをとじた文書である裁判記録が不可欠だ。
 廃棄されたのは、ほかにも薬局開設の距離制限を定めた法律を違憲とした訴訟や、公立中での生徒の思想信条の自由が論じられた内申書の訴訟などがある。憲法裁判は平和、男女平等、表現の自由など、戦後日本社会のルールを、幅広い分野にわたって作ってきた。
 その検証には、審理の過程を記録した文書が必要になる。廃棄の理由について最高裁は、記録を一審の裁判所に戻して保存することから「各裁判所の判断」と説明する。
 だが、その記録が重要かどうかを把握できる立場にあるのは最高裁だ。特別保存する分類として「重要な判例となった」「世相を反映し、史料的価値が高い」などの基準を自ら定めている。
 専門家は、最高裁が各裁判所に記録を戻す際、判断を裁判所任せにせず、特別保存すべきものを指示する仕組みを設けるべきだと指摘する。最低限の再発防止策だろう。
 さらに、重要な裁判記録は憲法裁判に限らない。最高裁が全国の高裁、地裁、家裁にある特別保存記録の件数を調査した結果、その総件数は440件にとどまった。あらゆる裁判の膨大な記録の数と比較して、特別保存は極めて少ない。
 このことは司法文書だけでなく、行政文書の管理の甘さ、ずさんさにも通じる問題だ。最近でも森友学園を巡る、財務省の決裁文書改ざんという前代未聞の不祥事が起きた。
 公文書は権力を検証・監視する民主主義の根幹であり、国民の貴重な共有財産だ。安易な廃棄や隠蔽(いんぺい)は許されない。管理する側は保存重視の徹底に大きくかじを切るときだ。


北方領土交渉 打開の糸口見いだせるか
 領土問題を巡る日本とロシアの姿勢に大きな隔たりがあることが改めて浮き彫りになった。交渉の先行きは一層不透明になったといえよう。
 ロシアのメドベージェフ首相が北方領土の択捉島を訪れ、ロシアが独自に進める開発事業の現状などを視察した。
 日本政府は「北方領土に関する日本の立場と相いれない」と抗議した。ロシア政府は「内政干渉」と批判、受け入れられないと伝えた。
 メドベージェフ氏は択捉で「ここは我々の土地だ」と語った。日本へ領土返還の考えはないという強い意志を示し、実効支配する領土の開発を急ぐ姿勢を内外に誇示したのだろう。
 メドベージェフ氏は大統領だった2010年に国家元首として、初めて北方領土の国後島を訪れている。首相になってから12年に国後島、15年には択捉島を訪れた。
 今回の訪問は、16年12月の日ロ首脳会談で北方領土での共同経済活動に合意してからは初めてになる。経済協力で歩み寄りを見せ始めて以降、首相ら政権幹部は訪問を控えていた。
 それだけに、政権ナンバー2のメドベージェフ氏が領土に足を運んだことは、プーチン政権の姿勢の転換を感じさせる。日ロ両政府が計画する共同経済活動の交渉にも影響を与えることになろう。
 交渉の仕切り直しを迫られる形となった日本政府は、粘り強く情報収集を重ね、打開の糸口を見いだすことが必要だ。
 メドベージェフ氏の行動の背景には、9月の統一地方選で与党・統一ロシアの苦戦が予想されていることがあるという。
 与党の党首はメドベージェフ氏だ。しかし、党は議会の支配や汚職問題で批判を受けており、年金受給年齢引き上げを契機に人気が急落している。
 党の支持率回復を優先し、これまで積み重ねてきた対話をリセットしようとしているのだとすれば、理解に苦しむ。
 安倍晋三首相は9月にウラジオストクで開く東方経済フォーラムに出席し、プーチン大統領と会談する意向だ。
 今回のメドベージェフ氏の択捉訪問には、首脳会談を前にロシア側が領土問題で妥協しない姿勢を見せる意図があるとの見方も流れる。
 領土問題を解決して平和条約を締結するという基本姿勢について再確認し、プーチン氏の真意をきちんとただすべきだ。
 安倍首相には、北方領土交渉を巡る政権の姿勢について、説明を求めたい。
 2019年版の外交青書では、18年版にあった「北方四島は日本に帰属する」という文言が消えた。同時に歯舞群島、色丹島の2島引き渡しにより決着させる案でロシア側との交渉に臨んできたが、具体的な成果は出ていない。
 これらの問題について、首相からの明確な説明を聞きたい。北方領土交渉を巡る現状をどう認識しているのか。国民に対して、きちんと語るべきだ。


リクナビ内定辞退予測 学生の視点に立ち運営の改善を
 就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリアが、個人データを基に就職活動中の学生の内定辞退確率を予測し、本人の同意なしに企業に販売していた。東京労働局が調査に入っている。
 学生にとって、就活は人生を左右する大きな意味を持つ。そこで広く利用されているリクナビで、本人に不利になりかねない個人情報が知らないうちにやりとりされていたことは、サイトへの信頼のみならず就活の在り方を揺るがす問題だ。再発防止に向け、経緯の詳しい検証が欠かせない。リクナビには、学生の視点に立った運営への改善と、個人情報保護の重要性を再認識することが求められる。
 リクナビは、就活生ごとに企業や業界のサイトの閲覧履歴、志望動向などの大量のデータを人工知能(AI)で分析し、内定を辞退する確率を推計。昨年3月にサービスを開始し、1社当たり年400万〜500万円で38社に提供していた。
 「企業が採用活動中や内定後の学生に適切なフォローを行うため」であり、採用の合否判断にはデータを活用しないことを企業に確認していたという。問題発覚時点では学生の事前同意を得ているとしたが、その後、7983人から適切な同意を得ていないことが判明したとしてサービスの廃止を決めた。
 個人情報保護法では、事業で取得した個人情報を第三者に提供する場合、本人の事前同意が必要としており、違反している可能性がある。予測の対象となった全人数や提供先の企業名は公表しておらず、データが合否に影響していないかどうかも明らかではない。リクナビは十分に説明を尽くすべきだ。
 リクナビは就活サイト最大手で、掲載企業は3万社以上、登録学生数は約80万人に上る。データ提供に事前同意を得たとする場合でも、利用規約にあるのは「採用活動補助のため企業へ提供」といった抽象的な文言。自分の内定辞退確率が予測され企業に提供される、とは読めない。学生からは「不安だ」「裏切られた」と憤りの声が上がっている。企業の利益を優先し、学生の信頼を損ねたことを猛省しなければならない。
 問題の背景には、人材獲得競争の激化がある。近年、就活は学生優位の「売り手市場」とされる。企業にとっては内定辞退者が出ると採用計画が狂ってしまう。データを購入した38社も辞退を減らす材料が欲しかったのだろうが、リクナビ同様、法的問題がないか問われる。そもそも、内定辞退確率と仕事の適性は関係ない。さまざまな企業や業種に興味を持つことは、むしろ視野の広い有用な人材である裏返しでもあろう。
 個人データを活用したビジネスは産業界に広がりつつある。しかし、急速なデジタル化にルール整備が追いついていない。2020年に予定される個人情報保護法の改正に向け、議論を深めなければならない。


水泳オープンウオーター選手悲鳴!お台場は悪臭と猛暑Wパンチ「トイレみたいな臭い」
 20年東京五輪・パラリンピック組織委員会主催の水泳オープンウオーター(OWS)のテスト大会が11日、東京・お台場海浜公園で開催された。男子は午前10時開始予定だったが、猛暑の影響で同7時に前倒し。同7時スタート予定だった女子は同7時2分に変更された。本番の半分の距離となる5キロのコースで実施。男子22人、女子12人が出場したが、多くの選手から悪臭と高水温に対する悲鳴が上がった。
 お台場の海を泳ぐ約1時間の競技を終えた中堅男性選手から衝撃的な発言が飛び出した。「正直、臭いです。トイレみたいな臭いがする」。お台場での試合は自身3度目。過去にはレース後に腹痛に襲われた経験もあり「本番では会場で事前練習を行わないなどの対策が必要かもしれない。前日練習でおなかを壊したら元も子もない」と顔をしかめた。
 東京五輪会場でもあるお台場は、水質調査で国際競技団体が定める基準値を大きく上回る大腸菌が検出されるなど水質改善が課題。汚物の流入を抑えるポリエステル製の水中スクリーンをコースの外周に設置しており、既に基準値を下回る測定結果を得ているという。今回は一重のスクリーンが、本番は三重になる予定だ。
 障害は悪臭だけではない。この日の水温は午前5時の時点で29・9度。国際水連は競技実施の条件として会場の水温を16度以上31度以下と定めている。男子は午前10時スタート予定だったが、試合前日に午前7時に前倒しすることを決定。主催者側によると、午前7時の水温は試合前日まで4日連続で30度以下だったという。この日のレース中の水温は非公開だったが、男子で12年ロンドン五輪金メダルのウサマ・メルーリ(35=チュニジア)は「今まで経験した中で最も水温が高く感じた」とぐったりしていた。
 国際水連のコーネル・マルクレスク事務総長は「水質、水温の問題はリオデジャネイロ五輪でもあった。組織委員会と一緒になって解決したい」と説明し、競技開始時間を午前5時まで前倒しする可能性も示唆した。悪臭と高水温のWパンチ。スポーツの祭典を通して、東京の人気観光スポットが“トイレ臭い”と発信されないためにも、対策が急務だ。
 ▽オープンウオータースイミング 海、川、湖など自然の水域で行う長距離の水泳競技。世界選手権では男女ともに5キロ、10キロ、25キロが行われ、五輪では08年北京から10キロが正式種目となった。20年東京五輪ではマラソンスイミングの競技名で、女子が8月5日、男子が同6日に実施。男女各25人が出場する予定だ。
 《お台場のこれまでの水質調査》OWS、トライアスロンが実施されるお台場の水質問題が表面化したのは17年10月4日。東京都と20年東京五輪・パラリンピック組織委員会が同年7〜9月に行った水質調査で、競技団体が定める基準値の最大約21倍の大腸菌が検出されたと発表。その後、汚水流入を遮るスクリーンを設置するなど対策を施した。18年10月13日には日本トライアスロン連合が、同年9月13日と10月7日の水質調査結果を公表。9月は水質推奨基準を超える大腸菌が検出されたが、10月は下回った。スクリーン設置エリアで大腸菌類の抑制効果が認められた一方、スクリーン外側と比べて平均で約1度水温が上昇する“副作用”も確認。スクリーン開閉などの対応が必要と判断された。16年のリオデジャネイロ五輪ではセーリングやボート会場の水質汚染が問題となった。セーリング女子のベルギー選手がレース後に体調不良を訴え、腸の感染症を患ったと主張。国際オリンピック委員会が水質の安全性を強調する中、ベルギー・オリンピック委員会が「彼女は数週間前に深刻な胃腸の感染症にかかり、十分に回復しなかった」との声明を出す事態に発展した。


2020年東京五輪は“人命”を軽く扱っていないか。組織委員会とメディアが犯した罪/本間龍インタビュー
 2020年東京オリンピック・パラリンピックが、来年7月24日に始まる。残り1年を切った今、各競技で続々とテストイベントが始まっており、テレビのスポーツニュースなどでもオリンピックでの活躍が期待される選手を特集する企画が増えてきている。
 しかし、日本社会全体でオリンピックへの期待感が醸成される一方、暑さ対策や、ボランティアスタッフの労働問題といった、開幕までに解決すべき問題について十全な議論がなされているとは言いがたい状況がある。
 特に「暑さ」の問題は深刻だ。この猛暑のなか、熱中症で救急搬送される人は後を絶たない。総務省は7月29日から8月4日までの1週間に熱中症で救急搬送された人は1万8347人にもおよび、このうちの57人が死亡したと発表した。また、8月8日には、東京オリンピック・パラリンピックの国際放送センターとメインプレスセンターの建設が進んでいる東京ビッグサイトの建設現場で男性作業員が倒れ、病院に搬送後に死亡が確認されたという事故が報じられた。熱中症で倒れた可能性もあると見られている。このままの状態で東京オリンピックが始まってしまって、本当に大丈夫なのか?
 『電通巨大利権 東京五輪で搾取される国民』(サイゾー)や『ブラックボランティア』(KADOKAWA)といった著書で東京オリンピックをめぐる問題点を指摘し続けてきた作家・本間龍氏に、話を聞いた。
「暑さ対策」に打つ手なし
――2020年東京オリンピック・パラリンピックの開幕まで1年を切りました。もう残された時間はわずかにも関わらず、解決すべき問題は山積したままです。
本間龍(以下、本間) オリンピックに関する問題はいろいろありますが、私が指摘したい問題のまず根本は「暑さ対策」ですね。暑さ対策がまともになされていないのにも関わらず、ボランティアスタッフをタダで働かせたり、多くの人を協力させようとしている。
――大会が行われる7月終わりから8月にかけて日本が熱中症の危険性が高い猛暑になることは、日本オリンピック委員会(JOC)や、日本オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会も認識しているわけですよね?
本間 そうですよ。それにも関わらず、いまになっても抜本的な対策が出てこない。というか、暑さ対策って、結局はなにもできないわけですよ。
――それはそうですよね。自然のことは人間にはどうすることもできないわけで。
本間 だから、違う日程でやるべきだったのに、日本は招致の段階で「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」(東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会「立候補ファイル」内「2020年東京大会の理想的な日程」より引用)と嘘をついて招致をしてしまった。だから、もう引っ込みがつかない。
1964年に行われた前回の東京オリンピックは10月10日から24日にかけてという日程でした。このときも夏にするか秋にするかという検討が行われていて、「夏は不可能である」という結論が出ていた。そういう結論が50年以上も前に出ているのにも関わらず、その教訓をかなぐり捨てて夏にしてしまったから、いつまで経っても暑さの問題から逃れられない。
――なんでそんな嘘をついたんですか?
本間 まず、オリンピックのテレビ放映権料としてアメリカの放送局が払う金額が多いため、国際オリンピック委員会(IOC)に対してアメリカが強い影響力をもっています。そして、アメリカの放送局は7月にコンテンツが不足する傾向にあることで、この季節にオリンピックを当ててほしがっている。これが理由です。とはいえ、そんな事情には抵抗して「東京でやるなら秋です」と言えばよかったんだけど、トルコのイスタンブールやスペインのマドリードに負けたくないがために、日本は「温暖」と嘘をついてしまった。
――自分で自分の首を絞めてしまったのですね。
本間 夏場に無理にやるから、この問題はずっとついてまわるわけですよね。秋にやっていれば、こんな問題はない。暑さの問題があるかないかで、ずいぶん違うじゃないですか。
ボランティアの熱中症対策は
――こんな酷暑のなか、多くのボランティアスタッフを動員しようとしています。
本間 6月には、大会組織委員会からボランティアスタッフの暑さ対策として「お茶や水のペットボトルと塩飴を配る」という案が出されました。これに対して、ボクシングのスポーツ団体から指摘が入ったんです。「汗をかいた状態で水を大量に飲むのはよくないし、お茶なんかあげたら利尿作用でますます脱水症状になる」と。「あげるならスポーツドリンクをあげなさい」と指摘したんですね。そうしたら、組織委員会の人たちが口をあんぐりとさせてしまって……。要するに、暑さ対策についてなにも考えてないわけですよ。暑さ対策をしなければ人命が危険に晒されるということを、組織委員会の連中はまったく理解していない。これは非常に恐ろしいことだと思います。
――あまりにひどい。
本間 空調作業服という、工事現場なんかでよく使われている、ファンで風を送り込んでくれる服があります。ああいうものを人数分用意すればいいのにと思いますが、組織委はそういうことはしない。そんなことには金をつかいたくないからですよ。
――ボランティアの対象には、通訳や医療事業者のような専門職も含まれているんですよね?
本間 含んでいます。友人の医師が「絶対にやりたくない」と言っていました。大会期間中は大量の熱中症患者が出るのは確実ですが、「もしもその現場でなにかあったら、対価もない労働でその責任の所在はどこにあるんだ?」と。
――もし必要な人数の専門職ボランティアが集まらなかったらどうするつもりなのでしょう?
本間 日本医師会などにお願いするのではないかと言われています。お金は医師会がもつことにして、表向きは「ボランティア」というかたちでお医者さんを引っ張る。これは通常のボランティアスタッフも同じです。何十社もスポンサー企業があるので、裏から手を回す。ただその際は、正社員ではなく派遣社員を送るとか、あとは下請け企業に「お前のところから何人か出せ」と言うとか、そういう気分の悪い話が出てくるのではないかと危惧されていますね。
オリンピックを批判できないメディアの問題
――聞けば聞くほどひどい話ばかりですが、不思議なのはこういった懸念がマスメディアでほとんど報じられないことです。
本間 ここのところは暑くなってきたからさすがにテレビのニュースでも「暑いけどオリンピックは大丈夫?」といった企画が単発で取り上げられることは出てきました。去年もそうでしたよね。でも、これらはあくまで単発の企画で、最後は「さらなる検討が求められる」といった感じで終わるわけです。「さらなる検討が求められる」なんていうのはもうずっと前から言われてきたことであって、もう1年を切った状況では具体的な対策が出てきていないとまずいわけです。でも、そこまではどのメディアも指摘しない。
――それは五輪スポンサーに新聞社が多く入っているからですか? 東京2020オリンピックオフィシャルパートナーには、読売新聞、朝日新聞、日本経済新聞、毎日新聞が入り、東京2020オリンピックオフィシャルサポーターには、産経新聞、北海道新聞が名を連ねています。
本間 もともとオリンピックのスポンサーは原則的に「一業種一社」だったのが、電通が金儲けのためにその原則を崩してしまった。今回でいえば、最初は読売が一社で入る予定だったのが、他の新聞社が取材で不利になるというので、どんどん他の会社も入ってきたそうです。スポンサーであろうとなかろうと、取材現場での扱いは平等ということにすればよかったのに、結局は「あそこがやるならウチも」という感じになってしまった。
――結局、それでオリンピックに関する批判ができなくなってしまいました。
本間 そもそも、メディアがスポンサーになるということ自体がおかしい。特に、問題点を検証できる新聞のようなメディアが軒並みスポンサーに入ってしまっては、議論もできなくなってしまう。これは大きな問題だったと思います。暑さ対策の問題なんて、新聞の一面や二面で扱われていいトピックだし、キャンペーンを張って糾弾すべき問題ですよ。
――その通りだと思います。
本間 社会部の記者のなかには書いている人もいるんですよ。でも、記事が上にあがっていくにつれ、上層部がスポーツ部への配慮や、「ウチもスポンサーやってるし」となって、ボツにする。自分たちで制御してしまうわけです。そういう話は実際に新聞社の人から聞きます。結局、アリバイ的に小さな扱いの記事が出る程度にしかならない。
東京オリンピックは21世紀によみがえったインパール作戦
――暑さ対策の不備以外にも、さまざまな問題があります。たとえば、もともと「コンパクト五輪」という触れ込みで始まったのにも関わらず、予算が雪だるま式に増え、招致当時に掲げられていたものとは別物になってしまいました。
本間 もともと東京オリンピックは7000億円で開催できると言われていて、スポンサーからの収入は900億円あれば足りるとしていた。それが、先日組織委員会が発表したところによると、国内スポンサーだけで3200億円の収入があると。ボランティアに日当も出さないで、この金はどこに消えているのか。お金に関してブラックボックスの部分は多いです。たとえば、テロ対策として、各メーカーが新しい商品のプロトタイプを税金でつくっている。これもブラックボックス。チケットがどれくらい売れて、その収入がどれだけあるのかもブラックボックス。メディアが検証しないので、こういった部分はブラックボックスのままですが、どうしてブラックボックスのままでいいことになってしまっているのでしょうか。
――トップダウンですべてが決まっていくことで現場の異論は一顧だにされない強権的な姿勢、大企業ファーストな社会のあり方、メディアの報じ方の問題など、東京オリンピックには、いまの日本社会が抱えている問題がすべて凝縮されている気がします。
本間 私はよく「21世紀のインパール作戦」「#Tokyoインパール2020」という言葉を使っていますが、どう考えても無理な計画が、軌道修正もないまま強行されていく東京オリンピックの状況は、まさに第二次世界大戦中におけるインパール作戦です。熱中症の対策はないから、取り敢えず「大和魂で突っ込め」みたいな。
普通は、検証してもう無理だとわかったら、その時点で中止にしますよね。でも、中止になったら、電通やスポンサー企業など、ここまで金をかけてきた大企業の人たちが損をしてしまう。だから、中止にはならない。
熱中症などで被害をこうむるのは、それらの会社の社員でも、その家族でもない。なけなしの金でチケットを買ってくれたお客さんや、善意でボランティアに参加したスタッフたちが犠牲になる。
――本当にひどい話です。
本間 独裁者によって統治されている国、戦争をやっている国、そういった国や地域において、「人命が軽んじられる」という状況が発生するのはよくあることですよね。しかし、日本のように曲がりなりにも民主主義の社会で、しかも高度にテクノロジーが発達しているのにも関わらず、あらゆる検証を無視して、精神論で作戦が強行突破され、結果的に人命が軽んじられているというのは、そうそうないことなのではないでしょうか。国家的な規模でそのようなことが行われたことは、日本においては少なくとも、戦後にはない。これは歴史にかなり恥ずかしい名を残すことなのではないかと思っています。
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 東京オリンピックが近づくにつれ、さらに複数の問題が噴出してくるだろう。しかし、このインタビューで語られている通り、メディアでそれが追及されることはおそらくない。ひょっとすると、これから先は、「単発」の問題検証企画すらできなくなってしまうかもしれない。
 そこでWEZZYでは、本間龍氏による「オリンピック問題追及」の連載を開始する。大会前、大会中、そして、大会後まで、諸問題の検証・追及を行いたい。(取材、構成:編集部)
本間龍 1962年東京生まれ。1989年に博報堂に入社し、2006年退社。博報堂時代の経験から、広告代理店とメディアの癒着によって起こる諸問題について告発を続けている。主な著書に『電通と原発報道』(亜紀書房)、『メディアに操作される憲法改正国民投票』(岩波ブックレット)などがある。


エヴァ貞本義行、くるり岸田繁まで…あいちトリエン“慰安婦像”攻撃で露呈した無自覚なヘイト、表現の自由の矮小化
「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」中止問題は、皮肉にも、安倍政権下の日本でどれだけ「表現の自由」が抑圧されているかを表してしまった。市民による展示中止撤回の抗議運動や署名も広がる一方で、本来、「表現の自由」を擁護する側のクリエイターの一部から、戦中の慰安婦問題を象徴する「平和の少女像」の展示等を批判する声が出ている。
 たとえば、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズのキャラクターデザインやコミカライズなどで知られる貞本義行氏が9日、こんなツイートをしたことが物議をかもしている。
〈キッタネー少女像。
天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。
かの国のプロパガンダ風習
まるパク!
現代アートに求められる
面白さ!美しさ!
驚き!心地よさ!知的刺激性
が皆無で低俗なウンザリしかない
ドクメンタや瀬戸内芸術祭みたいに育つのを期待してたんだがなぁ…残念でかんわ〉
 少女像を「キッタネー」と言い、韓国を「かの国」と表現するこの極めて露悪的なツイートには、一般ユーザーから差別性を指摘されるとともに、貞本氏のファンからも〈貞本さん、本気の発言ですか。その方向に行ってしまうのですか〉〈貞本さんからそんな言葉が出るとは!心底がっかりです〉〈長年エヴァのファンでしだが、ガッカリしました〉と失望の声が集まった。すると、貞本氏はこのように言い訳し始めた。
〈国籍差別も女性蔑視も自覚ないから、はぁそうですか? としか… 寧ろ日頃、助けて貰ってる身だから感謝しかないけどね… 社内にも友達にも後輩にも上司にまで韓国人や在日さんいるけど、皆んな基本真面目だし、いい人だから普通に意識もせず仲良く接してるしこれからもそうする〉
〈一昨年、プチョン映画祭招待されたのでノンギャラでサイン会やりました 去年は風邪でドタキャンになっちゃいましたが… 時間超過しても1人1人サインに添えてイラストまで描いて握手して アレ、差別意識あっら最初から断ってるでしょ? 違うかな?ま、もういいけどさ〉(引用者の判断で改行を省略した)
 貞本氏は「私にも韓国人や在日の友達がいる」と述べているが、実はこれは「I have black friends」と呼ばれる差別主義者が自分を正当化するためによくもち出す論法だ。「私には黒人の友だちがいる」「私には在日の友だちがいる」と豪語したところで、その属性の人に対する差別の感情がないという証明にはまったくならないし、社会に差別がないことを証明するものではけっしてない。実際、ユーザーから批判が殺到した貞本氏のツイートには、ネトウヨから同調の声が多く出ている。仮に「差別意識はなかった」としても、差別を煽動していることには変わりはないのだ。
 しかし、差別煽動は論外だとして、貞本氏のツイートで考えなければならないのは、前述の「キッタネー少女像」ツイートを批判され、こんな釈明をしていたことだ。
〈韓流アイドルも好きだし綺麗なモノは綺麗と正直に言ってます
造形物として魅力がなく汚い仕上げと感じたまでで生で見たら又印象違うのか?
モデルになった方がいるなら申し訳ない…
プロパガンダをアートに仕込む行為も全く否定しないけど正直
アートとしての魅力は俺には全く響かなかった〉
 ようするに、「平和の少女像」は「造形物として魅力がなく汚い仕上げ」で「アートとしての魅力」がない「プロパガンダ」だから批判したのだ、と貞本氏は言いたいのだろう。だが、この貞本氏のツイートには、いくつもの陥穽が潜んでいる。いい機会なので検証してみたい。
町山智浩が貞本義行の「キッタネー少女像」ツイートの差別性を喝破
 まず言っておきたいのは、「平和の少女像」の造形が美的に優れているかどうかは個人の感じ方次第ではあるが、これを「キッタネー」と差別的に罵る行為が批判されるのは当たり前だということだ。
 映画評論家の町山智浩氏は、一般ユーザーの〈貞本義行氏が例の慰安婦像を酷評した件で叩かれているが、あれを普通に芸術品としてみた場合、ぶっちゃけゴミ同然の価値じゃないの〉というツイートに対して、このように投稿している。
〈いや、像そのものはさておき政治的背景が嫌だと言ったほうがまだマシ。政治的文脈抜きに純粋に造形物として見た場合、あの像は典型的な韓国人少女をプレーンに描いたものでしかないので、それをゴミとか汚ねえと罵倒するほうが差別的。例えば黒人を写実した像に対してそう言ったらどう取られるか。〉
 まさに町山氏の言うとおりだが、これに対して貞本氏は〈尊敬してる町山さんに言われると辛いですね…〉と言いつつ〈今回の一件、米軍に轢き殺された少女の背景まで知りませんでした〉などとツイートをしている。“少女像はもともと米軍装甲車に轢き殺された少女の像としてつくられ、のちに慰安婦問題を象徴する像として転用された”というのは、数年前からネット上で流布している事実無根のデマだ(過去記事参照https://lite-ra.com/2017/12/post-3635.html)。
 いずれにしても、「造形物としての魅力」と「キッタネー」という言葉遣いには明らかに距離があり、やはり後者が差別煽動として批判されねばならないのは当然なのである。
 次に、「平和の少女像」が「プロパガンダ」(政治的宣伝)なのかどうかという点だ。たしかに、日本の安倍政権と韓国の文在寅政権が慰安婦問題で対立している以上、この作品が政治的に扱われてきたことは言をまたない。
 だが、本サイトでは繰り返し説明してきたように、制作者は「ハルモニ(おばあさん)たちの苦難の歴史、世界の平和と女性の人権のために闘うハルモニたちの意思まで込めようと思いました」と語っている(「週刊金曜日」2016年9月16日号)。つまり、戦争被害と女性の人権侵害という悲劇を再び起こさないようにというメッセージであり、あえて分類すれば、広島県の平和記念公園にある「原爆の子の像」(通称・禎子像)と類似のジャンルであって、これを「プロパガンダ」とは言わない。
 むしろ、「少女像」を巡る経緯や事実関係を考えれば、批判するべきは作品そのものではなく、利用しようとしている政治のほうだろう。安倍政権は2015年のいわゆる日韓合意で韓国内の少女像の撤去を要請した。これ自体が市民の表現行為に対する政治の介入そのものであって、それゆえに「少女像」は強い政治性を帯びているのである。
 その文脈の上で「表現の不自由展・その後」というコンセプチュアルな展覧会のなかに「少女像」が位置づけられたのだ。こうした経緯を無視して、単に「プロパガンダだ」と批判するのは、それこそ「アート性」の理解を放棄した“決めつけ”としか言いようがないだろう。
くるり岸田繁のツイート「あれは表現の自由か」に見る浅薄な理解
 そして最後に、実はこれが一番のコントラバーシャルなのだが、貞本氏の“言い訳”のなかには「アートと政治を切り離すべき」という主張が感じられることだ。この点については、多くの人が誤解しがちなところなのでちゃんと整理しておきたい。
 実際、似たような意見は、貞本氏以外のクリエーターからも出ている。たとえば、くるりの岸田繁は「表現の不自由展・その後」中止に関して、このようにツイートしている。
〈あれは表現の自由なんだろうか。政治とアートは隣合わせと言われるけど、政治にしか見えないのは残念。〉
〈誤解を招くので説明しますね。全てのアートは人に届くことによって必ず「政治性」を帯びます。本人が意図していなかったとしても。後付けで色んなものが付いてくる。タイアップとか、有名人賞賛とか。それを固辞することでさえ政治性。政治性を帯びれば帯びるほど、楽しめるアートの種類は減る。〉
〈私が残念だなと思うことは、芸術作品が闘争の道具に使われてしまうこと(例えそれを見越したものであっても)です。そうでないものもそうであるように見えてしまうことが起こるからです。勿論、作り手は丁寧に思想や哲学と向き合うことは大切なことですが。〉(8月3日)
 言うまでもなく、芸術が「美以外のあらゆるもの」から完全に独立することができるかというのは、ある意味、古代ギリシア以来の哲学的問いだが、事実としてみれば古今東西、芸術は「政治的なるもの」と不可分だった。信仰や思想、時代性、民族性、相互性は言うに及ばず、あるいは美の受け取り方自体すら解釈を含むからだ。
 だが、芸術が「政治的なるもの」を帯びることと、「政治の言いなりになる」ことは大きく違う。前者はその根本に人間精神とその表現が発揮され、後者はそれらが抑圧・歪曲されているからである。単に「政治的だ」という言い方でなされる批判は、その異なる両者の性質を混同しているだけでなく、実のところ、それによって芸術の自由を矮小化している。
 そして、岸田氏など、今回の問題で少女像などの展示を批判している人たちが口にしている「表現の自由」というのは、まさにこの“矮小化されている自由”にすぎない。
憲法21条が「表現の自由」を保障そしている意味を考えるべき
 そもそも、なぜ憲法21条で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」が保障されているのか。それは権力によって制限されずに、自由闊達な議論を行うことが、民主主義に求められる最低条件だからだ。つまり、政治権力を自由に批判できるところにこそ「表現の自由」の本質がある。
 戦争や暴力、あるいは権力に対し、それ自体をもってきて応じるのではなく、言論や芸術といった表現で対抗する個人のための保障でもある。言い換えれば、「表現の自由」は「弱者である個人」と「強者である権力」とのアンバランスな緊張関係を保持する防波堤なのである。
 その意味において、「少女像」を「政治的」と批判的に語る言論は、その言い方によって政治権力によって表現が統制される隙を与える。仮に「政治的」なものが芸術から排された社会があるとすれば、逆説的に、そこは権力が自由な表現を敵視しないディストピア社会であり、そこにおける芸術はすなわち「政治の言いなり」以外のなにものでもないのだ。
 繰り返すが、今回の「表現の不自由展・その後」は、ネトウヨの脅迫や極右政治家の圧力によって中止に追い込まれた。まさに、権力と暴力によって「表現の自由」がつぶされた。にもかかわらず、人々はこの状況に大なり小なり違和感を感じつつも、なし崩し的に受け入れそうになっている。それがどれだけ危機的なことか。この国は、本当に行くところまで行ってしまうのだろうか。 (小杉みすず)


少女像の韓国人作者が反論「日本の報道では正しい意図が伝わらない」 表現の不自由展で物議、街の声は?
 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の中止から1週間が経過したが、未だに波紋が広がっている。
 今回批判と抗議が殺到した展示の一つに、慰安婦をイメージして2011年に制作された「平和の少女像」がある。11日にAbemaTVで放送された『Abema的ニュースショー』では、その少女像の作者の一人であるキム・ソギョンさんに取材を申し入れたが「日本の報道では私たちの正しい意図が伝わっていない」などと取材に応じられない旨、そして、取材を受けないことを詫びる気持ちが書かれた手紙が送られてきた。
 さらにソギョンさんは「少女像は反日の象徴ではなく、平和の象徴であることを知らせるために展示会への参加を決意した。しかし、日本の報道では(少女像は)反日の象徴として映っていた。不快に思うという人がいるのも事実。しかしその不快さは、河村市長の言う“国民全体の総意”なのかは疑問です」と複雑な心境を明かし、今回の中止の決断に対して反論した。
 この件について「少女像はアートなのか?」と街の人々に問い掛けると「アートではない。そのままそっとしておけばいいのでは」という声が上がったのに対して、「アートだと思う。自由ですよね? アートの表現の仕方は」という声も。さらに「みんなが幸せに暮らせることが前提だと思うので、そこを崩してしまったら何でもありになってしまう」「年々表現の自由が失われていく中で、上の人たちが気にしていたら結局、問題は変わらないのでは?」といった意見も聞かれた。
 一連の問題について意見を求められた映画監督の井筒和幸氏は「(自身が携わる)映画というのは表現の自由の最たるもの。憲法には公共の福祉というよくわからない文言がある。でも、憲法21条にある表現の自由というのは、絶対の自由。人が見て、目の前に晒されて、気持ちが悪い、不快に思うということも認めましょう。作ったものに尊厳を持たせましょうということだ」と持論を述べると「表現の自由は僕らが守るのではなく、公権力が守るもの。公権力を縛っているのは憲法だから、基本的には認めてあげなければならない。名古屋市の河村市長は『日本人の心を踏みにじっている』と言っていたが、日本人の心はバラバラ。日本人の心は必ずしも一つではない」と熱弁。最後には脅迫があったことによる「警備の問題」にも理解を示しつつ「晒すのが芸術だ」と表現者の立場から締めくくっていた。


徴用工問題の解決を求める日韓弁護士や支援団体声明(全文)
 11日、徴用工問題の解決を求める日韓弁護士グループや支援団体が発表した声明(全文)は次の通り。
 日韓関係が悪化の一路をたどっている。
 日本政府は、本年6月19日、韓国政府の提案した徴用工・勤労挺身(ていしん)隊問題の解決構想案について直ちに拒否の意思を明らかにしたことに続き、7月1日には、半導体核心素材など3品目の韓国への輸出手続きを強化することを公表し、さらに韓国を「ホワイト国」から除外する閣議決定を行った。
 日本の外務省は、今回の輸出規制措置が徴用工・勤労挺身隊問題に関する韓国大法院判決問題とは無関係であると説明している。しかし、安倍首相自ら「1965年に請求権協定でお互いに請求権を放棄した。約束を守らない中では、今までの優遇措置はとれない」と語り(7月3日、日本記者クラブ党首討論)、日本のマスコミの多くも今回の措置が韓国大法院判決への対抗措置であると論じているように、輸出規制措置と徴用工・勤労挺身隊問題は関連性があるとの見方が有力である。
 日本政府は、韓国大法院が徴用工・勤労挺身隊被害者の日本企業に対する慰謝料請求を認めたことを取り上げて、韓国は「約束を守らない」国であると繰り返し非難している。
 しかし、韓国大法院は、日韓請求権協定を否定したわけではなく、日韓請求権協定が維持され守られていることを前提にその法解釈を行ったのであり、昨年11月14日、河野外務大臣も、衆議院外務委員会において、個人賠償請求権が消滅していないことを認めている。
 そもそも、原告らは、意に反して日本に動員され、被告企業の工場等で賃金も支払われず過酷な労働を強いられた人権侵害の被害者である。この被害者に対し、日本企業も日韓両国政府もこれまで救済の手を差し伸べてこなかった。そこで、被害者自らが人権回復のための最後の手段として韓国国内での裁判を提起したのである。
 法の支配と三権分立の国では、政治分野での救済が得られない少数者の個人の人権を守る役割を期待されているのが司法権の担い手である裁判所であり、最終的にはその司法判断が尊重されなければならないとされている。
 徴用工・勤労挺身隊問題に関する韓国大法院判決は、まさに人権保障の最後の砦(とりで)としての役割を果たしたものといえるのであり、評価されこそすれ非難されるべきものではない。
 それに加えて何よりも問題なのは、人権侵害を行った日本企業や、それに関与した日本政府が、自らの加害責任を棚に上げて韓国大法院判決を非難していることである。
 被害者である原告は、日本で最初に裁判を始めてから20年以上を経て自らの権利主張が認められたのである。被害者の権利主張を認めた韓国大法院判決を非難するということは、被害者の法的救済を妨害し、さらに被害者に新たな苦しみを与えるものと言わざるを得ない。日本国憲法により普遍性を有する個人の人権を尊重しなければならないと命じられている日本政府の取るべき態度ではない。
 私たちが望むものは、日韓両国政府の対決ではなく、対話を通じた問題解決である。被害者の被害実態に誠実に向き合うことなく、被害者を蚊帳の外に置いたまま、国家間の政治的対立に明け暮れる姿勢は、直ちに改めるべきである。
 今の悪化した日韓関係を改善するためには、徴用工・勤労挺身隊問題の解決は避けて通ることのできない課題である。被害者と日本企業との間で徴用工・勤労挺身隊問題の解決のための協議の場が設けられ、日韓両国政府がそれを尊重する姿勢をとることこそ、日韓関係改善に向けた確実な第一歩になると確信している。
 私たちは、改めて、訴訟の被告である日本企業に対して、徴用工・勤労挺身隊問題の解決について協議を開始することを求める。
 また、日韓両国政府に対して、当事者間での自主的な協議を尊重し、当事者間の協議を経て具体化されるであろう徴用工・勤労挺身隊問題の解決構想の実現に協力するよう求める。
 2019年8月11日
 強制動員問題の正しい解決を望む韓日関係者一同
 (韓国)
 金世恩(弁護士、日本製鉄、三菱、不二越訴訟代理人)
 林宰成(弁護士、日本製鉄、三菱、不二越訴訟代理人)
 李尚甲(弁護士、三菱勤労挺身隊訴訟代理人)
 金正熙(弁護士、三菱訴訟代理人)
 李国彦(勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会常任代表)
 李煕子(太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表)
 金敏戞並席人寮鐐菷鏗下塋篏推進協議会執行委員長)
 金英丸(民族問題研究所対外協力室長)
 (日本)
 足立修一(弁護士)
 岩月浩二(弁護士)
 大森典子(弁護士)
 川上詩朗(弁護士)
 在間秀和(弁護士)
 張界満(弁護士)
 山本晴太(弁護士)
 高橋信(名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会共同代表)
 平野伸人(韓国の原爆被害者を救援する市民の会長崎支部長)
 矢野秀喜(朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動事務局長)
 北村めぐみ(広島の強制連行を調査する会)


「日本の安倍政権を糾弾する」…平和の少女像前で大規模ろうそくの波
8.15光復節後に控え、全国で大規模なろうそく集会  
韓国在住の日本人や韓国青少年団体も「反安倍」に参加

 韓国に対する日本の輸出規制強化で日本政府に対する批判が一カ月以上続いている中、15日の光復節を控え、全国で日本政府の“経済報復”処置を糾弾する大規模なろうそく集会が開かれた。
 民主労総と正義記憶連帯、韓国YMCAなど700以上の団体で構成された「歴史を歪曲し、経済を侵略し、平和を脅かす安倍政権を糾弾する市民行動」(以下、市民行動)は10日午後7時、ソウル鍾路区(チョンノグ)旧日本大使館前で、「安倍政権を糾弾する第4回ろうそく文化祭」を開いた。彼らは先月20日から毎週土曜日に文化祭を行っている。
 ソウル地域に「猛暑警報」(日本の高温注意情報に当たる)が発令された中でも、同日の集会には1万5000人(主催側推算)が参加した。今月3日、日本政府がホワイト国(輸出管理優待措置国、日本は8月2日より「グループA」に名称変更)から韓国を除外したことを機に開かれた第1回集会と同じ規模だ。市民行動は「9日の大邱(テグ)を皮切りに、この日光州(クァンジュ)や釜山、済州(チェジュ)など全国の3千人を合わせると、1万8千人以上が『安倍政府糾弾』集会に参加している」と明らかにした。集会参加者たちは片手には「NO安倍」、「親日賦役の積弊を清算しよう」、「経済侵略撤回」と書かれたプラカードを、別の手にはろうそくを掲げた。ろうそくを入れた紙コップと扇子には「NOと言う市民たち」や「NO安倍」などの言葉が書かれ、空には大小の太極旗(韓国の国旗)と共に同日の集会に参加した市民団体の旗がはためいていた。午後8時にも30度を超える猛暑に備え、参加者たちは帽子をかぶって、水筒を持参して集会に参加した。
 文化祭で反民族行為特別調査委員会(反民特委)の被害者の遺族たちは「誇らしい反民特委の子孫」と自己紹介した。反民族処罰法起草委員長で制憲議員を務めた故キム・ウンジン氏の娘キム・オクジャさんは「まだ親日賦役勢力は清算されず、各界各層で権力を振るっている」とし、「国会で第1野党という大政党のナ・ギョンウォン院内代表は、暴言まで吐いている」と批判した。さらに「私たちは安倍を糾弾しており、日本を糾弾しているわけではない」としたうえで、「独立運動はできなくても不買運動はするという市民たちを誇りに思う。私たちと行動を共にしてほしい」と付け加えた。「NO JAPAN」と書かれたTシャツを着て、妻や2人の子どもと達と共に舞台に立ったチョ・ファミョンさん(39)は「猛暑のなか、子どもたちと共に様々な難関を乗り越えてここまで来た理由は、今この時期に、困難に屈しない堂々とした歴史を子ども達に伝えたいと思ったからだ」とし、「もう一つの理由は、安倍の動きが経済侵略にとどまらず、(日本を)朝鮮半島で戦争ができる国にしようとしており、今止めなければ私たちの子ども達はまた、戦争と侵略の危険の中で生きていかなければならないかもしれないから」と懸念を示した。さらに、韓国在住の日本人を代表して演壇に立ったオカモト・アサヤさんは「日本では、多くの人が安倍政権の発表通り日本軍慰安婦問題が解決したと思っている」とし、「このような状況に対応するため、日本のホワイト国除外措置直後の4日に声明を発表し、一週間で3千人の同意を得た」と述べた。さらに「我々は日本社会で差別を根絶し、ともに平和に暮らしたいと思っている」とし、「日本が犯した徴用被害者に対する加害事実を認め、真剣に謝罪することや韓国に対する敵対的政策をやめること、徴用被害者が受け入れられる賠償施策を検討・実施することなどを安倍政権に求める」と声を高めた。
 文化祭が終わった後は、「集まろう8・15光化門(クァンファムン)、清算しよう親日賦役の積弊」と書かれた大型横断幕が市民たちの頭の上を通過するウェーブが行なわれた。その後、彼らは午後8時40分から約20分間、安国駅と鐘路を過ぎ、中区太平路(テピョンロ)にある朝鮮日報社の建物まで行進した。参加者たちは「NO安倍」とともに、「朝鮮日報は廃刊せよ」などと書かれたプラカードを掲げ、「私たち皆は朝中東(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)を読まない」、「私たちみんな一緒に親日賦役メディアを追い出そう」という歌を歌いながら行進した。
 この日は特に文化祭の前に「市民発言台」が設けられ、青少年から中壮年まで様々な考えを自由に話し合った。この場で、イ・サンユンさん(59)は「独立運動はできなかったが、せめて不買運動はしようという気持ちで参加した」としたうえで、「今、日本で多くの半導体部品会社が焦っており、日本は文禄・慶長の役の際、私たちの鼻と目を切り落として、植民支配を行った。この地で日本製品は永遠に追い出さなければならない」と強調した。チョ・ウォンセさん(53)は「安倍政権の極右派は金で国民と韓国人を買収し、韓国政府を攻撃するようにしており、海外に多くの友達を作って歴史を歪曲しようとしている」とし、「私たちはさらに韓国の歴史を武装し、彼らに対抗すると共に、より多くの友達に知らせよう」と提案した。カン・ジュンホさん(34)は「安倍の恥知らずな妄言とホワイト国からの排除などに腹が立つ」としたうえで、安倍首相の顔が描かれたクッションをたたく「安倍パンチ」パフォーマンスをした。
 青少年の参加も目立った。文化祭に先立ち、21世紀青少年共同体「希望」と特性化高校生権利連合会、青少年文化芸術センターなど、青少年団体は午後4時、旧日本大使館に集まって「1000人宣言」を発表した。彼らは1929年の光州(クァンジュ)学生運動の精神を継承する意味で、当時日本に対抗して戦った学生らの制服を着た。彼らは今月8日、21世紀青少年共同体希望のフェイスブックに「青少年行動」を提案しており、現在600人以上の個人青少年と団体に属した400人以上の青少年が宣言に参加したと明らかにした。ユン・ミヨン21世紀青少年共同体希望事務局長は「日本の安倍政権の経済戦争について、特に青少年たちが日本製品のペンを捨てたり、日本製品の不買運動に参加し、決議文を発表するなど、学校と街頭でそれぞれ行動し、安倍政権を糾弾している」とし、「このような青少年を集めて行動することを企画した」と説明した。さらに、発言者を務めたユ・ミンソさん(17)は「日本軍慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちに心からの謝罪もしなかったにもかかわらず、我が国に対する経済的報復は恥知らずな行動だと思う」とし、「直ちに経済報復を撤回し、おばあさんやおじいさんに心からの謝罪をしてください」と話した。デモに参加するため、大田から上京したチェ・ミンギョンさん(18)は「女性だという理由だけで性的欲求の解消の道具のように利用され、守ってもらえなかった時間が、計り知れないほどの苦しみの始まりだっただろう」としたうえで、「日本政府にすべての日本軍性奴隷の被害者たちに早いうちに正式に真の謝罪をすることを求める」と強調した。彼らは「平和を守るハサミ」で「経済報復」と「韓日軍事情報包括保護協定」と書かれたプラカードを切るパフォーマンスを行った後、仁寺洞(インサドン)通りと鐘路区庁などを経て再び日本大使館に戻り、自由発言台に参加した。
クォン・ジダム、キム・ユンジュ記者


なぜ名古屋はこうなったのか? モータリゼーション、トヨタ、“アジア蔑視”的都市計画…矢部史郎インタビュー
 かつては「ダサい」の代名詞のような扱いを受けていた名古屋。ところが、最近、そんな名古屋がブームらしい。コメダ珈琲店を筆頭とする名古屋系喫茶店モーニングブーム、手羽先、どて煮、味噌カツ、名古屋本も次々出版され、雑誌「BRUTUS」までが名古屋特集を組んだ。
 しかし、一方では、相変わらず名古屋は名古屋のままだ、という意見も根強い。
「名古屋ブームと言いますが、話題を呼んでいるのは、“名古屋めし”がほとんどです。街としての名古屋が評価されているわけではありません。実際、名古屋市が2018年9月5日に発表した『都市ブランドイメージ調査』によると、全国8都市のなかで『最も訪れたくない街』ナンバーワンなのです」
 こう語るのは、最近、『夢みる名古屋 ユートピア空間の形成史』(現代書館)という名古屋論を出版した矢部史郎氏。矢部氏は、名古屋近郊の春日井市在住で、現代思想に造詣が深く、『無産大衆神髄』『愛と暴力の現代思想』『原子力都市』『3・12の思想』などの著書がある著述家だが、同書では、タイトルと裏腹に、名古屋という都市の“ディストピア的性格”に迫っている。
 しかし、ブームと言われる名古屋が、一方で訪れたくない街としてトップになっているとは……。だが、矢部氏はあっさりと言う。
「これは正しい評価だと思いますよ。行政も自嘲的に認めざるをえないくらい、名古屋には訪れたくなる魅力がないということです」
 では、なぜ名古屋が「もっとも訪れたくない街」「魅力のない街」と言われるようになってしまったのだろうか。矢部氏の著書『夢みる名古屋』には、1920年代から戦中戦後の都市計画と区画整理、名神高速開通に代表される60年代のモータリゼーション、そして80年代の世界デザイン博覧会開催を軸としたジェントリフィケーションなど、名古屋という都市の形成に大きな影響をもたらした諸要素が緻密に論じられているが、矢部氏はその大きな要因の一つとして、戦後の都市計画をあげる。
「名古屋を『訪れたくない街』にしてしまったのは徹底した『都市計画』です。都市計画によって街が破壊されてしまった。たとえば名古屋“名物”である繁華街・栄の2本の100メートル道路。この道路は戦後、戦災復興都市計画でつくったものですが、この道路、2本の自動車道の間に公園が配置された構造なので、信号が2本の自動車道のそれぞれについています。ここを歩行者が通り過ぎる時には1度の信号待ちで渡りきることができないので、2回信号待ちをしなくてはならない。信号と信号の間の公園は、冬は寒くて夏は暑い。そのうえ、自動車の排気ガスに囲まれながら信号待ちをする羽目になります。なので、それを望まない歩行者は小走りで移動せざるを得ない。そして、そういうことができない人、たとえばベビーカーを推す母親、杖をついた老人などに冷たい。これでは残念ながら、せっかくの繁華街なのに、栄の街を遊歩するなんて感覚にはなりません。こんな街を訪れたい人がいるでしょうか」
名古屋をディストピア化させた過剰なモータリゼーションと“トヨタ”
 つまり、自動車交通至上主義の都市計画こそが、街の魅力を奪った最大の要因である、と矢部氏は分析するのだ。
「幹線道路をむやみに拡幅したり、都市高速をどんどん建設したり。郊外から市の中心地まで自動車でシームレスに移動できる街を作る。市街地を自動車で縦横に移動できるようにする。名古屋の都市計画者たちの自動車交通に対する無邪気な夢が、街を切り刻み、人と街との親密な関係を破壊してしまいました。そして、名古屋では狭い道路でも自動車が速度を落とさずに進入してきます。街が自動車のスケールで設計されているから、歩くのが困難で楽しくない。商店も少ないので日常の買い物にも苦労します。結論としては、都市計画者たちのユートピアとして作られた名古屋の街は、訪れる人にとってはディストピアとでも言うしかない街になってしまったのです」
 しかも、この都市計画と過剰なモータリゼーションは訪問者だけでなく、住民からも“街への愛着”を奪ってしまったという。
「自動車に乗って移動する生活、歩かない生活。これは街への愛着を失わせ、無関心を常態化させてしまいます。名古屋市民は戦後の道路計画の時代からずっと街から排除されていたと言えます。散歩をしたり、街角にたたずんだり、公園にたむろするという習慣が、ずっと以前に失われていました。都市空間が暴走する自動車と騒音と排気ガスに占拠されたからです。だから名古屋市民は、お昼を食べるにしても、公園のベンチで弁当を広げるよりも自動車の運転席で弁当を食べるほうを好むのです」
「自動車社会がもたらす問題点としてあげないとならないのは、人間の意識が衰弱してしまうということです。たとえば歩くということを考えてみましょう。歩くということには、たとえば道端に咲いている草花を見つめたり手に取ったりする、ということもふくまれています。けれど、そんなことは自動車の運転者にはできません。草花だろうがなんだろうが一瞬で通過するだけです。道路上に動物の遺体が転がっていても、一瞬気にとめるだけですぐに通り過ぎてしまう。そしてすぐに忘れるのです。私たちは知覚を単純化させ、感情を麻痺させなければ、自動車を運転することはできないのです。この感情の麻痺がもたらす衰弱が、名古屋という街への関心を失わせている大きな要因だと思います」
名古屋ディストピア化を生んだ日本行政の“アジア蔑視”思想
 もちろん、名古屋の過剰なモータリゼーションの背景には、名古屋が“トヨタのお膝元”であることも大きく関係しているだろう。矢部氏は、トヨタがモータリゼーションをさらにエスカレートさせたと同時に、その企業文化の影響も指摘する。
「かんばん方式で有名なトヨタですが、同社の自動車づくりが、下請け企業を縦に束ねた構造の上に成り立っていることなども見ないといけないでしょう。ルポ『自動車絶望工場』(鎌田慧/講談社)でも描かれているように、江戸時代の身分制社会が、名古屋が工業化するなかで改めて導入されているのです。その空気が名古屋の魅力を削ぎ、街をディストピア的にしている部分が少なからずあるでしょう」
 しかも、こうした名古屋のディストピア化はブームと言われるいまも進行していると、矢部氏は言う。
「いま、名古屋はブームとも連動した建設ラッシュが起きていますが、これも、ほかの都市のように、観光開発やインバウンドが目的ではない。不動産投機、不動産の価値を上げることが目的になっています。だから、観光地としての価値から逆に遠ざかって行ってしまう。数少ない観光資源である名古屋めしも、平準化した都市計画に飲み込まれて、価値をなくしてしまうんじゃないかと心配しています」
 だが、矢部氏が語っているモータリゼーションと不動産投機を優先する都市計画の問題は名古屋だけが抱えているものではない。
「これは本にも書きましたが、名古屋は特殊な街ではありません。むしろわたしたちにとって既視感のあふれるものが蓄積している街なんです。名古屋の都市計画は、日本の政治や行政が持ちつづけた思想をもっともよく体現したものだと思います。日本では、アジアを蔑視し西欧化をめざすことを号令して近代化をすすめてきました。その結果が、アジア的な街並みの排斥をもたらしています。都市計画者はアジア的な街並みを『スラム』と呼び、自動車道路によって切り裂いていった。そして、この都市計画の思想が日本社会をつらぬき、全国に広がっていった」
 名古屋的なものに日本全体が覆い尽くされていく。そう考えると、名古屋ブームもまた、日本全体がディストピア化していることのあらわれなのかもしれない。 (高幡南平)
『夢みる名古屋 ユートピア空間の形成史』著者プロフィール
矢部史郎(やべ・しろう) 1971年生まれ。愛知県春日井市在住。
文筆・社会批評・現代思想。90年代よりネオリベラリズム、管理社会などを独自の視点で理論的に批判。
2006年、思想誌『VOL』に編集委員として参加。2011年に東京を離れ、現在は愛知県春日井市に在住。著書に『愛と暴力の現代思想』(山の手緑との共著、青土社)『原子力都市』『3・12の思想』(以文社)など。(高幡南平)

コリアタウンで熱中症になりそう/タイガー/伊丹空港

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JO-2020: Fina et nageurs s'inquiètent de l'eau
La Fédération internationale de natation (Fina) a promis de surveiller la situation de près suite aux prostestations des nageurs, dimanche, contre la température et la qualité de l'eau lors du test en eau libre en vue des Jeux olympiques 2020 de Tokyo.
"C'est la course la plus chaude à laquelle j'ai participé. Je me suis senti bien sur les deux premiers kilomètres puis j'ai été en surchauffe", a confié le Tunisien Oussama Mellouli, médaillé d'or sur 10 km (eau libre) à Londres en 2012.
La course, longue de 5 km, a débuté à 7 heures du matin alors qu'il faisait déjà plus de 30 degrés dans la capitale japonaise, soumise à une vague de canicule qui a fait une soixantaine de décès.
"La température était tellement élevée que je suis un peu inquiète", a admis la nageuse japonaise Yumi Kida, qui a ajouté que "l'eau était un peu puante et que la clarté n'était pas très bonne".
Selon le règlement de la Fina, les athlètes ne peuvent concourir si la température de l'eau dépasse 31 degrés.
Le directeur de l'instance dirigeante de la natation mondiale Cornel Marculescu a promis qu'un organisme externe serait mis en place en collaboration avec les organisateurs de Tokyo-2020 pour surveiller la qualité et la température de l'eau dans la période précédant les Jeux et que les résultats pourraient avoir une incidence sur le calendrier de l'épreuve de natation marathon.
"Selon ses informations, nous déciderons de l'heure du début de la course. Ce pourrait être 5h, 5h30, 6h, 6h30... tout dépend de la température de l'eau", a-t-il expliqué, assurant que le bien-être des nageurs était une priorité.
La chaleur est devenue un casse-tête pour les organisateurs de Tokyo-2020, qui ont déjà avancé l'heure de départ de plusieurs épreuves, dont le marathon, afin d'atténuer les effets de la chaleur torride de l'été au Japon.
En octobre 2017, les organisateurs ont été surpris après que des tests ont révélé des niveaux de bactéries e-coli plus de 20 fois supérieurs aux normes internationales, suscitant des doutes sur la sécurité du site.
A l'époque, le comité d'organisation avait blamé les pluies estivales prolongées qui avaient rapporté des polluants entre fin juillet et début septembre. Un an plus tard, les organisateurs ont déclaré que des tests utilisant des "écrans" sous-marins pour filtrer l'eau avaient permis de réduire le taux de bactéries sur le site, qui accueillera également le triathlon.
La course aura lieu à Odaiba, dans la baie de Tokyo, avec en toile de fond le fameux "Rainbow Bridge" (le pont arc-en-ciel). Par temps clair, le mont Fuji est visible.
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今里からなのでまずは鶴橋でキムチ買います.暑いです.しかも荷物多いのでヘロヘロ.御幸通りのコリアタウンまで歩きますが,暑くて熱中症になりそうです.トウモロコシの飲み物で一服.なんとも初めての味です.彌榮神社で写真を撮って,地下鉄で日本橋.喫茶店で涼んでから黒門市場を歩きました.
お腹空いたので東京チカラめしでがっつり.道具屋筋→吉本新喜劇ショップに行ってから阿倍野のタイガーに.デンマーク系のお店で見たことのない商品があって楽しいです.
伊丹空港でバイバイしました.

北方領土 進む「ロシア化」 色丹、択捉ルポ インフラ整備や祖国教育
 戦後74年の今なおロシアの占拠が続く北方領土。7月上旬に元島民ら64人が参加した「ビザなし交流」に同行し、色丹島と択捉島を1日ずつ訪問した。安倍晋三首相とプーチン大統領による領土交渉が行き詰まる中、着実に進む「ロシア化」の既成事実をまざまざと見せつけられた。
 北方四島は面積5千平方キロで福岡県とほぼ同じ広さ。本土最東端の北海道根室市から旅客船に揺られること約3時間、いったん国後島沖に停泊した。
 ここではパスポートや査証(ビザ)を使わない「出入域手続き」があった。ロシア国境警備隊が船内に乗り込み、事前に提出していた書類と本人を照合していった。
 「ロシア領」と認めることにならないようにする外交的な配慮だが「事実上の入国審査」との声もある。地図や北方領土の資料の持ち込みは禁止され、軍関連施設の撮影は厳禁。船にはロシア国旗が高々と掲げられていた。
   ■    ■ 
 手続きを終え、色丹島に上陸した。道路は未舗装。土ぼこりが舞う。その傍らで、工場と岸壁の建設が進んでいた。
 アジア系の労働者が機材を運んでいた。「よく聞かれるけど、北朝鮮の労働者はいないから」。工場責任者の唐突な説明に驚いた。北方領土最大企業「ギドロストロイ」が手掛ける新水産加工場。サバやイワシなどの缶詰を製造し、生産量は1日約千トン。ロシア最大規模という。
 400人を雇用し、うち半分は国内外からの出稼ぎ労働者だ。給料は月8万〜9万ルーブル(約14万円前後)。責任者は「本土平均よりかなり高い」と胸を張った。ウクライナなどからの移民も増えているという。
 小中高一貫校を見学した。昨年新設されたばかりの3階建て。195人が在籍する。校長は生徒について「いったん本土に進学するけど、島に戻ってくる」と話した。
 教室にはプーチン氏の写真が飾られ、世界地図にある北方領土の表記はもちろん「ロシア領」。22人の先生の8割は地元出身。日本の地理や歴史を教えているのか尋ねると、校長は笑みを浮かべながら首を横に振った。
 島の中心部には、子どもたちが島の風景を描いた巨大な壁画が掲げられ、こう記されていた。「シコタン ロシアの始まり」
   ■    ■ 
 次に向かったのは択捉島。道路は舗装され、真新しい住宅街に加え、ホテルや映画館、温泉が相次いで開業。4島の中で最も発展している島という。
 最後にロシア人の一般家庭に招かれた。1児の父親(28)から自家製のウイスキーで歓待を受けた。イクラ、サーモン、タラをつまみに、ショットグラスを何杯重ねただろうか−。
 約2時間、互いの家族のことを語り合いながらボトルを飲み干した。別れ際、突然「おまえは兄弟だ」と肩を組んできた。そして日ロ交渉について、複雑な思いを口にした。
 領土返還に関する聞き取り調査に対し、住民のほとんどが引き渡しに反対する中で、彼は賛成でも反対でもない回答をしたという。「日本人がここに住みたければ一緒に住めばいい。外交的には歴史認識や主権の問題はあるが、島を発展させるために共に生きていく道を探ればいい」
 帰り際、飲み干したウイスキーボトルを満タンにしてプレゼントしてくれた。「なくなったらまた来てくれ。いつでも行き来できるようになればいいな」
 両国の間に横たわる深い溝が、いつか埋まる日を願うしかなかった。
   ◇    ◇
■進まない日ロ交渉 元島民「いがみ合うだけでは」
 ビザなし交流に参加した元島民らは日ロ交渉の行方をどう見ているのか−。
 択捉島出身の鈴木咲子さん(80)=北海道根室市=は、旧ソ連に憎悪の感情をずっと抱いてきた。だがビザなし交流を含め15回ほど北方領土を訪問。交流を続ける中で「いがみ合うだけではなく、距離を縮めていくことが大切だ」と思うようになった。
 安倍晋三首相は領土交渉に意欲を示すが、これまでの日ロ首脳会談で主権や歴史認識を巡る溝は埋まっていない。鈴木さんは「焦ってもしょうがない。まずは2島返還に向け、共同経済活動を突破口にしてほしい」と願う。
 初めて参加した堺栄(さかえい)苑子さん(34)=山形県=は、祖父が択捉島から漁船で逃げてきたという元島民3世。墓参に行けなかった祖父との約束を果たした。
 ロシア政府は2007年以降、北方領土の開発に多額の予算を投じ、港湾、道路、住宅などの建設を進めてきた。発展する4島の姿を目の当たりにして「祖父が生まれた土地なのに。やり場のない悔しさが湧いてきた」という。
 今月2日、択捉島を訪れたメドベージェフ首相は「ここはわれわれの土地」と述べた。日ロ交渉は長期戦の様相となり、堺栄さんは「ロシア側に都合よく利用されていないか不安に感じる。落としどころを見つける外交努力もあってもいい気がする」と話した。


家族で社会から孤立…8050問題では親子でひきこもることも
「親の遺体放置 対策急務――子がひきこもり 母子2人暮らし」(読売新聞2019年2月13日付、神奈川県相模原市)
「ひきこもり息子が父の遺体放置疑い、8050問題か」(日刊スポーツ同6月24日付、東京都国立市)
 ここにきて、親の遺体を放置した事件として「8050」「7040」問題が“発見”されることが続いている。
 私が取材した87歳母と52歳娘の2人暮らしのケースも、まさにその一歩手前だった。娘の友人から「見に行ってほしい」と連絡を受けた支援者が目にしたものは、新聞紙が天井までうず高く積み上がるゴミ屋敷で、新聞と使用済みオムツにまみれて横たわる老婆の姿だった。
「大丈夫です」
 老婆はそう言うものの、顔が土気色で命の危険があることは明らかだった。すぐに緊急搬送されたが、娘に聞いたところ、老婆は転んで起きられなくなり、「1カ月もこの状態のままだった」と言う。なぜ、救急車を呼ぶなり、助けを求めるなり、しなかったのか。この間、娘は何をしていたのか。
「近所の手前、救急車は呼ぶなと母が……こんな醜態、誰にも知らせるなと。私は、紙オムツを渡していました。それが母のトイレでした。あとは、ご飯を作っていました。でも不安で、友人に電話をかけたのです」
 高校時代の友人という、外部とのかすかな糸が残っていたゆえ、最悪の事態に至らずに済んだわけだが、支援者はこう確信する。
「たとえ母が亡くなっても、この娘は何もできなかっただろう」
 娘はもともと体が弱かったこともあり、仕事に疲れ、30歳でひきこもり、20年間、何も仕事をしていない。女性の場合は「家事手伝い」という名目が立ち、両親も問題にはしなかった。40代半ばで大黒柱だった父が亡くなり、一家は困窮したが、年金までの間をキャッシングでしのぎ、問題を先送りしながら、家族だけで閉じて暮らしていた。
 訪ねて来る人間は一人もおらず、外出は買い物と日帰り温泉のみ。母と娘は1階と2階で別々に暮らし、会話はない。食事は冷凍食品をレンチンするか、出来合いのものを買ってくる。これが“発見”されるまでの生活だった。
「8050」問題の場合、親自身が社交的でなく、社会に対して閉じているケースが多い。親子でひきこもっているとも言えるのだ。
▽黒川祥子(くろかわ・しょうこ)ノンフィクション作家。長年ひきこもりの取材を行い、作家業の傍ら「居場所」事業のスタッフとして当事者支援にも関っている。


商業捕鯨復活も、現代の日本人はクジラ肉を食べるのか?
 日本は6月30日をもって国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、7月1日から商業捕鯨を再開した。
 日本のクジラを食べる文化については、諸外国より、「クジラを食べるのは非人道的」「哺乳類で大型で魚類と違って増えにくいのに絶滅に追いやっていいのか」「漁のやり方が残酷」などと非難されてきた。一方で捕鯨支持国には、ピラミッドの頂点にいるクジラが増えすぎると魚が減る、という主張もある。議論が続く中での強行突破であった。
1986年に始まった商業捕鯨禁止
 国際捕鯨委員会(IWC)に日本が加盟したのは1951年のこと。IWCは、「鯨類の適当な保存を図って捕鯨産業の秩序ある発展を可能にする」ことを目的にイギリスのケンブリッジに1946年に設立された。IWC設立当時の加盟国は15カ国だった。いずれも捕鯨国であり、欧米の国々は食用ではなく鯨油を目的としたところが多かった。
 ところが時代は鯨油から石油へと移行し、動物愛護や自然保護思想が強まっていくにつれ、捕鯨から撤退したアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアなどが反捕鯨派となった。さらに一部の鯨種が絶滅の危機に陥ったことから、商業捕鯨は1986年に禁止された。
 しかし日本は1987年より、例外として科学研究目的で調査捕鯨が許可される。それぞれの鯨種の生息数調査を理由に、毎年約200頭から1200頭のクジラを獲ってきた。年齢に関する正確なデータは耳垢や歯からしか得られない、食事に関するデータは胃の内容物を見る以外ないとして、捕獲が必要だと日本は主張してきた。
 捕獲した場合は可能な限りクジラを加工・利用することが国際捕鯨取締条約で定められているために、日本は調査後のクジラ肉を販売。あくまでも調査を目的としていたが、疑似商業捕鯨ではないかという指摘を受け続けていた。
捕鯨反対48カ国、賛成41カ国
 昨年の時点で、IWC加盟国は89カ国であり、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなど48カ国が反捕鯨国、日本、ロシア、アイスランド、ノルウェーといった41カ国が捕鯨支持国として議論を戦わせてきた。意外にも捕鯨支持国が多いが、これは海がない国を引き入れたという実情があるためだ。
 捕鯨支持国は、絶滅危惧種の回復次第で捕鯨禁止が解かれると信じてきた一方、反捕鯨国は長年禁止してきたので、もはや永久のものと考えてきた。
 こうした中で、日本は、IWC設立の目的である「鯨類の適当な保存を図って捕鯨産業の秩序ある発展を可能にする」のうち、「保存」部分しか焦点が当てられなくなったとして、昨年脱退を表明。捕鯨文化のある山口県下関出身の安倍首相、和歌山県出身の二階幹事長、捕鯨再開派の菅官房長官という布陣で脱退を推し進めた。
 オーストラリアは「遺憾」、ニュージーランドは、「クジラを殺害することは不要な行為」と批判した。イギリスのBBCは、クジラを「海のやさしい巨人」と評することで、日本の商業捕鯨の残酷さを訴えているが、おそらくそれが多くの先進国の感覚なのだと思われる。
IWC脱退によってむしろ捕獲数は減る
 IWCを脱退した日本であるが、脱退したからといってIWCに無関係でいられるわけではない。国連海洋法条約により、クジラの「その保存、管理及び研究のために適当な国際機関を通じて」協力することが義務であるため、今のところIWCにアンバサダーとして関わっていくことになっている。
 また脱退したからといって自由にクジラを捕獲できるわけではない。捕獲枠は、IWCの規定(推定資源量の1%以下)に沿って算出した、100年捕獲し続けても絶滅させない規模で行う。
 世界にクジラは83種いるとされ、IWCが管理するのは、そのうち13種類である。そのなかで絶滅の恐れがなく日本が捕鯨しうる種類は主に、ミンククジラ、ニタリクジラ、イワシクジラの3種類となる。なおIWC管理外のツチクジラなども捕鯨可能となっている。
 日本が2019年末までの捕獲枠として設定したのは、ミンククジラ52頭、ニタリクジラ150頭、イワシクジラ25頭、合計227頭である。2020年以降は、毎年計383頭の捕獲を予定している。脱退による他国の目を気にして、調査捕鯨の頃よりもぐっと少ない数に設定しているというから、これでは何のための脱退かわからない。
 南極海での捕獲はしなくなり、排他的経済水域(EEZ)内で行うと宣言したため、衛星の船舶位置情報を使ってEEZから出ないよう監視したり、捕獲数をオーバーしないよう監視員の派遣をしたりと、厳しい自己規制も課している。
国民のクジラ肉への関心のなさ
 1987年に商業捕鯨が中止になった時のことを、40代以上の人ならば覚えているだろう。もうクジラ肉が食べられなくなると繰り返し報道され、日本全体がクジラ肉お別れムードで満ちていて、惜しまれていたように記憶している。当時小学生だった筆者は、クジラ肉はクセがあって積極的に食べたいほどのものではないと感じていたが、今まであった食材がなくなることや、懐かしの味が消えていくという時代の変化に寂しさを感じたものだ。
 ところが、なくなったはずのクジラ肉がときどき店頭に並んでいて驚いたことを覚えている。調査捕鯨再開はあまり知られていなかったのではないだろうか。筆者が子どもだったからかもしれないが。
 その後、約30年の間に日本では牛肉や豚肉などが安価に手に入るようになった。1962年度は23万トンのクジラ肉が国内で消費されていたが、近年の消費量は5千トン前後だったという。日本水産(ニッスイ)も、販売不振のため2006年に鯨肉缶詰の生産を終了。調査捕鯨時代のクジラ肉も、消費が追い付かず、在庫が過剰だったという。
 日本人の鯨食文化は、規模の大きいものとなると数世紀前になる。和歌山県太地町では17世紀に組織的な捕鯨を開始。そして1930年代から南極海での捕鯨が始まり、第二次世界大戦終結後の食糧難の時期に、主要タンパク源としてGHQ(連合国最高司令官総司令部)の指示のもとにクジラ肉の消費量が増えた。高度経済成長期においても、牛肉や豚肉が割高だったため、安価な鯨の肉が食卓に並んだが、消費量が多かったのは一時のことだったとされている。
 7月8日、阪急うめだ本店では商業捕鯨のクジラ肉を初入荷し、100gあたり599円で販売した。今後の価格がいくらになっていくか不明だが、食べ慣れていてより美味な牛肉や豚肉より高いままであれば、食卓に馴染んでいくのか疑問である。
 和歌山県では、クジラ肉は調理の仕方次第でクセをなくすことができるとし、若い女性向けにドリアやピザといったメニュー開発を進めている。水産庁も、クジラの肉の味を知らない若い人たちを中心に、食べる機会を提供すると意気込んでいるが、積極的に食べる気になる人はどれだけいるだろうか。
 日本捕鯨協会によれば、クジラ肉はビタミンAが豊富、低カロリー・低コレステロール・高タンパク、他の食肉と比べアレルギー症状を起こしづらい、脂肪分が良質の多価飽和脂肪酸、抗疲労効果や疲労回復効果のあるアミノ酸物質の「バレニン」が豊富としている。
 調査捕鯨の間、捕鯨は従事者が約300人という規模の小ささで、国から補助金が出ていた。商業捕鯨となった現在は、海域も変わるし、捕獲頭数の制限がある。30年のブランクを経て、ノウハウも持ち合わせていない捕鯨業者は、漁場探索や流通の開拓から始めねばならず、数年は農水省の実証事業として補助金が発生するが、その後は独り立ちしなければならない。
 欧米の「頭がいい哺乳類なのにかわいそう」という感情論には、説得力がない。一方で、日本の次世代に伝承すべき食文化と生活様式という主張にも無理がある。人によって大切な食はそれぞれであるが、すでに日本人の多数がクジラ肉を必要としているとは言い難い。廃れつつある食文化を今、国際社会の反発を受けてまで、あえて復活させる必要性が本当あるのか。今一度、改めて考えてみてもいいのではないだろうか。


あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の少女像を実際に見てきた
 話題の「あいちトリエンナーレ」に行ってきた。先週の土曜日のことだ。
 ちょうどその日、祖父母の法事で私は名古屋にいて、夕方の用事までにぽっかり時間があいていたので、「表現の不自由展・その後」を観に行こうと思いたった。報道では、すでに朝鮮人慰安婦をモチーフにした少女像の展示などを含む同展に対する河村たかし名古屋市長の厳しい批判が報じられており、「ガソリンまくぞ」などの脅迫も多数行われているとのことで、きっと会場はピリピリして大変なことになっているんじゃないかと思っていたが、実際に参加しての印象は結構ちがった。少女像のまわりはどちらかというとピースフルで、少女像を介して赤の他人どうしがやりとりする様子も面白かった。そのことも残したいと思い、参加の記録を書いてみる。
 「街宣車とか、たくさんいるのかな」「怒号が飛んだりするのかな」。正直に白状すれば、その日、私はちょっとした怖いものみたさも混じって地下鉄の栄駅で下車した。報道では「あいちトリエンナーレ」芸術監督である津田大介氏を糾弾する街宣車もがんがん回っていたようだが、私のいた時間帯には見かけず、かわりに会場のまわりにはコスプレイヤーがたくさんいた。緑や赤、青など色とりどりの髪に、ド派手なカラーコンタクト。灼熱の8月、溶けそうな暑さの中で、みんなカメラに向けてポーズを決めまくっている。広場の片隅でだれにも話しかけてもらえないまま、ベンチに腰掛けている「カオナシ」がいて、熱中症になるのではないかと気の毒になった。
 会場にたどりつくと、チケット売り場には貼り紙がある。「表現の不自由展・その後」会場は大変混雑しており待ち時間が長くなっているため、閲覧できない可能性があります、とのこと。すでに長蛇の列ができていて、1時間ほど並んだ。待っている間はとにかくヒマだ。都内からきたという、アート好きの女性二人組から話しかけられた。雑誌のライターのようだ。「なんで参加しようと思ったんですか?」「今回の件、どう思いますか?」そう聞かれて「祖母の3回忌で名古屋にいたので」など、答えにならない言葉を口にする。もう何年も前から、慰安婦問題について、声にだして意見をいうのは怖いと感じるようになっていた。私自身が「表現の不自由」展の一部みたいだ。
 列が進んで、ようやく会場に入れた。横尾忠則がホラーすぎるラッピング電車をデザインして「福知山線の脱線事故をイメージさせるから」とNGをだされた話とか、沖縄で米軍飛行機の事故をモチーフに「落石注意」ならぬ「落米注意」とシャッターに描いたものがやっぱりNGをだされたとかを観た後に、例の少女が静かに会場に座っているのに出会った。あちこちの政治家が「日本人を傷つける」とか「反日」とか騒ぐその少女像はあっけないぐらい普通の女の子で、肩にのった小鳥がキュートだった。
 触れて良いアートだったので、いろいろな人が「参加」していた。座ってセルフィーを試みるいかにも21世紀らしい接し方をする人もいれば、少女のにぎったこぶしに手を重ねてみる人も、ただ椅子に座ってみようとする人もいた。「シャッターを押してくれませんか」と頼まれて、何枚か他の人たちの写真を撮った。「3、2、1」。真剣な顔で写る人もいれば、笑顔の人もいる。
 私はといえば、もし戦争中にこの女の子と出会ったとしたら、善良な隣人として振る舞える自信がなかった。撮影役に徹するのがその場では気楽だった。おそらくアートとしては、隣に用意された椅子に対して鑑賞者がどう振る舞うかのほうがポイントなのだろう。たくさん人がいる場所だったからこそ、いろんな人のリアクションをしばらく見ていた。
 戦時中の性暴力について、あるいは「表現の自由」について、この間たくさんの人がすでにディスカッションをしているから、ここでは多くを追記しない。ただ写真で見る少女像と、実際にその場に足を運んで、周りの人たちのリアクションを眺めながら感じる少女像は、たしかに別のインパクトを持つものだった。
 あの「座っているだけの女の子」が、脅威とならないような世の中とは、どんなものだろうか、ということを今考えている。性暴力に遭った人を「おまえが悪い」と責めるのでもなく、「被害なんてなかった」と疑うのでもなく、「おれのこともケダモノだというのか」と激昂するのでもなく、ただの人間として扱えるような、そんな社会であれば、あんな「ガソリン騒動」にはならないのではないか。
 2019年の日本の報道を観ていると、まだまだそんな社会は実現しないようにがっかりしてしまうが、あの会場で写真を撮ろう、少女とコミュニケーションを撮ろうと試みる人たちの姿には、まだ見ぬそんな社会の一片を感じることもできた。だからこそ、実際にあの場を体験できる人たちがもっと増えたらいいのに、というのは、参加したひとりとしての率直な感想である。


ホームレスがなかなか口に出せない家族事情 ふとしたことで意外と簡単に壊れて戻らない
村田 らむ : ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター
ホームレス。いわゆる路上生活をしている人たちを指す言葉だ。貧富の格差が広がる先進国において、最貧困層と言ってもいい。厚生労働省の調査によると日本のホームレスは年々減少傾向にあるものの、2018年1月時点で4977人(うち女性は177人)もいる。そんなホームレスたちがなぜ路上生活をするようになったのか。その胸の内には何があるのか。ホームレスを長年取材してきた筆者がルポでその実態に迫る連載の第11回。
感情的な反応が多いのは、過去や家族の話
ホームレスの人への取材は基本的に出たとこ勝負である。彼らが生活する場所に出向いて話しかける。もちろん、けんもほろろに断られることもあるが、いぶかしみながらも話をしてくれる人も多い。空き缶集めのこと、炊き出しのこと、など最近の出来事は聞きやすい。前職や若い時分の話など過去に話題が及ぶと、話したがらない人も多くなる。
そしてやはりいちばん聞きづらいのは家族の話だ。家族の話題になると、急に黙ってしまったり、怒ってしまったりする人もいる。
それでも話をしてくれる人もいたが、もう何年も会っていない人が多かった。
野宿生活をしている人は高齢の人が多いので、すでに両親は亡くなっている場合が大半のはずだが、ずっと会っていないので、
「亡くなったかどうかもわからない」
という人も多かった。
2012年頃に高田馬場の戸山公園の芝生でくつろいでいた男性(50代)にお話を伺った。
「生まれは沖縄、まだアメリカに統治されてた頃だよね。父親は俺が生まれたときにはすでに60歳を超えてるだいぶ爺さんだったんだけど、これがすごく荒かった」
父親は酒を飲むとすぐに大暴れした。そして時には包丁を振り回した。
「『ぶち殺すぞ!!』って追いかけてくるんだよね。俺も殺されたくないから、走って逃げた。とにかく捕まらないように畑の中を逃げまくった」
父親は3日に1度は暴れた。そのつど少年だった彼は全力で逃げたという。
「いったん逃げたらその日は家には帰れないからね。畑とかで寝るしかない。もちろん寝心地は悪いけど、父親に捕まるよりはいいから。そうやって野宿するのに慣れたから、今こういう生活しててもどうってことはないね(笑)。
母親は毎日のように殴られて苦労が耐えなくって、俺が13歳の時に死んじゃった。その後も父親は酒を飲んでは暴れていたけど、その3年後にポコっと急に倒れて死んじゃった。俺は16歳だったけど、それで本土に行こうって思った」
父親みたいに周りに迷惑かけたくない
まずは沖縄では砂糖工場で働いて、お金を貯めた。お金を貯めた後はいったん親戚を頼り京都に出て働いたが、あまりなじめず改めて東京に引っ越した。
「俺は不器用なんだよね。沖縄出るまでドルしか使ったことなかったから、なかなか円の感覚に慣れなくて、それで仕事をクビになったりした。今も苦労してホームレス生活してるけど、でも酒はいっさい飲まないよ。バクチや女遊びもしない。お金があるときは漫画喫茶で漫画を読むくらいが、唯一の趣味。
父親みたいに周りに迷惑かけたくないからね。ある意味反面教師になっていて、ホームレスになってもやけにならずに済んでる」
彼は、比較的明るく語ってくれた。
彼のように、家族と折り合いがつかず、家出同然に実家を飛び出したという人は少なくなかった。
2005年頃、上野公園で炊き出しに並ぶ50代の男性に話を聞いた。
「父親はプライドが高い人で、何を言っても聞いてくれない人だった。進路も自分の自由には選べなかった。何をやっても怒られてばかりだった。20代で家を飛び出してそれ以来帰っていない。今、自分がホームレスになっているのは、父親のせいだと思う」
彼は、とてもつらそうに語った。
彼の語る話はもう30年以上前の出来事で、父親ともずっと会っていないのだが、それでも父親を許せないのだという。
毎日のように父親に対する怒りで震えるという。彼との会話には節々で、
「殺したい」
「死にたい」
などの発言があった。ずっと思いつめた表情をしていたので、もし余裕ができたならば、精神科などで治療したほうがいい状態かもしれないと思った。
“パラサイト・シングル”からホームレスへ
ずっと働かずに親の庇護の下に暮らしていたが、親が亡くなってしまって、家賃を滞納して払えずにホームレスになったという人もいた。多摩川で暮らしていた男性(50代)は42歳まで家で過ごしてきたという。
「働くの嫌でずっと家で暮らしてた。たまに知り合いの魚屋で働いたけど、稼いだ金は自分のために使ってたね。まあクズだって自分でもわかってるよ」
彼はホームレスになった後も働いていないそうだ。たまにお金をくれる人や、食べ物をくれる人がいて、それで食いつないでいるという。お金も食べ物もない時はひたすら我慢するという。
「俺は生きることに図々しくないから、そういう時は我慢するよ。もうとっとと死にたいよ。早くお迎えこないかあ」
と笑いながらうそぶいた。
学校を卒業した後も親と同居し、親に依存して生活する、いわゆる“パラサイト・シングル”。古くて新しい問題だが、昨今は「引きこもり」というキーワードで論じられてもいる。
親が先に亡くなってしまった場合、生活を保つことができずホームレスになる人も現れている。これからも増加していくことは目に見えているので、国や自治体は対策していかなければならないだろう。
ホームレスになる前に、「妻や子供を捨てた」ことをとても悔やんでいる人はとても、たくさんいた。多くの人は、
「妻や子供には恨まれていると思う」
と、とても深刻な面持ちで語っていた。
ただ逆にホームレス生活になった後も、いまだに交流があると語る人も意外といて驚いた。
2013年頃、代々木公園のコンクリート製の東屋で生活していた男性(50代)に出会った。
髪もヒゲもぼうぼうに伸ばしっぱなしで、ちょっと怖い雰囲気があったのだが、話してみるとすごく楽しく会話ができる人だった。
「もともとは製薬会社のMR(医薬情報担当者)だったんだよ。MRって言えばかっこいいけど、“病院の奴隷”だからね。病院に薬買ってもらわなきゃ、製薬会社は潰れちゃうからね」
ホームレスのきっかけは逮捕
彼が働いていた時代はちょうど、バブル景気の頃だった。
「毎日のように、医者を飲みに連れて行っていたよ。酒飲ませて、女抱かせて、金握らせて……。とにかく景気がよかったからね。当時は麻雀をよくやったけど、段ボールに適当に万札放り込んでたもんな。たぶん3000万円くらいあったんじゃないかな?」
と彼は遠い目で語った。彼は現在、アルミの空き缶を集めて換金して生活していたが、一日の平均収入は3000円だという。
彼がホームレスになったきっかけは、ずばり逮捕されたからだ。
「医師法違反と薬事法違反でガッツリ逮捕された。執行猶予4年で、会社はクビ。それで家を離れてホームレスになった」
彼が逮捕された時には、結婚していて子供もいた。妻と子供を捨ててホームレスになったわけだが、それでも家族と縁は切れていないという。
「子供はたまに遊びに来るよ、差し入れ持って。子供って言っても、もう30歳を超えているけどね。嫁は来ないよ。いつも弁当とか差し入れ持ってくるんだけど『食い物じゃなくて、現金持ってこい!!』って追い返してるよ(笑)」
と楽しげに語った。もうそれならば、家に帰ったらいいと思うのだが、そういうわけにはいかないという。
「俺が家に帰ると借金取りが家に来ちゃうかもしれないから、ダメなのよ。まあそのうちほとぼりが冷めたら帰るかもしれないけど」
彼はタバコに火をつけると、
「あ〜あ、バブル景気また来ないかな〜」
と笑いながら言い放った。
今、バブル景気がやってきても、ホームレス生活をしている彼が恩恵を被ることはないと思う。ただやはり彼の記憶の中では、バブル時代の思い出はキラキラと輝かしいのだろう。
このように家族が差し入れに来ると語る、ホームレスはたまにいた。
2009年頃、上野公園で生活する70代の男性は
「家がある長野県から娘がしょっちゅう会いに来るよ。『もうそろそろ戻っておいでよ』って言われるんだけどね。俺はここでの生活が気に入っているからね。帰りたくないんだよ」
と語っていた。最初は「ウソか妄想じゃないかな?」と思ったが、どうやら本当の話らしかった。
正直、なぜ帰らないのかさっぱりわからなかったが、そのおじいさんはその後もしばらく上野公園で暮らしていた。
訳あって夫婦でホームレス生活をする人も
野宿生活をする人の多くは、一人暮らしをしているが、中には夫婦で生活する人もいる。ただ、やはり圧倒的に数は少ないし、一旦ホームレス生活に至ってもすぐに家を借りてアパート暮らしに戻る人が多い。
以前多摩川の河川敷に建てたテントで、夫婦で暮らしている人がいた。
奥さんはまだ30代前半と若かった。いろいろあって住む家を失ってしまったのはわかるが、普通は生活保護を受給しアパートを見つけて生活を続ける場合が多い。なぜ、そうしなかったのか伺うと、
「犬がいるからね。生活保護で手に入れる部屋は犬を飼える部屋がほとんどないのね。保健所で殺処分しろって言う人もいたけど、家族だからそんなことはできなくて……」
と語った。
確かに彼女は白い犬を連れていた。
動物を手放したくなくてホームレス生活を始める人には何人か会った。
他に手段はなかったのか?とは思うが、ただとても優しい選択だと思う。
ホームレスになってから、新たに家族を作った人もいた。
2015年、多摩川で30平方メートルはありそうな大きな小屋に住む男性(60代)にお話を伺った。
彼はホームレス生活をしているが、空き缶集めなどはせず、工場で働いていた。
「働いていた会社が潰れて、日雇いの仕事に移行したんだね。そうすると、月収10万円弱の収入になってしまった。年齢的にそれ以上の収入を得るのは難しそうだった。だからその時に住んでいた家を捨てて、ここに家を建てたんだ」
日雇いの収入では、家賃を払い続けるのは大変だという判断だった。
仕事と趣味を持ち、内縁の妻と幸せそうに暮らす
多摩川の小屋にはもちろん家賃はかからない。水道もくみに行く手間はかかるが無料だ。電気は発電機で何とかなるがクーラーをつける余裕はない。
ただ、だからと言って、違法性があり、いつ強制退去させられるかわからないホームレス生活を選ぶ人は多くはない。
彼は、ホームレス生活をするようになってから、同棲する相手ができたという。
電気は小屋の外に設置した発電機で賄う。小屋の前には野菜を栽培する畑も(筆者撮影)
「3〜4年前に知り合った婆さんと一緒に住んでるんだ。まあ女房だね。もちろん正式に結婚はしてないけど。うちの女房は道楽がねえから毎日、銭湯に行ってるんだ。風呂屋だって安くないのにな。風呂屋の客みんなと仲良くなっちゃって参っちゃうよ」
とお酒をチビチビ飲みながらつぶやいた。
彼の趣味は小屋の前に作った畑で野菜を栽培することだという。
口では妻への文句を言っているのだが、その様子はとても幸せそうだった。
確かに月収十数万円の収入で奥さんと2人で暮らすのは難しかっただろう。
ただそれでも、河川敷で生活する以外にないのか、と疑問は残った。
ホームレスの人たちにインタビューしていると、
「実家があってそこでは自分を待っているはず」
「離婚した女房とまた寄りを戻す予定だ」
などの話を聞くことがある。もちろん本当に帰る家がある人もいると思うが、ただ、多くの故郷はもうすでに失われていると思う。
2006年には上野公園のテント村に夫婦で暮らす女性(50代前半)に話を聞いたことがあった。女性のホームレスは昔から少ない。
「私はもともと新宿で古本屋(古雑誌などを路上で売る違法露店)で働いてたんだけど、仕切っていたヤクザともめてクビになっちゃった」
働けなくなった彼女は、一時は女性センターという福祉施設に身を寄せていたという。
「施設に入ってると職員が、『あれをしろ、これをするな』ってうるさくてね。二人部屋で共同生活することになった女と気が合わなくて。ずっとケンカしっぱなしで嫌気がさして飛び出しちゃった」
そしてそのまま、上野公園にやってきて公園に住み始めたという。そうして生活するうちに同じく上野公園で生活する男性と出会った。男性はまだ、30代前半とホームレス生活をする人の中ではかなり若かった。
「それで結婚して一緒に生活してる。もちろん結婚ったって住所もなくて籍入れられないから、口約束だけどね」
旦那さんは定職には就いておらず、たまに日雇いの工事現場で働いたり、引越し業者のアルバイトをしているそうだ。
夫婦で暮らすテントは、調理器具などもそろっていて暮らしやすそうだった。
上野公園はその後、野宿生活に対して強制排除を実施した。話を聞いた後も何度か会う機会はあったが、結局2人がどこに行ったかはわからない。
家庭崩壊とホームレスは、もはや異世界の話ではない
今回はホームレスと家族の事情について、書かせてもらった。
ホームレス生活をしている人にも過去には家族はいたし、現在も家族がいる人もいた。ホームレス生活をしながら家族を持っている人にも出会った。悲喜こもごもだが、やはり“悲”の色合いが強かった。
彼らに話を聞くと、ふとしたきっかけで家族は意外と簡単に壊れ、失われ、そして二度と戻らないものなんだと思い知った。「ホームレスと家族」というテーマは自分とは関係ない異世界の話のように思えるが、実はいつ自分の身に起きてもおかしくない身近な話だと思う。


陣内智則 吉本興業の改善策に「本当に変わるんですか?」と懐疑的
 お笑いタレントの陣内智則が12日、TBS系「アッコにおまかせ!」に出演。吉本興業が専属エージェント契約を導入した話題について「吉本が変わるって報道で言うてるけど、本当に変わるんですかっていうのは僕らもある」と、疑問を投げかけた。
 吉本興業の経営改善について「経営アドバイザリー委員会」の初会合が8日に行われ、反社会的勢力との決別や所属タレントの契約について議論。専属エージェント契約を導入した。ただ、会社からの説明はなく、「エージェント契約とマネージメント契約、僕達も知らないからどういうシステムになってんのか。急にエージェント契約やりたい人やってくださいって…。ノウハウも知らない」と、理解ができていない様子だった。
 続けて「僕、吉本芸人の8割は契約はないって分かってると思う。お笑い好きで入っている。ギャラどうこうじゃない」と前置きし、「今まで不透明やったのが出演料の割合が分からない。『今回そこだけは教えて下さい。取り分少なくてもいいから、それだけ教えて下さい』その1点だけ」と主張した。


新宿二丁目は、なぜ「ゲイバーの街」になったのか 日本一の「多様性の街」の肖像
伏見 憲明, 砂川 秀樹
数多くのゲイバーが軒を連ね、日本一の「ゲイの街」として有名な新宿二丁目。だが、意外にもその歴史は謎に包まれている。自ら二丁目でゲイバーを経営する作家の伏見憲明さんは、最新刊『新宿二丁目』で街の知られざる成り立ちに迫った。
ゲイバーが急増した時代
砂川 新宿二丁目に関するまとまった研究が少ない中で、伏見さんはゲイバー経営者などの当事者に直接インタビューして、それをもとに、二丁目の街の歴史を生き生きと描いています。この『新宿二丁目』は、本当に貴重な一冊ですね。
伏見 ありがとうございます。実は最初から二丁目の歴史を書こうと思っていたわけじゃなくて、編集者の依頼は「LGBTの入門書」だったんです。でもそういうのは90年代にすでに書いているし、今日では砂川さんの名著『カミングアウト』(朝日新書)をはじめ、多くの入門本が出回っているので食指が動かず……それなら、僕は新宿二丁目でバーをやっているから、二丁目の案内本なら書けるかな、と。
それで古い資料をひっくり返してみたり、その後の研究や資料を渉猟してみたら、好奇心が止まらなくなって、けっこう本格的な歴史物になってしまった。
砂川 読んでなるほどと思ったのは、二丁目がゲイの街になり始めたのは1960年代と言われるんですが、当時若者のあいだで一世を風靡した雑誌『平凡パンチ』には、ゲイカルチャー特集が何回も掲載されていたんですよね。世界的にも若者による革命運動が起きた時期で、その流れに二丁目の歴史を位置づけたのは画期的です。
伏見 さすが、砂川さん! 実は今回の本でいちばん重要な章は「平凡パンチの時代」なんですよね。僕自身、日本のゲイの解放史は1970年代のゲイリブ(ゲイ解放運動)に始まるという思い込みがあったし、これは自分の中のホモフォビア(同性愛嫌悪)かもしれないんですが、やっぱりゲイ当事者も含めて、それ以前の世代は美学的な解釈以上には、同性愛にあまり肯定的ではなかったという偏見があった。
ところが今回、いろんな資料を調べるうちに、「あれ?違うかも」と気づいたんです。それなりに肯定的なゲイの情報が1960年代にもちゃんと発信されていた。そこにスポットライトを当てないと、二丁目の歴史も解き明かせないな、と。
砂川 1960年代に、同性愛のことが次第にオープンに語られるようになったことと、二丁目でゲイバーが急増していったことには関係があるのではないか、と。
伏見 時代の空気、欲望というのが後押ししないと、あんなふうに街の変化は起こらない。当時の資料はもうほとんど残っていないんですが、僕が見つけた週刊誌の記事によると、1966年の時点ですでに80軒ほどのゲイバーがあったようです。『グリーンレター』という全国ゲイバー案内の冊子が1969年から発行されていることからしても、その頃には、もう新宿二丁目一帯が「ゲイの街」だという認識があったはずです。
砂川 この本のテーマのひとつは、「なぜ『ゲイの街』は池袋でも渋谷でもなく、新宿に生まれたのか」という謎です。伏見さんは、新宿が戦後カウンターカルチャーの中心だったことはもちろんですが、もうひとつ、「ハッテン場」が周囲に多かったという理由を挙げていますね。
伏見 僕はまだ、駅のトイレとか映画館とかのハッテン場が新宿に多かったことをリアルに記憶している世代ですが、そういう潜在的な顧客が多かったことは重要な理由だと思います。
砂川 ちょっと疑問だったのは、「ハッテン場があったからゲイバーが増えた」という流れはわかるんだけど、それは二丁目の起源を繰り延べるだけのような気がして……つまり、なぜ新宿にはハッテン場が多かったのか、という疑問が出てきませんか?
伏見 その理由はよくわからないんです。東京のハッテン場は、戦後すぐは日比谷公園が盛んで、さらに戦前に遡ると数寄屋橋公園が一番大きかったそうです。そういう流行り廃りがある中で、戦後に「権田原(現在の神宮外苑)」が巨大なハッテン場になったことは今でも伝説的に語られるほどなので、もちろん影響はあっただろうと。
ただ、例えば映画館のハッテン場は銀座や渋谷にもありました。あるいはハッテン場は繁華な場所とは無縁な空間にできることもある(権田原もそうですよね)。繁華街では映画館や駅のトイレが定番になっていたけれど、なぜ新宿付近に多かったのか、というのは、砂川さんが博士論文で分析したように新宿の土地性、性のイメージに関わるのかもしれない。
砂川 新宿は巨大ターミナルでありながら、「性的な空間」というイメージが色濃く残る街です。そうした空気を保ちながら、若者や学生が流入し続け、カウンターカルチャーが重なり合って……。
伏見 新宿の街の住人のあり方を考えても、地元密着型じゃないというか、田畑を代々引き継ぐような共同体とは違う、住人が流動的であるがゆえの気風がありますよね。そういう場所のほうが、性的なものも受け入れやすいのかもしれません。
差別・抑圧の変化と、街の変化
砂川 読んでいて思ったのは、昔の二丁目のお店は、文壇バーやジャズバーでありゲイバーでもあったんですよね。ノンケの人たちが混在していたことも重要で、そういう人たちが交流しながら文化を発信していったわけじゃないですか。新宿に集まっていたカウンターカルチャーの担い手が、おそらくゲイの人たちとも出会って交流していたんでしょうね。
伏見 例えば「ナジャ」というお店は、60年代半ばに開業した有名な文壇バーで、「ザ・60年代」という面々が集まって侃々諤々に議論を闘わせていたけれど、もう一方では従業員にゲイの方がいるゲイバーとしての顔も当時から持っていたようです。
砂川 戦後の新宿でゲイバーの文化がどのように花開いたかについては『新宿二丁目』を読んでいただくとして、伏見さんはご自身でゲイバーを経営されていますよね。最近の二丁目の雰囲気はどうですか?
伏見 お店の数自体は、ちょっと増えている気がするんですよ。だけど、おそらく一軒一軒の売り上げのパイは小さくなっている気がする。僕のお店が儲かってないというのもあるかもしれないけど(笑)、他のお店の人に聞いても、やっぱり昔みたいには儲からないっていう人が多いですね。
いわゆるホモバー的じゃないミックスバーや観光バーが増えた、ノンケの男性や女性客も来るようになった、という意味では多様化しているかもしれないけど、お金が落ちているかというと……。若いゲイの子たちも、常連として定期的に来る人は少なくなりました。イベントや飲み会のあと二丁目に流れてくるようなことはあるけれど、そんなに多くはないですね。
砂川 今はそもそも若者の人口も減って、お酒を飲まなくもなっているから、どうしたって減っていきますよね。ゲイの出会いのきっかけがスマホのアプリに移行していることも大きいのかな。
伏見 街に人は増えたと思うんです。でもそれと、お店が賑わうということとは別なんですよね。90年代以前の二丁目は、お店の中には客はいるけど通りには人が少なかった。80年代以前はみんな小走りで、姿を見られないようにして店から店を渡り歩くみたいな感じだった。
でも、お金は全然かつてのほうが落ちていた。見掛けだけじゃわからないところがあるんですよね。だから今みたいに、週末にたくさん人がいて盛り上がっていることが、LGBTコミュニティの活性化かというと、どうなんだろう、みたいな……。
砂川 なるほど。ゲイが徐々に社会に受け入れられるようになって、街にも出られるようになったし、出会いはアプリで済む。そうなると、わざわざバーに行かなくてもいい。その辺の居酒屋で飲めばいいわけですから。
伏見 それはゲイとかLGBTに対する差別や抑圧が弱まってきたことの反映でもあるんだけど、そうすると今度は、二丁目にも一般社会の価値観が入ってくるんですよね。
あえて乱暴な言い方をすると、昔はどんな大企業の社長でも普通の学生でも、「ホモはホモだよね」みたいな……言うなれば、ゲイであることの「負の平等性」みたいなものがあったし、昼間のその人の立場や役割を捨てられることがゲイバーの魅力でもあったんだけど、最近はバーにいても格差とか階層といった社会性が反映されるというか。
お客さんもそういうことを気にしているので、会話に気を使います。「やっぱり金融系の方はお金あって、いいですね〜」とか「○○大学の学生さんですか、すごいですね〜」とか、そういう普通の話になっちゃう。世知辛いというか、みんな自分がどう見られるかとか、世の中でどういうポジションにいるのか、みたいなことをすごく気にしている。
砂川 それはゲイに限らず、社会全体がそうなっていますよね。SNSで自分の投稿にどういう反応があるかとか、自分をどう見せるかを、みんな常に考えている。そうなると、ゲイはあくまでその人の属性の一つ、ということになってくるのかもしれません。
最近は、SNSでもゲイであることを明らかにした上で発信している人がたくさんいます。昔はゲイ雑誌にすら、実名で出る人がいると「画期的」と言われたけど、今ではネット上にあふれている。
そうなると、別にゲイであることを共有するために、わざわざバーに出かけなくてもいい。ゲイであることを前提に友人関係を築くこともだんだん当たり前になってきていますし、最近は欧米の都市でもゲイバーがなくなりつつあるという話をよく聞くけど、東京もそうなる可能性はありますよね。
「観光地化」する新宿二丁目
伏見 昔はゲイの関係性って性に局在化されていたけれど、今は良くも悪くも普通の市民社会になってきているんですよね。だからゲイバー的な空間というものが、成立しづらくなってきている。
でも、だからといって、二丁目のお店が「普通のバー」になってしまうのはどんなものかと。例えば「女性は入店お断り」と言えなくなって、お店がノンケや女性のお客さんばかりになってしまうと、「つまらない」というゲイのお客さんもいる。あるいは、ノンケのお客が来ても店にゲイ客がいないと「普通すぎておもしろくない」と不満(笑)。みんな欲張りさんなんで、非常に難しいんですね。「おもしろい」ということと「平等」ということは、なかなか両立しないところがあったりするので。
お店のありようと、お店に関わる人たちのアイデンティティはシンクロしているというか……1970〜80年代に二丁目がゲイバー街になっていったときは、性欲と紐づいた「ホモ」とか「ゲイ」とか「同性愛者」といったアイデンティティが、徐々に社会化していった時代でしたよね。
それが今、「LGBT」とか「多様性」といった緩やかな概念へだんだんほぐれていっていることと、街やお店の変化はすごく連動していて、かかわる人たちの主体のあり方がそのままバーにも反映している感じがします。
砂川 やっぱり物理的なものに人の生き方は出てくるし、関係性もまたお互いに影響し合うということですよね。すると、今後は二丁目にもオープンなバーが増えるんでしょうか。
伏見 そうじゃないと経営が回らなくなるという面もあります。ゲイの人たちの出会いの場としての機能がゲイバーからアプリに移ったので、お客さんが減った分、ノンケの人にも来てもらわなければ
いけない。だからミックスバー的じゃないと、商売が非常に難しい。
この前、「アイランド」というお店のマスターのラクさんと対談したとき、「アイランド」は基本的にはゲイしか入れないバーなんですが、むしろそういう「古式ゆかしい伝統的なホモバー」がもう珍しくなってきた、絶滅危惧種になったとおっしゃっていました。
砂川 むしろ、ゲイバーは「特別なお店」という形で残っていくのかもしれない、ということですね。
あとは、海外のお客さんの受け入れも進んでいますよね。最近はアジアの中でゲイの移動がすごく盛んになっていて、もちろん欧米からも来るけれど、韓国や中国、台湾からもたくさん来ていますし。
同じ新宿のゴールデン街は、ある意味「観光地化」することで、独特の色合いを残すことに成功しています。文化人類学にも、「観光化することが結果として文化の保護につながる」という議論があって、例えば土着の芸能文化などは、観光客の視線があるほうが残りやすい、という面もあります。ゲイバーも、いわゆる「観光バー」と呼ばれる一般客向けのお店は「ゲイゲイしい」あり方をあえて見せているけど、そういうお店はむしろ残るのかもしれません。
東京オリンピックで何が起きるか
伏見 最近、知ってます? 新宿二丁目のバーの組合でも英会話の……。
砂川 ああ、バーのマスターとかスタッフ向けの英会話教室をやっていますよね。
伏見 東京オリンピックに向けて英語対応もできないと、って。しかも英語だけじゃなくて、例えば「アフリカ系アメリカ人」のお客さんが来たとき、「チンポでかいですか?」って聞いたりするのはポリティカルコレクトネス的にダメだよ、というようなことも教わるって、この前聞いたんですよ。
砂川 それはいいことですね。
伏見 でも、ポリコレに遠慮して「チンポ大きい?」って聞けないようなゲイバーってどうよ?って僕はちょっと思ったりするんだけど(笑)、ただ、原則として聞いたらマズいということは知っておくべきだと。
砂川 欧米人だから、というようなニュアンスはダメですよね。それはともかく、異性愛者だけじゃなくて、海外からも観光客が来る街になっているんですね。
伏見 それもゲイバー街としての「二丁目」が生き残るための試みとして、ありだと思うんですよね。
砂川 来年は東京オリンピックですが、1964年の東京オリンピックも、新宿の街が大きく変わるきっかけになりました。ゲイバーに警察から圧力や嫌がらせがあったり、再開発で新宿御苑側にあったお店の一部が二丁目に移ったりという変化があった。
今回のオリンピックでは、どうなるんでしょう。むしろオリンピック憲章にも、2014年に性的指向による差別を禁じる項目が盛り込まれたので、今ではLGBTにとってオリンピックが後押しになる面もあるんでしょうか。
伏見 今回、執筆のために古い文献を調べていたら、1964年の東京オリンピック直前の記事にも、「オリンピックで、これから世界中から東京にゲイが来るはずだ」みたいなことが書かれているんです。
砂川 そうなんですか?
伏見 だから、昔も同じだったんだなと思って。オリンピックが一種、世界のマイノリティと交流することで欲望を肯定したり解放したりする契機になっていて、それは変わらないんだなと思いました。
砂川 でも、権田原のハッテン場が潰されたのも、オリンピックに向けた浄化の一環だったんですよね。
伏見 かつてはそういう面もありました。ただ、権田原はすぐ潰れたわけじゃなくて、どんどん場所を縮小して、移動しながら1980年前後までは続いた。ゲイってしぶといというか、国家権力に邪魔されようが何だろうが、どんどんハッテン場をつくる。すごいですよ、そのエネルギーは。
だから、1960年代に新宿二丁目という街が生まれた原動力は、端的に言うと男性同性愛者のセックスのエネルギーだったと思うんです。こういう系列のお店が広がったとか、千鳥街から移転してきたからとか、そういうレベルではなくて、爆発するような欲望のエネルギーが街をつくった。
砂川 なるほど、そうですね。重要なのは、そのとき性的な欲望を爆発させたのはゲイだけではなかったということです。
伏見 男女だって、お見合い結婚と恋愛結婚が逆転するのが1960年代半ば。当時は「婚前交渉」なんていう言葉が実感を伴って使われていたくらいだから、そんなにみんな恋愛やセックスなんてしていなかった。男女間の性が解放されるとともに、同性愛者の性のエネルギーも、時代の流れに乗って開かれていったんでしょうね。
新宿二丁目の「多様性」とは何か
伏見 僕の問題意識の一つは、二丁目がゲイバー街になることを、もといた住民や商店主の人たちはなぜ拒絶しなかったのか、ということなんです。よくよく考えると、不思議じゃないですか?
砂川 そうですね。そこは伏見さんも本の中で書かれていたように、「いつの間にか」ということなのかもしれない。ちょっと言葉は悪いけれど、既成事実というか。
伏見 もともとこの土地に住んでいた人たち、かかわっていた人たちの気風もあり、時間をかけた事実性の積み重ねが重要だった、と思うんです。
砂川 関係性をうまく築くことができた。
伏見 ゲイ当事者だって、ホモフォビアというか、自分たち自身に対する差別意識を持っているわけじゃないですか。当事者でない人はなおさらですよね。
でも、そういう差別の問題を、例えば人権問題としてとか、運動によって是正せねばならない構造として捉えるのではなくて、現実の人間関係とか情緒的なつながりの中で解消していったというのは、非常にユニークな歴史ですし、二丁目のいいところでもあると思うんです。もちろん時間はかかるけれど。
2000年代に砂川さんが立ち上げに関わった「レインボー祭り」も、ゲイバー街の草の根の活動として現在まで続いていますよね。
砂川 やっぱりそれは、もちろん全部が本音じゃないかもしれないけれど、通りが賑わって、お店にお客も入ることを街の人が喜んでくれたからじゃないかな。
伏見 経済的な面は大事ですよね。
砂川 それも、まったくのニューカマーじゃなくて、店子やずっと二丁目で働いている人たちが祭りを担ってきた。二丁目のお店って、大家さんが上の階に住んでいらっしゃるようなところも多いですから、これまで築いてきた関係性が土台になったために許された部分もあるでしょうね。
伏見 そういうことが可能になったのも、二丁目の底流に流れている文化、雑種性や包容力のおかげだったと思うんです。日本社会では、対抗主義的な政治運動が効くときもあるけど、それだけだとむしろ事態が動かなくなってしまうこともある。二丁目が多様性を実現できたのは、対立の構図にならなかったからという面もある。
砂川 街での関係性の築き方って、きっとどこでもそうですが、なんとなくご近所と関係性ができていって、多少イヤだなと思うこともあるけど、まあ付き合っているうちになんとなく納得していくみたいな……。抽象的な理念は、具体的な人と人の関係性の上に乗っけないと、ちゃんと機能しないということですね。
伏見 僕がこの本を書いた動機は、いろんな立場の人がこの新宿二丁目という街に集まって、「相対的に」ではあるけれど、ある種の多様性や包摂ということを体現している、この街のあり方が社会のひとつのモデルとして意味があるんじゃないか、ということを伝えたかったんですよね。
新宿二丁目という街は、ゲイだけでなくいろんな人から成り立っていて、いろんな人が結びついてその可能性を広げてきた。実はいろんな人が街を支えていて、夜中に酔っ払いが大暴れしてガラス瓶を散らかしたりしても、住人の人とかが片付けてくれていることはゲイの人たちも知ったほうがいいと思うし、逆にゲイがどんな思いでバーをやっているのかということも、一般の方に知ってもらえたらいい。
その架け橋になれたらと、ちょっときれいごとかもしれないけれど、本当にそういう気持ちがあるんです。
「2050年の新宿二丁目」を考える
砂川 二丁目の「ゲイコミュニティ」感って、もちろん出入りする人々のつながりや意識も大事だけれど、実は同時に「お金がどう回るか」とか「どんな建物が建つか」ということの影響も大きいですよね。新しい店舗を建てるにも、投資額を回収できるような物件が入らないとダメなわけですから。
伏見 そうすると、うちみたいな小さなスナックだと厳しいので、今のようなゲイバー街はもう、どんどんなくなってしまうのかもしれない。古いビルも多いので、これから一気に建て替え期に入っていくんですよね。
砂川 そのときに、経営者やオーナーが二丁目に縁や思い入れがある人なら、マイノリティに対する思いとかもあるのかもしれないけど、それが空間ごとなくなっていくのかもしれない。ゲイバー街としての二丁目の記憶が薄れて、新しいビルが建って……いろんな人が遊びに来るエリアになるのなら、より儲かるお店をつくったほうがいい、と考えるのが自然ですから。
伏見 ゲイの側から見ても、二丁目という空間を生み出した「出会い」と「欲望」のエネルギーがネット空間に移ってしまったので、二丁目もゲイの街ではなくなっていかざるを得ない。寂しい気もするけど、でも、そうやって街って変化していくのかな。
砂川 それこそ2050年とかになったら、新宿二丁目にそんなゲイバー街があったなんて、みたいな話にもなっているかもしれませんね。1960年代のことだって、もうほとんど忘れられてしまっているわけですから。
伏見 一方で、そういった二丁目が解体していくような流れに抗うように、例えば砂川さんも参加されている「二丁目海さくら」のようなゴミ拾いボランティアなどの活動も出てきていますよね。かつてありえなかった昼間の住民や商店主の方たちと、夜のゲイバーにかかわる人たちが、一緒に街の掃除やゴミ拾いをするといった活動も行われている。
砂川 そうなんです。ゲイだけのコミュニティでもなく、昔からある古いコミュニティでもなくて、いろんな人がこの街を共有することによって生まれる新しいコミュニティのあり方を考えるときが来ているな、と感じますね。
みんなで一緒に街の未来を考えるほうが楽しいですし、持続性もある。そうした人と人のつながりの中から、未来の二丁目のかたちが立ち上がればいいなと思っています。


この社会はガチすぎる…「レンタルなんもしない人」が求められる理由 【対談】レンタルなんもしない人×東畑開人
フォロワー22万人超、「レンタルなんもしない人」とは何者か? 離婚届の提出に同行、裁判の傍聴席に坐る……「なんもしない」サービスがなぜ今の日本社会で求められているのか?
初著書『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』も売れに売れている中、『居るのはつらいよ』で話題の臨床心理士・東畑開人さんとの特別対談!(青山ブックセンターにて6月16日収録)
(構成:山本ぽてと)
「なんもしない」は、反社会的?
「なんもしない人(ぼく)を貸し出します。常時受付中です。国分寺駅からの交通費と、飲食代等の諸経費だけ(かかれば)ご負担いただきます。お問い合わせはDMでもなんでも。飲み食いと、ごくかんたんなうけこたえ以外、なんもできかねます。」
(「レンタルなんもしない人」Twitterプロフィールより)
東畑:このトークイベントに、ぼくは怯えながらやってきました。企画書を見るとレンタルなんもしない人さんは、「ごくかんたんなうけこたえ」をしてくれるとのことでしたが、これは下手したら喋ることがなくなるのではないか、と……。
レンタル:「居るだけ」も今日のイベントのテーマに含まれているので、喋ることがなくなってもいいかなという気がするんですけどね。
東畑:あぁ、そうなんですか……では、始めましょうか。
レンタル:……。
東畑:……。
(会場笑)
東畑:つらいですね。ぼくはカウンセリングの仕事をしているんですが、たいてい「始めましょうか」と言ってカウンセリングを始めて、あとはクライエントが話し始めるのを待つんです。基本会話が受け身なんです。だから、こんな感じになってしまうんじゃないかと思って、怯えてました。
レンタル:ふふ、じゃあ、始めましょうか。
東畑:そうですよね、じゃあ主体性を発揮しましょう。喋ります。
まず、レンタルさんの本『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』(晶文社)を読んで、これは「反社会的な人物」だと思いました。あ、ヤクザという意味ではないですよ。「なんもしない」サービスを始めること自体が反社会的だということです。
普通の社会は「なんかする」のが取り決めですから、それにオブジェクションを唱えているということです。本の帯に「なんでこんなに優しいんだろう」と書いていますけど、そんなに優しい人ではないですよね。
レンタル:はい。違いますね。
東畑:「優しい」というよりは、反社会的な人であり、しかも頑固に反社会をやり通している。多分、今の社会が優しくないので、それに反しているという理由で「優しい」と帯に書かれたのではないか(笑)。三段論法的に「優しい」。
レンタル:反社会的……。そう見えるのは、社会的であることを諦めたからです。今の活動について、「子どもがいるのに、なにやってんだ!」とお説教をされますし、自分でも少しはそう思わないこともない。
でも今までさんざん頑張ってきて、その結果なにもできなくて、「なんもしない」をしているんです。またあの社会に戻されて、生きていくのはつらすぎる。そこに対する恐怖心が、反社会的に見えるのだろうと思います。
東畑:じゃあ、レンタルさんも怯えているんですか。
レンタル:はい。説教を受けるたびに怯えていますね。
無職はつらいよ
東畑:『居るのはつらいよ』では、大学院を卒業し、沖縄のデイケアの現場で心理士として働いた経験を書きました。「あれもやりたい!」「これもやりたい!」と思っていたのに、「とりあえず座っておいて」と言われた。「なんかしなきゃ」といつも焦っていたけれど、実は「なにもしないで居る」ことが本当の仕事だったと気が付いたという話です。
今回のセッションのテーマは、「なんもしなかった人」と、「なんかしたかった人」の対比になっています。さっきから挙動不審だからわかると思いますが、ぼくは「なんかしたい人」なんです。社会性がある(笑)。社会が求めてくるものに対して、応えなければいけないと思いこんで生きているんですね。レンタルさんは、就職していたときから、「なんもしない人」だと思われていたんですか?
レンタル:会社の中にいる人には、「なんもしない」と言われていましたね。
東畑:つらかったんじゃないですか?
レンタル:つらかったです。その時は、人並みになんかしなきゃと思っていて、向けられる視線に敏感になっていた。
会社はなにかしないと給料がもらえない場所です。一方で勤務時間中はつねに給料が発生する状態にある。トイレに行っている間にも給料が発生しています。それがすごく嫌で、怖かった。
「居るだけ」はゼロですらなく、マイナスなのではないかと。この活動を始めるまで、そうしたプレッシャーの中で生きてきました。
東畑:「赤字男」ですよね。レンタルさんは赤字を生きている。「子どもがいるからちゃんとお金を稼げ」「給料泥棒」といった言葉は、よく考えたら赤字はダメだという強いプレッシャーから生まれています。
今の社会はあまりにも赤字に怯えていて、「改革」をしまくっているようにも思えます。でもレンタルさんは「今のところ食えているから」といったスタンスですよね。そこが反社会的で、癒しでもあるなと思いました。
レンタル:自分でも正直、赤字であることについてちゃんと考えると怖い。どんどんお金が減っていくわけです。でも、それは社会人のモードになっているとき。
「レンタルなんもしない人」は、「実験」とか、かっこいい言い方であれば「アート」なのかもしれない。これらは基本的にお金を使う活動で、お金を稼ぐ文脈からは離れます。
そう考えると、今やっていることは別に怖くないですし、おかしいことではないと割り切っています。
東畑:レンタルさんは、社会的には無職になるんですか(笑)?
レンタル:えっと……文筆業。本が出ていますからね。
東畑:ぼくには、無職だった時期があります。「居るのはつらいよ」の最後は仕事を辞めて、無職になるところで終わるのですが、そのあとの半年間仕事が見つからず、スピリチュアルヒーラーたちのフィールドワークをしていました(詳細は『野の医者は笑う』(誠信書房)にて)。その時、自分は研究者だと名乗っていましたし、そう思い込むことにしていたのですが、実際は赤字を垂れ流しているんです。
そうすると、だんだんメンタルがやられていくんですよね。謎のスピリチュアルヒーラーに「あなたの本当の自分は人を癒す人なのよ!前世からの宿命なのよ!」と断言されると、「俺はやるぞ!やってやるぞ!」とテンションが上がるんですが、実際は人を癒すどころから無職でやることがないので、漫画喫茶で甲子園物の漫画を読んでいる日々が続きました。
これはかなり堪えました。働かないこと、お金を稼いでいないこと、それがボディーブローのように自分を苦しめていくんです。自滅ですね。赤字は精神状態を悪くします。そう思うと、なぜレンタルさんは飄々とやれているのかな。
レンタル:ぼくもその精神状態の期間が長かったです。悪いことをしていないのに、街を歩いているだけで、怒られている気分になっていました。
ひとつのきっかけとして、人に奢られて生きる「プロ奢ラレヤー」という人を見て開き直れたことがあります。面白いなと思い、マネしたくなった。ロールモデルがあったのはよかったです。
今は「レンタルなんもしない人」という名前によって開き直れている。依頼者の方からクレームを受けたとしても「なんもしないって言ってるでしょ」とケンカ腰で向かっていける。だから、なにを言われても大丈夫。
東畑:戦っているんですね。
レンタル:「なにか言われるんじゃないか」と常に思っています。なにも言われていないですが。
東畑:なにも言われていなくても、自分の中で何か言われているから、自滅しちゃう。
レンタル:そうなんです。素の自分だとたぶん自滅してしまう。
「なんもしない」と遊びの感覚
東畑:会社で「なんもしない」と怒られる。でも「なんもしない人」としてサービスを始めると、いろんな人が「なんもしない」ことを求めていた。この逆説が面白いと思います。どういうことなのでしょう、どんな場所で、なんもしないことが求められていると思いますか?
レンタル:ビジネスよりも日常の中で依頼されることの方が多いですね。「なんもしない」価値が求められているのは、めちゃくちゃ地味なところ。
例えば、「自分の頭の中を整理したいから、ただ聞いてほしい」といった依頼は多いです。一方的に喋っているのを、ぼくはただ聞いているだけ。それでも、人形だと駄目なようで、話を理解している可能性がある相手が必要だと言います。
東畑:面白いですよね。カウンセリングって「話を聞いてくれる」というイメージがあると思いますが、実際には相手の話を聞いた上で心理学的な解釈をしたり、心理学的なアドバイスをしたり様々なことを行っています。
でも良くなった相手からは、「聞いてもらえたことが助かりました!」と言われることがあります。散々いろいろなことをやっていても、向こうからすると「居てくれた」「聞いてくれた」感じに感謝されるんですね。いつも不思議だなと思います。
実際のところは、「ただ、居る、こと」に意味があるんじゃないかと思ったりします。とはいえ、「ただ、居る、こと」を続けるために専門性が必要なはずだ、と専門家的には叫びたくもあるのだけど。
レンタル:あと、「自分のために人が来てくれるのはいいですね」とたまに言われます。レンタルの約束をして、約束を守って人が来てくれる。その現象自体に喜びを見出している。「居る」の前段階の、「来る」にも意味があるのかもしれません。
それから、離婚届けの提出に付き合うとか、痔の手術に同行するとか。それは「心細いから」だと言います。
東畑:「人を必要とする」ってふしぎなことですよね。どういうことなのだろう。「タンスが重いので、角を持ってください」と人が必要なのはわかりやすい。人を使わないとできないことは世の中にはたくさんある。
一方で、ぼくたちには一人で頑張って取り組まないといけないことも沢山あります。人を使うことと、自分で取り組むこととの間に、レンタルさんの活動がある。
居るのはつらいよ』でも、そのあわいの話をしています。ここは語りにくい。離婚届を出しに行くのに、一緒に来てほしい。わかる。わかるんだけど、それがいったい何なのかをどんな言葉で語っていいのかわからないし、どう説明していいのかわからない。
しかもレンタルさんの活動は、なにかを共有しているけれど、すごく他人感もあります。人間同士の濃い付き合いと、レンタルさんはちょっと違う。離婚届けは、新しい恋人や、親友とではなく、レンタルさんと持っていきたい。それってなんなんだろう。
レンタル:言われてみればそうですね。それは東畑さんの本にも書いてあった「遊びの感覚」なのかもしれません。
例えば、東京から大阪に引っ越す人から「ドラマや映画のように新幹線でお見送りしてほしい」と依頼を受けたことがあります。
身内や友達に頼んでしまうと、本当にしんみりしてしまう。ぼくのような、ふざけた存在である他人に頼むことで、少し遊びの要素が生まれて、それによって気持ちが楽になるのかな。家族や身内に頼んでしまうと、遊びではなく深刻になってしまう。
東畑:つまり演劇ですよね。依頼をしている時点から、すでに演劇が始まっている。
レンタル:確かに演劇ですね。依頼をすることで、依頼者の方が演技に入れる。ぼくが帽子をかぶり、「なんもしない人」を演じていることとも重なります。「演技」と言っちゃうとなんか恥ずかしい。「レンタルなんもしない人」というサービスを依頼したくらいだと落ち着く。やはり何事もガチにしたくない遊びの感覚があると思います。
ぼくは依頼をTwitterのDMから募集しており、引き受けるかどうかをその文面で決めています。
ぼくが依頼を受けたいと思う人は、文章が落ち着いていて、淡々としている人が多い。内容は切実だけど、ちょっと冷めている。でも依頼内容をTwitterでエンタメにされてもいいとも思っている人。ちょっと矛盾を抱えてますよね。
でも皆さん、切実でシリアスなものを、苦しい雰囲気のまま終わらせたくないと思っているんじゃないか。
東畑:依頼をする人は、ガチではないと。なるほど……だからぼくは、今日つらかったのかな。ガチだと思って来てしまったから……。
レンタル:……。
東畑:……。
(会場笑)
東畑:あぁ、またこうなってしまった。
エンタメVSガチ
レンタル:東畑さんの本には「ケア」と「セラピー」が対比されて出てきます。でも、ぼくの中では、「エンタメ」と「ガチ」に分かれていて、ケアもセラピーも「ガチ」なんです。「ガチ」の成分が強すぎると、人は引いてしまう。
東畑:レンタルさんの方から話を振ってくれるとは!僕より社会性があるのかもしれない……。
さて、「エンタメ」と「ガチ」か……。確かに、社会はガチすぎるのかもしれない。
ぼくは本の中で「アジール」という表現を使っています。「隠れ家」を意味する言葉です。例えば、昔は離婚したくても許されなかったので、駆け込み寺に逃げ込みました。そこに入ると世俗のルールがいったん棚上げされて、守られるんです。そういう場所をアジールと呼びます。
アジールは、社会の境界に生まれます。歌舞伎の発祥は河原だと言われているように、文化が発生するのは、まさにアジール的な場所です。東京でも霞が関は「ガチ」ですが、渋谷まで来るとアジール感が出てくる。おっしゃる通りで、エンタメが生まれるためには、ガチから外れて、守られた場所を作らないといけないんだろうな。
レンタル:エンタメが成り立つためには、様々な条件が必要だと感じています。
例えば最近だと、解離性同一性障害、いわゆる多重人格の方からの依頼についてTwitterで書いたら、「ネタにするんじゃない!」と匿名掲示板などでめちゃくちゃ叩かれました。
でも依頼者の方も納得の上だし、ぼくも「すごい人の話が聞けた」と思っている。それで完結しているなと思うんです。
東畑:「ネタ」と「ベタ」という言い方をしたりしますね。でも、実はセンシティブな問題ではその辺が難しい。僕の無職の話も本を書いてネタにしたことで救われた部分があります。でもネタというのは、だれかそれをネタとして受け止めてくれる人がいないと成立しない。
例えばいま、解離性障害のYouTuberの方がいます。そこでいろいろな人格を登場させて、エンタメ化しているんですね。ぼくはそのYouTubeを見ていて、この人は配信をすることで助かっているだろうなと思いました。
エンタメ化して、人が楽しんでくれるようなものへと、自分の苦しさを変形している。観客が「いいね!」したり、面白がってくれると、本人はかなり助かるんだと思います。
でも、この状況に誰かが「不謹慎ではないか」と声を上げて、どこまでがOKでどこまでがNGなのかラインを決めてしまうと、全部台無しになってしまう。
ただ一方で「ネタ」にすることで傷つく人もいるわけです。ネタの難しいところは、ある種の暴力性があるところだと思います。同時にネタによって昇華されて、自分のことを笑える良さもある。完全に暴力性を省いてしまったネタは、ネタとして面白くない。だから、これは非常に難しい問題です。ネタをしているレンタルさんが大変なのもそのあたりなのかもしれない。
レンタル:はい。笑いにしてはいけないことって本当にあるのか? という問いは、常に自分の中にあります。世間的には間違いなくあるのでしょう。でも、疑っています。ここでは全然言えないような、深刻な事態であっても、少なくともぼくの中では面白いと思っていますね。


引きこもりだった大学生が「しょぼい喫茶店」を始めるまで
「しょぼい喫茶店」店主・池田達也さん
「しょぼい喫茶店」とは、東京・中野の新井薬師の商店街に実在する喫茶店。店名がそうなのだが、実際に訪ねてみると看板は手書きで、内装も凝ったところがなく、「確かにしょぼい」と失礼ながら納得してしまった。
 店主の池田達也さんがこの店を開いたのは2018年3月。まだ大学生だった。資金はツイッターで調達。そう聞くと今どきのIT青年実業家か? と思うが、そうではない。
「就職活動に失敗して引きこもりになり、食べていくために仕方なく始めたんです」
 長野県生まれ。ごく平凡な中学・高校生活を送り、東京の上智大学に進学。カナダへの留学を経験するも、就職活動でつまずいてしまう。
「高校時代から部活やアルバイトは長続きせず、自分には諦める癖があると思っていました。留学したのも少しでも就職活動から逃れたかったから。でも留学先で馴染めず、予定より早く帰国。何をやってもうまくいかない、大学時代に何も成し遂げられていない自分に、就職活動は苦痛でしかなかったですね」
 面接を受けた企業からは不採用の通知。人生初の挫折に、学生マンションの自室に引きこもってしまう。無力感から自殺も頭をよぎった。しかし実行する勇気もなく、悶々とした生活を送っていたある日、店を経営することを思いつく。
「ツイッターで“えらいてんちょう”という人を見つけたのがきっかけです。当時、東京の豊島区でバーやリサイクルショップ、学習塾などを経営し、それぞれで無理なく必要な分だけお金を稼ぎ、自由に暮らしている人でした。それを見て、自分も自営業ならなんとかやっていけるんじゃないか。収入は少なくても、我慢をして会社勤めするよりマシだと思ったんです」
■必要な分だけ稼げばいい
 悩んだ末、自営業という生き方を選んだ池田さん。それからは心を入れ替え、店を開くためにガムシャラに働き――というふうにはならなかった。就職せず店を開くと決めただけで、具体的に何をすればいいのか分からない。最終的に喫茶店を選んだのも、料理が好きだから飲食店、そのなかでも一番ゆったりして楽そうだったからだ。一事が万事「なんとなく」。開店資金を稼ぐため、新宿の喫茶店でいやいやバイトするも、やがて現実にぶち当たる。
「ここぞという物件を見つけたんですが、当初考えていたより大幅に開業資金が足りない。その時点で2018年1月。3月には住んでいた学生マンションを出なければならず、そのため4月には開業し、店に住もうと思っていたので落胆しましたね。やっぱり自分には店を持つなんて無理なんだって」
開店資金100万円はツイッターで調達
 そんななか、光明を見いだしたのはやはりツイッターだった。後に出資者となる“カイリュー木村”氏の〈都内開業、100万円くらいなら面倒見る〉といった内容のツイートを目にしたのだ。カイリュー木村氏は前記の“えらいてんちょう”ともつながりがあり、若者の起業を応援したがっていた。
 池田さんは出資してもらいたかったが、いきなり「喫茶店を開きたいからお金をくれ」と連絡しても無理。まずは自分に注目してもらうのが先決と、毎日ツイッターで喫茶店を開こうと思ったきっかけや、どんな喫茶店をやりたいかなど思いの丈をつづることに――その後の経緯は、著書「しょぼい喫茶店の本」に詳しいが、とにもかくにもカイリュー木村氏から100万円を出資してもらうことに成功する。
「クラウドファンディングも考えたのですが、不特定多数の支援者に気を使いながら経営するのは嫌でした。カイリューさんは“自由にやりなよ”という感じだったので、すごく気が楽でしたね」
■ユニークな店が話題になったが…
 より家賃の安い現在の雑居ビルの2階の居抜き店舗を見つけて契約。開業に反対だった父親を説得して保証人になってもらい、なんとか大学を卒業する前の3月1日にオープンした。
「営業許可のために空欄だらけの書類を持って消防署に駆け込んだり、オープンしても店には伝票すらなかったり、まさに手探り状態でした」
 それでもツイッターの口コミでわざわざ遠くから来てくれる客もおり、ユニークな店名と開業のいきさつがマスコミの注目を集め、取材が相次いだ。出だしは好調。自営業は最高だ! ――そう思ったが、追い風は長くは続かなかった。 (取材・文=いからしひろき)
 喫茶店の開業までと開店してからの紆余(うよ)曲折を記した「しょぼい喫茶店の本」(百万年書房)が若い世代を中心に共感を呼ぶ。共同経営者の“おりんさん”と結婚。先日、第1子が誕生。

オリラジ中田がテレビから降りてリベラル論客に! YouTubeで安倍政権の改憲、集団的自衛権、消費税、原発タブーを真っ向批判
 最近はテレビで見る機会がすっかり減ったオリエンタルラジオの中田敦彦。ダウンタウン松本人志への批判が原因で干されたとの見方が根強くくすぶる一方、中田本人は新しいメディア展開のために、テレビの仕事を減らしたと表明している。
 原因はともかく、テレビから姿を消したその中田の新しい取り組みが最近、リベラルの間でも注目を集めている。現在、中田はYouTuberとしても活動していて、教養チャンネル「中田敦彦のYouTube大学」を開いているのだが、社会問題や政治的なテーマを扱った回の内容があまりに真っ当で鋭いのだ。
 とくに話題になったのが、8月2日から3日にかけてアップされた、「憲法改正問題を中田がわかりやすく解説!〜基礎知識編〜」と「憲法改正問題(第9条)の本質に中田が切り込む!〜核心編〜」という動画。この中で、中田は池上彰氏の著作『君たちの日本国憲法』(ホーム社)をベースにしつつも、自らの言葉で安倍自民党の改憲の危険な本質と民主主義破壊の動きに、強く警鐘を鳴らしているのだ。
 中田はまず、池上氏の著書を引きながら「自民党の悲願は自衛隊を『国防軍』に変えること」と説明、安倍首相は祖父・岸信介がなし得なかったこの悲願を達成するために動いていることを紹介する。
 そして、安倍首相がその野望のためにやってきた取り組みとして「集団的自衛権」をめぐる解釈改憲にフォーカス。こんな経緯があったことを指摘する。
「ここが非常に巧妙だった。内閣法制局っていうのがあるんですよ。内閣法制局っていうのは、法律が憲法に合っているかどうかをチェックするっていう組織。官僚です。(これまで政府が)『集団的自衛権は解釈的にありでしょ? ありの範囲内でしょ?』って言うのを、(内閣法制局は)『なしでしょ』って言ってた。この内閣法制局のトップを変えたんですよ。内閣は。これ、任命権はあるんです。内閣に。でも、いままでの内閣は『それをやっちゃあさすがにね』って言って、やってこなかったの。でも、『やれるや〜ん』ってなったわけですよ。『ちょっと待って、やれるや〜ん。えぇ! 変えよ、変えよ。集団的自衛権いいと思ってる官僚いる?』『あ、僕、いいと思ってますけど』『お前、トップ!』。これをしたんですよ」
 内閣法制局の人事は、まさに中田の言う通りのことが起きていた。安倍首相にとって集団的自衛権の容認は悲願とも言えるものだったが、第一次政権では、宮崎礼壹・内閣法制局長官が違憲との見解を変えず、解釈改憲を阻まれる。そこで、安倍首相は第二次政権発足後、集団的自衛権行使容認派の外務官僚で元フランス大使の小松一郎氏を内閣法制局長官に抜擢するという異例の人事をおこなった。
 集団的自衛権を行使容認するためには、それまでの慣例も打ち破り内閣法制局の勤務経験もない外務官僚を据える──。この“暴挙”には、自民党の重鎮である山崎拓・元副総裁が「法治国家としてちょっとどうなのか」、同じく古賀誠・元幹事長も「あの人事でそういうこと(解釈改憲)を始めることには、率直に怖さを感じた」と非難したほどだった(西日本新聞2013年8月4日付)。
 その後、小松氏は体調不良で長官を辞任、現長官の横畠裕介氏が内部昇格したが、粛清人事を目の当たりにした横畠氏は小松氏以上の“忠犬”ぶりを発揮。憲法学者や内閣法制局OBをはじめ、あらゆる法律家が憲法違反だと断じ、それまで内閣法制局が40年以上も違憲としてきた集団的自衛権行使を合憲と判断した。
中田敦彦の鋭い分析「忖度、公文書問題は、集団的自衛権問題と密接に関わっていた」
 こうした事実については、テレビではほとんど報道されなかったが、中田は今回、それを芸人的トークを交えつつ視聴者に非常にわかりやすく解説したのである。
 しかも、中田の解説が鋭かったのは、この集団的自衛権を合憲とした経緯を、安倍政権で起きた「公文書改ざん」や「忖度問題」の原点と位置付けたことだ。
「加計学園がどうのこうので、『公文書がないない』言ってなかった? 公文書がないない問題って、1回じゃないの。何度もあんの。それの大きいときがこれ。なんと、内閣法制局で、『集団的自衛権あり』にした議事録がなくなってるんですよ。もしくは、つくらなかったかもしれない。なにせ、そのときの公文書が『ございません』っていう回答なの、いま。内閣法制局がいまそういう状態にあるということ。それで、集団的自衛権が『あり』ということになっている。それが良いか悪いかは皆さん判断していただきたい。だけど、事実はこうよ」
 この指摘も事実だ。安倍政権が集団的自衛権行使容認を閣議決定した際、内閣法制局が憲法9条の解釈変更について内部での検討過程を公文書として残していないことがのちに明らかになっている。実は、閣議決定前に横畠長官が自民党幹部と非公式に会い、憲法解釈の変更に合意。そして、法制局は閣議決定前日に案文を受け取り、翌日には「意見なし」と電話1本で回答していた。
 中田はおそらくこうした事実関係を今回、きちんと把握して、強い違和感を抱いたのだろう。「集団的自衛権が良いか悪いかは皆さん判断していただきたい」と言いながらも「だけど、事実はこうよ」と、その民主主義を無視したプロセスには明らかに違和感を表明していた。そして、中田はこう続けている。
「忖度、忖度って言ってるじゃん。あれ、なんだと思う? 忖度、忖度言われ出したってこの流れなの。内閣法制局の人事を、自分の通したいように変えましたよ、公文書ないですよ。それと同時にですね、なんと、内閣人事局というですね、官僚の人事を司る局を内閣がガッチリ押さえ始めた。これもルール上はやってもOKだったんですよ。だけど、やってなかったいままで。内閣人事局をがっちり整備して、『官僚の人事に関しては、内閣がきっちりコントロールさせていただきますんで』っていうのをはっきり言い出したのがここ。ってなったときに、官僚ってなにを考える?ってことなのよ。現政権に反対するような動きを見せたら、人事的に飛ばされちゃうかもしれない。人事的にとんでもないことされちゃうかもしれない。だから、なるべく政権を怒らせたくないというように官僚動いてませんか?というのが忖度なんですよ。忖度とか、公文書問題というのは、集団的自衛権問題とすごく密接に関わっていた。そしてそれは、たったいま起きた問題ではない。戦後からずっとある歴史のなかで、一歩一歩一歩一歩進んできてる問題なんですよ」
 中田はまさにこの間、安倍政権で起きたことが「たまたまの不祥事」でなく、安倍政権が戦略的に行っている民主主義の破壊行為であることをきちんと指摘みせたのだ。
中田敦彦は消費税についても「大企業とお金持ちに優遇がなされているだけ」と
 しかも、中田はこれまでのプロセスだけでなく、安倍政権がこれからやろうとしている改憲の危険性についても指摘していた。その一つが緊急事態条項だ。中田はまず、緊急事態条項について国民が抱くイメージをこう分かりやすく説明する。
「2018年3月に出された案、ご存知ですか、これ。緊急事態条項案というのがある。緊急事態条項、つまり、『敵が攻めてきた!』とか、『災害が起きた!』とか緊急的なことが起きた場合、内閣にすべての権利、権限が集中するっていう、そういう条項なの。一瞬聞くとさ、『まあそういうこともあるか』って感じでしょ? 一瞬聞くとね。『緊急なんでしょ。そういうときに、あーだこーだ揉めてたら決まりませんぞ』、こうなるわけですよ。(中略)なるほどな〜と思う」
 だが、その後に「でも、それは歴史を知らないかもしれない」と切り出し、こう語り始める。
「緊急事態条項っていうのを悪用した歴史的な人物っていうのがいるんだよ。誰だ? ヒトラーだよ。ヒトラーのナチス党っていうのは、緊急事態条項っていうのを巧みに使って、一気に独裁体制をつくった」
 そして安倍政権のやろうとしている緊急事態条項について「ナチスとは言いませんよ」としつつも、「だけどそれを理解してちゃんとオッケー出すか出さないか。そこを国民わかってないと。歴史を知らないとわからないよ。気をつけてね、2018年3月だよ。最近の話だよ」と、警鐘を鳴らした。
 あらゆる指摘が正鵠を射ていることに唸らされるが、中田敦彦が「YouTube大学」において、真っ当な指摘をしているのは「憲法」がテーマの回だけではない。「消費税」「原発」といった分野では、テレビや新聞が絶対にできない問題に踏み込んでいた。
 たとえば、原発をテーマにした講義では、原発輸出ビジネスをしたい日本政府、電力会社に天下りOBを送り続ける官僚、電力会社をスポンサーにしているために批判ができないメディアといった原発利権の構造が複雑に絡み合って脱原発が進まない状況があると説明。「原発やめたら大損する人たちが大量にいるわけですね。だからこそ、原発っていうのは『なくしたほうがいいんじゃないか』ってなったらものすごい逆風が来ます」と、その現実を暴いている。
 その姿勢は消費税の回でも同じだ。中田は、2014年に自民党は消費税増収分を全額社会保障にあてるとしていたが実際には2割しか使われていないこと、また、消費税が上がっている一方で法人税の減税が進んでいることを紹介し、
「大企業とお金持ちに優遇がなされているだけだったということです。社会保障でもなく、借金の返済でもなく、お金持ちを優遇するようにもっていっているってこと」「法人税が下がった分の収益と消費税を上げて上がった分の収益がほぼ一緒。つまり貧しい人たちから取って、『大企業のみなさ〜ん!』という大きな姿勢なわけです」と、一刀両断していた。
新自由主義的傾向の強かったオリラジ中田の変化はテレビとの決別が原因か? 
 しかし、オリラジ中田といえば、コメンテーターとして出演していた『ビビット』(TBS)に出演していた時代は、保守的ではないが、新自由主義的な弱肉強食思想を持った意識高い系というイメージが強かった。それが、こうした民主主義を守る視点を持ち、貧困に苦しむ国民の側に立った解説をするというのは驚きではないか。いったい中田に何があったのか。
 その背景はよくわからないが、少なくとも、テレビと決別したことが一つの要因になっていることは確かだろう。松本人志というタブーに触れた結果、自らに身に起きたことなどを通じて、いかにメディアの情報が真実を伝えていないか、権力やステークホルダーにいかに都合よく報道が歪曲されているか、ということを実感した部分もあるかもしれない。
 実際、中田は前述した「日本人が知っておくべき「憲法改正」問題」の回で、マスコミの問題点についても触れている。
「マスコミは、それこそ忖度せずに、いろんなことを報道して、ちゃんと、いまなにをやって、政治の争点がなんなのか(報じなければならない)。こうやって僕が説明したらわかるでしょ? なのに、わからない状況にしてませんか?って監視して、『そのやり方よくない!』って(言うべき)。国民にちゃんと啓蒙するならまだしも、逆もあるからね」
「だから、日本のマスコミってちゃんと正常に機能してますかってことを、(権力の)監視者であるマスコミを我々はちゃんと監視して、『おい、あそこの局おかしいだろ!』とか、『あそこの新聞社ちゃんとしろよ』とか、そういうことを見ておかないと、往々にして我々は操られる危険性もあるんだよと」
 まさに覚醒した感のある中田だが、しかし、問題はこれからだ。というのも、中田のこうした姿勢に対して様々な妨害、攻撃が入ることが予想されるからだ。すでに、改憲の回に対しては、安倍応援団などから「印象操作だ」などという的外れな攻撃が加えられているし、今後、影響力が高まれば、政権からの取り込み工作もあるだろう。
 中田自身、一方で最近もホリエモンや幻冬舎の箕輪厚介氏と仲良く対談するなど、今なお新自由主義者的傾向も引きずっているため、何かの拍子で簡単に転ぶ可能性もある。
 とはいえ、芸人的なトーク力と鋭さを持った新たなリベラル論客の登場は素直に喜ぶべきだろう。中田にはぜひ、今のスタンスを続けてほしいし、多くの視聴者に「中田敦彦のYouTube大学」を見てほしいと、切に願う。

東日本大震災から8年5か月/11時までゆっくり

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曽於弥五郎_ブレーメン?190729

40 ans plus tard, le légendaire Walkman toujours populaire au Japon
Il ressemble désormais à un téléphone avec un écran tactile, une mémoire et une connexion sans fil: le baladeur audio Walkman du Japonais Sony existe toujours, bien que méconnaissable par rapport à ses débuts il y a quarante ans.
Sorti en 1979, le Walkman inaugural, matricule TPS-L2, était un engin bourré de pièces mécaniques.
≪C'était d'une précision impressionnante, au point que je me demande si on saurait le refaire aujourd'hui≫, confie à l'AFP l'ingénieur Hiroaki Sato, concepteur des plus récents Walkman et un brin nostalgique des anciens, que l'on peut admirer actuellement dans une exposition organisée à Tokyo pour les 40 ans de la gamme.
≪J'étais collégien quand le premier modèle est sorti, et je n'ai pas eu les moyens de l'acheter≫, regrette M. Sato.
Aujourd'hui, ce Walkman premier du nom a l'air d'une antiquité avec son boîtier qu'on devait ouvrir pour y loger une cassette, ses boutons physiques à enfoncer, son casier à piles ou les curseurs pour le volume.
Mais des exemplaires fonctionnels circulent toujours sur le marché de l'occasion, dont un présenté comme neuf et jamais utilisé, vendu la bagatelle de 1,3 million de yens (11.000 euros), soit près de 40 fois son prix initial.
≪Je ne pense pas que les Walkman actuels pourront toujours être utilisés dans 40 ans≫, déplore l'ingénieur Sato. Car les formats audionumériques seront sans doute bien différents d'aujourd'hui et les batteries rechargeables introuvables.
Il fallait cependant prendre grand soin des modèles à cassette magnétique, pour éviter les pannes d'engrenages. ≪Je pense que c'est cet entretien régulier qui a fait naître un certain attachement à l'objet≫, poursuit M. Sato, en manipulant un des tout premiers exemplaires conservés par Sony.
M. Sato parle d'un temps que les moins de 20 ans ne peuvent pas connaître, celui où les psychiatres s'inquiétaient de ces nouveaux comportements, quand en France Léon Zitrone présentait au journal télévisé ≪des jeunes hommes, et femmes aussi, que l'on voit dans les rues avec un casque sur les oreilles≫.
Aujourd'hui, ce sont presque ceux qui n'en portent pas qui surprennent. Les casques sont désormais sans fil et les baladeurs sans touche.
≪Depuis mon plus jeune âge, les appareils ont des écrans tactiles, pas des boutons≫, confirme Scott Fung, lycéen de 17 ans, originaire de Hong Kong, les yeux ébahis devant un vieux Walkman exposé à Tokyo.
L'étonnement ne s'arrête pas là: le Walkman numéro 1, né de l'envie d'un des fondateurs de Sony de se divertir avec de la musique dans l'avion, ≪avait deux prises casques, pour que les couples puissent écouter ensemble de la musique≫, rappelle M. Sato.
Sur les exemplaires du premier lot, une série très limitée, était même écrit au-dessus de ces prises ≪guys≫ et ≪dolls≫ (≪mecs≫ et ≪poupées≫), une inscription qui ferait peut-être hurler aujourd'hui.
Comme les passagers d'un hélicoptère, les deux utilisateurs pouvaient aussi se parler en appuyant sur la touche orange ≪hot line≫. Aujourd'hui, chacun a son smartphone, sa musique, et les messages s'échangent par écrit.
Après plus de mille variantes de Walkman (Sony a arrêté de compter en 2004) et plus de 420 millions d'exemplaires écoulés, passant successivement de la cassette au CD, puis au MD jusqu'aux mémoires flash, la gamme continue de s'agrandir.
Il existe d'une part des modèles très grand public et, d'autre part, des appareils rassemblant toutes les meilleures technologies audio de Sony, destinés aux mélomanes audiophiles prêts à débourser près de 3.000 euros pour une qualité musicale hors pair.
Sony n'est pas le seul sur ce créneau de l'audio haute-résolution: on y trouve aussi la griffe sud-coréenne Astell&Kern, ou les fabricants chinois Cayin, Hiby et iBasso.
La marque japonaise, pionnière de l'écoute de la musique en itinérance, avait un temps perdu de sa superbe, secouée par l'arrivée de l'iPod d'Apple en 2001. Mais elle a recouvré depuis l'oreille des maniaques du son en contribuant à élever la qualité des fichiers audionumériques avec des formats non-compressés et des techniques de transmission sans fil améliorées.
≪On poursuit toujours la même idée que pour le premier modèle: écouter de la musique à l'extérieur avec la meilleure qualité possible≫, insiste M. Sato.
How Japan’s failure to atone for past sins threatens the global economy
The price of your Samsung phone and tablet could soon go up. The reason? Disputes that stretch back to Japanese atrocities during World War II have pushed Japan and South Korea to the brink of economic war.
Japan has recently implemented several measures that can hurt the South Korean economy. It has removed South Korea from its list of preferred trading nations and imposed controls on the export of semiconductor materials. South Korean President Moon Jae-in has vowed not to surrender to Japan and is planning reciprocal measures.
Although Japan permitted a shipment of some semiconductor materials to South Korea on Wednesday, the situation is far from resolved. Japan’s moves have already caused a spike in the price of memory chips and are having a chilling effect on the global tech market. While Tokyo cites national security concerns as the reason for the sanctions, most experts believe it is retaliating against South Korea for recent court rulings that require Japanese companies to pay restitution to Koreans forced into labor in their factories during World War II.
For decades, the two countries have disagreed about how Japan should atone for its colonial past. Now, this failure to reckon with past atrocities may have an economic effect that will extend far beyond East Asia. For a more peaceful and prosperous future, countries must contend with history — no matter how ugly.
From the time Japan relinquished its empire at the end of World War II, deep-seated resentments against it lingered in former colonies like Korea. First as an imperial power and then during World War II, Japan committed atrocities that were among the most horrific in recorded history. This included the sexual enslavement of hundreds of thousands of “comfort women” and efforts to eradicate Korean culture by forcing Korean schoolchildren to learn Japanese.
When U.S. forces occupied Japan and South Korea in 1945, reconciliation between Japan and its former victims was not a high priority. Instead, the United States sought to brush aside resentments over the recent past and to reestablish the economic linkages that had existed during the colonial era. Focused on stopping communism, the United States believed Japan and South Korea needed to be united in their resistance to this threat, and so U.S. diplomats pressured the Japanese and South Korean governments to cooperate and quickly settle their historical disputes.
South Korea finally normalized relations with Japan in 1965 with the support of the Johnson administration. The Republic of Korea (ROK) president at the time, Park Chung-hee, was intent on achieving double-digit economic growth rates and was more willing to compromise with Japan than his predecessors had been. Although the treaty was highly unpopular, Park controlled an autocratic government with a powerful security apparatus and was able to ram it through the assembly.
This treaty successfully created a new economic relationship between Japan and South Korea. Japan agreed to provide Korea with 800 million in grants and loans while the South Korean government relinquished its rights to seek formal reparations from Japan for colonial and wartime abuses against it.
During the next two decades, South Korea not only received the promised development aid from Japan, but it also became a prime destination for Japanese trade and investment. With the South Korean and Japanese economies benefiting greatly from the new partnership, Seoul and Tokyo were loath to quarrel over historical issues.
But the treaty also allowed Japan to evade a reckoning with its past atrocities. Neither government took the perspectives of the victims into account when negotiating, and so, the agreement nullified the rights of individual citizens to seek compensation from the Japanese government. Instead, the Park government accepted a lump sum from Japan that could be used to pay victims of Japanese war crimes, and the Japanese government considered the issue of compensation for its former victims resolved.
But it wasn’t so easy. As military rule gave way to democracy in South Korea during the late 1980s and early 1990s, victims of Japanese atrocities who had previously been reluctant to speak started to come forward. Among them, the “comfort women,” victims of sexual enslavement by the Japanese military, sparked the most emotional outrage. The treaty proved wholly inadequate to addressing their grievances.
And so, today, the historical injustices of World War II continue to divide the countries. For South Koreans, much of the anger stems from both the struggle to financially compensate victims and Japan’s unwillingness to hear their concerns.
In 2015, Park Chung-hee’s daughter, former South Korean president Park Geun-hye, concluded an agreement with Japan on the comfort women issue that had almost the same flaws as the treaty negotiated by her father 50 years earlier. Japan agreed to pay $8.9 million as a lump sum to a foundation that assisted former comfort women. Once again, the victims were denied a voice in the negotiations, and the agreement provoked a storm of criticism.
Moon has reversed course, dissolving the foundation supported by the treaty last November and rendering the agreement useless. In its place, he has put forward a new proposal for a joint compensation fund that both South Korean and Japanese companies would contribute to, but Tokyo has flatly rejected this. The latest South Korean court rulings in favor of forced laborers seeking restitution from Japan reflect the same principle as Moon’s proposal: that Japanese firms should be held liable for their actions during World War II.
But it isn’t just about money and awaiting restitution. Opportunistic ROK leaders have found Japan a convenient target to attack when their own popularity is suffering. Keeping historical anger alive can be a useful political weapon in a country where nearly every president’s tenure in power has ended with single-digit approval ratings.
Japan has also continued to fuel the controversy with insincere efforts to demonstrate contrition. Since the 1990s, Japanese leaders have made several dozen statements apologizing for and expressing remorse for their country’s past misdeeds. However, they have consistently undermined these statements by issuing clarifications or engaging in
Japanese society has failed to acknowledge and show remorse for what its armies did during World War II. Unlike Germany, Japan has not built public memorials or museums to commemorate and educate people about its World War II atrocities. Its current prime minister, Shinzo Abe, has taken a tougher stance on historical issues than his predecessors and has made it clear that under his administration, further apologies are not forthcoming. Taught in schools that Japan was simply pursuing its interests in the early 20th century, younger Japanese also see little need to apologize for their country’s past actions. All these trends threaten to harden nationalist public memory and exacerbate the current trade dispute.
It is possible Japan and South Korea will come to an agreement before the burgeoning trade war ripples throughout the regional and global economies, but even if the current dispute is settled, unless Japan makes more consistent and far-reaching efforts to achieve reconciliation with its neighbors, Asia will always be precariously close to another economic or military crisis. Failure to reckon with difficult history will limit prosperity going forward, and the rest of the world may well suffer the consequences.
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フランス語の勉強?
Taka@救急医 @mph_for_doctors
救急医として高校野球を見ていて思うこと。
最高気温が35度を超える日に野球の試合をやらなければならない理由が「伝統」以外に何もないのだとしたら、高野連は即刻夏の甲子園の日程を変更すべき。
文化の継承も重要ですが、熱中症は完璧に予防可能な疾患であるという事実と向き合うことが第一です。

たつみコータロー 前参議院議員 日本共産党@kotarotatsumi
森友事件でまだ公開されていない公文書がある。それが理財局と近畿財務局とのやりとりの文書だ。公文書の改ざんと隠ぺいがどの様にすすめられたのか。近畿財務局の職員を死にまで追い詰めたのは何だったのか。情報保護審査会が当分書の「不開示」は違法認定している。事件の真相解明は終わってない。
山崎 雅弘 @mas__yamazaki
慰安婦問題も南京虐殺事件も「人権が尊重されない大日本帝国時代」を象徴する出来事であり、「人権が尊重される日本国」の政府や国民が批判的・反省的に向き合うことは「自虐」でも「反日」でもない。それを自虐や反日と呼ぶ人間は「人権が尊重されない大日本帝国時代」の精神文化を今も継承している。

昨日ビール少ししか飲んでいないのになんだか不調.しかも夜中クーラーが効きすぎてあまり眠れなかった感じ.
チェックアウト11時なのでゆっくり.
バゲット食べ過ぎでしまいました.
東日本大震災から8年5か月というのに・・・

東日本大震災8年5か月 海水浴場で高校生がイベント
 東日本大震災の発生から11日で8年5か月です。津波で被災した宮城県七ヶ浜町の海水浴場では、地元の高校生が企画したイベントが開かれ、にぎわいを見せました。
 七ヶ浜町の菖蒲田海水浴場で開かれたイベント「灼熱ビーチフェスティバル」。震災後、海を訪れる機会が減った若い世代に足を運んでもらおうと、多賀城高校の生徒が企画しました。生徒たちは仲間同士で結成したバンドの演奏を披露したり、手づくりの料理、冷たい飲み物の販売をしたりして、海水浴客を楽しませていました。
 津波で被害を受けた菖蒲田海水浴場は防潮堤の整備が進んだことなどを受けて、2017年本格的な営業が再開されました。2019年は8月18日までオープンしています。


【被災地を歩く】気仙沼・大島に民間商業施設 “田舎の時間”過ごせる場に
 東日本大震災は11日で発生から8年5カ月。震災で大きな被害を受けた気仙沼市の離島・大島で先月末、民間商業施設「野杜海(のどか)」が開業した。今年4月に本土と島を結ぶ「気仙沼大島大橋」が完成。「野杜海」は土地の整備が遅れて足踏み状態が続いていたものの、夏の観光シーズン真っ盛りになんとか開業にこぎつけた。待望のオープンに商店の店主らは「これがスタートライン」と意気込む。
 ◆ターミナルも整備へ
 高さ7・5メートルの防潮堤の上に整備された「野杜海」は木造平屋建てで延べ床面積約363平方メートル。かつて本土と大島を往来していたフェリーの発着所があった浦の浜地区に建設された。芝生の広場もあり、海や本土を見渡すこともできる。
 同施設を運営するのは、同地区で被災した商店店主らで出資した合同会社「野杜海」。カフェやラーメン店など6店舗が先行オープンした7月26日に開業式が行われた。
 市でも観光案内所や直売コーナーを備えた交流施設「(仮称)大島ウェルカムターミナル」を施設の隣に整備予定。今年度中にも供用を開始する予定だ。
 ◆紆余曲折の開業
 オープンした「野杜海」だが、開業までは一筋縄ではいかなかった。
 市は当初、橋の開通に合わせて商業施設とターミナルのオープンを予定していたが、県道工事の遅れや地盤の沈下が収まらないとして平成29年11月、施設のオープンが令和2年6月にずれ込むと発表。その後、県と市が工程を見直して2年3月に完成を前倒しする案を示した。
 ある島民の50代女性は「本当に完成するのか、半信半疑だった」と振り返る。地元住民によると、造成地はもともと田んぼで、土地の脆(ぜい)弱(じゃく)性を指摘する声も多かった。それだけに、昨年12月という造成の着手時期に「これで間に合うかどうか分からない」との不満もくすぶっていた。結局、ターミナルの完成を待たずに「野杜海」が先行オープンする形となった。
 施設を運営する合同会社「野杜海」代表、小山晴幸さん(61)は「紆余(うよ)曲折あったので、(開業は)感慨深い」と語る。
 ◆観光客誘致の拠点に
 ただ、工期の遅れにより、橋の開通直後の5月の大型連休の客を取り込めなかった。それでも、小山さんは「『野杜海』は未来への一歩だと位置づけている」と前を向く。大島では住民の高齢化も著しいだけに「有形無形のものを残すのが使命だ」と語気を強める。
 もともと自然が売りの大島。リアス式海岸を望む亀山(標高235メートル)は「緑の真珠」と呼ばれ、春にはツバキの花が咲き誇る絶景スポットでもある。小山さんは「のんびりゆったり“田舎の時間”を過ごして、日々の糧になるような時間を過ごしていただければ」と期待している。
 折しも先行オープンとなった7月26日は、同市魚市場前でトレーラーハウス商店街「みしおね横丁」が開業。銭湯や多彩な飲食店が軒を連ねている。本土と離島の2拠点が、復興に向けた観光客誘致への役割を果たしていくことを期待したい。 (千葉元)


震災前の集合写真共有を、岩手 家族失った被災者と
 岩手県陸前高田市で東日本大震災後に見つかった写真の返却に取り組む三陸アーカイブ減災センター(釜石市)が、震災前に撮影された集合写真などの募集を始めた。津波で家族などの大切な写真を失い、代わりになるものを探し求める人は多い。「見つかる可能性が少しでも高まるよう、『思い出の共有』をしてほしい」と呼び掛けている。
 同センターは、これまで震災後に泥やがれきの中から見つかった思い出の品や写真を持ち主に返す事業を行ってきた。「娘の幼い頃の写真が見つかった」などと、喜ぶ声も寄せられているが、せっかく訪れても見つからずに落胆して帰る人も多かったという。


<人駅一会>(10)陸前階上 気仙沼線BRT/復興願う希望のヒマワリ
 東日本大震災で分断された交通網が、長い一本の線につながろうとしている。傷跡を癒やしながら、少しずつ復興に向かう被災地の数々。点々と海沿いに続く駅を起点に訪ね歩いた。
 ◎宮城県気仙沼市長磯 熊谷心{しん}さん(36) まちづくり団体事務局長
 もう震災から8年5カ月になるんですね。早いものです。気仙沼市の階上地区は津波に襲われ、風景が一変してしまいました。建物の中で残ったのは、震災遺構になった気仙沼向洋高の旧校舎くらいです。
 そこから少し南の方にある高台には、杉ノ下地区の慰霊碑が立っています。この辺りを見渡す丘で今年、復興を願う「はるかのひまわり」が大輪の花を咲かせました。
 元々は阪神大震災の犠牲になった加藤はるかさん=当時(11)=の自宅跡に生えてきたヒマワリ。神戸市から新潟県、宮城県南三陸町とリレーし、大事に育てられてきました。
 自然の脅威を決して忘れず、命を何より大切にしようという願いのこもった種。気仙沼ではことし5月末、地元の人たちの手で植えられました。
 この丘のヒマワリの種も、いつかどこかに運ばれて花を咲かせることになるのでしょうか。ヒマワリのように私たちも震災の記憶を伝えていかなければなりません。
 気仙沼向洋高の旧校舎がある「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」は今年3月に開館した。杉ノ下地区では震災の津波で93人が犠牲となり、100回目の月命日となった今年7月11日、地元住民が語り部活動を始めた。
被災地にしっかり根を張り、夏空に向かって花を開いた「はるかのひまわり」。震災遺構と
なった気仙沼向洋高の旧校舎が、丘の向こうに見える(文 鹿野智裕)


被災3県 海水浴場4割余が再開
東日本大震災の発生から11日で8年5か月です。
大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の主な海水浴場69か所のうち、これまでに4割余りにあたる30か所が再開し、震災から9回目の夏を迎え、かつてのにぎわいを取り戻しつつあります。
8年前の震災では、岩手、宮城、福島の主な海水浴場69か所すべてが津波の被害を受け、砂浜が削り取られたり、地盤が沈下したりして閉鎖を余儀なくされました。
その後、徐々に再開し、NHKが3県に取材したところ、これまでに全体の4割余りにあたる30の海水浴場で遊泳が再開されたということです。
震災から9回目の夏となったことしは、宮城県気仙沼市の小泉海水浴場や岩手県釜石市鵜住居町の根浜海岸、それに福島県南相馬市の北泉海水浴場などで9年ぶりに海開きが行われ、夏休みのいま、かつてのにぎわいを取り戻しつつあります。
一方で、半数以上の海水浴場が再開できておらず、その理由として防潮堤の工事が完了していないことに加え、海の家の再建やライフセイバーの確保が難しいこと、さらに福島県では原発事故の影響で見通しが立たないことをあげています。
海水浴場は地域の観光資源としても重要なだけに、復興を後押しする一日も早い再開が待ち望まれています。


石巻南浜地区でお盆の迎え火
東日本大震災の発生から8年5か月となる11日、津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市の南浜地区ではお盆の迎え火の行事が行われています。
震災で大きな被害を受けた石巻市の南浜地区には地元の人たちが負けない気持ちを表そうと「がんばろう!石巻」と書かれた看板を設置しています。
東日本大震災の発生から8年5か月となる11日、復興を進める地域の象徴となっているこの看板の前で、お盆の迎え火の行事が行われています。
11日は、ボランティアなど30人が集まり、看板の前にお盆の迎え火として、灯ろうが1000個用意され、次々と明かりがともされていました。
そして午後6時半からは、追悼式が開かれ、訪れた人たちが黙祷し、震災で犠牲になった人たちをしのんでました。
ボランティアとして参加した市内の高校2年生の女子生徒は、「少しでも地元の役に立ちたいと思って参加しました。亡くなった人もいますが、私たちで笑顔があふれる石巻にしていきたい」と話していました。
実行委員会の四野見達也委員長は「私も震災で父を亡くしていますが、参加者には故人をしのんでもらって、あたたかい気持ちになってほしい」と話していました。


鎮魂と再生祈る ”未来の祀り”
震災と原発事故から8年5か月となる11日、「未来の祀り」と呼ばれるアートの催しが飯舘村の神社で行われ、福島市在住で詩人の和合亮一さんらが、詩を朗読し、震災の犠牲者への鎮魂と被災地の再生を祈りました。
「未来の祀り」は、和合さんが発起人となり、さまざまな分野のアーティストが創作した作品を神社に奉納して震災の犠牲者の鎮魂と被災地の再生を祈ろうと始まりことしで5回目です。
11日は国内では絶滅したオオカミの天井絵が飾られた飯舘村の山津見神社で和合さんが震災で傷ついた被災者の心情とともに、ふるさとで力強く生きる姿をオオカミに重ね合わせた詩を朗読しました。
その詩にあわせてオーストラリアから来たアーティスト2人が踊りとパーカッションを披露し、集まった20人あまりの住民はアーティストが作り出す独特の雰囲気に入り込んでいました。
和合さんは、「震災からまもなく10年となりアートを通じて震災についてさまざまな人と語り合う時期に来ていると感じている。この活動を継続し、これからも海外を含めた多くの人と震災を分かち合いたい」と話していました。


津波被害の塚原地区に巨大絵
東日本大震災から8年5か月の11日、津波で大きな被害を受けた南相馬市小高区の沿岸部では復興への願いを込めて描かれた巨大な絵が披露されました。
南相馬市小高区の塚原地区では、地元の人たちが中心となってアートの力でにぎわいを取り戻そうという活動をしています。
その一環として復興への願いを込めた長さ40メートルの巨大な絵が地区の防潮堤で今月18日まで展示されることになり11日、披露されました。
「塚原の過去から未来へ」と題して震災前盛んだったウナギやサケの漁といったふるさとの懐かしいの様子や、将来、キャンプ場や海水浴場が再開し、街がにぎわっている様子などが東京のアーティストの協力も得て描かれています。
地元の人たちの手形や名前が彫られた陶器も展示されました。
帰省中に訪れた地元出身の女性は「津波で実家が流され、町の風景も変わってしまい寂しい思いはありますが、キレイな絵を見ることができて心が少し晴れました」と話していました。
企画の実行委員長を務める村井俊道さんは「地元塚原地区の活気を取り戻す一歩をようやく踏み出せた。これからも継続してアートに関するイベントを企画していきたい」と話していました。


家族亡くした男性が墓参り
2段東日本大震災の発生から11日で8年5か月です。
岩手県釜石市では津波で家族4人を亡くした男性が墓参りをし、来年までに自宅を再建することを誓いました。
釜石市に住む元消防団員の鈴木堅一さん(76)は、自宅が津波にのみこまれ、妻と長男夫婦、それに孫娘のあわせて4人を亡くしました。
月命日の11日、鈴木さんは4人が眠るお墓を訪れ、自宅を再建することを誓いました。
津波の被害を受けた自宅は長男の健幸さんが(当時44)鈴木さんと一緒に暮らそうと震災前に建ててくれた家でした。
鈴木さんは現在も仮設住宅で暮らしていますが、亡くなった家族のために思い出が詰まった自宅を再建しようと準備を進めています。
墓参りの後、鈴木さんは、かつて4人と暮らしていた自宅の近くにある予定地を見に行きました。
予定地では土地のかさ上げが終わり、来月から工事が始まります。
鈴木さんは来年の春にはようやく再建された自宅に入居できる見込みで、亡くなった孫娘のための子ども部屋も設けるということです。
鈴木さんは「震災後から、家を建ててあげたいという気持ちを持ち続けていたので、やっとだなという思いです。亡くなった家族が優しく見守ってくれたと思うので頑張って家を建てたいです」と話していました。


大川小で被災 都内で経験語る
東日本大震災の発生から8年5か月の11日、震災の津波で児童74人が犠牲となった、石巻市の小学校の校舎で被災した男性らが東京都内で講演し、みずからの経験を語って命を守ることの大切さを訴えました。
東京・品川区で開かれた講演会にはおよそ50人が集まり、宮城県内で被災し、当時、小学生や高校生だった10代から20代の若者6人がみずからの経験を語りました。
このうち、震災の津波で児童74人が犠牲となった石巻市の大川小学校の校舎で被災した、大学生の只野哲也さんは、「裏山の斜面に逃げたあと、大勢の人に圧をかけられたような津波にたたきつけられて気を失った。目覚めたあとも寒い夜で津波が何回も来る音がして常に怖かった」と話し、学校の裏山に避難している途中で津波に襲われ、奇跡的に助かった時の様子を伝えていました。
また、東松島市の大曲浜地区で被災し、両親と祖父、それに母親のおなかにいた妹を亡くした、高橋さつきさんは、「母親が避難していた学校から赤ちゃんに必要なものを取りにいくために家に戻ることになり両親を亡くしました。引き止めることができなかった後悔が自分の中で大きい。災害時にはけんかをしてでも引き止めてほしい」と訴えていました。
講演を聞いた大学院で防災の研究をしている20代の女性は、「震災の被害を繰り返さないために、震災であったことを受け止め、未来に生かしていきたい」と話していました。


杉ノ下地区で震災伝える語り部
東日本大震災の発生から8年5か月となる11日当時の住民のおよそ3分の1が犠牲になった気仙沼市の杉ノ下地区で、震災の記憶を伝える語り部活動が行われました。
気仙沼市の杉ノ下地区は、指定避難場所となっていた高台に多くの住民が避難したものの、高台ごと津波に襲われて住民のおよそ3分の1にあたる93人が犠牲になりました。
震災から8年が過ぎ記憶の風化が懸念されるなか、当時の住民たちはみずからの体験を伝え、今後の防災に生かしてもらおうと先月から月命日に地区での語り部の活動を始めました。
2回目となる11日は、語り部に加え、多くの遺族がお盆を前に高台を訪れ、慰霊碑に手を合わせて祈りをささげました。
このあと語り部のメンバーが、兵庫県などから訪れた人たちにそれぞれの体験を語り、このうち、津波で父親を亡くした小野寺敬子さん(58)は、当時、みずからも高台にいて辛くも助かったことから、「災害が起きたら、いち早く安全な場所に逃げて欲しい」と呼びかけました。
話を聞いた兵庫県の小学校教員の男性は「被災した方から直接、体験を聞くことができてよかった。地元に帰ったら子どもたちにも伝えたい」と話していました。
小野寺さんは「私たちの経験を風化させずに伝え続けることで、各地で災害が起きたときにどう命を守るかついて考えるきっかけになればと思います」と話していました。


蕪嶋神社の再建、お盆明けから最終工事に着手
 2015年11月の火災で社殿を焼失した八戸市鮫町の蕪嶋神社の再建工事は、お盆明けの19日から最終段階に入る。社殿本体の建設はほぼ完了し、残るは外構や内装工事のみとなった。全体工事は今年12月に終了する見込みで、新社殿は来年3月に一般公開される予定だ。三陸復興国立公園の“北の玄関口”である蕪島に、再び神社が荘厳な姿を現すまであと4カ月―。あの日の深い悲しみを乗り越え、地域のシンボルは着々と再建が進んでいる。
 再建工事は16年11月にスタート。蕪島への立ち入りを制限しつつ、ウミネコの繁殖期間である4月〜8月上旬を除いて作業に当たってきた。社殿本体の建設は順調に進んでほぼ終了しており、最終の第4期工事では外構を中心に手掛ける。
 蕪島の頂に上る参道の階段を改修し、従来の70段から97段にして緩やかにする他、階段の灯籠を取り付けし直すなどし、神社の周囲にある構造物を整備する。
 新たな社殿は松本工務店(南部町)が工事を担い、ケヤキや青森ヒバ、南部アカマツといった良質な木材を使用。吹き抜けの天井には、「鈴木彫刻工房」(八戸市)の鈴木昭則代表が制作した5体の天女像の木工彫刻が据え付けられている。屋根などには、南部氏の家紋「向鶴」を掲げた。
 総工費は約5億5千万円の見込み。再建事業には寄付金が充てられ、地元を中心に全国各地から2億数千万円が集まった。現在も引き続き善意を募っており、正参道の敷石整備に充てる寄付も受け付けている。
 蕪嶋神社再建実行委員会の福島哲男委員長は「多くの支援をいただき、工事は順調に進んでいる。立派な神社が完成し、中に入れるようになる時を楽しみにしている」と期待を寄せる。
 一方、蕪島エリアは観光スポットとしても注目が高まる。三陸沿岸を1本の自然歩道でつなぐ「みちのく潮風トレイル」が今年6月に全線開通し、蕪島はトレイルの「北の起終点」に。来年4月には市が整備する物産販売施設がオープンする。新生・蕪嶋神社との相乗効果も生まれ、一層の観光振興が図られそうだ。
 10日から最大9連休となる「お盆休み」に入り、蕪島周辺は観光客や帰省客が増え始めた。野澤俊雄宮司は「皆さんに支えられ、いよいよ再建の最終段階に入る。蕪島は市民の心のよりどころであり、神社も気さくで優しい癒やしの存在でありたい」と話した。


「森友問題」再び不起訴 検察の威信どこ行った
 学校法人「森友学園」を巡る一連の捜査は、これで終結という。有印公文書変造や背任の疑いで検察審査会から「不起訴不当」の議決を受けた佐川宣寿元国税庁長官ら10人を、大阪地検特捜部は再び不起訴とした。
 公文書改ざんなどの違法行為が明るみに出たのに、誰一人として罪に問われない。検察が威信を懸け、追求する法の正義は一体どこに行ったのだろう。
 強制起訴につながる「起訴相当」の議決とは異なり、「不起訴不当」では再審査の道が残されていない。検察が集めた証拠や関係者の証言といった資料は、日の目を見る機会も失われることになる。真相解明の「最後のとりで」という検察への期待は見事に裏切られた。
 森友学園の問題で、特捜部が再捜査していた対象は三つあった。国有地の売却を巡る8億円の大幅な値引き▽公文書の改ざん▽学園側との交渉記録などの廃棄―である。いずれも、安倍政権への忖度(そんたく)だったのではないかとの疑念が拭えない。
 特捜部は「起訴に足る証拠を収集することができなかった」とし、嫌疑不十分を理由に不起訴とした。しかし、問われているのは行政の公平性である。黒白をつけぬまま、済ませる問題ではなかろう。
 特捜部は関係者の聴取を積み重ね、膨大な数の調書を抱えているとされる。公判に持ち込んで全てを明らかにし、裁判所の判断を仰ぐ。そんな選択肢もあったはずである。それこそが国民の期待に応える道だったのではないか。
 とりわけ公文書改ざんが不問に付された点については納得がいかない。財務省の決裁文書からは、安倍晋三首相の妻昭恵氏や政治家の名前が削除されていた。改ざんの事実は、物的証拠も含めて明白である。
 検察審査会も「一般市民感覚からすると、いかなる理由があっても許されず、言語道断の行為」と厳しく断罪している。
 ところが特捜部は、文書の核心は国有地取引の経過であると主張。昭恵氏らの名前が削除されても文書の証明力は変わらないとして起訴を見送った。
 責任逃れにも程がある。森友問題の本質は、国有地売却に関して政権の関与があったかどうかである。一字たりともゆるがせにできないはずの官僚がなぜ、決裁を取り直しもせず、こっそり書き換えたのか。見過ごしていいはずがない。
 今回みたいな司法判断に基づけば、内容の本筋さえ変わらなければ、公文書をいくらでも改ざんできることになる。公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と法律に明記している。あしき前例にしてはなるまい。
 このまま、森友問題を闇に葬るわけにはいかない。きちんと疑惑をたださぬ限り、政治不信は一層強まるだろう。与野党ともに責任は重大である。
 財務省側の中心人物だった佐川氏は昨年3月、国会の証人喚問で「刑事訴追の恐れがある」として証言を拒んだ。不起訴となった今なら、訴追の恐れはない。再喚問も含め、国会の場で改めて追及すべきだ。
 財務省も、自浄能力を発揮するときだろう。改ざんや文書廃棄について、第三者委員会などで徹底的に検証しなければ、傷ついた信頼は取り戻せない。


学生データ無断販売 個人情報提供にルールを
 就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリアが、就職活動中の学生が「内定を辞退する確率」を人工知能(AI)で予測し、本人への十分な説明なしに企業に販売していた。
 就活生は知らないうちに個人情報を使われ、辞退率の高低についてレッテルを張られた。リクナビには学生から不安や怒りの声が出ているが、当然だろう。
 問題となったサービスの仕組みは、就活をしている学生一人一人の企業や業界のサイトの閲覧履歴、志望動向などの大量のデータをAIで分析して辞退確率を5段階ではじき出した。学生が複数の業界にわたって閲覧していた場合は閲覧した時間や企業数などのデータも活用して傾向を算出していた。
 内定辞退者が出ると採用計画が狂うという企業の悩みを解決するため、辞退しそうな学生を引き留める材料になるというのが売り物だった。価格は400万〜500万円で38社に提供していた。合否判定には使わないとする同意書を取っていたというが、どこまで厳格に運用できていたのかは不明だ。
 リクルートキャリアは当初、学生の同意を取っていると説明していたが、その後の調査で「第三者に情報を提供する」との文言が2019年3月以降、一部で表記されず、7983人の学生から適切な同意を得ていなかったと発表した。事業で取得した情報を第三者に提供する際、本人の事前同意が必要、とする個人情報保護法の規定に違反する恐れがある。
 同社はサービスの廃止を決めたが、それで今回の問題を終わらせることはできない。リクナビは年に学生80万人、企業3万社超が利用する就活プラットフォームだ。学生たちの個人情報がどう取り扱われたのかを検証し、問題点を明らかにしなければ同様の問題は再発する。
 企業側も、学生が就活に不利になりかねないデータを安易に購入したことは問題だ。職業安定法は労働者募集の際に企業が第三者から個人情報を取得することを原則禁止している。昨今の人手不足と学生の「売り手市場」の中で、内定辞退者を出したくないという意識は分かるが、労働者の権利保護の視点が欠けているとしか思えない。
 ビッグデータ時代といわれ、産業界では個人情報などを大量に集め活用するビジネスが注目される。
 しかし、サイトの閲覧や会員制交流サイト(SNS)の投稿といった膨大な情報を分析することで、個人の特性が知らないうちに作り上げられ売買される。個人データの利用停止など歯止めを掛ける法規制は現状ない。
 ビジネスに活用するなら、個人がその利点とデメリットを理解した上で情報提供に同意することが大前提となる。時代の変化を踏まえたルール作りが必要だ。


【辺野古訴訟】対話による解決を探れ
 国と自治体が法廷闘争を繰り返す事態は異常である。まず安倍政権が強硬姿勢を改め、十分な対話を尽くすのが本来の姿だということをあらためて指摘しておきたい。
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、県が国を相手取って新たな訴訟を那覇地裁に起こした。県の埋め立て承認撤回を国土交通相が取り消す裁決をしたのは違法だとして、国に裁決の取り消しを求めている。
 県は7月にも、裁決への国交相の関与は違法だとして福岡高裁那覇支部に裁決取り消しを求め、提訴している。今後は二つの裁判が並行して進むことになる。
 政府は、選挙や県民投票で示された民意を無視して埋め立て工事を強行してきた。訴訟は県が現時点で取ることができる対抗措置だろう。当面は司法が工事の正当性をどう判断するかが注目される。
 埋め立て承認の撤回は、昨年8月に死去した翁長雄志前知事の遺志を引き継ぎ、県が決定した。2013年の承認時には分かっていなかった軟弱地盤の発覚や、環境保全措置の不十分さなどが根拠になった。
 工事を止められた防衛省沖縄防衛局は行政不服審査法に基づき審査請求などを申し立て。石井国交相は防衛省の主張通りに撤回の効力を一時停止した。昨年12月から海域への土砂投入が始まり、着々と移設計画の既成事実化が進んでいる。
 国の法的手続きには、当初から厳しい批判があった。全国の行政法研究者らは、国民の権利救済を目的とする行政不服審査法を使って防衛局が申し立てたことを「国民のための制度を乱用し、法治国家にもとる」と糾弾している。
 同じ内閣の国交相による審査では中立性も望めないとする玉城デニー知事は「自作自演の極めて不当な決定」と主張してきた。その是非が司法の場で問われよう。
 軟弱地盤についても国と県の主張は対立したままだ。政府は地盤改良の費用を公にしておらず、総事業費を「少なくとも3500億円以上」とする。一方、県は総工費は最大2兆6500億円まで膨らむとの見通しを示してきた。
 工期も防衛省が3年8カ月と試算する一方、県は5年は必要と主張する。玉城知事は「適切な場所と言えないことは明らかだ」としており、承認撤回の正当性まで立ち入った審理になるのかも注目される。
 玉城知事は7月の提訴に伴い「政府に対し、司法によらず、対話による解決の必要性と重要性を繰り返している」とも訴えている。
 翁長前知事時代から数えて国と県の訴訟は8件になった。それ自体が政府の説明姿勢の欠如と、「辺野古ノー」の民意を顧みない問答無用の姿勢を証明している。
 安倍首相は6月の沖縄全戦没者追悼式で「基地負担の軽減に向けて確実に結果を出す」と述べた。対話と沖縄の人々の納得を欠いては、それは禍根を残すだけではないか。


[子の貧困と健康]親の孤立にも目向けよ
 困窮世帯の子どもの健康リスクが、くっきりと浮かび上がった。
 東京大のチームが生活保護受給世帯の子どもの健康状態を調査したところ、ぜんそくなどの割合が一般世帯の子の10倍を超えたことが明らかになった。
 健康は環境と密接な関係にあるといわれているが、それにしても驚くほど大きな開きである。
 調査によると、受給世帯でぜんそくにかかっていた子は年齢、性別にかかわらず20〜31%と多く、一般の10倍以上だった。虫歯や歯肉炎など歯の病気、アレルギー性鼻炎も10倍以上の差があった。格差が比較的小さいアトピー性皮膚炎でも5倍程度の開きがみられた。
 食事の栄養バランスや居住環境の問題、生活上のストレスなどが複合的に絡み合っているのだろう。仕事と生活に追われ子どもと向き合う時間がなかったり、身近に相談する相手がいないなど親の孤立も指摘される。
 特に病気のある子の割合が大きかったひとり親世帯は、孤独な子育てを強いられているのではないか。
 昨年成立した改正生活保護法には、受給者に対する健康管理支援が盛り込まれている。だが中心は大人の生活習慣病対策で、子どもへの視点は薄い。
 幼少期の健康不安は将来の発達に影響を与える恐れがあるだけに、病気や栄養不足といった格差を放置することは許されない。
    ■    ■
 困窮家庭の健康リスクは、適切な医療を受けられないリスクともつながっている。

 県が6月に公表した小中学生調査の保護者アンケートで、子どもを病院に連れて行くことをためらう「受診抑制」が困窮層で3割を超えた。
 受診抑制の理由で「忙しくて時間がなかった」の次に多かったのが「自己負担金を支払うことができない」だった。
 子ども医療費助成制度は徐々に拡大の動きにある。県は昨年、小学校に入学する前の未就学児を対象に医療費の「現物給付」(窓口無料化)に踏み切った。手元に現金がなくても病院へ駆け込める現物給付は、医療を公平に受ける権利にもつながる重要な施策だ。
 ただ対象が未就学児に限られることから、受診抑制に対する効果は部分的である。先行的に取り組む自治体もあるが、県が旗を振って全市町村で中学卒業まで範囲を広げるなどさらなる拡大が必要だ。
    ■    ■
 先の通常国会で成立した改正子どもの貧困対策推進法は、貧困対策に関する計画づくりを市町村にも広げることを柱としている。
 貧困にあえぐ人たちの中には地域や行政とつながることが苦手で「助けて」と言えない人が多い。昨今の自助努力や自己責任論がそれに拍車をかける。
 たとえ生活が困難であっても「子ども食堂」など社会と接点を持つことで健康格差は緩和できるといわれている。
 住民により近い市町村には、親子に具体的な支援を届ける一歩も二歩も踏み込んだ対策を求めたい。


江川紹子氏 安倍首相は広島と長崎で語る機会を重視していない…挨拶文コピペ疑惑に
 ジャーナリストの江川紹子氏が11日、ツイッターに新規投稿。安倍晋三首相が6日の広島市の原爆死没者慰霊式・平和記念式典のあいさつと、9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典でのあいさつが“コピペ”ではないかとネット上で指摘されていることについてツイートした。
 江川氏は「政治家は大事な場で語る時、内容に心を砕き表現も練りに練るものでせう。広島、長崎両市長がまさにそう」と広島市の松井一実市長と長崎市の田上富久市長の言葉に敬意を表した。
 江川氏はまた、「安倍首相が、広島と長崎で語る機会を全然重視していない、というのはよく分かる」と投稿した。


長野智子アナ 佐川宣寿元長官ら再び不起訴にツイート「何も分からないままなんて」
 テレビ朝日系「サンデーステーション」のMCを務める長野智子アナウンサー(56)が、学校法人「森友学園」を巡る佐川宣寿元国税庁長官(61)らに大阪地検特捜部が再び不起訴としたことについてツイートした。
 長野アナは10日、「なぜ8億円もの値引きが行われたのか、なぜ公文書改ざんというとんでもないことが行われたか、職員が自殺するまでの事態がなぜ起きたのか、何もわからないままなんて。。→佐川元国税庁長官ら再び不起訴 大阪地検特捜部、一連の捜査終結 森友学園問題」と投稿した。
 学校法人「森友学園」を巡る財務省の決裁文書改ざんで、有印公文書変造・同行使容疑などで大阪第1検察審査会の「不起訴不当」議決を受けた佐川宣寿元国税庁長官ら当時の財務省理財局幹部ら6人について、大阪地検特捜部は9日、再び不起訴とした。
 国有地を学園に8億円余り値引きし売却した問題を巡り、背任容疑で不起訴不当と議決された財務省近畿財務局の元統括国有財産管理官ら4人も再び不起訴とした。
 今年3月の大阪第1検審議決は改ざんを「言語道断」と批判し、背任容疑に関しては法廷で事実関係を明らかにすべきだと求めた。安倍政権への忖度疑惑が浮上した問題の捜査は、市民感覚が反映されず終結した。


森友事件不起訴/国会は佐川氏の再招致を
 学校法人「森友学園」を巡る財務省の決裁文書改ざんや国有地の大幅値引き問題で、検察審査会の「不起訴不当」議決を受けた佐川宣寿元国税庁長官ら10人を大阪地検特捜部が再び不起訴とした。発覚から2年余り。一連の問題は、一切の刑事責任を問うことなく幕を引く。
 だが、政権への忖度(そんたく)はあったのかという疑惑の核心は、くすぶり続けている。官僚が公文書を改ざんし、廃棄した事実は重い。行政の公正性が揺らぎ、国民の信頼を裏切る不祥事だ。
 だからこそ検審は法廷での真相解明を求めた。その判断を退け、官僚の不正に目をつぶった検察の結論は、多くの国民を失望させるものだ。
 財務省の調査報告書などによると、学園が国有地で計画した小学校の名誉校長には安倍昭恵首相夫人が一時就任していた。首相夫人付き政府職員からの照会や政治家秘書らの要請後、財務省は学園側の主張に沿う対応に方針転換していた。
 こうした経緯を記した決裁文書から首相夫人らに関わる記述を削除するなどした改ざんは、安倍晋三首相が国会で「私や妻が関わっていれば、総理も国会議員も辞める」と強弁した直後に始まっていた。これらの因果関係は曖昧にされている。
 不起訴決定について大阪地検は「十分捜査したが、起訴するに足る証拠は得られなかった」とした。政権との摩擦を避け、不起訴ありきの再捜査だったのではないか。疑念を晴らすためにも、再捜査の経緯と不起訴の根拠を十分説明すべきだ。
 一方で、決裁文書の改ざんを強要されたとのメモを残して昨年3月に自殺した近畿財務局職員について、同財務局は労災に当たる「公務災害」と認定した。官僚のモラルを逸脱した改ざん行為が、過重な負担となっていたと認めたことになる。
 改ざんを指示したとされる佐川氏らが刑事責任を問われないのは、なおさら理不尽に映る。
 司法が立件を諦めても、国会には行政の不正をただし国民の疑念を解消する責任がある。佐川氏は刑事訴追の恐れを理由に国会での証言拒否を繰り返してきた。その恐れがなくなった今こそ再招致し、改ざんの動機や経緯をたださねばならない。


週のはじめに考える 強制隔離に抗った医師
 ハンセン病患者や元患者、家族に苦難を強いた国の強制隔離政策。医学的見地からその非人道性と闘った人がいました。京都帝国大の小笠原登医師です。
 小笠原登は、一八八八(明治二十一)年、愛知県西部の甚目寺(じもくじ)村(現あま市)の真宗大谷派円周寺に生まれました。
 祖父の啓実(けいじつ)は漢方医でもあり、小笠原は京都帝大で医学を学びます。一九二六(大正十五)年から大学病院でハンセン病(らい病)治療を担当。三八(昭和十三)年には、ハンセン病患者の診察・研究に当たる皮膚科特別研究室主任となりました。
◆臨床から「感染力弱い」
 感染力が弱く、特効薬で完治するハンセン病ですが、当時は感染力が強く、「不治の病」ともされていました。国は三一(昭和六)年、らい予防法(旧法)を制定して、すべての患者を強制的に隔離することを法制化します。
 患者らは家族との離別を強いられ、療養所への入所後には、本名を捨て改名することを余儀なくされました。非人間的な扱いをされた患者や元患者だけでなく家族も偏見や差別にさらされます。筆舌に尽くしがたい苦難や苦痛を、国の誤った政策が与えたのです。
 小笠原は祖父からの言い伝えや自らの臨床経験を通じて、ハンセン病に関して異なる見解を持ち、治療に当たっていました。
 強制隔離が法制化された三一年には「らいは不治の疾患である」「らいは遺伝病である」「らいは強烈な伝染病である」という三点を「迷信」だとして、国の強制隔離政策に挑戦するかのような論文を発表します。
 この年からはハンセン病患者の診断書には「らい性」という病名を抜き、「神経炎」「皮膚炎」などと書いて、患者が隔離されないようにした、といいます。
◆人権侵害、戦後も続く
 京都帝大医学専門部時代に小笠原に師事し、後に旧厚生省医務局長などを歴任した大谷藤郎(ふじお)さんは生前、本紙の取材に「小笠原先生はマスクも手袋も何も着けずに、普通の外来患者と同じにやるんです。当時の国立療養所では、宇宙服みたいなものを着て患者と接していましたから、あれには、びっくりしました」と語っています。
 強制隔離政策の歴史に詳しく、小笠原が残した日記を分析、研究している敬和学園大(新潟県新発田市)の藤野豊教授は「小笠原は、医学的知見から隔離する必要はない、体質を改善すれば一生(発症を)抑えられる、人生や生活を奪ってまで隔離する病気ではないと考えていた」と話します。
 感染力が弱い伝染性の疾患であれば、免疫力を高めれば予防、治癒できるのは、今では当然です。
 しかし、小笠原の学説は学界に受け入れられず、強制隔離政策は継続されます。国の指示で都道府県などによる「無らい県運動」も展開されました。全国で「患者狩り」が行われ、患者は療養所に強制的に収容されていきました。
 太平洋戦争が終わり、基本的人権の尊重が明記された日本国憲法の施行後も国の隔離政策は変わらず、元患者や家族に対する偏見や差別が続きます。有効な薬が開発され、治療法が確立されてからも強制隔離を正当化するらい予防法が新法として残ったからです。
 大谷さんは厚生省在官中、入所者の待遇改善に努める一方、らい予防法はそのまま存置していました。ハンセン病は解放され、法律は「死に法」と化したと考えていましたが、退官後、これが間違いだと気付きます。法律が存在する限り、結婚や就職、教育などの差別は残るからです。
 らい予防法が廃止されたのは九六年でした。大谷さんは廃止に尽力し、元患者が隔離政策を憲法違反と訴えた国家賠償請求訴訟では「人間の尊厳を傷つけるらい予防法の制定は誤りだった」と証言しました。非人道的な強制隔離政策と闘った小笠原の姿が、大谷さんの心を動かしたといいます。
 大谷さんは生前こう語っています。「憲法にはすべての国民が人間らしく生きる権利を持つと書いてあります。健常者も、障害や病気、経済的に困っている人も、互いに人権を認め合い、共に生きる社会を目指さねばなりません」
◆「共生社会」を目指して
 七月の参院選では重い身体障害がある二人が当選しましたが、二人の登院を「迷惑行為」とするインターネット上の投稿が、多くの賛同を得る事態が起きています。
 偏見や差別の芽は、国の政策だけでなく、私たち自身の中にもあります。それを克服しなければ、互いが人権を尊重し、共に生きる社会はつくれません。
 学界と対立する孤立無援の中、ハンセン病は治るという信念を貫き、国の隔離政策に抗(あらが)った医師、小笠原登。その生きざまは、私たちに進むべき道を示しています。


高校野球 選手の健康を最優先に
 甲子園球場で開催中の全国高校野球選手権大会は連日、球児たちが熱戦を繰り広げている。
 全力で白球を追うひたむきな姿に、心を揺さぶられる人は多いだろう。だが、その感動と引き換えに、過酷なプレーで負傷し、選手生命を絶たれるような悲劇を招いてはなるまい。
 特に肩や肘に負担がかかる投手は、投げすぎで故障する懸念が大きい。
 連投を防ぐため、今大会から準々決勝に加えて準決勝の翌日にも休養日を設けるなど、負担軽減策を講じる動きが広がる。
 その一方で、日本高校野球連盟が検討する投球数の制限には、複数の投手をそろえられない小規模なチームが不利になるといった反対論も根強い。
 まず考えなくてはいけないのは、選手の健康と将来である。それを忘れずに、有効な対策を工夫してほしい。
 投手の投げすぎは、昨夏の甲子園でも、準優勝した秋田・金足農高の吉田輝星投手(現プロ野球北海道日本ハム)が歴代2位の881球を投げ、問題視された。
 昨年末には、新潟県高野連が今春の県大会での球数制限導入を決めた。実際の導入は見送られたが、日本高野連も全国大会で一定の日数の中で投げられる球数を制限する方向で検討している。
 吉田投手のように1人で投げ抜くスタイルの転換を迫られているといえよう。
 この夏の岩手県大会決勝では、大船渡高が最速163キロのエース佐々木朗希投手を起用せずに敗れた。故障予防のため、完封した前日の準決勝からの連投を避けた監督の判断が議論を呼んだ。
 甲子園出場の夢にかける選手の思いや、好投手の力投を見たいというファンの気持ちも分からないではない。
 それでも選手の健康を損ない、将来を失わせる恐れがある以上、無理な登板は避けるべきだとの監督の決断は重い。
 むしろ、勝ち進むと連戦になりがちな大会日程の見直しが求められる。
 全国大会にならって休養日を設ける地方大会も増えているとはいえ、北海道は南北の両大会とも準決勝と決勝が連戦となる日程が組まれていた。
 審判や運営スタッフの確保などクリアすべき課題は多いが、選手の健康を守ると同時に、悔いなくプレーできる大会運営を地方から進めることは可能だろう。


「8・15」を前に 戦禍を語る意味考えたい
 今年も8月15日が近づいてきた。74回目の終戦の日である。日本は戦争のない時代が続き、1945年の同日、降伏を告げる玉音放送があったことを知らない若者が増えている。降伏文書に日本が調印し、法的に第2次世界大戦が終結した同年9月2日はもっと知られていないだろう。
 2年前のNHKの調査で、終戦の日を知らない18、19歳は14%という数字がある。テレビの街頭インタビューなどでは、さらに多数となることも珍しくない。そうした現状を、平和の証しだとして問題視しない意見もある。
 戦争体験者が年々減る中、惨禍の記憶を語り継ぐことにはどんな意味があるだろうか。「8・15」を前に、改めて考えてみたい。
 ■民間人を機銃掃射■
 不思議に感じた人はいなかっただろうか。このほど地上波放送された、広島県呉市が舞台のアニメ映画「この世界の片隅に」で、主人公の女性が米軍機の機銃掃射から逃げ惑う場面である。1人で路上にいただけの民間人を機銃で撃つなど、戦闘行動として意味がない。
 だが、空襲が日常化していた戦争末期、こうした理不尽な襲撃はよくあったと、県内の体験者が以前、取材に証言したことがある。「機銃でやられた死体はひどいありさまだった。パイロットの表情が見えたことがあったが、笑っているようだった」
 ■理不尽の連続■
 45年は、「8・15」の1カ月ほど前から、福井県でも悲惨な出来事が相次いだ。戦時下を生き抜いてきた多くの罪無き一般住民が、終戦を目前にして命を失っている。
 7月12日の敦賀空襲と同19日の福井空襲で、合わせて約1700人もの犠牲者が出た。同30日には敦賀市を空母艦載機が爆撃、死者は15人とされる。この艦載機爆撃は、空襲で既に焼け野原だった敦賀が目標になった。そんな必要がどこにあったのか。
 福井県ゆかりのジャーナリストで今年2月死去した松尾文夫さんは、著書「銃を持つ民主主義」(小学館)で、このころ米海軍は、陸軍の焼夷(しょうい)弾爆撃が猛威を振るっていることに刺激され、「戦後の影響力維持のため」艦載機爆撃を行ったと指摘している。敦賀の事例もあてはまる可能性があるのではないか。
 8月8日には長崎原爆と同じ形状、重さの爆弾が東洋紡績敦賀工場に落とされ、学徒動員の女子学生ら33人が犠牲になった。これも戦術的意味はなく、原爆投下を前にした米軍の「訓練」だった。
 ■「天災」という誤解■
 米側にも、なぜ非情な戦術が実施されたのか、研究業績はある。歴史学者ロナルド・シェイファー氏は、「アメリカの日本空襲にモラルはあったか」(草思社)で対日戦術の非道さを列挙した。ただ、同書が、その背景の一つとして、日本軍の残虐行為があったとも書いていることは知っておきたい。
 アニメ映画監督の故高畑勲氏は代表作「火垂るの墓」について、戦禍を描いているが戦争防止の役には立たないと話したことがある(岩波ブックレット)。なぜなら「いくら悲惨な体験を語っても、戦争を始めたがる人は『悲惨なことにならないために』戦争をやると言うから」。
 その上で高畑氏は、日本人は戦争被害を「天災」のように受け止めがちで、「米国にひどい目に遭わされた」とはあまり意識してこなかったと指摘。そのことは、「日本側の加害」についての鈍感さを生んでいると述べている。
 被害をしっかり伝え、そして加害に気付き、さらに進んで、なぜ戦争が始まったかを学ぶ。「8・15」は、それらを考える貴重な機会であることを、特に若者たちに意識してほしい。


あすへのとびら 空襲被害の補償 機会を永遠に逸するのか
 太平洋戦争下の空襲で体に障害を負った人に一律50万円の一時金を支給する―。与野党の国会議員連盟が議員立法の素案を取りまとめたのは2017年のことだ。ところが、2年が過ぎても国会に提出されるめどが立たない。
 敗戦から74年。空襲で被害を受けた民間人への補償や援護は何もなされてこなかった。当事者は高齢になり、既に亡くなった人も多い。さらに時を費やせば、機会を永遠に逸しかねない。
 素案は、早期の立法を図るため、最低限の内容に絞り込んだ。存命の人以外は支給対象にならない。空襲で親を失った戦災孤児も外されている。
 しかも、一時金は労苦への「慰藉(いしゃ)」の位置づけだ。被害の補償ではなく、なぐさめである。支給額も苦難に見合うとは言えない。当事者から、受け入れがたいと反発する声も出た。とはいえ、実現すれば戦後補償の画期となる。
 支給総額は最大で50億円と見込む。元軍人・軍属らに支給されてきた恩給や年金の総額60兆円とは比べるべくもない。それでも立法の動きが滞っていることに、壁の厚さがうかがえる。
 政府は戦後、民間の戦災被害者は「国と雇用関係になかった」として補償を一貫して拒んできた。元軍人・軍属らと同等の援護を求め、1970年代、80年代には野党が国会に法案を14回提出したが、与党の自民党に阻まれ、いずれも廃案になっている。
   <退去禁止の果てに>
 「戦争被害受忍論」も民間被害者の切り捨てにつながった。戦争による損害は国民が等しく耐え忍ぶべきものとする考え方だ。最高裁が68年の判決で示した。
 国の責任を覆い隠す、目くらましのような論法である。元軍人・軍属に手厚い補償、援護をしながら「等しく耐えよ」と言うのはそもそも矛盾している。
 戦争末期、軍事目標にとどまらず地域全体を標的にした米軍の無差別爆撃は、住民を巻き込んで各地に甚大な被害をもたらした。犠牲者は60万人とも言われる。45年3月10日の東京大空襲は、一晩で10万人以上が亡くなった。
 戦時下、住民は「防空法」によって退去を禁じられ、消火にあたる義務を負わされていた。青森市では、米軍の空爆予告で一度は避難した住民が帰還を命じられ、700人以上が死亡している。
 45年には、全ての国民を本土決戦に駆り出す「義勇兵役法」が制定された。軍人と民間人の区別をなくしたに等しい。国が重大な責任を免れないのは明らかだ。
 敗戦後、上野駅の地下道には浮浪児があふれた。多くが空襲で親を亡くした孤児だった。餓死する子、凍死する子が続出した。盗みをして大人に棒で殴られて死んだ子もいた。孤児の証言を集めてきた金田茉莉さんが著書「終わりなき悲しみ」に記している。
 金田さん自身も9歳のとき、親を東京大空襲で亡くした。引き取られた家で邪魔者扱いされ、家事にこき使われた。食糧難でどの家も余裕がない時代。似た境遇に置かれ、逃げ出して駅で寝起きするようになった子も少なくない。
 国は救護の手を差しのべなかった。それどころか、「狩り込み」と呼ばれた摘発で駅や街から排除し、鉄格子の檻(おり)に収容した。トラックの荷台に乗せられ、山奥に捨てられたという証言もある。
 親の支えを失い、国による助けもないまま、自力で懸命に生きるしかなかった孤児たち。その苦難もまた、歴史に埋もれさせてはならない戦争の被害である。
   <国会、政府を動かす>
 空襲被害者が国に賠償を求めた各地の訴訟は全て敗訴が確定した。受忍論をとらない判決も出ているが、立法の裁量に委ねる姿勢に変わりはない。人権を回復する司法の責務を果たしていない。
 そして、再び起きた議員立法の動きも頓挫しかねない状況だ。その間にも被害者は世を去っていく。補償を求める運動の先頭に立ってきた杉山千佐子さんは16年に101歳で亡くなった。東京大空襲訴訟の原告団長だった星野弘さんも昨年、87歳で死去した。
 1万円でもいい。国が責任を認め、補償した歴史を残したい―。星野さんは語っていたという。不条理を強いられた被害者が、命の限り上げ続けてきた声を聞き捨てにするわけにいかない。
 欧州では、日本と同じ敗戦国のドイツ、イタリアを含め、各国が民間人の空襲被害を補償している。フランスは軍人、市民を問わず戦争被害者に補償する制度があり、戦災孤児には生計費や学費の援助を上乗せする。
 日本との差にがくぜんとさせられる。固く閉ざされたままの扉をどうにかして開きたい。多くの人が関心を向けることが何より大事だ。議論を社会に広げることが国会と政府を動かす力になる。


道警ヤジ排除「説明責任果たせ」「人権無視」 札幌でデモ
「人権無視するな」「法的根拠を示せ」
 道警の警察官らが安倍晋三首相の街頭演説中、批判の声を上げた市民を現場から排除した問題で、道警に抗議する市民集会とデモが10日、札幌市中央区で開かれた。集まった120人超の市民らが「ヤジも言えない世の中でいいのか」「道警は説明責任を果たせ!」と声を上げながら、道警本部庁舎を目指し、市中心部を行進した。
 「人権無視する警察はいらない」「法的根拠を示せ」―。10日午後5時すぎ、デモ隊は同市中央区の大通公園を出発。道警の警察官十数人が警備に就く中、「ヤジくらい言わせろ」などと書いた数えきれないほどのプラカードを掲げ、シュプレヒコールを上げた。
首相演説で排除された大杉さんも参加
 「野党候補の演説では排除などしないのに、首相演説の時だけ強制排除された。それっておかしくないですか」。首相の街頭演説で「安倍やめろ」とヤジを飛ばし、無理やり排除された同市北区の団体職員大杉雅栄さん(31)は先頭から通行人に訴えた。
 年金制度批判のプラカードを掲げようとし、警察官に阻まれた同市豊平区の富永恵子さん(70)は今回「老後の生活費2000万円貯金できません!」のプラカードを高く掲げた。「表現の制限に日本の戦前の空気すら感じる。多くの人たちに今、日本は危険な状況にあると感じてほしい」
 道警側は排除行為を「トラブル防止措置」と主張するが、法的根拠の説明は避けたまま。6日の道議会総務委員会でも、山岸直人道警本部長らは札幌地検に告発状が出されたことを理由に「これ以上の答えは控える」の一点張りだった。


五輪暑さ対策に重大疑義「遮熱性舗装」で気温上昇の逆効果
 いよいよ1年後に迫った東京五輪――。最終種目の男子マラソンは、8月9日に行われる。9日の東京の最高気温は36度だった。昨年の8月9日も32度だ。この調子では、来年の8月9日も猛暑になる可能性が高い。ホントにこの異常な暑さの中でマラソンをやって大丈夫なのか。
 そんな中、暑さ対策の切り札である「遮熱性舗装」に重大な疑義が浮上している。
 いま東京都が進めている「遮熱性舗装」は、路面の温度上昇を10度程度防ぐ効果があるという。路面に塗布した遮熱材が赤外線を反射し、蓄熱を防ぐためだ。しかし、“路面”の温度は下がるが、逆に、“空間”温度は上昇する可能性が浮上しているのだ。東京農大の樫村修生教授(環境生理学)が、驚くべき調査結果を明らかにした。
 樫村教授は先月と今月、遮熱性舗装と通常のアスファルトの道路を調査した。路面の表面温度はこれまでの国の調査と同じく、10度前後低くなった。ところが、高さ50センチ、150センチ、200センチの空間の平均気温は、なんと遮熱性舗装の方が高くなったのだ。特に日射の強い日は、1.5度前後高くなり、最大で3度以上高い時間帯もあったという。樫村教授は、遮熱性舗装で表面温度は下がるが、反射した熱の影響で、人が立つ高さは気温が上昇したと分析している。
■投入した税金は100億円超
 遮熱性舗装によって、路面の表面が10度下がっても、人が活動する空間の気温が上がったのでは逆効果じゃないか――。国交省に聞いた。
「2015年7〜9月に国交省で50センチ、150センチの気温を測定しましたが、遮熱性舗装と通常道路での有意差はありませんでした。樫村教授は、差があるとされているわけですが、データなど詳細を確認していないので、何とも言えません。確認して参考にしたいと思います。ただ、温度も重要ですが、実際に、アスリートが遮熱性舗装の道路を走って、温度を低く感じたと評価している。現時点では、遮熱性舗装は有効だと考えています」(道路局環境安全・防災課)
 東京五輪の暑さ対策として都は昨年度末までに、マラソンコースを含む都道109キロもの遮熱性舗装工事を済ませている。「建設物価」を参考にした日刊ゲンダイの試算では、幅10メートルの道路の遮熱性舗装は、労務費と資材費だけで1キロ当たり7000万円。109キロでは76億円だ。工事業者の経費や利益を乗せれば、100億円を軽く超える。
 多額の税金を投入した揚げ句、もし、逆効果なら、まさに後の祭りだ。国や都は、樫村教授の問題提起をどう受け止めるのか。


笑点が国民的人気番組として超支持される理由 成功の秘訣は「大いなるマンネリ」の確立
ラリー遠田 : 作家・ライター、お笑い評論家
弱肉強食のテレビの世界では、視聴率が取れない番組はすぐに打ち切られてしまいます。とくに、スポンサーからの広告収入に頼っている民放ではそれが顕著です。どんなに面白い番組であっても、数字が悪ければ長続きはしません。テレビ番組が長く続いているというのは、ただそれだけで価値のあることなのです。
全国ネットの民放番組の中で、最も長い歴史があるのは1962年に始まった『キユーピー3分クッキング』(日本テレビ系)です。実は、これに続く歴代2位に入っているのが『笑点』(日本テレビ系)なのです。
1966年に始まった『笑点』は、現在54年目に突入している恐るべき長寿番組です。60歳以下の日本人が物心ついた頃からずっと放送しているわけですから、その歴史には並々ならぬ重みがあります。
人気の秘密は「大いなるマンネリ」
しかも、特筆すべきは、『笑点』は現役の人気バラエティー番組だということです。ここ数年は視聴率15〜20%を安定して保っていて、週間バラエティー視聴率ランキングではベスト10の常連です。ニュース番組などと違って、はやり廃りの移り変わりの激しいバラエティーの世界で、50年以上も同じスタイルの番組が人気を維持しているのですから、驚くほかはありません。なぜ『笑点』はこれほど長年にわたって多くの人に愛されてきたのでしょうか。
その理由を一言で言うなら、「大いなるマンネリ」を確立したからだと思います。「マンネリ」という言葉は悪い意味で使われることが多いのですが、この場合は悪く言っているわけではありません。番組を長く保つための「型」を作ったことが成功の秘訣だと言いたいのです。
『笑点』という番組を長年見ていると「今に逆らわず、今に流されない」という哲学のようなものを感じることがあります。いわば、つねに新しいものを取り入れながらも、大事なところは昔からずっと変えていない、というふうに見えるのです。
例えば、普段見ていない人にはピンと来ないかもしれませんが、『笑点』はそのときの流行をいち早く取り入れたりしています。特番のときには、旬の俳優やアイドルが出演して、レギュラーメンバーの落語家と一緒に大喜利に参加したりします。
演芸コーナーに出てくる芸人も、少し前まではベテランの寄席芸人が多かったのですが、最近ではほかのバラエティー番組にも出ているような漫才やコントをやる若手芸人も増えてきました。
また、普段やっている大喜利のお題にも、最先端の風俗流行が取り入れられることが多く、その時代ごとの空気をしっかり意識していることがわかります。
一方、番組の全体的なフォーマットに関してはかなり保守的です。寄席形式の舞台で、カラフルな着物を着た落語家が座布団の枚数を競い合う大喜利は、番組開始当初からある人気コーナーです。前半に奇術、曲芸、漫才などを演じる芸人が出てくる演芸コーナーがあり、後半に大喜利コーナーがある、という形も長年変わっていません。
番組の演出に関しても、頑なに同じ形を保っています。出演者が話したことをなぞるようなテロップは一切使われず、説明テロップすらほとんど入りません。観客を入れて公開収録をしているのですが、笑っている観客の顔が途中に挟まれることもありません。
これは、作り手に「寄席に行っている気分で番組を楽しんでほしい」という意図があるからです。寄席の空間自体を再現するためには、いかにもテレビ番組っぽいテロップやカットは不要なのです。
誰もが安心して楽しめる「笑点」の笑い
『笑点』の「大いなるマンネリ」の核となっているのは、やはり大喜利コーナーです。時代ごとにメンバーは少しずつ変わっていますが、基本的なフォーマットはまったく変わっていません。
面白い回答をした人に座布団を与えるというシステムは、前身番組である『金曜夜席』で始まり、この番組でも取り入れられました。座っている座布団の高さでそれぞれの成績が一目瞭然になるというのは、いかにもテレビ向きの画期的な演出でした。
大喜利コーナーでは、毒のあるネタやきつい下ネタはほとんど出てきません。どの世代の人が見ても安心して楽しめる笑いというのが理想とされているのです。
ただ、もともと『笑点』はそういう番組ではありませんでした。初代司会者だった立川談志は『笑点』を「大人の笑い」を提供する番組にしようと考えていました。大喜利でも自身が好むようなブラックユーモアを軸にしていました。
「なぜ飲酒運転をしてはいけないのか」
「ひいたときに充実感がないから」
談志はこのような刺激の強い大人向けのジョークを得意としていて、番組でもそういう種類の笑いを推進していました。しかし、番組の方向性をめぐってレギュラーメンバーと対立してしまい、彼らが全員降板することになりました。
その後、談志は司会を降りて、前田武彦が2代目司会者になりました。談志がいなくなってから、『笑点』では穏やかな笑いが求められるようになり、だんだん今の形に落ち着いていきました。
「キャラ」が生み出す独自の魅力
『笑点』の大喜利のもう1つの特徴は、メンバーの「キャラ」が立っているということです。
おバカキャラの林家木久扇、腹黒キャラの三遊亭円楽など、レギュラーメンバーはそれぞれが個性的なキャラを備えていて、それを生かした回答をしていきます。回答者同士が相手をネタにしてみせるのも、それぞれのキャラがあるからこそ面白いのです。
ただ、これらのキャラは初めから存在していたものではありません。もともと落語というのは1人で高座に上がる芸能であり、バラエティー番組に出ている「ひな壇芸人」のように、目立つためのキャラを立てる必要はなかったからです。
彼らのキャラはあくまでも、大喜利のやり取りの中で自然発生的に生まれているのです。ある回答者が別の誰かのことをイジってみせると、相手も負けじと言い返してきたりします。この言い合いがエスカレートしていくうちに、それぞれのキャラが作られ、次第に定着していくのです。
フジテレビでは、ダウンタウンの松本人志をチェアマンとする『IPPONグランプリ』という大喜利番組がありますが、そこで行われている大喜利は『笑点』とはだいぶ違います。『IPPONグランプリ』は採点のシステムがより厳密であり、スポーツのような感覚で勝敗を楽しむことができます。いわば、『IPPONグランプリ』は競技としての大喜利を見せている番組なのです。
一方、『笑点』の大喜利はそうではありません。座布団を与えるかどうかは司会者の一存に委ねられているし、ときには座布団運びの山田隆夫が勝手に座布団を奪っていくことすらあります。『笑点』はあくまでもそれぞれのキャラから生まれる笑いを楽しむ番組であり、大喜利はそのための舞台装置にすぎないのです。
それぞれのキャラが固まっているので、毎回お題が変わっても回答の方向性はあまり変わりません。だから、いつ見ても同じように楽しむことができるのです。
『笑点』は年配層向けの番組だと思われることが多いのですが、実は子どもに愛されている番組でもあります。番組で提供されている笑いの健全さとわかりやすさがその人気の秘密でしょう。『笑点』が今でも多くの視聴者に愛されているのは、半世紀以上も貫いている「大いなるマンネリ」の美学があるからなのです。

松島から塩釜/浦霞・金魚/鹽竈神社・仙台みそジェラート/空港PC壊れる?今里

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Commerce : les raisons du conflit entre la Corée du Sud et le Japon
Ces dernières semaines, le ton est monté entre les deux puissances asiatiques, chacune s'infligeant des restrictions administratives à l'exportation. L'inimitié entre Tokyo et Séoul a des racines anciennes, mais ce regain de tension pourrait impacter leurs économies respectives.
C'est un conflit commercial, moins visible que celui qui oppose la Chine et les Etats-Unis, mais sans doute tout aussi virulent. Depuis plusieurs semaines, les relations diplomatiques entre le Japon et la Corée du Sud ne cessent de se détériorer.
Les deux puissances asiatiques viennent tout juste de s'infliger de sérieuses restrictions administratives à l'export, et un mouvement de boycott est actuellement à l'oeuvre en Corée du Sud contre les marques japonaises . D'où vient ce conflit ? Quelles sont ses principales conséquences économiques ?
• Une inimitié séculaire
Les différents entre l'ex-Corée et le Japon ne datent pas d'hier. Au fil des siècles, les agressions ont été légion entre les deux pays, matérialisées par les raids de pirates japonais sur la péninsule ou les tentatives d'invasions continentales décidées par les empereurs de l'archipel.
Mais ce sont les événements du siècle dernier qui ont nourri dans une large mesure le sentiment anti-japonais en Corée. Le pays a en effet été occupée par les troupes militaires japonaises entre 1910 et 1945. Une colonisation très mal digérée par la population locale, traumatisée par les épisodes des femmes de réconfort - des Sud-coréennes, Chinoises ou Indonésiennes ayant servi d'esclaves sexuelles pour l'armée japonaise - ou encore du travail forcé dans les entreprises japonaises durant la Seconde guerre mondiale.
Malgré un début de détente vers la fin des années 1990, avec la levée de l'embargo sud-coréen sur les produits culturels japonais, ainsi que l'organisation conjointe de la Coupe du monde de football en 2002, un regain de tension diplomatique est apparu à l'été 2012. Celui-ci étant occasionné par les prétentions territoriales des deux nations sur les rochers Liancourt, petit groupe d'îlots coréen revendiqué par le Japon.
• Un jugement met le feu aux poudres
Mais c'est surtout un jugement de la Cour suprême sud-coréenne à l'automne qui a enflammé les relations entre Séoul et Tokyo. Dans une décision très attendue, la plus haute juridiction du pays a ordonné à un géant de la sidérurgie japonais de compenser financièrement quatre Sud-Coréens qui avaient été contraints de travailler dans ses aciéries entre 1941 et 1943.
Très agacé, Shinzo Abe a alors immédiatement condamné ≪ un jugement impossible à la lumière du droit international ≫. Tokyo craignant que celui-ci n'ouvre la voie à des dizaines d'autres procédures de citoyens coréens ayant travaillé auprès de grands groupes japonais pendant la Seconde guerre mondiale.
Inquiète des conséquences d'une telle décision sur l'état des relations commerciales des deux pays, la Chambre de commerce et d'industrie japonaise avait alors indiqué que la décision de la Cour causerait du ≪ tort à la bonne relation économique ≫ entre les deux pays et ≪ pourrait entraver de futurs investissements en Corée du Sud ≫.
• Escalade diplomatique
Cet épisode marque le début de l'escalade diplomatique. Début juillet, Tokyo a décidé de sanctionner Séoul pour son attitude passive face à la décision de la Cour suprême, en durcissant sa politique d'exportation avec la péninsule. L'exécutif japonais a alors pris un décret imposant à certaines de ses entreprises une licence d'exportation vers la Corée, celle-ci nécessitant jusqu'à trois mois d'attente.
Les représailles sont montées d'un cran vendredi dernier, quand Shinzo Abe a décidé de retirer la Corée du Sud de sa liste blanche dite ≪ des partenaires de confiance ≫ à partir du 28 août. Ce qui oblige cette fois-ci les Sud-Coréens à effectuer de lourdes démarches administratives pour obtenir des licences d'exportation vers l'archipel.
Dénonçant une décision qui ≪ sape fondamentalement la relation de confiance et de coopération que les deux pays ont établie ≫, Séoul a pris la même mesure à l'encontre du Japon, mettant ainsi fin au contrôle restreint des produits japonais importés en Corée.
• Séoul a le plus à perdre

Naturellement, les relations économiques entre les deux pays vont être impactées par cette série de mesures, à cause de la lourdeur des procédures administratives mais aussi du boycott des produits japonais en Corée. Le fabricant d'habillement japonais Uniqlo, qui a déclaré ce vendredi être sérieusement impacté par ce boycott, n'étant qu'une des nombreuses victimes collatérales .
A ce petit jeu des sanctions, il semble toutefois que Séoul ait le plus à perdre. La balance commerciale entre les deux pays a toujours été à l'avantage de Tokyo. En 2017, celle-ci a culminé à 25 milliards de dollars en faveur du Japon, selon les chiffres de l'ONU. Le Japon n'est autre que le deuxième partenaire commercial de la Corée à l'importation, représentant 11 % de ces imports.
Séoul est largement dépendant des composants électroniques et de certains matériaux manufacturés au Japon pour son industrie de haute technologie, notamment pour des entreprises comme LG Display ou encore Samsung Electronics. Le chaebol a d'ailleurs prévenu que les limitations imposées par le Japon rendaient ses prévisions incertaines.
• Croissance dévaluée
Ce nouveau conflit, qui s'ajoute à celui entre la Chine et les Etats-Unis dont personne ne voit le bout , devrait significativement impacter la croissance du PIB sud-coréen. La banque Morgan Stanley a ainsi réduit la prévision de croissance de la péninsule en 2019 de 2,5% au printemps à 1,8 % cet été après le regain des tensions avec Tokyo.
Le gouvernement table, pour sa part, sur 2,5 % depuis le début d'année. Le 3 juillet, le ministre des Finances coréen a d'ailleurs refusé de réévaluer à la baisse la croissance du PIB, jugeant que les restriction japonaises à l'exportation n'auraient pas d'impact nécessitant une révision.
La banque centrale coréenne au contraire, a décidé mi-juillet de revoir à la baisse ses prévisions, de 2,5 % à 2,2 %. Et pour faire face à ces perspectives inquiétantes, l'institut bancaire n'a eu d'autre choix que de baisser ses taux d'intérêt mi-juillet, à 1,5 % contre 1,75 % auparavant.
Lucas Mediavilla
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フランス語の勉強?
布施祐仁 @yujinfuse
映画「ひろしま」のETVよかった。この映画はDVDが出た時にすぐに買って周りにもお勧めしていたので、世界でも評価されていると知り嬉しかった。それにしても二度と繰り返してはならないという思いで戦争の被害や加害のことを伝えようとすると、なぜ反米とか反日とかアカにされてしまうのか。今も昔も。

朝起きて松島のお土産を買いに出かけます.鯨を買おうと思いましたがお店がまだのようで残念.でも時間がないので,仙石線で本塩釜まで移動です.駅近くのしおがま・まちの駅を見て,浦霞の本店によって試飲しました.ちょっといい気分です.少し歩いて酒屋がありました.昨日の阿部勘の金魚が売っていました.一升瓶しかないけど買って送ることにしました.お店には一ノ蔵の3.11未来へつなぐバトンが売っていました.
しばらく歩いて鹽竈神社へ.階段が大変です.御守り買いました.
駅に近いところで仙台みそジェラートとプリンを食べました.確かにみそ味です.お腹空いたので海鮮丼.安いです.
海沿いの場所で東日本大震災モニュメントを見に行きました.姶良市の名前があってびっくりしました.以前は立ち入り禁止だったところがシオーモの小径になっていました.
イオンの2階に100円ショップキャン★ドゥがありました.ファッション市場 サンキで下着を買ってもらいました.
仙台駅でお土産を少し見てから仙台空港に向かいました.X線検査を通ってPCがONしません.壊れる?よくわかりません.
大阪に着いて宿をどうする?今里に見つけてもらいました.でも無人チェックインで苦労しました.とてもきれいな部屋です.

震災被害の思い出の品の閲覧会
東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼市で、震災後、市内で見つかった写真などの思い出の品を持ち主や家族に探してもらう閲覧会が開かれました。
これは、地元の被災者などでつくる団体「気仙沼復興協会」が、各地を巡回して行っている活動で、10日は気仙沼市切通の災害公営住宅の集会所で開かれました。
団体では、震災後のがれき撤去の際に発見された、持ち主がわからない品々を保管していて、今回は、この災害公営住宅の住民が以前住んでいた場所で見つかった写真のアルバムや、ランドセルなどの品を閲覧できるパソコンが用意されました。
団体は市からの委託を受け、震災直後、100万点を超える品々を保管していましたが、現在は11万点余りに減り、震災から8年が過ぎてこうした閲覧会に訪れる人たちも少なくなってきているということです。
気仙沼復興協会の鈴木貴志さんは「ひとつでも多く思い出の品が持ち主のもとに帰るよう、これからも活動を続けたいので、被災された方などにはぜひ、足を運んでいただきたい」と話していました。
閲覧会は、震災遺構となっている気仙沼向洋高校の旧校舎の伝承施設で常設で行っているほか、今後も各地で月に1回程度開かれるということです。


「被災地復旧状況踏まえた評価を」県政策評価部会が答申
 県行政評価委員会政策評価部会(部会長・佐藤健東北大災害科学国際研究所教授)は5日、県総合計画と県震災復興計画に基づく2018年度の施策について県が行った自己評価に関する審議結果を答申した。被災地の復旧状況など地域事情を踏まえたきめ細かい自己評価をするよう求めた。
 答申では事業実績や社会情勢を総合的に考慮し、「より具体的に評価理由を明示すべきだ」と指摘。判断が難しい場合は基準を再考し、現状を的確に示す新たな指標の導入も検討する必要があると付記した。
 県の自己評価についてはほぼ妥当との結果だった。県庁で佐藤部会長から答申書を受け取った村井嘉浩知事は「20年度完了の両計画を通じて復興を完遂できるよう引き続き適正な評価に努めたい」と述べた。


旧門脇小校舎・部分保存「財政負担を残さず整備」石巻市長
 宮城県石巻市が東日本大震災の遺構として部分保存する方針の旧門脇小校舎を巡り、亀山紘市長は9日の定例記者会見で「(全体保存、部分保存のいずれでも)震災遺構としての役割は変わらない。将来に財政負担を残さないよう整備していく」と述べ、部分保存する考えを改めて強調した。
 地元住民から全体保存を求める声が上がっていることには「理解できない部分がある」と疑問を呈した。
 これまでの整備方針の検討過程に触れ、「率直に(市民の)意見を聞く機会が少なかった」と指摘。今後、展示内容を協議する際は住民の意見を取り入れていく意向を示した。


津波被害、防潮堤高含め再検討「浸水域大差なし」気仙沼市、議会で説明
 宮城県気仙沼市は9日、最新の防潮堤高や地盤隆起を反映した2度目の津波浸水シミュレーションの検証結果を明らかにした。災害危険区域を設定するために行った7年前と比べ、計画していた防潮堤の半数以上で高さが変わったが、浸水域はほぼ同じだったと、同日の市議会震災調査特別委員会で説明した。
 市によると、津波浸水シミュレーションの再実施は県内の自治体で初めて。防潮堤高の見直しなどで7年前のデータと差異が生じているかどうかを確認するために行った。
 数百年から1000年に1度とされる最大クラスの「レベル2津波」が干潮時に発生する条件は前回同様。81カ所のうち43カ所で計画高が変わった防潮堤を考慮した上、地盤隆起に伴って、国土地理院が2017年2月に見直した水準点も踏まえた。
 市は「復興事業に影響を及ぼす大きな変化はなかった。現行の災害危険区域を維持する」と説明。一方、一部の地域で浸水域の拡大や縮小、浸水の深さの変化を確認し、現地調査を行う。「政策に反映させるための内部資料」として、詳細なデータは示さなかった。
 市は12年7月、最初のシミュレーションに基づき、防潮堤などを整備しても浸水する約14平方キロを災害危険区域に指定。居住用建物の建築を原則禁止した。
 委員会では市から、松崎片浜地区の土地区画整理事業の完了時期が1年遅れ、20年度末になるとの報告もあった。


南三陸・戸倉地区できょう震災後初「納涼まつり」 出店や甚句 多彩な企画
 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町戸倉地区の住民が10日、震災後初めての夏祭り「おきなぐら納涼まつり」を開く。震災から8年が過ぎ、高台の防災集団移転団地や災害公営住宅など移転先での暮らしが落ち着いたことから企画。住民主体の手作りの祭りを通じて地域のつながりを深める。
 会場となる戸倉公民館多目的広場には各行政区による飲食の出店が並び、歌謡ショーやカラオケのステージを設ける。戸倉地区の郷土芸能「行山流水戸辺鹿子躍(ししおどり)」の演舞や餅まきなど多彩な企画で来場者をもてなす。
 祭りは地域の祝い事で披露される戸倉浜甚句や盆踊りで締めくくる。7月下旬に戸倉公民館であった練習会では、住民約20人が本番に向けて踊りの振り付けを確認した。参加した戸倉婦人会会長の三浦ひろみさん(64)は「地域一丸となって開く祭りをみんなで盛り上げ、成功させたい」と意気込む。
 町の南部に位置する戸倉地区は震災前に約660世帯が暮らしていたが、現在は約470世帯。3割近く減った。
 震災の津波で住まいを失い、隣の登米市など町外に引っ越した世帯も多いという。
 祭りは住民と戸倉公民館で実行委員会をつくり、5月から打ち合わせを重ねてきた。戸倉地区全体の住民で企画する祭りは今回が初めてのため、準備も念入りに行った。
 実行委員長の佐藤泰一さん(68)は「子どもから大人まで親睦を深める機会にしたい。震災で地区を離れた人にも足を運んでほしい」と話している。
 開催は午後3〜8時。連絡先は戸倉公民館0226(46)9920。


競歩選手がコース変更直訴 東京五輪で死者出ると識者危惧
 もっともな「お願い」ではないか。
 9月の世界陸上(ドーハ)に出場する競歩代表で、20キロの世界記録保持者の鈴木雄介(31)が8日、北海道千歳市の合宿で、東京五輪のコース変更を求めた。
 理由はこうだ。
 7月31日の早朝に東京五輪のコースを歩いたところ、「全く日陰がない。脱水になってもおかしくない」という厳しい環境を実感したという。
 当初、競歩の五輪コースは国立競技場を発着点に青山通りに周回コースを設定するはずだったが、審判を配置するには不向きなことから皇居前を周回(20キロは1周1キロ、50キロは1周2キロ)するコースに変更された。
 陸連強化委員長や専務理事などを歴任した澤木啓祐氏(順大大学院特任教授)は以前、日刊ゲンダイのインタビューで「東京五輪のマラソンや競歩は北海道や(山梨県の)河口湖付近でやるべきだ」と言った。五輪開幕まで1年を切ったいま、連日の酷暑と鈴木の発言を受けて改めて話を聞くとこう言った。
「鈴木はよく声をあげた。湿度が高い日本のこの時季、28度以上での屋外競技は死に至る環境といわれている。1995年8月の福岡ユニバーシアード大会のマラソンは気温29度、湿度90%、無風という条件で行われ、完走率は男子55%、女子70%。この結果、次のユニバーシアード大会から、ハーフマラソンに種目変更された。東京五輪の競歩やマラソンはその時より過酷な条件になる。死人が出るというのは、決して大袈裟な話ではない」
 さらに澤木氏は続ける。
「今回の競歩のコースは、過去のデータ(気温、湿度など)をしっかり調べて決定したのかどうか。日陰のない皇居前を4時間も歩けば、たとえゴールしても後遺症が心配です。体温が下がらず、脳に悪影響を及ぼすこともある。北海道は無理でも、選手の体を第一に考え、コースは(都内の)日陰のある日本橋のビルの谷間にするなど再考するべきです」
 現在、東京の朝6時の気温は30度を超えている。総務省消防庁の発表によれば、7月29日から8月4日の1週間に熱中症で救急搬送された人は全国で1万8347人(死者57人)に上り、東京はダントツの1857人。8月1日から6日までに東京23区では、40代から90代までの男女39人が熱中症で死亡したという報道もあった。消防庁はこの猛暑で警戒を呼びかけている。ある競歩関係者は「五輪でメダルを狙う鈴木が実際にコースを歩いて語った言葉ですから重みがある。こんな環境では観客も来ないのではないか」と懸念している。
ボイコットのダメージ
 いや、競歩やマラソンに限らない。サッカー、テニス、ラグビー、ホッケーなど、炎天下を走り回る競技にしても同様で、危険極まりない。
 今更ではあるが、東京五輪の招致委員会は、五輪立候補ファイルで「(東京の8月は)温暖な気候でアスリートが最高のパフォーマンスを発揮できる」とアピールしたが、全く悪い冗談としか思えない。選手や観客から死者が出れば、世界を感動させるスポーツの祭典が大都会を舞台にした悲劇になる。
 さらにここにきて、東京五輪に新たな問題が浮上した。日本の輸出管理で優遇措置を適用する「ホワイト国」から除外された韓国は憤慨。東京五輪のボイコットをチラつかせ、すでに女子カーリングは韓国で開催されている日中韓親善大会で日本チームの招待を取り消し、男子バスケットボールも韓国チームが日本開催の親善試合への参加をキャンセルした。
「これに北朝鮮が歩調を合わせるなんて話もあるが、こういう時こそスポーツをきっかけに関係修復を考えるのが外交です。それを、スポーツを政治に利用すれば国際社会から批判されるのは韓国です。とはいえ、韓国は五輪ボイコットで開催国の日本にダメージを与えたい。ボイコットをチラつかせて日本に譲歩させたいと考えている政治家がいるのでしょう。実際、日韓の政治、経済問題で平和の祭典がぶっ壊れたら開催国の日本はイメージダウンになる」(ビジネス評論家の菅野宏三氏)
 東京五輪は「史上最悪のオリンピック」になる可能性が高い。


有志連合構想
 トランプ米政権が呼びかける構想に参加するかどうか以前に、日本がやるべきことはないのか。
 中東・ホルムズ海峡を航行する船舶を警護する有志連合構想を巡り、イランから遠く離れたイエメン沖に自衛隊を派遣する案が政府内で浮上しているという。
 日本とも友好関係にあるイランに接するペルシャ湾への派遣を避け、同時に有志連合構想への参加を傍観しているとの批判もかわそうという狙いのようだ。
 航路の安全確保には、日本も積極的に関わっていく必要がある。
 ただ、「何もしないわけにはいかない」という後ろ向きの理由で自衛隊を動かそうというのなら、あまりに主体性を欠いている。
 遠く離れた地域であっても、自衛隊に新たな任務を担わせて派遣すれば、日本に対するイランの姿勢は大きく変わる可能性がある。
 日本の立ち位置をふまえ、冷静に対応しなければならない。
 政府の想定では、イランから2200キロ以上離れたイエメン沖・バベルマンデブ海峡の海域に護衛艦などを出して情報収集や警戒監視にあたるという。
 実際には、海賊対処法に基づいてアフリカ東部アデン湾で活動している自衛隊の活動区域を変更する案が有力だという。国会の事前承認が不要で、首相判断で対応できることが、その理由とされる。
 だが、6月に起きたタンカー攻撃では積み荷が奪われておらず、海賊行為と認定しにくいとの指摘がある。海運業界から政府に対して自衛隊派遣要請もない。
 現状では、海賊対処法を派遣の根拠とするには疑問が残る。
 政府は、自衛隊法による海上警備行動を根拠法にする検討もしているというが、人命保護など「特別の必要がある」との要件に該当しないとの声もある。
 現状をよく分析し、派遣が本当に必要かよく見極めるべきだ。
 そもそも、中東の緊張は米国がイラン核合意から一方的に離脱して経済制裁を復活させたことに端を発する。イランもウラン濃縮などで対抗し、対立が深まった。
 トランプ氏との親密さを誇示する安倍晋三首相は6月にイランを訪問し、最高指導者と会談した。本来なら、両国に緊張緩和を促すことができる立場にあるはずだ。手をこまねいている場合なのか。
 ペルシャ湾を避ける形での自衛隊派遣論は、米国とイランの双方に説明が付くことを最優先にしているように見える。外交不在と言われても仕方ない。


有志連合、日本の対応 外交努力を優先すべきだ
 米国のエスパー国防長官が来日し、岩屋毅防衛相との会談で、イラン沖ホルムズ海峡を航行する船舶の安全確保に向けて、米国が結成を呼び掛けている「有志連合」への参加を求めた。
 岩屋氏は「総合的に判断する」などと述べるにとどめたが、ここに来てイランから約220キロ以上離れるアラビア半島南部イエメン沖に自衛隊を派遣する案が浮上。同海域の近くで海賊対処に当たる海上自衛隊の艦船などの転用により、日本独自の派遣とすることも視野に入れているという。
 日本が輸入する原油の8割以上が通過するホルムズ海峡は「生命線」であり、自国のタンカーなどの安全な航行の確保は重要な課題であることは確かだ。
 ただ、緊張を招いたのは米国であり、イランの核開発を制限しようと関係各国が苦心の末にまとめ上げた核合意を一方的に破棄し、制裁を復活させたのはトランプ大統領だということを忘れてはならない。
 日本独自の派遣といっても、イランが米主導の有志連合という「包囲網」に加担したとみなせば、攻撃対象にもなり得るだろう。日本が築いてきた友好関係が崩壊しかねない。
 米国は今のところ、海上監視のための艦船や航空機などの派遣のほか、中央指揮所への要員派遣と資金の拠出などを求めているとされるが、具体的な行動は詰め切れていないようだ。
 60カ国以上を招き、参加を促す会合を数回開催している。だが、参加を表明したのは英国だけ。当初欧州主導の護衛体制を主張していた前政権の方針を、ジョンソン新政権が転換した。ドイツは不参加を表明。他の各国は様子見の状況だ。
 参加国が限られるようだと、米国は日本への要求のハードルを上げてくることも想定される。トランプ氏は、ホルムズ海峡への依存度が高い国こそ重い負担を負うべきと主張している。
 安倍政権の中枢などから「何もしないわけにはいかない」との声が上がっているという。だが、日本としては各国の動向も見極め慎重に対応を検討すべきだ。それにも増して優先すべきなのは、イランとの友好を生かしつつ地域の緊張緩和を促す外交努力だ。
 安倍晋三首相は6月にイランを訪れ、仲介外交に取り組んだ。しかし、日本などのタンカーが攻撃を受け、米メディアは「中東和平における初心者プレーヤーが痛みを伴う教訓を得た」などと揶揄(やゆ)した。
 首相は懲りたのか、その後の動きはない。6日の会見では「中東の緊張緩和へ、できる限りの役割を果たす」と述べた。来年の大統領選しか頭にないトランプ氏を説き伏せ、イランにも対話を働き掛けるなど役割を果たすべきだ。


香港の政治危機 軍も暴力も容認できぬ
 香港の「逃亡犯条例」改正をめぐる政府と若者らの対立が先鋭化している。暴力を伴う抗議行動に対し、中国政府は軍の出動すら示唆するが、軍も暴力もこの政治危機を救う解決策にはほど遠い。
 犯罪者の中国への移送を可能にする条例改正案に反対する若者らの抗議が暴力性を帯び、それを容認するような空気が香港社会に生じていることが気がかりだ。
 香港では五日、大規模ストライキで航空機二百便余が欠航になり、地下鉄駅では政府を批判する市民が列車のドア開閉を妨害し、乗客との小競り合いも頻発した。
 七月一日に若者らが立法会(議会)庁舎を破壊・占拠して以降、抗議は過激化。最近では警察署の前で段ボールに火をつけたり、警察官にレンガや傘を投げつけたりするなど暴力行為が目立つ。
 抗議行動が始まった六月以降の逮捕者は四百二十人に上る。
 香港の自営業者は「政府は若者の正当な抗議に『暴乱』のレッテルを貼り、条例案撤回などの要求に全く耳を傾けない。暴力的な抗議にエスカレートするのもやむをえない」と同情を示す。
 だが、香港政府トップの林鄭月娥長官は五日の記者会見で「過激な暴力が香港を危険な状況に追いこんでいる」と述べ、若者の抗議行動を一方的に批判した。
 抗議を過激化させても、条例案撤回などの譲歩を引き出せる保証はない。さらに、穏健で合法的なデモを主張する人たちとの間で社会の分断が起きれば、むしろ対政府圧力が弱まることにもなる。
 香港の「高度な自治」を踏みにじる中国を批判し、若者らの抗議デモに理解を示してきた国際社会も、暴力は容認しないであろう。
 懸念されるのは中国政府の強硬姿勢だ。中国軍駐香港部隊は最近、暴動鎮圧訓練を紹介するビデオを公開した。中国国防省報道官は会見で、デモ隊が中国国章に塗料を投げつけた行為などを「絶対に許容しない」と強烈に批判し、軍出動の可能性も示唆した。
 軍が民主化運動を武力鎮圧した三十年前の天安門事件は中国の国際的孤立を招いた。軍が人民に銃口を向けるようなことが二度とあってはならない。
 今、最も非難されるべきは林鄭長官の無策ぶりである。長官を支えるべき公務員ですら大抗議集会を開いた。林鄭長官は改正案撤回を認めるよう中国政府を説得し、若者との対話の糸口をつかむよう全力を尽くすべきであろう。


リクナビ内定辞退予測 就活生への重大な背信だ
 就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリアが、人工知能(AI)を使って就活生の内定辞退確率を予測し、本人の同意が不十分なまま企業38社に売っていた。
 就活生の間に「就職活動の味方だと思っていたが、裏切られた」との怒りの声が広がっている。
 リクナビは、年間約80万人の就活生と企業3万社超が活用する就活プラットフォームだ。昨年3月から内定辞退率予測を1社当たり年400万〜500万円で販売していた。
 仕組みは次のようなものだ。リクナビ側が企業から前年の内定辞退者名簿をもらい、個々人がサイトでどの企業の情報をどれだけ閲覧していたかなどをAIで分析した。この分析結果を今の就活生に当てはめて、内定辞退確率を5段階で予測した。
 個人を特定した予測データは個人情報保護法の「個人情報」に当たり、外部提供に本人の同意が必須だ。
 リクナビ側は利用規約に「行動履歴を分析し、採用活動補助のために企業へ提供する」と記したことを根拠に同意を得ていたと主張する。
 だが、学生が就活に不利になりかねないデータの提供だと十分に理解して同意したとは考えにくい。リクナビ側は「企業と採用判断に使わないと約束していた」と弁明するが、企業が予測を買ったのは、内定を辞退する可能性が高い就活生を把握するためだろう。
 購入した企業側の責任も問われる。職業安定法は労働者募集の際に企業が第三者から個人情報を取得することを原則禁じている。予測の購入はこれに抵触する可能性がある。
 企業は自社の就活生データをリクナビ側に提供したが、本人の同意がなければ、個人情報保護法違反だ。
 リクナビ側は予測サービス廃止を発表し、就活生7983人について同意が不十分だったと認めた。
 しかし、予測対象となった就活生の全体数や、購入した企業名は公表していない。発表文を一方的に出すだけで、記者会見も開かない姿勢も不誠実と言わざるを得ない。
 産業界では個人情報を活用した「ビッグデータビジネス」が注目されている。来年には個人情報保護法が改正される見通しだ。ビジネス展開は、個人がデータ提供の利害を理解して同意することが大前提だ。


リクナビ問題
 就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリアが、就職活動の内定辞退率を企業に販売していた問題で、東京労働局が調査に乗り出した。
 就活の学生から集めた個人情報を本人の同意なしに使ったことが、職業安定法の指針違反となる恐れがあるためだ。
 本人の知らないところで、内定判断の材料にされていたら由々しい問題だ。学生たちに不安を抱かせた責任は重い。
 個人情報をめぐる意識や取り扱いが、インターネット社会の進展に追いついていないのが現状だ。データ活用が期待される中で、個人の権利をどう守るのか。2020年の個人情報保護法改正に向け、議論を深める必要がある。
 リクナビは、登録した就活生の企業の閲覧履歴や志望動向など大量のデータを、人工知能(AI)で分析、内定辞退率を推計し、企業に400万〜500万円で売っていた。
 昨年3月に始めたが、7983人の学生からは適切な同意を得ていなかったと発表している。ほかの学生には「表現が伝わりにくかったが同意を得た」というが、どれだけ理解されたか分からない。
 個人情報保護法は、第三者に個人情報を提供する場合、事前に本人同意が必要だが、情報の中身や提供先はほとんど明示されない。同意は形式的になりがちだ。
 リクナビは提供した38社から、合否判定にはデータを活用しないとの同意書を取ったという。ただ、就活状況は「売り手市場」で、いくつも内定を得た学生が多い。辞退率の情報は貴重で、使わないとの同意を守ったかは不明だ。
 ほかの同業サイトも辞退予測ツールを企業に提供しているという。提供された企業側も、個人情報の取り扱いルールを守る責任を認識すべきだろう。
 個人データは、集積や分析によって、医療や福祉などさまざまな分野で活用が見込まれている。一方で、ネットの閲覧履歴から個人の趣向、人物像を分析して、広告や販売に使い、巨大な利益を得る動きが世界規模で広がっている。
 欧州連合(EU)がつくった一般データ保護規則は、こうした個人データの利用に異議を申し立てる権利を定めたものだ。
 ようやく日本でもネットと個人データをめぐる議論が出てきている。個人情報保護法が求める同意にも目を向けて、分かりやすい内容に改善すべきだ。同時に、ネットの利用者自身が個人情報についての意識を高める必要がある。


神戸シンポ中止/問題回避の姿勢が問題だ
 火の粉が降り注ぐのを避けたいという判断なのか。だとすれば、そのこと自体が問題と批判されても仕方がない。
 ジャーナリストの津田大介氏が芸術監督を務める愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展中止に続き、神戸市などが津田氏を招いて18日に開く予定だったシンポジウムの中止を発表した。
 「あいち」の企画展では、従軍慰安婦を象徴する少女像展示などへの抗議が過熱し、「ガソリン携行缶を持っておじゃまする」と書いたファクスを送りつけた男が威力業務妨害の容疑で逮捕される騒ぎになった。
 津田氏に対する批判も高まり、シンポの登壇者として招くことを決めた神戸市や外郭団体の市民文化振興財団にも、抗議や問い合わせの電話などが約200件あったという。
 しかし、その中には「予定通りやってほしい」という要望もあった。参加を希望する市民の機会を奪ったことにもなる。判断は拙速というしかない。
 シンポは、9月から兵庫、長田区で開かれる「アート・プロジェクトKOBE2019 TRANS(トランス)−」の関連行事として計画された。神戸側のディレクターらが津田氏と芸術祭のあり方などについて広く意見を交わす予定だった。
 ところが直前になって神戸市や財団に「津田氏はふさわしくない」などの抗議が殺到した。一部の市議が登壇者の見直しを直接財団に求める動きもあり、混乱が拡大する事態を懸念して中止を決めたという。
 「開催しても『あいち』の問題ばかりが注目され、冷静な議論ができなくなる恐れがある」。市や財団の関係者は中止の理由をそう説明する。
 だが、それでは「津田氏降ろし」の圧力に公的機関が屈した形になる。
 「あいち」の問題は、憲法が保障する「表現の自由」の危うさを浮き彫りにした。中止は結果的に自由を制約する側の動きを追認したと映るだろう。
 お蔵入りになったシンポのテーマは「アートは異物を受け入れるのか」。ならば激しい意見の対立を乗り越えてどう「異物」を受け入れるかに、市民も交えて知恵を絞るべきだった。


表現の不自由展 中止の「その後」に注目
 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の中の企画展「表現の不自由展・その後」が公開3日で中止となった問題が、波紋を広げている。
 元従軍慰安婦を想起させる少女像、天皇と戦争、米軍基地、政権批判など、国内では公開がままならなかった作品群に対し、テロや脅迫まがいの抗議が相次ぎ、大村秀章知事が会長を務める国際芸術祭の実行委員会は「安全な運営が危ぶまれる」と判断した。
 議論に輪を掛けたのが、政治の介入だ。県とともに開催経費を負担する名古屋市の河村たかし市長は、同展視察を経て「日本人の心を踏みにじるもの」などとして中止を要請。菅義偉官房長官は、文化庁の補助金交付を慎重に判断すると発言した。
 河村市長は従軍慰安婦問題が「事実でなかった可能性がある」として、知事に少女像撤去などを求める抗議文を提出。大村知事は「公権力を行使する人が内容にいい悪いを言うことは、憲法が禁じる検閲と取られても仕方ない」と市長の姿勢を批判した。「その後展」は、思わぬ形で「表現の自由」の現状を社会に問うこととなった。
 一方で「その後展」の実行委は「中止決定に納得していない」として大村知事宛ての公開質問状を提出。同展出品作家を含む芸術祭参加アーティスト約70人も、連名で政治的介入と暴力、脅迫に抗議する声明を発表するなど、なお議論は尾を引きそうだ。
 政治的圧力や暴力的抗議を背景とする公開中止に、作家らの無念や憤りは想像するに余りある。だが実害が強く懸念される状況で、知事の職責に照らせば中止の判断自体は一概に否定されるものではあるまい。問題は実行委内で、展示への批判や反発を想定していた節があることだ。
 芸術祭は、ジャーナリストの津田大介氏が芸術監督を担った。「その後展」は、東京都内の小ギャラリーで15年に開かれた「不自由展」を基に企画。「物議を醸し議論を起こすことに意義がある」と決行されたという。
 目玉展示の一つとされた少女像が、日本と韓国の政治的対立の象徴となっているのは周知の事実。「物議を醸す」のは予想できたとして、立場を超えて「議論」する機会とするための仕掛けは十分だったのか。知事判断に芸術監督も従った中止劇は、その面の未熟さをしのばせる。
 この経緯に、作家らが反発するのは当然だろう。津田氏は「表現の自由を後退させてしまった」と述べたが、反省で終わらせるべき事案ではない。その立場で改めて主催側と協議するなど、表現の自由を萎縮させないための「その後」に注目したい。


表現の不自由展 中止の「その後」に注目
 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の中の企画展「表現の不自由展・その後」が公開3日で中止となった問題が、波紋を広げている。
 元従軍慰安婦を想起させる少女像、天皇と戦争、米軍基地、政権批判など、国内では公開がままならなかった作品群に対し、テロや脅迫まがいの抗議が相次ぎ、大村秀章知事が会長を務める国際芸術祭の実行委員会は「安全な運営が危ぶまれる」と判断した。
 議論に輪を掛けたのが、政治の介入だ。県とともに開催経費を負担する名古屋市の河村たかし市長は、同展視察を経て「日本人の心を踏みにじるもの」などとして中止を要請。菅義偉官房長官は、文化庁の補助金交付を慎重に判断すると発言した。
 河村市長は従軍慰安婦問題が「事実でなかった可能性がある」として、知事に少女像撤去などを求める抗議文を提出。大村知事は「公権力を行使する人が内容にいい悪いを言うことは、憲法が禁じる検閲と取られても仕方ない」と市長の姿勢を批判した。「その後展」は、思わぬ形で「表現の自由」の現状を社会に問うこととなった。
 一方で「その後展」の実行委は「中止決定に納得していない」として大村知事宛ての公開質問状を提出。同展出品作家を含む芸術祭参加アーティスト約70人も、連名で政治的介入と暴力、脅迫に抗議する声明を発表するなど、なお議論は尾を引きそうだ。
 政治的圧力や暴力的抗議を背景とする公開中止に、作家らの無念や憤りは想像するに余りある。だが実害が強く懸念される状況で、知事の職責に照らせば中止の判断自体は一概に否定されるものではあるまい。問題は実行委内で、展示への批判や反発を想定していた節があることだ。
 芸術祭は、ジャーナリストの津田大介氏が芸術監督を担った。「その後展」は、東京都内の小ギャラリーで15年に開かれた「不自由展」を基に企画。「物議を醸し議論を起こすことに意義がある」と決行されたという。
 目玉展示の一つとされた少女像が、日本と韓国の政治的対立の象徴となっているのは周知の事実。「物議を醸す」のは予想できたとして、立場を超えて「議論」する機会とするための仕掛けは十分だったのか。知事判断に芸術監督も従った中止劇は、その面の未熟さをしのばせる。
 この経緯に、作家らが反発するのは当然だろう。津田氏は「表現の自由を後退させてしまった」と述べたが、反省で終わらせるべき事案ではない。その立場で改めて主催側と協議するなど、表現の自由を萎縮させないための「その後」に注目したい。


原爆の日の式典 空疎に響く首相の言葉
 政府は被爆地の訴えを本気で受け止めなければならない。
 被爆から74年を迎えたきのう、長崎市の平和公園で、平和祈念式典が開かれた。
 田上富久市長は「核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況」とした上で「日本は核兵器禁止条約に背を向けている」と批判。「唯一の戦争被爆国の責任として一刻も早く署名、批准を」と求めた。
 広島市の松井一実市長も6日の式典で政府に署名、批准を促している。それなのに安倍晋三首相は訴えを事実上、無視している。広島と長崎の式典で条約には一切触れなかった。
 そればかりか、安倍首相はきのうの式典後の記者会見で、禁止条約について「核軍縮に取り組む国際社会に一層の分断をもたらす」と否定的な考えを表明している。
 条約は、核兵器の開発や実験、使用などを全面的に禁止する史上初めての条約である。前文では核兵器使用による被爆者の受け入れがたい苦しみに留意すると明記している。採択の原動力となった非政府組織(NGO)はノーベル平和賞を受賞した。
 2017年7月に国連で122カ国・地域の賛成で採択されている。これまでに批准手続きを終えたのは25カ国で、条約発効に必要な50カ国・地域の半数だ。
 米ロなど核保有国だけでなく、日本も反対の立場を続けてきた。首相は6日の会見では、米ロの中距離核戦力(INF)廃棄条約の失効についても「米国の問題意識は理解している」と述べて、米政府の立場に配慮している。
 被爆地の苦しみに背を向け、ないがしろにするものだ。被爆国の責任を果たしていない。
 2日にINF廃棄条約が失効して、米ロに残された核軍縮の枠組みは21年2月に期限が切れる新戦略兵器削減条約(新START)のみだ。延長協議に進展の兆しは見えず、今後は不透明だ。もし失効すれば二大核保有国の軍拡競争を抑制する法的手段はなくなる。
 国際間の緊張が高まっているいま、日本の役割は大きい。首相は広島と長崎の式典で「核兵器(保有)国と非核兵器国の橋渡しに努める」とし、「国際社会の取り組みを主導する」と述べている。
 現状では空疎な言葉にしか聞こえない。決意が本物なら、被爆地の訴えに真摯(しんし)に向き合った上で、具体的な核廃絶に向けた取り組みを示すべきだ。米国に追従するばかりで地に落ちた被爆国の信用を取り戻すため、まずは核禁止条約を批准することが必要である。


[長崎原爆の日] 手を携え非核へ進もう
 長崎はきのう、原爆投下から74年を迎えた。
 1945年末までに約7万4000人が死亡、7万5000人が重軽傷を負ったと推計される。原爆死没者名簿への記載総数は18万2601人となった。今も多くの人が後遺症に苦しんでいる。
 「惨禍を決して繰り返さない」「長崎を最後の被爆地に」。犠牲者の無念さと、肉親を失った人々の悲しみを改めて心に刻み、不戦と核廃絶の決意を新たにしたい。
 長崎市であった平和祈念式典には核保有国を含む66カ国の代表者らが出席した。田上富久市長は平和宣言で、女性被爆者がつづった詩を紹介しながら「全ての国のリーダーの皆さん、被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聴いて、感じてください」と訴えた。
 核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを、国境を超えて共有していかなければ「核なき世界」は実現しない。
 ただ、核兵器を巡る国際情勢は危うさを増している。冷戦時代の軍拡競争を終わらせた米国とロシアの中距離核戦力(INF)廃棄条約は失効した。中国の軍拡を警戒する米国は、日本を含むアジア太平洋地域へのミサイル配備を視野に入れる。ロシアも新型核の開発を表明した。
 核兵器禁止条約が国連で採択され、原動力となったNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」がノーベル平和賞を受賞したのは2年前のことだ。核廃絶への機運は一転した。
 米ロ間の新戦略兵器削減条約(新START)の延長も不透明で、積み重ねてきた核軍縮の努力の成果は次々と失われているのが実態だ。
 核リスクの高まりに歯止めをかけなければならない。田上市長は「日本は核兵器禁止条約に背を向けている」と述べ、昨年に続いて再度、政府に署名、批准を求めた。
 被爆者代表の山脇佳朗さんも、安倍晋三首相に「米国に追従することなく、核兵器に関する全ての分野で『核廃絶』の毅然(きぜん)とした態度を示して」と迫った。政府は被爆地からの訴えに真摯(しんし)に向き合うべきだ。
 被爆者の平均年齢は82歳を超え、記憶の継承は時間との闘いになっている。広島市は2012年から、長崎市は14年から被爆者から聞いた話を語り継ぐ「被爆体験伝承者」「家族・交流証言者」制度を始めた。惨禍の経験を次代に引き継ぐ意義は大きい。
 鹿児島県内では例年、原爆の悲惨さを伝える写真パネル展や集会が開かれている。こうした草の根の活動も広げていきたい。
 戦争が何をもたらしたかを考えることが「核なき世界」への第一歩になる。一人一人が手を携え、行動することが重要だ。


原爆の日の式典 空疎に響く首相の言葉
 政府は被爆地の訴えを本気で受け止めなければならない。
 被爆から74年を迎えたきのう、長崎市の平和公園で、平和祈念式典が開かれた。
 田上富久市長は「核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況」とした上で「日本は核兵器禁止条約に背を向けている」と批判。「唯一の戦争被爆国の責任として一刻も早く署名、批准を」と求めた。
 広島市の松井一実市長も6日の式典で政府に署名、批准を促している。それなのに安倍晋三首相は訴えを事実上、無視している。広島と長崎の式典で条約には一切触れなかった。
 そればかりか、安倍首相はきのうの式典後の記者会見で、禁止条約について「核軍縮に取り組む国際社会に一層の分断をもたらす」と否定的な考えを表明している。
 条約は、核兵器の開発や実験、使用などを全面的に禁止する史上初めての条約である。前文では核兵器使用による被爆者の受け入れがたい苦しみに留意すると明記している。採択の原動力となった非政府組織(NGO)はノーベル平和賞を受賞した。
 2017年7月に国連で122カ国・地域の賛成で採択されている。これまでに批准手続きを終えたのは25カ国で、条約発効に必要な50カ国・地域の半数だ。
 米ロなど核保有国だけでなく、日本も反対の立場を続けてきた。首相は6日の会見では、米ロの中距離核戦力(INF)廃棄条約の失効についても「米国の問題意識は理解している」と述べて、米政府の立場に配慮している。
 被爆地の苦しみに背を向け、ないがしろにするものだ。被爆国の責任を果たしていない。
 2日にINF廃棄条約が失効して、米ロに残された核軍縮の枠組みは21年2月に期限が切れる新戦略兵器削減条約(新START)のみだ。延長協議に進展の兆しは見えず、今後は不透明だ。もし失効すれば二大核保有国の軍拡競争を抑制する法的手段はなくなる。
 国際間の緊張が高まっているいま、日本の役割は大きい。首相は広島と長崎の式典で「核兵器(保有)国と非核兵器国の橋渡しに努める」とし、「国際社会の取り組みを主導する」と述べている。
 現状では空疎な言葉にしか聞こえない。決意が本物なら、被爆地の訴えに真摯(しんし)に向き合った上で、具体的な核廃絶に向けた取り組みを示すべきだ。米国に追従するばかりで地に落ちた被爆国の信用を取り戻すため、まずは核禁止条約を批准することが必要である。


長崎原爆の日/被爆者の訴えに向き合え
 長崎はきのう、被爆から74年の「原爆の日」を迎え、犠牲者を悼む多くの祈りに包まれた。
 式典で田上富久長崎市長は昨年に続き、使用や開発から保有まで全面的に禁じる核兵器禁止条約への署名と批准を政府に求めた。6日の広島市での式典でも、松井一実市長が被爆者の要望を受け、初めて禁止条約署名・批准の要求を掲げた。
 二つの被爆地が足並みをそろえた意味は大きい。来年には75年の節目が巡ってくる。被爆者の悲願である核廃絶に向け、しっかりとした流れを築く契機にしなければならない。
 危機感を覚えるのは、この1年で核を巡る国際社会のたがが急速に緩みだしている実態だ。
 東西冷戦終結の象徴ともいえる中距離核戦力(INF)廃棄条約を失効させた米ロは、中国とともに核開発に前向きな姿勢を示す。北朝鮮の非核化を巡る米朝協議は停滞し、イラン核合意は崩壊の危機にひんしている。
 だが広島でも長崎でも、式典であいさつに立った安倍晋三首相は非核化への努力を唱え、「核保有国と非保有国の橋渡しに努める」と、従来の立場を繰り返すだけだった。
 米国の「核の傘」に依存する現実ゆえ、政府は禁止条約に反対の立場を崩さない。式典後の会見で首相は「保有国が反対し、国際社会に分断をもたらしている」と署名・批准に否定的な考えを改めて示した。
 被爆者の一人は、首相に対し「米国に追随することなく核廃絶の毅然(きぜん)とした態度を示してほしい」と力を込めた。政府は訴えに正面から向き合うべきだ。
 全国の被爆者数は今年初めて15万人を割り込んだ、平均年齢は82歳を超え、高齢化が進んでいる。記憶の継承も被爆地の深刻な課題だ。「生きているうちに核廃絶を見届けたい」という悲願を実現に近づけたい。
 禁止条約の前文には「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」との文言がある。
 率先して賛同し、参加するのが、唯一の被爆国である日本の責務だ。それにとどまらず、条約に反対する核保有国を引き入れる努力も重要になる。
 私たちは広島や長崎と連携し、政府が態度を変えるよう働き掛けを強める必要がある。


崎平和宣言 核軍拡への懸念、共有を
 核兵器が使われる危険性が高まっている―。長崎市の田上富久市長は、きのうの平和宣言で強調した。米国、ロシアの核超大国や北朝鮮が、核なき世界に向けて国際社会が積み重ねてきた努力の成果を近年、次々と壊しているからだ。
 宣言では、核兵器廃絶へ世界を動かしてきた市民社会の力がこれまで以上に重要とし、「核兵器は要らない」と声を上げるよう促した。危機感を共有して、反核平和を全世界に訴えることが不可欠だ。
 米ロの特定分野の核兵器全廃を定めた中距離核戦力(INF)廃棄条約が失効した。両国は小型核開発も始めているという。2021年2月が期限の新戦略兵器削減条約(新START)も延長されなければ消滅し核軍拡への歯止めがなくなる。見過ごすわけにはいかない。
 これまで核廃絶への動きをつくり出してきたのは、市民社会の力だった。長崎市が毎年、平和宣言に市民社会の言葉を盛り込んだのはうなずける。世界の人々が連帯するうねりをつくり、それが広がれば核軍拡の歯止めにもつながるはずだ。
 17年に採択された核兵器禁止条約は、非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN=アイキャン)など市民社会の努力の成果でもある。ICANは核兵器産業へ投資や国家予算の支出を避けるよう訴える運動も展開してきた。
 昨年に続き、長崎市長として政府に禁止条約への署名・批准を求めた。松井一実広島市長が「被爆者の思い」と表現するにとどまったのに比べ、差が出た。禁止条約は採択から2年でようやく25カ国・地域が批准した。条約発効に必要な50カ国・地域に向け、被爆国日本の姿勢が問われる。
 しかし安倍晋三首相は、長崎市の平和祈念式典のあいさつで禁止条約に触れもしなかった。平和憲法の堅持にも触れず、広島でのあいさつ文をほぼ踏襲した。これでは被爆者や市民は納得すまい。
 来春開かれる5年に1度の核拡散防止条約(NPT)再検討会議について、安倍首相は意義ある成果を生み出すため各国に働き掛けると述べた。だが核保有国と非保有国との溝は深い。米ロなど核保有国が対立を広げている。安倍首相は保有国に対して核兵器削減への具体的な道筋を示せと迫るべきだ。
 宣言では、「核の傘」から「非核の傘」への転換を政府に求めた。日本、韓国、北朝鮮を北東アジア非核兵器地帯とし、米国、ロシア、中国にはこの地域への核攻撃や威嚇をしないと約束させる構想だ。政府は真摯(しんし)に受け止める必要がある。
 被爆者の高齢化も進む。被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は3月末時点で約14万人。平均年齢は82・65歳で、この1年間で約9千人減った。核兵器の恐ろしさを伝える活動をしっかり次の世代へ受け継いでいかねばならない。
 その焦りが被爆者代表で85歳の山脇佳朗さんの「平和への誓い」にも表れた。被爆者が生きているうちに核兵器を廃絶するよう全ての保有国に働き掛けることを政府に求めた。
 核兵器のない世界を実現させるため、市民社会の力を発揮させたい。そのため一人一人が声を上げるべきだ。


「核なき世界」響かぬ思い 被爆者と首相平行線 長崎「原爆の日」
 核兵器の非人道性を明確に位置付け、開発、所有、使用などあらゆる活動を禁じた核兵器禁止条約が2017年7月に国連で採択されて2年が過ぎた。署名・批准は進まず、米国の小型核兵器開発によって使用のハードルが下がりかねない状況だ。新たな被爆地が生まれることを恐れる長崎、広島は強い言葉で政府に批准を迫ったが、見解の分断は深い。いつか核なき世界に、と行動を続けてきた被爆者に残された時間は少ない。秋に予定されるローマ法王の来日は、分断を埋める新たなきっかけを世界にもたらすのか。
 「この写真を見て、考えて、感じてください」。9日、安倍晋三首相と面会した被爆者5団体の代表の一人、長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(78)は、長崎原爆で黒焦げになった少年の写真が載った冊子を手渡した。「原爆資料館を訪れてくれませんか」とも求めたが反応はなかった。ここ10年、首相の来館はない。
 平和祈念式典終了後の面会は恒例行事として定着している。近年、被爆者側が繰り返し求めているのは核兵器禁止条約への署名と批准。だが安倍首相は「保有国と非保有国の橋渡しに務め、粘り強く努力する」との従来の説明に終始している。団体からは「答えがないことに、ならされているようだ」との声も上がる。
 安倍首相の式典参列は2007年以来、通算8回目。歴代3位の首相の在籍日数を追うごとに、回数も重ねてきた。その一方で、被爆者団体の代表は16、17年に1人ずつ死去し、今年も3月と7月に亡くなった。もはや活動は「存続できるかどうかの限界線にある」(被爆者)と指摘される。
 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ被爆者は今年3月末現在で14万5844人。最も多かった1980年度末の37万2264人の4割ほどだ。平均年齢は82・65歳に達した。
 被爆者自身も、残された時間が減る一方で、いまだ核廃絶への思いが伝わらないことに焦燥を深めている。この日、千葉から3回目の参列を果たした88歳の男性は「もう最後かもしれない。生きている限り、体験を語り継ぐ」とあらためて誓った。
 被爆を実体験として語ることのできる人が少なくなり、「被爆者のいない時代」が迫る。16年に被爆者の呼び掛けで始まった禁止条約への賛同を求める「ヒバクシャ国際署名」には今年4月現在、世界中から941万5千筆以上が寄せられている。
 それでも、禁止条約に署名した国・地域は70、批准は25にとどまっているのが現実だ。長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)は「議会承認に時間がかかる批准はともかく、(賛同の意向を示す)署名はやや伸びが鈍い」と分析。背景には、核保有国からの「圧力がある」と指摘する。
 ただ、政府より市民に近いはずの自治体でも、考え方は一様ではない。日米安全保障の一端を担う米軍基地を抱える長崎県佐世保市は、禁止条約について「政府方針に同調する」との立場。ヒバクシャ国際署名には県内の市町長で唯一応じておらず、核軍縮への取り組み姿勢には濃淡がある。
 国連で軍縮トップを務める中満泉事務次長は式典前日の8日、市民の行動が国際社会にもたらす力が近年強くなったと感じるとし「若い人たちに分かりやすく、問題意識を持ってもらえるような情報発信が大事だ」と語った。


中東の有志連合 米主導では緊張高める
 ホルムズ海峡を航行する船舶の安全確保を名目に、米国が日本などの関係国に有志連合への参加を呼びかけている。
 初来日したエスパー米国防長官も、岩屋毅防衛相に有志連合への参加を要請した。
 米軍制服組トップのダンフォード統合参謀本部議長がこの構想に言及してから1カ月がたった。
 しかし国際的に支持が広がっているとはとても言い難い。参加を表明したのは英国くらいだ。
 有志連合に加われば、イランが敵対国とみなして反発するのは明らかである。かえってペルシャ湾の緊張が高まる恐れがある。
 日本政府は米国に追従することなく、冷静に対応すべきだ。
 米国が7月下旬に開いた有志連合構想の説明会に参加したのは三十数カ国にすぎなかった。1週間前の説明会から半減した。
 主要国の中でもドイツは既に不参加を表明し、米国と一線を画す姿勢を明確にした。
 支持が広がらない理由の一つは、いまだに有志連合の全容が明らかになっていないことだろう。
 参加国がホルムズ海峡などを監視し、自国の船舶を護衛する国に情報提供する仕組みと言われるが、それ以上の中身は分からない。
 トランプ米大統領はホルムズ海峡警護を巡り、米国の負担が大きすぎると不満を漏らしてきた。その上で「自国の船は自国で守るべきだ」と主張する。
 だが緊張が高まり、各国の船舶が危険にさらされる原因をつくったのは誰なのか。
 イラン核合意から一方的に離脱したトランプ氏ではないか。イランは核開発制限の義務を果たしてきたにもかかわらず、制裁緩和の約束をほごにされ、軍事的圧力をかけられている。
 国際協調の枠組みに次々と背を向けてきたトランプ氏が、有志連合には多くの国の参加を求める。独り善がりと言わざるを得ない。
 かつて米国主導の有志連合が取り返しのつかない過ちを犯したことも忘れてはならない。
 イラク戦争は米国に英国が追随して始まった。開戦の大義だった大量破壊兵器は見つからず、おびただしい数の死傷者を出した。
 安倍晋三首相はきのうの記者会見で、有志連合への対応に関し「いかなる取り組みが効果的か慎重に検討する」と述べた。
 米国の本当の狙いは、軍事的なイラン包囲網を構築することではないのか。そうであれば日本が参加すべきでないのは明白だ。


ロンブー淳が“吉本興業再生”を提言「今は劇薬が必要」
 “笑いの総合商社”が揺れに揺れた1カ月だった。芸人の“闇営業”問題から騒動は飛び火して吉本興業の企業体質に批判が集中。ここぞとばかりに所属芸人から不満が噴出した。吉本は対応策として「経営アドバイザリー委員会」を設置。8日、同委員会から日本の芸能プロとしては初の専属エージェント契約の導入が発表された。これで100年を超える歴史を持つ老舗は変わるのか――。かねて会社に対してギャラの可視化を求めるなど積極的に発言してきたロンドンブーツ1号2号の田村淳さん(45)に吉本再生プランを“訊く”!
  ◇  ◇  ◇
原田 闇営業問題に端を発する吉本興業の一連の騒動ですが、淳さんは吉本に対してどういう思いを抱いていますか?
淳 岡本社長が会見をした後に、経営アドバイザリー委員会を設置するなど、企業統治のためにすべきことは今動いているのかなと。僕がずっと進言してきた「ギャラの可視化」も動いてくれているみたいだし。ただ、それだけでは、芸人、タレントにはまだ響いていない。待遇を手厚くしてほしいなどではなく、会社がどのように芸人・タレントに寄り添っていくか、気持ちの部分の話し合いがまだできていないと感じます。
原田 芸人・タレントにヒアリングをするそうですが所属が6000人もいるとなると、難しくないんですかね?
淳 これから吉本が芸人・タレントと対峙するときに大切なのは、今、不満を抱いている人たちから積極的に話を聞くこと。圧力をかけずに。大きな芸能事務所なので、「文句を言えば、干されるかも」「自分の意見を言えば、仕事を減らされるかも」などと危惧をして、言いたいことも言えずに我慢している芸人・タレントが多いんじゃないかと思います。
原田 岡本社長の会見を機に、ツイッターなど個人で意見を発信したり、給料明細を出したりする芸人さんも多かったですね。これまで言えなかった意見が噴出した印象です。
淳 世代によって考え方が全然違うことをしみじみ感じました。ベテランの先輩たちがいたからこそ発展して、今の吉本があるのは間違いない事実。ですから、そこに物申すつもりはまったくありません。100年企業って、100年続いてきたからすごいのではなく、100年続いてきたからこそ、いろいろなひずみもあるんだなと……。
原田 現在、日本は少子化のうえに人手不足。人手不足が深刻な企業は毎月、目安箱を設けて若手の不満を聴取し、それがそのまま経営陣に飛んでいくシステムをとっている会社もあります。淳さんは吉本が変わると思いますか?
■「ファミリー」という幻想
淳 正直、変わるかどうかはまだ実感できていません。ただ、このままだと改革は進まない気がします。「吉本はファミリーだ」と言う上層部は多いのですが、ファミリーだと思っていない芸人・タレントのほうが圧倒的に多いのが現実です。むしろ「ファミリーじゃなくてもいいから、会社としてちゃんとしてほしい」と思っている人たちがほとんど。例えば、仕事現場にマネジャーがいないケースも多いですが、僕は一人の人間を雇えるくらいの売り上げを稼げるようになったら、一人の芸人に対して、一人のマネジャーをつけるべきだと思っています。
原田 人口が減り、単身世帯が最多世帯になり、日本全体で「ファミリー」が減り、企業も欧米のような契約社会になりつつあるので、むしろそちらを望む若手が多くなっているんですよね。
淳 もちろん吉本社員も人数だけではなく人材不足の問題もある。会社のシステムと芸人の先輩後輩システムを、今後どうするかという過渡期に直面しているのかな。
原田 社員と芸人・タレントの関係、芸人同士の先輩後輩の関係と、両方難しい問題ですね。
■外部のフレッシュな人材を投入
淳 変わってほしいという人がほとんどだと僕は思うんですよね。新しいことをクリエーティブしていくべき会社なのに、根幹がすごく保守的だっていうのは、恥ずかしい話ですけどね。これまで芸人が面白おかしく会社の不平不満を言ってきたのも、そういうイジリ方しかできなかったんですよ。
原田 例えば、社外取締役や第三者のアドバイザーなど、外部のフレッシュな人材を投入するのも一つの方法ですよね。若い芸人さんも多いから若者目線を取り入れていくシステムをどうつくるかもポイントですね。
淳 こんなに古い体制でやってるのかってビックリすると思うんですよ。ひっくり返るんじゃないかな(笑い)。利害関係のない人が入ってくれて、ガンガン意見を言って、ダメなところをガンガン晒してくれたら、吉本は次の100年も見えてくる。今はそれだけの劇薬が必要なのかもしれません。 (構成=高田晶子)
▽たむら・あつし タレント。1973年、山口県下関市生まれ。94年、銀座7丁目劇場のオーディションに合格して吉本興業入社。相方は田村亮。テレビ出演は「ロンドンハーツ」(テレビ朝日)、「田村淳の訊きたい放題」(TOKYO MX)ほか多数。


米大統領の差別発言 ヘイトクライム誘発する
 世界のトップリーダーとしての資質を欠いていると断じざるを得ない。人種差別的な発言を繰り返し分断をあおるトランプ米大統領のことだ。
 7月には民主党の非白人女性下院議員4人に対し「世界最悪の国から来て、米政府はどうすべきか語っている。国に帰り、まず立て直してはどうか」とツイッターで攻撃した。4人の議員はそれぞれ、元ソマリア難民、プエルトリコ系、パレスチナ系、黒人。昨年の中間選挙で初当選した新人だ。この間、舌鋒(ぜっぽう)鋭くトランプ政権を批判してきた。
 米下院は「人種差別だ」と非難する決議を賛成多数で可決している。多数を占める民主党だけでなく、共和党からも賛同する議員が出た。
 それでもトランプ氏の暴言は収まらない。黒人のカミングス下院監視・政府改革委員長(民主党)に矛先を向けた。東部メリーランド州ボルティモアの地元選挙区について「ネズミがはびこり、吐き気がするめちゃくちゃな場所だ」とツイッターでののしった。
 下院監視・政府改革委はトランプ氏の不倫問題、長女イバンカさんらを起用する縁故主義、ロシア疑惑などを巡って追及を続けてきた。
 黒人運動の有力指導者アル・シャープトン師に対しても「白人と警官が嫌い」「詐欺師」とツイッターでこき下ろしている。
 トランプ氏は2017年の就任以来、さまざまな言動で物議を醸してきた。今回の差別発言は象徴的だ。品格がみじんも感じられず、良識のかけらさえうかがうことができない。
 これが一般人なら実害は少ないのだろうが、世界最大の権力を持つ米国の大統領なのだから、問題は深刻だ。
 人種差別を容認するようなトランプ氏の態度は、白人至上主義者を勢いづけ、憎悪犯罪(ヘイトクライム)を助長、誘発する恐れが強い。
 南部テキサス州エルパソの商業施設で3日、白人の男が銃を乱射し、22人の死者を出した。男が投稿したとみられるインターネット上の「犯行予告」には「この攻撃は、ヒスパニックのテキサス侵略に対する返答だ」「移民は米国の未来に有害なだけだ」といった主張が見られた。
 男はツイッターでトランプ氏を称賛していたようだ。反移民政策を取るトランプ氏の姿勢が、男の行動に影響を及ぼした可能性がある。
 来年の大統領選に向けた支持者集会でトランプ氏は非白人女性議員4人について「米国が好きでないなら、出て行ってもらったらいい」と述べた。会場からは「送り返せ」の大合唱が起きた。
 こうした人々に支えられた大統領の誕生は、人権を尊重する意識が社会の中で薄れ、倫理観が崩れつつあることを示していよう。重大な懸念を抱かざるを得ない。
 国民の分断を是正し差別のない社会を築くことは、国の指導者の務めだ。


自衛隊の有志連合参加で日本人がテロの標的になりかねない
 エスパー米国防長官は、8月7日、岩屋防衛相との会談で中東のホルムズ海峡などで「船舶の安全を確保する」ための「有志連合」への参加を求めた。「船舶の安全確保」が唱えられるようになったのは、米国がペルシア湾での軍事力を増強させてイランとの緊張を高めた結果、米国によって主張、喧伝されたものだ。6月の日本のタンカー攻撃についてもトランプ政権は「イランがやった」と主張したものの、それに納得する国はごくごくわずかで、「有志連合」構想などはトランプ政権がイランとの緊張を煽るまで必要がなく、浮上することもなかった。
 そもそも、イラン核合意から離脱してイランへの制裁を強化し、日本にも二次制裁としてイランからの石油輸入を実質的に禁じ、日本の国益を損ない続けているトランプ政権が、イランへの実質的な軍事包囲網である「有志連合」への参加を説く資格があるのか、大変身勝手だと思ってしまう。日本のイランからの石油購入を妨害する行為は明らかに日本の主権を侵害するものである。
 8月6日、広島原爆の日の平和式典で松井一実・広島市長は「被爆者の声を聴き核禁止条約に署名を」と呼びかけたが、イランを核兵器製造から遠ざけたイラン核合意からの離脱は、核廃絶の理念に逆行するものであることは言うまでもなく、被爆者をはじめ多くの日本国民の想いを踏みにじるものだ。トランプ政権はINF(中距離核戦力全廃条約)からも離脱し、失効させてしまった。
 トランプ大統領は「なぜ使えない核兵器をもっているのか」などと述べ、また18年2月の核戦略の指針「核態勢見直し(NPR)」では、小型の核兵器の導入を目指すようになった。核兵器に投融資する金融機関の上位10位はすべて米国の企業で、米国は核兵器から巨大な利益を得ようとしている。イラン核合意から離脱し、イランとの緊張を煽り、核兵器の開発に力を置くのは経済的利益の追求を最優先させるトランプ政権の基本方針とも言える。
■世界的軍事企業出身のエスパー国防長官
 有志連合への参加を求めるエスパー国防長官も軍事企業のレイセオンで政府交渉担当の副社長を務めるなどロビー活動の中心にあった人物で、「ディフェンス・ニューズ」によればレイセオンは世界第4位の大手軍事企業である(2019年)。レイセオンはイランと敵対するサウジアラビアとの合弁会社「レイセオン・サウジアラビア」を設立し、精密誘導爆弾の部品の製造を行う許可を今年6月にトランプ政権から得たり、4月にはおよそ400億ドルの武器売却契約をサウジアラビア政府との間で行ったりしている。レイセオンにとってペルシア湾岸地域の緊張はその利潤追求に都合がよいことだろう。
 ドイツのハイコ・マース外相は、7月31日にホルムズ海峡での緊張を高めることを理由に「有志連合」に参加しない意向を明らかにし、イランをめぐる緊張に軍事的解決ではなくあくまでも外交的解決を図っていく姿勢を見せた。イギリスのボリス・ジョンソン新首相の政権は5日に有志連合に参加する意向であることを見せたが、ブレクジットを推進するジョンソン首相は外交の軸足をヨーロッパ大陸よりも米国に移すということだろう(イギリスのホルムズ海峡政策は日刊ゲンダイDIGITAL連載の拙稿「イギリスはイラク戦争の『ブレアの道』を辿り始めたのか」を参照)。フランスの「NEWS 24」が8月2日にマクロン大統領が有志連合に参加しないことを伝えるなど、フランスもドイツ同様に有志連合参加に積極的ではない。
■国連加盟国としての日本の存在意義も揺らぎかねない
 2015年7月20日に成立した国連安保理決議2231号では、国連加盟国に憲章5章25条に従ってイラン核合意を支持し、すべての加盟国にイラン核合意履行のための適切な措置をとることを呼びかけ、IAEA事務局長には必要な確認作業を求めている。いうまでもなく、この決議はイランの核問題に対する平和的・外交的解決を確認するものだ。国連憲章第25条〔決定の拘束力〕には「国際連合加盟国は、安全保障理事会の決定をこの憲章に従って受諾し且つ履行することに同意する」とあるが、この憲章を破る米国トランプ政権に追随して、有志連合に自衛隊を派遣することは、国連加盟国としての日本の存在意義や外交的資質への信頼をも揺るがしかねないし、日本は国連安保理の常任理事国入りを目指す国である。
「『今回の措置(有志連合への参加)は、イランを対象としたものではなく、ホルムズ海峡という場所を対象とした航行船舶の安全確保だ』と説明できる」という主張(香田洋二・元自衛艦隊司令官「ホルムズ海峡 日本の船は日本で守る」・「毎日新聞」8月5日)もあるが、米国の有志連合の意図があくまでイランを対象にしていることは明らかであり、日本が有志連合に参加すれば、たとえそれがペルシア湾外のオマーン湾であってもイランから猛烈に反発されることになる。8月5日にイランのザリーフ外相は、有志連合に参加することを米国の同盟諸国は恥ずかしいことと思っていると述べてけん制したが、有志連合が米国のイランへの軍事的意図の下に行われるものであることは当然のことながらイランはわかっている。
■ペルシア湾外への自衛隊派遣でもイランは反発
 現在イランにある親日感情が決して油断できるものではないことは、イランの対米感情が第二次世界大戦後にいっきに曇ってしまったことからも明らかだ。第二次世界大戦以前、米国はイランを苦しめる英国・ロシア(ソ連)の帝国主義にバランスをとる国として期待をかけられていた。諸外国のイランへの進出に対してイランは「均衡外交」を考え、米国は「第三の勢力」として期待をかけられ、アーサー・ミルスポー(1833〜1955年)など3人の米国人総財務官が1922年から1945年までイラン財政を立て直すために尽力し、多くのイラン人からは好感をもって見られた。しかし、1953年8月に米国CIA、イギリスMI6が主導して民主的に選出されたモサッデグ政権をクーデターで打倒し、国王独裁体制を成立させると反米感情は根強く定着してしまった。
■仲介役を担った日本がイランへの敵対行為に加担する不合理
 有志連合への参加は、米軍とイラン革命防衛隊の戦闘にも自衛隊が巻き込まれる可能性をもたらすものであるし、イスラム世界に軍事的に介入することが反感をもたれて過激派のテロの背景となってきた。自衛隊の有志連合への参加は、日本人をもテロの標的にしかねない。利己的なトランプ政権を満足させることにはなるかもしれないが、長期的に見れば日本人の利益には決してならないだろう。米国では来年の選挙で理性的な大統領が誕生する可能性もあり、トランプ大統領のイラン政策がずっと継承されるとは限らない。米国とイランの仲介を行った日本の首相が米国のイランへの敵対行為に加担することはイランを含めて国際社会から不合理に思われることだろう。トランプ政権の要求にのらりくらりとかわすことができないかとも思ってしまうが、トランプ大統領との親密な関係を日ごろアピールする安倍首相の姿勢を見ていると、対イラン政策でぶれないか心配になる。


山本太郎が安倍首相の“対韓国強硬姿勢”を「小学生高学年並み」と批判した理由! 国益上のマイナスを具体的に訴え
 韓国に対して輸出管理上の優遇措置を受けられる「ホワイト国」除外を政府が閣議決定した4日後の6日、安倍首相は広島での記者会見でさらなる関係悪化を招きかねない問題発言をした。
「(徴用工問題について)日韓請求権協定に違反する行為を一方的に行い、国交正常化の基盤となった国際条約を破っている」と指摘した上で、「日韓請求権協定をはじめ、国と国との関係の根本にかかわる約束をきちんと守ってほしい」「最大の問題は国家間の約束を守るかどうかという信頼の問題だ」と強調したのだ。
 経産省などは表向き、「ホワイト国」除外が、徴用工問題に対する報復的措置ではないと説明しているのに、当の安倍首相自ら報復を示唆したわけで、韓国側の反発は必至。さらなる日韓関係悪化が懸念される発言といえる。
 そんな対韓強硬路線の安倍外交を「小学生高学年並」「国益毀損」などと一刀両断、成熟した国として紳士的な対応を求めているのが、山本太郎・れいわ新選組代表だ。参院選の勢いをそのままに、日韓関係でも安倍外交のおかしさをズバリ批判する山本氏は、いまや野党陣営のリーダー的な論客として、枝野幸男・立憲民主党代表らと同等以上の存在感を示しているようにみえる。
 閣議決定前日の8月1日の新宿街宣(記者会見)では、山本氏は聴衆からの日韓関係の質問に答える中で、安倍外交を「小学生高学年並」「ナショナリズムを煽るもの」などとズバリ指摘した。
「『日韓関係が悪化して喜ぶのは誰だ』ということです。アジア諸国に対してあまりいい感情を持っていない人たちがいるのは知っています。いろいろな思いがあるのがあるのは分かります。けれども『国の場所は動かせない』ということです。同じ町内に自分の苦手とする人がいて『我慢がならない』と引っ越しをすることは可能だけれども、国の位置は動かせないのでしょう。だとしたら、うまくやっていくしかないのです。 『舐められてたまるか!』『ぶっ潰してやれ!』というような小学校高学年くらいの考え方は止めましょうということなのです。誰も得をしない。
『これはうまくつき合った方が絶対に得なのだ』ということが言えるものをこれからご覧に入れます。(モニターの画面にデータを提示) 日本から韓国への輸出総額は6兆円(2.8兆円の貿易黒字)ですよ。この6兆円がなくなってもいいと思うなら、好きなことを言ってください。でも私は、そのような感情よりも6兆円という利益を大事にしたい」
 山本氏は具体的なデータを提示して、対韓国輸出規制の弊害を説明し、韓国と「うまいことやる」の必要性を強調。こう続けた。
「皆さん、どうですか。ナショナリズムを煽りながら『あの国がどうだ、こうだ』とどんどん煽りながら、自分たちがやっている政治のマズさにベールをかける。内政の行き詰まりをナショナリズムを使って隠そうとする政治。まさに、今じゃないですか。うまくやるしかないじゃないですか。その利益(輸出額)が6兆円もあるんですよ。不当な扱いだというなら、国際社会を通じて訴え続けるしかない」
「これだけ大きな取り引きがお互いにされているということは、切っても切れない。 『(日韓関係を)うまいことやれや』ということなのです。うまいことやるつもりがないのなら、政治などやる必要がない」
 さらに山本氏は、演説をこんな印象的なメッセージで締めくくった。
「(日韓関係を考える上で大切な)一番は何かというと、国益のためなのです。そのためには不用意な発言で2国間の間に、亀裂が入ることはしてはいけない。たとえ相手方が(不用意な発言を)したとしても、日本側はあくまでも紳士的に対処するというのが国際社会のルールです。日本は成熟した国なのでしょう。成熟した国ならば、そのような対応が必要だと思います」
山本太郎「安倍首相は国内の行き詰まりをナショナリズムで覆い隠そうとしている」
 ホワイト国除外の閣議決定前日に韓国への紳士的対応を求めた山本氏は、閣議決定から5日後の7日、渋谷での街頭記者会見でも同様の主張を表明した。日韓関係に関する私の質問に次のように答えたのだ。
「この直近での政権側の振る舞いを思い出したら、たとえば、『ホワイト国から除外しました』ということがあったと思います。私が疑問に思うのは何かというと、『それをすることによって得られるものは何なのですか』ということです。獲得目標があって施策を打つわけです。その獲得目標は何ですか」
 新宿街宣で安倍外交を批判した立場は、韓国に批判的な報道が多いなかでも、全く揺らぐことはなかった。それどころか、山本氏はさらに、安倍政権の日韓対立を利用しようという“政治的思惑”にまで踏み込んだ。
「はっきり言ってホワイト国除外をすることによって、日韓の間柄における輸出入に大きな障害が出来たことは間違いない。『それによって得られるものは何なのか』と言ったら私はマイナスの部分しか見えない。それによって得られる獲得目標を決めていないまま、感情的な決定が下されている。もしくは、国内の行き詰まりの部分をナショナリズムで覆い隠そうとしている部分があるのではないか。そうでないというならば、『ホワイト国除外をした末に日韓関係をどういう形にしたいのか。そこで得られる利益をどう最大化できるのか』という説明がセットではないと、これは理屈が全く通らない。少し前に戻って北朝鮮との関係、アメリカが『(北朝鮮を)ぶっ潰す』的なことを言っている時に後ろから日本側もやいのやいのと言っていました。それによって得られたものはあったのですか。『圧力をかける』と言い続けて、結果、得られたものは何だったかと言うと、『蚊帳の外』だったということです」
あくまでプラグマティックに対韓国輸出規制のマイナスを訴えた山本太郎
 そして、山本氏はプラグマティックな立場から、対韓国輸出規制がいかに愚策であるか、ということを強調した。
「世界的な外交のルールとして、あくまでも紳士的な対応を続けるということが大原則だと思います。けれども、当然、こちら側から言えば、『向こう側だって』という話は当然出てくると思います。けれども、こちら側が紳士的に対応を続けることによって、どちらが正しいのかを世界に判断していただく。世界的な機関に判断をしていただくチャンスはあると思うので、あくまでも国益を守るために、そのような行動、決定をし続けないといけないというのが私の考え方です。(安倍首相の広島での)記者会見をおそらくつまびらかに見た状況になったとしても、考え方は変わらないと思います。
 6兆円に及ぶ日本からの輸出という部分に関して歯止めがかかったり、他にも訪日観光客数で見たとしても韓国からのお客様は全体の2割。これは非常に大きい。デフレが20年以上続いてきた国で消費が弱っているなか、その消費の一部を支えてくれているのは(訪日)観光客であるのは間違いありません。その中の2割に影響を及ぼすようなことを、最終獲得目標も決まっていない、考えていないなかで、そのような振る舞いをすることは国益を毀損するものであろうというふうに思います」
「舐められてたまるか」的な小学生高学年並の対韓強硬外交に邁進する安倍政権(首相)に対して、山本氏は韓国への紳士的対応を続けることこそ日本の国益にプラスと訴えた。「勇ましく戦えば結末はハッピーエンド」という戦争漫画の読みすぎではないかと疑いたくなる安倍首相と、ナショナリズムを煽ることを戒める山本氏――どちらが日本の舵取り役に値する言動をしているのかは、明らかなのではないか。
 参院選でのれいわ新選組の躍進、そして日韓問題での主張と安倍首相への鋭い批判を目の当たりにすると、少なくとも貧困や格差に苦しむ国民の間では、安倍政権打倒の機運と山本太郎首相待望論がどんどん高まっていくだろうと思えてくる。安倍首相に真っ向から闘いを挑み続ける山本氏から目が離せない。(横田 一)


日韓市民の友好姿勢に日本のネトウヨが大慌て! ソウル“反日旗”撤去に「反日続けろ」、「#好きです韓国」に「#嫌いです韓国」で対抗
 安倍政権による韓国への輸出規制や「ホワイト国」除外で、国交正常化以降、日韓両国の関係は最悪となっている。その影響は市民生活や経済活動にまで及び、日本から韓国への修学旅行が中止になったり、さまざまな文化交流のイベントが延期となった。
 そんなか、ソウル市中区が、日本製品の不買運動を呼びかける旗を繁華街に掲げたところ、市民から猛批判を受けて撤去したというニュースが、日本国内のマスコミにも取り上げられた。これは、安倍政権の嫌韓世論誘導に乗せられている日本国民よりも、韓国市民のほうが、よっぽど民主主義が根付いているということだろう。
 言っておくが、これは贔屓目ではない。事実、ソウル市中区の“反日不買運動旗”撤去の流れはこういうものだった。
 もともと“不買運動旗”は、右側に「NO」のOを日の丸に見立てた意匠と「BOYCOTT JAPAN」、韓国語で「行きません」「買いません」の文字が書かれた旗、左側には韓国国旗(太極旗)の2枚が1セットになったものだ。韓国の報道によれば、日本製品不買と日本旅行取りやめの意思が込められているとされ、多くの日本人観光客も訪れる明洞・清渓川一帯に1100本が掲げられる予定だった。
 しかし6日、メインストリートにこの旗が掲げられると、そのわずか数時間後には撤去された。韓国市民から区長へ批判の声が殺到したためだ。
 区のホームページや徐良鎬区長のFacebookなどには、「韓国が好きで来ている日本人に不快感を与える」「嫌韓感情を植え付けかねない」「不買運動は市民の自発的行為として行うべきで、行政が強要してはならない」「日本人観光客は敵ではない」といった韓国市民のコメントが噴出。“不買運動旗”の掲揚に反対するネット上の請願書にも6日午後までに約2万人の署名が集まったという。中区の徐良鎬区長は、当初「全世界に向けて日本の不当さとわれわれの強い意志を見せたい」などと言っていたが、6日には批判を受けてFacebookで謝罪、掲揚の撤回を表明した。
 市民だけではない。韓国マスコミもそうした「官製不買運動」に疑問の声を上げていた。ハンギョレ新聞は〈日本人観光客が最も多く訪れる地域なので、韓国が好きで訪ねてきた日本人に対する礼儀に欠けるという指摘が出ている〉として、仁荷大学教授の「地方政府の措置で、韓国を訪れた日本人たちが不安や不快感を感じることがあってはならない。このような時であればあるほど民間では自由に行き来しなければならない」というコメントなどを掲載した。
 韓国市民が「官製不買運動」を猛批判したことからわかるのは、極めて冷静に民主主義的価値観を尊重しているということだけではない。反目し合う「国と国」との関係と、「韓国人と日本人」あるいは「個人と個人」との関係を別のものとして捉えていることの証左だ。
 ところが、日本のネット右翼たちはそんなことも分からないらしい。Twitterではあいかわらず〈すぐに国交断絶せよ〉〈日韓断交あるのみ〉〈韓国は反日狂いの日本人の敵〉〈韓国は東京オリンピックにこなくていい〉と言ったネトウヨツイートが蔓延しているし、「官製反日不買運動旗」を韓国市民が拒否したというニュースには、「対立のために韓国は反日を続けろ」と主張する倒錯した投稿が相次いだ。
反日旗にNOのソウル市民と対照的! 嫌韓のために〈反日姿勢を貫け〉と叫ぶネトウヨ
 Yahoo!トピックスにもなった産経新聞の記事(「韓国『官製反日』に国民が『NO』 自治体トップらに批判」)のコメント欄には、こんな書き込みがいくつもみられた。
〈今回ばかりはお願いしたい。反日姿勢を貫いて、潰れてクダサイ。〉
〈これ程までに日本と韓国の向く方向が揃ったことはあったであろうか。。頑張ってジャパンパッシングし続けて頂きたい。〉
〈今回はお互いの国民がNOって意見が合ってますよ!お互いの国に行かない、関わらない、見ないで行きましょう!〉
〈ここにきて突然こういった韓国を擁護するような記事が出てくるのは不自然すぎる。よほど韓国はやばい状況に追い詰められているのだと思うけど、ここで中途半端な事をしてもまた同じ繰り返しになるだけです。韓国との遺恨を未来の世代に残さないために最後まで突き進んでほしい。〉
 普段、「韓国の反日けしからん!」なんてわめいているのに、韓国市民が「官製不買運動旗」を拒否すると「もっと反日やれ!」みたいなことを平気で言う。あまりにも愚かで醜い。これが“日本の世論”と受け止められるかと思うと、本当に頭が痛くなってくるが、しかしこれ、もとからバカなネトウヨのせいだけでもないだろう。
 安倍政権に丸乗っかりし、嫌韓煽動に加担している日本のマスコミも同罪だ。いま、テレビでも新聞でも、韓国政府と韓国市民を同一視して「反日」とレッテル貼りし、被害者ぶってヘイトを正当化してしまっている。
 実際、日本では一部マスコミが、7月27日にソウルで開かれた「ろうそく集会」を「反日集会」と報じた。だが、この集会の参加者が掲げたプラカードにあったのは、ハングルで「NO安倍」の文字。デモは“日本を攻撃する”=「反日」ではなく、人権問題である徴用工問題を輸出規制で封殺しようとする、日本の安倍首相を糾弾するものだったのだ。
文大統領の「賊反荷杖」発言を「盗人猛々しい」と“意訳”したマスコミ
 他にも、8月2日に安倍政権が韓国の「ホワイト国除外」を閣議決定すると、韓国の文在寅大統領が強く日本政府を批判したが、これについて日本のマスコミは一斉に「文大統領が日本を『盗人猛々しい』と批判」と報じ、これにまたネトウヨたちが過剰反応。佐藤正久副外務大臣も2日、BSフジの番組で「『盗っ人猛々しい』という品のない言葉まで使っているのは異常だ。日本に対して無礼だ」と怒りをあらわにした。
 しかし、毎日新聞7日によれば、文大統領が使った「賊反荷杖」という四字熟語は、日本語では直訳できない表現で、ニュアンスとしては「悪いのはあなたでしょ」程度の語感だという。事実、韓国報道の日本語訳では「『加害者の日本が居直り、大口をたたく状況を座視しない』と強い口調で語った」(聯合ニュース)などと訳されている。
 毎日新聞の記事を執筆した堀山明子・ソウル支局長は〈今回の「賊反荷杖」の訳を巡るすれ違いは、本質的には翻訳の問題というよりも、日韓首脳会談も開けないほどの相互不信から生まれた事件ではないか〉とまとめているが、安倍政権が韓国批判を強めるなかで、国内のマスコミ報道がそれを忖度するように“角度”をつけて翻訳してしまったということではないのか。
 そうした国内の状況を考えても、やはり、ソウル市中区の「官製不買運動旗」を韓国市民が拒否したというのは、この「最悪の日韓関係」を打破する可能性をもつのは、市民の力だということを痛感させられるのだ。そして、日本でも、安倍政権の「官製韓国ヘイト」やマスコミの嫌韓報道とは別の次元では、そうした市民による友好の意思が発揮されつつある。
 先月末にTwitterで生まれた「#好きです韓国」のハッシュタグだ。
「#好きです韓国」「#好きです日本」のハッシュタグにも噛み付くネトウヨ
 もともとハングルで拡散されたこのタグには、旅行中に韓国人に親切にしてもらった感謝のエピソードや、韓国文化に対する敬意、そして政府間が険悪だからこそ交流を続けていくべきというメッセージなどが添え得られている。他にもいくつか引用しておきたい。
〈同じ人間、隣の国同士仲良くしなきゃ! みんなすごく優しい人ばっかり!〉
〈日韓の情勢が最悪と言われてる今、一般の人たちがニュースに惑わされること無く仲良くできますように。〉
〈どんどん日韓関係が悪くなってる今だからこそこうやって両国でハッシュタグが生まれて互いを褒め合い認め合うの本当に感動するし、日韓を繋げていくのは間違いなく私たちだと思わされる…〉
〈権力者らは、国民の感情を支配、コントロールしやすくする為に敵国をわざと作りたいんだよ。70年前みたいにね。だから私たちは仲良くしましょう。戦争しない平和の為に。〉
 そして、この「#好きです韓国」のタグに対して、韓国のユーザーからも「#好きです日本」のタグが誕生。分断を煽る安倍政治やマスコミに対して、市民レベルでの友好と平和を希求する声が、SNSで広がりをみせているのだ。一方、「#好きです韓国」「#好きです日本」のハッシュタグの盛況に対して、いま、ネトウヨたちは顔を真っ赤にして「#嫌いです韓国」なるゴミを流行らせようとしているが、あまりにも愚かで論評する価値もない。
 安倍政権が徴用工問題への報復として輸出規制をしかけたことは、国際社会にもバレバレなわけだが、そもそもこれは人権問題であり、批判されるのは当然だ。問題は、その韓国世論からの批判を、安倍政権が国内メディアを利用して「反日」なる“日本人批判”にすり替えている姑息である。
 政治に騙されてはいけない。日韓の友情と平和を思うわたしたちの気持ちは、かならず通じる。「敵」は韓国ではない。ましてや韓国の人々でもない。このかけがえのない思いを阻もうとする安倍政権の「官製ヘイト」にこそ、わたしたちは抗うべきだ。


「表現の不自由展」中止で「平和の少女像」が有名になったという現実 テロ予告への対応と表現の自由
河合 幹雄 桐蔭横浜大学教授・副学長
あいちトリエンナーレとテロ予告
あいちトリエンナーレは、愛知県が中心となり2010年から3年に一度開催されている大規模な国際芸術祭である。2019年は、津田大介氏が芸術監督となり、8月1日から開催された。
多数ある展示のひとつA23「表現の不自由展・その後」は、ウェブサイトの趣旨説明によると、「日本で何かしらの理由で展示できなくなってしまった作品」を集めたとし、さらに「現代においては、その対象は為政者や権力者とは限りません。そのため、表現の自由は無制限に認められるわけではなく、他者の人権を損なう場合は調整が行われます。」と述べて、驚くべきことに、表現内容次第で表現規制がなされるべきと主張しています。
事件化したのは、8月1日に、その展示物のなかに、慰安婦問題で騒がれた「平和の少女像」があることが知れわたったためである。
松井一郎大阪市長、河村たかし名古屋市長などが、強く非難し、3日には、大村秀章愛知県知事と津田大介氏が、抗議が殺到し、テロ予告や脅迫があることを理由に「表現の不自由展・その後」の展示中止を発表した。
本事件について、既に多くの報道やコメントが出されているが、表現の自由問題として、簡潔に整理したうえで、私の専門である、テロ予告や脅迫の問題について情報提供しつつ私見を述べたい。
展示中止は間違いだった
まず、表現の自由については、誤解や曲解さえしなければ、むしろ簡単な問題である。芸術祭の展示物の内容によって、展示中止はしてはいけない。とりわけ権力者は手出し口出し無用である。
むろん、名古屋市庁舎前に置かれたのなら、市長が怒って撤去させてかまわない。公金が入っていても、表現物への介入は憲法違反である。
憲法を学んだ者にとっては、簡単な例題なのだが、そもそも津田大介氏はじめ、多くの人は理解していないか、わからないふりをしている。大村知事ただひとりが、まともな答弁をしている。
憲法学者にとっては正解が簡単にわかりすぎて、理由の説明がうまくできていないように感じるので、私なりに説明をしておこう。
警察はじめ統制機関を研究対象とする私は、表現の自由を奪う側の視点で見ることができる。
政治的に知られたくない事実や意見が広まるのを止めるには、メディアを通した拡散を抑える必要がある。
実際にあった例を単純化して述べるが、フランス政府は、アルジェリア戦争批判の出版物を止めるために、その内容に難癖つけることはしなかった。
それをするには、皆がその内容を知っている必要がある。つぶしたい情報の内容は、皆が知ってしまえば終わりなのである。
今回も、平和の少女像を見ないで議論できないので、どこかで見せてくれなければ賛成も反対も批評もできない。
現に、河村市長は、展示を見に行った。それでは、見せないで置く方法はといえば、本来の標的ではない別の作品に難癖つけて、出版させないとか展示展全体を中止させるとかいうことになる。
ここで歴史的に悪用されてきたのが「不道徳な出版物」を領布したということで、出版社、印刷所、問屋、本屋を逮捕するやりかたである。わいせつ物領布罪を使えば、全てのメディアを抑えることができるわけである。
このせいで、表現の自由の判例と言えば、わいせつ裁判になってしまうのだが、本来、守りたいのは政治的な発言や、人々が知るべき重要な事実ということである。
まとめれば、本来の標的でない物を標的にして騒ぎ、関係者を逮捕したり販売や展示の中止をさせて伏せておきたい作品を消すのが、本物の表現規制である。
少女像を有名にする不思議な表現規制
以上の理解を前提に考察すれば、津田大介氏が表現の自由を奪われた被害者で、政治家が加害者という構図は成立しない。隠すターゲットのはずの平和の少女像は、展示中止でよけい有名になった。
津田氏も政治家も、どちらも奇妙な行動をとっている。
津田氏陣営は、そもそも表現内容によって厳しく表現の自由は制限すべきとして、百田氏の講演会を中止に追い込んだりしており、むしろ表現の自由の弾圧側である。正しいとされる内容が、現政権と食い違うだけである。
これは、旧ソ連圏の言論弾圧が、資本主義国側のマルクス主義に対する言論弾圧より酷かったのを思い起こさせてくれる。冷戦後の反省が足りない左翼そのものである。
かたや、右派の政治家の動きも、この件が言論弾圧だとすれば不思議なことである。平和の少女像はよけい有名になった。彼らは、日本の歴史の恥部を隠すための活動ではなく、人気取り発言をしたかっただけのように思われる。
表現の自由が最も必要とされるケースは、国民に隠されてきた重大な事実を人々に知ってもらうことだとすれば、そもそも従軍慰安婦問題は、既に良く知られている。むしろ過剰に報道されたぐらいである。
大切な所なので、私自身の立ち位置も明確にさせつつ、再度説明しよう。
戦後何十年もたって生まれた者は、先祖の信じられない悪行を自国民の歴史として信じたくない。これは心情的には理解できることである。
こうした人々が大人数になりつつあることを見越して、人気を取ろうと言う性質の悪い政治家が、歴史否定の言説を弄していると私は解釈している。つまり、彼らは全くナショナリストではなくエゴイストである。
他方、津田氏陣営の人々が何を目的にしているのか、私には理解できない。かつてどこの国の軍隊にも似たような制度があった従軍慰安婦の制度は、既に廃止されている。さらに、元慰安婦の方々への補償も提案されて一部実現している。
左派には、この補償に反対した人たちもいるのだからまいってしまう。現実の元慰安婦の救いには興味がないようである。
もう一言、付け加えさせていただければ、右派も左派も、第二次大戦中の最大の犯罪行為である、一般市民へ原爆投下という大虐殺と、今も大量の核兵器がいつでも発射できる状況であることを優先問題にしないのはなぜなのか。
性犯罪に絞っても、在日米兵に強姦された沖縄の少女像はなぜ出現しないのか。沖縄の少女像がないことこそが言論弾圧の結果ではないのか。
より広い視野で問題を捉える必要がある。右派左派に共通なのは、身内受けだけを狙っており、自分たちの本来の目的が何なのかを見失いがちであることである。
テロ予告への対応
表現の自由問題はこのぐらいにして、脅迫やテロ予告への対応について検討しておこう。
「ガソリン携行缶を持参してお邪魔する」というFAXが来たのも含めて、多数の電話やメールが大会組織に来ているそうである。さらに、右翼の街宣車も会場付近に登場し「津田大介出てこい」と叫んでまわっていたという。
事務局職員が対応しきれないこと、安全性等を考慮して、知事と津田氏が展示中止を決めたそうである。
セキュリティーの一般論として、テロや脅しに屈さないことが鉄則と言われるが、もう少しカラクリを見ておこう。
日本の具体名は話せないので、パリの国際空港を例にとると、爆破予告は、文字通り毎日ある。爆破予告は、ただの脅しであることがほとんどで、本当に爆破するなら密かに侵入するものである。
そうはいっても、非常に具体性がある内容の脅しが来ることはある。そのさいは対応して爆発物がないことを確認する。
そして、脅迫については決して外部公表しない。もし報道されれば、脅迫犯は、うれしくなって益々やるからである。脅しに屈さないと言えば勇ましくてかっこいいが、毎日脅しがあるので、無視する他ないというのが本音である。
今回のガソリン云々は、危険性が全く感じられない。京都アニメーションの事件を念頭に置いたと想像されるが、まさか台車でガソリン携行缶を持参して美術展の玄関を入れるはずはない。
クレーム電話については、これに対応できなければ独立した組織としてやっていけない。性質の悪いクレーマーに対応してくれるプロをやとって、そこに電話を転送すれば済む。準備は必要だが、それほどの大金はかからない。
右翼の街宣車は、未経験者は、来られるとどうしようと慌てるかもしれないが、昔からある手にすぎず、対応方法は確立している。その道のプロに相談すればよい。
一番良いのは、津田氏本人が出て行って面会を求めればよい。ビビッて出てこないと思い込んで「出てこい」といっているだけなので、勇気を出して対話に行けば面白いことになる。
右翼の街宣車に乗っているのは誰かについては調査研究もある。それによると、街でブラブラしている若者に日当5千円で一度乗ってみないかと声をかけるそうである。
暴力を振るわれないか心配な人が多いと思うが、右翼の街宣車が押しかけて酷い暴力事件というのは聞いたことがない。
何か揉めかけると、後ろに待機している警察官がすぐに出てきてくれるのが常である。街宣かけるのは、嫌がらせであって暴力的な襲撃ではない。
なぜ展示を中止したのだろうか
結論として、あいちトリエンナーレに対する脅迫やクレーム電話はたいしたことなかったと思う。
それでなぜ中止したかだが、ここからは私の推測にすぎないが、知事は騒ぎを治めるためにとにかく中止したかったからであろう。
しかし、その理由として、名古屋市長や官房長官に同調するわけにはいかず、別の中止理由がほしかったのだと思う。
大村知事が、名古屋市長を憲法違反とたしなめつつ、仕方なくの文脈で展示中止で事件を治めたのは、政治家として、力量、バランス感覚ともに優れた見事な対応だと賞賛してよいと思う。
理想論を持ち出せば、むろん展示続行だが、そのためには事前に周到な準備をしておかなければ無理である。
3回目の展示展を開催したらどうか
津田氏は、理想を言えば、文句のあるものは皆、自分に会いに来いと展示会場に行き、右翼とも対話しつつ展示続行してほしかったが、そこまでスーパーマンであれとまで望むのは酷であろう。
ただし、芸術監督は、そこまでの覚悟がいることを軽く考えていなかったか、芸術監督を引き受けたこと自体無理だったという反省は必要であろう。
今後に向けて、津田氏には、是非とも第3回目の「表現の不自由展」を開催してほしい。
そのさいにひとつ注文がある。表現の不自由展と言うからには、左翼的なものだけでなく他にも表現規制を受けたものを同時に展示し、表現規制について深く考えさせる展示展にしてほしいことである。
展覧会とは社会に開かれたものであるべきである。自分の仲間内にだけアピールする姿勢を改めてほしい。
極端な意見の者どおしが支えあっている
安倍政権は、一強と呼ばれるほど選挙に強いが、あまり積極的に支持している人はいないとみえる。
外交、経済、教育……何を取っても、成功しているとは言い難く、スキャンダルは多数ある。それなのに強いのは、野党の酷さが、それへの反発を呼んで結果的に安倍支持につながっているからと見える。
頑なな護憲運動に辟易して、外交失敗続きの安倍政権のほうがまだましという構図である。
伊勢崎賢治氏や井上達夫氏が護憲派と政権側の両者を批判するように、表現の自由についても、右派左派ともに大きな誤りを犯している。そして、津田氏の今回のような展示展は、結果的には安倍政権を強く支えてしまう。
また、右派左派ともに、相手陣営のとんでもない意見への反論以外に内容のない応酬を続けているだけで、落ち着いたまともな研究が出てこない。まるで互いに支えあって存続している感がある。
愛知県警の速やかな検挙
最後になったが、「ガソリン携行缶を持参してお邪魔する」は、文句なしの威力業務妨害罪である。
これまでもインターネットを通した言説が、いたずらですむのか脅迫なのかは議論されてきたが、人の命にかかわる場合は冗談ですまないで脅迫であるとみなすべきこと、業務妨害の意図が見える場合には威力業務妨害を問われるべきことなどが、これまでの事件で、おおよそ固まってきていると認識している。
FAXがパソコン経由で匿名化されていると報道されているが、これを捜査できないほど警察のサイバー部門は無能ではない。
さもなければ東京オリンピックなど開催できない。迅速な犯人逮捕を期待すると書いているうちに、幸い逮捕されたようである。
警察が右翼の活動を見逃す形での市民運動の弾圧という古い構図は心配しなくてよさそうである。


戦地であったがゆえの凄惨な性暴力とコミュニティからの孤立――日本軍による中国人性被害者の知られざる実態
 第1回、第2回で述べたように、ひとくくりに「慰安婦」といえども、彼女たちの国籍や、慰安婦となった場所で被害のあり方は大きく異なる。中でも中国は戦地ということもあり、軍が管理した慰安所に留め置かれた「従軍慰安婦」に加え、戦場レイプの被害者、前線の日本軍部隊が作った即席の“慰安所”に監禁された女性など、さまざまな性暴力の被害者を生み出した。一部の被害女性たちは日本政府の謝罪と賠償を求めて裁判を起こしたが、中国政府は1972年の日中共同声明で日本政府への賠償請求権を破棄。それを理由に日本の司法は被害女性たちの訴えをすべて却下した。
 韓国人「慰安婦」同様に、戦後から1990年代まで長らく沈黙を強いられてきた中国人被害者たち。住んでいた土地を追われたり、精神的なトラウマに苦しんだりと、深刻な性被害は「その後」の人生にも影を落とし続けた。体調が悪化すれば病院に連れて行くなど、常に彼女たちに寄り添い、支援を続けながら被害証言を集めた班忠義氏が監督を務める映画『太陽がほしい 劇場版』が現在、東京・大阪・愛知で上映中だ。同作に登場した被害女性や加害を告白した日本軍兵士は高齢のため亡くなった人が多く、それと入れ替わるように、日本では「南京虐殺はなかった」「『慰安婦』は性奴隷ではなく売春婦だ」などと過去を歪曲する動きが見過ごせないほどの勢力を得ている。戦争を知らぬ世代は、今後どうやって歴史と向き合うべきか? 班氏に話を聞いた。
――韓国では名乗り出以降、年々、元「慰安婦」への関心や支援の動きが高まっていますが、中国では元「慰安婦」はどう扱われているのでしょうか?
班忠義監督(以下、班監督) 「慰安婦」という言葉自体が、まだ正しく理解されていないですね。私が調査した中国籍の女性80人のうち、慰安所にいた経験を持ち、自ら「慰安婦」を名乗る女性は2〜3人ほどでした。ほかの方は、戦地での性暴力被害者です。中国人は、慰安所にいた「慰安婦」については、敵国(日本)側の人間だと思っていますね。中国は戦後、言論統制が敷かれ、「慰安婦」に関する調査が進んでいない。そのため彼女たちがどんな仕打ちを受けてきたのか、その被害がまったく知られていないのです。また農村部などの戦地で監禁された被害者から見れば、「私たちと『慰安婦』はまったく違う」「私たちはお金(「慰安婦」が兵士からもらっていた軍票)ももらってないし、食事もろくに与えてもらえなかった」という主張になる。このような分断は、戦闘地域ならではのパターンですよ。
――映画では、抗日勢力とのゲリラ戦地だった山西省の女性たちが多く登場します。彼女たちは、日本軍に拉致・レイプされたり、自宅に押し入ってきた日本軍や傀儡軍兵士にレイプされたりと、部隊が自分たちで作った「即席慰安所」の被害者ですね。彼女たちへの目はどうでしょうか?
班監督 彼女たちの多くは、抗日兵士の妻や娘たちでした。ゲリラ戦で多くの犠牲者を出し、僻地を長期にわたって占領する日本軍にとって、彼女たちは敵対国の人間であるだけでなく、仲間の兵士たちを死に追いやった存在でもある。このような二重の憎しみが、凄惨な暴力となって表れています。それが慰安所の「慰安婦」とは違うところです。とはいえ、性被害という点においては、それぞれに悲惨な状況があり、区別や軽重をつけられるものではありません。ただ、あえて違いを挙げるとすれば、慰安所にいた朝鮮半島の女性たちは植民地支配下で常に差別を受けてはいたが、日本兵にとっては“同族”であったのに対し、中国の現地女性たちは敵であり、日本兵たちが憎しみの気持ちを抱いていただろうという点でしょうか。
 一党支配の中国においては、常に党の「利益」が中心に考えられます。現在の日中関係において、「慰安婦」問題は利益につながらないと考えられているため、中国政府も長らく放置しているのだと思います。私が「慰安婦」問題に関心を持つようになったのは、映画にも登場した万愛花さんの存在を知ったのがきっかけです。彼女が92年に「日本の戦後補償に関する国際公聴会」に登壇した際、被害を訴えるうちに、失神してしまった。彼女の話を聞いたときも、私自身そんなことがあるのかと信じられなかった。そのぐらい中国では知られていない。当時、中国にも支援するような市民組織が生まれていたが、当局の監視の下で自由に活動できないので、結局、被害女性たちは日本の民間人からの支援を受け、裁判などを行ったのです。
被害女性たちは許すための「真理」をほしがっていた
――愛花さんは共産党員だったため、日本軍兵士に「党員名簿を渡せ」と迫られ、ひどい拷問も受けて肉体的にも大きなダメージを負いました。ほかの女性も、子どもを持てなかった人、養女を育てても中国は血縁を重視する社会のために養女から養育放棄される人、望まない結婚をせざるを得なかった人など、多くの人が苦しい人生を歩むはめになりました。また被害者自身がコミュニティーからスティグマ化されるという、性暴力被害ならではの問題もありますね。
班監督 そうですね。愛花さんは、住んでいた村の人たちとうまく関係が作れず、後ろ指をさされるような状況だったので都会に逃げました。都会なら一人の女性として社会に紛れられるから。その後、裁縫や子守で生計を立てながら、細々と暮らしていました。映画の中には、村人たちが協力してその年の農作業を終えているのに、一人で畑に出ているおばあさんがいたと語られる場面があります。彼女も性暴力被害者で、戦後はコミュニティーから疎外され、その後自死しました。
――自身の奇行に悩む女性もいますね。
班監督 彼女たちの多くは、14〜15歳で、日本軍が山を掘って作ったような「強姦所」や民家に監禁されていました。窓はひとつしかなく、真っ暗な中一人で監禁され、複数の兵士に集団で強姦されるわけです。私たちが想像できないほどの恐怖を抱いたでしょう。そのため、深刻なトラウマを抱えています。日本軍から解放された直後は室内にいられず、ずっと外で過ごしたという女性もいました。傷が癒えたと思っても、思いもよらぬことで傷口が開くこともあります。日本との戦争が終わった後に、中国では大きな飢饉がありました。そのときにとある女性は、どうにかして子どもを守らなきゃいけない、というストレスが引き金となって発作を起こし、全裸で外に飛び出すという奇行をしてしまった。あとは男性をまったく受け付けなくなる人、逆に性的に奔放になる人もいました。
――そのように現在まで続く苦しみに悩む被害女性に対し、日本は国家賠償をしておらず、謝罪においても「軍が関与した」という表現にとどまり、国として明確な責任を認めていません。一方で、映画の中では旧日本軍兵士だった加害男性や、日本の市民団体が被害女性たちに直接謝罪する場面があります。個人や市民団体の謝罪を、彼女たちはどう受け止めていましたか?
班監督 金学順さんが初めて元「慰安婦」として名乗り出た90年代以降の日本での草の根運動、市民団体の活動、そして彼らの謝罪は、彼女たちの心をすごく癒やしたと思います。長年そばで見てきて、彼女たちの中にも「もう許したい」という気持ちがあったように感じていましたから。でも日本政府が謝らないから、許すこともできない。彼女たちのほとんどがそうであるように、愛花さんも賠償金にはほとんどこだわりがなくて、「なぜ日本軍は女性への性暴力をはじめ、赤ん坊まで殺すような残虐な行為をしたのか。なぜ性被害や虐殺を認めないのか。本当のことが知りたい。真理(真実の究明、謝罪、後世への教育)を取り戻したら友達になれる」とまで言っていました。
歴史と向き合うためには?
――真理を求める被害者に抗うように、いまの日本では歴史を歪曲するような動きが目立っています。班さんが映画を作ろうと思った背景には、歴史修正主義への危機感があったそうですが、具体的にそれを感じた出来事は?
班監督 95年に、私は中国人被害女性への支援活動を始めました。その募金の呼びかけが朝日新聞に取り上げられたときに、私の連絡先が掲載されたのですが、とある大学の教授から電話がきたんです。彼は、4歳で内モンゴルから山西省に来た愛花さんのことを「彼女は奴隷妻、童養媳(トンヤンシー)だろ?」と聞いてきました。童養媳とは、将来その家の男児の妻にするつもりで、女児を買って育てるという、中国にあった婚姻制度のことです。要は「一度中国人が奴隷とした女性を、なぜ日本人が踏みにじってはいけないのか?」という主張なのです。この考えに、すごくビックリしました。
 この映画を作ろうと思った直接的な原因は、2013年の当時の大阪市長・橋下徹氏のいわゆる「橋下発言」(※)ですね。先ほどの大学教授と同じような考えを持った政治家が出てきた。「ほかの軍隊もやっていたのに、何が悪い」という主張は、歴史修正主義によくみられます。悪を横並びにして、「私だけが悪いんじゃない」という理屈には断固反対です。
――おっしゃる通りですが、それでもいまは歴史修正主義が日本社会に侵食しており、それがあいちトリエンナーレの少女像への政治家・市民からの撤去要請に至ったように思います。日本人が歴史と向き合うには、どうすべきでしょうか?
班監督 近年、留学する日本人が減っていますが、日本以外で歴史を学ぶということはすごく大事です。日本の教育の場では日中戦争のことを全然教えないで、太平洋戦争の被害の部分ばかりを取り上げていると思います。戦争について学ぶ時間が短いし、教科書からは「慰安婦」の文字も消えました。そのため、他国、特にアジア諸国との近現代史の認識・理解のギャップが大きい。一部の日本人は「日本軍」という三文字がついているだけで、アレルギー反応のように感情的になっていると思います。
 まずは日本という枠組みから一歩踏み出し、一つの空間、一つの歴史、一つの利益から解放され、俯瞰的な視点に立つこと。そしてナショナリズムのフィルターを外すこと。そのために、戦争に対する正しい知識を自分から積極的に調べて、身につける。そうすればどんな歴史からも逃げずに受け止められるようになるし、そのことが自分自身の人生を豊かにしてくれるはずです。
※「慰安婦」問題に関して、「戦場において、世界各国の兵士が女性を性の対象として利用してきた」「世界各国もsex slaves、sex slaveryというレッテルを貼って日本だけを非難することで終わってはならない」と、「慰安婦」の存在を認めつつも、日本政府の責任を転嫁するような持論を展開した。
班忠義(はん・ちゅうぎ) 1958年、中国・遼寧省撫順市生まれ。そこで日本人残留婦人と出会い、残留婦人問題についてつづった『曽おばさんの海』(朝日新聞社)を出版し、第7回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞を受賞。92年、中国人元「慰安婦」万愛花さんと出会い、中国人・韓国人元「慰安婦」だけでなく、加害を証言した旧日本軍兵士からも聞き取り調査を始める。『チョンおばさんのクニ』『ガイサンシーとその姉妹たち』『亡命』といったドキュメンタリー映画を監督。
『太陽がほしい 劇場版』
「私は慰安婦ではない――」。中国人女性の言葉に耳を傾け、寄り添い、支え、記録を続けた20年。「慰安婦」という言葉からは想像できない過酷な人生がそこにあった。
東京:アップリンク渋谷(終了日未定)、大阪:シネ・ヌーヴォ(〜8月23日)、愛知:シネマスコーレ(〜8月16日)にて公開中! ほか、神奈川、新潟、京都、兵庫、広島など全国順次公開。


NHKの何が問題か? 「公共放送の病」と70年前の政治的遺物である放送法
 先の参院選で躍進した、NHKから国民を守る党(N国党)。「NHKをぶっ壊す」をスローガンに戦った立花孝志代表が当選を果たしたという事実は、見過ごせない。インターネット発信のみで認知度を高め、巨大メディアのNHKにノーを突きつけた。これほど鮮やかにテレビの凋落ぶりを示す選挙はいまだかつてない。
 NHKは果たして、「みなさまの公共放送」と言えるのか。その信が問われることにもなった今回の選挙。これを機に、NHKを肥大化させる原因ともなった放送法の見直しについて、真剣に議論をはじめてもよいのではないか。
法律の庇護下に置かれた公共放送
 受信料の支払い義務は、放送法第64条「受信設備を設置した者は、協会(NHK)とその放送の受信についての契約をしなければならない」が根拠となっている。テレビを置けば強制契約となるわけだ。契約が義務であって受信料の支払いは義務とは書かれていないのに、現状は月額1,260円(地上契約の場合)の支払いを要請される。年間にしておよそ1万4,000円である。料金の支払いに納得いかず不払いを貫き、NHKに訴えられた人は少なくない。
 NHKの平成30年度決算概要によると、同年度の事業収入7,332億円のうち受信料収入は7,122億円。つまりNHKは国民から集めたお金で成り立つ組織である。事業収入を支える柱は言うまでもなく放送法だ。
 「法律で契約しろとなっているからお金を徴収できる」。よく考えれば極めて珍妙なビジネスモデルである。極端な話、何の経営努力も必要なく、技術やアイデア、斬新な商品を生み出さなくても潤沢な資金が得られる仕組みだ。「NHKの経営はバカでもできる」と言われるゆえんはまさにここにある。
 そのように法律を笠に着て蓄えた資金を、NHKは何に使っているのか。平成30年度財務諸表の財産目録一覧によれば、NHKの資産は現金預金・有価証券、固定資産、特定資産など計1兆1,940億円で、純資産は7,666億円。有価証券の内訳を見ると、国債や政府保証債、地方債、事業債などの購入に多額のお金を投じていることが分かる。国民から受信料を徴収し、かつ国会で予算の承認を受けている放送局が、いったい何の目的でこれらの証券を購入しているのか。きちんと説明すべきではないのかと指摘する声もある。
 厳しい競争社会を生き抜くわけでもなく、事業リスクや赤字を怖れる必要もない。何度も言うように、「法律に書かれているから」莫大な収入が保証されている点を忘れてはならない。
 多額の資産を抱え込み、余剰資金を証券購入に回すほど「儲かっている」NHKだが、受信料を引き下げて国民に還元する気はないようだ。それどころか、今後の徴収業務は輪をかけて行われる可能性がある。放送法改正でNHKのテレビ番組がインターネット視聴できることになり、ネット環境が整うだけで受信料の支払い義務が生じる。これにより、NHKの懐はますます潤い、受信料の徴収に泣く国民はさらに増えるだろう。
法令違反の組織に受信料を支払う必要なし?
 N国党は、次のような問題を理由に受信料不払いを推奨している。
・職員の高すぎる給料
 平成30年度のNHKの給与費は1,115億円。職員の数が約1万人だから、平均年収は1,000万円に上る。会社員の平均年収(約400万円)のおよそ2.5倍の額である。NHK職員の給与の妥当性については、過去国会でも取り上げられ、問題視する向きも少なくない。
・職員の犯罪率
 NHKは、2004〜2014年の10年間で、公表されているだけで70人以上の逮捕・処分者を出している。横領、着服、不正経理といった社内不祥事から、窃盗、わいせつなどの悪質犯罪、殺人、死体遺棄といった凶悪犯罪まで、内容もさることながら数の多さは深刻である。2015年以降も変わらず毎年数人の逮捕者を出し続け、2018年11月には「おはよう日本」のチーフプロデューザーが女性のスカート内を盗撮しようとして逮捕されるという事件が起きた。
・集金人の悪質行動
 自宅で待ち伏せ、ドアを蹴とばす、大声を出す、払わないと高圧的な態度に出る……。など、NHK集金人の素行の悪さは世間に響き渡っている。彼らはNHK職員として1,000万円の年収を得ているわけでは当然なく、NHKから受信料の徴収を委託されノルマが課せられているため、どうしても強引なやり口に頼らざるを得ない事情があるようだ。違法・無法な行為で集金に走るNHKに受信料を払う必要はあるのか? というのがN国党の言い分だ。
・視聴者から要望がありながら、スクランブル放送を実施しない
 スクランブル放送とは、料金を支払った者のみ番組視聴できるシステムである。WOWOWやスカパー!などを想像すると分かりやすい。「スクランブル放送を望む国民は8割以上」との調査結果があっても、NHKはスクランブル放送に関する情報を進んで提供しようとしない。受信料収入が圧倒的に減るからだろう。エゴに走る放送局のどこが「みなさまのNHK」なのか、N国の党は厳しく指弾した。
 他にも、経費の使い道や報道姿勢などの問題を取り上げ、受信料不払い推奨の根拠としている。立花代表はYouTube動画などを使ってこれらの情報を拡散し、ネット層からの支持を取り付けることに成功した。
NHKが庶民の不満のはけ口に?
 今度の参議院選挙では、「年金・社会保障」が大きな争点として浮上した。収入はなかなか増えず、明るい未来を描けない。そんな漠然とした不安を抱く人は若者を中心に多い。このような情勢下で何かと攻撃の的にされやすいが、大企業やキャリア公務員、富裕層といった上流層。NHKは放送業界の権威的存在であり、そこで働く職員は高年収の「勝ち組」たちだ。苦しい生活にあえぐ庶民からすれば、まさに敵として映ってもおかしくない。
 NHK職員の給与に関しては、さまざまな見方があり、必ずしも高禄とは言い難い。というのも、NHKを含むテレビ局員は総じて高収入で、民放キー局はおおむね平均年収1,500万円ラインに達するほどだからだ。NHKだけが特別高いとは言えないのである。「給与を下げたら高待遇のライバル局に優秀な人材を取られてしまう」という理屈にも一理あるだろう。
 ただし、選挙ではそのような公平な視点をもって投票に臨む人が果たしてどれくらいいるのか、率直な疑問として残る。N国党のようにわかりやすく「NHK職員の給料はみなさんの2.5倍ですよ! 犯罪者も多いのに、そんな組織に受信料なんか払う必要ありますか!」と訴えられたら、大きく雪崩を打ってしまうのが大衆というものだ。NHKというわかりやすい敵、ワンイシューに特化した巧みな戦略、庶民の間でくすぶる不満。これらの要素が有機的に結びついた結果、巻き起こったのがN国党旋風ではなかろうか。
放送法改正論議の呼び水に
 選挙結果より、選挙後の議員たちの仕事ぶりこそ重要である。国民の信を受けた国会議員がどのように働き、どんな結果を残していくのかのウォッチが我々に求められる。立花議員に投票した人は、NHK改革やスクランブル放送の実現に期待しての行動だろう。ただのブームで終わらせないためにも、彼の国会活動がどのような形で展開するか、見守っていかなければならない。
 結局のところ、NHK問題の本質は放送法にあるのではないか。ここにメスを入れることは、受信料の問題に限らず、テレビ局のあり方や報道の中立性、電波の取り扱い方まで波及する。昭和25年に制定された放送法だが、すでに今の時代にそぐわない条文もある。そもそも受信料は、GHQ主導の下、政府からの独立を目的に国民から広く徴収するためのシステムとして生まれた。つまり70年前の政治的遺物なのだ。
 時代は進み、放送媒体をめぐる状況も大きく様変わりした。情報のアクセス環境の質は当時の比ではない。情報収集をNHKに頼らなければならない時代は、とっくの昔に終わっているのである。
 時代ニーズの変化とともに企業法の改正や会社法の制定がなされたように、放送法も時代の流れには逆らえないはず。法律の庇護を受け続けた結果、組織全体が弛緩して国民からそっぽを向かれつつあるのが今のNHKと言えるのではないか。このまま改革もなしに立ち止まっていれば、いずれ政治の介入を許す日が来るかもしれない。


上杉隆氏がN国幹事長に 東京都内で臨時総会
 NHKから国民を守る党は10日、東京都内で臨時総会を開き、ジャーナリストの上杉隆氏を党幹事長に充てる人事を決めた。立花孝志党首は総会後、上杉氏について「国会議員の秘書経験があり、政策に精通している」と述べた。
 立花氏は総会で次期衆院選で、比例の全11ブロックに候補者を擁立する方針も表明。自身は「候補者になると、メディアへの露出が減る」として、参院からのくら替え出馬はしない考えを明らかにした。【野原大輔】


狭山事件<後編>偽りの自白 きっかけ作った関氏に会いたい
「部落に対する差別というのは、ひどいものがあったね」
 1963(昭和38)年5月23日、当時24歳の石川さんは女子高生誘拐殺害事件の犯人として不当逮捕された。その要因となった部落差別について絞り出すような声で話してくれた。
「ちょうど西武線の線路が境になっていて、ここは踏切向こうと呼ばれていました。部落ではない地区にあった床屋に行ったら『臭いから来ないでくれ』と言われたり、家が貧乏だったから年季奉公に出て、地区の名前を出したら、帰りなさいと言われたりね」
 ――経済的にはどうだったんですか?
「昔は下駄で学校に通ったんだけど、歯がすり減っても新しいのを簡単に買えないから、履くのは冬だけで、春から夏ははだしで学校に行ってたね。足の裏は硬くなってゴワゴワだったよ」
 ――学校でも差別はあったんですか?
「あったね。家の手伝いをしたりで寝不足で学校に行くでしょう。どうしても寝てしまう。それでも先生は何にも言わないですよ。ほったらかしです。家が貧しいから奉公に出なきゃいけなかったから、6年生の時はほとんど学校には行ってなかったですよ」
 家庭の貧しさから学校には満足に通えず、勉強にも身が入らないという負の連鎖がついて回った。
「何であんなに貧しかったんだろうか」
 石川さんは、目にうっすらと涙を浮かべ、話し続けた。
「半分腐った芋を食べたり、豚の餌、鳥の餌、カタツムリに蛇、何でも食べたな。生きるのが精いっぱいで夢なんて考えたこともなかったな」
 そうした日々の中で楽しみは野球をすることだった。
「地区で野球のチームをつくったんです。ところが対戦相手がなかなか見つからない。部落のチームだからと嫌がられるんです。そんな時に、少年時代から野球を教えてくれ、親切だった駐在さんが対戦相手のチームを見つけてきてくれたんです。関さんという方でね。信頼できる人でした」
 その関さんとは、逮捕後、一貫して無実の訴えを続けていた石川さんが、偽りの自白をしてしまうきっかけをつくった、関源三巡査部長のことである。
 関源三氏は、石川さんの自宅近くに住んでいたこともあり、野球などを通じて逮捕前から親しい関係だった。逮捕後も石川さんへの差し入れ、下着類の取り換えなどで、石川さんと家族の間を行き来する動きをしていた。
 狭山事件を巡る裁判で、有力な証拠とされているひとつに、石川さん宅の鴨居から発見された被害者の万年筆がある。
 万年筆からは被害者、石川さんの指紋は発見されておらず、脅迫状の筆跡とも一致しないことが、第3次再審で明らかとなっている。その偽りの物証にも関氏は関与していた可能性が高い。
 そもそも石川さん宅から万年筆が発見されたのは、3回目の家宅捜索の時だった。それまで2回の家宅捜索ではそれぞれ2時間以上かけて行われていたにもかかわらず、万年筆は発見されず、3回目に大人であれば誰の目にもつく鴨居の上で不自然極まりない形で発見されている。
 2回目と3回目の家宅捜索の間にも、石川さん宅へ出入りしていたのが、関氏であった。
「関さんには会って話したいんですよ。何で裁判で本当のことを話してくれなかったんだと」
 石川さんは、今も関氏には、親愛の情を失っていない。信頼していた人物に裏切られたにもかかわらず、石川さんの心には少年のような純粋さが宿っている。
 そんな心がバカを見ない世の中であって欲しい。(ルポライター・八木澤高明)


京都が全国で一番暑い日に 今夏最高38・6度
 日本列島は10日も広く高気圧に覆われ、全国各地で最高気温が35度を超える猛暑日となった。京都府内の2カ所では38・6度を記録、大阪府枚方市などとともにこの日全国で最も暑い地点となった。
 気象庁の府内8観測地点のうち、5カ所で今夏最高を更新した。京都市と京田辺市では午後3時20分過ぎに38・6度まで上がり、9日の38・2度(京都市)を上回ったほか、福知山市は37・9度、南丹市園部町は37・5度、同市美山町は36・9度となった。
 府内の各消防によると、同日夕方までに計25人が熱中症の疑いで搬送された。いずれも軽症という。
 京都地方気象台は11日も厳しい暑さを予想しており、こまめな水分補給や適切な冷房の使用を呼びかけている。

父の命日・お墓参り→プチ登山/松島・瑞巌寺と五大堂

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Japon: Un troisième mort sur le chantier des JO de Tokyo
Les Jeux olympiques de Tokyo, deuxième du nom, auront lieu à l’été 2020
Un travailleur de 50 ans est décédé jeudi sur un chantier à Tokyo lié aux préparatifs des Jeux olympiques qui se tiendront dans un an dans la capitale japonaise, où règne actuellement une chaleur étouffante, ont annoncé vendredi les organisateurs. Cet ouvrier japonais installait un câble électrique à l'extérieur d'un vaste centre des congrès et des expositions appelé Tokyo Big Sight, situé dans la baie de la capitale.
Il a été trouvé inanimé jeudi en début d'après-midi et son décès a été confirmé une heure plus tard après son transport en urgence à l'hôpital. La cause de sa mort n'a pas été précisée par le comité organisateur des JO. Mais selon les médias, elle serait liée aux conditions climatiques accablantes actuellement à Tokyo où, à la température élevée, s'ajoute un taux d'humidité dans l'air de plus de 80%: une combinaison potentiellement mortelle pour les personnes fragiles ou effectuant un effort physique intense.
11 morts à Rio, aucun à Londres

Quelque 18.000 hospitalisations et 57 décès (de personnes âgées surtout) ont été déplorés au Japon la semaine dernière, à cause de coups de chaleur et insolations. Jusqu'à présent, au moins deux autres travailleurs sont morts sur les chantiers des JO de Tokyo depuis qu'ils ont commencé, dont un qui, à 23 ans, s'est suicidé en raison de longues heures de travail devenues insupportables.
Ce bilan provisoire est certes jugé moins dramatique que dans le cas des précédents Jeux d'été, à Rio en 2016, avec 11 ouvriers décédés, mais aucun n'avait péri à Londres en 2012.
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仙台駅前の朝市で花を買いました.仙石東北ラインで高城町で乗り換えです.しばらく待って仙石線で移動です.今日は父の命日なのでお墓参りです.駅で妹が待っていてくれました.お墓参りしてからサザエさんの大高森に登りました.プチ登山で汗だらだらになりましたが.
松島のホテルまで送ってもらいました.カキフライ定食をいただきました.このお店は津波で1.2m浸水したとのこと.それから瑞巌寺に足を向けました.以前来た時のことをかすかに覚えていました.
帰りにずんだスムージーとずんだソフト.
五大堂に向かいます.すかし橋は下が見えてちょっとコワいです.
松島観光物産館,そして松島さかな市場でお土産をみました.
副浦島につながる出会い橋は有料なので今日はパスです.
ホテルに戻っておススメ晩ご飯を聞いて,近くでメカブどんぶり・アナゴどんぶりをいただきました.阿部勘の金魚もいいです.ビンも素敵.

震災の行方不明者を捜索
東日本大震災と、東京電力福島第一原発の事故の発生から8年5か月となるのを前に、福島県内の沿岸部で9日、海の中と陸上で、いまも行方がわからない人たちの捜索が行われました。
警察と消防は9日、福島県内の沿岸部の6か所で捜索を行い、このうち、富岡町の富岡漁港周辺での捜索には47人が参加しました。
海に向かって1分間の黙とうをささげたあと、海の中で捜索を行う潜水士の班と砂浜で遺留品などを捜す班に分かれ、捜索が始まりました。
潜水士の警察官たちは、5人1組のチームが交代しながら、深さ3メートルほどの海底を捜索していました。
警察によりますと、福島県内では東日本大震災の津波などで1614人が犠牲になりました。
行方が分からなくなっている人は県内であわせて196人、このうち富岡町では5人にのぼっています。
海の中で捜索した南相馬市出身の小澤健人巡査部長は「もうすぐお盆で地元に帰ってくる人も多いと思います。その人たちの思いもくんで、ご遺族に1つでも何かを見つけて返せるようにひとりひとりが捜索にあたりました。行方不明者の最後の1人が発見されるまで責任感を持ち続けたいです」と話していました。


釜石 津波被害の施設が再建
東日本大震災で大きな被害を受けた釜石市の海岸に、津波で流されたレストハウスなどが再建され、観光施設としてオープンし、8日セレモニーが行われました。
新たな観光施設は震災後9年ぶりに8月、海開きが行われた根浜海岸に隣接して再建されました。
8日は記念式典が開かれおよそ100人が集まり、再建を祝いました。
この場所は「根浜シーサイド」と名付けられレストハウスやオートキャンプ場、それに芝が敷かれた多目的広場があり釜石市がおよそ8億円かけて整備しました。
このうちレストハウスは木造平屋建てで、多目的ホールや温水シャワー室、洗濯機やキッチンもあり、海水浴などを楽しんだ人たちが休憩場所として利用できます。
市によりますと、観光施設は8月22日から10月24日までは市内で開かれるラグビーワールドカップの運営にも活用されるということです。
地元住民で施設の管理人となる佐々木雄治さんは「8年前の惨状を思い返すと、こんな素晴らしい観光施設ができるとは夢にも思わなかった。多くの人が遊びに来て元気になってもらいたい」と話していました。


石巻旧門脇小どう保存 意見交換
震災遺構として一部を取り壊した上で保存することが決まっている石巻市の旧門脇小学校をめぐり、8日夜、市と住民との意見交換会が開かれました。
旧門脇小学校をめぐっては、石巻市が校舎の一部を取り壊した上で保存することを決め、9月にも着工することにしています。
一方、住民グループは建物を取り壊さず全体を保存すべきと市に要望していて、8日夜、石巻市の亀山市長も出席して意見交換会が開かれました。
この中で、住民からは「以前は、生活の立て直しで頭がいっぱいで保存のあり方まで考える余裕がなかった」とか、「もう一度立ち止まって、考える機会がほしい」などと、全体保存に向けて再検討を求める意見が相次ぎました。
これに対し、亀山市長は、「建物を見たくない人への配慮や将来の財政的な負担を考えると一部保存が望ましい。市議会でも承認を得ている」と述べ、改めて、予定通り着工する考えを示しました。
終了後、石巻市復興政策部の久保智光部長は「住民の心情は理解できるが、震災遺構については1つ1つ順序を追って決定している。立ち止まることなく進めたい」と述べました。
また、住民グループの本間英一さんは「私たちも誇れる震災遺構にしたい。着工までは諦めず、全体保存に向けた取り組みを続けたい」と話していました。


復興道路来年度全通 4県首長、交流拡大も期待
 東日本大震災の被災地で国が整備を進める復興道路と復興支援道路(計550キロ)が2020年度内に全線開通する見通しとなった8日、青森、岩手、宮城、福島4県の首長は地域再生をけん引する道路の完成を歓迎するとともに、防災や経済振興など幅広い分野での波及効果を期待した。
 「復興完遂への大きな道筋が示された」と強調したのは市全域が津波で甚大な被害を受けた気仙沼市の菅原茂市長。「早期完成を願ってきた。関係者の尽力が実を結んだ」と喜んだ。
 三陸沿岸道の北端となる八戸市の小林真市長は「多くの人の願いが実現される見通しとなったことは感慨無量だ」とし「人的、物的交流圏の拡大を、三陸沿岸の地方創生につなげたい」と意気込んだ。
 防災面での効果を期待する声も上がった。宮古市の山本正徳市長は「津波浸水区域を回避できる道路だ。災害時の輸送網としての効果も大きい」と歓迎。青森県の三村申吾知事は「緊急時のネットワークや地域間連携の強化などが望める」と期待を寄せた。
 東北沿岸を貫く道路網の整備に伴い、観光の広域化や物流の効率化が見込まれる。岩手県の達増拓也知事は「効果を最大限に活用し、産業振興に努めたい」とコメント。相馬市の立谷秀清市長は「交流人口の拡大につなげられるよう努力を重ねる」と誓った。
 東京電力福島第1原発事故の被害が残る福島県の内堀雅雄知事は「震災、原発事故からの復興と地域活性化への大きな弾みになる」との談話を出した。宮城県の村井嘉浩知事は「全線開通は産業をはじめ東北沿岸全体の振興に大きく寄与する」と強調。「各機関と連携し、さまざまな事業を進めていく」と力を込めた。


河北春秋
 東日本大震災からの復興を語る政治家はたくさんいる。心に響く発言はそう多くないが、「何が復興か、自分が語っちゃいけない。一人一人の中に復興がある」との自戒の言葉は記憶に残っている▼自民党衆院議員で元復興政務官の小泉進次郎氏(38)である。昨年の震災の日に合わせ、本紙の取材に応じた。津波で家族を失った岩手県大槌町のお年寄りに話が及ぶと言葉を詰まらせたという▼お年寄りは自宅を再建し、孫の遺骨を背負って比叡山へ供養に出掛けた。帰宅し遺骨を仏壇に据えて湯船に漬かり「これで復興した」と実感したと小泉氏に明かした。「まさかね。それが復興なのかと思った」。話す目から涙が流れた。軽々しく復興は語れないとの自戒につながる▼被災地に何度も足を運び「東北は政治家として大事な原点を教えてくれた」と語る。当選4回で、父は純一郎元首相。国民的な人気があり「将来の首相候補」と目される。7月の参院選で各地の応援に引っ張りだこだった▼小泉氏がフリーアナウンサーの滝川クリステルさん(41)との結婚を明らかにした。私事の公表が首相官邸だったことに疑問がないわけではないが、めでたいことには違いない。伴侶を得て政治家として幅を広げ、これからも被災地の応援団でいてもらいたい。

復興庁一転存続/防災強化の議論が足りない
 復興を完遂させるという目的においては、意義ある判断として受け止めたい。ただ、この1年余りの議論は何だったのかという疑問は残る。
 自民党は2020年度末で設置期限を迎える復興庁について、後継組織の検討を取りやめ、一転して存続させることを決めた。
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難者の帰還を促進させることを柱に、21年4月以降も首相の直轄組織として継続する。引き続き専任閣僚を配置し、被災地の多様な課題に対応する機能を保つ。
 与党は存続理由として、東日本大震災で被災した自治体から現体制の維持を望む声が強かったことを挙げる。
 復興庁の継続に合わせて、政治に注文しておきたい。永田町にはびこる震災の風化を一掃することだ。
 「(震災が)まだ東北で良かった」「復興より大事なのは議員」。閣僚から被災地を軽んじる心ない発言が相次いだことは記憶に新しい。
 安倍晋三首相が事あるごとに「政府一丸となって復興を成し遂げるまで全力を尽くす」と強調するまでもない。復興は途上であることを全ての政治家が再認識すべきだ。
 後継組織の検討の俎上(そじょう)には重要課題が浮上していた。全国知事会が1年前に創設を求めた「防災省」構想だ。
 防災・減災の社会づくりから復旧・復興までを一貫して担う組織を指す。背景には昨年7月の西日本豪雨など大規模災害の頻発をはじめ、予想される南海トラフ巨大地震や首都直下型地震に備えた防災体制への危機感がある。
 こうした主張は与党内にもあった。昨年9月の自民党総裁選では石破茂元幹事長が首相との論戦で提唱。公明党の山口那津男代表も防災分野も担う組織形態に言及したが、政府の動きは鈍かった。首相が構想に否定的だったことと無縁ではあるまい。
 結局、「防災省」の本格検討はなく、今年春には与党主導で復興庁を存続させる流れが水面下で固まった。防災強化に関わる議論は、強制的に打ち切られる形になった。
 7月の参院選前に存続を示さなかったのは、争点化を避ける狙いだったという。予算の財源確保や人員体制見直しといった課題が浮き彫りになることを懸念したようだ。打算的な姿勢と言わざるを得ない。釈然としない思いを抱く有権者は多いのではないか。
 岩手、宮城、福島3県では8〜11月、首長選や議員選が集中する。震災時の特例法で延期された選挙で、参院選で切り捨てられた争点を論じる好機だ。復興庁の存続期間や政策の方向性はもちろん、国の防災体制の不備についても主張を戦わせてほしい。
 復興庁の看板が残ることに甘んじ、政策立案がおざなりになっては本末転倒だ。「閣僚全員が復興相」という政権の方針は、一段と重みを増したと肝に銘じるべきだろう。


福島第2廃炉 原発政策見直す契機に
 東京電力が福島第2原発の全4基の廃炉を正式に決めた。
 過酷事故を起こした福島第1原発の6基と合わせ、計10基の廃炉作業を同時並行で行うのは世界的にも例をみない。
 作業完了まで40年超かかると見込まれており、福島の復興への道のりは遠い。東電は安全かつ着実に作業を進め、地元の将来不安を払拭(ふっしょく)しなければならない。
 廃炉が決まった日本の原発はこれで24基となる。政府は再稼働ありきの原発政策を見直し、「廃炉時代」に合わせた技術開発や人材育成へと移行すべきだ。
 福島県は早くから県内の全原発を廃炉にするよう求めてきた。
 第1原発の事故から8年余りたった今も県内外で約4万2千人が避難生活を続けている。被災地として当然の要求であり、今回の決定はあまりに遅すぎた。
 東電の決断に時間がかかったのは、コスト負担の大きい廃炉を避け、再稼働による収益確保の可能性を探ろうとしたからだろう。
 未曽有の大事故を起こした責任や住民感情を考えれば、認められるはずがない。
 こうした東電の発想は、日本の原発政策が撤退を考慮してこなかったことを反映している。
 廃炉を進めるには数多くのハードルを乗り越える必要がある。その一つが人材の確保だ。
 すでに第1原発では1日当たり4200人が廃炉に従事し、燃料デブリ取り出しなど困難な作業に取り組んでいる。
 そこに第2原発の作業が重なる。危険の伴う作業であり、相応の知識と技術を持つ人材が長期にわたってそろうのか不安が残る。
 使用済み核燃料の行き先も不明瞭だ。東電は第2原発の敷地内に貯蔵施設を新設。燃料を金属容器に収納して空冷する乾式貯蔵によって管理する方針だ。
 東電は廃炉完了までに全てを県外に搬出すると地元に説明しているが、そもそも最終的な処分地のめどは全く立っていない。原子炉解体に伴って出る約5万トンの放射性物質の処分方法も不明確だ。
 これらは福島だけの問題ではない。原則40年の運転期間が迫り、廃炉を選択する原発が今後、各地で増えることが予想される。
 なのに、政府が原発を「基幹電源」と位置付け、再稼働を前提とした政策を変えないのは疑問だ。
 電力各社が廃炉の長期戦にしっかり取り組めるように人、技術、資金を支え、廃棄物の処分のあり方を定めることが求められる。


社会保障 将来像の議論始めよ
 安倍晋三首相は参院選結果を受けて憲法論議を進めることを表明した。それが民意と言うが、疑問だ。むしろ政府や国会が議論すべきは暮らしを支える社会保障の立て直しではないのか。
 首相は参院選後の会見で憲法論議について「少なくとも議論は行うべきだ。それが国民の審判だ」と強調した。
 確かに首相は選挙戦で憲法論議の是非を争点に掲げ、自民、公明両党が改選過半数を獲得した。だが、自民党だけを見れば改選議席数を減らしている。
 選挙結果を受けた共同通信の世論調査では安倍政権下での改憲に「反対」は56・0%になる。逆に、政権が優先的に取り組むべき課題(二つまで)は「年金・医療・介護」が48・5%だった。
 やはり議論すべきは将来の社会保障制度のあり方ではないのか。
 選挙戦では、首相は消費税率の引き上げは訴えたが、制度が置かれている厳しい現状について誠実に語りかけたとは言い難い。
 野党も年金問題の争点化を狙ったが、論戦は上滑りして深まらなかった。国民から見ると将来の生活への不安が解消されていない。
 八月に公表された二〇一七年度の医療や介護、年金などの社会保障給付費は百二十兆円を超えた。今後、政府内では膨らむ費用を抑える制度の見直し議論が始まる。
 年金は財政検証結果が近く公表され、給付の実質水準が低下する見通しが出る。政府は給付の充実策と合わせ丁寧に説明すべきだ。
 介護保険はケアプラン作成費の利用者負担導入、医療保険は七十五歳以上の患者の窓口負担の一割から二割への引き上げなどが検討されそうだ。
 これら給付減や負担増、社会保障の財源となる消費税率の引き上げは、団塊世代が七十五歳以上となり医療・介護のニーズが高まる二五年に対応するものだ。
 さらに高齢者数がピークに近づく四〇年問題が待ち受ける。それを乗り越えるための議論を始めねば対応が間に合わなくなる。痛みを伴う改革を先送りしたままでは制度を支える将来世代への責任を果たすことにならない。
 与党からは新たな会議の設置を求める声が上がり始めた。政府はどんな考え方で制度を立て直すのか、給付と負担のバランスをどうとるのかなどの将来像を決める議論の場をつくるべきだ。
 国会も責任がある。与野党には危機感を共有し知恵を出し合う努力を求めたい。


長崎原爆の日 被爆継承は人類の責務だ
 「あの忘れ得ない劫火(ごうか)の日に受けた破壊のしるしを、今なお身に負っている皆さんの生きざまそのものが、最も説得力のある生きた平和アピールなのです」
 38年前、このメッセージに心を揺さぶられ、封印していた被爆体験を語り始めた人たちがいた。
 きょう8月9日は、長崎原爆の日。来年迎える被爆から75年という節目を前に、体験の記憶を後世に伝える、いわゆる「被爆の継承」について改めて考えたい。
 ■「忘れてはいけない」
 夏の青空に周囲の山々の緑が映える長崎市の「恵の丘長崎原爆ホーム」。1981年2月26日は大雪で、一面の銀世界だったことを現在の別館施設長のシスター、赤窄(あかさこ)ゆみ子さん(64)は覚えている。その日、初来日していたローマ法王ヨハネ・パウロ2世がホームを訪問。入所者たちに語り掛けたのが冒頭の言葉である。
 施設側はかねて被爆体験継承の必要性を認識していたが、入所者の多くは口を閉ざしていた。8月になると必ず体調を崩す人も少なからずいた。「いかに原爆の体験がすさまじいもので、口にもできない、その表れなのかと思っていました」と赤窄さんは振り返る。
 ところが法王の訪問後、施設側が体験記編さんへの協力を呼び掛けたところ、多くの人が自らペンを取ったり職員による聞き取りに応じてくれたりして、翌年、原爆体験記の第1集が発行された。
 原爆に妹と弟を奪われた卯野ノブ子さんは、「十三歳の夏の日」と題して「あの惨事は、一日も早く忘れてしまいたいことです。でも(略)忘れてはいけない、多くの人に話し、訴え続けなければいけない」との思いを刻んだ。
 その卯野さんも今年87歳を迎えた。法王の言葉を別館3階ホールで聞いた約100人の被爆者は、卯野さんら数人を除き、既に他界した。「被爆者のいない時代」が静かに迫り来る現実を映し出す。
 全国で被爆者健康手帳を持つ人は2018年度末時点で約14万5千人。平均年齢は82歳を超え同年度中に9162人が亡くなった。
 ■「つなぎ目」なしには
 被爆者たちは、あの巨大なきのこ雲の下で起きたこと、飛び散った放射能がもたらした今なお続く苦しみの実相を語り、時に傷ついたままの身をさらして、「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ」と叫び続けてきた。まさに被爆者たちの地道な「生きた平和アピール」が、核戦争の最大の抑止力となって今に至るのは間違いない。
 被爆の継承こそが核廃絶の根底をなすと確信する被爆地は、未来につなぐ手だてを模索し続ける。
 被爆体験を「受け継ぎたい人」が「託したい人」から聞き取って語り継いでいく事業も、その一環である。14年度に長崎市で始まった。長崎大3年の坂本薫さん(20)は今春、丸田和男さん(87)の体験継承者として本格的な活動を始めた。彼女の場合、県外学生が核に無関心なことに危うさを感じたのがきっかけだったという。
 丸田さんは原爆ホームの卯野さんと同じ13歳で被爆し、母親と旧制県立瓊浦中1年の同級生114人を失った。坂本さんは長崎商高の美術部員が制作した紙芝居を使い約30分、全身全霊を傾けて語る。「ピカッ」のひと言には聞く者の肌をあわ立たせる響きがある。
 「被爆者の方の体験を直接聞ける私たちの世代が、後世とのつなぎ目だと思う。私たちが頑張らないと、つながっていかない」。若い世代が語り継がなければ、継承の道は途絶えてしまうのである。
 ■消えぬ怒りと悲しみ
 「人類は広島、長崎から何も学んでいない」。11月にパウロ2世以来の来日が予定されるローマ法王フランシスコは、核軍縮が後退する現状について、こう口にすると伝えられる。法王のいるバチカン市国は核兵器禁止条約を最初に批准した3カ国の一つでもある。
 原爆投下は広島、長崎だけに起きたことではなく、人類全体に起きたことなのだと認識し、世界の人々、とりわけ若者が自らの問題と考えれば、核兵器禁止への賛同の輪は広がっていくに違いない。
 丸田さんが失った同級生の一人、谷崎昭治さんは、原爆の悲惨さを象徴的に世界に伝えてきた写真「黒焦げの少年」に写った人物とされる。自身も語り部を続ける丸田さんは「残された時間をあの日の記憶の継承に尽くすことが、罪もなく犠牲となった学友たちへの最大の供養になる」と信じる。
 丸田さんが74年たっても消えぬと言う怒りと悲しみ。その継承を被爆地だけに課してはなるまい。それは人類の責務である。


長崎原爆の落下中心地で「人間の鎖」 核廃絶求め、高校生平和大使ら150人が集会
 長崎市松山町の爆心地公園では9日早朝、国連に核兵器廃絶を求めて署名を届けている「高校生平和大使」など国内外の高校生ら約150人が集会を開いた。参加者は、原爆落下中心地碑を囲んで手をつなぐ「人間の鎖」で核兵器廃絶への思いを表した。
 参加者は、中心地碑に献花、黙とうして、原爆で犠牲になった人たちを悼んだ。集会の終わりには、代表者が「自覚を持って被爆者の思いを伝えよう」などと呼びかけた。
 韓国やハワイなどの高校生も参加。フィリピンから参加したフィリップ・ジャスパーさん(17)は「これまで家族や学校の友人など身近な人と平和について考えてきた。これからは日本の皆さんとも一緒に行動を起こしたい」と話した。
 高校生平和大使として活動する広島大付属高2年、松田小春さん(16)は「人間らしく死を迎えることができなかった被爆者たちの思いを今後も伝えていきたい」と話した。【中山敦貴】


有志連合 外交努力で緊張緩和を
> 米国が、中東ホルムズ海峡を航行する民間船舶の安全を守る有志連合結成に向けて日本の参加を要請している。
 新たに就任したエスパー国防長官が来日し、岩屋毅防衛相と会談した。改めて協力を強く求める狙いだったのだろう。
 日本政府は慎重な姿勢を崩していない。岩屋氏も「総合的に判断したい」と述べるにとどめた。当然の判断だろう。
 そもそも参加するのかしないのか、仮に参加するのなら何をすべきなのかも判然としていない。時間をかけた議論が欠かせない。
 米国が有志連合を結成する構想を表明したのは7月上旬のこと。月内を期限として参加を求めていたが、各国の反応は鈍い。焦りもあるのではないか。
 当初の構想では、各国が自国の民間船舶の護衛や警戒に当たり、米軍は主に指揮統制や監視を担うものだった。ところが、1カ月近くたっても、組織や運営方法などの具体像は、いまひとつはっきりしない。
 有志連合に自衛隊を派遣することになれば、日本の安全保障政策の根幹に関わる問題である。あくまで「専守防衛」の組織である。派遣するにしても明確な法的根拠が必要になる。
 違憲の疑いがありながらも、集団的自衛権の一部を認めた安全保障関連法でさえ、適用するには日本の「存立危機」の事態であることが前提になる。ホルムズ海峡の現状がそうした危機に当たるというのは無理がある。
 政府は、単独での自衛隊法に基づく「海上警備行動」や、ソマリア沖に護衛艦を送っている「海賊対処法」での対応を検討しているという。だが後方支援を含め、どの法律でも現地での活動は大きく制約される。
 現行法では、自衛隊の参加は難しいのが実情だ。有志連合の運用があいまいなままではなおさらだろう。
 有志連合に対する国際社会の対応も慎重である。ドイツは不参加を表明し、海上保護ではフランスなどと連携する構えだ。これまでに参加を表明しているのは、欧州連合(EU)から離脱を目指すジョンソン首相が就任した英国くらいだ。
 そもそも緊張を招いた原因が米国の側にあるというのが要因だろう。昨年5月に、核合意から一方的に離脱し、経済制裁を復活させたのはトランプ大統領である。深刻な影響を受けているイランが対決姿勢を強め、緊張は高まる一方だ。
 ことし6月に日本のタンカーがホルムズ海峡付近で攻撃を受けた。トランプ大統領は、イランからの攻撃と決め付け、日本などを名指しし、自国の船は自国で守るべきだと強く主張した。海峡が不安定になる種を自らまいて、安全はそれぞれで守れというのも、随分と勝手な理屈である。
 ホルムズ海峡は、日本にとってエネルギー供給の「生命線」である。中東から輸入する原油の9割近くが通過する。そのタンカーなどの安全確保は極めて重要だ。
 だが有志連合に参加すれば、かえって海峡の緊張を高める懸念が強く、日本が長年かけて築いたイランとの友好関係も壊しかねない。
 まずは緊張緩和が重要である。そのために求められているのは何よりも外交努力である。


米主導の有志連合 中立的姿勢貫くべきだ
 米国が中東・イラン沖ホルムズ海峡での航行の安全確保を目指す有志連合構想への参加を、日本に求めた。来日したエスパー米国防長官が「日本は参加を強く検討すべきだ」との考えを示し、岩屋毅防衛相に協力を訴えた。
 米国に同調する国を増やし、対立関係にあるイランへの包囲網を形成する狙いが明らかだ。日本にとってイランは中東の友好国の一つであり、米国からの求めに応じれば、その信頼関係が根底から崩れてしまいかねない。米国かイランかの二者択一を迫るような要求に安易に乗ることなく、中立的な姿勢を貫くべきである。
 ホルムズ海峡付近では、日本の海運会社が運航するタンカーが攻撃を受けるなど、各国の船舶が危険にさらされる事件が相次いだ。これを踏まえ、トランプ政権が先月、有志連合構想を打ち出した。同盟国や友好国60カ国以上に呼び掛け、警戒監視に必要な艦船などの派遣や資金拠出を求めている。
 だが今のところ、参加を表明したのは英国のみだ。他の国はおおむね様子見しているとみられる。ドイツは米国の対イラン政策を「圧力一辺倒だ」と批判し、不参加を表明している。
 日本はこれまでのところ、イランとの友好関係を踏まえて参加には慎重な姿勢だ。妥当な判断だろう。イランから約2200キロ以上離れるイエメン沖に自衛隊を独自派遣する案が浮上しているようだが、何のためなのか。いずれにせよ、対立をあおるかのようなトランプ氏のペースに巻き込まれないよう注意して対応する必要がある。
 そもそも米国とイランの対立を深めた原因はトランプ氏にある。昨年5月に米欧など6カ国とイランによる核合意の枠組みから一方的に離脱し、イラン産原油の禁輸など、さまざまな経済制裁を行った。これに対しイランは対抗措置として先月、核合意に定められた限度を超すウラン濃縮に踏み切った。事態をこれ以上エスカレートさせてはならない。
 日本のタンカーへの攻撃について、トランプ氏は即座にイランの仕業と断定したが、その証拠はなく、イラン側の反発を呼ぶ結果となった。一方的な見方、短絡的な言動は解決につながらず、事態を一層混乱させる。米国主導の有志連合の艦船が現地でタンカーなどの警護に当たった場合、イラン艦船との偶発的な衝突が発生しないとは言い切れない。
 日本は原油の大半を中東から輸入しており、ホルムズ海峡は生命線といえる。だからこそ慎重な姿勢が求められる。トランプ氏の意向に沿う形で行動することは誤解を招く。船舶の航行の安全確保のため、何が必要なのかを真剣に探るべきだ。有志連合構想とは一線を画し、双方に対話を促す平和的外交を地道に重ねることによって緊張緩和を図りたい。


有志連合構想 加わる理由どこにもない
 もはや目的さえ定かでなくなっている。
 エスパー米国防長官が来日し、安倍晋三首相、岩屋毅防衛相と会談した。米国が提唱する有志連合に日本も参加するよう改めて求めている。
 岩屋氏は「政府全体として総合的に判断したい」と答えるにとどめた。当然だ。積極的に参加する理由はどこにもない。
 中東ホルムズ海峡付近で6月、日本と台湾のタンカーが攻撃されたのを受け、トランプ政権は、民間船舶を守るための有志連合構想を打ち出した。
 船舶の警護とした目的は、イランとの対立色を薄める狙いから海域の監視に変わった。60カ国以上に参加を呼びかけたが、英国を除き各国の反応は鈍い。
 ここにきて米政権は、艦船や航空機の派遣に限らず、監視要員の派遣、資金提供でもかまわないと参加条件を下げてきた。安全確保という実より、イラン包囲網の構築を急ぎたい政治的意図と焦りがあらわになっている。
 トランプ大統領は「なぜ米国は何も受け取らないのに(海域を)警備しているのか」と不満を漏らす。説得力はない。
 ロウハニ政権は「海峡の船舶の安全運航にイランは責任を負っている」と繰り返し述べている。親イランの武装勢力も活動する地域に敵対する米国が「仲間」を連れて現れれば、より緊張を高め、武力衝突を招きかねない。
 そもそもイラン核合意から一方的に離脱し、経済制裁を復活させて事態を悪化させた責任は米国にある。いまになって「安全のために公平負担を」と、協調を訴えるのは身勝手だろう。対イラン政策で同調するイスラエル、アラブ首長国連邦でさえ、連合参加に明確な返事をしていない。
 日本の政府与党内には、独自の対応策を探る動きがある。連合とは別に自衛隊を派遣する案も取り沙汰される。法的根拠がない派遣は認められない。海運業界からの要望があるわけでもない。
 イランに求められるのは「信用できない米国との対話には応じられない」とする姿勢の軟化だ。核合意についても完全履行に戻す必要がある。説得する役目を日本は果たしてほしい。安倍政権は、緊張緩和に向けた外交努力優先の立場を維持すべきだ。
 トランプ大統領や閣僚との会談の機会を持ちながら、なぜイランとの対話を強く促さないのか。日本の外交力が問われている―との識者の指摘を、政府は重く受け止めなければならない。


室井佑月も恐怖 望月衣塑子記者が語った菅官房長官の裏の顔! 圧力を批判されても「俺はあいつが嫌いなんだ」
 室井佑月の連載対談「アベを倒したい!」、今回のゲストは、菅義偉官房長官の会見で孤軍奮闘を続ける東京新聞・望月衣塑子記者。前編では、そのも望月記者から、メディアや記者クラブの予想以上の政権忖度の実態を聞いて、激怒した室井だったが、後半はさらに踏み込み、話はどんどん具体的になっていく。
 菅官房長官の嫌がらせやメディア支配のやり口、オフレコ懇談会のシステム、マスコミのなかにもある男女差別の問題、そして忖度が生まれる構造の分析まで……。いまのメディアでジャーナリズムの責務を真っ当に果たそうとしている女性がどんな状況に置かれているのか、最後まで読んで、その現実をぜひリアルに知ってほしい。(編集部)
●望月衣塑子が菅官房長官の会見に出て、質問を続けている理由
室井 望月さんの話を聞いてると、つくづく恐ろしくなるけど、でもそんな状況なのに記者クラブの人って、質問をしないでパソコンに向かってひたすらカタカタやっているんでしょ。質問しないのって記者としての誇り、能力がないじゃない。記者は質問して、納得できるまで食い下がるのが仕事でしょ。質問しないで菅さんの話を垂れ流すだけだったら子どもにでもできる。しかも同業なわけじゃん? 誇りがあるなら味方しろ! 記者クラブって本来、国民の知る権利を代弁する制度だし、もし同業他社でも権力から知る権利を奪われそうになったら、タッグ組んで「妨害はやめろ」「きちんと質問に答えろ」ってやるのが役目なんじゃないの? でも、日本はそうじゃない。逆にバッシングをするって本当におかしい。しかも、権力の批判や監視をするのが新聞やジャーナリズムの役割なんだから、権力者とお友だちになってどうする! 緊張関係が必要なのに、そうじゃない。いまの記者クラブはスクープがあったとき、1社に抜かれるのが怖いからというだけのために存在してるのかと思っちゃう。それに菅さんって、記者やテレビコメンテーター、芸能人なんかと、けっこう頻繁にご飯食べてるらしいし、人たらしなんでしょ。そんな菅さんに記者はひれ伏している。安倍政権がこんな長く続いているのも、逆に言えばそのキーパーソンは菅さんってことじゃないかと思うんです。
望月 そうですね。政権存続のため、裏で彼がメディアや官僚、政治家、企業の人たちと何をやっているのかを見ることは大切なことだと思います。一連の公文書改ざん問題や森友加計問題の発言のひとつひとつを見ていると、その背後に必ず菅さんの存在がある。今回の私に対する質問妨害もそう。最初は、内閣府の長谷川榮一氏(総理補佐官兼内閣広報官)から抗議文が来たけど、もちろん菅さんなんですよね。しかも、妨害行為が国会で問題視されて、周囲から「さすがにやめたほうがいい」と言っても、菅さんは「俺はあいつが嫌いなんだ!」って全然聞く耳を持たなかったと聞いています。そういう意味で、良くも悪くも裸の王様というか、自分の思ったことは何がなんでもやる。そうした菅さんら官邸の姿勢が公文書改ざんの問題の根底にある。その危うさを感じるからこそ、会見に出て質問しているのですが。
室井 さすが“影の総理大臣”と言われるだけある。でも、裏を返せば、そんな権力の中枢に望月さんは恐れられているってことでしょ。
望月 まあ、目障りなんでしょう(笑)。それまで菅さんは突っ込んだ質問をさせない土壌をつくり、記者もそれなりに従っているふうを装ってきた。そこに私が来て。
菅官房長官がオフ懇の前に行う“儀式”を聞いて室井が「ひゃぁー怖っ」
望月 菅さんの会見では事前通告が現在、慣例化しているとも聞きます。匿名のアンケートにも「事前通告せずに質問したら官邸側から怒られた」とありました。菅さん側から「事前に質問は全部投げてほしい」と言われると、現在のパワーバランスのなかでは、記者もそれに従わざるを得ないのでしょう。先進国や外国人特派員協会のなかではあり得ない状況です。さらに会見が終わると、裏で番記者とオフレコ懇をやります。
室井 公の会見では記者は質問しない、菅さんは言いたいことだけ言う。なのにその裏でオフ懇をするってどういう了見なの。望月さんが菅会見に出るようになってから、オフ懇を拒否するようなこともあったんでしょ? やっても望月さんの悪口を吹き込むって聞いたことある。他の記者に望月さんを批判して、“おまえらどうにかしろ!”って。なんて姑息なんだ。自分たちに都合の悪い質問をする望月さんを排除するって。でも、それが安倍政権の本質でもあると思う。
望月 政府見解が必要なところは、それなりに毎回、記者は聞いています。でも、官邸がクラブに貼り出した私についての抗議文について質問した記者にある官邸の記者が、こう言ったそうです。「これは、国民の知る権利を守るのか、それとも我々記者クラブの知る権利を守るのか、この闘いだ。バランスもっと考えてね」って。
室井 それって菅さんからの“伝言警告”ってことでしょ。番記者はジャーナリストじゃなくて伝書鳩だったのか!
望月 オフ懇に関しては、新聞労連の新聞研究部がここ2年以内で官邸にいた記者を対象におこなった匿名アンケートでこんな指摘もありました。菅さんへのオフ懇や夜回りに来る記者が携帯電話やICレコーダーを事前に回収袋に入れると。これはオフ懇の内容が週刊誌で報じられたことがあって、菅さんが激怒したため、その予防策として、つまり記者が菅さんに忠誠を誓う“儀式”として行われていたということのようです。その後、雑誌やネットでこの事が公にされてから、その儀式は止めたようですが。
室井 ひゃぁー怖っ。菅さんも怖いけど、それに忠誠を誓う記者も恐ろしい。
望月 会見では質問以外にもいろいろなことがわかるんです。たとえば私の質問中、菅さんがある記者によく目配せしてるんです。その記者は野党時代から菅番をやっていて、安心できるから彼に毎度、相槌を求めているのでしょう。菅さんの会見での精神安定剤なんだなと。彼がいないと気持ちが安心できないのか、目が泳いでいるように見えます。そんな一面も垣間見れる。テレビ朝日の松原(文枝・前経済部長)さんに関しても『報ステ』で安倍政権批判をしていた時代、菅さんは「あいつ(松原さん)と食事できないかな」って周りに聞いていたらしい。でも、彼女の性格を知っている周りから、「食事しても変わらないですよ」と言われて止めたとか。そうやってまめな会食を重ね、常に現場の記者やメディア幹部を取り込んで来たのでしょう。親しくなり、自分を好いてくれれば、今後の報道も含めて、将来、心強いですからね。
望月衣塑子や室井佑月に向けられる批判の裏に「女のくせに」という差別
室井 でも、話を聞いていて思ったのが、菅さんや同業の記者が望月さんを批判するのは、女性だからという面もあるんじゃない? やっぱ男社会だし、出る杭は打たれる国だから、女性で目立つと嫉妬やバッシングが起きやすいと思う。Twitterで、私や望月さんを攻撃している人がいっぱいいて、ちょっと興味があるから調べたら、他にもすごく女の人を狙って罵詈雑言を繰り返している人だったりする。「ババアが」とかね。仕事をしていると、「女が意見を言うな」って感じの悪口もすごく多いし、そういうのってすごく感じる。女性差別もあるんじゃないかって主張すると、今度は「おまえ、自分が女だと思ってたのか」なんてことまで言われたことも。望月さんを叩いている人たちって、「女のくせに」って意識があるのは否めなくない?
望月 そうですね。それは私だけではなく政治家にも当てはまるかもしれません。稲田朋美さん、辻元清美さん、そして蓮舫さんなんかもそうだけど、与野党や政治的信念に関係なく、女性の政治家へのバッシングは男性の政治家のそれとは明らかに違う。セクシュアリティへの言及、ツッコミをしますよね。マスコミでもやはり男尊女卑の風潮も感じます。女性記者は、政治家の会見に出ている記者がそもそも少ないし、あまり積極的に質問しているように見えない。とくに#MeToo、#WeToo運動があったとき、女性記者がもっともっと政府や麻生太郎財務大臣に突っ込んで聞いてもいいと思いました。がんばって聞いている女性記者もいましたが、全体としておとなしく見えました。アメリカだったら、麻生大臣は総攻撃にあうし、「はめられたんじゃないのか」と同じ発言をしていたら辞任に追い込まれていたのではとも思います。
室井 たとえば片山さつきさんを批判するとき、主張について意見を言うのは当然だけど、そこに「ブサイクが」とか「変な髪型しやがって」とかって言うのはおかしいよね。でも悲しいかな、権力を持っている男にひれ伏し出世しようとする女性がいることも確かなんだけどね。「恥知らず!」なんて恐ろしい言葉で安倍さんを擁護する三原じゅん子さんとか、大臣就任の挨拶で「私はみなさんの妹」ですと自己紹介しちゃう丸川珠代さんとかもいる。難しいね。女性は団結しないといけないと思うんだけど。
三原じゅん子、NHK岩田明子はなぜ安倍首相に心酔するのか
室井 三原さんはすっかり安倍さんに洗脳されているけど、昔からずるい人じゃないのよ。タレントのときから。だってハッピハッピー(元アニマル梯団のコアラ)と離婚したとき、番組で一緒になって。わたしが「こんな男いいじゃん、いらないじゃん」って言ったら、すぐに泣いちゃって。だからいますごく信じているのが安倍さんってことなんじゃないかな。純粋だから。でもそれが一番怖いと思っちゃう。信じ込んじゃうことが。
望月 三原さんは、かつては石破茂議員支持だったと聞きますが、彼女も菅さんとの会食後、安倍さんに寝返ったとか。「菅氏に副大臣とか政務官のポストをぶら下げられたのではないか」と聞きました。NHKの岩田明子記者は、安倍さんに心底心酔しているとも聞きます。そうでもないと、あそこまであからさまに安倍さんを持ち上げられないかなとは思いますが。
室井 安倍さんがイランを訪問したときも、安倍さんの成果を盛んに強調していたけど、なんだかクラクラしたけど、最近は逆の意味で岩田解説が楽しみになって(笑)。でも岩田さんって、安倍さんと近しい関係ということでNHK内ですごい力を持っちゃって。こういうやり方見てると、やはり女性同士ってだけで団結って難しいのかなって思っちゃう。
室井佑月が望月衣塑子の民主主義を守る覚悟に感動、共闘を宣言!
室井 もっと女同士が味方すればいいのに、なかなかそうはならない。新聞社とかテレビ局って大企業でもあるけど、男女差別はあるし、女性はそれを絶対、感じてたりするのに。そんななかで望月さんが問題意識を持ち続けられるのはなぜ? 原動力ってどんなこと?
望月 たとえば社会部の私が菅さんの会見に出ても、政治部から文句を言われることはないです。彼らには、菅さんの秘書官や他社の記者からはいろいろ言われて、迷惑をかけているはずなのに、本当に有り難いなと思っています。それに、会社にFAXや電話の投書で応援メッセージが来るんです。いまの政権はおかしいと思っている人たち、安倍さんのやり方に怒ったり疑問に思っている人がたくさんいる。そういう声を知れば、記者として疑問に思ったことを会見に出て質問するしかない。国民の知る権利に応えなくちゃならないと思うんです。そして社としてもバックアップしてくれる土壌がある。アベノミクスも公文書改ざんも、沖縄の問題も、いまの日本はおかしなことばかりです。そんななか、私たちメディアが声をあげ、報道ができなくなったら、情報がシャットアウトされて伝わらなくなる。そうなったときに何が起こるのか。民主主義は明らかに後退していく。そんな危機感があります。そして、東京新聞の読者の方々もその問題意識を共有してくれている。だから続けられるのかな。
室井 でも、本当は望月さんの言っていることって、そういう記者の当然の問題意識を安倍政権によって崩壊させられた。その罪は重いと思う。
望月 官邸クラブにいる記者はじめ、他のさまざまな現場にいる記者でも苦しんでいる人は多いと思います。そのなかでもそれぞれが、皆できる範囲のなかでがんばっている。権力に向かってものを言おうと、立ち上がろうとしてる人たちもいる。そんな同じ思いでやっている人がいて、読者が支えてくれる。それが原動力かな。
室井 立派だと思う。これからも応援する。すぐにバッシングされる同士、女性同士、今後も仲良く闘おうね!


なぜ兵士は慰安所に並んだのか、なぜ男性は「慰安婦」問題に過剰反応をするのか――戦前から現代まで男性を縛る“有害な男らしさ”
 【特集「慰安婦」問題を考える】第1回では、「慰安婦」問題について国際的に非難されているポイントや日韓対立の本質に迫った。第2回では、「慰安婦」問題の“加害者”である日本軍兵士に目を向けてみたい。家族のためにと戦地に赴き、時間があれば親やきょうだいに向けて手紙を書いていた“善良な市民”である彼らは、なぜ慰安所に並び、敵地で女性をレイプしたのか? 慰安所に並んだ兵士と、並ばなかった兵士の分岐点は何か。『戦争と性暴力の比較史へ向けて』(岩波書店)の編著者の一人で、同書の中で「兵士と男性性」を記した女性史・ジェンダー研究家の平井和子氏に話を聞いた。
――平井さんは大学で講義をされていますが、「慰安婦」問題の受け止め方にジェンダー差はありますか?
平井和子氏(以下、平井氏) 私が初めて大学で「慰安婦」問題 について話をしたのは、1991年に金学順さんが「慰安婦」だったと名乗り出て運動の機運が上がった90年代、静岡大学でのことでした。40人ほどの教室に入った途端にびっくりしたんですけれども、いつもはごちゃごちゃに座っているのに、その時だけは男女でくっきり分かれて座っていたのです。学生も緊張していたんでしょうね。慰安所の実態について話していくうちに、女子学生は身を乗り出して「女性への人権侵害だ」という怒りを示すんです。男子学生は、兵士と自分自身に重なる思いがあるのでしょうか、身の置き場がないという感じで、どんどん小さくなっていく。途中から、私も男子学生を責めているわけではないのに、何か申し訳ないような気分になって、女子学生側の方ばかり向いて講義をしたという忘れられない思い出があります。でもそれは、素直な愛すべき学生たちだったと思うんです。
――というのは?
平井氏 2010年代に入ってくると、自分の中にある男性性と切り離し、「戦争のせいだ」「今はもう徴兵制がないし、想像ができない」という男子学生も増えてきます。戦後60年、70年経つと、「慰安婦」問題は過去の歴史の一項目になってしまう。一方、女子学生は、変わりなく自分の痛みのように受け止めています。時代によって学生の受け止め方は変化し、性別でも違うなぁと思います。
――私自身、90年代後半に大学生活を送っていましたが、周囲の男子学生が『新・ゴーマニズム宣言』(小林よしのり、※1)を読んで「慰安婦」をおとしめたり、今でいう歴史修正主義的な発言が聞こえ始めたりと、大きなうねりが生まれつつある時代でした。なにがそういった流れの要因だと思われますか?
平井氏 男女共同参画やフェミニズムへのバックラッシュが始まった時代ですね(※2)。バブル崩壊後の経済の低成長によって、男性にも非正規雇用や格差が広がりました。そのような中、従来の男性としての特権が崩れることに対して漠然とした「不安・怒り・抑うつ」などが累積して、被害者として名乗り出た女性たちをバッシングする、いわば過剰防衛のような現象ではないでしょうか。女性専用車両に対して「男性差別だ」と逆襲してくる男性がいるでしょう? それと根はつながっているような気がします。あるいは、小林よしのりさんの「慰安婦」バッシングにも感じるのですが、“レイプ被害女性には、恥じ入って永遠に口を閉ざしていてほしい”という男性中心的な「願望」の裏返しかも。
――そういった“怒り”を強めると、「慰安婦」問題否定派や右派の意見に流されてしまう可能性が高いのではないでしょうか?
平井氏 はい。新自由主義の競争社会の中で、孤立感や帰属意識の希薄化が進んで、保守派が唱える家族・郷土・国家などの共同体幻想へ飛びつきたくなるのでしょう。「あの戦争は祖国防衛のために悪くなかった」「『慰安婦』は『金を稼いだ売春婦』で、日本兵は悪くなかった」という右派の流す言説に煽動され、ウェブ上で簡単にプチナショナリズムに染まっていくのでしょう。
(※1)小林よしのり氏が社会問題・政治問題を取り上げたコミックエッセイ。さまざまな火種をはらんでいたが、ことに太平洋戦争の歴史認識においては右派寄りの主張を続け、のちの「ネトウヨ」誕生の大きな源流になったともいわれる。
(※2)ジェンダー主流化の動きに反対する流れ、動き。日本では1990年代〜2000年代前半が特に顕著だといわれている。バックラッシュに関しては、『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(日本女性学会ジェンダー研究会編、明石書店)が参考になる。
橋下発言に色濃く出た「男性神話」
――13年5月の当時大阪市長だった橋下徹氏の「慰安所は必要だった」といういわゆる「橋下発言」(※3)も国内でも反発はありましたが、海外からほどの厳しい目は向けられませんでした。一定層が「納得」したからではないかと危惧していますが、「橋下発言」の危険性を改めて教えてください。
平井氏 「橋下発言」の前から、一般社会でも、年配の女性にも「慰安所は必要悪」という発想はありました。彼はそれを公言したにすぎない。“レイプは性欲が原因であり、男性の性欲というものは解消しなければ暴走する”という「レイプの性欲起源説」「男性神話」を信じる土壌はありましたし、今でもあると思う。まず、個々の兵士の性欲とレイプや慰安所の利用は関係ないことを、ここではっきりと言っておきたいと思います。それは後で述べる、戦争や軍隊が必要とする「男らしさ」と関係があります。
 次に、「橋下発言」で重要なポイントは、彼は「世界各国のどの軍隊も女性の性を利用してきた。日本だけがsex slaves、sex slaveryと言われて、批判されるのはアンフェアだ」という旨の発言をした。それは一面では、正しい。他国の軍隊も、戦時下では性暴力や売春宿を利用してきました。正義の戦いといわれる「ノルマンディー上陸作戦」(※4)後のフランスでも、米軍は大量のレイプや買春をしています。 韓国軍も、朝鮮戦争のときに国連軍向けの慰安所を作った。橋下氏の「各国どの軍隊もやってる」というのは、その通りなんですよ。だからこそ、「なぜ日本だけが責められるんだ」と戦争犯罪の相対化をするのではなく、世界中で取り組むべき共通課題にしなければならないと思います。その動きはグローバル社会でできつつあり、紛争下の性暴力を戦争犯罪として裁くICC(国際刑事裁判所)が発足しました。橋下さんはそのような世界史的潮流をご存じないようで残念です。
 先ほど話に出た『新・ゴーマニズム宣言』では、「慰安婦」問題に関して、「祖国のため 子孫のため 戦った男たちの性欲を許せ!」と描かれている。橋下さんや小林さんのように、“兵士個人が性欲を持ち、その解消のためには慰安所が必要”と、慰安所設置の根拠を個人の性欲にしてしまうと本質が見えない。兵士を慰安所に並ぶよう誘導した軍による兵士の性的コントロールこそが問題なのです。
――軍の性的コントロールと構造について、具体的に教えてください。
平井氏 まず各国の軍隊共通のメカニズムとして押さえておきたいこと、これはスーザン・ブラウンミラーというフェミニスト/ ジャーナリストが言っていることですが、 強制売春宿や戦場レイプは「戦術」という意味を持つということ。 例えば第二次世界大戦中、 ドイツ軍が大量のソ連女性を強姦しているのですが、 彼女の主張によると、これはナチスの恐怖作戦の一環(※5)。 逆に大戦末期にソ連軍がベルリンに侵攻した際に、大量レイプ事件が発生しますが、それは「報復」です。日中戦争で日本軍が抗日ゲリラ地区で行った「三光作戦」(焼光・殺光・槍光=焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす)でも、それに付随して、討伐時に逃げ遅れた女性たちを一定期間監禁し性暴力を振るうという「レイプセンター」のような「慰安所」が作られました。
――それらの戦術は、家父長制社会でいうところの「女性は男性の所有物だ」という考え方から生まれたものですか?
平井氏 そうです。女性はその国の男性のものなので、妻や娘がレイプされることは「自分たちの女を守れなかった」という、敗者の男性にとって最大の恥辱。武器を使わずに最大限に相手を攻撃することが可能で、勝者側の優位性や支配を敗者の目に焼き付けるための戦術のひとつだということです。
(※3)5月13日午前に大阪市役所で記者団に対し、「あれだけ銃弾の雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときに、そりゃ精神的に高ぶっている集団、やっぱりどこかで休息じゃないけども、そういうことをさせてあげようと思ったら、慰安婦制度ってのは必要だということは誰だってわかるわけです」と話し、同日夕方には「僕は沖縄の海兵隊、普天間(基地)に行った時に司令官の方にもっと風俗業活用してほしいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように、苦笑いになってしまって」と発言。その後、内外からの反発を考慮してか、26日には「私の認識と見解」を公表し、「戦場において、世界各国の兵士が女性を性の対象として利用してきたことは厳然たる歴史的事実です」「日本は自らの過去の過ちを直視し、決して正当化してはならないことを大前提としつつ、世界各国もsex slaves、sex slaveryというレッテルを貼って日本だけを非難することで終わってはならないということです」と、日本以外にも「慰安所」に似たシステムがあったと強く訴えた。
(※4)1944年に行われた、ナチス・ドイツ占領下にあったフランスを解放するための連合国軍による軍事作戦。
(※5)近年では、このドイツ軍のソ連における性暴力を「戦略」 とするブラウンミラーの主張を否定する研究が出されている。 歴史学者のレギーナ・ミュールホイザーは、 2017年4月の東京での講演で、「ドイツの軍指導部が性暴力の行使命令を明確に下したことを示唆するものは何もなかった」としつつも、性暴力を把握していた軍は、 軍事的計算からそれを黙認していたと指摘。1)死との埋め合わせとしての兵士の性、2)集団の団結力と結束・上官への忠誠、3)敵の社会の紐帯を破壊する、という3つの意味のみにおいて、「ソ連における性暴力は戦争遂行の武器であり、手段であった」と語っている(「戦時期の性暴力と性的搾取―第二次世界大戦下のドイツの場合」姫岡とし子・小野寺拓也訳)。したがって、大きな意味においてレイプは戦闘手段・ 戦術の一つとしてとらえられると考える。
レイプや慰安所の利用の根底にある、徴兵制度と作られた「男らしさ」
――2点目は?
平井氏 慰安所の利用やレイプは、弱者(女性)への攻撃を通じて連帯する「戦士兄弟たちの儀式」「男同士の絆の確認」ということです。「ホモソーシャルな同調意識」というべきでしょうか。実際に戦地に行った故・曽根一夫さんという方が『続私記南京虐殺―戦史にのらない戦争の話』(彩流社)という本で、初めて強姦したときのことを書いています。自分では強姦することに躊躇してるんだけれども、周りの兵士から「まだようせんのか?」と言われたので、「男としての虚勢を張り」強姦をしたのだと。慰安所に行かなかったりレイプに参加しなかったりすると、「腰抜け」「男じゃない」というレッテルを貼られる。明治以降、徴兵制度が敷かれる中で、男性たちは徴兵検査によりランキングされてきました。その中で「戦闘の力の強い男ほど、優秀な男」と、「男らしさ」を内面化していく。軍において、「腰抜け」は最大の恥辱になります。
 これが軍隊が作る性暴力のメカニズムで、近代的な軍隊の指揮者たちは兵士の性的欲求を戦闘行為に誘導し、利用してきたのです。新兵は、訓練を通して、戦闘能力と「男らしさ」を身につけ、精神的・身体的にタフで攻撃的であるかを競わされ、それにより出世する。このような「男らしさ」と性暴力が結び付けられている構造を理解しないと、「個人の性欲」に矮小化されてしまう。
――各国共通に戦時下の性暴力メカニズムがあることは理解できましたが、日本軍による慰安所設置やレイプの規模の大きさはほかに類を見ません。日本軍の固有の問題は?
平井氏 アジア太平洋戦争が無謀な侵略戦争であり、それがゆえに兵士が人権的観点から見てものすごく軽く扱われているということです。戦況が厳しくなるにつれて、食料や物資などの補給路がなくなるので、「現地自活」と言われる。「現地自活」と聞こえはいいですが、要は中国など戦地国の民衆から略奪しろということで、そこには女性の略奪まで含まれる。
――総力戦になるにつれ、「馬よりも兵士の命の扱いが軽くなっていった」という指摘もありますね。
平井氏 そうです。通常、軍隊には物資を運んでくれる輜重(しちょう)部隊がいるのですが、日本軍の場合は自分たちで体重の半分ほどの荷物を持って延々と行軍させられる。一度召集されると、そのまま戦地で何年も留め置かれる。米軍だと、半年招集されると、半年は後方部隊に回してもらったり国に帰してもらったりする。特別サービス班が同行して、レクリエーションとかスポーツを企画し、精神的に休憩させます。それに対し、日本軍は常に前線を転戦し、休暇がない。たまに慰問団が来るぐらいで、そんな中、「殺伐たる気風を和らげるため」に設けられたのが慰安所なんです。アジア太平洋戦争は、兵士にとって大義名分が理解できない戦争。「東洋平和のため」「聖戦」と言われてましたけど、前述の曽根さんは「やっていることは略奪行為」と書いていました。戦争の目的が示されないままに理不尽な命令をされ、前線に張り付かされている。戦争への疑問がムクムクと湧き、上官への不満も募る。そんな兵士たちに唯一与えられたガス抜きが「慰安所」だった。
――本来は現地での強姦事件を抑止するために設置された「慰安所」ですが、まったく強姦が減らなかったという事実にも驚きました。
平井氏 「慰安婦」に対価を払う慰安所が設置されたことで、兵士たちは「軍が買春を公認した」と思い、それなら「タダでやれる買春」(レイプ)もやっていいだろうと、かえってレイプ事件が増加したと言われています。慰安所は、強姦の歯止めにはならなかった。
――南京事件では、強姦のみならず、猟奇的な性暴力や殺害も見られたといわれていますが、そこまで暴力性が増した原因なんだったと思われますか?
平井氏 猟奇的な性暴力は南京だけでなく、三光作戦などを通じて中国全土で恒常的に行われました。『戦争における「人殺し」の心理学』(筑摩書房)という本を書いたデーヴ・グロスマンは、殺人とセックスの結びつきやすさについて、「性器(ペニス)を犠牲者の体内に深く突き通すことと、武器(銃剣やナイフ)を犠牲者の体内に深く突き通すこと」は、「征服行為」であり「象徴的な破壊行為」であると言っています。
慰安所に並ばなかった兵士が見抜いていた、兵士と「慰安婦」の関係の非対称性
――『新・ゴーマニズム宣言』では「最後に女と経験して死を覚悟した者だっていただろう」と描かれていますし、「死を前にすると性欲が高まる」という男性神話が信じられていますが、兵士の回想録の中では、「引き揚げ船の中では縮こまった性器を見せ合い、性的に不能になったかと不安がっていた男たちが、本土が見えて身の安全が保障されてようやく性欲が出てきた」などと書かれています。また『戦争と性暴力の〜』により、「慰安所に並ばなかった兵士」の具体例も初めて知りました。
平井氏 行かなかった理由は、「妻に申し訳ない」「将来の妻に申し訳ない」といったロマンティックな性道徳規範を持った人、「慰安婦」に対する嫌悪感を持っていた人、慰安所に並んでいる兵士たちを見て幻滅した人などさまざまです。意外だったのは、慰安所の設置自体を「兵隊を見くびっていると思った」と指摘した人。軍による性的コントロールを見抜いたんでしょうね。それと数は少ないんですけども、「女性の人権が軽視されている」と思った人。「兵士は銃剣を持っていたから、有無を言わさない存在であり、女たちはその銃剣におびえていたはずだ」と、兵士と「慰安婦」の間の非対称な権力関係を見抜いていた兵士もいます。
 私が好きなのは、『戦争と性暴力の〜』にも書いた久田次郎さん。徴兵制度や軍隊になじめなかった人です。中国の野戦に4年間いても慰安所には行かず、休日は食堂でライスカレーを食べに行く方が楽しかったとおっしゃっていました。軍隊が求める「男らしさ」から降りて、仲間からは変わり者扱いをされていたそうです。生前、静岡大学で彼に話をしてもらったときに、「私は腰抜けの兵隊でありました」とにっこり笑われていたのが、すごく素敵でした。「腰抜け」と言われても淡々と受け入れる、そういう「男らしさ」から降りた人がいたことは覚えておきたいです。
――『戦争と性暴力の〜』の中では、初年兵は「性欲には無関心であった」「全くそんな欲望を持つ暇などなかった」と書かれていますね 。
平井氏 毎日の訓練で疲れ、非人道的な扱いにストレスがあったのでしょう。それに初年兵の「慰安所」行きは古参兵たちによって抑圧されていました。慰安所に「行った/行かなかった」を分けるものは、「性欲」だけではなく、軍隊内での階層も関係しています。
――初年兵に対する非人道的な扱いというのは、具体的にはどういったものなのでしょうか?
平井氏 私的制裁、ビンタです。「靴ひもがみんなと同じように結べてない」「服が畳めていない」とか、難癖をつけては古参兵が次々殴っていく。どの国の軍も初年兵を殺人マシンになるように調教していくわけですが、日本軍の場合は精神的なもの(根性を入れるとか)が伝統的な慣行になっています。兵隊の回想録を読んでいると、ビンタへの恨みが満載です。彼らの鬱憤を晴らす対象が、戦場で一番弱い者へ向けられた。曽根さんは、それが中国の農村の人たちだったと書いています。抑圧移譲といって、いじめと同じ構造です。
 さっきの質問にあった猟奇的な性暴力について、曽根さんが書かれていたことを思い出しました。戦友の中に一人、ものすごい弱虫の兵隊がいたそう。軍隊の中では、そういった兵隊はいじめの対象になります。そんな彼が戦場で、中国人のお母さんと息子に性行為させるということを思いつき、手を打ちながらその様子を喜んで見ていたのだとか。軍隊でいじめられていた者が、戦場で一番弱い者を見つけて、猟奇的な性暴力を仕掛けて得意そうにしていた。それは初年兵いじめによる抑圧移譲が、猟奇的な性暴力となったものと見ることができるかもしれないですね。
 曽根さんがその人と40年ぶりくらいに戦友会で再会したら、好々爺になっていたそう。曽根さんの本には「彼の奥さんは、彼のそういう面は知らない。知っているのは戦友だけである」と書いてあります。私たち研究者が聞き取りに行っても、きっと元兵士たちは本当のことは言わない。戦友会のホモソーシャルな仲間内だけで話しているんだろうなと思います。ビルマ戦の戦友会に入って聞き取りをされている遠藤美幸さん(『「戦場体験」を受け継ぐということ』高文研)は、よくやられているなと思いますが、やはり外部の人間では限界があると思ってしまいます。
“加害”した兵士をどう見るか
――実は私の祖父も、兵士として中国に送られています。戦後、年に1回は孫たちに戦争の悲惨さを伝えようと機会を設けていましたが、戦友の話や彼らとの交流、どう食べ物を確保したかといった話にとどまり、彼自身どうしても核心に触れられないまま亡くなりました。南京事件や「慰安婦」問題の実情を知ると、祖父や日本兵をどういったまなざしで見ればいいのか悩んでいます。これは長年の個人的な煩悶であるとともに、戦争を知らない世代の普遍的な問題でもあると思います。
平井氏 個人を断罪することは、歴史をやる者はやってはいけないと思っています。ただ、お気持ちはよくわかります。
 大学の授業でも、戦時性暴力を兵士の個人的なセクシュアリティ問題だけとして受け止められないように、彼らが追い込まれていく構造の問題として話すようにしています。すると学生たちは、「戦争が悪い」「兵士も被害者なんですね」と安心するんですよ。でも、そこで止まってはいけない。やはり直接、性暴力を振るったのは兵士たちです。彼らの加害責任を免除してはいけない。と思いつつ、私も元兵士にインタビューすると、彼らの置かれていた厳しい状況につい同情心を抱きます。
 徴兵制度そのものが人権侵害なのです。有無を言わさず戦場に連れて行き、「人殺しをしないと優秀な兵士とはいえない」という環境に置かれる。軍隊は起床から就寝までずっと集団行動で、号令ひとつで一斉に行動する全制的施設です。空間的にも時間的にも自由がない。そうすると、外出だけが自由なのです。慰安所の女性たちの証言にもありますが、少なくない兵士が性行為をせずに、そこで寝転んだり、本を読んだり、家族に手紙を書いたりしていた、と。唯一自由になれる空間として慰安所があったんですね。回想録で、慰安所に行くことを「軍紀の縄が解かれる」と書いた兵士の表現がすごく胸に迫ってきました。だから、兵士の置かれた非人道的な状況を理解すべきだと思います。
――簡単に善悪を結論づけずに、苦しくても考え続けることが、戦争を知らない世代に託された課題かもしれません。
平井氏 簡単に白黒つけられないこと、前世代が残した不都合な史実にも向き合い続けることは、苦しくても、次世代に平和を引き継いでゆくための知的営みだと思います。今後、安保関連法の新たな枠組みの中で、自衛隊が米軍と一緒に戦争に行くことになるかもしれない。自衛官に慰安を与えるという名目で、「慰安婦」制度が再生産されるという悪夢が繰り返されないようにするためにも、軍隊がどれだけ非人道的なものであるか、「慰安婦」たちや日本軍兵士の証言から学ぶべきことは多いですね。慰安所に行った兵士の背後にある軍隊や戦争の持つ