夏目漱石「草枕」にある漢詩を題材に空想する。

門を出て散策し、ただ目の当たりに見たところから自在に泥団を放下して破笠裏に無限の青嵐を盛れば、少なからず心地よい春の想いに浸れる。
散策する我が衣にそよ風が吹いてくるのにも春の趣きがある。
いま歩んでいる田舎道は廃道となっているが、そこの轍跡には芳しい香りのする野草が生えている。そして、その廃道が春霞の先までかすかに続いていることにも春を感じる。

散策の歩みを止めて、ただ目の当たりに周囲を見渡し、待対世界の精華を噛めば、目の前の現象世界は春の生命の勢いに満ちているのに気がつく。
ウグイスがよどみなくさえずるのを聴き、桜の花が乱れ舞い散るのを見るのは、いかにも春らしい。
廃道の先まで行き尽くすと、平野が遠くまで広がっている。今の心もちを表現するため、古寺の扉に詩を書き留める。

孤独の愁いは雲の際に届くほど深いのであるが、果てしない大空には群れを離れた雁が一羽だけ北へと帰っていく。その一羽の雁に我が身を託すと、心というものの奥深さを感じるとともに、心が解放感に満たされて俗事の煩わしさを忘れられる。
30歳になる今まで人生経験を重ねて、喜びや楽しみから憂いや苦しみを切り離したり、憂いや苦しみだけを片付けたりできないことを悟ったが、散策する我を我ならぬ人の姿と見て、優に画布裏に往来してみれば、今は春の優しい陽射しに包まれている自分に心が安らいでいる。
住みにくき世から住みにくき煩いを引き抜くため、散策しながら周囲の景物に同化してそのものに成りすました。そして、ただ目の当たりに見た人情世界からジャリジャリする砂を振るって底に余る美しい金のみを眺めている。こうして詩境あるいは画界に入ることで、人世をありがたく感じ、煩悩を解脱し、清浄界に出入し、不同不二の乾坤を建立し、我利私欲の羈絆を掃蕩するという福音を享受している。