マニアック・格闘技よもやま話

伝説的プロレスラー「ウラデック・ズビスコ」動画その2

伝説的なプロレスラー、ウラデック・ズビスコの動画がまた出てきました。



注目は00:33〜で、ウラデックスタンドでのアームドラッグ→ジャンピング・バックテイク(バック・グラブ)を使用している所です。

このテクニックは、現代のブラジリアン柔術やグラップリングでも多用されるテクニックです。

ウラデックは、1934年にエリオ・グレイシーやジョルジ・グレイシーとブラジルで対戦(ジョルジに勝利。エリオとドロー)していることで有名なんですが。

↓以下リンク先参照

 

特にエリオ戦が「体格差・体力差のあるウラデックにエリオが技術でドローに持ち込んだ」

という風に伝えられる試合なんですが、動画を見ると、決してウラデックがただのストロングマンではないことがわかります。

本来(アマチュア)レスリングは、背中をつけたらフォール負けなんで、自分から背中をつけにいくような動きはないはずです。

ウラデックも、レスリングだけではなく、いろんな格闘技の技術を取り入れていたのではないかと想像されます。

続・初期のバーリ・トゥードについて

以前に、初期のバーリ・トゥードについての記事を書いたんですが。




新しくまた、おもしろいことがわかりました!

Wikipediaのバーリ・トゥードの項目をみると、


バーリ・トゥードの起源についてこのような記載があります。



1920年代から1980年代まで
1920年代のブラジルで「バーリトゥード」と呼ばれる格闘技が、サーカスの余興として人気を博した[4]。こうした余興の様子を描いた1928年10月4日付の『Japanese-American Courier』の記事は次のようなものであった[5]。

ブラジルからのある報道は、柔術は真に優秀だと宣言し、大サーカスの横に設けられたサイドテントで行なわれた興味深い公開試合において、バイーア州出身の化け物のように大きな男が、小柄な日本人格闘家の手にかかってコテンパンにやっつけられたことを伝えた。大男は南アメリカに古くから伝わる格闘技であるカポエイラの達人だったが、日本人を背負って、頭を蹴ろうとしたところ、...この小柄な東洋人が柔術を使って反撃し、大男を掴んで投げ飛ばし、少しばかり格闘した後、最後は動かなくなった大男の上に腰を下ろして座っていたという。




この文章の引用先のJapanese American Courierって何?


調べてみました。

編集者はJames Sakamotoって人なんですが。



柔道のシアトル道場の出身(シアトル道場公式ホームページに記載されています)で、1920年代にはプロボクサーとして活躍。同時にジャーナリストとしても活躍し、プロボクサー引退後の1928年にJapanese American Courierを創刊したそうです。
Wikiの記載を見ると、日系アメリカ人ではかなりの著名人ですね。

しかしながら、1928年創刊の時点では、奥さんと2人だけの零細出版社だったようです。

もちろん、その状況下でブラジルまで取材に行けるわけがない。

これって。

記事の、サーカスの公開試合でカポエィラの達人を倒した小柄な日本人って、やはりジオ大森で、その大森本人が(シアトル道場の後輩の?)坂本に送った私信(手紙、あるいは現地報道の切り抜きなど)を元にした記事なんじゃないの?と。

ジオ大森について



ジオ大森=大森幸治郎とJames Sakamotoとの直接の繋がりは発見できなかったのですが。

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1925年の紐育新報にこんな記事がありました。
文中にある、山内と千葉は、大森たちと共にベイヨン柔道道場を立ち上げた2人です。

なので、Sakamotoは、1926年に大森がアメリカを離れてブラジルに行く前までの仲間であった可能性が大いにあるのです。

ジオ大森は、ブラジルでのバーリ・トゥード試合の真の創始者であると言われています。

しかしながら、その事実と功績は、埋もれているとも隠蔽されているとも言われています。



それが、

ウィキペディアのバーリ・トゥードの項目(日本語版も英語版も)に、

その起源として本人発(!?)の情報がしっかり記載されているという!

これ、めちゃくちゃおもしろくないですか!







伝説的プロレスラー"初代統一世界ヘビー級王者"ジョージ・ハッケンシュミット動画

とんでもない貴重な動画が発掘されました。

伝説的プロレスラー"初代統一世界ヘビー級王者"ジョージ・ハッケンシュミットの試合動画がでてきたのです!

なんと1908年。
今から120年近くも前のものです!




この動画自体がすごい大発見なのですが。

さらに、8:05からのハッケンシュミットとは違う試合。

これもなんとあの"コンデ・コマ"前田光世が出場したことで有名な1908のアルハンブラ・トーナメントの動画らしいのですよ!

※ハッケンシュミットはトーナメント不出場。別枠?

それも、前田光世が出場したミドル級の決勝戦。

Joe Carroll(裸足の方)とPeter Gotz(黒シューズ)の対戦。

※前田は3位になったHenri Irslingerに敗戦。


那嵯涼介さんの「最強の系譜 プロレス史 百花繚乱」によれば、優勝のキャロルは、大会の行われた前年に道衣着用マッチで前田光世に敗戦。
また1904年には谷幸雄と対戦して勝利(谷が試合中に歯が折れたことで棄権)しているそう。



最初この試合動画を見て、黒シューズの方(ピーター・ゴッツ)が足払いを使用したり、フックスイープ(10:10〜)を使用したりしているのに気がついて「おや?」って思ったんですが。ゴッツは谷に敗戦していて、その後柔術を習ったらしい。

こんな近代プロレスの黎明期の時点から、柔術(柔道)を取り入れるレスラーが存在していたんだなあ、としみじみ思いました。

あと、この「アルハンブラ・トーナメント」では前田光世以外にも日本選手が出場していまして。

その選手の詳細についてもかなりわかりました。

というか教えていただきました。

戦前天覧試合で木村政彦と戦い戦後プロ野球選手として活躍した柔道家・大館勲は、現WWE女子王者のプロレスラー・イヨ・スカイ選手の祖父だった!

約一年前に投稿した記事(本日加筆しました)



この記事が、今年3月にイヨ選手が自身の祖父が大館勲であることを公表して以降非常によく閲覧されるようになったので、再投稿です。

イヨ選手は今年8月に、世界最大のプロレス団体・WWEの女子王者となり、現在も保持。

世界的に大人気の女子プロレスラーです。






※以前の投稿の加筆分と重複する内容です。

WWEといえば、本拠地はニューヨークで、その前身のWWFとさらにその前身のWWWFはアメリカ東海岸を中心に活動していた訳ですが。

イヨ選手の祖父・大館勲の師匠(ハワイ中学柔道部で柔道指導を受ける)のプロレスラー・"キラー・シクマ"こと志熊俊一は、戦前、1930年代後半にアメリカ東海岸でセンセーションを巻き起こしていて。

現在WWE経営のマクマホン家は、戦前よりプロレス興行に携わっているといいます。

因果は巡るなあ、と。

戦前、「いだてん」金栗四三とともに「箱根駅伝」を創設し、「アメリカ大陸横断マラソン」に挑戦すべく渡米した人物「生田喜代治」は… プロレスラー「生田太平洋」になった!

戦前の柔道家や(日本人)プロレスラーについて調べていたら、とんでもないものを発見!

NHKドラマ「いだてん」でも描かれた、あの「箱根駅伝」の始まり。

金栗四三とともに「箱根駅伝」を創設した

生田喜代治

という方がいるんですが。

この方、なんと後に渡米してプロレスラーになっているんですよ!

参照①
https://tabi-mag.jp/kn0279/


参照②
http://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/01_a/01-ikuta.html

リンクからわかることは、

1.生田喜代治は、

「大正8年にマニラで開催された第4回極東オリンピック大会で1マイル・5マイル競争で大会新記録をだし、砲丸投げでも好成績を上げる」

など日本陸上競技界の黎明期の大スターであった。

2.金栗四三らと「箱根駅伝」の創設に尽力。第一回大会に選手として参加。

3.「箱根駅伝」は、本来は「アメリカ大陸横断駅伝」の予選、という構想であったが、とん挫。

4、明大の出口林次郎と共に、「アメリカ大陸横断マラソン」を実現すべく渡米。

5.「アメリカ大陸横断マラソン」の資金作りに、柔道道場での指導、(日系人による)米国相撲への出場、プロレスリングへの出場。

6.
陸上5種競技(国際大会金メダル)
長距離走(第一回箱根駅伝出場)
柔道(二段)
相撲(米国相撲関脇)
プロレスリング

のスーパー・アスリート

プロレスラーとしての活動は、知人の専門の方に調べて発表してもらうつもりです!


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