2008年01月21日
【篤姫】出水武家屋敷群と野間の関
今回の篤姫紀行はナベヅルの渡来地、出水でした。すでに12000羽も来ているそうです。 出水武家屋敷の家並みはすばらしいです。
薩摩は戦国時代から、「外城制度(とじょうせいど)」と呼ぶ独特の要塞化をしてました。これは現在の大竜小学校にあった「内城」を中心として同心円状に城や集落をつくり、外的から国を守ると言うもの。 島津忠恒(家久)のときに、現在の鶴丸城に居城を移し、各地に麓と呼ばれる武家集落を配置しました。鶴丸城は天守閣はなかったようです。 →内城跡
そして国境は厳しい関所と最強の兵士を配置していたようです。 肥後には戦国時代、加藤清正がいましたから備えも相当だったことでしょう。 出水兵児(いずみへこ)はそういう最前線に配置されてました。
「出水兵児修養掟」という、最強の兵士たちのバイブルを作り上げたのは、第三代出水地頭の「山田昌巌」です。日吉の生まれで、生誕地には石碑があります。→山田昌巌生誕地
妙円寺参りの歌の中で、「我が昌巌(しょうがん)らが待ち伏せて、縦横無尽に駆け散らす」と歌われるように、関ヶ原での【島津の退き口】で義弘公の脱出のために勇猛果敢な戦いをしたそうです。しっかりと薩摩まで帰りついているから凄いことです。→妙円寺参りの歌
ちなみに父は有信で、耳川合戦のときな「高城」で数万の兵が攻める中、味方は数百で籠城し、陥落しなかったとのこと。親子ともども、名将だったようです。
→高城跡
カゴシマニア
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この記事へのコメント
1. Posted by
カミタク(リンク先は「出水麓武家屋敷群訪問記」)
2008年06月28日 11:21
拙運営のHP「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
内のサブ・コンテンツ「出水麓武家屋敷群訪問記」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKAN78.HTM
から、貴サイトにリンクを張りましたので、その旨報告いたします。
今後共、よろしくお願い申し上げます。






