2007年01月05日
マリア・アナ・ボボンのすすめ
私撰集にも載せている通り、私はクラシックの他といえばポルトガル語圏の音楽を少し聴くのです。とは言っても、モザンビークとか東チモールではなくて、無難にポルトガルとブラジルだけなんですけれども。
でそのなかでも、去年出会った音楽の中で一番の『発見』に、ポルトガルの女性歌手、マリア・アナ・ボボンという人がいます。彼女は、1974年生まれの若いファド歌い。だから、アマリア・ロドリゲスのようなコテコテのファドではなくて、ちょっぴりジャジーだったり、新しい時代の、より自由な感性を散りばめた歌を聞かせます。マドレデウスをご存知の方は、だいたいその路線だといえば、まあ見当はつけてもらえるでしょう。
私はマドレデウスのヴォーカルのテレーザ・サルゲイロの透き通った声がとても好きなのだけれど、マリア・アナ・ボボンも同じ系統の声を持っているように思います。すっくと伸びが良くて、それでいて高音に独特のメランコリックなくぐもった表情がかぶる所が、ツボ。いわゆるクラシックのオペラの歌唱法とは違うけれど、でも確固としたスタイルを持った歌唱。たぶん、ポルトガルならではの声なんじゃないかなあ。
ソロ・アルバムは、1998年の"Senhora da Lapa"(↑)と、去年秋に出たばかりの"Nome de Mar"と、2枚出しています。
最初に聞いたのは、"Senhora da Lapa"。ウェブサイトで試聴して、一目惚れならぬ、一聞惚れしました。ジャズっぽいコードを弾くピアノを従えて、リスボンのどこかの教会だという会場の豊かな残響のお陰もあってか、天まで届くかのように飛んでゆくマリア・アナの伸びの良い声に聞き入ってしまいます。いわゆるファドは、1曲しか入っていないらしいけれど、どれも一抹のサウダージを湛えた、素直なメロディで、彼女のまだ若いナイーヴな声が、ほんとうに良く映えます。2ヴァージョン収録されたタイトル曲、1曲目の"Meu Amor me deu um Lenco"、6曲目の"Espelho Quebrado"などが特に気に入りました。
一方、新作の"Nome de Mar"は、前作で養ったセンスを活かしながらも、伝統的なファドの世界に果敢に挑戦したアルバムと言えそうです。伴奏もポルトガル・ギター、ギター、ベースというファドに典型的(らしい)なかたちで、あのシャリシャリとした独特のガットギターの音色が、リスボンのアルファマの薄暗い酒場の雰囲気を否応なく思い起こさせます。ってのはレトリックが過ぎますかね。ファド酒場なんて行ったことないしね。でもこれを聞いて、行ってみたくなりますよ。
そしてなにより、8年の月日を経て、マリア・アナの声が本格的に熟して、より魅力的になっているのに驚きました。前作で聞かせたピュアさはそのままに、前作にはなかった女性的な魅力、セクシーさが備わっています。声に深みが出ただけでなく、低音域にも幅の広がりを聞かせてくれます。
アルバムのタイトルにもなった1曲目の"Meu nome e' nome de mar"(my name is name of the seaか?)は、本格的なファドの雰囲気。フェルナンド・ペソアの詩に歌をつけた11,12曲目は、ドビュッシーかサティかと思うような、アンニュイな和声のギター伴奏に載せて歌う、かなりモダンな曲で面白いです。逆に7曲目の民謡"Natal d'Elvas(エルヴァスのクリスマス?)"、ボーナストラックの"アヴェマリア"は、素朴。9曲目の"Senhora do monte(山の聖母?)"は、まったくファドではなく、ゆったりとしたメロディも、ジャズピアノの伴奏というかたちも、前作アルバムの雰囲気を思い出させます。私はこれが一番好きかなあ。
で、"Meu nome e' nome de mar"は、YouTube上でフルコーラス公開されてます。どうやらブートレグではなく、販売元?かなにかが正式に公開しているみたいだ。なるほどこういうYouTubeの使い方もあるんですねえ。ご覧あれ。彼女、なんとなくペネロペ・クルス似の、美人です。
しかしその新作アルバムはamazon.comですら扱っていなく、↑でリンクしたポルトガルのオンラインサイトCDGO.COMで購入しました。注文から10日もしないで着いたけど、アメリカまでの送料込みで約25ユーロ、今の為替ルートだと3800円くらいしちゃいますね。ちなみに、"Senhora da Lapa"を制作しているのはMA Recordingsという、アメリカにあるけどもともと日本発のレーベルみたいで、CDの背に日本語でタイトルが入っています。それにしてもいいセンスしてるなあ。今ウェブサイト見たら、なんと1枚12ドルで売ってます。
acoustica!というブログさんがNome de Marについて日本語で書かれているので、TBさせていただきました。
でそのなかでも、去年出会った音楽の中で一番の『発見』に、ポルトガルの女性歌手、マリア・アナ・ボボンという人がいます。彼女は、1974年生まれの若いファド歌い。だから、アマリア・ロドリゲスのようなコテコテのファドではなくて、ちょっぴりジャジーだったり、新しい時代の、より自由な感性を散りばめた歌を聞かせます。マドレデウスをご存知の方は、だいたいその路線だといえば、まあ見当はつけてもらえるでしょう。
私はマドレデウスのヴォーカルのテレーザ・サルゲイロの透き通った声がとても好きなのだけれど、マリア・アナ・ボボンも同じ系統の声を持っているように思います。すっくと伸びが良くて、それでいて高音に独特のメランコリックなくぐもった表情がかぶる所が、ツボ。いわゆるクラシックのオペラの歌唱法とは違うけれど、でも確固としたスタイルを持った歌唱。たぶん、ポルトガルならではの声なんじゃないかなあ。
ソロ・アルバムは、1998年の"Senhora da Lapa"(↑)と、去年秋に出たばかりの"Nome de Mar"と、2枚出しています。
最初に聞いたのは、"Senhora da Lapa"。ウェブサイトで試聴して、一目惚れならぬ、一聞惚れしました。ジャズっぽいコードを弾くピアノを従えて、リスボンのどこかの教会だという会場の豊かな残響のお陰もあってか、天まで届くかのように飛んでゆくマリア・アナの伸びの良い声に聞き入ってしまいます。いわゆるファドは、1曲しか入っていないらしいけれど、どれも一抹のサウダージを湛えた、素直なメロディで、彼女のまだ若いナイーヴな声が、ほんとうに良く映えます。2ヴァージョン収録されたタイトル曲、1曲目の"Meu Amor me deu um Lenco"、6曲目の"Espelho Quebrado"などが特に気に入りました。

そしてなにより、8年の月日を経て、マリア・アナの声が本格的に熟して、より魅力的になっているのに驚きました。前作で聞かせたピュアさはそのままに、前作にはなかった女性的な魅力、セクシーさが備わっています。声に深みが出ただけでなく、低音域にも幅の広がりを聞かせてくれます。
アルバムのタイトルにもなった1曲目の"Meu nome e' nome de mar"(my name is name of the seaか?)は、本格的なファドの雰囲気。フェルナンド・ペソアの詩に歌をつけた11,12曲目は、ドビュッシーかサティかと思うような、アンニュイな和声のギター伴奏に載せて歌う、かなりモダンな曲で面白いです。逆に7曲目の民謡"Natal d'Elvas(エルヴァスのクリスマス?)"、ボーナストラックの"アヴェマリア"は、素朴。9曲目の"Senhora do monte(山の聖母?)"は、まったくファドではなく、ゆったりとしたメロディも、ジャズピアノの伴奏というかたちも、前作アルバムの雰囲気を思い出させます。私はこれが一番好きかなあ。
で、"Meu nome e' nome de mar"は、YouTube上でフルコーラス公開されてます。どうやらブートレグではなく、販売元?かなにかが正式に公開しているみたいだ。なるほどこういうYouTubeの使い方もあるんですねえ。ご覧あれ。彼女、なんとなくペネロペ・クルス似の、美人です。
しかしその新作アルバムはamazon.comですら扱っていなく、↑でリンクしたポルトガルのオンラインサイトCDGO.COMで購入しました。注文から10日もしないで着いたけど、アメリカまでの送料込みで約25ユーロ、今の為替ルートだと3800円くらいしちゃいますね。ちなみに、"Senhora da Lapa"を制作しているのはMA Recordingsという、アメリカにあるけどもともと日本発のレーベルみたいで、CDの背に日本語でタイトルが入っています。それにしてもいいセンスしてるなあ。今ウェブサイト見たら、なんと1枚12ドルで売ってます。
acoustica!というブログさんがNome de Marについて日本語で書かれているので、TBさせていただきました。
2007年01月02日
謹賀新年2007
あけましておめでとうございます。半日おくれでWPhのニューイヤーコンサートのダイジェスト版をアメリカの地上波で見終わった正月です。なんだか年を追うごとにイベント化してる気がしますが、楽しいのでいいでしょう。
去年はブログの更新がかなり停滞してしまいましたが、今年は是非挽回させたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。
クラシック音楽界の2006年は、ショスタコーヴィチとモーツァルトに明け暮れた1年でしたが、2007年はどんな年になるでしょうか。生誕150年のエルガー、没後100年のグリーグ、そして没後50年のシベリウスという北欧の近代三巨頭が最もアニバーサリーな存在ですが、実はガブリエリが生誕450年、ブクステフーデが没後300年に、ヨハン・シュターミッツとドメニコ・スカルラッティが没後250年だそうです。
スカルラッティは開拓してみたい作曲家の1人です。是非チェンバロの生演奏に接したいですね。録音では、スコット・ロスの全集に手を出す勇気はまだないのですが、これまでに、ロスの撰集
、アンタイ、そしてホロヴィッツ
などの演奏で結構好んで聞いています。これまでのお気に入りは、ほの暗い熱情のほとばしるK18(アンタイ)、激しい打ち込みに痺れるK141(ロス、アンタイ)、ウルトラCな音の移動や絶妙な休符が聞かせどころのK299(ロス)、スペイン風のリズムにのってアレグリッシモで駆け抜けるK450(アンタイ)、リリカルな一面が楽しめるK491(ホロヴィッツ、ロス)、そしてホロヴィッツのアルバムの冒頭で彼が究極に柔らかい音色を聞かせるK531(ホロヴィッツ)などなど。聞きだしてみると、意外と病み付きになる魅力を持ったミクロコスモスです。
一方西洋美術では、2006年はレンブラント・イヤーでしたね。2007年は、彼ほどの巨星は見当たらないものの、以下のような芸術家たちがアニバーサリーです。他にもいるかな。ソリメーナは没後250年に当たった1997年にものの見事に何もなかったので、今度こそ是非ナポリで展覧会を期待したいですね。まあ私だけですかそんなもん期待してるのは…。でもあれば見に行きますよー。
ポントルモ 没後450年
ヤン・リーフェンス 生誕400年
ウィリアム・ブレイク 生誕250年
フランチェスコ・ソリメーナ 生誕350年
アンゲリカ・カウフマン 没後200年
ブリーダ・カーロ 生誕100年
ディエゴ・リベーラ 没後50年
コンスタンチン・ブランクーシ 没後50年
最後に、イノシシ年を記念してFlickrから一枚。シエナの町中のサラミ屋の店先で見つけたイノシシ。まあ、お眼鏡がチャーミング。
去年はブログの更新がかなり停滞してしまいましたが、今年は是非挽回させたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。
クラシック音楽界の2006年は、ショスタコーヴィチとモーツァルトに明け暮れた1年でしたが、2007年はどんな年になるでしょうか。生誕150年のエルガー、没後100年のグリーグ、そして没後50年のシベリウスという北欧の近代三巨頭が最もアニバーサリーな存在ですが、実はガブリエリが生誕450年、ブクステフーデが没後300年に、ヨハン・シュターミッツとドメニコ・スカルラッティが没後250年だそうです。
スカルラッティは開拓してみたい作曲家の1人です。是非チェンバロの生演奏に接したいですね。録音では、スコット・ロスの全集に手を出す勇気はまだないのですが、これまでに、ロスの撰集
一方西洋美術では、2006年はレンブラント・イヤーでしたね。2007年は、彼ほどの巨星は見当たらないものの、以下のような芸術家たちがアニバーサリーです。他にもいるかな。ソリメーナは没後250年に当たった1997年にものの見事に何もなかったので、今度こそ是非ナポリで展覧会を期待したいですね。まあ私だけですかそんなもん期待してるのは…。でもあれば見に行きますよー。
ポントルモ 没後450年
ヤン・リーフェンス 生誕400年
ウィリアム・ブレイク 生誕250年
フランチェスコ・ソリメーナ 生誕350年
アンゲリカ・カウフマン 没後200年
ブリーダ・カーロ 生誕100年
ディエゴ・リベーラ 没後50年
コンスタンチン・ブランクーシ 没後50年
最後に、イノシシ年を記念してFlickrから一枚。シエナの町中のサラミ屋の店先で見つけたイノシシ。まあ、お眼鏡がチャーミング。
www.flickr.com
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2006年12月30日
写真@Flickr
最近、ブログなどに載せた写真のアーカイヴとして、Flickrというサービスを個人的に利用していたのですが、写真の数も溜まってきたのでこれもこれで正式に公開しようかと思います。もっとも、このブログの右のサイドバーの下のほうに、しばらく前からリンクとなるフラッシュを張っておいたので、既にご覧になった方もあるかもしれませんけれど。
http://www.flickr.com/photos/yeussquai/
↑サイトにジャンプすると、サイトの右に(今のとこ)7つのカテゴリがありますので、とりあえずはそちらからどうぞ。
それ以外にも、タグ機能をつかって、色々なテーマの写真を呼び出すことが出来ます。
例えば、"夜景"、
二つ組み合わせて、"baroque"+"church"などというふうに。
最近ハードディスクの中に眠っていた写真をごっそりアップロードしたので、ハードコアなメメンとモリ読者の方々に置かれましてもご覧になったことのない写真があると思います。ご覧あれ。
↓は、6月に旅行したチェコの写真から、いくつか。
続きを読む
http://www.flickr.com/photos/yeussquai/
↑サイトにジャンプすると、サイトの右に(今のとこ)7つのカテゴリがありますので、とりあえずはそちらからどうぞ。
それ以外にも、タグ機能をつかって、色々なテーマの写真を呼び出すことが出来ます。
例えば、"夜景"、
二つ組み合わせて、"baroque"+"church"などというふうに。
最近ハードディスクの中に眠っていた写真をごっそりアップロードしたので、ハードコアなメメンとモリ読者の方々に置かれましてもご覧になったことのない写真があると思います。ご覧あれ。
↓は、6月に旅行したチェコの写真から、いくつか。
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2006年12月26日
最近のCD購入試聴記3
今年のベスト・CD編も毎年やってみようとは思うのだけど、新譜を意識して追いかけているわけではないので、私が今年聴いたCDベストにしかならず、話題性がまるでなくなってしまいます。だからやっぱり、これまでのように最近聴いてよかったCDを惰性的に紹介することでお茶を濁そうかと思います。今回は、秋以降NYで買ったものより、最近リリースのものから選んでみました。
なお、今回からアマゾンのアフィリエートを利用させていただこうと思います。売れそうなものはぜんぜん紹介していないので、別に小遣いは期待してませんけれど、どんなもんかなと思って。使い勝手が悪ければ辞めます。
むしろ、インスタントストアで自分の好きなものを並べることができるという方が面白かったりしました。ブログで紹介していくものはそちらにも並べておきます。ということでメメンとモリ私撰集もどうぞご覧ください。
●ツィモン・バルト/ラモー曲集:A Basket of Wild Strawberries(Ondine)
ツィモン・バルトといえば、ラフマニノフとか弾く全身筋肉みたいなピアニストだと思っていたのですが、オンディーヌからなんとラモーのCDが出ましたよ。あまりにミスマッチングだったので、思わずNYの中古屋で捕獲。
これはいったい、ラモーの音楽を聞くCDではありません。全身筋肉でもありません。テンポを遅めにとり、デフォルトがピアノくらいでヴォリュームを絞って弾いて、チェンバロにはないヴォリュームの高低をとてもデリケートに音楽に反映しています。数少ない音符が残響豊かな音響空間の中にこだまして、耽美的というか、まるでお化けでも出そきそうな、おどろおどろしい世界が繰り広げられております。オリジナルな解釈であることは間違いありません。
●ミンコウスキ/モーツァルト交響曲第40,41番ほか(DG)
マルク・ミンコウスキ/ルーヴル宮音楽隊
今更私が何を書くでもない、最近の大評判CD。リンカーンセンター裏のタワレコの閉店セールで4割引で捕獲。評判どおり、古楽臭があまりしませんね。アプローチの方法は何であれ、力強くそして楽しい音楽。降参。
●サヴァール/ボッケリーニ曲集(Alia Vox)
ジョルディ・サヴァール/ル・コンセール・デ・ナシオン
収録は、ギター五重奏《ファンダンゴ》、交響曲ニ短調(G.517)、同イ長調(G.511)、小五重奏《マドリードの街角の夜の音楽》。これもタワレコセールで購入。
ジャルディーノ・アルモニコの疾風怒濤風の演奏とは対照的な、おおらかな愉悦感に満ちた、よい意味でラテン的な気質の演奏です。しかし《マドリードの街角の夜の音楽》は、驚くほど前衛的な音楽ですね。ベリオが編曲したのは、単にイタリア人作曲家の曲だからじゃないんですよ奥さん。
この有名なギター五重奏の終楽章のファンダンゴには、カスタネットが入っています。カルロス・サウラの『ゴヤ』だったか、ペネロペ・クルスの出ていた『裸のマハ』だったかに、宮廷の晩餐会でまさにこのファンダンゴが演奏され、マホの衣装を着た男がカスタネットを鳴らしながら曲にあわせて踊るシーンがあったのを思い出しました。
110ページ以上に及ぶ6ヶ国語によるブックレットが付いてるけど、Alia Voxは最近こういう豪華仕様CDが多いですね。
●Ouvertüren: Music for the Hamburg Opera(Harmonia Mundi)
ベルリン古楽アカデミー
ヤーコプスとの声楽曲などで知られるこのグループは、テレマンやCPEバッハの管弦楽の指揮者なしによる優れた録音でお世話になっております。彼らの昨年の新譜が、この17世紀末から18世紀初頭にかけての時期にハンブルクの歌劇場のために書かれたオペラからの管弦楽曲集。収録曲は以下の通り。
ゲオルグ・カスパー・シュールマン、《ルイ敬虔王》組曲
フィリップ・ハインリヒ・エルレバッハ、管弦楽組曲第4番
ラインハルト・カイザー、《滑稽なジョデレ王子》よりシンフォニア
ヘンデル、《アルミラ》舞踏組曲
ヨハン・クリスティアン・シーファーデッカー、コンセール第1番
言うまでもなく、タイトルのOuvertüreはバッハの同タイトル曲と同じく、フランス風管弦楽組曲の意味でしょうから、「序曲集」ではありません。しかしヘンデルを除き、知らない作曲家のオンパレードだけれど、とても面白かった。是非舞台で見てみたいものです。
●Portrait: Paul O'dette(Harmonia Mundi)
アメリカ人リュート奏者ポール・オデットのベスト盤です。カーネギーホールの小ホールで彼のソロリサイタルを聴くことになっていたので、元々廉価盤で安いのに、タワレコのセールでさらにお買得担っていたのを捕獲。彼のHMへの膨大な録音のうち、CD17枚から計22トラックを収録。リュートのCDなんて初めて買うので、これなら安いし、色々なのが入っているし、ちょうど良かろうと。
リュート独奏だけでなく、バロックギターソロや、器楽アンサンブルや声楽との録音なども含まれています。
なお、今回からアマゾンのアフィリエートを利用させていただこうと思います。売れそうなものはぜんぜん紹介していないので、別に小遣いは期待してませんけれど、どんなもんかなと思って。使い勝手が悪ければ辞めます。
むしろ、インスタントストアで自分の好きなものを並べることができるという方が面白かったりしました。ブログで紹介していくものはそちらにも並べておきます。ということでメメンとモリ私撰集もどうぞご覧ください。
●ツィモン・バルト/ラモー曲集:A Basket of Wild Strawberries(Ondine)
ツィモン・バルトといえば、ラフマニノフとか弾く全身筋肉みたいなピアニストだと思っていたのですが、オンディーヌからなんとラモーのCDが出ましたよ。あまりにミスマッチングだったので、思わずNYの中古屋で捕獲。
これはいったい、ラモーの音楽を聞くCDではありません。全身筋肉でもありません。テンポを遅めにとり、デフォルトがピアノくらいでヴォリュームを絞って弾いて、チェンバロにはないヴォリュームの高低をとてもデリケートに音楽に反映しています。数少ない音符が残響豊かな音響空間の中にこだまして、耽美的というか、まるでお化けでも出そきそうな、おどろおどろしい世界が繰り広げられております。オリジナルな解釈であることは間違いありません。
●ミンコウスキ/モーツァルト交響曲第40,41番ほか(DG)
マルク・ミンコウスキ/ルーヴル宮音楽隊
今更私が何を書くでもない、最近の大評判CD。リンカーンセンター裏のタワレコの閉店セールで4割引で捕獲。評判どおり、古楽臭があまりしませんね。アプローチの方法は何であれ、力強くそして楽しい音楽。降参。
●サヴァール/ボッケリーニ曲集(Alia Vox)
ジョルディ・サヴァール/ル・コンセール・デ・ナシオン
収録は、ギター五重奏《ファンダンゴ》、交響曲ニ短調(G.517)、同イ長調(G.511)、小五重奏《マドリードの街角の夜の音楽》。これもタワレコセールで購入。
ジャルディーノ・アルモニコの疾風怒濤風の演奏とは対照的な、おおらかな愉悦感に満ちた、よい意味でラテン的な気質の演奏です。しかし《マドリードの街角の夜の音楽》は、驚くほど前衛的な音楽ですね。ベリオが編曲したのは、単にイタリア人作曲家の曲だからじゃないんですよ奥さん。
この有名なギター五重奏の終楽章のファンダンゴには、カスタネットが入っています。カルロス・サウラの『ゴヤ』だったか、ペネロペ・クルスの出ていた『裸のマハ』だったかに、宮廷の晩餐会でまさにこのファンダンゴが演奏され、マホの衣装を着た男がカスタネットを鳴らしながら曲にあわせて踊るシーンがあったのを思い出しました。
110ページ以上に及ぶ6ヶ国語によるブックレットが付いてるけど、Alia Voxは最近こういう豪華仕様CDが多いですね。
●Ouvertüren: Music for the Hamburg Opera(Harmonia Mundi)
ベルリン古楽アカデミー
ヤーコプスとの声楽曲などで知られるこのグループは、テレマンやCPEバッハの管弦楽の指揮者なしによる優れた録音でお世話になっております。彼らの昨年の新譜が、この17世紀末から18世紀初頭にかけての時期にハンブルクの歌劇場のために書かれたオペラからの管弦楽曲集。収録曲は以下の通り。
ゲオルグ・カスパー・シュールマン、《ルイ敬虔王》組曲
フィリップ・ハインリヒ・エルレバッハ、管弦楽組曲第4番
ラインハルト・カイザー、《滑稽なジョデレ王子》よりシンフォニア
ヘンデル、《アルミラ》舞踏組曲
ヨハン・クリスティアン・シーファーデッカー、コンセール第1番
言うまでもなく、タイトルのOuvertüreはバッハの同タイトル曲と同じく、フランス風管弦楽組曲の意味でしょうから、「序曲集」ではありません。しかしヘンデルを除き、知らない作曲家のオンパレードだけれど、とても面白かった。是非舞台で見てみたいものです。
●Portrait: Paul O'dette(Harmonia Mundi)
アメリカ人リュート奏者ポール・オデットのベスト盤です。カーネギーホールの小ホールで彼のソロリサイタルを聴くことになっていたので、元々廉価盤で安いのに、タワレコのセールでさらにお買得担っていたのを捕獲。彼のHMへの膨大な録音のうち、CD17枚から計22トラックを収録。リュートのCDなんて初めて買うので、これなら安いし、色々なのが入っているし、ちょうど良かろうと。
リュート独奏だけでなく、バロックギターソロや、器楽アンサンブルや声楽との録音なども含まれています。
2006年12月24日
2006年コンサートベスト5
ご無沙汰しておりました。急用で3週間東京に帰っていました。月曜日からNYに戻ってますが、まだ時差ボケで朝5時半に起きてる毎日です。よってクリスマスと正月の休暇はニューヨークで過ごすわけですが、暇そうで先が思いやられる…
さて、ここにコンサートの感想を書かなくなってしまってからしばらく経ちましたが、年の締めくくりとして、せっかくだから今年聴いたものからベスト5を選んでみたいと思います。今年は記録が欠けてしまったので、正確な数はわかりませんが、大体去年と同じ、35回くらいの演奏会に足を運んだと思います。ちなみに去年の選はこちら。以下、順番は日付順です。
●1/25 カーネギーH、ラトル/ベルリン・フィル
メインは《英雄の生涯》だったのですが、前プロで演奏した、ハイドンの86番がとてもアスレチックで、かっちょよかった。次の日のマーラーの4番も聴いたのですが、個人的には好きな曲であったハイドンで感銘を受けたこの日を選びました。これは簡単な感想をここに書きました。
●2/18 ブルックリン音楽院、レ・ザール・フロリサンのヘンデル《ヘラクレス》
ウィリアム・クリスティ指揮、リュック・ボンディ演出のプロダクション。LAFの精気溢れる音楽作りが素晴らしかった。これも簡単な感想をここに書きました。
●10/11 エイヴリーフィッシャーホール、ハイティンク/ロンドン響
このコンビでベートーヴェンの交響曲全曲演奏があったのですが、そのうち「第九」の回に足を運びました。これが良かった。テンポは伝統的ながら、きびきびと歯切れの良いアーティキュレーションに薄めのヴィブラートです。で何よりそこに巨匠風の重厚さが加わっていたのがミソでしょう。説得力のある演奏でした。
●11/2 カーネギー、ザンケルホール、ムジカ・アンティクア・ケルン
彼らのさよならコンサート。ゲーベルは怪我で来れず、イリヤ・コロルがゲストリーダーとしてアンサンブルを率いたのですが、ゲーベルなしでも素晴らしかった。ハインリヒ・バッハ、ヨハン・クリストフ・バッハ、テレマン、JSバッハ、ハイニヒェン、ゼレンカという渋いプロで、彼らのこれまでの活動を集大成するかのような、ハードボイルドなドイツバロック音楽を聞かせてくれました。
●12/16 埼玉芸術劇場、バッハコレギウムジャパン
モーツァルト「レクイエム」公演。帰国中には北とぴあのハイドン《月の世界》にも足を運び、大いに楽しませてもらったのですが、公演の完成度という点ではこちらが上でした。もう日本のBCJじゃなくて、世界のBCJですね。
*そのほか、思い出深いコンサートとしては、チェコ旅行中、トシェビーチという田舎町で聴いた古楽アンサンブル、ムジカ・フロレアのコンサートは落とせません。当日現地入りして、町の観光局でチケットがあるか尋ねたら売り切れで、お姉ちゃんは珍しい日本人のために親切にもどこかに電話して切符が残っているか聞いてくれたのだけど、それでも残っていなく、大いに落胆したのだけれど、ダメ元で開演前に会場の町外れのシャトーに行ってみたら、なんと切符を売っていて、めでたく入手できたという波乱もありました。そして会場はシャトーの中の大広間で、200人入るかというくらいの贅沢な空間。開け放たれた窓の向こうから、小鳥たちがブランデンブルグ協奏曲にスペシャルゲストとして競演してくれた、6月の暑い夜でした。
来年も素晴らしい音楽と演奏にたくさん出会えますように。
さて、ここにコンサートの感想を書かなくなってしまってからしばらく経ちましたが、年の締めくくりとして、せっかくだから今年聴いたものからベスト5を選んでみたいと思います。今年は記録が欠けてしまったので、正確な数はわかりませんが、大体去年と同じ、35回くらいの演奏会に足を運んだと思います。ちなみに去年の選はこちら。以下、順番は日付順です。
●1/25 カーネギーH、ラトル/ベルリン・フィル
メインは《英雄の生涯》だったのですが、前プロで演奏した、ハイドンの86番がとてもアスレチックで、かっちょよかった。次の日のマーラーの4番も聴いたのですが、個人的には好きな曲であったハイドンで感銘を受けたこの日を選びました。これは簡単な感想をここに書きました。
●2/18 ブルックリン音楽院、レ・ザール・フロリサンのヘンデル《ヘラクレス》
ウィリアム・クリスティ指揮、リュック・ボンディ演出のプロダクション。LAFの精気溢れる音楽作りが素晴らしかった。これも簡単な感想をここに書きました。
●10/11 エイヴリーフィッシャーホール、ハイティンク/ロンドン響
このコンビでベートーヴェンの交響曲全曲演奏があったのですが、そのうち「第九」の回に足を運びました。これが良かった。テンポは伝統的ながら、きびきびと歯切れの良いアーティキュレーションに薄めのヴィブラートです。で何よりそこに巨匠風の重厚さが加わっていたのがミソでしょう。説得力のある演奏でした。
●11/2 カーネギー、ザンケルホール、ムジカ・アンティクア・ケルン
彼らのさよならコンサート。ゲーベルは怪我で来れず、イリヤ・コロルがゲストリーダーとしてアンサンブルを率いたのですが、ゲーベルなしでも素晴らしかった。ハインリヒ・バッハ、ヨハン・クリストフ・バッハ、テレマン、JSバッハ、ハイニヒェン、ゼレンカという渋いプロで、彼らのこれまでの活動を集大成するかのような、ハードボイルドなドイツバロック音楽を聞かせてくれました。
●12/16 埼玉芸術劇場、バッハコレギウムジャパン
モーツァルト「レクイエム」公演。帰国中には北とぴあのハイドン《月の世界》にも足を運び、大いに楽しませてもらったのですが、公演の完成度という点ではこちらが上でした。もう日本のBCJじゃなくて、世界のBCJですね。
*そのほか、思い出深いコンサートとしては、チェコ旅行中、トシェビーチという田舎町で聴いた古楽アンサンブル、ムジカ・フロレアのコンサートは落とせません。当日現地入りして、町の観光局でチケットがあるか尋ねたら売り切れで、お姉ちゃんは珍しい日本人のために親切にもどこかに電話して切符が残っているか聞いてくれたのだけど、それでも残っていなく、大いに落胆したのだけれど、ダメ元で開演前に会場の町外れのシャトーに行ってみたら、なんと切符を売っていて、めでたく入手できたという波乱もありました。そして会場はシャトーの中の大広間で、200人入るかというくらいの贅沢な空間。開け放たれた窓の向こうから、小鳥たちがブランデンブルグ協奏曲にスペシャルゲストとして競演してくれた、6月の暑い夜でした。
来年も素晴らしい音楽と演奏にたくさん出会えますように。
2006年11月22日
ノヴェンバー・ステップス
2週間ほど暖かい日が続いていたニューヨークの11月ですが、数日前から寒が戻り、紅葉の葉も落ちてぐっと冬らしくなってきました。CD試聴記が終わったわけではないのですが、たまには近況報告でも。
今シーズンもコンサートには相変わらず通っております。その点ご心配なく。10月にはアシュケナージ率いるN響がカーネギーホールに客演し、武満の『鳥は星型の庭に降りる』、エレーヌ・グリモーとバルトークのコンチェルト3番、そしてラヴェルの『ダフニスとクロエ』という、短いけれどうまく組まれたプログラムを披露してくれました。このコンサートは、International Festival of Orchestras-Iという会員シリーズの第1回目に当たり、バイエルン放響(ヤンソンス)、ロンドンフィル(マズア)、ウィーンフィル(バレンボイム)、NDR響(ドホナーニ)という顔ぶれに並んでの登場です。
久々のN響は、とても機能的かつ清廉なアンサンブルを聞かせてくれました。アメオケに耳が慣らされてしまったか、若干ヴォリュームに欠くなあというのと、それもあわせてとても淡白だなあという印象は受けました。しかし、その淡白さも、特徴の一つとして肯定的に捉えるべきなのでしょう。フルートとか、ソロで聞かせてくれるパートもあって、ダフニスの夜明けの冒頭など、もっと派手にやりようはいくらでもあっただろうけど、あれはあれでしめやかな中に華のある夜明け、よかったと思います。それと、武満は文句なく素晴らしかった。雅楽を模した管楽の重なり合うハーモニーのみやびな音は、NYPの演奏では聞けません。
11月のはじめには、ムジカ・アンティクア・ケルンがさよならコンサートを敢行しました。ゲーベルは残念ながら怪我で来れなかったけれど、イリヤ・コロル率いるアンサンブルが、ドイツバロック音楽の求道者としての真骨頂たる、極めて燃焼度の高い真摯なる演奏を聞かせてくれました。ゲーベルなしであれだけできるなら、是非ともアンサンブルとしての活動を続けてもらいたいものです。
展覧会のシーズンも佳境を迎えています。先週末からグッゲンハイムで「エル・グレコからピカソまでのスペイン絵画:時、真実、そして歴史」という特別展が始まりました。出品予定だったゴヤの作品が輸送途中で盗難に遭ったりして(作品は見つかりました)、余計なところで話題を振りまいています。
グッゲンハイムは最近、こういう国別のプロパガンダ的な概観展を好んで催すのですが、それらのご多分に漏れず、まあ酷い内容。いや、作品自体は良いもの、珍しいものが結構来ているのですが、企画としてはあまりに安易で、並べる順番だけちょちょっといじりましたという、がっかりな代物です。孤立した、神秘的な、スピリチュアルな、巨匠たちのスペインという、50年前の歴史観を、ただただ無批判に恥ずかしげもなく繰り返しています。ブルボン朝の美術は、勿論ゴヤが全て代表します。そしてゴヤとピカソの間は、相変わらず空白のままらしいですよ、共同監修にスペイン19世紀絵画の復権の先頭に立ってきた某スペインの碩学が名を連ねているにもかかわらず!
勉強の方も、ボチボチ進めております。18世紀のイタリア語に苦しめられております。そして、ちょうど1年前に書いたペーパーを、ようやく(ん度目かの正直で)英語論文として投稿する作業も始めました。いろいろ投稿先を模索していたのですが、ちょうどいいんじゃないかというのが見つかりました。まあ、審査に通ればですけれども。
そんなこんなで、今週の木曜日はサンクスギビング。月曜から休みの学校も多いみたいです。うちの学校はやってるものの、さっさと田舎に帰ってしまった学生もいるようで、普段より静かです。木曜日はフィリピン人の友人宅に招かれています。せっかくだから何か作っていこうかと思い、季節物のサツマイモのそぼろ煮を先日試作してみたところ、うーん、何かがおかしい。あしたはうまく出来るだろうか…今更違うもん作るのも、思いつかないしなあ…。

久々のN響は、とても機能的かつ清廉なアンサンブルを聞かせてくれました。アメオケに耳が慣らされてしまったか、若干ヴォリュームに欠くなあというのと、それもあわせてとても淡白だなあという印象は受けました。しかし、その淡白さも、特徴の一つとして肯定的に捉えるべきなのでしょう。フルートとか、ソロで聞かせてくれるパートもあって、ダフニスの夜明けの冒頭など、もっと派手にやりようはいくらでもあっただろうけど、あれはあれでしめやかな中に華のある夜明け、よかったと思います。それと、武満は文句なく素晴らしかった。雅楽を模した管楽の重なり合うハーモニーのみやびな音は、NYPの演奏では聞けません。
11月のはじめには、ムジカ・アンティクア・ケルンがさよならコンサートを敢行しました。ゲーベルは残念ながら怪我で来れなかったけれど、イリヤ・コロル率いるアンサンブルが、ドイツバロック音楽の求道者としての真骨頂たる、極めて燃焼度の高い真摯なる演奏を聞かせてくれました。ゲーベルなしであれだけできるなら、是非ともアンサンブルとしての活動を続けてもらいたいものです。
グッゲンハイムは最近、こういう国別のプロパガンダ的な概観展を好んで催すのですが、それらのご多分に漏れず、まあ酷い内容。いや、作品自体は良いもの、珍しいものが結構来ているのですが、企画としてはあまりに安易で、並べる順番だけちょちょっといじりましたという、がっかりな代物です。孤立した、神秘的な、スピリチュアルな、巨匠たちのスペインという、50年前の歴史観を、ただただ無批判に恥ずかしげもなく繰り返しています。ブルボン朝の美術は、勿論ゴヤが全て代表します。そしてゴヤとピカソの間は、相変わらず空白のままらしいですよ、共同監修にスペイン19世紀絵画の復権の先頭に立ってきた某スペインの碩学が名を連ねているにもかかわらず!
勉強の方も、ボチボチ進めております。18世紀のイタリア語に苦しめられております。そして、ちょうど1年前に書いたペーパーを、ようやく(ん度目かの正直で)英語論文として投稿する作業も始めました。いろいろ投稿先を模索していたのですが、ちょうどいいんじゃないかというのが見つかりました。まあ、審査に通ればですけれども。
そんなこんなで、今週の木曜日はサンクスギビング。月曜から休みの学校も多いみたいです。うちの学校はやってるものの、さっさと田舎に帰ってしまった学生もいるようで、普段より静かです。木曜日はフィリピン人の友人宅に招かれています。せっかくだから何か作っていこうかと思い、季節物のサツマイモのそぼろ煮を先日試作してみたところ、うーん、何かがおかしい。あしたはうまく出来るだろうか…今更違うもん作るのも、思いつかないしなあ…。
2006年11月19日
最近のCD購入試聴記(6月プラハ編2)
プラハより第2弾。
●ヨゼフ・ライヒャのチェロ協奏曲集(Supraphon)

Josef Rejcha: Cello Concertos
ミカエル・エリクソン(vc)、ヤナ・ヴラホヴァ(vn)
オンドジェイ・クカル/チェコ室内管
ライヒャといえば、パリ音楽院で作曲を教えたアントニン・ライヒャしか知りませんでしたが、彼の伯父で育ての親に当たる人物に、このヨゼフ・ライヒャ(1752-1795)という作曲家がいるそうな。で、彼のチェロ協奏曲2曲と、2つのヴァイオリンのための協奏曲(2台目はチェロに持ち替え)をカップリグしたCDでございます。
これが、すごく良いです。ハイドンをもっとメロディアスにした感じ、それでいて曲の構成もしっかりしている。古典派のチェロというニッチな分野においてはハイドンの協奏曲に次ぐ秀品ではないでしょうか。次は古楽器で聞きたいです。エリクソンは、vnのヴラホヴァの旦那さんで、両者とも、ナクソスからドヴォルジャークの室内楽のCDを出している、プラハ・ヴラフ四重奏団のメンバー。
●ミスリヴェチェク/2台のチェロと低音のための6つのソナタ(Studio Matous)

ヤン・シルツ(Vc)
ラドミール・シルツ(Vc)
ヴァーツラフ・ホスコヴェッツ(Cb)
ロベルト・フゴ(Cem)
ボヘミア古典派の低音つながり、ということで。これも、とてもよいです。しょっちゅう聞いています。イタリアでオペラで成功した作曲家だからか、くったくのない晴朗なメロディに彩られた、明るい古典派風の作品です。ウィットにも欠けていません。全6曲で、どれも3楽章からなるソナタです。世界初録音だそうな。全体としては、モーツァルトの初期のディヴェルティメント(K136-8)などに良く似た雰囲気です。そしてプレストで書かれ躍動感に満ちたフィナーレは、ハイドンの交響曲のフィナーレの室内楽版のよう。
チェロの2人は親子で、ヤンがお父さん。良いアンサンブルです。2人のたっぷりとしたカンタービレは明るい曲想に良くあっています。低音のパートは、コントラバスとチェンバロでカバーしているそうです。しかし、次はこれも古楽器で聞いてみたいですね。もう少しこう、何というか、小股の切れ上がったようなスタイルでも悪くないと思うのですが。
●ヨゼフ・ライヒャのチェロ協奏曲集(Supraphon)

Josef Rejcha: Cello Concertos
ミカエル・エリクソン(vc)、ヤナ・ヴラホヴァ(vn)
オンドジェイ・クカル/チェコ室内管
ライヒャといえば、パリ音楽院で作曲を教えたアントニン・ライヒャしか知りませんでしたが、彼の伯父で育ての親に当たる人物に、このヨゼフ・ライヒャ(1752-1795)という作曲家がいるそうな。で、彼のチェロ協奏曲2曲と、2つのヴァイオリンのための協奏曲(2台目はチェロに持ち替え)をカップリグしたCDでございます。
これが、すごく良いです。ハイドンをもっとメロディアスにした感じ、それでいて曲の構成もしっかりしている。古典派のチェロというニッチな分野においてはハイドンの協奏曲に次ぐ秀品ではないでしょうか。次は古楽器で聞きたいです。エリクソンは、vnのヴラホヴァの旦那さんで、両者とも、ナクソスからドヴォルジャークの室内楽のCDを出している、プラハ・ヴラフ四重奏団のメンバー。
●ミスリヴェチェク/2台のチェロと低音のための6つのソナタ(Studio Matous)

ヤン・シルツ(Vc)
ラドミール・シルツ(Vc)
ヴァーツラフ・ホスコヴェッツ(Cb)
ロベルト・フゴ(Cem)
ボヘミア古典派の低音つながり、ということで。これも、とてもよいです。しょっちゅう聞いています。イタリアでオペラで成功した作曲家だからか、くったくのない晴朗なメロディに彩られた、明るい古典派風の作品です。ウィットにも欠けていません。全6曲で、どれも3楽章からなるソナタです。世界初録音だそうな。全体としては、モーツァルトの初期のディヴェルティメント(K136-8)などに良く似た雰囲気です。そしてプレストで書かれ躍動感に満ちたフィナーレは、ハイドンの交響曲のフィナーレの室内楽版のよう。
チェロの2人は親子で、ヤンがお父さん。良いアンサンブルです。2人のたっぷりとしたカンタービレは明るい曲想に良くあっています。低音のパートは、コントラバスとチェンバロでカバーしているそうです。しかし、次はこれも古楽器で聞いてみたいですね。もう少しこう、何というか、小股の切れ上がったようなスタイルでも悪くないと思うのですが。
2006年11月14日
最近のCD購入試聴記(6月プラハ編1)
忘れられた頃に突然更新しているわけですが、最近、といっても、ここ数ヶ月の間になりますが(笑、購入したCDから、幾つかよかったものをあげてみます。とりあえず、プラハで買ったものより。うん、もう6月末の話だ!
●トゥーマ/シンフォニア、パルティータ、ソナタ集(ARTA)

アンティクアリウス・コンソート・プラハ
プラハの小さなCD屋の兄ちゃんに勧められたのが、ARTAというレーベル。古楽をメインにとても品のよいCDを作る、チェコにおけるAlphaとかハルモニアムンディみたいな存在でしょうか。そのなかからフランティシェック・イグナツ・トゥーマ(1704-74)の器楽曲集を買ってみました。
トゥーマの音楽は、神童モーツァルトが世間を賑わすまで存命だった作曲家にしては、時代遅れではないかと思いますが、ドイツ語圏バロックの器楽音楽のよき伝統が生きています。シンフォニア、パルティータ、ソナタと3つの異なるジャンルの曲が収められていますが、どれも似たような器楽合奏曲です。
そういえばパルティータの1曲を弦楽合奏に編曲した録音を持っていましたが、こうしたオリジナルの小さな編成の方が、やはり曲にあっている気がします。あ、それでいてこの人、結構なメロディメーカーで、イ短調のパルティータの3曲目のアレグロの熱情的な舞曲、ヘ長調のパルティータの1曲目の堂々としたアレグロなど、親しみやすいですね。
アンティクアリウス・コンソート・プラハは、ヴァイオリン2台、ヴィオラ、アーチリュート(とバロックギター)、チェンバロという編成の古楽アンサンブル。某日本のレーベルにエンシェント・コンソート・プラハという団体がベートーヴェンの交響曲を五重奏で録音していますが、それと同一かどうか、よくわかりません。実力のあるアンサンブルです。
CDのブックレットは、アンサンブルのリーダーの書いた、音楽とまるで何の関係もない似非哲学的な文章と、グローヴ音楽辞典のトゥーマの項のほぼコピペという、ちょっとお寒いつくりでした。収録曲の歴史的背景や事実関係(年代とか、手稿/出版稿の存在の有無とか)について何も触れていないのは、ちょっと片手落ちです。しかしよい音楽、演奏です。
●ロセッティ:ボヘミアの反逆者(Caro Mitis)

プラートゥム・インテグルム・オーケストラ
プラハのCD屋のよかった点は、その値段(ユーロ、コルナ高でそれほど安いわけではない)よりも、全CDが試聴可能だったことです。店にあるCDは袋に入ったものでもなんでも、全部です。大型店に行けば試聴ブースがあって持っていけば聞かせてくれるし、小さな店なら、店番の兄ちゃんが店中にかけてくれます。これではどんどん買い込んでしまうわけです(笑。
このCDはまさに聞いたお陰で買ったCD。Caro Mitisというロシアのレーベルから出ている、ロシアの古楽器オケ(Pratum Integrum Orchestra)によるロセッティの曲集。しかもハイブリッドSACD。別にチェコで買ったって安くないので、買わなくてもよかったのだけど、聞いたらとてもよかったので。正直言って、ロシア製のCDとは思えないほど洗練されたジャケット、内容、そして演奏で驚きました。
収録は、交響曲ニ長調(Murray A21)、同ト短調(同A42)、ホルン協奏曲ニ短調(C38)、ヴァイオリン協奏曲ニ短調(C9)と盛りだくさん。短調の曲が3曲というのも面白い選び方です。ト短調の交響曲は、コンチェルト・ケルンのCDでA41番と振られているものと同一です。
オケは、あのコンチェルト・ケルン程に尖がったダイナミックな音はしていませんが、切れ味の良さは負けていません。響きが若干軽目で、ギャラントな雰囲気も備えています。ナチュラルホルンのとても深い音も印象的。そして通奏低音にはチェンバロではなくフォルテピアノが入っているようです。あまり聞こえませんが(笑。
●トゥーマ/シンフォニア、パルティータ、ソナタ集(ARTA)

アンティクアリウス・コンソート・プラハ
プラハの小さなCD屋の兄ちゃんに勧められたのが、ARTAというレーベル。古楽をメインにとても品のよいCDを作る、チェコにおけるAlphaとかハルモニアムンディみたいな存在でしょうか。そのなかからフランティシェック・イグナツ・トゥーマ(1704-74)の器楽曲集を買ってみました。
トゥーマの音楽は、神童モーツァルトが世間を賑わすまで存命だった作曲家にしては、時代遅れではないかと思いますが、ドイツ語圏バロックの器楽音楽のよき伝統が生きています。シンフォニア、パルティータ、ソナタと3つの異なるジャンルの曲が収められていますが、どれも似たような器楽合奏曲です。
そういえばパルティータの1曲を弦楽合奏に編曲した録音を持っていましたが、こうしたオリジナルの小さな編成の方が、やはり曲にあっている気がします。あ、それでいてこの人、結構なメロディメーカーで、イ短調のパルティータの3曲目のアレグロの熱情的な舞曲、ヘ長調のパルティータの1曲目の堂々としたアレグロなど、親しみやすいですね。
アンティクアリウス・コンソート・プラハは、ヴァイオリン2台、ヴィオラ、アーチリュート(とバロックギター)、チェンバロという編成の古楽アンサンブル。某日本のレーベルにエンシェント・コンソート・プラハという団体がベートーヴェンの交響曲を五重奏で録音していますが、それと同一かどうか、よくわかりません。実力のあるアンサンブルです。
CDのブックレットは、アンサンブルのリーダーの書いた、音楽とまるで何の関係もない似非哲学的な文章と、グローヴ音楽辞典のトゥーマの項のほぼコピペという、ちょっとお寒いつくりでした。収録曲の歴史的背景や事実関係(年代とか、手稿/出版稿の存在の有無とか)について何も触れていないのは、ちょっと片手落ちです。しかしよい音楽、演奏です。
●ロセッティ:ボヘミアの反逆者(Caro Mitis)

プラートゥム・インテグルム・オーケストラ
プラハのCD屋のよかった点は、その値段(ユーロ、コルナ高でそれほど安いわけではない)よりも、全CDが試聴可能だったことです。店にあるCDは袋に入ったものでもなんでも、全部です。大型店に行けば試聴ブースがあって持っていけば聞かせてくれるし、小さな店なら、店番の兄ちゃんが店中にかけてくれます。これではどんどん買い込んでしまうわけです(笑。
このCDはまさに聞いたお陰で買ったCD。Caro Mitisというロシアのレーベルから出ている、ロシアの古楽器オケ(Pratum Integrum Orchestra)によるロセッティの曲集。しかもハイブリッドSACD。別にチェコで買ったって安くないので、買わなくてもよかったのだけど、聞いたらとてもよかったので。正直言って、ロシア製のCDとは思えないほど洗練されたジャケット、内容、そして演奏で驚きました。
収録は、交響曲ニ長調(Murray A21)、同ト短調(同A42)、ホルン協奏曲ニ短調(C38)、ヴァイオリン協奏曲ニ短調(C9)と盛りだくさん。短調の曲が3曲というのも面白い選び方です。ト短調の交響曲は、コンチェルト・ケルンのCDでA41番と振られているものと同一です。
オケは、あのコンチェルト・ケルン程に尖がったダイナミックな音はしていませんが、切れ味の良さは負けていません。響きが若干軽目で、ギャラントな雰囲気も備えています。ナチュラルホルンのとても深い音も印象的。そして通奏低音にはチェンバロではなくフォルテピアノが入っているようです。あまり聞こえませんが(笑。
2006年11月12日
わたしのモーツァルトその3:クラリネット五重奏曲
●クラリネット五重奏曲 K.581
モーツァルトは晩年にクラリネットのための傑作――五重奏曲と協奏曲――を書くんですが、どちらかと言われれば断腸の思いで五重奏曲を取り上げましょう。どちらも、モーツァルトという芸術家が、人生の酸いも甘いも噛み分けた上で、それらを全て超越したところに行ってしまった時に作り出した音楽です。クラリネットの、明朗で慈愛に満ちた音色は、そんな彼岸の世界の音楽を描き出すに最適の楽器であったと考える他ありません。「天上の音楽」という使い古された形容は、この曲に限ってはいつまでも色褪せることなく当てはまるでしょう。
この曲は時代楽器の演奏はまだ聴いたことがなく、ペーター・シュミードルとウィーンの名手たちによる演奏にいつも耳を傾けています。彼らの奏でるメロウな音楽は、モーツァルトの晩年の世界にあまりに合致しすぎていて、ここから脱することが出来ません。カップリングのブラームスの同じ編成の曲は、やはり晩年の作曲家の憂いに満ちた、いわば晩秋の音楽です。
モーツァルト:クラリネット五重奏曲
モーツァルトは晩年にクラリネットのための傑作――五重奏曲と協奏曲――を書くんですが、どちらかと言われれば断腸の思いで五重奏曲を取り上げましょう。どちらも、モーツァルトという芸術家が、人生の酸いも甘いも噛み分けた上で、それらを全て超越したところに行ってしまった時に作り出した音楽です。クラリネットの、明朗で慈愛に満ちた音色は、そんな彼岸の世界の音楽を描き出すに最適の楽器であったと考える他ありません。「天上の音楽」という使い古された形容は、この曲に限ってはいつまでも色褪せることなく当てはまるでしょう。
この曲は時代楽器の演奏はまだ聴いたことがなく、ペーター・シュミードルとウィーンの名手たちによる演奏にいつも耳を傾けています。彼らの奏でるメロウな音楽は、モーツァルトの晩年の世界にあまりに合致しすぎていて、ここから脱することが出来ません。カップリングのブラームスの同じ編成の曲は、やはり晩年の作曲家の憂いに満ちた、いわば晩秋の音楽です。

2006年10月11日
わたしのモーツァルトその2:フルートとハープのための協奏曲
●フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299
フルートとハープという独奏楽器の組み合わせはとても珍しいですが、それもそのはず、フルートを吹く貴族が、ハープを弾く娘と競演するためにモーツァルトに書かせた曲だそうです。モーツァルトの作品の中ではかなり異質な存在だけれども、いかにも貴族的な優美さがこの曲の魅力です。18世紀の雅なるロココの世界を音楽で最も的確に表現しているのは、まさにこの協奏曲なのかもしれません。
フライブルク・バロック管によるこの曲の最近の録音について、しばらく前にブログにチョびっと書きました。時代楽器のアンサンブルによる、大変優れた録音として貴重ではありますが、私の実はファーストチョイスは別にあります。
パトリック・ガロワというフランスのフルーティストが、現代の楽器を用い、現代の楽器のオケと競演しながら、時代楽器の奏法を取り入れて録音した演奏が、私のお気に入りの一枚です。ガロワのスタイルはモーツァルトにはバロック的過ぎる、という人もいるかもしれませんが、とても自由で精気に溢れているあたり、私は楽しんでいます。カップリングの2曲のフルート協奏曲も、カデンツァ(無伴奏のソロパート)にノリノリの装飾音符が付いていたり、楽しいですよ。競演はハープがファブリス・ピエール、オケはスウェーデン室内管弦楽団。
Mozart: Flute Concertos Nos. 1 and 2; Concerto for Flute and Harp
フルートとハープという独奏楽器の組み合わせはとても珍しいですが、それもそのはず、フルートを吹く貴族が、ハープを弾く娘と競演するためにモーツァルトに書かせた曲だそうです。モーツァルトの作品の中ではかなり異質な存在だけれども、いかにも貴族的な優美さがこの曲の魅力です。18世紀の雅なるロココの世界を音楽で最も的確に表現しているのは、まさにこの協奏曲なのかもしれません。
フライブルク・バロック管によるこの曲の最近の録音について、しばらく前にブログにチョびっと書きました。時代楽器のアンサンブルによる、大変優れた録音として貴重ではありますが、私の実はファーストチョイスは別にあります。
パトリック・ガロワというフランスのフルーティストが、現代の楽器を用い、現代の楽器のオケと競演しながら、時代楽器の奏法を取り入れて録音した演奏が、私のお気に入りの一枚です。ガロワのスタイルはモーツァルトにはバロック的過ぎる、という人もいるかもしれませんが、とても自由で精気に溢れているあたり、私は楽しんでいます。カップリングの2曲のフルート協奏曲も、カデンツァ(無伴奏のソロパート)にノリノリの装飾音符が付いていたり、楽しいですよ。競演はハープがファブリス・ピエール、オケはスウェーデン室内管弦楽団。
