志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

滝野川国民学校沼津会と内田康夫氏の追悼

 滝野川国民学校の同窓生で作っている「沼津会」に参加して来た。国民学校(小学校)5年生だったときに、私も1ヶ月だけ参加した集団疎開学園(沼津市静浦)での経験を共有する人たちの集まりで、その事情は今までにも2回ほど記事にしている。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55592972.html (沼津会のこと)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55636453.html (滝野川国民学校沼津会と「静浦疎開学園ものがたり」)
 最盛期には毎年数十名が参加していたが、この会の中には推理作家として高名になった内田康夫氏がいた。疎開時には1年下の4年生だった学年だが、疎開学園物語りの発行の際には、その中心人物になったと聞いている。しかし今では会員はすべて85歳から83歳までの年齢になった。今年の参加者は、8名にとどまった。
 今年は、この3月13日に内田康夫氏が亡くなっているので、期せずしてその追悼会のようになった。私は3月19日のブログ記事「内田康夫氏の死去と『靖国への帰還』」
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55772007.html
を持参して追悼文とした。
 幹事が用意してくれていたのは、3年前の2015年に内田康夫氏から寄せられていた、沼津会への欠席を知らせる挨拶文だった。その内容を改めて読んでみて、内田氏にとっての沼津疎開時代が、懐かしい思い出として綴られていることに、驚きに近い強い印象を受けた。たとえば、こんな調子なのだ。(以下引用)

 懐かしいといえば、沼津疎開時代の思い出すべてが懐かしいのは僕だけでしょうか。……こんなことを言うと笑われるかもしれませんが、僕にとって、人生の中で最も幸せだった時期があの本能寺(宿泊先は地元の寺だった)での暮らしだったような気がします。……長い汽車の旅の後、バスに揺られて岬を回った瞬間のあの海の色も鮮やかだった。本能寺の生活のあれこれも、大勢のホームシックが出たのも、懐かしい思い出です。……(引用終り)

 これを読んで、なんと善意の人なのだろうと思った。とくに「大勢のホームシックが出たのも、懐かしい思い出です。」とまで言われるのは、率直に言って不本意だと思った。あの深刻な人間不信と、家族というものに対する切ないほどの愛着、そこから離れて来てしまったことへの取り返しのつかない後悔などは、私には、終生消えない傷を残したとも言えるほど深かった。
 そこで思い出したのが、「疎開学園物語り」を最初に読ませてもらったときの違和感だった。あくまでも「つらいこともあったけど楽しかった、懐かしい」というムードが通底していたのだ。そんなに過去を美化してしまっていいものかと思ったのだ。これは何から出てくるのか。おそらく私が「疎開学園の落ちこぼれ」だったからだと思う。とにかく私はあの学園で、「先生は人間として尊敬できない」ことを悟ったのだ。親が最後に持たせた貴重な菓子類を子供たちから一斉に取り上げて、「彼らの基準」で「平等」に分配したのだ。分配を受ける側には、ちゃっかりと教師も入った。食い物の恨みは根が深いのだ。私はあのころから、権威というものを疑う心を身につけたのかもしれない。

ブログ連歌(510)

10179 拉致家族 トランプ頼みじゃ 情けなし (うたのすけ)
10180  自前のルート 無きに等しく (建世)
10181 困ったぞ 仮想敵国 探さなきゃ (獣医さん)
10182  そこで中国 こいつはデカい (建世)
10183 見せられる 身にもなってよ 蚊帳の外 (うたのすけ)
10184  手も足も出ず 口先さえも (建世)
10185 懲りぬまま 武器売り買いに 奔走す (みどり)
10186  トランペットを ここぞと吹いて (建世)
10187 アキエさん 宰相夫人とは 呼びかねる (うたのすけ)
10188  アキエたものだと 落首もされて (建世)


人類の寿命を考える(1)

 この数日来、頭の中に靄(もや)のように立ち込めていた想念に、おぼろげながら形が見えてきた。何となくもう一冊、本を書かなければならないような気がしていたのだ。
 またブログの上で1200字、100回分ぐらい書けばいいのかな、などと考えていた。私が知っているこの人類は、この先どれくらい長い間、地球の主人公でいられるのだろう、と思ったのだ。
 思えば、人類が地球の主人公と言えるほどの存在になったのは、それほど古い昔のことではない。メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の四大文明が発祥したあたりでは、まだ地球全体としては、陸地の一部分に巣を作って住みついた動物の集団がいたという程度のことだったろう。自分たちの巣ばかりでなく、ピラミッドや万里の長城といった建造物も作り始めたが、いずれも自然石を削って積み上げた構造物だった。
 ただし彼ら人類には、地上の生物の中で唯一、知能を持ち言語を発達させ文明を発達させるという、際立った特徴があった。そして何種類かの亜種の中でも最も有力になり、競合する亜種を次々に絶滅させて生き残った一種類だけが、人類という単一の種として世界に散って行ったのだった。人類みな同胞というのは、理想主義者のスローガンではなくて、歴史的な事実であったのだ。
 ではその人類は、いつごろから地球の主人公になったと言えるのだろうか。地球が地球であることを知った、つまり世界というのは地球の上にあり、その地球は宇宙にある天体の中の一つだということを知らせたのはコペルニクスだったが、まだ信じる人は、ほとんどいなかった。強国の君主たちは、正確な世界地図や地球儀が作られるようになってからも、自分の領土のことしか考えていなかった。
 人類が、限りある地球の上に住んでいて、みんなが「宇宙船地球号」に乗り合わせているという認識を持つようになったのは、第二次世界大戦も終って「万国博覧会」が人気を集めるようになった頃からではないかと、私は思っている。自分も家族を連れてその場へ行き、人類の未来といったことを考えた。私の個人としても幸福な時期だったが、人類にとっても幸せな時代だったと思う。 

北朝鮮が核実験とミサイルをやめる件

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(熊さん)北朝鮮が核実験とミサイル発射をやめるそうじゃないですか。アメリカに行ってる安倍首相も、日本が国連の先頭に立って圧力をかけた成果だと言ったとか。
(ご隠居)ああ、あのトランペットだね。トランプのペットだからトランペットとアメリカで言われてるってのが、ゆうべネット上にわっと出て、思わず笑ってしまったよ。本当にアメリカ人が言ったのかどうかは疑問だけどね。
(熊)でもさ、日本の首相がアメリカで笑われてるのを痛快がるってのも、なんだか変なもんだね。
(隠)そう言やそうだが、北朝鮮の発表も、よく読んだら奥が深いんだよ。つまり、核兵器もミサイル技術も、もう完成して使えるようになったから、実験する必要がなくなったと言ってるんだ。今後は対等な核ミサイル保有国だから、そのつもりでいてくれと言ってるわけだよ。その上で南北会談やアメリカとの首脳会談にも応じるというんだから、一方的に核兵器の放棄に応じる可能性は少ないだろうね。
(熊)つまり圧力で凹んだんじゃなくて、むしろ強気の交渉に出てくるんですかね。
(隠)でも落ち着いて考えたら、これは外交として当然の手順なんだよ。核兵器を持つというのは、持つことに意味があるので、実際には使えない。使ったら、その使った国の破滅だよ。唯一、使える国はアメリカだが、それにしたってリスクは大きいよ。つまり備蓄してる核兵器の数には意味がないんだ。
(熊)それじゃ、北朝鮮を、どう扱ったらいいんですかね。
(隠)北朝鮮の核兵器が実用可能かどうかなんて、わかりもしない議論をしてたって時間の無駄だよ。どこの国も核兵器の先制使用はしない、できないことを納得させて、世界的な核軍縮につなげて行くのが唯一の正解だね。北朝鮮には、「国民の生活も苦しかったろうに、よくがんばりましたね、ご苦労さまでした。そこまでで結構です」と、丁重に言ってあげればいいんだよ。

ブログ連歌(509)

10159 昨日は震度5で 今日はドカ雪の荒れた春 (獣医さん)
10160  北の冬逝く 地を震わせて (建世)
10161 初夏来るも 春は遠くに 沈鬱な 
10162  ぶろぐ連歌に 語彙も寂しく (うたのすけ)
10163 パソコンの キーもたどたど もどかしく 
10164  この老人に 春は遠くに (うたのすけ) 
10165 旧友の 投稿ありき 久しぶり
10166  寒き日なれど 暖かきかな (建世) 
10167 待ちわびた 便りがあって 春が来た (コバさん) 
10168  旧知の人の 投句もあって (建世)
10169 イラクの戦闘地 今頃露わになってどうするの (獣医さん)
10170  全部書き換え 撤退したことに (建世) 
10171 公文書 紐解く者に 真実を (みどり)
10172  伝えて生きる 先人の労 (建世)
10173 自衛官 おまえは敵だと 言い放ち
10174  国会裏戦闘と 日報に書く (建世)
10174B  やがてこの国は 考えすぎか (うたのすけ)
10175 自衛官 歪め無権利 軍隊化 (みどり)
10176  困ったときの 自衛隊頼み (うたのすけ)
10177 もっぱらに 災害救助の 自衛隊
10178  理想の軍と 評価もあって (建世)
10179 拉致家族 トランプ頼みじゃ 情けなし (うたのすけ)
10180  自前のルート 無きに等しく (建世)


 
              

老夫婦がマクドナルドで昼食する平和

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 天気のよい土曜日。朝から長女が「ここへ行ってごらんよ」と、杉並区にある馬橋公園への地図をプリントアウトして持って来た。洗濯物を全部干してから出かける用意をしたら、もう時間は11時に近づいている。老夫婦で歩き出してはみたが、結局は「知ってるとこの方が安心だ」になって、中野駅近くの「四季の森公園」へ行くことになった。
 ここは、古くは「犬公方」と呼ばれた徳川綱吉の「お犬さまお囲い場」があったとされる広大な地域である。それが明治時代以後に「陸軍中野学校」となり、敗戦後には「警察大学校」となり、さらに警察大学移転のあとの再開発で、大学の誘致による文教地区と、防災を兼ねた公園になって今に至っている。天気のよい休日には、ここは子連れ家族の天国のようになる。商業的遊具など何もないのが、かえってすがすがしい。日本の「少子化の悩み」も、どこの話かと思ってしまう。
 ぶらぶら歩いているうちに、家の冷蔵庫にはたいしたものが残っていなかった話になり、そこで目についたのがマクドナルドの看板だった。マクドナルドのハンバーガーの味に抵抗はない。以前は娘も若くて、おやつに買ってきて、みんなで分けて食べたりもした。歩いて疲れたから、椅子に座って食べられるのも魅力だった。買い方には慣れていないが、掲示をよく読んだら何とかなった。500円のバリューセットというのがあり、バーガーとポテトチップと飲み物がついている。これを二人で食べたら、ピタリ正解で気持ちよく完食できた。
 以前に東南アジアへ行ったとき、マクドナルドやサーテイーワン・アイスクリームの店があると、勝手がわかって安心したものだ。食べている間に、「町にマクドナルドのある国同士は戦争をしない」という「マクドナルドの法則」を妻に語って聞かせたのだが、たぶん同じ話を何度も聞かせていると思う。でも相手は上機嫌で何も文句を言わなかった。




中野区長選挙と長妻昭の演説

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 中野区長の選挙が6月に予定されているそうで、その前哨戦が始まっている。立憲民主党の長妻昭氏が、その応援演説に来るというので、中野駅南口まで聞きに行ってみた。短い時間の中で、区長選挙の要点を明晰な口調で説明しながら、国政における立憲民主党および自分の、今の立場や活動ぶりも、さりげなく広報していた。やはり一流の政治家の資質を備えている人だと、改めて思った。
 中野区長の選挙は4年前にも行われていて、私はこのとき「中野区長選挙で見た「つまらない選挙」の典型例という記事を書いている。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55601021.html
 地方の首長選挙では、現職が再選を目指す場合は、明らかな失政やスキャンダルがない限りは、圧倒的に現職が有利だと言われる。そしてさらに、4年前には共産党も候補を立てたのだから、新人が健闘しても当選には至らなかった。さらにそこに加わるのが投票率の低さである。前回も30%に満たなかったのだ。投票率が低ければ、現職の影響力が及ぶ範囲の人たちの票が相対的に力を発揮してくる。かくして「多選」の首長は、多選を重ねるごとに強くなるわけだ。現職は、多選は3期12年までという条例を廃止して4選を重ね、次は5選を目指している。さすがに区政が硬直化していると言われるようになった。
 今回の立候補予定者は、22年間勤めあげた中野区の職員だという。安定した身分を捨てての立候補には、覚悟と決断を要したことだろう。今回の区長選には、党派性はあまり前面に出ないようだが、共産党も候補を立てるのかどうか、その辺りまでの話は聞けなかった。出来ることなら、共産党と競合しない選挙になるといいと思う。

男と女の世の中とは言うものの

(熊さん)官庁のエライさんも県知事も、女がらみで辞める人が続いてますね。
(ご隠居)そうさな、出世する男には、そっちの方でも盛んな人がいるみたいだな。昔から「英雄色を好む」なんて言葉もあるくらいだよ。だけど最近のは、どうも風向きが違うような気がするんだ。
(熊)そりゃどういうこってすか。
(隠)つまりな、女が強くなったんだよ。女性が反感を持つようなことをすると、世の中からバッシングを受けて、名誉も地位も失うようになったということだ。なにしろ有権者の半分は女性だからね。「浮気は男の甲斐性」なんて言ってたら、総スカンを食って、たちまち陥落だよ。
(熊)ああ、そうか。「男の仕事に口出すな、女は黙ってろ」なんて言えないもんね。男より仕事のできる女だって、いっぱいいる時代だし。
(隠)その意味では、たしかに昔よりもいい時代になってるんだよ。女が自由にものを言えるようになったおかげで、良くなったことは、いっぱいあるんだ。これは現代の財産だから、崩しちゃいけない。日本はその面では遅れてるから、国会議員に女性が多くなるように、制度を変えろっていう意見もあるくらいなんだ。
(熊)人口の半分は女だから、議員の半分も女ってわけですか。
(隠)それに近い制度でやってる国も、現にあるんだよ。それで不都合が出てるという話は聞かないな。日本もそうしたらいいと私は思ってる。今の「自由競争」式の選挙では、いつまでも「男の政治」から抜けられないだろう。「男と女で話し合う政治」にして行くのは、当り前のことなんだよ。

「自衛官罵声」の原因は何だったか

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 民進党参議院議員の小西弘之氏が、三等空佐の幹部自衛官から「おまえは国民の敵だ」と罵声を浴びせられたというので問題になっている。統合幕僚長は「不適切な発言」として謝罪し、問題の自衛官の処分も検討するということだ。東京新聞は「問われる文民統制」という見出しで、かなり大きな記事を出し、半藤一利氏による「戦前の軍隊思わせる」という感想を添えている。
 表に出ているニュースの骨子はそれだけなのだが、この自衛官に、そこまでの「怒り」を感じさせたものは何だったのか、その原因を考えてみたくなった。自衛隊員の日ごろの働きぶりについては、東日本大震災後の取材旅行で目撃して以来、私には良い印象しか残っていない。組織としての力強さもそうだが、たった一人で草むらの「捜索」をしている隊員を見たこともある。被災者の遺体でも遺品でも何でも、はがき一枚、写真一枚でも回収したいということだった。
 自衛隊についての最近の話題は、イラク派遣隊の日報問題だった。この日報の存在自体が、あるのかないのか曖昧だった上に、一部が出てきたらその内容が真正かどうかで、国会では議論が続いていた。小西議員は野党だから、少しでも疑念があれば、食い下がって説明を求める立場だったろう。その姿が、この一本気な自衛官には、「あることないこと言い立てて、我々のやることに文句をつけるやから」という印象になり、それが「おまえは国民の敵」という言葉になったと想像する。そこには「正義の味方」の高揚感もあったかもしれない。
 しかし、勝手に「国を背負った」自負心を発揮して貰っては困るのだ。これこそが、半藤氏も言う「戦前の軍人の思い上がり」そのものだからだ。国をあげて「東洋平和のための戦争」へと傾斜していた当時、立ち止まって和平の道を模索する人たちは、彼らにとって「国賊」でしかなかったのだ。そうして「一億一心」で統一されてしまった末に何が起こったかは、今なら誰でも知っている。

記録の保存と歴史の偽造

 2004年から06年にかけてイラクに派遣されていた自衛隊について、「非戦闘地域」が前提だったのに、じつは戦闘が起きていたという記録が、今ごろになって出てきた。新聞でも大きく扱っているのだが、どうも怪しい。10年以上も前のことだから、どうでもいいと言うのではない。なぜいまのタイミングで突然に出てきたか、大事なことから人々の注意を外らすための煙幕ではないかと疑われるのだ。
 窮地に陥っていたのは安倍首相だった。国有地の払い下げ問題で「首相案件」なる特別扱いが行われたのではないかと、芳しからぬ情報が出てきて、支持率も低下していた。ところがイラク派遣の自衛隊が適切だったどうかは、小泉首相だった時代のことだから、国会で野党が取り上げても、追及は安倍首相には及ばない。これが大きな問題になればなるほど、逆に安倍首相は安泰になる。
 政権には腕利きの策士がいて、さまざまな策略を巡らせていることだろう。使える材料は、今の政界の中からだけでなく、過去から引き出してくることも出来るということだ。歴史的な資料の整理と保存も現政権の仕事の一部分だが、客観的な事実を記録した第一次資料は、あくまでも正確でなければならない。不都合な部分を過去にさかのぼって改ざんしたのでは、歴史の偽造になる。
 歴史は歴史として、あった事実だけを記録して、あとの評価は後世の人に任せればよい。今さら「イラク派遣」などに深入りせず、「モリ・カケ」「首相案件」という、現首相の資質を問う本題に立ち返るべきだと思う。
 
 

映画「北の桜守」を見てきた

 吉永小百合の120本目になるという「北の桜守」を見てきた。映画でありながら要所で舞台劇が挿入される演出が新鮮に感じられた。ストーリーは戦争に追われる樺太在住家族の場面から始まる。一家の父親は、戦時召集らしい姿で出て行ったあとは、もう二度と登場しない。残された家族は、本土への引き揚げ船が撃沈される悲運にも遭遇する。
 母親役の吉永小百合は、網走で小さな呑み屋を営んで暮らしを支える。そして育て上げた息子には、母を忘れて自由に生きるよう言い渡す。それから長い時間が流れた。息子は外資系コンビニチェーンの日本支社長にまで出世して、母親を呼び寄せるのだが、母は都会での暮らしにはなじめない。行方不明になった行き先は、やはり網走の海だった。
 その中での桜は、地理的には札幌で咲くのでなければ話が合わないのだが、母親は樹木としての「桜の木」に深い愛情を注ぐようになる。札幌で成功した息子との喜びの象徴になるからだろうか。あるいは桜の花は、「日本の母親の心」そのものとして受け取ればいいのかも知れない。
 2時間6分を長いと感じさせない、よく出来た映画だと思った。どんな人間にも、根源的に感じる「母親への畏敬と愛」の感情があるものだと思う。母親役を演じるようになった吉永小百合に、その「永遠の母性」を感じるのは、おそらく失礼ではあるまい。
 NHKにいた時、新人の吉永小百合が、ホールの舞台袖で緊張に震えているのを見たことがある。この人の役者としての人生の長さに、心からの祝福を送りたい。
 

ブログ連歌(508)

10139 飼い犬は ここが忠義の 見せどころ
10140  繰り返してる ゼロ回答を (建世)
10141 「あまた」ある名誉校長も
10142  たった二校の モリカケだけ (獣医さん)
10143 答弁は 修正自在 何度でも
10144  修正不能は 支持率低下 (建世)
10145 散りぎわの 潔さ欠く 見苦しさ (みどり)
10146  性根の腐り カビの生すまで (建世)
10147 ホラ見たか 日に日に遠のくモリカケ問題 (獣医さん)
10148  割れても末に 会わんとぞ思う (建世)
10149 散る花に 別れ惜しみつ 身の整理 (みどり)
10150  また来る春に 会うと思えど (建世)
10151 隠ぺい 改ざん みんなでやれば怖くない (獣医さん)
10152  おまけに出世だ 踊れよホイホイ (建世)
10153 安倍は去れ 国会包囲 目前ぞ (みどり)
10154  国民主役で 主権回復 (建世)
10155 やっと出てきた 加計ありきの首相暗件 (獣医さん)
10156  包囲の中で 安倍の弁怪 (建世)
10157 一度の嘘は 数十倍の嘘で蓋をして (獣医さん)
10158  嘘つきタワーで 昇天の旅 (建世)
10159 昨日は震度5で 今日はドカ雪の荒れた春 (獣医さん)
10160  北の冬逝く 地を震わせて (建世)
  
 

「春愁」の思い出

 春になり、冬の寒さから解放され、周囲の景色も彩をあざやかにしてくる季節。一年でも一番に楽しい時期である筈なのに、なぜか心に深く沈むものを感じることがある。これを「春愁」と言うのだそうだ。大伴家持の歌に
 うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば
というのがあって、高校の国語の時間に教えられた。申し分のないうららかな春日なのに、自分ひとりは悲しいと言う。なぜ悲しいかの理由は言わないが、悲しみがあれば、それは、うららかな春であるが故に、余計に悲しいのだ。
 高校3年生になった昭和26年(1951年)の4月10日、最初の登校日に、朝の駅頭で道の反対側から来る女学生と一瞬目が合って、ちょっとシャンだなと思った。それとなく電車に乗ってからも存在を意識していたら、降りる駅も同じで、線路の反対側にある高校の生徒だとわかった。もと女学校で、新制で共学の「豊島高校」になったが、私たちは昔の名前で「第十」と呼ぶ習慣を変えていなかった。都立の高等女学校には、第一から順に番号のついた「ナンバースクール」があったのだ。
 その日からその女学生は忘れられない存在になったのだが、先方は全く意識していないのが明らかだった。だから私も気づかれないように細心の注意をして、時間を調整して待つなどは、絶対にしなかった。あくまでも偶然に会うのでなければ「純粋性」を損なうと思っていたのだから、何かが発展する可能性は皆無だった。
 それでもそれから半年ほどの間、彼女は私のマドンナであり続けた。日記にもそのことを書いたのだが、あからさまに書くことをはばかって、わざわざドイツ語で   Schulerin と書くのを常にした。話はそれだけで終りである。
 この年の後半に、私は「自称・哲学的煩悶」に陥って、大学への受験勉強もそっちのけで、毎晩のように長文の日記を書いていた。それは病のように心に食い込んで、ついには「遺書」を書くまでに至るのだが、決定的破綻にまで至らなかったについては、このマドンナへの未練も作用していたかもしれない。だとしたら、名も知らぬ Schulerin は、私の救世主だったことになる。
 春の光の中で、そんな「どうしようもない」ことを、朝から考えている。 

刻々と迫る安倍包囲網

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 発端は愛媛県知事による記者会見と「職員メモ」の開示だった。それ以後の展開は、昨日から昨夕刊、今日の朝刊に至るたった一日の時系列の中でも、これだけの進展になっている。いったい何が起きているのだろう。
 安倍政権の全盛期だったら、一知事が、こんな重大な事実を公表するなど、あり得なかったろうと思う。「首相案件」という言葉が公然と使われ、国有地の払い下げへの「配慮」に使われていたのだ。首相はとりあえず「私は指示していない」と弁明しているようだが、「首相案件」がパスワードとして通用した事実は、否定のしようがあるまい。
 折から開催中の衆議院予算委員会で話題になったが、今後の展開は予想できないし、私は政界の情報通でも何でもない。しかし、こういう問題が公然と議論されるようになったところに、安倍政権の衰弱ぶりが推察されるのだ。
 船が沈みそうになると、鼠が最初に逃げ出すと言われる。誰だって、沈む船には乗っていたくない。船内からは「オレが交代して船長になってやる」と言い出す者も出てくることだろう。近くに信頼できる救助船がいない現状では、船長の交代もあり得る。とにかく、安倍日本丸の前途は、ますます多難になってきた。
 

政治の私物化が止まらない

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 「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という原則がある。安倍政権は、あまりにも長く続き過ぎた。安倍首相自身は知らなかった、指示もしていないなどの言い訳は、これからもされるだろうが、 問題はそういうことではない。権力の座に、長く居つづけたからこうなったのだ。長く宰相の座にあっても、腐敗しない政治家が過去にいなかったわけではない。しかしそのためには、本人には強い倫理観が求められた。不幸にして安倍晋三という人には、そんな強い性格はなく、世渡り上手な知恵を少しばかり備えていただけだった。
 そういう首相を、いつまでも最高権力者として戴いている私たちにも責任はある。もう少しましな人物を、もう少しましな政党を、私たちの希望を託す代表として国会に送ることは出来なかったものか。「他よりは良さそうだから」などと言っているうちに、こんなことになってしまった。
 本当を言うと、政治家の利権などは国政の全体から見たら、たいして大きなものではない。国を豊かに、安全に進めて行くことが本業なのだから。だがその本業を論じる以前に、ちっぽけな案件で足元を掬われるようでは、その先の国政を、どうして託することが出来るだろう。
 長続きしたがゆえに衰弱した政権が覆いかぶさって、動きが取れないという状況は、日本の政治史の中でも特異な状態のように思われる。元をただせば選挙がうまく機能していないということなのだが、これはどこかで破らなければならない。地方選で混迷した立憲民主党は、立ち直れるだろうか。

こんにゃく座「春のうた会」に行ってきた

 昨日は、南武線宿河原にある「こんにゃく座」恒例の「春のうた会」に行ってきました。この「うた会」訪問は、2007年が最初でしたから、もう10年以上も長いおつきあいになるのでした。この年の3月21日に、岐阜の大垣で開催された出張ミニ・コンサートで、岡原真弓さんと太田まりさんの歌を、榊原紀保子さんのピアノ伴奏で聞いたのが最初でした。こんにゃく座の名も何も知らず、主催者の依頼で撮影取材を兼ねて見に行き、地方の音楽劇団だろうぐらいに思っていたのが、リハーサルの歌声を聞いたときから、「これは本物だ」と驚いたのでした。その新鮮さを、当時に書いたブログで思い出します。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55592378.html
 このときの衝撃から、間もなく行われた2007年の「春のうた会」にも行くことになり、縁を深めて行くことになりました。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55592395.html
 さらに岩波新書の「日本オペラの夢」(林光・著)を読んで、こんにゃく座の成り立ちの事情を知ることができました。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55592404.html
 その上で、稽古場にも足を運ぶようになり、2007年の「フィガロの結婚(エキゾチカ)」を、稽古場での仕上げの段階を見学した上で、本番の舞台を見るという、ぜいたくな経験をすることができました。正式な申し込みも許可もなしに、個人的な興味だけで稽古場に通った私も図々しいですが、何も言わずに受け入れて下さった「座」の大らかさも、なかなかのものだと思います。
 ところで肝心の昨日の「うた会」ですが、第一部の終り近くから第二部の最後までを見て、「明るいうちに帰る」という家人との約束を守りました。第三部の終幕、ことに全員が揃っての大合唱の迫力は、私の記憶と想像の中に響いています。
 「うた」に人生をかけた「歌役者」たちの集団が「こんにゃく座」です。太田まりさん、島田大翼くんなど、気に入りの役者たちの元気な姿が見られて、声が聞けたから、私は満足でした。2007年の出会いに感謝あるのみです。
 

「火垂るの墓」とサクマ式ドロップス

 高畑勲監督が亡くなって、代表作として「火垂るの墓」が紹介されていた。この映画は、劇場ではなくテレビ放映で見たと思う。原作は野坂昭如の短編小説だそうだが、仲の良い兄と妹が、戦後の混乱の中で家族の支えを失い、しだいに追いつめられて死んでいく姿が哀れでならない。その悲しみの底から、人の営みを破壊する戦争への怒りが、こみ上げてくる。
 この映画の終りに重要な小道具として登場するのがサクマ式ドロップスの空き缶である。子供のころ、私の家にもこれがあった。もちろん「お菓子が家にあった時代」を思い出させる空き缶でしかなかったが、玩具箱の中にずっと入っていた。おはじきのガラス玉の入れ物になっていたのだ。缶を振ると、カラカラと音がした。
 私は国民学校6年で終戦だから、ちょうど同じ年代に当る。家が焼けず親も死ななかったから生きていられたが、家が焼け親が死んでいたら、同じような経験をしたかもしれない。何もなくなってしまった妹が、大事に持っていたのがこの空き缶だった。栄養失調で死んでしまう直前に、石ころを一つ取り出して口に入れ、「おいしい」と一瞬の笑顔を兄に見せる場面が、本当に映画の中にあったのか、それとも、そんな場面を見たいと思ったのか、私の記憶は定かでない。
 夢でもいいから子供は甘いものが食べたかった。昔はそういうものがあったことを知っている年代だから、余計にそう思った。
 話は飛ぶが、終戦になってアメリカ兵のジープから、円筒型に巻いたドロップスを投げてもらったことがある。みんなで一粒ずつ分けて、えも言われぬ旨さに浸っていたら、交番の巡査に叱られた。巡査は「アメリカのジープに釘さしてパンクさせてやれ」と言ったのだが、子供心にも、そんなことしちゃまずいだろうと思った。
 大人たちよ、若者たちよ、子供たちに、二度とひもじい思いをさせるな。絶対に、だ。
 

「稲田は否だ」では済まされぬ

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 防衛大臣だった稲田朋美氏が昨年辞任する原因となった自衛隊の「イラク日報」が、自衛隊内でその存在が隠蔽されていたことがわかったとのことだ。稲田氏は、南スーダンに派遣された自衛隊の活動内容についての質疑で、日報が破棄されたので詳細不明と答弁して責任を問われたのだった。それと、都議選での応援演説でも失言して行き詰まった。
 稲田氏の防衛大臣への任命が適切だったかどうかは問わないとしても、究極の官僚組織である自衛隊として、この人を直接のトップに頂くことへの抵抗感は、全くなかったと言い切れるだろうか。だが、実力組織である自衛隊は、他の省庁にも増して厳格に文民統制に服する義務がある。「人を見て言うことを聞くかどうか決める」のでは、文字通りに存在の根幹がゆらぐことになるのだ。
 「誰のために働くのか」をあかじめ決めておいて、資料でも記録でも、自由自在に「なかった」ことにしたり「発見」するのでは、少なくとも国民のための組織とは言えない。公務員はすべて、国民に奉仕するために養われているのだから。 
 

人口ピラミッドを見て考える

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 これは3月31日の朝日新聞に出ていた人口ピラミッドである。もうピラミッド型はしていない。正式には「年齢別人口構成表」というのだそうだ。私が書籍の編集をしていた若い頃は、日本の人口ピラミッドは常に文字通りの二等辺三角形になっていた。ただし左辺の男性側の若い年代に不自然な凹みがあり、それは戦争の影響だと説明するのが常だった。今その痕跡を探してみると、90歳あたりの筈だが、もう目立たないのは、全体に死亡が進む年代になっているからだろう。
 この表を見てわかるのは、日本はこれから急激な人口減少時代を迎えることになり、その過程で極端な高齢化を経験するということだ。細くなった若い人口で、頭でっかちの老齢人口を支えなければならない。この苦しい期間は短期には終らない。ふくらんでいる現在40代が通り過ぎてしまうまで、つまり40年間も続くことになるのだ。その後でようやく、人口グラフはスリムな棒型になって安定するだろう。
 ただしこれは厳しいだけの将来予測ではない。それを具体的な自分の家族を例にして考えてみよう。まず、私は老齢人口だが、自分を養うだけの算段は現役のうちに立てておいた。それは年金保険料を払ったことを含んでいる。そして老いてなお健康に暮らしていることで、自分が老齢ケアという産業分野での経済活動に参加していることを日々に実感している。
 私の子供は娘が二人で、それぞれに独立した家計を営んでいる。その下の孫世代は三人しかいないが、そのうち二人はすでに社会人になって仕事もしている。三人目も、間もなくそうなるだろう。つまり、個々の成員の暮らしが成り立っていることが基本で、その全体で国家社会を形成しているわけだ。その全体が縮小することで個人の暮らしが貧しくなることはない。むしろ家も土地も余ってくるのは、プラスの要因になるだろう。
 大国にはならなくていいから、四季の表情も豊かなこの列島に、日本という国が、末長くあってくれるといいと思う。

田端の高台へ行ってみた

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 ふと思いついて、午前中に「田端の高台」へ行ってみた。私の実家に近く、戦時中の3月10日夜に、下町大空襲で燃え盛る大火災を目撃した現場である。行ってみてすぐ、東北新幹線の高架線路が眼前に横たわっているのに衝撃を受けた。見える風景は一変している。京浜線の電車がすぐ下を通っているのは昔と同じだが、晴れているのに見通しは利かなくなっていた。
 千住の「お化け煙突」はすでに撤去されたから仕方ないが、筑波山も見えない。当然見えるだろうと期待した東京スカイツリーさえ、確認することができなかった。昔は田端の貨物操車場があって、貨車が坂阜(はんぷ)と呼ばれる坂道を下りながら行き先別に仕分けられていたものだが、そのスペースは新幹線の車両基地になっている。この広い鉄道用地は、あの空襲の夜は、避難してきた人たちで埋まっていた。それぞれに持てるだけの大きな荷物を抱え、線路に腰かけて夜が明けるのを待っていた。
 
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 高台から線路沿いに上中里の駅に通じている道は、長いゆるやかな下り坂になっている。この道を自転車で下るのは、子供時代の私たちの最大の楽しみだった。ペダルを漕がずに行けるので、快適なことこの上ない。上中里の駅前から平塚神社の参道に沿って電車通りまで上がり、何度でも同じことを繰り返した。私は小学2年生から自分の自転車を与えられていたから、それが自慢で、乗るのが大好きだった。その自転車は、高学年になって体に合わなくなり、やがて隣組の「鉄製品回収」のときに供出されたと思う。その後は大人の自転車に「三角乗り」(サドルに乗らず、フレームの間から足を入れる)をした。

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 今の上中里の駅は、駅前に大樹が茂っていて、衝撃的と言えるほど美しかった。ふだん使う駅は駒込だが、大井町に住んでいた、私の大好きな叔父の林俊吉医師を送るときは上中里の駅だった。家からの距離は、歩数で計ったことがあるが、「ちょうど同じ」くらいだった。
 都会育ちの私にとっては、やはりこれが「ふるさと」なのだと思う。変化が激しくて姿は変っているが、昔の面影は、どこかに残っているものだ。いつも通る駒込よりも、上中里駅の方角の方が、懐かしい風景が多いように思う。台地の北端という、地理的に明確な性格が、時代に流されない面影を残しているに違いない。

 
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

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