志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

給付金詐欺に注意を(緊急)

給付金に関連する詐欺と思われるメールが着信しました。以下の内容で、こちらの銀行口座情報などを聞き出そうとしていると思われます。公式の給付金が、このような形で振り込まれることはありません。注意しましょう。
(以下が不審メールの内容です。返信などしないように。)

お客様宛の個人給付金を預かり中です。
こちらは行政名義でお客様口座へ
送金させていただきます。
ご説明を希望される場合は、
《お客様のお名前》
を、こちらのメールにご返信ください。
ご説明・受取り申し込み用のURLを送らせていただきます。
■給付金案内担当 前田

(追記)
正規の給付手続きは、前例から見て、たぶんこうなります。住まいの市区町村から給付請求の書類が送られてきて、それに記入して返信(銀行口座などは、このときに記入する)を提出し、若干の身元証明書類のコピーなどを添付するのです。他人に代行を頼むような複雑な手続きを求められることはありません。

ブログ連歌(547)

10919 今の世の 千人針や マスク縫う (花てぼ)
10920  祈りを込めて いまは非常時 (建世)
10921 非常時だ 目指せ一億 引きこもり (鼻めがね)                           
10922  戦時育ちは 空襲思う (建世)
10923 お出かけは 診察ばかり 味気なき (みどり)
10924  五月晴れでも 気持ちは曇る (建世) 
10925 夕空の 飛行機雲は 西へ行き (建世) 
10926  愁い積もるも 涼風わたる (みどり)
10927 花園の 放映見つめ 未だ自粛 (みどり)
10928  待ちの一手か 五月晴れまで (建世)
10929 曇天が 続いて五月 もう下旬
10930  されども寒く 太陽を見ず (建世) 
10931 語りたし 闇米買わず 衰弱死 
10932  判事在りたる 日本は何処  (みどり)
10933 原子炉も コロナも制御 意のままに (花てぼ)
10934  ならぬものなり 陽光もなし (建世)
10935 久しぶり 西に夕焼け あしたは晴れか (建世) 
10936  晴れて清掃 マスク届かず (みどり)                             

辞職だけでいいのだろうか

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 (熊さん)検事長が賭けマージャンで辞職だってね。検事ってぇと悪いことしたやつをとっちめる元締めだと思うんだけど、こりゃまずいよね。
(ご隠居)そうさな、でも記事をよく読むと、受けた処分は「訓告」だけなんだな。つまり自発的な辞職を認めてるってことだよ。これだと退職金なんかも出るんじゃないかと思うよ。職を棒にふったのは確かだが、免職になったわけじゃない。いまのお役人の感覚としたら、このあたりが相場なんだろうよ。
(熊)てことは、賭けマージャンてのは、あまり重い罪じゃないんですね。
(隠)ま、そういうことだ。刑法に賭博罪ってのがあって、その罰則は50万円以下の罰金と決めてあるんだ。懲役なんかもある、いわゆる破廉恥罪とは違っているんだよ。だからって、罪は罪なんだけどね。しかし今回は、その罪の適用もしないで、自発的な辞職を認めたってことだ。
(熊)「訓告」ってのは、言わば公式の「お叱り」ですよね。
(隠)それも、「気をつけなさい」という軽い方だ。昇進なんかには影響するかも知れないが、退職する人には関係あるまいて。
(熊)この問題は、今回これでお終いですかね。
(隠)そうなるしかあるまい。今もテレビで、その問題をやってるよ。法務大臣が「まことに遺憾であります」なんて答えてた。あとは「任命責任」なんかをめぐって、与野党が国会で論戦することになるんだろう。そしてしばらくすると、もう古い話題になって誰も覚えていなくなる。 
(熊)本当にそれでいいんですか。
(隠)よくはないけど、今の政権の下では何も変るまい。でも、こういう事を発掘する努力は貴重だよ。今回は週刊文春の電子版だったそうだ。こういうことが重なって、政権を倒すんだよ。

賭けマージャンと「アルプス一万尺」

 検察の幹部職員が、賭けマージャンに加わっていたというので話題になっている。ある業界のある部分では、たぶんそういうことも常識化しているのだろうと、私も思った。金銭の授受がからめばもちろん立派な違法行為だが、水面下では、かなり広い範囲で常識化しているのではなかろうか。
 「みんなのうた」を担当していた昭和30年代のことだが、「アルプス一万尺」を8月の歌として放送することになり、国学院大学山岳部に協力してもらって7月の槍ヶ岳山荘に泊まり込んだ。ところが天候に恵まれなくて、来る日も来る日も霧の中で、どうにも絵にならない。電話で東京に定時連絡の報告をすると、「あんまり凝らないで妥協して撮れないのか」などと言うのだが、現場は何も見えない霧の中(じつは雲の中)なのだから仕方がない。山ガイドを含めた5人ほどのスタッフは、毎日毎晩、トランプカードを使った「おいちょ株」というのをやっていた。私は初めてその遊びを覚えたのだが、けっこう面白くて、運も良かったのか、ついに稼ぎ頭になっていた。
 おいちょ株は金を賭けるのが常識だそうで、その場でも低いレートだが設定がしてあり、そんなものかと思っていた。ところがそんな中で、何日目かの午後に、急に霧が晴れて日が射してきたのだ。みんなは正気に返ったように、即座に撮影にとりかかった。テントの学生たちに声をかけ、隣の「小槍」に登ってもらった。「アルプス一万尺、小槍の上で……」が歌詞だからだ。学生たちの行動も機敏だった。
 この時は気に入った画も撮れたし、後で別な番組にも提供するほどの稜線の全景の撮影もできた。そして私には、公費を使ってアルプスに登れたという、生涯に残る宝物のような記憶が残ったのだった。
 あの勝った賭金のことは、帰り道で誰も口にする者はいなかった。もし私が負けていたとしても、たぶん同じ結果になったろうと思っている。
 (要するに撮影ロケでは、担当ディレクターは、ほぼ絶対の権力者なのだ。だから他の者がディレクターで私がサブだったら、思うように抵抗できたかどうかは、また別な問題になる。権力には責任が伴う、ということだと思う。)
(「アルプス一万尺」は、昭和37年8月の放送だった。富沢さんの「懐かしの宝箱」による。) 

飢餓を忘れた時代に生きて

 昨日テレビで見た映画「飢餓海峡」が、意外に重いテーマとして心に残っている。戦争による破壊と窮乏の記憶が、自分の奥底に残っているからだと思う。戦争が終わった年の冬になっても、餓死はまだ私たちの身近にあった。6年生だった私たちは、放課後に連れ立って「餓死者を見に行った」ことがある。その程度に珍しくはなっていたが、餓死はまだ町の近いところにあったのだ。
 現場は北区滝野川の「古河さんの屋敷」の坂下にある裏門の屋根の下だった。新聞紙を敷いた上に老人がひとり横たわっていて、その関係者かどうか、若い女性が近くに一人で立っていた。寝ている人の皮膚は気味悪く黒ずんでいて、見るからに不健康そうに見えた。
 見に行った私たちは七、八人だろうか、静かに取り巻くように並んでしばらく見ていた。「見に行こう」と呼びかけた友も、たまたま通りかかって見ただけのようだった。誰も互いに何も言わず、気まずい沈黙だけが続いた。やがて飽きてしまった私たちは、誰からともなく後ろへ下がって、そのまま流れ解散のようになったのだった。その中で聞いたのは、あのおじいさんは外食券食堂に通っていたらしいとか、それだってお金がなけれゃ食べられないとか、無責任なうわさ話だけだった。
 いま思い出しても感じるのは、その場での私たちの冷淡な視線である。どうしたらその人を救えたかというような発想は、全くなかったと思うのだ。ただ珍しいから見に行ったというだけのことだった。
 いま「餓死」が遠くになった時代になっても、私たちはどれほど変っているのだろうか。他人の飢えや悲しみを、わがことのように感じて救おうとする気持ちを、どれくらい持っているのだろう。戦中戦後のことだから仕方がないという言い訳はできなくなった今、改めて問われたら、どう答えるつもりなのだろう。
 今の時代は良くなっている、政府に任せれば最低限必要なことはやってくれるから、もういいんだと言って終りにしていいのだろうか。焼夷弾の雨をくぐって生き延びたからと言って、免責される問題ではないような気がするのだ。 
 
 
 

87歳になった

 5月18日になったので、満87歳になった。私の誕生は早朝だったそうだから、朝からもう87歳になっている。88だと米寿ということになるが、その一年前の87では半端で、あまり有難くはない。それでもこんな年まで生きているとは思わなかった。
 ただし本人の自覚としては、もうあまり年齢を意識しなくなった。むしろ安定期に入ったというのか、毎日が同じように過ぎて行く。耳は少し遠くなったらしいと言われるが、視力は快適な読書距離の25センチでクリアに固定している。上下28本の歯は、一本を除いた27本が自分の歯で、ここ20年以上は何の変化もない。
 長女の言によれば、「10歳以上は若く見えるよ」というのだが、自覚的には80代というもののイメージがなくて、グランドでボールが転がってきたら、今でも選手時代と同じように蹴れそうな気がしている。走るのは続かないだろうが、ワンポイントなら使えるのではないか。インステップに当てるのはできるから、昔は実際に下駄でサッカーに参加したことがあった。下駄の別名は「ジャパニーズスパイク」と言う。
 とは言うものの、かつては80代の人は別世界の老人だと思っていた。父に連れられて何度も徳富蘇峰氏に面会したが、行くとよく「書」をくれて、「日々是好日」といった字のあとに「頑蘇七十八」といった署名と年齢が書いてあるのだった。これが七十台から始まって、「八十二」ぐらいまで続いた記憶がある。八十歳を超えると、こんな老人になるのかと思ったものだ。
 その80代に自分が到達して、私はこんなに楽々と暮らしていていいものだろうか。80日に一度の呼吸器科の定期診断はあり、それに関連する朝一度の服薬はあるものの、あとは気ままに暮らしている。
 きょうは昼のテレビで、古い映画の「飢餓海峡」を見ていた。これを昔は映画館で見たのか、それとも最初からテレビでしか見ていないのか、航跡のラストシーンを見ても、それがわからなかった。(この映画は1965年の制作で、草加団地に住んでいた時期だから、劇場では見ていないと思う。すごい重量感のある映画だ。)
 

夕空の航跡

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 日の暮れた空に、飛行機の航跡がくっきりと浮かんだ。この時間にも、西へ向かって飛んで行く人たちがいる。機内はおそらく空席が多いだろうが、路線がある以上は、飛ばなければならない。
 一度は妻を飛行機に乗せて、どこかへ行きたかった。広島がいいねと言っていたのだが、どうして実現しなかったのだろう。妻は羽田へ飛行機を見に行くのは好きだった。静岡の父母がまだ元気で東京まで来たときには、名所見物の一つとして羽田の空港へ行き、見晴らしのいい食堂で歓談したこともあったくらいだ。元気なうちに行っておけばよかった。妻の心身の衰えが意外に早く来て、病院めぐりが大事になってしまったので機会を失したのかもしれない。
 あの航跡の高さから見える景色を、私なら想像することができる。でもそれを妻に見せて上げられなかったのは残念である。
 今でも部屋にかけてある妻の黒い帽子と、同じく黒いマフラーは、暗い光の中では人が立っているいるようにも見える。だからつい話しかけてしまうこともある。
 私の自然観からすると、私が死後の妻に再会することはないと思う。でもなぜか、このブログは、今も妻が読んでいてくれるような気がしている。

つぎ逢ふ時は 君といふ字に

 今朝(2020年5月13日)の日経新聞一面のコラム「春秋」に出ていたのだが、「イラストレーターのタナカサダユキさんがSNSで書いている」として、「コとロとナ つぎ逢ふ時は 君といふ字に」という和歌一首(ただし最初の五七は欠)を紹介していた。片カナの「コロナ」を上手に書くと、たしかに「君」という字になる。ただし字の配置は、かなり難しい。大きな「コ」を書いた右下に小さい「ロ」を書いて、最後の「ナ」を思い切りよく入れてやるのがコツになるようだ。
 それはたしかにそうなのだが、いま流行のコロナを「君」と呼ぶほど親しく感じるというのは難しいのではないか。陽春から初夏の、一年の中でも気持ちのいい季節が、コロナ騒ぎで飛んでしまった。私も学生時代からの親友に会いに行く約束を、とりあえずの延期にしたところだ。
 ところで、コロナウイルスは、なぜコロナと名付けられたのだろう。調べたわけではないが、写真で見る姿がコロナ的な光を発するからではなかろうか。ただしこのウイルス自体は以前から知られていたようで、今回は「新型」がついて人間への脅威が問題になっているらしい。ウイルスも生き物だから、子孫繁栄のために変身することもあるのだ。今回の新型コロナにも、対策の研究は進んでいるようだ。
 そう考えると、「つぎ逢ふ時は 君といふ字に」というのは、そんなウイルスとの共存の可能性を見ているのかもしれない。ウイルスだって、悪ささえしなければ、殺し尽くすことはないのだ。そう思ったら、この短歌を完成させたくなってきた。

には(わ)かにも 人をさわがす コとロとナ 
 つぎ逢ふ時は 君といふ字に 

「復活の日」は、いつ来るのだろう

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 きょうの朝日新聞で、小松左京の「復活の日」を取り上げていた。兵器として開発されたウイルスが事故で流出し、人類が滅亡の危機に直面するというSF小説で、出た当時に熱心に読んだ記憶がある。記事によると書かれたのは1964年で、東京オリンピックと同じ年だったのがわかった。そんなに昔のことだったのかと驚いたのだが、同じ作品が映画化されたのが1980年で、これも見た記憶が鮮明だから、私の中では小説と映画が一体化しているのかもしれない。
 人類を滅ぼすものが、目にも見えないウイルスだという設定には、底の見えない不安感がある。それはたとえば、人類を滅ぼす最終戦争を想定するのとは質の違った、始末の悪さを感じさせるように思われる。たぶんそれは、ウイルスの存在が、人間の通常の感覚では捉えられない性質を持っているからだと私は思う。
 きょうの記事で、小松左京氏は私よりも2年先輩で、戦争の経験も持っている人だとわかった。だからこそと思うのだが、この人の作品には、たとえ破滅を描いても、常にそれでも生き延びる人間への暖かい眼差しがある。表題の「復活の日」からしても、決して「破滅の日」ではないのだ。「日本沈没」にしても、全員が沈没するわけではなかった。
 ところで、この人の作品で最重要なのは、「果しなき流れの果に」だと私は思っている。題名からして矛盾を含んでいるが、人間の存在とは何であるのかを、これほど深く、徹底的に考え抜いた文学作品を私は他に知らない。哲学的としか言いようのない世界を描こうとして、宇宙の果てまで広げてみたが力尽きたと、本人があとがきで告白していたような記憶がある。
 有能な作家であっても描き切れなかった世界があることを知らせてくれただけでも、この人は大きな功績を残したと私は思う。今日の新聞記事で、私よりも二年先輩で、すでに故人になられていることも知った。般若心経を読んであげたい。

 

コロナ禍は「国難」だろうか

 この時期の最大の話題は、やはりコロナ対策の今後だろう。私にとっては得意分野でもないので、軽率な提言などをする気はないのだが、自宅のパソコンを通して得られる情報を、一通りはさらってみた。大雑把に言うと、世界的には流行のピークは過ぎて、収束に向かっているようだ。ただしその中で日本のデータには特徴があって、罹患者・死者の絶対数はさほど大きくないのだが、諸外国のような明瞭な下向きのカーブにならずに、今でも右肩上がりのままなのが気になる。もっとも、ここ数日は新しい感染者の確認は、減ってきているようだが。
 一連の今回のコロナ騒ぎで、私の日常には何の変化もなかった。ほぼ唯一の制約と言えば、週に一回の「健康ボウリング教室」が休止になったことだけだろう。ただし陽気が良くなった季節にもかかわらず、私はどこかへ出かける計画を立てることもなく、賛成されるわけもないので口にも出さなかった。その代わりというか、就職が決まったのに「自宅待機」になってヒマになった孫息子に誘われて、自宅の車での「散歩」に出ることが多くなった。車というのは、自宅の部屋の一つが自由になって外を動き回るようなもので、居心地は自宅にいるのとあまり変らない。たぶんウイルスへの耐性も、同じようなものではないだろうか。ただし出先で車から出るときには、マスクを掛けたりして「外出」した気分になる。
 考えてみると、今年になってから、まだ「乗り物」には乗っていないような気がする。駅の改札口の中へ入ったことがあったろうか。それでも不自由しないのは、私がすでに「現役の成人」でなくなって、「何もしない退役者」になっているからだ。コロナが国難かどうかは知らないが、少なくとも空から焼夷弾が降って来ることはない。戦時中の暮らしを知っている人間は、度胸が座っているのだ。 
 
 

ブログ連歌(546)

10899 PCR検査放棄してさ コロナコロナ良い頃な (獣医さん) 
10900  コロナ禍さえも 政治利用か (建世)
10901 空晴れて コロナ休暇の 朝となる
10902  話題は早も 大型連休 (建世) 
10903 強風に 煽られゆくも 迷い無く (みどり) 
10904  アベノマスクは 封切らぬまま (建世)
10905 空気澄む 移動自粛の 春の風 (hanamegane)
10906  いつもの夏が 来るを信じて (建世)
10907 一年前には知らなんだ 半年前にも知らなんだ
10908  こんなパンデミックになるとは 知らなんだ (獣医さん)
10909 遠出でも 駅前までが 限度なり
10910  屋上に出て 四方眺める (建世)
10911 コロナ禍に メーデすらも 集まれず (みどり)
10912  連合会長 無観客ガンバロー (建世)
10913 青雨あり 草木(くさき)萌ゆるに コロナ欝 (みどり)
10914  緊急宣言 終りは見えず (建世) 
10915 ステイホーム 命令型は 大げさな (建世)
10916A  いつも通りの 自宅酒なり (鼻めがね)
10916B  家に安居し 一日(ひとひ)を過ごす (建世)
10917 晴れやかな 空に浮雲 春深し (みどり)
10918  家で自粛の コロナ恨めし (建世) 
10919 今の世の 千人針や マスク縫う (花てぼ)
10920  祈りを込めて いまは非常時 (建世) 

コロナ籠りの連休日〜津田美世さんのこと

 今年は「コロナ籠り」のゴールデンウイークとなった。朝のうちに学習院英文科以来の旧友に電話して、久しぶりに会いましょうと言っていた約束を、とりあえず今月の後半に延期してみることにした。孫の運転の車で行ってみようと思って、「駐車場の扉を開けておく」という約束になっていたのだが、仕切り直しとなった。
 旧友の実家は、釜石で海産物加工(缶詰)で知られる津田商店である。彼女の母親が、津田家のゴッドマザーとして知られる津田美世さんだった。この人の長寿祝いということで、だいぶ昔のことになるが、「潮路はるかに〜津田美世さんと娘たち」という伝記のビデオを作ったことがある。その人の生い立ちから始まって、津田商店の創始者となる津田保之助氏との結婚、そして企業としての成り立ちに至るまでを、今の言葉で言えば「ファミリー・ヒストリー」として構成し、一本のビデオ作品にまとめたのだった。その評判は非常に良くて、津田商店の営業にも役立ったらしい。
 そこまではいいのだが、これを見て「有名人の伝記ビデオを作るのは事業になる」と思い立った人まで出て来たので驚いた。その人は美世さんのビデオのコピーを大量に私に作らせて、あちこちで営業活動をしたらしい。私は、よく知っている人との信頼関係があるから出来たので、それがビッグビジネスになるわけはないと思っていた。ただし作りたい人から頼まれれば、出来るだろうとは思った。そして事実、戦争の記憶を持つ人の伝記を、その後に一本は作って好評だった。
 でも、所詮はその程度の話なのだ。私は妻の両親が健在のうちに、「富士山のように〜志村好男さんの米寿」というビデオを作って、米寿の会場で上映し、好評を博したことがあった。義父はその後、何度も一人でそのビデオを再生して見ていたと聞いた。その制作者として、私は妻の名もエンドタイトルに入れておいた。たぶん、親孝行ができたと思っている。ただし、私は今も「伝記ビデオ作り」を自分の商売にする気はない。

(追記)この津田美世さんのビデオを作ったことで、ご当人の肉声が大量にビデオテープに残ったのが、津田家にとっての一つの財産になった。作品に使わなかった部分も含めて提供することができた。ご当人が、不慮の交通事故で亡くなられたこともあり、大切に保存されていることと思う。
 

5月にやらないメーデー

 5月1日がメーデーであることは、一般の歳時記にも書いてあるくらいだが、日本でメーデーが5月に行われなくなって久しい。私が仕事として労働組合とのおつきあいを始めたころは、たしかに5月1日がメーデーだった。カメラと録音機を持って、神宮外苑へ取材に行ったことを覚えている。見渡すかぎりに人の波で、頭上には多数のヘリコプターが舞い、大音量の労働歌が流れていた。家の中の仕事しかしていなかった私にとっては、異次元世界に踏み込んだような経験だった。だが、その真ん中で、自分が取材者として立っていることが誇らしくもあった。たぶん昭和40年代のことだと思う。私は紆余曲折の末に、ようやく自立した「仕事人」としての立場を固めようとしていたのだった。
 家の中のことしか知らずに育った私にとっては、労働組合とは、全く異質な世界だった。ただ、思想的には、左翼思想へのあこがれもあった。箱根の別荘で暮らした夏に、湖畔のキャンプ場から流れてくる歌声を聞いて、「自分も『未来を語るもの』の一員でありたかった」と、その夜の日記に書いたことを覚えている。
 その後、父親との衝突を経て、自立自営の道へと踏み出した。手当たり次第の試行錯誤の末に、「労働組合の教宣活動を手伝う」という仕事が、向うから転がり込んで来たのだった。その最初の電話を受けたのは私の妻で、「そういうお話でしたら、きっとお役に立てると思います」と答えてくれたそうだ。
 その労働組合のメーデーが、「連合」の時代になって連休の前に、つまり4月に行われるようになって久しい。今年になって、それもついにコロナ騒ぎで中止と決まった。昨日の「連合TV」というネットサービスを見たら、会長のワンショットのアピール宣言があり、つづいて無観客の「ガンバロー」をやっていた。
 メーデーも世に連れて変わってきた。非正規、未組織の労働者は、どこで守られるのかという問題もある。たぶんもう私の出番はないのだが、人生のある時期に、労働組合の活動家と、「同志」と呼べるような関係を結んできたことを、私は今も誇りと感じている。
(追記・朝日新聞によると、今年はメーデーの100年目だが、日本では第91回になるとのこと。戦時体制で禁止されていた期間があったため。)
 

「特攻隊員の現実(リアル)」を読む

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 今さら特攻隊を論じてどうするのかという気持もあったが、1971年生れ、つまり私の娘たちよりも若い世代の人が著者となって、特攻隊をどう見ているのかと思って読んでみた。読んでみてわかったが、特攻隊の現実というものは、もう、史実として発掘しないと論じられない過去へと埋没しているのだった。
 私にはまだ実感としてわかるのだが、特攻隊が出現した時代の日本人は、戦っている相手だったアメリカという国も、その国の軍隊のことも、何も知らずにいたのだった。アメリカは東亜侵略の頭目であり、その軍勢は、「鬼畜米英」と言われる通りの野蛮な連中だと思い込まされていた。それ以外の情報は何もなかった。そして私の家族の中にも、リアルのアメリカという国について、少しでも知識のある者は、一人もいなかったのだ。アメリカは不倶戴天の敵であり、もしも負けたなら、日本の国は滅亡するという感覚だった。出版業を営んで、少しは視野が広かっただろう私の父も、基本的認識は似たようなものだったと思う。
 そのことを根底に置いてみると、当時の特攻隊員の心理というものがわかってくる。絶対に負けられない戦争だからこそ、どんな犠牲を払っても敵に打撃を与えなければならないのだ。アメリカ軍が、何よりも人命の損失を怖れる軍隊であることは当時でも知られていて、それは最大の弱点と思われていた。実際には、その反対であったのだが。
 かくて世界の戦史にも例を見ない必死必殺の特攻攻撃が、軍の正式な作戦として採用されたのだった。建前は志願制だったが、とくに陸軍では、部隊への命令として下される場合が多くなって行ったようだ。
 その「戦果」は、無残なものだった。軍艦は、喫水線の下に穴が開かなければ轟沈などしない。まして飛行機ごとの突入では効果は薄かった。残念だが、人命を軽んじれば戦果があがるわけではなかったのだ。

要らないマスク寄付ボックス

 国の予算で配布されたガーゼのマスク、家では誰も使わないので、どうしたものかと思っていたら、東京の浅草に、「要らないマスクを山谷に寄付するボックス」というものが設けられたという記事を見た。これはいいと思ったのだが、今の状況下で、わざわざ電車に乗って届けに行くほどの勇気はない。地元の区役所の入り口あたりに設置して貰えないものだろうか。区の公費で行うのが難しかったら、社会福祉協議会のような組織でやってくれるといいと思う。
 それにしても、いったい何のためのマスク配布だったのだろう。感染者が一人も出ていない県の住民にも、全国一律に配ったそうだが、幸いにして感染者の増加が下向きになってきたのは、マスク配布のおかげだと言うにしては、タイミングが合っていないように思われる。政府が本気なのを感じて、ウイルスが恐れ入って引き下がったというような情緒的な話でもあるまい。
 常識で考えたら、やはり「外出の自粛」などの、庶民の自発的な協力が効果をあげたのではなかろうか。公権力で取り締まらなくても、必要なときには良識をもって行動できるのが、日本の国民の美質だと言ってもいいように思う。
 私は一連の騒動で、戦時中の東京を思い出していた。東京への空襲が必至になったとき、学童疎開を初めとして、東京からの住民の疎開が、かなり徹底して実行されたのだった。千五百人いた私の国民学校は、「全部合わせて40人」にまで減って、6年生は私ひとりだけになったのを覚えている。2年生以下の幼児だけは、集団疎開を免除されていたのだと思う。
 今もまた国家的な非常時だが、アベノマスクがあろうがなかろうが、新型ウイルスは、庶民の良識で抑え込んでやりたいものである。
 
 

アベノマスクのその後

 アベノマスクの2枚セット2組が、わが家に到着してから24時間が経過した。これについて今まで家の中で交わされた会話は、きのう朝に顔を合わせた次女に、「マスク二つ来てるけど、一つ持ってかない?」と言ったら、「うちにも来てるから要らない」と言われたのがすべてだった。
 その後、誰の話題にもならず、手をふれる者もなく、そのままずっと居間のテーブルの上に載っている。孫も一度は目に止めたようだが、何も言わずに通り過ぎた。これは私の予想だが、このまま時が過ぎて二カ月ぐらいたったころに、次女がふと気がついて、棚の高いところにある薬品置き場の、箱入りマスクの近くにでも置くのではなかろうか。そのマスクを特に選んで取り出して使う者は、この家の中からは、たぶん永久に出てこないような気がする。
 このマスクの全世帯配布で、国の予算から446億円が使われたということだが、ほかにもっと役に立つ使い方はなかったのだろうか。私の知らないところで非常に役に立って、多くの人命が救われるのならば幸いだが、なぜウイルス拡散防止の効果は薄いと言われるガーゼのマスクが選ばれたのか、疑問は尽きない。洗って使えるから長持ちして記憶に残るとでも思ったのか。
 

安倍のマスクが来た

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 夕方になって、「アベノマスク」が届いた。ビルの郵便受けに、これだけが2セット入れてあったとのことだ。3階のビルだから、2世帯分ぐらいの人間がいそうだと見当をつけたのかも知れない。それとも配達は日本郵政に依頼したらしいから、志村の家族と会社の分と、二つの宛先を意識したのかも。
 中身はマスク二枚だが、台紙には「3つの密を避けましょう」とスローガン的なことが書いてある。ヾ控い琉い密閉空間 多数が集まる密集場所 4峩瓩撚駭辰簇声をする密接場面 が3密なのだそうだ。
 ところで肝心の届いたマスクだが、いつも家で使っているマスクとは少し違っている。縦は9.6センチぐらいで普通なのだが、横幅が13.6センチしかない。今までは横幅は18センチあるのを、ずっとふつうだと思って使っていた。もっとも、私が選んで買ったわけではない。もっぱら次女が買って常備してあるのだが。
 ここまで書いたところで次女が現れたので聞いてみたら、職場では以前からマスクは必需品で、それは使い捨てが常識だということだ。
 ところが数日前の洗濯物から、洗ったマスクが出てくるようになっている。たぶんそれは長女の管轄で、不織布みたいな材質で出来ている。洗えば使えるというのが、長女の感覚なのだろう。だから私も「洗濯したマスク」と「使用済みマスク」を区別することにして、それぞれをジッパーつきのポリ袋に入れ、それぞれのカードを貼り付けて識別できるようにした。
 きょう届いたアベノマスクは明らかな布製だから、当然に使用後は「使用済み」として洗濯に回ることになるだろう。アベノマスクが家のみんなに愛用されるかどうかについては、私は一切干渉しないことにする。

(追記)ネット情報によると、ガーゼのマスクには、ウイルス拡散への防止効果はほとんど期待できないとされている。どうしてふつうの不織布タイプにしなかったのだろう。

今は「非常時」?

(熊さん)近ごろ流れてくるニュースを見てると、なんだか世の中が変っちまうような気がしませんか。「今まで通りは、もう通用しませんよ」みたいな。
(ご隠居)ふむ、熊公もそんなことを感じるようになったか。なんせ日本の中だけじゃなくて、世界中に今までにない動きが出てるからな。新型コロナウイルスってのが出て来て、こいつに対抗できる薬の決定版がないってんだから始末が悪いや。しばらくは混乱が続きそうだね。私はもともと呼吸器科で経過観察中の身の上だから、そこは気をつけてるよ。外を歩きたくなったら、屋上で日に当たって代用してるのさ。
(熊)ご隠居には、それが一番ですよ。娘さんたちも心配してるんだから、くれぐれも勝手な行動はダメですよ。
(隠)わかってるよ。このごろは妙な連想だが、戦時中の暮らしなんかを思い出すことがあるんだよ。私が育ち盛りの国民学校(小学校のことだよ)の生徒だった2年生のときに太平洋戦争が始まって、6年生のときに日本の降伏で戦争が終わったんだ。しかも家の都合で疎開にも行かなかったから、都内で空襲を体験するという、当時としたら珍しい経験をすることになったのさ。運よく家は焼かれなかったんだが、焼夷弾の火の雨は、実際に見ているんだよ。
(熊)なにしろご隠居のところは、運のいい家族だからね。
(隠)それで、当時流行っていたのが「今は非常時」という言葉だった。国が全力あげて戦ってるんだから、子供も我慢して協力しなさいっていう意味だよ。食べ物も乏しいし、町からは「お店」というものが姿を消して、楽しい買い物なんて全然できなくなってたんだよ。いまの子供たちには想像もできないだろうな。その頃に言われたのが「今は非常時なんだから、我慢しなさい」というお説教だった。
(熊)みんな「お国のために」ですか。
(隠)そうだよ。それと、「兵隊さんの苦労を思え」ってのもあった。でもね、いま思えは、あれらはみんな、戦争という無理な政策の結果だったんだ。だから今のコロナなんてのは、みんなが協力して抑え込む方法がわかってるんだから、戦争に比べたらずっと始末がいいんだよ。その意味でなら、今は非常時なんかじゃないよ。みんなが常識的な方法で、できる協力をすればいいってだけのことだ。
 戦う相手が、「憎い敵国」なんかじゃなくて、人間の共通の敵であるウイルスだっていうのは、とても幸せなことなんだよ。 

ブログ連歌(545)

10879 雪が降る 季節外れの 日曜日
10880  なぜか思うは 遠い日のこと (建世)
10881 妻恋し 母も恋しと 思う日々
10882  女性(にょしょう)あっての 我なりしかな (建世) 
10883 突然の アベノマスクに 気を取られ
10884  明日も漂う こころ細さよ (建世) 
10885 ようやくに 春の日差しの 温かさ
10886  この夏までは 生きんと思う(生きむと思ふ) (建世)
10887 辛きこと 重なる日々も 深む春 (みどり)
10888  暦は進む 君なき里に (建世)
10889 列なして 食品買うに 矛盾あり (みどり)
10890  緊急事態が 日常となる (建世)
10891 春深む 旅ゆく夢の 潰え去り (みどり)
10892  移動自粛で 行きどころなし (建世)
10893 空暗く 冷雨はやまず 閉じこもる (建世)
10894  自粛の声が 世に響く日々 (みどり)
10895 登下校 出来ぬコロナへ 恨み節 (みどり)
10896  卒・入学の 式典もなく (建世)
10897 登下校 出来ぬコロナへ 恨み節 (みどり)
10898  春の光も 薄れて暮れる (建世) 
10899 PCR検査放棄してさ コロナコロナ良い頃な (獣医さん) 
10900  コロナ禍さえも 政治利用か (建世)

原油がマイナスとは何のこっちゃ

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(ご隠居)おいおい大変だよ、原油価格がマイナスになったとさ。
(熊さん)何ですかご隠居、この夕方にでかい声出して。世の中がひっくり返りでもしましたか。ありゃ、夕刊が来たんですね。原油がマイナスって、そんなに大事件なんですか。
(隠)うん、天地はひっくり返っちゃいないが、長生きはしてみるもんだな。原油の値段がマイナスとは、タダでも引き取り手のない産業廃棄物になっちまったってことだよ。コロナ騒ぎで世界中が混乱してるのは知ってるけど、まさかマイナスの値がつくとは思わなかったな。でも新聞の解説を読んだら、減産が間に合わなくて貯めておくタンクの余地がなくなったんだと。世界の不景気が予想以上で、見通しを誤ったんだろう。
(熊)いずれは使うんだから、貯めておけないんですか。
(隠)それが満杯だから困るんだろうさ。原油というのは、まっ黒でどろんとした液体で、軽い揮発油から最後に残る黒いアスファルトまで、いろんな原料になるんだが、原油そのままでは、砂漠に捨てて砂に吸わせるわけにも行かない。そんなことしたら、とんでもない公害になっちまうだろう。採算を度外視しても、精製して製品として保管するしかあるまいて。
(熊)コロナ騒ぎが、思わぬとこまで飛び火したってことですね。
(隠)そういうことだ。だがな、地球全体から見たら、案外いいことかも知れんのだよ。まず、石油資源の消費が減って、この先長く使えるようになる。温暖化ガスも減るから、自然環境には良いことだ。
(熊)なーるほどね。
(隠)いい気になってジャンジャン資源を浪費してきた人類に、天の神様が、「いい加減にせい」と警告してるのかも知れないよ。限りある地球の未来のためには、その方がむしろ安心だよ。うちの子供たち、孫たちのためにもね。 
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
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