志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

今年の柿は、かなりの豊作

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 今年の柿は、かなりの豊作になりそうだ。30年以上前に、今の家を建てた年に妻が植木屋から苗を買ってきた。そのときは短い一本棒のようで、私は「棒を買ってきたのかい」と、からかいながら、塀に近い庭の西南隅に植えておいた。それが順調に育って、今は二階の高さにまで枝を広げている。そのまま食べられる甘柿の富有柿で、味はよい。
 過去記事を探ってみたら、例年11月になってから取り入れている。今までの最高記録は、360個となっている。毎年の収穫を安定させるためには、実が小さいうちに間引くとよいというアドバイスを、深山あかねさんから頂いていることもわかった。ただしその場では「来年からやってみます」と殊勝に返事しているのに、実行した記憶は一度もない。なにしろ色づいて気がつくまでは全くの無関心でいたのだから、放任主義が徹底しているのだ。
 私たちにしてみたら、これは望外のプレゼントである。庭木として、実のなる柿を植えたのが「大当り」だったことになる。つい先日のことだが、かかりつけの歯科で「いつもお世話になって」とあいさつしたら、親しい女医さんが「志村さんは、いろんな人を助けてきたから、助けられてもいいんですよ」と言ってくれたのが嬉しかった。老妻を助けながら、秋の一日が過ぎて行く。

ブログ連歌(524)

10159 箱根路は 雲多けれど 恨みなし
10160  栄枯盛衰 歴史を残す (建世)
10161 50年前の新宿に見つけたり
10162  今も 反戦唱える彼女の姿 (獣医さん)
10163 一つこと 貫き通す 強さこそ
10164  歴史にその名 刻むとぞ知る (建世)
10165 つき進む 時代の底に 草の民 (みどり)
10166  ものは言わねど 世論をつくる (建世)
10167 旭日旗 いまでも掲げる自衛艦 (獣医さん)
10168  専守防衛 旗は変らず (建世)
10169 やっと掴んだ未来の道を潰すのも
10170  不肖の息子を守るため (獣医さん)
10171 柿食うて 為すこともなく 終りけり (建世)

今さら「原発が主力」の違和感

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 やや「旧聞」に近くなったが、「主力」の原発を優先して太陽光発電を抑制したという九州電力の事例への違和感が消えない。管内ではすべての原発が稼働中であり、秋の「冷房も暖房も要らない快適な晴天の日」に、電力が余ってしまったのだそうだ。電力は、常に供給と需要がバランスしていないと破綻するやっかいな性質を持っている。手っ取り早い対策として、太陽光発電の一部を遮断したらしい。余剰電力を蓄える「揚水式発電ダム」の利用などは、間に合わなかったのだろうか。新聞記事には、電力を広域で融通するシステムの活用などが説かれていた。
 原発は、一定の電力を常時発生させる「ベースロード電源」と位置づけられている。これが、深刻な破綻事故を起こしたにもかかわらず、電力会社でも政府でも、基本姿勢としては変っていないのだ。作ってしまった原発は、動かさないともったいないというのが本音だろうが、廃炉費用も含めた後々の世代への負担先送りや、当面に存在している事実から発生する災害へのリスクの大きさを考えたら、やはり、なるべく早く稼働をやめて、危険性を低下させて置くべきだろう。原発を優先させるために太陽光発電を抑制するなどは、正面から時代に逆行している。
 太陽光発電は、その効率は日を追って向上し、コストは低下しつつあるということだ。近い将来、発電の主役になる可能性を秘めている。今さら再生可能エネルギーの未来に「岐路」などを設けてはならない。

転機が近づいている予感

 毎日日記を書くように、滑らかにブログを書き始めることができなくなってきた。基礎体力の低下で、階段を上がるのに疲労を感じるようになったのと似ている。かつては階段は、歩くべき道の一部分でしかなかったものが、近ごろは挑戦すべき障害の一種のように感じられる。
 でも今のこの感覚が、一時的な思い違いのような気もする。かつて私にとって日記を書くことは、生きることと同じだった。書くことで自分と対面しながら、明日への道をさがして来た。その構図は今も同じだと思うのだ。
 暑くも寒くもない、ちょうどよい季節になった。初心に返り、本来の自分を取り戻す好機かもしれない。

 

箱根・駒ケ岳は雲の中

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 連休最初の金曜・土曜日に、箱根へ行ってきました。天候には恵まれませんでしたが、内容的には、心満たされた豊かな旅でした。湖尻に近い施設に宿をとり、私の若いころの記憶の詰まった父の山荘跡も訪ねてきました。建物のあとも大半は草の中に埋もれて、人の一生よりも早いテンポで、人の跡というものは自然の中に消えて行くものだと実感しました。
 それでも湖水のほとりには、例年通りの観光地としてのにぎわいがありました。形通りの休日らしい時間を過ごした、老夫婦と長女の一泊二日の旅となりました。考えてみると、娘たちが大人になったあとは、親子での泊りがけの旅というのは、一度もなかったと思います。天から授かった宝物のような旅となりました。夕食後に卓球で遊んだり、トランプカードをしたり、この10年来、そんなことが一度でもあったでしょうか。
 駒ケ岳の山頂には、昔はケーブルカーが通じていて、山頂の火口あとの盆地には大きなスケートリンクがありました。娘たちが小学生のころ、正月に来て滑ったことがあります。富士山を見ながらの、豪快な滑りができて、その写真は今も残っています。まだバブル前で、日本には新しいことを始める活力がみなぎっていた時代でした。今は南側の箱根園からロープウェイで上がるのですが、山頂の案内口に昔のことを知っている年配者がいて、説明しながら写真パネルを案内してくれました。「本当にあったんだね」と、娘の記憶もよみがえりました。
 途中で通りかかった仙石原では、もう、すすきの穂が開いていました。広大な草原は、国有地ですから昔のままに保存されています。間もなく観光客でにぎわうことでしょう。父がこの地を気に入って山小屋を入手したころ、ここは神奈川県足柄下郡仙石原村だったことを思い出しました。観光地というよりも、昔ながらの農村の面影が残っており、村人は「箱根の雲助の子孫だ」と言われていました。

 

ブログ連歌(523)

10139 わが肺も 修理中にて 薬漬け
10140  階段上がり 息切れるまで (建世)
10141 同肺の 意気を感じて 息繋ぎ (うたのすけ)
10142  行くところまで 行きてし止まん (建世)
10143 秋彼岸 遙かの人を 懐かしむ (みどり)
10144  思う人ありき 九州の地に (建世)
10145 ウソ書くから 改ざん不要となり
10146  公文書 大本営だけの言い分に (獣医さん)
10147 安倍の世は 史上最長 視野に入れ 
10148  何が本当と 人の問うまで (建世)
10149 沖縄の民意は はっきりしてるのに (獣医さん)
10150  それでもやるの 辺野古埋め立て (建世)
10151 奪われし 海に指笛 勝利の音 (みどり)
10152  行きてし止まん 道遠くとも (建世)
10153 野球ケンでもするのか 野球内閣 (獣医さん)
10154  すぐにボロ出し すっポンポン (建世)
10155 沖縄の 島々襲う 暴風雨 (みどり)
10156  台風禍でも 最前線に (建世)
10157 情けなし 日日に虚ろな 己居て (うたのすけ)
10158  歳月は過ぎ 行方知れずも (建世) 
10159 箱根路は 雲多けれど 恨みなし
10160  栄枯盛衰 歴史を残す (建世)

「1968激動の時代」を見た

 昨夜は(厳密には今日の早朝だが)、NHKBSスペシャルの「1968激動の時代」(前編・後編)を見ていた。後編には新宿西口スタンディングの大木晴子さんも登場して、インタビューに答えていた。当時、平和運動は世界的に盛り上がり、日本でも学生による学園閉鎖などが行われたのだった。当時の私はまだ草加団地に住んでいて、自営独立への模索の最中だったから、目の前のことで精一杯で、なんだか騒がしい世の中になったような、漠然たる不安感しか覚えていない。
 昨夜の番組で、ベトナム反戦を契機とした世界的な変動の構図はわかった。私もアメリカ軍機のベトナム空爆に憤慨して、全く個人的な動機でアメリカ大使館に宛てた抗議の手紙を書いたことがある。ところが、偶然その直後にアメリカ大使館で不審火事件があって、二人組の刑事が私の勤め先に事情聴取にやってきた。そして事件当日の私の行動などを調べて行ったのだが、私には完全なアリバイがあったから問題はなかった。しかし、警察とは、そんな調査もやるのかと、不気味さを感じたのも事実だった。当時の私は、反失業状態で、財団法人青少年文化センターというところで、事務局長代理の肩書を貰っていた。刑事たちは「きょうお訪ねした理由は、誰にも言いませんから」と、恩着せがましい言葉を残して帰って行った。
 肝心の昨夜の番組でも、1968年の激動の全体像は、明快に説明されているとは思えなかった。ある時代の趨勢に巻き込まれたとき、人はいろいろな立場から、自分なりに反応する。その反応の濃淡にも、個人としての信条や、その時点での経済状態までが関係してくるような気がする。そして具体的な行動を決めるときには、人との出会いといった偶然の要素も関係していると思う。
 この番組を見たことで、自分にとっての新宿西口も、経験して通過しただけに終わっていいかどうかを考え直したくなった。今週の土曜日までに、あと6日ある。
 

センチメンタルジャーニー箱根へ

 きょうと明日、1泊2日で箱根へ行ってきます。台風で天候は思わしくないかもしれませんが、あまり気にしていません。若い頃に長期滞在した小屋の跡も見てきます。私に「ふるさとの山河」的なものがあるとすれば、それは箱根の湖尻に近い駒ケ岳山麓のあたりだと思っています。私の自然観は、たぶん、このあたりで見た風景を基礎にしているに違いありません。雨の日の霧と雲の流れであっても、それでいいのです。最初の夏に、10日以上も長雨に降り込められた記憶が鮮烈でした。地元の人の説明では、「箱根は、西の雨にも東の雨にもつきあう」ということでした。地域としては、決して「健康地」ではないのです。熱海からバスで登って行くと、下は晴れていても、山の上は雲の中なのでした。
 「箱根にみどりの雨が降る」という歌があったと思います。ほとんど忘れていますが、最後の一節だけは今も覚えています。
 

内向きで全員野球だって

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(熊さん)第4次の安倍改造内閣ってのが出来たそうですよ。
(ご隠居)ああ、そうだね。自民党の政治家のことに興味はないが、大臣になるってのは経歴に箔がつくから、順番待ちの人が多いらしいね。内閣改造ってのは、遊園地の観覧車で、列の先頭の人から順に乗せてもらうようなもんだろうな。一回りしたら、お次と交代だよ。乗ってる間は、高いところへ行って回りからよく見えるし、自分でも少しは変った風景が見られるってわけだ。安倍首相も任期の先が見えてきたから、人選には気を使ってるつもりだろうよ。
(熊)それで、相変わらず、この内閣で「全員野球だ」って言ってるらしいですよ。政治はあんまりやらないで、みんなで野球をするんですかね。
(隠)そりゃ1つの例えだろうさ。野球をして勝つには、9人のみんなが、それぞれのポジションで役目を果たさないと守りが果たせないからね。全員野球というのは、甲子園で活躍する高校の監督さんが、好んで口にする言葉だよ。勝利インタビューなんかで、「選手がみんながんばってくれたおかげです」なんて、謙虚ぶって自慢してるのと似ているな。
(熊)なーるほどね。次の目標は別にあるわけだ。
(隠)安倍政権は、今の勢いだと史上最長の政権になる可能性があるんだ。そして本命として狙っているのは憲法に手をつけることだよ。それが自分の使命と思い込んでいるらしいから、要注意だな。国会で多数を占めている間に、最後の賭けに出て来る可能性がある。憲法改定は、最後に国民投票で多数にならないと通過しないんだが、本当にそこまで勝負してくるかもしれないよ。来年の夏には、参議院の半数改選の選挙があるけど、この選挙がとても大事になりそうだよ。改憲勢力が3分の2を超えたら、「国会での発議」が可能になってしまうからね。

「四季の森公園」も修羅場だったらしい

 昨夜は台風で暮れて明けた。テレビで念入りな対策などを聞かされていた割には、たいした事もなく時間が過ぎて行った。一通りは懐中電灯のテストなどはしておいたのだが、夜が明けてみれば、ただの月曜日である。ただし、ガツが変わって10月の1日になっている。電車の遅れで多少の混乱はあったものの、会社もいつものように始まったようだ。しかし通勤で駅から通ってくる社員さんは、途中の「四季の森公園」で、樹木が倒れているなどの異変を見たということだ。

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 そこで午後から様子を見に行ってきた。空は快晴で、日ざしは強い。台風の置き土産かどうか、理屈はよくわからないが、申し分のない夏日になった。倒木は、専門業者でないと手がつけられないらしい1本だけが残っていた。芝生には、枯れ葉も小枝なども散らかっておらず、いつもの通りにきれいだった。駅前の風景は、中野区のシンボルみたいなものだから、手をかけて清掃したのかもしれない。
 この「四季の森」は、完成してまだ5年くらいかと思うから、移植した樹木の根は、まだ本格的には土地の中に根を伸ばしていないのではないかと思う。この時期に台風に見舞われたのは、運が悪いと言うべきだろう。だから区としても気にしているのかもしれない。それがこの程度で済んだのだから、まずは小難で済んだというところではあるまいか。
 印象的だったのは、子供たちの水浴びだった。かなりの人数が噴水の水を浴びてはしゃいでいた。見ている親たちも笑って見ている。この上なく平和な風景だった。季節は間もなく秋になって、秋冷から冬へと向かって行くだろう。おそらく水遊びは、これが今年の最後になる。親たちはそれを知っているが、子供たちはどうだろうか。
中野の町に住んで、私たちはもう46年にもなる。ここは住みよい町だと思う。中野の町が、ようやく「わが町」になった、と思う。
 
 

台風さまのお通りと、首相の「背後(せご)」発言

 テレビは接近中の台風24号で持ち切りになった。NHK昼のニュースを注意して見ていたのだが、開始から40分過ぎまで、完全に台風情報の専用になっていた。しかも、その前の時間帯から台風関連のニュースを流していたのだから、何の変化もない。しかし台風関連でさえあれば、どんなボロニュースでも場を与えられて、毎度おなじみの現場からの中継も、「風が吹いて木がゆれています」なんて情景を、ゆったりと見せていた。
 40分待って沖縄の知事選挙のニュースになったと思ったら、「午前中の投票率は低いようです」と、一瞬で終ってしまった。日曜日にしても、日本や世界に新しいニュースが何もないわけがないと思うのだが、今日のことは台風だけでよろしいというように、台風による交通機関への影響などへと話題は移って行った。 
 一方、ネット情報では、安倍首相の「背後(せご)」発言が盛り上がっていた。前後の文脈からは、もっとも素直な表現で現象の説明があり、「……。その背後には」と言っているのだから、中学生以上なら、これを正しく読まないというのは難しいだろう。それをわざわざ「せご」と読んでみせたのだから、「うっかりしていた」では済ますわけには行かない。取り巻きの官僚たちも、まさかここにフリガナが必要と発想することは不可能だったに違いない。およそ総理大臣になる人間としたら、致命的な教養の不足と言われても仕方があるまい。
 昔、歴史の増井経夫先生から、人間として信用を失う決定的な失敗という話を聞かされたことがある。あまりにも初歩的なところで大恥をかくと、その学会では汚点として永久に残るという戒めだった。間違いは誰にでもあるが、していい間違いと、してはならない恥ずかしい間違いとの区別はあるのだ。こういう人を総理大臣として頂いていることを、私は恥ずかしいと思う。
 

行きてし止まん

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 これは昨日の夕方、わがビル屋上からの撮影である。左に高く立っているのは、旗の掲揚ポールである。この景色を見ながら、心に浮かんだことがある。前後の脈絡もなしに、突然「行きてし止まん」と思ったのだ。戦時中によく聞いた「撃ちてし止まん」のスローガンに似ている。「止まん」は文語の係り結びで、正しくは「止まむ」で、撃たずにおくものかという意思未来になる。有楽町の日劇ビルの正面に、ビル全体を使って大きく書かれていて有名だった。
 自分は行ける限りは前を向いて生きて行こう、それしかないと思ったのだ。見送ったのが夕日であってもいいのだ。その方向を、心に刻んで見送った。

老人党で「コスタリカの奇跡」を見た

 昨夜は、久しぶりに出席した老人党護憲プラスの例会で、「コスタリカの奇跡〜積極的平和国家のつくり方」のDVDを鑑賞し、討論してきました。2016年に出た、比較的新しい作品です。中米の小国コスタリカが、早い時期から軍備を廃止しているという話は聞いていましたが、その内容が丁寧に伝わるよう作られていました。
 コスタリカが軍備を廃止したのは1948年(日本では昭和23年)のことです。その翌年には憲法にも明示しました。その前史としては、世界的な戦争による混乱の影響下にあって、内戦を経験しています。しかしそこから、すぐれた先覚者の指導によって、平和国家への道を選ぶことが出来たのでした。作品の題名はコスタリカの奇跡でしたが、見ているうちに、その選択こそが、奇跡どころか「理の当然」だったと納得させられる内容でした。
 軍備を廃止することの利点は言うまでもありません。軍備に使われていた予算で、教育と国民福祉を充実させることが出来ます。国内の治安は格段によくなり、警察力だけで社会の安定が保たれるようになりました。軍によるクーデターの可能性が皆無になったからです。その現実を経験すれば、国民がその状態を支持するようになるのは明らかです。
 軍備がないことによる「国の弱さ」を突かれることが、なかったわけではありません。隣国から、係争地を不当に占領される危機もありました。しかし国連の介入によって正当な権利は回復しました。国際世論が、ノーベル平和賞を受けているコスタリカの支持に回ったからでした。
 現在の不安要素は、アメリカとの関係で中立政策に圧力がかかることだそうです。しかし基地を置かせないなど、中立の立場に揺るぎはありません。この先進的な小国の今後を見守って行きたいと思います。
 

車がプリウスからシエンタになった

 家の車が、プリウスからシエンタに変わった。もっとも、名義はかなり以前から私ではなくて婿殿になっている。私の免許は、昭和24年の16歳から始まって来年の6月、86歳になるまで有効だから、運転歴は、ちょうど70年で終ることになる。ただし最近は、自分で運転することは、めっきり少なくなった。
 高校1年生で最初に乗ったのは、戦前の1937年製のダットサンのバンだった。唯一の運転手として、父の会社「野ばら社」の図書の配本などで神田の町を走り回った。その次は戦後すぐのダットサンになったが、エンジンが弱く故障が多かった。そのあとはホープスターという小型の三輪車を使ったことがある。けっこうよく走って、私はこれを使って家出をするときの荷物を運び、野ばら社から去った。
 免許を取った教習所では、まだ木炭車が走っていた時代で、ガソリンは統制された貴重品だった。ヤミで買ったガソリンのドラム缶には、「塗料用シンナー」と偽名が書いてあった。給油はドラム缶からゴムホースでタンクに入れるのだが、ホースを口にくわえて強く吸い、勢いをつけてガソリンが流れるようにする。失敗すると口にガソリンを吸い込んで、ひどいことになった。
 私の家出期間が終って実家と往来するようになった東京オリンピックの頃になると、車は日産のブルーバードになって、今の自動車事情と近くなっていた。子供たちを乗せて上高地へ泊りに行ったのは楽しかった。その一方で私は軽自動車のマツダ・キャロルを自家用に愛用していた。その後はホンダの軽360がよく走って、私の仕事のためにも役立った。その後は中古のコロナを経て、日産ブルーバードのオージーが愛車になった。その後、どういう事情だったか、ベンツのCクラスを勧められて、長い間つきあうことになった。その後に導入したのがプリウスで、ハイブリッドカーというものに興味があったのだ。複雑な機構なのに、快適に走ってくれて面白かった。そして今回のシエンタである。
 試乗してみて、あらゆる面で運転しやすいのに感心した。それで安心した娘夫婦が話を進めて今回になった。免許があっても、私はもうあまり乗らないだろうと思っている。免許を取ったばかりの孫が、今のところ意欲的に運転を引き受けている。それでちょうどいい。孫はその人がらに似て、穏やかでまじめな運転である。
 

ブログ連歌(522)

10119 敬老と 一日だけを うやまわれ (みどり)
10120  こんなものかと けぇろう(帰ろう)かいな (建世)
10121 老人を祝う セミ老人
10122  敬老の日が いつの間にやら軽老 (獣医さん)
10123 曼珠沙華 咲いた浮世の 絵空ごと (みどり)
10124  かの女(ひと)の歌 今も聞こえる  (建世)
10125 墓詣で 寂しき心地 限りなし (みどり)
10126  故人帰らず 秋は深まる (建世)
10127 秋雨は 音もたてずに 降りつづき 
10128  さびしからずや 人もうつむく (建世)
10129 長袖に 下着を替えて 気持ち良し
10130  早く来い来い 涼しげな秋 (うたのすけ)
10131 あこがれは かぎりなき空 秋晴れの
10132  すがすがしさと 深き青色 (建世)
10133 萩すすき 供え待ちたる 満月の
10134  確かなりしか 天体の軸 (みどり)
10135 年を経て 訪ねて行きぬ 草加の地
10136  わが人生の 宿場なりしか (建世)
10137 我が肺は 宿場歩きに おぼつかず
10138  クレーターに似て ボコボコとは (うたのすけ)
10139 わが肺も 修理中にて 薬漬け
10140  階段上がり 息切れるまで (建世)
 

夢に見るふるさとは、今も西ヶ原

 きょうの朝に見ていた夢でも、「私の家」は東京市滝野川区の西ヶ原だった。昔のことを夢に見ていたわけではない。若い人たちを指揮して大事な仕事をしていたから、現役の働き盛りの一コマのような内容だったのだが、なぜか私の家は「山城屋の煙突を見ながら右に入った突き当りの二軒目」の場所にあるのだ。夢の中の私は、それを少しも変とは思わずに、目前の仕事に没頭していた。
 考えてみると、自分の夢で、池袋の四畳半の「さわら荘」の部屋が出てきたことも、草加団地が出てきたことも、今につながる中野の家も、これまでに一度もなかったような気がするのだ。夢の中の「自分の居場所」は、物心ついたころにいた「生まれて育った家」から動かないのではなかろうか。そこにいた期間が24歳までで、私の人生の3分の1にもならない短かさだったのに、である。
 あるいは、草加へ行ってみたことが、古いことを思い出させる作用をしたのだろうか。そして古い記憶は生地としての「自分の家」に回帰する。今思いついたことを、夕食前の、あわただしい時間に書いておく。
 

プリウスのラストランで草加へ

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 車の買い替えの予定があって、孫の運転で、埼玉県の草加まで、プリウスのラストランに行ってきました。私たちが草加に住んだのは、結婚して2年後の1960年(昭和35年)から1976年(昭和51年)までの16年間でした。草加に住んだのは、単に、落選を重ねた住宅公団から、救済策として紹介されたからでした。この期間は、私のNHK在職中に始まり、NHKを退職して家業の「野ばら社」に復帰したものの失敗して、波乱のうちに自営業を立ち上げるまでの激動期に当ります。
 それと同時に二人の娘が生まれ、環境のよい公団・草加団地のテラスハウスで育って行った、家庭的には恵まれた楽しい年月でもありました。一時は生涯を通して草加に住んでもいいと思い、団地の北隣の水田が埋め立てられて宅地になったとき、広めの土地を購入して二階建ての家を建て、団地の住居と両方を活用して、自営業の拠点として使っていました。
 娘たちは、地元の小学校で、のびのびと育っていました。しかし高学年になり、長女の中学をどうするかという問題に直面したとき、やはり中学以降は東京都内にしたいという気持が強くなりました。それと同時に制作業務の事業のためにも、拠点は東京都内の方が信用されるのが明らかでした。佐賀銀行の従業員組合の組合歌を制作したとき、九州から来た担当者が、「埼玉県の草加へ行く」というので、泊りがけの用意をしてきたのが、一つの動機になりました。
 そこで、逆立ちするような借金を積んで、現在の中野の地へ引っ越しを断行しました。草加の土地建物が、折からのバブル景気で値上がりしていたのが役に立ちました。購入する土地を二分割し、それぞれ別な金融機関に持ち込んで、自分の信用力を二倍に使うという裏技も使ってみました。終り良ければすべてよしになる、大らかな時代でもありました。
 お世話になった草加市立の高砂小学校、ここで妻も私も、PTAの広報委員で新聞を作るなど、先生方とも親しくなって楽しく過ごしました。しかし、長女は、結局はこの学校を卒業することなく、東京で中学生になったのです。
 私の人生の大切な部分で、お世話になった草加市です。久しぶりに訪ね、草加から越谷に続く松並木の「日光街道」が、みごとに整備されているのを見て安心しました。町には今も草加煎餅を焼く香りが流れています。娘たちにとっては、かなりの部分で「ふるさと」に近くなっているはずです。覚えているのが団地内の暮らしが大部分を占めるとしても、草加が育ちの地であったことは間違いありません。

安倍三選と最長不倒政権

 自民党の総裁選挙で安倍首相が三選され、日本の近代史上最長の政権になる可能性が出てきたということだ。類いまれな指導力で一つの時代を築いたというよりも、権力の空白に、ふんわりと乗っかって長期政権になったという印象がある。何よりも、政権交代が起こりそうもない、野党の弱さが作り出した状況と言うべきだろう。だから内閣支持率は、過半数には達しない40%あたりを上下している。
 日本の政治史の中では、安倍政権はどんな評価を受けるのだろうか。戦後最長だった佐藤栄作政権の場合は、日米安保の騒動の中で、良くも悪くもアメリカと一体化する道を選択して政策を推進した。その結果として現状があると言ってよい。しかし安倍政権の功績というものがあるとすれば、それはいったい何なのだろう。
 一言で言えば、それは「事なく過ごした」ということだと思う。もちろんそれは保守政治の枠内でのことだが、今回の三選では、ついに憲法の改定を口にするようになった。それは今のところ「自衛隊の存在を憲法に明記する」という段階になっている。これは本気と受け取っていいだろう。衆参の両院で3分の2の賛成を得られれば、国会として発議することができる。ただしその後に国民投票で過半数の賛成を得る必要がある。ここで不成立なら政権への打撃になるが、最後の勝負のつもりなら、一度は挑戦してみたいのではないか。
 するとこれは、日本の戦後政治史上初めての試みになる。国民投票の結果がどう出るかは未知数だが、どちらにしても、安倍晋三の名は、この件によって歴史に残るだろう。最長不倒と憲法改定の是非、このドラマが目の前に見られるとしたら、面白いのではないかと思えてきた。私としては、もちろん護憲の立場なのだが。
 

自民党が総裁選挙をやっているらしい

(熊さん)自民党が総裁選挙というのをやってるそうですよ。
(ご隠居)ああ、知ってるよ。だけどさ、総裁が交代するって話じゃないんだろ。それが何でニュースになるんだい。
(熊)あれ、ご機嫌うるわしくないね。何が気に入らないんですか?
(隠)くだらないことをニュースにして何だかんだやってるからだよ。たかが一政党の内部の選挙じゃないか。選挙権もない一般の人たちを相手に街頭演説までして、それをまたテレビが中継で流すなんて、無料で自民党の宣伝をしてるようなもんだ。結果が出て、総裁が代わって首相も交代なら、その部分はニュースになるだろうが、現職優勢がわかっていてやってるんだから、政権与党へのサービスと言われても仕方がないな。ほかに大事なニュースもあるだろうに。
(熊)でもさ、時の総理が交代する可能性は少しはあったわけだから、まるっきり無意味とは言えないんじゃないですか。
(隠)ああそうか。地方の知事とか市長とかで、任期がきても対立候補が出なくて、無投票で再選なんてのがあるが、あれよりはマシというわけか。自民党には、こういう意見もありますよと、挑戦することで党が活性化するということだな。今回は、たしかにそういう面はあったかも知れない。でもな、所詮は自民党内の論戦という「私」の部分を、広く一般国民の関心事であるかのような「公」らしい仕掛けで出してきたところが、やっぱり気に入らないんだよ。
(熊)マスコミとしたら、丸っきり報道しないで済ますわけには行かないでしょうよ。興味がないんなら、無視してればいいじゃないですか。
(隠)わかってるよ。だけどな、テレビを見るときに、何でこんなもの放送しやがるんだと、バッテンをつけてやる「マイナス視聴率」なんてのを出せないものかね。出た放送に不同意を示す「拒否率」が集計できるといいんだが。
(熊)気持はわかるけど、実用的じゃないね。つべこべ言ってないで、放送が気に入らなかったらチャンネルを変えればいいじゃないですか。どこかの人工頭脳が、視聴率をきちんと計測してくれてるかも知れませんよ。

こんにゃく座の「イヌの仇討」を見た

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 オペラシアター・こんにゃく座の「イヌの仇討〜あるいは吉良の決断」(23日まで、吉祥寺シアター)を、この16日に見てきました。林光作曲による唯一の井上ひさしオペラだということです。井上ひさしがこういう戯曲を書いていたことは知りませんでしたが、よくある忠臣蔵を反転して、命を狙われる吉良上野介(こうずけのすけ)を主役とした一種の密室劇でした。
 討ち入りしてくる大石内蔵助以下の「義士」たちは、わずかに旗で表現されるだけで、舞台は隠れている炭置き場に限定されています。こんにゃく座オペラとしては、珍しいぐらい地味で、セリフで語られるロジックが前面に出てくる構成でした。
 題名は「犬の仇討」ですが、犬は絵として登場するだけです。ただし見ているうちに、犬が「ご公儀」の象徴になっているのがわかりました。その「ご公儀」は何を強いているのかが問題です。吉良上野介としたら自分に落ち度はありません。浅野内匠頭が一時的に精神錯乱を起こして殿中で刀を抜いたというだけの話です。それなのに自分は転居を求められて、赤穂浪士に狙われやすい屋敷に住まわされているのが不満です。
 ただしこの劇では、吉良上野介は命を失うことなく終幕を迎えることができます。解説やその他の資料を読んで事後にわかってきたのは、「義士の討ち入り」とは、時の権力つまり「ご公儀」に対する反乱の一種だったのではないかという問題提起でした。そしてこれから先は私の勝手な連想ですが、「犬の忠義」に毒された武士たちが、大真面目で命のやりとりに向かってしまうことの愚かさを、この劇は冷ややかに見つめているように思ったのでした。

 
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

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昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
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