志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

東京細道紀行

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 近所の住宅街の一角である。歩いて行くすぐ先に、左折できる道があるようには見えないのだが、

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正面まで行くと、忽然として細い路地が現れる。昔の東京の町によくあった「一間路地」(1.8メートル幅)だが、ここは計ってみたら実質1.5メートルしかなかったから「五尺路地」だった。このあたりは戦災を受けていない。手前道路の縁石の作り方を見ても、これが「道路」ではなくて「路地」の扱いであることがわかる。反対側まで抜けけられて便利だから、閉鎖はできないだろう。この路地にだけ面している家も一軒ある。昔の一軒分の敷地は広かったから、今は平均して6戸ぐらいの家が建っているようだ。

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  路地を歩くと、この季節だから虫の声が聞こえる。6年ほど前にもこの路地を「一間路地の風景」としてブログで紹介したことを思い出した。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55594005.html
 あまり変っていないようでも、近所の風景は少しずつ変って行く。2020年になると、東京都も中野区も人口減少の時代になるそうだ。土地の細分化も、今ぐらいがピークなのかもしれない。


ブログ連歌(464)

9259 見通しが 見えぬ秋雨 四半期か (恩義)
9260  無気力国会 議事堂霞む (建世)
9261 落ち葉燃し サンマ焼きたる 生家なき (みどり)
9262  団地住まいの 昭和世代は (建世)   

昭和からの遺言〜次の世に伝えたい もう一つの世界

 著・志村建世、出版元・社会批評社、定価・1500円+税。

まえがきより
 この本は、最初は小説として書くつもりだった。昭和史において、もし天皇が史実とは異なる行動をとって、無謀な太平洋戦争に突入するのを回避していたら、日本の今はどうなっていたかを想像してみたかった。
 ……書き始めてすぐ、昭和史を教訓として未来へ残すには、敗戦までの歴史的事実に手を加えるべきではないと気がついた。むしろ学校教育でも現代史の部分が貧弱と言われている中で、若い世代が半日で読める程度の長さにまとめておくことに意義があると思い直した。この目的変更は、ブログへの連載形式で書いている途中で進行し、私は一日ごとの苦しい切り抜けで「自分は何のために書くか」を悟ったと言ってよい。
 しかしこれは史実そのものの書き抜きではない。かつて国の総力を挙げて誤った道へ踏み込んだ愚行を、絶対に二度と繰り返すことなく、その教訓を世界人類の未来に生かすための「祈りの書」である。その祈りに力を与えるために、私は日本の国にしかいない高貴な人の立場を借りたいと思った。
 だからこの部分については、これはフィクションである。私たちは想像の翼によって「もう一つの平和な世界と宇宙」に向かって行くこともできるのだ。

 目 次
第1章 もう一つの地球
第2章 盧溝橋の銃声
第3章 運命の昭和十六年
第4章 アッツ島の玉砕
第5章 戦争は本土に迫る
第6章 そして「玉音放送」が終戦を告げた
第7章 天皇の守護神となったマッカーサー
第8章 講和条約と日米安保条約
第9章 昭和天皇との会話
第10章 昭和からの遺言 

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 全国の書店から(店頭になくても)ご注文、取り寄せができます。お急ぎの場合は、アマゾンでも購入可能です。また、志村へ直接にメール(当ブログのトップページに表示してあります)でご注文下さっても受け付けます。くわしくは「著作などの紹介と販売について」をごらん下さい。
 ご自分で購入しなくても、地元の図書館にリクエストを出して備品にして頂くのも、著者としては非常に有難いことです。なお、学校図書室の備品とする場合は、無償で提供しますのでメールでお申し込み下さい。事後にメール便の送料300円分の切手をお送り頂ければ幸いです。
 なお、学校図書室向けには「少国民たちの戦争」も、おすすめです。これも無償で提供します。

兵器の非現実化による戦争の変質を予想する

 昨日の朝日夕刊に、航空自衛隊が次期に導入するという戦闘機F35の紹介記事が出ていた。ステルス性にすぐれ、周囲の状況はパイロットのヘルメット内側に投影されるということだ。弾道ミサイルの探知能力も高いとのことだが、敵ミサイルの迎撃にも使えるのだろうか。乗員は1名の単座戦闘機だから、情報処理電子機器の塊のような存在に違いない。価格は1機180億円で、これを24年までに42機アメリカから購入する予定とのことだ。その金を福祉財源に使ったら、どんなにいいかと思う人は多いだろう。
 同じ戦闘機という呼び名でも、これはかつてのゼロ戦やグラマンの時代とは全く違う兵器と考えるべきだろう。太平洋戦争時の空中戦では、両軍で100機も超えるような規模で撃墜を競い合っていた。後方の軍需工場では、日本でさえピーク時には月産3000機、つまり毎日100機も製造して前線へ送っていた。搭乗員は速成の少年兵でも一応は飛ばすことはでき、特攻などに出て行ったものだ。
 第二次世界大戦が終って70年以上、国と国とが宣戦布告して戦う「正式の戦争」は一度も起きていない。ところがどの国も兵器の開発・更新を怠らなかった。実戦には一度も使わなくても、仮想敵国の兵器に負けるわけに行かないと考える。常に相手よりも優位に立とうとするから、競争には終りがない。さらに兵器産業は利益幅の大きい国策産業だから、人材も技術研究も集中してますます巨大化し、それ自体を維持するためにも、絶えず新製品を生み出す圧力が働いてくる。こうして実用価値の検証がないままに兵器は進化をつづけて、かなり「遠くまで行ってしまった」ように思われる。
 その一方で、世界のどの国も、まじめに戦争に備えることをやめてしまった。どこの国も、都市も交通機関も重要産業施設も、無防備のままで地上にさらけ出している。総力戦の戦争が始まったら、核兵器が使われなくても、交戦国は1週間もたたないうちに壊滅的な打撃を受けことを覚悟しなければなるまい。兵器を増産して、複数年にわたって総力戦を展開するような力が残っている可能性は少ないのではあるまいか。戦闘員にしても、急いで徴兵制を施行して新兵を集め、教育訓練するひまがあるかどうか。徴兵拒否者も続々と現れて、徴兵は非常に困難に違いない。
 つまるところ、現代以降の世界に「通常型」の戦争が起こる可能性は、ゼロに近いほど小さいだろう。だから軍備は、カタログ上の強さを競い合う「カードゲーム」に近いものになり、情報戦に近づいて非現実化すると見ていい。問題は、非現実化する軍備が、今まで以上の「金食い虫」として成長を続けることなのだ。この競争から逃れて自主独立を守るのは難しいことだが、でも絶対に不可能ではない。
 どうせ使わない兵器の「カタログ競争」に参加するのをやめて、「一世代前の古い兵器で自衛に徹します。世界のどこへも軍は送りません」と宣言してしまう手が、わが日本には残されている。今の安倍政権の下では無理だが、憲法を変えられる前に政権交代ができれば、その可能性がある。戦争が非現実化する現代で、これが最も賢明で得な生き方になる。

ブログ連歌(463)

9239 八人と やたら多彩の はらからも 
9240  残るは二人 やけに寂しく (うたのすけ)
9241 
秋雨よ 早く立ち去れ 冬を待つ (うたのすけ)
9242   せめて厚着で 寒さ凌がん (建世)
9243 底なしの マイナス金利 浮上せず (恩義)
9244  行方も見えぬ 秋の暮れかな (建世) 
9245 身内だけ 恩義に厚い 安倍自民 
9246  冬を迎える 列島荒れて (建世)  
9247 健康な家畜が生み出す畜産品
9248  今では幻 病む家畜 (獣医さん) 
9249 効率が 家畜を追い詰めて
9250  経済が 農家の行き場を失わせ (獣医さん)  
9251 雨つづき 首相元気で 外歩き
9252  民は音なく 行きどころなし (建世)
9253 愚民こそ こまとなりうる ゲイム論 (恩義)
9254  オセロ反転 民の世成るか (建世)
9255 豪栄道 日本一の 孝行者 (うたのすけ) 
9256  カド番大関 横綱候補に (建世)
9257 稀勢の里 一から出直す 覇気ありや (うたのすけ)
9258  競え大関 綱は目の前 (建世)
9259 見通しが 見えぬ秋雨 四半期か (恩義)
9260  無気力国会 議事堂霞む (建世)

         


肉屋を支持するブタたち

 ネット情報の中を漂っていたら、「肉屋を(熱烈に)支持するブタたち」というフレーズに出会った。元は言論規制を進める自民党政権を民族主義で支持するアキバ系オタクたちを、アメリカの新聞がこの名で紹介したというコピペ記事なのだそうだが、出所は全く不明で、都市伝説の域を出ないと説明されていた。しかも2009以降のことだというから、最近出てきたわけでもない。それなのに話題になるのは、これが最近の日本の状況を説明しているように感じられるからだろう。
 安倍内閣の支持率は、なぜか下がらずに上がって行く。安保法制は1年たって現実のものとなり、自衛隊は新任務のための訓練を始めたと伝えられる。安倍首相は海外を渡り歩いて笑顔をふりまき、自分のポケットマネーを使うような感覚で支援金を配っている。国会は衆参ともに3分の2を確保して安泰であり、第一野党の民進党は内部固めに精一杯で、政権奪取へ乗り出すには遠いところにいる。
 沖縄の新基地反対闘争には全国から支援者が集まり、国会前や首都圏での反戦・脱原発集会には、それなりの人数が集まって意思表示をしている。ネットの上では「安倍の世」を喜ぶ声は少なくて、危機感、嫌悪感、そして軽蔑の感情を示しているものが多い。それでも選挙をすれば自民党が勝ってしまうことを、なんとなくみんなが予感している。
 ところで、こんな国民はみんなブタで、政権は肉屋なのだろうか。肉屋ならせっせと太らせて食べ頃で屠殺し、売りに出して儲けることになる。これはもちろん比喩だから、実際はせっせと働かせて税金取り立て、それで国の財政をまかなうということだろう。そこにあるのは、ブタは経営のことがわからないから、目の前の仕事を一生けんめいやるだけでいいという、悲しいばかりの「お任せ」感である。たいていのサラリーマンは、自分の払う税金で国が維持されていて、政府とは本来は自分たちの利益を守るための代表だという感覚を持たずにいることだろう。税金の給与からの天引き制度がそこに関係している。
 ある日、ブタたちが革命を起こしたら、まず税金の給料からの天引き制度をやめさせるのがいい。まず全額を受け取った上で、必要な税金を自分たちの政府に支払うことにする。税金が高いか安いかも自分たちで決めればよい。税金が高いか安いかは、政府に何を任せて、何を自分の責任でまかなうかで決まる。大きい政府がいいか、小さい政府がいいかも議論したらいい。ただし世の中には弱者もいることを忘れないようにして。
 そうしてブタたちの新政府が出来上がったら、肉屋はもういらなくなる。すべてのことをブタの立場で決めてよくなるからだ。そしてブタはみんなブタでなくなって「人間」と呼ばれるようになる。そんな夢のような革命を起こすのは大変だろうか。そうではない。最短なら、たった1回の総選挙でだって、そうなる。
 あるおかあさんが、子供の保育園のことで愚痴をこぼしたとき、こう言われて愕然としたそうだ。「だって、私たちがそういう投票をしたからよ」と。

正気とは思えない「新・高速炉開発会議」

 1兆円あまりの巨費をついやしながら、20年かけてほとんど何の役にも立たなかった高速増殖炉「もんじゅ」について、政府は原子力関係閣僚会議で廃炉を含む抜本的な見直しを決めたということだ。ところが同時に新しい「高速炉開発会議」の設置も決めている。「増殖」の字は消したが、核燃料サイクル推進のためには高速炉の研究開発は必要という立場だそうだ。
 核燃料サイクルは、原発でウランを燃料として燃やしたあと、再処理してプルトニウムを取り出し、これをまた利用することで成り立つ。高速増殖炉なら、劣化ウランから出るプルトニウムを燃やして、消費した以上のプルトニウムを作り出せるので「夢の原子炉」と言われた。しかし原理的な困難があって、日本の「もんじゅ」を含めて成功例がなく、世界的に放棄された。
 プルトニウムは核兵器の原料になるが、燃料にするのは難しい。ウランと混ぜてMOX(モックス)燃料にする方法もあるが、危険性は増すと言われている。原発が稼働するほど使用済み燃料がたまり、再処理してもプルトニウムが増えるが、この使い道がないのだ。「増殖」しない「高速炉」は、プルトニウムの焼却炉という位置づけがあるのだろう。焼却炉でも、熱は出るからある程度の発電はできるだろうが、恐ろしく高価な電気になりそうだ。
 つまりプルトニウムを消費する技術を確立しないと、原発の運転を安定的に継続できないので困るという、逆立ちした理屈で「高速炉開発」が出てきているのがわかる。つまりこれは「原子力村」の生き残り策なのだ。あわよくば「もんじゅ」の廃炉を提供した上での「焼け太り」を期待していることだろう。しかしプルトニウムを燃料にするのは「原爆で湯を沸かす」ようなもので、難しいのがわかっている。
 そもそも原発で使用済みになったウランを、再処理する必然性はないのだ。そのまま廃棄物として最終処分する選択肢がある。今まではプルトニウムなど潜在エネルギーの原料という位置づけで保管してきたのだが、プルトニウムは不要と考えれば、話は簡単になる。現に使用済みウランを直接処分した例は皆無ではない。プルトニウムの始末の悪さが明らかになってきている今、研究すべきは直接処分との比較だろう。
 放射性物質は、手をかければかけるほど汚染物質を増やしてしまう。つまり、いじればいじるほど大きくなる始末の悪い相手なのだ。こんなものを社会の中枢に取り込んでいたら、人類の未来が明るくなるわけがないと私は思っている。要は核エネルギーをなるべく遠ざけて、人間社会の安全性を高めるかどうかという、政治的な判断が重要になるのだ。幸いにして「原発が動いていない日本」が破綻もせず、温暖化ガスの排出も増やしていないという評価を得ている。この現状は大事にしたい。
 にもかかわらず、原発を依然として「重要なベースロード電源」と位置づけ、再稼働への手続きを進めている安倍政権は支持できない。ましてプルトニウム発電の研究開発などは論外である。
(追記・コメント欄に「恩義」さんから紹介して頂いたサイトを表示しておきます。最後の方にある「電気がなくてもいいから原発はいやだ。」という言葉が、悲しくも痛切です。)
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

ブログ連歌(462)

9219 教育の 機会均等 未だ夢 (みどり)
9220  社会格差は 一代切りに (建世)

9221 いつか必ずばれるのに
9222  嘘までついた 豊洲移転 (獣医さん) 
9223 盛り土提案の委員たち
9224  コケにされて 蓋される (獣医さん)
9225 陸自ヘリ トラック吊り下げ 高江へ飛行 (みどり)
9226  下請け丸出し 米軍のため (建世)
9227 ちょっと待て 騙された君は 騙した側よ
9228  騙された 騙したあんたが悪いのよ  (獣医さん)
9229 政治家が 大勢寄れば もんじゅの無駄 (建世)
9230  核の燃料 文殊は怒る (みどり)
9231 原子炉は お釈迦になって お陀仏に
9232  だから言ったろ 万物は「空」 (建世) 
9233 あやかれど 火焰地獄に ナトリウム (土熊) 
9234  恐れ入谷と 逃げ出す一手 (建世)
9235 秋彼岸 現(うつつ)の修羅を 見ぬ仏 (みどり)
9236  年に二回の 墓地と線香 (建世)
9237 長雨に やたら気鬱に 落ち込んで 
9238  秋の彼岸に 誰か手招き (うたのすけ) 
9239 八人と やたら多彩の はらからも 
9240  残るは二人 やけに寂しく (うたのすけ) 

中嶋寛さんの傑作替え歌で思い出したこと

 「ブルーシャトー」という歌がある。1967年にジャッキー吉川とブルーコメッツがヒットさせた曲ということだが、わが家の娘たちが草加団地で小学校へ行き始めたころに、この替え歌がはやっていた。原曲のすき間に言葉を詰め込んで歌うのだった。
森とンカツ 泉にンニク 囲(かこンニャク) まれてンプラ
静かにンジン 眠るルンペン
ブルーブルー シャトー……
 と歌って、最後は
ブーブーブー シャトー
 とやっていた。この系列で古典的なものには「靴が鳴る」の変形で
お手てンプラ つないでコチャン 野道を行けばリカン
みんな かキクケコンニャク ミツマメ ラッキョ
歌を歌えば腹がへる……というのもあった。食べ物が貧しくなる戦時中のことだった。
 ところで、「のら猫寛兵衛」ブログの主である中嶋寛さんは上記の「ブルーシャトー」を、次のような替え歌にして「私情」を述べておられて、稀代の名作になっている。しかも正統的に同じ音数で置き換えているから、原曲と同じように歌うことができる。
http://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2016-09-19

♪ 盛り土 汚染にかこまれて
静かに眠る
トヨス トヨス トヨス シージョー ♪

あなたが僕を待っている
暗くて寂しい
 トヨス トヨス トヨス 私情 ♪

  きっとあなたはベンゼンと
  六価クロムが苦しくて
  涙をそっと流すでしょう

シアンと鉛につつまれて
 ヒソかに眠る
 トヨス トヨス トヨス 詩情
トヨス トヨス トヨス
 トヨス トヨス トヨス シージョー ♪

 これはすでに「私情」ではなくて「公憤」である。「ベンゼンたる事実」であって「ヒソヒソ話」をしている場合ではない。(「ベンゼンたる」と「ヒソヒソ話」も中嶋さんの発案です。)
(追記・静岡で育った妻も、戦前の幼稚園時代に、「お手てンプラ つないでコチャン……」を歌った記憶があるそうです。関西や東北方面ではどうでしょうか。)
(追記2・グーグル検索したら、かなりの事例が出ていました。少なくとも「お手てんぷら……の部分は、東京以外の各地にあったようです。面白いですね。)

自衛隊員最初の戦死は南スーダンか

 昨日は「安全保障関連法」の成立から1年になるので、国会前ではその違憲性を訴え、改めて反対を意思表示するデモが行われた。憲法学者も大方は違憲と判断したこの問題法案を、安倍首相は国会で強引に押し通して、「積極的に平和を求めるために必要」と言い放ったのだった。政府はこの法律を前提とした準備を進め、すでに自衛隊の一部は新法に従った「駆けつけ警護」の訓練を始めていると伝えられる。その部隊の最初の派遣先は、おそらく南スーダンになるだろう。
 南スーダンと言われても、すぐにどこかをイメージできる人は少ないだろう。この国はアフリカ中部の内陸にある。北はスーダン、東はエチオピア、西と南は中央アフリカ、コンゴ、ウガンダに接している。国としては最も新しく、2011年にスーダンから分離して独立した。これは長期にわたる南北の対立による内戦の結果だったから、和平合意による独立後も、なかなか安定せずに今に至っている。日本は独立以前の2008年から国連を通して要員を派遣しており、2012年から道路整備などの施設部隊を派遣している。その規模は昨年9月現在で350名と公表されている。
 その南スーダンの現状だが、残念ながら内戦状態に近く、スーダンとの間で国境紛争まで頻発させている。NGOの「世界の脆弱国家ランキング」のトップになっているということだ。もちろん国連はPKOとして多岐にわたる支援の派遣団を送っているが、今年の4月に暫定政府が設立されたものの、首都でも銃撃戦が絶えない状況で、各国は国外退避を進めているようだ。
 こういう情報は、日本の国内にはほとんど入ってこない。たまたまネットで検索したら、国際紛争調停のプロである伊勢崎賢治氏は、「撤退すべきだったが、その時期を失してしまった。今さら撤退すべきではない」という意見を述べていた。国際社会が手を引いてしまった結果として、大虐殺を防ぐことのできなかったルワンダの事例などが念頭にあるようだ。
 さて、この状況を安倍内閣はどのようにさばくのだろうか。集団的自衛権や駆けつけ警護を適用する絶好の機会ととらえて、積極的に派遣を進めるのではないだろうか。もし実行されたら、自衛隊員は初めて自衛のためだけでない武器の使用を認められることになる。本格的な戦闘になれば、隊員の中から戦死者を出し、敵対勢力の何人かを殺す可能性が十分に出てくる。国民の大多数が名も知らず、場所も知らない遠い所で、そういうことが起こる。
 憲法9条が原文のままでいても、海外で戦死者を出す可能性が出てきたことを知らねばならない。この現実に直面したとき、黙っているつもりなのか、自衛隊の海外での武力行使は絶対に否と言うのか、私たちは覚悟を決めておく必要がある。

緊急涅槃対談「原子炉の命名権」について

(ご隠居)お久しぶりですが「涅槃コール」を押させていただきました。
(お釈迦さま)また何かご用ですか、たしか3回目ですね。まだ現役でおいでのようで、結構です。で、今日はどんなお話ですか。涅槃行きの相談にしては、まだお元気そうですね。
(隠居)文殊菩薩と普賢菩薩と言えば、お釈迦さまの大事な側近ですよね。その方たちの名前が、原子炉に使われているのはご存知でしたか。
(釈迦)いえ知りませんね。人間が核開発というものを始めた話は、前回あなたから聞きましたが、万物流転の法則から外れているようで、私はあまり好意を持てませんでした。その施設に、私の弟子たちの名前が使われているというんですね。
(隠居)そうなんです。どちらも知恵者として知られてますよね。そこで「ふげん」が最初に作られて、これは新型転換炉で、着工は1970年です。これは濃縮ウランやMOX燃料を使って、8年後から発電に成功しました。そして20年あまり運転を続けて、2003年には運転を終了し、以後は廃炉の手続きに入っています。実験的な原型炉と呼ばれる施設だったんですね。
(釈迦)そうでしたか。新しい技術の開発に役立ったわけですね。
(隠居)ところが、その次の「もんじゅ」は、大変なことになりました。これは高速増殖炉というもので、なんと核燃料を燃やして発電しながら、消費した以上の新しい燃料を作り出すことができるという触れ込みだったんですよ。
(釈迦)それはおかしい、形は変っても、無から有が生まれるわけはない。どこかにごまかしがありますね。
(隠居)でしょ。それでこれが無残な失敗になりました。1985年に着工し、1995年から発電を始めたものの、その年のうちに早くも事故を起こして停止。その後は、修理しては失敗して逆に問題点が増えてしまう「金食い虫」に化けてしまったんですよ。ろくに役に立たないばかりか、累計1兆円を超える経費を使ってしまいました。ついに政府も見切りをつけて、廃炉にする方針になるようですよ。
(釈迦)なんとまあ無残な話です。「もんじゅ」と言えば、「三人寄れば文殊の知恵」なんて、庶民にも親しまれている知恵者じゃないですか。名前だけ勝手に使われた上に、無駄遣いの代表みたいになるなんて、名誉棄損ですよ。私の側近中の側近として、象に乗って侍立しているのを、みんな見ているはずです。
(隠居)そうですよね。お釈迦さまもこれを聞いたら怒るだろうと思ってお呼びしました。ここらで一つ「仏罰」を下してやりますか。
(釈迦)それもいいが、この機会に文殊からの伝言を一つしておきます。今の世界で「文殊の知恵」は日本の憲法9条だと言っていました。私もそう思います。確かに伝えましたよ。大事にしてください。

衆智を集めた愚行の数々

 築地市場の移転先とされた豊洲新市場の現状は、話が進めば進むほど伏魔殿のような奇怪な様相を示してきた。ガス工場の跡地であることから重要だった汚染土壌対策は、土壌を入れ替える筈だったところに新しい盛り土が行われず、新施設の地下が大きな空洞になっていることが発覚したという。広大な地下空間を作り出す工事が、少数の人間の思いつきで実現するわけがない。施工業者を含めた計画と設計があった上での仕様変更だったに違いないのだが、誰がその責任者かわからないというのだ。元知事の石原慎太郎も、「話は聞いたことがあるが、自分が決めたわけではない」と言い逃れている。
 かくして誰が責任者かわからないままに予算が消化されて、使えるかどうかわからない施設が出来上がってしまった。たまたま先の都知事選挙で当選した小池百合子新知事がこの事実を知って、決まっていた移転期日に「待った」をかけ、安全確認と今後の対策に時間をかけることにした。もしも他の候補者が都知事に当選していたら、予定通りに移転を開始してから問題が明るみに出て大騒ぎになったかもしれない。
 どの道、安全確認と今後の対策については、信頼できる専門家集団の意見を聞いて判断するしかないだろうが、東京都の事業というのは、都議会のしがらみもあって、独特のわかりにくさの中で行われているようだ。不気味な地下空間は、都政という「誰もよく知らない公共事業」を象徴しているよに見える。 
 伏魔殿のような奇怪な失敗事業は、もちろん国にもある。高速増殖炉の「もんじゅ」は、1985年(昭和60年)から本体工事が始まり、1994年に運転を開始して臨界に達した。高速増殖炉は、ウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料を燃やして発電をしながら、使った以上の核燃料を生み出す「夢の原子炉」だと当時は言われていた。とろろが冷却材に金属ナトリウムを使う難しい技術で、その後はトラブルの連続になった。経営主体は研究機関という位置づけで、文科省が所管する独立行政法人日本原子力研究開発機構となったが、世界的には、日本以外のすべての国(米・英・仏・独)が2000年までに見切りをつけて高速増殖炉からは相次いで撤退してしまった。
 その中でも日本が「もんじゅ」を放棄しなかったのは、純度の高いプルトニウム(核兵器に好適)が得られる可能性があったからと言われる。しかし2000年代に入ってからもトラブルの連続は止まらず、事故があっても隠そうとする隠蔽体質も問題とされるようになった。結局、稼働からはほど遠い段階での対策に追われて今に至っている。設置から現在までに使われた予算の総額は、1兆円を超えた。政府・自民党も、ようやく「廃炉やむなし」の判断に傾いていると伝えられるが、廃炉までの費用も半端では済まないだろう。そこにまた寄食する多くの人たちを税金で養うことになる。
 政治家の判断ミスは多くの損害を国家に与えるが、その責任を追及されることはめったにない。今もこれからも、多くの愚行があることだろう。その中でも最悪のものは、もちろん戦争への突入である。戦争に近づく舵取りだけは、絶対に許してはならない。

世界「最終」戦争論(内田樹と姜尚中)を読む(3)

 戦後70年を経た現代日本の問題点は、戦後民主主義の劣化です。戦争には懲りた、新しい憲法の戦後民主主義になったら、平和と成長と豊かさがが手に入ったという実感が、現役世代から失われました。目の前にあるのは格差の拡大であり、厳しくなる競争であり、人口減に代表される長い下り坂の予感です。
 そして世界の現状を見れば、依然として各国は新兵器の開発にいそしんでおり、最終戦争の準備をしているかのようです。それは世界の政治指導者が、戦争のない世界の到来を信じていないことを示しています。国民国家を主役とした近代が終焉を迎えるとしても、そのあとの世界がどうなるかは、まだ誰も見通しを持つことができずにいるのです。この分部は本に書かれてはいなかったのですが、世界の指導者が戦争を過去のものと思っていないことは間違いありません。
 そしてこの気分は、私たち日本国民の間でも同じことです。70年間は平和であったが、このまま無事でいられるとは思えない。もしかして平和ぼけしているのかもしれないという、漠然とした不安感です。平和憲法を守れという運動も、その感覚の反作用の部分があるかもしれません。
 しかしここには、危険な落とし穴があります。現状への懐疑と大きな変化への願望は、容易に戦争の容認と結びつくからです。かつて働いても楽になれないフリーターが「希望は戦争」と発言したことがありましたが、あの心理です。ましてそこに敵として名指しされる国家や集団が設定され、悪意の宣伝が繰り返されたら、
世論は一気にそちらに傾く可能性を秘めています。
 もちろん戦争になるということは、自分を含めて知っている人たちが死ぬことであり、住んでいる住居や働いている職場が破壊されることです。しかしそれを実感として知っている世代は少なくなりました。言葉や映像で伝える資料はあっても、関心を持っている人たちは少数派でしょう。戦争を防ぐには最初の一歩が大事なのですが、その決断のできる人材がいるかどうかもわかりません。
 内田氏が警告しているのは、「70年の平和に飽きた嫌厭感」です。自分に恩恵をもたらしてくれている体制に飽きて、大衆がその破壊に同意してしまうことです。その音頭取りをしている安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」が、まさにそれです。人々の「うんざり感」に便乗して「積極的平和」という名の戦争参加への舵取りをしようとしている。これ以上危険なことはありません。
 軍備が作る平和は、じつは一時的な停戦に過ぎません。平和は、軍備を遠ざけるところからしか生まれないのです。つまり日本の憲法が言っていることと同じです。抑止論の限界は、それが永続も安定もしないことです。世界の最終戦争についても、同じことです。

世界「最終」戦争論(内田樹と姜尚中)を読む(2)

 紛争の絶えない現代ではあるけれども、そこにはどこかの国が「宣戦布告」をして、どこかの国の「降服」で終るような戦争はありません。その代わりに、戦時でもないのに、いつ大きなテロ攻撃に見舞われるかわからない不安感が、すべての国を覆っています。戦争ではないので戦時国際法の適用もなく、戦闘員でない市民すべても攻撃の対象になるから、かえってやっかいです。その原因は、国民国家の「液状化」にあると論者は指摘しています。液状化とは、国境が防壁の役に立たなくなり、国境の外と中が同じようになってしまうことです。そしてこれは歴史の流れですから止められません。たとえば人の往来を自由化し、通貨も共通にしたEUは、今さら元にもどれないのです。
 かつては民度の高い「先進国」と、貧しい「後進国」が住み分けしていましたが、グローバル化で国境が低くなれば、人は圧力の高いところから低いところへ移動します。つまるところ、昔は遠い外国の問題だったものが、どこの国でも国内の問題になってしまいました。そして経済的理由で招いた人たちは「移民」と呼ばれ、政治的理由で押し付けられた人たちは「難民」と呼ばれます。
 こうしてどこの国も、紛争の火種を国内に抱え込むことになりました。そこでテロを含む紛争に備える「疑似戦時体制」の下に置かれるわけですが、そこで論者は面白い提案をしています。これは原理としての戦争ではないから、現象としての「数を減らす」ことを考えればよいというのです。人の不満は、金銭で解消できる部分がかなり大きいのですから、必要な金は使って不満が蓄積しない施策をすればよいのです。
 ところで国民国家が液状化したあとの世界はどうなるのでしょうか。論者はまず「帝国化」を予想します。アメリカ帝国圏、ロシア帝国圏、中国帝国圏、あとの候補としてはドイツ帝国圏、トルコ帝国圏などです。しかしこれはグローバル経済圏に対抗するブロック経済圏みたいなものになるのかもしれない。するとグローバリズムの衰退はありえるのか、といった方向に話は進のですが、この辺になると、知的会話を楽しむような雰囲気になってきて、警世の提言というほどの迫力は感じられません。それでも、いろいろな視点で考えることの大切さというか、楽しさを教えてくれます。
 グローバリズム批判で印象的だったのは、アメリカ・モデルの特殊性ということでした。アメリカの発展は、前半は奴隷制によって、後半は石油の発見によって支えられました。どちらも収奪の典型であって、こんなものを世界の標準にしたら悲劇にしかならないというのです。「アメリカの成功が人類を不幸にした」「アメリカモデルは失速する」と見出しを立てています。
 総じてこの二人の対談は、現代の「賢人対談」のような内容ですが、見方によっては当ブログの「ご隠居と熊さん」的な軽さもあります。でも最後に大切な呼びかけがありましたから、次回にそれを紹介して終ることにしましょう。

世界「最終」戦争論(内田樹と姜尚中)を読む(1) 

 久しぶりに書店で立ち読みして、内田樹(たつる)と姜尚中(カンサンジュン)が対談した「世界『最終』戦争論〜近代の終焉を超えて」(集英社新書)を買ってきました。どちらも信頼できる知識人と感じているご両人ですが、意外なことに、この企画で初めて対面したとのことです。聴衆を入れた会場で話し合い、会場からの質疑も取り入れる構成にしています。何よりも目を引いたのは「世界最終戦争」という文字でした。この人たちも世界最終戦争は避けられないと思っているのでしょうか。私は例の通り一日足らずで読んでしまったのですが、二人の思考を確かめながら、落ち着いて最初から読み直してみたいと思います。
 目次から見直すと、「はじめに」は「悲劇の氾濫の中で」の題で姜尚中が書き、「あとがき」は今年4月21日の日付で内田樹が書いています。そして章立ては以下の通りです。

序章 問題提起 世界は「最終戦争」に向っているのか
第1章 液状化する国民国家とテロリズム
第2章 我々は今、疑似戦時体制を生きている
第3章 帝国再編とコミューン型共同体の活性化
第4章 グローバリズムという名の「棄民」思想
第5章 シンガポール化する日本
第6章 「不機嫌な時代」を暴走させないために

 最初の疑問は、ソ連の崩壊で冷戦が終了したあとに、世界はなぜ予想された通りに「退屈だけれど平和な時代」を迎えることができなかったのか、ということです。自由を基礎とする国民国家が共存して、自己調整的な市場が機能すれば、永続的な平和が維持できるはずでした。しかし実際に起きたことは、グローバル経済に翻弄されて自立が不能になる国民国家であり、イスラム諸国の台頭と中東の激動であり、多くの移民を抱えたフランスなどに見られる国家の分裂と不安定化でした。
 姜尚中氏は、2015年11月の同時多発テロ後にフランスへ取材に行ったとのことですが、移民系の貧しい人たちが住んでいる地区を見て、自由・平等・博愛を建前とするフランスの中にある厳然たる格差を報告しています。そこではフランスという国家そのものが呪詛の対象になっているというのです。移民の2世3世はフランス語しか知らずフランスでしか生きられないにもかかわらず絶望している。この状況では、ISの支配地域をいくら空爆しても、問題は全く解決できないと断言しています。

足の爪のその後(2)

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 足の爪のその後ですが、現状はこの通りであまり変りはありません。月曜日に受けた診察では、「もう新しい爪が出来かかっています。消毒も不要で、風呂にも入れていいですよ。」とのことでした。右親指の古い爪は、指に密着しておらず、浮いた状態であるのがわかります。ただし古い爪をはがすときは、新しい爪を大事にするようにと、同じ注意がありました。

 しかし当方は初体験だから、どのようにして古い爪をはがすのか、イメージがわかりません。そのことを言うと、「心配なら2週間でも3週間でも、いつでも見せに来てください。」という返事でした。邪魔な部分は切ってもいいというのですが、死んだ爪は伸びないでしょう。最後的にどのようにして死んだ爪は指から離れるのか、宿題がやはり残りました。

 爪の色は明らかに変っていますが、押しても特段に痛むことはありません。ただしこのまま靴下をつけ靴を履いても、歩けることはテスト済みでわかっていますが、多少の違和感はあって気持のいいものではありません。近所への外出は、今も草履の素足履きにしています。そして洗面所などでスリッパを履くのにも抵抗感があって、素足のままが多くなりました。

 要するに死んだ爪をかぶった右足の親指には、何も触らせたくないのです。現実的な痛みの有り無しというよりも、正規の爪を持たずにいる指を、気づかっているのかもしれません。


自衛隊の南西シフトと軍備拡張時代

 自衛隊の「南西シフト」が進んでいる。冷戦時代からの伝統的な「仮想敵」はソ連・ロシアだったから、自衛隊は北海道に多くの部隊を置いていた。しかしソ連の崩壊以降は、北からの脅威は緩んだと判断されて余裕が生まれてきた。その振り向け先に選ばれたのが南西方面だった。折から中国の海洋進出があるし、北朝鮮の気になる動向もある。軍人は常に有事の際の戦力バランスを考えるから、北方から南西への戦力の移動は、合理的な対応なのだろう。
 しかし戦力の移動は人が動けばいいだけの話ではない。北の大地での戦車戦を想定していたのが、南西諸島での防衛戦ということになれば、装備も訓練も違うものになってくる。水陸両用車を使った敵前上陸も、離島奪還作戦のために必要だということだ。時間も経費もかかるわけである。
 日本の防衛費は、GDPの1%という大枠があって、これは歴代内閣により50年も守られてきた。しかしこれは昨2015年から安倍内閣によって破られた。2016年度の防衛予算は、初めて5兆円を突破したと伝えられている。これは国の総予算に対しては5%以上になる。日本の経済成長率は低くなっているから、防衛費の負担は、今後ますます財政の重い負担になるだろう。
 国の存立のために、何をおいても防衛費は削れないと言うのだろうか。巨大な中国軍を意識して軍備で競争するのが得策なのかどうか。平和な外交で緊張を緩和する努力は充分なのだろうか。
 沖縄の先に連なる島々といえば、平和な南国のイメージがある。そこに自衛隊が駐留してミサイルを装備することで、私たちは今よりも安心して訪ねることができるようになるのだろうか。実感としたら、その正反対だと思うのは、私だけではあるまい。

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慶良間諸島の座間味島です。(2011年6月撮影)

核ミサイルはマイナーの安全保障

(熊さん)ご隠居は落ち着いてたけど、北朝鮮が核実験したって、えらい騒ぎだったじゃないですか。
(ご隠居)ああ、あれかい。その前にはミサイルの打ち上げなんかを派手にやってたから、そりゃ核ミサイルが飛んでくるみたいな話になったんだな。核ミサイルは珍しい兵器じゃないが、北朝鮮が自力で作ってるってことが問題になるわけだ。
(熊)でもそれは国連で禁止していることなんでしょ。
(隠)そうだよ。問題を歴史経過で言うと、1993年に北朝鮮がNTP(核拡散防止条約)からの脱退を宣言したところから始まるんだ。安全保障理事会は、各国が協力して北朝鮮が脱退しないよう説得することと、その後の事態への対処検討を決めたんだよ。
(熊)ところが北朝鮮は説得に応じないで核開発を進めた。
(隠)その通りだよ。それで安保理事会が北朝鮮を制裁する決議をするようになったんだが、北朝鮮は無視を続けている。そしてついに核もミサイルも作ってしまったというわけだ。決議をコケにされた安保理事会は、また制裁決議をしたいところだが、中国が消極的だし、効果的な方法もないんで難しいところだな。
(熊)すると黙認てことになって行くんですかね。
(隠)その可能性はあるね。NTPは言わば核兵器独占条約だから無理があるんだ。イスラエルが核兵器を持ってるのは公然の秘密だし、インドもパキスタンも核の保有を公表してるよ。国防に不安がある国は、核兵器が戦争を仕掛けられない抑止力になると考えるんだね。抵抗する力を持っていないと、いつ国をつぶされるかわからないから不安で、そのための安全保障というわけだ。
(熊)国連の安保理はメジャーの安全保障だけど、そこに入ってないマイナーの安全保障もあるわけですね。
(隠)まあ、そういうことだ。北朝鮮が先に核ミサイルで攻撃に出るのは考えられない。そんなことしたら即、国の破滅になるのは先方もわかってるよ。日本がミサイル防衛を構えるのも無理で無駄なことだ。安全保障というのは相手の武力との相対的な関係だから、強くなろうとして競争したら際限がないんだよ。それよりも同じ費用と手間をかけて国際交流とか通商を盛んにした方が、よっぽど効果があるだろうね。
(熊)北朝鮮は怖い国だ、核ミサイルを持ったら何をされるかわからないなんて、こちらが身構えてしまったら、かえって逆効果ってことですか。
(隠)そうだよ。オバマも言ってたが、世界が最終的には核を廃絶すべきなのは当然なんだ。そして、今世紀からあとの世界には、戦争も必要でなくなる。戦争は外交の失敗で、そして、現代に「採算のとれる戦争」は、もうどこにもないんだ。私たちは、戦争につながる一切を遠ざけるしかないんだよ。

ブログ連歌(461)

9199 アベさんの 右へ右ヘの 進路より
9200  まだ救われる 自然災害 (うたのすけ)
9201 さまざまな 夏の思い出 日本晴れ
9202  一夜明ければ 暦は九月 (建世)
9203 台風が思わぬところで発生し
9204  思わぬ方向に突っ走る (獣医さん)
9205 まるでこの国の政権のよう
9206  違うのは 右へ行かないところかな (獣医さん)
9207 通ったところはズダズダに
9208  荒れて流れて イケンです (獣医さん)
9209 汚染土の 野積み見ぬふり 再稼動 (みどり)
9210  国土の未来 かえり見もせず (建世)
9211 堪忍な ホモサピエンスの 次のヒト (土熊)
9212  人でなしの世 思案の外に (建世) 
9213 巡りゆく 季は長き夜へ 虫招き (みどり)
9214  秋の声する 街路樹の下 (建世)
9215 雨上がり 銀杏並木は 実をつけて (建世)
9216  熟れ落ちる時季 待つも楽しき (みどり)
9217 今にして あれも青春 目白の森
9218  池の水面(みなも)に 幻影を見る (建世)
9219 教育の 機会均等 未だ夢 (みどり)
9220  社会格差は 一代切りに (建世)

「民家で夜語り」を聞いてきた

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 昨夜は埼玉県三芳町の夏の名物行事、「民家で夜語り」を聞いてきました。会場は町立歴史民俗資料館の敷地内に移築されている藁屋根の古民家「旧池上住宅」です。「八十代万歳!」のブログ主として活躍している「ヒサコ・バーバ」こと中谷久子さんも、ここの「おはなしサークル・『かにかにこそこそ』」のメンバーとして出演しているのです。
 今回の演者は9人、演目は「瓜こひめ」「ききみみずきん」「縄ない競争」「かしき長者」「浦島太郎」「ほれ薬」「弥三郎ばさ」「はちかづきひめ」「月の夜ざらし」でした。中谷久子さんは2番目の「ききみみずきん」で、鳥や木の声が聞こえる頭巾の力で病人を直すというお話を、しっかりと語っていました。休憩のときに「声に力がありますね」と感想を言うと、「元バスガールですからね」という返事でした。出演者中の最高齢(85歳?)で、出番のあいさつが「まだ生きております」で笑いをとっていました。
 演者はいずれも実力者で、それぞれの個性ある語り口で楽しませてくれました。「語り」ですから朗読ではありません、すべて記憶して自分の話として語るのです。プログラムにはそれぞれの出典が表示されていましたが、一字一句まで精密に再現していたのかどうか、私としては、むしろ語り手の脚色や注釈、感想なども織り交ぜた「語り」が好ましいように感じられました。
 遠野に行ったときに地元の民話語りを聞いたことがありますが、民話の語り手は、どうしてみんな女性なのでしょうか。おじいさんの語り部もいていいと思うのですが、荒唐無稽な話をしておいて「どんと晴れ」でおしまいにするのは、やはり「おじい」よりも「おばあ」の方が、許されやすいのでしょうか。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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