志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

カンツォーネコンサートを聞いてきた

 昨日の午後は、日本カンツォーネ協会主催の第16回「空と海のあいだに生まれた歌カンツォーネ」の集い(弘済会館4階にて)を聞きに行ってきました。不思議なご縁から旧知のようになった86歳の現役歌姫、寺本麗華(本命は康子)さんが、今回は実行委員長になったということで、ご招待をいただきました。
 出演者は21名、第1部と2部で1曲ずつの持ち歌を熱唱しました。第2部の冒頭には、戸山英二さんのピアノ弾き歌いのコーナーもありました。戸山英二さんは日本におけるカンツォーネの第一人者で、協会の会長も勤めています。当日の出演者は、それぞれに戸山さんの指導を受けている人たちのようです。今回は例年以上に、レベルの高い歌唱が揃っていたように感じられました。
 寺本さんの場合、40歳を過ぎてから歌の勉強をするようになり、歌うことが人生後半の支えになったと聞いています。舞台の上でライトを浴び、全身を振り絞って歌声を響かせる数分間が、身も心も活性化させない筈がありません。プロの指導を受けてプロの声が出せるようになるというのは、何物にも換えがたい財産になっいることでしょう。熱海の老人施設に暮らしながら、週に1回は東京に通ってレッスンを受けているとのことです。お連れ合いにも先立たれた晩年が、歌の力によって充実したものになりました。
 歌は人を元気にする、歌は人の世を明るくするということを、改めて感じさせてくれるコンサートでした。

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ブログ連歌(498)

9939 四国に必要と言ったはずなのに 韓国枠を設け (獣医さん)
9940  とにかく作るが 目的だった (建世)
9941 TPP  思惑外れ 宙に浮く (みどり) 
9942  大国不在で 半分凍結 (建世)
9943 二刀流 羽ばたけ既成の概念打ち壊せ (獣医さん)
9944  投げて打つのは 野球の本筋 (建世)
9945 相撲とは 撲り合いかと 納得し
9946  土俵外でも 暴力勝負 (建世)
9947 共産党 革命百年 道半ば
9948  憲法護持とは 殊勝ならずや (建世)
9949 政府の機関紙 疑惑の開学 大宣伝 (獣医さん) 
9950  どんな受験者 集まるのやら (建世)   
9951 共に産む 此の心意気 名は変えじ (みどり)
9952  革命百年 目指すは彼方 (建世) 

ロシア革命100年と日本共産党

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 きょうの朝日新聞に、ロシア革命100年にちなんだ日本共産党の前議長・不破哲三氏へのインタビュー記事が出ていた。ロシア革命は当時の世界に衝撃を与え、それまで社会主義が知られてはいたが政党がなかった日本にも、共産党が誕生した。その影響は世界に広がり、第二次世界大戦後には、中国やベトナムでは革命が起きて共産党の政権が誕生した。
 日本では革命は起きなかったが、ロシア革命が起点となって、民主主義の原則が新たな形で世界に定着したのが大事なことだと、不破氏は言う。労働者の社会的権利も男女平等も民族自決の原則も、革命政府の憲法が最初のモデルとなった。ただしロシア革命は、短い間にスターリンの独裁大国主義に転化してしまい、社会主義とは無縁の異物になった。
 不破氏は自身も共産主義者として翻弄された経験から、スターリンの研究に取り組み、このたび全6巻の「スターリン秘史」を書きあげたということだ。日本共産党は、スターリンの「指揮」によって内部に分裂を起こした苦い経験も持っている。日本の革命は日本で考えて結論を出すという「自主独立路線」は、この痛苦の歴史から確立したものだと述懐している。
 さらに現在から未来にかけての展望については、「マルクスの理論は、長く誤解されてきました。本当に自由な社会をつくるのが、社会主義の根本論なんですよ。政治的自由だけでなく、生活が保証された上で……能力を自由に発展できる社会を目指していた」として、それを可能にするだけの生産力を、今の日本はすでに手に入れていると指摘している。
 それでは結論として共産党は今の日本にどう対処するべきか。最後に印象的な言葉が紹介されていた。ヒトラー占領下のフランスで、「神を信じる者も信じない者も」という抵抗の呼びかけが、教会から発せられたというのだ。共闘の精神とは、このようにして立ち上がるものだ。不破氏はそこまで口にしてはいないが、私には「言われなかった言葉」がわかった。それは
 共産党を信じる者も信じない者も
という呼びかけなのだ。
 

句集「風韻」を読む

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 思いがけなく、石寒太氏の句集「風韻」(紅書房・2500円)を読みました。カバーに使われた2枚の写真が、大木晴子さんのご夫君、大木茂さんの撮影ということで、送って頂きました。造本を担当した鈴木一誌さん他の選択で使われたようで、写真はいずれも「風韻」の雰囲気をよく伝えています。
 現代の俳句について、何かを知っているということもない私ですが、奇をてらうようなところもなく、現代の生活感の中で素直に鑑賞できる句が多くて、親しみを感じながら読むことができました。「炎環」主宰者である石寒太氏の第7句集になるとのことです。
 著者にはがん手術の経験もあって、経験してはじめて納得できる句が、いくつかありました。

手術前臍のまはりを剃られ秋
点滴の落つるを数へ秋十日
点滴や梅雨満月の高さより

 それよりも、目を疑うような珍しい頁が出てきたのには、びっくりしました。この句集は1ページに2句ずつ、余裕をもって掲載しているのですが、この2句が並んでいたのです。

つくつくほふしつくつくぼふしつくしけり
瓦礫二年更地三年赤蜻蛉

 いずれも情景が目に浮かぶような名句ですが、一方はかな文字ばかり、一方は漢字ばかりという、言葉のアクロバットのような芸でまとめています。編集者も気づいてはいたでしょうが、偶然の面白さを、そのまま残したのかもしれません。日本語以外のどんな国の文学でも不可能な表現方法です。
 余禄のように飛び込んできてくれた句集を、おかげで楽しく読むことができました。俳句の面白さを英語で教えてくれたブライス先生に、改めてお礼を言わなければなりません。
 最後にいま思いついた追記ですが、漢字まじりの俳句には、時々読み方に迷う場合があるのです。俳句に「ふりがな」をつける例は少ないようですが、正しく読まれるように、積極的にふりがなをつけて頂きたいと思います。

小熊英二の「生きて帰ってきた男」を読む(2)

 私はこの本を読みながら、自分にとっての「昭和史」を再体験していた。私は昭和8年(1933年)の生まれだから、著者の英二氏よりも、父の謙二氏の方に年齢はずっと近い。「あとがき」にも書いているように、謙二氏は経験したことを潤色せずに淡々と記憶しているタイプだった。だからこそ当時の「平均的日本人」が辿った生活史を、正確に再現することが出来たのだった。
 この本のタイトルは「生きて帰ってきた男」だが、私たちの年代は「死」とは隣り合わせだった。東京にいた小学校(国民学校)生でも空襲で死ぬ可能性があったが、もう少し年長だったら、あるいは沖縄のように住所が戦場になったら、戦闘に駆り出されても不思議ではなかった。戦争は天災のように世の中を覆っていたのだから、地獄の修羅場に投げ込まれるかどうかは、ちょっとした偶然に支配されていたに過ぎなかったのだ。
 直接の戦争でなくても、敗戦後のシベリア抑留も、戦争の延長線上に生じた現象だった。そこでも多くの人たちが生死の線上で強制労働に従事させられた。その記録を読めば、「生きて帰ってきた」という言葉には一層の重みが加わってくる。途中で死んでしまった者は、その時点で歴史から消える。残るものは統計の数字だけである。
 この世は、生き残った者たちだけによって作られるのだ。だから後半の、戦後復興期をも超えてつながる現代史が重要になる。戦争とは無縁になった世の中で、「ふつうの人物」が「ふつうの暮らし」を築いて行くことこそが、人間の本来だったのではないだろうか。戦争を記憶するのは大切なことだが、所詮は一時的で特殊な状況を記録しているに過ぎない。
 戦争がなくなったら、人はどんなふうに生きるのかという、ごく当たり前のことを記述することによって、この本はすぐれた反戦の文学になっているように感じた。謙二氏は90代になっておられる筈だが、今もご健在で、天寿を全うされるよう念じたい。
 追記だが、朝鮮籍の人々への戦後補償裁判に参加しておられる正義感にも、心から尊敬の念を表しておきたい。
 

小熊英二の「生きて帰ってきた男」を読む(1)

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 小熊英二の「生きて帰ってきた男〜ある日本兵の戦争と戦後」を読んだ。著者が実父の小熊謙二氏から聞き書きしたものを基礎としているが、非常に客観的に、歴史資料として記憶を引き出していることがよくわかる。そして単なる「戦争回顧もの」ではなくて、1925年(大正14年)つまり昭和ゼロ年に生まれた主人公によって、実際に「生きられた昭和の時代」を再現しているところに最大の価値がある。この本は「岩波新書」の一冊でありながら、400ページに近い大冊で、ゆうに厚めの単行本の内容がある。新書としては高い目の税込み1015円だったが、買い手としては有難かった。新書に組み込んだのは、帯紙でも告知しているように、「岩波新書で読む歴史への旅」シリーズに加える意図があったのかもしれない。本書の構成は
第1章 入営まで
第2章 収容所へ
第3章 シベリア
第4章 民主運動
第5章 流転生活
第6章 結核療養所
第7章 高度成長
第8章 戦争の記憶
第9章 戦後補償裁判
そして「あとがき」となっている。
 これを見てもわかるように、主人公は太平洋戦争の末期に工場の事務職から召集されて入営したものの、送られた先は満州だった。したがって本格的な戦闘の経験もなく、新兵としての訓練も、ほとんどまともには受けていない。ソ連軍の捕虜としてシベリアで働かされるために召集されたような結果になった。
 そこから4年間の抑留生活を経て日本へ帰ってきたのだが、「シベリア帰り」の者が受けた「赤化教育」への警戒感や、当時の若者がよくかかった結核との闘病などに悩まされて、20代のほぼすべてを空費してしまった。しかしやがて、高度成長の恩恵が、日本中に行き渡る時代が来た。まともな才覚さえあれば、何らかの仕事をして家を持つぐらいはできる世の中になった。そうした中で父は結婚もした。そしてそこに小熊英二が生まれたという順番になる。
 

加計学園獣医学部が開学する

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 いろいろと話題を集め、疑惑のデパートの観のあった加計学園獣医学部が、大学設置審議会の答申を経て、来年四月から開学することに事実上決まったということだ。文部科学大臣が、審議会の答申を拒否するということは、慣例上ないとのことだ。しかし11日の朝日新聞はこれをトップ記事に扱い、社説にまで「これで落着とはならぬ」と書いた。問題は政治上のテーマとして次の国会に引き継がれそうである。
 この朝日の記事に対して、「朝日新聞、死ね」とツイートした者がいて、そのツイッターが炎上したというのが、ネット上で大きな話題になっていた。報道機関を脅迫して黙らせようというのは、おだやかでない。脅迫の刑事事件になるだろう。反論のツイートが集中したのも自然な反応と思われる。しかし付和雷同のツイートが一斉に世の中に拡散するというのも、あまり気持ちの良い傾向とは思えない。一時のブームが世の中を一色に染めてしまうのは、節度がなくて危なっかしい気がするのだ。
 ネットにあふれる膨大な量の情報の大半が、いかに信用できないものであるかは、迷惑メールの数だけ見ていてもわかる。毎日数百も到着するメールのうちで、本当に用があるのは1日に1つあるかどうかなのだ。大部分は自動で送りつけて来るのだろうと思うと、削除するのも空しくなってくる。しかし根負けしては敵の思うつぼだと思うから、ひとつ残らず、当日中の削除を励行しているわけだ。
 迷惑メールには、いずれ効果的な選別のソフトも開発されるだろう。人智は悪用にも使えるが、より多く善用されて今の文明を築いてきた。新規に開学する獣医学部で学ぶ学生たちも、入学した以上は、世に役立つ獣医師になってほしいと思っている。畜産業の獣医ばかりでなく、ペット動物のための獣医も必要になってくるのではないだろうか。 

小春日和の一日

 小春日和の日曜日になった。毎年のことだが、11月も10日を過ぎると、当家の2階ベランダには十分な日照が当らなくなる。きょうは2階で干し物が乾く最後の日になった。これから2月10日までの3カ月間が、洗濯干しの「冬モード」になる。以前は冬期の洗濯物は屋上へ干しに行ったのだが、近年は3階へ頼むことになった。そして2月10日になると、また2階へ帰って来て、寒い中でも日光が1日ごとに強くなるのが感じられて心強い。だから2月10日は楽しい日である。
 きょうは日曜日だから朝ものんびりしていいのだが、家事の中で、ゴミ出しは伝統的に私の守備範囲に決めている。週に2回の一般ゴミ、毎週水曜日の「古紙リサイクリ」、木曜日の「プラスチック・リサイクル」、金曜日の「ビン、缶、ペットボトル回収」、第一、第三土曜日の「不燃ゴミ」の分別および運び出しについては、完全に生活に組み込まれている。
 今日の昼前後には、車を走らせて神宮外苑方面へ行ってみた。イチョウが黄色くなっているだろうと期待したのだが、まだ緑色のままの木が多かった。そして競技場の周辺は、どこへ行っても工事中のクレーンが林立し、通行止めになっている道路もあった。結局のところ、落ち着いて駐車し歩いて見るような場所もなく、一回りしただけで早々に退散してきた。オリンピックの本番までには施設は完成するのだろうが、見に行きたいような魅力的なイベントになるのかどうか、どちらかというと、あまり盛り上がらない気分を感じている。もっとも、1964年のオリンピックも、実際に見に行ったことはなく、テレビで見ただけだったのだが。
 当時はNHKに勤務していた私だが、オリンピック期間中は通常番組(当時は「われら10代」だったと思う)が中止になるので、休暇を取るチャンスだった。1歳10カ月になる娘を連れて、自分の運転で上高地へ遊びに行ったのを覚えている。一生の記憶に残るような、すばらしい家族旅行だった。

 
 

「希望の党」には希望を感じない

 希望の党が共同代表の選挙をやって、玉木雄一郎という人が大串博志氏を破って当選したと新聞記事になっていた。どちらも知らない人だからどうでもいいのだが、「共同代表」というのは、今の代表が小池百合子東京都知事だから、国会議員の共同代表をつけて国政への窓口にするという趣旨らしい。就任の記者会見で、「政権の補完勢力にはならない」と言明したそうだ。わざわざそう言うのは、野党としての信頼性に疑問を持たれているのを意識しているのだろう。安保法制の容認と、改憲に前向きの姿勢も表明している。
 希望の党は、野党としては立憲民主党に次ぐ議席数を獲得している。ただし先日の総選挙では、235人もの候補者を立てたものの、当選は50名にとどまった。民進党の議員が全員まとまって希望の党に合流するという目論見は、小池代表の「しっかり選別します」の一言で分解し、立憲民主党の結成を招いたのだった。それは結果的には、日本の政治のためには良かった。あのまま、改憲か護憲かさえもわからないゴチャゴチャの巨大野党が出現していたら、国民は何を手がかりにして投票したらいいか、大いに迷ったことだろう。
 そういう「希望の党」だが、これからどこへ行こうとするのだろう。問われればおそらく「政権交代可能な健全な野党である」などと言いそうである。アメリカの共和党に対する民主党のように、2大保守党の一方になることを夢見ているのではなかろうか。だが日本の政治風土の中では、保守の地盤は、2大保守党による政権キャッチボールを許すほど大きくはないと私は思う。新保守党が発展しても、せいぜい公明党よりは大きくなって、政権補完勢力の本命の座にすわるぐらいまでが限度ではないかと思われる。
 いずれにしても希望の党に未来への希望はない。小池百合子に吹いた「都民ファースト」の風は、二度と同じ人物の上に吹くことはないだろう。いま求められているのは、次世代の日本を、戦争を遠ざけて永続する平和へと導いてくれる、日本国憲法の理念に添って行動する政党だと、私は思っている。 
 

ブログ連歌(497)

9919 熟慮欠き 新党へ行き 禍根積む (みどり)
9920  希望の党で 絶望の日々 (建世)
9921 四分五裂 民進の本隊 今何処 (獣医さん)
9922  記憶にもなし 関心もなし (建世)
9923 世の移り 任せ秋晴れ 憂さ捨つる (みどり)
9924  ガラス戸の外 風寒かりき (建世)
9925 安定と うそぶく自民 数驕る (みどり)
9926  聞いて呆れる 「謙虚に」の言 (建世)
9927 判ってよ 市場のセリの 公正を
9928  安定供給 庶民のために (獣医さん)
9929 秋晴れや 家でくつろぐ 文化の日
9930  わがこころざし 半ば遂げしか (建世)
9931 大統領の娘 過激報道何のため (獣医さん)
9932  何イヴァンカ(言わんか)より 外形ばかり (建世)
9933 トランプと 仲よくなれて 嬉しそう
9934  まずはゴルフで お手並み拝見 (建世)
9935 夢見るは 鎖の如き アメリカの
9936  従属支配 断ち切る日なり (みどり)
9937 トランプの カードは見えた 日本に 
9938  買わせたいのは 本物の武器 (建世) 
9939 四国に必要と言ったはずなのに 韓国枠を設け (獣医さん)
9940  とにかく作るが 目的だった (建世)


できることと、できないこと

 世の中には、というよりも今の私には、出来ることと出来ないことがある。ブログを無断欠席しながら、そんなことを考えていました。カゼ気味の鈍くなった頭でも、世の中にいろいろなことが起きていることはわかります。不気味な「座間9遺体事件」も、被害者全員の身元が明らかになりました。豊かな未来もあったであろう若い女性たち8人と、若い男性1人が犠牲者にされました。命を奪わなければならないほどの理由があったのか、疑問は尽きません。
 トランプ大統領の来日も、大きな話題でした。安倍首相が率いる日本は、所詮はアメリカのカモであり、愛玩されるポチでもある、つまり「カモイヌ」だという論評も読みました。その一方では、日米同盟の強固さが再確認されたという公式ニュースもありました。折から早くも「今年の流行語大賞」の候補が取り沙汰されています。その中に「忖度(そんたく)」の語があったので、私は、今年はこれだなと思いました。当用漢字に入っていない字でありながら、今はみんなが知っています。そして、この漢字を使わないと簡単明瞭な説明のできない、複雑な概念なのです。
 忖度は、相手の心を推し量ることですが、単なる「思いやり」の心の温かさとは異質なものを含んでいます。そこには力関係で上位の人の気持ちを察して、先回りのサービスを提供して喜ばせるというニュアンスを含んでいます。自発的服従の心理と言ってもいいかもしれません。為政者にとっては、国民が定められた法令の趣旨をよく理解し、率先して服従するように行動してくれたら、これほど好都合なことはないに違いありません。
 私がいま、「できることと、できないこと」があると、やや尖った主張をしたくなったのは、昨今の「次々になりゆく勢い」の中に、「いま立ち止まらないと危ない」という危機感が芽生えてきたからなのです。衰えて行く体力・気力の制約で「できない」ことが増えてくるのは目に見えています。しかしそれとは違う次元で、「できないこと」「してはいけないこと」を、しっかりと見据えて、自分で実行し、それと同時に世の中に向けて発信して行こうと思います。
 

明日の国会一周は、とりあえずお休みとします

 明日は、「毎月9日に正午から国会一周」に行くつもりでいましたが、諸般の事情でお休みといたします。官庁用語のような「諸般の事情」ですが、その事情の中身を以下にご説明します。
 直接的には、コア・メンバーの「みどり」さん「花てぼ」さんがおいでにならないことですが、私と妻の医療の予定もありまして、明日の国会を休むと楽になるのです。今年になってからいろいろなことがありまして、あまり先の方に固定した予定を入れておくのは、あまり良くないと思うようになりました。現役時代は、きっちり予定を決めて、それを順にこなすのが仕事と思っていましたが、少しゆるくしないと自分が持たないと思うようになったのです。
 その意味では、「毎月9日の正午に」というのは、ずいぶん先の方まで予定を決めてしまうことになります。しかし「どなたでも、よろしかったらおいで下さい」と呼びかけるには、目標になる日時がはっきりしている方がいいに決まっています。そこで考えたのですが、「志村は毎月9日の正午に地下鉄丸ノ内線国会議事堂前駅の改札出口のところにいて、そこから出発して左回りに議事堂の周回歩道を一巡するつもりでいる。ただし必ずそうできるかどうかはわからないので、行けるかどうかは前日のブログに書くようにする」ことにしたらどうでしょうか。
 そして私の真意は、じつは、私が行けても行けなくても、そのようにして国会一周を歩いて下さる方が、少しでも多くなることなのです。国会は日本の政治の中枢ですから、そこを歩くだけでも、何か感じ取れるものがあるでしょう。デモ行為は規制されますが、私は「護憲」の字を大書した紙バッグを手に提げて歩きます。見学の中学生の列に「しっかり勉強するんだよ」と声をかけることもできます。
 何かしたいけれど、何をしたらいいかわからないと思っている方、国会一周を歩いてみませんか。それは、本当は、いつだっていいのです。
 

トランプ来日についての雑感

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(熊さん)アメリカのトランプ大統領が日本に来ましたね。
(ご隠居)けっこう騒ぎになってるようだが、あまり気に入らないね。だいたい到着したのが横田基地だってんだから、正式外交というより、占領地視察の感覚じゃないかと思っちゃうよ。横田に着陸するってことは、軍事ルートでフリーパスなんだな。随員を含めて、パスポートもビザも関係ないんだ。日本に来て最初の演説が、駐留するアメリカ兵への激励だったんだから徹底してるよ。お客として来たって雰囲気じゃないね。
(熊)そうなのか、羽田に着いたりしたら警備なんかで大変だろうから、始末がいいやと思ったけど、そういう問題じゃないんですね。
(隠)それで到着が日曜日だったからいいと思ったかしれないが、何はともあれ安倍首相が迎えて、最初のイベントがゴルフだってのがふるってる。常識なら大事な話を最初にして、一段落したら「お疲れさま」でゴルフになる順だろうさ。ゴルフで打ち解けた勢いで話をうまくまとめようなんて発想は、なんだかヤクザっぽくないかい。
(熊)うーん、そこまでは考えなかったけど、テレビも新聞も、念入りにゴルフの場面を追いかけてましたね。トランプと安倍さんが気の合う仲間みたいな雰囲気を演出してましたよ。
(隠)そうなんだよ、トランプ大統領もアメリカの右派だよ。国内の支持基盤が安定していないところも似ているな。一時的な雰囲気で今は国を代表する頂点にいる。共通の問題意識としたら、北朝鮮を封じ込めるとか、中国の南太平洋への進出を警戒するなんて問題が目の前にあるわけさ。安倍首相と気が合うのはいいが、やり過ぎればブレーキ役がいなくなって戦争に近づく怖さもあるわけだよ。
(熊)そうか、仲がよくて元気になり過ぎるのも問題なんですね。
(隠)安倍首相にこんなこと言っても聞く耳は持たんだろうが、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という孔子の言葉がある。君子つまり見識の高い人は、交わりが和やかでも軽率な付和雷同はしない、小人はその反対というわけだ。「北朝鮮はけしからん、やっつけろ」「そうだ、そうだ」と意気投合する関係になってしまうのは、どうだろうね。トランプと安倍首相、気質に似たようなところがありそうだよ。大丈夫かな。

ロマンスセットの生き残り

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 それは昭和33年(1958年)の3月のことだった。今から59年も昔のことになる。私たちはそれぞれに自分の家を出て、西池袋の線路わきの4畳半アパート「さわら荘」で新婚生活を始めた。友人5人が集まって形ばかりの結婚式を挙げてくれて、その中の2人に証人として婚姻届けに署名してもらった。会場には、出来たばかりの学習院の同窓会館を使い、そこの結婚式第1号になった。ただし総予算が500円だったから、支払いに行ったとき、顔見知りの庶務担当から「非常に簡素な式だったそうですね」と言われた。翌日に区役所へ行き、受理されて2人の新しい戸籍が出来たときの嬉しさは忘れられない。
 翌日から大学同期生の女性たちが、代わる代わる様子を見に来てくれた。卒業から2年目のことである。学習院英文科のお嬢さまたちにとって、新婚家庭というのは興味津々の対象だったに違いない。まだ全員が独身だった。そのときに友人代表ということで、家庭用食器のセットを贈ってくれたのが有難かった。茶碗、コーヒーカップ、皿などがいっぺんに揃って役に立った。届けられた包の表に「ロマンスセット」と書いてあったのを覚えている。全部の器に同じイラストが描かれていた。それから長い間、大事に使っていたつもりだが、少しずつ欠けて、いま残っているのは、使用頻度の少なかったミルク壺だけになった。当時の陶磁器は、今のように丈夫ではなかったのだ。
 これを選んで「志村クンに、これいいんじゃない」「そうね、かわいい」なんて言いながら贈ってくれた友人たちは、おそらく覚えてはいないだろう。だがこの器を見ると、当時のことが甘酸っぱく思い出されるのだ。
 自分の伴侶を決めるというのは、新しい歴史を作る行為だと思っている。まじめに考えたら、とても勇気の要る決断だが、若い情熱が一切を吹き飛ばしていた。青春というのは向こう見ずで不安定なものだが、私の場合は迷う要素が何もなかった。私たちの結婚に反対し、私を家業から離脱させた父親は何を考えていたのか、今になっては知る方法がない。
 

座間9遺体事件と自殺願望

 悪質な連続殺人事件らしい座間の「9遺体事件」は、近年まれな猟奇事件の様相を示している。本来ならこの種の異常な事件は扱いたくないのだが、私にも高校時代には自殺願望に近い状態だった時期がある。自殺を考えている人間がどのように行動して、その人たちをどう扱うべきかという文脈で考えてみたい。私が怒りを感じるのは、他人の自殺願望を、犯人は自己の欲望充足に利用したという一点についてである。
 もう生きているのがいやになった人間は、物欲には淡白になる。所持金・財産を巻き上げるには格好の獲物と言ってよい。同情するふりで「あなたの気持はわかります。私も同じです」と近づけば、容易に引き寄せられるだろう。この犯人の場合は、呼び寄せた当日に殺していたらしい。しかも犠牲者の財産を手に入れる手続きもしていないようだから、殺人自体が目的のようにも思われる。その動機の解明には、綿密な取り調べと慎重な裁判が必要になるだろう。
 日本は自殺大国である。しかも若い人たちの自殺が多い。私も「自殺論」などという本を熱心に読んだことがある。そこで教えられたのは、「自殺者は、よりよく生きたい人だった」という事実だった。「よく生きたい」からこそ、現実との乖離に絶望するのだ。何をしたって生きて行けると思えば、自殺する必要はなくなる。それだけのことなのだが、インターネットの時代が、問題をより複雑にしている。
 情報交換を通して、共通のキーワードを持つ人たちが簡単に結びつくようになった。自殺願望者には、前述したような弱点がある。そこに悪意で付け込まれたら、簡単に生命・財産のすべてを奪われてしまうだろう。今は自殺防止のために、善意で運営されている「いのちの電話」などの活動もある。少しの勇気を出して話してみたらどうだろう。ただしここで注意すべきは、インターネット上の個人に頼るのは、非常に危険だということだ。言葉だけなら、どんなに優しくも力強くもできる。一度や二度会ってみたところで、相手の真意がわかるわけがない。
 救世主とは、ある日突然に現れたりはしないものだ。それは自分の心の中で、努力によって育てるものなのだ。
 

11月3日は晴天の特異日

 11月3日、典型的な秋晴れになった。暦の上の特定の日が、その前後と比べて特に晴れることが多いと「晴れの特異日」と呼ばれるのだそうだ。11月3日は明治天皇の誕生日だから、明治の初年から昭和22年までの長い間、「天長節」または「明治節」と呼ばれており、晴天の特異日としても知られていた。この現象は日本だけではないようで、英語には同様の特異日を言い表す singularity という言葉があるそうだ。
 ところがこの「明治節の特異日」は、戦後の昭和25年ごろから雨になることが多くなり、一時は特異日から外されて「神通力がなくなった」と言われた時代もあった。しかし20年ぐらいたつとまた晴れることが多くなったと、ウィキペディアに出ていた。ただし「特異日」は、気象庁が発表するような性格のものではなさそうだ。
 そんな理屈よりも何よりも、秋も今ごろになると、気候が安定して典型的な秋晴れが見られるようになるのだろう。11月3日の祭日は、「文化の日」と名称を変えて保存された。明治天皇の権威を借りた国威発揚の記念日が、「文化の日」という側面を強調して残ったのは良かったと思う。日付を連休ねらいで変動しない固定の日にしたのも良かった。
 きょうは風もなく穏やかだ。私の家では、11月の10日までは2階のベランダに日が当って洗濯物を干すことができる。例年だと、11月中旬からは屋上にポールを運んで臨時の物干し場にしていたのだが、今年からは3階の長女家族のベランダを活用することになった。鉄のらせん階段を上がらなくていいので、私も妻も安全になる。これも時代の流れである。
 窓越しに、思いっきり射している太陽の光がまぶしい。これから先に何が起きるかはわからないが、きょうの穏やかで暖かで、幸福感に満たされた日があったことを覚えておこう。これを忘れなければ、いつになっても、きっと(私の人生に)「いいこともあったよ」と言えるだろう。
 
 

選挙の結果が効いてくる

 選挙後の新しい国会が始まった。新しく選ばれた議員たちは、この日だけは開け放たれた議事堂正面の正門から登院するのだそうだ。晴れがましい初登院だろうが、登場するのは先日の選挙戦で絶叫し、こぶしを振り上げ、同時に笑顔とお辞儀も振りまいていた面々である。
 窮屈な小選挙区制は、有権者が当選させたい人を選ぶ楽しみの幅を狭くした。政権交代を起こりやすくするための制度だと説明されてきたのだが、実際に起きたことは、一強政権の固定化に近いものになった。二大政党が成立している国では有効でも、そうでない国を二大政党に導く制度ではなかったのだ。それがわかったら、選挙制度も見直す必要がある。そんな問題を含めて、今の日本の政治には、課題が山積みになっている。
 とはいうものの、国会の議決は現有の議席数で決まる。巨大自民党に対して、衆議院は第2党つまり野党のトップが55議席の立憲民主党という、史上最小の勢力になった。安倍政権は、口では「数に驕ることなく謙虚に」などと言っているそうだが、実際にやることはそうでないのが次々に明らかになってくる。国会審議の時間配分も、議席数に応じて与党に多くすると言い出している。政権与党からの「内輪褒め」のような時間つぶしよりも、野党からの批判的な言論を聞くことにこそ議論の価値があるのに、「多数は正義」で押し通したいのだ。
 これから数年は続きそうな議席配分を抱えて、日本は冬の時代へと向かって行くことになる。しかし何としても、日本を再び戦争に近づけて行くような道へは進んでほしくない。2020年には東京でオリンピックをやるというのだから、それは一つの抑止力になるかもしれない。
 国が「引き返し不能の限界点」さえ越えないでいてくれれば、私たちは次の選挙に希望をつなぐことができる。済んでしまった選挙の結果は重荷だが、今はそれに耐えるしかないのだ。それにしても、選挙は魔物である。安倍政権に「国民のご信任を得た」と言わせてしまったツケは、これから重くのしかかってくるだろう。
 忘れないうちの付言だが、「無制限の解散権を首相に与える『7条解散』」には違憲の疑いがある。解散・総選挙が許される条件を、法律で明確に定める必要がある。憲法で明示されているのは「内閣不信任案が可決された場合」だけである。
 

オスミばぁーばの紙芝居語りを聞いてきた

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 昨夜は寄席「お江戸日本橋亭」で、オスミばぁーばの紙芝居話芸を聞いてきた。オスミばぁーばは本名を山本すみ子という。滝野川小学校の同窓生の中で、ほとんど唯一の芸能人となった人だ。元・滝野川区の霜降り橋に近い食堂の一人娘で、昔からひときわ目立つ才媛だった。日大芸術学部に進んだと聞いたが、その後どのような活動をしていたのかは、昨夜の打ち上げ宴会の中でも、まとまった話としては聞けなかった。「オスミばぁーば」という今の芸名も、まさか長く使っていたわけではあるまい。老境になってからの、半ばボランティアの活動での名前だろうと思うのだが。
 昨夜の出し物は、寄席の舞台に書き割りの自転車を持ち出し、その上に紙芝居を載せて演じて見せるという趣向だった。話も面白かった。閻魔大王から「極楽でも地獄でも、好きな方を見せてやる」と言われた道楽者は、「極楽はあとで行けるから、地獄を見ておきたい」と言うのだ。ところが地獄で怖いものを見せても少しも驚かない。これでもかと見せるたびに茶化して面白くしては閻魔を困らせるという珍談だった。
 年のせいで杖がないと歩けないと言っていたのに、舞台への出入りは杖なしで堂々と歩いていた。芸人としての根性も一人前と見てとれた。それはそうとして、夕食を兼ねたミニ同窓会が、彼女の芸人仲間の打ち上げ会と融合してしまったのが印象的だった。帰路の遠い同窓生が帰ったあとも残った私は、テレビ局時代の雰囲気を思い出していた。いろいろなタレントさんが、当時は私の身近にいて、一仕事のあとの懇親の席にもつきあうことがあった。時間を気にする者など誰もいなかった。酒の飲めない私も、そんな雰囲気は嫌いではなかった。タレントも仕事から解放されれば、ただの人になる。ロケ先で、デビュー間もない布施明と同宿で風呂に入ったこともあった。
 とにかく昨晩は、夜の11時を過ぎても、遅い時間になったという気がしなかった。久しぶりに「業界人」になったように、私は意気揚々と帰宅した。
 

間庭小枝さんの「椰子の実コンサート」を聞いてきた

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 きのうは例年秋に行われる間庭小枝さんの「椰子の実コンサート」を聞いてきました。今年で第18回になるとのことです。間庭さんは歌の実力者として活躍する一方で、カルチャースタジオ・メヌエット(CSmenuet)を主宰し、所沢にある音楽教室を拠点として音楽教育を進めています。それと同時にインターネットを駆使して、驚くべき曲数の歌を、映像つきでユーチューブにアップし、精力的に更新を続けているのです。そのこと自体を、一つの文化的な事業として評価していいと私は思っています。
 そんな間庭メヌエットさんとのおつきあいは、いつから始まったのかと過去記事を調べたら、2014年の9月あたりからのようです。私が作詞した「この世にただひとり」(ジプシーの歌)で、作詞者としての志村建世の名がインターネットに出ているのに気付いたのが、きっかけだったと思います。この偶然がなければ、私の作詞の仕事は、一時期だけの過去の経験として終っていたかもしれません。
 そこから、過去の作詞の発掘と、新しい作詞の依頼という形で、私の中に「作詞」という仕事の分野が確立しました。昨夜のコンサートでも感じたのですが、音楽と歌声の中で「言葉での表現」を考えるというのは、私にとっては非常に心地よい時間なのです。私は本質的に「うた」が好きだということを、改めて自覚しました。
 間もなく私が人生を終るとき、「結局、自分は何をした人間として記憶されたいのか」を自問したときに、それはハンガリア民謡(つまりサラサーテのバイオリンが奏でている)としてのメロデイーに乗せた
1.この世に ただひとり きみこそ わがひかり
  つきせぬ あこがれを 永久(とわ)にと いのる
2.きみこそ 世のたから 花より うつくしく
  やさしい ほほえみを 永久(とわ)にと いのる
という「この世にただひとり」の歌声であればいいと思ったのです。
 とにかく間庭メヌエットさんには、私の作詞を世に出していただいた恩義があります。今もインターネットで「志村建世の作詞・訳詞」を検索すると、ユーチューブで以下の17曲が出てきます。そのすべてが、CSmenuet さんの提供です。
なつかしいヴァージニア
グリーンスリーブス
キンダーポルカ
オクラホマミクサー
さよなら今は(蛍の光)
麦畑(故郷の空)
コロブチカ
消えぬおもかげ(暗路)
マイムマイム
名残りのばら(庭の千草)
スコットランドの釣鐘草
銀色の月よ(Bellini作曲)
遠い日の(ロンドンデリーの歌)
Malia(トスティ作曲)
この世にただひとり(ジプシーの歌)
Ave Maria(マスカーニ作曲)
Ave Verum Corpus(モーツァルト作曲)

蛇足ですが「この世にただひとり」についての詳細は、ここにあります。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55663105.html



公明党は安倍政権から離脱せよ

(熊さん)こんどの選挙で議席を減らした公明党が、内部でぎくしゃくしてるようですよ。自民党への不満があるんだって。
(ご隠居)そりゃご愁傷様だな。もともと自民党は公明党の票が欲しくて連立を組んでるだけだよ。本気で公明党を助けようなんて思ってないさ。公明党と連立なんたって、閣僚には国土交通大臣を一人入れているだけだよ。
(熊)そうなんですか、形ばかりの連立ですね。そう言えば、自民党が公明党の応援演説をしてる場面なんて、見たことがないや。
(隠)そうだろう。そもそも自公連立のルーツを探ると古い話になるが、落ち目になってた自民党が、長いこと敵対してた社会党に抱きついて政権に復帰した、村山内閣の時代というものがあったんだ。自民党と社会党が連立するという奇策で、世間をあっと驚かせたものだよ。そこから連立の相手を公明党に取り替えて、安定政権を作るという知恵を定着させてきたわけだな。公明党は、政権与党に加わってみて、よほど気分が良かったんだろう。そのままずっと居着いてしまったわけだ。
 だけどね、そのまた前の時代には、社公民共闘というのがあって、公明党は社会党、民社党といっしょに自民党政権を倒す側にいたんだ。つまり公明党は支持母体の関係で、絶対に単独では政権党になれない宿命があるんだよ。そして綱領には次の7項目を掲げている。
 卆弧拭生活・生存〉の人間主義
∪験莠埆纏襪諒顕宗κ〇禮餡
人間と自然の調和
た洋牘廚鬚瓩兇甲狼緻餌下腟舛
ダこΔ帽弩イ垢詁本
α陲虜民主主義の開花と地方主権の確立
民衆への献身とオピニオン・リーダー
(熊)へーっ、なかなか結構じゃないですか。
(隠)安倍自民党とは、だいぶ肌合いが違うのがわかるだろう。やはり今は野党でいるのが似合うと思うわけさ。少し持上げて言えば、いつまでも保守党の補完勢力でいたら、もったいないですよ、立党の精神に立ち返って、平和と改革の側に立ったらどうですか、ということだな。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
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昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
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