志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

東京上空にキノコ雲が?

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 昨日(2016・8・24)の夕方6時ごろ、中野から見て北方に、奇妙な雲が立ち上った。入道雲の一種かもしれないが、写真で見る原発のキノコ雲の形に似ている。予報で大気が不安定だと言われていたこととも関係があるかもしれない。
 今年の東京は、あまり暑くなかった。関西方面の各都市が連日の猛暑に見舞われているのに、35度以上の猛暑は経験しなかったように思う。それでも全国的には異常気象と呼べるほどの現象があったようだ。現に今年は東から西へ迷走して、沖縄の近くで発達した台風が、改めて北上してくるという珍妙な現象も出ている。世界的にも、地球の温暖化は一段と加速していて、異常気象が日常化するのではないかと警告されている。
 4年後の東京オリンピックは、本当にどうするつもりなのだろう。まさか猛暑日の日中に路上でのマラソンはできないだろう。おもな競技はナイターにするか、巨大ドームの室内で行うしかあるまい。そこに集まる観客の移動まで考えたら、担当者は今から頭が痛いことだろう。
 2015年現在で、世界の人口は72億5572万人ということだ。1950年には25億人だった。65年間で3倍近くになっている。2050年には95億人以上になり、その後100億人を突破するのは確実と予想されている。その人たちは何を食べて、どんな暮らしをするのだろうか。
 私たちは間もなく退場するからどうでもいいのだが、孫の世代は2050年には働き盛りになっている。家庭があって子供たちがいれば、そのまた先を考えることだろう。私の孫は、そこで何を考えて、どんな行動をするのだろうか。気にはなるが本人に任せるしかない。ただ、大きいにせよ小さいにせよ、爆弾のキノコ雲を吹き上げている場合でないことは、誰にでもわかるだろう。 
 

ブログ連歌(460)

9179 自衛隊 進学あきらめ 身を挺す (みどり)
9180  生命までも 捧げねばよいが (建世)
9181 台風が 直接蝦夷地にやってくる
9182  その上 二つも連れだって (獣医さん)
9183 やっと終わったら 今度は三つ
9184  大雨 洪水 タンチョウ行き場なく (獣医さん)
9185 テントより 撤去するなら 原発を (建世)
9186  何れにありや 憲法理念 (みどり)
9186B  それが分かりゃー 苦労いらずよ (くるみ) 
9187 何故かしら 9号 11号 10号と
9188  順番めちゃくちゃ 蝦夷地も混乱 (獣医さん)
9189 ステテコで 台風進路 見入ってる (うたのすけ) 
9190  存外静かで 半日が過ぎ (建世)
9191 今上の 宮の最後と 蚕都は揺れる (くるみ)
9192  皇室むすぶ 糸の長さよ (建世) 
9193 四方に鳴き 晩夏惜しめり 法師蝉 (みどり) 
9194  蜩(ひぐらし)は聞かず 東京の夏 (建世)   

三多摩革新懇の「真夏の夜の平和コンサート」

 昨晩は西国分寺の「いずみホール」を会場とした「真夏の夜の平和コンサート」を聞きに行ってきました。毎年の開催で、今年で19回目ということです。出演の中に「ジャパン・ヤングハーツ」というグループがあり、1960年代から1980年代にかけて小金井市を拠点に全国的に活動した「統一劇劇場」の生き残りメンバーが年に一度集まるのです。平均年齢は70代になっていても、名前は「ヤング」です。この中に、古い知人で今は沖縄料理「ちゃんぷる亭」のママになっている石橋成子さんが、歌とアコーディオンで参加するので行ってみました。
 コンサートの第一部では、沖縄出身で東村山在住の家族(父母と長男長女)バンド「カーミーズ」が活躍しました。沖縄にはヤマトに対する屈折した怨念がありますが、人々の根は明るいのです。出番の最後の盛り上がりでは、客席から立ち上がって、踊りながら舞台に上がって行く人たちも現れました。その中に、小さな女の子を胸の前に抱えた若い父親がいました。まだ一歳前後と思われるその幼児が、リズムに合わせて手拍子を打ったのですから、その可愛らしさは、その場の主役を一時的にさらったようでした。その父親と娘が、休憩時間に挨拶されたら、石橋成子さんの息子さんと孫娘だったのですから驚きました。音楽好きの血がつながっているのでしょう。
 第一部後半では、「歌う行動派社会科教師」という肩書きを持つ箱崎作次氏の歌がユニークでした。五日市憲法を題材として、その思想が今も一条の光になっていることを、連作の創作歌として聞かせるのです。授業の中でも使ったということですが、現在は定年後で時間講師を勤めているそうで、より自由な立場での活躍が期待できるのではないかと思いました。声楽家としての経歴はわかりませんが、ソリストとしての声を持っておられるように聞けました。
 第二部は「ジャパン・ヤングハーツ」が主役で、合唱、朗読、コントを織り交ぜて平和への思いを表現して行きました。朗読などでは、要所で客席から「そうだ!」の掛け声や拍手が入ります。会場の雰囲気は、だんだん「うたごえ喫茶」風になり、やがてそれも超えて「決起集会」風に近づいて行くようでした。
 そして最後は、会場の全員で歌う時間になりました。「たんぽぽ」「今こそ立ち上がろう」「青い空は」の3曲は、開会の前に、あらかじめ練習してありました。ここでは第一部の出演者も全員が舞台上に並んで、ホール全体を楽器のように歌声で満たしました。そして大成功の盛り上がりで終ったのですが、その終り方が、非常に印象的でした。アンコールの準備はなかったようですが、会場の熱気はさめません。
 舞台に残ったのは、ピアニストと二人のアコーディオン奏者だけでした。マイクもなくなって、拍手が止まない中で辛うじて聞こえるのはピアノの音だけです。そのピアノが「きょうの日はさようなら」を演奏しはじめ、それにアコが協力しました。そこから自然発生的に全員が歌い始め、別れを惜しむひとときに導かれたのです。ピアニストのその場での才覚だとしたら、非常にすぐれた判断でした。

新聞の変身をどう見るか

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 今朝の新聞受けを見て、一瞬、これは何だろうと思った。いつもの新聞でなく広告物が入っているのかと思ったら、よく見ると朝日新聞の題字があった。テーブルで広げたら、本紙の外側を特集面で覆っているのがすぐわかった。「本日は特別紙面でお届けします。通常紙面は2枚目からになります。」という注意書きに気づいたのは、そのあとのことだった。
 この紙面構成は、私としては過去に記憶がない。従来の感覚なら、特集として二つ折りの真ん中に入れ、取り出して独立させてもいいように作るだろう。それを逆転の発想で、特集で本紙を包むようにしたのが新しいというわけだ。特集の見出しは「41の輝き」だから、リオ・オリンピックのメダリストの活躍をまとめたものだろう。オリンピックの余韻がさめないうちに、総まとめとして読者に喜ばれると思ったに違いない。
 新聞社としたら、読者に支持されることが経営の基盤になる。この特集の作り方も、顧客へのサービスのつもりで工夫したのだろうが、私の感覚は逆だった。期間中はテレビも新聞もオリンピック一色になってしまったのが、むしろ不安だった。沖縄・高江の抗議行動も、経産省前テントの強制撤去も、埋没して伝わらないような気がしていた。ようやくオリンピックが閉会して通常に戻るかと期待していたところへこの特集だから、「またかよ」と感じたのだった。
 テレビは時間を、新聞は紙面を使って報道する。時間も紙面も限りがあるから編集しなければならない。そこで編集の手腕が発揮される。亡くなったばかりの「むのたけじ」氏の言葉に、「いちばん恐ろしいのは、軍の命令よりも自主規制だった」という反省があった。今はオリンピックさえ扱っていれば安心で安全だという安易さが横たわっているような気がする。今の日本は、他のことを何も考えなくても安心で安全な国なのだろうか。
 私は戦前戦中を含めて、ずっと朝日新聞を読んできた。アパートの貧乏暮らしの時にも切らすことはなかった。だが、紙面を開く時間はずっと少なくなった。家族もいるから購読はやめないが、5分ほどで全部の紙面の主な見出しは見ていたのが、最近は表紙の目次だけで済ますことが多くなった。おもな情報源は、明らかに新聞から離れている。
 それでも朝日新聞は「お客さまに支持される紙面」づくりを続けて行くのだろう。時にはすぐれた論説を読ませて貰うこともあるが、ネットの話題で気がついて記事を探す場合が多くなった。新聞の未来がどうなって行くのか、正直に言って私にはもうわからない。

台風が来たそうだが、空襲を思い出した

 台風9号が正午過ぎに館山付近に上陸したと見られるということだった。時間としては、ちょうど台風の中心が近づくころだが、東京は静かなままで、雨も止んでしまった。むしろ明け方から朝にかけての雨が本格的で、だいぶ荒れるのではないかという緊張感があった。今は軽い雨降りで路面は濡れているものの、台風らしい気配はない。
 台風は東北へ向かうそうだから、東京は台風の西側の弱風圏に入ったのかもしれない。北半球の台風は、上から見て左巻きの渦巻きになるから、進行方向の右半径では進行速度と合わさって強風になる。これを台風の危険半径と呼ぶこともあるそうだ。その反対側だから安全半径とも言えないだろうが、とにかく今の東京は静かな曇天または小雨である。
 台風情報は、思い出すと戦時中の空襲警報に似ているところがある。南方の海上に敵らしい「目標」を発見した段階で警戒警報が出て、それがB29の編隊と確認され、駿河湾から陸地へ達したあたりで関東地方への空襲であることがわかる。やがて「西方より帝都に侵入しつつあり」で「関東地区、関東地区、空襲警報発令」 となるわけだ。初期には空襲警報が出たら防空壕に入ることになっていた。ところが、律儀にそのまま警報解除まで待っていたのでは、無駄が多すぎるのがすぐにわかった。当時は携帯式ラジオなどないから、壕に入ると情報がわからなくなるのだった。
 そこで壕に入るのは、実際に敵機が現れて、高射砲の炸裂音が聞こえてからになった。しかしそれが毎日のようになると、やはりわずらわしい。そこで空を見ていて、敵機の針路がまっすぐ頭上へ向かってくる場合だけ退避するように変わってきた。その他の場合は、交代で誰かが空を見ていればいいことになった。これは、基本的にB29が高空を飛んできたからできたことだと思う。後に艦載機が飛来するようになったときは、住宅地には攻撃してこないと判断して、無視していることにした。
 安全のための備えというのは難しい。万全の備えというのは不可能なのかもしれない。その中でも大事なのは、本当に守りたいものを仕分ける智恵と覚悟のような気がする。

追記・戦時中のラジオによる防空情報は、「東部軍管区情報」と呼ばれていた。短音のブザーが二度鳴ったあとに、アナウンサーが「東部軍管区情報、……」と読み始めるのだった。文体は、東京では大本営発表と同じ文語調だったが、大阪では「西部軍管区情報」で、口語調だったと聞いている。ただし実音を聞いたことはない。

経産省前テントが撤去された〜テントより 撤去するなら 原発を

 今朝の午前3時半ごろから5時ごろにかけて、経産省前の「脱原発テント村」が撤去された。先に国による明け渡しと損害賠償請求の裁判が、最高裁判所で確定していたが、それを受けた東京地裁による強制執行が、未明に行われたのだった。朝刊には載らない時間帯であり、朝パソコンを開いたら最新ニュースとして伝えられていたので行ってみた。
 このテントは、東日本大震災後、福島の女性たちによる抗議の座り込みから始まった。その初日は2011年の9月11日とされている。あと少しで満5年になるとろこだった。テントは年月を重ねるとともに発展し、最近は女性テントや「美術館」と呼ばれるスペースも含めて、3張のテントで構成されていた。目立つ場所だけに海外のメディアにも紹介されて有名になり、輪番制で24時間人が常駐する体制が確立して、脱原発運動の拠点となっていた。場所は経産省の前庭の一部を借りる形だが、従来から公開されていたスペースであり、もちろん役所の業務に障害になるようなことは何もない。民主党政権の時代には、強制的に排除することはないと明言されていた。
 ところが政権が交代して安倍政権となった2013年3月29日に、国はテント村の敷地明け渡し訴訟を東京地裁に起こした。このときテント側の少数の個人が被告とされたので、弁護団はもっと広範な人々の利益に関係するという観点で、被告側への参加を呼びかけたことがある。私も賛同して、裁判所宛てに「陳述書」を書いた記憶があるのだが、その後関係者として呼ばれることはなかった。却下されたのではないかと思う。
 それから3年あまりの時間をかけて、国側は裁判を確定し、強制執行をかけたわけだ。形式的に一つの裁判は終ったわけだが、国民の表現の自由と国の財産権の問題に結論が出たわけではない。憲法は「一切の表現の自由はこれを保障する」と定めているのだから。

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本日午前の現場風景。新しい柵に、緑のシートを貼ってあった。

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横で30名ほどの警官隊が待機中。テントの再建を警戒しているのか。

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テントの住民はテントがなくても同じように現場に座っている。

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これは警察官が採用されるときに署名する「宣誓書」だとのこと。

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この二人は、反対側の歩道で、手作りのミニミニテントを再建していた。

音楽漬けの夜だった

(熊さん)ご隠居、ゆうべは珍しく夜なべしてましたね。
(ご隠居)そうなんだ、楽譜を並べて歌声を聞いて、外国の曲に日本語の歌詞をつけるのを考えてたら、夜中の3時を過ぎてしまった。でもね、何かが乗り移ったような、不思議な感覚があったんだね。やろうと思った作詞の2曲目まで出来て、つい3曲目まで行ってしまったんだよ。今ならできる、みたいな気がしたんだろう。
(熊)調子に乗った、ってことですね。
(隠)簡単に言えばそうだが、ちょっと違うんだ。「オレはいったい何をしたい人間なんだ」ってことを、しきりに考えてた記憶がある。ろくに楽譜も読めない人間なのに、繰り返し音を聞きながら楽譜を眺めていると、楽譜に乗っかる言葉が見えてくるような気がしたんだ。それが日本語のイントネーションに合うかどうかということも含めてね。すると歌う人の気持がなんとなくわかってくる。これなら気持ちを込めて歌ってくれるんじゃないか、とかね。
(熊)その仕事って、間庭小枝さんから貰ってた宿題でしょ。
(隠)そうだよ、間庭さんに以前、「気持ちの込めようもない難しい歌詞しかない歌もあって……」という話を聞いて以来、ずっと覚えてるよ。その資料を久しぶりに開いてみたら、何か出来そうな気がしたんだね。そこでリハビリのつもりで始めたら、止まらなくなった。
(熊)つまり、それもご隠居の本業の一つでしょうよ。
(隠)そうだったんだね。いい歌を日本語で歌いたい人のために、歌詞を考えてあげる仕事だよね。その中で自分を表現できたら、それはやりがいのある仕事になる。全力で取り組んでいいわけだよ。
(熊)そりゃいいことだけどね、夜はちゃんと寝なくちゃ。きょうの新聞にも出てたけど、睡眠をちゃんとしないと認知症が進みますよ。
(隠)わかってるよ、余計なこと言うな。

「銀」の涙と「銅」の笑顔

 オリンピックの表彰式を見ていると、銀メダルの受賞者が晴れない顔をしていることがある。対戦ゲームの場合は、直前の試合で負けて「銀」になるからだ。世界一をめざしてきたのに、最後に負けてしまった口惜しさが顔に出る。ところが「銅」の受賞は、一度は負けたがメダルは取りたいという次の目標があって、そこで勝てた晴れがましさがあるのだろう。ランクとしたらもちろん「銀」が挌上だが、表彰されるときの嬉しさは「銅」の方が大きいのかもしれない。
 トーナメント方式の対戦というのは、じつは残酷な仕組みで、優勝者以外の全員が途中で負けて去ることになっている。組み合わせには偶然の要素があるから、もしかすると実力では第2位の者(またはチーム)が、初戦で優勝者と当って消えているかもしれない。理論的には、優勝者以外の2位と3位は、実力通りの順位かどうかは、わからないことになる。その意味では、競争方式で予選から勝ち上がる競技の方が、実力通りの順位決定になると言える。
 とは言ってもそれぞれの競技ごとに参加者が努力を尽くして、頂点を目指していることに変わりはない。バドミントンのペアで優勝した女子選手が、決勝戦のあとで「最後に負けそうになって、同点に追いついたまでは覚えているが、そのあとどうして勝ったのかは記憶にない」と答えていたのが印象的だった。見ていてもあの速い動作は目にも止まらない。本人も忘我の境地になってプレイに没入していたのだろう。一芸に達した達人というのは、そういうものかもしれない。
 テレビ電波を占領されて迷惑とも思っていたオリンピック放送だったが、それなりに見どころはあった。こんなこともオリンピックでやるのかと思うような種目もあったが、それだけ平和でいろんなスポーツが開発されているからだろう。何度も言うようだが、戦争に熱中するよりは、よほど良い。
 4年後の真夏には、このオリンピックが東京にやってくる。なるべく簡素に静かにやってもらいたいが、この勢いでは、かなり大きな騒ぎになることだろう。福島はどうなるのか、日本の政治はどうなっているか、不安な要素は尽きないが、静かに見て行くことにしよう。

ブログ連歌(459)

9159 柔道よ 銅銅巡り それで良し (うたのすけ)
9160  日本生まれの 現代競技 (建世)
9161 金つかみ ポーカーフェイス 一本決め (くるみ)
9162  メダルやりとり 国旗とりどり (建世)
9163 偲ぶれど 戻る家なき 盂蘭盆会 (みどり)
9164  踊る手さばき  団地広場で (建世)
9164B  踊りおどるよ、東京音頭 (くるみ)
9165 いつまで続くか 再稼働
9166  避難もできず 伊方の人は (獣医さん)
9167 防衛省 尖閣視野に ミサイルを (うたのすけ)
9168  寄らば撃つぞと 戦闘準備 (建世)
9169 核兵器 抑止のためだ 先に撃て
9170  これこそ本物 積極的平和主義 (獣医さん)
9171 安倍の言 国民的な 論議の要 (うたのすけ)
9172  聞く耳あれば 言って聞かすに (建世)
9173 核戦争 後先いずれも 許せない (みどり)
9174  勝敗ともに 滅びへの道 (建世)
9175 貧困の 子供六人に 一人とか
9176  世の中そして 政治も狂ってる (うたのすけ)
9177 安倍の世は 格差拡大 その次に
9178  憲法変えて 戦う国へ (建世) 
9179 自衛隊 進学あきらめ 身を挺す (みどり)
9180  生命までも 捧げねばよいが (建世)

増田博一の戦記書画「画家が戦争を記録した」(本編・その18)

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前から4段目の右端が著者の増田博一氏。奥様と2人暮らしで伊勢原の団地に住んでおられましたが、お子さんはおられず、連絡がつかなくなりました。私より10年年上で、今は92か93歳になります。

核の先制不使用に反対した日本の安倍首相

 アメリカのオバマ大統領が、「核兵器の先制不使用」政策を検討していることに対して、安倍首相はアメリカ軍太平洋軍司令官を通して反対の意向を伝えたということだ。オバマ大統領としては、就任した際に「核兵器の廃絶」を提言してノーベル平和賞を受賞した経緯がある。任期中の最後に、せめて「先制不使用」だけでも置きみやげにしたい願望があるのだろう。しかしアメリカの核の傘で守られているつもりの日本としては、抑止力が損なわれるので賛成できないというわけだ。
 核の先制不使用については、中国が核開発の当初から宣言していることはよく知られている。報復としての核を持つことで、他国からの核攻撃を抑止するという考え方で、これが抑止力理論の本筋になる。中国は国土が広く人口も多いから、先制攻撃を受けても報復の能力は残るだろう。この考え方は中国の国情にも合っていて説得力がある。
 ところが世界一の強国を自任しているアメリカは、自分はかすり傷も受けない「完勝」を目指しているようだ。そこには競争原理への過信があるように思われる。一人対一人の決闘の場面を思い浮かべてみよう。互いに銃を構えてにらみ合っている場面でも、もし一発で確実に相手を倒せる技量があるのなら、先手必勝で問題は簡単に解決してしまう。まして立会人もなく、武器の性能に制限がなければ、圧倒的な実力を身につけて、保安官の役目をつとめることもできるだろう。
 しかし、ことが核兵器の使用になると、倒す相手は「悪い国」の首脳部にとどまらず、相手国の国民全般に及んでしまう。戦争目的に関係のない一般国民の大量死を招くことになるので、これは人道に反する。その被害を経験した唯一の国民が日本人だった。そして日本は、今やアメリカに保護される国となり、その「核の傘」の下に「守られているつもり」になっている。
 ここでアメリカの「核の先制不使用」に異議をとなえるということは、自分のところは守られているからいいが、アメリカと敵対する国民には核兵器を使っても構わないというエゴになるのではないか。核の悲惨を世界に知らせ、核廃絶の願いを発信しつづけてきた日本国の政府としては、長年の国民の願いを裏切ることになる。つい先日、広島と長崎では、型通りとしても核の悲惨を訴えたのではなかったか。
 核の先制使用の可能性を残しておくことは、本来の抑止力とは違う「核の威力に頼る保安官」の立場に身を寄せることである。それは核の廃絶によって世界の未来を安全する思想とは真っ向から対立する。安倍首相は、その程度の認識も国民と共有していないことが明らかだ。

増田博一の戦記書画「画家が戦争を記録した」(本編・その17)

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いろんな競技があるものだ

(熊さん)リオのオリンピックもそろそろ終りが近いようだけど、テレビは相変わらずオリンピック一色ですね。
(ご隠居)そうだね、ニュースの時間になっても、見たばかりの中継放送がそのまま続いてるようなのが多いな。その他のニュースは、一行ずつの表にしてちょこっと説明してお終いなんてことが多いね。まるでオリンピック以外の世の中の動きが止まってるみたいだよ。夜になっても同様だから、つい寝ながら見てしまうこともある。錦織のテニスとか、卓球の試合とか、つい引き込まれると決着がつくまで見てしまうもんだね。それにしても、いろんな競技があるのに驚くよ。トランポリンとかバドミントンとか、子供の遊びだと思ってたら、ちゃんと世界一を争ってる人たちがいるんだね。
(熊)そりゃそうですよ。種目は多いんだから、それぞれの道の人たちは真剣ですよ。オリンピックに出ることで、その競技が人気になったりもするんだから。
(隠)それにしても、えっ、こんなのもあるの、って種目もあるから、ちょっと調べてみたんだ、そしたらやっぱり、オリンピックの競技種目は一貫して増えてきてる。1964年の東京オリンピックのときは19競技163種目だったのが、今年のリオデジャネイロでは28競技306種目に増えているんだね。参加する選手の数も東京オリンピックは5千人ほどだったのが、近年では1万人を超えているんだ。参加する国の数も、東京のときは93だったのが、今は200を超えて、今年は「難民選手団」なんてのも出来て話題になった。
(熊)競技種目の数が増えたってことは、それだけメダルの数が多くなったってことですよね。世界が平和でオリンピックで競争ができるんなら、いいことじゃないですか。
(隠)そりゃそうで、戦争なんかよりはずっといい。で、話の続きだが、最近増えた種目としては、こんなのが比較的に新しいんだ。トランポリン、ビーチバレー、マウンテンバイク、トライアスロンなんかだね。反対に、昔はあったけど今はない競技もあるんだよ。綱引き、ラグビー、リクケット、モーターボートなんてのがオリンピック種目だったこともあるそうだ。ま、時代によって人気のあるスポーツも変るだろうさ。これからも、いろんな新顔が出てくるんだろう。トランポリンを見ていたら、縄跳びもいいんじゃないかと思ったよ。個人だけじゃなくて、団体の種目も出来そうじゃないか。
(熊)早食い競争なんてのは、だめですかね。
(隠)そりゃ健康面で問題がありそうだな。でも、戦争よりいいのは確かだよ。4年後の東京オリンピックはどうなるんだろうね。わしはあまり賛成じゃないんだが、国際情勢が険悪になって中止なんてことにはならないで欲しいと思うよ。オリンピックが無駄な騒ぎであろうと、戦争するよりはずっといいからね。

増田博一の戦記書画「画家が戦争を記録した」(本編・その16)

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「回天」と「桜花」に見る特攻兵器の悲惨

 先の大戦の教訓として、日本人が後世に伝えるべきものに「特攻」がある。生還を期待しない戦法で技術力の不足を補おうとしたもので、敢闘精神さえあれば強敵にも勝てるという精神主義と通じ合っている。そこでは、戦争に勝つという国家目的のためには、命を惜しまないのが崇高なことだとされていた。「国家あっての民草だ」という思想が、その根底にある。国のために死ぬのならば、人の命などは「鴻毛のように軽い」ものだったのだ。
 中でも軍人は国のために「身命を捧げるのが本分」だから、戦況が不利になった敗戦直前の1年間ほどの間に、多くの特攻兵器が開発されて実用に供された。その典型例として、人間魚雷の「回天」と、人間爆弾「桜花」を見てみよう。「回天」は、魚雷に人間が乗って操縦することで命中率を飛躍的に高めるのを目的とし、最初の特攻兵器として発想された。「回天」の名は、天を回らせて戦運を逆転させる願望を込めている。
 大型の魚雷を改造して人間一人が乗れる空間を作り、簡素な潜望鏡とコンパスを備えて目標を追尾できるようにした。最初に実戦に用いられたのはパラオ方面のアメリカ海軍泊地への攻撃だった。3隻の潜水艦が各4艇の回天を積んで出撃したが、1艇だけが給油艦に命中し火災を起こさせて撃沈した。しかしわが方も潜水艦1隻を失い、停泊地への攻撃の難しさが感じられた。その後洋上での作戦が中心になったが、耐圧性の制約から回天を積んだ潜水艦は80メートル以上の深海には潜れないなどの弱点があり、母艦となる潜水艦もろともの犠牲が多くなった。結局、49艇の回天が発進して、駆逐艦以下の3隻撃沈、5隻撃破の戦果にとどまり、空母、戦艦などへの攻撃を成功させることはできなかった。
 「桜花」は自爆目的で製造された世界で唯一の航空機と言われる。1.5トンの爆薬を詰めた弾頭に翼と操縦席と補助エンジンをつけた文字通りの人間爆弾だった。実戦に投入されたのは回天よりも遅く、1945年の3月になった。桜花は一式陸攻の下に吊り下げて戦場まで運ばれ、高空で切り離されてから高速で敵艦隊に突入することになっていた。しかし第1回の出撃は、18機のすべてが待ち伏せする敵戦闘機に撃墜される悲劇に見舞われた。重荷を抱えて動きの鈍くなった攻撃機は、桜花を放出するひまもなく餌食になったのだった。
 この戦訓から以後の桜花攻撃は、薄暮や黎明時の少数機による出撃が主体となって、ある程度の戦果をあげるようになったが、当初の目的だった空母や戦艦に突入する機会はなかった。10次にわたる「桜花」の出撃で駆逐艦以下の1隻を撃沈、2隻を大破(修理不能で除籍)、4隻に損傷を与えたと記録されている。桜花での戦死者は55名だが、母機の搭乗員は365名が戦死した。
 冷静にこれらの記録を読むと、潜水艦や攻撃機を、こんな無理をせずに本来の任務に使っていた方が、むしろ役に立ったのではないかという疑問が湧いてくる。人命を捧げる極端な戦法なら勝てるかもしれないという、狂気に近い発想が当時の人々を支配したのではなかろうか。人命を粗末にすれば強くなれるという発想は転倒している。敗戦へと突き進んだ当時の日本軍は人間の尊厳に背を向けた。そこに巻き込まれた人々の悲惨を忘れてはならない。絶対に繰り返してはならない。

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増田博一の戦記書画「画家が戦争を記録した」(本編・その15)

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戦後はいつまで続くのか〜戦争だけはやっちゃダメ

 きょうの日経新聞の社説に、この見出しがあった。戦後71年と言えるのは、あの戦争が日本で最後になったからだ。新しい戦争が始まれば、戦後何年という呼び方は、たちまち消えてしまう。いつまでも戦後であるために、つまり、あの戦争を最後にして未来は永遠に平和であるために、私たちにできることを考えよう。
 戦争を肯定する人の理屈に「戸締まり論」というものがある。どの家でも夜寝るときは戸や窓にカギをかけるだろう。世の中には不心得者もいるのだから、侵入されないために用心するのは当然だというわけだ。それと同じように世界には「ならずもの」の国もあるのだから、国にも自衛権があって、軍隊を持つのは当然だという話に飛躍して行く。ところがここには、個人と国とを同列に置いて論じるトリックがある。世の中にはいろんな人がいて、事情によっては悪事に走ることもあるが、それは一つの国が丸ごとで「悪い国」になることと同じではない。軍備を持つほどの規模の国が、今の世界情勢の中で、政府も国民も一致して簡単に「邪悪な侵略国」に変身するわけがない。その前段階として、周辺国との間に何らかの外交的な問題を引き起こすに違いないのだ。その利害の対立や誤解、あるいは意識的に作り出される敵意によって、最後に外交の破綻として戦争に突入する。あるとすれば、そのパターンだろう。
 ところがいまの戦争はとても高くついて、どう考えても「採算のとれる戦争」はできそうもない。日本の現状を考えても、大都市や原発に1発のミサイルが着弾するだけでも、耐えがたい惨害になるだろう。71年間の平和が、日本の国土を「戦争を前提にしない造作」に作り上げているからだ。この事情は周辺の各国も同じようなものだろう。早い話が、どの国も「自衛のための戦争もしない方が被害は少なくて済む」状況なのだ。
 今月の3日には、北朝鮮が発射したミサイルが、日本海の日本の経済水域内に落下したというニュースがあった。そのときの議論で、日本には迎撃ミサイルもあるがその射程は短いし、予期しないミサイル発射に対しては対応できないのがわかったということだった。ミサイル防衛は金食い虫ではあっても、効果のほどは万全というわけには行かないのだ。
 核兵器を持ち出すまでもなく、通常のミサイルでも「使ったらおしまい」の兵器になりつつある。日本のロケット技術は優秀で、その気にさえなれば弾道ミサイルもすぐ作れるだろうが、ここは我慢して作らずにいるのがいい。戦争ほど悲惨で愚かで野蛮なものはなく、今や人類の敵なのだから。

 今日にふさわしい「96歳の遺言〜戦争だけはやっちゃダメ」というユーチューブがあるのでご紹介します。知っている方もおられるかも知れませんが、当ブログでは、たぶん初めての紹介です。「八十代万歳!」の中谷久子さんが、10年先輩の久米ぁ覆韻ぁ砲気鵑ら聞き書きした原稿を元に、ボランティアが集まって絵物語とし、中谷さんの朗読で2014年末に作品化したものです。43分ほどありますが、昔の東京下町の様子も含めて、戦争が庶民の暮らしをどのようにしたかを、生々しく伝えている名作です。
https://www.youtube.com/watch?v=rzv4kOt6-dI

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増田博一の戦記書画「画家が戦争を記録した」(本編・その14)

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髪の毛が黒くなってきた

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 なぜだかわからないのだが、今年になってから髪の毛が黒くなってきたような気がしていた。最初は気のせいだろうぐらいに思っていたが、家人もたしかにそうだという。ブログのプロフィールにも使っている10年ほど前の写真と同程度のように見える。その間ずっと変わらずにいたかといえば、そんなことはない。年相応に白くなってきたと思っていた。

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 現に4年ほど前と思われる写真をネットから引き出してみたら、そこそこ白くなっていて記憶とも一致する。やがて白髪の老人になるのだろうなと思っていた。
 ちなみに、頭髪のケアなどということを考えたことはない。学生時代に丸刈りから長髪に変えた10代に、週に一度は頭を洗い、濡れているうちに椿油を少量つけた櫛で形をつける習慣が身についた。油は大島へ行ったときに買った椿油に決めて、以来ずっと変らずにいる。もっとも、昔は月に一度は床屋で散髪すると、洗髪をして仕上げるから「整髪料は何にします?」と聞かれた。椿油は指定できなくて、「ポマードを薄く」などと適当にしていた。
 ここで髪が黒くなってきた理由はわからない。食生活も住環境も少しも変ってはいないのだ。今日になって無理やり考えたのは、「気苦労すると髪が白くなる」と言われることの、反対の現象なのかということだ。たしかに仕事上の責任が何もなくなった。「毎日が日曜日」がずっと続いている。仕事らしいものは毎日のブログ書きだが、これは上司のいない自由業で、外から受けるストレスがない。その環境に、ようやく適応してきたのではないだろうか。
 住み慣れた住居があり、よく知っている家族がいて、毎日の暮らしがある。その根本を支える仕事の責任は他人に任せて関与しなくなった。任された者の重荷はわかるが、もう任せたと決めたのだ。そうしたら、こんなに自由で豊かな日々を迎えることになった。いつか、玉手箱を開いたら、「たちまち太郎はおじいさん」になるのだろうか。

増田博一の戦記書画「画家が戦争を記録した」(本編・その13)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
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昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
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