志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

根性あった花火と雷

雷と花火2017鶴見川DHlZg2eUQAUALkl

 昨夜の雷雨は豪快だった。夜になってネットを見たら、いろいろな人が写真に撮っていた。また、昨晩は土曜日だったから、方々で花火大会が予定されていたらしい。この「鶴見川花火大会」もその一つで、天候を見ながら少し早めに打ち上げを始めてみたのだが、雷雨が激しくなったため、結局は中止となり、順延も延期もしないと決めたということだ。
 夏の終わりの花火には、「夏が行ってしまう」という一抹の淋しさがある。今年は太陽が出ないままの夏の終わりだから、その淋しさは一入(ひとしお)である。その代わりに雷雨が夏らしさを演出してくれたのは、よかった。
 夏の雷雨というと、昔々の話だが、大規模夏キャンプの記録撮影に行ったことを思い出す。ものすごい雷雨に見舞われて、3台のビデオカメラのうちの2台が、たちまち死んでしまた。電源ショートで現場修理は不能である。東京から予備カメラを送るなどの騒ぎになった。ところが翌日はカラリと晴れてイベントは大成功、記録ビデオも感動の名作になった。
 世の中、何があるかわからないものだ。迫りくる雷雨に立ち向かっているように見える花火は、健気である。

ブログ連歌(492)

9819 原爆忌 非核の願い 絶えざらん (みどり)
9820  絶対悪の 認識をこそ (建世)
9821 地位協定 自民の姿勢も知らず
9822  やっぱり官僚作文 読むのに限る (獣医さん)
9823? HIBAKKISYAの 気持ちも汲まず (獣医さん)
9823 核禁の 条約あれど 参加せず 
9824  言を左右の 被爆国とは (建世)
9825 核所有 核無所有も 我が意中 (みどり)
9826  核廃絶の 信念をこそ (建世)
9827 本マグロ 経(減)れば食べるの 止めりゃ良い (獣医さん)
9828  食べ続けたけりゃ 智恵を出したら (建世)
9829 マグロより 食糧自給 不安なり (みどり)
9830  明日を思わぬ 飽食の民 (建世) 
9831 長雨や こころも沈む 終戦日 (建世) 
9832  我が身はげまし 食物買出し (みどり)
9833 食うことが まずは大事と 挑戦す
9834  中身探しは 冷蔵庫から (建世)
9835 石垣の 碧き海辺に ディゴ散る
9836  駐屯地化を 拒む島人 (みどり)
9837 先島に 似合わぬものは 軍事基地 (建世)
9837B オスプレイ いつの間にやら 北の地へ (獣医さん)
9838  加速度つけて かさむ軍事費 (建世)

戦死者は黙っているから使いやすい

 「逝きし世の面影」ブログの主である「宗純」さんとのコメントのやりとりの中から、「戦死者は黙っているから使いやすい」というフレーズが浮かんできた。
 たとえば「さきの戦争で亡くなられた方々の、尊い犠牲の上に今の繁栄があることを忘れてはなりません。私たちは深い感謝の念とともに、先人たちの果たせなかった夢を引き継ぎ、新しい未来を作って行かなければならないのです。」といった言葉を最近も聞いたような気がするが、戦死者への追悼を口にしながら、新しい「戦争のできる国」への路線を整えて行くこともできるのだ。
 戦死者を「軍人として戦争で死んだ人たち」と定義すれば、少なくとも建前としては命令に従い、課せられた責務を果たすつもりで戦闘に参加した人たちが大半を占めるだろう。事前に覚悟の遺書を認(したた)めていた人もいるかもしれない。特攻隊員なら、全員がいっせいに遺書を書き、遺髪を添えて家族あての封筒に入れた。
 当時の日本人の男にとって、兵役につくことは逃れられない「義務」だった。だから志願の形をとった幹部候補生でも、非常に厳しく制限された中での選択の自由でしかなかった。そして軍隊に組み込まれた以上は、みんな一様に「作戦目的に使われる駒」の立場に置かれる。命令は絶対だから、無理でも理不尽でも拒否はできない。
 こうして戦争に行った者たちは、全員が死んでくれたら為政者はどんなにか楽だったことだろう。しかし特攻隊員の中からさえ、死なずに帰ってくる者がいた。玉砕したはずの部隊からも生存者が出た。生きて帰った者たちは戦争を批判する。上官も政府も間違っていたと言う。それが正解だから始末が悪い。運悪く戦場で死んでしまった者たちを、もし生き返らせることができたら、もっとすごい体験談をいくらでも語るだろうに、さぞ口惜しいことだろう。
 私は空想するのだが、靖国神社の上空に英霊たちが集まって、思いのたけを自由討論で話し始めたら、どんな情景になるのだろうか。もう上官と部下の区別もない。人数なら部隊長も参謀も、絶望的な少数派である。議論は何日間でも、日夜を通して続くだろう。英霊は補給がなくても腹が減らない。きっと激しい徹底的な議論になる。その内容を聞いてみたいが、それを聞くことが出来るのは、虚心に資料を読み、証言を注意深く聞くことのできた人の耳だけである。
 

夏の太陽に会いたかった

 長期の天気予報を探ってみて愕然とした。このあとも天候はぐずついたまま、8月の末まで行ってしまいそうなのだ。東京で8月に雨の連続の長さは40年ぶりとかいうことだが、夏らしくならずに終ってしまった夏の記憶は、過去にもないことはない。「今年は夏がありませんねぇ」などと会話したことを覚えている。
 以前にも書いたと思うが私は夏が好きだ。半袖のシャツ姿で、素足に下駄(最近は草履が多いが)を履いて歩く。左腕の手首に巻いた腕時計の跡が、くっきりと白く残るのが夏の証拠だった。秋になってその白さが薄れて行くのに、ひそかな淋しさを感じたものだ。
 そんな夏の記憶は、やはり若いころの箱根での山歩きに原点がある。いくら歩いても疲れを感じなかった。どこへでも自由に行けるという解放感があった。あの夏の一日が再現できるものなら、千万金を積んでもいいと思う。
 しかし、そんなことを言っても現実は変らない。昔は、太陽はしだいに燃え尽きて弱くなり、地球の生命は寒冷化によって絶滅すると信じられていた。ブライス先生は、冬の最初の寒い日に動物が異様に反応するのは、寒さでの死滅を予感するからだと言っていた。
 ところが今の科学的予想では、太陽はだんだん膨張し、周囲の惑星を呑み込んでしまうという見方が有力であるらしい。それと関係があるかどうか知らないが、当面の地球的課題は、温暖化の防止だと言われるようになってきた。いずれにしても、人類全体の生存期間を超えるような、スパンの長い話ではあるのだが。
 それよりも人間の課題は、今の文明社会を、戦争で壊してしまうかどうかという切迫した問題になってきた。核兵器が何発で人類を絶滅させられるかは、信頼できる計算で割り出すことができる。生存期間の予想よりも、絶滅の予測のほうが簡単なのだ。
 そんなことを、とりとめもなく考えているうちに、我ながらまとまりのない駄文になってきた。これ以上のボロを出さないように早く退散しよう。これもみんな、天気が悪いせいなのだ。
 

平和のために戦死した?

(熊さん)終戦記念日で、テレビでもいろんな番組がありましたね。
(ご隠居)ゆうべは、NHKスペシャル「戦慄のインパール」というのを見ていたよ。戦争の末期近くに、ビルマ(今のミャンマー)から印度に向けて進撃した無謀な作戦だったんだ。最初は3週間で終るつもりが、誤算つづきで雨季に入り、密林の中で補給が続かず、3万人の兵が「白骨街道」と呼ばれた進撃路の往復で死んでしまったんだ。参加した日本側3個師団の師団長が、3人そろって途中で解任されるという不祥事も起きた。根本の原因は、勝算もないのにムードに乗せられてしまった作戦の不備にあったんだね。この作戦には前から関心があったから、1993年に放送されたNHKのドキュメンタリー「責任なき戦場ビルマ・インパール」
http://www.youtubelist.sblo.jp/article/116032855.html(50分)
も思い出して、ユーチューブで見てしまったよ。前作には、イギリス側の映像資料も使われていて、作戦全体が客観的に描かれているように思った。
 昨夜の番組で印象的だったのは、日本側参謀の「5000人殺せば取れる」という言葉だった。これは、自軍から5000人の戦死者を出す予定で攻めるという意味なんだよ。
(熊)えーっ、殺すのは敵じゃなくて味方なんですか。
(隠)つまり兵隊を消耗品として使うのが指揮官や参謀の仕事だと思っているんだ。当時はそれが戦争というものだと考えてたんだね。のちに特攻隊を組織するようになるのも、この思想の延長だと思うよ。戦争に勝つことが最優先になると、人間の命は、どんどん小さくなって行くということだ。最後は「一億玉砕」まで言い出したんだが、国民がみんな死んで守る「国」には、何が残るんだろうね。
(熊)うーん、わかりませんね。そんなものは国じゃない。
(隠)終戦記念日には、いろんな鎮魂の行事があったが、「今の平和は、戦争で死んだ人たちのおかげです」みたいな言い方には、なにか抵抗を感じなかったかい。大事な人をなくした遺族には、それで少しは慰めになるかもしれないが、本当は生きていてくれた方が、ずっと良かったんじゃないだろうか。死者の鎮魂に意味があるとすれば、それは無用な死を招いた戦争という愚かな行為を繰り返さない教訓になるという、その一点だけだろう。それ以上の意味づけをして持ち上げて美化するのは、むしろ危険な印象操作のような気がするんだよ。
(熊)きのうの「全国戦没者追悼式」で、安倍首相の式辞と、天皇の「おことば」が対照的でしたね。首相の式辞がまさに「尊い犠牲への感謝」を強調してましたよ。天皇はひたすら、深い反省と平和への願いを述べていました。
(隠)わしは気が向かなくて放送は見なかったんだが、きょうの新聞で両方の全文が読めた。「戦死した兵隊さん」への感謝というと、子供のころによく聞かされた歌を思い出すよ。
 
 兵隊さんよありがとう
    (橋本善三郎・作詞)

肩をならべて兄さんと
今日も学校へ行けるのは
兵隊さんのおかげです
お国のために
お国のために戦った
兵隊さんのおかげです
(2番の歌詞で「傷ついた」になり、3番で「戦死した」になる)

(追記)
(隠)先日書いたオスプレイの記事が、出先に行って意外に盛り上がってたみたいだけど、あまり興味がないんで放っておいたよ。
(熊)そうですか、いろんな人がいますからね。

8月15日は、やはり忘れられない

 東京は夏が突然死んでしまったような、湿っぽい日になったが、72年前のきょうは、朝からよく晴れていた。正午に「重大な放送」があることは、前夜からラジオで知らされていた。どんな放送なのか、家の中でも話題になったが、手がかりは何もなかった。朝の新聞は配達されなかった。その前の数日間に、広島と長崎に「新型爆弾」が投下されたこと、ソ連が宣戦布告して敵対国になったことが知らされていた。「これはもう、どうにもならんな」と、元新聞記者の父も言っていた。
 そんな中での「重大放送」だから、「一億玉砕」の命令か「ポツダム宣言受諾」か、二つに一つの決断以外は考えられない。ポツダム宣言の内容は、すでに、ほぼ正確に公表されていて、そこには「降服は日本国民の奴隷化を意味しない」と書かれていた。じつはポツダム宣言は、日本政府にとっても寛大な内容と判断されて、おもに天皇制の存続についての問い合わせに手間取っていた。だから「受諾を前提に考慮中」との返信を送っていれば、アメリカによる原爆の投下も、ソ連の参戦も止められる可能性があった。しかし政府が国内向けの記者会見で「ポツダム宣言は黙殺する」と言ってしまったので、これが「考慮にも値しない拒絶」と受け取られ、原爆投下もソ連参戦も、この「日本の拒否回答」を理由として実行されたのだった。
 のちに「黙殺する」は「ノーコメント」のつもりだったと言い訳されるのだが、日本的な「建て前と本音の使い分け」は、外交には通用しなかった。決定的に重大な場面で、日本政府の官僚的発想が、大きな災難を招いたことになる。
 そんな経過での「陛下のお言葉」だから、「玉砕」でなく「降服」の告知であることは聞いてすぐわかり、そこに驚きはなかった。天皇の声というものを初めて聞いたから、妙に高音の、たどたどしい朗読だと思った。すぐに感じたのが、これで空襲がなくなる、家が焼けずに残ったという安心感だった。
 それでも、昨日まで「勝利の日まで」とがんばっていたのだから、多少の虚脱感はあった。夕方になって新聞が配達され、それは久しぶりの多ページで、第一面に「万世のため太平を開く」の文字があったと思う。記事には広島、長崎の惨状も、かなり詳しく報じられていた。それを見て、父が「悪いものを作りやがって」と言うのを聞いたとき、私は初めて涙を落した。
 しかし総じて家族は落ち着いていて、かつ明るかった。私はその翌日ぐらいに、久しぶりに門灯に電球を入れて点灯してみた。周囲が異様なほど明るくなり、父があわてて「おい、よせ」と止めた。それでも電球は、不自然にねじ切られていた。あの家は終戦を喜んでいると思われたようだ。
 アメリカ機の空襲は15日からピタリと止まり、以後は示威飛行へと移行したのは見事なほどだった。私たちの実感としては、日本はアメリカと戦い、アメリカにのみ負けたのだった。ソ連軍は終戦を無視して樺太を南下し、樺太での地上戦によって、ソ連軍の北海道上陸が阻止されたという経緯を、昨夜のテレビ番組で見た。私の実感の中にも、ソ連に降伏したという認識はない。

澤地久枝の「14歳(フォーティーン)」を読む

 澤地久枝の「14歳(フォーティーン)〜満州開拓村からの帰還」(集英社新書)を読んだ。著者の最新作だが、「青春と読書」内の連載(2014〜15年)をベースに加筆・修正したと奥付で紹介している。孫の年代に当る今どきの若者たちが、あまりにも何も知らないのに呆れたのが執筆の動機になったようだ。著者の14歳は、昭和19年から20年(1944〜45年)に当っている。私よりも3歳の年長だから、終戦をはさんだ当時の混乱ぶりと「軍国少女」としての感覚は実感できた。さらに内地ではなく、満洲の吉林で満鉄の社宅に住んでいたという環境が、独特の状況になっていて興味があった。
 文体はウエットなところがなく、要録を書き出すように乾いている。一人称は「私は」でなく「少女は」で通している。自分の経験したことも、客観的に描こうとしているのだと思った。敗戦でソ連兵が進駐して来たとき、少女は家に踏み込んできた兵士によるレイプの危機にさらされた。母親の決死の抵抗で辛うじて難を逃れるのだが、あのとき汚されていたら、自分の人生は全く違ったかもしれないと著者は述懐している。
 満州のソ連軍は長くはいなかった。大量の機械設備を解体して北へ運ぶのとともに撤退し、その後に中国兵が入ってきた。それは最初は共産軍だったが、やがて国民政府軍が支配者になった。ここで初めて邦人団は日本への「退去」を認められることになる。そこで著者も15歳になってから日本へ「帰還」できたのだった。それまでの間には、特権的な社宅生活から、不潔と寒さと飢えに苦しむ収容所生活への激変があった。身近な人との死別も経験した。それらを14歳から15歳の多感な時期に体験させられたのだ。
 それなのに今の15歳は本当に何も知らない。それでいて携帯とITさえあれば何でもわかって好きなものが手に入ると思っている。「なんという時代になってしまったのだろう」と著者は「あとがき」の中で書いている。だから「老いのつくりごとではない。少年に、わたしはもう一度話をする」というのだ。そして「この本を書いたことが、無意味にならないことに希望をつないで。」と閉じている。
 そこで私が思ったことがある。この本は、著者が希望したように、今の14〜15歳、つまり中高生にぜひ読んで欲しいと思うのだが、実際に読んでくれるだろうか。もし熱心な教師がいて夏休みの課題にでもしてくれたら、すばらしいと思うのだがどうだろうか。ちょっと難しそうな気がするのだ。私の年代だから、深い興味と納得を感じながら読むことができた。しかし戦争というものを、書物の知識としてさえろくに持っていない今の十代に、戦争に翻弄される家族の苦悩を、実感をもってわからせることが出来るだろうか。
 しかし一方では、原爆忌などで見られるように、戦争の惨害というものを、みごとに批判して平和を誓ってくれる子供たちもいる。あれはやはり、誰かの話を聞き、本も読んで考えた結果なのだろう。だから「語り部」は多いほうがいいのだ。いろいろな人が、それぞれの視点で覚えていることを残して行く。私たちはみんな、語り尽くせない物語を持っているのだから。

オスプレイは、みっともない飛行機だ



 オスプレイが話題になっているので、どんな飛行機かと少し調べてみたら、ちょっと意外なこともわかったので書いてみる。開発が始まったのは、なんと1980年代初頭だったというので、まずはその古さに驚いた。垂直に離着陸できるヘリコプータの長所と、水平飛行の速さとを、プロペラの回転軸を傾けることで達成しようと発想したもので、ヘリコプターのベル社が軍部の要請を受けて研究・開発に取り組んだという。
 原理的にすぐれた発想で実用性があるのなら、ふつうは次々に改良型が開発されて飛行機業界の新分野に成長する筈だが、オスプレイはそうはならず、いつまでもオスプレイだけの孤独なままで、新しい機種が増えることはなかった。ただし今は古くなっている大型ヘリの後継機として、高速輸送を担う次の主役に選ばれているらしい。しかし30年以上たっても新しい仲間が増えず、基本的に初期のままの姿でいるところに不安が残る。万全の安心感で選ばれたのではなく、他に選択肢のない無理が感じられるのだ。
 オスプレイの構造上の特徴は、水平飛行のための固定翼を備えているところにある。ところがこの固定翼が問題で、面積が小さくてエンジン故障時の滑空などには役立たない。プロペラも水平に向けたときは先に地面を叩いてしまうから軟着陸は不可能である。プロペラにはヘリコほどの大きさはないから、離着陸時の下降気流は高速・高温になり、騒音はすさまじい。そしてプロペラの空気抵抗により故障時にも安全に着地する能力を欠いている。
 これで軍用として役に立つのかと思うのだが、使用目的が「輸送機」だから、いいのだろう。それにしても、アイディア倒れのような「みっともない」飛行機だと思う。ちなみに「みっとみない」の語源は「見とうもない」だそうだ。見たくもない変な飛行機ということになる。開発段階で事故率が問題になったと伝えられたが、採用しようというのだから、それなりの理屈はあるのだろう。日本の自衛隊も導入を決めているという。その価格が一機100億円とかで、それが高いとか安いとか議論されているようだ。
 どっちにしても軍用と名がついたら価格は青天井になる。こんなものに税金を使ってほしくないのだが、せめてなるべく安く、なるべく少なく済ませてもらいたいものだ。

山歩きの思い出

 「山の日」の関連で、新聞にも山の話題がいくつか出ていたので、自分の少年期の山歩きを思い出した。父は箱根の仙石原村温泉荘、大涌谷の麓、湖尻の港を見下ろす丘の上に山荘を持っていた。おもに精神障害のある長兄のために、お手伝いさんつきで維持していたのだが、私はそれに便乗して、春夏の休暇などには、自由な長い時間を過ごした。
 当時「参謀本部の地図」と呼ばれていた5万分の1の地図を頼りにして見当をつけ、原則として全行程を徒歩で、あちこち歩いてみた。近所には知人も友人もなく、常に一人で行った。靴は次兄が復員で持ち帰った軍隊靴が気に入って愛用していた。皮革の表裏を逆に使い、内側が滑らかな合理的な造りだった。ザックを背負うことはなく、たいていは手ぶらで、遠距離の予定のときだけ、にぎり飯とガラス瓶の水を入れた小袋を手に持つ程度だった。(ペットボトルは、まだない)
 遠出では、湖尻から深良峠に上がり、外輪山を縦走して長尾峠を経て金時山の山頂まで行き、仙石原に下山して、そこから帰りだけバスに乗ったことがある。大涌谷から神山の山頂まで登り、そこから駒ケ岳山頂へ縦走して、元箱根から船で帰ったこともあった。どちらも、ほぼ丸一日かかる行程だった。
 そんな山歩きで我流で身につけた歩き方だったが、後年、NHKで山岳ロケに行ったとき、山のプロから「足の運び方がプロ並みですね」と言われたことがある。ただし基礎体力がないから、荷物を背負ったりしたら、まるでだめだと思う。しかし手ぶらの軽装でなら、山道の案内板にある所要時間の6割程度で歩ける自信は持っていた。
 だが、今にして思うと、独行での山歩きは、ものを考える時間でもあったのだ。中でもいちばん強かったのは「人恋しさ」だった。いま隣に、理想の恋人がいてくれたらと、何度思ったかわからない。あの長い孤独な山歩きは、結ばれるべき人と出会うための旅だったのか、本当にいま突然に思いついた。
 そう思ったら、急に世界が違って見えてくる。そこへ妻がお茶を運んできた。これは偶然なのだろうか。
 もう充分に、長い道を歩いたようなような気がする。孫たちもそろそろ学生時代を終ろうとしている。あの子たちは、一人で山道を歩きながら、ものを考えるような時間を持つことが出来たのだろうか。気にはなるけれど、もう本人に任せるしかないだろう。

 

梅林宏道の「在日米軍」(新版)を読む

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 岩波新書の1冊だが、この初版は15年前に出ていて、私は一度読んでいる。私がブログを始めるよりも前なので読書記録は残っていないが、内容はよく覚えている。平和運動のビデオを作っていた関係で参考資料にした。今回は「変貌する日米安保体制」という副題がついていた。
 なぜ日本にはアメリカ軍が駐留しているのか、これは少し考えると、かなり異様なことだ。平和条約で独立を回復した同じ日に、日本は日米安保条約を結んでアメリカ軍の駐留継続を認めたのだった。米ソの鋭い対立が続いていた世界情勢の中で、アメリカの庇護がなければ日本の安全は保てないと思われていた。その結果として、あまり実感の伴わない独立の回復となった。
 日米安保というと、何となく日米が友好関係にあることを示しているように思われるかもしれないが、これは純然たる軍事同盟なのだ。そして日本の自衛隊は、日米軍事同盟の一環として発足した経緯を忘れてはならない。だからアメリカ軍と対立的に行動することは想定されていない。装備も情報もアメリカ軍の仕様と共通である。
 こうして「元・占領軍」だった在日米軍は、そのまま同盟国軍として日本に駐留を続けることとなった。その目的は、もはや日本の防衛ではない。アメリカの世界戦略における前進基地であり、有事の場合の安全で効率よく、かつ安上がりな補給基地にもなっている。日本政府の「思いやり予算」は、アメリカ軍の世界戦略に、大きな貢献をしているのだ。
 本来なら、アメリカの同盟軍と位置づけられる日本の自衛隊は、もっと力強い友軍として世界で活躍すべきところだが、ここで日本の憲法が強力なブレーキになってくる。なにしろ自衛以外の武力行使ができないのだから、アメリカ軍を守って戦うこともできない。「日本の存立が脅かされる事態」を適用しようなどと、脱法的な苦労をしているところだ。
 しかし著者は、だから憲法を緩めようとは言わない。日本には日本にしかできない貢献の方法がある。それは非軍事的な手段による紛争の解消だと言うのだ。この分野だったら、日本はいくらでも国際貢献ができる。アメリカ軍の下で自衛隊が「半人前の協力」をするよりも、ずっと役に立つ働きができるだろう。
 

ドラマ「あんとき」を見て考えたこと

 昨深夜、長崎発のドキュメンタリードラマ「あんとき」を見ていた。「あんとき」とは、忘れられない日のことだ。長崎の人にとっては、それは72年前の8月9日になる。背中を真っ赤に焼かれて手当てを受ける場面が、アメリカ軍の研究用映像に残った少年は、88歳になった。「同じことを何度も話させられて、もう疲れた」と語っていた。しかしその人も、二度めに登場したときは、「被爆を感覚として覚えている人がいなくなって行く。知っている者が、やはり語り継がなければ」という趣旨のことを言っていた。
 このドラマの場合は、主人公は2歳で原爆を経験した被爆二世ということになっていた。だから放射能について、遺伝的影響についての意識から逃れることができない。だからこそ記憶を踏まえて前向きに生きて行かなければならないという構造になるのだが、当然ながらそういう直接的な経験を持つ人は周囲から少なくなって行く。「あんとき」が、直接に知っている「あの時」から、知識としての「その時」に変化して行くのだ。
 当り前のことだが、経験者は年を追って少なくなり、やがていなくなる。そのときに「原爆は、いけない」という思想は、知識として残された資料を通して伝える以外に、後世に残す方法がなくなるのだ。だが幸いにして現代では、証言者たちはライブの映像と音声を残すことができるようになった。この変化は大い。歴史の証言者たちは、あたかも生きて世にあるかのように語ることができるようになったのだ。
 そう思うと、今ならまだ間に合う証言者が、他にも大勢いそうな気がしてきた。その中には自分自身も含まれている。たとえば空を覆って落ちて来る焼夷弾の雨を下から眺めた経験は、それを投下したB29の乗員にはわからないだろう。東京の地図を広げて、どこからどこまで焼くと作戦を立てた司令官は、もっと高い安全な場所にいた。それらの人たちも、地上では実際にどんなことが起きたかを知るべきだったのだ。
 「あんとき」にどこにいたかによって、人が殺す側と殺される側とに分かれて立っていた。人が殺し合う戦争こそが、すべての間違いの根本だったのだ。そのことに、もう気づかなければいけない。自分が殺されたくなかったら、何の理由があろうとも、人を殺してもいいと思ってはならないのだ。

今朝の夢

 死んでしまった親友が夢に出てきた。
「お前もたまにはいいことを言う。いいことを言ったあとは少し黙ってろ。下手なことは言うな」だと。
「そうか、わかった」と思って目がさめた。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55595230.html

「核兵器は絶対悪」から「戦争は絶対悪」へ

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 8月の日本には、平和への祈りの風景がある。広島に原爆が落とされてから、すでに72年が経過した。直接の体験者たちは、すでに2世代以上過去の人になった。それでも語り継ぐ人たちがいて、世界から話を聞きに来る政府代表者が80人も集まったとのことだ。ここでは誰もが核兵器は二度と使われてはならないと言う。平和な未来をつくろうと言う。
 今年になって、世界はようやく「核兵器を使ってはならない」ことで合意した。核を持たない中小国が先頭に立って、国連の場で禁止の条約を採択させたのだ。ところがこの条約には、核を保有する大国は参加しないし、安倍政権下の日本も参加しなかった。そして参加しない国には、条約の効果は及ばない。
 その一方で、世界の大国は核兵器が使われないことを前提にして国づくりを進めている。大都市の社会インフラも生活空間も、核戦争から市民を守るようには作られていない。核兵器は手放せないと言いながらも、自国が核で攻められるとは思っていないのだ。それならなぜ核兵器が必要かというと、抑止力として必要という理屈が返ってくる。
 でも、これはおかしい。抑止力という考え方は、結局は、自分だけが武装して他を圧倒していれば安心だという「力による支配」に帰結するからだ。対等でない力関係は、安定的に長く続くことはできない。弱者は必死になって、一点でも勝てるようにと努力するから、いくら監視していても終りが見えないのだ。
 そうではなくて、ここは「核兵器が絶対悪」ならば、「戦争そのものが絶対悪」だという、単純明快な真実に立ち返るべきなのだ。戦争は人間の文明史とともに歩んできたが、その役割は20世紀までで終了した。どんな意味でも、戦争は人類の未来のために有益ではなくなったのだ。
 そのことに気づいた日本国の憲法は、やはり先進的だった。この憲法を「みっともない」と貶めようとする総理大臣は、それこそ「みっともない」存在と断ずるほかはない。

本日は臨時休業しました

ネット接続不調につき、臨時休業しています。過去記事には問題ありません。
なお、現在は正常化したようです。

ブログ連歌(491)

9799 あの安倍も 支持率低下に 打つ手なし 
9800  低姿勢にて 周囲うかがう (建世)
9801 二の土用 ウナギの高値 収まらず (みどり)
9802  その値も知らず 夕食は美味 (建世)
9803 森友に新たな資料 ここでも歪められ (獣医さん)
9804  ここ掘れワンワン 出てくるワンサカ (建世)
9805 閉会中審査 終わった途端に 籠池しょっ引かれ (獣医さん)
9806  尻尾切ったか アタマ隠したか (建世)
9807 辞任劇 悪玉ひとり 生き残り (みどり)
9808  言葉だけでは 任命責任 (建世)
9809 NHK 9時のトップは 清宮で (獣医さん)
9810  華の金曜 天下泰平 (建世) 
9811 北朝鮮 ミサイル浪費 いつ果てる (みどり)
9812  対米どう喝 いい度胸して (建世)
9813 日本潰すに ミサイルいらぬ 
9814  イナダの一人も いれば良い (獣医さん)
9815 稲田去り 不安要素が 一つ減る
9816  威儀を正して 離任式典 (建世) 
9817 改造を してもアノ顔 そのままで
9818  世の中変わる 気配は見えず (建世) 
9819 原爆忌 非核の願い 絶えざらん (みどり)
9820  絶対悪の 認識をこそ (建世)

進行していたのは政治の私物化だった

 内閣改造などの話題のかげに隠れてしまったが、森友・加計学園問題の解明を忘れてはならない。この問題は籠池夫妻の逮捕という形で幕引きが図られているが、この逮捕は「補助金適正化法」に違反する行為を、「詐欺罪」に仕立てた無理な立件だと、郷原信郎弁護士は述べている。
http://www.huffingtonpost.jp/nobuo-gohara/why-kagoike-arrest_b_17645492.html
 つまり問題にされたのは学園建設費にかかる公的補助金の不正受給だけであって、もっと大きな金額の「国有地の値引き払い下げ」は不問にされているというのだ。問題の国有地には、「ゴミが埋まっているのでその除去費用を控除する」などの名目で、大幅な減額が行われた。そこにはまた、学園の右翼的な性格と、そこに親和性を示す総理大臣夫人の顔が出てきたりする。もし順調に進んでいれば、関係者すべてが満足する結果が得られたことだろう。
 では、これが「事件」として注目されるようになったきっかけは何だったのか、ちょっと気になって調べてみた。すると1枚のポスターに行き当たった。

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 このポスターを街頭で見かけたのは、豊中市議の木村真(まこと)氏だった。靖国神社や教育勅語がでてくるポスターの構成から、特異な右翼思想の学校ができるのかと思い、その背景を調べてみる気になった。そして国有地が不自然な価格で払い下げられた事実をつかみ、それをビラ配りで訴えつづけて、新聞社が取り上げるまでに漕ぎつけたというのだ。
 もしこの告発がなかったら、国有地の払い下げが問題にされることはなく、籠池氏夫妻は「教育勅語」を尊ぶ奇特な教育事業家として首相夫妻の「お気に入り」に列せられ、安心して事業の拡大にまい進することができたに違いない。籠池氏としたら、すべて順調に行っていたのに、最後に自分だけが悪者にされて切られたという憤懣を隠すことができないだろう。
 つまり想定外の告発者さえ出てこなければ、国有地の値引き払い下げなどに興味を持つ者はいなかったろうし、国策?に適応した右翼教育小学校は無事に開校して、首相夫妻以下、すべての関係者が満足する結果になったに違いないと思われるのだ。もし批判がマスコミから出るにしても、朝日新聞が小学校教育の右傾化を憂える記事を書くぐらいのところだったろう。
 この問題に、もし「巨悪」があるとしたら、それは「政治の私物化」ということだろう。政治的な目的と、個人的な利益とが相乗するときは、世にも幸せな蜜月が出現するものだ。戦時中の軍部と、巨大工業の経営者の関係がそうだった。教育の世界にだって、それはあり得る。今回は不運にして夢破れたが、似たようなことは、形を変えてこれからも起こる可能性がある。



国家の破滅はどこから来るか

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 今朝の東京新聞は、2日に行われた福田康夫・元首相へのインタビュー記事をトップに持って来た。「国家の破滅に近づいている」という派手な見出しをつけている。同じ紙面では、明日3日に予定されている安倍内閣の改造人事を報じている。支持率の低下に悩む安倍内閣としては、改造を契機として人気の回復をはかりたいところだろう。マスコミの扱いなどを見ていると、総じて改造人事を話題にすることで、政権党に好意的な雰囲気を作っているように見える。
 そんな中での元首相の警告が異彩を放つのだが、発言の詳細を伝える記事はなく、第1面に掲載されたものがすべてだった。だがその中に「内閣人事局」についての発言がある。2014年に安倍内閣の下で発足したのだが、中央省庁の人事について、政権が「政治任用」を推進する制度である。つまり、時の政権が官僚に対する支配権を強化する仕組みで、政権の行政支配が徹底するのが長所だが、逆に言えば、政・官が癒着した独裁政治に陥る危険をはらんでいる。 この状態を福田氏は「自民党がつぶれる時は、役所も一緒につぶれる。自殺行為だ」と述べているのだ。
 さらに首相の政権運営については「競争相手がいなかっただけで、非常に恵まれている」とした上で、「そういう時に役人まで動員して政権維持に当らせてはいけない」とくぎを刺した」と続けている。これらの論旨をまとめると、今の日本の危機は、「安倍独裁」が完成形に近づきつつあるところから来ているのがわかる。それは日本の民主主義そのものが、存亡の危険にさらされていることを意味する。
 だからここで、内閣改造で支持率に多少の変動がある程度のことを論じても意味がないのだ。野党を連携させて「健全な野党」を作ろうなどと工作しても間に合うものではない。民主的だった筈の選挙制度の下でも、日本に独裁政権に近いものが出来上がってしまった事実を直視しなければならないのだ。だが、話はまだ終りではない。「自由な1票」は、すべての国民の手の中にあるのだから、有権者には、まだ巻き返しのチャンスがあることをも教えている。
 

薬を台車で運んできた

 東京警察病院の呼吸器科にかかっている診察日なので、午前中から行ってきました。病状にあまり変化はなく、出される薬にも変更はなかったのですが、次回は間を少し長くとって6週間とし、そこで肺のレントゲンも撮って、以後の方針を決めることになりました。
 いま飲んでいる薬には副作用があって、食欲の不振と倦怠感に悩まされているのですが、結核の治療としてこれは止められないとのことです。その代わりに栄養の補給として「エンシュア・H」という栄養剤が1日につき1本処方されており、これが飲みやすく、250mlで375キロカロリーと高栄養で、食事を補っている実感があります。本日はこれを42缶、調剤薬局から持ち帰ることになりました。1缶250mlですから、水分だけで4缶1キロの重さになります。それに缶とパッケージの重さが加わりますから、手軽にぶら下げて帰れる重さではなくなりました。
 幸いなのは自宅が病院からも薬局からも近いことで、一度帰宅して、撮影の仕事でよく使う台車を出動させました。薬局では「台車で薬を運ぶなんて、語り草ですね」と談笑しながらの運び出しになりました。幸いに、雨の降り出す前に終了できました。
 栄養剤の表示をよく読むと、口から食べられなくなった人のための経管剤としても使われるようです。これを直接に飲むのは、ぜいたくではないかとも感じるのですが、現在の体重は50キロを切って、49キロの線で一進一退している情況なのです。これ以上体重は減らしたくないと、担当医も言っていました。こんなふうに、崖っぷちでもがんばっている最近の私です。
 

宇宙ロケット時代の安全保障

 北朝鮮が28日深夜(29日早朝)に打ち上げたミサイルが、じつはアメリカ本土までも届くICBM(大陸間弾道弾)だったというので、思ったよりも大きなニュースになった。北朝鮮はすでに核兵器の開発に成功したと言っているので、これでアメリカに対抗できる戦力を備えることになったというわけだ。北朝鮮としたら少なからぬ資源と労力を費やしただろうが、安全保障のために最優先で取り組んだのだろう。
 同じ時期に、日本では民間のロケットが、初の宇宙開発をめざして発射の準備をしていた。こちらは純・平和目的だから何の問題もないのだが、宇宙空間にロケットを上げられるということは、地球上のどこにでもミサイルを撃てる能力と、技術的には近いところにあるに違いない。しかし日本では憲法上の原則もあるし、軍事目的でないことがわかっているので、どこの国からも問題にはされない。 
 ここからわかるのは、宇宙ロケット技術が、時代とともに、どこの国でもできる「ふつうの技術」になって行って、それは大陸間ミサイルと見分けがつかなくなるということだ。核兵器もそうだが、最初は圧倒的な新戦力として開発国が独占するのだが、やがては世界の技術水準が上がって特別なものでなくなってくる。そうすると威力の大きい兵器は、各国が話し合って、製造や管理についてのルールを決めなければならなくなるのだ。
 後発国が追ってくることを警戒して、一方的に開発を禁止し、従わなければ実力行使で破壊するというのは無理がある。北朝鮮がミサイル技術にこだわるのは、それがないと国の存立が脅かされると考えているのは確実である。生存権を主張する「対話」の一種と見てもいい。「対話」であるのなら、「言葉の対話」に持ち込む方が、ずっと早くて効率がいいだろう。日本が先に立って「制裁」を言い立てるなどは、策の「下」なるものに思われる。

(追記・あうんの呼吸)
 中嶋寛さんのブログによると、安倍内閣の支持率が下がると、北朝鮮がミサイルを発射して緊張感を作り、支持率を回復させるとのこと。これを安(安倍)・恩(正恩)で「あ・うん」の呼吸だというのだけれど、まさかね。
http://noraneko-kambei.blog.so-net.ne.jp/2017-07-07 

防衛大臣の辞任と深夜ミサイル

 防衛大臣が辞任して、とりあえず岸田・外務大臣が兼務することにしたら、ちょうどその深夜に北朝鮮がミサイルを発射した。深夜のミサイルというのは新基軸だが、ことさら防衛大臣の不在を狙ったということでもあるまい。遠距離へも届く能力があるが、わざと高い軌道で打ち上げて日本海の北部に落下させたようだ。
 政府は29日未明、つまり今日の早朝に国家安全保障会議(NSC)閣僚会合を首相官邸で開き、情報の収集と分析に当ったとのことだ。それによるとミサイルは28日午後11時42分ごろに発射され、40分間ほど飛行したというから、ちょうど日付をまたいで飛んだことになる。深夜に招集された岸田外相ほかの閣僚には、ご苦労なことだった。
 日本政府の対応としたら以上で一応完結するわけだが、ネットで情報を見ていたら、アメリカ軍のレーダーと、それに連動する自衛隊の警戒システムを通して、正確な情報はリアルタイムで入っていたらしい。常識で考えても、在日アメリカ軍や自衛隊の基地が、北朝鮮を含む仮想敵国からの奇襲攻撃に対して、無防備でいるわけがない。その備えは、防衛大臣の交代で混乱するような次元ではないだろう。ただし危険が切迫して実弾で迎撃をする命令には、文民の統制が効いていなければならない。それがないと「現場」の判断で「戦闘」が始まってしまう。
 北朝鮮は「在日アメリカ軍を標的にする」と公言している。それに対してアメリカ軍も先制攻撃を含めて対応すると応じている。しかし実際に「熱い戦争」を始めてしまったら破滅的な事態になることは、双方ともよく承知しているのだ。破局までの間には、いろいろな段階がある。
 これからも「北のミサイル」は発射されるかもしれないが、それは彼らが存在感を示すメッセージで、言わば「対話」の一部分なのだ。過剰に反応したら、相手を喜ばすことにしかならない。
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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