最初は、ごく個人的な余談です。私は今の天皇、当時の皇太子と、大学で同期でした。科が違うので同じ教室で授業を受けたのは教養課程の少しの科目だけでしたが、今も覚えている経験が一つあります。昼休みに同じクラスの女性たちとピンポンで遊んでいたとき、私が受け損なった球が、後ろへ流れました。そのとき、さっと球を拾って投げ返してくれた人がいました。顔を見たら、それが皇太子で、いつの間にか後ろで見ていたのでした。私は軽く会釈してプレイをつづけました。学生としては、皇族であろうと特別な目で見ないというのが、当時の学内の不文律だったように思います。
ところで、皇室典範の改定にからんで、女系の天皇を認めるかどうかが議論になっているようですが、日本の古来の歴史を考えれば、そもそも天照大神から始まり、漢書の卑弥呼の例もあるのですから、上代は母系制が強かったと推定されます。中国から文化と文字を輸入して、ついでに中国王朝の男系思想も移入したとき、語り部が伝えてきた歴史の中から、母系制の痕跡を意図的に排除して日本書紀を編纂した可能性が濃厚です。これは高群逸枝の研究でも明らかにされています。ですから天皇制に母系制が復活するのは、全く問題にならない当然のことです。それよりも現在問題にすべきなのは、皇位継承問題を、皇族を抜きにして決めていいのかということです。天皇に複数の子供がいれば、誰に位を継がせるかは、歴代天皇の大きな関心事であった筈で、事実、いろいろな継承が行われてきました。現代の常識で考えても、皇族にも病弱な人もいるでしょうし、名誉職に向く人、向かない人がいて当然です。皇族の範囲を国法で定めることはよしとしても、その中から誰を皇太子にするかは、現職の天皇を中心にした、皇族の合議で決めていいのではないでしょうか。また、皇族といえども、結婚に失敗したら、離婚の自由もあってしかるべきでしょう。
国の象徴となる大切な天皇家であるだけに、無理の少ない、万人が納得できる方法で、子孫繁栄していただきたいものだと思います。
ところで、皇室典範の改定にからんで、女系の天皇を認めるかどうかが議論になっているようですが、日本の古来の歴史を考えれば、そもそも天照大神から始まり、漢書の卑弥呼の例もあるのですから、上代は母系制が強かったと推定されます。中国から文化と文字を輸入して、ついでに中国王朝の男系思想も移入したとき、語り部が伝えてきた歴史の中から、母系制の痕跡を意図的に排除して日本書紀を編纂した可能性が濃厚です。これは高群逸枝の研究でも明らかにされています。ですから天皇制に母系制が復活するのは、全く問題にならない当然のことです。それよりも現在問題にすべきなのは、皇位継承問題を、皇族を抜きにして決めていいのかということです。天皇に複数の子供がいれば、誰に位を継がせるかは、歴代天皇の大きな関心事であった筈で、事実、いろいろな継承が行われてきました。現代の常識で考えても、皇族にも病弱な人もいるでしょうし、名誉職に向く人、向かない人がいて当然です。皇族の範囲を国法で定めることはよしとしても、その中から誰を皇太子にするかは、現職の天皇を中心にした、皇族の合議で決めていいのではないでしょうか。また、皇族といえども、結婚に失敗したら、離婚の自由もあってしかるべきでしょう。
国の象徴となる大切な天皇家であるだけに、無理の少ない、万人が納得できる方法で、子孫繁栄していただきたいものだと思います。