志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2006年01月

皇族にも人権がある

最初は、ごく個人的な余談です。私は今の天皇、当時の皇太子と、大学で同期でした。科が違うので同じ教室で授業を受けたのは教養課程の少しの科目だけでしたが、今も覚えている経験が一つあります。昼休みに同じクラスの女性たちとピンポンで遊んでいたとき、私が受け損なった球が、後ろへ流れました。そのとき、さっと球を拾って投げ返してくれた人がいました。顔を見たら、それが皇太子で、いつの間にか後ろで見ていたのでした。私は軽く会釈してプレイをつづけました。学生としては、皇族であろうと特別な目で見ないというのが、当時の学内の不文律だったように思います。
 ところで、皇室典範の改定にからんで、女系の天皇を認めるかどうかが議論になっているようですが、日本の古来の歴史を考えれば、そもそも天照大神から始まり、漢書の卑弥呼の例もあるのですから、上代は母系制が強かったと推定されます。中国から文化と文字を輸入して、ついでに中国王朝の男系思想も移入したとき、語り部が伝えてきた歴史の中から、母系制の痕跡を意図的に排除して日本書紀を編纂した可能性が濃厚です。これは高群逸枝の研究でも明らかにされています。ですから天皇制に母系制が復活するのは、全く問題にならない当然のことです。それよりも現在問題にすべきなのは、皇位継承問題を、皇族を抜きにして決めていいのかということです。天皇に複数の子供がいれば、誰に位を継がせるかは、歴代天皇の大きな関心事であった筈で、事実、いろいろな継承が行われてきました。現代の常識で考えても、皇族にも病弱な人もいるでしょうし、名誉職に向く人、向かない人がいて当然です。皇族の範囲を国法で定めることはよしとしても、その中から誰を皇太子にするかは、現職の天皇を中心にした、皇族の合議で決めていいのではないでしょうか。また、皇族といえども、結婚に失敗したら、離婚の自由もあってしかるべきでしょう。
 国の象徴となる大切な天皇家であるだけに、無理の少ない、万人が納得できる方法で、子孫繁栄していただきたいものだと思います。

暖房よりも冷房が難しい

寒がり屋の私にとって、冬の暖房ほど有り難いものはありません。日本の家屋の気密性がよくなって、暖房の主力が火鉢やこたつなどの「スポット暖房」から「全室暖房」へと変化したのは、昭和30年代からだったと思います。おかげで冬も着るものが薄くなり、風邪に対する抵抗力が弱くなったという実感があります。
 エネルギー効率から言うと、暖房は非常に単純です。たとえば電力は、どのように使おうと、最終的には熱となって部屋を暖めます。600ワットの電気ストーブの出す熱と、同じワット数の電灯でもテレビでも炊飯器でも電子レンジでも冷蔵庫でも、熱量はほとんど変りません。部屋の外へ逃げるのは、窓から外へ出る光や音などの微々たるものです。
 ところが冷房は大変です。部屋に導く冷気よりも、はるかに多くの熱量を外へ出さなければなりません。熱を変換して運ぶために、エネルギーを消費せざるをえないからです。だから冷房の普及で都市が熱くなるという皮肉な結果にもなります。このことは、当然ながら地球全体でも同じです。地球が寒冷化するのなら、熱源を作り出す方法を考えるだけでいいのですが、温暖化を防止するために熱を人工的に地球の外へ排出するというのは、人間の技術では、まず不可能でしょう。ロケットに熱を詰めて発射したところで、マンガのようなものです。せいぜい温暖化ガスの濃度を下げるしかありません。それには、やはり太陽光発電が有効のように思います。砂漠地帯の炎天下で発電すれば、電力を得ながら気温を下げて気候を温和化するという、一挙両得が可能です。原子力政策に費やす予算の一部を、こういう研究に使ってみてはどうでしょうか。

ブログ2カ月

このブログを始めてから、ほぼ2カ月になりました。いまだにブログの上手な使い方がわからず、もっぱら自分の制作ノートを兼ねた「意見広告」的に使っている状況です。しかし、自分の私的な日記を書くよりも、多少なりとも反応が感じられて、怠けずに続けるには適していると実感しています。少しずつですが、定期的に見に来てくださる方がおられるようなのも、励みになります。
 ただし、この plala Broach は、まだ無料の試験運用の期間中です。本格運用はこの春からと予告されています。そのためかどうかわかりませんが、このブログの記事は、今のところ一般の検索にはほとんど乗らないようです。私のパソコンは、必要最小限の機能以外は触れない主義ですから、リンクもトラックバックも、本当のところは意味も機能もわかっていません。もし、私の考えていることに多少とも興味をお持ちの方がおられましたら、応援していただけると有り難いです。また、コメントも、メールがわりの私信でも構いませんから、どうぞご利用ください。
 すでにお気づきと思いますが、私の興味の対象は、日に日に変転します。書き始める寸前に、それまで思いもしなかったテーマが浮かんだりします。その逆に、何とかこれを記事にしたいと、一日がかりで考え続けてから書くこともあります。これから少し多忙になる時期もあるかと思いますが、一日も休まないことを目標に書き続けますので、どうぞよろしくお願いいたします。

「国家の品格」の品格

以前に言及した「国家の品格」を書店で見かけたので、購入して読みました。非常に読みやすい、タメになる本でした。あえて現代に問題提起した警世の書で、新潮新書のヒット作であることは間違いありません。そういうすぐれた本であることを前提にして、私としては、読んでいて思うところがいくつかありました。
 まず、あまりにも明快に、読みやすく書かれ過ぎているように思いました。本を読むとき、時々は立ち止まって、書いてあることを反芻しながら、自分の考えと照らし合わせた方が印象が深くなることがありますが、この本には、そのような「余韻」が少ないように思いました。著者の信念が強いのは良いことですが、相手に考える時間を与えないと、押し付けに近くなります。
 自由と平等と民主主義は、神様の権威を借りた「まやかし」だというのですが、私は神様に言われなくても、なるべく自由でいたいし、誰からも差別されたくないし、どんなに優秀な指導者がいても、独裁者に指導されたくはありません。ただし、大衆は永久に成熟しないから、理想の民主主義が実現する筈がないというのは、私も全く同感です。民主主義は永久に未完成、人間も永久に未完成です。ただ一つの救いは、間違ったら直すことができる、指導者を取り替えることができる、ということです。それをシステムとして内蔵しているのが民主主義です。人間は経験を積み、智恵を蓄えた頃には生命の終りに近づいてしまいます。あとは経験の浅い若い人たちの世界ですから、何度でも同じような間違いをしでかすに違いないのです。しかし、よく本を読み、よく考えれば、少しずつは賢くなるでしょう。私が本を書き続けるのも、そのためです。
 余談ですが、「国家の品格」の著者の女性観はどうなっているのか、ちょっと気になりました。「武士道」と「もののあわれ」を再評価することも、大いに大事なことです。とてもいい本ですが、期待していた通りで、そして一言余計なことを言えば、期待したままの本でした。

「力がなければ道理は通らぬ」か

パレスチナの選挙で、武闘派のハマスが予想以上の大勝をしたとのことです。イスラエルとの話し合いによる共存は、ますます難しくなるでしょう。話してわかる相手ではないから、戦いをやめたら権利は侵される一方になる、というのがハマスの立場です。国際世論を無視し続けるイスラエルが相手では、話し合いに期待できないとするハマスに支持が集まるのも、止められない流れでしょう。
 国でも団体でも、人間集団の争いは、強い方が弱い方を徹底的に滅亡させて終るか、どこかで折り合いをつけて共存するかの、どちらかです。折り合いをつけて共存する場合は、力の強い方が譲歩の幅を大きくすると、平和共存がうまく行く場合が多いのですが、イスラエルの新しい指導者にそれを期待することができるでしょうか。ともかく、イスラエルとパレスチナの双方で指導者が交代するのですから、少しでも平和に近づく方向に進むよう祈るしかありません。
 久しぶりに今年の話題になっている賃上げも、人間集団の争いの一種です。ただし経営者が強いから社員を徹底的に滅亡させたのでは、会社が成り立ちませんから、平和共存が着地点であることは最初から見えています。しかしここに、今年はパート・派遣者の労働条件向上を、正社員を含めた組合全体の強い要求にしてほしいと思います。同一価値労働の同一賃金が守られなかったら、「働き方の多様化」も「人生設計の自由化」も成り立ちません。労働組合は「世直し」のために戦うことのできる集団だった筈です。正社員がパート社員のためにスト権を確立して要求したら、それだけでも大きなニュースになると思うのですが。
 関連する「パートの時間給は安過ぎる」という意見を、このブログの昨年12月19日に書いてあります。

人の心を動かす政治家がいた

消え残りの雪を踏んで歩いているうちに、一人の古い政治家の話を思い出しました。赤松常子といい、もとは戦前の総同盟の活動家で「繊維女工の母」と呼ばれた人です。寺の娘として育った仏教者でもありました。長野県岡谷の紡績女工の争議や、野田醤油争議の指導などもしています。兄は赤松克麿で「赤旗の歌」の作詞者でもある社会運動家でした。戦後は全繊同盟(現在のUIゼンセン同盟)の婦人部長となり、近江絹糸の争議などでも活躍しました。推されて参議院議員となり、芦田内閣で厚生省政務次官も勤めています。政治家としては、労働法制のほか、売春防止法の成立にも尽力しました。この人の、選挙のときのエピソードです。
 全国区の選挙ですから、遊説は過酷な旅の連続でした。第1回の参議院選挙は4月で、東北の山村で大雪に見舞われました。ようやく会場のお寺に到着したものの、村人は自宅の雪おろしが大変で出て来られる人がいません。定刻になっても、住職夫妻と世話役と、3人しかいませんでした。仕方がないから座談会にでもしましょうかという提案に、赤松常子は「せっかく来たのですから、ちゃんとお話しさせてください」と本堂の正面に立ち、3人を相手に、1時間あまりの堂々とした演説で思うところを述べたということです。その日はそれで終り、やがて投票日がきました。
 開票の結果は、その村から、想像を絶するほど多くの「赤松常子」の票が出たということです。住職の奥さんが会う人ごとに「赤松さんは立派な人だ」と語り、会場に行けなかった人たちは「行かなくて申し訳なかった」と思ったのでした。信念ある人の言動は人を動かすという、私の好きな話です。
 岡山県建部町にあるUIゼンセン同盟の教育センター「友愛の丘」には、いまも「赤松常子の庭」と名づけられた小園があります。

誰が国を変えるのか

労働団体の「連合」の仕事で、「増税反対街頭行動」の撮影取材に行って来ました。昼の大手町のビル街と、午後の浅草の雷門前と、夕方の新宿駅前で、それぞれ連合東京の人たちが実践部隊となり、1時間ほどの宣伝活動をしました。連合の高木会長の挨拶から始まって、菅直人など民主党の政治家の演説があり、それと平行して、小泉首相にハガキを書いて送る、自分の税金をパソコンで計算する、小泉人形をモグラ叩きする、大声で「金返せ」を叫ぶ音量を測定して景品を貰う、といった余興も入る構成でした。従来の、演説とビラ配りだけというパターンよりも一味変った、撮影して「絵になる」行動ではありました。通りかかった人たちの目を引くという効果も、もちろんあったと思います。しかし、一日がかりの行動で、心を動かされた人の数が、それほど多いとも思えませんでした。
 戦後しばらくの間、労働団体が主催する大衆行動は皇居前広場を埋めつくし、明日にも革命が起こりそうな迫力がありました。それは国会での「革新政党」の議席数にも連動していました。今は国民の不満をストレートに吸収する政党がなく、政治にも選挙にも無関心の人が増えてしまいました。それではみんな現状に満足しているのかというと、不安と不満は鬱積していて、時として、とんでもない反社会的な行動が突発したりします。要するに、政治や選挙で国が変えられるというイメージを、国民の多数が持てなくなっているのです。誰でも気がついている現代日本の問題点でありながら、これが解けないパズルです。しかし、解かなければなりません。
 何年かに一度の選挙の時にしか政治にかかわれないのでは、できることは限られてしまいます。毎日流れている、おびただしいニュースの中からでも、少しの時間を割けば、問題を拾い出すことはできます。道路公団が民営化された、その民営会社が、赤字確実の道路の建設を同じように続けるのでは、会計が不透明になるだけで終るでしょう。そのような「民営化」もあるのです。新聞の読み方、テレビの見方を、1日に15分ずつでも変えてみませんか。

厳冬と大雪いつまでか

予想に反した寒さと大雪で、地球温暖化の話題もしばらくは冷蔵されているようです。しかし解説をよく読むと、大雪の原因の一つに、日本海の海水温の上昇ということが挙げられていました。海水の蒸発量が多ければ、雪雲が発達して、大雪が降るというわけです。一時的な変動はあっても、地球全体としては温暖化に向かっていると考えた方がいいでしょう。今世紀の半ばごろには、本州の新潟や長野では、自然雪のスキー場は成り立たなくなる可能性があるという予想記事を読んだこともあります。
 世界的に、気象が荒れ模様になってきていると言われます。雨量は全体としては増えているのですが、集中豪雨になる場合が多く、水資源にならずに災害の原因になってしまいます。森林が伐採されて、陸地の保水力が落ちているのも、原因の一つとされています。それがわかっていても、植林はなかなか進みません。木を切るのは簡単ですが、木を植えて育てるのは、労力も時間も、比べものにならない大変な仕事なのです。経済優先では、そこまで手が回る筈がありません。
 世界の人口が百億人に達する21世紀後半から22世紀にかけての百年あまりが、人類の歴史にとって、いちばんつらい時代になるでしょう。化石燃料をほぼ使い尽くし、森林も極限まで伐採し尽くして、ようやく現在の生活水準を維持できるかどうか、というところではないでしょうか。水準を維持するとは、現在の先進国の生活水準を落とさずに、途上国の生活水準をなるべく引き上げて平均化するということです。そうしないと、世界の人口を、調和のとれた減少へと導くことができません。ですからこの百年間に限っては、核エネルギーの利用も、最小限は継続しなければならないことになりそうです。
 20世紀までの世界ならば、これほど人口移動の圧力が高まり、資源争奪の誘惑が強くなっているのですから、第3次、第4次の世界大戦が勃発しても不思議ではないのです。それが抑止されているのは、兵器があまりにも強力になり過ぎて使いにくくなったこと、経済がク゜ローバル化して資本が戦争を嫌うようになったこと、コミュニケーション手段の多様化で国民を戦争に向けて意思統一するのが難しくなったこと、などによるのでしょう。本当にここからが人間の知恵の出しどころです。どこから考えても、私は世界を統一する政治組織の成立が必要だと思います。「つらい百年」の先には、地球を永住できる星にして行く、長い安定期を迎えたいものです。

ドラマチックな21世紀

未来論は、これからしばらく時間をかけて再構成しますが、21世紀末についての劇的な部分を、現行の原稿に従って少しご紹介して、予告編とします。
 世界連邦は21世紀の中ごろに、アメリカの主導によって応急的に成立するのですが、21世紀後半には中国やインドが人口の上でも経済力の上でも、アメリカ・ヨーロッパをしのぐ実力をつけてきました。アラブ諸国を民主化して西欧の友好国にしようとする努力も、思うようには成果があがらず、結果として、アメリカ・ヨーロッパは主役の座を失う事態に直面することになりました。世界連邦の大統領も、非白人が当選するのが当り前になり、それが何期も続きました。こうなると、世界の現状に不満を感じる白人エリートたちの動向が最大の不安材料になります。各地で移民排斥のテロ活動などが頻発するようになりました。白人エリートには長年の知識と技術の蓄積があり、世界連邦政府の中にも強い人脈を持っているのですから、この人たちが本気でクーデターを計画すると、成功の確率は高いのです。
 ついに21世紀末に、最大級のクーデター計画が実行に移されました。テロ集団は世界連邦政府ビルに核爆弾を装着し、大統領以下の全閣僚と職員を人質にして、世界連邦の解体に等しい加盟各国の自治権回復を要求したのです。しかしテロ集団の要求が国際世論の同情を集めることはありませんでした。時代に逆行する危険な思想として糾弾され、テロ集団の孤立感は深まりました。1カ月にも及ぶ篭城と人質解放の交渉は、完全な行き詰まりとなり、外出中で拘束を免れていたアメリカ出身の副大統領は、ついに保安部隊の突入を決定したのです。これはテロ集団としても想定外の事態でした。
 結果は悲劇的でした。世界連邦ビルは消滅し、マンハッタン島の中心部は壊滅しました。死者は10万人以上と推定され、世界連邦の機能は長期にわたって停止しました。しかし、これが世界連邦を真の世界連邦に再生させる契機となりました。首都は日本のヒロシマに移転することとなり、核兵器の完全廃絶をはじめ、弾道ミサイル、潜水艦、固定翼航空機による爆撃などの軍事手段が、次々に非合法化されて行きました。こうして、長期安定化の入口となる22世紀を迎えるのです。

その名残れど

東京万世橋にある交通博物館がこの5月で閉館になり、さいたま市に移転するそうです。今、特別展示と、旧万世橋駅の遺構の公開をしているので見に行きました。今の博物館の場所はもとは万世橋駅で、最初は甲武鉄道の始発駅でした。国有になってからも中央線の始発駅で、東京駅が出来る以前は、西部に向けての東京の中央駅でした。新聞記者だった私の父は、その時代を知っていて、いい駅だったという話はよく聞かされていました。現在残っている遺構は、レンガ作りのアーチと、ホームへ上がる階段だけで、遺構と呼べるほど規模の大きいものできありませんが、今しか見られない珍しい風景でした。
 駅前の須田町交差点には、広瀬中佐の銅像が立っていました。日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬中佐と杉野兵曹長の像が、劇画の一場面のように作られていました。これは私もよく覚えています。閉塞作戦とは、港内のロシア艦隊を閉じ込めるために、古い商船を航路に沈めたのですが、このとき部下の一名が行方不明となり、部下を気づかう指揮官の退船が遅れて戦死したのでした。この話は小学唱歌の「広瀬中佐」となり、長く歌われました。この歌の最後は「旅順港外恨みぞ深き/軍神広瀬とその名残れど」となります。後の軍国主義時代なら問題にされそうな、哀惜の言葉で終っているのが印象的でした。銅像も、勇ましい一方ではなく、すっくと立つ広瀬中佐の足元に、錨の鎖を握る杉野兵曹長が片足を踏ん張ってにじり寄ろうとする姿で、師弟愛のようなものを感じさせる構成でした。これが戦後の軍国主義追放で撤去されてしまったのは淋しいと、一昨年に「よみがえる歌」のCDを発売したとき、情感こもる手紙を下さった老婦人がおられました。帰りがけに、銅像があったと思われる跡地に近いガソリンスタンドの主人に、「ここに広瀬中佐の銅像があったという話を聞いたことがありますか」と質問してみたのですが、「知りませんね」ということでした。
 万世橋駅も、広瀬中佐も、「親から聞いて知っている」世代が退場した後は、その名も忘れられて行くことでしょう。晩年を迎えたときの母の気持が、今にしてよくわかります。「心より汝(なれ)に深き惜別と感謝をこめて、さらば幸なれ!」と、最後の日記に書いてありました。

百年から一万年へ

「人類百世紀のために」について、相談に乗って貰った編集者から、一万年ではスケールが長すぎて現実感を失うのではないかという、もっともな指摘を受けました。私としては、人類の歴史を考える中から、一万年はほんの短い時間だと思うようになり、近年のあわただしい世の中の変化は、異常な例外的な現象ではないかという視点が生まれました。そこから百世紀の歴史を想像することになり、逆算して現代を考えるという経過を辿ったように思います。しかし常識で考えれば、一万年後の人類のことを考える人は、非常に少ないに違いありません。それよりも、私も感じているように、孫の行く先、せいぜい3世代百年を考えるくらいが人間の身の丈に合っているだろうと思います。
 現代を覆っている漠然とした不安と閉塞感、それは激しい変化が避けられないこととして迫ってくる予感と、その中で自分がどのような位置を占められるかが見通せない自信の無さから出てくるように思います。この中で、「これだけ押さえておけば大丈夫」という、人間の本質を再認識することから生まれる自信を、私は回復したかったのです。だからこその百世紀の中の21世紀の位置づけでした。しかし話を一挙に百世紀に持って行くことは、読者との接点を希薄にすることも事実でしょう。ですから一万年にこだわらずに、原稿を再構成してみようと思います。こうすれば3世代百年が安泰になる、その先に一万年がつながっていればよいのです。
 空想をもてあそぶつもりは、最初からありませんでした。歴史、哲学、宗教、科学、経済、政治、どの分野をとっても私は専門家ではありません。しかしどの分野にも興味を持ち、手当たり次第に本を読んできました。私にとっては、すべては人間にとってどういう意味があるのかが問題でした。そして、すべての知識が自分に与えた影響の集積が今の自分であることを実感しています。それが、1冊目の本を書いたときに、「知の統合」という作業であったことに気づいたのです。
 はじめに人間がありました。形ある発明品も、頭脳の中の思想も、すべて人間から生まれました。それどころではありません。山も川も森も海も、すべての動植物も地球も太陽系も、宇宙の全体も神も仏も、人間がいなければ存在しなかったのです。

虚業から実業へ

「実業」という、なぜか古めかしい感じの言葉があります。私が子供の頃の感覚では、「実業家」というと、何か世のため人のために役立つことをしている偉い人というイメージがありました。ライブドアをめぐる騒動を見ているうちに、最近は「実業家」という言葉を聞かなくなっていることに気がつきました。堀江貴文氏は注目される経営者ではありましたが、たしかにこの人を「実業家」と呼ぶのは、ふさわしくなかったろうと思います。その堀江氏も「一代の風雲児であった」と過去形で語られるようになったのですから、浮き沈みの激しさは驚くばかりです。
 いろいろなインタビューが流れる中で、私が気になったのは、株式交換で買収された会社の元社長が「ライブドアは経営内容にも顧客資料にも、ほとんど興味を示さなかった」と語っていたことでした。事業の内容つまり「実業」ではなくて、資本の時価総額を増やすことだけが目的だったように思われたのです。大きな事業をするために、まず資本を大きくすることを優先させたのかもしれませんが、このやり方では、「実業」とは異質の「虚業」と言うほかはありません。
 資本はそれ自体の力で増殖しようとする、その新しい抜け道を探り当てた人が、他に先がけて大きな利益を自分のものにします。ルールが出来る前に儲けてしまえばいいと、幹部が公言するような経営姿勢に対して、司直が厳しい目を向けるのは当然でした。
 今回の騒ぎで気の毒なのは、ライブドアの将来性に期待して株を買った個人投資家たちです。成長企業の株主になって、大儲けのお裾分けに預かろうとしたのでしょう。しかしその内容は、優良企業の配当に期待するよりも、株の値上がりを待って売り抜けようという皮算用が大部分だったろうと思います。株式市場が健全な資本の調達場から離れて、マネーゲームの舞台になって行くのは好ましくありません。早く取引高税を導入して、短期売買を抑制すべきです。

日本語の消滅する日

英語を世界語にしてはいけない理由、世界共通語にふさわしいのはエスペラントだけであることは、前に紹介した「おじいちゃんの書き置き」第10章でごらんください。世界連邦が成立し、単語の数を常用五千語、第二水準一万語に整理し、文法に一部改良を加えた「新・エスペラント」が採用された、21世紀後半以後の話です。
 エスペラントは世界共通の補助語であって、世界の自然言語の代替になるものではないことは、当初から明示されていました。にもかかわらず、発音も聞き取りも容易で、学びやすく正確な表現のできるエスペラントの魅力は圧倒的でした。21世紀の終り近くになると、アフリカ諸国から、エスペラントを母語として育った世代の出現が報告されるようになりました。ユネスコはエスペラントの中立性を犯す脅威になるとして、何度も警告を発しました。母語にする人たちがいると、慣用や方言の形で、自然言語のような「ゆらぎ」が生じてしまうからです。しかし、エスペラントの便利さに慣れた人たちを警告に従わせることはできませんでした。
 この現象は、22世紀に入ると日本でも始まりました。まず、知識人が著書を発表するときに、エスペラントで書き下ろす場合が多くなりました。新聞や雑誌がそれに続き、知識層の購読者を増やして行きました。ここで、日本語学習の難しさが、劇的な変化の後押しをすることになりました。エスペラントの普及とともに、伝統的日本語の学習能力の低下が、回復不可能なまでに進んでしまったのです。ついに22世紀の終り頃には、義務教育で伝統的日本語を全員に教える必要があるかどうかが、真剣に議論されるようになりました。この頃になると、世界連邦も、エスペラントが世界共通の自然言語に近いものになったことを、追認せざるを得なくなりました。そして世界の各民族言語によるすべての文献を、エスペラントでデータ・ベース化する事業を本格化させました。

これだけは伝えたい

今回は、全く個人的な話です。私は現在72歳、大学を卒業したのは50年前になります。友人には、そろそろ人生を終る人が出はじめて、年賀状の用意をしていたら訃報が届くようなこともあり、それが不思議でもなくなりました。生きているうちに、あの人に伝えておきたいことがあった、そんな思いが浮かぶと、今のうちにという決心がつく場合もあるようです。正月も過ぎた休日の晴れた午後に、そんな人からの電話が掛かってきました。卒業前後のあわただしかった日々、いろいろな選択肢があって、いろいろな事情に左右されながら、それぞれに進む道を選びました。
 後悔ではないのです。後悔しても取り返しがつかないことは、よく知っているのです。それでも話しておきたいことがありました。いまさら話しても何にもなりません。それでも話しておきたかった、その気持がわかります、私にも話しておきたかったことがありましたから。聞かせて貰ってよかった、と心から思いました。50年の時を飛ばしても、人と心を通わせることのできた感動は、人生に一粒の珠玉を加えます。
 今が幸せだと思うから、後悔はしないのです。22歳のとき、あらゆる人生の可能性がありました。その中から選んだ、たった一つの答えが今の私です。あり得たかもしれない無数の人生に、私は深い愛惜と感謝を送ることができるだけです。しかしそこからなぜか、人の役に立ちたいという、強い願望が湧き上ってきたのでした。

法治主義と放置主義

自衛隊の存在は憲法に違反するのではないかという問題は、当然ながら何度も裁判所で審理されました。地方裁判所の段階では、自衛隊は憲法上、存在を許されないとする判決も出されました。しかし最高裁判所では、それは高度な政治判断に属するとして、裁判所としての判断を示さず、それが判例となっています。同時に、自衛隊が合憲であるという判断も、出してはいません。平たく言えば、最高裁判所の判事も、国をひっくり返すような判決は出せなかった、ということです。
 日本は法治国家の筈ですが、「赤信号みんなで渡れば怖くない」を国全体で実行しているわけで、それを情けない、恥ずかしいと思う気持は、日本人全部のどこかにあると思います。私たちは「悪法も法である」と言って毒杯を仰いだソクラテスの行動に感激はしても、いざ自分のことになったら、悪法に従って死ぬのはバカらしいと思うに違いないのです。私もかつてはソクラテスのように行動するのが人間として正しい崇高なことで、それが出来ないのは人間の弱さだと思っていました。
 ところが今、人間とは何かを考え直すようになって、すべての根源は人間にあると思うようになりました。人の世を混乱させないために法律があるのなら、混乱を招くような法律の適用はしないで置くというのも、一つの見識とする考え方も、あり得るかもしれないのです。それよりも、永久に戦争を放棄するとした日本の憲法を、当面の辻褄合せのために変えてしまってはもったいないという思いが、私の気持の中では勝っています。みなさんは、どう思われるでしょうか。

「戦争の放棄」を放棄するのか

憲法第9条の、アメリカ側から示された原案は、戦争を永久に放棄する、戦力は保持しない、つまり完全な武装解除を求める簡単明瞭なものでした。これの第2項に「前項の目的を達するため」という文言を加えたのは、芦田均を長とする特別委員会でした。念のため全文を確認すると、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」「前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」というのが現行の日本国憲法です。憲法制定の議会で、吉田茂は「戦争は悪であるから、自衛のための戦争もしない」と明言しています。日本語の通常の解釈として、「前項の目的」が戦争の放棄全体を受けることは明らかです。「国際紛争を解決する手段」と狭く解釈すれば、自衛のための戦争は禁じていないというのは、日本語の常識に反する「曲解」に近いものと言わざるをえません。第1項の中だけで、自国が侵略を受けるのは国際紛争ではないと主張するのも、同様に無理があります。
 朝鮮戦争以後、アメリカは日本の再軍備を期待するようになりましたが、吉田茂は憲法を盾に、頑として応じませんでした。アメリカとしても、占領が継続中とは言え、出来たばかりの憲法を変えさせる露骨な干渉は不可能でした。そこで日本国内の治安は引き受けるという「警察予備隊」の創設で妥協をはかりました。これが現在につながる自衛隊の始まりです。日本の早期独立と引き換えに、吉田茂はアメリカとの同盟関係を選びました。それは必然的に日本の自衛力増強への圧力になりました。吉田茂自身も自衛軍の必要を認めていながら、国会では「実力はあるが戦力には当らない」と、無理を承知の答弁を押し通して任期を終りました。日本通のアメリカの政治家をも驚かせた「解釈改憲」は、こうして今に至っているのです。 

今にして「吉田茂」を読む

岩波新書の新刊「吉田茂」(原彬久)を読みました。解禁された機密資料を含む綿密な取材に基づく研究で、近頃流行のベストセラー狙いの軽い新書とは違って、中身の濃い労作です。今まで知らなかった多くの事実を教えられました。吉田茂は戦後の混乱のさなかに首相を引き受け、現在に至るまでの戦後日本の方向を決定した政治家とされています。占領軍司令官マッカーサーとのかけひきなど、時代背景は、まさに劇的と言うほかはありません。
 私が特に強い印象を受けたのは、昭和天皇が、一貫して強い戦争責任を自覚していたという記述でした。東京裁判の判決が下される前後には、退位を望む強い意志を持っていたということを、信頼できる証言で綴っています。日本の政治の安定のために天皇が必要と考えたマッカーサーと、「尊皇の政治家」だった吉田茂の判断が一致して、天皇に退位を思い止まるよう工作が行われたのでした。天皇が退位できたかもしれない最後の機会は、日本が独立を回復した昭和27年でした。このとき議会で「天皇が責任を明らかにすることで、古くて新しい皇室になる」と質問したのは中曽根康弘で、これを「国の安定を害する」と退けたのは吉田茂でした。さらに、天皇の意向で用意された戦争責任を謝罪する文言を、独立回復の「お言葉」から削除し、新日本の建設に邁進するとの「前向き」なものに改めたということです。
 私は、日本の歴史認識の不徹底の根本には、天皇の存在があると感じてきましたが、この本を読んで、天皇ご自身に高い倫理観があったことを知り、救われた思いがしました。しかし、それが外に現れなかったという点で、やはり、うらみが残ります。吉田茂の功績は、大勢を誤らなかったことにあると言われています。日米安保と天皇の安泰は、吉田茂によってもたらされました。しかし別な歴史から見れば、それは二つの大罪であったかもしれなかったのです。

靖国神社は墓ではない

小泉首相の靖国参拝問題が、いつまでも尾を引いているのは、みっともないと言うほかはありません。外国から言われる前に、国内できちんと解決しておくべき問題でした。戦没者を弔いたい、それが平和への誓いになる、そのことに反対する者は誰もいません。死者に鞭打たない、墓に入ればみな仏様だというのも、日本人の伝統的な心情ですから、言い訳をする必要もありません。それが死者を葬る墓前であるのなら、何も問題はないのです。問題の本質は、そこが神社だということです。
 国の統一を急いだ明治政府は、新体制を築くために戦死した人たちを顕彰するために、招魂社を建て、死んだ人たちを神として祭りました。それを引き継いだ靖国神社です。天皇のために戦死した軍人だけが神の仲間に入ることが出来、それが名誉なこととされて、国家神道の重要な一部分となりました。天皇の神格が否定された後も、靖国神社は宗教法人として存続を許されましたが、天皇の軍隊の戦死者を祭るという性格は変わりようがありません。そこに現職の首相が、国民を代表する肩書きで公式に参拝すれば、戦死者が天皇を守る神であったことを追認することになります。小泉首相には、そこまでの信念があるのでしょうか。多くの国民がそうであるように、何となく靖国神社が戦死者の墓苑であるような感覚でいるのではありませんか。それも悪いとは言いません。しかし、それならば全くの個人であることを明確にして、目立たぬように頭を下げに行けばよいのです。それこそ個人の心の問題です。公職にある者は、公私の区別を厳しくすべきだと思います。
 身内に戦死者のいる遺族にとって、靖国神社に神として祭られていることは、慰めでも誇りでもあるでしょう。しかし死者の霊は、それ以上に、なつかしい故郷の墓地で、安らかに眠りたいと思っていると私は思います。

中国脅威論の反対側

言語についての私の考え方は、前著「おじいちゃんの書き置き」(碧天舎・1300円)の第10章に概略がありますので、興味があってお急ぎの方は、そちらをごらんください。
 中国の昨年の貿易黒字が、日本を抜いたと新聞に出ました。経済大国としても、軍事大国としても力をつけてきているようです。そこから近頃は中国脅威論が取り上げられました。アメリカが現在進めている世界的な戦力の再編成は、有事に際して、世界のすべての地域で完勝することを目指しています。もちろん日本もその戦略に組み込まれていますから、在日米軍基地の機能は、拡充されることはあっても、削減はされません。仮想敵国は、北朝鮮と中国です。日米同盟側の完勝は、先方にとっては完敗ですから、軍備の拡張で対抗しようとします。これで世界が平和になるわけがありません。
 完勝を狙えば、一発のミサイルでも着弾させてはならないことになり、ミサイルをミサイルで撃ち落す防衛システムを、膨大な予算をかけても構築しなければならなくなります。その過程で、一発や二発のミサイルで国が滅びるわけがない、むしろミサイルを発射した国の方が深刻な制裁を受けるだろうから、そんなことをする筈がないという常識的な判断は、退けられてしまいます。
 中国のGDPは、通貨の実力に近い購買力平価で換算すると、ほぼ4倍にふくらんで、現在でも世界第2位になります。逆に、日本は8割ほどに縮んでしまいます。現在すでに中国は日本をはるかに超える経済大国になっていると考えた方がいいのです。日本が果たすべき役割は、地政学的に見ても、中国とアメリカを結ぶ橋渡し役がふさわしいと思わずにはいられません。歴史経過はあるにしても、いつまでも一方の同盟国になっているのはまずい、と思います。

世界一難しい日本語

世界にはいろいろな言語がありますが、いちばん難しいのは、おそらく日本語でしょう。外国語として日本語を学ぶ立場になってみてください。最初に覚えなければならない基本の文字が、ひらがなだけで50字、アルファベットの2倍もあります。濁点と半濁点を加えると5割増しになり、タカタカナを加えると、さらに倍加して150字近くになります。これらの字の形と発音を覚えても、まだほんの入口で、本格的な文章には漢字が加わり、その数は2000字に達します。漢字は字数が多いばかりでなく、場面によって読み方が何通りにも変化します。その変り方が、「日」をヒ、ビ、カ、ニチ、ニツ、ジツなどと変幻自在なのですから、悪魔の言葉だと嘆く人がいても、無理もありません。これほど難しい言語を日常に使っているのですから、私たちは語学の学習に、もっと自信を持っていいのです。日本語に比べたら、どんな外国語も幼児語のようなものです。
 それでは日本語は難しいばかりで長所は何もないのかというと、そんなことはありません。たとえば読み取りの速度で競争したら、日本語は断然世界のトップに立つでしょう。「ななめ読み」で飛ばしても、かなの間に散らばる漢字がキーワードの役目をするので、すばやく大意をつかむことができます。これは中国語でもできない芸当です。さらに、表現の種類が多彩です。「早くしてください」と「早急にお願い致します」は、ほとんど同じ意味でありながら、私たちは使うべき場面を区別することができます。その他ほとんどすべての場面で、私たちは和文系と漢文系の、少なくとも2種類の表現を使い分けることが可能です。それは日本語の「奥の深さ」であり、学ぶ難しさが与えてくれる、甘美な報酬でもあるのです。それを誇りと思う人が多ければ、日本語は将来も存続するでしょう。しかし重荷と思う人が多くなれば、いつかは「ふつうの言語」に変って行くかもしれないと、私は思います。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

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e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
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