志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2006年05月

英語教育と日本語の将来

小学校での英語教育の是非が論じられるようになりました。母語でない言語を小学校から教えようというのは、国際的に活躍できるバイリンガルを増やしたいという「時代の要請」に応えるためなのでしょう。それはよいことだとは思いますが、本当にやるのなら、「日本人は漢字から別れる」ことを視野に入れて、本気でやるべきだと思います。
 もしも家庭生活を度外視して、日本語と英語を同じ時間ずつ学習させたら、大半の子どもは英語の方を先に使いこなすようになるでしょう。このことに異論を唱える人は少ないと思います。そして日本語の難しさの中心に漢字の存在があります。それは中国人が漢字を覚えて使うのよりも、ずっと難しいのです。簡単な例として、日本には「あお」という色があります。これに相当する漢字は、私たちがよく知っているものだけでも「青・蒼・藍・碧」と並びます。「出藍の誉れ」で「青は藍より出でて藍よりも青し」などと言葉では言いますが、私たちにはその色がどう違うのか、具体的に思い描くことができません。しかし「青松」「青春」「蒼白」「藍綬」「碧玉」などと漢語にしてみると、何となく違いがわかってきます。でも「青い」と「蒼い」を使いわけてみたところで、日本語を正しく使ったことにはなりません。会話で聞いたら区別のしようがなく、要するに日本語には「あお」しかないからです。中国人なら青と蒼は別な意味を持つ言葉だから問題はないのですが、私たちは一つの日本語に複数の漢字を使いわけるという、じつに不思議な使い方をしているのです。
 この、世界一難しい言語を使いこなして私たちは独自の文化を築いてきました。それを民族の誇りと思う人は多いでしょうが、見方を変えれば、民族の重荷であることも事実なのです。大人になった後も日本語の奥の深さに際限がないのは、本来外国語である漢字の体系に踏み込まざるをえなくなるからです。民族の未来のために、いつかこの状態は清算すべきだと、私は思っています。
 だからといって私は、日本を英語圏の国にすることには賛成しません。国際共通語は、すべての民族言語に対して中立でなければならないと考えています。ですから英語を日本の準国語にしてみても、そこが国際共通語のゴールではないのです。なぜ英語を世界語にしてはいけないのかは、次回以後に続けます。

「庭の千草」という名歌

アイルランド民謡には多くの魅力的な歌がありますが、「庭の千草」はその中の一つで、かつ日本における音楽教育の歴史を象徴しているような歌です。周知のように明治期の音楽教育は西洋音楽の移入が中心で、多くの外国民謡に日本語の歌詞をつけたものが「文部省唱歌」として学校で教えられました。その歌詞は、当時の子どもたちに教えるのにふさわしいと思われた道徳観を反映しています。「庭の千草」の場合は里見義(さとみ・ただし)の作詞で、以下の通り、原詩のバラを白菊に変え、咲き残った姿を、人が節操を守ることの大切さに置き換えています。
 1.庭の千草も虫の音も 
   枯れて淋しくなりにけり
   ああ白菊 ああ白菊 
   ひとり遅れて咲きにけり
 2.露にたわむや菊の花 
   霜におごるや菊の花
   ああ あわれあわれ ああ白菊 
   人の操(みさお)も かくてこそ
 この歌のメロディーはアイルランドに伝わる民謡ですが、19世紀前半の詩人で民謡研究家のトーマス・ムーアによる歌詞で紹介されて有名になりました。土着の歌詞を採集して参考にしたかもしれませんが、詳細はわかりません。原詩は一つだけになった今年最後の薔薇の花に寄せて、限りない愛惜の気持と、自分自身の淋しい境遇への悲しみとを重ねています。最高音から静かな終末へと向かう旋律の美しさとともに、まさに「悲歌」「哀歌」の極致と呼びたい歌です。私は最後に「またくる春」を置きましたが、厭世の色濃い原詩にはそのような言葉はありません。しかし現世への絶望の深さを、私はそこに表現したつもりです。

    名残のばら(庭の千草の曲による)
               志村建世 訳詞

1.夏の終りに咲く名残のばらよ 
  花のさかりは過ぎ さびしい姿
  友は散りはてて残るはひとつ 
  ゆれてひそかに咲く 日暮れの庭に

2.ばらよ私のばら いとしい花よ 
  しばし別れ惜しみ心にきざむ
  やがて散るならば根元の土に 
  そこがおまえの里 生れたところ

3.いつか私もまた土へとかえる 
  友は遠くに去り のこるはひとり
  思いは同じか花のいのちよ 
  せめて夢みてあれ またくる春を

(追記・この新訳による歌唱は、ここで聞けます。原語歌詞も掲載してあります。)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/2008-06-24.html

ロンドンデリーの歌(2)

ロンドンデリーの歌で、比較的古くから知られていたらしい Would God I were the tender apple blossom.(りんごの花になりたい)の歌詞は「私はりんごの花びらになり、君の胸に触れて凋れて死んでも本望。りんごの実となり、女王のような君の手で冷酷にもぎ取られても本望。野辺のバラとなり、君の足に触れられれば本望。ヒナギクとなり、君の足に踏まれて死ねたら本望。」と、自虐的な「恨み節」とでも言いたくなるような激しい恋心で綴られています。どこの国でも古い歌謡の最大のテーマは恋愛ですが、英文学の古い歌謡には、男性が献身と変らぬ愛を誓う形のものが多いような気がします。吟遊詩人たちが歌った騎士道における「たてまえとしての純愛」にもつながる系譜があるのかもしれません。それに対して日本の万葉集には、女性が歌った恋の歌に、哀切な秀歌が多いように思います。
 しかし男女の区別なく、文学における恋愛の最大の特徴は、その圧倒的多数が失恋をテーマにしていることです。成就した恋は2人を幸せにして終ります。幸せな人は、幸せとは何であるかを考える必要がありません。恋とは何か、なぜ恋をしたのか、それを深刻に考えるのは恋が失われた時です。失われた後の残像として、あるべかりし恋の姿が、ありありと見えてくるからです。だから恋についてよく語ることができるのは失恋した人であり、幸せについてよく語ることができるのは不幸な人であり、平和についてよく語ることができるのは戦争をした人なのです。
 私の、もう一つの訳詞もご紹介します。ただし昨日のものを含めて、まだ決定稿ではありません。いつか自分の足でロンドンデリーを訪ねてみてからにしたいと思っています。
 
    ロンドンデリーの歌(花ならば)
             志村建世 訳詞

1.花ならば りんごの花よ ほころぴる その白さ
  そよかぜに身をひるがえし 君の胸ときめかす
  花散れば やがて色づく 赤い実を輝かせ
  君の行くみどりの道に 枝もたわわに みのる日を

2.野にあれば ばらのつぼみか 人知れず君を待つ
  小道ゆく君に会う日に くれないの花ひらく
  その後は野辺のひなぎく 草かげに身をひそめ
  命あるかぎり色よく 君の歩みを かざる花

ロンドンデリーの歌

私が若い頃からずっとこだわり続けているのが「ロンドンデリーの歌」です。原曲は北アイルランド地方に伝わる民謡で、「世界で最も美しい歌」「理想的な旋律」などと言う人も少なくありません。近くはプレスリーが「ダニー・ボーイ」の歌詞で歌ってヒットさせたこともあります。地下に葬られた後も君の足音はわかるから、きっと訪ねてくれというような、深い思いを込めた歌詞でした。日本では学校唱歌としても使われましたから「わが子よ いとしの汝(なれ)を 父君の形見とし(津川主一訳詞)」や「花咲ける波止場の町よ やさしの君しのびて(山崎義一訳詞)」などで歌ったことのある人もいることでしょう。訳詞でもいろいろな種類があるのは、伝わっている歌詞にもいろいろなバージョンがあるからです。中でも「りんごの花になって、あなたの通る道に咲きたい」というのが、比較的に古くからあったようです。
 この曲については、音楽の友社の「世界音楽全集」の中に門馬直衛氏による詳細な研究があります。ロンドンデリーは6世紀頃からある古い町で、単にデリーと呼ばれていたものが、イギリス人が入ってきてからロンドンデリーと呼ばれるようになったそうで、今はイギリス領ですが、現地の人にはロンドンをつけたくない気分が残っているようです。それはともかく、私はこの歌を、いつか自分の歌詞で、意中の歌手に歌って貰って録音しておきたいと思っているのです。原語の歌詞資料の中に、この町での若い日の恋の追憶をテーマにしたものがあって、私には、この曲想が、いちばんぴったり来るような気がします。私の歌詞をご紹介しましょう。
   
     ロンドンデリーの歌(遠い日の)
                 志村建世 訳詞

1.遠い日の夢か まことか 北の道たどり来て
  若い日の熱き思いを 踏みしめる石畳
  この坂は出会いの小道 かがやいたあの笑顔
  よみがえる昔のままに 思い出の町ロンドンデリーよ 

2.年を経てふたたび訪えば 小雨ふる港町
  海くらく人かげもなし あてもなく ひとり行く
  君に会う愛の奇跡が いま一度かなうなら
  命さえ惜しまぬものを 思い出の町ロンドンデリーよ

この歌詞での録音が、こちらにあります。

成仏できない旧民社党員

先日「民社党という政党があった」という記事を書いたとき、元民社党の教宣担当者で、私ともおつきあいの深かった荒木和博氏がブログを開いていることを知り、メールで連絡が取れました。荒木氏は、今は多彩な肩書きを持っている人ですが、特定失踪者問題調査会の代表として、北朝鮮拉致被害者が帰国した当時のテレビ報道にも、よく登場していました。昔から朝鮮の事情に精通している人でした。久しぶりに頂いたメールには「民社党は居心地が良すぎて、外へ打って出る勢いが足りなかったように思います」とありました。そして「私の周りも成仏できない者ばかりで、かくいう私も民社党の党員証を、今でもバッグに入れています」と打ち明けてくれました。そう言えば、私の知っている区会議員でも、民社党歴の長かった人は、未だに民主党には入らずにいると思い当りました。
 最近の話題になっている教育基本法の改正案でも、自民党と民主党のものを比べて見て、どちらがどう違うのか、はっきりした方向性は読み取れません。民主党の案には小沢一郎氏の意向が反映しているのでしょうが、基調としては自民党と大差はない、だから政権交代させても安心だというのが、民主党の支持率が少し向上した理由なのでしょうか。
 私が民社党の結党を知ったときは、この党は「民主的な手続きで社会主義を実現する政党」であるという認識でした。まさに「社会主義は民主主義を通じてのみ達成できる。また民主主義は社会主義を通じてのみ実現できる。」というフランクフルト宣言を体現するための政党だと理解したのです。そして民社党の経済政策は「計画経済の長所と自由経済の長所とをベストミックスした混合経済」を目指すと説明されていました。その内容は必ずしも具体的に示されてはいませんでしたが、今風の言葉で言えば「セーフティーネットを万全にした上での活力ある発展」ということになるでしょう。経済の自由な発展と暮らしの安全ということは自民党でも言いますが、重点の置き方が明らかに違うのです。そう考えると、自民党への対抗軸として、民主党があるからそこへ入ればいいじゃないかとは、簡単に言えなくなるのです。その意味でなら、私も成仏できない旧民社党支持者なのかもしれません。しかし、私は民主党の若手議員たちの正義感に期待しているし、今はそれを応援するのが、政治改革のための、ほとんど唯一の現実的な方法だと思っています。

自由落下の恐怖

小学生の少女がマンション8階から墜落して死亡した事件は、まだ原因が解明されていませんが、民放テレビで廊下の壁を乗り越える実験を放送していました。身長130センチの少女が、自分の目の位置より高い壁の外へ落ちる可能性があるのかどうかを検証するためです。結果は、廊下の幅を使って助走をつけた上で勢いよく跳び上がれば、上半身を壁の上に乗せることは可能ということでした。活発な女の子が、浮き浮きした遊びの気分で壁の上に乗ってみようとした、その勢いが余って上半身が外側へ傾いたら、とっさに止める方法がありません。重心が壁の外へ出た時点から、少女の体は一個の物体として、自由落下の加速度で20メートル下の地面へと落ちて行きます。
 夏目漱石の「夢十夜」の中に、船の舷側から身を投げる話があります。どうしても死なねばならぬわけがあった。考え直してみたが、やはり死なねばならぬ。そこで意を決して手摺の外へ身を躍らせた。その瞬間に、しまったと思った。死ぬのは止めようと思ったが、もう体は止まらない。自分は悔恨を抱きながら静かに海面へと近づいて行った、というような話でした。高い所から落ちる怖い夢を見るのは、人間が類人猿時代に木の上で生活していた時の記憶のせいだという説を聞いたことがあります。私は平衡感覚が自慢で、高校生のときには3階建て校舎の屋上の胸壁に乗って、幅20センチほどのところを平気で歩いたことがあります。友人に写真を撮ってもらったりして、いい気分でしたが、やはり落ちる夢は見ました。
 8階から20メートルを落ちる間に要する時間は何秒でしょうか。物理学に詳しい方は、計算して教えてください。楽しい気分から一転して「しまった」と思ってから後、少女の頭に浮かんだことは何だったのでしょう。「戦艦大和の最期」を書いた吉田満氏によると、沈没後の海中に引き込まれた渦の中で頭に浮かんだのは、私室に残してきた「羊羹が半分あった、サイダーも3分の1ほどあった」という他愛のないものだったということです。少女の場合は、部屋を出る直前に交わしたお姉ちゃんとの会話だったか、お母さんの声だったか、それとも学校の自分の机だったでしょうか。いずれにして、もう戻れない平和な生活の一場面だったのではないでしょうか。そして地面が近づきます。最後に浮かんだものは・・・・・母親の胸に抱かれていたときの安心・・・・・であって欲しいのです。
(追記)漱石の「夢十夜」第7話の内容は、ここに書いた部分よりも前半の方に重点がありました。興味のある方は原作をお読みください。
(追記2)重力加速度が毎秒毎秒9.8メートルですから、20メートルの落下は1.6秒ほどになりそうです。正確な計算のできる方は教えてください。

イラク新政府の多難な前途

難航していた内閣が成立して、懸案だったイラク人による新政府が正式に発足しました。復興への段取りが一つ進んだと祝いたいところですが、治安担当の閣僚さえも決まらずに首相が暫定的に兼務するなど、実態は完全独立とは程遠いようです。テロ攻撃は日常化して、首都のバグダッドでも市民がブロックごとに武装して自衛しているというのですから、戦争状態に近い日常が続いているのでしょう。独裁者を倒せば国民の活力が解放されて民主主義国家ができると予想したアメリカの期待は、完全に裏切られました。アメリカの理想像は、日本を屈服させて民主化した太平洋戦争での勝利という成功体験だったと言われますが、モザイク国家のイラクでは全く通用しませんでした。
 あらゆる災いを閉じ込めていたパンドラの箱を開いたとまで言われるアメリカの失敗は、自衛隊を派遣している日本にも災いをもたらしかねません。強権の下に抑えつけられていた民族意識は、束縛がなくなれば、まずは自意識強化の方向へ向かいます。ここ当分はイラク国というまとまりよりも、各民族や宗派の権利主張が強くなる傾向は止められないでしょう。そこへアメリカという憎まれ役が介入しているのですから、絶好の攻撃目標になるのは当然です。皮肉な見方をすれば、イラク国民を結束させられるかもしれない唯一の共通項は、アメリカへの反感かもしれません。
 イラクでは今後、クルド人地区とシーア派地区とスンニ派地区の3つに分裂する動きが出てきそうな気がします。本格的な内戦にでもなったら、イラクの統一を守るために、アメリカはもう本気で血を流す気にはなれないでしょう。統一した強力な反米国家ができるよりも、ベターな選択として分裂国家を容認する可能性は高いと思います。取り返しのつかない失敗というのは、個人の間にもありますが、国家の単位で行われた場合には、さらに大きな災厄をもたらす実例です。

モンテネグロの独立

ユーゴスラビアのモンテネグロで独立の可否を問う国民投票があり、独立賛成派が辛うじて所定の条件をクリアする得票を集めたということです。独立が実現すれば、旧ユーゴスラビアを構成していた6つの共和国はすべて独立して、ユーゴスラビアという国名は完全に消滅することになります。モンテネグロは福島県とほぼ同じ大きさで、人口は66万人といいますから、福島県の3分の1、日本の中都市一つ分の人口です。それでも独立国として国連に加盟すれば一票を行使できるし、独立派は民族の誇りが守られると満足なのでしょう。しかし記事をよく読むと、民族はセルビアと同じスラブ系で宗教も言語もほぼ同じというのですから、日本で言えば明治以前の東北人と九州人ほどの違いもなさそうです。私はこの地方の歴史背景などについては詳しい知識がありませんから、立ち入った評論をするつもりはありません。しかし一般論として、民族問題と民主主義について考えます。
 客観的にはどうであれ、現地の人に民族意識があるのなら、他の民族との融合は不可能です。そして多くの民族が無理に一つの主権の下にまとまろうとすれば、少数派は必ず多数決で負けてしまいます。民主主義は、自由な討論によって少数派が多数派を説得することもできるから機能するのですが、民族が前に出てしまえば、多数と少数との力関係は固定してしまいます。少数派が権利を守ろうとすれば、独立するしかなくなるのは自然の成り行きでしょう。これはどこのモザイク状の国家についても同じことです。では、民族単位に限りなく分裂する以外に方法はないのでしょうか。
 多民族が平和的に共存できる方法はただ一つ、民族意識を前面に出さないことです。人間は、民族意識だけで生きているわけではありません。もっと多くの部分、たとえば家庭的幸福とか安定した職業とか文化へのあこがれとかで、他の民族とも共通する価値観を持っているものです。そうした価値観さえ共有していれば、民族の違いは意識しないでいることができます。その雰囲気の中でなら、民主主義は正常に機能するのです。互いの相違点を強調するのではなく、互いの共通点を見出して、共通の価値観のために協力し合うこと、それが多民族が共存できる条件です。その原則は、世界の平和と国家との関係でも同じことです。

人間の「欲」と向き合う

おぼろげながら固まりつつある私の「統一理論」の中心に、人間の「欲」があります。犯罪・戦争と平和の問題についても、資本と労働の問題についても、文化と環境の問題についても、共通のキーワードとして人間の「欲」が横たわっていると思っています。
 卑近な例として、最近ますます激しくなっている迷惑ピンク・メールの問題があります。必要なメールの数と比較にならない多数のメールが着信して、毎日まめに削除しても、一向に減りません。中には着信拒否の連絡先を表示したものまでありますが、下手に反応しない方がいいという助言を貰ったことがあるので、ひたすら削除で防戦しています。削除のときに、いやでも内容の一部が読めてしまいますが、大半は女性から男性への誘いという形をとっています。どんな罠を仕掛けてあるのか、およその見当はつきますが、同じようなものを繰り返して見せられているうちに、つい本当らしく思ってしまう人が、いないとも限りません。もしも全く効果がないのなら、これほど多数が継続的に存在すること自体が不思議な気もしてきます。
 よく言われることですが、結婚するまでは性は女性から男性へのサービスであっても、結婚すると男性から女性へのサービスへと逆転するということがあります。本当の性の強者は女性だということを、多くの男性は経験的に知っています。大半の艶笑小話が、女性の方が性欲が強いという文脈で出来上がっているのは、そのためです。それはまた、男性にとって都合のよい、あこがれの世界でもあるのです。しかし当然ながら、それはセクハラから犯罪への入口にもなります。
 人間にとって性が本質的に悪いものであるわけがありません。それでも性の表現に対してさまざまな規制があるのは、性があまりにも魅力的であり過ぎて、時として暴力的でさえあるからです。刑法の公然わいせつ罪の判例には「性について羞恥心を刺激し嫌悪の情をもよおさせる」とありますが、自分から近づくときには羞恥も嫌悪もありません。犯罪になるのは、それを望まない人に、望まない時に、強制する場合です。さらに無関心でいる人に、ことさらに性的な刺激を送ることは、その効果が強いだけに、犯罪に近い迷惑行為ではないかと私は思います。
 色と金がからんだ犯罪は、おそらく人間の歴史と共に不滅でしょうが、インターネットがその道具として使われることを、なんとかもう少し抑制する方法はないものでしょうか。

無目的殺人の不気味

小学生の受難が続いて、命を奪われる事件が後を絶ちません。なぜ殺されなければならなかったのか、その理由がわからないだけに、不気味さと、理不尽さが際立っています。狙われるほどの財産を持っているのでもなく、恨まれるほどの人生経験があるわけでもなく、それでも狙われて殺されるのは何故か、犠牲者の親は考えても考えても答えを得られずに苦しむばかりでしょう。その胸中は察するに余りあります。
 子どもが狙われて殺されるのは、本人に理由がある場合は少ないでしょう。理由のない殺人の対象に選ばれる理由はおそらく単純で、殺しやすいという、ただそれだけのことではないでしょうか。そこから浮かぶのは、何かの目的があっての殺人ではなく、殺すというそのことだけが目的になることの恐ろしさです。もともと理由がないのであれば、事前の対策が非常に難しくなり、事後の捜査も困難が多くなります。この種の犯罪から子どもを完全に守ろうとしたら、24時間の警護を毎日つづけなければなりません。監視カメラを完備して犯罪者を確実に特定できるようにしても、捕まることをあまり気にせずに犯行に走る確信犯に対しては無力です。
 最近の児童殺害事件について、「人間のすることじゃない」という周辺の人たちの感想が新聞に出ていました。気持はわかりますが、たしかに人間のした犯行なのです。ある人間は、ある状況では、こういうことをするという事実から見直さなければ、実りのある対策を考えることはできないでしょう。子どもの受難は「神かくし」「人さらい」の時代からもありました。人間の中から「人間のすることではない」ことをしてしまう変異した個体が、時に出現するのはなぜか。遺伝的素質と、育った環境と、最近に周囲から受けた刺激との関係はどうなのか。それらを解明して、少なくとも再犯者、常習者を出さないようにすることが対策の第一歩でしょう。人間の本質の中にある犯罪性から目をそむけてはならないと思います。私の考えでは、それは多分、人間が生きるために必要とする「欲」から出てくるのです。
 もしよろしかったら、このブログの2月24日に出ている「人間の光と影」をごらんください。私の考え方を、詩の形にしてみました。
 

銃社会ブラジルの悲劇

1週間ほど前のことになりますが、ブラジルで治安が悪化して、警察が組織的に襲撃されているというニュースがありました。市民が巻き添えで射殺されたり、首都サンパウロも無法地帯になりつつあるということでした。これを聞いて、悪い予感が当ったと思いました。昨年10月に、銃の市販を禁止する法案が、国民投票で否決されたことを思い出したからです。
 当時あまり大きなニュースではありませんでしたが、世界一の銃犯罪国家の汚名を返上する切り札として、ブラジル政府は銃と弾薬の販売の禁止を、国民投票として提案しました。事前の世論調査では76パーセントが禁止に賛成で、可決は確実と見られていたようです。しかし反対派は「銃の規制は犯罪者を喜ばすだけだ」と猛烈なキヤンペーンを展開し、国民の不安をかきたてることに成功して、結局は3分の2の多数で法案は否決されたという続報が出ました。
 同じような経過は、アメリカでも何度も繰り返されています。私はこれでは銃犯罪が減るわけはないと思いました。市民が銃で武装すれば、犯罪者はあきらめるのではなくて、さらに強力な武器を用意して、遠慮なく発砲するに違いないのです。それがわかっていても、市民が武装を選ぶのは、公的な治安が信用できないからですが、これでは悪循環を止めることができません。治安の確保こそが大事なのですが、それには社会全体の武器の総量は、少ない方がよいに決まっています。国民投票に任せるよりも、国の指導力で銃の規制をすべきではなかったかと思いました。
 この問題は、国家間の軍備と同じことになります。個人であれ家族であれ民族であれ国家であれ、人間または人間集団が無制限な主権を行使すれば、必ず紛争または戦争が発生します。紛争や戦争を抑止するただ一つの方法は、構成員を、より大きな主権の下に服させることです。これは平和理論の根本で、1945年にアメリカで出版されたエメリー・リーブスの「平和の解剖」で提唱されました。家族は家庭の秩序に服し、集団・部族・民族は国家の秩序に服するなら、平和は保たれます。ですから世界から戦争をなくす唯一の方法は、国家の上に立つ主権を樹立することであると結論づけられ、これが世界連邦構想の基盤になりました。銃社会を公認するのは、軍備の「抑止論」と同じことです。銃を規制している日本は、世界の軍備を規制する道へ進むべきです。

産科医不足どうして

最近の新聞で産婦人科医が不足していると知り、意外に思いました。というのは、私はずっと、医者の中でも産婦人科医は、いちばん恵まれていると思い込んでいたからです。あらゆる診療科の中で、産科は、病人でない人を扱う唯一の科です。健康な人の健康な生理現象をケアするのですから、産科に来る人を患者とは言わないのではないでしょうか。自分の二人の娘の誕生を見届けた経験からも、産科の医者というのは、健康な人を健康なまま送り返して感謝される、いい仕事をする人たちだと感じていました。
 私の母は7人の子を生みましたが、もちろんすべて自宅で、産婆さん(今の言葉では助産師)の助けを借りて生みました。母は「生い立ちの記録」という記録簿を残してくれましたが、それによると、陣痛が来てから産婆さんに来てもらって、私の場合は7回目ですから何の心配もなく、いつものように軽く済んだと書いています。私の妻の出産のときは、地元の産科医院で診察を受けていて、陣痛が来てから医院へ行って、その夜のうちに出産しました。二人目のときは、たまたま分娩ラッシュで、控え室にシートを敷いて分娩が始まってしまいました。やや難産だったこともあり、私も手伝いに参加して、貴重な経験をすることができました。私の娘たちの出産は合計3人でしたが、一人は近所の産科医院、あとの二人は病院に入院しての出産になりました。最近は入院しての出産が常識になっているようで、日本の乳児死亡率は世界最低になっているのですから、よい傾向なのでしょう。
 産科医が敬遠される理由は、勤務時間が不規則なことと、事故の場合に高額の訴訟を起こされがちなことだそうです。訴訟の問題は保険などの対策を考える必要がありそうですが、勤務時間の不規則性は、産科の特殊性として、それを前提にした職業と思うしかないでしょう。それでもなお、生命誕生の介添え人になる産科医は、すばらしい職業だと私は思っています。医学生の人たち、とくに女性の人たちに、積極的に産科医をめざして貰いたいものです。そして自ら結婚、出産しても医師を続ける、経産婦の産科医が増えたら、産科にかかる女性たちの安心感は、さらに高まるに違いないと思います。

若者の時間と老人の時間

昨日の誕生日で、私は満73歳になりました。どこから見ても、もう立派な老人の仲間です。自覚的には少しも老化した実感はないのですが、半年ほど前に、公園の鉄棒で孫に逆上がりをやって見せようとしたら、体が上がらなくて愕然としました。運動神経は昔のままでも、それに見合う筋力が失われていたのでした。年をとるとはこういうことなのかと実感しました。
 しかし10年ほど前から、私は年をとるということを、あまり気にしなくなりました。年齢が高くなるにつれて、1年の重みがどんどん軽くなることに気がついたからです。10歳の子どもが11歳になるのは、かけがえのない1年かもしれませんが、72歳が73歳になるのは、何ということもないのです。去年のことは昨日のことのようで、3年ほど前だと思うことは、よく調べると5年以上も前のことだったりします。10年前のことは、20年、30年前のことと、ほとんど同じ記憶の場所に入っています。
 「若いときは1日が短く、1年が長い。老人の1日は長く、1年は短い。」というのは、非常によく当っている真実です。私も働き盛りで仕事に夢中になっていた時期、夕方にやや落ち着いて1日のことを思い出したときに、その日の朝のことが、1週間も10日も前のことのように感じられて驚いた経験があります。いろいろなことが詰まっている時間は、その時には忙しくて時間が早く過ぎてしまっても、後から思い出すと、時間が引き延ばされて感じられるのです。逆にヒマつぶしで終った1日は、その時は退屈で時間がゆっくりしか進みませんが、中身がないから、思い出すと時間が縮まってしまうのです。ですから時間の伸び縮みは、実際の年齢というよりも、生活の内容に左右されると言うこともできるでしょう。若いときでも沈滞していた時期には、思い出すことが少ないように感じます。私も昨年7月に「おじいちゃんの書き置き」を出版してからの10ヶ月間は、ずいぶん長かったように感じていますから、精神的に少し若返ったということは言えるかもしれません。
 だから年をとっても好奇心を失わずに、いろいろなことをしてみようと思えば、それでめでたい結論になるのですが、それほど勤勉でいるのも疲れるかもしれません。このブログもとりあえずは千日位は毎日更新を続けようと思っているのですが、どうなるでしょうか。毎日が何気なく過ぎて行く「平穏なマンネリ」の中に抱かれるのも、悪くないかなと思っています。

統一理論への再挑戦(2)

貨幣およびその集積である資本を人間の道具と考えると、「資本はそれ自体の力学で自己増殖する」というのは、明らかに誤りです。「人間は資本を支配下に置くと、それをさらに増殖させたいという欲望に動かされることが多い」というのが正解になります。そして、現に大きな資産を所有しながら、あえて増殖を図らない人も大勢いるのですから、この方がよほど実際に近いように思われます。あらゆる機会をとらえて、違法でさえなければ、あるいは違法であっても罰を受ける恐れさえなければ、金儲けをしたいと思っている人は多いでしょうが、それがすべてではもちろんないし、それを仕方ないこととして受け入れなければならない理由も、私はないと思います。だからといって、人間の倫理性を高めれば、たちどころに資本が理想的な道具になるというほど、単純なものではないでしょう。そこには、資本の動き方と人間の心理に対する深い洞察と、豊富なデータに基づく精密な分析が必要な筈です。その上で、資本を人間の幸せに役立つ道具として使いこなして行くことが大切なのです。
 次の段階として私の頭には「資本の公有化」という、まだ聞いたことのない考え方が浮かんできます。今の私にとって、千万円から1億円ぐらいまでの金なら意味がありますが、千億、兆の単位の金は、私有物としてはほとんど意味がありません。そのような金は、誰にとっても日常生活の必要とは無縁の存在です。それはたとえば、自分の家の前の路地は自分の管理すべき道であっても、街から全国へと通じる道路網は公共財になるのと似ているような気がします。ある程度を超えた資本は公共財と考える。私有権を肯定しながらも、ある種の税制という形で介入して、公共財にして行く方法を考えるべきではないでしょうか。
 人間の「欲」を基本に置いて考えるとき、野放しの無限の拡大は必ず他人の権利の侵害を招きます。それゆえに人間社会には、さまざまなルールがあって権利の衝突を防いでいます。金銭欲はその効果が非常に強いだけに、暴走させない強い規制が必要なのです。資本の成長は無条件に善であるという信仰は、考え直さなければなりません。

統一理論への再挑戦

私にとっての私の会社の現状は、とりあえず私と家族と社員の生活が成り立つ程度の利益が出てくれればいいだけの存在です。その仕事の中で、人に喜ばれ、信頼を裏切らない実績を残して行けたら充分です。これは会社経営というよりも、家族経営の延長と言うべきなのかもしれません。しかし、もし規模が大きくても、経営者の意志さえあれば、相互扶助的な経営が不可能とは思えません。株式会社なら株主の意思が無視できないということもあるでしょうが、比較多数を経営者と社員が確保していれば、特色ある経営も可能な筈です。もしもその上で、大きな利益のあがる商品開発に成功したら、どうなるでしょうか。やはり会社を大きく成長させて、幹部社員は高い報酬と高い地位を手に入れたいと思うでしょうか。常識的には、そのようになって行くのが、仕事をする人の夢というものでしょう。自分の可能性を、できる限り高めてみたい欲が、誰の心にもあるからです。
 人間にかかわる、さまざまな現象を統一的に説明できるキーワードとして、いま私が考えているのは「欲」です。欲がなければ人間は存在できません。食欲がなければ生きていられないし、性欲がなければ子孫を残せません。さまざまな物欲も名誉欲も、社会生活を営む人間にとって必要なものです。そうした欲の共通の性格は、人の中から外へ向かう働きかけだということです。その欲を満たすために、人間はさまざまな道具を発明してきました。その道具の中の一つが貨幣です。ですから貨幣について大事なことは、人間は貨幣をどのように使って欲を満たすのかということです。資本についての理論が本当らしく見えながらも、どこか無理があるように感じられるのは、資本をあたかも人間とは無関係な別個の有機体のように見ているからではないでしょうか。
 資本を商品の生産とその消費からだけ見て、いくら詳しく説明されても、宇宙の果てを研究するために望遠鏡を宇宙空間に打ち上げるような事業がどうして成り立つのか、納得はできません。その他、人間のすることには、経済合理性では説明のつかないことが、あまりにも多いのです。 

私の「資本家」体験

私が資本についての経済理論を、あまり有り難いものに思わないのは、小さいながらも自分で会社を経営してきたからです。今までに株式会社を2回、人手を借りないで作りました。私が30歳過ぎに失業して適職を得られる見込みがなく、やむをえず独立を決意したとき、手もとにあったのは百万円に満たない退職金だけでした。それを使ってとりあえず歌の本を一冊作り、苦労して売り歩いているうちに、私の制作の能力を買ってくれる人との人脈ができました。制作の仕事は個人中心でも続けられたのですが、ある程度本格的になると、当時住んでいた埼玉県の草加から東京都内へ出たくなりました。都内に土地建物を持つための資金を手に入れる方法として、思いついたのが株式会社を設立して多くの人に株を買って貰うことでした。ただしこれは見通しが甘くて、実際に株券で集められた金額は、当時の最低資本金の半分の150万円程度でした。
 そこから借金と格闘する長い人生が始まりました。折からの「日本列島改造」ブームにも助けられて破綻はせずにやってこられたのですが、土地建物のローン返済は、今なお10年以上残っています。しかしローン残高を差し引いても、私の現在の資産が埼玉に住んでいた当時よりも大きくなっていることは事実です。その間に私の会社には何人もの社員の出入りがありました。充分に手厚くはなかったでしょうが、中小企業としての一応の水準の賃金は支払ってきたつもりです。そうすると、私の資産が増えたのは、労働者から得た余剰価値を搾取した結果なのだろうかと、時々考えます。しかし、私の会社は、自慢にはなりませんが、慢性的な赤字体質から脱却できないまま現在に至っています。黒字決算で法人所得税を納めたのはいつのことだったか、思い出すのに苦労するほどです。
 会社が赤字でも経営者の私が生活していられるのは、私も会社から給与を受け取っているからですが、その金額は、生活が成り立つ最低限に抑えざるをえません。ただしその中にローンの返済が入っていますから、私は結果的に、ローン返済のために30年間働きつづけたようなことになりました。そして今の実感として、資本は競争し拡大するのが宿命であって、拡大再生産しなければ存続できないというのは、絵そらごとのように感じられます。私の会社の営業上のピークは、15年ほど前でした。それから後は縮小均衡の連続で、社員数も半減しています。しかし将来に不安は感じません。現状維持で資金繰りに心配はないし、いずれは若い世代が新しい事業展開をして行くだろうと思っています。中小企業というのは、手堅く守りに入ってコアの部分だけが残ったら、非常につぶれにくい経営が可能なのです。

私の原点を確かめる

現代の社会と人間とのかかわりを考える上で、私の原点になる立場を自覚したのは、かなり以前のことになります。確かめておきたくなって調べたところ、1983年、昭和58年に制作したスライドの原稿に書いていました。これは住友重機械工業の労働組合のために制作した「針路−−住重労組の今日と明日」で、結成10周年の式典で上映したものでした。住重の組合は、会社の合併に伴って構成が複雑だった上に、運動路線の違いから新旧労組の対決という過程をたどり、それを克服して組織を統一するまでに苦労を重ねた組合でした。ようやく組織問題は解決したものの、間もなくオイル・ショック後の造船不況のため、雇用調整に直面する事態になりました。このとき組合は「特別組合員制度」というユニークな相互扶助制度を創設し、会社に残る組合員が毎月平均2700円を拠出することとしました。そのような厳しい状況の中での10周年でしたから、祝賀というよりも、さまざまな問題提起をしながら、未来への針路を模索するというテーマのスライドになりました。
 この原稿でエンディングの言葉を考えていたとき、私は何とかして組合員を勇気づける言葉を聞かせたいと思いました。時はちょうど21世紀が話題になり始めた頃ですから、女声のナレーションでこんなふうに書き始めました。「21世紀を迎えるとき、あなたは何歳ですか。どんな仕事をしていると思いますか。少しでも、今よりいい暮らしをしていたいと思いませんか。健康には自信がありますか。」そして突然、画面を現代的ビル群の大ロングに切り替えました。そこへ流したのが次の言葉です。「一見、複雑で巨大な現代の社会。これを作り上げたのは誰ですか。そう、この社会は私たちが作って私たちが生きているのです。人間の力で解決のできない問題があると、あなたは思いますか。」
 人間が作り出した問題は、人間の力で解決するしかない。人間の力で解決できない筈がない。この考え方は、その後、私自身を勇気づける究極の楽観的人生観になりました。

「世界共和国へ」を読み直す(2)

産業資本主義は、労働者を労働力という商品にすることで成り立ちました。ただしこれは非常に特殊な商品です。売れない不良商品は廃棄されるのがふつうですが、失業者は簡単に廃棄することができません。労働力は商品であっても、労働者は国民の一部であって、貨幣を持つ消費者であり、政治への投票権を持つ有権者でもあるからです。 簡単に言うと、生産の場では労働者は資本に隷属しますが、消費の場では資本が労働者に隷属するのです。古典的革命理論では、生産点における階級闘争で労働者が資本家を打倒することになっていましたが、それはことごとく失敗に終りました。共産革命が産業の先進国では成功せず、途上国でのみ成功したのは、生産点での労働者の勝利は、原理的に不可能だったからです。
 産業資本主義の弱点は、労働者という、本来商品化すべきでないものを商品化することで成り立っている点にあります。資本は労働者に働くことを強制できますが、商品を買うことを強制できません。買う気になってくれるであろう賃金を与えることができるだけです。さらに資本を実際に動かす経営の主体は、個性ある資本家個人ではなくなり、ますます組織化する官僚に近い統治機構になりつつあります。現在のところは産業資本主義はグローバル化によって最後の可能性を与えられ、途上国への進出によって余剰価値を生み出しているのですが、それにも地球規模での限界が見えてきました。さらに重大なのは、環境破壊、資源枯渇という難問に直面するようになったことです。 産業資本主義 がどのようにして終末を迎えるのか、あるいは変容するのか、その答えは、まだどこからも提示されていません。
 今回のブログでは、私は「世界共和国へ」に書かれている内容から、かなり大幅に逸脱しました。それは読み直して解説するだけでは話が前へ進まないように感じたからです。「産業資本主義 」第2章は労働者が資本に対抗する手段の例として商品のボイコットだけをあげていますが、もちろんその他にもいろいろな方法がある筈です。そしてこの本は国家の歴史と世界経済を論じ、最後に世界共和国を提示するという構成になっています。しかし私にはこの本は、著者の説明にもかかわらず、アカデミックであり過ぎるように感じられます。世界共和国をイメージするのに、ローマ帝国や中国の世界帝国から説き起こし、カントの哲学を論拠とするよりも、現にあるアメリカ・グローバリズムと国連の役割に注目した方が、はるかに近道であろうと思うのです。

「世界共和国へ」を読み直す(1)

岩波新書「世界共和国へ」の第敬第2章「産業資本主義」をしっかり読み直して、統一理論に再挑戦してみます。読者はどうぞ私の思考プロセスを見守ってください。
 まず前提として、商品に対する貨幣の優位性ということがあります。同じ価値の商品と貨幣を持つ者では、貨幣を持つ方が優位に立つのです。貨幣は何でも直ちに買えますが、商品は、それが売れなければ何の価値も生みません。商業資本は利益になる商品を仕入れ、それを価値体系の違う遠隔地に運ぶことで余剰価値を手に入れました。これが重商主義、交易の時代です。やがてマニュファクチュアの時代になると、分業、協業によって生産力が拡大してきました。資本は生産に関与することにより、国内で余剰価値を得られるようになりました。これが商業資本から産業資本への過渡期です。
 生産が機械力によってさらに拡大すると、資本は原料と生産設備と労働力を所有することによって、余剰価値を生み出す主役の地位を獲得することになりました。これが産業資本主義の誕生で、それはイギリスから始まりました。ここで重要なのが労働力という商品です。労働者は産業資本に対しては労働力という商品ですが、同時に、生産物の消費者にもなりました。マルクスは資本が労働者を搾取するということを強調しましたが、イギリスで産業資本主義が発達したのは、安いだけの貧民や奴隷が大勢いたからではありません。産業資本が生産したものは、王侯貴族が使う奢侈品ではなくて生活必需品であり、それを購入したのは、消費者としての労働者であったのです。
 しかし労働者が消費者でもあることから、産業資本主義には大きな宿命が負わされました。余剰価値を確保するためには、絶え間ない技術革新が欠かせないものになったのです。その理由は、労働者に支払った以上の価値を、その労働力から引き出すためには、労働の効率を加速度的に高めなければならないからです。無益というよりむしろ有害な技術の革新や商品の差別化さえも、資本が存続するためには不可欠になったと、この本では説明しています。この辺の考え方には、私は異議を唱えたくなる部分があるのですが、とりあえずは次回も読み直しをつづけることにしましょう。

「統一理論」の予感(2)

第1回から支離滅裂に陥ったので削除しようかと思ったのですが、あえて放置したまま先へ行くことにします。インドネシアにいる友人からまたメールがあって、インドネシアと日本を比べると、表面的には日本の方がインドネシアよりも汚職が少ないようだが、実態は天下り・談合など、犯罪にならない税金の食いつぶしは日本の方がひどいのではないか、自分はそんな国に税金を払うつもりはないと、厳しいことを言ってきました。立法権を握り、都合のよい法律を作って行われる保身と利権は、合法的であるだけに、はるかに悪質であることは確かです。そして、ここにも見られるのが相互扶助的な身内意識です。
 家族的相互扶助は、人間味のあるよいもののように思われますが、役人の身内意識として行われたのでは国の基盤をも崩壊させます。権力の固定化と人事の固定化が並存しているところでは、そのような好ましくない相互扶助が発生することは避けられません。政権交代はすぐには無理としても、公務員の人事は縦割りをやめ、各省庁間の往来も自由にし、民間との往来も可能にするなど、風通しをよくすべきです。
 本題にもどると、相互扶助それ自体は善でも悪でもありません。人間の性質として、身近な間柄では自己の利益をはかるばかりでなく、利他的に行動することもある、ということです。親が子供を育てるように、無償の行為は家族の信頼関係を築くのに役立ち、それが親にとっての安全保障にもなります。相互扶助は、人間関係の内側の人にだけ働きます。言葉を変えれば、相互扶助は、扶助しない外側の人を必要とするのです。それは人間関係の規模が大きくなっても同じことです。相互扶助をエゴという言葉に置き換えるとわかりやすいかもしれません。家族の中なら家族エゴ、地域の中なら地域エゴ、会社なら会社エゴ、官庁なら官庁エゴ、国家なら国家エゴ、という具合です。
 家族のような、人間の本能に根ざす相互扶助から、規模が大きくなるにつれて、相互扶助はより大きな社会的な人間関係を基盤とするようになります。では、人類エゴまで行ったら終点になって、理想の社会が実現するのでしょうか。こんな空論をするつもりはありませんでした。私はまた、急ぎ過ぎて失敗したようです。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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